ウルトラ5番目の使い魔 (エマーソン)
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第一章
第1話  合体変身!! ルイズと才人


 第1話

 合体変身!! ルイズと才人

 

 ミサイル超獣 ベロクロン 登場!

 

 

 

「怨念を晴らすまでは、幾度でも蘇る」

 西暦二〇〇七年、地球を狙う恐怖の異次元人ヤプールはウルトラマンメビウスの活躍によって滅ぼされた。

 しかし、その底知れぬ怨念は闇の中で胎動を続け、復活のときを待っていた。

 だが、闇が動けば必ずそれを晴らそうとする光がある。

 今、新たなるウルトラ伝説が始まろうとしている。

 

 

 

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「宇宙の果てのどこかにいるわたしの下僕よ!! 光り輝き、気高い最強の使い魔よ、わたしは心より求めるわ! 我が導きに応じなさい!!」

 その日、地球とは違う異世界ハルケギニアの一国、トリステインの王立魔法学院で、ひとりの少女が使い魔召喚の魔法『サモン・サーヴァント』を唱えた。

 彼女の名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。魔法成功率ゼロパーセントゆえ『ゼロのルイズ』と屈辱的な蔑称を与えられている彼女の魔法は、結果として成功を収めた。

「あんた誰?」

 爆発とともに現れた真紅の光、それが収まったときに姿を見せた一人の少年。

「誰って……俺は平賀才人」

 彼の名は平賀才人、日本に住むごく平凡な少年だったが、この日を境に彼と、彼の主人となったルイズ、そしてハルケギニアの運命は大きく変わることとなる。

 

 誰も気づいていなかったが、召喚の際に現れた真紅の光は、消えずにそのままどこかへと飛び去った。

 

 また、才人の手に使い魔のルーンが刻まれた時、はるか天空に歪みが生じ、不気味な声が響いた。

「ほほう、次元震の反応があって見てみれば、こんな次元が存在していたとは。地球にも負けない美しさだ、住民も我らの奴隷となるにふさわしい。ふふはは……」

 

 

 それからしばらくは才人とルイズにとって、波乱万丈なれど平穏な日々が続いた。

 才人がルイズに犬扱いされるようになったこと。シエスタというメイドと偶然仲良くなったこと。

 たまたまギーシュという貴族の少年の落とした香水を拾ってやったことから、彼とつまらないいさかいを起こして、あげく決闘に臨むことになり、青銅の騎士人形"ワルキューレ"を操るギーシュの前に才人は追い込まれるが、突然圧倒的な剣の腕を発揮して奇跡的に勝利し、その後和解したギーシュと親交が始まったこと、など。

 おまけで言えば、その際の騒動でシエスタとさらに仲良くなって、なぜかルイズの才人への扱いがより以上に過酷になったことなどが付け加えられる。

 だが、平穏な日々は突如として終わりを告げることになった。

 

 

 ある日、ルイズと才人はトリステインの首都トリスタニアへと買い物に出かけた。

 目的は、ギーシュとの決闘の際に人間離れした剣の冴えを見せた才人のために専用の剣を買うためだった。

 なお、先日の件のお礼をしたいということで、シエスタが買出しついでについてきていたのがちょっとアクセントになっている。

「あっ、あれは何かな?」

「あそこは靴屋さんです。うちの厨房の人たちもひいきにしているんですけど、とても丈夫な靴を作ってくれるんですよ」

「じゃあ、あっちは?」

「刃物の砥ぎ師さんです。あそこで砥いでもらった包丁はとてもよく切れるとマルトーさんがおっしゃってました」

 街を歩きながら才人は物珍しそうにあれこれとシエスタに尋ねてまわっていた。

 ルイズとしては何がそんなに面白いのかさっぱり分からない、さらにあのメイドが何を聞かれても事細かに、しかもうれしそうに説明しているのもなぜか気に入らない。

「はいはい、あんた達、おしゃべりはその辺にしなさい。サイト、目的の店はこの裏通りの奥よ。シエスタ、あなたは分不相応なところだからしばらく待ってなさい、いいわね」

 ようやく目的の裏通りの入り口にまで来たときには、ルイズの忍耐は限界ギリギリにまできていた。

「は、はい、じゃあわたしは別の買い物を済ませておきますね。ではサイトさん、また後で」

 彼女はそそくさと駆けて行った。さすがにキレかけたルイズの雰囲気を察したようである。

「さて、さっさと行くわよ」

「あいよ、ご主人様」

 裏通りにある小さな武器屋、そこが目的地である。

「おや、これは貴族の旦那、うちはまっとうな商売をしておりまさあ。お上に目をつけられるようなことは、これっぽっちもしちゃいませんぜ」

「客よ」

 店に入ったとたん、警戒心をあらわにしてくる店主にルイズは堂々と言い放った。

 まあ、年のころ十五前後の貴族の少女とひ弱そうな少年の連れでは客と見られなかったしてもしょうがない。 

 だが、店主とルイズが次の句を繋ごうとした時、突然外から雷鳴のようなすさまじい音が響いてきた。

「な、なに!?」

 とっさにふたりは外へと飛び出した。

 そして、武器屋から出てきて空を見上げた瞬間、それは始まった。

 

 

 突如、空がまるでガラスのように割れ、真赤な裂け目が現れたかと思うと、そこから全長五十メイルは軽く超えるような巨大な怪物が街中に降り立ったのだ。

 全身は禍々しく黒光りし、二足歩行でありながら鰐を思わせる顔、そして頭から背中にかけて無数に生えた珊瑚のような赤い突起。

 怪物は、解放されたことを喜ぶかのように巨大な咆哮を上げ、店を、家を踏み潰し、叩き壊しはじめた。

 呆然とする人、逃げ惑う人を、まるで虫けらや石ころのように踏みにじり、蹴散らし、口から吐き出す火炎で焼き払っていく。

 そして才人は、暴れまわるその怪物を見て愕然として叫んだ。

「そんなバカな!! あれはミサイル超獣ベロクロンじゃないか!!」

「なに、ベロクロン? あんたあの怪物知ってるの!?」

「俺の世界で、三〇年以上前に暴れまわっていた怪物だよ。でも、超獣はもうメビウスとGUYSが全滅させたはずなのに、しかもなんでこの世界に?」

「そんなことはいいわ、行くわよサイト!」

「なに、ルイズ!?」

「国を荒らす敵に、貴族が背を向けるわけにはいかないでしょ!?」

「やめろ!! 逃げるんだ!!」

 駆け出したルイズを、才人は慌てて追っていった。

 

 

 そのころ、街の窮状にようやく王国の軍隊も動き始めていた。

 空からはグリフォン、飛竜、ヒポグリフなどハルケギニアに生息する幻獣に乗った騎士やメイジが、陸上からもトリスタニアに駐屯していた部隊が集結して怪物へと向かっていく。

「よりによって隊長が国境視察でいないこんなときに……だが、トリステインは我らが守る。怪物め、いくぞ!!」

 グリフォン隊の隊長代理は部下を督戦すると、怪物の頭上を目掛けて突撃をかけた。

「全軍、一斉攻撃開始!!」

 グリフォンや飛竜に乗ったメイジが空中から魔法攻撃をかけ、さらに空中から矢や槍が降り注ぎ、竜のブレスがほとばしる。

 火が風が氷が鉄が無数の牙となって怪物を貫いたかに見えたが、なんとその皮膚にはかすり傷ひとつついてはいなかった。

「化け物め!!」

 そのとき、怪物の口が開き、真赤な火炎が吐き出された。

 火竜のブレスの一〇倍はあろうかという火炎に、避ける間も無く、三匹のグリフォンが主人ごと消し炭に変えられる。

「正面は危険だ、背後から攻撃をかけるんだ!!」

 グリフォン隊の隊長代理は火炎の威力を見て、とっさに死角になるであろう怪物の背後をとる作戦に出た。

 だが、その怪物に死角などというものは存在しなかったのだ。

 突然、怪物の背中から頭にかけてびっしりと生えている赤い突起から無数の火の玉が撃ち出された。

「こんなもの!」

 隊長代理は熟練した動きでその火の玉を回避した。

 しかし、反撃に移ろうとしたとき、その眼は驚愕で見開かれた。なんと避けたはずの火の玉が進路を変えて追ってくる。

「ウワァァッ!!」

 それは地球においてミサイルと呼ばれている兵器で、グリフォン、竜騎士、ヒポグリフ隊は半数はそのまま餌食となり、半数は避けようとしたが、追尾してきたミサイルによってやはり空の藻屑と消えた。

 さらに、地上の部隊にもミサイルは降り注ぎ、彼らもなすすべなく全滅の憂き目にあった。

 

 

「離せ、サイト、離しなさいよ!!」

「だめだ!! あれは人間の敵う相手じゃない。殺されるぞ!!」

 間もなくベロクロンの足元になろうかという場所で、才人はルイズを必死に抑えていた。

 ルイズにとって逃げるという選択肢は存在しない。だが才人にとって、生身の人間が超獣に挑もうなど自殺行為以外のなにものでも無かった。

「サイトさん、ミス・ヴァリエール、ここは危険です。逃げてください!!」

「シエスタ……あっ、危ない!!」

 ルイズと才人の目に、ふたりを逃がそうと駆けつけてきたシエスタの背後から、今まさに火炎を吐き出そうとしているベロクロンの姿が見えた。

 そのとき、ふたりは同じ行動に出た。シエスタをとっさに路地の影に突き飛ばしたのである。

 自分が炎の餌食となることを代償に。

「才人さん、ミス・ヴァリエール……いやあぁっ!!」

 道路を焼き尽くした熱波と熱風が路地にも吹き荒れ、シエスタは吹き飛ばされて意識を失った。

 

 

 いまや、トリスタニアの城下町の半分が炎に包まれていた。

 

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 ベロクロンは悪鬼のごとく炎の中に君臨している。いまや奴を止める者は誰もいない。

 トリステイン王女アンリエッタやその重鎮達は、城からその惨状をなす術なく見つめていることしかできなかった。

 だが、突如怪物の頭上の空に真赤な亀裂が生じると、そこからおどろおどろしい声が城に、街に響き渡った。

「フハハハ、愚かな人間どもよ。我が名は異次元人ヤプール、この空に君臨する異次元の悪魔だ!」

 誰もがあまりのことに空を見上げる。声はなおも続いた。

「我らはこの世界を必ずや我が物とさせてもらう。まずは、このトリステインとかいう小さな国からもらうとしよう。貴様らは、我らの誇る超獣ベロクロンによって皆殺しとなるか、それとも我々の奴隷となるか、好きなほうを選択させてやろう。さあどうする? この国の主よ?」

「断ります!! 誇りを捨て、奴隷となって服従するなどするくらいなら死んだほうがましです。私達は断固として戦い、この国を守り抜きます!!」

 アンリエッタは勝ち誇るヤプールに向かって毅然と言い放った。

「フハハハ、愚か者よ。今日のところはこのくらいにしておいてやるが、次に来るときには容赦はしない。次は貴様らの命とともに、貴様らの絶望、憤怒、恐怖から生まれるマイナスエネルギーを我らに献上してもらおう。フフフフハハハ、フハハッハッハッハッ!!」

 空の裂け目はベロクロンを飲み込むと、何も無かったかのように消滅し、呆然とするアンリエッタ達の目の前には、地獄のように燃え盛るトリスタニアの街だけが残された。

 

 

 破壊されつくした街、動く者さえいなくなった廃墟の一角に、物言わぬ姿となったルイズと才人が横たわっていた。

 しかし、そんな彼らを新しい世界へと導こうとする者がいた。

 どこからか現れた赤い光がふたりを優しく包み込み、やがてふたりは光り輝く不思議な空間に立っていた。

「ここは、いったい……はっ! サイト、サイトは?」

「俺はここだ……ルイズ、お前も無事だったか、よかったな」

「な、なによ。べ、別に心配なんてしてないんだけど、あんたも無事でよかったわね」

「残念だが、無事ではない」

「はっ、だ、誰!?」

 突然語りかけてきた声に驚くルイズと才人の前に、ゆっくりと、銀色に輝く巨人が姿を現した。

 そして、再びふたりの意識に、強く、気高い声が語りかけてきた。

「私は、ウルトラ兄弟の5番目、ウルトラマンAだ」

 ふたりの前に現れたエースは、そう力強く言った。

「ウルトラマンA!? ほ、本当に!?」

「サイト、知ってるの?」

「知ってるも何も、俺の居た世界でウルトラマンAを知らない奴なんかいないよ。怪獣頻出期から今までずっと地球を守ってきてくれたウルトラ兄弟の一人、あこがれのヒーローさ!!」

 才人は怪訝な顔をするルイズにウルトラマンAのことを熱弁した。

 かつて自分のいた世界では怪獣や宇宙人の脅威に晒されていて、そのとき人類を守ってくれたウルトラマンと呼ばれる光の国の戦士達がいたこと。

 だがあるとき、怪獣よりはるかに強い超獣を駆使して地球を襲ってきたヤプールという侵略者が現れ、それと初めて戦ったのがウルトラマンAということ。

 ヤプールはその後もたびたび復活したが、そのたびに歴代のウルトラマン達が撃退したこと。

 最近もエンペラ星人の手先になって復活したが、新しいウルトラ兄弟の一員、ウルトラマンメビウスによって倒されたこと。

 ルイズは半分も理解していないようだったが、才人の熱の入れように半分呆れながらも目の前の巨人への警戒心を解いた。

「……まあ、とりあえず敵じゃないみたいね。それで、無事じゃないってどういうことよ?」

「君達の肉体は、先のベロクロンの襲撃で死んでしまったのだ。今私と話している君達は精神体にすぎない」

「なんですって!?」

 驚いて見下ろすと、確かに足元には傷だらけで横たわっている自分達、よく見てみれば、今の自分達の姿はうっすらと透けている。

「ってことは、わたし達は今幽霊ってところかしら……で、そのウルトラマンAとやらが何用なの?」

 ウルトラマンAは、ふたりを見下ろしながら、ゆっくりと語り始めた。

「この世界の少女よ。君はまだ気づいていないだろうが、あのとき君がこの世界に召喚してしまったのは、その少年だけではない。この私もなのだ」

「へっ、あたしが? そんな憶え無いわよ」

 自分が呼んだと聞かされて、まったく身に覚えの無いルイズはとまどった。

「彼が現れたときに、同時に赤い光が現れたのを憶えているか? 私達は遠くへ移動するときには赤い玉となって飛行することができるのだ。私はヤプールの動向を偵察するためのパトロールの最中に、君の作り出した空間の歪みを発見して、そこからヤプールの気配を感じて飛び込み、この世界に来た」

「えっ、それじゃあもしかしたら、あんたが私の使い魔になってたかもしれないってこと? ……ちぇっ、惜しいことしたわ」

「どういう意味だよ……」

 エースはふたりのやりとりには構わずに話を続けた。

「どうやら、この世界は完全にヤプールに目をつけられてしまったらしい。原因ははっきりとは分からないが、この世界ではあちこちで時空転移、君達の言う召喚儀式がおこなわれているために、その次元震がヤプールに気づかれてしまったのかもしれない。奴らは手始めにこの世界を侵略し、力を蓄えた後に地球へと侵略の手を伸ばすだろう」

「なんですって、ハルケギニアを侵略? そんなことさせるものですか!!」

 ルイズは激怒した、自分の国をあんな怪物に蹂躙されて愉快なはずはない。

「悪いが、この世界の魔法とやらでもヤプールの操る超獣には歯が立たないのは実証されてしまった。だから君達の力を貸してほしい」

「わたし達の? どういうこと」

「残念だが、私はこの世界ではこのままでは戦うことができない。だが君達の体と一体となれば、私は短い時間ではあるがこの世界で戦える」

「わたしと一体に? じょ、冗談じゃないわよ!!」

 ルイズは当然拒否した。だが、ウルトラマンの活躍を小さなころから見聞きしてきた才人は、むしろわくわくした顔でルイズをなだめた。

「まあ落ちつけよ、体を貸すっていっても乗っ取られたりするわけじゃないし。それよりも、この世界では戦えないってのはどういうことなんだ?」

「詳しくは分からないが、この星の太陽の波長が私とは合わないのかもしれない。地球で我々の活動時間が三分に限られていたように、単独ではおそらく一分程度しかこの世界では実体を保てないだろう」

「なによ、それじゃまるで役に立たないってことじゃない」

 ルイズの歯に絹着せない言葉に、才人はムカッとしたが、エースは構わず続けた。

「だからこそ君たちの力が必要なのだ。それに、君達と一体となれば、私の命で君達の命を救うことができる。君達の記憶に立ち入るようなことは決してしない。力を、貸してほしい」

「俺はいいぜ」

「サイト!?」

 あまりにあっさりと承諾した才人を見て、ルイズは困惑した顔を見せた。

「この年でまだ死にたくはねえし、ウルトラマンになれば、シエスタやお前、友達になりかけた奴らを守ってやることができる。それに第一、俺はずっとウルトラマンにあこがれてたんだ!! こんなチャンスは二度と無いぜ!!」

「気楽でいいわね。けど、私もまだ死にたくはないし……わかったわ、それでどうすればいいの?」

 エースは右手を高くかざすと、そこから光が走り、ふたりの手に小さな指輪がはめられた。 それは銀色で、Aの文字をかたどったエンブレムが取り付けられているだけの簡素な、しかし美しいリングだった。

「銀河連邦の一員の証であるウルトラリングを今、君達に与えた。そのリングが光るとき、君達は私の与えた、大いなる力を知るだろう!!」

 ふたりの意識はそこでとぎれ、再び目をさましたとき、ふたりとも傷ひとつない姿で廃墟のなかに横たわっていた。

 あれは夢だったのかと思ったが、その手に光るウルトラリングがあれは現実だったことを示していた。

 その後、臨時救護所で再会したシエスタが最初、泡を吹いて倒れ、やがて目を覚ました後にふたりが無事だったことを知って泣き崩れたのを見て、ふたりはようやく笑顔を見せた。

 

 

 だが、休んでばかりもいられなかった。

 王国は壊滅した軍の代わりに、対ヤプール用の王立防衛軍を設立することに決定した。

 地球でいえばTACに相当する組織だが、その内容は最精鋭部隊がベロクロンによって全滅し、他国への備えから各地の兵力も削るわけにはいかず、生き残ったわずかなメイジと兵、貴族や民間、魔法学院からの志願者などを集めた寄せ集めだった。

 ただし、その士気は高い。王女アンリエッタ自ら最高指揮官の位置に立ち、城を舞台に不退転の意志を表したことで兵達から弱気は振り払われていた。

「今度の侵略者に対して、降伏や和平という道は最初からありません。それは、彼らが奪おうとしているものは誇りでも、国でも、命でもなく、我々の人間としてのあらゆる尊厳をはぎとり、奴隷として貶めることで愉悦を得ようとしていることだからです。私達が選ぶ道はただひとつ、戦って勝つことだけです。この戦いの敗北はトリステインの人間の全滅、いえ、絶滅を意味することを忘れないでください。そして、私と王家の人間はただひとりとして、あの超獣が地に崩れ落ちるときまで、この城から離れぬことを制約します」

 王族自らが徹底抗戦の意志を固めたことで、防衛軍には続々と志願者が集まってきていた。

 ベロクロンによって家族や友人を失った者から、貴族の誇りを守るために戦おうとする者、これから家族を守ろうとする者、ほかの者も皆トリステインのために命を賭けて戦おうとしていた。

 もちろん、そこにはルイズと才人がいたが、ほかにもルイズの悪友のキュルケやタバサ、さらにはギーシュなどのクラスメイトたちの姿もあったことにふたりは驚いた。

「ツェルプストー、なんであんたがここにいるのよ。学院も無期限休校になったことなんだしゲルマニアに帰りなさいよ」

「いやぁ、あたしもそうするつもりだったんだけどね。あたしの恋人達がみーんな揃って防衛軍に志願しちゃったもんでね、俺の死に水を君がとってくれるなら俺は誰よりも勇敢に戦える、なんて言われちゃ断れなくてね」

「……心配なのはふたりだけのくせに」

 タバサが居るわけは分からなかったが、キュルケが関わっているのは間違いないだろう。

 そして才人は、部屋の隅で柱を相手に落ち込んでいるギーシュに声をかけた。

「ギーシュ、お前はなんで?」

「僕は、軍の名門グラモン家の名誉のために当然ね、つまり家柄でしょうがなく、強制的に……」

「……」

「まあ、僕にも誇りはあるさ。ヤプールが次に狙ってくるとしたら間違いなく王宮だろう? この城を落とされたらトリステインは顔を無くすようなものだからね。王女殿下が命を賭けて城を死守しようっていうのに逃げちゃあ、貴族以前に最低だろ」

「だな、どこまでできるか分からないが、ヤプール相手には逃げ場なんかどこにも無いんだ」

 才人は、本当にかつて地球防衛軍を全滅させたほどの相手と戦えるのかと不安になっていたが、ここの学院の騒々しさがそのまま移ってきたような雰囲気に少し安心していた。

 

 

 そして、二週間後、遂に再びベロクロンが姿を現した。

「ゆけえベロクロン!! 恐れを知らぬ人間どもに、我ら異次元人の悪魔の力を見せてやるのだ!!」

 復興しかけた街を思うがままに蹂躙するベロクロンに、防衛軍は決死で立ち向かう。

 空からはタバサの使い魔の風竜シルフィードをはじめとするドラゴンやグリフォン。

 地上からは旧式火器や遠距離攻撃可能なメイジが、可能な限りの攻撃をベロクロンに叩き込んだ。

 しかし、やはりベロクロンにはわずかばかりの痛痒も与えることはできなかった。

 一回だけ、ベロクロンが口を空けた瞬間に急接近したシルフィードから、キュルケが全力の火炎弾を口内に叩き込んで動きを止めたが、それも口内のミサイル発射管をつぶしただけにとどまり、反撃の火炎を受けて翼をやられて墜落してしまった。

 

 防衛軍のあまりにもあっけない敗北だった。

 

 勝ち誇るベロクロン、生き残った防衛軍がわずかな攻撃を続けてはいるが、ベロクロンの火炎とミサイルの前にひとつ、またひとつと潰されていく。

 やがて、防衛軍をあらかた叩き潰したベロクロンはその行き先を変えた。

 すると、その眼前でまた空が割れていく。しかも尋常な大きさではない、幅およそ五〇〇メイル、高さ二〇〇メイル、ベロクロンが一〇匹以上通っても余るほどの広さだ。

 しかし、その割れた空間の先にあるものは異次元の真っ赤な裂け目ではない、その方向にあるものは……

「やめなさい!! 学院まで壊すことはないじゃない!!」

 ベロクロンの先、裂けた空間の先にはルイズたちの母校があった。

 ヤプールは見せしめとするために、街と学院をつなぐ巨大な異次元ゲートを作り出したのだ。

「フフフフ、王女よ、勝利するときまで王城より離れぬと言ったそうだな。だったらそこからこの国が灰燼に帰していく様をじっくりと見せてやろう」

「っ!! なんて卑劣な」

 虚空から響くヤプールの声に、アンリエッタは憎悪を込めて睨み返したが、城の防御に完全配置した多くの部隊はすぐには動かせない。

 

 そのころ、ルイズは才人を連れてベロクロンの後を必死で追っていた。

 ルイズにとっては決してよい記憶ばかりがあるところではない。むしろつらいこと、悔しいことが多くあったが、それでも友と過ごし、自分をここまで育ててくれた思い出の場所なのだ。

「やい、あんたが私達にくれるって言った、大いなる力ってのは何よ! くれるなら今よこしなさい!!」

 ルイズはリングに叫ぶが、リングは何も答えない。

「……学院を、やらすものですか!!」

 ルイズと才人はベロクロンの後を追って異次元ゲートへと飛び込んだ。

 風景が一瞬にして変わり、火災の熱気に包まれた空気から、学院周辺の緑の香りが鼻孔に飛び込んでくる。

 ベロクロンはふたりの目の前を、ことさらゆっくりと学院へと歩いていく。しかしその距離はあと二〇〇メイルもない。

 

「逃げろ、みんな急いで逃げるんだ!!」

 学院では突然の事態に慌てながらも、教師達が必死に生徒達を逃がそうとしていた。

 だがあまりに突然の奇襲だったためにとても間に合わない。飛んで逃げることもできるが、それではミサイルの餌食にされてしまう。

 

 

「この、悪魔めーっ!!」

 少しでも足止めになればとルイズは魔法を連射する。ゼロのルイズの異名の通り、どんな魔法を使っても派手な爆発しか起こさないが、教室ひとつを全壊させるくらいの威力がある。しかし、超獣ベロクロンにはまるで爆竹のようなもので、あまりの巨体ゆえにまったく効果がない。

 外壁上にはルイズたちの教師であるコルベールや、学院長のオスマンが最後の防衛線を引いている。彼らも死ぬ気だ。

 だが、ベロクロンの手が今まさに学院の外壁にかかろうとした、まさにそのとき!!

 遂にふたりのリングが眩い輝きを放った。

「光った!?」

 ルイズと才人はエースの声を聞いた。

 今こそ、力を合わせて戦う時。

「ルイズ!!」

「サイト!!」

 ふたりのリングが火を放つ!!

 

 

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「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 光がふたりを包む。そして、光の巨人が光臨する。

 ウルトラ兄弟五番目の戦士、ウルトラマンAの登場だ!!

 

「デャアッ!!」

 天空から急降下してきたウルトラマンAのドロップキックがベロクロンに炸裂、ベロクロンは草原のはしまで吹き飛んだ。

「シュワッ!!」

 エースはそのまま学院からベロクロンの注意をそらすためにベロクロンの後ろへと跳ぶ。

 そして起き上がったベロクロンは、エースを敵と認識して雄たけびを上げた。

 

「な、なんだ、あの巨人は!?」

 防衛軍やコルベールたち、兵を率いて出陣しようとしていたアンリエッタも突然現れた巨人に驚きの声を上げた。

 あの化け物を巨人はやすやすと跳ね飛ばした。

 幻獣やゴーレムの類ではない、そんなものとは醸し出すオーラがまったく違う。

 なにより怪物と違って、あの巨人には禍々しさはまったく感じられない。

「私達のために、戦ってくれるのか……?」

 

(すげえ!! 俺ほんとにウルトラマンAになったんだ!!)

(なっ、こ、これが私なの!?)

 ウルトラマンAへと変身をとげた才人とルイズは、それぞれ驚きの声を上げた。

 今、ふたりの目はエースの目、耳はエースの耳。

 そしてウルトラマンAの声がふたりに語りかけた。

(そうだ、今君達は私と視覚と聴覚を共有している。体の優先権は私にあるが、君達の意思は消えずに君達のあきらめない強い意志が私の力となる。さあ、共に戦おう!!)

(よーし、やろう!!)

(もうこれ以上、私達の国を好きにはさせない!!)

 ウルトラマンは光の戦士、その力の源は決して折れない心の光。

 今、才人とルイズの強き意志を得たエースの体には力がみなぎっていた。

 

 着地したエースにベロクロンは向き直り、威嚇するように咆哮をあげる。

 そして、ベロクロンの全身から炎が放たれた。ミサイルがエースに向けて全弾発射されたのだ!!

 しかし、エースは微動だにせずにその全てを体のみで受け止め、跳ね返した。

「す、すごい……」

「……信じられない」

 地上では、キュルケだけでなくタバサまでも巨人の恐ろしいまでの頑強さに驚愕していた。

「シュワッ!!」

 悔しがるベロクロンに向かってエースは再び跳んだ。飛んだのではない、跳躍力のみを使って跳んだのだ。ゆうに三〇〇メイルは超えているだろう。

「デヤッ!!」

 必殺キック、ベロクロンの顔面直撃!!

 ふらつくベロクロンにエースのパンチ、チョップの連続攻撃!!

「テェーイ!!」

 さらに背負い投げで投げ飛ばす!!

 ベロクロンも体勢を立て直すと火炎をエースに向かって放つ、しかしエースはかつてのベロクロンとの戦いと同じ失敗はしない。

 空へと立てた指先から光が走り、そのまま四角く空をなぞるとエースの前に巨大な光の壁が現れた。

『ウルトラネオバリヤー!!』

 火炎はバリヤーに命中するも、押し返されて向こう側のエースにはまったく届かない。

 ベロクロンは悔しがり、バリヤーが消えたとき、さらに光弾、破壊光線を放つ。

 しかし!!

『スター光線!!』

 前に突き出した両手の間から放たれた星型のエネルギー弾の連射が光弾を。

『タイマーショット!!』

 胸のカラータイマーから放たれる一筋の光線とベロクロンの光線がぶつかり合う。

 全弾相殺!!

 エースの連続発射した光線の前に、ベロクロンの攻撃はその全てが撃ち落されてしまったのだ。

「ヘヤッ!!」

 今度はこちらの番だ、エースの広げた両手の間に雷のようなエネルギーがほとばしり、それがエースの手のひらの間で小さなボールのように凝縮していく。

 そしてエースは砲丸投げの玉のようになったそれを、一気にベロクロンへ向けて押し出すと、玉は赤い三本の光線となってベロクロンを襲った!!

『パンチレーザースペシャル!!』

 膨大なエネルギーの奔流はベロクロンの腹を打ち、その巨体を後方へと大きく吹き飛ばした。

 もだえるベロクロン、エースはとどめを刺すためベロクロンに駆け寄る。

 だがそのとき、ベロクロンの口から突然無数の泡が吹き出し、エースにまとわり付いていく。

「グッ、グォォッ、グッ、ヌァァッ!!」

 それはベロクロンの体内の毒袋から放出される強力な溶解液、ベロクロ液だ。

 本来ベロクロン二世の能力だが、ヤプールによって強化されたこのベロクロンもこれを持っていたのだ。

 ベロクロンはここぞとばかりに反撃に出る。

 むくりと起き上がったベロクロンはエースに突進を仕掛け、エースは避けられずにもろに受けて吹っ飛ばされてしまった。

 さらに、振り下ろされる爪が、鉄柱のような足がエースを襲うが、苦しむエースは反撃することができず、ベロクロンの攻撃を受けることしかできない。

 そして遂に、ベロクロンの足蹴にされたエースのカラータイマーが鳴り出した。こうなってはエースのエネルギーはあとわずかだ。

(エース、頑張れ!! 超獣なんかに負けるな!!)

(あんた!! でかいこと言っておいてその程度でくたばるわけ!?)

 心の中から才人とルイズのエールがエースの心に響く。

(ああ、ウルトラマンはこんなことでは負けはしない!!)

 エースの心にかつてTACと共に戦っていたときの記憶が蘇る。

「デヤァッ!!」

 エースは渾身の力を振り絞ってベロクロンを跳ね飛ばした。

 そして、エースに向かって火炎を吐き出そうとしたその口をめがけて。

『パンチレーザー!!』

 額のビームランプからの光線一閃!! ベロクロンは火炎が体内に逆流し、誘爆を起こして苦しむ。

 今がチャンスだ!! 戦いを見守っていた誰もがそう思ったに違いない。

 もちろん、エースも同様だ。

「デヤァッッ!!」

 エースはベロクロンを持ち上げて天高く放り投げると、さらに落ちてきたベロクロンを受け止めて、そのまま回転しながら投げ捨てる!!

『エースリフター!!』

 強力なエースの投げ技炸裂!! ベロクロンは地に叩きつけられる。

 とどめだ、エース!!

 エースは体を大きくひねらせ、腕をL字に組む!!

 今こそ必殺!!

『メタリウム光線!!』

 虹色の必殺光線がベロクロンに吸い込まれ、大爆発を起こす。

 ベロクロンは断末魔の遠吠えを上げると、天まで届く巨大な火炎を上げて遂に消し飛んだ。

 人々は、ある者は飛び上がり、ある者は泣いて喜んでいる、街を家族を誇りを、何もかも踏みにじっていった悪魔が滅んだのだ。

 ウルトラマンAは、その姿を見届けると静かに空を見上げて、飛び立った。

「ショワッチ!!」

 

 

 ハルケギニア対異次元人ヤプールの戦いは切って落とされた。

 すでにアルビオン、ガリアでも、超獣らしき巨大生物が確認されている。

 ヤプールが侵略の手をハルケギニア全土に広げるのも時間の問題であろう。

 アンリエッタ王女はヤプールに対抗するために、全国家の同盟を呼びかけはじめている。

 いつ、どこに異次元人によって改造された恐るべき超獣の群れが、平和の破壊に現れるかもしれないのだ。

「んじゃ、平賀才人、定期パトロールに行ってきまーす」

「こら、なに言ってんの。私達は超獣が出ないときには学生のままなのよ。さっさと来なさい」

「いてて……ちぇ、冗談のわからない奴」

「なんか言った?」

「い、いえいえこちらの話で」

「あんた、最近ウルトラマンになれたからって気が緩んでるみたいだから、おしおきが必要かしらね?」

「い、いやその、わ、わたしが悪うございました!!」

「問答無用!!」

「ぎゃーっ!!」

 

 

 続く

 

 

 

 

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第2話  黒衣の悪魔

 第2話

 黒衣の悪魔

 

 宇宙同化獣ガディバ 登場!

 

 

 ルイズと才人がウルトラマンAの力を得て、異次元人ヤプールの尖兵たる、ミサイル超獣ベロクロンを倒してから二日が過ぎた。

 二人を含む魔法学院の関係者達は、平時には通常通り学業に専念するようにとの指示が出、破壊された街も、勝利に喜ぶ民達によって急ピッチで復興されていっていた。

 

 が、当の二人はといえば、ウルトラマンの宿命として正体を明かすわけにもいかずに、結局は『ゼロのルイズ』と『犬のサイト』の元の鞘に納まってしまっていた。

「はぁ、俺本当にウルトラマンになれたのかなあ?」

 例によって水場で洗濯物の山と格闘しながら才人はぐちっていた。

 彼としては、子供のころからTVや本のドキュメンタリーや記録映像で見た科学特捜隊やウルトラ警備隊の隊員達のように、颯爽と怪獣と戦うのにあこがれていただけに、相も変らぬ使い魔生活にいまいち実感が湧かないのである。

 だが、地球を守ってきた歴代のウルトラマン達にも人間としての生活はあった。

 才人と一体化しているAだって、北斗星司と呼ばれていたころにはアパートに一人暮らししていたころもあったし、当然衣食住は自分で管理していた。

 さらに中には血反吐を吐くような猛特訓をこなしたり、教師やボクサーを兼業したウルトラマンもいたが、さすがに才人にそれを求めるのは無茶であろう。

「いつも大変ですね才人さん」

 振り向くと、黒髪の愛らしいメイドの娘が洗濯籠を持って立っていた。

「ああ、シエスタ、君も洗濯かい?」

「はい、私はそんなに多くないので、お手伝いしますよ」

 才人は喜んでと言うと、さっきまでの憂鬱はどこへやらで、うきうきと洗濯にはげみはじめた。

 そのはげみぶりはアクセルがかかりすぎたようで、たいした量を持ってこなかったはずのシエスタの分が終わる前に自分の分が終わってしまった。

 仕方が無いから逆にシエスタの分を手伝うことにしたが、それでも彼はうれしそうだった。

「平和ですねえ」

「え?」

「つい二日前くらいには、トリステイン中この世の終わりかもって雰囲気だったじゃないですか。けど、今私達はこうして安心して洗濯をしていられる。平和って本当にいいものですね」

「……ああ、本当に平和っていいもんだな」

 才人は幸せそうに笑うシエスタの顔を見て、「ああ、俺がこの笑顔を守ったんだな」とようやく実感した。

 虚栄や見返りではない、ウルトラマンや歴代の防衛チームが命を賭けて守ろうとしたものの一端が、少しずつ才人にも芽生えつつあった。

「それもこれも、ウルトラマンAさんのおかげですね」

「ああ、ウルトラマンAのおかげ……あれ? なんでシエスタがウルトラマンAのこと知ってるの!?」

 才人は、まさか正体がばれたのではと、内心冷や汗をかきながらシエスタに問いかけた。

「いやですね。才人さんとミス・ヴァリエールがそこかしこでウルトラマンAウルトラマンAって話し合っているじゃないですか、その名前、もう軍のほうで決まったんじゃないんですか? もう学院中の人がその話題でもちきりですよ」

 そう言われて才人ははっとした。

 そういえば最初の変身の後から今まで、やれ魔法を使わずにどうやったらあんなことができるのとか、あんたのとこにはあんな強いのがいっぱいいるのとか、いろいろ場所を選ばず、控えめに言っても議論を交わすといったことをしていた気がする。 (噂千里を走るとは、昔の人はうまいことを言ったものだ)

 彼はとりあえず正体がばれていなかったことにほっとしながら、ウルトラマンAにこの国の人が変な名前をつけなかったことにもほっとした。

「でも本当にウルトラマンAは私達の恩人です。街でも、いわく、王家が隠していた伝説の幻獣、いわくはるか東方の聖地よりやってきた正義の使者、はては始祖ブリミルの化身などなどすごい話題になってますよ」

 街でもなの!? 才人はつくづく自分の軽率さを呪いたくなった。

 これからはウルトラマンの話題はルイズとふたりだけの時にしようと、心に誓った。

 シエスタは、妙に顔色が悪くなった才人を不思議に思いながらも、そんな才人さんもすてき、などと蓼食う虫も好き好きなことを考えていた。

 そして、全部の洗濯物を洗い終わって洗濯籠を抱えあげたとき、当のルイズが現れた。

「ん? ルイズどうした、洗濯なら今日はこのとおり何事も無く終わったぜ」

「あ、そう。今日はおしおきの新バージョンを用意していたのに残念ね。って、違う違う、あんた忘れたの? 今日は虚無の曜日でしょうが」

「……ああ、そうか悪い悪い、すっかり忘れてたよ」

「ったく、記憶力の無い鳥頭なんだから、暗くなる前に帰るから急ぐわよ」

「了解っと、しまった、洗濯物が」

「サイトさん。私がやっておきますから急いでください」

「サンキュー、おみやげ買ってくるから待っててくれよ。おーい、待てよルイズ!!」

 ルイズを追って才人の後姿が遠ざかっていく。

 シエスタはふたり分になった洗濯物をよいしょと持ち上げると、その平和の重みをかみしめながら歩いていった。

 

 

 一方そのころ、トリステインの王宮においても、先日の事後処理がようやく一段落付いて、国の重要人物を集めた会議が開かれようとしていた。

「やれやれ、こうも会議会議じゃ老骨にはこたえるのお」

 その席の一角にオブザーバーとして招かれていた魔法学院のオスマン学院長がいた。

 彼がいるのは防衛軍に少なからぬ数の生徒が志願兵としていることからであったが、貴族同士の会議に口を出すほどの権限は無い。

「皆さん、我々が半月前に現れた未知の侵略者、ヤプールの脅威にさらされているのはもはやハルケギニア全土に知れ渡った事実であります。けれども我々は、総力を結集して対ヤプール軍を組織し、この脅威に対抗しようとしています。しかし、今回は新たに浮上した重要な案件について話し合うべく、集まっていただいた次第です」

 枢機卿マザリーニが、会議の口火を切った。

 ヤプールに次ぐ新たな課題、すなわち銀色の巨人、ウルトラマンAのことについてだ。

 その正体については誰もはっきりとした答えを言えた者はいなかったが、その人知を超えた力については大いに彼らの興味を引いていた。

 あの超獣ベロクロンでさえトリステインの誇っていた軍を敵ともせず、いかなる魔法攻撃にもびくともしなかったのに、あの巨人はその攻撃を易々と跳ね返し、その腕から放たれた光はその巨体を粉々に粉砕してしまった。

 だが、議論すべき要点はそこでは無かった。

「こほん、皆さん。その問題はそのあたりでよろしいでしょう。結論として、我々では到底及ばない強大な力を有していることははっきりしています。肝心な問題は、あれが我々の敵か味方か、ということです」

 枢機卿がそう宣言した瞬間、場の空気が変わった。

 だが。

「無駄なことじゃのう」

 と、水をかけたのは他ならぬオスマンだった。

「なんですと、オスマン殿、それはどういう意味ですかな?」

「敵なら我々はとっくに滅ぼされていますよ。それに、あの巨人、ウルトラマンAは我々を守るように現れたし、街にも民にも被害は与えずに飛び去った。第一、仮に敵だとして、超獣以上の力を持つ相手に打つ手などあるのですか?」

 言われて見ればそのとおりである。

 喧々轟々の議論を予想していたマザリーニにとっては意表を突かれた形だが、周りの貴族達も効果的な反論などはできずに、せいぜいオスマンの無礼を非難する程度であった。

 もっともそれも、オスマンがあっさりと非礼を詫びたために貴族達もそれ以上の言及はできなかった。

「おほん、ではこれにて会議を終了いたします。方々にはそれぞれの領地の軍属の精鋭を防衛軍に派遣なさいますよう。今のままの寄せ集めでは所詮急場しのぎですし、ヤプールが優先して狙うとしたら、ここしか無いでしょうからな」

 会議は時間をかけた割には、わら半紙数枚分の密度の内容で終わった。

 ただ、この会議からウルトラマンAの名が急激にトリステイン全体からハルケギニア全体へと広まっていくことになったことについては、意味があったと言えよう。

 

 

 さて、ウルトラマンAのことで国が揺れているとは露知らず、当のルイズと才人は今、虚無の休日を利用して久しぶりに街に繰り出してきていた。

「相変わらず人が多いな。復興が順調だって証拠だ」

「当たり前よ。トリステインの人間はそうそう簡単に国を捨てるほど軟弱じゃないわ、むしろ復興のための資材を運ぶために普段より多いくらい。何度も言うようだけどスリには気をつけなさい」

「はいはい、ところで目的の武器屋はこの先だったよな。このあたりは被害が少なかったから無事だとは思うけど、開いてりゃいいな」

 ふたりは路地裏へと入っていった。

 目的はベロクロンの騒ぎのせいで買いそびれてお預けになっていた才人の剣の購入、そして目的の店は幸いにも以前と変わらない形でそこにあった。

「おや、これはこの間の貴族の旦那、お久しぶりでやんすね」

 店の主人も以前と変わらなくそこにいた。

「失礼するわね。この店、もしかしたら踏み潰されてるんじゃないかと思ったけど、なかなかしぶとい様子ね」

「あっさり死ぬような奴はこの世界じゃやっていけませんやな。そいで、前回は顔見せしたとこで超獣のやろうが出てきてお流れになりましたけど、武器をご所望で?」

「私じゃないわ、使い魔よ」

 ルイズはかたわらで物珍しげに武器を眺めている才人をあごで指した。

「へえ、最近は貴族の方々も下僕に武器を持たせるのがはやっておりましてね。毎度ありがたいこってす」

「貴族が武器を? そういえば以前来たときに比べて武器の数が減ってるわね。やっぱりヤプールのせい?」

「それもあります。今、国では壊滅した軍の再建のために武器の類が飛ぶように売れとりましてね。まあ、あまり役に立つとも思えませんが」

 主人の言葉にルイズは少々不愉快になったが、言葉にすることはできなかった。

 確かに、剣や槍を何万本揃えたところで、あの小山のような超獣に勝てるとは到底思えない。

「ですが、理由はもうひとつありましてね。最近このトリステインの城下町を盗賊が荒らしてまして」

「盗賊?」

「へえ、名前は『土くれ』のフーケって言いまして、貴族を専門にお宝を盗みまくる怪盗でしてね。あの超獣騒ぎで大人しくなるかもと思われたんですが、むしろ騒ぎに乗じて派手に動くようになりましてね。貴族達も対抗しようにもヤプールのおかげでそれどころじゃないってんで、実質やりたい放題ですな」

「国が大変な時期だってのに、皆の足を引っ張るなんてひどい奴がいたものね」

 ルイズは、国のために貴族も平民も必死になっている時に、そんなことをする奴が同じ国の中にいることに憤りを覚えた。

「まあまあ、それで貴族達も自衛のためにこうして武器を下僕にまで与えて身を守っているってことです」

 主人は「ま、役に立ったという話はとんと聞きませんが」という一言を我慢して飲み込んだ。

 そのとき、武器を物色していた才人が一本の長剣を持ってきた。

「サイト、気に入ったのでもあった?」

「ああ、おじさん、この剣はどうかな?」

 才人はその剣を主人に見せたが、主人はだめだだめだというふうに首を横に振った。

「坊主、それはやめとけ、そいつは見た目切れそうに見えるが実際は重さと力を利用して敵を叩き潰す、いわばこん棒に近い武器だ、お前さんの細腕じゃ扱いこなすのは無理だ」

 それは決して親切心からではなく、後で貴族にクレームをつけられることを恐れての忠告であったが真実でもあった。

 才人はがっかりした様子でその剣を元に戻した。

「ちぇっ、なかなかかっこよさそうだったのに、残念だなあ」

 実は、才人は特に考えた訳ではなく、その剣が少し日本刀に似ていたから手に取っただけであった。

 だが、そのとき突然かたわらのガラクタの山の中から、調子のはずれた声がした。

「生言ってんじゃねーよ、坊主。おめーは自分の体格も理解してねーのか、そんなんじゃ武器を持っても即あの世行きがオチだ、そっちのガキんちょを連れてとっとと帰りな」

「なんだと!」

「誰がガキんちょですってぇ!!」

 ふたりは悪口が飛んできた方向を見たが、そこには二足三文でしか売れないような数打ちのぼろ刀が並んでいるだけで人影は無かった。

「どこを見てるんだ。ここだここだ、目の前だよ」

 なんとぼろ刀に混ざっていた一本のこれまた錆と汚れだらけの長剣が、カタカタとつばを鳴らしながらしゃべっている。

「これって、インテリジェンスソード? こんなところにあるなんて」

「なんだい、それ?」

「一言で言うと魔法で意思を持たせられた剣のことよ。でもそんなにありふれた物じゃなくて、私も見るのは初めてよ」

 驚いているルイズをよそに、才人は好奇心のおもむくままに、そのしゃべる剣を手に取った。

「へえ、見た目は普通の剣と変わらないな。お前、名はなんつうんだ?」

「けっ、人に聞くときは自分から名乗るものだ……ん、まさか……おでれーた、お前『使い手』か」

「『使い手』?」

「なんだ、そんなことも知らねえのか。まあいい、これも何かの縁か、俺の名はデルフリンガー、お前はなんていう?」

「平賀才人、よろしくなデルフリンガー。ルイズ、俺こいつにするよ」

 才人の意思決定にルイズは露骨に嫌そうな顔をした。

 ぼろい、汚い、切れそうに無い、おまけにうるさいとルイズとしては気に入る要素が無かったからだが、結局は才人の。

「でもしゃべる剣なんて珍しいだろ」

 の、一言でやむなく承諾した。

「感謝しなさいよ。使い魔のわがままを聞いてあげる主人なんて、普通いないんですからね」

 それ以前に主人にわがままを言う使い魔自体が普通いないが。

「感謝してるよ。お前もそうだろデルフリンガー?」

「デルフでいいぜ、よろしくな嬢ちゃん」

「嬢ちゃんじゃないわよ! たかが私の使い魔の、そのまた下の剣の分際でなれなれしく呼ばないで、下僕らしくルイズ様とお呼びなさい!」

「へーへー、分かったよ嬢ちゃん。ん? そういえばお前ら、さっきから妙に思ってたが変わった気配を放ってるな」

「えっ!?」

 デルフの思わぬ言葉にルイズと才人は思わず固まってしまった。

「なんつーか、長年人を見続けてると気配を読むのがうまくなってな。なんというか、ふたりだけなのに三人に思えるような、それでいてふたりでひとりのような」

「なな、なに言ってるんだよ、そんなことあるわけ無いだろう!」

「そ、そうよ。何言ってるんだか、ずっとガラクタといっしょに居たからボケたんじゃないの!」

 ふたりは慌ててそれを否定したが、冷や汗を流して言葉を震わせて言っても説得力がない。

「ま、そういうことにしといてやるよ」

 デルフに顔があったらニヤリと笑ったに違いないだろう。

 才人は、この新しくできた奇妙に鋭い同居人を選んでしまったことを少々後悔しはじめて、さらにそれ以上の殺気を送ってくるルイズに、今晩はメシ抜きかなあと思わざるを得なかった。

 

 

 しかし、ヤプールの魔手は平和を取り戻そうとしている人々の願いとは裏腹に、闇の中から静かに動き始めていたのである。

 

 その夜、月も天頂から傾きだすほどの深夜、とある貴族の屋敷から音も無く現れる人影があった。

 長身で細身のようだが、黒いローブを頭からすっぽりとかぶって容姿は分からない。

 だが、石畳の上をまったく音も立てずに歩む様は、それが常人ではありえないということを暗に語っていた。

「まったく、ちょろいもんだよ。貴族なんてのはどいつもこいつも、兵隊の数こそアホみたいに揃えてるくせに配置も甘いし居眠りしてる奴もいる。警戒してるつもりなんだろうけど、芸が無いったらないね」

 そいつは少しだけ振り返ると、今出てきた貴族の屋敷を見てせせら笑った。

 見上げた姿に、わずかに風が吹いてローブの下の顔が月明かりに晒される。なんとそれの正体は女性であった。

 年のころは二十から三十、緑色の髪がわずかにこぼれて美しいが、整った顔には凄絶さが漂っている。

 彼女こそが土くれのフーケ、トリステインを騒がせている怪盗その人である。

「まあ、この国のレベルも貴族の体たらくがこれじゃたいしたことは無いね。けど、まだ済まさないよ、忌々しい貴族ども……」

 フーケはその腕の中に、今奪ってきたばかりの宝石類を握り締めながら、憎しみを込めた眼差しを貴族の屋敷に向けていた。

 と、そのとき。

「復讐したいかね?」

「!! 誰だ」

 突然背後からした声に、フーケはとっさにメイジの武器である杖を抜いて身構えた。

「ふふふ」

 そこに立っていたのは、コートからマント、帽子にいたるまですべて黒尽くめで身を固めた一人の男だった。

 年齢は壮齢と老齢の中間あたり、わずかにしわの刻まれた顔を歪めているが、目はまるで笑っていない。

(そんな、この私がまったく気配を感じられなかった!?)

 自身も相当な場数を踏み、熟練の傭兵やメイジ相手にも渡り合えるだけの実力はあるはずだ、だがこの男が現れるのはまったく予期できなかった。

「何者かと聞いているんだ!?」

 フーケは胸の動揺を抑えながらも、つとめて冷静に男に問いかけた。

「なに、怪しい者じゃ無い。ただ、君の願いをかなえてあげようと思って来たんだ」

「願い、だって?」

「そう、君は憎いのだろう? 貴族が、君からすべてを奪っていった者達が、だからこんなことをしている……だが、こんなものでいいのかい?」

「なに?」

「いくら秘宝を盗んだところで貴族からしてみれば微々たるもの、時が経てば埋め合わせされてしまう。それよりも、もっと深く、もっと血の凍るような恐怖を奴らに与えてやりたいとは思わないかね?」

「殺人鬼にでもなれって言うのか、寝言は寝て言いな!!」

 男の言い口に怒りを覚えたフーケはすばやく呪文を唱え、杖を振るった。

 たちまち男の周辺の地面が盛り上がって腕の形を取り、男をむんずとわしづかみにする。

「おやおや……」

「あたしはあんたみたいなのと関わってる暇は無いんだよ。死にな!!」

 フーケが力を込めると土くれの腕が男を締め上げる。普通ならこれですぐさま圧死してしまうはずであった。

 しかし。

「まったく、気の強いお嬢さんだ」

「ば、馬鹿な!?」

 なんと男は鉄柱でさえ握りつぶしてしまうほどの圧力を込められながらも笑っていた。

 そして、男が軽く腕に力を込めると、土くれの腕は内圧から粉々に砕け散った。

「くっ、化け物め!!」

 フーケはとっさに目の前の地面に魔法をかけて砂埃を発生させ、そのまま踵を返して走り出した。

 悟ったからだ、この男は普通じゃない、このままでは危険だと本能が警鐘を鳴らしていた。

 だが、走り出そうとしたフーケは十歩も走らぬうちに立ち止まってしまった。

「な、なんだ、ここはどこだ!?」

 なんと周囲の風景が一瞬のうちに変わっていた。赤や青の毒々しい空間が回りを包み、今まで居たはずの町並みも貴族の屋敷も何も見えない。

「無駄だよ。ここはもう私の世界だ、どこにも逃げ道などはありはしない」

「なにっ、ぐわっ!?」

 振り向く間もなくフーケは男に首筋を捕まれて宙へ持ち上げられた。フーケは振りほどこうとしたが男の手はびくともしない。

(なんて力……いや、それよりなんだこいつの手の冷たさは!? まるで体の熱が全部持っていかれるみたいだ……)

「やれやれ、大人しくしていれば手荒なことはしなくてもよいのに。言っただろう、私は君の味方だ、もっとも私の場合は貴族だけではなくて、人間という種そのものが嫌いだがね」

(やっぱり、こいつ人間じゃない!?)

 抵抗する力を失っていきながら、フーケははっきりと恐怖を感じ始めていた。

 だが、それでも残った勇気を振り絞って彼女は言った。

「な、何者だ、お前は?」

「おや、そういえばまだ名乗っていなかったね。失礼、私の名はヤプール、いずれこの世界を破壊する者だ」

「ヤ、ヤプールだと!?」

 フーケもその名を知らないわけが無い。突然現れてトリステインを壊滅寸前に追いやった侵略者。

 彼女はその様子を他人事、むしろいい気味だと思って見ていたのだが、なぜそいつが自分のところへ来るのだ。

「そう、我々はこの世界を見つけて手に入れることにした。ベロクロンは君達の国を難なく滅ぼせるはずだったのだが、あいにくこの世界にも邪魔者がいてね」

「邪魔者だと? それって」

 フーケの脳裏に、あのウルトラマンAと呼ばれている銀色の巨人の姿が浮かび上がった。

「そう、ウルトラマンA、我々の不倶戴天の敵さ。奴を倒さなければ我々はこのちっぽけな国さえも奪うことはできない。だがあいにく今我々にはエースを倒せるほどの超獣を作り出せるほど余裕が無くてね。そこで君に協力してほしいのさ」

「協力? ふざけるんじゃないよ!!」

「だから代わりに君の願いも叶えてあげようというのさ。なに、君はこれまでどおり怪盗をしていればいい。君には新しい力と、強い味方をつけてあげよう」

 ヤプールがそう言うと、その手のひらに小さな光と、続いて黒い霧のようなものが吹き出して、黒い蛇のような形をとった。

 小さな光はフーケの肩に止まり、黒い蛇はフーケの首筋に巻きついてうれしそうに首を揺らしている。

「ふっふっふっ、そうか、そいつの心の闇は気に入ったか」

「な、何をする気だ?」

 フーケは恐怖に怯えながらもかろうじてそう言ったが、ヤプールはおぞましげな笑いを浮かべると冷酷に黒い蛇に命令した。

「さあ、乗り移れ、ガディバ」

「ひっ!! やっ、やめろぉーーっ!! わぁぁぁーーっ!!」

 異次元空間にフーケの絶叫とヤプールの哄笑が響いた。しかし、誰もそれを聞いていた者はいない。

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第3話  見よ! 双月夜の大変身

 第3話

 見よ! 双月夜の大変身

 

 土塊怪獣アングロス 登場!

 

 

 ルイズ達が学院に戻ってきて四日が過ぎた。

 このころになると、さすがにヤプールやウルトラマンAの話題も下火になりだし、人々は元の生活を取り戻しつつあった。

 

 

 その日、昼食を終えたルイズは才人をともなって教室への廊下を歩いていた。

 もっとも、この日は少々不本意な同行者もいたが。

「だからねルイズ、なんと防衛軍じゃこのわたしを一個小隊の戦闘隊長にしてくれるなんて話もあったのよ。もう笑っちゃうと思わない? トリステインがゲルマニア出身のわたしをよ。もちろん丁重にお断りしたけど、トリステインもそこまで必死になってたのねえ……それでもあのとき、ベロクロンのやつに一発食らわせてやれたのはわたしたちだけだったし、あなたの国の軍隊にも見る目はあったのね。ねえタバサ、わたしとあなたで組んでトリステインに売り込んでみる? わたしたちだったら将来は将軍にだってなれるかもよ」

 まずは赤髪をまぶしくなびかせ、炎のように自信に満ちた『微熱』のキュルケ。

「……トリステインはそこまで狭くない。今は人材がないけど、いずれは集めて立て直してくる」

 もうひとりの、キュルケと正反対に無表情かつ無感情に受け答えしているのは、ブルーのショートヘアが涼しげな、キュルケの友人である『雪風』のタバサ。

 ふたりとも、平たく言えば腐れ縁の仲だ。特にキュルケとルイズは先祖の代からいろいろと因縁があり、今回もたまたま顔を合わせたとたんに言い合いになって、先の手柄話の件になって今に至る。

「ねえルイズ? あなたのほうは何かいいお誘いはあった? どうなの?」

「う、うるっさいわねえ。わ、わたしだって、わたしなんか、う、ぐぬぬぬ……」

 こうなると、ウルトラマンAのことを言うわけにもいかないルイズはあまり付き合いたくはないのだが、目的地が同じなのでしぶしぶ話を聞き流しながら歩いていた。

 ちなみに才人は「しゃべるな!!」と命令されているために、会話に参加したくてうずうずしているのを我慢している。破ったらグドン張りの残酷鞭ラッシュの刑。

 と、そのとき曲がり角でばったりシエスタと出くわして、途中まで道筋がいっしょということで五人で談話しながら歩くことになった。

 キュルケとタバサでは話に乗れないルイズも、シエスタが相手なら多少は話ができる。というかシエスタが才人に話しかけるのを絶対阻止したいようだ。

「ところで皆さん、『土くれ』のフーケの話、ご存知ですか?」

「フーケ? まあ名前だけはね。貴族を専門に盗む凄腕のメイジらしいとか、けどまだ正体は知られていないんでしょう」

 シエスタが突然振った話にルイズ達四人は怪訝な顔をした。街ではけっこう騒がれているらしいが、彼女達にとってはこれまで他人事だったからだ。

「ええ、ですが最近そのフーケが変わってしまったらしいんです」

「変わった?」

「はい、何でもこれまでは盗みを働いても貴族や家の者には無用な危害は加えなかったらしいんですが、この間入られた四件のお屋敷では秘宝を盗まれただけではなく、家の者全員、主人からメイド、赤ん坊にいたるまで皆殺しにされていたそうです」

 その話を聞いて、ルイズ達は惨状を想像して思わず口を押さえた。

「……突然の豹変……フーケの名を語った模倣犯の可能性もある……」

 唯一タバサだけが冷静に客観的に見た推理を言ったが。

「いえ、現場に残されていたフーケの書置きはこれまでのフーケのものとまったく同じだそうです。それに宝物庫を破った錬金の手口も同じです。こんなことができるのはふたりといませんよ」

「確かにね、そりゃフーケ本人が突然変わったとしか考えられないか。けど、盗むだけならともかく皆殺しとなると屋敷の人間全部相手にしたってことでしょ。フーケはトライアングルクラスらしいとは聞いてるけど強すぎない?」

 キュルケもトライアングルクラスのメイジだけに、トライアングルクラスがどの程度の強さというのは知っている。たとえ自分がやってみても返り討ちが落ちだろう。

 だが、シエスタの口から返って来たのは彼女達の想像をはるかに超えるほど凄絶なものだった。

「はい、確かに強さはもはやスクウェアクラスと言っても過言ではないようです。ですが、これは私も申し上げにくいのですが、襲われた家の人たちは、全員皮も肉も無くなって白骨、つまり骨だけにされていたそうです」

「ほ、骨だけぇ!?」

「はい、まるで何かに食い尽くされたかのように……そのあまりに残虐な惨状に、今では平民達もフーケを恐れています。ミス・ヴァリエールも高名な家柄ですし、私心配で……」

「……あなた」

 シエスタがわざわざフーケのことを教えてくれたのはそのためだったのだ。

 ルイズは、私の家にはたとえスクウェアクラスが乗り込んできても大丈夫な備えがある、余計な心配だとシエスタに言った。

 高慢な物言いだが、そこにはプライドの高いルイズなりの謝意と、シエスタを安心させようという優しさが隠されていた。

「そうですか、そうですね、いくらフーケが無謀でもヴァリエール家に手を出そうとは思わないですよね。出すぎたことを言いました。では、私はここで失礼いたします」

 シエスタは頭を一回下げると立ち去っていった。ルイズは顔だけ不愉快そうに見送っていたが、不安は彼女の心にも一抹の影となって残っていた。

 と、そのとき。

「貴方達、もうすぐ授業が始まるわよ。急ぎなさい」

「はい!! あ、ミス・ロングビル」

 そこにいたのは学院長オスマンの秘書のミス・ロングビルだった。

 緑色の髪に眼鏡が知的な印象を与える人で、仕事振りもよく学院内での評判も高い。

 学院に来たのはベロクロンが現れる少し前だったそうだが、ベロクロンの学院襲撃の後も職を辞さずに続けていて、今ではルイズ達にもすっかりなじみの顔になっている。

「どうもすいません、急ぎます」

「よろしい。けど廊下は走らないようにね」

「はい……あれ、ミス・ロングビル、その虫かご、蛍ですか?」

 ルイズはロングビルが片手に小さな虫かごを持っているのに気がついた。中には一匹の黒い虫、季節外れの蛍だった。

「ああ、これ? 知人にもらって部屋で飼ってるのよ。飼ってみるとなかなか可愛くてね。よくエサを食べてすくすく成長するの」

 ロングビルは蛍を見てうれしそうに笑っていた。

「おっと、それどころじゃないでしょ。遅刻するわよ」

「あっ、はーい!!」

 ルイズ達は回れ右をすると駆け足で教室へ向かっていった。

 

 

「なあ、ルイズ」

「なに、しゃべるなって言ったでしょ」

 教室で席についたルイズに才人は小声で語りかけた。まだ教師は来ておらず、周りの生徒も私語に夢中で誰も聞いてはいない。

 才人は周りを確認すると、ルイズの命令を無視してささやきかけた。

「さっきのシエスタの話、どう思う?」

「どうって、フーケのこと? たかが盗賊ひとりがなんだっていうの」

 ルイズは才人の仕置き用の鞭に手をかけたが、気づかない才人はさらに続けた。

「おかしいと思わないか?」

「おかしい?」

「盗賊が突然強盗に豹変するっていうのはそう珍しい話じゃない。けど、手口が異常すぎる。死体を白骨にするなんて普通の人間には不可能だろ」

「……まあ、そりゃ確かにね。けど、それがなんだって言うの? はっきり言いなさいよ」

「ヤプールが絡んでるんじゃないか、そう思うんだ」

 才人の言葉を聞いてルイズは「はぁ?」とでも言うような顔をした。

「何言ってるのよ。あんなでっかい超獣を操れる奴が、なんでたかが盗賊ひとり使ってちまちま強盗働きしなきゃならないの。普通に街で暴れさせればいい話じゃない」

「俺も確証はねえよ。ただ、昔ヤプールが暗躍してたころは、超獣が現れる前に人間技じゃ不可能な奇怪な事件がよく起こっていたらしいんだ。それに、超獣には人間を食べてエネルギーを蓄える奴が何匹もいたそうだから、もしもと思ってな」

 才人の脳裏には、昔怪獣図鑑で見たサボテンダーやアリブンタといった超獣の姿が浮かんでいた。

 超獣に限らずとも、ケロニア、サドラ、コスモリキッド、サタンモア、タブラなど人間を主食とする怪獣は数多い。嫌な話だが怪獣から見て人間は適当な栄養源に見えるようだ。

「じゃあ、一連の事件はヤプールが超獣を育てるために人間を襲わせてたって言うの。けど、なんでわざわざフーケを使って?」

「ヤプールは人間の心の暗い部分につけこむことが得意なんだ。フーケみたいな盗賊が狙われたとしても不思議じゃない」

「それじゃあ、近いうちにまた超獣が現れるかもしれないってこと? でも、その前に叩くとしてもフーケは神出鬼没の怪盗よ、捕らえられっこないわ」

「フーケは貴族のところから秘宝を盗むところは変わっていない。ここらでフーケが狙いそうな貴重な魔法道具を持っているようなところはないか?」

 才人の問いにルイズはやれやれと、指で下を指しながら答えた。

「……ここ、魔法学院ね。自慢じゃないけど、ここの宝物庫には並の貴族なんか及びも付かないほどの貴重品が眠ってるわ。けどね、宝物庫にはスクウェアクラスのメイジが固定化の魔法をかけて保護してるし、教師から生徒までそれこそピンからキリまでメイジがいるわ。いくらフーケでも、そんなオーク鬼の巣に飛び込むような無謀な真似をするかしら?」

 ルイズは、そんなことは川が下から上へと流れるようなものだというふうに笑った。

 だが、才人は納得していなかった。

「今までのフーケならそうかもしれない。だが、もしフーケがヤプールに操られてるとしたら、奴には超獣がついてるかもしれない。そして、ヤプールの目的が超獣を育てることだとしたら学院は絶好の餌場かもしれない」

 ルイズは、学院が超獣の餌場という言葉に背筋にぞっとするものを覚えたが、教師が教室に入ってきたことで頭を授業の方に切り替えることにした。

「私は考えすぎだと思うけどね。とにかく確証が無い以上深入りはやめときなさい……ああ、それと」

「なんだ?」

「しゃべるなって命令、破ったわね。あんた夕飯抜き」

 ルイズは抗議しようとする才人の目の前に鞭をちらつかせて黙らせると、教師の話に耳を傾けはじめた。

 

 

 しかし、悪い予感というものの的中率は往々にしてよく当たり、多くの場合予感よりさらに悪くなるものであるらしかった。

 その晩、眠っていたルイズは大気を揺り動かすような衝撃で目を覚まし、窓の外に宝物庫の塔を攻撃する巨大な土のゴーレムを見た。

 全長およそ三十メイル、さすがに超獣には劣るがそれでも生身の人間からは圧倒的な威圧感があった。

「サイト、行くわよ!!」

「お前、あんなのに向かっていく気か? それよりも先生たちに連絡したほうが……って、おい、聞いちゃいねえな」

 ルイズはすばやく着替えると部屋を飛び出した。才人もデルフリンガーを背負って後を追う。

 そのとき、隣の部屋のドアが開いて、まばゆい赤毛とサラマンダーが飛び出してきた。

「あらぁ、ルイズ、あんたも行く気なの? ゼロのあんたじゃあれの相手は無理よ。わたしたちに任せて下がってなさい」

「ツェルプストー、言うに事欠いてわたしに下がってなさいですって? 貴族が盗賊風情に逃げ隠れするなんて恥辱を超えて死んだようなもの、あれはわたしが倒すからあんたこそ下がってなさい」

「ふーん、そう言われちゃあこっちも下がるわけにはいかなくなったわね。じゃあ、競争といきましょうか」

「臨むところよ!!」

 売り言葉に買い言葉、キュルケの挑発にルイズは簡単に乗ってしまった。

「じゃあ、お先にね」

 キュルケはそう言うと、突然窓から飛び降りた。

 フライで先回りする気か、と思ったのもつかの間、下にはいつの間にかタバサとシルフィードが来ていてキュルケを乗せて飛んでいってしまった。

「すげーチームワーク、以心伝心ってのはあーいうのを言うんだろうな」

「うぬぬ、キュルケだけじゃなくタバサまで、抜け駆けは許さないわよぉ」

 怒ってみても飛べないルイズは階段を駆け下りるしかない。ルイズはせめてキュルケにだけは捕まるなとフーケに本末転倒なエールを送っていた。

 

 

 さて、シルフィードで一足先にゴーレムの元へとたどり着いたキュルケとタバサは、ゴーレムの肩にたたずむ黒衣の人影を見つけていた。

「あれがフーケで間違い無いわね。顔は見えないけど、さてどうしてやろうかしら」

 キュルケは杖を取り出して攻撃魔法の準備にかかっている。

 タバサもいつでも戦闘態勢に入れるが、相手は全長三十メイルのゴーレム、まぐれでも一発喰らったら即あの世行きだけに下手な手は打てない。

「宝物庫を破壊してお宝を頂戴する腹みたいね。今のところ固定化が効いてるみたいだけど、いつまで持つか」

「……時間が無い。ゴーレムの真上に出るから、おもいっきり撃ちおろして……」

「なるほど、真上には攻撃もしづらいからね。さすが冴えてる。んじゃ善は急げといきますか!」

 タバサの案に納得したキュルケはすぐに魔法の詠唱を始めた。

 シルフィードはゴーレムの真上、腕を振り上げても届かない高度に遷移する。

「『ファイヤーボール!!』」

 火炎弾が九十度の角度でまっ逆さまにフーケに向かって落下する。

「悪いコには、ちょっと熱めのおしおきをあげるわ!!」

 フーケは避けるそぶりさえ見せない。

 だが、フーケは命中直前片手を振り上げ、そこから小さな光が現れたかと思うと火炎弾は何かに衝突したかのように散り散りになってしまった。

 防御魔法? それとも魔法道具か? だがそんなものを使うそぶりは見せなかったはずだ。

 キュルケとタバサは一瞬我を忘れて、シルフィードに退避の命令を出すのが遅れてしまった。

「岩よ……」

 フーケがつぶやくとゴーレムの体から無数の岩石の弾丸が発射された。

「きゅいーーっ!!」

 ふいを突かれたシルフィードは避けることができずに、もろに岩石弾を食らって撃ち落されてしまった。

「く、やられた……けど、まだよ!!」

「……大丈夫、傷は浅い」

 シルフィードの影で直撃を免れたふたりはシルフィードをかばいつつ戦闘態勢をとる。

 だが、そのときふたりの目の前に小さな光の点が現れて、緑色の光を発したかと思うと、突然ふたりの体が動かなくなってしまった。

「な、これ、なんなの? 体が動かない……」

「……今まで襲われた貴族たちは、みんなこれにやられたのね……」

 杖を振るうことができなければ魔法で防御することもできない、ふたりは自分達が罠にはまってしまったことを悟った。

 フーケのゴーレムが宝物庫への攻撃を一時中断して巨大な腕を振り上げる。

 そこには明確な殺意があった。

「いけない! 動いて、わたしの体っ! お願い、わたしの体でしょ!」

「……不覚……」

 ゴーレムの拳が近づいてくる。

 死ぬ前は時間の流れが遅くなるというが、いやに土くれの拳が近づいてくるのが遅く見えた。

 

 

「キュルケ!! タバサ!!」

 ようやく寮から飛び出してきたルイズと才人は、今まさに潰されようとしているふたりの姿を見た。

 体中の血が熱くなる、あの拳を絶対に振り下ろさせてはいけない。

 そのとき、ふたりの意思に呼応するかのように、ウルトラリングが光を放った。

「ルイズ!!」

「サイト!!」

 強い思いが叫びとなり、強い叫びが光を呼ぶ!!

「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 合体変身、ウルトラマンA登場!!

 

 

「テェーイ!!」

 強烈なエースの体当たりが炸裂!! 四万五千tの質量にフーケのゴーレムは学院の外壁まで吹き飛んだ。

「デュワッ!!」

 立ち上がったエースはゴーレムへ向けて構えをとる。

 

「ウルトラマンA!! 来てくれたんだ!!」

「……わたしたちを、助けてくれた……」

 キュルケとタバサは死地から脱した解放感から、思い切り抱き合って喜んだ。どうやらフーケが吹き飛ばされたことで金縛りも解けたらしい。

 エースはふたりに向かって「逃げろ」と言うようにふたりを一瞥して後ろを指し示した。

「わ、わかったわ。タバサ、シルフィードは?」

「翼をやられた……飛ぶのは無理だけど、走るのはなんとかなる。レビテーションで手伝って」

「お安いごよう。痛むだろうけどもう少し頑張ってね……エース!! 頼んだわよ!!」

 ふたりはシルフィードを支えながら、後ろでかまえるエースにエールを送った。

 

(ツェルプストーに頼むわよって言われてもね。まあ、わたしが言われたわけじゃないんだしいいか)

(キュルケにタバサ、間に合ってよかった。フーケめ、許さないぞ!!)

(落ち着け、まだ奴は倒したわけじゃない。なにか不気味なものを感じる。気をつけろ)

 エースの心の中で三人にしか聞こえない会話がささやかれる。

 やがて、粉塵の中からゴーレムがフーケを乗せてゆっくりと立ち上がってきた。

 フーケはウルトラマンAを目の前にしながら、ゴーレムの肩で身じろぎもしない。

(こいつ……やはり)

 そのとき、フーケが杖を頭上から一直線に振り下ろした。

 すると、フーケのゴーレムが音を立てて形を変え始めた。

 人型だったものが四足歩行になり、さらに周辺の土くれを吸収して巨大化していく。

(これは、まさか!?)

 才人の脳裏に、以前ウルトラマンメビウスと戦った、ある怪獣の姿が浮かび、眼前の土くれはまさにそのとおりの姿へと変貌していった。

 モグラのような姿と鋭いドリルを持った鼻、鋭い角に赤く凶悪な目つき。

 土塊怪獣アングロス。

(やっぱり、フーケにはヤプールがからんでいたんだ!!)

 この世界の人間がアングロスの存在を知るわけが無い。

 そしてアングロスは本来サイコキノ星人が超能力で土くれから生み出した怪獣、理屈ではフーケのゴーレムと同じものだ、ヤプールがそれを再現させたとしてもおかしくはない。

(気をつけろエース、そいつはメビウスもやられそうになったほど強力な怪獣だ!!)

(わかった! 行くぞ!)

 アングロスは叫び声を上げ、ドリル鼻を振りかざして猪のように突進してきた。

 エースは飛び掛ってくるアングロスを受け止めて、地面に叩きつける。

「イヤーッ!!」

 土くれでできたアングロスの角が折れ、背中が歪む。

 だがアングロスが起き上がると、壊れた体のパーツが体から生えてきてあっという間に元通りになってしまった。

「ヘヤッ?」

(無駄だ、アングロスは泥人形といっしょだ、いくら攻撃しても効果はない。フーケを捕まえて術を解かせなければだめだ!!)

 アングロスとの戦闘経験の無いエースに才人がアドバイスを飛ばす。

(フーケは……あっ、あそこよ!!)

 エースの目で周りを見渡したルイズが外壁の一角を指した。フーケはそこに悠々とたたずんで戦いを見守っている。

(エース、捕まえるんだ!!)

(よし!!)

 エースはフーケを捕らえようと手を伸ばす。だがその間に当然のようにアングロスが立ちはだかった。

 ドリル鼻を振りかざして突進してくるアングロスをエースはなんとか組み伏せようとする。しかしアングロスの力は強く、エースのほうが振り飛ばされそうになってしまう。

 なんとか距離をとったエースは、このままではフーケを捕らえられないと思った。

(だめだ、どうにか一時的にでも怪獣の動きを封じなくてはフーケに近寄ることはできない)

 エースは光線技を使ってアングロスを吹き飛ばそうと考えたが。

(だめよ!! あなたの力で、もしはずしたら学院が吹き飛んじゃうわ)

 ルイズの言うとおり、メタリウム光線どころかパンチレーザー程度の技でも学院を木っ端微塵にするには有り余るほどのパワーがある。

 しかし、エースの得意技は光線技だけではない。

(ならば、これだ!!)

 エースは右手を高く掲げ、念を集中させる。

 無から有を生み出すウルトラ念力の力を見よ。

『エースブレード!!』

 エースの手の中に念力で生み出された長刀が握られる。

「テヤァァッ!!」

 横一線、エースブレードを振りかざし、アングロスへ突進をかけていくエース。

 アングロスもドリル鼻を振りかざして向かってくるが、エースよりは格段に遅い。

 このままいけばアングロスは胴体を真っ二つにされ、身動きを封じられるはずであった。

 だが、エースブレードを斬りつけようとした瞬間、エースの体に奇妙な感覚が沸き起こった。

(なんだ、これは!? 体が急に軽く、いや軽すぎる!! 勢いが、止まらない!?)

 突如体が羽のようになってしまったかのような感覚に、エースの太刀筋が狂ってしまった。

 エースブレードはアングロスの左前足を切り捨てるにとどまり、バランスを崩されたアングロスは宝物庫に直撃、宝物庫は固定化のおかげで倒壊を免れたが、鋭いドリル鼻の貫通を許してしまった。

(しまった!?)

 エースはなんとか体勢を立て直す。

 不思議な感覚はエースブレードが無くなった瞬間に消えていたが、アングロスは鼻を引き抜くと切られた足を再生し、再びエースに向かってきた。

『フラッシュハンド!!』

 エースの両手がスパークする高エネルギーに包まれる。

 威力を増したエースの攻撃はアングロスの体を打ち砕いていく。

 だが、そのときエースも、ルイズと才人も完全にフーケのことを忘却してしまった。

 突然アングロスの体がはじけ、粉塵が周囲に立ち込める。

(しまった、何も見えない!?)

 視界がまったく利かない、いくらエースでもこれでは戦いようがなかったが。

『透視光線!!』

 エースの眼から放たれた光が砂煙の闇を吹き払う。

 しかし、すでにアングロスは陰も形も無く、フーケの姿もどこにも見えない。

(逃げられたか……)

 エースはかまえを解いて周りを見渡した。

(ああっ!!)

(どうしたルイズ!?)

 驚くルイズの目の先にあったもの、それは宝物庫の壁に刻まれた『破壊の光、確かに徴収いたしました。土くれのフーケ』という書置きであった。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第4話  奪われた『破壊の光』

 第4話

 奪われた『破壊の光』

 

 大蛍超獣ホタルンガ 登場!

 

 

「それで、君達三人がその現場を目撃したというのだね」

 破壊され、内部を荒らされた宝物庫に学院長オールド・オスマン、教師のコルベール、ルイズ、タバサ、キュルケの三人プラス才人が集まっていた。

「はい、フーケはゴーレムを使って宝物庫を破壊しようとしていましたので、わたしとタバサはそれを止めようとしました。恥ずかしながら……返り討ちにあって危ないところでしたけど、間一髪ウルトラマンAが現れて助けてくれましたの」

「その後はわたしたちも見ていました。フーケはエースを見るや、ゴーレムを別の怪物に変えてエースと戦わせました。ですがフーケは怪物で宝物庫を破壊すると、怪物を解体して時間を稼いでいるうちに『破壊の光』を盗み去ってしまいました」

 キュルケとルイズが先程まで学院の中庭で起きていた戦いの顛末をそれぞれ説明した。

 なお、フーケの作り出したアングロスが才人の世界の怪獣で、恐らくヤプールがからんでいるであろうことは伏せていた。

 言っても信じてもらえないだろうし、そこから怪しまれてふたりの正体がばれても一大事である。

「概要は分かった。土くれのフーケ、手だれとは聞いていたがウルトラマンをも出し抜くとは……しかし、ほかの宝物ならともかく、よりによって『破壊の光』を盗んでいくとはな……」

 オスマンは、壁の書置きと破壊された壁を見て苦々しげにつぶやいた。

「それで、学院長、『破壊の光』とは一体なんなのですか? 私も一度も見たことがないのですが」

 話を聞いていたコルベールが興味を抑えられずにオスマンに聞いた。

 『破壊の光』、それはコルベールが学院に赴任する以前より魔法学院に保管されている門外不出の代物であったが、普段はトランクほどの頑丈なケースに収められていて誰も実物を見た者はいなかった。

 オスマンは少し考え込むと、昔を懐かしむようにしみじみと語りだした。

「わしが昔とある人物から譲り受けたものなのじゃが、そこからほとばしる光はワイバーンを一撃で倒すほどの威力を持っていた。本当の名前も、どうやって作られたのかも分からないが、万一悪用されては危険すぎる代物ゆえ、『破壊の光』と名づけて厳重に保管しておいたのじゃ」

「では、フーケはそれを利用しようと? そんなものが盗賊の手にわたっては大変なことに!!」

「いや、しばらくは大丈夫じゃろう。あのケースは元々頑丈な上にわしが固定化を入念にかけてある。スクウェアクラスの錬金や、たとえゴーレムで踏みつけても壊れはしない。鍵はわしが肌身離さず持っておるしな。ただし、時間をかければ話は別じゃが……」

 部屋を陰鬱な空気が包んだ。

 要するに、とんでもない爆弾を持ち去られてしまったようなものだ。しかしフーケの所在が分からない以上、手の打ち様がない。

 この学院のまわりは手つかずの自然で包まれており、危険な魔物や動物を別にすれば隠れる場所はいくらでもある。

 と、そのとき壊れた壁から一匹の鳩が飛び込んできてオスマンの肩に止まり、足につけていた紙切れを残して土くれに変わった。

「これは……フーケからの手紙? なんて書いてあるんですか?」

「うむ……『『破壊の光』の鍵、持ちて地図の場所まで来るべし。なお、夜明けまでに現れない。もしくは小細工をろうしたる場合は、魔法学院の名声は地に落ち、ならびにトリステインにとって非常に不幸な結果になることを想像されたし。土くれのフーケ』」

 手紙には学院周辺の簡単な地図が書かれ、北東の森の中に×印がつけられていた。

 どうやらフーケはそこまで気の長い性格ではないのか、もしくは何か急をようする事態があるらしかった。

「なめられてますな。すぐに王室に連絡して衛士隊に応援を……」

「ばかもの、連絡をしているうちに夜が明けてしまう。ここから地図の場所まではおよそ四時間ほど、夜明けまではあと五時間しかない。第一、これは我ら学院の問題、我らで解決するのが筋というもの」

 それを聞いてコルベールは目を丸くした。

「では、我らだけで奪還すると? しかし誰が!?」

 だが、コルベールは一瞬後にさらに目を丸くすることになった。

 なんとキュルケ、タバサ、それにルイズの三人が同時に杖を高く掲げて捜索隊に立候補していたのだ。

「き、君達!?」

「フーケには借りがありますわ、ここでおめおめ引き下がったらツェルプストー家の恥。手の内が分かった以上、同じ手は二度と食いませんわ」

「……右に同じ」

 キュルケとタバサは雪辱に燃えている。ふたりがかりで惨敗したことがよほどの屈辱だったのは想像にかたくない。

「フーケの犯行を阻止できなかったのはわたしの責任でもあります。貴族の誇りをあの盗賊めに知らしめてやります」

 ルイズの目にも、眼前で盗まれた上に逃げおおされた屈辱がありありとある。

 オスマンとコルベールは止めても無駄だということを悟った。

「わかった。ではすぐに出発したまえ、夜明けまでには時間が無い。『破壊の光』必ず奪還してくれよ」

 三人は「杖にかけて!」と同時に唱和した。

 

 ルイズ達は馬車を用意している暇が無かったので、そのまま馬にまたがって出発した。

 オスマンはコルベールといっしょに学院長室から遠ざかっていく馬を見つめていたが、やがてその姿が砂粒ほどに小さくなるとコルベールにおもむろに言った。

「さて、わしらも行くとするか」

「えっ!? い、今なんと?」

 コルベールはオスマンの言う意味を理解できずに、思わず間抜けな返事をするにとどまった。

 学院長は貴族としてミス・ヴァリエール達に『破壊の光』の奪還を指名したはずだ。ここで手を貸したりすれば彼女達の誇りを傷つけることになる、これは授業ではないのだぞ。

 コルベールはついに学院長はボケたのかとまで思ったが、オスマンの顔はあくまで真剣であった。

「君は子供達だけでヤプールと戦わせる気かね?」

「……な、なんですって!?」

 想像だにしなかった答えにコルベールは愕然とした。

 今我々は土くれのフーケを追っているはずだ、なぜここでヤプールの話が出てくるのだ。

「わしは直接見てはおらんが、騒ぎはわしのモートソグニルが見ておった。途中からじゃがな、フーケはゴーレムを巨大な怪物に変化させおった。しかもウルトラマンと互角に戦えるほどの強さを持ったやつにな。あんな魔法は少なくとも人間には不可能じゃ、しかもこのところのフーケの豹変と人間離れした事件の数々」

「それが、ヤプールがフーケに何かしたせいだと言うのですか?」

 メイジは使い魔と感覚を共有できる。ルイズたちは気づいていなかったが、オスマンは間接的にあの戦いを見ていたのだった。

 だが、あまりに飛躍した考えに、コルベールには到底納得できなかった。

「物的証拠は無い。しかし今人間をそこまで悪魔的な存在に変えられるとしたらヤプールくらいしか考えられん」

「そんな、まさか……」

「まさかと言うが、もしフーケが人間を超えた力を得ていたとしたら、この先どうなるか想像してみたまえ」

 オスマンの問いかけにコルベールは口ごもるしか無かった。

 ウルトラマンと互角に戦えるほどの相手に挑めば、結果は考えるまでもなく皆殺ししかない。

 ガンダールヴの力に期待するという考えも一瞬浮かんだが、万一ヤプールが絡んでいたら超獣が現れる可能性が大だ。勝ち目は皆無に等しい。

「もしフーケがただのトライアングルクラスなら彼女達だけでも対処は可能じゃろう。そのときは我らはただ見守っておればよい。しかし、もしそうでなければ、彼女達はまだ誇りより命を大事にすべき年頃じゃ、死ぬのは年寄りからと思わんかね?」

「わかりました。まあ、何も無ければそのまま帰ってくればよいだけですしね。及ばずながらお手伝いいたします」

 コルベールが理解してくれたおかげで、ようやくオスマンも相貌を崩した。

「よし、そうとなれば急いであとを追うぞ。ミス・ロングビル、留守を……ミス・ロングビル、おかしいな、こんなときに現れないような人ではないのじゃが?」

 オスマンは、留守を任そうと秘書のミス・ロングビルの姿を探したが、いつもならそこにいるはずの端正な姿が無くて怪訝な顔をした。

「夜逃げしたのでは?」

「馬鹿言いたまえ! 自慢じゃないがこんないい職場はトリステイン中探しても無いぞ。それに給料日は来週なのにその前に逃げてどうする?」

 自分が女なら三日で辞表を出しますよと、コルベールは言いたいのを我慢した。

 オスマン学院長のセクハラ癖は学院にいる者で知らない者はいない。

 そして秘書としてもっとも近くにいるミス・ロングビルが最大の被害者となっているのも自明の理で、コルベールはつねづね彼女の境遇に同情していたのだった。

「はぁ、それはともかく急がなくては追いつけなくなりますよ。駿馬はまだありますから早く行きましょう」

 

 それから早くも三時間が過ぎ、ルイズたちはうっそうとした森の中を走っていた。

 もちろんその後ろからサイレントの魔法で足音を消したオスマンとコルベールがあとをつけていたが、彼女達には知るよしも無い。

「いてて、やれやれいいかげんケツが痛くなってきやがった。車と違って馬ってやつはどうしてこう」

「馬車を用意している暇が無かったんだからしょうがないでしょう。本来ならあんたなんか馬どころか歩いてついて来るのが筋ってものよ、犬のくせに」

 馬に乗れない才人はルイズと同乗していた。はたから見ればうらやましい状況に見えなくも無いが、本人達にそんな気持ちは微塵も無かった。

 いつ敵の奇襲があるかもしれない状況だというのに、ルイズと才人は例によって埒も無い言い合いをしている。

 いや、才人の背中のデルフリンガーも合わせれば3人乗りかもしれないが、やがてふたりの言い合いが一段落したころ、それまで黙っていたデルフリンガーが突然ふたりに話しかけてきた。

「なあ、相棒。それに娘っ子」

 なんだ、と、なによのふたつの声が同時に答える。

「おめえら、ウルトラマンAだろ?」

 ふたりの心臓がいきなり人間に出しうる最大の心拍数まで上昇した。

 否定する言葉を出すべきなのだろうが、頭が茹で上がり、口は鯉のようにパクパクするだけで声が出てこない。

 そして、それはふたりの意思とは真逆に肯定の意味をなにより雄弁にデルフリンガーに与えることになった。

「ふーん、やっぱりな。最初から妙なふたりだとは思っていたが、さすがにそこまでとは思わなかったぜ」

「い、いつ気づいた?」

「阿呆、さっきウルトラマンAが現れたとき、俺を背中に背負ってたのはどこの誰だ? その後しっかり回収しておいて、鞘の中だから気づかれないとでも思ったか?」

 才人は、このときほど自分の楽天主義を後悔したことは無かった。正体がばれたというよりも、まだ顔は見えないが、とてつもない殺気を放ってくる鬼に。

「心配するな、誰にも言いやしねえよ。言っても誰も信じねえだろうしな。しかしそれにしても、お前らいったい何者だい?」

 ふたりは、観念してデルフにこれまでのことを説明しだした。幸いキュルケとタバサは少し前を走っており、小声で話せばひづめの音にかき消されて聞かれる心配はない。

 召喚の際のことから、一度死んでエースに命を救われ、エースと同化したこと、その代わりにヤプールと戦うことを承諾したことなど。

「ふーん、なるほど。違う世界の戦いねえ、おめえらの十倍以上はゆうに生きてるが、長生きはするもんだねぇ。まあ、超獣が出てきたとしたら俺は役に立たないだろうし、踏み潰さないように隅っこに置いてから変身してくれよな」

 ルイズと才人は、ようやく安心して息をついた。

 考えてみれば、ずっと身に着けて歩く以上デルフに正体がばれるのは時間の問題でしかない。

 ふたりともあの武器屋のときにそれに気づくべきだったと思ったが、すでに後の祭り。

 当のデルフは才人の背中でカタカタと音を立てて笑っていた。

(やれやれ……だが、さっきの戦いのときにエースが太刀筋を乱したのは、まさかとは思うけど……)

 才人はふいに思いついた仮説に、思わず自分の左手のルーンを見ていた。

 

 やがて、急に森が開けた。

 学院の中庭ほどの広さの空き地の中に小さな掘っ立て小屋がある。地図の場所はここだ。

「ついたみたいね。しかしまあ待ち伏せには打って付けの場所ねぇ、フーケさんお待ちかねかしら」

 そのとき、小屋の扉がさびた音を立てて開き、中から黒いローブと仮面で姿を隠した人物が現れた。

 彼女たちとの距離はおよそ三十メイルほど。

「あんたが土くれのフーケかしら!?」

「ああ……」

 ルイズの問いかけにフーケは短く答えた。感情も何も無い機械的な声だった。

 鍵は? というフーケの問いにルイズは金色の鍵を示して見せた。ここで鍵を持ってきていないことが知れたら逃げられてしまう可能性が大だからだ。

 だが、これは取引ではない。

 ルイズ達にとってはフーケを捕まえることができる唯一のチャンス、フーケはそれを見越してわざわざ自分の居場所をさらした、いわば駆け引きだ。

 さらに、彼女達のプライドの高さからして偽物を持ってくるような小細工をするような確率は低く、合わせて制限時間をもうけることで判断の時間を奪うことまで考えに入れている。

 勝負は、鍵をフーケが手に入れ、逃げおおせるか否かにかかっている。

「投げろ」

「わかったわよ、ほら!!」

 ルイズは鍵を放り投げた。

 フーケの視線が一瞬、鍵に集中する。四人は一斉に駆け出した。

「行くぞデルフ!!」

「あいよ相棒!!」

 まずはデルフリンガーを抜いて身軽になった才人が正面から先陣を切った。

 投げられた鍵を追い抜くほどの勢いにフーケは一瞬たじろいだが、すぐに正面に高さ三メイルはある土の壁を作り出して防御した。

 だが、正面からの攻撃は果たして囮である。

「『ファイヤーボール』!!」

「『ウィンディ・アイシクル』」

 キュルケとタバサの得意の攻撃呪文が左右から同時に襲う。

 しかしこれも土の壁で防御されてしまった。

 この壁を超えるにしても迂回するにしても五、六秒はかかるし、飛んで超えるにしても飛びながら魔法は使えない。

 フーケは勝利を確信して鍵に手を伸ばしたが。

「『錬金!!』」

 突然鍵がフーケの眼前で爆発を起こした。

 爆発の閃光と轟音に視覚と聴覚を奪われたフーケはたじろぐ。

「今よ!!」

 なんと、真正面の土壁からルイズを抱えた才人が飛び出してきた。先の爆発はルイズが鍵に錬金をかけたせいだ。

 実は最初の囮こそが本命だったのだ。才人の身体能力とルイズの存在を計算に入れていなかったのがフーケの敗因である。

「うぉぉっ!!」

 右手にルイズを抱えて、左手にデルフリンガーをかざした才人は動けないフーケに切りかかる。

 だが、そのときフーケのそばにあのときの小さな光が現れた。

「見るな!!」

 ふたりはとっさに目をつぶった。

 同時にフーケの姿も見えなくなるが、あとは勘を信じるしかない。

 デルフリンガーを峰に反すと才人は思いっきり振り下ろした。手ごたえあり。

 

「……やったの?」

 地面に横たわったフーケの周りに皆が集まってくる。頭部を強打されたフーケは身動きしない。

「いや、殺してはいない。と思うが」

 才人は不安げに言ったが、耳を澄ますとフーケの息遣いが聞こえてきたのでほっとした。

「なあ、それよりもそれは?」

 フーケのそばには、あの小さな光を入れた籠のようなものがまだ残っている。

 タバサが杖の先にそれを引っ掛けて持ち上げると、それの正体がわかった。

 それは臀部を緑色に光らせた小さな虫、蛍であった。

 ただし、普通の蛍と違って全身がささくれ立っていて気味が悪いことこの上ない。

「恐らく魔法生物の一種ね。そいつの光で人間を動けなくして餌食にしていたのね」

 キュルケが吐き捨てるように言った。種が分かればなんということはない。

「ねえ、そんなことよりフーケでしょう」

「あ、ええ、そうね」

 ルイズに言われてキュルケも意識をフーケに戻した。

 まだフーケの素顔は仮面に隠れて分からない。

 誰にも知られていない怪盗の素顔をこれから暴いてやろうとして、彼女たちの心音は自然に高鳴っていった。

 だが、その仮面を外したとき、期待は驚愕に変わった。

「なっ!?」

「こ、この人は!?」

「……!」

「ミ、ミス・ロングビル!?」

 あまりに意外な事実に、彼らは皆立ち尽くすしかなかった。

 

 だが、暗い森の奥からその一部始終を見守っていた者がまだいたのである。

「やれやれ、見破られてしまったか。これではもう使えんな。仕方ない、ホタルンガよ、巨大化して暴れろ!! 皆まとめて踏み潰してしまえい!!」

 

 呆然としている皆の目の前で、突然あの蛍が強く輝きだした。

「えっ、な、なに!?」

「まずい、捨てろ!!」

 才人の叫びにタバサは籠を思い切り魔法で吹き飛ばした。

 地面に落ちた籠は砕け、中から蛍が飛び出して、みるみるうちに巨大化していく。

 やがて、昆虫の姿ながら二足歩行に、緑色に爛々と光る目、尻尾の付け根に巨大な緑色の発光体を持つ超獣へと変化した。

「大蛍超獣ホタルンガ……って逃げろーっ!!」

 かん高い鳴き声を上げて向かってくるホタルンガから才人は全員を抱えて全速力で逃げ出した。

 途中でルイズやキュルケが何か言っているが、聞いている暇は無い。

 だが、ルイズはなおも暴れていた。

「この、サイト離しなさいよ! あいつはわたしが倒してやるんだから!」

「馬鹿か! 超獣がどれほど強いかお前だって知ってるだろう、軍隊でも敵わないやつにお前ひとりでなにができる」

 才人は、あれだけ見てきてまだ超獣の怖さを理解していないのかとルイズを怒鳴りつけた。

「やってみなきゃわからないじゃない! 相手がどんなに強大だろうと、敵に後ろを見せない者を貴族と言うのよ!!」

「逃げても恥にならない相手っていうのもいるんだよ!! お前のは勇気でもなんでもない、犬死にの蛮勇って言うんだ」

 才人にも、それなりに付き合っているだけあって、誇りを何より重んじるルイズの気持ちは少しは分からなくもない。

 しかし、それでも何の策も無く超獣に挑むような自殺行為を黙認することはできなかった。

 目の前の森に飛び込めば身を隠す場所もあるだろう、才人は必死で走った。

 だが、タバサが杖で無言のまま才人の足を引っ掛けたので彼は盛大に転んでしまった。

「いってえ!! な、なにするん……!?」

 怒鳴ろうとした才人の頭上を白い煙が猛烈な勢いで通り過ぎていった。

 煙は、ホタルンガの頭から噴射され、才人が逃げ込もうとしていた森の一角を包み込むと、一瞬のうちに草木はボロボロに腐り果て、森が消滅してしまった。

 彼らは瞬時に理解した。こいつだ、こいつが人間を溶かして喰っていたのだ。

「サ、サンキュー、タバサ」

 もしタバサが足払いをかけてくれていなかったらもろに直撃されていただろう。

 彼女は、それよりも逃げたほうがいいと、短く言っただけだったが、一応謝意は通じたようだった。

 だが、どうも走ったくらいで逃げられる相手ではなさそうだ。

 しかし、ホタルンガがもう一度溶解霧の発射口を彼らに向けようとしたとき、突然ホタルンガの左側面からキュルケのものより数段大きい火炎弾がホタルンガに命中して、炎で全身を包み込んだ。

「今のうちです!! 早く逃げなさい!!」

「オスマン学院長、それにミスタ・コルベール!?」

 思わぬところからの援軍だった。ホタルンガは炎を振り払うと怒りを込めてふたりのほうへ向かっていく。

 超獣の注意が自分達から逸れたことを確認すると、タバサは短く口笛を吹いた。

 空からタバサの風竜シルフィードがやってきて目の前に着地する。

「乗って」

 まずタバサが、続けてキュルケが乗り込む。

 才人は、ルイズを抱えたままシルフィードに乗り込もうとしたが、手を伸ばした瞬間ルイズが腕の中からすり落ちてしまった。

「ルイズっ!? よせ!!」

 さっきの忠告にも耳を貸さず、ルイズはホタルンガに向かっていく。

 ホタルンガはオスマンとコルベールに気を取られてこちらに背を向けているが、そのくらいでどうにかなる相手ではない。

 案の定、ルイズの魔法はホタルンガの外骨格にはじかれて派手な爆発をあげただけにとどまった。

 第一プロのメイジであるコルベールの攻撃もまったく通用しないのに、学生のルイズの魔法が通用するはずがない。

「くっ、このっ、このっ!!」

 なおもあきらめずに攻撃を続けるが、やはりまったく効果は無く、むしろ連続する爆発にいらだったホタルンガの注意を引く結果となってしまった。

 ホタルンガの尾部の発光体が怪しく光る。

「なっ、きゃあぁぁっ!!」

「しまった……ルイズ!!」

 才人の目に飛び込んできたのは、ホタルンガの半透明の発光体の中に吸い込まれてしまったルイズの姿であった。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第5話  大ピンチ!! ルイズを救え

 第5話

 大ピンチ!! ルイズを救え

 

 大蛍超獣ホタルンガ 登場!

 

 

「ルイズ!! くっそぉ!!」

 超獣ホタルンガの発光体の中に取り込まれてしまったルイズを見て、才人は背中のデルフリンガーを抜くと走り出した。

 剣を抜いたとたん、彼の左手のルーンが輝きだし体が信じられないほど軽くなっていく。

「ダーリン!? 無茶よ!!」

「……もう止められない、飛んで」

 シルフィードがキュルケとタバサを乗せて飛び立った。

 フーケのゴーレムに翼に傷を負わされているはずだが、それでもさすがに風竜の飛翔能力は高かった。

 ホタルンガの正面では、オスマンとコルベールが幾つかの詠唱時間の短い呪文でうまいぐあいに右に左にと注意を引いている。

 もしどちらか一人に注意が集中したら、あっというまにあの溶解霧で溶かされてしまうだろう。キュルケとタバサは普段頼りなく見える二人の教師の巧みな戦い方に、その評価を改めていた。

 しかし、一歩一歩と歩み寄ってくるホタルンガに、その戦い方も限界に来ようとしていた。

「やはり、通常魔法程度では何発当たっても効き目がないですか。このままでは」

「仕方あるまい、お互い本気を出さねばならぬ様だな。幸い相手は超獣じゃ、遠慮する必要もないじゃろ」

 ふたりは決意を確かめるように顔を見合わせると、呪文の詠唱に入った。だが、これまでのものと違って詠唱時間が長く、一見して上級スペルだと分かる。

 ホタルンガは至近まで近づいたためか、溶解霧を使わずに二人を踏み潰そうと迫ってくる。だが。

「待ってください!! あの超獣の中にミス・ヴァリエールが閉じ込められていますの!!」

 ふたりの教師が何かとんでもない魔法を使おうとしていることを悟ったキュルケが大声で叫んだ。

「何ですと!?」

 とっさに攻撃を解除したオスマンとコルベールは詠唱をフライに変えて飛びのいた。今いた場所が巨大な足で踏み潰されて大きくへこむ。

 ふたりはホタルンガの反対側へと跳んだが、昆虫の複眼からはそう簡単には逃れられず、ホタルンガは再び二人に襲い掛かっていった。

 

 だが、そのときようやくホタルンガに追いついた才人は、ルイズの閉じ込められているホタルンガの発光体へと斬りかかっていた。

「でやぁぁっ!!」

 渾身の力を込めて、斬る、斬る。

 しかし、かつて青銅のゴーレムを切り裂いたことのある才人の剣を持ってしても、半透明のプラスチックのような発光体はわずかな切り傷がつくだけでまったく刃が通らない。

 それでもあきらめずに斬りつけるが、そのとき振り下ろされてきた尻尾によって才人は十メートルは吹き飛ばされてしまった。

「うわぁっ!!」

 体が落下の瞬間受身をとって衝撃を最小限にしたが、緩和しきれなかった分の衝撃が彼の体を貫いた。

「いててて……」

 叩きつけられた背中がひどく痛む、とっさにデルフリンガーで受け止めたのと、下が草地でなかったら立ち上がることさえできなかっただろう。

 だが、ホタルンガはまだオスマンとコルベールに向かっていて、彼に背中を見せている。

「ちっ、奴にとっては俺の斬撃なんか蚊が刺したほどにも感じねえってのか」

 才人は毒づいたが、剣なんかで斬れる相手ならそもそも苦労なんかしないことは分かっている。ただし、それはあきらめる理由にはならない。

「今度こそぉ!!」

 立ち上がった才人は再びホタルンガへと斬りかかっていった。

 両手に構えて全力で発光体へと振り下ろす。しかし、発光体はゼリーのように柔らかそうな外見とは裏腹に、前よりわずか一センチ程深くしか刃をめり込ませてはくれなかった。

「うわあっ!!」

 再び才人は尻尾を横から受けて吹き飛ばされた。

「大丈夫か!? 相棒」

「な、なんのそのこれしき」

 デルフには強がって見せたものの、あちこちすりむいて血がにじんでいるだろう。

 まだ骨には来ていないが、打撲で体の節々が痛い。

「まだやるのか?」

「ご主人様のピンチに助けるのが使い魔の仕事だろ。それに、ルイズには後で言ってやりたいことが山ほどある。蹴られようと鞭で打たれようと、どうしてもこれだけは言ってやりたい言葉がね」

「真面目だね」

「冗談、俺はその言葉とは対極の人間だよ。まあ、強いて言うとすれば……」

「なんだ、興味あるね。言ってみな」

 からかうようなデルフの言葉に、才人はやや自嘲的に答えた。

「小さいころから憧れてきたヒーローたちを裏切るようなことだけはしたくねえ!! 俺だって、ウルトラマンだ!!」

 

 

 そのころ、ホタルンガに取り込まれたルイズはようやく意識を取り戻していた。

「う、ううん。こ、ここは? ……はっ、そうだ、わたしは超獣に」

 何があったかを思い出したルイズはあたりを見渡した。

 真夜中だったというのに周りはやたら明るい、どうやら小部屋のようなところに閉じ込められているようだ、そして地震の最中であるかのように激しく揺れる。

 だが、窓のように外が見える先に、見覚えがある尻尾が揺れ動いているのを見て、彼女は自分が最悪の状況に置かれていることを悟った。

 とっさに脱出の方法を考える。だが自分は武器になるようなものは持っていないし道具の持ち合わせも無い。

 ある物といえば杖だけだが、自分にできるのは爆発を起こすだけ、しかもこの狭さでは巻き添えを喰ってしまう。

「……っ、くっ……」

 冷静に考えれば考えるほど、自分のふがいなさばかりが思い出されて、悔しくてたまらなくなってくる。

 サイトは自分を散々止めたのに、自分はといえば大きなことを言って飛び出してきたというのにあえなく捕らえられてしまった。

 生意気な使い魔の言ったとおり、自分の行為は蛮勇でしか無かったのか? それを認めたくなくて自然に涙があふれてきた。

 だが、ルイズの口から嗚咽が漏れる前に、すぐそばから小さくうめくような声が聞こえてきた。

「うっ……くっ、こ、ここは」

「!? あなたは、ミス・ロングビル……いえ、フーケ!!」

 なんとすぐ足元に、あの土くれのフーケが倒れていた。

 ルイズは気づいていなかったが、彼女が吸い込まれた際に、偶然近くに倒れていたフーケもまたホタルンガに飲まれていたのだ。

 意識を取り戻したロングビル、フーケにルイズは必死で恐怖を押し殺しながら杖をかまえた。

「あなたは、ミス・ヴァリエール?」

「ち、近寄らないで!! このヤプールの手先め!!」

「……!? ヤプールの、手先!?」

 ルイズの言葉を聞いて、フーケは愕然とした。

 そして同時に、ぼやけていた記憶が蘇ってくる。あの夜、私はヤプールと名乗る黒衣の男に捕まった。それからいったい私はどうしていたのだ?

「あんた、まさか何も覚えていないの?」

 フーケは黙ってうなづいた。そしてルイズの口から、あの夜から今まで自分が何をしてきたのかを聞かされて慄然となった。

「大量、殺人鬼……?」

「そうよ、貴族も平民もお構いなしに、女子供、それこそ赤ん坊にいたるまでね!!」

「……そんな……っ」

 あの夜、ヤプールはフーケに言った。「復讐したいか」と。

 答えはイエスだ、貴族など、存在を見るだけで吐き気がする。苦しみ、悔しがる姿を見て大いに愉快になったこともある。

 だが、その怨念と執念をヤプールに利用されて、いいように操られてしまった。

 確かに復讐は望んでいた、だがこんな血塗られた方法を望みはしなかったはずだ。獣のようにむさぼり歩く道など望みはしなかったはずだ。

「く、ああぁぁっ!! ヤプールぅぅっ!!」

 ぶつけようのない、怒りと屈辱、決してここまでは踏み越えないと決めていた一線を破らされた罪悪感が彼女のなかをかけめぐった。

「……」

 ルイズも言葉を失った。

 フーケの事情は分からない。しかし、どのみちここにいれば遅かれ早かれ生きてはいられないだろう。

 結局何の名誉も誇りも得ることも守ることもできなかった。

 あの使い魔は、自分が死んだら自由になってどこかにいくのだろうか、そう考えると、なぜか不思議とまた涙があふれてきた。

 だが、かすんでいく視界のなかに、その使い魔が自分の捕らえられている場所を目掛けて、剣を振りかざして突っ込んでくるのが映ると、ルイズは涙を振り払って立ち上がった。

「サイト!? 来ちゃだめぇ!!」

 声など届くわけがない。しかし彼女は叫ばずにはいられなかった。なぜなら彼はたった剣一本で超獣に挑みかかろうとしているのだ。

 不規則に振り下ろされる尻尾と踏み鳴らされる足、どちらも直撃したら人間などひとたまりも無い。

 けれども、彼は超人的な身のこなしでそれを回避すると、ルイズの閉じ込められている発光体へと剣を振り下ろした。

「あんた、わたしを助けるために……? あっ、危ない!!」

 振り下ろした剣ごと押し返されて才人は再び飛ばされた。だが、それでも彼は立ち上がって向かってくる。

 しかし、疲労とダメージは蓄積していっているのは確実で、今度は近寄る前に尻尾で跳ね飛ばされてしまった。

「も、もういいわよ!! これはわたしの責任だからもうやめなさい!! あんたもうボロボロじゃない!!」

 叫べど届かないのは分かっている。しかし、泥と血にまみれてなお立ち上がってくる姿を見たら叫ばずにはいられなかった。

 またサイトが跳ね飛ばされる。そして起き上がって向かってくる。

「もういい……もういいから……」

 いつの間にか、ルイズの両目からは大粒の涙があふれていた。

 

 

「く、くそぉ、なんて頑丈さだ」

 もう何度目かの突撃と撃退の後、才人はデルフリンガーを杖に、肩で息をしながらつぶやいた。

「ガンダールヴの力を持ってしても斬れないとは、ありゃほんと化け物だねえ」

「ん、ガンダールヴ? なんだそりゃ。いや、それよりも、もう一回いくぞ」

「待て、今度しくじったら本当に死ぬぞ、あいつを切り裂くのは俺でも無理だ」

「だったら、どうしろって言うんだよ!?」

「ちったあ考えろ、押してもだめなら引いてみろってね。剣は斬るためだけにあるわけじゃねえだろ」

 デルフの言葉に、才人は考え込むと、はっとして柄を握りなおした。

 たったひとつ、方法がある。しかししくじればルイズも巻き込んでしまう危険性もある。

「自分の力を信じろ。そうすりゃ、不可能と思うことも可能になることもある」

「この無責任野郎、万一ルイズに傷でもつけたらへし折ってやるからな。覚悟しろ、行くぞ!!」

 デルフリンガーを水平にかざし、才人は最後の突撃に打って出た。

 ホタルンガはまだオスマンとコルベールに気が向いている。しかし暴れまわるホタルンガの尻尾の動きはさらに激しくなっている。

「うぉぉっ!!」

 だが、彼はそれを自分でも信じられない動きで回避すると、発光体に全力を込めてデルフリンガーを突き立てた。

「刺さった!!」

 才人渾身の刺突は、見事発光体を打ち抜き、内部に五センチほど切っ先を覗かせていた。

 しかし、彼のふんばりもそこまでで、体を大きく振ったホタルンガの遠心力には耐えられず、才人はデルフごと再び振り飛ばされてしまった。

 

「サイト!! バカバカ、あんた本当に死んじゃうじゃない。やめなさいって言うのに」

 ルイズの叫びも届かず、サイトはギーシュとの決闘のときより無残な顔になりながら立ち上がってくる。

「やめろって……いうのに……くっ」

 ルイズはとっさに杖を壁に突き当てた。

 ここで自分がなにを唱えても、結果は爆発しか起こらないことは分かりきっている。しかしそれでもじっとしていることだけはできなかった。

「ファイヤー……」

「待ちなさい」

 呪文を唱えようとしたルイズの肩をフーケがつかんで止めていた。

「無駄よ、この壁には通用しないわ」

「だから何よ!! わたしの使い魔が死にそうになってまで戦ってるのよ!! 主人のわたしが、わたしが黙っているわけにはいかないじゃない!!」

 精一杯虚勢を張っているが、ルイズの顔は涙で崩れて言葉とは釣り合わない。

「あの使い魔は、あなたにとってなんなの?」

「えっ……な、なんでもないわよ!! つ、使い魔は使い魔じゃない!!」

 突然のフーケの言葉に、ルイズは今度は顔を真っ赤にして目を白黒させる。

「そう、そういうこと……」

「って、あんたはどうなのよ!! あんたみたいな盗賊には、どうせ守りたいものなんか何も無いんでしょう!! 誇りも、人も」

「……誇りはすでに捨てたけど、人はまだあるわよ」

「えっ」

 ルイズの答えを待たずに、フーケはルイズの杖に自分の手をそろえた。

「な、なによ?」

「頑強な壁も、わずかなほころびから崩れるものよ」

 フーケはルイズの手をとって、さっき才人がつけた壁面の傷を杖で指した。

「その傷に私が錬金をかけて土にするわ、おそらく一瞬しか効かないだろうから、その瞬間にあなたの錬金を打ち込みなさい」

「……なぜわたしを手助けするの?」

「さあ、なんででしょうね。それより、早くしないとあなたの使い魔君死んじゃうわよ」

「!?」

 才人は足を引きずるようにして向かってくる。このままでは確実につぶされてしまうだろう。

「いくわよ。三、二、一、『錬金!!』」

「『錬金!!』」

 物質変換と破壊の魔力が相乗し、分子と原子を揺り動かして、その結合を引き裂く。

 その瞬間、ホタルンガの尾部から巨大な爆煙が吹き上げた。

(私としたことが、貴族に手を貸すなんて、所詮盗人にはこんな最後がお似合いなのかもね……ごめん、もう帰れないけど、許してくれるよね……)

 爆発の逆流に飲み込まれ、フーケは自分を笑いながら意識を失った。

 だが、才人、ルイズ、フーケの決死の攻撃は、ついにホタルンガの発光体を貫いて風穴を開けさせることに成功した。

「ルイズー!!」

「サイトー!!」

 開いた穴は直径二十センチにも満たない小さなもので、小柄なルイズでさえ通り抜けられないものであったが、ふたりの心をつなげるには充分だった。

 伸ばした手と手が結ばれて、ふたりのリングが光を放つ。

 合体変身!!

 闇夜を切り裂く正義の光、ウルトラマンA参上!!

 

「テェーイ!!」

 巨大化したエースが背中からホタルンガを跳ね飛ばした。

 ホタルンガは頭から地面に叩きつけられて這いずりもがく。

 

「ウルトラマンA!!」

「やっぱり、来てくれたのか」

 体力が限界にきかけていたコルベールやオスマンがエースの登場に快哉をあげた。

 同時にタバサとキュルケも、再び見るエースの勇姿に喜びと期待のまなざしを向ける。

 

 エースは離れた場所にフーケを下ろすと、ホタルンガに向かって構えをとった。

「デヤッ!!」

 戦闘態勢をとるエース、対してホタルンガも怒りの咆哮をあげてエースを威嚇する。戦いのときは来た。

 

 今、双月の夜を舞台に、ウルトラマンAとヤプールの第二ラウンドが始まろうとしている。

 

 続く

 

 

 

 

 

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第6話  双月夜の大決闘!!

 第6話

 双月夜の大決闘!!

 

 大蛍超獣ホタルンガ

 宇宙同化獣ガディバ 登場!

 

 

 ウルトラマンAの心の中で、合体により肉体を共有した才人とルイズが向かい合っていた。

 エースの精神世界の中では、それぞれ擬似的な肉体が形成されて、普段と変わらずに会話することができる。

 このなかでは、それぞれの感情がむきだしで相手に伝わる。心を読まれるということではないが、心の起伏が相手に伝わるということはごまかしが利かないということになる。

(……)

(……サ、サイト)

 ルイズは内心おびえていた。散々無謀だと止められておきながらも戦いを挑んだあげく、無様に捕まってしまい、果てには自分どころか使い魔も道連れにするところだったことを怒鳴られると思った。

 いつもならば主人と使い魔の関係を持ち出して、すべて才人に押し付けるルイズだが、今回は全面的に自分に非があり、しかもサイトが自分のために命を張ってくれたおかげで助かったために、理不尽に責める理由の一つも彼女には無く、もしそれをやればそれは自身の卑小さをさらけ出すだけだった。

 だが彼は短く、後で話があると言い、呆然とするルイズに。

(無事でよかったな)

 それだけ言うと、意識をルイズから超獣に向けた。

 ルイズは少し呆然としていたが、やがてサイトからおだやかな感情が流れてきたのを感じてほっとした。

 エースは、ふたりの若者をじっと見守るだけで、何も言いはしなかった。

 

 

 双月の夜空の下に、ウルトラマンAと超獣ホタルンガが向かい合っている。

 雄雄しく構えて超獣を見据えるエースと、発光体を傷つけられて怒りに燃えるホタルンガ、均衡は一瞬にして破られた。

「イヤーッ!!」

 ウルトラマンAとホタルンガが正面からがっぷりと組み合った。

 ホタルンガも巨体でエースを受け止めるが、そうはさせじとひざ蹴り、ボディブローを叩き込む。

「いけーっ!! やっちゃえエース!!」

 上空のシルフィードの上からキュルケがやんやとエールを送ってくる。

「デャアッ!!」

 エースはそれに答えてホタルンガの首筋をつかむと、そのまま背負い投げの要領で投げ飛ばした。

「す、すごい、なんという強さだ……」

 森の端に退避したコルベールは、あの何万トンもあろうかという超獣をやすやすと投げ飛ばしたエースのパワーに改めて驚いていた。

 彼にとってエースの戦いを見るのはこれで二度目になるが、それでもエースの力はすさまじいの一言であった。

 起き上がってきたホタルンガは溶解霧をエースに向かって吹き付けるが、寸前でエースは高くジャンプしてそれをかわした。

「デヤッ!!」

 垂直降下してきたエースに頭を踏みつけられてホタルンガはよろめいた。

 エースはその隙を逃さずに、再びホタルンガの首筋をつかんで反対方向へ投げ飛ばした。

(よし、このまま畳み掛けるんだ)

 エースが優勢なのを見て取って才人が言うと、エースもそれに答えて両手を前に突き出し、光線の構えを取った。

『ブルーレーザー!!』

 指先からの青色の速射光線が連続してホタルンガの頭部に叩き込まれて爆発を起こす。

(よし、効いている!)

 ホタルンガは頭部を焼け焦げさせてもがいている。どうやら今の一撃で溶解霧の発射口もつぶせたらしい。

 だが、まだ致命傷にはなっていない。エースはホタルンガの上空めがけてジャンプした。

「トオーッ!!」

 急降下キックがホタルンガの背中に命中、顔面から地面に叩きつけられてはさしもの超獣もすぐには起き上がれない。

 しかし、エースのほうも倒れているホタルンガにはうかつに近寄れなかった。

 なぜなら、倒れながらもホタルンガは尾の付け根にある蛍の発光体をエースに向けて威嚇している。あそこからはショック光線を出すことができる上に尻尾の先端はハサミになっていて敵を挟み込むことができる。

 ホタルンガは普通とは逆に後ろ向きでいた方が強いという珍しい超獣なのだ。

 だが、だからといって無理に近づく必要はない。

「ヌウンッ!!」

 エースの両の手のひらにエネルギーが集まって丸く赤い玉になっていく。そしてエースはその凝縮されたエネルギー球を、押し出すように投げつけた。

『エネルギー光球!!』

 投げつけられた光球はホタルンガの背中に命中して爆発を起こした。

 ホタルンガは背中の殻を破られてもがき苦しんでいる。

「よっしゃあ、なんだ楽勝じゃない、超獣なんていったって案外たいしたことないわね」

「……超獣が弱いんじゃない……エースがとても強いからそう錯覚するだけ、あの超獣もベロクロンと大差なく強い……もしあれが街で暴れたら、またたくさんの犠牲者が出る」

「だったらここで倒しちゃえばそれでいいじゃん。いけーっ!! そこだーっ!!」

 確かにキュルケにそう錯覚させるほど、今エースはホタルンガを圧倒していた。

 過去にはTACの援護を受けてようやく倒した強敵だが、今のエースは数々の戦いを経て、あのときよりもはるかに強い。

「学院長、これはいけますぞ。このままいけば……学院長?」

 エースの戦いを興奮しながら見守っていたコルベールは、オスマンが心ここにあらずというような表情をしているのに気がついた。

 彼がいくら声をかけても答えずに、ただただエースと超獣の戦いを見つめている。

「……同じじゃ……あのときと……」

 オスマンは胸の奥からやってくる熱いものをこらえながら、懐の奥にしまった小さな鍵を握り続けていた。

 

「テェーイ!!」

 エースの上手投げによってホタルンガは森の中へと叩き落された。

(よっしゃ!! もうホタルンガはフラフラだ、とどめだエース!!)

 才人の言うとおり、ホタルンガは立ち上がったもののフラフラとよろけて、もはやエースに向かってくるような力は残されていないようだった。

(よし!! メタリウム!!)

 エースは上半身を大きくひねり、必殺光線のポーズをとる。

 ホタルンガはエースのかまえを見ても、反撃も回避の行動も起こせない。

「いっけーっ!!」

 上空のキュルケのボルテージも最高潮を迎える。

 そして、エースが振りかぶりながら、今まさに腕をL字に組もうとしたとき。

 

「そううまくはさせぬよ」

 

 突如おどろおどろしい声が深夜の森に響いた。

 それとともに、エースの体を衝撃が貫き、メタリウム光線の姿勢が崩された。

「ヌッ、グオッッ!!」

 エースは全身を貫く不気味な感触を必死でこらえる。

(なっ、なに? この気持ちの悪い波動は!?)

(ルイズ、大丈夫か!? エース、これはなんなんだ!?)

 感覚をエースと共用しているふたりも初めて味わう、まるで腐肉で全身をなでられているような感触に動転していた。

(……マイナスエネルギーの波動だ。しかもこの強力さ……来るぞ、奴が!!)

 エースが言い終わるのと同時にホタルンガの頭上の空間がひび割れ、鏡を割ったかのように異次元への裂け目が現れた。

 そしてそこから、まるで葬儀屋のように全身黒尽くめの男がひとり、ホタルンガの頭の上に降り立った。

「フッフッフッ……」

 男はエースを細目で見ながら、口の中だけで笑っていた。

 だが、やがて目深にかぶっていた帽子をあげると、乾いて紫色をしたまるで血の通っているようには見えない唇を開いた。

「久しぶりだな、ウルトラマンA」

「……ヤプール!!」

 その瞬間、上空のキュルケとタバサ、地上のオスマンとコルベールだけでなく、エースと共にいるルイズと才人にも驚愕が走った。

 

「あれが、ヤプールか!?」

 

 エースとヤプール以外のその場にいた全員が同じことを思ったに違いない。

 彼らの目の前にいるのは、まるで闇が凝縮したような漆黒をあしらった老人、しかしそれは内にさらなる暗黒を備えたヤプールの仮の姿。

「懐かしいなウルトラマンA、こうして貴様と話をするのも何十年ぶりになるか。まさかこんな世界に来てまで貴様と戦うことになろうとは、思いも寄らなかったよ」

「貴様が現れるたびに、我らはどこへでも駆けつける。どこの世界であろうと、侵略は許さん!!」

 憎憎しげな視線を向けるヤプールにエースは断固として言い放った。

 見守るオスマンたちも、初めて聞く異世界の者の会話を固唾を呑んで見守っている。

「ふっふっふっ……怨念を晴らすまでは何度でも蘇る。我らは暗黒より生まれて全てを暗黒に染める者、全宇宙が恐怖と絶望に染まるまで我らに滅びはない」

「だが、我らがいる限り貴様に勝利の日は永遠に訪れはしない。いくら超獣を生み出そうと、全て倒してみせる」

「それはどうかな?」

 ヤプールはあざけるように言うと、顔をぐにゃりと歪めた。おそらくは笑ったのだろうが、顔のしわと目じりがねじくれてぞっとするような醜悪さが現れていた。

「確かに、貴様の力は強い。しかしこの世界には光の国もなければ貴様の仲間のウルトラ兄弟もいない。人間どもなどは地球と比べても脆弱極まりない。ゴミクズ以下だ」

 その言葉を聞いてルイズやキュルケは怒りをあらわにした。

 彼女達が貴族であるということ以前に、自分達をゴミ以下と言われて怒らない者などいない。

「あ、あいつ……私たちをゴミ以下だと言ったわね……くっ、タバサ離しなさいよ!!」

「無駄……挑んでも殺されるだけ……」

 怒りにとらわれていたキュルケと違い、冷静な目でヤプールを見ていたタバサは確信していた。あの老人の姿は本来の力の万分の一も現してはいない。

 もし本当に弱いのならばエースが用心深く構えを保ったまま動かないはずはない。

(あ、あいつ……わたしたちをなんだと思ってるのよ!!)

(そういう奴なんだよ、人間どころか自分以外の全ての生命をゴミとしか思っちゃいないんだ)

 激昂するルイズを押さえながらも、才人は始めて間近で見るヤプールの邪悪な存在感に震えがくるのを感じていた。

「人間をなめるなよヤプール。人間の力はお前が思っているほど弱くはない、いつか貴様をおびやかすほど強くなる日が必ず来る」

「はたしてそうかな?」

「なんだと」

「貴様も気づいているのだろう。この世界は地球に匹敵するどころか、はるかに上回るほどのマイナスエネルギーに満ちている。偶然見つけた世界だが、私はこの世界を観察して確信した。力がある者が無い者を見下し、蔑み、力無き者はある者をうらやみ、その怒りと憎悪をさらに弱き者へと向ける。さらに世には争いが絶えず、だまし、裏切り、欲望のままに血をすする。そんな邪悪な心が我らにとってはこの上ない糧となる。ここは我らヤプールにとってはこの上なく住みやすい地獄なのだよ」

 たまらなくうれしそうに語るヤプール、しかしその笑い声には一片の陽気さもない。

「あいつは……本物の悪魔だ」

 ぎりりと歯軋りしながらコルベールはヤプールを睨み付けた。

 だが、ヤプールは笑いながらもはっきりと聞こえる冷たい声でエースに問いかけた。

「ウルトラマンA、こんな醜く歪みきった世界を貴様が守る価値などあるのか?」

「ある! 確かにこの世界は貴様の言うとおりに人間の邪悪な心で満ちている。しかし、人を思いやる優しい心を持った人々も大勢いる。そんな美しい心を持った人がひとりでもいる限り、私はこの世界を守り抜く!」

「どうかな、私が手を加えなくともこの世界を覆う闇は広がり続けている。放っておいても死滅していく愚か者どもなど、いっそ私が皆殺しにしたほうが未来のためではないか?」

「違う!! 人の心には誰しも闇が巣くっているが、人はその闇と戦うことで自らの光を強めてきた。地球の人々も何度もあやまちを犯しながらも一歩ずつ前に進んできたんだ。人々は愚かなのではない、まだ未熟なだけなのだ」

 毅然とエースはヤプールの言葉を否定した。

 ヤプールは、さも当然だなというふうに笑っていたが、やがて笑うのをやめた。

「だが、現実はこの世界の人間の心には大きな闇がある。この女のようにな」

「……貴様!?」

 ヤプールが無造作に右腕を高くかかげると、そこにはいつの間にかひとりの人間がつるし上げられていた。

 

「あれは、フーケ!?」

 その姿は、見守っていたキュルケやオスマンたちの目にもはっきりと確認できていた。

 そう、エースに救い出されたはずのフーケが今ヤプールに首筋をつかまれて晒されていたのだ。

 これではエースは手を出せない。

 

「この女の心には、深く暗い闇があったよ。悲しみ、憎しみ、絶望、暗黒の淵へと進む底なし沼がな。その憎悪のベクトルを少し強めてやったら期待通りに働いてくれたよ。ホタルンガは人間の肉が好物なのだが、この女が手引きしてくれたおかげで労せずにたくましい超獣へと育てることができた」

 過去にも多くの人間の心の隙を甘い言葉で誘惑したり、ときには欲望や悲しみを利用して洗脳したりしてきたヤプールにとって、フーケは絶好の人材だったに違いない。

「だが、この程度では貴様に勝つには不足だったようだ。まったく忌々しいやつよ、しかしこれならどうかな?」

 ヤプールがそう言うと、フーケを掴んでいた腕が紫色に光り、それと同時にフーケの体が黒い霧のようなものに覆われていく。

「フフフ……」

「ヤプール、貴様何を!?」

「ただ超獣をぶつければ勝てると思い続けるほど私の頭は悪くはないぞ。ホタルンガが敵わなかったときのために、準備は整えてあるのさ」

 黒い霧はフーケの体から噴出している。それは彼女にとってとてつもない苦痛を伴うらしく、目を覚まされたフーケは言葉にならない苦悶の声をあげた。

「ぐあぁぁっ、あああぁぁっ!!」

「やめろ!! ヤプール!!」

「もう遅い。現れろ、ガディバ!!」

 黒い霧はヤプールの手のひらの上でしだいに蛇の形をとっていく。

 これこそ、宇宙同化獣ガディバ、他の生物に寄生してその能力を限界まで引き出させるとともに、同化した生物の情報を取り込んで奪い取る能力を持った宇宙生物だ。

 ただ、フーケは所詮は人間だ。ならば、ガディバは一体なにを取り込んだというのか。

「くくく、人間の心の闇が生むマイナスエネルギーは、自然に怪獣を生み出すことができるほど強力であることは貴様も知っていよう。単なる悪人ではつまらんが、複雑に捻じ曲がった心は強いマイナスエネルギーを生む」

 人間の心が生むマイナスエネルギーはヤプールのエネルギー源となるだけでなく、単独でもクレッセントやホーなど凶悪な怪獣を生むことができる。それを直接人間から奪い取れば、確かに強力な力となるだろうが、それはすなわち心を奪い取られるということになる。

「貴様!」

「ふ、どうせ闇に染まった心は二度と這い上がれない。これはこの女が自ら招いた結果さ」

 ヤプールは残酷な笑みを浮かべると、愉快そうにエースをあざ笑った。

 ガディバはほぼ完全な蛇の姿になり、フーケの顔にももうほとんど生気がない。

 だが。

「ぁぁぁ……たすけ……て……テファ……」

 そのとき、ガディバの闇の噴出が収まり、まとわりついていた闇がフーケの体から離れた。

「ぬ!? ほう、この女まだ心の中にしがみつく光があったか……まあいい。これだけ吸い取れれば充分。そら、返してやろう」

 ヤプールはまるでボロ雑巾のようにフーケを空に放り出した。

「危ない!!」

 ホタルンガの頭頂部から地面までは五十メイルを超える。意識を失ったフーケは重力のままにまっ逆さまに落ちていく。

 そのとき、タバサがシルフィードを急降下させ、地面とフーケの間に割り込ませた。間一髪。

 ヤプールはすでにフーケに興味を失ったのか一瞥もしない。タバサはそのままシルフィードをオスマンたちの元に着陸させた。

「大丈夫、息はあります」

 シルフィードの背からフーケを降ろしたコルベールは彼女の脈を取り、安堵したように言った。

 どんな悪人でも、目の前で死なれて気持ちのいいものでない。それに、怪盗はともかくあの惨劇はヤプールが引き起こさせたものでフーケは被害者でもある。

「あんたも酔狂ね、自分を殺そうとしたやつを迷わず助けようとするなんて」

「……誰でも、悲劇から闇に落ちる可能性を持っている。彼女は苦しんでいた……本当の悪人なら、苦しまない」

「本当に悪い奴じゃないってか。だけど相当な悪人ではあったみたいだけどね。その悪の心、どうするつもりなのかしら?」

 キュルケとタバサは対峙するエースとヤプールを再び見上げた。

 

「ゆけガディバ、ホタルンガと同化し、その血肉となれ!!」

 ヤプールが叫ぶと同時に、解き放たれたガディバはホタルンガの中へと吸い込まれていった。

 するとどうだ。一瞬ホタルンガの体が黒く染まったかと思うと、エースにつけられた全身の傷がみるみる塞がっていく。

 それだけではない、目つきが赤く凶悪になり、うなり声も荒く凶暴になっていた。

「くくく、かつてUキラーザウルスがマイナスエネルギーを吸収して進化したように、マイナスエネルギーをたっぷり吸収した超獣を、はたして貴様ひとりで倒せるかな。フハハハ」

「待て! ヤプール!」

「ハハハ……」

 ヤプールはマントをひるがえし、笑い声とともに異次元の穴へと消えていった。

 そして、残ったホタルンガは猛然とエースに向けて突っ込んでくる。

「ヌッ!! ヌォォ!!」

 エースはホタルンガの突進を正面から受け止めた。だが、先程まで止められた突撃を止めきれない。

「グォォッ」

 ついに耐え切れずに、森の中にまで吹き飛ばされてしまった。

 ガディバと同化したことにより明らかに先程よりパワーアップしている。

(危ない、溶解霧が来るぞ!!)

 とっさにエースは横へ飛びのいた。そこへ溶解霧が吹き付けられて森が消滅していく。

 このままでは、危ない。

「テヤァッ!!」

 受身にまわっては危ないと判断したエースは攻撃に転じた。ホタルンガの胴体にパンチ、チョップが次々に決まる。

 だが、強化された外骨格はエースの打撃攻撃さえ通用しなくなっていた。

 無造作に振り下ろされたホタルンガの右腕がエースの脇腹を打つと、エースはたまらずになぎ倒されてしまった。

「グッ、グォォッ!!」

 脇腹を押さえてうずくまるエースを、ホタルンガは凶暴さをむき出しにして右で左でと殴りつけ続けた。

 とどめにと、思い切り蹴りつけられるとエースはゴロゴロと転がって、森の隅までいってようやく止まった。

 だがホタルンガはそれでもおさまらずに、また向かってくる。

(避けて!! 危ない!!)

 しかしまだ立ち直れていないエースはかわす余力がない。とっさに右腕を前に突き出すと牽制の光線を放った。

『ダイヤ光線!!』

 連続発射されたひし形の光弾がホタルンガの頭で爆発を起こす。

 過去に超獣ブラックピジョンを葬ったことのある光線は確かにホタルンガを捉えたが、わずかにひるませただけで、ホタルンガはそのまま突っ込んできた。

「グワァァッ!!」

 跳ね飛ばされ、体の上で何度も足踏みされ、エースはもだえ苦しむ。

 そしてついにエースのカラータイマーが赤い点滅を始めた。

「クッ、デャァッ!!」

 エースはなんとか渾身の力を振り絞って脱出に成功した。

 そして、間髪いれずに反撃に出ようとするが、ホタルンガはくるりと後ろを向くと、発光体からフラッシュのようなショック光線をエースに浴びせた。

 倒れこむエース、ホタルンガはさらに二股に分かれた尻尾の先をエースの首にかけて、締め付けながら投げ飛ばした。

(エース!!)

「エース!!」

 心の中からのルイズたちの声と、地上からのキュルケたちの声がエースに届く。

 その声に応えて、ひざをつきながらもなんとかエースは起き上がるが、もはや満身創痍なのは誰の目から見ても明らかだ。

(エース、しっかりしてくれ!)

(わかっている。だが、マイナスエネルギーを得た超獣の力、ここまでとは)

 エースのカラータイマーの点滅は益々早くなっていく、戦いが長引きすぎてエースのエネルギーは残りわずかしかない。光線技も、使えてあと一、二回が限度。

 対してホタルンガはあれだけ暴れておきながらまったく衰えるきざしを見せない。

(このままじゃだめだ、なにか、なにか手はないか?)

 才人はなにかエースの手助けになることはできないかと、周りを見渡しながら必死で考えた。

 すると、エースの視界の端に、地面に突き刺さっている何かが見えた。

(あれは、デルフリンガーか? そうだ、エース!!)

(なに!? ……わかった、やってみよう)

 才人から何かを聞かされたエースはホタルンガの突進を飛びのいて避けると、地面に刺さっていたデルフリンガーを摘み上げた。

「んで!? お、おい、一体何するんだ!? 俺なんかであれは切れねーぞ!!」

 当然デルフは思いっきりうろたえた。

 なにしろ身長四十メートルのエースからしてみれば、大剣のデルフも縫い針以下の大きさしかない。これでは武器にもなににもなりはしない。

 だが、エースはデルフをつまんだまま右へ左へと大きく振り回した。するとどうだ、エースが一度振るたびに一メイル半程度だったデルフリンガーが、三メイル、六メイル、十二メイルとどんどん大きくなっていく。

 やがて、五回も振ったときにはデルフリンガーは全長五十メイルに届こうとするほどの、エースが持つにふさわしいサイズの巨大な剣へと変貌していた。

 これこそ『物質巨大化能力』、エースの持つ数々の超能力のうちのひとつだ。

「えっ、え……い、あ、ええーっ!!」

 巨大化したデルフのつばがカタカタと鳴るが、まったく言葉になっていない。いつもの「おでれーた」すら出てこないところを見ると、よほどパニックになっているらしい。まあ当然だろう、巨大化するなど彼の人生の中でもこれが初めてだろうから。

(驚いた。まさかこんなことまでできるなんて……)

(やった、うまくいったぜ。昔、超獣ザイゴンのときに旗を巨大化させたんだからもしかしてと思ったんだ。どうだ、エース?)

(不思議な感じだ、まるで内から力が湧いてくるような。アングロスのときと同じく体が軽くなっていく。これは、君の力なのか?)

 エースが問いかけると、才人は精神体の左手が輝いているのをかざした。そこからオーラが溢れてエースへと流れ込んでいく。

(これは、体を共有したことにより能力も共有できるようになったということか。君はいったい?)

(俺にもわからねえ。ただなんでか武器を持つと力が湧いてくるんだ。それより、ホタルンガが来るぜ!)

 凶暴化したホタルンガはエースが武器を持ったというのにまったく意に介さずに突進してくる。

「デヤッ!!」

 エースはデルフリンガーを正眼に構えると、突進してくるホタルンガを迎え撃った。すれ違いざまに剣線一閃!! ホタルンガの右腕が吹き飛んだ。

(やった、すげえぞデルフ!!)

「おでれーた……」

 ようやくとデルフが言葉をしゃべった。とはいえ、いつもどおりの「おでれーた」だが、それには一生分のびっくりを使い果たしてしまったような感慨が詰め込まれていた。

(ようし、このままとどめだ!!)

「イヤァ!!」

 エースはデルフリンガーを大きく振りかぶってホタルンガに斬りかかる。

 だが、ホタルンガは振り返らずに発光体をエースに向けて、またショック光線を放った。

「グワッ!!」

 ショックを受けてエースはよろめいたが、なんとか倒れずに踏みとどまった。

 ホタルンガは後ろを向いたまま尻尾と発光体でエースを威嚇し続けている。

(だめだ、あの発光攻撃をなんとかしなくてはホタルンガに近寄ることができない)

(そんな、もう時間もないってのに!)

 エースの活動時間の限界は、刻一刻と迫りつつあった。

 

 その様子をずっと見守っていたコルベールたちも苦々しげに見つめていた。

「エース! くっ、あれでは近づけんのだ!」

「そんな、せっかく逆転できたと思ったのに。あんちきしょー!!」

 コルベールもキュルケもエースが攻めあぐねているのに気づいていた。援護をしたくても通常時のホタルンガにすら攻撃が通用しなかったのに、強化された今のホタルンガには効くとは思えない。

「……点滅がどんどん早くなっていってる。もうエースはもたない……」

 エースの胸の球、カラータイマーの点滅を見てタバサが言った。もちろん彼女たちにはカラータイマーの意味は知らないが、赤い点滅が危険を示しているのだということはなんとなく察せられていた。

「エース、くそっ、ヤプールめ!」

 ウルトラマンAの危機をどうすることもできずにコルベールは杖を握り締めたまま歯軋りしながら戦いを見守っていた。

 だがそのとき、それまで沈黙を守っていたオスマンがおもむろに口を開いた。

「諸君、エースを援護するぞ、力を貸してくれ」

「学院長? しかし我々の魔法程度ではいくら当たったとしても」

「これを使う」

「それは、破壊の光?」

 オスマンの手の内には、フーケから取り返した破壊の光のケースとその鍵があった。

 確かオスマンはワイバーンを一撃で倒すと言っていた。急いで鍵を開けて、ケースを開けるとオスマンはそこに収められていたものを取り出した。

「それは、銃ですか?」

「ああ、もちろんただの銃ではないがの」

 それは大型の複雑な外見をしたいかつい拳銃であった。

 さらに、その銃はハルケギニアで一般的なフリントロック式ではなく、木やただの金属ではない奇妙な材質でできていた。

「しかし、これでも超獣にはほとんど効くまい、だから、あそこを狙う」

 オスマンはホタルンガのある部分を片手に持った杖で指した。

「あれは、ミス・ヴァリエールがつけた傷?」

 それはルイズがホタルンガの体内から脱出する際につけた発光体の傷であった。

 ほかの傷はほぼ全部塞がっているのに、なぜかそこだけは傷ついたまま残っていた。おそらくフーケの力が加わったために、フーケのエネルギーでは再生できなかったのだろう。

「よいか、チャンスは一度じゃ。全員でいっせいに攻撃を撃ち込め」

 オスマンが銃を構えると、残る三人も杖を構えた。

 そして、ホタルンガがひときわ大きく尻尾をあげたその瞬間。

「いまじゃ、撃て!!」

 コルベールとキュルケが同時に火炎を放ち、わずかにタイミングをずらして放たれたタバサの風がそれを巻き込んで増幅しながら突き進む。

(……もう一度、力を貸してくれ)

 最後に、オスマンは銃のトリガーを引き絞った。

 すると、銃口から一瞬の閃光とともに、一筋の光線、ビームがほとばしり、すべての攻撃が一つとなってホタルンガの発光体に吸い込まれていく。

 大爆発、傷口から入り込んだエネルギーは体内で凝縮されてその威力を倍増させた。炎がホタルンガの臀部を包み、炎が晴れたときには発光体は割れた電球のように粉々に砕け散っていた。

「エース!! いまだ!!」

 

 皆の声援を受けて、デルフリンガーを振りかざしてエースが走る。

「デャァァァァッ!!」

 これが本当に最後の力だ、エースの横一線の斬撃がすれ違いざまにホタルンガを襲う。

 一瞬の沈黙。

 

【挿絵表示】

 

 エースがふらりと揺れてひざを突き、手から取り落とされたデルフリンガーが元の大きさに戻っていく。

 ホタルンガはゆっくりと振り返って、一歩、二歩とエースに歩み寄る。

 しかし、三歩目を踏み出したとき、突然ホタルンガの首がゴロリと転げ落ちた。

「やった!!」

 誰からともなく歓声があがる。

 そしてエースは立ち上がると、大きく体を右にひねり、残った胴体に向けて腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!!』

 虹色の必殺光線が炸裂、ホタルンガの胴体は木っ端微塵に吹き飛んだ。

(やった、やったんだ!!)

 ついに勝ったのだ。ヤプールのたくらみを粉砕して超獣を倒した。

 エースは空に輝く双月を見上げると、その虚空を目指して夜空へと雄雄しく飛び立った。

「ショワッチ!!」

 

 

 夜空に静寂が戻った。

「おーい、みんな!!」

「あっ、ルイズ、それにダーリン」

 四人のもとにルイズと才人が駆けてくる。

 ふたりの無事な姿を見てキュルケは明るい笑顔を見せた。

「おお、君たちも無事でしたか、心配しましたぞ。怪我とかはしていませんか?」

「わたしは無事ですわ。こいつは……」

「なーに、かすり傷だよ。つばでもつけときゃすぐ治るって」

「そうそう、男がちょっとやそっとの傷でわめくもんじゃねえやな。ただし素人が見た目で傷を判断しちゃいけねえぜ」

 コルベールの質問にふたりは元気に答えた。実は才人の傷は軽いものではなかったのだが、こういうときやせ我慢をしなければならないのが男の意地であり、デルフもそれを分かっているから才人をフォローしつつ体を気遣っていた。

「いけません。すぐに学院に戻って手当てしなくては、ひどい傷じゃないですか」

 実際ホタルンガに何度も向かっていったのだから、普通なら死んでいておかしくなかったはずだ。コルベールは馬を呼ぶとなかば強引に才人をまたがらせた。貧相な見た目に反してすごい力だった。

「さあ、長居は無用です。早く帰りましょう」

「ちょっと待ってください。彼女はどうします?」

 キュルケの言うほうには、まだ気を失ったままのフーケが倒れていた。

「放って置くわけにもいかないですからとりあえず連れて帰りましょう。私の馬に乗せてください」

「ええ、ですがミスタ、そのあとはどうします。ヤプールに操られていたとはいえ、それ以前からフーケは盗賊として名をはせていた奴です。このまま置いておくわけにも」

 そう言われてコルベールはうーんと考え込んでしまった。

「普通なら、衛士隊に引き渡すところですが……」

「……盗賊は死罪と相場が決まってる。しかも拷問付きで……」

 タバサがぽつりと言った言葉に才人はぎょっとして言った。

「おいおい、いくらなんでも殺すことはないだろ!」

「でも、罪は罪……」

「だからといって殺すなんてあんまりだ、そんなことになるなら俺は断固反対するね」

「私も、せっかく助かった命をむざむざ捨てさせたくはありませんが」

 とはいえフーケが盗賊であることに変わりは無い。このまま学院においておくわけにいかないのも事実であった。

 と、そのときルイズが。

「運んで、そして手当てしてあげてください。フーケは、あの超獣のなかに閉じ込められたときに助けてくれました。彼女の事情は分かりませんが、恩を受けた以上相応の礼をもって返すのが貴族の本分だと思います」

「うむ、わかりました。とにかく、学院に帰りましょう。彼女をどうするか決めるのは話をしてみてからでも遅くはないはずです。行きましょうか、学院長……学院長?」

「……また、君に、ウルトラマンに助けてもらったよ」

 オスマンはその手のなかに光る『破壊の光』を見つめながら懐かしそうにつぶやいていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第7話  降り立つ光の巨人

 第7話

 降り立つ光の巨人

 

 宇宙有翼怪獣アリゲラ 登場!

 

 

 彼女は、夢を見ていた。

 暖かいまどろみのなかで、子供のころからの思い出がひとつずつ浮かんでは消えていく。

 人が昔を思い出すとき、その中にはよい思い出もあるが、大半は悲しい記憶だという。

 幸せだった子供のころ、しかし突然全てを奪われて落とされた暗黒の淵。

 それらをもたらした者達への怨嗟の念。しかし彼女の心を闇の一歩手前で引きとめた手、守ろうと決めた者。

 裏の世界で悪と善の矛盾した思いで生きてきた日々。

 そして現れた闇の化身の暗黒の世界への招待、死の直前にわずかに見えた光に手を伸ばしたとき、彼女の意識は光の中へと呼び起こされた。

「はっ……こ、ここは?」

「おお、ようやく目を覚ましたかね、ミス・ロングビル」

 彼女、ミス・ロングビルこと『土くれのフーケ』は目を覚ますとあたりを見渡した。

 木製の簡易な部屋と鼻を突く薬の臭い、思い出した場所は魔法学院の医務室、そして彼女のベッドの横にはオスマン学院長がいつもどおりの表情で椅子に座っていた。

「わ、私は……」

 まだ頭がくらくらする。なにかを考えようとしても集中できなかった。

「無理をするでない。あれから君は半日眠っていたんじゃ、まだ調子はよくなかろう」

「半日……はっ! ……」

 あの夜に起こった出来事を思い出して、ロングビルはとっさに身構えたがオスマンは顔色を変えずに穏やかなまま言った。

「心配せんでも誰にも言っとりゃせん。安心せい」

「でも、あなたは私が……」

「ああ、知っとる。フーケ、ただここでの君はロングビル、わしゃその呼び方のほうが好きでね」

「ちっ! ぐぁっ!」

 起き上がろうとしたロングビルは全身を貫いた痛みでベッドに崩れ落ちた。

「しばらくは安静にしておれ。なにせ死んでもおかしくない目にあったのじゃ、体をいたわりなさい」

「あんた、私をどうするつもりだい?」

 彼女はロングビルではなくフーケの口調でオスマンに問いかけた。

「それは……いや」

 オスマンは口を開きかけると、一度やめてからあらためてゆっくりと話し始めた。

「その前に、一言礼を言わせてくれ。君はあの超獣に閉じ込められたときにミス・ヴァリエールを助けてくれたそうじゃな。教師として、生徒を助けてくれたことを深く感謝する」

 彼はそう言うとロングビルに向かって深々と頭を下げた。

「なっ!? ……あっ、あれは……そ、それよりあたしはお前の生徒を殺そうとしたんだぞ」

「それは、本当の君ではないのだろう」

「うっ……だが、あたしのことを誤解してるのかもしれないけど、必要とあればあたしはガキどもを遠慮なく殺してたよ」

「それはそれ。そのときはともかく今は君はわしの恩人じゃ、素直に礼を述べて何か悪いかな?」

 思いもかけないオスマンの言葉にロングビルはうろたえていた。

 するとオスマンは椅子によっこらしょと座りなおすと、杖に寄りかかりながら話しはじめた。

「なあミス・ロングビル。わしは君がどんな経緯で裏の道に手を染めるようになったかは知らないし、聞く権利もない。ただ、わしは君のこれまでの働きに感謝しているし、君個人のことも好きじゃ、たとえ仮の姿だったとしてもな」

「……だから?」

「率直に言おうか。怪盗をやめて、このままここで働かんかね?」

「そりゃできない相談だね。あたしも遊びでやってたわけじゃないんだ」

 ロングビルの返答にはまったく迷いがなかった。

「ふむ。だがそれでは君はまた闇の中へと逆戻りしていくことになるぞ、再びヤプールに狙われてもよいというのかね?」

「うっ」

 ロングビルは返答につまった。

 また襲われたときは、はっきり言って手立てはない。そして、あの死にながら生かされているような闇の世界、今度落ちたら戻ってこれるとは思えない。

「ミス・ロングビル、わしは人よりもちいとばかし長く生きてきた。だから君のこれまでの怪盗としての悪名など、闇のほんの入り口に過ぎないことがわかる。引き返すなら今のうちじゃ」

「なら、なんでヤプールは中途半端な悪人のあたしを狙ったんだ?」

「ヤプールの言うには単なる悪人ではなく、悲しみや憎しみ、複雑にねじくれた心がよいらしい。奴は君の心の葛藤のすきまを狙ったのじゃ」

「ちっ」

「しかし、だからこそわしは君が本当の悪人ではないと思う。人がそれほど深い悲しみを背負うのは誰か大切な人を奪われたとき、心の底まで悪なら悲しみはどこかに捨てていく。それに、君が闇に全てを奪われかけたとき、君は誰かの名を呼んでいた。まだいるのじゃろう? 君にも大切な誰かが」

「! ……」

 ガディバに取り込まれかけ、命すら危なくなったときロングビルの心を光に引き戻したのはたったひとつの名前、彼女はその名の持ち主のことを思い出して胸を押さえていた。

 オスマンはあらためて、もう一度ロングビルに言った。

「もう一度言おう。怪盗をやめてここで働く気はないか?」

「……残念だけど、それはできない。言ったろ、遊びじゃないんだ」

「……金かの?」

「ああ、結局世の中はそれさ。人間ってやつは王から平民までこいつの業からは逃れられやしないのさ」

「では、わしが盗みをして稼ぐぶんの金額を給料に上乗せしてやる、と言ったらどうだね?」

「なに?」

 オスマンは懐から一枚の紙切れを取り出した。

 それは学院の勤務契約書で、そこには以前の三倍に加算された給料が明記されていた。

「からかってるんじゃないだろうね?」

 あまりに都合のいい話に当然ロングビルは信用できないといった顔をした。

「心配するでない、学院の金には手を出さん。これはわしの懐銭じゃ、昔いろいろ貯めたものの年をとるとろくな使い道がなくての、このくらいなんということはない」

「そうじゃない! なんでたかが盗人のあたしのためにこんなことをするかと聞いてるんだ!」

「年をとると耳もいろんな意味で遠くなっての、フーケの手がかりを探すために衛士隊がここ最近の不自然な金の流れを探ったが、結局何も見つからなかったという。つまり、君は盗んだ金や品物を自分のためには使っていないのだろう? 君の普段の生活も浪費とはまったく無縁じゃったしな」

 ロングビルはオスマンの見識の鋭さに正直言って驚いた。

 普段はただのダメじいさんと思っていたが、中身のほうはなかなかどうして。

「誰のためかは知らぬが、どうせ人のための金ならきれいなほうがよいとは思わぬか?」

「同情ってのならお断りだよ」

「そうかの、同情とは一番大切な優しさだとわしは思う。誰かをかわいそうだと思い、助けたいと思う。そのなにが悪い? もちろんその表現の仕方は大事じゃが、人の不幸に同情できないような人間がなぜ人に優しくできる」

「……」

「それに、何度も言うが君は生徒の恩人じゃ。礼をせねば貴族としても教師としても大人としても立つ瀬がない。第一、君はそれだけの報酬をもらう実力があると思うが?」

 確かに、ロングビルが魔法の名手であり秘書としても有能なのは学院の誰もが知っている。

 突然のアップも、フーケ退治に功績があったからだとか言えば疑う者はまずいないだろう。

「もし、それでも断ったとしたら、どうする?」

 ロングビルは細めた目でオスマンを見つめながら言った。

「……」

「はっ、つまり選択じゃなくて強制じゃない。だったらはっきりここで働けって言いなさいな。きっぱりしない男はいくつになってもみっともないものよ」

 沈黙の答えの意味を理解したロングビルは苦笑しながら言った。

 するとオスマンはごほんと咳払いをするとおもむろに。

「ミス・ロングビル、君の勤務継続と副業の禁止を命ずる。報酬は前給金の三倍、返答はいかに?」

 ロングビルは答えずにペンを取り上げるとサラサラと契約書にサインして見せた。

「ほらよ。まったく、とんでもないところに潜り込んでしまったものですわ。こうなったらボーナスと退職金をもらうまでテコでもやめませんからね。ふふ」

 彼女は契約書をオスマンに渡すとようやく笑顔を見せた。

「うむ、わしもうれしいわい。これで……ん!? こ、これは」

 なんと給料明細のところが塗りつぶされて三倍だった数字が五倍にランクアップされている。

「勘違いしないでください、財宝や魔法道具のぶんを穴埋めするにはそれくらいはいるってことです。それに私を買おうっていうのならそれ程度は出してもらわなくては」

 今度はロングビルがオスマンにしてやったという不敵な表情を見せた。

「く、仕方あるまい……男に二言はないからの、じゃがこれでこれからも……」

「セクハラは許しませんからね」

「!?」

 顔をにやけさせようとしたオスマンにロングビルは速攻で釘を刺した。

「……こほん。あー、それからフーケはヤプールに操られたあげくに超獣に殺されたということにしておくわい。森の超獣の死骸を見れば疑う者はおらんじゃろ。君は体調が整ったら職務に復帰してくれい。それから……」

 オスマンは懐から一本の杖を取り出した。

「これは君に返しておこう。杖なしでは他の人間にかっこうがつかんだろうからな」

 ロングビルはその杖を受け取ると、少し手のひらの上でもてあそんでいたが、やがて呆れたような顔でオスマンに言った。

「……学院長、いくらなんでも信用しすぎなのでは? 今ここで私が約束を破って魔法で逃亡を図ったらどうするつもりですか?」

「うむ、そのことで実は言い出しにくかったのじゃが、ミス・ロングビル、ちと試しに適当に何か魔法を使ってみたまえ」

「?」

 彼女はその言葉の意味を理解できないでいたが、とりあえず自身がもっとも得意とする錬金の魔法を棚の上のビンに唱えた。

 だが、何も起こらなかった。

「あ、れ?」

 驚いてロングビルはほかにもいくつかのドットやコモンマジックを唱えてみたが、やはりどれも無反応であった。

「やはりの。まさかと思っていたが」

「ど、どういうことだ!? ……いや、ですの?」

「君を助けたあと、念のためディテクト・マジック(探知魔法)を使ったのじゃが……恐らく君はヤプールに邪念を吸い出されたのと同時に魔法の力も奪われてしまったのじゃろう」

「!? そんな」

 ロングビルは愕然とした。メイジが魔法を使えないということは鳥が翼をもがれるようなものだ。

「永続的なものなのか、時間がたてば回復するのかはわからんが、しばらくは杖はかざりとして持っておきたまえ。なに、心配することはない。職務上そう魔法は必要ないし、万一文句を言う奴がいても、だったら他に有能な秘書はいるのかと言えば誰もぐうのねも出んじゃろ」

 オスマンはそうカラカラと笑ってみせた。

 そしてロングビルは、たった魔法が使えなくなったというだけで、この国で自分のいられる場所がここだけになっていくのを肌で感じていた。

「さて、そろそろわしは行くわい。君ももうしばらく休みなさい、色々考えを整理する時間も必要じゃろ。お休み、ミス・ロングビル」

「おやすみなさい……学院長」

 オスマンは足音を立てないように静かに医務室を後にした。

 そして廊下に出ると、そこにはふたりの人間が待っていた。

 

「ありがとうございます、学院長」

「ミス・ヴァリエール、気にすることはない。わしは責任者として当然のことをしたまでじゃ。それよりもミス・ロングビルの上乗せぶんの給料の半分は君が持つということではないか、本当に大丈夫なのかの」

 オスマンは待っていたルイズと才人に、簡単に説明をしてからそう聞いた。なにしろ秘書二人半分の給料である、ルイズの家が名門とはいえ学生に自由にできる額には限度がある。

「恩人に最大の謝意を示すのが貴族の義務です。なんとか生活費をやりくりしてみます、幸い平民やメイドに知り合いもいることですし、彼女は私の命の恩人、私にはこれくらいしかできることはありませんから」

「そうか、よい心がけじゃ。じゃが無理はするなよ」

 オスマンはルイズの肩を軽く叩いてそう言った。

 そして、その後ろで真剣な顔をしている才人を見て。

「わしに、何か言いたいことがあるようじゃな……ここではなんじゃ、わしの部屋へ行こうか」

 

 放課後、日の落ちたあとの学院長室は生徒たちの喧騒ももう聞こえずに静かだった。

「それで、話とはなんじゃな?」

 その問いに、才人はまっすぐにオスマンの視線を見据えて答えた。

「あなたが使った、あの『破壊の光』についてです。あれは明らかにこの世界のものじゃない。いったいどうやって手に入れたんですか!」

「ちょサイト、あんた学院長に向かって!!」

 ルイズはすごい剣幕でオスマンに詰め寄るサイトを叱り付けたが、このときばかりはサイトはまったく引き下がらなかった。

「ミス・ヴァリエール、しばらく彼の好きにさせてやりなさい。サイトくんといったね、これのことだね」

 オスマンは、ごとりと『破壊の光』を机の上に置いた。

「やっぱり、ビームガンの一種だ」

 地球からやってきた才人には、それがこの世界のテクノロジーで作られた代物ではないことが一目でわかった。

「ふむ、君にはそれがなんであるのかがわかるようだね」

「俺の世界の武器とよく似ています。思い出しましたが、昔恩人からもらったそうですが、その人はいったい!?」

 するとオスマンは遠い目をして、つぶやくように語り始めた。

「あれは昨日のことのように思い出せる。もう三十年になるか、わしは森に薬草をとりに出かけておった。しかしそのときはどうにも収穫が悪く、気がついたら人の入り込まない奥地にまで足を踏み入れていた……」

 

 

 三十年前。

 深い深い森の奥で、一昔前のオスマンはようやく目的にしていた薬草を見つけていた。

「やれやれ、ようやっと見つけたわい。まったく今年は不作もいいとこじゃ、こんな年寄りに重労働させよってからに」

 木陰でひっそりと生えていたその薬草を摘むと、オスマンは疲れた体を木の根っこに腰掛けさせて、ふぅと息をついた。

 森の涼しげな風が汗ばんだ体をひんやりと心地よく通り過ぎていく、木漏れ日が揺らめき、周囲は静けさに包まれていた。

「ずいぶんと奥まで来てしもうたの……わしとしたことが年甲斐も無く張り切りすぎたか……少し、休むとするか……」

 小鳥の声に耳を預けて、オスマンはゆっくりとまぶたを閉じた。

 それから、どれくらいたっただろうか。

 オスマンは、まだ眠気が残っているのにもかかわらず、何か違和感を感じて目を覚ました。

「……ううむ。どれくらい寝入っていたのか……」

 目の前には、眠る前と変わらない眺めが広がっていた。それこそ、何も変わらない姿で。

 だが、何かおかしい。

「……鳥の声が聞こえない……」

 眠る前にはにぎやかなくらいに聞こえていた鳥たちの声が今はひとつも聞こえない。

 いや、それどころか動物も虫も、生き物の気配がまったく無くなっていた。

「……」

 悪い予感を感じ、オスマンは薬草のつまったバッグを背負うと腰を上げた。

 と、そのとき突然突風が吹きすさんで森の木々が大きく揺らめき、巨大な影が空に現れた。

「ワイバーン!?」

 それは、凶暴さで知られる竜の中でも、腕の代わりに巨大な翼を手に入れたドラゴンの亜種、飛竜・ワイバーンの姿だった。

「くっ!」

 ワイバーン相手に素手では勝ち目がない。オスマンは木に立てかけてあった杖に手を伸ばした。

 しかし、ワイバーンの翼の羽ばたきが作り出す突風で杖はオスマンの手の寸前で吹き飛ばされてしまった。

「ああっ!!」

 杖が無ければメイジはただの人間と同じだ、そして老いたオスマンには走って逃げる体力もない。

 飢えたワイバーンが裂けた口からよだれを垂らして迫ってくる。

 もはやこれまでか、とオスマンがあきらめた、そのとき。

「待ちやがれ、このバケモン!」

 突然森の奥からひとりの青年が飛び出してきた。

 彼は腰の銃を手に取ると、銃口をワイバーンに向けて引き金を引いた。

 閃光一閃!! 銃口から放たれた光は一筋の矢となってワイバーンに吸い込まれて爆発を起こし、ワイバーンは何が起こったのかを知ることも無いまま断末魔の遠吠えをあげて大地に落ちた。

「大丈夫か、じいさん?」

 青年は銃をしまうとオスマンに駆け寄ってきた。

「あ、ああ、助かったよ、ありがとう」

 礼を言いながら、動悸が治まってくるにしたがってオスマンは彼が妙なかっこうをしているのに気がついた。

 不思議な光沢を放つ派手めの服に変わった形の兜をつけていた。理解しがたいがそうとしか表現できなかった。

 ただ、とりあえず顔つきは間違いなく人間である。やや抜けたところがあるが美形といっていいだろう。

「ほんと、危ないところだったんだぜ。あとちょっと遅れてたらじいさんぺろりとやられてたな。運がいいぜまったく」

 彼はそう屈託のない笑顔で笑って見せた。

 だがそのとき、無数の羽音とともに、今度は数多くの影が彼らの頭上に現れた。

「ワイバーン!? 群れをなしていたのか!?」

 そこには、十匹を超える数のワイバーンが凶暴なうなり声をあげて空を覆っていた。

 普通野生のワイバーンは単独で行動するが、餌が不足したときなどは群れを作って集団で狩りをすることもあるという。

 オスマンは、今度こそ終わったと覚悟したが。

「仲間を連れてきやがったか、おもしれえ、食えるもんなら食ってみやがれ!!」

 彼は、再び銃を抜くとオスマンを木陰に隠してワイバーンの群れの真下へと飛び込んでいった。

 ワイバーンは飛び出してきた獲物に喜び勇んで飛び掛ってくる。彼は先頭きって飛び込んできたワイバーンを撃った。

「食らいやがれ!」

 再び閃光が走ってワイバーンが撃ち落される。だが二匹、三匹目が次々と来る。

 彼は走りながら追ってくるワイバーンを狙いすまして撃つ、撃つ。

 しかし、残るはあと三匹となったところで完全に怒りが頂点に達したワイバーンは三匹同時に火炎のブレスを放ってきた。

「あ、危ない!!」

 オスマンは思わず叫んだ。あれを受けては骨も残るまい。

 だが、彼は地面に身を投げ出すと、そのまま転がりながら回避して、さらに撃った。

 一匹目が落ちる、二匹目も落ちる。

 そして三匹目は、彼に向かって二回目の火炎放射を放とうとした瞬間、顔面に直撃を受けて自ら放とうとした火炎に包まれて火達磨になって落ちた。

「見たか!! 俺のファインプレー」

 彼は起き上がると銃を指でくるくると回しながら陽気にそう言った。

 そして彼は腰が抜けているオスマンに駆け寄ると「大丈夫か」と声をかけた。

「わしは大丈夫じゃ……しかし、あれだけの数のワイバーンを……君はいったい?」

「なーに、宇宙人なんかに比べればたいしたもんじゃないさ。それより、立てるかい?」

 彼はオスマンに手を貸して立たせてやった。

「……」

 見れば見るほど奇妙な格好であった。彼が銃を持っていて、なおかつ動きやすそうで兜のようなものをつけていることから戦闘服であろうが、柄はまったく見覚えがなかった。

「ありがとう。けれど、君はどこから来たのかね。わしもだいぶん生きてるがその服と武器はこれまで見たこともない」

 すると彼はこれまでの陽気な笑顔ではなく、苦笑しながら空を見つめて言った。

「ここからすっごく遠いところさ。それこそ、この空のかなたくらいにね」

「遠く……東方からか?」

「ま、そういうことにしといてくれよ。それより、もうすぐ日が落ちるから早く帰ったほうがいいぜ」

「ああ」

 と、そのとき彼らの頭上をこれまでとは比べ物にならない、まるで夜になってしまったかのような影が覆った。

 はっとして、空を見上げたそこにいたものは、真っ赤な体に巨大な翼、大きく裂けた口と目を持たない顔を持つ全長五十メイルを超えようかという超巨大な飛竜がいた。

 巨大飛竜は、ふたりに向かって大きく吼えた。森が揺らめき、風がとどろく。

 オスマンは、今度こそ全身の力が抜けていくのを感じた。こんな化け物、たとえ軍隊がいたとしても勝てるかどうか。

「もういい、わしは置いておいて君だけでも逃げなさい」

 しかし彼は笑って答えた。

「わりいけど、怪獣と戦うのが俺の仕事でね、そこの木の影に隠れててくれ、絶対に出るんじゃないぞ」

 彼はオスマンを強引に木陰に隠すと、怪獣のもとへと飛び出した。

「こっちだ! 怪獣野郎」

 彼はオスマンのいる木の影からできるだけ離れるように走った。

 巨大飛竜は森の木々を踏み潰しながら彼を追っていく。ワイバーンを倒したあの銃もこの怪物にはまるで通用していない。

 そして、巨大飛竜はその肩に空いた砲身のような穴から真っ赤な火炎弾を彼に向かって撃ちだした。

 大爆発が起こり、森が焼け、空が赤く染まる。

「ああっ!!」

 オスマンは、彼の姿が炎に包まれようとしているのをまるで時間が圧縮されているかのようなゆっくりした流れで見ていた。

 だが、そのときオスマンは見た。

 彼がまさに炎に飲み込まれようとした瞬間、彼の手の中に握られた小さな何かが輝いたのを。

 そして聞いた。強さと勇ましさを意味するその名を。

「ダイナァァ!!」

 太陽のような光が森の一角を包み、オスマンは見た、怪獣に向かって立ちはだかる光り輝く銀色の巨人を。

「光の……巨人」

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第8話  ダイナミック・ヒーロー!

 第8話

 ダイナミック・ヒーロー!

 

 宇宙有翼怪獣 アリゲラ

 ウルトラマンダイナ 登場!!

 

 

 西暦2017年代

 地球最大の危機、邪神ガタノゾーアの危機を乗り越えた人類は、その夢見る心のままに大宇宙へと歩を進めるネオ・フロンティア時代を迎えていた。

 だが、突如宇宙から人類を狙う謎の敵、スフィアが地球に来襲、地球平和連合TPCはチーム・スーパーGUTSでこれに対抗した。

 彼らは、人類の前に姿を現したティガに続く二人目の光の巨人とともに、地球の平和を守り抜いていった。

 しかし、遂に姿を現した究極の敵、暗黒惑星グランスフィアの前に冥王星をはじめとする太陽系の惑星は次々と飲み込まれていく。

 これに対し、スーパーGUTSは封印された兵器、ネオマキシマ砲での最終決戦を挑む。

 そして、彼らは勝利した。ただし、その代償として光の巨人はグランスフィアの生み出したブラックホールの中へと消え、消息を絶った。

 

 だが、彼は死んではいなかったのだ!!

 

「光の……巨人」

 誰も知らない深い森の奥で、真紅の巨大な飛竜の前に銀色の体に金色と赤と青をあしらった巨人が立ちふさがっていた。

 その名はダイナ、かつて異世界の平和を守りぬいた二人目の光の巨人。

「デュワッ!!」

 ダイナは森の中に立ち、甲高いうなり声を上げてくる怪獣に構えをとった。

 その怪獣はゴツゴツと角ばったワイバーンのような体から生えた、まるで鉈のような翼を広げ、背中のジェット噴射口から炎を吹き出して飛び立った。

 怪獣の名はアリゲラ、異世界で時空波に導かれてウルトラマンメビウスと戦った宇宙怪獣の同族。

「シャッ!!」

 ダイナも跳んだ。向かってくるアリゲラに右足を向けてのジャンプキックだ。

 激突! アリゲラの右肩から火花が飛び、その巨体が森の中に滑り込んでいく。

「おおっ!!」

 地上からその様子を眺めていたオスマンは、アリゲラが倒れたのを見て思わず歓声を上げた。

 だが、アリゲラは倒れたままその尾の先をダイナに向けると、そこから真っ赤な火炎弾を放った。

「危ない!!」

「シュワッ!!」

 思わず叫んだオスマンの目の前でダイナは両手をまるで押し出すように前方にかざすと、そこに薄く輝く光の幕が現れた。

『ウルトラバリヤー!!』

 火炎弾はバリヤーに当たると粉々に砕け散った。

 オスマンはその光景を唖然として眺めていた。ファイヤーボールにしたら1000発分には匹敵しよう火炎弾を巨人は軽々跳ね返したのだ。

 しかし、驚くのはまだ早かった。

 ダイナが両手を十字に組むと、その右手からまばゆい光の束がほとばしる。

『ソルジェント光線!!』

 輝く光の奔流がアリゲラを襲い、右肩から胴体までの外骨格を爆砕した。

 アリゲラはガラスを引っ掻くような鳴き声をあげて苦しんだ。しかし強靭な生命力を発揮してまだ戦意を失っていない。噴煙の中から炎を吹き上げて、空へと飛び上がっていく。

「ヘヤッ!!」

 ダイナは二発目のソルジェント光線を放つが、マッハで飛ぶアリゲラには当たらない。

 アリゲラはそのまま急降下するとダイナに体当たりを仕掛けてきた。

「グワァッ!!」

 超音速の体当たりにはさしものダイナも持ちこたえきれずに吹っ飛ばされてしまった。

 アリゲラはその後Uターンして、起き上がったダイナの背中へと再び激突した。

「グワァァ!」

 地響きを立てて地面に崩れ落ちるダイナ、そのときダイナの胸のカラータイマーが赤く点滅し始めた。

「頑張れ!」

 オスマンは固く拳を握り締めて名も知らぬ巨人の苦境を見守っていた。

 そしてダイナはその声が届いたのか、ひざを突きながらもゆっくりと立ち上がった。

 アリゲラはよろめくダイナに安心したのか今度は真正面から突っ込んでくる。マッハ三、いや四、ものすごいスピードだ!!

「デヤッ!!」

 だがダイナはまっすぐアリゲラに立ち向かう。

「危ない、避けるんだ!」

 このまま直撃されたら今度こそ危ない。しかしダイナはまったく避けようとはしない。

 正対するアリゲラとダイナ、もう両者とも避ける隙はない。

 そのときだった。ダイナの額が眩く輝いたかと思うと、その身が一瞬にして燃えるような真紅に包まれた。

『ウルトラマンダイナ・ストロングタイプ!!』

 赤いダイナはアリゲラの突進を正面からがっちりと受け止めた。

「ヌォォォッ!!」

 突進の勢いで大地をガリガリと削りながらもダイナはアリゲラを離さない。そして百メイルほどすべったところでアリゲラの突進は完全に止まった。

 さらにダイナはアリゲラの首根っこを掴んで、その巨体をハンマー投げの様に振り回した。

『バルカンスウィング!!』

 回る回る、アリゲラの巨体がまるでプロペラのようだ。さらに、一万一千tの体重がもたらす遠心力によってアリゲラの体は千切れんばかりのGに襲われる。

 そして思うさまにぶん回した後、ダイナはアリゲラの体を大地に思いっきり放り投げた。

「ダァァッ!!」

 地響きとともに七、八十本の木をへし折ってアリゲラは大地に叩きつけられる。

 さらにダイナはフラフラと起き上がったアリゲラに強烈なストレートパンチをお見舞、残った左肩の砲口も叩き潰された。

「赤い巨人は、力の戦士……」

 今のダイナの前には強固な外骨格も何の役にも立たず、もはやアリゲラには武器も戦意も残ってはいない。

 そして、ついに敵わぬと悟ったアリゲラは、残った力を振り絞って空へと飛び上がった。

「デヤッ!!」

 逃げるアリゲラを見据えながら、ダイナは胸の前で拳を突合せた。

 するとダイナのカラータイマーを中心にエネルギーが集まって巨大な火球と化していく。

「ダァァァッ、シュワッ!!」

 ダイナの半身を覆い尽くすほどに火球は巨大化した、そしてダイナはそれをアリゲラに向けて一気に押し出す。

『ガルネイトボンバー!!』

 火球はアリゲラに向けて一直線に飛び、飛ぶのがやっとのアリゲラにはそれを避ける力はもはやない。

 直撃、解放されたエネルギーの奔流がアリゲラを焼き尽くす。一瞬後、アリゲラは断末魔の遠吠えを残し、大爆発を起こして粉微塵に吹き飛んだ。

「やった!」

「シュワッ!」

 オスマンとダイナは、共にガッツポーズを決めた。

 そしてダイナは腕を下ろすと仁王立ちのポーズをとった。

「ダッ!!」

 ダイナの体が一瞬輝いたと思うと、その体が光の粒子へと変わって小さくなっていき、やがて元の人間の姿へと戻っていった。

 

 

「じいさん、無事だったか」

 彼は駆け戻ってくるなり、先程までの戦いがうそのようなまばゆい笑顔でそう言った。

「あ、大丈夫じゃとも、それよりおぬしこそ大丈夫なのか? あれだけやられたのに」

 そのあまりにまっすぐな瞳にオスマンも警戒心を解かれて問い返した。

「え、ああ見られちまってたか。まあ、この世界ならいいか……なんてことはないよ、いつものことさ」

「いつものことって! おぬしはいつもあんな化け物と戦っておるのか!? 君はいったい何者なんじゃ?」

 すると彼はニッと笑って。

「いや、名乗るほどの者じゃないさ……って、一度言ってみたかったんだよねー。俺はアスカ、スーパーGUTSのアスカ・シンさ。あー、と、言ってもわからねえか……」

「スーパー……ガッツ? いや、ともかく君はアスカ君というのだね。わしはオスマンという。あの巨人の姿は……いやいや、そんなことはよいか、ともかく君はわしの命の恩人じゃ、本当にありがとう」

「いいってことよ。それに、ウルトラマンダイナのことは正直俺もよくは知らねんだ。それよりも、またあんなのが来る前に、急いで帰ったほうがいいぜ」

 見ると、そろそろ日の光が赤みを帯びてくるような時刻だ。

「ああ、本当にありがとう。それで、よかったらわしのうちに来てはもらえんかね? せめてもの礼がしたいんじゃ」

 だが、アスカは残念そうな顔をして首を横に振った。

「悪いけど、俺も急いで国に帰らないといけないんだ。仲間が待ってるからな」

「国にって、とても遠いのじゃろう、あてはあるのか?」

「正直あんま自信はない。ただ、必ず帰るって約束したんだ。俺は約束は絶対破らない。だから、俺はずっと前に進み続ける」

 そう言って、空の果てにあるという彼の故郷を見つめるその視線には一点の迷いも無かった。

「わかった。そういうことなら止めはせん。旅の無事を祈ってるよ」

「ああ、じいさんも元気でな」

 オスマンは名残惜しさを振り切って別れようとした。だがそのとき自分の杖がどこかに行ってしまっていたのに気がついた。

「しまった、わしの杖……弱ったのう、あれがないと」

 メイジの使える魔法はとても便利だが、反面杖が無いとその一切が使えないという欠点もある。多分戦いのさなかに怪獣の巻き起こした突風で飛ばされたのだろうが、この深い森の中を探すのはちと困難だった。

「なんだ、うっかりしてるなあ。この森を丸腰で帰るのは厳しいぜ……しょうがない、これ持っていけよ」

 アスカはそう言って腰の銃をオスマンに差し出した。

「い、いかんいかん、そんなもの受け取るわけには、それに君はどうするのだね?」

「俺は平気さ。そいつの使い方はこっちの銃とたいして変わらないからわかるよな。まだエネルギーは十分残ってるはずだ。じゃあ、元気でなじいさん!」

「あ、待ってくれ! 君はいったいどこへ行くつもりじゃ!」

「さあな、けどまたいつか会おうぜ!」

 アスカは大きく手を振りながら、森の奥へと消えていった。

「アスカ……ウルトラマンダイナ……」

 オスマンは、その手に残った銃を握り締めながら、彼の去っていった森の奥をいつまでも見つめていた。

 

 

 そして現代、昔話を語り終えたオスマンは、椅子に座りなおすと才人とルイズに視線を戻した。

「それが、三十年前にわしが体験したことの全てじゃ。あんなまっすぐな目をした若者をわしはこれまで見たことはない。その後わしはこの銃で身を守りながらなんとか学院へ帰ってきた。銃はそのときもまだ使えたが、下手な魔法よりはるかに危険なために『破壊の光』と名づけて封印したんじゃ」

「エース以前にも、ウルトラマンがハルケギニアに来ていたのか」

(だけど、ダイナなんて名前のウルトラマンは聞いたことないぞ。エース、あなたは知ってますか?)

 才人は、自らのなかに眠っているエースへ向けて呼びかけた。

 普段エースはふたりの傷の治療もあって、ふたりの心の奥深くでじっとしているが、ふたりが同時に強く願えば答えてくれる。

(いや、私も聞いたことがない。しかし、学院長の話を聞く限りでは彼もまた異世界から来たのは間違いない)

(どういうことよサイト、ウルトラマンはあなたの世界の戦士なんじゃなかったの?)

 ルイズもエースごしにテレパシーで才人に聞き返してきた。エースが表に出てきているときだけの特典だ。

(そう言われてもなあ。ダイナってウルトラマンもそうだが、スーパーガッツなんてチームも聞いたことがない……)

(なによそれ、あんたがわかんなきゃわたしが分かるわけないでしょうが、この犬)

 そう言われても分からないものは分からない。才人が困っているとエースが助け舟を出してくれた。

(考えられる可能性としたら、パラレルワールドというやつだろうな)

(パラレルワールド?)

(このハルケギニアと地球、ヤプールの異次元世界があるように、ほかにも私たち光の国の住人とは違う、ウルトラマンのいる世界があるのかもしれない。もしかしたらハルケギニアはそうした世界の境界が薄い世界なのかも)

 それはかつてのTAC隊員北斗星司としての経験と知識から導かれた仮説だった。

 単純に異次元世界とは言っても、ヤプールの異次元世界のほかにも、四次元怪獣ブルトンや異次元宇宙人イカルス星人の異次元はそれぞれまったく別のものだ。

(と、いうことは、あなたやそのダイナ以外にもウルトラマンが現れる可能性があるってこと?)

(可能性はあるだろうな)

(おお! ウルトラ兄弟以外のウルトラマン!? そりゃ燃えるぜ!)

(なに喜んでるのよ、このバカ犬!)

 と、テレパシーで話し合っているが一応表面上は静かなものだ。

「それで、そのアスカって人はその後どうしたかわかりますか?」

 才人はとりあえずオスマンにそう聞いてみた。

「うむ……わしもその後これを返そうと四方手を尽くして探してみたのじゃが、とうとう見つけることができなかった。あれほどの力を持つのじゃから、もしものことはないと思うが、おそらくは彼の国へと帰ったのじゃとわしは思う」

「そうですか、これでなんとか元の世界への手がかりが見つかるかと思ったのですが」

 地球への手がかりが見つかるかと思っていた才人はがっくりと肩を落とした。

 もしハルケギニアがどこかの星ならウルトラマンAなら飛んで帰ることは簡単だが、星空にはエースの知っている星は地球とM78星雲を含めてひとつも無かった。

 ダイナがどういう世界から来たのかは分からないが、帰れたにせよ帰れなかったにせよ、もうこの星にはいないだろう。

 するとオスマンは、何かを考え込むような仕草を一瞬見せた後、才人の目を見据えて驚くべきことを言った。

「君は、ミス・ヴァリエールの召喚でここへ来たのだったね。すると君もまた異世界の住人なのだろう、ウルトラマンA」

「え!?」

「え、い、サイトがエース、な、なんてそんなわけないじゃないですか!」

 突然のオスマンの指摘にふたりは驚いた。しかし才人はまだしもルイズはごまかしが下手すぎる。

「やはりの、エースが現れて消えるまで、ずっと君達ふたりだけがいないままで、エースが消えたとたんに戻ってきた」

 もはやごまかしようも無かった。

 才人とルイズは仕方ないと自分達とエースの関係を簡単に説明した。

「なるほど、君達そのものがウルトラマンなのではなく、その体を貸しているだけというわけか」

「あの、学院長、このことは」

「わかっておる。誰にも言いはしない、かつてダイナに救われたようにエースはわしの恩人じゃ」

 オスマンはにっこりと笑って見せ、才人とルイズもほっと胸をなでおろした。

 それを見たオスマンは、一回咳払いをして呼吸を整えると、また才人に向かって話しかけた。

「それから、もうひとつ伝えておくことがある。サイト君、君の左手のルーンについてじゃ」

「俺の?」

「うむ、それはガンダールヴ、伝説の使い魔のルーンじゃ。伝承ではあらゆる『武器』を使いこなしたと言われている。君にも心当たりがあるのではないか?」

「ええ、まあ……」

 才人は、その質問には適当にお茶を濁しておいた。

 ギーシュとの決闘からホタルンガに斬りかかったときまで心当たりは大有りだったが、それよりもやはりこのルーンがエースにも影響を与えたのだということを、改めて確信していた。

(たかが使い魔のルーンがウルトラマンに影響を与えるとは、まあプラスなんだから別に悪くは無いか)

 疑問はまだ残っていたが、元々ひとつのことをいつまでも深刻に考える性質ではなかったので、才人はガンダールヴのことを「まあいいか」で済ませた。

「ともかく、その『破壊の光』はここではとても危険なものです。二度と盗まれないように厳重に保管してください」

 この世界に来てからいくつかの攻撃魔法を見てきたが、単純な破壊力だけでなく、射程、使いやすさ、奇襲性など汎用性で『破壊の光』は完全にそれらを上回っている。悪用されたとしたらトライアングルクラスとやらでもまず止められまい。

 そのことを承知している才人は、オスマンに強く訴えた。しかしオスマンの返答はまったく予想外なものだった。

「いや、この武器はサイト君、君が持つべきだろう」

「えっ!? な、なんですって」

 三十年間守ってきた恩人の宝を譲る。信じられないオスマンの言葉に才人は仰天し、ルイズはまっこうから反対した。

「オールド・オスマン! この犬! い、いや使い魔に学院の秘宝をなんて!」

「ミス・ヴァリエール、わしではこれは扱いきれん。しかしウルトラマンであり、ガンダールヴである彼ならこれを正しく使ってくれるじゃろう。受け取ってくれサイト君、そしてミス・ヴァリエールととともに、ハルケギニアを守ってほしい」

 最後にオスマンは深々と頭を下げた。

 ルイズは、こんなのに頭を下げる必要はないですと慌てているが、才人はオスマンの態度が真剣であることを感じて、無言で『破壊の光』を手に取った。

 すると、彼の左手のルーンが光り、『破壊の光』の使い方やその他の細やかな情報が頭の中に流れ込んできた。

「ガッツブラスター……」

「おお、それがそれの本当の名前なのか。どうか、大切に使ってやってほしい。一応わしが固定化の魔法で保護してあるから元より頑丈だろうし、下手な手入れもいらんじゃろうが、ただし一つだけ……」

「わかってます。おおっぴらに使ったりはしませんよ」

 学院の秘宝を一平民が持ち歩いてると知れたらいろいろとまずいだろう。それを察した才人はそう言ってオスマンを安心させたが、実はそれだけではなかった。

 本当のところ、ガッツブラスターにはもうあまりエネルギーが残っていなかったのだ。二十発以上は撃てるだろうが、これからのことを考えると余裕のある数字ではない。

 その不安が顔に出ていたのか、オスマンは少し強い調子で才人に言った。

「不安なのじゃな。無理もない、じゃが、ウルトラマンダイナはたった一人でもあきらめずに常に明るく前に進もうと頑張っておった。君もウルトラマンなのじゃろ、ならもっと心を強く持ちなさい。そうすれば、彼のように必ず道は開ける」

「……わかりました。よーし、ヤプールなんか俺が八つにたたんでやるぜ!」

 才人はウルトラマンとしての重圧を感じていたが、すでに二匹超獣を倒していることだしなんとかなるだろうと、持ち前の気楽さを発揮して答えた。

「そうか、申し訳ないがよろしく頼む……この部屋にはいつでも入れるようにミス・ロングビルに話をつけておこう。何か困ったことがあったら遠慮なく来たまえ」

「はい。では、この辺で失礼します」

「うむ、ヤプールはまたいつ攻めてくるかわからん。今夜はゆっくり休みたまえ……ああそうだ、サイトくん、実は一週間後にここで『フリッグの舞踏会』というものが執り行われるんじゃ。本当ならもっと前にやるはずじゃったのだが、ベロクロンの襲撃のせいで延期になっておったんじゃ。君もメインで参加できるよう取り計らっておこう。楽しみにしていたまえ」

 『フリッグの舞踏会』とはこの魔法学院の行事のひとつで、娯楽の少ない学院では大勢の生徒が楽しみにしている食べて踊れるお祭り騒ぎだ。

 しかし普通の学生であった才人はあまり興味はないようだったが、それを察したオスマンは才人の耳元でぼそっとささやいた。

「学院中の女子生徒が着飾って踊りを楽しむぞ、もちろん手を取り合ってな」

「ぜひ参加させていただきます」

「聞こえてるのよ、この馬鹿犬!!」

 

 

 その後、ルイズと才人は学院長室をあとにした。

 すでに夜もふけて廊下も静かなもので、ふたりの足音だけが響いていた。

「やれやれ、おーいて」

「学院長の手前、蹴り一発で許してやったんだからむしろ感謝しなさい。ったく、この色ボケ犬!」

 ルイズはカッカッと怒っている。

 才人は、相変わらずのルイズの態度に辟易していたが、やがて思い出したようにルイズの肩を叩いた。

「なによ?」

「あとで言うことがあるって、言ってあっただろう?」

 ルイズの顔が固くこわばった。

 あのときの無茶は、正直どんな弁明をしても正当化できようはずもない。身構えるルイズに才人はやがて口を開いた。

「今度は俺も連れてけ」

「は?」

「お前が俺の言うことなんか聞く気がないのはわかってる。だったら次からは俺も連れてけ、多少はお前より頑丈なんだから盾くらいにはなってやる、俺はお前の使い魔なんだろ?」

「……」

 あまりに意外な言葉にルイズは絶句していた。

 ウルトラマンは決してひとりで戦っているわけではない、信じられる仲間たちがいるからこそどんな強敵とも戦い抜いてこれたのだ。

 しかし、他人を信じようとしないルイズでは、先のように命の投げ捨てに行くようなものだ。

 頑ななルイズにそのことを説いても聞き入れはしまいと分かっている才人は、あえてそういう言い方をしたのだった。

(ダイナも、仲間の元へ帰ろうとしていた。ウルトラマンがなんで強いか、いつかこいつもわかってくれる……かもしれないな)

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第9話  WEKC結成!!

 第9話

 WEKC結成!!

 

 四次元ロボ獣メカギラス 登場!

 

 

 ホタルンガとの戦いの二日後、魔法学院。

 この日は朝早くから学院の校門前に数台の馬車が集まっていた。学院所蔵の豪華でもなければみすぼらしくも無いありふれたもので、一台に六人ほど乗れる中型なものだ。乗り込もうとしているのはルイズに才人、それにキュルケ、タバサ、ギーシュなどかつて防衛軍としてベロクロンと戦った生徒たち、総勢十九人。かつてはもっと多くいたのだが、ベロクロンの二度目の襲撃の際に負傷したり、戦いの恐怖に負けてしまったりしてこれだけに減ってしまっていた。

 彼らは今日、王宮からの呼び出しを受けて出立しようとしていた。

 そして、それを見送る人影がひとつ。

「はい、皆さん乗り込みましたね。王宮までは正午までには到着するでしょうけど、帰りの予定は立っていません。もしものときに一泊する用意はありますね」

 馬車を一台ずつ周り、生徒達に注意を与えているのはあの元フーケことロングビルだった。

 彼女は給金五倍という見返りの代わりに学院にとどまり、秘書として学院の様々な事務仕事に当たっているのだった。

「ロングビルさん、頑張ってるなあ」

「元々秘書としては有能だったんだ。給料五倍の上にやくざな副業をしなくてすむようになったらそりゃはりきるさ」

 その様子を才人とデルフが最後尾の馬車から顔をのぞかせながら眺めていた。

 この馬車に乗り込んでいるのは才人、ルイズ、キュルケ、タバサとデルフの四人プラス一であの夜の経緯を知っている者だけであったから会話の内容に気を使う必要はなく、馬車の騎手も人間ではなくゴーレムだから問題はない。

「しかしああして見てると、とてもフーケだったとは思えないなあ」

「ふん、男の前で猫をかむる女なんてろくなのがいないわよ、案外まだ何かたくらんでるんじゃないの」

 この中では、まだキュルケだけはロングビルのことを完全に信用してはいないようだった。

 だがまあ当然といえば当然だろう、怪盗として貴族を相手にこれまで好き放題に暴れていたやつを急に信用しろというほうがどうかしている。実際にあの日の遅くにロングビルをそのまま秘書として雇い続けると聞いたときには彼女は本当に驚いた、万一発覚すれば学院の名誉どころか共犯として自分達も罪に問われてしまうのだ。

 しかし、衛士隊に引き渡すということは、そのまま死刑台送りにするのと同義であり、ヤプールに操られていたことと、見てはいないがルイズを助けたこともあってキュルケもそこまで非情にはなれず、仕方なく怪しいそぶりを見せたらいつでも焼いてもいいという条件付でロングビルの滞在を認めていた。

「あらツェルプストー、あなたの口から猫をかむるなんてよく言えたものね。毎度男の前では厚化粧と二枚舌を使う化け猫のくせに」

「む。おや、これはヴァリエールには大人の駆け引きがよくわからないみたいね。いいこと、化粧は女の真の美しさを隠す仮面、小さな嘘は相手にその人の魅力を想像させる鍵、女は秘密のヴェールを軽くまとうことで輝きを増す。男に尻尾を振って爪と牙を隠すのとは次元が違うのよ。まあ、あなたにはまだわからないよね。恋愛経験"ゼロ"のルイズ」

「キ、いいいいい言ってくれるわねツェルプストー! 恋愛経験が無い!? ああそりゃあんたは有り余るほどあるでしょうね! なんせ何百年も前から他人の男を寝取ることだけ考えて生きてきた泥棒猫の家系ですものね!」

「あら、恋愛は人生の宝石、それが多くて困ることなどなんにもなくてよ。ま、わたくしに有り余ってるのは経験だけじゃなくて、首とお腹の間にある"なにか"もですけど」

 キュルケがそう言ってルイズのある部分を指差すと、ルイズは今度は聞き取るのも難しいような金切り声をあげてわめきだした。

 その様子を才人はやれやれまたかと思って見ていた。触らぬ神にたたりなし、まだ出発もしていないのにこんなところで爆発でも起こされたらロングビルにいらぬ迷惑がかかってしまう。

「なあタバサ、今回呼び出されたのはなんでだと思う?」

 すぐ隣で暴れているサウンドギラーを刺激しないようにして、才人はこんなときでも平然と本を読んでいるタバサに話しかけた。

「……多分ヤプールに対するなんらかの対策が決まったんだと思う。ただし、外国人であるわたしやキュルケも呼び出すところを見ると、トリステイン軍の再建はおぼつかないと見える」

「まあ、軍が元通りになったならわざわざ学生にお呼びがかかるわきゃないわな。やだなー、軍人に混ざって訓練とかやらされたくねえな」

 あの二度に渡るベロクロンとの戦いで軍が受けたダメージは大きく、特に空中戦力である魔法衛士隊はほぼ全滅に近い損害を受けたらしい。最精鋭戦力であるグリフォン隊だけはまだ戦力を保持しているが、それとて以前の三割にも満たない。

 と、そのときそれぞれの馬車の見回りが済んだらしく、ロングビルが窓を覗き込んで話しかけてきた。

「こらあなたたち、そんなに騒ぐとはしたないわよ。城に着くまでそうしてるつもり?」

 どうやら途中から話し声が大きくなりすぎて外に聞こえてしまったらしい。キュルケとルイズはそう言われて。

「だってヴァリエール(ツェルプストー)が!」と、声をそろえて仲良く言い返したが、どう見てもふたりとも淑女の態度とは程遠い。

「どっちもどっちよ。やれやれ、これじゃずっと一緒に乗ってくふたりは大変ね」

「……私は、気にしない」

「あー、もう慣れてます。ところでロングビルさん、今度の呼び出しの理由、ロングビルさんはなんか聞いてませんか?」

「いえ、私も特には、けどあなたたちも呼び出された顔ぶれを見れば薄々見当はついてるんじゃない。それに、噂では近々軍の大幅な配置転換や新設部隊の設置が行われるって聞いてるわ」

 そう聞いて才人はあらためて大きくため息をついた。

「ふぅ、やっぱし軍隊がらみか、ヤプールと戦うならまだしも、軍隊に入れられるのは勘弁してほしいよ」

「ま、そうは言っても実際今のトリステインは猫の手も借りたい台所事情なんでしょうよ。まあ、そうは言ってもいきなり学生を軍に組み込んでも役に立ちはしないでしょうから、気楽に行ってきなさいな」

「ありがとう、ロングビルさんも無理はしないように気をつけてください」

「ありがと、でもあたしは大丈夫よ。なんてったってもう学院長のセクハラに遠慮する必要がこれっぽっちも無くなったんだからね。おかげであれから積もり積もったうっぷんを気分よく晴らさせてもらってるわ、あはははは」

 それを聞いてルイズはここ数日続いていた、あることを思い出した。

「そういえば、ここのところ学院長室のほうから何かを叩きつけたり、物が砕けたりするような音が聞こえてきたりしたけど、まさか……」

「ご想像どおりよ、あんたたちもあのエロジジイに何かされたらあたしに言いなさい。三倍返しにしてやるから。なあに、あのじいさんそんなもんじゃ死にゃしないし、あきらめもしやしないから」

 ロングビルはそう言ってカラカラと笑った。

 どうやら、キュルケの心配も杞憂だったようである。絶好のストレス解消法を得てロングビルは心から仕事を楽しんでいるようだ。

「ま、そういうわけだから学院のことはまかせて君達はいってらっしゃい。なあに、万一無理やり軍に入れられそうになったら適当な口実つけてやめちゃえばいいのよ」

「そんな! 貴族たるものが一度望んで入った軍役を勝手にやめられるわけな」

「あなたたちには、そんなことよりここでやるべきことが山ほどあるでしょう。そういう台詞は一人前になってから言いなさい」

 ルイズの反論をぴしゃと遮ると、ロングビルは馬車の窓を閉じ、従者のゴーレムに出発を命じた。

「いってらっしゃい。くれぐれも、身命をとして果たしますなんて馬鹿な仕事もらってくるんじゃないわよ」

 遠ざかっていく馬車を、ロングビルは目を細めて見送っていた。

 

 

 トリステイン魔法学院から首都トリスタニアまでは馬車でおおよそ三時間、その間ルイズとキュルケは飽きもせずに言い合いを続けていた。

 才人としては屋根の上にでも避難したい気分だったが、あいにく怒りが度を越えたルイズのかんしゃく玉の先として、うれしくもない仕事が回ってきたせいでそうもいかなかった。唯一救いがあるとしたら、暴発したふたり(九割方ルイズ)が魔法を炸裂させないように公平にタバサに杖を預けて舌戦を繰り広げていたため馬車が無事な状態で街まで着いたことだろうか。

 

「へーっ、もう大分復旧したな」

 トリスタニアの街は、ベロクロンの襲撃で半分以上が焼け野原となったものの、現在では掘っ立て小屋やテントも減り、元の煉瓦や石造りの建物が軒を連ねるようになっていた。

 そして馬車は、城へ向かう最後の準備を整えるための軽い休息を馬車駅でとるためにいったん停車して、生徒たちはこわばった体を存分に伸ばして、ある者は身なりを整えたり、ある者たちは飲み水に群がったりしていた。

 ルイズたちも水を受け取り、乾いた喉を潤して一息をついていたが、駅の客達がしきりになにかを話し合っているのを見て、好奇心から何を話しているのかを聞いてみて少々驚き、そしてにやりとほくそえんだ。

 それは、ここ最近トリステインを駆け回っている噂だった。あの土くれのフーケが実はヤプールの手先で、数々の貴族惨殺事件は人間を超獣のエサにするためだったということで、最後はフーケまで喰われてしまったが、超獣はかろうじてウルトラマンAがやっつけて、ある森の奥ででっかい首が見つかって魔法アカデミーに運び込まれて大騒ぎになっているということだった。

「ルイズ、これって」

「ええ、オールド・オスマンの情報工作、うまくいったみたいね」

 これはまさしく、オスマンが王宮に対してした報告のたまものであった。

 あの戦いの後、オスマンはロングビルをかばうために事件の内容をフーケが死んだということに改ざんした報告書を提出したのだった。もちろんバレたら大変なリスクが伴う賭けだったが、そこは年の功で事実をベースにうまく虚実交えた内容の報告書には特に不自然なところは無く、なにより森の奥に転がっているホタルンガの首が絶大な説得力を持っていた。

 これによりフーケが死んだということはあっという間に国中に伝わり、すなわちロングビルの立場が安全になったということを意味していた。

「あのじいさん、とぼけた顔してなかなかやるものだな」

 才人は、胸ポケットにしまってあるガッツブラスターを確かめながら、オスマンの気さくな顔を思い出したが、同時に今頃はまたこりずにロングビルに手を出して半殺しに遭っているのだろうなと、手を合わせた。

 

 さて、長い馬車の旅も終えてトリステイン城へと着いてみると、そこは貴族から雑多な職業の平民などでごったがえしていた。

「うわ、すげえ混雑してるな」

「どうやら噂は本当だったみたいね。さて、広間に行く前に受付を済ませなきゃならないんだけれど、これじゃどこがどこだか……」

 十九人の学生達は、どこに行けばいいのか見当もつかずにただ呆然と立ち尽くしていた。

 そのとき、生徒達の先頭に立って先導を名乗り出たのは、金髪で薔薇の花を掲げた一見して分かるキザ男、ギーシュであった。

「諸君、僕についてきたまえ」

 どうやら彼はこの状況にかこつけてみんなの先導をすることで目立とうとしているようだ。

「ちょっとあんた、ついて来いってどこいけばいいのかわかってるの?」

「もちろん、僕に間違いなどないさ。さあ、いざゆかん一番乗り!」

 彼は決して悪い奴ではない。トリステイン貴族の常として傲慢な点はあるものの、以前才人と決闘して敗れたときには素直に敗北を認めて、その後頭を冷やして自身の非を正すような潔さも持っている。

 ただし、それとは別に、でしゃばりでかっこつけ屋の上、考えなしで行動するという、一言でいうならばアホでもあった。

 そして、半信半疑でついていったルイズたちも当然、訳の分からないところに迷い込むはめに陥ってしまった。

「ちょっとギーシュ、ここはいったいどこなのよ」

「えーと、城の中かな」

 ギーシュは、どこだかわからない通路の真ん中で、怖い顔をした皆に囲まれて冷や汗を流していた。

「んなことはわかってるのよ! わたしたちは入門の受付をしようとしてたんでしょうが! ああもうどうすんのよ、このままじゃ不審者に間違えられて捕まっちゃうじゃないの」

 いまや焦っているのはこの中では才人とタバサを除く全員だった。

 確かに、子供が揃って城の中をうろついていては怪しくないというほうがどうかしている。そしてもしこんなところを捕まって収監されでもしたら、彼らの貴族としての名誉は台無しになってしまう。

「だ、大丈夫だよ。きっとその曲がり角の先に行けば、受付のあるところまで行けるさ、さあ行こう!!」

 冷や汗を流しながらも名誉挽回に燃えるギーシュはまた先頭きって駆け出していった。

 しかし、焦っていたのと後ろがついてくるか確認しながら駆けていたため、曲がり角の先から人が来るのに気づかずに思い切りぶつかって尻餅をついてしまった。

「あ、いてて、ちょ、気をつけ……」

「何者だ! 貴様!」

 ギーシュが抗議するより早く、無数の刃の切っ先が彼の喉元に突きつけられた。一瞬のうちに、彼は剣を持った騎士数人に取り囲まれていたのだ。

 さらに彼のぶつかった相手は、彼が思い切り吹っ飛んだのにも関わらずに、何事もなかったかのように立って彼を見下ろしていた。

「ひっ!?」

「ギーシュ!」

 驚いたルイズたちが駆け寄ろうとすると、通路の先から続々と剣や銃を持った兵士たちが現れて生徒たちに武器を向けた。兵士達は全員鎖帷子をつけているが身のこなしが速く隙が無い、単なる警備兵などではなく、よく訓練された熟練の部隊だ。明らかに、こちらを不審者と思って警戒している。当然のことだが、生徒たちはそれとは別の意味での驚きも受けていた。

「お、女?」

 なんと、兵士たちはその全員、およそ二十名くらいだろうがすべて若い女性で占められていた。

 そして、その指揮官と思えるギーシュがぶつかった相手は、短く刈りそろえた金髪の下から氷のように冷たい目で彼と生徒たちを睨み、やがて、およそ二十代前半らしき容貌からは想像もできないほど、威圧感のある声を生徒達に発した。

「全員動くな。ミシェル、ひとりでも不審な態度をとったらかまわず撃て」

「はっ」

 副隊長格と思える青髪の女性騎士が銃口を向けてくると、もはや彼女たちが本気だということを疑う余地は無くなっていた。

 ギーシュは無数の剣に囲まれて身動きできず、ルイズたちも銃口を向けられては杖を取り出すこともできない。

「見たところ学生らしいな、なぜこんなところをうろついている?」

「そ、それは……」

 ルイズやキュルケや他の生徒達も、このときばかりは何も言えなかった。なにせ彼らは皆地位も名誉もある貴族の子弟たち、間違っても「迷子です」とは言えようも無い。

 だが、幸か不幸か、こういうときに守るべき誇りなど何一つ持ち合わせていない男が一人いたのが、彼らを最悪の不名誉から救う希望の光となった。

「あの、それが受付行こうとしてたらいつの間にか迷っちゃいまして、すいませんがどっちに行けばいいんでしょうか?」

「サイト!」

 後ろから頭をかきながら出てきた才人に全員の視線が集中した。

「迷子か?」

「まあ、平たく言えば」

 あっさりと言ってのけた才人に生徒たちの非難の視線が集中したが、相手の威圧感のほうが強くてそれを口に出せた者はいなかった。

 やがて、その指揮官らしき女性は順に生徒達を見渡すと、部下達に武器を収めるように命じた。

「どうやら本当らしいな。そういえば先の戦いでかき集められた兵の中に魔法学院の生徒達の志願部隊があると聞いていたが、お前達のことか」

 ようやく刺すような緊張感から開放されて、生徒達はほっと息をついた。

 ギーシュも一寸でも動いたら首をはねられそうだった白刃から開放されて呆けていたが、落ち着いてくると彼女たちの誰一人として杖を持たずに、武器として剣もしくは銃のみを持っていることに気がついた。

 なぜ疑問に思ったかというと、普通王宮を警護する任についている者は貴族出身の魔法衛士隊であり、当然すべてメイジであるから武器は杖であるが、彼女たちはそれを持っていなかった、つまり貴族ではないということになる。

「君達、平民か?」

 その言葉は特に考えも無く自然にギーシュの口から出たものであったが、彼はそれを聞いて氷のような眼で自分を見下ろす女隊長の顔を見て不用意な自身の発言を瞬時に後悔した。

「いかにも、我々は全員平民の出。今度新設されることになった『銃士隊』の者だ」

 それを聞いて生徒達の中からは「なんだ平民かよ」「魔法も使えないくせに生意気な」などといった陰口が叩かれたが、彼女は凛とした態度で言い放った。

「だが勘違いするなよ。軍の中では我々は衛士隊とも同格に扱われる。それに、自身の存在に誇りを持っているのはお前達だけではない、侮辱をするならそれなりの覚悟を持ってすることだな」

 そう言われて何人かの生徒はかっとなったが、それ以上のことはできなかった。

 通常なら剣士はメイジの敵ではないが、それも相手によりけりで、例えば目にも止まらぬ速さで間合いを詰められたり、もしくは呪文の詠唱より速く銃を撃たれたりしたら当然負けるのはメイジのほうで、この『銃士隊』とやらなら、そのどちらも可能に見えたからだ。つい先日も、ただの平民と誰もが侮っていた才人にギーシュが剣一本で敗北したのは記憶に新しい。

 虚勢で対抗できる相手ではないと悟った一部の生徒たちは黙りこくった。

 しかし、気まずい空気が場を包む中、それを救ったのはキュルケだった。

「失敬、ミス。お互い言いたいことはあるでしょうけど、時間も迫っていますし、初対面で理解が足りないこともあったでしょう。このことはお互い水に流して、先を急ぎませんこと」

 優雅に、それでいて敵意の無いよう両手を広げて穏やかに話しかけるキュルケの態度は、まるできかん子をあやす母のようであった。

「……いいだろう。我々も集合命令を受けていたところだ、ついてこい。それから、お前はいつまでそこでへたっているつもりだ?」

 女隊長は、まだ腰を抜かしているギーシュに冷ややかな視線を向けていた。

「……っく、誰が」

「ほう、少しは骨があるか……さっさと来い、置いていくぞ小僧」

「小僧じゃない! 僕にはギーシュ・ド・グラモンという名がある。それに、へい……いや、貴君も騎士なら名を名乗りたまえ!」

 女隊長は振り向くと、ギーシュの眼を真っ直ぐに見つめた。その、思わず眼をそらしてしまいそうになる圧迫感を、彼はもちうる勇気のすべてを動員して押さえ込んだ。

「私の名はアニエス。どうやら少しは根性があるようだな。先におびえていたときとは違う目だ」

「……え?」

「だが、身のこなしや注意力は標準以下だ。もっと鍛えることだ、死にたくなければな。さあ、時間を喰ってしまったぞ、全員駆け足!」

 アニエスが号令をかけると、銃士隊員だけでなく生徒達も思わず「はいっ!」と姿勢を正して返礼をして慌てて駆け出していった。

 

 

 王宮内の、普段は式典やパーティなどに使われる大広間はすでに集まってきていた人々によっていっぱいになっていた。

「トリステイン魔法学院の義勇軍の方々ですね。こちらへどうぞ」

 生徒達は銃士隊と別れて、広間のすみに整列した。順序は男子・女子・外国人・その他の順で、才人は一番後ろにいた。

 その後しばらくは、集まってきた人たちの喧騒が続いていたが、やがて会場に王女アンリエッタがマザリーニ枢機卿を連れて現れると皆一様に最敬礼の姿勢をとり、才人も見よう見まねで礼をした。

(あれが王女様か、ルイズと同じくらいの子だな。けど……あっちのほうは勝負になってねーな)

 初めて近くで見る王女様に向かって不埒なことを才人が考えていると、皆を見下ろせる壇上に立ったアンリエッタは広間によく通る声で話し始めた。

「皆さん、今日はよく集まってくれました。トリステインへの忠義の志、平和を守る正義の使途の集いに、わたくしはとてもうれしく思います。ですが、ここに集まりの皆ももう知ってのことと思いますが、先日よりの貴族の惨殺事件、それがあのヤプールの侵略の一端であることが判明しました」

 広間に、聞こえるはずの無い汗の流れる音やつばを飲み込む音が響いたかのように思えた。

「幸いにも、事件の主犯であった超獣はウルトラマンAが撃破して、利用されていたフーケも死亡したそうですが、ヤプールが直接的な攻撃だけでなく、内側からもこの国を蝕もうとしていることが明らかとなった以上、対策を根本から見直す必要が出てきました。そこでわたくしは、軍を再編成するにあたって、対ヤプール用のあらゆる事態に迅速に対応できる専門部隊の設立をすることに決定しました」

 広間のあちこちから「おお……」と感嘆の混じった声が聞こえた。

 才人はこの話を漠然と聞いていたが、アンリエッタの話が一段落ついたあたりで、すぐ前にいるキュルケが小声で話しかけてきた。

「ねね、タバサ、ダーリン、聞いた? あの王女様、なかなか思い切ったことするわね。まあ発案はあっちの鳥の骨さんでしょうけど、これで軍の意向に左右されずにヤプールの侵略のみに対抗できるってわけね」

「そうだな。ふぅ、これで安心したよ、ルイズのことだから軍に入ったままだと、いずれろくに考えずに戦争にまで出て行きそうだからなあ」

「あら、ダーリンは戦争は嫌い?」

「嫌いだね。戦争なんて言ってみれば国家公認の殺し合い競争だろ、殺しが好きなんて奴をどうして好きになれるか」

「怖いの?」

「怖いさ、俺なんて戦場に出たら真っ先に死ぬタイプだからな。戦争なんてせずにどこの国も仲良くやってくれてれば一番いいんだけど」

「ふーん、ダーリンはほんと変わってるわね」

 キュルケは臆面も無く戦争は嫌い、怖いと言ってのけた才人に新鮮な驚きを感じていた。彼女の知る男達はいずれも、国のためならいつでも戦う、誇りを守るためなら命はいらぬ、と誇る者ばかりだったからだ。

 しかも、もし才人がなんの力も無いただの平民だったらそれもうなづけただろうが、ギーシュとの決闘の際や、ホタルンガにルイズが捕らわれてしまったときに単身向かっていったことを考えると、彼を臆病だとはどうしても考えられなかった。

「そういえば、どこの国も仲良くといえばさ。王女様はハルケギニア全土の国家間でヤプールの攻撃に関して情報交換から非常時の援軍派遣まで考慮に入れた同盟を考えたそうだけど、頓挫したらしいわね。まあ、アルビオンは最近内戦が激化してきたらしくてろくに内情すら分からないし、ガリアの無能王は言うに及ばず、ゲルマニアとは最近軍事同盟を考えてるそうだけど、実際は腹の探りあい、うまくいくはずもないわね。どこの国も仲良く協力なんて、あの王女様も甘いわよね」

「……」

 才人は無言で聞いていたが、キュルケの言うとおりにアンリエッタの考えを否定する気にはならなかった。なぜなら、国家間の利害を超えての侵略に対する防衛、それは科学特捜隊からGUYSまで連綿と続く地球防衛軍の思想そのものであるからだ。

 恐らく、アンリエッタは国家間の複雑な情勢などを考えずに、ただ平和を願う気持ちだけでそれを口にし、現実に負けたのだろうが、周りの人間は彼女を笑う資格がないことに気がついていない。理想の邪魔をしているのは彼ら自身の利己心であることに。

 やがて、王女の演説が終了し、マザリーニによる具体的な組織編制の説明に入った。

 それは、二匹目の超獣ホタルンガの出現と、その作戦がトリステインの貴族達に与えた衝撃の深さを物語るものであった。

 連日続いていた貴族の惨殺事件、それがヤプールの仕業であったということは、ヤプールは単なる力押しの侵略者ではなく、謀略や策略を駆使する油断ならない相手ということになり、その道具として超獣が使われたら、それこそ今後被害は爆発的に増大していくだろうと思われた。

 そして、その予想はまったく正しかった。

 かつて地球でヤプールが暗躍していたころも、ヤプールは超獣や宇宙人を人間社会の中に送り込み、社会の混乱をあおるとともに超獣を育てるといった戦法を得意としていたのだ。

 すぐ隣にヤプールの手先がいるかもしれないという恐怖は貴族たちの間から、その従者や兵を通して平民に行き渡り、やがてトリステイン中へと伝染していった。

 これに対して王国のマザリーニ枢機卿は即座に緊急会議を開いて、ヤプールの内側からの侵略に対する対策を立てることに腐心したのだった。

 しかし、戦力の中心となるメイジの数は激減し、魔法衛士隊を即座に再建することは絶対不可能、そのため平民を中心とした部隊がいくつか新設され、そのひとつとして当時一小隊に過ぎなかったが、剣士としてずば抜けた実力を有していたアニエスの小隊が銃士隊に格上げされたのだった。

(アニエスさん、きれいだったな……けど、性格はルイズよりきつそうだよな。ありゃ絶対Sだ、しかもドSだ)

 才人はさっき会ったばかりの凛々しくも恐ろしい女騎士の顔を思い出して、背筋がぞっとするものを感じた。

 ルイズ、シエスタ、キュルケ、タバサ、ロングビルと短い間にいろんな女性と接してきた才人であったがアニエスの威圧感はずば抜けていた。いや、アニエスだけでなく、副官のミシェルという人を始め銃士隊の女性たちの目つきは尋常ではない。できることなら彼女たちとはあまり係わり合いになりたくないなと彼は思った。

 その後、才人にはよくわからない単語や部隊名などの説明が続いたが、その中から魔法学院の生徒たちの志願部隊は防衛軍の一部隊とされ、学院周辺の守りを主に請け負うことになったことが聞き取れた。

「要するに、自警団ってわけか」

 才人は自分にわかりやすく解釈した。学院の守備といえば聞こえはいいが、実際は超獣が攻めてこない限り特にやることは無い。もっとも、いくら魔法が使えるとはいえ成人もまだずっと先の子供に多くを任せるほど、この国が理性を失っていない証拠でもあったが。

 やがて、細やかな説明に入る前にいったん休憩をとって十五分後から再開しようということになった。気がついてみたらすでに一時間ほどが過ぎていた。地球時間で言えば午後一時半くらいになるだろう。

  

 生徒達は広間から中庭に出て花壇の周りのベンチなどに腰掛けながら、先程のことについて話していた。

「やあやあ諸君聞いたかい。僕らが王国から正式に学院の守護者になるよう命が下ったのだよ。大変名誉なことだねえ」

 と、両手を広げて大仰に言ったのは言うに及ばずギーシュである。彼のほかにも何人かの生徒は名誉だとか誇りだとか言っているが才人は正直どうでもよかった。彼らの意気込みはともかく、ハルケギニアの武力では超獣に歯が立たないのは証明されている。

 だが、そんな彼の雰囲気を悟ったのかルイズが話しかけてきた。

「サイト、あんたわたしたちが正式に王国所属の部隊として認められたのに、うれしいとは思わないの?」

「ん? そりゃあさ、あの銃士隊みたいに歴戦の兵士の揃った部隊ならともかく、こっちは所詮ガキの集まりだろ」

「なによ、あんた名誉ある貴族の子弟のわたしたちと平民の部隊をいっしょにするつもり?」

「じゃあお前、アニエスと勝負して勝つ自信あるか?」

「ぐ……」

 その質問にはルイズも返す言葉が無かった。杖を握り締めたまま思考が硬直している。

 もしアニエスと対決したとして、勝つ見込みがあるとしたら剣の間合いの外から魔法を撃ち込み続けることだが、一撃で致命傷を与えなくては彼女の鍛え上げられた体から生み出される瞬発力は、一瞬で間合いを詰めて剣を振り下ろしてくるだろう。 そして当然、強力な魔法を使うにはそれなりの詠唱時間が必要であり、さらに完全に間合いに入らなくても銃なら十メイルもあれば充分であり、剣を投げつけるという方法もある。そして自分達にはそれを避けるだけの動体視力や瞬発力はない。

 するとデルフも鞘から出てきてカタカタ笑いながら言った。

「まあ、獅子は百獣の王と言われるが、ガキのうちは草噛んでるやつに蹴られて死ぬこともある。そっちのにぎやかな姉ちゃんとぼんやりな嬢ちゃんはともかくとして、あとの連中は正直話にならねえな」

 ルイズはデルフの言う、あとの連中の中に自分も入っていることを心ならずも自覚していた。

「ま、どのみちマジで超獣が現れたりしたら「超獣が出たぞー、逃げろー」くらいしか言うこともねえんだ。立ち向かったところで勝ち目なんか皆無なのはお前さんが一番よくわかってるだろう」

「……ええ、そのとおりよ。けどね、それがなんだって言うのよ!」

 デルフの言葉に我慢ならなくなったルイズの、これまでにないくらい凄みのある声が響いた。

「わたしたちの実力じゃヤプールには敵わない? そんなこと百も承知してる。けどね、だからといって何もせずに逃げ惑えっていうの。そんなことしたらますます相手を付け上がらせるだけじゃない。力があるかないか関係ない。わたしたちは断固として侵略には屈しないということを見せ付ける。戦う人間がいるんだってことを敵味方に知らしめる。そんなこともわからないの!!」

 今度は才人のほうが言葉に詰まった。

「そうだ、ミス・ヴァリエールの言うとおり!!」

 会話を聞いていたらしいギーシュが突然ルイズの横に立って、誇らしげに語り始めた。

「ここにいる皆は、我こそは超獣の首を獲ってやろうと考えてることだろう。しかし、敵は王国の精鋭が総力を結集しても傷すら負わせられないのに対して、僕らはまだ学生、残念ながら自らの非力を認めるのもひとつの勇気だ。しかし、それでも杖をとり、敵に立ち向かう我らの姿は戦う力無き者たちの心にも響き、決して服従や隷属を認めることはないだろう。諸君、我らは旗、戦場に翻り、その存在で味方の指揮を鼓舞する勇壮な軍旗なのだ!」

「おおーっ!!」

 思いもよらぬギーシュの名演説ぶりに男子生徒たちのほとんどが声をあげていた。

「へー、ギーシュにしてはまともなこと言うじゃない。これまで目にも入れてなかったけど、これなら目の片隅くらいなら置いていいかな」

「……希望……でも、ギーシュだし」

 キュルケとタバサも珍しく感心していた。特に、自分の非力を認めるなど以前のギーシュでは考えられなかったことだ。

「どう、これでもまだ不満なの?」

「いや、俺が間違ってたよ……」

 才人は、ルイズやギーシュの言葉を聞いて、自分が大切なことを忘れていたことに気がついた。

 小さなころから憧れてきたウルトラ兄弟や歴代防衛チーム、自分も大きくなったらああなりたいと思ってきた。2006年にGUYSが宇宙斬鉄怪獣ディノゾールに全滅させられたときはがっくりしたものだが、新生GUYSとなって復活した彼らはバードンやグドンなど歴代チームやウルトラマンさえ苦戦した相手に敢然と立ち向かっていき、ニュース画面を見ながら本当に頼もしく思ったものだ。

「……希望か」

 まさかギーシュに教えられるとはと、才人は頭をかいて苦笑いした。

 そのとき、ある生徒がふと思いついてギーシュに言った。

「ところでギーシュ、俺達の部隊名はどうする? いつまでも王立防衛軍魔法学院小隊じゃしまらないだろ」

「おお、よく聞いてくれたギムリくん。ふふふ、聞いて驚け、とっておきのを考えておいた。その名も『水精霊騎士隊(オンディーヌ)』だ!」

「水精霊騎士隊!?」

 その名を聞いて才人以外の全員が驚いた。なぜならそれはトリステインの名高い伝説の騎士団の名だったからだ。数百年前に廃止されて現在は名が残るのみだが、外国人のキュルケとタバサも知っていたことからその知名度の高さもわかる。

「ふふふ、どうだ驚いただろう」

「お、驚いた……だけど」

「だけど?」

「水精霊騎士隊なんて大それた名前を、学生風情が勝手に使って周りの部隊や、第一王国が黙ってるか? 絶対まずいことになると思うが」

「ぐっ!?」

 ギーシュは思わずグサッとなった。確かに、国が公認してくれたとかいうならともかく自称するには立派すぎる名前だった。

 かといって、没にするにも惜しい名前だった。伝説の騎士隊の名を受け継ぐ、これほどの誇りはそうはない。

 すると、端でじっと見つめていた才人が前に出てきて一言言った。

「そのまま言うとまずいんなら、少しもじればいいだろ。なら、WEKC(ウォーク)ってのはどうだ?」

「ウォーク!? って、なんだそれ」

「俺の国の隣の国の言葉に水精霊騎士隊を訳すと、Water Element A Knight cors これを略したんだ。これなら俺達以外の連中が聞いても意味が分からないだろ」

 それは才人の乏しい英語知識を総動員したものだった。

「な、なるほど……しかし、異国の言葉を隊名にするのは……」

「なら別にいい。ほかにいい案があるなら好きにすればいいだろ」

「ぬ……し、仕方ない……それに、我が友サイトの発案だ。みんな、意義はあるか?」

 どうやら誰にも他にいい名前の案は無い様だった。だが、聞きなれない響きの言葉に戸惑いながらも、逆に新鮮味があって悪くないと感じてくれてもいるようだ。また、暗号じみているのも少年心を刺激したようだ。

「よし、これから我らは部隊名ウォークと名乗る。だがいつか誰に対しても水精霊騎士隊と名乗れるようにすることを目指すのを忘れるな!」

「了解!」

 意外とあいつリーダーシップあるのかもしれないなと、才人や女子連中はギーシュを見ていた。もっとも、いざ実戦となったら怖じ気ずいて震えだすかもしれないが、少なくとも人を乗せる才能はあるようだった。

「ふ、ふん。あんたにしてはいい発案じゃない」

「さすがダーリン、さえてるわね」

「……ちょっと、かっこいい」

 ルイズたちも、温度差は大きいようだが部隊名が穏便に決められたことを喜んでくれたみたいだった。

「チーム・WEKC……か」

 幼いときから防衛チームに憧れて、いつかなりたいと思ってきた自分だが、まさか異世界で、自分が名付け親になるチームに入ろうとは夢にも思っていなかった。

 この戦闘機もレーザーガンも持たない二十人ぽっちのチームでどこまでできるかは分からなかったが、とにかくやってみなければわからないなと、才人は自分を奮い立たせた。

 そのとき、休憩時間の終了を伝える鐘が中庭に響き渡った。中庭で同じように休息していた騎士やメイジたちが立ち上がって去っていく。

「おっと、そろそろ戻らなければな。じゃあ、みんな行こう」

「……ちょっと待て、今気づいたが、俺達はまだ隊長を決めてなかったよな。つい乗せられてお前に合わせてたけど、この際誰が隊長につくかしっかり決めておこうじゃないか」

「なっ、ヴィリエ……い、今そんなこと言わなくてもいいだろう。僕はただあのとき皆をまとめようとして……」

「いーや、騎士隊の隊長ってのは大変名誉な職務だからな。この際は……な!?」

 彼がギーシュに詰め寄ろうとしたとき、突然中庭を大きな影が覆った。

「な、竜!?」

 それは王国の竜騎士隊の飛竜であった。しかし、そこから降り立ってきた騎士は全身傷だらけで、中庭に降りたとたんに倒れこんでしまった。

 すぐそばにいた生徒達はすぐに駆け寄り、キュルケが横たわって荒い息を吐いている彼を抱き起こした。

「あなた、しっかりしなさい! 誰か、水系統のメイジを探してきて! それからすぐに衛士隊を連絡よ!」

「いや、そんなことはいい……すぐに、陛下にお知らせしなければ……ゴホッ、ゴホッ!」

「なにがあったの? すぐ医者が来るわ、気をしっかり持ちなさい!」

「ザントリーユ城、陥落……城主リシャール公、戦死……」

「ええっ!」

 生徒たちの間に動揺が走った。ザントリーユ城といえばトリスタニアから南東に百二十リーグほどのところにある城で、竜使いの名手リシャール公をはじめ、ゲルマニアとの国境線にも近く、小さいながらもかなりの軍備を備えていたはずの場所だ。

「そ、それってまさかゲルマニアが攻めてきた……?」

「いや、違う……敵はたった、たった一体だけだった……」

「一体……まさか、超獣!?」

「違う……銀色の、全身鉄でできた巨大な竜の形をしたゴーレムだった……ゴホッ!」

 そのとき、ようやく生徒のひとりが水系統のメイジを連れて戻ってきた。

 メイジが秘薬を使い、杖を彼の傷に当てて呪文を唱えると、淡い光が傷を包み、やがて苦痛が和らいできたのか彼の息が整ってきた。

「それで、いったいなにがあったというの?」

「突然、突然だったんだ。我々はいつものように城の周りを警戒していたら、いきなりパッ、パッと光が走ってゴーレムが現れた。ゴーレムは、口から火の弾や光の弾丸を吐き出しながら城を攻撃してきた。もちろん我らも必死で迎え撃ったけど、俺達の攻撃はまるで見えない壁に阻まれるかのように途中で消えてしまったんだ。しかも、ゴーレムは城の西に東にと消えては現れてを繰り返したから、俺達はふいを衝かれて次々に撃ち落され、リシャール公も……俺だけが、このことを知らせるためにひとりだけで……それが公の最後の言葉だった……くっ、ううう」

 彼は語り終わると、男泣きに泣いた。

 やがて、衛士隊もやってきて、彼を担架に乗せて運び去ると、生徒達は呆然とした様子で立ち尽くしたり、座り込んだりしていた。

「こりゃあ、集会の続きも中止ね……それでサイト、心当たりはあるの?」

「ああ……鉄でできた竜、それに出たり消えたりするやり方……ドキュメントUGM、四次元ロボ獣メカギラス」

 

 

 続く



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第10話  変身宇宙人の謎を解け!!

 第10話

 変身宇宙人の謎を解け!!

 

 四次元宇宙人バム星人 登場!

 

 

 一兵士によってもたらされた、ザントリーユ城陥落の報はたちまちのうちにトリステイン城全体を駆け巡った。

 ただちに、稼動全軍による奪還作戦が提案されて、王女アンリエッタやマザリーニ枢機卿ら、王国首脳陣はこれを承認、城の中は先程までの集会の雰囲気も吹き飛び、出撃準備に追われる貴族や兵たちでごった返していた。

 しかし、魔法学院の生徒達には予備兵力として出撃の命令がかからず、生徒達は肩透かしを食らった気分で仕方なく片隅に避難していた。

「まったく、せっかく手柄を立てるチャンスだっていうのに軍は何考えてんのよ。せっかくわざわざ呼びつけたのはいざというときに使うためでしょうが」

「俺に言ってもしょーがねえだろう。移動用の幻獣も馬も足りないっていうんだから。それにロングビルさんも言っていただろう? 学生をいきなり軍に入れても役に立たないって」

 ルイズと才人は壁に寄りかかりながら、ぶつくさとぼやいていた。いや、正確にはルイズがぼやいているのを才人が退屈そうに聞いていた。

 ほかの生徒達はといえば、ギーシュは何人かの生徒たちといっしょになって宮廷の女官などの値踏みをしてキュルケに白い目で見られたり、抗議しようと出て行った何人かの生徒は忙しく駆け回っている衛士や傭兵に邪魔だと怒鳴られて、すごすご隅に引っ込んだりしていた。

「そういえば、お姫様は?」

「姫様なら、とっくにお下がりになられたわよ。そういえば、あんたはアンリエッタ姫殿下を近くで見るのは初めてだったっけ?」

「ああ、以前ベロクロンに対抗するために集まったときはまだ大勢いたから、豆粒くらいにしか見えないところでしか見られなかったからな」

 才人はそう言いながら、間近で見たアンリエッタ王女の姿を思い起こしていた。一言で言うなら清楚で可憐。王女様とかお姫様とかいう言葉がぴったり来る美少女だったことには間違いない。

 もっとも、前に出てきたのは最初の演説のときだけで、後はマザリーニの後ろに控えていただけだったから才人が感じた印象はその程度だった。

「姫様、少し痩せていらっしゃるようだったわ。きっと、国政に追われて苦労なさっておいでなのね。おいたわしや、わたしにもっと力があれば、その苦しみの一端でも代わりに受けてあげられるのに」

 ルイズはまるで自分の身が切られたかのように、沈痛な表情で祈るようにつぶやいた。才人は、それがルイズがつねづね言っている『貴族の義務』なんだろうなと勝手に解釈して、そんなことよりあれで痩せてるんだとしたら、元はどれだけふくよかな体つき、特に胸をしていたんだろうかと不埒な想像をしてほおをゆるめながら、目の前の混雑に眼を向けた。

 人の流れは、おおむね出撃のために外へ向かうものと、居残りで城に残るために城内の詰め所などに向かうものの二通りに分かれていた。出番が無くて同じようにふてくされた表情を浮かべた傭兵が何人か城の奥へと入っていく。

 やがて、城外から竜やマンティコアの羽音、馬のひづめの音が一斉に響いてきたかと思うと、ゆっくりとそれが遠ざかっていった。

 

  

 ほとんどの部隊が出払ってしまった城内は、水を打ったかのようにしんと静まり返っていた。

 生徒達は、予備軍という名目上、城の一室を与えられて不貞寝したり仕方なしに雑談で時間をつぶしたりしている。

 才人とルイズはそんな中で簡素なベッドに腰を下ろして、才人はあくびをしながら、ルイズはイライラとシーツのほつれをむしりながらすごしていた。

「留守番部隊か、退屈だねえルイズさん」

「言わないで、みじめになるだけだから……ああ、まったく腹が立つ!」

「おっ、おいルイズどこ行くんだよ」

 突然立ち上がり、大股でどしどしと出口へ向かうルイズを才人は慌てて呼び止めた。

「見回り、城内に不貞なやからが入り込んでいないか見回るのも陛下の臣の仕事よ。この際あんたも来なさい!」

「あっ、いてて! 耳を引っ張るな!」

 どう見てもうさばらしでしかないが、同じように退屈していたキュルケはこれを見逃さず、すかさずタバサの手をとって立ち上がった。

「ダーリーン、出かけるならあたしも連れてってえ。ねえタバサ、あなたも行きましょ、こんな部屋にいたって腐るだけよ」

「……(黙ってついて行く)」

 こうして男くさい部屋を抜け出した四人は、見回りと銘打った退屈しのぎの散歩に出かけた。

 だが、城というのは若者の目を楽しませるようにはあまりできていないうえに、重要な箇所には当然見張りの兵がいて、中庭や広間など当たり障りの無い場所をぐるぐると回るだけで、すぐに飽きが来てしまった。

 

「異常なしと、退屈だねえルイズさん」

「言わないで、みじめになるだけだから……てかあんたわたしにケンカ売ってるの!?」

 しれっと他人事のように言う才人に、ルイズの怒りはもうやばいところまで来ていたが、爆発を起こすことだけはなんとか理性がストップさせていた。ここでもし派手に才人を吹き飛ばして王宮に損害でも与えたら立場が悪くなるのは自分である。またあの銃士隊のようなのに取り囲まれるのはごめんこうむりたい。

 また、退屈なのはあとのふたりも同じなようで、キュルケは器用に歩きながら化粧をして、タバサは本からまったく目を離さず、しかし頭にレーダーでもついているのか正確にキュルケのあとを着いてきていた。

「ねーえルイズ、あんたいつまでぐるぐる回ってるつもり? いい加減歩きつかれてきちゃったわよ」

 見ると、太陽がずいぶん西に傾いている。地球時間にしたらおよそ四時、今頃は出撃した部隊も目的地にたどりついているころだろう。

「…………」

 ルイズは答えない。いや、耳を澄ますとギギギギと歯軋りをする音が聞こえる。さすがの才人もそれが危険信号だということに気がつき、さりげなく二歩ほどルイズから距離をとった。

 と、そのとき通路の正面からひとりのメイドが現れた。

「ん、おおお!?」

 才人は反射的にそのメイドに視線が釘づけになってしまった。なぜなら、その娘は淡い金髪を後ろでポニーテールにまとめて、大きな瞳に小さな唇の美しい少女で、なにより胸がキュルケに匹敵するほどあった。

 さらにそんな娘がメイド服で、なにやら荷物らしい重そうな木箱をよいしょよいしょと健気な顔で一生懸命運んでいる姿を見せられては、一般的な青少年である才人が反応してしまうのも無理ないところであろう。

 ただし、それが彼一人だけのときであればよかったのだが。

「ちょっと、そこの使い魔ぁ! いや、犬! ご主人様が大変だってときに、何を見てデレデレしてんのよぉぉ!!」

 殺気を感じたときにはもう遅い、むしろ下手に距離をとっていたために助走距離がついたルイズの鞭が、振り返る暇も無く才人の後頭部にクリーンヒットした。

「だはっ!!??」

 ルイズの怒りの直撃を受けた才人は目の前が真っ白になっていくのを感じながら、前方へ向かって吹っ飛ばされた。それはもう、才人が野球のボールだったらホームラン間違いなしといった勢いで、その結果彼はバックスクリーンならぬ、当のメイドに頭から突っ込んで、もみくちゃになりながら大理石の床に投げ出された。

「あーあ。ルイズったら、少しは手加減ってものを覚えなさいよね。大丈夫、あなた?」

 キュルケはルイズの怒りのとばっちりを受けることになってしまった不運なメイドに手を差し伸べた。本当は才人に手を貸したかったのだが、今のルイズの怒りは触れば火傷どころでは済みそうに無い。火遊びは引き際を心得ていてこそ楽しめるのだ。

「ああ、ありがとうございます。ちょっと野菜が散らばっちゃっただけですから」

 そのメイドは、上品に会釈して、木箱の中に入っていた野菜を集め始めた。キュルケも、見ているだけなのもなんなので手を貸して人参やらトマトやらを拾い集めた。

「やれやれ、ずいぶん広く散らばっちゃってるわね。これとこれと……あら? これはなにかしら」

 散らばっている野菜の中に、ひとつだけ妙な金属光沢を放つ物体を見つけて、キュルケは思わずそれを手にとって見た。大きさは長さ二十サント、直径十サントほどの銀色の円筒系、すみのほうには妙な突起物がいくつも飛び出ていて、他にも無数に取り付けられた赤や青の小さなガラス球が内側から明滅していた。

 キュルケは、それがなんなのかあちこちから観察してみたが、自分の知っているなにとも似ていないそれに、ただ首をかしげた。本の虫で知識量なら自分を超えていると思っているタバサにもそれを見せてみたが、無言で首を横に振られ、仕方なく持ち主であろうメイドの少女に、それを返して聞くことにした。

「ねえ、あなた。これそこに落ちてたけど、あなたのかしら?」

「え? ……あ、か、返してください!!」

 メイドの少女はまるでふんだくるようにキュルケの手から、そのカプセルを取り上げた。

「うわぁっ!? ちょ、何するの……よ!?」

 キュルケは、そのメイドの顔のあまりの変わり様に驚いた。先程までの清楚な雰囲気は無くなり、眼が血走り殺気だって奪い取ったカプセルを大事そうに抱えている。

「も、申し訳ありません。これはわたしの国の大事なお守りなんです。だから、貴族様といえどもこれだけは」

「そ、そう。すまなかったわね」

 彼女の剣幕に、さしものキュルケも押されてそれ以上の追求はできなくなってしまった。違和感は残るが、どこかの地方のお守りと言われれば自分が知らなくても仕方が無い。

 それに、メイドをいじめて喜ぶなどという三流貴族のようなつまらない風評が立つのはまっぴらだった。

 だがそのとき、ルイズにせっかんされていたはずの才人がふたりの間に突然割って入ってきた。

「いや、ちょっとそれ見せてくれないか?」

「え?」

「俺の国の道具にちょっと似てるんだ。よかったら見せてくれないかな、よく見たらなんのための道具なのかわかるかもしれないから」

 才人はそう言って、にっこりと笑いながらメイドに向かって手を出してみせた。

「サイトぉ、あんた人が言ってるそばから! よっぽど死にたいようね!!」

「ルイズ、ちょっと黙っててくれ!」

「え!?」

 普段の才人なら決して見せない強い言葉に、思わずルイズも鞭を振りかざしたままその場に止まってしまった。

 そしてキュルケとタバサは気づいた。今才人はメイドに向かって笑顔を見せているが、それはいつものしまりの無いでれでれしたものではなく、冷たく貼り付けられた作り笑いであることに。

「なあ、別に取りはしないさ。少し見せてくれるだけでいいんだ。それとも、見られたらまずい訳でもあるのか?」

 その言葉に、メイドはカプセルを握り締めながら、明らかに顔から血の気が引き、冷や汗を流し始めた。

「い、言っていることの意味がわかりませんが……」

「そうか、それなら……」

 才人は一歩、二歩とゆっくりと後ろへ下がり、懐へ手を伸ばし、そして。

「これなら分かるだろう!!」

 すばやくガッツプラスターを取り出し、銃口をメイドに向けて構えた。 

「!?」

 ガッツブラスターを見たメイドは一瞬恐怖を顔に浮かべて、まるではじかれるかのように後ろへ飛びのいた。

 だが、それより速く、才人の左手の、あらゆる武器を使いこなせるというガンダールヴのルーンが光り、照準をメイドの胸へ向けて正確に合わせ、その瞬間ルイズたちも才人がなにを考えているのか瞬時に理解した。

「ダーリン、何を!?」

「……!?」

「サイト、やめ……」

 しかし、ルイズの静止の言葉が放たれる前に、才人の指はガッツブラスターの引き金を引き絞り、怪獣にも傷を負わせられるエネルギービームがメイドの心臓を貫通した。

「……がふっ」

 メイドは短く断末魔を残すと、ゆっくりと前のめりの倒れ、絶命した。

「……あああああ、あんた、いいいいいい、いったいなにをしたのかかかかかか」

 ルイズはあまりの出来事に言葉がうまく出てこない。タバサとキュルケも才人がまさか気がふれてしまったのではないかと、ただ呆然と突っ立って見ているだけだ。

 それに対して、人をひとり撃ち殺したはずの才人はいつもと変わらない様子でメイドの死体を見下ろしていた。

「あああ、あっ、あんた、自分が何をしたかわかってるの!? 恐れ多くも王宮を人の血で汚すなんて! あんたなんて、もう使い魔でも何でもないわ! この人殺し! こうなったら、せめてわたしの手で、あんたを殺してやるわ!!」

 ルイズはがくがくと震えながらも、怒りと絶望の混じった声で才人に杖を向けていた。

 しかし才人は毅然として態度で。

「人の血ね。だったら、こいつをよく見てみろ!」

 才人はメイドの死体に足を引っ掛けると、うつぶせに倒れているそれを勢い良くひっくり返した。

「なっ!?」

 その死体の顔を見てルイズとキュルケだけでなくタバサまで驚愕に顔を引きつらせた。なんと、メイドの顔はさっきまでの少女のものではなく、冷えた溶岩のように黒々とした皮膚に節穴のような目鼻がついた怪人のそれへと変わっていたのだ。

「あ、亜人?」

「……違う、ハルケギニアにこんな姿の種族はいない」

 キュルケとタバサも愕然として怪人の死体を見つめていた。そして、怪人、いままでメイドだったものは突然青白い炎に包まれると、まるで空気に溶け込むように服だけ残して、跡形も無く消えてしまったのだ。

「な? ななななな、なんなのよ、これはあ!?」

 あまりに信じられない事態に、ルイズはパニックに陥りながらも才人に問い詰めた。

「落ち着け、驚かせて悪かった。説明してる余裕がなかったんだ。こいつは、ザントリーユ城に現れた奴がメカギラスだとすると、多分四次元宇宙人バム星人だ」

「ヨ、ヨジゲンウチュウジンバムセイジン?」

「あー、無理せずバム星人っていえばいいから。星人っていうのはウルトラマンと同じ、遠い星から来た奴らの総称で、バム星ってところから来たからバム星人っていうんだ。姿は記録にないんだけど、昔メカギラスを操って俺の国を襲ってきた宇宙人だ」

 才人は昔見た怪獣図鑑のメカギラスの写真の隅に書かれていた宇宙人の名前を思い出して、できるだけルイズたちにわかりやすいように説明してみた。

 バム星人は、地球の資料にはその姿が残されていない。なぜなら、彼らは四次元空間に潜み、メカギラスのみを現実世界に出現させて攻撃するという戦法をとっていたからで、残されている資料もそのとき偶然バム星人の異次元空間へ迷い込んだ、UGMの矢的猛隊員の証言が元になっているからだ。

「そいつが、メイドに化けて城に侵入してきてたっての。でもよくあんたこいつの正体がわかったわね」

「それは簡単だ、これさ」

 才人は、星人の服の下から例のカプセルを取り出した。

「こんな機械、ハルケギニアの技術力じゃ絶対作れっこない。そんなものを大事に抱えていたら怪しいさ」

「けど、もし間違っていたらとか考えなかったの?」

「だから、わざわざガッツブラスターを抜いて見せ付けてやったんだ。おまえらも最初にこれを見たときはレーザーガン……いや、そんなすごい武器だとは思わなかったろ。大慌てで逃げ出したから、こいつは人間じゃないと確信したんだ」

 なるほどと、三人は目を丸くした。

「あんたって、たまに冴えてるわよねえ。で、それって一体なんなの?」

 だが、そう言われても、ただの学生であった才人に宇宙人の機械の正体なんぞわかるわけも無い。才人は何も言わずに指で自分の胸をトンと突いた。心の中のエースを呼び出すときの合図だ。

  

(エース、聞こえてますか?)

 ふたりは同時に、心の中に眠っているウルトラマンAへ向かって呼びかけた。

(ああ、一部始終は君達の目を通して見ていた。しかし才人君、無茶をするな。相手が脆弱な宇宙人だったからよかったもの、相手によっては殺されていたぞ)

(す、すいません……)

 思わぬ手厳しいエースの言葉に、才人は父親に叱られたときのようにびくりとなった。

 パム星人は変身能力がある以外は人間並みの身体能力しかない弱い宇宙人である。実際以前も矢的隊員ひとりに敵わずに倒されてしまっており、同じような変身能力を持つ星人や怪獣はおおむね戦闘能力の低い者が多いが、中にはバキシムやコオクス、アンタレスといった強豪もおり、そんな相手に下手に武器を向けたら返り討ちにあって皆殺しにあう可能性も否定できないだろう。

 しかしルイズにとってはそんなことはどうでもよく。いいかげんにイライラしてきているようだった。

(あーもう!! ちょっと! この馬鹿犬はあとでわたしが叱っておくから、結局その機械はなんなの!?)

 しびれを切らせたルイズの怒鳴り声がエースと才人の耳を打った。いや、精神での会話だからテレパシーでなのだが、それでも怒ったときのルイズの声の迫力はすさまじかった。

(そ、そうだな。恐らく、それは誘導電波の発信装置の一種だ。TACに居たころ兵器開発部の梶隊員が同じようなものを作っていたのを見たことがある)

 エースはウルトラマンであると同時に、地球人北斗星司でもある。彼がTAC隊員として培ってきた経験と知識は今でも健在だ。

(誘導装置? ってことは、奴らはこれを使ってメカギラスを!?)

(多分そうだろう)

 才人はエースから装置の正体を教わり、バム星人たちの企みを知って冷や汗が出てくるのを感じた。しかしルイズは誘導装置とか言われても、なんのことやら意味がわからず困惑していたが。

(ちょっと、あなたたちだけで納得してないで、ちゃんと説明しなさいよ)

(簡単に言えば、怪獣を呼び寄せる機械だよ)

(なるほどね、最初からそういえば……って、えええええ!?)

 簡単も簡単、とてつもなくわかりやすい答えだった。

(そうだ、ザントリーユ城を襲撃したのは、辺境へ軍の主力をおびき寄せる陽動だ。バム星人の狙いは手薄になったこのトリステイン城だ)

(ちょっと! ここには王女殿下や王室の方々や国の重鎮が揃ってるのよ。魔法衛士隊もほとんど出払ってる今を狙われたら!!)

 魔法衛士隊が残っていたなら、最悪城は破壊されても王室関係者らは逃すことができるだろう。しかし、完全に城が無防備な今を襲われたら、トリステインは間違いなく今日この日を持って歴史に幕を閉じることになる。

(装置がこれ一個とは限らない。急いで探すんだ!)

(わ、わかった)

 エースはふたりを叱咤すると、再び心の中へと消えていった。

 

 続く

 

 

 

 

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第11話  危機迫る!! トリステイン王国最後の日

 第11話

 危機迫る!! トリステイン王国最後の日

 

 四次元宇宙人 バム星人 登場!

 

 

 ルイズと才人はウルトラマンAに、バム星人が誘導装置を使って、ロボット怪獣メカギラスをトリステイン城に呼び寄せようとしていることを教えられた。

 メカギラスは、かつても地球防衛チームUGMを翻弄し、ウルトラマン80を苦戦させた強力な怪獣だ。そんなものに襲われたらトリステイン城はひとたまりもなく破壊されてしまう。

(装置がこれ一個とは限らない。急いで探すんだ!)

(わ、わかった)

 エースはふたりを叱咤すると、再び心の中へと戻っていった。

 

 

「ちょっと、ルイズ、ダーリン、急に黙り込んだりして、どうしたの?」

 ふたりはキュルケの声を聞いてはっとした。エースとの会話はふたりの心の中のことなので、外から見ているキュルケたちには、ふたりがただ立ち尽くしているようにしか見えないのだった。

「はっ、あ……ごめん、ちょっとこれのこと思い出してたもんで、実は……」

 才人はエースに聞いたことをキュルケたちにもわかるように噛み砕いて説明した。

「それで、その妙な機械がザントリーユ城を襲ったやつを呼び寄せるためのものだっていうの?」

「ああ、だけどこれ自体はたいして強いやつじゃない。きっと他にも無数にこれが仕掛けられている可能性がある……と思う」

 才人はそこまで言うと発信機の横についているスイッチを切った。

「でもねえ、急にそう言われても、そんなもので怪獣を呼ぶなんて信じられないわよ。特にこれといって魔法がかけられているわけでもないようだし。ね、タバサ?」

「……」

 無理も無い、魔法が万能のこのハルケギニアでは電波の存在どころか電気のことすら解明されていない。魔法の助けを借りない道具という概念自体がそもそも無いのだ。逆に言えば、地球で「これは魔法の杖です」と言って信じてもらえるかということに等しい。

 才人とルイズはもどかしさを感じたが、エースに聞いたということを明かすわけにもいかず、かといってふたりを説得している時間も無かった。

「わかった。けど、この城の中に敵が入り込んでいることは確かだ。俺達はこいつが他に仕掛けられてないか探すから、お前らはみんなや城の人に知らせてくれ」

「えっ? ってルイズ、あなたはこんな話を信じるの!?」

「信じるも何も、ヤプール相手にこれまで常識の範疇ですませられることがあった? それに、こいつは言いつけを破ってほいほい女の子のところに行っちゃう大嘘つきだけど、少なくともヤプールに関することは嘘をついたことはないわ」

 キュルケはルイズの態度に驚いたが、これはルイズもエースの話を聞いていたからに他ならない。

「と、言う訳で、俺達は装置を探して根こそぎ破壊する。これが無くなれば敵も攻めてこれなくなるかもしれない」

 才人は、まだ困惑しているキュルケにそう言い残すと、すでに杖を取り出して待っているルイズを振り返った。

 

 だが、そのとき。

「そうはさせぬぞ」

 声がすると同時に、彼らのいる通路の両側から鎧姿の男達がぞろぞろと出てきて、四人にフリントロック式の銃を向けた。

「こいつら、わたしたちと同じく置いてけぼりを食らった傭兵部隊?」

「いや、どうせこいつらもバム星人の変身だろ。さっさと正体現せよ!」

 才人が怒鳴ると、傭兵たちのリーダーと思われる男がぶるっと首を振り、黒々とした星人の正体を現した。

「よく我らの正体に気づいたな。武器を捨てろ、この距離なら銃のほうが速いぞ。それに、この数に狙われては逃れる術もあるまい」

「ちっ! 仕方ない……」

 星人の数は片側に八人、狙っている銃口の数は二丁構えている奴も合わせて二十五門。

(ガッツブラスターでも、この数じゃ……)

 才人はガッツブラスターを見えないように懐に忍ばせたままデルフリンガーを、三人は杖をそれぞれ投げ捨てた。

「利口だな。人間にしては上出来だ」

「やっぱり、お前達の狙いはこの城か?」

「ふふふ、そのとおり。ヤプールはこの世界を侵略した暁には、この国を我らに割譲してくれることを約束してくれた。こんな城、我らがスーパーロボットを持ってすれば破壊するのはたやすいが、余計な邪魔が入ると面倒なのでな。兵士たちははるかかなたへおびきださせてもらった。この城のあちこちに仕掛けた合計五個の誘導装置がメカギラスをこの次元に呼び寄せ、無防備な城はあっという間に人間どもの見ている前で灰となる。人間どもは絶望し、我らはたやすくこの星を征服できるだろう。はははは」

 星人は武器を捨てさせたことで勝利を確信したのか、実に気分よさそうに聞いてもいないことまでぺらぺらしゃべってくれた。まるで酒場の酔っ払い親父だ。

「そうか、その誘導装置を仕掛けるために、外部の人間が大勢入り込めるこの日を選んだわけか。だが、なんでわざわざ発信機を仕掛けるような真似をした? 以前のメカギラスは自由にどこにでも出現していたはずだろう」

「ふん、あいにく我らは人手が足りなくてな。自動コントロール装置までは手が回らなかったのだ」

 星人は痛いところを突かれたのか、開き直ってふんぞり返って答えた。

 実はメカギラスはバム星人の完全な自作ではなく、かつてもさらった地球人を働かせて組み立てるという宇宙人らしからぬセコイ方法で作られていた。

 矢的隊員もこの経緯で異次元に連れさらわれたわけだが、その結果星人の基地は矢的隊員によって壊滅している。それを反省して今度は星人だけで組み立てたのだろうが、技術力はあっても、工業力がないために、せっかくの超兵器も完全なものとはいかなかったようだ。

「だが、それでもパワーは以前の物に勝るとも劣らん出来だ。夕方には、誘導装置から発せられた時空波が、この城へメカギラスを呼び寄せる。そうなったらこの国は終わりだ」

「夕方!? あと一時間もないじゃない!」

「ふん、心配には及ばんよ。どうして我々の計画に気づいたのか知らんが、貴様らを生かしておくわけにはいかん、ここで死んでもらうぞ。なに、すぐに城の人間全員あとを追わせてやるさ」

 星人たちは構えている銃の引き金に力を込めた。

(くそっ、変身さえできればこんな奴ら)

 ウルトラマンAに変身できれば、バム星人ごとき一掃できる。しかしここにはキュルケとタバサがいる。変身するところを他人に見られるわけにはいかない。

 こうなれば、一か八か彼女達をかばいながらガッツブラスターを乱射してやろうかと思ったそのときだった。

 

「ワルキューレ!!」

 

 なんと、突然星人と才人の間の床が盛り上がり、青銅製の人形となって銃口の前に立ちふさがった。驚いたのは星人達である。とっさに銃を撃つものの、前込め式の旧式銃の威力では分厚い青銅の壁を突破できず、跳ね返されて壁や天井に次々とめり込んだ。

 もちろん驚いたのは才人たちも同じであるが、彼らはそれの正体を知っていたので、すぐさま我に返ることができた。

「今だ!!」

 才人が叫ぶと同時に四人はそれぞれの武器へと飛びついた。

 星人達は慌てて銃を彼らに向けなおすが、当然単発銃から二発目の弾は出はしない。侵入するときに怪しまれないために、この世界の武器しか持ってこなかったことが完全にあだとなっていた。

「おお、ようやく出番か相棒!! もう使ってくれないものかと思ってたぜ!!」

「言ってる場合か、いくぞデルフ!!」

 才人はデルフリンガーを鞘から引き抜いて星人に袈裟懸けに斬りつける。

「ファイヤーボール!!」

「ウィンディ・アイシクル!!」

 キュルケとタバサも杖を拾うやいなや、自身のもっとも得意な呪文を星人に叩きつける。たちまち八人の星人が炎に焼かれ、氷弾に貫かれて消滅していく。

 しかし才人は三人の星人を倒したものの、銃を捨てて剣を取り出した星人五人に囲まれて苦戦していた。

 ただし、そのおかげで星人からノーマークにされていたルイズが、杖を一番後ろにいる星人に向ける。

 今だに成功せずに、普段は才人を吹き飛ばすくらいしか役に立たないルイズの魔法だが、破壊力だけは下手な攻撃魔法より強力だと自信があった。

「錬金!」

 爆発が、食らった星人だけでなく周辺にいる星人まで巻き込んで吹き飛ばす。

「相棒、今だ!!」

「おおおっ!!」

 才人の左手のガンダールヴのルーンが光る。一閃、二閃、三閃、瞬きするような刹那の間に、デルフリンガーが、上、下、斜めから次々と星人を切り裂き、五人目の星人は鎧ごと胴体を真っ二つに切り裂かれて倒された。

「ば、馬鹿な……」

 断末魔を残して、バム星人達は消滅した。

「ふぅ、助かった……しかし、今の魔法は確か」

 青銅の人形、才人にとって忘れようの無い魔法だった。

「やあ諸君、無事でなによりだったね!!」

「やっぱり」

 通路の奥から現れたのは、想像どおりのギーシュと大柄な少年と眼鏡をかけた少年だった。ふたりともついさっき創立されたばかりの水精霊騎士隊(WEKC)の隊員で、名前は才人の記憶では、大柄なほうがギムリ、眼鏡をかけてるほうがレイナールだったと記憶している。

「ギーシュ、どうしてお前が?」

「君達の帰りがあんまり遅いからちょっと様子を見にね。そうしたら君達が怪しい連中に絡まれてたから捨てておけずにね。感謝したまえよ、この距離でワルキューレを作り出すのはけっこう大変だったんだ」

「そうだったのか、ありがとよ。おかげで命拾いしたぜ」

「なんの、平民や女性を守るのが貴族の使命だ。礼には及ばないさ、はっはっはっ」

 感謝してほしいのか、礼はいらないのかどっちなんだと才人やルイズは思ったが、例によって、薔薇の花の形の杖を得意そうにかざしながら笑っているギーシュを見たら突っ込む気もうせてしまった。

 するとそれまでギーシュの右と左で呆れたように見守っていたレイナールとギムリが、本当に呆れたように彼に言った。

「なに言ってるんだ。様子を見に行こうと言い出したのは僕で、彼らを見つけたのはギムリじゃないか」

「そうだぞ。それに第一、怪人どもを見たとたんに尻込みして逃げ出しかかってたのはどこの誰だ、ワルキューレだって、俺達が花びらをうまく見つからないように飛ばしたからできたんだろうが」

「ぐ、き、君達、こういうときはそういうことは伏せておきたまえよ」

 抗議すれどもすでに遅し、さっきまで感謝の念であふれていた(ギーシュにはそう見えた)才人たちの顔は、すっかりしらけムードに陥ってしまっていた。

「ぬぬ……い、いや諸君、今はそんなことを言っている場合ではないだろう。先程の怪人達との会話は聞かせてもらった。今はトリステインの一大事じゃないのかね!」

「はっ! そ、そうだった。早く誘導装置を解除しないと大変だ!」

「そうだろうそうだろう、思い出してくれてよかった」

 お前が余計なことを言ってたせいだろうが、全員が激しく思ったが、理性を総動員して押さえ込んだ。

「それで、どうするの?」

「手分けして探そう。そんな小さなものじゃない」

 才人は窓から空を見上げた。日はだいぶん傾いてきている、もはや時間がない。

「よし、僕らも全員でその誘導装置とやらを探すぞ、WEKCの初仕事だ。この城を壊させるわけにはいかない!」

「ああ、じゃあ俺達はこっちを……ギーシュ、後ろだ!!」

「え?」

 だが、ギーシュが振り向くより早く、彼とギムリとレイナールの後頭部に冷たいなにかが押し当てられた。

「動くな、こいつらの命が惜しいなら武器を捨てろ」

 なんと、いつの間に現れたのか、再び別のバム星人達がギーシュ達の後ろから銃を突きつけていた。

 なぜ気づかなかったのかと、その場の全員が思ったが、星人たちの服装を良く見たら合点がいった。今度は使用人に化けたものだったために、先程までの傭兵に化けた星人たちの鎧姿で動く音に耳が慣れてしまっていたから、革靴の柔らかい足音に気づけなかったのだ。

「ギーシュ、くそっ! 人質をとるとは卑怯な」

「ふはは、あれで全員倒したと思ったのが運のつきだ。冥土の土産に覚えておくがいい。勝ったと思ったとき、人間はもっとも隙ができるのだ」

 才人たちは歯噛みをしたが、星人に卑怯は常套手段だ。過去には「卑怯もラッキョウもあるものか!」と豪語した星人もいたくらいだ。

「ひ、ひょくん、ぼ、僕に、かかか構わずに、こいつらをやってしまえ。き、貴族たる者、人質にとられるくらいなら、し、しし、死を選ぶ」

「ギーシュ、まったく、そういうわけにもいかねえだろう。それに、震えながら言っても説得力はねえぞ」

「サ、サイト……き、君ってやつは」

 泣いて感激しているギーシュにため息をつきながら、才人はデルフリンガーを放り出した。

「ハハハ、聞き分けのいいやつよ。なら、貴様から先に死ね!」

「なに!?」

 星人は、隠し持っていたもう一丁の銃を才人に向けた。

「サイト!!」

 ルイズの絶叫に一瞬遅れて、乾いた音が城内に響き渡った。

 

 

 続く

 



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第12話  WEKC初陣!!

 第12話

 WEKC初陣!!

 

 四次元宇宙人バム星人

 四次元ロボ獣メカギラス 登場!

 

 

 

「サイト!!」

 ルイズの絶叫とともに、火薬のはじける乾いた音が王宮の廊下にこだました。

 フリントロック式の、地球ではもはや博物館かガンマニアの間でしか見れないようなハルケギニアの銃でも、人一人殺すだけの力は充分にある。才人は、死を覚悟した。

「ぐはぁっ!」

 心臓に鉛玉を撃ち込まれ、残った命をわずかに吐き出す不協和音が響き、ルイズは思わず目を覆った。

 だが、断末魔を発したのは才人ではなかった。

「が……ば、ばかなぁ」

 口から緑色の血を吐き、ギーシュ達に銃を突きつけていたバム星人達の体が床に崩れ落ちた。

 ルイズがうっすらと目を開けたとき、そこには呆けたように立ち尽くしているギーシュたちと、自分の胸を撫で回して弾が当たっていないか確認している才人、そして、彼らの前に本物の戦乙女のように凛々しくたたずむ女騎士達の姿があった。

「勝ったと思ったとき、もっとも隙ができるか。覚えておこう」

「アニエス!」

 なんとそこには、あの銃士隊隊長アニエスが数人の銃士隊員達を連れて立っていた。

 

【挿絵表示】

 

「な、なんであなたが?」

「そ、そうよ。姿を見かけないからてっきりあなたたちも一緒に出撃していってたと思ったのに」

 さしものルイズやキュルケも突然現れたアニエスたちに驚きを隠せない様子だった。

「ふん、我等は元々王宮警護が任務だからな。普段はお前らの目に入らないところにいるのだ。だが、あんなに派手に銃声をこだまさせていれば、我らでなくとも気づく」

 まだ煙の尾を引かせている銃をしまいながら、アニエスは平然として言った。

「それよりも、こいつらはなんだ。傭兵が多数来るとは聞いていたが、妖魔や亜人の類が混ざっているなどとは聞いていないぞ」

「あっ、そうだった! ちょうどいいや、実は……」

 才人達は、ヤプールの手下が多数城内に入り込んでいること、そいつらが特殊な道具を使って怪獣をこの城に呼び寄せようとしていることを急いで説明した。

「それで、そのバム星人という奴らが、その機械を使ってザントリーユ城を襲った怪獣をここに呼び寄せようとしている。そういうわけだな?」

「ええ、信じて、いただけるでしょうか」

 才人とルイズは、息を呑んで、厳しい目で睨んでいるアニエスの目を見つめた。

「……よかろう、信じてやる。残った誘導装置は四つなんだな?」

「! アニエスさん!」

 ぱあっと、才人たちはギーシュ達も合わせて喜色を浮かべた。

 だが、アニエスの後ろに控えていた青髪の女性騎士が納得できない様子でアニエスに抗議した。

「隊長、こんな子供の言うことを真に受けるんですか!?」

「ミシェル、この怪人どもを見るだけでも城内に敵が侵入しているのは明らかだ。それに、このふたりは終始私の目を見て話していた。心に後ろめたいものがあるやつなら、目をそらすか、笑ってごまかすかするだろう。少なくとも、彼らはうそをついてはいない」

 隊長にそうまで言われると、副長である彼女に言えることはなにもなかった。

「それで、それと同じ物を探し出せばいいわけか。だが、敵が人間と同じ姿に化けているとなると、やっかいだな」

「いえ、ミス・アニエス、どうやらその心配はなさそうですわよ」

 キュルケが言うのと同時に、廊下の角からバム星人が三人飛び出してきて、こちらに銃口を向けた。

「死……」

 しかし、星人たちが引き金を引くよりも早く、気配を察知していたキュルケとタバサの杖が閃いていた。一瞬で炎と氷が怒涛の奔流となって星人たちを飲み込み、断末魔すら残させずに消滅させた。

「そう何回も不意打ちが成功するなんて思わないことですね」

 例によって服だけ残して消えた星人達に、キュルケは杖を指揮者のタクトのようにかざしながら言った。

 だがそのとき突然、城のあちこちから女性の悲鳴や兵士の叫び声が聞こえてきた。

 それだけではない、ガラスの割れる音や重いものが床に叩きつけられる振動、さらには銃声までもがあちこちから聞こえてきて、城の中だというのにまるで戦場のような喧騒になってきた。

「これは……」

 と、そのとき通路の先からひとりの銃士隊員が駆けてきて、息せき切ってアニエスに報告した。

「隊長、城のあちこちに突然怪物が現れて、城中が大混乱に陥っています」

「なんだと!?」

 それを聞いてアニエス達だけでなく、ルイズやギーシュ達も愕然とした。

「どうやら、正体がバレて強行手段に訴えてきたようですわね」

 キュルケが言ったとおり、叫び声は城中から聞こえてくる。城内に侵入していたバム星人全員が正体を現したとしか考えられなかった。

「なんてことだ、それで、姫様は?」

「謁見の間から先は我々が死守しております。敵の武装も我々と同程度なので突破される恐れはないと思われますが、敵が城中に散らばっていまして」

 アニエスはちっと舌打ちした。このトリステイン王宮はかなり広い、そこに敵が散らばっているとなると完全に掃討するのは容易ではない。

 けれどそのとき、それまで黙って話を聞いていたギーシュが突然薔薇の杖を高々と掲げて宣言した。

「そういうことなら僕達も黙って見ているわけにはいかない。国の平和を守る貴族の端くれとして、我らも戦うぞ、諸君!!」

 びっくりしたのはルイズ達である。今の今までギーシュ達のことを忘れていたから余計に驚いた。

 だが。

「足手まといだ、引っ込んでろ」

 と、アニエスに一刀両断されてしまった。

「し、しかし」

「銃を向けられて震えているような男はいらん。星人は我々が掃討する、お前らは黙って下がっていろ」

 ギーシュの反論にもアニエスはにべも無かった。だが、そのときキュルケが出てきて諭すようにアニエスに語りかけた。

「ミス・アニエス、言いたいことはわかりますけど、今はそんなことを言っている場合じゃないのではなくて? 夕刻にはザントリーユ城を破壊した敵がここにも来るのですよ。銃士隊だけでは手に余るのではなくて」

「ぬう、だが……」

「実力を心配しておいでなら、わたしとこの子は共にトライアングルクラス、そちらのぼうや達も、さっきみたいに不意を打たれたりしなければ遅れをとったりしませんわ。ダーリンだって剣の腕はすっごく立つし、ルイズは……ともかく、ここにいる全員あなたが思っていますより頼りになりますわよ」

「ちょっとキュルケ、なんでわたしのときだけ言葉を濁したのよ」

 目尻をすわらせているルイズから目をそらして、キュルケはアニエスに判断をうながした。

 アニエスは、少し考え込むそぶりを見せたが、やがて副長と顔を見合わせた後、ギーシュの顔を見て、ものすごく妥協した力の無い声で言った。

「仕方ない。今は猫の手も借りたい状況だ」

「藁にもすがりたい気分というところですか隊長、胸中お察しします」

「ちょ、ちょっと君達、いくらなんでもそこまで言うことないんじゃないかね?」

 アニエスとミシェルのあまりにも期待していない目に、フェミニストを自称しているギーシュはかなり傷ついた様子だった。

 だが、事態はそんな感傷を許しておくほど甘くはない様子だった。敵がどこかで爆発物を使用したのか床と天井が揺れ、パラパラと埃が舞った。

「時間が無い。ミシェル、駐屯所の兵全てで城の北方の敵を掃討、同時に敵の持つ誘導装置を探し出して根こそぎ破壊しろ!」

「はっ!」

 青髪の副長は、一瞬だけ見事な敬礼をすると、マントを翻して駆けていった。

「さて、こちらも急ぐぞ。ぼやぼやするな! すぐに人数を集めろ!」

「はっ、はい!!」

 アニエスに怒鳴られてギーシュ達は大慌てで水精霊騎士隊(WEKC)の皆を呼びに走っていった。

「我々も、できる限り城内の敵を駆逐する。城内の警備兵は不意を打たれて役には立たんし、近衛兵は王族方を守るために動けん。今トリステインを救えるのは我らだけだと思え!」

「はいっ!!」

 ルイズと才人もアニエスの剣幕には逆らえずに、思わず直立不動で返礼した。

 ただ、キュルケは従いながらもわずかに微笑していて、タバサのほうは聞いてはいたようだが顔色が変わらなかったので心境は謎だった。

 

 しかし、だからといって状況に変化はない。

 城の中は、人間に襲い掛かるバム星人と、それを迎え撃つ兵士、逃げ惑う人々などで混沌と化しており、そこに銃士隊とWEKCが横合いから殴りこむ形となった。

「ファイヤー・ボール!!」

「エア・ハンマー!!」

 WEKCの少年達は城への被害を抑えるために、攻撃魔法の中でも初歩の威力の低いものを選んで使用したが、人間と身体能力がさほど変わらないバム星人にはそれで充分であった。

 傷を負い、動きが止まったところにさらなる魔法の追撃、またはアニエスや才人が斬り込んでとどめを刺した。

 もちろん、それと並行してメカギラスの誘導装置の探索も行われた。あるものは星人が隠し持っていたり、あるものは部屋の隅の花瓶の横に立てかけてあったりしたが、見つかり次第次々に破壊されていった。星人としては、どうせハルケギニアの人間にはわからないだろうと隠すこともせずに適当に置いて回ったのだろうが、それが災いして銃士隊やWEKCは苦労せずに誘導装置を発見できていた。

 

 そしておよそ三十分後、城内のバム星人達をほぼ掃討し終わった銃士隊とWEKCの少年達は、中庭に集合して戦果を報告しあっていた。

「見たかい僕の華麗な戦いぶりを、銃を向けてきた星人へ向かって三体のワルキューレで、見事な連携での同時攻撃、うーんまるで芸術だったね」

「だから、それは僕が相手の気をそらしてたからだろうが」

「まったくだ。そこいくと僕なんか、敵中に突貫してこうバッタバタと……」

 ギーシュ達は、自らが倒した星人の数を得意になって自慢しあっていた。それは、夏の森で採った虫の数を競い合う子供達にも似ていたが、星人の切り札であるメカギラスの侵攻を止めなくては勝利ではない。彼らは自分の戦果に酔うあまりそれを忘れていた。

 しかし、戦闘のプロである銃士隊は違う。

「隊長、城北方の敵は完全に駆逐しました。隊員四名が負傷して医務室に運ばれましたが死者はなし。王女殿下他王国首脳陣の方々も全員無事です」

 副長ミシェルが見事な敬礼をしてアニエスに戦果報告を行った。

「ご苦労ミシェル。こちらも敵は全員撃破した。それで、例の装置とやらは?」

「はっ、衛士隊の駐屯所で一つ、武器庫で一つ発見、それぞれ見つけ次第破壊しました」

「それらは恐らく使用人に化けたやつが仕掛けたものだな。それで二つか、おい少年、こちらで発見したものは?」

 才人はアニエスに言われると、えーとと指を折って数えた。

「えーと、こっちは食堂で見つけたやつと、最初にメイドに化けてたやつが持っていた分……計四つ、ひとつ足りない!! 星人は五つ仕掛けたと言っていたんだ」

「なに!? ちっ、しかしもう城内はくまなく探したぞ。まだどこか見落としているところがあるのか」 

 すでに城のあらゆる箇所は捜索した。また、星人の残した衣類や持ち物も残らず調べた。ほかに見落としている箇所があるのかとアニエスは必死で考えた。

(武器庫、駐屯所、重要区画はすべて調べた。奴らは最近雇われた使用人か、今日入ってきた傭兵達に化けていたから城の中枢には入れないはず。ならば……他に部外者が入れるような場所は)

 頭の中に城の見取り図を浮かべて、必死に考えたがどこも思い当たる節が無い。かといって極めて目立つ形をしている誘導装置を見落としたとも考えがたい。

 アニエスは思いつく可能性をひとつひとつつぶしていって考えていたが、考えているうちにいまだに事態の深刻さを理解せずに自慢話を続けているギーシュたちの声が耳に障り、思わず怒鳴りつけていた。

「うるさいぞ!! 静かにしろ、そんなに騒ぎたいなら牢にでも叩き込んでやろうか!!」

 とたんに、少年達は凍りついたように静かになった。

「まったく……ん、まてよ、牢……ミシェル、牢は調べたか?」

「はい、今日の混雑のなかで起きた揉め事で投獄された傭兵が数名おりましたので、念のために、しかし念入りに調べましたが、ありませんでしたが」

「いや、西の塔の牢がまだ、ある」

「西の塔ですか? しかしあそこは貴人用の特別房です。傭兵や使用人がうかうか入り込める場所ではありませんが」

「確かにそうだ。だが、もし傭兵の中にメイジが紛れていたらどうだ?」

 それを聞いてミシェルははっとした。メイジはほぼ全てが貴族だが、中には地位を失って傭兵に落ちたり、家中で立場の低い者が自ら身を落としたりすることがある。そんな者達はその反動からかプライドが高く、罪を犯しても平民と同じ獄舎につながれるのを頑なに拒む者もいる。そんなとき、看守はやむを得ず貴人用の牢を使うこともあるという。

「急げ! 西の塔だ」

「はっ!」

「あ、待って!! わたし達もいくわ!」

 アニエスとルイズ達は全速力で西の塔へと駆け出した。あっけにとられたギーシュ達は置いていかれた。

 

 すでに太陽は大きく傾き、塔は紅く染められている。

 バム星人が予告した時間は夕方、彼らは間に合ってくれと祈りながら、急な塔の階段を駆け上がり、入り口の扉を蹴破った。

「遅かったな、人間ども」

 そこには、やはりメイジの傭兵に化けていたのだろうしゃれた服を着た星人が、奴に倒されたのだろう看守達を足蹴にしながら待っていた。

「動くな、命が惜しければ、誘導装置を出せ、貴様が持っていることはわかっている」 

 アニエスとミシェルは銃を星人に向かって構えた。

「ふふ、これのことかな?」

 星人は動じるふうもなく、懐から誘導装置を取り出して右手で高くかかげた。

 すかさず、アニエスの銃が火を吹き、誘導装置を撃ち抜く。誘導装置は星人の手から取りこぼされると、床に落ちて一瞬スパークした後、煙を吹き上げた。

 しかし、星人は慌てるそぶりも見せず、むしろ笑いながら言った。

「それで勝ったつもりか」

「なに!? 貴様らの持ち込んだ誘導装置はこれですべて破壊した。貴様らの負けだ!」

「くっくっくっ、確かにもう誘導装置でメカギラスをコントロールすることはできない。本来ならばメカギラスをこの空間に呼び寄せた後、五つの誘導装置が動かすはずだったのだが、万一すべての誘導装置が事前に破壊された場合は、最後に発信があった場所の周辺を無差別に完全破壊するよう切り替わることになっている。城だけ破壊してやるつもりだったが、こうなれば街ごとすべて焼き払ってくれるわ!!」

「馬鹿な!! 貴様もいっしょに吹き飛ぶぞ」

「かまわんさ、どうせ任務にしくじった我に帰る場所はない。覚悟しろ、もう誰にもメカギラスは止められん!! ふはははは!!」

 星人は哄笑しながら、左手に着けていた腕輪の宝玉を押し込んだ。すると、腕輪からピッ、ピッとまるでカウントするような電子音が流れ、それを聞いた才人は思わず絶叫した。

「みんな下がれ!! 自爆する気だ!!」

「なに!?」

 アニエスとミシェルは、踵をひるがえととっさに階段へ転がり込み、才人もルイズを抱きかかえると階段に飛び込んだ。そしてその直後、星人の体は大爆発を起こし、牢屋ごと粉々になって消滅した。

「くぅ、皆無事か?」

「大丈夫です、隊長」

 もうもうとした煙の中からアニエスとミシェルの声が聞こえ、それを聞いた才人は暗闇に向かって返事した。

「俺達も……ん?」

「あんた、どこ触ってるのよ?」

「へ? 腹じゃない、の……か!?」

 なんと、才人の右手はルイズを抱きかかえた拍子に、その胸をしっかりと握り締めていた。

 才人の顔から血の気が引いた。

「ああああああ、あんた、つつつつ使い魔の分際で、ご主人様の胸をつかんで、しししし、しかもそれが腹ですってえ!?」

「お、落ち着けルイズ、に、人間誰にでも間違いはあるから。そ、それに今そんな場合じゃないだろ」 

「安心なさい。二秒よ」

「へ?」

「二秒で、地獄に落としてやるわあ!!」

 夕焼けの空に、二度目の大爆発とともに城中に響き渡るほどの断末魔の叫びがこだました。

 しかし、幸か不幸か才人はかろうじて死んではいなかった。

「あーあー、真っ黒こげになっちゃって。生きてる? ダーリン」

「……今回は過去最大級、記録更新間違いなし」

 遅れて駆けつけてきたキュルケとタバサが、なかば階段にめり込んでピクピクと震えている才人を引きずり出して介抱すると、やがて才人は目を覚ました。

「ここは、天国?」

「あいにくまだこの世よ。しっかしルイズ、胸を触られたくらいでそこまで怒らなくていいじゃない。減るもんじゃなし、あ、あんたの場合は減るものが最初からないか」

「ゼエ、ゼエ……お、お黙んなさいよ。これでもね、ずいぶんと手加減してあげたほうなんだから」

 ルイズは荒い息をどうにか抑えて言ったが、加減したとは信じがたい。

 すると、巻き添えで爆発に巻き込まれていたアニエスとミシェルもすすだらけの顔を拭いてようやく起き上がってきた。

「な、なんという破壊力だ。塔の先端が無くなってしまったではないか……ミシェル? おいミシェル大丈夫か?」

「はは……死んだ父さんと母さんが、お花畑の先に見えました」

「ミシェルしっかりしろ! まだそっちに行っちゃいかん!」

 アニエスは慌てて放心状態のミシェルの肩を揺さぶった。

「はっ!? ここは、天国?」

「安心しろ、まだ現世だ……それより、星人の言っていたことが本当だとすると……」

 だが、アニエスが言い終わるより早く、西の塔からさらに西方に三百メイルほど離れた空に突然歪みが生じ、そこからまるでにじみ出るように銀色の巨大な鉄の竜が姿を現した。

「あれは!?」

 全員の目がその鉄の竜に釘付けになる。竜の全長はおよそ六十メイル、直立し、尻尾を長く伸ばした姿は、それが恐竜型怪獣そのものだということを示していた。

「四次元ロボ獣メカギラス、とうとう来たか」

 才人が言うのと同時に、メカギラスは錆びた歯車のような鳴き声を上げ、ギクシャクと腕と足を動かしながら城に向かって前進を始めた。

「こっちに向かってくるわよ!」

「まずい、全員退避!」

 そのとき、メカギラスの頭部からミサイルが発射され、城壁に穴を空け、城の屋根の一部が吹き飛ばされた。城のあちこちで兵や使用人の悲鳴や怒号が上がり、砕けた煉瓦やガラスの破片が宙へと飛び散る。

 さらに、城のあちこちで火の手が上がり始めた。守る者のいない城は完全に無力でしかなかった。

 だが、このまま星人のおもわく通りにこの城を破壊されるなど許すわけにはいかない。

 ルイズは階段を駆け下りるアニエス達とは逆に、破壊された塔の先端まで駆け上がり、才人を背にメカギラスに杖を向けた。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、この国に仇なす者よ。これ以上の狼藉はこの名にかけてわたしが許しません!」

 高らかなルイズの宣戦布告。そしてそれに答えるように、ふたりのリングも光を放つ。

 次の瞬間、メカギラスの放った破壊光線が、ふたりのいる塔の先端に直撃した。

「ルイズ! ダーリン!」

 階下からふたりを追ってきたキュルケとタバサの目の前で、塔の頂上は今度こそ完全に粉砕され、ふたりの体は天空へと舞い上げられた。

「キュルケ、危ない」

「お前達、早く逃げないか!!」

 愕然とするキュルケの耳に、タバサとアニエスの声が虚しく響く、そしてメカギラスはそのミサイルの照準を今度はキュルケ達に向けて合わせた。

 

 だが、はるか上空へと飛ばされたふたりは、眼下にメカギラスと城をのぞみながら、まるで空を舞うかのように引き合い、夕日のシルエットが重なるとともに、その手をつないだ。

 

「「フライング・ターッチ!!」」

 

 夕闇照らす銀色の光、合体変身、ウルトラマンA!!

 

 

「きゃあああっ!!」

 メカギラスの放った数十発のミサイルが塔へと迫る。それが命中すればこんな塔などそれこそ跡形もなく粉々になってしまうだろう。キュルケは思わず目を覆い、タバサも無念に唇を噛み締めた。

 だが、ミサイルが着弾する寸前、塔とミサイルの間に突然巨大な影が立ちはだかった。

「シュワッ!!」

 ミサイルは、次々と巨体に命中するが、まるで山のようにそびえ立つその巨体を揺るがすことはできない。

 そして、恐る恐る目を開いたキュルケ達の目の前には、夕日を浴びてその身を金色に染めた光の戦士の姿があった。

「ウルトラマン……A!!」

「エースが、また助けてくれた……」

 キュルケとタバサにとっては四回目。

「ウルトラマンA……本当に、また来てくれたのか」

「すごい……」

 アニエスとミシェルにとってはベロクロンとの戦い以来、二回目のエースとの出会いだった。

 ウルトラマンAは、彼女達の無事を見届けると、かん高い機械音をあげて迫り来るメカギラスへ向かって構えをとった。

「デヤッ!!」

 

 

 銀色の巨人と銀色の巨竜、トリステイン王国の命運を賭けて、燃えるような夕日を背にした決戦が始まろうとしている。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第13話  落日の決闘!!

 第13話

 落日の決闘!!

 

 四次元ロボ獣メカギラス 登場!

 

 

 燃えるような夕日の下、その紅い光に照らされてウルトラマンAがトリステイン城を守るように構えている。

 迎える相手はバム星人の作り上げたロボット怪獣メカギラス、巨大なパワーを秘めてミサイルと破壊光線で武装した鋼鉄の巨竜。

 今、両者の銀色の体は夕日に照らされ、まるで黄金のような幻想的な輝きを放っていた。

(こいつを倒さないと、トリステインは滅ぼされるわ。サイト、いつもどおりサポート頑張んなさいよ)

(うーん。こいつに関してはよく分からないんだが、とにかく勝たないと話にならないからな!!)

(来るぞ、ふたりとも!!)

 かん高い音を上げて、メカギラスの頭部からミサイルが放たれてエースの周辺で爆発を起こし、エースは城へ被害を出さないために天高く飛び上がる。戦いが始まった。

 

 

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 その様子はトリステイン城を見上げるトリスタニアの街全域からも眺めることができた。

「おい、大変だ!! 外に出てみろ」

「なんだ、城が、城が燃えてる!!」

「それに、怪獣もいるぞ、戦っているのは……」

「ウルトラマンAだ!!」

 

 空中へ跳んだエースは、メカギラスの頭上を飛び越えて反対側に着地した。

「デヤァッ!!」

 エースはメカギラスの真後ろから飛び掛る。鈍重なメカギラスは急には振り返れずに後ろはがら空きだ。

(もらった!!)

 才人が叫んだように、メカギラスは足をガシャガシャさせているだけでまるで旋回が間に合っていない。だが、メカギラスはそのままの姿勢のままで首だけを関節部から180度回転させると、ミサイルと破壊光線をエースに向かって連射してきた。

「シャッ!!」

 間一髪、エースは側転でそれをかわしたが、流れ弾が街に着弾して各所で火災が発生し始めた。

(街が!)

(待て、今はこいつを倒すのが先決だ。住民達も先のベロクロンとの戦いの後の避難訓練が行き届いている。すぐには惨事にはならない)

 あの炎の下で、いくつの家が焼かれ、いくつの幸せが壊されているのか、それを思うとエースの胸も痛む。しかし、その悲劇を少しでも減らすために、今は心を鬼にしてメカギラスを倒さなければならない。そのあいだにも、夕日の赤い光に、炎の赤が加わり、血の様に街に広がっていく。 

「ダッ!!」

 エースは、首に合わせてようやく旋回が終わったメカギラスに向けて、再び構えをとった。

 

 

 そのころ、エースによって窮地を救われたキュルケとアニエス達は、城中に残っていたWEKCと銃士隊をかき集めていた。

「ギーシュ、みんな無事?」

「ああ、僕らはみんな大丈夫さ。それよりも、これはどうなっているんだい? 敵の計画は阻止したんじゃなかったのか」

「あいにく、敵が悪あがきしてね。だめだった。ね」

「ね、じゃないだろ、どうするんだよ!!」

 ギーシュ達はどうしていいのかわからずに、完全にパニックになってしまっている。

「お前達、静かにしろ!!」

「はいっ!!」

 アニエスは一喝して少年達を黙らせると、銃士隊を見渡して言った。

「全員揃っているな。いいか、第一班は私とともに女王陛下、王女殿下方を城から避難させる。ミシェル、お前は残りの班を指揮して火災の延焼を全員が避難するまでなんとか食い止めろ」

「はっ、隊長、ご無事で」

「お前もな。だが無理はするな、王族と首脳陣の避難が完了したらあとは各自の判断で脱出しろ」

「はっ!!」

 ミシェルは、銃士隊の八割を引き連れると、燃え盛る炎へ向けて立ち向かっていった。

 そしてアニエスは次にギーシュ達を見渡すと、よく通る声で言った。

「それから、お前達!」

「あっ、はいっ!!」

「お前らもミシェル達に協力して消火と城の者達の避難に当たれ、どんな方法を使ってもかまわん。消火不能だと判断したら破壊してもいい。私が責任をとる!!」

「!?」

「どうした、ウルトラマンが怪獣を抑えている今しか猶予はない。早く行け!!」

「はい!!」

 生徒達は、ここでもアニエスの気迫に圧倒されていた。部下の責任を全て自分一人でかぶるなど、簡単に言えるものではない。

 しかし、生徒達にも貴族の子弟としての意地があった。平民に責任を負わせて助かろうなどといった腐った考えを持った者は少なくともこの中にはいない。水や土の系統の使い手は消火にまわり、炎に相性の良くない火や風の系統の使い手は『開錠』や『錬金』を応用して避難経路を造ったり、『レビテーション』や『フライ』で水場から消火用水を運んできたりしていた。

 だが、火災の勢いはそれらの努力をあざわらうかのように徐々に延焼を広げていった。

 

 

 そして一方、アニエスらは王女アンリエッタをはじめとした王族や国の重鎮達を避難させるために謁見の間までやってきていた。

「皆様方、炎がそこまで迫ってきています。ここは危険です、ただちにご避難ください!」

 アニエスは狼狽している貴族や大臣達を、隊員達に命じてなかば強引に退去させていった。

「アニエス、来てくださいましたか」

「女王陛下、姫様も早くご避難ください」

 しかし女王と、王女アンリエッタはかぶりを振って答えた。

「私は最初の戦いのとき、絶対にこの城から逃げ出さないと誓約しました。皆が戦っているというのに王族が敵に背を向けるわけにはいきません」

「姫様、それは違います。今皆が必死に戦っているのは姫様達を安全な場所までお連れし、ひいてはこの国を守るためなのです。敵と戦っての討ち死になら私がどこまでもお供します。しかし炎にまかれて死んでは犬死以外の何者でもありません」

 王族の誇りを守ろうとするアンリエッタをアニエスは必死で説得した。

「わかりました。ただし、王族はこの城の主です。この城から離れるのは最後の一人となってからです。あなた方も、一人も残らず逃げ延びたら、私もここを離れましょう」

「うけたまわりました。それでは、城の東側はまだ火が回っていません。お急ぎください」

 すでにここにも煙が流れ込みはじめて来ている。一刻の猶予も無いが、幻獣などの目立つ乗り物を使ってはいい的にされてしまうので、走って逃げ延びるしかない。

(だがそれも、ここであの怪物を倒せたらの話だ。首都を壊滅させられては、すぐに滅亡はせずともトリステインの国力は激減する。ウルトラマンA、頼む、なんとしてでも奴を倒してくれ)

 熱気を帯びた廊下を駆けながら、アニエスはエースの勝利を切に願っていた。

 

 

 だが、ウルトラマンAはメカギラスを相手に、予想外の苦戦を強いられていた。

(くそっ、バリアか!?)

 メカギラスの弾幕をかいくぐり、掴みかかろうとしたエースはその寸前で、突如見えない壁にぶつかって跳ね飛ばされてしまった。その壁はメカギラスの全体を包み込んでいるらしく、エースのチョップもキックも歯が立たない。なおかつ、メカギラスの攻撃は素通しするらしく、バリアの前で立ち往生しているエースに向かって至近距離から破壊光線を放ってきた。

「グワッ!! ヌォォッ」

 直撃を食らったエースは思わずひざをついてしまった。まだたいしたことは無いものの、これを何発も食らっては危険だ。

(エース、危ない!!)

(!?)

 とっさに右に飛びのいたエースのいたところを、ミサイルと破壊光線の乱射が通り過ぎていき、それが街に当たってまた火災が広がっていく。 

(大変だ、このままじゃ街が燃えちまう!)

(ちょっと、このままじゃせっかく復興したトリスタニアが台無しになっちゃうじゃない!! サイト、あんたあいつのこと知ってるんでしょ、弱点とかないの!?)

(そうは言っても、前のメカギラスは記録にあるのはウルトラマン80が異次元から引きずり出したのを倒したところしかないから、どうやって戦ったのかは分からないんだ!)

 悪いことに、才人の知識には、どうやってウルトラマン80がメカギラスを破ったのかというその方法が無かった。もちろんエースの地球滞在以降に出現した怪獣なので北斗の知識にも無い。少しでも良い材料があるとしたら誘導装置を全て破壊したことで、メカギラスが異次元に逃げこむことと、テレポート攻撃をしなくなっていることがあるが、それを差し引いても、その攻撃力と防御力はすさまじかった。

(もう、だったらあのなんとか光線で決めちゃいなさーい!!)

 しびれを切らしたルイズに思わずエースもびくっとしたが、今はそれしかないかもしれない。エースは上半身を大きく左にひねると、投げつけるようにメカギラスに向かって両腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!!』

 エースの腕から必殺の光線が放たれる。しかし、やはりメカギラスの直前で、まるでガラスにぶつかった水鉄砲の水のようにはじかれてしまった。

(くそっ! メタリウム光線でも駄目なのか!!)

 時間の経過とエネルギーの消費でエースのカラータイマーが鳴りはじめた。

 メカギラスはその場からほとんど動かずに、首だけを旋回させてミサイルと破壊光線を連射してくる。まさに動く要塞だ、だがその鉄壁の防御を破らなくては勝機はない。

 そのとき、さらにメカギラスの破壊光線が飛んできて、とっさにかわしたエースの居た場所で爆発を起こした。

(このぉ、自分だけ一方的に攻撃できるなんて卑怯よ!!)

 思わず怒鳴り声を上げたルイズだったが、その言葉を聞いて才人ははっとした。

(待てよ、向こう側の攻撃は通すってことは……エース!)

(なるほど、目には目を、バリアには……)

 合点したエースは、メカギラスの真正面に立ち、まるで挑発するように身構えた。

 当然、メカニズムの塊であるメカギラスには挑発など意味がないが、その電子の頭脳は、停止した標的に向かって正確に照準を合わせた。

(来る!!)

 メカギラスの両腕が高く上がり、錆びた扉を思い切り開いたようなこすれた鳴き声が上がったとき、エースは両手を高く掲げて、そのまま円を描くように体の前で回転させた。

(バリアには、バリアだ!!)

 瞬間、メカギラスの頭部から発射された破壊光線がエースに殺到する。しかし、それらはエースの眼前に出現した丸い光の壁にさえぎられて、そのままメカギラスへ向けて跳ね返されていった。

『サークル・バリア!!』

 あらゆる光線をそっくりそのままお返しするエースのバリアにはじかれたメカギラスの破壊光線は、メカギラス自身のバリアは素通りするという特性はそのままに、メカギラスのボディを直撃し、その内部の回路や構造体をショートさせ、焼き切らせていく。 

(いまだ、エース!!)

 よろめくメカギラスに向かってエースは跳ぶ。すでにバリア発生装置も破壊されたのか、エースをさえぎるものはない。

「デヤッ!!」

 エースの跳び蹴りがメカギラスの右肩を直撃し、肩の関節部分から盛大に火花が散った。

「テヤッ!!」

 後方に着地したエースはすかさず反転して、今度は左肩にキックをお見舞いした。再び花火のように大量の火花が散り、メカギラスの両腕は力を失ってだらりと垂れ下がった。

(今だ!!)

(とどめよ!!)

 すでにメカギラスは駆動部もやられたのか、全身から火花と煙を吹き始めている。だが、それでも奴は命じられたただひとつの『破壊』というプログラムを遂行するために、体中の関節をきしませてエースに向き直った。

「シュワッ!!」

 エースは胸の前で両腕をクロスさせると一瞬、白い閃光が走った。

「デヤァ!!」

 瞬間的にエネルギーが圧縮され、そのまま両腕を水平にメカギラスに向かって押し出すと、腕の間から三日月形に整形されたエネルギーの刃が飛び出した。

『ホリゾンタル・ギロチン!!』

 これぞ、エースがもっとも得意とするギロチン技のひとつ、水平発射されたカッター光線は狙い違わずにメカギラスの首に命中、関節部を切り裂いて頭部を空中に吹き飛ばした。

 そして、宙に飛んだ頭部が大地にひしゃげた音を立てて転げ落ちた時、残った胴体も完全にコントロールを失ったらしく、小さく爆発を起こした後に両腕が関節部からもげて、あとは積み木の城を崩すかのようにガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。

 

「やったあ!!」

 城の者、街の民、貴族平民、あらゆる身分を問わずに、この戦いを見守っていた者達全員から歓声があがった。

 もちろん、才人とルイズも同様である。

(よっしゃあ、勝ったぜ!!)

(ふん、このわたしにケンカ売ろうなんて百年早いのよ)

 メカギラスを撃破し、得意満面のふたりであったが、そのときエースは厳しい声でふたりに言った。

(いや、まだだ!!)

 ふたりは突然のエースの声にびくりとした。メカギラスは確かに倒したはずだ、なのにまだ何かあるというのか?

「シャッ!!」

 しかしエースは何も言わずに跳ぶと、トリスタニアの市街地の中に静かに降り立った。

 街の人々は、突然やってきたウルトラマンAに驚き、逃げ出す者もいるが、エースはそれにはかまわずに、今の戦いの流れ弾で火災を引き起こした家屋に、両手のひらをつき合わせて向けた。 

「シャッ、デュワッ!!」

 すると、エースの手のひらの間から大量の水が噴出して、炎を覆い、みるみる消し止めていく。

『消火フォッグ』

 エースの能力の使い道は攻撃だけではない。時にはこうして怪獣の被害にあった人々を救い、その被害を最小限に抑えることもできるのだ。

 

「やった、火が消える!」

「火事が消えていくわ、アンナ、ミナ!!」

「よかったな奥さん、これで取り残されてた子供達も助かるぜ!」

「おかあさーん、エース、ありがとー!」

 

 街のあちこちから、人々がずぶぬれになるのも構わずに手を振っているのが見える。

(怪獣を倒しただけでは、まだ戦いは終わったわけではない。戦いのあいまに傷つき、大切なものを失っていく人々のことを忘れてはいけないよ)

 エースにそう諭されて、ふたりは有頂天になっていた自分を恥じた。

 一軒、また一軒と、エースは延焼のひどい家屋から順に消し止めていく。しかし、燃え上がっている家屋は多く、すぐにすべてには行き届かない。だが、エースの行動に勇気付けられた人々は、自分達の手で火災を消し止めようと、力を合わせてバケツリレーなど消火活動に当たっていった。

 そんな人々の様子を、才人は頑張れと声援を上げて、ルイズは気恥ずかしそうに唇をかんで見守っていたが、エースの視界に、炎上し続けているトリステイン王宮が入ると、ルイズはまるで我が身が燃やされているかのように叫んだ。

(エース、城が、トリステイン王宮が燃えてる!! 先に、先にあっちの火を消して!!)

 だが、エースはそれを承諾しなかった。

(だめだ、城はもうほとんどの人が避難し終わっているが、街の延焼は今消し止めないと犠牲者が大勢出る)

(でも、数千年の歴史と伝統の王城を……)

(歴史と伝統は千年あれば作れるが、失われた命は何万年たっても戻ってきはしない。ルイズくん、君にも聞こえるだろう。炎にまかれて苦しむ人々の声が、それに背を向けることが、君にできるのかい?)

 かつて北斗星司として超獣の脅威に苦しみ、道を見失った少年や少女達をはげましたときのように、エースの言葉は貴族として王家のために尽くすか、それとも力無き人々を守るのかと対立するルイズの心を揺さぶった。

 そして、迷うルイズに才人は、少しとまどいながら話しかけた。

(なあルイズ、俺はお前の言う貴族の誇りと義務ってやつは、正直理解できねえ。だけど、その誇りを守るために一生懸命に頑張ってるお前は、本気ですげえと思ってる。けど……)

(……くっ、うるさいうるさい!! どいつもこいつも人の気も知らないで……貴族として生まれた者がどれだけの義務と責任を負うかも知らないくせに!)

(ああ、確かに知らない。けれど、目の前で家族や友を失おうとしている人の涙より重いものがあるのか?)

(…………)

 ルイズは今度は怒鳴りつけることもせずに、言葉にできない感情を才人に向け、才人はそれを黙って受け止めた。才人にとって、目の前の光景は決して他人事ではない。地球も、彼の召喚された当時こそ平和であったが、ほんの数年前までは、毎日のように怪獣や宇宙人の襲来が相次ぎ、ニュースで犠牲になったそれらの人の名前が読み上げられる度に、次は自分かと心の中で思っていた。

 だから、そんななかでいつも必ず駆けつけて、人間のために戦ってくれるウルトラマンの存在は本当に心強かったし、あこがれた。そして、だからこそ才人には、目の前の人々を見捨てることはできなかった。

 

 やがて、街の人達の懸命の努力もあって、市街地の火災は完全に消し止められた。

「ショワッチ!!」

 エースはトリステイン王宮の上空へ飛ぶと、空中で静止したまま消火フォッグを雨のように降らせた。しかし、城の火災はかなりなものに拡大しており、多少勢いは弱まったものの、鎮火のきざしは見せなかった。

 しかも悪いことに、戦いの後の上に長時間消火にエネルギーを消費したために、エースのカラータイマーの点滅は、もはや限界に達しようとしていた。

(くそっ、もう力が……)

 カラータイマーの点滅はウルトラマンの命そのものを表す。その点滅が消えてしまったら、エースは二度と立ち上がる力を失ってしまうのだ。

 だがそのとき、城から脱出していたキュルケ達が、エースのピンチを見て取って、振り返った。

「エースが危ないわ、みんな、エースを助けましょう。城の火をわたしたちで消し止めるのよ!」

 キュルケは、ホタルンガとの戦いで、カラータイマーの点滅が危険を表すものであることを知っていた。しかし、彼女の意気込みとは裏腹に、ギーシュが汗まみれで息も絶え絶えな表情で言った。

「ミ、ミス・ツェルプストー……き、君の言うとおりだ……だけど、もう僕達には、系統魔法どころか、フライひとつ使うだけの精神力も、の、残ってないんだ……」

 そう、トライアングルクラスの使い手で、莫大な精神力を持つキュルケやタバサはまだしも、大半がドットやよくてラインクラスの力しかない少年達の力はすでに限界にきていた。

「あなたたち……まったく、ゲルマニア人のわたしがやる気出してるのに、もう!」

 キュルケは愕然とした。自分にはまだ余力があるから気がつかずにいたが、少年達はもう立つだけで精一杯の力しか残っていない。そして、いくらなんでも自分とタバサだけではエースを助けて城の火を消すなどということは不可能。

(みんな、もういい。早く離れてくれ……)

 皆の声を上空で聞き、エースは残りの力を振り絞って消火フォッグを放つ、だが、炎の勢いは治まらず、もはやこれまでかと思われた。そのとき。

「皆さん、下がってください」

 キュルケ達の後ろから、鈴の音色のような声が響き、生徒達が思わず振り返ると、そこにはトリステイン王女アンリエッタが、アニエスら銃士隊に護衛されて立っていた。

「ひ、姫様!?」

「皆さん、ありがとうございます。あとはわたくしがやります」

 思いもよらぬアンリエッタの言葉に、ギーシュ達トリステインの貴族らは苦しい息の中で必死になって止めようとした。

「ひ、姫様、そんな、危のうございます。早く、ご避難をっ、ゴホッ、ゴホッ!!」

「ありがとう、けど大丈夫です。アニエス、城の中の者は全員避難したのですね?」

「はっ、城内の者は牢獄の罪人にいたるまで一人残らず、間違いありません」

 アニエスの報告を受けて、アンリエッタはこくりとうなづくと、宝玉をあしらった杖を取り出し、そして生徒達を見渡して言った。

「この中に、風系統の使い手で、まだ余力を残している方はいらっしゃるかしら?」

 すると、タバサがキュルケに押されて前に出てきた。

「あなたは……いえ、ごめんなさい。わたしに力を貸していただけるでしょうか?」

 アンリエッタは、タバサの独特の青い髪の色と、見覚えのある顔つきに一瞬気を取られたが、今は気にしている場合ではないと思いあたり、誠実に協力を請った。

「……」

 タバサは何も言わずに首を前に振った。

「ありがとう。では、皆さんは離れて、あなたはわたくしに合わせて風のスペルをお願いします」

 アンリエッタとタバサは横に並ぶと、城へ向かっての呪文の詠唱に入った。系統はアンリエッタが『水』『水』『水』、タバサが『水』『風』『風』の6乗のトライアングル。それらは重なり、増幅しあって、やがて巨大な水の竜巻を作り出した。

 魔法の理論上で言えば、トライアングルクラスの魔法を最高の精度で組み合わせれば、ヘクサゴン・スペルという通常とは比較にならない威力を生むという。しかし、そのためには使い手が最上級であることを前提に、両者のあいだに完璧な同調をも必要とする。まさに理論上での極大魔法であったが、そのとき皆は、竜巻にいびつな形ながらも刻まれた六芒星の輝きを確かに見た。

 竜巻は、城を包み込むと、ゆるやかだが大河の流れのように雄雄しく回転し始めた。炎は水の勢いに押されて次第に小さくなっていくが、まだ火勢は強い。しかし、ふたりの呪文が完成したとき、竜巻はその姿を変えた。

 竜巻に含まれる水分が急速に冷却、凝固を始め、水の竜巻は氷の竜巻に姿を変えていく。

「きれい……」

 誰とも無くそうつぶやいたように、夕日の残光を受けて、氷の竜巻はまるで金塊が飛び交っているように輝いていた。しかも、それは空気中の水分はおろか、エースの消火フォッグの水分までも吸い込み、内部を真空に変えて炎から熱と酸素を奪い取り、あれだけあった火炎を、まるで握りつぶすかのように消滅させてしまった。

「やったやった。火が消えたぞ!」

「やっぱ、王家の魔法は俺達とは段違いだな。王女様、ばんざーい!!」

 竜巻が役目を終えて消滅したとき、太陽は完全にその姿を隠し、代わって双月が輝きだし、銃士隊やWEKCの生徒達、ほかにもこの光景を見ていた大勢の人々から一斉に歓声があがった。

 アンリエッタは、振り返って微笑むと一礼して言った。 

「皆さん、ありがとう。けれど、これはわたくしだけの功ではありません。敵と戦いながら、城の人々を逃がし、炎の勢いを喰い止めてくれた銃士隊と、魔法学院の生徒の皆様がいてくれたからこそ、わたくしが魔法を使うだけの猶予が残っていたのです。そして……」

 彼女はそこで一旦言葉を切り、空を見上げて、星空を背にして見下ろしているエースに語りかけた。

「ウルトラマンA、この国を、再びヤプールの脅威から救ってくださって、ありがとうございます。トリステインの民全員を代表して、心よりお礼を申し上げます」

 そして、優雅に会釈すると、片手を振って感謝の意思を示した。

 エースは、それを見届けると、一度だけゆっくりとうなづいて見せ、満天の輝きを見せる星空へと飛び立った。

「ショワッチ!!」

 人々は、エースの姿が夜空に見えなくなるまで、手を振り、ありがとうと叫びながら見送っていた。

 

「それから、あなたにもお礼を……」

「友達のためにしただけ……気にしなくていい」

 アンリエッタが、タバサにも礼を言おうとしたとき、タバサはもう用は済んだとばかりに背を向けていた。

「待って、あなたはわたくしの恩人です。さきほどの魔法は、わたくしだけではあれだけの力は出せませんでした。それに、あなたのその髪の色と、魔法の才、あなたはもしかして……」

「姫様、もし本当に私に感謝する気持ちがあるなら、それ以上の詮索はしないでもらえますか」

 タバサはそれだけ言うと、友の待つ元へと帰っていった。

(いいえ、わたくしの記憶が正しければ、あなたは間違いなくガリア王家の……しかし、なぜ……?)

 アンリエッタは、タバサの背中を見送りながらも、心の中から湧き上がる疑問を抑えられなかった。

 

 そして。

「おーい、おーい!」

「!! その声は!?」

「サイト、それにルイズも、まったく悪運の強いやつらだ」

 月の光に見守られ、ふたりは仲間達の元へと帰還した。

 

 

 それから数時間後、かろうじて形だけは焼け残った謁見の間に、生徒達と銃士隊の面々が整列して、玉座に座ったアンリエッタの言葉を待っていた。

「皆さん、今回の一件は本当にありがとうございました。おかげで、トリステイン王宮はなんとか機能を失わずに済み、人命の被害も最小限にとどめられました。もう、何度お礼をしても足りないくらいですが、わたくしはあなた方のような頼もしい騎士達を持てて、心から誇りに思います」

 すると、全員を代表してアニエスが前に出て言った。

「もったいないお言葉です。我ら一同、王家の武器としていつでも命を捨てる覚悟はできています。また、戦いのときは我らの命、ご自由にお使いください」

「その忠誠には千の感謝でも足りませんわ。ですが、あなた方の命はまずはあなた方のものです。あなた方の死はあなた方の家族や友人、そしてわたくしの心を痛めるということを忘れずに、最後まで大切に守り抜いてくださいね」 

「はっ!」

 アンリエッタの言葉に、彼らはひざをついて頭をたれ、最高位の敬礼で答えた。なかには、ギーシュのように感極まって涙を流している者までいる。アンリエッタは、しばらくその様子をすまなそうに見ていたが、やがて意を決したように、悲しげな声で彼らに言った。

「さて、実はここで皆様に謝らなければならないことがあります。今回の功績に対して、全員にシュヴァリエの称号を送りたいところなのですが……」

「それに関しては、私から説明いたしましょう」

 申し訳なさそうにしているアンリエッタに代わって、隣に控えていた枢機卿マザリーニが前に出てきた。

 彼の言うところによると、敵の城内侵入をたやすく許してしまったばかりか、陽動作戦にまんまとはまって城を無防備にしてしまった以上、彼らに勲章を与えれば軍の無能をさらけだすばかりか、女子供に手柄をすべて横取りされたと軍内部からも不満が出る、だから今回のことは、軍が出払ったときに偶然敵が襲撃してきたことにして、国民には発表したいということだった。

 もちろん、これには生徒達はおろか、銃士隊の隊員達からも言葉には出さないものの、副長のミシェルなどは貴族のこの汚いやり方に、歯軋りをして怒りを表していた。

 また、破壊されたメカギラスの残骸は、後日王立魔法研究所に運ばれて研究材料にされるとのことだったが、怒りに燃える彼らの耳には届いていなかった。

 だがその一方、彼らの怒りと不満を一身に受けているはずのマザリーニは、落ち着いた表情のまま、残りの句を継いだ。

「以上、"私の"考えに従ってもらうことになる。皆、異論はないな」

 異論も何も、王族を除けば国の最高権力者であるマザリーニの意向に背くことはできない。不満を持つ者達は、(薄汚い鳥の骨め)(王女殿下の心を踏みにじりやがって)(それが貴族のやることかよ)と胸の中で彼を罵倒したが、唯一アニエスだけは微動だにせず頭を垂れていた。

(例え汚く思われても、全体の感情に配慮しなければならないこともある。だが、それを自分の発案だと言い切ることで、皆の不満を一身に集めて、王女殿下に災が及ばないようにするとは、マザリーニ枢機卿、鳥の骨などと揶揄されても、貴方という人は……)

 マザリーニは、これだけの人間からの負のオーラを一身に受けながらも、痩せた体を揺るがせもせずに立っている。いや、彼の立場からしてみれば、こんなものは序の口で、利権争いに貪欲な貴族達との駆け引きでは、それこそこの国を守るために心を鬼にして戦っているのだろう。

 王女以外にも、忠誠をかたむける価値のある人間の存在に、まだこの国も捨てた物ではないなと思い、自身の目的のためにも及ばずながら尽力しようと、アニエスは思った。

  

 やがて、またアンリエッタが皆にねぎらいの言葉をかけて場を和ませた後、この場を締めくくる言葉を述べた。

「銃士隊、そして学院生徒の皆さん。改めて、心よりの感謝をあなた方にささげます。今回は、本当に申し訳なく思いますが、あなた方の活躍は、永久にこの胸にとどめておくことをお約束いたします。そして、あなた方でしたら、次は今回以上の手柄を立てることもできると信じています。そのときは、わたくしの名誉に賭けて最大限の礼を尽くしましょう。共にハルケギニアに平和をもたらさんことを!!」

「杖にかけて!!」「剣にかけて!!」

 生徒達と銃士隊の唱和が、猛々しく城を超えて夜空にもこだました。

 

 その声は、平民で使い魔であるという理由で謁見の間の扉の外にある控え室で待たされている才人とデルフの耳にも届いていた。

「どうやら、話は終わったみたいだな。まったく貴族の話ってやつは長ったらしくていけねえや相棒」

「そうだな。ふぁぁ……俺もう眠いや」

「お前さんは間違っても偉くなれんタイプだね。式典の最中に居眠りしてぶち壊す類だ」

「へん、偉くなんて、なりたくもねえ、や……」

 急激にまぶたが重くなり、それっきり才人の意識は深いまどろみの中へと落ちていった。

「相棒、お前さん今日はよく頑張ったよ。その若さで、たいしたもんさ」

 デルフは才人の背で、我が子をほめる父のようにつぶやいた。

 と、そのとき扉が開き、謁見が終わったルイズやアニエス達が控え室に入ってきた。

 もちろん、いびきをかいて気持ちよさそうに眠っている才人の姿が目に入る。当然、きまずい空気が流れた。

「…………」

「あ、娘っ子……相棒もさ、今日はさ、疲れてたんだよ」

 しかしデルフの声は、ゆっくりと杖を振り上げるルイズの耳には届かない。

 そして……

 

「この、馬鹿犬ーっ!!!」

「わーっ!! ルイズ、ここはまずい!!」

 

 ルイズの爆発魔法が炸裂し、皆は壁際まで吹っ飛ばされて、才人は夢の世界から引きずり出された。

「な、何が……げっ、ルイズ!?」

「あ、あんたってやつは……ご主人様がいないと思って、まあ気持ちよさそうに……」

「ま、待て、話せばわかる!」

 

「うるさーい!!」

 

 本日、最大最後の大爆発が夜空に響き渡った。

 逃げる間もなくキュルケもアニエス達も巻き込まれて伸びてしまい。最後にルイズは精神力の使いすぎで、才人は吹き飛ばされて頭を打ったせいで、ばったりと床に倒れこみ、そのまま寝息を立て始めた。

 

 やがて、轟音を聞きつけた兵士達が駆けつけて、彼らをどかそうとしたが、そこへアンリエッタがやってきて彼らを止めた。

「そのままにしておいて、朝まで寝かせておいてあげなさい」

「しかし、この聖なる王城の床でこのような無礼な真似を」

「いいのです。彼らはこの国とわたくしの恩人、今はそっとしておいて。ああ、風邪をひくといけませんわ、毛布を持ってきてあげなさい。命令ですよ」

 アンリエッタが最後に強い口調で言うと、彼らは慌てて毛布を取りに駆けていった。

「本当に疲れていたのですね。アニエス、皆さん、本当にご苦労様です」

 ひとりひとりの顔を見渡し、最後に突っ伏して眠っているルイズに目をやると、アンリエッタは懐かしそうにその寝顔に語り掛けた。

「ルイズ、あなたは今でも変わりませんね。元気で、真っ直ぐで……」

 ルイズの顔にかかった髪を優しくはらうと、アンリエッタは王城の奥へと静かに去っていった。

 

 続く 



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第14話  剣の誇り (前編)

 第14話

 剣の誇り (前編)

 

 奇怪宇宙人ツルク星人 登場!

 

 

「ウルトラ・ターッチ!!」

 ルイズと才人のリングが合わさり、ウルトラマンAがトリスタニアの街に降り立つ。

 メカギラスの襲来から一夜明けたこの日、トリスタニアは新たな脅威に晒されていた。

 石造りの建物がバターのように切り裂かれ、崩れ落ちた瓦礫を巨大な足が踏みにじる。

 それは、緑色の肌と爬虫類のような顔を持ち、両腕に巨大な刀をつけた怪物。

 その名はツルク星人、かつて地球で数多くの人間を惨殺し、ウルトラマンレオを苦しめた凶悪な宇宙人だ。

「タアッ!!」

 エースは構えをとり、ツルク星人を見据える。だが、いきなり攻撃を仕掛けることはしない。なぜなら、星人の両腕に取り付けられた刀は、例え鉄でも軽々切り裂く恐るべき武器で、直撃されたらウルトラマンでも危ないからだ。

 しかし、両者の均衡は、両手の刀を振りかざして猛然と襲い掛かってきた星人によって破られた。

「シャッ!!」

 エースは宙に飛び、太陽を背にしてツルク星人に空中から攻撃を仕掛ける。星人は、慌てて空へ跳んだエースの姿を追うが、真っ白な太陽の光がその視界を真っ黒に染め上げた。

「デャッ!!」

 必殺キックが星人の顔面に直撃! ふらつく星人にエースは機を逃さずにパンチやキックを打ち込む。だが、視力の戻った星人は猛然と両腕の刀で反撃に出てきた。

 三十メイルはあろうかという巨大な刃がエースに向かって振り下ろされ、間一髪エースは後ろへ飛びのいてかわしたが、星人は蟷螂のように二本の刀を振ってエースを追い詰め、空気を切り裂く音が鳴る度に、建物が切り裂かれて崩れ落ちていく。

 こんなとき、格闘能力に優れたレオならば、星人の刀を受け止めて反撃をおこなえるが、残念ながらエースにそこまでの格闘センスはない。ただし、エースにもレオにはない武器がある。

 そして、完全に調子に乗った星人は、一気にエースを仕留めるべく、両手の刀を同時に振りかざしてエースに飛び掛ったが、実はこれこそエースの狙いであった。

 闘牛のように突進してくる星人に、エースは両手をつき合わせて向けると、その手の先から真赤に燃える灼熱の火炎がほとばしる!!

『エースファイヤー!!』

 火炎は星人の顔面を直撃、突進の勢いでかわすこともできずに見事カウンターの形で命中したそれは、トカゲのような星人の皮膚の表面を瞬時に気化させて、爆発まで引き起こさせた。

 煙が晴れたとき、星人は顔面を黒こげにして両手で傷口を押さえ、反撃も忘れて金切り声をあげてもだえていた。

「テェーイ!!」

 エースは、顔面に大火傷を負って戦意を失った星人に怒涛の攻撃を炸裂させる。

 チョップ、パンチ、キックが星人のボディに次々と吸い込まれ、その体力を削ぎ取っていく。 

「ダァァッ!!」

 とどめに、エースは星人の右腕の刀の峰の部分を掴み、思い切り放り投げた。

 瞬間、地響きを立てて星人は大地に叩きつけられる。そして、フラフラになりながらも立ち上がってきた星人に、エースは体を左に大きくひねり、その両腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!!』

 赤、黄、青に輝く美しい光線が放たれる。だが、なんということか、星人はメタリウム光線が放たれるよりも一瞬だけ早く、残った力で宙へ飛び上がり、光線をかわしたかと思うとそのまま煙のように消えてしまったのだ。

(しまった! 逃げられた)

 まだ星人に逃げを打つ余裕があったことを読み違えたエースは、星人の消えた空を見上げたが、すでに星人の姿はどこにもなかった。残ったのは、青い空と、廃墟となった街を駆け抜ける静かな風のみだった。

「……ショワッチ!!」

 確かに深手は負わせた。だが星人はまだ死んではいない、飛び立ったエースの胸中には一抹の不安がよぎっていた。

 

 

「この犬ーっ!! あんたのせいで奴に逃げられちゃったじゃないのよー!!」

「えーっ!? なんで俺!?」

 変身を解いた後、才人はなぜか激怒しているルイズの理不尽な怒りを一身に受けていた。

「普段役に立たないんだから、こういうときくらいきちんとサポートしてなさいよ。この、この!!」

「そう言われても、まさかあそこで逃げられるとは思ってもみなかったし。それに、俺普段からけっこう役に立ってるんじゃないか?」

 腹が立って反論してみた才人だったが、これがまずかった。

「なあに、あんたご主人様に反抗する気? そう、昨日はあれだけ頑張ったってのに、あの事なかれ主義の鳥の骨のおかげで姫様にまで心労をかけてしまって、これで勝てばお心も晴れると思ったのに、後一歩ってところで」

 それで才人にもルイズの不機嫌の合点がいった。要は姫様命のルイズのマザリーニへの不満の八つ当たりだ。鞭を振り上げるルイズに、こういうときどんな弁明をしても逆効果だと学習してきた才人はとっさに話題を変えた。

「ちょ、それよりも、逃げた星人のことが問題だろ」

 すると、どうにか効果があったようで、ルイズは鞭を下ろすと少し考えて言った。

「ち、まあ、そうだけど……たいして強い奴じゃなかったじゃない。また来ても別に怖くないわ」

 確かに、ツルク星人は両腕の刀を除けばたいした武器は持っていない。かつて宇宙パトロール隊MACはこれに苦戦し、ウルトラマンレオもかなわず敗退したが、当時のレオは地球に来たばかりで、それまでのウルトラ兄弟と比べて格段に技量が劣っていたころだったし、MACも結成されたばかりで、実戦はマグマ星人と双子怪獣のみというあたりだったから仕方が無い。

 ただし、才人が言おうとしているのはそういうことではなかった。

「あいつがヤプールの息がかかっているのはまず間違いない。けど、前回のメカギラスといい、なんで超獣じゃなくて宇宙人を送り込んできたかってのが問題なんだ。大して強くもないやつを」

「? ……そりゃあ、超獣がいなかったからじゃないの?」

 適当に言った答えだったが、意外にもそれは才人の考えを射抜いていた。

「実は俺もそう思う。ここに来る前に、ロングビルさんに話を聞く機会があったんだけど、ヤプールに洗脳される直前に『今エースを倒せるほどの超獣を作り出せるほど余裕が無い』って言ってたそうだ。多分、まだヤプールは次々超獣を作り出せるほど復活してないんじゃないかな」

「だから、手下の宇宙人を使ってるってこと?」

 才人はうなづいた。

 ヤプールは超獣だけでなく、多数の宇宙人をも配下にしていることは知られている。アンチラ星人、ギロン人、メトロン星人Jr.などである。近年ではテンペラー、ザラブ、ガッツ、ナックルの四大宇宙人を操って神戸の街を破壊し、ウルトラ兄弟と激戦を繰り広げたのはまだ記憶に新しい。しかもこの場合は本人達も自覚せぬうちに精神を支配され、操り人形にされていたというのだから恐ろしい。 

 また、そうでなくてもバム星人のように侵略の分け前を狙ってヤプールにつく宇宙人も大勢出てくることだろう。

 だがルイズはまだことの深刻さを理解してはいないようだった。

「別にけっこうなことじゃないの? 超獣なら苦労もするけど、あんなやつしかいないならエースなら楽勝でしょ」

「そりゃ巨大化したならな、けど宇宙人は頭がいいから……」

「あーっ! もういいわよ。どっちみちまた出たならやっつければいいだけでしょ。それよりもうすぐ学院に帰る馬車の時間よ。昨日のことはしょうがなかったけど、これ以上サボるわけにはいかないからね」

 そうだ、ルイズはあくまで学生で、授業を受けなければならないという義務がある。そして、本来そちらが怪獣退治より優先されるべきことなので、才人も強くは言えなかったが、どうしても逃げたツルク星人のことが気になって、もう一度だけ頼んでみた。

「なあ、もう一日この街にとどまれないか?」

「だめよ、さっさと帰らないと授業についていけなくなるわ。あんたわたしを留年生にするつもり? 心配しなくても、あれだけ深手を負わせたんだから当分出てこないわよ。出てきたらそのときは学院にも連絡が来るから、飛んでいけばいいでしょ。さっさと行くわよ」

 残念ながらにべもなかった。

 しかし、ツルク星人の行動パターンから、どうしても心のなかから不安が消えることはなかった。

 そして、才人にはどうしても気になることがもうひとつあった。それは地球で2006年から2007年に異常に怪獣や宇宙人が頻繁に襲来してきた時期、それが実はヤプールが特殊な時空波を使って呼び寄せていたためであり、もし、ハルケギニアでも同じことをされたら……

 

 

 その後、魔法学院に帰ったルイズ達は午後からの授業に出席し、その間才人はルイズの部屋の掃除や、街であったことのオスマン学院長への報告、その後は食堂の手伝いをしてシエスタ達と夕食を食べて夜を迎えた。

「ふわぁぁ……じゃ、明日またちゃんと起こしなさいよね」

「ああ、お休み、ルイズ」

 部屋の明かりが消え、ルイズはベッドで、才人はわら束でそれぞれ横になった。

 

 それから数分後、ルイズが寝息を立て始めたのを確認すると、才人は静かに起きだして出かける支度を整えると、部屋を抜け出してオスマンに会って事情を説明し、ロングビルに馬を一頭貸してもらうように話をつけた。

 厩舎は、さすがに深夜のため静まり返っていたが、なぜかそこで見慣れたメイド服を見つけてしまった。

「シエスタ?」

「あっ、サイトさん! ど、どうしてこんなところに!?」

「それはこっちの台詞だよ。女の子がひとりでこんな人気の無い場所にいたら危ないだろ」

「い、いえわたしは同僚が急病で、代わりに厩舎の見回りに来てたんですが、サイトさんこそなんでこんなところに?」

 どうやら、鉢合わせしたのは本当に偶然だったらしい。だが、これもなにかのめぐり合わせと、才人は部屋に残したままのルイズのことを頼むことにした。

「そうだ、ちょうどいいや。ちょっと街まで行くから馬を一頭借りていくよ。学院長にはもう話を通してあるし、何も無ければ朝には帰ってくる。けど、もし戻れなかったときはルイズによろしく言っといてくれ」

「えっ、どういうことですか!?」

「ちょっと気になることがあってな。あいつに授業サボらせるわけにはいかないから俺一人で行ってくる。洗濯がどうとか言うと思うが、悪いけど適当に相手してやってくれ」

 そう言うと、才人はロングビルに比較的大人しくて扱いやすいと言われた馬にまたがると、不慣れな手つきながら手綱を握った。 

「じゃあシエスタ、頼めるかな?」

「わかりました。事情はわかりませんが、何かお考えがあってのことですね。ミス・ヴァリエールのお世話はお任せください。けど、早く帰ってきてくださいね」

 心配そうに見つめているシエスタに、才人は出来る限りの笑顔を向けると、ルイズの見よう見まねで馬に鞭を入れて、夜の街道へと走り出した。

 

 

 

 一方そのころ、トリスタニアの街では、深夜だというのに街中をたいまつやランタンを持った兵士が行きかい、まるで昼間のように騒々しい体をなしていた。

「おい、そっちにいたか?」

「いや、こっちはいない」

「おい!! 五番街のほうでまた二人やられてるぞ」

「なに!? くそっ、これでもう十五人目だ、いったいどうなってやがるんだ」

 街中を右往左往する彼らの中を不吉な情報が飛び交っていく。

 

 事の発端はこの二時間ほど前、酒場から自分の屋敷に帰ろうとしていた、ある中級貴族が突然襲撃されたことから始まった。

 襲撃者は、いきなり彼らの眼前に現れると、先導していた従者を斬り殺し、一行に襲い掛かってきた。もちろん、その貴族は酔いを醒まし、即座に『エア・ハンマー』の魔法で迎え撃ったが、なんとそいつはジャンプして空気の塊を飛び越すと、そのまま目にも止まらぬ速さで次の呪文を唱えている貴族を鋭い刃物で胴から真っ二つにしてしまったのだ。

 残った使用人達は、主人が殺されるや、蜘蛛の子を散らすようにバラバラになって逃げ出した。そのうちの一人が衛士隊の屯所に駆け込み、事を話すとただちに詰めていた二十人ほどの衛士が現場に急行したが、すでに犯人の姿は無く、無残な遺体を目の当たりにして、彼らは口を覆った。

 だが、この夜の悪夢はまだ始まったばかりであった。

 引き上げようとする彼らの元へ駆けて来た伝令が、二リーグほど離れた場所での同様の事件を報告してきたのを皮切りに、街のいたるところで貴族、商人、見回りから物乞いにいたるまで次々と殺人が起きていることが明らかとなり、衛士隊はこれが自分達の職務を超えていることを知って、王宮に救援を求めるとともに、非番の者も召集してのトリスタニア全域の一斉封鎖を開始した。

 

 しかし、千人近くを動員しての捜索にも関わらずに、犯人の行方はようとして知れなかった。

 唯一、目撃者の証言によれば、悪魔のような風体をした亜人で、両腕に巨大な刀をつけていて、猿のように身軽であることがわかっているくらいだった。

「おい、裏通りでまた一人殺されてる!」

「ちきしょう、いったいどこに隠れてやがるんだ」

 彼らの必死の捜索も虚しく、犠牲者の数は増え続け、遂に首都全域に戒厳令が敷かれるにいたった。

「こちら、王立魔法衛士隊です。現在トリスタニア全域に戒厳令が公布されました。市民の皆さんは許可があるまで決して屋外に出ないでください。外出している人は、すみやかに最寄の建物に入ってください。こちらは王立魔法衛士隊です。非常事態により、現在トリスタニア全域に戒厳令が敷かれています……」 

 上空からヒポグリフやグリフォンに乗った騎士達が、鐘を鳴らしながら市民に呼びかけていた。混乱を避けるために、正体不明の殺人鬼が徘徊していることは伏せられていたが、慌しく駆け回る兵士達の姿を見たら、いやがうえでも住民の不安はつのる。もたもたしている時間は無かった。

 

 そして、それから一時間後に、必死の捜索が実り、遂に街道近くの馬車駅で怪人を捕捉することに成功した。

「屋根の上だ、取り囲んで退路を塞げ!!」

「照明だ、奴を照らし出せ!!」

 兵士達が駅の周りを取り囲み、魔法衛士隊が空中から目を光らせる。

 そして、火系統のメイジが放った魔法の明かりがそいつを照らし出したとき、とうとう怪人はその禍々しい姿を人々の前に現した。

 歪んだ鉄のマスクのような顔と赤く爛々と光る大きな目。しかもその顔の半分はどす黒く焼け爛れていて醜悪さを増し、さらに黒々とした体表と手の先にだけ毛を生やし、両手の先を死神の鎌のような巨大な刀にした姿はまさに悪魔と言うにふさわしかった。

「あ、亜人?」

「いや、悪魔、ありゃ悪魔だ!!」

 兵士達の間に動揺が走る。その隙を怪人は見逃さなかった。

「跳んだ!?」

 壊れた弦楽器のようなこすれた声をあげ、怪人は屋根の上から人間の5倍以上はある跳躍を見せ、眼下の兵士達に襲い掛かった。

 たちまち逃げる間もなくふたりの不幸な兵士が鎧ごと胴体を真っ二つにされて息絶える。もちろん、怪人の攻撃はそれで終わりはしない。

「む、迎え撃て!!」

 隊長の叫びで、恐怖に支配されかかっていた兵士達は、それから逃れようと叫び声をあげて怪人に斬りかかっていくが、その勇敢だが無謀な行為はすべて彼らの死であがなわれた。

「平民共、どけ!!」

 あまりにも一方的な展開に、魔法衛士隊が高度を下げて参戦してきた。別に平民を助けようとか思ったわけではなく、兵士達がやられている間何をしていたのかと後で叱責されるのを避けるためだったが、結果的に兵士達は逃げ延びる時間を得ることができた。

「エア・カッター!!」「フレイム・ボール!!」

 魔法衛士隊は高度二十メイルほどから攻撃を開始した。それ以上高くては闇夜で狙いを定められず、低くては反撃を受ける恐れがあるための絶妙な位置加減だったが、怪人の身体能力は彼らの予測を大きく上回っていた。

 怪人は、放たれた魔法を俊敏な動作ですべて避けきると、そのままジャンプして両腕の刀を二閃させ、ヒボグリフとその主人を兵士達同様に切り裂いてしまった。

「そんな馬鹿な、あいつは本物の悪魔か!?」

 王国最精鋭の魔法衛士隊ですら軽々と餌食にしてしまった怪人に、否応も無く兵士達の恐怖心はつのる。

 残った魔法衛士隊は仲間のあっけないやられ様に怒りを覚えたが、同時に未知の敵への恐怖心も強く、高度を上げて逃げてしまい、地上の兵士達は再び死神の鎌の前に差し出された。

「うわあっ、た、助けてくれえ!!」

 すでに兵士達は逃げ惑う羊の群れでしかなかった。 

 怪人は、まるで狩りを楽しむかのように彼らの背後に迫っていく。

 

 だがそのとき、怪人の足元に突然多数の銃弾が殺到して火花を散らせ、怪人の動きが止まった。

 

「王女殿下直属銃士隊、参る」

 それは、王宮から急行してきたアニエス率いる銃士隊の放った援護射撃だった。

「第二射、撃て!!」

 副長ミシェルの命令で後列に構えていた隊員達が銃を放つ。彼女達の装備している銃は前込め式の単発銃なので連射するためには射手が複数いるか、あらかじめ銃を複数持っているしかないからだ。

 だが、怪人は立ったままほとんどの弾丸をその身に受けたにもかかわらず、平然としていた。

「銃が効かんか、なら切り倒すまでだ、かかれ!!」

 副長の命令で銃士隊は全員抜刀して怪人を包囲しにかかった。

 銃士隊は、王女の直属警護部隊に抜擢されるだけあって、接近戦では一人で一般兵士の五人分に相当する強さを見せるとも言われ、さらに集団戦法を用いれば無類のチームワークで凶暴な亜人とも渡り合うこともできる。

 今回の戦法は、かつて辺境の村を襲ったオーク鬼を包囲し、集中攻撃で仕留めたときの布陣であったが……

「やれ!!」

 合図とともに二人の銃士隊員が同時に斬りかかる、しかし怪人はそれより早く動いて一人を切り伏せると、返す刀でもう一人に襲い掛かり、とっさにその隊員が盾にしようとした剣ごと彼女を切り裂いてしまった。

「ミーナ、シオン!! おのれっ!!」

 仲間を殺され、怒る隊員達の声が夜空に響く。だが、怪人はまるで殺しを楽しむかのように刀をゆらゆらと剣を振って余裕を見せてきた。

「なめているな! こうなれば一斉攻撃だ。全員かかれ!!」

 ミシェルの声とともに隊員達は一斉に剣を振りかぶる。

 だが、彼女が指揮を執っていることに気づいた怪人は隊員達が動くより早く、刃を彼女に向けて飛び掛ってきた。

「くっ!?」

 とっさに剣を抜いて受け止めようとしたが、一刀で剣の刃を根元から切り落とされて、丸腰にされてしまった。

 そしてその悪魔の刃が次にミシェルの首を狙った、そのとき。

 

「待てーっ!!」

 

 馬の蹄の音とともにやってきた叫び声が彼女達の動きを止め、怪人もそちらに注意を向けた。

 

「あいつは!?」

 彼女達はその声と姿に覚えがあった。

「ツルク星人ーっ!!」

 そう、二時間前に学院を出発した才人がようやくトリスタニアに駆けつけてきたのだ。

 彼は、駅で暴れているのがツルク星人だと知ると、すぐさま馬を駆けさせ戦いに割り込んだ。

 等身大ではすさまじく素早いツルク星人にはガッツブラスターは通用しない。彼はデルフリンガーを引き抜くと馬から飛び降りた。すると、左手のガンダールヴのルーンが輝き、彼に銃士隊さえ超える俊敏さが備わり、そのまま勢いのままに上段から思い切り振り下ろした。

「くっ!」

 だがやはり正面からの攻撃では星人に避けられてしまった。さらに、体勢を立て直そうとしたところに星人が右腕の剣を振り下ろしてくる。才人はなんとかそれを受け止めたが。

「相棒、伏せろ!!」

「!?」

 デルフの声に従い、才人はとっさに身をかがめた。直後、彼の首のあった空間を星人の左手の刃が風を斬りながら通り抜けていった。

「次は左だ!! かわせ!!」

 息つく間もなく星人の攻撃は続く、才人はデルフの指示に従って、嵐のような星人の連続攻撃をしのぐ。

 自称伝説の剣であるデルフリンガーはなんとか星人の刀との打ち合いに耐えていたが、ガンダールヴで強化された才人の動体視力を持ってしても、星人の二本の刀の攻撃は見切りきれずに、どんどん追い詰められていった。

「うわあっ!?」

「相棒!!」

 ついに才人は星人の剣撃に耐えられず、デルフリンガーごと吹っ飛ばされてしまった。

 地面に倒れこむ才人にとどめを刺そうと星人の剣が迫る。そのとき!!

 

「でやぁぁっ!!」

 

 突然飛んできた一本の剣が、いままさに才人に向かって剣を振り下ろそうとしていた星人の顔の中央に突き刺さった。

 その剣は、星人の頑強な皮膚に阻まれてほんの数サントしか刺さっていなかったが、それでも星人は顔面を押さえて苦悶し、金切り声をあげると、夜の闇の中へと跳躍して姿を消した。

 

「や、やった……」

「隊長……」

 その剣はアニエスが投げたものだった。彼女は星人の気配が完全に無くなったのを確認すると、隊員達に負傷者の収容をするように命じて、才人とミシェルに向かい合った。

「また会ったな、少年。確か、ヴァリエール公爵嬢の使い魔だったか、先日はお前のおかげで大変世話になったな」

「あ、その節はどうも」

 どうやら、ルイズの爆発に巻き込まれて城の床で一晩越させさせられたのを根に持たれていたらしい。

 しかし、嫌味はそのくらいにしてすぐさま本題に入ってきた。

「さて、お前はさっきあの怪物のことを"ツルクセイジン"とか呼んでいたな。しかも、ヴァリエール嬢は魔法学院に帰ったというのに、使い魔のお前だけがこんな時間にこんな場所になぜいる? お前は何を知っているんだ」

 有無を言わせぬ強い口調と、嘘を許さぬ鋭い眼光でアニエスは才人に迫った。

 才人は、ごまかしきれないと思い、知っていることを話すことにした。

「あいつはツルク星人、昨日城を襲ったバム星人と同じく、昔俺の国を荒らした奴の仲間で、多分ヤプールの手下さ。昼間エースに深手を負わされたから、もしかして仕返しに来るんじゃないかと思って来てみれば案の定だったよ」

「昼間エースに? あの怪獣のことか? だが奴はあれとは姿形がまったく違うぞ」 

「ツルク星人は巨大化時と等身大時では姿がまったく違うんだよ。ただ、両腕の鋭い刀と、昼間の戦いでエースの火炎でつけられた顔面の火傷の跡はそのままだったろ」

 怪訝な表情をするアニエスに才人は、ツルク星人の特徴を説明していった。等身大と巨大化時で姿がまったく違う星人には、他にカーリー星人、バイブ星人、ノースサタンなどがいて、どいつも等身大時は並外れた格闘能力を誇る。おそらくは状況に合わせた星人なりのタイプチェンジなのだろうが、ツルク星人はその中でも特に凶悪で残忍な部類に入る。

「なるほど、わかった。しかし、ウルトラマンさえ取り逃した相手を、たった一人で止めようとは、剣術に優れているのは分かるが、自惚れているのではないか?」

 するとデルフが鞘から出てきて、カタカタとつばを鳴らしながらアニエス達に言った。

「確かにそうかもな。だがな、さっき相棒が飛び込まなかったら、そっちの副長どのは間違いなく殺されていた、いやあ、そのまま全滅していただろうな」

「なに、貴様!!」

「よせミシェル、少し頭を冷やせ。それで、講釈はもうそれで十分だ。あと聞きたいことはひとつ、奴の仲間は昔貴様の国で暴れていたと言ったが、そのときはどうやって倒されたんだ?」

 さすが、現実的な思考をしているなと才人は感心した。あれだけの力の差を見せ付けられながら、もう次に勝つ手段を模索しているとは。

「ああ、以前はウルトラマンレオ、エースの仲間だけど、彼が戦ってくれたんだが、最初の戦いでは残念ながら星人に負けてしまったんだ」

「ウルトラマンが、負けた!?」

「ウルトラマンだって、別に神じゃない。あんたらもさっき見ただろう、奴は剣の一撃目をかわしても、受けても、もう一本の刀で二段攻撃を狙ってくる。それをかいくぐって星人本体を狙うのは並大抵のことじゃない」

「だが、最初の戦いということは、彼は次の戦いで奴に勝ったのだろう。言え、星人の二段攻撃を破り、奴を倒したその戦法を」

 才人は少し逡巡したが、やがて一言だけ口にした。

 

「三段攻撃だ」

 

 

 続く



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第15話  剣の誇り (後編)

 第15話

 剣の誇り (後編)

 

 奇怪宇宙人ツルク星人 登場!

 

 

 軍民合わせて百人近い犠牲者を出した恐怖の夜が明けた。

 市街地は警戒する兵士達が行きかい、戒厳令が解除された後は、それらのほかに、いくつも運ばれていく棺や涙に咽ぶ遺族達の姿が途切れない。

 不吉な光景は不安を呼び、平日だというのに出歩く人は少なく、用が済めば家に立てこもって固く鍵をかけて閉じこもってしまう。

 さらに噂は噂を呼び、不安は幻影の殺人鬼像を作り出し、トリスタニア全域が見えない恐怖に包み込まれていた。

 

 

 そんななか、王宮内での兵士達の鍛錬場では、銃士隊隊長アニエス、副長ミシェル、そして才人が抜き身の剣を構え、対ツルク星人のための作戦を練っていた。

 才人からの情報により敵の正体は知れたものの、たった一体でトリステイン軍すべてを翻弄するような相手には正攻法では勝ち目がない。そして、人間大で暴れまわる相手にはウルトラマンの援護も期待できない。トリステインの人々は、今初めて自分自身の力のみで侵略者を打ち倒さなければならない事態に向き合おうとしていた。

 

「ひとつの技にはひとつの技で勝てる。しかし二段攻撃には三段攻撃しかない」

 

 俊敏な動きと、両手の刀を使った二段攻撃を操るツルク星人を倒すには、かつてウルトラマンレオが用いた三段攻撃の戦法を使うしかない。だが、ウルトラマンレオほどの身体能力の無い人間の身で三段攻撃を習得するのは一朝一夕のことではない。

 そこでアニエスが考案したのが、三段攻撃を変形させて一段を一人が受け持つ、三身一体の戦法であった。

 これは、星人の第一刀を最初の一人が受け止めた後、二人目が星人の二段攻撃を防ぎ、間髪いれずに三人目が星人にとどめを刺すといったものであった。

 だが、現状唯一星人に対抗できそうなこの作戦が決定したとき、銃士隊の隊員達に別の意味での緊張が走った。それは、この戦法が三人で行う以上、誰がやるのかということだった。剣技の順から考えて、隊長、そして副長は間違いない、問題は三人目である。皆が息を呑んでアニエスの発表を待った、しかしその口から出たのは信じられないような言葉だった。 

「この作戦はまず、変幻自在に繰り出される奴の第一撃を受けられるかどうかにかかっている。その役目を少年、お前がやれ」

「えっ、俺が!?」

 いきなりアニエスに指名されて才人はとまどった。ツルク星人の討伐には参加するつもりではあったが、手だれぞろいの銃士隊の隊員達を差し置いて自分が選ばれるとは思ってもみなかった。

 当然、他の隊員達からもどよめきが起こる。大事な先鋒をいきなり現れたよそ者に任せるとは、隊長は何を考えているのだ。

「奴の攻撃は並みの人間では見切りきれん。腹立たしいが、私の見た限り奴の太刀筋を見切れる動体視力を持つのはお前だけだ」

「は……いえ、了解です!」

 そうまで言われては才人にも断る理由は無かった。形ばかりの敬礼ではあるが、精一杯のやる気を示す。

 隊員達も、昨晩のことを思い出して口をつぐんだ。押されていたとはいえ、まがりなりにも星人と打ち合いができたのはこの少年だけ、隊長は現実的な判断をしたのだと。

 

「よし、二撃目はミシェル、お前だ」

 これは妥当な人選であったので文句は出なかった。副長という肩書きが示すとおり、彼女の剣技はアニエスに次ぐものであることは誰もが知っている。

「はっ! ですが、彼のインテリジェンス・ソードはともかく、我々の剣は奴の剣との打ち合いに耐えられませんが」

「王宮の魔法使いに依頼して『固定化』の魔法を限界までかけてもらう。一撃くらいは耐えられるはずだ。そして、とどめの三撃目は私がやる。いいか、奴は今晩も必ず現れるだろう。それまでになんとしても三段攻撃を会得しなければならん。覚悟しろ!!」

 三段攻撃を会得できるまで地獄を見せるというアニエスの叱咤に、才人とミシェルは身を引き締めた。

 

 

 そして地獄の特訓はスタートされた。

 方法は、手だれの銃士隊員二人の連続攻撃を才人とミシェルが受け止め、アニエスの攻撃につなげるというものだったが、当然真剣を使った実戦さながらのものであり、しかも三人の間に一糸乱れぬ完全な連携が要求されたために、訓練は難航した。

 

「馬鹿者!! 反応が遅い、それでは二撃目に間に合わんぞ」

「小僧!! それでは二撃目をミシェルが受けるスペースが無いぞ!!」

「もっと剣の根元で受けろ、深く受け止めなくてはすぐに逃げられるぞ!!」

「本物の星人はもっと速いんだ、目を見開け!! 瞬きをするな」

 

 アニエスの怒鳴り声がする度に最初からやり直され、日が高く昇るころには相手役の隊員達も10回近く交代し、二人とも肩で息をしているような状態になっていた。

 もちろん、アニエス自身も二人に合わせて攻撃できるように突進を繰り返し、全身汗まみれになっているのには変わりない。相手役の隊員には代わりがいるが、この三人に代役はいないのだ。

 

 だがやがて、あまりに過酷な訓練に隊員のひとりが根を上げて叫んだ。

「隊長、こんなことやっても無駄です。こんなことであの悪魔に勝てるわけがありません!」

 隊員達の間には、昨夜の戦いの絶望的な様子が焼きついていた。人間をはるかに超えた星人に対する恐怖感は地球人もハルケギニア人も変わりない。

 すると、ほかの隊員達もそうだと言わんばかりにアニエスに詰め寄ってきた。

「魔法を軽く避けて、二十メイルはジャンプするんですよ。人間に捉えられるわけがありません」

「そうです。それに、無理に相手しなくても、そのうち巨大化したところをウルトラマンAに倒してもらえばいいじゃありませんか、第一、元はといえばウルトラマンAがあいつを取り逃したのが原因なんですし!」

 口々に特訓の中止を訴える隊員達を、アニエスは黙って聞いていたが、やがて大きく息を吸うと、剣を振り上げこれまでにない声で一喝した。

「黙れ!! 今弱音を吐いた奴、全員首を出せ。いつから銃士隊はそんな意気地なしばかりになった!! ウルトラマンに任せればいい? 今荒らされているのは誰の国だ!! 我々は何のために陛下から剣を預かっているのか忘れたか」

 阿修羅のようなアニエスの怒り様に、隊員達は完全に気圧されて言葉を失った。

「し、しかし……」

 それでも、何人かの隊員はまだ食い下がろうとしたが、そこでデルフリンガーを杖にして休みながら見守っていた才人が割り込んだ。

「恐らく星人はもう二度と巨大化しないよ」

「な、なに、なんでそんなことがわかる!?」

「巨大化したところでウルトラマンAには敵わないのがわかっているからさ。だから小さくなって直接人間を襲いにかかってきたんだろう。ずる賢い奴さ」

 隊員達は絶句した。

 確かに、ツルク星人はウルトラマンAの敵ではない。だがそれはエースと比較すればの話で、星人の身体能力と武器は人間のそれをはるかに上回る。現に、たった一晩暴れただけでトリスタニア中が恐怖に包まれ、都市機能にも影響が出始めている。

 アニエスは全員を見渡して言った。

「このまま奴の好きにさせたら、一月と経たずにトリスタニアは人の住めない死の街になる。そうなれば、もう後はヤプールの思うがままだ。魔法では奴を捉えられん以上、剣には剣を持ってあたるしかない。そして、それしかないなら、我々がやらずに誰がやる!? 誰がやるんだ!!」

 もう、反論できる者などいなかった。

「だがチャンスは、奴がウルトラマンから受けた傷が癒えていない今、おそらく今晩が限界だろう。それを逃したら、もう奴を倒す機会は永遠にやってこない。不満を垂れる前に、自分達の剣にかかった重みを考えてみろ!」

「…………」

 無言で、特訓は再開された。

 誰も一言も発せず、ただアニエスのやり直しを命じる声だけが何度も響いていた。

 

 

 そして、太陽が天頂に達したとき。ようやく休憩の許可が下りた。

「よし、午前の訓練はここまでだ。全員、食事と休息を充分にとっておけ」

 アニエスはそれだけ言うと、訓練場を立ち去っていった。

 

 銃士隊は、食堂を使うこともあるが、野戦の訓練もかねて訓練場で空を見ながら食事をとることも多い。

 メニューは、黒パンに牛乳、あとは野菜スープと干し肉にチーズと、栄養価は考えられているが味気ないものばかりだったが、学院でルイズに"犬のエサ"を食わされ慣れている才人には全然問題なかった。

 それに、特訓のせいで疲れているからまずいなどという味覚はどこかに飛んでいた。空腹は最高の調味料とはよく言ったものである。

 いや、というよりも才人にとって味覚より視覚のほうが腹を満たしていたかもしれない。なぜなら、いっしょに食事をとっている銃士隊の隊員達は全員若い女性の上に、一人の例外もなく美人揃いである。そんななかに一人だけ男が混ざっていたら、どちらを向いても花畑でちょっとしたハーレムのようなものであった。

 これを学院に残っているWEKCの少年達が見たら、死ぬほどうらやましがるだろうし、ルイズが見たら灼熱怪獣ザンボラーのごとく怒り狂うだろうが、幸せいっぱいの才人の脳髄はそんなことに気を使うキャパシティはない。

 

 やがて、食物を全部胃袋に放り込んで満腹になった才人は、次の訓練開始までできるだけ休んでおこうと芝生に腰を下ろしたが、そのとき突然後ろから声をかけられた。

「おい貴様」

 振り返ると、そこには銃士隊副長のミシェルがいた。

「あ、なんですか?」

「立て……ふん、貧相な体つきだな。始めに言っておく、私は貴様のことが気に食わん、確かに貴様の能力はこの目で見た。昨日結果的に助けられたのも認める。しかし私はどこの馬の骨とも知れん奴に背中を預けて戦うつもりにはなれん」

「まあ、そりゃそうでしょうね」

 頭をかいて苦笑しながら才人は答えた。

 傷つく言葉だが、才人はミシェルの言葉を否定する気にはまったくなれなかった。自分の人並みはずれた剣技はガンダールヴとかいう訳の分からない使い魔のルーンのおかげだし、昨日今日会ったばかりの奴を信用して命を預けろというのがそもそも無茶なのだ。

「だが、隊長の命令である以上、私はそれに従って戦わねばならん、それが銃士隊副長である私の義務だからな。しかし、お前は銃士隊ではなく、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔だ。本来はこの戦いになんの義務も責任もない。ならば貴様はなぜ主人を置いてまでここに来た? なぜ何の関係もないはずの戦いに自ら命を張ろうとする。それだけは答えてもらおう」

 才人は、ミシェルの問いに苦笑いすると、きまずそうに、だが真っ直ぐに目を見据えて答えた。

「別に、そんなたいした理由はないです。ただ、俺は知識から星人が等身大で人間を襲うことを知っていて、トリスタニアの人々が狙われるかもしれないことがわかっていた。だから、どうしても不安でほっておくことができなかった。それに、望んだわけじゃないけど、俺には人よりうまく武器を扱える魔法をかけられちまったから、力が無かったから何も出来なかったなんて言い訳はもうできないんです」

「はっ、呆れたな、そんなことのために貴様は死ぬかもしれない戦いに駆け込んできたわけか」

 ミシェルの見下す目がさらにきつくなった。

「だから、たいした理由は無いって言ったでしょ。まあ、強いて言うなら……命がけで俺達を守ってきてくれたウルトラマンに、少しでも応えられるようになりたい、あんなふうに強くなりたいと思ったからです」

 才人は心の奥にあるあこがれをそのまま口に出した。

「そうか、だがそのために死ぬことを怖いとは思わんのか」

「そりゃ怖いです。本当はみんなまかせて知らんふりをしていたい。けれど、ここで逃げ出したら、俺は自分だけじゃなくて、ずっとあこがれてきた自分のなかのウルトラマンまで裏切っちまうことになる。そうしたら、俺はもう俺じゃいられなくなる……ウルトラマンを真っ直ぐに見ることができなくなる」

 ミシェルは、その答えをじっと聞いていたが、やがて呆れが呆れを通り越して感心にいたったように苦笑いすると、やや声のトーンを落として言った。

「ふん、臆面も無くそんなことを言えるとはたいしたものだ。貴様はよほどの馬鹿か、それともよほどのガキか……だがまあ想像していた以上の答えはいただけた。今回限りだが、貴様に私の背中を預けてやろう」

「あ、期待にそえるように頑張ります!」

「だが勘違いするなよ。私はまだ貴様を信用したわけじゃない。この作戦の要は貴様が奴の第一撃を抑えられるかどうかにかかっている。次の訓練で完璧にそれを身につけてみろ、いいな」

「はいっ!!」

 元気良く答えた才人に、ミシェルもようやく相貌を崩してくれた。

「ふ、元気だけはいいな。そうだ、ついでにもうひとつ答えろ、ウルトラマンはお前のいた国とやらでも人間を守って戦っていたそうだが、なぜ彼らは命を賭してまで人間のために戦うのだ?」

「それは、俺にも詳しくはわかりません。ウルトラマンが人間に語りかけることはほとんどないんです、ただ……」

「ただ……?」

「ウルトラマンは……みんなすごく優しいから」

 才人は目を輝かせてそう答えた。ウルトラマンは、ただ戦うだけの戦士ではない。悪意のない怪獣の命は奪わずに、時には人々の命を守るために盾となって敗北を喫したり、卑劣な罠に落ちたりもする。

 けれども、そうした無言の優しさがあるからこそ、人間もウルトラマンを信じて、共に力を合わせて戦えるし、無条件のあこがれを向けることができる。

 ウルトラマンは決して全知全能の神ではない。いや、むしろ人間にとても近い存在なのだ。だから、言葉はなくとも、人々はウルトラマンと心をかよわすことができる。

「優しいから……か」

 ミシェルは、少なからず自分の中の価値観が崩されていくのを感じていた。優しさ、ずいぶん長い間忘れていた気がする言葉だった。

「じゃあ、俺からもひとつ聞かせてください。ミシェルさん、貴女はなんのために剣を握ったのですか?」

 すると彼女は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべると言った。

「私は、恩人のためだ。私がすべて失い、存在すら無くなりかけた時、その人が私をすくいあげてくれたからこそ、今私はここにいられる」

 

 

 それから数十分後、改めて特訓は再開された。

 相変わらず、アニエスの怒声が飛び、同じことが繰り返されていたが、互いに腹を割って話し合ったおかげか、才人とミシェルの間には午前中には見られなかったお互いへの配慮が感じられ、第一撃目から二撃目へのつなぎ合わせがみるみる上達していった。

 そのうち、依頼してあった固定化した剣がふた振り届けられた。見た目は変わらないが、強度は鋼鉄以上に強化してある。これなら宇宙金属製のツルク星人の剣とも打ち合えるだろう。

 そして、太陽が山陰に没しようとしている時刻、三人とも肩で息をし、隊員達もほとんどがへばっているそのとき。

 

「! できた!」

 

 もう何百回目になるかの繰り返しの末、遂に三人の連携は完成を見た。相手役の隊員二人は吹き飛ばされて芝生に横たわっている、アニエスの剣だけが訓練用の木剣でなかったら二人とも死んでいるだろう。

「よし、今の感覚を忘れるな。いいか、今晩中にケリをつける、もうこれ以上一人の犠牲も出させはせん!!」

「はいっ!!」

 ミシェル、才人、そして銃士隊員達の声が響き渡る。これで準備は整った、待っていろツルク星人。

 

 

 

 

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 そして、太陽が姿を隠し、再びトリスタニアに恐怖の夜が訪れた。

 市街地は闇に包まれ、人の気配はない。人々は日が落ちると同時に家の鍵をかけて閉じこもり、まるでゴーストタウンのようなありさまになっていた。

 それだけではない。街を守るべき魔法衛士隊も兵士も、夕べの惨劇を思い出して捜索が及び腰になり、いざ星人が現れても戦えるべくもなかった。

 だがそんななかを、銃士隊は闇の中、目を梟のように研ぎ澄ませ、どこかに潜んでいるであろうツルク星人を求めて警戒に余念が無かった。

 凍りつくような時間がゆっくりと過ぎ、双月さえ地平に消える闇夜。

 突如、闇夜に一発の銃声がこだました。

「出たな!!」

 それは敵発見を知らせる合図であった。すぐさま街中に散らばっていた全銃士隊が駆けつける。場所は、市街中心ブルドンネ街の大通り。星人はその中央にいた。

「いたぞ!!」

 通りの両側から銃士隊員達が星人の逃げ道を塞ぐように布陣する。見ると、星人の顔面についていた火傷の跡が昨日に比べて小さくなっている。やはり、チャンスは今夜しかない。

 連絡の銃を撃ったと思われる隊員は星人のそばに倒れていた。しかし死んではいない、斥候が倒されることを避けるために、アニエスは前もって全員に『灰色の滴』というマジックアイテムを渡していた。これは体に降りかけると、ごく短時間ではあるがその者の存在を近くにいる者の視界から消し去る効果を持つ。欠点としてはその間一切身動きしなくては効果が無くなるということと、メイジのディテクトマジックには見破られてしまうという点であるが、星人から隊士の命を守るには充分だ。

 ツルク星人は、その隊員を探していたのだろうが、新たな敵を察知するとすぐさま臨戦態勢に入った。

 

「いいか、チャンスは一度、我々と奴、どちらの剣の重みが勝るか、思い知らせてやるぞ!!」

「「おうっ!!」」

 

 アニエスの声とともに、三人は星人へ向けて突撃を開始した。

 先頭に才人が立ち、デルフリンガーとともにガンダールヴのルーンが光る。未知の魔法の力で強化された彼の視力は、振り下ろされてくる星人の右腕の刀を捉えた。すると、体があの特訓で鍛えたとおりに自然に動き、絶妙の位置で星人の刀を食い止めた。

 すると、右腕を止められた星人は、左腕の刀で才人の背中に二段目の攻撃を繰り出そうとしたが、そこへミシェルの剣が割り込んで、その自由を封じ込める。

「でゃぁぁ!!」「イャァァ!!」

 次の瞬間、ふたりは渾身の力で星人の刀を押し返した。完全に虚を突かれた星人は、押し戻すこともできず、両腕を大きく広げ、胸を前にさらけ出す無防備な体勢を見せる。二段攻撃の姿勢が崩れた!!

 そして、今こそ三段攻撃完成の時。二人の後方から突進してきたアニエスが全力の突きを星人の心臓を目掛けて打ち込む、星人は身動きを封じられている上に、火傷のせいで一瞬視界がぼやけ、アニエスを発見するのがほんのわずか遅れた。

 

「くらえぇぇっ!!」

 

 刹那。

 アニエスの剣はツルク星人の心臓を打ち抜き、背中まで突き抜けていた。

「貴様が戯れに手にかけた人々の痛みを、知れ!」

 そう言い捨てると、彼女は剣の柄から手を離した。

 星人は、少しの間彫像と化したように固まっていたが、やがて短く鳴き声をあげると、両腕がだらりと垂れ下がり、続いてその長身がゆっくりと後ろに傾き、やがて重い音を立てて地面に崩れ落ちた。

 

「や、やった……やったああ!!」

 

 地に伏した悪魔の姿に、全銃士隊員の歓声が上がる。

 

 侵略者の手先、仲間の仇、街の人々の仇、悪魔の化身を本当に人間の手で、しかも魔法衛士隊すら敵わなかった相手を平民の手で倒した。

 

「隊長……」

「アニエスさん」

 ミシェルと才人は気力を使い果たしたように、剣を下ろし、微笑を浮かべていた。

 そしてアニエスも、二人に答えようと振り返った、そのとき。

 

「隊長!! 危ない!!」

 

 突然、死んだと思っていたツルク星人が起き上がって、アニエスの背後から剣を振りかざしてきた。

 丸腰のアニエスには避ける術はない。才人とミシェルは、とっさに星人とアニエスの間に割り込もうとしたが、とても間に合わない。

 

(駄目か!!)

 

 誰もがそう思い、絶望したその瞬間、いきなり星人の顔面、なにも無いはずの空間が火炎をあげて爆発を起こし、星人の動きが止まった。今だ!!

 

「「でやぁぁっ!!」」

 

 これが本当に最後の力、才人とミシェルの渾身の縦一文字の斬撃は、星人の腕を肩から斬り落とし、今度こそ星人は仰向けに倒れ、その目から光が消えた。

 

「やっ、た……」

「隊長、ご無事ですか!?」

 ミシェルが慌てて駆け寄ると、アニエスは自嘲しながら言った。

「すまん、勝ったと思ったとき一番隙ができるか。まったく、わかっていたつもりだったがこの様だ。私もまだまだ修練が足りんようだ。迷惑をかけたなミシェル、それから……感謝する、サイト」

「いや、そんなこと……あ、そういえば初めてサイトって呼んでくれましたね」

「礼を尽くす価値のある者には、私はそれを惜しまん。見事な戦いぶりだった、戦友よ」

 才人はアニエスに認められたことで、うれしいやら恥ずかしいやら、とにかく照れていたが、やがて大事なことを忘れていたことに気づいた。いや、気づかされた。

 

「サーイートー」

「!! こ、この声は……ル、ルイズ!?」

 振り返ると、路地の闇の中から浮かび上がるかのようにルイズの姿が現れた。

 顔は、前にうつむいているせいで桃色の髪の毛に隠れて見えないが、本能的に才人は血の気が引いていくのを感じた。

「お、お前、なんでここに?」

「シエスタに、あの子に一日かけてようやく聞き出したのよ。まったくメイドのくせにはぐらかすのがうまくて何回逃げられたことか。あ、心配しなくても手荒なことはしてないわよ。丸腰の平民に杖を向けるなんて貴族の名折れですものね」

 口調は平静としているが、顔が見えないのでよけい恐怖心がかき立てられる。

 そして一歩一歩近づいてくるのに後ずさりしたいが、あっという間に後ろは壁だ。

「それで、さっきの爆発は……」

「もちろんわたしよ。わたし以外にこんなことができる人間がいると思って? まったく、あんたというやつは、ご主人様をほったらかして出かけたあげく、こんなところで戦って……あんたって、あんたってやつは!!」

 ルイズの声が急に大きくなる。才人は鞭、いや、月まで届くほどの特大の爆発を覚悟して目を閉じた。

 

 だが、二秒経っても五秒経ってもいっこうに痛みがやってこない。それどころか、なにやら胸のところに柔らかい感触を感じる。才人がおそるおそる目を開いてみると。

「バカバカ!! サイトのバカ!! あんた、あんな化け物と戦って、死んじゃったらどうするつもりなのよ。わたしを置いて、わたしのいないところで、そんなの、そんなの絶対に許さないんだから!!」

 ルイズは、才人の胸に顔をうずめて泣いていた。怒りのためか、会えたうれしさのためか、小さなこぶしが才人の胸板を叩く。やがて、胸に温かいものを感じて、それがルイズの涙だとわかると、才人は優しく彼女を抱きしめ、耳元でささやくように言った。

「ごめんルイズ。でも、助けに来てくれたんだよな、ありがとう」

 プライドの高いルイズの泣き顔を見ないようにしながら、才人はしばらくのあいだ、ルイズを抱きしめていた。

  

 

 そして、それから十数分後。

「もう、帰るのか。せめて今晩くらい泊まっていけばいいのに」

 ふたりは、ルイズの乗ってきた馬に乗って銃士隊に別れを告げようとしていた。

 アニエスとミシェルの後ろでは、銃士隊の面々が残念そうに才人を見ている。共に死地を潜り抜け、もう彼を素人と見下す者はいなくなっていた。

「いえ、お気持ちはうれしいですけど、一応俺はこいつの使い魔なんで、いろいろやることもありますから」

「そうか、だが今回の功労者は間違いなくお前だ。陛下に報告すれば勲章、いやシュヴァリエの称号も夢ではないぞ」

 だが才人は笑いながら首を横に振った。

「せっかくですが、内密にお願いします。元々今回は俺の独断で出てきたんで、抜け駆けで表彰なんかされたら仲間達に恨まれる。それに、使い魔なんかと並べられたらあなた方の今後にも不利でしょう」

 アニエスは、才人の欲の無さと自分達への気配りに感心した。

「わかった。しかし私も銃士隊もお前に相当な借りができてしまったのは事実だ。何かまた困ったことがあったらうちに来い、出来る限り力を貸してやる」

 その言葉には、ただ純粋な感謝のみが含まれていた。そしてアニエスに続いてミシェルも笑いながら才人に言った。

「お前、剣の振り方はまだまだだが中々見込みがある。今度みっちり鍛えてやろう、いやなんなら使い魔なんぞやめてうちに来ないか、銃士隊は男子禁制だが、一人くらい多めに見てやるぞ」

「い、え、遠慮しときます」

「はは、言ってみただけだ。だが、見込みがあるというのは嘘じゃない、気が向いたらいつでも来い、私自ら稽古をつけてやる」

 彼女も、最初会ったときとは想像もできないような笑顔を見せている。

 だが、黙って見守っていたルイズがそろそろ忍耐の限界に来たようだ。

「ちょっとあんたたちいいかげんにしなさいよ。そうやって朝までくっちゃべってる気?」

「あ、ごめん。じゃあアニエスさん、ミシェルさん、俺達そろそろ帰ります」

「うむ、また会える日を楽しみにしている。そうだ、ミス・ヴァリエール、貴公にも借りができたな、いずれこれはなんらかの形で返そう」

「かまわないわよ、平民を助けるのが貴族の責務ですから」

「いや、貴族にも誇りがあるように騎士にも誇りはある、借りは借りだ。サイト、お前の乗ってきた馬は後日届けさせよう。では、壮健でな」

 そして二人は、銃士隊に見送られて、星空の下を魔法学院へと帰っていった。

 

 

「ねえサイト」

「なんだ?」

 学院へと続く街道を、二人きりで馬に揺られながら、ルイズは才人に話しかけた。

「あんた前に言ったわよね。次になにかするときには俺も連れてけって、でもあんたが何かするときに、わたしを置いていっていいわけないでしょ」

「悪い、お前に迷惑かけたくなかったんだ。それに……」

 すまなそうに答える才人に、ルイズはその言葉をさえぎって続けた。

「わかってるわよ。あんたが人の命を何より大事に思ってるってことくらい、でも、ご主人様に心配かけるなんてこれっきりだからね」

「わかりました。次からはいっしょに来てもらいます、ご主人様」

「ふ、ふん、わかってるならいいのよ!」

 二人は、たった一日会えなかったことを懐かしむかのように、双月の見守るなか話し続けた。

 

 

 翌日、トリスタニアは大変なニュースで盛り上がっていた。

 新設された女ばかりの騎士隊である銃士隊が、魔法衛士隊すら敵わなかった怪物を倒し、街に平和を取り戻した。

 闇夜に潜む悪魔への恐怖におびえていた人々は、その活躍を褒め称え、朝日とともに戻ってきた平和を喜びあった。

 

 

 そして王宮でも、銃士隊が王女アンリエッタの元で、果たした戦功にふさわしい対価を今度こそ得ようとしていた。

「トリステイン王女、アンリエッタの名において、銃士隊隊長アニエスをシュヴァリエに叙する。高潔なる魂の持ち主よ、貴女に始祖ブリミルの加護と、変わらぬ忠誠のあらんことを」

 アンリエッタの杖がアニエスの肩を叩き、シュヴァリエ叙勲の儀式が終わった。

 シュヴァリエとは、王室から業績や戦績に応じて与えられる爵位で、これを与えられるということは貴族となるということを意味する。だが通常、貴族に与えられるのがトリステインのやり方で、平民がこれを得るということはまず無い。異例中の異例のことであったが、それだけの手柄を彼女があげているのも、また間違いない。

 立ち上がったアニエスの肩にシュヴァリエの証である、銀の五芒星の刻まれたマントがかけられ、彼女の凛々しさによりいっそうの磨きがかかったように見えた。

「おめでとうアニエス、まさかこんなに早くこれだけの手柄を立ててくるとは、わたくしも思いもよりませんでした」

「私達は、自分達のなすべきことをなしただけです。この称号は、いわば我ら全員で得たもの、私一人では何もできませんでした」

 あくまで謙虚なアニエスの姿勢に、アンリエッタは春の陽光のように優しい笑顔を彼女に見せることで答えた。

「いいえ、その強い団結力こそ何よりも誇るべきものでしょう。シュヴァリエのマントは一枚しか用意できませんが、銃士隊全員にわたくしの名においてトリステイン全域での行動許可証を与えます。貴族と同格とまではいきませんが、身分に関係なく魔法衛士隊などと同等に行動できるようになるでしょう」

 儀式に立席した貴族達から声の無いどよめきが走った。平民にシュヴァリエを与えるだけでも異例なのに、あまりにも破格の待遇だということだ。しかし、実際に王国の誇る魔法衛士隊の敗退した相手を彼女達は倒している。表立って文句をつけられる者はいなかった。

「殿下……」

「驚くことはありません。貴方達は自らの力で剣が魔法に劣ることの無い武器だということを証明したのです。これからも、その力をわたくしに貸していただけますか?」

「もとよりこの命、殿下のご自由であります」

 最敬礼の姿勢をとり、すでに貴族としてふさわしい気高さを見せるアニエスに、アンリエッタはうなづくと最後のトリステイン貴族入りの名乗りを命じた。

「ありがとう。それでは、新たなる貴族アニエスよ、その名を始祖の元へ報告を」

 アニエスは、剣を抜くと天に向かって高くかかげ、高らかに宣言した。

 

「我が名はアニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、この命はすべてトリステインのためにあり!!」

 

 その声は、城に響き、空を超え、天に届いた。

 そして、雲ひとつ無い空に輝く太陽が、新たな勇者の誕生を祝福するかのように、何よりも気高く雄大に輝いていた。

 

 

 続く



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第16話  タバサの冒険  タバサと火竜山脈 (前編)

 第16話

 タバサの冒険 タバサと火竜山脈 (前編)

 

 毒ガス怪獣ケムラー 登場!

 

 

 ここで物語の時系列はややさかのぼる。

 才人がツルク星人が気がかりになり、深夜学院を飛び出したとき、走り去る馬の姿を見ていた者がいた。

 

「きゅい、こんな夜更けにわたし達以外に誰なのね。あ、あれはギーシュさまをやっつけた平民の男の子なのね。でもあんなに急いでどうしたのかね?」

「知らない……それより目的地が違う」

 奇妙に陽気な声と、つぶやくように静かな声は、才人の耳に届くことなく彼とは別の方向へと消えた。

 

 

 その翌日、トリステインの南方の国、ガリアの首都リュティス

 人口三十万、ハルケギニア最大のこの都市の郊外に、巨大で壮麗なるヴィルサルテイル宮殿がある。

 この宮殿の、中心から離れた別荘といった感じの小宮殿『プチ・トロワ』に昨晩の学院の声の主はやってきていた。

「花壇騎士七号様、おなり!」

 衛士の声に続いて、広間に姿を現したのは、水面のような青い髪と瞳を持った小柄な少女、タバサであった。

 そして、一段高い壇上からタバサをもう一対の眼が見下ろしていた。その髪と瞳の色はタバサとまったく同じで、ふたりに血縁関係があるのは容易に想像できる。ただし、その瞳に宿る光は澄んだ湖の湖畔を思わせる青さを持ったタバサとは対照的に、荒れた曇天の海のような黒ずんだ青に見える。

 対極の光を宿した二対の青い瞳は、時間にしておよそ瞬き5、6回分ほど視線を合わせていたが、沈黙を破って空気を震わせたのは、上段にいる暗い目の少女のほうであった。

「ふんっ、ようやく来たかい。ったく、何十回見ても安物の絵画見てるみたいで変わりばえしないねえ。いっそのこと同じ顔の仮面でもつけたらどうだい、そうすりゃあたしもつまらないもん見なくて済むんだけどねえ」

 いきなりの暴言、とても宮廷内で吐かれる言葉とは思えないが、それを咎める者はいない。それは声の主がこの場でもっとも強い権威を持つということに他ならない。

 彼女の名はイザベラ、この国の王ジョゼフの娘にしてプチ・トロワの主、タバサから見れば従姉妹に当たる。

 だが、そうすると王族の血縁であるはずのタバサがなぜこうして下僕のように彼女にかしずかなければならないのか? それはこの国の中にも巣食う欲望と怨念に満ちた政争ゲームの、その敗者の立場にタバサの一門はいたからで、特にそうした者への勝者の一族からの感情は、時に残酷さえ超えて禍々しい。

 そして、今タバサが置かれている立場は、国の公にできない難題を秘密裏に処理する暗部の騎士団、その名も北花壇警護騎士団といい、その一員の騎士七号が彼女の肩書きである。

 それはいつ死んでもおかしくない危険な仕事であり、彼女にあからさまな嫌悪と敵意を抱く従姉妹姫は、常にもっとも危険で難解な任務を与えるのだった。

「…………」

「ちっ、反論のひとつもしないんだから、人形どころか空気に話しかけてるみたいだよ。まあいい、今回のお前の仕事だ、受け取りな」

 無造作に放り出された書簡をタバサは拾い上げて一瞥した。

「了解した」

「……おい、お前それ本気で言ってるんだろうな。字が読めないわけじゃないだろ」

 顔色一つ変えずにそう言ったタバサに、イザベラは歪めた口元をぴくぴくと震わせて言った。しかしタバサはまるで今晩の食事のメニューを言うように、指令書の内容を復唱してみせた。

「火竜山脈周辺で、最近頻発している火竜の人里への襲来の増加の原因を調査し、これを解決させる。および、降下してきた火竜の討伐」

「あんた、わかってるのかい。火竜はハルケギニアじゃエルフに次いで敵にすることが危険とされてるほど危険な幻獣、その炎のブレスは優に炎のトライアングルクラスに匹敵する。飛翔能力は高く、さらに皮膚は鉄の硬度にも達するという。火竜山脈にはそんなのが何百匹と巣くってるんだぞ」

 イザベラの言葉は誇張でもなんでもない事実である。普通のメイジならトライアングルクラスでも五人で一匹をどうにかできるかどうか。普通なら「死んでこい」と言われるに等しい内容であるのに、眉一つ動かさないタバサに、てっきり恐怖におののくであろう姿を想像していたイザベラは、自身の下卑た想像を外されて歯噛みした。

「あーあー、もういい。さっさと行きな、言っとくけどこの時期火竜は産卵期で気性が荒くなってるから精々気をつけることだね。健闘を祈ってるよ」

 忍耐力の限界に来たイザベラはそう言ってタバサを追い出すと、ちっと舌打ちした。

 しばらくして窓の外を見ると、タバサが数ヶ月前に召喚したという使い魔の風竜に乗って飛んでいくのが見える。イザベラにとっては、それが忌々しく、なによりうらやましかった。

(なんであいつばっかり魔法の才が……)

 彼女は王族であるが、若くしてトライアングルクラスに上り詰めたトリステインやアルビオンの後継者らと違い、未だにドットクラス。最低限の魔法しか使いこなすことができず、それがタバサに対して強いコンプレックスとなってタバサへの執拗な嫌がらせの原動力となっていたのだが、どんな非道な言葉にも命令にも黙々として従うタバサを相手に、その陰惨な欲求が満たされたことは一度として無かった。

 イザベラは、メイドが運んできたロマリア産五十年物の極上ワインのグラスを取り上げ、一口すすると、ぺっと吐き出した。

「まずい」

 彼女は、どうせ火竜山脈に行かせるなら、ついでにそこに生息する極楽鳥の卵を採って来させればよかったと思ったが、今更呼び戻すこともできず。風竜が見えなくなるまで窓の外を見ていた。

「使い魔か……サモン・サーヴァント、そういえばまだやったことはなかったな……」

 

 

 火竜山脈はガリアの南西、隣国の宗教国家ロマリアとの国境線にそびえ立つ六千メイル級の壮大な山脈である。

 しかし、そこは地球で言うアルプスのような白銀の雪に覆われた寒冷の地ではなく、火竜の名が現すとおりに、絶え間なく噴出する溶岩と噴煙により黒々とした地肌を現す、活火山の灼熱地獄であった。

 タバサはシルフィードを一昼夜飛ばし、翌日の昼間には山脈近辺の街までやってきていた。

 そこで食糧調達と、情報収集をおこなったわけだが、なるほど火竜が頻繁に襲来するというのは本当のようだった。街のあちこちに黒くすすけた家や、全焼して土台しか残っていない家がちらほら見え、屋上に立って山脈方向を見張っている人間の数も五人や十人ではない。

 だが肝心の火竜が降りてくる原因については有力な情報を得ることができなかった。

 竜は幻獣の中では頭のいいほうに入り、人里に近づけば攻撃を受けることを知っている。人間の力では倒すことは困難でも、多数を持って目や口を狙い、撃退することはできる。餌場としては大変不適当なのに、わざわざ困難を承知で降りてくるほどの何かが山脈に起きたのか。

 けれど、その何かがわからない。こんなときに自分から火竜山脈に乗り込んでいこうなどという物好きはいないからだ。ただ、ここ最近小さな地震が頻発しているということだけはわかった。

「火山活動が活発になり始めたから、地上に降りてきた……?」

 タバサはそう推測したが、すぐにそれを打ち消した。多少火山活動が活発になったところで、熱さを好む火竜にはむしろ望むところのはずだ。

 

 

 タバサは、街で得られる情報に見切りをつけるとシルフィードに乗り、火竜山脈を目指して飛び立った。やがて遠目でも火竜山脈の黒々と切り立った峰々と、その上を乱舞する火竜の群れの姿が見えてきた。

「火竜の縄張りの外側ぎりぎりを飛んで、空からできるだけ観察してみる」

 シルフィードにそう命じると、タバサは街で買い求めた望遠鏡を取り出した。するとシルフィードはいやいやをするように首を両方に振ってタバサに"言った"。

「もう、お姉さまも無茶言うのね! 火竜はすごく気が荒い上に貪欲なのね。うかつに近づいたりしたら、それこそ何十匹もやってくるのね!」

 なんと、竜のシルフィードがしゃべったではないか。

「でも、あなたよりは遅い……風韻竜はハルケギニアで最速の生き物」

「そ、そりゃそうだけどね! 怖いものは怖いのね、お姉さまも一度目を血走らせた火竜の群れに追われてみなさいなのね。尻尾のとこまで炎のブレスの熱さがやってくるのを感じたら、そんなことは言えないのね、わたしたち韻竜は知識は発達してるけど、戦う力はたいしてないのね!」

 そう、シルフィードはただの風竜ではない。ハルケギニアではすでに絶滅したと言われている、人間並みの知能を有する伝説の竜族、風韻竜だったのだ。

 ただし、表向きはただの風竜ということにしてある。幻の絶滅種などということが世間に知れたら、周りに何をされるか分かった物ではないからで、ルイズ達の前では一切しゃべらなかったのはそのためだ。

 もっとも、その反動からか、もしくは生来のおしゃべり好きか、タバサとふたりきりのときは無口な主人の分も合わせてよくしゃべる。

「もう、もう、お姉さまは本当に火竜の怖さがわかってないのね。そんなんだからあの馬鹿王女がつけあがって無茶な命令ばかり言い出すのね。そのうち吸血鬼とかエルフとか、そんなのを相手にさせられたらどうする気なのね!!」

 タバサはシルフィードの抗議を右から左に聞き流すと、望遠鏡をかまえて山脈の頂上付近を念入りに観察した。噴火口あたりから噴煙が噴出していることを除けば、特に異常はない。ただし、もしタバサが以前にもこの火竜山脈を訪れていたことがあったとしたら、宙を乱舞する火竜の群れが噴火口を大きく避けて飛んでいたのに気がついただろう。

 次に山脈の中腹あたりに目をやったタバサは、そこの明らかな異変に気がついて目を細めた。

 また、シルフィードもタバサのそんな様子に気づき、背中の主人に声をかけた。

「どうしたのね。お姉さま?」

「まだ初夏なのに、木々が全部枯れてる。調べてみる、あのあたりに下りて」

「はいはい、まったく韻竜使いが荒いご主人様なのねー」

 シルフィードはぶつくさ文句を言いながら、火竜を刺激しないように低空を飛んで中腹へ向かった。

 

 

 だが、下りてみると中腹の山林や草原の状況は想像以上にひどいものだった。

「ひどいのね。なにもかも死に絶えてるのね……」

 草木は一本残らず茶色に変わり、地面にはあちこちに鳥や鹿、ネズミから昆虫にいたるまであらゆる動物の死骸が横たわっていた。

 タバサは、きゅいきゅいと落ち着き無く周りを見回しているシルフィードを置いておいて、無表情のまま地面に横たわっている鹿の死骸を検分した。すると、傷の具合から喉のあたりをなにかにこすりつけたあげく、血を吐いて死んだことに気がついた。

「お姉さま、何かわかったのかね?」

「窒息死してる、呼吸器官を破壊されて息ができなくなったのね。周りもみんなそう、原因は……」

「な、なんなのね? もったいぶらずに早く言ってなのね!」

「恐らく、毒」

 タバサは喉の奥から搾り出すようにその忌まわしい単語を口にした。『毒』、その言葉が脳裏をよぎる度に、彼女の胸に熱い怒りの炎が湧いてくる。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。問題にするべきは、これだけの生き物を殺した毒の正体である。

 シルフィードは、タバサに毒と言われてうろたえていたが、やがてどうにか落ち着くと、人間に劣らないという韻竜の知識を総動員してタバサに聞いてみた。

「ふぃーびっくりしたのね。けど、ここは火山なのね、ときたま毒の煙が噴出すのはあることじゃないのかね」

「……」

 タバサは即答しなかった。確かに火山は時としてふもとの街一つを全滅させるほどの火山ガスを噴出することがある。常識で考えればシルフィードの言うとおりだろう。また、毒性ガスのせいで火竜が山脈にいられなくなり、ふもとに降りてきたと説明もつく。けれども、どうにも釈然としなかった。

 これといって、物的証拠があったわけではない。しかし、火山から吹き出す有毒ガスが致命的な毒性を見せるのは、窪地などに空気より重いガスがたまって濃度が濃くなった場合などがほとんどで、風通しのよい山腹でこれほどの生物を殺すとは、よほど濃度の濃いガスが一度に大量にやってきたとしか考えられない。そして、それだけのガスを発生させたにしては火山はおとなしすぎる。

 タバサが、どうにも自分を納得させられずに、石像のように固まって考え込んでいると、元々こらえ性のないシルフィードがしびれをきらしてわめいてきた。

「もー、お姉さまったら、これは自然のせいなんだから人間にはどうしようもないのね。いえ、人間どころか精霊の力、人間の言う『先住の力』でもこればっかりは止められないのね。大地の怒りには何人も逆らえません。お姉さまはシルフィより頭がいいけど、これだけは間違いないのね」 

 一気にまくしたてたシルフィードのご高説をタバサはやはり黙って聞いていたが、やがてどうしても納得のいく答えを出せなかったらしく、短くため息をつくと、再びシルフィードの背に乗り込んだ。

「もう少し調べてみる。飛んでいける限り山頂に向かって」

「えーっ、ほんとお姉さまはあきらめが悪いのね。火竜に目をつけられたら大変な……のっ!?」

 シルフィードはタバサへの抗議を中断せざるを得なくなった。突然、足元から突き上げるような衝撃が伝わってきたかと思うと、彼女達の立っている山腹が激しく揺れ動き、立ち枯れた木々がメキメキと音を立てて倒れていく。

「地震!? 大きいのね!!」

「飛んで! 早く!」

 慌ててシルフィードは揺れ動く地面を離れて宙へ飛び立った。その瞬間、槍のようにとがらせた枝を振りかざした枯れ木が、今までシルフィードのいた地面に覆いかぶさってきた。一瞬遅かったらふたりとも串刺しになっていただろう。

 崩壊していく山林を見ながら、ふたりはこれが並の地震ではないことを瞬時に悟った。

「ふぃー、危なかったのね。けどまさか、噴火なのかね!?」

「かもしれない。離れて」

 二人は同時に火口を見上げた。異変に気がついた火竜や極楽鳥が次々飛び立っていくのが遠目でもはっきり見える。普段なら恐ろしいものからはさっさと逃げ出すシルフィードであったが、今回は好奇心のほうが勝るようで、空中に静止して噴火が始まるのかと息を呑んで山頂を見つめていた。

 だがやがて山頂から吹き出していたのは、赤いマグマや黒い岩石ではなく、真っ白い霧のようなもやであった。

「あれは……水蒸気? いや、あれは!?」

 そのときタバサは見た。もやの中を動く二つの光る点を。

 さらに、もやの中から、まるでガマガエルの声を数倍野太くしたような唸り声が響き、次の瞬間、風が吹いてもやを一気に吹き払ったとき、二人はそこに信じられないものを見た。

 

「か、か、か、か、かかか、怪獣なのねーーっ!!」

 

 シルフィードの叫びは、それを極めて簡潔かつ具体的に表していた。

 姿は、全身灰色で四足歩行、トカゲのように地面をはいずっているが、背中には頑丈そうな甲羅がついていて、背面を完全にガードしている。頭はカエルをさらに扁平にしたようにつぶれていて、大きく裂けた口の上にぎょろりと目がついている。先程のもやの中に見えた光はこいつの目玉だったのだ。だが、何よりもそいつの全長は少なく見積もっても三十メイルを超え、火竜がまるで小鳥のように小さく見える。

 もし、この場に才人がいたら、そいつを見て。

「ケムラーだ!!」

 と、言ったに違いない。

 地球では、怪獣頻出期の初期に大武山に出現し、初代ウルトラマンや科学特捜隊と激戦を繰り広げた怪獣。先程の地震はこいつが地上に出てくるために引き起こしたものだったのだ。

 

 

 ケムラーは、のそのそと火口から這い出ると、山肌をゆっくりと下り始めた。

 だが、その様子は当然火竜たちの目に触れる。自分達の縄張りを荒らされた彼らは、翼を震わせ、喉からうなり声を上げて怒りを露にし、住処を荒らす不貞な侵入者に向かって一斉に襲い掛かっていった。

「あわわ、火竜たち、怒ってるのね。あっけないけど、あの怪獣もう終わりなのね。百匹以上の火竜に襲われたら、炭も残さず灰にされちゃうのね」

 シルフィードは、火竜に取り囲まれるケムラーに同情するようにつぶやいた。だが、シルフィードは大事なことを忘れていた。ケムラーが出てきたのは火山の火口なのだということを。

 そして次の瞬間、火竜たちの口から一斉に炎のブレスが吐き出され、ケムラーの全身を影さえ見えなくなるくらいに火炎が覆い尽くした。

「大トカゲの丸焼き、一丁あがりなのね」

 のんきそうにつぶやくシルフィードの見ている前で、次第にケムラーを包んでいた火炎が収まっていく。そしてそこには、先程までとまったく変わらない姿のケムラーが、平然と煮えたぎった岩石の上に居座っていたのである。

「ななな、なんなのねあの怪獣、岩をも溶かす火竜の炎を浴びて無傷だなんて、信じられないのね」

「……生き物の常識を超えてる。まさに、怪獣」

 シルフィードもタバサも、その怪獣のあまりにも生物の常識からかけ離れた光景に驚かずにはいられない。生き物を超えた生き物、それこそが『怪獣』と呼ばれる生物なのだ。

 だが、効く効かないは別として『攻撃を受けた』という事実は、ケムラーの防衛本能をしたたかに刺激していた。

 突然、ケムラーの背中の甲羅が、昆虫の羽根のようにがばっと空へ向けて割れて跳ね上がり、ケムラーは火竜の群れに向けて大きくうなり声を上げた。威嚇しているのだ。

 けれど、空を舞う火竜にとって、いかに大きく頑丈であろうと、地を這いずるだけのトカゲを恐れる必要はない。彼らは、生意気にも吼えてくる相手に向かって威嚇し返してやろうと、ケムラーの正面に集まった。その驕りが、破滅をもたらすとも知らずに。

 ケムラーは、火竜が集まったのを見ると、大きく口を開いて火竜たちに向けた。すると、口の中が一瞬稲光のように発光した直後に、煙幕のような真っ黒い煙が放たれて、瞬く間に群れのほとんどを包み込んでしまった。

「煙!?」

 てっきり炎でも吐き出すのかと想像していたタバサやシルフィードは、いったい何が起こったのかすぐには理解できなかったが、煙を浴びた火竜たちが撃たれたツバメのように力を失い、バタバタと地上に落下していくのを見ると、タバサは血の気を無くしてシルフィードに怒鳴った。

「逃げて!!」

「えっ、な、なんなの!?」

「逃げて、風上へ向けて、早く!!」

「わ、わかったのね!」

 訳の分からぬままシルフィードは全速でその場から離脱して風上へ回った。風韻竜であるシルフィードにとって、風向きを読むなど児戯に等しいが、普段からは考えられないタバサの慌てようにさすがに無関心ではいられなかった。

「これでいいのね? でも、なんなのね?」

 タバサは地上に墜落した火竜の群れを杖で指した。すでにほとんどが絶命しており、その惨状は目を覆わんばかりだった。泡を吹いて倒れているもの、白目を向いて血を吹いているもの、なかにはまだピクピクと痙攣しているものもいたが、やがてすべて動かなくなっていた。

「猛毒の煙……あれを浴びたらひとたまりも無い」

「毒!? ということは、森を枯らしたのも、動物たちを殺したのも!!」

「あいつの仕業……間違いない」

 ふたりは憎憎しげに前進を再開したケムラーを睨みつけた。

 ケムラーの別名は『毒ガス怪獣』、奴の口から吐き出される高濃度の亜硫酸ガスは生き物を殺し、大地を腐らせ、空を濁らせる。その猛威は過去も、大武山周辺の生態系を壊滅させ、大武市を死の町にしかけたほどだ。

 だが、このまま奴をふもとに降ろしたら近辺の街はおろかガリア全域が危険にさらされる。意を決したタバサは杖を握り締めた。

「あいつに後ろから近づいて」

「えっ、お姉さま、もしかして……やる気なのかね?」

 そんな冗談でしょうと聞き返したシルフィードに、タバサは思いっきり真顔でうなづいてみせた。

「じょじょじょ、冗談じゃないのーね!! 今火竜の大群が全滅させられたの見たでしょう!! どこをどうしたら戦おうなんて考えがでてくるの!? もうこれは騎士の領分を越えてます、軍隊を呼ぶしかないでしょう!!」

「ガリア軍全軍が集まったとして、あれに勝てると思う?」

 うっ、とシルフィードは言葉に詰まった。たった一匹の超獣相手にトリステイン軍全てが敗退したのは、シルフィード本人も見てきている。ましてやあの毒ガスの威力、人間ごとき何十万集まろうと、呼吸をしなければならない以上勝ち目はない。

「それに、わたしの任務は、どんな理由があろうと失敗は許されない」

 さらに、タバサは強い意志のこもった声で言った。

 タバサの北花壇騎士という立場は、国の暗部を担当するだけに、どんな仕事でもできませんとは言えない。第一、王位継承戦に敗れ、暗部の仕事でかろうじて命脈を保っているタバサが、仮に一度でも失敗したら、イザベラをはじめとする彼女に敵対する王宮の勢力は、それをたてにタバサからその生命を含む全てを奪い去ることだろう。

 だがそれとこれとは話が違う、シルフィードは悲しそうな声で、もう一度だけタバサに聞いた。

「じゃ、じゃあ、軍隊でも敵わないっていう、そんな相手にお姉さまは勝てると思ってるの?」

「それをこれから試してみようというの」

 シルフィードは頭の上から氷の塊を落とされたような衝撃を感じた。

「あー、シルフィは目の前が真っ暗になってきたのね。きっとこれは夢なのね、今頃本当のシルフィはやわらかいわらの中で気持ちよく寝てるのね。そして朝になったら、お日様におはようって言うのね……って、痛っ!!」

 タバサは杖の先で思いっきりシルフィードの頭をこずいていた。

「大丈夫、起きてる起きてる……心配しなくても、後ろからなら毒煙は受けないし、あいつの首は後ろを向けない」

 言外に「行け」と言っているタバサに、シルフィードは心底がっくりしたが、仕方無しにその指示に従うことにした。

「シルフィはときどき自分がハルケギニア一不幸な竜なんじゃないかと思うのね。でも、お姉さまはどうせシルフィがいなくてもやる気なんでしょう。はいはい、そんなお姉さまをシルフィはほっておけません。こんなお人よしな韻竜を使い魔にできたことを始祖とやらに感謝するがいいのね。じゃあ、いくのねーっ!!」

 長い独白の後、シルフィードは急上昇すると、ケムラーの真後ろ、山頂方向から一気にケムラーに接近した。たちまち、怪獣の巨体が眼前に迫ってくる。タバサは呪文の詠唱を始め、攻撃目標を定めた。

 選択した攻撃呪文は『ジャベリン』、氷の槍を作り出し敵を串刺しにする魔法。先の火竜の攻撃で、怪獣の皮膚が熱に対して極端なまでの防御力を持つことを把握したうえで、物理的に皮膚を打ち抜くのが狙い。そして目標とすべきは、比較的皮膚が薄いと思われる尻尾の付け根。

 目標の真上に出たとき、タバサは小さな目を見開き、渾身の力で完成させた全長五メイルにもなる巨大な氷の槍を打ち下ろした。

 

 だが、ジャベリンはケムラーの皮膚に一サントも刺さることなく、先端からぐしゃりとつぶれて、美しいがまったく無価値な氷の破片へと姿を変えてしまった。

「!?」

 タバサは一瞬自分の目を疑った。数十サントの鉄板も打ち抜けるほどのジャベリンがまったく通用しない。

 怪獣の防御力を完全に見誤っていたことに彼女は遅かれながら気がついた。だがそれは彼女の責任ではない。ケムラーは鈍重な外見に反して、ジェットビートルのミサイル攻撃はおろか、ウルトラマンのスペシウム光線さえ跳ね返した恐るべき経歴を持つ怪獣なのだ。

 ただ、タバサが自分を失っていたのは、時間にしてほんの刹那のあいだだけだった。

 戦いにおいて予想に反したことが起こるのは珍しいことではない。彼女はすぐに、自分の攻撃がこの怪獣には通じないことを悟って、シルフィードに離脱するように命じた。

 しかし、効かなかったとはいえ攻撃を受けたことに気がついたケムラーは、尻尾を持ち上げると、二股に分かれているその先端をシルフィードに向けた。

「避けて!!」

 とっさにそれが攻撃を意味すると察したタバサは、シルフィードの右の翼の付け根を叩いて叫んだ。

 瞬間、怪獣の尾の先端から白色の光線が放たれふたりを襲ったが、タバサのおかげでシルフィードは間一髪のところで、右旋回でそれをかわした。だが、外れた光線は山肌をえぐり、固い火山岩でできたそれをバラバラに粉砕してしまった。

 

 

「あ、危なかったのね……」

 どうにか攻撃の届かない高空まで逃げ延びたシルフィードは、寿命が百年は縮んだと息を吐き出した。

 タバサのほうは、いつもの無表情に戻っているが、杖を握り締めた手は力を込めたあまり真赤になっている。怪獣の防御力だけでなく、攻撃力も読み誤っていたことに、自分の判断力の甘さを痛感したからだ。なにが後ろは死角だ。あんな武器がある以上、どこにも安全な場所などありはしない。

 現状では、この怪獣の前進を止める方法は何も無い。ケムラーは文字通り無人の野を行くがごとく、山肌を悠々と降りていく。その進行方向に小さな村があった。

 

「か、怪獣だーっ!!」

「た、助けてくれっー!!」

 村にいた山師達が慌てふためていて逃げていく。

 ここは、山脈のふもとにいくつかある鉱山村のひとつで、火山から採れる硫黄や、近辺で採掘される砂鉄などを石炭を使って精錬している十軒ほどの小規模集落だが、ケムラーはその中央に一軒だけある大きな工場に近づくと、火を落とす間もなく、煤煙を噴き上げていた煙突にかぶりつき、煙をゴクゴクと飲み込み始めた。

「け、煙を飲み込んでるのね……!?」

 唖然と見守るシルフィードの眼下で、ケムラーはしばらくのあいだうまそうに煙を飲んでいたが、やがて満足したのか、煙突から離れると、集落の家々に向かってあの真っ黒な煙を吹きつけた。

 するとどうだ、煙を浴びた家々が土台からふわりと宙に浮き上がったではないか。そして、浮き上がった家はわずかに宙を舞っていたが、ドアや窓からガスが抜けると、次々地面に落下して瓦礫の山に変わった。

「い、家が空を飛ぶなんて、いったいなにがどうなっているのね?」

「風船と同じ、煙を中に吹き込んで、その力で宙に浮かせてるの。多分、あいつは排煙が好きで、吸い込んだ煙を猛毒に変えて吐き出すことができる。恐らく、これまでは火竜山脈の煙で満足してたんだけど、火山が活動を開始したから、中にいられなくなって煙の多い人里に下りようとしてる……」

「ちょちょ、煙って、この近辺だけでも鉱山村はごまんとあるし、工場や製鉄所も入れたら煙の出るところなんかガリア中にいくらでもあるのね!」

 シルフィードは言いながら自身の言葉の恐ろしさを悟っていった。つまり、あの怪獣にとってガリア中、いやハルケギニア中の町々が餌場ということになる。

 なんとしても、ここでこいつを食い止める。タバサは任務とは関係無しに、ケムラーと戦う覚悟を決めた。

 それは、愛国心や使命感といったものでは言い表せない。

 父が、母が愛したこの国、そこに生きる人々を守る。愛する両親に教えられた"クニ"を守ろうとする心。

 そしてもうひとつ、彼女はまだ気づいていないが、あの毒ガスによって苦しみながら死んでいった火竜の姿に、キュルケやルイズ達の姿が重なって、絶対にこいつを進ませてはならないと、彼女にそれを命じていたのだ。

 

 

 続く



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第17話  タバサの冒険 タバサと火竜山脈 (後編)

 第17話

 タバサの冒険 タバサと火竜山脈 (後編)

 

 毒ガス怪獣ケムラー 登場!

 

 

 鉱山村を破壊したケムラーは、そのまま街道に沿って、この近辺最大の都市に向かって進んでいた。

 タバサとシルフィードは、高空からのしのしと草原を踏み潰しながら進むケムラーを見下ろしている。

 火竜の群れを全滅させ、タバサの渾身のジャベリンをも跳ね返したこの怪獣に、現在のところ彼女達に打つ手は無かったが、このまま放置すれば奴の進む先すべてが危険にさらされる。

 タバサは、街に到達する前にケムラーを倒すことを決意したが、シルフィードはそんな主人の無謀としか言えない決意に、胃が痛くなる思いを味わっていた。

「はぁ。それでお姉さま、戦うのはわかったけど、これからいったいどうするのね。お姉さまの魔法でもあの怪獣には通用しません。お姉さまが玉砕なんて愚劣なことする人じゃないのは知ってますけど、犬死はごめんなのね。きゅいきゅい」

 むろん、タバサも無謀な玉砕戦法などとる気は毛頭ないし、こんなところで死ぬ気もない。ただそれでも、今目の前にある状況は、彼女がこれまで数多くこなしてきた怪物退治の任務はおろか、今回の火竜退治の任務をはるかに超える難易度であることは間違いなかった。ただし、同時に『あきらめる』という選択肢も持っていない。上空から、冷徹に澄んだ目でタバサは怪獣の攻略法を探していた。

 見たところ、あの怪獣にこれといった弱点は見当たらない。頭部から尻尾の先まで頑強な皮膚に覆われ、比較的薄いと思われた尾の付け根でもジャベリンの直撃を跳ね返しただけに、どこを狙っても結果は同じだろう。

 目や口の中ならある程度の攻撃は効くかもしれないが、火竜のブレスに全身を包まれながら無傷だったために、まぶたや口内も相当な強度だと思っていい。また、そんなところへやすやすと攻撃などさせてくれるはずもないし、どうにか傷つけられたとしても致命傷には到底なりえないので、逆上して暴れられたらそれこそ近隣が根こそぎ壊滅させられてしまう。

 ここから都市までの距離は残りおよそ十リーグ、時間にしたら三十分ほどしかない。

 都市には、すでに鉱山村から逃げた山師達によって怪獣出現の報は入っているだろう。しかし怪獣がこちらに向かっているという情報が裏付けられ、住民全員が避難するには三十分ではとても足りない。

 空からはすでに街陰が見え始めている。そして、人間が生活するうえで必ず出る調理や暖房の煙、鍛冶場やパン工場などの煙が立ち昇っているのがいくつも見える。明らかにケムラーはそれらを目指して進んでいた。

「お姉さま、もう余裕がないのね。良い考え浮かばないなら逃げようなのね。きゅいきゅいきゅい!!」

 シルフィードが焦ってわめきだした。

 タバサはうるさいと思ったが、シルフィードの言うとおり余裕が無いのも確かだ。街に接近された、街に入られた後で戦いを挑んでも、奴の吐き出す毒ガスで街が壊滅してしまう。

 また、シルフィードの言うとおり良い考えも浮かばない。ただし思考停止には及んではいなかったタバサは、街道の傍らにあった小さな宿場町に目をつけた。すでに怪獣の接近で、そこの住民は避難しているようだ。 

「あそこに降りて」

 タバサは先回りして、シルフィードから降りると、シルフィードに上空で待っているように指示して、その宿場町の倉庫に備蓄されてあった暖房用の石炭に『発火』の魔法で火をつけた。

 たちまち倉庫に火が回り、石炭の燃える黒い煙が空に立ち昇る。それを見たケムラーの行く足が変わった。

「これでしばらくは時間が稼げる……」

 黒煙に喰らいつくケムラーを、近くの建物の陰から観察しながらタバサは言った。動いている最中は下手に近づけないが、食事に夢中になっている今ならかなりの距離まで近づける。石炭が燃え尽きる前に、なんとしても怪獣の弱点を見破ろうと、タバサは眼鏡の奥から青い目を怪獣の隅々まで這わせていた。

「どんな生き物でも、必ず泣き所が一つはあるはず……」

 だが、頭の先から尻尾の先端まで見渡しても、黒々と分厚そうな皮膚が連なっていて、急所らしきものは見当たらない。

 やがて、燃え盛っていた石炭の煙も細くなり始め、さしものタバサの額にも焦りの汗が浮かび始めた。

 

 と、そのとき上空に待機していたシルフィードが、タバサが心配なため低空に降りすぎたのか、ケムラーの視界にもろに入ってしまった。

「きゅい? きゅ、きゅいーっ!?」

 タバサのほうばかり見ていたシルフィードは、すぐ下から響いてきたうなり声を聞き、そちらを見下ろして盛大な悲鳴をあげた。怪獣が口を大きく開け、背中の甲羅のような羽根をいっぱいに広げて威嚇してくる。そうなるともはや風韻竜の誇りもどこへやら、半泣きになりながらガスも光線も届かない高さまで逃げていった。

 だがそのとき、ちょうどケムラーの真横から見ていたタバサは、ケムラーが背中の羽根を広げたとき、その下ににぶく光って、さらにドクンドクンと脈動する大きなこぶがあるのを確かに見た。

 すぐさま、タバサの小さな脳髄からあるだけの知識と経験が引き出され、そのこぶの正体を推測した。

 まず、あんな頑丈そうな甲羅でガードしているからには重要な器官であることは間違いない。そして、脈動していたということは、それが生物にとってもっとも重要な器官、心臓である可能性が高い。

 考えがまとまったタバサはすぐさま口笛を吹き、シルフィードを呼び寄せた。とはいえ、相当な高さまで逃げていたらしく降りてくるまで五分もかかった。その間ケムラーが残りの煙を吸い込むのに集中して、付近に毒ガスを撒き散らさなかったのは幸運と言うしかない。

 

 

 やっと降りてきたシルフィードにまたがり、「お姉さま、怖かったのね」と泣くシルフィードをややなだめると、ケムラーの上空およそ千メイルで、タバサはこの怪獣を倒すための作戦を話した。

「……む、無茶なのね! いくらお姉さまの腕でも無謀なのね、少しでもずれたら即死なのね、他の方法を考えるのね、そうするのね!!」

 タバサの提示した作戦とは、シルフィードが囮になり、怪獣に甲羅を開けさせたところをタバサが撃つというシンプルなものであったが、囮役がシルフィードしかいない以上、タバサは自力で怪獣の至近距離まで接近せねばならず、当然移動と攻撃の同時に魔法を使えないため、威力の高い攻撃魔法を詠唱する余裕がない。だが、移動と攻撃を同時におこなうためにタバサが考え出したのはとんでもない方法だった。

 

「空から落ちながら呪文を唱えれば、接近と攻撃が同時にできる」

 

 そう、タバサは高度千メイルの高さから自由落下しながらケムラーの心臓を狙おうというのだった。  

 これには当然シルフィードが大反発した。空中での微妙な方向転換などは、携帯している風石を使えば呪文を唱えながらでもできるかもしれないが、ちょっとでもタイミングを間違えば、怪獣の背中にしろ地面にしろ、高速で激突することになり命は無い。しかしタバサの決意は固かった。

「考えたなかで、最善の手段がこれ……失敗したら、あいつは二度と急所は見せなくなる。街もすぐそこまで来ている……」

 もう、ああだこうだと考えている時間も無いとタバサは決行を決めていた。

 街の人々も、ようやく迫り来ている怪獣に気づいたようだが、逃げるには間に合わないし、下手に迎撃などされたら、それこそ死体の山ができるだけだ。

 あきらめたシルフィードは、しぶしぶ主人をケムラーの頭上、高度千メイルに連れて行った。

「ここでいい、降りる」

 タバサはケムラーの真上でシルフィードから下り、フライで浮遊の体制に入った。メイジにとって空中に浮遊するのは基礎の基だが、高度千メイル近くの高空に停止し続けるのは精神力をかなり削る。

 シルフィードは、いつも無茶ばかりして、自分にもそれをさせる主人を呪いながらケムラーの真正面に飛び出し、大きく翼を広げて火竜の真似事のような威嚇を始めた。

 

「きゅい、きゅいきゅいきゅい、きゅーい!!」

 

 お世辞にも迫力があるとはいえなかったが、シルフィードは本気も本気である。

 すると、外敵の存在に気づいたケムラーは前進をやめて、先程のようにうなり声をあげて威嚇し返してきた。野太い声が耳を突き、シルフィードは生きたここちがしなかったが、まだ逃げ出すわけにはいかない。

「きゅーい!! きゅいきゅーい!!」

 喉も枯れよとばかりに叫び声をあげる。

 それに対してケムラーもうなり声を高くして反撃してくる。どうやら、シルフィードが一匹だけなのでなめられているようだったが、しつこく逃げ出さないためにケムラーもとうとう我慢を切らして背中の羽根を開き、口を大きく開けてひときわ大きなうなり声をぶつけてきた。

「お姉さま、今なのね!!」

 待ちわびた瞬間を見て、シルフィードは叫んだ。だがその瞬間ケムラーの口の中がピカッと光る。百匹以上の火竜の群れを全滅させた猛毒の亜硫酸ガス、それがシルフィードに向かって放たれた。

「!?」

 とっさにシルフィードは口と鼻をつぐんで急上昇に入った。間一髪、ケムラーの吐き出した毒ガスは、足の先、ほんの爪のわずかな先を通り過ぎていく。

 

 

 その瞬間、タバサはフライを解除して自由落下に入った。たちまち小さな体が重力に引っ張られて、真下の怪獣に向かって猛烈な速度で加速していく。

 だが、頭から落ちながらタバサは呪文の詠唱をおこなっていた。使うのは最大威力のジャベリン、落下しながら空気中の水分を結集させて巨大な氷の槍を形成していく。いくら露出している急所とはいえ、怪獣の体を人間の力で打ち抜くには、落下による加速度も最大限に利用しなければならない。  

 ケムラーは飛びのいたシルフィードに目を奪われて、まだタバサには気づいていない。

 可能な限りの精神力をつぎ込んだ、全長八メイルものジャベリンを作り上げたタバサは、ケムラーの頭上、およそ二百メイルの高さで目を見開き、脈動する心臓を目掛けて一気にジャベリンを打ち下ろすと、すぐさま詠唱をフライに切り替え、高速で詠唱を開始した。

 たちまち、落下のGとそれに逆らう魔力がせめぎあい、彼女の全身を押しつぶされるような圧力が襲い、意識が遠のいていく。人間が自由落下した際の終末速度は時速約二百数十キロ、最大速度のジェットコースターが急ブレーキをかけたようなものだ。だがタバサは強い精神力で強引にそれをねじ伏せると、ケムラーの背中のほんの十サント上で、完全に落下の勢いを相殺し、岩肌のようなそこに、倒れるように着地した。

(やった……の?)

 急速な気圧の変化で悲鳴をあげる頭を抑えながら、タバサが確認したのは当然攻撃の成否。振り返り、ぼやける視界を目をこすって振り払ったそこにあったのは……。

「お姉さまー!! やったのねー!!」

 ジャベリンは見事ケムラーの心臓を真上から深々と貫き、ガラスの塔のようにそこにそびえ立っていた。

 そして次の瞬間、ケムラーは喉から搾り出すように苦悶の声をあげると、両足を震わせて、地面に地響きとともに崩れ落ちた。

「かっ……た……っ! う、はぁ……はぁ……はぁ」

 目的を果たしたという安心感が、なんとか彼女を立ち上がらせていた精神力を切り、タバサは一気に襲い掛かってきた頭痛と全身を貫く圧迫感に耐えかねて、がくりとひざを突いて荒い息を吐き出した。

 これが常人なら、痛みに耐えかねて気絶していたに違いない……。

「やったやったーっ、お姉さま本当にやったのね。シルフィはお姉さまを信じていたのね。きゅいきゅい」

 シルフィードは喜びのあまり、きゅいきゅいとはしゃぎながらタバサの頭上を旋回している。

 

 だが、このときタバサは頭痛と体中のしびれで、狩人が獲物を仕留めたときに、もっともしなければならないことである『獲物の死亡』を確認するということができなかった。

 そう、ケムラーはまだこの時点では完全に死んではいなかったのである。

 再び遠吠えをあげ、両足をふんばって立ち上がったケムラーの上で、タバサは転がり落とされないようにしがみつくので精一杯だったが、シルフィードの絶叫が耳を打ち、とっさに上を見上げた。

「お姉さま!! 逃げて!!」

 なんと、開いていたケムラーの羽根が背中の上にいるタバサに向かって閉じてくる。

 このままでは押しつぶされると、タバサは残った力で『レビテーション』を自分にかけて、飛び上がった。

 

 だが。

 

「く……不覚……」

 完全に閉じられたケムラーの羽根の上で、かろうじて杖だけは握っているが、息を切らして四つんばいになった状態でタバサはいた。

 ケムラーは、心臓を貫かれたというのにまだ動こうとしている。それなのに、なぜかタバサはケムラーから離れようとしない。それを見たシルフィードが驚いてタバサの目の前に着地してきた。  

「お姉さまどうしたの!? はやく逃げないと、さっ、シルフィに乗るのね」

 だが、タバサは苦しそうに首を振ると。

「だめ……」

「だめって、なにがだめなの? もうこいつは放っておいても死ぬの……お姉さま、足が!?」

 シルフィードは、驚きのあまり絶句した。

 なんと、タバサの左足の足首から先が、閉じたケムラーの羽根の間にがっちりと挟みこまれていたのだ。

 あの瞬間、かろうじて羽根につぶされるのだけは防いだものの、疲労のせいでレビテーションをかけるのが一瞬遅く、左足だけ間に合わずに、タバサは虎ばさみにかかった熊のようにケムラーの上に磔にされてしまったのだ。

 ただ、この時点ではそこまで深刻な問題ではなかった。急所を撃ち抜いた以上、ケムラーが力尽きた後でゆっくり手段をこうじればいいからだ。

 しかし、事態はふたりの思惑とは反対に最悪の方向へと向かおうとしていた。苦しみながら立ち上がったケムラーは、振り返るとゆっくりと足を引きずりながらではあるが、やってきた道を引き返し始めた。

「……まさか!?」

 タバサは引き返し始めたケムラーの考えを悟って愕然とした。彼女の以前読んだ本の中に、動物の中には死ぬときに、生まれた場所など、ある特定の場所に戻ろうとする本能を持つものがいることを思い出したからだ。

 それは、一般的には『象の墓場』と呼ばれているものが有名だが、ケムラーの場合は逃げ帰ろうとしているのか、帰巣本能か、あるいはどうせ死ぬなら生まれた場所でと思ったのかはわからない。だがその行く手には、確実に火竜山脈が、最終的にはその火口が灼熱のマグマを煮えたぎらせた口を開いて待っていた。

「きゅい! まずいのね、早くなんとかするのね、なんとか!」

 シルフィードに言われるまでもなく、タバサもこのままでは道連れにされてしまうとわかっている。

 山脈はまだ遠く、到達までには一時間以上、さらに登ることを考えたら二時間以上はかかるだろう。それまでにケムラーが絶命してくれればいいが、例えばハルケギニアに元々生息する亜人の一種であるミノタウロスは、首を切り落とされてもしばらくは生きていられる生命力を持つ、それよりはるかに大きく強靭なこの怪獣が、心臓をつぶされたからといって二時間くらい生きていられないと誰が断言できるだろうか。

 ケムラーは、グググと苦しそうな息を吐きながらも、確実に一歩ずつ山脈に向かって前進していく。

 ようやく息を整えたタバサは、両手を使ってはさまれた左足を引っ張るが、型にはめこまれてしまったようにびくともしない。

 力技では無理だと悟ると、次に当然魔法を使っての脱出を図った。 

 『錬金!』

 魔力の輝きが彼女の足を覆う頑強な羽根に吸い込まれて消えていく。けれども羽根にはまったく変化が見られない。ケムラーの羽根の強度が『錬金』の威力を上回っているのだ。

 その後も、タバサは思いつく限りの魔法をこの羽根にぶつけてみたが、ひとつとして羽根に変化を与えられたものはなかった。

 そうしているうちにも、ケムラーはじわじわと山脈の方向へ近づいていく。

 シルフィードは、誰か助けが来てくれないものかと周りを見渡したが、街の方からも人影はまったく見えない。怪獣を恐れて近づくのを拒んでいるのだとすぐにわかった。懸命だが、今は誰か愚かでもいいから来て欲しいと思わずにはいられない。

 それならばと、街に行って誰かを呼んでくると言ったら、駄目だときっぱりタバサに命じられた。どうせ誰が来てもどうにもできないだろうし、危険に余計な人を巻き込みたくない。それより疲れたから水がほしいと言われ、シルフィードは背中に乗せられたままになっていたバッグから、器用に水筒を取り出してタバサに渡した。

「……おいしい」

 ただの水だったが、それは戦いに疲れたタバサの喉をうるおしてくれた。彼女は、水筒の水を半分飲み干すと、残った分をシルフィードの大きな口の中にそそいでやった。

 シルフィードもふぅと息をつき、張り詰めていた空気が少しだが和らいだ。

「これからどうするのね……」

 悲しそうに言うシルフィードに、タバサは空を見上げて答えた。

「まだ時間はある……でも、最後には……」

 空は、火竜山脈の噴煙にも負けずに青く広がっていたが、ふたりの行く先には、黒く冷たい岩肌しか待っていなかった。

 

 

 それからは、タバサはもてる知力のすべてを駆使して脱出を図った。

 もう一度『錬金』を最大で、一点に集中して羽根を土に変えようとしたが通じなかった。

 杖を岩をも切り裂く刃物にする『ブレイド』の魔法で、羽根を切りつけてみたが、傷一つつかなかった。

 シルフィードがもう一度ケムラーの眼前に出て、可能な限りの挑発をおこなって羽根を開かせようとしたが、死期の近づいたケムラーは、もうシルフィードに見向きもしなかった。

 氷の塊を羽根のすきまに押し込んで、こじ開けようとしたがびくともしなかった。たまりかねたシルフィードがすきまに爪を差し込んで引っ張っても同じだった。

 

 そしてそうしているうちにも、ケムラーは進む道は街道から荒野に、荒野から山肌に変わり、ゆっくりと、しかし確実に火口が迫ってきていた。

 

 

 タバサは小さな手の中にある、節くれだった大きな杖を見つめた。

 彼女は、この任務が始まってから今まで使用した魔法のひとつひとつを思い出した。フライ、ジャベリン、ブレイド、それらをすべて足して自分の最初の精神力の最大値から引いたとき、残った精神力はあとラインクラスが一回くらいという結果が出た。

 左足は、まだはさまったままで、まるでケムラーの背中からタバサが生えているかのようだった。どこかの国の伝説に、半人半馬のケンタウロスという魔物がいたが、そのなかのある賢者は、不死の力を持っていたが、哀れにも毒矢に射られて最後を迎える。

 数多くの怪物を倒し、不死身のように生き延びてきたタバサも、最後は毒の怪獣とともに、火山に落ちて悲劇の幕を閉じるのだろうか。

 

 

 次第に高度が上がり、空気が薄くなるとともに硫黄の臭いが強くなっていく。

 火口も目前に迫ってきたとき、遂にタバサは覚悟していた最後の手段をとることに決めた。

 杖を振りかざし、淡々とした様子で呪文を唱えると、杖を魔力がまとい、それを鋭利な刃物に変えていく。『ブレイド』の魔法だ。しかし、ケムラーの羽根にはブレイドの切れ味でも通用しない、ならば代わりに斬るべきものは……

「シルフィード」

 魔法を完成させたまま、タバサは静かな声で使い魔の名前を呼んだ。

「なんなの? 何かいい考えでも浮かんだのね?」

「うん……だから、わたしがいいって言うまで目を閉じててくれる」

 シルフィードは、主人の奇妙な命令に首をかしげた。

「きゅい、そうしたらお姉さま逃げられるの?」

 タバサは無言でうなづいた。すると、シルフィードはうれしそうにきゅいきゅいと笑うと、両手で目を覆ってみせた。

「これでいいのね?」

「そう、そのまま……」

 言い終わらないうちに、タバサは目をつむると、『ブレイド』をかけた杖を自分の左足に向かって強く振り下ろした。

 

 だが……

 

「!? シルフィード」

 タバサが目を開けて見ると、なんと杖が振り切られる寸前に、目を閉じていたはずのシルフィードが杖を咥えて止めていた。

「お姉さま、悪いけど今回だけはお姉さまの命令に逆らうのね。シルフィは、にぶいかもしれないけど、その魔法とお姉さまの雰囲気を見たら、お姉さまが何を考えてるかくらいわかるのね」

「っ、離して。もうこれしかここから逃れる術はないの、もう時間がない!」

 初めて声を荒げてタバサは怒鳴った。もう火口はすぐそこに迫っている。時間にしたら一分もない。

 だがシルフィードは頑として杖を離そうとはしなかった。

「だめなのねだめなのねだめなのね!! どんなになってもシルフィはお姉さまのそんな姿見たくないのね。こんな奴のためにお姉さまがこれからずっと苦しみ続けるなんて、絶対認められないのね!!」

「お願い……いい子だから、このままじゃこの先どころか明日さえわたしにはなくなってしまう。そのために痛みを背負う必要があるなら、わたしはそれを選ぶ」

 タバサも必死になってシルフィードを説得する。力では人間が竜に敵うはずもないのだから、どうにかシルフィードに杖を離させるしかない。けれどもシルフィードは杖を噛み潰すほど強く咥え込んで離そうとしない。

「だめなのね……お願いだから、シルフィの目の前でこれ以上苦しみを背負わないで……もう、シルフィのほうが苦しくて見てられないのね」

 いつの間にか、シルフィードの瞳からは人間のものと変わらない大粒の涙がボロボロと零れ落ちて、杖とタバサの手を濡らしていた。

 このままでは、自分もろともシルフィードまで道連れにしてしまう。タバサは、それだけは避けようと、渾身の力をこめて杖を引っ張った。しかし、涙で濡れていたために、杖はすべり、タバサの手のひらから抜けて、シルフィードの口に咥えられたたまま取り上げられてしまった。 

「う……!?」

 だがその瞬間、絶望に染められていたタバサの脳裏に、一筋の光が閃いた。

 それは、まったく単純で、なぜこれまで思いつかなかったのかと情けなく思うほどのことであったが、この状況から唯一、他に脱出できるかもしれない手段であった。

「杖を返して」

「だめ、いやなのね!」

「そうじゃない。別の方法を今思いついた、だから、早く!!」

 シルフィードは、涙を拭いてタバサの顔を見ると、そこには先程までの悲壮な覚悟ではなく、新たな道を見つけた『希望』の光があった。

「ほ、ほんとうに?」

 半分鼻声で聞くシルフィードに、タバサは黙って、しかし今度は力強くうなづいた。

 シルフィードも馬鹿ではない、タバサの残り精神力は『ブレイド』を不発させた今、ドットどころかコモンスペル一回がせいぜいだろう。それなのに、トライアングルクラスのスペルを駆使しても脱出不能なこの状態から挽回できるとは思えない。ただ、こういうときにタバサがシルフィードの期待を裏切ったことは一度も無い。

「わかったのね。お姉さまを信じるのね」

 そしてシルフィードから杖を受け取ると、すぐさま涙と唾液で濡れたそれを足元に構えて、呪文の詠唱を始めた。ただし、それは上級スペルの複雑で長いものではない、むしろシルフィードもよく知っているような単純でありふれた、『錬金』のコモンマジックだった。

「錬金? でもそれが効かないのはもうわかってるでしょ!」

「かけるのは、甲羅じゃない」

 そう言うと、タバサは魔力を開放し、『錬金』の魔法がタバサの足元に吸い込まれていく。

 確かに、ケムラーの羽根、甲羅にはいかなる魔法も通用しない。だが甲羅以外ならば話は別だ、『錬金』の対象となったのは、左足といっしょにはさみこまれたタバサの靴とソックス、これを瞬間的に油に変えることによって、わずかではあるが足と甲羅の間に隙間が生まれた。

「くっ!」

 一瞬拘束が緩んだ隙を逃さずに、タバサは左足を引き抜いた。油のおかげで摩擦が軽減されているとはいえ、こすれて皮がずりむける痛みが走るが、タバサはなんとかギリギリのところで死神の足枷から脱出した。

 だが、すでに火口は目の前に迫っている。あとケムラーが二、三歩も歩けば火口へとまっ逆さまだ。

「お姉さま、早く乗って!!」

 慌ててシルフィードが背中を差し出すが、長い時間拘束されていたせいか、足が言うことを聞かずに立っていることができない。やむなく、シルフィードの足に杖を握ったまま抱きつくと、すぐさまシルフィードは空へと飛び上がり、次の瞬間ケムラーはマグマの煮えたぎる噴火口へと向けて落下していった。

 

 刹那、火竜山脈はケムラーを飲み込むととともに、激しく身震いし、やがてその山頂部をも吹き飛ばさんばかりの勢いの火焔と黒煙を上げて、大爆発を起こした。

 

 シルフィードは、その爆発の影響圏から逃れるために必死で飛んだ。

 タバサも、振り落とされまいと必死でシルフィードの足にしがみついた。

 

 

 やがて、火山弾も衝撃波も届かない距離まで逃げ延びたとき、ようやくシルフィードは速度を落とし、足にしがみついて震えている主人の襟首を咥えて背中に乗せてやった。

「助かった……のね?」

「うん……任務は終わった……じき噴火も治まる、帰ろう」

 ほこりと汗で黒く汚れた顔を、いつもどおりの無表情に戻してタバサは言った。すりむいた左足が痛むが、今は確かに生きているという証拠で、むしろありがたくすら感じた。

 任務の内容の、火竜の人里へ降りてくる理由の調査は済んだ。そして山脈に生息する火竜の数は激減し、怪獣もいなくなったので、もう人里に降りてくることもないだろう。

 噴火も、本格的なものではなく、膨大な質量の物体を飲み込んだことによる表面的なもので、長続きはしないだろう。付近の街も、火竜山脈近辺では噴火はつきものなので被害もそうは出ないはずだ。つまり、もうここに居る理由はなくなったのだ。

 シルフィードは、解放感から大喜びで翼をひるがえした。

「じゃあ行くのね。こんな忌々しい場所からはさっさとおさらばしましょう」

「シルフィード」

「うん、なんなのね?」

 頭の後ろから話しかけてきた主人に、シルフィードは目を後ろに向けて答えた。

 すると、タバサはぽつりぽつりと、ゆっくり、そして優しく言った。

「今回は、あなたがいなければわたしは勝てなかった。万一、勝てたとしても大事なものを失っていた。あなたがいてくれたから……」

 それは、なんとも予想もしなかったタバサなりの、不器用だが、精一杯の感謝を込めた言葉だった。

 シルフィードは、とたんに気恥ずかしくなって、きゅいきゅいわめきながらなんとか答えようとした。

「なな、急になに言い出すのね!! お姉さまらしくもない。そ、そりゃあシルフィはお姉さまの使い魔だからお姉さまを助けるのは当たり前なのね。それに、えーと、人間は仲のいい人同士をお友達って呼ぶのね。お友達は助け合うものなのじゃないのかね!?」

 しどろもどろになりながら、シルフィードは言葉をつむいだが、タバサからの返事はなかった。

 もしかして、任務を終えたときはいつもみたいに、また無表情で本を読んでいるのかと思って背中を覗いてみたら、タバサはシルフィードの背中に顔をうずめて、すぅすぅと寝息を立てていた。

 それを見て、シルフィードはほっとするとともに、そういえばお姉さまの使い魔になって以来、今回ほど精神的にも肉体的にもすり減らす任務は無かったと思い、目元を緩めて微笑んだ。 

「まったく、いつもこんなだったら可愛げもあるのにね。でも、疲れたのね……」

 そのとき、タバサがぽつりと、苦しそうに寝言を言った。

「う……お母様……」

 それを聞いて、シルフィードは悲しげな顔をした。タバサの母親は、過去に彼女を守るために自ら犠牲になった。タバサは、夢の中でまでもそのときの光景に苦しめられているのだろう。

 見ていられなくなったシルフィードは、しばらく考え込んでいたが、やがていいアイデアが浮かんだらしく、くすくす笑いながら、首を回すと、うなされているタバサの耳元でこしょこしょとささやいた。

 

「こらーっ、この馬鹿犬ーっ」

 

 それはとある人物のものまねであった。

 するとタバサは、ぴくりとし、やがてくすくすと微笑を浮かべ始めた。

「やれやれ、まったく手間のかかるご主人様なのね。でも、せめてシルフィの背中でくらい、いい夢を見るといいのね」

 

 シルフィードの背後で、噴火を続ける火竜山脈がみるみる小さくなっていく。

 燃え滾る炎と、どす黒い煙が、火竜山脈が自ら生み出した怪獣への弔いの灯火のように立ち上り、連続する爆音が、鎮魂歌のように高く遠く響いていた。

 だが、今のタバサには、それらすら心地よい子守唄のような響きとなって聞こえていた。

 なぜなら、その爆音は、彼女の友の魔法の音とそっくりだったからだ。

 

 

 続く



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第18話  遠い星から来たお父さん (前編)

 第18話

 遠い星から来たお父さん (前編)

 

 エフェクト宇宙人 ミラクル星人

 緑色宇宙人 テロリスト星人 登場!

 

 

 トリステイン王国の首都、トリスタニア

 

 今日も、トリスタニア一の大通り、ブルドンネ街は人々でごったがえしていた。

 あのツルク星人と銃士隊との戦いからも、すでに五日が過ぎ、人々はたくましい生命力と商魂を発揮して、あちこちの店から威勢のいい声が飛んで、騒々しいが平和な賑わいを見せている。

 

 そして、そんななかを歩くひときわ目立つ六人組の一団があった。

 端的にいえば、桃色と青色と赤色の髪をした少女が三人と、緑色の髪の眼鏡をかけた妙齢の女性がひとりに、黒髪のメイドがひとり、あとたくさんの荷物を抱えてひいこら言っている黒髪の少年がひとりだった。

 

「こらサイト、早く来なさい。いつまで待たせるのよ」

「こ、この……こんな量、ひとりでどうにかできるわけないだろう。もう二十キロは軽くあるぞ……もうだめだ」

 両手いっぱいに野菜やらワインやらを持たされていた才人は、とうとう根を上げて地面にへたり込んでしまった。

 それを見たルイズは不機嫌そうなまなざしを彼に向けたが、かばうようにその半分くらいの荷物を持っていたメイド、シエスタがこぼれ落ちた才人の荷物を拾い上げながら言った。

「まあまあ、いきなり不慣れな仕事をさせられてもうまくいくはずありませんって。本来わたしの仕事ですからサイトさんは楽にしてください」

 シエスタはそのまま才人の持っていた荷物の半分を取り上げると自分の荷物に加えて、あっという間にふたりの荷物の量が逆転した。そしてそれをよいしょっととさほど問題なく持ち上げる。彼女の華奢な体つきからは信じがたいが、この世界は地球と違って電化製品など無く、家事仕事はすべて手作業でこなさざるを得ないために、メイドなんて仕事をしていれば、自然体力も現代の高校生の平均など軽く突破する。

 才人のほうもハルケギニアに来て以来、いろいろと鍛えてはいるがまだ一ヶ月とちょっと、筋肉がつくにはまだまだ早い。目の前で、今まで自分が必死になって運んでいた荷物を軽々持つ女の子に情けなさを感じるものの、やせ我慢にも限度がある。

「サ、サンキュー、助かったよシエスタ」

「いえいえ、どういたしまして」

 本来ならこの反対であるべきだが、現実はいかんともしがたい。

 それを見ていたルイズは当然呆れた顔をした。

「まったく、荷物運びもろくにできないなんて、ほんとどうしようもない駄目犬ね」

「この、人の苦労も知らないで……だいたい必要の無いお前の荷物が五つもあるじゃねえか」

 才人の反論に、ルイズは「知るか!」というふうにそっぽを向いた。

 と、そんなふたりが愉快に見えたのか、キュルケが笑いながら話しかけてきた。

「こーらルイズ、そんなこと殿方に言ったら嫌われる一方よ。かわいそうなダーリン、ねえこんな薄情な子置いておいて、あたしともっと楽しいところ行かない?」

「ツ、ツェルプストー!! あんたまた勝手に人の使い魔に何言ってくれてるのよ!!」

 ルイズはむきになって怒鳴るが、当然それはキュルケの予想のうち。

「あーら、使い魔と馬車馬の区別もつかない誰かさんとは違って、わたしは正当な評価と待遇を与えてあげようとしてるだけよ。さっ、重いでしょ、わたしが手伝ってあげるわ」

 キュルケが杖を振って『レビテーション』を使うと、才人の荷物のいくつかが宙に浮き上がった。

 ルイズは、それで才人がキュルケに「ありがとう」と笑顔を向けるものだからさらに気に喰わない。歯噛みしながら才人に持たせていた荷物をひとつふんだくるように取り上げた。

「か、かんちがいするんじゃないわよ。使い魔の面倒を見るのが主人の当然の務めなんだから、別に当たり前のことしてるだけなんだからね!」

「それ、元々お前が衝動買いしたアクセサリーだろ、しかも一番軽いやつ」

 ルイズの右上段回し蹴りが才人のこめかみにクリーンヒットした。才人は荷物を放り出して悶絶したが、数秒後には荷物を拾って起き上がってきたからさすがである。

 そんな様子を、タバサが後ろからいつものようにじーっと眺めていた。

 とはいえ、それでも荷物の量は最初の三分の一程に減って、だいぶ軽くなっていた。

「ふう、とりあえず助かった。死ぬかと思った」

 やっと一息つけて、才人はうきうきしながら立ち上がった。

 が、喜んだのもつかの間、やっと減った荷物の上に、またどかどかと新しい荷物が積まれていった。

「げ!? ロ、ロングビルさん?」

 見ると、ロングビルが眼鏡の下から涼しい瞳でこちらを見ていた。

「またまだですよサイトくん。年に一度のフリッグの舞踏会、必要な物はまだたくさんあるんですからね」

「ひえーっ!」

 思わず泣きそうな声を才人はあげた。

 

 彼らは今、翌日に迫った魔法学院の年一度のイベントである『フリッグの舞踏会』のための食料品や飾りつけのための品をいろいろと買い込むために、このブルドンネ街までやってきていた。

 ただ本来なら、学院お抱えの商人が必要な物資を学院まで運んできてくれるのだが、今年は三度にわたった怪獣災害のせいで、直前になってキャンセルになり、秘書に復帰したロングビルが直接買出しに来たというわけだ。

 が、なぜシエスタはともかく才人以下の顔ぶれがいるかというと……まずロングビルがたまたま空いていたシエスタに買出しの同行を頼み、シエスタがそれをまた、たまたま食堂に来ていた才人に。

「ちょっとした買出しなんですが、よろしければ、いっしょに来てくれれば、うれしいな、なんて……」

 それで一も二もなく承諾した才人だったが、それをルイズにかぎつけられて。

「あんた、またあのメイドとふたりでどこ行くつもりよ!?」

 それでルイズも無理矢理同行することになり。

 学院を出発したと思ったら、これまたたまたまキュルケに見つかって。

「タバサ、ルイズが街に出かけたの。あなたの使い魔じゃないと追いつけないから、またお願いするわ」

 と、キュルケがタバサを巻き込んでシルフィードで追っかけてきて、最終的にこうなったという三段コンボであった。

 だが、いざ来てみれば、とても一人や二人では運びきれない量になったから、結果的に人手が増えたことは幸いであった。

 

 やがて昼も過ぎ、才人が死にそうになり、ルイズとキュルケの手もいっぱいになり、タバサまで買い物袋を持たされたところでやっと買い物は終わった。

 駅に停めてあった馬車に荷物を運び込んで、ようやく皆は一息をつく。

「はーあ、疲れた。まさか舞踏会ひとつにここまで物がいるとは思わなかった」

「はい、わたしもここまでとは思いませんでした。でも、わたしだけじゃ三、四往復はすることになったでしょうから助かりました。皆さんありがとうございます」

 馬車のふちに腰掛けながらシエスタが皆にお礼を言うと、才人は照れくさそうに、ルイズたちはなんでもなさそうに。

「どういたしまして」

 と、答えた。

「じゃあ、ロングビルさんが戻ってきたら出発だな……お、うわさをすれば」

 見ると、駅の係員に料金を払いに行ったロングビルが戻ってくるところだった。

 だが、うかない顔で戻ってきたロングビルの口から出たのは予想しない言葉だった。

「え、出発できない?」

「ええ、どうもこの先の街道で事故が起きたらしくて、しかもどうやら王立魔法アカデミーの馬車だったらしくて、当分のあいだ通行止めですって」

 それを聞いたタバサ以外の全員の顔が「ええーっ!」というようなものになった。

「それで、通れるのはいつごろになるんですか?」

「早くて日暮れ、遅くて明日の朝ですって、悪くしたら今夜はここに一泊することになるかもね」

 やれやれと、ロングビルは肩を落とした。

 だが、合法的に外泊できるとわかったキュルケやルイズは頭の切り替えが早かった。

「早くて日暮れなら、こんなところにいる理由はないわね。ダーリン、あたしといっしょに遊びにいきましょう。すっごく楽しい大人の遊び場に招待してあげるわ」

「キュルケ!! 勝手に手を出すなって何度言えばわかるのよ! 来なさいサイト、舞踏会用のドレスを買いに行くわ!」

「ぷ、お子様用のドレスなら、あたしのお下がりをあげましょうか?」

「き、きーっ!! この成長過剰色ボケ女ぁ!!」

 というふうに、アボラスとバニラさながらのバトルに突入してしまった。

 才人としてはバニラに原子弾を撃ち込む気にはなれなかったから、経過を見守っていたが、漁夫の利を狙うようにシエスタが才人の手をとってきた。

「いまのうちいまのうち……サイトさん、わたしといっしょに来ませんか? こないだ来た時にすっごくおいしいブルーベリーパイのあるお店見つけたんです」

「え……でも」

「いいですから、早く!」

 そう言って強引に連れて行こうとしたが、才人がしぶったために結局はふたりに見つかり、誰についていってもほかの恨みを買うことになるため、仕方なくタバサとロングビルも連れて食べ歩きに行くことに落ち着いた。

 そうなるとさすが女性五人のパワーはすごいもので、あっちの店からこっちの店へと、たったひとりの男性である才人はただただ連れまわされることになった。

 

「ほらサイトさん、あっちがさっきわたしが言ってたお店です。ささ、早く早く」

「ちょ、シエスタ、そんなに引っ張るなよ。ルイズ、お前も杖を取り出すな!」 

「なに言ってるの? 使い魔が不埒なことをしないように見張るのは主人のつとめじゃない。さあ、こっちよ、ブルーベリーパイなんかよりクックベリーパイのほうがおいしいんだから」

 こういうふうにふたりが才人を取り合えば、キュルケが余裕の態度で笑って見て。

「まったく、そんな子供っぽいのばかり食べてるから胸が成長しないのよ。あら、タバサあなた何食べてるの? ちょっと味見させて……苦っ!?」

「はしばみ草のパイ……」

「あ、請求は王立魔法学院のオスマン学院長宛にお願いします。はい、はい、全部です。ふっふっふ、待ってなさいよあのセクハラジジイ」

 それで、最後にロングビルが領収書を取りながらついていくといったところである。

 

 だがやがて、長い夏の日差しもしだいに赤くなり、薄暗い空にうっすらとふたつの月が見え始めた。

「そろそろ日が落ちるな。このへんにして帰らないか?」

 いいかげん何かを食べさせられるのにもくたびれた才人は、疲れた声でそう言った。

「む、そうね。そろそろ店も閉まってくるころだし、街で聞いた話じゃ街道の事故はまだしばらくかかるっていうし、宿をとりましょうか?」

 シエスタと才人の腕の取り合いを続けていたルイズも、ようやく力を抜いてくれた。

 ただ、宿、といっても半分が貴族のこの面子を泊められるだけのレベルのホテルとなると、今彼女達のいるほうと反対側にしかなく、それなりに歩く必要があった。だがそこでシエスタが大きく手を上げて言った。

「じゃあわたしに任せてください。以前来たときに近道を見つけたんです。ショートカットです」

 そう宣言すると、さっさと才人の手を引いて裏道に入っていく。もちろん慌ててルイズ達も後を追う。

 

 だが、裏道をいくらか進んだところで、道はとぎれて、目の前に瓦礫と、焼け焦げて荒れた家々が立ち並ぶだけの廃墟に行き当たってしまった。

「あ、あら? おかしいですね……以前来たときには、ここを道が続いていたのに」

 あてが外れて呆然とするシエスタの背中に、ルイズの冷たい視線が突き刺さる。だが、後から来たロングビルがこの廃墟を見て言った。

「このあたり一帯は一ヶ月前のベロクロンの襲撃で燃え落ちたところですね。けれど、再建は表からやっていくものだから、裏通りのこのへんにまでは、まだ工事の手が及んでないんでしょう」

「ど、どうもすいません。わたしが差し出がましいことをしたばっかりに」

 シエスタは何度もぺこぺこと頭を下げて平謝りしたが、今更引き返したところで、本道へ出て宿まで行くのは時間がかかりすぎる。そして、キュルケやルイズは元々気の長いほうではない。

「いいわ、ここを突っ切っちゃいましょう」

 キュルケがかけらも迷わずに言った。

「えっ!? そんな、危ないですよ」

 その言葉にシエスタは驚いて止めようとした。こういう廃墟には、喰いっぱぐれたごろつきやチンピラの溜まり場になっていることがよくある。女子供ばかりの一団など、いいカモと思うに違いなかったが、才人の背中にかけられていたデルフリンガーがカタカタ笑いながら言った。

「心配ねーよ、メイドの娘っ子。お前さんが盗賊の立場になって考えてみろ、この面子にそこらのチンピラが敵うと思うか?」

「あ」

 言われてみればそのとおり、キュルケとタバサは学院で一、二を争うトライアングルクラスの使い手、ルイズの爆発の威力は学院の者なら知らぬ者はなく、ロングビルも学院長の秘書を任されるほどの使い手と聞く。実はこのときまだロングビルは魔法を使えないままだったが、盗賊フーケとして裏の世界で長年生きてきたキャリアは伊達ではない。そして最後に才人はメイジに勝つほどの剣の使い手、このなかで非戦闘員なのはシエスタ本人くらいだ。

「じゃあさっさと行きましょう。こんな廃墟で日が暮れたら面倒だわ」

 そういうわけで、一行は廃墟のなかを歩き始めた。町並みが崩壊しているとはいえ、通り道としては使われているらしく、人が通れる程度には道は整理されていた。

 そのなかを、一行は才人を先頭に、周りに注意しながら進んだ。

「誰もいないようだな……」

 幸いにも、懸念していた物盗りの襲撃などはなかった。もしかしたら、先日のツルク星人の一件で、ここに居た人々は逃げ出したのかもしれない。

 

 だが、ある廃屋の角を曲がったとき、急に廃墟の先が開けて、半径七十メイルくらいの、学校の運動場くらいの広場に出た。

「ここは……?」

 一行は、歩を止めてその広場を見渡した。さっきまでの狭苦しい雰囲気とは裏腹に、夕日が広場全体を紅く染めて、一種の美しさすら感じる。

「ここは、この地区の集会場かなにかだったのかしら?」

 キュルケがぽつりとつぶやいた。

 広場は、土がほどよく踏み固められていて、かつては多くの人がここを歩いたのだということがわかる。周囲が廃墟でなければ、子供の遊び場としてちょうどいいだろう。

 しばらく彼女達は、ぼんやりとその光景を見回していたが、才人の視界に、なにか光るものが入ってきたかと思った瞬間、彼の頭にこつんと小石のようなものが当たったような痛みが走った。

「いてっ!」

 思わず頭を押さえたが、たいしたものではなく、すぐに痛みは治まってこぶもできていないようだった。

「なんだ?」

 身をかがめて才人は自分に当たった何かを探した。すると、彼のすぐ足元に小さく透明なものが転がっているのをが見つけた。

「ビー玉?」

 それは、彼の言ったとおり、地球ではラムネのビンに普通についてくるようなありふれた形と色のビー玉だった。

 なんでこんなものがと、才人は不思議にそのビー玉を見つめていたが、そのとき彼の右手側の廃墟から唐突に声がした。

 

「返して!」

 

「!?」

 とっさに彼らはそれぞれの武器をとって身構えた。才人がデルフリンガーを握って前に立ち、両脇にルイズ達が立って、背後にシエスタをかばう体勢だ。

 だが、廃墟の影から出てきたのは、盗賊などとは似ても似つかない、才人の腰くらいの背丈しかない、年のころ七、八才くらいの茶色い髪の毛をした小さな女の子だった。

「アイのビー玉、返して!」

 その子は、才人のそばまで駆け寄ると、恐れる様子もなく才人に手のひらを差し出して要求してきた。

 才人は一瞬驚いたが、返さない理由など何も無い。にっこりと笑うと、その子の手のひらの上にビー玉を乗せてやった。

「これはきみのだったのか、ごめんね」

 ビー玉を受け取ると、そのアイという子は宝物を取り返したように、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうお兄ちゃん」

「君の宝物かい、まるで魔法がかかってるみたいにきれいなビー玉だね」

「そうよ、おじさんからもらった、アイの宝物なの」

 アイという子は、うれしそうにそのビー玉を才人達の前にかざした。才人やシエスタにとっては、夕日を浴びて輝くビー玉は大変きれいに見えたが、宝石を見慣れたルイズやキュルケにはただのガラス玉でしかないようだった。

「ふーん。でも、特に魔法がかかってるようには見えないわね。たんなるガラス玉みたい」

「そんなことないの! これはおじさんが、いつでもお父さんとお母さんに会えるようにってくれた、魔法のビー玉なの!」

 それを聞いて、彼女達はすでにアイの両親がもう二度と彼女と会えないところに行ってしまったんだということを悟った。

「ご、ごめんね。けど、お姉ちゃん達も魔法使いなんだけど、魔法がかかってるようには見えなかったから」

「じゃあ見せてあげる! これをかざして見ると、見たいものがなんでも見れるんだから!」

 そう言うとアイはビー玉をキュルケに差し出した。

「うーん……やっぱり、なにも見えないわ」

 キュルケは、それをかざして見てみたが、やはり何も見えなかった。順に、タバサ、ロングビル、シエスタにも回して見てもらったが、やはり何も見えなかった。

「……」

「……悪いけど、マジックアイテムの類じゃないわね」

「そんなこと言っちゃかわいそうですよ。皆さんだって、小さいころに自分だけの宝物とか大切にしたことあるでしょう」

 アイは、すっかり泣きそうな顔になっている。

 そして最後にルイズと才人の番になった。どちらが先に見るかは少しもめたが、才人が持ってふたりで同時に覗き込むということで落ち着き、いざ、とばかりにふたりは夕日にかざしたビー玉の中を覗き込んだ。

 

 すると。

 

(わっ、なんだこりゃ!?)

 ビー玉の中が一瞬泡だったかのように見えた後、ビー玉の中に映像が映った。いや、直接ふたりの頭の中に映像が投影されたといったほうがいいだろう。その風景にふたりは見覚えがあった。

 炎に包まれたトリスタニアの街、その街並みを踏み潰しながら暴れまわる一匹の超獣。

(ベロクロン……)

 それは、一月前に初めてベロクロンがトリスタニアに現れたときの映像であった。やがて空からグリフォンや飛竜の軍団が立ち向かっていったが、ミサイル攻撃によって、あっというまに全滅していった。

 勝ち誇るベロクロン、足元には逃げ遅れた人々が炎にまかれながら必死に逃れようとしている。そんな中に、ふたりは手を取り合って走るふたつの人影を見つけた。

「アイ、頑張って走るのよ!」

「お母さん、こわいよお」

 ひとつはアイ、もうひとつは彼女の母親であった。

 親子は、暴れまわるベロクロンと、街を覆う炎から必死に逃げ延びようとしていた。だが、ふたりのすぐ隣の石造りの建物に流れ弾のミサイルが当たり、ふたりの頭上に大量の岩が降り注いできた。

「アイ! 危ない!!」

「あっ! お母さん? お母さーん!!」

 背中を突き飛ばされて、前の地面に転がり込んだアイが振り返って見えたものは、目の前を埋め尽くす瓦礫の山だけだった。

「お母さん? ……わあぁぁっ!!」

 たかが八才程度の子供に、その光景を受け入れるのはあまりにもきつすぎた。

 街を覆う炎はさらに勢いを増して、泣き叫ぶアイの周りを包んでいく。だがそのとき、路地からひとりの男性が飛び出してきた。

「きみ、はやく逃げるんだ!」

「でもお母さんが、お母さーん!」

 男はアイを抱きかかえると、すぐさま安全なほうへ駆け出した。

 映像は、ふたりが炎から逃げ切ったところで再び泡に包まれて終わった。

 

「そうか……最初のベロクロンの襲撃のときに」

 ビー玉を下ろし、悲しそうに才人は言った。

「お兄ちゃんにも見えたのね!?」

「うん、それでそのとき助けられたおじさんから、このビー玉をもらったんだね」

 アイにビー玉を返して、才人はそう聞いた。

「そうよ、アイ、ひとりぼっちになっちゃったんだけど、おじさんがずっと守ってくれたの」

 誇らしそうに言うアイに、ルイズも優しくたずねた。

「いい人ね。こんな時勢じゃ、子供を狙う人攫いもあとを絶たないってのに。でも、こんなすごいアイテムを持ってるってことは、高名なメイジなのかしら?」

「わかんない、おじさんはおねえちゃんたちみたいに杖を持ってないし、でも、いろんなところを旅してきたから、すごく物知りなのよ」

 どうやらアイには難しい質問だったらしい、ルイズが苦笑すると、後ろにいたキュルケ達が驚いたように言った。

「ルイズ、あんたたち、そのビー玉に、その子の言うものが見えたの?」

 ルイズと才人がうなづくと、キュルケは今度こそ本気で驚いた。

「ええっ!? なんでわたし達に見えないのに、ゼロのあなたと平民のダーリンが!? どんなマジックアイテムよ、それ」

「平民はシエスタもでしょ。ゼロは関係ないわよ、マジックアイテムにもいろいろあるってことでしょ、知らないわよ」

 突っ返すように答えたが、ルイズには自分と才人にだけ見えた理由に心当たりというより確信があった。ふたりに共通することは、ウルトラマンAと同化しているという一点しかない。もちろんそれを口に出すことはしないが。

 

 と、そのときアイの出てきた廃屋から、ひとりの男性が現れた。

「アイちゃん」

 それは、たった今アイのビー玉で、ルイズと才人が見たあの人だった。

 年齢は見たところ四十前後、やや丸顔で、年相応に薄くなり始めた頭頂部と、短く伸びたひげ、服装はハルケギニアで標準的な平民のもので、特徴らしい特徴のない、普通の男性に見えた。

「あっ、おじさん」

 アイは、彼の姿を見つけるとうれしそうに駆け寄っていった。

「あまりひとりで遠くに行ってはいけないよ。危ないからね」

「うん、アイね。このおねえちゃんたちとね!」

 まだ会ったばかりだというのに、アイは彼にルイズたちのことを紹介していった。元々かなり奔放な子なのだろう。とはいえ、まだ名前も言ってないのだから、途中からルイズ達が自己紹介していったのだが。

「そうですか、あなた方がこの子と遊んでくれてたんですか、どうもありがとうございます」

「えっ、いやわたしたちは……ううん……」

 そう言われて、六人は顔を見合わせたが、まだ日が落ちるまでには少し時間があることから、ちょっとだけアイと遊んであげることになった。

 

「わーすごーい、お姉ちゃん氷でなんでも作れるんだ。次はお馬さん作って」

「……なんでも、じゃないけどそれなりには、お馬さんね、了解」

「んじゃ、いくわよタバサ、あたしたちの芸術センスを見せてあげましょ」

「危ないからあまり近づかないでね。飴は好き?」

 

 アイは、タバサが作った氷の塊をキュルケが炎で溶かして動物の像を作るのを、ロングビルからもらったお菓子を食べながら楽しそうに見ていた。

「すみません、見ず知らずの人にこんなに親切にしていただいて、あの子もしばらく遊び相手がいなかったものですから」

 男が頭をぽりぽりとかきながら、すまなそうに言うと、シエスタが笑いながら答えた。

「お気になさらずに、みなさんああ見えて優しい人ばかりですから。それに、子供ははだしで外を走り回って遊ぶものでしょう。ふふ、わたしも行ってきます」

 シエスタも、そう言って輪に入っていった。

 残ったのは、彼と才人とルイズ。

「ルイズ、お前は行かないのか?」

「ふん、ヴァリエール家の人間がツェルプストーといっしょに遊べるもんですか!」

「わたしも遊びたいって顔してるように見えるのは気のせいだろうね」

 二月近くもつき合って、才人もそこそこルイズの顔色が分かるようになってきていた。

 だが、冗談はさておき、キュルケたち五人の意識が向こうに向いていることを確認すると、才人は小声で男に話しかけた。

「ところで、あなたはこの星の人じゃありませんね」

 すると、男とルイズの目が一瞬見開かれた。

 特に、ルイズはバム星人のときのようなことになるのではと、懐の杖に手をかけたが、才人は軽く手で制して話を続けた。

「あのビー玉は魔法なんかじゃない、ハルケギニア以外の星の高度な科学力で作られたものだ」

「……驚きましたね。確かに、私はこの星の人間じゃありません……そういえば、あなたもこの星の人には見えない服装ですね。その服の合成繊維なんかは、この星の技術力では到底作れないでしょう」

 彼は、一目見て才人のパーカーがポリエステル製であることを見破ったようだ。才人とルイズは、正体を知られたことでその宇宙人が、何か反応を起こすかもと警戒したが、彼には殺気のようなものは一切感じられなかった。

 彼も、才人とルイズに敵意がないことを感じ取ったらしく、穏やかな口調のまま話を続けた。

「あなた方も、悪い人ではないようですね。はい、この星の人の姿を借りてはいますが、私はこの星の住人ではありません。ミラクル星、それが私の故郷の名前です」

「ミラクル星人、やっぱりそうだったんですか」

 その名前を聞いて、才人は万一のためにいつでも取り出せるよう用意していたガッツブラスターの安全装置をかけなおした。

 ミラクル星人、怪獣頻出期には数多くの侵略宇宙人が地球に襲来したが、その中でもごくわずかではあるが地球人と友好を結んだ平和的な星人もいて、ミラクル星人もそんななかのひとりだった。

「心配ない、ルイズ、この人に敵意はないよ」

「ほ、本当に?」

 ルイズは才人の言葉に怪訝な顔をしたが、少なくとも宇宙人に関しては自分より詳しい才人がそう言うのだからと、ゆっくり杖から手を離した。

「わかったわ、あんたを信じる。けど、なんでわざわざハルケギニアに来たの?」

「あなたは、この星の人ですね。私の星は、ここよりも文明が進んでいるのですが、文化が遅れ気味でしてね。それで、豊かな文化形態を持っている、このハルケギニアにそれを学びに来たのです」

「留学生ってわけ……ヤプールの手下じゃないのね?」

 彼はこくりとうなづいた。

「私がここに来たのは、ハルケギニアの暦で五年前です。そのあいだ私はガリアやロマリア、アルビオンから東方まで、様々な文化風習を学んできました。そして最後にこのトリステインに来たのですが……」

「そこで、ベロクロンの襲撃に会い、アイちゃんと出会ったんですね」

「ええ、あの子は家族ともどもロマリアからこちらに逃れてきたそうです。あそこは、寺院による重税と異端狩りが激化しているそうですから、恐らく彼女の両親も新教徒だったのでしょう。ですが、ようやくガリアまで逃れてきたところで、領主同士の対立の紛争に巻き込まれて、父親はそのときに。そして母親といっしょに必死で逃げ延びてきたこのトリステインでも……」 

 才人とルイズはやりきれない思いでいっぱいになった。年端もいかない子供が国から国へと逃げ延びるのには、いったいどれほどの苦労があっただろう。しかも、逃げ延びてきた場所でも安住の地は無く、両親までも失って、あんな小さな子に何の罪もないのに、なぜそんな残酷な目にあい続けなければならないのか。

「悲しいものです。なぜあんな純粋な子供が苦しまねばならないのでしょう。しかも、この世界の大人達は、皆、神のため、正義のため、国を救うためといって彼女のような子供を作り続けています。ヤプールは明確な侵略者ですが、そんな人々はいったい正義をかかげて何がしたいんでしょう。私は、それだけはわかりませんでした」

 ふたりとも、返すべき言葉が見つからなかった。

「でも、あなたとめぐり合えたから、今あの子はああして笑っていられるんでしょう」

 耐え切れなくなった才人がそう言うと、彼は悲しそうな顔をした。

「いえ、実を言うと、私はもう自分の星に帰らなければなりません。ミラクル星では、大勢の仲間が私の帰りを待っています。どうにか、あの子の引き取り先も見つかりました。裕福な商家ですから大丈夫だと思います。ですが、あの子が寂しがるといけませんので」

「あのビー玉を渡したんですか」

「はい」

 どこまでも優しく、ミラクル星人の男は言った。

 

 

 やがて、太陽も山陰に姿を消しかけ、ルイズ達はアイといっしょに、旅立たねばならないミラクル星人を町外れにまで送っていった。

 別れ際に、アイは涙を浮かべて言った。

「おじさん、どうしても行っちゃうの?」

「ごめんよ。おじさんもいつまでも君といっしょにいたい、けれどもおじさんの国ではおじさんの友達がずっとおじさんの帰りを待ってるんだ。心配はいらない、そのビー玉を見れば、いつでもおじさんに会えるから……じゃあ、行くね」

 彼は、アイの頭を優しくなでると、夕闇の中を一歩、一歩と歩いていった。

 そして、二十歩ほど歩んだところで、彼は振り返りながら、ゆっくりとフクロウを擬人化したようなミラクル星人本来の姿に戻った。当然それを見てキュルケやシエスタ達は仰天したが、彼は穏やかな声で最後に別れの言葉を告げた。

「さようなら、アイちゃん」

 そう言うと、ミラクル星人の姿は、すうっと夕暮れの暗闇のなかに消えていった。

「おじさーん!!」

 輝きだした星空に、アイの声だけがどこまでも響き渡っていた。

「宇宙人にも、あんな善良な人がいるのね」

「人間なんかよりずっとな」

 ルイズと才人は、それぞれひとり言のようにつぶやいた。

 やがて完全に日も落ち、双月が太陽に代わってあたりを照らし始めた。

 

 

 だが、そのとき天の一角が割れて現れた真赤な裂け目から、巨大な円月刀を持つ怪人が降り立ったことに、気がついた人間はいなかった。

「ゆけ、テロリスト星人よ。ミラクル星人から、この世界の調査資料を奪い取るのだ!」

「ふはは、たやすいこと。奴を抹殺し、資料を奪ってやる。そして、この星の豊富なガス資源はすべて我々テロリスト星人のものだ!」

 

 

 続く



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第19話  遠い星から来たお父さん (中編)

 第19話

 遠い星から来たお父さん (中編)

 

 エフェクト宇宙人 ミラクル星人

 緑色宇宙人 テロリスト星人 登場!

 

 

 ミラクル星人を見送り、アイを引き取り手の商家に送り届けたルイズ達は、ブルドンネ街西のホテルに宿泊していた。

 彼女達のとった部屋は、その二階にある一室で、ベッドは清潔だが地味なものが四つ備え付けられていた。貴族用の施設のレベルでいえば中の中で、大貴族が泊まるには少々役不足に思えるが、予算と相談したら昼間の浪費が後を引いて、結局は一番安く出たここに泊まることになったのだ。

 割り振りはルイズ、キュルケ、タバサにそれぞれベッドがひとつずつ。ロングビルとシエスタがベッドひとつにふたりで入り、才人がいつもどおり床、ただしカーペットが敷いてあるのでわらの上よりは寝心地はいい。

 ちなみに、男女が同じ部屋に泊まるという問題については、仮にシエスタかキュルケが才人を誘惑したとしても、残りの片方とルイズがそれを阻む。才人から手を出してくる可能性は限りなくゼロに近いということで安全という結論が出た。

 

 時刻は地球時間でいえば午後八時を過ぎて、夕食を済ませた一行は、寝巻きに着替える前に部屋で雑談に興じていた。

「はー、それにしても今日はいろいろあったわねえ」

 ベッドに腰を下ろして、ルイズはため息といっしょにつぶやいた。

「そうですよねえ、ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストーがサイトさんを取り合って、商店街中駆け回ってましたから」

「そっちじゃないわ、まあ意識的に避けようとしてるのもわかるけどね」

 おどけた様子で話すシエスタに、ルイズは今はやめておけというふうに言った。

「あ、そうですね。でも、あんな亜人が人間に混ざって街の中に住んでたと思うと、頭では悪い人じゃないと思っても、やっぱり少し抵抗感があります」

 少しうつむき加減でシエスタが言うと、キュルケもそれに同意するように言った。

「あたしもね。ついこの間人間に化けていた敵と戦ったばかりだから、いまいちバム星人とかぶっちゃってさ。ねえダーリン、ほんとにあの亜人は悪い奴じゃないの?」

「ああ、俺のいた国でも、あの人の同族が昔やってきたことがあるそうだ。それにしても、こっちでも同じように留学にやってきている人がいたとは驚いたな」

 宇宙という概念がないハルケギニアの人のために、才人はルイズ以外には宇宙人を亜人、彼らがやってくるのははるか東方の地ということにしてある。

 しかしそれにしても、この世界に宇宙人はヤプールを介して異世界からやってくると思っていただけに、ヤプールと関わり無くハルケギニアに宇宙人がいるとは思わなかった。おまけに、彼の話が本当だとすると、この世界にも才人の世界と同じようにミラクル星があるということになる。だが、考えてみれば地球にも大昔から少しずつ宇宙人がやってきていたというし、ウルトラマンの同族が何千年も前に現れていたという記録もあるそうだから、ありえない話ではないだろう。

 ウルトラマンダイナの例もある、ふたつの世界に同じような星が存在していても不思議はない。もしかしたら、このはるかな星空のかなたに、ウルトラ兄弟のいない別の地球があるのかもしれない。 

「なんだみんな、うかない顔して? 別に侵略者が現れたってわけじゃないだろ?」

 なにか暗い雰囲気に、才人が不思議そうにそう言うと、ルイズが首を振って答えた。

「そうじゃないのよ。確かに、ミラクル星人はいい人だったかもしれないけど、あなたも先週の王宮での戦いは覚えてるでしょ。人間に化けて王宮を破壊しようとしたよね。基礎知識のあるあなたはいいかも知れないけど、わたしたちには見ただけじゃ、いい星人か悪い星人かなんて区別つかないからね」

 それを聞いて才人ははっとした。確かに、もし目の前にいきなり見も知らぬ宇宙人が現れたら、警戒し、恐れを抱いてしまうだろう。

 すると、キュルケとロングビルも重苦しそうに言った。

「まあねえ、あたしも誰かれかまわず敵を作る趣味はないけど、わたしたちと同じ姿になった敵が中にはいると思ったら、いやでも身構えちゃうからねえ」

「ミス・ツェルプストーの言うとおりね。ただでさえ、人間と亜人はそれぞれを蔑視して、それぞれ干渉しないように住みわけてるんだから……それに、確かに一部にいい人はいるけど、エルフやオークとかほとんどの亜人は人間と敵対してるし、人間に化けてくるやつには、吸血鬼みたいなひどいのもいる。ましてや、ヤプールみたいなのがいるご時世じゃねえ」

 ふたりとも、理屈では共存の可能性を示唆しながらも、現実には亜人と人間は相容れないものだと結論を出していた。

「わかったでしょ、人間と亜人は似てるけど別個の存在なのよ。平民と貴族はまだ同じ人間だけど、まったく違った生き物といっしょに生きるなんて、しょせん無理。ミラクル星人だって、ずっと人間に化けてたからハルケギニアにいれたんだから」

 ルイズにそう断言され、才人はなんだか悲しくなってきた。

「本当にそうなのか、違う者同士が仲良くするのって、そんなに難しいことなのかよ」

 才人のつぶやきには、悲しみと、静かではあるが怒りの感情が混ぜられていた。

 ルイズは、そんな才人に、再びこの世の中の在りようというものを説いて聞かせようとしたが、彼女が口を開くより先に、もうひとつの声がふたりに話しかけた。ただし、外からではなくふたりの内から。

 

(そんなことはない)

 

(!? エース)

 それは、ふたりの心の中から、ウルトラマンAがふたりに向かって語りかけてきた声だった。

(この宇宙には、異なる星の者同士が手を取り合っているところがいくつもある。それに、私の兄から聞いた話がある。かつて、ミラクル星人と同じく、孤児となってしまった少年を引き取り、共に生きていた宇宙人がいたと)

(えっ!? それって、もしかして)

(そうだ。しかも、その少年は、彼が宇宙人であると知りながらも家族のように仲良く過ごしていたという。恐れず、語り合えば、たとえ姿形が違おうとも友にも、家族にもなれる。それに、才人君、忘れてはいないか? 我々ウルトラマンもまた宇宙人だということを、君達地球人は、我らと四十年もの間、共に歩んできたのだよ)

 エースの言葉に、才人はふつふつと勇気が湧いてくるのを感じた。

(そうだ、そうだよ。俺達は、ずっとウルトラマンといっしょにやってきたじゃないか、地球人にできたことがハルケギニアの人にできないわけはない!)

 思い起こしてみれば、ほんの数年前にも、GUYSがファントン星人と友好を結んだり、エンペラ星人との決戦のときには、多くの宇宙人がメビウスの危機に駆けつけてくれた。星を越えた友情は、決して荒唐無稽なものではないのだ。

 だが、そんな才人にルイズは苦しそうに言った。

(そういえば、あんたの国には貴族と平民の違いはないんだったね。けれど、ハルケギニアでは、人間だけでも貴族と平民の中にもさらに細かく身分が分けられて、それらは絶対だとほとんどの人が信じてる。ましてや今あたしたちが戦ってるのは、狡猾で卑劣なヤプール、友好的なふりをしてだまし討ちにしてくることだって充分に考えられるわ。そんなことになったらどうするの?)

(それは……)

 才人には答えられなかった。地球人ならば可能なことでも、ハルケギニア人には困難なこともある。さらにルイズの言うとおり、ヤプールがそんな卑劣な手を使ってきたとしたら、人間は人間以外の人々を全て敵だと見るようになるかもしれない。

 だが、それに答えたのはエースだった。

(何度でも、信じてくれ)

(え?)

(例え相手が誰であろうと、信じて語り合おうと思う心を持ち続けてくれ。その思いが裏切られ、傷つけられても、また手を差し伸べる優しさを失わないでくれ。たとえそれが、何百回繰り返されようと)

(エース……)

(人に裏切られるということは、大変な苦しみだ。だが、それで人を信じなくなるか、もう一度人を信じてみるのか、どちらが本当に勇気のある選択か、よく考えてみてほしい)

 エースはそう言うと、心の中へと帰っていった。

 

「ルイズ、ちょっとルイズ」

「……え?」

「え? じゃないわよ。どうしちゃったの、急にぼぉっとしちゃって」

 不思議そうに自分の顔を見つめるキュルケの声に、ルイズは再び現実に戻った。

 ルイズはしばらく考え込んでいたが、やがてキュルケに向かって真剣な顔で話しかけた。

「ねえキュルケ」

「なに?」

「もし、もしもよ。あんたがさ、悪い男にだまされてひどい目にあったとしたらさ、あんたはもう男を信用しなくなる? それとも、また信じてみる?」

 キュルケは、唐突なルイズの質問に、しばらくぽかんとしていたが、腕組みをして豊満な胸をさらに持ち上げるようなしぐさをすると、微笑しながら答えた。

「まず、わたしが男にだまされる、そこのところは訂正してもらいたいわね。けれど、わたしも人にだまされた経験が無くはないわ、容姿に恵まれた者は、ねたまれるのが常だものね、ね」

 そこまで言うと、キュルケはなぜかタバサのほうを向いて、軽くウィンクすると、タバサも軽くうなづいた。

「ま、それはいいとして、そうね。とりあえず、だました奴はただじゃおかないわね。けれど、ほかの人にもそれを適用したりはしないわ。どうあれ、人は人だもの」

「それなら、ある亜人にだまされても、ほかの亜人は関係ないと思える?」

「難しい質問ね。自分とまったく違うタイプの人と接した場合、その人そのものがその人の属するグループの特徴だと思い込んでしまうのが、人の心理というものだしね。けど、あなたの言いたいことはわかったわ。わたしも、気をつけることにするわ……けど、あなたらしくもなく丸い考え方ね。彼の影響かしら? ん」 

「な、なにを馬鹿なことを! わ、わたしがこんな奴の言うことに、ふらふら惑わされるわけないじゃない!」

 顔を真っ赤にして言うルイズに、キュルケはわかったわかったと笑いながら言った。

 シエスタとロングビルは、ふたりの会話を黙って聞いていたが、その内容にはそれぞれ思うところがあったようで、自分の胸に手を当てて、じっと考えていた。

 

 そして、瞬く間に夜は更けて、夜更かしなトリスタニアの街もすやすやと眠りにつき、ルイズたちもそろそろベッドに入ろうかというころになった。

「そろそろ遅いわね……明日は朝一番で帰るわ、もう寝ましょうか?」

 ロングビルに言われて、ルイズ達はそれぞれベッドに入った。普段着のままだが、ここの寝巻きはどうも質が悪かったので、誰も着替えようとしなかった。

 そしてシエスタが窓を閉めようとしたとき、階下のロビーがなにやら騒がしいのに気づいた。

「なにかしら、こんな時間に?」

 シエスタは不思議に思ったが、二階からではいまいちよくわからない。

 すると才人は、もしかしてまたツルク星人のような奴がと思い、デルフリンガーを担いで立ち上がった。

「また街でなにかあったのかも、ちょっと見てくる」

「あっ、ダーリン、じゃあたしも行く」

「ちょ、どさくさまぎれでサイトをどっかに連れ出す魂胆じゃないでしょうね、あたしも行くわ」

「そ、そういうことでしたらわたしも行きますとも、ええどこまででも!」

 才人としては、ちょっと見てくるだけのつもりだったのだが、またキュルケとルイズが張り合ったせいで、ぞろぞろと、しかも何故かロングビルとタバサまでついてきて、もうさっさと様子を見て寝ようと、うんざりした。

 だが、ロビーに下りて騒ぎの原因を突き止めたとき、まぶたを覆っていた眠気も一気にどこかに吹き飛んでしまった。

 

「お願いだから、お姉ちゃんたちに会わせて!!」

「だから、そんな人はここにはいませんと言っているでしょう。これ以上騒ぐなら、子供でも容赦しませんよ!」

 

「あの子、アイちゃんじゃないか!?」

 驚いたことに、日暮れに送っていったはずのアイがボロボロの身なりでホテルのボーイと怒鳴りあっている。

 ボーイは、あくまで紳士的に対応しようとしているようだが、汚い身なりの子供を相手にするのもそろそろ限界にきているようだ。

「この! ここは貴族様もお泊りになるホテルだぞ。お前のような小汚いガキのくるところじゃない、さっさと出て行け!」

 とうとう我慢の限界にきたボーイは、薄汚い本性をあらわにしてアイに平手を向けた。だが、それが振り下ろされるより早く、ルイズの声が鉄槌のようにボーイの耳朶を打った。

「待ちなさい!! その子はわたしの妹です。一切手を触れることは許しません!」

「!?」

「あっ! お姉ちゃん!」

 ルイズ達の姿を見つけたアイは、泣きながら駆け寄ってきた。ボーイは石像のように固まってしまっている。 

「えっ、いえ、しかしお客様……」

「なにか?」

 ルイズに、豹のように冷たい視線を向けられて、ボーイは返す言葉を失った。だが、二流でもホテルのボーイとしてのプライドがあるのか、まだ食い下がろうとしたが、そこにキュルケが立ちふさがって、穏やかな声で言った。

「ミスター、あたくしの友人に身分は関係ありませんわ。非礼はおわびしますが、ここは寛大な心で見逃していただけないでしょうか。お互いのためにも」

 そして、ロングビルが無表情でボーイの手に銀貨を一枚握らせると、ようやく彼もこれ以上食い下がる愚を悟ったらしく、一礼して去っていった。

 

「お姉ちゃん、うっうっ……」

 アイはシエスタの胸に顔をうずめて泣いていた。よく見れば、彼女の身に着けているものは、まるで雑巾のようなボロボロの衣服が一枚だけで、靴さえ履いていない。

 やがてロングビルが上着をかけてやり、才人がくんできた水を飲むと、アイはやっと落ち着いた。

「いったい何があったの、ここはもう安全だから、ゆっくり言ってみて」

 シエスタがアイの背中をなでてあげながら、優しく話しかけるとアイは思い出すのもおぞましいとばかりに、のどから吐き出すように自分になにがあったのかを話した。

 それによると、彼女を引き取った商家というのは、ほかにも身寄りの無い子供を引き取って育てたりと評判のいいところだが、その実、裏では子供を集めては奴隷として売りさばくという、血も涙も無い奴隷商人だったのだ。

 才人達も、自分達でアイをその商家に送っていっただけに、驚きを隠せなかった。特にロングビルは顔を紅潮させ、わずかだが歯軋りをしていた。元盗賊として長いこと裏家業に生きてきただけに、その正体を見破れなかったのが悔しかったようだ。ロングビルでさえ騙されたのだから、気のいいミラクル星人にはなお見破れなかったのだろう。

 地下牢に放り込まれそうになったところで、かろうじて隙を見て逃げ出してきたのだと彼女は言った。

「子供を売り物にするとは、とんでもねえ連中だ」

「まったくね、それでわたし達のところへ逃げてきたの、まあこの辺で貴族が泊まれる場所なんてそうはないからね。安心しなさい、弱い者を守るのが貴族の務め、そんな悪党にあんたを渡したりしないわ」

 才人とルイズも怒りをあらわにして言った。

 しかしアイはなおも興奮したままで、ルイズにつかみかかるようにして叫んだ。

「違うの、わたしはいいの、おじさんを、おじさんを助けて!!」

「おじさん……ミラクル星人か、あの人がどうしたんだ!?」

 ただならぬ様子に、才人はアイの肩をつかんで尋ねた。するとアイは、あのビー玉を取り出して、彼の前に差し出した。

「このビー玉、これだけはなんとか取り上げられずに守ったの、でも、あそこから逃げてきたあと、怖くて、これをのぞいたら、そうしたら……」

 才人はビー玉を取り上げると、ルイズと共に中をのぞきこんだ。

 

 また、ビー玉の中が泡立ったかと思うと、再び映像がふたりの脳に投影されてきた。  

 場所はどこかの森の中、そこをミラクル星人が歩いていると、突然彼の前の暗がりから巨大な半月刀を持ち、緑色の体に、大きく吊り上った目を持つ怪人が現れた。

「!? お前は」

「ぐふふ、ミラクル星人、お前の持つハルケギニアの調査資料を渡してもらおうか」

 怪人は刀を振りかざして、下品に笑いながらそう言った。

(テロリスト星人だ!)

 才人はそいつに見覚えがあった。地球で愛読していた怪獣図鑑のZATの欄にあった写真とうりふたつ、【緑色宇宙人 テロリスト星人】、好物の天然ガスを求めて、あちこちの星を襲っては住民を殺戮し、ガスを強奪していく宇宙の盗賊だ。

 だがミラクル星人はひるむことなくテロリスト星人に言い放った。

「ヤプールの差し金か。断る、この資料を渡せば、お前達はこの美しい星を侵略するために使うだろう。断じて渡しはせん!」

「ふん、生意気な、喰らえ!!」

 テロリスト星人は左手に仕込まれている機関銃、テロファイヤーをミラクル星人に向けると、ためらいもなく銃弾をミラクル星人にあびせた。

「ぐわっ!!」

 それは致命傷ではなかったが、ミラクル星人は撃たれた肩を押さえて苦しんだ。

 そして、彼は踵を返すと、道を外れて森の奥へと駆け込んでいった。テロリスト星人はあざ笑いながら自分も森の奥へと入っていく。

「ふははは、逃げろ逃げろ、簡単に捕まっては面白くないぞ、せいぜい楽しんでなぶり殺してやる」

 そこで再び視界が泡立ち、映像が終わった。

 

「テロリスト星人め!」

 才人はビー玉を握り締めて、ギリギリと音が鳴るほど強く歯軋りをした。

「そうか、このことを伝えるために、必死にここまで来てくれたのか、本当に不安で、苦しかっただろうに」

 アイの手のひらの上にビー玉を握らせてやると、アイは涙をいっぱいに浮かべながらルイズ達にすがりついた。

「お願い! お姉ちゃんたち、貴族なんでしょ、魔法使えるんでしょ、お願い、おじさんを助けて!」

 けれど、突然のことにキュルケやロングビルは、まだ信じられないというふうに立ち尽くしている。

 だが、才人はすぐにルイズに向き直ると。

「ルイズ、さっきの場所はどこだ!?」

 すでに才人の心は、ミラクル星人を助けに行くと決まっていた。しかしトリステインの土地勘が無い才人には、あれがどこの森だったのかはわからない。

「ちょっと待って…………まって、あの道にあった立て札は……そうだ、ラグドリアン湖への一本道、ここから六リーグほどの場所よ」

 ルイズはそう断言した。

「わかった、ちょっと馬借りるぞ、朝までには戻る」

 才人はそう言って出て行こうとしたが、その前にルイズが立ちふさがった。

「ちょっと待ちなさい。あんた、こないだ次はわたしもいっしょに連れて行くって言ったのをもう忘れたの?」

「え、もしかしてお前」

「当然でしょ。彼は命を賭けてハルケギニアを守ろうとしてくれている。そこに住んでいるわたし達が助けなくて、どの面下げて貴族と名乗れるの?」

「ルイズ、お前ってやつは……」

 いつも他人のことなど知ったことかといった態度をとるルイズの思いもよらぬ言葉に、才人は感極まってしまった。

 すると、それまで成り行きを見守っていたタバサが。

「馬じゃそこまでは時間がかかりすぎる。わたしのシルフィードに乗っていくといい」

「タバサ、お前も手伝ってくれるのか!? てか、こんな話を信じてくれるのか?」

「子供が親のことでうそはつかない……」

 タバサがそう言うと、泣いていたアイの顔から悲しみが消えた。

 そして、それまで行動を決めかねていたキュルケとロングビルも才人の前に出て。

「タバサがそう言うなら、わたしも手伝わないわけにはいかないわね」

「秘書とはいえ、学院にいる者として、生徒だけに危ない橋を渡らせるわけにはいかないわね」

「ありがとう、ありがとうお姉ちゃんたち」

 すでにアイの目から涙は消え、満面の笑みだけがそこに浮かんでいた。

 

「よし、そうと決まれば善は急げだ。タバサ、頼む」

 ホテルから出て、タバサが口笛を吹くと、一分もせずに月を背にしてシルフィードが降りてきた。ただ、シルフィードにとってもおねむの時間だったらしく、はれぼったい目をしていたが、あくびをしそうになったところでタバサが杖で頭をこづいて目を覚まさせた。

「乗って」

 まずタバサが乗り込み、続いて才人、ルイズ、キュルケ、最後にロングビルがアイを抱いて飛び乗った。

「あの、わたしはどうすれば」

 戦う力は無いために残されたシエスタが、才人達を見上げて聞いた。

「シエスタ、君は衛士隊の詰め所に奴隷商人達のことを訴え出てくれ。人間を商品にするなんて、絶対に許しておけねえ」

 拳を握り締めて言う才人に、シエスタもそうですねと強くうなづいた。だが、ロングビルが難しい顔でそれを止めた。

「待って、これだけのことを誰にも気づかれずにやり続けていられたのは、いくら偽装が巧妙だったからといっておかしいわ。衛士隊にも裏金を回して口止めがされている恐れがあるわ」

「そんな、女王陛下の衛士隊が」

 シエスタは、まさかと思ったが。

「別に衛士全員を買収する必要はないわ、命令を出す隊長、もしくはここら一帯を警備する数人を篭絡すればことが済むことよ。アイちゃんみたいな脱走者がこれまで出なかったとは考えにくいから、おそらく前者ね。訴えに行ったら、逆に捕まりかねないわよ」

 裏社会で生きてきたロングビルの言葉には説得力があった。しかし、だからといって悪党共をのさばらせていいはずはない。才人は少し考え込むと、再びシエスタに言った。 

「よし、じゃあ王宮に行って、銃士隊の隊長のアニエスという人に協力を頼んでくれ。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールのヒラガ・サイトの紹介だと言えば、きっと力を貸してくれるはずだ」

「えっ、じ、銃士隊って、このあいだ大殊勲を立てたところじゃないですか! その隊長さんと知り合いって、サイトさんいったい……?」

「あ、まあいろいろあってな。ともかく時間がない、頼んだよ」

「わかりました。サイトさんのお頼みですから、まかせてください。では、お気をつけて」

 シエスタが駆け出すのと同時に、シルフィードは宙へ飛び上がった。

 たちまち、うっすらと明かりの残るトリスタニアの街が眼下で小さくなっていく。南西のラグドリアン湖方面へ向かって、シルフィードは全速で羽ばたいた。

「うわっ!? は、速え!」

 風竜シルフィードの全力飛行は、才人の想像を超えていた。家々があっという間に後ろに流れていく、まだ幼生体だというが、馬なんかとは比較にならない。

「頼むから、間に合ってくれよ」

 

 

 しかしそのころ、もはやミラクル星人の命運は今まさに尽きようとしていた。

「ぐ、うう……」

 ミラクル星人は、森の中の小川を川原づたいに必死に逃げ延びていた。

 すでにテロファイヤーを何発も体に受け、もう森の中を走り回る力は残されていない。だが、なんとかこの先の川原の地下に眠らせてある宇宙船の元までたどり着こうと、足を引きずりながら、あきらめずに歩いていた。

 対してテロリスト星人は、まるでネズミをいたぶる猫のように、ひと思いにミラクル星人を仕留めようとはせず、その後ろから森の中を邪魔な木々を右手に持った半月刀、テロリストソードで切り倒しながら悠々と追ってきていた。

「がっはっはっはっ、そらそら、早く逃げないと撃っちまうぞ。命が惜しければ、さっさと調査資料を渡すんだな」

「……断る」

 だが、これだけ追い詰められてもミラクル星人の心は折れていなかった。

「ちっ、強情な奴よ。どうせこの星では貴様を助ける者なんて誰もいやいないんだ。とっととあきらめやがれ」

 暴力こそ至上の喜びとするテロリスト星人は、ミラクル星人の絶望と命乞いの言葉を聞こうと、わざと急所を狙わずにいたぶり続けてきたが、体中傷だらけになってもなおあきらめようとしないミラクル星人に、そろそろ我慢ならなくなってきていた。

 そして、これ以上なぶっても無駄だとわかると、テロリスト星人はジャンプしてミラクル星人の頭上を飛び越え、川原の前で道をふさいでしまった。

「さあ、これで逃げ道はないぞ。これが最後だ、調査資料をよこせ!」

「断る」

「ぬぅぅ、戦う力もないくせに生意気な、死ねぃ!!」

 とうとう怒ったテロリスト星人は、怒りのままに袈裟懸けにミラクル星人にテロリストソードを

振り下ろした。

「ぐわぁっ!!」

 左肩を切り裂かれたミラクル星人は、ひとたまりもなく川原の砂利の上に倒れこんだ。

 いままでのなぶるための攻撃ではなく、本気で殺しにきている。

「馬鹿な奴め、どうせこうなることは分かっていただろうに、調査資料はもらっていくぞ。ヤプールは人間のマイナス感情につけこむのが得意だからな、お前の資料でこの星の人間共の生態が知れれば、侵略のスピードはぐんと増すだろう。俺様はこの星の手つかずのガスでもいただきながら、ゆっくり見物させてもらうわ。貴様は地獄で精々歯軋りするがいい、ふははは」

 高笑いしながらテロリスト星人は、倒れているミラクル星人に向かって剣を振り上げた。

 

 だが、そのとき!!

 

「待てぇぇ!!」

「!?」

 突然真上から聞こえてきた声に、とっさに空を見上げたテロリスト星人の目に、月を背にして急降下してくる何かが映り、本能的にテロリスト星人はその場を飛びのいた。

 次の瞬間、テロリスト星人のいた場所を銀色の一閃が通り過ぎていき、ミラクル星人の足元に、何かが着地した。

「間に合ってよかった」

「き、君達は……」

 先頭をきってシルフィードから飛び降りてきた才人に続いて、降下してきたシルフィードからルイズ達が次々に降り立って、傷ついたミラクル星人を守るように陣をしく。そして最後にロングビルがアイを抱いて飛び降りると、アイは泣きながらミラクル星人に抱きついた。

「おじさん! おじさん!」

「アイちゃん……そうか、君が皆さんを連れてきてくれたのか」

 ミラクル星人は、苦しい息のなかで、アイの頭をなでてやった。

 その姿は、本当の親子のよう、いや、ふたりの心はすでに親子以上の絆で結ばれているのだろう。

 ロングビルは、懐から包帯と傷薬を取り出し、慣れた手つきでミラクル星人の傷を治療していった。怪盗時代から手傷を負ったときのための備えだったのだが、こんな形で役に立つことになろうとは。

 それを見届けると、才人は改めてテロリスト星人に剣を向けた。

「ここまでだテロリスト星人、もうお前の思い通りにゃさせねえぞ」

「ぬぅぅ、なぜこの星の人間が味方をする?」

「そんなことはどうでもいい。お前もヤプールの手先だな」

「ふん、手先とは言ってくれるな。俺様はそいつの持つ調査資料を奪うためにヤプールに雇われただけよ。その代わりに、俺様はこの星に手付かずで眠っている大量のガスをいただくのさ。ひ弱な人間どもめ、邪魔するというなら貴様らもまとめて皆殺しだ!」

「やれるものなら、やってみろ!!」

 瞬間、才人はテロリスト星人に斬りかかった。

 激しい金属音と火花を散らせてデルフリンガーとテロリストソードがぶつかり合う。 

「わたし達も、やるわよ!」

 才人がテロリスト星人と打ち合っている間に、キュルケ達も呪文の詠唱にかかる。

 自分の欲望のためだけに弱者を虐げ、親子の絆を断ち切りかけて恥じない残忍なやり口に、彼女達の怒りも頂点に達していた。

 

「でやぁぁっ!!」

「ぐっ、人間風情が!」

 激しい打ち合いが両者の間で続く、攻めているのはテロリスト星人だが、才人はその斬撃を全て受け止め、なおかつ押し返すほどの勢いを見せていた。

「はーははっ、おでれーたな相棒、いつの間にこんなに腕上げやがった!?」

 デルフリンガーも、決して遅いとは言えないテロリスト星人の攻撃をすべて的確に跳ね返す才人に、例のおでれーたを口走る。

「ツルク星人の二段攻撃に比べればたいしたことはないぜ。人間をなめるなよ、テロリスト星人!」

 そう、あのツルク星人との死闘、アニエスとの猛特訓が才人の腕を格段に引き上げていた。今の彼の技量は、単にガンダールヴの力で底上げされていた一週間前とは違う。全体的に見ればまだまだ穴だらけだが、敵の攻撃を見切ることに関してだけは、すでに達人の域に入っていた。

「おのれこしゃくな、だが受けてばかりでは勝てんぞ!!」

 苦し紛れに攻勢を強化するテロリスト星人、確かに、才人が受けてきた訓練は受け止めることまでで、反撃にはいたっていない。

 しかし、才人は最初から自分だけで勝とうとは考えていなかった。

 テロリスト星人の打ち下ろしてきた斬撃を、下段からはじき返すと、彼はガンダールヴで強化された脚力を使い、全力で後ろに飛びのいた。

 

「今だ!!」

 

「なに!?」

 才人が叫んだ瞬間、テロリスト星人は自分を三方から囲んでいる魔法の光を見たが、そのときにはすでに手遅れだった。

『ファイヤーボール!!』

『フレイム・ボール』

『ウィンディ・アイシクル!』

 棒立ちのテロリスト星人に三人の魔法の集中攻撃が飛ぶ。ルイズのファイヤーボールだけは、やはり失敗して爆発になったが、この場合とりあえず破壊力さえあれば呪文の成否はどうでもいい。

 高熱火炎、音速に近い速度で飛ぶ鋭利な氷の弾丸、とどめに巨大な爆発がテロリスト星人を包み込んだ。才人は、ツルク星人との三段攻撃でアニエスの突破口を開いたときのように、最初から威力の高い魔法攻撃でとどめを刺せるよう、呪文詠唱の時間稼ぎをしていたのだった。

「やったか?」

 爆炎に隠れて、テロリスト星人の姿は見えなくなっていた。人間ならば骨も残さず吹き飛んでいるような攻撃だったが、相手が宇宙人ならその限りではない。

「おのれ、おのれおのれぇ! 許さんぞ、人間共!!」

 怒鳴るようなテロリスト星人の声が聞こえたかと思った瞬間、煙の中が一瞬光り、とっさに才人達はその場から飛びのいた。

 そして次の瞬間、煙を吹き飛ばして現れたテロリスト星人の姿がみるみるうちに巨大化していき、あっという間に身長五十メイルを越す巨体となった。

「ぐはは、踏み潰してくれるわ!」

 巨大化したテロリスト星人は怒りに任せて所かまわず足を振り下ろす。

「ちょ、こんなの反則じゃない!」

「……いったん退却」

 キュルケとタバサはこうなっては勝ち目がないと、森の木々の合間を利用して逃げに入った。

「敵に背を向けないのが貴族、とかいわねえよな?」

「言いたいけど、あんたは言わせたくないんでしょ。まあこんなのフェアじゃないしね。逃げるわよ!」

 才人とルイズも降ってくる巨大な足から逃げ回る。

 だが、そのときテロリスト星人の目に、ロングビルとアイ、それにミラクル星人を乗せて飛び立とうとしているシルフィードの姿が映った。

「おのれ逃がすか!! 資料をよこせ!」

 振りかぶられたテロリストソードが一気にシルフィードに向かって振り下ろされる。

 シルフィードもそれに気づいたが、もう避けきれない。

「そうはさせるか!」

 才人は思い切りデルフリンガーをテロリスト星人の手に向かって投げつけた。

「!?」

 デルフリンガーは星人の手の甲に突き刺さった。それはテロリスト星人にとって痛覚を伴うものではなかったが、神経は反射行動を起こして剣線がわずかにずれ、テロリストソードはシルフィードの翼の先端をかすめ、地面に深く食い込んだ。

「ぬぅぅっ!! 逃がすか!!」

 高く飛び上がるシルフィードに向かって、テロリスト星人は左手のテロファイヤーを向ける。そのとき、迷わず才人とルイズはその手のリングを重ねた。

 

「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 

 闇夜を割いて、輝く光が天に駆け上る。

 シルフィードに向けて放たれたテロファイヤーの間に割り込んだ閃光が、その全弾を叩き落し、雄雄しき姿となって現れた。

 

「デヤァ!!」

 

 双月を背に、ウルトラ兄弟五番目の弟が光臨した!!

 

 

 続く



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第20話  遠い星から来たお父さん (後編)

 第20話

 遠い星から来たお父さん (後編)

 

 エフェクト宇宙人 ミラクル星人

 緑色宇宙人 テロリスト星人 登場!

 

 

「ウルトラマンA……相変わらずいいタイミングで来てくれるわね」

「……でも、かっこいい」

 ふたつの月を背にして空に立つエースの姿は、銀色の体に金色の光をまとい、神秘的な美しさすら持って、雄々しくテロリスト星人を見下ろしている。

 キュルケとタバサは、へし折られた木の影から、その勇姿を見て顔をほころばせていた。

 

 さらに、エースの背にかばわれて、ロングビルとアイ達も、驚きと喜びに目を輝かせていた。

「ウルトラマンA……」

「エース、おじさん! エースが、ウルトラマンが来てくれたよ!」

「ウルトラマンA……私達のために」

 

 エースは、シルフィードが安全なところまで逃げ延びたのを見届けると、テロリスト星人の目の前に着地した。

「シュワッ!!」

 油断なく構えを取るエースに、テロリスト星人も動揺しながら剣を構えなおす。

「うぬぬ、どいつもこいつも邪魔をしおって、こうなったら貴様もいっしょに倒してくれるわ!!」

 猛然とテロリストソードを振りかざして向かってくるテロリスト星人を、エースは真正面から迎え撃った。

「ダァッ!!」

 テロリストソードが振り下ろされるより早く、エースの右ストレートパンチが星人の顔面にめり込み、そのまま紙切れのように吹き飛ばす。

「ハァッ!!」

 よろめいたテロリスト星人に、エースは容赦なく、怒涛の連続攻撃を叩き込む!!

「シャッ!!」

「グハッ!」

 エースの正拳突きが腹を打つ。

「デヤッ! ハッ!」

 チョップの連打が星人の顔面をしたたかに打ち付ける。

「トオーッ!!」

 そしてふらついたところに猛烈な勢いのジャンプキックが打ち込まれ、星人はひとたまりも無く吹き飛ばされた。

 もちろんそれで終わりではない。起き上がってきたところでさらなる連撃が始まった。

 パンチ、キック、膝蹴り、投げ技、テロリスト星人は切りかえす余裕もない。 

「すごい、なんて強さなの」

 今回初めてエースの戦いぶりを見るロングビルも、自分の土ゴーレムなどとは比較にもならない別次元の戦いに瞬きするのも忘れて見入った。

 そのとき、エースの背負い投げがテロリスト星人に炸裂、星人は地面に叩きつけられると、五回も森の中を転がされて、ようやく止まった。

「く、なぜだ……なぜこうも、食らえ!!」

 まるで歯が立たないことに愕然としたテロリスト星人は、苦し紛れにテロファイヤーをエースに向かって放った。弾丸は、エースの体に突き刺さって爆発を起こし、キュルケ達は一瞬顔をしかめたが、エースは身じろぎもせずに仁王立ちでそれを振り払ってしまった。

「な……」

 驚愕するテロリスト星人だが、同時にそれを見守っていたキュルケ達も驚いていた。

「き、今日のエースはいつにも増してすごいわね。なんというか、闘志がみなぎってるというか」

 先の才人と星人の戦いを見て、キュルケはテロリスト星人は決して弱くなく、むしろ武器を持っている分だけエースより有利だと思っていたが、エースはそんなハンディなどものともしていない。

「エースも、怒ってる……」

 タバサがぽつりとそう言った。

 そう、怒りを燃やしているのは何も才人達ばかりではない。エースも、非道なテロリスト星人に対して怒っていた。善良なミラクル星人をいたぶり、小さな子供を泣かせ、これで怒らずにいつ怒れというか、悪に対して怒らずに、人はどうして正義を貫けるか。

 

「こいつだけは、許さん!!」

 

 それは、才人の意思であり、ルイズの心であり、エースの思いでもあった。

 もちろん、ただ怒るだけでは駄目だ。しかし、怒りを力に変えて、なお冷静に戦う術も、また存在する。

 二人の思いがエースに伝わり、エースはその思いを力に変えて戦う。

 テロリスト星人は、自らの非道によって自らの寿命を縮めていたが、いまさら実力差に気づいたところでエースは容赦はしない。

「デャッ!」

 エースが両手を高く掲げると、その手が雷光のような超高温のエネルギーに包まれた。

『フラッシュハンド!!』

 強化されたエースのパンチとチョップが嵐のようにテロリスト星人に叩き込まれる。

 星人は全身を瞬く間にボロボロにされて倒れ掛かるが、エースの攻撃はなおもやまない。

 今度は、高圧電流を帯びさせたエースのキックが、スパークを起こしながら星人の腹に打ち込まれた。

『電撃キック!!』

 蹴られた場所からすさまじい火花を上げて、星人は蹴り上げられて宙を舞った。

 並の怪獣や超獣なら、これですでに絶命しているだろう。テロリスト星人はなんら反撃のできぬまま、森の中へと崩れ落ちた。

「強い、強すぎる……」

 あまりにも一方的すぎる戦いに、呆然とキュルケはつぶやいた。 

 テロリスト星人は、森の中に仰向けに倒れたまま動かない。

 

 だが。

 

「まだ、生きてる……」

 タバサが言ったとき、テロリスト星人は棺から身を起こすミイラのように、ゆっくりと起き上がってきた。もうすでに全身がズタズタで、テロリストソードも持っているのがやっとのようだったが、それでもまだ生きて、剣を振り上げ、狂気を目に宿らせてエースに襲い掛かった。

「このテロリスト星人が、こんなところで負けるはずはないぃぃ!!」

 もう剣術もなにもない、でたらめに剣を振り回しながら、闘牛のようにエースに突進してくる。

「シャッ!!」

 エースは飛び上がって攻撃をかわしたが、星人は狂気に身を任せたまま反転するとまた迫ってくる。まるで命そのものを燃料にして戦っているようだ、これではエースも反撃の余地がない。

 

 だがそのとき、戦いを見守っていたキュルケとタバサの前に、どすりと重い音を立てて、何かが落ちてきた。

「な、なに?」

「あ、おう、娘っ子たち。無事だったかい」

 それは、才人に投げられて、テロリスト星人の手に突き刺さったままだったデルフリンガーであった。

「あんたどうしたのよ、こんなとこで?」

「あ、いやあ、相棒に投げられて、奴の手に刺さったままそのまんまになってたんだけどな。あいつがあんまりぶんぶん振り回すもんだから、とうとう振り落とされちまったのよ」

 デルフはカタカタつばを鳴らしながら、そう説明した。

「あんたはのんきでいいわねえ、エースがピンチだってのに」

「ああ、知ってるよ。まったく仕方ねえな、おい、俺をエースに向かって投げろ!」

「え、まさかあんたアレをやる気?」

「おう、早くしろ!」

「わかったわ、タバサ!」

 キュルケはデルフリンガーをレビテーションで思いっきり投げ上げた。

 打ち上げ花火さながら、デルフリンガーはきらきら輝きながら月を目指して飛んでいく。

「エア・ハンマー」

 ぐんぐん上昇していくデルフリンガーに、タバサは風魔法で圧縮された空気の塊をぶっつけた。

 方向転換は見事に成功、狙いはもちろん、エースの頭上。

 

「あいぼ……エース!! 俺っちを使え!!」

 うっかり才人のほうを呼びそうになりながらも、エースの真上でくるくる回転しながらデルフは叫んだ。 

 頭上から聞こえてきたその声に、エースは星人の攻撃をかわして天高くジャンプ、四万五千トンの巨体が羽根のように軽々と宙に舞い上がっていく。

「シュワッ!!」

 空中でデルフリンガーをつまみあげ、天頂で一回転するとエースは、あのホタルンガとの戦いのときのように、落下しながらデルフリンガーを振りかざし、ウルトラ念力を込めた。すると、エースの手の中でデルフリンガーがぐんぐん巨大になっていく。

『物質巨大化能力』

 たちまちデルフリンガーは全長六十メイルもの巨大な剣に変化、高度三百メイルから、エースは月を背にして渾身の力でデルフリンガーをテロリスト星人に向かって振り下した!!

 

「イャァァ!!」

「おのれぇぇぇっ!!」

 

 テロリスト星人も渾身の怒りと憎悪を込めて、テロリストソードを落下してくるエースに向かって振り上げる。

 瞬間、エースとテロリスト星人の剣が交差、その激突で生じた白い閃光が、見ていた者の目を焼いた。

 それは、時間にすればほんの一秒にも満たなかったのかもしれないが、そんな瞬き一回分程度の時間のうちに、戦いの決着はついていた。

 眼を開いて見たとき、エースはデルフリンガーを振り下ろした姿勢のまま、星人はテロリストソードを振り上げたまま、まるで石像のように膠着した姿でそこにいた。

 

「ど、どっちが勝ったの?」

 見届けられなかった両者の激突の結末を、誰もが息を呑んで待った。

 

 エースか、それともテロリスト星人か。

 その結果は、星人のテロリストソードがひび割れて、中央からへし折れたことで明確となった。

「こ、こんなはずでは……」

 そのとき、テロリスト星人の頭頂部から股下にまで、すうっと赤い線が走り、そして、その線に沿って、星人は鉈を突き立てられた薪のように、その体を左右に真っ二つに分断されて崩れ落ちた。

「ぐぁぁぁっ!!」

 そのわずかな断末魔を残し、これまで数多くの罪なき人々を切り裂いてきたテロリスト星人は、自分がやってきたのとまったく同じ方法で、彼らの恨みの念の渦巻く闇の底へと落ちていった。

 

 

「やったぁ!!」

 ウルトラマンAの勝利に、このときばかりは誰もが身分もつつしみも忘れて歓声をあげた。

 地面の上ではキュルケがタバサを抱いて踊っている。

 空の上では、シルフィードがきゅいきゅい楽しそうに笑いながら、エースの周りを飛んでいる。 

 その背で、アイはミラクル星人にうれしそうに言った。

「おじさん、ウルトラマンが、エースが勝ったよ」

「ああ、おじさんももう大丈夫だ。これもアイちゃん、君のおかげだ、ありがとう」

 ミラクル星人の傷は、もう安心のようだ。自分のした手当てが適切だったとわかって、ロングビルもようやく息をついた。

「やれやれ、亜人の手当てなんて初めてだから緊張したよ。けど、親子か……やっぱ、いいもんだな」

 

 エースはテロリスト星人が完全に絶命したのを確認すると、デルフリンガーへのウルトラ念力を解いた。

「ジュワッ」

 縮小し、元の大きさに戻ったデルフをキュルケ達が回収する。

「さすが伝説の剣ね。なかなかやるじゃない」

「はっはっはっ、大きくなるっていうのも悪くねえ。なんかくせになりそうだぜこりゃ!」

 すっかりエースに使われるのが気に入ってしまったデルフは、カラカラとつばを鳴らしながら笑った。

 

 そして、エースは最後にミラクル星人の無事を見届けると、夜空を目指して飛び立った。

「ショワッチ!!」

「エース、ありがとう! ありがとう!」

 まるで月に向かって飛んでいくようなエースの姿に、アイのお礼の言葉が確かに追いついていっていた。

 

 

 やがて、変身を解除した才人とルイズはキュルケ達と合流し、シルフィードに乗って、ミラクル星人の宇宙船の埋めてある川原へと降り立った。

 けれども、そこでは当然、ミラクル星人とアイとの最後の別れが待っていた。

「もうここで大丈夫です。皆さん、本当にお世話になりました。なんとお礼を言ってよいやら、このご恩は生涯忘れません。そして、星で待つ仲間達に、ここにはこんなにすばらしい人達がいるんだということを伝えて、私の得た知識と資料で、私の故郷もハルケギニアに負けないくらい美しくしたいと思います」

「いや、そういわれると……」

 そういうふうに礼を言われると、面映くて才人もルイズも思わず頭をかいて照れてしまった。

「でも、大丈夫ですか、またヤプールに狙われたとしたら、もう俺達では助けようがありませんが」

「心配いりません。飛び上がってしまえば、あとは超空間飛行でミラクル星まで一直線です。そうしたら、もうヤプールも手出しはできません」

 彼はそう言うと、川原の一角に向かって手を向けた。

 すると、足元から突き上げるような振動が伝わってきたかと思うと、川原の砂利が持ち上がっていき、そこから光り輝く全長三十メイルほどの円盤が現れた。

「これが、あなたの船?」

「……!」

「ど、どういう原理、これ? 風石を使っているようには見えないけど」

 キュルケもタバサもロングビルも、初めて見る宇宙船の姿に圧倒されていた。

 才人は、そんな彼女達の様子に、ちょっとだけ笑ってみたが、すぐに真顔に戻って、後ろで決心がつかずにうつむいているアイの背中を押して前に出した。

 

 アイとミラクル星人の間にわずかな沈黙が流れたが、やがてミラクル星人はアイの目線にかがんで、優しく、そして寂しそうに話しかけた。

「アイちゃん、本当のお別れだ」

「……どうしても行くの?」

「ああ、これはおじさんにとって、星の未来がかかった大事な使命なんだ。たぶん、もう二度と会えないだろう」

 そう言われて、これまで必死に押さえ込んできたのだろう、涙がぽろぽろとアイの目からこぼれおちた。 

「やだ、そんなのやだ。だったらアイも、アイもおじさんの国に連れてって!」

 しかし、ミラクル星人はゆっくりと首を横に振った。

「それはできない。いいかい、人にはそれぞれ生きるべき場所というものがある。君はこの星で生まれたこの星の住人だ。それに、私の星は君が生きていくにはあわないところもある」

「いや、もうひとりぼっちにはなりたくない!」

「アイちゃん、それは違う。目を開いてまわりを見渡してみなさい。君はもう、昨日までの君が持っていなかったすばらしいものを、すでに持っているじゃないか」

 彼はそう言って、アイの涙を拭き、優しくふたりを見守っていたルイズ達を指し示してみせた。

「もう君はひとりじゃない、君のために、君を大切に思ってくれる友達が、もうこんなにいるじゃないか」

「……とも、だち?」

 アイは恐る恐る才人達に向かって、その言葉を口にした。

「ああ、いっしょに遊んだ仲じゃないか、これが友達でなくてなんなんだ、なあルイズ?」

「ふん! 平民が貴族に向かって、お友達? そんなおこがまし……で、でも、どうしてもっていうなら、その、なってあげてもいいかな……」

「なあーにぶつくさ言ってるのよ、仲良くなったらそれで友達、ほかにいるもの何かあるの? 自慢じゃないけどこの微熱のキュルケ、国では平民に混ざってガキ大将になったこともあったわね。あのときはお父様にめちゃくちゃ叱られたっけ。よく見たらあなた、なかなか素材がいいわね、レディの手ほどき、わたしがしてあげてもよくってよ」

「……教育上よくない」

「……私は……なによあなた達その目は? こう見えても私は子供好きなほうなのよ、信じてないわね、この!」

 アイは、ようやく自分が願っても手に入らなかったかけがえの無いものを得ていたことに気がついた。

「お姉ちゃんたち……ありがとう」

「そう、生きている限り、ずっとひとりぼっちなんてことは決してない。それに、君はおじさんのために必死になって彼らを連れてきてくれた。その勇気がある限り、君は誰にも負けはしない。でも、どうしても寂しくて我慢できないときには、そのビー玉を見てごらん、少しの間、思い出の世界に連れて行ってくれる。そして、いつの日かそのビー玉も必要なくなったとき、君は大人になるんだ。わかってくれるね?」

「うん!」

 アイは決意を込めた目で、強くうなづいた。

 そして最後に、彼は才人達に向かって深々と頭を下げた。

「この子を、頼みます」

「わかりました。道中、お気をつけて」

 ミラクル星人は、アイをロングビルに預けて、ゆっくりと円盤から下りてきた光の中へと入っていった。

 すると、その姿が円盤に吸い込まれていくように、しだいにぼんやりとなり、透けて消えていき始めた。

 まるで蜃気楼のように消え行く中、ミラクル星人は右手を軽く上げてアイに最後の別れを告げた。

「さようなら、アイちゃん」

 ミラクル星人の姿がどんどん透明になっていく。

 アイは、くちびるをかみ締めてそれを見つめていたが、最後の瞬間、のどが張り裂けそうなくらい大きな声で、ため込んできた思いを吐き出した。

 

「おとうさーん!!」

 

 そのとき、消え行くミラクル星人の姿が一瞬ぶれ、姿が消える瞬間、彼の瞳に、アイの流したものと同じものが光るのを、才人達は確かに見た。

 そして、ミラクル星人を乗せた円盤は、静かに宙に浮き上がると、高度五十メイル近辺で停止し、数回点滅したかと思うと、一瞬で空のかなたへと飛び去っていった。

 後には、空に輝く双月と、幾億もの星が、何事も無かったかのように輝き続けていた。

 

 

「行ってしまったな」

 しばし呆然と見送っていた才人達は、まるで夢を見ていたようにつぶやいた。 

「無事にふるさとに着ければいいわね」

「きっと大丈夫よ、さあ私達も帰りましょうか。そろそろシエスタも戻っているころでしょうし」

 気を取り直したキュルケとロングビルも、軽く息を吐いた。

 だが、アイの顔を見ていたルイズが、根本的で深刻な問題を口にした。

「ちょっと待って、その前にこの子はどうするの? あそこに戻す訳にはいかないし、もちろんわたしも協力は惜しまないけど、学生の身の上じゃあ……」

 確かに、金銭的には子供の一人くらい問題ないが、経験、時間的には難しい。現実的に考えれば、また引き取り先を探すか、修道院にでも預けるのが妥当に思えるが、ミラクル星人との約束は、アイの将来も含めて任せるということと意識していた。ならば、自分達で見て本当に安心できる場所と人間に預けられるまで、少なくとも当分は自分達で面倒を見なくてはならないだろう。

「この子は、私がしばらく預かるわ」

「え? ロングビルさん」

 思わぬところからの助け舟に、ルイズ達は正直びっくりした。

「こういうことには、少なくともあなた達より経験があるわ。そんな顔しなくても、知り合いに信頼できる人がいるから、夏季休校で暇ができたらそこに連れて行くわ」

「本当でしょうね。あんたの知り合いって……」

 その先は言わなかったが、元盗賊であるロングビルの言葉に信用がないのは明白であった。

 ロングビルは苦笑したが、無くした信用は誠意を持って取り返すしかないことも知っている彼女は怒らずに、あくまで穏やかに話を続けた。

「心配しなくても、いい子よ、私よりずっとね。私がトリステインでなにをしていたのかも、その子は知らないわ。いえ、私が知らせなかったんだけど、なんならあなた達も来てみる? あなた達なら信用できるから、会わせてもいいわよ」

 彼女はそのあとに、ルイズ達には聞こえないようにぽつりと「それに、そろそろあの子にも外の人間と触れ合わせたほうがいいしね」とつぶやいた。

 ルイズ達は顔を見合わせたが、疑うも、信ずるも、結局は人の心にかかっている。

 裏切られて、それで人を信じなくなるか、もう一度信じることに懸けてみるのか、目を合わせて考えて、彼女達はその答えを出した。

「わかったわ、そういえばあんたがやってたことも、何やら訳有りだったみたいだし……私はあんたを信じる」

 ルイズがそう言うと、残りの三人もうなづいた。

「じゃあ、あなたの身柄はしばらくわたし達がトリステイン魔法学院で預かるわ。貴族ばっかりのところだから不自由させるかもしれないけど、少しの間我慢してね」

「うん!」

 元気に答えるアイを、強い子だとルイズは思った。思い出してみれば、自分も小さいころ母親に叱られて悲しくなったとき、いつも優しい姉に慰めてもらっていたなと、自然と表情が優しくなっていた。

 ただキュルケは、あの頑固だったルイズがなぜこんな心の広さを見せたのか、どうも不思議でしょうがなかった。

 やがて、彼女達の答えを聞いたロングビルは、一度大きく頭を下げて、その後アイを抱き上げて笑った。

「じゃあ帰りましょうか、魔法学院へ。明日はようやく来たフリッグの舞踏会、みんな揃って楽しみなさい!」

「おおーっ!!」

 明るい叫び声と笑い声が、暗い森の闇をも照らして、空高く響き渡った。

 

 

 しかし、この事件にはもうひとつ、記しておかねばならない戦いがあった。

 

 時系列を少し巻き戻し、才人達がミラクル星人のもとにたどり着いたのとほぼ同じころ、シエスタも王宮、直接は入れないため非常用の受付のところに駆け込んでいた。

 対応した兵士は、こんな夜中に平民がひとりと追い返そうと思ったが、銃士隊隊長アニエスの名前と、王国筆頭貴族であるヴァリエールの名を出されて、半信半疑ながらもアニエスの下へ報告に行った。

「なに、ヒラガ・サイト、本当にそう言ったのだな……よし、会おう」

 アニエスは深夜の訪問に驚いたが、同時にただごとではないとも勘ぐり、副長ミシェルも連れてシエスタと会い、緊張して固くなっている彼女から事情を聞かされてうなづいた。

「事情はわかった。ミシェル、イース街のジョンソン商会といえば」

「はい、以前から脱税の疑いがありましたが、証拠がなく放置されてきたところです。しかしまさか人身売買とは……」

「被害者がいる以上、認めるべきだ。それに、あそこは善意の看板の影に隠れて怪しげな外国人の出入りもしばしば聞く。密告があったのなら都合がいい、この期に害虫どもを一気に駆除してくれる!」

 アニエスは剣を鳴らし、全員出撃の命令を下した。

「た、隊長、お待ちください。街の治安維持は衛士隊の任務、我らが出て行っては越権行為になりますが」

「その衛士隊が欲に汚染されているからこんなことが起きたのだろう。だが、一応筋は通す必要があるな、私は枢機卿に許可を得てくる。その間に出動準備を整えておけ」

「はっ!」

 ミシェルは全員を集めるために部屋を駆け出していき、アニエスも腰に剣を挿して、シエスタに礼を言った。

「よく知らせてくれたな。これでトリステインの毒虫どもの巣をひとつつぶせそうだ」

「あ、は、はい! ありがとうございます!」

 いまや平民達の間では英雄視されているアニエスと話して、緊張してガチガチになっているシエスタは震えながらなんとか答え、それを見てアニエスは軽く笑った。

「そうびびるな。私も君と別に変わりはしないさ。それに、サイトとミス・ヴァリエールには借りもある。あいつらのためにも、トリスタニアの害虫は叩き潰さねばな」

「はい、がんばってください!!」

 あたふたと言うシエスタの肩をぽんと叩くと、アニエスはその部屋を出て行った。

 後に残されたシエスタは、役目を果たしたという達成感よりも、「あの銃士隊の隊長に認められているサイトさんってやっぱりすごい」、などとややずれた感想を抱いていた。

 

 だが、一度動き出した銃士隊の行動は、電光石火のごとくすばやかった。

 アニエスがマザリーニ枢機卿に特別行動の許可を得ると、すぐに城を出撃し、音もなく目的の商家を包囲した。

 そこは、外国からの物品の輸出入を取り扱っているという看板で、日本でいえばスーパーマーケットのような店構えを持つ二階建ての建物であったが、よく見ると窓にはすべて頑丈そうな格子がついていて、ものものしい雰囲気を放っていた。

 それで確信を得たアニエスは、包囲網完成とともに自らが先頭となって一気に斬りこんだ。

「王宮警護団銃士隊である!! この屋敷で不法な商品を扱っていると密告があったことにより、これより強制捜索をおこなう!!」

 たちまち店内になだれ込んだ隊員達が、止める店員を押しのけて証拠物件を探そうとする。

 むろん、表向きに並べてあるものは合法的なものだけだろうが、蛇の道は蛇という、銃士隊はそういうものを探索する術に長けており、やがて戸棚の隠し扉や二重の壷の底などから次々違法な薬物が見つかった。 

 だが、この程度のものなら裏に手を回せばさして問題なく手に入る程度のもの、本当に見つけるべきものは他にある。

「地下室があるはずだ、探せ。それから店主を拘束しておけ」

 シエスタから聞いた情報により、奴隷を秘密の地下室に拘束してあることを聞いていたアニエスは、店の床を重点的に調べさせた。

 そして、遂に厨房の床に、カモフラージュされた地下への扉を見つけた。

 しかし、いざ突入してみると、そこには確かにいくつもの牢があったが、奴隷どころか人影などひとつもなかったのである。

「これは、どういうことだ?」

 さしものアニエスも予想外の出来事に唖然としたが、隊員のひとりが持ってきた報告によって理由を悟った。

「隊長、店主の姿が見当たりません」

「なに、逃げたのか?」

「いえ、この包囲網は突破できるはずもありません。店員に問いただしましたところ、我々が突入する寸前に、なにやら慌てた様子で地下に駆け込んでいったとのことです」

「ちっ! 感ずいて奴隷を連れて秘密通路を使って逃げたな。探せ、このどこかに入り口があるはずだ!」

 ここまできて逃がしてたまるか、アニエスは焦りを抑えながら、自らも地下牢の壁や床を探し回った。

 

 そのころ、間一髪銃士隊の攻撃から逃れた店主は、持てるだけの現金と、奴隷の子供達を鎖で引きずりながら、地下通路を必死で逃げ延びようとしていた。

「おのれ銃士隊め、正義感ぶっていらぬことにまで首を突っ込んできおって。こうなったらこの商品だけでも守らねば。街外れには、ガリアのギルモアの手下が待っているはず、そいつらにまとめて売り飛ばしてさっさと高飛びだ」

 店主は、子供達が泣き喚こうと転ぼうとかまわずに引きずっていく。その目には人間らしい哀れみなどひとかけらもなかった。

 だが、彼の行く地下通路の先から、黒いローブで身を隠した人影が現れて、店主の前に立ちふさがった。

「だ、だれだお前は?」

 店主は警戒して、たいまつの明かりをそいつに向けると、その人物はローブをまくって顔を見せた。

「あ、あなた様でいらっしゃいましたか! 失礼いたしました」

 いきなり卑屈な態度になった店主は、頭をぺこぺこと下げながら、その人物に弁解の言葉を述べた。

「申し訳ありません。これまでひいきにしていただいたというのに台無しにしてしまいまして、トリステインの子供は奴隷や、または妖魔と取引するための生け贄として高く売れますから、反省しております」

「私は、知らなかったが?」

 そこで、黒ローブの人物は短く言った。重く、突き刺すような口調だった。

「秘密厳守でございます。敵をあざむくにはまず味方から、とも申しますな。ですが、あなた様が銃士隊の出動を知らせてくれましたので、ギリギリ逃げ出すことができました。この後は、ガリアに逃げ延びて再起を計り、よりいっそうの利益をもたらす所存ですので、どうかあのお方にもよろしくお伝えください」

「その元手が、それというわけか?」

「はい、ガリアの知人に売り渡し、それで向こうで商売を起こします……ええいうるさいぞ、泣くな!!」

 店主は泣き叫ぶひとりの子供の顔を張り飛ばした。骨と皮ばかりにやせ衰えて、体中傷だらけになった子供の体は簡単に飛ばされて床に投げ出された。

「さあ、ここはもうあぶのうございます。この通路もいつ奴等に見つかるか、急いで脱出いたしましょう」

「いや、お前はここまでだ」

 黒ローブの人物は、そう言うと懐からすばやく杖を取り出して店主に向け、店主が「なにを!?」という間もなく、杖の先から強烈な魔法の光がほとばしり、店主と子供達の目を焼いた。

「うわぁっ! 目が、目が、うぐっ!?」

 暗闇の中で、突然胸に走った痛みに、店主がおそるおそる胸に手を当ててみると、そこには自分の心臓に深々と突き刺さった冷たい剣の感触があった。

「な、なぜ……ぐぶっ!」

 剣が引き抜かれ、急速に力を失っていく体が固い床の上に崩れ落ちたとき、店主の魂は悪人にとっての唯一の楽園、地獄と呼ばれる異世界に向かって旅立った。

「私は悪党だが、悪魔の手助けをするつもりはない」

 黒ローブの人物は、そう言うと店主の死体に『発火』で火をつけた。

 子供達は、さっきの光でまだ視力が戻っていなかったが、炎の暑さに自然に元来たほうへと下がっていった。

 それから数十分後、ようやく地下通路の入り口を見つけた銃士隊員達によって子供達が保護されたとき、黒ローブの人物はすでに影も形もなくなっていた。

 

「隊長、子供達は無事保護、店内にいた店員も全員捕縛しました」

 制圧を完了し、犯人達を連行していく姿を見ながらアニエスは部下から報告を受けていた。

「ご苦労、しかし主犯の店主を捕らえられなかったのは残念だ、いろいろとしぼりだせると思ったのだが」

「報告によりますと、逃走通路の先に黒こげの死体となって発見されたそうです。目撃していた子供達の言によれば黒いローブの人物だそうですが、メイジということ以外わかりません」

「口封じか……」

 店主を捕らえられなかったことで、画竜点睛を欠いたという感じをぬぐいきれなかった。店員のほとんどは捕縛したが、どいつも店主に言われて動いていただけのチンピラで、どこの誰と取引していたのかなど重要な情報は持っていそうになかった。

「ところで子供達の目は大丈夫なのか?」

「衛生班の診る所によると、一時的なもので、あと小一時間もすれば全員見えるようになるそうです。目くらましをして一突きとはずいぶんえぐいことをします。ですが、子供達にとっては見えなかったことがよかったのかもしれません。人の死ぬ光景というのは、子供にとって大変なトラウマになるものですから」

「そうだな。しかし、目撃者のはずの子供達をそのままにしていったのは解せんな。それに……いや、ご苦労だったな。任務に戻れ」

「はっ!」

 その隊員を見送ると、アニエスは今口に出さなかったことを考えた。

 なぜ店主は銃士隊が出動したのを事前に知ることができたのか。そして店主を殺害した刺客はどうやってこの店に異変が起きたことをかぎつけたのか、用心深いだけでは説明できない迅速さに不可解さを禁じえなかった。

(あと考えられる可能性があるとしたら……ずっと共に戦ってきた者たちばかり、信じたくはないが)

 そこまで考えたとき、包囲部隊の指揮に当たっていたミシェルが駆け寄ってきた。

「隊長、逃走を計っていた店員二名を捕縛、これで全員の逮捕が完了しました」

「ご苦労、包囲網を解体し、全員を連行しろ。それから、子供達はいい医者のところに連れて行ってやれ、経費がかかるようなら私の給金からさっぴいてかまわん」

「隊長……了解いたしました。ですが、それでしたら私も半分お持ちします! 任せてください」

 ミシェルはアニエスの言葉に感動したのか、堅物そうな顔にほんのわずかだが笑みを浮かべて駆けていった。

 アニエスはそんな信頼する副長の後姿を、ただ黙って見送っていたが、そこに店の捜索をおこなっていた隊員が一冊の冊子本を持ってやってきた。

「隊長、店主の部屋を捜索していたらこんなものが……」

 アニエスは、その冊子のページをペラペラとめくってみて驚いた。

「これは、裏金、賄賂を流した役人の名簿じゃないか、金額も丁寧に書き込んである。衛士隊西隊の隊長から徴税官のチュレンヌまで……」

「はい、奴め相当焦っていたと思われまして、めちゃくちゃに散乱した物の中に、これが置き忘れられておりました」

 そこには、トリステインの名だたる貴族の名前がずらずらとすき間もなく書き込まれていた。

 アニエスは、勤めて冷静にそのページをめくっていったが、最後のページに、他の貴族のおよそ三倍もの量の賄賂を、毎月にわたって受けていたある名門貴族の名前を見つけて、一瞬だがその顔を憤怒に歪ませた。

「……やはり、貴様もだったか……リッシュモン!」

 

 

 続く



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第21話  踊れ! 怪獣大舞踏会 (前編)

 第21話

 踊れ! 怪獣大舞踏会 (前編)

 

 カンガルー怪獣 パンドラ、チンペ

 歌好き怪獣 オルフィ

 風船怪獣 バンゴ

 玉好き怪獣 ガラキング 登場!

 

 

 この事件の発端は、才人達がツルク星人と戦った、その三日後に、魔法学院を遠く離れたある山奥で始まっていた。

 誰も立ち入らないような深い渓谷の奥を、鋼鉄の鎧を身にまとった竜騎士が低空で飛んでいく。

 ここは、クルデンホルフ大公国領内、オットー山。魔物が住んでいるといわれ、現地住民すらめったに足を踏み入れないという魔の山であった。

 そんなところを、五騎の竜騎士は何かを探すようにきょろきょろと首を振りながら、ゆっくりと飛んでいた。

「おい、本当にこの辺なんだろうな?」

「ああ、道に迷って奥地に入り込んだっていう猟師の話が確かならな」

 彼らは、手に持った山岳の不確かな地図を頼りに飛んでいく。

「まったく、それにしても旦那様の思いつきにも困ったものだ、いるかどうかも分からないものを探して来いとは、見つからなかったら我らはなんとお詫びすればよいことやら……」

 騎士のひとりが、兜の裏からうかない声を出すと、他の仲間達も同意するように首を振った。

「やむを得まい、我らは所詮雇われた身。それに……ん? おい、あそこの山肌を見ろ!」

 突然、編隊右翼を飛んでいた騎士が、切り立った山肌の一角を指差した。

 その声に、仲間の竜騎士も、竜をホバリング状態にして、そちらの方向を見て息を呑んだ。

「あれは……どうやら目的のものらしいな。よし、仲間がこないうちにさっさと済ませてしまおう。眠りの煙と檻の用意はいいか?」

「準備はいいです。いつでもいけます」

「よし、かわいそうだがこれも仕事だ。煙玉を投擲しろ!」

 これが、その数日後どういう事態を招くか、そのとき彼らは知るべくもなかった。

 

 

 それから三日後、トリステイン魔法学院

 

 いつもは退屈な授業に眠そうな顔を並べる生徒達も、今日この日ばかりは朝から顔を輝かせ、日が昇るころから夕暮れを楽しみに友と飽きることなく語り明かす。

 今日は、魔法学院年に一回の春の行事『フリッグの舞踏会』の日、学年も家柄も関係なく、親睦を深めるために、男女は皆着飾って語り、食べ、飲み、そして踊る。それは新たな友情や、時には恋が生まれる大切な日なのだ。

 特に今年は、本来この一月半前におこなわれるはずだったのが、超獣ベロクロンのトリスタニア襲撃により、それどころではないと延期されてきたために、おあずけを喰らった生徒達の盛り上がりようは例年にないものがあった。

 この日は授業も午前中で切り上げられ、貴族の若き紳士淑女達は、秘蔵していたスーツやドレスを引っ張り出す。

 会場となるのは、アルヴィーズの食堂の上の大ホールで、全校生徒を収容しきれる広さのそこに、学院の使用人やメイド達がいすやテーブル、ほかの様々な小道具を何往復もして運び込んでいった。

 

 そんな様子を食堂外の壁際で物珍しそうに観察していた才人は、貴族のお祭りというのはさすが平民とは違うなあと考えていた。

「おーおー、たかが学生の行事だってのに、すごい量の飾りつけだなあ。俺達が必死こいて買い込んだものが、たった一晩で使い果たされると思うとなんかやりきれないよ」

 昨日、馬車いっぱいになるまで買いこんできた食料品や小道具は、あっという間にからになって、会場に運び込まれ、普段殺風景なそこを優雅に飾り立てている。

 しかし、日本の高校生にとって、舞踏会なんてものはテレビの中にしか存在しないために、すでに異世界にいるのに異世界の出来事を見るかのように、才人はぼんやりとその様子を眺めていた。

 そんなときに、たまたま通りかかったのか、両手いっぱいに洗濯物を持ったシエスタが横に並んで話しかけてきた。

「サイトさん、お疲れ様です。どうですか、フリッグの舞踏会は? 春の使い魔の召喚と並んで、学院の名物なんですよ、ああ、わたしもあのホールで着飾って、サイトさんみたいな人と踊ってみたいなあ」

 シエスタは、ぽーっと遠いところを見るように言った。メイドのシエスタにとっては、舞踏会など手伝いはあっても参加など夢の話。しかし華やかな舞台に憧れるのは、女の子にとって永遠の夢である。地球でも、シンデレラの物語がいまだに絶大な支持を持つのがその証拠だ。

「シエスタのドレス姿か、すっごくよく似合うと思うよ」

「えっ! ほ、ほんとにそう思いますか! ミス・ヴァリエールやミス・ツェルプストーより! やったあ!」

「いや、そこまでは言ってないんだが……」

 普通に思ったことを言ったつもりだったのだが、どうやら自分に都合のいいように解釈するのも世界の違いはないようだと才人は思った。

「う、うん……ところで、シエスタは今から洗濯かい?」

 これ以上シエスタを舞い上がらせると危険だと判断した才人は話題を変えることにした。

「はい、今日はお天気がいいので今からでもすぐに乾いちゃうでしょう。天気のいい日にはお布団を干すものです」

「そうだね、あ、そうだ、ところでアイちゃんはどうしてるかい?」

「ロングビルさんが預かってるはずですが、ここにいる間に教養をつけておくって、暇なときに読み書きを教えるって言ってましたから、今頃図書館じゃありませんか」

 ハルケギニアでは平民の識字率は低い。シエスタは学院に来る前に修道院で学んだそうだが、彼女いわく字が読めるおかげで学院での仕事も読めない人に比べて多いそうだ。日本で漢字や英語検定が就職に役立つのと同じようなものだろう。どうやら、ロングビルは本気でアイの保護者をする気のようだ。

「そうか、ミラクル星人も安心するだろう。けど、俺もそうだったけど、この学院で平民は肩身が狭いじゃないか。ロングビルさんも、始終つきっきりというわけにはいかないだろうし、大丈夫か?」

 才人がそう言うと、シエスタは難しい顔をした。この学院はとかく貴族というだけで平民の使用人やメイドを見下す者が多い。才人がギーシュとの決闘に勝ってからはそれほどでもなくなったが、悪習というものはなかなか消えないものだからだ。

 もし、自分達の見えないところでいじめられでもしたらと、才人は心配だったが。

「そのことなんですが、実は事情を聞いたオスマン学院長が自分の親戚の子だと言って、面倒を見ているそうです。まあ、暇はありあまってる人ですし、学院長の身内となれば手を出す人はいないと思いますが」

「学院長が? あのじいさんそこまで守備範囲広かったのか?」

 才人はオスマンが関わっていると聞いて悪い予感がした。確かにやっていることは美談だし、オスマンが悪い人ではないのはわかっているが、オスマン学院長といえば、女子生徒から女教師まで日中から胸や尻を平気で触ってくるセクハラジジイとして学院では知らない者はいない。そんなのにいくら子供とはいえ、女性を預けていいものか。

 ふたりが、もはや想像するだにヤバすぎる光景に慄然となったとき。

 

「あら、ご両人、こんなところでデートの相談かしら?」

 

 と、いつの間に現れたのかキュルケが二人の前に立っていた。

「あら、ミス・ツェルプストー、生徒の皆さんは今頃みんな舞踏会の準備にお忙しいと思ってましたが」

「あたしはこういうの慣れてるから、余計な時間は必要ないのよ。ところで、なんのお話してたのかしら?」

 

 そして二人から事情を聞くと、あははと笑って言った。

「そりゃ大丈夫よ。大方、幼いうちにつばつけて十年後に自分に惚れさせようっていう魂胆でしょうよ。多分、言い出したのはミス・ロングビルのほうね。将来絶世の美女になるとか、うまいこと言ってその気にさせて養育費を出させる腹でしょ」

「はぁ? 三百年も生きてるくせに、まったく呆れたじいさんだ。だがまあそれなら安心だな。それにあんなジジイに女が惚れるなんてありえないし」

 才人は悪い予感がはずれていたとわかってほっとした。 

 だが、キュルケはチッチッチと、才人の目の前で指を振って見せた。

「あら、そこのところは違うわよ。女は年齢や顔なんかで生涯の男を選んだりしないわ。上っ面に引かれるのはお子様だけ、まあそれも駆け引きのひとつなんだけどね。だからダーリンも、もっと自信を持っていいわよ。あの野蛮な空中装甲騎士団の連中なんかより、よほどいい男なんだから、ねえシエスタ?」

「そうですよ。サイトさんほど男らしい人なんていませんって、ミス・ヴァリエールだって、ああ見えてサイトさんが気になってしょうがないんですよ、きっと」

「ルイズが? まさか、ないない」

 シエスタの言葉を、才人は一笑にふした。あの高慢ちきな貴族様が、俺のことが気になる? まあそりゃあ短い付き合いだけど生死を共にしてきた仲だが、いつもは犬よばわりで、あるだけ雑用を押し付けてくるような鬼が? ありえないだろと思ったが、シエスタとキュルケは顔を見合わせて、やれやれとうなづきあっていた。

 

「そういえば、空中装甲騎士団ってなんだ?」

 ふと才人はさっきキュルケの言葉の中に出てきた、聞きなれない単語について質問してみた。

「あら、知らなかったの? ほら、あれよ」

 キュルケが指差した先には、先日まで見受けられなかった多数の野営用テントと、係留されている数十頭の飛竜、それの世話をしている無骨な騎士達の姿があった。

「空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)、クルデンホルフ大公国の私設竜騎士隊、トリステイン王軍のグリフォン隊を除けば、現在トリステイン最強と言われる空中騎士団よ」

「つまりトリステインNo2の戦力ってわけか。しかし軍隊だろ、ここは学校だぜ?」

 よくわからなそうに答える才人に、キュルケは舞踏会のおこなわれるホールを指し示して説明していった。

「ダーリンはトリステインの事情にあんまり詳しくないんだったわね。んーと、簡単に説明すると、クルデンホルフ大公国ってのは、トリステインの貴族のひとつなんだけど、大公国ってつくように名目上は独立国なの。それで、大変な資産家でもあるから数多くの貴族が借金をしてるし、一月前にトリタニアが壊滅したときには大量の復興資金がクルデンホルフから入ったわ。つまり、トリステインの貴族達はクルデンホルフに金貨でできた首輪でつながれたようなものなの」

「金持ちには貴族も逆らえないってわけか、なるほど、それであいつらはその貴族の子弟らに」

「そう、将来にわたって影響力を行使するために威嚇しに来たってわけ。かくいうここの運営資金もかなりな量クルデンホルフからの寄付でまかなってるっていうし、学院長も断りきれなかったんでしょ」

 キュルケはつまらなさそうに鎧を光らせている騎士団を眺めていた。

 と、そのときひときわ大きいテントの中から、金髪をツインテールにまとめた小柄な女の子が出てきて、才人は目を丸くした。

「え、女の子?」

「あれが、その空中装甲騎士団の指揮官で、クルデンホルフ大公国の長女、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ、本来魔法学院には来年入学だけど、顔見せでやってきたんでしょ」

 そこまで言うと、説明にくたびれたのかキュルケはふわあとあくびをした。

 どうやらキュルケはベアトリスのことは完全にどうでもいいらしい。まあ元々ゲルマニアからの留学生である彼女にとっては、トリステインの貴族の事情など他人事だ。 

 また、シエスタにとっても普段いばりくさっている貴族が借金で首が回らなくなっても、別に同情には値しないために、どこ吹く風、考えてみれば才人にとってもどうでもいい。

 遠くて、何を話しているのかはわからないが、ベアトリスは自分の親ほどにも歳の離れた髭面の騎士にあれこれと偉そうに命令している。

(あれま、どうやらありゃまた簡単に友達になれそうにないタイプだな)

 才人達が遠目で眺めていると、ベアトリスは何人かの騎士を連れてどこかに行ってしまった。

 そして、シエスタも洗濯物を干すために行ってしまい、残ったキュルケが才人を自分の部屋に連れ込もうとしていたところで、もはや血に刻まれた宿命か、砂煙と地響きを猛ダッシュで引き連れて、額に青筋を立てたルイズがやってきた。

 

「サイトぉ!! ご主人様のドレスの着付けも手伝わないでどこほっつき歩いてたの!! し、しかもまたキュルケと……そんなに死にたいなら今ここで楽にしてあげるわよ!!」

 息を切らしているところから見ると、どうやら学院中を才人を探して走り回っていたらしい。端から見たら可愛らしいものだが、目を血走らせて乗馬鞭を持っている点で減点百点がついている。

「い、ルイズ落ち着け、ドレスの着付けって、俺にそんなことできるわけねえだろ」

 冷や汗を流しながら才人は必死に弁解した。キュルケがいるせいか、ルイズの怒りもいつもの五割増しに見える。乗馬鞭がぶっちぎれそうなくらい張り詰めて、このままではバードンの前のケムジラさながらに息の根を止められてしまう!!

 なんとかしなければ!! まだ死にたくはない!! 才人の生存本能は盛大に警鐘を鳴らしていた。

 そんな怒り心頭のルイズの前に、風前の灯火の才人だったが、そんな面白そうなものをただ見物しているだけでは我慢できないのがヴァリエールの仇敵のツェルプストーである。

「あはは、ねえルイズ、あなたお馬鹿? ドレスの着付けを一番見てもらいたい人にやってもらっちゃあ見せる楽しみがないじゃない」

「なっ!?」

 瞬間的に、過剰運動と怒りで赤くなっていたルイズの顔が、別の意味でさらに真赤になった。

「ななな、なな」

 何か言いたいようだが、パニックで舌がもつれて言葉にならず、なを連発するばかり。

 それを見てキュルケはさらに愉快そうに笑う。

「あなたって本当に面白いわねえ。着付けだったらシエスタに頼めばいいじゃない、わざわざそんな汗まみれになって探しにくるってことは、近くにいてくれないと不安なんでしょう?」

「ななっ……なに根も葉もないこと言ってくれてんのよあんたは! ええい、さっさと来なさいサイト! 言っとくけど、今夜の舞踏会に特別待遇で参加できるからって調子に乗るんじゃないわよ。へらへら他の女の子に見とれてたりしたら叩き出すからね!」

 そんなことを言う時点で才人のことを意識してるのだと公言しているようなものだが、本人には当然自覚がないため、さらにキュルケに笑われるばかり。

 才人も、人が大勢いる舞踏会で人に目をやるななんて無茶だと思ったが、理屈の通用する相手ではない。だがこのまま連れて行かれて折檻されるのもやだと思った彼は、常人の七割くらいは詰まっている脳髄をこのときフル回転させた。

 

「いや、ルイズ、悪いがそれはできないぜ」

 

「なんですって、もう一度言ってみなさい?」

 ルイズの目が蛇のように下から睨みあげてくる。ここで対応を間違えたら死ぬ。彼は本能的にそれを察知し、精一杯の笑顔を見せてこう言った。

「だって、そんなことしたらお前がほかの誰よりも輝いているのが確認できないじゃないか。月が瞬く無数の星の中でこそもっとも美しいみたいに、星々の中で輝くルイズの姿を俺は見たいんだよ」

 それを聞いて、怒り心頭だったルイズの表情が一瞬で変化した。

 夢を見ているように視線が宙を舞い、やがて、ねめあげていた顔がしだいにうつむき加減になっていく。

「そ、そう、そんなに言うんだったら、まあ……わたしも鬼じゃないし、けど、だったら誰よりもわたしを見てなさいよね。わかった!?」

「ああ、わかってるって!」

 才人がそう答えると、ルイズはまだ、ぽけーっとした様子で、千鳥足をしながら、どこかにふらふらーっと歩いていった。

 そして、完全にルイズの姿が見えなくなると、一気に緊張が抜けた才人は腰の力が抜けて、土の上にへたりこんでしまった。

「はー、死ぬかと思った……」

「なかなかやるわね。でも、とっさによくあんな口説き文句思いついたわね」

「さっきギーシュが金髪縦ロールの女子に同じこと言ってたの思い出したんだ。まったく、あいつはよくもまああんなクサい台詞を平然と言えるもんだぜ。うー、気持ち悪」

 さっき自分が言った台詞を思い出して、才人は全身に悪寒が走って、ぶるっと震えた。

「あっはっは、なるほどね。ま、陳腐な内容だからそんなことだろうとは思ったけど、ルイズには効果はあったみたいね。ほんと単純なんだから」

「まあ、ここまでうまくいくとは俺も思ってなかった」

 ふたりは顔を見合わせて、笑いあった。

 だが、しばらくするとキュルケは真顔になって、才人の額と自分の額がくっつきそうになるくらいまで顔を近づけて言った。

「でもね。例え苦し紛れの嘘でも、それを本当にしてあげるのが立派な男ってものよ。今夜は約束通り、あの子を一番に見てあげなさい。いいこと?」

「……そうだな、だますのはよくない。今夜は、あいつに付き合ってやろう」

 こういうところでは、才人もまたいっぱしの男であった。

 

 

 そして、時間はあっという間に過ぎ、日が暮れて月も高く上がり、フリッグの舞踏会は盛大に開催された。

 学院長のあいさつが適当に聞き流され、主賓となる生徒達が、きらびやかなドレスに身を飾って次々入場してくる。

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなーりー!」

 ルイズも、白いパーティドレスに身を包んで現れ、いつもとは違うフランス人形のような可憐さをかもし出す姿に、馬子にも衣装だと期待していなかった才人も、一瞬我を忘れて見入ってしまった。 

「お、お前ルイズか?」

「ほかに誰がいるっていうのよ?」

 思わずそう聞いてしまった才人に、ルイズは顔をふくらませて言った。

「ふん、どうせ似合わないとか、あっちの子のほうがきれいとか思ってるんでしょ。わかってるのよ」

「いや……正直想像以上だった……お前、こんなにきれいだったんだな」

 それはまごうことなき才人の本音であった。女の子は着るものが違うだけで、ここまで印象が変わるものなのか、こっちのほうがよっぽど魔法だと、ルイズから目が離せなくなっていた。

「ふ、ふん、あんたにしちゃ上出来のお世辞じゃない。まあ、素直に喜んでおいてあげるわ!」

 思いもよらぬ才人の言葉に、今度はルイズのほうが我を忘れてどぎまぎする。

 ふたりはそのまま、お互いに話しかけられずにもじもじしていたが、そうして無駄な時間をとってしまったおかげで、そんなふたりを見つけたキュルケが、間に割り込んできた。

「ご両人! なーにマネキンみたいに突っ立てるの、せっかくの舞踏会の雰囲気が台無しよ」

「い!? キュルケ」

 いきなり肩を叩かれてそう言われ、ふたりはびっくりして飛び上がった。

 キュルケはルイズと正反対に胸元をはだける扇情的なドレスを着ていて、別の意味で才人の目が釘付けになり、ルイズはいきなり現れたキュルケに対して不快感を隠そうともせずに怒鳴った。

「キュルケ! あんたはどうしてもういつもいつも、ずかずかと乗り込んでくるのよ。あんたは普通にもてるんだから、その辺で適当な男と踊ってればいいでしょう!?」

「そうするつもりだったんだけどね。見てご覧なさいよ、舞台を無粋なやからが占拠しててそれどころではないわ」

 ふたりは、ホール中央部に目を向けた。今までお互いしか見えてなくて気づかなかったが、ダンスホールの中央に、鎧姿の騎士達、例の空中装甲騎士団が陣取っていて、華やかな舞台に不釣合いな重苦しい雰囲気を放っていた。

「なんだありゃ? 仮装パーティのつもりか?」

「違うわよ、なんでもこの機にトリステインの将来を担う空中装甲騎士団の威光をご披露なさるそうよ。まあ貧乏貴族の子弟に脅しをかけて、あわよくば借金のかたに空中装甲騎士隊に入隊させて、戦力の増強を計ろうっていうことじゃない?」

「はっ! 成りあがりの三流貴族の考えそうなことね。金銭と打算だけで世の中が動かせると思ったら大間違いよ」

 ルイズは伝統あるフリッグの舞踏会を、無粋な鉄くずで汚すやからに、激しい嫌悪を見せた。

 ほかの生徒達も、ホールの中央を占拠する騎士達に不快な様子を示していたが、その中にはかなりの割合でクルデンホルフに首根っこを押さえられている貴族達がいたし、完全武装の戦闘のプロ集団に手を出そうという無謀なやからもいなかったので、彼らはホールの主のようにそこに君臨していた。

 だがそのとき、呼び出しの衛士が、高らかに彼らの主人の名を告げると、ホールの全員の目が入り口の門のほうに集中した。

「クルデンホルフ大公国が息女、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ殿下、おなーりー」

 ホールの大きな門が開き、昼間見たツインテールの少女が、きらびやかに無数の宝石をちりばめたドレスをまとい、五、六人の彼女よりやや年上の少女を連れて入場してきた。

「あれがクルデンホルフのお姫様か、ものすっげえ金持ち主義」

 才人はそのルイズの衣装すら安物に見えかねないほど豪華に飾り立てられたドレスを見て呆然とした。数百のダイヤを中心に、ルビーやサファイヤが赤と青のアクセントをとり、まるで歴史の教科書で見た大英帝国黄金時代のエリザベス女王のようだった。

 しかし、ルイズとキュルケは、それに対して、きらびやかというより、けばけばしいという印象しか抱いていなかった。

「はあ、気品もなにもあったものじゃないわね。あれじゃ宝石が着てる人間を飾り立てるんじゃなくて、人間が宝石の付属物みたいじゃない」

「今回はあなたと同意見ね。ドレスはすばらしいけど着てる人間が追いついてないわ、あの子には十年早いわね。それより、後ろのお付の五人、あれ一年のシーナと二年のメディナ、うちのクラスのキャメルもいるわ。みんな領地経営が苦しくて、クルデンホルフに多額の負債を抱えてるところの子よ」

「金貨と権力と負けて、強い者にすりよって保身をはかるなんて、貴族の風上にもおけないわね。トリステインの貴族も落ちたものだわ」

 ルイズはそう吐き捨てたが、困窮して家と家族を守るだけで精一杯の貴族がいるということを理解していない辛辣な台詞でもあった。

 やがてホール中央の、周りを見渡せる壇上に立ったベアトリスは気分よさそうに皆を見渡すと、高らかに演説をぶりはじめた。

 

「皆様ごきげんよう。お初にお目にかかります、わたくし、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフと申します。まずは、このすばらしい席にお呼びいただいたことを感謝いたしますわ」

 誰が呼んだんだよ、と多くの者が思ったが、当然口に出す者はいない。むしろ、クルデンホルフに頭が上がらない者達から拍手があがるほどだ。

「ありがとう皆さん。わたくしも来年にはこのトリステイン魔法学院に入学し、共に国の将来を背負うべく学びにつくのですから、ここで先輩の皆様方と親交を持てるのは至上の喜びですわ。昨今、この国は外敵の脅威にさらされ、隣国は今なお内戦のただなかにある今、我がクルデンホルフも私財を投げ打って国の平和のために尽くしていますが、それも皆々様のようなご立派な貴族の方々の協力なくしてはなしえないこと。今後ともトリステインに恒久的な平和と繁栄をもたらすために、共に手を携えていきたいと考えております。そして、賢明な皆様方でしたら、必ずやよりいっそうのご協力をいただけるものと確信しておりますわ」

「なんだありゃ、まるでトリステインを守っているのは自分みたいないいぐさじゃないか」

 才人はベアトリスの演説の、あまりにも居丈高で高慢な内容に唖然とした。

 ルイズやギーシュも高慢という点では同じだが、それでもまだ貴族として自分を律しようというところがあった。だが、これではまるで弱虫泣き虫を従えるガキ大将のようだ。

「だから、成り上がりって言ったでしょ。クルデンホルフは元々ゲルマニアの者だけど、功あって時のトリステイン王から独立を認められて、それ以来ゲルマニアならではの経営戦略と貿易で急成長してきたんだけど、昔からの貴族とのつながりがないから、金で弱小貴族をクモのように絡め採ってきたのよ。聞くだけ馬鹿馬鹿しいわ、ホールが空くまで飲むから、酌をしなさい」

 ルイズはクルデンホルフの自慢話と恫喝など興味はないと、バルコニーのテーブルについて、ワインを要求した。

 才人とキュルケも同じくどうでもよかったので、近場のテーブルからいくつかのワインボトルを取ると、ルイズのテーブルに運んだ。

「サイト、あんたも座りなさい」

「えっ、いいのか?」

 てっきり酌だけさせられて、後は立たされて用事を言い使わされるだけだと思っていた才人は思わず聞き返した。

「いいわよ。一人で飲む酒は悲しみを忘れるためのもの、楽しむ酒は大勢でいっしょに飲むもの、お父様の教えの受け売りだけど、あんたみたいなのでもいないよりはましでしょ。さっさと座りなさい」

「じゃあ、遠慮なく。ワインは赤のほうが好みだったな、確か」

 才人はルイズの隣の席に座ると、グラスにワインを注いでやった。

 と、そこへどこから見つけてきたのか、キュルケが皿に山盛りのサラダを大事そうに抱えて口を膨らませているタバサを連れてやってきた。

「そういうことだったら、わたし達も仲間に入れてもらうわよ。せっかくの舞踏会、踊れないんじゃつまらないからね。んじゃ、さっそく乾杯しましょ。はい、かんぱーい」

 キュルケの音頭で、四人はカチンとグラスを合わせて、ワインを口に運んだ。 

 壇上ではまだベアトリスの演説が続いている。校長先生や政治家の話も大抵長くてつまらないが、その理由としては短くわかりやすくまとめる才能がないのか、単なるしゃべりたい病の独演であるからかだが、今回の場合両方であるようだ。

 才人達は、他愛もない話で時間をつぶしながら、度数低めで口当たりのいいワインを楽しんでいた。

 

 やがて、何分過ぎたかは分からないが、ほどよくアルコールが回って体があったまってきたところで、ようやく長いだけの演説もきりがきたようだ。

「さて、ではここで我が空中装甲騎士団の武を披露したいと思います」

 ベアトリスがそう言って壇上から降りると、直立不動で待機していた空中装甲騎士団が一斉に、剣のように凶悪な形をした杖を取り出して構えをとった。

 なんだなんだと、生徒達は、ただならぬ雰囲気にざわざわと騒ぎ出す。ベアトリスは武を示すと言っていたが、こんなところで模擬戦でも披露しようというのか。

 また、離れて様子を見ていた才人達も、その物々しい雰囲気に気づいていた。

「あの姫さん、なにか始める気みたいだな」

「どうせろくなものじゃないでしょ。はーあ、今年のフリッグの舞踏会は最悪ね。しかも来年にはあの馬鹿が正式にこの学院に来るっていうし、お先真っ暗だわ」

 ぐいとグラスを飲み干して、しらけた様子でルイズは言った。

「しかしいったい何をする気かしら? 見て、彼ら庭に下りていくわ」

 空中装甲騎士団は、バルコニーから見下ろせる学院の中庭に下りていく。まあホールの中でドンパチやられるよりはましだが、舞踏会を武道会にするつもりなのか?

 しかし、そんな冷ややかな視線に気づいていないのか、ベアトリスはルイズ達のとなりから空中装甲騎士団を見下ろして高らかに宣言した。

「皆さん、近年トリステインを初めとするハルケギニア全土において、怪獣による災害が多発しておりますが、我が空中装甲騎士団は、そんなものには屈しない強さを持っていることを、ここに証明いたしましょう。さあ、獲物をこれに!!」

 ベアトリスはそう言って、右手を高くかかげた。

 

 まさに、そのとき。

 

 突如足元から突き上げるような衝撃が伝わってきたかと思うと、大地がうなり、学院全体を巻き込んで激しく振動しはじめたではないか。

 テーブルの上のグラスや皿が床に落ちて乾いた音を立てる。立っていられなくなった生徒が転んで、豪華なドレスやスーツを散乱した料理で汚して悲鳴をあげる。

「じ、地震か!?」

 だが、それはそんな生易しいものではなかった。

「あっ、あれを見ろ!!」

 バルコニーにいたひとりの生徒が外を指差して叫んだ。

 その先には、この間怪獣アングロスが暴れて破壊されたままになっていた外壁から、学院の外の草原の土が盛り上がり、そこから二頭の巨大怪獣が姿を現すのが見えたのだ。

 一匹は、白く柔らかそうな体毛に包まれて、頭に生えた一本角がコアラのようなユーモラスな顔と不釣合いな怪獣。もう一匹は全身土色で、ラクダみたいな顔と眠そうな目つきに、なんというかお腹からぷっくり突き出た出べそが目立つ怪獣だった。

「か、怪獣だ!?」

 怪獣の出現に生徒も教師達もざわめきたった。

 早くも逃げ出そうとして門に駆け出す者、コルベールのように賢明な教師連は生徒達の避難経路を確保しようと迅速に行動し始めていたが、そのときある一人の生徒が、なにをどう勘違いしたのか、とんでもないことを叫んだ。

 

「さすがクルデンホルフの空中装甲騎士団、怪獣を倒すところを我々に披露していただけるというわけですね!!」

 

 それを聞いて場の空気が一気に変わった。

 なんだ、あれはベアトリス殿下の演出か、それならば安心だ、すごいサプライズを用意していたんだなと、衆目の目が一斉にベアトリスに向けられた。

 もちろん、いくら権勢を誇るとはいっても一介の貴族が怪獣など用意できようはずもない、しかし集団心理が働いてすっかりその気になった群集に見つめられて、ベアトリスも後には引けなくなってしまった。

「ほ、ほーっほっほっ、そ、そのとおりですわ、わたくしの空中装甲騎士団にかかれば怪獣の一匹や二匹、さあ、全員竜に騎乗しなさい。空中装甲騎士団前へ!!」

 空中装甲騎士団の団員達は、その命令に一瞬躊躇したが、鎧のおかげでそれを気取られずにすんだ。だが、彼らにもトリステイン最強と名をつけられている自負があるし、なにより主人の命令は絶対である。口笛を吹いてそれぞれの竜を呼び寄せると、勇ましく飛び上がっていった。

 その勇壮な姿に、少年少女の間からは歓声もあがるが、最初から冷めた目で見ていた才人達はなんの期待も抱いていなかった。

「馬鹿だな、ベロクロン一匹に王軍が壊滅させられたのに二十騎そこらの竜騎士でどうなるっていうんだ」

「自分達は違うって特別意識を持つものなのよ。それよりも才人、あれも超獣?」

 ルイズの問いに、才人は空中装甲騎士団の照らした明かりにまぶしそうにしている二匹の怪獣の姿を、かつて愛読していた怪獣図鑑の内容と照らし合わせてみた。

「いや、白っぽいやつはパンドラ、茶色いのはオルフィ、どっちもヤプールとは関係ないはずだ。ハルケギニアに元々住んでたやつじゃないか?」

 地球もハルケギニアも、馬もいればネズミもいる。だったら同じ怪獣がいてもおかしくはないだろう。

 と、そのとき同じように二匹の様子を見ていたキュルケが楽しそうに言った。

「でもさあ、なんか二匹とも可愛くない? 特にあの白いほう、ぬいぐるみみたい」

「キュルケ、あんたなに言ってるの? 怪獣は所詮怪獣でしょ……けど、なんか気の抜ける顔をしてるわね」

 ルイズも、パンドラとオルフィにはいまいち敵愾心が湧かないようだ。それもそのはず、パンドラもオルフィも森の木などを餌にする草食性の怪獣で、すりつぶす臼歯は持っていても切り裂く犬歯は持っていない。

 それを証明するように、才人も笑いながら言った。

「心配しなくても、あいつらはどっちも大人しいはずだ。人間に危害を加えたりはしないさ」

 この二匹は、どちらもZATの時代に事件が起きているが、どちらも原因は人間側や宇宙人の仕業で、彼らはむしろ被害者として扱われている。

 また、オルフィは怪獣頻出期が終わった後も、生息地が保護下に置かれて、年に一度姿を見せる特別な怪獣として、才人も幼いころから親しんできた怪獣だ。

 しかし、解せないのは、普通なら二匹とも人目を避けて山奥に住んでいるはずなのに、なぜこんなところに出てきたのか。

 だが考えている間もなく、ルイズは席を立った。

「そんなこと言っても、学院が壊されちゃうかもしれないじゃない。行くわよサイト!」

「お、おい、ちょっと待てって!」

 駆け出そうとするルイズを抑えて、才人もやむを得ず変身しようかと思ったが、その手のウルトラリングは光ってはおらず、再び心の中からエースの声が響いてきた。

(あの怪獣からは悪意は感じない。もうしばらく様子を見るんだ)

(エース!? でも)

(才人君の思うとおり、怪獣も暴れるにはそれなりの理由がある。あの二匹がなぜここに現れたのか、それを探ってからでも遅くはない)

 エースの心には、かつて超獣バクタリと戦ったときに、ウルトラセブンに教えられたことが蘇っていた。怪獣といえども、むやみに殺してはいけない。冷静な目で、助けられる方法がないか見極めなければならないと。

 

 だが、そこにギーシュやギムリを初めとする男子生徒達が集まってくるにつれて、悪い予感がひしひしと高まってきた。

 

「諸君、学院の危機に我ら貴族の子弟が黙って見ていることができようか! 皆に問おう、この学院を守るのは空中装甲騎士団か? それとも我ら水精霊……いや、WEKCか? 答えは決まっている。さあ、行こう!!」

 ギーシュがいつもの調子で演説し、十数名の少年達は、わっと二匹の怪獣に向かっていった。

「いたよ、こっちにもバカが……」

 呆れ果てた表情で四人は突撃していくギーシュ達を見ていた。勇敢なのは大変けっこうだが、考えなしに突撃して、怪獣を怒らせたらどうする気なのか。

 たった一人残った良識派のレイナールが寂しそうにやってきて、才人は同情をこめてなぐさめた。

「ごめん、僕は散々止めたんだけど」

「君のせいじゃないさ。まあ、死にゃしないだろ」

 

 

 外壁の外では、空中装甲騎士団、WEKC、そして二匹の怪獣の乱戦になっていた。

 だが、騎士達と少年達はそれぞれの存在が邪魔になりあってうまく戦えないでいた。WEKCも空中装甲騎士団も、共に相手を誤射する危険があってうかつに魔法が使えない。

 そんな様子を見て、ベアトリスはバルコニーから金切り声を上げて空中装甲騎士団を叱咤した。

「なにやってるの! もっとしっかり戦いなさい!! クルデンホルフの名に泥を塗る気!!」

 黙っていれば可愛いのだろうが、怒りのせいですっかり地が出てしまっている。ルイズはそんなベアトリスを見て、「淑女としてなってないわね」と、すっかり自分のことを棚にあげた批評をしていた。

 しかしいくらベアトリスが怒鳴ったところで、一度混乱状態になった戦場は容易に復元できない。

 一方のパンドラとオルフィは蝿を追い払うように手を振り回しているが、積極的に反撃しようとはしていない。だが、しつこく攻撃が続けられるとパンドラは口から黄色い煙を吐き出して、それが周囲にもうもうと立ち込めはじめた。

「ゴホッ、煙幕か?」

「こしゃくな! ええいウィンドカッター!!」

「エア・ハンマー!」

 風系の使い手が放った魔法の突風で、パンドラの煙幕が振り払われると、彼らは再び杖を振るって立ち向かっていった。

 

 

 しかし、二度目の地震が学院を襲ったとき、事態は才人の予想すら超えた方向へと進展していった。

 再び大地が揺れ動き、大きく裂けた草原の亀裂から丸っこい体つきをした緑色の怪獣が現れた。

 さらにそれだけではない。

「あっ、あれはなんだ!?」

 空を見上げると、そこには月が三つ浮かんでいた。

 いや、一つはどんどん大きくなりながら地上に落ちてくる。とてつもなく巨大な球体が空から降ってくるのだ!!

 それは、草原のはずれに地響きを立てて落下すると、まるでアルマジロが元に戻るかのように、身長五十七メイルの鳥のような顔をしたとぼけた姿の怪獣に変わった。

「バンゴ……ガラキング」

 さすがに引きつった顔をして才人がつぶやいた。

 空中装甲騎士団も、生徒や教師達、ルイズ達でさえ、怪獣が四匹というあまりにもあんまりな状況に、ただ呆然としている。

 そして、四匹の怪獣はまるで示し合わせたかのように、魔法学院へ向かって前進を始めた。

 

 立ち向かおうとする者、逃げ出そうとする者、どうしていいかわからない者などでパニックに陥った場を見て、

才人はぽつりとつぶやいた。

 

「こりゃ……祭りだな……」

 

 

 続く



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第22話  踊れ! 怪獣大舞踏会 (後編)

 第22話

 踊れ! 怪獣大舞踏会 (後編)

 

 カンガルー怪獣 パンドラ、チンペ

 歌好き怪獣 オルフィ

 風船怪獣 バンゴ

 玉好き怪獣 ガラキング 登場!

 

 

「怪獣が、四匹!?」

 いまや、トリステイン魔法学院は上に下にの大騒ぎになっていた。

 現れた怪獣は、パンドラ、オルフィ、バンゴ、ガラキング、際立った凶暴性を持つものはいないが、魔法学院の十個や二十個軽く破壊してありあまるほどパワフルな連中ばかりだ。

 

 才人は、それらの怪獣達の記録を脳内の怪獣図鑑から探し出した。幸い、どれも見たことのある奴ばかりだ。

 まずパンドラ、オルフィ、ガラキングはどれもZATの時代に出現した怪獣で、パンドラは山で遭難した人間を助けてくれる優しい怪獣。

 オルフィは現在でも出現し、音楽が好きで、年に一度近隣の村人に一曲披露する気のいい奴。

 ガラキングは多少やっかいだが、人間とバレーボールで勝負するなどなかなかの知能を持った面白い奴。いずれも倒されずにウルトラマンタロウやZATによって棲み家に帰されている。

 残るバンゴはMACの時代に出現した奴で、暴れはするが、凶暴というよりも幼児が面白がって遊んでいるだけのような奴で、ウルトラマンレオに宇宙のかなたに飛ばされている。

 

 総じて、こちらから手を出さなければ危険性の低い奴ばかり、特にパンドラとオルフィは人間の味方といってもよかったが、なぜ好んで人間に危害を加える気のない怪獣がこんなところに現れたのか? あのパンドラとオルフィは地球のものと同じくおとなしいのか? 才人は迷っていた。

 だが、その知識を持っているのは当然才人だけで、他の人間には、怪獣が四匹という脅威のみが映っていた。

 明確な指揮官がおらず、その場のノリと勢いでやってきていたギーシュ達WEKCの面々は、どうしていいか分からずに、早々に便宜上戦術的撤退に追い込まれていた。

 それは当然、彼らだけではなかったが。

「ひ、姫殿下、いったいどうすれば……」

 精強を持ってなる空中装甲騎士団も、さすがにこれにはどうすべきかわからなくなっていた。

 しかし彼らには幸か不幸か命令を下してくれる上官がいた。

「ひ、ひるむんじゃないわよ。二匹が四匹になったくらい大したことないわ! 攻撃続行!」

 ベアトリスはなかばやけくそ気味に命令した。団員達は、そんな無茶なと思ったが、指揮官の命令は絶対である。覚悟を決めて、ほぼ絶望的な戦いに挑んでいった。

 だが、いざその気になると彼らもトリステイン屈指の実力者達である。大きさの程度こそ違え、トロールやオークなど、人間よりはるかに大きな相手との戦い方も心得ている。表皮の分厚そうな胴体などは避け、目や鼻など急所に攻撃を集中した。

 これは一見地味に見えるが、地球でも、かつて科特隊が怪獣バニラの目をつぶしてアボラスに倒させたり、MATがツインテールの目をつぶしてグドンに倒させたり、またMACが鉄壁の防御を誇る怪獣ベキラの目を集中攻撃して打撃を与えたりと、かなりの戦果をあげてきた戦法でもある。人間でも、目の前をハエやアブに飛び回られたらうるさいのと同じことである。

 二十騎の竜騎士に顔を連打されて、驚くべきことに四匹の怪獣の進撃は学院の外壁の手前でぴたりと止まった。

「おお、止まった!?」

 恐らくはまったく敵わずに、早々に蹴散らされて終わると思っていた才人は思わずびっくりして叫んだ。

 そうなると現金なもので、浮き足立っていた生徒や教師達も、逃げることを忘れて声援をあげ始めた。

 

「がんばれー空中装甲騎士団ー!」

「すてきよー、ほれぼれしちゃう」

 

 黄色い声援が飛んで、空中装甲騎士団の男達はがぜんやる気になった。まったく男という奴はこの世でもっとも救いがたい生き物である。

「ほーっほっほっほ!! 全隊、正面から集中攻撃! クルデンホルフの力を見せ付けておあげなさい」

 ベアトリスも、調子に乗ってさらなる攻勢の強化を命じる。

 だが、女生徒の声援に、余計な対抗意識を燃やして、よせばいいのに身の程をわきまえずに怪獣に突進していく一団があった。言うまでもなくギーシュ達である。

「我らも負けるな! みんな突撃だ!」

 さっきまで尻に帆かけて逃げ出していたというのに調子のいいものだ。しかし、以前王宮で初めて戦ったときには、まがりなりにもアニエスという指揮官がいたが、今回は気持ちのおもむくまま、各人が好き勝手に戦っているものだから、攻撃というより、また空中装甲騎士団の邪魔をすることになって、戦場を引っ掻き回すことになってしまった。

「邪魔だ! 学生の騎士ごっこは引っ込んでろ!」

「なにを! お前らこそ人の学院で好き勝手するな!」

 とまあ、こんな調子であるから、助け合いなど思いもよらない。

 しかし、彼らは功を争うのに夢中になって大事なことを忘れていた。

 自分達が戦っているのは、怪獣だということを。

 

 突然、空中装甲騎士団に攻撃を受けていたガラキングが口から火花を吹き出した。

「うわぁ!?」

 顔に寄っていた騎士数人が、まるでナイアガラの花火に巻き込まれたかのように撃ち落される。全身を覆う鎧のおかげでかろうじて軽傷ですんだが、騎乗していた竜は翼をやられてもう飛べない。

 さらに、パンドラもうなり声をあげると、口から真赤な火炎を吐き出した。なぎはらうように炎の帯が右に左にと振り回され、調子に乗っていた空中装甲騎士団も生徒達もあっという間に散り散りにされる。

 

「バカ! とうとう怒らせちまったか」

 人間だって目の前を虫が飛び回れば不快になり、やがて怒り出す。

 その有様に、とうとうキュルケとタバサも腰を上げた。

「もう見てられないわ。うちのバカ男達を連れ帰ってくる!」

 ふたりはシルフィードに乗って、飛び出していった。それと同時にコルベールをはじめとする教師達も、生徒達の窮状を救わんと、おのおの飛んでいく。

 才人とルイズも、今度こそ飛び出そうと思ったが、やはりリングは光らない。

(エース、なにが足りないっていうんだ?)

 今にも踏み潰されそうなギーシュ達を見るにつけ、才人は拳を握り締めて、その戦いを見守っていた。

 

 怪獣達は怒って空中装甲騎士団とWEKCを追い回している。ガラキングとパンドラの火炎はさして威力の高いものではなかったのが幸いしたが、オルフィやバンゴも怪力の持ち主であり、歩き回って腕をぶんぶん振り回すだけで充分武器になる。 

 生徒達や竜を失った空中装甲騎士団は必死になって逃げていく。だが、暴れるオルフィの行く先に、出していたワルキューレをすべて踏み潰され、精神力の切れ果てたギーシュが根尽きて倒れこんでいた。

「危ない!!」

 思わず才人は叫んだ。キュルケやコルベールも気づいたようだが、足が振り下ろされようとしている今、もう間に合わない。

 しかし、思わず目を覆いかけたとき、オルフィは下ろしかけていた足を地面スレスレのところでぴたりと止めて、とっさに後ろに重心をかけたためにバランスを崩して倒れてしまった。

 だが、そのおかげでギーシュはなんとかつぶされずに助かり、それを見ていた才人は、彼らが暴れるためにやってきたわけではないことを確信した。

「人間を踏み潰さないように気を使った……やっぱり、あいつらは暴れるために来たんじゃない」

「だったら、なんでこんなところに来るの? なんでこの魔法学院に?」

 ふたりにも、エースが言おうとしたことがわかってきた。怪獣だって生き物だ、行動にはなにかしら理由がある。ならば、この学院に、怪獣を呼び寄せるような何かがあるということ、それが何かを突き止めることが、ただ怪獣と戦うよりも大事なのだと。

 あいつらのうち、少なくともパンドラとオルフィは魔法学院に用があるのは間違いない。だが、それが何なのか。

 才人とルイズは考えた、必死に考えて、そしてかつて才人はパンドラが暴れたときの事件の概要を、ルイズは先程ベアトリスが言った台詞を思い出した。

 

『ではここで我が空中装甲騎士団の武を披露したいと思います……さあ、獲物をこれに!!』

 

「……もしかして!」

 同時にそう言ったふたりは、それぞれの考えを話すと、すぐに避難誘導に当たっていたロングビルを探し出して話しかけた。

「ロングビルさん!」

「なに? あなたたちも早く逃げなさい。学院の裏手からなら安全に逃げられるわ」

「それよりも、あの空中装甲騎士団の連中、ここに何か持ち込みませんでしたか?」

 思わぬ問いに、ロングビルは一瞬きょとんとしたが、すぐに記憶の泉の浅いところからその答えを探しだしてきた。

「ええ、なにやら大きな物をひとつ運び込んでたわね。幕がかけられてたから何かはわからなかったけど、かなり大きな物だったわよ。それがどうかしたの?」

「やっぱり、すぐにそれを探してきてください。恐らく、あいつらを呼び寄せたのはそれです!」

「えっ!? なに、どういうこと?」

「とにかくお願いします。学院がつぶされるかどうかの瀬戸際なんですから」

 ふたりは、ロングビルにそう頼むと、再びバルコニーに戻ってきた。

 怪獣達はといえば、バンゴとガラキングはドタドタ走り回りながら空中装甲騎士団を追い回している。こいつらは暴れているというよりただ遊んでいるだけだろう。だが、パンドラとオルフィは妨害を受けながらも、一心に学院の方向を目指してやってくる。

 そのとき、ついにウルトラリングが光を放ち、ふたりはバルコニーから身を躍らせた。

 

「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 

 夜空を赤い光が裂き、光の戦士が光臨する。

「ウルトラマンAだ!!」

 着地の勢いで高々と土煙を巻き上げて、エースは中庭に降り立った。

 ギーシュ達以外の生徒達にはベロクロン戦以来となるエースの登場に、いくつもの歓声があがる。 

「シュワッ!!」

 エースは突進してくるオルフィとパンドラを正面からがっしりと受け止めると、そのまま外壁の外の草原にまで押し返した。

「ダアッ!」

 二匹を押し戻し、エースは外壁の裂け目の前に、両手を広げて通せんぼをするように仁王立ちした。

 それでも、オルフィとパンドラはなおもエースを押しのけてでも通ろうと突っ込んでくる。特にオルフィは攻撃能力こそ持たず、性質もおとなしいものの、宇宙怪人カーン星人がZAT全滅のために利用しようとしたことさえあるほどの怪力の持ち主のため、エースも苦戦する。

「セアッ!」

 オルフィを相手に真っ向から力比べをしては不利だと、エースは力をうまく受け流し、巴投げをかけて吹っ飛ばした。

 だがそこへパンドラの放った火炎攻撃が来たからたまらない。

「ヌォォッ!!」

 直撃を受けてしまったエースは高熱に焼かれて苦しんだ。

 さらにそこへ起き上がってきたオルフィに体当たりされ、エースは外壁を破壊しながら、背中から倒れこんだ。

(くそっ、殺すわけにはいかないから光線技は使えないし、こいつら相手に時間稼ぎはきついか)

 学院を守りながら、怪獣達を傷つけないように戦うという、背反する目的を抱えながらではエースといえども苦しい。

 しかしそこへ思いも寄らぬところから援軍がやってきた。

 

「WEKC全軍、ウルトラマンAを援護しろ!」

 

 なんと、散り散りになったと思っていたギーシュやギムリ達WEKCの生徒達が再び集結して、オルフィやパンドラの後ろから魔法をぶつけて気を引いていた。

 しかもそれだけではない、これまで戦闘に参加していなかった男子生徒達が精神力の尽きたWEKCの生徒達と代わり、さらに女子生徒達が精神力の尽きたり負傷した生徒や空中装甲騎士団の手当てをしている。それは完全に統制がとれており、先程まで好き勝手に戦っていた者達とは思えない。

 いったいどうして? とルイズや才人は思ったが、それは生徒達の中心に立って、全員を指揮している赤髪の少女と頭上が寂しい一教師によって成り立つものだった。

 

「カリム、クルス、リッツォーはファイヤーボールで後方から攻撃! ルパート達はウィンドカッターで火炎をそらして! いい、怪獣を倒そうなんて大それたことは考えないで、学院を守ることだけ考えて行動しなさい! あとはエースがなんとかしてくれるわ!」

 

「ミス・モンモランシー、そちらの彼のほうが火傷がひどい、優先して治療してくれ。痛いだろうがもうしばらく我慢するんだ、男だろう? ケティ君、この騎士殿に水を頼む。みんな、どちらの者でも関係なく治療するんだ、いいね!」

 

 キュルケ、そしてコルベールが生徒達を見事に指揮して、まるで一級の軍隊のように見事に行動させていた。

 それを見てルイズは思った。そうか、ツェルプストー家は何代にも渡ってヴァリエールと戦ってきた家柄、キュルケも恐らくは将来ヴァリエールと戦うときのために指揮官としての修練を積んできたのかもしれない。しかし、それが知らないこととはいえ、エースと同化したルイズを助けるために使われるとは、たいした皮肉だ。

 一方のコルベールも、負傷した者を集めて適切な処置を施してゆく手腕は見事なものだった。彼の昔の素性はほとんど知られていないが、どこかで指揮者として活躍していたのは容易に想像できた。

 パンドラとオルフィは後ろからちくちくと撃たれるのにいらだってぐるぐる回りながらもだえている。その隙にエースは起き上がって構えをとったが、よく見たら攻撃を受けているのはその二匹だけで、あとの二匹の姿がいつの間にか見えなくなっているのに気がついた。

(あれ? ガラキングとバンゴはどこに行った?)

 才人はエースの視覚を借りて周りを見渡すと、その二匹が学院から離れた草原の端で、何かを追いかけるようにどたどたと大量の砂煙をあげながら走っているのを見つけた。

 なにをしているんだ? 不可思議な怪獣達の行動に才人とルイズとエースも首をかしげたが、二匹の走る先から蚊の羽音のような、か細く悲しげな声が聞こえてきて、そのわけを知った。

「たすけてくれー、なんでこの怪獣ぼくを追っかけてくるんだー!?」

 なんと金髪で小太りな少年が、二匹の怪獣と必死になって鬼ごっこをやっていた。

(マリコルヌ……なーるほど、ガラキングは玉好き怪獣、あいつの丸っこい体が気に入られちゃったみたいだな)

 どうやらガラキングには彼の体型がボールのように見えているのだろう。じゃれついておもちゃにしようとしているのだろうが、追われるほうからすればたまったものではない。

(変わったものが好きな怪獣もいるものねえ。じゃあ、あっちの緑色の怪獣はなんで追っかけてるの?)

(バンゴはなんでも面白そうなものを真似る習性があるらしいんだ。ガラキングが楽しそうだから自分も真似て追いかけてるんだろう)

(子供みたいな怪獣もいるのねえ。で、あれどうしましょうか?)

(ほっとこうぜ、二匹も怪獣を引き付けてくれるんなら大助かりだし、ダイエットにもなるだろ)

(そうね。こっちのほうが大事だし)

 意外と薄情な奴らであるが、今はパンドラとオルフィを止めるほうが先決だ。

 

 二匹は、火系統のメイジの作り出したフレイムボールの爆発の光、いわゆる閃光弾攻撃で視界を奪われて立ち往生している。やるなら今だ!! 

(エース、今だ!)

 才人のかけ声とともに、エースはキュルケ達に気をとられているオルフィを背中から担ぎ上げると、パンドラに向かって思いっきり投げつけた。

「テャァ!」

 たちまち二匹がもつれあい、転がって学院から少し離れた。

 オルフィは目を回したらしく、ふらふらよろめいて尻餅をついてへたり込んでしまったが、パンドラはなおもエースに向かって火炎を吹きかけてきた。

『ウルトラネオバリヤー!!』

 だがエースは火炎をバリヤーで防ぎ、パンドラはやがて炎を吐き疲れて、ゴホゴホとむせた。

 オルフィも、暴れ疲れたとみえて、地面に座り込んでゼイゼイと息を吐いていた。

「ようし、とどめを刺すなら今よ!」

 二匹が弱ったのを見て取ったキュルケは全員に総攻撃を命じた。

 しかし、生徒達が一斉に魔法攻撃を仕掛けようとしたとき、エースはその前に立ちふさがり、両手を大きく広げて二匹をかばい、そして殺してはいけないと言う様に、ゆっくり首を横に振った。

「エース……どうして」

 キュルケ達は、杖を下ろしたが、なぜ怪獣をかばうのかと納得できない様子でエースを見上げていた。

 だが、そのときロングビルがホールの奥から黒い幕で覆われた高さ三メイル、横幅およそ四メイルほどの大きな箱をオスマンに手伝ってもらいながら運んできた。

 

「みんな!! エースの言うとおり、そいつらは悪い奴じゃないわ。彼らは、この子を取り返そうとしていただけだったのよ!!」

 

 そう皆に向かって叫ぶと、ロングビルは箱を覆っていた幕を勢いよく取り払った。

「あれは!? 怪獣の子供か!」

 誰かがそう叫んだように、そこには鋼鉄の檻に、パンドラとそっくりの身長二メイル程度の小さな怪獣が閉じ込められていた。

 パンドラはカンガルー怪獣というとおり、子育てをする怪獣だ。怪獣の中にも親子というのは意外に多く、どいつも親思い子思いなものばかりだ。地球でも当時パンドラにはチンペという子供がいたのだが、子供を勝手に連れて行かれてはそりゃあ親が怒って当たり前だ。

(やっぱり、チンペがさらわれたから、パンドラははるばるこんなところにまで取り返しにやってきたんだな。オルフィは気がいいから、パンドラを助けるためにいっしょに来たんだろう)

 才人の言ったとおり、子供の姿を見つけると、それまで荒い息を吐いていたパンドラとオルフィはとたんに大人しくなり、檻の鍵が開けられてチンペが外に出てくると、エースは手のひらに乗せて優しくパンドラのもとに運んでやった。

 親の元に戻ったチンペはパンドラに抱きしめられて、再会を喜び合い、オルフィもうれしそうに笑うような声をあげた。

「そういうことだったのね。やれやれ、これじゃあ、もう戦えないわね」

 理由を悟ったキュルケ達は杖をしまい、楽しそうにじゃれあう親子の姿を見ていた。

 

 しかし、そのどさくさに紛れて引き上げようとしていた、この事件の張本人を見逃してはいなかった。

「ところで、怪獣の子供をさらってきて、あげくこの学院に四匹も怪獣を招く結果になったのは、誰が原因なのかしらね?」

 全員の視線が、後ろで小さくなっていたベアトリスに注がれた。

 そうだ、そういえばこいつが余計なことをしなければ怪獣が学院を襲うことはなかったんじゃないか? 皆の視線は一様にそう言っていた。

 その視線に、ベアトリスは何も言えずに冷や汗を流して後ずさったが、そうはさせじと生徒達に囲まれてしまった。

「さて、それじゃあ説明してもらいましょうか。あの怪獣の子供を連れてきたのはあなたの空中装甲騎士団ね? 大方かませ犬にでも使うつもりだったんでしょうけど、なんでまた怪獣の子供なんて危険なものを連れてきたの? ことと次第によっては、ゲルマニアのフォン・ツェルプストーが相手になるわよ」

 キュルケに鋭い視線で睨まれて、進退窮まったと悟ったベアトリスは、ついに開き直って声高にしゃべりはじめた。

「そうよ! あいつはクルデンホルフ領内で、死の山に住む魔物と恐れられている奴。この空中装甲騎士団にとってはこの上ない獲物と思わない? 私はトリステイン貴族として、領民の害になりかねない獣の処理をしようとしていたのよ! なにか問題があって?」

「あれが魔物? どこに目をつけてそんなことが言えるわけ? 子供を取り返したとたんにおとなしくなったじゃない。それに、魔物というんだったら、これまで領民が被害にあったとでも言うの?」

 ベアトリスは反論できなかった。当然だ、パンドラもオルフィも、人間の側から手を出さない限り、一切他者に危害を加えたりしない。魔物などという表現は、彼らの大きさと容姿から人間が勝手につけた実体のない幻にすぎない。

 すると、周りの生徒達も口々にベアトリスに向かって非難の声をあげ始めた。

「そうだそうだ、危うく学院が壊されちまうところだったじゃないか!」

「トリステインの平和を守るが聞いてあきれるぜ、お前らが平和を乱してるじゃねえか」

「責任もってお前があいつらを連れて行けよな」

「そうだそうだ!」

 一人が言い出すと、他の者もつられて次々に激しい非難をベアトリスにぶつける。その中にはこれまで彼女にこびへつらってきた者も大勢おり、空中装甲騎士団も全員戦闘不能になった今、ベアトリスは自分が孤立無援であることを思い知らされた。

 そして、もはや吊るし上げられてもおかしくないほどに空気が殺気だってきたとき、母親と再会を喜んでいたチンペがとことこと生徒達の元へと歩いてきた。生徒達の何人かは、驚いて杖を向けたが、エースがその間に手をかざすと、彼らはそれを下ろした。

 チンペは軽快な足取りでベアトリスの方へと歩いていき、彼女を囲んでいた人波がさあっと開かれた。

「ひっ!?」

 小さくても怪獣である。ベアトリスは思わず後ずさったが、生徒達の壁に阻まれた。

 周りを見渡しても、助けてくれる者は誰もいない。むしろ、いい気味だとこれまで見下してきた者達が冷たい視線を向けてくるのに、彼女は足を震わせて立ち尽くしていた。

 そして、ついにチンペが目の前すぐにまでやってきたとき、彼女は復讐される!! と思って目を閉じたが、次の瞬間ベアトリスを襲ったのは、体を貫く痛みではなく、手のひらを包む温かい感触であった。

「え……?」

 恐る恐る目を開いてみると、小さな怪獣は優しく彼女の手をとり、そしてきゃっきゃと笑いながら、その手を引いてステップのように足踏みを始めた。

「えっ!? なっ、なに、なに?」

 生徒達は、何が起きているのか分からずに、呆然とその様子を見ていたが、そのとき彼らの耳に、まるで南国のタンゴのように、明るく軽快なメロディが飛び込んできた。

「歌?」

 チンペは、それを待っていたように、メロディに合わせてベアトリスの手をとりながら、楽しげに踊り始めた。

 ベアトリスも、始めはとまどっていたが、陽気なメロディと軽快なステップに、やがて自分もステップを踏んで踊り始めた。

 周りを取り囲んでいた生徒達も、その楽しそうな様子に、やがてこわばらせていた顔を緩めて、音楽に合わせてにこやかな顔になっていく。

「見ろよ、あの怪獣が歌ってるんだ」

 そのメロディは、オルフィの喉から発せられていた。体を揺らしてリズムを取りながら、怪獣界の大音楽家は陽気な平和のメロディを奏でていく。

「なんて気持ちのいいリズム、まるで春の野原にいるみたい」

 それは、今まで殺気立っていた生徒達や、空中装甲騎士団からも、戦意を急速に奪っていった。

 そうして、踊っているうちに、これまで野薔薇のようにとげとげしく張り詰めていたベアトリスの顔からも、しだいに険が取れて野の花のように明るく美しくなっていく。

 やがて、生徒達の中からも、ひとり、ふたりと、隣の人に手を差し出す者が現れてきた。

「なにか楽しくなってきたな。僕らも踊ろうか、モンモランシー」

「ギーシュ、ええ、いいわよ」

「タバサーっ、わたし達も踊りましょ。おら邪魔よ男ども!!」

「……まわるー」

 踊りの輪は、しだいに大きく広がっていき、メロディも皆が共に歌う大合唱へと進化していった。

「ミス・ロングビル、その……」

「くす、よろしくてよ。ミスタ・コルベール」

 皆、生徒も教師も、うまい下手など関係無しに、思い思いに体を動かしていた。

 そのうち、学院からも、避難していた生徒やメイド達もやってきて踊りに加わり、空中装甲騎士団も鎧を脱ぎ捨てて、貴族も平民も共に手を取り合って、広大な草原は巨大なダンスホールになっていった。

 見ると、ガラキングとバンゴも、音楽に合わせて体を右に左にと振り動かしている。

 なお、追っかけまわされていた小太りの少年、名前はマリコルヌという彼はというと、いっしょに踊ってくれる相手を探していたが、ことごとく拒否をもらい、最後に壮年の女性教師といっしょにようやく輪に入れていた。

 

 

 そして、それを見守っていたエースは、誰にも見られることなく、静かに変身を解いた。

「にぎやかだな」

「まったく、伝統あるフリッグの舞踏会がとんだことになったわね。これじゃ平民の村の夏祭りよ」

 才人とルイズは皆を少し遠くから眺めていた。

 そこには、ギーシュも、ギムリもレイナールもいる。シエスタもメイド仲間達や厨房のコック達と手をつないで踊っている、その中にはアイの姿もあった。また、オスマンがパチンコ玉のように女子生徒の間をはじかれて飛び回っているのも見える。

「夏祭りか、懐かしいな。なあルイズ、俺の世界には盆踊りっていって、夏になったらみんなでいっしょに踊る習慣があるんだ。ちょうど、こんなふうにさ」

「へえ、あんたの国にも……まぁ、どうせ平民の踊りなんだから、気品もなにもないんでしょうけど……よ、よかったら、あんたにも少し、貴族のたしなみってやつを、教授してあげてもよくてよ」

「え?」

 ルイズはなぜか顔をうつむかせたまま、手を才人の前に差し出して、そして言った。

「わ、わたくしと踊っていただけますこと、ジェントルマン」

 顔を赤らめてそう言うルイズの顔は、とても魅力的で可愛く見えた。

「俺、ダンスなんて踊れないぞ」

「わたしに合わせればいいわ。それより、どうするの」

「……喜んで」

 ふたりも、皆の輪に入っていき、ドレスが泥で汚れるのも構わずに、へたくそなワンツーステップで踊り続けた。

 

 そんななかで、楽しげな声にまざって、たった一言、目の前の相手にしか聞こえない声で、喉から搾り出すような声が流れていった。

「ごめんなさい……」

 権威と虚栄の仮面がはがれて、少女がひとつ、大人への階段を登ったことを、一対の人ならぬ目だけが見守っていた。

 

 

 続く



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第23話  無限と光の旅立ち!!

 第23話

 無限と光の旅立ち!!

 

 ウルトラの父

 ゾフィー

 ウルトラマンタロウ

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ 登場!

 

 

 双月も山影に沈み、しんしんと、優しい闇が学院を包んでいた。

 フリッグの舞踏会は、魔法学院始まって以来例を見ない盛り上がりのうちに幕を下ろした。

 

 踊り疲れて、草原に人々が倒れ伏したとき、オルフィの歌も終わり、チンペもパンドラに迎えられて母親も元へと戻っていった。

 そのとき、あのベアトリスがパンドラに向かって深く頭を下げていたのは、彼女を見る大勢の人の目を別のものに変えていた。

 

 そうして、パンドラとオルフィは、再び草原の土を掘り返すと、地底の怪獣の世界へと帰っていき、大勢の人々が「またこいよー」と手を振って見送った。

 

 ガラキングとバンゴはといえば、こっそり隠れて変身したエースによって、まずはバンゴの体に大量の特殊ガスが吹き込まれて、まるで本物の風船のようにまあるくされた。するとガラキングは長年追い求めた恋人を見つけたかのように、大喜びで飛びつこうとしたが、エースはバンゴのボールをサッカー選手のようにタンタンとリフティングしてかわし、そして大空のかなたへ向かって思いっきりシュート!! お星様になっていくバンゴを追って球形に変形したガラキングもまた、エースに蹴り飛ばされて、お騒がせな二大怪獣は宇宙のかなたへ飛んでいった。

「またこいよー」

「こいつらは来なくていい!!」

 散々追い回されて、疲労の極致に追い込まれたマリコルヌが怒鳴っていた。

 

 そして、すべてが収まり、草原に静けさが戻ると、エースも夜空を見上げ、満天の星空へと飛び立っていった。

 

「ショワッチ!!」

 

 エースも夜空に消えてゆくと、皆はそれぞれのいる場所へと帰っていった。

 多分、また明日からは貴族と平民、従える者と従えられる者の関係が始まるのだろう。

 しかし、この日この時、身分も人種も性別も、国籍も、人間と怪獣でさえ共に過ごした時間があったことは、確かに彼らの胸に刻まれたに違いない。

 

 

 才人とルイズは、床に入る前に、星明りだけが部屋を照らすなか、互いに相手のシルエットのみを見ながら語り合っていた。

「楽しかったな」

「まあね、国のお父様やお母様が聞いたら怒るだろうけど、こんなに踊ったのは生まれてはじめてよ」

 社交のためのダンスではなく、相手と楽しむための踊りなど、子供のころ以来だったと、ルイズの声にも自然と懐かしさがにじみ出ていた。

 まあ、口に出せば、どこが子供のころと成長したんだと言われそうだから、そこのところは言わなかった。同時に、またいっしょに踊りたいとも言い出せなかった。

「それに、今回は一匹も倒さないですんで良かった。あいつらも、無事に帰れればいいな」

 才人は、パンドラとオルフィが、今度は誰にも邪魔されずに平和に過ごせることを祈った。

「あんたは、帰りたくないの?」

「え?」

 ルイズがぽつりと言った言葉を、才人はうまく聞き取れなかった。

「あんたは、元の世界に帰りたくないの? ここに来て、もうすぐ二ヶ月になるわ、元の世界に帰る方法を探そうとは思ってないの」

 それはまったく、唐突で衝撃的な質問だった。

 そうか、ここに来てもう二ヶ月か……望郷の思いが才人の胸をよぎり、思わず部屋の隅に大切に保管してある、この世界に召喚されたときにいっしょに持ってきたノートパソコンを取り出した。

「そりゃ、日本には母さんも父さんもいるし、学校もある。こいつでネットもしたかったし、照り焼きバーガーもずいぶん食ってない」

 ほこりを払って、黒々としたノートパソコンの画面を見ながら才人は言った。まだ使えるだろうが、バッテリーの量がギリギリなので電源を落としたまま、長いこと起動させていない。

「じゃあ、やっぱり帰りたいんだ」

「ああ、帰りたい。ろくなもんじゃなかったかもしれないが、大事な俺の居場所だったからな」

 暗がりで、お互い表情のわからないままふたりの会話は続いた。

「じゃあ、なんで帰る方法を探そうとしないの?」

 ルイズは、思い切って才人にそう尋ねた。それほど故郷を思いながらも、帰る努力をまったくしていないことが、彼女には理解できなかったからだが、才人の答えはルイズの予想を超えていた。

「実は、あてがひとつあるんだ」

「えっ!?」

 思わず驚きの声がルイズからもれた。

 実は、才人には内緒にしていたが、ルイズは暇を見て学院の図書室にこもり、サモン・サーヴァントで呼ばれた使い魔を帰還させる方法がないか、調べていたのだ。だが、そうした手立ては何一つ見つからなかったのに、いったいどういう手があるというのか。

「ウルトラマンダイナの話を聞いた後に思いついたんだが、この世界と違う世界が無数にあるなら、この世界から直接地球に帰れなくても、地球につながっている世界に入れれば、そこから地球に帰れるかもしれない」

「あなたの世界とつながっている世界って、まさか」

「そう、ヤプールの異次元世界さ。あいつは、ハルケギニアを征服した後、地球も攻めると言っていた。だったら、あの異次元世界は地球とハルケギニアを結ぶことができるってことだ。これから、どうなるかはわからないけど、ヤプールとの決戦は異次元空間に乗り込んでやることになるだろう。俺が帰るチャンスがあるとしたら、そのときだ」

 それは、ルイズには想像もつかなかった方法であった。皮肉なことだが、今この世界を侵略しようとしている敵の存在が、才人を元の世界に戻す唯一の希望となっているとは。

「だから、当分はお前の使い魔をやりながら、ヤプールと戦っていくつもりさ。もうしばらくよろしく頼むぜ」

「……」

 ルイズは答えることができなかった。

 才人が元の世界に帰る方法が見つかったのはいい。そのために、ヤプールと戦ってくれるのもいいだろう。しかし、いつの日か、ヤプールを倒すことができた日には、それが才人との別れということになる。

 当然才人もそれはわかっているだろう。しかし、そのとき才人は自分を捨てて、さっさと元の世界に帰っていってしまうのだろうか。

 使い魔だからと引き止めることはできる。しかし、才人にも自分と同じように家族もいれば帰る家もある。それから無理に引き離す権利が自分にあるのか、ルイズの心は散々に乱れた。

 

 

 

 しかし、才人の元いた世界では、ふたりの思いをも超えて、事態は大きく動き出そうとしていた。

 

 青く輝く美しい星、地球。

 そこからはるか三百万光年離れた宇宙にウルトラ戦士達の故郷、M78星雲、ウルトラの星はある。

 ここは、通称光の国と呼ばれ、全宇宙の平和をつかさどる宇宙警備隊が、日々星々の平和を守るために働いているのだ。

 美しく整えられた超近代都市には、人工太陽プラズマスパークから常に光が送られ、夜がやってくることはない。

 その中央、ウルトラタワーで今、宇宙警備隊大隊長ウルトラの父が、宇宙警備隊隊長ゾフィーからの報告を受けていた。

「それでは、エースの行方はまだわからんというのか?」

「はい、四方手を尽くしているのですが、いまだ手がかりらしきものはなにも……」

「そうか、エースのことだ、無事でいるとは思うが」

 ウルトラの父は心配そうな声でそう言った。

 今から一ヶ月半ほど前に、地球近辺のパトロールについていたエースが突然消息を絶った。そのことを受けて、ゾフィーは宇宙に散っているウルトラ兄弟達の力も借りて、あちこちの星々を捜索していたが、エースの行方はいっこうに掴めていなかったのだ。

 また、ゾフィーにはもうひとつ気がかりなことがあった。

「それに、エースが消息を絶つ寸前に送ってきたウルトラサインも気になります。『ヤプールの復活のきざしを見つけた』と、それが確かだとすれば、由々しき事態です」

「うむ、ヤプールの復活は全宇宙にとって極めて危険だ。しかし、それらしい兆候は発見できていない」

「ヤプールのことを一番知っているのはエースです。間違うとは思えません」

 ゾフィーはエースへの信頼を込めて、父にそう言った。

「そうだな。ヤプールのことだ、またどんな恐ろしい方法で襲ってくるかわからん、エースはその一端を掴んだのだろう。ゾフィーよ、こうなってはもう猶予はない。一刻も早くエースを探し出し、ヤプールの復活を阻止せねば、ようやくエンペラ星人の脅威から解放された宇宙がまた闇に閉ざされることになりかねんぞ」

「はい、ですが現状、我々に打つ手は……」

 苦しげに言うゾフィーに、しかしウルトラの父は力強く道を示した。

「ゾフィーよ、希望は地球にある」

「地球に!?」

「そうだ、エースが消息を絶ったのは太陽系の近辺だ。ならば地球人達は何か掴んでいるかもしれん。それに、異次元研究に関しては、彼らは我等の一歩先をいっている。地球人達の力を借りて、必ずこの事態を解決するのだ」

「はい、ウルトラの父!」

 胸を張って答えたゾフィーに、ウルトラの父は大きくうなづいた。

 

 そして、ゾフィーの召集指令を受けて、ウルトラタワーに若き戦士が呼び寄せられた。

「お呼びですか、ゾフィー兄さん」

「メビウス、よく来たな」

 彼こそは、若い身体に純粋な心と正義の意思を秘めたウルトラ兄弟十番目の戦士、ウルトラマンメビウスである。

「さっそくだが、エースのことはお前も承知しているな。地球近辺で消息を絶ってから、もうすぐ二ヶ月になる。しかも、その寸前にエースはヤプールの復活を知らせてきている」

「はい、ヤプールとは僕も戦いましたが、奴は本当に恐ろしい相手でした」

 メビウスの胸に、地球でヤプールと戦ったときの思い出が蘇ってきた。

 四人の宇宙人を操り、究極超獣Uキラーザウルス・ネオとなって兄弟達とともに神戸で戦ったときは、ゾフィー兄さんとタロウ兄さんが駆けつけなくては四兄弟ごと全滅していたかもしれない。

 さらにその後も、赤い雨とともに復活し、バキシムを操ってGUYSの全滅を計ったり、ドラゴリー、ベロクロンと次々に強力な超獣を送り込んできた。

 ようやくGUYSの新兵器、ディメンショナル・ディゾルバーで異次元ごと封印することに成功したのもつかの間、エンペラ星人の率いる四天王の一人となって三度復活、卑劣な戦いを挑んできた。それでも仲間達との思いを受けて立ち上がり、直接対決の末にメビュームバーストで今度こそ葬ったはずなのだが。

「奴はマイナスエネルギーの集合体、完全に抹消することはできない。恐らくはまた力を蓄えて我らウルトラ兄弟、そして地球への復讐を狙っているに違いない。メビウス、地球へゆけ、そして地球人達と力をあわせ、ヤプールの復活を阻止するのだ」

「地球へ!? わかりました、必ずヤプールの企みを食い止めてみせます。そして、必ずエース兄さんを探し出してきます」

「うむ、頼むぞ」

 元気よく答えたメビウスを、ゾフィーは頼もしそうに見つめた。

 だがそのとき、旅立とうとしたメビウスをひとつの声が押しとどめた。

「待て、メビウス」

「! ウルトラマンヒカリ」

 そこに現れたのは、青き体を持つウルトラの若き勇者、ウルトラマンヒカリであった。

「ゾフィー、地球へは私も共に行こう」

「ヒカリ」

「あのエースまでが消息を絶つ事態だ。しかも相手はあのヤプールという、一人では危険だ、用心はしすぎることはない。それに、調査であれば私の科学者としての知識が役に立てるかもしれん」

 ウルトラマンヒカリは、今は宇宙警備隊員であるが、元は高名な科学者としてウルトラの星でも知られた人物だった。ゾフィーのものと同じく、大きな功績を残した者にのみ与えられる勲章、胸のスターマークがその証拠だ。

 ゾフィーは一度に二人もウルトラの星を離れることを危惧したが、ヒカリの言うとおり、一人で動いてはエースの二の舞になる可能性がある。それに、ヒカリの能力も確かにこの任務にはうってつけだ。

「わかった、ヒカリ、君にも頼もう。しかし、充分用心するのだ、何かあったらすぐにウルトラサインで知らせろ。この任務は、正直何が起こるかはわからん」

「了解した。では、よろしく頼むぞメビウス」

「こちらこそ、お願いします。ウルトラマンヒカリ!」

 メビウスとヒカリは、固く握手をかわした。

「よし、それでは行くのだ!!」

「はいっ!!」

 二人の若き勇者は、M78星雲の空へと飛び立った。

 目指すは、かけがえのない星、地球。

 

(頼むぞ、ふたりとも)

 ゾフィーは二人を見えなくなるまで見送った。

 そして、二人が空のかなたに消えたとき、ゾフィーの背後から、聞きなれた声が聞こえた。

「行きましたね。弟達が」

 そこには、今ウルトラの国にいるひとりのウルトラ兄弟、今は宇宙警備隊の筆頭教官として働いている、ウルトラ兄弟六番目の戦士、ウルトラマンタロウの姿があった。

「うむ、あの二人なら、きっと使命を果たしてくれるだろう」

「そうですね。彼らはもう立派なウルトラの戦士ですから」

 タロウは、いまやはるかな空にいるであろう、かつての教え子、メビウスに心の中でエールを送った。

 宇宙警備隊のルーキーであったメビウスが、地球に派遣されていったときのことは、まだ昨日のことのように思い出せる。最初のころはウルトラの星から冷や冷やしながら見ていたものだが、戦う度に強くなる彼の成長の速さには驚いたものだ。

 特に、エンペラ星人の尖兵、インペライザーが来襲したときには、命令に背いてまで地球に残り、遂には自分のウルトラダイナマイトでさえ倒せなかったインペライザーを倒してしまった。しかも、その後はウルトラマンであることを知られながら、なおも仲間として地球人とともに戦い続けるという、兄弟達の誰一人としてできなかったことをやりとげてしまった。

「しかしタロウ、これは嵐の前の静けさかもしれん。お前も心しておけ、もしかしたら、エンペラ星人にも匹敵するかもしれない脅威の前触れかもしれん」

「はい」

 タロウは、ゾフィーの言葉に黙ってうなづいた。

 ヤプールの恐ろしさは、タロウも身をもって知っている。かつてタロウが地球の守りについていた時代、エースに倒されてわずか一年も経たないというのにヤプールは復活をとげ、改造ベムスターを始めとする怪獣軍団でタロウに戦いを挑んできた。その威力はものすごく、タロウも一度は手も足も出ずに敗退を余儀なくされたが、勇敢な地球の青年やZATの助けもあって、二度目は怪獣軍団ごとヤプールを再び撃破している。

 ゾフィーは、確信にも似た予感を感じていた。ヤプールは、復活の度に怨念を蓄えて強力になっていく、一度はエンペラ星人配下の邪将に成り下がったが、エンペラ星人亡き今、独自に動き出すことは間違いない。

 

「宇宙に散ったウルトラの戦士達よ。新たなる戦いの日は近い、心せよ!」

 ゾフィーは全宇宙に散らばったウルトラの兄弟をはじめとする戦士達にウルトラサインを送った。

 それは宇宙の闇を裂き、ウルトラマン、セブン、ジャック、レオ、アストラ、80、さらなる戦士達の元へと飛んでいく。

 

「タロウ、我々もこうしてはおれんぞ」

「はい、ゾフィー兄さん」

 ゾフィーには宇宙警備隊隊長として、タロウにも次の世代を担う戦士達を育てる教官としての任務が残っている。

 旅立った弟達に未来を任せ、二人はそれぞれの戦いの場へと戻っていった。

 

 

 だが、ウルトラの父、そしてゾフィーの予感は、不幸にも的中していた。

 地球を目指すメビウスとヒカリの姿は、ヤプールの監視の目に掛かっていたのだ。

「動き出したかウルトラ兄弟、だが邪魔はさせぬぞ。今度こそ、貴様らと地球人どもに復讐を果たしてくれる」

 ようやく平穏を取り戻した地球にも、再び嵐が訪れようとしていた。

 

 

 続く



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第24話  地球へ!!

 第24話

 地球へ!!

 

 彗星怪獣 ガイガレード

 超巨大天体生物 ディグローブ

 大ダコ怪獣 タガール

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ 登場!

 

 

 ゾフィーの命を受けて、ウルトラマンメビウス、ウルトラマンヒカリの二人の戦士は、M78星雲を遠く超えて、懐かしい星地球のある太陽系へと、再びやってきていた。

「海王星軌道を通過した。ここまで来たら、もう地球はもうすぐだ」

 太陽系内に入ったために速度を落とした二人のウルトラマンは、かつてゾフィーがタイラントと戦ったこともある青い惑星のそばをゆっくりと通過した。

 まだ、このあたりには地球人はほとんど訪れたことはない。しかし、あと何十年、何百年か後には人類も自在にこの星の海を駆ける日が来るだろう。彼らはそう信じている。

 やがて、天王星軌道も通過し、特徴的な巨大な輪を持つ惑星土星を過ぎ、太陽系最大惑星、木星のある空域に彼らはやってきた。

「ここから先は地球人の領域内だ。見つかって騒ぎになっても困る、地球につくまでは彼らの目は避けていこう」

 ヒカリがメビウスにそう提案した。

「わかりました……おや、ヒカリ、あれはなんでしょう?」

 メビウスの指した先には、木星のそばを、その衛星とは違うなにか巨大な物体、大きさは小惑星規模で、ガスの尾を引いていることから彗星のように見えるなにかが通り過ぎようとしている姿があった。

「あれは、恐らくオオシマ第四彗星だ。メビウス、お前もGUYSの資料で見たことはないか?」

「思い出しました。以前、ザムシャーの乗ってきたオオシマ彗星や、僕の破壊したオオシマ彗星B群の兄弟星と言われてる、新彗星の一つですね」

 かつて地球でGUYS隊員、ヒビノ・ミライとして働いていたころの記憶から、メビウスはそれの正体を知った。また、ヒカリもかつて地球にいたころから、元GUYS隊長セリザワ・カズヤと同化して行動していたから、彼の持っていた知識もあって、メビウスには心強い限りである。

「そうだ。前の二つと違って木星軌道を通過した後、太陽系外へ去っていく軌道を取っていたから、防衛の観点からはあまりかえりみられてなかった星だ」

 地球に影響が無いのであれば、GUYSが取り組む必要もなかったというわけだ。

 思わぬ天体ショーを見物した後、二人は地球にもっとも近い惑星、今は基地建設が大々的に推し進められ、スペシウムをはじめとする各種鉱物の採掘もさかんになっている赤い星、火星へと向かった。

 

 だが、飛び続けるうちに、彼らは異変に気がついた。

 木星を飛び立って以降、はるか後方に置き去りにしてきたはずのオオシマ第四彗星が、軌道をはずれて後ろからぴったりとくっついてくるではないか。

「メビウス、気づいているな?」

「はい、あれはただの彗星ではないようです」

 自然の彗星が勝手に軌道を変えるなどありえない。それに、ウルトラマンの速度についてこれるわけが無い。このまま、この軌道であの彗星が進んだとすれば、その先には地球がある。メビウスとヒカリは顔を見合わせると、速度を緩めて、彗星と平行になるように飛んだ。

 間近で真横から見ると、オオシマ彗星はとてつもなく大きかった。なにせ小惑星規模であるから、ウルトラマンといえども象とアリのようなものだ。もしこれが万一地球に衝突でもしようものなら天文学的な被害が出るだろう。

 そして、遠目では彗星を覆うガスによって分からなかったが、近くからガスを透かして見て信じられないことが分かった。その彗星の丸い胴体からは、下前方に向かって突き出た、地球の生物で例えるならアンモナイトやオウム貝のような巨大な頭がついており、後ろからは長大な尾が生えている、これは、彗星などというものではなかった。

 

 "この彗星は生物だったのだ!!"

 

「そんな!? 彗星が超巨大な怪獣だったなんて」

 メビウスは驚きを隠せなかった。宇宙怪獣は多々いるが、天体規模のものとなると、生きているブラックホールともいうべき暗黒怪獣バキューモンや、太陽を食べて無限に成長する風船怪獣バルンガなどがいるにはいるが、ごく少数でしかない。

 しかし、現実に目の前にいる以上、疑う余地はない。目の前のこの彗星は、怪獣なのだ。

「落ち着けメビウス、こいつがなぜ進路を変えたのかはわからんが、どのみち地球に向かわせるわけにはいかん。この規模では、GUYSスペーシーのシルバーシャークGも、まず通用しないだろう。ここで食い止めるぞ!」

「はいっ、ですが、どうやって?」

 普通の怪獣ならメビウスも躊躇しないが、相手はケタ違いに大きい。

 彼らは知らないことだったが、こいつの名は【超巨大天体生物 ディグローブ】といい、宇宙空間を回遊する、文字通り星並の大きさを持つ怪獣である。攻撃能力こそ持たないが、その体は頑丈極まりなく、並の攻撃では傷さえつかない。

 

「倒せなくとも、進路を変えさせることはできる。メビウス、奴の頭を狙うぞ」

 ヒカリは、怪獣を刺激して、その進路を変えさせようと考えた。メビウスも了解して、巨大怪獣の目の前へと飛んでいく。しかし、やはりでかい。クジラの前のプランクトンもこんな気持ちなのだろうか。

「奴の額に、攻撃を集中させよう」

「はい」

 相手がこの大きさでは、ウルトラマンのパワーでも、殴ったりするくらいでは効果はないだろう。ならば、二人の光線技を集中させれば、虫眼鏡で日光を集めた程度は熱がらせられるかもしれない。メビウスとヒカリは、それぞれの必殺光線の構えに入った。

 

 だが、二人はディグローブのあまりの巨体に気をとられすぎて、頭上から近づいてくるもう一つの存在に気がつくのが遅れた。その隙を突き、メビウスの視界に突如黒い影が覆いかぶさってくる。

 

「!?」

 はっとして見上げたメビウスに向かって、何かが弾丸のように突っ込んできた!

「メビウス、危ない!!」

 ヒカリがメビウスを突き飛ばした次の瞬間、メビウスのいた空間を猛烈な勢いで岩のような物体が通り過ぎていった。しかし、そいつはすぐに反転してくると、再びメビウスとヒカリに向けて突っ込んでくる。

「あれは、怪獣!?」

 それは全身が岩石のように強固な外殻で覆われた、見たこともない怪獣だった。

「くっ!」

 とっさにメビウスは右手を左腕のメビウスブレスに当て、滑らせるようにして突き出した右手の先から、怪獣に向かって矢尻型の光弾を放った。

『メビュームスラッシュ!!』

 突進してくる怪獣の頭部へと、メビュームスラッシュは直撃して派手に火花を散らせた。

 だが、爆炎の中からそいつは無傷で現れると、勢いそのままにメビウスへと激しくぶつかってきた!!

「うわぁっ!!」

 直撃されたメビウスは、きりもみしながら彗星の上、すなわちディグローブの上へと落下していった。

「メビウス!!」

 墜落していったメビウスを追って、ヒカリもディグローブの上、大体首のつけねあたりになろうかというあたりに着地した。続いて、怪獣もメビウスとヒカリの前へと降り立ってきた。

 この怪獣は、まだメビウスたちのいた地球では確認されたことのない種類で、その名を【彗星怪獣 ガイガレード】という。全身が鉱石のように硬質な、宇宙空間を超高速で飛行可能な宇宙怪獣の一種だ。

 着地したガイガレードは、手足を納めた飛行形態から、太い手足を持ち、地面の上で戦う通常形態へと変形して、二人へ向かって強烈な咆哮を放ってきた。

「大丈夫かメビウス?」

「大丈夫です。心配ありません!」

 元気良く答えたメビウスは、すっくと立ち上がると、ガイガレードに向かって構えをとった。

「どうやら、こいつが番人のようだな」

 ヒカリの言うとおり、ガイガレードはディグローブに攻撃を仕掛けようとしたとたんに襲い掛かってきた。こいつを倒さない限り、ディグローブの進路は変えられそうもない。

「やりましょう、ヒカリ!」

「よし、いくぞメビウス!!」

 二人のウルトラマンは、凶暴なうなり声を上げるガイガレードへ向けて、果敢に挑んでいく。

 

 

 一方、そのころ地球では……

 東京湾上空を、人類の地球防衛の要、CREW GUYS JAPANの誇る戦闘機ガンウィンガーが、翼にまとった炎のシンボルを雄々しく閃かせて飛んでいた。

「こちらガンウィンガー、現在東京湾上空NN地点を飛行中、怪獣の動きはどうだ?」

 ガンウィンガーのコクピットから、現CREW GUYS JAPAN隊長、アイハラ・リュウの声が響いた。

 地球では、エンペラ星人の脅威が去った後、一応の平穏は戻っていた。だが、それまでいた怪獣がいきなりいなくなる訳もなく、その余波のようなものか、散発的ではあるがときたま怪獣が出現して、GUYSはその処理に当たっていた。

〔現在、怪獣はGUYSオーシャンの攻撃により浮上中、まもなく顔を出すはずです〕

 やがて、それまで鏡のように滑らかだった東京湾の海面が泡立ち、タコ焼き屋ののれんにでも書いていそうな、真赤な体をしたタコの怪獣が海上に現れた。

「こちらガンウィンガー、怪獣を確認した。データを送ってくれ」

〔ドキュメントZATに記録を確認、大ダコ怪獣タガールです。記録では、過去に大ガニ怪獣ガンザと戦って敗退した後、行方をくらませています。足に生え変わった後と、右目付近に大きな傷跡が確認できますから、恐らく同一固体ではないかと思われます〕

 CREW GUYS JAPANの基地、フェニックスネストからの新人オペレーターによる報告を受けて、リュウはコクピットで不敵に笑った。

「性懲りもなくまた出てきたってわけか、おもしれえ、焼きダコにしてやる!」

 だが、そのときタガールの背後の海面から、地球の海を守るGUYSオーシャンの誇る、ガンウィンガーのGUYSオーシャン版機、シーウィンガーが波を蹴立てて、己が守護する大海と同じ色をした機影を現した。

「まてよリュウ、追い込み漁だけやらせて獲物を独り占めなんてさせねえぜ」

 それは、GUYSオーシャン隊長、勇魚の操る機体であった。

 彼とは、かつて宇宙有翼怪獣アリゲラが地球に襲来したときに共同戦線を組んだ仲であり、パイロットとしての腕前はGUYSメンバーにも勝るとも劣らない。

 シーウィンガーは、タガールが吐き出してくる黒い墨攻撃をなんなくかわすと、リュウのガンウィンガーの近くに並んできた。

「久しぶりだな、勇魚隊長。じゃあ海らしく、魚突きといこうか」

「面白い、一番銛はゆずらねえぜ」

 リュウと勇魚はコクピットの中で、共にニヤリと笑った。

 そして。

 

「メテオール、解禁!!」

 

 その瞬間、ガンウィンガーとシーウィンガーの機体がまばゆい金色に輝きはじめた。

 これこそ、ガイズマシンの切り札、超絶科学メテオールを発揮する形態、マニューバモードだ!

「スペシウム弾頭弾、ファイアー!!」

「スペシウムトライデント!!」

 ガンウィンガーから四発の大型ミサイルが、シーウィンガーから二発の金色に輝く三叉の矛がタガールの頭部へ向かって叩き込まれた。両方とも、火星の物質スペシウムを利用して作られた兵器で、理論上ウルトラマンの光線と同等の威力を持つ。そんなものを総計六発も叩き込まれては、鈍重な大ダコ怪獣に助かる道があろうはずもない。

 連続した爆発がタガールを次々と襲い、弾力性に優れたタコの体とて、サンドバッグを突き破るヘヴィ級ボクサーのマシンガンパンチのような攻撃には耐えられない。頭部を黒焦げにしてズブズブと東京湾の底へと沈んでいった。

「怪獣殲滅完了、相変わらずいい腕だな勇魚」

「お前こそ、隊長に就任しても腕は鈍っていないみたいだな。あとの始末はGUYSオーシャンが引き受けた。ご苦労だったな」

「なんの、久々の共同作戦、悪くなかったぜ。じゃあ、また会おうぜ」

 二人は機体を寄せて敬礼しあうと、それぞれの役割を果たす場所へと別れていった。

 

 だが、疲れてフェニックスネストに戻ったリュウを待っていたのは、ねぎらいの言葉ではなく、慌てふためいたトリヤマ補佐官の叫びであった。

「あっ、リュウ隊長! たった今火星の観測ステーションからの報告で、木星軌道を通過中であったオオシマ第四彗星が進路を変えて地球に向かっているそうですぞ!」

 この人は、旧GUYSの時代からリュウとやってきた仲だが、リュウがあのころからだいぶ成長したのに比べて、非常時になると慌てふためく癖は治っていないようだった。

「なんだと! だが、まず迎撃するのはGUYSスペーシーの管轄でしょうに?」

「いやそうなんだが……いやいや、とにかくこれを見てくれ!!」

 作戦室のスクリーンに、観測ステーションが捉えたオオシマ第四彗星の映像が映し出され、やがてそれが拡大していくにつれて、その彗星自体が超巨大な怪獣であることが見えてきた。

 そしてその怪獣の上で、メビウスとヒカリが怪獣と戦っている姿を見て、リュウは驚愕した。

「ミライ! セリザワ隊長!」

 

 

 メビウスとヒカリは、ガイガレードの強固な外殻と、強力なパワーに苦戦していたが、チームワークを駆使して互角に渡り合っていた。

「テヤァ!!」

 二人のダブルキックがガイガレードの顔面に炸裂する!!

「テヤッ!!」

 さらに、振り下ろされてきた腕をかわして、その腹に正拳突きをお見舞いし、返す刀で二人でそれぞれ両腕をつかんで、息を合わせて思いっきり放り投げた!!

「セヤァッ!!」

 ガイガレードはディグローブの上をゴロゴロと何度も転げまわった。過去に、地球でもボガールとの戦い以来、幾度も力を合わせて怪獣と戦ってきた二人は、それぞれの隙を補い合い、二人分以上の力を発揮していた。

 ただし、ガイガレードもこのままでやられるつもりはないようだった。怒りの咆哮とともに起き上がってきたガイガレードの腹に当たる部分がパクリと開くと、ブラックホールのように揺らめく穴が現れて、そこから無数の岩石弾がメビウスとヒカリに向かって放たれた!

「ウワァッ!!」

 ふいを打たれたヒカリは岩石弾を受けて吹き飛ばされた。この岩石は爆発性を持っているらしく、はずれたものも爆発して激しい火花を吹き上げてくる。

 さらに、弾丸はメビウスにも襲い掛かってきたが、メビウスは両手を前にかざすと、メビウスの輪の形をした金色のバリヤーを目の前に作り出した。

『メビウスディフェンスサークル!!』

 岩石弾はバリヤーに当たると、粉々に砕け散った。

 そして、その間に体勢を立て直したヒカリはメビウスの頭上を飛び越え、ガイガレードにジャンプキックをお見舞いする!

「テヤァッ!!」

 強烈な一撃に、ガイガレードはのけぞって、そのまま背中から倒れこんだ。

「メビウス、今だ!!」

「はい!」

 ヒカリの声に応え、メビウスは倒れてもがいているガイガレードに駆け寄ると、その尻尾を掴んで、ジャイアントスイングの要領で思いっきり振り回して、一気に放り投げた!

「ダアッ!!」

 ディグローブの上に勢い良く投げつけられたガイガレードは、運動エネルギーの法則に従い、その外殻でさえ耐え切れないほどの衝撃に全身を打ちのめされた。

 しかし、それでも奴は強い生命力でしぶとく起き上がってくる。

 

 メビウスとヒカリは一瞬目を合わせると、メビウスは左手のメビウスブレスに手を添え、ヒカリは右手のナイトブレスを天にかざした!!

 

 メビウスブレスから金色の光がほとばしって、メビウスの頭上にメビウスの輪のマークが形作られ、ヒカリのナイトブレスに青い稲光のようなスパークが輝く。

 そして二人は同時にその腕を十字に組み、必殺の光線を放った!!

 

『メビュームシュート!!』

『ナイトシュート!!』

 

 金色と青色の光線が、吸い込まれるようにガイガレードの腹の穴へと撃ち込まれていく。

 けれどガイガレードの腹はそれらを吸い込むと、扉が閉じるように元の外殻に戻った。

 通じなかったのか!? 二人がそう思ったとき、突然ガイガレードの体が凍りついたように硬直した。

 

 刹那。

 ガイガレードは空気を入れすぎた風船のように内側から破裂し、紅蓮の爆炎とともに微塵の欠片となって飛び散った!!

 

「やった!」

「ああ、やったな、メビウス」

「はい、あなたのおかげです、ヒカリ」

 勝利、その喜びを二人は等しく分かち合った。

 二人とも見たこともない怪獣であっただけに、中々に手こずらされてしまった。もし一人だけであったら、負けないまでもさらに時間とエネルギーを浪費してしまっただろう。

「そうだ! こいつの進路を変えなくては」

 ガイガレードに関わって随分時間を浪費してしまった。地球に影響が及ぶ範囲に入る前にこの巨大怪獣の進路を変えなくてはならない。二人がそううなずきあったとき、突如地面、いや、彼らの乗っている巨大怪獣の上が地震のように揺れ動き始めた。

「いかん、脱出しよう!」

 危険と判断した二人はとっさにディグローブの上から飛び立った。

 そして、距離をとって振り返ってみると、ディグローブはゆっくりとであるが地球を目指した進路から離れて、元来た方へとUターンを開始していた。

「これは、どういうことでしょうか?」

 メビウスは怪獣の行動が理解できずにヒカリに尋ねた。

「……恐らく、あの怪獣が取り付いて進路を狂わせていたんだろう。渡り鳥が地磁気の異常で目的地を見失うようにな。それが無くなったから、元の軌道に戻ろうとしているんだ」

「では、あの怪獣はもう無害だということですか?」

「そうだな」

「よかった、本当によかった」

 思わず声を大きくしてメビウスは喜んだ。たとえ怪獣とはいえ、命を奪わずにすむならそれに越したことはない。

「しかしメビウス、我々が地球へ向かっているこのタイミングでのこの出来事、どうも偶然とは思えん」

「! では、これはヤプールの復活の予兆だというんですか」

「証拠はない。だが、急いだほうがよさそうだな。それから、このことはゾフィーにも報告しておこう」

 ヒカリから放たれたウルトラサインの光が、遠くウルトラの星へ向かって飛んでいく。

「シュワッチ!!」

 二人は、地球から遠ざかりつつあるディグローブを見送りつつ、再び地球へ向かって飛び立った。

 

 

 そのころ、地球ではリュウがフェニックスネストの外で、空を見上げながら、友へと思いをはせていた。

「メビウスとヒカリが、ミライとセリザワ隊長が来る……」

 彼の胸中には、懐かしさとともに、あの二人が揃って地球にやってくるとはただ事ではないだろうと、新たなる地球の危機を予感して、戦いの覚悟が燃えていた。

 

 ウルトラ兄弟と地球、CREW GUYS JAPANが次なる戦いに望む日は遠からずやってくるだろう。

 しかし、彼らもまさかヤプールが異世界で復活を遂げようとしているなどとは、想像だにできなかった。

 

 

 時空の壁を越えて、再び異世界ハルケギニア。

 

 ある日、トリステインの北西に浮かぶ、巨大な浮遊大陸国家アルビオンの首都、ロンディニウムの郊外に、全長百メイルはあろうかという巨大な石柱が突如として出現した。

 

 現在この国は、旧来の王政府と、有力貴族が結集して共和制国家樹立を目指す『レコン・キスタ』と自称する反乱軍の二派に別れて内乱の真っ最中である。

 王軍は一時首都を追われたものの、大陸南端の城ニューカッスルに拠点を置き、現在は大陸中央の街サウスゴータを奪還せんと、虎視眈々と機会を狙っていた。

 むろん、これに対する反乱軍も占領した首都ロンディニウムを拠点として、戦力をサウスゴータに集結しつつあって、いつ両軍合わせて十数万に渡るであろう決戦が始まってもおかしくない状態であった。

 だが、そんな状況でありながら、この国には毎日のようにトリステイン、ガリアをはじめとする国々から、富裕層を中心とする人間が次々に流れ込んできていた。

 通常は、戦時下の国からは人が出て行くものだが、この場合は特別な事情によるものがあった。すなわち、アルビオンはどういうわけか超獣、怪獣の出現がほとんどなかったのだ。

 ヤプールが現れた初期こそ、様子見のように超獣らしき巨大生物が出現し、反乱軍、王軍が一時休戦して迎撃に向かうこともあったが、一週間もするとぷっつりと出現しなくなっていた。

 そんなわけで、特に三度に渡って首都を破壊されているトリステインからは避難民が続々と集まりつつあった。怪獣より人間のほうがましというわけだ。

 そんな中のこの出来事であったが、その石柱は、しばらくの間は物珍しがった人々の好奇の目に晒されていた。だがやがて、その周囲をレコン・キスタの兵士達が固めて、誰も近寄れないようになると、その存在の異様さにも関わらずに、人々はそれから急速に興味を失っていった。

 

 しかし、一千近い兵士を動員して石柱の周りを固めさせたレコン・キスタではあったが、不思議なことに彼らからその石柱を調査、もしくは移動、破壊しようなどという、一切の動きは見られなかった。

 もちろん、このあまりに不自然な石柱に興味を持ち、その調査を申し出た将や研究者は少なからずいた。けれども、その意見具申はすべて戦時下であることにより余裕無しという理由によって却下されたのだが、納得のいかない研究意欲旺盛な若い将校の一人が直接許可を得ようと、レコン・キスタ最高司令官、オリヴァー・クロムウェルの元を訪れていた。

「……そういうわけですから、調査費用などは全て私の個人資産から出しますので、軍には一切ご迷惑をかけません。あの石柱はどう考えても自然に湧いて出たものではありません。何者かの意思によるものです」

「だとしても、それが我々にとって脅威だとどうして断定できるのかね? 私には、あれが天から送られた我が軍の勝利を約束する神からの贈り物に見えるがね」

 若い将校の訴えに眉一つ動かさずに、クロムウェルは小柄な体を指揮官用の椅子に深々と沈めて答えた。

 彼は、元々はアルビオンの一介の司教であったのだが、腐敗した王政府を打倒し、新たに貴族達によってこの国を再建することが始祖の導きであると、貴族達を先導してレコン・キスタを組織した。そして政戦に渡って積極的にリーダーシップをとり、首都を占領して新たに共和政府を樹立した手腕は高く評価されている。

 が、当然納得できない若い将校は、あきらめきれずになおも噛み付いていった。

「納得できません。危険がないのでしたら、なぜ一千もの兵で守らなければならないのですか! いいえ、この際言わせていただきますが、このところの閣下の命令は納得のいくものではありません。王軍がここまで盛り返す前に、いくらでも撃滅する機会はあったはずですのに、閣下は軍を再編成するとおっしゃって、その機会を逃してしまいました。それだけではありません、今でも我らは王軍より戦力的には優勢であるはずなのに、サウスゴータの守備を固める一方でいっこうに攻撃をかけられません。まるで故意に戦争を長引かせているようであります!」

 彼は怒りに任せて、これまでたまっていた不満を、言わなくていいことまで含めて一気に吐き出した。

 ことの始まりは、一月ほど前に半死状態であったはずの王政府軍をニューカッスル城に追い詰めたが、完全に包囲状態であったはずなのに、前線の指揮官達が次々と敵弾に倒れ、指揮系統を失った包囲軍はあっけなく壊走してしまった。そして勢いを取り戻した王政府軍は各地の残党や義勇兵を吸収し、いまや反撃に転ずるまでになってきていた。

 この状況に、クロムウェルは消極的な策を場当たり的に打ち出すばかりで、初期の積極さはどこにいったのか、まるで別人になってしまったような指揮ぶりに、不満を抱いているのは彼だけではなかった。

「事態は、小さな戦術の次元を越えて大きく動いているのだよ。若い君に理解できないのは当然だから、心配しないで命令に従っていたまえ」

 薄笑いさえ浮かべながらクロムウェルは言い放ったが、彼はもはや我慢の限界であった。

「いいえ、もはや納得することはできません! かくなる上は私個人の権限をかけて石柱の調査を実行いたします!」

「命令に背くというのかね? 始祖の代理人である私の命に背くことは異端とされても文句はいえないぞ」

「承知しています。元々私はこの戦いで家族を全て失い、身よりも守る家もありません。それに、あれが本当に神からの贈り物であるにせよ、危険な代物であるにせよ、それを確かめた功績はすべて閣下のものといたしますから、不利益もないはずです。私の身柄はその後いかようにでもなさるがよかろう。失礼いたします!」

 彼はそう言い捨てると、部屋を足音荒く退室していった。

 残されたクロムウェルは、彼が消えた後のドアをしばらく見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。

「君はとても鋭いね。そして、正しく真実を見つめている。しかし、それが君のためになるとは限らないのだよ」

 クロムウェルの目が、そのとき一瞬だけ鈍く紅く輝いた。

 

 次の日、一人の青年将校が、首筋にダーツのような矢を突き立てられて殺害されているのが郊外で発見され、王軍の送り込んだ間諜の仕業として処理されたことが、軍の記録将校の日誌に短く載せられた。

 

 だが、これこそがこの浮遊大陸国家アルビオンに、そしてハルケギニア全土に恐るべき災厄をもたらす悪魔の石であることに、この時点で気づいた者は誰も存在しなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 続く



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第25話  甘い薬の恐怖

 第25話

 甘い薬の恐怖

 

 大モグラ怪獣 モングラー 登場!

 

 

 その日、才人は学院の水場で、いつもどおり洗濯に精を出していた。

「平和だなあ」

 手を動かしながら、思わず才人はつぶやいた。

 この日は天気晴朗にして、風は穏やか、日差しは温かく、湿度も良好、暑くも寒くもなく、平和そのものの陽気であった。

 水場の向こうの広場では、シエスタが何百枚になろうかという生徒達のシーツをうきうきしながら干している。

「晴れた日には布団を干すものです」

 と、この間シエスタが言っていたことを思い出しながら、才人は夏の青空の下を風に吹かれてひらひらと舞う洗濯物と、その間をスカートをなびかせて軽やかに駆けるメイド服の少女を眺めた。

 まったく、惚れ惚れするほど素晴らしい光景ではないか。この場にカメラがあったなら、百枚くらい撮って末代までの家宝にできるのに、などと清純な自然の中で不純なことを考えていた。

 これでは、もし撮られた写真の数だけ自分を増やせる二次元超獣ガマスが美少女の姿をしていたら、才人はハルケギニアを滅ぼしていたかもしれない。まあそんなことをした日には、「焼却、ついでにあんたも燃えろ!」と、ルイズにネガごと一片も残さず消し去られてしまうだろうから大丈夫だろうが、もし秋葉原なんかでそれをやられたら地球は……。

 

 物語を戻そう。

 あのフリッグの舞踏会から、早二週間が経った。怪獣や宇宙人の襲来もあれ以来なく、ヤプールも中休みをしているのかハルケギニアは平穏に包まれていた。

 

 しかし、この日の夜。恐るべき事件が幕を上げようとは、まだ誰も知るよしもなかった。

 夜もふけ、生徒達の誰もが自室に戻っていったそんな時間、女子寮のある部屋から、煌々とした明かりが漏れていた。

 この部屋の主は、長い金色の巻き毛と青い瞳の少女。名前はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、ルイズの級友の一人であり、水系統の使い手である。

 ちなみに通り名は『香水』と呼ばれており、その通りに趣味と実益をかねて香水作りを得意としている。

 才人がハルケギニアにやってきた翌日に、ギーシュと決闘をする騒ぎがあったときの、その発端となった香水も彼女がギーシュに送ったものである。その後紆余曲折あったものの、王宮での活躍や先日のフリッグの舞踏会でいっしょに踊ったことなどもあって、ギーシュとはよりを戻し、一応彼氏と彼女という関係に落ち着いている。

 今日も、彼女は放課後の日課である香水製作に打ち込んでいたが、この日は少々おもむきが違っていた。

 いつも通りに香水の原料の薬草や魔法薬のビーカーやフラスコをランプの炎にかけているところは同じだが……いや、年頃の女性の部屋がなかば化学の実験室のようになっている時点でかなり異様だが、問題はそこではない。

 今、彼女が混合している薬品の種類や調合手順は、香水のものとはまったく違っていた。

 端的に言うと、それは禁断のポーション、国の法で作成、所持を禁じられている代物、ましてや使用するなどはもってのほか。しかし、趣味は道徳に勝る。あらかたの香水や魔法のポーションを作り飽きてしまった彼女は、好奇心のままに、禁断のポーションの作成に手を出してしまったのである。もちろん、そんなことは言い訳にはならずに、発覚しようものなら大変な罰金が科せられて、彼女の実家さえも危機に陥ることになるが、若さというのは恐ろしい。要するに、興味本位で危ない遊びに手を出して大火傷を負う中学生や高校生などと同じパターンだ。

 さて、そんなリスクを背負っているとは自覚せずに、彼女は秘薬の製作の最終段階に取り掛かろうとしていた。

「竜硫黄と、マンドラゴラを同時に入れて、透明になるまでかき混ぜてっと……」

 大枚をはたいて手に入れた禁断のポーションのレシピによれば、その作業がすめば、後はある特殊な秘薬を混ぜれば完成とあった。

 モンモランシーは胸をわくわくさせて、薬壷の中の液体をかき混ぜ続けた。なお、この姿を人が見たら、ランプの薄暗い明かりに照らされて、笑いながら薬を混ぜている彼女はすごくコワく見えただろう。

 そして、液体がレシピのとおりに透明になると、彼女はとうとう最後の、一番大事な秘薬を投入しようと、それを入れてある香水の瓶を手に取った。これを手に入れるために払った代価はエキュー金貨にして七百枚、平民が五、六年は暮らせる額で、彼女の貯金のほぼ全額に当たる。それだけ高価で貴重だということだ。

 容量も、小瓶の中にほんのわずかにあるだけで、失敗しても次はない。

「そーっと、そーっとよ……」

 こぼさぬように細心の注意を払いながら、高鳴る心臓の音を抑えながらモンモランシーは小瓶をゆっくりと傾けていった……

 

 と、そのときだった。

 

 彼女の部屋のドアを、まるで太鼓を打ち鳴らすかのような激しいノックが揺さぶった!!

「モンモランシー、ぼくだ、ギーシュだ! 君への永遠の奉仕者だよ。このドアを開けておくれ」

「!?」

 それはこの学院でもっともやかましい男にして、単細胞で、直情型で、その他いろいろあるが、とりあえずバカと言い捨てて間違いではない男、ギーシュの突然の訪問であった。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

「あ、ああ……」

 今のショックで、モンモランシーの手元が狂い、一滴ずつ投入しなければならない秘薬がいっぺんに全部入ってしまった。そのため、ポーションは過剰反応を起こし、静かにピンク色に変わるはずが、真っ赤になってポコポコと泡立っている。これはどう見ても失敗だ。

「……ギ、ギーシュぅぅぅ!!」

 精魂込めて莫大な労力と経費を費やしてきた実験を、たった一瞬で台無しにされ、彼女は抑えきれない怒りを、無神経にドアを叩き続けているバカ男にぶっつけることを迷わず決定した。

 開錠の魔法で鍵が外され、扉が古びた木がきしむ音を立てて、ゆっくりと開いた。

「おお、ようやく君の美しい顔を見せてくれたね。実は、あのフリッグの舞踏会のときの君の姿を思い出したら我慢出来なくなってしまってね。二人でいっしょに月夜を眺めながらワインでもと、こうしてやってきた次第さ!」

 まったく空気を読めずに、ギーシュはきざったらしく自らの死刑宣告文を読み上げていった……が、モンモランシーはそんな台詞は一文字も耳に入れずに、ぽつりとギーシュに言った。 

「じゃあギーシュ、わたしのお願いをひとつ聞いてくれる?」

「君の頼みとあれば、この命だって捧げるさ!」

「そう……じゃあ、死んで」

「へっ?」

 一瞬何を言われたのか、理解できずにギーシュは間抜けに立ち尽くしたが、どす黒い声で呪文を詠唱するモンモランシーの姿に、はっと我に返った。

「モ、モンモランシー!?」

「ギーシュ、あなたはこの学院のバイキンなの、バイキンは消去しないといけないよね。だから、死んで」

 ようやくギーシュは自分がとんでもなく危険な状況にあることを理解した。

 モンモランシーに向かって、すさまじい強さの魔力が集まっていく。彼女は、メイジとしてまだまだ低級のはずだが、今の彼女から立ち上るオーラはトライアングルクラスはおろか、スクウェアクラスさえ凌駕しかねないように見えた。まるで大いなる海の力が彼女に宿ったかのようだ。

 空気中の水分が凝縮して、渦を巻く水の玉が形作られていく。

 ギーシュは全身から血の気が引いていくのを感じた。いつものモンモランシーなら水の塊で溺れさせてくる程度(それでも充分人は死ぬが)で済ませてくれるのだが、巨大な圧力をかけられた水は、鋼鉄すらも寸断する。あんなものをぶつけられたら確実に死ねる。

「ま、まってくれ……ぼ、ぼくが悪かった。だ、だから……」

 必死に命乞いをするギーシュだったが、モンモランシーは冷酷に言い放った。

「悪かったって、なにが?」

「だ、だから……そうだ、一年のシンシアといっしょに遠乗りに行ったときのことだろう、あれは違うんだ、彼女から詩を送られて、そのお礼のために……」

 

 愚か者の辿る末路とは、こういうことを言うのであろう。

 

 この瞬間、モンモランシーの堪忍袋を押さえていた、最後の細い糸が切れた。

「地獄に落ちろぉぉっ!!」

 この瞬間、モンモランシーはルイズでさえ発揮したことがないほどの怒りを込めて、超圧縮された水の玉をギーシュに投げつけた。

 それは、命中しても砕けずに、まるで鉄のハンマーのように瞬時にギーシュの体を壁に叩きつけ、そのまま勢いを緩めずに壁ごとギーシュを外にたたき出した後、花火のように爆裂した。

「ぎゃあぁぁぁっ……」

 石造りの壁をぶち破って、ギーシュは階下の地面に向かってまっ逆さまに落ちていった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ……」

 怒りを全部吐き出して、壁に大きく開いた穴から吹き込んでくる風に当たりながらしばらくすると、モンモランシーはようやく落ち着いてきた。

 そして熱狂が冷めて、自分のやってきたことを冷静に見つめなおしてみたら、禁断のポーションを作ろうとしていたのだという恐怖と罪悪感がいまさらながら襲ってきた。 

 もし、このままポーションが完成していたら、自分は使いたいという欲求に勝てなかっただろう。そして、誰かに使用すれば、ここは魔法学院だから発覚するのは時間の問題。衛士隊に引き渡され、莫大な罰金か牢獄暮らし、家名は地に落ち、一族郎党路頭に迷うはめに……

 そう思うと、ギリギリのところで踏みとどまれてよかったと、どっと冷や汗が浮かんできた。

「結果的に、ギーシュに助けられたことになるわね。し、仕方ないから、明日会ったら許してやってもいいかな……」

 ぽっと顔を赤くしてつぶやいたモンモランシーだったが、部屋に戻った彼女の目に、件の禁断のポーションの失敗作が、不気味な泡を立てているのが入ってきて、顔をしかめた。

 もう用済みで、さっさと処分したい代物だが、物が物だけに正規の処分法で学院の魔法薬の処理場に持って行くわけにもいかない。

 どうしたものかと考え込んだモンモランシーだったが、薬壷からただよってきた失敗作の甘ったるい臭いが鼻を突くと、とたんに面倒くさくなって、窓を全開にすると中庭に向かって力いっぱい薬壷ごと放り投げてしまった。

「あー、これですっきりした。やっぱり悪いことはするもんじゃないわね。さっ、もう寝よ寝よ」

 気分がさっぱりしたモンモランシーは、部屋の明かりを消すと、そのままベッドに入ってすやすやと寝入ってしまった。

 

 一方そのころ、スクウェアクラスの魔法の直撃を受けて、塔の上から落下させられたギーシュは、奇跡的にもたいした傷もなく、女子寮から退去しようとしていた。

「あいたた……どうも今日は虫の居所が悪かったみたいだな。また出直すか」

 信じがたいことに、平然とした様子で歩いていく。人間技とは思えないが、考えてみれば才人だってルイズからの攻撃であれば、爆発の中心にいようとすぐに蘇ってくることから、男という生き物は、女性からの攻撃に対しては特別な防御力を備えているのかもしれない。

 これ以上ここにいては、さっきの爆音を聞きつけて誰かがやってくるかもしれない。校則で女子寮に男子は立ち入り禁止になっているし、今は夜中、間違いなく疑われる。ギーシュは足早に女子寮から離れようとした。

 と、そのときである。彼の前面の地面が盛り上がって、そこから体長二メイルくらいの大きなモグラが顔を出してきた。

「おお! ヴェルダンデ、ぼくのヴェルダンデじゃないか、おお、いつ見ても君は美しい。そうか、この不幸な主人を慰めようとしているのだね。ああ、君はなんて優しいんだ」

 それは、ギーシュの使い魔のジャイアントモールのヴェルダンデであった。特徴としては大きさの他には、大きく突き出た鼻がチャーミング(と、ギーシュは言っている)。もちろん、ハルケギニアの特有の種であり地球には存在しない。

 とまあ、ギーシュの言葉からもわかるように、主人に溺愛されている彼(オスである)だったが、今回顔を出してきたのは、決して不憫な主人を慰めるためではなかった。

 ヴェルダンデは、自分の台詞に酔っている主人をスルーすると、彼のかたわらに落ちていたなんともはや甘くていい匂いのする液体がこぼれている小さな壷に飛びついて、それをぺろぺろと舐め始めた。 

「あっ、ウェルダンデ、落ちてる物を口にしてはいけません! 行儀が悪いでしょう。食べ物ならきちんとミミズをあげるからやめなさい!」

 まるでママさんである。しかしヴェルダンデは、その液体の味がよほど気に入ったのか、その後も押さえつけようとするギーシュを無視して舐め続け、両者の珍妙な相撲は夜が更けるまで続けられた。

 

 

 が、そんな平和な光景もここまでだということを、まだ知っている者は誰もいなかった。

 

 

 翌日、山裾から日が昇り、魔法学院にまた朝がやってきた。

 小鳥のさえずりが朝を告げ、厨房からは早くも煙と湯気が立ち上る。

 女子寮では、まだルイズと才人がぐーすかと眠っていることだろう。

 そんななか、珍しく早く目を覚ましたギーシュは、特にすることもないからと、ヴェルダンデの顔でも見ようかと、中庭へと下りていった。通常使い魔は専用の厩舎のようなところに住まわされるか、主人の部屋と同居するかだが、ヴェルダンデはモグラ、地面の下ならどこでも自分の家である。

「ヴェルダンデー、ぼくのヴェルダンデー、顔を見せておくれ」

 中庭の真ん中に立って、いつもどおり愛しい使い魔の名前を呼んだ彼の前に、ヴェルダンデはすぐにいつもと変わらない姿で現れた。

 一応、姿だけは……

「ヴ、ヴェルダンデぇぇぇ!!」

 ギーシュの絶叫が、誰もいない中庭に響き渡った。

 

 この日、ギーシュは授業を欠席した。

「ミスタ・グラモン……いないのですか、では、ミスタ・エリュオン……」

 教師は特に気にせずに授業を開始した。元々生徒のサボりは珍しいことではない上に、ギーシュが特に熱心な生徒でもなかったために、他の生徒達もすぐにそれを忘れてしまった。

 

 だが、放課後になると、どこからともなく現れたギーシュは、WEKCの少年達が溜まり場にしている納屋で雑談をしていた才人、ギムリ、レイナールを学院から離れた森の中にひきずるように連れて行った。

「どうしたんだよギーシュ? 今日は授業にも出てこないで、こんなところで何の用だい?」

 連れて来られた森の奥で、なにやら切羽詰った様子のギーシュにレイナールが尋ねた。

「君達を……親友だと、絶対信用できる人間だと見込んで話があるんだ」

「なんだ、かしこまって……」

「またモンモランシーに浮気がばれたとか?」

 レイナールもギムリも、どうせギーシュのことだから女がらみだとは思ったが、ギーシュの目は真剣だった。

「サイト」

「ん?」

「特に、君に話しておきたいんだ。君は、怪獣のことには詳しいんだよね?」

「まあ、それなりにはな」

 どういうことだ? と才人は首をひねった。

 どうもギーシュの様子がおかしい。いつもの彼なら、どんな大変な事態(他人から見たらくだらないことが多いが)に陥ろうが、生来のナルシストぶりを発揮して、窮地に陥った自分を美化して陶酔にひたるのだが、今回はそんな余裕もないように見えた。きょろきょろと周りを見回し、人影がないか常に気にしている。

「三人とも、これから見せることは絶対秘密にしてくれると約束してくれるか?」

「……どうやら、ただごとじゃないみたいだな」

 三人はふざけるのをやめて、顔を見合わせてうなづきあうと、「約束する」とギーシュに言った。

 そして、三人の顔が真剣なのを見たギーシュはもう一度周囲を確認すると。

「……大丈夫だよ、出てきておくれ」

 そう、森の一角に向けてささやいた。

 すると、彼らの立っている地面が、いきなり地震のように揺れ動きだした。

「うわっ!?」

 いきなりのことに、立っていられず彼らはひざを突いた。

 やがて、目の前の地面がもこもこと小山のように盛り上がり始めると、彼らの目はそれに釘付けになり……

 

「な、なんだあれは!?」

 

 小山の頂上が突然崩れたかと思うと、そこからとてつもなく巨大なモグラの頭が顔を出してきたではないか!

「か、怪獣だぁ!!」

「お、大モグラ怪獣モングラー!?」

 突如現れたモングラーの姿に、とっさに才人は懐のガッツブラスターを、ギムリとレイナールは杖を取り出して目の前の大モグラに向けたが、その前にギーシュが両手を広げて立ちふさがった。

「待ってくれ! 撃たないでくれ! あれは怪獣なんかじゃない、ぼくのヴェルダンデなんだ!」

「ヴェルダンデ!? お前の使い魔か? だが大きさが全然違うじゃないか!」

 言われてみれば、特徴的な鼻は確かにヴェルダンデのものだ。しかしジャイアントモールは二~三メイルがせいぜいだ、目の前のこいつは頭だけでも十メイル相当はある。

「ぼくにだってわからないさ。なんでか朝になったら、こんなに大きくなってたんだ。昨日の夜まではなんでもなかったのに……こんな姿が人に知られたら……」

 普段能天気なギーシュとは思えないほどにがっくりとうなだれて、今にも泣き出しそうな表情に、さしもの才人達も同情を禁じえなかった。

 だが、事態が深刻なのは理解できた。

 これが二ヶ月前なら、お調子者のギーシュのことだから、極めてレアリティの高い使い魔だとして大いに自慢したかもしれない。けれど怪獣災害の多発するようになった今、怪獣を飼っているなど容認されるはずもない。

 よくて没収されて魔法アカデミーの実験材料か、辺境への放逐、悪くすれば速攻で処分されてしまう。もちろん、ギーシュの学生としての身分も、家名の立場も危うくなる。

 先生方に相談することもできずに、ギーシュは半日の間にすっかりやつれてしまったように見えた。だが気の毒ではあっても才人たちにも早々に名案などあろうはずもなく、とりあえず詳しく話を聞いてみることにした。

 

「とにかく、訳も無く巨大化するはずもない。昨日までは変わりなかったっていうけど、本当に何か変わったことはなかったのか?」

「特になかったと思う……ヴェルダンデは、いつもはずっと土の中にいるから、ぼくも行動を完全に把握できてはいないし」

 確かに、ほかの使い魔たちならともかく、呼ばない限りめったに地上には出てこないモグラの行動を把握することは不可能に近い。

「もしかして、ヤプールの仕業か?」

「ヤプールだったら大暴れするように改造するさ。ただでかくなっただけで、おとなしいものじゃないか」

 ギムリの説を才人は一蹴した。ガランやブラックピジョンのようにヤプールが人間のペットなどを奪って超獣化させた例では、どれも凶悪な超獣と化している。

 こういうときは、仲間内の中で一番の知性派で良識派のレイナールの意見がほしいところだ。

「ギーシュ、昨日の夜から朝までの間に、何か違和感を感じなかったか? 使い魔と主人は感覚を共有できるから、どちらかに大きな変化があったら、相手にも多少なりとて影響があるはずだ」

 さすが、いいことを言うと才人とギムリは感心した。使い魔との契約を考えた見事な意見だ。だてに眼鏡はかけていない。

「そういえば、昨日最後にヴェルダンデと別れて、眠る前にずいぶん体がだるかった気がする。あれは、モンモランシーの愛の痛みだったと思っていたけど、もしかしたら」

「そのときだな、巨大化したのは」

 レイナールのおかげで、問題は一歩前進した。ヴェルダンデが巨大化した原因は、その直前に何かがあったと考えるべきだろう。

 才人は今のこともふまえて、もう一度ギーシュに質問をぶつけてみた。

「ギーシュ、その別れる前に何があったのかをよく思い出してみてくれ。多分そこで何かがあったんだろう。例えば、何か妙なものを食べてたとか」

 彼の脳裏には、かつて地球でモングラーとなったただのモグラが巨大化した理由が浮かんでいた。 

「ええと……ええと……そうだ! あのときヴェルダンデは、地面に落ちてた薬壷からこぼれてた液体を舐めてたんだ!」

「それだな。その場所に案内してくれ」

 四人は、ヴェルダンデを地中に帰すと、ギーシュの案内で昨晩の場所へと駆けつけた。

 

 

「ここだ、ここだよ」

「ここって……女子寮のまん前じゃないか、こりないねえお前というやつは」

「そんなことはこの際いいから、その薬壷ってのは、これじゃないのか」

 レイナールが、杖の先にひっかけて、泥に汚れた薬壷を拾い上げてきた。

 すでに中身は空になっていたが、才人は中から漂ってくる甘い匂いをかいで、自分の考えていた仮説が正しかったことを確信した。

「やっぱり、ハニーゼリオンだな」

 ハニーゼリオン、それはかつて地球で開発された特殊栄養剤の一種であり、生物を急成長させる効果がある。ただし、過剰に摂取すると、成長の度を過ぎた効力を発揮して、モグラのような小動物でも怪獣サイズまで巨大化させてしまうのだ。そのため、ハニーゼリオンは現在では作成と使用を禁止されている。

 問題は、なんでそんなろくでもないものがこんなところに転がっていたのかだが、それは薬壷を見たギムリがすぐに答えを出した。

「これは、モンモランシーの使ってる薬壷じゃないか?」

「そういえば……じゃあ、この薬を作ったのはモンモランシー?」

「そんな! 彼女がそんな恐ろしいことをするもんか!」

「するかどうかはモンモンに直接聞いてみればいいだろ。とにかく、手がかりは掴んだんだ」

 ああだこうだと言いながらも、四人は揃ってモンモランシーの部屋に押しかけた。

 

 ドアを激しくノックして、怒ったモンモランシーが顔を出したと思った瞬間、四人は部屋の中になだれ込み、件の薬壷を彼女の前に突き出した。

「モンモン、この薬壷、お前のだよな」

 それを見た瞬間、モンモランシーの顔色が変わった。突然の無礼な来訪者に怒って赤かった顔が、見る見るうちに青ざめていく。才人達はそれで確信を持った。

「そ、そうだけど、それが何か」

「中に入ってた薬はなんだ?」

「う……た、ただの、失敗作の香水よ」

 モンモランシーはうつむいて、たどたどしく冷や汗を流しながら答えた。やはり怪しい。

「目を見て言え、単なる薬じゃないだろ。相当やばいもんだろうが、今なら正直に話せば、先生方には黙っていてやってもいいぞ」 

「う、ほ、本当に?」

 その一言で、もうやばいものを作ってましたと告白したようなものだが、四人はとりあえず揃って頭を縦に振ってみせた。

「う……じゃ、じゃあ言うけど、絶対に他の人には言わないでよね、実は……」

 遂に折れたモンモランシーは、訥々と自白を始めた。そして、その薬の正体は、四人を例外なく驚愕させた。

 

「ほ、惚れ薬ぃ!?」

 

 そう、モンモランシーが作ろうとしていたのは、ご禁制の人の心を操る薬、惚れ薬だったのだ。

 彼女は、好奇心のほかにも、浮気性のギーシュの意識を自分に固定するために、これに手を出していたのだ。まったく女心というものは恐ろしい。

「なによ、そんなに驚かなくたって失敗しちゃったんだから別にいいじゃない!! 大体ギーシュ、あなたがあっちこっちの女の子にやたら声をかけまくるのが悪いんだからね!!」

 全然よくない。ケシの花を栽培しようとして枯らしてしまったから無罪だなどということがありえないように、彼女のやったことは重罪だ。しかし逆ギレしてしまったモンモランシーは、溜め込んできた思いもあってギーシュに盛大に八つ当たりをしていた。

 そして、あんまりにも馬鹿らしい真実に、才人は呆れ返ってその様子を眺めていた。

「なるほど、惚れ薬を作ろうとして失敗したら、何がどうなっているのかハニーゼリオンができてしまったというわけか……」

 ある意味、彼女は天才かもしれないなと才人は思ったが、別に探偵をやっているわけではないから、犯人を見つけても事件は解決しない。

「それでモンモン、この薬の解毒薬はないのか?」

「え!? ないわよそんなもの、作ろうと思えば作れるけど、材料はこのバカのおかげで全部消費しちゃったから作りようがないの」

 それを聞いた才人は、頭を抱えた。

「そうか、惚れ薬の失敗作で変化したなら、その解毒薬でなんとかなるかと思ったんだが」

「え? もしかして、あれを誰かが飲んじゃったの?」

 モンモランシーの顔が引きつった。

「ギーシュ、この際彼女にも聞いてもらったほうがいいだろう。実は……」

 事情を知らされたモンモランシーが天地がひっくり返ったほど驚いたのは言うまでもない。

 

「だからモンモランシー、ぼくのヴェルダンデの、ひいてはぼくがこの学院にいられるかどうかの瀬戸際なんだ。どうか解毒薬を作ってくれ、お願いだよ」

 ギーシュの普段のからは想像できないような切実な願いに、しかし、モンモランシーは苦しい表情をして、言いにくそうに答えた。

「残念だけど、ほとんどの材料は揃えられるけど、一番肝心な『水の精霊の涙』が、どこももう売り切れで手に入らないのよ。ただでさえとてつもなく高価なものだし、予約を頼んでもいつになることか」

「水の精霊の涙だって!? それは、確かに難題だな。魔法の秘薬のなかでも五本の指に入るほどレアな代物、おまけに桁外れに高価ときている」

 材料がなくてはどうしようもない。四人の顔は絶望に包まれ、ギーシュはもう死霊のようになっている。

「ごめんよヴェルダンデ、でも君を死なせはしない、どこまででもいっしょにいこう……みんな、短い間だったけど、楽しかったよ」

 生気を失ったギーシュの独白が、その唇から零れ落ちた。

 だが、そのときモンモランシーが、思い切ったように、驚くべきことを口にした。

「一つだけ、方法があるわ」

「えっ!?」

「ラグドリアン湖にいる、水の精霊に直接かけあって、涙を分けてもらうの。わたしの家系は、代々水の精霊との交渉役をやってきたから、わたしにもその心得があるの」

 それを聞いて、四人の顔に喜色が宿った。

「なんだ、そんな方法があるなら最初から言えばいいのに」

「馬鹿言わないで、そんな簡単に手に入るならわたしだって買ったりしないでとりに行ってるわ。水の精霊はとても気難しいから、ちょっとでも機嫌を損ねたら、もう二度とチャンスはないわ。それに、水の精霊は気難しいだけじゃなくて、恐るべき先住魔法の使い手。うっかり機嫌を損ねて水の底に沈められた先祖が何人いたことか……命がかかってると思いなさい」

 四人は、背筋が寒くなるものを感じた。

 特に才人以外の三人は、先住魔法という言葉に敏感に反応した。人間の系統魔法とは違う、圧倒的な威力を誇る先住の魔法は、ハルケギニアの人間にとって恐怖の代名詞でもある。

「わ、わかった。じゃあ、善は急げだ、さっそく行こう」

「ちょっ、今から!?」

「地中にいるとはいえ、たまに呼吸のために顔を出すからいつ見つかるかもしれないんだ。それにどうせ明日は虚無の曜日で休みだろ」

「わかったわよ。わたしの責任だし、けじめはつけるわ……やれやれ、野宿はお肌によくないのに」

 モンモランシーは、ぶつくさ言うと、それでも旅支度を始めた。ここからラグドリアン湖まではゆうに半日はかかる。

 男達は部屋から出ると、それぞれの準備のために一旦自室へ戻っていき、才人はルイズにそのむねを報告した。

「と、いうわけなんだが、行っていいかなルイズ」

「はぁ、あんたはどこまで厄介ごとを持ってくるのよ。ほんとにお人よしなんだから……あんなのほっとけばいい……とも今回は言えないか。仕方ないわ、すぐに準備するから手伝いなさい」

「えっ、お前も来るのか?」

 意外なルイズの言葉に、才人は思わず声を大きくした。

「勘違いしないで、万一なにかあったら、あんた一人じゃ変身できないでしょ。第一、何かあったらお互いに相手を連れて行くのがあんたとした約束よ。この際だから、旅の間にそのたるんだ根性を叩きなおして、誰が主人で誰が下僕かわからせてやるわ」

 口元を歪めて、愛用の乗馬鞭のほかに予備の鞭を三本もバッグに詰めたのは、馬に乗るときのためではないだろうと、才人は明るくない未来に祈りをささげた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第26話  悪夢を砕く友情の絆

 第26話

 悪夢を砕く友情の絆

 

 夢幻超獣 ドリームギラス 登場!

 

 

 物語の時系列は、ここで才人達がラグドリアン湖へと向けて出立した、その一週間前に遡る。

 大宇宙に、二つの衛星を従えた青く輝く美しい惑星がある。その惑星をめがけて、宇宙のかなたから二つの禍々しい気を放つ影と、それらを追う一つの紅く輝く光が近づいてきていた。

 

 二つの邪悪な影はその後ろから追撃してくる光から逃げようと、すさまじいスピードでこの星系に突入してきた。

 しかしいくら逃げようと、その光はぴったりとくっついてきてまったく振り切ることはできない。それでも二つの影は進路上の邪魔なアステロイドやスペースデブリを砕きながら猛烈な勢いで飛び回り、まるで何かに引き寄せられるように、一直線にその美しく輝く星へと迫っていった。

 そして、二つの影の目は、目の前に現れた惑星の美しさに釘付けになった。その惑星は、地球を宇宙に輝くエメラルドとすれば、サファイアに例えてもいいくらいに、水と空気に恵まれて、暗黒の宇宙のなかで青く煌々と輝いている。きっと、生命も豊富であろう。二つの影はこの星を見るやいなや、その根源に刷り込まれた本性に従い、凶悪なうなり声をあげて、その惑星の特に強烈なエネルギーを発生させている北半球の半島状の地方に進路を向けた。

 

 だが、彼らは本能に従うあまり、自らが追われる立場にあることを忘れていた。

 

 星に降ろしてなるものかと、急追してきた赤い光から、一方の影に向かって光弾が放たれた。

 油断していたその一方は直撃を喰らって半島のほうへと墜落していった。だが、先行して攻撃をかわしたもう一方は、自分を呼ぶ何かが存在するであろう半島の北方に浮かぶ浮遊大陸に進路を向け、赤い光もその後を追っていった。

 

 それは誰も知らない宇宙でのできごとであった。

 

 

 それから六日後。

 まだ才人達が平穏な日々を満喫しているころ、トリステイン魔法学院にまだ昼間だというのに一羽のフクロウが飛んできた。

 それは、学院の上空にやってくると、何かを探しているかのようにしばらく旋回を続けていたが、やがてある一室の窓に向かって真っ直ぐに舞い降りていった。

 その数時間後、学院から二人の生徒が姿を消したころから、この事件はもう一つの顔を見せ始める。

 

 

 やがて、春から夏へ差し掛かる時期の長い太陽も山影へと姿を隠し始める時間が来た。その西日を受けながら、トリステイン国境をガリアに向かう飛竜の上に二人の姿はあった。

「ねえタバサ、もうすぐあなたの実家よね。あなたの実家がガリアにあるって、はじめて知ったわ」

「……」

 それはキュルケとタバサの二人だった。乗っている飛竜はもちろんタバサの使い魔のシルフィードである。

 昼間、タバサの部屋に遊びに行ったキュルケは、彼女が実家に帰るために旅支度をしているのを見て、強引に彼女にひっついてきたのだった。

「ね、なんでトリステインに留学してきたの?」

 しかしタバサは答えなかった。ただじっとひざの上の本に視線を落として見つめ続けている。そしてキュルケはそんなタバサの様子を見て気づいてしまった。彼女が魔法学院を出て以来、開いていた本のページは最初から一枚もめくられてはいない。

 キュルケは、尋ねるのをやめるとシルフィードの上に腰掛けなおして、夕焼けに染まりつつある景色に目をやった。どうもいつもと違う雰囲気を感じてついてきたが、何かただならぬことがこの先の彼女の実家で待っているのかもしれない。ならば無理に聞き出さなくても、時が来ればおのずとわかるだろう。

 性格から趣味趣向全てがコインの表と裏のように違う二人が友達になれたのは、磁石のSとNのように不思議な相性のよさがあるからだけではない。聞かれたくないことを無理に聞いたりしないから、安心しあえるのだ。

「大丈夫よ。なにが起こったって、このあたしがついてるんだから」

 キュルケの、楽天的だが母親のように優しい声が、広い空に短くこだましていた。

 

 そして、初夏の長い太陽も山影に姿を消し、二つの月と無限の星空が天空に瞬くころになって、シルフィードはタバサの実家に到着した。

 そこは、古い立派なつくりの大名邸……さらに、門に刻まれたガリア王家の紋章を見てキュルケは息を呑んだ。しかし、よく見るとその紋章は大きく傷つけられ、王家としての称号を奪われていることが読み取れた。

 屋敷に着くと、たった一人のペルスランと名乗った執事に出迎えられ、二人はホールにまで案内された。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

「……」

 タバサは答えずに、キュルケに「ここで待ってて」と言い残すと屋敷の奥へと去っていった。

 

 キュルケは、タバサが去っていった後の扉をじっと見つめていたが、ペルスランが紅茶と茶菓子を運んでくると、思い切って老執事に尋ねてみた。

「この屋敷、見受けたところ王弟家のものと思いますが、どうして不名誉印などを飾っておかれるのかしら?」

「……あなた様は、シャルロットお嬢様のお友達でいらっしゃいますね。よろしければ、お名前をうかがわせていただいてよろしいでしょうか」

「ゲルマニアのフォン・ツェルプストー。ところで、シャルロットと言われましたけど、それがあの子の本当の名前なのね。ああ、わからないことだらけだわ、タバサったら、何も話してはくれないから」

 キュルケのその言葉を聞いて、老執事は悲しげにうつむくと、やがて静かに語りだした。

「そうですか、お嬢様はタバサと名乗っておいでで……わかりました。お嬢様がこの屋敷にお友達を連れてこられるなど、長年絶えてなかったこと……お嬢様が心許すお方なら話してかまいますまい。ただし、愉快な話ではありませんぞ」

「ええ、わたしも少しは察しがついてるわ。お願いしますわ」

「……では、お話しましょう。オルレアン家の神にも見放された歴史を……この屋敷は牢獄なのです」

 

 

 そのころ、タバサは屋敷の一番奥の部屋を訪れていた。

 この部屋の主がノックに応えなくなって、すでに三年が過ぎている。そのころタバサはわずか十二歳だった。

 扉を開け、中に入ったタバサを、殺風景な部屋が出迎える。この三年間、何十、何百回と繰り返してきた出来事が彼女を襲うとき、その胸の奥に渦巻く冷たい雪風と、煮えたぎるような憎しみを知るものは、これまであの老執事一人しかいなかった。

 

 

「継承争いの犠牲者?」

 ペルスランから、タバサの家の秘密を聞かされ、キュルケは驚きを隠せずにいた。

 タバサが本当はガリアの王族であり、本当の名前はシャルロットということ。彼女の父上のオルレアン公は現ガリア王の弟で、人格・能力ともに次期国王として確実と目されていたが、それゆえに悪意の対象となり謀殺されてしまったこと。残された、力のないタバサの母は娘の身の保障と引き換えに毒を仰いで心を病み、シャルロットもタバサと偽名を名乗り、言われるがままに北花壇騎士として国の汚れ仕事をさせられていると知った。

 考えてみれば、タバサとは随分ふざけた名前だ。遠方から来たという才人は気にしなかったようだが、ハルケギニアでは犬猫につけるような名前、貴族で自分から名乗る者など普通はいない。

「そうだったのね……」

 想像をはるかに超える壮絶なタバサの過去に、キュルケはそれ以上の言葉を失った。

 タバサとは、彼女の母親がシャルロットに買い与えた人形の名だという。それを自らの偽名に使い、憎い敵に手紙一枚で命がけでこき使われる彼女の心境は想像に余りある。

 ここに来る前に、ページをめくらぬ本を見つめ続けていたときも……

 

 重苦しい沈黙がしばらくホールを支配した。

 だがやがて扉が開き、タバサが戻ってくると、ペルスランは一礼して王家からの……差出人はあのイザベラからの手紙を彼女に手渡した。

「明日とりかかる」

 タバサは一読すると、読み始める前と変わらぬ態度で短く言った。

「了解いたしました。使者にはそう取り次ぎます。ですが今回の任務の場所ですが、一週間ほど前に星が落ちたとかで、最近は近辺の住民にも不吉な噂が流れたりしております。くれぐれもお気をつけください。ご武運があらんことをお祈りいたしております」

 ペルスランはそう言い残すと、一礼して静かにホールを立ち去っていった。

 タバサはキュルケに向き直ると、口を開こうとしたが、それより一瞬早くキュルケの言葉が彼女の口を塞いだ。

「これ以上は来るなって、そう言いたいんでしょ? でもね、悪いけどさっさの人に全部聞いちゃったの。だから、わたしも着いていく。いやとは言わせないわよ」

「危険!」

 少しだけ動揺を見せて制止しようとしたタバサだったが、肩を優しく抱いてキュルケは言った。

「だったらなおさらよ。わたしを、あなたを一人で行かせて黙ってられるような、そんな女だと思ってるわけ」

 タバサは何も答えない。ただじっと下を向いてうつむいていた。

 

 

 その夜、二人は同じベッドでいっしょに寝た。

 タバサは気を張り詰めて疲れたのか、すぐに寝息を立て始めた。けれどもキュルケは、そんな彼女のあまりにもあどけなく、もろく儚げな寝顔を見ていると、中々さっき聞かされた話が頭をよぎって眠れなかった。

「安請け合いしちゃったけど、こりゃ大事ね」

 ぽつりと、独り言をキュルケはつぶやいた。ガリア王家がタバサを体よく始末しようとして送りつけてくる依頼。もしかしたら死ぬかもしれないが、それでキュルケの決意が変わるわけはなかった。 

 そんなことより、彼女にはこの小さな友達のほうがなにより大事だった。仮にこの任務を無事に終えることができたとしても、それで終わることは無く、王家は次々に困難な依頼を送りつけてくるだろう。それから、果たして自分はタバサを守ることができるだろうか……

「母さま……」

 タバサが寝言をつぶやいた。キュルケはぴくりと反応し、彼女の顔を覗き込んだ。

「母さま、それを食べちゃだめ。母さま」

 寝言で、何度も何度もタバサは母を呼んでいた。額にはじっとりと汗がにじみ、息はぜん息の患者のように荒れている。

 

 

 

"父さま、母さま……"

 夢の中で、タバサは十二歳のころに戻っていた。

 優しかった父、美しかった母、輝くような幼い日の思い出が走馬灯のように通り過ぎていく。

 しかし、ある日突然父の訃報が届いたときから、光は漆黒に塗りつぶされていく。

 

"父さま、なぜ父さまが死なねばならなかったの? 父さまがどんな悪いことをしたっていうの?"

 

 父の死から程無くして呼ばれた宮中で、自分と母を待っていたのは父を追い落とし、玉座を奪った父の兄と名乗る男の冷たい視線だった。

 

"この男、この男が父を殺した!"

 

 タバサの心に、その男の顔が浮かぶたびに、抑えきれぬ憎悪がその胸を焼く。

 その当時、幼かったタバサにはそれはわからなかったが、彼女の母は今のタバサと同じ気持ちだったろう。

「この子は勘当いたしました。わたくしと夫で、満足してくださいまし」

 毒の料理を前にして母が言い放った言葉に、その男は口元を歪めてうなづいた。

 

"母さま、それを食べちゃだめ。母さま"

 

 夢の中で、タバサは何度も母に訴えたが、その声は過去に届くことはなかった。

 

 そして、その日から彼女は母を失った。

 それからの人生は、茨の道を素足で歩くのと等しいものであった。

 屋敷に残されたのは心を失った母と、たった一人だけ残留を許された老執事のみ。

 与えられたのは、シュバリエの称号とガリア北花壇騎士という年端もいかない少女にはふさわしくない身分。

 

「仇を討とうなどとは考えてはなりませんよ」

 母は最期にそう言い残した。

 しかし、一度にすべてを失った幼子が自己を保つには、憎しみにすがるより他に術はなかった。

 

"あなたをこのようにした者どもの首を、必ずここに並べに戻ってきます"

 

 病床の母の前で、幾百と繰り返してきたその言葉。

 

 あるときは高山に巣食う巨大竜退治。

 

 またあるときはリュティスの闇世界に潜む悪徳賭博組織の壊滅。

 

 任務の難易度は回を越すごとに増していった。

 

"寒い、熱い、痛い、苦しい"

 

 頼れるものも、すがれるものもなく、ずっと一人だった。

 

 そんな月日が始まって、いつの間にか二年が経ち、子供から少女へと成長した彼女はトリステイン魔法学院への留学を命じられる。

 それが、二年もが経ってもなお、いかな困難な任務にも生還し、ますます実力に磨きをかけてきた彼女を体よく遠く、なおかつ目の届く場所に置いておこうという魂胆によるものだということは明らかだった。

 

 学院に入学してからも、最初からタバサは他人と関わる気はまったくなかった。

 いつ死ぬかわからない世界で生きている自分には、もはや友など必要ないし、関係ない人間を危険に巻き込むことはできない。そうして、タバサは他人との一切の交流を絶って、無言のまま学院を生きてきた……はずだった。

 

 あるとき、タバサはプライドだけは高くて、ほかの一切がともなわない貴族の悪い見本のような生徒達に因縁をつけられ、同じくそれらの生徒達とトラブルを起こしていたある生徒と、つまらぬたくらみのために決闘をすることになった。

 結果は、引き分け。

 そして、誤解が解けたあと、その相手といっしょに首謀者の生徒達を散々痛めつけてつるし上げたときは、何年ぶりかの愉快さを感じたものだ。

「本くらいなによ、あたしが本の代わりに友達になってあげるわよ」

 そのとき言われた言葉は、今でも強く心に残っている。

 それが、タバサが沈黙のままに友情を認めた最初の相手、キュルケとの出会いであった。

 

 それからの一年は、学院はタバサにとって悪い場所ではなくなった。

 命がけの任務は相変わらずだったが、かたときの平穏に勝手にずかずかと入ってきて、飽きずに大きな声で周りを騒がすかけがえのない存在がいるようになった。

 

 そして、二年生に昇級してからは、また驚きの連続であった。

 

 使い魔として学院の授業で呼び出した韻竜のシルフィードはキュルケに負けず劣らずよくしゃべり、さらに時には命をかけて自分を助けてくれる二人目の友になった。

 

 ゼロのルイズ……一年のころは気にも止めていなかったが、様々な事件を通じて共に行動するようになって、その勇気と、誇り高さはまぶしいくらいだ。

 本当にシャルロットは明るい子だな……幼いころ父によく言われていたことが、彼女を見ていたら思い出す。

 

 さらに、その使い魔のサイト……人間が使い魔として召喚されるとはどういうことだと思いもしたが、それほど気にしていなかったおかしな服装をした平民の少年。

 しかし、普段はとぼけていながら、いざというときの勇気と、優しさは太陽のようだ。

 

 いつの間にか、タバサの心には大勢の人が住むようになっていた。

 

 

 だが、それでもタバサの心には決して拭い去ることのできない暗い闇が根付いていた。

 

 今もまた、死ねとばかりの任務を送りつけてきた男の顔が浮かぶ。

 

"憎い"

 

 そいつと結託し、寄生虫のように権力と富を欲しいままにしている連中の顔が浮かぶ。

 

"いつまでもそうしていられると思わないで"

 

 これまで退治してきた怪物達、始末してきた悪党や王家の敵達の憎しみに満ちた声が蘇ってくる。

 

 そのとき、タバサの心に憎んでもあまりあるあの男の声が響いた。

 

「お前は死ぬまで、おれの飼い犬さ」

 

 カッと、タバサの心に怒りと憎悪がひらめいた。

 しかし、その声は夢の中で黒い手となってタバサの心の中のわずかな光を握りつぶそうとしてくる。まるで、お前にはそんなものは必要ないさといわんばかりに。

 父と母との思い出の光景が、任務の中で出会った人々とのわずかな心の交流の思い出が、次々と塗りつぶされて消えていく。

 

"やめて! やめて!"

 

 タバサは叫ぶが、体は凍り付いてしまったかのように動かない。

 さらに、闇の手に、これまで倒してきた敵の姿が加わり、嬉々とした歪んだ笑みを浮かべて、タバサの部屋、母からもらったドレスを引き裂き、仲のよかった使用人達を追い回して食らってゆく。

 

"やめてやめてやめて!!"

 

 必死の叫びも、その者達に邪悪な喜びを与えるばかり。

 そして夢のビジョンは現代、トリステイン魔法学院の風景に移り、闇は一つに凝縮していき、一個の巨大な怪物の姿、夢魔となって具現化した。

 それは、真っ赤な全身に崩れたタツノオトシゴのようないびつな頭を乗せた超獣!

 タバサ自身の心の闇が生み出した悪夢の化身、夢幻超獣ドリームギラスが現れたのだ。

 

 ドリームギラスはその巨大な体で魔法学院を破壊しはじめた。

 強固な外壁も超獣の力にはかなわず、砂の城のようにもろく崩されていく。

"やめて! やめなさい!"

 生徒や教師達が逃げ出していくが、ドリームギラスは口から強烈な水圧の水を吐き出して逃げ惑う人々を打ち据え、地面に叩きつけていく。

 調子に乗ったドリームギラスは、そのまま勢いに任せて、タバサの住んでいる寮、キュルケ達とともに学んだ教室、安住の場所の図書室を次々に破壊していく。

"やめて、壊さないで!"

 学院が一撃崩されるごとにタバサの心は強く痛んだ。

 そのとき、学院からシルフィードやキュルケ、ルイズやサイト、彼らが飛び出してきて勇敢にドリームギラスに挑んでいった。

"やめて! 逃げて!"

 必死に彼らに叫ぶが、タバサの喉は石になってしまったかのように音を発しない。

 剣が、魔法が巨大な敵に挑んでいく。だが、悪夢はあくまで残酷だった。

 ドリームギラスが口から高圧水流を吐くと、彼らはまるで紙細工のようにもろくつぶされていった。

"あ……ああ……これ以上、わたしから何を奪おうというの……"

 仲間も、友も失い、絶望の声がただ流れた。

 しかし、ドリームギラスはタバサの心を嬉々として破壊し続けていく。

 そして、奴はついにタバサのもっとも触れられたくないものを破壊しにかかってきた。

 

 夢のビジョンは再び変わり、風景は見慣れた自分の屋敷になった。

 ドリームギラスは門のところから、ゆっくりとこれ見よがしに庭の木々を踏み潰しながら屋敷のほうへと進んでいく。

"まさか! それだけは、それだけはやめて!"

 奴が何をしようとしているのか、それに気づいたタバサは血を吐くような絶叫をあげた。

 あそこには、病床の逃げることすらかなわない母がいる。

"母さま! お願い逃げて! 逃げて、逃げて逃げて!"

 のども裂けんばかりに叫ぶタバサの声は、まるでガラスケースに閉じ込められてしまったかのように、誰にも届かない。

 それに手も足も動かない。

 魔法も使えない。

 誰も助けに来てはくれない。

 

 モウワタシニハナニモノコッテイナイ……

 

"母さま……あなたを失ったら、わたしは本当にからっぽになってしまう……"

 

 タバサの手が、悪夢の空をむなしくきった。

 

 

 かに思えたそのとき……

 空を掴んだかに見えたその手を、誰かがしっかと握り締めた。

 

"!?"

 

 一瞬、幻覚かと思ったが、それは確かにタバサの冷たく冷え切った手を握り、暖かさが伝わってくる。

 そして、彼女の心に忘れることのできない、熱く、それでいて優しさのこもった声が響いてきた。

 

「大丈夫、あなたは決して冷たくなんてない。この微熱が、全部あっためて溶かしてあげる。それに、あなたには強い味方が大勢いる。困ったときは、必ず誰かが助けに来てくれるから」

 

 冷たい世界が、次第にぬくもりへと変わっていく。

 闇に日差しが、光が差し込んでくる。

 

 その光景に、悪夢の化身は驚き、慌てていく。

 だがドリームギラスはタバサの心のもっとも弱い部分を切り崩すことで、一気に再びその心を闇に閉ざそうと、タバサの母の眠る屋敷に向かってその腕を振り上げた。

 

"母さま、逃げて!"

 

 タバサが叫ぶ。もう止められない、間に合わない。

 希望はこのまま絶望に変わってしまうのか。

 

 

「大丈夫、お姫様がピンチのときは、ヒーローが必ず来てくれるから」

 

 

 ドリームギラスの手が今まさに屋敷にかかろうとしたその瞬間。

 突如、その眼前にまばゆい光が走り、ドリームギラスを吹き飛ばした!

 

 あの光は!! タバサはその力強い光が何であるのか知っていた。

 やがて光は集い、ひとつの姿を形作っていく。

 そう、闇を照らせる唯一のものは光、その光の化身こそが、強く輝く銀色の巨人!!

 今こそ輝け、ウルトラの光!!

 心で叫べ、正義の使者のその名を!!

 

"ウルトラマンエース!!"

 

 人の心を自ら生み出した闇が染めるなら、それを祓うのもまた人の生み出した心の光。

 屋敷を守るように立ちはだかり、光の戦士が光臨の雄叫びをあげる!!

 

 

「ショワッチ!!」

 

 

 今、タバサの心の光に答え、悪夢を砕くべく夢の世界にウルトラマンAが光臨した!!

 

「ショワッ!!」

 エースはドリームギラスへと真正面から立ち向かっていく。

 気合一閃!! 必殺チョップが腹を打ち、メガトンキックが巨体を揺さぶる。

「デヤァッ!!」

 首根っこを掴んで力の限り投げ飛ばし、悪魔の巨体が宙を舞い、大地に激しく叩きつけられる。 

 しかし、ドリームギラスは起き上がると、口から真っ赤な水をエースに吐きつけてきた。

 

"危ない!"

 

 だが心配は無用、そんなちょこざいな手など効きはしない。

 エースは体の前で両腕を回転させ、光の壁を出現させた!

『サークルバリア!!』

 赤い水は全てバリアにはじかれてボタボタとこぼれていく。

 水が尽きて悔しがるドリームギラス。

 それで終わりか! ならばこっちの番だ!

 エースは天空めがけて大ジャンプ、天の光を背に浴びて、流星のごとくドリームギラスめがけて急降下キック!

「トォーッ!!」

 顔面直撃、ドリームギラスはひとたまりもなく吹っ飛ばされる。

 

"やった!"

 

 思わず歓声をあげるタバサ、それに答えてエースは額のビームランプに両手を揃える。

『パンチレーザー!!』

 青色破壊光線が超獣の額に命中、いびつに歪んだ顔面をさらに黒こげに染めていく。

 けれど、こんなもので終わりはしない。

 エースはドリームギラスに向けて猛然と突進していく。

 

"がんばれ! エース!"

 

 いつの間にか、タバサは幼子のように声を張り上げてエースを応援していた。

 そのとき、タバサの肩を誰かの手がぽんと叩いた。

「言ったでしょ、ピンチのときには必ず誰かが助けてくれるって。正義の味方はどんなところにだって来てくれるのよ」

 振り返ると、そこにはいつものように元気いっぱいな笑顔を浮かべているキュルケがいた。

 それだけではない。

「もー、お姉さまはシルフィがついてないとほんとダメなのね。だからぜーったい離れないのね。きゅい!」

 翼を元気よく羽ばたかせたシルフィードが頬をすり寄せてくる。

「あんたにはいろいろ借りがあるんだから、簡単に死んでもらっちゃ困るのよ。べっべつに心配してるわけじゃないんだからね!」

 顔を膨れさせたルイズが。 

「おいおい、何度も助けられてその言い草はないだろ。やれやれ、ところでさ、こないだ乗せてくれたシルフィードの背中さ、すっげえ気持ちよかったから、また乗せてくれよな」

 大剣を背負ってるくせに、間の抜けた顔をしたサイトの姿が。

 見渡せば、ほかにも偉そうな態度でギムリやレイナールに指示しているギーシュ。

 ロングビルに蹴りを入れられているオスマンを呆れ顔で見ているコルベール。

 ほかにもシエスタやペルスラン、任務の先で知り合った人々、ミラクル星人やアイの姿もある。

 いつの間にか、タバサの周りは大勢の人々で埋め尽くされていた。

 短い間に、知らないうちに、いや、気づこうとしなかったのに、タバサの心には数え切れないほどの人が住み着いていた。

 

"キュルケ……あなたの言ったとおりね"

 

 もう、何も怖くはない。

 何人であろうと、この記憶を奪い去ることはできない。

 

 さあ、消え去れ悪夢よ!!

 

 夢の世界を包む光によって、もはや死に体のドリームギラスに、エースは一度大きく体を左にそらせ、投げつけるようにとどめの一撃を放った!!

 

『メタリウム光線!!』

 

 光の鉄槌が邪悪な超獣を叩きのめす。

 ドリームギラスは断末魔の叫びを短く残すと、大爆発を起こして塵一つ残さず消し飛んだ!!

 

"やったあ!"

 

 闇を、悪夢を粉砕し。光が、平和が訪れた。

 

「よーし、お姫様を胴上げよ!」

 キュルケの宣言に、全員が「おーっ!!」と答えてタバサを取り囲んだ。

 

"えっ? ちょ、ちょっと"

 

 だが、大勢の人々によってあっというまにタバサの小さい体は持ち上げられて、みんなの頭上へと放り投げられた。

 

 ばんざーい! ばんざーい!

 

 なにがなんだかわからないけど、タバサが一回宙を舞うごとに、みんなの笑顔が眼に飛び込んできて、悪い気分ではなかった。

 小さなころ、母に読んで聞かせてもらった『イーヴァルディの勇者』の物語では、竜にさらわれた少女を助けに、勇者イーヴァルディが駆けつけてきてくれる。子供向けのおとぎ話、そんなことはありはしないと思っていたが、イーヴァルディはいつもすぐそばにいてくれているのかもしれない。

 そのうち、人々の中に、笑顔を浮かべる生前の父と、在りし日の母の姿を見つけて、タバサはこれが夢なんだなあと悟った。

 けれど、こんないい夢はずっと見たことがない。

 現実には決してありえないけど、夢を見るのに制限もルールもありはしない。

 せめて今くらいは……

 何度目かの万歳のあと、母の胸のような心地よさに包まれて、タバサは優しい眠りのうちへと抱かれていった。

 

 

 

「……落ち着いたみたいね。まったく寝顔は妖精みたいに可愛いんだから」

 月明かりの差し込むベッドの上で、タバサの小さな体を優しく抱きしめながら、キュルケは小さくつぶやいた。

 あのときから、うなされているタバサを見かねて、冷えた彼女の体を自分の体温で温め、おびえるタバサの耳元で、子守唄のように彼女を励まし続けていたのだった。

「ゆっくりおやすみシャルロット。今夜はずっと、あたしがそばについててあげるわ」

 まるで母と娘のように暖めあう二人を、双子の月と星達だけが見ていた。

 

 

 翌日。

 屋敷の門の外で、透き通るような青空に小さな声と明るい声の二つが響き渡った。

「……じゃあ、行ってくる」

「うーん! いい天気ね。こりゃ、吉兆ってやつじゃない」

 背伸びをしながらキュルケが陽気に言った。

 門の外にはシルフィードが待っている。これから死地に赴くというのに、天気晴朗、風は穏やか、まるでピクニックにでも出かけるようだ。

「んじゃあま、さっさと済ませちゃいますか。なーに、このあたしがついてるんだから、どんな難問でもちょちょいのちょいよ!」

「うん、頼りにしてる」

「え?」

 思いもよらぬタバサの返事に、キュルケは一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 だが、タバサはいつもどおりの無表情、さっきの台詞などどこふく風。さっさとシルフィードに乗り込んでしまった。

「早く乗って」

 しかし、そのときキュルケは気づいた。いつもなら、「乗って」とは言っても非常時以外は「早く」とはつけない。それは、一年間ずっといっしょにいたキュルケでしか気づけなかったほどの小さな変化だったが、タバサの心境がいつもとはよい意味で違う方向に向いていることを示すものだった。

「ははっ、どうしたのタバサ、今日はなんか機嫌いいみたいじゃない」

 するとタバサは、キュルケに背を向けたまま、ぽつりと。

「ちょっと、いい夢みたから……」

 と、答えて、それを聞いたキュルケは爆笑した。

「あっはっはっはっ、それはよかったわね。それで、ね、ね、どんな夢だったの?」

「秘密」

「ふーん、まあいいわ。でも、そんなに印象強い夢ならひょっとして正夢になるかもよ」

「……」

「あはは、冗談冗談。さっ、そろそろ行きましょうか。任務は『ラグドリアン湖北西にて、原因不明の森林の立ち枯れと急激な砂漠化が始まっている。早急にその原因を究明し、原因を排除せよ』だっけ? どうせどっかのアホ貴族が失敗作の魔法薬でも不法投棄でもしたんでしょ。そんなのあたしの炎で焼き尽くせば即解決よ。今回はつよーい味方がいるんだから、どんと安心しなさいって、ね」

 

 日差しの強い夏空へ向けて、二人を乗せたシルフィードは飛び立った。

 昨日のあの夢は、きっとただの夢だったのだろう。しかし、夢の世界までは誰であろうと自分から奪うことはできない。あの夢は一夜の幻で終わったけれども、夢が思い出させてくれた希望は消えない。

 ゆこう! 今日の自分は昨日の自分にはないものを持っている。

 だが、その先に待つものの恐ろしさを、まだ彼女達は知らない。

 それでも、このパートナーがいればどんな困難でも乗り越えられる。そう思わせる何かを、タバサは手にしつつあった。 

 

 続く



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第27話  悪魔の忘れ形見

 第27話

 悪魔の忘れ形見

 

 怪獣兵器 スコーピス

 宇宙海獣 レイキュバス 登場!

 

 

「これがラグドリアン湖か、広いなー」

 あの惚れ薬のどさくさから一晩が過ぎ、夜通し馬を駆けさせたルイズ、才人、ギーシュ、モンモランシー、ギムリ、レイナールの一行は、目的地のラグドリアン湖の東岸にまでやってきていた。

 時刻は地球時間で言えばおよそ午前十時過ぎくらい。一旦街に寄って食料を買い込み、馬に揺られながら朝食をとりつつ来たために、けっこう遅くなってしまった。

 陽光を浴びて、湖畔はダイヤの破片をばらまいたように輝き、馬に揺られ続けた疲れもいっぺんに吹き飛ぶようだった。が、一行が景色に見とれる中で、唯一余裕のないギーシュがせわしげに言ってきた。

「のんきなことを言ってないで、ここに水の精霊がいるんだろ」

 いつもだったら旅行気分で幼子のようにはしゃぐのだろうが、さすがに今回ばかりは別のようだ。

 ただ、それも裏を返せばギーシュの使い魔に対する愛情が本物だということにもなるので、焦るなと忠告はしても、誰もいらだつようなことはなかった。

 だが、湖に着いたというのに、モンモランシーは景色を見るばかりで、水の精霊を呼ぶ儀式とやらを始める気配はいっこうになく、やがて独り言のようにつぶやいた。

「……やっぱり、ちょっと湖の様子がおかしいわね」

「おかしいって?」

 モンモランシーの言葉に才人やギーシュなど、ここに来るのが初めての者は不思議な顔をした。

「今あなたが言ったとおりの意味、広い、広すぎるのよ。数年前来たときは、湖岸はもっと先だったはず。見て、あそこの水面から出てる尖塔、きっと教会の屋根よ。ここら一帯水没したってことね」

 よく見てみれば、湖の底に家の影らしきものが見え隠れしている。才人は温暖化による水面上昇がここにも、とか思ったが、当然ハルケギニアにそんなものはない。冗談である。

 彼女は水の様子を探ってみると言って、湖水に手をつけて瞑想しはじめたが、意味のわからない才人はルイズに説明を求めた。

「なあ、あれ何してるんだ?」

「水の精霊の意識を感じ取ってるのよ。メイジは自分の持つ系統の物質に対して敏感になれるのよ。彼女は『水』系統の使い手だからね」

「はーん」

 モンモランシーはしばらくしてから立ち上がり、首をかしげた。

「どうやら、水の精霊は怒ってるみたいね」

「怒ってる? なんで」

「そこまではわからないわ。でも、交渉は難しくなりそうね……」

 皆の顔が一斉に暗くなった。

 それでも、水の精霊の涙がどうしても必要なことには変わりない。ギーシュが学院に居られるかどうかの瀬戸際の上に、やり直しの効かないワンチャンス、いやがうえでもためらいがくる。

「どうする、あきらめるか?」

「……いや! ぼくのヴェルダンデの命がかかってるんだ、主人であるぼくがしっかりしなくてどうする! モンモランシー、頼む! 水の精霊を呼んでくれ」

 覚悟を確かめるつもりでギーシュに鎌をかけてみた才人は、こいつにもこんな面があるんだなあと、正直感心していた。

 また、モンモランシーもそんなギーシュの一面に唖然としていたものの、惚れた男のピンチなら女が助けなくてどうすると覚悟を決め、とにかく水の精霊を呼び出すことにした。

 その方法は、彼女の使い魔のカエルのロビンを使い、湖底の奥底に眠っている水の精霊に、まずは来訪者のことを報告することから始まる。

「いいことロビン、あなた達の古い親友と連絡がとりたいの、盟約の一人がやってきたと伝えてちょうだい」

 彼女は、自分の血を盟約の印として一滴ロビンに垂らすと、湖の中へと放った。

「これで……向こうが覚えていれば来てくれるはずよ……あれ? ルイズ、あんたなに青ざめた顔してんのよ」

 まるで幽霊でも見たかのように真っ青な顔をしているルイズに、モンモランシーは具合でも悪いのかと、額に手を当てようとした。すると、ルイズはびくっと飛び上がって、瞬時に二十歩分ほど後退して震えだしてしまった。

「カ、カカ、カエル触った手を、ちちち、近づけないでちょうだい!」

「はぁ? ……ん、もしかしてルイズあなた、カエルが怖いの?」

「そそそ、そんなこと、ななな、ないこともないけど……いいじゃない! 誰だって苦手なものの一つや二つあるでしょう!!」

 今度は顔を真っ赤にして怒鳴るルイズに、全員の爆笑がラグドリアンの湖畔に響き渡った。

 人は見かけによらないというか、バルタン星人にスペシウム、キングジョーにライトンR30、ベムスターにエネルギー爆弾、サーペント星人に塩、そしてルイズにカエル。意外なところに弱点があるものだ。

「あんたたち笑いすぎよ!!」

 キレたルイズの渾身の大爆発が、一行ごと湖畔と森を揺さぶった。

 

 

 一方そのころ、西岸ではキュルケとタバサを乗せたシルフィードが、任務の目的地であるラグドリアン湖の北西へ向けて風のように飛んでいた。

 旧オルレアン公領から北東へ、トリステイン国境と接するラグドリアン湖の西岸を、命令に記された場所に向かってシルフィードは飛んだ。鳥を追い越し、水面にはねる魚を見下ろし、その穏やかな旅路は自然と眠気を誘うものでもあった。この平和な光景の先に、王軍でも解決できない難題が待ち構えているとは信じがたいものがある。

 あくびをかみ殺しながら、キュルケはこんなときでもしゃがんで本を読みふけっているタバサに、今回の任務の内容を確認してみた。

「ふわ……ねえタバサ、今回の任務ってやつなんだけどさ、もう一度聞いておいていい?」

「……『ラグドリアン湖北西にて、原因不明の森林の立ち枯れと急激な砂漠化が始まっている。その原因を究明し、原因を排除せよ』もうすぐ着くはず」

 振り返りもせずに、事務的にタバサは答えた。

「砂漠化っていったって、気候はこのとおり穏やか、森林も青々と生命力に溢れて平和そのものじゃない。そのイザベラって姫さん、寝ぼけてるんじゃないの? この先だってほら…………うっそ!?」

 シルフィードの進む先を見て、キュルケは思わず息を呑んだ。

 

 ラグドリアン湖の西岸に渡って延々と続いていた森林地帯や、青々とした作物を生らせていた畑が、ある一線を境にまるでまったく違う風景画を切り取ってつなげたように、黄色い砂ばかりの砂漠に変わっているではないか。

 

 これは……と、イザベラの書簡が正しかったことをキュルケも納得せずにはいられなかった。

 砂漠は現在半径三リーグほどに渡って落ち着いているが、こんなものがあったのでは付近に住む猟師も農民も漁民もとても落ち着いて仕事などできないだろう。しかも書簡に追加されていた情報によれば、この砂漠は一週間前に突然現れており、それからほんの一日で半径二リーグにまで拡大し日を追うごとに広がっているという。

 これにより近辺の農業は大打撃を受けて、国境際という地理的条件もあり、早急な解決が望まれるということだった。

 しかもそれだけではない。最初に調査に赴いた学者やメイジの調査団が、流砂にでも飲まれたのか、いくつも行方不明となっているという。これは確かにタバサに回ってきそうな仕事だった。

「こいつは……確かに砂漠だわね。タバサ、ここに来るまで半信半疑だったけど、あなた一人でこれをどうにかできると思う?」

「……やれ、と言われれば内容を問わずにやり遂げるのが、わたしの使命……」

 タバサは、以前火竜山脈で怪獣を倒したせいで、それなら今度は砂漠くらいどうにかできるだろうと思ったなと、イザベラの心の中を読んだ。シルフィードも同じことを感じ取っているらしく、きゅい、きゅいと不愉快そうに鳴いている。

 ただし、馬鹿姫の目論見はどうあれ、今回の任務は一筋縄ではいかない仕事だ。

 砂漠化を防ぐなら水を撒くのが一番手っ取り早いだろうが、下手に大掛かりな魔法を使って周囲の畑や人家を破壊してはまずい。言うなら簡単だが、かつてトリステイン城の火災を消し止める際にタバサとアンリエッタが使った疑似トライアングルスペルでも、その威力は城を覆いつくすまでで、効力は一時的なものだった。

 それに砂漠には保水力がほとんどないし、本気で半径三リーグの広さを潤そうとするならスクウェアクラスが何百人もいるだろう、現実的に考えて不可能だ。

「で、どうしようか? このままぐるぐる回っててもらちが開かないわよ」

「とりあえず、下りて調べてみる」

「まあ、妥当な線だわね」

 とにかく、最初にやることはそれしかないだろう。調査隊が消息を絶ったのは砂漠の中だったというし、もしかしたらここを砂漠にしたなにかが潜んでいるのかもしれない。調べ事は得意ではないが、ぜいたくは言っていられない。こういう時土系統のメイジがいてくれたならと一瞬思ってみたが、土系統の使い手の知り合いの間抜け面が浮かんでそれを取り消した。

 しかし、着陸しようと高度を落としたシルフィードの目の前で砂漠が地響きを立てて揺れ動き始めた。

「タバサ!!」

「上昇、急いで!」

 きゅいと一声鳴いてシルフィードは翼を大きく羽ばたかせて急上昇に入った。

 そのわずか一瞬後、彼女達が着陸しようとしていた砂漠の砂丘が、まるで風船が割れるかのように内側からはじけとび、砂煙の中に巨大な影がせりあがってきた。

 

「あれは!? 怪獣!!」

 

 それは全身土色をした、とてつもない大きさの甲虫だった。

 しかもただでかいだけの虫ではない。つりあがった目は赤く爛々と光り、口には鋭い牙が無数に生えている。さらに、背中からはサソリのような長く、先端に巨大なとげのついた尾が生えているではないか。

「こりゃ、どう見ても菜食主義者には見えないわね」

「調査隊をやったのも、多分こいつ……」

「ええ、ペルスランの言っていた。一週間前に降ってきた星っていうのは奴のことね……見て、体の半分と羽根が焼け焦げてる」

 その怪獣は、体の左半分にひどいダメージを受けていた。本来は飛べるのだろうが、これではまともに動くこともかなわないだろう。

 だが、動けないまでも、その怪獣は自分の周りを飛び回るシルフィードを認めるや、凶悪な顎を開いて、口から赤黒く光る毒々しい光線を撃ち出して来た!!

「危ない!」

 間一髪、ぎりぎりのところでこれをかわしたが、外れた光線はそのまま飛んでその先の森に着弾し、するとどうだ、青々と茂っていた森が瞬く間に枯れて砂に変わっていく!

「あいつが、森を砂漠にした犯人ね。こりゃ、今は動けなくても、ほっておいたらそのうちトリステイン、いえハルケギニア中が砂漠に変えられちゃうわよ!」

 その光線の信じられないような凶悪さを見てキュルケは思わず叫んだ。

 これまでベロクロンをはじめとして、数々の怪獣、超獣、凶悪宇宙人を見てきたが、こいつはそいつらとは根本から違う。内に秘めた邪悪さは超獣の持っていた『侵略』という概念すら外れた、ただ破壊と荒廃のみをもたらす悪魔の使いのようにすら感じられる。

「さて、どうしようかタバサ……やる?」

「……攻撃する」

「あ、やっぱりそういうことになるわけね」

 なんのことはなしに言ってのけたタバサに、キュルケはやっぱりといった表情を見せたが、止めはしなかった。

 どのみちこのままぼんやりと眺めていただけでは事態は変わらないし、タバサの立場上「だめでした」とは絶対に言えない。第一止めたところでタバサが聞き入れるとは思えない。

「でも、あの光線を浴びたらひとたまりもないわよ、いくらあなたの風竜でも大丈夫?」

「なんとかする」

 タバサにしては抽象的な答えだった。けれど、それもやむを得ない場合があろう。風竜は確かにハルケギニアで最速を誇る生き物だが、かつてトリステインの竜騎士隊がベロクロンの前に全滅したように当たるときは当たる。かといって、それが彼女の意思を揺らすものではないが。

 キュルケは杖を取り出すと楽しそうに笑った。

「じゃ……久々に二人でやろうか」

「……うん」

 タバサは自分も杖を構えシルフィードを降下させていった。

 

『フレイム・ボール!!』

『ジャベリン!!』

 

 戦いが、始まった!

 

 

 また、時を同じくして、同じ湖の一角で大変なことが起きていると知るよしも無く、ルイズ達はようやく水の精霊を呼び出すことに成功していた。

 それは、水が意思を持っているかのように湖面から盛り上がって、スライムのように不定形に変形し、モンモランシーが呼びかけると、彼女の姿を模した氷の彫刻のような姿に変わって落ちついた。

「これが水の精霊……液状生命体ってやつか」

 才人は水の精霊の姿を見て、そう判断した。

 全身を液体で構成した生命体は、液体大怪獣コスモリキッドやアメーバ怪獣アメーザのように地球でもいくつか例がある。言えば怒らせるだろうから、才人はそこのところは伏せておいたが、この水の精霊というやつは、それとは対照的に陽光を透明な体に輝かせて、美しくきらめいていた。

「水の精霊よ、お願いがあるの、あなたの体の一部を、ほんの少しだけわけてもらいたいの」

 だが、やはり水の精霊の答えは冷たかった。

「断る、単なる者よ」

 やはり、とモンモランシー達は肩を落とした。

 だが、水の精霊が湖面に戻ろうとしたとき、ギーシュが意を決したように水辺にまで出て、湖水に頭を浸るくらいまで下げて頼み込んだ。

「待ってくれ水の精霊! ぼくの友達が助かるためにはどうしてもあなたの一部が必要なんだ。そのためなら、ぼくはどんなことだってする。だから、お願いだ!」

 精霊は、しばらく湖面にとどまったままじっとギーシュの姿を見守っていたが、やがて再び元の姿に戻ると言った。

「わかった。単なる者よ、お前の体内を流れる液体の流れは嘘を言っていない。我は湖の水を通してそれを知った。願いを聞いてやろう」

「本当か! ありがとう!」

「ただし、お前はどんなことでもすると言ったな。ならばひとつ条件がある。我は今、いくつかの悩みを抱えている。そのひとつを解決してもらおう。ここより北の湖岸の地底に、最近不法な侵入者が居座って大地を荒らし、それが湖にも影響を及ぼしている。そいつを退治してくるがいい。されば、我は我の一部を礼に進呈することを約束する」

 それを聞いて、ギーシュは喜んだが、才人はその侵入者とは何者かと精霊に聞いてみた。

「我を悩ますのものは、太陽が七回巡る前に空のかなたよりここに降りてきて、森を枯らし、生き物を殺し、大地を死なせる、巨大な悪意の塊のような怪物だ」

「て、ことは宇宙怪獣か……?」

「なんでもいい! とにかくそいつを倒せばいいんだな。だったらやってやろうじゃないか!」

 こうして、一行は水の精霊の涙を手に入れるための交換条件として、謎の敵を倒すことになった。

 が、そのとき水の精霊の体がぶるりと震え、一行は何事かと身構えた。

「どうやら、北西岸でそやつと何者かが戦い始めたようだ……」

「ええっ、もしかしてガリア軍か!?」

「違う……湖面に映った様子をここに映し出そう。見るがいい」

 水の精霊が手を一振りすると、湖面が揺らめき、そこにまるでテレビ画面のようにはるか北西の岸での戦いの様子が映し出され、暴れまわる巨大な怪獣と、それと戦っている者達を見て皆は仰天した。

「あれは……まさかシルフィード!? てことは乗ってるのは」

「あの赤い髪はキュルケだろ!」

「タバサもいるぞ、なんであの二人が怪獣と!?」

 才人、レイナール、ギムリはそれぞれ見慣れたシルエットを見て、なんで!? と仰天した。けれど、二人が炎と氷の魔法を駆使して必死に戦っているのを見て、ただ偶然居合わせたわけではないということだけは悟った。

「まずいわね。あの怪獣相当な強さよ、このままじゃ遠からずやられちゃうわ」

 モンモランシーの言うとおり、シルフィードは高速で飛んで怪獣の吐き出してくる光線や光弾を避け続けているものの、怪獣のほうも半身に傷を負っているにもかかわらずにほとんど二人からはダメージを受けていない。

 するとそのときギーシュが高らかに宣言した。

「助けに行こう! 友を見捨てては騎士の恥、どうせ戦いに行くはずだったんだ。二人を見殺しにはできない!」

「ギーシュ……」

 きりっと構えて、凛々しく言ったギーシュの姿に、正直才人達はさっきまでとの変わりように度肝を抜かれていた。特に、モンモランシーなどは頬を紅く染めてギーシュの顔を見つめている。

 しかし、たった一人冷めた視線で成り行きを見守っていたルイズが言った。

「でも、ここからタバサ達が戦っている場所までは相当な距離があるわよ。湖岸を回りこんでいたら、馬でもとても間に合わないわ」

「うっ!」

 それは盲点だった。いくら気合を入れたところで、タバサ達のいるところはこの東岸からは影も見えないかなた、いくら急いだところで何時間もかかってしまう。

 だが、それを聞いた水の精霊が手を湖にかざすと、湖面の上をまるで動く歩道のように北西へと続く水流の道が現れた。

「戦いに急ぐというのならこれに乗るがいい。沈まぬように凝結させた水を高速で北西に流している。この上をさらに馬で駆ければ片時もせぬうちに着けるだろう」

 それはまさに、ハルケギニアの人々が恐れる水の精霊の先住魔法の人知を超えた力のなせる技であった。

「よし、急ごう! 才人、ギムリ、レイナール、WEKC出動だ!」

「おう!」

 一行は馬に乗り込み、タバサ達の待つ北西岸へと湖面の上の道に乗り出していった。

 

 

 そしてそのころ、次空を超えた世界、地球でも勇者達が戦いを繰り広げていた。

 

 今日も、ガンウィンガーでパトロール中のリュウとミライの元に怪獣出現の報が届いてくる。

〔リュウ隊長、東京N地区に空間のゆがみが発生しています。同時に強い生命反応を検知、怪獣が出てくるようです!〕 

「なんだと! ヤプールの攻撃か」

〔いえ、ヤプールの異次元ゲートとは違うようです。どこか別の宇宙につながるワームホールのような……〕

「わかった、後はこっちで確かめる。いくぞミライ!」

「GIG!」

 ミライがGUYSの復唱を力強く答え、ガンウィンガーは進路を変えて東京N地区へ向かった。

 そうするとガンウィンガーは速い速い、あっという間に東京N地区に到着、街の上空に浮かんでいるブラックホールのようなワームホールを発見した。

〔ワームホール拡大、怪獣が出てきます!〕

 一瞬、ワームホールが大きく口を開け、そこから吐き出されるように巨大な生物が飛び出してきて、街中に墜落した。

「出てきたぞ! まるででっかいカニみたいなやつだ」

「リュウさん、あれは尻尾があるからエビじゃありませんか?」

「いや、ハサミもあるぞ、ならザリガニだ!」

「そうか、あれがザリガニなんですか!」

 現れた怪獣は、まさに全身土色をした巨大なザリガニだった。

 右のハサミは自分の身の丈ほどもある巨大さで、飛び出た目は真っ赤な色をしている。

 怪獣は、現れてしばらく「ここはどこだ?」とでもいうふうに、周辺をキョロキョロと見回していたが、やがて狂ったように巨大なハサミを振り回してビルを破壊し始めた。

「やろう! 好きにさせるか! 食らえ、ウィングレットブラスター!」

 ガンウィンガーから発射された強力なビームが怪獣を直撃する。しかし怪獣の強固な殻に防がれてあまり効いていない。

「ちっ! フェニックスネスト。ガンローダー、ガンブースターただちに出撃。こいつはガンウィンガー一機じゃいきそうもねえぞ」

〔GIG〕

 怪獣の強さを見て、リュウは迷わず総力戦を決断した。

「リュウさん。僕がいきます!」

 ミライはメビウスに変身して戦おうとした。だが、リュウはそれを押しとどめた。

「ミライ、それにはおよばねえ。あんな奴くらい、GUYSの力だけで倒してやる。新生GUYSの強さ、お前に見せてやる」

 『地球は、人類自らの手で守り抜いてこそ価値がある』、まだそれをやりとげるには人類の力は弱いが、いつかは本当にそれをなしとげる。それがリュウの信念だ。

 そして同時にそれは、ウルトラマンに頼るのではなく、同じ場所に立って、いっしょに平和のために戦うということになる。ミライはそれをくみとって変身するのをやめた。今はウルトラマンメビウスとしてではなく、GUYS隊員、ヒビノ・ミライとして戦うのが、リュウの気持ちに報いるただひとつの方法だ。

「ミライ、後ろから回り込むぞ!」

「GIG!」

 怪獣は、口から火炎弾をガンウィンガーに向けて連発してくる。

 リュウはそれをかわすと、ウィングレットブラスターを怪獣の顔面に叩き込む。

 その光景を、GUYS総監サコミズ・シンゴはフェニックスネストのモニターごしに頼もしそうに見ていた。

 

 そう、すべてはあのときから……

 

 ガイガレードとの戦いの後、地球に降り立ったメビウスとヒカリは、再び地球人ヒビノ・ミライとセリザワ・カズヤの姿になって、リュウやサコミズら懐かしい人たちと再会を果たしていた。

 だが喜びもつかの間、フェニックスネストの作戦室で、ミライの口から語られた話はリュウを始めとするGUYSの面々を驚かせるのに充分だった。

「ウルトラマンAが行方不明!? それに異次元人ヤプールが復活するだと!!」

 その話を聞かされたリュウは怒りに震えた。ようやくエンペラ星人の脅威もやみ、怪獣の出現も少なくなってきているというのに、また平和を乱そうというのかと。

 そして、二人がやってきた目的が、その現場が太陽系近海であることと、ヤプールとの交戦数が多く、もっとも異次元研究の進んだ地球の力を借りるためだということを聞かされて、今度はどんと胸を叩いて力強く言った。

「まかせておけ! ウルトラマンAには月で助けられた借りがある。喜んで、お前の兄さんの捜索に協力させてもらうぜ」

「リュウさん! ありがとうございます」

 リュウの頼もしい言葉に、ミライは満面の笑みを表して喜びを表現した。

 エースだけではない、地球人はこれまでウルトラの兄弟達に返しきれないほどの恩を受けてきている。今回は、地球人がウルトラマンを助けられるまたとない機会だ。第一、恩返しをするのに遠慮をする必要などどこにもない。

 だが、事は隊長一人の独断で決められることではない、リュウはそれまで黙って話を聞いていたサコミズに許可を得るために、姿勢を正して話しかけた。

「総監、GUYS JAPANはこれよりウルトラマンAの救助と、対ヤプール殲滅のための対策活動に入りたいと思います。許可をいただけますか?」

 するとサコミズは、自らいれたコーヒーのカップをテーブルに置くと、自然体の表情ながらどこかしら暖かみを感じられる顔をリュウに向けて言った。

「今のGUYSの隊長は、リュウ、君だ。君の好きなようにやればいいさ。ミライ、セリザワさん、君達はGUYSの復帰隊員として身分を確定しておこう。ただし、君達がウルトラマンだということはすでに知られたことだから、一般に不安を招くといけない。このことはフェニックスネスト内だけの秘密ということで、しばらくは通したいと思う」

 それだけ言うと、サコミズは再びカップをとり、コーヒーを口に運んだ。

「ようしミライ、そうと決まれば善は急げだ。カナタの奴もお前がまた来たと聞けばよろこぶぜ!」

「はい、またよろしくお願いしますリュウさん」

 リュウとミライはまたいっしょに戦えることを喜び合うと、一礼して作戦室を出て行った。多分、これからフェニックスネストをまわって、新人隊員のハルザキ・カナタや、整備班長のアライソに挨拶しにいくのだろう。

 残されたサコミズとセリザワは、テーブルを向かい合わせて、静かに語り合った。

「リュウも、また見ないあいだにたくましくなってきたな」

「君にとってはアーマードダークネスの事件以来か。当然だよ、彼もまた夢のために毎日を戦い続けている。他のGUYSの仲間達といっしょに、離れていても、みんなの心は常に一つだ」

「そうだな……しかし、今度の事件は今までとは違った感じがする」

「どういうことだい?」

「ヤプールが復活を狙っているのは、我々が地球に来る直前の怪獣の襲撃からも、確証はないが確信に近い。しかし、奴が真っ先に復讐の標的にするとしたら、この地球であるはずなのに、地球は平和そのものだ。静か過ぎるのが逆に不気味だ」

 セリザワの言葉にサコミズは眉をしかめたが、コーヒーに注いだミルクをスプーンでゆっくりとかき混ぜながら自分なりの仮説を披露してみせた。

「ヤプールもばかではない。以前奴は不完全なまま復活し、中途半端なまま異次元ゲートを封鎖されてしまっている。もし完全な状態で超獣軍団を送り込まれていたらどうなっていたか、そのときの教訓を取り入れたんじゃないかな?」

「嵐の前の静けさ、というわけだな」

「ああ、だが、嵐に備えて対策を打つことは出来る。それに、表立って動かなくても何か痕跡を残すことはあるだろう。ヤプールの仕業としぼればそれも見つけやすくなる。どちらにせよ、彼らならどんな障害でも必ず乗り越えていけるさ。コーヒー、おかわりはどうかな?」

「いただこう」

 GUYSの元隊長二人は、自分達の時代が移りつつあるのを感じながら、部屋に満ちる芳醇な香りを楽しんでいた。

 

「総監、横浜で謎の反応をキャッチしました。ただちに調査に出動します!」

 さっそく事件の気配をかぎつけたリュウは、ミライを横浜に向けて出動させた。

 

 だが、その一方で、ヤプールはハルケギニアのどこかで今日も超獣を作り続けている。

 そのことを、この世界で知る者は、いまだいない。

 

 

 続く



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第28話  ウルトラマンエースVS異形の使い魔!

 第28話

 ウルトラマンエースVS異形の使い魔!

 

 怪獣兵器 スコーピス

 大モグラ怪獣 モングラー (ヴェルダンデ) 登場!

 

 

 怪獣兵器スコーピス……それはかつて生命のあるあらゆる星を不毛の荒野に変えようとした悪魔のような怪獣、異形生命体サンドロスが手駒として大量に作り出した人工怪獣たちのことである。

 宇宙空間を飛行する能力は当然、ミサイルやレーザーも寄せ付けない頑強な外骨格、最大の武器は口から吐き出す腐食光線ポイゾニクトと額から放つ破壊光弾フラジレッドボムで、これを使って破壊の限りを尽くす。その猛威はわずか一体で星を一つ滅ぼしてしまうほどである。

 数年前にサンドロスは滅ぼされたものの、宇宙に散ったスコーピスたちの生き残りは野生化して、サンドロスから与えられたあらゆる生命の抹殺というプログラムのみが一人歩きし、宇宙のあちこちを荒らしていた。

 

 そして今、そのうちの一匹がこのガリアに来襲し、ラグドリアン湖周辺の広大な地域をわずか一日で砂漠に変えてしまった。

 ただし、この個体は宇宙での戦いで負った傷でそれ以上は動けず、砂中に潜んで傷の回復を図っていたのだが、原因不明の砂漠化を調査しにやってきたタバサとキュルケを発見して、その凶暴性のおもむくままに二人に襲い掛かっていた。

 

 シルフィードに向かって放たれたフラジレッドボムの赤黒い光弾が猛スピードでタバサとキュルケの頭上を通り過ぎていく。的が小さいだけにそうは当たらないので、二人は余裕を持って攻撃魔法の詠唱をおこなうことができるが、スコーピスも怪獣兵器の異名はだてではない。

「ああもう! なんて硬い怪獣なの!」

 フレイムボールの直撃に焦げ目すらつかないスコーピスの頑丈な体に、頭にきたキュルケが叫んだ。

 スコーピスの外骨格には並大抵の攻撃は通用しない。だが、奴はどういう理由か大きく負傷している、付け入る隙はあるとタバサは考えた。

「あいつの左下半身、焼け焦げて殻がはがれてる。あそこなら攻撃が効くかも……」

 得意のジャベリンをスコーピスの殻に簡単にはじかれてしまったタバサは、敵の傷口に攻撃を集中しようと考えた。

「やっぱりそれしかないか……このあたしがそんな姑息な手段に頼るしかないってのは腹が立つわね。しかし……見事なまでに左足と左の羽根がもぎ取られてるわね。墜落した衝撃でかしら」

「飛べるんだから、空から落ちて大ダメージを受けるなんて考えにくい。焼け焦げてるのも妙、何者かに攻撃を受けたの……?」

 思わず口に出たその仮説は、キュルケだけでなく、口にしたタバサ本人にも戦慄を覚えさせた。

「まさか……あれにこれほどの傷を負わせるなんて、どんな化け物よ。まさか、ウルトラマンA……?」

「わからない。けど、それに匹敵する何かと戦っていたのは、多分間違いない」

「もう一人、ウルトラマンが……まさかね。他の怪獣と同士討ちしてたと考えるのが妥当よね……」

 頭に浮かんだ想像を、まさかと思いながらもキュルケもタバサも胸のうちにしまいこんだ。

 もしもエース以外にもウルトラマンがいてくれるなら、これほど頼もしいことはないが、まだそんな姿を見たものは誰もいない。根拠の無い期待はしないほうがいい。

 だが、まだ彼女達は過去にエース以外のウルトラマン、ウルトラマンダイナがハルケギニアに現れていたことを知らない。

 

 二人は、もう一度フレイムボールとジャベリンの詠唱を始めながら、シルフィードにフラジレッドボムの間合いを計らせつつ慎重に接近を狙った。

 外れたフラジレッドボムが砂丘や森に着弾して爆発を引き起こす。直撃されれば木っ端微塵は間違いないだけに、シルフィードの目つきも真剣になっている。

 それでも、タバサの冷たく研ぎ澄まされた目が、フラジレッドボムの発射のほんのわずかな間隙を見つけた。

「今!!」

 その瞬間、シルフィードは急旋回して、最大スピードでスコーピスの懐にもぐりこんだ。

 

『フレイムボール!!』

『ジャベリン!!』

 

 氷の槍がスコーピスの左脇腹をえぐり、高熱火炎が広がった傷口に侵食してさらに内部を焼いた。

「やったわ!!」

 やっと怪獣にダメージらしい打撃を与えられた。

 思わずタバサの肩をぶんぶん振り回して興奮するキュルケ。けれども痛む傷口をさらに広げられて、激痛に怒りを燃え上がらせたスコーピスは黙っていなかった。すれ違って後方に飛び去ろうとしていたシルフィードに向けて、巨大なサソリのような尻尾を振り下ろしてきたのだ。

「しまった!」

 ほんの一瞬だが浮かれてしまったことを二人は後悔した。なまじか優れている動体視力のせいで、目の前に迫ってくる巨大な尾がだんだんと近づいてくるのが見えてしまう。

 キュルケは目をつぶって観念したが、シルフィードの力を信じているタバサは命中する寸前に急降下の指示をするのと同時に一番詠唱の短い風魔法を頭上に向かって放ち、下降への推進力に変えた。この間わずかコンマ一秒。何千回と詠唱を繰り返してきた経験と、とっさの判断力、シルフィードとの連携のどれが欠けてもうまくいかないタバサならではの神技。スコーピスの尾はシルフィードの真上三メイルを砲弾のように通り過ぎていった。

(やった!?)

 このときばかりはさすがに死を覚悟した。戦争の絶えないハルケギニアでは、死は特別なことではないが、死んで成し遂げられることはない。

 だがそれでも、巨大な尾が超高速で走っていったことは、その周辺に強烈な衝撃波を残した。あおりをもろに受けたシルフィードは叩きつけられるようにバランスを失って、スコーピスの作り出した砂漠の上に墜落していく。

 スコーピスは、その様子を後ろ目で見て、勝どきのようにかん高い鳴き声をあげた。

 

「う……タバサ、大丈夫?」

 シルフィードから投げ出され、体中砂だらけになりながらキュルケはタバサを助けおこした。

「大丈夫……砂がクッションになってくれた。それよりもシルフィードが……」

 タバサは砂の上に横たわっているシルフィードを見て、悔しそうにつぶやいた。

 柔らかい砂地は二人の落下の衝撃を和らげてはくれたが、人間に比べてかなり重いシルフィードまでは無理だった。着地の際に右の翼の付け根を傷めたらしく、右の翼はビクビクと痙攣するだけで羽ばたけそうもない。

 しかし、そんなことでスコーピスが獲物を見逃すわけはない。不自由な半身を引きずりながら、ゆっくりと二人とシルフィードにとどめを刺すために反転してくる。

「キュルケ、あなたは先に逃げて」

 一人だけなら『フライ』の魔法で空を飛べば逃げ切れるかもしれない。しかし、タバサは傷ついたシルフィードを見捨てていくことはできない。『レビテーション』で浮かせて運ぶしかないが、同時に二つの魔法は使えない。これでは狙ってくださいと言っているようなものだ。

「馬鹿言ってるんじゃないわよ! あなた死ぬ気!」

 憤慨したキュルケは迷わずタバサに手を貸した。二人がかりのレビテーションならばシルフィードの巨体でもかなり楽に運べるが、ここは砂漠、砂に足をとられて自由には動けない。

「ひとりでなんとかできるから、キュルケは先に行って」

「だから! あんた一人じゃどうにもならないって言ってるでしょ!」

「できる」

「できない!」

「できる」

「できない!」

 ここまで来たらもはや意地の張り合いである。双方ともに相手を説得する台詞など持ち合わせていないし、パートナーもシルフィードもどちらも見捨てることなど絶対にできない。シルフィードもどうすることもできずに、ただ二人を交互に見て、きゅいと鳴くしかない。

 だがスコーピスはそんな二人と一匹をまるごと吹き飛ばそうと、口を開いてポイゾニクトの狙いを定めた。

「あっ、まずっ!」

「……!」

 スコーピスの口に赤黒い光が収束する。タバサは無駄と知りつつ、氷の壁を作って防御する魔法『アイス・ウォール』を唱え始めた。

 

 だが、タバサの詠唱が完成する直前。

「ちょっと待ったあ、怪獣野郎!!」

 スコーピスの横っ面を光の弾丸がひっぱたいた。ポイゾニクトの発射直前の攻撃に、スコーピスは溜め込んだエネルギーを拡散させ、新たな敵を捜し求めて、それを湖の上に見つけた。

 

「やっぱしあんま効かないか……だが、なんとか間に合ったみたいだな」

 久しぶりに撃ったガッツブラスターを構えて、ほっとした様子で才人が言った。

 湖の上に作られた道を、数頭の馬を駆けさせて、ルイズ達がようやく駆けつけたのだった。

 一行は、湖岸に着くと馬から降りて走り出した。砂漠では馬は使えない。

「こりゃ、近くで見るといちだんと怖いな。ギーシュ、やっぱりやめないか」

 ギムリがスコーピスの姿を見て、ひびって言った。でもギーシュはやる気まんまんな様子で、ワルキューレを一体錬金すると叫んだ。

「なにを言うか! そんなことではぼくらがいつか公式に水精霊騎士隊と名乗るという夢はどうする? それにヴェルダンデのためにもここは引けん! さあワルキューレよ、貴族の誇りと勇気をあの虫けらに思い知らせてやれ!」

 ギーシュが薔薇の花の形をした杖を振るうと、青銅の騎士人形は一直線にスコーピスに向かって飛んでいく。しかし、一行の中で、その攻撃にこの砂漠の砂粒ひとつ分さえ期待を抱いているものはいなかった。

 案の定、スコーピスはなにをするでもなく、ワルキューレはスコーピスの腹に軽く触れただけでばらばらになって落ちていく。

 やっぱり……口には出さなかったが全員がそう思った。大体学院有数の使い手であるキュルケとタバサの攻撃でさえ効かないのに、ドットメイジのギーシュの攻撃が効いたら天地がひっくり返る。

「あ、あれぇ……おかしいなあ」

 少しもおかしくない。というよりその根拠のない自信はいったいどこから湧いてくるのか、一度頭をかちわって見てみたい。きっと七色に光り輝いているのだろうが、それよりいいかげん矛先をこっちに向けてきたスコーピスのほうが大きな問題だった。

「来るぞ!」

 フラジレッドボムが彼らのいた場所を吹き飛ばした。一行はとっさに飛びのいて難を逃れ、当たらなくてよかったと冷や冷やする。だが怪我の光明で、同時に大量の砂煙を巻き起こしたためにスコーピスもすぐには次の攻撃を仕掛けては来ない。

「どうすんのよ! あんなのとまともに戦えるわけないじゃない!」

 怒ったモンモランシーがギーシュに詰め寄った。ギーシュのためと、タバサとキュルケが心配でついてきてはみたものの、やっぱりどうしたって敵いそうもない。

「し、しかしあいつを倒さないと水の精霊の涙が」

「現実を見なさいよ! 勇敢に立ち向かうだけで勝てるなら負けるやつなんていないわよ。少しは頭を使いなさい!」

「は、はい……」

 ようやく熱狂を覚まさせられたギーシュがうなづくと、一行は円陣を組んだ。この砂煙が去るまでに策を立てなければならない。皆の視線は自然レイナールに集まった。

「みんな、このまま戦っても勝ち目はない。幸いあいつは動けないみたいだから、ぼくとギムリが奴の気をそらすうちに、ほかのみんなはタバサとキュルケを助けて、後はあいつの見えないところまで全力で逃げる。あとのことはそれから考えよう」

 皆がうなづくと、ギムリとレイナールは先んじて飛び出した。まだ学生とはいえさすがは貴族の子弟、やると決めたら危険に飛び込むことを躊躇しない。

「よし、じゃあぼく達も……あっ!」

 ギムリ達に続いて飛び出していこうと思ったギーシュだったが、そこで肝心なことを思い出した。

 そうだ、ルイズと才人は飛べないんだった。フライでは人を抱えて飛ぶことはできない。

 どうしようか、とすがるようにモンモランシーを見るギーシュだったが、彼女はそ知らぬ顔。しかしそれを見ていたルイズがギーシュに指を突きつけた。

「あんた、たった今モンモランシーに頭を使えって言われたばかりじゃない。あんたには、空を飛ぶより速いものがあるでしょうが!」

「え? ……そうか、ワルキューレ」

 合点がいったギーシュはすぐさまワルキューレを錬金した。忘れがちだがワルキューレは熟練の傭兵をしのぐほどの力と素早さを誇る。以前才人と決闘したときに使った際も、十数メイルの距離を一瞬で詰めて才人をボコボコにしている。人間を乗せて走るくらいたやすいものだ。

「さあ乗りたまえ、ワルキューレは馬なんかよりずっと速いぞ。二人のところまであっという間だ」

 誇らしげに言って、ワルキューレを呼び出したギーシュだったが、やはり彼のことだから大事なことを忘れていた。ワルキューレは青銅製の等身大の騎士人形、当然すごく重い。そしてここは砂漠。

「ああっ! ぼくのワルキューレが沈むう!」

 やはり二、三歩歩かせただけで砂中にズブズブと沈んでいく。見ていられなくなった才人はギーシュに言って、ワルキューレの足に雪国で使う『かんじき』のようなものを作らせた。これでようやく沈まなくなり、ギーシュはルイズと才人に礼を言った。

「あ、ありがとう。君達は頭がいいなあ」

「……どういたしまして」

「あんたが考えなしすぎるだけよ。それより、次が来るわよ!」

 言った瞬間砂煙が晴れ、スコーピスは丸見えになった彼らにフラジレッドボムを放ってきた。

「走れ、ワルキューレ!」

 四人を背中に乗せた四体のワルキューレは、砂の上をマラソン選手のように走り出し、着弾の爆発が彼らの背後で巻き起こる。

 スコーピスはすぐに第二撃を撃とうとするが、その前をギムリとレイナールがハエのように飛び回って気を引いた。

「化け物! お前の相手はこの俺だ!」

「こっちだこっちだ!」

 フラジレッドボムの連射が二人を襲うが、人間ほど小さな相手に命中させるのは簡単ではない。だがそれも時間の問題でしかなく、一刻も無駄に出来ない。

 その貴重な時間を活かして走り、避け、また走り、ルイズ達はタバサ達の元にどうにかたどりついた。

 

「大丈夫か、二人とも?」

「あ、あなたたちどうしてここに!?」

 まったく思いもよらずに助けに現れた才人達にキュルケもタバサも驚いていたが、才人は話は後でと答えると、ギーシュが新たに錬金したワルキューレの背にキュルケを乗せた。

 その間にもモンモランシーは水魔法でシルフィードに応急の手当てを施し、ワルキューレの背からフライをかける。

「よっし、逃げるわよ!」

 二人は助けた。長居は無用、ルイズは逃げると聞いて仏頂面をしているが、フーケのときと同じ失敗をむざむざ繰り返したら、今度こそ学習しない"ゼロ"が確定してしまう。

 また、スコーピスを引き付けてくれている二人もそろそろ限界に近づいてきている。

「ギーシュ、いいよ!」

「よし、走れワルキューレ!」

 六体のワルキューレは一行を乗せて全速力で走り出した。

 しかし、六体ものワルキューレが一斉に走る姿はさすがに目立ちすぎた。いや、逃げるものをこそ好んで追い詰めようとするスコーピスの残忍な本能がそれを呼んだのかもしれない。突然スコーピスはギムリとレイナールから視線を離すと、一行へ向かってフラジレッドボムを放ってきた。

「まずい! 散れワルキューレ!」

 ギーシュの叫びから一瞬遅れ、バラバラに飛び去ったワルキューレたちのいた場所をフラジレッドボムが掘り起こした。爆発の火炎とともに四方に大量の砂煙が飛散する。

「あっ! ギーシュ、ギーシュどこ!?」

「ここだ、何も見えない。どこにいるんだモンモランシー!」

 もうもうと立ち込める砂煙の中は、一寸先さえ見えない黄土色の世界となり、すべての視界を覆いつくした。

 

 だが、例え暗闇の中であろうと、ルイズと才人は光によって呼び合った。

「サイト!」

「ルイズ!」

 リングの光が闇を縫い、伸ばした手と手が重なり合う。

「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 乾いた嵐を吹き飛ばし、ウルトラマンAただいま参上!!

 

「トォーッ!!」

 登場一発、ジャンプキックがスコーピスの胴体を打ちのめし、激突のショックで激しく火花が飛ぶ。

 いかにスコーピスの体が頑丈とはいえ、エースの攻撃にまでは耐えられない。角や触覚を何本もへし折られ、スコーピスは背中から砂の上に崩れ落ちた。

 凶悪怪獣を一発で地に沈めたエースの勇姿に、少年達も歓声をあげる。

「ウルトラマンAだ!」

「よっしゃ、これでもう大丈夫だぜ!」

 空の上からレイナールとギムリがいっしょにガッツポーズをとると、地上でもキュルケ達がいっせいに表情をほころばせた。

「いっつもおいしいところで登場してくれるわね。よーし、がんばれー! ウルトラマンエース!」

「ヒーロー……本当に、また来てくれた……」

 声を震わせ、感慨深げにしているタバサをキュルケが後ろからおもいっきり抱きしめている。

「ウルトラマン…………はっ、ぼくとしたことがつい見とれてしまった。いやあ、さすが正義の味方は美しいな、まあ、ぼ……」

「ギーシュなんかより断然かっこいいわ! あれこそが勇者よ」

「くの……ほう、が」

 モンモランシーの言葉にギーシュがダメージを受けていたりしたけれども、その期待に答えるためにも、なんとしてもここでスコーピスを倒さなければならない。

 

「シャッ!」

 着地したエースは、油断なく構えて起き上がろうとするスコーピスを見据えた。

 まだ奴はどんな武器を隠し持っているかわからないから、うかつにはかかれない。

 幸いスコーピスは半身を負傷しているせいで、すぐには起き上がってこれそうもない。その間にエースの中では三人が作戦会議を立てていた。

(それにしても、今度はサソリの化け物とはね。サイト、あいつの名前は?)

(いや、俺もはじめて見る奴だ。エース、あなたは?)

(私の知る限りではない。この世界の特有種なのかもしれん……それと、超獣とは違うようだが、こいつにはどこかに何者かの邪悪な意志を感じる。どこかの宇宙人の侵略用怪獣なのかもしれん)

 エースはその長年つちかった経験と勘によって、スコーピスが怪獣兵器であることを見抜いた。

 そして、そうであるのならばなおさらこいつはここで倒さなければならない。

 ようやく起き上がり、エースを見たスコーピスは、なぜか一瞬怯えたようにびくりとした。しかしすぐにエースを新たな敵だと認識して、壊れた笛のような凶悪な鳴き声をあげてきた。

(それでサイト、あいつへの対策は?)

(お前な、少しはお前も作戦立ててくれよ)

(黙りなさい。ここのところ役立たずが続いたんだから、名誉挽回の機会を与えてあげようっていうご主人様の温かいご好意よ)

 到底そうは思えないんだが、と思った才人だったが、もうスコーピスは目の前だ。

(よし、あいつはサソリだから……エース、尻尾に気をつけろ!)

(わかった!)

 それは半分助言であり、半分は見たままを言ったものだった。

 エースの視線が光線を出すスコーピスの口と額に集中しているうちに、頭上を飛び越えてスコーピスの巨大なカギ爪付きの尻尾が迫ってくる!

 

「セヤッ!」

 間一髪、エースは向かってきた尻尾を左腕を使って受け止めた。

 攻撃が失敗したことを見たスコーピスは、伸ばした尾を引き戻そうとするが、そうはさせじと引き戻されるより速く、エースの手刀が尻尾の真ん中を斬りつける。

『ウルトラナイフ!!』

 超獣の首さえ切り落とす一撃が、スコーピスの尻尾を真っ二つに切り裂いた。

 

(よしっ! いまだエース!)

 尻尾を失ったスコーピスは苦しげな遠吠えをあげた。

 攻め込むなら今がチャンスだ、エースはスコーピスの体にパンチ、キックの連撃を撃ち込んでいく。

 スコーピスの体は尻尾が無くなれば接近戦には向いていない。鋭い爪のついた腕はあるが、ほかの武器に比べれば補助的なもので、懐に飛び込んできたエースを相手にするには頼りなさ過ぎる。

 

 しかし、このままであれば楽勝かと思われた戦いであったが、エースが次の攻撃のためにいったん間合いを離した瞬間だった。スコーピスは口を開いてポイゾニクトの発射体勢に入ると、その狙いをエースではなく、なんと地上で見守っていたキュルケやギーシュ達に向けたのだ。

(あっ、危ない!)

 エースはとっさにスコーピスとキュルケ達のあいだに立ちふさがったが、放たれたポイゾニクトの直撃をもろに受けてしまった。

「グッ、グォォッ!」

 ひざを突いてくずおれるエース。それを見てスコーピスはうれしそうに甲高い鳴き声をあげ、さらにフラジレッドボムの連射をエースに撃ち込んできた。

「グワァッ!!」

 ここでエースが避けたらフラジレッドボムは後ろのキュルケ達を直撃する。バリアを張る余裕もなく、ただ耐えるしかエースにはできなかった。

 

「エース!!」

 エースの巨体に守られながら、キュルケ達は必死でその名を呼んだ。

「まずい、まずいよキュルケ、このままじゃエースが」

「あの怪獣、最初からこれが狙いであたし達を、なんて卑怯な奴!」

 キュルケは血がにじむほど唇を噛み締めた。

 本当なら、怪獣はウルトラマンの敵ではなかっただろう。自分達の存在がなければ、エースは存分に戦えるのにと、助けたくてもエースの体に守られている以上援護は不可能な状況で、四人は悔しさに震えた。

 

 そして、エースの限界も刻一刻と近づいていた。

 カラータイマーの点滅がいつもより早くあがっていく。

(エース、大丈夫か!?)

(まだ……持つが、これ以上は……くそっ)

 スコーピスは反撃の機会を与えまいと、フラジレッドボムを絶え間なく撃ち続けてくる。

 そして遂に、スコーピスはエースにとどめを刺そうと、フラジレッドボムの攻撃を続けながら、ポイゾニクトの発射体勢に入った。

(これまでか……っ!)

 あれを食らってはもう耐えられない。

 絶望か、と誰もが思いかけた。

 だが、スコーピスがポイゾニクトを発射しようとしたその瞬間、スコーピスの足場の地面が突如陥没して、スコーピスを地中へと引きずり込み始めたではないか!

(いったい、なにが……あっ、あれは!)

 見ると、スコーピスの下半身に巨大なモグラが抱きついて、その身の自由を奪っている。

(あれは……ギーシュの使い魔のヴェルダンデ!?)

 そう、モンモランシーの薬のせいで怪獣モングラーと化してしまったヴェルダンデが、今エースの危機を救わんと勇敢に宇宙怪獣に立ち向かっている。

 スコーピスは反撃しようにも、尻尾を失い、半身が傷ついた状態では思うように動くことすらできずに、アリジゴクにはまったようにもがくしかできない。

(エース! 今だ!)

 ヴェルダンデの勇気を無駄にするわけにはいかない。

「デヤァッ!!」

 エースは残ったエネルギーを振り絞り、拳に込めてスコーピスへと正拳突きのようにして撃ちだした!!

『グリップビーム!!』

 強力な破壊光線がスコーピスの胴体を捉えて火花を散らせる。

 

(爆発するぞ! 逃げろヴェルダンデ!)

 才人はエースを通じてヴェルダンデにテレパシーを送って警告した。それに応じてヴェルダンデは掴んでいた足を離して地中深く潜っていく。

 それからほんの数秒後、過剰に注ぎ込まれたエネルギーに遂に耐え切れなくなったスコーピスは、あおむけにゆっくりと倒れると、全身から炎を吹き出して、砂漠を揺るがすほどの轟音と衝撃波を撒き散らしながら爆発した。

 

「やった! 勝ったぁ!」

 爆発が引いて、スコーピスの跡形もなくなったのを見ると、少年少女達の遠慮のない歓声が響き渡った。

「タバサ、エースがやってくれたわよ! これであなたの任務も完了ね!」

「ええ……」

 タバサは、キュルケの言うように素直に喜ぶことはできなかった。今回の任務は、エースがこなければまず成し遂げることは不可能だっただろう。まだまだ自分には力が足りない。人ととしてどこまで強くなれるかはわからないが、自分の望みをかなえるだけの力にはとても足りない。

 ただ、手放しで大喜びしているギーシュらほどではないが、仲間達とともに分かち合う勝利というのは、うれしいものであるのは間違いなかった。

 そのギーシュはといえば、エースとともにヴェルダンデが活躍したことに、涙まで流して歓喜に震えていた。

「やったやったやったよ! 見たかい、ぼくのヴェルダンデがウルトラマンの危機を救ったんだよ。ああ、ぼくはハルケギニア一の幸せ者だ、こんな素晴らしい使い魔を得られたメイジなんてほかにはいないだろう。そうだろうモンモランシー!」

「まあね。あなたの使い魔は素晴らしいわね……けど、それよりもこれで」

「そうだ! これで水の精霊の涙が手に入るんだ! よーし、待っててくれ、すぐに元の姿に戻してあげるからね!」

「やれやれ……この優しさが人間にも向けばいいんだけどね、特にわたしに……」

 一人で万歳三唱をしながら大喜びしているギーシュを見ながら、モンモランシーは切なげにつぶやいた。

 

(やった……しかし、恐ろしい怪獣だった)

 爆発で作られた巨大なクレーターを見つめながらエースは思った。

 まるで破壊するためだけに存在するような怪獣。こんな奴が何匹も暴れたらそれこそ宇宙はめちゃくちゃになってしまうだろう。

「ショワッチ!」

 これが最後であってくれと祈りながら、エースは蒼穹の空へと飛び立った。

 

 

 そして、キュルケとタバサも含めて、湖のほとりでルイズ達は再び水の精霊と会った。

「約束を果たしたようだな、単なる者達よ……ならば我も約束を守ろう」

 水の精霊の体が短く震え、ピンポン玉程度の水滴が切り離されて、ギーシュの持ってきた小さなビンに納まった。

 こぼしては大変と、慌てて蓋を締める。ビンの中に納まった水の精霊の涙をまじまじと見つめ、ギーシュは満面の笑みを浮かべて、ビンをモンモランシーに手渡した。

「これで解毒薬を作ってくれるね。はーあ、ようやくヴェルダンデを元に戻してあげられる。あと少し待っててくれよ」

「はいはい、学院に戻ったらね。まさか、怪獣退治まですることになるとは思わなかったわ」

 目的の半分を果たした二人は、もう解決したかのように喜んでいた。しかし、気になることが残っていた才人は、水の精霊が湖水に戻る前に思い切って尋ねてみた。

「ちょっと待ってくれ、少し聞きたいことがあるんだ……どうして水かさを増やしてるんだ。あんたは、いくつかの悩みを抱えてるって言ってたよな。まさか他にも怪獣が?」

 水の精霊は、大きくなったり小さくなったり、様々に形を変えた。どうやら考えているようで、微妙に人間のようで人間ではない仕草がなんとも面白い。

「……お前たちになら話してもよかろう。確かに、ここのところ邪悪な気配が世界に漂っているが、今のところこの湖を襲ってきたのはあいつだけだ。今から数えるのも愚かしくなるほど月が交差する時の間、お前たちの暦にして二年ほど昔になるか、我が六千年の昔より守りし秘宝を、お前達の同胞が盗み出したのだ」

「秘宝?」

「そうだ、『アンドバリ』の指輪、我と同じ水の力を込められた唯一の秘宝だ」

 その名前を聞いて、ピンときたようにルイズはつぶやいた。

「アンドバリの……そういえば、伝説の秘宝の本でそういうものがあったわね。人間の心を操り、死者に偽りの生命までもたらすという……水系統の禁忌の邪宝」

「ふむ、お前達の概念ではそうかもしれんが、我にとっては水の力を蓄える大切な秘宝。だから我はこの世界を水で満たすことによって、そのありかを探そうと考えていた」

 なんとも、何百何千年単位のとてつもないスケールの話だった。

「気が長い話だな。じゃあ、機会があったら俺達が取り返してくるよ。水を増やされたら、周りの人達が困るだろう」

「……わかった。お前達を信用することにしよう」

「ありがとう。それで、そいつの名前とかわからないのか?」

「確か個体の一人がクロムウェルと呼ばれていた……それから、お前達二人」

 水の精霊は、才人とルイズを指差すと、手招きするようにして二人を岸辺まで呼んだ。

 二人は、怪訝な顔をしながらも、水の精霊の機嫌を損ねてもまずいなと、首をかしげながら岸辺に歩み寄った。

「よし、そこでよい。二人とも水に手を漬けよ」

「えっ!?」

 二人は思わず顔を見合わせた。水の精霊が心を操るということを思い出したからだ。

 しかし、水の精霊は穏やかな声で言った。

「案ずることはない。お前達に危害は加えぬ」

 少し考えて、才人とルイズは恐る恐る湖水に手のひらを漬けた。

 すると、湖水からまるで電気のように水の精霊の思考が伝わってくる。

 

(これは! テレパシーの一種か)

(さすが、水の精霊と呼ばれるだけはあるわね……)

 二人は頭の中に直接響くお互いの言葉に驚いた。まるでエースと一体となっているときのように、心と心がつながっている。

(聞こえるようだな。お前達とは、こうして話したほうがよいと思ってな……光の戦士よ)

(えっ!?)

 ルイズと才人の驚愕の感情が、それぞれに伝わる。

 何故水の精霊がそのことを知っている。そしてどうしてこうして話そうというのか。

(驚かせて悪かったな。しかし、我はお前達と共にある強い存在に覚えがある)

(えっ、ウルトラマンAとか!?)

 まさか、そんなことが……

(いや、お前達の光とは違うが、とてもよく似た存在だった。もはや我の記憶すらかすむ、今からおよそ六千年の昔、この地を未曾有の大災厄が襲った。無数の怪物が大地を焼き尽くし、水を腐らせ、空を濁らせ、世界を滅ぼしかけたとき、その者は光のように天空より現れ、怪物達の怒りを鎮め、邪悪な者達を滅ぼして世界を救った。彼がいなければ、我もお前達もこの世には存在しなかっただろう)

(それほどの戦士が、六千年も昔に……)

 あまりにも想像を超えた話に、才人は唖然とするしかできなかった。

(ふむ……もしかしたら、お前達と彼につながりがあるかもと思ったのだが。どうも我の思い過ごしだったようだな……すまぬ)

(いや、俺達に似てたってことは、その人もきっとウルトラマンだったんだろう。これで、またハルケギニアにウルトラマンが来てたってわかっただけでもよかったよ)

(そうか、もしかしたらいずれお前達も彼と会うことがあるかもしれぬ。何かあったら来るがよい。お前達の水の流れは覚えた。この世の秩序を守るためなら、我は手を貸してやろう)

(ありがとう、じゃあ俺も、そのアンドバリの指輪ってやつを見つけたら、必ず持ってきてやるよ)

 才人は水の精霊と固く約束をかわした。

 しかし、ルイズは水の精霊の話を聞いて、それとは別の疑問も感じていた。

(六千年前といえば……始祖がこの地に降臨したと言われる時代じゃない。もしかして、何か関係が……)

 また、新たな謎が生まれたが、今はそれを確かめようもない。

 

 

 一方……二人が水の精霊と話している間に、一行の中からタバサの姿が消えていた。

 それはほんの二分前のこと。水の精霊との会話を見守っていたタバサとキュルケの元に、例のガリア王宮からの指令を送ってくるフクロウ、目的の人物の元へ自動的に向かう鳥形の魔法人形が飛んできて、内部に仕込まれていた手紙を吐き出した。

 まだ任務完了の報告すらしていないのにもう次の任務が? 任務がダブるなどというようないいかげんなことはさすがにイザベラもこれまでしなかったのだが、何かあったのかといぶかしげに手紙を開いて、タバサの眉がぴくりと震えた。

「どうしたの? また無茶な命令?」

 肩越しに覗き込んできたキュルケに、タバサは手紙の中を見せた。

「どれどれ……なに? すぐ帰れですって」

 そこには、ガリア語で"任務を中断して、即時にリュティスに帰還せよ"と書かれていた。しかし、それはタバサの部屋や屋敷に届いた、形式だけは公文書を取り繕ったものではなく、そこらにありそうな安物のしわくちゃの紙に殴り書きで書かれたひどいものだった。

「なにこれ……わけわかんない」

「……」

 キュルケの言うとおり、タバサにもこの文面からでは何も読み取れない。

 ただし、これを書いた人間が相当に焦って書いたということだけはわかる。なにかはわからないが、リュティスで事件が起こって、タバサの力が必要とされているのは間違いないだろう。

 そして、どうあれ北花壇騎士であるタバサにとって命令は絶対である。

「すぐ行く。シルフィード、もう飛べるね」

 タバサが声をかけると、シルフィードはきゅいと元気よく翼を広げて答えた。すでにモンモランシーの治療で、その傷はほとんど癒えていたのだ。

「待ってタバサ、わたしも行くわ」

 シルフィードに飛び乗ったタバサに慌てて声をかけたキュルケだったが、タバサはゆっくりと首を横に振って言った。

「だめ……リュティスまでは連れて行けない。キュルケはみんなと学院に帰ってて」

「で、でも」

「大丈夫、なにがあろうとわたしは戻るから……だから待ってて」

「わかったわ……気をつけて、待ってるからね。わたしのシャルロット」

 キュルケは最後に、満面の笑みとタバサの本当の名で彼女を見送った。

 タバサもそれに答えて、一瞬だけ笑顔を見せると、シルフィードとともに空のかなたへと飛び去っていった。

 

 

 だが、数時間後にリュティスに到着したタバサが見たものは、以前来たときとは見る影もなくめちゃくちゃに荒らされた王宮の庭園と花壇、そして完全に破壊されて瓦礫の山となったプチ・トロワの無残な姿だった。

「これは……いったい?」

 さしものタバサも呆然とした。

 破壊されているのはプチ・トロワとその周辺に限られているようで、グラン・トロワやリュティスの街には被害はないようだが、戦争か大地震の後のような惨状は、まるでこの世の終わりだった。

「グラン・トロワへ……」

 ともかく、これではイザベラの生死もわからないが、とにかく彼女を探さなくては始まらない。

 しかし、グラン・トロワの一室でタバサを待っていたのは、とても話などできないほど変わり果てたありさまになったイザベラの姿だった。

「いったい……ここで何があったの?」

 部屋から出て、胸の動揺を冷たく凍りついた無表情で覆い隠しながら、タバサはこの部屋の警護についていたカステルモールというらしい若い騎士に尋ねた。

「はぁ、なんとご説明したらよいものやら……事のはじまりは先日の正午、イザベラ様が突然サモン・サーヴァントをなさるとおっしゃったのです……」

 彼は淡々と記憶の糸をたぐりながら、タバサにプチ・トロワを襲った事件のあらましを語り始めた。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第29話  ガリア花壇の赤い花 (前編)

 第29話

 ガリア花壇の赤い花 (前編)

 

 宇宙魔人 チャリジャ

 吸血植物 チグリスフラワー

 宇宙大怪獣 アストロモンス 登場!

 

 

「宇宙のどこかにいる我が下僕よ! 我にふさわしいこの世でもっとも強く、気高く、美しい者よ! 我は命じる、我の召喚に応じてこの場に姿を現せ!!」

 

 その日、プチ・トロワの魔法儀式のための大広間に使い魔召喚の魔法、『サモン・サーヴァント』の呪文の声が高らかに響き渡った。

 唱えた張本人の名はイザベラ。このプチ・トロワの主であり、ガリア王女にしてタバサの従姉妹である少女。

 しかし、その性根はタバサとは鏡に写したように冷酷にして残酷。さらにタバサに対して強いコンプレックスを持っており、その反動と王女ゆえの特権もあいまって、本来多感であるはずの若い心は制動されることなく、どんどん捻じ曲がっていっていた。

 

 そしてこの日も、タバサの持つ使い魔、風竜のシルフィードに激しく嫉妬した彼女は、自分の本当の力を皆に見せ付けてやろうと、一人部屋にこもって呪文を唱えていた。

(あたしが、あたしがあんな小娘に劣るはずはないっ!)

 怒りと憎しみを込めて呪文を唱え、杖を振り下ろす。

 魔法の力はその者の精神力によって決まり、精神力はその者の強い感情に左右される。

 ろくな魔法が使えないと、近従からさえ散々陰口を叩かれた怨念。才能に溢れたタバサへの憎しみ。愛情のかけらもなかった父の冷たいあしらいの記憶も加わって、たまりにたまったイザベラの憎悪は知らぬ間に彼女に強力な魔力を与えた。

 だが、負の感情から発生したエネルギーがどういう結果を招くのかをイザベラはまだ知らない。

 それでも魔法は成功し、イザベラのその眼前に、光り輝く鏡のような召喚のゲートが生み出された。

「やった! さあ、来い!」

 遂に開いたゲートをイザベラは期待のまなざしで見つめた。サモン・サーヴァントは一度開けば、後は何が召喚されるかはまったくわからない。何が来るのか、鳥、獣……それともドラゴンかグリフォンのような幻獣? とにかく、王女として誰もグウの根も出ないような使い魔なら……

 固唾を呑み、今か今かと待ちわびるイザベラの目の前で、突然ゲートの中からぽんっと何かがはじき出されるように現れた。そして、そいつがはじめて言った言葉は。

 

「おや、ここはどこですかな?」

 

 イザベラの手から杖が零れ落ちて、乾いた音を立てた後に部屋の隅まで転がっていった。

 それは、動物でも幻獣でもなく、蝶ネクタイをつけた真っ黒なスーツを着て、顔を白塗りにした小柄でやや小太りな人間の男性だった。少なくとも、そのとき彼女にはそう見えた。

「お、お前いったい誰だよ」

 やっと声を絞り出して言ったイザベラの問いに、男は手に持っていたこうもり傘と、手品の小道具でも入っていそうなトランクを置くと、懐から一片の紙切れを取り出して、うやうやしくおじぎをしてそれを彼女に差し出した。

「わたくし、こういうものでございます」

 その仕草は芝居じみており、紳士というより町劇場の芸人か俳優のように見える。

 イザベラは、その紙片を手に取り、そこに記された文字を眺めたが、それは彼女にはわからない言語で書かれていた。

「なによこれ、全然読めないじゃない」

「おや、これは失敬。では、これでいかがですか?」

 突っ返された紙片を、その男が指で軽くなでると、なんとその紙片に記されていた文字はガリア語のものに変わって、シンプルな名刺だということがイザベラにも伝わった。

 

『怪獣バイヤー・チャリジャ』

 

 名刺には、短くそれだけが書かれていた。

「怪獣バイヤー?」

「はい、わたくし色んな怪獣を探して星から星へと飛び回り、強い怪獣を売買するビジネスをおこなっているのです。つい先日も、長年捜し求めた怪獣と、ようやくめぐり合えたところだったのですが、不運にもすぐにやっつけられてしまいました。それで仕方なく帰ろうとしていましたところ、強い力に引っ張られてここにやってきたのです。失敬ですが、ここはどこでございましょうか?」

 ビジネススマイルを浮かべながら、怪獣を売り買いしているなどととんでもないことを言うその男に、イザベラのかんしゃくが爆発するのに時間は必要なかった。

「どこだだって? ここはガリア王国のヴェルサルテイル宮殿だよ!! で、あたしは王女のイザベラ様だ! 聞いて驚いたか! てめえこそ、いったいどこから来た!」

 およそ王女どころか女の子とも思えないほど口汚く怒声を放ったイザベラだったが、男はまったく動ぜず、きょろきょろと周りを見回すと興味深そうに言った。

「ほほお……どうやら、とんでもなく辺境の未開惑星に呼ばれてしまったようですね。まあよいでしょう、こういう場所にこそ掘り出し物の怪獣がいたりするものですから」

「あたしを無視するな!」

「これはまた失敬。それであなたが私をここに呼んだ張本人というわけですか。はて、何ゆえに?」 

 王女を前にしても、ひかえるどころか堂々と質問をしてくる相手に、イザベラは感情をおさめることができなかった。なにせ、これまでずっと人にかしずかれて育ってきたのだ。王である父以外に上位、対等の相手と接した経験などほとんどなかった。

 だが、それでも一応は自分の魔法で呼び出した相手である。金切り声を混ぜながらも、サモン・サーヴァント、使い魔の契約などについて一息にイザベラはしゃべりきった。

「ほぉ……宇宙は広いですなあ、そのようなことで空間を歪めて他の生物を転移させる能力があるとは。ですが残念、私はフリーのバイヤーでして、スポンサーは必要ありません。はい」

「なっ、なにこの!」

 イザベラはカッとなって拳に力を込めたが、自分にはまともに使える攻撃呪文のひとつも無いことを知っているだけに、それ以上のことはできなかった。

 だが、男はそんなイザベラを見て、ほっほっと喜劇じみた笑いを浮かべると。

「ですが、故意ではないとはいえ、思いがけないビジネスチャンスを与えてくれたお礼はしなければなりませんね。あなたの専属にはなれませんが、少しあなたのために働いてあげましょう。使い魔の仕事に、秘薬や薬草を探してくるというのがありましたね。では」

 すると、男は傘とトランクを持ち上げると、すたすたと窓のほうへと歩いていく。

「おい、どこに行く!」

「ちょっとお出かけしてきます」

「待て! 逃げようったってそうはいかんぞ! 衛兵!!」

 たとえ常識離れしたことばかり言う奇人でも、自分が呼び出した使い魔には違いない。そして使い魔はそれが死ななければ次を呼び出すことはできない。ここで逃げられたら、自分は一生使い魔なしになってしまうかもしれない。

 しかし、そこまで考えたとき、イザベラの心に悪魔がささやいた。そうだ、こいつさえいなくなれば、あたしは別のもっとましな使い魔を呼び出すことができる、と。

 やがてイザベラの怒鳴り声に答えて、扉の外から槍や杖を持った兵士が十人ほど部屋の中になだれ込んできた。

「王女の部屋に忍び込んできた狼藉者だ。殺せ、殺してしまえ!」

 兵士達がすぐさま円陣を組んで男を取り囲む。どいつも王室警護の屈強な兵士に、トライアングル以上のメイジばかり。普通ならスクウェアクラスのメイジでも脱出不可能な陣形だったが、男は微笑みをそのままにしたまま、傘を開いて床に置いた。

「おお怖い……けれどわたくしもこの世に未練たっぷりな身の上、ここはひとまず失敬させていただきますね」

「逃げられると思っているのか、やれ!!」

 包囲陣から一斉に魔法攻撃が男に浴びせかけられる。しかし命中直前、男の姿は手品のように掻き消えた。

「なっ!?」

 空振りした魔法がぶつかり合って起きた爆発が部屋の空気を激しく揺さぶる。

 そして頭の上から、あの男の声が響いて頭上を見上げたイザベラの目は大きく見開かれた。

 男は広げた傘の上に立って、宙をふわふわと飛んでいる。

「ざーんねん。そのぐらいでは私は殺せません。けれど私は一度した約束は守りますよ。ではお姫様、しばしの間お待ちくださいませ」

「に、に、逃がすな!」

 再び幾重もの魔法攻撃が男を襲うが、男は当たる前にドロンと煙とともに消えてなくなってしまった。

 

「ほっほっほっ……ご心配に及ばなくとも、すぐに素晴らしいおみやげを持って帰りますよ……」

 

 何も無い空間からしてくる男の声が、だんだんと小さくなっていくのを、イザベラも兵士達もただ呆然と聞いているしかできなかった。

 

 その後、イザベラはサモン・サーヴァントの失敗を誰かに言うこともできずに、使用人やメイド達に当り散らし、昼食の豪勢な料理を味が気に入らないと兵士の顔に投げつけたりして、うさを晴らしていた。

 そして、やがてそれにも飽きると、イザベラは使用人たちを追い出し、自室で不貞寝をはじめてしまった。兵士たちの白い目に背を向けて……

 

「やれやれ……あの女のヒステリーも、どんどんひどくなっているな」

「まったくだ……シャルル様が生きていてくだされば、こんなことにはなっていなかったものを」

「だが、まだ我らにはシャルロット様がいる。あのお方は強い、必ずや近いうちに王座を奪回なさるだろう。そうしたらあんな可愛げのないガキ、知ったことではないさ」

 王女の寝室のすぐ前なのに遠慮の無い陰口をたたく侍従や兵士は一人や二人ではない。

 否、この王宮内でイザベラの味方をする者自体、すでに皆無といってよかった。彼女が王の娘として、このプチ・トロワに来たとき、簒奪者の娘として冷たい目で見る者はすでに多数いたが、親と子は別だと普通に接しようとした者もいた。魔法が使えないことにも、同情の目を向けた者もいた。

 しかし、それらのわずかな善意の人々も、イザベラ自身の傲慢さによって次々に彼女を見放していき、いまや作り笑い以外の笑顔をイザベラに向ける者は一人たりとていなくなっていたのだ。

「ちっ、いっそ火事でも起きねえかな、そうしたら魔法の使えないあんな小娘、簡単にくたばってくれるのに」

 そんなことになっているとも知らず、イザベラはベッドの上で毛布を蹴飛ばして高いびきをかいていた。

 

 

 だがこのとき、自他共に『無能』のレッテルを押されているはずのイザベラの魔力の真価の一端か、それとも単なる偶然か、奇跡が起きようとしていることに、本人も誰も気づいてはいなかった。 

 すでに誰もいなくなった魔法儀式の間で、チャリジャが現れたのと同じように次元の歪みが生じ、そこから一人の青年が投げ出された。

「うわーっ! いってー……どこだ、ここは?」

 その青年は、歪みから飛び出て部屋の中に落ちた後、部屋の中、そして窓の外の景色を見て目を丸くした。

「これは……おいおい、1965年の円谷プロの次は、中世のヨーロッパか? あいつめ、今度は何をたくらんでるんだ」

 その風体はどう見てもハルケギニアのものではなかった。全体的に白をベースに、グレーとレッドの混じった、強いて言うなら地球のジャンパーに近いようなそんなもので、胸にアルファベットでGUTSと記されたエンブレムがつけられている。

 彼は唖然とした様子でその風景を眺めていたが、扉の外から兵士の硬い靴音が近づいてくると、とっさに身構えた。まずい、こんなところを見られたらどう見ても不審者にしか見えない。この時代だと捕まったら死刑か? 火あぶり、それともギロチン台? 教科書やテレビで見た展開が頭をよぎるが、隠れるところなどない。

 あたふたしているうちに扉がきしんだ音を立てて開くと、現れた兵士達は予想通りの反応をした。

「だ、誰だ貴様は!?」

 すぐさま槍を向けてくる兵士に、彼は「怪しい者じゃない」と答えたが、この状況でその返事は逆効果なのは言うまでもない。

「賊が出たぞーっ!! ひっ捕らえろー!!」

「なにーっ!! この王宮に忍び込むとはいい度胸だ! 捕まえて火あぶりにしてくれる!!」

 たちまちあちこちから何十もの足音が地響きのように近づいてくる。

 目の前の兵士達も目を血走らせていて、とても話を聞いてくれそうな雰囲気ではない。命の危険を感じた彼は、唯一残った逃げ道である、窓から身を投げ出した。

「うわーっ!!」

 二階から落ちた彼は、運良く下が植え込みだったおかげと、普段からそこそこ鍛えているおかげでほとんど無傷で地面に降り立った。

 だが、兵士達は彼を追い詰めようとあちこちから集まってくる。彼は必死で走ると、広大な庭の植え込みの一角に身を潜めた。

 彼の隠れている植え込みのすぐ側から、追っ手の兵士達の話し声が聞こえる。

 

「いたか?」

「いや、こっちにはいない。変な白い服を着た奴だから、目立つはずなんだがな」

「ああ、賊にしては目立つ格好をしてたな……異国の奴かもしれんな、なにせあの王は最近怪しげな奴をよく招き入れているというしな」

「そうだな……なあ、よく考えたら真面目に探す必要無くないか、あれが暗殺者だったとしたら、むしろ望むところだろ」

「なるほど! 確かにそうだな。あの無能王と無能姫じゃ、狙われても助かるまいから俺達が責任を取らされる心配もないし、これでシャルロット様が戻ってきてくだされば万々歳だ」

「そうそう、じゃあさっさと戻ろうぜ。がんばれよ暗殺者」

 

 兵士達は、急激にやる気を失うと、あくびをしたりしながら去っていった。 

 彼はほっとすると同時に、自分が大変なところに迷い込んでしまったことを悟った。

「やれやれ……これはどう見ても現代じゃないな……仕方ない、夜までここで隠れてるか」

 先程の兵士達の様子から見るに、それほど真面目に警備をしてはいないようだ。それなら、夜になれば動きやすくもなるだろう。戦えないこともないが、無関係な人を傷つけたくない。

「はぁ……勝手に何日もいなくなって、後でイルマ隊長になんて言おうか……それにレナ、怒ってるだろうな」

 落ち着いてくると、元の世界に置いてきた仲間達のことが浮かんでくる。しかし、考えていても始まらないと、芝生に寝転ぶと、今までの疲れもあってやがて静かに寝息を立て始めた。

 

 

 そして、太陽が天頂から一傾きほど動くころ、爆睡中の王女の部屋に忍び込む影があった。

"ぐがー……ぐがー"

 蟻一匹入り込めないほどがっちりと固められた寝室に、その男は手品のように壁をすり抜けて入ってきた。

「おやおや、おねむの途中ですか、じゃあちょっと失礼いたしまして……はい」

 男は、ポケットから風船を取り出すと、ぷーっと息を吹き込んで膨らませて、それをイザベラの目の前で、針でつんっと突っついた。

 当然、彼女の目の前で十人くらいが一斉に手を叩いたような音がして、いっぺんに彼女は飛び起きた。

「ななな? なんだ、いったいなんだ!?」

「おはようございます。お姫様」

 ベッドから落ちかけてシーツにしがみつくイザベラの視界に、あの男の満面の笑顔が飛び込んできた。

「あっ、おおお、お前は、いったいどうやって入ってきた!!」

「ほほほ、この程度のセキュリティなど、特に問題ではありませんよ。それよりも、約束どおりおみやげを持ってまいりましたよ」

 男は、人のよさそうな笑顔を浮かべると、丁寧に包装された小箱を手渡した。

「お改めください。つまらないものですが、一生懸命探してまいりました一品です。さささ」

 その男のせかすような態度にイザベラは胡散臭いものを感じたものの、仕掛けを疑って臆病者呼ばわりされるのを嫌い、リボンをほどき、包み紙を解いて箱を開いてみた。するとそこには、子供の握りこぶし大の茶色く丸っこい塊が納まっていた。

「……球根?」

 それはまったく、何の変哲も無い球根であった。

「はい、綺麗な女性に一番似合うのはやっぱりお花ですからね。きっとイザベラ様にぴったりのお花が咲くと思いますよ」

「ざけんな! 花なんかあたしゃもう見飽きてるんだよ。それよりもさっさと死ね!」

 イザベラは衛兵を呼んで男を捕らえさせようとするが、やはり男は涼しい顔を崩さない。 

 怒った衛兵が攻撃を仕掛けても、ほほほと笑いながら軽くかわしてしまう。

 そして男は再び傘に乗ると、衛兵達などまるで最初からいないように、笑いながら窓の外に飛び出してイザベラに言った。

「いやあ、お気に召さなくて残念。ですが、それはあなたのために探してきた特別な球根、咲かせる花もまた特別なのですがねえ。仕方ありません、また来ましょう。ちょっと散歩してきましたが、ここは中々面白いです」

 男は、バイバイと手を振ると、またドロンと煙のように消えてしまった。

 だが、二度にわたってコケにされまくったイザベラは、怒り心頭で球根を握り締めると、渾身の力でそれを庭園の方へと投げ捨ててしまった。

「ふざけやがって……あたしは、あたしはガリアの王女だぞ……あの野郎、次は必ず殺してやる」

 タバサに似て、整った美しい顔立ちを醜く歪めて罵るイザベラの姿を、衛兵達が白い目で見ているのを、知らないのはその本人だけだった。

 

 

 一方、イザベラを屈辱に震わせた張本人は、追っ手を軽く煙にまいた後、スキップのような足取りで見張りのいない庭園の一角を歩いていた。

「ほっほっほっ……おや? あなたは」

 しかし、その前に、あの白い服の青年が立ちはだかった。

「おやおや……どうやらあなたも私のタイムワープに引きずられて、ここにやってきてしまったみたいですね」

「探したぞ……チャリジャ、1965年で怪獣を蘇らせた次は、今度はこんな時代で何を企んでいる!?」

 彼は腰のホルスターから銃を抜いて、チャリジャに向かって構えた。

「別に、わたくしも元の時代に帰ろうとしていたところを、ここに呼ばれてしまっただけですからね。気づいてませんか、ここは地球ではありません。よく似ていますが、別の星のようです。まあ、帰ろうと思えば帰れますけど、少々面白そうなのでもう少し滞在させてもらいます」

「そうはさせないぞ、また怪獣を呼び出して暴れさせるつもりだろう!」

「それはどうでしょうか? では、わたくしはまだお仕事が残っていますので、ここで失敬いたします」

「待て!」

 彼はチャリジャに向けて銃の引き金を引いた。だが、チャリジャはレーザーが当たる寸前に、また煙とともに消えてなくなってしまった。

「いったい、なにを企んでいる……」

 チャリジャのあざ笑う声が遠ざかっていく中、彼は呆然と日が傾き始めた空を見詰めていた。

 

 

 しかし、彼の心配は不幸にも的中していた。 

 その夜、月も山影に沈みゆくほどの深夜、犬を連れて警備巡回していた兵士が、庭園の片隅で芝生の中からぽつんと一輪だけ顔を出して咲いている赤い花を見つけた。見た目はチューリップに似ているが、それより赤みが強く全体的にとげとげしい雰囲気がある。

 おや、こんな花ここにあったかなと彼は不思議に思った。ヴェルサルテイル宮殿内の庭園はすべて専門の職人によって完全に管理され、一部の隙も無く人工的に作られた自然の理想郷を形成している。青々とした芝生の上に一輪だけ花が生えているなどありえなかったが、兵士はそれは自分の仕事ではないと、無視して行こうとした。だが連れている犬がその花を睨んで動こうとしない。

 どうした、と犬の鎖を引っ張ったけれど、犬は言うことを聞かず、その花に向かって吼え始めた。

「おいどうした。何の騒ぎだ?」

「いや、この犬が急に……」

 犬の声を聞きつけて、他の兵士達も集まってきた。

 目の前には相変わらず、見慣れぬ一輪の花しかない。だが、犬はそこに何か得体の知れないものがいるかのように吼えるのをやめない。

 そして、信じられないことが兵士達の目の前で起こった!

「! なんだあれは!?」

 一人の兵士が、芝生の間をすり抜ける蛇のようなものを見た次の瞬間だった。それは犬の前足と体に瞬時に巻きついて、大人ほどもある体格のその犬をすさまじい力で花の根元まで引きずっていき、まるで飲み込むように地面の下に引きずり込んでしまったではないか!

「う、うわわわぁぁぁ!!」

「花が、花が犬を食っちまったぁ!?」

 人食い花、このハルケギニアではそれはおとぎ話ではない。密林の奥深くに潜んで獲物を狙う食肉植物は図鑑にも確かに存在する。きれいな花だと思って獲物がのこのこ近づいてきたところを、地中に潜んだ本体が捕らえて捕食するのだ。

 過去にも、これによって全滅させられた探検隊や、枯れた食肉植物の中から大量の人骨が発見されたなどという、恐ろしい実例も報告されている。

 耳を澄ませば、獲物を捕らえる触手のようなツタが地面をはいずってくる音がまた聞こえる。

 兵士達は取るものもとりあえず逃げ出した。

「に、逃げろ喰われるぞ!!」

「た、助けてくれぇー!」

「俺達じゃ手に負えん、花壇騎士を呼べ!!」

 

 庭園の中に食肉植物が現れたという報告は、恐怖に震えた兵士によってすぐさま花壇騎士団へと伝えられた。

 これを受け、ガリア東花壇警護騎士団団長、バッツ・カステルモールは一個小隊を率いてただちに出動し、連絡のあった庭園の一角を封鎖し、目的の花を包囲した。

「あれが、そうか?」

「はい、あれの根元から突然ツルみたいなものが生えてきて、犬を絡めとるとそのまま引きずり込んでしまったんです」

 ガダガタ震えている兵士から話を聞き、彼を下がらせると、カステルモールは見慣れない形の花を睨みつけた。

 何故こんな場所に辺境にしか生息しないはずの食肉植物が現れただろうか? いや、それは後で考えればいい。それ以上にあれを野放しにして、万一繁殖でもされたら一大事、犠牲者が犬一匹のうちに始末してしまおうと決意した。

 それに、ここは悪いことに王女イザベラの寝室のすぐそば、騒ぎが大きくなって感づかれたら面倒だ。

「よし、全隊それ以上近づくな。とにかく、怪しいものは一応処分しよう。土、および風系統の使い手、前に」

 食肉植物にとって、地上に出ている花の部分はあくまで獲物をおびき寄せるための疑似餌、いわばチョウチンアンコウの触覚のようなものだ。焼こうが引っこ抜こうが、地下の本体を枯らせない限りいくらでもまた生えてくる。

 そこで、まずは土系統のメイジによって周辺の土を金属化して食肉植物の動きを封じるとともに、それを伝導体として風系統のメイジが雷撃を発射する風のトライアングルスペル『ライトニング・クラウド』で地下の本体を電撃で感電死させる。

 そうなると、さすが王宮警護の精鋭部隊、瞬く間に布陣を終え、団長の命令を待つだけとなった。

「ようし、一撃で仕留めろよ……『錬金!』」

 命令一過、五人の土メイジが目標の地面を一斉に鉄に変える。これで、食肉植物の武器であるツルが出てくることはない。後は、隊長以下の雷撃によってとどめを刺すだけだ。

「これまでだ……『ライトニング・クラウド!!』」

 カステルモールと、四人のメイジの杖の先から強烈な閃光と雷鳴を伴った太い電撃の束が、鉄と化した地面へと吸い込まれていく。一人一人でも強力だが、これだけ集めると本物の雷にも匹敵する威力となる。

 これにより、瞬時に鉄は電熱により赤熱化し、その直下にあるはずの食肉植物の本体も焼き尽くされて枯れ果てるはずであった。

「終わったな……我ら東花壇騎士隊の五連雷撃はミノタウロスすら瞬時に絶命させる。食肉植物ごとき、今頃は地中で炭と化しているだろう」

 そう、普通の食肉植物であったなら、そうなっていただろう……

 しかし、その植物の名はチグリスフラワー。これが持つ特性の恐ろしさを彼らは知らない……

 

 突如、東花壇騎士団の足元から突き上げるような衝撃が襲ってきたかと思うと、マグニチュード七以上ものとてつもない揺れが彼らを翻弄した。

「うわぁぁっ!?」

 メイジ達は突然のことに対処できずに、地面を転げまわった。

 だが、本当の恐怖はこれからだった。

 赤い花の生えていた場所を基点にして、地面に亀裂が走った。そこが盛り上がっていったかと思うと、そこから周り三十メイルを越えるかのような巨大な赤い花が現れたのだ。

「花の……化け物」

 東花壇騎士の団員達は口を揃えてそう言った。

 けれど、それは氷山の一角に過ぎない。土の中から、大木のように太いムチ、巨大な鎌、それとつながる爬虫類のような外皮を持った二足歩行の胴体、そしてその上に乗る鋭い牙の生えたワニのような頭……

 かつて地球でウルトラマンタロウを苦しめた宇宙大怪獣アストロモンスが出現した!!

 

「か、か、怪獣だぁーっ!!」

 

 アストロモンスは大きく遠吠えをあげると、庭園、花壇を踏み荒らし、腕のムチと鎌を振り回して暴れ始めた。

 さしものカステルモールをはじめとする東花壇騎士団も、これにはどうすることもできずに蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 その様子を、離れた場所からにこやかな笑顔でチャリジャは見ていた。

「ははは、ヤナカーギーがやっつけられてがっくりきてましたが、こんな掘り出し物を見つけられるとはついてますね。いけぇーアストロモンス! 破壊だ、手当たり次第に破壊しろ!」

 チャリジャが傘を構えて念じると、その姿が奇怪な姿の宇宙人に変身した。

 

 深夜のヴェルサルテイル宮殿は一瞬にして阿鼻叫喚の巷に変貌した。

「なんだ、いったい何事だい!?」

 就寝中を轟音で叩き起こされたイザベラは、手近にいた使用人を捕まえて問いただした。

「に、庭に突然怪物が! あ、あれです!」

「なに? なっ、なんだいあれは!?」

 窓から入ってくる星明りに怪しくうごめく巨大なシルエットを見て、さすがのイザベラも愕然とした。

 怪獣は、両手のムチと鎌を振り回し、近づくメイジや飛竜などを次々と蹴散らしている。象に挑む蟻どころか、火中に飛び込む蛾のようだ。

「何してんだい役立たずどもめ、あんな怪物一匹仕留められないのかい!」

「そんな! 怪獣に人間が敵うはずがありませんよ!」

「なんだと! ……そうだ、お前今すぐにあの人形娘を呼び戻しな、あいつに仕留めさせるんだよ」

 使用人は、その命令とさえ言えないめちゃくちゃなイザベラの言葉に慄然とした。この王女の衣装を着た狂人は王宮の危機すら利用して、我等の本当の王女を殺そうとしている。

 彼が躊躇していると、イザベラはいらだったように言った。

「なにをしてるんだい、"ただちにリュティスに帰還しろ"それを届けりゃいいだけだろが、さっさといきな。それとも、お前の家族もろとも辺境で一生石炭掘りでもさせてやろうか?」

「はい……」

 彼は、血を吐くような思いで、命令を実行するために魔法人形の保管されている工房へ向かった。あそこはまだ破壊されていないし、重要施設だからメイジも残っているだろう。彼は心の中で血の涙を流してシャルロットに詫びながら走った。

「ちっ、まったくどいつもこいつも愚図め」

 走り去っていった使用人の姿を見送り、イザベラは不愉快そうに吐き捨てた。よく見れば城内にはもう誰もいない。すでに怪獣におびえて逃げ去ってしまっていたのだが、それを知らないイザベラは王女を放り出していったいどこに行ったのかと憤慨した。

 だがしかし、思慮の浅い彼女は、自分がこのあたりでもっとも目立つ建物の中に居ることを忘れていた。

 振り下ろされてきた巨木ほどの太さと長さ、そして重さを持つアストロモンスのムチがプチ・トロワの天井を直撃する。イザベラが自身の愚かさを悟る間もなく、轟音とともに城の天井が抜け落ち、周囲の壁が音を立てて崩れ始めた。

「ひ、きゃあぁーっ!!」

 イザベラは絹を引き裂くような悲鳴をあげて、その場にうずくまった。

 その上に、巨大な瓦礫が怒涛のように降り注いでくる……

 

 いまや、宮殿は完全にアストロモンスの遊び場と化していた。

 壮麗な大理石で作られたプチ・トロワも、怪獣の破壊力の前では砂の城同然だった。

 東、西、南、どの警護花壇騎士団もアストロモンスの暴虐を止めることはできない。中には無謀にも、この宇宙大怪獣に挑んでいった者もいたが、それはかつてベロクロンに挑んだトリステイン魔法衛士隊とまったく同じ運命を辿ることになった。

「団長、このままではヴェルサルテイル宮殿が……いえ、リュティスが滅んでしまいます」

 散り散りになった団員をなんとかまとめたが、カステルモールも破壊されていくプチ・トロワを呆然と見つめているしかできなかった。

「全員、城内の人間の避難を最優先に行動、これ以上犠牲者を増やすな」

「はっ……あの、姫……様はどういたしましょうか?」

「……」

 沈黙、それがカステルモールが花壇騎士全員を代表して示した雄弁かつ明確な回答であった。

「はっ、東花壇警護騎士団、これより宮殿内の避難誘導に当たります」

 彼らは、プチ・トロワとは反対の方向へと散っていった。

 

 だが、完全に瓦礫の山と化したプチ・トロワの中で、イザベラは奇跡的に生き延びていた。

 彼女のためにあつらえられた純白のシルクのネグリジェは、ほこりまみれで見る影も無い。それでもイザベラ自身は魔力の障壁に守られて、あの瓦礫の雪崩を切り抜けていた。万一の暗殺に備えるために、王族が常に身に着けている一度だけ持ち主の危機を救う魔法のイヤリングの効果だったが、それも役目を果たして砕け散った。

「わたしの……わたしの城が……誰か! 誰かいないのかい!!」

 大声で叫んだが、廃墟と化した周りからは誰の返事もなかった。

 しかし、その声を聞きつけたのか、重々しい足音がだんだんとイザベラのほうに近づいてくる。

 それと同時に星明りに怪しく光り、赤く毒々しい花弁を持つ巨大な花が闇の中からうごめく。アストロモンスが引き返してきたのだ!!

「ひ……ああーっ!!」

 悲鳴をあげ、裸足のままでイザベラは逃げ出した。

 瓦礫を掻き分け、芝生に飛び込み、必死で走るが大きな足音は背後からどんどんと迫ってくる。

 そのとき、逃げ遅れていたのか一人の使用人の姿を見つけて飛びついた。

「おいお前! わたしを背負って走れ!」

「なに! うるせえこの野郎!」

 その使用人はイザベラを突き倒すと、あっという間に走り去っていった。

「ぐっ……ち、ちきしょうが!」

 すりむいて毒づくイザベラだったが、アストロモンスは遠慮なく迫ってくる。振るわれたムチが彼女のかたわらの木々を五、六本まとめてへし折って、折れた枝や木の葉が降り注いできた。

 再び逃げ出そうとするイザベラ。その前に、逃げ遅れた者と見たのか、飛竜に乗った騎士が一人降りてきてくれた。

「おお、よく来た! さあ、早くわたしを乗せな」

「……ちっ」

 しかしその騎士は相手がイザベラだと知ると、舌打ちをして飛び去ってしまった。

「お、おいなんで行ってしまうんだ!! わたしを助けろ! ひっ、きゃぁぁっ!」

 逃げる、走って逃げるしかできない。

 足の裏は擦り切れ、体のあちこちからは血がにじみ、運動などほとんどしたことのない体は悲鳴をあげる。

 それでも、生きたい、死にたくないという思いだけが彼女を人のいる方向へと走らせる。

「誰か! 誰でもいいからあたしを助けろ! そうしたら貴族に取り立ててやるぞ!」

 泥まみれになった髪を振り乱し、出会う人間にそう叫びながらイザベラは走った。

 だが、彼女がイザベラだと知ると、誰もが顔をしかめて逃げていく。

 そして、ついに走る力も失って倒れこんだとき、最後に身近に残っていた執事らしき男の足首を必死に掴み、あるだけの威厳と権威を込めて言った。

「あ……たしを、安全な場所まで……連れていけ……」

 けれど、その男はぼろ雑巾のようになったイザベラを一瞥すると、乱暴にその手を振り払って一言だけ。

「死ね!」

 そう言い放って逃げていった。

 彼女は、その男の顔に見覚えがあった。毎日彼女に食事と菓子を運び、常に礼儀正しく、どんなわがままにも黙って従ってきた忠実な犬のような男だった。

 そして、イザベラの周りには誰もいなくなった。

 

 ……そうか、やっぱりみんなわたしをだましてたんだ……誰もわたしを助けてはくれないんだ……

 

 冷たい地面にはいつくばって、イザベラはようやく自分がとうに全てを失っていたんだと知った。

 もう、手も足も動かない。動かす気も起きない。

 怪獣はもう数歩歩けば、彼女を虫けらのように踏み潰していくだろう。

 自分が死んだら、誰もが笑って喜ぶのだろう。あの父は、恐らく涙ひとつこぼさないに違いない。

 死ぬことでのみ、人のためになれる。だったら自分という存在はいったいなんだったのだろうか……

「は、ははは、あはははは……」

 絶望の、乾いた笑いが口から零れ落ちてきた。

 アストロモンスの足の裏さえもう見える。

 地獄とは、どんな場所なのだろうか……そこに落ちた自分を、シャルロットはどんな目で見るのか。

 自然に涙もあふれてくる。

 あと瞬きひとつすれば、あの巨大な足は自分の上に覆いかぶさってくるだろう。

 イザベラは、目を閉じようとした……そのとき!!

「危ない!!」

 突如、誰かの腕が彼女を抱え上げ、そのまま間一髪のところで圧死から救い上げると、彼女を抱きかかえたまま駆け出した。

「あ、あんたは……?」

「しゃべらないで、舌を噛むよ」

 虚ろな意識の中で、イザベラはその誰かの顔を見た。

 見たことも無い白い服を着た、凛々しい顔つきの青年だった。

 

 彼は物陰にイザベラを下ろすと、泥まみれになった彼女の顔をハンカチでぬぐってくれた。

 そして、もう一枚ハンカチを取り出すと、それを幾つかに裂いて、彼女の手足の傷を覆って応急手当を施した。

「いいかい、ここから動いちゃいけないよ。すぐに助けがくるからね」

 うそだ、誰もあたしなんかを助けに来やしないと彼女は思ったが、その青年の言葉はなぜか安心できるものがあった。

「あなたの……名前は……?」

「……マドカ・ダイゴ」

 薄れゆく意識の中でイザベラの心に、手のひらに握らされた一枚のハンカチの感触と、その一言だけが残った。

 

 だが、イザベラの姿を見失ったアストロモンスは、その姿を捜し求め、遂に二人を見つけるや再び進撃を開始する。

 ダイゴは、眠り姫の体を壁に寄りかからせると、アストロモンスの正面に立ちはだかり、懐から先端が二股に分かれて、中央にクリスタルが埋め込まれた金色のスティックを取り出し、それを天に掲げて叫んだ。

 

「ティガ!!」

 

 眩い光が天を貫き、光が形となって顕現する。

 三千万年前の光の巨人の末裔が、時空を超えて降り立った!!

 

「エース……?」

「いや、違う……しかし、あの巨人もウルトラマンだ」

 

 

 続く



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第30話  ガリア花壇の赤い花 (後編)

 第30話

 ガリア花壇の赤い花 (後編)

 

 宇宙魔人 チャリジャ

 宇宙大怪獣 アストロモンス

 ウルトラマンティガ 登場!

 

 

 ウルトラ兄弟のいる地球とも、ハルケギニアとも次元を隔てたある世界に、もう一つの地球がある。

 そこは、我々のいる世界とよく似ていて、怪獣や宇宙人が現れ、人間がそれに立ち向かっていく。

 しかし、怪獣たちの脅威はときに人の力を上回る。

 そんなとき、その世界にもまた人類のために戦う光の戦士がいた。

 超古代の遺伝子を受け継ぐ青年、マドカ・ダイゴは三千万年前の光の巨人の力を受け継ぎ、闇の力に立ち向かう。

 力の赤と、速さの紫をその身にまとって、いかな敵にも屈しはしない。

 その名は……ウルトラマンティガ!!

 

 

「ショワッ!!」

 街影から望む朝日を受けて、今ティガがハルケギニアの地に立ち上がった。

 迎える敵は、宇宙大怪獣アストロモンス、かつては超獣を倒したこともある超強力な大怪獣だ。

 

「フッフッフッ……やはり来ましたね、ウルトラマンティガ」

 アストロモンスの肩あたりに、チャリジャがいつの間にか浮かんでいた。

「……!」

「1965年の世界では、あなたとウルトラマンのおかげでヤナカーギーがやられてしまいましたが、今度の怪獣もけっこう強いですよ」

 彼らは、ここに来る以前に、地球の過去の時代にタイムスリップして戦っていた。そこで、チャリジャの復活させた宇宙恐竜ヤナカーギーは倒され、元の時代に戻る途中にチャリジャの時空移動にイザベラの魔法が干渉し、ダイゴはそれに巻き込まれてしまった形になる。

 チャリジャがなにを考えているのかはいまだにわからないが、このまま怪獣を次々に復活させられてはかなわない。こいつはここで倒す!

「では、か弱いわたくしはこのあたりで失敬します。頑張ってくださいね」

 チャリジャはドロンとテレポートして消えた。

 残されたアストロモンスは、右手のムチと左手の鎌を振りかざして雄たけびをあげる。

 

「デャッ!!」

 

 ティガも右手を前にして構え、アストロモンスに向かっていく。

 先手はティガ! 振り下ろされてきたムチをかいくぐったミドルキックがアストロモンスの脇腹を打ち、巨体を揺さぶる。

 けれど、宇宙大怪獣にとってその程度の打撃はたいしたダメージにはならない。むろん、ティガもこれくらいで倒せる相手だとは思っていない。

 ティガはアストロモンスが斬りつけてきた鎌を白刃取りのように受け止めて流した。さらに至近距離から膝蹴り、ひじ打ちを叩き込む。

「タアッ!」

 流れるような連続攻撃が巨大怪獣の体を打ちのめしていく。

 

 その勇姿に、避難しかけていた人々も振り返って熱い声援を送り始めた。

 ウルトラマン、かつて壊滅しかけていたトリステインに現れて以来、幾度となく異世界からの侵略者と戦い続けている謎の巨人。

 トリステインからガリアに移ってきた人々は、あれはトリステインに現れたエースとは違うと主張したが、正体がなんであれ、人間のために戦ってくれているのは間違いない。

 

「テァッ!」

 怪獣の突進してくる勢いを利用して、合気道のようにこれを投げ飛ばす。

 確かに体格ではティガはアストロモンスより一回り小さいものの、その代わりに格闘テクニックと俊敏さでは負けていない。その攻撃の先を読み、最適の反撃を繰り出していく。

 だが、アストロモンスもチャリジャが駆け回って探してきた怪獣だ。右手のムチをでたらめに振り回し、近づけさせないようにしながらティガの体を乱暴に痛めつける。

「グッ……」

 ガードしててもその上から衝撃が伝わってくる。中距離ではリーチの差でティガが不利だ。

 が、そのとき突然アストロモンスがムチでの攻撃をやめた。

 

「いまだ! 奴はスキだらけだぞ」

 人々からいっせいに歓声があがる。どうしてか、奴はムチも鎌もぶらりと垂れさがらさせていてスキだらけだ。今なら奴のどこであろうと攻撃しほうだいに見えたが、ティガはそれを躊躇した。あまりにも無防備すぎる。

 これは、誘いだ!

「ダッ……シャッ!」

 ティガは一歩だけアストロモンスに近寄ると、間髪入れずに後方へバック転で飛びのいた。

 すると、奴の腹の巨大な花の中央部から真っ白な煙が噴出してティガに襲い掛かった!!

「セァッ!!」

 ギリギリのところでその煙をかわしたティガの目の前で、煙を浴びた草花や建物の残骸が水をかけられた紙細工のようにドロドロになって溶けていく。強酸性の溶解液だ!

 間合いをとって、油断なくティガはアストロモンスに向かって構える。懐に飛び込めばこちらが有利だが、あのムチと鎌、さらにこの溶解液ではもう簡単に近づかせてはもらえまい。

 対してアストロモンスは、近づけさせなければ有利だと学習し、ムチを振り回しながら猛然と迫ってくる。

「……」

 ティガは逃げずに、向かってくるアストロモンスをじっと見据える。

 そして、両者の距離が一足の間合いとなり、巨大なムチが高く振り上げられたとき、ティガはひざを突き、両手を胸の前でX字に揃えた。

「あっ!」

 人々は、一瞬後に起こるであろう惨事を予感して、ある者は目をそらし、ある者は目をつぶった。

 しかし、視線をそらさずにティガを見つめ続けていた人たちはまったく違う展開を、その生涯の記憶に焼き付けた。

 ティガの胸の金色のプロテクターが一瞬輝き、両手が水平に押し出されると、そこから三日月形の光の刃が飛び出した!!

『ティガスライサー!』

 それは振り下ろされてくるムチの真ん中を捉えると、大根のようにスパッと巨木ほどの太さがあるムチを輪切りにしてしまった。

「タッ!」

 ムチを失って慌てふためくアストロモンスに、ティガの猛反撃が開始された。

 一気に距離を詰めてハイ、ミドル、ローキックを打ち込み、ジャンプして頭にチョップを打ち下ろす。

「タァッ!」

 さらにふらつくアストロモンスのどてっぱらに向けて、渾身のパンチを送り込む。

 だが。

「ヘヤッ!?」

 アストロモンスの腹の花の中央部に命中したパンチが抜けない。

 いや、それどころかティガの腕が花の中へとズブズブと呑み込まれていくではないか!

「ウァァッ!!」

 これこそ、アストロモンス最大の隠し技。かつて出現した個体が超獣オイルドリンカーを丸呑みしてしまったように、奴の花はもう一つの口となっているのだ。

「ああっ、ウルトラマンが喰われる!」

 ティガはふんばるが、奴の吸引力のほうが強い。このままでは人々の悲鳴のままに、ティガはアストロモンスのエサにされてしまう。

 アストロモンスはこれで勝利を確信したのか、小気味良く喉を鳴らしてひじまで呑み込まれてしまったティガを見下ろしている。

 だが、そのとき!!

「ヌゥゥ、デャァッ!!」

 ティガの額が輝いたかと思うと、その身を包んでいた色が一瞬にして真紅に変化した。

 

『ウルトラマンティガ・パワータイプ』

 

 これこそティガの真骨頂 『タイプチェンジ能力』 ティガは戦況に合わせてバランスの基本形態から、力とスピードの二つの形態に自在に変化することができるのだ!

 そしてこれがその一つ、無双の超怪力を発揮する赤のパワータイプだ。

 燃えるような赤に身を包んだティガは、腕が呑み込まれた状態のままアストロモンスの巨体を軽々と持ち上げると、自身をコマの軸に見立てて大きく回転しはじめた。

「ダァァッ!!」

 回転で強烈な遠心力が加わって、風車のようにアストロモンスの巨体が回転する。

 それは普通に引き抜くよりも強いパワーを与えただけでなく、回転によってアストロモンスの三半規管を麻痺させ、吸い込む力を弱めさせた。

「ダアッ!!」

 一気に勢いを加えた瞬間、遂にティガの腕がアストロモンスの花から吐き出された。

 それと同時に回転軸を失った羽根の部分は、遠心力に導かれるままに放り出されて庭園の芝生の上に転がった。着地で巻き上がる土煙と砕かれた草木が宙を舞う、しかしアストロモンスは回転で酔いながらもまだ起き上がってくる。

 だがそれを見逃すティガではない。奴が反撃できない隙に駆け寄って、奴の左手に残った巨大な鎌を両手で掴み、それを勢い良くひざに叩きつけると、大鎌は枯木が折れるような音を立てて真っ二つにへし折れた。

 アストロモンスは自失していたところに、左腕をへし折られたショックで強烈な悲鳴をあげる。

 これで、もう奴に武器は腹からの溶解液しか残っていない。それとて、至近距離で真正面にいなければ喰らいはしない。距離をとってティガはとどめの体勢に入った!

「セヤッ!!」

 ティガが両手を下向きに広げると、赤熱するエネルギーが両手を上に上げるに従って集まっていく。そして頭上に掲げられたときには太陽のように真赤に燃える球体となって、ティガはそれを投げつけるようにアストロモンスに向けて発射した!!

『デラシウム光流!!』

 炎のボールは燃え盛る炎の河となってアストロモンスに向かう。

 しかし、命中直前アストロモンスはその巨体のどこにそんな力があるのか、鳥のように羽ばたいて空に飛び上がっていってしまったではないか。

 逃げる気か!!

 誰もがそう思った。両腕を失い、怪獣にもう巨人に勝つ術はなくなった。ならば余力があるうちに逃げ去るしかない。

 翼もないその図体からは想像もできないが、アストロモンスはなんと空中をマッハ三もの超スピードで飛行する能力を持っている。このままでは逃げられてしまう。

 ティガの飛行速度はパワータイプで同等のマッハ三。すでに戦い始めてから相当時間も経ち、ティガの活動制限時間である三分に近づき、カラータイマーも点滅を始めている、このままでは追いつけない。

 ただし、そのままであるならば。

「ハッ!!」

 両腕を額の前で交差し、額の輝きと同時に振り下ろすと、今度はその身を包む色が赤から一瞬にして紫に変化する。

 

『ウルトラマンティガ・スカイタイプ』

 

 力のパワータイプから素早さのスカイタイプへ、タイプチェンジによってティガに対応できない戦場などない!

「ショワッチ!!」

 俊敏性を最大まで高めた姿でティガは飛翔した。この姿のときの飛行速度はマッハ七、あっという間にリュティス上空でアストロモンスの背後に追いつく。

 

 その風を切り、朝日を浴びて輝く勇姿に、目を覚ましたリュティスの市民達も空を見上げて見とれる。

「みんな、空を見ろ!」

「怪獣、それに……」

「ウルトラマン!!」

 たとえ地球でもハルケギニアでも、光の巨人が人々の希望であることに違いは無い。

 

「シャッ!!」

 圧倒的なスピード差でアストロモンスの上空に出たティガは、天空から急降下キックを奴の背中におみまいした。

 見事命中、背骨を逆向きに強制的に変形させられて、裂けた口から苦悶の声があがる。

 だが、ティガはうかつに奴を撃ち落すわけにはいかない、下は市街地、墜落すれば甚大な被害が出る。

 ティガはアストロモンスの真後ろにつけると、奴の背後から狙いをつけて、右手から青白い光線を放った!

『ティガフリーザー!!』

 冷凍光線が奴の下半身から瞬時にして氷付けにし、行動の自由と飛行能力を奪う。

 そして墜落していくアストロモンスを空中で受け止めると、そのまま力いっぱい宮殿の方向へ向かって投げ飛ばした。

「デャァッ!!」

 クルクル回転しながらアストロモンスは隕石のようにヴェルサルテイル宮殿の庭園に落下し、荒れ果てていたそこにさらに巨大なクレーターを轟音とともに新造した。

 しかし、それでもまだ奴は生きていた。

 墜落のショックで氷が砕け、全身ボロボロになりながらもまだ起き上がってくる。

 恐るべき生命力……そう、生物を超えた生物、それが怪獣なのだ。

 その目の前に、ティガは昇り行く朝日を背に浴びながらゆっくりと降り立ち、正面で両腕をクロスさせ、かけ声と共に三度その姿を変えた。

「ハッ!!」

 それは、最初にティガが現れたときの、銀色の体に赤と紫を併せ持つティガの基本スタイル。

 

『ウルトラマンティガ・マルチタイプ』

 

 そしてティガはアストロモンスを見据えると、両腕を素早く正面に向かって突き出した。

 一瞬の閃光。さらにその腕を左右両側に向かってゆっくりと広げていくに従って、ティガのカラータイマーに向かって白い光が集まっていき、両腕を完全に開き終えたとき、光の力は極限まで高められ、ティガの最強必殺光線の準備が整った。

「デヤッ!!」

 瞬間、L字にクロスさせたティガの右腕から、白色の光線が放たれる!!

 

『ゼペリオン光線!!』

 

 光のエネルギーが奔流となってアストロモンスに吸い込まれていく。

 数々の凶悪怪獣を葬ってきた光の鉄槌の前には、いかな宇宙大怪獣とて耐えられない。わずかな断末魔を残した後、注ぎ込まれたエネルギーの内圧によって、瞬時に粉々の破片となって爆散した!!

(やった……)

 微塵に粉砕された怪獣の破片が朝日に輝いて、雪のように風に乗って飛んでいく。

 ティガは、ウルトラマンの勝利に湧く人々の歓声を背に受けて、天空を目指して飛び立った。

「ショワッチ!!」

 

 

 人の意思は、時に人に知られずにすれ違っていく。

 庭の片隅をひょこひょこと逃げてゆく白塗りの似非紳士の前に、ガッツスーパーガンを構えたダイゴが立ちふさがっていた。

「追い詰めたぞチャリジャ、これ以上この世界で好き勝手はさせない」

「うーん……あの怪獣にはちょっと自信があったんですが、さすが強いですねウルトラマンティガ……ですが、ちょっと相談なんですけど、ご存知の通り、この星で何をしようが地球には影響はありません。ですから、あなたを地球の元の時代に送り届けて差し上げますから、わたくしを見逃してはいただけないでしょうか?」

 チャリジャの持ちかけた取引に、しかしダイゴは断固として言い放った。

「だめだ、どこの星の人間だろうと、平等に平和に生きる権利がある。その平和を乱そうとしているお前を許すわけにはいかない!」

「……ですよね、仕方ありません。少し惜しいですが、この星ともそろそろお暇しましょう。お土産も充分にいただきましたし」

 チャリジャが脇に抱えたトランクケースを開けると、そこには様々な形のカプセルや、何かの種、用途不明な機械がぎっしりと詰まっていた。

「そいつは、まさか!」

「ご明察、私は怪獣バイヤーですからね。元手がかからずにこれだけ商品が集められて幸せいっぱいです。さて、それではお先に失礼します」

 トランクの中の装置のボタンがポチリと押されると、チャリジャの周りの空間が水飴のようにぐにゃりと渦を巻いて歪み始めた。

 ダイゴはとっさに引き金をしぼるが、ビームは空間の歪みに吸い込まれてチャリジャに届かない。

「では、さようなら」

「待て!!」

 チャリジャの姿は、渦の中に吸い込まれるように消えて行き、後を追ってダイゴも歪みの中に飛び込んでいった。

 ハルケギニアに二人の姿は消滅し、空間の歪みもそれを見どけるようにして消えた。

 その後、ダイゴは元の世界に帰還し、直後に南太平洋に復活した超古代遺跡ルルイエで邪神ガタノゾーアとの最後の戦いに望むことになる。

 彼が、ハルケギニアでのわずかな時間の出来事を思い出すことになるのは、それからしばらく後のことである。

 

 

 しかし、そのほんの一時は、カステルモールを初めとするガリアの人々にとっては生涯忘れえぬものとなって記憶に刻み付けられていた。

「以上が、私が見聞きして、可能な限り調べ上げたこの事件の概要です」

 戦いから半日が過ぎて、日も傾きかけたグラン・トロワの一室で、タバサはカステルモールからヴェルサルテイル宮殿を襲った怪獣と、それと戦ったウルトラマンの話を聞かされ終わった。

 話は、ダイゴに関することが入っていなかった以外はおおむね事実に則するものだった。イザベラが召喚した不思議な怪人物と、そいつが持ってきた球根。その直後に庭園に出現した食肉植物と、一連の出来事がその怪人物からつながっていることは明確に読み取ることが出来た。

「それで、その怪人は?」

「はっ、その後四方手を回していますが、発見されておりません。王女殿下もあの様子ですし、すでにどこかに逃げ去ったものかと思われますが……」

 実際に、花壇騎士の攻撃をものともしない相手だけに、捕まる可能性は低いだろう。その件はそれ以上の期待はできそうもなく、これは相手の出方を待つしかない。それよりも、当面問題なことは目の前にあった。

「わかった……けど、あれはどういうことなの?」

 ドアをわずかに開けて、二人は室内にいるイザベラの様子を覗き見た。

 そこにはベッドの上に腰掛けて、ぼぉっと宙を眺めている彼女の姿、しかしその目は虚ろで焦点が定まっておらず、ときおり思い出したように……

 

「ダイゴ……さま……」

 

 と、うわ言のようにつぶやいていて、こちらが何を言ってもまったく応答がないばかりか、顔中まるで熱病にでも侵されているように真っ赤にほてっていて、タバサには訳がわからない。

 しかもそれに混ざってときたま、「ああっ!」とか「胸が熱い……」とか意味不明なことを口走ってはベッドの上でもだえていて、正直気味が悪いことこの上ない。

「まさか……毒でも盛られた?」

 タバサは一瞬母を狂わせた水魔法の毒薬のことを思い出した。イザベラに同情する義理は無いが、もしそうだとすれば由々しき事態だ。けれどカステルモールはなぜか微笑を浮かべながら首を横に振って。

「いいえ、あれはもっと重くてやっかいな心の病です。しかも、誰でも一度は経験するね……はは」

 そう言うカステルモールがイザベラを見る目は、以前と違って『人間』を見るものであった。

 

 怪獣が倒された後、庭の片隅でボロボロの有様になったイザベラが発見されたとき、彼女は気絶しながらも、誰のものともわからないハンカチをしっかりと握り締めていた。しかも、体のあちこちにつけられていた傷は手当てされており、誰かが彼女を助けたのだということはすぐにわかった。

 この宮殿にイザベラを助けようなどと考える者は一人もいないはずだ。なのにいったい誰がこんなに丁寧な手当てをしていったのか……余計なことをと、彼女を恨む者達は思ったが、そのときイザベラがすうっと目を開いた。

「あんた……は?」

「!! ……はっ、東花壇騎士団長カステルモール、ただいま姫殿下をお救いに参上いたしました」

 目の前にいたカステルモールは驚いたが、とりあえず本心を押し殺して東花壇騎士団長として形式通りの挨拶をした。

 しかし、イザベラはぼおっと自失したままで、人形のように反応しようとしなかった。

「姫……様?」

 もしかして恐怖のあまりおかしくなられたのか? と、彼が思ったとき、イザベラはそのとき誰一人予想できなかった行動を起こした。

「助けに……来てくれた……ほん……とうに…………うっ、うえぇぇぇん!!」

 なんとイザベラは突然目に大粒の涙を浮かべると、まるで幼児のように大きな声をあげて泣き出した。

「ひっ姫様!?」

 今度は、騎士達が茫然自失することになった。てっきり何故もっと早く助けに来なかったなどと金切り声を上げて叱責されるものと予想していただけに、まるで幼児のように泣き喚く彼女の姿は、とてもあの傲慢な女と同じ人間だとは信じられなかったとしても仕方が無い。

「怖かった、怖かったよお……でも、でも本当に助けにきてくれたんだよな……」

 極限状態の中で、心を覆っていた虚栄の皮がはがされて、ただの小さな子供だけがそこにいた。

 カステルモールは泣きじゃくるイザベラの背中を優しくさすってやった。

 彼も、彼の部下達も大切なことを忘れていたことに気がついた。

 いくら王女であろうと、いくら捻じ曲がっていようと相手は子供。自分達は簒奪者の娘、王女と家来の関係だからと彼女の行動を正そうとはまったくしてこなかった。子供の尻のひとつも叩いてやれないで何が大人か、確かにイザベラが性悪だったのは間違いない。しかしそれを助長し、ここまで育ててきたのは自分達だ。

 やがて泣き疲れて彼女が眠ってしまうと、彼はその身を抱きかかえると、寝室まで丁重に運んだ。

 

 けれど、目を覚ました後にイザベラはあのとおりに誰かの名前を呼ぶばかりで、別人のように呆けているばかりだ。

「重くて……やっかいな病?」

「恋の病ってやつですよ。しかも、極めて重度のね……まぁ、間違いなく初恋でしょうから、強烈ですな」

「……」

 タバサには、それは理解の外にあるものだった。いつもキュルケが隣でうるさく講義しているから、知識として頭にはあるが、その人のことばかり頭に浮かんで他のことが考えられなくなるなどこれまで一切経験がなかった。

 それにしても、それはあの非人間の見本であったようなイザベラをここまで変えて、さらに周りから見る目までも変化させてしまうものなのだろうか。

「……どうすれば、治るの?」

「時間にまかせるしかありませんな。そのうち熱も冷めるというものでしょう……しかし、我らは正直ほっとしてるのです。あのイザベラ様に、こんな人間らしい……いや、可愛らしい一面があるのだと……」

「……」

 複雑な思いをタバサは抱いた。あのイザベラでさえ人間らしいというのなら、果たして自分はなんなのだろうかと。

「シャルロット様も、生きている限り必ずお分かりになる日が来ますよ……イザベラ様が今後どう変わっていくのか、それとも何も変わらないのか、それはまだ分かりませんが、しばらくはあなた様の元に無茶な指令が行くこともなくなるでしょう。王宮は、我らが責任をもってお守りしますので、あなた様はしばしお休みくださいませ」

 そう言いながらも、カステルモールは心に迷いが生まれるのを感じていた。これまで彼をはじめとした大勢のオルレアン派の者達は、いずれ簒奪者である現王と、その娘であるイザベラを追放してシャルロットを王座に迎えようと考えていたが、あの泣き顔を見たあとで、果たして自分はそれをできるだろうか……

 

 

 しかし、事態は彼らの思惑とは別に、さらに悪いほうへと動こうとしていた。

 グラン・トロワのさらに深奥、花壇騎士でさえ立ち入れない薄暗い一室に、薄笑いを浮かべた一人の男がいた。

「人を超えた巨人の力か……なかなかに興味深い……そうは思わんか、余のミューズ?」

 その男は、青い髪の下の暗く淀んだ瞳を細めて、水鏡に映し出されたティガとアストロモンスの戦いの記録を見ていた。

「おっしゃるとおりです……その力、手に入れば大望の成就のこの上ない力となりましょう。ですが、求めて手に入るものでもないかと……この力は人知を超えております」

 男の背後から、黒いローブに身を包んだ女性の声が響いた。しかし、男は顔色ひとつ変えずに、なおも低い声で言った。

「だろうな……この力は仮にエルフどもの力を借りたとしても及ぶまい。まさに神の領域、しかし……だからこそ手に入れたいものだ」

 まるで高価なおもちゃを親にねだる子供のように、男は見ようによっては無邪気にも、見ようによっては欲深い暴漢のようにも見える顔で、包み隠さずに本心を吐き出した。

 すると……

「では、少々お手伝いいたしましょうか?」

「誰だ!?」

 部屋の片隅の暗闇から、突如響いた軽口の言葉に、黒いローブの女性はとっさに身構えた。

「ほっほっほ……いえいえ、怪しい者ではございません。わたくし、こういうものでございます。どうかお見知りおきを……」

「……ほう、面白い……余に力を貸そうというのか……見返りはなんだ?」

「特に……ただあなたの領内でのわたくしの行動の自由さえくだされば……いや、やっぱりこの世界はあきらめるには惜しいですからね」

「ふ……よかろう」

 かつて、手に余る力を手にしようとした者達が辿った運命、それを彼らはまだ知らない。

 

 

 けれど、運命の歯車の行く手を知りえる者は、善にも悪にも一人も存在しない。

 このガリアでの事件も、ハルケギニア全てを覆う流れからすれば、ほんの一部の出来事でしかなかった。

 時を同じくして、ガリア、そしてトリステインからも北方に遠く離れた巨大な浮遊大陸国家アルビオン……その巨大な都市郡はおろか、にぎわう町々や、王軍と反乱軍との戦場からも離れた深い森の奥。そこにも、始まりの時は訪れようとしていた。

 

 深い森の奥の道なき道を、五才くらいの幼い少女が一人で息を切らせて走っていた。

 その後ろからは脂ぎった顔を血走らせて、手に手に凶悪な輝きを放つ刀や斧などを持つ男達、一目見て傭兵崩れか盗賊だとわかる風体の者達が追ってきていた。

「待てこのガキ!! てめえをとっつかまえりゃ、あのみょうちくりんな術を使う小娘に人質に使えるんだ。殺しゃしねえから黙って捕まりやがれ!!」

 彼らはつばを吐き散らし、口汚い言葉を吐き出しながら、藪の中を掻き分けて少女を追っていた。

 平らな場所であったら、鍛えた彼らは簡単に少女を捕らえられただろうが、藪や木立が密集する森の中では小柄な少女でもなんとか逃げれていた。

 しかし、それでも体力は差がありすぎる。次第に少女は追い詰められていった。 

「ぐすっ……テファお姉ちゃん」

 少女はそれでも捕まるまいと、半べそになる自分を励ましながら走った。

 木の実を多くとって仲間達を喜ばせてやろうと、うっかり森の奥に入りすぎてしまい、運悪く野盗の集団と出くわしてしまった。これで捕まってしまっては、自分のせいで仲間達や、一番大切な人がひどい目にあわされてしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けようと、彼女は必死に走り続けた。

 だが、もはや前すらろくに見えない中で、ひとつの藪を抜けて開けた場所に飛び出したとき、彼女はその正面にいた誰かと思いっきりぶつかってしまった。

「きゃっ!!」

 尻餅をついて、もうこれまでかと恐る恐るぶつかった相手を少女は見上げた。

 だが、その小さな目に映ったのは、荒くれた野盗ではなかった。

 それは、黒い服を着て、黒い帽子をかぶった長身の若い女性。少女は一瞬野盗の仲間かと思ったが、その女性は少女の目線にまで腰を落とすと、穏やかな口調で言った。

「どうした?」

 そこに野盗のような悪意やとげとげしさは微塵も感じられなかった。

 この人は違う……直感的にそう判断した少女は、必死で助けを求めた。

「助けて! 悪い奴らに追われてるの!」

 しかし、少女が言い終わる前に、追いついてきた野盗達が二人を取り囲んだ。

 数は全部で五人。リーダー格と思われる大柄な男を筆頭に、どいつも明らかに血でできたさびの浮いた刀を振りかざしている。

「やっと追いついたぜ……ん? なんだてめえは」

「おいてめえ、そのガキをこっちにわたしな、さもねえと痛い目を見るぜ」

「親分、こいつ女ですぜ。ついでにとっ捕まえていっしょに売り飛ばせばいい金になりやすぜ」

「そりゃいい、げへへへ」

 野盗達は荒い息を吐きながら、下品な声で品性のかけらもない相談を楽しそうにした。それが、野盗達が民衆を襲う上で相手への威嚇になると経験的に学んできたことだった。目の前で屈強な男達に余裕たっぷりでこんな話をされたら、普通の人間は恐怖で萎縮する。

 けれど、今度の相手は野盗達のつまらない経験が通じるような相手ではなかった。

「失せろ」

「なっ……なに!?」

 その女性は野盗達の会話などまるで耳に入っていないように、平然と『命令』した。 

「失せろ……目障りだ」

 そこには一片の恐怖もなく、野盗達の存在などまるで意に介していない……

 いや、それどころか、ただ立っているだけなのに、この光景を見る者がいたとしたら野盗の姿が森の木々と同化して見えるのではないかと思うほどに、絶対的なまでの存在感の差が彼女にはあった。

 そうなると、元々自制心など無きに等しい野盗達は、雀の涙ほどのプライドを傷つけられたことに激昂し、次々に獲物を二人に向かって振り上げた。

「やっちまえ!!」

「殺せ!!」

 怒りに我を忘れて、野盗達は当初の目的さえ忘れていた。

 少女はもうだめだと思って目をつぶる。しかし、黒い服の女はさっき少女に語りかけたときとまったく同じように少女にささやいた。

「掴まっていろ」

 彼女は少女を脇に抱えると、四方から斬りかかってくる野盗達を無視して、大地を蹴って跳躍した。

「なっ!?」

 驚いたのは野盗達である。武器が宙を切ったときには、相手は地上五メイルほどの高さまで一瞬で飛び上がっていたのだ。

 そして、重力に従って落ちてきたと思ったときには、彼らの視界は真っ黒に塗りつぶされた。

 野盗達が獲物を振り上げるより早く、彼らの顔面に回転しながら降下してきた彼女のキックが四人にほぼ同時に命中!! 華奢な体つきからは想像もできないほどに重い蹴りに、野盗達は何が起こったのかもわからないうちに顔面をへこませて意識を飛ばされた。

 残ったリーダー格の男は、あっという間に仲間が倒されたのを悪夢でも見ているかのように見ていたが、彼女に「仲間を連れてさっさと失せろ」と言い捨てられて、奇声をあげて切りかかっていった。しかし一瞬のうちに首根っこを締め上げられて悶絶させられたあげく、近場の木に投げ捨てられて無様に気を失った。

 その間、わずか十秒足らず。

 あっという間に五人の野盗を叩きのめし、彼らへの興味をなくした彼女は、抱えていた少女をゆっくりと地面に下ろした。

「大丈夫か?」

「……あ……はわわ」

 しかし少女はあまりにも信じられない出来事と、高速で振り回されたことで完全に我を失っていた。

 幸い目をつぶっていたせいで、野盗達の見苦しい姿は見ずにすんでいたが、追われていた恐怖から解放されたこともあって、幼い心にはショックが強かったようだ。

 すると彼女は少し困った顔をしたが、やがて思い出したようにポケットから何かを取り出すと、それを手のひらに乗せて少女の目の前に差し出した。

「……?」

 少女は一瞬なんだかわからなかったが、鼻孔に漂ってくる甘い香りをかぐと、混乱していた心がしだいに落ち着いていった。

 それは、包み紙にくるまれた丸い一粒の飴玉、そのどこにでもありそうな一粒を、大事そうに、しかし惜しげもなく差し出しながら、彼女は微笑を浮かべて言った。

 

「どうだ? 甘いぞ」

 

 

 続く



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第31話  宇宙正義の守護者 (前編)

 第31話

 宇宙正義の守護者 (前編)

 

 怪獣兵器 スコーピス

 サボテン超獣 サボテンダー

 ウルトラマンジャスティス 登場!!

 

 

 アルビオンの領土の中央部、サウスゴータと呼ばれる地方の一角の森林地帯の中に、ウェストウッドという小さな村がひっそりとある。

 ただし、村、といっても実際は小さな小屋が十件ばかりあるだけで、街道から離れていて人が訪れることもほとんどない。

 それに、この村には一般的な村人と呼べる人間はほとんどいなかった。なぜなら、この村の住人の九割以上は、皆が歳の頃十前後の少年少女ばかりだったからである。

 

「あと、それと、その果物をお願いします」

 

 そんな中で、唯一子供達と違う……といってもまだ幼さを残した顔つきの、大きな帽子をかぶった金髪の少女が、行商人から食物や衣類、生活雑貨の類を買い求めていた。

 大きな荷馬車からは様々な雑貨から、異国から運ばれてきたと見えるような珍しい物まで色とりどりに目を楽しませてくれる。ただし、行商人の人のよさそうな笑顔の下の肉体はがっしりと引き締められていて、半端な盗賊などはものともしないような戦士のような雰囲気も見える。もっとも、そうでなければこの戦時下で商品を持って歩くことなどはできないのかもしれないが……

 けれど、少女はそんな時代の息苦しさを感じさせない明るい笑顔を浮かべて行商人に言った。

「いつもありがとうございます。あなたが持ってきてくれるものは大変助かります」

「いえいえ、これも商売ですから……そうだ、お得意さんのお礼と言ってはなんですが、これを差し上げます」

 行商人は、ぽんと手を叩くと荷物の中から小さな鉢植えを取り出して少女に渡した。

「これは……なんですか?」

 少女は見たこともないその植物を見て首をかしげた。緑色で丸っこく、全体に鋭い針のようなとげがびっしりと生えている。

「それは、はるか南方の植物で、サボテンというそうです。私も最近知り合った商人から譲ってもらったんですが、私のような者が持っていても仕様が無いですからね。見てください、そのてっぺんのところ、つぼみがもうすぐ咲きそうですよ」

 見ると、球体の頭頂部に小さな赤いつぼみがかわいらしくついている。

 少女は満面の笑みを浮かべて行商人にお礼を言った。

「ありがとうございます。大事に育てます」

「お気にいってもらえてうれしいです。それでは、こちらにはまた二週間ほど後に寄らせていただきます」

 お代を受け取った行商人は、にこやかな笑顔で少女に頭を下げて、荷馬車で立ち去っていった。

 

 

 そして行商人を見送った少女は荷物を家の中に運び込もうと、かさばるそれを力いっぱい持ち上げて、一生懸命運び始めた。すべてが彼女を除いて子供用とはいえ、十数人分ともなればそれなりの量になる。

「ふぅ……最近は暑くなってきたわね。このサボテンは花壇のほうに置いておきましょう」

 十と数分のち、ようやく大体の荷物を室内に入れてほっと一息ついたとき、彼女の耳にその子供達の一人の声が飛び込んできた。

「ティファニアお姉ちゃん!」

「あら、ジムじゃない、どうしたの?」

 少女は、自分の名前を呼んできた少年の目線に腰を落として優しく尋ねた。

「大変なんだ、エマがどこにもいないんだ!」

「まぁ! いつからいないの!?」

「もうしばらく……あいつ、そろそろ北の森に木の実が生り始める時期って言ってたから、たぶん」

「大変! 村の外には野盗がいっぱいいるから、出ていっちゃだめって言ってあったのに」

 ティファニアは慌てて探しに出ようとした。行商人から、最近戦争が起こってあぶれた傭兵が野盗化してあちこちで被害が出ていると聞かされていたので、彼女なりに用心していたのだ。

 唯一の護身用の武器である魔法の杖を確認し、子供達に戻ってくるまで家から出ないようにと言い聞かせて、彼女は木の実の生っている北の森のほうへと駆け出した。

 しかし、村から出る寸前で、彼女は探しに行こうとした本人の元気な声を前から聞いた。

「テファおねえちゃーん!」

「エマ!!」

 胸の中に思いっきり飛び込んできたエマを、ティファニアは抱きとめて頭をなでてやった。

「もう、心配したんだから……怪我はなかった?」

「うん、悪い人達に追っかけられてすごく怖かったんだけど、あのお姉ちゃんに助けてもらったの」

 エマが指差した先には、あの黒服の女性が無言で立っていた。

「あなたが、エマを助けてくれたんですか?」

「野盗に追われていたところを偶然通りがかってな」

 彼女は無愛想に答えたが、エマはうれしそうに彼女の服のすそを掴んで助けられたことをティファニアに話した。

「このお姉ちゃんすごいんだよ。あっというまに悪い人たちをみんなやっつけちゃったんだから! ねえねえ、お姉ちゃんも魔法使いなの?」

「いや、だが似たようなものかもな……お前がこの子の保護者か、これからはもう少しきつく言い聞かせておくことだな」

「はっ、はい!」

 まるで母親に叱られたように、ティファニアは背筋を正して答えた。

 彼女は、それだけ言うと踵を返して立ち去ろうとしたが、ティファニアはその手をとると、慌てて引きとめようとした。

「待ってください! エマの危ないところを助けてもらったのに、そのままなんてできません。なにかお礼させてください」

「偶然通りすがって、そのついでに送ってきただけだ。旅の途中なのでな、気にすることはない」

「じゃあ、せめて一晩泊まっていってください。もうすぐ暗くなりますし、夜の一人歩きは危険です」

 彼女は眉ひとつ動かさずに少しの間考え込んでいた。はっきり言って野盗などいくら来ようとものの数ではないが、この娘はこちらがうんと言うまで離してくれそうにない。かといって無理矢理引き剥がしていくのもどうかと思っていたら、エマも服のすそをつかんで絶対に離さないよと意思表示をし始めた。

「ねえお姉ちゃん、一晩でいいから寄っていってよ。テファお姉ちゃんのお料理はすごくおいしいんだから、ねえ」

 その、子供ならではの純真な瞳に、彼女もついに根負けしたかのように、ふぅと息をついた。

「……わかった、一晩だけやっかいになることにしよう」

「よかった! 子供たちも喜びますわ。わたしはティファニア、みんなはテファって呼びます。あなたのお名前は?」

「ジュリ、そう呼んでもらえればいい」

 こうして、不思議な旅人を加えてウェストウッドの日は落ちていった。

 

 

 日が落ちると、その日の森の空は満点の星空に変わった。

 地球のようなネオンの輝きやスモッグによる邪魔もなく、二つの月を囲むように幾億の星星と、それが織り成す大銀河が天空を銀色に明るく染めている。

 ティファニアの家から料理のできるよい香りの煙が漂いはじめるころには、彼女の家の居間は待ちに待った夕食と、思いもかけない客人の来訪にはしゃぎ立つ子供達の騒ぎ声で、そこだけ別世界のようににぎやかになっていた。

 子供達は、最初無表情で椅子に腰掛けている黒服の女性に警戒心を見せたが、ティファニアがエマが森で助けられたことを話して、そのエマが母親にするようにジュリのひざの上に飛び込んでいくと気を許した。一斉にジュリを取り囲んで、どこから来たのとか、桃りんご好きとか色々勝手なことを聞き始めて、ティファニアが座りなさいと声をかけるまでジュリは落ち着くどころではなかった。

 ただ、食事時になっても何故かティファニアは帽子を目深にかぶったままで、室内では邪魔であろうに外そうとはしていなかった。もっとも、帽子をかぶったままなのはジュリも同じで、ティファニアはそのことを指摘されるかもと思っていたが、ジュリは気にした様子をまったく見せないので、少し安心できていた。

「それでジュリさんは、どうして旅をしてらっしゃるんですか?」

 夕食のシチューを行儀よくスプーンで口に運びながら、ティファニアはなんとなく聞いてみた。

「……ずっと追っているやつが、このあたりに逃げ込んでな。今度こそ始末しようと探しているのだが、気配を隠しているらしく、なかなか見つからん」

「追ってきたって……ジュリさんって、お役人なんですか?」

「いいや、宇宙正義に基づき、宇宙の秩序を乱すものを排除するのが私の使命だ」

「はあ……」

 ティファニアはよくわからないと、大きな瞳をぱちくりしながら聞いていた。

「それで、ジュリさんが追ってきた相手って?」

「スコーピス、数多の星を滅ぼした宇宙怪獣サンドロスの使い魔の、その最後の一体だ」

「星って、お空のあの星のことですか?」

「そうだ、お前たちには理解しづらいかもしれんが、あの星星にはここと同じように様々な文明が存在している。ただ、とてつもなく遠いからここからでは小さな点にしか見えんし、この星の人間の力ではそれを知ることもできないがな」

「はあ……」

 話はティファニアの理解できるレベルをはるかに超えていた。子供達にいたっては、まるで外国語を聞いているようにぼんやりして、シチューをかきこむことのほうに集中していた。

 けれど、今の話にたったひとつだけティファニアにも理解できる部分があった。

「あのお、使い魔って、魔法使いの人が使役してるっていう、動物なんかのことですよね。つまり……そのサンドロスっていう人の使い魔のスコーピスという生き物が逃げ出して、ジュリさんはそれを追いかけているということですか?」

「ふむ、まあそういうことにしておくか……ここまで二体逃げてきた中で一体は撃ち落し、その後気配が消えた。恐らくこの星の何者かに倒されたのだろうが、残る一体は私が必ず始末する」

 それならばティファニアにも理解できた。要するに、悪い人の悪い使い魔が逃げ出して、ジュリはそれを追っているということだ。

 だが、スプーンを握ったままティファニアがうなづいていると、今度はジュリのほうが話を振ってきた。

「このあたりで、何か最近変わった話を聞いたり見たりしたことはないか? 例えば空から何かが降ってきたり、森が突然枯れ始めたとか」

「……はっ、いっ、いいえ、そういったことは特に」

 慌てて手を振って答えると、ジュリはほんの少しだけ眉をひそめた。

「そうか、やはり気配を隠しているな、面倒なことだ」

「すいません、お役に立てなくて……わたし、もうずっとこの村から出たことがなくて」

 すまなそうにしょんぼりとティファニアはうなだれた。

「気にするな、だがいずれ奴はしびれを切らせて動き出す。凶暴で残虐な奴だ、子供達を大切に思うなら、しばらくは遠出をせずに村でじっとしていろ」

「はい、わかりました!」

 子供達の安全がかかっているのならティファニアにとっても人事ではない。背筋を正して、まるで敬礼のようにぴしっと返事をした。

 といっても、元気いっぱいの子供達にとってはそんな重大な話もどこ吹く風。あっという間に皿の上を平らげてふたりに擦り寄ってくる。

「ねえお姉ちゃん、早く食べないと冷めちゃうよ」

「ジュリお姉ちゃん、うちに来てよ、いっしょに遊ぼう」

「えーっ、ジムずるい、ジュリお姉ちゃんはあたしたちと遊ぶの」

 すっかり子供達に懐かれてしまったジュリはどうしたものかと思案にくれた。

 深い森の奥で毎日を過ごしてきた子供達は刺激に飢えており、その発散するパワーはものすごいものであった。

 結局、ティファニアが間にとってとりなしてくれたものの、子供達が疲れて寝付くころにはすっかり夜も更けてしまっていた。

 

 

 そして夜も更けて、虫の鳴き声だけがわずかにするだけの時刻。

 子供達も自分達の家に帰って休み、ようやく解放されたジュリはティファニアの家に泊まることになって、客人用のベッドメイクをしているティファニアの後ろで、壁に寄りかかったままじっとしていた。

「あの、狭いところで申し訳ありませんが、よろしければどうぞ……」

 控えめに言ったティファニアだったが、ジュリは壁に寄りかかって目をつぶったままだった。

「あの、お気にめしませんでしたか?」

「……睡眠という行為は特に必要としない。奴がいつ現れるかわからん、私はここで見張っていよう」

「はあ……」

 ティファニアは本日何度目になるかの「はあ……」を口にした。

 とにかく、彼女にとってこのジュリという女性は理解の範疇を大きく超えていた。これまでにも旅人を泊めたことは幾度かあったが、彼女はよほど遠方から来たようで、こちらの常識が通じない。なにせ仕草にいちいち隙がないし、話すことは難しすぎてよくわからない。ただ、エマを助けてくれて、あれだけ懐くのだから悪い人ではないのだろうと、それだけは確信していた。

 だが、ティファニアもまたジュリにまだ隠していることがあった。しかし、それを自分から伝えるには彼女にとって大変な勇気を必要とすることだった。それに、ティファニアにはもう一つ、どうしてもジュリに聞いてみたいことがあった。

「あっ、あのっ!」

「ん?」

 何かを決意したように、目を見開いて叫ぶティファニアをジュリはいぶかしげに見つめた。

 

「あ、あの……た、大変失礼な質問だと思うんですけど……ジュリさんって、その……人間なんですか?」

 

 普通の人間なら、こんな質問をされたら烈火のごとく怒るだろう。人付き合いの少ない彼女でもそれぐらいは分かった……それでも聞いてみようと思ったのは、ジュリから漂ってくる雰囲気が、ティファニアがこれまで出会ったどんな人間とも違う、むしろ人間と一線をひいているようなところがあったからだが、ジュリは平然とした様子で。

「人間ではない。姿を借りてはいるがな」

「……!! じゃあ……」

「心配するな、本質的にはお前達とそこまで違いはしない。それに、生物学的に言うのならば、お前も人間ではないのだろう?」

 心臓に矢を突き立てられるような感覚をティファニアは覚えた。

「気づいて、らしたんですか?」

 恐る恐る、それまでずっと目深にかぶり続けていた帽子を脱いだとき、ティファニアの顔の両側には、人間のものよりずっと長くとがった耳があった。

 それは、ハルケギニアで知られている多くの亜人の中でも、もっとも強く、もっとも人間に近く、そしてもっとも人間とは相容れないと言われている種族、エルフの持つ特徴だった。

「見れば、大抵の種族の見分けはつく……なぜ人間の集団の中に一人だけでいるのかは知らんが、その様子だと人間との間で何かあったようだな」

「私は、人間の父とエルフの母の間に生まれた混じり物……ハーフエルフなんです。父と母は昔……」

「思い出したくない思い出なら、無理に話さなくてもいい」

 その話をしようとして、ティファニアが悲しげな顔になりかけたとき、ジュリは話に割り込んで止めた。

 エルフは、大昔から人間と対立してきた種族として知られている。人間とは意思の疎通も、望めば愛し合い、子を生すこともできるほど人間とは近い関係でありながら、ある理由のために何千年も両者は血を流し、憎みあい続けてきた。

「はい、でも……ジュリさんは、エルフであるわたしが怖くはないんですか?」

「お前の種族を恐れる理由を、私は持っていない。ところで、ティファニア」

「あっ、テファでいいです。なんでしょうか?」

「お前は、この村の子供達にとってなんなのだ?」

「えっ?」

 唐突なジュリの問いかけに、ティファニアはすぐに返事を返せなかった。

「見たところ、この村にはお前を除いて大人は誰一人いないようだ。そのお前もまだ年若い、なぜだ?」

「……この村は、孤児院なんです。あちこちで戦争や野盗のために親を失った子供達を、わたしが引き取って育ててるんです」

「そうか、道理でな。しかし生活費用などはどうしているんだ?」

「私の親戚の方が援助してくださって、お金を送ってくれてるんです。あとは自分達で畑を耕したりして、なんとかやりくりしています」

「なら、決して楽ではあるまい。私のような部外者を泊めてよかったのか?」

「いいんです。久しぶりのお客さんで、子供達も喜んでますから……ところで、ジュリさんはこれまでどんな旅をされてきたんですか?」

 ティファニアの問い返しに、ジュリはすっと目を閉じて、昔のことを思い出すように瞑目した。

 

 これまでの自分の旅路は、一言で語りつくすにはあまりに長すぎる。それに、語っても理解してもらえるとは思えない。

 しかし、特筆して深く記憶に残っていることならばある。

 

「少し前のことになる。ここからはるかに離れたところに、この星とよく似た、人間達の住む場所がある」

 ジュリは、ゆっくりと自分がこれまで生きてきた中でも、閃光のような煌めきを持つ一つの思い出について語り始めた。

「その人間達も、お前達のように泣き、笑い、怒り、思いやる心を持っていた。しかし、その人間達は将来宇宙の秩序を乱す危険な存在になる可能性があった。ちょうど、あの野盗どものようにな」

 ティファニアは無言でうなづいた。

「だから私は、宇宙の絶対正義をつかさどる存在、デラシオンの決定に従い、その人間達をすべてリセットしようとした」

「リセットって……」

「文字通り、完全な消去だ」

 冷や汗と、心臓の鼓動が高鳴るのをティファニアは感じていた。

 ひとつの星、彼女の感覚からいえば一つの国というあたりになるが、その全てを消去……それはすなわちとてつもない数の人間を殺すということに他ならない。けれど、ジュリはそんな恐ろしげな雰囲気は微塵も感じさせずに穏やかな口調で話を続けた。

「しかし、その星の人間達はあらがった、絶対的な力の差があるにもかかわらずにな……」

 

"無駄だ、奇跡などない"

"だとしても、あきらめはしない!"

 

「……それで、どうなったと思う?」

「えっと……わかりません」

「ふ……彼らは、私の予想をことごとく上回った。奇跡など存在しないと考えていた私の目の前で、次々と驚くべきことが起きていった」

 

"怪獣たちが、地球の危機に……"

"なぜ!? 怪獣が人間と"

 

「それまで、私は人間とはどうしようもなく愚かでちっぽけな存在だと思っていたが」

 

"これが人間の本性だ……守る価値などない"

 

「しかし、それは人間の持つ一面でしかなかったと気づいた」

 

"自分より、子犬の命を……"

"これが、人間の未来を信じた理由なのか!"

 

「それで、ジュリさんは……」

「いつの間にか私も彼らを助ける側に回っていた……絶対正義に従うと決意していた私の心を、彼らは変えてしまった……」

 

"信じれば、夢は叶う……か"

 

「ふ、希望という曖昧なものを、信じていなかったはずの私がな……」

 軽く含み笑いをして、懐かしそうにジュリは言うと、ティファニアはぱあっと笑った。

「よかった。やっぱりジュリさんって、すっごく優しい人だったんですね」

「……」

 ジュリは答えずに、じっとティファニアの顔を見て思った。

(お前も、そういえば似ているな……人間の未来を信じ続け、私の心をも変えてしまった、彼のように……)

 

"なぜ……私を助ける?"

"僕らは、ウルトラマンだから"

 

 今はどこの空を飛んでいるのか、ジュリは誰よりも優しかった一人の勇者のことを思い浮かべた。

「さあ、もう夜も遅いぞ。寝ろ」

「あ、はい!」

 慌ててティファニアはベッドにもぐりこんだ。

 部屋の明かりが消され、薄目を開けたティファニアの目に、壁に寄りかかったままのジュリの姿が映った。

 そういえば、さっきの話の結末を聞いていなかったなと思ったけれど、きっと大丈夫だったんだろうと、静かに眠りに落ちていった。

 

 

 さらに時間が過ぎて、月が天頂に届く深夜。

 

 

 森の奥から足音を殺して、ひっそりと村に近づく怪しい人影があった。

「へっへっへっ……よく寝てるようだな」

 それは昼間ジュリに叩きのめされた野盗の一人だった。

 こいつらはあれだけやられたのにも関わらずに、まだ性懲りもなく村を襲おうと、斥候としてこの男を放ってきたのだ。

「……寝込みを襲えば、いくら強くても関係ねえ。あのアマ、今度こそ思い知らせてやる」

 実際は、いつ襲おうが野盗ごときがジュリ相手に万に一つも勝ち目はないのだが、愚か者たちは浅知恵を発揮して、無益かつ非生産的な努力に血道を上げていた。

 彼は村人に感づかれないように忍び足で村の裏手からこっそりと近づき、そこにある畑の中を横切っていく。

「へっ、まったく無用心じゃねえか」

 子供達が精魂込めた野菜を汚い足で踏みにじりながら、野盗の男は畑を横断して、一軒の家の軒下にある花壇のところにまで忍び寄った。

 男は家の中を窺おうと、そこにある小さな花々も踏みにじって進もうとしたが、コツンと足元に硬い感触を感じて立ち止まって下を見下ろした。

「ん? なんだこりゃ」

 そこには、彼の見たことも無い奇妙な形をした植物が花を咲かせていた。

「けっ、なんでえこんなもの」

 花を愛でる心などさっぱり持ち合わせていない野盗は、その鉢植えを蹴り飛ばそうとした。

 だが、蹴りが当たる瞬間、その植物は鉢植えから飛び出すと、そのまま宙を飛んで、真赤な花でまるでヒルのように野盗の喉元に喰らいついた!

「なっ、なんだこりゃ!? あっ、ぎっ、ぎゃぁぁーっ!!」

 

 夜の村に突如響いた断末魔の叫びは、当然眠っていた村人達を呼び起こした。

「どうしたのみんな!? なにがあったの」

 叫び声のした家の周りには、すでに寝巻き姿の子供達が輪をなしていた。

 彼らの前には荒らされた畑と花壇、そして足跡があった。

「盗賊……」

 こんなひどいことをするのは他に考えられない。

 だが……

「服だけ?」

 そう、花壇には野盗のものとおぼしき小汚い服が落ちているが、野盗本人の姿はどこにも見えなかった。

 子供達は服を脱いで逃げちゃったのかな、と推理しているけれど、上着どころか下着までも丸ごと残されているのはいくらなんでも変だ。それに。

「見ろ、足跡は来たときのものだけだ。立ち去った形跡はない」

 ジュリが地面を指して言ったとおり、野盗の足跡は花壇で途切れていて、まるでそこで消えてしまったかのようだ。

 第一、あの叫び声はどうみても断末魔だ。ここで何者かに襲われたとしか考えられない。

 と、そのときティファニアは昼間この花壇に置いておいたサボテンの鉢植えがからっぽになっているのを見つけた。

「あら、あのサボテンどこに行っちゃったのかしら?」

 荒らされた花壇をランプで照らして探してみたが、あの特徴的な丸い姿はどこにも見当たらない。

 けれど、野盗が近くに来ているのは間違いない以上、このままにはしておけない。

「テファ、それは後にしろ、あの馬鹿ども、まだここを狙っているようだぞ」

「あ、はい。みんな、今日は危ないみたいだから、朝までわたしといっしょにいましょう」

 野盗達がどのくらいの規模か分からない以上、用心に越したことはない。子供達は今夜はみんな揃って眠れると喜んでいるが、事態の深刻さを分かっていないだけにティファニアは一人で大変そうだ。

 だが、子供達を連れて家に戻ろうとしたときだった。突如地面がぐらりと揺れ、微小な振動が森の木々を揺り動かし始めた。

「えっえっ、なに、なんで揺れてるの?」

「きゃはは、おもしろーい」

「おねえちゃん、こわいよ」

 このアルビオンは浮遊大陸であるから地震というものはない。ティファニアと子供達は初めて体験する大地の揺れに驚き慌てた。

 しかし、ジュリは振動とともに伝わってくる邪悪な気配をしっかりと感じ取っていた。

「動き出したか……スコーピス」

 

 

 その少し前、森の奥に潜んでいた野盗達の本隊も、思わぬ揺れに翻弄されていた。

「うっ、うわっこりゃ一体なんだ!?」

 野盗達のしゃがれ声の悲鳴が森に響き渡る。その数はおよそ二十人、昼間ジュリにのされた残り四人の姿もその中にある。どいつも無精ひげを蓄えた、元傭兵とわかるくたびれた鎧を着ていて、戦争に出るか盗みを働くかの二つのみで生きてきたのであろう。

 しかし、そんな屈強なだけはとりえの男達も直下からの突き上げに、地面にはいつくばってもだえていた。

 そして、地面が大きく割れ、幾人かの者達が飲み込まれたと思ったとき、そこから長大な尾を持った巨大な甲虫、怪獣兵器スコーピスがその姿を現した。

「なんだ……こりゃ」

 それが野盗達がスコーピスの足に踏みにじられる前に言った最後の言葉だった。

 地上に姿を現したスコーピスは、鳴き声を上げると、さっそくフラジレッドボムとポイゾニクトを使って破壊活動を開始した。

 森の木々が焼き払われ、腐らせられて消えていく。

 そして目の前に、明らかに人造物とわかる建物が密集しているのを見つけて、その破壊衝動に従ってウェストウッド村へと進撃を始めた。

 

 もちろん、その巨大な姿はティファニアや子供達、ジュリにもはっきりと見えていた。

「な、なな、なんですかあれは!?」

「……あれが、スコーピスだ」

 ジュリはそう言うと、ゆっくりとスコーピスへ向かって歩み始めた。

「奴は私が倒す。お前は子供達を連れて逃げろ」

「そんな! あんなのに無茶ですよ」

 もちろん、ティファニアは慌てて止めるが、ジュリは一度だけ振り返ると、すでに戦士の顔になって言った。

「心配するな、奴を倒すのが私の使命だ。子供達を守るのが、お前の使命だろう」

「……はい! さあ、みんな行くよ」

 その強く言い聞かせるような言葉に、ティファニアは子供達をまとめると駆け出した。

 

 スコーピスは森の木々を踏み潰しながら悠々と近づいてくる。

 その眼前に、ジュリは毅然と立ちはだかっているが、巨大怪獣に対してたった一人の人間はあまりに果敢なげに見えた。

 けれど、ジュリの心に使命を果たそうとする責任感はあっても、恐怖などは微塵もない。

 ジュリが左胸に着けていた羽根を模した小さなブローチを手に取ると、片翼のみであったブローチの翼が両方に現れ、眩い輝きを発し始めた。

「サンドロス、貴様との因縁も、これで最後だ」

 ブローチの光を胸に押し当てると、ジュリの姿が金色の光に包まれて消えていく。

 そして、光は空に舞い上がって、一瞬巨大な光球となってスコーピスの目の前に現れたと思うと、そこから光り輝く赤い巨人が姿を現した。

 

「テファお姉ちゃん、あれ見て!!」

「うわーっ、巨人だ!」

「あれも怪獣なの?」

「違うよ、行商人のおじさんが言ってたでしょ。きっとあれが、ウルトラマンだよ!」

 逃げていた子供達とティファニアも、夜空を真昼のように明るく照らす光の中から現れた巨人の姿に、思わず足を止めて見入ってしまう。

 だが、口々に叫ぶ子供達とは別に、ティファニアはその巨人から力強さとともに、とても優しいものを感じていた。

「ジュリさん……?」

 

 しかし、スコーピスはその巨人の姿を見たとき、明らかな怯えと、破壊本能を打ち消すほどの恐怖を感じた。

 なぜなら、ある星の伝説にこんな一節がある。

 

"宇宙には、光り輝く神がいる"

 

 そう、スコーピスが悪魔なら、悪を打ち砕く正義もまた存在する。

 ジュリの正体、それは宇宙の絶対正義を守護する伝説の巨人。

 太古より、宇宙の秩序を乱すものと戦ってきたその者の名は、ウルトラマンジャスティス!!

 

「ショワッ!!」

 ジャスティスは、村を守るようにスコーピスの正面に立ちふさがり、拳を前に突き出すファイティングポーズをとった。

 宇宙に散ったスコーピスの残党を倒し続け、残るはこの一匹のみ。これまでサンドロスとスコーピスによって滅ぼされた数々の惑星のためにも、もう逃がすわけにはいかない。

 だが、スコーピスも恐怖に怯えながらも、生存本能に突き動かされてジャスティスに挑んできた。

 奴の額が赤黒く光り、フラジレッドボムの連射が襲いくる。しかし、宇宙正義の代行者たるジャスティスをそんなものでどうこうできるわけはない。ジャスティスは身じろぎもせずに、腕で払うだけでフラジレッドボムの全てを軽々と打ち落としてしまった。

「デヤッ、シャッ!!」

 ジャスティスにはかすり傷ひとつ無い。

 自身の攻撃がまったく通用しないことに愕然としたスコーピスは、次に金切り声を上げながら長大な尾をジャスティスへと向ける。だが無駄だ。その一撃も片手で軽く止められ、逆に先端を捕まえたジャスティスは、それを掴むと一思いに引きちぎってしまった!!

「デアァッ!!」

 ゴムのはじけるような音とともに、真っ二つにされたスコーピスの尾が宙を舞う。

 さらに、ジャスティスは引きちぎった尾を無造作に捨てると、瞬時にスコーピスの顔面に強烈な蹴りをお見舞いした。

「ダァッ!!」

 一撃で牙や触角を何本もへし折られ、巨体が後ずさりする。

 戦闘開始から一分と経たず、もはやスコーピスは完全に戦力と戦意を喪失していた。

 とにかく、全てにおいて格が違う。

 大人と子供、いやそれ以上……母体であるサンドロスであったならまだしも、その手駒ごときではジャスティスの敵ではない。

「フゥゥッ」

 ジャスティスが気を集中すると、その腕にエネルギーが集中していく。積年の因縁に引導を渡す最後の一撃。両拳を打ち出すとともに、それは金色のエネルギー流となってスコーピスに襲い掛かった!

『ライトエフェクター!!』

 光は圧倒的な威力を持ってスコーピスの体を貫通! どてっぱらに風穴を開けられたスコーピスは耐えられるわけもなく、断末魔の叫びを短く残すと大地に土煙とともに崩れ落ちた。

 圧倒的な勝利。しかし、本来ならばライトエフェクターはスコーピスの体を貫通どころか粉々に粉砕するほどの威力を持つ。ただし、この場所で本気で放てば被害はティファニア達や村にも及ぶ危険性があったので、わざと威力をしぼった。これでさえ、相当に手加減していたのだ。

 大地に崩れ落ちたスコーピスが完全に動かなくなったのを見届けると、ジャスティスはゆっくりとウェストウッド村を振り返った。

 ティファニアと子供達は無事なようだ。子供達はこちらに向かって笑いながら手を振っているのが見える。

 しかし、ジュリとして彼女たちのもとに帰るわけにはいかない。寂しいが、スコーピスの最後の一匹を倒した今、この星にとどまる理由はなくなった。宇宙の秩序を守る使命のため、いつまでも同じ場所にいるわけにはいかないのだ。

 なごり惜しげに、ジャスティスは子供達を見下ろしていたが、そのわずかな感傷のために、すぐ後ろで起こっていた異変に彼女は気づくのが遅れてしまった。

 

 それは、スコーピスが倒されてジャスティスが振り返った直後だった。森の木々の陰からぴょこんと飛び出してきた緑色の球体、あの小さなサボテンがスコーピスの死骸に取りつき、その残留エネルギーを吸収……瞬時に小さなサボテンの姿から、全身をハリネズミのような棘に覆われた緑色の巨大な超獣へと変化したのである!!

「あっ、危ない!!」

 エマの声が響き、ジャスティスが振り返ろうとした瞬間、超獣の棘だらけの太い腕がジャスティスの首筋を直撃した!!

「グワァッ!!」

 さしものジャスティスも背後からの不意打ちには対応できずにダメージを受けて吹っ飛ばされた。

 初撃を成功した怪獣はうれしそうに体を揺すりながら、ガラガラと聞き苦しい鳴き声を上げている。

(なっ、なんだこの怪獣は!?)

 なんとか体勢を立て直したジャスティスは突然現れた怪獣を見据えた。

 まるでサボテンを二足歩行にし、尻尾と頭を取り付けたような不気味な姿。くぼんだ目は赤く爛々と光り、花弁のような口からは鋭い牙が生えている。これこそ、異次元人ヤプールが宇宙怪獣とサボテンとハリネズミを合成して誕生させたサボテン超獣、サボテンダーだった。

「デュワッ!!」

 再びジャスティスは初めて見る異形の怪獣へと構えをとった。

 ウルトラマンジャスティスVSサボテンダー、アルビオンを舞台にジャスティスの新たなる戦いが始まろうとしている。

 

 しかし、異次元人ヤプール……宇宙の平和を乱す最悪の悪魔の存在を、ジャスティスはまだ知らない。

 

 

 続く



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第32話  宇宙正義の守護者 (後編)

 第32話

 宇宙正義の守護者 (後編)

 

 サボテン超獣 サボテンダー

 ウルトラマンジャスティス 登場!

 

 

 超獣、それは異次元人ヤプールが惑星攻撃用に地球の生物と宇宙怪獣を超獣製造機で合成して作り上げる生物兵器で、文字通り怪獣を超えた生物である。

 今、力を取り戻しつつあるヤプールは異次元世界で新たに開発した超獣製造機を使い、ベロクロン、ホタルンガをはじめ、次第にその数を増しつつ、ひそかに地上に送り込んでいた。

 このサボテンダーもその一つである。しかしまだ不完全な力しか持たないヤプールは、最初から完全体としてサボテンダーを作り出すことができず、エネルギー充填のために小さなサボテンの姿で送り出した。

 奴は可憐な花で人の目を騙しながら人から人へと渡り歩くたびに、昆虫、動物、さらには人間を次々に捕食しながら成長し、遂にこのウェストウッド村でスコーピスのエネルギーを吸収することによって完全体となって巨大化したのだ。

 

 しかし、その前には宇宙正義の守護者、ウルトラマンジャスティスがいた。

 今、時空を越えた宇宙正義と宇宙悪との最初の戦いが始まろうとしている。

 

「ダアッ!」

 サボテンダーに向かってウルトラマンジャスティスは果敢に挑みかかっていく。本来ならその星の原住生物との交戦は避けたいところだが、明確な敵意を持って向かってくる以上迎え撃たないわけにはいかない。それに、この怪獣をそのままにしておいてはウェストウッド村にまで被害が出るだろう。

「ファッ!!」

 胴体の棘の隙間を狙ってジャブの連撃を見舞う。

 ジャスティスにとっては軽い攻撃だが、一撃一撃は岩をも砕く鉄拳だ。巨大なバチで叩かれる太鼓のように柔らかいサボテンの表皮がへこまされていく。

 そう、ジャスティスの戦い方は常に真っ向勝負、いかなる敵であろうとも正面から戦って粉砕する。

 しかしサボテンダーもやられっぱなしではなく、鋭い棘で覆われた腕を振り下ろして反撃に出てきた。

「シャッ!」

 とっさに受け止めると、腹に蹴りをくれてジャティスはサボテンダーを引き離した。

 けれど、距離が開いたのを見ると、サボテンダーは全身の棘をまるでミサイルのようにジャスティス目掛けて放ってきた。

「!?」

 側転してかわしたジャスティスのいた場所にトゲミサイルは着弾して、派手な爆発を引き起こす。

 しかも、発射した棘は後から後からいくらでも生えてくる。触るな危険みたいな見た目をしているにも反して意外にも飛び道具も豊富なようだった。

 けれど、そのときジャスティスの耳に子供達の応援する声が届いてきた。

 

「頑張れー! ウルトラマーン」

「負けるなーっ!!」

「怪獣をやっつけてー!!」

 

 その声援を背に受けて、ジャスティスはトゲミサイルを乱射するサボテンダーに向き直り、右手から必殺の破壊光弾を一瞬の虚を突いて放った!

『ジャスティスマッシュ!』

 光弾はトゲミサイルとぶつかり合い、これを粉砕しながら前進してサボテンダーの腹に命中! 牽制程度の技だが、サボテンダーは痛覚神経を命中の爆発による熱と衝撃で過剰労働させてもだえた。

 もちろん、その隙を見逃すようなジャスティスではない。

「デュワァッ!!」

 猛々しい叫びをあげると、サボテンダーの胴体の中央部に向けて必殺のパンチを炸裂させる。

 これはさっきの様子見のジャブではなく、渾身の力を込めた正拳突きだ。拳の形に大きく胴体をめり込ませ、内臓破壊にまで達する超重量級の一撃に、サボテンダーははじかれるように吹っ飛ばされる。

 だが、ジャスティスは追撃の絶好の好機であるにも拘わらず、立ち尽くしたままじっとサボテンダーを見ていた。

(これでもう敵わないのはわかっただろう。早く逃げるがいい……)

 なんとジャスティスは目の前の怪獣を殺す気は最初から無く、力の差を見せ付けることで逃がそうと考えていた。宇宙の調和を守る存在であるがために、スコーピスのような完全な悪はともかく、多少凶暴であろうと原住生物の無用な殺戮はすべきではない。

 それは、ジャスティス自身の使命感と……かつて会った怪獣保護という夢を追い続け、信じれば夢は叶うということを教えてくれたある男に対する礼の気持ちもあった。

 だが、その怪獣は自然と調和することのできる怪獣ではなく、悪意から産み落とされた破壊の権化、超獣だった。

 

 奇声を上げ、地面で這いつくばっていたサボテンダーの体から手足と尻尾が引っ込み、見る見るうちにその姿が怪獣型から球状のサボテンの形に変形していく。

「ヘヤッ!?」

 いぶかしむジャスティスの前で、サボテンダーは球体の体をまるでサッカーボールのように飛び跳ねさせると、空中からジャスティス目掛けて体当たりを仕掛けてきた! 

「ヌウォッ!?」

 とっさに受け止めて放り投げるが、サボテンダーはまるで見えないゴム紐でつながっているように再びジャスティス目掛けて飛び掛ってくる。これは避けきれないと判断したジャスティスは、向かってくるサボテンダーに渾身の蹴りで迎え撃った!

「ヌウァッ!!」

 超重量の物体同士が高速で衝突する轟音と衝撃波が、夜の森とティファニア達の顔をしたたかにひっぱたいた。サボテンダーの球体は蹴られた衝撃で、サッカーボールのように飛んで森の木々を巻き込みながら転がり、なおもUターンしてジャスティスへと迫ってくる。

「クッ!」

 ジャスティスがうめいた。

 だめだ、このままでは埒があかない。それにしても、この怪獣はいったいなんなのだ? 動物と植物の特徴を合わせ持っているだけでなく、恐るべき凶暴性を持っている。

(ともかく、このまま放っておくわけにはいかん)

 普通の怪獣とは何かが違う……そんなひっかかるものを感じながらも、ジャスティスは転がってくるサボテンダーに向かって身構えた。

「ヘヤッ!!」

 突進を正面からがっしりと受け止め、渾身の力で勢いを殺す。

「ヌゥゥ……デヤァッ!!」

 止まった球体を、そのまま大地に叩き付けて動きを封じる。

 しかし、サボテンダーはその叩き付けられた衝撃さえ利用して、鞠のように空高く跳ね上がった。

「ヌッ!?」

 思わず空を見上げるが、さしものジャスティスも頭上は死角だ。まっ逆さまに落ちてきたサボテンダーを受け止めきることができずに、強風を受けた看板のように弾き飛ばされてしまった。

「ウォォッ!!」

 思わぬ攻撃を受けてしまったジャスティスは、膝を突いてダメージになんとか耐えようとした。

 超獣の恐ろしいところは、単にそのパワーが怪獣を超えているということではない。兵器として改造された、その特有のトリッキーな特殊能力の数々がやっかいなのだ。 

 もし、普通に怪獣としての形態のままで戦えば、サボテンダーはジャスティスにとってそれほど面倒な相手ではなかっただろう。しかし、相手の虚を突く超獣との戦闘経験が無かった事がジャスティスにとって不利な要素となっていた。

 

「がんばってーっ、ウルトラマーン!」

「立ってーっ」

 

 けれど、そんな中でも子供達のウルトラマンを応援する声はやむことはなかった。

 みんなウルトラマンの勝利を信じて、テファも子供達を守りながら、ぐっと目をそらさずに戦いを見守っている。

 

(だめだ、逃げろ!)

 しかしジャスティスはそんな声援をうれしく思いながらも、それが危険であると感じていた。

 なぜなら、ジャスティスに聞こえるということは怪獣にも聞こえるということだからだ。

「わっ、超獣がこっちに来る!」

「みんな、逃げて!」

 球形から怪獣型に戻ったサボテンダーは、村のほうへ向けて進撃を開始した。

 聞き苦しい鳴き声をあげながら、鋭い牙の生えた口が不定形に不気味によだれをたらしてうごめく。

 だが、そうはさせじとジャスティスは背後からサボテンダーに飛びついて歩みを止めようとする。

「テヤァッ!!」

 後ろから羽交い絞めにして村へと向かうのを阻止し、そのまま無理矢理に振り向かせて、首根っこを押さえて地面に引き倒す。

 が、サボテンダーもただではやられない。仰向けに倒れこんで、追撃をかけるためにジャスティスが覗き込んだ瞬間、木の洞のような口から真赤な鞭のような舌が伸びてきてジャスティスの首に絡まって締め付け始めた。

「ウォォッ!!」

 鉄塔でもつぶしてしまいそうな圧力で首を絞められて、ジャスティスは首を押さえてもだえた。

 その隙にサボテンダーはむくりとビデオの逆再生のように起き上がると、右に左にと舌を振り回してジャスティスを苦しめ、投げ捨てるように勢いをつけて放り出した。

「ガァァッ!!」

 森の木々を巻き込みながら、吹き飛ばされたジャスティスは森の中に倒れた。

 なんという怪獣だ……倒れたジャスティスの脳裏に、長年の戦闘経験が警鐘を鳴らすが、首を絞められたダメージで頭が朦朧とし、なかなか立ち上がることができない。

 その間にも、サボテンダーは絶好の餌場とみなしたウェストウッド村へ、ティファニアと子供達の元へと迫っていく。

「ウルトラマンがやられたっ!」

「わっ、こっちに来るな!」

「お姉ちゃん、怖いよお」

 悲鳴をあげて逃げていく子供達の後ろから、サボテンダーは彼らの家や畑を踏み潰しながら迫ってくる。

「みんな、頑張って走って!」

 ティファニアは子供達の背を押しながら、隠れる場所のある森のほうへと走っていく。

 けれど、サボテンダーはジャスティスを絞め倒した長い舌を伸ばして、子供達を捕まえようとしてきた。

「みんな、伏せて!!」

 とっさに子供達の上に圧し掛かって、地面に押し倒したティファニアの上を毒々しい赤い舌が風を切りながら通り過ぎていった。あと一瞬遅ければ、五、六人はまとめて捕らえられていただろう。

 けれど、空振りしたはずの舌はそのままその先にある一本の立ち木に絡みつくと、深く根を張っているはずのそれを、まるで雑草のように軽々と引き抜き、ティファニア達の上に大量の土を降らせた。

「わーん!!」

 そのとき、恐怖に押しつぶされそうになった一人の子が、ティファニアの腕を振り切って走り出してしまった。

「待って!! そっちに行っちゃだめ!!」

 その子は怖さのあまり、見晴らしのいい畑のほうへと逃げ出してしまった。

 当然、サボテンダーがこれを見逃すはずはない。子供の足では速さもたかが知れており、獲物を狙う蛇のように、長い舌がスルスルとその子の背後から迫った。

「やめてーっ!!」

 ティファニアの絶叫が森にこだまする。

 だが、食欲に濡れた舌が、子供の小さな体に巻きつく寸前、ティファニアの手がその子の体を突き飛ばし、畑の柔らかい土の上に倒れこんだその子は無傷で助かった。

 しかし……

「あっ!! テファお姉ちゃーん!!」

 そう、狙った獲物を空振りしたはずのサボテンダーの舌は、その代わりにもっと大きくてうまそうな餌を捕らえていた。

 飢えて唾液に濡れた舌がティファニアの華奢な体にがっしりと巻きつき、その身の自由を完全に奪って、そのまま奴の口の中へと抗いようもない力で引き込み始めた。

 あの鋭い牙の生えた口の中に放り込まれたら、人の体などひとたまりもなく噛み砕かれてしまうだろう。けれども、自らの命が危機に立たされているというのに、ティファニアの口から出たのは悲鳴ではなく、最後まで子供達のことを思う言葉だった。

「みんな、早く逃げて!!」

「お姉ちゃーん!!」

 子供達は喉も割れんと叫ぶが、どうすることもできない。

 そして、ティファニアの体がサボテンダーの口に飲み込まれようとした。その瞬間!!

 

「デヤァァッ!!」

 まさに刹那! 立ち上がったジャスティスの腕がサボテンダーの舌を掴み、寸前のところでティファニアが飲み込まれるのを防いでいた。

「ジュリ……さん」

「ウルトラマーン!! お姉ちゃんを助けて!!」

 子供達の心からの叫びがジャスティスの耳を打つ。

 その拳に渾身の力を込めて、ジャスティスはティファニアを捕まえたサボテンダーの舌を引きちぎった!!

「ヌォアァッ!!」

 はじける音とともに、サボテンダーの舌は真っ二つに千切れ飛び、神経の集合地を破壊されたサボテンダーの脳はキャパシティを大幅に超える激痛に襲われて、敵のことも忘れて地面をのた打ち回った。あれではしばらくは反撃してはこれないだろう。その間に、救い出されたティファニアはジャスティスの手のひらに乗せられて、子供達の前にゆっくりと降ろされた。

「ありがとう……ございます」

 ティファニアは、自分に抱きついて泣いて喜ぶ子供達の背を抱きとめながら、ジャスティスの姿をいとおしげに見上げて、心からの礼を言った。

 そして、ジャスティスの心にもティファニアの姿がかつての記憶と重なって見えていた。

(自らの命を犠牲にしても……仲間のために……これが、この星の生命か!)

 このとき、ジャスティスはティファニアの中に、未来へつながる希望を持つ者の姿を見た!

 

 サボテンダーは、発狂するほどの激痛にもだえながらも、それをジャスティスへの怒りと憎しみに変えて猛然と突進してくる。

 だが、ひとつの決意を定めたジャスティスは悠然と立ち上がると、迫ってくるサボテンダーへ向けて両腕を顔の前に構え、全身のエネルギーをそこに集中させた。

「フゥゥ……」

 エネルギーはジャスティスの目の前で、太陽のような眩い輝きを放つほどに凝縮されていく。

 そして、一瞬の覇気とともに両腕を突き出したとき、それは金色に輝く超破壊光線となってサボテンダーに向かった!!

 

『ビクトリューム光線!!』

 

 正義の光の鉄槌が、邪悪な超獣に下される。

 命中の瞬間、膨大な熱量と衝撃を送り込まれたサボテンダーは、全身から炎を吹き上げながらのたうち、やがて雷に打たれた巨木の最後のように、ゆっくりと倒れこんだ。

 邪悪な者に明日は無い。サボテンダーは、その破片の一片すら残らないほどの火炎に包まれ、大爆発を起こして吹き飛んだ!!

 

「やったあ!! ウルトラマンが勝った」

「かっこいい!!」

 微塵となったサボテンダーの炎に照らされて、子供達ははじめて見るウルトラマンの戦いと勝利に興奮して、飛び上がらんばかりに喝采をあげている。

 

 しかし、戦いには勝ったが、ジャスティスの心は晴れなかった。

(やったか……しかし、この怪獣はなんだったのだ?)

 自然に生息する怪獣とは違い、ただ破壊と食欲にのみ従って動く生物、確かに宇宙にはそうした凶悪怪獣の類は存在するが、この星に元々生息していたとは思いにくい。

 不可解なものを残し、ジャスティスはこのままこの星を立ち去ることをよしとは思えなかった。

「デュワッ!!」

 ジャスティスの体が光のリングに包まれると、それが収束して、やがてジュリの姿へと戻っていった。

 

「ジュリさーん!!」

 ティファニアと子供達が息を切らせて走ってきた。

「無事だったか」

「はい、おかげさまで……ありがとうございます」

 誰もこれといって怪我などはしていないようだ。特に子供達はあれだけのことがあったというのに、ジュリに囲んでうれしそうに、テファお姉ちゃんを助けてくれてありがとうと元気そうにはしゃいでいる。

「お前達、私が怖くないのか?」

「えっ? なんで」

「テファ姉ちゃんを助けてくれた人が悪い人なわけないじゃない」

「すっごくかっこよかったよ!」

 試みに聞いてみた問いだったが、何の屈託もなく子供達はジュリの存在を受け入れていた。

 ここの子供達には、未知のものを受け入れるだけの器の深さがある。それは本来人間誰もが持っているものだが、成長するにつれて徐々に好奇心より恐怖心が勝っていく。けれど、彼らにはまだそれが残っていた。

「よい親を持ったものだな」

「えっ?」

「なんでもない……それよりも、お前も無事でよかったな」

 ジュリにそう言われ、ティファニアは泥と唾液で汚れた自分の服を見て、改めてジュリに頭を下げた。

「さっ、先程は本当に、命を助けていただいて、どうもありがとうございました。みんなが無事なのは、ジュリさんのおかげです」

「私は自分の使命に従っただけだ。子供達を守ったのは、テファ、お前だ」

 それはジュリの偽らざる本心だった。たとえ戦う力がなくとも、誰かを守ろうとするために立ち向かう勇気は何にも変えがたい強さとなる。

「だが、テファ……このあたりにはああいう怪獣が出ることがあるのか?」

「いっ、いいえ、これまでには一度も……アルビオンには超獣は出ないって、行商人さんも言ってたんですけど」

「超獣? 怪獣ではなくてか?」

 聞きなれない単語にジュリの眉が触れる。

「はい……私も人づてに聞いた話なんですけど……今、違う世界からヤプール人っていう人達が、この世界を侵略しようと、超獣というのを送り込んでくることがあるそうなんです。わたしはこの森から出たことがありませんので……それ以上は」

「ヤプール人……か」

 なるほど、あの怪獣も侵略用の怪獣兵器の一種だと考えれば、特異な能力や際立った凶暴性も納得がいく。

 しかし、この星に怪獣を改造して兵器化できるほどの科学力があるとは思えない……違う世界からの侵略者、異星人による侵略攻撃かと、ジュリは判断した。

 それに、そういえばスコーピスがこの星へと進路を変えたのも突然だった。偶然にしてはできすぎている。となれば、この星にさらに多くの宇宙怪獣がやってくる可能性もある。

「どうやら、このまま戻るわけにはいかなくなったようだな」

 宇宙正義を守る者として、侵略行為を見過ごすわけにはいかない。ジャスティスはその侵略を阻止するべく、この星に残ることを決意した。

 だが、その言葉を拡大解釈したティファニアと子供達は、ジュリがこの村にずっといてくれるものと思ってしまった。

「えっ、ジュリさん、ずっとここにいてくれるんですか!? よかった」

「ぬ? いや、私はこの星にとどまると言ったのだが」

 しかしティファニアはともかく、子供達のほうの喜びはすごかった。口々に歓声をあげてジュリに抱きついて、話を聞いてくれそうもない。

 といっても、それで考えを変えるほどジュリの意思は弱くない。子供達が落ち着くまで少し待って、改めてティファニアに言った。

「……この星になにが起こっているのか、私は見てまわるつもりだ。悪いが、お前達といっしょにはいてやれない」

「あぅ……やっぱり、そうですか……」

 とたんに、ティファニア達の顔が暗く沈んだ。

 しかし、侵略者の存在が明らかになった以上、ここに居続けるわけにはいかない。一刻も早く侵略者の正体を掴まなくては、宇宙の秩序が暴力によって捻じ曲げられてしまう。

「それで、これからどこに?」

「特に定めていない。しかし、敵の目的がこの星そのものであるならば、いずれ出会うこともあるだろう」

 ウルトラマンであるジュリ、ジャスティスにとって時間というものはさして問題のあるものではない。食事や睡眠も、特に必要とはしないために、そのあたりの感覚がティファニア達とは違ったが、それを聞いたティファニアは、はっと思いついたことを思い切って言ってみた。

「じゃ、じゃあ……ずっといてもらうのは無理でも、この村を、きょ、きょ……拠点にしてみてはいかがですか?」

「どういうことだ?」

 いぶかしげに聞くジュリに、勇気を出してティファニアは説明を続けた。

「えっ、えっと、この村は大陸の真ん中にあって、どこに行くにも便利ですし……行商人の人もあちこちの情報を持ってきてくれますから、探し物にはちょうどいいんじゃないかと……わたしもここに来る人に、今度からいろいろ聞いてみますから、ここを中心にすれば効率よく探せるんじゃないかな、と思ったんですが」

「ふむ……」

 確かに、むやみに探し回るよりはそのほうが情報を得やすくはある。

 ジュリはティファニアの顔をじっと見つめた。世間知らずそうで、実際そうなのだが、頭の回転は人並みにあるようだ。いや、その中に隠された本当の気持ちは見え見えなのだが……

「あの……」

 ティファニアと子供達のじいっと見つめる目がジュリに集中した。

 数秒か、数十秒か、ジュリの答えを待つ沈黙の時間が流れ、そして。

「わかった。ずっとは無理だが、定期的にここに立ち寄ることにしよう」

「!! はい!! よかったねみんな」

 子供達はそれを聞いて、今度は万歳三唱しながら喜んだ。

 しかし、これからは約束どおりに情報収集でジュリの役に立たなければならない。ティファニアは、これまでハーフエルフだからということで、できるだけ外の世界と触れ合わないようにしてきたが、これからは村の外には出れなくとも、外交的に人を招いて話を聞かなくてはならない。

 ただ、ズレているという点ではある意味ジュリもいっしょのようだった。

「では、私は出発する」

「ええーっ!!」

 一斉に抗議の大合唱が唱和された。当然である、まだ夜も明けていないのだが、ジュリにとっては昼も夜も関係がない。人間とは視点が大幅に違うゆえの感覚のズレだった。

 かといって、引き止めるにも相応の理由がいる。ティファニアはここぞとばかりに、普段使っていない頭を総動員して考えた。

「ちょ、ちょっと待ってください。あの、出発する前に……わたしたちの家が、さっきの戦いで壊れちゃったんですけど、建て直すの手伝ってもらえませんか?」

「なに、そうか……だが、私には寄り道をしている余裕はないぞ」

「はい……エマの家はジュリさんが倒れこんだときに壊れたのに……裏の畑についた足跡は……」

「……」

 ジュリは返す言葉を失った。超獣を倒すためには仕方なかったとはいえ、厳然たる事実だからだ。

 子供達も、そうだそうだと言わんばかりに無言でジュリを見ている。色々言われるよりも、その視線のほうが責任感の強いジュリにはとても堪えた。

 こんなとき、彼なら破壊された建物を修復できるのにとジュリは思ったが、あいにくジャスティスにはそういった能力は残念ながらなかった。

「ふぅ……家を建て直したら、すぐに出立するからな」

 やった!! という大合唱がジュリを取り囲んだ。

 してやられたか……と目の前でにこやかな笑顔を浮かべている長い耳の少女を見つめてジュリは思った。

 宇宙正義の厳格な執行者も、たった一人の少女と子供の前には形無しだった。

「あの、ジュリさん?」

「なんだ」

「ジュリさんのこと……その、お姉さんって、呼んでいいですか?」

「……好きにしろ」

 

 こうして、ウルトラマンジャスティスと、ハーフエルフの少女のティファニアは運命的な出会いを果たした。

 この邂逅が、その後のハルケギニアの運命をどう動かすのかはまだわからない。

 

 

 続く



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第33話  怪獣は、時空を超えて

 第33話

 怪獣は、時空を超えて

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ

 凶獣 姑獲鳥

 ラグストーン・メカレーター 登場!

 

 

「ただいまーっ!」

 夏に入って強さを増す陽光を浴びながら、トリステイン魔法学院に才人の声が響き渡った。

 水の精霊の涙を得て、あれから丸一日、ようやく一行は懐かしき学び舎に帰還していた。

「おお、懐かしの学院よ。そして僕の愛でる花達よ、わずかばかりとはいえ、君達を寂しくさせてすまなかったね」

「モンモランシーに聞こえるぞ」

「ぎくっ! そ、そうだった、自重しよう」

 ギーシュもまた、はしゃいでいたところをレイナールにツッこまれて冷や汗をかく。

 だが、元気さを増す男子連中と違って、ルイズやモンモランシーはぐったりと疲れきった様子で、近づいてくる学院の尖塔を見上げていた。

「はーっ、やっと帰ってきたわね……」

「まったく、男ってどうしてああ冒険が好きなのかしら」

 それは男にしか分からないだろう。二人の馬は男達に遅れてゆっくりと学院に歩いていた。

 とにかく、今は風呂にでも入ってぐっすり眠りたい気分だが、ルイズはともかくモンモランシーはこれから解毒薬の調合にかからなければならない。まあ、自業自得で文句も言えないが、もう安心とばかりにはしゃいでいるギーシュの能天気ぶりを見ると腹が立ってくる。

「ほんとに、あれが水の精霊に土下座までした男とは思えないわね。けどまあ、またとない経験には違いないか」

「同感、濃い体験だったわね……そういえば、タバサはあれっきりどうしたのかしら」

 タバサの素性については、まだルイズ達は知らない。ふっと姿を消して後、キュルケから用事があって実家のほうへ帰ったと聞かされて、そのキュルケもタバサの実家に寄っていくからと、あの後別れてきていた。

 ま、たった二人で怪獣に挑むほどの実力者だし、まず大丈夫だろうと楽観的に二人は思った。

「タバサはともかく、キュルケがいないと学院が静かでいいわ。ところでルイズ、あんたの使い魔、水の精霊にアンドバリの指輪を取り戻してくるって簡単に約束しちゃったけど、大丈夫なの?」

「知らないわよ! まあ、期限は死ぬまででいいっていうし、そんなご大層な道具、使えばどっかで形跡くらい残るでしょ。見込みが無いわけじゃ無し、見つかればラッキーと思っとけばいいわよ」

 実質期限は無いようなものだし、水の精霊に恩が売れるならそれも悪くはないだろう。もし盗んだ奴が見つかったら気晴らしに盛大に吹き飛ばしてやろうと、ルイズは物騒な企みを抱いていた。

「ところで、その解毒薬ってのはどのくらいでできるの?」

「急げば数時間、これ以上疲れたくないんだけど、しょうがないわよねえ、彼も待ってることだし」

 モンモランシーはそう言って平原の一角を指差した。なんでもない原っぱが微小に揺れ動いている。もちろんその下にヴェルダンデがいるためだ。

「あの子のためにも、急がないとね。なにせ、命の恩人ですもの」

 スコーピスにエースが追い詰められたとき、ヴェルダンデが勇敢にスコーピスに隙を作ってくれなかったら、彼女達は今頃ここにはいられなかったかもしれない。本当にギーシュには過ぎた使い魔だ。

「ギーシュをあきらめて、ヴェルダンデと付き合ってみたら?」

「……それもいいかもしれないわね。ヴェルダンデが人間だったら、本気でプロポーズしてたかも。そこいくとあなたはいいわよね。使い魔を恋人にできるんですもの」

「……なっ!?」

 冗談を思わぬ形で返されて、ルイズの顔が瞬時に真赤になった。

「ななななな、何言い出すのよ。つつ、使い魔を恋人!? そそ、そんなことあるわけないでしょ、あいつは所詮使い魔、そう、犬、犬っころでしかないんだから!!」

 ここにキュルケがいたら大爆笑しただろう。本当に感情を隠すのが下手な子だ。

「でもさ、考えてみたらサイトも中々いい線いってるんじゃない? そこそこ強いし、頭も悪くないし」

「そりゃ買いかぶりすぎよ。ほっといたらすぐサボるし、面倒ごとは持ち込むし、な、なによりメ、メ、メイドとすっごく楽しそうにいちゃついて、あたしのことなんか……」

 本当に分かりやすい。知らぬは当人ばかりなり、モンモランシーは恋愛上手だと自分を評価してはいなかったが、上には上がいるものだとしみじみ思った。

「ふーん、わかったわ。けど彼、そのメイドとさっそく逢引してるわよ」

 モンモランシーに言われて見ると、先に走って行っていた才人が見覚えのあるメイド服の少女と早くも仲良しげに話しているのを見えて、ヴァリエール製瞬間湯沸かし器にスイッチが入った。

「あの犬、性懲りも無くまたあのメイドと!! こらぁ!! あんたにゃ溜まった仕事が山ほどあるでしょうが、戻ってきなさーい!!」

 鞭を風を切る音がするほどに振り回し、馬上から般若のごとき、牙でも生えてるんじゃないかと思えるくらいに、怖い顔でルイズは怒鳴った。

「ぐっ!! ごっ、ごめんシエスタまた後で……とほほ、今日から掃除洗濯、雑用、召使い。んでもって使い魔生活か」

 苦笑しながら才人はぽつりとつぶやき、冒険の間に汚れたルイズの服を受け取ると、洗濯するために水場に駆けて行った。

 

 そして、かっきりと三時間後……待望の解毒薬は完成した。

「できたわーっ!! はーっ、疲れた」

 精魂尽き果てた様子で、モンモランシーはるつぼに入れたままの解毒薬をギーシュに差し出した。

「できたんだね!! よくやってくれたモンモランシー、ではさっそくヴェルダンデに持っていこう」

 待ちわびた解毒薬を受け取ったギーシュは、喜び勇んで学院の外壁の下で待っているように言ってあるヴェルダンデの元へと飛んでいった。それにしても、せっかく苦労したんだから、行く前にもう少し何か言うことは無いのだろうかと、いまいちモンモランシーは不満だった。

 しかし、モンモランシーには一抹の不安もあった。ヴェルダンデを巨大化させたのはあくまでも調合に失敗した惚れ薬。それを解除するのに元の解毒薬で大丈夫なのかと。もし駄目だった場合には、今度こそ打つ手はない。

 けれど、それもしばらくたってギーシュが大はしゃぎしながら戻ってきたときには杞憂だったと分かった。

「成功したのね!?」

「そうとも! もう外にいるのは元の小さくて可愛いヴェルダンデさ、やっぱり君の調合の技術は本物だったよ。さあ、この喜びを共に分かち合おうじゃないか」

「ち、ちょっと!!」

 すっかり舞い上がったギーシュは両手をいっぱいに広げてモンモランシーに飛びついていく。その後ろはベッド。

 しかし!!

 

「いやーっ!!」

 

 一瞬の詠唱の差。このときモンモランシーはスクウェアクラスに匹敵するんじゃないかというくらいの速さで、『レビテーション』のスペルを完成させてギーシュの体を浮き上がらせると、そのままウルトラハリケーンばりの大回転を加えて窓の外に吹っ飛ばした。

「あーれー……」

 ドップラー効果で小さくなっていく悲鳴を残しつつ、ギーシュは空のかなたへ飛んでいき、そして消えていった。

 そんな光景をギムリとレイナールは女子寮の外から見上げていたが。

「愛に生きた男、ギーシュ・ド・グラモン、星となって消ゆ」

「女ったらしの星、ギーシュ一等星の誕生だね」

 と、呆れ果てた様子で言って帰っていった。

 まあ、杖を持ったままだから墜落する前に助かるだろう。スペシウム光線で追撃をかけられなかっただけ、ましというものだ。

 だが、ギーシュが消えていった空を見上げながら、モンモランシーは顔を赤くしてうなだれていた。

「ばか……もっと、ムードってものを考えなさいよね」

 どうやら彼女も、ルイズのことを笑えないようだ。

 

 

 だがそのころ、世界の混迷の度合いは様々な場所で深まっていっていた。

  

 トリスタニアの中心にそびえ立つトリステイン王宮の会議室。通常なら数十人の貴族を集めて議論が交わされるべきそこに、たった二人だけの人影があった。

 壇上から、提出された書類に薄く青い瞳を向けている人物はトリステイン王女アンリエッタ。そして王女の目の前のテーブルには長身の眼鏡をかけた金髪の女性が、王女の前だというのにまったく気負った様子も無く、自分が提出した書類をアンリエッタが読み終わるのを待っていた。

「この報告……ある程度予測はしていましたが、こうして見るとあらためて驚愕せざるを得ませんわね」

 アンリエッタが読み終えた書類をたたみ、憔悴の色をわずかに感じさせる声で感想を短く述べると、その眼鏡の女性は立ち上がり、高くよく通る声で話し始めた。

「姫殿下のご推察通り、以前回収されました超獣の死骸と、王宮を襲ったゴーレムの残骸、ともに我々王立魔法アカデミーの一同がほぼ一ヶ月をかけて研究しました」

 これは、以前エースに倒された超獣ホタルンガと、四次元ロボ獣メカギラスのことである。

「回収したサンプルの移送には大変手間がかかりましたが、まあこれはいいでしょう。アカデミーにて、あらゆる方面から研究しました結果、超獣の皮膚はトライアングルクラスの火、水、風、土のどれもほとんど傷をつけられず。ゴーレムの装甲は、いかなる方法を持ってしても破壊は不可能、内部に残っておりました砲弾を起爆してみたところ、スクウェアクラスの土ゴーレムを一撃で粉砕する威力。結論から言いまして、敵の戦力は我々を大きく上回るということです」

 一気にまくし立てられた説明に、アンリエッタは目の前が暗くなりそうなのを、ぐっとこらえて話を続けた。

「そう……それで、敵に関する分析結果は、あなたの目から見てどんな具合なのでしょう。ミス・ヴァリエール」

 ヴァリエールと呼ばれた彼女は、眼鏡を指で押し上げると、アンリエッタに目を合わせた。

 彼女のフルネームは、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。名字からも分かるとおり、ヴァリエール家の一員、つまりはルイズにとって姉にあたる存在である。容姿はあまり似ていないが、これは彼女が父親似、ルイズが母親似だったせいだ。

 現在はトリスタニアにある王立魔法アカデミーの筆頭研究員を務めており、その道で彼女の名前を知らない者はいない。

「私も、ゴーレムの分解調査には加わりましたが、内部構造は恐ろしく複雑、精密な部品が緻密に組み合わされてできており、歯車やピストンなどにいたっても、トリステインのいかなる冶金技術を持ってしても複製は不可能なほどの高精度でした。また、魔力が検出されなかったために魔法以外のなんらかの手段を動力としていたのは明白ですが、その内部構造は用途不明な箱や紐がぎっしりと、しかし一定の規則にそって配置されており、私の見ましたところ、その原理を解明するには昼夜を問わずに研究し続けて二百年、同じものを製造するにはさらに二百年を必要とすると判断します」

「つまり、トリステインはヤプールに対して、最低でも四百年の遅れをとっているというわけですね」

「端的に言えば、そのとおりです」

 王女相手に、トリステインは遅れた国ですと平気で言えるのは、何も考えてない馬鹿か、王家と対等に渡り合えるだけの実力と胆力を備えた者のどちらかでしかない。そして、明らかにエレオノールは前者ではなかった。

 それにしても、地球でさえまだオーバーテクノロジーである宇宙人の技術を、理解できなかったとはいえここまで分析した彼女と彼女の研究班はたいしたものである。

「それにしても、これほどの超技術を有するヤプールとは、いったい何者なんでしょう……」

「彼らは自らを異次元人……異なる世界の住人だと名乗っています。それが真実かどうかは分かりませんが、空を割って超獣を送り込んでくる手口といい、人間技とはとても思えません」

 彼女は書類には載っていなかった自身の考察も含めて、アンリエッタに説明を続けた。

「アカデミーには、過去にエルフを始めとする亜人との戦いで蓄積された先住魔法に関する記録や、太古の文献などが保存されていまして、それらとも照らし合わせましたが、合致するものは特にありませんでした。ただ……」

「ただ、なんです?」

「過去のアカデミーの記録に、空から落ちてきた謎の乗り物に関する記述がいくつかあったのです。年代は数百年から二千年くらい前まで様々ですが、それらは銀とも金とも違う不思議な金属でできていて、とてつもなく頑丈で、中には複雑な機構がぎっしり詰まっていたと記されています。さらには、中に亜人のような生き物の死骸が残されていたこともあったそうです」

 それはまさしく、過去になんらかの理由でハルケギニアに墜落した異星人の宇宙船のことだった。

 地球でも、怪獣頻出期が始まる前からバルダック星人やオリオン星人、ボーズ星人が隠れ潜んでいたことからも、ハルケギニアにもたびたび異星人が来訪していたとしてもおかしくは無い。第一、一般には知られていないがミラクル星人という実例がすでにある。

「それでは……」

「どこか遠く離れた場所に、エルフのようにハルケギニアなど……いえ、エルフ達すら及びもつかないほど高度な文明を持つ種族がいるのかもしれません」

「それは、本気で言っていますか?」

 アンリエッタの疑問ももっともだった。ハルケギニアの人間にとって、世界とは半島状になっている四国とアルビオン、それからエルフのいるという東方が全てで、その先など想像もできない。

「そうですわね……姫様、例えばアリの巣を思い浮かべてください。アリも、女王を基準とした人間に似た社会を形成する生き物です。ですが、アリは自分達の頭の上にいる人間が自分達より高等な社会構造を有するものだとは知覚できません」

「我々は、アリだと……?」

 その例え話に、さすがにアンリエッタも眉を少ししかめた。だが、エレオノールの言葉がある意味で正鵠を射ていることも認めざるを得ない。彼我の文明レベルの差はそれほどあり、かつてクール星人は人間のことを昆虫のようなものだと評したこともあるのだ。

「姫殿下、頭の固い将軍や大臣連中には、どうせ怒らせるだけでしょうので発表していませんが、敵はその気になればトリステインを、いえハルケギニアを簡単に滅ぼせるほどの強さがあるということを覚えておいてください」

「ならば、なぜ彼らはすぐにそれをしないのですか? 我々をいたぶって楽しんでいるとでも!?」

「それもあるでしょう。不愉快ですが、敵のやり口は破壊や殺戮そのものをゲーム感覚で楽しんでいるふしがあります。最初のベロクロンの襲撃の際は、まさにそうでした。けれど、その後彼らのやり口は慎重に策を練っておこなうものに転換してきています。その要因は……」

 エレオノールが言葉をそこで切って一呼吸おくと、アンリエッタはたった一つだけ浮かんだヤプールに敵対できる存在の名を口にした。

「ウルトラマン……エース」

「はい、彼の存在がヤプールに対してかなりの抑止力になっているのは間違いないでしょう。なにせ、唯一超獣と戦い、倒すことのできる存在ですから」

 アンリエッタとエレオノールの脳裏に、初めてエースがベロクロンと戦ったときの様子がありありと蘇ってきた。

 トリステイン軍の全戦力をあげても揺るがすことも出来なかった怪物と、彼は互角以上に戦い、そして倒した。

「いったい、彼は何者なのでしょうか?」

「それに関しましてはまったくわかりませんとしか言いようがありませんわ。どこから来て、なぜヤプールと戦うのか、また、どこへ飛んでいくのか」

「世間一般では、始祖の化身だとか、神の使いだとかまことしやかに噂されているようですが、わたくしは、そのようなことは信じません。ただし、彼の行動を見る限りでは、少なくとも人間の敵ではないと思います。彼は魔法学院を守り、炎上するトリスタニアを救ってくれました」

「はい、まだ断定はできませんが、彼の行動は我々と敵対するものではないと思います。ですが期待しすぎるのも危険でしょう。彼もまた、戦えば傷つき、倒れることもあるようです。世間ではウルトラマンがいれば軍は不要だなどと楽観する者も少なからずいるようですが、我々はあくまでも独力でヤプールの侵略を排除すべきです」

「もちろんです。相手が何であろうと、民を守るのが王家と貴族の生まれたときからの責務です」

「姫殿下の平和への信念の強さには敬服するばかりです。我々は彼についても、研究を続けていく所存ですが、あの力の秘密の一端でも解明できれば、それは我々にとって大きな戦力となるでしょう」

 彼女の眼鏡がそのときキラリと光ったように思えた。

 力というのは、それを持たない者にとって何よりも甘美な麻薬、禁断の果実の味を持っている。

「よろしくお願いします。貴女方の研究が、トリステイン、いえハルケギニアの命運を左右するかもしれませんわ」

 アンリエッタの言葉に、エレオノールは優雅に会釈して応えた。

「では、わたくしはこれで、新しい発見がありましたら、逐次報告いたします」

 報告を全て終えたエレオノールは、退室しようと扉に向かった。

 けれど、扉に手をかける前に、その扉が先に開き、そこで入室しようとしていた人物と鉢合わせすることになった。

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参上つかまつりました」

 入室したアニエスは、まずは壇上にいるアンリエッタに礼をすると、続いて自分に目を向けていたエレオノールと視線を合わせた。歴戦の戦士と、冷徹な学者の鋭い視線が交差して、部屋の温度が一気に下がる。

 それから数秒間、互いに言葉を発さずに沈黙が続いたが、先に口火を切ったのはエレオノールだった。

「お初にお目にかかるわね。アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン殿、貴女と貴女の隊の勇名はかねがね聞いておりましたわ」

「光栄のいたり。ですが、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール殿、貴公こそ、軍を問わずに貴女と貴女の研究チームの名はとどろいておりますぞ」

 二人とも、にこりともせずに初対面だというのに相手の名を言い合った。国家の中枢にあっては、それだけの知名度を有する者同士であるが、それは必ずしも友好を意味しない。

「いいえ、全員平民出身の部隊でありながら、魔法衛士隊を敗退させた敵を撃破し、貴族の称号を王女殿下からいただくなど、昨今無かった出世ぶりですわ。まったく、最近のトリステインの貴族達の質の低下ぶりには常々嘆いていましたが、腑抜けの男共に見習わせたいものですわ。淑女をモットーとするトリステインの貴族女子にはとてもできませんからね」

「過分な評価、恐れ入ります。ヴァリエール殿こそ、若くしてアカデミーの筆頭研究員……新型のポーションやマジックアイテムの開発数では群を抜くとか。貴族夫人とは着飾り、男の前で踊るだけの者達ばかりではないのですね」

 一見すると、相手の業績を称える言葉にも聞こえるが、二人ともそれぞれ言外に。

 

"剣を振るうしか能のない平民あがりが"

"舞踏会しか出番のない箱入り娘が"

 

 そう、相手を侮蔑する意思が込められていた。

 もちろん、アンリエッタ王女の手前、はっきりと無作法な言葉を発するようなことはしないが、二人の氷のように冷たい目線がそれを何よりも表していた。

「貴公のような実力に溢れた新貴族がいるのであれば、トリステインも安泰でしょう。これからも、どうぞよろしく」

「こちらこそ、貴女のような人とは長く付き合っていきたいものです」

 二人はそうして、どちらともなく手を差し出し合い、握手をかわした。

 アニエスの硬くタコだらけになった手と、エレオノールの薬品と冷水でざらついた手が重なり合う。

 すると、二人の目じりが少しだけ振れて、握る手に力がこもった。

「……貴公の強さ、これからの戦いに、少なからぬ力となるでしょうね」

「そのときは、是非貴女の魔法薬での助力をお願いしたいものです」

 ほんの少しだけ、敬意を表した目を向き合わせた後、エレオノールはあらためてアンリエッタに一礼すると、会議室を退室していった。

 

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、ね。貴女が男だったら、バーガンディ伯爵のような軟弱者の相手をせずにすんだかもしれないわね」

 誰もいない廊下を歩きながら、エレオノールのつぶやいた独り言を、耳にした者はいない。

 

 そして、エレオノールと入れ替わりに入室したアニエスは、書簡をアンリエッタに提出すると、その前に跪いて、アンリエッタが書簡に目を通すまで、微動だにせずに待った。

「……獅子身中の虫とは、まさにこのことですわね」

 そこには、アニエスらが独自に調査した、あの人身売買組織の行動の詳細から、その背後で手引きをして、代わりに私腹を肥やしていた者達の名が記されていた。

「彼らの強欲のために、これまでこれほどの数の子供達が犠牲に、とても許しておけるものではありません」

 アンリエッタは歯を食いしばり、悔しそうに言った。

「すでに捕らえた者達は裁判を終え、それぞれにふさわしい罰を負わせました。しかし姫殿下、この事件はそれだけでは終わりません」

 内に秘めた思いを込めて、アニエスは言った。

 権力を利用して犯罪組織と結託して私腹を肥やす者は別に珍しい存在ではない。しかし、その書簡にはまだ続きがあった。

「ええ、組織から流れた金の行方の、その半分が消失しているというのは尋常ではありませんわね。これに関しては書類も残っていない。彼らにとって、最重要機密ということなのでしょうね」

「ですが、だからこそ推測も立てられます。奴らの後ろ盾になっていたこの男、奴の屋敷の使用人に金をつかませて得た情報ですが、最近アルビオンなまりを強く残す客が増えたとか……アルビオンにおいて、大量に金を必要とし、なおかつトリステインの中枢の人間と手を組めるような勢力は二つ、ひとつはアルビオンの王家ですが、彼らはトリステイン王家と友好関係にある以上、このようなことをする必要がありません。そうなると必然的に残るのは」

「レコン・キスタ、ですね」

 現在、浮遊大陸を二分して、王家と戦っている貴族連合の名を、忌々しげにアンリエッタはつぶやいた。

「奴らは国境を超えたる貴族の連盟と聞きます。しかし、現在は王党派の反撃を受けてシティオブサウスゴータまで押し返され、均衡状態が続いているといいますので、戦力増強のために戦費はいくらあっても足りないのでしょう」

「誇りのない人達は、自分達のためならどんなに弱い人達が苦しもうと、何も感じないのでしょうね」

「奴らは、元々王家に反逆を起こした不忠者ども。自分が王になりたいだけのならず者の集まりに、誇りなどあろうはずがありません。この男、お裁きになりますか?」

「いえ、まだ証拠が足りません。しばらく泳がせて、尻尾を出すのを待ちましょう……それにしてもアニエス、あなたは本当によくやってくれています。心から、お礼を申しますわ」

 アニエスは、あのツルク星人を倒した日からアンリエッタによって預けられた、王家の百合の紋章のつけられたマントを握り締めた。

「私は、姫殿下にこの一身を捧げております。姫殿下は卑しき身分の私に、性と地位をお与えくださいました」

「いいえ、あなたはその地位に等しい武功を挙げました。当然の栄誉を受けているだけです。ですが、平民は決して卑しき身分ではありません、あなたはご自分の部下や守るべき大勢の民衆を貶めるつもりですか?」

 アンリエッタの厳しい言葉に、アニエスは自分の失言を悟って、深く頭を下げた。

「申し訳ありません!! 私としたことが、知らないうちに自分の得た身分に自惚れていたようです。どうか、お許しくださいませ」

「顔をお上げなさいアニエス、分かってくださればそれでよいのです。常に誇りを持ち、身分ではなく精神の高貴さで人を判断すれば、あなたは誰よりも貴族らしい貴族になれるでしょう」

「はっ、肝に銘じておきます」

 壇上から降りて、跪いているアニエスの肩を、アンリエッタは優しく抱いた。

 そして一瞬だけ遠い目をすると、思い切ったようにアニエスに特命を下した。

「アルビオン王家との同盟強化を、急がなければならないようですね……アニエス、それに対してレコン・キスタからどのような妨害があるかわかりません。あなたはこの男の監視を続け、他にも怪しい人物がいないか、目を光らせていてください。そして、彼らが焦って行動を起こしたときこそ」

「かしこまりました。姫殿下のご期待に副えますよう、全力を尽くします」

 この宮廷内に潜り込んでいる寄生虫の数が分からない以上、一匹をつぶしても残りの多数を潜伏させてしまうだけだろう。リスクは大きいが、ここはこちらも気づいてない振りをしての化かし合い合戦だ。

 それに……アニエスには、"その男"に個人的にどうしても聞き出したいこともあった。

「では、私はこれで失礼いたします。最近トリスタニアで奇妙な事件が起こっていると聞き、我らにも応援要請がありましたので、その指揮にあたります」

 命を懸けて仕えるべき主君に深い敬意と感謝を込めて、アニエスは一礼すると退室しようとした。

 その背中にアンリエッタの言葉がかかる。

「くれぐれも、ご自分を大切にね」

「姫殿下のために死すべき日まで、私は死ぬ気はありません。姫殿下も、どうかご自愛くださいませ」

 アンリエッタの優しい瞳を目に焼き付けて、アニエスは会議室の重い扉を閉めた。

 

 

 

 そして、時空を超えた場所でも、運命の歯車は一時も止まりはしていない……

 

 地球、日本アルプスの山岳地帯にCREW GUYS JAPANは出動していた。

 日本でもこの季節は夏、アルプスの峰峰も草花に覆われて、自然の息吹を満喫している。

 しかし、そんな美しい自然の空気を乱す者が、今この空に舞っていた。

「ミライ、そいつにビームは効かねえぞ!! 気をつけろ」

 ガンウィンガーのコクピットからリュウの声が、地上で戦うメビウスに響く。

「ヘヤッ!!」

 メビウスの上空を、一羽の巨大な怪鳥があざ笑うような鳴き声をあげながら飛んでいる。

 そいつは、『凶獣、姑獲鳥(こかくちょう)』、天空を飛翔し、人間に不吉をもたらすという半人半鳥の姿を持つ妖鳥だ。

 接近してくる姑獲鳥を見据え、メビウスは左手のメビウスブレスにエネルギーを集中させた。

「テヤァ!!」

 この怪獣はどういうわけか、ガンウィンガーのウィングレッドブラスターを吸収してしまう。メビュームシュートでは効力がないと判断したメビウスは、それならば光線ではなく、直接エネルギーをぶつけてやろうと考えた。

 稲光を伴う強力な電気エネルギーがメビウスブレスに収束される。そして、敵の突進に合わせて、メビウスは溜め込んだエネルギーを零距離で叩き付けた。

『ライトニングカウンター・ゼロ!!』

 密着しての高電圧エネルギーの解放は、雷鳴の数十倍の輝きを持って姑獲鳥の体に吸い込まれていく。

 しかし、奴はそれさえも飲み込んでしまった。姑獲鳥は電離層に住むプラズマ生物のために、電撃やビーム攻撃の類は吸収されてしまうのだ。

 エサをもらったに等しい姑獲鳥は、さらにパワーをあげてメビウスを跳ね飛ばした。

「ウワァ!!」

「ミライ!」

 メビウスを吹っ飛ばした姑獲鳥は、あざ笑いながらまた上空へと駆け上っていく。

 しかし、その前に青い閃光が立ちはだかった。

「セヤアッ!!」

 ウルトラマンヒカリのナイトビームブレードの一閃が、姑獲鳥の左の翼を切り落とす。

 翼を失ってしまえば、鳥はダチョウかペンギンでもない限り、行動力のほとんどを失う。この姑獲鳥も例外ではなく、きりもみしながら山中の平原に落ちていった。

「ようし、とどめだ!」

 墜落のダメージは意外に大きかったらしく、頭から落下した姑獲鳥は転げまわってもだえている。

 今がチャンスだ! リュウはメテオール、スペシウム弾頭弾の発射準備に入った。

 だがその直前、フェニックスネストからの緊急連絡が彼の手を止めた。

〔隊長、その地点の上空に新たなワームホール反応、さらに大型の熱反応も検知、怪獣が出てきます!〕

「なんだと! またか」

 リュウが空を見上げると、青い空にぽっかりと空いた黒い穴から、まるでラグビーのボールに手足がついたような怪獣がまっさかさまに落ちてくるのが見えた。

 そして怪獣は、頭から岩肌に落下し、盛大に土煙を上げたあと、ゆっくりと起き上がってきた。

「こいつも……どっかの宇宙から飛ばされてきた奴なのか……?」

 リュウは怪獣を見下ろしながら、苦々しげにつぶやいた。

 地球は、ここのところ新たな怪獣頻出に悩まされている。以前戦った、新たなレジストコード・レイキュバスを始めとして、突然開いたワームホールから見たことも無い怪獣が出現してくる事態が多発していた。先日も、突然次元の歪みから子供の書いた恐竜みたいな怪獣が出てきて、ようやく倒したばかり。この事態に、メビウスとヒカリも遂に積極的に参戦し、GUYSと協力して事態の収拾に当たっていた。かくいう、この怪鳥も日本アルプス上空に突然開いたワームホールから出てきたのだ。

 新たな怪獣は、体の中央に赤く光る一つ目がついていて、よく見れば体のあちこちが機械化されている。どこかの星の怪獣兵器の類かもしれないが、ともかく放っておくわけにもいかない。

 この怪獣、彼らは知らないことだが、名をラグストーンと言い、リュウの予測したとおりに怪獣兵器の一種で、別の世界から時空のかなたに飛ばされて、ここにたどり着いたものだ。

「ミライ、セリザワ隊長、気をつけろ!!」

 すでに姑獲鳥との戦いに時間を食って、二人のウルトラマンのタイムリミットはあまりない。

 ラグストーンは、二人のウルトラマンの姿を見つけると、ラグビーかフットボールの選手が突進するときのような前傾姿勢をとり、頭から猛然と突進してきた。

 メビウスとヒカリは、これ以上戦いが長引くのは不利と判断して、ラグストーンの正面からそれぞれの必殺光線で迎え撃つ。

『メビュームシュート!!』

『ナイトシュート!!』

 二乗の光線は狙い違わずにラグストーンに命中した。しかし、ラグストーンはそれらの光線が直撃したにも関わらずに、平然とそのまま突進してくるではないか!!

「ショワッチ!!」

 二人のウルトラマンは、正面から受け止めるのは無理と、ラグストーンの頭の上をジャンプして飛び越えた。

 勢い余ったラグストーンは、そのまま慣性の法則に従って突き進む。その先には不運なことにようやく起き上がってきたばかりの姑獲鳥がいた。もちろん、ダンプカーのごとく突進するラグストーンは止まることはなく、正面衝突した姑獲鳥は盛大に吹っ飛ばされてしまった。

 さらに、跳ばされた姑獲鳥が墜落したところに、なおも止まらないラグストーンが駆けて来て……

 グシャッ!! 擬音にすればそういう表現がぴったり来るような見事な音を立てて、姑獲鳥はラグストーンに踏み潰されてあえなく最期を迎えた。

 だが、残るラグストーンは手ごわそうだ。

「私達の同時攻撃が効かないとは、なんて頑丈な怪獣だ」

 普通の怪獣ならば木っ端微塵、少なくともダメージは与えられる攻撃に、この怪獣はビクともしない。

 姑獲鳥を踏み潰したラグストーンは回れ右して、再び突っ込んでこようとスタートダッシュの体勢をとっている。

 すでにカラータイマーも赤く点滅を始めて、光線技をあまり連射することはできない。けれど、メビウスはそんなことで闘志を折ったりはしない。

「ヒカリ、僕があの怪獣の防御を破ります。その隙に光線を撃ち込んでください」

「あの怪獣の防御を破る術があるのか……よし、任せたぞメビウス」

 ヒカリを後ろに残して、メビウスはラグストーンに向かって跳んだ。空中高く跳びあがり、右足を突き出してのジャンプキック攻撃だ。

「テヤァーッ!!」

 真正面からまるで銀色の矢のごとく、メビウスのキックはラグストーンの赤いモノアイ部分に命中した。

 けれども、頑強なラグストーンの体は目の部分でもメビウス渾身のキックに耐えられるほど硬く、その衝撃にも傷一つなく平然と受け止めきってしまう。

 が、メビウスの狙いはここからだ!!

「テイヤァァーッ!!」

 メビウスの体がラグストーンのモノアイにキックを打ち込んだ姿勢のまま、まるでドリルのように高速回転を始める。それはあまりの回転速度のために空気との摩擦で炎を起こし、さらに大地を抉り取る竜巻のようにメビウスのキックに通常の何十倍もの力を与えた!!

 

『メビウスピンキック!!』

 

 ラグストーンのモノアイが、とうとう耐え切れなくなり、貫通されて爆発を起こす。

 これこそ、かつていかなる光線技も通じなかったリフレクト星人を倒すために、ウルトラマンレオ、おおとりゲンの教えを受けてメビウスが独自に編み出した必殺キック、その威力はあのレオキックにさえ匹敵する。

「セリザワ隊長、いまだ!!」

 ラグストーンはモノアイを破壊されて、火花を吹き上げてもだえている。あそこならば、光線技が効く。

 リュウのかけ声を受けてヒカリは腕を十字に組んだ。

『ナイトシュート!!』

 青い閃光が吸い込まれるように、ラグストーンのモノアイの亀裂に飲み込まれていく。

 ラグストーンの外殻は確かに硬い。しかしその反面内部からの圧力も外に逃がすことができずに、電子レンジに入れられた卵がはじけるように、内側から粉々の破片になって飛び散った!!

「ようっしゃあ!!」

「ショワッチ!」

「シュワッ!!」

 新たなワームホールが開く気配はもう無い。

 二大怪獣を撃破し、ガンウィンガー、メビウス、ヒカリは揃って飛び立った。

 

 そして、勇躍してフェニックスネストへ帰還した三人を、サコミズ総監やトリヤマ補佐官、それにミサキ女史が温かく出迎えた。別の隊員達は他の任務で出かけているが、それだけでも充分疲れは吹き飛んだ。

「ご苦労様、おかげで市街地に被害が出る前に怪獣を倒すことができた」

「いいえ、これが俺達の仕事ですから」

 サコミズ総監のねぎらいに、リュウはすっかり隊長らしくなった様子で答えた。

 そしてミサキ女史が、同じようにねぎらいの言葉をかけると、脇に抱えていた茶封筒から数枚の用紙を取り出してミライとセリザワに渡した。

「ご苦労様。さっそくだけど、あなた方が出かけている間に異次元調査の途中経過の報告が来たから、目を通してみて」

「はい、ありがとうございます」

 それはGUYSが独自に調査した、ウルトラマンAと異次元人ヤプールについての資料だった。

 二人はそれにざっと目を通し、やはりエースが消えたとされる日に、木星の観測ステーションが異常な時空間の歪みを観測していたことが証明された。

「やっぱり、エース兄さんはどこか異次元……別の宇宙へとさらわれたんでしょうか……あれ? これは」

 ミライは、その資料をめくるうちに、最後のページに奇妙な記事があるのに目を止めた。

「平賀、才人?」

 なんと、そこに記されていたのは才人の名前、そのものであった。

「ミサキさん、なんですかこれは?」

「読んでの通りよ。エースが消えたのと、ほぼ同時刻に地球上でも同じような時空間の歪みが観測されていたの。こっちはかなり小さいし、すぐに消えちゃったんだけど……その日からその少年が行方不明になってるの」

「行方不明者って、それは警察の仕事では?」

「ところが、警察が聞き込みをしたところ、彼らしき人物が宙に浮かんだ光る鏡みたいなものに吸い込まれて、そして消えてしまったと目撃者の証言を得たのよ」

 それはまさに、才人がルイズのサモン・サーヴァントによって召喚された、その瞬間のことだった。

「まさか、ヤプールの仕業だと?」

 過去にもヤプールは奇怪な老人に姿を変え、世界中の子供達を異次元へとさらっていったことがある。その事件はドキュメントTACに、メビウスの輪を利用した異次元突入作戦によって異次元空間へ飛び込んだ北斗星司隊員の活躍で解決されたとなっているが、真実はもちろんウルトラマンAによってヤプールが倒されたのである。

 しかし、ミサキ女史は首を振った。

「いいえ、この異次元ゲートからはヤプールエネルギーは感知されていません。それに、事象はこの一回だけで他には観測されていません。しかし、ゲートの性質はエースが消えたときのものとほぼ同質です」

 GUYSの調査結果を読み、セリザワ=ヒカリも首をひねった。

「ならば、ほかの何者かの仕業か。しかし、この才人という少年、いったい何のために……?」

 資料には才人のパーソナルデータも記されていたが、素行に問題は無く、補導暦もない。かといってこれといった表彰もされたことはないが、交友関係もそれなりにあり、彼を悪く言うような者もいない、いたって普通の高校生を絵に描いたような少年だった。

 まさか、使い魔にするために異世界から魔法で呼ばれたなどとは想像できる者がいるはずもない。

「じゃあ、エース兄さんはいったいどこに……」

「メビウス、エースは異次元戦闘では兄弟一のエキスパートだ。きっと、どこかの宇宙で戦っていることだろう。我々は、一刻も早くエースが消えた次元を探し出して、彼を救う方法を考えることだ」

 セリザワは気落ちしそうなミライの肩を叩いて、そう励ました。

 また、サコミズもミライに告げた。

「ミライ、そのためにこそ我々GUYSがいるんだ。焦るな、我々が希望を捨てない限り、希望も我々を裏切ったりはしない」

 サコミズの、この落ち着いた声と穏やかな人柄に、これまで何度救われてきたことか。ミライは元気を取り戻して気合を入れた。

「はい! 頑張ります。エース兄さんを必ず見つけ出してみせます」

 この前向きさがミライのいいところだ。

「それにしても、この平賀才人って奴はなんなんだろうな。エースと同時刻に消えてる以上、事件とまったく無関係とは思えねえし。ヤプールが目をつけそうなところはなさそうだけどなあ」

 ただし、この少年に関してはまったく分からなかった。元々深く考えるタイプではないリュウは首をかしげるばかり。

 だが、分からないことが重なるなど宇宙人がらみの事件にはありがちなことだ。

「まあとにかく、この混乱に乗じてヤプールにつけこまれないように警戒することも肝心だ。この少年……案外彼が事件の鍵を握っているかもしれんな」

「じゃあ、彼の消えた場所から再調査してみましょうか? えーと、消えたところは、東京の秋葉原」

「よーし、それじゃあ行くぞミライ!!」

「はい、リュウさん」

 どんなときでも、決してあきらめない。

 知らず知らず、彼らは真実に一歩一歩近づいていっていた。

 

 ちなみに……

「なあ、マル……わしもいるんだけどなあ」

「補佐官、今回は空気を読まれたんですよ。次はきっと、補佐官の出番がありますって」

 と、いじける二人がいたことを一応付け加えておく。

 

 

 しかし、まさか自分の存在がGUYSで取り上げられているなどとは夢にも思っていない才人は、あっという間に元の雑用中心の使い魔生活に戻って毎日を平和に過ごしていた。

 ラグドリアン湖から帰ってきてから、早くも今日で六日。心配していたタバサとキュルケも二日後には学院に戻ってきて、明日は週に一度の虚無の曜日の休日だ。

「よいしょ、よいしょ……っと」

 学院のヴェストリの広場で、才人は風呂の準備をしていた。

 この学院にも一応風呂はあるのだが、貴族用の大風呂には才人は入れない。かといって使用人用のサウナ風呂は日本人の彼にはなじめないものだったので、食堂でもらってきた大釜を五右衛門風呂に仕立てての手作り風呂を作り上げたのだった。

 えっちらおっちらと、薪や水桶を抱えて何往復もする。疲れる作業だが、風呂に入らない不快感を味わうよりはましだし、第一臭いとルイズに叱られては寝床がなくなる。まあ、いざとなったらデルフを片手に持ってガンダールヴの力でスピード運送という手もあるが、無駄な手間をかけてこそ出来上がりが楽しいということもある。

「いよーっし、準備オーケーと」

 釜に水を張り終えて、薪に火をつけるためにポケットに入れておいた火打石を取り出そうとごそごそとしていると、太陽に変わって顔を出してきた月明かりの中から、誰かが近づいてきた。

「誰だ?」

「わたしよ」

 返事が返って来るのと同時に、月明かりに照らされて、そのシルエットが浮き上がってきた。桃色がかったブロンドの髪の色に鳶色の瞳、見間違えようもない、ルイズだ。

「どうしたんだ、こんなところに?」

 このヴェストリの広場は学院の主要施設や通路から離れているために、生徒は滅多にやってくることはない。そのため才人にとっても風呂に入るには都合のいい、憩いの場所だった。もちろん、ルイズが尋ねてくるなどはじめてのことだ。

「あんたこそ、何よこの大釜? 料理でもしようっていうの?」

「違うよ。これは俺専用の風呂、学院のサウナ風呂はどーも性に合わなくてな。自作してみたんだ」

「はー、妙なことするわねえ。まあ、別にいいけど清潔にはしときなさいよ。それより、あんた宛に手紙が来てるの」

「俺に?」

 意外な用件に才人は一瞬ぽけっとした。見ると、ルイズは指に白い封筒を挟んで掲げている。

 しかし、なんでルイズが持ってくるんだ? と、才人は不思議に思った。こういうものは、普通ならシエスタあたりが持ってくるだろうに。

「わたしの部屋に伝書ゴーレムで直接届けられたのよ。誰からだと思う?」

「えーと、特に心当たりはないが……あっ、アニエスさんからだ」

 ルイズから受け取った封書の裏には、確かにあの銃士隊隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランの名で差出人のフルネームが書かれていた。

「なーんであんたに直接手紙が来るのよ。こういうことは主人であるわたしを通すのが筋でしょうに、まったくこれだから平民あがりはいやなのよ……」

「余計な手間をかけるのを嫌う人だからな、まあ大目に見てやれよ」

 自分がスルーされてぶつくさ文句を言うルイズをなだめると、才人は手紙を読みやすいように月明かりにかざした。

「久しぶりだな、あの人とはツルク星人のとき以来か……でも、わざわざなんだろうな……年賀状でもあるまいに、もしかして俺に惚れた? ラブレターとか、ぐふふ」

 手紙の封も切らずにあり得ない妄想に身をよじらす才人を、ルイズは汚物を見るような目で見て、その股間に蹴りを入れてやろうかと思ったが、足を振り上げた時点で、ピーンともっとよい方法を思いついた。

「あっ、そう。じゃあ今度わたしからアニエスさんに丁寧にサイトが好きですかって聞いておいてあげるわ」

 それはまったく、死の宣告に等しかった。

「さっ、さあ馬鹿なこと言ってないで、中身を見ないとな!」

 この瞬間、拷問台のフルコースを味わわされたあげくに火あぶりに処せられる自分の姿を見たのは、単なる幻覚ではあるまい。

 滝のように冷や汗を流して、才人は震える手で封筒のふちをビリビリと破いた。

 そして、恐る恐る手紙を開いて、そこに記されていたものは……

「なんて書いてあるんだ?」

 実は才人はまだハルケギニアの文字が読めなかった。アニエスの名前がわかったのは、単に単語のつづりを覚えていただけのことである。

「仕方ないわねえ、貸してみなさいよ。えーと、『ヒラガ・サイト殿、至急知恵を借りたし、明日銃士隊詰め所まで来られたし。銃士隊隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン』……ですってよ」

「へ……?」

  

 

 続く

 

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第34話  老いた龍

 第34話

 老いた龍

 

 宇宙野人 ワイルド星人

 宇宙竜 ナース 登場!

 

 

 人間を含む、全生命……それらには生まれ出でた以上、決して逃れることのできない定めが二つある。

 その一つは死。例え宇宙全体を支配するほどに強大な力を持った存在だろうと、何万年という長大な寿命を持つ種族でも、悠久の時の中に滅び、消えていく。

 それでも、生命はその共通する本能により、少しでも死を遠ざけようとして生きてきた。

 しかし、死を遠ざけようとする者には、逃れられないもう一つの定めが待っている。

 緩慢に訪れるそれは、静かにあらゆるものを死へといざなっていく。

 いつか、それがあなたの身にも訪れたら、あなたはそれをどう受け止めますか……?

 

 

 ある夜、盗賊でさえ眠りにつく沈黙の時間……

 トリステインの首都トリスタニアの郊外の丘に、怪しい二人の人影がたたずんでいた。

「あれが、トリスタニアか……」

「そうだ、君の望みをかなえるための場所だよ」

 その二つの人影は、一つは感情を押し殺した声で、もう一つは過剰に陽気さを飾り付けた芝居くさい口調で話し始めた。

「大きな街だ……」

「そうだな、とても大きな街だ……すばらしいだろう。人間が大勢いる」

 二人の姿は、夜陰に紛れて影法師のように黒く染められていた。しかし、陰影だけ見ると、一つはとても大柄で、もう一つは帽子やコートを身にまとっているのがわかる。

「本当に、よいのだな?」

「ああ、もちろん。地球ではもはや防備が固くなりすぎて、君の入り込む隙は少ないだろうが、ここの人間どもは無防備も同然だ。存分にやりたまえ」

「できれば、こんなことはしたくはないが……これも我が種族のため……」

「そうだな、君達にとってはこれが最後の機会だものな……絶対に、成功させなくてはな、ふふふ」

 大柄なほうが思いつめたようなのに対して、もう一人のほうはそれを煽り立てるように、わざと陽気を装ってしゃべっていた。

 彼らはそれから後も、二言三言話し合っていたが、やがて大柄なほうは闇夜の中を何かを決意したかのようにトリスタニアへ向けてゆっくりと歩き始めた。

 コートの男は、その姿をしばらく見つめていたが、その口元には不気味な歪みが生まれていた。

「ふふふ、まあ精々頑張るがいい……滅び行く愚かな者よ」

 そのとき、男の頭上の闇がガラスが割れるように砕けて、真っ赤な裂け目が現れた。

 そして、その不気味な空間からかん高い音を立てて、金色に輝く一頭の竜が飛び出し、夜の闇の中へと消えていった。

「さて、成功するか失敗するか……しばらくは様子を見るか、くくく」

 風に暗い笑い声が流されていき、数秒後には男の姿はハルケギニアから消え去っていた。

 

 

 その一週間後……

 この日は週に一度の休日である虚無の曜日で、商店街はいつものように大変なにぎわいを見せていた。

 すでに復興も大体が終了し、ツルク星人の出現以来怪獣の出現もなく、トリスタニアは以前の活気を完全に取り戻しつつあり、そんな街並みの中を例の二人連れが歩いていた。

「前来たときよりもさらに人が多いなあ、復興ついでに道幅を広げればよかったのに」

「城の防衛上、そうもいかないのよ。道が広ければそれだけ敵が入り込みやすいってことだからね」

 人ごみをかきわけて、はぐれないように歩いていくのはおなじみの才人とルイズだった。

 魔法学院も今日は休み。今頃学院では生徒達が思い思いの方法で休日を満喫していることだろう。本来なら、今日はルイズものんびりと羽根を伸ばしたかったのだが……アニエスからの手紙で呼び出されて、わざわざ時間をかけてここまで出向いて来た。なお前回の反省を活かして、キュルケには気づかれないように撒いてきてある。

 が、それにしても人が多い。街についてから二時間は経っているが、歩けど歩けどちっとも城が近くにならない。

「やれやれ、これじゃ城まで着くのにどれだけかかるか……ルイズ、こうなったら裏道を通るか!?」

「だめよ!! そんなところ入ったらまた迷うのが関の山じゃない、それよりもあんたはスリにやられないようにちゃんと財布を持ってなさい!」

 にぎやかすぎて、叫ばなければお互いの声さえろくに聞こえない。秋葉原の歩行者天国での混雑さながらの人の波、波、波……先に進むどころか、本当にはぐれないだけで精一杯だ。

 そんなとき、唯一はぐれる心配がまったくない奴の声が久しぶりに響いてきた。

「よお相棒」

「あっ、デルフか、どうしたよ?」

 才人はここのところずっと背負っているはずなのに、しばらく話した覚えのない愛剣に話しかけられてちょっとびっくりした。

「どうしたじゃねーよ。おめーここんところろくに俺っちを使わないじゃねーか、おかげで寂しくってよお」

「使ってるじゃねえか、ツルク星人からテロリスト星人のときまでずっと活躍してきただろう。二度も巨大化したくせに贅沢言いやがって」

 確かに、ホタルンガ、バム星人、ツルク星人、テロリスト星人とデルフリンガーが倒した敵はけっこう多い。が、デルフの不満はそれだけではないようだった。

「そりゃーさ、けど最近は立て続けに怪獣ばっかだろ、おめーあの銃ばっかりで、しかも暇なときでもずーっと鞘に入れっぱなしだしさあ」

「駄々っ子かお前は……わかったよ、これからは暇なときでも鞘から出してやるよ。で、用事はそれだけか?」

「ああ、そうだ大事なことを言い忘れていたぜ。財布な、さっきスラれたぞ」

「なに!?」

 慌ててポケットをまさぐるが、そこにあるはずの感触が影も形も無くなっていた。振り返ると人ごみの中をそそくさと逃げていく怪しい男が一人。

「それを早く言えよ!! この馬鹿野郎!!」

 役に立たない見張り役に一言怒鳴ると、見失う前にと男の後を追おうとするが、その袖をルイズが引っ張る。

「待ちなさいよ、ご主人様を残してどこに行く気?」

 そうは言っても早く追わなければスリに逃げられてしまう。前門のスリ、後門のルイズ、どっちを選んでも後が怖い。だったら取るべき道は一つ!!

「ルイズ、体借りるぞ!」

「えっ、えっ!?」

 才人は左手でデルフリンガーを握ってガンダールヴの力を発動させると、右腕でルイズの小柄な体を抱えて人ごみの上に飛び上がった。ここならよく見える。そのまま目測をつけ、飛び石のように通行人の肩から肩へと飛び移りながら、スリを猛烈なスピードで追いかけていった。

「待てーっ!!」

「きゃーっ!!」

 財布を無くしてルイズに身の毛もよだつ罰を喰らってはたまらないと、才人は必死でスリを追いかけて、その腕の中でルイズは恥ずかしいやらうれしいやら怖いやらで、顔を真っ赤にして悲鳴をあげる。

 このとんでもない追手に、スリも裏道にそれて必死に逃げるが、ガンダールヴの能力を発揮した才人はオリンピック選手以上の身体能力で追いすがる。

 

「逃がさねえぞ、この野郎!!」

 遂に裏道の一角で追いついた才人はデルフリンガーを抜くと、刃を裏側に返してスリの脳天に目掛けて振り下ろした。

「峰打ちだ、安心しな」

 鈍い音がして、スリの行く足がおぼつかなくなる。

 だが、スリは意識を失う寸前に別方向からやってきた別の男に、財布を投げ渡した。

「しまった。仲間がいたのか!」

 しくじったと思った才人は再びルイズを抱えて追いかけようとした。しかし、それより前に、男の前に見覚えのある軽装の鎧をつけた一団が立ちはだかった。

 

「止まれ!! 逃げると発砲するぞ!!」

「銃士隊!?」

 

 それは忘れるはずもない、対ツルク星人戦で命を預けて共に戦った銃士隊の勇士達の姿だった。その後ろからは、あのときと変わらず凛々しい隊長アニエスと、副長ミシェルの二人も駆けつけてくる。

 スリは銃口を突きつけてくる銃士隊を見て、仰天して反対側に逃げようとするが、白兵戦技では現在トリステイン最強と言ってもいい銃士隊に抜かりがあろうはずもない。たちまち全ての通路に隊員達が剣と銃を構えて現れ、逃げ道を完全に塞いでしまった。

「ミス・ヴァリエール、サイト、どうしてこんなところにいる?」

「スリを追っかけてきたら、ここに逃げこまれて……アニエスさん達こそ、どうしてここに?」

「最近トリスタニアを荒らしている窃盗団を追っているところだ。少し待ってろ、すぐに片をつける」

 アニエスは、相変わらず猛禽のように鋭い目つきで指示を出し、才人が倒した男を縛り上げさせると、もう一人をあっという間に包囲してしまった。

「あきらめろ、今投降すればしばり首だけは免れられるぞ」

 冷徹に、ドブネズミかゴキブリを見るような目つきでアニエスは盗人に言い捨てた。普通、街の治安維持は衛士隊の仕事だが、犯罪の規模が大きいときは銃士隊や魔法衛士が援軍に出ることもある。日本で言うなら警察とSATの関係に近いか。

 周囲は完全に包囲されて、無理に逃げようとしても切り刻まれるか蜂の巣にされるかしかない。盗人の進退も窮まったかと思われたが、奴は往生際悪く、道ばたでゴミにまみれて眠っていた浮浪者の首根っこを掴むと、その首筋にナイフを突きつけて脅してきた。

「近づくんじゃねえ、さもねえとこいつの命はねえぞ!!」

「……クズが、やってみるか? そうしたら貴様には斬首しか残ってないがな。もっともその前に拷問で組織のことを洗いざらい吐いてもらう。軍の拷問の苛烈さ、貴様の低劣な脳みそでも想像くらいできよう。私は聖職者ではないから天国とやらには案内できないが、地獄なら迷わず送り込んでやる」

 そのときのアニエスは、悪人に一片の情けもかけずに無限の苦痛へと叩き落すという地獄の閻魔大王そのものの、罪人への一切の妥協を許さない鬼の目をしていた。

「くっ、くそ! 俺は本気だぞ! 銃士隊が一般市民を見殺しにしていいのかよ?」

「アニエスさん、このままじゃ人質が!」

 盗人と才人の声が薄暗い裏通りにこだまするが、アニエスの態度は変わらない。

 しかし、盗人のナイフが浮浪者の喉下に当たろうとしたとき、離れた家の二階の窓から金属の筒のような物が盗人に向けられた。

「くっ、こうなったらこいつを殺し……」

 そのとき、怒りの形相だった盗人の目から急に光が消え、腕がだらりと下がってナイフが取りこぼされ、ついで体が人形のように地面にぐしゃりと倒れこんだ。

「確保しろ!!」

 すぐさま銃士隊員が人質を助け出し、犯人を拘束する。

 しかし、取り押さえられたはずの犯人の顔を覗き込んだ隊員は絶句した。

「し、死んでます」

 盗人の呼吸は完全に止まり、瞳孔が開いて脈も途切れていた。つまりは、完全に死亡していた。

 これには成り行きを見守っていた才人とルイズも驚き、呆然と遺体を見つめていたけれども、アニエスがぽつりとつぶやいた言葉が二人の意識を現実に引き戻した。

「またか、これで一三件目だ」

「またか? だって!」

 そう、この事態は銃士隊にとってはじめてではなかった。

 ふたりはアニエスから、ここ数日トリタニアで盗人、ごろつき、違法商人などが次々と謎の死を遂げていることを聞かされ、唖然となった。

「しかも、死因は王宮医師が念入りに調べてもまったく判明しない。魔法の可能性も考えられたが、ディテクトマジックにも一切反応がないそうだ……しかし、罪人ばかり突然死するというのも偶然にしても多すぎる。つまり、なんらかのトリックを使った連続殺人というのが我々の見解だ」

「連続殺人、もしかして俺たちを呼んだのは、そのためですか?」

 才人はそう言うと、ポケットから一通の手紙を取り出して広げた。そこには『ヒラガ・サイト殿、至急知恵を借りたし、明日銃士隊詰め所まで来られたし。銃士隊隊長アニエス』とハルケギニア語で書かれていた。ただし才人はまだハルケギニア語を読めないためにルイズに代わりに読んでもらい、「なんであんたが城に呼ばれなきゃならないのよ!!」と怒って一緒にトリスタニアまで来たのだ。

「ああ、それは間違いなく私が出したものだ」

「ふんっ、天下の銃士隊も落ちたものね! こんな冴えない犬っころに助けを求めるなんて」

 才人が他人に手を出したり出されたりすることを極度に嫌うルイズは、そのうっぷんを我慢することもなくそのまま吐き出したが、その銃士隊を侮辱する発言にミシェルが剣の柄に手をかけた。

「貴様、いかにヴァリエール家の息女だろうと、我らに侮辱は許さんぞ!!」

「やる気? ちょうどイライラしてたところだし、相手になってやるわよ」

 ルイズも杖に手を掛けて睨みあう。だが幸いにも、一触即発になる寸前に、アニエスと才人が止めに入った。

「よせミシェル、決闘はご法度だぞ。ヴァリエール殿も杖を収められよ」

「やめとけってルイズ、ここで銃士隊とケンカしてどうすんだ。すいません、なんでかこいつ気が立ってるみたいで」

 それでようやく二人とも武器を収めたが、才人は「誰のせいで気が立ってると思ってんのよ!!」とルイズに蹴りを入れられて、切ない場所の痛みに理不尽さを感じながらもだえた。

「申し訳ありません隊長。沈着さを欠いておりました……ふぅ、まあとりあえず久しぶりだなサイト。どうやら、まだ殺されずに使い魔をやっていたようだな」

「ミ、ミシェルさんこそ……相変わらずキツイっすね。そんで、俺を呼んだのはその事件の捜査のためですか?」

「そうだ。もちろん、単なる殺人事件なら銃士隊の面目にかけて解決する。しかし、二日前にそうも言ってられない事態が起きてな」

 アニエスは、 まだダメージから抜け切れない才人をやれやれというふうに眺めて、腰に手を当てると、才人をわざわざトリスタニアに呼び寄せることになった事件のあらましを語り始めた。

「二日前の夜、衛士隊の本部に三〇人ほどの罪人が収監されていた。ロマリアから流れてきたという強盗団の一派で、貧民街に潜伏していたところを逮捕したのだが……」

 

 

 その夜、久しぶりの大捕り物に衛士隊本部は厳戒態勢で臨んでいた。

 本部の建物はいつもの倍の見張りが置かれ、非番の者も駆り出して、強盗団の脱走や、仲間達が奪還に来ることに備えていた。

 しかし、実のところとしては彼らは、ツルク星人の襲撃時に大損害を出した上に、女ばかりの銃士隊に手柄で大きく水をあけられてしまったことへの焦りがあったのだが、理由はともあれ本部はアリの一匹も通さないはずの鉄壁の守りを備えていた……はずだった。

 翌日の朝、朝食を持って監房に入っていった兵士の見たものは、鉄格子の奥で物言わぬ冷たい塊となった盗賊達の姿だったのである。

 いったいこれはどういうことだ!! 衛士隊長をはじめとする幹部連は激怒して、見張りについていた兵士達を問い詰めた。だが、兵士達の誰一人として犯人の姿どころか、夕べは何も異常はなかったと言うばかりだった。

 もちろん、監房は本部の最奥、しかも地下に置かれており、侵入するには本部の中を突っ切らねばならない。けれどもその途中には何十人もの武装した兵士が見張りに着いており、さらにディテクトマジックのかかった魔法の探知装置も存在している。その全てを誰にも気づかれずにすり抜けて、強盗団を殺害するなど不可能だ。

 だが、強盗団の中にたった一人だけ生存者がおり、そいつの証言から驚くべきことが明らかになった。

 彼は、強盗団の会計をしていたという年のころ六十過ぎの老人で、牢獄の片隅で眠っていて、夜中に扉の開く音がして目を覚ましたところ、入り口から見張りの兵士といっしょに、全身まるで羊のように毛むくじゃらの大男が入ってきた。

 その老人は最初、その大男の毛むくじゃらの異様な風体に恐怖して寝たふりをしていたが、薄目を開けてじいっと観察していると、大柄な男の額が光って、兵士を赤い光で包み込んだ。すると、それを浴びた兵士はまるで夢遊病のようにふらふらと部屋の外に出て行ってしまったのだ。

 そして、毛むくじゃらは自分を含む一団の顔を順繰りに見回していき、やがて仲間達に手に持った鉄で出来た筒のようなものを向けてまわった。そうしたら仲間達の寝息が順に聞こえなくなり、そのまま入り口から出て行ったという。

 当然、この話は真偽を疑われたが、作り話にしてはできすぎているし、こんな荒唐無稽な話を作る必要もない。と、なると……犯人はその毛むくじゃらの大男、しかもそいつは兵士といっしょに入ってきたというではないか。

 ただちに監房の見張りの兵が尋問された。その結果、昨晩の深夜の一時に記憶がなぜか飛んでいたといい、他の兵士にも問いただしたところ、皆同時刻に記憶を失っていたと証言し、事件の全貌が見えてきた。

 

「なーるほど、その赤い光ってやつは催眠術か、そいつで兵士達を操って侵入したってわけだな」

「デルフか、お前も久しぶりだな。しかし、それだけの人間をいっぺんに操れる催眠術師なんて聞いたこともない。魔法かマジックアイテムを使えば別だが、探知には何も反応が無かった。それに、そいつが一連の殺人事件の犯人だと推定できるが、どうにも不可解な点が多すぎる」

 まず第一に、殺害方法がまったく不明、外傷も毒物の反応もなく、全員死亡理由が分からない。

 第二に、殺害されているのは全員罪人ばかり、その場にいた兵士や市民はまったく被害を受けていない。

 第三、犯人の目撃情報が無い。これは目撃者の記憶を片っ端から消しているとしか思えない。

 第四、魔法やマジックアイテムは一切使用された形跡はない。

 そして何より、こんなことは人間技では不可能だということだ。

 

 そこでアニエスの記憶をよぎったのは、バム星人、ツルク星人戦で敵の特徴を正確に言い当てた才人の存在だったというわけだ。

「と、いうわけだ。人間技では不可能でも、ヤプールの手下のウチュウジンとかいう連中なら不可能ごともやりかねないからな。心当たりはあるか?」

「うーん、なくはないけど……」

 顎に手を当てて才人は考え込む仕草をした。

 地球でもウルトラ警備隊の時代に同じような事件が起きた事がある。しかし……正直、この宇宙人とはあまり戦いたくはなかった。

「恐らく、被害にあった人達は殺されたんじゃなくて、生命を吸い取られたんだ」

「生命を? どういう意味だ」

「説明しづらいけど、そうとしか言えないらしい。人間の体から、生命そのもの……魂といえばいいか、それを奪い取ってしまう機械を作り出した星人が、昔来たことがあったそうだ」

 地球人の科学でも、いまだ全容が知れない宇宙人のテクノロジーをハルケギニアの人に説明するのは面倒だが、とにかく心当たりがあるということは伝わったようだ。

「まぁ、まったく手を触れずに人を殺せる道具を持っているということはわかった。とにかく、犯人がお前の知っている奴なら話が早い。質問したいことは他にも山ほどあるが、とりあえずそいつがどこにいるかが知りたい」

「たぶん、どっかに隠れ家があるはずだけど……トリスタニアも広いからな……」

 そう簡単そうに言われても才人も困ってしまう。この人口数万人の大都市からたった一人を探し出すなど……いや、考えてみればそれが銃士隊の仕事だった。

 頭を抱えていると、アニエス、ミシェル、ルイズの役に立たないなという視線が痛い。しかし、どうしたってわからないものはわからない。難問のときに限って自分を指名してくる教師に当たったときのように、才人は困り果てた。

 と、そのときデルフがひょいと鞘から出てきて言った。

「よお、相変わらずおめーら相棒を困らせるのが趣味だねえ、けど相棒は基本どーしょーもないくらいの凡人だってこと忘れんなよ」

「デルフ、お前それ全然フォローになってねえぞ。物干し竿にされたいならいつでも言えよ」

「軽いジョークだよ。俺は退屈には慣れてるけど、退屈は好きじゃねえ。それで、人探しのヒントだが、そいつは悪党ばっか狙ってんだろ? だったら適当な悪党囮にしておびきよせりゃいいんじゃねーの」

 デルフの提案に才人とルイズははっとしたが、アニエスは冷めたもので。

「その案は考えたが、あいにく収監中の罪人は二度目を防ぐために全部城の地下牢に移された。ならば我々が罪人に扮しておびき出そうとしてみたが、相手もさるもので引っかからん。だから現行犯で捕まえようと、こうして出張ってきていたのだ」

「敵もなかなか頭がいいね。だったら、隠れ家に踏み込むしかねえが、相棒、お前の国じゃあ、そいつはどうやって捕まえたんだ?」

「確か、洞窟に潜んでいたところを、妙な音がしてそれで発見された……けどトリスタニアに洞窟なんて……いや、待てよ、なんで妙な音なんかが……そうだ!」

 何かが頭の中で組み合わさったようで、才人ははたと手を打った。

「アニエスさん、トリスタニアに下水道かなにかみたいな、大きな地下空間がある場所はないですか?」

「ぬ? ……西の公園区画の地下には有事の際の地下貯水槽があるはずだが」

 そこだ! 才人は犯人がその地下貯水槽の坑道の中を隠れ家にしていると断言した。

 理由は後で話すとして、敵は一人分の生命を奪うことに成功し、いったん隠れ家に引き上げている可能性が高い。銃士隊はただちに西の公園区画に向かった。

 

 

 地下貯水槽は公園の地下深くにあり、そこに続くまでには洞窟のような地下通路が広がっていた。

 案の定、入り口にかけられていた鍵は壊されており、扉にも頻繁に開け閉めした跡がある。

「この狭さでは大軍では入れないな。よし、私とミシェルで様子を探る。残りの者は出口を塞いで誰も外に出すな……サイト、お前はどうする?」

「俺は行くよ。俺の思ってるとおりの奴なら……いや、とにかく行きたい」

 言おうとした言葉をぐっと飲み込んで、才人は同行を願い出た。

 そしてルイズも。

「あんた、何か隠してるわね……わたしも行くわ、使い魔だけに危地に行かせるわけにはいかないからね。その代わり、しっかりわたしを守りなさいよね」

 何かを思いつめたように闇の奥を覗き込んでいる才人に、ルイズも深く追求するのはやめた。

 

 地下通路はしめっぽく、懐中電灯代わりのたいまつの明かりだけが暗闇をぼんやりと照らし出して、地獄に向かって下りているような印象を受ける。

 そんななかで、才人は心当たりの星人に関する自分の知る情報を三人に話していっていたが、やがて彼らの目の前に、半径五十メイルほどの広大な地下の湖が姿を現した。

「うわ、まるで海じゃねえか。これ本当に地下かよ。なんて広さだ……」

 才人は、目の前に現れた巨大な地底の湖に呆然としてつぶやいた。貯水槽と言っていたが、これなら数ヶ月にわたってトリスタニアの全住民を喉をうるおしてなお余りあるだろう。

 まるで、東京ドームをそのまま地下に作ったかのような広大さを持つこれは、かつて土系統の使い手二十人と、モグラなどの使い魔によって作られたという。地球で同じ規模のものを作ろうとすれば土木重機を総動員して何ヶ月もかかるだろう。ペルシダーのような地底戦車を使えば別だろうが、こういう部面ではハルケギニアの魔法力が地球の科学力を凌駕しているようだ。

「出て来い! ここにいるのは分かっている!!」

 地下の湖のほとりでアニエスが叫んだ声が、山彦のように地下空間にこだまする。

 才人とルイズは固唾を呑んで、木霊が収まるのを待った。

 そして、十回以上響き渡ったアニエスの言葉が完全に消えたとき。

 

「よく、ここがわかったな」

 

 突然目の前から声がして、闇の中から顔以外の全身を長い体毛で覆われた、雪男のような巨漢が姿を現した。

 とっさにアニエスとミシェルは銃を向ける。しかし大男は落ち着いた様子で、両手のひらを前に出して、戦う意思がないことを伝えてきた。

「撃つな、人間よ。我々ワイルド星人は、この星を侵略しにきたわけではない」

 ワイルド星人は両手をさらして銃口の前に無防備に立っている。

「侵略の意思はない、だと? ならばなぜ大勢の人々を殺した?」

「聞いてくれ、我々の種族は皆老衰し、間もなく滅亡しようとしている。どうしても若い生命を取り入れなくてはならない。その必要な若い生命を集めるために私は来た。分かってくれ、たくさんではない、ほんの少し、人間の若い生命を分けてほしいのだ」

 やはり……と、才人は自分の推測が当たっていたことを複雑な気持ちで感じた。

 宇宙野人、ワイルド星人……ケムール星やケットル星などと同じく種族全体が老衰した宇宙人。そのため、滅亡を免れるために、かつても生命を吸い取るカメラを開発して、地球人の若い生命力を盗み出そうとしたことがある。

「貴様の言い分はわかった。だが、勝手に人の命を奪っていいと思っているのか?」

「悪いことをしているとは思っている。しかし、願い出ても人間は私の頼みを聞いてくれはしないだろう。だから、市民には手を出さずに悪人のみの生命を採取した。どうせ放っておいても死罪になるような者たちだ、奴らの無駄な命の代わりに、未来を失いかけている我々は救われることができるのだ!」

 彼の懇願の言葉に、だまそうとしている意図はなく、ただ必死に生き延びようという意思のみがあった。

 そしてその執念は、アニエスらはともかく、才人とルイズを圧倒し、少なからず心を揺さぶった。

 

 ……悪人が死んで、代わりに普通の人が生き残れるのなら、そのほうがよいのではないか……

 

「確かに、どうせ死罪になるような連中なら……サイト?」

「俺も少しだけそう思った、けどな」

 ルイズと才人は複雑な思いを抱いたまま、目を見合わせた。それは、口には出せないが、万人が多かれ少なかれ抱いている思いだったけれど、だからといってそれは善では決してない。

 銃口を下ろすことなく、アニエスは答える。

「貴公の一族の境遇には同情する。しかし、たとえ明日処刑される罪人であろうと、トリステインの人間の命を勝手に持ち去ることは許さん」

「ならば、我々にこのまま死を待てというのか? 生きる努力を放棄することも、また罪ではないのか!?」

 ワイルド星人もまた必死に訴えた。彼も自分のしていることが悪だということは自覚している。

 だが、こんな例え話がある。あるところに飢えた子供を抱えた父親がいる、目の前には誰のものともわからない桃の木が一つ、この場合、桃を盗んで子供に食べさせるべきか、それとも盗まずに子供を飢え死にさせるべきか……どちらを選ぼうと罪になる。この問題に正解はない。

 しかし、回答拒否は許されない。アニエスは断固として言い放った。

「貴様が生存権を主張して、我らの生命を狙うのならば、我らにも同様に抗う権利がある。一つたりとて、貴様に命をくれてやることはできん」

「悪人を庇いだてしようというのか?」

「そうではない、人の命はどんな人間であれ、その者のみのものだ。どんな理由があろうと、人の血を吸って身を肥やすような文明を、私は認めない」

 同情はする。しかし、だからといって一方的に生命を持ち逃げしようとしているのは、形は違えど侵略と同じである。

 そして、いかなる悪人といえども、その尊厳を奪い取る権利は誰にもない。どこまでいこうと人間は人間、その命はその者だけのもの。例えるなら、今すぐ臓器移植を必要とする患者がいたとしても、刑務所の死刑囚の体を切り裂いてよいなどいう法はない。

「それでは、これまで集めた分の生命だけでもいい」

「だめだ、私が貴様に提案する選択は、今すぐ集めた分の命を返すか、ここで撃ち殺されるか、二つに一つだ!」

 妥協案にも、アニエスはまったく動じず銃を構えなおした。

 すると、ワイルド星人は黙ってうつむいていたが、やがて悲しそうに顔を上げた。

「残念だ……だが私もここでやられるわけにはいかない!!」

 いつの間にか、ワイルド星人の手には大型のライフルのようなものが握られていて、それがアニエスへと向けられた。

「隊長!!」

「宇宙カメラだ!!」

 ミシェルと才人の絶叫が地下空間にこだまする。

 宇宙カメラに捉えられたが最後、目に見えない光線が人間の生命をカメラの中へと吸い取ってしまうのだ。

 だが、交渉が決裂したときのために神経を研いで待ち構えていたアニエスは、山猫のように俊敏な跳躍でカメラのフレームから逃れると、銃の照準をワイルド星人の心臓にめがけて撃った。

「グッ!!」

 撃たれたワイルド星人は胸を抑えてよろめいた。しかし、パワーのないフリントロック式の火薬銃の威力では、球形弾丸はワイルド星人の分厚い体毛にさえぎられて、その下の皮膚までたどり着くことができずに、ぽとりと地面に転げ落ちた。

「撃て!!」

「はっ!!」

 ミシェルもまた星人をめがけて銃を撃った。しかし、体には効き目がないので体毛のない顔面を狙ったけれども、見越していた星人に腕で防がれてしまった。

 こうなると、再装填に手間のかかる銃は役に立たない。アニエスらは銃をしまうと剣を引き抜き、才人もデルフリンガーを抜いて、杖を構えるルイズの前に立った。

「イヤァァッ!!」

 アニエスに先じてミシェルが大きく振りかぶって斬りかかる。

 しかし、ワイルド星人の額についているマークが光ると、ミシェルは振りかぶった姿勢のまま、凍りついたように固まってしまった。

「催眠光線だ!!」

 ワイルド星人は肉体こそ衰えているが、超能力ではまだ人間をしのいでいる。立ったまま眠らされてしまったミシェルに、生命を吸い取る宇宙カメラが向けられた。

「ミシェル!!」

「ルイズ、今だ!!」

「ええ!!」

 星人が引き金を引く寸前、ルイズの爆発魔法が地面を吹き飛ばし、大量の粉塵を巻き上げた。いかに超テクノロジーの塊とはいえ、カメラはカメラ、被写体がなければ写真を撮ることはできない。

「うぬ……おのれ」

 対象を失い、うろたえるワイルド星人は宇宙カメラを構えたまま立ち尽くした。

 さらにそのとき、煙の中から飛んできた短剣が星人の左手の甲に突き刺さった。

「ぐっ……」

「あきらめろ、私は貴様より夜目が利く、その手ではもう満足に狙いはつけられまい」

 最後の情けと、アニエスは剣の切っ先を突きつけて降伏を勧告する。けれど、ワイルド星人もまた、どうしても譲れない使命を背負っていた。

 

「ナァース!! ナース!!」

 

 ワイルド星人が湖に向かって叫ぶと、水面が泡立ち、そこから金色に輝く龍の頭が浮かんできた。

「あれは!?」

「黄金の……龍?」

 これこそ、ワイルド星人の宇宙船兼用心棒のロボット竜、ナースだった。この地下貯水槽は単なる隠れ家という訳ではなく、ナースを隠しておける空間として活用されていたのだ。

 浮上したナースは湖岸に突進してくると、アニエス達を蹴散らしてワイルド星人を収容し、天井に頭を打ち付けて飛び上がり始めた。

「まずい、崩れるぞ!!」

 地下空洞の天井が崩れだし、巨大な岩の塊が水槽に落下して水しぶきをあげる。ナースがこの上の岩盤を破壊したからだ。このままでは、四人そろって生き埋めにされてしまうだろう。

 逃げなければ! 

 一抱えほどもある大岩が雨のように降り注いでくる。そのとき才人はその中の一つが、まだ催眠状態が回復しきれていないミシェルの頭上に落下してくるのを見て、とっさに彼女に飛びついて押し倒した。

「危ない!」

 巨岩がミシェルの頭のあった場所で砕け散って、無数の破片を周りに撒き散らした。才人はそれらから自分の身を盾にしてミシェルを守り、比較的安全な壁際で彼女を助け起こした。

「大丈夫ですか!? ミシェルさん!」

「う……サイ……ト? ……え?」

 才人としては、そこで極めて常識的な行動をとったと思っていた……のだが、ミシェルのほうは、目が覚めたらなぜか才人の腕の中に抱かれている状態に、絹を十枚ほどまとめて引き裂いたような悲鳴をあげてしまった。

「きゃあぁぁぁーっ!! なっ、なななな!? なぜ、私がお前に? いいい、いったい私に何をしたあ!?」

「お、落ち着いてください。何にもしてませんよ!」

 顔を真っ赤にしてもだえるミシェルを地面に落とすわけにもいかず、才人は慌てて彼女の体を支えようとするが、それがますます彼女の動揺を誘ってしまう。しかも、才人のそんな光景を、この人が見逃すはずはなかった。

「なにをやってんのよ、あんたはぁー!!」

 ルイズのメガトンキックが才人の顔面に炸裂し、彼の頭は岩の壁に思いっきりぶつけられた。それでもなんとかミシェルを床に落とさなかっただけ、一応彼も男であっただろう。

 ただ、ルイズの怒りはそれで収まらずに、なおも才人に攻撃をかけようとしたが、そこでようやくアニエスが止めに入ってきた。

「ミス・ヴァリエールもいい加減にしろ! お前たちまとめて生き埋めになりたいか!」

 そこでようやく、ルイズも洞窟の崩落がどんどん激しくなっているのに気づいて怒りを治めた。そして一行はようやく気を取り戻したミシェルに肩を貸しつつ、全力で出口へ向かって走った。

 

 

「あっ! あれはなんだ!?」

「お、黄金のドラゴンだあ!」

 公園の一角が突如盛り上がり、ナースが地上に飛び出してくる。

 地下貯水槽の入り口で待ち構えていた銃士隊の隊員たちは、突然現れた金色の竜の姿に、あっけにとられて動くことができない。

 中世の感覚を色濃く現すハルケギニアにとって、竜は怪獣として恐怖の対象にされるのではなく、竜騎士の象徴として、強さと畏怖を持って覚えられるものであり、しかもそれが黄金の色をしていればなおさらだ。

 だがそのとき、崩れゆく地下通路から危機一髪で駆け出してきたアニエスが、全員に向かって怒鳴った。

「何をしている!! あれは侵略者の乗り物だ!! ただちに全市に非常警報を出し、近辺の住民を避難させろ!!」

「隊長!? はっ、了解しました!!」

 隊員達は、隊長の命令が下るやいなや、鍛え上げたカモシカのような足で駆け出して方々へと飛び出していく。公園にいた市民達も、一時の自失から解放されると、ベロクロンに街を焼き払われた恐怖が蘇り、悲鳴をあげて逃げ出し始めた。

 けれど、上空のナースは逃げる人々や街並みには一切手を触れようとはせずに、公園の周りを数回往復すると、上空へと向かって上昇を始めた。

「逃げる気か!? くそっ、だがあれではどうしようもない」

 次第に高度を上げていくナースを悔しげにアニエスは見上げたが、空を飛ぶ相手には銃士隊はなすすべがなく、ただ黙って睨みつけるしか彼女にはできなかった。

 

 このままでは、奪われた生命はワイルド星人に持ち逃げされてしまう。ハルケギニアの飛行戦力である飛竜やグリフォンではナースを止めることはできないし、第一今更間に合わないだろう。

 今、戦うことのできるのは才人とルイズ、この二人だけであった。

「行くわよ、サイト」

「いいのか、盗賊や人殺しの命を取り返しに行くんだ。フーケのときとは違う、これは名誉には全然ならねえぞ」

「アニエスの言葉で気づいたの、形はどうあれ、これはトリステインへの侵略と同じ。あんたこそ、もうじき滅亡する民族の一縷の希望を奪うことになるのよ」

「ああ……だけど、これを許したら、人間はもっと大事な物をどんどん他人に奪われていくことになる気がする。どっちを選んでも間違ってるなら、せめて自分で選びたい」

 二人は無言でうなづき合うと、ぐっと右手を重ねあった。

 光が二人を包み込み、その姿を一人の戦士へと変える。

 

「ショワッチ!!」

 空へ昇っていくナースを追って、ウルトラマンAは全速でその後を追い、尻尾を掴んで引き戻そうとする。

 

"ウルトラマンA、邪魔をするな!!"

 

 しかし、ナースはワイルド星人の執念が乗り移ったかのように激しく暴れてエースを振り落とそうとした。

「ワイルド星人、気持ちはわかるが、どんな理由があれ侵略を見逃すわけにはいかない!!」

 エースにもワイルド星人が生きるために必死であるということは分かる。それでも、宇宙警備隊員として無法な他星への干渉を黙って見過ごすことは絶対にできない。

「デヤァッ!!」

 力を込めて、ナースを掴んだままエースは降下していく。ナースは、激流に抗い天に昇ろうとするも果たせぬ鯉のように、次第に空から引きずり下ろされていく。

"どうしても邪魔をしようというか、ならば!!"

 エースのパワーからは逃れられないと知ったワイルド星人は、ナースを一転して振り返らせ、その長大な体をエースに巻き付けさせると万力のように締め上げ始めた。

「ヌウッ!?」

"ウルトラマンA、私の邪魔をした報いだ、恨みはないが、骨も肉もバラバラになって死ぬがいい"

 エースの体に何重にも巻き付いたナースは、ギリギリと音を立てて力を込める。

 しかし。

「……こんなものか?」

 余裕を充分に持ってエースは答えた。

 よく見ると、ナースの体はエースを締め上げてはいるものの、エースの体にはほとんど食い込んでいない。それどころか、ナースの体からは錆びた歯車が無理矢理回されるような、きしんだ異音が鳴り、節々の動作もギシギシと鈍くなっている。

(なんでだ? ナースはウルトラセブンを苦しめたほどのパワーがあるはずなのに)

 才人はまるで知っているのと違うナースの力の無さに、逆の意味で驚いた。

 けれど、これもまた逃れえぬ運命の悲しき定め。

(龍もまた、老いからは逃れられないということだ……)

 そうだ、人が老いからは逃れられないのと同様、機械もまた老朽化という運命からは逃れられない。星全体が老衰し、活力を失っていく星で、ナースもまた錆び付き、老いていたのだ。

「テヤッ!!」

 一気に力を込めると、巻き付いていたナースはいともあっけなく振り払われた。

 しかし、追い討ちをかけることはせずにエースは空に浮いたままのナースを見ている。本来なら、ワイルド星人は他星の侵略など考えない平和的な宇宙人だったかもしれない。

 戦いたくはなかった……それでもナースは抵抗をやめずに、長い体を頭部を中心にとぐろを巻くように収納して、高速飛行の可能な円盤形態へと変形しようとしている。

 エースも、決断しなければならないときは来た。静かに両手を額へと添える。

 

『パンチレーザー!!』

 

 額のウルトラスターからの青色光線はナースの胴体に命中、本来なら牽制程度の威力の光線だが、老朽化したナースは耐えられなかった。変形を解いて、糸の切れた凧のようにふらふらと失速して公園の中へと落ちていく。

  

 

「ぐ……うう」

 墜落、炎上するナースからワイルド星人は宇宙カメラを持って、よろめきながら脱出してきた。

 だが、墜落のショックに、人間でいえば九十歳を超えるほどに老衰したワイルド星人の体は耐えられずに、やっと這い出したところでその力は尽き、公園の芝生の上へと崩れ落ちた。

 そこへ、アニエス率いる銃士隊の一派が駆けつけてくる。

「いたぞ!! あの妙な形の銃を奪え、あれが奴の仕掛けのタネだ」

 地面を通じて、十数人の足音が近づいてくるのを感じるが、もはや起き上がる力も彼には残っていなかった。

 せめて、このフィルムだけは……宇宙カメラに仕込まれた生命を焼き付けたフィルムを取り出そうとしたとき。

 

「ご苦労だったな」

 

 突然現れた骨ばった手が、ワイルド星人の手からフィルムを奪い取った。

「き、貴様は……」

 その男は、全身黒ずくめの服に身を包み、漆黒のマントを翻して、黒色の帽子の下には不気味な笑顔の老人の顔が浮かんでいた。

「何者だ、貴様!?」

 アニエス達も、突然現れた異様な風体の男に驚き、用心して距離をとって包囲陣を敷く。

 しかし、男はアニエス達などまるで目に入っていないように、口元を愉快そうに歪めて笑った。

「ふふふ、感謝するよワイルド星人……お前のおかげで、労せずしてマイナスエネルギーに満ちた生命エネルギーを得ることができた。後は安心して滅亡するといい」

 そう、その男こそ……

「くっ……ヤプール、貴様!!」

「なっ!?」

 銃士隊の言葉にならない絶叫が漏れる。

 白昼堂々、これまで正体すらつかめなかった悪魔が、今ハルケギニアの人々の目の前に現れていた。

「くっくっくっ、はーっはっはっはっ!!」

 ヤプールが天に手をかざすと、空が割れて、そこから巨大な影がゆっくりと姿を現してきた。

 

 

 続く



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第35話  あの超獣の闇を撃て!!

 第35話

 あの超獣の闇を撃て!!

 

 宇宙野人 ワイルド星人

 宇宙同化獣 ガディバ

 蛾超獣 ドラゴリー 登場!

 

 

「ふははは、出でよ!! 超獣ドラゴリー!!」

 突如天空に開いた真っ赤な裂け目へとヤプールが召喚する。

 それに応じて現れたのは、緑色をした体に極彩色の模様をあしらい、長く伸びた牙を生やした昆虫の頭と、腕のように進化した羽に鋭い爪を持った超獣。

 

【挿絵表示】

 

 平和を取り戻しかけたトリスタニアに四度目の訪れた危機。その名も、蛾超獣ドラゴリーが降り立ってきた。

「ふふふ……また会ったな、ウルトラマンAよ」

「ヘヤッ!!」

 ナースの残骸の上に乗り、ヤプールは荒々しく咆哮をあげるドラゴリーを見上げながら愉快そうに笑う。

 ヤプールが人間の姿を借りてエースの前に現れたのは、超獣ホタルンガと戦ったとき以来。あのときと変わらぬ不気味な黒装束で、奴はそこに立っていた。

「まったく忌々しい奴よ。あれからも何度もわしの邪魔をしてくれて……しかし、わしの侵略作戦は着々と進行している。この世界が我々の手に落ちるのも時間の問題だ。そして、貴様にもここで死んでもらおうか」

(ヤプール……)

(まさか、こんな真昼間から出てきやがるとは)

(それだけ、自信を深めてるってことかしらね……人を馬鹿にして)

 エースの中で、才人とルイズも自ら姿を現してきたヤプールに驚いていた。相変わらず、人を馬鹿にした態度を嬉々としてとってくる。食えない奴だ……

 白昼堂々、エースへの深い憎しみを込めた声で、ヤプールの宣告は続いた。だが、包囲陣を敷いている銃士隊がそれを見逃すわけもない。

「貴様、そこから動くな!!」

「ん? いたのか、人間どもよ」

 二十丁以上の銃を突きつけてくる銃士隊を、庭を這うアリ程度の価値にしか感じないふうにヤプールは言った。というよりも、今やっとアニエス達がいたことに気づいたと言わんばかりに、平然と見下しながら笑っている。

「貴様が、ヤプールなのだな!?」

 敵の首領が目の前にいるという胸の高鳴りを抑えながら、アニエスは銃口を向けつつ怒鳴った。

「いかにも、我が名は異次元人ヤプール……正確には、その意識の集合体と言ったほうがいいかな。理解できるかね? 下等生物の諸君」

 薄ら笑いを浮かべながらマントを翻すヤプールに答えたのは、銃士隊の一斉射撃の洗礼だった。だが、それらの弾丸の全ては老人の体に当たる前に、直前で突然失速してボタボタと足元に転がった。

「なに!?」

「はっはっ、そんなものでは、この私は殺せないよ。さて……ぬ? 貴様」

 ヤプールが足元を見下ろすと、傷ついたワイルド星人が、這いずりながらもヤプールの足首をがっちりと握り締めていた。

「フィルムを、返せ!」

「ちっ、生命エネルギーを集めた時点で、貴様はもう用済みなのだ。さっさと死ぬがいい」

 ヤプールはワイルド星人の手を乱暴に振り払うと、その体を銃士隊のほうへと思い切り蹴り飛ばした。毛むくじゃらの巨体が、まるでぬいぐるみのように宙を舞い、地面に骨の砕ける鈍い音を立てて叩きつけられると、ワイルド星人の口からうめき声と共に大量の血が吐き出されて、その体をどす黒く染めた。

「ふっ、愚か者よ」

「貴様!!」

 アニエス達もヤプールのあまりにも残忍な所業に、怒りを込めて剣を抜く。

 だが、ヤプールはすでに彼女達などは目に入らない様子で、ドラゴリーを見上げて楽しそうに笑った。

「ふふふふ……かわいい奴よ。さあ、ドラゴリーよ、わしからのプレゼントだ」

 ヤプールが宇宙カメラのフィルムを天に掲げると、ヤプールの腕を黒いガス状の蛇、ガディバがとりまいて、フィルムに込められた生命エネルギーを吸収していく。

「ふふ、行け、ガディバ!!」

 ガディバはヤプールの腕から放たれると、一直線にドラゴリーの胸に吸い込まれていった。そして、ホタルンガのときと同じようにドラゴリーの全身に取り込んだ生命エネルギーを行き渡らせ、一瞬にしてパワーアップさせた。

「ゆけ、復讐せよドラゴリー!!」

 ドラゴリーの目が赤く光り、全身からどす黒いオーラが放たれる。

 かつてマリアロケットを破壊することを果たせずに、メトロン星人Jrもろともエースに倒されたとき、さらに復活してメビウスに倒された先代の怨念も受け継いだこの個体は、悪人のマイナスエネルギーをも取り込んで、凄まじい邪悪なパワーに満ち溢れていた。

(あの禍々しい気配、フーケのときよりもずっと冷たい……)

 特に、超獣の邪悪な力を間近で感じたことのあるルイズは、その気配を肌で感じ取ったようだ。

「シャッ!!」

 エースも、奴から立ち上ってくる強烈な殺気が吹雪のように全身を打ち、うかつに手を出せない。

 こいつは間違いなく、以前の個体より強い。

「ははは、数十人分の邪念を取り込んだドラゴリーに、果たして勝てるかな? それでは、健闘を祈るよ、ウルトラマンA」

 ヤプールの背中の空間がひび割れ、ドラゴリーが出てきたのと同じ次元の裂け目が生まれる。

「ふははは、はーっはっはっは!!」

「待て!!」

 哄笑しながら次元の裂け目へと消えていくヤプールに向けて、アニエスは自分の剣を投げつけたが、寸前で裂け目は破片が逆再生のように元に戻って塞がってしまった。剣は何も無い空間を切って、地面に乾いた音を立てて転がって終わった。

 

 だが、残るドラゴリーは恐ろしげな叫び声をあげると、その身に込められた怨念の命ずるままに暴れ始めた。大きく裂けた口から、真っ赤な火炎がエースに向かって放たれる。

「!? シュワッ」

 間一髪、右に跳んでかわしたエースのいた空間をすり抜けて、火炎はその先にあった煉瓦作りの建物を飲み込んだ。するとどうか、火炎は押しとどめられるどころか、頑丈に作られているはずのそれを瞬間的に摂氏数万度に加熱して、あっという間に泥のように赤熱化した溶岩に変えてしまったのだ。

(こ、こりゃあ、並の怪獣の火炎なんかとは比べ物にならない熱量だぜ)

 火炎というより、もはや熱線と呼ぶべき威力に才人は戦慄した。かつて復活してメビウスと戦った個体は強力な光線を使うようになっていたが、こいつは明らかにそれ以上だ。

 けれども、だからこそこいつはここで倒さなければ、トリスタニアはあっという間に焼け野原にされてしまう。

「ヘヤァッ!!」

 敵が強いと分かっているなら、こちらも最初から全力で向かうのみ。

 正面からぶつかり合い、エースより頭一つ飛び抜けた巨体に目掛けて、パンチ、キックを打ち込んでいく。しかし、まるで巨木のようにドラゴリーの体は揺るぎもしない。それどころか、逆に無造作にはたくように振り下ろされてきただけの腕の一撃で、エースのほうが吹き飛ばされてしまった。

「ヌゥォォッ!!」

 なんという重い一撃だ。かつて地球で戦ったときのドラゴリーもかなりの腕力を持っていたが、このドラゴリーはレッドキング、いやキングジョー級以上のパワーを持っている。さらに奴は、今の一撃で自分のパワーに自信を持ったらしく、今度は自分からエースへ向けて突進してきた。

「テヤッ!!」

 大熊に向き合う坂田金時のごとく、エースはドラゴリーの突進を正面から受け止めようとした。が、勢いが強すぎる。エースの四万五千トンの体重を持つ巨体が、まるでマネキン人形のようにあっけなく弾き飛ばされてしまった。

「ヴッ、フゥーン……ッ」

 ここまでとは……元々力自慢の超獣だったのだが、かつてとは幕下と横綱くらいに違いがある。

(エースだめだ、接近戦じゃとても敵わない!!)

 才人も焦り、エースに離れるように告げる。

 このまま長引かされては不利だ。ならば一撃必殺で一気にケリをつける!!

 エースはドラゴリーに向かって、投げつけるように腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!!』

 三色の破壊光線が真っ直ぐにドラゴリーに叩き込まれる。

 だが、直撃して爆発が治まった後には、何事も無かったように平然と立つドラゴリーの姿があった。

(ヤプールめ、ドラゴリーをここまで強化するとは、これが人間の生命エネルギーを大量に吸収した威力なのか)

 パワーで敵わず、光線も効かない。早くもエースの決め手のほとんどが封じられたことになる。それでも、実戦で攻撃の効かない敵が現れるなどよくある話だ。宇宙の平和を守るために、こんなところで膝を折るわけにはいかない。

 

 そして、地上に残された人々も、黙って戦いを見守っているということはできなかった。

「全隊散って避難誘導に当たれ! 命令を聞かない者は殴ってでも言うことを聞かせろ!」

 破壊されていく街から民衆を逃がすために、銃士隊は街のほうぼうに散っていく。それらを見送ると、アニエスとミシェルは、ナースの隅に倒れているワイルド星人に歩み寄った。

「ぐ……ぬぅ」

 彼は豊かな体毛のあちこちに血がにじんでいる重傷であったが、かろうじてまだ息はあった。

「隊長、すぐに始末しましょう!!」

 ミシェルはすぐに剣を抜いて星人に突きつけたが、アニエスはそれを手で制して言った。

「待て、こいつにはまだ聞きたいことがある。おい、簡単に死ぬな! 貴様にはヤプールの情報を洗いざらい吐いてもらうからな!!」

 これまで完全に謎であったヤプールの情報を知るための、またとない生き証人だ。何としてでも生きていてもらわなくてはせっかく近づきかけた敵の影がまた遠ざかってしまう。アニエスは感情を押し殺して傷の止血を始めた。

 けれども、星人は荒い息の中で苦しげに言った。

「無駄だ……この傷では、もう長くはないだろう。それに、私はヤプールに利用されていたに過ぎん……奴に関する詳しいことなど、ほとんど知らん……ぐぅ」

「だったら今しゃべってもらおう!! ヤプールに利用されていたなら、隠す必要もないだろう。言え、ヤプールとは何者で、どこから来るのだ!」

「ふ……奴らはこことは違う世界に住む生命体で、我々もまた、違う世界からここに連れて来られた。まあ……お前達の文明レベルで理解できるかは知らんがな」

 ワイルド星人の言葉で、アニエスは先日立ち聞きしたエレオノールの推論を思い出した。

 ……こことは違う世界がある。信じがたいが、あの話は本当だったのか。

「ならば、その違う世界とやらにはどうすれば行ける?」

「ヤプールと……戦う気かね……ゴホッ、無駄だよ。君達の力では次元の壁を突破することはできない……私のナースも壊れてしまったしな。素直に無力さを自覚して、ウルトラマンにすがったらどうだね?」

 その言葉を聞いたとき、アニエスは自制していた感情を爆発させて、ワイルド星人の胸倉を掴んだ。

「ふざけるな!! 自分の家に入った泥棒に何もせずに手をこまねいているようなことなどできるか、我々は力に怯えて縮こまっている奴隷ではない。この国を守る戦士だ!!」

「た、隊長、落ち着いてください!!」

 驚いたミシェルが慌てて引き剥がし、後ろからアニエスを羽交い絞めにするが、その怒りはまだとけない。

「ミシェル、お前は悔しくないのか、我々はその存在価値そのものを否定されたのだぞ。いや、我々だけではない、人間そのものが、蹂躙されるだけの無力なものだと言われたのだ」

「それは……」

 返す言葉が見つからずにミシェルが沈黙すると、ワイルド星人は自嘲的に笑った。

「ふ……ふふふ」

「何がおかしい?」

「同じだな。お前達も……決して敵わないと分かっている相手に、それでもなおあらがおうとする。そう、お前達が絶対的な力の差があるにも関わらず、ヤプールの侵略に立ち向かおうとするように、我々も種族の老化という、逃れられない運命に抗おうとして、その結果がこの様だ……ぐっ」

 ワイルド星人の口から血がしたたり、本当にもう長くないことがわかる。

「我々は、貴様らとは違う。今は無力かもしれないが、いずれ必ずヤプールを倒せるだけの力を手に入れる」

「よいな。未来がある者は……お前達には、老いさらばえて滅び行く者達の気持ちはまだ分かるまい」

 それは、なった者にしか分かりはしないだろう。けれど、だからといってやっていいことと悪いことがある。

「老いてなお、若さをひがんだりせず、懸命に生きている者もいる」

 あの鳥の骨と呼ばれているマザリーニ枢機卿も、老体に鞭打ってトリステインのために尽くしている。アニエスの、数少ない信頼できる人物の一人だ。

「それは、次世代に希望をたくせるからだ……われ……われには……もはや、受け継ぐべき、若者も……子供も、いないのだ」

「だから、手を汚してでも、若さを手に入れようとしたのか?」

「そうだ……幾千、幾万年にもわたって積み上げられてきた種族の全てが、残らず消えてなくなる……恐ろしいことだと……おも、わぬか?」

 アニエスとミシェルは、黙ってそのことを想像した。

 そして、過去の忌まわしい記憶を交えて、アニエスは吐き出すように言った。

「私も、幼いころ村を焼き払われ、全てを失ったことがある。だから、失う恐怖は分かるつもりだ……」

「隊長……」

 ミシェルは、これまで聞いたことの無かったアニエスの過去の一端を知って息を呑んだ。

「私はそのとき、生きる気力を失い、未来への希望などまったく持っていなかった。だが、時が過ぎていくに従って、次第に何としてでも生きていこうと思うようになった。私の村を焼いた奴に復讐するためにな。確かに、未来が無くなるということは耐え難い絶望だろう。しかし、だからといって他人の未来を横取りしてよいなどいう詭弁は成り立たん」

「わかって……いるさ……だが、お前達の未来も、今日で潰えるかもしれないがな……」

「なに!?」

 思わず叫んだアニエスの背後で、建物が崩れる音とともに、とてつもなく重い物体が倒れる轟音が響いた。

 振り向いたその先に、信じられない光景が広がる。

「ああっ!! ウルトラマンが」

 ミシェルの悲痛な声が響く。

 圧倒的な力を発揮するドラゴリーの前に、ウルトラマンAの命運は尽きようとしていたのだ。

 

「グ……ヌォォ」

 地面に倒れ伏し、カラータイマーを激しく明滅させながらエースはうめいた。

 今のドラゴリーは、かつてエースが戦った初代や、才人がTVで見た、メビウスと戦った復活体とはレベルが違いすぎる。もはやドラゴリーの姿をした別の怪獣と呼んでも差し支えはないくらいだ。

(ちくしょう。これまでの怪獣なんかとは桁違いだ……)

 あまりにも常識を超えたパワーアップに、才人も悔しさをにじませてつぶやく。

 考えてみれば、フーケ一人のときでさえホタルンガを並外れて強化させたのだ。その何十倍にも当たる人間のエネルギーを吸収したらどうなるかは子供でもわかる。そのために、ヤプールはワイルド星人を利用して人間の生命を集めさせたのだ。

「グゥゥ……」

 ひざを突きながら、何とかエースは立ち上がってドラゴリーに向かって構える。

 ドラゴリーは、よろめくエースとは裏腹に、余裕しゃくしゃくといった様子で喉を鳴らして笑っていた。エースが戦闘開始から消耗しきっているというのに、奴はまるでダメージを受けていない。

 メタリウム光線はすでに通じず、残った可能性はそれを上回る威力を持つギロチン技に賭けるくらいだが、リスクも大きい。これらの技は、光線技のエネルギーを圧縮整形して刃とするために、消耗度は極めて大きく、万一とどめをしくじったら、その時点で負けが決定する。

 勝ち目は、いまやかなり少なかった。だがそれでも、ここで負けてはトリスタニアが蹂躙されてしまう。

 けれども、ドラゴリーは当然そんなことはお構い無しに凶悪なうなり声をあげて突撃してきた。これを正面から迎え撃つ力はもう残っていないエースは、とっさにジャンプしてかわす。

「トォーッ!!」

 空中で回転しながらドラゴリーの頭上を飛び越える。

 だが、街並みを蹴散らしながら突進してきたドラゴリーは、エースに避けられると、急停止して反転して、反対側へ着地したエースに向けて目から稲妻状の破壊光線を放ってきた!

「ヌワァッ!!」

 メビウスと戦った際に見せた雷撃破壊光線はエースの体を捉え、激しく火花を飛ばした。

 そのまま、ドラゴリーは仰向けに倒れたエースに圧し掛かり、好き放題に殴り始める。

「グワァァッ!!」

 倒れながらもなんとか腕を使ってガードしようとするが、奴の打撃は受け止めてもなお激しく衝撃が伝わってくる。

(エース!!)

 才人とルイズも、必死に呼びかける。エースの死は、すなわち同化している彼らの死に直結する。しかしそんなことはどうでもいい、目の前で苦しむエースが心配なのだ。それに、才人にはもう一つ恐れていることがあった。

 

 ……まずい、ドラゴリーといえば……

 

 かつて初代ドラゴリーが起こした惨劇がエースと才人の脳裏に蘇る。

 そして、悪い予感は遂に現実のものとなった。

「ガッ、ウァァッ!!」

 ドラゴリーの鋭い爪の生えた腕がエースの首を狙ってくる。なんとか掴まれる前に腕で持ちこたえようとするものの、凄まじいパワーに今にも弾き飛ばされそうだ。

(まずい!! ドラゴリーは以前怪獣ムルチを引き裂いてるんだ)

(なんですって!? じ、冗談じゃないわよ)

 そうだ、ドラゴリーは超獣屈指の怪力を持っており、その腕力だけで敵の体を引き裂くなどたやすい。初代ドラゴリーは、ウルトラマンジャックを苦戦させたほどの怪獣ムルチを、怪力で簡単にバラバラにした恐るべき戦歴を持っているのだ。

「ウォォッ!!」

 押し返そうとするが、エネルギーが乏しくなってきていることもあり、今にも押し潰されそうだ。奴に掴まれたら、いかにエースといえどもスノーゴンにやられたときのジャックのように、五体バラバラにされてしまう。しかし、どうすることもできない。

 

 そのエースの窮地を、アニエスは血がにじみそうなくらい強く拳を握り締めて見つめていた。

「エース……おのれ、我々はここで見ていることしかできないのか!?」

 このときほど、自分が剣士でメイジでないことを憎いと思ったことはなかった。剣でメイジを倒すことはできる。しかし、剣では超獣に届かせることすらできない。どんな系統でもいい、一瞬でも奴の目をそらすことさえできれば……

 すでに王軍も緊急出動しているころだろうが、今更到底間に合いはしない。

"彼もまた、戦えば傷つき、倒れることもある……"

 以前エレオノールの報告を立ち聞きしたときの言葉が脳裏をよぎる。

 こうなれば、せめて敵わぬまでも一糸むくいるか……自分の望みは果たせなくなるが、この国が、いや世界が滅びるのを見てからよりは、死に際がすっきりするだろう。

 アニエスが悲壮な覚悟を決めようとしていた時、その傍らで同じように立ち尽くしていたミシェルも。

 ……私も、戦うべきなのか……

 そう思い、懐の中にしまっていた、ある物に手をかけるべきか、最後の選択をしようとしていた。

 

 そんな二人に、倒れていたワイルド星人が、突然荒い息の中で話しかけてきた。

「ウルトラマンを……助けたいか……?」

「なに!? ……当然だ。我々の恩人が危機に瀕しているのに、見過ごすことなどできるか!」

 アニエスは怒気を交えて叫ぶ。こんなときに、無力な自分達をこいつはあざ笑おうというのか。

 しかし、ワイルド星人は途切れそうな声で、ナースの残骸の隅に転がっている生命カメラを指差して言った。

「ならば、私の……生命……カメラを使うがいい。超獣が吸収した生命力を、吸い返すことができるはずだ……」

「な、なに!?」

「き、聞こえなかったか。その、生命カメラで超獣を……弱体化できるかも、と言ってるんだ」

 その予想だにしなかった言葉に、思わず狼狽をあらわにしてアニエスは叫んだ。

「貴様、どういうつもりだ!?」

「ふ……私も、ヤプールに利用されていた身……ささやかな、復讐さ……フィルムが……ないから、吸い切れはしないだろうが、無いよりは、ましなはずだ」

 途切れ途切れに話すワイルド星人の口からは、とめどなく血が流れ出して、彼が文字通り命を削ってしゃべっているのだということが見て取れた。

「ぬぅ……」

「隊長、こんな奴の言うことを信じるのですか!?」

 アニエスは迷いを見せるが、ミシェルは侵略者の言うことなど信じられないと、言葉を荒くする。

「……ふ……信じたく……ない、なら別にいい。だが、疑っている時間が、あるのかな?」

「!?」

 見ると、ドラゴリーの爪が今にもエースの首にかかろうとしている。アニエスは遂に決断して宇宙カメラを拾い上げた。

「……機構は銃とほぼ同じだ、使い方はさっき見せたとおり……」

「礼は言わんぞ。だが、貴様の分も恨みは晴らしてきてやる!!」

 そう言い捨てると、アニエスはライフルのように宇宙カメラを構えて、スコープにドラゴリーの姿を映しこもうとした。

 だが。

「くっ、だめだ、奴とエースが近すぎる。これではエースまで巻き込んでしまう!!」

 宇宙カメラの威力がどれほどなのかは分からないが、万一エースまで悪影響を与えてしまっては元も子もなかった。宇宙カメラにはピントの調節機能も当然あるのだが、アニエスには使い方が分からない。

 どうしようもないのか!? 歯軋りしながらアニエスが叫ぼうとしたとき、彼女の前にミシェルが進み出た。

「隊長、私が超獣を引き離します。その隙にお願いします」

「なに……? ミシェル、お前、それは!?」

 そのとき、ミシェルの手には銃士隊の標準装備である剣でも銃でもなく、一本の杖が握られていた。

「はっ!!」

 ミシェルが素早く呪文を詠唱し、杖を振るうと、公園の地面がはがれて巨大な塊になり、もう一度振るうとそれが弾丸となってドラゴリーの目に飛び込んでいった。これは土系統の魔法、しかも飛ばした土塊の大きさからしてトライアングルクラスのものだ。

「ミシェル、お前メイジだったのか!?」

「説明は後で、それよりも早く!!」

 ドラゴリーは突然目に飛び込んできた大量の土に驚いて、エースへの攻撃を忘れて体を起こしている。

 チャンスは、今しかない!!

「ちっ!! 喰らええぇ!!」

 今度こそ完全にフレームにあわせたドラゴリーに向かって、アニエスは宇宙カメラの引き金を引いた。

 そのカメラの銃身からは、輝くビームも高速の弾丸も飛び出しはしなかった。けれども目に見えない光線が確かに発射され、ドラゴリーの体内に巣食っているガディバの生命体を捉えていた。

 突然、ドラゴリーの体が凍りついたように動かなくなり、奴の口から苦しげなうめき声があがる。

 やったのか? アニエスとミシェルは息を呑んで見つめる。

 すると、ドラゴリーの体から黒い霧が噴出してきた。宇宙カメラの影響でガディバがドラゴリーと同化しきれなくなって苦しんでいるのだ。二人は、ここぞとばかりにエースに向かって叫んだ。

 

「ウルトラマンエース!!」

「今だ!! やれ!!」

 

 その声に応えて、エースは渾身の力でドラゴリーを跳ね飛ばした。

 

「テェーイ!!」

 

 ドラゴリーの巨体が押し返されて、エースは雄々しく立ち上がる。

(アニエスさん、ミシェルさん……ありがとう)

 二人の声を確かに受けて、エースの中から才人は礼を言った。

 そして、二人が作ってくれたこのチャンスを逃すわけにはいかない。

 エースは残った全エネルギーを、頭上のウルトラホールに集中させた。高圧エネルギーがエースの両手とウルトラホールの間で凝縮されて、光の刃と化していく。

 これで最後だ!! 裂帛の気合とともに、エースは作り出した三つの光輪をドラゴリーに投げつけた!!

 

『ウルトラギロチン!!』

 

 光の刃は狙い違わずにドラゴリーの首、そして両腕に命中すると、強度の弱っていたそこを一瞬にして寸断した!!

 

「やった!!」

 

 アニエスとミシェルの口から同時に、同じ歓声があがった。

 首と腕を失ったドラゴリーの胴体の切断部から、溢れたエネルギーが激しい火花となって噴き上がる。それはまるでその身に込められた怨念が炎となって具現化しているかのように燃え盛っていたが、やがて体内のエネルギーのバランスが完全に崩れたとき、制御を失ったガディバもろとも、かつての個体同様に大爆発を起こし、粉々になって吹き飛んだ!!

 

(勝った……)

 ドラゴリーの破片が風に乗って飛んでいく。

 ヤプールの怨念によって三度生を受けた超獣は、再びウルトラマンと人間の力によって倒されたのだった。

 

(それにしても、恐ろしい敵だったわ……人間の邪念ってものが、ここまで凶悪な力になるとはね)

(そうだな。今度の敵はエースだけでは勝てなかっただろうな)

(だが、奴を倒したのも、また人間の力だ。見てみろ、この世界にも勇気ある人々がいる)

 エースの視線の先には、見事な敬礼を送ってくるアニエスとミシェルの姿があった。

 そのとき、エースの胸中には北斗星司隊員として戦っていたときの仲間達の記憶が、二人の姿と重なって見えていた。ホタルンガ、マッハレス、ガスゲゴン……TACが助けてくれたからこそ勝てた超獣は数多い。ウルトラマンは決して無敵ではない。その強さの影には平和を守ろうとする人間達の活躍が常にあったのだ。

(アニエスさん、ミシェルさん。すげえな、たった二人で超獣に立ち向かおうとするなんて)

 才人は、たとえ近代兵器が無くとも、やりようによっては超獣とも戦うことができるんだと知った。

 そう、たとえウルトラマンを倒すほどの強豪怪獣でも、たった一人の人間に敵わずに苦しめられることもある。

(今回も、また銃士隊にいいところを取っていかれたわね。悔しいけど、あの人達は本当に強いわ)

 ルイズもまた、単純な力では計り切れないアニエスたちの強さを感じ取っていた。

 しかし、それは別に銃士隊だけの特別な力ではない。未熟な身でありながら勇敢に怪獣に向かっていったギーシュたちWEKCの少年たちや、タバサやキュルケら、みんな頼もしい仲間たちだ。彼らもまた歴代の防衛チームに勝るとも劣らない勇気を持っている。

 エースは、地上で敬礼を送ってくる二人に向かって一度うなずいて見せると、平穏を取り戻した空を見上げて飛び立った。

「ショワッチ!!」

 

 

 戦いは終わった。しかし、それは全ての解決を意味しない。

 消え行くエースを見送って、アニエスとミシェルは、すでに呼吸も途切れがちになっているワイルド星人の元に立った。

「終わったぞ」

「ああ……お、わった……何も……かもな」

 短く消えそうな声で、ワイルド星人は言った。

 終わった……それは戦いのことではない。任務に失敗して、彼の帰りを待っているであろうワイルド星そのものの歴史が、今終わろうとしているのだ。

「ワイルド星人だったか、我々は……」

「い、うな……私は、負けた……それだけだ……星に残してきた者達も、間もなく全て死に逝くだろう……ほんの、少し……さ、きに逝く」

 静かに、しかし確実にワイルド星人の顔から血の気が引いていく。もはやどんな治療も手遅れだろう。もっとも、彼にはすでに生き抜く生命力自体が残されていないが。

 そこへ、ルイズと才人も沈痛な面持ちでやってきた。二人の姿を見ると、ワイルド星人はわずかに笑みを浮かべた。

「若いな……いいものだ、我らは、遠い昔にそれを失ってしまった……ふ、この星なら……簡単に、生命を集められると聞いたが……どうやら、大間違いだった、ようだ」

 ハルケギニアの人間の底力を見誤っていたことに、ワイルド星人は今更ながらに苦笑した。

「ワイルド星人、なんでヤプールなんかの口車に乗ったんだ。あいつがどういう奴か、知らないわけじゃないんだろ?」

 才人は、なぜワイルド星人ほど知的な宇宙人がヤプールに利用されていたのかと、疑問に思っていたことを尋ねた。

「当然だ、奴は……宇宙でもっとも信用してはいけない者……し、かし、もはや地球では防備が強固になりすぎて、だから……罠だと分かっていても……奴らの提案に、乗る以外に、方法はなかった」

「じゃあ、だまされているとわかっていて……」

 そこまで……そこまで追い詰められていたのか。

「そうだ……万に一つ、奴の手をかいくぐれることに、私は賭けた。もっとも、そうするまでもなかったが……な」

 戦う気はなかった。本来なら友にもなれたかもしれない温厚な種族の一人が、今や無念の死を遂げようとしている。しかも、そうなるように手をかけたのは他ならぬ自分達だ。

「ごめん……」

 ワイルド星人の血まみれの姿を見ると、自然と、才人の口からはその言葉が出ていた。

「あやまるな……お前達はお前達の、当然の権利を行使しただけだ……一方的に、侵攻したのは……私だっ、ぐっ!」

「……」

「だが……お前達が邪魔したせいで……我等の、種族が絶滅することになったのは変わりない……だから、私は……お前達を、決して……許さない」

「……」

 何も言わずに、一同はたった一言だけ送られた、恨みの言葉を胸に飲み込んだ。

 確かに、彼のやったことは悪だ、しかしそれを悪と断じて正義面して誰が糾弾できるか。たとえ悪だと分かっていても、あえてその道を選んで手を汚さなければならないこともある。一つの正義、一つの論理で全て丸く治められるほど、この世は単純にも親切にもできていない。

「私の死と共に、ワイルド星人は絶滅する……無念だ……父の宿願を、果たすことができなかった」

 父の宿願!? その言葉を聞いて才人の脳裏にある記憶が蘇った。

「まさか、かつて地球に来たワイルド星人はあんたの?」

「なに!? ま、まさか……わ、私の父を知っているの、か?」

 そうだったのか、かつてウルトラ警備隊と戦い、無念にも地球の土に返ったワイルド星人は彼の……

「ああ、聞いたことがある。地球で、ウルトラ警備隊を相手に、たった一人で戦い抜いた。侵略宇宙人ばかりの中、話し合いを持とうとした数少ない一人だったと」

「そうか、君は地球の……そうなのか……父も最期まで、戦い抜いたのか……その生き様を、覚えていた者がいたのか」

 ワイルド星人の目に、一筋の涙が浮かび、そして流れて消えた。

 もはや、何も言うべき言葉を無くした一同は、ただ黙って、戦士の死に行く姿を見守る。

「……さらばだ……そして……」

 それを最後に、ワイルド星人のまぶたが閉じて、二度と開かれることはなかった。

 

 

 それから数時間後、四人の姿はトリスタニアから少し離れた丘にあった。

「ここなら、空がよく見える。彼のふるさとにも、少しは近くなるだろう」

 彼らは、ワイルド星人の遺体を名も無い丘の一角に埋めて、墓標も無い墓を作った。

 すでに破壊されたナースや、ドラゴリーの死骸は王立魔法アカデミーが検分を始めている。しかし、敵とはいえ勇敢に戦って死んでいった戦士の亡骸を、研究材料にされるのは忍びない。

 こんなことで彼が許してくれるとは思えないが、せめて安らかな眠りぐらいは……

「今回は、結局誰も救えなかったわね……」

 ワイルド星に、何人の星人が残っているかは分からないが、間接的にとはいえ彼らを死なせてしまったのは間違いない。

 それに、結局奪われた人々の生命は取り返せなかった。全て罪人のものだからと、割り切ることはし切れない。あの中に、改心出来た者たちがいたかもしれないのだ。

「ウルトラマンは神じゃない。救えない命もあれば、届かない願いもあるさ」

 それは、かつてハヤタからミライに送られた言葉で、才人を通して伝えた、北斗星司の言葉でもあった。

「そうね……今回はエースも危なかった。アニエス達が援護してくれなかったら、どうなっていたか」

 ヤプールは、確実に戦力を強化してきている。今度のドラゴリーは、いわばドーピングされていたようなものだったが、いずれそんなものに頼らずともさらに強力な超獣を生み出してくるようになるだろう。

 やがて、名も無い墓にアニエスとミシェルが敬礼をすると、二人も見よう見まねで同じように敬礼をした。

「わたし、どうしても彼を憎みきれないわ。大勢の人を殺して、街を壊した原因のはずなのに」

 ルイズがぽつりと言った言葉に、才人も空を見上げて言った。

「あの人は俺達自身みたいなものだったんだな。俺もお前も、いずれはしわくちゃのじいさんばあさんになって死ぬ。よく言えねえけど、人の若さを奪って若返れるって分かったら、その誘惑に俺達はあらがえるかな?」

 二人は視線を落として、アニエスが手に持っている宇宙カメラを見た。

 不老不死、不老長寿、よくセットにされて言われるように、不老は人間にとって永遠の憧れだ。その夢を可能にする道具が目の前にある。

「正直、なってみないと分からないわね。けれど、これはこの世にあっていいものじゃない。それだけは言えるわ」

 こんなものがあれば、欲深い人々はこぞって手に入れようとして争いを起こすだろう。強者が弱者の生命を奪って君臨し続ける世界、そんな地獄も夢物語ではない。

「そうだよな。アニエスさん、そいつは」

「分かっている。これは人間が持つには危険すぎる悪魔の力だ……今ここで、破壊してしまおう」

 ミシェルも、黙ってうなずいた。本来なら、鹵獲品としてアカデミーに引き渡すべき代物だが、その中の誰か一人でもこれを公にすれば、恐ろしい事態を招くだろう。

 才人は、剣を失っていたアニエスにデルフリンガーを抜いて差し出した。

「おっ、やっと俺っちの出番か。どーせなら戦いの最中に使って欲しかったが、この際ぜいたくは言わねえぜ。さっさと派手にいくかい!!」

「借りるぞ。ほぅ、なかなか持ち心地がいいな。そんじょそこらの数打ちやなまくらとは大違いだ」

「おめぇさんこそ、なかなかの腕前みたいだな。使い手に持たれるのが一番だが、あんたみたいな手だれに使ってもらえるのもうれしいな」

 やっと来た出番に、デルフもけっこううれしそうだ。アニエスのほうもデルフの感触が意外と気に入ったらしく、まるで棒切れのように軽々とデルフを振り回している。

「では、やるか……それっ!!」

 高く投げ上げた宇宙カメラに向かってアニエスは跳び、その天頂で華麗に一閃して宇宙カメラを四分割した。

「ルイズ、とどめだ!!」

「まかせなさい!!」

 最後に、ルイズが爆発で吹っ飛ばすと、宇宙カメラは二度と復元不能なくらいに粉々になって、風に消えていった。

 ルイズとしては、失敗ばかりの自分の爆発が当てにされるのは気持ちのいいものではないが、派手に吹っ飛ばして気も晴れたから、差し引きプラスということで納得していた。

 やりきれない思いは残る。しかしこれでようやく終わったのだ。

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか、魔法学院へ」

 これでやるべきことは全てやった。ヤプールもあれだけ念を入れた作戦が失敗した以上、しばらくは大人しくしているだろう。

 ルイズに言われて、才人は満足げなデルフを受け取ると、ルイズといっしょにアニエスに一礼をした。

「それじゃあ、俺達はこのへんで」

「ああ、今回もお前には世話になったな」

「いえ、今回はアニエスさん達がいたからですよ。正直俺なんか大して役に立ってませんって……じゃあ」

 別れの言葉を告げて、固く握手をすると、才人はルイズとともに踵を返そうとした。

 

 けれど、その前に突然ミシェルが才人の肩を掴み、何か思いつめたような真剣な表情で睨んできているのを見て、彼は何事かと顔をこわばらせた。

「な、なんすか……?」

「お前、地下貯水槽で、私を、抱いたよな」

「んなっ!? だ、抱いたって」

 事情を知らない他人が聞いたら、まず間違いなく誤解されるような言い回しに才人は仰天して思わず赤面したが、ミシェルのほうはより激しく赤面していた。

「い、いや、そういうことではなく……わ、私の命を救ってくれたそうだな。隊長から聞いた。そ、それでなんだがな……借りを作ったままなのは、騎士として、その、あれだから……」

 どうやらミシェルは、男性と仕事や口論以外で話すのが苦手らしく、なにが言いたいのかしどろもどろになっていた。それでも才人の顔を見つめながら、意味があるようなないような言葉をつづっていたが、やがて決心したと見えて、大きく息を吸い込んで、怒鳴るようにまくしたてた。

「今回のことは恩に着る! いずれこの借りはなにかで返すから、それまで忘れずにいろ! いや、できるならあのことは忘れろ! 私もできれば忘れたい! ああ、でもそれでは……ええい、とにかく!」

 結局、ああでもないこうでもないと、いつものミシェルでは考えられないほどに動揺しきった彼女の独演はしばらく続いた。

 その様子を、アニエスはなにをしているんだかと、腹心のふがいなさを無言で見守っていた。もし、ここに別の銃士隊員の誰かがいたら、「責任をとれ、くらいは言えばいいのに」などとアドバイスしたかもしれないけれど、あいにくとそういう方面ではアニエスはまったくと言っていいほどに、無知、無関心だったので、ミシェルの空回りは不幸にも続行されてしまった。

 これは喜劇なのか? それとも悲劇なのか? ミシェルはうまく回らない舌をなんとか思いつく限りに回しきると、最後に「感謝してやるからありがたく思え!」と、よくわからない締め方をした。

 才人は「ど、どういたしまして……」と、唖然としながら答えたが、あとはもうさっさと帰れとばかりに睨んでくるので、仕方なく、同じように呆然としているルイズを連れて、そそくさと立ち去っていった。

 次に会うのはいつの日か、きっとそう遠いことではないだろう。

 

 

 アニエスとミシェルは、しばらくその背中を見送っていたが、やがてアニエスは、ミシェルが息を整えて、落ち着きを取り戻すと、振り向くことなく問いかけた。

「ところで、お前は私にずっと魔法が使えること、すなわちメイジであることを隠していたな……素性には謎が多かったが、お前はずっと剣士として振舞ってきたのに」

「……私は、確かに元貴族の家柄ですが、それは隊長といえども……」

「言いたくないなら、別に無理に聞こうとは思わん。しかし、なぜずっと隠し通してきた禁忌を破ってまで魔法を使った?」

「それは……自分でも、うまく説明できません。使うつもりは、なかったのですが……隊長、私は……」

 冷静になると、ミシェルは自分のしたことがいかに重大だったのかを、あらためて思い知らされていた。

 素性を偽っていた以上、隊を放逐されるのが当然だろう。長年積み上げてきたものを一瞬で突き崩されることになるが、今更仕方も無い。

 けれど、アニエスの口から出たのは、ミシェルが予想だにしなかった言葉であった。

「その気持ちがあれば、銃士隊としての資格は充分だ。お前が何を望んでいるのかは知らんが、銃士隊として、いや一個の人として誇りを持ち続けるのならば、他に何も言わん」

「……隊長、そんな甘い判断でよいのですか? 私はあなたをだましていたのですよ」

 まさかのアニエスの回答に、ミシェルは正直驚いていた。

 得体の知れないものを懐に入れておくのだけでも普通じゃないのに、自分の素性を一切探ろうとはしてこない。しかしアニエスは事も無げに言った。

「お前が明確に私を裏切ったなら、遠慮なく私はお前を斬ろう。しかし、裏切る可能性があるだけで部下を切り捨てるようなやり方は、私は好かん」

「私が、ここであなたを殺して、隊長の座を奪いに来るとは考えられないのですか。今なら侵略者と戦って殺されたといえば理由は成り立ちますし、正直、正面きって戦えば、私はあなたを倒せるだけの自信はあります」

「お前こそ、メイジ殺しの私を見くびるな。第一、お前は私が見込んで副長に据えた。その判断は今でも間違っているとは思わん。ツルク星人のときも、中途半端な覚悟の持ち主が、命を懸けて戦えるわけがない。どういう根を持っているにせよ。トリステインを愛しているという一点においては、私と同一だろう」

 もう、ミシェルには言うべき言葉が何もなかった。

 確かに、彼女には口に出せない過去の闇がある。それは、銃士隊としては決して許されることではないだろう。

 本当のことをいえば、ここでアニエスを暗殺することも視野に入れていたのだが、それでもなお平然と自分をそのまま使おうという。この人は大馬鹿なのか、それともとほうもない器量の持ち主なのか。

「ただし、どんな理由があるにせよ。お前がこの国に仇なす存在になったら、私はお前を殺す。それだけは覚えておけ」

「……はっ!」

「では、我々も戻るぞ。部下達が待っている」

 アニエスはゆっくりと、停めてある馬の元へと歩き始めた。

 そして、仕えるべきたった一人の指揮官の背を見ながら、青い髪の女騎士は、遠い昔に失った懐かしい何かが、胸の中に戻ってくるような、そんな感触を知らず得始めていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第36話  シルフィを返して!! (前編) 二大怪盗宇宙人参上

 第36話

 シルフィを返して!! (前編) 二大怪盗宇宙人参上

 

 宇宙超人 スチール星人

 怪宇宙人 ヒマラ 登場!

 

 

 それは、ある夏の日、例えばギーシュあたりが。

「もーいーくつ寝ると、なーつやーすみー♪」

 とか下手な歌をのたまわってる、いつもと変わらないそんな蒸し暑い日の夕方から始まった。

「美しい……」

 この日、誰にも知られずにトリステインにやってきた宇宙人ヒマラは、トリステイン魔法学院の尖塔の上から、夕焼けに照らされる魔法学院をしみじみと眺めていた。

 そして、その隣では同じく黒マントの怪人が学院の庭を這いまわったり、宙を飛んだりしている幻獣たちを見て。

「珍しい生き物たちだ……」

 と、つぶやいていた。

 そして、二人の怪人はやがて顔を見合わせると。

「ふっふっふふふ、では計画にとりかかろうか」

「むふふふふふ……首尾よくな」

 果たしてその"計画"とは何なのか。それは、まだ誰も知らない。

 

 

 それから、特に騒ぎも起きないまま、一週間ほどの時が流れて、またトリステインに朝が来た。

 小鳥がさえずり、パンの焼ける匂いが香ばしくただよう平和な朝。けれど、そんな平和は長くは続かなかった。

 

「死ねーっ!! このバカ犬ーっ!!」

 早朝の学院に響き渡る、静寂をぶっ壊す怒鳴り声と、それに遅れて轟いてきた爆発音。魔法学院の朝は、屋根の上の雀たちを追い散らすことから始まるのだ。

「おお、今日はまた一段とすごいなあ。この威力だと、寝ぼけてルイズのベッドにサイトが潜り込んでたってとこかな?」

 爆発の音量から推理して、ギーシュがのんきな声で言いながら男子寮から出てきた。

「おはよう、ギーシュ」

「今朝はこれまでも五指に入るほど大きな音だったな。おかげでばっちり目が覚めたよ」

 ギーシュに続いて、女子寮からかなり離れているはずの男子寮から、今の爆発音で叩き起こされた生徒達が続々と着替えて登校を始めていた。

 この、週最低一回程度は必ずある大音響は、春以来魔法学院の名物になってきていて、いい目覚ましとして学生達にはもはや慣れたものとなっている。

 最初の頃はうるさいと苦情が来て、ルイズにもコルベールから注意があったこともあったのだが、キレたルイズがそんなこと覚えているわけもない。結果、放置されることになって今に至る。とはいえ、これがあった日には例外なく学院の全員が目を覚ますので、遅刻がゼロになるという副産物もあり、今となっては奨励する空気もあるくらいである。

 そんな中で、ギーシュは登校しようとせずに、寮の周りをキョロキョロとしている太っちょの生徒を見つけて声をかけた。

「おーいマリコルヌどうした? 探し物かい」

 そういえば、フリッグの舞踏会の時から彼と話をするのも久しぶりだなと思いながらギーシュは彼に歩み寄っていった。あのとき、ガラキングとバンゴに追いかけられて、必死に逃げていた姿は忘れられない。

「あっ、ギーシュか……なあ、ぼくのクヴァーシル見なかったかい?」

 ギーシュは記憶の井戸の底から、しばらく聞いていなかったその名前を引っ張り上げた。

「クヴァーシル? ああ君の使い魔の……確かミミズクだったっけ」

「フクロウだよお。昨日から、何度呼んでも来ないんだ、今日は使い魔を使った実習があるっていうのに」

 丸っこい顔を、人から見たらあまり危機感を感じさせないふうにこわばらせてマリコルヌは言うけれど、やはりその顔のせいでギーシュはあまり真剣になれずに答えた。

「鳥の使い魔はどこに飛んでいくか分からなくなることがあるからねえ。エサをやり忘れて遠くに行っちゃったんじゃないのかね?」

「そんなあ……まあ、確かに最近世話をサボってたかもしれないけど……そんなひどいことはしてないはずだよ」

 とは言うものの、学院の生徒で使い魔の世話を真面目にやっている者は少数派に入る。タバサのシルフィードやキュルケのフレイム、ギーシュのヴェルダンデはかなり恵まれているほうなのだ。なお、当然のことだがもっとも扱いのひどい使い魔は才人である。

 試しにギーシュが地面に向かって呼んでみると、すぐさま地面が盛り上がって大きなモグラの頭が顔を出してくる。

「おお、やはりすぐに来てくれたか!! やはり君は可愛いねえ。ほらねえ、常日頃から愛情を持って接していれば、使い魔はすぐに答えてくれるものなんだよ」

 誇らしげに胸を張ってギーシュは言う。一般には伝わっていないが、惚れ薬の巨大化事件以来、ギーシュの溺愛ぶりにも磨きがかかったようだ。

「うーん……そこまではちょっと、けどこれまでは呼んだらすぐに来てくれたのになあ。感覚の同調もできないし、まさか鷹か何かに襲われてなければいいけど……いや、まさか悪い奴に捕まったりしてるんじゃないか」

「おいおい、フクロウ一羽を誰が捕まえるって? 心配しすぎだよ、それじゃあそのうちヤプールの仕業だとか言い出すんじゃないだろうね」

 それはもちろん冗談だったのだが、どうやらマリコルヌはそうは聞こえなかったようだ。

「そ、そうだそうに違いない!! きっとぼくの才能に目をつけて、クヴァーシルを人質にとって言うことを聞かせようとしているんだ!! 悪の手先になって学院の女の子達に手をかけることになってしまったら……ああ、ぼくにはとてもできない。その前に、愛する君達の手でぼくを殺してくれ」

「……」

 流石に、ギーシュさえも言うべき言葉を失ってしまった。同類と思われては敵わないと、そっと距離をとっていく。

 そこへ、端から見ていたらしいギムリとレイナールがおはようと声をかけてきた。

「災難だったなギーシュ、しっかし気色悪いなあいつは」

「うーん……悪い奴じゃあないんだけど、あの癖はちょっといただけないねえ。それにしても、使い魔がいないとメイジとして格好がつかないだろう。早く見つかるといいんだけどな」

 使い魔とメイジは二つで一つ、切っても切れない関係にある。ギーシュの場合はいきすぎの感があるが、それにしても、いるのといないのではメイジとしての評価に大きな差が出る。

「そうだね。けれど、そういえば最近使い魔を連れている人が少ないみたいに思うな。何か、悪いことの前兆でなければいいんだけど」

「おいおいレイナール、まさかお前もヤプールの仕業かもしれないっていうのか? 考えすぎだよ、ろくに世話もせずに使い魔に愛想をつかされる奴が多いってだけさ」

 ギムリは楽観的に言ったが、レイナールはバム星人、そしてスコーピスの事件に立ち会って、事件の前兆を察知する危機探知能力、端的に言えば第六感が鋭くなってきているように見える。

「本当に、誰か恐ろしいことを計画してるんじゃなければいいんだけど……」

 外れていれば、それが一番いいが……と、レイナールは自分が間違っていることを切に願った。

 

 

 だがしかし!!

 そのころ魔法学院では、本当に世にも恐ろしい計画がスタートしようとしていた。

 

 ここは普段誰も近づかない学院の宝物庫。

 そこに、今不気味な笑いを浮かべる一人の男がいた。

 彼は壁の一角にしゃがみこみ、ぼそぼそと手のひらの何かに語りかけている。

 

 その正体とは……

 

「うひょひょ、行けモートソグニル、この日のために準備した秘密の節穴を通って、女子更衣室という禁断の花園の秘密を暴いてくるのじゃーっ」

 なんと、魔法学院学院長のオールド・オスマンその人であった。彼は、己だけのユートピアを作り上げるという野望の元、公務の合間を縫って、この恐るべき計画を進めてきたのだった。

 だが、長い下準備を終えて、今こそ作戦をスタートしようとしたとき、彼の後ろにどす黒いオーラをまとった何者かが姿を現した。

「ちょっと、オールド・オスマン」

「なんじゃ、今大事なところなのに……げぇ!? ミス・ロングビル、いつの間に!!」

「最初からです。それよりも、わたくしだけではありませんことよ」

 こめかみに青筋を浮かべるロングビルの後ろには、同じような顔をした女生徒がいっぱいのたくさん。

 皆さん無言で乗馬用の鞭やら棒っきれやらを持っている。

「ま、まさか最初からということは……」

「蛇の道は蛇といいますか、それよりどれだけセクハラに耐えながら貴方の秘書をしてきたと思ってるんです? さて、皆さん。この哀れな子羊に厳正な裁きを」

「死刑」

 

 こうして、世にも恐ろしい悪魔の計画はスタート前にストップされた。

 魔法学院は、今日も平和だった。

 

 

 だがしかし、本当に、本当に恐ろしい計画は、別のところですでに開始されていた。

 そのことを、事前に感知できた者は、残念ながら誰一人としていなかったのだ。

 

 学院にルイズの大爆発が響き渡るよりも前の時間帯。生徒達が起き出すより早く、食堂のコック達は生徒達の朝食を用意するのと平行して生徒達の使い魔のためのエサを作っていた。

 この魔法学院は二年生からそれぞれメイジのパートナーとなる使い魔を召喚して、共に生活していくのがカリキュラムとなっており、元はといえば才人もそれでこの世界に呼び出されたものであった。

 使い魔の種類は才人のような例外を除けば、モグラ、カエル、鳥などの一般的な動物から、珍しいところではキュルケやタバサのようにドラゴンの類などの幻獣を呼び出す者もいる。

 しかし、この日はどういうわけか集まってくる使い魔達の数がやたらと少ないように見えた。

「変ですねえ。いつもならみなさん、この時間になると飛んでくるんですのに」

 本日の餌やり当番になっていたシエスタは、使い魔達の少なさに不思議な顔をした。

 使い魔達の中で、特に目立つ風竜のシルフィードやサラマンダーのフレイムはいる。けれども、それ以外のやや小さめな使い魔達の頭数がどうも少ない。

「ふうん、ねえシルフィちゃん、みんなどこに行ったのか知らない?」

「きゅーい?」

 シルフィードは分からないというふうに、首をひねって答えた。竜は幻獣の中でも特に頭が良く、ある程度人間の言葉も理解できるというので、試しに聞いてみたのだが、やっぱり無理だったかとシエスタはため息をついた。

 もっとも、隠しているのだが、ある程度どころか完全にシルフィードはシエスタの言葉を理解していた。ただ、シルフィードは他の使い魔達と違って、森の中に自分だけの居住スペースを作って住んでいるので、本当に知らなかったのだ。

 エサが大量に余ってしまったシエスタは、仕方なく料理長のマルトーに相談に行ったが。

「どうせ貴族の放蕩息子達のことだ。適当に連れまわしてるんじゃねえか、ほっとけ」

 そう言われて仕方なく引っ込むしかなかった。ところが、その次も、そのまた次もやってくる使い魔達の数は減り続けたのである。

 シエスタは不安に思ったけれども、生徒達からは何の達しも無かったので何も言えず、日々減っていく使い魔達の数を数えているしかできなかった。

 

 そして三日が過ぎた朝。

「この、超、超、大馬鹿犬ーっ!!」

 AZ1974爆弾も真っ青な大爆発とともに、またにぎやかな朝が来た。

 けれど、この日は三日前のようにさわやかな目覚めとはいかなかった。

 

「フレイムー、フレイムー、どこ行っちゃったのーっ!!」

「ヴェルダンデー!! ぼくのヴェルダンデー!! 出てきておくれーっ!!」

 

 朝から、授業も忘れて使い魔達を探す声がいくつも学院に響き渡る。

 すでに使い魔の厩舎は空になっており、さらに主人と同居している使い魔や、放し飼いにされているものもほとんどがいなくなっていた。

「これは……もうただ事じゃねえな」

 その騒動を、才人は日課の洗濯をしながら眺めてつぶやいた。だが、その顔はどうにも緊張感に欠ける、なぜなら。

「あの、サイトさん……お顔、大丈夫ですか? 手当てしたほうがいいんじゃ……」

 と、シエスタがたまりかねて言ったように、才人の顔はルイズのこっぴどい折檻によってシュガロンかオコリンボールのようにボコボコになっていたからだ。けれど、もはや慣れたものである才人のほうは、一応声だけは平然とした様子で答えた。

「ああ、大丈夫大丈夫、もう二、三時間もすれば腫れもひくって」

「そ、そうなんですか……すごいですね。ところで、今回は何をしたんですか?」

 引きつった顔で感心するシエスタの隣で、とりあえず才人は洗濯を続けながら話した。

「別にたいしたことじゃねえよ。引き出しの中にカエルのおもちゃを入れておいただけなのに、あんにゃろ親の敵みたいに目ぇ血走らせながらぶっ叩きやがって。いくらなんでも鞭が三本もダメになるまで殴ることはねえだろ。おまけに最後は超特大の爆発ときやがった」

 才人はルイズがカエルが苦手だと知って、ちょっとしたいたずらを仕掛けたのだが、まさかここまでルイズが怒るとは予想していなかった。が、シエスタは仕方なさそうに言う。

「それは、ミス・ヴァリエールも怒りますって、サイトさんだってゴキブリやネズミは嫌いでしょう。それと同じですよ」

「でもさ、あいつは日ごろからたいした理由もないのに俺を殴るしさ、限度ってもんがあるだろ」

 シエスタはそれを聞いて苦笑した。なぜなら、シエスタにはルイズの気持ちが手に取るように分かったからだ。

 一言で言ってしまえば才人に構ってもらいたいけど適当な理由がないから、特に意味無く怒って気を引こうとする。シエスタはとっくに卒業した心理だが、その程度も分かってやれない才人も鈍い。

 才人はなかなか自分の非を認めようとはしなかったが、シエスタに。

「でも、今回はサイトさんのほうから手を出したんでしょ?」

 と、言われて言葉に詰まり、やがて自分のしたことが以前ギーシュと決闘したときの理由と同じと追い討ちされて、ようやく自分が悪いことをしたんだという気持ちになった。

「けれども、この状況はどうなってんだろうな。使い魔達が揃っていなくなるなんて」

 頭を切り替えて当初の問題に返ると、とりあえず洗濯の手を動かしながら周りを見渡した。

 庭には、今朝使い魔がいなくなったギーシュ、キュルケのほかにも、マリコルヌやギムリなど二、三年生が数人探し回っている。

「ええ、今朝はとうとうタバサさんのシルフィちゃんしか来なくなっちゃったんです」

「ふーん……けれど、ほとんどいなくなった割には騒いでる奴は少ねえな。自分の使い魔がいなくなったってのに」

 シエスタは少し悲しそうな顔をした。

「ほとんどの生徒さん達は、使い魔がいなくなってもたいして気にしていないみたいなんです。世話もわたし達に投げっぱなしの人も多いですし……」

「……」

 それを聞いて才人も露骨に嫌な顔をした。要するに、ペットの世話がめんどくさくなって捨てる飼い主と一緒だ。人間の都合で連れてこられたというのに、飽きたらポイ。地球でも動物が主役のアニメや映画が流行る度に似たような問題が起こるので、才人にもなじみはある。そういう者達に比べれば、才人は主人が構ってくるだけまだ恵まれているほうか、痛いけど。

 しかしギーシュ達のように使い魔を大切にしている者には重大な問題だ。

 

「サイトー!! ぼくの、ぼくのヴェルダンデを見なかったかね!!」

「あたしのフレイムも、昨日からずっと見ないのよ。希少種だからだれかにさらわれたんじゃないかって心配で」

 

 彼らのほかにも、ギムリ、レイナールとおなじみのメンバーが才人の周りに集結している。

「おいおいみんなかよ。悪いけど、どれも見てないぜ。それよりも、先生には知らせたのか?」

「いや……使い魔の管理は主人の義務だから、使い魔のことには教師は関与してくれないんだ」

 そりゃ単なる責任放棄じゃねえのかと才人は思ったものの、この学院の教師は数人を除いてろくなのがいなかったなと思い返して納得した。

「お願いダーリン、フレイムを探すの手伝って。あの子があたしを放っていなくなるわけないわ。きっとフーケみたいな盗賊の仕業よ」

 いつもカラカラと陽気なキュルケも今回ばかりは焦っている。そういえば、初めてキュルケと会ったとき、フレイムのことを随分と自慢していたのを思い出した。秘めた愛情ぶりはギーシュに負けないくらいに熱い。微熱に隠れた高熱か。

 単なる使い魔の家出なら手を出すつもりはなかったが、いいかげん事件性を帯びてきた以上、見逃すこともできないかと才人はあきらめた。

「まさかこんなことにヤプールは絡んでないと思うけど、一応調べてみっか」

 そう言う才人の顔はいつの間にか腫れも引いてすっかり元のさえない面構えに戻っていた。再生怪獣ギエロン星獣かライブキングの遺伝子でも入っているのではなかろうか。

 

 そしてルイズとタバサも呼んできて、さらにルイズにロビンを見なかったかと尋ねていたモンモランシーも加わって、またまたこの面子が勢揃いした。

 

 と、その前に。

「ルイズ、今朝はごめん。俺が悪かった」

「な、なによ。まだわたしが怒ってるとか思ってたわけ……わ、わたしは全然っ怒ってなんかないからね。だから、もう……頭を上げなさいよ」

 顔を赤くして必死に視線を逸らすルイズと、ほっとした表情を浮かべる才人、どうやら仲直りできたようだ。けれど、物陰から嫉妬深い目で見ている何者かがいたが、この際無視して問題あるまい。

 まあ、どうせ明日になったらすっかり忘れてまた揉めるに決まっているんだし。そんなこんなで、時間をとられて、気づいたときには昼を過ぎて太陽が傾き始める時刻になっていた。

 

 

「それにしても……まーたこの顔ぶれか、なんか妙な因縁でもあるんじゃねえのか」

 授業をサボって集まったそうそうたる顔ぶれに、見えざるものの手を感じて才人は頭を掻いた。

 けれど、早くも状況を忘れてお祭り気分のギーシュは皆を見渡して演説をぶる。

「なーにを辛気臭いことを言ってるんだね。学院の危機に我ら水精霊騎士隊ことWEKCの勇士八人が再び勢揃いした。これは未来の栄光へと続く始祖のお導きに違いないではないか!!」

「いや、別に学院の危機でもなんでもねえし」

「そもそも八人ってなによ。あたしはあんた達の騎士ごっこに参加した覚えはないわよ」

 調子に乗るギーシュに才人とルイズが冷静にツッコミを入れる。タバサやモンモランシーもそうだそうだとうなづいているが、ならなんでこんなところにいるんだと言われれば、そばにいないと安心できない人間がいるからだと思うしかない。が、口が裂けてもそれは言えない。

「で、これからどうするよ?」

 女子達のきつい視線がいい加減痛くなったので、とりあえずの主題に話を戻した。

「決まってるだろ、ぼく達の使い魔をさらっていった奴を探し出してぎったんぎったんにしてやるんだよ!!」

「そうよ、あたしをコケにしてくれたからにはただじゃ済まさないわ。丸焼きどころか骨の髄まで火を通してやんなきゃ気がすまないわよ!!」

 今回ギーシュとキュルケのテンションが異様に高い。特に火系統のキュルケは文字通りに燃えている。二人とも使い魔への愛情度は学院でも五本の指に入るのは間違いなく、その怒りのボルテージはマックスを向かえようとしていた。

 しかし、意気込みはいいが具体的にはどうするべきか。

 こういうときには知恵袋たるレイナールの出番だ。

「えーと……賊の正体はわかんないけど、ぼく達の使い魔が狙われているのは間違いない。だから、賊は必ず学院に残ったほかの使い魔も狙ってくるはずだ。そこを狙って現行犯でとっ捕まえるてのはどうかな」

「なーるほど、それで残った使い魔といえば……え、俺?」

 皆の目が才人に集中する。一応才人も使い魔のうちだ。

 だが数秒後には「だめだな」と言わんばかりに一斉に視線を逸らされた。

「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えよ!! ああどうせ俺は誰も欲しがりませんよ。悪うございましたね!!」

 逆ギレしたくなる気持ちも分からないでもないが、どんな好事家も才人は初言でいらないと言うだろう。

 けれど、才人はダメだとしても囮は必要だ。今学院で他に残っている使い魔といえば……

「タバサ」

「……わかった」

 キュルケの懇願するような眼差しに、タバサは空に向かって口笛を吹いた。すると、空の彼方から青く大きな姿が一直線に舞い降りてくる。

「きゅーい!」

 着陸したシルフィードはうれしそうにタバサにすりより始めた。フレイムやヴェルダンデは主人に溺愛されているが、シルフィードほど主人に懐いている使い魔はいないだろう。

 が、タバサはそんなシルフィードに無表情のまま『錬金』で作った首輪をひょいとはめてしまった。

「きゅい?」

 目を瞬かせながら、シルフィードは「何これ」と言うようにタバサを見た。

「エサ」

「……きゅいーっ!?」

 気づいたときにはもう遅い。見守っていた才人やルイズ達は仕方が無いとはいえ、手を合わせたりして一斉に祈りを捧げた。

「……ごめんねタバサ、あなたの使い魔をこんなことに使わせちゃって」

「どうせシルフィードもいずれ狙われただろうから、別に問題ない。今は、これが打てる最善の手」

 まあタバサの言うとおりなのだが、シルフィードはそりゃないよと涙目になっている。

 けれど、ギーシュはどうやら違う考えがあるようだった。

「いや、ミス・ツェルプストーの考えにも一理あるが、もっといいエサがあるぞ」

「は?」

 すごく誇らしげな顔をしているギーシュを見て才人はやな予感がした。こいつの言ういい考えが当たったためしがないからだ。

 無駄な時間をとられることを恐れた才人はとっさに一計を案じた。

「へーっ、その様子じゃ自信ありそうだな。ようし、それじゃお前と俺達でどっちが早く犯人を捕まえられるか競争しようぜ」

「ほほお、それはいい考えだ。では、ギムリ、レイナール、ぼくに着いて来たまえ、手柄はぼく達のものだぞ!!」

「おお、頑張れよー!!」

 こうして、ギーシュがなかば強引に二人を連れて行ってしまうと、才人はニヤリとほくそえんだ。

「うし、大成功」

「悪知恵が働くわねあんた。それともギーシュが単細胞だからかしら、まあ、向こうには期待しないでこっちでさっさと解決しちゃいましょ。日が暮れたらもう探しようがないわ」

 いつの間にか、夏の長い日もだいぶ落ちて、日差しに赤みが混じり始めて、夕焼けがそろそろ始まろうとしていた。

 囮役のシルフィードはいまだにわめいている。

「きゅーい!! きゅーい、お姉さまひどいのねーっ」

「ん? 誰か今何か言ったか?」

 聞きなれない声がして、才人は思わず周りを見回した。

「気のせい、気のせい……このっ!」

 なんでかシルフィードの頭をぽかりと殴ったタバサに怪訝な顔をしつつ、逃げられなくなったシルフィードを引き連れて一行は森に向かった。

 

 

 一方そのころ、学院のてっぺんにある学院長室では、オスマンが椅子に縛り付けられて、夕日に赤く照らされながら、黙々と書類と向かい合わされていた。

「とほほ、もういい加減許してくれんかのー」

 あの覗き未遂事件以来、ロングビルと女子生徒達によって十分の九殺しくらいに痛めつけられたオスマンは、かろうじて一命をとりとめたものの……いや、ルイズでさえここまではやらないだろうというくらいにぼろ雑巾のようにされて生き残っていること自体奇跡と言えるか……ともかく、これによって信用を完全に失ったオスマンは、杖を取り上げられたあげくに、魔法の拘束具によって学院長室に閉じ込められて、たまっていた仕事を一日中やらされているのであった。

「はーあ、どうしたらいいんじゃ、これ」

 机の上には文字通り山積みの書類の山、溜め込んでいた自分が悪いとはいえ、さすがに気が滅入る。

「なあ、ちょっと休ませてくれんかの?」

「ダメです。その書類が全部片付くまで、絶対外には出しません」

 扉の外から見張りの冷たい声が響く。女子生徒達の怒りはまだ収まっておらずに、生かさず殺さずの復讐が連日こうして続いていた。カンヅメにされる漫画家みたいなものだが、トイレ以外本当に一歩たりとも外に出されないのはつらい。食事も以前の才人並の粗末なものに落とされていた。

「ふぅ……ところで、ミス・ロングビルはまだ帰らないかね?」

 ロングビルは昨日王宮に提出する書類を持っていってもらい、そろそろ帰ってきてもいいころなのだ。

「いいえ、まだお帰りになっていません」

「ふむ……また何か事件に巻き込まれていなければよいのだが」

 そう言って、気晴らしに窓の外を何気なく眺めたとき。

「ん、あれは……」

 学院の西の塔の先端に、黒い人影らしきものが立っているのが見えた。夕日が逆光となってシルエットしか分からないけれど、マントをして、手に何か箱のようなものを持っているようだ。

「学院長!! しっかり仕事してください!!」

「はっはぃぃ!!」

 しかし、ちょっとでもサボろうとすると鬼のような声で雷が落ちる。比喩ではなく本当に雷撃が来るので無視することはできない。すでに、年寄りをいたわろうとする気持ちは誰一人持っていなかった。

 しぶしぶ、それらの苦痛の山に向かうオスマンであったが、何気なく手にした一枚の便箋に目が止まった。

 そこには、ハルケギニアの文字で短く。

 

"ガクインヲ、イタダク  ヒマラ"

 

 と記されていた。

 

 

 そして、学院長室の真下の中庭の一角では、ギーシュがなにやら奇妙な作戦を実行しようとしていた。

「なあ、こりゃ何の冗談だよお、放してよお!」

 そこには地面に打ち込まれた木の杭に縛り付けられている丸っこい物体。つまりはマリコルヌがはりつけにされて放置されていた。その異様さといったら、通りかかる女子生徒やメイドがのきなみ目を覆って逃げ出していくほどである。

 この、前衛芸術のオブジェも真っ青の気色悪い見世物に、少し離れたところから隠れて見ているレイナールとギムリはギーシュに意味を問いたださずにはいられなかった。

「おいギーシュ、あれは何の冗談だよ!?」

「あんな気色悪いカカシは今まで見たこと無いぞ、何だ!? 呪いか、呪いの儀式なのか」

 しかしギーシュは憤る二人に自信たっぷりに言った。

「ふふ、君達……この天才ギーシュ・ド・グラモンの頭脳が犯人の狙いをズバリ突き止めたのだよ。狙われているのは使い魔、つまり普通では手に入らない希少な生き物達だ……それはつまり?」

「つまり……?」

 二人は、このころになってようやく才人が感じた嫌な予感を感じ始めていた。が、それでも一応はWEKCの隊長ということになっている男の言うことに、一縷の希望を抱いて聞くが。

「つまり、犯人は珍獣コレクターということだよ!! そして珍獣といえば、このミスターマリコルヌをおいて他にはいな……あれ、どうしたのかな君達、杖なんか出しちゃって?」

「ギーシュ、ほんの少しでも」

「お前を信じた……」

 二人は肩をぶるぶると震わせて、そして目いっぱいの怒りを『エア・ハンマー』と共に吐き出した。

「「俺達が、馬鹿だったよ!!」」

 二人の渾身の一撃がギーシュを盛大にふっとばし、学院の壁に見事な『大』の形のくぼみをこしらえた。

「あーアホらしい、おいサイト達のほうを手伝いにいこうぜ」

「そうだな、行こう行こう」

 もはや壁の一部となったギーシュには目もくれず、二人は踵を返すと学院の外へ向かって歩き始めた。

 だが、ふと上を見上げたレイナールの目に、学院の尖塔の上から小さな人影が紙切れのようなものを投げたのが映った。

「あれは……おいギムリ、あれを……」

「ん……?」

 けれどもギムリが反応するよりも早く、その小さな紙切れのようなものが一瞬にして空を覆うほど広がって、彼らの視界を真赤に埋め尽くしてしまった。

 

 

 しかし、そんなことは露知らぬ才人達は、シルフィードがねぐらにしている森のちょっとした広場にて、首輪をつけたシルフィードを森の木に鎖で結んで、犯人が現れるのを今か今かと待ち構えていた。

「きゅーい、きゅーい!!」

 あからさまに囮役にされているシルフィードは、よせばいいのに悲しげに泣き喚いている。

 そんなことをしてもかえって犯人を呼び寄せるだけなんだがなあ。離れた藪の中から見張っている才人達は心の中でそう突っ込んでいた。

「さーて、見え見えの囮作戦だけど、果たして引っかかってくれるかな?」

 我ながら、下手な作戦だと思うが他に方法がないので仕方が無い。なお、当然のことであるがギーシュのほうに期待を寄せている者は、モンモランシーも含めて一人もいない。

「けど、犯人はどうやって学院の誰にも気づかれずに使い魔達を根こそぎさらって行ったのかしら?」

 待っていて退屈な間、キュルケがタバサに何気なく尋ねた。いくら適当に管理されている学院とはいえ、メイジが大勢おり、学院自体一種の城砦となっている。そんなところから誰にも気づかれずに使い魔を根こそぎさらっていくなど、どういう手品を使ったのか。

「私も少し調べてみたけど、厩舎あたりで魔法が使われた形跡はなかった。それに、人間より大きなヒポグリフやバグベアーみたいなのまで一度に消えてる。正直に言えば、見てみないとわからない」

「なるほど、そんなに簡単に分かればすぐに捕まえられてるわね。それにしても、同じ使い魔なのに、なんでダーリンは狙われなかったのかしらね?」

 キュルケにそういう目で見られ、才人はぽりぽりと頭を掻いた。

「そりゃ人間だし、使い魔と見られなかったんだろう。まあ、俺のところに来たらギタギタにしてやるけどな」

 ガッツブラスターを握り締めて、不敵な笑みを浮かべる才人の背中で、「なあ俺を使ってくれよ」とデルフがわめいているが、長剣とビームガンではどっちが頼りになるか言うまでもない。ただし、ガッツブラスターの残弾にはもうあまり余裕がないので、ここぞというときまでは使うまいと心に決めていた。

 そんな意気込む才人を見て、ルイズは冷ややかに言った。

「ま、仮に使い魔が狙われているとしても、あんたみたいに無能な使い魔、だれも狙いはしないでしょうけどね」

「む、どーせ俺は掃除洗濯しかとりえがありませんよーだ。火とか吐けなくて悪かったね」

 わざとらしくふてくされる才人の態度にルイズも調子に乗る。

「ふんっ、そーんなどうしようもない使い魔をずっと保護してあげてるあたしってば、なんて慈悲深いのかしら。あんたみたいな無能者は、このルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが精々保護してあげるわ」

「よっ、胸はないけど器はでかい」

「なぁんですってぇーっ!!」

「ぐばぁ!!」

 例によってルイズのストレートパンチが才人の顔面に炸裂する。ほんとにこいつは一言多いというか、傍目で見ていたキュルケやモンモランシーも、いつまで経っても変化の無い二人に呆れるしかない。

「はいはい、夫婦漫才はそのへんにしておいて、しっかり見張りしなさいよ。いつ犯人が現れるか分からないんですからね」

「ちょ、誰が夫婦漫才よ!! え? あ、ああ、あたしとこいつが、夫婦!? それってつまり、あたしとこここ、こいつががが」

 急にパニックに陥ってしまったルイズは照れ隠しのように才人の体をげしげしと蹴る。それがまた皆の笑いを誘うことになっているので、才人はいい迷惑としか言いようがない。

 だが、そうして待っているうちに、シルフィードに怪しい影が近寄っていた。

「みんな、あれ、あれ!!」

 藪の中から目だけ出して、全員がシルフィードに近寄る影を見つめた。

 そいつは、真っ黒な服とマントをはおい、さらに黒い帽子をかぶった老人の姿をしていた。才人とルイズは一瞬ヤプールの人間体かと思ったが、ヤプールのような禍々しいオーラは感じないから別人だと判断した。

「あいつが、あたしのロビンやギーシュのヴェルダンデを?」

「しっ、まだ分からないわ。もう少し様子を見ましょう」

 男は足早にシルフィードに近寄って、値踏みするように右から左からじろじろと眺めている。シルフィードは自分を観察してくる怪しい男に嫌そうに顔を背けるが、男はそれでもぎょろりと目を見開いて観察を続けている。

 もはや、限りなく黒に近いグレーだが、確証がつかめるまではと一行は息を呑んでそれを見守る。

 だがやがて、男はシルフィードの前に立つと、にやりと笑った。

 

「ふよふよふよふよふよふよふよふよふよ」

 

 意味不明な言葉を男がつぶやいて、バッとマントを翻すと、なんとシルフィードの巨体が手品のように消えうせてしまった。

「なに!?」

 見守っていた才人達も、あまりに驚くべき出来事に愕然とした。しかし、男が踵を返して逃げ出すと、はっと我に返って藪から飛び出した。

「あいつが犯人だ!!」

「逃がさないわよ!! あたしのフレイムを返しなさい!!」

「あたしのロビンもよ!!」

 叫び声をあげて一行は黒マントの男を追いかける。しかし、男はふよふよと奇怪な笑いを立てながら、どんどん加速していって全力で走ってもまったく追いつけない。

「なっ、なんて逃げ足の速い奴!?」

 走っても追いつけないと知った一行は、『フライ』の魔法で飛翔して追うことに切り替えた。飛べないルイズにいたっては才人が抱えてガンダールヴで突っ走る。なお、前回脇に抱えたのが不評だったために、今回はルイズをお姫様だっこしている。

 しかし、荷物扱いよりはましだが、やっぱりすごく恥ずかしい。さらに、抜き身じゃ危ないからとガンダールヴ発動のためにガッツブラスターを使われてデルフがいじけている。というか、背負えばいいのではないのか?

 だが、そうして馬で走るくらいの速さまで加速したというのに黒マントの男には追いつけない。時速に換算すれば優に六十キロは出ているだろう。

「ありゃ人間じゃない」

 どこの世界に時速六十キロで突っ走れる人間がいるものか、そうと分かればなおさら逃がすわけにはいかない。

「しめた。この先は学院よ、追い詰めてしばりあげてやるわ」

 学院に行けば、もはや勝手知ったる自分の庭、他の生徒もいることだし逃がしはしまいとキュルケは不敵な笑みを浮かべた。

 しかし、森を抜けて西日が彼女達の目を焼いて、もう一度目を開いたとき……

 最初は道を間違えたのかと思った。

 目をこすってみると、この時間は学院の尖塔ごしにしか見えないはずの夕日がはっきりと見える。

 けれど、学院のあるべき場所には、大きな四角形の穴が空いているだけで、他には何も無い。

 そこには何もない、だだっ広いだけの平原が広がっていたのだ。

 

「がっ……学院が……ないいぃぃっ!?」

 

 一行は夢でも見ているように、穴のふちに止まって学院があったはずの場所を眺めた。

 黒マントの男も穴の手前で止まって笑っているが、もうそれどころではない。

 だがそのとき、突然頭の上から不敵な笑い声が降ってきた。

 

「フフフフ……ハーハッハッハッ!」

 

「誰だ!?」

 その声の主は、夕焼けの光の中から姿を現すと、黒マントの男の頭上で停止した。

 そいつは黒いマントをつけて、真っ黒い仮面のような顔に大きな赤い目のついた怪人、一目見ただけで即座に宇宙人だとわかるスタイルをしていた。

「君達だね? この星を守っているのは」

 宙に浮いたまま、怪人は悠然とそう言い放ってきた。

 才人は、こいつは俺とルイズがウルトラマンだと知っているなと思ったが、それには答えずに目の前の見たことも無い姿の宇宙人に言った。

「お前が学院を消したのか?」

「いかにも、私の名はヒマラ。ここの他にもトリスタニアの街のいくらかもいただかせてもらったよ。次はガリアあたりに行こうかなと予定しているんだ」

「お前も、ヤプールの手先か!? シルフィードや他の使い魔達をさらって行ったのもお前らか」

「ヤプール? あっはっはっ、あんな芸術を理解しない無粋なやからといっしょにしないでくれ。まあ、成り行きとはいえ、この世界の存在を教えてくれたことだけは感謝しているが、私は何もこの星を侵略しに来たわけではないのだよ。そういう野蛮なことは私の趣味ではないのでね。それに、私は生き物は専門外でね」

 すると、今度は追ってきた黒マントの男が笑いながら大きな頭部を持つ宇宙人の姿になった。

「ふっふふ、私はスチール星人だ。お前たちの飼っている珍しい動物たちは、私が全部いただいた」

 スチール星人、こいつなら才人もエースも知っている。かつて同族が地球のパンダを全部盗んでいこうとしてやってきたという、数いる中でも特に妙な趣味をしていた宇宙人。なるほどこいつなら並の動物園真っ青の使い魔達に目をつけたとしてもおかしくは無い。侵略ではないとはいえ迷惑な奴だ。

 しかし「いただいた」と言われて、「はいそうですか」とあげる奴はいない。キュルケはもちろんタバサも珍しく怒気を見せて杖をスチール星人に向けた。

「ふっざけんじゃないわよ、このこそ泥!!」

「シルフィードを……返して!」

 けれどもスチール星人は、恐らく笑っているのだろう、頭を微妙に上下に揺らしながら言った。

「ふふふ、お前たちにできるかな? それに、しばらく観察していたが、人間共はお前達が使い魔と呼んでいる動物達を粗雑に扱っていたのではないか? ならば私が大事に飼ってやったほうが彼らのためではないかね」

 確かに、ここにいる者達のほかの生徒達は使い魔の世話を真面目にしているとは言いがたい。けれど、そんな盗人猛々しい詭弁に揺り動かされるほど彼女達の怒りは生やさしくは無い。

「泥棒が偉そうなことほざくんじゃないわよ! 人のものを勝手に盗っていくような奴が何を大切にできるっていうの、丸焼けにされる前にさっさとみんなを返しなさい」

「ぬぅ……」

 今にも爆発しそうな彼女達の気迫は、星人さえも黙らせるには充分だった。

 だが、ヒマラはそんな様子を見下ろしながら含み笑いを浮かべていた。

「ははは、威勢のいいお嬢さん達だ。けれども、一度目をつけたものはどんな手を使ってでも手に入れるのがコレクターというものだから、返すわけにはいかないねえ」

「コレクターですって?」

「ああ、彼とはこちらで会って意気投合してねえ。ものは違えど美しいものを愛する者同士に壁はないのさ。それに、私も見つけてしまったのさ、実に美しいものをね。この星には、この広い宇宙でも、ここともう一つの星にしかない美しいものがある。なんだか、分かるかね?」

「……」

 才人らが答えずにいると、ヒマラは誇らしげに語り始めた。

「それはね、夕焼けの街だよ。私は一目で心を奪われた、私は気に入ったものは手に入れることに決めている。だから、私が美しいと思ったものはすべて、私のものなのだよ」

 どこまでも自分勝手なヒマラとスチール星人に、才人達もついに怒ってそれぞれの武器を抜く。

「なんだと!! ふざけるな、そんな勝手が通るか、学院のみんなをどこにやった」

「ふふ、悪いが夕焼けの街は前に手に入れそこなったことがあるので、私も引けないのだよ。それと、人間達は余計だったな。見苦しいので後でまとめてどこかにポイしてしまうつもりだよ。フフフ、ご希望とあれば案内するよ」

 そう言うとヒマラは手を大きく広げると、ぐるりと体の前で回し、一行の視線がそれに集中したとき。

「ハアッ」

 突然、ヒマラの額からビームが放たれた!

「危ない!!」

 とっさに才人はルイズを突き飛ばしたが、その代わりに才人がビームをもろに受けてしまった。

「うわっ!?」

「サイト!!」

 ルイズははっとして才人を見るが、才人の体は一瞬発光すると煙のように消えてしまった。

「ええっ!?」

「ちょっ、サイトをどこにやったのよ!?」

「ハッハッハッハ、彼はリクエスト通り仲間のところに送ってあげたよ」

 慌てて怒鳴るが、ヒマラとスチール星人は笑いながら、すぅっと消えていってしまった。

 

 

 そして才人は、ヒマラの放ったテレポート光線によって、どこか別な空間へと飛ばされていた。

「あいてて……こ、ここは?」

 見渡すと、そこは夕日に照らされた、見慣れた広い芝生の上に立つ巨大な幾本もの塔、魔法学院の前であった。

 けれど、学院から離れた場所にはトリスタニアの街並みがそびえ、見慣れた風景とはまったく違う。

 というか、あっちこっちにオランダの風車やイースター島のモアイ像、パリの凱旋門からタイの寝仏、はては巨大なタヌキの置物まで訳の分からないものがずらりと並んでいて何て言えばいいかわからない。

「消された街か……コレクションするっていうのは、こういうことかよ」

 すると、彼の目の前にヒマラが今度は巨大な姿となって現れてきた。

「ようこそ、私のコレクションルーム、『ヒマラワールド』へ、ここは外界から隔絶された擬似空間だ。私の集めた美しいものを、ぜひ君も見物していってくれたまえ」

「そうはいくか、こんな贋物の世界、すぐにぶっ壊してみんなを元に戻してやる。なあルイズ!! ……ルイ……」

 そこで才人は、大変な事実に気がついた。ここに飛ばされたのは自分だけだ、ルイズは元の世界に置いてきたまま、つまり。

「し、しまった!!」

 変身……できない。

 

 

 続く



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第37話  シルフィを返して!! (後編) ヒマラワールドをぶっ潰せ!!

 第37話

 シルフィを返して!! (後編) ヒマラワールドをぶっ潰せ!!

 

 宇宙超人 スチール星人

 怪宇宙人 ヒマラ 登場!

 

 

「へ……変身、できない」

 才人は焦っていた。ルイズと分断され、訳も分からない異次元空間に一人っきり、しかも目の前には巨大化した宇宙人、これは非常にやばい。

 懐には秘蔵しているガッツブラスターがあるが、巨大化した星人相手にどこまで役に立つか。もちろんデルフは論外だ。

「おいいっ!! そういうことはせめて抜いてから言ってくれよ!!」

 何やらやかましい声が聞こえるような気がするが、今はそれどころではない。

 だが、才人を見下ろすヒマラは余裕たっぷりな様子でこう言った。

「ふふふ、まあそんなに緊張しなくてもいいだろう。言っただろう、私は野蛮なことは嫌いでね。君には私が引き上げるときまでここにいてもらう。なあに、ここには君の仲間達もいるから、寂しくはないだろう。では、はっはっはっはっ」

 笑い声とともにヒマラの姿は消えていった。

 残された才人はがっくりと芝生の上に腰を降ろす。

「なんてこった……」

 まんまとヒマラの思う壺にはめられてしまった。ルイズがいっしょにいなければウルトラマンAになることはできない。あのときヒマラはルイズを狙ったんだろうが、才人が飛ばされても結局は同じことだ。

 だが、正々堂々と戦ってやられるならまだしも、あんなアホ共のいいようにされるのは我慢ならない。

 とにかく、今は現状を把握しなければ。ヒマラの言った通りならば、ここには消された街にいた人々や行方不明になった使い魔達もいるはずだ。何はともあれ情報収集は戦術の基本だと、才人は自分を励ましながら学院の中へと入っていった。

 

 

 一方そのころ、元の世界に残されたルイズ達四人は突然才人が消されて大パニックに陥っていたが、そこへ再びヒマラが現れて、一行を見下ろして悠然と話しかけてきた。

「やあ諸君、ごきげんよう」

「ああっ、あんた、サイトを、サイトをどこにやったのよ!!」

 いきり立ってヒマラに杖を向けるルイズだったけれど、こいつを倒しても才人が戻ってくるわけではない。今はともかく少しでも情報を引き出さなければと、キュルケとタバサが必死に止める。ヒマラも、それが分かっているのだろう。まったく恐れる様子もなく平然と目の前に浮いている。

「あははは、そんなに心配しなくても、私は野蛮なことは好まないよ。怪盗ではあっても強盗ではないからね。彼も他の者達もかすり傷ひとつ無いよ」

「ふざけてないで、さっさとみんなを返しなさいよ!!」

「うーん、それはできないね。集めたものは私達の大事なコレクションになるのだから、まあ余計なものは後で返還してあげてもいいけど、今はだめだね」

 チッチッと指を振りながらヒマラは首を振った。

 だが、大切な使い魔達をさらわれたルイズ達がそれで納得するはずもない。遂にキレていっせいに杖をヒマラに向けた。

「いいのかな、私を倒してしまっては彼らを元に戻せなくなるよ?」

「くっ!!」

 ギリギリのところで彼女達は踏みとどまった。悔しいが、杖を下ろすしかない。

 だが、タバサは杖を向けたままでヒマラに質問をぶつけた。

「シルフィードをさらっていった奴は、どうしたの?」

 そのときのタバサの声は、小柄な彼女の喉から出たとは思えないほど重く、キュルケでさえ一瞬びくりとしてしまったほどドスが効いていた。

「ん? スチール星人かね。さあ今頃はまたどこかで新しいものを探しに行っているんじゃないかな。彼は足が速いからもうどこに行ってしまったのやら」

 どうやらヒマラとスチール星人はそれぞれ勝手に欲しいものを探し回っているらしい。そして気が向いたら集まってコレクションを自慢しあう。本人達は楽しんでいるだけなのだろうが、こっちからしてみれば本当に迷惑としか言いようがない。

「では、そろそろ失敬するよ。私達にはまだまだ欲しいものがあるのでね。アッハハハ」

「まっ、待て、待ちなさい!!」

 高らかな笑い声を残して、ヒマラは夕闇の中に消えていった。

 

「サイト……」

 どうしようもなく、肩を落として四人は何もなくなってしまった草原の中に立ち尽くした。

「シルフィード……」

「元気を出して、みんなまだ殺されたわけじゃないんだから、助け出す術は必ずあるわよ!」

 キュルケがなんとか励まそうとして大きな声を出すものの、彼女もまた空元気だということは声色から察することができた。

 これからどうすればいいのか、まったく見当もつかない。

 けれど、皆が希望を失いかけたそのときだった。ちょうどヒマラが浮いていたところの真下で、何かがそろそろ顔を見せてきた月明かりに反射してキラリと光り、ルイズは草むらに隠れたそれを手にとって拾い上げてみた。

「……? 宝石入れ?」

 それは細やかな装飾が施されたアンティーク趣味の小さな木の小箱であった。それだけならどこにでもあるようなありふれた品物に見えるが、何気なく箱のふたを開けてみてルイズは驚いた。

「え? 何これ、学院が見える……あ、あれはサイト!?」

 なんと、箱の中にはヒマラワールドの風景が上空から映したテレビ画面のように映し出されていたのだ。それを聞いたキュルケやタバサ、モンモランシーも我勝ちに小箱の中を覗き込んで、フレイムやシルフィードの姿を捜し求める。まあロビンは小さすぎて無理だが、それでも学院が無事な姿を見れてうれしいことに変わりは無い。

「よかった……みんな無事みたいね。けど、この箱の中にみんなが閉じ込められてるのかしら?」

「よーし、そうと分かれば、さっそくぶっ壊して」

 ルイズは短絡的に考えて小箱に杖を向けたとき、タバサが箱のふたに紙切れがはさまれているのを見つけて、それを取り上げると書いてあったことを読みあげた。

 

「……君達が無茶なことを考えないように、お友達の姿を映し出す道具を残しておいてあげよう。多分、こんなこともあろうかと用意しておいたのだが役に立ってよかった。なお、その箱はただ風景を映し出すだけで、本物は私が大事に保管してあるから箱を壊したりしても無駄だよ。ヒマラ」

 

 ……けっこう親切な奴なのかもしれない。もしくは、コレクションをとにかく見せびらかしたかったのか。けれど、こういう状況ではとにかくムカつくだけだ。

「くーっ!! 馬鹿にしてくれちゃってえ!!」

 思わず地団太を踏むルイズだが、かといってせっかく才人の様子を見れるアイテムなので捨てるわけにもいかない。なんとか怒りを押し殺しながら、皆で箱の中を覗き込んだ。

「サイト……無事なのね。もう、心配かけるんじゃないわよ、馬鹿」

「あっ、フレイム……やっぱりそこにいたのね」

 心配していた者の元気な姿を見つけて、ルイズとキュルケはほっと胸をなでおろした。

「この様子なら、他の使い魔や生徒達も無事ね。こうなったら絶対にあのこそ泥達を捕まえてみんなを元に戻させましょう!!」

「ええ!!」

 希望は見えた。こうなれば何が何でも奪われたものを取り返してやると、ルイズとキュルケは普段のいざこざも忘れて手を取り合った。

 だが……

「んで、どこにいるんでしょうね。そいつら」

「わからない……」

 水と風の使い手の冷たい言葉が、氷雪となって炎のような情熱に降りかかった。

 

 

 けれども、ヒマラワールドに閉じ込められていた才人達も手をこまねいていたわけではなかった。

「とにかく、みんな無事でよかった」

 学院にはギーシュ達や使い魔ら、ヒマラとスチール星人に盗まれてきたものたちがごっそりあって、とりあえず才人は安心した。

 消されたトリスタニアの街もざっと見たが、住民達は皆無事で、それに出張に出ていて巻き込まれたのであろうミス・ロングビルの姿もそこにあった。

 もっとも、みんな軽い催眠状態に置かれていたらしく、空を見上げながらぼおっとしていた。おかげでパニックが起こることはなかったようだが、そこは非常事態につきさっさと起きてもらわねばならない。

 まずはギムリとレイナールには目覚ましの常套手段。

「おらおらおら、さっさと目を覚まさんかい!!」

 と怒鳴りながらほっぺたを往復びんたして覚醒させ、ギーシュに対しては。

「あっ、あんなところに裸の女が!!」

「なに!? どこだ、どこだい!!」

 モンモランシーの苦労が忍ばれて涙が出てくる。

 あとはとりあえず中庭で寝かされていたフレイムやヴェルダンデの頭を小突いて起こした。他の生徒や教師達は騒ぎを起こされると面倒なのでそのままにしてある。

 

「あいてぇ、少しは手加減しろよサイト」

「貴族にこんな真似して、本来なら手打ちにされても文句は言えないぞお前」

 レイナールとギムリは頬を赤くしてぶつくさと言うが、そこに憎しみはない。そんな心の狭い奴ならば始めから才人と友人にはなれないし、ずっと共に戦ってきた戦友としての友情が彼らの心をつないでいた。

「で、裸の女はどこだいサイト」

「……」

 この馬鹿は、根っから馬鹿のようだ。頭が痛くなるのをなんとか抑えて状況を丁寧かつ分かりやすくギーシュに説明してやるのに、またいらん時間を喰ってしまった。

「なるほど、事情はよくわかったよ。つまりぼく達は奴のおもちゃ箱の中に閉じ込められちゃったってことだね」

「ま、平たく言えばそんなとこだ。いずれ出すとは言ってたけど、そのときにはハルケギニア中のあらゆるものが盗まれた後で、使い魔達も根こそぎ分捕られるだろうな。俺はいらないみたいだが」

 最後のところをやや自嘲的に言った才人に、そりゃそうだろうと三人は思った。才人みたいなのを欲しがる物好きな人間はルイズやシエスタ、キュルケ……あれ? けっこういるな。しかも美少女ばっかり、こいつ自分がどれだけ恵まれた境遇にいるのか自覚してないんじゃないのか。

「ま、まあそれはいいとして……このまま手をこまねいている訳にはいかないということだろ。学院を盗むなんて、これは我らトリステイン貴族に対する挑戦だ。断じて許すわけにはいかない!」

「で、具体的にはどうしようか?」

「う……」

 と、レイナールに冷静に突っ込まれて見事にギーシュは意気をくじかれた。戦意旺盛なのはけっこうだが、それだけでは早死にするぞ。まずは落ち着いて作戦を立てて行動するのが勝利への近道だ。

「よし、まずは情報を整理してみよう。その、ヒマラとスチール星人ってやつは、美しいものや珍しい生き物をコレクションするつもりで、こんな騒ぎを起こしたんだな」

「まあな、侵略する気はないようだけど、果てしなく迷惑な連中だよ」

 とあるTVアニメで見た、もみ上げ猿顔の怪盗に振り回されるトレンチコートの警部の気持ちが少し分かったような気がする。

 まあそれはいいとして、あの怪盗きどりの馬鹿二人は何が何でも捕まえる。そして元の世界にみんなを戻させて、あわよくばぶっ飛ばす。いや絶対にぶっ飛ばす。

「しかし、そんなに何もかも持っていかれたらトリステインはめちゃめちゃになっちまうぞ。まったく、見境無くなんでもかんでも欲しがる奴ってのは迷惑だよなあ……そう思わないか、ギーシュ?」

「へ? なんでぼくを見るんだね君達」

 ギムリにそう言われて怪訝な顔をするギーシュだったが、才人とレイナールはその意図をすぐに読み取った。可愛い娘と見ればすぐに口説こうとするギーシュも似たようなものだと、そういうことだ。

 それにようやく気づいたギーシュはプライドを傷つけられて、顔を真っ赤にして怒った。

「し、失礼だね君達!! ぼくが女性を愛するのは万人が美しい薔薇を愛でるのと同じ、至極当然のことなのだ。そこにやましい気持ちはない!! もしぼくの愛する花たちを傷つけようなどというものがいたら、ぼくは命を懸けて戦うだろうよ」

 違う、そういうことを考えるのはお前だけだ。というか後でモンモランシーに言ってやったら面白いかもしれない。

 しかし、そのギーシュのアホらしい主張の中に、状況を打開できるかもしれないヒントが隠されていた。

「ん、ちょっと待ってくれ……ギーシュ、今の台詞もう一度言ってみてくれないか?」

「なに? えーと、もしぼくの愛する花たちを傷つけようなどというものがいたら、ぼくは命を懸けて戦うだろう……」

「そうか、もしかしたら」

 何か思いついたらしいレイナールに、三人の期待する視線が集中する。

 そして考えをまとめた彼は、いかにも賢そうに眼鏡をくいっと上げて見せて話し始めた。

「いいかい、彼らは物を集めるのが目的のコレクターだと名乗った。だから、自分のものへの執着心は人一倍強いはずだ。例えばギーシュ、君が自分の好きな子、そうだな、モンモランシーにサイトが手を出したらどうする?」

「なにぃ!? サイト、君はいつの間にモンモランシーと付き合っていたんだね!! ゆ、許せん、今すぐ決闘だ!!」

 いきり立ったギーシュは才人に飛び掛った。

「バカ!! 例えだって言ってただろうが……だけど、おかげで言いたいことがよーく分かったぜ」

「なるほど、ここは奴らのコレクションルームだって言ってたからな。そーいうことなら話が早い」

 レイナールの考えを読んだ才人とギムリもニヤリと笑う。彼は大人しそうな見た目に反して、意外と強引でダークな面も持っていた。典型的な軍師タイプといえるだろう。

 一人、ギーシュだけが話に付いていけずに、ぽつんとやり場の無くなった怒りを空振りさせて立ち尽くしていたが、才人が耳打ちして教えてやると、ぱあっと晴れ上がった青空のような笑顔を見せた。

「素晴らしいレイナール、君は天才だ!!」

「ようし、作戦は決まった。人手を集めてさっそく決行だ!!」

「おおーっ!!」

 右手を高く上げて意気を上げると、四人は作戦を決行するための人手を集めるために学院のほうぼうへ散っていった。

 

 

 それからしばらく経って、ヒマラとスチール星人の姿は、トリスタニアの一角、街を見下ろせる教会の尖塔の上にあった。

 街ではすでにあちこちの区画が丸ごと消し去られてしまって大混乱に陥っている。もちろんヒマラの仕業だが、奴はトリステインでの最後の標的として、国の象徴であるトリステイン王宮を狙っていた。

「うーむ、夕焼けの風景もいいが、二つの月を背にした城もまた美しい……この国の最後の獲物はこれにして、次はガリアの火竜山脈でもいただこうかな?」

「ふよふよ、ガリアは豊かな国だから、使い魔もさぞ珍しいものがいるだろう。楽しみだ、ささ早く盗ってしまいなさいよ」

「ぬはは、そう焦るな。物事には段取りというものが……ぬ、なに?」

 ヒマラは街を転送させるための赤いフィルム型の空間移動アイテムを、ヒマラワールドに通じている箱から取り出そうとして、その中の様子に愕然とした。

 なんと、後で整理しようと置いておいた魔法学院の建物の周りで爆発や火の手があがり、彼のコレクションが次々と壊されていっていた。

「ああっ! 私の大切なコレクションが!」

 それだけではない。スチール星人が盗んできた使い魔達もそれに加わってヒマラワールドの中で好き放題に暴れていた。

「わ、私の動物達もみんな逃げ出して……おのれ、あの小僧たちめ!!」

「ああっ、私の二宮金次郎像が……おのれ、もう許さんぞ!」

 怒りが頂点に達した二人は四次元小箱の中へと飛び込んでいった。

 

 

「小僧ども!!」

「おっ、来たぞ!!」

 ヒマラワールドのど真ん中、学院の正面門のちょっと先あたりに巨大化したヒマラとスチール星人が降り立ってきた。

「お前達、もう許さんぞ!!」

 どうやら、思いっきり怒っている様なのは表情のない星人の顔からもはっきりと分かった。

「作戦成功、みんな撤退だ!!」

 両者が現れたと見た瞬間、破壊活動を楽しんでいた生徒達は一斉に学院に撤退を始めた。

 そう、レイナールの立てた作戦とはヒマラワールドに展示されているコレクション品を壊すことで両者を怒らせ、こっちの前に引きずり出そうというものだった。

「踏み潰してくれる!!」

 完全にいきり立った二人の星人は巨大な足を振り下ろして生徒達に向かってくる。魔法で応戦する者もいるが、当然ほとんど効果はない。しかし、彼らが学院の中に逃げこんでしまうと、奴らはまったく手出しをしてこなくなってしまった。

「くっ、卑怯だぞ」

「どっちがだ、俺たちを捕まえたかったら学院を壊すしかないよな、ざまーみろ」

 ヒマラにとって、魔法学院もまた大切なコレクション候補の一つだ、それを自分から壊すなどできるわけがない。生徒達は口々にヒマラとスチール星人に向かって言いたいことを言った。

 その様子を、才人は学院から少し離れた巨大な招き猫の陰からこっそりと見ていた。

「こんなところに俺達を閉じ込めたのがそもそも間違いだったんだよ。さてと、あとはあいつらに俺達を戻させるだけだが……ここが正念場だな」

 奴らをこの世界に来させることには成功した。これで手助けしてくれた生徒達はもう充分だ、後は少数で姿を隠しながら移動して、コレクションを壊されたくなければみんなを元に戻せと交渉していくわけだが、さてうまくいくかどうか。

「おーい、ヒマラ聞こえるか?」

「うぬ、その声は……そうかお前達の差し金だな!!」

「そーだ、これ以上コレクションを壊されたくなかったら、とっとと盗んだものを元に戻せ!! さもないともっとめちゃくちゃにしてやるぞ」

 位置を知られないようにして脅しをかける才人だったが、正直ばれたらどうしようかと内心冷や冷やしていた。しかし、あんな奴らの贅沢な横暴に負けるわけにはいかない。

 だが、ヒマラだけならともかくスチール星人の目までごまかし続けるのはやはり無理だったようで、隠れていた場所をついに見つけられてしまった。

「見つけたぞ、小僧!!」

「んなっ!? まずい」

 スチール星人の場合、どこに目がついているのか分からない頭つきをしているから、うっかり顔を出しすぎてしまった。ヒマラはまだしも紳士ぶっているが、こいつは堪忍してくれそうもない。

「サイト、逃げろ!!」

 別のところに隠れていたギーシュたちが叫ぶと同時に才人は招き猫の影から飛び出した。次の瞬間スチール星人の頭の三つのランプから赤色のスチール光線が放たれて、才人のいた場所を吹き飛ばし、慌ててガンダールヴを発動して逃げる才人へ向けて、頭からの二万度の火炎放射が襲い掛かる。

「ち、ちっくしょおーっ!!」

 普段ルイズのおかげで逃げ足が鍛えられていなければ、とっくに燃えカスにされていただろう。ガッツブラスターを撃つ為に振り向く余裕すらない。学院に逃げこもうにも、そちらに逃げられないように攻撃を振ってくる。このままでは本当に黒焦げにされてしまうだろうが、どうしようもなかった。

 

 

 そして、そんな様子を彼らの頭上からルイズ達は必死の様相で見ていた。

「サイト!! サイト、あの馬鹿。無茶するんじゃないわよ!!」

 開いた小箱の中で繰り広げられている惨劇に焦るルイズだったが、いくら叫ぼうとも異次元にいる才人にはその声は届かない。仮に届いたとしても意味は無いだろうが、今にも才人が焼き殺されようとしている状況では叫んででもいないと気が狂いそうだ。

「落ち着いてルイズ、ここで焦っても仕方が無いわ」

「離してよキュルケ、サイトが、サイトが死んじゃう!!」

 暴れるルイズをモンモランシーと二人がかりで押さえつけるけれど、必死のルイズは手足をばたつかせて、今にも手のひらサイズの小箱の中に頭を突っ込もうとする。

 だが、焦っているのはルイズだけではない、気持ちはみんな同じなのだ。

「タバサ、何か方法ないの?」

「……」

 と、言われてもタバサも異次元に突入する方法など知っているはずもない。平民からは神のごとく思われているメイジの四系統魔法も、この状況を打開する力はなかった。

「サイト!! サイト早く逃げて」

 ルイズの見ている前で、スチール星人の火炎が才人を追い詰めていく。

 そして、とうとう真赤に燃える炎が才人の姿を包み込んでしまった。

 

「ああっ……サイ、ト……あっ、う……」

 

 その光景を見てしまったとき、ルイズの中で何かがはじけた。世界が急に静かになり、急速に心が落ち着いていき、やがて心の中から聞いたことも無いような、不思議な魔法のルーンが浮かんできて、ルイズの体は何かに操られているかのように杖を構えて、詠唱を始めていた。

 

「ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……」

 

 なぜだろう、才人が死んだかもしれないというのに、この呪文を唱えていると気持ちが落ち着いてくる。いや、この呪文に才人は無事だと教えられているような気さえする。

「ちょっと、ルイズ、どうしちゃったの!?」

「ねえ、ルイズったら目が変よ、まさかおかしくなっちゃったの!?」

 キュルケやモンモランシーの心配する声も、聞こえるが頭に入らない。

 ただ、今はこの呪文を完成させる。そうすればサイトに会える。その思いだけがルイズを動かしていた。

 

「ハガス・エオルー・ペオース!!」

 

 そこでルイズは心のおもむくままに杖を振り下ろした。

 すると、ルイズの足元に小さな一点の光が現れたと思った瞬間、それは瞬間的に膨張して半径五メイルほどの巨大な銀色の鏡のようになり、驚く間もなく落とし穴のように彼女達を引きずりこんだ。

「え!?」

「き、きゃああーっ!!」

 『フライ』で飛び上がる余裕もなく、四人はルイズの作り出した光の鏡に吸い込まれて、鏡はそれを見届けたかのように宙に薄れて消えてしまった。

 

 

 一方、ヒマラワールドではルイズ達からは死んだかと思われていた才人が、どうにか生き残っていた。

「あっちぃ、危なかったぜ」

 あのとき、火炎に呑まれる寸前に偶然あった日本庭園の池に飛び込んで助かった。見渡せばウルトラセブンとビラ星人が戦ったときのような風景が広がっている。本当にヒマラの趣味はどうなっているのか分からないが、何はともあれ命拾いした。

 けれども、スチール星人はなおも迫ってくる。

「くっそぉ、こんな奴に……」

 池の中でもがく才人に向かって巨大な足が、一歩、また一歩と近づいてくる。あきらめるつもりはなくても、そろそろ体力も限界に近い。

 だがそのとき、信じられない出来事が起きた。

 突然、才人の目の前が光ったかと思うと、そこに光り輝く大きな鏡のようなものが現れたではないか!!

 こいつはあのときの!?

 才人の脳裏にルイズに召喚されたときのサモンサーヴァントのゲートの姿が蘇る。だが、見とれている暇も無く、その中から見慣れた桃色の髪の毛と鳶色の瞳が現れた。

「んなっ!? ええっ!!」

 その事態は才人の脳の情報処理能力をはるかに超えていた。だが落ちてくるルイズに向かってとにかく受け止めようと手を伸ばす。

 

「サイトー!!」

「ルイズー!!」

 

 二人の伸ばした手と手が引かれあい、二人の顔と顔が一瞬で近づく。

 そして、距離がゼロとなった瞬間……にぶい音がして、目から火花が出た。

「だっ!?」

「いっ!??」

 疲労していた才人はルイズを受け止めきれず、見事に二人のおでことおでこがごっつんこしたのだった。

 派手な水しぶきを上げて、二人は目をナルトのようにぐるぐると回しながら池の中に沈んでいく。

 そんな、せっかくのロマンチックなムードを間抜けなものに変えてしまった二人を見て、デルフはしみじみとつぶやいた。

「ほんと、どうしていまいち肝心なところで決まらないかねえ、こいつらは……」

 だめだこりゃ、としか言い様がない。

 ぶくぶくと泡を出して轟沈していく二人の周りで、光る鏡の中からまだ残っていた面々が、ぼとぼとと落ちてきて水しぶきをあげた。

「きゃーっ!!」

「あーれーっ!!」

「……」

 もう何がなんだか……

 しかし、そんなよく分からない状況の中、沈んでいく才人とルイズの手が偶然にも触れ合った。

 その瞬間、待ってましたとばかりに二人のリングが光を放ち、二人の姿が光に変わる!!

 

「デヤァッ!!」

 調子に乗って近づいてきたスチール星人をふっとばし、合体変身、真打ち登場!!

 

「ウルトラマンAだ!!」

「よっしゃあ、そんな奴らやっつけろ!!」

 エースの登場に、学院の生徒達から一斉に歓声が上がった。

 

「ショワッ!!」

 ヒマラワールドに満ちている人工の夕日を浴びて、その身を紅く染めながらエースは二大怪盗宇宙人に向かって構えをとった。

「ぬぬ、ウルトラマンA……どうやってここに!?」

「ヘヤッ!!」

 ヒマラも突如現れたエースに驚くが、実際一番驚いているのはエースだろう。説明できる人がいるなら是非来てもらいたい。なお、才人とルイズはまだ気を失ったままなので、今のエースは北斗単独の意思で活動している。

 しかし、経過はどうあれ来れた以上やることは一つ、この宇宙のこそ泥二人をやっつけるのみ!!

 そして、奴らもまたエースが現れたぐらいではあきらめるつもりはないらしい。

「どうやってここに来たかは知らんが、我々の計画をあくまで邪魔しようというなら消えてもらうぞ」

 戦闘が苦手なヒマラに代わってスチール星人が前に出てきて、エースはこれを迎え撃つ。

「ダァッ!!」

 有無を言わさずスチール星人に飛びかかり、そのボディにパンチ、キックの連撃を浴びせる。

 鎧超獣とも呼ばれるスチール星人の体は鋼鉄製の頑丈な鎧に覆われて、ちょっとやそっとの攻撃には動じないが、エースのパンチに砕けない物など無い!!

 よろめくスチール星人は、まともにやり合っては敵わないと、見た目に反して相当に軽い身のこなしを活かして間合いを取ろうとする。だが同族とやりあってスチール星人の癖を知っているエースはそうはさせじと連続攻撃を加えて、さらに背負い投げの要領で思いっきり投げ飛ばした。

「テヤァッ!!」

 地響きと砂煙をあげて、スチール星人の体がヒマラワールドの地面に叩き付けられる。

 

「やったあ、さっすがエース!」

 池からようやく上がって濡れネズミなままのキュルケが万歳をしながら叫んだ。散々馬鹿にされた相手だけに、そいつが一方的にぶちのめされているのは見ていてすっきりする。

 続いて、同じようにずぶぬれになりながらようやくモンモランシーが池から上がってきた。ちなみに、全身ずぶぬれになったというのに彼女の縦ロールはまったく崩れていない。どういうセットの仕方をしているのか気になるが、それはともかく、彼女は周りを見渡してルイズの姿が見えないのに気がついて言った。

「ねえ、ルイズの姿が見えないわよ」

「ええ? そんなに離れた場所に落ちたのかしら。けど、あの子のことだからきっとダーリンといっしょね。心配しなくても、ヴァリエールの人間はそんな簡単にくたばりゃしないわよ。執念深さと嫉妬深さでは昔からうちとやりあってきた仲なんだから」

 彼女達が落ちたときには才人とルイズは仲良く撃沈した後だったので、ギリギリの線で変身の瞬間を見られずにすんでいた。

「それよりも、シルフィード達を取り戻さないと」

「あ、そうだったわね。宇宙人たちはエースに任せて、今のうちに行きましょう」

 エースも、これなら苦戦するまいと思った彼女達は、落ちるときに一瞬見えた学院の方向へ向かって駆け出した。

 

「ぬぬぬ、さすがに強いなウルトラマンA。スチール星人よ、こうなったら、あの手でいくぞ」

 予想以上に強いエースに、ついにたまりかねたヒマラも動いた。

 彼らは、万一エースと戦うことになったときに備えて、とっておきの作戦を用意していたのだが。

「何、しかしテストがまだ」

「そんな暇あるか!」

 そう。本物のエースを相手に練習できるわけもないから、この作戦はぶっつけ本番だった。

 けれど、どのみちこのままではエースに負けるしかないと悟ったスチール星人は、一か八かヒマラの作戦に乗ることにした。

「ヘヤッ?」

 いきなりスチール星人の後ろにヒマラが立って、その肩を後ろからがっちりと掴んだ。

 なんのつもりだ? とエースはいぶかしんだ、あれではただ動きにくいだけではないか。奇妙に思ったが、見ているだけではハッタリか策略かも分からない。思い切ってスチール星人に向かって殴りかかっていった。

「テャァァッ!!」

「フッフッフッフ……」

 だが、パンチが当たる寸前にスチール星人の体はヒマラごと、かき消すように消えてしまったではないか。

 これは、テレポートか。

「ハッハハハハ……」

 何も無い空間から、ヒマラの笑い声だけが高らかに聞こえてくる。

 右か、それとも左か……油断無く周囲を見渡すが、気配はない。

「エース、後ろだ!!」

「!?」

 そのとき、飛び込んできた誰かの叫び声に従ってエースはとっさに真横に飛びのいた。

 そこへ、その声の通りに真後ろに現れていたスチール星人のスチール光線が殺到して、間一髪エースは助かった。

「セヤッ!!」

 さらに、振り向き様に反撃の光線を放つ。

『ハンディショット!!』

 矢尻型の光線はエースの指先から放たれると、そのままスチール星人に向かったが、命中直前にまたしても両者の姿はテレポートして掻き消えてしまった。

「あははは、ウルトラマンA、こんなこともあろうかと思って用意しておいた我々の作戦はどうだね。私の瞬間移動でどこに現れるか分からないスチール星人の攻撃を、いつまでかわせるかな?」

「クッ!!」

 まさかこんな手を用意していたとは、気配もなくいきなり現れる敵にはさすがに手出しできない。

 学院の生徒達も、一気に逆転してしまった形勢に焦り始める。

 

 だが、そのころようやく目を覚ました才人がエースに耳打ちした。

(大丈夫だ。あいつらには、致命的な弱点があるんだ……) 

 それを聞いたエースは、なるほどとうなづくと、いきなり目の前にあったオランダ風の風車に向かって光線を放った。

『ブルーレーザー!!』

 光線の直撃を受けた風車は、根元から折れてばらばらになって砕け散る。

「ああっ、私の大事な風車がぁ!!」

 コレクションを破壊されたヒマラの悲鳴が響く。

 そして、今度は小高い丘に乱立したモアイ像の群れに狙いをつけたとき。

「やっ、やめろー!!」

 案の定、エースの目の前にのこのことヒマラはスチール星人ごと姿を現した。もちろん、こんな好機を逃すはずもなくエースのキックが飛ぶ。

「デヤッ!!」

「ウワァァッ!」

 見事スチール星人のどてっぱらに命中、後ろにいるヒマラも合わせて仲良く後ろに吹っ飛んだ。

 二人は折り重なってもだえながらも、なんとか起き上がろうとするものの、いきなり真正面から一発喰らってしまったスチール星人はヒマラに食って掛かった。

「何をするんだヒマラ、奴の死角に出ないと意味がないだろうが!」

「いや、コレクションが危なかったから、つい」

「もういい、後は私一人でやる!!」

 起き上がったスチール星人は、エースに向けてスチール光線を放とうとした。けれど、エースが寸前で足元に転がっていたタヌキの置物を盾にしようとすると。

「ああっ!! 大事なタヌキが!!」

 と、ヒマラが足元に飛びついて前のめりにこけてしまった。

「何をするんだ!!」

「いや、大事なタヌキが」

「あんなものどうだっていいだろうが!! 今はエースをやっつけるのが先決だろう」

 二度もヒマラのせいで痛い目を見て、スチール星人も怒り心頭に達して怒鳴るが、コレクションを馬鹿にされてヒマラも黙ってはいない。

「あんなものとはなんだ。私が長年かかって集めた美しいものだぞ」

「ふんっ、前々から思っていたが、お前の趣味はずれている。あんなものはみんなガラクタだ」

「なんだと!! この珍獣マニアが!!」

「なにお!!」

「なんだとお!!」

 もはや戦いをそっちのけで二人だけの争いになっている。

 学院の生徒達や、ギーシュやキュルケ達も、はじめて見る宇宙人同士のケンカに呆れ果てて、心底馬鹿馬鹿しそうに眺めていた。

「あいつら、アホか」

 それは、この場にいたもの全員の感想だったろう。これまで宇宙人といえば、漠然とバム星人やツルク星人のように恐ろしいものを連想していた彼らは、こんな奴らもいるんだなあと、新鮮な感動を覚えていた。

 

 が、そっちはよくてもこっちはよくない。

 顔をつき合わせて口論を続ける両者に向かって、エースは遠慮なく体を左にひねって、腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!!』

 光の帯は、二人のちょうど真ん中の地面に命中して、爆発で両者をまた仲良く吹き飛ばした。

「どわぁぁっ」

「ひよぉぉっ」

 あえなく尻餅をついてしまう両者を、エースは悠然と見下ろした。

 もはや、この二人のチームワークが戻ることはないだろう。単独でならば到底エースの敵ではない。勝負は決まった。

「全部まとめて吹き飛ばされたくなければ、さっさと盗んだものを返して帰れ」

 空を指差して警告するエースに、ヒマラはとうとうあきらめた。

「わ、わかった。わかったからもうこれ以上壊すのだけは勘弁してくれ」

 これ以上ヒマラワールドが荒らされては敵わないと、慌ててヒマラは降参した。

 だけども、スチール星人のほうはまだ少々往生際が悪かった。

「仕方ない、私も今回はあきらめる。では、さらば」

 そう言って、すごすごと逃げようとしたが、その後ろからタバサの声が引きとめた。

「待って!! シルフィードを、返して」

 ギクッと、思わず立ち止まるスチール星人、学院にはキュルケのフレイムやギーシュのヴェルダンデはいたが、シルフィードだけがどこを探してもいなかった。

「さ、さあ……どこかに紛れてるんじゃないか」

 白々しくごまかそうとしているが、そうは問屋がおろさない。ゆっくりとエースはスチール星人に向かって腕をL字に組んでいく。

「わっ、わわかった。返す、返すからそれはやめてくれ」

 メタリウム光線の体勢はいやいやよと、慌ててスチール星人は、自分の異空間に閉じ込めたままだったシルフィードを解放した。

「シルフィード……」

「きゅーい、きゅーい」

 やっと解放されたシルフィードは、すぐさまタバサの元へ飛んで、その顔に口先をこすり付けて喜び、タバサもシルフィードの頭を優しくなでた。やはり、本当の主人の下にいることが一番の幸せのようだ。

 そして、がっくりとうなだれているヒマラとスチール星人に、エースはもう一度言い放った。

「さあ、早く元に戻して帰れ」

「とほほ、また夕焼けの街を手に入れることはできなかったか。だが、ダイ……ではなくエース、私はあきらめたわけではないぞ。いつの日か、もっと美しいものを手に入れるために必ず戻ってくるぞ。楽しみにしていろ。ウワッハッハッハ!!」

「私もだ、次は絶対に負けないぞ。覚悟していろよ。フハハハハ」

 開き直って捨てゼリフを吐くこそ泥二人に、エースはもう一度メタリウム光線のポーズをとった。

「そうか、そんなにここで吹き飛ばされたいか」

「「いえ、何でもありません!!」」

 やっぱりこいつらでは、メフィラス星人のようには決まらない。

 こうして、トリステイン始まって以来の珍騒動は、ようやくと幕を下ろしたのだった。

 

 

 

「あー、なんか悪い夢を見ていたみたいね」

 すっかり日も暮れて、元通りの姿になった学院を仰ぎ見てキュルケがしみじみとそう言った。

 ヒマラとスチール星人はあれから盗んだ建物と使い魔達を返したら、ほうほうの体で宇宙に逃げていった。あのまま元の世界に戻っていくのかまでは分からないが、当分は大人しくしていることだろう。できれば二度と来て欲しくないが、全てが終わった後は、それこそ夢だったかのように何もかもそのままで、当事者の生徒達もまぶたをこすりながら、ふらふらと寮に帰っていった。

 きっと、明日からはまた以前と変わりない毎日がやってくるのだろう。けれど、あのことは決して夢ではない。その証拠に、彼女達の使い魔は以前より親しげに主人に懐いていた。

「きゅーい、きゅーい」

「ぐるるる」

「げろげろ」

 それぞれ、主人が本気になって取り戻そうとしてくれていたのがわかるのだろう。特にシルフィードなどはタバサの顔が唾液でべとべとになるくらいまで、うれしそうに舐めていた。

 なお、ギーシュのヴェルダンデの場合は喜び余ってギーシュが土中に引き込まれそうになって、ギムリとレイナールにかろうじて引き上げられて連れて行かれた。

 気がついてみればもうけっこうな深夜だ。

「まったく、大変な騒ぎだったわね。ふわぁーあ……今日はもうさっさと休みたいわ」

 モンモランシーは、ロビンを頭の上に乗せて、眠そうに帰っていった。

 残っているのは、才人とルイズ、キュルケとタバサだけ。

「そうね……ねえ、そういえばルイズ、あのときに使った光の鏡みたいなのを作る魔法、あれいったいなんなの?」

「え? なんのこと」

 だが、キュルケの質問にも、ルイズはきょとんとした様子で答えることができなかった。

「なんのことって、あんたがいきなり使ったヒマラの世界に入り込んだ魔法のことよ。すごいじゃない、あんな呪文も効果も聞いたこともないわよ!!」

「ちょ、ごめん。何のことだかわかんないんだけど、わたし、そんなすごい魔法使ったの!?」

「えっ……まさかあんた、あれだけのことを覚えてないっていうの? タバサ、あなたも見たわよね」

 タバサはこくりとうなづいた。

「異空間を移動する魔法……そんなものは四系統のどれにも存在しない。それに、あのときルイズの詠唱していたルーンは、わたしの知るあらゆる魔法に存在してない」

「……」

 ルイズは唖然とするしかなかった。確かに、あのとき才人が危ないと思った瞬間、胸がかあっと熱くなって、それから才人の顔が目の前にあって、それからしばらくの記憶がない。けれど、これまでいかなる魔法も使えずに『ゼロ』の蔑称まで与えられたわたしが、いきなりそんなとんでもない魔法を使った? 到底信じられないが、この二人がそんな意味の無い嘘をつくとは思えないし、そんな魔法でも使わないと異空間に転移するなどできるわけもない。

 四系統のいずれにも属さない魔法、そんなものがあるとすれば、それは伝説の……

 しかし、そこまで考えようとしたとき、突然ルイズを激しい頭痛が襲った。

「うっ、頭が……」

「ルイズ!? 頭が痛いの? 無理しなくてもいいわよ」

 考えようとすると、なぜかすごく頭が痛む。まさか、記憶にブロックがかかっているのか。

 けれど、その原因はタバサに指差されてすぐにわかった。

「すごいたんこぶ」

「あ、ほんとだ」

 そっと触ってみると、ルイズのおでこには見事なまでにまあるいたんこぶができてしまっていた。もちろん、あのとき才人とぶつかってできたものだ。

「……ああ、もうなんかどうでもよくなってきたわ。そういえばダーリンもすごいたんこぶじゃない、もうあなたたち早く医務室に行ってきなさいよ」

「ああ、そうするよ。しかし、なんでこんなこぶができたんだろうな。どうも記憶が一部飛んでんだが……まあいいか」

 才人はそう言うと、額のこぶを痛そうになでながらルイズといっしょに医務室のほうへと歩いていった。

 

 だが、ルイズ達を見送ってすぐに、キュルケはそれどころではないことになった。

 夜陰を縫って飛んできた一羽の梟がタバサの頭上を旋回すると、腹がぱくりと割れて、そこから一通の書簡がタバサの手に落ちてきた。

「……シルフィード」

 彼女はそれを一瞥すると、シルフィードを呼んで、その背にまたがろうとし、キュルケに呼び止められた。

「タバサ待って、わたしも行くわ」

「……今回は大丈夫、心配しないで」

 そう言うと、タバサはシルフィードを駆って、止める間もなく空の彼方に飛んでいった。

「あの子ったら。また強がっちゃって、けど、あたしも撒かれてばっかりじゃないわよ。ね、フレイム」

 キュルケの足元には、その使い魔のフレイムが喉を鳴らして伏せていた。

 使い魔と主人は感覚を共有できる。才人は例外だが、フレイムの見たものは主人であるキュルケも見ることができる。さっき、タバサが書簡を読んでいるときに、こっそり後ろから覗き見させていたのだ。詳しい内容までは読み取れなかったが、たった一つの地名だけは確認することができた。

 

「エギンハイム村、ね」

 

 

 続く

 

 

 

 

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第38話  タバサの冒険  タバサと神の鳥 (そのⅠ)

 第38話

 タバサの冒険

 タバサと神の鳥 (そのⅠ)

 

 極悪ハンター宇宙人 ムザン星人 登場!

 

 

 ウルトラマンAとヒマラ達との戦いから一夜が明けて、ある空の上でタバサはシルフィードの上でとっていた仮眠から目覚めた。

「朝……」

 今、タバサとシルフィードは北花壇騎士召喚の書簡に応じて、ガリアの首都リュティスに向かって飛んでいた。

「おはようなのね、お姉さま」

 二人きりになり、遠慮なく話せるようになったシルフィードがさっそく声をかけてくる。

 空は白々と明け、間もなくリュティスに着くだろう。タバサは起きると、さっそく鞄の中から未読の本を取り出して、一心に読みふけり始めた。

 シルフィードは、そんなタバサの態度にはもう慣れっこで、返事を特に期待せずに自分からしゃべり始めた。

「きゅい、お姉さま、昨日は大変だったのね。まさかこの偉大な韻竜の一族であるシルフィが泥棒されるとは思っても見なかったのね。けど、宇宙人とはいえ、ものの価値が分かってる奴もいるものなのね。いえいえ、あんな奴に連れて行かれてたら、今頃檻の中でどうなっていたか。それよりも、お姉さまが真剣にシルフィのために怒ってくれて、シルフィは感激して涙が出ましたのね」

怒ってくれて、シルフィは感激して涙が出ましたのね」

「あなたはわたしの使い魔。取り戻そうとするのは当たり前」

「いーえ、赤い髪の子や金髪のぼうやのフレイムちゃんやヴェルちゃんはともかく、ほかの使い魔達はほとんどみんなほっぽりっぱなしだったのね。お姉さまは本当はすっごく熱くて優しい人、それが確かめられただけでシルフィは幸せです。きゅいっ」

「……」

 その後も好きなように話し続けるシルフィードの話を、タバサはじっと本を読み続けながら聞いていた。

 

 

 イザベラは、プチ・トロワが崩壊して以来、再建がすむまでリュティスの高級ホテルの最上階を借り切って、仮の住まい兼、北花壇騎士団の本部として利用していた。

 プチ・トロワには当然劣るが、一晩の宿泊費だけでも平民が一年は過ごせるような贅を尽くした一室の、豪奢なソファーに身を沈めてイザベラはタバサを待っていた。

「よく来たわね、人形娘」

 会って一番、イザベラの言葉はいつも通りのこれだった。

 以前会ったときからしばらく経って、流石に桃色ムードは抜けていたものの、だからといってタバサに対する態度までは早々変わりはしないようだ。こちらも、いつも通りに無表情を顔に貼り付けて、用件だけを受け取る姿勢で対峙する。

「ふんっ、しばらく会ってないからちっとは変わったかと思えば、相変わらずだね。まあいい、おい、今回の任務は聞いて驚くなよ。なんとあたしの父上、ジョゼフ一世陛下からじきじきにお前を指名してのご用件だ」

「 ! 」

 その名を聞いて、さしものタバサの眉がぴくりと動き、それを見逃さなかったイザベラは愉快そうに言った。

「へえー、お前でも驚くこともあるんだ。けどまあ、内容はそこまで難しいもんじゃない、あらかじめ伝えたとおり、エギンハイム村での村人と森に住んでいる翼人、羽根付きの亜人どもだな。こいつらとの間に起きたいざこざの解決、要は翼人どもを殲滅して来いってことだ。お前の実力なら難しくないだろ? まったく、なんでこんなのをお前に指名すんのか分からないけど、父上の覚えがめでたくなってきてるってことかもな、せいぜい頑張ることだね。あはははは」

 一気にまくしたてて、何がおかしいのかイザベラはけらけらと笑った。

「……了解」

 タバサは、これはそんな単純なものじゃないと内心で思った。確証はないが、自分の勘が父を殺した男の送ってきた指令の裏の、きなくさい何かを伝えてくる。もっとも、それをイザベラに言う必要もないので、事務的に正式な命令書を受け取って退室しようとしたところ、扉の前でイザベラに呼び止められた。

「ああ、ちょっと待ちな。おい、ちょっとそこのメイド、さっき見せたあれ持ってきな。あっと、それからついでにワインもな、しゃべったら喉渇いちまったよ」

 そうして、メイドに持ってこさせた小箱をタバサに渡させ、メイドの手の盆からワインのグラスを受け取った。

「ありがとよ。下がっていいぜ。さて、そいつだが、お前のことだ、もう何なのかは分かってんだろ?」

 その小箱の中には、手のひらくらいの何の装飾も施されていない人形が一個収められていた。一見すると出来損ないのガラクタにしか見えないだろうが、タバサの知識の中にある、とあるマジックアイテムの百科事典の一枚の絵にそれは酷似していた。

「スキルニル……人間の血を利用して、その本人とまったく同じになることのできる魔法人形」

「当たりだ。前にそいつで同じ力の奴同士で戦わせたらどうなるかと思って手に入れたんだが、こんな狭いところじゃ使いようもないんでね。プチ・トロワの瓦礫の中から一個だけ無事に取り出せたけれど、もう邪魔だし、お前なら役に立つこともあんだろ。くれてやるから適当に使いな」

「……一応、礼は言っておく」

「けっ、勘違いすんじゃないよ。手に余ったゴミをくれてやっただけさ、人形娘に人形なんて傑作だろ。お前に礼なんてされるとジンマシンが出るよ、さっさと行くがいいさ」

 イザベラはそう言い捨てると、持っていたワインを一気に飲み干して、あとは視線をそらして片手をひらひらとさせて追い払う仕草を見せた。

 だが、いざタバサが出て行こうとすると、まだ何かあるように呼び止めて、もじもじしながら。

「も、もし……行った先でダイゴって男と会ったら、任務はいいからすぐに伝えなさいよ。理由? んなものあたしの権限に決まってんだろ!! ああ、もうこれ以上言わすな、早く行け!!」

 と、ようやく退室を許された。

 やれやれ、どうやらあの熱はまだくすぶっているらしい。タバサは内心で嘆息しながら、階下へ下りる階段へと向かおうとしたが、そこであのカステルモールと会って呼び止められた。

「申し訳ありませんシャルロット様。イザベラ様はまたあの調子で、我らもお諫めしようとしているのですが、中々お聞き入れされず、ご不快な思いをさせてしまって弁解の言葉もありません」

 どうやら、イザベラのお守りは現在彼らがしているようだ。

「別に気にしていない。あなたこそ、大変なようね」

「いえ、我らの苦労など無いようなものです。しかし、あの日以来、イザベラ様にもまだ王族としての見込みもありと思い、少しでもよい方向へとしてきたのですが、残念ながら以前に戻ってしまわれたようで……」

 カステルモールは自信を無くしたように、がっくりと肩を落としていた。けれど落ち込む彼に、タバサは軽くため息をつくと、一言だけ彼に言っていった。

「以前の彼女なら、メイドに『ありがとう』なんて言わなかった」

「えっ?」

 彼が顔を上げたときには、タバサはすでに階下に消えてしまっていた。

 

 

 そして、任務を受け取ったタバサは引っかかるものを抱えながらも、シルフィードに乗り込んでリュティスの街を飛び立った。

 しかし、その飛び去る姿を望遠鏡で眺めながら、怪しくほくそえむ男がグラン・トロワのバルコニーの上にいたことに、さしものタバサも気づくことはできなかった。

「ふふ、行ったか。さて、仕込みはどうなっている?」

 彼が振り返った先には、あの黒尽くめの小男、チャリジャがほくそえみながら立っていた。

「むふふ、上々ですよ。あの狩場を、彼はどうやらいたくお気にいってくれたみたいです。あの星の方々は私どものお得意様の一つですが、それとこれとは別でありますからね」

「フフ、お前の世界のものは中々に面白いな。あやつがお前に呼ばれて異世界からやってきたとき、警護のトライアングルメイジを瞬殺してしまったときは少し震えたよ」

 そう言いながらも、彼の口元は怪しく歪んでおり、いたずらを始める前の子供のように楽しげに笑っていた。

 アストロモンスの一件以来、この世界にいついてしまったチャリジャは、この男に協力する代わりに、国中どこへでも行ける手形を出してもらい、あっちへこっちへとハルケギニアに眠る怪獣を求めて奔走していた。もっとも、壁抜けやテレポートを駆使できるチャリジャに入れない場所などは本来ないのだが、そういうところで妙に律儀なのであった。

「では、私はまた怪獣を探しに行ってまいります」

 チャリジャは芝居がかったお辞儀をすると、またどこへともなく煙のように消えていった。

 後に残されたその男は、もはや空のかなたに見えなくなったタバサの姿を虚空に見て、これから彼女の身に起こるであろう惨劇に思いをはせた。

「さて、我が姪よ……お前にこの任務、生きて切り抜けられるかな? 負ければそれまで、だが勝てば……フフフ、しばらくは退屈しないですみそうだ」

 その男、ガリア王ジョゼフ一世は歪んだ喜びに胸を躍らせながら、王宮の暗がりの中へと消えていった。

 

 

 エギンハイム村はリュティスからシルフィードで飛んでおよそ二時間くらいの場所にある、ゲルマニアと国境を隣接する人口二百人程度の小さな村ということだった。

 事件のあらましは、そこの森を村人達が切り開こうとして、森に住んでいる翼人と衝突してしまったということらしい。

 もし、この話を才人が聞けば翼人退治など断じて反対しただろう。ザンボラー、シュガロン、ボルケラー、エンマーゴ、人間のむやみやたらな開発のために現れた怪獣は数多い。

 しかしタバサにとっては現地の事情などは関係なく、与えられた任務をこなさなければならない。いつものようにシルフィードの背で本を読みながら、気がついたときにはエギンハイム村の入り口に着いていた……が、そこには予想もしなかった人物が待っていた。

 

「はーいタバサ、遅かったわね」

「!?」

 なんと、村に続く街道のど真ん中でキュルケがにこにこしながら待っていて、これにはタバサも一瞬自分の目を信じられずに立ち尽くしてしまった。

 が、人違いなどでは断じてない。あの見事な赤毛と、開けっぴろげな笑顔はキュルケ以外の誰でもない。

「どうしてここに?」

 一応無感情を装って尋ねるが、内心は心臓の鼓動が通常の三倍ほどになっていた。

 対して、キュルケはそんなタバサの動揺を知ってか、してやったりとばかりに実に愉快そうに笑って言った。

「うふふ、実はあたしのフレイムがあなたの手紙をちょっとね。それで、あんたはどうせリュティスを経由して向かうだろうから、先回りさせてもらったというわけよ。まあ、馬でシルフィードに追いつくのは難しかったから、ほんとはギリギリ先に着いたんだけどね」

 見ると、そばには息を切らせている馬がつながれている。一昼夜かけて先回りしてきたとはたいしたものだけれど、任務を抱えているタバサにとっては正直ありがた迷惑である。

 だが、仮に帰れといったところで大人しく聞くような相手ではないことは分かっているし、帰るような相手なら最初からわざわざこんなところに来たりはしない。こんなことなら、ラグドリアン湖のときに無理にでも断っておけばよかったかもしれない。

「……今度だけだからね」

 しぶしぶ同行を認めると、キュルケは「勝った」といわんばかりに拳を握って、地球で言うガッツポーズに似たポーズをとって見せた。まるで男の子のような仕草であるが、そこからも奇妙な色気を感じるのが彼女のすごいところだ。

「そんじゃ、さっさといきましょーよ。あたしもあんたも成績は問題ないけど、あんまりサボると出席日数が足りなくなるからね。そりゃ別にいいけど、ヴァリエールの人間を先輩と呼ぶのは不愉快だもんね」

 そのとき、魔法学院の教室でピンク色の髪をした少女がくしゃみをしたかどうかはさだかでない。

 火系統のキュルケのせいで山火事になったら、結局わたしが後始末することになるんだろうなと、タバサは重苦しい気分が湧いてきて、仕事の前からげっそりと疲れが来た。

 それでも仕事は仕事だ。タバサはのしのしと歩くシルフィードを連れて、『エギンハイム村へようこそ』と消えかかった文字の記された看板の横を通って、ぽつぽつと小さな家の点在する村の中へと入っていった。

 

 しかし、彼女達が村に入った瞬間、どこからか天に向かって一条の光が放たれ、天からその光が無数の粒子となって再び舞い降りてきたとき、エギンハイム村とその周辺の森を見えない壁が取り囲んでいたのだった。

 

 

 村に入った二人と一匹は、まず現地の詳しい事情を聞こうと村長の屋敷に向かった。途中村人にシルフィードの姿を見られて、竜が来たと騒ぎになりかけたものの、ガーゴイルだといって騒ぎは治まった。

「領主様に翼人退治のお願いを出しても、ナシのつぶて。すっかりあきらめておりましたが……なんとお二人も、しかもあんなご立派なガーゴイルまで率いて!! いやもう感激で言葉もありません」

 村長はぺこぺこと頭を下げて、一行をもてなした。

 その喜びようは、タバサはまだしもキュルケがひくほどであったけれど、傍目から見たら年端もいかない子供にしか見えない二人に、村人達は疑念の目を向けていた。

 ちょっと耳を澄ませば、どう見ても子供じゃないか、あんなんで大丈夫なのか? などの声が聞こえてくる。

 ここで自制を知らない短気な三流メイジなら杖を振るうところだが、能ある鷹は爪を隠すものだ。二人とも聞こえないふりをして、村長から情報を得ようと話を続けさせようとするが、村長は話よりも先に食事の準備をさせはじめた。

「ささ、騎士様、少ないながらもおもてなしの用意もいたしました。今日はお体を休めて、明日からでもさっそく取り掛かっていただきたく存じます」

 なにか、どうも村長の様子がおかしい。待ちに待った騎士が来てくれてうれしいのはわかるが、それにしても大げさな気がする。また、こんなに早くもてなしの用意ができているのも不自然だ。

 だがそのとき、家の扉が乱暴に開けられ、息を切らせた村の男が部屋の中に飛び込んできた。

「そ、村長!! 大変です、また雇ってきた傭兵メイジが殺されました!!」

 空気が一瞬にして凍りつき、タバサとキュルケの目が鋭く村長とその男に注がれる。

「どういうことか、説明していただきましょうか?」

 

 

 それはタバサたちが到着する数十分前のことだった。村から離れた森の中では、村人に雇われた傭兵のメイジが案内役の村人を数人連れて、翼人の住むというライカ欅の森の中に足を踏み入れていた。

 年齢で四十をとうに超え、数々の実戦を積んできたと見えるその男は近寄りがたい雰囲気を撒き散らしながら森の奥へと進んでいた。だが、あるところで森の奥からとてつもない殺気を感じて立ち止まり、杖を向けた。

「出て来い、そこに隠れているのは分かっている!!」

 だが、返答は森の藪の中から放たれてきた一閃の光の矢だった。彼は優れた動体視力でそれをかわしたけれど、その後ろに立っていた木が直撃を浴び、真っ二つにへし折れて森の中に轟音を響かせた。

 村人達がパニックを起こして、右往左往し口々に意味のない言葉を叫ぶ中、熟練のメイジはそれを聞き流し、目の前にいるであろう敵に意識を集中した。

 これが翼人とやらが使う先住魔法か……その男は、充分に用心しながら攻撃の来た方向を見定めて、自身の系統である風の魔法、『エア・スピアー』を放った。

 うっそうとした木々と草やつたが切り捨てられて宙に舞い上がる。命中したなら人間の胴体くらい簡単に貫く攻撃を次々に見えない敵に放つも、手ごたえはなく逆にまた別の方向から光の矢が襲い掛かってきた。

 敵は一人だな。攻撃をかわしながら、その男は経験からそう判断した。もし複数体いたならば、最初の攻撃で十字砲火を浴びせてくるか、こちらが攻撃してきたときに別方向から撃つはず。こそこそ隠れながら遠巻きから狙い撃ちにしようとはセコイ奴だな……そういうことならばと、彼は『エア・スピアー』の詠唱をしながら、周辺の気配を感覚を研ぎ澄ませて探した。

 さあこい、撃ってきたならその瞬間特大の『エア・スピアー』で粉砕してくれる。避ける隙は与えない、彼は己の勝利を確信した。

 けれども、破滅は彼にとって何の前触れもなく訪れた。

 周囲360度全てに注意を払っていたというのに、彼の全身は突然炎に包まれた。

「な、何が!?」

 急速に闇に閉ざされていく意識の中で、彼の目に最後に映ったのは、悲鳴を上げて逃げていく村人達の姿、そして己の頭上に悠然と浮かんでいる、見たこともない白色の円盤の姿だった。

「ファッファッファ……」

 燃え尽きようとしているメイジの死骸に、人間のものとは思えない不気味な笑い声が降りかかったのは、そのすぐ後のことだった。

 

 

 その話を村人から聞き終わったとき、タバサとキュルケはふぅと息をついた。

「つまり、いつまで経っても王宮が騎士をよこさないから、自分達で流れメイジを雇ったことを悟られまいと、時間稼ぎをして引きとめようとしたわけね」

 キュルケが言ったことに、村長は冷や汗を浮かべてうなづいた。

 彼は、このことが花壇騎士に知られればきっとお叱りを受けるだろうと思い、慌てて隠そうとした。どうかこのことは内密に、王宮から睨まれたらこんな小さな村、あっというまにつぶされてしまうと必死に訴えた。

「はぁ、別に心配しなくてもそんな告げ口みたいなことしないわよ。それよりもタバサ、そのやられたってメイジ、聞くところによるとトライアングル程度はありそうだけど、どう思う?」

 トライアングルといえば自分達とほぼ同じ、しかも年を経ていたということは自分達よりも実戦経験は豊富なはず、それが手もなくやられるとは翼人とはそれほどまでに強いというのか。

 しかし、タバサはどうもひっかかるものを感じていた。

「……そのときの話、もう一度聞かせて」

 念には念という、そのトライアングルメイジの倒されたときの話をもう一度聞きなおし、タバサは不審が確信になっていった。

「この中で、そのときに翼人の姿を見た者はいるの?」

「い、いえ。あのときはもう恐ろしくて、じっくり観察している余裕はとても」

 他の者も一様に首を振った。

「じゃあ、翼人達が使うという先住魔法を見たことがある人は?」

 これには数人が手を上げた。

 それによると、翼人達の先住魔法とは、人間のメイジ達の四系統魔法とはまったく違い、自然そのものをコントロールする。例えば風が吹くと言えば風が吹き、草木が動いて敵をからめとると言えばそのとおりになるといったふうに、この程度聞いただけでも相当にやっかいなものに聞こえる。なにせほとんど万能に近いのだ。けれど、話が読めないキュルケはタバサにその意図を尋ねた。

「どういうこと、タバサ」

「先住魔法の実物を見たことはないけど、一応本で読んだことはある。全部がそうとは言えないけど、先住魔法は自然そのものを操る……けれど、そのメイジを倒した光の矢というのは、むしろわたしたちの魔法に近い。というより……」

 タバサはそこまで言って言葉を切った。人間を一瞬で焼き尽くすほどの光の矢、才人の持っていた破壊の光の光線みたいだなと、そんなことありえないと思ったからだ。

「そういえば、"また"とも言っていたわね。まさか、これが初めてじゃないんじゃないの?」

「うっ、は、はい」

 村長からさらに聞き出すと、これまでにも三人、今回も合わせれば四人もの傭兵メイジが森の中で焼き殺されてしまったという。しかも、念のため聞いてみれば、その全てに翼人を見た者は一人もいなかった。

 このときタバサは、まさかこれがジョゼフがわざわざわたしをここに派遣させた理由かと勘ぐった。しかし、まだ判断するには証拠が足りない。

 タバサは杖を掲げると、有無を言わさない口調で一言言った。

「案内して」

 

 

 翼人達の住まうという森は、エギンハイム村から歩いておよそ三十分ほどのところにある。樹齢何百年かになろうというライカ檜は天高くそびえ、まるで自分達が小人になってしまったかのようにさえ錯覚できた。

「もう、まもなくでさあ」

 案内役として二人を先導しているのは、村長の息子だという体格のいいサムという男と、その弟だというヨシアという、兄とは正反対にやせっぽちの少年であった。本当なら、村長はもっと護衛をつけようかと言ってきたのだが、翼人を相手にして魔法の使えない者では戦力にはならないと断ってきた。それゆえ、彼ら二人も翼人に余計な警戒心を与えないために武器は携帯していない。

 さらに、今タバサとキュルケはメイジの証であるマントを脱いで、借りてきた粗末なポンチョをかぶって身分を隠していた。これも当然、メイジが近づけば翼人達が警戒するからだ。先住魔法の使い手と、いきなり真正面から激突するのは二人の実力でもかなり厳しい。

 なお、杖はキュルケのは懐に隠せるが、タバサのスタッフと呼ばれるタイプの杖は彼女の身の丈以上あるために、ぼろきれを巻いてごまかしてある。大抵のメイジは杖のデザインにもこだわるからだ。ギーシュはいきすぎだが。

「ところで騎士様、あの竜のガーゴイルは?」

 無言でタバサは杖で空を指した。シルフィードの巨体では森の中では動きづらい。上空からの見張りが今回は精々というところだ。

 そして、彼女達四人は間もなく翼人達の住処だという場所の近くまでやってきていた。

 だが、そこでタバサは立ち止まると、道の真ん中にくすぶっている白い灰の塊に目をやった。

「殺されたメイジね」

 今や哀れな燃え滓となってしまった名も知らぬメイジの亡骸を、キュルケは目を細めて見下ろした。

 そのときタバサは研ぎ澄ませた戦士の勘で、周りの様子をうかがっていたが、気配が無いことから、どうやらこのメイジを倒した相手はすでに立ち去った後であると判断して、自分も死体の検分に加わった。といっても、ほとんどが燃え尽きて灰となっているために、もはやわずかな服の切れ端さえなければ、これが人間の灰だと判断することさえ難しいありさまだったが。

「相当な高熱で焼き殺されたみたいね」

 炎の専門家であるキュルケは、灰の様子からそう分析した。骨すらろくに残っていない、やったことはないが自分が人間を焼いたとしても人の形の炭は残るだろう。

 それを聞いて、タバサはさらに疑念を深くした。

「やっぱりおかしい。森の住人である翼人は炎を嫌うはず……」

 当然、山火事を恐れるからだ。それがこんなスクウェアクラスの炎を森の中で使うか?

 だが、それを見ていたヨシアが耐え切れなくなったのか、口に手を当ててつぶやいた。

「ひどいですね……」

 確かに、もはや見る影もない。元々流れ者の傭兵メイジ、弔う者もいないだろう。けれど、その言葉を聞いたサムは激昂して怒鳴った。

「ああ、確かにひでぇさ!! あの羽根つきの化け物どもは、俺達の食い扶持をつぶしてくれるだけじゃなくて、人間なんざ地面を這いずる虫けらみたいに思っちゃいねえ、だからこんな残忍なことができるのさ」

 その吐き捨てるような言葉に、タバサは反応を示さなかったけれど、キュルケはわずかに眉をしかめた。しかし、二人よりも激しくその言葉に抵抗を示したのは、弟のヨシアのほうだった。

「兄さん、そんな言い方をしなくても!! あの森に最初から住んでいたのは彼らだし、いきなり矢を射掛けて追い払おうとしたのはぼく達のほうじゃないか」

「あのなあヨシア。空を飛んでるってことは、あいつらは鳥だ、鳥に矢を射掛けて落として何が悪い!?」

「そんな! 翼人は人の言葉も話すし、翼があること以外ぼくらと変わらないじゃないか、同じ森に住む仲間だよ!」

 その言葉がサムの逆鱗に触れたようだった。

「仲間だと、ふざけんな! 仲間ってのは村に住むみんなのことを言うんだ!」

「で、でも……」

「森に住んでりゃ仲間だあ? 甘っちょろいこと言ってんじゃねえ!! てめえは俺の弟だろうが、村長の息子だろうが、てめえが村のみんなの生活を守らなかったら、いったい誰が守るっていうんだ!!」

 激昂したサムはとうとうヨシアを突き飛ばした。体重差が倍以上あるヨシアはとうてい耐えられずに地面に転がってしまい、サムはそんな弟を見下ろして何かを察したのか。

「おめえ、まさかまだあの翼人と……」

「……」

 唇を噛み締めたまま返事をしないヨシアに、さらに掴みかかろうとするサムを見て、ついにキュルケが止めに入った。

「はいはい、あなたたちそこまでよ。兄弟げんかはあとにしてちょうだい」

 杖を差し出して見下ろしてくるキュルケに、サムもようやく怒りを収めて手を引いた。貴族の怒りを買うということは、ハルケギニアではそれだけでも生死に関わることだからだ。

「も、申し訳ありません、お見苦しいところ見せちまいまして。ほらおめえも謝らねえか!!」

 けれどヨシアはうなだれたままで、声を出すことはなかった。そんな弟の態度に、サムはもう一度首根っこを押さえようとしたが、ヨシアの顔を覗き込んだキュルケがそれを止めさせた。

「ふーん、自分は絶対間違ってないって、そんな目をしてるわね。そりゃ謝れるわけもないか」

 答えないヨシアに、サムは冷や冷やとしていたが、キュルケは柔らかに微笑んで言った。

「平民でも、腹の座った男は嫌いじゃないよ。貴族でも、口先ばっかの男どもよりはね」

「え?」

「なーんでもないよ、ほらさっさと前歩きな。あんたの仕事は道案内だろ」

 背中を押して前に出してやると、キュルケは面白そうに笑った。

 前で待っていたタバサも、早くしろとばかりにこっちを見ている。気を取り直して先導しなおしながら、サムとヨシアは、キュルケの気さくな態度に、これまで村に来たメイジはいばってばかりいて、何かにつけて杖を向けて脅かしてきたのにと驚いていた。

 

 けれど、進んだ先で待っていたのは、さらに前に殺された三人のメイジの灰の山だった。

 タバサはその度に立ち止まってそれを検分していたが、やがてひとつの共通点があることに思い至り、確認のためにサムを呼んで尋ねた。

「貴族様、何かわかったんで?」

「……彼らの杖は、あなたたちが回収したの?」

 実は、殺されたメイジの遺留物には必ずあるはずの杖がどれ一つとして残っていなかった。一人や二人ならいっしょに燃え尽きたとも考えられるが、四人全員ともとは思いづらい。第一戦闘を生業とする傭兵メイジの杖は杖破壊を狙ってこられるのに対処するために、金属製の燃えにくいものを使うことが多いのだ。

 そしてサムの答えはタバサの思っていた通りのものだった。

「へっ? いえ、貴族の旦那方でもやられるようなときには、俺達はもう逃げるのに必死で、そんなことをする奴はいねえはずですが」

 サムは、杖がないからなんなんだと不思議そうにしていたけれど、杖はメイジの命、恐らくは犯人が持ち帰ったのだろうが、果たして翼人がそんなことをするだろうか?

 だがそのとき、先を見に行っていたキュルケが声をあげてタバサを呼んできた。

「タバサ、こっちでも一人やられてるわよ!!」

 急いで駆けつけてみると、そこには言われたとおりに、また一人分の灰が横たわっていた。しかし、よく見るとそれは人間のものではない。周囲には無数の羽が散乱し、傍らには長さ二メイル近い翼が一枚落ちている。

「これは……翼人の死骸だ」

 ヨシアが口元を押さえながらそう言った。

「どういうこと? メイジと翼人が同じ方法で殺されてるなんて」

 キュルケも、そろそろ事の不自然さに気づき始めたみたいだ。翼人への憎しみによって目にフィルターがかかってしまっているサムはともかく、ヨシアもキュルケに同意してうなづいた。

 しかも話はこれだけでは済まなかった。さらに周りを調べてみたところ、同じような翼人の死骸がいくつも見つかったからで、さらにそれらの死骸にもメイジ達と同じく、一つの共通点があった。

「……みんな、片方だけ翼がない」

 その翼人の死骸はほとんどが翼だけは焼け残っていたが、どれも右の翼だけ見つからなかったのだ。

 これらのことから導き出される仮説は一つ、しかしタバサがその結論に達したとき、突然頭上からいくつもの大きな羽音が降りかかってきた。

 

「出た、翼人どもだ!!」

 サムが驚き慌てて後ずさると同時に、彼らの目の前に三人の翼が生えた若い男女が下りてきた。

 その姿は翼があること以外はほぼ人間と同様だが、身につけたものは一枚布を巻きつけただけの極めて簡素なもので、人間とは文化的に違いがあるのは分かる。

「去れ、人間どもよ」

 開口一番、先頭に立った翼人の男が言った言葉がこれだった。他の者達もほぼ無表情で、無防備に両手を下げたまま、こちらを見下している。いつでも、やろうと思えば倒せるという自信の現われであった。

 彼らは、こちらが答えずにいると、森の出口のほうを指差してもう一度言った。

「去れ、我らは争いを好まない。それに、精霊の力を貴様らごときに使いたくはない」

 どうやら実力行使に訴えてこないところを見ると、こちらがメイジであることには気づいていないらしい。偶然森に迷い込んだ旅人とでも見えているのだろうか、この小汚い変装も役に立ったというわけだ。

 と、なれば……今のうちにその優位を最大限に利用すべきだろう。

「どうする? タバサ」

 キュルケがほかの者には聞こえないように小声でした問いに、タバサは杖を隠すような仕草で答えた。つまりは、情報を得ることを優先するということらしい。不安要素を抱えたままでは、後の不測の事態に対処できないかもしれないからだ。

「精霊の力とは、何?」

「お前達に説明してもわかるかどうか、この世の万物には全て精霊の力が宿っている。それらを借りるものだ」

「ここに来るまでに、多くの焼け死んだ死体を見たけど、あれもその力?」

 その瞬間、翼人達の目つきが変わった。

「口に気をつけよ、我らは火を好まぬ。森に生きる我等の生に相反するものだからな。しかし、最近この森に何者とも知れぬ強い"力"を持った者が入り込み、我等の同胞を無差別に殺戮している。お前達がそのようなものとは思えぬが、我等の地を汚そうというなら容赦はせぬ」

 やはり……とタバサとキュルケは合点した。何者かはわからないけれど、ここには村人でも翼人でもない第三者が潜んでいる。ジョゼフがわざわざタバサを指名してきたのは、その何者かに始末させる気なのか? いや、ただ暗殺するなら他に方法はいくらでもある。まだ何か、隠された秘密があるのか?

 タバサは翼人を刺激しすぎないようにして、さらに話を引き出そうと考えた。

 けれど、恐怖といらだちで興奮していたサムが、つい二人をけしかける言葉を口にしてしまった。

「貴族様、さっさとあいつらをやってしまってくださいな!!」

「あっ、馬鹿!!」

 キュルケが止めても、もう手遅れだった。翼人たちも貴族と呼ばれる人間達が魔法を使うということは知っている。それまでの余裕の態度から一転して、身構えて臨戦態勢をとってきた。

 こうなれば、もう隠していても仕方ない、タバサとキュルケも変装を脱ぎ捨てて杖を手にする。

 先手必勝、タバサとキュルケが同時に最速詠唱で攻撃を仕掛けた。

『エア・ハンマー!!』

『ファイヤー・ボール!!』

 どちらも威力は低めだが素早さはある。先住魔法とやらがどれほどかは分からないが、どれだけ強力でも使う前に倒すことができれば関係ない。

 しかし、二人の読みは甘かった。二人の放った魔法は命中するかと思った瞬間、まるで彼らの体を避けるかのように軌道を変えると、後ろの巨木の幹に命中して、大木の表皮を少しはがして焦がして終わってしまった。

「空気は蠢きて、我にあだなす風と炎をずらすなり」

 それが翼人が魔法が当たる前にたった一言だけつぶやいた『呪文』であった。

 そして彼らは今度は二人が同時に別の呪文を口ずさんだ。

「我らが契約したる枝は、しなりて伸びて、我に仇なす輩の自由を奪わん」

「枯れし葉は契約に基づき、水に変わる力を得て刃と化す」

 呪文が唱え終わるのと同時に、周囲の木の枝が鞭のように伸びて迫ってき、さらに周りの枯れ葉が舞い上がったかと思うと、瞬時に手裏剣のように硬く変化して飛んできた。

「これが先住の、森の悪魔たちの魔法……」

 サムは次々に起こる信じられない出来事に放心して、逃げることもできずに突っ立っていた。

 けれどもタバサやキュルケはそうではない。

『ウィンドカッター!!』

『フレイム・ボール!!』

 キュルケの火炎弾がタバサの風で拡散して木の葉を焼き尽くし、風はその勢いのままに近づいてくる枝を切り払った。

「ぬぅ……」

 翼人たちの口からうめきが漏れた。この二人の若いメイジが見た目以上に強敵であることを見抜いたのだ。

 どちらも、簡単には仕掛けられずににらみ合いが続いた。両者の間合いは十メイル少々、魔法使いにとっては一足一刀の間合いに等しい。下手に先に手を出せば返しを喰らう恐れがあるからだ。

 緊張と沈黙が続く……だが、その静寂は頭上からの悲鳴のような声で破られた。

「やめて! あなたたち! 森との契約をそんなことに使わないで!」

 思わず空を見上げると、長い亜麻色の髪をした若い女性の翼人が、ゆっくりと降りてきていた。白い一枚布の衣を緩やかにまとい、翼を広げて降りてくる姿は神話の女神のように神々しく見えた。

「アイーシャさま!」

 翼人たちは、突然のことにうろたえてタバサ達から気を離してしまった。その隙を見逃さずに、タバサは攻撃をかけようとしたが、いきなり後ろから杖をがっしりと掴まれた。

「お願いです! お願いです! 杖を収めてください」

 ヨシアがそのやせた体のどこから湧いてくるのかと思うほどの力で、タバサの杖を押さえつけていた。

 また、アイーシャと呼ばれた美しい翼人も、大仰な身振りで仲間達に手招きする。

「引いて、引きなさい! 争ってはいけません!」

 その必死の呼びかけに、タバサ達と向かい合っていた翼人達も戦意をそがれ、仕方なく共に顔を見合わせていた……だが、やがて力を抜いて、周辺でざわめいていた森の音もやんだ。

 キュルケのほうは、それらの様子を唖然として眺めていたけれど、ヨシアとアイーシャの懸命ぶりを見て、やれやれと杖を収めてタバサに言った。

「やめましょう、これ以上続けたらわたし達が悪者になっちゃうわよ」

「……」

 タバサは無言のまま、キュルケがそう言うならばと杖を握っていた力を緩め、それを感じたヨシアもようやくタバサの杖から手を離した。

 そして、両者共に戦意がなくなったのを確認すると、やっと森に元の静けさが戻ってきた。

 安心したように、ヨシアは翼人の一行を見つめ、アイーシャも切なげにその視線に応え、二人の間に不思議な空気が流れた。

「なるほど……そういうことだったのね」

 タバサは気づかなかったようだが、キュルケはその二人の雰囲気に、自分のよく知った匂いを感じ取っていた。

「さて君……さっきからどうも翼人の肩を持つと思ったらそういうことだったのね。まったく、大人しそうな顔してて意外と隅におけないわね。そっちのお嬢さん、あんたのアレでしょ?」

 そのものずばりの図星をキュルケに当てられて、ヨシアは思わず顔を真っ赤にしてうなだれ、聞こえていたアイーシャもうつむいてしまった。まったく、どこかの主人と使い魔みたく分かりやすいカップルだ。

 けれど、ヨシアは一度大きく深呼吸して気を落ち着かせると、勇気を振り絞るように思い切って言った。

「お願いです! 翼人達に危害を加えるのを……やめてください!」

 そのヨシアの必死の訴えに、サムは怒鳴りつけようとしたがキュルケが手を振って止めさせた。だが、この任務の責任者であるタバサの顔に目を向けると、タバサは無言で首を横に振った。

「そんな、どうして!?」

「任務だから」

 短く言い捨てるタバサに、ヨシアはつらそうな顔を向け、翼人達もまた戦闘体勢をとった。

 アイーシャはもう一度止めようとしているが、彼らも仕掛けてくるのでは迎え撃たねばと、もう治まる様子はない。

「キュルケ……」

「わかってる……」

 タバサとキュルケは軽く目配せをすると、それで全てわかったとばかりに呪文の詠唱を始めた。

 ヨシアは二人を止めようとするものの、サムが羽交い絞めにして押さえつける。

「やめて! やめてください!」

「おめえはいい加減にしろ! こうなったらもう後戻りできねえんだ!」

 風と炎の力が盛り上がり、力となっていく。

 翼人達も、これが先ほどよりはるかに強力な攻撃だと悟り、万全で迎え撃とうと風の精霊の力を結集させる。

 もはや、この激突を避ける術は何もないかに思われたとき、タバサとキュルケはそれぞれ同時に魔法を放った。

『ウィンディ・アイシクル!!』

『フレイム・ボール』

 巨大な氷雪の嵐と、巨大炎弾が同時に放たれる。タバサの十八番と、先ほどより魔力を強く込めたキュルケの得意技が雪山の火砕流のように、怒涛となって驀進する。

「なに!?」

 しかし、翼人達は自分の目を疑った。攻撃の威力にではない。これだけの威力ならば、苦しくはあるが風の力で受け流しきることも不可能ではない。

 攻撃は、彼らにではなくその左手の茂みのほうへと撃ち込まれたのだ。

「何のつもりだ!? 人間よ」

 驚いた翼人は思わず自らの敵に問いかけた。

 だが、タバサとキュルケはそれに答えず、切り裂かれ、炎と煙に包まれる森の一角から目を離さない。

「危ない!!」

 そうキュルケが叫び、右と左に飛びのいたとき、彼女達のいた場所を青白い光の矢が走り、その後ろの木に命中して派手な爆発を起こした。

「ようやく、影でこそこそやってた小心者が出てきたみたいね」

「うん」

 地面に転がりながらも体勢を立て直し、いまだ燃え盛る藪に向かってキュルケは叫ぶ。

「出てきなさい!! そこに隠れてるのはわかってるわよ!!」

 杖を指し、炎が渦巻くなかへ声が吸い込まれていった。

 そして、数呼吸分の間がおかれたとき。

 

「ファッファッファ……」

 

 突然、炎と煙の中から人間のものとは思えない聞き苦しい声が響いたかと思うと、その中から揺らめくように人影が歩み出てきた。

「なっ、なんだあいつは!?」

 サムとヨシアだけでなく、アイーシャや翼人達も現れたその姿を見て愕然とした。

 まるで肉食昆虫のような顔には横に幾本も伸びた牙が生え、青く瞳のない目は鋭くガラス球のように鈍く光り、頭の先端にはサソリの尾のような触角がついている。

 こいつこそ、血も涙もない悪魔のような星の住人と恐れられる、凶悪な宇宙の狩人、極悪ハンター宇宙人、ムザン星人であった。

 

「フフ、フォァッ!」

 奴は、自分に向かって身構えているタバサとキュルケを見据えると、その頭部の触角から殺人光線を撃ち放った!!

 

 

 続く



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第39話  タバサの冒険  タバサと神の鳥 (そのⅡ)

 第39話

 タバサの冒険

 タバサと神の鳥 (そのⅡ)

 

 極悪ハンター宇宙人 ムザン星人

 バリヤー怪獣 ガギ 登場!

 

 

「危ない!!」

 ムザン星人の放ってきた破壊光線が、タバサの頭上スレスレを掠めていった。

 外れた光線は、そのまま大人一抱え分ほどもある木立に命中し、それを爆砕した後炎に包んだ。

「あれが、あいつの武器……」

 タバサはたった今目にした怪物の威力に、表面上は平静を保ったまま、内心では慄然としてつぶやいた。

 奴の頭頂部の触角から放たれる光線は、細いながらもすさまじい威力を持っている。当たれば、それこそ人間の体などあっというまに灰にされてしまうだろう。

「ファッファッファッ……」

 雇われたメイジ達を全滅させ、翼人達をも多数殺害したであろうその光線を武器に、ムザン星人は余裕の足取りで迫ってくる。自分の強さに相当な自信があるか、こちらの実力を相当低く見積もっているのか、こちらのプライドからすればまず前者と考えたいところだが、すでにこいつによって四人の熟練のメイジと多数の翼人が殺害されていることを考えれば両方とするのが妥当だろう。

 タバサとキュルケはどちらも、自分が誰よりも優れたメイジだなどという自惚れとは無縁な自己評価をしていたが、ほとんど無防備な様子で首だけを回して光線を撃ってくる相手には、いささか不愉快さを禁じえなかった。

「き、貴族様。なんなんですかあの化け物は!?」

 蚊帳の外に置かれていたサムがヨシアを押さえつけた姿勢のまま、悲鳴のように叫んだ。

「あいつがメイジ殺しの真犯人よ。邪魔だからあんた達は下がってなさい!!」

 戦闘に巻き込んでは、身を守る術を持たない平民はひとたまりもない。キュルケに怒鳴られて、サムはヨシアを抱えて走っていった。

 けれど、もう一方の被害者達である翼人達は、人間達以上に卑劣な侵入者を追い出そうと攻撃を始めた。

「木の葉は刃となりて、我らに仇なす敵を討つ」

「敵を討つ」

 先ほどタバサ達に向けた先住魔法が今度は星人に向かって放たれる。

 舞い上がった無数の木の葉がカミソリのように鋭くなって星人へと襲い掛かった。しかし、星人は当たる前に人間を大きく超えた跳躍力を発揮して、軽々とライカ欅の高い枝の上へと跳びあがって避けてしまった。

 けれど、先住魔法にとっては自然全てが武器に等しい。避けた先の木の枝が触手のように変形し、星人の足を絡めとって動きを封じた。

「フッ? ファファファ……」

 だが、動きを止められたというのに星人は余裕のままで、あざ笑うような声を発し、光線を今度は翼人の一人に向けて放ってきた。もちろん、向けられた翼人は風の防御の壁を張り巡らせようとしたが。

「空気は蠢きて……」

 彼はその詠唱を完成させることはできなかった。確かに風の防壁は彼の周りに張り巡らされたが、光線は空気の防壁を無視するように貫通し、彼を一瞬にして炎に包んでしまったのだ。

「なっ!?」

「ロメル!!」

 あっというまに灰に変えられてしまった仲間を見て、仲間の翼人達が愕然とうめきを漏らした。

 もちろん、タバサとキュルケも先住魔法の使い手を簡単に始末してしまった星人の力に戦慄を禁じえない。風の防壁は吹雪や炎は逸らすことはできても、光までは動かすことはできなかったのだ。

『ジャベリン!!』

 今なら当たるかもと、タバサは星人へ向かって氷の槍を放った。だが、術をかけていた翼人が死んだために星人の拘束も解け、奴はまた跳躍してそれをも避けてしまった。

「フフフ……」

 着地した星人は、燃え尽きた翼人の死体に歩み寄ると、燃え残っていた、いや、恐らく故意に燃え残るように加減したのだろう、彼の翼の右片方だけをつまみ上げると満足そうに笑った。

「なんてことを……」

 死者を平然と辱めるような行為に、アイーシャは戦慄した。今まで森に攻め込んできた人間達の悪意を大勢目にしてきたが、この怪物は殺戮そのものを楽しんでいる。

 また、タバサとキュルケも今の行為でこの怪物が殺戮を繰り返してきた理由を悟った。

「……あいつは、狩りを楽しんでいる」

 いわば、人間が猛獣の牙や剥製を求めて奥地に入っていくようなものだ。翼人からは翼、メイジからは杖を戦利品として奪い取る。あの光線はライオンが銃の前には無力なように、人間や翼人には防ぎようのない恐るべき武器だ。

「けど、いくら強い武器があるからって、それだけで勝てるとは思わないでね!!」

 そう言うと、二人は分かれて星人の左右から挟み込もうとした。あの光線は確かに脅威だが、一方向にしか向けられないのでは二人同時の攻撃には耐えられまいと考えたからだ。

 さらに、残った二人の翼人も仲間の仇とばかりに呪文を唱える。

「木の根は契約に従いて、我らに仇なす者を貫く槍となる」

 いまや、四方から強力な術者に囲まれて、星人の逃れる術はないように思われた。

「ファファファ……!」

 だが、星人は平然と戦利品の翼を担ぎながら、聞き苦しく喉を鳴らして立ち尽くすだけ。逃げ場もなく、今にも一斉攻撃が迫っているというのに身じろぎもしない。仮に跳躍して逃れようとしたところで、空中では狙い撃ちに会うだけだ。歴戦の狩人がそれもわからないとは、いくらなんでもおかしい。

 これは罠か!? そうタバサとキュルケが思った瞬間、頭上からシルフィードの声が響いた。

「お姉さま!! 危なーい!!」

 その声に、思わず上を見上げたタバサとキュルケは、そこにあったものを見ると反射的に後ろに飛びのいた。次の瞬間、彼女達のいた場所を"頭上から"の殺人光線が襲って、地面をえぐって爆発を起こした。

 だが、攻撃のために地中に意識を集中していた翼人はその攻撃に対処しきれずに炎に包まれてしまった。

「シャベラスタ!! イローゼ!!」

 アイーシャの悲鳴が響き渡ったときには、すでに二人は消し炭にされていた。

「あれは、円盤!?」

 かろうじて攻撃をかわしたキュルケは、森の木々の上を遊弋する直径十メイルほどの白色の円盤を見つけた。そいつは羽もないくせに空中を軽々と浮遊し、星人のものと同じ光線を下にいる者達に向けて連射してくる。

「あれが……奴の切り札」

 撃ち下ろされてくる光線をなんとかかわしながら、タバサは奴が包囲されてもなお平然としていた理由を悟った。あんなものに頭上を守らせていたなら、自信を持たないほうがおかしい。

「タバサ、まずいわよこれは!!」

 キュルケも光線を避けるので精一杯で、反撃する余地がない。どんなに鍛え上げた人間でも、頭上は最大の死角なのだ。もちろん、下から狙い撃ちにあう『フライ』での空中戦など論外だ。

「撤退」

「りょーかい。あんたたち、いったん引くわよ!!」

 状況の圧倒的不利を見て、タバサは迷わず逃げを選択した。攻めることしか知らない凡庸な戦士だったら、ここで無理に攻めて全滅していただろう。二人は木陰を利用して、星人と円盤の視線からは見えない場所へと逃れていく。

 戦いを見守っていたサムとヨシアも、頼みの貴族が逃げ出したのを見ると、自分達も尻に帆をかけて走り出した。見え見えな逃げっぷりだけれど、星人はメイジでもない人間には興味もないのか、二人の姿に見向きもしない。

 しかし、翼人であるアイーシャは話が違った。

「ファファファファファ!」

「ひっ!?」

 逃げ遅れていたアイーシャの耳に、星人の邪悪な笑い声が響く。飛んで逃げようとしたが、円盤からの光線が彼女の逃げようとしていた方向で炸裂して逃げ道を塞いでしまう。

「あ、ああ……」

 恐怖に怯えるアイーシャに向かって、星人はネズミをいたぶる猫のように愉快そうに肩を揺さぶりながら迫ってくる。

 そして、星人の触角からついに殺人光線が放たれようとしたとき。

「アイーシャーッ!!」

 ヨシアの絶叫と、タバサの口笛が同時に森に響き渡った。

「きゅいーっ!!」

 その瞬間、天空から青い弾丸のようにシルフィードが急降下してきて、すんでのところでアイーシャの衣を咥えて掠め取っていった。

「ガッ!?」

 いきなり獲物をかっさらわれた星人は驚きとまどったものの、すぐさま振り返って木々の隙間を飛翔するシルフィードに向けて光線を連射する。が、ハルケギニア最速の風竜には簡単には当たらない。

 シルフィードは飛行しながら器用に首を回してアイーシャを背中に乗せると、その後サムとヨシアを拾い上げ、タバサとキュルケも乗せて全速で逃げに入った。

「追ってくる!!」

 当然星人も獲物を逃してはなるまいと、円盤をけしかけて追撃させてきた。頭上から降り注ぐ光の矢をかわしつつ、シルフィードは森の深いほうへと全力で飛ぶ。

 やがて、木々がさらに深く密生し、上空から森の中が完全に見えなくなったころ、ようやく円盤の追跡はやんだ。

 

 

「行ったようね……」

 円盤の気配が完全になくなり、ようやくシルフィードは地上に下りて一行を降ろした。

 生命の危機から解放されてようやくほっと息をつき、地面に足を着くと、アイーシャは救われたことにお礼を言った。

「あの、ありがとうございます。命を助けていただいて」

 そこには何の他意もなく、ただ純粋な感謝の念だけがこもっていた。

 タバサは何も顔色を変えなかったが、キュルケはにこやかに微笑み、ヨシアは今にも泣き出しそうなほど感激に顔を歪ませている。

 けれど、サムだけはそんな態度が気に入らなかったのか「ふざけるな!!」と怒鳴ろうと一歩前に出ようとしたところで、キュルケに肩を掴まれた。

「よしなさいよ、無粋な真似は」

「け、けれどもよ。騎士様達は、翼人どもを征伐しに来たんじゃないんですかい?」

「現場の判断は臨機応変にするものなのよ。第一、そういうことにこだわるんなら、貴族に向かって命令がましく要求する生意気な平民を、この場で火あぶりにしてもかまわないのかしら?」

 サムの顔から血の気が引いた。貴族を怒らせるということが、どれほど恐ろしいことか思い出したからだ。

 しかし、サムが大人しく引っ込むと、キュルケはまたいつも通りの人懐っこい仕草に戻って、ヨシアの背中をアイーシャに向かってとんと押した。

「ほら、ぼんやりしてないで、うれしいなら二人で思いっきり喜びなさい」

 線の細いヨシアの体は簡単に押されて、アイーシャの胸のなかに思いっきり飛び込んだ。

「わっ!」

「きゃっ!」

 急に抱き合う形となってしまった二人は、普通の男女がそうするように、顔を真赤に沸騰させてあたふたと震えた。そんなうぶな様子がたまらなくおかしく、キュルケは腹を抱えて笑う。

「あっはっはっ、可愛いわね本当に……そりゃ、こんな彼女がいれば身を挺してでも戦いを止めたくなるか。ほんと、いい根性してるわねあんた」

「そんな、ぼくはただ無益な戦いは止めたくて」

「はいはい、照れなくてもいいわよ。それにあなたも、こんないい男そうはいないわよ。やるじゃない」

 ヨシアとアイーシャの両方を見てキュルケは実に楽しそうに笑っていた。他人の恋人を分捕るのが生きがいの彼女だが、それはあくまで上っ面だけの遊びの領域であり、本気で愛し合う者同士に入っていくのは無粋でしかないことを知っている。

 それに、人間と翼人の種族を超えた恋、これほど面白くて後押ししたくなるものはない。

「ね、ね、あなた達いったいどうやって知り合ったの?」

「あ、はい……ぼくがキノコ狩りに行って足を怪我して動けなかったとき、彼女が魔法で怪我を治してくれたんです。先住っていうんだろ、初めて見たときは驚きました」

「先住、なんて呼ぶのはあなたたち人間ね。わたしたちは精霊の力と呼んでるわ。どこにでも、精霊の力は宿っている。それをちょっと借りているだけ」

「そうだ、そうだね。こんなふうにアイーシャはぼくの知らないことを色々教えてくれるんです。そうして、こっそり森で会って話をするうちに、もっとお互いのことを理解しようと考えるようになった」

「そうね。そうしているうちに……」

 二人は、本当にいとおしそうに互いのことを語り合った。

 それを聞きながら、タバサは相変わらず無表情だったけれど、キュルケはまるで大作の歌劇を見終わった後のようにうっとりと頬を染めて感じ入っていた。

「すてき!! なんて熱い恋なんでしょう。あなたたち、そこまで来たらもう絶対にひ孫ができるとこぐらいまで行ってから死になさい。ここまで来ておきながら、愛し合う二人が引き裂かれて終わりなんて陳腐なエンディングは絶対許さないわよ!!」

 まるで自分のことのように、目に炎を燃やしながらキュルケは二人の肩を抱いて言った。どうやら本当に『微熱』にとって種族の差などは些細なことらしい。

 ヨシアとアイーシャは、はじめて自分達の恋の後押しをしてくれた風変わりな貴族に感謝の念を抱きながら、かたわらでじっと見つめていたタバサにもあらためて礼を言った。

「あの、騎士様、先ほどはアイーシャを助けていただいて、本当にありがとうございました」

「ありがとうございます。あなたは命の恩人です」 

「……あなたには、言いたいことがあった。それだけ」

 感情の抑揚が感じられない声でタバサはアイーシャに言った。

「もう分かってると思うけど、わたしはこの森の所有権を翼人から奪取するために派遣されてきた。本来なら、貴方達を討伐するのが、わたしの使命」

「き、騎士様!?」

 突然、なんでそんなことを言い出すのかとヨシアは焦ったが、タバサは息を呑むアイーシャに向かって続けた。

「だから、わたしは正面からの激突になる前に、貴女方のこの森からの退去を願いたい。無用な争いを避けたいのはわたしも同じ」

 それは、任務の成否に自身の存在そのものが懸かっているタバサの最大限の譲歩だっただろう。

 けれども、アイーシャは悲しげに言った。

「それは、できません。この森は我々のはるかな祖先よりお守りしてきた土地です。これだけは、我々も譲るわけにはいかないのです」

 タバサは答えなかった。翼人がこの森を離れないというのなら、それは自身を含めて村との全面戦争になるということを意味する。そうなれば、ほんの数人でも熟練のメイジの小隊に匹敵する翼人何百人と戦わねばならない。

 その戦いで、生き残るかどうかはこの際問題ではないが、どちらにせよ甚大な犠牲が出るだろう。

 それを見かねたヨシアが思い切ってタバサに申し出てきた。

「お願いです!! どうか戦いにするのだけは待ってください。本当なら、この森の木はちょっと高く売れそうだからって目をつけただけで、ここがなければ村の生活ができないなんてことはない、みんな意地になってるだけなんです」

「おいヨシア!! おめえ村のみんなが貧しいままでもいいっていうのか!! それでも村長の息子か!!」

 村長の息子であるサムが、その弟であるヨシアを怒鳴りつける。しかし今度はヨシアも引かなかった。

「貧しいのはぼくだって嫌さ、けれどそのために盗賊の真似事なんてできない。ほんのちょっとの贅沢のために、こうして国中の森がまるはだかになるまで続ける気かい!!」

「なんだと!!」

 激昂して手を上げようとするサムを、キュルケが魔法で身動きを封じる。

「やめなさいってば、口で負けて手を上げるのは自分が悪いって認めるようなもんよ。けどね、ヨシア君、わたし達もね。遊びで来てるわけじゃないから、それだけでは済ませられないの。翼人と争わなくてよくなったから依頼は取り消すって、そう村の総意で決めてもらわなくちゃ動けないのよ」

「それじゃ、ぼくが村の人達を説得します」

「できるの? それに、それができたのなら、なんで今までやらなかったの」

 今度はキュルケも厳しい目つきになって聞いた。生半可な返事は許さない、そういう目に向かってヨシアはきっぱりと言い放った。

「今までのぼくは、勇気が足りませんでした。アイーシャとの絆が壊れるのが怖くて、傷つくのが怖くて、村から仲間はずれにされるのが怖くて……けれど、もう迷いません!! 本当に何もかも失う前に、死ぬ気でみんなと話し合ってみます!!」

 追い詰められた若者が、ついに一枚殻を破って大人になる瞬間を、確かにキュルケは見届けた。

「よろしい、その意気は買うわ。けど、村の人の意識を変えるにはもう一押しいるわね……タバサ、どうする?」

「策はなくもない……けれど、あの怪物がここにいる限り、どのみち村にも翼人にも平和は来ない」

「そうねえ、いったん村に戻ろうにも、あの怪物が待ち伏せしてるかもしれないし。いったい何者なのかしら?」

 そう言いながらも、あの怪物の正体はおぼろげに見えてきていた。亜人とは違う、けれども高い知能を持ち、なおかつ魔法とは違う強力な力を操る。

「宇宙人……」

 才人が言っていた、ヤプールが配下として操るという者達。ミラクル星人のようにヤプールとは関係なく現れるものもいるから断言はできないが、奴もそうやってハルケギニアの外からやって来た者なら、あの強力な光線や円盤も説明はつく。

 まったく、やっかいな仕事を押し付けられたものだ。村人と翼人を和解させる以前に、あいつをなんとかしないことには戻ることすらできない。けれど、今度出くわしたとしたら逃がしてはくれないだろう。さて、どうしたものだろうか……

 だが、そうしてキュルケとタバサが思案にくれていると、アイーシャがよく通る声で二人に言った。

「あの、よろしければこれからわたし達の里にいらっしゃいませんか?」

「え? あなた達の……翼人の住処、とっ失礼、村にですの?」

「はい、今から戻ればどのみち暗くなってしまうでしょう。闇の中では、不意打ちされたら逃れられません。それに、翼人と人間との和解を望んでくれてる貴女方でしたら、招待しても構わないと。いえ、是非いらしていただきたいのです!」

 アイーシャの要望に、タバサとキュルケは顔を見合わせて考え込んだ。そろそろ日が落ち始めるころだし、奴がどれだけ夜目が利くのかはわからないけれど、闇の中での戦いになったらこちらが明らかに不利だろう。

 かといって、いつ襲ってくるかわからない中で野宿など絶対したくない。食糧も持って来ていないし。

「確かに……翼人が集まってるところなら、奴もうかつには襲ってこないでしょうね」

「わかった……案内して」

 結論を出したタバサは簡潔に答えた。キュルケも仕方ないわねとうなづき、ヨシアは当然賛成、サムは躊躇したが、男なら腹を決めろとキュルケに言われて仕方なくうなづいた。

「ま、大人しくしていることね。さて、翼人達の村か、面白くなってきたじゃない」

 そうと決まればよい方向に最大限の期待を向けるのがキュルケのいいところだ。

 また、同じ精霊の力、大いなる意思を信じる者同士ということで、シルフィードも期待の声をあげる。

「きゅい、シルフィも遠い親戚と会うみたいで楽しみなのね。お母様から、翼人の人達は大いなる意思を大切にする立派な人達だって、聞いてたのね」

「へー、そうなの? 人間と亜人達じゃあ信仰が違うって聞いてたけど、別に邪教って感じはしないわよねえ、まあブリミル教にも賄賂をとったりする神官は大勢いるし、人それぞれってことなのかしら……ん?」

「きゅい、どうかしたのね? ……あ」

「……」

 キュルケは、そこで何か大変なことを見過ごしていないかと思った。

 まず、気を落ち着けて考えてみる。えーと、自分が話していた相手は誰だっけか?

 首を回して一人ずつ確認してみる。タバサ、違う。ヨシア、違う。サムでもない。アイーシャも首を振る。

 残ったのは……

 目の前の竜と、赤い瞳が見詰め合う。なぜか汗をかいているように見えるが、気のせいだろうか。

 ああ、そういえば……さっき円盤が奇襲をかけてきたとき、タバサに危ないと叫んだのは誰だったのだろうか。

 もしかして……

「まさか、シルフィードがしゃべるわけないわよねえ……ね?」

「そうなのね、竜がしゃべるなんてことあるわけないのね……」

 気まずい沈黙が場を包む。

「ばか……」

 がっくりと肩を落としたタバサがそうつぶやいたときだった。

「シッ、シルフィードが……」

「竜が、ドラゴンが……」

 ああ、まったく弱り目に祟り目だ。タバサは自分の今日の運勢はどう占おうと大凶に違いないと確信した。

「し、し、しゃべったあーーーっ!!!???」

 タバサ以外の人間三人は仰天してひっくり返った。サムとヨシアは兄弟仲良く腰を抜かして、キュルケも一瞬思考停止に陥ったが、生物学の授業で一応のハルケギニアの幻獣についての知識を持っていた彼女は、その中から今では絶滅したと言われている、ある種族の名前を思い出した。

「タバサ……まさかシルフィードって……韻竜なの?」

 その質問に、タバサは深くため息をついた後、そのとおりだと首を縦に振った。

 けれど、平民である兄弟はそんなことは知らない。恐る恐る「韻竜とは何ですか?」とキュルケに尋ねた。

「伝説の古代竜よ。知能が高く、言語感覚に優れ、先住魔法を操る……見るのは初めてだけどね。まさか、あんたがそんなすごい奴だったとはね」

「きゅい、それほどでもないのね。しゃべれるくらいたいしたことないの、シルフィの父さま母さまなんか、それはもう大きくて立派で、魔法の力もものすっごくて……」

 と、そこまで言ったところでシルフィードはタバサが鬼のような目で睨んでいるのにようやく気づいた。理由は明白、人前でしゃべらないという禁を破ってしまったため、他に考えられない。

「シルフィード? わたしの言いたいこと、分かる?」

 口調は穏やかで、顔つきもいつもどおりの無表情、しかし目だけはビームでも出てきそうなくらい怖い。

「う~……ご、ごめんなさいなのね。けど、あの場合しょうがなかったのね」

 まあ、星人の円盤の存在を教えてくれたときには、手段を選んでられなかったのだから仕方ないと言える。

「それはいい、けど今のは?」

「ご、ごめんなのね……だ、だからご飯抜きだけは勘弁してなのね」

 この調子だと、トカゲの干物にされるくらいまで飲まず喰わずもありうると、シルフィードは本気で恐れた。

 だが、タバサは何も言わずにサムとヨシアのほうに向き直ると一言。

「他言無用」

 とだけ言い放った。

「へ……そりゃまた、なん」

 『ジャベリン』の巨大な氷の槍が、二人の目の前に突き刺さったのはサムが質問を言い終わる前だった。

「なんででも。命が惜しいのなら」

「はっ、はいぃ!!」

 理由は分からないが、この騎士様は自分の使い魔のことを人に知られたくないらしい。普通なら、すごい使い魔を持っているなら自慢したくなるんじゃないかと思うが、とにかくまだ死にたくはない。二人は、この幼く見える青髪の少女が、このときだけ死神に見えた。

 けれど、自分の一番の親友がわくわくしながらこちらを見ているのは、果たしてどうしたものかなと、任務以前に頭が痛くなってくるのを抑えられないタバサであった。

 

 

 翼人の集落は、そこからシルフィードで十分ほど森の中を飛んだところに存在していた。

 それは、古代の原生林のような巨木の集まりで、しかも巨木といっても高層ビル並みの太さである。およそ直径三十メイル、高さ七十メイルはある超巨木の森の中をそのまま利用する形で村が作られていた。

「こりゃ……集落というより、もはや城ね」

 見渡すところ、巨木を支柱として、伸びた枝を二十メイルごとに階層に区切り、さらにそれらを人工的にからみあわせて空中に作り上げた足場の上に、貴族の邸宅にも匹敵しそうな立派な邸宅がならんでいる。地球でこれを例えるのならばマチュ・ピチュの空中都市が山ではなく、巨大木を基盤にしてできているとでも思えばよいか。

 森の中にあるから、てっきり鳥の巣を拡大したような原始的なものを想像していた一行は、その雄大ぶりに彼らの文化と技術レベルの高さを思い知った。

「わたしの巣、あなた方の言い方で言えば家は、あの一番上にあります」

 アイーシャの案内でシルフィードの背に揺られながら、集落で暮らす何百人もの翼人の姿を見下ろしていると、翼人と戦って追い払うなどという考えがいかに愚かだったかとつくづく思う。かたくなにエギンハイム村の利益を主張していたサムも、もはや完全に戦意を失っていた。

 やがて、それらの集落の中でもっとも高いところにあるアイーシャの巣、もとい家に一向は案内された。そして族長の娘だというアイーシャの紹介で、翼人の長に面会は許されなかったが一日の滞在の許可をもらい、彼女の家の広間に通されて、森の草を加工して作ったと見えるソファーにそれぞれ腰を下ろした。

 

「どうぞ、自分の巣……家だと思ってくつろいでください」

 まったく、人間の屋敷と遜色がないどころか、無駄な装飾がないぶん、家具や家の元となった草木の色が美しく際立っていて、芸術的にすら見える。地球風に言うのならば、とてつもなく豪華なログハウスに名工が木を削りだして作った家具を入れたものとでもいおうか。住み心地のよさでいうならトリステインの王宮すら遠く及ばないだろう。

 それに、アイーシャの入れてくれた薬草茶がこれまた美味い。

「どう兄さん、これでもまだ翼人を鳥だって言う?」

「嫌味を言うな、完全に俺の負けだ」

 疲れ果てた様子のサムと、ちょっと勝ち誇ったヨシアの兄弟が仲良く茶をすすっている。

 タバサも、もし翼人と全面衝突することになっていたらどうなっていたかと、内心ではほっとしていた。

 彼らは森の中で独自の文明を作り上げていた。これを見れば人間が万物の霊長などという考えが、いかに思いあがったものであるかということが身に染みてわかる。力に訴えていたら、この任務の成功率はゼロだっただろう。

「けど、よく人間のわたし達を招きいれてくれたわね」

 さしものキュルケも姿勢を正してアイーシャに尋ねた。

「はい、実際これまでここに人間が足を踏み入れたことはありませんでした。けれど、あなた方は私の命の恩人ですから……それに、あちらの韻竜さんの口ぞえが大きかったんです」

 そうして窓から頭だけ覗かせてくるシルフィードを示して、彼女はにこりと笑った。

「風韻竜は、私達の間では大いなる意思と強く心を通わせられる存在として尊敬されてるんです。使い魔として現れられたのには、少々驚きましたが、それでも韻竜としての本質までは変わりませんから、そのご友人の方々なら問題ないと」

「きゅい、それほどでもないのね」

 これまで尊敬の念で見られた経験などなかったシルフィードは首を揺らして喜びを表現した。

 なお、その巨体は当然首以外は部屋に入りきれず外に出しっぱなしのために、話を聞きつけてやってきた翼人達が大勢見物に来ていた。

「それにしても、よくこんな城塞都市を森の中に築き上げられたわねえ」

 普段何かとゲルマニア出身であることをひけらかすキュルケも、感嘆した様子で言い、アイーシャは笑いながらこの翼人の里の歴史を語り始めた。

「私達の祖先ははるかな昔、ここにまだ森が無かった頃にこの地にやってきて、それからここを安住の地に選んで森を育んできたと伝えられています」

「へー、それじゃ昔はここは森じゃなかったわけ?」

 どう見ても樹齢数千年は超えている木々の群れの中にいると、ここが森でなかった頃のことなど想像もしにくいが、ある日突然森ができるわけもない。けれど、察するにそれは昔といっても何千年も前のことのようだ。

「はい、言い伝えでは最初ここは何もない荒野でしたが、私達の先祖は何世代にも渡って木を植えて、ここを豊かな森に変えていったそうです。そうしているうちに、やがて木の上に巣を作るようになり、そこで子を産み、子孫を残していくうちに少しずつ巣も大きくなり、今の私達の里になっていきました。だから、この森は私達にとってかけがえのない故郷なんです」

 故郷……そう聞いて、タバサはガリアにある母の眠る屋敷を、キュルケはゲルマニアのフォン・ツェルプストーの領地を思い出した。

「けど、何もない荒野をわざわざ森にしていくなんて、あなた達のご先祖は随分と気の長いことを選んだものね。そんなことしなくても、ほかに森を探せばいいものでしょうに」

 アイーシャの顔が少し曇った。

「それは……できなかったんです」

「え?」

 彼女は少し考えると、この人達になら話してもいいだろうと、翼人の伝説の根幹の部分を話し始めた。

「私達の祖先がこの地にやってきた時代。おおよそ六千年程前と伝えられていますが、そのころ世界は恐ろしい災厄に襲われ、今のハルケギニアはどこも荒れ果て、怪物の跋扈する暗黒の時代だったと言われています」

 ヨシアやサムが信じられないと驚くのを無視して、アイーシャは続けた。

「ですが、人間達も亜人も絶望しかけたそのとき、突如空から一人の戦士が降り立ち、人々を救うために怪物達と戦いました。心優しき勇者だったと伝えられる彼は、あるときは穏やかな光を持って怪物の怒りを静めて地に眠らせ、真に邪悪な者に対しては、闇を消し去る太陽のように勇敢に戦い抜きました……」

「ふーん。まるで、おとぎ話のイーヴァルディの勇者みたいね」

 キュルケはぽつりと、幼い頃枕元で読んだ英雄譚の名前をつぶやき、タバサもそれにうなづいた。

「人間にも、似たような物語があるようですが、私達の伝承はれっきとした事実で、大災厄の歴史は他にもエルフや獣人にも受け継がれているそうです。けれど戦いは熾烈を極め、多くの者がその中で命を落としました。この地には、その戦いで勇者と共に我らを守って戦い傷つき、いつか傷の癒える時を願って地の底で眠りについた、私達の古い友人が眠っているのです」

「えっ!? て、それ六千年も昔の話でしょ」

「はい、ですから今もこのすぐ下で眠り続けているのです。よければ、ご覧になりますか?」

 今度はいたずらっぽく笑ったアイーシャの無邪気な笑顔に、人間達はただただ意表を突かれてうろたえるばかりだった。

 

 そして、夕食をいただいたタバサ達一行は、食後に特別にアイーシャのはからいで翼人達が守り続けてきた古代の友人が眠るという地下空間へと、巨木のうろを利用した階段を下りていっていた。

「かなり深く潜るわね」

 地の底へと続く階段は、感覚だけでざっと計算してみてもすでに三十メイルほどは下りている。

 けれど、底に到達して階段につながる小さな穴から出たとき、彼女達の目の前には想像だにしていなかった壮大な光景が広がった。

 木の根によって守られた球根状の高さ六十メイル、奥行き三十メイルもある巨大な空洞。光ゴケによって青白い幻想的な光によって照らされるそこには、全高五十メイルはある巨大な白い卵状の物体が鎮座していたのだ。

「これは、卵……? いえ、繭なの?」

 目を凝らして見ると、それは確かにとてつもなく大きいけれど、絹の元となる蚕の繭によく似た形をしていたうえに、中に何者かが存在するのを証明するかのごとく、心臓の脈動のようにときおり細かに揺れ動いたりしていた。

 その形から、これは何か昆虫の繭なのかとタバサは聞いたが、アイーシャは首を横に振って答えた。

「いえ、確かに繭の形をしていますが、この中に眠っているのは虫ではありません……伝承では、大いなる翼で世界の空を駆け巡りし勇者の友と言われています。かつての戦いで傷つき命絶えようとした彼を、私達の先祖は繭で覆って傷の癒える日まで保護しようとしたのです」

「と、いうことはその大いなる翼を見た人は」

「はい、まだ誰もいません。けれど彼の翼持つ者は風より早く天を駆け、勇者の危機に幾度となく駆けつけたそうです」

 大いなる翼……六千年前に翼人達の先祖を守った、恐らくは怪獣。そんなものがこの森の地下に眠っていたのかと一行はその何者かが眠る繭をじっと見つめ続け、巨大な繭は何も言わずにそこに鎮座して一行を見下ろしていた。

「それに、伝承にはまだ続きがあります。大いなる翼が眠りについたとき、彼の者の友だった地に住まう竜もまた彼を守るためにこの森のどこかで眠りについた……」

「えっ、てことは……この森のどこかに怪獣がまだ一匹いるっての!?」

 ただでさえとてつもなく強い怪獣がさらにもう一匹、どんな奴かはわからないが、だとしたらなおさらエギンハイム村の人々には、この森に立ち入らせるのはやめさせたほうがいいだろう。

 アイーシャは、先祖代々語り継がれてきた伝承の最後の部分を語って聞かせた。

「かつて大災厄の時代、大いなる翼と地の竜は争う関係でした。けれど彼らは勇者に救われ盟友となり、世界の危機が再び訪れようとしたときには、彼の者達は必ず眠りより目覚め、勇者が守った世界のために立ち上がるであろうと、そう言われています」

「世界の危機ね。ヤプールが暗躍して、怪獣が暴れまわる今も立派に危機だと思うけどねえ」

 ぽつりとつぶやいたキュルケの言葉にも、繭の中の何者かは何も答えなかった。

 

 

 だがそのころ、翼人の里とエギンハイム村の中間あたりに位置する森の中で、獲物に逃げられたムザン星人が恐るべき企てを実行しようとしていた。

「ファ、ファ……ショウタイ、バレタ……カリハチュウダン……サクセン、ヘンコウ」

 円盤に乗った星人が機器を操作して地中に向かって電磁波を放つと、森が地震のように揺れ動き始めた。

 木々が倒れ、土が宙に吹き飛ぶ。そしてなんと、地中から前に向かって鋭く伸びた角、次いで大きく裂けた口を持つ頭が現われ、やがて森の中に鞭のような触手を生やした巨大な腕を持つ怪獣が出現し、夜の空に向かってかん高い咆哮を放った!!

 

【挿絵表示】

 

「ファファファファッ! ……ユケ、ガギ……ミナ、ゴロシ、ダ」

 

 

 続く



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第40話  タバサの冒険  タバサと神の鳥 (そのⅢ)

 第40話

 タバサの冒険

 タバサと神の鳥 (そのⅢ)

 

 極悪ハンター宇宙人 ムザン星人

 バリヤー怪獣 ガギ

 古代暴獣 ゴルメデ

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 タバサ達は、翼人達の守っている地下洞穴の見学を終えて、再び地上へと上がってきた。

 長い階段は、下りるには良かったが上がるには大変に体力を要求した。なにせ出口まで高さ八十メイルはある。東京タワーの展望台まで歩いて上がったようなものだが、外に出た瞬間息を切らせて飛んできた翼人の言葉が彼らに疲労に体を預ける贅沢を許さなかった。

「アイーシャ様、たった今人間どもの村を偵察に行っていた者から報告がありまして。突如地底から巨大な怪物が出現して村を破壊し、こちらのほうへ向かってきているとのことです!!」

「なんですって!!」

 

 それは、今からおよそ一時間ほど前の出来事だった。

 日が落ち、静けさに包まれたエギンハイム村を突如マグニチュード八クラスの巨大な地震が襲ったかと思うと、森の地下から鋭い角を生やした怪獣が現れ、村を容赦なく破壊し始めたのだ。

 このとき、夕食時で気の緩んでいた村人は対処するのが遅れて、三件の家が住人ごと踏み潰されたが、ようやく非常事態に気づいた人々は悲鳴をあげて逃げ惑った。

「逃げろ!!」「村を捨ててどこへ行くんだ」「村といっしょに死のう」「馬鹿、怪物がいなくなるまで避難するんだ!!」

 踏み潰されるよりはましだと、村人達は必死になって村の外へ続く街道へと殺到した。

 けれど、出口にたどり着いた人々はそこから進むことができずに立ち往生してしまった。

「なんだ!? 先に進めない」「何してんだ、早く行け!!」「どうなってんだ……見えない壁がある」「そんな馬鹿な、これじゃ逃げられないじゃないか!?」

 森の出口ですし詰めになる村人達へ向かって怪獣は地響きを立てながら向かってくる。

 この怪獣の名は【バリヤー怪獣 ガギ】、名の通り自分のテリトリーを目に見えない強固なバリヤーで覆って、そこに閉じ込めた獲物を狙う宇宙怪獣の一種である。繁殖能力が強く、他にも時空間に生息したりと複数種が確認されている。

 今回は、そのうちの一匹がチャリジャを介してムザン星人の下僕として出現したのだ。

 ガギは、逃げられない村人達へ向かって両腕の触手を鞭のように振るって襲ってくる。台風に飛ばされた巨木に打ち据えられるようなもので、村人達は犠牲者を救い出すこともできずに今来た道を必死になって引き返し、その間にも多数の犠牲者を出しながら生き残った人々は、唯一バリヤーの開いていた翼人達の住む森の方向へと逃げていった。

 その光景を、人間達が不審な行動をしないか見張りに来ていた翼人の一人が見て、急ぎ戻ってきたのだった。

 

「すでに長の命により、戦える者は全て戦支度を済ませ、里に到達する前に迎え撃つべく集結中です。アイーシャ様達女子供はいったん森の奥へ避難していただくようにとのことなので、お急ぎください」

 その翼人はそう報告すると、自分も防衛線に加わるべく飛び去っていった。

 アイーシャは突然のことが飲み込みきれずに唖然としていたが、いち早く我に返ったタバサとキュルケ、そして村が襲われていると聞かされたサムとヨシアは愕然として、いったいどういうことかと叫んだ。

「エギンハイム村が、俺達の村が怪物に襲われているだって!?」

「村の人達は、父さん達は無事なのかな!?」

 二人は今すぐにでも村に戻りたいと焦ったが、落ち着いてくださいとアイーシャが止めた。今、村に戻るのは危険すぎます。村からここまではかなりの距離があって怪物もすぐには来ないでしょう、戦士達が怪物を抑えているうちに村に帰します。それまで落ち着いてくださいと訴えて、二人は焦りながらもようやく止まった。

「わかったよアイーシャ、心配かけてごめんよ。けど、なんでぼく達の村が怪獣なんかに?」

 これまでも、村が野生の竜に襲われることはなくもなかったし、別の村ではミノタウロスが村人を生け贄として要求してきた事件もあったといい、ハルケギニアで村が怪物に襲われる例は決して少なくはない。だが、いざ襲われるとなぜ自分のところがと理不尽さを感じるものだ。

 けれど、今回のものは野生の怪獣がいわば天災的に襲ってきたにしてはタイミングがよすぎる。タバサとキュルケの脳裏には、当然のようにあの森で戦った怪物の姿があった。

「きっと、森の怪物が呼び寄せた……正体を知られて、証人を一気に丸ごと消してしまおうと目論んでるのかも」

 かつてバム星人がメカギラスを呼び寄せたように、あの怪物が使役している怪獣がいたとしてもおかしくない。

 それにしても、平然と村を焼き払い、さらには翼人達まで始末しようとしてくるとは、奴には心というものがないのだろうか……

 

 いや、むしろ奴はこの機に乗じてさらに大規模なハンティングを楽しもうとしているのかもしれない。

 戦士達が集結している翼人の里の上空にあの円盤が現れ、そこからムザン星人が地上に降り立ち、目に付いたものや家々に光線を放って焼き払い始めたとき、惨劇は翼人達にも無情に降りかかってきたのだ。

「敵襲だぁーっ!!」

 破壊と殺戮を欲しいままにする星人に、翼人の戦士達が立ち向かっていく。本来争いを好まぬ彼らだが、故郷を守るためならば勇敢な戦士となる。

 だが土足で踏み込んできた侵入者を打ち払うべく、森の精霊の力を借りて立ち向かっていくものの、風の精霊の力を持ってしても星人の破壊光線は防ぎきれず、さらに翼人達より高く飛ぶ円盤の攻撃の攻撃により、次々犠牲が増えていっていた。

「くっ、化け物め……せめて、大いなる翼の眠る洞だけでも守らねば」

 戦士達は集結し、大いなる翼の眠る里の中心の巨樹を守るべく陣を組む。対して、そうして死守の体勢に入った相手と正面からぶつかるのは必死の反撃を誘発して愚策である。これまで数々の宇宙人をハンティングしてきた歴戦の狩人であるムザン星人は、翼人達の意思の強さを悟り、円盤をコントロールして空の上から大樹に光線で火をかけさせた。

「ああっ!!」

 松明のように瞬時に炎に包まれる大樹を見て、戦士達は愕然とした。住民はすでに里の裏手に避難しているから、あの中に取り残された者はいないはずだが、あの大樹の根元には大いなる翼の洞がある。大樹が焼け落ちれば、下の洞も崩れ落ちる。そうなれば先祖代々六千年にも渡って守り継がれてきた意志が消えてしまう。

 超高温のレーザー光線で焼かれた大樹は見る見る炎に包まれていく。何人かが消せと叫んで向かっているが、先住魔法、精霊の力を持ってしてもできることとできないことがある。

「ファファファファファ……」

 ムザン星人は燃え盛る森と翼人の醜態を笑い、さらに光線を放って命を摘み取り、破壊を意のままにしていく。

「森が……泣いている」

 誰かが、燃え盛る里の風景を見てそうつぶやいた。燃え広がり、火の粉を散らしながらきしんで朽ちていく大樹の断末魔の叫びが、まるで泣いているかのようだった。

 星人はさらに嘲りながら、向かってくる翼人を自身と円盤の光線で次々と始末していく。

 このまま、翼人の里もエギンハイム村同様に残虐な侵略者に蹂躙されてしまうのだろうか……

 

 だがそのとき、突如惨劇に包まれた森の中を、とてつもなく大きな鳥の声が駆け抜けた。

「今の、声は……?」

 それは、シルフィードの鳴き声を何百倍にも強く、大きく、そして気高く昇華させたような。その魂に響き渡るかのような鳴き声に、翼人も、避難していたタバサ達も、そして星人さえも一瞬我を忘れて聞き入ってしまった。

 今の声は……幻聴? いや、幻ではない……しかし、あんな強い鳴き声をあげられる鳥はハルケギニアには存在しない。いったい誰が……いや、それほどの力強さを持つ者がこの世にいるとしたら。

「大いなる、翼……?」

 六千年間守り続け、一度も繭の中から答えなかった太古の守護者が、今?

 けれど、一時の自失から回復した星人は、再び破壊と殺戮のゲームに狂奔しだした。

 星人の光線になす術もなく倒されていく戦士達、引け!! 引け!! という声とともに飛び去ろうとする翼人達をあざ笑いながら、さらに破壊を欲しいままにするムザン星人。

 やはり、あの鳴き声は幻であったのか……いや、森の空を越えて森のはるかかなたまで響き渡ったその声は、大地を揺るがす地響きとともに、地の底に眠れる者の目をも覚まさせていたのだ。

 

 一方、巨樹に攻撃が加わる前にかろうじて離れていたタバサ達は、戦いの様子を見に行っていたシルフィードを迎えていた。

「きゅーい、お姉さまーっ!! あの怪物が、里の入り口で暴れてるの、翼人達が応戦してるけど、かなり分が悪そうなのね」

 飛んできたシルフィードに言われるまでもなく、里の入り口のほうから戦塵と炎が上がり、大勢の翼人の叫び声が聞こえてくる。人間ならば数千の軍勢がなくては手が出せないような翼人の里へ、奴はたった一体で乗り込んで好き放題に暴れている。

「あの虫頭、まったくスマートさのかけらもないわね。とすると当然あたし達も消す気でしょうねえ。ちょうどいいわ、森での雪辱、早いとこ晴らさせてもらいましょうか」

 杖を風を切るほど振りまわし、その身から炎が湧き出ているのではと錯覚しかねないくらい闘志を燃やしてキュルケが言うと、星人の恐ろしさを骨身に染みて知っているアイーシャが止めた。

「やめてください。あの怪物は、到底人間の敵う相手ではありません!!」

 言外に逃げてくれと含めたその言葉には一切の他意はなく、キュルケは種族が違う自分達のために本気で心配してくれるアイーシャの優しさに感銘を受けたが、人懐っこくまるでピクニックにでも行くような気軽さで答えた。

「わたし達の友人にね。少し前に今のように無差別に人を殺す怪物がわたし達の街に現れたとき、たった剣一本で立ち向かっていってみんなを救おうとした人がいるの、魔法が使えないくせに本当に勇敢にね。しかも彼ったら、そんな大手柄を立てながら全部他人に譲っちゃったのよ。呆れた馬鹿でしょ、最近どうもね……そんなおバカな平民の彼に影響されちゃってるみたいでね」

 軽く頭をかきながら、以前に銃士隊がツルク星人を倒したとき、銃士隊といっしょに奇妙な姿の平民の少年がいたという、そんな根拠のない、しかし心当たりだけはふんだんにある噂のことを彼女は言った。証拠はないが、火のないところに煙は立たない。そしてそんなことをするのはハルケギニア広しといえども一人しかいない。

 さらに、避難しようとしていた戦えない翼人達が、里の反対側にできた見えない壁に押し返されて立ち往生していると報告が来て、アイーシャもヨシア達も愕然とした。ガギのバリヤーはエギンハイム村と翼人の里をそれぞれ端点とする巨大なドームとなって人々を内部に封じ込めてしまっていたのだ。これはガギのバリヤーでも超大型に当たる。

 流石はチャリジャが探してきて売り渡した個体と褒めるべきか。とにもかくにもこれで逃げ道はなく、戦うしか生き延びる道はなくなったというわけだ。

「わかりました。わたしは戦えない人達を守らなければなりませんので、行かなければなりません。ヨシア、あなた達はわたしといっしょに来てください。人間の戦士の方……いえ、タバサさん、キュルケさん、貴女方に大いなる意思の助けがあらんことを」

 信じる祈りの対象は違うけれども、心からの無事を願うアイーシャの祈りに、タバサとキュルケは素直に無言のままうなづいて答えた。

 ほんの数時間前まで命のやりとりをしようとしていた者同士は、今真に戦うべき目的のために武器をとろうとしていた。

「けど貴族様、あの怪物とどうやって戦うんですか?」

 ヨシアの不安ももっともだった。これまでも四人ものメイジを血祭りにあげ、翼人をもまったく苦にせず始末してしまったような相手にどうやって挑むというのだろうか。

「手の内が分かってれば、それに合わせて対抗策も出るわよ」

「しかし、あの空の上からの光線は……」

「ふーん、そこが問題なのよね」

 正直、あの円盤に対抗する術はないものと思われた。地上で星人に意識を集中しようと思ったら、その隙に頭上から狙い撃ちにされて燃えカスに変えられてしまう。戦術としては単純だが、制空権を取られているということはそれだけで圧倒的なアドバンテージとなる。かつて不沈とうたわれた日本の超巨大戦艦『大和』も空中からの一方的な攻撃により撃沈されてしまっている。もっとも、その大和をミミー星人が改造して建造した軍艦ロボット『アイアンロックス』は対空砲火によって、当時の防衛チーム、ウルトラ警備隊の主力戦闘機ウルトラホーク3号を撃墜しているのは歴史の皮肉といっていいだろう。

 すぐ思いつく対抗策としては、シルフィードでの空中戦に持ち込む手があるが、あの円盤は速度、機動性ともにシルフィードをもしのいでいる。先ほどのように森の中を逃げるだけならまだしも、空中戦をおこなって撃墜しようとするならどちらかで相手をしのぐか強力な武装がいる。彼女達はもちろん知らないことだが、地球の歴代防衛チームもテロチルスやバードンなど飛行能力を持った怪獣には苦戦を強いられている。けれど、歴代チームの中でもっとも多く宇宙人の円盤を撃墜したのは、先の前例のウルトラ警備隊なのだから得手不得手というものはあるものだ。

 だが、タバサは懐の中の膨らみを確認すると、一つだけ奴を倒せるかもしれない可能性を見出していた。

「作戦を説明する」

 短く言ったタバサの言葉に、キュルケは反論することなくうなづいた。この小さな友達の頭脳が自分のそれを、これまでの人生で読み漁った本の数に正しく比例していることを彼女は承知していたからだ。

 

 

 だがそのころ、ムザン星人は翼人達の必死の防衛線を易々と突破し、彼らの種族が数千年かけて築き上げてきた大樹の街に火をかけて焼き払おうとしてきていた。

「フフフ……ファッファッファ!」

 数いる凶悪宇宙人の中でも、特に悪魔の様だと言われるムザン星人は、森ごと自分の正体を知る者を根絶やしにしようと残忍な手段を当然のように実行してきた。

 火を消せという声があちこちから上がるが、それも強くなりすぎる火勢には抗しきれずに、徐々に小さくなっていく。

 けれど、そんな蛮行をいつまでも黙って受け続けるほど、人間のほうは聞き分けがよくない。火災の中から飛び出してきた炎弾がムザン星人に襲い掛かり、すんででかわした星人は、まだ敵が残っていることを知って、炎の中から飛翔した一頭の竜に光線を放った。

「ひゃあ、危なかったのね……ちょ、赤いの! もっとしっかり狙いなさいのね」

「うっさいわね、こんな遠くから撃ったらちょっと慣れた兵士程度でもかわせるわよ。それよりも、タバサが乗ってないからってあんまし無茶な飛び方するんじゃないわよ」

 燃え盛る木々の赤い炎を背にして、キュルケだけを乗せたシルフィードが円盤と星人の同時攻撃をかわしながら、星人に立ち向かっていく。

 しかし、最初からその旗色は明らかに悪かった。シルフィードは確かにすばやいが的としても大きい。森の木々がある程度楯になってくれるものの、キュルケが狙いやすいように直線飛行なんかしようものなら、あっという間に撃墜されてしまうに違いない。散発的な攻撃では、星人は避けるのには苦労せず、残った翼人の戦士達も、消火作業に忙殺され、さらに人間をわざわざ助けようという酔狂な者はいない。

 が……正面攻撃でこの星人を倒せるなどと、脳みそに蜂蜜とシロップをかけているような作戦を提案するほどタバサは低脳ではない。戦場で目立つうまそうな獲物を見つけたとき、それには極辛の隠し味がついているものなのだ。

「囮も楽じゃないわね……ちょっとシルフィード、今当たりそうだったわよ。ちゃんと避けなさい」

 そう、タバサの作戦はキュルケとシルフィードが囮となって星人の気を引き付けて、タバサが隠れて奇襲をかけるというものだった。それゆえに、なるたけ長い時間星人の注意を引き付けなければならない。

 けれど、信頼するタバサの作戦だからと、妄信して安請け合いしちゃったかなと、ちょっとキュルケが自分のノリのよさを反省しながらシルフィードに毒づいたら、意外にもシルフィードも反撃してきた。

「お姉さまと違って重いから飛びにくいのね。ちょっとはやせるといいのね!!」

「い、今なんて言ったの!? こ、この、竜のくせに、竜のくせに!!」

 女子にとって『重い』の一言がタブーなのはどこも違わない。普段の余裕はどこへやら、この顔をルイズが見たらさぞかし喜ぶだろう。

「ふふーんだ。人間ごときの美しさなんて、シルフィ達韻竜の足元にも及ばないのね。悔しかったらあいつに一発でも当ててみるといいのね」

「言ったわね!! このわたしを本気にさせたことを後悔するといいわ」 

 ついさっき話せることが分かったばかりだというのに、キュルケとシルフィードはぎゃあぎゃあと喚きながら戦闘と呼べるのだろうか、とにかく星人の目を引いていた。

 空と地上からの挟み撃ちを、シルフィードは持てる感覚全てを駆使してかわし、キュルケはやぶさめのように腕を微妙に振るって星人を攻撃する。その連続攻撃に、さしもの星人もいらだちを見せてきた。

「ググ……ガギ、ナゼマダコナイ?」

 星人は、もうかなりの時間が経ったというのにやってこないガギにも不信感を抱き始めていた。チャリジャがあのガギを売り渡したときに、奴は極上の個体でコントロールもすでにできていると太鼓判を押してきたはずだったのだが、まさか不良品をつかまされたのか?

 だがそのころ、ガギもまたそれどころではない事態に巻き込まれていたのだ。

 

 エギンハイム村からほんの数リーグも離れていない森の中で、ガギは突如地中から現れた怪獣との取っ組み合いに引きずり込まれていた。

「怪獣が、もう一匹現れた!?」

 生き残った村人達は、震えながら二大怪獣の激突を見守っていた。

 ガギの前に現れた新しい怪獣は、二本足で立って長い尾を持ち、前へ大きく突き出た頭頂部が特徴的ではあったが、全体的に恐竜型怪獣そのものの姿をしていた。こちらは、ガギのように鋭い角や鞭などは持っていないが、その太い腕から生み出される腕力はガギに劣らず、肉弾戦においてはガギを圧倒する勢いすら持っていた。

 ガギが鞭のように振りかざす両腕の触手を、もう一匹の怪獣は厚い皮膚で受け止めて、体当たりを仕掛けてガギを跳ね飛ばす。

「なんで、なんで俺達の村に怪獣が二匹も現れるんだよ」

 村人の一人が目に涙を浮かべながら、悔しそうにつぶやいた。彼らの手の中には村を逃げ出すときに持ち出してきた鎌や弓など農耕や狩猟用の武器が握られているけれども、身長五十メイルを超える怪獣相手には蟷螂の斧にも等しい。

 しかし、彼らはまだ幸運なほうであったのだ。村を破壊した怪獣が森に逃れた村人達に襲いかかろうとしたとき、突如森全体にとてつもなく大きな鳥の声がしたかと思うと、応えるように土中から突如この怪獣が現れた。そして二匹はそのまま戦いをはじめたおかげで、彼らは踏みつぶされる危機から逃れられたのだから。

 否、もしかすると本当にこの怪獣は彼らにとって救いの神であるのかもしれない。

 いらだったガギが、その長い鞭を腹立ち紛れに村人達の方へと振り下ろしたとき、怪獣は自らその前に立ちはだかって、自分の体でその攻撃を受け止めたのだ。

「俺達を、怪獣が守ったのか?」

「あの怪獣は、まさか……」

 村の長老である老婆が、記憶の井戸の底の底から一粒の砂金を見つけたかのように、ぽつりとつぶやいた。

「ばあさん、あんた何か知ってるのか?」

「あたしの子供のころ、あたしのばあさんが語ってくれた昔話……森のどこかには、守り神の竜が住んでいて、いつでも村を見守っていてくれてるんだと、作り話だとばかり思ってたんだけど……確か名前は……ゴルメデ」

 長い眠りから友の呼び声によって目覚め、森の闇に雄雄しい遠吠えがこだました。

 

 

 一方、ガギがゴルメデに足止めされて星人の加勢に来れないでいることは、当然タバサ達には千載一遇のチャンスとなっていた。状況が思い通りにいかないムザン星人は集中力を乱しはじめ、攻撃が荒くなっていくのが肌で感じられる。

 そして、いらだった星人が完全にシルフィードに意識を集中させたと見えたとき、キュルケは叫んだ。

「タバサ、今よ!!」

 そのとき、星人の背後の土中から全身を泥まみれにしたタバサが飛び出してきた。

 風の魔法を使えば軟らかい森の土を掘り返して穴を掘ることはさして難しくない。すぐさま狙いを定めたタバサは星人に向かって杖を構えた。使う呪文は強力な雷撃の攻撃魔法、『ライトニング・クラウド』、彼女の使える中でも威力、有効範囲ともに最高クラス、これが当たれば巨象とてショック死するほどの威力がある。

 だが、この作戦は完全に星人に読まれていた。虚をついたと思っていたはずの星人の首がぐるりと反転して、昆虫のような目がタバサを見据える。

 歴戦のハンターである星人は、目の前にいる敵のうち、先程戦った者が一匹欠けていることにすぐさま気づき、不意打ちに備えるばかりか自ら隙を見せて誘いをかけていたのだ。

「ファファファ!」

 あざ笑う星人の顔と、驚愕するタバサの視線が重なり合う。どうしてもタバサの詠唱が完成するより星人の攻撃のほうが早い。

 次の瞬間、タバサの全身を炎が包んだ。

「タバサ!!」

「ファーッファッファッファッファ!!」

 キュルケの叫びと、星人の勝利の笑い声がこだまする。

 だが、そのまた次の瞬間、勝利の女神はコインを裏返した。

 

『ジャベリン!!』

 

 高らかに笑っていた星人の胸に、巨大な氷の槍が突き刺さる。

 星人は、一瞬何が起こったのか理解できなかった。槍が飛んできた方向は、たった今殺したばかりの下等生物が一匹いただけのはず、もう一匹いたのか、ならばなぜ気づけなかった?

 彼はそこまで考え、胸に刺さった槍を抜こうと手をかけたとき、全身を燃やして死に逝くはずの相手の体が急速に縮んでちっぽけな人形になり、その後ろからまったく同じ姿の敵が現れて、自分がとんでもないトリックにはめられてしまったことを悟った。

 

「やったあ!! さっすがあたしのタバサ」

「誰があんたのなのね、お姉さまはシルフィのお姉さまなのね。けれど、あの馬鹿王女のプレゼントも役に立つこともあるもんなのね!!」

 空の上からキュルケとシルフィードの歓声が響く。

 タバサは、陽動作戦が恐らくは見抜かれるであろうことを見越して、出立前にイザベラから譲られた、使用者とまったく同じ姿形になる古代の魔法人形、スキルニルを盾代わりにした二段構えの作戦を立てていたのだ。

 これには、鍛え上げられた感覚を持つムザン星人といえども、同じ気配の同一人物と見てしまって判断を誤ってしまった。さしもの悪魔的能力を誇る異星人も、小さな少女の知恵と、魔法文明が生み出したちっぽけな人形の威力の前に見事に足を掬われたのだった。

「ようし、とどめよ!!」

 深手を負わされた星人は、もはや光線で反撃する余力はなく、円盤も星人の負傷とともに軌道がおかしくなってきている。やるなら今しかない、タバサは今度こそ『ライトニング・クラウド』を唱え始めた。

 

 だが、詠唱が完了する寸前に、ジャベリンを引き抜いた星人に円盤から青白い光が照射されたかと思うと、星人の姿が円盤の中に吸い込まれ、円盤はよろめくようにしてエギンハイム村の方向へ飛んでいき始めたのだ。

「逃げる気!?」

 せっかくここまで来て、むざむざと逃がしてたまるものか、殺された大勢の人々のためにも、あいつは逃がすわけにはいかない。けれど、円盤の飛行速度はシルフィードのそれを軽く超えている。伊達に宇宙船ではない。

 このまま逃がせば、奴は傷を癒して今度こそ万全の態勢を整え、怪獣をも率いて攻めてくるだろう。そうなればもはや勝ち目はどこにもない。

「きゅい……シルフィも、お姉さまも頑張ったのに……」

 シルフィードが悲しげな声を漏らし、絶望が彼女の心を閉ざしかけたとき。

 

"あきらめないで"

 

「きゅい、だ、誰なのね!?」

 突然頭の中に話しかけてきた聞きなれない声に、シルフィードは驚いて周りを見渡したが、そこには背に乗っているキュルケしかいない。

 

"最後まであきらめなければ、きっと奇跡だって起きる"

 

「誰なのね、シルフィに話しかけるのは誰なのね!?」

「シルフィード、あんたさっきから誰と話してるの?」

 それは、韻竜であるシルフィードにのみ聞こえる声だった。

 そして、その声はとまどうシルフィードに向かって、こう言った。

 

"みんながあきらめなければ、ぼくもまた飛べる"

 

 そのとき、翼人達の守り続けてきた大樹が遂に轟音を上げて崩れ落ち、その下に隠されていた地下空洞を白日の元にさらけ出した。

 そして、そこで守られ続けてきた巨大な繭の表面に、内側から破かれるかのように裂け目が入り、卵が割れるように砕け散った。

 その中から現れた者こそ、大樹が燃える熱によって六千年の眠りから覚醒した大いなる翼持つ者。彼は、遂にその背に生やした翼を広げて大空へと飛び立った!

 

「あれは!?」

「大いなる、翼……リドリアス」

 真っ赤なとさかを持ち、背中に世界を駆け巡る翼を生やした巨大な鳥、その者の姿に、アイーシャ達翼人達は、守り続けてきた伝説が蘇ったことを知った。

 かつて、世界を救った勇者とともにあった翼。はるか遠い星でも、同じ種族が平和のために空を舞った、守るべき者のためにはどんな危険もいとわない勇敢な、そして優しい者。

 彼が、円盤を追って飛び立ったとき、アイーシャは生き残った戦士達を見渡して言った。

「みんな……私たちも行きましょう」

「しかし、精霊の力を争いに自ら使うのは……」

 戦いに向かうのだと思った翼人達は躊躇した。里を守るために戦うのはやむを得ないが、相手が逃げた以上追ってまで戦う必要はない。人間とは違い、専守防衛に徹するのが彼らの考えだった。

「いいえ、大いなる翼が飛び立った以上、私達は彼が何のために飛び立ったのか、それを見届ける義務があります。それに、伝え聞くところによると今この世界を狙う闇の者達の侵略、そして大いなる翼の復活は、この世界を再び大災厄が焼き尽くす前兆かもしれません」

 大災厄、その単語を聞いて翼人達の間に動揺が走った。

 六千年前、恐るべき力を持つ悪魔達によって世界が焼き尽くされた暗黒の時代、それが再びやってくるというのか……

「私達がこれから何をなすべきなのか、その答えがそこにあるかもしれません。それを見極め、私達の氏族はいずれ来る新たな災厄に備えるために、これまで彼を守り続けてきたのではないですか? 行きましょう、きっと彼はそのために飛び立ったのです」

「はいっ!!」

 戦士達の叫び声があがる。六千年、大いなる翼を守り続けてきたのは、ただこの日のため。

 そして、いっしょに見守っていたヨシアとサムも、彼らに同行することを望んだ。

「アイーシャ、ぼく達も連れて行ってくれ。何の役にも立たないかもしれないけど、ぼく達の村はぼく達で守りたいんだ」

「俺も、恥をしのんで頼む。村長の息子って義務もある。だが、どんなにちっぽけで貧しくても、生まれ育った村なんだ。何もせず、黙っているなんてできねえ」

「わかりました。誰か、お二人を運んでください」

 二人をたくましい体格をした翼人が持ち上げて、翼人達は一斉に夜空へと飛び立った。

 

「タバサ!!」

 地上に下りてタバサをその背に乗せたシルフィードも、翼人達とともに星人の円盤を目指して飛び立つ。

 そんななか、飛びながらシルフィードは背に乗せた二人にさっき聞いた声のことを語った。

「お姉さま……シルフィ、あのでっかい鳥の声を聞いたの、あきらめるなって、みんながあきらめなければ、自分もみんなを守るために戦えるって……」

 タバサは何も言わずに、胸に抱いた杖に力を込めた。

 もとより、どんな状況になってもあきらめるつもりはない。しかし、自分ひとりだけで戦い続けても、あの凶悪な星人や怪獣には勝てないだろう。翼人も人間も、全ての力を一丸とする。そんなことができるのだろうか?

 

 やがて、目の前にエギンハイム村の燃える炎、そしてその赤い光を背にして戦う二匹の怪獣と、一匹の怪獣を光線で援護する円盤が見えてきた。

「あれは……地に眠る竜……ゴルメデ!?」

 ガギと戦うゴルメデの姿を見て、翼人達は伝承の全てが現在に蘇り、そしてこの世界に本当に危機が訪れていることを確信した。

 しかし、ゴルメデはガギと戦いながらも星人の円盤からの攻撃に悩まされている。

 だがそこへ、上空から急降下してきたリドリアスの体当たりが円盤に炸裂した。皿が割れるように真っ二つになり、円盤は森の中へと落ちていく。

 湧き上がる歓声。けれども、勝利の時はまだ早すぎた。

 墜落した円盤が火を噴いたかと思われた瞬間、森の中にまるで怪獣のような姿になって巨大化したムザン星人が立ち上がったのだ。

 

 

 続く



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第41話  タバサの冒険  タバサと神の鳥 (そのⅣ)

 第41話

 タバサの冒険

 タバサと神の鳥 (そのⅣ)

 

 極悪ハンター宇宙人 ムザン星人

 バリヤー怪獣 ガギ

 宇宙寄生獣 サイクロメトラ

 古代暴獣 ゴルメデ

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 ゴルメデがガギを怪力で投げ飛ばし、ムザン星人が放った光線をリドリアスが回避して、口から吐き出すエネルギー光球で反撃する。

 四大怪獣と星人の激闘は、翼人、人間を問わずにそれを見る者の目を釘付けにせざるを得ない。

 起き上がったガギが頭の上に大きく突き出た角を光らせ、そこから赤い稲妻のような光線を放ってゴルメデを打ち据える。一方ではリドリアスがガギの後頭部に体当たりをかまし、ダメージを受けたゴルメデに向かってムザン星人が組みかかっていった。

 

「すごい……」

 戦いの様子を見守りながら、人間達はその壮絶な光景を生涯の記憶に焼き付けていった。

 シルフィードも、あの巨鳥から見れば大鷲と小雀の差でしかない。タバサとキュルケも割り込んでいくわけにもいかずに、その背で戦いの流れを見守っていると、アイーシャが横に並んできた。

「タバサさん、キュルケさん」

「アイーシャ……あれが、あなた達の守り神……?」

「はい、大いなる翼《リドリアス》、地に眠る竜《ゴルメデ》、この地に邪悪な者が現れるとき、必ず目覚めると伝えられてきた、この大地の守護者達です」

 頼もしそうに語るアイーシャと、祈るように戦いを見つめている翼人達を交互に見ながら、二人は四大怪獣の死闘がこれほどまでとはと、正直まったく動けずにいた。以前見たパンドラやオルフィとの乱闘など比較にもならない。

 エギンハイム村の村人達も、逃げることなど当に失念して、とりあえず踏み潰されないように距離だけはとりながら死闘を見ている。そんな彼らの元にサムとヨシアが翼人に抱えられて下りていって騒ぎになりかけたようだが、二人が村長と話し合っているところを見ると、翼人の里で見聞きしたことを話しているのだろう。

 声は聞こえないが、もめているのは手に取るように分かる。それはそうだ、今日まで憎むべき敵、いや駆除するべき害獣とさえ思っていた相手と和解し、手を引くべしというのだから簡単には価値観を変えられまい。

 けれども、二人とも村長や村人達に罵声を浴びせられながら一歩も引く様子はない。これで、村人達が翼人達への偏見を解いてくれるかは彼らしだい、他人がとやかく言う問題ではない。

  

 そうしているうちにも、戦いは激化の一途を辿り、リドリアスの空中からの攻撃と、怪力で上回るゴルメデの攻撃が徐々に押し始めていた。

 むろん、巨大化したムザン星人の実力は高く、パワー、特殊能力からも特に弱点は無く、空中のリドリアスに光線で応戦し、ゴルメデのパワーとも渡り合えている。

 だが、ガギの様子が不利で、このまま二対一に追い込まれたら、さしもの自分でも危ないと思ったムザン星人は、チャリジャからもう一つ譲り受けていた切り札を使うべきかと考えていた。

 それは、あらかじめガギの体内に埋め込んである、緑色に不気味に輝く直径十二メイルほどの岩石のような物体のことだった。怪獣バイヤーである奴は、例えばペットショップが顧客に商品としての動物を引き渡すときに、去勢したり、毒や牙を抜いておいたりするように、捕獲してコントロールできるようにした怪獣にオプションとして様々な改造などを施したりしている。流石にヤプールの超獣ほど徹底的にとはいかないが、保険としてはそれなりに有効なものもある。

 ヤムヲ得ヌカ……

 星人は、そう判断すると額の触角からの光線を、ガギの喉もとあたりへ向けて発射した。巨大化し、等身大の時よりはるかに威力の上がっている破壊光線はガギの喉の皮膚を破り、食道、気管をも焼いた。

「やったぜバカめ、あいつ味方を撃ちやがったぞ!!」

 村人達は星人からの光線を受けて、喉を押さえて苦しむガギの姿を見てあざ笑った。

 しかし、同じように見ていたタバサは、今の攻撃が外れたわけでも間違えたわけでもなく、明らかに星人が意図的に発射したものであることを確信していた。あの悪賢い星人が、この程度不利になったところで自暴自棄になって味方を撃つわけがない。そこには必ず何か恐るべき意図が含まれているものと、タバサは注意深く観察した。

 そして、それは唐突に発生した。

 ガギの傷ついた喉がまるでビデオの逆再生を見るかのように塞がっていくではないか!!

「再生した!?」

 あっという間に傷を完全に治したガギは、雄たけびを上げてゴルメデに向かっていき、角をゴルメデの腹に引っ掛けてひっくり返すと、その上に馬乗りになって乱打し始めた。

「ちょっ、あの怪獣いきなり元気いっぱいになっちゃったじゃない。いったいどうなってるのよ?」

 驚いたキュルケがタバサに向かって叫ぶが、タバサにだってすぐには考えがまとまらない。

 しかし、タバサはあの怪獣の傷口が再生する瞬間、その傷口の奥に不気味な線虫のような影がうごめいていたのを見ていた。

 実はこれこそがガギの体内に仕込まれていた仕掛けの正体、【宇宙寄生獣 サイクロメトラ】だった。チャリジャ達の世界に生息するミミズ状の小型宇宙怪獣の一種で、大きさはわずか全長九メートル程度しかなく単体ではほとんど何の力も持たないが、他の大型生物、すなわち怪獣の体内に寄生することで、その怪獣に再生能力を与える。ガギの体内に埋め込まれていたのはこいつの卵で、ムザン星人の攻撃は卵を割るためのものだったというわけだ。

 とはいえ、むろんただでパワーアップさせるわけもなく、サイクロメトラにはやっかいな習性も備わっている。それは取り付いた怪獣から養分を吸い取り、新しい卵を生み出すと、体内に備わっている特殊な反物質袋を破裂させ、最終的には取り付いた怪獣ごと自爆して卵を遠くへ飛ばすという、なんとも危険な繁殖方法であった。

 とはいえ、当然サイクロメトラが爆発すればムザン星人ももろともに吹き飛んでしまうために、このサイクロメトラにはあらかじめ反物質袋だけを取り除いた改造手術がおこなわれている。ただし、宿り木に取り付かれた木が枯れてしまうように、一度サイクロメトラに取り付かれてしまった怪獣は、養分を吸われていずれ衰弱して死んでしまう。今でこそ再生能力を得たものの、今後使うことができないからこそ、ムザン星人はサイクロメトラを孵化させるのをためらっていたのだ。

 だがそれと引き換えに、今ガギはこの戦闘に限っては無限の体力を得て、追い詰められていたゴルメデに逆襲していた。

 ガギの二本の触手の鞭が、グドンのそれのようにゴルメデの体を打ち据える。

 さらに、後顧の憂いがなくなったムザン星人は空から向かってくるリドリアスに光線を撃ち返し、その一発を翼に当てて墜落させた。

「リドリアス!!」

 アイーシャ達翼人が、守護神の被弾に悲鳴をあげた。

 リドリアスは左の翼にダメージを負い、すぐには飛び立てないものの、地面にしっかと足をついて立ち上がった。

 これはリドリアスが完全な鳥型怪獣ではなく、鳥人とでも言うべき人間に似た胴体の背中に翼の生えた姿をしているためだ。このため、地上でも戦うことができるのだが、鳥が地上に立つのは馬に乗った騎士を海で戦わせるようなものであることはいうまでもない。

「大いなる翼……私達をお守りください」

 必死の願いを込めてアイーシャは祈った。身勝手、と言われるかもしれないが、リドリアスはなおも人々を守ろうとムザン星人に立ち向かい、くちばしで頭をつつき、殴り合いに持ち込もうとする。

 そんな勇敢なリドリアスの戦いに、キュルケも興奮してエールを送る。

「いいわよ、頭よ、頭を狙うのよ!!」

 どんな生き物でも頭は共通した弱点だ、少々荒っぽいが的確なアドバイスを飛ばしてリドリアスを応援する。

 しかし、その作戦も次の瞬間には雲散霧消した。キュルケやシルフィード、アイーシャら翼人達、地上の村人達、さらにタバサでさえ悪夢を見ているかのように顔から血の気を引かせ、月明かりの下の惨劇を疑わずにはいられなかった。

 

「頭が……尻尾の先に移った!? な、なんなのよあの化け物は」

 

 なんとリドリアスに頭部を集中攻撃されたムザン星人は、頭部を体から分離させ……正確には、人間で言うなら腰の辺りまでの背骨の部分を首ごと体から分離させて、まるでサソリの尻尾の先に頭があるかのような異形の形態へと変化し、四足歩行になった胴体部分でリドリアスを押し潰してしまったのだ。

 星人の全体重をかけられて、リドリアスはなんとか逃れようとしてもがくものの、元々空を飛ぶためにそんなに力のある怪獣ではないリドリアスでは振り払うことができない。

 また、ゴルメデも攻撃してもすぐに回復してしまうガギの前に、次第に疲労が溜まっていっていた。そして遂にガギの巨大な爪のついた腕の攻撃をしのぎきれずに大きく跳ね飛ばされ、致命傷にこそまだならなかったけれども、起き上がった体には力がこもらず、口元は荒い息を吐いて見るからに苦しそうだ。

 

 このままでは……

 

 最悪の未来への予感が惨劇の執行人である星人以外の全員の脳裏を、服の中にもぐりこんだ蛇のように冷たく掠めていった。

 特に、これまで力に対しては常に泣き寝入りを強いられ、ヒステリックな反動意識のみを伸ばし続けてきたエギンハイム村の住人達には、絶望は砂に吸い込まれる水同然に侵食していった。

「ああ、もうだめだぁ」

「救世主なんていない、俺達はみんなここで死ぬんだ」

「なんでこんなことになんだよ。そうだ、あの翼人達だ、あいつらさえこの森にいなければ、あんな化け物どもも来なかったものを」

「そうだそうだ! 俺たちはただ平穏に暮らしたかっただけなのに、みんな奴らのせいだ」

 絶望という絵の具は、村人達の現実逃避、狂騒、責任転嫁という絵筆によって、愚行という醜悪な絵画をものの見事に描き出していた。副題をつけるなら、これに『滑稽』とも書き加えられるだろう。

 また、上空で戦いを見守っていた翼人達も、守護神と仰いできた二頭の怪獣が倒されるのを、海が干上がっているのを目の当たりにしたのかのように、信じられない様子で、愕然と見つめていた。

 

 だが、この場の中にあって、唯一イレギュラーといえる存在だった彼女達がとった行動が、破滅への一本階段の敷石の一つを切り崩した。

『エア・スピアー!!』

『フレイム・ボール!!』

 風の槍が炎の玉を飲み込んで火の矢となり、ムザン星人の左目を貫く。その予想外のダメージにさしもの星人もうろたえてバランスを崩し、その隙にリドリアスは脱出に成功した。

「やった! どうよ」

 シルフィードの背でタバサの体を抱きかかえつつ、キュルケの叫びが夜空に響いた。

 その勇壮な姿に、今まで醜態を晒していた村人達も手のひらを返して歓声をあげる。

「おおーっ、さすが貴族様」

「そのままやっちゃってくだせえ、応援してますぜ、ひゃははあ」

 現金なものである。たった今までの周到狼狽ぶりはどこへやら、これには村人達に翼人と争ってはいけないと命がけで説得しようとしていたヨシアだけでなく、サムも眉をひそめた。

 自分では何もしないくせに、ちょっとでも流れがよくなると諸手を上げて歓迎し、悪くなれば他人のせいにして卑屈になる。これでは営利に取り付く小役人、いや奴隷根性といっていいだろう。ついこの間まで自分でやっていたことの醜さを、サムは他人の姿を通して眺めることで初めて知ったのだった。

 しかし、片目をつぶされて怒った星人は首長竜のように頭を振りかざし、離脱しようとするシルフィードに光線を放ってきた。

「くっ……」

 かろうじて巨木のような光の矢をかわしたが、巨大化して威力を格段に上げた光線はシルフィードでも当たれば粉々にされてしまうだろう。背中に乗った二人が振り落とされかねないギリギリでジグザグ飛行をするけれども、その一発が翼の先端をかすめて、痛みで翼の感覚を麻痺させてしまったシルフィードはきりもみしながら墜落していった。

「きゃああーっ!!」

 高速度でバランスを崩した物体がどうなるかは、スピンしたF1カーを連想してみるとよい。また、飛行機がこの状態になると体勢を立て直すことはまず不可能になる。タバサとキュルケだけなら振り落とされても、フライで飛行することはできるが、そうなればシルフィードは地面に激突して、いくらドラゴンでも助からない。

 レビテーションを……タバサはなんとかシルフィードを助けようと、必死でしがみついたまま呪文を唱えようとした。だが、風圧と遠心力が強すぎて舌がうまく回らない。

 間に合わない! そうタバサがあきらめかけたときだった。地面と自分達との間に何かが割り込んで、その柔らかい背中で彼女達を受け止めてくれたのだ。

「リドリアス……」

 まさに間一髪だった。彼が救ってくれなかったら、今頃三人まとめて墜死していたのは間違いない。

 けれどそれよりも、彼女達はリドリアスの全身についたおびただしい傷を見て戦慄した。

「ひどい傷……こんなになってまで」

「きゅい……なぜ、あなたはここまでして戦おうとするの、ね?」

 星人の容赦ない攻撃によってつけられた傷は、これまで多くの闘いを見てきたタバサとキュルケなどから見てもひどいものだった。

 しかし、それでもリドリアスはシルフィードが再び飛び上がったのを確認すると、またムザン星人へと立ち向かっていく。

 なぜ……どうしてそこまでして……傷ついた体を押してリドリアスは星人に体当たりを食らわせ、ゴルメデも爪と鞭で傷つけられながらもまだガギに向かっていく。

 

 そんななかで、ガギの放った光線が流れ弾となって翼人の群れに向かってしまった。

「ひっ!」

 翼人の飛翔力を持ってしても、これは避けられない。アイーシャ達は覚悟して目をつぶろうとした瞬間、まさにそのときだった。

「ああっ!!」

 光線は彼女達に届きはしなかった。とっさに盾となって立ちふさがったリドリアスの体に受け止められたからだ。

 だが当然、その代償は大きかった。傷ついた身でガギの破壊光線の直撃を浴びたリドリアスの体は今度こそ耐えられずに地上に落下し、今度はもう起き上がることもできないほどのダメージを受けてしまっていたのだ。

 墜落したリドリアスにムザン星人は歩み寄り、とどめを刺そうと虫けらにするように踏みつける。

 けれどそのとき、アイーシャ達の心の中で、心を縛っていた何かがはじけた。

 

「草木は契約にもとづいて鞭となり、我らにあだなす者の自由を奪う!!」

 

 先住の……精霊の力が自然を動かし、森の木々が触手のように伸びてムザン星人の体に絡み付いていく。

 しかも、半端な数ではない、星人がいくら力任せに引きちぎっても、次々伸びてきてその体の自由を奪おうとしていく。

「ようやくわかりました……大いなる翼の意志、それは守るために戦うということ、戦いの中でも守るべきものが何かであることを忘れずに、それを守り抜く強い心を持つということ!」

 そうだ、平和は確かに重要だが、それは何もせずにやってくるものではない。この世には、完全な善人はいないが、完全な悪人ならば存在する。そんな奴らに何もせずに無抵抗を貫くのは、ハゲワシの前に生肉を置いて自制を期待するに等しい。

 力を暴力のために振るうのは悪だ。暴力を振るわずに耐えるのは善かもしれない。しかし、小さな善は大きな悪にとって絶好の餌食だ。いじめられている子供が、相手が痛がるからと手を上げずに無抵抗を貫いても、相手は増長し、さらにいじめがエスカレートするだけだ。必要悪、よい言葉ではないが、大きな悪から身を守るためには力が必要なとき、戦わねばならないときも確かにある。

 ただし、仕方が無いからと戦いを正当化し、守るべきものを見失っては本末転倒だ。誰かを守るために戦うのは正義、しかし戦いそのものの本質は悪、それを常に心に留めておかねば正義はたやすく悪に変わる。

 

「タバサ、もう一回やりましょう」

「お姉さま、シルフィももう怒ったのね、お姉さまは悔しくないのかね」

「……腹が立つ」

 タバサとキュルケも、リドリアスの我が身を挺した懸命な姿に打たれて、残った精神力を振り絞って呪文を唱え始めた。任務、誇り、理由付けはいくらでもできるが、少なくともあの倒れざまを見て黙っているような奴は人間じゃない。

『フレイム・ボール!!』

『ライトニング・クラウド!!』

 火炎弾がムザン星人の残った右目を狙い、雷撃がゴルメデを組み敷いていたガギにわずかなりともショックを与えて後退させた。

「貴族を……いいえ、人間を……なめんじゃないわよ!!」

 また目を狙われて怒り狂うムザン星人の光線をかわしながら、キュルケは心から叫んでやった。いくら強大な力を持っているとはいえ、それで弱者をいたぶっていいはずはない。力を行使し、また力に抗うのは、本来誰もが当然持っている生きるための権利のはずだ。自分からそれを捨てさえしなければ。

「ふん、ちょっとは効いてるかな。けど、そろそろあなたも精神力が限界なんじゃない、どうする?」

 魔法は無限に使えるわけではない。その人間のレベルに応じた精神量があり、その範囲内でしか使用することはできず、トライアングルクラスである二人でも、長引く戦いでそろそろ残量が乏しくなってきている。また、翼人達の捕縛網も短時間ならともかく、星人のパワーには拘束も長持ちしない。第一彼らもそろそろ疲労してきている。

 ここで何か手を打たねば、気概はともかく全滅は免れないだろう、キュルケはタバサの冷静な状況分析力と作戦立案能力に賭けた。

「……あっちの鞭を持った怪獣は、多分あの怪物が操ってる」

「そうか、猛獣使いを倒せばいいというわけね。けど、とどめを刺すにもどうすれば」

「ひとつだけ、手がある」

 タバサはキュルケに、星人打倒の作戦を手短に説明した。それは、自分達だけではなく、翼人、村人全ての力を必要とする極めて困難なものだった。成功率もあまり高いとは言えない。しかしリドリアスは傷つき、ゴルメデもガギを抑えておけるのも限界にきている。もう迷っている時間はなかった。

「難しいわね、けど、それしかもう手はないか……わかった、そっちは任せたわよ」

「……うん、シルフィード、しばらくお願いね」

「任せといてなのね。めちゃくちゃに引っ張りまわしてやるなのね!!」

 短く話を済ますと、キュルケとタバサはシルフィードから飛び降り、それぞれフライで飛行しながらタバサは翼人のほうへ、キュルケは村人達のほうへと向かい、そしてシルフィードは残ってムザン星人への牽制を続行した。星人は、光線をなおもシルフィードに向かって放ってくるものの、傷つけられた怒りと、視力が半減したことによって二人が離脱したことには気づかず、むしろ軽くなって速くなったシルフィードに引っ掻き回されているありさまだった。

 そして、村人達の前に降り立ったキュルケが開口一番で村人達に言った。

「あんたたち、ちょっと手を貸しなさい!!」

「手を貸せって、いったいどうしろってんですかい?」

 突然戦いに参加しろと言われてうろたえる村人達に、遠慮なくキュルケは策を披露していく。

「簡単よ、わたし達はあいつにとどめを刺すためにこれから残りの全部の精神力を使い切る。その隙をあんたたちの手で作ってくれってことよ」

「なっ、貴族やあの翼人どももかなわない相手に、私たちでいったいどうしろってんですか!?」

 明らかに狼狽し、全力で否定する村長や村人達を冷ややかに眺めて、キュルケは最後にサムとヨシアに視線を向けて、いつもルイズを馬鹿にするときのように、わざと突き放すように言い放った。

「時間が無いから手短に言うわよ、翼人達がこれから全力であいつを地面に引きずり倒す。そこを狙って奴の右目にありったけの武器を打ち込みなさい。あとはわたし達がやるわ」

「もし、失敗したら?」

「そのときは、あんたらもわたし達も死ぬだけよ。そんなこともわからないの」

「そんな、あんまりじゃないですか! 私どもは細々と暮らしながら必死で税を納めてやってきただけなのに、騎士様達は私達を守ってもくれない上に、また私らを道具にしようって言うんですかい? そんなのごめんですよ」

 ついに本音を漏らした村長に、キュルケは今度はルイズにさえ向けたことのない、つばを吐きかけるかのように完全に見下した目を向けて、最後に言い放った。

「そうね、確かにあなたたちは細々と平和に暮らしたいだけかもしれないけど、あなた達のそれは生きているとは言えないわ、ただ死んでいないだけ。生きている人間にはかばう価値はあるけれど、死体を守って傷つくなんて、まっぴらごめんこうむりますわ。あなた達がこれまで、なにをしてきたかよく考えてみることですわね……じゃ、頼んだわよ」

 それだけ言うと、キュルケは再びシルフィードと合流するために飛び去っていった。

 村長達は、しばしいつもどおりの貴族の傲慢な説教だと、憮然としていたが、サムが斧を、ヨシアが弓を持って全員に向かって叫んだ。

「みんな、武器を持て! ぼく達の村はぼく達の手で守るんだ!!」

 その、いつも気弱で隅で小さくなっているだけのヨシアの言葉に、村人達は一瞬度肝を抜かれた。しかし、すぐに口々にそんなことできるわけねえだろと彼をののしりだす。

 だが、今のヨシアはそんなことで萎縮する、昨日までの彼ではなかった。

「みんな、これまでぼくらが何をしてきたよ。翼人の森に押し入り、力づくで追い出せないと知るやメイジをやとったり、理屈をつけて騎士を呼んだり、何一つ堂々と語れることなんてしてきてないじゃないか。その上自分達の村が焼かれても不平を言うだけで何もしないなんて、ぼく達は何のために生きているんだい!!」

 その言葉にサムも続く。

「お前ら、武器をとるのは誰のためでもなく俺達のためだ。俺達は貴族から馬鹿にされ、翼人達からも見下げられてきた。なんでだ? 魔法が使えない、それだけじゃねえだろ、俺達はこれまでかなわない相手にはひたすら頭を下げてばかりで、何もできない、脅せばすぐに逃げ出す奴らだとなめられてたんだ。そうだろ!!」

 そのサムの言葉に図星を指された幾人かが悔しそうにうつむいた。まだ少なくとも"悔しい"と思うだけの誇りは残っていたようだ。それを見たサムは駄目押しの一言を放った。

「だが、さっきの貴族の嬢ちゃんのセリフを思い出せ。俺達に向かって頼むと言ってきた、分かるか? 貴族が俺達平民を頼りにしてきたんだ。こんな機会は二度とねえ、さあ、先陣は俺が切る、貴族や翼人達を見返してやろうと思う奴はいねえか!!」

 どっかと大斧をかざしてサムの号令が響き渡った。

「……よし、俺はやる。そこまで言われて黙ってられるか」

「俺も、こうなりゃ死んだ気で戦ってやる!!」

「俺もだ、ヨシアでさえやる気になってるのに、引っ込んでられるか!!」

 意を決した若者達が、一人、また一人と弓や槍、鎌を持って立ち上がっていく。そしてそれは老人や子供にも波及していき、やがて躊躇していた村長らもついに意を決し、自分の顔を平手で思いっきり叩くと、やるぞ! と武器をとった。

「サム、ヨシア、どうせ村が無くなったんで、わし等がこの森で生きていく術はない。どうせもうない命なら、せめて派手に散らせてやる。ふふ、若いころエルフとの聖戦に参加して、命からがら帰ってきたときも、こんな感じだったのう」

「ありがとう父さん、いや村長。けれど村長たちは子供達を守って、離れていてください。村のことなら心配はいりません。アイーシャが、翼人達が再建に手を貸してくれるでしょう。それに、翼人達と協力できれば、前よりもっといい暮らしができるようになるはずです」

 ヨシアの言葉に、村長は一瞬目を見開いたが、やがてふうと息をつくと、何も言わずにうなづいてくれた。

 二人の兄弟の勇気が、奴隷同然に貶められていた村人達の心に、わずかに残っていた人間の尊厳の精神を思い出させたのだ。

「ようし、全員構えろ、すぐ来るぞ!!」

 

 そしてそのとき、まるで森全体が生き物になったのではないかと思うくらいに、あたり一面の木々が星人へと向かって伸びていった。

「みんな、力をいっぱいに込めて、怪物を地面に引き倒すんです!!」

 アイーシャの叫びで翼人達の最大の祈りを込めた力が森を動かす。魔法の力はその者の心の強さに左右されるが、それは先住魔法でも同じで精霊に願う強さが威力を高める。

 数百の蔓が星人の全身にまとわりつき、これまでより強い力で星人の体と首を押さえつけようとする。

「……あと少し」

 星人は拘束されまいと必死になってもがき、ガギに助けに来るように求める。だが、ガギは残った力を振り絞ったゴルメデに邪魔されて星人に近寄れない。

 命令を遂行しようとするガギの前にゴルメデが立ちふさがり、体当たりを食らわす。対して体勢を立て直したガギが両腕の触手でゴルメデを絡めとると、怪力を発揮したゴルメデが触手を引きちぎる。だが、サイクロメトラの力ですぐさま再生したガギは、今度は巨大な腕で打ち据えようとするが、ゴルメデは必死でそれに食いついて動きを封じようとするために、ガギは身動きができなくなった。

 ゴルメデの種族は鈍重な見た目に反して知能も高く、根性もある。かつて別の星でも同族が星の危機に仲間の怪獣達とともに立ち上がり、勝利に大きく貢献したことがあるのだ。

 そしてついに、その決死の奮戦が実り、翼人達の精霊の力がムザン星人の腕力を上回った。

 

「今だ、みんなやれ!!」

 地面に首をつけたムザン星人の右目に向けて、村人達はありったけの武器を打ち込んだ。斧、剣、槍、鎌、鍬が投げ込まれ、弓矢の雨が降り注ぐ。星人の巨体からすれば小さなものだが、人間だって目に入った一粒の砂のために痛がるものだ。それに過去には地球にも、たった一本のナイフで怪獣の目をつぶした勇敢な青年もいた。効果は充分、星人の右目は視力を失った。

「見たか化け物、これが魔法も使えない人間の意地だ」

 残った目をもつぶされた星人は暗闇にもだえて、必死に拘束を振りほどこうとした。

 だが、そこへシルフィードに乗ったタバサが残った全力を杖に集中させて、一気に斬りかかった!!

 

『ブレイド!!』

 

 杖を鋭利な刃物と化させ、メイジではなく剣士に変わったタバサは剣聖ザムシャーにも匹敵するかもしれない気迫を持って、ムザン星人の頭部に生えている触角を、一刀を持って斬り捨てた。

 

「今!!」

 

 最大の武器を失い、完全に無防備となった星人はもだえ苦しんでいる。タバサの声が満を持して精神力を集中していたキュルケに飛んだ。

「オッケー、最高の舞台のお膳立て……皆様感謝いたしますわ。さてこの舞台もそろそろ終幕に近づいてまいりました。大団円に向けて悪役にはそろそろ退場していただきましょうか。使うのははじめてですけれど、この微熱のキュルケの一世一代の大魔法、皆様とくとごろうじろ!」

 不敵な笑いを口元に浮かべ、眩く燃えるような赤い髪を掻き揚げて、キュルケは炎の女神のごとき気高さと猛々しさ、そして美々しさを揃えて魔力を解き放った!!

 

『ファイヤー・ウォール!!』

 

 魔力が熱エネルギーに変換され、周囲一帯を炎に包み込む。

 それは瞬間的に膨張し、星人を絡みとっていた木々をも飲み込み燃料として、巨大な火柱となって立ち上がった。

 

「や……やったのか?」

 

 村人達も翼人達も、天にも届かんばかりの火柱に包み込まれた星人の姿に、呆然として目を奪われた。

 だが、いかなる生物の生存も許さないように見えたその炎の中から、星人の首が悪鬼のように現れたではないか。

「まだ、生きてる!?」

 これだけの攻撃をして、まだ倒せないというのか! これでもうだめかと思われたとき、星人の頭に光球が飛んできて命中し、大きく火花を上げた。

「リドリアス!?」

 その一撃は、傷ついたリドリアスが最後の力を振り絞って撃ったものだった。 

 それは、星人の眉間を大きくえぐり、執念で起き上がってきた星人に、本当の引導を渡した。

 星人の首がゆっくりと崩れ落ち、炎に呑まれて消えていく。

「やった、倒した。倒したんだ!!」

 村人達の歓声があがる。

 そして、それを合図としたかのように、ガギにかかっていたムザン星人のコントロールも解けて、自我を取り戻したガギは、棒立ちになったところをゴルメデに投げ飛ばされた。

「残るは、あの怪獣だけね」

「……」

 シルフィードにまたがったキュルケとタバサは、起き上がってくるガギを見据えた。

 けれど、意気は旺盛だが、内心では恐々としていた。星人こそ倒したものの、今ので完全に二人とも精神力を使い果たしてしまった。もうコモンマジックのひとつも撃つ力はない。これであの怪獣に向かってこられたら、太刀打ちする手立てはない。

 しかし、それは杞憂だったようだ。ガギには星人に操られていたころの記憶はないらしく、突然のことにわけも分からずにきょろきょろとしていたが、ゴルメデが威嚇で一声吼えると、かなわぬと思ったのか地面を掻き分けて地底に逃げ去ってしまった。どうやら、自分がパワーアップしているということも忘れているようだ。

「逃げた、のよね」

「……逃げた、みたい」

 しばらくの沈黙の後、ふたりがぽつりと並んでつぶやくと、やがてそれに続いて人々の雄たけびが森にこだました。

「や……やったあーっ」

「かっ、勝った、俺達が勝ったんだあ!!」

 村人達は、まるで夢でも見ているんじゃないかと涙を流して喜び合う。

 その様子を、アイーシャ達翼人達はじっと見つめ、やがてその傍らに下りていった。

「っ……翼人達」

 村人達に緊張が走る。先頭に立ったアイーシャやほかの翼人達には敵意はなく、サムとヨシアの兄弟から、彼らは敵にはならないと聞かされていたが、やはり刷り込まれた恐怖心は簡単には消えない。

 だが、そんな彼らの躊躇を踏み越えるかのように、ヨシアが堂々と前に出て、そして。

 

「アイーシャ」

「ヨシア」

 

 愛し合う二人は、ただお互いの名を呼び合うと、しっかと抱き合って互いの無事を喜び合った。

 村人達は、しばらく呆然と眺めていたが、サムが前に出て拍手をかけると、すぐに一人、二人と彼に続いて、最後には村人、翼人全員揃っての大合唱となって、高らかに森に響き渡った。

「よかったわね。おふたりさん。ほらタバサ、あんたも何か言ってやんなさいよ」

「……おめでとう」

「よ……むぐぐ、きゅい、きゅい」

 下りてきたキュルケとタバサも、それぞれに二人を祝福し、シルフィードは村人の手前黙らされたが、声の明るさで祝福を表現した。

「ありがとうございます、皆さん」

「こんな日が来るなんて、夢にも思いませんでした」

 新しいカップルは、夢のような日の到来に、大粒の涙を流して、ただその言葉にならない感情を表現していた。

 

 が、そのとき。人々の頭上に、突然リドリアスとゴルメデの強くも、穏やかな遠吠えが響き渡った。

「リドリアス」

「ゴルメデ」

 二匹は、傷ついた体ながらも、新たな絆を得た人々を静かに見下ろし、そしてゆっくりと彼らに背を向けた。

「大いなる翼、そして地に眠る竜……行って、しまわれるのですか」

 アイーシャの言葉は、二匹の意思の代弁だった。戦いは終わった、ならば自分達がここに居続ける必要はない、その背中はそう言っていた。

「ありがとう……また、いつかあなたと私達はいっしょに飛べますか?」

 答えはなかった。

 リドリアスはゆっくり翼を広げ、ゴルメデは大地を掻き分け、大空と地底へと、それぞれ去っていった。

 ガギの残したバリヤーもガギが遠ざかったことで維持する力が無くなったのか、リドリアスの体当たりであっけなく砕けて、森を覆っていた残りも連鎖的に全て砕け散って消えた。

 彼らが、これからどこへ行くのか、それは誰も知らない……

 こうして、地獄のような一夜は終わり、森に再び静けさが戻ってきた。

 

 

 その三日後、エギンハイム村跡の広場では、陽気な声に飾られて、盛大な結婚式が執り行われていた。

 今回の事件で、村人と翼人達は考えを改め、和解して共に森で暮らしていこうということになったのである。

 とにかく、村人達も翼人達も住処を失い、これから森に再建される新しい村は、ハルケギニア初の人間と亜人が共存する村になっていくことだろう。

 もちろん問題は数多い、異なる文化や生活習慣は様々な軋轢を生むだろう。けれど、今二つの種族の間にはほほえましいカップルがいる。

 広場の真ん中で、翼人の礼装に身を包んだヨシアと純白のウェディングドレスに飾られたアイーシャの姿が、夏の日差しに明るく照らされて宝石より美しく見える。

 そんな二人を、こっちの二人と一匹は最前列で見物していた。もっとも、タバサは帰ろうとしたのだが、キュルケが強引に「あんたの将来のためにも見ときなさい」と押し付けたのである。

 

 式はとどこおりなく進み、最後に定番の誓いのキスで大団円を迎えた。その熱さときたら、キュルケでさえ顔を赤くしてしまったほどだ。

「ありがとうございます。タバサさん、キュルケさん」

 式も終わり、シルフィードに乗って飛び立とうとする二人を、アイーシャ達が見送りにやってきた。

 タバサはもう何も言わずにシルフィードの背中で本を読んでいる。代わりにキュルケが身を乗り出して答えた。

「よかったわね。けど、これから大変よ」

「はい、やるべきことはたくさんありますが、ぼくにはアイーシャがいるから、どんなことでも乗り越えていくつもりです」

「私も、ヨシアがいれば。それに、大いなる翼も地に眠る竜も旅立った今、私達も守るべきものをなくしました。いいえ、使命を果たしたというのでしょう。彼らが教えてくれたことを胸に、私達は新しい道を探して頑張っていくつもりです。タバサさん、キュルケさん、本当にありがとうございました。もし、何か困ったことがありましたら、いつでもいらしてください。私達にできることでしたら、何でもやらせていただきますわ」

 新しい夫婦はそう言うと、シルフィードの首に花束で作った首飾りをかけた。

「韻竜様、このたびはご助力、感謝いたします」

「きゅいーっ、やめるのね、背中がかゆくなるのね。普通に話してよね。でもま、よかったじゃないのね。お幸せにね。きゅい」

「はい」

 花束で飾られてうれしそうにしているシルフィードの横を通って、二人に聞こえないようにサムがキュルケにひそひそ声で話しかけてきた。

「貴族様方、今回は本当に感謝にたえません。最初のころはどうも失礼なことばかり言っちまって、すいませんでした」

「いいってことよ。あんたも、いい男だったわよ、弟に先越されちゃったけど、さっさと恋人作って追いつきなさい」

「精進しやす。ところで、ひとつだけお聞きしたいんですが」

「なに?」

「あの怪物ども、倒すのには本当にあれしか手がなかったんですか? あそこまでしなくても、ほかにもっと楽な方法があったような……もしかして」

「さあね、タバサに聞いて」

 キュルケがちょっと目配せしても、タバサは本に夢中で見向きもしない。けれど、無言の肯定はしっかりとサムの心に届いていた。

「やっぱり、翼人と人間を和解させるために、わざとあんな大げさな……」

 それ以上は無用だった。ただ深く頭を下げるサムを、ヨシアとアイーシャが不思議そうに見つめていた。

 

 

「行こう」

 ここでの任務は終わった。蒼穹の空に、村人達と翼人達の見送る声を受けて、シルフィードは飛び立つ。

 あっという間に村は見えなくなり、静かな時間がやってきた。

「ふぅーう、疲れたわねえ。けど、今までになかったくらい刺激的な日々だったわ。今度また誘ってよね」

「……もう、駄目」

「そんなこと言わずにさあ。ああ、でもあの二人の結婚式、本当にきれいだったわね。わたしもいつかは運命の人と盛大な式をあげたいわね。もちろんタバサも、いつかは通る道よ! そのときは、手取り足取り指南してあげるからね」

「……」

 タバサは、もういいとばかりに、返事をせずに本に目を落としてしまった。

 けれど、そんなタバサの将来について、彼女の友人と使い魔はなおも無責任な将来図を拡大させていった。

「ねえシルフィード、あなたも将来はタバサに素敵な恋人を作って欲しいと思ってるんでしょ」

「もちろんなのね。お姉さま、そんなに可愛いのにもったいなさすぎなのね、ボーイフレンドの一人もいなくてどうして青春の楽しみがありますか? でも問題はうちの学院にはろくな男がいないことなのね」

「そりゃ同感ね。ギーシュは馬鹿だし、ギムリは単細胞、レイナールは頭はいいけど見栄えが悪いし、その他の連中はそれ以前に特徴がないし、どーも資源が不足してるのよねえ」

「あっ、そういえばサイトさんはどうかなのね。顔はぱっとしないけど、陽気で優しいし、お付き合いを始めるにはぴったりなのかね」

「なるほど、それにヴァリエールの使い魔を口説き落とすのも悪くないかもね。あの子ったら、好きなの見え見えなくせに躊躇してるから狙いどころよ。あっ、でもそうなるとタバサがわたしの恋のライバルになるのか、まったく、さっさとくっついちゃえばこっちも悩まなくて済むのに、だからヴァリエールの女はだめなのよ」

 口々に勝手なことを言い合いながら、空の上の井戸端会議は続いた。

 

 しかし、タバサにはひとつだけ気がかりなことが残っていた。

"わたしがここに送り込まれたのは、やはりあの怪物にわたしを始末させるのが目的だったの?"

 それだけが、彼女の心にしこりとなって残っていたが、結局答えは出ようがなかった。

 しかし、とにかくこれでここでの任務は終わったのだ。タバサは仕方なく考えるのをやめてシルフィードをリュティスに向けて進路をとらせた。

 

 

 だが、そのころ。

 森の中で黒焦げになったムザン星人の死骸に近づき、何かをしている黒いローブで全身を隠した怪しげな人物がいた。

 そいつは、倒れた星人の死骸をじっと見つめていたが、突如ローブに隠された顔の額が輝きだし、炭と化した星人の死骸の中から一体の、人間の半分ほどの大きさの魔法人形が潜り出てきた。

 魔法人形は、怪しげな人物にとことこと近づき、胸に抱えていた物体を差し出した。

「ふふ……」

 それを受け取った人物は、それが目的の物であるかをまじまじと見て確認した。

 大きさは手のひらサイズの小さな石、しかしまるで生きているかのように不気味に輝き、脈動している。その鈍い光に照らされた姿は、以前ジョゼフといっしょにウルトラマンティガとアストロモンスの戦いを見ていたあの女のものであった。

「ジョゼフ様、目的のもの、確かに手に入れてございます」

 彼女は、頭の中でその主人に成果を報告すると、すぐにその返答がきた。

"ご苦労、余のミューズ。すぐに戻って来い、この目で見て確認してみたい"

 それは彼女の主、ガリア王ジョゼフ一世のものであった。

「はっ、今すぐに……しかし狙い通りにいきましたですね。この、ムザン星人が死ぬときに残すという、その力の源となる魔石、シャルロット様に頑張っていただいたかいがあったというものです」

"ふふ、全て余の狙い通り……さすが我が姪だ。よい仕事をしてくれる"

 ムザン星の魔石……それは星人の能力の源であり、これを身につけることによって強大な力を得ることができるという。ジョゼフはこれを手に入れるために、わざと放ったムザン星人をタバサに倒させたのだ。

「はい、シャルロット様の実力も、かなり上がってきたようですわ。けれど、こんな石ころひとつ、あの白塗りの奇人から買い求めればよかったのではないですか?」

"ふ、それでは興がなかろう。さて、次の駒を揃えるためにも、シャルロットにはこれからも頑張ってもらわなくてはな"

 

 

 続く



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第42話  王女の来訪

 第42話

 王女の来訪

 

 高次元捕食獣 レッサーボガール 登場!

 

 

 今日、この日の魔法学院は一段と暑かった。

 空には真赤に燃える太陽と入道雲、数千匹のセミの声がキングゼミラの鳴き声のように間断なく鳴り響く。

 地面からは陽炎が立ち昇り、撒いた水は石畳の上ですぐに蒸発し、ちょっとの風魔法ではどうにもならない。

 そんななか、暑いのを必死で我慢しながら全校生徒が講堂に集合し、オスマン学院長が壇上に立って一学期の終わりを告げるあいさつをしていた。

 そう、今日はトリステイン魔法学院も一学期の終業式、これから誰もが待ちに待った夏休みがやってくるのだ。

「それでは諸君、くれぐれも休み中はめを外しすぎたり、悪い遊びに手を出したりせぬよう、常に貴族の誇りを抱いて、また元気な姿で学院に帰ってきてほしい。以上じゃ」

 学院長の長い演説が終わり、当然エアコンなどない蒸し暑い講堂に気をつけの姿勢で立たされていた生徒達は、ようやくほっと息をついた。

「はー……やっと終わったわね、うー、喉渇いたわ」

「熱射病になりそうだぜ。んったく、校長の話が長いのはどこの世界もかわらねえな」

 二年生の列に並んでいたルイズと才人がひそひそ声で話していた。少し離れた場所にはキュルケとタバサが、別のところではギーシュがしおれたバラを通り越して、炭酸ガス固定剤をかけられたジュランのようになっている。

 しかしこれで、やっと一学期に学院でする勉強の全てが終わったわけだ。長かったような短かったような、これから二ヶ月半の夏休みが始まり、生徒達はほとんどが一旦里帰りしていく。

 けれど、ようやく解放されるかと思われたそのとき、壇上のオスマンがこほんと咳払いをして驚くべきことを告げた。

「さて、本来ならここで解散となるところじゃが、突然じゃが皆清聴せよ。実は、今日これから恐れ多くもアンリエッタ姫殿下がゲルマニアご訪問のお帰りに、この魔法学院に行幸なされるのじゃ!」

 その一言を聞いて、それまでのぼせていた生徒達の表情がいっせいに引き締まった。

 姫殿下、アンリエッタ王女がこの魔法学院にやって来る? 本当か!

「よって、本日の終業を延期し、生徒諸君はただちに正装し、歓迎式典の準備にとりかかってもらいたい。詳しいことはミスタ・コルベールに一任してある。よいな、くれぐれも粗相があってはならんぞ」

 ここまで来たら、もうぼけている生徒は一人もいなかった。のだが、オスマンに代わってコルベールが壇上に上がってきたときは、流石に耐え切れなかった数十名から失笑が漏れた。

 なぜなら、彼はローブの上にレースの飾りやら刺繍やらをつけて派手にめかしこんでいた。それだけならまだいいが、頭の上にロールしたでっかい金髪のかつらをつけているのはどういう趣味か? 百歩譲って似合ってると言ってもバチは当たらないだろうが、普段のつるっぱげの頭頂部をさらしている彼の姿を知っている者、つまりここにいる全員にとっては、それは珍妙な仮装にしか見えなかったのだ。

 それでも、姫殿下が来るという緊急事態である。生徒達は笑いをこらえてコルベールの話に聞き入った。

「皆さん、ことは緊急を要しますので一回しか言いません。ようく聞いてください。姫殿下の馬車の到着予定時刻は今よりおよそ二時間後、本日この魔法学院に一日滞在なさいます。よって、姫殿下の見えるところ、この学院の中に塵一つ落ちていることも許されません。よってこれより学院あげての大掃除を慣行します」

 その言葉に、生徒達の間にざわめきが走った。普段掃除などは使用人やメイドに任せてやったことはない。さらに、これから休みに入ってしばらく使わないからといって、いつも以上に散らかして出て行こうと考えていた者が大多数だ。しかし、いまさら後悔しても、もはや後の祭り。

「時間割を説明します。各人はこれより、まず自分の部屋、そして寮、校舎教室を可能な限り磨き上げなさい。いいですか、猶予は一時間半です。もしそれまでに汚れを残した場所があったら、その担当のクラスは連帯責任で厳しい罰を受けてもらいます。肝に銘じておきなさい。よいですね!!」

「はいっ!!」

 生徒達は一斉に背筋を伸ばして返事をした。その様子を見てコルベールも満足そうにうなづく。

 しかし、ビシッと決めるつもりで腰に手を当ててのけぞって見せたら、そのはずみでかつらがはずれて、床に落っこちてしまった。当然、その下に隠されていた鏡のような本当の姿が明らかとなり、熱していた空気が一気に凍り付いてしまった。

 数百のひきつった顔に見つめられ、コルベールが慌てて落ちたかつらを求めるが、壇上から落ちてしまったかつらはずっと下の床に落ちて拾えるわけもない。さらにどうしていいかと凍り付いていた生徒達の中から一言。

「すべりやすい」

 と、声がして、講堂はたがが外れた生徒達の大爆笑で包まれた。

 コルベールは当然タコのように真っ赤な顔になる。気の毒だが、ある意味自業自得、第一きちんと固定してこないほうが悪い。

 その中で、この喜劇のような悲劇の立役者は、思いっきり笑い続けている親友に声をかけられていた。

「タバサ、あんた最高。普段しゃべらないぶん、話すとやるわね」

「……嘘は言ってない」

 確かに、うそは言っていないが、いと哀れである。

 けれど、普段温厚なコルベールといえども堪忍袋の尾には限界があった。

「だまらっしゃい!! ええい黙りなさいこわっぱどもが、大口で下品に笑うなどなんたるふるまい、これでは貴族としての教育が王宮に疑われますぞ!!」

 と、凄まじい剣幕の逆ギレの怒鳴り声に生徒達はとりあえず黙ったものの、彼の教師としての威厳は取り返しようもなく半減してしまった。

「と、とにかく……諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せするまたとない機会ですぞ。さあ、もう時間がありません。まずはそれぞれの寮の大掃除、三十分で新築同然に片付けなさい。解散!!」

 大号令はなされた、生徒達は一斉に講堂を駆け出していく。

 

 

 それからは、まさに戦争とも言える凄まじい様相が学院中に繰り広げられることになった。

 普段は使用人任せにしている清掃だが、姫殿下がご覧になられるかもしれないという状況ではそんなことは言っていられない。慣れない手つきでほこりを払い、散らかっていた部屋の中を整頓していく。

 中には使用人を連れてきてやらせようと考えた横着な者もいたが、そこはオスマンが先手をとって使用人やメイド達に歓迎の式典の準備を命じていたので、彼らは貴重な時間を浪費して同級生達の顰蹙だけを買うことになった。

 もちろん魔法を使うこともできるが、部屋の掃除などという細かい作業ができるほど器用なものはそうはいない。第一、そんな使用人のやることに神聖な魔法を使えるかというプライドにこだわって、少年少女達は埃まみれになって大掃除をやっていた。

 それは当然ルイズ達も例外ではない。

「犬ーっ!! さっさときれいに済ませちゃいなさーい!!」

「無茶言うなーっ!! こっちは自分の寝床のわらを片付けるだけで精一杯だ。お前こそ、その机の上に転がってる拷問器具を姫様に見られてもいいのか!!」

「そ、そうね。えっと、じゃあこっちの棚に……いっぱいか、じゃあ衣装ケースに……いっぱいね。ああん、どうしよう!?」

 いつもなら才人やシエスタにやらせていることを、見よう見まねでやるが、中々うまくいかない。それはほかの生徒達も同じなようで、片付けるつもりが逆に散らかしている者が少なくない。

 それでもなんとか形だけは整えて、今度は校舎の自分達のクラスの掃除に向かったが、こっちはこっちで問題が待っていた。

「ツェルプストーっ!! あんたサボってないでしっかり働きなさいよね!!」

「だってあたしゲルマニアの出身だから、トリステインのお姫様なんかどうでもいいし。スプーンより重い物持ったことないんだもん」

 と、いった具合である。ちなみにタバサは片手で本を読みながら、片手で杖を振るって床のゴミを集めている。こんな器用な真似ができるのは彼女くらいのものだろう。

 しかし、時間内に掃除が終わらなければそのクラスは連帯責任で罰を喰らうはめになる。嫌われるのには慣れているが、自分も罰を受けるのは面倒だと、キュルケは花瓶の花を換えに行った。

「んったく、これだからツェルプストーの人間は……あれ、そういえばモンモランシーの姿も見えないわね。まさか彼女もサボリ?」

「違う違う、多分部屋の整理が終わんないんだろ。なんてったって、彼女の部屋は……」

「なるほど、あれなわけね」

 雑巾を持っているレイナールに言われて、ルイズも合点がいった。以前の惚れ薬の一件からもわかるとおり、彼女の部屋は香水やポーション製作のための工場と化している。あの大量の薬品や実験道具をしまうのはすぐには無理だろう。

 

 なお、苦労しているのは何も生徒達ばかりではなかった。

 コルベールをはじめとする教師達は、以前怪獣アングロスに破壊された宝物庫や学院の外壁、フリッグの舞踏会のときにパンドラ達が壊した建物の修復に追われていた。

 なんでも、学院の少ない予算のために建築士のメイジや平民の大工を雇う余裕がなく、休み期間中に低料金の業者にゆっくり直してもらおうと考えていたらしいが、半壊した校舎を姫様に見せるわけにもいかない。

 ただし、学院にも土系統のメイジの教師などは当然いるけれど、建物を作るためにはその内部構造なども熟知して、精密に作らなくてはならないため、ゴーレムを作るようにはいかないのである。建物とはレンガや敷石がただ積み重なってできているわけではない。魔法で作るにもそれなりの知識と経験がいるのだ。

 ま、要するに彼らがやっているのは姫様がいるあいだだけごまかすための、いわゆる張りぼてだ。それでも、怪獣が暴れた後だから容易にはいかずに、灼熱の日差しに照らされながら錬金を唱える教師達は真剣そのものだった。

 

 そうして、あっという間に一時間が過ぎ、死にそうなほどに疲れ果てた生徒達は荒い息をつきながら、正装に着替えて校門へと集合していた。

「ま、間に合った……」

 暑さと疲れと+αで正装のドレスを汗びっしょりにしたルイズが、整列している生徒達の列に入り込む。

 あの後、片付けようもなかった生徒達の私物は、教材用の物置や宝物庫に叩き込み、一応の体裁を整えられていた。モンモランシーなどは貴重なポーションの瓶が騒動のせいで割れてしまったと嘆いていたが、今はもうそれどころではない。

「来たぞ、姫様の馬車だ!」

 誰かがそう叫んで、一斉に生徒達に緊張が走った。

 馬のひづめの音がゆっくりと大きくなり、馬車のシルエットが陽光に反射して、豪奢なつくりを際立たせる。

 あの中に、姫様が……

 生徒達の思考はその一点にのみ集中され、もはや暑さなどを感じている者はいない。いやむしろ万一にも無礼があったらと冷や汗が出てくるほどだ。

 近づくにつれて、王女の馬車を護衛している兵士達の姿も明らかになってくる。前列と後列には、あの銃士隊ががっちりと睨みをきかせ、アニエスとミシェルの二人の姿も馬上に見え、顔見知りのギーシュ達はさらに緊張した。

 しかも、その上空には現トリステインに残る唯一の魔法衛士部隊であるグリフォン隊が広域に渡って地上を見下ろしている。まさにトリステインという国の威信を象徴する堂々たる行列である。

 やがて彼らの正面に馬車が止まり、衛士達と召使による仰々しい儀礼が済んだ後、呼び出しの衛士が高らかに王女の登場を告げた。

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーりーっ!!」

 そして、馬車からマザリーニ枢機卿に続いてアンリエッタ姫が降りてくると、生徒達から大きな歓声があがった。

 王女はにっこりと日輪のような笑顔を浮かべ、優雅に手を振って応えた後、歓迎に対する感謝の言葉を述べた。

「魔法学院の皆様、熱烈な歓迎に心からの感謝を申し上げます。昨今の緊張した情勢の中、この学院は幾度にも渡って敵の襲撃を受けましたが、独自の力で撃退したと聞きます。そのような勇敢な方々を、この期を利用して是非慰労したく、また将来のためにも未来のトリステインを担って立つ貴族達を立派に育てる学び舎を、この目で見ておきたいと思い、突然ですが今日はやってまいりました」

 先程より、さらに大きな歓声が王女の言葉に応えて沸き起こった。

 

 だが、それからの半日は生徒達にとって、もっとも長い一日となった。

 アンリエッタ王女の学院見学は生徒たちの想像以上に徹底していたのである。

 それは校舎の各教室を見て回るのは当然、生徒達の寮で学生がどんな生活をしているかを一部屋ごと見て回ったり、最後には厨房や使用人寮までやってきて、コック長のマルトーやシエスタをはじめとするメイド達は卒倒しそうになった。

「よく片付いている……と言いたいところですが、きれい過ぎますね。わたくしが来るからといって、慌てて掃除したのではなくって?」

「い、いえ……ご推察どうりです」

 コルベールは派手なかつらが落ちるのもかまわずに深々と頭を下げ。

「一年生の寮に比べて、三年生の寮のほうが汚れていますね。学年が上がったからといって気を抜いてはいけませんよ」

「はっはい! 以後気をつけます!!」

 三年生は全員揃って再掃除をすることになり。

「この部屋は香水のよい匂いがしますね。けど、最近ちまたでは禁制の惚れ薬なるものを甘い言葉で売買する不貞なやからがいるとのこと、決して誘惑に負けてはいけませんよ」

「も、ももも、もちろんですとも!!」

 モンモランシーは心臓が三つはつぶれそうになったり。

「何か、不当な待遇を受けたりしていることはないでしょうか? 貴族の中には平民を奴隷と混同する愚か者も多いので、わたくしも心を痛めていますが、何かありましたら遠慮なくおっしゃってください」

「めめめめめ、めっそうもありません!! 貴族の若達には、もうそりゃあよくしてもらっています。なあみんな」

「はは、はい。わたし達は毎日楽しく働かせていただいています」

 マルトーやシエスタ達使用人達は、整列しながら、姫様と直接話せるなどと一生に一度あるかないかという機会に、完全にパニクっている。

「……わたくしが王女だから、ほかの貴族の目があるからと、気を使ったり怯えたりすることはないのですよ。それでもというのなら、わたくしは今日ここに滞在しますから、わたくしの護衛の銃士隊の人達に手紙を託してくれたら、必ず目を通しましょう。字が書けない人は、同じく銃士隊の人に伝言を願えば、わたくしのところまで必ず届けさせます。彼女達はあなた達と同じ平民ですし、秘密はわたくしの名誉にかけて守ります。わたくしは明朝に出立します……では、夕食楽しみにしていますよ」

 カチコチになって、とても話のできる状況ではないマルトー達に向かって、王女は優雅に会釈すると、軽やかな足取りで立ち去っていった。

 その後、本当は貴族の子弟の横暴に辟易していたマルトー達が、これからどうすべきかと話し合い始めるのを横で見ながら、隠れて見守っていた才人はアンリエッタの才覚に感心していた。

「たいした王女様だな。俺の国の総理大臣にほしいくらいだぜ」

「俺も武器屋の片隅でうわさくらいは聞いていたが、ありゃ中々の逸材だな。少し前は世間知らずの箱入り娘なんて言われていたこともあったが、トリスタニアが焼けた後からはまるでうわさが変わったな」

「ん、どういうことだ?」

 背中のデルフも話に加わって、二人はアンリエッタの人となりについて話し始めた。

「要するに、最初のベロクロンの襲撃で国が滅茶苦茶にされて、いろいろあったってことだろ、それこそ人間として一皮剥けなきゃ勤まらないような過酷な政務をな。逃げ出しようもない逆境に直面させられたら、乗り越えるために人間は嫌でも成長するもんさ」

「なるほどね」

 昔のアンリエッタを知らない才人は、今のアンリエッタが見る限り非のつけようもない統治者だと思うしかなかった。この半日で学院の教師も生徒もたるんでいたところを見事にひっぱたかれたわけだ。しかも、使用人にまで配慮している。

 そうして、二人があれこれと話し合っていると、向こうでも話し合いがもつれていると見えて、シエスタが才人のところにやってきた。相談の内容は当然、たまってる不満を姫殿下に申し上げるべきかどうか? 賛成派はまたとない機会だといい、反対派は姫殿下に不快な思いをさせてはならないと、真っ二つに意見が割れて、まったく決まらないという。

「そういうことは、俺よりこいつが適任だな。なっ、デルフ」

「ちっ、面倒なことは人に押し付けやがって、まあお前の三百七十五倍も生きてるからな。んで、メイドの娘っ子、おめえはどうしたいんだ?」

「わ、わたしは……申し上げたいとは思っています。ミス・ヴァリエールやミス・ツェルプストー様達はよくしてくださいますけど、まだ大半の皆様は何かありますとすぐ杖を振り上げますし」

「なら訴え出ろ、貴族の子弟の横暴をなんとかしてくださいとな」

「で、でもそんな恐れ多い……」

「やれやれ、よーく考えてみろ。もし明日までに申し出がひとつもなかったら、待っていた姫さんはどう思うよ」

 それを聞いてシエスタははっとした。あの聡明な姫のことだ。使用人にまったく不満がないなどと信じている訳がない。

「それにな、恐らく姫さんはあんたらを試してるんだよ。勇気を出して自分のところに来るか? それとも怖がってこのまま泣き寝入りを続けるか? 虐げられているからって無条件では助けない、可愛い顔して中々厳しいねえ」

「姫様は、そこまでわたし達のことを思って……」

「もっと言えば、あの横暴なガキどもがそのまま大人になってみろ、お前らはさらに泣きを見るはめになるぞ。奴らの将来のためにも、どうすべきかはもう言わなくてもわかるだろ」

「……わかりました。ありがとうございます。デルフリンガーさん!」

 シエスタは才人の背中の剣に向かって、深々と会釈をして、まだ口論をしている仲間達の元へと駆けていった。

「やるじゃんお前」

「なんとかの甲より年の功ってやつだ。やれやれ、我ながらおせっかいなことだねえ」

 

 

 その後、アンリエッタは学院長室でオスマン、ロングビルらと会見し、教育がなってないと厳しく叱責していた。

 ちなみにアンリエッタは当年とって十七歳、地球とハルケギニアの暦の差を計算しても十八歳の少女が三百を超えている老人を叱り付けているというのはすごいもので、秘書のロングビルさえ教育不行き届きを指摘されて、かつてのフーケとは思えないほど冷や汗を流していた。

 なお、その後ろで常に無言のままアンリエッタの行動を見守っていたマザリーニが、生徒の成長を喜ぶ教師のような表情を一瞬覗かせたことに、目がいった者はいなかった。

 

 

 やがて夏の長い日も暮れて、生徒達は地獄のような一日からやっと解放された。そして夕食だけを掻きこむ様にとると、心身ともにぐったりした様子で、生まれて始めて自分で手入れしたベッドの上に転がり込んだ。

 ただし、そのころ食堂ではアンリエッタ主催で、ささやかな晩餐会が開かれていた。

 この席に招待されたのはルイズ、キュルケ、タバサ、ギーシュ、ギムリ達をはじめとする、かつて対メカギラス戦に参戦した経験のある者達、ようするにWEKCの面々で、そのときの礼もこめて会食の場を持ちたいとの、姫殿下のご意思とのことであった。ちなみに才人は一応の体裁を保って、部屋の隅で待機している。

 全員が集まったことを確認すると、アンリエッタは全員を見渡して会食のはじまりを宣言した。

「ここに集まってくれた皆さんは、学院でも特に勇猛で、怪獣の侵攻を、一度ならず中核となって撃退する原動力となったとか。そんな将来有望な方々と、是非一度語り合う場を持ちたいと思っておりました」

「は、はいっ! こ、光栄であります」

 にこやかに語るアンリエッタに、一応隊長役のギーシュがしどろもどろになりながら答えた。

 しかし、アンリエッタは真剣なようだが、どうやら王女まで伝わるまでに噂が化けてしまったらしい。まあ、トリステイン王宮でバム星人相手に奮闘したときは活躍と呼んでいいだろう。ただ、その後彼らの活躍といえば、パンドラたちが来たときは下手な攻撃で怒らせてしまったし、スチール星人とヒマラのときは皆を煽って悪ふざけをしたくらい。最初の印象がよほど強かったからだろうが、せっかく王女様が自分達のことを買ってくださるのだから、ここでへまをして心象を悪くするわけにはいかない。

「あ、あのの、わ、わたくしたち、は……国の役に、立つために、つつ、常に鍛錬ををを」

 なんとか存在をアピールしようとしているようだが、思いもかけないチャンスな上に、皆の目があるために、目立ちたがり屋のギーシュといえども舌がもつれて言葉になっていない。周りで見守っている少年達も、これはまずいと思い出して、レイナールがとっさに話題を変えた。

「と、ところで、姫様は今回のゲルマニアご訪問はいかがでしたか? 我が国のこれからを願う者として、他国の状況も把握しておきたいと思いますので」

「そうですね、ではそのことをお話しましょう。質問があればご自由にお願いします」

 ナイス! 少年達はレイナールのファインプレーに心の中で賞賛を送った。

 また、会談自体には興味を抱いていなかったキュルケとタバサも、この話には少なからぬ関心を示した。

「最近は、ゲルマニアでも怪獣の出現が頻繁に確認されています。いくつか例をあげますと、ゲルマニアの精錬工場地帯に、巨大な耳と翼を持った怪獣が出現してゲルマニア軍の攻撃をものともせずに暴れ、工場地帯が無人になりましたらやがてどこかに飛び立ったそうです。ほかにも、海に面した工場地帯の海中から海草を体に巻きつけたような怪獣が現れ、火のメイジと大量の火の秘薬を用いてなんとか焼き尽くして倒したということです」

 才人は、恐らく騒音怪獣ノイズラーと、ヘドロ怪獣ザザーンだと思った。ゲルマニアはほぼ中世ヨーロッパそのもののトリステインやガリアと違って、鉄や石炭を使った近代工業の基礎がある程度存在している。すなわち、公害も発生しているということで、それらの汚れた物質にヤプールのマイナスエネルギーが作用し、怪獣を呼び寄せたり誕生させたのだと推測できる。

「ゲルマニアでは、独力で怪獣を倒したのですか?」

「そう聞き及んでいます。かの国の軍事力はトリステインを大きく上回ります。ただしそれだけではなく、ある話では、平民出身の指揮官が率いる部隊が、人間をキノコ人間に変えてしまう巨大なキノコのような怪獣を、石炭と火薬の貯蔵してある倉庫街におびき寄せて、一挙に爆破して焼き尽くしたとのことです」

 これはキノコ怪獣マシュラと思って間違いないだろう。かつてはウルトラマンタロウのドライヤー光線で倒された怪獣であるとおり熱に弱いが、半端な火力ではミサイルでも跳ね返す。誰かは知らないけれど、そのゲルマニア軍の指揮官は、一個艦隊規模の火薬と石炭を一気に炸裂させたのだろう。

 この話に、生徒達の大部分は魔法を使わずに平民が小ざかしい手を使ったと思ったようだが、それだけの爆薬を集め、なおかつその損害を許容するゲルマニアの国力、そして平民の発案したその作戦を認可した軍の柔軟性は高く評価されるべきだろう。もっとも、それに気づけるか否かが、この二国を決定的に分ける理由なのだろうが。

「どんな方法であろうと、戦果をあげている以上それを認めるべきでしょう。それに、我が国は現在軍の再編の真っ最中ですが、決定的に指揮官となるメイジが足りません。貴方方も、いずれ平民の指揮官の命令に従って戦場に赴くことは覚悟していてください」

「姫殿下、それでは軍そのものの機構を変えるとおっしゃるのですか!?」

「ゲルマニアはそうして我が国より強くなっているのですよ。ほかにもこんな話を聞きました。ある山岳地帯に全身岩でできた怪獣が現れて騒ぎを起こしましたが、なんと現地の平民の少年がこれを倒し、その功でシュヴァリエに叙されて、一躍英雄となったりなどしています。ふふ、まるで貴方方のようですわね」

 これは岩石怪獣ゴルゴスだろう。ゴルゴスは特殊な生きている岩石が火山岩を寄せ集めてできた怪獣で、このコアの岩石を破壊すれば容易に倒せるため、怪獣頻出期の初期には警官のピストルで倒されている。

 生徒達は、王女がゲルマニアをモデルにした大規模な改革を考えていることを知った。むろん、保守派の貴族達からは反発が来るだろうが、皮肉にもそうした大貴族は、ベロクロンとの戦闘での戦死、またフーケの優先的な目標にされたことで、ホタルンガに大勢食い殺されたためにかなり減っていた。

 王女はそこで一旦話を区切った。しかし、トリステイン以外でもそれだけ怪獣が出ているとはと、生徒たちは噂には聞いていたが慄然とした。特にキュルケは自分の領地のことが話にあがらなかったことにほっとしていた。

「そういえば、ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世とはどんなお話を?」

 考えてみれば、それが訪問の目的であったはずだ。ゲルマニアの皇帝は、政権を得るために親族や政敵をことごとく塔に幽閉して、それで皇帝になったと後ろ指を差される人物ではあるけれど、少なくとも国政に失敗したり、国民が政策に不満を持ったりしているという話はされたことはない。人間性はともかく、政治家としては一級品であるということだろう。

「お話としては、対ヤプール戦の協力関係が大部分でしたわね。現在でこそ、撃退はできていますが、ヤプールもあきらめてはいない以上、いずれもっと強力な超獣を送り込んでくるでしょう。情報交換、軍の共同作戦、さすがに一筋縄ではいかない人でしたが、一応満足のいく結果を得られました。それから……対レコン・キスタ用の軍事同盟の話が出ましたが、今アルビオン王家は独力でレコン・キスタを撃破できそうな勢いですので、こちらはまあやんわりと。あとは、両国の友好のために、将来王家の親戚のだれかが、あちらに嫁ぐことになるでしょうと。もしレコン・キスタが優勢でしたら、同盟のためにわたくしがアルブレヒト三世に嫁ぐことになっていたかもしれませんわ」

 生徒達が一斉に安堵の空気が流れた。トリステインの象徴である可憐な姫様が、野蛮人の王に嫁ぐなど、いくら国のためでも考えたくもない。

 また、アンリエッタも、万一にもゲルマニアに嫁がなくても良くなったことを、将来アルブレヒト三世に嫁ぐことになる誰かには悪いことだが、運命に感謝していた。

 なぜなら、誰にも言ったことはないけれども、アンリエッタには幼いころからの思い人がアルビオンにいるからだ。かつて人目を避けてラグドリアン湖のほとりで密会し、将来の愛を誓い合ったその人のことを、彼女はかたときも忘れたことはなかった。

 レコン・キスタとの戦争が終われば、あの人と結ばれることも夢ではなくなる。誰にも見せない恋する少女の一面を心のうちに封印し、アンリエッタは生徒達との会食に意識を戻した。

 

 

 だが、そのころアルビオンではアンリエッタの想像をはるかに超えた、身の毛もよだつ恐ろしい事態が発生していたのだ。

 アルビオン北東部のある寒村。人の出入りもさしてなく、わずかな山菜を出荷して金子をかせぐ程度の本当に小さな村……そこは今、物音ひとつしない静寂に包まれていた。

 つい昨日まで畑を耕していた村人達は、今はわずかな布切れと、地面と家の壁にこびりついた赤い跡だけで、その存在の残りを主張するだけに成り果てていた。

 その犯人は、北の山からやってきた身長五メイルに及ぶ亜人、トロル鬼の一団である。殺戮と人肉を好む彼らは、その野蛮な欲望を満たすために、突然この村を襲って、住人をほんの数分で全滅させたのだ。

 しかし、今そのトロル鬼の一団もまた、わずかな肉片のみを残して地獄と呼ばれる異世界へとすでに旅立ってしまっていた。

 代わりに、今この場を支配しているのは五匹の異形の姿をした怪物、高次元捕食獣レッサーボガール。次元を割って移動する能力を持った宇宙生物の一種で、生き物であればなんでも餌とするこいつらは、腹を満たしたトロル鬼の一団に次元を破って突如として襲い掛かり、身長わずか二メートルとトロル鬼の半分以下の小ささながらも、GUYSのトライガーショットの攻撃も跳ね返す頑強さと、トロル鬼を上回る凶暴性と力で、またたくまに彼らが食い尽くした村人達同然に捕食してしまったのだ。

 そして惨劇から数時間が経過した今、食欲を満たして休息をとっていたレッサーボガール達は、新たにこの村にやってきた獲物の気配を感じて、その侵入者を群れをなして取り囲んでいた。

「この星の生物ではないな……餌を求めてやってきた、宇宙のハイエナどもか」

 その人物は、今にも飛び掛ってきそうなレッサーボガールの群れを見渡して、冷めた口調でつぶやいた。

 黒一色で統一された服は微動だにせず、端正な美貌に恐怖の色は微塵もない。

「帰れと言って聞き分ける知能もないようだな。この星の生態系に悪影響を及ぼす前に、消去させてもらおう」

 彼女は、それだけ言うと挑発するように手を振った。

 たちまち、激昂したレッサーボガールの一団は五匹同時に飛び掛ってくる。しかし、レッサーボガールどもの牙が彼女の身に触れようかと思われたそのとき、彼女の姿は瞬時にその場から掻き消えていた。

 危うく正面衝突しかけて慌てる五匹がとっさに上を向いた瞬間、直上からのキックが一匹の首のつけねに打ち込まれた。その一撃は人間によるものとは思えない重さを持って、レッサーボガールの強固な皮膚をものともせずに衝撃が内部に伝導、超合金並みの硬度を持つはずの首の骨を枯れ枝のようにへし折っていた。

「あと、四匹」

 感情の抑揚を感じさせない冷たい声が北風に流れていく。

 宇宙の秩序を守る者、ウルトラマンジャスティスことジュリの孤独な戦いが始まった。

 

 

 続く



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第43話  二人の黒い女

 第43話

 二人の黒い女

 

 ウルトラマンジャスティス

 高次元捕食獣 レッサーボガール

 岩石怪獣 サドラ

 宇宙怪獣 ゴルゴザウルス

 肉食地底怪獣 ダイゲルン 登場!

 

 

 全身を鎧に覆われたような貪欲な宇宙生物、レッサーボガールの群れが凶暴なうなり声を上げて威嚇してくるのを、ジュリの冷ややかな視線がなでていく。その目的は四匹のレッサーボガール、全ての抹殺だ。

「……」

 感情をあえて排除した冷たい目が、群れの隙を探して左右にゆっくりと動く。そこに、情けをかけて見逃そうなどという甘い考えはない。ただし、ジュリ、すなわちジャスティスは決して好戦的でもなければ力の信奉者でもない。しかし、宇宙の絶対正義の守護者である彼女の使命は宇宙の秩序を守ること。ひとつの惑星の生態系に他の宇宙生物が侵入すると、最悪そこの惑星全体を死滅させることがある。かつてジャスティスが戦ったサンドロスしかり、それ以前から宇宙全体を荒らしまわっていた光のウィルスしかりである。身近なところで言えば、外来種であるブラックバスやアメリカザリガニに日本古来の魚やニホンザリガニが駆逐されたり、オーストラリアに持ち込まれた犬によってフクロオオカミなどが絶滅させられた例がある。

 まして、それが宇宙規模となれば、時に心を鬼にして侵入者を駆除しなければならない。

 対して、食欲の権化であるレッサーボガールどもも、仲間が一体倒されて、この獲物が見た目ほどやわではないと悟り、今度は用心深く相手の動きを見ながら距離を詰めていくが、彼らはまだジュリのことを過小評価していた。

 突進してきた一体のレッサーボガールの攻撃はバックステップで軽く避けられた。間合いがはずれて体勢を崩したレッサーボガールは、充分な余裕を持って回し蹴りを繰り出してきたジュリの攻撃をまともに顔面に喰らい、鉄のように固いはずの額を軽々と叩き割られて絶命。今度こそ、残った三体の間に本能的な警戒心が走った。

 ウルトラマンは人間に姿を変えても、数々の超能力や、超人的な身体能力を発揮することができる。セブンはウルトラ念力や透視能力、ジャックも融合した郷秀樹の身体能力をMAT隊員の水準以上まで高めたり、エースもまったくの素人であった北斗と南をTACの試験に一発合格させるほどにしたくらいだ。

 もちろん、これには個人差や同化した人間との相性もあるだろうが、タロウ以降の兄弟達はほとんど人間と変わらない能力で過ごしている。超能力を度々使用した80も、用途を調査などにかなり限定している。これは、兄弟達の経験から、あまり突出した能力は人間として生活するなかでうとまれる原因になるかもしれないと配慮して、あえて超能力を封印しているのかもしれない。

 けれども、異世界の存在とはいえ、宇宙の秩序を乱す者を排除する使命を持ったジュリの場合は力をセーブする必要はまったくなく、他のウルトラマンに比べてその枠を大きく超えていた。

「ふん……」

 瞬時に間合いを詰めて、一体の首根っこを押さえて地面に引きずり倒す。レッサーボガールも必死になって抵抗しようともがくけれども、ジュリの力のほうが強い。

 だが、その隙を突いて、残りの二体がジュリの背中に襲い掛かる。が、すぐに反転したジュリは左の一体のボディに正拳突きを繰り出してのけぞらせ、返す刀でなおも食いついてきた右の一体の額をひじ打ちで破壊する。

 あっという間に五匹の群れが二匹にまで打ち減らされ、残った二匹はなんとかダメージを受けながら立ち上がったものの、口からよだれと血漿を漏らして、受けたダメージの深さが目に見えていた。

 それに対してジュリは息一つ切らしていない。能力を隠す気もないジュリに殺す気で力を振るわれたら、以前GUYSを手こずらせた怪獣といえども大人と子供も同然、勝負にすらなっていない。

 

 しかし、レッサーボガールにはまだ隠された能力があった。

 生き残った二体は、絶命した仲間の死骸に群がって、その肉を引き裂いて喰らっていく。するとどうだ、捕食した二体の体が見る見るうちに巨大化し、あっというまに身長四十七メートルの巨体に変貌したのである。

「共食いして自らの質量を増大させたか……」

 巨大化した二匹のレッサーボガールを見上げながら無感情につぶやくと、ジュリは左胸のジャストランサーを手に取り、あふれ出す金色の光に包まれて、自らもウルトラマンジャスティスへと変身した!!

 

 

「シュワッ!!」

 ジャスティスと、二匹のレッサーボガールが睨み合う。

 まったく隙なく構えをとるジャスティスは、威嚇の叫び声をあげてくるレッサーボガールにもまったく動じない。いやむしろ、数で勝っているはずのレッサーボガールどもの方が、ジャスティスに気圧されているかのようにすら思える。

 当然だ、いくら凶暴なレッサーボガールとはいえ、ジャスティスの長い戦歴から見れば上にいくらでも強い奴はいる。まして、今はウェストウッド村のときのように気遣いをしなければならないものは何もなく、不安要素が皆無な以上、油断しないように用心はしても、恐れる必要などは欠片もなかった。

 十数秒の無益な睨み合いの後、先にしびれを切らしたのは、やはり知能に劣るほうであった。一匹は目から、一匹は肥大した右腕から破壊光弾を同時に放ってくる。

「シャッ!」

 だが、攻撃を見越していたジャスティスは、まるで瞬間移動したかのように瞬時に二匹の背後に回りこむと、その背中に強烈なパンチをお見舞いした!

「フウァッ!!」

 拳がめり込み、レッサーボガールはなにが起きたのかも理解できぬままに、背骨を砕かれていく。

 この加速力、本気を出したときのジャスティスの動きは目で追うことも難しい。かつて異形生命体サンドロス、スペースリセッター・グローカービショップと戦ったときも、敵が反応する以上の加速で間合いを詰めて攻撃している。

 こんな真似ができるのは、彼女のほかには宇宙に一人しかいない。

「シャッ!!」

 さらにハイキックを後頭部に決めて前のめりに倒し、首根っこと腰のあたりを掴むと、もう一匹のほうへと投げ飛ばした。

 地響きが鳴り、針葉樹林がなぎ倒される。ぶつけられた一体は、早々に瀕死になったもう一体を乱暴に振り払うと、目から赤色光弾を放った。けれどもそれもジャスティスが軽く腕を払うだけではじかれる。

 さらに、おかえしとばかりにジャスティスは拳を突き出し、金色のエネルギー弾を放った。

『ジャスティスマッシュ!』

 光弾は狙いたがわずにレッサーボガールの頭部を直撃! 派手な火花を散らせて、巨大な鉄槌で叩かれたかのようにレッサーボガールは頭を襲う痛みに苦しむ。

 圧倒的……戦闘が始まって一分足らずしか経っていないが、二匹のレッサーボガールは大ダメージを受けてもだえ、対してジャスティスは少しもダメージを受けてはいない。サボテンダーのときのように躊躇しなければ、この程度の相手に苦戦することなどないのだ。

 しかし、食欲と闘争本能にのみ思考を支配されるレッサーボガールには、空いた腹を満たすことしか頭にない。突然、レッサーボガールの頭が膨らんだかと思うと、横に大きく二つに割れて、まるでハエトリグサのような形の、上下に牙の生えた醜悪なカスタネットに変わったのである。

「ヌ?」

 いかにも、「この口でお前を食ってやるぞ」というふうな変形に、ジャスティスもぴくりとだけだが反応した。

 しかし見た目が変わったからといって、それをそのまま真に受けはしない。第一あんなに頭部を肥大化させたら、重心が上がりすぎて動きにくくなるだけだろう。例えば頭の上に二、三冊辞書でも乗せて走り回ってみるといい、頭がふらふらして大変になるはずだ。

 だがそれでもこの形態になったわけは当然あった。

 大きく開かれた口から、真っ赤な舌が伸びてきてジャスティスの胴に絡みつく。

 さらに、倒れてもがいていたもう一匹も、同じように頭部を変形させて、舌をジャスティスの右腕に絡ませてきた。

「ウッ、ヌッ」

 獲物を捕らえたと見るや、二匹は舌を引き戻し、ジャスティスを引き込み始めた。このまま手繰り寄せて、後は大きく開いた口で噛み砕く。ジャスティスもふんばっているが、じりじりと地面をこすって引き込まれていく。

 そして、あと一息で食らいつけるほどに近寄らせたところで、二匹はよだれを垂らしながら大きく口を貝のように開いた。

 だが、やはり知能の低い彼らは学習しきれていなかった。この相手と力比べをして、自分達が勝てるかどうかということを。

「ハァァッ!!」

 あと一足の間合いでジャスティスが全身に気合を入れ、二本の舌を掴んで力を込めると、舌は乾いた輪ゴムのように簡単に引きちぎれた! そのままジャスティスは、まだ健在だったほうの一体が慌てる暇も与えずに、奴の上下の顎を掴んで一気に押し開きにかかる!!

「ヌアァッ!!」

 その瞬間、間接が砕ける鈍い音とともに、レッサーボガールは顎をはずされて、まるで壊れたトラバサミのようなみじめな姿にされてしまった。こうなるともはやまともに動くことすら不可能で、哀れなレッサーボガールは前を見ることすらもできずに、もう一体を巻き込む形で倒れこんだ。

 完全に格が違う。レッサーボガールは本来そんなに弱い怪獣ではなく、かつてはメビウスを苦戦させたこともあるくらいの実力者だ。それでもジャスティスがこれまでに相手にしてきた敵と比べたら、例えばサンドロスの、その手下のスコーピスと比べても明らかに劣る。スコーピスを雑魚同然に始末できるジャスティスにとってはなんら恐れる必要などなかった。

「ハァァ……」

 バックステップで間合いを取り、絡まってもだえている二匹のレッサーボガールに向けて、ジャスティスはとどめを刺すために、頭上にエネルギーを集中させ、それを両拳を突き出すことによって一気に押し出した!!

『ビクトリューム光線!!』

 避けることなど到底無理。せめて立てれば別次元へと逃げることもできただろうが、それも間に合わなかったに違いない。二匹は仲良く組み合ったまま、超エネルギーの奔流に飲み込まれて、一瞬の後に爆発四散した。

 ジャスティスの、勝利だ。

 

「ハッ!!」

 敵の気配が消えたことを確認したジャスティスは、ジュリの姿へと戻った。

 二匹が吹き飛んだ場所からは、黒煙がたなびいているが、少ししたら消えるだろう。あとに残ったのは、住民を失ってゴーストタウンと化した小さな村だけだった。

「ここも、か……」

 ジュリは、いずれ森に飲み込まれて消えていくであろう、誰の記憶にも残らない小さな村の残骸を見て、憮然としてつぶやいた。

 実は、ジュリがこのような村に合うのは初めてではない。このアルビオンという名の大陸を旅するうちに、同じように怪獣に襲われた村や町をいくつも見てきた。

 ある鉱山では、風石の坑道に入っていった者達が次々に石になって見つかり、採掘を強行させようとする貴族と、やめるべきとする鉱山師との間にいさかいが起きていた。だがそれは地底に潜んでいた岩石怪獣の仕業で、餌を求めて地上まで出てきたところを倒した。

 ある地方都市では、突如地中から生えてきた巨大な花が毒花粉を撒き散らし、根で人間の血を吸っていたところを焼き払ってやった。

 ある村では、村のど真ん中に突然空から怪獣が降ってきて、そのまま居座っていた。ただ、悪意がなく眠っているばかりだったので、宇宙へ送り返してやろうとしたら、どうにもこいつが赤い色が好きみたいでじゃれつかれてしまった。しかもこいつの鳴き声には強烈な催眠作用があったみたいで、危うく眠りかけて大変だったが、どうにか宇宙に運ぶことができた。もっとも、宇宙で寝こけているうちにまた降ってこないとは限らないが。

 また、北の果ての砦に立ち寄ったときは、現地の伝説で雪男と言われているらしい白い怪獣が山から下りてきた。そして格闘戦を挑まれてきて相手をしている最中に、空から羽根の生えた腕が鞭と鎌になっている怪獣が飛んできて襲ってきたが、縄張りを荒らされて怒った白い怪獣と乱闘になり、白い怪獣はそいつを倒すと充分暴れられて満足したのか、大人しく山に帰っていったのでそのまま見送った。

 

 だが、どうにもこんなちっぽけな大陸にしては怪獣の出現率が高すぎる。人々に話を聞いてみたが、これまで怪獣などが現れたことはないというところがほとんどだった。それなのに、宇宙怪獣、復活怪獣合わせてこの数ヶ月ほどの間にそこかしこに現れ始めるようになっていた。まるで、何かに呼び寄せられるかのように次々と……

 しかも妙なことに、怪獣が現れるのは辺境の地方都市や小村がほとんどで、国の中心であるロンディニウムを始めとする大都市圏にはまったくといっていいほど出現例がない。それゆえに、国民の大多数はまだアルビオンが安全な場所だと思い込んでおり、怪獣災害に悩まされる他国からの人民の流入も途絶えることはなかった。

「やはり、何者かの意図か……」

 ジュリにとって、人間達の社会がどうなろうと、それが宇宙正義に触れない限り興味などない。だが、客観的に見てみて、このアルビオンという国には何かがあると思わずにはいられなかった。

 いったん、ウェストウッドに戻ってみるか……あの村を旅立って、一ヶ月程度は経っただろうから、いくらか他の地方や他国の情報も集まったかもしれない。たまに寄るとティファニアとした約束もあることだし……

 そう決めたジュリは、その足を南へ向けた。

 しかし、数歩歩いたとき、ジュリは背中に刺すような冷たい視線を感じて立ち止まり振り返った。

 それは殺気。ちょっとでも油断すれば、そのまま躊躇なく命を奪っていく餓狼のような、そんな気配。

"こいつ、いつの間に……"

 ジュリは無言のまま、たった今殺気をふんだんに込めた視線を送ってきた相手を見据えた。

 本当にさっきまで何の気配も感じなかったが、今ほんの十メートルばかり離れた場所に、黒服の上に白衣を羽織った女が、両手をだらりと下げてこちらを見ていたのだ。

 警戒心を込めたジュリの視線がその女を睨み返す。

 だが、そいつの目はまるで深い空洞だった。虚ろな暗黒を秘めた黒曜石のように、こちらを馬鹿にしているような、ないしは底知れない憎悪と欲望をその闇の中に隠しているような、常人には到底不可能な、マイナスの気が凝縮した邪悪をこめた瞳。そして、長い時間を宇宙の秩序を守るために戦い続けてきたジュリは、それと同じ目に見覚えがあった。

"似ている……サンドロスと"

 かつて葬った、宇宙の全てを自らの好む不毛の大地に変え、全ての生命をその欲望のために滅ぼそうとした悪魔と、その女の目は似すぎるくらい似ていたのだ。

「貴様、何者だ?」

「クク……」

 ジュリの問いに女は答えなかった。

 その代わりに、そいつはさっきのジュリとほぼ同じくらいの、人間離れした瞬発力でジュリに掴みかかってきた。

「ちっ」

 会話をする気がないのはわかった。やる気なら、こちらも相応の対応をする。

 向かってくる女の手をかわして、その手を逆にねじり上げようと試みる。だが、女は腕を掴んできたジュリの手を強引にふりほどくと、掌底をジュリの顔に向けて打ち込んできた。

「ぬ、なに!?」

 とっさにガードしたジュリだったが、その女の力は想像以上に強く、押されるままにジュリの体は後方に吹き飛ばされた。

 むろん、この程度でジュリがやられるわけもなく、空中で体勢を整えなおして追撃を受けないように向かえると、相手も深追いしては来ずに一歩引いた。しかし、その女の戦闘力はジュリでも油断できるものではないことは、これで明らかになった。

 女は見た目は黒髪の東洋風の顔つき、このアルビオンでは見かけないものだったが、それは置いておいても、普通の二十代そこそこの女性と変わらない体格と細腕なのに、瞬発力と腕力だけ見てもさっきの怪獣より数段勝っている。

「貴様も、この星の生物ではないようだな」

 その一言に、女の眉がぴくりと動いた。

「どうやら、言葉を聞き分ける知能はあるようだな。この星の人間に擬態しているようだが、何をしにこの星に来た?」

 答え次第では、この場で存在を消去するという意思を込めて、ジュリはその女に擬態した生物に問いかけた。

「グ……オマエ、ショクジノ、ジャマスル……キエロ」

「貴様がな」

 片言で話す女の言葉が終わった瞬間、ジュリと女は同時に攻撃を放った!!

 互いに相手の顔面を狙ったハイキック。

 同じ攻撃同士により、空中で両者の蹴りがぶつかり合い、一瞬鏡に映したような左右対称の姿を現出させる。だがその刹那の後、力に劣るほう、敵の女の体が空中できりもみしながら舞い、廃屋と化した一軒の家に激突し、基礎が弱っていたその家を瞬時に倒壊へといざなった。

「やったか……」

 ほこりと粉雪と、それにこびりついていた何者のともしれない血潮が風に乗って飛んでいく。

 ジュリは油断なく家の残骸に歩み寄り、その中に敵の姿を探した。しかし粉塵が収まった後、あの女の刺すような殺気の気配はどこにも感じられなくなっていた。

「逃げたか……」

 今の攻撃ごときで死ぬ相手とは思えない。追いかけようにも完全に気配を消している。今日のところは引き分けといったところか。だが、奴の目的とこちらの目的が対立する以上、いずれはどこかでまた会うことになるだろう。そのときは、もう逃がしはしない。

 今度こそ、踵を返したジュリは南へと歩み出し始めた。目的地はサウスゴータ地方、ウェストウッド村。

 

 

 一方、ジュリとの戦いで手傷を負わされた女の姿は、アルビオンの首都ロンディニウムの王城、ハヴィランド宮殿の一室にあった。

「ウ……ヌヌ」

「これはまた、手ひどくやられたものだな」

 傷を負った女を、冷ややかな目で司祭風の衣装を来た三十代半ばの男が、机に面杖をつきながら眺めていた。

 ここは、王城の中枢の一角にある、公務に使う机と来客用の椅子しかない質素なオフィス程度の広さの一室。レコン・キスタによる反乱が起こる前は王の執務室として使われていた部屋だ。

 そこに、左腕を折られて全身にも多数の切り傷や擦り傷を受けたあの女が、憎憎しげにその男を見返していた。

「ウルサイ……アイツ、ワタシノテシタヲコロシタ、ワタシノエサバヲアラシタ……カナラズコロス」

「ふん、仮にも一国の元首様に向かってたいそうな口の聞きようだな。この男は、レコン・キスタ総司令官、オリヴァー・クロムウェルなのだぞ」

 そう、その男こそ、このアルビオン大陸を二分している反乱勢力のリーダーであった。だが、何故自分のことを『この男』などと他人のように言うのであろうか。

「キサマノコトナドシルカ、ソレヨリ、ツギノエサバハドコダ?」

「慌てるな。あまり呼び込みすぎて、この大陸から人間どもがいなくなられても困るのだ。まあ確かに我らがせっかく打ち込んだ楔で呼び寄せた怪獣達が、次々に倒されることになったのは計算外だった。まさか、こちらの世界にもあんな奴がいたとはな」

 そのクロムウェルと名乗った男は、机の引き出しの中に隠した水晶玉の中に、サボテンダーを始めとする怪獣達を次々と倒していくジャスティスの姿を見て苦々しげにつぶやいた。

「アイツモイズレクッテヤル、アイツ、キライ」

「慌てるな、今の貴様ではウルトラマンには勝てない。貴様は我等のおかげで怪獣墓場から蘇った。しかし、ただ蘇っただけで、生前に貴様が食って蓄えたエネルギーは全てゼロに戻り、怪獣を呼ぶ能力も失われたことを忘れるなよ」

「ケェッ!」

 女の顔に怒りの色が浮かび、悠然と机に座っているクロムウェルの喉下に手が伸び、その首筋を押さえた。

「ふふふ、私を殺せば、貴様は利用価値のない欠陥品として即処分されるぞ。またあの退屈なウルトラゾーンに戻りたいか?」

 なんとクロムウェルは、普通の人間ならば首がねじりきられるほどの握力をかけられながらも平然と笑っているではないか。女は、その言葉に歯軋りしたが、しぶしぶながら理解したのか手を離した。

「ふ、いい子だ。わかっているだろうが、我々が打ち込んだ楔で、この国には今でも多数の怪獣が向かっている。しかし、なにぶん目立つものだからいずれ機能を解明されて破壊されるだろう。そのときのためにも、貴様の能力は我々としてもほしいのだ」

 クロムウェルが見る宮殿の窓の外には、ロンディニウムの郊外に突き刺さる巨大な石柱があった。その形は、以前地球に出現して、怪獣や宇宙人を呼び寄せる時空波を発生させていた石柱とよく似ている。いや、まったく同じものといっていいだろう。

 だが、女はその石柱を一瞥するとつまらなさそうに言った。

「フン、タシカニベンリナモノダガ、コンドハイチドウチコンダラ、ニドトウゴカセナイデクノボウデハナイカ」

「ああ、あれを作るには手間がかかりすぎるのでな。だから貴様を蘇らせたのだ。貴様は腹を満たしたい、我々は貴様の能力が欲しい、利害が一致している今は手を貸してやる。だから精精多く食ってさっさと力を取り戻せ、そうでないと利用価値もない」

「オボエテイロ、イズレキサマモクッテヤル」

「ふん、できるならな。その前に貴様も超獣に改造されて、我等の忠実な手駒にされるだろうがな」

 互いに相手への敵意を隠そうともしていない。そこに信頼や協調などは一切無く、ただお互いを利用し合うのみの関係。だが、いずれどちらが先に裏切ることになろうとも、今はまだそのときではない。クロムウェルはテーブルの上に、このアルビオン大陸の地図を広げると、その西端の一角を指し棒で突いた。

「大陸西方、この山岳地帯に地底怪獣の存在を示す地震が観測されている。また、宇宙からもここに向けて怪獣が接近中だ。あのウルトラマンのいる方向とは逆だから邪魔は入らん。さっさと……」

 そこまで言ってクロムウェルが顔を上げたときには、女の姿は部屋の中から影も形も無く消えうせていた。

「ふん、気の早い奴め」

 吐き捨てるように言うと、クロムウェルは地図を片付け、執務机に座って、無感情にレコン・キスタ総司令官としての事務仕事の書類を片付け始めた。

 

 そんな様子が誰にも見られずに一時間ほど過ぎた後、ドアをノックする音にクロムウェルは顔を上げた。

「閣下、秘書のシェフィールド女史が戻られました。閣下へ至急お会いしたいとのことです」

「うむ、通せ」

 威厳のある声で衛士にそう命じたクロムウェルは机を立って、ドアのそばまで向かった。

 数分後、衛士に通されて部屋の中に黒いローブで身を覆った、まるで喪服が歩いているような女が入ってきた。

「よくいらっしゃいました、ミス・シェフィールド! お待ちしておりましたぞ」

 クロムウェルは、自分の秘書という肩書きの女に、まるで大口の客をすり手をしながら接待する商人のような、腰の低い作り笑いを浮かべた態度で迎えた。

「あいさつはいいわ。それよりも、最近のあなたの手際の悪さには我等の主も不快を感じているわ。わかっているのでしょう?」

 シェフィールドのほうも、自分の雇い主であるはずの相手になんら敬意を払わない。むしろ自分が主であるような尊大な態度で接していた。

「ははあ、このアルビオンを王家から奪い取り、その後トリステイン、ゲルマニアを占領して、エルフ共の手から聖地を奪回するという、私に与えられた大儀を片時たりとも忘れたことはありません。ですが、戦場とはうつろいやすいものです。後一歩というところで、王党派に反撃を許し、勝ちの勢いに乗じてサウスゴータまで逆侵攻を許してしまいましたのは、私の無能としか言いようがありません。お許しくださいませ」

 床に頭をこすりつけ、まるで尻尾を振る犬のように許しを請うその姿に、レコン・キスタ総司令官としての威厳はどこにもなかった。この男は、レコン・キスタ総司令としてと、この女の忠実な犬としての二つの顔を使い分けている。

「ふん、お前の無能のせいでこちらはとんだ迷惑よ。王軍をニューカッスル城にまで封じ込めたまではよかったけど、あとはひたすら負け続けじゃない。おかげで、我が主の計画は大変な遅延をなしているわ」

「申し訳ありません。ですが、遠からずおこなわれるであろうサウスゴータでの決戦に勝利できれば、あとは天秤が傾くかのごとく、我らが一気に王党派を飲み込めましょう」

 現在、両勢力の規模はほぼ拮抗している。ここでこのパワーバランスが崩れれば、兵力のかなりを占める傭兵などの日和見主義で戦う連中は、一挙に有利なほうになだれ込むことだろう。クロムウェルは、ここぞとばかりに力説してチャンスを与えてくれるようにと懇願して見せた。

「そう、そのために私がわざわざあなたの補佐に派遣されたのよ。本当なら、私も暇じゃないんだけど、長年手間暇をかけた仕事が始まりもしないままに終わるのは嫌ですからね。もし負ければ、お前は王党派の手によって、確実に首をはねられるでしょうからねえ」

「ありがとうございます、ありがとうございます。して、いかような方法で?」

 満面に笑みを貼り付けたクロムウェルが、買ってもらったおもちゃを手渡される直前の子供のように言った。

「見なさい」

 シェフィールドが左手にはめた指輪をこれ見よがしに掲げて見せると、クロムウェルはほおと息をつき、ぽつりとつぶやいた。

「アンドバリの指輪……」

 その名前は、かつて水の精霊から盗み出されたという水の力を蓄えているという先住の秘宝。その効力は人の心を操り、死者を蘇らすこともできるという。シェフィールドはこれを使って、いったい何を企んでいるというのだろうか。

「そう、あなたはただ私の命令に従っていればいいの。王でいたいのならね」

「ははあ。全てあなた様のご意思のままに」

 ひたすら頭を下げ、奴隷のように這い蹲るクロムウェルの姿にシェフィールドは満足げにうなづき、これからやらせるべき命令を淡々と彼に伝えていった。

 しかし、命令を真剣に聞くような態度をしながら、クロムウェルはシェフィールドの命令にも、アンドバリの指輪の効力にも、なんの興味も抱いていなかった。

"ふふ……もうしばらくは、お前のマリオネットを演じてやる。今のうちに、人形使いの甘い夢を見ているがいい……"

 その卑屈な態度の裏には、血の通わない冷酷な打算と、人ならぬ作られた者の邪悪な意思がうごめいている。

 窓ガラスに映ったクロムウェルの影が、大きく裂けた口と瞳の無い青い目を持つ異形の姿に一瞬変わった。

 果たして、最後まで利用させ続けられるのは誰になるのだろうか……

 

 

 そしてそのころ、アルビオン大陸の西方の山岳地帯では……

 深い霧に包まれた岩だらけの山肌の上を、山登りの装備をした数人の人間達が必死で駆けていた。

「たっ、助けてくれえーっ!!」

 高山植物に属する高額な薬草を採取するために、現地の住民さえ恐れて立ち入らない山中に勇敢にも踏み込んだ彼らは、今苦労して手に入れた薬草のかごすら投げ捨てて、悲鳴をあげて山道を走っていた。

 誰も後ろを振り返ろうとはせず、彼らの背後の霧の中から、引き裂くような遠吠えが響いてくる。

 さらに、それに続いて大きな足音が近づいてき、やがて霧の中からハサミのような腕を持った肉食恐竜型の怪獣が現れた。

 

【挿絵表示】

 

「きっ、来たあーっ!!」

 人間の走る速さ程度ではその怪獣、【岩石怪獣 サドラ】からは逃れられない。

 こいつは奥深い山中に生息し、自分の体から発する密度の濃い霧を隠れみのにして、獲物を誘い込んで喰らう獰猛な肉食怪獣だ。過去に地球でもMATの時代に霧吹山に現れ、その後大量に出現してメビウス、GUYS、ヒカリに倒されているが、とにかく凶暴なたちの悪い怪獣である。

 人間達はなんとか霧の中に逃げこもうとするが、サドラは相手が見えなくても、その耳の端についている電流感知器官で、人間達の放つ微妙な電流を感知して正確に補足できる。そして、先端がハサミ状で蛇腹のような形の腕を伸ばして最後尾のひとりを捕らえ、そのまま口に放り込んで噛み砕いて食べてしまった。

「ひっ、ひゃぁあっー!!」

 もはや声にもならない絶叫を響かせ、残った人間達は涙と鼻水を垂れ流させながら逃げていく。だが、サドラはピーナッツをつまむかのように簡単に人間を捕らえて食べてしまう。

 あっというまにたった二人に減らされてしまった一行は、それでも生への執着を捨てきれずに、全力以上の力を出して走る。しかし、まだ満腹にはほど遠いサドラはなおも腕を向けてくる。

 そのときだった。山の岩肌がぐらりと揺れ、彼らの目の前の地面が突然盛り上がり始めたのだ。サドラは、それが危険なものであることを本能的に察知し、食事を続けるのを一旦中止して、ハサミを振り上げて身構えた。

「なっ、なんだあれは!?」

「ひっ、ま、また別の怪獣だあ!!」

 地中から姿を現したのは、サドラより大きな体格で、鋭い牙を無数に生やした恐竜型の怪獣、【肉食地底怪獣 ダイゲルン】だった。

 こちらは地底をその強靭な腕で掘り進み、ときたま地上に出ては動物を襲う怪獣で、腹をすかしたその裂けた口からはよだれがだらだらと零れ落ちている。こいつも、餌となる動物を求めてここに現れたのだが、目の前の怪獣が食事のために邪魔な相手だということを察知し、まずはこいつを排除しようと威嚇の叫び声をあげた。

 こうなると、負けじとサドラも咆哮し、たちまち二大怪獣は取っ組み合いとなった。ダイゲルンが殴りつけ、サドラが挟み込んで両者とも噛み付き攻撃をおこなった後、一旦離れたダイゲルンが口から火炎を吐きかけると、素早い動きでかわしたサドラが周りにあった岩を持ち上げて投げつける。

 二大怪獣の激突により山道は崩れ、二人の男はガタガタ震えながら、勝ったほうが自分達を食いに来るであろうバトルを見守っていた。

 と、そのとき霧を裂いて、空の上からかん高い声がして、サドラとダイゲルンが見上げたところに、霧の中から頭に紅い三本角を生やし、全身がうろこのようなもので覆われたスマートな怪獣が下りてきた。

「さ、三匹目……」

 【宇宙怪獣 ゴルゴザウルス】、かつてウルトラマンタロウに倒されたゴルゴザウルス二世の同族で、テレポート能力などを持つ。ちなみに、ゴルゴザウルス一世というのもいたらしいが、ウルトラ戦士も戦ったことはなく、その正体は謎に包まれている。

 今回はハルケギニアを狙おうとして、たまたまここに舞い降りてきたのだろうが、いきなり現れたゴルゴザウルスに、当然サドラとダイゲルンは怒って挑みかかり、凶暴なゴルゴザウルスもこれを迎え撃った。

 突進してきた二匹の攻撃を、ゴルゴザウルスはテレポートしてかわし、後ろから不意打ちをかけて転ばせた。さらに追い討ちをかけるべく背中にのしかかろうとするが、振り返ったダイゲルンの火炎でひるんで引き下がる。

 二匹から三匹になり、怪獣同士の死闘はますます激しさを増していった。

「ひ、ひいい、なんで、なんでこんなことに」

「お、おかあちゃーん!」

 恥も外聞もなく、二人の男は岩陰で震えるしかできない。

 だが、そのとき彼らの耳を、怪獣のものとは違う足音がすぐそばを掠めていった。

 はっとして、周りを見渡すと、彼らから二十メイルばかり離れた岩の上に、白衣を着た黒髪の女性がいつの間にか立って、怪獣の戦いを見つめていた。

「あ、兄貴、た、助けが来たんですか?」

「い、いや……」

 年配のほうの男は、なぜかその人影を見ても「助けてくれ」と声をかけることはできなかった。

 第一、その存在自体が不自然すぎる。こんなところに女が一人でいることもそうだし、まったく山登りに向かない服装、それにこの深山まで来ているというのに服に乱れや汚れが一切見られない。

 女は、しばらく怪獣達の戦いを見つめていたが、やがて我慢しきれなくなったように、口元を長く伸びる舌でべろりと舐めて、うれしそうに言った。

 

「オマエタチ、ウマソウダナ」

 

 それから三日後、現地で死の山と恐れられている山に分け入った無謀な一団のうちの二人が、まるで骸骨のようにやせ細った状態でふもとの住民に保護された。

 彼らは、恐怖に震えながら口を揃えて何度もこう言ったという。

 

「怪獣が、怪獣を食っちまった……」

 

 

 続く



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第44話  この美しき世界を……

 第44話

 この美しき世界を……

 

 鳥怪獣 フライングライドロン

 ゼロ戦怪鳥 バレバドン 登場!

 

 

 魔法学院では、アンリエッタと生徒達との会食も終わり、王女の来訪という予想外のハプニングに翻弄された生徒達も、ようやくと静かな眠りをむさぼれる時間を迎えていた。

 なにせ、終業式の後から気を抜ける暇がまったく無かった。貴族の子弟である彼らにとって、王女に悪い印象を持たれるということは、自分の家の死活問題となる。本人にとっても、生涯出世の機会は失われ、名誉を重んじる貴族としては死んだも同然となってしまう。

 ギーシュ、モンモランシー、その他の同級生達も、生きているという実感をベッドの上だけで実感し、それは二年生一の問題児とその使い魔の部屋も例外ではなかった。

「うーん、騒々しい一日だったなあ」

 わらのベッドを捨ててしまったので、シエスタのところでもらってきた廃棄予定の毛布を敷いた上で、今日一日ほとんど一人だけこの騒動を蚊帳の外で見ていた才人が言った。

「……」

 ルイズはベッドの上に着替えもせずにうつぶせになって答えない。何気に才人の寝床がグレードアップしているが、文句を言う気力も残っていないようだ。

 が、無視されてちょっと寂しくなった才人は、ルイズの耳元でしつっこく話しかけた。

「なー、なーなーなー、ルーイーズ」

「はーなーしーかーけーなーいーでー」

 一応、まだ起きていたらしい。夢と現の間をさまよう亡者のように、まるで生気のない声しか返ってこない。

 やれやれ、俺はまだ眠くないんだがと思いつつ、才人は会食の席でのアンリエッタの話を思い出していた。これまでトリステインの外のことはあまり気にしていなかったが、ゲルマニアでもすでに怪獣頻出期に匹敵するくらいの怪獣が現れ始めているという。かの国は、強大な国力と軍事力にものを言わせて対抗して、実際何匹かの怪獣を倒しているというが、逆に壊滅させられた村や町も少なくはない。

 ただ、話を聞く限りではゲルマニアには超獣や宇宙人の類はほとんど出現しておらず、これはトリステインと正反対、やはりこの国にはエースがいるためにヤプールも慎重になっているのだろう。ゲルマニアには不愉快だろうが、ヤプールにとってはあちらの国は片手間に違いない。

 もう片方のガリアについても同様らしいが、こちらには才人の知らない怪獣のことも聞こえた。ウルトラ兄弟の世界とは違う世界の怪獣達、不謹慎ながら一度見てみたいと思った。

 あとの国はアルビオンとロマリア、このうちアルビオンは内乱中だが、どういうわけか怪獣の出現がほとんどないらしい。内乱中で人心が混乱しているときはヤプールにとって都合がいいはずなのだが、腑に落ちない。ロマリアは宗教国家であり、つかみどころのない国なのであまり詳しい情報が入ってこないらしい。ただ、最近は新教徒とやらに加えて、奇妙な宗教がはびこり始めて、弾圧が激しくなっているそうなのだが、ろくに神様を拝んだことのない才人にははっきり言ってわからなかった。

 結論から言うと、今のところはハルケギニアはなんとか怪獣災害から平和を守れているようである。考えてみれば怪獣頻出期の初期、まだウルトラマンが地球に来る前から人類は怪獣と戦い続けて平和を守ってきた。そのころは超兵器の類もろくになく、旧式なジェット機や戦車しかなかったが、それでも怪獣や侵略者を倒している。やろうと思えばハルケギニアの人々にできないはずはないが、それもいつまで続くか。バルタン星人に科特隊が歯が立たず、ベロクロンに地球防衛軍が全滅されたように、ヤプールが充分に力を蓄えて超獣や宇宙人を大軍で送り出してきたらひとたまりもあるまい。地球防衛のかなめであった歴代防衛チームも、周到に準備を整えてきた侵略者の前に機能を失ってしまったり、最悪の場合全滅している。

 そのときに備えて、ハルケギニア全体を結び付けようというアンリエッタの構想は先見の明といえるが、できれば永遠にヤプールには大人しくしていてほしいものである。そうして考えていると、そろそろ才人も眠くなってきて布団に横になり、すっと睡魔に身を任せた。

 

 けれど、才人とルイズが心地よい夢の世界に旅立つ前に、部屋の扉が強くノックされた。

 こんな夜中に、いったい誰がとしぶしぶ目をこすりながら才人がドアを開けると、そこにはよく知っている青髪の剣士が立っていた。

「サイト、ミス・ヴァリエールはまだ起きているか?」

「ミシェルさん」

 思いもよらぬ銃士隊副長の訪問に、才人が慌ててルイズを起こすと、はれぼったい目をして、生きているのかどうか怪しい様子ながらルイズはベッドから立ち上がってきた。

「立ったまま寝てるんじゃないのか、おい」

「うるさーい、ばかいぬー、わんと鳴けー、あははは」

 いったいどんな夢を見ているのだろうか、考えるとむかつくので忘れることにして、才人はとりあえず用件を聞こうと思った。この生真面目が服を着て歩いているような副隊長さんは、無意味に人を訪ねたりはしない。

「で、ミシェルさん。こんな夜更けになにか?」

 なにかまた事件の前兆かと、才人は心の準備をして尋ねた。しかし、ミシェルの用件はそういうこととはまったく別の次元の話だった。

「うむ、姫殿下がお前たち二人に直接会いたいとおっしゃられてな」

「え!! ひ、ひひひ、姫様が!?」

 いきなり頭から冷水をぶっかけられたかのようにルイズが目を覚ました。一瞬で目を見開いて、さっきまでのゾンビ状態とはうってかわってきりっとした表情になっている。

「ああ、それで私にお前たちを呼んで来いと言われてな。お前らと姫様にどんな関係があるのかは知らんが、さっさと着替えろ。さっきからお待ちかねだ」

「……サ、サイトー!! すぐ着替えを出しなさーい!!」

 ルイズの目の色が変わった。才人は何がなんだかわからないが、この状況のルイズに何を言っても無駄なために、ひたすら命令に従って着替えを手伝う。しかしルイズは、制服、いや礼服、いやいやドレスと混乱していてどれにするのか決められていない。ミシェルは、ドアのところからしばらくそれを見守っていたが、やがて飽きて才人に左肩を持つように命じて、自分は右肩を持つと、姫様の前に出るのにとごねるルイズを引きずるようにして本塔の来客用の部屋に二人を連れてきた。

 

 

「失礼します。姫様、ミス・ヴァリエールと、その使い魔のサイトをお連れしました」

「ひひひひ、しし、ひつれいします、ひ、姫様」

 ほとんどミシェルと才人に抱えられるようにして、ルイズはアンリエッタ姫のいる部屋のドアをくぐって挨拶した。

 その部屋は、学生の部屋のおよそ三倍程度の広さで、貴族のものらしく贅を尽くした調度品で彩られ、その中央のテーブルの前のソファーに、アンリエッタ姫は座っていた。

「ありがとうミシェル。さあ、お二人ともこちらにどうぞ」

「は、はひ」

 完全にねじのとんだロボット状態のルイズは、おぼつかない足取りでアンリエッタのテーブルの前に進んだ。しかし、寝起きと緊張と疲労で正常な思考ではなくなっているのだろうが、とにかく危なっかしい、クレージーゴンでも今のルイズよりましな動きをするだろう。

 するとアンリエッタは、そんなルイズに自分から歩み寄ると、その手をしっかと握って優しく微笑んだ。

「お久しぶりねルイズ・フランソワーズ、わたしの懐かしいおともだち」

「ひ、姫様……覚えていてくださったのですか」

 それまでガチガチに固まっていたルイズの顔が、春の雪解けのように一気に氷解した。

「もちろん、忘れるはずがないではないですか、幼い頃、宮廷の中庭でいっしょに蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって」

「思い出しましたわ、お召し物を台無しにしてしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られましたわ」

 ルイズもアンリエッタも、肩書きや体裁などは忘れて懐かしい思い出話に花を咲かせた。

「そうそう、けど楽しくて楽しくて、最後には南の森の奥にいるという伝説の巨大蝶の沼に行こうと宮殿を抜け出そうとして、一週間部屋に閉じ込められましたっけ」

 おいおいおい、才人はその話を聞いて、二人の脱走計画が失敗してよかったとぞっとしない思いをした。

 多分それはモルフォ蝶と呼ばれる全長二メートルにもなる毒蝶で、その鱗粉は人間をしびれさせるだけでなく、こいつの好んで生息する水場には、ある特殊な毒素が含まれるために、しびれて水を求めた人間がその沼の水に口をつけでもしたら……この国はとっくに滅んでいただろう。

 この調子で聞いていたら、どんな恐ろしい話が出てくるか知れたものではないので、才人は思い切って話に割り込むことにした。

「ルイズ、どんな知り合いなんだ?」

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ。でも感激です、わたくしのことなどを覚えていらっしゃいまして、とっくに忘れられているものとばかり思っていました」

 ルイズが先ほどまでの緊張の色などはまったく感じさせないうれしそうな顔で言うと、アンリエッタも頬を緩めてルイズの体をぎゅっと抱きしめて言った。

「忘れるはずがないではないですか、わたしにとって初めてのおともだちはあなたですもの。ああ、本当に懐かしい。昔とまったく変っていませんねあなたは」

「姫様はだいぶん背が伸びられました。それから……いえ、とにかく昔より美しくなられてうれしく思いますわ」

 才人は、ルイズの視線が一瞬姫様の豊かな胸部に向けられたのを気づいていたが、この件に関しては何を言おうと地雷なので、意図的に無視した。

「それで姫様、わたくし達をお呼びになったのは、何かご用件があってのこととお察ししますが」

 今までの昔話を懐かしむ顔から一転して、王家に仕える貴族としての顔でルイズはアンリエッタに尋ねた。

 しかし、アンリエッタはくすくすとおかしそうに笑い。

「あら、せっかく懐かしいおともだちの近くまで来たのに、お会いするのにいちいち用事が必要なのですか?」

「えっ……」

 ハトが豆鉄砲を食らったとはこのことだろう。あっけにとられているルイズを見て、アンリエッタは今度こそしてやったりとばかりに微笑んだ。

 なんと、王女は本当にただ会いたいだけでルイズを呼んだのだった。王女という立場上、自分からルイズの部屋に向かうことはできなかったが、それでも驚くことだった。

「そ、それじゃあ姫様は、ご多忙の身をわざわざわたくしごときのために裂いてくださったのですか?」

「多忙だからこそ、どうしてもあなたの顔を見ておきたかったのですよ。以前王宮で顔を合わせたときには、立場上そうはいきませんでしたが、今くらいいいでしょう」

「し、しかし姫様の御身を下賎なわたくしごときのために使わせるなど、そんな恐れ多い!」

「もうルイズったら、いいかげんそんな他人行儀な言い方はやめてちょうだい。それに、わたくしは王女ですけどまだまだ子供です。子供には大人にわがままを言う権利があります。そうでしょ、アニエス、ミシェル」

 十七歳がまだ子供とは、少々微妙なところだが、いたずらっぽく微笑む王女に、二人の剣士は「我らは何も見なかった」というふうに視線をそらした。

 これは並みの信頼でできることではない。少なくとも、アンリエッタはこの平民あがりの騎士達のことを自分のプライベートを見せてもよいと思うくらいに信用しているということだ。

「まあ、まったく用事がないと言えば嘘になります……あなたが、サイト殿ですね」

「えっ、俺?」

 突然王女に話しかけられて、きょとんとした様子で才人は答えた。

「驚かせてしまって申し訳ありません。けれど、トリステイン王宮襲撃から、二度にわたるウチュウジンの計略からトリスタニアを守るために戦ってくれたことは、アニエスから聞いています」

 そういうことかと、才人は納得した。

「いや俺なんて、アニエスさん達にくっついてただけですよ」

「謙虚ですわね。でもあなたの助力がなければ敵の策略をあばくことはできなかったとか。あまり目立ちたくはないとのことなので、公は避けましたが、私的に是非お礼を申し上げたくて、こうしてお呼びさせていただきました」

「いやあまあ、自分にできることをしただけですよ」

 後ろ頭を掻きながら、照れくさそうに才人は答えた。

 どうやら、アニエスのほうもそうした配慮はしてくれていたらしい。目立つのは別にきらいじゃないが、あまり注目されるとエースとして活動するのが面倒になるし、周りからいらないねたみを買うことにもなりかねない。

 第一、地球人である才人にとってトリステインの勲章や地位などは興味の対象外だった。下手に偉くなって忙しくなるより、使い魔のままのんびりと過ごしたい。

 しかし、ルイズにとっては才人が姫殿下に直接評価されているというのは、予想外、信じられない、そんな馬鹿な、うらやましい、と色々揃って大変なことであった。

「ちょ、ちょっとあんた! 姫様からお褒めの言葉をいただくなんて平民には普通死ぬまでない名誉よ。もう少し喜ぶとかなんとか、せめて頭を下げなさい!」

「うげっ!?」

 いきなり頭を押さえつけられて前かがみにさせられ、才人はにぶいうめき声をあげた。その細腕のどこにあるのかルイズの腕力はけっこう強い。

「ルイズ、ルイズったら、殿方に向かってそんなはしたないことをするものではありませんわ」

「はっ、こ、これはお見苦しいところをお見せしてしまいました!」

 アンリエッタにたしなめられ、慌てて弁解するルイズを、その姫様はおかしそうに見ていた。

「ともかく、あなたはわたくしとこの国にとっての恩人です。称号や恩賞は不要でも、感謝の言葉を断る理由はないでしょう。本当に、ありがとうございました」

「はい、光栄です姫様」

 今度は深々と頭を下げて、才人はできる限りの礼を尽くした。普段ふざけていても、その気になれば必要なだけの礼儀作法でふるまうくらいの常識は持っているのだ。

 そして、頭を上げた才人は今度はまじまじとアンリエッタに顔を覗き込まれて、思わずたじろいだ。

「な、なんすか?」

「ふーむ……どうみても人間ですわねえ、ルイズ、この方はあなたの使い魔だと聞いたのですが、本当なのですか?」

「え、ええまあ……」

 曖昧に返事をするしかできなかったルイズだが、いまだに何故人間である才人が異世界から召喚され、なおかつガンダールヴなどといういわくありげな使い魔にされてしまったのかという謎は解けていないのだ。

 しかし、アンリエッタにとっては人間が使い魔うんぬんということより、別のことに興味がある様子だった。

「でもやるじゃないですのルイズ、こんなに凛々しくてたくましい殿方をつかまえるなんて、あなたも見ないうちに、ずっと大人になりましたわね」

「なっ!? なななな」

 ルイズの顔がタコになった。

「サイトさん、わたしの古いおともだちを、これからも末永く守ってあげてくださいね。この子ったら、昔からやんちゃで腕白で大変でしょうけど、それもまたこの子の魅力なのですから……それと、お子さんは何人くらい計画しておいでなのかしら?」

「い、いやそんな、ひ、姫様!?」

 どうも、ものすごく誤解されているらしい。姫様の目が王家のものではなく、年頃の女の子の目になっている。才人としてはそう思われても悪い気はしないが、途中の段階を十個ばかしすっ飛ばしている。

「ひひひひ、姫様誤解です。わたしとこいつはそんな関係じゃなく」

「ではそういうことにしておきましょう。ルイズ、頑張ってくださいね」

 白い歯を見せながら、アンリエッタはルイズと才人の肩に手を置いて、何かは分からないが頑張ってと激励してくれた。

 反論も弁解も聞く耳を持たず、すっかり二人は姫様の中で、「そういう関係」にされてしまった。ちなみに、後ろの方でアニエスとミシェルが必死に笑いをこらえている。多分、後で思い出されて盛大に笑われるだろう。

「いいい、サイトぉ……後で覚えてなさいよ」

「お、俺、何も悪いことしてないのに……」

 帰ってからのお仕置きという名の拷問が確定し、才人は複雑な思いで涙をぬぐった。

 どうにも、とほほとしか言いようが無い。幸い拷問器具は昼間の掃除で倉庫にぶちこんであるが、殴る蹴るくらいはあるだろう。お前のどこが淑女だとつくづく思う。

 それにしても、類まれな名君の器かと思ったら、素顔はとんだおてんば娘だ。けどまあ、そのほうが親しみやすくはあるが、勝手に人をカップリングするのはやめてもらいたい。

 二人が、ようやく息をついて反論するのをあきらめると、アンリエッタは満足した様子でルイズに告げた。

「そうだルイズ、実はこの機会にあなたに是非会いたいという人がおりまして。会ってあげてもらえるかしら?」

「私に、ですか?」

 ルイズは首をかしげた。

 はて、姫様を通してということは宮中関係の誰かだろうが、自分の知り合いにこういう形で会いたいと言ってくる人物に心当たりはない。

 しかし、アンリエッタに招かれて、隣室の扉から入ってきた長身の男の顔を見て、ルイズは心臓が飛び上がるような感覚にとらわれた。

「あ、あなたは……」

 彼は貴族の証である黒いマントの胸の部分にグリフォンの形をあしらった刺繍を施し、まるで剣のような銀色に光る魔法の杖を腰に刺している。それはつまり、現在トリステイン最強とうたわれる魔法騎士隊、グリフォン隊の一員であることを示していたが、ルイズが驚いたわけはそれではなかった。

「あ、ああ。ワ、ワルドさま……」

「久しぶりだねルイズ、けどちょっと待ってくれ。どうも、ネズミがいるようなのでね」

 彼はルイズに軽く微笑みかけると、腰の杖を目にも止まらぬ速さで引き抜き、入り口付近の壁に向かって呪文を聞き取れないほどの速さで詠唱し、空気の塊を飛ばした。『エア・ハンマー』の呪文だ。

 高圧空気の塊に直撃された壁はもろくも砕け、その後ろに隠れていた人影を部屋の明かりに晒した。もし、威力があとちょっとでも強ければ『エア・ハンマー』は壁ごとその人影もふっ飛ばしていただろう。詠唱の早さもさることながら、魔力調整のセンスも見事としか言い様がない。

「さて、姫殿下の部屋を覗き見とはいけないネズミだ。アルビオンかどこかの間諜かね?」

 壁が砕けた粉塵の中で驚いて立ち尽くしている影に、ワルドは杖を突きつけて言った。

 が、ほこりが収まって見えたその影の主を見て、才人とルイズは目を丸くした。

「キュルケ! それにタバサぁ!?」

「あ、あははは……どうも、こんばんわ」

 なんと、扉の隅から覗き見していたというのは、例の腐れ縁の二人だった。

「あら、ルイズのお友達ですか?」

 様子を見ていたアンリエッタが尋ねると、ルイズとキュルケは同時に言った。

「「違います!!」」

「あらそう、どうもごめんなさい。わたくしの勘違いだったようですね」

「わかっていただけてうれしいですわ。この女は……」

 どうにか誤解が解けたと思って、ルイズはツェルプストーの人間がいかにいやな奴かを語ろうとしたが。

「ただのお友達じゃなくて、親友ということですわね」

「「だーっ!!」」

 今度はルイズとキュルケがそろってずっこけた。才人とタバサはそれを面白そうに見ている。ちなみに、こけたはずみで二人のパンツが少し見えて役得だった。

「ひ、ひめさまぁ、ですからこいつは……」

「まあまあ、お二人ともそんなに照れなくても、本気で嫌い合っていたら、そんなに親しげに相手の名前は呼びませんわ。それに、アニエスから聞きましたけど、あなた達四人は特に息が合って行動していたとか、あの寂しがりやのルイズが、こんなに大勢おともだちを作っているなんて、時が経つのは速いものですね」

「い、いえ……はぁ」

 説明するだけ無駄だとわかったルイズとキュルケは仕方なく、顔を見合わせてがっくりと肩を落としてうなづいた。考えてみれば、わざわざ姫様に身内の恥をさらすようなことをするわけにはいかない。なにせ、二人の実家のヴァリエール家とツェルプストー家は先祖代々の仇同士、ジャンルは戦場でのドンパチもあるが、その大多数は婿取りを巡っての奪い合い、ちなみにヴァリエール家は連戦連敗で、勝ち星はここ数百年ない。というかその逆は絶無である。

「ところで、君達は何故そんなところで覗き見などしていたんだね?」

 とりあえず危険人物ではないとわかり、杖を下げたワルドに聞かれて、キュルケはあははと頭を掻きながら答えた。

「いやー、眠くなくて暇してたら、そこの二人が銃士隊の副長さんに連れられれて行くじゃない。なんか面白そうだなあーって思って、タバサを連れてつけてみたら、ここに来たってわけで」

「部屋の前には見張りの兵がいたはずだが?」

「そこのところは、タバサの『スリープ・クラウド』でまあ……」

 部屋の外には、銃士隊やグリフォン隊の面々がばったりと倒れてぐっすりと眠っていた。仮にも王女直下の護衛部隊ともあろうものが情けないけれど、魔法学院という場所で油断していたことと、この学院の地理を熟知したタバサの隠密戦術の巧みさがあってのことで、相手が少々悪かったということか。

「君達……ことがことなら、この場で殺されてても文句は言えないぞ」

「あら、そんな簡単にいくものでしたらね」

 不敵な笑みを浮かべて睨み返すキュルケに、ワルドは答えずにレイピア状の杖を腰に納めた。

「ふむ、中々威勢のいいお嬢さんだ。しかし、銃士隊のお二方は覗かれていることに気づかなかったのかね?」

「間諜にせよ刺客にせよ、気配の消し方があまりにも中途半端だったものでな。すぐに正体に気づいてしまった。まあ後で叱り付けてやろうぐらいは思っていたが、やっぱりお前らだったか」

 どうやら最初からアニエス達にはばれていたらしい。タバサはまだしも、キュルケ程度がいくら隠れたつもりでも、彼女達くらいの熟練した使い手には察知されてしまうようだ。

 二人は、おしおきを楽しみにしているアニエスの目に気づいてそそくさと退出しようとしたが、アンリエッタにこの際ですからいっしょにお話しましょうと言われて、気まずい雰囲気ながらも室内に入ってきた。

 ただし、室内はやたらと隙間風が入る状態になっていたのは愛嬌で済ませていいものか。これではまた学院の予算が減ることになるだろう。

 

「さて、待たせたねルイズ」

「あ、ああ……はいっ!」

 すっかり忘れていたルイズはワルドに話しかけられて、慌てて我に返った。

 才人やキュルケ達も、そういえば忘れていたが、この貴族とルイズはどういう関係なのか興味があった。

「おい、その人とお前はどういう知り合いなんだ?」

 一応貴族で年上なので、それなりに遠慮しつつ才人がルイズに聞いた。

「えっ、ああ、この方は……」

「おっと、君達には自己紹介がまだだったね。魔法衛士隊グリフォン隊隊長のワルド子爵だ。二つ名は『閃光』、ルイズとは、昔将来を約束した仲だ」

 その最後の一言で才人と、それからキュルケの脳髄が沸騰した。

「ル、ルイズ……お、お前に」

「婚約者ぁ!? なんでぇ、よりにもよってあんたみたいなちんちくりんに婚約者? いったいどんなとんでもない魔法使ったのよ、トライアングル? スクウェア? それとも虚無?」

 そりゃあいくらなんでも言いすぎじゃないかとルイズの頬がぴくぴくと震えた。

「ま、待ってよみんな、彼とは幼いころ家同士が交流しててよく会ってただけで、許婚っていったって、親同士が酒の勢いで冗談半分に決めたようなものなんだから!」

 慌てて弁解するルイズだったが、ワルドは軽く笑いながらルイズに言った。

「おや、小さいころは大きくなったらワルドさまのお嫁さんになるって毎日のように言ってくれてたのに、つれないなあ」

「ななななな……そそそ、そんなのわたしも五つか六つのころで、そそそ、そりゃあのころは毎日遊んでいただいて、憧れてもおりましたけれども、そそそ、そんな簡単に」

「ははは、あのころよりずっと大きくなったけど、やっぱり昔と変わってないなルイズは。まあ、君も大人になっていくんだから、急に決めろとは言わないさ。でも、君さえよければ、僕はいつでもあの約束を履行するよ」

「そそ、そんなご冗談を!」

 子供の頃の恥ずかしい思い出を暴露されて、すっかりルイズは目を回している。

 だが、タバサには婚約者うんぬんとは別に『閃光』の名に聞き覚えがあった。

「噂に聞いたことがある。トリステインのグリフォン隊には、『閃光』と異名をとる凄腕の魔法衛士がいると、トリステインの三つの魔法衛士隊のうちの二つが壊滅した今では、名実共にトリステイン最強の騎士」

 いつものように無表情のままだが、言葉の内に驚きがこもっていた。さっきの『エア・ハンマー』の威力は確かにそれほどの使い手でなければ撃てまい。

 しかし、タバサの言葉とは裏腹に、ワルドは自嘲を込めた笑いを浮かべながら言った。

「いや、運が良かっただけさ。ただ単に、トリスタニアが襲撃された五回とも偶然その場に居合わせなかった……ああ、三回目は敵に引っ掛けられて誘い出されてたからだが、ずっと敵に出会わなかったせいで、同僚達が次々に戦死していくなか、結果的に最強なんて言われるようになって、こうして生き恥をさらしているのさ」

 グリフォン隊は、その戦闘力とは裏腹に、彼らがいないときに限って超獣や宇宙人が出現するために、これまで戦う機会を得られずに、皮肉にも今でもほとんど無事な戦力を有していた。彼の言うとおり、周りが次々に倒れていく中で彼らだけが戦わずに生き残っているのは、かなりの偏見とねたみを買ってしまっているのだろう。

 しかし、レッドキングが掛け算をしたのを見たように驚いているキュルケとは別に、才人の心情は複雑だった。

 こいつが、ルイズの婚約者!? びっくりしながらも、よくワルドのことを観察すると、なるほどそれもとうなづけるものを感じざるを得なかった。

 なにしろ、見るからにかっこいい。ギーシュとかもてる奴をそこそこ見てきたが、こいつは段違いだ。体格はかなりの大柄で、相当に鍛えた筋肉の鎧をまとっているのが素人目でも分かる。貴族とは魔法にたよったなよなよした奴ばかりかと思ったら、アニエスやミシェルにもひけをとらないのではないか? 上っ面を固めた化粧ではなく、内面からオーラがほとばしっている。悲嘆にくれている顔すら絵になる。

 特に、顔では才人に勝ち目はゼロだろう。贅肉なく引き締まった顔には、鋭い目と形のよい口ひげが違和感無く溶け込んでおり、大人の魅力満点だ。

 くっそぉ、神様不公平だ……才人は自分との格差に悲しくなった。なんか自分が勝てそうなところがちっとも見つからない。こいつがいずれルイズと結婚するのか、どうしてか胸の中から腹立たしさが湧き上がってきたが、才人は男だったのでぐっと我慢した。そうさ、ウルトラマンは他人を羨んだりひがんだりしない、そう思って自分を落ち着かせた。もっとも、こんなことで引き合いに出されてもウルトラマンはうれしくないだろうが。

「そういうことだ。君達にはルイズが世話になっているようだね。婚約者としてお礼を言うよ。これからも、よろしく頼む」

「よ、よろしくお願いします」

 血管が切れそうなくらいに血圧を上げながら、才人は心情とは逆のことを答えた。

「よろしく、ミスタワルド。末永くお付き合いしたいですわね」

 キュルケは例によってヴァリエールVSツェルプストーの宣戦布告をして、ルイズと激しく目で火花を散らせていた。

 はぁ、もう勝手にやってくれ。才人はせつなくなって、もう何もかも捨てて布団に潜り込みたくなっていた。

 だが、最後にタバサが言った言葉が、才人のどんよりした脳みそに一筋の光明を照らすことになった。

 

「よろしく、おじさま」

 

 空気が凍りついた。にこやかだったワルドの顔が固まっている。

「き、君……おじさまはちょっと」

 すると、タバサは不思議そうに首をかしげた。

「四十を過ぎたら、おじさまでいいと思う」

「ぼ、僕はまだ二十六だ! 二十六!」

 むきになって年齢を強調するワルド、うって変って才人は今度は笑いをこらえるのに苦労していた。

 そうだ、そういえばこいつ老けた顔しているよな。あの口ひげなんかじじくさいし、大人の魅力ではあるけど若々しさってやつじゃ、俺が断然勝ってる。とにかく、タバサ、お前最高!

 よく見ると、キュルケやアンリエッタ、アニエスやミシェルもくすくすと笑っている。

「ちょ、ちょっとあなた達、ワルドは確かに見た目は老けて見えるけど、この歳でグリフォン隊の隊長を任されているような人よ。貫禄があると言いなさいよ」

 さらに、ルイズのフォローもフォローになっていない。本当はすごい人なのだろうが、すっかり若年寄りに評価がチェンジされてしまった。

 とにかく、これではワルドがあまりに可哀想なので、アンリエッタがようやく助け舟を出した。

「まあ、まあ、みなさんそのへんで、これから助け合うことになるかもしれないのですから。皆さんも、子爵にご挨拶なさって」

 それでどうにか笑いは収まったけれど、才人はルイズの婚約者に向かって、自分が使い魔だと名乗るのがずいぶん小さいように思えた。

「平賀才人です。一応ルイズの「恋人です」って……なにぃ!?」

 使い魔です。と名乗ろうとして、いきなり割り込まれて才人は飛び上がった。

「ちょ、サイトあんた何て事を!!」

「お、俺じゃないっ!! キ、キュルケ!! 勝手に後ろでアフレコするな!!」

 才人の真後ろでケラケラと笑っているキュルケに二人は怒鳴ったものの、当のキュルケは落ち着いたもの。

「なーに、あんた達キスまでした仲じゃないの」

「そ、それは使い魔との契約で、それとこれとは」

「あーら、お姫様公認の仲じゃなかったの? いーじゃない、婚約者も恋人も何人いたってさあ」

「「お前(あんた)といっしょにするな!!」」

 二人揃って顔をゆでたカニのようにして、食って掛かるがキュルケは平然たるもの。

 そんな様子をワルドは呆然と見詰めていたが、アンリエッタが彼にのみ聞こえるようにぽつりと言った。

「あらあら、仲がよいですわね。やっぱり、殿方の魅力は外見ではないということかしら。ルイズがあんなに他の人と楽しそうに騒いでいるのははじめて見ましたわ」

「はい……どうも、僕の知っている昔のルイズは、もういないようです」

 寂しがりやの小さなルイズはもういない。いや、ほんの数ヶ月前のルイズなら、ルイズは久しぶりに会う婚約者に心を奪われたかもしれないが、才人達とともに数々の戦いや冒険を潜り抜け、今やルイズの中でもワルドは唯一特別な存在ではなくなっていた。

 

 そのとき、壊れた部屋の扉の外から、またよく聞きなれた声がした。

「あ、あのお……姫様に伝えてほしいお願いがあって来たんですけど……あれ、なんで皆さんがいるんですか?」

 使用人達の代表でやってきたシエスタが、そこで目を丸くしていた。

「あら、またルイズのおともだちですか。すみません散らかってて、ルイズ、すみませんが少し待っていてくださる。さあ、あなたもこちらにいらして、お話を聞かせてください」

「え、あ、ああ、はいぃ!!」

 すすめられるままに、テーブルを挟んで王女の正面に座ったルイズ達は、シエスタの話に熱心に聞き入るアンリエッタの姿に感じ入り、その後夜遅くまで懐かしい思い出話に花を咲かせた。

 

 

 気がついたときには、月も天頂に昇りきり、学院は物音ひとつしない静寂に包まれていた。

 キュルケとタバサは眠くなったと先に寮に引き上げ、シエスタも姫殿下と直に話したと、夢見心地で帰っていった。

「いい姫様だな」

「そうでしょ、アンリエッタ姫がいる限り、トリステインは安泰よ」

 寮への道を、月明かりに照らされながらゆっくりと二人は歩いていた。

 色々と慌しかったが、実りも多い一日だった。美しく、聡明で、ちょっぴりおてんばなお姫様、会うのは初めてだったが、才人はルイズがトリステインという国を誇りに思っているわけがわかったような気がした。

「これで、明日から夏休みか、ここもしばらく寂しくなるな」

「そうね。けど、わたし達も明日にはここを立つわよ。準備は、ミス・ロングビルがしてくれているはずだから、寝坊するんじゃないわよ」

「わかってるよ。アルビオンに行くんだろ、ロングビルさんの知り合いって人のところに、アイちゃんを連れていかなきゃいけないからな……ん、ルイズ、あれは」

 雲の無い晴れた夏の夜空は澄み渡り、地球では見れない星座を描いて白銀の大海が広がっている。

 しかし、この美しい空のどこかで、今も闘争が繰り返されている。星空を見上げた二人は、そのはるか上空でおこなわれている小さな争いに気づいて、無言でその手を取り合った。

 

「ショワッチ!!」

 

 光が二人を包み込み、変身したウルトラマンAは誰にも見られぬままに夜空へと飛び上がった。

 

 そのころ、ハルケギニア上空四十万メートルでは、三匹の怪獣が戦っていた。

 前を行く二匹は、青い翼と黄色い鶏冠を持つ巨大な鳥と、やや小さな子供の鳥、【鳥怪獣 フライングライドロン】。宇宙を放浪する旅人のような怪獣で、性質は非常におとなしい。才人の来た世界でもZATの時代に親子連れのものが地球にやってきて、タロウに助けられたことがあるという。こちらの世界にも同種がいて、しかもやはり母と子の親子で旅をする途中にハルケギニアに立ち寄ったまではよかったが、あいにくここにはやっかいな暴れん坊がいた。

 そいつはライドロン親子の後ろから迫る、四枚の巨大な翼を持った鷲のような怪獣【ゼロ戦怪鳥 バレバドン】。フライングライドロン同様に宇宙を旅する渡り鳥怪獣だが、けっこうな悪食で、腹がすけば目の前のものに見境無く食いついてしまう悪い癖がある。ゼロ戦怪鳥というユニークな異名も、かつて地球に出現した個体が、偶然ラジコンのゼロ戦を飲み込んでしまい、どういうわけか、そのラジコンのコントローラーで動くようになってしまって一騒動起こしたという逸話からついたものだ。

 今、バレバドンはたまたま目についたフライングライドロンの子供をエサだと思い込み、しつこく追いかけているところだった。もちろん、フライングライドロンの親も子供を守ろうと必死でバレバドンの前に立ちふさがるけれども、戦う力をほとんど持っていないフライングライドロンは逃げるしか方法がない。

 

 だが、バレバドンの牙が子供に襲い掛かろうとしたとき、大気圏を高速で突破してきたエースが駆けつけた。

『パンチレーザー!』

 額からの青色光線がバレバドンの尾羽を焼いた。奴も突然の攻撃にびっくりしてきょろきょろと周りを見渡し、近寄ってくるエースを見つけて吼える。

 しかし、エースは気にもかけずに飛行しながら、右手から手裏剣のような光線を撃った。

『スラッシュ光線!』

 今度は胴体真ん中に命中して派手に爆発を起こした。

 こうなると、貪欲ではあるがそんなに強くはないバレバドンは敵わない相手だと見て、さっさと翼を翻して逃げていく。

(よかった、間に合ったみたいだ)

 バレバドンが逃げ去って、空は平穏を取り戻した。エースはライドロン親子に並んでしばらく飛び、やがて早く他の星へ行けと手で指し示して教えると、親子は礼を言うように一声鳴いて、ハルケギニアを背にして飛んでいった。

(元気でなー)

 飛び去っていくライドロン親子を見送りながら、才人は彼らの旅の無事を祈った。

(無事に旅を続けられるといいわね。けれど、彼らは助かったけど、もう一匹のほうはよかったのかしら、あの怪獣も生きるために食べようとしたんだし)

 ルイズは見えなくなっていく親子を見つめながら、ぽつりと心に引っかかっていたことをつぶやいた。

 喰う者と喰われる者、感情としては喰われる者に味方をしたいけれど、喰う者も生きる権利がある。人間だって生きるために肉を食うのだ。フライングライドロンを助けて、バレバドンを飢え死にさせる権利はないはずだ。

 才人はそんなルイズの言葉に言い返すことができずに黙っていたが、エースはそんな二人の悩みにひとつの答えの形を示してみせた。

(猟師は、子連れの鹿は撃たないものだよ)

 そう、賢い猟師はどんなに獲物がいなくても、子供を連れた動物は撃たないものだ。そうしなければ、いずれ本当に獲物がいなくなって自分が飢えることになるだけでなく、山の生態系をも変えてしまうからだ。

(そうか、そうだよな!)

(……でも)

 ただし、それも完全な真理ではない。自然界では弱い子供こそ獲物として狙われる。しかし、エースはそれ以上のヒントを与えることはしなかった。生き物の命に関しての答えは、それぞれが悩んで自分なりの解答を出してほしかったのだ。

 

 ライドロン親子が完全に見えなくなって、エースはハルケギニアを振り返った。

 そこには、これまでルイズの見たことのない世界が広がっていた。

 まだ夜の帳に包まれた、地図でしか見たことのないハルケギニアの地が眼下に模型のように存在している。その周りにはハルケギニアの何十倍もの面積を持った広大な大地と海が広がり、しかもそれは巨大な球体の表面に張り付いていたのだ。

(これが、わたし達の住む世界……)

 恐らく、史上初めて宇宙から自分達の星を見下ろしたハルケギニア人になるルイズは、眼下に広がる雄大な光景に言葉を失っていた。

(そう、これが君達の住む星、そして、ここが宇宙だ)

(宇宙……?)

(そうだ、私達を含めた全ての生命の故郷。この星も、宇宙から見れば砂漠の中の一粒の砂のようなものだ)

(ハルケギニアって、こんなに小さかったのね)

 ルイズの視線は、この星のハルケギニア地方に吸い込まれていた。

 まだ、この星には名前がない。いや、この星の人間達は、自分達がどういう場所に住んでいるのかすらも知らない。ルイズの世界観から見て、宇宙という概念はあまりにも大きすぎた。まして、ハルケギニアは地球のヨーロッパ地方に相当する程度の面積しかなく、全体のわずか一パーセントにも満たない。

 初めて大海を見た人間が、その雄大さの前に自分の小ささを知るというが、昔おもちゃのようなロケットで命がけでほんの数分間宇宙に出て、初めて宇宙から地球を見た宇宙飛行士達も、こんな気持ちだったのだろうか。

(でも、きれいな星だな)

(そうだな、地球を思い出す)

 才人とエースは、故郷の姿を思い出していた。この星は、地球のように青く、宇宙に宝石のように輝いている。

(あなたたちの故郷も、こんな姿をしているの?)

(ああ、そっくりだ。ルイズ、ハルケギニアだけじゃなくて、星全体を見てみろよ。本当にきれいだ)

 言われて、視線をハルケギニアからこの星全体に移し、ルイズは息を呑んだ。

 大地の緑、海の青、雲の白、茶色い山脈にハルケギニアの何倍もある砂漠。北と南のはじっこは真っ白く彩られ、その向こうから顔を覗かせてくる太陽に照らされて、どんな精密な絵画もらくがきに見えるような、そんな素晴らしい光景が広がっていたのだ。

(きれい……本当に)

 心持つ者ならば、この風景に目を奪われずにはいられないだろう。しかし、このどこかでヤプールがその怨念の牙を研いでいるのだ。

(守らなければな)

 エースは、かつてTAC隊員としてタックスペースの窓から地球を見ていつも思っていたことを、そのまま二人に伝えた。

(この世界を)

(ヤプールなんかには渡さない)

 ライドロン親子が、今度は安心してこの星に立ち寄れるように……

 太陽と月に照らされて、光の戦士は再び守るべき地へと舞い降りていった。

 

 

 続く



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第45話  夏の日の旅立ち

※この話は『烈風の騎士姫』発売以前に執筆したものです。そのため設定において原作と異なるものがありますが、あえてそのままで掲載いたします。
その点をご了承の上、お読みいただきたく願います。


 第45話

 夏の日の旅立ち

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス 登場!

 

 

 王女の突然の来訪から一日が明けた朝、空には真赤に燃える太陽が輝き、王女の旅立ちを祝福しているようであった。

「ではサイト、またそのうち会おう」

「休みに浮かれて夏風邪などひくんじゃないぞ」

「あれ引くのはバカだけなんですよね。じゃ、アニエスさんとミシェルさんもお気をつけて」

 戦友同士の三人は、それぞれの壮健を祈って別れた。

 さっそうと馬にまたがって、王女の護衛についていく二人の姿は精悍としか言い様がない。

「じゃあルイズ、今度会うときは二人でゆっくり語り合おうか」

「ワルドさま……今度はもう少し若々しいかっこうでいらしてね。とにかく、くれぐれも姫様をよろしくお願いします」

「ああ……わかったよ」

 すっかり中年あつかいになってしまったワルドは、当然優先順位がアンリエッタに傾いているルイズにドライに送り出されて、髭を剃ろうかなと独り言をつぶやきながらグリフォンにまたがって行った。

「アンリエッタ姫殿下、ご出立!」

 従者の高らかな宣言を受けて、王女の行列は生徒達の見送りを受けて学院を発っていく。

 正門を抜けたあたりで、馬車の窓が開いて、少し身を乗り出したアンリエッタが生徒達に向けて手を振り、最後に全員でアンリエッタ王女万歳、トリステイン万歳の唱和がなされて、行列はゆっくりと遠ざかっていった。

 

「姫様、お元気そうでなによりだったわ」

 護衛のグリフォン隊の姿も見えなくなってから、ルイズは汗を拭きながら才人に言った。

「うーん、昔がどうだったかは知らないけど、やっぱり人の上に立つ人は違うものだな。まったく、濃い一日だったぜ」

 二人は、わずか一日で魔法学院を大きくかき乱していったアンリエッタの行動を思い出していた。

 

 感想としては、本当に行動力にあふれた姫様だったというほかはない。

 シエスタから、学院で貴族の子弟達がどれだけ横暴に過ごしているのかを、根掘り葉掘り聞き出したアンリエッタは、貴族の礼節の崩壊がすでに少年の時代から始まっていると知って深く考え込んでいた。

「だらしない限りですわね。平民の模範となるべき貴族が、それではまるで猿じゃないですか……それに、彼らを教え諭すべき教師も、自分の系統の優位をひけらかすばかり。わかりました、オスマン学院長にはすでに話を通してありますので、新学期には教育にしかるべき人物をよこしましょう」

「しかるべき、人物ですか?」

「はい、たるみきった規律を引き締めなくては、将来このトリステインを背負って立つ人間は育てられません。まだ、来てもらえるかはわかりませんが、この休みのうちに話をつけておきますので、結果が出次第こちらから連絡します」

 シエスタは怪訝な顔をしたが、アンリエッタがまかせろと言っているのだから、それを信じるしかなかった。それにしても、しかるべき人物とは誰なのだろうか、ワルド子爵のような騎士でもよこしてくれるのだろうか? 何度聞いても、アンリエッタははぐらかすばかりで、その人物のことを教えてはくれなかった。

 

 また、夏休み中アルビオンまで旅行に行くことを話すと、自分もまたアルビオンに使者を送ろうとしてるのだと教えてくれた。

「アルビオン王家に、支援の申し出を、ですか?」

「はい、情報ではここ一ヶ月以内に、王党派、レコン・キスタの決戦がおこなわれるようです。現在、王党派の反撃を許したレコン・キスタ側は敗退続きで士気も下がり、王党派の勝利は確実なところですが、勝ってもかなりの傷も残しますし、国力は衰退します。王家再興のために重税を課したりなどすれば、第二、第三のレコン・キスタを生みかねませんので、すみやかに王家の基盤が再生できるように、食料品等の援助物資の輸送。また、正当なアルビオンの統治権の承認などを各国教会に申請など、色々と」

 その話を聞いて、ルイズ達はあらためてアンリエッタが戦後のことも見据えて働いているのだと感心した。

 なお、そんな大陸に旅行で行って大丈夫かと才人は聞いたが、この世界の戦争レベルは魔法や幻獣の存在はあるものの、中世ヨーロッパと大差ない。爆撃機や艦砲射撃で後方の街まで戦火に巻き込まれた近代戦とは違い、戦争はあくまで戦場に限られる。はぐれ傭兵が山賊化してはいるが、少なくとも王党派のほうは後方の治安維持にも努めているので、よほど決戦場に近づかなければ安全と言っていい。なにせ、アルビオンには怪獣が出ないからといって、今でもわざわざ移住していく人間が後を絶たないのだ。

「そのために、しばらくしたら我が国の大使として、魔法衛士隊からこのワルド子爵と、銃士隊からミシェル副隊長のお二人にアルビオンのジェームス一世陛下の元に発ってもらいます」

「え! ワルドさまが!」

 驚くルイズに、ワルドは屈託のない笑みを浮かべると言った。

「驚くことはないさ。トリステインとアルビオンを同盟させる重要な使者の役に、魔法衛士隊の隊長が選ばれるのは当然のことだ。それよりも、できればよろこんでもらえればうれしいな」

「えっ、はい! 立派なご出世、本当におめでとうございます」

「ありがとう。この名に恥じないように頑張ってくるよ」

 親しげに話すルイズとワルドを見て、才人はちょっと不愉快だったけれど、気を取り直してもう一人の使者に選ばれたミシェルに話しかけた。

「ところで、ミシェルさんも大使なんですか?」

「まあな、トリステインは実力があれば平民でもこれから取り立てていくということを、広く世に知らしめる意味もある。本当は隊長が行ければいいんだが、なにせ銃士隊はできたばかりの組織。隊の統率から新入隊員の鍛錬まで、今隊長が国を離れるわけにはいかんのだ」

 それに、アニエスにはミシェルにも秘密にしているが、今国を離れるわけにはいかない事情があった。王宮内に潜んでいるレコン・キスタの内通者の監視、これは他人に任せるわけにはいかない。また、両国が同盟を結ぼうとするときにこそ内通者も動くだろう、そのときこそ……

 姫様は、最後に旅行の無事を祈るとおっしゃって、親切に忠告を付け加えてくれた。

「いいですか、今アルビオンは一応内戦中ですから、貴族といえども勝手にはかの国へ出国できません。手間はかかりますが、規則ですので途中で渡航許可を王宮に取りに来てください。くれぐれも、戦場に近づいてはいけませんよ」

 要するに、パスポートをとれというようなものらしい。少々面倒だが、規則ならしょうがない。それよりも、うっかり間違って戦場に近づいて巻き添えを食っては大変だ。向こうに着いたら、よく話を聞いて情報を集めないといけない。

 

 それからの夜は、アンリエッタとルイズのある意味すさまじい武勇伝が夜通し語られ続けた。

 そうなると、元来話好きのキュルケも加わって女三人で話に花が咲いた。才人は、それらの話を終始聞き役に徹していたが、最後に一言「怪獣より君達のほうが怖いよ」とだけ感想を述べた。

 ただ、話の途中に、アンリエッタはときたま何かを言いたそうに、タバサのほうを見ていたが、結局最後まで二人の間に会話がなされることはなかった。

 

 だが、そうして回想にふけっていると、もう周りのみんなは解散していた。

 さて、気を取り直してここからは現実だ。ルイズ達もこれから出発するために、アルビオン行きのメンバー、ルイズ、才人、キュルケ、タバサ、シエスタが集まった。これから、ロングビルとアイも加えて、計七人でアルビオンに向かうことになる。

「みなさーん、昼前には出発しますよ。荷物をまとめておいてください」

 集まっていた一行に、馬車の用意をしているロングビルの声が響いた。

「はーいっと。じゃあ、またあとでね」

 

 荷物は二人分合わせてトランク一個分、世間知らずのルイズ達にまかせたら引越し荷物になりかねないので、あらかじめロングビルが量を制限していたのだ。

「ちぇ、ほんとはもっといっぱい持って行きたいのに」

「ドレスや宝石が何の役に立つんだ。無くして困るようなものは持っていかないのが旅の鉄則だよ。ちょっとした雑貨品は向こうで買って使い捨てればいいし、んじゃ行こうぜ」

 着替えと洗面道具など、最低限の荷物を詰め込んだトランクを抱えて、才人は部屋を出て鍵をかけた。

 

 その後、部屋を出た二人は、皆と合流する前に、オスマン学院長に挨拶に来た。

「君達ふたりもいなくなると、ここもしばらくさみしくなるのお。けれど、君達がいなくなってる間に、何かが起きたらどうしようかね」

「いつ、どこから来るのかわからない相手には、どこにいたって同じですよ。それに、アルビオンが本当に怪獣が出ないところなのか、この目で確認しておきたいですし」

「わかった。留守のことはまかせなさい。気をつけてな」

 学院長にも温かく見送ってもらえ、二人はそれからコルベール先生にも挨拶をしに行った。だが残念ながら、すでにどこかに出かけていて会えず、皆と合流するために駆けていった。

 

 学院の中庭には、すでに馬車が停められており、キュルケとタバサ、それから旅の弁当を持ったシエスタが馬車の荷台でアイの遊び相手をしながら待っていた。

「よっ、アイちゃん元気か?」

「あっ、サイトお兄ちゃん、ルイズお姉ちゃん、こんにちは!」

 元気よくあいさつを返してくるアイを見て、二人は頬をほころばせた。ここのところ、あまりかまってあげられなかったが、ロングビルがしっかり面倒を見てくれていたようだ。星に帰ったミラクル星人も、きっと喜んでくれるだろう。

「ところで、キュルケ、タバサ、お前らは里帰りしなくて本当によかったのか?」

 休み期間中にアルビオンに行くことは、ミラクル星人を送ったときからすでに決めていたが、いいところからの留学生だと聞いていたこの二人が一月もの旅行に着いて来るとは、正直あまり思っていなかった。

「いいのよ。どーせ帰っても堅苦しい見合い話が待ってるだけだし、ミス・ロングビルの知り合いってのがどんなのか、きっちり確認しておきたいからね」

「……用事ができたら、シルフィードで戻れる」

 二人とも、文句なく付き合うと言ってくれた。まあ、旅は道連れ、世は情け、にぎやかで悪いことはない。 

「ロングビルさんは、学院での仕事はもういいんですか?」

「そのために、ここのところ残業倍増で頑張ってたのよ。まったく、オスマン学院長がサボるもんだから、書類の整理に追われたけど、当分は学院長一人でも問題ないはずよ。それに……いつも私に押し付けてる苦労を、少しは味わえばいいんだわ!」

 ロングビルは、口元にフーケだったころの凶悪な笑みを浮かべて言った。サボり魔の学院長を補佐しての激務、どれほどのストレスが溜まっているのか想像に難くない。誰よりも息抜きが必要なのは彼女だろう。

 第一、せっかくの長期休暇は楽しまなければ損だ。

 見ると、学院の中庭や厩舎などからは、里帰りをしていく生徒達が続々と発っていっていた。馬に乗って通り過ぎていったギムリやレイナールと、「またな」と手を振り合って別れ、他にも幾人かの知り合いと休み明けの再会を約束して別れていると、最後らになって一頭の馬に相乗りしたギーシュとモンモランシーがやってきた。

「おうサイト、君達もこれから出るのかい?」

「ああ、ちょいとアルビオンってとこまで旅行にな。お前らはどうしたんだ、実家が近いのか?」

「いやいや、せっかくの青春の一ページを親父たちの渋い顔を見て過ごすのも嫌なんでね。愛しのモンモランシーを、ご実家に送り届けるついでに、いっしょにトリステインを見て回ろうと思ってね」

「わ、わたしは一人で帰るって言ったのに、ギーシュが無理矢理にさそうから。そ、それにわたしの馬が暑さでばてて使い物にならなくなったから、本当に仕方なくなんだからね!」

 つまりは、ふたりで旅行に行こうということか、そういえばこのところモンモランシーにまた浮気がばれて絶交されかかっていたようだから、よりを戻そうと必死なんだな。こりない奴だが、なんだかんだで許してしまうモンモンも甘いな。

「ふーん、けど早く帰らなくてご両親が心配しないのか?」

「その心配は無用さ、どうせ親父も兄さん達もどこぞのご令嬢とバカンスに行って、母上も親父を追って出陣しているだろうから今うちには誰もいないよ」

 この親にしてこの子ありというわけか。しょうもないことばかりを子孫に遺伝するのはヴァリエールとツェルプストーだけではないようだ。

「はぁ……まあ、気をつけて行けよ。くれぐれもモンモンを危ない目に合わせるなよ」

「気をつけるよ。じゃあ、また新学期に会おう。さらばだ!」

「またねー……ところでギーシュ、あなたの家系ってみんな浮気性なわけ?」

 最後だけはかっこつけて行ったギーシュと、彼の後ろから怖い視線を向けているモンモランシーを見送ると、学院はうそのように静かになった。

 見上げると、無人になった魔法学院の建物が日差しに照らされて輝いている。その最上階では、オスマンが無事に帰ってくることを祈るように手を振っていた。

「さあて、じゃあ行くか!」

「出発します。はっ!!」

 ロングビルが手綱を振るい、馬車はゆっくりと走り始めた。

 目的地は、浮遊大陸アルビオンのウェストウッド村、片道十日、一ヶ月間の長期旅行だ。

 まず目指すのは、トリステイン首都トリスタニア。

 

 

 そして午後三時ごろ、トリスタニアに到着し、馬車駅に馬車を預けた一行は、今日この街で一泊を取るための宿を探すためと、渡航許可証をとるために二手に分かれた。

「じゃあ、城にはわたくしとミス・ヴァリエールとサイト君で行ってきますので、ミス・ツェルプストー様達は宿の予約をとってきてください。くれぐれも、予算内で納めてくださいよ」

 ロングビルは、身分証明書などを詰めたかばんを持って、キュルケ達のほうを向いて言った。

「わかってるっての、もう耳にタコよ。それで、待ち合わせはシエスタの知り合いの店でいいのね」

「はい、わたしのおじさんの店なんですけど、今度おともだちを連れて行くって言ったらすっごく喜んでくれてました。夕食をごちそうしてくださるそうなので、楽しみにしててください」

 シエスタの知り合いなら、変な店ではないだろう。事前にどんな店だか聞いてはみたが、料理がうまいということ以外は、行ってのお楽しみですとはぐらかされてしまった。

「じゃ、また後で……アイちゃん、いい子にしてるのよ」

「はーい!」

 アイも、ここ数ヶ月ですっかり明るくなっていた。それに、その間にロングビルが読み書き計算などの手ほどきをして、今では簡単な本が読めるようになっている。もし、ロングビルに正式な貴族の称号があれば、普通によい教師になれただろう。それは叶わなかったが、彼女を無理にでも残らせて更生させたオスマンの見識は正しかったということだ。

 さて、キュルケ達と別れ、才人達の一行はトリステイン王宮へと向かった。

 

 

 王宮は、以前メカギラスによって破壊された箇所を今では完全に修復され、かつての優美な姿を取り戻していた。

 ただし、近づいてよくよく見ると、尖塔のあちこちに見張り台が新設され、城砦としての防衛力が強化されているのがわかる。

 また、前に来たときは身分証を見せるだけですんなり入れたのだが、今度は持ち物チェックやディテクトマジックを用いての検査が追加されていた。これも、バム星人に城内に侵入されたときの教訓からで、少しでも不備のある者は容赦なく追い返されている。

「トリステイン魔法学院専属教諭、ロングビルです」

 城門での身分検査をパスして、三人は城内に足を踏み入れた。ちなみに、才人の場合は従者ということにしてある。

 入国管理事務所は、門から入ってすぐのところであったが、意外と混雑していて、ルイズ達は整理券を渡されて一時間待ちとなった。

「ふぅ、まいったわねぇ」

 休憩所でもらったサービスの冷水で喉をうるおしながら、ルイズ達は中庭を散歩しながら、先約の行列を見ていた。

 ざっと見ても百人は下らない。トリステインは小さな国だが、人間が住んでいる以上、人の出入りは激しい。すぐに済むと思っていたルイズは、退屈な時間をどうやってつぶそうかと、木のコップを咥えるようにして中身を飲みながら、才人に扇がせながら中庭をぶらぶらと歩いていた。

 が、そうして無為に青春を浪費する時間は、唐突に思いもよらぬ方向から破られた。

 

「ルイズ! ちびルイズ!」

「ひゃあ!?」

 突然頭の上からした声に、ルイズは反射的に縮こまった。

「そ、その声は……」

 真夏の日だというのに、一瞬で顔を青ざめさせて、冷や汗まで流しながらルイズは声の主を首を振り動かして捜し求めた。

「お、おいルイズ、どうした?」

 才人の声にも、ルイズはまったく反応する様子すら見せない。それどころか、今まで見たことも無いほどその顔がひきつっている。怪獣や宇宙人を目の前にしたときも毅然しているような、人一倍気性の強い娘が、まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 そして、声の主の姿を城の本館へと続く渡り廊下に見つけたとき、ルイズは自分の予想が不幸にも当たっていたことを悟らされた。

「エ、エレオノールお姉さま……」

「え、お、お前のお姉さん!?」

 当然のことながら才人はびっくりした。これまでルイズに家族がいるということは、話だけなら聞かされていたが、まさかこんなところで出会うとは、しかも、ルイズのことをちび呼ばわりとは。

 見ると、こっちに来いというふうに手招きしている。どうやら、感動の再会とはいかないようだと才人は理解した。

「やっぱり、あなただったわね。ちびルイズ」

 開口一番、エレオノールがルイズに言った言葉がそれだった。

 後ろから追いかけてきた才人は、あいさつでもと思ったものの、即座に傍観することに切り替えた。近づいて分かったが、ルイズの高飛車と高慢を倍加させたような圧迫感を持った雰囲気で、見事なブロンドの髪と鋭く光る眼鏡がそれを押し上げ、とにかく"怖い"という空気を撒き散らしていたのだ。何より、姉と会うというのにルイズの顔が青ざめて、顔もまともに見れていないのがいい証拠だ。

「お、お姉さま。ど、どうしてここに?」

 勇気を振り絞ったルイズが声をかけると、エレオノールはつまらなさそうに「ふんっ」と言った後、その質問に答えた。

「姫様からお呼び出しを受けてね。今現在のアカデミーでの研究結果の具体的な報告を聞きたいとのことよ。あなたも知ってるでしょうけど、アカデミーの本来の役目は魔法をいかに始祖の使っていたものに近づけるかということ、けれど今は方針が変更されて、各種の魔法兵器の研究開発が主眼になってるわ。なんでも、連敗続きで離れていった民衆の信頼を取り戻すためにも、軍の強化が急務なんだってね」

 忌々しげにエレオノールは吐き捨てた。

 これまで、トリスタニアがヤプールの襲撃を受けた件で、軍は戦果らしい戦果を一つもあげたことはない。そうなると、軍の中核をなすメイジ、すなわち貴族への平民の信頼は急落していった。

 なにせ、貴族が平民より上の立場にいるのは、有事の際には我々がお前達を守ってやるから平時には税金を出して貴族を支えろ、という強者と弱者の論理があったわけだ。それが、いざその強者がまったく頼りにならないということが分かると、平民の貴族に対する視線は、尊敬と畏怖から、一転冷笑と蔑視になるのは自然の摂理だった。

「最近じゃあ、メイジは台所でネズミでも追いかけてろ、お前たちが出てくるとウルトラマンが来てくれるのが遅くなる、なんてささやかれてるそうよ。こうなるともう、同じ貴族として黙ってられないからね、いずれ超獣を一発でやっつけられるような兵器を作ってやるわよ!! でも、私は軍人のおもちゃを作るためにアカデミーに入ったわけじゃないんだからね」

 彼女の不満ももっともであろう、自分の好みではない研究をさせられてうれしい学者はいやしない。

 けれども、かつて超獣ベロクロンに対して、軍はあらゆる魔法と武器を使用してこれを迎え撃った結果、どれ一つとして奴の皮膚を貫けたものはなかった。現在、軍は数だけは揃えられてきているものの、有効な武器がなければ以前と同じ轍を踏むだけだ。

 また、アカデミーにはその他にも、撃破された超獣の死骸の調査や、メカギラスやナースなどのメカの分析、過去の文献を調べての怪獣や宇宙人の出現の記録を探したりと、本来の目的に裂ける時間は皆無と言ってよかった。

 ただし、これをむしろ喜ばしいことだと考えている者も少なくはなく、エレオノールにも多少はその気持ちがあった。なぜなら、アカデミーはこれまで「どうすればより美しい始祖の像を作れるか」とか「始祖の使っていた炎に近づけるにはどうすればよいか」など、火の魔法で街を明るくしようなどといった実用的なものはなく、神学に縛られた狭い枠の中の学問でしかなかった。おかげで周囲からは、「税金の無駄遣い」「千年前と同じことをしている」などと陰口を叩かれ、エレオノールも神像を作る研究の際に生まれた色々な好奇心を抑えてきただけに、自由度が増した今の環境は新鮮で刺激に溢れていた。

 これも、アンリエッタによる改革の一端である。彼女は、優秀な人材が埋もれているのを惜しいと思いつつも教会の手前で動けなかったのだが、ベロクロンの襲撃でその教会が関係者ごと焼かれ、口出しをしてくる者がいなくなった隙をついて電撃的にアカデミーの構造を変えてしまったのだった。

 しかし、それとこれとは別で、ただでさえ忙しいところに、思いもよらぬ形で妹を見つけたエレオノールの機嫌は最悪だった。

「ところで、ルイズ、あんたが何でこんなところにいるのよ? 学院は今夏休みだと聞いてるけど、どこかに遊びに行く気? だいたいあなた、学院に在学できてるってことは、サモン・サーヴァントとコントラスト・サーヴァントは成功したんでしょうけど、少しは魔法が使えるようになったのかしら?」

「そ、それは……」

 ルイズは返事に窮した。この姉は、昔から高圧的で怖くて苦手だったし、第一まだそれ以外の魔法を一度も成功させたことがないのは、とても言えたことではなかったからだ。

「ふん、その態度でわかったわ。相変わらずゼロのルイズみたいね。で、これからここには何をしに来たわけ?」

「は、はい……」

 ルイズはぽつりぽつりと、言葉を選びながらエレオノールにアルビオン行きを説明した。もちろん、ミラクル星人のことやロングビルの経歴については伏せていたが、それに対してのエレオノールの反応は予想したとおりであった。

「中止しなさい」

「えっ、そんな」

「そんなもこんなもないわ!! 相変わらずのゼロの分際で、休みに旅行? しかも内戦中の国へなんてふざけるんじゃないわ」

「あ、あびぃーっ! ご、ごめんなさあい」

 言い返そうとしたルイズは、思いっきりほっぺをつねられた。この姉は、妹が気に入らないことがあると、すぐにこうしておしおきをするのである。反論しようとして、ルイズが敵ったことは一度もなかった。

 けれど、これではせっかくの旅行がつぶされてしまう。才人は、怖いのを承知でご意見申し上げようかと一歩前に出たが、幸運にも、もっと頼もしい助け舟がやってきた。

「少々お待ちになっていただけるかしら、ミス・ヴァリエールのご家族の方ですね。私は学院で秘書を勤めさせていただいていますロングビルと申します。今回の遠足について、何かご不満がおありなのですか?」

 なんと、まさに地獄に仏、学院長の秘書であるなら身分も申し分ない。エレオノールもルイズをつねるのをやめて、話を聞く態度に改まった。

「遠足、ですって」

「ええ、今回は休み期間中に希望者を募って国内外の見学遠足を実施していますの。もちろん、オスマン学院長も全面的に公認してくださっています。それに、ルイズ嬢は学術、気品ともに申し分なく、私どもも自慢の生徒ですわ」

 さすが、元盗賊だけはある。口八丁は得意技、うまく話を組み替えて、エレオノールの反対意見を封じていく。

「ですけど、魔法が」

「その点につきましては、そのとおりです。けれど、魔法の才がある山賊と、杖を振れない賢人、世に必要とされるのはどちらでしょう。魔法はいつでも練習できますが、感性の豊かなこの時期は、二度とは戻ってこないのですよ」

 魔法の才ある山賊、それはロングビル自身にも跳ね返ってくる表現だが、今の彼女は杖の振れない賢人として学院で働いている。むろん、『破壊の光』を盗むために潜り込んでいたころとは、仕事に対する充実感が違うし、周りからの評価も素直に受けられていた。

 エレオノールは、ロングビルのその言葉を吟味するように、じっと考えていたが、やがておもむろに口を開いて言った。

「……いいでしょう。学院の教師の方がいっしょだというのなら、ただし、帰ってからあちこちで見聞きしたことをレポートにして私に提出しなさい、それが条件よ」

「あ、ありがとうございます。エレオノール姉さま」

 喜びを満面に浮かべて、ルイズはぐっと姉に向けて頭を下げた。

 だが、エレオノールはルイズには構わずにロングビルに向かって、その目を強く睨み付けて言った。 

「妹を、よろしくお願いしますね。くれぐれも、危ない目には合わせないように」

「はい、この身にかけても」

 その真摯な言葉には、ロングビルも演技抜きで答えざるを得なかった。

"この人、口では厳しいけど……"

 やっぱり、姉妹は姉妹だ。才人も、そんなエレオノールのぶっきらぼうな優しさを、じっと見つめていた。そういえば、日本に残してきた父さんと母さんはどうしているだろうか、心配しているだろうな。けれど、まさか異世界に迷い込んでいるとは思わないだろうから、助けが来るとは思えない。いつか、ヤプールと決戦をするとき、そのときに帰ることができるのだろうか。

 エレオノールは、またロングビルと二言三言話した後、ルイズに旅行が終わった後に実家に顔を見せるのよと釘を刺し、「さて、それじゃあ私は行くわね」とだけ言い残して、仕事の書類を抱えて城内へと踵を返した。その後姿は、やはりルイズの姉だけあって堂々としており、学者だというのに、まるで騎士のようにさえ見える。

 と、そのとき、案内係がそろそろ順番ですよと呼びに来て、ロングビルは事務所のほうへと駆けていった。

 これで、あと十数分すれば六人分の渡航許可書がおりるだろう。

 けれど、ルイズがほっとして、また才人にうちわで扇がせようとしたとき、門のほうへ行きかけていたエレオノールが思い出したように振り返って、ルイズに叫ぶように言った。

「ああそうだ!! 言い忘れてたけどルイズ、用事が済んだらさっさと出て行ったほうがいいわよ。これは、姉として心からの忠告だから、じゃあ!!」

「え、それはどういう……」

 その、エレオノールの意味ありげな捨て台詞は、彼女の妹に不吉な予感を抱かせるに充分だったが、どうやらその忠告も一足遅かったようだ。ルイズがその意味を問いかけようとしたとき、突然王宮の中庭を黒い影が覆い、猛烈な突風が台風のようにそこを吹き荒れた。

 

「なっ、なんだぁ!?」

「そ、空を見て!!」

 

 花壇の花々は花弁を飛ばされ、中庭でくつろいでいた人たちは風圧に耐えられずに地面に転がる。

 驚いた才人とルイズは、とっさに吹き飛ばされないように側の柱にしがみつき、空を見上げて絶句した。そこにはなんと、翼長十メイルを超えるほどの巨大な鳥が、その巨大な翼を羽ばたかせながら舞い降りてきていたのだ。

「あっ……あれ、は……」

「あーあ、どうやら遅かったみたいね」

 ルイズは、エレオノールに怒鳴られたとき以上に顔を青ざめさせ、エレオノールはルイズの不幸を哀れむように、残念だと目を細めた。

 その巨鳥は、中庭に着陸すると、その背に乗せていた人物を地上に降ろした。

「あ……あ」

 背の高さからでも三メイルはある巨鳥の背から、さっそうと降り立ったのは、桃色がかったブロンドの髪を伸ばした麗人。しかしその両眼だけは猛禽のように鋭く輝いている。

 その女性は、突然の空からの来訪者に驚いて駆けつけてきた衛兵に身分を名乗って引かせると、乗ってきた巨鳥に向かって命じた。

「縮め、ノワール」

 すると、巨鳥は一声鳴くと、その命令どおりに翼をたたみ、見る見るうちに小さくなっていき、やがて文鳥くらいのサイズにまで収縮すると、主人の肩に留まっておとなしくなった。まさに目を疑うような光景だが、才人はその鳥の正体に気づいていた。

「間違いない……古代怪鳥、ラルゲユウス……」

 それは、第三氷河期以前に地球に生息した鳥の先祖の一種で、正確には怪獣ではなく古代の動物だが、羽ばたきで街ひとつ壊滅させるほどの力を持つ。才人の愛読していた怪獣図鑑では、ウルトラマンが来る以前の地球に異次元空間を通って九百九十八年前の時代から飛来し、街をその突風で破壊しつくした後に海に去っていく姿を、偶然その場に居合わせた新聞記者が撮った白黒写真で残されていた。

 さらに、この鳥にはもう一つ特殊能力があり、文鳥サイズから最大五十メートルにまで巨大化する能力を持つのだが、そんな怪獣をペットのように操るとはただ者ではない。なおかつ、今こちらのほうへ向けてゆっくりと歩み寄ってくるその人のかもし出すオーラと、なによりその顔つきは、鈍い才人にも彼女が何者であるのか嫌というほど分からせる圧迫感があった。

 

「久しぶりね、ルイズ」

「お、お母様……」

 

 やっぱりそうだったか!! 才人は自分の予感が当たったことを喜びたいと思ったが、その場で身動きできずにいた。

 とにかくもって威圧感の塊といえる。ルイズも怒ると怖いが、所詮怒りに任せて暴走するレッドキングのようなもの。対して、この無言のうちに圧倒的な力を秘めた存在感は、まるで史上最強の怪獣ゼットンだ。

「お、お久しぶりです。お母様……あ、あの……どうして、今日はまた王宮にまで……」

 なけなしの勇気を総動員して、やっと当たり障りのない言葉をつむいだルイズに対して、母は娘と久しぶりに会った懐かしさなどはまったく感じさせずに言った。

「姫殿下から、至急私に相談したいことがあると連絡をいただきましてね。恐らく、枢機卿あたりが昔の私の経歴を姫様に話したのでしょう。まったく、こんな引退した年寄りをわざわざ呼び出されるとは、トリステインの人材も枯渇したものね。それでルイズ、あなたなぜここに?」

「あ、あの……その」

 ルイズは全身の水分を搾り出しているんじゃないかと思うほどに冷や汗を流しながら、先程ロングビルがエレオノールに言ったことを復唱していった。家にいたころ何があったのかは分からないが、ルイズにとってこの母は、逆立ちしても敵う相手ではないようだ。

 その間、才人は後ろでただ見守っていただけである。家族間の問題に口を出さなかったというよりは、単に怖かっただけだけれど、それにしても急展開過ぎる。ただ渡航許可をもらいに来ただけなのに、お姉さんについで今度はお母さん? しかも怪獣を引き連れて来ちゃったよこの人!? いったいルイズの家族はどうなっているんだ!?

 ルイズの母は、娘の話をじっと聞いていたが、ルイズが「行ってもよろしいでしょうか?」と恐る恐る聞くと、顔色を変えぬままに言った。

「いいでしょう。私もあなたの年のころには修練としてあちこちを巡ったものです。この国の外を見てくるのもよい経験になるでしょう」

「は、はいっ、ありがとうこざいます。お母様」

 意外にもあっさり許可をくれたルイズの母は、娘の戦々恐々とした心情に気づいているのか……いや、母親なのだから当然気づいているだろうが、その目をちらりと才人のほうへ向け、改めてルイズに問いかけた。

「そういえば、魔法学院に在学できているということは、当然進級試験に合格したということね。使い魔は何になったの?」

「えっ、あっ、その……」

 ルイズは口ごもった。人間を使い魔として召喚してしまったなどという非常識なことを、この厳格な母に言ったらどう思われるか。しかし、ごまかせるような雰囲気でも相手でもない。仕方なくルイズは後ろに立っていた才人を呼んで母に紹介した。

「彼が……わたしのサモン・サーヴァントで呼ばれた使い魔の……」

「えーっと、平賀才人っていいます。街を歩いてたら、こいつの魔法でトリステインに呼ばれてしまって。それでまあ、使い魔ってやつをやらせてもらってます。ルイズの……お母さん、ですよね?」

 才人は、一応のあいさつをして、使い魔の証である左手のルーンを見せた。

「カリーヌ・デジレ、通称は『烈風』、ただし平民はヴァリエール公爵夫人とお呼びなさい。人間が使い魔に? 確かに、ルーンは本物のようだけど……」

 使い魔のルーンは偽装が利くものではない。それに人間を使い魔にしたなどと突飛な嘘をつく必要もなく、公爵夫人もその正しさを認めざるを得なかった。だが、むしろ公爵夫人はルーンは一瞥しただけで、むしろ才人の顔のほうをまじまじと見つめていた。

「な、なんですか?」

 ただでさえ怖い雰囲気を振りまいている公爵夫人に瞳を覗き込まれ、その恐ろしさに耐えかねて思わずたじろいだ。

「異国から来たと言ったわね。この子に召喚される前は、どこの国にいたのかしら?」

「え? えーと、この国では東方って呼ばれてる、ロバ・アル……なんとかって、さらに東から……でも、帰る方法もないんで、娘さんには、お世話になってます」

 本当は、日本の東京から来たのであっても、ハルケギニアの人間にそう言ってもわかってもらうことはできない。公爵夫人は、才人の通り一遍の回答に、別に感慨を受けた様子はなかったが、やがて二人を同時に見渡すと静かに言った。

「そう……わかったわ。もう行きなさい」

「あ、はいっ!! では、お母様、失礼します。サイト、行くわよ」

 実の母親に他人行儀なあいさつをすると、才人を連れて駆け足で立ち去っていった。

 

 その後姿を、公爵夫人は感情を現さない厳しい視線でじっと見つめていたが、やがて目を閉じて、誰にも聞こえないくらいに小さな声でポツリとつぶやいた。

 

「異国から来た、黒い目と黒い髪を持った少年……これも、また運命か……」

 

 懐かしむような小さな呟きは、誰の耳にも届くことはなく、ただその肩にとまった小さな白い鳥のみが、短く答えるように喉を鳴らしていた。

 

 

 一方、母のそんな思いに気づくこともなく、ルイズと才人は一気に城門のところにまで戻ってきて、ぜいぜいと息をついていた。

「あー怖かった。あれが、お前のお母さんかよ」

「そうよ。先代マンティコア隊隊長、『烈風』カリン、もう随分前に一線を退いているけど、かつてはトリステイン最強とうたわれた、伝説の女魔法騎士よ」

「トリステイン最強の魔法騎士って、あのワルドみたいな?」

 昨日見た絶妙なコントロールの『エア・ハンマー』の威力を思い出して才人は聞いたが、ルイズはぶんぶんと首をちぎれそうなくらい横に振りまくった。

「比較にならないわよ!! 確かにワルドも強くなったみたいだけど、まだまだお母様に比べたらそよ風と竜巻みたいなものよ。仮にワルドが百人いたとしても、全盛期のお母様なら十秒で蹴散らすでしょうね」

 一切の躊躇なく断言したルイズに才人も慄然とした。あのワルドがそよ風扱い!? 身内びいきを差し引いたとしてもどれほどの実力者だよ。

「信じてないわね。そりゃそうだけど、『烈風』カリンの戦歴、いいえ伝説はトリステインでは知らない人はいないわ。火竜山脈の人食いドラゴンの群れを一人で全滅させたり、反乱を起こしたエスターシュ公を立てこもった城ごと粉砕したりと、嘘みたいだけど……全部真実よ」

 もはや言うべき言葉が見つからない。フーケ、アンリエッタ、ワルドとすごい魔法使いは数々見てきたけれど、それこそ桁が違う。あの迫力はそれゆえか、大人しくしてて正解だった。

 だが、それはよいとして、あの鳥の事を聞かないままにすることは才人にはできなかった。

「だ、だけどさ……あの人はマンティコア隊の隊長だったんだろ。けれど、乗ってきたのは……」

「ああ、ノワールのことね。お母様がわたしと同じころに呼び出した使い魔で、最初はただの小鳥だと思われてたけど、ある日突然巨大化して暴れだし、馬や使い魔、人間まで襲い始めて、当時の魔法学院を半壊させたそうよ。けれど、そのときすでにトライアングルにまで昇格していたお母様は、学院の教師達でもまったく敵わなかった怪鳥に挑み、三日三晩の戦いの末に、血まみれの壮絶な姿になりながら遂に調伏させて、それ以来ノワールはお母様の忠実な使い魔となったわ。『烈風』カリンの最初の伝説よ」

 あの、ラルゲユウスと生身で戦って打ち負かした? しかも、ルイズと同じ歳に? キュルケやタバサだってそんなことは不可能だろう。上には上がいるという言葉があるが、怪物にもほどがある。

「学院を卒業して魔法衛士隊に入隊した後の、お母様とノワールの活躍は、それだけで十冊くらい本を出せるわ。わずか二十一歳で特例でマンティコア隊の隊長に昇進したころには、お母様はトリステインに並ぶもののないスクウェアの使い手。ノワールもお母様の命令どおりに自分の大きさをコントロールできるようになって、お母様の部隊ひとつで軍の三個師団に匹敵する威力を持つと言われた。当時のガリア王が、「トリステインと戦争して勝てるか」と軍の司令官に聞いたら、「トリステインには『烈風』カリンがおります」、と答えたなんて話が残ってるくらいにね」

 お前のお母さんは戦艦長門か。たった一人で戦争の抑止力になるとは、もう突っ込む気も起きない。

「ゲルマニアと国境で小競り合いが起きたときだって、向こうの斥候が死にそうな顔で「鳥を見た」って報告しただけで引き上げていったのも有名な話」

 ああ、それならよく分かる。意味は違うけど。

 しかし、武勇伝はまだ数限りなくあるだろうが、このまま聞いていたらきりがないので、才人はそろそろ話を切り替えることにした。

「まあ、とてつもない人だってことはわかったよ。でも、そんなすごい人がお母さんで、お前も鼻が高いんじゃないのか?」

「ええ……まあ、ね」

 思わず口ごもったルイズは、複雑な気持ちだった。

 確かに、母はすごい、それはこの上もなく誇らしいことだ。

 しかし、その母に対して自分はどうなのか、いまだにゼロと呼ばれて、メイジとしては何もできない。そのことが、ルイズの心には重いプレッシャーとコンプレックスになっていた。

 子供は、いずれ親を超えていかねばならない。しかし、乗り越えるのにあまりにも高すぎる、偉大すぎる親を持ってしまった子供はどうすればいいのだろう。

 

 そのとき、事務所のほうからロングビルが二人のほうへと駆けて来た。

「ああ、いたいた。もう、探しましたよ二人とも、審査は無事通りました。これで気兼ねなくアルビオンに渡れるわよ」

「そうですか、よかった。じゃあルイズ、みんなとの待ち合わせ場所に向かおうか、もうみんな着いてるかもしれない」

 見ると、日もそろそろ傾き始めている。夏の長い日、まだまだ日暮れには遠いが、腹もすいてくるころだ。

 ルイズも、才人に言われて、そういえばそろそろおなかがすいてきたわねと気を取り直して、うーんっ! と背伸びをすると、城門の外へと歩き始めた。

「んじゃあ、さっさと行くわよ二人とも!! 待ち合わせ場所は、シエスタの知り合いの店の……なんていったかしら?」

「魅惑の妖精亭、けっこう時間喰っちまったから、もうみんな行ってるかもな」

 三人は、城門を抜けて、預けてある馬に飛び乗ると、街へと続く坂を一気に駆け下りていった。

 

 

 続く



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第46話  勇気の証明 (前編)

 第46話

 勇気の証明 (前編)

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 変身怪獣 ザラガス 登場!

 

 

 シエスタの知り合いの店という、『魅惑の妖精亭』という居酒屋は、トリスタニアの下町といえるチクトンネ街の一角になかなか立派なたたずまいを見せており、店長と店員一同の温かい歓迎で一行を迎えてくれた。

 本来なら酒場であるのだから、夜から仕事帰りの男達を相手に商売をする店なのだが、シエスタの友達ということで、夕暮れの開店時間までで、お酒は出さないという条件つきで、特別に食事の席を用意してもらったのだった。

「あっはっはっはは!! そりゃあ災難だったわねルイズ」

「笑い事じゃないわよ。まさかお姉さまやお母様まで王宮に来ていたなんて、寿命が十年は縮んだわ。これでキュルケ、ツェルプストー家のあんたまでいたら、あーもう想像もしたくない」

 店で一番大きなテーブルにぐるりと囲んで座って、一行は城でのルイズ達一家の話で盛り上がっていた。

「でも信じられません。ミス・ヴァリエールのお母様が、あの『烈風』カリン様だったなんて、わたしも小さい頃から貴族でもあの方だけは別格だって、父と母に聞かされていました」

 シエスタも、まさか想像もしなかったと、唖然としながら話を聞いている。『烈風』の名は、軍や貴族の垣根を超えて、平民の間にも幅広く伝わっていたのだ。

「わからなくても当然よ。お母様は任務のときは、いつも顔半分を鉄の仮面で隠しておいでだったらしいから、名は知れ渡ってるけど、素顔を知る人は少ないわ。頼むから、この話は内密にお願いするわね」

 伝説のメイジが母親だなどと知れ渡ったら、ルイズも肩身が狭くなるだろう。シエスタは黙ってうなづき、キュルケは、どうせ言っても誰も信じないわよと笑い飛ばし、タバサは黙っていて、ロングビルは、私も見てみたかったなと残念そうに言っていた。

 さて、話も一段落ついたらすきっ腹が堪えてくるのが人間の本能である。運ばれてきた料理に舌鼓を打ち、昼からの疲れにエネルギーを補給する。

「おかわりーっ!!」

「……おかわり」

 食事開始から十分足らずでアイとタバサが同時に空になった皿を差し出した。二人の皿にはそれぞれ豚肉のチャーハンとハシバミ草のサラダが山と積まれていたのに早いものだ。特に、育ち盛りのアイはともかく小柄なタバサのどこにそんな食欲があるのやら。

「はーい、おかわり二名様あがりましたーっ!!」

 すぐさま店の奥から可愛いウェイトレスが飛んできて、二人から皿を受け取ると、また別の娘が料理を手際よく運んできた。

 この『魅惑の妖精亭』は、ただの酒場ではなく、その名の通りに妖精のように若くて可愛い女の子をたくさん雇っていることから、チクトンネ街でも別格の存在感を誇っていた。ただし、そういう男達を相手に商売をするので衣装はけっこう際どく、唯一の男性である才人は目のやり場に困るくらいであった。

 ただ、それは別として腹は減るので才人もおかわりを頼みたいのだが、振り返ろうとするとルイズに足を踏まれてしまって、仕方なくロングビルに頼んで間接的に持ってきてもらう始末。才人は切なくなった。

 けれども、そうしているうちにもキュルケは二杯目、タバサは四杯目のおかわりを頼んでいる。アイは二杯目でおなかいっぱいになって、ロングビルといっしょにジュースを飲んでいた。ちなみにシエスタは一杯で満足して知り合いの店長という人と話をしに行った。

「それにしても、お前らよく食うなあ」

 まだまだ満足せずに三杯目と五杯目のおかわりを要求するキュルケとタバサに、才人は二杯目のシチューを口に運びながら、唖然として言った。

「なによ、あんたたちが小食なだけじゃない。まだまだいけるわよね、タバサ」

「……あと、四杯はいける」

 いやいやいや、大食いチャンピオンですか君達は。それにしても、キュルケはそのダイナマイトバディを維持するために、栄養が必要なのはまだ理解できるが、小学生並みのタバサの体のどこに入っていくのですか? しかもハシバミ草のサラダばっかり、モットクレロンの生まれ変わりかと思ってしまう。

「「おかわりーっ」」

 今度は同時に皿を上げる二人を見て、才人は食欲が失せていくのを感じていた。

 けれど、そんな二人の態度に、才人以上にいい加減頭に来ていたルイズの堪忍袋の尾が、とうとう切れてしまった。

「あんた達、ちょっとは遠慮ってものをしなさいよね。貴族たるものが、ガツガツガツガツとはしたないったらないわ!!」

 この中で唯一おかわりをしていなかったルイズが頭に血を上らせて怒鳴った。

 貴族の女子は常に淑女であれと教えられてきたルイズには、食欲に任せて食べまくる二人の姿が我慢ならなかったのだ。

「なによー、せっかくシエスタがご馳走してくれるっていうんだから、ご相伴に預からないと失礼じゃない」

「だからって限度ってものがあるでしょ。これだからゲルマニアの女は品性がない……」

 キュルケとルイズの間で不穏な空気が流れる。ただでさえ、水と油のような二人だ、いまにも杖を抜きそうな雰囲気に、せっかくの旅行を最初から台無しにする気かと、才人が席を立ちかけた、そのとき。

「なーに、もうごちそうさま? せっかくのおごりなんだから、もっと食べなさいよ」

 と、二人の間に元気よくひときわ派手な格好の女の子が割り込んできた。黒いストレートの髪の活発そうな娘である。彼女は、今回のもてなしの主催者で、この店の店長の娘のジェシカという娘だった。

「え、でも……」

 ルイズが、その好意はありがたいけどというふうに躊躇した。外で食事をいただくときの作法については、あの母から昔から厳しく教えられてきただけに、中々飲んで食べて騒ぐということはできないのであったが、ジェシカはそんな遠慮を笑い飛ばすかのように、どんと胸を張って言い放った。

「遠慮しないの、七人程度がいくらおかわりしたって、そんなくらいで揺らぐような細い屋台骨はしてないって! それより、あのシエスタが貴族のお友達をこんなたくさん連れてくるなんて、従姉妹の大出世ぶりのお祝いだと思えば安いものよ」

 そう、ジェシカはシエスタの従姉妹だということで、黒い髪や瞳など面影がなんとなく似ている。ただし、やや内向的で思い込みの強いシエスタとは反対に、外見と話し方どおりの外交的な性格の持ち主であった。地球風に言えば、江戸っ子というところだろうか、竹を割ったような明るさときっぷのよさは、思わず姉御と呼んでしまいたくなる。

「よっ大将、威勢がいいねえ」

「ありがと赤いお姉さん。今後とも、『魅惑の妖精亭』をごひいきに!」

「あいよっと、今度からトリスタニアに来たときは寄らせてもらうわ、それから、あたしのことはキュルケって呼んでいいわよ。タバサも気に入ったみたいだし、次からは営業時間に来るからね」

 特に、性格のよく似ているキュルケとはすぐに意気投合したようで、勤務時間外ということで旧知の仲のように親しげにたんかをかけあっていた。

 ただ、よく考えると、このもてなしの席で少なくともこの店は常連客を二人ゲットしたことになる。損して得とれ、可愛い顔して商売の基本をよーく心得ている。

「そういえばさ、シエスタから聞いたけど、あなたたちあっちこっちですごい冒険してきてるみたいじゃない。飯代代わりといっちゃあなんだけど、みんなに聞かせてくれないかな」

 見ると、いつの間にやらテーブルの周りに店中の女の子が集まってきていた。皆期待に目を輝かせている。テレビやラジオなどなく、平民のほとんどが読み書きできないハルケギニアでは娯楽が少なく、彼女達にとって、未知の世界の話とは、子供が紙芝居に夢中になるようなものなのであった。

 当然、こういうことに口の多いキュルケは黙っていられず、一番に名乗りを挙げた。

「じゃあ一番はもちろん、フォン・ツェルプストーがいただくわね!! えーっと、どの話からにしようかしら、軍隊がらみの話はつまらないから。そうね、じゃあフリッグの舞踏会で怪獣といっしょにダンスしたときの話にしましょうか、あのときはおかしかったわ」

「あっ、それシエスタから聞いたわ。詳しく教えて、ねえ」

「いいわよ。まずね、魔法学院にベアトリスって子がやってきたんだけど、この子がなんともねえ……」

 それからは、他の六人も合わせて話に花が咲いた。なにせ完全ノンフィクションな上に、身振り手振りを加えて大げさに話すキュルケの語り調子は、自然と人を話に引き込んでいく魅力があった。

「それでね。怪獣二匹に追いかけられて、助けてーっ、て」

「うそぉ、趣味の悪い怪獣ちゃん」

「ほんとほんと」

 誰もが笑いながら聞いていた。いつもいばっている貴族でも、いざとなれば人間だ。その行動にはおかしくもあり、また共感もする。

 そして話は進み、あるところでは怒り、あるところでは感動したりして、語り部キュルケの一大歌劇は大盛況のうちに幕を閉じた。

 惜しみない拍手が捧げられ、感動して涙を流している娘までいる。

 まったくキュルケはすごい奴だと才人も思う。人を魅了する天性の素質とでも言おうか、生まれが生まれなら、歴史に名を残す名俳優やオペラ歌手として活躍したに違いない。

 自分も拍手に加わった後、才人が一呼吸おいて水をちびちび飲んでいると、すっきりした顔のジェシカが肩越しに才人の顔を覗き込んできた。

「よっ、色男さん、楽しんでる?」

「ん、まあね」

「あら、なにか不満そうね。なにかおもてなしに不満があったかしら?」

「いや、料理はうまいし、店はきれいで、女の子たちはかわ……明るくて楽しいけど……」

「けど?」

 才人は言葉を切った。

 確かに、この魅惑の妖精亭は繁盛しているだけあって、接客からなにもかも不満はなかった。ただ一点を除けば。

 そしてそれが、それらのプラスに大きくマイナスとなり、どうしても才人は心から楽しむことができないでいた。

 それとは、つまり……

「あらん、ぼくぅ、ミ・マドモアゼルのお店になにか問題があったぁ? ごめんねえ、おわびに私が精一杯お・も・て・な・し、してあげちゃうから」

「やだぁ、ミ・マドモアゼルだけずるぅい。こういうことは、新人のあたしが勤めさせていただくわぁ」

 と、才人の右と左から聞こえてきた野太い男の女声、首がむち打ち症のように動かなくなる。どっちも絶対振り向きたくない。後ろには、美少女率120%のジェシカがいるというのに、どうしてこうなる? 誰か説明してくれ。

 湧き上がる吐き気を抑えながら、怒りをために溜めていた才人だったが、とうとう耳元に熱い吐息がかかってきたとき、完全にぶちきれて激発した。

 

「なんでオカマが二人もいるんだよ!!」

 

 テーブルを怒りに任せてぶっ叩き、不満と怒りのさまを才人は思う存分吐き出した。

 そう、この店にいるのは美少女だけではない。トランプの中にジョーカーが混じっているように、筋骨隆々、厚化粧の見事なまでのオカマ男が二人も入っていたのだ。

「あらん、ひどぉい!!」

「乙女に向かって、そんな言い方はないわぁ!!」

 怯えて縮こまるな。せっかく食べたものを吐き出してしまいそうになる。しかも、一人ならまだ我慢できるが、二人ともなると不快は二の二乗となって耐えられない。けれど、もうこんな光景はなれっこなのかジェシカが才人の肩を抑えて、どうどうと鎮めに来た。

「まぁまぁ、こんなのでもあたしの大事な父さんと、うちの大事な店員だから勘弁してよ。気持ちはよーくわかるからさ」

 なんとまあ、このオカマの二人のうちの片割れは、ジェシカの父親だった。つまり、この魅惑の妖精亭の店長ということになる。しかし、正直そんなことはどうでもいい、いったいどうすればキモさ120パーセントのオカマのDNAからジェシカのような美少女が生まれる? 生命の神秘だ。

「はぁ、はぁ……悪い、ちょっと頭に血が昇ってた」

 激昂して正気を失っていたのを、才人はなんとか押さえ込んだ。見てみれば、アイちゃんは怯えて、ほかの皆も白い目で見ている。いけないいけない、大きく息を吸って、吐いてを繰り返して、才人は不快なオカマを見ないようにして、視線をルイズのほうへ向けた。

「ほわぁ……」

「な、なによ……」

 いきなりじっと見つめられてルイズはたじろいだが、才人はなにか心の底から癒されていくような温かいものを感じていた。悪夢のようなものを見せられた後では、ルイズの顔もまた新鮮に思える。そうだ、俺のそばにはこんな美少女がいつもいるじゃないか、なんで俺はこんなことに気づかなかったんだろう。リバウンド現象に、思いっきり才人ははまっていて、ルイズのほうもまんざらではなく、調子に乗ってポーズをとったりなどもしていた。

「あらん、お二人とも仲がいいのね」

「うふん。お姉さんたち嫉妬しちゃうわ」

 後ろから殺人音波が響いてくるけれども、決して振り返ってはいけない。

 そんな様子を、シエスタは久しぶりに会う店の女の子たちと話し合いながら見ていた。本当なら、自分が才人を救いに行きたかったが、以前に比べて二倍になっていたオカマの圧力に負けて近づけなかったのだ。

「うわー、スカロン叔父さん相変わらずねえ……けど、もう一人のあの方は新入りさん? 前に来たときは見かけなかったけど」

 シエスタは隣の栗毛の女の子にひそひそ声で話しかけた。シエスタは一月ほど前に仕入れでトリスタニアを訪れたときもここに来ていたが、そのときはあんなオカマの人はいなかったはずだ。

「ああ、二週間ほど前に噴水広場で仲間といっしょに行き倒れていたのを店長が拾ってきたのよ。最初は変った三人組だと思ったけど、よく働くからうちも助かってるわ。何でも異国から来たみたいでトリステインのことはほとんど知らないみたい」

「三人組?」

「ええ、めんどくさい名前なんで略して呼んでるんだけど、あの人がカマちゃん。それから、あっちの台所で皿洗いをしているのがウドちゃん。もう一人……あれ、あの人またサボって屋根裏で何かしてるわね。おーい!! ドルちゃん、あんたまたガラクタ集めて変なもの造ってるの!? 今度爆発とか起こしたら給料からさっぴくよ、仕事しなさい」

 カマ、ウド、ドルというのが新入り店員の名前らしい。見ると、台所ではガタイのいい男が熱心に皿洗いをしており、階段から小太りの男が駆け下りてきた。

「やれやれ、ドルちゃんはちょっと目を離すとこれなんだから」

「大丈夫なの、お店のほうは?」

「ん? ああ、心配しなくていいよ。ドルちゃんは文句ばっかり言ってるけど、ウドちゃんは黙々と働くし、カマちゃんはああ見えてけっこうチップをもらってるのよ。店長の人を見る目は、あれで腐っちゃいないんだから」

 なるほど、素質を見込んでスカウトしたわけか。確かに、カマという人の接客態度はオカマとしては中々だ。大勢来るお客のなかでは、そういった趣味の持ち主もいるだろう。手札はいろんな種類を数多く持つに限るということか。しかし、それだけでは、あんなに熱心に働きはしまい。

「本当に、人がいいわね叔父さんは」

 シエスタは、あんな風貌ながらも人情味に溢れた叔父を誇りに思った。このご時世、人を世話するというのは簡単なことではない。スカロンと出会わなければ、この妙な三人組は本当に行き倒れていたかもしれない。

 スカロンとカマちゃんはよほど気に入ったのか、なおも才人へ熱烈なアタックを仕掛けているが全て無視されている。サイトさんにあっちのほうの趣味がなくてよかったと、心底安堵するシエスタであった。

 

 それから、魅惑の妖精亭では和気藹々とした食事風景と、ルイズに見とれる才人を見て対抗心を燃やしたキュルケが誘惑しようとしてルイズと乱闘になりかけたりしたが、もうすぐ開店時間というわけで、楽しい時間もお開きとなった。

 

 けれど、一行が魅惑の妖精亭を出て、紅く色を変えだした陽光の中に身をさらしたときだった。太陽とは反対側に突然正午の太陽のように強い白色の光を放つ光球が出現して、カメラのフラッシュのように街中を照らし始めた。

「な、なんだ!?」

 突然のことに、一行も見送りに出てきていたスカロンや妖精亭の少女たちも驚いて目を覆って立ち尽くした。

 街中の人々も、カーテンすら軽く突き抜けて部屋の中まで照らしてくる光に襲われて動くこともできない。

 いったい、なにが起こっているんだ……光はそうしているうちにもどんどん強くなっていく。もう太陽どころではない、目の前に懐中電灯を突きつけられたようなものだ。とても見ていられない。

「目を、目を隠せ!!」

 とっさに才人はそう叫んで、目を覆ったまま光に背を向けた。耐えられなくなったルイズたちも、それをきっかけに同じように光から目をそらす。

 しかし次の瞬間、光は爆発するようにその光度を増し、目をそらすのが遅れた何人かの少女たちの目を焼いた。

「きゃぁぁっ!!」

「目が、目が痛いっ!!」

 光を直視してしまった少女たちが目を抑えてうずくまる。光は、その閃光を最後にあとかたもなく消滅したが、とにかく少女たちの介抱が先だ。

「完全に神経をやられてるわ……すぐに水のメイジに見せたほうがいいけど……これじゃあ街中目をやられた人ばかりでしょうから、病院もあてにはできないわね」

 前職の経験から少々の医学知識があったロングビルが簡単に診断し、彼女たちの目に包帯を巻いていった。目の毛細血管が破れて、全体が赤く充血している。直接見なかった才人たちでさえまだ目がちかちかしているくらいだから、当分視力が戻ることはないだろう。失明しなければいいが、それはいずれ医者に診せるしかない。

 そして、目をやられた彼女たちを、二階の寝室のほうへ移そうとした、そのときだった。

「きゃあっ、じ、地震!?」

 突然地面が巨人がダンスしたかのように揺れ動き始めた。震度五から六強の強い揺れに、木造の建物がきしみをあげ、天井からほこりが舞ってくる。しかし、慌てて外に飛び出そうとしたとき、揺れは嘘のように静まり返ってしまった。

 収まったのか……街路に飛び出た一行は街を見渡して思った。いくつか倒壊した家があるようで、ほこりが立ち上っているのが見えるが、魅惑の妖精亭は古い建物ながらも、つくりがしっかりしていたと見えて傾きもせずに建っている。

 妖精亭の店員たちもみんな無事だ。特に、目をやられて逃げ出せない娘たちはスカロンがたくましい両腕に抱えて担ぎ出されていた。見た目はキモいが心根はきれいなのだなと、ほんの少し才人は見直した。

 ただ、新入り店員の三人組は、せっかく造った……が、とかわめいているドルさんを、「もうここの材料じゃ無理よ」「もうあきらめて、ここに永住しましょうよ」とかカマさんとウドさんが慰めていて、少々うるさかったが。

 しかし、あの発光現象に続いてこの地震、不吉な予感を感じさせるには充分だった。

 

「あっ、あれはなに!?」

 

 ロングビルが指差した先、百メイルほど離れた街の一角から、突然真っ赤な煙が噴き出してきた。

 地震の影響で天然ガスなどが噴き出してきたわけではない。その中で何かがうごめいている。小山のように大きな物体だ……まさか、まさか……しかし、一陣の風が吹きぬけたとき、人々の悪い予感は現実のものとなった。

 

「かっ、怪獣だぁーっ!!」

 

 赤い煙が吹き流された後、そこには全身に鎧のような甲羅を身に着けた二足歩行の恐竜型怪獣が仁王立ちに立ち、それが合図であったかのように街中に響き渡る恐ろしい遠吠えをあげたのだ!!

 

「変身怪獣、ザラガス!!」

 

 才人は、その怪獣をよく知っていた。あの、初代ウルトラマンが地球滞在の後期に戦った怪獣で、その実力はゼットンやゴモラなどに次いで高く、科学特捜隊の助けなしではウルトラマンさえ勝てたかどうかといわれている強力な地底怪獣だ。

 街の地底からその姿を現したザラガスは、先代がそうであったように凶暴な破壊本能に任せて街を破壊しはじめた。人々がやっとの思いで作り直した家々が無残にも崩されていく。

 

「いけないわ! みんな、急いで逃げるわよ」

 スカロンが暴れまわる怪獣を見て、迷わずに店員の少女たちに叫んだ。ここにいると危ない、店も大事だが、店員がいてこそ意味がある、彼は守るべきものの価値をしっかりとわきまえていた。

「わかったわ、みんな手伝って!!」

 ジェシカが先頭になって店に飛び込むと、一分も経たずに荷物を積み込んだリヤカーを持ち出して出てきた。連続する怪獣災害により、被害が避けられないと思い知ったトリスタニアの人々は、自主的に避難訓練や緊急時の持ち出しを準備していたのだった。

 しかし、急いで逃げ出そうとした妖精亭や周辺の店々の人々のもくろみは、早くも頓挫することになった。ただでさえ広くない街路には、さっきの光で目をやられて動けない人々が大勢うずくまっていて、とても避難できる状況ではなかったのだ。

 これはまずい、才人は背筋がぞっとした。多分、街中がこんな状態だろう、こんななかで怪獣が暴れたら、目をやられた人々が逃げられないのは当然、無事な人も逃げ遅れて甚大な被害が出てしまうだろう。

 

 だがそのとき、空から怪獣のものとは違う、かん高い鳴き声がたくさん聞こえてきて空を仰ぎ見ると、そこには鷲の頭と翼に獅子の体を持った幻獣グリフォンにまたがった勇壮な魔法騎士達が、空中で見事な陣形を組みつつ怪獣に向かっていく姿があったのだ。

「あれは、グリフォン隊よ!!」

 誰かがそう叫んだとおり、それらは現在トリステインに残る最後の魔法騎士隊の勇姿だった。そしてルイズ達にはそれらの先頭にたって部隊を指揮している男に見覚えがあった。

「ワルドさま!!」

「あの中年か」

 そのとおり、今ワルドは怪獣出現の報を受けて、これまで髀肉の嘆をかこっていた大勢の部下たちを引き付けて、二つ名の閃光のとおりに出撃してきていたのだ。

 

 グリフォン隊は総勢二十騎、いずれも一騎当千の猛者たちで、これまでにもオークやトロールなどの凶悪な獣人を退治してきたことがある。怪獣との戦闘経験はないが、士気は旺盛でどいつも血に飢えた猛獣のような目をしている。これまで幾度もあった戦いに全て出遅れて、役立たずと言われてきた屈辱を晴らさんと燃えていた。

「全騎、私に続いて突撃し、奴の頭に集中攻撃だ。遅れるなよ」

 ワルドは部下たちに指示を飛ばして、編隊を五騎一編隊ずつ四部隊に分けた。これで自分を先頭にして、四連続で怪獣の頭に集中攻撃して短期決戦を狙おうというのが彼の作戦だった。以前オークやトロールを仕留めたのもこの手で、いくら大きくて頑丈でも、トライアングル以上のメイジ二十人の集中攻撃には耐えられない。その編隊運動は、ワルドにライバル心を持っていた才人からしても見事なもので、まるで子供の頃に見た航空自衛隊のショーを思い出させるような優雅さに溢れていたのだ。

 だが、確かにその発想はよかったのだが、彼らは真正面から突っ込んでいってしまった。魔法衛士隊たるものが敵の後ろから襲えるかと、妙なプライドにこだわったせいもあるが、いくら大きくても所詮はでかいだけのトカゲではないかと、彼らはザラガスを甘く見ていたのだ。そしてその軽率さのツケを、彼らは自分の身で支払わされることになった。

 ザラガスの額が突然フラッシュのように発光したかと思うと、攻撃を仕掛けようとザラガスを直視していた彼ら全員の目を騎乗していたグリフォンごと焼いてしまったのだ。

 

「うわぁっ!!」

「目が、目がぁっ!?」

「うっわぁ、暴れるな、ああーっ!!」

「ママーッ!!」

 

 グリフォン隊は一瞬で全員の目をつぶされ、さらにグリフォンもやられてしまったために、あっというまに全員バラバラになって悲鳴をあげながら墜落していった。

「ワルドさまぁ……」

「かんっぜんに見かけ倒しかよ、あのおっさん!!」

 ルイズも才人もあまりにも期待はずれなワルドのやられ様に落胆を禁じえない。特に才人は中年からおっさんにランクダウンさせてしまっている。

 しかし、彼らの油断が最大の敗因とはいえ、彼らだけを責めるのは酷であろう。ザラガスは、その体から光度にして六千万カンデラもの光を放つことができ、これを見てしまったら当分の間視力が失われる。もしザラガスが放ったのが火炎などだったらグリフォン隊は避けられただろうが、光を避けることなどは不可能だ。

 もちろん、さっき街中を照らした光もザラガスが地上へ出てくる前兆だったのだ。

 ワルド隊をあっさりとしりぞけたザラガスは、何事もなかったかのように破壊活動を再開した。城にはまだいくらかの飛行可能な部隊が残っているだろうが、グリフォン隊が瞬殺されてしまった以上、出てくるかどうかは疑問だ。ましてや地上兵力は考えるにもおよばない。

 ルイズと才人は、もう戦えるのが自分達しかいないとわかると、こっそりと抜け出して路地裏のほうへと入っていった。

 残った街路上では、妖精亭の少女達や逃げられないでいる町人たちが悔しげにつぶやいていた。

 

「あーあ、やっぱり貴族たちはだめね。また負けちゃったわ」

「弱いんだからじっとしてればいいのに。ねー」

 

「俺たちの税金があんなのに使われてると思うと悲しいぜ。んったく着飾ったごくつぶしどもが」

「あいつらが出てくると逆に被害が増すぜ。あーあ、早くウルトラマンがこねえかな」

「そうだぜ、エースが来てくれたら、ぱっぱと怪獣なんかやっつけてくれるさ」

「まったくだ。俺たちにはウルトラマンがいてくれる。困ったときにはいつでも来てくれるからな」

 かつてGUYSが壊滅したときのように、連戦連敗を続ける軍に対して平民の信頼はすでに失われて久しかった。当たり前のことである。犯人を捕まえられない警察、火を消し止められない消防を誰が信頼するか、本来、この国の戦う力を持たない人々を守るべきなのはこの国の軍であるはずなのに、何度も同じ失敗を繰り返す彼らは、その存在価値を失いつつある。アンリエッタが多少強引ながらも改革を急いでいるのも当然だろう。

 しかし、軍への信頼を貶める原因のひとつは、皮肉にもウルトラマンの存在であった。しかし残念なことに、その言葉は、才人たちの耳に届くことはなかった。

 

 

「「ウルトラ・ターッチ!!」」

 

 手と手のリングを重ね、才人とルイズはウルトラマンAへと変身した。

「ウルトラマンAだ!!」

「やっぱり来てくれたぜ、頼むぞエース!!」

 街の人々の喝采を浴びて、エースはザラガスの正面から向かい合った。

 

(変身怪獣ザラガス……やっぱりこいつもヤプールが呼び寄せたのか……?)

(そんなこと考えるのはあとでいいでしょ、姫様のお膝元を汚すやつは、誰であろうと許さないわ!)

(それよりも、街中には目をやられて逃げられない人で溢れている。速攻でかたをつける、いくぞ!!)

 

 すでにヤプールのためにハルケギニアの生態系は狂わされ始めている。怪獣の出現はさらなる怪獣を呼ぶ、恐らくはこのザラガスもそうした影響で偶発的に現れたものだろうが、ヤプールがいる限り大人しくしていた怪獣達もこれから続々と目覚めてくるだろう。

 心の中で三人はそれぞれの思いをかわし、目の前の避けられない戦いに向かい合った。

 

「ショワッ!!」

 先手必勝、エースは大きくジャンプするとザラガスの真上から急降下キックをお見舞いした。頭を勢いよく踏みつけられ、ザラガスの巨体が吹っ飛ばされて数件の家を巻き添えにして倒れこむ。

 もちろん、この程度でまいる相手ではなく、すぐさま起き上がると足元にあった家をむんずとわしづかみにして、エースに向かって投げつけてきた。

「シャッ」

 軽くかわして再びザラガスに向かって身構える。やはり今の攻撃程度ではたいしたダメージになっていない。

(エース、ザラガスの発光攻撃に気をつけてくれ)

 心の中から才人がエースにアドバイスを飛ばした。あの六千万カンデラの光は人間どころかウルトラマンに対しても有効で、初代ウルトラマンもこれに手ひどくやられている。注意するべき場所は発光攻撃の要である奴の頭だ。

(来る!!)

 ザラガスが頭を下げて、頭部の発光器官をこちらに向けてきた。とっさにエースは目の前で腕をクロスさせて目を隠す!!

「フッ!」

 その瞬間、六千万カンデラの光が放たれ、戦いを観戦していた何十人かの視力を奪ったが、エースの目はまだ無事だ。けれども、あれを一度でも喰らったら危険なことに変わりは無い。一気にけりをつける!!

 エースはザラガスが二度目の発光攻撃を仕掛けてこないのを確かめると、ダッシュして一気に距離を詰め、すれ違い様にチョップをお見舞いすると、後ろから頭を掴んで連続して殴りつけた。ザラガスは暴れてエースを振りほどこうとし、前に飛び出たエースはザラガスの額を見ないようにしながら奴の首を掴んで投げ飛ばした!!

「ヘャァッ!!」

 背中から猛烈な勢いで地面に叩きつけられたザラガスは骨格と内臓にダメージを与えられて、すぐに起き上がろうとしてくるが、足取りがおぼつかなく頭がふらついている。

 今がチャンスだ!! エースは体を大きく左にひねって高速で腕をL字に組んで必殺光線を放った!!

『メタリウム光線!!』

 三原色をちりばめた高エネルギー光線は吸い込まれるようにザラガスの胴体へと突き刺さり、その巨体を覆いつくすほどの大爆発を起こした。そして火花が収まった後、ザラガスはゆっくりと前のめりに倒れていった。

 

「やったあ!!」

「さすが、やっぱりエースは強いなあ」

「ウルトラマンがいる限り、トリステインは安泰だぜ」

 

 見守っていた街の人々から一斉に歓声があがった。

 しかし、次の瞬間驚くべきことが起こったのだ。

(見て!! あれを)

 なんと、完全に沈黙していたはずのザラガスの口から赤い煙が立ち昇り始めたかと思うと、その体が痙攣するように震えだした。さらにこちらが手を出す間もなく、一声怒りたけるような叫び声をあげて、体中についていた甲羅を引き剥がして再び起き上がってきたではないか!!

 

「い、生き返ったぁ!?」

 

 死んだと思っていた怪獣が蘇ったことで、人々も我を忘れて悲鳴をあげる。

 これはいったいどういうことだ。メタリウム光線の直撃で、確かに一度は倒したはずなのに、さらに凶暴になって復活してきた。

(ちくしょう、やっぱりか!!)

(やっぱりって、どういうことよ!?)

(ザラガスは、一度攻撃を受けるとそれに対応して復活する能力があるんだ!!)

 そう、それこそがザラガスが変身怪獣と呼ばれ、恐れられた理由である。

(復活するって……あんたなんでそんな大事なことを黙ってたのよ!!)

(まさかメタリウム光線に耐えられるとは思ってなかったんだ!! ちくしょう、前はウルトラマンのスペシウム光線で倒せたのになんでだ!?)

 エースのメタリウム光線はスペシウム光線以上の破壊力を持つために、それで倒せると思っていた才人の読みは外れた。しかし、その理由を考える暇もなくザラガスは迫ってくる。

(ふたりともケンカは後にしろ、来るぞ!)

 ダメージを吸収してさらに凶暴化したザラガスは、エースへの怒りのままに家々を蹴散らしながら突進してきた。

「タアッ!」

 真正面から受けられないと、エースはジャンプしてザラガスの背後に回りこんだ。

 そして、背中からザラガスに攻撃を仕掛けようとしたときだった。甲羅が外れて、爆竹が何十本も埋め込まれたような姿があらわになった奴の背中がいきなり発光したのだ。

「グッ、ヌォォッ!」

 一瞬でエースの視界が白から黒へ変わり、完全に闇に包まれた。

「ああっ、エースの目がやられた!!」

 目を押さえて苦しむエースを見て、人々の落胆する声が響く。

 しまった、ザラガスの発光器官は頭だけではなかったのか……才人は悔しがったが、彼の読んでいた怪獣図鑑にも、そこまで詳しく解説されていたわけではなかったので油断してしまった。ザラガスはいったいどっちにいるのだ? 目が見えないのではいかにエースとて戦いようがない。また、エースと感覚を共有しているふたりも視界を封じられて、エースをサポートすることができない。

 右か、正面か、それとも左か……

「右よ、エース!!」

 とっさに耳に飛び込んできたその声がエースを救った。

 間一髪、角を振りかざして突進してきたザラガスを受け止めて、逃がすまいと殴りつける。だが、奴もやるものでエースを振り払うと再び間合いを取ってしまった。

 今度はどっちだ? ザラガスは完全に目の見えない相手との戦い方を心得ていて、うかつに音を立てたりしてこない。少なくとも先代より知能は格段によいようだ。

「正面よーっ!!」

「ヘヤァ!!」

 声に従ってストレートキックを打ち込んで、なんとかザラガスの突進をさえぎった。

(この声は……キュルケにシエスタにアイちゃん、魅惑の妖精亭のみんなか!)

 二度目に聞いた声で、才人たちは声の主を悟った。エースが目をやられたことを悟ったシエスタが、せめてできることはないかと皆を先導してエースの危機を救ってくれたのだ。

(みんな……ありがとう)

(ちぇっ、またあのメイドやキュルケに借りができちゃったじゃない。あれ? 涙が出そうなのは、目が痛いからなんだからね)

 仲間の心強いサポートに才人たちは感激した。だが、根本的な解決にはなっていない。右か左かでは漠然的な位置しかわからずに受身にならざるを得ない。とどめを刺すためには、何か大技を叩き込むしかないが、狙いがつけられなくては意味がない。それに、持久戦はウルトラマンがもっとも苦手とすることで、鳴り始めたカラータイマーが限界が近いのを示している。

 

 どうすればいいんだ……

 

 妖精亭の皆のおかげでなんとか攻撃だけはかわしているけれど、解決策は見つからずに時間だけが無情に流れていく。

 そして、カラータイマーの点滅が高速になり、いよいよ限界というとき、遂にザラガスの角の先端が緩慢な回避しかできなくなっていたエースの体を捉えた。

「ヌワァッ!!」

 脇腹を突かれて倒れこむエースに、ザラガスはいたぶるように攻撃を加える。起き上がろうとするたびに巨大な足で踏みつけられ、太い尻尾を叩きつけられて身動きができない。第一、エースにはもうほとんど活動するためのエネルギーが残っていない。

 

「エース、頑張れ!!」

 

 妖精亭の娘たちが叫ぶ。それでも、もうエースには余力が残っていない。ウルトラマンとて無敵ではないのだ。攻撃を受ければ傷つくし、できることにも限界がある。

 しかし、ここでザラガスを野放しにすれば目をやられた人々で溢れたトリスタニアは間違いなく壊滅し、何千という犠牲者がでるだろう。まだ戦える、いや戦わねばならないとエースの闘志だけはまだ折れていなくても、体が言うことを聞かない。

 

 畜生……力及ばぬ悔しさに歯噛みし、とどめを刺そうとするザラガスが全体重をかけて右足を大きく振り上げた。

 そのときだった!!

 

『カッター・トルネード!!』

 

 突如、シーゴラスとシーモンスが作ったものにも匹敵するほどの、とてつもない巨大さの真空竜巻がザラガスを飲み込んだではないか。その巨大竜巻は二万トンもの体重をものともせずに浮遊させ、百メイルほども離れた場所にザラガスを吹き飛ばしたのである。

 

「あの魔法は!?」

「風の……スクウェアスペル……」

 巨大怪獣をやすやすと吹き飛ばした桁違いの魔法に、当然ながら見守っていたキュルケやタバサの口からうめきに似た声が漏れた。特に風系統の使い手であるタバサは、その魔法が自分とは全てにおいて次元の違う使い手が放ったものであるということが、肌をつたう空気を通していやというほど伝わり、その源泉となった存在を、はるか上空に見出していたのだ。

「……あれ!」

 タバサが杖で指した先には、太陽を背にして急降下してくる巨大な鳥と、その背にまたがる鉄仮面の騎士の姿があった。その異形の姿に若い者達は唖然としたが、スカロンなど歳を経た者は、三十年も前に消えていった伝説をその脳裏に蘇らせていた。

「あれは、『烈風』だわ!!」

 

 そう、それこそかつて伝説とうたわれたトリステイン最強騎士、『烈風』と、その忠実なる使い魔たる、この世界の名をノワールと与えられた巨鳥ラルゲユウスの勇姿だった。

 

「ノワール、打て」

 短く放たれた命令を、ノワールは忠実に実行した。急降下により音速に近い速度を得たラルゲユウスは、起き上がってきたザラガスの体をその翼で叩きつけ、再び大地に打ち据えたのである。

『ウィンドブレイク』

 倒れたザラガスに容赦なく次の攻撃が打ち込まれる。真上から送り込まれた高圧空気が、まるで深海のような圧力となってザラガスを押しつぶそうとしてくる。

 

 だが、ザラガスはそれらの一連の攻撃を受けながらも、全身の発光機関から煙を噴き出しながら体質変化をとげ、受けた攻撃に全て対応できるようになって復活し、空中で体勢を整えるラルゲユウスに六千万カンデラの光を放ってきた。しかし、『烈風』はその攻撃を読み切り、マントで目を覆うと同時に使い魔の目に眼帯を『錬金』し、フラッシュ攻撃をたやすく受け流してしまった。

「同じ手が二度も三度も効くと思うな」

 そう言い捨てると、『烈風』はもう一度『カッター・トルネード』を唱えてザラガスを空中に放り投げ、奴が地上三百メイルほどまで上昇したところで、使い魔にとどめの命令を下した。

「ノワール、打ち伏せろ」

 竜巻から解放され、打ち上げる力と重力が釣り合い、ザラガスの体が空中で静止した瞬間だった。ラルゲユウスはザラガスの頭をその鋭い鍵爪で掴み、地上めがけて急降下!! その巨体を頭から大地に亜音速で叩きつけた!!

 

「うわぁぁっ!!」

 

 二万トンの物体が隕石のように落下した衝撃で、トリスタニアは直下型地震にあったような激震に見舞われる。

 『烈風』は、上空からあらかじめすでに人のいなくなった場所をめがけて落とさせたのだが、そこには直径五十メイルはある巨大なクレーターが作り出されていた。

 恐ろしい破壊力……仮にスクウェアクラスのゴーレムだとしても、これを食らえば跡形もなく粉々にされてしまうだろう。しかし、粉塵が収まった後のクレーターの底にザラガスの姿は見つからず、地底へと続く暗い穴がぽっこりと口を開いていた。

「逃げたか……ノワール、引くぞ」

 相手が地底では『烈風』といえども手の出しようがない。巨鳥は主人の命令に従い、王宮の方向へと翼を翻した。

 

 トリスタニアに、再び静けさが戻った。だが、多くの家々が破壊され、まだ目をやられた大勢の人々が動けずにうめいている。

 そんな中で、活動時間の限界に達したエースは飛び立つ力も失い、仰向けに倒れたまま腕を胸の前でクロスさせて変身を解除した。

「フッ……デュワッ!!」

 エースの姿が透き通るように消えていき、やがて本当にトリスタニアに沈黙が戻ってきた。

 

 けれども街中に負傷者が溢れ、全市街地で都市機能が麻痺している。

 このままでは、次にザラガスが戻ってきても民間人を避難させることさえできない。もちろんすでに衛士隊や銃士隊、軍の部隊から街の自警団にいたるまで動ける者は全て動いていたが、それらの部隊にも目をやられた者がかなりの割合で含まれていて、怪獣の再来に備えるどころか街の治安を維持して負傷者を臨時救護所に運ぶだけで手一杯のありさまだった。

 

 魅惑の妖精亭も業務を中止して、一階の店内で近隣の負傷者を集めて治療に当たっていた。

「二階からありったけの包帯を持ってきて!! ウドちゃんはお湯を沸かして、ドルちゃんはぼっとしてないで薪を持ってくる!! みんなは手当てを急いで、けれど一人ずつ丁寧にね!!」

「はい!! ミ・マドモワゼル!!」

 スカロンに指示されて、ジェシカ達が駆け回り、シエスタやロングビル達も黙っているわけにはいかないので手伝いに走り回る。

「水のメイジがいればよかったんだけど……」

「どのみちこの人数じゃ手に余るわ……サイト君、ミス・ヴァリエール!!」

 そのとき、よろめくように店内に入ってきた二人の姿を見てロングビルは悲鳴を上げた。ルイズは才人に支えられながら、二人とも目から血を流している。

「あなた達、目を……とにかくこっちへ!!」

 ロングビルとキュルケに支えられながら、酒の匂いのする椅子とテーブルで作った簡易ベッドに寝かされて、二人は唇を噛み締めながら怒りと悔しさに震えていた。

 

「……負けた」

 

 

 続く



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第47話  勇気の証明 (後編)

 第47話

 勇気の証明 (後編)

 

 変身怪獣 ザラガス 登場!

 

 

 ザラガスの襲撃からおよそ二時間ほどが過ぎ、トリスタニアにも夜が訪れていた。

 ここ、魅惑の妖精亭でも普段なら仕事帰りの男達でにぎわう時間だが、今日はザラガスの閃光で盲目にされてしまった人を収容して治療するために、業務を中止して救護所となっていた。

「わりぃな……商売敵のおめえに」

「いいのよ、困ったときはお互い様よ」

 隣の店の店主の目に包帯を巻きながらジェシカは笑っていた。人間は困ったときに助けられてこそ、初めて人の情けのありがたさを知る。弱った仲間を食い合うのではなく、助け合うからこそ人間は動物と一線を隔することができるのだと、断言してはいけないだろうか。

 

 そんな中で、目をやられて身動きのできなくなった才人とルイズは、ベッドからは起き上がったものの、当然このままでは歩くこともままならなかった。そのため、仕方なく部屋の隅で椅子に座って憮然と話し合っていたが、この喧騒の中で自然と話題は怪獣との戦いのことになっていた。

「あいててて……まだ目が開かないぜ」

「やめときなさいよ。目がまるでウサギみたいになってるっていうから、しばらくは視力が戻らないそうよ」

 ロングビルによると失明はしないそうだが、今日明日は視力が戻ることはないらしい。それにしても、今までこんなことはなかったが、これもウルトラマンとなる代償ということか……ウルトラマンが受けたダメージが同化している人間に跳ね返ってくることは度々あるそうだが、かつてエースが初代ドラゴリーと戦ったときも、エースバリアーを使ってエネルギーを使いすぎたために、同化していた南夕子が瀕死に陥ったことがあるらしい。

「けれど、あの怪獣はなんなのよ……攻撃すればするだけ強くなるなんて、ズルもいいとこじゃない!!」

「だよなあ。再生怪獣とかいう奴らはおおむねやっかいな奴が多いんだが、まさかメタリウム光線まで効かねえとは……」

「思わなかったって、あんたがあいつの変身能力を先に言ってれば、あいつをあんなに凶暴にすることはなかったじゃない!! 馬鹿、この馬鹿!!」

「……っ」

 ルイズの頭ごなしに叱責する声にも、今回は才人も何も言い返す言葉がない。ウルトラマンが勝てた相手だから問題ないだろうとザラガスをなめていた。いや、自分の力にいつの間にかうぬぼれていたことを才人は思い知らされていた。

 今、エースは受けたダメージを回復するために力をほとんど治療に使っていて、二人とは話すことができない。相談に乗ってもらえないのは苦しいけれど、だからといって愚痴を言ってばかりもいられない。

「んで、どうやってあいつを倒すのよ?」

 こういう逆境に置かれたときは、昔からゼロと蔑まれて一人で冷笑と戦ってきたルイズのほうが立ち直りが早かった。その叱咤するような声に、才人も無意味に自責するのをやめて考え込む。

「そうだな……確かに昔は復活する前に倒せたはずなんだけど……いったい何が足りなかったんだろう」

 個体によって多少差はあれど、そこまで特徴や弱点などに差はないはずだ。昔と今回の違い、それさえ分かればと思うのだが、怪獣図鑑での漠然とした知識だけではヒントが少なすぎる。それよりも、もし明日にでもザラガスがまた出てきたら、目が治ってないままにまた戦わなければならないかもしれないほうが問題だ。

 しかし、避けられない戦いなら今更どうこう考えても仕様がない。これまでのエースの戦歴でもユニタングやアプラサールなど攻撃の効かない相手などは多くいた。次の戦いでは奴の耐久力次第だが、ウルトラギロチンでバラバラにするか、ウルトラシャワーで溶かすか、やれるだけやるしかない。

 

 やがて、さらに数時間が経過すると、病院代わりになっていた店内も、一部の喧騒を除けばだいぶ落ち着いていた。

 峠を超えて、患者達は痛みから解放された安堵と、暗闇の中で寝息を立て、駆け回っていた少女たちもやっと一息ついていた。

「はい、マナ、リナ、ルリ」

 厨房で作られたスープが店員全員に配られて、店の奥でささやかな夕食会が開かれていた。

「みんなご苦労様。特にドルちゃん、ウドちゃん、カマちゃんは仲間になったばかりなのによくやってくれたわ」

 スカロンのねぎらいの言葉が、末席で疲れはてている地味な三人組に向けられた。

「いやあ、それほどでもないですよ」

「これくらいのこと、あたしたちがこれまで舐めてきた辛酸の数々に比べればねぇ」

「そうだ! こんなことになったのもあのウル……」

「「わーっ! わーっ!」」

 何かを言いかけたドルの口を慌ててウドとカマが押さえて止めた。どうやら、何かよほど嫌な過去があったらしい。

 ただ、この店で働いているのは訳ありな子ばかりなので、推測はしても詮索は誰もしない。

「はは……けど、明日はどうなるのかしら、またあの怪獣が出てきたら、ウルトラマンでさえ敵わないなんて」

 女の子の一人が不安げにつぶやいた。これまでいかなる敵をも倒してくれた無敵の守護神も、それが敗れたときのショックは彼女達や街の人々の心に重くのしかかっていた。

 けれど、そんな暗雲に疾風を送り込むかのように、患者たちを見回ってきたシエスタが戻ってきて言った。

「みんな、何を落ち込んでるの? あたしたちが暗くなったところで事態が良くなるわけじゃないし、いつもどおり明るくいきましょうよ」

「でも、明日にはこの街もなくなっちゃうかもしれないのよ」

「それこそ、わたしたちがどうこう考えることじゃないでしょ。お城の人だって、昼間みたいにすごい人がいるし、エースだってきっとまだ生きているわ! わたしたちは人を頼りにしてあれこれ考えるよりも、わたしたちにできることを考えてやりましょうよ!」

 いつになく熱弁をふるうシエスタの姿に、スカロンを始めとして一同は圧倒されるものがあった。平民だろうが魔法が使えなかろうが、危機に対してできることはある。ただし、誰も彼も戦いに望むことはない。誰かが戦っている後ろで、平穏な暮らしを護る者も必要なのだ。柄にもない杞憂をしていたのだと気づかされたスカロンはうれしそうに笑いながら言った。

「……そうね! 怪獣のことはわたしたちが考えるようなことじゃなかったわね。わたしたちにできることは、事が終わった後に街がすぐ元に戻れるように、みんなをかくまってあげることと、また商売ができるようにお店を守ること! そういえば、他人の力を頼りにしない、あなたのひいお爺さんの口癖だったわね」

「そうですよ、スカロンおじさん!」

「よーしっ! 妖精さんたち! 明日が正念場よ、それが済んだらきっとみんなお酒が飲みたくなるだろうから忙しくなるわよ。がんばりましょー!!」

「はい、ミ・マドモアゼル!」

 スカロンの一声で、少女たちに蔓延していた陰鬱な空気も一掃された。元々酒場とは浮世のうさを忘れて夢の世界にひたる場所、陰気さは似合わない。

 

 けれどウド、ドル、カマの三人組だけは。

「そりゃ生きてるだろうなあ、ウルトラマンはしぶといし」

「まさかこっちの世界まであんな奴がいたとは、だが、あれさえ完成すれば……」

「いい加減にしないと、うるさいってまた追い出されるわよ。やっとこの国にもなじんできたばかりじゃない」

 ひそひそ声でなにやら怪しげなことを話し合う三人、いったい彼らはどこの国から流れてきたのだろうか?

 

 

 一方そのころ……王宮のほうでも、必ず再び来るであろう怪獣の攻撃に対して大急ぎで対策が練られていた。

「土メイジの使い魔の報告によりますと、怪獣はトリスタニアの地下百メイルに潜伏中。今は眠っていますが、寝息から判断すると明朝にはまた起きだすそうです」

「首都付近に駐留中の部隊に布告を出しましたが、飛行兵力が圧倒的に不足しています。平民中心の槍や弓ばかりの戦力ではとても」

「市街警戒中の銃士隊より連絡! 盗賊九名を捕縛、二名が抵抗したため射殺! 現在も警戒中。くそっ、盗人どもめ、こんなときにゴキブリみたいにうじゃうじゃと!」

「首都駐留部隊の二割が戦闘不能だと!? 魔法衛士隊は、ワルド子爵の部隊はどうした!?」

「ワルド子爵の部隊は全員生還され、現在水メイジの治療を受けています。間もなく全員復帰できるかと……」

「ちっ……あの死にぞこないめ、やっと出陣したと思ったら役に立たん。もういい、それで『烈風』殿は? あの方さえいれば」

「今、姫様との謁見中です。誰も通すなとのことで。それよりも、門に民衆が詰め掛けてきています、いかがいたしましょう!?」

 城の中では次々に上がってくる問題に対応するために、法衣貴族たちが戦争のような慌しさで駆け巡っていた。

 問題は山積みで、安月給で働いている彼らの勤労意欲を超えて押しつぶされそうになっている。いったいどれからどう解決すればいいのやら……ひとまずは、再びの敗戦の報告をどう姫殿下にしようか。

 そんな無益なことに脳の容量を使っていた彼らだったが、せめて自分の安い給料だけでももらうために、頭痛を押し殺して難題の山に立ち向かっていった。

 

 そんな中、城内の喧騒から切り離されたような静けさに包まれた玉座の間では、アンリエッタ王女と『烈風』カリーヌ・デジレが対面していた。

「お久しぶりですわね公爵夫人……まさかあなたが本当にあの『烈風』だったとは……枢機卿からお聞きしたときにはまだ信じられませんでしたが、本当にルイズのお母様でしたとは、世の中は狭いものですね」

「結婚と、あることを機に一線を退きましたので……しかし、この身に宿したトリステインへの忠誠心はまだ消えてはおりませぬ」

 跪き、公爵夫人としてではなく騎士として礼を尽くす『烈風』の姿を、アンリエッタは驚きと尊敬の念を込めて見ていた。つい数時間前、ウルトラマンAが危機に陥ったとき、城の中庭から使い魔の巨鳥の背に乗り飛び立った彼女の姿と戦いぶりをアンリエッタは城のバルコニーから見て戦慄すら覚えていたのだ。

「その忠義心には千金を持ってしても足りません。思えば、公爵夫人には幼い頃から随分お世話になりました。本当は、もっと別な件でお話したかったのですが、これもまためぐり合わせかもしれません。国の存亡のとき、申し訳ありませんが、そのお力、今一度この非力な王女のためにお貸し願えるのですか?」

 あの『烈風』が戦力に加わってくれるなら、これほど心強い話はない。アンリエッタは期待に胸を躍らせたが、意外にも『烈風』は頭を垂れたまま思いもよらぬ返答をした。

「いいえ、私はすでに実戦を離れて長い身、年寄りの冷や水で戦いに出ましたが、すでに力尽き、もう明日は満足に戦えますまい。それに、我が使い魔も老いた身、しばらくは羽ばたけないでしょう」

「そんな……」

 アンリエッタは信じられなかった。彼女とて一級のメイジである。あの『烈風』があの程度の戦いで力尽きたとは老齢を差し引いても考えられない。いや、体力、精神力ともに限界どころかまだまだ余力充分に見える。なにより、彼女の肩の小鳥はじっと止まっているものの、目は清んでいるし羽根にはつやがある。疲れ果てたどころか今にも飛び立ちそうだ。かといって、あの『烈風』が臆したなどとはもっと考えられない。

 そこまで考えたとき、アンリエッタははっとした。彼女は戦えないのではないのだ。

「わかりました。無理な注文をして申し訳ありませんでした。ですが、事が済んだ後は、折り入って相談したいお話があります。そちらのほうは受けていただけるでしょうか?」

「お心のままに」

 公爵夫人はあらためて最敬礼をすると、優雅にマントを翻して扉のほうへと去っていく。その背に向けて、アンリエッタはこれからどちらへと問いかけた。

「少々、はっぱをかけてやらねばならない雛っ子たちがいるようですので」

 『烈風』カリンはそう言い残すと、玉座の間を退室していった。

 

 

 一方、意気込んで出陣して行ったが、一矢も報いぬままに全滅させられたワルド旗下のグリフォン隊は燦燦たるものだった。なんとか全員生還したものの、街中で目を押さえて転がっていたところを拾われてきて、その無様な姿を衆目にさらし、城中の貴族からも役立たずと侮蔑され、もはやこれまでと自棄になりかけていた。

「栄光あるグリフォン隊ともあろうものが、なんたること……こんなことがあるはずがない!」

「否! 我等の死に様はせめて人々の心に刻もう。明日、奴が現れたときには、我ら一同体当たりの上玉砕して果てよう!」

「そうだ、王国騎士の死に様、平民どもの目にとくと見せてくれようぞ。我ら死して栄光とならん!」

 現実逃避と自己陶酔の醜いステレオが聞き苦しく響き渡る。

 そんな中で、隊長のワルドは流石に平静を装っていたが、目が見えるようになってすぐに歓迎しない訪問者の相手をさせられることになり、病室の簡易テーブルの前でため息をついていた。

「まったく、無様なものね。ワルド」

「久しぶりに会ったというのに、きついねミス・エレオノール」

 病室の椅子に、なかば傲然と腕と足を組んで座っているのは、あのルイズの姉のエレオノールだった。

 彼女は病室に無遠慮に入り込んでくると、打ちひしがれている隊員達を無視して開口一番で彼を弾劾したのだが、ワルドは眼前で冷笑を向けてくる女性に対して、特に抗弁しようとはしなかった。彼自身の矜持、現実の大敗ぶりが二重にそれを無効化させていたのと、それよりも彼はこのヴァリエール家の長女が得意ではなかった。

「ええ、もう十年になるかしら。けど、あなたはあの頃からまるで成長していないわね。弱虫ジャン」

「ふっ、あのころは晩餐会でよくいじめられたね。やれ作法がなってない、やれダンスが下手だ、しまいにはワインを頭からかけられたこともあった」

 自嘲気味にワルドはさして懐かしくもない思い出を、ほこりのかむっている記憶の引き出しからつまみ出してきた。

 このブロンドの美しき女学者はルイズにとって第二の恐怖の的であるのと同時に、近隣の貴族の子弟にとっても近寄りがたいトゲ付きの花であり、ワルドもその例外ではなかった。

「けど、君も僕も一応はもう大人だ。わざわざこんなところまで嫌がらせに来たわけでもないだろう?」

 だがワルドももういじめられるだけの子供ではない。エレオノールの真意を見抜いて、本題に入るようにうながすと、彼女はテーブルの上に無造作に数枚の書類を投げ出した。

「あの怪獣について調べたデータの概略よ。恐らく、奴は明朝には動き出すから、それを参考に迎撃のための準備を整えさせろと命令されたんだけど、よりにもよって使えるのがあんたの部隊だけとは、がっかりだわ」

「それはどうも……拝見させてもらうよ」

 その書類には、あの怪獣が地底を住処にしているということ、発光攻撃は頭部及び背中から発射可能でほぼ死角がないこと、攻撃を加えれば加えるほど強く凶暴になっていくことが正確に記されていた。

「こりゃまた……やっかいな相手だねえ。しかもウルトラマンの光線すら効かないときてる。さて、どうしたものかな?」

「ええ、どうしたものかしらね……」

 憂えげに肩を落としてみせるエレオノールだったが、ワルドは彼女のからかいに付き合ってやるつもりはなかった。

「もったいぶるのはやめたまえよ。君が何の策もなしに僕のところまで来るはずがない。腹の探りあいもいいが、今日のところは疲れていてね。手短にいこうじゃないか」

「ふっ、少しは鋭くなったようね……ワルド子爵、『火石』というのをご存知?」

 ワルドは聞きなれない名前に、脳内の図書館の奥のスペースから虫に食われかけていた一冊を引き出してきた。

 この世界には『風石』と呼ばれる風の魔法力を蓄えた石があり、それで物を浮遊させたりと活用されているのは一般にもよく知られている。ただし、火石という名前は、そういった魔法の石を扱った本の、ごくわずかな一節を占めるにすぎない。

「ああ……確か、火の力を結晶化した石だったか……」

 それで、彼にとっての火石の知識は終わりだった。なぜなら、自然の火石はごく浅い鉱脈に眠っている風石と違って、土のメイジや土系統の使い魔でさえ近づけない深度で、地底の熱を材料に精製されるために人間に採掘は不可能なのである。マグマライザーなどでさえマグマの熱でやられかけたことがあるくらいなのだから、地底というのがいかに過酷な世界なのかがわかるだろう。そんな場所にあるものなのだから、専門書の一節に留まって知られずにいるというのも仕方のないことではあった。

「ふむ、基本はそれでいいわ。要は炎のエネルギーが極めて高密度に凝縮されたものと思えば正解よ。で、要点だけ話すけど、その火石がひとつ、アカデミーに研究用として保管されてるの。何百年も前のエルフとの戦いで偶然手に入ったもので、彼らはそれを精製する技術があるそうだけど、それはまあいいわ。これまでの研究によると、その火石は拳大の大きさだけど、火薬一千トン級以上の火力が詰め込まれてるそうよ。これを、一気に解き放ったとしたらどうなると思う?」

「おいおい、そりゃとてつもない爆弾じゃないか、君は怪獣ごとトリスタニアを焦土にする気かい!?」

「もちろん、対策は考えてあるわ。火石の解放とともに、その周囲を最高純度の風石で作った半径二十メイルの防護壁で覆うのよ。これで火力は分散することなく威力が増幅され、狭い範囲に破壊力をもたらす爆弾となるはず」

 つまりは、おもちゃの爆竹でも、埋めれば砂の山を吹き飛ばすのと同じ原理である。最近ではGUYSがバードンをメビュームシュートの命中直後にキャプチャーキューブで閉じ込めて、塵も残さず吹き飛ばしたことがある。

「そりゃあすごい……けど、これも体質変化で適応されてしまったらどうするんだね?」

「もちろんその点も考慮に入れてあるわ。奴は攻撃に適応して体質変化する瞬間に、一瞬だけど防御力がなくなるみたい。けれど、これならば奴が体質変化を終える前に、肉片最後にいたるまで焼き尽くせる」

 エレオノールは自信ありげに断言すると、野球玉程度の水晶をテーブルに置いた。これは記憶水晶といい、ある程度昔の風景を映し出すことができるマジックアイテムで、この世界のビデオのようなものである。ちなみに、平民の間でも安価な使い捨てのものが「昨夜の水晶」という名で、旦那の浮気調査に使われているが、これは高級なもので何度でも見たい風景を映し出すことができる。そこにはザラガスがメタリウム光線を受けて復活するまでの映像が鮮明に映し出されていた。

「ほう……」

 確かに、ザラガスは攻撃を受けてから復活するまでにわずかながら間がある。その間が奴の弱点というわけか。これは、初代ザラガスが科特隊のQXガンとスペシウム光線の波状攻撃で倒されたことと合致している。知識はあっても素人の才人にはわからなかったけれども、エレオノールの頭脳は見事に隠された真実を看破したのだ。

「なるほど、さすが君というべきか。しかしそれだけ前置きをするんだ、何かあるんだろう?」

「物分りがよくて助かるわ。火石は火の力を封じ込めるために、その周りを強力な結界で覆われている。これを解除しない限り火石を起爆させることはできないわ。幸い、長年の実験と時間の経過でだいぶ弱ってるけど、それでもトライアングル以上の魔力を叩き込まないと壊せない。加えて、かなり大型になる上に、時間がないから発射装置や起爆装置はなく、一発しか作れないから失敗は許されない」

 ワルドはその言葉を少々吟味した後、すぐに破顔した。

「わかった。誰かが怪獣の体に仕掛けて起爆させるということだろう」

「ご名答、計算によれば封印解除から爆発まではおよそ二十秒。それまでに脱出できなければ、当然巻き込まれて熱いじゃすまないわ、どう、やれる?」

「ははは、まったく、本当に無茶を言ってくれる。暴れる怪獣の体に取り付けて、それで脱出する? 自爆に終わる可能性のほうが高い」

「あら、自信がないの?」

 他人の家の犬に弱虫の子分をけしかけるガキ大将のように意地悪く挑発するエレオノールだったが、あいにくワルドはそこまで単純ではなく、皮肉げな笑みを口元に浮かべた。

「その言い方は知的ではないな。相手の自尊心に訴えかけて無茶な命令をやらせようとする。しかも責任は全部相手に押し付けて、君に官僚の素質があるとは知らなかったね」

「それはごめんなさい。私ともあろう者が柄にもないことをしたわね。では言い換えるけど、あなたの指揮する部隊、戦力になると考えていいの?」

「戦えと言われれば、全員が死兵となって戦うさ。なにせ我々はもう傷つけられる誇りが底をついてしまった。命を惜しむ……いや、生きて帰ろうなどと考えている者はいない。どうだ、諸君?」

 ワルドが部下達に向かって高らかに宣言すると、美しい死に方の議論を続けていた部下達は、本当に熱にでも浮かされたかのように整列して口々に叫びはじめた。

 

「もちろんです隊長!」

「我ら一同、死など恐れません!」

「その任務、ぜひこの私にお命じください。見事敵もろとも果ててみせましょう」

「いいえ、ぜひこのわたくしめにこそ! 玉砕して騎士のなんたるかを平民どもに見せつけて、後世までの名誉としましょう!」

 

 我も我もと、死ぬことを主張する自殺志願者たちにエレオノールは閉口したが、使える駒がこれしかないのでは仕方がなかった。それに、死にたがっている人間ほど興味を覚えない人種はいない。

 見ていると部下たちの高揚に当てられたのか、ワルドも芝居がかった様子で高らかに演説している。

「すばらしい部下たちを持てて、私は幸せだ! 諸君らの勇気と自己犠牲は王国の貴族の精神を世に知らしめるものとなろう! 私は約束する、貴君らの勇戦を永久に語り継ぎ、その栄誉を称え続けるであろうことを!」

 聞くに堪えないとはこのことだ。学者肌であるエレオノールは勝算無しに敵に突撃していく無謀な騎士にロマンを感じることはなかったが、よくもまあ歯の浮くような台詞が次々に出てくる。多分今日負けて帰る前も似たようなことを言っただろうに進歩がないことはなはだしい。自分の吐く言葉の幻想に酔うことにワルドも例外ではないようだ。

 彼女は今回限りで金輪際ワルドとは縁を切ろうと思ったけれど、その前に無感情という激情を込めた冷たい声が、彼らの熱気をしたたかにひっぱたいた。

 

「茶番劇はそのくらいにしておきなさいな、ワルド子爵」

 

 一同が振り返ったドアの先には、桃色のブロンドを振りかざした麗人が杖をかざして立っていた。

「おのれ無礼な、何奴だ!!」

 騎士隊の血気盛んな一人が相手も見ずに憤って杖を向け、ワルドが「やめろ!」と叫ぼうとしたときには、彼の体はすでに部屋の壁紙とキッスし、粉塵と血反吐をパートナーにチークダンスを踊りながら床と抱き合っていた。

「これ以上弱く撃つのは難しいわね」

 誰一人詠唱を聞き取ることさえできなかった。現在トリステイン最強とうたわれているグリフォン隊の精鋭が一人としてさえである。恐るべき速さと威力の風の呪文だった。

 そして、そこにいた麗人が誰であるのか、もはや知らない者はいなかった。前マンティコア隊隊長『烈風』カリン、ただ一人で怪獣を圧倒し、追い返したあの戦いぶりを見て、戦慄を覚えない者などいない。先ほどまでの高揚を完全に打ち消され、慄然と顔を青ざめさせている隊員達には見向きもせずに、彼女はそれ以上に蒼白な顔をしているワルドとエレオノールを見渡した。

「ヴ、ヴァリエール公爵夫人……」

「お、お母様……」

 蛇に睨まれた蛙という言葉を活かす瞬間があるとしたら、まさにこのときだっただろう。『烈風』、カリンは冷然としたままで、まずはワルドを見下ろした。

「懐かしいわねワルド子爵、まずは若くしての栄達おめでとうと言っておこうかしら」

「は、はい……ありがとうございます」

 褒められているというのに少しもワルドはうれしくなかった。それどころか、心臓が握りつぶされるかのような圧迫感を感じる。幼い頃、いたずらで赤ん坊だった頃のルイズの部屋に忍び込もうとしたときに、風の魔法で地上二千メイルまで吹き飛ばされ、庭園の池に叩き落された恐怖は今でも忘れられない。

「さて……それはいいとしても、どうもあなたの指揮官としての素質は疑わざるを得ないようね。何の策もなく正面から向かっていったあげく、一矢報いることもなく全滅とはね」

「し、しかし……栄誉ある魔法衛士隊ともあろうものが、はしこく策を弄しては」

「利いた風な口を叩くな! この世で何がもっとも愚かで醜いか、それは己の弱さや失敗を理由をつけて美化し、あまつさえ自己満足に浸って省みない輩のこと、今の貴公らのようにな!!」

 まるで男性のような口調と、烈火のような怒声は人生経験の浅い若造どもを震え上がらせるには充分すぎるほどだった。

「あ、貴女は我々の崇高な使命感を自己満足だと……」

「崇高な、使命感? もう一度言ってごらんなさい」

「……ひっ!」

 やっと反論した一人の隊員も、『烈風』のひと睨みで縮み上がった。

「いいですか、義務を果たさないままで無茶をしたり、死に急ぐのは弱い人間のやることです。形を変えた敵前逃亡と言ってもいいでしょう。死を以って名誉を得る? 弱者の逃げ口上としてこれ以上はないでしょうね。死ねば全ての責任から無条件で解放されるのですから。それはあなたたちはそれでいいでしょうが、敵にとってはいくらでもいる駒の一つが減る程度、明日にでも新たな敵が現れたときはどうするの? あなたたちみたいな者でも、今のトリステインにとっては貴重なの、その程度も理解できないとは……」

 もはや完全に見下したその態度に反抗できるほどの胆力を備えた者はこの中にいなかった。負けることはそれは確かに屈辱だ。しかし歴史上の英雄たち、三国の雄、劉備や曹操、戦国の英傑、信長や家康だって負けたことなどいくらでもある。また、歴代ウルトラマンや防衛チームだって侵略者に敗退したことなど両手の指に余る。一度負けてもあきらめず、知力と体力の限界までねばるものだけが最後の勝利者となりえる。

「聞くところによると、あなたうちのルイズとの婚約に執着してるそうですが、こんな様子では即刻解消してもらうしかありませんね」

「そっ、そんな!!」

 そんなもなにも、ふがいない男に娘を渡す親がいるはずもない。

「それが嫌なら職責にふさわしい戦果をあげて見せなさい!! 言っておきますが、この程度の戦いに一兵たりとも失うような愚鈍な指揮は許しませんよ」

「はいぃ!!」

 もはやテストで悪い点をとった生徒のように、縮こまるしかないワルドであった。

「それからエレオノール」

「はっ、はいっ!」

 明らかに怒気を含んだ母親の声に、彼女も背筋を伸ばして返答する。

「あなたも学者を名乗る者なら、もっと正確に物事を判断して行動しなさい。使用可能な兵器を選んだはいいけど、この低脳どもにそんな精密な作業ができると思ってるの?」

 本人たちの目の前で低脳と言い放つ彼女もすごいが、それだけを言わせてしまうだけの貫禄が確かにある。第一、小学校のホームルームじゃあるまいし、よい子に振舞ってどうなるというのだ。

「う、無理ですわね」

「だったら人任せにしないで、言い出したことには責任を持ちなさい。安全なところから眺めているだけで、戦場で本当に役に立つものができると思いますか?」

 ここでもしエレオノールが、貴婦人が野蛮な戦場になど、と言っていたら、容赦なくさっきの隊員のように吹き飛ばされていただろう。ルイズにとってと同じように、エレオノールにとってもこの母は到底敵わない相手なのだった。

「もし明日、また無様な戦いを見せて、私の手をわずらわせるようなことがあれば、怪獣より先に、この『烈風』がお前たちを地獄に叩き落してやりましょう。持ちうる知力と精神力を絞りつくして戦いなさい!!」

「はっ!!」

 ワルド、エレオノール、グリフォン隊の面々も『烈風』の名に恐れおののき、それから死ぬより怖い生き地獄を回避するために夜通し作戦会議を練り、鍛錬をし続けた。もちろん、ウルトラマンが現れることに期待するや、引退した『烈風』に助けを求めるなどは考えにも入れられない。

 公爵夫人は、ようやく本当の意味で死ぬ気になって戦いに臨もうとしている若者たちを静かに見守り続けていたが、やがて静かに一言だけつぶやいた。

 

「そう……本当の戦いは、これからよ」

 

 

 翌朝、普段なら朝食の支度をする煙があちこちから立ち昇る時間、トリスタニアは死んだように静まり返っていた。

 かつて、地底に潜んだゴモラを迎え撃ったときの大阪もこんなだったというが、ヘリコプターの代わりに偵察のヒポグリフが数頭、どこから出てくるかわからない怪獣を警戒して見張っている。

 そして、午前八時の時報の教会の鐘が鳴り響いたとき、街の南西の一角に、あの赤い煙が立ち昇ってきた。

「奴だ!!」

 煙の中からザラガスの黒々とした体が現れ、遠吠えが街に木霊する。

 信号弾代わりの花火が空に上げられ、王立防衛軍は雪辱戦に出撃した。

 

「まさか、あんたのエスコートで飛ぶことになるとはね」

「僕でなければ近づけないし、君でなければ確実に起爆させられない。しょうがないところだろ。それより、お母上のおしおきのほうが怖い。一時休戦といこうじゃないか」

 空を舞うグリフォン隊の先頭の、火石の爆弾を抱えたグリフォンの上に、ワルドとエレオノールは嫌そうに共に乗っている。けれど、この二人くらいしか知らないことだが、『烈風』カリンの現役時の隊訓は『鉄の規律』で、もし騎士や貴族としてあるまじきことをしたら即座に殺されかねない罰が来る。二人とも、それだけは嫌だった。

 

 また、魅惑の妖精亭でも、姿は見えなくても奴の遠吠えでザラガスの出現を察知し、才人とルイズは覚悟を決めていた。

「来たか……今度は、負けないぞ!!」

「姫様のためにも、もう無様な姿をさらすわけにはいかないからね!」

 もう油断はしないと心に決め、包帯を振り払って外に飛び出る。エースのおかげで常人より治癒は早く、まだ近眼のようにぼやけて涙が浮かぶが、ザラガスの憎たらしい姿だけは見える。

 だが、その空の先にまたグリフォン隊がザラガスに向かっていくのを見て、ふたりは性懲りもなくと思って急いで変身しようとした。が、そのとき思いもよらず心の中からエースに止められた。

(待て、彼らは何かやる気らしい。しばらく様子を見よう)

(えっ! でも、あいつらじゃとても!!)

(彼らの努力を、結果を出す前からつぶしてしまうことはない。彼らができるだけやって、それでだめだったらはじめて出て行けばいい)

 進歩の可能性をウルトラマンがつぶしてはならない。この国を守るのはこの国の人であるべき、自分たちの雪辱を晴らすよりもそのほうが重要だと宇宙警備隊の基本方針を教えられ、二人ははやる足を押さえて踏みとどまった。

 

 そして、試練の時を迎えたグリフォン隊は散開して作戦に入った。隊員達とグリフォンの目にはそれぞれ遮光メガネがかけられている。通常、戦闘の際には相手をよく見て戦うことが求められるが、この相手には逆効果である。だが、相手を見なければ戦いようがない。そこで十九騎のうち二騎のみが戦い、残りは待機して前任が目をやられて戦線離脱したら交代する。合図は誰がやられたのかを明確にするために、それぞれ音の違う花火を持たされている。

 

「陽動が始まったな」

 隊員達と逆の方向から用心深く接近しながら、ワルドは最初の二人が怪獣の注意を引き付けるために攻撃を開始したことを確認した。もちろん通常の魔法攻撃では効果がないことはわかりきっているが、この場合とにかく目立てばいい。敵もさっそく額からの発光攻撃で二騎を行動不能にしているけれど、作戦通りに目をやられた騎士は戦線を離脱し、後衛がその後を継いでいく。地味で華々しさなどなくても、彼らも不名誉より『烈風』のほうが怖いのだ。

 用心深く、けっして悟られないようにグリフォンの羽音も最小限にして、遂に二人のグリフォンはザラガスの背中の、首の後ろに到達した。

「取り付けるぞ」

 グリフォンが掴んでもってきた火石の爆弾。それは、爆薬となる火石は拳大の小ささながら、これを封じ込められる風石の量が計算の結果膨大となったので、直径六十サントもの巨大な石の塊になってしまった。

 二人は怪獣に気づかれまいと、このほとんど岩と呼んでいい爆弾を、エレオノールの土の魔法で作り出した接着剤で取り付けていった。幸い怪獣からしてみればこの程度はノミが張り付いたくらいにしか感じないらしく、目の前のグリフォン隊から目を離さないでいてくれた。

 けれど、取り付けは滞りなく成功したものの、肝心の魔力を使っての起爆は難航した。

「は、早くしたまえよ」

「うるさいわね。気が散るでしょ!」

 せかすワルドにエレオノールは怒鳴り返したが、この火石の起爆というのは想像以上の難題だった。結界が弱っているとはいえその強度は相当なもので、一点集中させた魔力でもなかなか突き抜けられない。かといって一気に大量の魔力を打ち込めば自分達ごと消し飛びかねない。今更ながらエレオノールは、こんなデリケートな作業を無骨な騎士まかせにしないで自分が来てよかったと思ったものの、そうしているうちにも残った陽動もあと四人となり、余裕はなくなっていく。

 しかし、必死の努力がやっと天に認められたのか、遂に火石の結界に彼女が願ったとおりのひびが入った。

「いいわよ、あと二十秒で爆発するわ!!」

「ようし!!」

 もはや長居は無用、後は怪獣が吹き飛ぶのを見物するだけだ。二人を乗せたグリフォンは、翼を大きく羽ばたかせて飛び立った。

 が、そのときとうとう陽動に当たっていた最後の騎士が六千万カンデラの光にやられ、邪魔者を全て片付けたザラガスは、ちまちまと何かをやっていた小うるさい蝿に気づいてしまった。

「ちょ、あの怪獣こっちを追っかけてくるわよ!!」

「なんだって!!」

 血の気を失って二人は後ろを振り向いた。そこには、怪獣が巨体で街を踏み潰しながらこちらに突進してくる姿があるではないか。もちろん爆弾をくっつけたままで。

 

 爆発まで、あと十五秒。

 

「ワルド!! もっと高く飛べないの!?」

「無理だ、あんな重いものを運んだ後なんだぞ!!」

 必死でワルドはグリフォンに拍車を入れるが、疲労したグリフォンは普段の半分の力も出せずに、どんどん怪獣に追いつかれてくる。このままでは、怪獣ごとこちらも吹き飛んでしまう!

 爆発まで、あと十二秒。

 

 だがそのとき、彼らの危機を見て取った才人とルイズが手を繋いだ!!

 

「ウルトラ・タッチ!!」

 

 遅ればせながら真打ち登場!! 今まさにグリフォンを捕まえようとしていたザラガスの前に、ウルトラマンAが立ちふさがり、巨体を捕まえて投げ飛ばした。

「テェーイ!!」

 突進の勢いを逆利用して投げ飛ばされ、ザラガスの体が地に叩きつけられる。

「ウルトラマンA!! 助かった……」

 後ろを振り返りながらワルドがほっと息をつく。だが、すでに投げられた程度ではダメージを受けなくなっているザラガスはすぐさま起き上がり、発光攻撃をエースに発射する。

「ムンッ!」

 しかし、エースも今度は油断せずに光を遮り、その身に組み付こうとするが、エレオノールの叫びがそれを遮った。

「爆発するわよ!! 離れなさい!!」

「ヘヤッ!?」

 驚いたエースはザラガスの首筋に仕掛けられた爆弾に気づいて、それが何を意味するのか知った。

 

 爆発まで、あと七秒。

 

(おい、こんなところで爆発されたら、街も吹き飛ぶぞ!!)

(お姉さま、いったい何考えてるの!? エース、捨てて、それ捨てて!!)

(わかってる!! こうなったらこれしかない!!)

 

 爆発まで、あと三秒。

 

 エースはザラガスの体を抱えあげると、力の限りを込めて空高く放り上げた!!

「トァーッ!!」

 重力など存在しないかのように、ウルトラパワーで投げ飛ばされたザラガスは二百メイル、三百メイルとどんどん上昇していく。そして、四百メイルに達したところでタイムリミット、つまり火石の封印が壊れる瞬間がやってきた。

 まともに解放すれば半径十リーグを焼き尽くせるほどの火炎がザラガスの体を瞬時に赤い炎に包みこむ。さらに、その炎は解放された圧力のままにさらに膨張しようとしたが、同時に発生した風石の防御幕に阻まれて、エネルギーを外に向けられずに内部をさらに駆け巡り、最初太陽のように黄色く輝いていた姿を、青く暗く輝く人魂のように変えた。

 炎は高温になるほど青く暗くなる。例えば、太陽の表面温度は六千度ほどだが、乙女座の青い恒星、スピカなどは二万度を超えるのだ。ゾフィーのM87光線の87万度やゼットンの一兆度の火球はいきすぎとしても、そんな中に閉じ込められてはさしものザラガスとてもたまらない。再生、適応する暇もなく細胞が焼かれていき、さらに風石の防御幕もエレオノールの計算を超えて熱量に耐えられなくなり、地上六百メイルの上空で遂にザラガスもろとも半径二百メイルの大爆発を起こした!!

 

「やっ、た……やったぁーっ!!」

 

 爆発の中から、黒焦げの死骸となった怪獣が落下してきたとき、戦線離脱して目の治療を受けていた騎士の、その一言の叫びが全てを代弁した。これまで、苦杯を舐めさせられ続けてきた怪獣を、初めてトリステイン人の力で倒したのだ。それも、ウルトラマンの助力を必要とせずに、独力でだ。

 それを見て、城ではアンリエッタと公爵夫人に戻った『烈風』カリンが静かに祝杯をあげていた。

 

(すっげえ……あんなとんでもない爆弾を隠し持ってたのか)

 地球で言えばAZ1974爆弾にも匹敵するような威力の兵器に、才人は唖然として言った。この世界の技術を低く見積もっていたが、ああいうこともできるのか。

(こりゃ、今回は余計なことをしちまったかな)

(そうね、無理して出てくることなかったかも)

 おいしいとこどりをしてしまったみたいで、やや後ろめたいものがあったが、実際はワルドとエレオノールは命拾いし、爆発の被害から街を守れている。しかし、今回怪獣を倒した手柄は間違いなくこの国の軍のものだ。前回あまりにあっけなく軍が敗れ去ったので無理をして出てきたけれど、どうやら彼らにも負けから学ぶ器量はあったようで安心した。本当は『烈風』カリンのおかげなのだが、勝利の味を知ったからには簡単に死のうとはしないだろう。

(この国の人々も、TACに負けないな)

 エース、北斗も昔苦戦したときにTACに助けられたときのことを思い出していた。ホタルンガ、ファイヤーモンス、TACがいたからこそ倒せた超獣は多い。まだまだかと思っていたが、この国の軍も中々やるではないか。

 そのときエースの前を、ワルドとエレオノールの乗ったグリフォンが通り過ぎていった。礼を言うのが気恥ずかしいのか、軽く翼を振らせてバンクして感謝を表現しているのが彼女たちらしい。エースは、そんな二人の姿と、人間が怪獣を倒したということで沸き返る街の人々を目に焼き付けると、空を目指して飛び立った。

 

「ショワッチ!!」

 

 その様子は街中の人々、そして魅惑の妖精亭にいたキュルケたちや、スカロンたちも当然見ていた。

「ねぇあれって……エースがやったの?」

「……違う、多分取り付いていたあのグリフォンが何かを仕掛けた」

 エースは少なくとも投げ飛ばした後には何もしていない。となれば、怪獣にとどめを刺した火球はグリフォンに乗っていた誰かがやったものとしか考えられない。

「……ということは……軍隊が、あの怪獣をやっつけちゃったってことよね。へーっ、なかなかやるじゃない!!」

「よっし、みんな今日は戦勝記念サービスするわよ! 開店準備!」

「はい! ミ・マドモアゼル!!」

 勝ったからには客を呼び込むチャンスである。魅惑の妖精亭は本来の姿に戻って活動を開始した。平和になり、近隣の町々から医者が呼ばれているから目をやられた人々の治療もスムーズにいくようになるだろう。それまでは町内で協力し合って傷ついた人を支えていこう。

 また、ロングビルとシエスタも宿代として手伝いながら、出発からいきなりつまづいてしまった旅行の予定について話し合っていた。

「ミス・ロングビル、この先の予定は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、次の目的地は港町ラ・ロシェールだけど、今は頻繁にアルビオンに船が出ているからね。その前のタルブ村で一泊して、四日後には船の上よ。あら、そういえばタルブ村って」

「はい、わたしの故郷です。いいところですよ、身内びいきになりますが、楽しみにしていてください」

 二人は笑って話しながら、店の喧騒の中へと溶け込んでいった。

 

 

 続く



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第48話  一発必中!正義の一閃悪を撃て

 第48話

 一発必中!正義の一閃悪を撃て

 

 狼男 ウルフ星人 登場!

 

 

 怪獣ザラガスの撃破を得て、トリスタニアは歓喜の渦に包まれていた。

 

『トリスタニアを襲った怪獣、王立防衛軍の手によって撃破せり!』

 

 戦いを見守っていた人の口から口へ、噂はあっという間に街の隅々にまで伝染し、怪獣の脅威に怯えていた人々は、興奮のままに勝利の美酒に酔いしれていた。

「なあ、あのすげえ炎見たかよ。なんでも魔法アカデミーが開発した新兵器らしいぜ」

「ああ、なんと魔法衛士隊のグリフォン隊が、危険を承知で怪獣の体に直接取り付けたらしい」

「それでよ。そのグリフォン隊に同乗していた、アカデミーのエレオノール・ド・ラ・ヴァリエール女史がさ、見たけどこれがまたすげえべっぴんでな」

「だったら、隊長のワルド子爵ってのもたいした美男子なんだろ? んったくうちのかかあが見惚れちまって困ったもんだ」

 平民の間にも、エレオノールとワルドの名はすでに知れ渡っていた。これは、この機に乗じて貴族の威信を回復しようと考えたマザリーニ枢機卿が独自に行動して噂を流させたのである。

「貴族なんて口ばかりの愚図ばかりと思ってたけど、ちったあやるものだな。うちの子なんか、大きくなったらグリフォンに乗って戦うなんて言い出して、平民じゃ魔法衛士にゃなれないっての」

「いいや、なんでも軍では平民を集めた幻獣の部隊も企画しているらしい。他にも、軍で手柄を立てたものは貴族に取り立てたり、学のあるものに官職を与えてくれたりもするらしい」

「おいおい、そりゃいくらなんでも冗談だろ。トリステインじゃ法律で、平民は官職についたり領地を持つのを禁じてるじゃないか」

「その法律が変るそうだ。なにより平民出身の銃士隊って例があるじゃないか、姫殿下はあれをもっと拡大なさるらしい。文句を言う貴族どもも、今じゃすっかり数を減らしたし、なにより姫様に圧倒的な支持がある」

 マザリーニの流言操作はさらなる方面でも効果を生んだ。彼が流させた噂はひとつではなく、アンリエッタが考えている改革のいくつかの草案も混じっていたのだ。案の定、それは明るいニュースに明るいニュースが重なることで、人心をよい方向へと促していく。マザリーニは普段あまり表には出てこないが、こういうアンリエッタの考えの及ばない影の仕事で改革を支えていた。

「そりゃすごい、俺も軍に志願してみるかな……」

「お前じゃ無理だろ。それよりも、あの怪獣の死骸、見に行ってみないか?」

「よし、じゃあ行くか」

 黒こげとなったザラガスの死骸は、今やトリステインの名物になりかけ、大勢の人目を集めている。とはいえ、生物の死骸はいずれ腐るので近々排除されるだろう。しかし今は、これを利用して初めて防衛軍が怪獣を倒したことがここぞとばかりに喧伝され、これまでに失った威信を一気に取り戻そうとしていた。

 

 

 一方、王宮では一躍英雄となったワルドとエレオノールが、アンリエッタ姫から直々にお褒めの言葉をいただいていた。

「ワルド子爵、お見事な活躍でした。あなたの活躍は、この国の歴史に深く刻まれ、語り継がれていくことでしょう」

「もったいないお言葉です。姫殿下」

 アンリエッタの祝福の言葉に、ワルドは後ろに控えたグリフォン隊の隊員たちと共に恭しく跪いて頭を垂れた。

「ミス・エレオノール、今回は貴女方アカデミーの協力があってこその勝利でした。しかも学者の身をおしての前線参加とは、その勇気と功績はすばらしいものでした。あれほどの兵器をもう一度作れないのは惜しいですが、その知力をこれからもトリステインのためにお役に立てていただけますか」

「姫殿下のお心のままに、微力を尽くさせていただきます」

 ワルドと並んでエレオノールも、救国の英雄の一員として栄誉を受けていた。なにせ、やっと掴んだ勝利である、王国としては国家の求心力を回復するためにも、この機会を最大限に活かさなければならないために、多少大げさにでもこのことを宣伝しなければならない。その点この二人は絶好の広告塔で、これから姫とともにパレードやパーティに出席することになる。才人などだったら嫌がるだろうが、貴族にとっては名誉なことなので、今日一日注目の的となるだろう。

 ようは国威発言と戦意高揚のために利用されるということで、傍目にはあまりきれいに見えないが、戦争に強いのは大体こんな国である。ろくでもない話でしかないけれど、悪に対抗するためには善だけではだめである。そうなると、こちらも悪に染まることになると背反することになるのだが、この人間世界というもの自体が神の世界には程遠い欠陥機械であるのだから、例え歯のかけた歯車や、濁った潤滑油でも止まらせないためには使わなくてはならないのだ。

「ワルド子爵、数日後にはアルビオンに使者として旅立つあなたが、このような戦果をあげえたとなれば、よい土産話になるでしょう。あなたのような貴族の鏡のような方を得られることは、わたくしにとってこの上ない誇りですわ」

「私は殿下のいやしい僕にしかすぎません」

 あらためて恭しく跪いてワルドは礼を返した。しかし、人に見られないように下げたその口元が、なぜかうれしさとは別の形で歪んでいたのを、隣にいたエレオノールはちらりと横目で見て、姫様から祝福されているというのに、何を不謹慎な顔をしているのだと不審に思っていた。

 ただ、今回多少ワルドを見直したのも確かである。やってみてわかったことだが、あの火石を正確に風石の防壁と釣り合いが取れるタイミングで起爆させるには、母の言ったとおり自分くらいに魔力の微調整が利くメイジでなければならなかった。もし、ワルドやその他の騎士に任せたらトリスタニアごと消し飛んでいたかもしれない。まぁ、自分も火石の火力を読み損なって、エースに怪獣を上空に投げ飛ばしてもらわなかったら半径二百メイル四方が吹き飛んでいただけに、大きなことは言えないが、一応、怪獣の元まできちんと運んでもらったことには感謝している。

 とはいえ、実はワルドにはほかに選択肢がなかったとも言える。

 風の系統の上級スペルには、空気の塊で自分の分身を作って遠隔操作するものもあるのだが、最初の作戦の打ち合わせのときにワルドはそれを使って陽動しながら安全に爆弾を運ぼうと主張した。だが、起爆はエレオノールがやるのに、自分は女性に危険な仕事をさせて安全なところにいる気かと、即座に却下された。これにワルドは、ならばエレオノールは自分が運ぶから陽動に分身を当てようと言うと、部下に身を張らせて隊長が分身にやらす気かとこちらも却下された。

 そして、くだらないことに精神力を浪費するよりエレオノールの護衛に全力を尽くせ! 死に急ぐのも愚かだが、わが身の安全を第一に考えるような指揮官の下で、自殺志願者と自己陶酔家以外の誰が命がけで戦うものか。そんな部下しかいないから弱いんだと、『烈風』直々にこってり絞られていたのだった。

 けれど、ワルドの態度を不愉快に思っても、今は姫様のお話の最中である。余計な方向に行きかけていた思考をすぐさま元に戻して、エレオノールはアンリエッタの話に耳を傾けた。

「さて、お二人とも顔を上げてください。あなた方は大変な栄誉をあげましたが、形あるものでの報酬も必要ですわね。まずはミス・エレオノール、アカデミーの研究費用を、年間五百エキューの増額が認められました。わずかですが、助けになれば幸いです」

「感謝の極み……一ドニエたりとも無駄にはいたしませぬ」

 研究機関であるアカデミーには、研究費用の増額は素人が余計な援助をする以上に助けになるだろう。施設、研究材料、資料、その時々に応じて増やすことができる。

「また、ワルド子爵、あなたにも特別に便宜を図らせていただきました」

「わたくしごときのために、もったいないことです。それで、いかように?」

 あくまで紳士的に礼を尽くすワルドにアンリエッタもにこやかに笑い、軽く手を二回叩くと、玉座の後ろのカーテンの陰から、肩に小さな文鳥を乗せた麗人が姿を現した。

「賞品は、わたくしです」

「……は?」

 公爵夫人の唐突な言葉に、ワルドだけでなくエレオノールやグリフォン隊の隊員たちも、その意味を量りかねて数秒間自失の海を泳いだ。しかし、特に頭の回転の速い二人、当然ワルドとエレオノールが理解という岸辺にたどり着いたときの反応はそれぞれ異なっていた。前者は驚愕と底知れない恐怖、後者は歓喜と愉悦に。

「喜んでください。貴方方の素質を見込んで、この『烈風』カリン殿が、専属の教官となってくださることを承知してくださいました。かつてトリステイン最強とうたわれたお方の指導を受けて、より素晴らしい部隊に生まれ変わったグリフォン隊の姿を、わたくしは期待しています」

「姫殿下のたっての頼みで、お前たちを鍛えてやることになった。今回は勝ったが、魔法衛士隊の練度がいちじるしく低いのが確認できた。とりあえず一ヶ月間、そのたるんだ根性を叩きなおしてやるからそう思え!」

 もうそのときに、ワルドを含めてグリフォン隊で勝利の高揚感を残している者は誰一人存在しなかった。

 かつて最強とうたわれた三十年前のマンティコア隊。しかしその訓練は苛烈で"実戦では誰も死なないが、訓練で皆殺しにされる"とさえ言われた恐ろしさで、新入隊員の百人のうち九十九人が三日で脱落すると恐れられていた。なにせ、隊員たる最低の条件が"隊長の使い魔ノワールについていける"であるからその厳しさがわかるだろう。

 現在のマンティコア隊の隊長、ド・ゼッサール卿がその当時の隊員の一人だが、「当時は一日に半分が脱走した。翌日には片手で数えられるほどになっていた。三日後にあの方の目の前にいるのは私一人になっていた。今、私はあの方のいた地位を預かっているが、同じことはとてもできない、なぜかって? 私は人を生きたまま殺すなどという器用なことはできないからな」と、苦笑混じりに語っている。

 ただし、彼はベロクロン戦でほぼ壊滅した三つの魔法衛士隊のうちの数少ない生き残りとなり、今はその再建に努力しているから、彼が『百人のうちの一人』になれた成果は老いてなお活かされているのだろう。

「こ、光栄でございます……」

 全身からこれ以上ないくらいに汗を噴き出しながら、乾ききった喉からやっとのことでワルドは言葉を搾り出した。あの『烈風』のしごきの恐ろしさは、幼い頃から間近で見てきた彼が一番よく知っている。しかも、今は代員はいないから脱落は許されないだろう。

 エレオノールは、そんな血の気を失いきって死人のように見えるワルドを横目で見て、「あの弱虫ジャンがどこまで耐えられるかな?」と、意地の悪い愉悦に笑いをこらえるのを苦労していた。

 だがそれにしても、お母様が本気で戦うのは初めて見たけど、子供の頃お父様から聞かされたお母様の話は本当だった。それまでエレオノールは『烈風』の伝説を、かなり誇張されたものだと思っていたのだが、それは誇張でもなんでもなく、単なる事実であった。それはよいのだけれど、お母様は現役を退いてから三十年も過ぎたというのにこの強さ、もしそのまま現役に居続けたとしたらどれほどの伝説を増やしたのか? 結婚を期にととは言っているが、自分なら結婚しても引退などしない、いったい三十年前に何があったのかと、彼女は自らの母の知られざる過去に思いをはせた。

 

 

 そんな騒ぎも日が暮れて沈静化し、才人とルイズも妖精亭の二階で借りた部屋で休みをとっていた。

「やれやれ……今日も大変な一日だったな」

 ベッドの上に並んで腰を下ろして、才人がやっと休めると息をついた。

 怪獣が倒され、近隣の町々から集められてきた医者や、姫殿下の命で民衆の治療に駆り出された水系のメイジたちによる診療も一気に進み、二人も治療を受けることができた。もっとも、エースのおかげで回復は常人を超えているのだが、一応人に見せるときのために目にはまだ包帯をしている。

 ともあれ、明日からはまた気楽な旅行の続きだ。明日に備えて早めに寝るかと、才人がベッドに横になろうかと思ったとき、ぽつりとルイズが話しかけてきた。

「ねえサイト、最近わたし、少し思うことがあるの」

「ん?」

 藪から棒にと思ったが、ルイズの真剣な口調は才人の眠気を一時的にも払う作用があった。

「それで、なんだよ」

「ウルトラマンAのことよ」

「えっ?」

「正確には、エースも含めてこの国と世界、そして、あたしたちのことよ。思えば、この数ヶ月でハルケギニアは大きく変わった、いえ変りつつあるわ。ヤプールの侵攻と、その影響で目覚めた怪獣達によってね」

 変った、か。そういえばルイズに召喚されたときと今では、この世界の印象が違って見える気がしなくもない。

 端的に表現すれば、あのときに比べてこの世界は大きく動いている。一般レベルで言えばあまり変化は見られないかもしれないけれど、世界は新たに、そして強引に流入してきた新たな概念、危機、存在によって、まるで人体が侵入してきたウィルスに抗体を作ろうとしているかのように変動している。平民部隊である銃士隊の設立、アンリエッタの数々の改革がそれに当たるだろう。

「そんな中で、わたしの存在はなんなのかって……これまでわたしは魔法が使えない、"ゼロ"としてさげすまれ、魔法が使えるようになることが最大の望みだったけど、超獣の前にはあたしが欲し続けた魔法もまるで無力だった」

 ルイズの独白を、才人は黙って聞いていた。返事はしない、まだそれを求められてはいない。

「笑っちゃうでしょ、死ぬほど欲しがっていた宝石が、実はガラス玉だと知ったときの気分は……けれど、代わりに比較にならないほど強大な力を手に入れた。いえ、貸してもらった」

 自嘲を言葉のうちに混ぜ、ルイズの独白は続く。

「それからは、しばらくは自分がゼロだっていうことを忘れることができた。いいえ、魔法なんて無力なものだって、自分をごまかしていたのかも……けれど、ウルトラマンの力で負けて、魔法の力が敵を倒した。わたしは本当は何もできないゼロのままじゃないかって、何にも変れてない、借り物の力で自惚れて、たまたまあのとき選ばれただけで、力のないわたしは無価値なゼロなんじゃないかって……急にそう思ったのよ」

 そういうことか、才人はルイズの悩みを理解した。最初この世界に来たとき、魔法を使えることが絶対の価値観とされるこの世界で魔法の使えないルイズは、大勢から蔑まれていた。そのときの劣等感と孤独感が、敗北で一気に噴き出してきたのだろう。

 力の無い苦悩か……才人の脳裏に、テレビや映画、漫画や小説で見た、かつて地球を守るために戦った大勢の人々と、彼らを助けてくれたウルトラマンたちの長い戦いの記憶が蘇ってくる。国語の教科書やドラマのように気の利いた台詞は言えないかもしれないが、ここで黙っていては男の名折れだ。十数秒の沈黙の後、自分なりの答えを出した才人は、黙って自分の反応を待っているルイズに話しかけた。

「なあルイズ、お前ロングビルさん好きか?」

「は? あんた何言ってるの、ここのオカマの気にあてられておかしくなっちゃった?」

「誰がそんな方面の話してるよ、人間として好きかと聞いてるんだ?」

「え……そりゃあ、最初は信用できなかったけど、今じゃ改心して真面目に働いてるみたいだし、それなりには」

「じゃあ、土くれのフーケは好きか、嫌いか?」

「嫌いに決まってるじゃない。貴族の名誉を散々貶めてくれた盗賊よ、途中からヤプールに操られてたとしても、許せないわ」

「けど、フーケは土くれと恐れられたすごいメイジだったけど、今のロングビルさんは魔法が使えない。同じ人なのにどうして片方好きで、片方嫌いなんだ?」

「そ、そりゃあ……」

 ルイズが口ごもると、才人は口調に笑いを込めて続けた。

「そんなもんだよ"力"なんてさ、すげえ奴はすげえと思うけど、スクウェアメイジの盗賊なんてお前もなりたいとは思わないだろ。もしもだけど、お前がトライアングルやスクウェアを鼻にかけて、平民をいじめて楽しむような連中と同類だったら、メシが喰えなくてもとっくにおれはお前のところから出て行ったね」

「なによ、使い魔かご主人様を見捨てたって言うの?」

「おれは人間だからな。それに、おれは小さい頃からウルトラマンが好きだった。マン、セブン、ジャック、エース、タロウ、レオ、80、メビウス……ほんとにかっこよかったし憧れた。けど、それはかっこよさや強さだけじゃない。ウルトラマンより強い怪獣や宇宙人なんていっぱいいた。けど、そいつらよりおれはウルトラマンが大好きだった。ウルトラマンは力を誇示しない、けど誰もがウルトラマンを知っている。それは常に誰かのために、傷ついてもあきらめずに全力で立ち向かっていくから、みんなの心に響いたんだ」

 ウルトラ兄弟は、地球のためにその身を投げ出して戦ってくれた。いつの時代も、その心に報いようとする人々が人類を成長させてきた。

「力は、扱う人の心しだいだって、そう言いたいの?」

「そうとってもらってもいいよ。ただ、ロングビルさんも言ってたろ、魔法の使える盗賊と使えない賢人のどっちがいいかってさ、悪事に使うようなら力なんか無いほうがいい」

「けど、わたしは力を持って姫様やトリステインのために尽くしたいの」

「それは、お前しだいだからおれのどうこう言うことじゃない。ただ、こないだお姫様がお前のことを覚えていたのは、魔法の有無とは関係ないと思うけどね」

 まあ、自分もウルトラ兄弟の記録や、少し前まで連日放送されていたメビウスの活躍を見続けていなければこんな考えは持てなかったかもと思いながら、才人は考え込むルイズにそれ以上の自論を吐くのはやめておいた。自分では正しく思えても、それを他人に押し付けるのは傲慢というものだ。ヒントや手助けはあってもいいが、最終的な答えは自分自身で出さなければ、それを信じることはできないだろう。

「ま、別に期限がある問題じゃない、のんびり考えればいいさ」

 ルイズに聞こえないように、口の中だけで才人はつぶやいた。えらそうなことを言いはしたが、元々テストで百点を狙うより赤点を回避するほうに脳みそを使うタイプである。ルイズが変な方向に行こうとするなら止めはしようと思うけれど、どう考えてどう行動するかにいちいち文句をつける気はない。

 

 けれど、二人がそうしてそれぞれの考えをぶつけていると、耳に学院でも聞きなれた軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。

「サイトさん、ミス・ヴァリエール、お夜食いかがですか?」

 どうやらシエスタがスープか何かを持ってきてくれたようだった。

「ありがとう……けど、見えないんじゃちょっと食べづらいかな」

 話すのを中断してスプーンを手探りでとったものの、才人はちょっと困ってしまった。

 完全に目隠しされた状態でスープは難しい。せめてパンとか手づかみできるものだったらありがたかったのだが、慣れない状態では火傷しかねない。ルイズなどは「使えないメイドね」と怒っているが、シエスタは思いもかけないことを言った。

「はい、わかってますけどあえてスープにしてもらったんです」

「へ? んじゃあ……」

 なんでわざわざ食べにくいものを持ってくる? と二人が疑問に思ったとき、彼女のかぐわしい香りが才人の隣に来て。

 

「はい、あーんしてください」

「えっ!?」

 

 と、永遠のパターン。なお、その0コンマ1秒後。

 

「ふざけるなーっ!!」

「うぉーっ!! あっちーっ!!」

 

 ルイズのアッパーカットが才人のあごにクリーンヒット、熱々のスープを巻き込んで才人は天井まで吹っ飛ばされると、そのまま頭から床に突っ込んだ。

 

「まあ! ミス・ヴァリエール、いきなり何をするんですか!」

 シエスタが火傷しそうな才人に駆け寄って、冷たいお絞りで拭こうとするのを、ルイズはすっくと立ち上がって見下ろし、いや、見えないのだが、見えているように真正面に立って怒鳴った。

「これはこっちの台詞よ! ちょっと気を緩めると人の使い魔を誘惑しようとして……あんたも、こんなのにデレッとしてんじゃないわよ!」

「お……おれはまだ何もしてないだろ。つうか、見えないのによく殴れるなお前」

「勘よ、勘!!」

 心眼でもあるのかお前は? 今のルイズならネロンガだろうがバイブ星人だろうが見つけられそうだ。

 

 そんな様子を、スカロンとジェシカの親子はドアの影からじっと見ていたが、あの元気なら大丈夫そうねと安心していた。

 それにしても、シエスタはせっかく男を魅了するいい方法を教えてやったのに、タイミングが悪い。多分見せ付けたかったんだろうけど、ああいうことは相手が一人のときにやって、邪魔されずに心を奪うべきなのだ。

 

 そして、そんな騒々しくも平和な時間はあっというまに過ぎ、翌朝旅立ちの時は来た。

 

「んじゃあ、また来るよ」

 スカロンとジェシカたちに店の外まで見送られて、一行は名残惜しいが世話になった妖精亭を後にした。

「気をつけてね。また来たらサービスしてあげるよ。サイトくん、今度はシエスタとデートかな?」

「いっ!?」

 突然デートなどと言われて慌てる才人にシエスタが後ろから抱きつき、頭をルイズが押さえつける。

「サイトさーん、帰ってきたら今度は二人で来ましょうね。わたしが腕によりをかけてお料理しちゃいますから!」

「ちょっとメイド! サイトはあたしの使い魔なの、あたしに許可なく連れ歩かせないわよ」

 また例によってである。ジェシカはそんな三角関係を見てカラカラと笑った。

「じゃあさ、今度来たら二人ともうちの仕事着でサイトくんに接待対決でもやる? きっと二人ともよく似合うと思うよ」

「ええっ!?」

「望むところです!」

 ジェシカのなかば本気のからかいを真に受けた二人がわかりやすい反応をするのを見て、一行はさらにおかしそうに笑った。なお、才人はこの店のきわどい衣装を着たルイズとシエスタがおれのために……と、不埒のことを考えて顔をにやけさせたためにルイズに蹴り飛ばされていた。

「さて、二人ともサイトくんをいじめるのはその辺にしておきなさい。ここにはまた帰りにみんなで寄らせてもらいましょう」

 やっとロングビルに仲裁されて、ルイズとシエスタはようやく悶絶している才人から離れた。ジェシカはそんな才人を見て、もてる男はつらいねえと人事のように言っているけど、才人には聞こえていない。

 しかし、二人は忘れていたが、才人の女難の相はこんなものではない。

「もーダーリンったら乱暴な人にからまれてかわいそう。この微熱が慰めて、あ・げ・る」

「あーキュルケおねえちゃんずるーい、サイトおにいちゃんは将来アイがお嫁さんになってあげるんだもんね!」

 と、学院一のナイスバディの持ち主と、十歳にも満たない幼女に抱きつかれて、才人は意識を回復できないままに、またルイズに頭を踏みつけられて自分の状況を知ることもできずに死線をさまよう。

 ただ、ルイズが怒っているのにこっちは平然としているシエスタを見て、ジェシカが不思議そうに言った。

「あらシエスタ、あなたは怒らないの?」

「あの二人はいいんです。ミス・ツェルプストーはミス・ヴァリエールをからかって楽しんでるだけですし、アイちゃんはお兄さんのことが好きってことですから」

 なるほど、こういう点ではシエスタのほうが多少経験値があるようだ。

 けれど、油断していたら思いもよらない相手に足元をすくわれることにもなりかねない。さて、誰が勝つことやら。のんびりと我関せずと見ているタバサだけが、蚊帳の外から嵐を見ていた。

 と、そのとき屋根裏部屋のほうからルイズの爆発にも劣らない爆発音がして、窓から煙といっしょにドル、ウド、カマの三人組が顔を出した。

「ごほっ! ごほっ! あーっ、コが、ごほっ! おンがぁ!」

「げほっ! だから無理だって言ったのに、ここはもうダイ、げほっ! もいないんだし平和に過ごしましょうよ」

「がほがほ……あー、サイトくーん、もう行っちゃうのぉ、お姉さんざんねーん、また来てねーっ!!」

 その野太いオカマの声で、才人の意識は一気に目覚めた。

「はっ、お、おいお前ら、さっさと行こうぜ!!」

「あっ、ちょっと、サイト待ちなさいよ!! まだ話は済んでないんだから!!」

 慌てて駆け出した才人を追ってルイズも走り出し、一行も苦笑しながら後を追う。

「やれやれ、じゃあ失礼します。お世話になりました」

「どういたしまして、これからも『魅惑の妖精亭』をごひいきに」

 スカロンとジェシカ、そして店員の女の子たちの笑顔に見送られ、一行は元気よくトリスタニアを後にした。

 

 

 タルブ村はトリスタニアから早馬で二日、馬車でなら三日ほどかかる距離にある。一行は途中の宿場町で三泊しながらのんびりと旅を続け、三日目の昼ごろに、これを越えたらタルブ村が見えてくる森の中までやってきた。

「もうすぐです。久しぶりだなあ、みんな元気にしてるかなあ」

「楽しそうだね、まあ故郷に帰るんだから当然か」

 見るからにはずんだ表情のシエスタを見て、才人もうれしそうに言った。彼女はこれから向かう村の出身で出稼ぎのために魔法学院にメイドとして奉公している。今回は久しぶりの里帰りなのだった。

「いいところですよ。小さな村ですけど、みんないい人ですし、いろいろ名物がありますから」

「名物か、楽しみだな。そこで一泊して、明日の昼ごろにすぐ近くのラ・ロシェールって港町から船に乗るんだったな。けど、せっかくの里帰り、そのままついてきてもらってよかったのか?」

「大丈夫です。お休みは長いですから、帰ってきてからゆっくりお休みをもらいます。それに、せっかくの旅行に仲間はずれはいやですから」

「そうか、ま、シエスタがいないと寂しいしな。名物か、楽しみにさせてもらうよ」

 馬車に揺られながら、才人は名物料理かなにかがあるのかなと、気楽に考えて森の風景に目をやった。

 

 だが、いざ森を抜けてタルブ村の入り口に差し掛かったとき、村から炊事のものとは明らかに違う白煙があがっているのを見て、一行はどうもただ事ではないことを悟った。

「なんだ? 火事か!?」

「ともかく急ぐわよ、はっ!!」

 ロングビルが馬に鞭をいれ、馬車は速度を増して村の中へと急ぐ。

 そして、村の中央広場が見えたとき、一行はそこで人間ではない犬のような頭をした怪物の群れが村人を襲っているのを発見した。

「コボルド!?」

 それは、ハルケギニアに生息するいくつかの亜人の一種で、身長は1.5メイルほどとトロール鬼ほどの大きさはないものの、猿程度の知能を持ち、俊敏さと棍棒を武器にしての集団戦法を得意とする。オーク鬼やミノタウロスなどに比べれば、亜人の中では危険度は低いほうに入るが、翼人のように人間との共生が望めるような平和思考はまったくなく、こいつの大群に襲われたせいで全滅させられた村もある。

 要するに、この世界特有の害獣で、たまに人里に下りてきて人をさらったり略奪をおこなったりする。ざっと見るところ、数はおよそ三十数匹。

「野郎!!」

 嬉々として無抵抗な村人に襲い掛かるコボルドの群れを見て、才人は迷わず飛び出した。背中のデルフリンガーを引き抜き、左手のガンダールヴのルーンを輝かせて疾風のように駆けていく。

「やるぞデルフ!!」

「おお!! やっと俺の出番か、待ってた、待ってたぜ!!」

 歓喜に震えるデルフリンガーを振りかざし、渾身の力で一人の村人に棍棒を振り上げていたコボルドの一匹に斬りかかり、犬の鳴き声とともに血飛沫が舞い上がる。

 しかし、仲間を倒されたことを知った近くにいたコボルドたちは、犬特有の素早い動きで集まってきて才人を取り囲んでくる。敵の武器は棍棒だけなのだが、意外と戦いなれているようで正面からではガンダールヴで強化された才人でも簡単にはいかない。

「ちっ、しぶといな」

 二、三匹を切り倒したものの、才人はさらに襲い掛かってくるコボルドの攻撃をかわし、仲間の危機を見て取ってどんどん集まってくる他のコボルドにも意識を向けざるを得なくなった。三十対一ではいくらなんでも分が悪い。

 しかし、仲間の危機を見て取ったのはコボルドだけではなかった。

『フレイム・ボール!!』

『ウェンディ・アイシクル』

 ようやく追いついてきたキュルケとタバサの援護攻撃が、才人に向かっていた五匹のコボルドを焼き尽くし、串刺しにして撃破した。

 けれども、コボルドたちのほうも長年の経験から、メイジがあまり強力な魔法を連射できないのは知っており、今がチャンスと二十匹ほどがいっせいに二人に襲い掛かっていく。才人は所詮人間の剣士だからと五匹ほどが足止めに残されて、二人の援護には向かえない。だが、キュルケとタバサも勝算なく正面から出てきたわけではない。そのとき、二人よりやや遅れて追いついてきたルイズがいつもの魔法を唱えた!!

『連金!!』

 突然コボルドどもとキュルケたちの間の地面が爆発を起こして、巻き上げられた土煙と爆風が煙幕のように周囲を闇に閉ざす。こうなっては、人間以上の俊敏さを持つコボルドも動きを止めざるを得ず、犬並みの視覚と嗅覚も役に立たない。

 そして、土煙が晴れたとき、コボルドたちは標的としていた三人のメイジがいなくなっているのに気づいて、首を回して周囲を探し回った。しかし、その相手を自分たちの頭上に見つけた時にはすでに彼らの黄泉路への門は開いていた。

「さようなら」

「タバサ、思いっきりやっちゃって!!」

「『ウェンディ・アイシクル』」

 コボルドどもの頭の上からシルフィードに乗ったタバサの氷の魔法が、無数の氷の矢を雨と降らせ、二十匹のコボルドの群れは一瞬にして昆虫標本同然の姿となった。

「やったわ! さすがタバサ! それにルイズ、ナイスアシスト!!」

「はっ、感謝しなさいよ。このわたしがあんたなんかに力を貸してやったんだからね!」

「……素直じゃない。でも、グ」

 生き残っているものがいないのを確認して地上に下り、三人は作戦大成功と笑った。

 やったことは単純だ。ルイズの爆発で煙幕を張った間にキュルケが二人を抱えて『フライ』でコボルドどもの真上に飛んで上空で待機していたシルフィードと合流し、奴らがこっちを見失っているうちにタバサの詠唱を完成させただけである。だが、それぞれの役割分担をする者が仲間のことを信頼していなければ、この連携は成り立たない。その点、腐れ縁とはいえ付き合いの長い彼女たちは自然と自分が何をすべきなのかを心得ていた。

 ただ、ルイズはこの戦いの中で、自分が武器として自然と『失敗魔法』を使っていたことに、あとから気づいて少々複雑な思いを抱いていた。それは、自分が忌み嫌っているものが、すでに自分の一部となっていることを知らされることとなったが、同時に、ならばあのとき飛び出さずにサイトたちを後ろから見ていたら、と思うとそれを憎みきれないこともあった。

 悪事に使うなら、力なんか無いほうがいい。だったら、いいことに使うのならこんな力でも意味があるのか? 

 サイトと話したことを、自分の中で自問自答しながら、ルイズは考え続けていた。

 

 一方、才人の足止めに残った五匹のほうも、数が半減してはツルク星人、テロリスト星人などの戦いを潜り抜けてきた才人の敵ではなかった。

「まったく、俺をなめるな!!」

 圧倒的な瞬発力でコボルドたちの包囲陣を抜け出した才人は、囲まれないようにしながら一頭ずつ確実に仕留めていった。そして数の優位を失えば、人間以上の力の持ち主のコボルドとてこの面子には歯が立たない。残ったわずかなコボルドはやけくそで棍棒を振り回すけれども、キュルケとタバサによってあっという間に全滅させられた。

「サンキュー、ナイスみんな」

「んっとに、いつも人の無茶を止めるくせに、自分は真っ先に飛び出て行くんだから」

「まったく、急に飛び出していくから追いかけるのに苦労したじゃない。けど、かっこよかったわよ」

「……いい作戦だった」

「うーむ、俺っちも久しぶりに使ってもらえてうれしかったぜ。あーすっきりした」

 叩き潰したコボルドどもの死骸を見下ろしながら、四人と一本は勝利を喜び合った。

 だが、そのとき後を追ってきていた馬車からロングビルの声が響いた。

「皆さん!! まだ一匹残ってる、逃げるわよ!!」

「なに!?」

 見ると、村の反対側から隠れていたのか一匹のやや大柄などす黒いローブをつけた獣人が森のほうへと逃げていく。身なりから見て恐らくあれがボス格、コボルドの中でも高い知能を有するというコボルド・シャーマンだろう。

 だがそんなことより、逃げていく奴の両手には子供が二人抱えられているではないか!!

「誰かーっ!! 助けてーっ!!」

「お姉ちゃーん!!」

 その二人の顔を見て、シエスタの表情が凍りついた。

「スイ、ヒナ!!」

 なんと、その子供達はシエスタの妹たちだった。このまま森に逃げ込まれてしまっては、もはやメイジでも追いつくことはできない。そうしたら、あの二人は人間の肝を神への供物に好むというコボルドの餌食にされてしまう。

「誰か! あの二人を助けて!!」

 シエスタの絶叫が響く。キュルケとタバサは飛び出し、威力を抑えてコントロールを重視した『ファイヤーボール』と『エア・ハンマー』を撃つものの、あのコボルド・シャーマンは恐ろしく足が早いうえに俊敏で、攻撃をことごとくかわして森へと走る。二人は焦ったが、追いつこうにももうフライでも間に合わないし、広域破壊の魔法では子供達まで確実に殺してしまう。

 しかし、そのとき才人はデルフリンガーを背中の鞘にしまい。懐からにぶい輝きを持つ一丁の銃を取り出した。距離はおよそ二百メイル、フリントロック式のハルケギニアの銃では到底とどく距離ではない。だが、それはこの世界の貧弱な骨董品とは訳が違う。才人は両手でしっかりと狙いを定めて、迷わずその引き金を引いた。

 刹那、青い一筋の閃光が走り、コボルドの頭部が一撃で撃ちぬかれ、その体が森を間近にして前のめりに崩れ落ちた。才人の持つ切り札、異世界の光線銃、ガッツブラスターの一撃が決まったのだ。

「よっしゃ!」

 見事に射撃がヒットしたのを確認した才人は、ガッツブラスターを指でクルクルと回して懐のホルスターに戻した。この光景をエースが見ていたら、以前TACで二丁拳銃の名手と呼ばれていた仲間のことを思い出していただろう。ガンダールヴで強化されるのは射撃もで、その恩恵を才人は存分に活用していた。

「おーい、大丈夫か!」

「うん、ありがとー!」

 叫ぶと、コボルド・シャーマンに捕まっていたシエスタの妹たちが元気そうに駆けてくる、どうやら無事なようだ。

 やがて、村から追い立てられかけていた村人たちも、コボルドどもが突然やってきた見慣れない戦士たちに全滅させられたと知るや、続々と広場のほうへと戻ってきた。

「お父さん、お母さん、無事でよかった!!」

「シエスタ、シエスタじゃないか!」

 最初は警戒していた村人たちだったが、シエスタが真っ先に出てきて彼女の両親と抱き合うと、それで警戒心を解いて一行を歓迎してくれた。

 なんでも、いつもどおりに生活していたら突然コボルドの群れが現れて襲ってきたのだという。幸い気づくのが早く、ほとんどの村人は退避できた。ただ、家の中で遊んでいた幼いシエスタの姉妹は逃げ遅れてしまっていたが、本当に偶然に最高のタイミングでやってきた一行のおかげで、誰一人犠牲者を出さずに解決することができた。

 だがそれにしても、このタルブ村は交通の要衝であるラ・ロシェールにも近く、凶暴な亜人も警戒して滅多に近づかないというのに、やはりヤプールのマイナスエネルギーが自然に影響を与え、ハルケギニアの生態系が狂わされ始めているのだろうか。

 そう思いかけたとき、村人が才人が倒したコボルド・シャーマンの死骸を広場のほうへ引きずってきた。あのまま放っておけば血の臭いをかぎつけて別の猛獣が来るかもしれない。見れば、さっきは後姿しか見れなかったが、そいつは鳥の羽や獣の骨でできた仮面をつけ、まるでインディアンの酋長のような姿をしていた。コボルド・シャーマンはその名の通りにコボルドの神官で、彼らの神と交信して群れを統率する役割を持つ。

 だが、よくよく観察してみれば、そのコボルド・シャーマンは他のコボルドと細部が違っていた。まず、体格が通常のコボルドなら普通の人間より少し小さい程度だが、そいつは身長二メイル近くある巨体だった。また、頭部を貫通したガッツブラスターで仮面も割れていたが、そこから見える顔つきも犬の丸みはなく、その鋭さはまるで狼だ。なお、通常のコボルドとコボルド・シャーマンに知能以外の差異は特にない。

 この不自然さを、タバサなどは突然変異種か歳を経た個体かと判断したようだった。だが、才人はそいつの牙の一本が金属製の差し歯で、エースの透視能力を借りてそれが宇宙金属であると知り、このコボルドがハルケギニアの種族ではないと悟った。

「ウルフ星人、か」

 これはその名のとおりに狼男そのものな星人で、人間の血、特に若い女性の血が大好物というまたやっかいな趣向を持つ星人だ。

 ただし頭はそれなりにいいが戦闘力はそれほどでもなく、MACガンでダメージを負うくらい防御力も低い。狼男に銀の銃弾というわけではないが、ガッツブラスターを急所に食らっては耐えられなかったのだろう。

「おおかた、コボルドを利用して餌を集めようと考えたんだろうな。ヤプールとしては、それで人間社会が混乱すればもうけもの、やれることは見境なくやってるようだけど、宇宙人ひとりを連れてくるだけで効果があるんだから楽なもんか」

 ウルフ星人は憑依能力があるから、コボルド・シャーマンに乗り移って群れを掌握したんだろう。元々の姿もよく似ていることだし、知能の低い普通のコボルドは自分たちのボスがすりかわっていても気づかずに利用されたあげくに、全滅させられたというわけか、まったくいやらしいことを考えてくれる。巨大化されては面倒だったが、これでもうタルブ村が襲われることはなくなるはずだ。

 それにしても、この調子ではどれだけの宇宙人がすでにハルケギニアに入り込んでいるのか……かつてはザラブ、ガッツ、ナックル、テンペラー星人をも操ったヤプールのことだ、何を配下に治めていても不思議はない。それでなくても、地球はGUYSやひいてはウルトラ兄弟がガッチリ守っているのだから、ヤプールの甘言に釣られてより侵略しやすいハルケギニアに来ようとする宇宙人はそれこそいくらでもいるだろう。しかも、ヤプールにとっては使い捨ての駒でも、こちらからしてみれば一体一体が油断ならない敵となる。つくづく、この戦いは不利だと言わざるを得ない。

 

 とはいえ、一躍村を救った英雄となった一行を、タルブの人々は温かく迎え入れてくれた。特に、娘二人を救ってくれたシエスタの両親の喜びようは尋常ではなく、才人を抱き寄せてキスまでしようとしてきたのでさすがに才人も遠慮した。

 また、シエスタが大勢の貴族といっしょに来たことで、最初は恐怖の色を見せた村人たちも、キュルケの気さくさやロングビルの礼儀正しさに次第に安心してくれた。もっとも、助けてくれたお礼でシエスタの妹二人に懐かれてじゃれつかれた才人は「へー、あんたってそんな小さい子が好きだったんだ」と、ルイズに白い目で見られて困惑していたが、決して才人に幼女趣味があったわけではない。

 

 その後は、村人たちに歓迎されて村のワイン倉で昨年の極上品をいただけたり、アイやシエスタの姉妹たちと山の傾斜を利用して作った自然の遊園地で遊び、日が傾きかける頃にようやく今夜やっかいになるシエスタの実家にやってきた。

 

 シエスタの家は、二階建ての平民のものにしてはそれなりに大きな家といってよかった。材木は古めかしいが美しい輝きを持ち、土塀もきれいに塗られていてひび割れや欠損は見られない。

 そんな家の、二十人ほどが一度に食事のできる広間に通されたとき、一行の鼻孔をかぐわしいシチューの匂いが迎え入れた。ルイズたちは腹を空かせて次々に椅子に座っていく、しかし、ただ一人、才人だけは広間に足を踏み入れたときから、凍り付いてしまったかのように動かない。

「あの、サイトさん、何かお気に召しませんでしたか? この料理、ヨシェナヴェっていってタルブの名物なんですけど」

 心配したシエスタが声をかけたとき、彼女は才人の視線が彼の正面の壁にかけられている一枚の絵に釘付けになっているのに気がついた。それは彼女の曽祖父が書いた、誰にもその意味が知られることなく、ただ形見としてだけ残されていた、不可思議なシンボルが描かれた、気にとめたこともほとんどない一枚だったのだが。

「シエスタ、その絵は……」

「え、うちのひいおじいちゃんが書いた絵なんですけど、誰も意味がわからなくって……もしかして、サイトさんこの絵の意味を知ってるんですか!?」

「ああ……」

 知っているどころの話ではない。大きく描かれた白い羽根のシンボルに、大きく赤い四文字のアルファベットで刻まれたそのチームの紋章を、彼は毎日のように見て育ってきたのだ。

「シエスタ! 君のそのひいおじいちゃんが残したものは他に何かないのか? 日記でも、持っていたものでもいい!!」

 突然人が変ったようにシエスタに詰め寄る才人の態度に、彼女だけでなくルイズたちや彼女の父親も何事かと彼を引き剥がそうとかかるけれど、才人は興奮したままで聞く耳を持たない。誰にもわからないだろうが、今才人はハルケギニアに来て最大の衝撃を受けていた。

 けれど、暴れる才人の姿を見て、シエスタの母親は何かを悟ったかのように彼女にこう言った。

「シエスタ、竜の羽衣のところまで、彼を案内してあげなさい」

 

 

 続く



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第49話  過去からの翼

 第49話

 過去からの翼

 

 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾール 登場!

 

 

 話に聞いた竜の羽衣とは、タルブの村の近くに建てられた寺院の中に安置されていた。いや、この竜の羽衣を守るために寺院が建てられたというほうが正解だろう。

 シエスタの曽祖父は、歩きながら話を聞いたところでは六十年前にこのタルブ村にやってきて、そのままここに住み着いたのだという。その彼が晩年に建てたという寺院の中に、竜の羽衣は静かな輝きを見せて鎮座していた。

「これが、竜の羽衣です。わたしのひいおじいちゃんは、これに乗ってはるか東の地から飛んできたと言っていたそうです。結局、誰も信じなかったそうですが、この竜の羽衣だけは生涯大事にし続けていて、働いて貯めたお金で貴族の人に『固定化』の魔法までかけてもらって、これを守り続けたそうです。今はこれくらいがひいおじいちゃんの残したものなんですが……どうですかサイトさん」

「……」

 シエスタから説明を受けても、才人は心ここにあらずといった様子で、じっとその銀色に輝く竜の羽衣を見つめ続けている。

「なによこれ、ただの大きい鉄の塊じゃない」

「まったく、こんなものが飛ぶわけないじゃない……普通は」

 その竜の羽衣を見たルイズたちの感想は一様にそのようなものだった。ハルケギニアの人間から見れば、それはただの平たい三角形をした鉄の塊にしか見えないだろう。しかし、才人にはそれが何で、誰がどういうふうに使っていたのかを理解することができた。

「……」

 息を呑み、ゆっくりとそれに近寄る。見ると、傍らに持ち主が作って刻んだのであろう石碑が建てられていた。シエスタは、ひいおじいちゃんが死ぬ前に書き残したけど、異国の言葉で誰も読めなかったと言い、ルイズやロングビル、タバサも読むことはできなかったが、才人はそれを読み解き、ゆっくりと口に出した。

 

「CREW GUYS JAPAN隊員佐々木武雄、これを残す」

 

「え?」

 あっさりと才人が読み上げたので一行は目を丸くした。

 そして才人は、シエスタの顔をまじまじと見て、彼女が顔を赤くし、ルイズが別の意味で顔を赤くしたとき合点したように言った。なるほど、黒い髪と目、白人系がほとんどのハルケギニアでは見かけない顔つきだと思っていたけど、そういう理由だったのか。

「シエスタ、君ひいおじいちゃん似だって言われるだろ」

「は、はい! どうしてそれを……も、もしかして!」

 そこで、鈍いシエスタも、勘の鋭いタバサやロングビル、ほかルイズやキュルケも一斉に事情を理解した。才人と、そのシエスタの曽祖父とは同じ国の出身であることを。

「サイトさん、この竜の羽衣、なんだか知っているんですか?」

「これは竜の羽衣って名前じゃないよ」

 才人は懐かしそうな目で、その銀色に輝き、誇らしげにシエスタの家にあったものと同じマークをその身に刻み込んだ翼を見上げて言った。

 

「間違いない……GUYS・ガンクルセイダー」

 

 いとおしそうに機体に触れた才人の手から、ガンダールヴのルーンを通じてガンクルセイダーの情報が流れ込んできた。現CREW GUYSの主力戦闘機ガンフェニックスの一世代前の主力機、なるほど、これも武器には違いない。操縦方法、兵装、その他の情報を得て、才人はこの機体がまだ生きていることを知った。

「動くのか?」

 好奇心を抑えられず、翼によじ登ってコクピットに登っていく。ガンクルセイダーは航空機の種別で言えば、科学特捜隊の小型ビートルのようなデルタ無尾翼機にあたり、広い主翼は銀色の無塗装だったが、翼の中心にはしっかりとGUYSのエンブレムが残されている。年月を経てかすれてはいるが、佐々木隊員が何度も塗りなおしたのだろう、今でもGUYSの四文字はしっかりと読み取ることができた。

「こっちでペンキの代わりを調達するのは大変だったろうな……ん? これは」

 よく見ると、GUYSのエンブレムの横に、別の何かの絵……いや、何か紋章のようなものが描かれているのに気がついた。こちらはかなり磨り減っていて判別しにくいが、中心が青い十字型の中に、アルファベットらしきものが書かれている。

「G・U……S……GUYSのことか? でも形が違うしな」

 その奇妙な絵に疑問を覚えたものの、ハルケギニアで手に入る塗料は質が悪い上に、その絵はかすれてから『固定化』をかけられたようで、残念ながら元の形を脳内で再現するのは無理だった。ただ……

「下手な字だ」

 英語の成績がどうにか平均点をとっていた才人から見ても、その英単語はかなり歪んで見えた。GUYSのエンブレムはきっちりと描かれているのに、そっちのほうはまるで別人が書いたように塗り方が違うように感じる。だが、ハルケギニアに他に英語を使う人間などいるはずがないので、歳をとって手が震えたのだろうか。

 けれど、今はそういうことを気にしているときではない。風防を開き、座席に座って電源スイッチを入れると計器が動き始めた、六十年も前に停止されたものなのに驚くべきことだが、これが『固定化』の魔法の威力というわけか。しかし、電源は入れられたものの、GUYSメカを作動させるためのキーとなるGUYSメモリーディスプレイが外れていたために機体の起動はできなかった。それでもメンテナンスモードでコンピュータを作動させ、入力された閲覧可能なデータを見ていくうちに、この機体のフライトレコーダに行き着いた。

「これに、この機に乗ってきた……佐々木隊員の記録が」

 才人の心臓が高鳴り、計器を触る手が震える。この世界に来てはじめて、自分以外の確実な地球との接触が見つかった。ここに残っているデータを見れば、あるいは……

 呼吸を整え、残っているデータの最後の日付を呼び出す。2006/4/8、はやる気持ちを抑えてEnterキーを押すと、小さなモニター画面に一瞬砂嵐が起き、やがて鮮明な画像となって、この機体のガンカメラが捉えた映像記録が映し出され始めた。

 

 

 

〔ガンクルセイダー、バーナーオン!!〕

 操縦者である佐々木隊員の声であろう、ガンカメラの映像はGUYS基地フェニックスネスト周辺の風景から始まり、東京の町々の光景と青空が広がっていく。その前には、僚機である四機のガンクルセイダーが飛び、先頭の一機にはガンフェニックスと同じファイヤーシンボルが描かれている。

〔全機に告ぐ、侵攻中の宇宙怪獣はGUYSスペーシーの怪獣邀撃衛星V-77の攻撃をものともしなかった強敵だ。油断せず、訓練で培った実力を発揮して戦え〕

〔G・I・G!!〕

 無電入力した声が響く、才人はその声に聞き覚えがあった。何度もTVニュースなどで見た前々GUYS JAPAN隊長、セリザワ・カズヤの声だ。

 この状況はもしかして……

 そのとき、才人の様子を心配してきた一行がみんなコクピットの周りに群がってきて、当然のようにモニター画面を見て驚きの声をあげた。

「わっ、なんですかこれ、絵が動いてます」

「なんか見たことのない風景が映ってるわね。これ、街? なんでこんな角ばった塔がいっぱい建ってるの?」

 そりゃあ、彼女たちには東京の風景などわかるはずもない。才人は風防を閉じるのを忘れていたのをしまったと思ったが、先を争ってコクピットの中に身を乗り出してきている今となってはもう遅い。というより、自分の膝の上に飛び込んでこようとするシエスタと、それを妨害しようと暴れるルイズに計器が壊されないよう抑えるだけで手一杯だ。しかし、才人は日付とこの状況から、すでにこの日に何があったのかはっきりと思い出していた。

「みんなちょっと黙っててくれ! 多分、この日は……」

 いつもとは違う才人の声に、一行も黙ってモニター画面を覗き込む。やがて、ガンクルセイダーの編隊は上昇をはじめ、成層圏を突破して宇宙に出た。

「わっ、急に夜になっちゃいました」

 宇宙の概念を持たないシエスタなどが驚くけれど、今は説明している余裕はない。

 しばらくは宇宙空間を飛行している光景が続いたが、その瞬間は唐突にやってきた。

〔レーダーに反応、目標来ます!!〕

〔全機、攻撃態勢をとれ!!〕

 画面が大きく揺れ動き、編隊が一列になっていく。佐々木機は最後尾にいたが、レーダーに頼るまでもなく、前方から近づいてくる、あまりにも巨大な目標の姿ははっきりと見えている。

 

〔ディノゾール確認〕

 

 装甲のような頑強な皮膚に覆われた体、長い首と、そこに光る4つの赤く凶悪に光る目。モニターごしに見守っているシエスタたちも、その悪魔のような姿にわずかに震えていた。

〔あれが……怪獣か〕

 怪獣とすれ違いながら、慄然した、しかし聞き覚えのある声が無線から響く、現GUYS隊長アイハラ・リュウの声だ。

 もう、間違いはない。

「宇宙斬鉄怪獣、ディノゾール……やっぱり、これはあの日の」

 才人にとっても、この日は忘れられようもない。2006年4月8日、この日普段どおりに学校に通っていた才人は、突然の怪獣警報によって、学校からクラスメイトとともにわけも分からずに避難し、避難所で臨時ニュースを流すテレビではじめて状況を知ったのだ。

【二十五年振りに怪獣襲来】

 そう、かつてUGMによって冷凍怪獣マーゴドンが倒されて以来、地球には一切出現していなかった怪獣が、二十五年ぶりに襲来してきたのだ。

〔全機、攻撃開始!!〕

 セリザワ隊長の命令で、ディノゾールの後ろで反転した編隊は奴の背中へ向けてミサイル攻撃を開始した。

 ガンクルセイダーの翼の下に装備されたロケットランチャーが火を吐き、五機から発射された数十発の弾丸がディノゾールに命中して派手な爆発を起こす。しかし、奴の頑強な外皮はこれだけのミサイルが直撃したというのに傷ひとつなく、進路を変える様子もまるでない。

〔くそっ!!〕

 攻撃が通用しないことに対する佐々木隊員の舌打ちが響く。しかし、ディノゾールを追い抜いて奴の前に出たとき、突然仲間の二機が何の前触れもなく爆発を起こした。

〔そんな!!〕

〔断層スクープテイザーか……〕

 撃墜された二機は恐らく何が起こったのかも分からなかっただろう。ディノゾールの武器は、その口から伸びる全長一万メートルにも及ぶ長い舌『断層スクープテイザー』、これは長い射程と鉄をも切り裂く威力を持ち、何より直径わずか一オングストロームという細さのため人間の目ではまず見えない恐るべき凶器だ。

 残った佐々木機を含む3機はさらに反転し、あきらめずにミサイルを放つが、この機体ではディノゾールには勝てない。必死の思いで放ったミサイルもディノゾールの表皮にはまったく通用せず、前を飛んでいた一機が右の翼を切り落とされて爆発した。

 佐々木機は何とか仲間の破片を回避したものの、爆発の影響が機体に与えるダメージまでは逃れられなかった。衝撃波が機体を揺さぶり、コクピット内にエマージェンシーを伝える警報が鳴り響く。

〔こちら佐々木機、操縦不能!!〕

 爆発の影響で一時的に計器を麻痺させられた機体は操縦桿のコントロールを失い、自動衝突回避システムもいかれてしまって、よろめいたまま最初の進路、すなわちディノゾールに正面から突っ込んでいってしまう進路で機位を固定されてしまった。

〔佐々木、回避しろ!!〕

〔佐々木先輩ーっ!!〕

 セリザワ隊長とリュウ隊員の絶叫も時間を止めることも戻すこともできない。

〔だめだっ!! 隊長、リュウ、地球を、頼みます!! うぉぉぉ!!〕

 ディノゾールの体が急速に接近してきて、左の翼が奴の体に触れて機体が大きく揺らいだ、そして、視界が光に包まれて……

 

 フライトレコーダの画像もホワイトアウトし、[ERROR]の文字が画面を埋め尽くす。

 それから、実時間でどれほどが経ったのかは分からないが、コンピュータが復帰すると画像もゆっくりと色合いを取り戻していき、同時に佐々木隊員の無事を示すように彼の声が響いた。

 

〔ここは……どこだ……〕

 

 視界がひらけたときは、佐々木隊員のガンクルセイダーは見知らぬ砂漠の上を飛んでいた。

 あの光の中で、最後まで離さなかった操縦桿はいつの間にか飛ぶことになっていた大気圏内の重力の中でも機体を水平に保ち、ガンクルセイダー自身もまた、システムを回復させて平常と変らない状態で、自らを操る主人の次なる指令が操縦桿から来るのを待っていた。

〔いったい……いつの間に大気圏内まで戻っていたんだ? この風景は、日本近辺のものじゃないな〕

 自分に何が起こったのかを必死で脳内で整理しながら、佐々木隊員はそのまま機体を直進させ続けた。そうすると、超音速で飛べるガンクルセイダーはすぐに砂漠を抜けたものの、後には古式とした電信柱すら見当たらない町々や、現在では遺跡以上の価値をなくした城が見えてくるだけで、いくら飛ぼうと近代的な街はまったく見えず、通信にも誰も応答しない。

〔GPSにも反応がない……まさか、タイムスリップしてしまったのか?〕

 過去にも、超獣攻撃隊TACの戦闘機が、タイム超獣ダイダラホーシとの戦闘中に、奴の時空移動に巻き込まれて奈良時代まで飛ばされてしまったことがある。そう思った佐々木隊員はガンクルセイダーを一旦上昇させて、広範囲から地上を観測しようとして驚いた。

〔月が、二つある!? これはまさか、どこか別の星にワープしてしまったのか?〕

 佐々木隊員の絶望感に包まれた独語の後、ガンクルセイダーは、そのまま海の上や広大な密林の上を飛び続けた。

 止まるわけにはいかなかった、ここが別な星だとすれば、そこの宇宙人が地球人にとって友好的である可能性ははなはだ低い。過去にも、アトランタ星へ探検に出かけた宇宙飛行士がそこの星人に殺されて、その飛行士に成り代わって侵入してきた星人によって、防衛チームMACがあわや壊滅しかけたことがある。

 その間にも、ガンクルセイダーに詰まれた観測機器を使って地上の様子をスキャンし、彼はここがどういう星なのかを知ろうとしていた。

〔大気組成、重力は地球とほぼ同じ……住民はほぼ完全なヒューマノイド……というより地球人型、文明レベルは数百年前の地球と似ているが、少なくとも地球にドラゴンやらグリフォンなんかはいないよなあ〕

 分析に没頭することで、なんとか精神の動揺を抑えようとしていたのだろう。けれども、観測すればするほど、この星が地球によく似ているが、決して地球ではないという結論を強固にするしかなかった。

 しかし、ガンクルセイダーの燃料にも限界がある。観測した結果によると、この星は文明は遅れているが、文化は地球に似ているようだ。まさかいきなりとって喰われはしないだろうと覚悟を決め、どこかに着陸できる適当な場所はないかと、地上をスキャンした画像をいくつか確認した佐々木隊員は、最初に転移してきた場所からそれなりに近くて、なおかつこの星の原住民がいて、さらにあまり目立たない国のはずれにある場所、つまりハルケギニアのトリステインのタルブ村のある場所へとやってきて着陸し、記録はそこで終わった。

 

 

「ふぅ……」

 スイッチを切って、才人は座席に大きく体を横たえた。

 あの後のことは才人も避難所で生放送で見てよく知っている。GUYSの必死の防衛線を突破して地球に侵入したディノゾールによって、残った隊長機も撃墜され、CREW GUYS JAPANはリュウ隊員一人を残して全滅する。

 地上で暴れまわるディノゾールに対して全戦闘機を失ったGUYSはなす術もなく、才人のいる避難所にもディノゾールの手が伸びてきたとき、才人が子供の頃から夢見続けてきた光景がそこに起こった。

 突然空から現れ、ディノゾールの前に敢然と立ちふさがった新たなる銀色の巨人。

「ウルトラマン!?」

 避難しようと走っていた橋の上で、才人たちはそのときはじめて本物のウルトラマン、ウルトラマンメビウスの姿と、その戦いを見たのだ。

 そして、ディノゾールは倒され、それから一年にわたるメビウスと新生GUYSの戦いが始まっていくことになる。

 ガンクルセイダーは性能不足として退役し、代わりに超絶科学メテオールを搭載した新鋭機ガンフェニックスが配備されることになるが、まさかその転機となった戦いに、まだ生き残りがいたとは……

 だが、もしかしたら地球への手がかりがという期待は裏切られた。考えてみれば、そんな方法があるなら佐々木隊員がとっくに帰っているだろう。それにしても、ディノゾールとの戦いは才人から見ればまだ数年前なのに、この佐々木隊員がハルケギニアにたどり着いたのは、六十年も昔だという。異次元物理学がどうたらこうたらは才人には分からないが、以前エースが言っていたように、このハルケギニアは異世界との壁が薄い世界なのだろうか。

 

 だがそうやって考え込んでいると、頭の上からおでこを叩かれてはっと顔を上げた。

「こら、なーにを深刻に考え込んでるのよ。さっきの怪獣のこと知ってるんでしょ、説明しなさいよ」

「……ああ、あれは俺の国で起こった怪獣との戦いの記録だ。宇宙斬鉄怪獣ディノゾール……」

 才人はゆっくりと、そのときのディノゾールとの戦いのことを噛み砕いて説明した。もっとも、口で言ってどこまで納得してもらえるか自信はなかったが、さっきの記録映像がなによりの説得力となっていた。

 

「そうですか、ひいおじいちゃんはサイトさんの国の戦士だったんですか」

「ああ……おれは専門家じゃないからわからないけど、何かの事故でハルケギニアに来てしまったんだろうな」

 多分、ディノゾールとの衝突によるエネルギーが時空を曲げて……と仮説を立ててみたが証拠は何もない。

 だが、このガンクルセイダーはほぼ完全な形で保存されていた。ディノゾールとの戦闘の際に損傷を負いはしただろうが、完全に修理、整備した状態で『固定化』がかけられていた。恐らく、地球と自分をつなぐ唯一の証明であるこの機体を見捨てることができなかったのだろう。

 最初にこの機体が空を飛ぶ機械だと思わなかったルイズたち一行も、以前ミラクル星人の円盤という例を見たことがあるために、あの映像が事実だとすんなり受け入れてくれたようだ。

「ところで、このガンクルセイダーっていうの、今でも飛べるの?」

「……無理だな」

 電源を落とし、コクピットから出ると才人はルイズの問いに短く答えた。実際は整備は万全だし、燃料もまだ少々は残っているが、GUYSメモリーディスプレイがなくては動かせない。もしかしたらこの村のどこかに残されているかもしれないが、わざわざ動かす用事もないし、よしんば動かせたとしても衆目をいらない意味で集めてしまうだろう。そうなってアカデミーの研究材料なりなんなりにされてバラされてしまえば佐々木隊員の思いを無駄にしてしまう。

 

 そして機体から降り、高揚しきっていた気持ちを落ち着かせて寺院から出ようとしたとき、黒い髪の壮齢の女性が扉の前に立っていた。

「お母さん」

 シエスタの母は、シエスタの雰囲気をやんわりとしてわずかにしわをつけたような優しい笑顔を見せて、才人に話しかけた。

「お探しのものは見つかりましたか」

「……ええ、ちょっと懐かしいものを見つけまして興奮してしまいました。お見苦しいところを見せてしまいまして、申し訳ありませんでした」

 思えば随分我を失っていた。シエスタにも迷惑をかけてしまっただろうと思い、才人はおとなしく頭を下げた。

「いいえ、いいんですよ。おじいさんの残してくれたこの飛行機、実は昔一度だけこの翼が飛んだ姿を見たことがあるんですが、そういえばあのときのおじいさんはあなたによく似ていました」

「えっ?」

 才人の顔をじっくりと見つめるシエスタの母の顔は、どこか懐かしそうだった。だけど、その一言を聞いてシエスタのほうが驚いて声をあげた。

「お母さん、竜の羽衣はおじいさんが来て以来、一度も動かさなかったんじゃあなかったの?」

「黙っていましたが、三十年前、お母さんがあなたぐらいのころ、動かしたことがあったんです。そう、今思えばこの飛行機が飛んだことも何もかも夢のような日でした」

「そんな、お父さんも村のみんなもそんなことは一度も」

「お母さんと、おじいちゃんだけの秘密だったんですよ。あのときはまだおじいちゃんも元気でした。そして、あの日、おじいちゃんがこのタルブ村を救ってくれたんですよ」

「えっ!?」

 佐々木隊員が、ガンクルセイダーを動かしてタルブ村を救った? それはいったいどういうことかと、シエスタだけでなく、才人たち一行もシエスタの母を見つめた。

「冗談ではないですよ。あのときおじいさんがいなければ、このタルブは今はなく、あなたも私も存在しなかったでしょう」

「どういうことお母さん、それになんでそんな大事なことを黙ってたの?」

「せめて三十年は誰にも言わないと約束していたのです。けれど、あなたとあなたのお友達、そして……」

 シエスタの母は言葉を切ると、才人、その後にルイズの顔をじっと見た。

「あなた、すみませんがもう一度お名前をうかがってもよろしいかしら」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ、それがどうかしたの?」

「やはり……ならばあなたにはぜひ聞いてもらいたいです。あの不思議な夏の日の出来事と、この村を救ってくれた、不思議な、けれどとても勇敢な人たちのことを」

 

 シエスタの母は静かに眼を閉じ、古い記憶に身をまかせ始めた。

「……あれは、三十年前の、どんよりとした曇った夏の日のことでした。当時は私も十六で、祖父といっしょに山仕事の手伝いをしに泊りがけで山小屋で一月ほど過ごし、村に帰ろうと山道を下っていたのです。ですが、途中で街道に下りようとしたとき、旅の行商らしい一台の馬車が盗賊の集団に襲われているのを見つけたのです……」

 

"ひゃはは!! 野郎ども、金目のものは根こそぎぶん取れ!! 女はかっさらえ!!"

"ひぃぃ! 命ばかりは!!"

"ばぁーか! 目撃者を生かしておくわけねえだろ、皆殺しだあ!!"

 

「それは、最近この辺で噂になっていた盗賊団でした。傭兵くずれが集まって徒党を組み、あちこちを荒らしまわっているけど、目撃者がほとんど殺されてしまうために実体をつかみきれずに、国の役人も手を焼いていたそうです。私たちは、それを茂みの影から見ていましたが……」

 

"おじいちゃん、あの人たち、殺されちゃうよ"

"あいつら……レリア、お前はここを動くなよ"

 

「正義感の強い祖父は、私を茂みに隠すと、そのときもう五十を過ぎた身でありながら、山仕事用のなただけを武器に、盗賊たちに挑んでいきました」

 

"うぉぉっ、この悪党どもが!!"

"なっ、なんだ役人か!?"

"違う、じじいが一人だ。かまわねえ、いっしょにぶっ殺せ!!"

 

「祖父は勇敢に戦い、盗賊たちと互角に渡り合いました。けれど、そのとき馬車に乗っていた人はほとんどやられて、残っていたのは大きな帽子をかぶっていた金色の髪をした少女と、彼女を守ろうとしていた風変わりな服を着た黒い髪の青年一人だけでした。祖父は彼と協力しながら必死で防戦しましたが、盗賊は十人以上で多勢に無勢、次第に祖父たちは追い詰められていきました」

 

"大丈夫か若いの?"

"まだまだだぜ、こんな連中に負けられっかよ!"

"ははあ、いきがるなクズども! さっさとその娘をこっちに渡せば、命だけは助けてやるぜ"

"ざけんな!! 俺は最後まであきらめないし、逃げもしねえ!!"

"そのとおりだ、それにさっき目撃者を生かしておかないと言ったのは誰だ、下手な脅迫をするな!"

 

「盗賊の脅迫を正面から拒絶し、二人は戦い続けました。祖父は盗賊の剣を奪い、青年はなにやら格闘技のようなもので、少女をかばいながら攻撃を流していました」

 

"ぬぉぉっ!! この佐々木武雄、老いたりとはいえ盗賊ごときに負けはせん"

"えっ! じいさんもしかして……あっ、あぶねえ!!"

 

「その一瞬のことは、忘れようとしても忘れられません。祖父に後ろから盗賊の一人が斬りかかろうとしたとき、青年は積荷のリンゴを手に取り、見たこともない足を大きく上げる構えをとって、投げつけたのです」

 

"ぐわぁ!?"

"しゃあ! ストライーク、バッターアウト!! ってか、見たか俺の超剛速球!!"

 

「盗賊は投げられたリンゴに気づき、しゃがんでかわそうとしました。けれどもなんと、リンゴは盗賊の直前で急にストンと落ちて、避けようとした盗賊の頭に見事に命中したのです。けれど、善戦しましたが二人とも疲れが溜まっていきました」

 

"ゼェ、ゼェ……"

"大丈夫かじいさん、息が切れてるぜ"

"ハッ、まだ若い者には負けんわ。君こそ、足が笑ってるぞ"

"なんの。こんなもん十五回延長の試合に比べたらなんてことねえよ。けど、そういや最近ろくなもん食ってねえから疲れたかな……ふぅ、ふぅ"

"観念しろ、この数にたった二人で勝てるものか、ぶっ殺して身包み剥いでやる、かかれ野郎ども!"

 

「そして、とうとう盗賊の剣が二人にかかろうとした、そのときでした!」

 

"ひゃはは、死ねぇ!! えっ? ひぎゃぁ!?"

 

「突然、盗賊たちを突風が襲い、その身を空へと吹き飛ばしたのです」

 

"なっ、なんだこれは!?"

"親分、空を、空を見て下せえ!"

"あっ、あれはぁ!!"

 

「そのとき、空にはいつの間にか、無数の幻獣マンティコアが乱舞し、その上空を、ひときわ大きな一羽の巨鳥が見下ろしていたのです」

 

"第一、第二小隊降下、ドブネズミどもを一匹残さず捕まえろ。この『烈風』の目に止まった以上、もはやトリステインに生きる場所はないと教えてやれ!"

 

「ちょ、ちょっと待って、それってまさか若いころのお母様!?」

「やはり、あなたのお母上でしたか。そうです、そのとき通りかかったあなたのお母様の部隊が、祖父の窮地を救ってくれたのです。あっという間でした、盗賊たちは当時世界最強とも呼んでよかった『烈風』の部隊に太刀打ちできるはずもなく、逃げようとする者も魔法で倒され、その場の全員が捕縛されるのに一分もかからなかったでしょう。そして、降りてきた仮面の騎士、『烈風』は息を切らせている祖父たちに向けてこう言ったのです」

 

"見事な戦いぶりだった。貴君らの奮闘がなければ、我らの助けも到底間に合わなかっただろう。負傷者は我が部隊の者で、応急手当をした後町の病院に移送しよう。貴君らも、なにか不便があったら遠慮なく言ってくれ"

 

「驚きました。私がそれまでに見てきた貴族はみんな平民には高圧的で、しかも『烈風』殿は顔の下半分を鉄仮面で覆っていましたので、まだ少女だった私はその威圧感に怖がって物陰から動けませんでしたが、あの方はとても穏やかに、「そこに隠れてる子、もう大丈夫だから出てきなさい」と声をかけてくださいました。てっきり、形式的な挨拶だけで平民のことなんかそれで放り出すと思っていた私は、その公平さと気遣いに驚き、感動して深く感謝しました。けれど、その青年ときたら……」

 

"じゃあなんか食い物くれよ。積んでたもんが奴らのせいでもうめちゃめちゃでさあ、それに暴れて腹減っちまって"

 

「そのときは、あまりの無礼さに肝が冷えました。けれど、幸い『烈風』は本当に寛大でした」

 

"ふむ、よかろう。おい、部隊の予備の糧食を少し分けてやれ"

"あんがとさん! 話がわかる!"

"ふ、勇者に差別はせんさ。ところで、先の戦いは途中から見ていたが、格闘は並だがあのリンゴを投げたものはたいしたものだ。よほど肩を鍛えていなければできまいが、それより投げた球が途中で急に落ちるとは"

"へー、分かるのか、いい目をしてるな。ウルトラフォークっていうんだ。俺の決め球なんだぜ"

"ほぉ、それは大したものだ。だがそれはともかく、隊商のリーダーが意識不明では話ができん、代わりに聞くが、この一行はどこへ何の目的で向かっていたのだ?"

"さあ、俺は行くところがなくてそこのお嬢さんに拾われて、途中まで相乗りさせてもらってるだけだから"

"そうなのか?"

 

「そう『烈風』に聞かれて、その少女はこくりとうなづき、帽子を押さえたまま、これからアルビオンというところに向かうはずでした、と答えました」

 

"そうか、だがこれではな。それで、そちらのご老体、貴君らは?"

"我らはこの先のタルブ村の住人です。これから村に戻る途中、偶然馬車が襲われているのを見つけまして。そうだ、君たちタルブに来ないか? お仲間がよくなるまでうちにいればいい。なあに、二人ぐらいなんとでもなるさ"

"えっ、いいのかよじいさん"

"いや、ちょっと待て、タルブには、まだ行かないでほしい"

 

「タルブに帰らないでほしい。その言葉に、私と祖父は驚き、その意味を問いただしました」

 

"実は、ここ数週間タルブ村周辺に気象上ありえないほどの霧が発生し、タルブ村から人が来なくなり、村へ様子を見に行った者も誰一人帰ってこない。タルブ村はラ・ロシェールの目と鼻の先、早急な解決をと領主のアストン伯から懇願があって、我らが派遣されてきたのだ"

"それで、あなた方はこれから……"

"早急に現状の把握と解決に当たる。貴君らには負傷者と罪人の移送のために一隊を裂くので、それに乗って近隣の町で待っていてくれ、滞在費用などはこちらで出す"

 

「しかし、祖父は納得しませんでした。いいえ、『烈風』ほどの部隊が動いていることにタルブの危機を感じ取ったのでしょう。貴族に向かって毅然として言い放ちました」

 

"私も連れて行ってください!"

"何? 馬鹿を言うな、これは平民の口を出すことではない。有事の際に働くのは、我ら貴族の責務だ"

"いいえ、あれは私の第二の故郷です。あなたと同じように、私にはあの村を守る責任があります。遠くから黙って見ているだけなんてできません! それに、現地住民の協力が役に立つこともあるでしょう"

"おぅ! じいさんいいこと言うぜ。自分の故郷は自分の手で守らねえとな! よし、俺も手助けするぜ!"

 

「どんと胸を張って助っ人を申し出るその青年の姿は、なぜかとても頼もしかったです。『烈風』は、本来なら強制的に命令に従わせることも、置き去りにすることもできたでしょう。しかし、あの人はそうして権威をふりかざすのを嫌っておいででした。しばらく考慮された後、あの方は言ったのです」

 

"よかろう、現地協力員として同行を許可する。ただし、足手まといになるようなら放り出すからな"

"G・I・……おっと、昔のくせでして、失礼いたしました。私は佐々木武雄と申します。お見知りおきを"

"ふむ、その立ち振る舞いに隙がないとは思っていたが、やはりどこかの軍隊にいたのかな? まあいい、ところでそちらのお嬢さんはどうする? 一騎貸して送り届けようか"

 

「そのとき、私はその不思議な雰囲気をかもし出している少女を、祖父の影からじっと見ていました。真夏だというのに、日を避けるにしては大きすぎる帽子を目深にかぶった金髪の少女は、暑いだろうに帽子をしっかりと握り締めたままいました。私はその少女があまりにも華奢に見えるために、街に戻ると言うと思っていました。けれど」

 

"いえ、私も連れて行ってください"

"なに、馬鹿を言うな。これから行く場所は危険かもしれんのだ、関係者ならともかく、無関係な者を連れてはいけん"

"いいえ、助けていただいた恩をそのままにしておけません。お願いします、足手まといにはなりません"

"馬鹿な、お前のようなひ弱な……"

 

「『烈風』の言うことももっともでした。どう見ても戦うどころか、ちょっと走るだけで息を切らせそうなくらいか弱そうな人でしたから。けど、その人ははっとするような美貌の中に、強い意志を秘めた瞳をしていました。そう、あの『烈風』の眼光に負けないくらい。やがて『烈風』もついに根負けしたように」

 

"……仕方が無い、二人も三人もこの際変わるまい……名前は?"

"ティリーと申します。よ、よろしくお願いします"

"うむ、改めて名乗らせてもらおう。私は魔法衛士隊マンティコア隊隊長カリン、二つ名は『烈風』、覚えておけ! それでそっちの若造、お前の名は!?"

"俺はアスカ・シン、よろしく!"

 

「それが、運命だったのかはわかりません。ただ、私はその日のことを……そして、タルブを救ってくれた祖父たち四人の勇者のことを忘れた日はありませんでした」

 

 三十年前、タルブを襲ったある事件。シエスタの母から語られ始めたその過去は、まだ始まったばかりだというのに才人やルイズ、シエスタたちにも衝撃的なものとなって降りかかっていた。

 かつて、六十年前に才人の世界から迷い込んできた旧GUYS隊員佐々木武雄、いまや生ける伝説と化しているトリステイン最強騎士にしてルイズの母、『烈風』カリン、そして彼らとともにあったという不思議な青年の名を聞いたとき、才人とルイズの心臓は飛び上がった。

 

「ねえサイト……アスカ・シンって名前」

「ああ、三十年前にオスマン学院長をアリゲラから救ったって人だ……その後、こんなところにやってきてたのか」

 

 才人とルイズはかつてフーケ事件の際に、ガッツブラスターを譲られたときの学院長の話を思い出していた。

 森に迷い込んだオスマンを、ワイバーンの大群と、宇宙有翼怪獣アリゲラから救ったさらなる異世界からの闖入者、違う世界の光の戦士。

 

 ガンクルセイダーを背に、静かにシエスタの母は話を続けた。すでに天空には満天の星空とともに、美しく青く輝く月が夏の夜を照らしている。

 

 

 続く



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第50話  『烈風』カリンの知られざる伝説  霧の中の吸血鬼

 第50話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 霧の中の吸血鬼

 

 吸血怪獣 ギマイラ 登場!

 

 

 今から三十年前の暑い夏の日、山賊たちから佐々木たちを救ったマンティコア隊の一群は、負傷者と盗賊の移送に後方に下がった一隊を残して、タルブ村の周囲を警戒しつつ普段の半分ほどの速度で飛んでいた。

 先頭を飛ぶのは巨鳥ラルゲユウス、この世界の名をノワールと名づけられたその背の上には主人たる『烈風』カリンのほか、佐々木武雄、その娘レリア、アスカ・シン、それから彼らに助けられた謎の少女ティリーが乗っている。

「なるほど、報告にあったとおりだな。すごい霧だ……」

 『烈風』カリン、本名カリーヌはタルブ村とその周辺をすっぽりと傘のように覆いつくす霧を見ていぶかしげに言った。

 地図でいうタルブ村のある場所を中心に、その周囲数リーグの森や山を白煙のような霧が包み込んでいる。そのせいで、中の村の姿はまったく見えない。

 これを見て、一月前に村を出てきた佐々木やレリアはこの異常事態に驚き、村に残してきた家族の身を案じた。だが悲嘆に暮れる間もなく、カリーヌから村の様子を聞かれて慌てて答えた。

「この辺は、このような霧が発生することがあるのか?」

「あ! い、いいえ、多少曇ることはありますが、こんなミルクをぶちまけたような濃い霧が出たことは、私が住み着いてから三十年、一度もありませんでした」

「だろうな……」

 カリーヌは佐々木の言を得て確信した。『風』系統の魔法使いである彼女は、村を覆う霧の異常性に最初見たときから気づいている。風が吹いてないわけでもないのに、表面がわずかに波打つだけで動く気配がまったくない。それ以前に、今日の天候はとても暑く、空には分厚い雲が立ち込めている、とても霧が発生するような気候ではない。

 となれば、誰かが意図的に作り出したものと見るべきである。カリーヌはさっそく『水』系統の部下に調査を命じ、すぐさま何騎かが霧に近寄ってディテクトマジックなどで霧を調査し始めた。

「へえーっ、魔法ってのは便利なもんだな」

 その様子を見ていたアスカが、物珍しそうにマンティコア隊の姿を眺めているのを見て、レリア、後のシエスタの母は不思議そうにアスカの顔を見て言った。

「魔法が、そんなに珍しいんですか?」

 実際、平民であるレリアも魔法を見る機会にはそう事欠かない。用水路や新しい畑を作るときには『土』のメイジが、雨が長期間降らないときには『水』のメイジが派遣されてくることはよくある。貴族たちも、税収が少ないよりは多いほうがうれしいわけで、幸いこの当時のタルブ周辺の領主はそれなりに物分りのよい有能な人物だった。

「ん? 俺はけっこう遠いとこから来たんでな。俺のとこじゃいろんな道具を使って調べたりするんだ」

「へー、そういえば、アスカさんって変わった名前ですよね。なんて国から来たんですか?」

 そう聞かれたアスカはひと呼吸置くと、じっと村のほうを見ている佐々木のほうをちらりと見て、わざと向こうにも聞こえるように大きな声で言った。

 

「日本」

 

 そのとき、平静を装っていた佐々木の肩が電気を流されたかのように震えたのを、彼の孫娘は見逃さなかった。

「おじいちゃん、どうしたの?」

「い、いや、なんでもない。ちょっと待ってなさい」

 佐々木は孫娘に待っているように言うと、アスカをノワールの尾羽のほうまで連れて行って、耳元で話しかけた。

「アスカくん、薄々思っていたが、君も……地球人だったのか」

「やっぱり、あんたもそうだったのか……ササキなんて名前、こっちじゃまず無いからな。けど、俺以外にも地球人がこの世界に迷い込んでいたとはな……」

 佐々木とアスカはお互いに顔を見合わせて、アスカはやや茶髪がかっているが、この世界の人間にはまずない黒い髪と瞳を合わせた。

「それで、君はどうしてこの世界へ?」

「俺は、どう説明したもんかな……俺はTPCのスーパーGUTSの隊員なんだけど、怪獣と戦ってる最中にできたワームホールに飲み込まれて、気づいたらこの世界に来ちまってたんだ」

 アスカはそう言って、隊員服についたスーパーGUTSのエンブレムを見せたが、佐々木は少々怪訝な顔をした。

「TPC?」

「地球平和連合、知らねえか? じいさんいったいいつ頃こっちに来たんだ?」

 佐々木は三十年前と答えて、アスカはそれだったらしょうがねえなとうなづいた。彼がやってきた時代は普通に怪獣が出るが、その十数年前までは怪獣の出現などはなく、スーパーGUTSの前身であるGUTSも元は非武装組織だったのだ。

 ただ、その次に佐々木が言ったことは、今度はアスカを戸惑わせた。

「そうか……私のいない間にそんなに地球は変っていたのか。三十年も経てば当然か、思えば、怪獣頻出期からでさえ二十五年も経っていたからな。私は、昔はこう見えてもCREW GUYSの隊員でね。怪獣ディノゾールとの戦いの際に乗機ごとこっちに送られてしまって、それ以来こっちに住んでいる。なあ、三十年前のディノゾールとの戦いの結果はどうなったんだ? 防衛チームの一員なら知っているだろう」

「ち、ちょっと待ってくれよ! GUYSにディノゾールって、あんた何言ってるんだ」

 アスカの慌てた言葉に、佐々木のほうが何を言っているんだという顔をした。

「何って、1981年のUGMによる怪獣マーゴドン撃破で怪獣頻出期が終わったことくらい知ってるだろ。それから二十五年怪獣は出現してこなかったが、念のために地球防衛組織としてGUYSが残った。けれど、私が在籍していた2006年に宇宙怪獣ディノゾールが来襲してきたんだ。そのくらいのことは、ニュースでも放送されていたはずだが?」

「いやいやいや……日本に怪獣が出たのは、2007年のゴルザとメルバが最初のはずだぜ、って、2006年? 俺が来たのは2020年だぜ!」

「なに? 私の来た時代から十年少ししか経ってないじゃないか……」

 そこでようやく、二人はお互いの間に大きな食い違いがあることを認識したのだった。地球から来たというだけで無条件に相手を同じ世界からの来訪者だと思ったが、まったく話が合わない。

 気を落ち着けて、両者はあらためてお互いの地球のことをもう少し正確に説明しあった。主に、代表的な怪獣や防衛組織、起こった事件、そしてウルトラマンのことを。

 

「超古代から蘇った怪獣たちとウルトラマンか……だが、ティガやダイナというウルトラマンは聞いたことがない」

「俺だって、ウルトラ兄弟なんて呼ばれるほどたくさんウルトラマンがいるなんて信じられねえよ。ウルトラセブンに、ウルトラマンAって名前も……知ら、ないしなあ」

 アスカは、知らないと言いかけて、何か心に引っかかるものを感じた。確かにこの場で初めて聞いたはずなのに、なぜかそんな気がせず、佐々木の言葉を完全否定することができない。

 二人とも、相手が根も葉もないでたらめを言っているのではないか、自分をだまそうとしているのではないかと一瞬思ったが、すぐにそれを否定した。地球のことを知っているのは地球人以外にはありえない。しかしそれにしても、こうまで突拍子もないうそをつく必要もない。

 けれどそうして二人して頭をひねっていると、ふいにアスカの脳裏にある単語が浮かんできた。

「もしかして……俺とじいさんは、似ているけどちょっと違う地球から来たのかもしれねえなあ」

「それは、どういうことかね?」

「いや、俺の友達から昔聞いたことなんだけどな。多次元宇宙論って言って、この宇宙はよく似ているけど少しずつ違う世界が無数に存在してるっていうんだ」

「つまり、私の来たウルトラ兄弟のいる世界や、君の言うティガやダイナのいる世界というわけだな。そんな馬鹿な、とも言えないな、すでにハルケギニアなんて異世界に来ている身だ」

 佐々木は、そういえばこのハルケギニアのある星は地形が地球と極めてよく似ていたなと思い出し、アスカの説を否定しきれない材料があるなと思った。それに、このアスカという青年はどう見ても嘘をつけそうな風ではない。むしろ、おやつをつまみ食いしたのさえごまかせないような単細胞というか、おバカな感じが伝わってくるというか。

「ふむ、わかった。完全にではないが、君を信用することにしよう。それにしても、多次元宇宙論なんて難しい理論をよく知っているな。その君の友人というのは学者かなにかかい?」

「ああ、天才って言われてたぜ。名前は……あれ?」

 アスカはそこで、誇らしく口に出そうとしたその名前を思い出せないことに気づいた。なぜだろう、小さなころからよく知っていたはずなのに思い出せない。いや、小さなころから? 自分が小さいころにそんな友達がいたか? そいつは天才と言われていて……でも……思い出せない。まるで、自分のなかにもう一人の自分がいて、その記憶を覗いているみたいだ。

「アスカくん? どうしたね」

「いや、なんでもない……ド忘れかなあ。けど、俺もあんたの言うことを信じるぜ」

 それはアスカの理性というよりは本能によって出された答えだった。曖昧な記憶のことはひっかかるものの、この老人はなぜか信じていいという気持ちが胸の奥から沸いてきたのだ。アスカと佐々木は軽く笑みをかわすと、がっちりと手を握り合った。

 そんな二人の様子を、レリアとティリーはさっきから不思議そうに眺めていた。彼らの話はときたま聞こえてくるが、彼女達には意味の分からない言葉ばかりで、具体的に何を話しているのかはさっぱりわからない。けれど、笑みをかわして手を握り合ったところから、なにかいい具合に話がついたのだとは予想がついた。

「おじいちゃん、アスカさんと何を話してるの?」

「あ、レリア……いやな、アスカくんは私の来た国と近い国から来たみたいなのでね。懐かしくてつい話し込んでしまった」

 佐々木はそう言ってなんとかごまかした。これまでの話を説明するのは無理すぎる。

 また、アスカも適当に笑ってごまかそうとして、ティリーと話していた。

「アスカさんって不思議な人ですね。どんな人ともすぐに仲良くなっちゃって、私は人と付き合うのが苦手ですからうらやましいです」

「買いかぶりだって! 俺なんて新人のころから隊長にもみんなにも迷惑かけっぱなしでさあ……ヒビキ隊長にコウダ隊員、みんな元気にしてるかなあ……」

「お国にも、お友達が大勢いらっしゃったんですね。私も、故郷に残してきた人たちがいますから……もう、遠くて帰ることはできませんが」

 憂いげにつぶやくティリーを見て、アスカはなんとなく不思議な感じがした。彼女とは三日ほど前にたまたま道で会ったのだが、この世界の土地勘がなくて行き倒れかけていたアスカを拾って食事を与えて、アスカが行く当てが無く、金も持っていないことを知るといっしょに行かないかと誘ってくれた。それでアスカは恩返しのボディガードもかねて馬車に同行させてもらっているのだけれど、馬車の中や寝るときも帽子を離さないし、たまにハルケギニアの常識に対してアスカでもしないようなボケをかます。例えばリンゴひとつを買うのに金貨を出そうとしたり、軽く雨が降ってきただけで子供のようにはしゃぎだして、しかも傘の差し方を知らなかったりといったふうである。彼女いわく、自分は遠い砂漠の国から来たそうだが、それにしてもミステリアスな少女であった。

 

 

 だが、そうして長話をしているうちに状況は変わっていったらしい。調査をしていたマンティコア隊の隊員から隊長に、「魔法の反応は一切ありません」と報告があり、カリーヌはすぐさま次の指示を下していた。

「よし、第二小隊は霧の中に突入して中の様子を偵察してこい。ただし、住民の安否を確かめるのが先決だ。なにかあっても手出しはせずに一旦戻れ」

「了解」

 命令を受けた第二小隊の五名ほどの隊員は、無駄な動作をせずに霧のなかへとそれぞれ飛び込んでいった。

 それを後ろからじっと見ていたアスカと佐々木は、嫌な予感が走るのを覚えていた。確かに魔法の反応は無い、しかし自然の霧がこんな気候の中で流れもせずに停滞し続けているのは気象学的に素人でもありえないと思う。

 だが、魔法の反応が無い以上、危険は低いものと判断したカリーヌの判断を不注意だと笑うことはできない。地球でも科学的な裏づけがないからと怪獣の存在を否定して事件を未然に防げずに、被害を拡大させてしまった例は両手両足の指を使いきっても足りないのだ。

 突入していった隊員たちのマンティコアは霧に覆われてすぐに見えなくなり、再び待ちの姿勢に戻った。誰も私語など一切せぬ中で、五分が過ぎ、十分が過ぎ、暑さで汗が額から滑り落ちていく。

 だが、二十分、さらに三十分が過ぎても入っていった隊員たちは誰一人戻ってこないことから、カリーヌたちはまだしもアスカなどがしびれを切らせてきた。

「おっせえなあ。いったい何してんだ」

 そんなアスカの態度に、カリーヌは眉をぴくりと動かしたが、それ以上のことはしなかった。彼女も、いくらなんでも帰りが遅すぎると考えていた。村ひとつ飲み込んでいるとはいえ、霧の影響範囲はそう広くは無い。万一中で迷ったとしても上昇すれば霧からは抜けられるし、五人が五人とも帰ってこないとはおかしい。

「隊長……」

「わかっている。こうなれば……ぬ? 戻ってきたか」

 しびれを切らしかけた副隊長の言葉にカリーヌが動きかけたとき、霧の中から偵察に行っていた部下達が五人いっせいに現れた。見たところ、傷などを負った様子もなく、全員粛々とこちらにやってくる。

「遅かったではないか、いったい今まで何をやっておった?」

 副隊長がいらだちを見せて五人の騎士に近寄る。だが、彼が近寄ろうとしたときに彼らは変貌した!

 虚ろな表情で顔を上げた彼らは、そのまま杖を掲げて副隊長に攻撃魔法を撃ったのだ。

「な!? 貴様ら」

「下がれ!! ゼッサール!!」

 隊長の言葉に反射的に反応して身を引いた副隊長のいた場所で、五人の騎士とカリーヌの魔法がぶつかり合って爆発を起こす。が、五人の魔法の攻撃力の合計よりカリーヌの魔法の威力が勝っており、爆風はそのまま五人を襲って、彼らを地面の上へとなぎ倒した!

「なっ、なな!?」

「第三小隊、第二小隊の五名を捕縛せよ。薬物、もしくは魔法による精神操作がかけられている恐れがある。衛生兵はただちに原因を究明して治療せよ!」

 うろたえている副隊長を尻目に、カリーヌは迅速にその後も指示を下していった。

 まず、部隊を霧から一定距離離す。さらに一部隊を警戒に当たらせて防御布陣を敷き、霧の中に潜む何者かへの備えを固めることで、衛生兵が安心して拘束した偵察隊になにが起こったのかを調査させる。それにかかった時間はおおよそ一分以下、アスカや佐々木から見てもびっくりするくらいに見事な指揮ぶりであった。

「すげー……ヒビキ隊長の女性版みてえ」

「セリザワ隊長にしごかれてた頃を思い出すな……」

 カリーヌの顔の下半分は鉄の仮面に覆われて、素顔はよく見えなかったが、女性の身でありながら、冷静沈着即断即決な指揮に二人は感嘆を禁じえなかった。

 やがて、衛生兵から偵察隊には魔法で操られた形跡はなく、薬物による洗脳、恐らくは霧と共に毒物を吸引させられた可能性が高いという報告が上がってきて、カリーヌは全軍に警戒態勢から戦闘態勢に移行するように命令を下した。

 

「毒の霧に身を隠して立てこもるか……姑息なことを考えたものだな」

「しかし、これではうかつに侵入できません、どういたしますか?」

 タルブ村を覆う霧は、相変わらず村の周囲に立ち込めて動く気配がない。もはやこれが人工のものであることは明らかとなったが、うかつに飛び込めば偵察隊の二の舞になる。ただし、これが並みの部隊であったのなら手詰まりになったかもしれないが、これは『烈風』の率いる部隊である。

「簡単だ。霧を吹き飛ばせばいい」

 事もなく言い放ったカリーヌは杖を振るうと、霧の上空をかすめるように『カッター・トルネード』を放った。瞬時に形勢された巨大竜巻が、横殴りに巨大なグラインダーのように霧を削っていく。

「うわーっ……すげー」

 その圧倒的な光景に、アスカはアホのように口を開いて見とれていた。まだハルケギニアに来て日が浅いアスカにとっては、まだまだ魔法というのは新鮮で刺激的なものだった。

 だが、急激な気圧差と気流を生み、周囲の森の木々すら引き込みそうな勢いの竜巻にさらされながら、霧の固まりは表面を振るわせる程度でビクとも動く気配がない。

「やはり、ただの霧じゃないな……」

 『カッター・トルネード』を解除して、カリーヌは憮然とつぶやいた。周りでは、隊長のスクウェアスペルが通用しないことで隊員たちがとまどいの声をあげているが、そのようなものに構っている暇は無い。

 それにしても、これはいったいなんなのかとカリーヌは思考をめぐらせた。村ひとつを包み込むほどの毒の霧を発生させ、なおかつ魔力を一切検知させない方法など聞いたこともない。ならば、精霊の力を使うという先住魔法の類か? 毒の霧に包まれたタルブの村は、いまだに沈黙を守っている。

 しかし、考えてもらちがあかないとカリーヌは後ろを振り返り、現地協力者たちに声をかけた。

「ササキ、最近タルブに何か変ったことはなかったか? これだけのことだ、お前たちが村を出る前からも前兆が現れていた可能性もある」

「はあ……」

 佐々木は頭をひねって考えたが、特にこれといって思い浮かぶことはない。出かける前も、タルブ村はいつもどおりに平穏だった。けれど、彼の後ろから娘のレリアが手を上げた。

「あのー……いいですか?」

「なんだ?」

 祖父の後ろから貴族を恐れておずおずと顔を出しているレリアの容姿は、才人に会ったころのシエスタとよく似ている。

「一週間ほど前なんですけど……夜中に山小屋の窓から、タルブの方向に流れ星が落ちていくのが見えたんです」

「流れ星だと?」

「はい……夜中に目が覚めて……すごく大きくて、真っ赤な……そのときは夢かと思ったんですが」

「ふむ、流れ星か……悪いが、それだけでは手がかりにはならんな」

「すみません」

 残念ながら、カリーヌはレリアの話を重視することはなかった。善意で言った者をけん責するようなことはしないけれど、流れ星などというありふれた自然現象が関係しているとは彼女には思えなかった。

 レリアは緊張と恥ずかしさのあまり顔を赤くしてうなだれている。無理もない、彼女にとっては貴族にものを申すという、なけなしの勇気を振り絞ったことが空振りに終わったのだから。だが、防衛チーム出身の佐々木とアスカは別の感想を持っていた。

「流れ星か……臭いな、それは」

「ああ、怪獣の卵か……宇宙船か」

 二人の世界のどちらでも、奇妙な流れ星のあった後に事件が発生したという事例は数え切れないほどある。宇宙怪獣か、もしくは宇宙人か……けれども、残念ながらそういった経験を持たないカリーヌたちは、充分に用心はしているのだろうが、なおも霧の中への突入をあきらめてはいなかった。

「第一、第三小隊突入用意!! 私も行く」

「お、おいおい!! あれは毒の霧だってわかったんだろ!! 無茶じゃねえか」

 ためらいもなくそう言い放ったカリーヌに、なにを考えてるんだとアスカは叫んだ。しかし、もちろんカリーヌにも考えはあった。

「心配いらん、風の防壁で自分達の周りに空気の球を作り、霧に侵入されるのを防ぐ。本来は水中に潜るときに使う手だが、吸い込まなければ毒の霧とて問題はない。それよりも……」

 カリーヌは一呼吸置くと、一行を見渡して冷然と言い放った。

「お前たち、悪いがこのまま連れていくのは危険になった。離れた場所に衛生兵といっしょに下ろすから、そこで片がつくまで待っていろ」

「えっ!? 今更なに言うんだよ!」

 最初は彼らが役に立つかもと思い、同行を許可したカリーヌだったが、事態の悪化によってためらわずに彼らを下ろす判断をしていた。アスカなどは抗議したものの、カリーヌは一度した決断を変えようとはしなかった。

「悪いが、民を守るのが軍隊の絶対の存在意義だ。民を危険に合わせて事態に当たるようでは本末転倒、これ以上は協力を超えてしまう。軍の規律に合わせても、お前たちを連れてはいけん」

 そう言われては、これ以上文句も言えない。そもそも始めからかなり無理を言って連れてきてもらったのだ。

 また、彼女の指揮官としての態度や気構えにはアスカや佐々木も正直感心していた。判断力、決断力があるだけでなく、『自分たちは何のためにいるのか』ということをよくわきまえている。きっと、常に正しい判断ができるように心に強く抑制をかけているのだろう。そんな相手に向かって、規律を曲げてまで手伝わせてくれと言っても聞いてもらえるとは思えない。

 だが、優秀な指揮官が常に正しい判断をするとは限らない。ハルケギニアの作戦行動の基準でいえば正しいのだろうが、佐々木やアスカから見れば怪獣か宇宙人が潜んでいるかもしれない場所にのこのこ踏み込んでいくのは危険すぎる。けれども、それをこの世界の人間に説明するのは至難の業だ。ならば自分達としてはどうするべきか。

 カリーヌの使い魔の巨鳥ノワールが着陸するまでの間に考えた結果、佐々木は思い切ってもう一度カリーヌに進言してみた。

「隊長どの、霧の中での案内役は必要ではありませんか?」

「案内役?」

 佐々木は、この霧の中では手探りで進むことになるだろう。タルブは小さな村だが、丘もあれば大きな家や林もあるので、そうすればいくら数がいるとはいえ迷ってしまう。恐らく霧を発生させた奴は、村の中央の村長の家あたりに潜んでいるかもしれないからそこまで案内する。原因が見つかれば、あとは適当な隊員に外まで送ってもらえればいいと懇願し、カリーヌは考えた結果佐々木一人のみの同行を許可した。

 これで、もし中で何かあっても土地勘のある佐々木が同行すれば、危機を回避できるかもしれない。後は外のことだ。佐々木はレリアとアスカを近くに呼ぶと、耳元で短くささやいた。

「レリア、アスカくんを私のあれのところまで案内してあげてくれ、いいな」

「うん、おじいちゃん」

「なんだい、アレって?」

「そこへ行けば、すべて分かるはずだ。頼む、黙って聞いてくれ」

 その真剣な表情に、アスカはそれ以上の詮索はやめてうなづいた。

「ありがとう……では、これを持っていってくれ」

 佐々木は懐からオレンジ色をした小さな機械をアスカの手に握らせた。

「これは?」

「GUYSメモリーディスプレイ、あとのことはレリアから聞いてくれ」

 それは、佐々木がこの世界にやってきてから、これだけはGUYS隊員の証として肌身離さず持っているものだった。それを託すということは、本気で信頼して頼ってくれている証である。アスカはそれを大事に受け取ると、右手の親指を立てるグの形にして答えた。

「ラジャー!」

「?」

「スーパーGUTSの了解のあいさつだよ。じゃあ、佐々木さんも気をつけろよ」

「フッ……G・I・G」

 

 霧の前では、マンティコア隊の隊員たちが風のメイジを中心にして、次々に空気のドームを作っていた。地球ではガスマスクをかぶるだろうが、この世界にそんな気の利いたものはない。アスカたちを後ろに置き、カリーヌも杖を振るって空気のドームを作った。大きさは半径およそ二十メイル、ほかの隊員達のおよそ五倍はある。

「よし、全隊マンティコアに騎乗では危険なので、徒歩で中を探索する。第一目的は村人の安全の確保、第二目的は霧の元凶の発見とこれの停止だ。中で何が待っているかはわからん、くれぐれも用心してかかれ、私が村の中央を目指す。第一小隊は左翼、第三小隊は右翼を探索だ。では、全隊突入!」

「はっ!」

 隊員たちは一糸乱れぬ敬礼をすると、そのまま霧の中へと突入していった。もちろん、カリーヌと佐々木も同様に、この危険極まりない中へと足を踏み入れる。

 頼むぞ、アスカくん……

 霧の中へ消える寸前、佐々木とアスカは目で会話し、レリアに案内されてアスカは駆け出した。

 ……待ってろよ、じいさん。

 その、霧の中と山の中へ去っていく者達を見守りながら、ティリーは無事を心の中で祈っていた。

 ……あなた方に、大いなる意思のご加護があらんことを……

 

 タルブ村の中は、完全に白い闇に包み込まれていた。

「まるで雲の中を歩いてるみたいだな……」

 一月前には村人達が今年のぶどうの出来高でも考えながら歩いていた道も、今では人間を寄せ付けない毒の霧で覆われていて、不気味な沈黙に支配されている。

「ササキ、村長の屋敷はこのまま進めばいいのか?」

 先頭を自然体の、いつでもどの方向にでも杖を向けられるように構えた姿勢で歩きながら、カリーヌは佐々木に尋ねた。その肩には、最小サイズまで縮小したノワールが止まって、鉄仮面と不釣合いな奇妙な雰囲気を作り出している。

「あ、はい。けど、村人達の姿が見えません、いったいどこに消えたのでしょうか……」

 何軒かの家を覗いてみたものの、村人達の姿はどこにも見当たらなかった。村に息子夫婦を残している佐々木としては気がかりでしょうがないが、今は私情をぐっとこらえてカリーヌたちを先導する。

「家族が心配か?」

「えっ!?」

 唐突にカリーヌにそんなことを聞かれたので佐々木は思わず間抜けな声を出してしまった。

「そりゃ当然気になります。息子に嫁に、万一のことがあればと思うと……隊長殿にはご家族は……?」

「父はだいぶ前に戦死した。母も長いこと会ってはいない」

「お子さんは?」

 そう聞いてみて佐々木はしまったと思った。この軍人というものを具象化したような戦乙女に子供がいるとは考えにくい。そして案の定、カリーヌの口からは「いない」の一言が返ってきた。

 そういえば、自分も地球からハルケギニアに来てから向こうに残した家族には会っていない。あのディノゾールとの戦いで自分は確実に殉職扱いになっているであろうから、自分の両親や兄弟はすでに自分のことはほとんど忘れているだろうけど、それでも懐かしいことに変りはない。佐々木は、この目じりだけでも美人と分かる女戦士が恋も知らずに老いていくのかと、少し物悲しくなった。

「余計なことかもしれませんが、ご自分の家庭を持たれるのもよいかと思いますよ。人間、一生に一人は子供を残して親に報いるのが義務ではないですか」

「その心配なら無用だ。私が死ぬまで戦い続ければ、私が守った者達が代わりに子を産み育ててくれる。それで元は取れるだろう」

 やはりにべもなかった。佐々木は苦笑したが、彼女の部下たちの手前もあってこれ以上言うのは避けた。

 霧はなおも深く、魔法の障壁の外はぼやけ、ほんの三メイル先のことさえ見えない。

 

 

 そのころ…

 カリーヌたちから右手に見ておよそ六百メイルほど離れた霧の中を、マンティコア隊第三小隊の五名の隊員たちは、周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいた。

「……」

 空気のドームを作っている風のメイジ一人を除いて、残りの四人のメイジは何があっても対応できるように杖を握り、感覚を研ぎ澄ませて進む。『烈風』カリン一人に目が行きがちだが、彼女に鍛えられたこのマンティコア隊の隊員たちもまたトリステイン有数の魔法騎士で、それぞれが最低トライアングルクラス、戦闘能力だけで言えば、一人でオーク鬼十匹や火竜を相手にできるだけの実力がある。

 そんな彼らが五感をフルに発揮して臨戦態勢をとっている今、例え四方からオーク鬼が襲い掛かったとしても返り討ちに会うだけだろう。それだけの実力と経験に裏付けられた自信を持って、彼らは隊長から与えられた任務を果たさんと無心に歩んでいた。

「物音ひとつしないな……」

 普段なら小鳥かカラスの声でもしているであろう、のどかな田舎の風景を切り取った箱庭の中は、自分の心音でも聞こえそうなくらい沈黙に包まれている。

 隊長から与えられた探すものは二つ、"敵"と"村人"、正直こんな環境の中で村人が無事とは思いがたいが、彼らの任務遂行の意思に変わりはない。そして、そんな彼らに誰かが応えたのか、彼らの進むドームの前に突然地面に倒れ伏している人間の姿が複数現れてきたのだった。

「構え!」

 小隊指揮官の号令で、第三小隊の先頭はその倒れている人間に杖を向けた。そしてそのままじりじりと警戒態勢をとったまま倒れている人間たちに歩み寄る。どうやら身なりから見てタルブの村人らしい。だがなぜすぐに助けにいかないかといえば、戦場で死んだふりをしている敵や、死体を囮にしての攻撃などは当たり前、それにさっき凶暴化させられた第二小隊のように彼らが襲ってこないとも限らない。

 慎重に、一人が近づいて倒れている村人の呼吸を確かめ、体温を測る。

「生きています。この霧で意識を失っているようです」

 簡潔に、必要事項だけをまとめた報告が他の隊員たちにわずかな安堵を与えた。

「運び出しますか?」

「いや、この霧を晴らすのが先だ。村人といっても数百人はいるだろう、我らだけで運び出すのは無理だ、とりあえず生存を確認できただけでよしとしよう。我らはこのまま……」

 小隊長が、我らはこのまま前進、と言いかけたときだった。突然、霧の奥から獣のものとも知れない不気味な遠吠えのようなものが彼らを守る空気の壁を震わせたのだ。

「今の鳴き声はなんだ!?」

「し、小隊長、あれを!」

 隊員の一人が、指差した先……ドームの天上部分を見た隊員たちは一様に絶句した。

 彼らの頭上の霧の中から、突如鈍く不気味に輝く目が現れ、次の瞬間には鋭い牙をいっぱいに生やした火竜の十倍はありそうな巨大な口が彼らに向かって顎を開いてきたのだ!!

 

【挿絵表示】

 

「う、撃て! 撃て!」

 小隊長は本能的に攻撃を命じた。言われるまでもなく、隊員たちも反射的に杖を空の口に向ける。

 しかし、そこから魔法が放たれることはなかった。

「う、うわっ! こいつら!?」

「は、離せ、離さんか!!」

 隊員たちが頭上に注意を向けた隙に、気を失っていたはずの村人たちが起き上がり、隊員たちにつかみかかってきて、杖を降るわせまいと押し倒そうとしてくるではないか。

「あ、操られているんだ!!」

 村人たちの目は焦点が合っておらず、まるで死人のように表情がない。つまり、第二小隊とまったく同じ状態にされている。意思を持たない操り人形に。

「く、くそっ! こいつらどんどん増えやがる!」

 やはり、村人も敵のコントロール下にあったのだと気づいたときにはすでに遅かった。これが彼らと同数か三倍程度の数だったら、鍛え上げた肉体を持つ隊員たちは力ずくで振り切れただろうが、霧の中から同じように虚ろな目をした村人たちが次々にやってきて彼らに絡みついていく。

「小隊長、やむを得ません。村人ごと!」

「い、いや……」

 村人ごと魔法を放つか否か、その迷った一瞬が彼らの命取りになった。

 小隊長が命令を言い終わる前に、ドームを噛み潰すほどに接近してきた口から真っ白い煙が噴き出して、風の防壁をものともせずに彼らを包み込んでしまったからである。

 

 

 それから、およそ十分後。

 左翼担当、第一小隊にて。

「ぬ……お前たちは右翼担当の第三小隊ではないか、どうした迷ったのか? ……いや!? 迎撃戦闘!!」

 戦いの音は、それから五分ほど続き、その轟音もこの霧の特性からかカリーヌのいる本隊まで届くことはなかった。

 

 

 すべてがカリーヌの知るところとなったのは、もはやすべてが手遅れとなったときだった。

「ヴェルノー、ロンダーナ、クリストファー……見事に全員揃っているな」

 自分たちの周りを取り囲み、杖を向けてくる部下たちを見渡し、カリーヌは苦々しげに吐き捨てた。

「ミヨーズ、ロリー、お前たちもか……」

 もはや自我を失ったマンティコア隊の隙間を埋めるように立ち尽くす村人たちの中に、自分の息子とその妻の変わり果てた姿を見て、佐々木は音がするほど歯軋りをした。

「ふん……残るは、我々だけということか」

 まさか、部下たちが揃って敵になるとは思わなかった。いや、可能性はあったのだが、自分が知らない間に全滅してしまうとは、少々考えが甘かったか。

 そして、空気のドームのすぐそばに立ち、最後に残った獲物を見下ろしてくる、鼻先に長い角を生やしたとげとげしい竜のような怪物が、この事件の元凶であるとカリーヌも佐々木も悟り、奴がなぜタルブ村を占領したのかを理解した。その怪獣は、カリーヌたちを見下ろしながら、口から先端が木の枝のように細かく枝分かれした触手のような舌を長く伸ばし、それを手近な村人の首筋に蛭のように吸い付かせていたのだ。

「血を吸っているのか……」

 隊員二人が口元に手を当ててうめいた。このハルケギニアには吸血鬼という種族がいるにはいるが、血を吸う竜など聞いたこともない。しかし、いる以上は認めるしかない。

 つまり、タルブ村は餌場として選ばれてしまったらしい。それにしても、吸血鬼は霧に姿を変えられるというが、こんな巨大怪獣ならドラキュラもびっくりするだろう。

「吸血怪獣、ギマイラか……」

 佐々木は口の中だけでつぶやきながら、GUYS時代の記憶から、この怪獣がドキュメントUGMに残された宇宙怪獣の同族であると判断した。かつては潮風島という島に宇宙から飛来し、そこの島民を思考力を奪う霧で操って血を吸っていたらしい。しかし、思い出せばGUYS新人のころにセリザワ隊長に「お前は記憶力がいいからひととおり見ておくといい」と言われて、過去の怪獣達との戦いの記録である『アーカイブドキュメント』を覚えておいてよかったと思う。勉強するより訓練訓練に励む後輩のリュウは見ても覚えられなかったようだが、勉強というものは、どこで役に立つものかわからない。

 だがこれは間違いなく『烈風』カリン最強の敵だろう。かつてはウルトラマン80をも苦戦させた大怪獣、それだけではなく、奴にはカリーヌが自ら素質を見込み、育て上げてきた部下たちがついている。これ以上の相手はまずいない。愛弟子たちが師匠に向かってためらいなく杖を向けてきている、そう思うと感傷を覚えなくもないが、ここは十年早いと言ってやるべきだろう。

「よかろう、まとめて可愛がってやるか」

 不敵に笑ったカリーヌを見て佐々木は背筋がぞっとするものを感じた。この隊長殿は一人で戦おうとしている。確かに佐々木も『烈風』の異名は聞き及んでいるし、その高い実力と判断力も見てきたが、相手は怪獣、しかも自分の記憶が正しければ、こいつは並の怪獣ではない。さらに、奴はマンティコア隊の隊員や村人たちまで操り、手駒兼人質にしている。

「隊長殿、これはいくらなんでも不利です。相手は怪獣ですよ!」

「いかな状況下にあっても、民を守るべき貴族が敵に背を向けるわけにはいかん。それに、あれは私の部下たちだ、隊長が部下を見捨てるわけにはいかんだろう」

 カリーヌは、最後まで隊長としての責務を果たそうとしていた。

 指揮官として部隊全滅の責任はとらなければならない。それに、せっかくこの事件の黒幕も登場してきているのだ。圧倒的に不利な立場での戦いなど、これまでの戦歴で数え切れないほどあった。また一人で戦うことになるが、それも仕方あるまい。

「ゼッサール、パトリック、ササキを連れて霧の外まで退避しろ。明日の朝までに私が戻らなければ、王宮に軍の出動を要請しろ、いいな」

「隊長、しかし!」

「命令だ、早く行け」

 命令と言われると、反射的にそれに従うように叩き込まれている二人は佐々木の手をとり、自らの周りに小規模な空気のドームを発生させて、後は『フライ』で離脱しようと試みた。

 しかし、ギマイラは恐竜型怪獣そのものの外見に反して、かなりの知能を有する。獲物が逃げ出そうとしているのに感ずいて、その大きく裂けた口を開いて吼えると、それが命令となったようで洗脳されたマンティコア隊がいっせいに全方向から魔法攻撃を放ってきた!! 火が氷が、風が、岩が、あらゆる系統の強力な魔法が迫ってくる!!

「伏せろ!!」

 回避する場所などない。とっさにカリーヌは三人を伏せさせると、『カッター・トルネード』の応用で、自分を中心に竜巻を発生させて向かってくる魔法を弾き飛ばした。

「おお!!」

「さすが隊長!!」

 十人を超えるメイジの一斉攻撃を跳ね返した隊長の力に、二人の隊員はあらためて『烈風』の強さに心酔した。

 しかしながら、カリーヌは彼らが見るほど余裕があるわけではなかった。

 ……ちっ、思ったよりきついか……

 余裕の態度をとっているので忘れられているが、今カリーヌは毒の霧の侵入を防ぐ空気のドームを作る魔法を使い続けている。同時に複数の呪文を使うことは不可能ではないけれど、極めて高度で負担も大きく、それはカリーヌとて例外ではない。

 ……この狭さではノワールも使えん。ササキたちを逃して、村人も傷つけずに怪物と戦うには、さて、どうする? 『偏在』の魔法で分身を作って防壁の維持を任せるか……いや、維持させる分身を守るためにさらに分身がいる。それに、この狭い中でこちらも数を出したら身動きがとれなくなる……

 『烈風』カリンの額に、長く流したことのない類の汗が一筋、流れ落ちた。

 

 

 だがそのころ、霧に閉ざされた村の外では、わずかな希望が動き出そうとしていた。

「こいつは……戦闘機か!!」

 村を少し離れた山の中、雨風を避けるのがようやくといった倉庫の中に保管されていたものを見て、アスカは思わず喝采していた。

「はい、おじいちゃんがこの村に来たときに乗っていたと聞いています。確か名前は、ガンクルセイダーというそうです」

「ガンクルセイダーか……どことなくアルファ号に似てるな、こいつはいいぜ! で、動くんだろ?」

「ええ、まだネンリョウは残っていると言っていました。けど、動かし方までは……」

「その点なら心配いらねえよ!」

 アスカは不敵に笑うと、さっそうと機体に飛び乗り、コクピットに体を沈めた。すると、見たこともないタイプのコクピットながらも、座席の固さ、計器の配列などがまるで昔から見知ったもののように見えてきた。

 だが、それよりもコクピットに収まった瞬間、心が躍るような感触に包まれたことを自分でも感じている。

 ああ、俺はやっぱり根っからこの感触が好きなんだな。異世界に来てしばらく忘れていたけど、父親譲りのパイロットとしての血がここにいると沸き立ってくる。

 燃料計、スピードメーター、レーダー、各種計器をチェックしていく。作られた世界は違っても戦闘機の作りにそう違いはない。

「佐々木さん、あんたの翼、確かに借りたぜ」

 アスカは最後に、まるでそうすることを最初から知っていたように、佐々木から預かったGUYSメモリーディスプレイをあるべき場所へと収めた。すると、エンジンが作動を始め、三十年間眠っていた翼が本来の姿を取り戻していく。

「きゃあっ、なにこれっ!? どうなってるの」

「あっ、レリアちゃん、危ないから下がって下がって!! 吹っ飛ばされるよ」

「は、はい!!」

 うっかりレリアのことを忘れていたアスカは慌てて機外スピーカーで注意した。ジェット機が垂直発進するときに近くにいたら、人間なんか軽く吹き飛ばされてしまう。孫娘に怪我でもさせたら佐々木になんと言って謝ればいいのか、レリアが大急ぎで倉庫から出て行くと、アスカはほっとすると同時にあらためて発進プロセスを再開した。

「各部チェック、オールグリーン……レーダー作動……このでかい影は、やっぱ怪獣がいやがったか! ようし、スロットル全開、ガンクルセイダー、発進!!」

 あばら家を吹き飛ばし、木片が暴風に吹かれて飛び散る中を、銀色の翼が再び空へと舞い上がった!!

 

 

 続く



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第51話  『烈風』カリンの知られざる伝説  ひとりぼっちの勇者

 第51話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 ひとりぼっちの勇者

 

 吸血怪獣 ギマイラ 登場!

 

 

「『エア・カッター』」

「『ファイヤー・ボール』」

「『ウェンディ・アイシクル』」

「ゴーレム……いけ」

 生気のない声と共に放たれた無数の魔法が、彼らの隊長であるカリーヌへと一直線に向かう。

 吸血怪獣ギマイラの吐く、思考を失わさせる霧の影響を受けて、マンティコア隊の隊員達は、その戦闘能力はそのままに奴の忠実なる操り人形として戦わさせられていた。

 対して、マンティコア隊の残存戦力は隊長を含めてたった三人。しかも隊員二人は一般人である佐々木を守ることを優先させ、ここから離脱することが任務であるために実質戦力は隊長のカリーヌ一人と言ってよい。

 しかも、ギマイラの霧の効果で操られた人間は自らの思考を持たないために、『スリープ・クラウド』で眠らせることはできず、痛みも恐怖もないために半端な打撃で気絶させることもできない。『拘束』の魔法もあるにはあるが、相手もカリーヌには遠く及ばないとはいえスクウェアやトライアングルの術者、長く捕縛しておくことはできない。

 しかし、カリーヌは臆した様子は微塵も見せず、操られた部下たちの魔法を真っ向から迎え撃った。

『ウィンド・ブレイク』

 カリーヌの杖の先から、『烈風』の二つ名に恥じない暴風が吹き荒れ、相手の風を飲み込み、炎を吹き消し、氷を砕き、鉄のゴーレムをバラバラに砕く。たった一発の風の低レベル攻撃呪文で、彼女は四人のトライアングルクラスの攻撃を相殺してしまったのだ。

「この私に杖を向けるには、まだ十年早い」

 二十中頃の女性が、三十や四十や、中には自分の父親ほどのある男たちにこんな言葉を吐く姿は異様であるけれど、彼女から立ち上る絶対的な自信が、何者にもそれを否定させない威圧感を漂わせていた。

 だが、彼女の戦うべき相手は操られた部下だけではない。

 すべての元凶、じっと獲物が弱るのを待っているだけに見えた怪獣が、突然その裂けた口を開き、恐るべき白い毒霧を噴き出してきたのだ!

「フッ!」

 とっさにカリーヌは風の防壁の強度を上げて、毒霧が侵入してくるのを防いだ。だが、そうすると今度は操られた隊員達が間髪要れずに襲い掛かってくる。もちろんそれもカリーヌは撃退したが、相手は仮にも部下であるし、周りには人質同然の村人たちもいる以上、下手に殺傷力の強い魔法を撃ち返すわけにもいかない。

 この怪獣、余裕を持っているのか力任せに防壁を破壊しようとはしてこないものの、操った人間を利用してじわじわと攻めてくる。このギマイラは恐竜然とした外見からは想像もできないほどにずる賢く、以前に出現した個体も洞窟の奥に潜んで霧を出しながら人々を操り、外敵に対してはあらかじめ用意していた手下の怪獣を戦わせて、自分は潜んでいた洞窟が爆破されるまで絶対に外に出てこようとはしなかったほどに用心深く、また卑怯なのだ。

 それに対してカリーヌは、なんとかしようと考え続けた。味方ごと撃つというのはあくまで最終手段、安易に陛下の臣民に杖を向けることはできない。なにより元凶である怪獣を倒せば恐らく洗脳は解けるのだ。

『エア・ハンマー!』

 部下たちをあしらいながら、カリーヌは隙を見て怪獣に魔法を撃ち込んだ。しかし、オーク鬼でも当たれば二十メイルは吹き飛ばされる威力がある空気の塊を顔面に受けながら、怪獣は小揺るぎもしていない。

「ギマイラ相手に、その程度の攻撃じゃ無理だ」

 佐々木は歯噛みしてつぶやいた。なにせ、ギマイラは宇宙から落下しても平気で生き延びる上に、ミサイル攻撃でもほとんどダメージを受けない屈強さを持っている。オーク鬼のような"怪物"は倒せても、生物の概念を超えた存在である"怪獣"には通用しない。

「なにしてる! さっさと行け、お前たちがいると邪魔だ!!」

 逃げ出すチャンスが掴めないのと、隊長の戦いに見とれて足踏みしていた残った部下二人に、カリーヌの怒声が響いた。

「は、はっ!」

 生き残っていたうちの一人、ゼッサールと言われていた若い隊員が慌てて佐々木を守りながら霧の外を目指して怪獣と反対側に走る。しかし、自分で空気のドームを作って隊長のドームから出て行こうとしたとき、彼らの前に別の人影が立ちふさがり、杖を振るってきた。

「なっ!? お前たちは外で待機していたはずの衛生兵!? しまった!!」

 気づいたときには遅く、もう一人の隊員が水の玉に手足を捕まれて霧の中に引きずり込まれていった。

「隊長、逃げられません! 外の連中も全滅しています!」

「なんだと!?」

 はじめてカリーヌの絶叫が響いた。見ると、外で拘束していたはずの第二小隊の者達も虚ろな眼をしたまま霧の向こうからやってくる。実は、第三小隊がやられたあと、半数は第一小隊を襲ったが、残る半数は外に出て第二小隊を解放し、衛生兵たちを霧の中へ引きずりこんでいたのだ。

「おのれ……こしゃくな真似を」

 これまで生死を共にしてきた部下たちが敵となって向かってくる。その武人の誇りを踏みにじるような怪獣のやり方に、誇り高い貴族であるカリーヌが怒らないはずはなかった。

 これで、敵は二十名以上のメイジと百名を超える老若男女を問わない一般人、それがたった半径二十メイルちょっとの小さな円の中にひしめき合ってこちらを取り囲んでいる。

「仕方ない……殺しはしないが、少し眠っていてもらおう。恨むなよ」

 このままではなぶり殺しに遭うだけだと判断したカリーヌは、部下と村人を無傷で救い出すのをあきらめた。

 口の中で高速で呪文を詠唱し、狙いを自分を中心にした360度全方向を向ける。もちろん、ゼッサールと佐々木に伏せておくように命じるのを忘れない。気づいた隊員たちが一斉に自分に向かって攻撃魔法を放ってくるが、本気になった『烈風』より早い者などハルケギニアに存在しない。しかし、意外にも先に呪文を放ったのは彼らのほうで、それこそがカリーヌの狙いだった。

『エア・シールド!!』

 瞬時にカリーヌの周囲を瞬間的に固形化された空気の壁が覆い、相手の攻撃呪文を受け止める。けれど、本当の狙いはこれからだ。相手の攻撃がすべて命中したのを感覚的に見計らったカリーヌはその瞬間、圧縮されていた空気の塊を外に向けて解放、放出した。

 するとどうなるか、空気の塊は運動エネルギーを失っていた無数の火や氷を巻き込み、ベクトルを真逆の方向へと向けて撃ち返したのだ!!

「『エア・カウンター』とでも名づけようかな……もっとも、私以外にこんな使い方のできるメイジはいないだろうが」

 カリーヌが微笑しながらつぶやいたときには、隊員たちは増幅して戻ってきた自らの魔法に打ちのめされ、全員が地に伏していた。村人たちも、その余波を受けて地面に崩れ落ちている。

「さ……さすが隊長」

「み、みんなが……ま、まさか殺しちまったんじゃあ!」

「案ずるな、風圧を加減したから死んではいない。あとでちゃんと手当てをする。それよりも、残るはこの怪物だけだ!」

 カリーヌとて、人を殺す覚悟はしていても好んで殺したりはしない。最善の策が無ければ次善の策をリスクがあってもとるしかないのだ。

 そして、やっかいな人質を片付けた以上、あとはこの怪獣を全力で葬るだけ。ところがどうか、怪獣が一声うなり声をあげると、倒したはずの隊員達が重傷を負いながらも立ち上がってくるではないか!

「なに!? この傷でまだ動けると……動かすというのか!?」

 普通なら傷の痛みに悶絶するか、とうに気を失ってしかるべきダメージを負いながら、隊員たちは生ける屍のように立ち上がって杖を向けてくる。この状態の彼らにさらに攻撃をぶつけたら、今度は確実に殺してしまう。いや、それ以上に人の命をこうまで軽く使い捨てにしてくるとは、いかに相手が怪獣とて怒りを禁じえない。

「やはり、殺すしかないのか……」

 ここから逃げるにも、また全力で戦うにも隊員たちの妨害を排除しなければ、いかに自分とて満足に力を発揮することはできない。

 そのとき、怪獣の角から青白い光線が放たれて、カリーヌはかろうじてそれをかわした。だが、同時に魔法の一斉攻撃が再び襲ってきた。

『エア・シールド!』

 今度は跳ね返さずに受け止めるだけにとどめたが、カリーヌが攻撃を受け止めるのに意識を集中した一瞬の隙をついて、別のメイジが作った土の手が伏せていた佐々木とゼッサールを掴みこんだ。

「ぬわっ!?」

「しまった、杖が!」

 魔法の力に捕まってしまっては、人間の力では脱出できない。

「ちいっ!! 『ウィンド・ブレイク!』」

 とっさに風の魔法で二人を拘束した土の腕を粉砕する。しかし敵はカリーヌに考える時間も与えてはくれないようで、全方向から向かってくる。しかも今度は傷ついた隊員だけでなく、盾に使うように村人を前に出しているではないか。

「おのれっ!! 何からなにまでこしゃくな真似を!!」

「待ってください! 村の皆を傷つけないでくれ!!」

 そう言われても、やらなければこちらがやられる。怪獣も高みの見物をしているうちに学習したと見え、こちらが殺すほどの攻撃ができないと見るや、一挙にけりをつけようとしているのだろう。

「やむを得ん、殺す」

「やめろ! 殺しちゃいかん!」

 今にも攻撃魔法を撃ちそうなカリーヌを佐々木が必死に止めようとするうちにも、包囲陣はじりじりと狭まってくる。

 怪獣は、なおも安全な後ろから人々を操りながら、その手元に残した人間から悠々と血を飲み続けている。

 だがそのときだった。彼らの頭上から、空気を貫いて肌を震わすほどの爆音が響いてきたのは。

 そう、この世界ではけっしてありえないはずの、佐々木にとっては懐かしき故郷の音、ジェットエンジンの爆音が霧などものともせずに咆哮を届けてきたのである。

 

 

「生体レーダーに大型の反応をキャッチ、怪獣め、霧に隠れたつもりでもレーダーには丸見えなんだよ。喰らいやがれ!!」

 アスカはレーダーがロックオンした巨大な生体反応へ向けて、ガンクルセイダーのミサイルを一斉発射した。翼の下に装備されたランチャーが三十年ぶりに火を吹き、電子の目に導かれた科学の矢は、隠れみのを意に介さずに隠れ潜んだ吸血鬼に向けて殺到する。

 

「なんだっ!?」

「ミサイル攻撃……アスカくん、やはり君には動かせたんだな」

 突然目の前で全身から火を噴いた怪獣の姿に、カリーヌと佐々木が驚きと喝采の声をあげた。

 ギマイラは突然の外部からの攻撃に驚き、血を吸っていた舌を引き戻し、体を襲う痛みに吼える。かつてはUGMの戦闘機、シルバーガルの攻撃を跳ね返したギマイラだが、ディノゾールには敗退したもののUGMとGUYSには二十年以上の時代の差がある。ガンクルセイダーの攻撃力はシルバーガルのそれを大きく上回っているのだ。

 それと同時に、人々を操っていた奴の思念波も弱まったと見えて、隊員たちの動きも鈍くなっている。そのとき、地上の赤外線映像で佐々木たちが包囲されているのを確認したアスカの声がスピーカーで響いた。

"佐々木さん!! 怪獣はおれが引き付ける。今のうちに逃げろ!!"

「アスカくん!!」

「アスカ、あいつがやったのか!?」

 カリーヌは、あの風変わりなお調子ものの声を聞いて、二度目にびっくりした。

 さらに、怒りに燃えて空に向けて吼えるギマイラに第二波攻撃が炸裂する。皮肉なことだが、ディノゾール戦ではわずか二撃でやられてしまったためにガンクルセイダーにはミサイルが豊富に残っている。

 佐々木は、アスカの言うとおりに引くなら今だとカリーヌに向けて言った。

「隊長どの、怪獣は今気を取られています。いったん引きましょう!」

「いや、気をとられている今だからこそチャンスだ。ここで一気にケリをつける!!」

「な……」

 佐々木は絶句した。この隊長の実力は散々見て、正直すごいと思っていたが、相手はあのウルトラマン80でさえ正面から戦っては歯が立たなかったほどの屈強な宇宙怪獣、いくらなんでも敵うとは思えない。それに、この霧の中では全力で戦えまい。

「無茶です。あなたの実力は認めていますが、ここは奴の巣の中です。地理的に不利です、いったん退却しましょう」

「ササキの言うとおりです。それに隊長が本気で戦ったら操られている皆も巻き込んでしまいます。奴も大事な食糧を簡単に死なせたりはしないでしょう、ここは引いて態勢を整えて再戦しましょう!!」

 佐々木とゼッサールは機会を逃すまいと必死でカリーヌを説得しようとした。しかし、カリーヌは苛烈さと、やや喉にひっかかるような声で言った。

「いや、陛下から杖とマントを預かったマンティコア隊の隊長ともあろう者が、部下を全部失うなどという屈辱を味わわされたままむざむざと逃げられるか!」

 それは、部隊長としての判断ではなく、カリーヌ自身のプライドが形を変えて噴出してきたものだった。当然そこに合理性はなく、佐々木とゼッサールは隊長が冷静な判断力を失いつつあることを悟って愕然とした。しかし、考えてみればいかに『烈風』と異名をとるとはいえ、まだ二十代なかばの若者、経験したことのない逆境に直面して我を失っても不思議ではない。かつて使い魔ノワールを死闘の末に屈服させたときはそれでもよかったのだろうが、今回は明らかに自殺行為だ。

「ラル・ウール・ウォル……」

 二人の忠告を無視して、カリーヌはスペルを詠唱し始めた。通常の呪文ならトライアングルクラスでも一瞬で詠唱が終わるカリーヌにしては詠唱が長い。これは風系のスクウェアクラスの魔法『カッター・トルネード』、しかもこの詠唱の長さからして、精神力を並ではなく注ぎ込んでいる。佐々木は確かにこれならギマイラにも通用するかもしれないと思った。しかし、今の『烈風』は勝つことに執着して周りが見えていない。

「やめろっ!!」

「ササキ、そこをどけ!!」

 自分の前に両手を広げて立ちふさがった佐々木に向けてカリーヌは杖を向けたが、佐々木は臆した様子もなく言い放った。

「どかん!! ここでそれほどの呪文を撃てば、村人たちやあんたの部下も巻き込む!! それに倒しきれなかったら力を使い切ったあんたじゃどうにもならん、本当に全滅するぞ」

「ふざけるな!! 私の力で倒せないものなどあるものか。それに操られた者どもも、このまま操られ続けるより死を選ぶだろ……」

「ばかもんっ!!」

 怒声とともに佐々木の平手がカリーヌの頬を叩き、乾いた音が響き渡った。

「なっ……」

 叩かれた勢いで顔の下半分を覆っていた仮面がはじけ跳び、歳相応の、美しくもまだどこかに幼さの影を残した陶磁器のようなカリーヌの素顔が、さらされる。

「貴様、隊長に何を!」

「黙っていろ小僧!!」

「うっ……」

 ゼッサールはその一声で何も言えなくなった。年功にとらわれないカリーヌの人事により、若くして副隊長の席を預かり、後にマンティコア隊隊長となる優秀な騎士である彼も、この当時はまだ二十を少し越えただけの青年だった。

 そして、顔を抑え、生まれてはじめて平民から殴られた痛みに呆然としているカリーヌに、佐々木は身分の差など欠片も意識しない強い怒りを込めて再び怒鳴った。

「自分の勝手な理屈に他人を巻き込むな!! 好き好んで死を選ぶ奴がどこにいる、命を軽く見るな!」

「ぬ……貴様、私を、貴族の誇りを侮辱するのか!」

 温厚そうな顔を怒りに染め、自分を見下ろしてくる佐々木の姿に、カリーヌは自分も怒りを込めて怒鳴り返した。だが佐々木はあっけなくそれを跳ね除けた。

「若造が知った風な口を利くな!! あんたの仕事の目的はタルブ村を、村人を救うことにあったはずだ。怪獣を倒すのはその後のものに過ぎん、違うか!」

「うっ……だが、奴を倒さなくてはどのみち村は全滅だ」

 自分の行動の矛盾を突かれてうろたえるカリーヌを、佐々木はさらに叱り付ける。

「目的と手段を取り違えるな。怪獣は確かに倒さなければならん、だが今すぐ倒さなければいかんということはない。そりゃああんたの力は段違いにすごい、それは認める。しかしそれも正しく使ってこそだ、その魔法で本当に奴を倒せると思うか? 冷静になれ、そして考えろ、あんたの魔法でかすり傷ひとつ負わなかった相手を、本当にそれで倒せるか」

「……」

 考えろ、という言葉がカリーヌの心にいくらかの冷水をかけた。そして彼女の分析能力は怪獣の予想される耐久力と、自分の魔法の破壊力がそれを破りえるか、破り得たとしてどれほどのダメージとなるのかとを計り……

 答えは、たった今の自分の行動を恥ずべきものでしかなく、歯を食いしばって沈黙するカリーヌに、佐々木は口調を少し穏やかに変えて語りかけた。

「君は恐らく、これまで自分の思い通りにいかなかったことがなかったんだろう。その力を見ればわかるよ、誰にも負けたことがない、何にも失敗したことがない、だから想像したこともない逆境をどうしていいかわからないんだ。だけどな、人間一人の力なんて所詮限界があるんだ。今は無理でも、君の力を使えば皆を救える可能性がある。次の勝利のために、今日の屈辱に耐えるのが本当に強いってことなんだ、わかるだろう」

「……」

 カリーヌは、こんなときにどう答えたらいいのかわからずに、ただ沈黙した。

 彼女にとって、誰かに叱られるということは、これまで経験したことがなかった。高名な武人だった父は、仕事か戦かでほとんど記憶はなく、母も貴族のたしなみと小言を言われたことはあるが、幼少でラインクラスになってから声を荒げて叱られたことなどはない。魔法学院に入ってからは、無能で怠惰な教師を意識したことはなく、一年のうちにトライアングルの中でもスクウェアに近い実力にまでに昇格してからは、自分のほうが大半の教師より腕が上なくらいだった。魔法衛士隊に入隊した後は、年功と前例にしがみつく無能ばかりで、態度だけは立派だが尊敬には欠片も値しない者達を相手にせずにいるうちに、すぐに自分が彼らの頂点に立っていた。

 これが、権威や階級を傘に着ていたり、間違ったことを押し付けてくるならカリーヌは魔法で返していただろうが、佐々木の言うことに、一片の陰りもなかった。

 しかしそうしていると、頭上からまたアスカの怒鳴り声が響いた。

 

"うぉーい!! 佐々木さーん、なにしてんだあ!! さっさと逃げてくれえ"

 

 アスカとて、怪獣の周りに人影があるのは分かっている。流れ弾を恐れての精密射撃だけでは一気に爆撃できず、無駄に弾をばらまいているだけの感があって焦っていたのだ。

 さらに、ミサイル攻撃に驚いていたギマイラも、これが自分にとって致命的なダメージを与えるものではないと知るや落ち着きを取り戻した。そして、うっとおしく思いながらも先に目の前の獲物を自分のものにしようと、悪魔のようなうなり声をあげて、一斉に洗脳した人々を差し向けてきた。

「くっ、簡単にやられはせんぞ!!」

 最後まであきらめずに戦う。歳はとってもGUYSの魂は老いはしないと佐々木は拳を上げて構えを取り、ゼッサールも平民に負けてはおれぬと杖を上げる。

 だがそのとき、顔を上げたカリーヌが肩にとまった白い鳥に命じた。

「ノワール、五メイルだ!」

 その瞬間、カリーヌの肩でそれまでじっとしていた小さな文鳥は、主の命令が下るやいなや、古代怪鳥ラルゲユウスの本性を現した。合図のように短く鳴き、自らの体長を自在に操れる能力を駆使して、瞬時に命令どおりに翼長五メイルにまで巨大化する。

「乗れ!!」

「了解!!」

「よし! しかし、巨大化時もこの速さとはな」

 ゼッサール、そして佐々木もとにかく乗り込み、ノワールは向かってくる人々をその翼から巻き起こす風で吹き飛ばしながら頭上を向いた。

「前後左右を塞がれているなら、後は上しかない。二人とも口を塞げ、いくぞ……ノワール、飛べ!!」

 白く染められた空を目指し、三人を乗せた巨鳥は天へと舞い上がった。

 しかし、ギマイラもいきなり出現した巨鳥には驚いたものの、せっかくの獲物をむざむざ逃がす気はない。奴が咆哮すると、操られたマンティコア隊から一斉に攻撃魔法がノワールに向かって放たれた。対して、後ろから追いすがってくる二十発以上の炎や氷などを、カリーヌは振り返って迎撃しようとする。ところが!

「『ウィンド・ブレ……くぅ!?」

 突然、彼女の視界がぼやけ、強烈な吐き気とだるさが全身を貫いた。この戦いが始まってからずっと続けてきた空気のドームを作る魔法と、戦闘のための魔法を同時に使う負担が、とうとう彼女の体に跳ね返ってきたのだ。杖を持つ手がしびれ、口はスペルをつむぐことができない。このままでは、集中攻撃をもろに浴びてしまう。

 そのとき、ゼッサールが飛び降り、渾身の『エア・シールド』を張ってノワールの盾となり、攻撃の前に立ちふさがった!! 炎が、岩の弾丸が彼の防壁にはじかれて落ちていく。だが、二十人以上もの一斉攻撃は彼の全精神力を空にしても防ぎきることはできず、防壁が破られた瞬間、彼の体は攻撃でズタズタにされて地面に落ちていく。

「ゼッサール!!」

「私には、これぐらいしかできませんので……申し訳ありません」

 彼が止め切れなかった分の攻撃がノワールの、佐々木の、そしてカリーヌの衣服や体を打ってくる。しかし、傷の痛みなどは構わずに、カリーヌは身を挺して自分達を守ろうとした勇敢な部下が取り残されていくのを、届かない手を伸ばして見守ることしかできない。

「隊長、必ず助けに来てくれるものと、信じております……」

「ゼッサーール!!」

 それが、霧に包まれる前にカリーヌが見た最後の彼の姿だった。

 視界は、ギマイラの吐いた猛毒の霧に覆われ、白い地獄がどこまでも続く。佐々木は暴れるカリーヌの口を抑えながら、必死に霧を抜けるのを待った。

 ひたすら、上へ、上へ、呼吸を止めながら霧のとぎれるのを待つこと1.5秒。網膜に映る光が純白から灰色の雲に変わったとき、ノワールは二人を乗せたままついにギマイラのテリトリーからの脱出に成功した。

「やったか……おお、ガンクルセイダー、またあれの飛ぶ姿をこうして見れるとは」

 水平飛行に映ったノワールの背から、平行して飛んでくるアスカのガンクルセイダーを見て、佐々木は感無量とばかりにつぶやいた。

 ギマイラは、どうやら追ってくる気配はない。例え獲物に逃げられようと、絶対的に有利な立場で戦える霧の中から出てくる気はないようだ。知能といい、用心深さといい、ただ強いだけの怪獣とは奴は根本から違う。

 しかし、かろうじて脱出には成功したものの、安心するのは早かった。佐々木はまだ軽傷だが、カリーヌは脱出の際の負傷が思ったよりひどく、佐々木の腕の中で荒い息をついている。また、ノワールも霧を抜ける際にいくらか吸い込んでしまったようで、咳き込みながら高度を落とし始めた。

「ノワール……あの……平原に、下りろ」

 このままでは墜落かと思われたとき、カリーヌは最後の力でそう命じると、そのまま気を失った。

 

 グライダーが滑空するように緩やかに、ラルゲユウスの巨体がタルブ村からやや離れた草原の上に滑り降り、アスカのガンクルセイダーもその傍らに着陸した。そこへ外から様子を見守っていたレリアと、かろうじて衛生兵の全滅から逃れて、レリアと行動を共にしていたティリーも合流した。

「おじいちゃん、ひどい傷、大丈夫!?」

「私はなんということはないさ。それよりも、彼女がひどくやられた」

 草原の上にカリーヌを寝かせ、焼け焦げて、凍りついた戦装束を剥ぎ取ると、火傷、凍傷、裂傷に犯された彼女の半身がむき出しになって、レリアはその傷のひどさに思わず口を押さえた。

「まずいな、思ったより傷が深い」

 佐々木もアスカも元防衛チームの訓練で応急的な医療知識と、その治療手段を身に着けているが、これは応急手当で対応できるレベルを超えていた。

 傷は、カリーヌの右足から首筋までの右半身に集中して、本来白くみずみずしいはずの肌をどす黒く染めていた。出血だけは少ないものの、人間の皮膚の約二十パーセントが失われると危険だというのに、それを大きく超えている。しかも、村が閉鎖されてマンティコア隊の衛生兵部隊もやられてしまったために、応急手当さえもできず、このままでは傷口から雑菌が入って感染症の危険さえある。

「佐々木さん、何とかならねえのか!?」

「ガンクルセイダーに積んであった医療器具は、全部村の私の家の中だ。ここから一番近い、ラ・ロシェールまででも、山をひとつ越えなければならん」

 山越えをしているうちに彼女が絶命するか、手遅れになる可能性のほうが極めて高い。馬でもあればと思ったけれども、全部村の中で手の打ちようが無い。しかし、アスカはあきらめていなかった。

「だからって見殺しにできるか、ガンクルセイダーで運べばいい、山の一つや二つ、すぐに越えてやる!」

「待て、こんなもので軍港のあるラ・ロシェールに乗り付けてみろ! すぐさま捕縛されてしまうぞ」

「知るか! 捕まったらそのときはそのときだ」

 どんなときでも絶対にあきらめない、アスカの信条は何も戦いのことだけではない。

 けれど、いざ彼女を背負おうとしたとき、帽子を押さえながらじっと見守っていたティリーがそれを止めてきた。

「動かさないでください。私が、治療します」

「えっ、でも」

 アスカは躊躇した。この華奢で世間知らずなお嬢さんに医学の知識があるとは思えないし、第一治療に使える道具もない。だが、ハルケギニアでの生活の長い佐々木は彼女が何をしようとしているのかを悟っていた。

「アスカくん、ここは彼女に任せてみよう」

「佐々木さん? ……そうか、魔法か!」

 そう、このハルケギニアでは生活の様々な分野に魔法が浸透していて、医療もその例外ではない。もちろん万能というわけではないが、魔法を使えば彼女のような刃物を持つことさえできないような者でも、重傷患者を治療することができる。

「この者の身体を流れる水よ……」

 彼女はカリーヌの横に膝を突くと、その傷口に手を向けて呪文を唱え始めた。すると、ティリーの手がわずかに光り、それに照らされた傷口がビデオの高速逆再生を見るようにふさがっていくではないか。

「すっげえ! これが魔法か」

 あっというまに半死人だったカリーヌの傷は消えてなくなり、後には生気を取り戻したみずみずしい肌が輝いている。

「これでもう大丈夫です。さあ、あなたも早く」

 次にティリーが佐々木の傷に魔力を向けると、カリーヌに比べて軽傷だった佐々木の傷は数秒で完治してしまった。すると、彼女は今度は地面に伏して苦しんでいるノワールの元へと駆けていった。

 佐々木は軽く体を動かしてみたが、すでに痛みも消えている。まったくもって、すさまじいまでの水の魔力にアスカは手放しで驚いていたが、佐々木は少々違和感を感じていた。それは、"今彼女は杖を使っていたか?"ということであった。

 通常、メイジが魔法を使うときには例外なく杖を使う。その形は千差万別ではあるが、これがなくては一切の魔法が使えない。けれど、今ティリーはカリーヌに向けて手のひらを向けただけで、杖に相当するようなものは何も持っていないように見えた。もっとも、佐々木にとってそれは違和感を与えはするが、だからといって、"それがどうした?"に当たることで、カリーヌがうっすらと目を開けたときにはすでに記憶のタンスにしまいこんでいた。

「ここは……私はどうして?」

 傷のあった場所を手で触って確かめながら、カリーヌはなぜ自分が無事でこうしているのだと、夢でも見ているようにしていた。それはそうだろう、あれほどの重傷が目覚めたときには消えていたら、誰でも記憶が混乱する。

「ティリーさんが、魔法で助けてくれたんですよ」

「なに?」

 レリアに言われて彼女が首を起こすと、ティリーはちょうどノワールの治療も終えて、こちらに戻ってきたところだった。

「あっ、よかった、気がつかれたんですね」

「ああ、君が助けてくれたそうだな、『治癒』の魔法が使えたとは水のメイジだったのか。おかげで助かった、感謝する。ところで、ノワールは、私の使い魔は大丈夫なのか」

「傷は治しましたが、毒を多量に吸い込んでいて、申し訳ありませんが、毒の分解までは私の力では……」

「そうか……しばらくノワールは休ませるしかないか……いや、部隊の全員を失い、おめおめ生き恥を晒している、私のなんと滑稽なことか……」

 自嘲を込めた笑いを浮かべるカリーヌの声には艶が無く、敗北感が漂っている。

「なんだなんだ、なっさけねえな、最初のえらそうな勢いはどこへ行ったんだ。あんたまだ生きてるじゃねえか、やれることが残ってるってのに、もうあきらめんのか?」

 そのアスカの挑発するような軽口は、折れかけていたカリーヌの誇りにわずかなりとも火を灯した。

「……そんなこと、お前なんぞに言われなくても分かっている! 軍人は、己に課せられた任務をいかなる場合においても果たすのが義務だ、こんなことぐらいで!」

「おう、その意気だぜ」

 笑いかけるアスカに負けないように、カリーヌは地面を叩いて勢いよく起き上がってきた。

 

 が、それが少々まずかった。

 まず、カリーヌの着ていた服は、脱出の際の攻撃を受けてあちこち燃えたり破れたりしていた。

 その後、焼け焦げた部分と凍りついた部分を取り除き、傷を露出させるためにかなりの部分を破り捨てた。その時点では医療行為としてそれが最良だったのだが、こうして傷を完治させてしまった後で起き上がったものだから、残ったわずかな布切れがずり落ちて……ちょうど正面にアスカがいたものだから。

 

「あ……」

「……――――!」

 

 声にならない声が流れる。

 そして、時間にして一秒後……カリーヌが、気絶してもなお離さなかった杖を上げて……

 

「死ねーーーーっ!!!!」

 

 アスカの体が宙を舞った。魔法の威力は感情の高ぶりに影響される。今のは単なる『エア・ハンマー』だったのだが、まるで核爆発の衝撃を喰らったかのように、彼の体は木の葉のように三百メイルは吹っ飛ばされる。

「アスカーッ!!」

「アスカさーん!!」

 佐々木とレリアの叫びも届かずに、アスカ・シン、異世界に死す。

 かと思いきや、墜落地点にはちょうどタルブのブドウ畑があった。それがクッション代わりになって受け止めてくれたおかげで、アスカは少々の打撲と擦り傷は受けたものの命拾いすることができた。

「ラ、ラッキー」

 確かにラッキーである。いろんな意味で。

 しかし、女性にとって一番見られたくないものを見られたカリーヌの怒りは治まらない。いつも氷のように冷たく固めた表情を真赤に染め、後の自分の娘の一人とそっくりな顔で、今度は本気で抹殺する気で杖をあげて『カッター・トルネード』の詠唱を始めた。

「お母様にしか見せたことなかったのに……死んで罪を償えぇぇ!!」

 さっきの戦いで精神力を使い果たしていたはずなのに、彼女の人生でも過去最大級の超巨大竜巻が生まれてくる。理性のリミッターが外されて、ずっと抑制されていた感情が一気に表面に出てきたのだ。二、三万の軍隊でも一撃でぶっ飛ばせそうなこれが放たれたら、タルブ一面荒野と化すだろう。

 だが、カリーヌが杖を振り下ろそうとした瞬間、その手を佐々木とレリアが押さえ込んだ。

「待った!! ちょっと待った!!」

「離せ!! あのしれ者を生かしておけん」

 山仕事で鍛えた佐々木の腕力でも、カリーヌの細腕一本を抑えるだけで手一杯だ。ちなみに、見ていたのは実は佐々木もだが、すでに孫までいる年の彼はたいして気になっていない。オスマン学院長みたいなのはあくまで例外なのだ。佐々木の言うことにもまったく耳を貸さないカリーヌに、ティリーはどうしていいかわからずにおろおろしているが、アスカどころかタルブの危機にレリアも必死で呼びかける。

「待って!! これは事故ですよ事故、アスカさんはあなたを助けようとしてたんです」

「ふざけるな、殺すと言ったら殺す!!」

「落ち着いてください! どうせ見られたってたいしたものは無いじゃないですか!」

「なっ、なんだと!! この平民のくせに生意気な!! でかけりゃいいってものじゃないだろ」

「平民関係ありません、それに何事も小さいより大きいほうがいいに決まってるでしょう!!」

 どうも話の論点がずれてきた。おかげでアスカに向かっていた怒りのベクトルが逸れてきているものの、この言い争いの内容も、やはりどうにも血は争えないようだ……ちなみに、カリーヌとレリアの女性が子育てをするために必要な器官の大きさは、彼女たちの遺伝子を受け継ぐことになる者たちと大差ない。

 が、その言い争いでできた隙を佐々木は見逃さず、すかさずカリーヌから杖を奪い取った。

「貴様! なに……を……」

 杖を奪われることによって、膨大すぎる精神力も行き場を失った。それによって、肉体的、精神的にも疲労の極致にきていたカリーヌは再び意識を失ってその場に倒れた。同時に、巨大竜巻も制御を失って分解していった。

「やれやれ……とんでもないお嬢さんだ」

 腕の中に崩れ落ちたカリーヌの体を支え、レリアの上着を着せてやりながら佐々木はやれやれと思った。冷徹無情な鉄の女かと思えば、一皮むけばなんとまあ純情なこと。

 しかし、このままほおって置くわけにもいくまい。見ると、太陽もそろそろ山陰に半分ほど姿を隠し、雲から透けて見える陽光も黄色からオレンジに変わってきている。夏の長い日も、あと一時間もすれば星と月に主役を譲り渡すだろう。

「おーいアスカくん、無事かー!!」

「なんとかなー!! 俺は不死身だぜー」

 ここで言う台詞ではないような気もするが、アスカも元気そうに駆けてきた。

 ただ、前途はとんでもなく多難だ。さて、これからどうしたものか、佐々木はまったく良くならない環境と、いろいろ問題のある仲間達のことを思い、カリーヌを背中に背負って頭を抱えた。

 

  

 続く



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第52話  『烈風』カリンの知られざる伝説  反撃開始!! ウルトラ作戦・第一号!!

 第52話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 反撃開始!! ウルトラ作戦・第一号!!

 

 吸血怪獣 ギマイラ 登場!

 

 

 霧の中の戦いから一時間、すでに完全に日も暮れ、タルブ村の周りは白を塗りつぶす黒が支配する時刻を迎えていた。

 彼らは村のブドウ畑に面した小屋に集まり、休息をとることにした。ここは、いつもなら道具をしまったり、収穫時に泥棒などから畑を守る見張り小屋となる山小屋だった。ここからなら、村を一望できるので、怪獣が何かをしたら一目でわかるし、食料も貯蔵してある。

 あれから、高台からしばらく見張っているがギマイラは霧の中から動こうとはしていない。だが、こちらのほうも一番の戦力である『烈風』カリンは精神力を使い果たし、その使い魔である古代怪鳥ラルゲユウスのノワールも、ギマイラの毒霧を多量に吸い込んでしまって、操られこそはしていないが、彼女の肩に小さくなってとまったままじっと毒が抜けるのを待っている。

 また、ガンクルセイダーも三十年ぶりに飛ばせはしたものの、飛行機というものは一回飛ばすごとにメンテナンスが必要なものである。一応『固定化』で部品が破損する危険性は少ないものの、元がプロのパイロットであったアスカや佐々木は安心せずに、今はエンジンを止めて休ませている。

 要は、今は動きたくても動けないということであって、元々電気などないハルケギニアの夜。しかもこの日は曇りで月も星も見えず、目が慣れれば歩けないことはないものの、戦うには危険すぎる。ということで、戦いは明日に持ち越して、こちらも回復に力を注ぐ、一時休戦状態となっていた。

「決戦は明日か……それにしてもあの二人、いい加減仲直りすればいいものを」

 いろりに火をおこしながら、佐々木はそっぽを向き合っているカリーヌとアスカを苦笑しながら見た。

 この山小屋の造りは佐々木の設計による日本風なもので、いろりを囲んで座れる、いわゆる昔話でよくある形になっている。そこで、一行は板張りの床に腰を下ろして休んでいたが、アスカは目を覚ましたカリーヌに、魔法こそぶつけられなかったが、したたかに殴られていた。

「おーいてえ……んったく、事故だって言ってるのに、本気で殺しにきやがって……しかし、こんな話間違ってもみんなや、特にリョウには話せねえな」

 笑顔のままパンチを繰り出してくるスーパーGUTSの同僚の顔を思い出して、アスカは背筋を震わせた。そういえば前に知り合ったカメラマン志望の女子高生にも、エッチだの変態だのロリコンだの呼ばわりされたなと、あまり愉快でない記憶を蘇えってくる。

 一方のカリーヌのほうは戦装束がだめになって、倉庫の作業着に無理やりマントをつけたものを着ていた。もっとも、まだ怒っているのかふてくされているのか、壁を向いたまま一言も発しない。

 だがそうしていると、小屋に村の様子を見に行っていたレリアが帰ってきた。

「おじいちゃん、村は、霧の回りは静かだよ。物音ひとつしない」

「そうか、あくまで霧の中に立てこもって出てこないつもりだな。しかし、これで奴に逃げられる心配だけはないか」

 恐れていたことは、奴が捕まえた人々の血を吸い尽くして移動するか、人々を連れたままさらなる獲物を求めて移動するかであった。だが、どうやらギマイラは人質と食料を抱えたまま篭城戦を選んだようだ。

「お父さんとお母さんも、きっと無事だよね……ううん、それじゃ夕食の準備するね」

「あっ、わたしも手伝います」

 この山小屋には泊りがけの仕事や、村が災害にあったときの非常用もかねて保存食がかなり備蓄されている。それらを使えばごちそうとはいかないまでも、けっこういいものが作れるだろう。あとは、男の出る幕ではない。

 佐々木は形だけはあるかまどに向かうレリアとティリーの後姿を見送ると、ガンクルセイダーから外してきたGUYSメモリーディスプレイのギマイラの項を呼び出した。そうして今日の戦いのことを思い出しながら、いったいどうやって奴を倒そうかと、作戦を練り始めた。これは単なるGUYS隊員の身分証明やメカの起動キーだけでなく、過去に出現した怪獣のデータもインプットされているのだ。

「パワーは、ウルトラマン80を上回り、口から吐き出す霧は人間の思考を麻痺させる……アーカイブドキュメントにあったとおりだな。他にも今回の戦いでは見せなかった特殊能力がいくつか、手ごわい怪獣だ」

 すると、佐々木のその台詞を聞きつけたアスカが話しかけてきた。

「そういえばじいさん、あの怪獣のこと知ってるのか?」

「ああ、私の世界で昔暴れていた怪獣だ。まさか、このハルケギニアにも同族がいるとは思わなかったがな」

 彼はアスカに、GUYSメモリーディスプレイのデータを見せ、その概要に大体目を通したアスカは、忌々しげに言った。

「つまり奴は、この村を血を吸う人間を囲っておくための牧場に仕立て上げちまったってわけか。それでいざ外敵が来たら操った人間を戦わせて、自分は安全なところに隠れてる。きたねえ野郎だ」

 とはいっても、霧の中に隠れられたら近づくことさえままならないのだから、このままではこちらに勝機はない。

 普通に考えたら、ここは王宮へ援軍を要請するべきだろう。だが、相手は普通ではない。すでに最強のマンティコア隊が敗れた上に、操られた今では同士討ちになり、最悪トリステイン軍全部が操り人形にされてしまう。

「しかし、ここでなんとかしないと、いずれハルケギニア中が奴のための人間牧場にされてしまう……」

 今、ギマイラと戦えるのは異世界の力と知識を持つ自分達しかいない。たとえ世界は違おうとも、人々を守るために戦う彼らの心に揺らぎは無かった。

 とはいえ、腹が減っては戦はできぬ。火にかけられた中華鍋からいい匂いが漂ってきたとき、二人の腹がいい音を立てて鳴った。

「みなさーん、お夕食ができましたよ」

「いよっし、なにはともあれ飯だメシ!」

「そうだな、そういえば昼から何も食べていなかった」

 食欲だけは天下万民、逆らえる人間はいない。食事係のレリアとティリーが食器を並べると……ちなみに食器といってもスプーンを刺したお茶碗という和洋折衷の奇妙なものであったけれど、腹をすかせた男どもは蟻のようにパッと反応して鍋を囲んで座った。

 けれど、カリーヌだけは壁のほうを向いて体育座りを続けている。こうして見ていると、とても数十騎の魔法衛士を束ねる鬼隊長とは思えないが、今は指揮する部下の一人もいないただのか弱い……こともないが、女性である。いきなり何もかも割り切ってしまうなどということができるほど、彼女がこれまで積み上げてきたものは小さくはなかった。

「おい隊長さん、あんたも食えよ」

「いらん、食欲がない」

 アスカが彼女の分をよそっても、カリーヌは振り向こうとさえしなかった。今、彼女の中では昼間の戦いで自分がした愚行や、平民に助けられたこと、副隊長を犠牲にして逃げるしかなかった屈辱が渦を巻き、逃げ道のない思考の迷路に迷い込んでいた。

 だが、こんなときは無理に考え込んでも自縄自縛になるだけで、建設的な方向にはなりにくい。まして空腹ならなおさらだ。意地を張っている子供に口で言っても聞き分けはしないとわかっている佐々木は、立ち上がってカリーヌの体を後ろから抱え上げると、有無を言わさずに鍋の前に座らせた。

「なっ、なにをするか!?」

「冷めないうちにさっさと食え、平民を守るのが貴族の義務なら、戦いに備えて体調を万全にしておくのも義務だ。それとも、平民の食事など口にもできんか?」

「……わかっている!」

 不愉快そうに茶碗をつかんで、カリーヌは湯気の立つシチューをスプーンで口に運んだ。すると、それまで眉間にしわを寄せていた顔に、一瞬子供のような笑みが浮かんだではないか。

「……うまい」

 それは、カリーヌにとってはじめて味わう味であった。名家の出身である彼女は様々な美食を口にしたことがあるが、見たことのない野菜やハーブが使われており、手が勝手に次を口に運ばせるのは空腹のせいだけではあるまい。山小屋に乾燥させたり燻製にしたりして保存されていた材料を使ったのだから、はっきり言って戦闘懐食に毛が生えた程度のものを想像していた。ところが、今まで味わったことのない食感が舌を通じてもたらしてくる快感には、さしもの『烈風』とて耐えられない。いや、耐える必要などまったくないことであるが、それでも一応貴族の矜持は守ってシチューをかきこむようなことはせず、上品に、しかし熱心にスプーンを動かし続けていた。

 また、カリーヌのように上品にではなくても、アスカも茶碗にかぶりついてシチューを喉に流し込んでいた。

「こりゃあうまいや、スーパーGUTSの忘年会で食ったちゃんこ鍋みたいだな。なんていう料理なんだい?」

「ヨシュナヴェっていうんです。おじいちゃんの、にっぽんって国のお料理なんです」

「ふーん、ヨシュナヴェ……ヨシュ……ナヴェ……もしかして、寄せ鍋のことか?」

「ああ、どうもこっちの人間には発音が難しいみたいでな。まあ、別に名前にこだわりはしないし、うまければいいだろう」

 なるほど、何か懐かしい味だと思ったらそういうことか。けど、いろんな具がごった煮にされて、濃い味付けは疲れた体にはよく染みて、いくらでもおかわりができてしまう。

 そんな幸せそうな彼らを見て、レリアとティリーもうれしそうに自分達も食を進めていた。

「気に入っていただけてうれしいです。あら、そういえばティリーさん、食事のときくらい帽子を脱いだらいかがですか?」

「あ、これは……ちょっと」

「はあ……あ、アスカさんおかわりですね」

 レリアはそれっきりティリーの帽子への興味を失った。鬼の角でもあるのかなと馬鹿なことを思ったりしたが、別に何があろうとこの人は悪い人ではないと、すでに信じていたのだ。

 

 

 そして、腹を満たした後、佐々木はガンクルセイダーの整備をすると言って出かけた。一方でアスカとカリーヌは気まずい雰囲気のままだったものの、やがて二人とも散歩に行くと言って外に出た。

 星すらない夜の闇は、ここが怪獣に襲われているということすら覆い隠すようであった。黒はほかのすべての色を埋めてしまう。それでも、視力のよい二人は特につまずくこともなく歩いていた。

「なんか言ってくれよ」

「……」

 アスカはずっと黙りこくったままのカリーヌに、そろそろ勘弁してくれよと声をかけた。仮面をとり、桃色の髪を下ろしたその素顔ははっきり言ってすごく可愛いのだけど、不機嫌そうな表情が台無しにしている。

「まだ怒ってんのか、ありゃ事故だって」

「……また吹き飛ばされたいか? もうそんなことを気にしてはおらん! 貴様こそ、よくそんなにのんきにしていられるな」

「そりゃあ、明日はあの怪獣にリターンマッチ挑むからな、今から闘志はメラメラだぜ」

 それを聞いてカリーヌは本気で呆れてしまった。

「貴様正気か? 私の力でも揺るがせもしなかった怪物を、あの飛行機械を使えたからといって、どうこうできると思っているのか」

「できるさ、戦うのは俺だけじゃない、佐々木のじいさんもいるし、レリアちゃんもティリーちゃんも、逃げずに見守ってくれてる。勝負はまだ一回の表を取られただけだ。本当の戦いは、これからだぜ!」

「……なぜだ?」

「ん?」

「奴はこの国で最強の私の部隊を全滅させた奴だ。いくら貴様が能天気でも、その意味くらいはわかるだろう。もとより、私はこの命に換えても奴を倒すつもりだが、なぜ貴様の闘志は折れない」

 カリーヌには、なぜ魔法も使えない平民が怪物を前にして戦えるのか分からなかった。彼女の見てきた平民は、常に貴族より下に出て守ってもらおうとしていたのに、彼らはそれらの者達とは明らかに違っていた。

「俺は、国を出るときに、仲間たちに必ず帰ると約束した。もう、随分遠くまで来ちまってるけど、その約束を果たすまで、俺は前に進み続けるのをやめるわけにはいかない。帰ったときに、さらに前に進むためにな」

「貴様は、前に壁があろうが落とし穴があろうが突き進むタイプだな」

「いゃあ、そんなほめるなって」

 必ず充分考えてから行動するタイプのカリーヌは、前向きにも程があるアスカの生き方に、正直に呆れていた。彼女の理想とする軍隊とは、優秀な指揮官と、その命令を忠実に実行する兵士にある。それを信念として生きてきた彼女には、それとは対極に位置するアスカは認められるものではなかった。

「貴様が私の部下なら、即刻部隊から叩き出すな。貴様のように、何も考えずに行動する奴がいては規律も何もあったものではない。真に精強な軍隊とは、鉄の規律に縛られ、無心となって戦うものだ」

「……なるほど、あんたの部隊が全滅するわけだ」

「なに?」

 思いもよらない言葉に、カリーヌの眉がつりあがった。

「あんた、部下が操られてどうしようもなくなったとき、仕方ないから殺そうとしたんだってな」

「だから、どうした。人殺しはだめだとでも言うつもりか? 国のために命を惜しまずに戦う、それが貴族のあるべき姿だ。ただし、指揮官はその生死のすべてに責任を持たねばならん」

 冷然と言い放つカリーヌの顔を横目で見て、アスカは軽く眉をしかめたが、それを表に出しはしなかった。以前ならば、「人を見殺しにして、責任も何もあるもんか!」と怒鳴っただろうが、今は違う。

「いいや、指揮官として、小の虫を殺して大の虫を生かす。その判断は当然だろうな。けど、それだけじゃだめだな」

「どういう意味だ?」

「昔な、俺もあんたみたいに侵略者と戦う組織にいたんだ。隊長は、あんたみたいな厳しい人だった、けど、あるときその隊長が敵に捕まって、隊長ごと撃たなけりゃ基地が全滅するって事態になった。そのとき代わりにコウダ隊員って人が指揮をとってたんだが、その人は、最後の最後まで小の虫を殺せずに、自分が小の虫になろうとまでしてたよ」

「指揮官失格だな。で、そいつはその後どうなった?」

 アスカは、してやったりとばかりに笑った。

「今じゃ、俺たちの誰もが信頼する立派な副隊長さ」

「な、に?」

「理屈に合わないと思うだろ、本人だってそうだったさ。けどな、結局指揮官ってのは一人じゃ戦えないんだよ。あんた、ずっと一人きりで戦ってきた。少なくとも自分だけでなんでもできると思ってたんじゃないか」

 カリーヌは答えずに、わずかに歯軋りをした。

 ササキといい、こいつといい、どうしてこう同じようなことを言う。しかも、何の力もない平民のくせにこの状況で少しもひるんだ様子がない。いったいどれほどの戦いを潜り抜けてきたというのか。

 一方のアスカも、この気難しい隊長殿をどうもほおっておけないように思えていた。腕はそれなりに立つけど、向こう見ずで一人きりで突っ走ろうとして、まるで入隊時の自分みたいだと、柄にもなく保護者意識を芽生えさせていた。これが彼の同僚たちが知ったら、他人にどうこう言える身分かと口を揃えて言われるに違いない。ただし、幸か不幸か今アスカに忠告できる人間はいなかった。

 やがて、歩く先にぼんやりとランタンの灯りと、それに照らされた銀色の機体が見えてきた。

 

「佐々木さん、どうだい機体の調子は?」

「まあまあだ、明日には問題なく飛べるだろう」

 格納庫代わりにしていたボロ小屋が発進で吹き飛んでしまったために、そこから近い平地にガンクルセイダーを停めて、佐々木は面倒なエンジンとの格闘を終えて休んでいた。幸い故障も見当たらず、彼の努力によってすでに万全の状態で飛び立てるようになっている。

 しかし、佐々木とアスカにとっては希望の翼であるガンクルセイダーであったが、カリーヌにとっては、この銀色の鉄の翼はまだ自分の理解を超えたものだった。

「ところで、これはいったい何なんだ?」

 自分の使い魔と軽く平行して飛び、自分の攻撃を跳ね返した怪物に、仕留められないにしても幾分かのダメージを与えた。オーバーテクノロジー、地球人にとって宇宙人の円盤が理解を超えているように、ハルケギニアの人間から見て二十一世紀の地球人の技術は理解の外にあった。

 彼女の見上げる先、ガンクルセイダーは銀色の輝きを身にまとって何も答えない。代わりに佐々木がゆっくりとした言葉でそれに答えた。

「空を飛ぶための道具さ。最初は鳥の羽根をまねた木や布の翼だったけれど、ゆっくりとそれを改良していって、やがて鉄の翼になり、風よりも早く飛べるようになり、そしてこいつを作り上げた」

「これが、鳥のまねだというのか? 馬鹿な、鳥は羽ばたいて空を飛ぶ。しかしこれは羽ばたきもせずにいったいどうやって飛んでいるというんだ」

「そうだな、私たちの国でも、最初はなんとか作り物の羽根を羽ばたかせて飛ぼうとしたらしい。しかし、結局鳥を模倣することは無理だった。けど、可能性ってのは何もひとつだけじゃない」

 そう言うと、佐々木は工具といっしょに置いてあった紙を手に取り、折り紙で紙飛行機を作って投げた。すると、ただの紙切れだったそれは、きれいに空中を滑空して、十メイルばかり飛んで草原に滑り降りた。

「飛んだ……」

「な、空を飛ぶのに、必ずしも羽ばたく必要はない。風の流れに乗り、それを受け止める翼があればいい。それに気づいたとき、私たちの世界の人間は空を手に入れることができた」

 もちろん、そこにいたるまでには数多くの努力と犠牲があった。しかし、飛行機を手に入れられなかったら、地球は今のような発展には絶対いたらなかっただろう。

 地上に縛られ続けてきた人間が、太古から思い描いてきたユートピアこそ空、そして宇宙。自らの力でそこを飛ぶことができないからこそ、人々はそこに夢とロマンを追い求めてきた。佐々木の来た世界では、科学特捜隊の時代からすでに、亜光速試験船イザナミが冥王星まで飛び立ち、ネオフロンティア時代を迎えたアスカの世界でも光を追い求め、ネオマキシマ航法、ゼロ・ドライブ航法などの超光速飛行への挑戦が続けられている。それが、ハルケギニアではありえないと誰が断言できるだろうか。

「君たちメイジは魔法の力で空を飛べる。けど、考えたことはないか? 空気が薄くなり、もう上がることのできなくなるほどの高さの、そのさらに上には何があるのかって」

「それは、天上は神々の世界だ。そこへ人の身で行くことはできないと、教会では教えられている」

「私たちの世界でも、昔は海の果ては滝になっていて、恐ろしい怪物たちがいると恐れられていた時代があった。けれど、どうしても自分の目でそれを確かめたくなった人間が、危険を承知で海を越えてみると、それは昔の人間が考えた妄想で、実際はとてつもない広さの新天地があった。人は生き続ける限り、いつかは揺りかごから出て行く」

 佐々木のその言葉に、アスカもうなづいた。

「おれも、昔親父から聞いたことがある。人間が、まだ猿同然だった大昔、最初の人間たちは深い谷の底に住んでいた。けれど、その猿たちは、谷底でいつも空を見続けていた……そして思った、あの壁の向こうには何があるんだろう。あの空はどこまで続いているんだろう……そうして、彼らは壁を登り始めた。何度も滑り落ち、大勢の仲間を失いながら……俺は不思議に思った。なんで谷の底で大人しくしていなかったんだろう、そのほうが楽なのにってな……でも、親父は言ったよ。それが、人間なんだって……そんな人がいたから、何の変哲もない俺みたいなのが、空を飛べるんだってな」

「人間だから……」

「そうさ。よくも悪くも、そうしていくのが人間だってな。だから、俺はまた空を飛ぶためにあいつを倒す」

 人が前に進むために、それを邪魔しようとするものと戦うのが、スーパーGUTSだ。

 そして、世界は違えども、人々の未来を守る心意気はGUYSもなんら変らない。

「ミサイルは半分は残ってるし、燃料もあと一回戦うくらいなら持つだろう。残念だが、私の老体ではもうこいつを乗りこなせん。しかし君なら、昔の私以上にこれを使いこなせるだろう」

「ありがたいぜ。これで明日はあいつの鼻っ柱の角へし折ってやるぜ!」

「その意気だ、せっかく整備した機体だ。明日は必ずとどめを刺してくれよ……ああそうだ、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだが」

「ん?」

 急に思い出したように佐々木は工具入れをあさり出した。その背中を、アスカとカリーヌは不思議そうに見ていたが、佐々木はやがてペンキ缶とハケを取り出してアスカに手渡した。

「これは?」

「見てわからんか? ペンキとハケだ。今日暴れたせいで少々塗装がはげちゃったんでな、塗りなおすのを手伝ってくれ」

 今やることではない気がするけれど、アスカはとにかく勢いのままにガンクルセイダーの翼の上に押し上げられてしまった。

「GUYSのシンボルは私が塗りなおすから、君は他を頼む」

「いや、他って言ったって……」

 アスカは困ってしまった。なぜならガンクルセイダーはGUYSのシンボルのほかは基本無塗装の銀無垢だからだ。塗れと言われても困ってしまう……が、ならばと思い至ったアスカは、おもむろにハケをふるって赤と青のペンキを塗りたくった。

「じゃーん!」

「これは、G・U・T・S?」

「スーパーGUTSのシンボルさ。いっしょに戦うんだ、俺達の誇りもこいつに背負わせてくれよ」

 もちろん佐々木に否があろうはずはなかった。二つのチームのシンボルを背負った機体を見上げてニヤリと笑い、アスカもガッツポーズでそれに応えた。

 カリーヌは、そんな彼らの後姿をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと話しかけた。

「お前たちには、恐れというものがないのか?」

 この二人を見ていると、戦いに際して臆した様子とか恐怖感とかいうものがまるで感じられない。けれど、彼らはけして恐怖心を捨てたわけではない、むしろ逆である。

「怖いさ、けど、怪獣のせいで家族や友人を失うほうがもっと怖いだけだ」

「俺もな、カラ元気を張っちゃいるけど怖いものは怖い。けどな、怖いからこそやれることがあるんだ」

 アスカは少し昔話をした。

 大昔、無敵と呼ばれた兵士たちがいた。彼らは戦いに挑むに際して、自らの恐れの気持ちを石に込めて、自分たちの神に捨てていった。それで、戦いに恐怖しない彼らは無敵となっていたのだが、あるとき彼らは恐れを喰らう神を封じていずこかへ去った。

 なぜなら、彼らは気づいたのだ。恐怖を持たない兵士は自らも他人も省みることはない、ただ破壊と殺戮を撒き散らすだけだと。

「恐怖するのは恥じゃない、その恐怖と向かい合っていくのが大切なんだって、俺の隊長の受け売りだけどな」

「それが、お前たちの戦う信念なのか?」

「信念なんてたいそうなものじゃないな。俺はただ、俺にできることをやる、それだけだ」

 強敵に対して、勝てるかどうかと悩んだことはアスカにも当然ある。しかし結局は自分の戦い方をするしかないとわかったとき、迷いは吹っ切れていた。

 単純だが、自分のやり方を貫き続けることは難しい。ただ、説教はするのも聞くのも好きじゃないアスカは照れくさそうに頭をかくと、コクピットを自分でチェックするために機体に登っていった。

 すると、今度は佐々木がカリーヌに向かって問いかけた。

「君は、どうなんだ? 我々は、どうあれ明日には奴との決着をつける。今、タルブ村を救えるのは我らしかいないからな」

 すでに貴族への敬語などはなくなっていても、カリーヌは怒らなかった。

 王室に連絡すれば、マンティコア隊の敗退を隠すために村ごと焼き尽くすなどといった馬鹿なことを考える将軍や大臣がいかねない。歴史と伝統ある王家は確かに立派でも、その形式だけを重視するやからはどの世界でもごまんといる。

 戦うかどうかと言われれば、カリーヌの中ですでに答えは出ているし、迷いもない。

「考えるまでもない。私の任務はタルブ村の異変を調査し、これを解決すること。そのために戦わなければならないとしたら、是非もない」

 カリーヌは佐々木の言葉に、彼の目を正面から見据えて言い返した。

「上出来だ、しかし奴は強い、ならば君はどう戦う?」

「……」

 カリーヌは返答に窮した。これまでの自分なら、奴と刺し違えてもと言っていただろうが、それでは前の戦いと同じ、目的と手段をプライドという色眼鏡で取り違えた愚者の所業である。捕らわれている人々を無事に救い出せる方法でなければ意味が無い。

 そんな、答えを見つけられないでいるカリーヌに、佐々木はくるりと後ろを向いた。そして腰に手を当てて、空に向かって腹から声を大きく搾り出した。

 

「ひとつ! 天気のいい日にふとんを干すこと。ひとつ! 土の上をはだしで走り回って遊ぶこと。ひとつ! 道を歩くことは車に気をつけること。ひとつ! 他人の力を頼りにしないこと。ひとつ! はらぺこのまま学校に行かぬこと」

 

 唐突に何を言うのかと、目を白黒させているカリーヌと、大声になんだとコクピットから出てきたアスカに見つめられ、佐々木は振り返ると笑いながら言った。

「私の隊長から教えてもらった言葉でな、ウルトラ5つの誓いという。なんでもないことばかりだけど、だからこそ奥が深い……いいや、そんな小難しいものじゃないな、そのとおりの意味だ」

 一見、どれも簡単で当たり前のように思えるけれど、大人になってもこれを全部守れている者はそうはいない。部屋を片付けずにふとんをごみためにしていたり、パチンコに興じていたり、スピード違反をしたり、栄養食でごまかして仕事に行ったりと、言い換えれば心当たりのある人間は多いだろう。

 その中でも、他人の力を頼りにしないというのは、もちろん他人に媚を売ったり、甘えたりしないという意味もあるが、孤独に生きろという意味ではない。本当に、誰の力も借りずに戦わなければならない相手はひとつだけだ。それとの戦いには、誰にも頼れないということを教えているのだ。

「結局、何が言いたい?」

「君はずっと、一人で戦ってきたな。誰も頼らず、頼る必要も無く。けれど困難ってのは、自分で克服しなければならないものと、皆で乗り越えなければならないものの二つがあるんだ」

 前者はいうなれば、強敵に敗退したジャックやレオ、メビウスが特訓の末に新技を編み出して強くなったもの。後者はテンペラー星人やムルロアの来襲に、兄弟全員が力を合わせたもの。自分の限界を打ち破るには、誰の力も頼れない。しかし、この戦いの目的はそれではない。

「共に戦おう。一人では無理でも、我らにも少しは力がある。君の役に立てるはずだ」

「……いや、平民を戦わせては……」

 そう言いかけてカリーヌは口をつぐんだ。彼女にも、もはや単独での任務遂行が困難であることはわかっている。己に課せられた任務を遂行し、人々を救い出すにはアスカの飛行機械と佐々木の知識がいる。しかし、骨の髄まで染み込んだ軍人として守るべき規律、貴族の孤高の誇りがそれを拒んでいた。 

 だが……

"隊長、必ず助けに来てくれるものと、信じております……"

 あのときの副隊長の言葉が、縛り付けられていたカリーヌの心の鎖に亀裂をいれた。

 そして、彼女はその背にまとっていた黒いマントを脱いだ。

「マンティコア隊隊長、『烈風』カリンはこれでいない。これで……お前たちと同じだ」

 守るべきものが複数あり、それをすべて守れないときに、人はどれかを捨てる選択をせねばならない。なにが、真に守るべきものであるのかを、何を失ってはならないのかを。

 最後の最後に、カリーヌは隊長としての責務を守るために、隊長であることを捨てる決意をした。

 だが、それは騎士として、貴族としてのすべての栄光も地位も放り投げるのに等しい。それでも、貴族は平民を守るもの。隊長は部下のすべてに対して責任を持つこと。軍人は規律を厳守し、決してそれに背いてはいけないという義務を果たすためには、己を捨てる以外に方法はなかった。もちろん、だからといってそれを免罪符にするつもりはなく、すべてが終わったら自分自身にけじめをつけるつもりでいた。

「もう私は貴族ではないが、私を信じてくれた部下たちにはせめて責任をとらねばならん。恥を承知で、協力を頼む、このとおりだ」

 それは、カリーヌが親と国王以外に、初めて他人に頭を下げた瞬間だった。

 もちろん、協力を頼まれて佐々木もアスカも断る理由などなにもない。だが、佐々木はカリーヌが脱いだマントを彼女の首に巻きなおしてやって、こう言った。

「まだ、これを脱ぐには早い。戦いが終わって、自分の選択が何を呼んだのかを見届けてから、脱ぐかどうかを決めるといい」

 彼も、かつてガンクルセイダーの訓練中に誤って機体を墜落させて全損させてしまい、辞表を提出したことがあった。しかしセリザワ隊長は、GUYSの制服はそんなことで脱げるほど軽くはないと、残隊を命じてくれた。

 同じ戦士でありながら、これまで自分より数段強い敵と闘い続けてきた者たちと、圧倒的な力ですべてをねじ伏せて、初めて敗北を経験した者。三人はお互いにそれぞれを静かな夜の中で見直し、語り合いながら心を交えていく。

 すべては、タルブ村を、延いては大勢の人々を守るため。

「ところで、具体的な策はあるのか? 私も当然死力を尽くすが、単純な攻撃だけで倒せる奴でもあるまい」

 確かに、ギマイラがあの霧の中に隠れ潜んでいる限り、こちらは及び腰の攻撃しかできない。また、数多くの人質がいる以上、飽和攻撃も論外だ。

「うむ、そのことだが、ひとつだけ有効かもしれん作戦がある。こいつを見てくれ」

 佐々木は二人に、GUYSメモリーディスプレイの、ドキュメントSSSPの最初の項を見せた。

「なるほど、悪くないな。しかし、奴の外皮の強度はドラゴン以上だ、それをどうする?」

「そこは、私に考えがある。奴だって不死身じゃない、アキレス腱は必ずある」

 三人は、それから機体の傍らの丸太に腰を下ろして、夜通し作戦を練りあい、実地段階での打ち合わせをしていった。

 

 曇天の夜空は光をもたらさず、作業のために佐々木がつけたランプだけが、ずっと彼らを照らしている。

「こりゃあ、明日は降るかもな」

 今は夏真っ盛り、雨雲は雷雲へと変わるかもしれない。

 

 

 翌朝、曇天は変らず、朝日は薄ぼんやりと厚い雲越しに日差しを投げかけてくるだけで、夜明けからかなり時間が経っても、周りは薄暗いままだった。

 そんななか、朝食をすませると、一同は暖気運転をしていたガンクルセイダーの周囲に集まり始めていた。

「はぁ、はぁ……村の周りを見てきました。昨日と同じで、特に変ったことはありません」

 見回りに行っていたレリアが息を切らせながら報告してくるのを、カリーヌはうなづきながら聞いていた。話し合った結果、この戦いにおいての指揮はカリーヌがとることになっている。佐々木もアスカも元は一隊員で、他人を指揮することには慣れていないし、二人とも独自にやることがあるからだ。

「機体の調子は万全だ、いつでもいけるぜ!」

 アスカもコクピットから顔を出し、グッと親指を立てたサインを見せた。

 戦う力を持たないティリーは、このあとレリアといっしょにここに残って、誰かが怪我をしたときに備えることになる。

「あの……必ず戻ってきてくださいね。首がちぎれてでもいない限り、絶対に直してあげますから」

 なにげに怖いことを言うが、後ろで強力な治癒を使えるティリーがいてくれるというのは心強い。

 だが、佐々木だけが何か用意があると言って出かけたままなかなかこなかった。作戦開始時刻はもう迫っているというのに……

「遅いな、何をしている」

 規律に人一倍うるさいカリーヌは、当然遅刻も大嫌いなのである。ただ、あの男がまさか逃げ出したとも思えず、いらだちを押し殺しながらじっと待っていた。

「おーい、待たせた!」

「遅いぞ!! 何をしていた」

 やっと現れた佐々木にカリーヌは怒鳴った。ところが、昨日までとは違う見慣れない形のオレンジ色の衣服に身を包んでいる彼の姿を見て口をつぐみ、アスカは思わず喝采をあげた。

「おお! かっこいいぜ、佐々木さん、そいつが」

「ああ、CREW GUYSの制服だ。もう二度と袖を通すことはないと思っていたが……スーパーGUTSと肩を並べるには、これくらいしないとな」

 佐々木はそう言うと、かつての自分の隊長と同じ深みのある笑みをアスカに向け、アスカもそれに応えて笑みを返した。

 ここに、時空を超えてCREW GUYSとスーパーGUTSが初めて手を結んだのだった!!

「ようし、それではこれからタルブ村開放作戦を発動する。あの怪獣に、今度こそ目にものを見せてやるぞ。ただし、全員生きて帰れよ、いいな!」

「ラジャー!!」

「G・I・G!!」

 ガンクルセイダーが発進し、佐々木とカリーヌは作戦開始ポイントまで走る。

 その様子を、残ったレリアとティリーはただ無事を祈って見守っていた。

 

 

 ギマイラは、自らの住処である霧の中に潜んだまま、長い舌を伸ばして村人たちやマンティコア隊の隊員たちの血を吸ってエネルギーを蓄え続けていたが、今こそそれに鉄槌が下されようとしていた。

「私の部下を食い物にしおって……この借りは百倍にして返してやるぞ」

 霧の奥から『サイレント』の魔法で気配を消しつつ、カリーヌが一歩一歩とギマイラに近づいていく。しかし、今回は前回と違って空気の玉を作ってはいない。ギマイラの霧の中だというのになぜ生身の人間が正気を保っていられるのか? それはこのカリーヌが本人ではないからだ。

 まったく同じ頃、霧の外ではトライガーショットを持った佐々木に護衛されつつ、もう一人のカリーヌが呪文を唱え、自分とまったく同じ姿の分身を生み出していた。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

「まったくすごいものだな、この『偏在』って魔法は」

 目の前にいる"ふたりの"カリーヌを見比べながら、佐々木は感心を通り越して見ほれていた。

「風は偏在する。単なる分身ではない、それぞれが意思を持ち、同様に魔法を使いこなせる」

 ガッツ星人かフリップ星人のようだな……いや、あれは単なる幻影だが、分身も戦闘できるという点ではバルタン星人並だな……さらに、あくまで空気の塊であるから毒は通じない。

 その霧の中で、偏在のカリーヌはまだ自分に気づいていないギマイラにギリギリまで接近し、戦闘開始の号砲となる呪文を唱え始めた。

「さて、貴族のやり方としてはあまり好ましくはないが、今の私には関係ない……『エア・スピアー!』」

 瞬時に鋼鉄のように圧縮され、カミソリのように鋭く整形された空気の刃が偏在のカリーヌの杖の先に発生し、彼女はそれをギマイラの足の甲へと思いっきり突き刺した!

 想像してみるといい、日常でも足の上に棚から本が落ちてくるだけでも相当に痛い。なぜなら、足とは全体重を支えるものなので、それを危険から守るために痛覚神経が密集している。そこにナイフでも突き立てられたらどうなるか? いくらギマイラでも耐えられず、食事を放り出してパニックになり、体を振り回して暴れる。その際に偏在のカリーヌが巻き添えを食って踏み潰されるが、当然本体は痛くも痒くもなく、次の分身を送り込む。

 そして立ち上がってふらついたギマイラにアスカが頭上からミサイルを脳天にお見舞いした。

「喰らええ!」

 直立したところへ、額への正確なピンポイント攻撃。頭も生物にとっては急所、ベッドから起き上がったら天上に頭をぶつけたように、脳を揺さぶられたギマイラは倒れこみかけるが、そこへカリーヌの第二派攻撃が逆の足に命中し、苦痛の咆哮が奴の口から漏れ出す。

「足は、大型生物に共通の急所だよ」

 佐々木は以前一度だけGUYS JAPANに視察にいらしたタケナカ総議長が戦術シミュレーションで教えてくれた、対怪獣用戦法のひとつを思い出して、この作戦に応用したのだった。

「確かに効果的だが、まったくスマートではないな」

 霧の中に六体目の偏在を送り込みながら、カリーヌはやるせなさを感じながら言った。しかし、佐々木に言わせれば平然と分身を作り続けるカリーヌのほうこそ信じられない。

「いったい、その偏在というのはどれくらいまで作れるんだい?」

「……ふむ、単純に数に挑戦してみたときの記録は四十体。今日のコンディションなら、二十体まではなんとかなるだろう」

 フリップ星人でさえ四体が限界だというのに、こともなげにその五倍の数を言ってみせるカリーヌに佐々木は本気で感心した。もし彼女が防衛チームにいたら、少なくとも等身大宇宙人の大半は行動を制限できるだろう。

 が、不可能な過程はともかくとして、今はとにかくギマイラを倒すことだ。

 偏在の攻撃に怒ったギマイラが立ち上がろうとすれば、そこにアスカが脳天にミサイルを撃ち込む。引っ込めばまたカリーヌが奴の足や尻尾に攻撃を加える。

「真上と、真下からの挟み撃ちというわけか」

「図体がでかいぶん、こうなってはもろいものだろう」

 奴の逃げ場を無くす三次元波状攻撃。これこそかつて科学特捜隊が竜ヶ森湖の底に潜んだ宇宙怪獣ベムラーを倒すために、ジェットビートルと特殊潜航艇S-16で挟み撃ちにした戦法、その名もウルトラ作戦第一号だ!

「さあて、いつまで霧の中に隠れていられるかな?」

 これだけで決定打になるとは思えないが、奴もこのままではやられ続けるだけだ。耐え切れなくなって出てくれば、そのときこそ総攻撃する瞬間だ。佐々木は安全装置を解除したトライガーショットを握り締めてその瞬間を待った。

「しゃあ! もう一発」

 上昇から急降下に移りながら、ガンクルセイダーのミサイルがギマイラに炸裂する。本来ミサイルはあまり効果がないけれど、こうも同一箇所に連続して撃ち込まれればダメージも蓄積していく。また、カリーヌもすでに十体以上の偏在を失っているが、奴が立ち上がれなくなるまで下半身を痛めつけられれば、それはそれで好きなように料理できるようになる。

 しかし、怒りが頂点に達したギマイラは、尻尾を振るって偏在を吹き払うと、大きく口を空に向けて開いて、真っ白な霧を噴霧器のように吐き出した。

「うわあっ!?」

 ちょうどそのときに急降下していたアスカは回避しきれずに、翼の一端が吐き出された霧に接触してしまった。触れたのはわずかだったが、翼端が火花を吹いて機体が揺さぶられる。この霧は生物には思考力を奪う毒になるが、戦闘機などには爆発性ガスとして効果する。かつてもこれを食らって、出動したUGM戦闘機隊が全滅させられているのだ。

「アスカ!!」

「アスカくん!!」

 見守っていた二人が、火を吹くガンクルセイダーを見て叫ぶ。

 損傷はわずかでも、もう戦闘ができる機動は無理だ。ガンクルセイダーはなんとか墜落しないように機体をもたせながら戦線を離脱していく。

 しかも、ギマイラの怒りはそれでは静まらず、本能的に霧の外にいた敵を察知して、怒りのままに霧を突き抜けてカリーヌと佐々木に襲い掛かってきた。これでは空中からの援護無しで戦わなければならない。

「くそっ! やるしかないか」

「ふん、どのみちこうするつもりだったのだ。精神力が尽きるまで、相手をしてやる」

 トライガーショットを放ち、威力を高めた『エア・ハンマー』『ウィンドブレイク』がギマイラを襲うが、怒りに燃えたギマイラには通じない。霧の中で奴に与えたダメージは、まだ不十分だったのだ。

 逃げる間もなく、ギマイラの巨体が二人に迫る。

 

 だが、墜落しつつあるガンクルセイダーのコクピットからそれを見たアスカは、ガンクルセイダーを自動で着陸するようにセットすると、ためらうことなくその手に握った光のアイテム、リーフラッシャーを掲げた!!

「俺はまだ、終わっちゃいねえーっ!!」

 光が溢れ出し、アスカの姿がコクピットから消える。

 

 そして、二人に迫ったギマイラの角が光り、そこから青白い光線が二人に向かって放たれた瞬間! ギマイラと二人の間に光が立ち上がり、怪光線を弾き飛ばした!!

 

「この、光は……?」

 まるで太陽のようにまばゆい輝きに、ギマイラは立ちすくみ、二人は呆然としてその光の柱を見詰める。

 やがて、光の柱の中で、まるで光が形となるように巨人の姿を形づくられる。そのとき、佐々木の口から三十年の年月を経ても決して忘れてはいなかった名が零れ落ちた。

 

「ウルトラマン……」

 

 本来、交わるはずのなかった二つの地球、しかし、どちらの世界でも人々の希望の光であった存在。

 平和を守ろうとする意思を人々が捨てない限り、光の化身もまた不死身。

 今、光を受け継ぐ者、ウルトラマンダイナが再び平和のために立ち上がったのだ!!

 

 

 続く



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第53話  『烈風』カリンの知られざる伝説  ダイナよ再び

 第53話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 ダイナよ再び

 

 吸血怪獣 ギマイラ

 人間怪獣 ラブラス

 ウルトラマンダイナ 登場!

 

 

「ジュワァ!!」

 天に立ち上がった光の中から、勇気に溢れたその巨身に、力の赤と奇跡の青を見にまとい、銀色の巨人が立ち上がる。

 人が前を向き、果て無き空へと進もうとするとき、宇宙に潜んだ無数の悪意が襲い来る。

 だが、人間がどうしようもない困難に直面し、それでもあきらめないとき、光は必ず現れる。

 いざゆけアスカ!!

 ティガから受け継がれた使命とともに、リーフラッシャーを掲げて今こそ変身!!

 君の名は、ウルトラマンダイナ!!

 

【挿絵表示】

 

「デヤッ!」

 ギマイラの前に立ちふさがったダイナの先制のパンチがギマイラのボディに炸裂する。さらに、顔面に向かって右フック、左アッパー! そこへすかさずストレートキック! 

 ダイナの戦い方は常に真っ向勝負、小細工などなしで怪獣に正面から立ち向かっていく!

 そして奴の首を掴んで、力づくで投げ飛ばし、タルブの草原に背中から叩きつけた。

 

 地響きがとどろき、遅れてやってきた振動が佐々木とカリーヌの足元を揺さぶる。

「ウルトラマン……この世界にもいたのか」

 佐々木は、ギマイラ相手に一歩も引かない戦いを演じるウルトラマンの姿に、感慨深げにつぶやいた。

 姿形は彼の知るウルトラ兄弟たちをはじめとしたウルトラマンの誰とも似ていない。だが、その顔つきや、何より胸の中央に青く輝くカラータイマーはウルトラマン以外の何者でもない。

「あの巨人は、我々の味方なのか?」

 当然、ウルトラマンのことなど知らないカリーヌは佐々木に問いかける。はじめて初代ウルトラマンの姿を見たときの科学特捜隊のように、その目には純粋な驚きが宿っていた。

「ああ、私の故郷で言い伝えられてきた光の国からの平和の使者、本当に存在したんだな」

 佐々木にとっても、GUYS隊員として映像資料でウルトラ兄弟の姿を見たことはあっても、実際に本物のウルトラマンを見るのは初めてだ。だが、こうして間近で見てみると、その圧倒的な存在感がひしひしと伝わってくる。

 ただ、佐々木もこの三十年ハルケギニアで生きてきたが、ウルトラマンやそれに類する話はまったく聞いたことがない。聡明なカリーヌにしてもそれは同様で、いったい、あのウルトラマンはどこから来たのだろう? アスカが言っていたティガやダイナという別次元の地球のウルトラマンは……と思ったところで、彼らは墜落していったアスカのことを思い出した。

「あっ、そういえばアスカくんは!?」

「向こうに墜落していったが、大丈夫か?」

 撃墜されたガンクルセイダーの墜落していった方向を見て、二人はとりあえず火柱や煙があがっていないのを見てほっとした。被弾して撃ち落されたけれど、損傷は翼端のみであったのが幸いした。それだけなら、彼の技量なら不時着は難しくはないだろう。安否は気になるものの、本当に危なければ射出座席で脱出することもできるはず、今はとにかく怪獣とウルトラマンのことが先決だ。

 

 

 むろん、そうしているうちにもダイナとギマイラの戦いは続いている。

 先制攻撃でダメージを与えたとはいっても、ギマイラも簡単にノックアウトするようなやわな怪獣ではない。まだ余裕を持ってダイナの前に立ち、その口からあの恐るべき猛毒と破壊を合わせ持つ白い霧を吐き出してきた。

「シャッ!」

 だがダイナは殺虫スプレーのように向かってくるそれを、サイドステップで軽々とかわした。まるで一塁ベースからの盗塁のような素早さだ。

 そして、守備の後は攻撃をする番だ。ダイナが手のひらを合わせると、そこに青白い光を放つ光弾が作り出され、次の瞬間一気にそれを押し出した!

『フラッシュ光弾!!』

 エネルギー弾は見事にギマイラの胴体に命中、激しく火花を散らして巨体を揺さぶる。バッターアウトには遠いが、まずはワンストライクといったところだ。

 

「すごい……」

 あのギマイラを圧倒している……佐々木は年甲斐もなく興奮していた。自分たちのウルトラ作戦第一号でギマイラには少なからずダメージがあるはずだが、それでも初代ギマイラと戦った80にもひけをとらないほど強い。

 しかし、形勢不利と見たギマイラは、再びタルブ村を包む霧の中へと逃げこもうと、踵を返して進み始めた。

「まずい、奴を逃がすな!」

 奴のテリトリーに入り込まれては危険だとカリーヌが叫ぶと、まるでそれに答えたようにダイナはギマイラの尾を掴んで引き戻そうとする。

「ヌウァァッ!!」

 渾身の力を込めて尻尾を引っ張られ、ギマイラは自分の巣を目前にして引き戻されていく。ギマイラも、万全の状態であったらダイナを振り切れたかもしれないが、カリーヌに足を集中攻撃された後であるためにふんばりがきかないのだ。

 さらに、ダイナは力を込めてギマイラを引っ張り、奴の体を宙に浮かせて村とは反対方向に放り投げた。

「デャアァッ!!」

 土煙と轟音を立てて、巨体が着地の勢いのままに転がる。しかし、砂塵の中から起き上がってきたギマイラはなおも凶暴なうなり声を上げて立ち上がってくる。

「しぶとい奴だ……」

 やはり奴は並の怪獣ではない。大勢の人の生き血を吸ってエネルギーを蓄えたその体には、すさまじいまでのスタミナが宿っており、ダイナの猛攻もいまだに致命的にはなっていない。

「デヤァッ!!」

 ダイナのかけ声と、ギマイラの咆哮が合図となったように、両者は突進し、また正面から激突した。

 ウルトラキックがギマイラの腹に炸裂すると、おかえしとばかりにギマイラの尻尾が鞭のようにダイナの顔面をひっぱたく。パワーとパワー、闘志と殺意、正義と悪意が猛烈な火花を散らす。

 

 その激闘を、佐々木とカリーヌは手に汗を握って見守っていた。

「ようし、頑張れ!」

 子供の頃に戻ったように、佐々木は声のままにダイナに声援を送る。

 戦闘は一進一退、引き裂くようなギマイラの咆哮と、迎え撃つダイナの技の衝撃が空気を揺さぶる。戦いの様相はほぼ互角、パワーではギマイラが勝るが、スピードと技ではダイナも負けていない。なにより、ギマイラは頭部と足元に打撃を受けていて機敏に動けないのが効いている。

 だが、このまま戦い続けていけばダイナが優勢だというところで、ギマイラがその裂けた口を大きく開き、タルブ村の方向へ向かって大きく吼えた。

「なんだ?」

「……佐々木、油断するな。来るぞ!」

 霧に向かって、杖を向けて身構えたカリーヌの視線の先で霧の表面がうごめき、無数の人影が現れてきた。それは当然、ギマイラに操られている村人とマンティコア隊の面々だ。よく見ると、長い間血を吸われ続けていたせいか、顔が青白く、おぼつかない足取りであるが、確実にダイナとギマイラの戦いへと向かっていく。

「皆が!?」

「大方、人質に使うつもりだろう……止めるぞ、援護しろ!」

 ここで数百人はいる人間に足元に群がられたらダイナは戦えなくなる。どこまでも卑怯な怪獣のやり口に怒りで目じりを吊り上げながら、カリーヌは残り五体の偏在を作り出し、自分も含めて六人で飛び出して、『拘束』の魔法で作り上げた空気のロープで次々に縛り上げていく。マンティコア隊も昨日は元気だったが、今日は昨日の戦いのダメージと、血を吸われて消耗しているせいで『拘束』を振り払うことができずに、体をがんじがらめにされて倒れていく。

「おいおい、手加減してくれよ」

 トライガーショットの射撃精度を上げるロングバレルで人々の手前の地面を撃って足止めをしたり、メイジの持っている杖を狙い撃ちにしながら佐々木はカリーヌに言った。拘束するだけといっても、締め付けがきつければ消耗した体には負担が大きい。

「ちゃんと考えている。お前も中々いい腕だな」

「どういたしまして」

 ほめられはしたものの、自分の家族や友人に銃を向けるのはいい気はしない。これが、ディノゾール戦後のトライガーショットであれば、バリヤフィールドを発生させるメテオールカートリッジ、『キャプチャー・キューブ』が装備されているので一気に閉じ込めることができるが、残念ながら彼のものには基本形式のレッドチェンバーとイエローチェンバーしかない。

 しかし、相手も死に体とはいえメイジである。ゾンビのようによろめきながらも魔法を撃ってくるのには油断できない。それでも、ここで食い止めなくてはウルトラマンが危ない。戦いに背を向けて二人は操られた人々を倒し続けた。

 

 ギマイラはフットワーク軽く戦うダイナについていけずに、自慢のパワーも空回り気味で追い込まれ始めている。

 ダイナはむきになって角を振りかざして向かってくるギマイラからいったん距離をとると、腕を体の前でクロスさせ、鋭い輝きを放つ光球を作り出して放った!

『フラッシュサイクラー!!』

 輝く光のつぶてがギマイラの胴体に炸裂し、巨体が大きく揺さぶられる。まだ致命傷とまではなっていないが、確実に効いている。

 よし、このままなら勝てる。誰が見てもそう思われた光景だったが、ギマイラの目はまだ蛇のような執念深い光を失ってはいなかった。くるりと首をダイナから離して、その方向を地上で戦っているカリーヌに向けると、その長大な一本角を青白く輝かせ、不気味ないなづまのような光線を彼女に、しかも偏在ではなく本物の彼女へ向けて放った! しかし、『拘束』を維持するために精神を集中していたカリーヌは、それに気づくのが一瞬遅れてしまった。

 

「危ない!!」

 

 刹那の瞬間、それに反応できたのは、彼女の偏在ではなく、ずっと彼女を守り続けていた佐々木だけだった。無防備な彼女の背を突き飛ばし、ギマイラの光線の直撃を浴びた佐々木の体に、全身を焼け付くような痛みが襲う。

「ササキ!!」

「よせ、来るな!!」

 体を青いプラズマ状の光に包まれながら、佐々木は必死に駆け寄ってこようとするカリーヌを制し、体がまだ自由になるうちに、全力で彼女から離れるように走った。

「うぉぉっっ……!」

 苦しみの声が途絶えたとき、佐々木の体はおどろおどろしいエネルギーに包まれて、一瞬のうちに膨れ上がったかと思うと、ギマイラより小柄ながら茶色い体表をした身長五十五メートルものアロサウルス型の怪獣へと変化してしまったのだ!!

「ササ……キ?」

 カリーヌは、目の前で起きたことが到底信じられないと、両腕をだらりと下げて呆然とつぶやいた。

 また、ダイナも突然後ろに出現した怪獣に戸惑い、それが人間が変異したものであることを知って愕然とした。

 なんてことだ……この可能性はわかっていたはずなのに。

 ギマイラには、霧を出して人間を操る他にも、全怪獣の中でも特筆して恐るべき能力が備わっている。それが『人間怪獣化能力』。奴の角から発射される光線には人間の体組織を変異させて、巨大怪獣へと変えてしまうという、まさに吸血鬼の牙のような効果がある。かつてもUGMの隊員がこれを受け、人間怪獣ラブラスへと変貌させられてしまったことがある。そしてラブラスへと変えられてしまった者はギマイラの意のままに操られてしまうのだ。

「ササキーッ!!」

 ギマイラの咆哮とともに、佐々木、いやラブラスは苦しみながらも左腕についた巨大なハサミを振りかざしてダイナに向かっていく。カリーヌの叫びももはや届かない。

 また、カリーヌにも残ったマンティコア隊の者たちが襲い掛かってくる。その中には、あのゼッサールもいたが、もはやほとんどゾンビのような姿になって杖を向けてくる。

「おのれぇっ!!」

 がむしゃらに杖を振り、『拘束』を唱える。昨日と同じように、敵の理不尽なまでの能力に無力感が湧いてくるが、佐々木は自分の身代わりとなった。ならば、せめて最初に決めた責務くらい果たさなくては顔向けすらできないではないか。

 

 そして、今やラブラスとなってしまった佐々木は、戦えと頭の中に響いてくるギマイラの咆哮に必死で抵抗していた。体は変異させられてしまったが、心は人間のままである。しかし変異させられてしまった肉体は、彼の意思に反して戦いへと走っていく。

"避けてくれ、ウルトラマン!"

 残酷に残された視覚を通して、佐々木は声にならない声をダイナに向けて放った。もちろんダイナもラブラスが佐々木が変貌させられてしまった怪獣であることは承知しているので、パンチでもって迎え撃つことはしない。

「ヘヤッ!」

 ハサミでつかみかかってくるラブラスを、ダイナは攻撃を受け流す形でそらす。だが、後ろからはギマイラも迫ってきて、否応なくダイナは二対一の不利な戦いを強いられてしまった。

「ダアッ!!」

 突進してくるラブラスを軽いキックで押し返し、ギマイラの吐き出してくる白煙をかろうじてかわす。ギマイラ一体ならダイナの実力なら充分に倒せる。しかしラブラスに背を向けたら、その左手についているダイヤモンドをも切断できるハサミがダイナの首を狙ってくる。

「セヤッ!!」

 柔道の要領で、ダメージが少ないようにラブラスを投げ飛ばしても、それではラブラスはすぐに起き上がってくる。もちろんそうしている間にも、佐々木はなんとかギマイラの咆哮に抗おうともがくが、そう簡単に抵抗できるほどギマイラのコントロール能力は弱くない。耳を押さえて声を聞かないようにしようとしても役に立たない。

 しかも、ギマイラと最初に戦い始めてから時間がかなり過ぎ、ダイナのカラータイマーが点滅を始めた。それを見計らったかのように、ギマイラとラブラスが同時に攻め込んでくる。このままではダイナが危ない。

 だがそのとき、ダイナの額がまばゆく輝いて、その身を光で包み込んだ!!

「ヌゥゥ……ダァァッ!!」

 これは、かつてアリゲラと戦ったときと同じダイナのタイプチェンジ能力、だが今度はあのときのストロングタイプではない。

 光が晴れたとき、そこには全身を空のような青い色に包んだダイナの姿があった!!

 

『ウルトラマンダイナ・ミラクルタイプ!!』

 

 青いダイナは角を振りかざして向かってくるギマイラの突進を、当たる寸前にまで引きつけ、一瞬にしてその背後に回りこんだ!!

「なにっ!?」

 その素早さは、ギマイラやラブラスだけでなく、カリーヌの目さえも捉えることができなかった。

 さらに、ダイナは驚いて振り向こうとするギマイラのさらに後ろに回りこみ、背中にキックを加えて前のめりに倒させる。

 それだけではない。今度は光とともにダイナが姿を消したと思った瞬間、まったく逆の方向に現れたではないか。

「な……なんという速さだ」

 ようやく偏在もあわせて全員の拘束に成功したカリーヌは唖然とつぶやいた。風系統の使い手で、文字通り風を読み、並外れた動体視力を持つカリーヌでも今のダイナの動きは捉えきれない。

『ダイナテレポーテーション』

 そうだ、青いダイナは超能力戦士。いかな環境にも適応し、その動きは目で追うことすら難しい。

 瞬間移動の連続で、ダイナはギマイラを文字通りきりきり舞いさせる。しかし、ミラクルタイプは高いスピードと超能力と引き換えにパワーは落ちるために、頑強なギマイラにダメージを与えることは難しい。それでも、捕らえることもできないスピードでは相手のパワーも役には立たない。

「デヤッ!!」

 ダイナのパンチがギマイラのボディを打ち、ダメージとはいかぬまでにも動きを鈍らせる。

 また、ギマイラがダイナを捉えきれないことによってラブラスへの拘束力も緩んでいると見えて、ダイナを追う動きも低下しているように見える。

 

 今がチャンスだ!! ダイナはギマイラから距離をとり、その手のひらにエネルギーを集中させる。

『レボリュームウェーブ・アタックバージョン!!』

 これはミラクルタイプの必殺技、空間を超衝撃波で歪ませてミニ・ブラックホールを作り出し、敵をそこに突き落とす大技で、当たれば時空のかなたへ追放されて二度と戻ってはこれない。

「ダァァッ……ジャッ!!」

 エネルギー充填を終え、拳を引いた構えをとるダイナはギマイラに狙いを定める。これで発射すれば、奴は次元のかなたへと消滅する。

 だが、ダイナが拳を打ち出そうとしたその瞬間、ギマイラはそのつりあがった蛇のような目をラブラスに向けると、レボリュームウェーブの発射寸前にその体を抱えあげて盾としたではないか! これではラブラス、すなわち佐々木まで巻き込んでしまう。

「ヌウッ!?」

 思わず動きを止めるダイナを、狡猾なギマイラが逃すはずがない。奴の口から先が枝分かれした長い舌が飛び出してダイナの首に絡みついた。

「ウワァァッ!!」

 首に強烈な力で巻きついたギマイラの舌に締め付けられ、ダイナの口から苦しみの声が上がる。

 さらに、ギマイラは巻きついた舌に電流を流して、これでもかとダイナを痛めつけてくるではないか。

「おおのれぇぇ!!」

 卑劣もここに極まれり、カリーヌの怒りも極地を迎える。もとより戦いとは汚く残忍なものだとわかっている。しかし盗賊、謀略、数々見てきたがこいつほど非道な敵はそうはいなかった。

 ギマイラはダイナの首を締め上げたまま、嬲るように電撃を加え続けている。カラータイマーの点滅も速度を増して、活動限界はもはや間近だ。

「ヌワァァッ!」

 苦しむダイナはギマイラの舌を振り払おうとするが、ミラクルタイプではパワーが足りない。それどころか、ギマイラはダイナにとどめを刺さんと、ラブラスに命じてその左腕のハサミをダイナに向けさせてくる。

 ダイナが危ない! 何か、何か手はないのかとカリーヌは必死に考える。すでに百人以上を『拘束』し続けるために力を消費している以上、できることは限られている。ならばいっそ仲間に殺されるのを覚悟で、残りの精神力をすべて怪獣に叩き付けてやろうかと覚悟を決めかけたとき、ひとつの声がカリーヌの動きを止めた。

 

「おじいちゃーん! 怪獣なんかに負けないでーっ!!」

 

 それは、山小屋で待っていたはずのレリアの声だった。見ると、ティリーもあの大きな帽子を押さえながらいっしょに走ってくる。彼女たちは最初遠くから見守っていたが、やはりいてもたってもいられずに次第に近くに寄ってきて、佐々木がやられたのを見るや飛び出してきたのだ。

「お前たち、待っていろと言っただろう!」

 さらに、戻れと言いかけてカリーヌは喉まで出かけたその言葉を飲み込んだ。なんと、孫娘の声に反応するように、ラブラスが振り上げたハサミを押し戻そうともだえている。そのときカリーヌたちは、佐々木が怪獣に変えられても意識はそのままであると気づいた。

「おじいちゃーん、がんばってーっ!」

「ササキさーん!」

 二人が声の限りに叫ぶたびに、ラブラスは、いや佐々木は耳を押さえて必死で自分を操ろうとするギマイラの呪縛と戦ってその歩を戻していく。

 カリーヌはその光景を見て自分の硬直した思考を恥じた。なぜ力で持っての抵抗しか思いつかなかったのかと。そして今また一人だけで戦おうとしていたことを恥じた。戦っているのは自分だけではない。ササキもレリアもティリーも、アスカもともに命を懸けているのだ。

「ササキーっ!! この私を殴った者が、その程度の呪縛に屈するのか!! みんな死力を尽くしているんだ、お前も耐えて見せろ!!」

 カリーヌもまた、喉も裂けんとばかりにラブラスに呼びかける。火の玉でも風の刃でもなく、言葉の弾丸こそが今は最強の武器だった。

 邪悪な力と人間の意思、三人の声がラブラスに残った佐々木の自我を揺さぶり、ギマイラもそれをねじ伏せようと咆哮を放つ。二つが天秤のように佐々木の中で動く。しかし、ギマイラの邪念はなおも強力で、佐々木の意思さえも消し去ろうとしてくる。

 が、そのとき。

 

”じいさん!! あんたの力はそんなもんか!? 世界は違っても、平和のために戦い抜くのが防衛チームの使命だろ!! それがあんたのいたGUYSの誇りなんじゃねえのか!!"

 

 突然、ラブラスの頭の中にアスカの声が響いた。

 そうだ、いかなるときでも怪獣や侵略者の脅威から人々を守るのがGUYSの使命だ。それがセリザワ隊長の教えてくれたGUYSの誇りではないのか!!

 それを思い出したとき、ラブラスのハサミはダイナではなくギマイラの首を一撃していた!

 

「おじいちゃん、すごい!」

「佐々木、さすがだな……」

 完全に自分の意思によってギマイラに立ち向かうラブラスの姿を見て、レリアとカリーヌは思わず笑みを見せた。

 ギマイラはまさかの手下の反逆に驚き、ダイナを締め上げていた舌を戻して、防戦に回っている。

 開放されたダイナは、怪獣のコントロールに打ち勝った佐々木の意思の強さに、地にひざを突きながらも頼もしく見守っていた。

(佐々木のじいさん……あんたはやっぱり、俺の大先輩だぜ)

 テレパシーでたった一言声援を送っただけなのに、あの人は本当にすごい。ダイナ……アスカは老いてなお消えない平和を守る者の誇りをその目に焼き付けた。

 完全に肉体を掌握したラブラスは、エネルギーの尽きかけたダイナを守ってギマイラに立ち向かっていく。だが、ダメージを負っているとはいえギマイラは強く、またラブラスには左手のハサミ以外に武器はないために肉弾戦では不利だ。ギマイラの太い腕がラブラスの頭を殴り飛ばし、とげだらけの尻尾が体を打ち据える。

「だめだ、力量が違いすぎる」

 カリーヌは両者の組み合いから、一瞬でラブラスがいかに奮戦しようとギマイラには勝てないことを悟って慄然とつぶやいた。考えてみれば、あれだけ狡猾で卑劣な奴だ、万一のためにも自分より強い手下を作ることなどはするまい。最初は虚をついて善戦したラブラスも、すぐにギマイラのパワーに押し返されて苦しんでいる。しかも、ダイナも解放はされたものの、ダメージが大きくエネルギーが底を尽きかけている状態で助けに行くことができない。

「ウルトラマン、がんばって!」

 レリアの必死の叫びにダイナは立ち上がろうと体に力を込めようとするが、エネルギー不足のために力が入らず、カラータイマーの点滅はさらに早くなっていく。

 しかし、佐々木の奮闘は別なところで価値を生んだ。ラブラスにコントロールを振り切られてしまって反撃を受けたために、ギマイラの人々へのコントロールも緩み、カリーヌは人々を拘束する負担から解放されたのだ。

 満を持してカリーヌの援護攻撃の呪文が放たれる!

『ライトニング・クラウド!』

 偏在と合わせて六人分の雷撃がギマイラを襲う! しかしギマイラはわずかに体を震わせただけでまるで効いた様子がない。それどころか怒りの矛先をカリーヌたちに向けようとしてくるのを防ぐために、ラブラスが盾になってさらに痛めつけられてしまう始末だ。

「おのれっ化け物め、ドラゴンでも十匹は黒焦げにできる威力なのだぞ!?」

 カリーヌは歯噛みするが、それが怪獣というものなのである。ならば、やはり特攻しかないのかと五体の偏在を体当たりさせようかと考えたとき、彼女の頭の中に強い声が響いた。

 

"空をその雷で撃て!!"

 

「なっ、なに!?」

 驚いて周りを見渡すが、そこにはレリアとティリーが怪訝な顔をしているだけである。それで彼女はその声が自分だけに聞こえたことを知り、話しかけてきた相手が目の前で地に伏している巨人であると気づいた。

「ウルトラマン……私に、呼びかけているのか?」

 その問いかけに、ダイナは答えずに見つめ返してくるだけだ。しかし、そうしているうちにもギマイラはラブラスに、あの破壊性の白色ガスを噴きつけ、弱ったところを嬉々として蹴りつけている。もう迷っている時間はない、残ったわずかな精神力を、怪獣にぶつけるか、それともあの声を信じて空へと撃つか。カリーヌは無意識のうちに頭上を見上げていた。そこには、昨日から続く黒色の分厚い雲が陽光を遮って立ち込めている。

「空へ……そうか、そういうことか! ならば、私の残った力、全部くれてやる!!」

 意を決したカリーヌは、偏在とともに残った全精神力を集中し、一気に天空へと解き放った。

『ライトニング・クラウド!!』

 六条の雷が天へと立ち上がる竜のようにさかのぼっていき、黒雲へと吸い込まれていく。それと同時に五体の偏在も解除され、抜けた力に抗うように脂汗を額に浮かべつつカリーヌは黒雲を見上げた。

「どうだっ?」

 これでまともな攻撃魔法を使う力は全て使い果たした。後は文字通り天にゆだねるのみ。そうだ、真夏の気候が作り出した巨大な積乱雲は氷や水の粒がぶつかり合う気流の巣、そこに雷撃を叩き込んできっかけとすれば、電流は巨大な発電機とでもいう黒雲の中で増幅され……

 

 やがて、本物の雷を生む!!

 

「やった!!」

 雷鳴がとどろき、稲光が黒雲から森へと落ちて炎を吹き上げる。カリーヌの雷撃がスイッチとなり、瞬時にタルブ村周辺は雷の巣となった。

 そして、これを待っていたようにダイナは残った全ての力を振り絞り、天へと向かって両腕を振り上げる!!

「ヌゥゥゥッ……デヤァァッッ!!」

 そのとき、黒雲からダイナへ向かって巨大な雷の矢が何十本と降り注いだ。猛烈なスパークが巨体を包み込み、数万ボルトの電撃が襲い掛かる。

 しかし、電撃はダイナの体を痛めつけるどころか、黒雲からどんどんダイナへ向かって吸い寄せられて、カラータイマーの中へと吸い込まれていくではないか!!

「私の雷撃を、吸収しているのか……?」

 呆然とカリーヌはつぶやいた。ダイナはカリーヌの作り出した巨大な雷の電力を超能力で操って、自らの体に落雷させ、自分のエネルギーに転換していたのだ。

 

『ネイチャーコントロール!!』

 

 天候をも自在に操るダイナの奇跡の力、まるで天が光の戦士に助力しているようだ。

 だが、ギマイラはダイナが力を取り戻しつつあるのを見ると、鼻先に生えた巨大な角を振り立てて突進してきた。今ダイナは完全に無防備だ、これを受けたら……だが、そのとき瀕死のラブラスがダイナの前に盾となって敢然と立ちふさがった!!

「ササキー!!」

「おじいちゃーん!!」

 ギマイラの角がラブラスの腹に突き刺さり、悲痛な叫び声とともに巨体がタルブの草原の上に倒れこむ。

「……っ!」

 ティリーの口から短いうめきが漏れる。

 倒れたラブラスはもう動かず、言葉にもならない悲鳴の中、変貌させられた肉体が微細な光に包まれて縮小していく。後には、草原の上に物言わぬ姿で横たわっている佐々木の姿があった。

「おっ……おじいちゃーん!!」

 思わず駆け出したレリアの後姿を見送りながら、カリーヌの肩が静かに震える。もう貴族の誇りや軍人の矜持など知ったことか。あの佐々木の散り様を見て、あんな非道な敵の所業を見て、怒らないやつは人間じゃない!!

「ぶっ飛ばせぇぇーっ、ウルトラマン!!」

 その瞬間、完全にエネルギーを回復したダイナはカリーヌの声に応えるように、ギマイラに再び向かい合った。

「ヘヤッ!!」

 復活したダイナから、はっきりとした怒りのオーラを感じ取り、ギマイラがわずかにひるんだようにあとづさる。だが、奴はそれでも凶悪怪獣の意地か、角から破壊光線をダイナに向かって放ってきた。しかし、破壊光線は前に突き出したダイナの腕の中でストップされ、青い光球へと変わっていく。

「ヌウゥゥ……デヤァ!!」

 受け止めた光線を固めたエネルギーの塊を掲げると、ダイナは増幅した奴自身のエネルギーを青い光線へと変えて打ち返した!!

『レボリュームウェーブ・リバースバージョン!!』

 爆発が引き起こされ、自らのエネルギーに打ちのめされてギマイラの巨体がよろめく。

「今だ、ウルトラマン!!」

「フゥゥ……ダァッ!!」

 ダイナの額が輝き、ミラクルタイプからダイナ本来の姿に立ち戻る。

 

『ウルトラマンダイナ・フラッシュタイプ!!』

 

 そして、ギマイラを見据えたダイナは怒りの心を力に変え、まっすぐに己の敵を見据えてその腕を十字に組んだ!!

 

 

『ソルジェント光線!!』

 

 

 青くプラズマのように美しく輝く光線が光の鉄槌となってギマイラへと吸い込まれていく。

 全ての力を込めた最大出力の必殺光線の前には、いかな敵とて耐えられはしない。轟音とともにギマイラの体は超エネルギーの破壊力に耐え切れず、大爆発を起こして木っ端微塵の破片となって飛び散った!!

 

「やった……」

 残骸となってギマイラはその存在を失っていき、奴がタルブ村を封じていた霧も制御を失って風に流されていく。

 宇宙を荒らしまわり、人々の生き血をすすり続けてきた宇宙吸血鬼は、ついにこのハルケギニアの地に滅び去ったのだった。

 

「ショワッチ!」

 戦いは終わった。自らの役目を果たしたダイナは雷鳴もやんだ空へと飛び立ち、消えていく。

 

 

 しかし、喜びもつかの間……失われたものは大きかった。

「おじいちゃーん……うぅぅ」

 もはや目を開かぬ佐々木のそばで、レリアの嗚咽が風に流れていく。

 怪獣ラブラスにされてしまった人間は死ぬことによってでしか元に戻れない。佐々木にも、当然それはわかっていたのだから、あえて死を選んだのかもしれない。けれど、残される者にとっては悲劇には違いない。

「怪獣でもよかった……死んじゃやだよ」

「……」

 小さいころからずっと可愛がってもらっていたレリアが泣き叫ぶのを、カリーヌはやりきれない気持ちで見守っていた。怪獣は倒した、村は、マンティコア隊は救われた。しかし、代償として佐々木の命は失われた。死は戦いの常とはいえ、神よ、始祖よ、これではあんまりではありませんか……心を覆った暗雲はいまだに晴れない。

「しまった……遅かったか!」

 息を切らせて走ってきたアスカも、佐々木の遺体を見てがっくりと肩を落とした。彼もGUYSメモリーディスプレイで見たギマイラのデータで、ラブラスにされた者が死ななければ元には戻れないということは知っていたが、死ぬ前になんとかできないかとわずかな期待をかけていた。

 だが、カリーヌとアスカが意を決してレリアに声をかけようとしたとき、じっと見守っていたティリーがレリアの手をとった。

「まだ、間に合うかもしれません」

「え……」

 レリアの顔に喜色が浮かぶ。しかし、カリーヌは信じられずに叫んだ。

「馬鹿な! いかな強力な『治癒』といえども死んだ人間を蘇生させることはできん。気休めを……」

 気休めを言うな、と言いかけたときにはすでにティリーは佐々木を挟んでレリアと反対側に座り込み、祈るようなポーズで魔力を集中し始めていた。しかし、確かに魔力はどんどん高まっているが、ティリーは杖を持たずに呪文も唱えていない。

「これは……」

 カリーヌは息を呑んで見守りながらも、冷や汗が背中を伝っていくのを感じていた。杖を使わずに、メイジの操る四系統魔法は使えない。それは、四系統魔法よりはるかに強力な先住魔法、それを使いこなせるのは……

 そのとき、一陣の風が吹き、ティリーがずっと目深にかぶっていた幅広の帽子を吹き飛ばした。

 

「っ……エルフ!?」

 

 帽子の下に隠されていたティリーの長く尖った耳を見て、カリーヌは絶句した。大昔から始祖の宿敵として、聖地を占拠しているという忌まわしい種族。そして最強の先住魔法の使い手として一人で百のメイジに匹敵すると恐れられる敵が、今目の前にいる。

 ティリーはそんなカリーヌの視線が突き刺さるのにも気づかないほど深く集中していた。そして、やがて彼女が右手にはめていた青い石の指輪から、一滴のダイヤの破片のようにきらめくしずくが零れ落ちたかと思うと、息絶えた佐々木の体に吸い込まれていった。するとどうか! 瞬きを五回ほどしたくらいの後、佐々木のまぶたがわずかに振れて、静かに眼を開いたではないか。

「っ……おじいちゃん!」

「レリア」

 人目もはばからずに泣きながら抱きついてきた孫娘の体を、佐々木は優しく抱きとめてやった。

「しかし私は、確かに死んだと思ったのだが」

「ティリーちゃんが、魔法で治してくれたんだよ」

 生きていて、しかも人間に戻れていることに驚いている佐々木に、アスカもうれしそうに説明した。

「そうか、ありがとう」

「いえ、お気になさらずに……わたしは自分がやるべきことをやっただけですから」

 優しい笑顔を見せてくるティリーに、佐々木も微笑み、レリアも泣きながら礼を言った。

「ぐすっ……ありがどう、ほんどうに、ありが、とう」

 強く抱きしめあう祖父と孫娘の姿に、見ているアスカのほうが涙腺がゆるんでいた。

「……よかったなあ」

 これで、あの悪魔のような怪獣の道連れにされる人間はいないということだ。ギマイラに操られていた人々も、かなり弱っているが皆息がある。

 めでたしめでたし、全てが終わったかに思えた。

 

 けれど、皆が泣き、また笑うなかで一人だけ沈痛な面持ちで立ち尽くしていたカリーヌがティリーに杖を向けたとき、反射的にアスカはその前に立ちふさがっていた。

「なんの真似だ」

「どけ、エルフは始祖ブリミルの仇敵だ。見つけたら即刻始末する、それがこの国の、教会の掟だ」

 そのカリーヌの目には、以前垣間見せた人間性はなく、法と規則を絶対とするマンティコア隊隊長の、冷徹な光が宿っていた。

「寝言は寝て言え、バカヤロー」

 アスカの答えも、簡潔で苛烈だった。今カリーヌの精神力が底をついていなければ吹き飛ばされるくらいはしただろう。それでも、あと人一人殺すくらいの力は残っている。

「お前は、この国の法に逆らおうというのか?」

「あんたこそ、自分が何しようとしてんのかわかってんのか?」

 わずかな空間を挟んで、アスカとカリーヌの視線がぶつかり合って火花を散らす。佐々木は、二人のただならぬ様子に気づいたものの、命はとりとめたが傷はまだ深くて立ち上がれず、レリアはティリーが帽子をなくしていることに気づいて拾いに走っていっていた後で、あまりに張り詰めた空気に声を出すことができずにいた。そして、当のエルフの娘は、自らが争いの元になっていることを悲しみ、敵意がないことを示すために両手を差し出しながらカリーヌの前にひざまずいた。

「アスカさん、カリーヌさん、わたしのために争わないでください。確かに、わたしはエルフです。けれど、あなたがた人間に危害を加えるつもりはありません」

 その言葉は真摯で、うそを言ってはいないことはカリーヌにもわかった。

「ならば、なぜ東の砂漠に住むはずのエルフがここにいる?」

「それは、詳しくは申せませんが、アルビオンという国にどうしても行かなければならない理由があるからです。それで、わたしは人目を忍んで一人でここまで来ました。けれど、決してあなた方に害をなすことはいたしません」

 エルフがハルケギニアで人目に触れれば、即刻殺されるということはわかっているはずなのに、それを承知で来るからにはよほど重要な用があるのだろう。この娘は線は細いが芯はしっかりしている、理由はたとえ拷問にかけられてもしゃべらないだろうと、カリーヌはあらためて杖を向け、あらためてアスカにさえぎられた。

「どけ」

「どかねえ」

「どかんのなら、貴様も私の敵ということだな」

「どの口がほざくんだ、あんたが昨日大怪我したとき助けてくれたのは誰だよ」

「その点は感謝している。しかし、これはこの国の法……」

「ふざけんな!」

 カリーヌの言葉をさえぎったアスカの怒声には、明らかな理不尽さへの怒りがこもっていた。

「この国の法がどうだか知らねえが、ここで彼女を殺すことに何の意味があるんだよ。誰が不幸になるっていうんだ、言ってみろよ」

「私の意思などは問題ではない。これはこの国を統治する目に見えない秩序を維持するための行為だ。たった一つの法を破ることが、その後多くの人々を不幸にする可能性があるのだ」

「そりゃ建前だろ。俺が聞いているのは教会だの法律だの、他人の決めたことじゃない、あんた自身がどう考えてるかってことだ。彼女が誰をどう不幸にするっていうんだ。不幸なのはそんな考え方しかできねえあんたの脳みそだろ!」

 カリーヌの威圧感にもアスカはまったく引く気はない。鋼鉄の規律という信念にもとずいて、私情を消して杖を振るおうとするカリーヌに、真っ向から立ち向かうアスカ。力での戦い以上に、人間の心の戦いのほうが重く、どちらも譲らない。

 しかし、強すぎる信念は時に目を曇らせる。エルフだから無条件に殺せというのは、突き詰めれば背の低い者や気弱な同級生を気持ち悪いなどといって排除する小中学生の心理にも似た、幼稚で愚劣な行為でしかない。それをどうやってカリーヌに理解させるのか、言葉だけではだめだと思ったアスカは強行手段に打って出た。

「そうか、どうしてもエルフってのがダメだって言うんなら……自分の目で確かめてみろ!」

「なっ!?」

 アスカは突然カリーヌの手を掴むと、魔法を振るう間を与えずに力いっぱいティリーの前に放り投げた。疲労がたまっていたカリーヌは杖をとられて、さらにティリーと抱き合うような形で草原の上に転がり込んでしまった。

「な、なっ?」

「だ、大丈夫ですか?」

 すぐそばで顔を合わせて、驚く二人の美少女。絵にはなるけど、この際それは置いておこう。

「は、離れろ!」

「きゃっ!」

 ティリーの体を突き飛ばしたカリーヌは、尻餅をつき荒い息を吐きながら、目の前にいる人間の宿敵と教わってきた種族の娘を見つめた。すでに、杖は取り上げられて、体も疲労しきっている。しかし、悪魔のはずの相手は、何もしないどころか、むしろ無力なはずの自分を怯えたように見つめている。このとき初めてカリーヌは、自分がこの相手に対してどうするべきなのかに、迷いを覚えた。

 

 エルフとは、人間の敵、だから殺す。それは正しいのか。自分で考える? 法の是非を? そんなことが許されるのか?

 信念は、法は絶対だと訴える。それがもっとも道理にあっているし、軍人として正しいとわかっているが、自分の中の何かがそれを押しとどめる。

 

 いったい、自分は何に従えばよいのだろう?

 道理と、不条理の間をカリーヌの精神はさまよった。

 

 だが、それは本来迷う必要もない答えだった。

 ティリーはカリーヌの前にひざをついてその手をとり、困惑に包まれた目を見据えて、自分を殺そうとした相手に向かって穏やかな声で語りかけたのだ。

 

「お……お友達になりましょう」

 

 

 続く



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第54話  『烈風』カリンの知られざる伝説  戦士から母へ……

 第54話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 戦士から母へ……

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 大蛙怪獣 トンダイル 登場!

 

 

 戦いは終わった。

 吸血怪獣ギマイラはウルトラマンダイナによって倒され、奴の巣にされていたタルブ村も解放された。

 操られていた人々も、村人たちは極度の貧血状態に陥っていた者が何人かいたが、命に別状のあるものはいなかった。また、マンティコア隊の隊員たちも、重傷者は軽傷者の操るマンティコアで近隣のラ・ロシェールの医療施設へと搬送されていった。

 

「隊長……」

「もうしゃべるなゼッサール、今は自分の体のことだけ考えろ」

「はい……隊長……隊長なら、必ず、きてくれ……」

「気を失ったか、急いで運んで専門医の治療を受けさせろ。絶対に死なせるなよ」

 瀕死の状態であった副隊長ゼッサールも、ギリギリのところで治療が間に合い、衛生兵の『治癒』を受けながら運ばれていった。

 

 そして、後に残ったのはカリーヌと、事後処理に残ったわずかな隊員たちだけだった。

「誰も何も覚えていないか、まあそのほうが幸せだろうな」

 カリーヌは村人たちが半分呆けたような顔で、村に残った衛生兵の治療を受けている姿を見守っていた。

 ギマイラに思考を操られていた人々は、当然その間の記憶がない。村人たちは、操られていたことも、血を吸われていたことも知らずに、数日間欠落した記憶に戸惑い続けていた。

 そこへ、GUYSの制服から村人の服へ着替えた佐々木が松葉杖をつきながらやってきた。

「ササキ、もういいのか?」

「ああ、おかげさまでな。君のところの衛生兵もなかなかいい腕をしている」

 カリーヌは何も言わずにうなづいた。あの後、撃墜されたガンクルセイダーは森の中に不時着し、彼は傷ついた身を押して確認しに行ったのだが、どうやら誰にもばれてはいなかったようで、やっと手当てを受けていた。

 すでに空を覆っていた暗雲もうそのように晴れて、今は赤い夕日が彼らを後ろから照らしている。その牧歌的な風景を見る限り、ここが怪獣に襲われていたとはとても信じられなかった。

「この事件のことは村人たちには知らせないほうがいいな……」

「そうだな」

 無感情に、短くカリーヌは答えた。ガンクルセイダーのことや、なによりウルトラマンダイナのことを説明するのは難しいだけにかえってそのほうが都合がいい。ギマイラのことも、カリーヌが倒したということで落ち着いたし、時間が経てば有象無象の事件の中に埋もれていくだろう。

「ふぅ……」

 だが、対外的にはそのほうがよいと分かっていながらも、釈然としない気持ちをカリーヌはぬぐい得なかった。

「どうしたね?」

「他人の戦果を横取りするようなまねをして、気が楽なはずはないだろう。それに、今回は自分の未熟を嫌というほど思い知らされた。何が『烈風』だ、何がマンティコア隊隊長だ、とんでもない自惚れだった」

「そうだな」

 表情を変えぬままに、佐々木はひとつ前と彼女と同じ答えを返した。それが、誇り高いカリーヌにとって、どれほどの屈辱になるかは彼女の顔を見ればわかる。しかし、半端な慰めは返って彼女のためにはならない。屈辱を知らずして人間に成長はない。

「そう思うなら、もっと強くなることだ」

「ああ……」

 心身ともに、改めて鍛えなおそうとカリーヌは決意した。複数の呪文の同時使用の限界、極限状態での判断力の維持、今回の戦いを経て彼女が足りないと思った課題は多い。そして、目的のために必要な努力を惜しむような性格をしてはいない。

 けれど、その決意に隠れた危うさに気づいていた佐々木は、この若獅子がまた道を踏み外さないように一言を付け加えた。

「ただ、願わくばこの戦いにどうして勝てたのか、その理由は決して忘れないでいてくれよ」

「……結束、か」

 それは、部下を率いて戦ったことはあるが、力を合わせて戦ったことはないカリーヌにとって、新鮮で驚きに満ちたことだった。どんなに強くても、独りよがりな戦い方では、自分より強い敵には絶対勝てない。しかし、弱くても結束することによって、あの凶悪怪獣を倒せたではないか。

 確かに、最後に怪獣にとどめを刺したのはウルトラマンだ。しかし、奴を霧から引きずり出したとき、佐々木がギマイラの人間怪獣化光線からレリアを身を挺してかばったとき、レリアがラブラスの勇気を呼び戻したとき、ウルトラマンにカリーヌが力を与えたとき、そして息絶えた佐々木をティリーが蘇らせたとき、誰一人欠けてもこうして立っていることはできなかっただろう。

 この後に、カリーヌはマンティコア隊を除隊し、領地を家臣の者に預けて一人で旅に出ることになる。ガリア、ロマリア、ゲルマニア、さらにはエルフの住まうという砂漠地帯まで、そのときの彼女の戦いが、『烈風』カリンの最後の伝説として語り継がれることになるが、それはまた別の話である。

 そして、戦いの終わりは、別れの始まりでもあった。

「ところで、ティリーちゃんとは仲直りしないのかい? 彼女たちは、もうすぐ立つというぞ」

「……」

 カリーヌは無言のままうつむいた。元々、ティリーはアルビオンへの旅の途中であり、いつまでもここにとどまっているわけにはいかない。また、同じところにずっといると、彼女がエルフだということを誰かに勘付かれる危険性もある。

 しかし、彼女の頭の中ではいろいろなことが渦を巻いて、さっきから少しも落ち着くことができない。ティリーに杖を向けてアスカに止められたあのとき……

「お……おともだちになりましょう」

 自分を殺そうとまでした相手に向かっての、完全に予想を裏切るその言葉にさしものカリーヌも完全に毒気を抜かれて、返す言葉が見当たらずに、あろうことかそのまま踵を返して逃げ出してしまった。思い返すと激しく自己嫌悪が湧き上がってくるが、このままうやむやにしていいはずはない。

 とはいえ、こういうときにどう言えばいいのかといえば、正直全然わからないというのが本音だ。学生時代も友人の一人も作らずに、学業、修練に打ち込む毎日だったから……灰色の青春だと馬鹿にしていた奴の、忘れかけていた冷ややかな顔が今になって浮かんでくるのがなんともうらめしい。

「ともだち……か」

 この悩みには、成績優秀だったのもなんの役にも立たない。かといって、佐々木に助言を求めるのもプライドに反するのでできないでいたが、そこは年の功である。カリーヌの心境を的確に読んだ佐々木は軽く彼女の肩を叩いた。

「喜んで、と言えばそれでいいのさ。ま、これに必要な勇気は、戦場で敵を撃つより十倍勇気がいるんだがね」

 そういうものかといえば、そういうものとしか言いようがない。第一、友情というものを論理的に語れというところにそもそも無理がある。が、そろそろ悩む時間もなくなりそうだ。

「カリーヌさん……」

 振り向くと、そこには旅支度を終えたティリーと、荷物持ちをしているアスカの姿があった。

 ティリーはまたあの大きな帽子を目深にかぶっているけれど、視線はまっすぐにカリーヌを見つめてくる。

「行くか……?」

「はい、今から行けば、次のスカボロー行きの便に間に合いますので……お世話になりました」

 ぺこりとおじぎをするティリーの姿を、カリーヌは無表情のままで見ていた。

 エルフは人間の敵、カリーヌはそう教えられ続けてきた。しかし初めて本物のエルフを見て、ほぼ無意識のうちに杖を向けてしまい、アスカに必死で止められて頭を冷やして、その相手に一度は命を救われたことを思うと、平然と教会の教えを履行する気分にはなれないのも事実であった。

 もちろん、カリーヌは狂信者でもなければ殺人趣向家でもない、恩義もあり、同じ釜の飯を食べた仲間を手にかけることを喜ぶ気持ちは一片もない。それでも、ハルケギニアに住む者にとって教会の教えとは精神の根幹にあるものであり、エルフが数千年にわたって恐怖の対象であったことは事実であるから、簡単にそれに逆らうことはできない。しかし、同時にアスカが放った一言が楔のように彼女の心に突き刺さっていた。

"教会だの法律だの、他人の決めたことじゃない、あんた自身がどう考えてるかってことだ"

 自分で法律や教義の是非を考える。出るところに出せば異端審問にかけられそうな台詞だが、これまで、国法と教義をそのまま盲信して従ってきたカリーヌにとっては、頭を氷のハンマーで叩かれるような感触をともなって響いた。

「自分で、考えろ……か」

 軍人は、任務には私情を挟まずに、どんな命令にも忠実に実行するべし。軍人であるための、それは基本であるが、軍隊とは破壊と殺戮を国法のもとに正当化させた暴力機械であるだけに、冷静に考えるとそら恐ろしいことである。良心と羞恥心が欠如した高級軍人の命令を、いつもは善良な一般兵士が愚直に実行した結果の虐殺、略奪などは古今東西枚挙にいとまがない。

 そういうとき、義務と良心のどちらに従うべきか……自分の中ですでに答えは出ている。しかし、それをいざ形にするには、まだあと一歩足りず、彼女はそれを自分にこれほどの難題を押し付けることになったエルフの少女に、杖を持たずに、同じ目の高さとひとつの質問を持って求めた。

「ティリー……お前達エルフは、人間のことを蛮族と呼んで忌避しているのは聞いている。しかし、お前はあのとき友達になりたいと言った。しかも、命をとろうとした相手に向かって……いったい、お前はなんなんだ?」

 その問いに、答えが返ってくるのには長い時は必要としなかった。彼女は困ったような、いや恥ずかしそうに顔を紅く染めながら答えたのである。

「えーっと……そう言われましても、私は別にそんな特別なものじゃないと思います。それは砂漠では、人間を毛嫌いしている人も大勢いますし、実は私もそうで、旅をしている間ずっと不安でしたけど、アスカさんは会ってすぐに……」

 ティリーはアスカと出会ったときのことを思い出しながら言った。行き倒れかけていたアスカを救ったティリーは、その後恩返しに目的地までボディガードをしてやると言った彼に、恐る恐る「お友達になってくれませんか?」と尋ねた。すると、「オッケー! そんな堅苦しくすんなよ。旅は道連れ世は情けってな!」と、アスカは簡単に了承してくれた。それが、一人旅を続けてきたティリーにどれだけ救いになったか。

「わたし、それでお友達ができるって、こんなうれしいものなんだなって……それでカリーヌさんも皆さんもすごくいい人ですし、あなたとケンカなんかしたくないと思っただけで……」

 しどろもどろ、汗をかきながら言葉をつむぐティリーの必死な姿には、殺気を持ち続けるということこそ困難だろう。最初は裏があるのかと疑ったが、これでは疑ったこちらのほうが恥ずかしくなってくる。

「あ、あの……」

 厳格な国語教師に読書感想文を採点されるのを待っているようなティリーのまなざしを見るうちに、カリーヌは何もかも馬鹿馬鹿しくなっていくのを感じていた。

「ふふふ……はっはっはっは!」

 ふいに笑いが込み上げてくる。それはそうだ、自分はなにを真剣に考え込んでいたんだろう。エルフだから? 異教徒だから? ましてや決まりだから? 冗談ではない、弱いものいじめのどこに正義があるのか?

「あの……」

「いやすまん、だが……悪いが、えーと、あのときの言葉を、その、もう一度言ってくれぬか?」

「えっ?」

 怪訝な顔をしているティリーに、カリーヌは恥ずかしそうに言葉を付け加える。

「だから、その……さっきの……まだ私は答えを言ってないから……その」

 歯切れが悪いが、それはカリーヌの精一杯の勇気を振り絞ったものだった。けれど、もう何が言いたいのかは子供でもわかる。ティリーはにっこりと笑うと、両手を静かに差し出して言った。

「お友達に、なってください」

「……よ、喜んで」

 差し出された手を握り、仮面の中に長い間隠されていた本当のカリーヌの笑顔が、ぎこちない言葉とともに白日にさらされた。

「ふふっ、ふふふ」

「ははっ、はははは」

 少々苦笑いが混じる。それでも、ようやくお互いに顔を見て笑えるようになった二人を、佐々木とレリア、それからアスカはそれぞれ楽しそうに眺めていた。

「おうおう、まったく楽しそうにしおって」

「おじいちゃん、そりゃそうよ、新しく友達ができてうれしくない人なんていないもの。最初は怖かったけど、やっぱりすごくいい人だったわね」

 昨日、初めて会ったときとはもう別人のようだ。他者を寄せ付けなかった雰囲気が和らぎ、人間らしさがはっきり表に出てきている。大きな挫折を経験し、助け助けられることの重要さを知ったことが、彼女を人間的にも成長させたのだろう。

「うーむ、人間変われば変わるもんだなあ……何度侵略に失敗してもぜんぜん懲りないうっとうしい宇宙人たちにも見習わせたいもんだぜ」

 そのとき、時空を超えた場所でとある三人組がくしゃみをしたかは定かではない。

 けれど、本来友人とは宣言してなるものではなく、自然と隣にいるものである。その点では、なんの気兼ねもなく語り合うことのできるこの三人も、すでにカリーヌにとってはかけがえのない友と呼んでよい。

「ところで佐々木さん、俺はまた元の世界に戻るために旅を続けるけど、あんたはどうするんだ?」

 そのアスカの問いに、佐々木はタルブ村の風景と、孫娘の姿を交互に眺めて、深くため息をついた。

「私は、ここに骨をうずめるつもりだ。地球へ帰るには、私は少々ここに長くいすぎた。それに、いまさら戻ったところで私の居場所はあるまい」

 第二の故郷を、残りの人生をかけて守るという佐々木の意思に、アスカは黙ってうなづいた。

 平和を取り戻したタルブの平原に、出身も身分も何もかも違う五人の明るい笑い声が、誰をはばかることなく響き渡り、空に消えていった。

 こうして、ハルケギニア全体の運命を揺るがしかねなかった事件は、たった五人の活躍のうちに完全に解決し、そしてたった五人の心の中にのみその真実を残して幕を閉じた。

 

 だが、時間は無情に別れの時を告げる。アスカとティリー、カリーヌと佐々木とレリアは、惜しみつつ最後の言葉をかわした。

「それではこれで……それにしても、何もかも夢だったようですね」

「ああ、私達五人だけのな……けれど、いい夢というのは人に言うとご利益がなくなってしまうものだ」

 佐々木の暗示したことを、他の者達も口には出さなかったが理解した。ウルトラマンダイナの登場やエルフと関わったことなどが公になれば、誰にも益をなすことはないだろう。異端審問の特権を使いたがる神官や、カリーヌを陥れて自己の栄達を図ろうとする貴族など、人面獣心のやからに絶好の口実を与えることになる。

「三十年……少なくともそれくらいは、この事件のことは我々のうちに秘めておこう。その後は、子供なり孫なりに話してやればいい。独創性に欠けた昔話にくらいはなるだろう」

 佐々木とアスカ以外の者達は、そこで少し老いた自分達の目の前で、つまらなさそうに昔話を聞いていた子供達が、やがて聞き飽きてすやすやと眠っていく姿を思い浮かべた。

「フッフッフッフッ……」

 思ってみて、カリーヌは笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。この私に子供がか。さて、生まれてくるとしてどんな可愛げのない悪餓鬼になるか。

「アスカ」

「うん?」

「お前にも、いろいろと教えられた。私はとうに一人前になっていたつもりだったが、まだまだ軟弱な未熟者だったよ」

「おいおい、あんたが未熟者なら、俺はまだおしめもとれない赤ん坊だよ。でも、俺もあんたに会えてよかった。短いあいだだったけど、楽しかったぜ」

 カリーヌは軽く頬を緩めて苦笑した。今まで、自分と会って楽しかったなどいう人間はいなかった。本当にこのお調子者には驚かされる。しかし、こうして別れを前にすると名残惜しさが沸いてくるのはなぜだろう。

「また会おう」

「ラジャー」

 がっちりとアスカとカリーヌは握手を結び、そしてお互いに踵を返すと、振り返ることなくそれぞれの行くべき道へと歩み始めた。

「じゃあ、わたしも行きます。ササキさん、レリアさん、お世話になりました」

「こちらこそ、君は命の恩人だからな。何かあったら遠慮なくうちに来い。エルフのひとりやふたり、面倒みてやる」

「さようならティリーさん、道中の無事を祈ります。またいっしょにヨシュナヴェを作りましょうね」

 短く別れをすませると、ティリーもアスカについてラ・ロシェールの方角へと旅立っていった。

 後には、本当にうそのような平穏と静寂が、夕食の調理を始めた家々の明かりと夜の闇とを包んでいた。

 

 …………

 

「そうして、アスカさんとティリーさんは旅立っていきました。彼らが、その後アルビオンでどうしたのかは、私も知りません。けど、あの人たちのことです、何が起きてもあきらめずに、今でも前に進み続けていると信じています」

 時は、三十年前から再び現代に戻り、天高く上った月の光が窓からガンクルセイダーの銀色の機体を照らす中で、レリアは昔話を締めくくった。

 後には、呆然とした様子で話の内容を反芻している一行の姿が残っていた。

 ルイズもシエスタも、自分の母親が三十年前にそれほどの戦いを潜り抜けてきたとはまだ信じきれない。しかし、それがまぎれもない真実であることを確信せざるを得なかった。

 また、才人もそれらの話にも増して、あの旧GUYSの生き残りの佐々木隊員の活躍や、ウルトラマンダイナの戦いなど、ヤプールの襲来以前からハルケギニアでも怪獣が現れていたのだと深刻に考え込んでいた。

 考えてみれば地球と同じように生命にあふれた星である。血を求めてやってくるギマイラのように、昔からこの星を訪れた怪獣や星人は人間達が知らないだけで、かなりな数に上るのではないか……最初にダイナが戦ったアリゲラも渡りの最中だったのかもしれないし、オルフィたちや先日のザラガスのようにこの星に元々住み着いていた怪獣も数多い、ましてやヤプールがいる今となっては……

「アスカさん……あんた、三十年遅くこっちに来てほしかったな……」

 今、アスカがどうしているかはわからないが、ヤプールが大規模侵略をしている今、もしまだハルケギニアにいたらこの状況に黙ってはいないだろう。となれば考えられるのは、すでに亡くなっているか、もしくはもうハルケギニアにはいないか……しかし、ウルトラマンが簡単に死ぬはずはない。

「アスカって人は、絶対に帰る方法を見つけるのをあきらめはしなかったはずだ……となれば答えはひとつ、何かの方法でこの世界を後にしたんだ……これは、是が非でも俺もアルビオンに行かなくっちゃな」

 才人は、このハルケギニアでヤプールを迎え撃つ以外の目標をはじめて見つけて、決意を新たにした。ダイナの足跡を追う、きっとそこには何かがあるはずだ。

 一方、ほぼ傍観者として聞いていたキュルケとタバサは、昼間の疲れから話の途中で寝てしまったアイをロングビルに背負わせた後、自分達なりに今の話を吟味していた。

「どう思う、タバサ? あのうわさに聞く『烈風』を倒すほどの怪物がいたなんて」

「恐らく、全部本当。空から落ちてきた魔物には、昔から多くの伝承がある。それに常識を超えた怪物なら、わたしたちも戦った」

 二人は、ついこの間のエギンハイム村での戦いを思い出した。先住魔法の使い手の翼人と彼らの伝説の守護神の力を借りても、ようやくギリギリのところで倒せた怪物。それにタバサはそれ以前にも火竜山脈で毒ガス怪獣ケムラーとも戦っている。

「と、なると……ある日突然頭の上から化け物が降ってくるかもしれないってことね。はぁ、迷惑な話だこと」

 そうはいっても、つい数年前までの地球がまさにそんな状況だったのだ。空からは宇宙人、地底からは大怪獣、そんなぶっそうな中で学生生活を送ってきていたのだから、才人はけっこう度胸が据わっている。

 だが、誰よりもショックを受けていたのはやはりルイズだった。

「『鉄の規律』をモットーとしてきたお母様が、あのお母様が自ら法を犯したことがあったなんて……」

 ルイズにとってのカリーヌは、恐怖と畏敬の対象であって、完全無欠、その言葉が人の形をとっているとしか思えない、まさに天の上の存在だったのだ。

 けれど、レリアは三十年前よりしわを刻んではいるが、暖かみには少しの変わりもない笑顔をルイズに向けて語りかけた。

「もちろん、カリーヌ様も法を破ったということは重々承知していましたよ。国に帰られた後、あの方は部隊全滅の責任と自らへの戒めとして、一週間謹慎の上、断食して再出仕したときには幽霊のようにやせこけていたそうです。それでも、救いたい人のために、あの人はあえて禁を犯したんです。あなたも、いつかわかるでしょう」

 自分以外のもののために自分の矜持を曲げる。常に誇り高くあろうとしてきたルイズには、それがどれほど苦しんだ末の決断だったのか、おぼろげながらわかる気がした。

「けれど、あのお母様にそんな時期があったなんて、やっぱりとても信じられないわ」

「あの人は、自分にも他人にも大変厳しい人ですから。冷たく見えてしまうかもしれませんが、本音はとても優しい人なのですよ」

「そんな、お母様が……」

「やれやれ、あの人は今でも不器用なところは変わってないようですね。けれど、あの人だって人間ですよ。悩みもあれば、苦しみもしていました。ただ、その理由が他の人とは違っていたから、そうは見えなかっただけで、人と比べて強すぎるけれど、決して万能ではない自分の力におぼれないように、常に自分を律していました。けれど、普段自分を出し切れないことは、どれほど苦痛だったか」

 力に心が飲み込まれないように自分を押し殺す。力がありすぎるからゆえの苦悩、ルイズは、これまで強い力を持つ人を内心でうらやんでいたが、彼らにも力を律しなければならない苦しみがあったのだ。

 それに比べれば、ただ爆発を起こすしかない力を振り回し、感情を好き放題に発散できる自分は気楽なものなのかもしれない。むろん、だからといって力を感情のままに振りかざして弱者をいたぶることに快楽を覚えるような、有象無象の三流貴族と同類になりたいとは死んでも思わないが。

 また才人も、ウルトラマンであることを隠して生きている自分達ともどことなく似ていると思った。感情のままに動くにはウルトラマンの力は強すぎる。その力を使うべき時を見極めるという、ウルトラマンの重圧は、全てのウルトラマンが等しく味わってきたものだ。

 レリアはそんな風に、自分の旧友の娘が母の本当の心の一端を知ってとまどうのを、落ち着きを取り戻すまでじっと見ていたが、やがて改めて話を再開した。

「そうやって考え込むしぐさも、あの人とそっくりですね。ああそうだ、これは秘密なんですが、実はあの人は今でもたまにこの村に来ることがあるんですよ」

 それを聞いて、今度はシエスタがびっくりした。

「えっ、お母さんもしかして……昔からたまにうちに来ていた青いローブの親戚のお姉さんって」

「そう、お忍びで来ていたカリン様よ。あなたも小さいころはよく遊んでもらったわね」

「そ、そんな……そういえば、なにをしているのかよくわからない人だったけど」

 自分の知り合いが、まさかそんなすごい人だったとは知らずに、今更ながら愕然としている娘を横目で見ながらレリアは話を続けた。

「あの人は、公務の合間を縫って、祖父とよく話していました。また、この神社を建てるときにも、飛行機に固定化をかけるときにも、惜しみなく助力してくれたものです。祖父が亡くなってからは数は減りましたが、それでもうちのヨシュナヴェが大変気に入ってくれたみたいで、無くなることはありませんでした。それで、今から二十四年前と二十一年前、そして十七年前、そのとき尋ねていらしたときの様子は忘れることができません」

「それって、もしかして」

「そう、あなた方三姉妹をそれぞれ身ごもったときです。あのときほどあの方が笑っていらしたときはありません。本当にうれしそうに言うんです。男か女か、自分に似てくれるかなって。特にあなたのときは、私はあのときすでにシエスタを身ごもっていましたから、特に喜んで、"この子とお前の子は違う身分の元に生まれる。しかし願わくば、いつか出会ったとき、そんなつまらぬ垣根を越えて、共に歩める本当の友になってほしいものだな"、と」

 数奇な巡り合わせだと、ルイズもシエスタも思っただろう。ほぼ同い年なだけでまったく触れ合うことなく育ってきた二人が、魔法学院の生徒とメイドとして出会い、才人をきっかけとして奇妙な友情を抱くようになったことには、目に見えない運命の導きを感じざるを得ない。

 それでもなお、ルイズにはまだあの母にそんな一面があったとは信じきれなかった。ルイズが物心ついた頃から常に毅然としていて、誰にも弱みを見せたことのない母。教育に厳しくて、自分たち姉妹の嫁ぎ先のことしか考えていないように思えた。魔法が使えない女の子は、きちんとしたところに嫁ぐことはできませんよ。そんなことばかり言われていた気がする……けれど、そんなルイズをレリアは優しく諭した。

「いいえ、ようく思い出してごらんなさい。たとえ普段は厳しくても、自分の子供を大切に思わない親なんていないわ。いつだって心配してくれて、あなたを守ってきてくれたはずよ」

 その導く言葉は、母として有無を言わさぬ強さを持っていた。そして、導きに従って記憶の泉の底からひとつずつ思い出をさらううちに、ルイズは忘れかけていたひとつの事件のことを思い出した。

 

 それは、ルイズが八つのときの、ある嵐の夜。ラ・ヴァリエールの屋敷で風の音に怯えながらルイズはベッドにもぐりこんで震えていた。この日は、いつも幼いルイズの面倒をよく見てくれるひとつ上の姉が体調を崩していたために、ルイズは一人で孤独に怯えて夜の明けるのを待っていた。

 しかし、嵐の恐怖はさらに狂騒となってルイズを襲った。深夜、荒れ狂う風雨の中に紛れ込むようにして忍び寄ってきていた怪しい男がルイズの部屋の窓を割り、彼女を無理やり連れ去ったのだ。

 当時、たった八歳だったルイズには当然抵抗できる力はなく、犯人と思われる仮面をつけたメイジの腕の中でただ泣きじゃくっていた。

 森を抜け、泉を超え、屋敷がどんどん遠くなっていくにつれて、恐怖は絶望へと塗り替えられていった。自分がなぜ連れ去られたのかは、幼いルイズにはわからなかったが、このままだと二度と家に帰ることはできないと察することはできた。

 だが、領地のはずれの川に差し掛かったとき、ルイズの耳に聞きなれた鳥の声が響いてきた。

「ノワール……おかあさま……」

 それは、危急を知って飛び出してきたカリーヌが、間一髪駆けつけてきたのだった。

 

"くっ……なぜここがわかった!?"

"簡単なことだ、わが領内で我らの追撃を逃れる術はない。ならば領地を抜ける最短ルートを読んだだけのこと。私の娘は、返してもらうぞ"

 

 それからの記憶はルイズにはほとんどない。わずかに、風を切る音がしていたことから思うに、犯人も風のメイジだったらしいが、所詮『烈風』の敵ではなく、気がついたときにはルイズはノワールの上でカリーヌの腕に抱かれていた。

「おかあ……さま」

「ルイズ……よかった……無事で、本当によかった」

 そのときの母の姿は、嵐の中で美しいブロンドの髪はしなだれ落ち、着替える間もなく飛び出してきたドレスも、雨と戦いで見る影もなく崩れきっていた。けれども、その顔にはいつも張り詰めている冷たさはどこにもなく、その顔を一目見たときから、安心感に包まれたルイズは、強く抱きしめる母の腕の中では嵐の冷たさも感じることはなく、急速に眠りの中へと落ちていった。

 その後の顛末は、犯人はルイズを連れて逃亡しようとしたものの、カリーヌに阻まれてルイズを捨てて逃亡した。しかしカリーヌはルイズの安全を優先して追撃はかけなかったために、おそらくは生きているものと思われるが、この事件は公爵家の娘が誘拐されかかった不名誉なこととして、表ざたにされることなく闇に葬られた。

 一方、無事に救われたルイズも、強すぎる恐怖体験に対する心の防御機能から、事件のことは記憶の中に封印されて、やがて戻ってきた日常の中に埋没していった。

 だが、強い記憶はいつか心が成長したときに思い起こされるものである。

「思い出した。なんで今まで忘れてたんだろう、あのときお母様は……」

 泣いていた。娘の無事を知って、大粒の涙を流していた。あのときは、雨のしずくで隠されていたけれど、今ならはっきりとわかる。孤独ではなく、わが身に変えても守りたいものの、その一端でも知った今なら。

 貴族の誇りを常に尊ぶ母なのに、着の身着のままで、無残な姿になることもかまわずに、さらに公爵家を愚弄した賊を捕らえることよりも娘の身を案じて。

 

 それだけではない。子供時代のまた別の頃、ルイズがアンリエッタの遊び相手として宮廷に上がったときのことだ。

 二人はある日、外の世界を冒険しようとして、グリフォンを一頭勝手に連れ出し、目的地も定めずに飛び出させた結果、どことも知れない深い森の中に迷い込んでしまった。

 乗ってきたグリフォンも、元々乗りこなすことなどできずに逃げられてしまい、幼い二人はどうすることもできずに、人の気配さえない森の中でさまよい続けた。

「ルイズ、ルイズもう歩けないわ……きっとわたしたち、この森の中で死ぬのよ」

「姫様、あきらめないでください。姫様は、このわたくしが命に代えても城にお帰しします。ああ、あそこに池があります。あそこで一休みいたしましょう」

 二人は、せめて水を飲もうとその池のほとりへと走った。しかし、そこには魔物が住んでいた。

「ルイズ、あれはなに?」

 池のほとりにしゃがみこんだ二人の前で、突如池の水が泡立ちはじめた。二人は、いやな予感はしたが、経験の浅さからそこを動くことができなかった。そして、そこから巨大な蛙の頭が現れたときには、すでに手遅れとなっていた。

「きゃああーっ!!」

 それは、この奥地の沼地に古くから生息していた大蛙怪獣トンダイルだった。かつてはZATの時代に地球にも現れ、地底戦車ペルミダーⅡ世と激闘を繰り広げた、人間を捕食する凶悪な怪獣だ。

「姫様、お逃げください!!」

 ルイズはアンリエッタの背中を押して、森の中へと逃がそうとした。彼女の高い忠誠心は幼い頃からだったが、未熟な彼女はまだ自らがした行動がどういう意味を持つかまではわかっていなかった。アンリエッタを逃がそうとしたとき、ルイズはトンダイルが吐き出した大きな透明なカプセルにすっぽりと取り込まれて、そのままカプセルごとトンダイルの口の中に一直線に吸い込まれていったのだ。

「いやぁぁっー!!」

 迫ってくるトンダイルの巨大な口に、ルイズは気が狂わんばかりに悲鳴をあげた。しかしそのとき!

『ライトニング・クラウド!!』

 天空から降り注いできた雷がトンダイルの脳天に落雷し、ルイズのカプセルは池の上に投げ出された。

『レビテーション』

「きゃあっ!」

 そのまま、カプセルは来た方向を逆戻りし、恐る恐る見守っていたアンリエッタの前に下りた。

「ルイズ、大丈夫ルイズ!?」

 アンリエッタは、そのとき覚えていた水魔法を使ってなんとかカプセルを壊してルイズを救出した。

「だ、大丈夫です。それよりも、姫様こそ……」

「わたしも大丈夫です。どうやら、助けが来たみたいです」

 喜色を浮かべるアンリエッタの見ている前で、巨大な影が彼女達の頭上を飛び去っていった。それは、見間違うはずもない母の使い魔の巨影。そしてその背に立つ鉄仮面の騎士を、見すごすはずなどなかった。

 アンリエッタが行方不明になった頃、カリーヌは園遊会に参加していてトリスタニアに来ていた。そこで王女がいなくなったという知らせを受けると、帰巣本能で城に戻ってきたグリフォンの進路から逆算して、常に持ち歩いている戦装束を持って何者も追いつけない速さでここまで駆けつけてきた。そしてこれが、ルイズがはじめて見る本気で戦う母の姿だった。

 今でも、その光景はルイズの目に焼きついている。怪獣を四十体の偏在で取り囲んでの『ライトニング・クラウド』での超集中雷撃。さらに水中へ逃げ込もうとした怪獣を、同じく四十倍の『カッター・トルネード』で池の水ごと空中へ舞い上げ、粉々に打ち砕いたのである。

 ……むろん、その後苛烈なまでの雷は無謀な冒険をやらかした二人の少女に降りかかった。

「大馬鹿者!!」

 乾いた音が二つ響き、泥の上に二人が激しく投げ出された。

「お前達が無茶をしたおかげでどれだけの人間が心配したと思う! 何かをする前に、自分達の行動で何が起こるのかよく考えろ!!」

「うっ、うぇぇーん!」

「ルイズ、痛いよ、痛いよぉ」

 カリーヌはアンリエッタにも容赦なく平手を打っていた。ここで、王女だからと特別扱いをすれば、まだ正確な判断力を持たない幼児は自らのエゴイズムがどんなときでも許されると錯覚し、際限なく増長していって、やがては国を蝕む暴君の誕生を呼ぶことにつながるからだ。

 そして、泣きじゃくる二人から、この事件は外の世界を見たいアンリエッタが、お友達のルイズにそう頼み、ルイズが他ならぬ姫様の頼みだからと後押しする形で進めたことを聞き出し、カリーヌは改めて両者を叱責した。

「まず……ルイズ! なぜ姫様を止めなかった、お前が姫様を止めていれば、はじめからこんな騒ぎにはならなかったはずだ!」

「それは……わたしは、姫様の、おともだちだから」

「馬鹿者! 友達とは都合のいいように召使をするものではない。共に歩むだけでなく、道を踏み外そうとすれば力づくでも引き戻すようなものをいうのだ。ただ姫様を楽しませて言うことを聞くだけなら、そこらの道化でもできる。なんのためにお前が姫様の遊び相手に選ばれたのか、自分の役目をよく考えろ!!」

「はっ、はいぃ!!」

 それ以上平手をふるいはしなかったが、カリーヌの言葉の雷はルイズの心に食い込んでいっていた。

「それから、姫様!」

「はっ、はいっ!!」

 次にカリーヌはアンリエッタの前にひざまづき、仮面をつけたままで視線を彼女の高さまで落とした。その眼光の鋭さはルイズのときとまったく変わらず、これまで多くの大人にかしずかれてきたアンリエッタには経験のない、他者に威圧されるという感覚を始めて感じていた。

「姫様、好奇心の強いのはよいことです。しかし、あなた一人の勝手のためにどれだけ多くの臣下が慌てたと思っているのです。いいえ、心配だけならともかく、あなたはルイズを……自分のお友達をあわや死なせてしまうところだったのですよ」

「は、はい……」

 そのときアンリエッタは、はいとは言ったものの、視線はカリーヌを見返していなかった。いや、その内心ではむしろ一騎士ごときがなぜ邪魔をするのかと、いわば不当に叱責されているという、幼い心にすでに巣食った傲慢さがかいま見えていた。

 すると、カリーヌはアンリエッタの肩に手を置くと、彼女の肩を外れない程度に加減をかけながら握力を込めた。

「姫様、これだけは覚えておいてください……」

「いたっ! 痛いっ、離して、離しなさい!」

 アンリエッタの肩に激痛が走り、反射的に彼女は振り払おうともがいた。しかし、カリーヌはアンリエッタの悲鳴にも耳を貸さない。

「主君が主君たる器を見せなければ、臣は忠誠を尽くす義務を持ちません。もしあなたが、ルイズを、自分以外の者を犠牲にしてでもわがままを通そうというのなら、そのときは力を持って訓をたれさせていただきます」

「痛い、痛い痛いっ、ルイズ、ルイズ助けて!」

「やめて! もうやめてあげてください」

 とうとう見かねたルイズがカリーヌの手に飛び掛っても、カリーヌは力を緩めない。

「甘ったれるな!! お前はこれよりもっとひどい痛みをルイズに与えようとしたのだ。いいか!! これが罰だ、この痛みをよく覚えておけ! わかったか、返事は!?」

「はいっ!! わかりました、二度と、二度とこんなことはいたしません!」

 必死で泣き喚きながらアンリエッタが答えたとき、カリーヌはようやく手を離した。ルイズが慌てて駆け寄り、震えている彼女の肩をさすってやっている。このときすでにアンリエッタの中の伸びすぎた自尊心の牙は完全にへし折られてしまっていた。

 カリーヌは、そんな二人の姿をじっと見下ろしていたが、やがて二人の前に腰を下ろして、怯えているアンリエッタに目じりを緩めて穏やかに話しかけた。

「姫様、今ルイズがなぜあなたをかばったか御分かりですか? それは、この子はあなたのことが好きだからですよ。あなたにとってはただの一臣下でも、この子にとっては初めてできた大切な友達なんです。それだけでも、この子の存在はあなたにとってかけがえのない財産になるでしょう。よく、覚えておいてください」

「はい……」

「よろしい……では、帰りますよ」

 辺境の沼地を、ラルゲユウスの翼に抱かれて一行は後にした。このときのことが、アンリエッタが『烈風』に会った最初のことになるのだが、まだ彼女は『烈風』の正体には気づいておらず、それを知るのはさらに長い年月を必要とした。

 やがて、アンリエッタが疲労のために眠ってしまうと、カリーヌはようやく仮面を外して娘に素顔を見せた。

「お母様……」

「まったく、お前という子はいつもいつも心配ばかりかけて……けれど、よく姫様を守ってくれましたね」

 泥だらけの娘の体をぐっと抱きしめる母のぬくもりは、冷え切ったルイズの体をゆっくりと温めていった。

 その後のことは、内々に処理されたらしく、公式記録には残されていない。しかし、このときの経験が、後のアンリエッタの人格形成に大きく影響したであろうことはまず間違いない。

 それに、ルイズもこの事件のトラウマでその後蛙が大嫌いになったものの、アンリエッタに従うだけでなく、時に意見が違えばけんかしてでも筋を通そうとするようになった。

 だが、考えて見ればそれもこれも、みんなあのときカリーヌに救われていたらこそあることだ。あのとき、矢も盾もたまらずに飛び出してきて、身分もはばからずに過ちを叱責してくれたからこそ、今ルイズとアンリエッタの間には主従ではなく、本物の友情がある。

 

 それに気づいたルイズは、知っていたはずなのに忘れていた母の愛の強さに、自分が縛られていたのではなく強い力で守られていたのだと気づき、こみ上げる感情にのどを押さえた。

「……」

「あの人は不器用ですけど、母としての役割を果たすことに努力を怠ったことはないですよ。あなたがこうして立派に成長できたのがなによりの証拠です」

 親の心、子知らずとはよく言ったものだ。親が子に与える愛は純粋すぎてかえって相手には歪んで伝わってしまう。才人も、ハルケギニアに来て以来、ずっと会っていない日本の両親のことを思い出し、キュルケも逃げるようにして出てきた国の両親のことを、タバサも遠い過去に消えていった家族との思い出を蘇らせていた。

「わたしったら、本当にゼロね。昔からお母様たちには迷惑をかけてばかりで……母親になるって、本当に大変なことなのね」

「いいえ、それがわかっただけでも、あなたにこのお話をしたかいがあったわ……けど、このことは絶対秘密にしておいてね。カリーヌさまに知られたら、怒られちゃうから」

 いたずらっぽく微笑むレリアの横顔には、昔を懐かしむ思いと、ようやく自分たちの子供にこのことを伝えられたという満足感が漂っていた。

「さあ、そろそろ帰りましょう。皆さんのぶんのヨシュナヴェが待ってますよ」

「はーい!」

 言われてみれば、夕食を放り出して出てきたのだった。急に襲ってきた空腹感が全員に伝染し、一行は一も二もなく賛成して村への帰途についた。

 

 けれども、村への道を歩く中、話をただ黙って聞いていたロングビルがぽつりと誰にも聞こえないようつぶやいた。

「数奇な運命か……程ってものがあるわよ……」

 

 

 続く



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第55話  大怪鳥空中戦!! (前編)

 第55話

 大怪鳥空中戦!! (前編)

 

 始祖怪鳥 テロチルス 登場!

 

 

 長い夜が明けて、翌日、一行は帰りにまた必ず立ち寄ることを約束し、タルブ村を旅立った。

 

 

 ラ・ロシェールはタルブ村から三時間ほどかけて山を越えたところにある港町だった。人口はおよそ三百人ほど、街としての規模では大きなものではないが、港町だということで、常にその十倍以上はある人数でにぎわっている。

 だけれど、ここにたどり着いたときに才人が得た感想はそういうことではなかった。

「山の中にある港町なんて、初めて見たぜ」

 見渡す限り、町の周囲は切り立った山肌で覆われていて、海の姿などはどこにも見えない。それもそのはず、ここは風石によって浮遊する空中船のための港であり、古代の世界樹と呼ばれていたらしい数百メートルはある巨大な枯れ木を桟橋代わりにした、役割としては空港に近いものだったからだ。

 一時期は、アルビオン王党派とレコン・キスタの戦争で出港数が減っていたが、今はまた行き来する回数も増えて町は非常なにぎわいを見せている。一行は、そんな活気のある街中を潜り抜け、港湾事務所でちょうどこれから出航する予定の客船の切符を七人分買った。

「家族割りとか団体割引とかありゃいいんだけどな」

 料金は一人当たり四十エキュー、全員合わせて二百八十エキューで、才人のぶんはルイズが、アイのぶんはロングビルが出した。シエスタのぶんは旅行中の貴族三人の世話代としてルイズ、キュルケ、タバサが少しずつ持っていたのだが、片道だけでのこの料金の高額さに、いいかげんこちらの世界の金銭感覚も身についてきていた才人は、どうにも居心地の悪さを感じていた。ちなみに、平民の一年間の生活費は平均百二十エキューほどである。

「なに? その家族ワリとか団体ワリビキとかって?」

 平然とした様子で金貨で支払いをしていたルイズが、聞きなれない単語を聞きつけてたずねてきた。

「家族でとか、一定以上の人数で買い物をすると料金が安くなるシステムのことさ。他にも、特定の曜日とか、ある数字のつく日には安売りをするってサービスもあったな」

 旅行会社のCMや、スーパーやレンタルビデオのポイント制など、地球では客寄せのために様々なシステムがちまたにあふれていた。だが一方のハルケギニアではまだ経済そのものが未成熟なようで、同じものでも店によって金額が大幅に違ったり、法外な値段がまかり通っていたりとけっこう苦労したものだったが、どうやら上級貴族のご令嬢であるルイズにはよく伝わらなかったようだった。

「へーえ、で、それがなんなの?」

「なんなのって……そりゃお前、どうせ買うなら安いほうがいいだろ。そういうシステムがあれば、もっと安く船に乗れるのにって思ったんだが」

「はーあ、平民はこれだからね。いいこと、貴族はそんなさもしいことはしないで、常に最高のものを求めるの。わずかばかりのお金にこだわるなんて、ほんと恥ずかしいったらないわ」

 胸を張って、貴族のあるべき姿というやつを講釈するルイズだったが、才人は大きくため息をついただけで肯定も否定もしなかった。いや、返事をする気も失せていたというほうが正解だろう。わずかばかりの金だと偉そうに言うが、それだけあれば何日食っていけるか。

 そういえば、前にギーシュの家は戦場で見栄を張って目立つために、いまや借金まみれで成り上がりのクルデンホルフに頭が上がらないと聞いたことがあった気がするが、なるほど実例が目の前にいるとよくわかる。しかも、こちらは後ろ盾の財源がギーシュなどに比べて莫大であるために、金と湯水の区別がついていない上に悪意がないのでなお性質が悪い。

 けれど、才人が返事をしないのを肯定だと受け取ったのか、ルイズはさらに自信を増して、傲然といえるほどに居丈高に才人に命令してきた。

「いいこと、あんたもこのわたしの使い魔なら、そんなつまらないことは考えないで、もっと優雅にふるまうことでも考えていなさい」

 どうも久しぶりに、ルイズにはじめて会ったとき以来の胸のむかつきが蘇ってくるのを才人は感じていた。

 価値観がまったく違うゆえのすれ違いはこれまでもあった。ただしルイズなりの譲れない矜持に関わるものには才人もある程度の理解を示せていたが、こればかりは一パーセントも同調できない。

「なによ、なんか文句があるの?」

 本人には自覚はなくても、貴族の傲慢さをそのまま表に出して命じてくるルイズに対して、才人は言い返そうか、それとも形だけは従って要領よく済ませようかと考えた。だが、彼と同じように顔をしかめているロングビルとシエスタの顔が目に入って意を決した。

「優雅、ね。別に、お前がどうふるまおうと勝手だけど、その金はお前が汗水垂らして稼いだ金じゃないだろ。それで優雅な生活をしようなんて、ねえ」

「……っ! な、なによ。わたしがわたしのお小遣いでどうしようと当然のことでしょ」

「ああ、そりゃお前のお父さんやお母さんが頑張って領地の人たちのために働いて、収めてもらった税金だろ。お前の両親が使うなら当然だけど、お前何もしてないじゃん」

「……っ!」

 ルイズは何も言い返せずに沈黙した。効果的な反論など、できるはずもなかった。才人としても、洗濯やら掃除やらの雑用をこなして毎日を食わせてもらっている身分だから、今のルイズに対して遠慮する気はまったくなく、的確にルイズの急所を射抜く言葉を放っていった。

「もし、お前のお母さんに、働かずに優雅な生活をしたい、とか言ったらなんて言われるかね」

 それが、とどめになった。特に深く考えなくても、あのカリーヌにそんなことを言えば、どういう反応が返ってくるかは目に見えているからだ。ルイズは悔しさと恥ずかしさのあまりに顔を赤く染めて、脂汗を流してうなだれている。

 けれど、才人はまだ言いたいことはあったけれど、それ以上ネチネチ言うのはやめておいた。説教など柄ではないし、今回はとりあえずルイズに、まだ自分が両親の背中に背負われていて、乳母車の上からドレスを着てパーティーに出ようとしていることを思い知らせれば十分だった。シエスタとロングビルもすっきりしたようだし、逆ギレされても面倒なので、ざまあみろ程度で引き下がっておこう。

 けれども、そう思った矢先にルイズはいきなり自分の財布を全額才人に押し付けてきた。当然才人は何をするんだと押し返そうとするが、ルイズは強引に財布を押し付けて怒鳴った。

「その財布は、あんたが持ってなさい!! あたしが持ってると、その……無駄遣いしちゃうから……だけど! 勘違いするんじゃないわよ! 万一にも帰りの旅費が無くなっちゃわないように、それまで、預けとくだけだから。あんたを信頼して渡すとか、そういうんじゃないからね!!」

「……了解」

 財布をパーカーの内ポケットにしまいこみ、才人はそれっきりそっぽを向いてしまったルイズを見て苦笑した。

 まったく、理解力は充分に備わっているはずなのに、表現が不器用だったらない。だがそれでも、お金の大事さを少しでも理解してくれたならそれでいい。なお、キュルケも未だに親に食わせてもらっている身分には違いないので、今回ばかりは他人事とは思えずに、化粧する回数を減らそうかなとひそかに考えていた。

 

 

 その後、一行はのんびりとレリアに用意してもらったブドウジュースなどを飲みながら乗船時間を待っていた。さすがブドウが特産だというタルブの自家製で、甘い味とひんやりした飲み心地が夏の熱気をやわらげてくれて、時間がゆっくりと過ぎていく。

 やがて、一行は馬車ごと荷役用のドラゴンを使ったコンベアで空中を運ばれて、一隻の大型客船に収容された。

「でっかい船だなあ」

 才人は乗り込んだ大型船の甲板を見渡して感嘆とした。姿かたちこそ中世的なガレオン型の帆船だが、全長百五十メイル、全幅二十メイル、四本マストの威容は自分がボトルシップの中に紛れ込んでしまったように思える。

「ふふーん、それは当然よ。この『ダンケルク』はトリステインの誇る最大の豪華客船だもの! 本当ならあんたみたいな平民は、最下層の船底でネズミ退治しながらでもやっと乗れるかどうかってとこなのよ」

 ルイズの鼻高々な自慢話も今回は素直に聞けてしまう。無駄なく作りこまれた船体構造と、美しく飾り付けられた装飾や、船首の女神像などはド素人の才人でもかっこいいとしか表現できない。収容能力も乗客を馬車ごと積み込めることから、いわゆるカーフェリーの機能も有していると見え、さらにシルフィードなどの大型使い魔も世話する施設もある。なんとまあファンタジーの世界もたいしたものではないか。

 が、そうして才人の尊敬する眼差しを気持ちよさそうに受け止めていたルイズを、キュルケの一言がしたたかに打ちのめした。

「そりゃ当然よ。だってこの船は元々ゲルマニアで建造された客船『シャルンホルスト』をトリステインが買い取ったものですもの、出来がいいのは当然よ」

「な、なんですって……?」

「あら? 知らなかったの、冷静に考えてごらんなさいよ。トリステインにこんな大船を建造できる技術があるはずないじゃない。入れ物だけもらって飾り立てはしたみたいだけど、やっぱ素材がよくないとねえ」

 ルイズの機嫌が目に見えて悪くなっていくのを、才人はペギラのせいで凍り付いていく東京の風景のように見て、ここで爆発でも起こされて退船を命じられては大変と、話題を変えることにした。

「まあまあ、ところでロングビルさん、俺達の船室は?」

「あっ、それならデッキ下の二等船室を三部屋取ってありますから、お好きなときにお休みになってください」

 しかし、それがなおルイズの機嫌を悪くすることになった。

「二等船室? わたし達は中流貴族なんかじゃないのよ、なんで一等船室をとらなかったのよ」

 ラ・ヴァリエールのルイズは、当然一等船室が与えられるものと思っていたが、それと比べるとかなり風格の落ちる二等船室には我慢できないようだった。さっきのことがあったばかりだが、やはり身についた習慣はそう簡単には変われないようだ。 

 もっとも、二等でも一流ホテル並みの様式はあるし、料金も平民が数ヶ月は遊んで暮らせるだけはあるのだが……

「はぁ、それが実は一等船室は全部貸切状態でして、申し訳ありません」

「貸切? このご時世にどこの金持ちだか知らないけど豪勢なものね」

 自分のことはすっかり棚に上げてえらそうに弾劾するルイズの姿を、キュルケやシエスタなどはおかしそうに見ていた。ところが、急にその一等船室のあるマスト直下のトップデッキから聞きなれた声がして、一同はそろって振り返った。

 

「ん? 聞きなれた声がすると思えば、ラ・ヴァリエール嬢にサイトではないか」

「おお、本当だ。おーい、ルイズ、ぼくのルイズ!」

 

 そこにいた、青髪の女騎士と、口ひげを生やした長身の貴族を見て才人とルイズは目を丸くした。

「ミシェルさん」

「ワルドさま!」

 なんと、ここでこの二人と会うとは思っていなかった一行は、お互いに顔をつき合わせて驚きあった。

 話を聞いてみたら、先日話したアルビオンへの特使としてこれから王党派の元へと向かう途中だという。一行は、そういえばそんなことを言っていたなと思ったものの、まさか同じ船に乗り合わせるとは予想外だった。

「また会いましたねミシェルさん、お元気でしたか」

「おかげさまでな、今じゃ銃士隊は入隊希望者続出で大忙しさ。どうだ、お前も入ってみる気になったか」

 すでに気心の知れた仲である二人は、王女の魔法学院来訪以来の再会を素直に喜び合っていた。だが、その一方でルイズとワルドは。

「ワルドさま、少しおやつれになりましたか?」

「ああ……あの怪獣との戦い以来、君のお母様が教官についてくれてね。【『烈風』カリンの短期修行コース・初級編】というのをやらされていて、連日オーク鬼の巣に放り込まれたり、素手でコボルドと戦わされたり、目隠しして弓矢や魔法を避けさせられたりと。しかもそれが精々基礎体力作りだっていうんだから、せっかくの一等船室でも疲れがなかなかとれないよ」

 肉がげっそりと落ちたワルドの姿を見て、一行は『烈風』カリンは現在でも絶好調だと確信した。今頃は残ったグリフォン隊の隊員たちがしごかれているだろう。『烈風』、いまだ衰えず。

 こうして、思いもかけない再会を果たした一行を乗せた『ダンケルク』号はラ・ロシュールを出航した。

 目指すはまだ見ぬ北の国。

 帆を揚げろ! 取り舵一五度! とぉーりかーじぃ!! 船乗り達の勇壮な叫びが青空に吸い込まれていく。そこで待つものは何か?

 

 

 速度を上げて、浮遊大陸アルビオンのある北の空に飛び去っていく『ダンケルク』号の姿は、遠くタルブ村からも一望できていた。

「行きましたわね。私たちの子供達が……」

 村はずれの、ガンクルセイダーを収めた寺院のそばの墓地から、レリアは娘の乗っているであろう船を見送っていた。この墓地には、彼女の祖父、佐々木が今は眠っている。そこへ、木陰から青いローブをまとって姿を隠した長身の人物が現れた。

「すまなかったなレリア、面倒な役目を押し付けてしまって」

「いいえ、ようやくずっと話したくて話したくてうずうずしていたことをしゃべれたんですもの、楽しかったですわ。けど、あなたの娘にくらいはご自分でお話すればよかったのではなくて?」

 レリアに、誰もいませんよと呼びかけられると、その人物はローブのフードを脱いで、長く伸びた桃色のブロンドの髪を頭の後ろでまとめて、鋭いながらも今は穏やかな光をたたえた素顔をさらした。

「こんな恥ずかしいこと、面と向かって言えるわけがあるまい。それに、子供に甘い顔は見せられん」

「あらあ、娘が宮廷に上がるときには始終使い魔をそばで見張らせて、魔法学院に入学してからも、うちに来るたびに心配だ、心配だとうわごとのように言っていた人が甘くないですって?」

「うっ……ぜ、絶対にそのことはあの子には言ってはいかぬぞ」

「あらあら、最近の貴族様は、人にものを頼むときの態度もご理解してはいらっしゃらないのかしら? それなら、軽薄な平民のお口はかるーくなってしまうかもしれませんわね」

 思いっきりにこやかに、しかし目だけは全然笑っていない作り笑顔をレリアに向けられて、彼女はシエスタに胸の大きさでやり込められたときのルイズのような表情を一瞬浮かべると、仕方なさげに、いないはずの人の目を改めて確認して頭を下げた。

「お願いします。このことはどうか内密にしてくださいませ」

「よろしい。よくできました」

 もし、誰かがこの光景を見ていたとしたら、自らの目を疑ったことは疑いようもないだろう。それほどに、今一平民に頭を下げている人物の一般的なイメージは強烈なのだ。

 けれど、貴族に思いっきり卑屈な態度をとらせたことで、いたずらにも充分満足したレリアは再び空のかなたの船に目を向けると、感慨深げにつぶやいた。

「それにしても、二日前に急にあなたがここにいらして、突然娘がそちらに行くから、あのときのことを話してやれと言ってきたときには驚きましたよ。なにか、あったんですか?」

「……お前も薄々は気づいているだろう。今、この国は……いや、ハルケギニアは激動の時代を迎えようとしている。ヤプールの襲来以来、凶暴化する亜人たち、どこからともなく現れる異形の者たち」

「ええ、まるで三十年前のときのように、この世界中がなろうとしているのかもしれません」

 国を問わずに巨大な怪物が現れ、侵略者の手先が跳梁跋扈する。すでに、このタルブ村もコボルドの群れに襲われ、平穏な場所ではなくなっている今、レリアにも時代の変化は十二分に感じられていた。

「そんななか、私の娘が召喚した使い魔が、ササキやアスカと同じ黒い目と髪を持つ少年だったことは、もはや単なる運命のいたずらとは思えない。これから、あの子の存在がこの世界の存亡に関わってくると思ったのは、考えすぎだろうか」

「いいえ、私も、あの少年がガンクルセイダーを簡単に動かしたときは、アスカさんが戻ってきたのかと思いましたもの。そこに、また私の娘も関わってくるなんて、よほど縁があるんでしょうね」

「だからな、あの子たちが運命に飲み込まれてしまう前に、私から託せるものは全部与えてやりたいと思うのだ」

「親バカですわね」

「お互いにな」

 顔を見合わせて微笑みあう二人の顔は、貴族でも平民でも、ましてや戦士でも農婦でもない、ただの母親の顔だった。

 やがて、彼女たちの血を分けた子供たちを乗せた船は、ゆっくりと遠くの山のかなたへとその姿を消していく。その旅路の先に、何が待っているのかは神ならぬ彼女たちには知りようもない。しかし、一人の人の親として願うのは、ただ無事に帰ってきてくれということだけ。

 そして、空の果てへと消えていく船影を最後に望み、二人は静かにつぶやいた。

「娘をよろしく頼みますよ、異世界の少年……今度は、我らの子供たちが往く……」

 

 …………

 

 けれども、当の異世界の少年は、そんな母親たちの期待とは裏腹に、おのぼりさん全開で豪華客船『ダンケルク』号の乗り心地を楽しんでいた。

「いやあ、いい眺めだなあ」

 当初乗船料金の高さに遠慮していたが、いざ乗ってみると甲板から下界を眺める風景はまさに絶景だった。昔修学旅行で九州へ行ったときに乗ったジャンボから見た風景とはまた別の趣がある。そんな彼の隣には、ミシェルが並んで手すりに腕を置き、常は見せない穏やかな顔をしていた。

「はっはっは、田舎者まるだしだぞサイト、もっとしゃきんとしろ。仮にも公爵令嬢の使い魔だろう」

「いんですよ、そんなもの。使い魔はしゃあないとしても、俺は奴隷でも下男でもないんだから」

 実際、才人はルイズに仕えてはいるけれど、今では才人もルイズに保護されているということを自覚している。そのおかげで、二人の関係は初期のいがみあったものから、今では表面上はともかく二人の信頼関係は相当なものといっていいだろう。

「ふむ、しかし平民のお前が貴族たちばかりの中で、よくそんなに自由にしていられるな」

「そうでもないよ。ま、最初は大変だったけど、付き合ってみたら貴族の中にもいい奴はいっぱいいるし、王女様も優しい人だし、今じゃトリステインもけっこういい国だと思ってるよ」

「そうか、トリステインがいい国か……」

 なぜか自分の国がほめられたというのに、ミシェルは表情にかげりを浮かべていた。才人はそれを、船酔いでもしたのかなと気楽に思っていたが、彼女は遠くの空を寂しげに眺めながら、軽く息をついて語りだした。

「なあサイト……私は今でこそ銃士隊の副隊長なんて職務を預かっているが、数年前まではそれはひどい暮らしをしていてな。それこそ、生きるためにはなんでもやったものさ」

 じっと、才人はミシェルの昔話に耳を傾けた。

「幼い頃に、それなりに裕福だった実家が没落して、後は天涯孤独。父の昔の友人が後見人になってくれるまでは、それこそ今日を生きるのが精一杯だった」

「……」

 ぽつりぽつりと、懐かしさとは程遠い思い出を語るミシェルに、才人はなぐさめの言葉をかけはしなかった。このハルケギニアでは、そのぐらいの境遇は珍しくないし、彼女もそれを求めてはいないとわかっていたからだ。

「人買いの元を転々としたこともあったし、売られた屋敷から着の身着のままで逃げ出したこともある。盗みも騙しも殺しも、あのころの私は人間ですらなかった」

 アイの境遇と似ているなと、才人は心の中で二人を重ね合わせた。両親を失ったアイは幸いにも、ミラクル星人やロングビルという引き取り手にめぐり合えたが、全体からすればほんの一部なのだろう。

「それで、今になって思うことがあるんだ。こんな悪党がのさばり、平気で安穏とすごし続ける国とは、いったいなんなんだろうって」

「でも、お姫様はそんな国を変えようとしていますよ」

 才人は政治のことはよくわからないが、先日魔法学院でアンリエッタが見せた手腕だけでも、彼女が非凡な才覚の持ち主だということはわかる。

「ああ、確かにこの国は変わりつつある。けれど、いつまでも姫様が統治していられるというわけでもあるまい。今アルビオンで反乱を起こしているレコン・キスタというのは、王族に寄らずして、政治をおこなう改革をハルケギニア全土に広め、エルフから聖地を奪還することを目指しているそうだ。私は立場上、彼らと戦わねばならないが、王権から脱した新しい政治体制には興味を引かれなくもない……お前はどう思う?」

 そう言われては、政治に興味がなくても返答しなければならない。正直、社会科の成績はあまりよくなかったけれど、あごに手を当てて考える仕草を数秒見せた後、才人は自分なりの考えを披露した。

「……少なくとも、トリステインには必要ないんじゃないかな」

「なぜだ?」

「俺も、ルイズからざっと聞いたことがあるけど、レコン・キスタって言ってみれば、『王様になりたい奴ら連合軍』だろ。聖地がどうたらこうたら以外には、別段これといった改革も聞きゃしないし、第一平民のほとんどはそんなこと望んでないよ」

 国民の中に現体制への不平不満を持つ者はそれはいる。しかし、それは地球でもどこの国でも同じであり、日本、アメリカ、ヨーロッパ、孤児もこじきもなく政権に不満を持たれない国家など存在しない。

 才人が比較対象にしたのは、中学の授業で出たフランス革命だったが、重税に耐えかねた民衆が自発的に起こした革命とは明らかに様相が違う。それに、無理に共和制にしなくても、地球にだってまだ王国は数多く残っている。

「そんな、単なる王様のとっかえっこごっこをしたところで、今よりよくなるとは思えないしね。むしろ、能力があれば平民でもどんどん取り入れられていくっていう、ゲルマニアのほうがいいんじゃないか?」

 それは才人の率直な意見だった。今あるものが悪いからといって、新しいものがそれよりよいものだという保証などはどこにもなく、それは願望という色眼鏡をかけて見える虚像に過ぎない。

「だが、アンリエッタ姫の退位後、また政治が乱れたらどうする?」

「そんときは、あらためて革命だのなんだの起こせばいい。どっちみち、いいことでも押し付けられたことは、定着しやしないよ」

 他者から押し付けられた秩序には必ず反発が来る。仮に、宇宙から地球人よりはるかに優れた宇宙人がやってきて、「愚かな人間を、我らが統治して永遠の平和と完璧な秩序を与えてやろう」と、言ってきたとして、それはすばらしいと諸手を上げて受け入れるだろうか? 答えは簡単、余計なお世話と言うだけだ。たとえ善意でも、押し付けではそれは侵略と変わりない。明治維新、アメリカ独立など、どれもきっかけは外圧だが、当事者たちが自発的に起こした結果である。

「で、俺の結論だけど、今のトリステインに革命は必要ない。少なくとも当分は」

「それでも、今のトリステインには自らの利権ばかりを求める薄汚い奴らが大勢いる。お前はそれらをなんとかしたいとは思わないのか?」

「そりゃ、俺も嫌いな奴はいるよ。けど、毛虫がついたからって木を切り倒しては、若木を植えなおしても実が生るまですごい年月が必要になる。面倒でも、ついた虫を駆除していかないと、やってくる小鳥まで迷惑する。木を植えなおすのは、木自体が老いて倒れたときでいい」

 我ながら下手な比喩だと思うが、ミシェルの言う国を手術して一気に治す方法に対して、才人は投薬やリハビリで長期的に治す方法を提示してみせた。だがそれ以上に、才人はハルケギニアを手術しようとしているというレコン・キスタという医者が信用できなかった。国を食いつぶす寄生虫を追い出したとしても、後に戦争好きのガン細胞が住み着いては迷惑この上ない。

 才人は言いたいことをしゃべり終わると、彼にその問題を出した相手の顔をのぞき見た。ところが、その顔色が彼女の髪の色にも似て青白く見えて、自分がとんでもなく愚かなことをしゃべったのではと急に不安になって、慌てて説明を求めた。

「あの、俺なんか変なこと言いましたか?」

 すると、ミシェルは残念そうに目じりを落とし、作り笑顔で答えた。

「いや、お前も貴族に虐げられている身分だから、反王制の革命を望んでいるかと思ったのだがな。正直、私にとっても色々と考えさせられることがあって、有意義な話だった。だが、お前は平民のくせにずいぶんと博識だな、その歳でもう政治評論ができるとは」

「まあ、俺の国じゃ誰でも一応は学校に行けたから、それくらいはね」

 そこだけは誇らしげに才人は語った。

「なるほど、お前はずいぶんと住みよい国にいたみたいだな」

「そうでもないさ」

 それも、才人にとって偽らざる本心だった。住めば都というわけではないが、地球を懐かしいとは思っても、トリステインに比べて天国だったなどとは思わない。どちらも所詮人間が集まったものである以上、地球にだって自然破壊やすさんだ人間の心など、問題は数多い。 

「それよりも、なんでそんな話を俺に?」

「……そうだな、そういえばなぜだろう?」

「はぁ?」

 ミシェルが本気で不思議そうに首をひねるので、逆に才人のほうが面食らってしまった。

「強いて言えば、これから重大事に臨むにあたって、誰か信頼できる人物に愚痴を聞いてもらいたかった……サイト、お前だからかな」

「えっ!?」

 そのとき、気恥ずかしげに微笑んだミシェルの顔が、やけに可愛らしく見えたので、才人は思わず息を呑んで、その顔を失礼にもしげしげと見回した。

 でも、彼の心臓が下手なダンスを踊りだすころには、彼女はすでにいつもの人を寄せ付けない孤独な表情に戻って、空の果てに視線を差し向けていた。

 気のせいだよな……才人は意味もなく高鳴った鼓動を抑えながら、一瞬持ち上がった考えをありえないと脳内のダストシュートに放り込んだ。ミシェルの見る空の先には、いったい何があるのだろうか……アルビオンは、まだ影も形も見えない。

 

 そこへ風魔法を使った船内放送が流れてきた。

 

"ただ今より、トリステイン・ゲルマニア・アルビオン連合護衛艦隊が合流します。一般のお客様方につきましては、航海の安全を保障するものですので、どうかご安心ください"

 

 甲板から身を乗り出して見ると、『ダンケルク』に追いつくように、多数の砲門を構えた戦闘用帆船が何隻も追走してくる。

「なんだあ? あの艦隊は」

「なんだ、知らないのか? このところ、アルビオン航路の船が何隻も消息を絶つ事件が相次いでいてな。戦争に便乗した空賊の仕業とする説が強くて、こうして厳重に防備しているというわけさ。なにせ、乗せているものは我々だけでなくて、王党派への膨大な物資もある。同盟締結を望むゲルマニアも念を入れて艦艇を派遣してきているくらいだ、見ろ」

 ミシェルの指差した先には、中型の船体に外からでもよくわかるくらいに大きな砲を無理に取り付けた、ややアンバランスな印象を受ける艦が二隻飛行しており、彼女はそれらも合わせて艦隊の概要をざっと説明してくれた。

 まず、前述の二隻はゲルマニアの砲艦『メッテルニヒ』『タレーラン』といい、小型でありながらその火力は戦列艦に匹敵するという。

 別のほうを見渡せば、護衛艦隊にはトリステイン空軍の四隻の巡洋艦が見える。また、その後ろには戦列艦並の船体の艦首から中央にかけてだけ砲門を揃え、艦尾側には竜騎士を搭載するスペースを備えた奇妙な艦がいた。それは、今度実戦配備されることになる新鋭の『竜母艦』という艦種の実験艦で、無理矢理艦種を定めるならば『戦列竜母艦』とでもいうべき代物であった。その、恐らく最初で最後の一隻になるであろう孤高の、『ガリアデス』が巨影を浮かべ、さらにその艦隊先頭には、アルビオン王国が今回の使節への礼として送り込んできた大型戦艦『リバティー』がその堂々たる威容を浮かべている。

 これらの艦隊が『ダンケルク』号をはじめ、貨物船『マリー・ガラント』『ワールウィンド』『ラングレー』を囲んで堂々たる輪形陣を組んでいた。

「大艦隊だな」

 単純に感想を述べた才人は、漠然とだが、この同盟にトリステインや他の国がどれだけ注目しているかを感じた。もしこの同盟が正式に締結できればレコン・キスタに対して各国連合軍は圧倒的な戦力で挑むことができるが、万一失敗すれば、孤軍で戦っている王党派に対してレコン・キスタにも勝ち目が出て、アルビオンが制圧されてしまう恐れがある。

「まあ、これだけの護衛がついていれば空賊など恐れるに足るまい。安心しておけ」

「ああ」

 特に考えもなく答えた才人だったが、その言葉ほどには安心してはいなかった。何か根拠があったわけではないが、何かこの先から漂ってくる風にはいい感じがしない。杞憂であればよいのだが……

 

 

 しかし、悪い予感というものは往々にしてよく当たり、それは空賊などという生半可なものではなかった。

「敵襲ーっ!!」

 陸地から洋上へ艦隊が出たとたん、けたたましい鐘の音とともに響いてきた凶報。才人たちは船室からメインデッキに駆け上り、そこで護衛艦隊の砲火を悠然とかわしながら飛んでいる巨大な鳥の姿を見た。

「巡洋艦『トロンプ』大破! 墜落していきます!」

 その巨鳥の体当たりを受けて、船体の半分を失って沈んでいく帆走巡洋艦の姿を、一行は呆然と見つめた。そいつは、あの『烈風』カリンのラルゲユウスにも匹敵する巨体を持ち、真っ赤な頭と鋭いくちばしを持った姿は、伝説のロック鳥を思わせる。そんな悪夢のような存在が今、甲高い鳴き声をあげながら、撃沈した船の乗組員をついばんでいた。

「始祖怪鳥、テロチルス……多発する遭難の原因はこいつだったのか!?」

 巡洋艦を体当たりで沈めながら、かすり傷ひとつ負わずに飛び続ける巨影を間近に見て、才人はこれなら空賊のほうが百倍よかったと、会った事もない空賊たちに何で来てくれなかったのかと理不尽な怒りを向けた。

 かつて帰ってきたウルトラマンでさえ一度は取り逃がした、白亜紀に生息していた凶暴な肉食の翼竜……空中戦においては絶大な戦闘力を誇り、MATの主力戦闘機マットアローもまったく歯が立たなかった。ましてや、球形の砲弾を撃ちだすしかできないこの艦隊の火力など考えるにも及ばない。

「サイト!」

「ああ、テロチルス相手じゃこの艦隊の武装じゃ歯がたたねえ!」

 見ると、テロチルスは艦隊の砲撃を意に介さずに、悠然と艦隊の前面に回りこもうとしている。戦艦『リバティー』が大口径砲での攻撃をかけているが、テロチルスは新マンのスペシウム光線さえ跳ね返した相手だ。そんなもので撃墜できるはずがない。戦列竜母艦『ガリアデス』からも竜騎士が緊急発進しているものの、速度が違いすぎて追いつくことさえできず、逆に追い詰められてぺろりと平らげられてしまう始末だ。

 今、この艦隊を全滅から救えるのは自分達しかいないと、才人とルイズは無言で視線を合わせた。しかし、そうしているうちにもテロチルスの攻撃は続く。

 

"上甲板のお客様! 危険ですからすみやかに船内へご避難ください、大丈夫です。本船は強力な護衛艦隊が防御しています。必ずや敵を撃退してくれますので、どうか落ち着いてご避難ください!"

 

 ぜんぜん大丈夫ではない。才人はそういえば昔見た何かの映画でも、絶対大丈夫とかえらそうなことをぬかしていた割には、あっさり空賊に用心棒を撃ち落されて拿捕された豪華客船があったなと思い出した。 

 しかし、確かに上甲板にいても振り落とされる危険がある。ここは洋上、貴族なら落ちても『フライ』で助かるかもしれないが、陸地まで精神力が持つまい。ただし、こちらには別に方法がある。

「タバサ、シルフィードを放しましょう!」

「急ごう」

 タバサとキュルケは、急いでシルフィードを解放しようと、使い魔用の檻のほうへと走っていった。残った面々のうち、ロングビルとシエスタはすでにアイを連れて船室へ避難していき、才人とルイズは船内への扉の前まで行ったところでUターンして、舷側に走りよった。

「リバティーが、燃えてる……」

 テロチルスの攻撃の前には、巨大飛行帆船もまったくの無力だった。これまで堂々たる威容を見せていた巨大戦艦は、まだ沈んではいないものの、マストの一本をへし折られ、左舷から砲弾の炸薬の引火によるものと思われる黒煙を噴出している。

 さらに、奴はリバティーに体当たりをして離れる際に、またその巨大なくちばしに、何人もの白い水兵服の人間をくわえていた。

「野郎……もう許しちゃおかねえ!」

 必死に手を振りながらテロチルスののどの奥に消えていった人影を見て、ついに才人の怒りも頂点に達した。

「ルイズ、いいよな!」

「ええ、ここでこの船が沈められたら、ハルケギニア全体が戦禍に飲み込まれる危険もあるわ。行きましょう!」

 そのとき、二人の思いに呼応するように、二人のその手のウルトラリングも輝いた。艦隊前面で再襲撃の機会を狙っているテロチルスを見据え、その手を上げて、同時に振り下ろす!

 

「ウルトラ・ターッ……!?」

「きゃあっ!?」

 

 だが、二人の手のひらが重なりかけた瞬間だった。突如二人を強烈な爆風と衝撃波が襲い、二人は甲板に叩きつけられてしまった。

「ぐぅぅ……大丈夫かルイズ?」

「なんとかね……それよりも、今のは?」

 才人の手を借りて立ち上がったルイズは、船尾方向から真っ赤な光が『ダンケルク』を照らしてくるのを見た。

"弾薬輸送船マリー・ガラント、爆沈!!"

 何が起きたのか理解できなかった二人に、明確な答えを与えたのは、右舷にいた砲艦『メッテルニヒ』から流れてきた放送だった。艦隊の最後尾にいた輸送船、王党派に渡す予定だった大量の火薬を積んでいた『マリー・ガラント』号は、その全身から火炎を吹き上げながら、目的地を海底へと変えてまっ逆さまに墜落していく。あれでは、生存者は誰もいるまい。

 しかし、二人は燃え盛る『マリー・ガラント』を見て思った。

「なんで!? 怪獣は正面にいるのに」

「まさか……」

 そうだ、艦隊の真正面にいるテロチルスが、最後尾にいた『マリー・ガラント』を攻撃できるはずがない。そして、才人の悪い予感は再び最悪の形で実現することになった。燃え盛る『マリー・ガラント』の断末魔の炎の中から、テロチルスのものとは違う野太い鳴き声が『ダンケルク』をはじめとする全艦に響き渡ったのだ。

「おい……」

 才人は、その声に聞き覚えがあった。忘れもしない、ウルトラマンメビウスが地球に来てあまり経たないころ、テレビのニュースでは、三十三年ぶりに噴火を始めた大熊山のことが報道されていた。はじめこそ、単なる火山噴火のニュースかと思われていたのだが……

「うそだろ……」

 黒煙の中から、その巨体を現す黒い影、真っ赤なとさかと槍のようなくちばし、その下に垂れ下がった毒袋。輸送船を一撃の体当たりで撃沈させ、なおも恐ろしげな鳴き声とともに飛翔を続ける極彩色の巨鳥。

 

【挿絵表示】

 

 かつて、二人のウルトラマンを死に追いやった恐るべき空の悪魔が、今そこにいた。

 

 

 続く



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第56話  大怪鳥空中戦!! (後編)

 第56話

 大怪鳥空中戦!! (後編)

 

 始祖怪鳥 テロチルス

 火山怪鳥 バードン 登場!

 

 

 トリステイン・ゲルマニア・アルビオン連合護衛艦隊は、今壊滅の危機に瀕していた。

 四隻の非武装船を護衛する艦艇は、戦艦一、戦列竜母艦一、砲艦二、巡洋艦四と、国籍の違いはあれども相手が空賊程度であれば一蹴できる戦力を有していた。しかし、そんな優秀な彼らも、空飛ぶ要塞とでもいうべき巨大始祖鳥の前には、猛禽に目をつけられた小雀も同然に反撃することもままならず、ましてや逃げ去ることすら適わない。

「何をしている、もっとよく狙え!」

 下士官が砲手を叱咤するが、弾丸のような速さで飛ぶ相手に当たるはずもない。また、これほどに巨大な物体が音速に近い速度で飛べば、強烈な衝撃波(ソニックブーム)を生み、球形砲弾や半端な魔法などは軽々とはじき返されてしまう。それどころか、仮にまぐれで当たっても効果はまったくなく、威嚇にすらならない。彼らは、これまで新鋭艦に配属されたことを誇りとしていたが、これがこの敵にはおもちゃ同然だということを思い知らされて、かつてなす術なく全滅していった地球防衛軍や旧GUYSのような絶望感を味わわされていた。

 しかし、これは本当の恐怖のほんの幕開けでしかなかったのだ。

 

 沈没していく『マリー・ガラント』号の炎の中から現れた、恐るべき巨大怪鳥の姿を見て、才人は全身の血液が干上がっていくような錯覚を覚えていた。

「始祖怪鳥テロチルスに、火山怪鳥バードン……悪夢にもほどがあるぜ」

 才人は、今日が地球だったら仏滅に違いないと確信していた。一匹でもとんでもなく強い怪鳥が二匹、しかも一匹はあのバードンだ。その野太い鳴き声が響いてくる度に、才人の心から闘志が削られ、恐怖心が高まっていく。

「あんた、何びびってるのよ! わたしたちがやらなきゃ艦隊は全滅しちゃうわよ」

 自然と恐怖心をにじませていた才人にルイズの叱咤が飛ぶ。才人にも、それはわかっている、わかっているのだが、今回ばかりは相手が違う。才人の心に、幼い頃テレビのドキュメンタリーで見たZATとバードンの戦い、その当時最悪の怪獣災害と言われた事件のことが浮かんでくる。

 超高速で飛び回り、牧場や精肉所、肉のあるところを手当たり次第に荒らしまわるバードンによって日本経済は麻痺しかけた。けれど、それは大人の事情であって、その当時まだ小学生であった才人はそんなことよりも、迎え撃ったウルトラマンタロウを鋭いくちばしでめった刺しにして殺害し、救援に駆けつけたゾフィーをも圧倒的な実力で惨殺したその恐怖感が、今でも残るトラウマとなって立ち向かう勇気をそいでいたのだ。

「サイト! 聞いてるの!? 返事しなさい」

 ルイズの怒鳴り声も、今の才人には半分も届かない。一度カーブで事故を起こしてしまったドライバーが、その後カーブに差し掛かったときに無意識にスピードを絞ってしまうように、人間は一度植え付けられてしまった恐怖心を、理性ではなく本能的に回避しようという機能が働いてしまうのだ。もちろん、それは生物が不要な危険を回避するために必要不可欠な機能なのだが、機械と違って人間は一度組み込まれてしまったリミッターを簡単に外すことはできない。

 戦わねばならない、そんなことはとうにわかっている。しかし、胸のうちから湧き上がってくる恐怖心のために足がすくみ、いくら自分を奮い立たせようとしても、喉がカラカラに干からびて、体が言うことを聞いてくれない。

「……サイト、あなたまさか……怯えてるの?」

 幾度となく聞いたルイズのその言葉にも、今回は言い返すことはできない。少しは大人になり、忘れかけていたトラウマだが、体は心以上にはっきりとそれを覚えていた。最強、というならゼットンやタイラントがいるが、そいつらを恐れたことはない。しかし、お化け屋敷に怯える子供に、あれは作り物だと言って納得させられるだろうか。 

「……あいつは、強い。そうなのねサイト」

 ルイズは、才人の態度からバードンの恐ろしさを確信した。元々感情に流されやすくはあるが、聡明な理解力を持っている。これまで才人は逃げろとは言っても、それはあくまで敵の実力を見てのことであり、臆病者とそしられるような醜態を見せたことはない。

「ああ、火山怪鳥バードン……俺の故郷でも、最強に限りなく近いといわれている大怪獣だ」

「それだけじゃ、ないんでしょ」

 単に強いだけなら才人がここまで恐れるはずはない。半年も付き合えば、鈍いルイズにもその程度の心の機微は察することができた。

「……奴の同族に、ウルトラマンが二人、殺されたことがある」

「なんですって!?」

 ルイズも絶句した。まさに超人と呼んでよい存在であるウルトラマンを死なせるとは、どれほど恐ろしい怪獣だというのか。

「うそじゃない。ウルトラマンだって傷つきもすれば死にもする。お前にだってわかるだろう」

 ドラゴリーのとき、ザラガスのとき、エースは致命傷を受けかけた。あのまま攻められていたなら、どうなっていたかはわからない。けれども、それでも、今は戦わなければならないのだ。

「わかるわ……だけど、敵に背を向けない……いえ、私たちがやらなきゃ誰がみんなを守るの? ロングビルさんもアイちゃんも、タバサや、おまけでキュルケとシエスタも、みんなみんな食べられちゃうまで震えてる気?」

「わかってる、わかってるんだが……」

 頭では、しなければならないことはわかっている。しかし、才人が恐怖心を抱えたまま変身したとしても、エースに充分な力を与えられるかわからない。ただ体の貸し借りをしているだけではないのだ。

 いらだちをつのらせるルイズを見かね、才人の背中のデルフも使い手の心情をルイズにもわかりやすく説明した。

「娘っ子、相棒にとっちゃ、あの怪獣はお前の母ちゃんや姉ちゃんみたいなもんなんだよ。逆らいたくても震えちまってできねえのさ」

 その例えは、二人のどちらにとっても不愉快な響きを持っていたが、正鵠を射ていた点では反論のしようもなかった。ルイズがカリーヌやエレオノールに逆らえるかといえば、否の一言で事足りてしまう。

 だが、『マリー・ガラント』を空の藻屑に変えたバードンは、今度は『ダンケルク』に目標を定めて火炎を吹きかけてきた。

「きゃあっ!」

「危ないっ!!」

 とっさに才人はルイズを押し倒すかたちで甲板へ倒れこんだ。火炎は『ダンケルク』が高高度でも気圧を保つために張り巡らせてあった風の防壁にさえぎられて威力を減殺され、その大部分が跳ね返されたが、それでも貫通してきた熱波が才人の背中を焼いた。

「ぐっ……」

 うめき声が漏れ、背中がひどい日焼けをした後のように熱を持つ。熱波は船に影響を与えるほどではなかったけれども、生身の体には、パーカーを羽織っていたことと、背中にデルフリンガーをしょっていたことを合わせても、火傷とまではいかなくてもかなり効いた。

「サイト、あんた大丈夫!?」

「なんとかな……」

 苦痛の表情を見せる才人に、ルイズはこれからどう言えばいいのかとっさにはわからなかった。わが身を省みずに、こんなに勇敢に行動できるのに、なぜたった一歩の勇気が出てこないのか。

 バードンとテロチルスは艦隊の抵抗を意に介さず、スズメバチがミツバチの巣を食い破るように、口ばしを突き立てては獲物を捕らえていく。

 

 今や、艦隊は前後から二大怪獣の攻撃を受けて、ほんの数分しか経っていないというのに半数近くの船が何らかのダメージを受けて、しかも相手にはなんら有効な反撃を打てていない。このままでは、十分と待たずして艦隊全ての人間が怪鳥の胃袋に納まってしまうだろう。

「給炭艦『ラングレー』に大火災発生、炎上しつつ墜落していきます!!」

 今度は、大量の石炭を積載していた輸送船『ラングレー』がバードンの火炎の餌食となって沈んでいった。バードンとテロチルスは先を争うように、焼けて食べやすくなった肉をついばんでいく。次は自分たちがああなる番だと、艦隊の誰もが痛感していた。

 それでも、あきらめの悪い人間はまだ存在している。まだどうにか被害を免れている『ダンケルク』では、檻の鍵をぶち壊して、キュルケとタバサがシルフィードを解放していた。

「いよっし! これでなんとか脱出の足は確保できたわね。さっそく出しましょう」

「待って、今飛び出たら餌食にされる」

 タバサの見るところ、あの二体の怪鳥の飛行速度はシルフィードを大幅に上回る。タイミングを見計らわないとむざむざエサにされるだけだ。けれど、待っていて結局船と運命を共にしたのでは話にならない。

「それにしても、この船の船長は何を考えてるのかしら、このままアルビオンにまで無事に向かえると思ってるの?」

 キュルケは、先程から艦隊がまったく進路を変える様子がないことをいぶかしんでいた。すでに、巡洋艦が一隻撃沈されているのだ。トリステインの領空に戻って援軍なり救援なりを要請するほうが、はるかに確実だし、撃ち落されても下が海か陸地かでは生存率は比べるべくもない。

「ようし、あたしはブリッジに進路を変えるよう要請してくるから、タバサはみんなを脱出できるように準備してて」

「うん……シルフィード、動いちゃだめ」

 二人は、きゅーいと不安そうに鳴くシルフィードを残して、ブリッジと船室のほうに別れた。

 けれど、実はブリッジではすでに進路を変えるか維持するかで激論が繰り広げられていたのだ。

 

「すぐに引き返すべきです!」

「だめだ、このまま進むんだ!」

 ブリッジの舵輪を前にして、トリステインへの退避を主張する船長に、あくまでアルビオンを目指そうとするワルドが杖を突きつけて、反転を阻んでいた。

「この艦隊の戦力では、あの怪物たちに太刀打ちできません。一時転進して戦力を整え、後日にかけるべきです」

 船長の言い分はもっともで、船員たちのほとんどがうなづいている。しかし、杖を構えた貴族に逆らうことはできずに、心の中で船長にエールを送るしかできない。けれど、正論が正論として認められることは、体裁や面子の前には非常にまれであることを彼らは知っていて、貴族というものはそれらの塊であった。

「いかん、アルビオンへの大使たるものがわずかばかりの危険を恐れて引き返したとあっては後世の笑いものになるだけだろう。ここはなんとしてでも進むのだ」

「それでは、名誉のためにここでこの船も沈めと……」

「ふっ、いや、この艦隊の使命は我々を無事にアルビオンまで送り届けることにある。我々さえ無事に目的地にたどり着ければ彼らは大変な名誉を得られるのだ。なあに、この船はゲルマニア製の最新鋭船だ。頑丈さには定評がある。そう簡単には沈みはすまい。それに、あの二頭がいかに大食いでも、十隻も食い尽くせば満足して帰るだろうよ」

 悠然と、笑みさえ浮かべて宣言するワルドに船員たちは絶句した。彼は、自分たちがアルビオンに行く、それだけのために艦隊全てを犠牲にしようとしている。舵輪を握っていた操舵士は歯を震わせて、この舵輪を思いっきり回したい欲求にかられたが、ワルドに杖を向けられては手を上げるしかなかった。

「私は進めと言ったんだ。貴族に同じことを二回言わせる気かね?」

 哀れな操舵士は、平民にはどうしようもない魔法の行使に、ただ震えるしかなかった。だが、見せしめにワルドが呪文を唱えようとしたとき、それまで話を見守って、どちらにも賛成も反対もしていなかったミシェルが彼の杖の前に、自分の剣をさえぎるようにかざした。

「なんのまねだい? ミス・ミシェル」

「そのへんにしておけ、武器なき者を脅すために始祖は魔法を貴族に遣わしたとは、寡聞にして聞かんのだがな」

「ふっ、聞き分けの悪い平民を矯正するのも貴族の責務だよ。そういえば、貴官も平民だったかねえ」

 明らかな恐喝ととれる台詞に、普通の平民ならば縮み上がって許しを請うだろう。しかし、ミシェルは平然とその眼光を跳ね返し、同等以上の不遜さを漂わせて言い返した。

「面白い。しかし我ら銃士隊の戦歴において、スクウェアやトライアングルクラスとのメイジとの戦いがなかったとでも思うか。自信があるならよーく狙って呪文を唱えてみるがいい、外せば次の瞬間私の刃は貴様の喉か心臓をえぐっているだろうよ」

 それは過信でもハッタリでもなく、正統な自信であった。ワルドも、戦えば少なくとも無傷では済まないとの判断にいたり、表面上は紳士をつくろって杖を下げた。

「ミス・ミシェル、なぜこのような無意味な行為をする? 我らは共に同じ使命を受けた同志ではないか」

「勘違いするな。私は私の仕事は果たす。しかしそれ以外のことにおいて、貴様に気を使って仲良くする義務はない」

 はっきりと、貴様は嫌いだと言われたに等しい台詞をぶつけられ、ワルドの口ひげが震えた。だが、彼がなんらかを発する前に、ブリッジに飛び込んできた赤毛の少女によって、私闘はぎりぎりのところでストップさせられた。

「なにしてらっしゃるの!! このままのんびり遊覧旅行でもしているつもり、早く船をまわしなさいよ」

「ミス・ツェルプストー、ルイズの友人だったね。けれど、我々はトリステインの大使、そして今このタイミングを逃してしまえばアルビオン王家と、戦闘が始まる前に同盟を結ぶことができなくなる。引き返すわけにはいかないのだよ」

 キュルケは戦慄した。いくら重い使命を担っているとはいえ、すでに三隻もが撃沈されてしまい、到着までまだ半日はあるというのに、どう考えてもまともではない。

「巡洋艦『レイガナーズ』撃沈!!」

 そうしているうちにも、新たな犠牲が出た。テロチルスの体当たりをまともに受けた『レイガナーズ』は全長百メイルの船体を真っ二つにされ、くの時に折れ曲がって沈んでいく。乗員たちは、風石である程度浮くことのできる救命ボートで脱出しているが、テロチルスは反転して襲い掛かってくる。このまま食われるならせめてもと、自ら飛び降りて海面にまっさかさまに落ちていく者たちの姿を見て、さしものキュルケも視線をそらした。

 さらに、ワルドは護衛艦が全部沈められても、この船さえ生き残ればよいと言ったが、当然テロチルスやバードンが選り好みをしてくれるはずがない。『ダンケルク』号の右舷船底部にバードンの体当たりが命中して、激震をこの大型船に与えた。

「ひ、被害を報告せよ!!」

 船長は、この状況にあっても自らの責務から目をそらそうとはしていなかった。それが、彼の生存するための唯一の道だったとしても、その責任感には素直に賞賛を送ってもよいだろう。だが、伝声管を通じて各所の船員たちからあがってきた報告は、この勇敢な船長に死を覚悟させるに十分なものだった。 

「右舷厨房に火災発生! 食料庫に延焼が広がっています」

「貯水槽に亀裂発生! 消火用水が足りません」

「第八から第三十の三等船室が損傷、気密が破れています。三等船室の乗客を上部階に避難させる許可をください」

「船内劇場と教会でインテリアに多数の乗客が押しつぶされています。応援頼みます」

「副操舵室圧壊! 内火艇格納庫損傷」

「第三艦橋大破!!」

「右舷の風石の貯蔵庫が破られました。このままでは高度を維持できません」

 被害は甚大だった。確かにゲルマニア製の頑丈な船体はなんとか攻撃に耐えて見せたが、特に、風石の貯蔵庫が破壊されたのは痛い。このままでは高度を維持できずに墜落は免れない。キュルケや船員達はそれみたことかと非難げにワルドを睨みつけているが、ワルドは事も無げに言ってのけた。

「足りないぶんの風石は僕が補おう。僕は風のスクウェアだ」

 舌打ちのコンサートが無音でブリッジを流れた。しかし、どうあれワルドに足りない分の風石を補ってもらわなくては、魚雷を食らったに等しい損傷を受けたこの船が無事に着水できたとしても、すぐに沈没して鳥のえさからサメのえさに変わるだけだ。

「ちっ……船長、わたくしは火のトライアングルですわ。何かお役に立てることはなくって?」

「おお、ありがたい。それでは火災の消火をお願いいたします」

「ええ、火のメイジは燃やすだけだと言われますが、言うことを聞かない火を操るのも火のメイジの仕事。おまかせくださいませ」

 もはや脱出は不可能だとみたキュルケは、視点を変えて沈み往く船をなんとか助けようと、ブリッジを駆け下りようとして、ミシェルに止められた。

「待て、ミス・ツェルプストー、私も協力しよう。ミスタ・ワルド、さぼって沈めるなよ」

 駆け下りる階段の先からは、すでに煙の匂いが鼻をついてくる。キュルケはこれまで手足のように操ってきた火が、自らの敵となって立ちはだかってきていることを覚悟せざるを得なかった。

 

 

 『ダンケルク』号の受けた損害は、上甲板をも当たり前に揺さぶり、そこにいた者を例外なく甲板に叩きつけ、少なからぬ痛みを味わわせていた。

「サイト、あんたちょっと生きてるの!? ねえ」

 けれどルイズはそのほとんどを受けることなく、無事に立っていることができた。才人が、彼女に危機が迫るたびにその身を抱えて、自らクッションとなったからである。ただし、その代償に全身を強打した彼はまともに呼吸することができずに、喉からかすれた音を出すだけで精一杯の状態になっていた。

「この馬鹿、あんたってやつは、どうしていつもこう……」

 他人の危機には後先考えずに飛び込んでいくくせに、自分のこととなると適当なのか、これほど主人に心配をかけさせる使い魔はほかにいるまい。毎度助けられるこっちの身にもなれと、ルイズはせめてその手を握ってやることくらいしかできなかった。

 だが、燃え盛る船団と、その炎に焼かれる人々を救うためには、ここで寝ているわけにはいかない。残酷なようだが、無理矢理にでも才人を立たせて戦わせるしかないのか。けれどそのとき、才人とルイズの心に、エースの声が響いてきた。

(ルイズくん、才人くん)

(っ、エース……)

 二人は、まだ変身していない状態ながらも、エースと同化しているときの精神がつながった擬似感覚を共有して、エースと向かい合った。

(才人くん、君の心に宿った恐怖心は、私にもよくわかる。バードンに倒されたタロウやゾフィー兄さんが、銀十字軍のメディカルルームに運び込まれてきたときには、私もぞっとした)

 それまでのウルトラマンの戦いにおいても、ウルトラマンがゼットンにカラータイマーを破壊されたときや、疲労が溜まりすぎて体を壊しかけたセブンの例はあるが、ここまで徹底的に息の根を止められたことはない。治療にあたったウルトラの母も、あと少しで本当に死ぬところだったと言っていたのだ。

 ルイズも、エースの記憶からボロボロに傷ついたタロウやゾフィーの姿をかいま見て、バードンの底知れない恐ろしさを感じざるをえなかった。

(だがそれでも、タロウは地球で自分を信じて待ち続けてくれていた人々のために、迷わずに地球に戻っていった。君は、そんなタロウの姿にあこがれてきたんじゃないか?)

(はい……)

 それでも、才人は恐怖を振り切ることはできなかった。あのタロウやゾフィーをも倒した大怪獣を相手にして、果たして勝てるのか? 死を恐れないなどと知った風な口は利かない。怖いものは怖いし、死にたくなどない。

 だが、才人にもエースがそれ以上言いたいことはわかっていた。勝てるかどうかというのは問題ではない。今、みんなを守れるのは自分たちしかいないのだ。

 けれど、苦悩する才人を救ったのは、意外にもルイズの穏やかな声だった。

(なら、わたしがあんたについていてあげる。あんたが怖くないように、わたしがずっとそばにいてあげる)

(ルイズ……)

(ふん! だらしない使い魔を守ってあげるのも主人の務めよ。それに、さっきあんたはわたしを守ってくれた。借りは、返すわよ)

 いつものようにつれない態度をとってはいたものの、ルイズはいつも才人からもらってきたものを、少しでも返したいと思っていた。かつては自分のことだけしか見えてなかった彼女にも、誰かのために何かをしてやりたいと思う心、それは少しずつ受け継がれ、そして芽生えていっていた。

(エース、俺、頑張ってみるよ)

 まだ正直怖い。だけども直接心を通じて伝わってくるルイズの叱咤と激励の意思が、才人にひとかけらの勇気を与えてくれた。

(わかった。ルイズくん、才人くんを頼む。そして、君たち二人で私を支えてくれ。さあ、ゆくぞ!!)

 

「ウルトラ・ターッチ!!」

 心と体を一つにつなぎ、光となった二人は『ダンケルク』の甲板から天空へと飛び立ち、舞い降りてきたときには銀色に輝く光の戦士、ウルトラマンAへと変身していた。

 

「デャァ!!」

 直上から急降下してきたエースのキックが、調子に乗って悠然と飛んでいたバードンの背中に直撃し、背骨の関節を逆方向にひねりあげる。さらに勢いそのままにテロチルスにまでぶっつけて、二匹の怪鳥をきりもみさせて打ち落とした。

 

「ウルトラマンAだ!!」

「万歳! これで助かった」

 もはや死を覚悟していた艦隊の乗組員達も、エースの勇姿と、悲鳴をあげながら墜落していくバードンとテロチルスを見て喝采をあげる。しかし、こいつらはこの程度でまいるような弱い怪獣ではない。きりもみを海面寸前で止めると、そのまま巨大な翼を羽ばたかせて揚力を得て、まるでロケットのように猛烈に急上昇をかけながらエースに逆襲をかけてきた。

「シャッ!」

 はじめにバードンの、次にテロチルスの口ばしを突き立てた突進をかわし、エースはさらに反転して向かってこようとする二匹を見据える。そう、かつてタロウやジャックが同じく経験したように。

(サイト……大丈夫?)

(ああ……)

 エースの視界を通して、野太い鳴き声をあげながら向かってくるバードンの姿を見ながら、才人は沸きあがってくる恐怖心と必死に戦っていた。正直、まだ怖い、けれどルイズがそばにいて支えてくれる。女の子の前でこれ以上みっともない格好ができるかと、それが才人をギリギリ支えていた。

(みんな頑張ってるんだ、俺だけ負けられるか! エース、バードンの口ばしには猛毒がある。絶対にあれには刺されるな!!)

 トラウマを乗り越えるため、才人は心の声を張り上げた。バードンの口ばしの毒の威力はすさまじく、一撃でメビウスは戦闘不能にされ、連続で受けたタロウやゾフィーは絶命にまで追い込まれている。エースは才人の助言に従い、腕を伸ばして飛行体勢に入る。

 

 ウルトラマンエースvsバードン&テロチルス、超音速の空中戦が始まった!!

 

(後ろから来るわよ!)

 飛行するエースの後ろから、食事を邪魔されて怒り狂うバードンとテロチルスが、音速を超える速さで襲い掛かってくる。二匹とも凶暴性では折り紙付きだ。こうなったらエースを倒すまで、けっして追撃が止むことはあるまい。だが、艦隊を守るためにはそのほうが都合がいい。

 追いすがりながら火炎を吹き付けてくるバードンの攻撃を右旋回してかわす。さらに別方向から甲高い声をあげながら軟降下攻撃を仕掛けてくるテロチルスの体当たりを、さらに上回る加速で振り切って、艦隊から引き離していく。

「信じられない。なんという速さだ」

 艦隊の将兵たちは、ハルケギニア最速の風竜すら遠く及ばない高速で飛ぶ二羽の怪鳥と、それすら引き離す勢いで飛ぶエースの飛行能力のすさまじさに、感心することさえ忘れて見入っていた。

 そう、エースの空中飛行能力はマッハ二十と、ウルトラマンタロウと並んで兄弟最速を誇る。相手が鳥でも、この速度があるならひけをとりはしない。

「デャッ!」

 間合いを十分とったエースは振り返り、先頭で向かってくるテロチルスに対して、右手から手裏剣を投げつけるように、小型の光弾を放った!!

『スラッシュ光線!!』

 テロチルスの真っ赤な頭部で爆発が起こり、その進撃スピードがやや鈍る。しかし、テロチルスはウルトラマンジャックのスペシウム光線の二連打を浴びても平然と飛行していたほどに頑強な体を誇る。この程度では少々の足止め程度にしかならない。

(しぶといな)

 テロチルスが反撃にと、鼻の穴から発射してきた矢じり型の小型光線をかわし、エースはさらに突進してくるバードンをやり過ごしながら、この二大怪獣の攻略方法を探していた。エースの飛行速度はこの二頭を上回るが、敵も高機動を誇る以上、小技の光線は当たってもメタリウム光線などの大技はかわされてしまう可能性が大きい。第一、仮に当たったとしても撃墜できるとは限らない。

(サイト、あんたの世界じゃどうやってあいつらを倒したの?)

(ああ、それなんだが……)

 才人は、いつものように怪獣の攻略法をうまく説明することができなかった。なぜなら、初代テロチルス、初代バードンはどちらも正攻法ではなく、ウルトラマンジャックの空中からのきりもみ落とし、ウルトラマンタロウのキングブレスレットを使った分身かく乱戦法・ミラクル作戦で、地上に激突させられて倒されている。要するに、ここは海上、その手は使えない。落としてもまた飛び上がってくるだけである。さらにいえば、メビウスと戦った二代目バードンは、GUYSの狙撃によって毒袋を撃ち抜かれて弱体化した後にメビュームシュートを受けて倒されているが、この高速機動戦で毒袋を正確に攻撃するなどとはいくらエースでも不可能だ。

(つまりは、過去の戦訓はあまり役に立たない。新しく考えるしかないってことだな)

(ごめんエース、役に立てなくて)

(その言葉はまだ早いな。君は、私や兄弟たちの戦いをずっと見てきたんだろう? だったら、相手をよく見てそれからアドバイスをくれ)

 エースは火炎を吐きかけてくるバードンの攻撃をかわし、襲い掛かってくるテロチルスを逆に頭を踏みつけて飛び上がる。そして距離をとってエネルギーを溜め、両手を突き出して赤色のエネルギーの矢を放った!!

『レッドアロー!!』

 赤色光弾がバードンの背中に命中し、その飛行がわずかに緩む。体の頑強さではバードンはテロチルスより劣り、ゾフィーのZ光線でもそれなりにダメージを与えられている。

(いよっし、効いてるわよ。このままいけるんじゃない?)

(いや……やっぱりこれじゃあまり……)

 ルイズは正直に喜んでいたが、レッドアローではやはり致命傷とまではいかない。連射すれば別かもしれないけれど、いくらなんでもエースのエネルギーが持たない。スタミナではこの二頭のほうがエースより断然上回るのだ。上昇旋回して口ばしを突きたてようと背面飛行で向かってくるテロチルスを、エースはなんとか身を捩じらせて受け止める。

「デャァァッ!!」

 悲鳴を上げて暴れるテロチルスの首筋を掴んで勢いを利用し、そのままバードンの方向へと投げつけた。一万八千トンと三万三千トンがぶつかり合って、雷鳴のような空中衝突の轟音が虚空をはさんで艦隊にまで響き渡る。

 

「なんて戦いだ……」

 遠巻きから見守る将兵たちには、まるで流星が飛び回って戦っているかのようにさえ見える。あの二体の怪獣は艦隊を襲うときはまるで本気ではなかったのだ。

 また、船底を破壊されて甲板まで避難してきた『ダンケルク』の客の中から、ロングビルはアイを守りながらじっと戦いを見守っていた。

「ウルトラマンA……必ず、勝って」

 もしエースが敗北するようなことがあれば、この艦隊の全員はおろか、アルビオンで待っているあの子にも二度と会えなくなる。見守ることしかできないこの身がはがゆいが、せめて勝利を祈ろう。

 

 けれど、長引く戦いは確実にエースから力を削り、消耗は焦りを呼びつつあった。

 空中衝突したバードンとテロチルスは互いに怒り、バードンはその口ばしを開いて火炎を、テロチルスは銀色の糸を相手に向かって吐きかけ、空中で爆発を起こして爆風が両者を吹き飛ばす。だが、その爆炎の中から平然と飛び出てきたテロチルス、そしてバードンの凶悪な姿を見て、才人の心に恐怖が蘇る。

(ひっ!)

(サイト、しゃきっとしなさいよ)

 ルイズに叱咤され、才人は勇気を振り絞ってバードンの眼光に対抗しようとする。

「ヘヤァッ!!」

 その才人の勇気に応えて、エースはバードンの突撃に渾身の体当たりをかけるが、やはり空中では向こうに分があり、押し負けてしまう。さらに、よろめいたところにテロチルスが光線を撃ってきて、なんとかそれはかわしたものの、とうとう長期戦が響いてカラータイマーが鳴り始めた。

(まずいな、エース、大丈夫か!?)

(正直きつい。少しでも奴らの動きが止まってくれれば、大技を撃ち込んでやれるんだが)

 一匹に集中しようとすれば、もう一匹に後ろから狙われる。大技は振りが大きいために、この二対一の状態では使いづらい。才人はここでなんとかせねばと恐怖と戦いながら、必死で知恵をしぼった。

 空中ではやはり鳥には勝てない、鳥を飛べなくするには……そうだ!!

(エース、上昇だ。とにかく高く飛んでくれ!!)

(……なに? わかった!)

 エースは才人の言葉の意味を図りかねたが、その言葉を信じて飛んだ。

「ショワッチ!!」

 二匹に背を向けて急上昇をかけていく。当然二匹も逃がすまいと、けたたましく鳴きながら垂直上昇で追いかけてきた。あっという間に雲を突きぬけ、さらに高く高く昇っていく。

 高度八千、一万、一万五千、二匹の怪鳥はその強靭な翼でレシプロ機の飛べる限界高度さえ突破し、執念深く追撃してくる。しかし、高度二万を突破したところで二匹は突然失速した。まるで、太陽に近づきすぎたイカロスのように、それまで空気抵抗など存在しないように轟然と大気を掻き分けていた翼は、いくら羽ばたかせても虚空を切るだけとなり、慣性での上昇力がなくなった後、重力に逆らえずに自由落下を始めたのだ。

(やった、いくら速くても鳥は鳥だ、宇宙までは飛べはしないぜ!)

 そうだ、確かにバードンとテロチルスは比類なき飛行能力を誇るが、風を切って飛んでいることには変わりない。ならばその切る風のない場所、空気の限りなく薄まる高高度におびき寄せれば飛べなくなる。

(いまだ、決めろエース!!)

「デヤッ!!」

 虚しく翼を羽ばたかせ、背中から墜落していく二匹の巨鳥、今しかチャンスはない。エースは落ちていくテロチルスを見下ろし、腕を胸の前でクロスさせてエネルギーを溜めると、両腕を上下に勢いよく開き、その指先を結んだ間から巨大な三日月形の光の刃を撃ち出した!!

 

『バーチカル・ギロチン!!』

 

 光の刃は沈み行く月のように落下し、逃れることも許さぬまま、テロチルスの左の翼の付け根を寸断した!!

(やったわ!!)

 翼を失った鳥など、泳げない魚に等しい。自らの庭である空に生存を拒絶され、テロチルスは残った片翼でもがきながら、これまで見下ろすだけだった海原の底の深遠の闇へと悲鳴を上げながら落ちていった。

 残るはバードン一匹。だが、エネルギーを大量消費するギロチン技はもう使えない。

(かくなる上は、地獄まで付き合ってもらうぞバードン!!)

(ちょっ、どうする気!?)

 ルイズがエースの意図を図りかねて叫ぶ。だが、今は説明している暇はないと、エースは自らも急降下の体勢に入ると、重力のままに一気に下降してバードンの背後に回りこむと、背中から羽交い絞めにして直角で全速落下していった。

(……っ!)

 翼を押さえ込まれて飛べないバードンは、首を回してエースを口ばしで突っつこうと激しく暴れる。猛毒の口ばしがエースの顔のすぐそばをかすめ、間近で見る才人の恐怖を蘇らせるが、彼は必死でそれに耐えた。

 高度が上昇しているとき以上の速さで下がり、一万二千、八千とみるみるうちに雲を突き抜け、青い海原が迫ってくる。やがて絡み合ったまま両者は煙を噴き上げている艦隊のそばを通り過ぎた。

「うわあっ!?」

 すさまじい風圧が甲板にいた人間を襲い、彼らは目を開けた後に、海面に立ち上る高さ数百メイルに及ぶとてつもない高さの水柱を見たのだ。

「ウルトラマン……まさか、怪獣を道連れにする気なのか……」

 誰かが呆然とつぶやいたその視線の先で、海面は激しく泡立つだけでその下の光景を見通すことはできない。

 しかし、エースは死なばもろともなどと考えてはいない。この世界、そして未来に守るべき大勢の星と人々のために、ここで倒れるわけにはいかないのだ。

 

 深度百、二百、バードンを抱えたままエースはどんどん深海へと潜っていく。あっという間に太陽の日差しも届かなくなり、暗黒の世界を進む中で、カラータイマーの輝きだけが激しく明滅する。だが、どれだけ深海に潜ろうともバードンは強靭な生命力を発揮して、なおも束縛を振り払おうと暴れるのをやめない。

 このままでは、バードンが溺れ死ぬより先にエースのエネルギーが尽きてしまう。二人が、あと何十秒と持たないそのタイムリミットに恐れを抱いたとき、暗黒の海底に真紅の光芒が満ちてきた。

 

 海底火山だ。

 

(深海一千メートルの水圧と、灼熱のマグマ……ともに味わってもらうぞバードン!!)

(ええーっ!!)

(そんな無茶な!!)

 ここにきて、さしものルイズと才人もエースのあんまりにも無茶な作戦に完全に度肝を抜かれてしまった。

 が、忘れては困るがエースは地球人、北斗星司でもある。パン屋のトラックでベロクロンに突っ込んだり、アリブンタの蟻地獄に飛び込んだりと、無茶な戦法は昔からだ。

 そして、悲鳴を上げる二人といっしょに、エースはバードンを抱えたまま海底に真赤な裂け目を開いた火口に飛び込んだ。かつて、マザロン人を追って富士の火口に飛び込んだとき、ルナチクスを追って地球のマグマ層に突入したときのように、地獄の釜の底へ……やがて、どちらかの命を飲み込んだ業火は、その歓喜を表すかのようにその身を震わせて、数万トンの水圧のヴェールも破り捨てる爆裂を生んで、海面に白銀の大爆発を発生させた!!

 

「どっちが勝ったんだ……」

 水柱が収まった後で、海面から立ち上る黒煙の柱を見下ろしながら、艦隊に残った人々は、ただその目で見ることのできなかった戦いの結末がどうなったのかを、固唾を呑んで待った。けれど、海面には何も現れない。

「まさか……」

 次第に後方に遠ざかっていく噴煙を望みながら、人々は最悪の結果を思い浮かべた。

 だが、そのとき白波立つ海原から猛々しく飛び立った銀色の勇姿を見て、全艦からいっせいに歓声が立ち昇った。

 

 ウルトラマンAは、水しぶきの銀色の粉をまといつつ、天高く飛び上がっていく。

(勝った……)

(生きてるのよね……)

 才人とルイズは、太陽の光を目指しながら、生きているということの喜びをしみじみと味わっていた。自分たちもけっこう無茶をするかなと思っていたが、すぐそばに上には上がいた。さすが元TACは伊達ではない。

(どうだ才人君、まだ怖いかい?)

(あ……)

 言われてみれば、いつの間にか胸のうちから湧いていた震えが消えている。エース、北斗は以前多くの子供たちと接し、導いてきたときのように才人に無邪気な笑いを向けた。

(君は、自分自身で恐怖の根源と戦って倒したんだ。もう、あんな奴を恐れる必要はどこにもないさ)

(ああ、もう大丈夫だ、おっしゃあーっ!!)

 トラウマを乗り越えて、自信に溢れた声で答える才人を、ルイズは呆れたように、ほんとに頼りになるのかならないのか、よくわからない使い魔ねぇ、と見守りながら笑っていた。

 見れば、損傷を受けた艦隊もほとんど消火を完了させて、沈む気配のあるものはない。半数を失いながらも、艦隊はかろうじてその命脈を保っていた。

「ショワッチ!!」

 悪魔の去って平和を取り戻した空を、ウルトラマンAは飛び去っていった。

 

 

 客船『ダンケルク』も中破状態であったが、なんとか乗客に死者も出ずに飛び続けている。甲板上にはクルーや乗客たちが詰めかけ、エースの勝利と生き残ったことへの感謝を込めて、万歳三唱が続いていた。もちろんロングビルもアイもそこにいる。

 船内からは、シエスタたちほかの乗客、体中すすけたキュルケとタバサ、汗を拭きながらミシェルも出てきて喜びの輪に加わっていく。

 

 

 けれど、そんななかで唯一陰鬱な場所が同じ船の場所にあった。

「船長、副操舵室の応急修理が終わりました。いらしてくださいませんか?」

「わかった、すぐ行く……では子爵、私はこれで」

 戦闘のさなかに屋根を飛ばされて、舵輪も壊れたブリッジから、船長が逃げ出すように立ち去っていった。残ったのは、風魔法を使い続けているワルドのみ。ほかのクルーたちもあまりの居心地の悪さに、すでにそれぞれ理由をつけていなくなっていた。

「ふん、平民どもはこれだから、誰のおかげで生きていられると思っている」

 誰のせいで艦隊がこれほどの被害をこうむったかについては一切触れずに、ワルドは傲慢そうに無人のブリッジで鼻を鳴らした。もちろん、彼の心中には必死になって艦隊を守った大勢のクルーや、犠牲になった人々のことは一グラムも存在しない。

「まあいい、それよりも俺はついている。今アルビオンに行きそこなうわけにはいかんからな……ふふふ、天は俺に味方している」

 アルビオンで自分がなすべき役目と、それによって与えられる自分の輝かしい未来を想像して、ワルドは幻想に酔い、さらなる未来に黒い夢をはせた。けれど、彼の喉にひっかかるような哄笑が誰をはばからずに響き渡る中、彼の背後から湿度を感じるような陰気な声が流れた。

「そうだな、確かにお前はついている」

 突然無人のはずのブリッジに響いた声に、ワルドはとっさに振り向いた。が、そこには誰の姿も見つからずに、彼は空耳かとそれを忘却の沼地に投げ捨てた。

 だが、それは空耳ではなかったのだ。ワルドが楽しげに未来図を構築するなか、部屋の影に溶け込むように存在していた黒衣の老人が不気味な笑顔を彼に向け、やがて本当に影の中に溶けて消えていったのだ。

 

 

 様々な思いが交錯するなか、生き残った艦隊はよろめくように進んでいく。ここまで来たら、もう引き返す道はない。そして、見張り員の叫びが全艦に響き渡ったとき、彼らはこの旅が終焉に近づいてきたことを知った。

「アルビオンが見えたぞーっ!!」

 才人、ルイズたちがいっせいに船首に駆けつけ、その先に広がる雄大な光景に息を呑んだ。

 大洋の上をさまよう巨大な、あまりにも巨大な大陸がそこにあった。緑に包まれてそびえ立つ山脈、大河は大陸の端から流れ落ちて、そのまま霧となり雲となって大陸を包み込む。地球では、こんな光景はまずお目にかかれないだろう。ベル星人が作った擬似空間の異次元の島、ウルトラ警備隊基地を狙った時限爆弾島も、この光景に比べれば可愛いものだ。

「あれが、白の国、アルビオン……」

 白い雲の上に浮かぶ浮遊大陸アルビオンが、その巨大な姿をはるかに浮かべて彼らをじっと待っていた。

 だが、その美しい大陸にかつてない脅威が迫っていることに、今気づく者は誰一人いない。

 

 

 続く



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第57話  心の中のウルトラマン

 第57話

 心の中のウルトラマン

 

 油獣 ペスター

 ウラン怪獣 ガボラ

 マケット怪獣 ミクラス 登場!

 

 

 始祖怪鳥テロチルス、火山怪鳥バードンの襲撃をウルトラマンAの活躍によってかろうじて乗り切った『ダンケルク』号は、無事目的地であるアルビオン王国の港湾都市スカボローに入港していた。

「帆をたためーっ!! もやいをうてーっ!!」

 桟橋に傷ついた姿を滑り込ませた『ダンケルク』は、着陸して風石のささえがなくなったとたん、力尽きたかのように船体を桟橋に寄りかからせて、傾いたまま停止した。

「よくここまで航行できたものだ……」

 船底に大穴を空け、あちこちが焼け焦げた『ダンケルク』の姿を見て、スカボローの港湾作業員たちは一様にぞっとして息を呑んだ。『ダンケルク』が、技術大国ゲルマニア製の強靭な船体構造を持っていなければ、ここへたどり着く前に空中分解していたかもしれない。

 また、生き残った護衛艦隊は、軍用ドックのほうへよろめきながら収容されていった。

「当船は、この後第一ドックに移送されます。お客様方は、お忘れ物のなきよう、すみやかに下船ください」

 才人たち一行は、傾いた甲板から足を踏ん張りながら桟橋に降り立った。そしてその後、先に下ろしてあった馬車を受け取るためにこちらの港湾事務所に向かって、そこで同じように馬車の手配をしていたワルドとミシェルに会った。

「おおルイズ、君も無事だったのかい、よかったよかった」

 はじめに陽気に口を開いたのはワルドだったが、一行は一ミリグラムの感銘も受けずに、しらけた様子で丁重にそれを聞き流した。話しかけられたルイズも、先日とは違ってつまらなさそうに視線をそらしている。ワルドが艦隊に無茶な前進をさせたがばかりに、数多くの犠牲者を出してしまった事実はすでにキュルケから全員に伝えられ、全員がすでに彼を嫌いになろうと心に決めていたからである。

「ありがとうございますワルドさま。聞くところによれば、ワルドさまが風の魔法で風石の不足をおぎなってくださったそうですね。皆を代表して感謝の意をささげます」

 なんとか口を開いたルイズの口調も、儀礼的な感情のこもらないものだった。ルイズにとってワルドは、幼い頃から面倒をみてくれた恩人であり、あこがれの人でもあるのだが、自分一人のために何百人も平然と犠牲の羊に並べようとした醜行には閉口せざるを得ず、気持ちの整理がつくまで話したくないというのが本音であった。

 むしろ、積極的な好意の対象となったのは、立派な武具をすすまみれにしながらクルーに混じって船の応急処置に奔走したミシェルのほうであった。顔見知りのルイズや才人はもちろん、これまでほとんど面識の無かったシエスタやロングビルも積極的にミシェルに話しかけて、あっという間に彼女を中心にした人の輪が出来上がった。

「どうもありがとうございました。ミス・ミシェル、わたし、前からずっと銃士隊の皆様を尊敬していたんです。強いしお美しいし、特にアニエス隊長と副隊長のミス・ミシェルは学院のメイド仲間の中でもあこがれの的で、わたしもいつか貴女様のようになりたいと思っています」

「本当に、噂に違わぬ勇敢ぶりですね。おかげで私もこの子も助かりましたわ、ほら、アイちゃんもお礼を言いなさい」

「うん、おねえちゃん、ありがとう」

「あ、うん……どういたしまして」

 ミシェルにとっては、これだけの人数にちやほやされるなど初めてのことだっただろう。才人が何の気兼ねも無く友人のように話していたこともあって、彼女が一行に受け入れられるのは早かった。

 とはいえ、街中で大衆の歓呼の声を浴びるのとは別の感じで、あたふたしている姿は英雄というより、運動会で一等賞をとってクラスメイトに胴上げされる女子生徒といったほうがお似合いかもしれない。

 それからは、ワルドを端にほっておいて、一行は思いもかけない感謝の渦に囲まれてとまどうミシェルといろいろとおしゃべりを楽しんだ。ただしこれからは、一行がサウスゴータ地方に向かうのに対して、王党派に接触しなければならないミシェルとワルドは、そこから離れた場所にある小さな出城に向かうことになるので、ここでお別れということになる。名残は惜しいが、いつまでもこうしているわけにはいかない。ロングビルとシエスタは馬車を取りに行き、ルイズと才人も彼女に別れを告げた。

「じゃあ、サイト、そろそろ行くわよ。ミス・ミシェル、あなたは身分は平民ですが、その行動の勇敢さにはわたしも見習うべきところがありました」

「そうだな、それじゃあミシェルさん、お仕事頑張ってください。俺にはよくわかんないけど、あなたの任務にハルケギニアの平和がかかってるんですよね。応援してます」

 その二人の尊敬と親愛の眼差しを込めた言葉に対して、ミシェルは不思議と影を含んだ表情で。

「ああ……また会おう」

 とだけ、憂えげに答え、心配そうに才人が手を差し伸べると、その手をとり儚げな笑みを見せて。

「心配するな……お前も、元気でな」

 それだけ言うと、彼女は二人に背を向けて出口に歩を進め始めた。

「彼女、どうしたのかしら?」

「さあ……」

 いつもだったら、「余計な心配をするな!」と怒鳴られそうなものなのに、あの、アニエスと並び立つほどの強気な女剣士が、今の後姿はなぜかとても小さく見えた。

 二人はその後、呆然と立ち尽くしていたが、ルイズが「あんたまさかあの人にまで手を出したんじゃあ!?」と、はっとしたように才人を問い詰めると、「そんなわけないだろ! 俺はまだ命が惜しい」「じゃあ安全なら手を出すわけ!?」と、例によって痴話喧嘩を始めて、逃げ出した才人をルイズがどこかへ追いかけていった。

 

 けれど、無言のままミシェルが立ち去ろうとしていたとき、急に後ろから呼び止められた。

「少々お待ちになって、まだわたくし達、貴女へのお礼を申していませんわ」

「ん?」

 ミシェルが振り返ってみると、そこにはキュルケとタバサが真剣な表情で立っていた。彼女たちは、才人たちがその場にいないことを確かめると、ミシェルに歩み寄って軍用の敬礼をとった。

「なんの真似だ? 当たり前のことを言うが、私は自分の義務を果たしただけだ。もうこれ以上は余計なことを言われる筋合いはないぞ」

 いいかげん疲れた、もう行くぞとミシェルは相手にしようとしなかったが、キュルケは強引に引き止めて、男ににじりよるときのように人懐っこい笑みを向けた。

「いいえ、そのことではありませんわ。わたしたちにも貴族としての、いいえ一人の人間として、命を救われてうやむやにされては、後味が悪すぎますもの」

「貸しの作り逃げは、卑怯」

 タバサも続いて半分独り言のようにつぶやくと、ミシェルはそれでようやく合点がいった。この二人がわざわざほかの者たちがいなくなったときを見計らって声をかけてきたのは、彼女たちにとっても人に聞かれたくない話だったからだ。

「ああ、あのことか……」

 軽く頭をかくと、ミシェルはため息とともに、あまり思い出したくない半日前の記憶を呼び起こした。

 

 

 それは戦闘中、キュルケたちが損傷を受けた『ダンケルク』号の応急処置に奔走していたときのこと。

 そのとき、艦隊は必死の防戦でかろうじて全滅は避けていたが、各艦の惨状は目を覆わんばかりだった。

 戦艦『リバティー』が炎を吹きながら、主砲弾庫の誘爆によって船体の半分と四本あったマストの三本を失って、幽霊船のようなありさまになって落ちていく。

 戦列竜母艦『ガリアデス』も艦尾の竜騎士の格納庫を無意味な空洞に変えられ、艦首に残ったわずかばかりの砲門を散発的に放つだけになっている。輸送船『ワールウィンド』は速度を高めた高速輸送船ではあったが速さの格が違い、三本マストの二本をへし折られていた。ただ、積荷が先に撃沈された二隻とは違って医薬品や薬草だったために、二匹はその匂いを嫌がってそれ以降攻撃対象から外したために、艦隊の中ではもっとも損害が浅かった。

 悲惨だったのはゲルマニア派遣軍の砲艦『タレーラン』だろう。この船は巡洋艦並みの船体に無理矢理戦列艦並みの装備を施したために、動きが鈍く、砲の射界が狭いために、その火力もほとんど役に立たないありさまだった。当然、テロチルスに一撃目で舵を破壊されて航行不能に陥り、後は甲板にのしかかったバードンによって上甲板を焼き払われ、あとはただ二匹がついばむだけのえさ箱と化してしまい、見かねた姉妹艦『メッテルニヒ』によって、せめて棺おけに落ち着いて海底の墓場へと消えていった。

 残りの巡洋艦も、もはや撃ち落そうとするよりも弾幕を張って少しでも時間稼ぎをしようとしているに過ぎない。そして、艦隊をこんな惨状に陥れた張本人の乗る『ダンケルク』は、その本人の風魔法でかろうじて高度は保っていたものの、ブリッジは屋根を飛ばされた露天艦橋になり、船底への連続攻撃によって船底の板は剥がれ落ち、火災が船底から徐々に上部へと延焼しつつあった。

「ごほっ、ごほっ! もう、消しても消しても次からと……これじゃきりがないわ」

 キュルケはタバサと協力しながら、火災が燃え広がるのをなんとか防ごうとしていたが、木造船なので全体が燃料と呼んでよく、火の勢いは収まるところを知らなかった。爆風で窒息消火しても、水と氷で消し止めても、別のところから燃え広がってくる。キュルケは、自分の系統である火が、これほど憎たらしいと思ったことはなかった。

 それでも、自分たち自身を守るためにはこの船を守るしかない。タバサも煙に巻かれながら呪文を唱えているし、ロングビルは避難誘導の手伝いをしている。シルフィードでさえ暴れだしそうな他の乗客の使い魔をなだめるために頑張っている。あの高慢なひげ面の目的のために努力しなければならないのは不愉快だが、自分だけへばるわけにはいかない。

 けれど、幸運の女神はまだこの船を見捨ててはいなかったようだ。上甲板から転げ落ちそうな勢いで階段を駆け下りてきたクルーが、「ウルトラマンAだ! ウルトラマンAが来てくれたぞぉ!!」と叫んだとき、悲壮感に覆われていた船内に、怨嗟の声に変わって大歓声が満たされた。

 だけども、一般客はともかくこの船の乗組員や、メイジであるキュルケたちは無邪気にお祭り騒ぎに加わるわけにはいかなかった。エースが来てくれたとはいえ、火災はまだ続いており、自分たちをバーベキューにしようとじりじりと迫ってくる。そしてエースは怪獣と戦っている以上、しばらくはこちらを助けには来られまい。エースが怪獣を倒したときには、船が丸焼けになっていたなど喜劇にも悲劇にもなりはしない。それでも、船がこれ以上怪獣の攻撃を受けることはないであろうということは、クルーたちにも安心をもたらし、消火作業の能率は徐々に上がって、火災も沈静化に向かっていった。

「よし、これなら大丈夫そうね」

 大きな炎は大体消して、あとはクルーたちの手作業でも消火は可能だろうと判断したキュルケは、タバサといっしょに大きく息をついた。戦ったわけでもないのに精神力を大きく消耗し、床はあちこちが抜けかけて海面が見えているが、とにかく一息つきたかった。

 けれど、そんな二人を休ませてはくれない事態が、駆け込んできた一人のクルーからもたらされた。

「貴族の方々、申し訳ありませんがお手を貸してください。竜骨に亀裂が入って、今にも折れそうなんです」

「なんですって!?」

「それ、まずい……」

 二人ははじかれたように立ち上がり、そのクルーの案内に従って通路を走り出した。竜骨とは、船を作るに当たって中心となる、船首から船尾までを貫く巨大な支柱のことで、人間でいえば背骨に相当する。これが折れるということは、人間が背骨を折るのと同じことで、いかに頑丈な船でも自重を支えきれずに真っ二つにへし折れ、あとは海面へとまっ逆さまである。二人は、今のうちに救命ボートでの脱出を勧めたが、すでに甲板に係留してあったボートのほとんどが吹き飛ばされてしまったと、悩む余裕すらない答えが返ってきた。もちろん、今の状況で他の船との接舷などは論外だ。

 だが、案内された現場はさらに過酷を極めていた。目的の竜骨の亀裂部の周りの床や壁はのきなみ剥がれ落ち、ひび割れた竜骨だけが橋のように、不気味なきしみをあげながら宙に揺れていたのだ。

「こりゃあ、しゃれにならないわね」

 破損部に近づいて修理しようにも、足場がなくては近寄ることさえできない。魔法が使えない平民ではどうしようもなく、今はメイジである自分たちだけがこれをなんとかできる。

「どうする、タバサ?」

「わたしが固定化で応急処置をするから、わたしをあそこまで連れてって」

「ま、それが妥当な線ね」

 メイジは、二つの呪文を同時に使うことはできるが、それを実践できるのは相当な経験と才能を持った使い手に限られる。残念ながら未来はともかく、今のこの二人ではそこまで到達していないので、キュルケがタバサを抱えて『フライ』で破損箇所に近づき、タバサが『固定化』をかけるという線で決まった。

 抱える方法だが、お姫様だっこ、後ろから羽交い絞めのポーズ、タバサをおんぶといくつかあったけれども、二人ともいざというとき別の魔法も使えないとこまるのでおんぶとなった。そうと決まれば善は急げである。

「どう、うまくいきそう?」

「もうちょっと待って」

 折れかけた材木に吸い込まれる魔法の光を見ながら、キュルケはできるだけ急いでくれとタバサをせかした。なにせ、足元は何もなく、高高度に宙ぶらりんである。『フライ』で飛ぶのは慣れていても、ここまで地上が遠いとめまいがする。 

 だが、タバサの『固定化』が後一歩で完成しようとしたときだった。突然船が激しく揺らいで、二人は船底の穴から外に放り出されてしまった。

「なっ、なに!? きゃああっ!」

 外に飛び出た瞬間、猛烈な風圧が二人を襲う。内部はシールドされていても、ここは高度五千メイル以上、そこを時速百キロ以上で飛んでいるのだから台風の中のようなものだ。外壁にかろうじて掴まりつつ、二人は『ダンケルク』の左舷から煙が上がっているのを見て、被弾した衝撃で投げ出されたのを知った。

「なん、て、タイミングの悪い」

 それは、エースと二大怪鳥の戦いの終盤に、テロチルスの放った光線の流れ弾が命中したものであった。ただ、『ダンケルク』にとっては軽微な損傷だったために、エースもこの船のクルーたちも無視していたのだが、唯一この二人にとっては最悪の一弾となっていた。二人の『フライ』を合わせて脱出しようと試みても、風圧が強すぎて吹き飛ばされないようにするのが限界だ。そして、振り落とされたら、この広大な海原で助かる術はない。

「こんな……ところで……」

「っ……お母様」

 風圧に抵抗していた精神力も尽きかけ、さしもの二人も絶望しかけたとき、二人の目に信じられない光景が映った。船体から木材のチップが接着剤で固められたような巨大な腕が生えてくると、二人の体をひょいとわしづかみにして、先程放り出された船体の破口に放り投げたのだ。

「どうやら、まだ死んではいなかったか」

 船内のまだ無事だった床に乱暴に投げ捨てられた二人を出迎えたのは、杖を軽く構えた青髪の騎士のぶっきらぼうな台詞だった。

「ミ、ミス・ミシェル!?」

「竜骨が破損したと聞いて急いで来てみれば、とんだ超過勤務が待っていたな」

 二人は、この銃士隊の副隊長が才人の友人だということくらいは知っていたが、個人的にはバム星人のトリステイン王宮襲撃と、アンリエッタ王女が学院に来たときちょっと顔を合わせた程度でほとんど面識がなかったために、こうして救われるとは思ってもみなかった。ましてや、剣士だと思っていた彼女がメイジだったとは、意表を衝かれすぎて、つい淑女らしくもなく目と口を開けっぴろげにした間抜けな顔を晒してしまった。

「あなた、メイジだったの?」

 やっと口にしたのは、そんなありきたりな没個性な台詞だった。

「土の、トライアングルだ。もっとも、貴族の称号など持っていないから、魔法は自己流だがな」

 見ると、破損していた竜骨も、がっちりと固定化をかけられた上に、別の木材を『錬金』して鋼鉄化させた鋼材で補強までしてある。トライアングルというが、スクウェアに近い実力と見て間違いあるまい。

 けれども、実力はともかくとして、平民のみで構成され、平民の期待の星である部隊であるはずの銃士隊の副隊長ともあろう者がメイジだったとは驚くしかない。すると、ミシェルも二人の目つきでそれを察したのか、一瞬だけ冷たい目つきをして口止めをかけた。

「少しでも、助けられたことに恩義を持つなら、このことはこれ限りで忘れてくれ」

 杖を懐にしまい、ミシェルは何事もなかったかのように剣士の容貌に戻った。

「え、ええ……それは、貴族の名誉にかけて約束いたしますわ……けれど」

「なぜ、私が銃士隊にいるかということか? 言ったろう、私はメイジではあっても貴族ではない。入隊以来、ずっと剣一本で今の地位を築き上げた。このことを知っているのも、アニエス隊長だけだ。そして、できるならこれ以上誰にも知ってほしくはない」

「ならば、なぜ秘密を知られるのを承知で、わたしたちを助けてくれたのですか?」

 すると、ミシェルは壊れかけたドアに手をかけたまま、二人には見えないように苦笑して、やや長い沈黙を挟んで独り言のようにつぶやいた。 

「……お前たち二人を見捨てたなどと知れれば、サイト……あのバカがつく正義漢に私が殺されてしまうわ」

 それだけ言い残して、ミシェルは呆然としている二人の前から去った。本当は、ここで二人を見殺しにしても才人には知られまいし、彼への評価も過大なのだが、どういうわけかミシェルの脳裏には、あの小生意気で青臭い正義感を恥ずかしげもなく振りかざす青二才のことが貼りついて、このところそれが気になって仕方がないのだった。

 

 その後、応急修理によってなんとか持ち直した『ダンケルク』号は、海面に不時着した『リバティー』と沈没した艦から脱出した乗組員の救助のために巡洋艦二隻を残し、よろめくようにアルビオンへとたどり着いたのだった。

 

 結局、このいきさつは当事者たち三人のうちにだけ秘められることになる。それでも、ミシェルに対するキュルケとタバサの認識は、大幅に書き換えられることになった。

「わたくし、銃士隊とはお堅い一方で面白みに欠ける方々だと思ってましたけど、その認識を改めさせていただきましたわ」

「できれば、認識を改める前と同じようにしていてくれ。気恥ずかしいったらありゃしない」

「了解いたしました。ですが、ともかく感謝しています。この借りは、いつか必ず返させていただきますわ」

「一個借り」

「わかったわかった。期待しないで待っておくさ」

 ミシェルは苦笑しながら、私はそんな気さくな柄じゃないと、手を振って立ち去ろうとした。しかし、キュルケはまだ用があると、もう一度彼女を引き止めた。

「ところでもう一つ、個人的に気になってましたけど、あなたとダーリ……サイトくんとはどういう関係ですの?」

「……戦友だ」

 そっけなく答えたミシェルだったが、彼女はキュルケとまだほとんど付き合いが無かったために、彼女を甘く見ていた。男心を知り尽くしているプレイガールとして名を馳せ、ルイズの家系から男を奪いまくった一族の血を受け継ぐキュルケは、同時に秘めた女心を見抜く術にも長けていたのだ。

「戦友ですか、けれど、ただの戦友にしては名前の呼び方に親愛がこもっているような……ミス・ミシェル……貴女もしかしてサイトのことを……」

「なっ!? ば、馬鹿な、あんなひょろながでヘラヘラした奴を誰が!!」

「あら? わたくしは将来有望な騎士になると思ってるのかと言ったつもりなのですが、なにか?」

「ぐっ!!」

 見事にキュルケの誘導尋問に乗ってしまったミシェルは、すました顔を紅に染めて口ごもったものの、完全にしてやったりと笑っているキュルケを見ると、負けを認めざるを得ない。

「まあまあ、わたくしこれで貴女のことが大好きになりましたわ。いいじゃないですの、内なる情熱に身をまかせるのは万人に許された権利ですわよ。それにしても、ルイズといい貴女といい、なんとも不器用ですこと。そんな内に気持ちをこもらせてしまっては、気づいてすらもらえずにそのうち枕を濡らすことになりますわよ」

 おせっかいだが、心のこもったアドバイスが硬派一徹でやってきたミシェルの心に沁みた。ただ、彼女にはその感情を素直に吐き出すことができない心のかせがあった。

「私は、国のためにこの身をすでにささげている。明日をも知れぬ身には、男など邪魔なだけだ。それに、あいつの生き様は、私にはまぶしすぎる……」

 ミシェルは、才人がうらやましかった。獣同然で生きてきた少女時代から、男はみんな敵だと見て生きてきたけれど、才人は、たいして強くないくせに自分以外のためには迷いも無く、陳腐な正義感を振りかざして立ち向かっていく。馬鹿としか、大馬鹿としかいいようがないのに、あいつとは安心して話すことができる。死んだと思っていた心に、熱が戻ってくる。

「私は、明るい炎に群がる蛾のようなものだ。光に憧れても、それは我が身を焼き尽くすだけ。所詮暗がりでしか生きられない日陰者さ」

「ミス・ミシェル、それは違いますわ。あなたが自分のことをどう評しようと勝手ですけど、人は蛾にも蝶にもなれる生き物ですわ。進んで光に歩み出せば蝶に、おびえて隠れれば蛾のままです。第一、あなたはメイジであることを悟られるのを承知でわたしたちを救ってくださいました。それは、あなたの心の中の光、あなたの心の中のサイトを裏切れなかったからじゃなくて?」

 ミシェルは言葉に詰まった。そして、キュルケの言葉でかつてツルク星人を倒すための特訓をしたとき、初めてサイトと話をしたときのことを思い出した。あのとき死ぬことを怖いと思わないのかと問いかけた彼女に、才人は。

 

「そりゃ怖いです。本当はみんなまかせて知らんふりをしていたい。けれど、ここで逃げ出したら、俺は自分だけじゃなくて、ずっとあこがれてきた自分のなかのウルトラマンまで裏切っちまうことになる。そうしたら、俺はもう俺じゃいられなくなる……ウルトラマンを真っ直ぐに見ることができなくなる」

 

 そう、照れながら答えたものだ。そのときはガキの理屈だと笑ったが、今ならわかった。才人にとってのウルトラマンとは、彼自身の心の光の象徴だ。だがそれは、本来誰もが持っているものであり、良心とも、愛とも言う。いつの間にか、誰の心の中にでも住んでいるヒーロー。今では、ミシェルにとってのウルトラマンが才人になっていたのだ。

「あの馬鹿に会ったおかげで、私の騎士としての部分はめちゃくちゃさ。なんでいちいち何かするたびにあいつの顔が浮かぶのか。はじめは、ただ少々剣の見所のある奴だと思ってただけなのに」

 気持ちの整理がつかないミシェルに、キュルケは内心で大いに苦笑しつつも、あることを思った。それは、彼女の思いと境遇が、才人とルイズの関係によく似ていることだ。二人とも、才人に出会う前はずっと一人の世界で生きてきた。しかし、そんな彼女たちの閉ざした心に平然と入り込み、本当はすごく弱いくせに、自分ができないことをやりとげ、昔失った前向きに生きる心を思い出させてくれる。そんな訳のわからない正義感と勇気と意地と優しさを持つ才人の生き方に、次第に心引かれるようになっていったのだろう。

 そして二人とも、その思いを相手に伝える術をまだ知らないでいる。

「……どうやら貴女には、直々にレッスンして差し上げる必要があるようですわね。失礼ですけどわたくし、幸せになれるくせに幸せを放棄しようとしている悲劇のヒロイン気取りの女を見ると虫唾が走りますの。めんどくさい任務とやらが終わりましたら、みっちりご自分の魅力を教えてさしあげますわ」

 キュルケのおせっかいが燃えた。タバサに強引に絡んでいくときやルイズにはっぱをかけるときもそうだが、才人とは別の意味で困った人を放っておけないというか、よい意味で貴族らしくない面を持っている。ミシェルとしては無視してもよかったのだけれども。

「まったく、隊長やサイトに続いてお前までも、よく酔狂に私などに関わろうとするものだ」

「そうでしょうか? 貴女ほどの女性なら、世の男たちも放っておかないと思いますけどね」

「平民だからとか、女だからとかで露骨に見下す態度をとってくる貴族や騎士ならいくらか覚えはあるがな。隊員たちの中には衛士隊の中とかに恋人を作ってる者もいるようだが、私や隊長にはなぜか誰も寄ってこん」

 なるほど、そういうことかとキュルケは理解した。いくら平民の、しかも女性のみの部隊である銃士隊がほかになめられないようにするためとはいえ、常日頃から殺気というか男は近寄るなオーラを出していては普通の男は怖がって近寄ってこないだろう。

 それともうひとつ、キュルケはルイズとミシェルの共通点として、才人のほかには周りにろくな男がいなかったのだとも思った。魔法学院の男子生徒はルイズをゼロと見下してきた者ばかりだし、ミシェルは無意識に男を拒絶していたから、それこそ近寄ってこれる男は才人ぐらいのものだったに違いない。

 けれども、キュルケはミシェルがその気になって磨けば、自分の知る中でも五指に入るくらい美しくなれる素質があるとも評価していた。今のままでは、ダイヤの原石も硬さを活かしてハンマーぐらいにしかなりはしない。彼女は苦笑しながら、自分より一回り年上の女性に臆することもなく言ってのけた。

「貴女、もう少しご自分の魅力というものを理解したほうがよくってよ。無骨な剣や、ましてや杖よりも、女の最強の武器は美しさですわよ」

「女であることなど、当に捨てたと思っていたのだがな……しかし、どうしてお前達は私を一人にしてはくれないのか」

「貴女には、ご自分では気づいていないだけで、人を引き寄せる何かがあるということでしょう。それが人から人へと伝わって、次第に貴女を中心にした輪ができていく。月並みな言い方をしますと、それが絆というものではなくって? わたしと、この子みたいにね」

 ぼんやりと無表情にしているタバサの肩を抱いて笑うキュルケの態度は、まさにそれを体言しているといってよかった。他者との交流を拒絶し続けていたタバサの隣にキュルケがいるようになってから、ルイズ、才人たち大勢がいつの間にか彼女の周りにいるようになっていた。

「私に、それほど人に好かれる要素があるとは思えないのだが?」

「だから、ご自分では気づいていないだけですよ。ただ、人の世のしがらみという奴からは、簡単には解放されませんわよ。おせっかいなお人よしってのは、案外どこにでもいるものですからね」

 自分のことを棚に上げて講釈するキュルケに、タバサは表情を変えないまま思った。ひどい世の中だが、思えば行く先々で自分はいろんな人に助けられている。渡る世間は鬼ばかりというが、なかなかこの世も捨てたものではない。百人嫌いな奴がいても、二、三人好きな人がそばにいれば人生というやつはばら色とはいかなくても灰色にはならない。本当に灰色になるということは、あるはずの絆がないと思い込んでしまうことだ。

「ふぅ……どうせ、お前たちのことだ。関わるなと言っても関わってくるのだろう?」

「ご明察ですわ。これがわたしなりの恩返しですもの、返しきるまで離れられると思わないことですわね」

「仇で返されている気がひしひしとするのだが……」

 こんなことなら助けなければよかったかなと、今更ながらに頭を抱えているミシェルの前では、タバサも「一個借りだから」と、指を一本立てて見つめてきている。どうやら、ミシェルは自分が蜘蛛の巣にかかってしまった虫であることを感じざるを得なかった。

 けれども、ほほえましい時間も、無情に流れる時間の前ではいったんの別れを余儀なくされるようだ。出口のほうから無粋にミシェルを呼ぶワルドの声が響くと、彼女は嘆息しつつ、二人に再会を約束して別れを告げた。

 さらば、と、また会うときを楽しみにしていますわという声が交差し、三者はそれぞれ踵を返した。しかし、片方は再会を心待ちにしていたが、片方はその日が来ることを望んでいなかった。望まぬことながら芽生えた絆と、なかったはずの心に灯った炎、それを自らの中に感じながら、彼女は低くつぶやいた。

「次に会ったときには、お前たちは私を唾棄し、殺したいほど憎むかもしれん。だが私は、それを止めることはできん……」

 その言葉は、遠ざかっていくキュルケたちの耳に届くには、あまりにも弱く、儚げすぎた。

 

 スカボロー港を後に、才人たちを乗せた馬車と、ミシェルとワルドを乗せた馬車は別の街道を通って離れていく。その枝分かれした道が、再び同じ道を辿ることになるのか否か、まだこれから待つ未来を正確に予知できている者はいない。

 

 

 だが一方、ハルケギニアの誰も知らないところで事態は加速度的に悪くなり始めていた。

 

 京浜工業地帯。かつて超獣ベロクロンの襲撃によって灰燼に帰した、瀬戸内海に面した一大コンビナートの一角の石油基地に、今危機が迫っていた。

 林立する石油タンクが食い破られ、踏み潰されたパイプラインから漏れ出た石油が広がって、コンビナート全体を危険な火薬庫に変えていく。それを引き起こしたのは、石油タンクを食い破って中に充填された原油をむさぼり飲む、緑色の毒々しいヒトデを横に二匹くっつけたような怪獣。このところ瀬戸内海近辺で頻繁に起こるタンカー沈没事故の犯人が、ついに陸地へと進出してきたのだ。

 だが、怪獣の横暴をこれ以上許すまいと、その上空に二機の炎の翼が駆けつけてきていた。

「こちらガンウィンガー、現場に到着、怪獣の情報を送ってくれ!」

〔ドキュメントSSSPに記録を確認、油獣ペスターです。石油を常食とする怪獣で、両側の体に蓄えた石油を使っての火炎放射攻撃を得意とします。気をつけてください〕

 ガンウィンガーから陣頭指揮をとるリュウの元へ、フェニックスネストからの新人オペレーターの声が響く。同乗するのはミライ、後方にはガンローダーもついてくる。二機は、夢中になって石油をむさぼっているペスターの上空で攻撃態勢をとると、武装の安全装置を解いた。

「ヒトデの化け物め、一思いに吹き飛ばしてやる」

 ペスターは石油を飲むのに夢中で、完全に無防備な状態になっている。今なら目をつぶっても当たると、ヒトデ型の胴体のど真ん中に照準を合わせた。しかし、リュウが攻撃命令を下す寸前、ガンローダーからの通信がそれを押しとどめた。

〔待ってください隊長、敵は石油を大量に体内に抱え込んでいます。攻撃で引火したらコンビナート一面火の海になってしまいます!〕

「なにっ!?」

 今にもトリガーに指をかけようとしていたリュウははじかれたように操縦桿を引いて、機体を上昇に持っていった。考えてみればペスターはそれ自体巨大な爆弾と呼んでいい。そしてこの石油基地が壊滅したら、ここからエネルギーと工業製品の材料を得ている工業地帯全域が大打撃をこうむってしまう。

「リュウさん!」

〔隊長!〕

 後部座席のミライと、ガンローダーからの、次世代GUYSのメンバーの一人、ハルザキ・カナタの声を受けて、リュウは我に返った。

「悪い、カナタ。だがこれじゃあ下手に攻撃できねえな。フェニックスネスト、奴に弱点とかはないのか?」

〔い、今検索しています。ですが決して攻撃しないでください。ペスターが飲み込んでいる分の石油に引火したら、ガンウィンガーに積んである程度の消火剤では消しきれません〕

 焦った様子のオペレーターの声が届いてきたが、リュウは急げよと言っただけで、後は任せた。新人たちもこのところの怪獣の連続した出現で経験を積んできてはいるものの、まだまだ速さと正確さではリュウの望む値には達していない。

「リュウさん、ここは僕が」

 ミライが、メビウスとなって協力しようかと言うと、リュウは決然とそれを拒否した。

「ミライ、でしゃばるな。ここはまだ俺達の戦いだ。あの程度の怪獣にてこずっているようで、地球は俺達人間の手で守るなんて言えるか! お前の出番はまだ先だ」

〔そうですヒビノさん、僕たちはまだ全力を出し切っていません。見ていてください〕

 カナタもまた、リュウと同じように答えた。彼は、リュウ率いる新GUYSの一員で、エンペラ星人の攻撃の少し後になってから起きた、エンペラ星人の残した生きた鎧、アーマードダークネスの事件以来、リュウの愛弟子とも言うべき期待の新星である。

「わかりました。じゃあ、いっしょにあの怪獣を倒しましょう!」

 ミライも二人の心意気を酌んで答える。このところワームホールからの怪獣の出現は減ったが、逆に怪獣頻出期並みに怪獣の出現数が上がってきており、ミライもやむを得ずメビウスとなって戦う機会が増えただけに、軽々しく変身しようとした自分を改めて律した。

 けれども、手をこまねいているうちにペスターによる被害は増えていく。

「くそっ、だが攻撃できないんじゃ……奴の分析はまだか!?」

 このままでは石油基地の石油が全部ペスターのエサにされてしまう。威嚇攻撃で動きを止めようにも、場所が場所だけに引火を招いてしまう。リュウはフェニックスネストのオペレーターをせかしたが、かえって彼を焦らせてしまうだけだった。しかも、いいかげん頭上を舞う蝿の存在に気づいたペスターは、ヒトデ型の胴体が二つつながったところについているコウモリのような頭を上に上げ、その口から真赤な火炎を吹き上げてきたのだ。

〔隊長、危ない!!〕

「ちいっ!!」

 間一髪のところで火炎をかわしたリュウだったが、事態はどんどん悪くなっていく。このままペスターに火炎を吐かれて、それが基地の石油に引火したら大惨事になる。一刻も早くペスターを倒さなければ! しかし動く爆弾のような相手をどうやって?

 そのとき! 焦るリュウたちの元に、通信を通してフェニックスネストから懐かしい声が届いてきた。

〔リュウさん、ペスターの弱点は頭です。そこを攻撃すれば、誘爆は起きません!〕

「その声は!?」

「テッペイさん!」

 なんと、それはかつてリュウとミライととともに、CREW GUYSの一員として戦って、今は医者の勉強のために一線を退いているはずの仲間、クゼ・テッペイの声だったのだ。

「お前、どうして!?」

〔説明は後で、ともかくペスターの弱点は頭です。かつて出現した個体も、頭部をウルトラマンのスペシウム光線で撃ち抜かれて倒されています。そこをピンポイント攻撃すれば、メテオールを使わなくても倒せます。さあ、被害が出る前に急いで!〕

 テッペイは根っからの怪獣・ウルトラマン好きで有名で、過去の怪獣との戦いの知識は下手なコンピュータを凌駕し、怪獣博士の異名を持つ、その彼が言うのだから間違いはない。

「ようしわかった! カナタ、奴の頭に至近距離からピンポイント攻撃をかけるぞ。だが、奴の火炎攻撃を正面から受けなきゃならねえ、俺が奴の頭上を飛んで気をひく間にお前が撃て!」

〔わかりました。フォーメーション・ヤマトですね!〕

 カナタは即座にリュウの考えを理解した。ペスターの頭部を正確に狙うには、真正面から至近距離で狙うしかないが、そうなれば火炎にやられてしまう。ならば一機が囮となって怪獣の注意を引き、その隙にもう一機が急所を狙うしかない。この戦法こそ、かつて不死身の怪獣サラマンドラを倒すために、奴の弱点である喉を狙い打つためにUGMが開発し、発案者である矢的猛隊員の名を冠した必殺の【フォーメーション・ヤマト】だ!!

 すぐさまリュウのガンウィンガーが先頭に立ち、ガンローダーが後に続く。ペスターは当然囮となって派手に近づいてくるガンウィンガーを狙って火炎放射の照準を合わせてくる。

「いくぞカナタ!! 続け」

〔G・I・G!〕

 ペスターの火炎が上昇回避したガンウィンガーのすぐ下を通過していく。まるで、炎の河の上を走っているようだが、リュウは憶さずにペスターの顔面スレスレにまで近づいて急上昇をかけた。その瞬間、ペスターは反射的にガンウィンガーを追って真上を見上げ、それによって、後方から接近してきていたガンローダーに気づけなかった!

「今だ、カナタ!!」

〔バリアブルパルサー!!〕

 ぶつかるかと思われるほど接近したガンローダーから、必殺の超至近距離攻撃がペスターの眉間に命中する。火花が散り、奴の頭部で小規模な爆発が起こるものの、テッペイの言ったとおり誘爆が起きることはなかった。

「どうだっ!?」

 普通の怪獣ならこれで倒せることはまれだが、急所をついたのだ。リュウの、ミライの、カナタの視線が頭部を焼け焦げさせたペスターに注がれる。倒したか? それとも……だが、息を呑む三人の前でペスターは、ゆっくりとよろめくと、背中から数本のパイプラインと、一台のトラックを巻き込んで崩れ落ちた。

「やった!」

「いよっしゃあーっ! よくやったぜカナタ!!」

〔は、はい。ですが、隊長の先導があったからです。ありがとうございました〕

 GUYSだけでの怪獣撃滅成功に、三人の意気が一気に上がる。新人隊員のカナタも、謙虚さを保ちながら自らの手での勝利に喜びに湧いた。

 けれども、そんな彼らの元へ、フェニックスネストのミサキ女史からさらなる怪獣出現の連絡が入ってきた。

〔リュウ隊長、たった今関東第三原子力発電所近辺にガボラが出現したという連絡が入りました。すぐに向かってください〕

「なんだって!? またか」

 リュウは愕然とした。ここ最近はまた数日の頻度で事件が起こっているが、今ペスターを倒したばかりなのに、いくらなんでも怪獣の出現頻度が高すぎる。もはや偶然とは思えない。

 だが、とにかく原発が狙われている以上急行せねばならない。

「すぐに向かう。カナタ、ガンフェニックス、バインドアップ!」

 ガンウィンガーとガンローダーが空中で合体して、高速発揮できるガンフェニックスの形態となる。

「テッペイ、怪獣のデータを教えてくれ」

〔はい、ウラン怪獣ガボラ、ドキュメントSSSPに記録があります。地底怪獣の一種で、ウラニウムを食料とし、動きは鈍いですが口から放射能光線を吐きます〕

「また面倒な相手だな……だが、このままじゃ間に合わないぞ」

 いくらガンフェニックスが高速とはいえ、中国地方から関東までは遠い。フェニックスネストにはまだほかの隊員たちも残っているけれども、出現したガボラは原発のすぐそばに現れたらしい。緊急発進してきたとしても間に合うか。

 しかし、焦り始めるリュウの耳に響いてきたのは、テッペイの落ち着きはらった声だった。

〔大丈夫ですリュウさん。実はそちらのほうにも、すでに強い味方が向かっています〕

「なに? まさか……」

 いたずらっぽく答えるテッペイから、強い味方の名前を聞いたとき、三人の顔に自然と笑みが浮かんでいた。

 

 そのころ、関東の山中にある関東第三原子力発電所には、首の周りに巨大なヒレをつけた四足歩行の扁平なトカゲのような怪獣、ガボラが、今にも発電所の建物に頭を突っ込むというところまで接近してきていた。

 このままでは、破壊された原子炉から漏れた放射性物質によって関東一帯は放射能に汚染されてしまう。

 だがそのときだった。発電所に駆け込んできた一台の車から飛び降りてきた、眼鏡をかけた童顔の女性が空に向かってGUYSメモリーディスプレイを掲げて叫んだのだ。

「ミクラス、お願い!!」

 ガボラの前に、高分子ミストの緑色の輝きが渦を巻いて現れ、その中から浮かび上がるかのように雄牛のような怪獣が現れる。これこそ、CREW GUYSが誇る超絶科学メテオールの一つ、高分子ミストを実体化させて作り出すマケット怪獣、ミクラスだ!!

 

 

 続く



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第58話  CREW GUYS再集結!! アニマル星SOS

 第58話

 CREW GUYS再集結!! アニマル星SOS

 

 大海亀怪獣 キングトータス、クイントータス、ミニトータス

 さすらい怪獣 ロン

 カプセル怪獣 アギラ

 高次元捕食獣 レッサーボガール

 高次元捕食体 ボガール

 ウルトラマンタロウ

 ウルトラマンレオ 登場!

 

 

「テッペイ、コノミ、よく来てくれたな!」

 フェニックスネストに、CREW GUYSの懐かしい声が響き渡る。

「お久しぶりです。リュウさん、ミライくん」

「二人とも元気そうね。最近のみんなの活躍、幼稚園のみんなも頼もしく見てたのよ」

 かつてリュウやミライとともに、エンペラ星人の脅威と戦った前GUYSの仲間、クゼ・テッペイとアマガイ・コノミが帰ってきた。二人は、テレビの報道などで最近のCREW GUYSの活躍は耳にしていたが、つい先日トリヤマ補佐官から声をかけられてやってきたのだった。

「それにしても、さすがお二人ともすごいですね。僕たちが、まだまだだってことがよくわかりました」

 カナタも二人の助っ人参戦に喜びと、未熟さへの苦笑を混ぜた笑みを浮かべた。ペスターの攻略法を的確に教えてくれたテッペイと、テッペイにガボラが出現する前兆があると言われて、あらかじめ発電所近辺で待機していたコノミによって、ペスターは撃破され、ガボラはミクラスの怪力に負けて地底に逃げ帰っている。いずれも、現在のGUYSのメンバーだけではなし得なかった戦果だ。

 

「けど、お前たちどうして?」

 リュウはそこだけは不審気に聞いた。二人がやってきてくれたことは確かにうれしいが、二人ともGUYSのほかにも、テッペイは医者になるために医大に通う道、コノミにも幼稚園の先生としての道がある。まさかとは思うが、それを放り出してきたのではと思ったけれども、二人はそんな様子は微塵も感じさせなかった。

「大丈夫です。僕がスケジュール管理がうまいのは知っているでしょう。GUYSと医学生の両立、昔ほどこちらにい続けるとはいきませんが、可能な限りお手伝いさせていただきます」

「私は、ちょうどこれから幼稚園が夏休みだから。リュウさんたちのお手伝いが少しでもできればと思って」

「お前ら……だが」

「おっと、勘違いしないでください。もちろんそれもありますが、僕たちも、安心してそれぞれの道に行くためにわざわざ時間を割いてこっちに来てるんです」

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべているリュウに、テッペイは微笑しながら続けた。

「つまりです。また、全宇宙規模の危機がおとずれようとしているかもしれないときに、今のGUYSの戦力では心もとないですが、彼らが早く一人前になってくれれば僕らも安心して引退できるということです」

 つまり、テッペイたちは新人たちの先輩として、その指導をしてくれるということだ。考えてみれば、教官としてこれ以上の人材はない。それに、今はともかく一人でも優秀な人材が欲しいのも事実だ。

「そうか、そういうことなら、悪いが頼む。このひよっこたちをビシビシ鍛えてやってくれ」

 リュウは、カナタをはじめとする新人たちを見渡して、よく通る声で言い放った。特に、さきほどの戦いでペスターの分析に手間取った新人のオペレーターはテッペイに直接敬礼を返している。

「本当にありがとうございます。テッペイさん、コノミさん」

「なんの、水臭いですよミライくん。地球のこともそうですが、ミライくんのお兄さんがピンチだってときに、僕たちが黙ってられるはずがないじゃないですか」

「そうよミライくん、みんなで頑張ってウルトラマンAを助け出しましょう」

 ミライは、テッペイとコノミの思いやりに涙が出る思いだった。このメンバーでまたいっしょに戦えるということは、それだけで笑みが漏れてくる。だが、GUYSにはまだ二人メンバーが残っている。ミライは、喜び合う若者たちを眺めながら、話しかける機会をうかがっていたトリヤマ補佐官に話しかけた。

「そういえばトリヤマ補佐官、ジョージさんやマリナさんには声をかけたんですか?」

「ん? ああ、連絡はついたんだが、二人とも今はスペインリーグとレースで日本を離れていてな。もう少ししたら日本に戻るというから、暇を見て来てくれるそうだ」

「そうですか、お二人とも忙しいのに……トリヤマ補佐官、お気遣いありがとうございます」

「いやあ、あははは」

 照れくさそうに笑うトリヤマ補佐官に、今回ばかりは頭が上がらない。そんな和気藹々とした雰囲気を、サコミズ総監や、ミサキ女史は微笑みながら見守っていたが、次の瞬間そんなサコミズ総監の笑顔を引きつらせる声が響いた。

「おっと、助っ人はここにもいるわよぉ」

 いつの間にか、ドアのところに白衣をまとって、髪を後ろで留めた博士風の女性が、活発そうな笑みを浮かべて立っていた。

「フジサワ博士!」

「はぁーい、元気してたあ? お久しぶりね、フシギちゃん」

 いたずらっぽくミライに微笑んだのは、異次元物理学の権威、フジサワ・アサミ博士であった。まだ若いが、かつてヤプールの異次元ゲートを封印するために使われたメテオール、『ディメンショナル・ディゾルバー』や、エンペラ星人の暗黒四天王の一人、不死身のグローザムにとどめを刺した『マクスウェル・トルネード』などを発明した天才科学者だ。また、サコミズ総監やミサキ女史とは旧知の仲で、特にミサキ女史とは名前で呼び合う親友だけども、サコミズ総監とは。

「サコちゃんも元気そうねー……けーど」

「う、うん久しぶりですねフジサワ博士」

 フジサワ博士に横目で睨まれて、サコミズ総監は手に持っていたコーヒーカップを机に置いた。

「私の前では絶対飲まないでって、言ったよね? コーヒー」

「う、うん、大丈夫、すぐに歯を磨くから」

 ただ、大変にコーヒー嫌いのために、大のコーヒー党のサコミズ総監は昔からこの人がやや苦手なのであった。総監が隊長であったころから平然と高圧的に接してくるし、今でも総監に向かって上から目線で言えるのはこの人くらいだろう。

「まあいいわ、今回は私のほうが突然押しかけたことだから許したげる」

「ほっ、けどフジサワ博士、どうして突然?」

「ヤプール相手に、この私を呼ばないなんてほうが失礼じゃない? それに、私は奴に借りがあるのよ。あいつは私の『ディメンショナル・ディゾルバー』で異次元のゲートを塞いだはずなのに、あっさりと復活してくれたからね。このままにしておけるわけないじゃない」

 科学者として、発明品の失敗をそのままにしてはおけないと、彼女の瞳は熱く燃えていた。ともあれ、フジサワ博士の助力は正直とてもありがたい。サコミズ総監は多少微妙な感じだが、一同は揃って博士を歓迎した。

「よしよし、ジョージがまだいないのが残念だけど、じゃあ再会を祝して乾杯といきますか!」

「博士、まだ勤務中ですよ」

「だーれが宴会までするって言ったの? 景気づけにジュースかなにかで一杯飲むだけよ。あ、もちろんコーヒーは抜きでね」

 こうなれば、もう総監にも拒否権はない。それに、乾杯程度ならすぐ終わるし、景気づけも悪くない。

「じゃ、そうと決まれば善は急げ、みんなコップを持って明るいところに集合!」

「おーっ!」

 鶴の一声で、新旧GUYSの面々は、暇なときにはよく空を見たりしているフェニックスネストのデッキに集まった。

 

「かんぱーい!」

「乾杯!」

 隊員たちの唱和とともに、歓声が空に吸い込まれていく。昔は怪獣退治に成功したお祝いにビールで乾杯したこともあったそうだが、さすがに今のご時世ではそうはいかず、オレンジジュースでの乾杯となった。

 短い時間だが、和気藹々とした空気が流れる。これからまた怪獣が現れ、死闘の連続となるのだろうからこんな時間も必要だろう。

 しかし、コップの中身を喉に流し込んで空を見上げたとき、ミライとセリザワの目に空に輝く光の文字が映ってきた。

「メビウス……」

「はい、ヒカリ」

「どうしたんですか?」

 突然空を見上げて深刻そうな顔つきをしている二人にテッペイが尋ねてきた。

「光の国からの、ゾフィー兄さんからの、ウルトラサインです」

 怪訝な顔をしているテッペイたちに、ミライはそう説明した。ウルトラマンが他の惑星にいる仲間に連絡をするときに使うウルトラサインは、地球人の目には見えないのだ。

「ウルトラの星からの! そ、それでなんて言ってきているんですか!?」

「はい、それが……」

 興奮するテッペイや仲間たちに、ミライはウルトラサインで送られてきた驚くべき内容の事件を話していった。それは、すぐ前に、ウルトラの星のあるM78星雲の一角にある、とある惑星で起こったことだった。

 

 

 そこは、通称アニマル星と呼ばれる地球に環境のよく似た星で、かつてウルトラセブンのパートナーとして地球で活躍したカプセル怪獣アギラの故郷であった。ここでは、今は任を解かれたアギラがのんびりと暮らし、ほかにもかつて地球を離れて親子で宇宙に旅立った大海亀怪獣キングトータス、クイントータス、ミニトータスの親子が海辺で遊び、地底では同じく地球から運び出された冬眠怪獣ゲランが卵といっしょに眠り、キングゼミラの生んだ卵がいつの日かの孵化のときを待っている。

 そう、ここは悪意はないが、その存在そのものが脅威となって住む星を追われた多くの平和的な怪獣たちが、仲良く暮らしている星である。

 そこへ、ある日突然次元を破って多数の高次元捕食獣レッサーボガールが出現し、平和に暮らしていた怪獣たちや動物たちに襲い掛かってきたのだ。むろん、怪獣たちも自分たちを守るために必死になって応戦した。その先頭に立ったのは、言うまでもなく、任を解かれたとはいえ勇敢さにはひとかけらの曇りも陰らせていなかった、あのアギラであった。

 アギラは、持ち前の素早い動きで一匹のレッサーボガールの懐に飛び込むと、トリケラトプスのような角を奴の腹に引っ掛けてひっくり返し、腹の上にのしかかって何度もジャンプして苦しめた。そうなると、本来戦いを好まない怪獣たちもアギラの勇気に奮起して、この無礼な侵入者たちを撃退しようと反撃を試みていく。キングトータス、クイントータスが手足を引っ込めて空中へ飛び上がり、レッサーボガールどもの頭の上から火炎球を投下し、地球に居たときより成長したミニトータスも、手足を引っ込めた円盤状の形態で高速回転して体当たりをかける。他にも、地球では名も知られていない怪獣たちが殴りかかったり、火を噴いたりして応戦し、本当に戦う力のない者たちを逃がそうとする。たとえ非力な集団でも、リーダーが勇猛であればその勇気が伝染し、より以上の実力を発揮するという好例であった。

 

 それでも、今度のレッサーボガールたちは最初から巨大なものばかりであり、次元の裂け目から最終的には十体もの大群で現れたために怪獣たちも押され始めた。奴らが目と手から放つエネルギー弾や、凶悪なパワーによってアギラやトータス親子も傷つき、そしてついに奴らが巨大なハエトリグサのような口を大きく開き、怪獣たちを捕食しようとした、そのときだった!

 

『ストリウム光線!!』

 

 突如天空から降り注いできた虹色の光が先頭をきっていたレッサーボガールの一体を吹き飛ばし、次の瞬間、真紅に輝く光の玉が舞い降りてきた。そしてその中から現れる猛々しい巨躯と、天を睨む大きな二本の角を持つ巨人。見よ、ウルトラ兄弟六番目の弟、ウルトラマンタロウの雄姿を!!

「トァァッ!!」

 タロウは十匹ものレッサーボガールの群れに敢然と正面から立ち向かっていった。大地を強く蹴り、天高く跳び上がったタロウの体が空中で目にも止まらぬ速さで回転しながら不規則に宙を舞う。そしてその速度を最大限にまで高めたとき、獲物を求めて急降下する燕のように蹴りつけた!!

『スワローキック!!』

 顔面に直撃を食らった一匹がたまらずに吹っ飛ばされ、地面を勢いよく二百メートルは吹っ飛ばされた。

 だが、レッサーボガールどもは狂犬の群れのようにいっせいにタロウに襲い掛かってくる。

「トォッ!!」

 それに対してタロウは再び宙に跳び、スワローキックの連続で対抗していく。超高速での飛行と急降下キックの連続に、レッサーボガールどもはまったく対応できない。あっという間に群れは散り散りになり、個別にタロウを追い回したあげくに味方同士でぶつかって転んでしまう始末だ。

 タロウは思うさまに敵を翻弄すると、着地してアギラを助け起こした。

「アギラ、よくやったな。後はまかせろ」

 傷ついたアギラの背を軽くなでて、タロウは仲間たちを連れて下がっているように指示した。アギラは、言葉をしゃべることはできないが、タロウの意思を理解してよろめきつつトータス親子やほかの怪獣たちを引き連れて下がっていく。かつてリッガーと戦ったとき、ダンが時限爆弾島の中枢を破壊するまで食い止めたように、敵を倒せないまでもここの怪獣たちを守り抜くという使命は立派に果たしたのだ、恥じるべき何者もなかった。

 そして、アギラから使命を受け継いだタロウは敢然と、怒るレッサーボガールたちに再び向かっていった。

「いくぞ!!」

 一匹のレッサーボガールと真っ向から組み合ったタロウは顔面を殴りつけ、ひるませたところに膝蹴りを叩き込み、そのまま流れるように投げ飛ばした!

 地面を転がる一匹を踏み越え、さらに二匹が迫ってくる。タロウは奴らよりはるかに素早い身のこなしでこれをかわし、さらにエネルギー弾を撃ってきた奴にチョップを打ち込み、肩を掴んで巴投げで別の奴へとぶっつける。

 そうかと思えば、突撃してきた奴に足払いをかけて転ばせ、腕力に自信を持って向かってきた一匹を、さらに強力なパンチでグロッキーにしていく。その圧倒的な身のこなしとパワーには、さしものレッサーボガールどももきりきり舞いさせられるしかない。ウルトラ兄弟最強のパワーの持ち主は、東光太郎時代に培ったボクサーの軽やかなフットワークも加わって、いわばライト級とヘヴィ級、両方の長所を併せ持つウルトラ級パンチャーであったのだ。

 こんな相手を敵にしては、以前メビウスを苦しめた怪獣であろうと勝負にならない。否、あのときのメビウスとタロウではそもそもの実力差が大きく開いている。

「それにしても、いったいなぜこの星にこいつらが……?」

 戦いながらタロウは浮かんできた疑問の答えを考えていた。このレッサーボガールという怪獣が、メビウスが地球滞在していたときに戦ったものと同種であることは、光の国からメビウスの戦いを見守り続けていたタロウは知っている。しかし、生き残りがいたとしても、光の国のすぐそばのこの星を狙ってくるとは無謀としか言いようがない。

 単に食欲に駆られてのことか? それにしてもこれほどの群れが一度にとは、こいつらはそれほど仲間意識のある怪獣ではなかったはずだが、誰か先導した者でもいたのか。

 ともかく、場所がM78星雲の中だったために、光の国に滞在していた自分はすぐさま駆けつけることができたが、光の国の庭先とも言うべきこの星が襲われるとは、由々しき事態に間違いはない。それに、せっかく安住の地を得て平和に暮らしている怪獣たちの生活を脅かすとは許せない。タロウは怒りを込めて、一体のレッサーボガールのどてっぱらに、渾身の正拳突きをお見舞いした。

『アトミックパンチ!!』

 タロウの超パワーのパンチはレッサーボガールの腹を突きぬけ、背中まで貫通した。タロウは致命傷を負ってもだえるその一体から腕を引き抜くと、今度は別の一体の頭上へと高く飛び、急降下してその首に手刀を叩き込む!

『ハンドナイフ!!』

 一撃でレッサーボガールの首が寸断されて宙を舞う。タロウは一瞬のうちに二体を格闘技のみで葬り去り、さらなる余裕を持って、残った八体へと向かっていく。圧倒的な実力差、タロウに太刀打ちするのならレッサーボガールでは余りに格が違いすぎた。

 しかし、このまま戦えばタロウの圧勝かと思われたとき、突如レッサーボガールどもは攻撃目標をタロウから、逃げようとしていたこの星の怪獣たちに向けて襲い掛かっていった。

「なに!?」

 タロウは慄然とし、そして焦った。残り八匹のレッサーボガールと戦って撃破するなら、実力差から申し分ない。しかし、八匹を食い止めなければならないとしたら話が違う。自分に背を向けてアギラに先導されて逃げていく怪獣たちへと向かうレッサーボガールに、タロウは組み付いて投げ飛ばし、背中からキックを入れて転ばせるが、群れ全体の進行は止まらない。

「くそっ、どういうことだ!?」

 知能が低く、統率された行動などとれないはずのレッサーボガールの突然の方針変換に、タロウはやはりこいつらには操っている黒幕がいるのではと当たりをつけたが、今はともかくこいつらを止めるしかない。

 だが、怪獣たちに向かうのを止めようとするタロウの前に、三匹のレッサーボガールが振り返って立ちふさがってくる。足止めをするつもりか! やはりこの知的な行動はレッサーボガールのものではない。しかしその黒幕を探している時間はない。

 一方、タロウが残った三匹を相手に一方的だが時間を浪費する戦いを強いられている頃、この星の豊かな森林の影から戦いを見守る人影がいた。別世界でジュリと戦ったあの女だ。こいつは、レッサーボガールが現れる前にこの星に現れて、絶好の餌場となるここへ手下の群れを呼び寄せ、怪獣たちが充分弱ったところでまとめて捕食しようと狙っていたのだが、予想以上に早くウルトラマンタロウが駆けつけてきたために出て行くことを中止して、テレパシーで手下を操っていたのだ。

 そして、今タロウを足止めできているうちに、残った手下で怪獣たちを捕まえてと意図していた。だが、その邪悪な企みは、同じ森に住んでいる八メートルほどの小型怪獣の鳴き声で打ち砕かれた。飛んで逃げようとしていたミニトータスを長く伸びる舌で捕まえ、助けようとするキングトータスとクイントータスをも組み伏せたレッサーボガールの頭上に新たな赤い球が出現し、それは奴らが気づいた瞬間には、真紅に燃える彗星となって舞い降りてきていたのだ!

 

『レオ・キック!!』

 

 彗星が、一匹のレッサーボガールのシルエットと重なり、すれ違った瞬間にはその一体の上半身は消滅していた。文字通り、下半身だけを残して恐るべき破壊力によってもぎ取られていったのだ。そして、その一撃をもたらした者こそ、大地に降り立った赤き獅子の勇者!!

「エイャァ!!」

 戦え!! ウルトラ兄弟No.7、ウルトラマンレオよ!!

 レオはキングトータスとクイントータスを襲っていた二匹を蹴り倒し、ミニトータスを襲っていた一匹の舌に向かって、赤いエネルギーをまとった手刀を振り下ろした。

『レオ・チョップ!!』

 張り詰めたゴムがちぎれるように、レッサーボガールの舌が千切れ飛んでミニトータスが解放される。

「レオ!!」

「タロウ兄さん、ご無事ですか?」

 思いもよらぬ弟の救援に驚くタロウの目の前で、レオは残った四匹のレッサーボガールを同時に迎え撃つ。宇宙拳法の達人であるレオにとって、力任せに襲ってくるだけの怪獣など恐れるにも値しない。タロウにも劣らぬ俊敏さで一匹の懐に入り込んでパンチの連射を叩き込み、怒った他の三匹が同時にエネルギー弾を放ってくるのを、流れるようなサイドステップとバック転でかわす。いくら連射しようと、ケンドロスのブーメラン攻撃や、ノースサタンの含み針をすべて見切れるレオに当たるわけがない。

 お返しにと、間合いをとったレオは右手にエネルギーをため、赤く輝く光の球に変えて投げつけた!

『エネルギー光球!!』

 直撃を受けた一匹は頭部を粉砕されて、倒れた体も一歩遅れて砕け散る。残りは六体!

「タロウ兄さん」

「レオ、いくぞ!」

 タロウとレオは視線をかわし、同時に残ったレッサーボガールに構えをとる。いまだ数では二対六と不利。しかし、兄弟が力を合わせればこの程度の数の差など問題にならない。

 タッグを組んだタロウとレオは、前転して勢いをつけると、同時にキックを打ち込んだ!

「イヤァァッ!」

 マネキンのようにあっけなく倒れるレッサーボガールを乗り越えて、さらに四体が二人の前に立ちふさがる。しかし、そのときにはすでにレオは空高く跳び、タロウは両手を前にかざして光の壁を作り出していた。

『タロウバリヤー!!』

 四体分のエネルギー弾の乱射はすべてバリヤーにはじき返され、落下してきたレオの手刀が一閃する!

『ハンドスライサー!!』

 縦一文字の斬撃炸裂! 食らった一体が左右真っ二つに寸断される。

 最初の半分に数を落としたレッサーボガールは、それでも無価値となった数の有利を頼んで戦意と殺意を失っていないが、タロウとレオの攻撃は緩みはしていない。タロウのスワローキックの連続と、レオの格闘攻撃が真上と真下の三次元攻撃となって襲い掛かり、対して連携などとりようもないレッサーボガールは個別に反撃を試みるだけで、二人にはかすりもしない。

 そしてタロウの空中攻撃に対抗しようと三匹が背中合わせに固まったときに、レオも跳んだ! タロウに目を取られて動けないでいる三体の上空から、回転しながら勢いよく直角に降下したレオのキックが同時に炸裂する。

 

『きりもみキック!!』

 

 かつて双子怪獣レッドギラスとブラックギラスを葬り去った必殺技が炸裂し、三匹の首が一辺にはじけ飛ぶ!! さらに今度は両手を高くかかげたタロウの体が急速回転を始め、大気を渦巻かせる巨大竜巻を発生させた!

『タロウスパウト!!』

 一瞬で最後の二匹を飲み込んだ巨大竜巻は、抵抗などまったく許さぬ勢いを持って上空高く吹き飛ばした。

「ようし、とどめだ、レオ!」

「はい、タロウ兄さん」

 上空から回転しながら落ちてくるレッサーボガールへ向けて、二人は最後の一撃の体勢をとった。

 両手を頭上で合わせ、腰に落としたタロウの体が虹色のエネルギーで輝き、レオが両手を体の前で高速でクロスさせると同時にエネルギーがスパークし、タロウは腕を逆L字に組み、レオは両腕を突き出して必殺の光線を放った!!

 

『ストリウム光線!!』

『シューティングビーム!!』

 

 虹色と赤色の破壊光線が、レッサーボガールを一寸の狙い違わず撃ち抜いた時、二つの火炎の花がこの戦いの終焉を告げた。この星を襲った十体のレッサーボガールは、天を焦がす大爆発を最後に、二人のウルトラ兄弟の前に全滅したのだった。

 アギラやトータス親子をはじめとする怪獣たちも無事だ。タロウとレオは満足そうにうなづいた。

「ところでレオ、どうしてお前がここに?」

「ロンが、私を呼んでくれたのです」

 見ると、レオの足元に小さな怪獣が駆け寄ってきた。それは、かつてレオの故郷、L77星でレオのペットだった怪獣、ロンだった。昔、ロンはレオと同じくマグマ星人によってL77星が滅ぼされたときに故郷を失い、宇宙をさまよっているうちに巨大化し、性格も荒くなって地球で暴れていたことがあった。しかし、レオによって正しい心を取り戻されて元の大きさに戻され、今はこの星で暮らしているのだった。

「そうか、そうだったのか」

 これで、今は任務で光の国を離れているはずのレオが駆けつけてこられた理由がわかった。タロウはレオといっしょにロンの頭をなでてやって礼を言った。おかげで、この星の危機を犠牲を出さずに切り抜けることができたと。

 

 だが、平和が戻ったと思われたそのときだった。

 突如、森の一角から禍々しいオーラが立ち上り、人間の姿が宙に浮かんだかと思うと、それが一瞬で変異して、レッサーボガールとよく似た、しかし比べようもなく邪悪な雰囲気を持つ怪獣が現れたのだ。

「お前は!?」

「ボガール……」

 タロウには、そいつの姿に確かな見覚えがあった。かつて宇宙の星星を荒らしまわり、あらゆる生命を食いつくし、絶滅させていった凶悪な食欲の権化、高次元捕食体ボガール。これでレッサーボガールどもがこの星に大挙して現れた理由もわかった。

 けれど、ボガールは確か数年前、地球でメビウスとヒカリによって倒されたはずなのに。

「ボガール、きさま、生きていたのか」

「キサマラ……ヨクモ、テシタドモヲ……マタ、ショクジノジャマシタナ」

 片言でしゃべるボガールは怒りをあらわにして、タロウとレオに攻撃態勢をとってくる。どう見ても、話の通じる相手ではないと理解した二人も再び身構える。

 しかし、両者が激突する前に、ボガールの後ろの空間が割れて、赤黒い次元の裂け目が生じた!

「ボガール貴様、勝手に何をしている!?」

「グ……キサマカ」

 次元の裂け目から響いてきた禍々しいエコーのかかった声に、タロウとレオも思わず立ち尽くした。それが、異次元でボガールの人間体と話していたクロムウェルの声だと彼らが知るはずもないが、空間を割って移動するやり方には、はっきりと心当たりがあった。

「ヤプール、やはり貴様が黒幕についていたのか!!」

 タロウはかつて地球で二度ヤプールと戦ったことがある。特に、Uキラーザウルスと戦ったときの印象は強烈で、そのときの邪悪なオーラと今次元の裂け目から漂ってくるものの質は同じだった。ただし、ヤプールとは多数のヤプール人の意識集合体なので、今話しているヤプールは、あのときのヤプールとは同一人物とも別人ともいえる。

「ぬぅ……ウルトラマンタロウか。ボガールの馬鹿め、貴様が先走ったおかげでウルトラ兄弟に我らのことが知られてしまったではないか!」

「シルカ……アレシキデ、ワタシノウエハミタサレン」

「ともかく戻れ。エースを倒すまで、貴様の能力を失うわけにはいかんのだ!」

 次元の裂け目は急膨張すると、ボガールを強制的に引き込み始めた。これはかつてギロン人がアリブンタのえさとなる人間を捕らえるために使った異次元蟻地獄の変形だろう。ボガールは抵抗するが、なすすべなく引き込まれていく。

「待て、逃がさんぞ!」

 タロウとレオは、ここで逃がしてはなるまいと光線で追撃をかけた。

『ストリウム光線!』

『エネルギー光球!』

 二人の攻撃は、消え行くボガールまであと一歩と迫ったが、わずかに次元の裂け目が閉まるほうが早く、空しく空を切って飛び去っていった。

「逃がしたか……」

 異次元に逃げ込まれてしまっては、こちらとしては追撃のしようがない。だが、残念そうに拳を握り締めるタロウに、レオは今の会話でわかっただけの情報と、希望を示した。

「タロウ兄さん、奴を逃がしたのは残念でした。けれど、これでヤプールが復活しているということと、ヤプールとボガールがつながっているということがわかりました。そして何より、奴はこう言いました。「エースを倒すまで、貴様の能力を失うわけにはいかない」、と、つまりエース兄さんは今もどこかで無事でいるということです」

「そうか! 思い出してみれば、ヤプールならボガールを復活させられても不思議ではない。それにしても、今回は餓えたボガールが独断で行動したらしいが、我らにとっては貴重な情報を得れたことになるな」

「そうですね。それに今のボガールはメビウスが戦ったときに比べて、かなりパワーダウンしていたように見受けられました。だからヤプールも慌てて回収したんでしょう」

 もしヤプールがボガールを無理矢理にでも回収しなければ、奴は間違いなくタロウとレオに葬り去られていただろう。それでも、存在を知られるのを覚悟で出てきたのは、ボガールにそれだけのことをする価値があるからだ。

「これは、大きな転機になるかもしれん。とにかく、ゾフィー兄さんに急いで報告しなければならんが、レオ、私はこの星の怪獣たちのために、もう少しここに残りたい。すまないが、宇宙警備隊本部へ直接報告へ行ってくれないか?」

「わかりました。では、こちらはお任せします……ロン、よく私を呼んでくれた。元気でいろよ」

 レオは、かつての家族の頭をひとなですると、後は振り返らずに飛び去っていった。

 そして、残ったタロウはアギラやトータス親子など、傷ついた怪獣へ向けて両手を掲げて治療光線を放っていった。

『リライブ光線』

 きらめく光のシャワーが怪獣たちの傷を癒していく。ウルトラの母の血を引くタロウは治癒の力でも兄弟の中で群を抜いているのだ。けれど、タロウはこのままヤプールの跳梁を許せば、この何倍もの犠牲が出ることになると、背筋を寒くした。今回のヤプールとボガールの言動を見ると、奴らはもうしばらく力を蓄えるまで潜んでいるつもりだったのだろうが、尻尾を掴んだ以上必ず引きずり出してやる。

 その後タロウは、また先走ったボガールが攻撃を仕掛けてこないかパトロールの強化を要請するために、自身も光の国に帰還していった。だが、そのころにはすでにレオからゾフィー、そしてウルトラの父に事態が報告され、ゾフィーから地球のメビウスとヒカリへ向けてウルトラサインが放たれていたのだ。

 

 こうして、はるかM78星雲で起きた事件の全容をGUYSの皆に説明し終わったミライは、深刻に考え込んでいる皆を見渡した。やはり、かつて必死の思いで倒したボガールが復活し、さらにヤプールと手を組んでいるとなると平然とはしていられない。特に、ミライは目を閉じて瞑想しているように考え込んでいるセリザワ、ヒカリに声をかけた。

「ヒカリ……」

「わかっているメビウス、私は、大丈夫だ」

 その声には、こもった感情を理性で押さえつけているものがあった。ヒカリとボガールには、浅からぬ因縁がある。かつてボガールは、科学者であったヒカリが愛した奇跡の星アーブを滅ぼし、死の星に変えてしまった。そのときヒカリはアーブを守れなかった悲嘆から、アーブの怨念に取り付かれて復讐の戦士、ハンターナイト・ツルギと化して宇宙のあちこちで暴力をふるった。地球に来てから、メビウスやGUYSとの触れ合いでウルトラマンとしての心を取り戻し、ボガールとの復讐劇にも決着をつけたけれども、やはり心穏やかならぬものがあるのは仕方がない。

「ここ最近の怪獣の頻繁な出現は、ボガールのせいだったんでしょうか?」

 話を進めようと、ミライは皆にその話を振ってみた。ボガールは、自身の食料となる怪獣を地の底の眠りから蘇らせたり、宇宙から呼び寄せたりする能力を持っている。かつてのディノゾールをはじめ、本来現れずにすんだはずの怪獣が大挙ボガールのせいで現れて、結成当時のリュウたちは苦労したものだ。

「いえ、可能性は高いですが断定はできないですね。ボガールの仕業なら、食料にするために奴も現れるはずですが、今回のとおりヤプールはボガールを隠したがっています。となると、地球の混乱を狙ったヤプールの仕業ではないでしょうか」

 テッペイの仮説には証拠はなかったが、十分な説得力を持っていた。だがそれにしても、片方だけでもやっかいな相手が形だけとはいえ手を組んでいるとは先行きが思いやられる。ボガールの能力と、ヤプールの智謀が化合したらどんな恐ろしい手で攻めてくるか。考えただけで気が重くなる。

 その陰鬱な空気を変えたのはサコミズ総監だった。

「みんな、ヤプール、そしてボガールまで復活を遂げているのは確かに容易ならざる事態だ。しかも、ヤプールは行動を秘匿しようとしていたことからも、これまでにない規模での侵略、我々への復讐をもくろんでいるんだろう。しかし、同時にこれまで不明だったウルトラマンAの安否の一端も掴めた。ヤプールにすれば、慌てたはずみで口をすべらせたのだろうが、我々にとっては大きな前進だ。この宇宙のどこかで、ウルトラマンAは今でもヤプールの計画を阻んでくれている。我々も、早く彼を見つけ出そうじゃないか」

「……G・I・G!!」

 いっせいにCREW GUYSの隊員たちはサコミズ総監に向かって返礼した。隊長を降りても、この人がGUYSの大黒柱なのには変わりない。あっというまに隊員たちに満ちていたマイナスの気をプラスに変えてしまった。

 考えてみれば、これまでは漠然としていた、対ヤプール、ウルトラマンA救出作戦ががぜん現実味を帯びてきたのだ。リュウたちはさっそく訓練だと元気よく駆け出していって、テッペイは新人といっしょに情報分析、コノミはサポートと適材適所についていき、フジサワ博士も「さすがサコちゃん、やるじゃない!」と褒めていった後、対ヤプール用新型メテオールの開発に取り掛かっていった。

 こうして、GUYSは小さいながらも確実な一歩を踏み出した。

「エース兄さん、待っててください。すぐに助けに行きますからね」

「ボガール……次に会ったときには、今度こそ二度と蘇れないよう、完全に倒してやる」

 ミライは空を見上げ、見果てぬ先で戦っているであろう兄に誓い。セリザワは復讐心を押さえ、今度は宇宙警備隊員としてボガールの殲滅を誓った。

 

 

 だが、堤防のこちら側で大荒れだからといって、向こう側も同じだとは限らない。時空の壁を越えた場所では、まだ台風もその雲を陰らせてはおらず、平穏な陽光のもとで暖かな夏の日差しが少年少女たちを照らしていた。

「ふぃーっ……気持ちいい」

 ルイズは足を小川のせせらぎの中につけて、夏の猛暑の中で味わえる最高の快楽を満喫していた。

 すでに港町スカボローを出て一日。馬車でののんびりした旅とはいえ、ほろの中でも夏の暑さはこたえる。そんなときに見つけたのが、街道に平行して流れる幅五メイル程度の小川であった。見回せば、向こうではアイちゃんとキュルケが水遊びをしていて、ロングビルは監督役、タバサは水に足をつけながら本を読んでいて、シエスタは夕食に使うんだと魚を獲る罠をこしらえている。そんでもって才人はといえば。

「しゃあ、三回成功! 次は四回だっと。うーん、なかなかよさそうな石がないなあ」

 と、石投げの水切り遊びに熱中している姿はどちらが子供かわかりはしない。怒鳴りつけてやろうかとルイズは思ったが、足元から伝わってくる涼しさのおかげでどうでもよくなった。

「こんなことなら、水着でも持ってくればよかったわね」

 と、ルイズがつぶやいたのを才人は残念ながら聞き逃した。とはいえ、仮に準備があったとしてもこの世界の女性用水着はゆったりとした無地のワンピースのような色気のかけらもないものなので、期待したあげくに、間違いなく激しくがっかりしたことだろう。

 しかし、この暑さだと着衣のままでも水に飛び込みたくなる。どうせすぐ乾くだろうし、水遊びが楽しそうなキュルケたちを見ると、飛び込んじゃおうかなと思ったとき、彼女の足に川の流れに流されてきた何かが軽く当たって、それを水中から拾い上げた。

「……貝がら?」

 それは、ピンク色の光沢を持つ手のひらほどの貝がらだった。見ると、向こうでは才人も同じ貝がらを拾って水切り石の代わりにして遊んでいる。どうやら水切りにはちょうどいいらしく、記録が伸びたと喜んでいた。

「おーいルイズ、これけっこう面白いぞ。桜貝に似てるけど、なんて貝かな」

 そう言われても、いちいち貝の名前なんて知るはずがない。というか、けっこうきれいな貝なのだから「この貝がら、君の髪の色といっしょで首飾りにしたら似合うよ」くらいは言えないのだろうか? まぁ、かといってギーシュのように饒舌に口説き文句を言う才人など気持ち悪いだけなのだが。

 よく見ると、川原のあちこちには同じ貝がらが散乱している。ルイズたちと同じように休憩している旅人の中には拾って持ち帰ろうとしている者もいるようだが、宝貝などは見慣れているルイズは特に執着は持たずに投げ捨てた。キュルケたちも同じなようで、シエスタなどは魚のほうに興味があるようだ。

 ちなみに、試みにロングビルやタバサに貝の名前を聞いてみたが、知らないと言われた。まあどうでもいいことなのだが。

「この調子だと、明日には着くわね……ふわぁぁ」

 疲れが水の中に溶けていくような感触は、やがて眠気へと変化していった。

「キュルケおねえちゃん、この貝がらアイのたからものにするー」

「いいわね。大事にしなさい、じゃそろそろ上がろうか」

 川から上がってアイの足をタオルで拭いているキュルケの姿には、ルイズも自然と笑みが漏れてくる。にっくき宿敵でも、面倒見がよく子供受けするタイプだということくらいはわかる。いろいろと対象的な相手だが、こういうところはうらやましいと思った。

 この風景だけ見ると、とてもこの国で未曾有の内戦が続いているとは思えない。街道を行き交う人々もあからさまに武器をたずさえている人はほとんどなく、商人から自分たちのような旅人、作物を運ぶ農夫と様々な身なりの人々が額に汗して歩いている。中にはこの暑さにも関わらずに全身黒一色で固めて平然と歩いている人も見かけたが、すぐに雑踏の中に紛れていってしまったためにそこで忘れた。

 実際ルイズが見るところ、トリステインとあまり差がないように思われ、アルビオンは平和な大陸だったという噂は、これを見る限りは本当だった。

 白の大陸は暖かな自然に囲まれて、今のところは平和が続いていた。今のところは……

 

 

 続く



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第59話  平和と出会いと流れ星

 第59話

 平和と出会いと流れ星

 

 宇宙怪獣 ザランガ 登場!

 

 

 ルイズたちの旅も、そろそろ前半が終わろうとしていた。

 内戦状態のアルビオン大陸も、戦場以外では治安はなかなか良く、盗賊だのなんのには会わずに、目的地であるウェストウッド村まであと一時間ほどの距離まで来ていた。

「内乱中だっていうから用心してたのに、結局平和なもんだったな」

「そーだな、俺っちも出番あるかもと思ってわくわくしてたのに、期待はずれだったわ、つまんね」

 才人とデルフが仲良く髀肉の嘆を囲っている。馬車の旅というのも慣れれば退屈なもので、ラジオやカーステレオがあるわけでもなく、豊かな自然も逆に変化がなくて飽きが早い。カードゲームをしたり本を読もうかと思ったりもしたが、馬車はけっこう揺れてカードが飛び散るし、この際こっちの文字にも慣れようかとタバサに借りた本を開いたが、すぐに酔ってしまってやめた。

 ルイズやキュルケなどは例によって先祖の誰彼がどうだとか、よく飽きもせずに言い争いを続けている。寝疲れてもしまった以上、退屈は最高の敵だった。仕方がないので御者をしているロングビルといっしょに行き先を眺めた。街道は、旅人や商人が行きかい、こちらも平和そのものだった。

「この調子だと、予定より早く着きそうですね」

「そうですね……うーん」

「? どうかしたんですか」

 予定が早くなりそうなのに、なぜか納得のいかない顔をしているロングビルに、才人は不思議そうに尋ねると、彼女は首をかしげながら答えた。

「いやね。いくらなんでも平和すぎるなって、普段なら一、二度は盗賊に、特にこんな女子供ばっかりの一行なんてすぐにでも襲われると警戒してたんだけどね」

「そりゃ物騒な。けど、王党派ってのが治安維持に力を入れてるって聞きましたが」

「かといっても、内戦中にそんなに兵力を裂けるはずがないんだけど」

「なるほど、でも襲われるよりは襲われないほうがましでしょ」

 才人としても、悪人とはいえあまり人は斬りたくない。だからといって宇宙人や怪獣は殺してもいいのかといわれると困るが、更正の余地があるなら生きてもらいたい。もっとも、「こらしめてやりなさい」のパターンでギッタギタにしてやりたいとは、是非願うところだが。

 

 そうしてまた十分ほど馬車を進めていくと、街道の先に槍や剣を持った一団がたむろしているのを見つけた。最初は盗賊かと思ったが、身なりを見ると役人のようだ。彼らは十名ほどで、道端に転がっている汚い身なりの男たちを縛り上げている。どうやら盗賊の一団が捕まっているようで、街道を一時的に封鎖されることになった一行は、馬車から降りて役人の一人に話しかけて事の次第を聞くことにした。

「実は、ここのところあちらこちらで盗賊集団が次々と壊滅させられていて、我々が通報を受けたときにはすでに全員気絶させられて見つかるんです。おかげで、ここ最近は盗賊の被害が以前の十分の一くらいに減りましたよ」

 こちらが貴族の一行だとわかったようで、役人の対応はていねいなものだった。

「盗賊が次々と? どういうことですの」

「それが、盗賊たちの供述では一人旅をしている女を襲ったら、これがめっぽう強くて気がついたら気絶させられて捕まった後だったとか」

「たった一人で!? そんな凄腕のメイジがいるんですか」

「いいえ、それが魔法は一切使わずに、盗賊のメイジも体術だけで片付けてしまったとか。もうアルビオンの全土で数百人の盗賊や傭兵くずれが半殺しで捕縛されています。平民たちの間では、『黒服の盗賊狩り』と呼ばれてもっぱらの噂になってるくらいですよ」

「『黒服の盗賊狩り』……体術だけでメイジを含む盗賊団を壊滅させるなんて、サイトみたいな人がほかにもいるものねえ」

 ルイズは世の中は広いものだと、しみじみ思った。自分の母である『烈風』カリンもしかり、世の中にはいくらでもすごい人がいるものだ。

 なお、この噂の人物の正体は旅を続けているジュリなのであるが、別に好き好んで盗賊狩りをしているわけではない。若い女性があんまり無防備に一人旅をしているものだから、身の程を知らない盗賊たちが喜んで集まってきて、その挙句返り討ちにあっているというわけである。この盗賊団にしても、昨日似たような行為をしたあげくに叩きのめされて丸一日野外に放置され、気がついたときには縛り上げられていたのだった。もちろん、この時点ではルイズたちがそれを知るよしはない。

 顔をボコボコにされて肋骨を二、三本はへし折られたいかつい男たちは、いったい自分たちに何が起こったのかわからないまま、役人に連行されていった。傷の手当てもろくにされずに、この酷暑の中を歩かされていくのは死ぬような思いだろうが、所詮は盗賊働きをしようとしての自業自得なので同情には値しない。

「失礼しました。どうぞお通りください」

 役人たちの事後処理が終わって、馬車は再び走り出した。役人は去り際に、この近辺の盗賊団はこいつらでほぼ一掃されました。ごゆるりと、旅をお続けくださいと、まるで自分の手柄のように言っていたのが少々聞こえてきたけれど、それもまた

彼の顔といっしょに忘却の沼地への直行となった。

 

 

 一行を乗せた馬車は、それから街道の本筋を離れた森の中の脇道に入っていった。こちらに入ると、本道のにぎやかさも嘘の様で、自分たち以外にはほとんど人とすれ違うこともなかった。木々の張った枝は広く、昼間だというのに小さな道は木漏れ日がわずかに射すだけで薄暗い。しかしその分涼しくはあり、これでやぶ蚊さえいなければ天国といえた。

 馬車は、そんな木々のトンネルの中をわだちの跡をたどりながら進んでいく。

「つきましたわよ」

 ロングビルに言われて馬車から身を乗り出したとき、一行はそこに村があるのかすらすぐにはわからなかった。よくよく見てみれば、森の中に数件の小屋と、畑らしきものが見え隠れしている。

 その後、ロングビルの言う村の中央に馬車を停め、一行はようやく到着したウェストウッド村を見渡した。本当に、村というよりは山小屋の集まりといったほうがいい。家々は、この森の中ではたいした存在感を持たず、畑も自給自足というレベルに達しているのかどうかすら疑わしい。

「ここが、ウェストウッド村……ね」

 自分自身に確認する意味も込めて、ルイズは村の名前を復唱した。はっきり言えば、タルブ村より少し小さい程度を想像していたのだが、その予測は完全に裏切られた。これでは村という呼び方すら過大に見えてしまう。

 産業などある気配はまったくなく、ロングビルの仕送りがなければあっという間に森に飲み込まれてしまうのは疑いようもない。ただ、村の裏手の森が台風に合ったみたいに広範囲に渡ってなぎ倒され、中途半端な平地になっているのには驚いた。隕石でも落ちたのか? 前はこんなことはなかったのにとロングビルも合わせて不思議に思ったけれども、とにかくも村であるなら住人がいるはずである。

「テファー! 今帰ったわよーっ!」

 そうロングビルが、目の前の一軒の丸木の家に向かって叫ぶと、数秒待ってから樫の木作りのドアが内側から開き、中から緑色の簡素な服と、幅広の帽子をかぶった少女が飛び出してきた。

「マチルダ姉さん!」

「ただいま、テファ」

 ティファニアと、マチルダと呼ばれたロングビルはおよそ一年近くになる再会を手を取り合って喜び合った。

 けれど、ティファニアと初対面となるルイズ、才人たち一同は感動の再会を見て素直にお涙頂戴とはいかなかった。ティファニアが、ロングビルから聞いていた以上の、妖精という表現をそのまま使える、美の女神の寵愛を一身に受けたような美少女だったから……というのもあるが、最大の、そう最大の問題は彼女の胸部の二つの膨らみにあったのだ。

「バ、バストレヴォリューション!?」

 と、平静であれば本人でさえ自己嫌悪したと思える頭の悪い台詞を、才人が呆然としてつぶやいたとき、残った女性一同の中で、その台詞に怒りを覚える者はいても、否定できる者は誰一人としていなかったのだ。

「な……なに、アレ?」

「た、多分……胸」

 と、ルイズとシエスタ。

「ね、ねえタバサ、わたし夢を見てるの?」

「現実……」

 青ざめて絶句しているキュルケをタバサがなだめている。唯一、年長者たちが何に驚いているのかわからずにアイだけがきょとんとしていた。まぁ、阿呆な思春期真っ盛りな一同の気持ちを代弁するとすれば、ティファニアの胸が彼らの常識を逸して大きかった。それで男の子の才人は思わず見とれてしまい、女子一同の場合は、胸に自信のないルイズは逆立ちしても勝てない相手に絶望感を味わわされ、バストサイズに優越感を抱いていたキュルケとシエスタは、完全に自信を打ち砕かれて天から地へ打ち落とされた。タバサは一見平静を保っているように見えたが、内心では勝ち目ゼロパーセントの相手に、冷静な判断力を持って絶望を認めていた。ただし、一時の激情も過ぎれば、それを埋めるための代償行為を要求する。

「このエロ犬! あんた何に見とれてんのよ!」

 と、才人に蹴りを入れたルイズなどはその際たるものだろう。ほかの者たちも、小さくても形がよければとかなんとかぶつぶつと言っているが、現実逃避以外の何者でもない。

 けれど、いくら現実を拒否しても時間の流れを停止も逆流させることもできない。ロングビルと再会を喜んでいたティファニアが、いっしょに付いてきた奇妙な一団に気づいて尋ねてくると、言葉尻を震わせながら自己紹介をせざるを得なくなった。

「ト、トリステイン魔法学院二年生の、る、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あ、あなたのお姉さんには、い、いつもお世話になってるわっ!」

 他の者たちもだいたいはこんな調子である。ティファニア本人は、何故この客人たちが動揺しているのかさっぱりわからなかったが、自分も陽光のように明るく無邪気な笑みを浮かべて、自分の名を名乗った。

 そうして、一同はそれぞれ大まかなことを語り合った。ロングビルの名前が偽名であることはフーケ事件の時から一同は察しをつけていたが、本名はマチルダといい、ずっとティファニアのために仕送りをしていたことを聞かされた。また、ティファニアも今はマチルダが魔法学院で秘書をしており、その縁で仲良くなった生徒たちだと聞かされて、あらためてうれしそうに頭を下げてきた。むろん、土くれのフーケについては一言も触れられてはいない。

 それから、マチルダはアイを前に出して、この子を預かってほしいと頼んだ。すると、ティファニアは自分の腰ほどの身長しかない少女の視線にまで腰を下ろして。

「はじめまして、アイちゃん。小さなところでがっかりしちゃったかな」

 ティファニアは、「今日からここがあなたの家よ」などと押し付けがましいことは言わなかった。元々、子供の育成に理想的な環境などではないことくらい彼女も承知している。来るものは拒まないが、いくら幼かろうと相手の意思を無視してはいけない。しかし、ティファニアの懸念は無用のものとなった。

「いいえ、これからよろしくお願いします。テファお姉さん」

 はつらつとアイは答えた。よき親を持った子供はよく育つ、ロングビルが育ての親となって暮らしたこの数ヶ月、純粋な子供は水と日差しを貪欲に得て伸びる朝顔のように成長していた。単に自由に育てたり、勉強を押し付けたりするだけが教育ではなく、人はそれを躾といい、ティファニアに快い初印象を与えていた。

「こちらこそよろしくね。よーし、じゃあみんな出ておいで!」

 ティファニアがドアを開けっ放しだった家に向かって手を振ると、中からいっせいに歓声をあげて子供たちが飛び出てきて、一行に群がっていった。

「わっ、こ、こんなにいたのか!?」

 才人たちは、この村の住人にとってちょっと久しぶりの歓迎すべき客人になる者たちを、喜んで出迎えてくる十数人の子供たちに囲まれて、またもうろたえていた。どの子たちも、身なりこそみすぼらしいが、瞳は明るく強く輝いている。むしろ大人に近いはずの才人たちのほうが力負けしてしまいそうな勢いだった。

「こらこらあなたたち、お客さんを困らせるんじゃないの。それじゃあ皆さん、狭いところですけど、自分の家だと思ってくつろいでください」

 はしゃぐ子供たちを落ち着かせて、ティファニアは困惑する一同を家の中に誘った。まだまだ話したいことは山ほどあるが、とりあえず立ち話もなんであった。時間はまだたっぷりとある。こうして、夏休み旅行の本番は、小さいながらもいろいろハプニングの種がありそうな村で、革命的な胸の持ち主の美少女との出会いによって始まったのだった。

 

 

 それから、場所を室内に移して、子供たちにまかれながらいろいろと話し合った結果、一行はこの数ヶ月分の驚きをいっぺんに使い果たすくらいの驚愕を味わうことになった。

「エ、エルフぅぅっ!?」

 と、ルイズとキュルケとシエスタの絶叫が響いたのが、その際たるものだっただろう。ティファニアの正体がエルフであることは、ロングビルが隠す必要がないと言ったおかげで早々に明かされることになったのだが、ルイズ、キュルケ、シエスタらは当然に仰天した。そんな驚く三人に、ティファニアは怯えた様子を見せていたが、一時の興奮が収まると。

「なにをビビッてるんだお前ら、アホか?」

 白けた口調でつぶやいた才人の声もあり、ルイズたちも落ち着きを取り戻していった。けれども、エルフがハルケギニアの人間にとって恐怖の対象だということは変わりない。以前ジュリと話したときもティファニアは怯えていたが、ジュリはエルフなど、文字通り星の数ほどいる宇宙生物の一つとしか思っていなかったために、すぐに打ち解けられていた。また、才人は地球人であるために、エルフとはゲームの中で出てくる人間以外の種族という印象しかない。けれど今回はあからさまな恐怖を向けられて、彼女は自分が大勢の人から見たら忌まわしいものなのではと、泣きそうになっていた。

 ところが、才人らが間に入るよりも早く、子供たちが怒りの声で糾弾をはじめたではないか。

「テファおねえちゃんをいじめるな!」

 その数々の声が、ルイズたちを攻め立て、ティファニアは慌てて子供たちを止めようとしたが、それより早くルイズが謝罪した。

「ご、ごめんなさい。あんまり突然だったものだから驚いてしまって、失礼したわ」

 キュルケとシエスタもルイズに次いで謝罪した。冷静になると、どう見ても弱い者いじめをしているようにしか見えないし、才人の侮蔑するような視線が痛かった。むしろティファニアに「やっぱり、エルフは怖いですよね」と、涙ながらに言われると、罪悪感ばかりが湧いてくる。

「いえ、悪かったのはわたしたちよ。エルフなんて見たことないから、怪物みたいなものかと先入観を持ってたけど、案外人間とさして変わらないのね。けれど、なんでエルフがアルビオンに?」

 ティファニアは、訥々と自分の素性についてルイズたちに語った。自分の母はエルフで、東の地から来て、父は昔はこのサウスゴータ地方一帯を治める大公だったが、ある日エルフをかこっていたことが王政府にばれて、追われる身となり、両親をその混乱で失った。そして親戚筋で、彼女を幼い頃から可愛がっていたマチルダにかくまわれてこの森で過ごしていることなどを、途中何度かロングビルの助けを借りながら話しきった。

「ハーフエルフ……可能性だけは聞いていたけど、本当に可能だったのね」

「母が、なぜアルビオンに来て、父と結ばれたのかは何も語ってはくれませんでした。それでも、母はわたしが生まれてからずっと、国政に関わることもなく、隠遁生活を続けていました」

 何故ティファニアの母がアルビオンにやってきたについては、結局娘であるティファニア本人にもわからないということだった。話し終わると、ぐっとティファニアは喉をつまらせた。ルイズたちは、悪いことを思い出させてしまったと後悔したが、彼女に悪いものは感じられずに、ちょっと無理をして微笑んだ。

「顔を上げて、ミス・ティファニア、あなたが悪に属するものではないということはよくわかりました。夏の間の短い期間ですけど、しばらくよろしくお願いするわ。そうでしょ、キュルケ」

「ちょっとルイズ、わたしが言おうとしてたこと持っていかないでよね。ま、いいわ。休暇の間、仲良くやりましょう。友達としてね……ある意味ライバルだけど」

「わ、わたしも負けませんよって、なに言ってるんだろうわたし!? と、とにかく人間……いえ、エルフも人間も中身で勝負です! よろしくお願いします、ティファニアさん」

 ルイズ、キュルケ、シエスタがそれぞれ、自らの内にあった偏見との別れを告げるべく、強く、そして親愛を込めて笑いかけると、落ち込んでいたティファニアの顔に紅がさした。

「わ、わたしこそよろしくお願いします。それではわたしのことも、テファと呼んでください。マチルダ姉さんのお友達なら、わたしにとってもお友達です!」

 一同の間に、春の陽気のような暖かな空気が流れた。先程まで恐怖と警戒心を向けていたルイズたちとティファニアは、仲良く手を取り合って旧知のように笑いあっている。それを静かに眺め見ていたロングビルは、にこりと微笑んだ。

「よかったわね、テファ」

「姉さん、ありがとう。今までで最高の贈り物よ」

 いきなりこんなに大勢の友達を得れて、ティファニアは今さっきとは別の意味を持つ涙を流していた。元々、ルイズもシエスタもキュルケも、陰より陽に属する性格の持ち主なのである。それは怒りも憎しみも存在するが、いわれもなく他者を貶めることに快楽を求めたことはない。しかし、そんな様子を同じように見ていて、後一歩で飛び出そうかと思っていた才人はロングビルに軽く耳打ちした。

「ちょっと、無用心じゃないですか? もし、誰かが激発して彼女に危害を加えたり、秘密を漏らしたりするようなことがあっちゃ、大変じゃないですか?」

「大丈夫よ、オスマンのセクハラじじいのところに入って後悔したときから、人を見る目は磨いてきたつもりなの。じゃあ逆に聞くけどこの面子の中に一人でも恐怖や偏見に従って裏切るような人がいるの?」

 そう言われると、ルイズやキュルケが裏切りなどという貴族の誇りを真っ向から否定する行為に手を染める姿は想像できないし、シエスタも人一倍友愛や人情には厚いタイプだ。一度決めた友情を、自分から裏切るようなことは絶対にするまい。ただ、三人の誰もがまったく全然、どうしようもなく敵わない二つの巨峰の持ち主に対して冷たくすれば、返って敗北を認めることになるという、負け惜しみの悪あがきに近い屈折した感情があったのも事実であるが、それでも彼女たちは宇宙人とでも親交を持った稀有な経験の持ち主である。エルフであるということを回避すれば、仲良くしない理由のかけらも存在しなかった。

「それでも、秘密を知る者は少ないに越したことはないでしょ」

 なぜ、そんなリスクを犯してまでと聞く才人に、ロングビルは古びた木製のワイングラスから一口すすると、自嘲げに才人に話した。

「実を言うとね。そろそろ私一人でこの子たちを守っていくのが限界になってきてたんだよ。子供はいずれ大人になるものだしね。いつまでもこの森に隠しておけるはずもないし、今のうちに信頼できる味方を与えてやりたいと思ったのさ。本来こんなことを頼めた義理じゃないかもしれないが、あの子の力になってやってくれないか?」

「そういうことすか……でも、さっきのあなたの台詞を借りれば、おれたちが万一にも断ると思ってたんですか?」

 才人は、投げられた変化球を同じ形でロングビルのミットにめがけて投げ返した。エルフの血を引く少女とたくさんの子供たち、自分の力だけではどうにもならず、多分ルイズやキュルケたちの地位や財力を頼ることにもなるかと思うけれども、できるだけのことはしてやろうと彼は思った。

「まっ、ティファニアくらい可愛い子だったら、守って腐るほどおつりがくるわな」

「サイトくん、嫁にはあげないわよ」

「そういうとこだけは親バカですね。ま、無関心よりゃずっといいか」

 親バカなロングビルというのもなかなか親しみが持てると、才人は苦笑しながらも、タバサを巻き込んで輪に入っていった。

 それから、一行は薄暗くなってきた外に合わせるように、夕食の準備を始め、最終的にティファニアの家で二十人以上が一つの卓を囲んでの大宴会をおこなわれた。そして、終わる頃にはもうなんらの屈託もなくティファニアや子供たちと交流できていたことは、あえて語るまでもない。

 

 やがて夜も更けて、子供たちはそれぞれの家に帰って早めの就寝についた。アイは、早めにこの村に慣れるためということで、エマという子といっしょの家で寝ることになった。

 さて、子供たちが大人しくなると、今度は夜更かし大好きな少女たちの時間である。ルイズたちはティファニアと女同士の話し合い、というか、どうすればどこが大きくなるかという重要会議を始めて、男性である才人は外に追い出されてしまった。まったくいい迷惑であるものの、才人が抗議しても勝てる見込みはないので、同じように外で涼をとりながら酔いを醒ましていたロングビルと、ぽつりぽつりと語り合っていた。

「やれやれ、雁首揃えて何を話し合ってんだか」

 今、ランプの明かりをこうこうと照らした室内では、”ティファニア嬢との親交と友愛を深めるための会談”が、おこなわれているはずであったが、実際に中から聞こえてくるのは、何を食べているのかとか、普段どういう運動をしているのかとか、根掘り葉掘りティファニアに尋問する言葉ばかり聞こえてきて、持たざる者の哀愁を感じざるを得ない。特にルイズは、今後成長期が奇跡的にめぐってきたとしてもティファニアを超えることは物理的に不可能なので、なおさら哀れを感じてしまう。あれはあれでいいものなのだが……

「サイトくんには、胸の小さな子の悩みはわからないのかしら?」

「正直あんまりわかりません。けど、やたら大きけりゃいいってもんじゃないと思うがなあ。誰も彼も大きければ個性がねえし……それよりも、ロングビル……えーっと、マチルダさん」

「どっちでもいいわよ。どのみち帰ったらロングビルで通すんだし。それで、私に何か用?」

 ロングビルも、久々の里帰りで機嫌がよいようだ。

「じゃあロングビルさん。あの連中、ほっといていいんですか? どーもテファの教育上よくない気がするんすが」

「なあに、いずれ外で暮らすようになれば嫌でもそういうことは関わっていくことになるから、予行演習にはちょうどいいわ。あの子はちょっと純粋すぎるところがあるからね」

 要は、無菌室で育てはしないということか。それに比べて、世の大人には子供にはいつまでも天使のように純粋でいてほしいと、子供の一挙一頭足まで厳しく制限する親がいるが、それは子供への愛ではなく、自らの妄想が作り出した理想の子供像への執着に過ぎない。そして、親の幻想を押し付けられる子供にはかえって有害でしかない。悪魔どもが天使を陥れようと跋扈するのが世の中なのだから。

「純粋すぎますか。けど、テファがあいつらに感化されたらそれはそれで問題な気がしますが」

「……」

 誇り高く尊大で暴力的なテファ、お色気ムンムンで男あさりをするテファ、妄想爆発でイケナイ子なテファ、果ては無口で本ばかり読んでいるテファ、思わず想像してみた二人はぞっとするものを感じた。

「ま、まあそのことは、あとでテファに注意しておきましょう……」

 朱に染まれば赤くなるというが、あの連中の個性は朱というよりカレーのしみのようなものだ。一度ついてしまえば洗っても落ちない。ロングビルは、この際積もる話もあるということで、寝る前に悪い影響を受けてはいないかと確認することにした。

 だが、先程の話ではあえて出さなかったけれど、アルビオンにいるエルフということで、才人は一つ心当たりをつけていた。ただ、それを直接ティファニアに聞くことははばかられたので、ロングビルにそれとなく話を振ってみようと思っていたのだが、せっかくの再会で機嫌がいいときにそんなときに話を振ってよいものかと、才人は今更ながら少々迷っていた。

「ところで、ロングビルさん」

「なに?」

「実は……えーっと」

 やはり、いざとなると簡単には踏ん切りがつかなかった。それに、エルフであるからと迫害されてきたティファニアの素性のことを思うと、聞きたくないという気持ちも同じくらいある。しかし、彼の心境を読んで先手を取ったのはロングビルのほうだった。

「まあ、言わなくてもだいたいの予測はつくけどね。あの子の母親のことでしょ?」

「えっ!? あ、はい」

 こういうところは、さすが元盗賊だなと才人はロングビルの読心術に感心した。とはいえ、そうなれば話は早い。才人は、覚悟を決めると一気に疑問を口にした。

「タルブ村で聞いた、アルビオンに旅立ったエルフの少女、もしかしてテファのお母さんは……」

「察しがいいわね。私も、タルブでその話を聞いたときは驚いたけど、間違いないわ。あの子の母は、三十年前にタルブを訪れたエルフの少女、ティリーよ」

 やっぱり、と、才人は予測が当たったことに心中で喝采したが。

「なんで、あのときにすぐおっしゃってくれなかったんですか?」

「時期を見て、順にと思っただけよ。あのとき全部話したら、あなたたちパニックになったでしょう」

「まあ、そりゃそうですね」

 才人はロングビルの気遣いに感謝した。けれど、才人の目的はティリーではなく、彼女といっしょにアルビオンに旅立ったもう一人のほうだ。

「ですが、こうなったらもう単刀直入に聞きます。ティリーさんといっしょに、ここにはもう一人、異世界からの来訪者、アスカ・シンさんがいたはずです。彼がこちらに来てからどうしたのか、知っていたら教えてください」

 誠心誠意を込めて、才人はぐっと頭を下げた。しかし、ロングビルから帰ってきた答えは、彼の期待には副えないものだった。

「ごめんなさい、残念だけど何もわからないの」

「そんな……」

「知っていたら教えてあげたいわ。けれど、何分私はティリーさんと会ったことは何度もあるけど、私があの人と会ったころに、アスカさんはすでにいませんでしたし、私の実家が没落する際に彼女に関するものは全て消失してしまって、今となっては……」

「そうですか……わかりました」

 残念だが、三十年も昔であれば仕方がない。だが、才人は同時に運命というもののめぐり合わせの奇妙さについて、思いをはせずにはいられなかった。

「それにしても、まさかと思ったけど……こんな簡単に出会えるとはなあ」

 元々、アルビオンについた後は可能な限りアスカの、ダイナの足跡を探そうと決意はしていた。それなのに、あんまりのあっけなさには怒る気も湧いてこない。

 しかし才人は絶望はしていなかった。以前、完全に消息不明とオスマン学院長に言われたアスカの足跡が、今回はこんな簡単に見つかっている。今は途切れてしまっても、運命というものがあるのだとすれば、その歩調は時代の流れと比例して停滞から速歩、疾走へと進んでいるのかもしれない。ならば、次のステップに進めるのも、そう遠い話ではないかもしれないと、才人は自分に言い聞かせた。

「さあ、そろそろ子供は寝る時間よ」

「へーい」

 気づいてみたら夜も更けて、月は天頂に今日は赤い光を輝かせている。室内では、飽きもせずに女子五人がわいわいとやっていたが、ロングビルに一喝されてベッドの準備を始めた。この村にいる間は貴族といえども自分のことは自分でやるというのが、最初にルールで決められている。でなければ、子供たちの見本にはならない。

「おやすみなさーい!」

 一斉にした合図とともに、一行は昼間の疲れも重なって急速に眠りの世界へと落ちていった。後には、鈴虫の鳴き声と、風の音だけが夏の夜の平穏さを彩り、朝までの安らかな天国を約束していた。

 

 

 

 ただ……約一名、いや一匹、理不尽な不幸に身を焦がす者が存在していた。

「きゅーい! おなかすいたのねーっ!!」

 村の上空をグルグルと旋回しながら、シルフィードは朝からずっと悲鳴を上げ続けている胃袋の叫びに呼応して、自分にまったく声をかけようとしない主人に抗議していた。

「まさかお姉さま、シルフィのこと忘れてる? そんなの嫌なのねーっ!」

 ここにも、バストレヴォリューションの犠牲者が一人……タバサがティファニアにショックを受けて、シルフィードにエサをやるのをすっかり忘れていたのだ。けれども、空の上で月を囲んで回りながら叫んでも、タバサはとっくにすやすやと安眠モードに入っていて、朝まではてこでも動かないだろう。

 そんなとき、悲しげに空を見上げたシルフィードの目に、月のそばを横切るように飛んでいく小さな光が見えてきた。

「きゅい? 流れ星?」

 光り輝く小さな点は、夜空を横切って次第に遠ざかっていく。シルフィードは、しばしぼおっとその流れ星を眺めていたが、ふと前にタバサから流れ星が消える前に願い事を言うとかなうという言い伝えを聞かされたのを思い出して、前足を合わせて祈るようにつぶやいた。

「おなかいっぱいお肉が食べられますように、おなかいっぱいお魚が食べられますように、おなかいっぱいごちそうが食べられますように」

 なんともはや、自分の欲求にストレートなことである。けれども、シルフィードがたとえば「世界が平和になりますように」とか願っても、みんな気持ち悪がるだけだろう。シルフィードの幼さもまた、シルフィードの個性であり魅力でもある。ルイズにしたって「胸が大きくなりますように」と願ったに違いないのだから。

「きゅーい、お星様、シルフィのお願い聞いてなのね……ね?」

 そのとき、シルフィードは自分の目をこすって、見えているものを確かめた。なんと、どういうわけかいつの間に流れ星の傍に、もう一つ小さな流れ星が寄り添うようにして飛んでいるではないか。

「きゅいーっ、お星様のお母さんと子供なのね。これなら、シルフィのお願いもよく聞いてくれるかもね。きゅいきゅい」

 シルフィードは、このときだけは空腹を忘れて空の上ではしゃいでいた。

 だが、残念ながらシルフィードの願いは届くことはないだろう。なぜなら、シルフィードから見て流れ星に見えたのは、この星の大気圏ギリギリを高速で飛んでいく怪獣の姿だったからだ。

 その正体は、宇宙のかなたからやってきた、丸っこい体つきをした、カモノハシとイタチとカエルのあいの子のようなユーモラスな姿の怪獣、ザランガだった。そしてそのかたわらには、ひとまわり小さなピンク色の怪獣が元気に飛び回り、ときたま前に飛び出ていったりして遊び、やがて疲れると後ろに下がって休んで、ザランガは小さなほうが遅れないように、その間速度を緩めてゆっくりといっしょに飛んでいる。そうして、小さなほうは疲れが癒えたら、また一生懸命飛び回っていた。そう、それはザランガの子供だった。

 ザランガの一族は、この広大な宇宙を時が来れば長い年月をかけて旅をして子供を生み、また元の場所へと親子で帰っていく渡りの性質を持っている。彼らも今から何年も前に、ここからはるかに離れたある星で親子になり、子育てをするための元の星へと帰る途中だった。その彼らがこの星に寄ったのも、この惑星が今は宇宙の果ての水と自然にあふれたその星によく似ていたからかもしれない。

 やがて親子は、旅の間のわずかな寄り道にきりをつけて、また宇宙のかなたへと飛び去っていった。

 もしかしたら、何百年か先にこの子供か、別のザランガがこの星を訪れるかもしれない。けれども、ザランガは美しい水が大量にある星でしか子供を生めない。果たしてそのとき、この星はザランガが安心して子供を生める平和な星であり続けられるのか。流れ星に願いがかけられるように、流れ星もまた願いをかけていた。

 

 ずっと平和でありますように、と。

 

 

 続く



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第60話  夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (前編) 魔の山の秘密

 第60話

 夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (前編) 魔の山の秘密

 

 怪奇植物 スフラン 登場!

 

 

 夏の短い夜が過ぎて、森のかなたに日が昇る。夏休み本番二日目、ウェストウッド村の夜が明けた。ニワトリの声がしたわけではないが、もっとやかましい声が朝の静寂を叩き壊したのだった。

「きゅいーっ! もう我慢できないのねーっ!! きゃーっ!」

 すさまじい羽音と、地面に重いものが降り立つ地響きがする。住人たちは早朝の惰眠を破られて、慌てて家の外に飛び出すと、そこでドラゴンが暴れているのを見てパニックに陥った。

「きゃぁぁぁっ!!」

「竜だ、ドラゴンだぁ!」

「助けてぇ、おねえちゃーん!」

 子供たちは泣き喚きながらティファニアの元へと逃げていく。なにせ、ハルケギニアの人間にとって竜とは天災に近い、手の打ちようのない強力で凶暴な幻獣である。地球で猪や熊が暴れるのとは訳が違う、脅威の規模こそ小さいが怪獣と意味合いは同じなのだ。

「みんな、森の奥へ逃げるのよ。さあ、姉さんたちも急いで!」

「あー、うん、そうね……」

 ティファニアは、子供たちの保護者として、皆を少しでも早く逃がそうと急いだ。だが、なぜかロングビルたち昨日来た客人たちはひきつった笑顔を見せるばかりで動こうとはせず、その視線を一番小柄な青い髪の少女に一斉に向けて。

「ターバーサー」

「……ごめん、うっかりしてた」

 タバサは、思いっきり非難げな一同の顔を一瞥だにせず、軽くため息をついた。そしてすたすたと竜に歩み寄って、その手に持っている節くれだった大きな杖で、竜の頭を乾いた音が村中に響き渡るくらいまで強くぶっ叩いた。

「きゅいーっ!?」

「暴れすぎ……それから、しゃべるの厳禁」

 後半を目の前の相手だけに聞こえるように言いながら、タバサは空腹のあまり大暴れしていたシルフィードをなだめた後、後ろを振り向いて何か残り物でいいから持ってきてくれるように頼んだ。この、自分の背丈の半分ほどしかない少女が竜を黙らせた光景を見て、ティファニアは目を丸くするしかない。

「えっ、えっ……あの、どういうことなんですか?」

「あのドラゴン、シルフィードはタバサの使い魔なのよ。そういえば昨日から何も食べさせてなかったわね」

「ええっー! そ、そうだったの」

 ティファニアは飛び上がるほど驚いて、大急ぎで保存食の干し肉をとりに走っていった。子供たちはといえば、相手が無害だとわかると現金なもので、好奇心に任せてシルフィードの足元や翼や尻尾に群がっていった。

「すげー、本物のドラゴンだ」

「きれいな青い肌、けどざらざらしてる」

「羽、すべすべー」

「きゅ、きゅぃいっ?」

 シルフィードは急にわいわいと子供たちに群がられて困惑している。この調子なら、休みの間中子供たちのいいおもちゃにされるだろう。

 それにしても、本当ならあと三十分は寝てるつもりだったのに、すっかり目が冴えてしまった。ラジオ体操する小学生じゃないんだから、夏休みの醍醐味はなんの気兼ねもない朝寝なんだがと、才人は目やにをこすってとると、大きくあくびを一つした。

「ふわぁーあ、まあそりゃ丸一日メシ抜きにされちゃ怒るわな。ん、そういや我慢できないって、誰が言ったんだっけ?」

「あ、な、なに言ってるの、空耳よ空耳、寝ぼけてるんじゃないの!」

 シルフィードがしゃべれる竜、韻竜だということは秘密なのだ。才人に疑われて、キュルケは慌ててごまかそうとした。これがタバサの普段の任務で遠くの村へ行ったときなどは「ガーゴイルなの」と言って言い逃れできるが、この面子相手にはそうはいかない。

「空耳か、そうだよな、シルフィードがしゃべるわけねえよな」

「そーよそーよ、それよりもさ、朝食ができるまでには時間があるし、いっしょに森におさんぽに、い、か、な、い?」

「こらーっ! キュルケ、あんたって人は朝のすがすがしさを早々に壊すんじゃなーい!」

 話を逸らすつもりが、本気で乗ってきたルイズを適当にあしらいつつ、キュルケはそそくさとタバサのところへ行ってしまった。怒りのやり場のなくなったルイズは才人に八つ当たりの蹴りを一発入れると、憤懣やるかたないといった感じで散歩に行ってしまった。シエスタはといえば、人数分の朝食を作るために早々と行ってしまっている。残された才人は蹴られた尻をなでるほかには特にすることもなく、とりあえず持って出ていたデルフと軽く話をした。

「こりゃまた、朝っぱらから騒々しいねえ、相棒」

「まったく、人様の家なんだから、多少は遠慮しておとなしくなるかと思えば変化なしだもんな」

 何度も考えたことだが、トリステイン魔法学院は魔法の教育はよいとして、貴族としての振舞い方やたしなみについての道徳教育は完璧に落第点だと思う。もっとも、その緩いしめつけのおかげで自分のような異分子もさして問題なく溶け込めるのも事実だし、教師がいちいち女生徒のスカートの長さを計るような、息苦しいよい子ちゃん教育の学校なんてまっぴらごめんである。

「で、そんな中の唯一の男である相棒は、これからどうするつもりだい?」

「さてどうしたもんかなあ、来て早々ロングビルさんやテファに迷惑かけるわけにもいかないしなあ」

 結局、とばっちりを食らうのを覚悟でおれが間に入っていくしかないかと、才人は気が重い気がした。こういうとき、男は黙って見ているばかりもいられず、男はつらいよと思わざるを得ない。せめてもう一人、誰か男性がいれば苦労も分散できるのだけれど、世間一般で思われているほど、女子の集団の中に男子が一人というのは楽しいものではないらしい。前にやってたロールプレイングゲームで、男勇者一人、残りのメンバーは全員女というパーティを組んでみたことがあるが、私生活ではさぞ勇者さいとは苦労したことだろう。

「とりあえずは、ルイズを呼んでくるか。やれやれ、こりゃまた蹴り食らうのは覚悟だな」

 起きたばっかりなのに、才人はもう疲れた息をついてしまった。仕方なく、一足早く子供たちに物珍しそうに囲まれたままで朝食をとっているシルフィードの横を通り過ぎて、ルイズの行った森のほうへと歩いていった。

「本当に、まだ二日目だっていうのに先が思いやられるぜ……そういえば、ギーシュの奴はモンモンを実家まで送っていくって言ってたな。あいつは、うまくやってんだろーか」

 ふと、才人は学院を出発するときにあいさつをした二人のことを思い出した。キザ男とデンジャラスな薬師のカップルのデート。一時は浮気がばれてターミネートされかかったギーシュだが、その相手のほうもそんなのとよりを戻すために禁制のほれ薬を調合して、モングラーの事件を巻き起こしたんだからたで食う虫も好き好きというか……送り届けるついでにトリステインを見て回ると言っていたから、今頃はどこかの男女が結ばれるいわれがあるとかいう名所でも巡っているのかもしれない。もっとも、肝心なところで詰めが甘いやつだから、いいムードになりかけたところでほかの美女に目移りして苦労がぶち壊しになるとか、大いに考えられることだが。

「まぁ、休み明けの土産話でも楽しみにしておくか」

 十中八九、美化九九パーセントの話が返ってくるのを想定して、才人はあの二人がどういう顔して登校してくるか、少々意地の悪い笑みを浮かべた。それから、今頃は実家に帰って家族と過ごしているだろうレイナールやギムリ、水精霊騎士隊・WEKCの皆の顔を思い浮かべた後、森の奥で木に向かってなにやらふんぞり返りながら独り言を言っていたルイズに声をかけた。

「おーいルイズ、メシに遅れるぞーっ!」

「……っ!」

 その後、幸せな妄想を途中で中断させられたルイズが才人になにをしたのかについては、三十分ばかりしてから帰ってきた二人が何も語らなかったので、ほかの者たちには知るよしもなかった。ただ、朝食の準備中のティファニアとシエスタのところに遠雷のようなうなりが聞こえてきて以来、ウェストウッド村の周りには一羽の小鳥のさえずりも聞こえなくなったということだけである。

 今日の予定は、親睦遠足のように全員そろって離れた小川でのバーベキュー。夏の長い日は、まだまだ昇ったばかりであった。

 

 

 …………

 

 

 さて、ところは移ってウェストウッド村から数百リーグ離れた、トリステインのとある山岳地帯の小さな村に、当の里帰りと旅行の途中のはずの、キザ男と物好き娘のカップルがなぜかいた。

「あっ、すまない君、何か冷たい飲み物を二人分、そう、できれば甘いものがいいね。急いで持ってきてくれたまえ」

 村に一軒だけあった、小さなみすぼらしい飲食店。才人が見れば時代劇の茶店かと感想を持つような店先のテーブルで、ギーシュはモンモランシーを隣に座らせて、思いっきりきざったらしく店主のおじさんに注文していた。

「まったく暑いねモンモランシー、けれど君はその汗のひとしずくさえきらめく真珠のようだよ。さて、ここはぼくのおごりだ。まずは長旅の疲れを癒そうじゃないか」

「で、わたしたちはなんで実家どころか人里からすら大きく離れた山の中で、薬草茶を飲まなきゃならないのかしら?」

 蒸し暑さのおかげでしなだれかかった金髪のロールを怒りで微細に震わせて、モンモランシーは目の前で汗だくで口説き文句を言っている、もう何回本気で別れようかと思った中途半端なプレイボーイを白目で見た。

 間違いの始まりは、魔法学院を出てからしばらく経ってのことだったと思う。最初のうちは一頭の馬に二人で乗っての旅や、ギーシュのすすめで見に行った聖堂や博物館などでロマンチックな充実感を得ていたのは事実であるが、それで思考停止して、次の目的地を聞きもせずにギーシュにまかせっきりにしたのがまずかった。気がついてみれば、セミの声しか聞こえず三百六十度どっちを見ても緑ばかりのド田舎に来てしまっていたのだ。

「お茶がぬるくなってしまうよ」

「お茶どころじゃないわよ! なにが悲しくてこんなところで若年寄りしてなくちゃいけないのよ!」

 するとギーシュは不敵に笑って、テーブルの上に一枚の古びた地図を広げて見せた。

「なによ、これ?」

「宝の地図さ」

「ごめんなさい、もう一度言ってくれる?」

「宝の地図さ、と言ったのさ」

 誇らしげに自慢するギーシュを見て、モンモランシーは目の前が真っ暗になって、真夏だというのに寒気を感じてしまった。

「ギーシュ、今度という今度はあなたを見損ないました。馬はもらっていくわね、それから学院でももう二度とわたしに話しかけないでね。さようなら」

 一息に吐き出すと、モンモランシーはもうギーシュの顔を一瞥だにしようとすらせずに乱暴に席を立ったが、そこはギーシュも彼女の手を握って強引に引き戻すと、反論する間も与えずに一気にまくし立てた。

「モンモランシー、君の言いたいことはわかる。こういう地図の大半は偽物で、貴族をだますために商人がそれっぽく作ったものばかりだということくらい、ぼくでも理解しているさ。ただ、これにははっきりとしたいわくがあるのさ。そう、これは学院の宝物庫から出てきた品なんだよ」

 学院の宝物庫と聞いて、手を振り解きかけていたモンモランシーの力が緩んだ。学院の宝物庫といえば、以前土くれのフーケが『破壊の光』を狙ってきたところであり、学院開闢以来の様々な秘宝が持ち出し不可で収められているとして学院では知らぬ者がいない。だが、宝物庫はフーケ侵入以来、厳重に警備されているはずで、学生にしかすぎないギーシュがやすやすと入れるはずがないのだが。

「ふふふ、あの終業式の大掃除のことを覚えているだろう? あのとき片付け切れなかった生徒の私物がやむを得ず宝物庫に放り込まれたが、そのときにね」

「ちょ、あんたそれ泥棒!」

「人聞きの悪いこと言わないでくれたまえ。とってきた荷物の下にこれが貼りついてただけだよ。そんなことよりもわくわくしないかい? あの学院の宝物庫に収蔵されていた宝の地図だ、絶対本物だよ。ああ、いったいどんなものだろう。古代の大魔法使いの愛用した杖か、それともとてつもない魔力を秘めた石か、いやいや、きっと妖精の作りたもうた巨大な宝玉の首飾りだ。そうだ、手に入れたらすぐに君にプレゼントしよう。間違いなく君は王女殿下のように美しく光り輝くだろう。そのときが楽しみだ、そうだろう?」

「うん、そうね……」

 いつの間にか、モンモランシーはその妖精の作りたもうた巨大な宝玉の首飾りをつけた自分を想像してうっとりとしていた。実際には単なるギーシュの妄想に過ぎないのだが、こうして口先三寸のくさい台詞で女の子をその気にさせてしまえるあたりがギーシュの才能と呼べなくもない。そしてその気になってみると、この古びた地図も本物めいて見えてこなくもない。

 端にこの地方の名前が書かれており、このあたり一帯のものと思われる地形図と、山一つ越えたところに×印と注略がつけられていた。宝の場所は恐らくそこだろう。ただし、そこの文字だけはひときわ古いインクで、ハルケギニア語ではない見たこともない文字で書かれていたので読めなかった。

「地図によると、お宝のありかは北東の山を越えたところにあるという。メイジのぼくらならたいしたことはないさ。さあ、ぼくらの栄光のために共にいこう」

 すっかり探検家気分である。何度も宇宙人や怪獣との戦いを潜り抜けて、度胸と行動力が上がった代わりに臆病さと自制心が反比例して減少していた。また、モンモランシーのほうも、この地方の山には危険なオークなどの害獣もいないことだしと、その気になってきていた。ところが、ギーシュの話を聞いた店のおじさんが二人を制止してきた。

「あの、そこの貴族の坊ちゃんと譲ちゃん、あの山へ登るのはやめたほうがいいですぜ」

「なに? 何か危険があるのかね」

「いえね、あの山は昔からこの村では魔の山と呼ばれていて、村の者も狩りや山菜取りもあの山だけは近寄らないんでさあ。なんでも、あの山には何百年も前に恐ろしい人を食う竜が住んでいて、あるとき異国の戦士がそれをあの山に封じ込めましたが、今でも竜は封じられながらも生き続けていて、山に足を踏み入れた者を餌食にしようと待っていると、言い伝えられているんです」

「人を食う、竜ね……」

 モンモランシーはごくりと唾を飲み込んだ。おとぎ話に限らず、ハルケギニアで人食い竜の話は珍しくない。しかも竜は幻獣の中でも最強の実力を持っている。ドットクラスの自分たちなど鉢合わせしたら万に一つも勝ち目はない。

 けれどもギーシュはそれを鼻で笑った。

「あっははは、竜は高山や火山に好んで巣を作るんだ。あんな緑豊かな山に巣食うなんて聞いたことがない。それに、そんな言い伝えがあるってことは、あの山に人を近づけたくない理由があるってことさ。こりゃあますます地図の信憑性が増してきたじゃないか!」

 これが数ヶ月前のギーシュだったら竜の名前を聞いただけで、おじけずいて逃げようとしていたかもしれない。しかし、数々の戦いを潜り抜けてきたことによって、ギーシュはなんとかなるだろうという自信を持っていた。それに、天気はいいし体調は万全、なによりせっかくここまで来たのにおめおめと引き返してはモンモランシーの前でかっこ悪い。

「いや、本当にやめたほうがいいですぜ。ついこないだも、あの山に足を踏み入れたもんがいるんですが、いまだに戻ってこないんです。ほんとに何かがいるんですよ」

「君、忠告ありがたく受け取っておこう。けれどぼくたち貴族はいずれ国のために身命を投げ出して戦わねばならないのだから、この程度のことでは引き下がれないのさ。何が待っていようと、戦場で敵と殺しあうよりははるかにましだろう。なあに、愛しのモンモランシーがついてくれているんだ。ちょっとやそっとのことじゃ負けはしないよ」

 こうして、ギーシュとモンモランシーは土地の人の親切な忠告を無視して、現地の人でさえ足を踏み入れない魔の山へと歩を向けたのだった。だが、同じ店の別の席で二人の話を盗み聞きしていた、真夏だというのにマスクで顔の半分を覆い隠した二人の男がいた。

「おい、貴族のお宝だってよ」

「へっ、そろそろ逃走資金もなくなってきてたところだ。メイジといってもガキ二人、いいカモだぜ」

 その二人は小声で話し合うと、銅貨を数枚乱暴に置いて席を立った。

 

 

 現地住民が『魔の山』と呼ぶ深山は、その禍々しい名称とは裏腹に、さしてけわしくもない傾斜の山腹に木々が青々とした葉をしげらせている美しい自然の山だった。もっとも、現地の人でも足を踏み入れない場所だけに道らしい道はなく、草の浅い場所を選びながら、どうしても徒歩では超えられない場所では『フライ』の魔法で飛び越えて、地図に記された宝の地点へと近づいていった。

「これで、あと半分くらいかな。ほおーらね、やっぱりこんな平和な山に竜がいるなんてうそっぱちだったんだよ。きっとお宝に人を近づかせないために、埋めたやつが流したデマさ」

「そりゃいいけど、けっこうきついわねえ。タバサのシルフィードがいればあっという間だったのに」

 モンモランシーは早くもギーシュについてきたことを後悔し始めていた。考えてみれば、いつもギーシュの調子のよい美辞麗句にひっかかっては後で後悔しているというのに、我ながら進歩がないことはなはだしかった。

 とはいえ、乗りかかった船である。最初からダメで元々であるし、誰でも行くような旅行よりは刺激があると、彼女は自分に言い聞かせて、何度目かになる倒木を『フライ』で飛び越えた。

 森は、人の手が加わっていないために完全に自然のままの原生林が残っており、軽い気持ちで踏み込んだ二人は意外な苦労を重ねたが、それでも昼過ぎには目的地まであと三リーグほどまでの距離に到達できていた。

「ねえギーシュ、そろそろ休憩にしない。おなか減っちゃった」

「うん、そうだね。そうしようか」

 いくら若い二人とはいえ、初めての登山はきつかった。二人がメイジだとはいっても、夏山登山は毎年死者が大勢出るほどに危険な側面を持っている。メイジでなかったとしたら、多分一リーグほどでギブアップしていたことだろう。二人は手近な倒木に腰を下ろすと、村で買ってきた黒パンや干し肉などの簡素な弁当を広げた。

「貴族のわたしが、こんな粗末なものを食べなきゃならないなんて」

 モンモランシーはぼやいたが、空腹には代えがたい。才人やシエスタだったら普通にうまいうまいと言っていただろうが、仮にも貴族で舌の肥えた彼女には、おなかさえ空いていなければと思うような代物だった。すると、ギーシュは待っていましたとばかりにカバンから別の包みを取り出して、彼女に差し出した。

「なにこれ、パン? 肉?」

 それはどちらとも形容しがたい形をした、茶色いゲル状の塊だった。

「最近平民たちの間ではやってるという、肉の代用食さ。前の町でよく売れていたみたいだから買っておいたんだけど、さあ食べてみたまえ」

「……本当に食べられるの? これ」

 モンモランシーは逡巡した。茶色いスライムとだけ表現しても、うまそうかどうかと聞かれれば、大半の者がまずそうと答えるはずである。モンモランシーもその例外ではなかったけれど、それでも愛しのギーシュの用意してくれたものというわけで一口かじったが、すぐに額に縦筋を浮かばせ、黙ってギーシュの口にそれをねじ込んだ。

「もっ、もごもごっ!!」

「どう、おいしい?」

「ぺっ、ぺっ、ま、まずい……」

 茶色いスライムは、見た目どおりの味だった。確かに味付けこそ肉のものだが、食感、匂い、なにより味の深みなどは大幅に欠けていて、いくら腹が減っているとはいえ、うまいとはお世辞にも言えないものであったのだ。

「お、おかしいな。平民たちがけっこう買っていたから、うまいと思ったのに」

 ところが、ギーシュの考えは間違っていた。それは確かに平民の間ではそれなりに売れているものの、実際には肉の買えない貧民層がせめて肉の代用にと買っているもので、材料も豆で作ったパン状のものに魔法で味付けした程度の、原価が極めて安いものだった。当然、貴族の口に合うようなものではない。

「せめて、味見してからすすめなさいよねほんとに……」

「ご、ごめん」

 食事して疲れがとれるはずが、逆に疲れてしまった。モンモランシーはせめて口直しにと、これだけはうまいといえる山の湧き水をためた水筒を一口飲んで口をゆすいだ。せめてこうなったら、お宝だけでもゲットしないことには割りにあわない。そう思ったときだった。

 

「きゃああぁーーっ!!」

 

 突然、森の奥から絹を引き裂くような女性の悲鳴が響いてきた! 聞き間違いではない。その証拠にギーシュがはじかれたように立ち上がり、電光石火の高速詠唱で『フライ』を唱えて飛んでいってしまった。そう、まるでバナナに飛びつくサルのように本能的に。

「ちょ、ギーシュ待ちなさいよ!」

 モンモランシーも慌てて後を追うが、全力で飛んでいるのに全然追いつけない。二人の魔法の技量は同じドットで大差ないはずなのに、こんなことは前にトライアングルクラスのキュルケやタバサの飛行を見たとき以来だ。まさか、魔法の力は感情に強く左右されるというが、女の子の悲鳴を聞いてギーシュの秘めたる才能の一端が発動したというのか? そんな馬鹿な、しかしギーシュならありうる。

「あの馬鹿、よりにもよってこんなことで底力発揮しなくてもいいじゃないの!」

 立ちふさがる木々を可能な限りの速度でかわしながら、モンモランシーは見失わないだけで精一杯のギーシュの後を必死で追った。

 そして十と数秒後、ギーシュは森の先で今の悲鳴の主と対面していた。

「た、助けて!」

 そこでは、年のころ一七、八の少女が木々から垂れ下がってきていた太いつたに絡みつかれていた。束ねられた長い髪が首を振るたびにもだえる蛇のようにのたうち、とび色の瞳には涙が浮かんでいる。

「だ、大丈夫かい、君!?」

 ギーシュは目の前の光景に驚いたものの、若い女性の危機とみるやお助けしようと駆け寄っていった。けれど、無用心に近寄ろうとしたギーシュはまだ事の重大性に気づいていなかった。

「危ない!」

「え? わあっ!」

 少女の叫び声でギーシュがとっさに飛びのいたところを、少女に絡み付いているのと同じつたが蛇のように高速で通り過ぎていった。しかも一本ではない。二本、三本と投げ縄が牛を狙うようにギーシュめがけて伸びてきて、彼がなんとかつたの届かないところまで逃げると、少女の周りには十本近いつたがゆらゆらと、動物のように揺らめいていた。

「き、吸血植物!?」

 ギーシュはぞっとした思いで、以前生物の授業で聞きかじった、ハルケギニアの危険な生物についての項を思い出した。ハルケギニアの危険な生物は、なにもオーク鬼やドラゴンだけではない。なかには近寄るだけで死ぬ猛毒を持っていたり、眠り花粉で眠らせた獲物から血を吸う危険な植物もいくつも確認されており、このつたもその一種ではないかと考え、実際それは当たっていた。

 こいつは、怪奇植物スフランといい、ハルケギニアだけではなく、地球でも多々良島やジョンスン島で生息が確認されているつた状の吸血植物である。普段は木から垂れ下がってただのつたの振りをしているが、近くに獲物となる動物が通りかかると動物のように動いてからみつき、動きを封じて血を吸う恐ろしいやつだ。

「く、苦しい……たすけ、助けて」

 少女はまだなんとか自力で立てているけれど、締めつけがかなりきついらしく息も絶え絶えになっている。このスフラン、ひ弱そうに見えてかなり頑強で、絡みつかれたら人間の力では脱出できない。ギーシュは助けようとしていたが、近寄ろうとすると別のスフランに阻まれて、なかなか少女に近寄れないでいた。

 ならば、こういうときこそ魔法を使えばいいものなのだが。

「あっ……ああん、そ、そこは……いやああ」

「お、おお……」

 つまりは、こういうわけである。縛り上げられてもだえる美少女という構図が、思春期真っ只中の少年の脳髄を直撃してしまったのだ。呆れたものであるが、逆に婦女子の痴態に無反応なギーシュというのも気持ち悪いから、人間の評価というのは難しいものである。

「や、やだ……そんなところ、やめてぇ」

「あ、おおお」

 鼻血をたらして見とれている姿は、もはや見苦しいというのを通り越している。実際には、締め付けは彼女の華奢な体なら骨を砕きかねないほどに強くなり、つた全体に生えた吸血針が何本も突き刺さった危険な状態であったのだが、そこへようやく救いの女神がやってきた。

「さっさと助けなさいよ! このバカギーシュ!!」

 やっと追いついてきたモンモランシーが飛んでる勢いのまま、ギーシュの後頭部に思いっきり拳骨を叩き込んだ! ギーシュはでかいこぶを作らされながら前のめりにこけさせられて、そこでやっと目が覚めた。

「そ、そうだった。ワルキューレ!」

 どうにか正気を取り戻したギーシュは、薔薇を模した杖を振るって青銅の騎士人形ワルキューレを四体作り出した。それぞれ手には剣を握っており、ギーシュが杖を振るうと一斉にスフランのテリトリーに進入して、群がってくるつたを切り払い始めた。

「ようし、いいぞいいぞ」

 四体のワルキューレは剣を振るってどんどんスフランを切り払っていく。スフランのほうも絡み付こうとするが、相手は青銅のゴーレムであるために血は吸えず、腕力も人間より強いために、雑草でも刈るかのようにどんどん地面に落ちていき、少女に絡み付いていた分もすぐに斬られて力を失った。

「よし、そのまま彼女を連れてこい!」

 このとおり、スフランはやり方さえわかってしまえばそんなに強い相手ではない。植物であるために、つたの伸びる範囲しか攻撃できないというほかにも、燃えやすいという弱点もあり、科特隊時代にはスパイダーショットの火炎放射で簡単に焼ききられている。ただし、植物であるためにつたを切られただけでは死なずに、地下の根まで絶やさなくてはとどめにならない。こいつらも、ほっておけば数週間で元通りになってしまうだろう。

「よし、ここは撤退だ」

 ギーシュはワルキューレに彼女を抱えさせたまま、スフランの生息地から急いで離れていった。貴族に逃走はないといっても、相手が吸血植物ならこだわる必要はない。やがて、森の中でも多少は開けたところを見つけて、周りを見渡してもとりあえず危険な動植物はいないことを確認して彼女を下ろすと、すぐにモンモランシーが『治癒』の魔法で治療を始めた。

「幸い、骨に異常はないし、吸われた血も微量だったからこれで十分なはずよ」

「あ、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

 傷がふさがって痛みがやむと、少女は礼儀正しく頭を下げて、二人に礼を示した。はじめは気づかなかったけれど、その瞳には強い光が宿り、立ち振る舞いにも高貴さがにじみ出ている。よくよく見れば、破れた服のすきまから杖がのぞいていた。

「君も、貴族だったのかい。危ないところだったね、けれど、なぜ君みたいなお嬢さんがここに? あ、おっと。先に自己紹介をするべきだね。ぼくはギーシュ・ド・グラモン、トリステイン魔法学院の二年生だ」

「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、同じく二年生」

「わ、わたしは、リュリュといいます。ガリアのルションから来ました」

 リュリュと名乗った少女は、自分のことを簡単に二人に説明していった。ルションという町は二人は知らなかったが、ガリア西部にあり、温暖な気候の住みいい町とのことで、彼女はそこの行政官の娘だった。彼女はそこで、なに不自由なく育てられてきたのだが、そんな彼女がこんな辺境の山奥にいた理由は二人を驚かせた。

「わたしの趣味は”美食”なんです。世界中のおいしいものをお金に任せて買い求め、ランチをとるためだけにロマリアやゲルマニアの店まで旅行したこともあります。で、そうしているうちに、自分で作るほうに興味が移っていきました。けれども、貴族の娘が公然と料理を学ぶとなると風当たりが強くて。でも、どうしても我慢できなくなったわたしは家を飛び出して、あちこちを放浪しながら修行を積んでいるんです」

 通常、貴族にとって料理は下々の者がやることとして忌避されるために、わざわざ自分から料理人になりたいという貴族は珍しい。とはいえ、簡単なお菓子作りとかいうのであれば可愛いともいわれ、実際王家には宮中ミサの折に女王が始祖ブリミルが最後の晩餐のときに食したという聖なるパンケーキを焼くという伝統があるらしい。ただし、その味は代々天地ほども違い、女王の代替わりのたびに上級貴族の背筋を寒からしめるという。

 ギーシュとモンモランシーは、とりあえず自分のことは棚にあげておいて変わった子だなあと思ったが、リュリュの回想はさらに熱を増して続いた。

「それで、各地を放浪しながら旅を続けるうちに、わたしは一つの事実に気づきました……そう、世の中の大半の人は、おいしいものが食べられないんだということに!」

 二人は急に剣幕を増したリュリュにびくっとした。最初はおとなしい子だと思ったが、内には燃えるような情熱がたぎっているようだ。いや、そうでなければそもそも貴族が家を飛び出して料理修行などできはしまい。

「旅の途中、いろいろな人に親切にしていただきました……寝るところが見つからずに、うろうろしていたら農夫の方が宿を提供してくれました。食べるものがなくなって道端で寝転んでいたら、パンをいただいたことも。それで、確信しました。そういう人たちが、親切でまっとうに生きている人たちが、かつてわたしたちが食べていたような、おいしい料理を食べられないのは間違っていると! 美食は貴族だけのものであってはなりません! 万人に認められるべき娯楽なのです! そうでしょう!!」

 鬼気迫るといったリュリュの表情に、モンモランシーは正直ひいたが、ギーシュは涙まで流して感動の意を表した。

「素晴らしい! 確かにそのとおりだ。いつでも誰でもうまいものが食える。これほどの幸福はあるまいよ」

 ギーシュのことだから、女の子の言葉に無批判に納得したというのはあるものの、半分は本音だった。以前の彼だったら、貧しい平民がどんな粗食を食べていようと気にしなかっただろうが、モンモランシーが、ルイズが才人へのおしおきの一環としてメシ抜きをすることにヒントを得て、ギーシュが他の女の子に目移りするたびに、彼のランチを水魔法で味を変えたり、失敗作の香水でしばらく食事がとれないようにしたり、本当にキレたときはランチそのものを壊滅させたりしたので、飢えの苦しみをいい加減思い知っていたのだ。

 こうして、多少ズレながらも理解しあったギーシュとリュリュは手を取り合って”同志!”と友情を深めていった。けれども、一歩下がって見ていたモンモランシーは冷静にツッコミを入れるのを忘れてはいなかった。

「で、なんでその美食家志望のあなたが、こんな辺境の危険な森にいたわけ?」

「あ、はい。それで、わたしは平民の方でも簡単に手に入るよう、安価な材料での美食を目指して試行錯誤しているんですが、豆とか麦とかから作ったいくつかの試作品はどれもおいしいとは言いがたい中途半端な失敗作でした。なのでもっと修行を積もうと、この世のおいしいものをたくさん知るために、あちこちをめぐっているんですが、ここの山腹に世界七大美味のひとつである虹燕の巣があると聞きまして」

「ああ、あの鳥肉としては最高の美味だっていう虹燕がねえ。それで、身一つで採りに来たというわけ?」

「はい、実は数ヶ月前にも火竜山脈で、極楽鳥の卵を手に入れようとしたこともあります。そのときは怪獣が現れたうえに山が噴火してしまって手に入れられずに、命からがら逃げてきたんですけれど」

 二人は、リュリュの無茶さ加減に心底あきれた。火竜山脈の極楽鳥の卵は凶暴な火竜に守られていて、たとえスクウェアクラスのメイジでも、その採取は命がけであるのに、可愛い顔してすごい命知らずである。

「あんた、早死にするわよ。今も、偶然わたしたちが通りかからなきゃ、誰にも知られずにミイラになってたとこよ」

「それについては、本当にお礼を申し上げます。けれど、わたしもここで引くわけにはいきません。虹燕の巣の味を再現して、多くの人に味わってもらうという夢のためにも!」

 リュリュの目は、情熱と使命感に燃えていた。高価すぎる食材をそのままとはいかないが、安価な方法で大勢に解放するというのは、カニ味のかまぼこや、養殖マグロなどにも通じる大衆食の理念だ。無理に天然ものにこだわらなくても、養殖と天然の味を見分けられるほどの食通はそういない。大半の人間はうまければ満足してくれるのだ。ただし、その味の再現には高度な技術がいるのはいうまでもない。

「すごいね君は、ぼくたちと年はそう変わらないのに自分の道をしっかりと持っている。ようし、ものはついでだ。君の目的のものを手に入れるのを、ぼくも手伝おう」

「ちょ、ギーシュ、わたしたちの目的はどうするの?」

「別に急ぐものでもないし、彼女を一人で歩かせて、またさっきみたいなのに出くわしたらどうする? 彼女てこでも引き返さないぞ」

 そう言われては、帰り道に彼女のミイラなんかを見つけたら後味が悪すぎるし、ギーシュとリュリュを二人っきりで行動させるのも問題ありすぎる。

「仕方ないわね。じゃあ、日が暮れる前に帰れるように急ぎましょう。その場所は?」

「あ、ここです」

 リュリュは二人に、虹燕の巣があるという場所を示した地図を見せた。

「どれどれ……なんだ、ぼくたちの目的地と一リーグも離れてないじゃないか」

「へぇー、偶然ですね。そういえば、ギーシュさんたちの目的ってなんなんですか?」

「ぼくたちは、夏休みのちょっとした冒険というか、宝探しというか……」

「宝探し?」

「ああいやいや、夢とロマンを若き日に求めるのも、青春の一ページというところだが、君の目的に比べたらたいしたことはないさ。先に君の目的を済ませちゃおう。お宝はその帰り道で、もしあったら君にも山分けしよう」

 元々、土のメイジであるギーシュにとって、場所さえわかれば宝が地面に埋まっていようと探し出すのはそんなに難しくはない。ついででも、充分おつりがくるだろう。とはいえ、リュリュも宝というのが十中八九ガセだということは知っているので、苦笑いで期待していますとだけ答えて、それよりも手助けしてくれることに改めて礼を言った。

「本当に、どうもいろいろとお世話になってしまいまして、すいません」

「いいさいいさ、こんなときはえーっと、ぼくの友人の国の言葉なんだが、袖触れ合うも多少の縁というらしい。じゃあ、善は急げだ。さっそくいこうか」

 ギーシュは元気よく掛け声をあげると、リュリュの手をとって歩き出そうとしたが、後ろ手をモンモランシーにつねられて断念せざるを得なかった。

 

 こうして、思わぬ同行者を得て三人となったギーシュたち一行は、まずは虹燕を捕まえに目的地を変更して歩みだした。森は、山は緑の木々に覆われて、風と鳥の声が平和の歌を奏でている。

 しかし、その平和のヴェールの下に、どんな闇が封印されているのか。魔の山は、まだその全貌を明らかにしてはいない。

 

 

 続く



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第61話  夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (中編) 蘇る伝説!

 第61話

 夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険 (中編) 蘇る伝説!

 

 復活怪獣 タブラ 登場!

 

 

「いやあ、なかなかすばしっこいやつだったなあ」

 魔の山の切り立った崖っぷちのそばで、ギーシュ、モンモランシー、リュリュの三人は苦労の末にようやく一羽だけ捕まえた虹燕を囲んで、激闘の記憶を蘇らせていた。

 なにせ、目的地に来てわかったことだが、村から来た方向はなだらかなこの山だが、反対方面は断崖絶壁になっていた。虹燕はその切り立った山肌に巣を作るために、まともに巣に近寄るのは不可能で、ならばと『フライ』で飛んで近寄ろうとしたら、こいつらがなかなか頭がよくて上から石を落とされてあえなく退散。それならばと崖を逆方向から登って、上から巣に近づこうとすれば、山の上には種を虹燕たちが運んできたのか、スフランなど危険な植物が群生していてとても近寄れなかった。

「なぜ、虹燕の肉が幻の珍味と呼ばれているのか、それはまず手に入らないほど捕まえにくい鳥だからです」

 リュリュの言ったとおり、虹燕たちは文字通りきらきら輝く翼とは裏腹にカラス並みに悪知恵が働き、人間の浅知恵をあざ笑うかのように、がけの上で平然と翼を休めていた。

 が、三人寄れば文殊の知恵と日本では言うとおり、三人も集まって鳥の知恵に負けていては人間の沽券に関わる。そこで三人は一計を案じた。こっちから近寄れないならおびき出そう。そこで活躍したのがモンモランシーの使い魔のカエルのロビンであった。

 虹燕とて、生きるためには餌を食う。そこでロビンを囮にし、虹燕が降りてきたら、ギーシュが土魔法で捕まえるという罠を張って待った。結果は、一回目は発動が早すぎて失敗、二度目は遅すぎてロビンが食われそうになったが、失敗に備えてロビンの口に仕込んでおいたモンモランシーの薬品のおかげで撃退し、三度目であたふたしながらも、やっとこさ小さいのを一匹捕まえたのだった。

「けど、そんな小さいので大丈夫だったの?」

「いいんです。味を再現するんだから、一口あれば用は足ります。それに、虹燕はここのような深山の山腹にしか巣を作らずに、繁殖力の弱い生き物ですから、多く獲ってしまっては大変です」

 それに、成熟した大型のものは知能も発達しているから、このような罠にはかかるまいし、第一かわいそうだと言外にリュリュは言っていた。だからこそ、この一羽の犠牲を大勢の人のために生かさなければならない。

「本当に助かりました。わたし一人ではそれこそ何日かかっていたことか……あとは、お二人の目的のほうですね」

 空を見上げると、太陽はまだ高く、帰路のことを考えても暗くなるまでには一時間ほど猶予があるだろう。場所がわかっているから、宝探しには充分な時間だ。

「いいのかい、なんだったら君を送り届けていって、ぼくたちの用事は明日以降に伸ばしてもいいんだよ?」

「いいえ、わたしも急いでるわけじゃないし、ここまで来たら乗りかかった船です。それに、お宝というのを、わたしも拝見してみたいですから」

 虹燕には『固定化』で防腐処理をしているから、発酵して味が変わる心配はない。リュリュも最初はお宝というのを胡散臭げに思っていたが、ここまできたら興味もある。

 というわけで、一行は意気揚々と帰路の途中にある宝の地図の場所へと向かった。

 

 歩くこと三十分ほどして、森の中に目的地はその姿を現した。途中、調子に乗ったギーシュがリュリュの手を握ろうとするのをモンモランシーが何度も妨害しなければ、もっと早く着いただろうけど、何はともあれお宝の場所である。

「この、小さなほこらが目的地……」

 地図の×印がしてあるところには、黒々とした大岩が小山のようになっているところに、一辺二メイルほどの小さな崩れかけたほこら、地球でいうならお地蔵様が納められているようなお堂が立っていた。

 建物の崩れ方から察するに、百年やそこらは軽く経過していることだろう。建物のみすぼらしさはともかくとして、お宝があるというのはがぜん現実味を帯びてきた。

「さて、お宝は果たして金貨か宝石か……」

 わくわくしてくるのを押さえて、ギーシュは小山の上のほこらを見上げた。ほこらの大きさからいって、金銀財宝とはいかないかもしれないが、それでも珍しいマジックアイテムとかの可能性はある。

「ほこらがボロいから崩れたら大変だな。君たち二人は、ここで待っていてくれ。ぼくが取ってくる」

 ギーシュはそう言うと、山をほこらの前まで登った。それは、朽ち果ててはいるが、元は良い木でできたきれいなお堂だったのだろう。見慣れない建築方式に少し頭をひねったものの、お堂の扉に地図にあったものと同じ文字が書かれていて、間違いないと口元を緩めた。

「さあーて、なにがあるのかなあ? っと!」

 興奮しながらお堂の扉に触れた瞬間だった。老朽化していたお堂は、それで一気に耐久力の限界にきたのか、乾いた音を立てて崩れてしまったのだ。

「危ないなあ……仕方ない、『レビテーション』」

 魔法の力で残骸がどけられ、お堂の中に隠されていたものが白日にさらされた。銀色の輝きが陽光に反射し、冷たく鋭い光を放つ。そこには、大小二本の刀が黒い小山に突き刺さる形で立っていた。

「剣?」

 驚きと、がっかりが半分ずつミックスされた声が三人分流れた。剣など、ハルケギニアではさして珍しくもない代物であるし、柄の部分の布や糸は風化してもうボロボロだし、別に装飾がほどこされた宝剣というわけでもないようだ。

 それでも、その刀身部分だけはさび一つ伺えずに、ギーシュの興味を多少なりとて引いた。もしかしたらマジックアイテムの剣かもしれない。サイトのデルフリンガーも見た目はおんぼろなんだしと、淡い期待を込めて『ディテクトマジック』で調べてみた。

「反応なしか。まったくさびてないところを見ると『固定化』がかかってるのかなと思ったのに、どういう理屈でほとんど野ざらしでさびもしないで何百年も耐えられたんだ? それにしても、ずいぶん珍しい形の剣だな。片刃で、こんな細身の反り返った剣なんて見たこともない」

 武門の出であるギーシュは武器についてもそれなりの知識はある。当然平民の武器についてもある程度は知っているが、こんな形の剣は見たことがない。

「ギーシュ、どうなの!?」

「異国の剣みたいだ。特に魔法とかはかかってないみたいだけど、珍しいつくりだし、上等な鉄でできてるみたいだからけっこうな値がつくかもしれないよ」

「じゃあさっさと持ってきなさいよ。剣だったら叩き売っても二百エキューくらいにはなるわ!」

 二百エキューだと、貴族にはおこづかいくらいだが、平民の年間生活費が百二十エキューであることを考えるとなかなかの大金となるし、貧乏貴族の彼らにしてみればそれなりの臨時収入だ。ギーシュはさっそくワルキューレで長いほうの剣を引っこ抜いた。

「ほーお……こりゃあ、けっこうな業物みたいだな。こんなきれいな刃紋は見たことない」

 ギーシュはその刀を手にとって品定めをして感嘆した。刃の厚さは才人のデルフリンガーの半分もないが、刃はまるで剃刀のように鋭い。

「おーい、こりゃ本物のお宝かもしれないぞ」

「だったらさっさともう一本もとって下りて来なさいよ!」

「わかったわかった」

 さっそくギーシュはもう一本の小さな刀にとりかかった。しかしこのとき、三人とも刀に意識が向いていたために、周りに対する注意が散漫になって、後ろから近寄ってくる怪しい人影に気がついていなかった。

 

「きゃああっ!?」

「おおっと騒ぐな。動いたら首筋にこいつがぶすりだぜ!」

 

 なんと、いつの間にか現れていた二人の人相の悪い男たちが、リュリュとモンモランシーを後ろから羽交い絞めにして、その首筋にナイフを当てていた。 

「なっ、なんだ君たちは!?」

「へっ、これ見てわからねえかよ、察しの悪いガキだ。お前らの見つけたそのお宝、俺達がいただこうってことよ」

「なに!? そうか、お前たち盗賊か。ぼくたちの後をつけていたんだな」

 ギーシュはとっさに杖を盗賊たちに向けたが、人質がいる分盗賊たちは余裕だった。

「はっはっは! ご明察どおり、俺たちはこの間ゲルマニアで一仕事してきたんだが、そろそろ逃走資金も切れてきてな。そこへお前らがお宝の話をしていたのを聞いたってわけさ。さあて、この嬢ちゃんたちの命が惜しかったら、お前も杖を捨てな!」

 下品な笑い声を立てながら、盗賊たちはナイフを二人の首筋にかざした。しかし、ギーシュの反応は盗賊たちの期待を裏切るものだった。

「断る」

「なっ、なんだと!?」

「お前たちみたいな下賎な奴らの考えなどわかっている。ぼくが杖を捨てたとたんに二人を殺して、ぼくを殺してお宝を横取りという魂胆だろう?」

 言葉につまる盗賊たちを見下ろすギーシュの目は、いつものなよなよしたものではなく、武門の名家の血を引いているのにふさわしい不敵な、堂々としたものだった。だが、盗賊たちはそれでも虚勢をはろうと脅しにかかってきた。

「お前、こっちに人質がいるのがわかってるのか? この二人の命が惜しくねえのかよ?」

「お前たちこそ、貴族に刃を向けたことがどういうことなのかわかってるのか? その薄汚い刃をレディたちに振れさせてみろ、五体を切り刻んで身動きできなくした後に森の中に捨てていってやる。森の動物や毒虫たちがどういう料理をしてくれるのか、興味はあるかい?」

 今のギーシュの瞳には、以前才人とはじめて決闘したときのような、冷たい残忍な光が宿っていた。普段がどうあれ、彼もまた争いの絶えないハルケギニアの武門の貴族のはしくれ、いざというときの肝は据わっている。第一、彼が何よりも愛する女性たちに汚い手で触れられて理性を保っていられるほど、彼は似非フェミニストではなかった。

「どうしたね? 今になって怖気ずいたのかい。今なら、はいつくばって許しを請えば、命だけは助けてやってもいいよ?」

「へっ、誰が……」

 盗賊たちはなおも虚勢をはるが、現実的にはすでに立場はすっかり逆転していた。女を人質にとってしまえば、小僧はすぐに降参するだろうという彼らの浅はかな目論見はあっさり破れ、逆にギーシュが盗賊たちを脅迫している。なにせ、力の比率でいえばギーシュには魔法という圧倒的なアドバンテージがある。人質がなくなってしまえば、盗賊たちはあっというまにギーシュのワルキューレに制圧されてしまうだろう。

 ただし、ギーシュも決して内心から泰然としていたわけではない。むしろ虚勢をはっていたのは彼のほうが強く、もし二人の喉元から血しぶきがほとばしったらと思うと、目眩がして足が震えるのを必死で我慢していた。

 虚勢と虚勢、臆した方が負けるという状況で、ギーシュは全力で勇気を振り絞っていた。とはいえ、人質の立場からしても、できることなら助かりたい。 

「ちょっと、ギーシュ! あんたわたしたちを見捨てる気?」

「ギーシュさま、できれば助けていただけませんか。わたしにはまだやるべきことがあるんです」

 モンモランシーとリュリュは、すでに二人の死亡確定のように話を進めるギーシュにたまらずに抗議した。もちろんギーシュは二人を見殺しにする気は毛頭ないけれど、こういうときは「わたしたちにかまわず悪人たちをやっつけて!」くらいは言ってくれたらかっこうもつこうというものなのだが、空気を読んでくれないと困ったものだ。とはいえ確かに、このままにらみ合いを続けているわけにもいかない。

 だが、ギーシュが一か八か賭けに出ようと覚悟したときだった。突然彼の乗っていた大岩が地響きを立てて揺れ動き始めたのだ。

「なっなんだ、地震か? わああっ!?」

 ギーシュは手に杖と刀を持ったまま、お堂の残骸といっしょに滑り落ちた。

「ギーシュ!」

「ギーシュさま!」

 地震はどんどんひどくなり、その隙をついてモンモランシーとリュリュは盗賊の手から逃げ出した。こうなると、メイジ三人に対して、ナイフくらいしか持っていないたかが平民の盗賊に勝ち目はない。こちらもこの隙にと尻に帆かけて逃げ出した。

「逃げろ!」

「あっ、待ってくれ兄貴!」

 盗賊たちは逃げていくが、ギーシュたちも追うどころではなかった。大岩を中心にして地割れが生じだし、モンモランシーとリュリュは転げ落ちてもだえているギーシュを助け出すと、すぐに大岩から離れていった。

 けれど、本当の恐怖はこれからだった。地震と地割れはどんどん激しくなり、大岩が地面から持ち上がったと思った瞬間、大岩の側面にぎょろりとした目が開いたのだ!

「あ、あれって……」

「か、か、かかか」

「はわ、はわわわ」

 三人の見ている前で、大岩と思われていたものは地の底からその黒々とした巨体を現した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そいつは、身長およそ六十メイル、全身黒色の肉食恐竜のような姿で、真っ赤な底冷えのする瞳を光らせている。もう間違える心配はない。こいつは、岩などではなかった。

 

「怪獣だぁーっ!!」

 

 そう、大岩と思っていたのは、なんと怪獣の頭だったのだ。

「ぼ、ぼくはずっとあんなところに立ってたのか……」

 お堂の立っていた場所は、ちょうど怪獣の頭頂にあたる部分だった。その怪獣は、腰を抜かして呆然と成り行きを見守っているギーシュたちの目の前で地底からその姿を完全に現し、復活の咆哮をあげると、その爛々と光る目を逃げていく二人の盗賊に向けて狙いをつけた。

「たっ、助けてくれえーっ!」

 盗賊二人は悲鳴をあげながら逃げていく。盗賊である彼ら自身が被害者となった人々に幾度となく言わせた言葉を、今こうして叫ぶことになったのは因果応報というしかないが、それが彼らの最後の言葉となった。怪獣は、逃げる人間たちをぎょろりと見下ろすと、その大きく裂けた口から真っ赤な舌を触手のように伸ばしてあっというまに盗賊二人を絡めとり、一瞬のうちに口の中に引きずり込んでしまったのだ!

「た、たたた、食べちゃったぁ!?」

 モンモランシーが悲鳴のような叫びをあげた。そして、二人はこれを見てふもとの村で忠告された言い伝えを思い出した。

「伝説の、人を食う竜ってのはこいつのことだったのか」 

 ギーシュは戦慄した。あのときは単なる古びた迷信と笑ったけれど、実際に目の前で人が二人食われてしまったのだ。しかも、竜どころの騒ぎではない。もしこの場に才人がいたら、何をおいても彼らに逃げるように指示していただろう。なぜなら、この怪獣は地球にも出現したことがあり、その名を復活怪獣タブラという。その性質は、今彼らが見たとおりに人間を常食とする極めて危険な怪獣なのである。

 そして、目を覚まして腹を減らしているタブラは、当然人間二人程度では満足せずに、次にその真っ赤な目を三人へと向けて舌なめずりをしてきた。もちろん、この場で彼らがとれる選択肢は一つしか存在しない。

「にっ、逃げろーっ!」

「きゃーっ!」

「いやーっ!」

 三人は、自分でも信じられないほどの脚力を発揮して走り出した。道順などどうでもいい、とにかく怪獣から遠ざからねばと、木々のすきまをぬって駆けていく。『フライ』で飛んで逃げれば速度は出るが、高度をとればあの長い舌で捕らえられてしまう。今は密生した森の木々だけがなんとか三人を守ってくれているだけで、怪獣の視線から見れば三人は丸見えだし、タブラが獲物を見逃すなどありえない。

「ちょ、ギーシュなんとかしなさいよ!」

「そ、そんなこと言われたって!? そ、そうだワルキューレ!」

 とっさに思いついたままに、ギーシュはワルキューレを二体作って逆方向に走らせた。囮にしようというのである。しかし、怪獣は彼の思惑には乗らずに、派手に動くワルキューレを軽く一瞥しただけで、そのまま三人を追いかけてきた。

「なっ、なんでだあっ!?」

「たっ、たぶんゴーレムが生き物じゃないって見破られちゃったんですよ。鳥ははるか上空から獲物の小動物を見分けられるっていいますから」

「なるほど、って、来たーっ!」

 いつの間にか、彼らの背後からタブラの舌が大蛇のように伸びてきていた。間一髪、狙われたギーシュはそれをかわしたが、はずれた舌は隣の大木に絡みつくと、それをまるで雑草のように軽く引き抜いてしまった。

「いっ、いったいどれだけ伸びるんだよ、あの舌は?」

 タブラとギーシュたちの間に、身長差による歩幅の違いがあるにせよ、どうにか四十メイルは距離を空けているというのに余裕で伸びてきた。それもそのはず、タブラの舌の長さはオイル怪獣ガビシェールの舌の二百メートルに次いで百メートルという長大さを誇り、ちょっとやそっと逃げただけでは射程から逃れることはできない。それだからこそ、タブラも全速で追おうとはしていないのだ。もしタブラが全力疾走したら、一秒で三人は捕まってしまうだろう。

 けれども、とにかく逃げているうちに本道から大きく外れ、山肌が切り立ったがけに追い詰められてしまった。飛んで登ろうとすれば舌に捕まる。残るは右か左か、そのとき彼らの目に山肌にぽっかりと空いた洞窟が映ってきた。

「あ、あそこに逃げ込めーっ!」

 普通に考えたら、狭い洞窟の中は逃げ道を失うし、タブラは地底怪獣であるからどんな地下深くに逃げ込んでも逃げ切れるものではないが、今の彼らにはそこしか逃げ場は見えていなかった。

 しかし命からがら飛び込んだものの、奥行きは三十メイル程ですぐに行き止まりになってしまった。どうやら最悪の選択をしてしまったらしいが、後悔してもすでに遅い。そしてもはや引き返すこともできずにいたところに、入り口からタブラの舌が進入してきてギーシュを巻き込んでしまった。

「わっ、わあああっ!」 

 絡めとられたギーシュはズルズルと入り口のほうへとひきずられていく。その外には、怪獣が口を大きく開けて待ち構えている。噛み砕かれるにしろ丸呑みにされるにしろ、このままではギーシュの命はあと数秒。

「このっ、こいつギーシュを離しなさいよ!」

「ギーシュさま、今お助けします!」

 モンモランシーとリュリュは、必死で持ちうる限りの魔法をタブラの舌にぶつけてギーシュを助けようとした。しかしモンモランシーの系統の水は元々直接攻撃力に乏しく、しかもメイジとしては最低クラスのドットランクの魔法力しかないためにほとんど効果がない。また、リュリュはモンモランシーより技量の高い土系統の使い手であったが、料理に関することに努力を集中していたため、攻撃に関する魔法は護身程度で、やはりたいした効果はあげられなかった。そうしているうちにも、出口まではあとたった十メイルしかない。

「わっ、わっ、わあああっ!」

「どうしよう、どうしよう」

 二人はできる限りの抵抗を示したけれど、すべて時間稼ぎにもならずに終わった。だが、このままギーシュは食われてしまうのかと、どうしようもない絶望感が二人を包み込んだときだった。リュリュの足元に乾いた金属音を立てて、ギーシュが夢中でここまで握って持ってきた、あの刀が転げ落ちた。彼女はそれを見ると、どうせ自分の魔法など通用しないと、拾い上げて思いっきり振りかざした。

「えーいっ!!」

 入り口寸前で、リュリュの渾身の力が込められて振り下ろされた白刃が舌に斬りかかった。けれども、刃は舌には一寸も食い込まずに、硬いゴムに当たったように食い止められてしまった。

 しかし、リュリュがだめかと思ったそのときである。刃が当たったところから青白い光が生じて、舌が電流が走ったかのように震えると、ギーシュを放り出して外に飛び出て行ってしまった。

「たっ、助かったあ」

「あっ、か、怪獣を見て!」

 モンモランシーに言われて、二人は外の怪獣を見て驚いた。なんと、いくら低級とはいえ自分たちの魔法にびくともしなかった怪獣が、口を抑えてのたうっている。三人は、しばらく呆然とそれを見守っていたが、怪獣はさらに怒りを増したと見えて、洞窟に再び目を向けてきた。

「わーっ! また来たーっ!」

 三人はもう一度洞窟の奥に逃げ込もうとしたが、それは結局さっきと同じことを繰り返すだけだった。だが、怪獣が洞窟のすぐそばまで来たとき、怪獣の頭頂部にまだ突き刺さっていたもう一本の刀が鈍い輝きを放ち、怪獣は力を失ったようにその場にへたりこんでしまったのだ。

「たっ……たすかった、のか?」

 怪獣は洞窟の外に座り込んだまま身動きしない。まさか死んだのかと一瞬思ったものの、重々しい呼吸音が響いてきて、その甘い期待を打ち砕かれた。

「いったい、何が起こったっていうんだ……」

 三人は唖然として、洞窟の土の上にへたり込んだまま、眠っているのか覚醒しているのかわからず、洞窟の前に居座っている怪獣を見つめた。

「ど、どうしよう? 今のうちに逃げる?」

「そ、そうしようか……」

 モンモランシーに言われて、ギーシュはとにかく怪獣が動かないうちに逃げようと腰を上げた。だがそのとき、洞窟の外に出ようとした二人の背中から、突然重々しい声がした。

 

”やめておけい。外に出たとたん、気配をかぎつけられて襲われるぞ”

 

「えっ!?」

 思わず振り向いた二人の目の前には、リュリュがあの刀を背に担いで仁王立ちしていた。しかし、その目つきは彼女の穏やかなものではなく、歴戦の戦士のような鋭い苛烈な光を放っていた。

「リュ、リュリュちゃん?」

”うぬら、大変なことをしでかしてくれたのう。せっかくわしが苦労して封じておったもののけを、興味本位で目覚めさせてくれおってからに”

「なっ、何を言っているんだい?」

”ぬ? おお、そういえば急いでいてまだ説明しておらんかったか。拙者、すでに肉体を持たぬ亡者の身ゆえ、こうして生者の身を借りねば、現世の者と語り合うこともかなわぬのだ”

「へっ?」

 ギーシュとモンモランシーは思わず間抜けた声を発してしまった。そして脳が思考を再開したとき、二人は今の言葉を吟味してみた。亡者が、生者の身を借りて、現世の者と語り合う? ということは?

「ま、まさか……憑依?」

”なかなか察しのよい小娘じゃ。さよう、拙者、錦田小十郎景竜と申す者じゃ。すでにこの世のものではなく、この刀に思念の一部を封印しておったが、この娘が強い念を持って振るってくれたおかげで出てくることができた”

「ニ、ニシキダコジュウロウ・カゲタツ!? って、それじゃ幽霊!? ええーっ!」

 二人は天地がひっくりかえるほど驚いた。魔法道具についての授業で、意識を持つ道具、たとえば才人の持つデルフリンガーのようなインテリジェンスアイテムの中には、特に自我が強く、持ち主の意識を乗っ取ってしまうような伝説のものもあると聞いていたが、まさか実在するとは思わなかった。これの場合は、刀に宿った錦田景竜の霊がリュリュの体を乗っ取ったことになる。

”なにを呆けておる。うぬらが封印を解いてくれたおかげで、タブラめがこの世に復活してしまったのだ。このままでは大変なことになるぞ”

「ななな、なんてことをしてくれたと言うのはこっちだ! 早く彼女を解放したまえ!」

”急くなこわっぱ。別にこの娘をどうこうしようとは考えておらぬ。ただ、我もこうして生者の身を借りねば話せぬ身、とにかく、死にとうなかったらわしの話を聞けい!”

 リュリュの体を借りた景竜は、混乱するギーシュとモンモランシーに向けて刀を振り下ろした。

「わぁぁっ! 聞きます、聞きますから!」

「わかった! わかったからやめて!」

 とても少女のものとは思えない鋭い斬撃に鼻先を掠められて、二人は一発で度肝を抜かれて降参した。

”最初からそうしておけばよいのじゃ、よいか、よく聞けよ……”

 刀を下ろした景竜は、ごほんと咳払いをすると話を始めた。

 

”まずは、先に言っておこう。わしは、主らとは違う国、見果てぬくらいに遠い日の国で生を受けた者じゃ。ただ、わしは生来もののけを見極める力に優れていてのう。その生涯を魔物退治に明け暮れた。ある地では荒ぶる宿那の鬼を、ある地では強大なる怨霊鬼を封じてまいった。ここも、その一つじゃ”

 景竜は順を追って説明をしていった。彼は、このハルケギニアとは違う日本という国の、侍という戦士で、魔物を退治する旅の途中で、不思議な力によってこのトリステインに導かれてきたのだと語った。また、あの怪獣の名はタブラといって、四百年前にこの地に現れて里を荒らしまわっていたのだが、たまたま立ち寄った景竜と戦うことになったのだという。 

”わしは奇妙なことに、魔物の現れるところに不思議な縁によって導かれるようでのう。ここのタブラも、里の者から聞いた話では、はるかな遠い昔にこの地で暴れまわっていたが、突如やってきた青き光の巨人に敗れ、地の底に封じられたそうじゃ”

「光の巨人……それってまるで、ウルトラマンみたいだな」

「うん、もしかしたら大昔にもウルトラマンの先祖がやってきてたのかもしれないわね」

”ふむ、今となっては伝説の真偽はわからぬがのう。しかし、それより奴はずっと眠り続けていたが、四百年前の当時この地方を大規模な地震が襲い、地の底で眠っていたきゃつが蘇ってしまったというわけじゃ。それで、わしの力を刀に込めて奴の眉間に突き刺すことによって、奴を再度眠らせることに成功したのじゃ”

 その封印の刀がこれだと、景竜は刀をかざして見せた。一見、何の変哲もないが、景竜の破邪の霊力が込められており、先程もタブラに対して絶大な効果をあげていた。一種オカルトに属するかもしれないことだが、お地蔵様の神通力で封じ込められていたエンマーゴや、平和観音像の下に封じられていたズラスイマーのように、科学では解明できない不思議な力が巨大怪獣を封印していた例というのは意外とあり、景竜の力が込められたこの刀も、それらと同様のものということだろう。

 ただし、本来これはこの場にあってよいものではなく、景竜は不愉快そうに続けた。

”それなのに、主らが無用心に刀を抜いてくれたおかげで、せっかくの封印が解けかけておる。念のために、この地には足を踏み入れるなと、警告の地図を残しておいたものを”

「えっ、そ、それってもしかして……」

 ギーシュは慌てて宝の地図と思い込んでいたものを取り出した。

”おお、それじゃそれじゃ。その地図に、この地に魔物が眠るから立ち寄るなと、書き込んでおいたろう”

 えっと思ってギーシュは地図を見つめなおした。確かに、地図の×印の傍らには注略らしい書き込みがしてあるが、それはハルケギニア語ではなくてギーシュには読めなかった。ただし、もしこれを才人が見ていたら「この地に、怪獣多武羅が眠る。決して近寄ることなかれ」と読んでいただろう。なぜなら、それは漢字で書いてあったからである。

”うむ、そういえばこことわしの故郷は文字が違ったな。これは不覚であった”

「なにを偉そうにしてんだこのおっさん、わぁぁぁっ!?」

 また目の前に刀を突きつけられて、ギーシュは慌てて手を上げた。

”うぉほん、さてそれはよいが、念のためにと思うて、わしの思念の一部をこの刀に込めて残しておいて正解であった。ともかく奴は四百年の時を経て目覚めてしまった。当然、とても腹を減らしてな”

「つまり、わたしたちはエサというわけね」

”そうじゃ、まだ奴の眉間に残っているわしの小太刀の力でかろうじて押さえ込んでいるが、この洞窟から一歩でも出ようものなら、すぐさま気配を感じ取って、空腹に命じられるまま襲い掛かってくるじゃろう。そうなれば、もはや衰えたわしの力では奴を止めることはできん”

 なぜそんなにのん気そうに大変なことを言うんだと、二人ともイラッときたが、バッサリ斬り捨てられるのはごめんなので黙ってうなづいておいた。けれども、洞窟は行き止まりなので、出るにはどうしてもタブラの目の前を横切らなければならない。 

「ギーシュ、あんたの使い魔のモグラに穴を掘らせて逃げられないの?」

「ああ、呼んでみたんだけれど、この山は極めて固い鉱物質の岩石でできてるみたいで、ヴェルダンデの爪も歯が立たないみたいなんだ。残念だけど、穴を掘って逃げるのは無理だよ」

「肝心なときに役に立たないんだから……」

 もしやと思った希望がすがりようがないことを確かめさせられて、モンモランシーは大きくため息をついた。

「つまり、完全に閉じ込められちゃったってわけね」

”そのとおりじゃ”

「この……他人事だと思って」

 かといって、現地の人でさえ立ち入らないこの山に助けが来るとはとても考えられないし、ここに来ることは誰にも話していなかったから、知人が来てくれる可能性もない。しかし、仮に来てくれたとしてもタブラのエサにされるだけなのだが、今はそれよりも切羽詰った問題があった。

「どうしよう。日帰りするつもりだったから、食料の手持ちはほとんどないわよ」

「そうだった! 大変だ。これじゃあ一週間も持たずに飢え死にしちゃうぞ!」

 リュックの中身は昼食でほとんどなくなり、残った菓子などをかき集めても一食分にもなりはしない。水だけはモンモランシーの水魔法でまかなえるが、このままでは遠からず飢え死にだ。

 しかし、景竜は平然とした様子で、リュリュの見た目からしたらふてぶてしいような態度で二人の心配を切って捨てた。

”案ずるな、飢えて死ぬ心配はない。なぜなら、小太刀の封印は、長くてあと三日しか持たん”

「ええーっ! なんだってえーっ!」

”いちいち驚くな。封印はこの太刀が主で、小太刀は補助にすぎん、当然あれだけでは力が足りんのじゃ”

 もう慣れたが、なぜこの幽霊はこういう重大なことをいっぺんに言ってくれないのだろうか。しかし、それはすなわち三人の命は、あと三日ということになる。それが過ぎてタブラの封印が完全に解かれれば、こんな洞窟などひとたまりもない。

”じゃが、たった一つだけおぬしらが助かる方法がある”

「な、なんだって! いったいどうしろって言うんだ!?」

 すると景竜はもったいぶる様子もなく、さも当たり前といった風に答えた。

”決まっておる。おぬしらの手で、タブラを再び封印するのじゃ”

 

 

 続く



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第62話  夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (後編) 二人の勇気とリュリュの夢

 第62話

 夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (後編) 二人の勇気とリュリュの夢

 

 復活怪獣 タブラ 登場!

 

 

 怪獣タブラに洞窟の出口をふさがれ、ギーシュ、モンモランシー、リュリュの三人は逃げ出すこともできずに、この暗い穴倉の中に閉じ込められ続けていた。

「腹減った……」

 もう何度目になるかわからないことをつぶやきながら、洞窟の壁に寄りかかりつつギーシュはうなだれていた。少し離れたところには、モンモランシーとリュリュが同じように伸びている。この洞窟に閉じ込められて早一日、その間水だけはなんとかなったものの、食料はあっという間に尽きてしまって、みるみるうちに体力を失っていったのだ。

「あのオヤジ……適当なこと言いやがって」

 それでもギーシュは残っていた思考力で、錦田景竜が言い残したことを思い出していた。

 

 

”お前たちが責任をとって、もう一度タブラを封印するのじゃ”

 景竜はさも当然と言ってのけてくれたが、それがどれだけ困難なのかは考えるまでもなかった。

”この刀を、もう一度奴の眉間に刺しなおせ、それだけでよい” 

 と、簡単そうに言ってくれるけれど、タブラは初代の身長でも五七メートル。このタブラもほぼ同等の大きさがあり、『フライ』で飛んでもおいそれと近づける高さではない。しかも、この洞窟から出たとたんにタブラは襲い掛かってくるそうであり、人間が大好物だというとんでもないやつである。事実目の前で人が二人食われており、できるなら近づきたくもない。ギーシュはとても無理だと言ったものの、生きて帰るためにはどうしてもタブラの前を通らなければならず、逃げたところで逃げ切れる相手ではないことはすでに証明済みだ。

”できんというならそれもよかろう。封印が解けるまで、あと三日ある。それまでに別の手を考えるがよい”

 断られると、景竜はあっさりとリュリュの体を解放して消えてしまった。

「あ、あのー……今、わたしの中にカゲタツ様が……」

 どうやら、憑依されている間にもリュリュの意識はあったらしい。恐らくは、また霊剣の中に戻ってしまったのだろうが、どうにも危機感のない人である。

 それから、三人はなんとかほかに方法がないものかと話し合った。ともかく、正面きって戦っても勝ち目はなし、普通のドラゴンでさえトライアングル以上のメイジが数人がかりでやっとなのに、その十倍はある巨大怪獣、しかも前に二人が戦ったスコーピスと同じくらい凶暴な奴である。かといって飛んで逃げても長い舌を伸ばされて捕まるだけである。ここは何か作戦を練るべきであったが、メイジとしては最低レベルの彼らでは、できることは限られていたし、これがタバサなら奇策の一つも浮かんだかもしれないが、あいにく彼らにはそこまでの経験が不足していた。

「ワルキューレを出して、奴が気をとられてる隙に逃げるってのは?」

 という策くらいしか、実戦経験に乏しいギーシュに思いつく妙案はなかった。むろんこれは先程逃げたときのことを覚えていたモンモランシーにあっさりボツを受けた。

「さっき逃げるときにワルキューレを囮にしようとしたけど、奴は見向きもしなかったじゃない。忘れたの」

「ああそうか、それじゃあ土魔法でぼくたちの姿を隠して逃げても見つかっちゃうか。けれど、奴はどうやって見分けてるんだろう。視覚じゃないよな」

 遠目で見たら、人間もワルキューレもさして変わらないはずだ。それなのにタブラはワルキューレを完全に無視していた。

「音じゃない? ワルキューレは人間と違ってガシャガシャいうし」

「匂いじゃないでしょうか? 野生の動物は匂いで獲物を見つけるものが多くいますし」

「ふーん、どっちもありえるな」

 怪獣といえども生き物である以上、何らかの感覚で獲物を捉えているはずである。もっとも、怪獣の中にはヒドラやフェミゴンのような霊体や、ジャンボキングやタイラントのように怨念が集合して実体化したもの、クレッセントやホーなどのマイナスエネルギー怪獣のように、生き物なのかそうでないのか曖昧な妖怪じみたものもおり、ひとくくりに「これだ」とまとめられないのが難しいところである。

 しかし、匂いにせよ音にせよ、人間が生きている以上それを消すのは不可能である。水系統の上級のものには『仮死』の魔法というのがあり、タバサあたりなら使えるそうだが、モンモランシーには無理である。

 けれど、そこでモンモランシーがふと思いついたように提案した。

「そうだ、こっちの気配を消せないなら、もっと強い気配でおびきよせればいいんじゃない? その隙に、あいつに近寄って、この剣を刺して封印しちゃうの。ね、名案じゃない? ギーシュ」

「それで、なんでぼくに聞くんだい?」

「そりゃあ、こんな仕事はあんたしか適任はいないじゃない。骨は拾ってあげるから頑張んなさい」

 死者に祈るような仕草で言われて、ギーシュは慌てて断った。

「じょ、冗談! あんな化け物にぼく一人で向かっていけって言うのかい」

「なによ、だらしないわね。それでもあんたWEKCの隊長?」

「そ、そう言われても……」

 仲間がいるときならまだしも、たった一人であんな人食いの巨大怪獣に挑めと言われたらさすがにギーシュも腰が引けた。と、そのとき自分にとっては聞きなれない単語にリュリュが首をかしげた。

「あの、うぇーくってなんですか?」

「ああ、水精霊騎士隊の略称でWEKC、こいつらがやってる騎士ごっこよ」

「失礼だなモンランシー! そりゃ今は確かに、名前だけの中途半端な隊だけど、これにはいつか公式にこの栄光ある名前を冠することができるようにとの、我らの強い決意が込められているんだ!」

「だったら、根性見せてみなさいよ」

「う……」

 そう言われても、飛び出ていった瞬間にカメレオンの前のハエのような運命が待っているのは考えるまでもない。前にパンドラたちやスコーピスと戦ったときにも、結局歯が立たずにエースに助けられているのだし。彼としても女の子二人の前でかっこつけたいのはやまやまだが、戦場で華々しく散るならまだしも、怪獣の口で噛み砕かれての末路など考えたくもなかった。

「やれやれ。ま、ギーシュのヘタレはいいとして、あの怪獣をなんとかしないと、どのみち外に出られないしね」

「そういうこと、本人の目の前で言うかね……」

 ギーシュは抗議したが、モンモランシーのほうもこんなのと付き合っていたら、嫌でも毒舌も進化しようというものだ。さて、彼をいびるのはともかくこの状況はなんとかしなければいけない。

「ともかく、正面から挑んでも無駄だしね。何か囮が必要よね、たとえば、すっごくおいしそうな肉の匂いとかで引き付けるとか」

「おいおいモンモランシー、そんなものどこにあるんだい? この洞窟にはぼくら以外にはコウモリ一匹いやしないんだぜ。外に狩りに行こうものならあっというまにあいつに見つかってペロリさ」

 手持ちの食材で怪獣を引き付けられそうなものはとうにない、あったらこちらが食べたいくらいなのだ。ところが彼女はリュックの底をあさると、昼食のときに食べて吐き出した肉の代用食の塊を取り出した。

「なんだ、その肉のできそこないじゃハエの餌にだってならないぜ。いや、逆にこんなものに引っかかってもらったら、ぼくが傷つくぞ」

「うっさいわよ、話は最後まで聞きなさい。確かにこのままじゃ無理だけど、リュリュさん、あなたならこれにさらに味付けできるんじゃない?」

「え!?」

「そうか! 『錬金』は応用すればものの味も変えられるというからな。料理人志望の彼女なら、こんなものでもうまくできるかもしれない」

 それができるなら、問題は一気に解決すると、二人の視線がリュリュに集まった。そもそもリュリュがここへ来た目的も虹燕の肉の味を再現するためだ。この代用肉に虹燕の肉の味を再現できれば囮として申し分ない。しかし、リュリュは申し訳なさそうな顔をすると、自分のリュックからまったく同じ代用肉を取り出して見せた。

「それは……」

「ご覧のとおりの、肉の出来損ない……失敗作です」

「もしかして、あなたが作ったの?」

 リュリュの言葉の調子で気づいたモンモランシーが尋ねると、リュリュは恥ずかしそうにうなづいた。

「……はい、わたしが考えたんです。庶民の方々に、おいしいものが行き渡るにはどうすればいいのかって一生懸命考えて、この代用肉を作りました。美食が一部の人間の特権なのは、その量が足りないからです。パンやニシンのように、誰でも手に入るものになれば、ぐっとおいしいものも身近になるでしょう?」

 二人が黙ってうなづくと、リュリュは話を続けた。

「お察しのとおり、これは『錬金』で豆から作った代用肉です。街の商人たちと取引して、お店に置かせてもらっています。それほど売り行きは悪くないんです。けれど……」

「正直に言うと、まずいわね」

 モンモランシーに厳しく評価されて、リュリュは苦しく言葉を詰まらせた。

「わたしも、別に美食家というほどではないけど。これなら安物の豚肉のほうがまだましね。まあ、肉のような味はしなくもないけど……なんていうか、塩やコショウで無理矢理味をごまかしているというか、偽物くささが抜けてないのよね」

 貧乏貴族の出で、貴族としてはスレスレの生活を送ったこともあるモンモランシーは、筋張った安物肉の味にみじめさを感じたことはあっても、それでもこの代用肉よりはましだった。 

「まだ、修行が足りないからです。最初は、本当に泥のような味しかしませんでしたが、なんとか口にだけはできるようになりました。でも、まだ何か……何かが足りないんです」

「でも、もしかしてってこともあるじゃないか、せっかくそのために、幻の虹燕を捕らえたんだろう。味の再現、やってみてくれないか?」

「はい……」

 リュリュは自信なさげだったが、保存しておいた虹燕を取り出し、携帯している調理器具ですばやく解体していった。皮をはぐところではモンモランシーはさすがに目をそむけたけれど、リュリュの手並みのよさはさすがに魔法の料理人を目指しているだけのことはあった。やがて、食用になる肉の部分だけを取り出すと、『発火』の呪文で焼き鳥にしていった。たちまち、なんともいえないよい香りが洞窟の中に漂い、こんな状況だというのにほおがほころび、口内に唾液が満ちてくる。

「じゃあ、いただきます」

 まずは当然、リュリュが一口かじった。するとこわばっていた彼女の顔がほぐれて、涙まで浮かべた。

「お、おいしい」

「ほ、本当かい?」

「ええ、どうぞお二人も召し上がってください」

「え? いいのかい」

「はい、これで味は覚えましたので、もしうまくできましたら、お二人にも食べ比べていただかなければなりませんから」

 そう言われれば嫌も応もない。二人は、もともと少ない燕の肉を、それぞれ一口ぶんだけに分けて食べた。

「う、うまい!」

「ほんと、最高」

 単純な調理だからこそ、素材の味が引き立つ。口の中に広がる肉汁の芳醇さ、歯ごたえ、のどいっぱいに伝わる香りはそんじょそこらの肉とは比べ物にならない。さすがに世界七大美味に数えられることはある。

「これなら、うまくいくんじゃないか!」

「そ、そうですね。じゃあ、やってみます!」

 自信を得たリュリュは、杖を代用肉にかざして、たった今食べた虹燕の肉の味をイメージして『錬金』を唱えた。だがしかし、魔法が終わったあとも代用肉に特に変化は見られず、匂いにも変わりはなかった。

「やっぱりだめですね。いったい、何が足りないんだろう」

 がっくりと肩を落とすリュリュを見ていると、二人も責めるよりも先に可哀そうに見えてくる。

「ほらギーシュ、同じ土系統のメイジとして、何かアドバイスはないの?」

「う、そうだなあ……」

 ギーシュは腕を組むと、あまりまじめに聞いていなかった学院の講義をなんとか思い出そうとした。

 まず、『錬金』について復習してみる。土の基本スペルである『錬金』は、基礎であるが同時に土の魔法の根幹ともいえる重要な魔法である。巨大ゴーレムを作るのも、『錬金』の延長上であり、極論すれば土の魔法とは『錬金』の魔法といってもいい。

 その特徴としては、作りたいものに近ければ近い物質であるほど難易度は下がる。たとえば鋼鉄を『錬金』するには鉄が一番やりやすく、リュリュが代用肉の材料として肉と同じたんぱく質である豆を使ったのは懸命な選択であるといえる。なお、身近な例としてはギーシュのワルキューレは等身大であるから土からでも青銅を作り出せ、その反対に巨大ゴーレムを生み出すとなれば、トライアングルであったフーケでさえ終始土くれのゴーレムを使い続けていたことから、別の物質に変えるのがどれだけ難しいかがわかる。

 だが、重要なことはもうひとつ、『錬金』したいものをよく知るということである。術者のランクやセンスも当然左右するが、仮に絵を描くことに例えるならば、東京タワーや戦艦大和などは日本人なら誰でも知っているが、素人とマニアに書き分けさせれば、大まかな部分はともかく鉄骨の数や対空銃座の数で本物と大きく差が出るというわけだ。ちなみに、ギーシュが脳内でたとえ話に使ったのは、女性の体をどれだけよく観察しているかで裸婦像を作ったときの出来が違うかというものであったが、たとえ話としては不適切すぎたのでさしもの彼も口にはしなかった。

「要は、強いイメージ力が大切ということだろうなあ。ぼくも、美しい女性ほどブロンズ像を作るときに精密にできるし、いだっ!」

 やはりいらないことを言ってしまったためにモンモランシーにどつかれて、ギーシュはとりあえず話を続けた。

「ま、まあ……魔法全般に言えることだけど、なにより肝心なのは真剣さだろうねえ。感情の多寡といってもいいけど、本気で怒ったり悲しんだりしたときは、ドットがトライアングルクラスを使ったこともあるそうだし、なによりキレたときのルイズの爆発の威力は並外れてるしなあ……」

 最後の例えはリュリュにはわからなかったものの、モンモランシーはうんうんとうなづいた。ルイズと才人の痴話げんかで女子寮は何回倒壊するかと思ったことか。けれども、リュリュはそれでなお悲しそうな顔になった。

「わたしは、真剣さが足りないんでしょうか……」

 二人は、そうだとは言えなかった。たった一人で食材を求めてこんな奥地に乗り込んでくるなど、並の情熱でなしえることではない。けれど、『錬金』とは基礎であるだけに、とても奥が深い魔法なのである。

「いや、『錬金』しようとするものが料理だから、難易度が桁違いなんだろう。スクウェアクラスの『錬金』で作った鋼鉄でも、どこかに不純物が混じる。金属はそれでも十分実用に耐えるから問題にはならないが、料理ってやつは、塩コショウひと匙違いで大きく味が変わってくるからねえ」

 実際、地球で工業製品で作られる鉄も、精錬の過程で内部に硫黄やリン、水素などの不純物がどうしても残り、百パーセント純鉄の製品というものはない。また、これに硬度や耐食性を増させるために炭素やクロムを添加し、熱処理などを加えて使用できる鉄製品にするまでには大変な手間と、時間が必要とされる。むろん、そのためには巨大な設備と莫大な費用がかかる。鉄でこれなのだから、完全に人間のさじ加減だけで、多数の味が混在し、なおかつ舌触りや歯ごたえ、匂いまでも満足させえるレベルで食品を作り出そうというのが、魔法でもどれほど困難なのかは容易に想像しえることであった。

「やっぱり……魔法では、腕のいいコックの作った料理には及ばないんでしょうか」

「まあ、『錬金』でなんでも作り出せるなら、高い金を出して薬を買う人なんていないでしょうからねえ」

 モンモランシーも同意する。スクウェアクラスのメイジでも、黄金を『錬金』するには一月ぶんの精神力を使ってほんのわずかというふうに、希少物質ほど難易度は上がっていく。言っては悪いが、リュリュの挑戦は、夜空の星を掴み取ろうとするのにも似た、無茶で無謀な試みに見えた。

 それでも、女性に優しくということを小さいころから教え込まれてきたギーシュは、なんとかいいアドバイスはないかと無い頭をひねって、あることを思いついた。

「君の情熱は本物だろう。けれど、魔法は精神力の強さ、言い換えればそれを成功させたいという欲望の強さといってもいい。古代には、少数の兵で大軍と戦うに際して、自軍を逃げ場のない川岸に布陣して、兵士を死ぬ気にさせて勝利を得たり、的を射るにあたって一本を残して残りの矢を全部折ったという故事もある。多分、君の心のどこかに、失敗してももう一度やればいいという逃げの気持ちがあったんじゃないかな」

 そう言われてリュリュははっとした。

「そうですね。そういえばわたしは、これまで本当に食べ物がないってことを経験したことがないんです。食べ物がなくって不自由したことも、実家から仕送りが届くまでの一晩くらいで……そんなわたしが、”肉が食べられない人のためにお肉を作る”なんて、おこがましいのかもしれません」

「……」

 かける言葉を、今度こそ二人は失った。ここで「頑張れ」と言うのはたやすくても、彼女のこれまでの努力を考えれば、自分たちごときの言葉に重みを持たせられるとは思えない。

「どうしたものかしらね……」

 モンモランシーは息を吐き出すと、うなだれているリュリュを見下ろしてつぶやいた。考えられるだけのことは考えたが、結局名案は浮かばなかった。洞窟の外では、今もタブラが封印の解ける瞬間と、獲物が来るときを待って、荒い息を吐いている。

 

 

 しかし、たとえ地上の人間たちが何をしていようと、時間は遠慮などせずに刻一刻と流れていき、それと反比例して三人の体力と精神力は削られていった。

「暑い、おなか減った……」

 ギーシュに比べても、モンモランシーとリュリュの消耗は激しかった。脱水症状の心配がないのが唯一の救いといえたが、やはり何も食べられないというのは若い彼女たちにはきつかった。

「はは、こりゃ、休み明けにはかなりダイエットできてるわね」

 冗談を言ってみても、特に事態が改善するわけでもないけれど、なにかしゃべってないと本当に気がおかしくなりそうだった。

「ギーシュ、怪獣の様子は?」

「まだ頑張ってるよ。これじゃとても動けそうにないなあ」

 一度我慢できなくなって外に出ようとしたとき、一歩洞窟から足を踏み出したとたんにタブラがうっすらと目を開けかけたから、慌てて中に引き返してきた。これでは出口にクモの巣を張られたようなもので、別の出口がない限り、どうしたってクモの巣にかかるしかなくなる。夜の闇にまぎれて出てみようとしたのもだめだった。残念だが、景竜の言ったとおりに、洞窟から出たら奴は空腹のままに三人を捕食してしまうだろう。

 いったいどうすればいいのか? 少しでも体力の消耗を避けるために寝て動かないのを続けているにも限度がある。だが、やはりいい考えは浮かばない。

 

 二日目、水っ腹でごまかすのも限界に近づいてきていた。

「食い物が、こんなにありがたいものとは思わなかったな」

 目を閉じると、学院の食堂での光景が浮かんでくる。いつもは、毎日豪華なディナーが当たり前のように出てきて、食べられて当然だと思っていたが、こうして絶食するとそのありがたみがしみじみとわかる。思えば、いつもは食べきれないからとけっこうな量を残していた……あれだけでもいいから今は食べたい。

 モンモランシーとリュリュは、もう冗談を言う元気もなくなったのか、洞窟の奥でうなだれている。この状況で、錯乱して二人を襲わなかったのは、まがりなりにもギーシュのフェミニズムが本物であったということであろうけど、それ以上に、肉体が食欲以外の感覚を麻痺させていたというのもあるだろう。

 飢えの苦しさは、実際に味わってみないとわからないものだ。ちょっとくらい食事を抜いた程度でどうにかなりはするまいと、たかをくくっていた彼らは、その判断を大いに後悔していた。あるいは、この日が怪獣の前を強行突破する最後のチャンスだったのかもしれないが、彼らは空腹といらだちによって決断できなかった。

 

 そしてとうとう、運命の三日目の朝がやってきた。

「モンモランシー……水を、頼む」

 げっそりと衰えたギーシュたち三人が、幽霊のような姿になってそこにいた。この気候の中、かろうじてまだ正気は保っているものの、体力は衰えきっていた。だが、むしろ正気を失っていたほうが幸せだったかもしれない。なぜなら、タブラの封印が解ける時間がやってきたのだから。それまで、座り込んで眠ったようにおとなしくしていたタブラがうっすらと目を開け、まるで睡眠薬での眠りに抵抗するように身震いをはじめたのである。

「もうすぐってことか……」

 三人は、洞窟の入り口でそれぞれ杖を握り締めたままで、運命のときが来たのをかみ締めていた。もうすぐ、タブラは飢えの欲求に頼らずとも復活を果たして襲ってくる。そうなったときはもはや洞窟ごとつぶされて餌食にされてしまうのがオチだ。決断するべきときが、やってきた。

「しょうがないな……もしかして奇跡でも起きるかもと期待したけど、モンモランシー、ぼくが先に出てあいつの気を引き付けるから、そのあいだに彼女を連れて逃げてくれ」

「ギーシュ、あなた急に何言い出すの!? 死ぬ気?」

「いやあ、ぼくだってこんなところで死ぬなんてまっぴらごめんさ。けれど、この三日間ずっと考えてたけど、女性を守れずに死んだとあっては家名を汚すどころか、仲間たちの名誉もないし、あの世で死んだ祖父に叩きのめされてしまう。こういうときには男は女を守るものだろう」

「あなた! あなたを犠牲にして助かって、わたしがうれしいと思ってるの?」

 モンモランシーが叫ぶと、すぐにリュリュも同意した。

「そうです。軽々しく死んだりしちゃだめです。死んだら、もう何もできません。それに、大好きな人とも会えなくなっちゃうんですよ!」

「ありがとう、心配してくれてぼくは幸せだなあ。けど、ぼくもむざむざ死ぬ気はないさ。封印の剣を持っていくから、食われそうになったら斬りつけてやる。うまくいけば再封印することもできるだろう。それに、ぼくの性分でね、こんなときにはどうしてもかっこつけずにはいられないのさ」

「あんた……バカよ」

「けっこうけっこう、君の口から言ってもらえれば、悪い気持ちはしないな。けどもう何も言わないでくれ、散々迷って情けないけど、一応小なりとはいえ騎士隊の隊長だからね。決めれるところでは決めておかないと、サイトあたりに隊長の座をとられそうだからね」

「そりゃそうね。って! 冗談言ってる場合!?」

「ふふ、下手に決めようとしても失敗するのは経験済みだからね。おっと、ほんとに時間がないようだ。じゃ、この剣は預かっていくよ……うーん、剣なんて平民の使う武器だと思ってたけど、こうして見るとけっこう恐ろしいものだな」

 ギーシュは景竜の刀をしげしげと眺めて思った。ハルケギニアで一般的な洋剣と違って、日本刀の研ぎ澄まされた鋭さは、触れれば切れるという本能的な恐怖心を呼び起こすものがあった。

「じゃあ、ぼくが飛び出て、奴がぼくを追いかけ始めたら逆方向に逃げてくれ。決して、振り向いてはいけないよ。ぼくがどうなろうと、安全なところまで逃げるまでは振り向いてはいけない。いいね」

「ギーシュ、そういうかっこいい台詞は足の震えを止めてから言いなさい」

 足元を指差されてギーシュは思わず苦笑いした。最終的に命よりかっこつけるほうを選んだとはいえ、やはりギーシュはギーシュで変わらないようだ。けれど、たとえ虚勢であろうと男が一度決断したら後には引けない。ついにタブラがゆっくりと起き上がってきたとき、ギーシュは飛び出した!

「うおぉぉぉっ!」

 タブラの眼前を、このときばかりは空腹も恐怖も忘れて彼は走り抜けた。すると、タブラはその濁ったルビーのような赤い目を見開き、恐ろしげな咆哮をあげて襲い掛かってくる。かつて地球で同族が三千年の昔に、大勢の人間を追い詰めて食ったときの光景が再現されつつあった。

「さぁ、こい!」

 このときギーシュは三日間食事を抜いたとは思えない体力と頭の冴えを発揮していた。肉体的な疲労は精神の高揚によってある程度払拭されうる。端的に言えば火事場の馬鹿力というやつだろう。しかしそれでも、タブラの舌は蛇のように伸びてくる。そのとき彼は景竜の刀を刃を外にして直立させて構えた。すると、タブラの舌はギーシュに巻きつこうとしたが、刀を巻き込んで締め付けることになってしまったために、内側を切られてはじけるように引き戻した。

「やった! どんなもんだい」

 思ったとおりうまくいった。いかな大蛇でも鉄のとげを生やしたサボテンを締め付けることはできない。かなり危険な賭けではあったが、あの舌さえなんとかできれば魔法を駆使すれば逃げまくるのはなんとかできる。あとはどれだけ時間を稼げるか。

 だが、そうギーシュが思ったとき、舌を傷つけられて怒ったタブラはその両眼からいなづまのような破壊光線を放ってきたのだ!

「だああっ! そんなのありか!!」

 破壊光線の爆発で吹き飛ばされかけながらも、彼はなんとか右へ左へと回避を続けた。この光線はタブラの最強の武器で、直撃すればウルトラマン80でさえダウンに追い込まれたほど強力な威力を誇る。当然人間なんかが食らえば骨も残らないが、それでいいと思うくらいにタブラは怒っていた。

 それを見て、ギーシュを見捨てられずに洞窟の影から見守っていたリュリュは思わず叫んだ。

「ギーシュさま! ああ、いったいどうしましょうモンモランシーさん!」

「あいつ、柄にもない無茶をするから! わたしが行くから、あなたはすぐに逃げて」

「なっ、なにを言うんです。そんなことできるわけないじゃないですか!」

「いいから聞いて、こうなったのも結局はわたしたちの責任だし、あなたには本来関係なかったことよ。少なくともあなただけは逃がす責任がわたしたちにはあるわ。それに、誰かがあの怪獣のことを外の人に知らせないといけないわ」

 そう有無を言わせない口調で告げると、モンモランシーは一目散に駆け出した。普段高慢でも、彼女もまたトリステインの貴族である、いざというときには男同様に肝が据わっている。

 けれども、これといった攻撃魔法をほとんど使えない彼女の力では、せいぜい水玉をぶつけて気を引く程度しかできない。

「モンモランシー! 来るなって言っただろ」

「早々に死にそうになってるくせに偉そうなこと言ってるんじゃないわよ! って、わーっ!」

 言ったとたんにお返しとばかりに、タブラの長くて太い尻尾が巨人の鞭のように襲い掛かってきて、慌てて飛び上がった先で森の木が一度に十本以上へし折られていく。

「い、いまよギーシュ! 奴を封印して!」

「で、できるかぁ!」

 助けに入ったはいいものの、タブラは尻尾を振り回してモンモランシーを襲い、破壊光線の乱射でギーシュを追い詰めていく。この巨大怪獣に対抗するには、二人の力ではいくらなんでも不足だった。

「畜生! ぼくはこんなところで終わるのかよ」

 せめてキュルケくらいの力があれば、勝てなくても時間だけは稼げるのにと、ギーシュは己の非力さに怒りを覚えた。このまま、体力も精神力も尽きて、人知れぬまま怪獣の餌食となって死ぬのか。せめてもう一回モンモランシーとデートしてから、いいやせめて結婚してから、いいや子供が生まれてから、いやいや孫ができてから死にたかった。

 だが、ギーシュがそんな贅沢な妄想を走馬灯のように脳裏に駆け巡らせたとき、突然タブラの目の前の地面が青白い光を発しだしたのだ。

「な?」

「え?」

 二人と、タブラもその不自然な輝きに一瞬目を取られたが、すぐに青白い光は掻き消え、代わってあたり一面に、えもいわれぬうまそうな香りが漂いだした。

「この匂いは……虹燕の肉?」

 この香りを嗅いだとたん、二人の口内にあの虹燕の味がフラッシュバックしてきた。その大層な美味の記憶が呼び起こされ、危機的状態だというのに、口の中に唾液が満ちてくる。

 タブラも、その強い肉の香りに気づいたのだろう。二人を追いかけるのをやめて、より食欲をそそる香りを放つ地面に目を向け、前屈姿勢をとると舌を地面に突き刺して、それを掘り起こした。

「肉?」

 なんとそれは、ほどよく焼けた匂いを放つ大きな肉の塊であった。タブラはそれを口の中に運び込むと、すっかり味を占めたのか、さらに舌を伸ばして肉を掘り返し始めた。むろん、ギーシュとモンモランシーは完全に忘れ去られている。

「これは……リュリュくん!」

 見ると、洞窟の影から飛び出てきていたリュリュが荒い息をつきながら杖をかざしている。それで二人は理解した。この肉は、リュリュが魔法で地面を変化させて作り出したものだということに。

「今ですギーシュさま、封印を!」

「あっ、そ、そうか!」

 今タブラは前かがみで、ちょうどギーシュに頭を向けている。直線距離でおよそ二十メイル、チャンスは今しかない。ギーシュは覚悟を決めると、右手に刀を、左手に杖を構えて、残った精神力を全て『フライ』に変えて飛んだ!

 

「いっけぇぇーっ!」

 

 これでしくじったらもはや後はない。全力をかけて可能な限りの速度で彼は飛んだ。

 しかし、タブラまであと五メイル程度というところでタブラの目がギーシュのほうを睨んだ。

「だめかっ!」

 あと一歩だというのに気づかれてしまった。これでは、一瞬の後に破壊光線を浴びてギーシュの体は粉々に打ち砕かれてしまうだろう。そうなれば、残った二人の運命も……せめてあと一秒あればと彼が思ったとき、タブラの目が見開かれて光線が放たれようとした。その瞬間だった!

”ようやった小僧ども、上出来じゃ”

 突如、彼らの頭の中に景竜の声が響き、タブラの動きが止まった。

”奴の気が逸れたおかげで、今の拙者でも動きをわずかじゃが止められる。さあ、ゆけ!”

「おおおっ!!」

 言われるまでもなく、雄たけびをあげてギーシュは突進し、景竜の小太刀が突き刺さっている場所のすぐそばをめがけて渾身の力で刀を突き立てた。

「やったか!?」

 手ごたえを感じて刀を放し、刀が突き刺さっていることを確認するとギーシュはすぐさまタブラから飛びのいて離れた。これでだめなら、もう他に打つ手は一つもない。

 タブラは、再び封印の刀を打ち込まれて、しばらくは呆然としたように棒立ちになっていた。だが、刀から霊力のほとばしりを思わせる白光がひらめくと、身震いしてもだえだし、前のめりに倒れると苦しみから逃れたがっているかのように前足で地面を掻き分けて地底に潜り始めた。

「まずい! 二人とも逃げろ!」

 この山岳地帯の地質は硬い金属質岩石でできている。そこを無理矢理掻き分けて潜り、岩盤を破壊し始めたものだから、周りの地面もあおりを食って地割れを生じ始めたのだ。モンモランシーとリュリュは地割れに飲み込まれかけたものの、かろうじて『フライ』で飛んで逃れることに成功した。

 しかし、周辺はどんどん陥没を始めて、ついには周囲一帯がクレーターのようになってしまった。

 

 

「や……やったのか……」

 壊滅した一帯を離れた場所に降り立って見つめながら、三人は呆然と立ち尽くしていた。

 すでにタブラの姿はどこにもない。地下深くに逃げ去り、死んだのか生きているのか、確かめる術はない。

「ともかく、助かったのよ。やったわねギーシュ、かっこよかったわよ」

「いやあ、君たちが助けてくれたからだよ。ありがとう……それにリュリュくん、なによりも君の魔法、見事に成功したじゃないか!」

 ギーシュは自分のことよりも、とにかくリュリュの魔法の成功を喜んでみせ、彼女ははっとしたように自分の手の中の杖を見つめた。

「そういえば……わたし、できた、できたんですね! でも、これまでずっと失敗してたのに、なんで?」

「多分、三日間食事をしないで、餓えきって食べ物がほしいと心から思ったからでしょうね。魔法の力は心の力、あなたに”食べ物に対する切実な思い”が芽生えたから、杖はあなたにこたえてくれたのよ」

「そうか……確かに、あんなにお肉が食べたいと思ったことは生まれて初めてでした。ありがとうございます! あなた方のおかげです」

 リュリュはやせこけた顔でにっこりと笑うと、二人に向かって深々と頭を下げた。

「そんな、むしろぼくたちはこんなことに巻き込んで、おわびをしなけりゃならないくらいさ」

「いいえ、これでわたしの夢は一歩前進できました。それにしても、ギーシュさまはすごく勇敢でいらっしゃるのですね」

 羨望のまなざしを向けられて、ギーシュは思わずいつものようにかっこうをつけようとしたが、それより早くモンモランシーのツッコミが入った。

「あー、リュリュちゃん、間違ってもこんなのにあこがれちゃだめよ。なにせこいつったら、いつもは女の子と見れば見境なく口説きにかかる最低な奴なんだから」

「それでも、わたしたちを救ってくれたのは間違いなくギーシュさまです! このご恩は一生忘れません」

「ほんとに……いつものこいつを知らないから」

 そう言いつつも、そんなのと付き合い続けているのだからモンモランシーも人のことは言えない。それに、リュリュ自身も気づいていないかもしれないが、彼女の魔法が成功した理由の一つは、ギーシュを助けたいと切に思う気持ちがあったからである。人間の本能で自己保存についで強いものとは何か、それが働いたからでもあろう。

 そのギーシュはといえば、モンモランシーに最低よばわりされて少々へこんでいた。一応はかっこいいところを見せたのだから、もう少し胸を張っていればいいものだけれど、仮にも惚れている女性に侮蔑されて愉快でいるほど彼は異常性癖ではない。

「あー……もうそのへんにしておいてくれ。やれやれ、ともかくよかったねリュリュくん、これからどうするね?」

「はい、成功したとはいえ、これをいつでもできるようにしなければ意味がありませんので、もうしばらく修行に専念することにします。美食は虹燕だけではありませんし、魔法の腕ももっと磨かなければなりません。どこかに魔法の訓練ができて、腕の立つコックさんがいるところがあればいいんですが」

「そうだね。ん、まてよ? 魔法の練習ができて腕のいいコックのいるところ、ぴったりの場所があるじゃないか!」

 指を鳴らして喜びの声をあげるギーシュを見て、モンモランシーは彼と同じ結論にいたって息を呑んだ。

「あんた、もしかして」

「そう、トリステイン魔法学院、魔法の訓練には最適の場所だし、なにより料理長のマルトー氏はトリステイン有数の腕利きコックだ。国中探しても、彼以上の腕利きはそういるまいよ」

 モンモランシーは驚いたが、確かにギーシュの言うとおりだった。マルトーは並の貴族などは及ばないほどの高給で学院に雇われた身であり、それでなくては数百の貴族の子弟の舌を毎日満足させることはできない。けれど、他国の学校に行こうということは彼女にとってはどうかと思われたし、何よりそんなギーシュの下心丸出しの意見などと思ったが、意外にもリュリュは二つ返事でこれを受け入れた。

「喜んで! 実はそろそろ一人で修行するのにも行き詰まりを感じていたので、いっそ基礎からやり直すのもいいかもしれません」

「ちょ、ちょっと! こいつの言うこと真に受けちゃだめよ! それならギーシュ、彼女はわたしたちより年長なのに、どうやって今から転入させるのよ」

「大丈夫大丈夫、学院長に話を通せばすぐにわかってもらえるさ」

 一瞬でモンモランシーは反論の余地を失ってしまった。あのセクハラ魔でその名を知らぬ者のいないオスマン学院長が、リュリュほどの美少女の転入を断るとは、九九.九九九九パーセント考えられない。ちなみに、残りの零コンマ一万分の一パーセントはというと、ヤメタランス病にでもかかってスケベを「やーめた」としたぐらいだが、あの人からスケベを抜いたら幾人が彼をオスマンと認めるだろうか? 奇妙な話だが、ギーシュにとっての女好き、ルイズのかんしゃくもちなど、一見欠点としか見えないところもまた、その人間を形作るうえで重要なアドバンテージを持っている。逆説的な話だけれど、長所より欠点のほうがその人間の魅力を引き立たせることが多々あるのだ。たとえば、知勇兼備で関羽や孔明を必要としない劉備玄徳や、穏やかな性格の織田信長、美男子な豊臣秀吉などが、いくら優れていようと歴史上以上に英雄として人の心を掴み得ただろうか? 天は二物を与えずと言うが、欠点こそが天が人間に与えた二つ目の長所なのである。

 ともあれ、新学期になったら新しい仲間が学院に加わることになるだろう。

「あらためて、よろしくね。リュリュくん」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「やれやれ……仕方ないけど、学院に来てこいつに幻滅しないようにね。ま、これからもよろしくね」

 お宝を探しに来て、新しく友達を得てしまった。けれど、使えば消えてしまう金銀財宝よりも、一生もので残る人間の絆のほうが、将来得るものは大きいだろう。だが、そうやって三人がうれしそうに笑っていると、突然三人の頭の中にまた景竜の言葉が響いた。

 

”そちら、大儀であった。よくぞ封印を成功させてくれたな”

「カゲタツのおっさん! あんたいままでどこで」

”おっさんよばわりは心外じゃのう……しかしともかく、タブラは再び地の底で長い眠りについた。もはや何者も手出しのできない地の底にな。これで、当分は奴が蘇る心配はないじゃろう。ごくろうじゃった、これでわしもまた安心して眠れるわい”

「そりゃどうも、よかったですこと」

 ギーシュとモンモランシーは苦笑いを殺しきれなかった。この無責任な幽霊のおかげで、どれだけ苦労するはめになったことか。

”うむ、では拙者はそろそろ去ることにしよう。さらばだ、若者たちよ”

「あー、さよーなら」

 名残惜しさの分子すら感じさせない口調で、投げやりにギーシュは景竜に別れを告げた。すると、さすがにちょっとカチンときたのか、景竜は去り際にとんでもない捨て台詞を残していった。

”おお、そうじゃ、言い忘れておったが、この世界にはタブラのほかにも拙者が封印した魔物がいくつも眠っておる。命が惜しくば足元にはゆめゆめ注意することじゃな。はっはっはははは……”

「なっ、なにぃー!」

 笑い声を残して、景竜の霊は消えていった。もはや、呼べど叫べど虚空は答えない。まったく、最後の最後まで面倒な置き土産を残していってくれる人だった。

 けれど、これで大変であった冒険もようやく幕が下りようというものだ。

「はぁー、なんかどっと疲れたな。それに、腹減った……」

「ふふ、じゃあ村に戻ったらわたしが腕によりをかけてごちそうしてあげますよ」

「ほんとか! じゃあ帰ろう、すぐ帰ろう! リュリュくんの料理、いやあ楽しみだなあ」

「まったく、ちょっとは遠慮ってものを覚えなさいよね。でも……ま、いっか」

 

 平和と平穏を取り戻した魔の山を、三人は仲良く語らいながら下りていった。

 彼らにとっての夏休みは、まだまだ半分も終わっていなかった。

 

 

 続く



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第63話  短い夏の日の終わり (前編)

 第63話

 短い夏の日の終わり (前編)

 

 冷凍怪人 ブラック星人

 雪女怪獣 スノーゴン 登場!

 

 

 アルビオン大陸、ウェストウッド村はまだまだ夏日が続いていた。セミの鳴き声が間断なく鳴り響き、外に干した洗濯物は一時間ほどで乾いてしまう。ときたまやってくる夕立さえなければ、遊ぶにはこれ以上ないというくらいに、太陽は下を通るものを真っ黒にしてやろうという日だった。

 

 ……なのだが、残念なことに今日この日に生気溢れる若者たちがやっていたのは、好意的に見ても、『青春の無駄遣い』という行為であった。

 

「ぐー、ぐー」

 木漏れ日の差し込む森の中に、才人の気持ちよさそうないびきが流れていた。彼の体は、木と木の間に張られたハンモックに抱かれて、そよ風を受けながらゆらゆらと揺れている。

 また、周囲を見渡せばこれはまた。

「すー、すー」

「むにゃむにゃ……」

 ルイズやキュルケがこれだけ見れば可愛らしい寝顔ですやすやと昼寝をしていた。そのまた隣では、タバサがハンモックに横になりながら読書にいそしんでいた姿勢のまま眠っている。他の木々の間にもたくさんのハンモックが吊るされていて、アイやエマら子供たちがぐっすりと眠っており、そのまた奥にはシルフィードが何人かの子供たちの枕になりながら鼻堤燈を作っている。

 

「まったく、いい若いのがのんきなものね」

「しょうがないわよマチルダ姉さん。みんな疲れてるんだもの」

 そうして惰眠をむさぼる一団の姿を、マチルダことロングビルとティファニアが、森の中に設置した簡易テーブルで紅茶を飲みながら見守っていた。

 このウェストウッド村にやってきて、早今日で五日目になる。それまで彼らはティファニアやこの村の子供たちといっしょに、初日のバーベキューをはじめとして、キャンプ、釣り、子供たちを山へ連れて行っての昆虫採集、少々危険だったが近隣の村の夏祭りに参加して盆踊りに似た踊りを踊ってきたりなどなど、夏休みにすることを駆け足でしてきた。ただし、その反動で思いっきり遊び疲れてしまい、今日は何も予定を立てずに一日中村でのんびり過ごすことにしていた。

「なーんにもすることがないってのが、一番幸せだよなあ」

 才人いわく、クーラーの利いた涼しい部屋で一日中ゴロゴロしているのが夏休みの最高のぜいたくだという。思いっきり怠け者の意見だが、彼はこの持論を後悔したことは一度もない。たとえ、夏休みの宿題が三十一日になって終わってなくてもである。見上げた信念というべきか。

 とはいえ、寝る子は育つともいうように、若いうちは大人よりも多くの睡眠が必要なのでもある。実に幸せそうに森のそよ風を受けて、よだれを垂らしながら寝ている一同の寝顔を眺めながら、ティファニアはこの騒々しくも楽しい日々を運んできてくれた者たちと出会えてよかったと思っていた。

「けど、この楽しい日も、あと半分なのね」

 だが、心の中に吹き始めた隙間風を彼女は感じ始めてもいた。ルイズたちは当然ながらずっとここにいられるわけではない。滞在期間の十日中、もう半分が過ぎてしまっている。けれど、それを見越していたかのようにロングビルが語りかけた。

「どうテファ、外に出てみようとは思わない?」

「え?」

「この森で過ごすようになって、もう四年経つわね。あの事件のことも風化し、もう人々の口に上ることも少なくなったし、国は今真っ二つに分かれて内戦の真っ最中。どちらが勝っても四年も前の小さな事件のことなんて思い出しもしなくなるでしょう。つまり、エルフであることさえバレなければ、ここに留まり続ける必要もなくなるということよ」

 実は、ロングビルがルイズたちをまとめてここにつれてきた理由の一つが、ティファニアに旅立ちの意思を芽生えさせることであった。どのみち、一生ここにい続けるわけにはいかないし、子供たちが子供たちとして育てられるのも精々あと数年である。ただ、四年間ずっと隠遁生活を続けてきたティファニアにはやはり外の世界は興味と同時に、不安と恐怖の対象でもあった。

「でも、やっぱり……」

「もちろん今すぐにとは言わないわ。けれど、あなたももう一六歳だし、そろそろ外に出てもいいころよ。エルフであることは何か対策を考えなくちゃいけないけど、世の中ってのもそんなに捨てたものじゃないからね」

 そう言ってルイズや才人たちを見つめるロングビルの目は穏やかだった。彼女も、ほんの半年にもならない前には世間というものに絶望し、盗賊として手を汚して金銭を得ていたのだが、本物の悪というものに飲み込まれかけたときに助けてくれたのは、その憎しみの対象になっていたものに属する者たちだった。

「もちろん、中には救いようのない人間のクズもいっぱいいるわ。けどまあ、そういうののあしらい方を覚えるのも経験だし……第一あなた自身はどうなの? このままここにいたい?」

「わたしは……ただぼんやりと、災いのない場所でひっそりと暮らしたいと思ってた。けれど、きっとそれだけじゃだめなのもなんとなく思ってた。お母さんが何のためにこの国まで来たのか、その答えはきっと東の果てのお母さんの故郷にあって、いつかはそこへ行きたい。そのためにも、世界を見てみたい」

 少し迷いを見せたものの、きっぱりとそう言ったティファニアを見て、ロングビルは頬の筋肉を緩めた。

「ちょっと見ない間に、大きくなったわねテファ、あなたがそんなことを言うようになるとは、正直思ってなかったわ」

「なんとなくだけどね。この村にいれるのも、あと少しなんだって漠然と感じるようになってきたの……伝え聞いた話では、世界のあちこちで怪物が現れて暴れてるって、だからわたしたちだけ辺境に隠れていても、それは安全じゃなくなってきてる」

「この村を襲ったっていう、怪獣のこと?」

 うなづいたティファニアを見て、ロングビルは考え込むしぐさを見せた。以前、超獣サボテンダーが現れて暴れたときのことは、村の裏手の森が壊滅しているのを見れば隠しようがなかったので、ティファニアはそのことを、自分たちは逃げ延びて、怪獣はその後どこかへ去ったということにしていたが、口下手な彼女はすぐに見破られてしまった。仕方なしにジュリと、それからウルトラマンジャスティスのことを話して、大変な衝撃を彼らに与えていた。なにせ、才人から見れば二人目の異世界のウルトラマン、しかも今回は同じ時間に共通して存在できているのだ。

「ジュリ姉さん、もう一日いてくれたら皆さんにご紹介できたんだけど」

「そうねえ、せっかくあなたたちを助けてもらったんだから、私もあいさつくらいはしておきたかったけど」

 ただし、ジュリは才人たちがやってくる前日にこの村に立ち寄ったが、その後また旅立ってしまっており、また戻ってくるのはいつになるかわからないというのが彼らを落胆させた。探そうにも、アルビオンと一口に言っても九州、四国以上の広さがある。そうなると本当に一日違いで入れ違いになってしまったのが悔やまれた。だがそれでも、話を聞くに自分たちと敵対する存在ではないと確信することはでき、もしかしたらどこかで会えるかもと希望を持つことにした。

「まあ、正直私以外に姉さんと呼ばれるやつがいるのには少々妬けるけど、それほどの人が見回ってくれてるならアルビオンも安心かもねえ……それにしても、ウルトラマンは人間になることもできるのか……いったい何者なんだろうねえ……」

 ウルトラマンの正体、それについてはハルケギニア全体の人間の疑問だろう。しかし、ジュリはティファニアに対して、ウルトラマンは宇宙の正義と秩序を守る者、とは言ったが、それ以上のことは宇宙の概念が根本から欠けているティファニアにはまったく理解できないものであった。しかし、ジュリの言葉をそのまま信じるとすれば、それはある一つの単語を連想させた。

「まるで、神様みたいよね」

「神様、ね」

 ロングビルは、ティファニアの率直な感想を受けて考え込んだ。人智を超えた力で正義と秩序を守る存在、それはまさしく神と呼んでもいいだろう。実際、地球でもウルトラマンは平和を守る神なのかもしれないと評されたこともある。

「けど、神がいるなら悪魔もいる。そして、神の力が必ずしも悪魔を上回るとは限らない。そのとき、人間はどうするべきなんだろうね」

「……」

 ティファニアは、はっきりと答えを出すことはできなかった。神と悪魔の戦いが、神話ではなく現実におこなわれているのが今の世界だ。そのとき、人間は傍観者としての立場でいられるのだろうか? その答えは、いずれ人間全体が出さねばならないだろう。

 また、アルビオンに来てから表面上は平和だが、ティファニアが行商人から得た情報では、地方では怪事件が頻発しており、どうもきなくさい匂いはしている。けれど、そんなことはトリステインでも同じであり、今のところはヤプールが何かをたくらんでいる確証はなかった。

「とにかく、このまま何事もないのが一番だけど、楽しめるときには楽しんでおかないとね」

「そうよね。皆さん、今日はゆっくり休んで、明日からまた遊びましょう」

 いくらヤプールがいつ襲ってくるかもしれないとはいえ、月月火水木金金などといった時代錯誤な愚劣なことは彼らは考えない。いくらやってもだめなものはだめ、野球部でレギュラーを目指しているとかいうならともかく、目標もなく焦っても徒労にしかならないし、勤勉などそもそも柄ではない。そうなれば焦ってもしょうがない、事件が起きたらそのときはそのときだと開き直って、夏休みをこれまで楽しんでいた。

 けれど、彼女たち二人も食事の時間まで昼寝の仲間に加わろうかと思ったとき、街道のほうから耳慣れない大きな声が響いてきた。

 

「失礼! この村の住人の方はおられないかね」

 

 ややしわがれた男の声に、二人は一瞬はっとしたが、すぐに気を取り直して顔を見合わせた。

「こりゃ、旅の商人あたりが営業に来たってところかな。どうするテファ? 無視しちゃおうか」

「そういうわけにもいかないでしょ、一応あいさつくらいはしておかなくちゃ」

「律儀なんだから。じゃあ私もでるわ、タチ悪いのだったら丁重にお帰り願わなくちゃならないからね」

 二人は仕方無げに席を立つと、声のした村の表のほうへと歩いていった。

 

 …………

 

 それからおよそ十分後、しんと静まり返った村の裏手で、いいかげん寝疲れた才人が目を覚ましていた。

「ふわぁーあ、よく寝た」

 普通なら、充分眠ったら疲れがとれるはずなのに、逆に体がだるいくらいだ。今はルイズを起こす必要もないし、今日のところは洗濯もする必要はなし、なまけることで疲れてしまうとは、これではなまけがいがない。しょうがないから起きることにしようと才人はハンモックから降りて、背伸びをするとデルフを掴みあげた。

「おはようデルフ、寝てる間になんかあったか?」

「はよさん相棒、よく寝てたぜ、もう目が覚めないんじゃないかと思うくらいな。だから、村はずっと何事もなしさ」

「ならいいや……ロングビルさんとテファの姿が見えねえが?」

「ああ、秘書の姉ちゃんとエルフの娘っこなら、村の入り口のほうにさっき行ってたな。商人かなんかが来たみたいだったが」

「そっか、じゃ、ま、顔洗うついでにあいさつしてくるかな」

 目をこすりながらそう言うと、才人はデルフを背中に背負い、まだよく眠っているルイズや子供たちを起こさないようにしながら歩いていった。

 

 だが、村の表口までやってきたときに才人の耳に入ってきたのは、予想もしていなかったティファニアの切羽詰った声だった。

「そんな! 横暴です!」

 とっさに彼は、これまで何度も修羅場を潜り抜けてきた経験から、背中のデルフを確認すると一目散に駆け出した。

「どうしたんだテファ?」

「あっ、サイトさん」

 村の入り口に着いてみると、そこではティファニアとロングビルが、鎧を着て槍を持ったいかつい十人ほどの一団と言い合いをしているところであった。才人は一瞬盗賊かと思ったが、身なりが整然としているところから見ると兵士らしい。また、指揮官と思われる男は派手でこそないが上質の生地を使った服を隙なく着こなし、悠然と立っているところから役人であると思われた。

「どうしたもこうしたもないよ。こいつら王党派の役人だそうだけど、近々おこなわれるレコン・キスタとの決戦のために税を納めろって言い出してきやがって」

 ロングビルが吐き捨てるように言うと、役人はにこやかな作り笑顔を浮かべた。

「別におかしなことではないでしょう。この国を我が物としようとたくらむ不逞な反乱軍を撃破し、秩序を回復するために協力するのはアルビオン国民として当然の責務です」

「だからって、五百エキューなんて大金がこの村にあるわけがないだろう!」

「ごっ、五百エキュー!?」

 ロングビルの言った金額を聞いて、さしもの才人も愕然とした。この世界の世事にまだうとい彼も、それがいかほどの大金かはちょっと考えるだけですぐにわかった。日本円に換算しても、五、六百万円くらいにはなるだろう。平民どころか、貴族にだっておいそれと出せる金額ではない。そんな大金が、ましてやこの女子供だけの小村のどこにもあるはずがない。

「おいあんた、そのアホみたいな数字はどっから出てきたんだよ」

 才人が問いかけると、役人は後ろに控えていた長い黒髪の、秘書と思われる女性に身振りで指示した。

「村人一人当たり、頭税一エキュー、保護税十エキュー、土地税、住居税、農地税などを総合しました結果、およそ五百エキューとなりました」

 その秘書は無表情で、まるで氷のようになんの感情も含まれないマネキンのような美女だった。それが事務的な、いやむしろ機械的な声で淡々と問われたことを述べたのが、なおのこと才人たちの怒りをかきたてた。

「ふざけるな! なんだその訳のわからない税金の数々は」

「この国に住んでいる以上、納税の義務が生じるのは必然です。それに今は戦時。税率が増すのは当然ですし、なにより反乱軍どもの魔手から守ってやっているのですから、これくらい当然です」

 確かに言っていることは、戦時下の国としては当然のことだが、それにしたって高すぎる。才人も怒ったが、何よりロングビルの腹の虫はおさまらなかった。

「では、その当然の義務とやらを国民に押し付けるために、あなた方はこんなへき地までわざわざやってきたのですか。たいそう忙しくてご立派でいらっしゃいますね……いったいどうやって払えっていうんだ!」

 元盗賊の、普段子供たちには決して見せない凄絶な怒りの表情を向けられても、役人はなおも涼しい顔のままだった。

「この村の家財一式と、土地や作物を売り払えばよいでしょう。王家のために国民はそれくらいして当たり前、それでも足りなければ、あなた方くらいならいくらでも稼ぎ手があるでしょう」

「……」

 ふざけるなと怒鳴りたいのを奥歯を噛み締めてこらえながら、ロングビルは心に以前と同じ黒い感情が戻ってくるのを感じていたが、今回はそれを抑制する必要を認めなかった。また、才人も同時に同じ結論に達したらしく、さりげなくティファニアを後ろに下がらせながら、デルフリンガーの鞘の先を軽く小突いて相棒に出番が近いことを知らせた。

「もし、払えないと言ったら?」

「ご心配なく、金銭だけが国に貢献する手段ではありませんよ。幸いこの村には人手は豊富なようですし、現在前線に構築中の陣地の工事に従事していただければ充分ですよ。ついこの前も、この先の町の方々が総出で喜んで協力してくださいましたよ」

 それはつまり、戦争のために奴隷同然となって労働しろと言っているのだろう。その総出で駆り出された町というのも、住人が全ていなくなっては、いずれ戻ってきたときも町の機能が回復するまでにはとほうもない時間がかかるし、前線の陣地設営ともなれば常に生命の危険がともなうし、場合によっては弾除けにされる。おまけに百歩譲って労働に従事するにしても、大人だけでなく子供まで働けと明言してくれた。そんな場所にどうして子供たちをやれるものか。誇らしげな役人の表情に反比例して、ロングビルと才人は顔の筋肉が引きつっていくのを抑えられなくなっていた。

「それもお断りしますと言いましたら、どういたしますか?」

「そんな人は忠誠心豊かなアルビオン国民にはありえないはずですが、もしいたとしたらそれは反乱軍の協力者でしょう。間諜はただちに連行し、あるべき正しい姿に戻して差し上げるために、教育を受けてもらいます」

 自分の頭の血管が切れる音が聞こえた瞬間があるとすれば、それはまさにこのときであっただろう。自分の権力を盾にして弱者から収奪する、この紳士ぶった盗賊たちの言いなりになってやる義理はどこにもなかった。

 

「お前らにやるようなものは、ここには何にもないよ!」

「今すぐ出て行け! この腐れ外道ども!」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れた二人は、盛大にたんかを切ってそれぞれの武器を抜いた。対して、役人はいやらしい笑いを浮かべて、兵士たちに合図を送った。

「これは反乱の証と判断するに充分ですね。捕らえなさい! 生死は問いません」

 すぐさま十名からなる兵士が、槍や、ある者は杖を抜いて襲い掛かってきた。普通ならば女子供などのかなう相手ではないが、彼らは見た目どおりの人間ではない。

「おもしれえ、悪いがてめえらみたな奴らには手加減しねえぞ!」

 才人はデルフリンガーを引き抜き、瞬時に動くと、こちらをなめていた槍兵の槍を切り飛ばした。さらに、わき腹に峰打ちを食らわせて戦闘力を奪うと、残った槍兵は槍を持ち直し、油断なく構えて才人に向かってきた。

 また、恐らくは下級貴族出身であろうと思われる二人のメイジの兵は、杖を構えたロングビルに対して、刃物を取り付けた凶器のような形の杖を向けてくる。

「最近の王党派は、多少はましになってきたのかなと思ってたけど、どうやら買いかぶりだったみたいだねえ……ムシャクシャしてるから、骨の五、六本は覚悟しなさいよ」

 凶悪な笑みを浮かべながら、ロングビルは敵のメイジを挑発した。その雰囲気にただならぬものを感じ取ったのか、敵は二人で数で勝っているというのに、用心して一気に攻めてこない。その隙に、ロングビルは後ろにいるティファニアに目配せした。

「テファ、後でいつものやつよろしくね」

「うん」

 ティファニアは、敵がロングビルと才人に意識をとられているのを確認すると、懐からこっそりペンシルサイズの小さな杖を取り出した。

 

 一方、才人は残る七人の槍兵を相手に、獅子奮迅の立ち回りを演じていた。

「ちぇっ、意外とやるなこいつら」

 最初の一人は油断していたので簡単に倒せたが、相手も本職の兵士である。本気を出せば剣術ではまだ素人同然の才人より技量は上であるし、一人に攻撃しようとしても、別の方向から槍を突き出されたりと、連携のとれた防御をしてくる。これでは、鎧のついていない急所を、殺さないように狙うのはガンダールヴの力を使っても容易ではなかった。

「けど、ならそれはそれでやりようもあるぜ!」

 攻めるのが難しいと判断した才人は戦法を変えた。こちらから無理に攻め立てるのではなくて、相手が槍を突き出してきたところで、かわすと同時に槍の穂先を切り落として、ただの棒に変えていった。

「銃士隊とした特訓、意外とよく役に立つなあ」

 三人目の槍を役立たずに変えながら、才人は以前アニエスやミシェルとともにツルク星人を倒すための三段戦法の特訓をしたときのことを思い出していた。あのときの、高速で振り下ろされてくる星人の刀を受け止めるために徹底的に鍛えた受けの技を、少々応用したカウンター戦法、防御は最大の攻撃なりとでも言うか、なかなか使えるようである。

 その活躍をちらりと横目で見たロングビルも、彼女なりの戦法をメイジの兵に向けて披露していた。

「いでよゴーレム! ……なーんてな」

 高々と杖を掲げたと思った瞬間、敵メイジの顔面に石がめり込んでいた。食らった相手は目から花火をひらめかせてゆっくりと倒れる。

「あっはっはっはっ、ばーかばーか」

 いかにもな仕草で魔法を使うのかと思いきや、足元にあったただの石を蹴り飛ばして一人のメイジを倒したロングビルは、相手のその無様さに大いに笑った。

「おのれっ! メイジを騙るとは不届き千万な、女とて容赦はせぬぞ」

「ふんっ、ちょっと違うね。『元』メイジさ、けど容赦してもらう必要はないよ」

 怒って氷の矢を撃ちだして来るもう一人の攻撃を余裕で避けながら、ロングビルは手ごろな石を拾い上げて、今度は投げつけた。

「ちょこざいな! 貴族をなめるな」

 相手は風で石を吹き飛ばして、もう一度ロングビルに狙いを定めたが、その必要もなかった。彼が自ら作り出した風が彼の周辺の樹木を揺さぶり、彼の手の上や鼻先に、黒々としたまだら模様の毛虫を何匹も落としたのである。

「ぎゃっ!? ぎ、虫!? 毛虫っ!? ぎゃっ……」

「はい、お休みなさい」

 顔面に今度こそ大きな石をめり込ませて倒れるメイジに向けて、ロングビルは祈る仕草をしながら笑った。実は、投げた石は囮で、このうっそうとした森の場所で風の魔法を使わせることによって、樹上の虫を落っことさせて隙を作ったというわけである。もちろん、メイジの頭上の木にこの時期虫がつくというのも、地元の人間であるロングビルにとってはよく知ったことである。

「ま、悪く思わないでね。こちとらまだ魔法が使えないから、多少ズルさせてもらってもいいよね」

 ロングビルはホタルンガの事件の際に魔法の力を奪われ、それから人知れず訓練をしているけれども、いまだに魔法は回復していない。だが、そこのところは元盗賊のつぶしで、護身術や魔法が使えないときの戦闘手段などはいつでも使えるように、磨きをかけ続けていた。

 

 だが一方、カウンター戦法で一時有利に立った才人であったが、すぐにまた形勢を逆転させられていた。

「相棒、右に跳べ!」

「くそっ、銃を持ってるとは考えが甘かったぜ!」

 鉛玉の連射をかわしながら才人は毒づいた。槍兵たちは、手持ちの槍が破壊されて使い物にならなくなると、降参するどころか鉄砲を取り出して撃ってきたのだ。

「くそっ、こりゃちょっとまずいか」

 いくら才人がガンダールヴの力を発動できるとはいえ、相手が銃では分が悪い。剣と銃が兵器として圧倒的なアドバンテージ差があるというのもそうだが、連射をしてくるというのが彼が隙をついて切り込むチャンスをつぶしていた。普通、ハルケギニアの銃は前込め式で連射が利かないが、彼らは一人につき四丁も持っていたために、射撃間隔の隙が埋められていた。しかも悪いことにまだ五人も残っていたために、三人が撃っている間に二人が弾込めをするという信長の三段撃ちのような攻撃をしてきてまったく近づけなかった。

 だがそのとき、戦況は三度逆転した。苦戦する才人の視界の外から風にまかれた炎が飛んできたかと思うと、兵士たちをあっという間に吹き飛ばしてしまったのである。

「ルイズ、タバサ、キュルケ!」

「はぁーい、助っ人ただいま参上ってね」

 一瞬でけりをつけてしまった三人の助っ人は、まだ銃を向けようとしてくる兵士を適当にぶっとばすと、呆然としている才人に歩み寄った。

「お、お前らどうして?」

「あんな派手に鉄砲撃ってれば普通気づくわよ。バカじゃない」

「あ、そうか……そういえばルイズ、子供たちは?」

「シルフィードが守ってるから心配ないわ、普通ドラゴンに好んで近づくやつはいないしね。んったく、あんたはまた勝手に暴れて、これでまたキュルケやタバサに借りができちゃったじゃない」

「ご、ごめん」

 糾弾してくるルイズに、才人はとりあえず頭を下げて許しをこうしかなかった。ルイズの爆発よりキュルケやタバサの魔法のほうが援護には向くとはいえ、やはりキュルケに借りができるのはルイズにとってかなり不愉快なもののようだ。

 

 とはいえ、これで兵士たちは全員戦闘不能になり、意識は取り戻したが武器を取り上げられて、役人の後ろで縮みこまっている有様だった。

「さて、これで頼みの兵士たちはみんな役立たず、どうするねお役人さん」

「ずいぶんとやってくれますねえ。こんなことをやってくれたら、もう反乱確実ですね。次は軍隊がやってきますよ」

 ここまで来ながら、まだ虎の威を狩る役人の態度に彼らは腹を立てたけれど、まさか本当に国の役人を殺してしまうわけにもいかなかった。もちろん、この国ではルイズたちの家名も役には立たない。しかし、表情を歪める才人たちとは別に、ロングビルは余裕たっぷりというふうに、後ろで待っていたティファニアに合図を出した。

「テファ、もういいよ。やっちまってくれ」

「うん……ナウシド・イサ・エイワーズ・ハガラズ・ユル・ベオグ……」

 まるで歌うようにティファニアは呪文を詠唱し始めた。そのスペルは流れるようで、才人は思わず聞きほれてしまった。しかし、魔法に精通しているはずのルイズたちは、その呪文がまったく聞いたことのないスペルだったことに驚いた。

「これは……水でも火でもない……なら、エルフの先住魔法? いえ、あれは杖を必要としないと聞いたことがある」

 メイジにとって、これからおこなわれようとしている魔法がなんなのかわからないというのは本能的に恐怖を呼び起こす。だが、この中で一人、デルフリンガーだけはその呪文を聞いて、遠く懐かしい記憶を呼び起こしていた。

「こいつは……恐れ入った。こんなところに、これの使い手がいたとはな」

 対する役人や兵士たちも、呪文の正体がわからずにとまどうが、彼女の魔法はそこで完成した。

「ベルカナ・マン・ラグー!」

 呪文の終了と同時にティファニアが杖を振り下ろした瞬間、役人と兵士たちの周りの空気が陽炎のように揺らめいたかと思うと、それは目の錯覚だったのかすぐに掻き消えた。

「え……」

 何かが起こると思っていた才人たちは、一見何の変化も現れないことにとまどった。だが、この一見したら何も起こっていないように見えることこそが重要だった。

「なんだ、何も起こらぬではないか、またこけおどしか」

 役人は、自分に何のダメージもないことを確認してせせら笑った。しかし、この反応が逆にティファニアやロングビルに驚愕に目を見開かせた。

「え! な、なんで?」

「テファの魔法が、効かない!?」

 その声を聞いて驚いたのはルイズたちもだが、言われた役人たちもだった。

「な、なに!?」

 驚いた役人は、とっさに連れている秘書や兵士たちを見渡した。

「私は、何も異常はありません」

 秘書は無表情で機械的に答えた。だが、兵士たちは目を虚ろに開いてぼんやりとして。

「あれ、俺たち、なんでこんなところにいるんだ?」

「なんだ、いったい何してたんだ?」

 と、きょろきょろと居眠りから覚めたときのように混乱していた。

「記憶を無くしているの?」

 兵士たちの様子から、ルイズはそう読み取った。少なくとも、この村に来てから今までの記憶が削り取られているようで、その推論をロングビルも肯定した。

「そうよ。この子の魔法は、対象の人間からある程度の記憶を失わせるもの。系統も何もわからない代物なんだけど、今までこれで盗賊とかの記憶を奪って村を守ってたの。けど……」

 何故、この役人とその秘書には通じない? 皆の視線がその二人に集中した。

「ねえテファ、その忘れさせる魔法、これまで効かなかったことはあるの?」

「い、いいえ、動物とか何を考えてるのかわからないものには成功したことはないけど、人間相手に失敗したことはありません」

「人間相手に……」

 その説明で、才人とルイズはピンとくるものを感じていた。まさか……最悪の展開を想像しながら、才人は以前トリステイン王宮であのバム星人と戦ったときのように、懐からガッツブラスターを取り出して、かざして見せた。

「役人さん、これ何だかわかるか!?」

「ぬっ! な、なんだと!?」

 役人は、ガッツブラスターを見るや、過剰なまでに驚いて後ろに飛びのいた。それで才人は確信した。銃を向けられれば驚くのは人間として当たり前の反応でも、ハルケギニアの感覚では一見銃には見えないビームガンのガッツブラスターを見てここまで驚くのは、先に人間には必ず効くティファニアの忘却の魔法が効かなかったことも合わせて、充分な確信を彼に持たせるのに必要な条件を満たしていた。

「てめぇ、宇宙人だな!」

 その瞬間、これまで人を食ったようだった役人の顔が、ひきつったようにゆがんだ。

 

「……よくぞ突き止めたな! このブラック星人の正体を! ふはははは!」

 

 笑いながら役人が両手を顔の前で合わせると、全身がスパークしたかのように発光し、一瞬のうちに巨大な目を持つ全身黒色の星人の姿に変貌していた。

「やっぱり、な」

「あ、亜人? いえ、こいつもウチュウジンなの!?」

「そのとおり、貴様らのような下等な文明の者たちもようやくそれくらいはわかるようになったか、はははは」

 バム星人、ツルク星人、スチール星人などの襲来によって、ハルケギニアの人々にも、わずかであるがウチュウジンという、ヤプールの配下の正体不明の亜人たちがいることは知られ始めている。ブラック星人は、単なる正体不明の怪物として見られるより、高度な知的生命体と見られたことをうれしがったと見え、むしろ正体を暴かれたことを喜んでいた。そして言い逃れようとすることもせずに、赤い発光体となっている口部を点滅させながら正体を喜んで明かしたが、本当なら当たらないほうがよかった予感が的中した才人はあらためてガッツブラスターを構えなおし、ほかの面々も戦闘態勢を整えた。

 しかし、心の準備ができていなかった兵士たちは、星人の姿を見てパニックに陥ってしまった。

「ひっ、なんだあ!?」

「ち、徴税官さまが、徴税官さまが怪物になったあ!? に、逃げろぉ」

 宇宙人を見慣れているはずがない彼らは、尻に帆をかけて逃げ出したが、その前にあの役人の女秘書がいつの間にか無表情で立ちふさがっていた。

「て、てめえ」

 その後に、どけと言おうとした一人の兵士は、それを言い切ることができなかった。なぜなら、立ちふさがった女秘書の口から真っ白な霧が噴き出して、避ける間もなく彼らを包み込んでしまったのだ。

「目撃者を、生かして帰すわけがないだろう」

 星人があざ笑いながら言い、霧が晴れたとき、そこには真っ白な氷の彫像となった兵士たちが身動き一つせずにたたずんでいた。恐るべき極低温の冷凍ガスによって、一瞬のうちに凍結させられてしまったのである。

「あの女も、人間じゃないみたいね」

「雪女……」

 キュルケが吐き捨てるように言ったように、冷凍ガスを吐ける人間などいるはずがない。あらゆるものを氷漬けにする氷の女、まさしくそれは雪女。真夏だというのに女の周りから吹いてくる風は、刺すように冷たい。下手に近づけば、こちらもあの冷凍ガスにやられる。キュルケとタバサは遠距離攻撃で戦おうと決めたが、才人は戦うに先立って星人に問いかけるのを忘れなかった。何故宇宙人が人間に化けて役人の真似事などをやっていたのかと。

「ふははは、どうせ死ぬのだから教えてやろう。理由は知らぬが、ヤプールは人間を多く集めたがっている。だから奴は我らに目をつけたのだ、愚かな人間を騙すなど、我らには造作もないことだからな」

 星人は、正体を明かして開き直ったのか、こちらがただの人間だと甘く見ているのか雄弁に話し始めた。この傾向は、侵略宇宙人全体に見られることで、計画が看破されると自分から侵略作戦を丁寧に説明してくれるものが多い。隠していたことを自慢したいのは宇宙人にも共通する心理なのかはわからないが、そのおかげでGUYSのアーカイブドキュメントはデータに恵まれている。

 だがともかく才人は話しながら、ブラック星人のプロフィールを思い出していた。MATの時代の後期に地球にやってきた侵略宇宙人の一人で、土星に前進基地を築いて、そこで働かせる労働力となる奴隷を得るために、地球人の若い男女を千組盗み出して、子供をたくさん生ませて奴隷にしようという、なんとも気の長いことを考えた星人だ。さすがに今回は前回の作戦の迂遠さを反省したようではあるが、ということはあの雪女の正体も……だが今はそんなことより、王軍の内部に当たり前のように宇宙人が潜入しているほうが問題である。

「なるほど、お前もバム星人とかみたいにヤプールの手下に成り下がった奴らの一つってわけか」

「それは違う。奴は我らを利用しているつもりだろうが、我らこそここで奴隷を大量に手に入れ、前進基地を築いたら大軍団を送り込み、先んじてこの世界も地球も侵略してくれるぞ」

 どうやら、表面上協力してはいても、内実はお互いを利用しあって、機会が来たら裏切る腹づもりのようだ。才人はあわよくば、この機会にヤプールの情報を聞き出そうと思ったけれど、この様子では奴の言ったとおりヤプールが何故人間を集めるのかなど、作戦の重要なことは知らされていないに違いない。だが、どんな小さなことでもこの際は聞き出しておくべきだろう。こっそりと、今にも攻撃を仕掛けようとしているキュルケたちに視線で待ってくれるように頼むと、もう一つ質問をぶつけた。

「まったく、トリステインで会った狼野郎といい、いったいどれだけ宇宙人が来てるんだよ?」

「はっはっ、ウルフ星人のことか? あんな低脳はせいぜい使い捨てにされればよいのだ。お前たちにはわからぬだろうが、今宇宙中からこの星は注目されているのだ。なにせ、これほど侵略しやすくて、なおかつ価値のある星はそうないからな。ただ、あまり派手に動きすぎると他の星人に目をつけられてしまうから、準備が済むまでは精々平和でいるがよいさ」

 なるほどと、才人は思った。メフィラス星人が、バルタン、ケムール、ザラブの三大星人を配下にしていたように、侵略宇宙人には独自のネットワークがあるのだろう。確かに、地球と環境がそっくりな上に、人間の文明レベルも低く、なにより防御についているウルトラマンの数が格段に少ないハルケギニアのことが知れ渡れば、侵略したがる宇宙人はいくらでもいると思われる。この話のとおりだとすると、もう何十、何百といった宇宙人がヤプールの手を借りて侵略を狙っているのに違いない。ただし皮肉なことに、抜け駆けしようとすればヤプールや他の宇宙人も敵に回してしまうために、お互いに牽制しあって動けないのだ。

「だが、いくらでも超獣を生み出せるヤプールを相手にして、どうやって対抗するつもりだ」

「ふはは、奴は欲深いからな。いずれ大規模に動いてこの星の軍勢やウルトラマン、他の星人とも激突するだろう。その疲弊したところに我らが大軍団を送り込めば、最後に全ては我らのものよ」

 要するに、漁夫の利を狙っているということか。確かに有効な手段だろうが、このくらいで狡猾なヤプールを出し抜けると思っているあたりが抜けている。才人は、所詮こいつもヤプールにとっては捨て駒だと悟り、これ以上聞きだせることはないと結論づけた。

「姑息なやり口は昔と変わってないみたいだな。そんなのじゃヤプールには遠く及ばないぜ」

「なに? 人間ごときが生意気な! どうやら少ししゃべりすぎてしまったようだな。そろそろまとめて死んでもらうぞ」

 怒ったブラック星人は、大きな目をさらに血走らせて、秘書だった雪女を前に出した。対して、待ちに待ったとばかりにキュルケ、タバサたちこちらの主力も杖を構えなおし、ロングビルもティファニアを後ろに下がらせる。才人も接近戦はまずいと、愚痴をもらすデルフを鞘に戻して、ガッツブラスターを構えながらルイズをかばう。

「お前たち全員を氷の像にして、この場で叩き割ってくれるわ!」

「言ってくれますわね。ですが、わたしたちを相手に、手下一人で勝とうなどとは少々なめすぎではありませんこと?」

 雪女と正対しながら、キュルケは強気で星人を挑発した。手下の後ろに隠れて偉そうにしている態度が気に入らなかったからだが、ブラック星人は元々変身能力以外にはこれといった能力を持たずに巨大化もできない。だから直接戦うことはしないのだが、この雪女は違う。

「ふふふ……確かに貴様ら、この星の人間の戦闘力は高い。ならばじわじわ恐怖を味わうより、一気に絶望を味わって死ぬがいい。雪女、スノーゴンになれいーっ!!」

 その瞬間、棒立ちしていた雪女が一瞬にして山のように見上げるほど巨大化し、女性の姿が揺らいだかと思うと、全身を白毛に覆われた、直立した白熊のような怪獣に姿が変わった!

 

【挿絵表示】

 

「ちょっ、おいいきなりかよ!」

 多分この後、雪女を相手に息もつかせぬ立ち回りを演じることになると思っていた才人は、生身の人間相手に空気を読まずにいきなり巨大怪獣を出現させたブラック星人に抗議したが、星人はスノーゴンの後ろで高笑いをあげながら命令を下した。

「ゆけ! 氷付けにして踏み潰してしまえ!」

 やむを得ずに逃げ出す才人たちに向けて、スノーゴンは口を開いてさらに強力になった冷凍ガスを吐き出してきた。真夏の森が、まるで真冬のように白く凍りついていく。

「たく、せっかくの休みをぶちこわしやがって……ただじゃすまさねえぞ!」

 

 

 続く



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第64話  短い夏の日の終わり (後編)

 第64話

 短い夏の日の終わり (後編)

 

 冷凍怪人 ブラック星人

 雪女怪獣 スノーゴン 登場!

 

 

「さっ、寒いっ!」

 たった今まで、じっとしていても汗が噴き出すほどに暑かった気温が、木々に霜が降りるほどにぐんぐん低下していく。雪女怪獣スノーゴンの吐き出す冷凍ガスと、極低温の奴の体温が、大気から急速に熱を奪っていっていた。

「いいぞスノーゴン、そのまま何もかも凍りつかせてしまえ!」

 操っているブラック星人は、安全なスノーゴンの後ろから得意げに命令している。自身に戦闘力がなく、指揮官が安全な場所にいるのは当然のことなのだが、その姑息さには正直腹が立った。

「あんた! 男なら前に出て戦いなさいよ!」

「はっははは、野蛮な下等生物らしいな。そんな手に乗ると思うか」

 怒ったルイズが挑発してもブラック星人はまったく動かない。本来なら、指揮している星人を倒すのが一番手っ取り早いのだけれど、奴も、自分の弱さをしっかりと自覚していると見え、これでは手が出せない。事実、先代のブラック星人も自信たっぷりだった割には終始スノーゴンに命令するだけだった。

 だが、それだけにブラック星人の用心棒的存在であるスノーゴンは強豪である。冷凍ガスを息を吐くように口から漏らしながら、氷上の覇者である白熊のような風貌は威圧感満点。二本足で近づいてくる奴によってさっそく家が一軒踏み潰される。

 

「ちょっ、サイトどうすんのよ!?」

「どうするもこうするも……とりあえず、俺たちが囮になって時間を稼ぐから、テファはそのあいだに子供たちを逃がしてくれ!」

 走って逃げながら、とりあえず才人以下いつもの面々はティファニアとロングビルを先に行かせて反転した。目の前には、地響きを立てて向かってくる純白の怪獣が立ちはだかっている。まさか、こんなところで怪獣と戦うことになるとは思わなかったが、多分この世界で怪獣との戦闘経験が一番豊富なのは彼らだろう。臆すこともなく、その巨体の前に構えて立つ。最初に作戦を立てるのは、もちろん独自に怪獣撃破経験のあるキュルケとタバサである。

「さあーて……怪獣と戦うのはこれで何度目かしらね。今度の敵は雪女か、さてどうしようかタバサ?」

「氷には、火」

「ま、そうなるわよね。じゃあわたしの出番ね。ふっふっふ、派手にいくわよお!」

 自分が主役に選ばれて、キュルケはその赤い髪を文字通りに燃え上がらせるかのように魔力の余波で逆立たせながら、炎の力を最大限に練り、タバサもそれに呼応して、得意の風を炎にまとわせるかのように渦巻かせていく。

『フレイム・ボール!』

『ウィンド・ブレイク』

 大きな炎の玉が、高圧の空気の気流に取り込まれることによって大量の酸素を含まされ、一気に燃焼を加速させられて火炎竜巻となっていく。火と風、最高の相性を持つ二つの属性を持つ二人の力が合わさることで生まれる力は、優にスクウェアクラスにも匹敵する。

「溶けて、燃え尽きちまえーっ!」

 小さな山なら、瞬時にはげ山に変えてしまえるくらいの火炎竜巻が、えぐるようにスノーゴンの腹に突き刺さっていく。その威力は、かつてムザン星人を倒したときに匹敵するほどにも見える。成長期の二人の魔力は、一日ごとにその力を増していっているのだ。

「すごい、これなら!」

 普段キュルケをライバル視しているルイズも、巨大火炎竜巻の威容には圧倒されるしかなかった。これを食らえば、人間などは消し炭も残らないだろう。しかし、竜巻が熱エネルギーと運動エネルギーを使い果たして消滅したとき、スノーゴンの胴体にはわずかな焦げ目がついただけだった。

「そんな、バカな……」

「ふっ、はははは! 頭の悪い人間どもよ。その程度の熱量でスノーゴンを溶かせると思ったか」

 高らかにブラック星人は、愕然としているキュルケたちに勝利の宣言をした。スノーゴンはまるでダメージを受けたようには見えず、雄たけびをあげてまた向かってくる。確かに、氷に対しては炎が有効だと誰でも考えるものだ。しかし強力な火炎も、より低温の物体に対しては威力が薄まる。さらに、攻撃が強力であった分だけ短時間で終わってしまったのもまずかった。氷などの物体が熱せられると、溶けた水が表面で膜となってそれ以上熱が内部に伝わるのを抑える作用が生まれる。これでは氷よりさらに低温の凍結細胞を持つスノーゴンには、雪山で焚き火をするようなものだった。

 すると、今度はルイズが「だったらわたしの魔法で!」と爆発魔法をぶつけてみたが、これまた見事に跳ね返された。

「あらーぁ……」

 本当は、こんなもので勝てれば苦労はないのだが、こうもたやすく跳ね返されるとやはりがっかりする。けれども、スノーゴンもいい加減棒立ちで攻撃をずっと受け続けてくれるほど親切ではないので、アザラシを前にした白熊同様に再び襲い掛かってきた。

「よーっし、逃げよう!」

「さぁーて、次はどうしましょうか」

 また四人そろって仲良く逃げながら、キュルケは他人事のように言った。ルイズは、渾身の魔法が通用しなかったことでキュルケがショックを受けるのではと思ったのだが、当の本人はこのとおり飄々としている。あまり自慢にならないが、怪獣相手には魔法が効かないことが多いので、キュルケも失敗に耐性がついてきていた。それに、タバサも花壇騎士として攻撃の効かない相手と戦うのはしょっちゅうなので、特に驚きもせずにキュルケに言われたように次の策を考えていた。

「今の攻撃が効かないとなると、正攻法じゃ無理、今は時間を稼ぐのが得策」

「やーっぱそうなるか、ルイズも敵に背を向けないのがなんとか言わないわよね」

「嫌味ったらしいわねえ。そんなことより、わたしはあんたの口から「ルイズは勇敢に戦って名誉の戦死を遂げました」なんて言われるのだけはごめんなのよ」

「お前ら、こんなときによくそんなこと言ってられるな。右だ、避けろ!」

 とっさに右へ避けたところに、スノーゴンの冷凍ガスが吹きかけられて純白の氷原と化していく。圧倒的な体格差から、スノーゴンにとっては足元のアリに息を吹きかけるようなものだが、まともに食らえばあの兵士たちのように白い彫像にされてしまうだけに全力で回避しなければならない。

「ひゃああっ、寒いっ! もうっ、この玉のお肌が霜焼けになったらどうしてくれるのよ! あっ、でもわたしが氷の像になったら、世界遺産になって博物館に展示されるかも」

「あんたの像なんてうっとおしいもの、できた瞬間に帽子掛けにしてやるわよ」

「あっ、そうか、誰かさんには帽子をかけるでっぱりもないもんね。まな板?」

「なんですってキュルケーっ!」

「だからお前ら、ちっとは真面目にやれよ!」

 すでに髪の毛に霜をまとわせながらも、いつもどおりに憎まれ口を叩き合うルイズとキュルケに才人は呆れた。とはいえ、こんな状況下でも平常心を保っていられる彼女たちを見ていると、こちらまでなにか安心できてくるから不思議だ。

 それにまったく、どうも最近逃げ癖がついてきたみたいで嫌な気がしてならない。それでもこっちが作戦会議をやっている間、相手が黙って待っていてくれるはずもないので、最低でもティファニアたちが安全な距離にまで逃げ切るまで、こっちは少々体力を使わねばならなかった。

「サイト、あいつになんか弱点とかはないの?」

「特にないっ!」

「断言するな! ちょっとは期待させなさい!」

 と言われても、スノーゴンには特にこれといった弱点は存在しない。猫舌星人グロストのように極端なまでに熱に弱かったら火炎魔法でダメージを負わすこともできるだろうが、スノーゴンを溶かすにはそれこそGUYSのメテオール『マクスウェル・トルネード』クラスの火力が必要だろう。才人の持つガッツブラスターなら、ある程度のダメージは与えられるだろうが、残弾が残り十発強にまで落ち込んでいる今はうかつに撃てない。

 かくなる上は、方法は一つ。

「ルイズ、やるか?」

「それしかないようね」

 才人とルイズは走りながら、右手の中指にはめられたウルトラリングを見つめると、リングのエンブレムが小さな輝きを放った。だが、キュルケとタバサの目がまだある。

 けれど、そのとき強い羽音を響かせてシルフィードが空からやってきた。

「きゅーい!」

「やっと来たわね、ということはテファたちも逃げ延びたってわけね。タバサ、次は空から攻めましょう」

「うん」

 タバサとキュルケのコンビにシルフィードが加わったとき、この二人の実力は何倍にも引き上げられる。以前エギンハイム村での戦いから二人とも言葉には出さなくともそれを肌で感じ取っていた。

 タバサが口笛を吹くと、シルフィードが舞い降りてくる。着陸している余裕はないので滑空しながら近づいてくるのに、まずはタバサ、次にキュルケが飛び乗って、それからルイズと才人の番になったとき、二人は軽く目配せしあった。

「さあ、早く乗って!」

 低速で滑空を続けるシルフィードからキュルケが叫んでくるが、二人はわざとそれに遅れて、乗るタイミングを外した。すると、直線飛行を続けていたシルフィードを目掛けてスノーゴンが冷凍ガスを吐いてくる。

「悪い、先に行ってくれ!」

「ルイズ、ダーリン!」

「もう無理、上昇して……」

 シルフィードの翼が凍りつき始めたのを見て、タバサはやむをえず上昇を命じた。冷凍ガスの白煙の中に、地上に取り残された二人の姿が消えていく。

 だが、極低温に包まれて、体が氷に変わっていくのを実感しながらもルイズと才人に恐怖はなかった。

「ルイズ、いくぞ!」

「ええ!」

 白い地獄の中で、二人は唯一動かせた右腕を振りかざし、手と手をつないで光となった!

 

「ウルトラ・ターッチ!!」

 

 絶対零度の封印を砕いて、光が空へと舞い上がり、形となって降りてくる。

 

「イヤーッ!!」

 急降下キックがスノーゴンの鼻先をかすめ、あおりを受けただけで白い巨体があおむけに吹っ飛ばされる。

「ヌゥン!」

 そして、夏の日差しに輝く雪煙を立てて、大地に降り立つ銀色の勇姿!

 

「ウルトラマンAだ!」

 

 空の上からキュルケとタバサが、森の先からティファニアとロングビルと子供たちが、森の木々よりはるかに高いその巨体を見上げて、頼もしそうに歓声をあげた。特に、ティファニアたちウェストウッド村の人々はエースを見るのは初めてであったが、自分たちを守って立ちふさがるその勇姿に、ジャスティスと同じ優しさと強さを感じ取っていた。

「がんばれー! ウルトラマーン!!」

 構えをとり、起き上がってくるスノーゴンを見据えて、ウルトラマンAのアルビオンでの最初の戦いが幕を上げた。

「ショワッ!」

 木々を蹴散らしながら突進してくるスノーゴンをストレートキックで押しとどめ、ジャンプして脳天にチョップを叩き込む。エースの連続攻撃が次々に決まり、分厚い毛皮ごしからも、スノーゴンにダメージを与えていく。

 けれど、スノーゴンの実力に自信を抱いているブラック星人も、声を高めてスノーゴンへと命令する。

「スノーゴン! ウルトラマンごときひねりつぶしてやれ!」

 命令を受けたスノーゴンは、雄たけびを上げ、両手の鋭い爪を振りかざしてエースへ迫る。体格では、エースが四十メートルに対してスノーゴンが四五メートルと頭一つ違う。まれに、山で熊と遭遇して睨み合ったり、投げ飛ばしたりした人の話を聞くが、そんな人たちもこんな気持ちだったのだろうか。

(エース、あいつには捕まるな! 体を引き裂かれてしまうぞ)

 才人は突進してくるスノーゴンを見据えて叫んだ。スノーゴンの怪力は怪獣界でも相当なもので、かつての個体はその腕力にまかせて、ウルトラマンジャックを五体バラバラにしてしまっている。そのときは、かろうじてウルトラブレスレットの力で再生に成功したが、エースはそういったアイテムの類は持ち合わせていない。

(わかった、私もムルチのようにはなりたくないからな)

 エースの脳裏には、超獣ドラゴリーと戦ったときに、乱入してきた巨大魚怪獣ムルチをドラゴリーが腕力のみで、体を引きちぎってバラバラにしてしまったときの光景が蘇っていた。

 また、似たような例は他にもあり、どくろ怪獣レッドキングが有翼怪獣チャンドラーの翼を引きちぎったりと、怪獣は腕力だけでもあなどることはできない。真正面からパワーの対決になるのを避けて、その攻撃力を右に左にと、うまく受け流しながら打撃を加えていった。しかし、スノーゴンもまた人間に変身して会話をするほど知能の高い怪獣である。腕での攻撃がかわされ続けるとみるや、第三の武器、鋭い牙での噛み付き攻撃を仕掛けてきた!

(危ない!)

(危ない!)

 狼のような鋭い牙の羅列が迫ってくるのをエースと共有している視線で見て、才人とルイズは文字的にはまったく同じで音程の違う悲鳴を同時にあげた。

「ヤァッ!」

 エースはスノーゴンの牙が首筋に食い込む寸前で、体をひねって回避に成功した。万一こいつが食いついていたとしたら、エースの肩の骨が砕かれていたかもしれない。また、才人とルイズも、それぞれ小さいころに犬に吼えられたことがあるのを思い出していた。

(狂犬病予防は、してないだろうなあ)

 野良犬や、どこかの家の番犬に吼えられた経験は多くの人にあることだろう。そしてその恐怖を大勢の人が強く印象に残すのは、原始の人類が狼や虎に怯えてすごした記憶を遺伝子が本能として蘇らせるのかもしれないが、人間は進化の過程で理性によって恐怖を乗り越えることができるようになっている。二人は本能的な恐怖を、どうせ相手は獣だからと自分に言い聞かせてねじ伏せたが、なんにせよ、ジャックが一度はやられかけた強敵である。だからこそ、ブラック星人も今回も用心棒として連れ歩いているのだろう。

「ふははは、その程度の打撃でスノーゴンを倒せると思ったか! 超獣などという面倒なものに頼らずとも、最後に勝つのは我々だ。スノーゴンよ、ゆけぇー!」

 口の発光器官を強く輝かせながら、人間だったら間違いなく大口を開けて笑っているようにしながら、ブラック星人はさらにスノーゴンをけしかける。

(バカにバカ力をこうも楽しそうに自慢されると、さすがに腹たってくるわねえ……)

 残念だが、牙と爪がある分接近戦ではスノーゴンにやや分があった。奴の言うとおり、パワーの面ではスノーゴンは超獣にもひけをとらないだろう。このままではこちらが不利だと、エースはいったん体勢を立て直すためにバックステップを使って、間合いを取ろうと後方へと跳んだ。

「シャッ!」

 瞬間的に五十メイルほどの距離が開き、スノーゴンの爪が空を切る。近づかなければ、どんなパワーであろうと恐れることはない。

 だが、それこそを待ちわびていたかのようにブラック星人は高らかに叫んだ。

「いまだスノーゴン、エースもカチンカチンにしてしまえ!」

 するとスノーゴンはその巨大な口を大きく開けて、白色の冷凍ガスをエースに向かって放ってきた!

「ヘヤッ!」

 とっさに体をそらしてエースは回避したが。

(しまった、至近距離では逆に冷凍ガスが使えなかったのを自由にしてしまったか)

 ガスを至近距離で放てば自分まで浴びてしまう恐れがある。だからこれまで奴は最大の武器を使ってこなかったのだが、距離が充分開けばそれも解決する。エースは回避を続けるものの、スノーゴンは口からだけでなく、両手を合わせた先からも冷凍ガスを噴射してくる。発射口が二つもあってはさしものエースでさえ回避しきれない。

「フゥン! グォォッ!」

 体が凍結し始めて、エースから苦悶の声が流れる。

 M78星雲、光の国の住人は寒さに弱い。個人差もあるが、かつてエースも雪超獣スノーギランとの戦いでは吹雪の寒さに負けて、一時戦闘不能に陥ってしまっている。スノーゴンはそれをいいことに、動きの止まったエースに向けてさらに冷凍ガスを吹き付ける。

「エース、頑張れ!」

「負けないで!」

 いまや陽光を除けば、すっかり真冬となってしまった森の一角で、夏服で寒さに耐えながらロングビルや、ティファニアたちが声援を送ってくれる。さらに、内側からのルイズと才人の激励を受けて、エースはなんとか寒さに耐えようとするが、浴びせられ続ける冷凍ガスは急速に体力を奪い、ついにカラータイマーも赤く点滅を始めてしまった。

(くそっ……このままでは)

 スノーゴンの冷凍ガスの威力は予想以上に強力だった。エネルギーが急速になくなっていき、タイマーの点滅が通常よりも早くなっていく。このままでは、本当にジャックの二の舞になってしまう! 調子に乗ったブラック星人は、スノーゴンの背中を眺めながら愉快そうに笑った。

「いいぞスノーゴン、そのままエースもバラバラにしてしまえ、ハハハハ!」

 もはや勝ったも同然とばかりに手を叩いて星人は哄笑した。スノーゴンは、最後の力を振り絞って掴みかかろうとするのに抵抗するエースを地面に押さえつけて、今にも首筋に爪を突きたてようとしている。まさに、後一歩のところで逆転負けを喫した初代の雪辱が晴らされようとしていた。

 だが、ブラック星人もまた、他の数多くの侵略宇宙人と同じ、致命的な過ちを犯していた。

『ウィンディ・アイシクル!』

『ファイヤーボール!』

 突然降り注いできた氷の矢と、炎の弾丸がブラック星人を襲い、とっさに避けた場所の地面を粉砕した。

「ちぇっ、外したか」

 星人が驚いて攻撃のあったほうを見上げると、そこにはシルフィードに乗ったキュルケとタバサが杖をかざして見下ろしていた。

「ぬぅ、貴様ら!?」

「要はあんたがあの怪獣を操ってるんでしょ。怪獣が向こう行っていてちょうどいいからね、この隙にやっつけさせてもらうわよ!」

「なっ、なにぃ!!」

 とたんに、炎と氷の大爆撃がブラック星人に襲い掛かる。こうなると、変身くらいしか能力のないブラック星人にはなす術がない。

「おっ、おのれ人間ごときが!」

「陰に隠れて偉そうに、人間をなめんじゃないわよ!」

「わたしたちは、そんなに弱くない」

 逃げ回る星人に、二人の怒涛の攻撃が振りそそぐ。かつてははるかに強力なムザン星人と戦ったこともある二人からしてみれば、ブラック星人ごときを恐れる理由はかけらもなかった。ヤプールに乗じてやってくる姑息な侵略者、それもこれも人間が弱いものとなめられているからだ。ならばその誤った認識を修正してやらねばなるまい。

「スノーゴン、早く来いスノーゴーン!」

 ブラック星人は、さっきまでの余裕をかなぐり捨てて用心棒を呼んだ。

 そのとき、スノーゴンはエースの右腕を掴み、今にも引きちぎらんばかりの腕力を込めていたのだが、命令とあっては仕方なく、エースを放して戻ってくるとシルフィードに向けて冷凍ガスを吐きかけてきた。

「来たわよタバサ!」

「上昇」

「言われるまでもないのね!」

 直撃を受ければ、シルフィードもろとも地面に激突して床に落としたワイングラスのようになってしまう。もちろんそんなことは絶対お断りのシルフィードは、急速上昇してかわした。そのため、ブラック星人へのとどめが後一歩のところで刺せなかったが、もう一つのとどめを回避せしめて、なおかつ時間を稼いだことが戦局を大きく変えていた。

(エース、いまだ!)

 スノーゴンが離れた隙に、エースは渾身の力を振り絞って起き上がると、腕を胸の前で突き合わせて、光線技を放つのと逆の要領でエネルギーを体内で駆け巡らせた。

 

『ボディスパーク!』

 

 エネルギーの体内放射によって、氷が飛ばされ、氷点下にまで落ち込んでいたエースの体温が取り戻される。

 蘇ったエースは自分に背を向けているスノーゴンに向かって、体をひねると腕をL字に組んだ!

 

『メタリウム光線!!』

 

 三原色の美しい光の帯がスノーゴンの背中に吸い込まれ、一瞬置いてエネルギーの反発による大爆発がスノーゴンを襲う。

「やったあ、ざまーみろ!」

 キュルケの歓声が、エースの復活と形勢逆転を祝ってこだました。

 一方、ブラック星人はまさかのウルトラマンAの復活に驚くも、まだ負けたわけではないとスノーゴンに命令する。

「スノーゴン! エースのエネルギーは残り少ないはずだ。また凍りつかせてしまえ」

 再び、スノーゴンの口と手からの冷凍ガスがエースに向かって吹き付けられる。しかし、エースも同じ手を二度も食らいはしない。エースが両手のひらを合わせてスノーゴンに向けると、冷凍ガスがみるみるエースの手の中に吸い込まれていく!

 

『エースバキューム!』

 

 どんなガスでも吸い込む吸収技には、さしもの冷凍ガス攻撃も通用しない。やがて、吐き続けた冷凍ガスも打ち止めとなったと見え、咳き込むと同時に止まってしまった。

「よーし、いまよ! やっちゃえ!」

 キュルケ、タバサ、シルフィード、ティファニア、ロングビル、子供たちがそれぞれ言葉柄は違えど同じ内容の声援を同時にエースに送った。もちろん、才人やルイズも同感で、エースはその期待に十二分に答えた。

「ヘヤァッ!」

 エースバキュームを解除して、一気に勝負に打って出たエースの両手が高温のエネルギーに包まれる。

『フラッシュハンド!』

 パワーアップしたパンチとチョップの連打が叩き込まれ、さらに高電撃を帯びたキックが胴を、顔面を吹き飛ばす。

『電撃キック!』

 連撃を浴びたスノーゴンの体は、攻撃された箇所から焼け焦げ、一気に体力を削り取られていく。ブラック星人は焦って、なにをしているんだとスノーゴンに怒鳴るが、もはや遅い。

「デャァァッ!!」

 エースはフラフラになったスノーゴンの体を持ち上げると、真上に高く投げ上げて、落ちてきたところを受け止めると、大回転して勢いをつけて放り投げた!

 

『エースリフター!!』

 

 投げのエース最強技が炸裂し、スノーゴンの巨体が宙を舞う。

 そして、その落下地点には……

 

「まさか、そんな、ゲェーーッ!!」

 ブラック星人を見事下敷きにして、スノーゴンは氷原に大激突した。その振動たるや、凍りついた森の木々が一斉に霜を落とし、地上にいた子供たちは宙に浮かび上がってしまったほどだ。

 さらに! 元々凍結細胞でできているスノーゴンは、連打されて体の構造が弱っていたところに、大打撃を加えられた結果、体の構造そのものが一気に崩壊をきたした。その結果はあっけない。先代が辿ったのと同じように、さながら崩れ落ちる氷山のごとく大爆発して散ったのだ!

 

「やったぁー!」

 

 砕け散ったスノーゴンの破片が、まるで雪のように降り注ぐ。その中で、子供たちの心からの歓声が森の中に高らかに鳴り響き、空の上ではキュルケがタバサを抱きしめてガッツポーズをとっている。

 大勝利! 姑息な侵略計画を立てたブラック星人は、なめきっていた人間の逆襲を敗因として、何一つなしえぬまま遠い星に散った。そして、助けを受けて辛くも勝利を収めたエースは、熱を取り戻した夏空を見上げて飛び立った。

 

「ショワッ!!」

 

 銀色の光が空のかなたへと消えていく。人々は、手を振ってその勇姿を見送り、戻ってきた平和を喜んだ。

 しかし、シルフィードに乗って村の上空を旋回しながら、キュルケは憂鬱な表情だった。

「キュルケ……」

「戦いには勝った……けど、代わりにあたしたちはあの二人を失った」

 タバサは何も言えなかった。才人とルイズはシルフィードに乗り損なって怪獣の冷凍ガスの直撃を受けた。あの超低温の中で無事でいられるとは思えない。

 けれど、キュルケの目に鈍く輝くものが浮かびかけたとき、シルフィードの明るく軽快な声が二人の耳に響いた。

「きゅーい! お姉さま、あれ、あれ、あそこ見て見てなのね!!」

「え? ……あ!!」

 興奮したシルフィードの声に、怪訝な表情で地上を見下ろした二人は思わず間の抜けた声を出してしまった。なんとそこには、才人とルイズがなんでもない様子でこちらに向かって手を振っている姿があるではないか。

「おーい、おーい」

 笑顔で手を振ってくる二人に、特に外傷などは見受けられない。その暢気な姿に、キュルケはもう怒ったり喜んだりするどころか、完全に気が抜けてしまった。

「あいつら、人に心配かけちゃってくれて、もう!」

「しぶとい……」

「あの二人こそウルトラマンなのね! きゅいきゅいっ」

 再び照り付けだした夏の日差しの前に、凍り付いていた森も溶け出してあるべき姿へ戻っていく。避難していた村人たちも帰って、こうしてウェストウッド村を舞台にした二度目の戦いは幕を閉じたのだった。

 

 

 しかし、一局地での戦いに勝利したとしても、ヤプールとの戦いが終わったわけではない。

 ブラック星人の言い残した言葉の意味、ヤプールは人間を集めているという、今このアルビオンで進められているという計画を知った以上は黙っているわけにはいかない。

「わざわざ手間暇をかけて人間を集めて、奴はいったい何をたくらんでいるんだ?」

 壊されたウェストウッド村の後片付けをしながら、才人はその答えを考えていた。過去の事例として、ヤプールはその活動の末期に、マザロン人を使って地球上から子供たちを一人残らず異次元にさらい、未来を奪って全滅をもくろんだことがあるが、今度は老若男女問わずに人間を集めているところから、別に異次元にさらうつもりでもないようだ。となれば、このアルビオンで何かに利用しようとしているのだろうが、それが皆目見当がつかない。

 ただし、手がかりがなくはない。

「宇宙人が王軍に紛れ込んで動いていた以上、王党派を何らかの形で利用しようとしているんだろうな。こうなったら、危険だが王党派に探りを入れてみるか……だけど、この国のことがさっぱりわからないおれが一人で行っても迷子になるだけだよな……」

 ヤプールの動向を調査するといえば、ルイズはまずOKしてくれるだろう。キュルケやタバサも手助けしてくれるに違いない。ただ、地理に不案内な自分たちがのこのこと戦場近辺をうろつけば、最悪軍隊に追い回されることになりかねない。となれば、現地の人の協力をあおぎたいところだが、ティファニアを危険に巻き込むわけにはいかないし、頼れる人といえばロングビルがいるが、せっかく里帰りしてゆっくりしているところに無理を頼んでいいものか……。

 けれども、すでに大勢の人が王軍の下へ連行されてしまっている以上、捨て置くわけにはいかない。まったく、せっかく夏休みをのんびり楽しんでいたというのに、ろくでもないタイミングで現れてくれるものだ。休日出勤などといったくたびれるものがある会社には就職したくないと思っていたのに……。

「なんにせよ、人間をさらって奴隷にしようなんて企みをほっとくわけにもいかないし、それに王軍と交渉に向かったミシェルさんも大丈夫かな……あの人のことだから、簡単にはやられないと思うが……」

 才人にも、他人を気遣うくらいの配慮はあるだけに、無理を言っていいものか、それとも無理を承知で自分たちだけで行動するべきか、二重背反に苦しんだ。

「ともかく、今日はもう日が暮れるし、夕飯どきにでも相談してみるか」

 焦っても仕方がない。今日はもう、みんな疲れているしエースもエネルギーを回復する時間が必要だ。それに、一人で決めたらまたルイズに怒られる。また疲れるだろうが、みんなで相談して今後のことを決めようと、才人は傾き始めた太陽を見て思うのだった。

 

 

 一方同時刻、トリステインではアニエス以下の銃士隊が中心となって、国内に潜むレコン・キスタ勢の内通者の狩り出しがおこなわれていた。

 前々からの調査によって、あたりをつけておいたある騎士団の団員の一人を尾行し、町の一角の宿場でパイプ役のアルビオン人と接触したところを捕らえるのに成功したのだ。

「くそっ! アンリエッタの犬め!」

「言いたいことがあるなら今のうちに言っておけ、どうせ拷問にかけられれば強がる元気もすぐになくなる」

 縛り上げながらも悪あがきを続ける男を見下しながら、アニエスは無感情に吐き捨てた。この後、間諜の男には普通の人間なら見ただけで失神するような苦痛の数々が架せられることになるが、アニエスの使命は国家と国民に害をなす分子を早期に取り除くことであるから、必要とあれば苛烈な処置もためらわない。第一、金銭に目がくらんで国を売るような恥知らずに同情してやる価値は寸分もない。

「恨むのなら、こんな単純な手に乗った自分自身を恨むのだな」

 その、侮蔑をたっぷりと込めた一言を聞くと、男は自殺しないようにかまされた猿轡を音がするほど噛み締めて悔しがった。アニエスは、用心して行動を起こさない男に、アルビオンの内通者がわかったから次の夜に逮捕しに向かうと偽の情報を流し、その内通者から自分のことが漏れると焦った男が動いたところで捕まえたのである。

「徹底的に調べろ、どんな小さな痕跡も見逃すな」

 部下たちに指示して、アニエスは間諜たちの持ち物を調べさせた。ミシェルがいなくなってから、銃士隊全体の効率というか事務能力が落ちてきているので時間がかかってしまっているが、それでも彼女たちは手馴れた動作で調べていき、やがて男の帽子の生地の内側に書類が隠されているのを見つけ出した。

「隊長、こんなものが」

 隊員の一人が差し出した紙を、アニエスは受け取って開いた。それは、何かの文章のようであったが、万一敵に発見されたときのためにであろう、意味不明な単語が並ぶ暗号の体をなしていた。

「小ざかしい真似を、だが無駄な努力だったな」

 アニエスは懐から、別の間諜から奪った暗号解読の乱数表を取り出し、ゆっくりと頭の中で文章を組み立てていった。

「アル・ビオンは……現在……王党派へ……」

 ともかく、調査を始めてこの男に行き着くまでは長かった。トリステインに張り巡らされたスパイ網は単純ではなく、一度限りの運び屋や、ガリアやゲルマニアの諜報員も混ざっているために操作は何度も行き詰まった。さらには最近のレコン・キスタ勢の劣勢を知り、スパイ活動をやめて国外に逃亡したものまで多数いたために、末端から一歩一歩根を掘り返し、詰まっては方向を変え、詰まっては方向を変えと、全員足を棒のようにした結果、ようやく大物とつるんでいると思われるこいつに行き当たったのである。

「隊長」

「ふむ、どうやらアルビオンで王党派と戦っているうちに、トリステインが動かないように内部工作を頼む文章のようだな。宛先は、言うに及ばずだ。だが、こいつも最近はレコン・キスタを見限るように、前よりはおとなしくしていたはず。この、用心深く欲深いこいつを動かすには、それなりに魅力的なエサが必要だろう。さて……」

 彼女は、絶対にクロだと思っているが、確たる証拠がないために逮捕できずにいる政府内部の大物内通者の憎らしい顔を思い浮かべた。しかし、そいつに繋げるためにも無駄な思考は除かねばならない。気を取り直して暗号解読に戻った。

「決戦に際して、ウェールズ皇太子はすでにこの世を去っていることになるでしょう……政戦共に皇太子の力量に頼っている王軍など、彼がいなくては烏合の衆。我々はこれを撃破した余勢をかってトリステインに……」

「これは隊長、連中は王子を」

「うむ、卑劣な策謀に頼るレコン・キスタらしい。奴らは、王子を暗殺する気だ」

 銃士隊の中に、さっと緊張が走った。しかし驚く者はいない、戦力的に劣勢なレコン・キスタが敵の頭であるウェールズを狙うのはしごく当然の選択であるからだ。しかし、そんなことは王党派も当然承知しているはずで、皇太子の身辺警護には気を使っているに違いない。恐らく、今皇太子に近づけるのは信頼の置ける一部の者に限られるはずで、しかも皇太子自身もスクウェアに近いトライアングルクラスの風の使い手と聞く。暗殺をするとしても簡単にはいかないのは誰にでも想像がつく。連中はいったいどんな作戦で皇太子の命を狙うというのか? それはこれからの文に書かれているはずで、アニエスはつばを飲み込んで、その先の解読を続けた。

「むろん、皇太子も自らの身辺は厳重に警護していることでしょう。しかし、彼も人間である以上必ず隙はあります。その点で我々はあなた様のご尽力もあり、絶対確実な暗殺者を用意することに成功いたしました。この人選には感謝の意にたえません。まずは、あなた様の忠実なるしもべである……その名は…………その、名は……」

 そこに記されていた名前を読んで、アニエスは一瞬自分の目を疑ったが、すぐにもう一度全文を確認しなおして、全身から血の気が引いていくのを感じた。

「隊長?」

 自失していたところに、隊員の一人に声をかけられて我に帰ると、アニエスはすぐに頭の中で情報を整理した。そしてそれによって導き出される最適な答えに行き当たって、はじかれるように部屋のドアを押し開いて走り出した。

「隊長、どうなさったんですか!?」

「緊急事態だ! 私はすぐに姫殿下に話をせねばならん。お前たちはその二人から可能な限りの情報を引き出せ、殺さなければどんな手段を使ってもかまわん!」

 外に用意してあった馬に飛び乗り、一目散に王宮を目指すアニエスの耳に、つぶされた豚のような悲鳴がわずかに響いてきた。だが、彼女はもはやそんなものにかまいはしなかった。

 

 

 その下町の宿から王宮、さらにアンリエッタの元にアニエスがたどり着くまでに要した時間は三十分ほどであったが、彼女には無限に長く感じられた。

「どうしたのですかアニエス!? そんなに息を切らせて」

 火急の用と聞いて、公務をマザリーニ枢機卿に任せてやってきたアンリエッタはアニエスの尋常ではない様子を見て、思わず彼女に駆け寄って問いただした。

「最悪の事態です。時間がありませんので、大方は省略しますが、たった今捕らえましたアルビオンの間諜から得た情報に、近日中にウェールズ皇太子を暗殺するというものがありました」

「なんですって!? し、しかし、暗殺の危険は王党派も重々承知しているはず。むざむざウェールズ様がやられるとは……」

 アンリエッタも顔を蒼白にしたが、一国の王にとって暗殺の危険などは常にあるものである。怪しい者がおいそれと皇太子に近づくことは不可能で、食事にも厳重に毒見がつく。

「それが、盲点を突かれました! 絶対に怪しまれずに、皇太子の至近に近寄れる方法があったのです。その……暗殺者というのは……」

 血を吐くように、暗殺者の名を報告したとたん、アンリエッタはひざを落とし、持っていた王族伝統の杖をカーペットの上に取り落としたが、かろうじて意識だけは残していた。

「そんな、馬鹿な……でも……いいえ、だとしたら……」

「殿下、お気を確かに! 私も信じたくないのは同じです。しかし、この方法ならば確実にウェールズ皇太子の命を狙える以上、信憑性は限りなく高いのです。今は現実から目を離している場合ではありません」

 アニエスが正気を失いかけているアンリエッタを必死ではげましたとき、謁見の間に銃士隊員の一人が駆け込んできた。

「報告します。間諜の二人が口を割りました。やはり以前からトリスタニアに潜伏していたときより、その者たちから軍や政治の内部情報を得ていたそうです」

「そいつが苦し紛れについた嘘ではないのだな?」

「はい、腕の関節を外してやったらあっさりと。我々しか知らないはずの銃士隊や魔法衛士隊のことも吐きましたので、間違いはないです」

 所詮、金に目がくらんだ人間などこんなものであったかとアニエスは思ったが、それよりも得た情報のほうが問題である。暗部の仕事も請け負う銃士隊は、当然尋問のエキスパートでもあり、情報はきちんと裏を取り、その精度は高い。

「隊長……」

「ああ、これで以前奴隷商人をつぶしたときに、店主が我々の行動を事前に知っていたことも説明がつく。ちくしょう」

 その隊員は、アニエスがこんなに悔しそうな顔をするのを見たことがなかった。

「姫殿下、確かに一大事ではありますが、これは幸いであったかもしれません。この手紙が今渡ってきたタイミングを考えませば、ウェールズ皇太子はまだ無事です。今からでも間に合うかもしれません!」

 すると、虚無に陥りかけていたアンリエッタの目に光が戻り、聡明な頭脳がすぐさまフル回転を始めた。

「そうですね。こんなことをしている場合ではありませんでした。そうだ、烈風カリン殿とグリフォン隊は今どうしています?」

 現在もっとも早く行動できる部隊といえば、カリーヌに訓練を受けているグリフォン隊しかない。しかし近衛兵から返ってきた答えは、彼女の期待に沿えるものではなかった。

「それが、現在長期飛行訓練のために東国境沿いにまで全部隊で遠征しておいでで、連絡をとっても戻られるのは明日以降となります」

「ああ、それでは間に合わないではないですか! それに、訓練後ではカリーヌ様の使い魔もグリフォン隊も疲労しているはず。こうなれば仕方ありません、アニエス、すぐにアルビオンに飛びなさい!」

「御意!」

 もとよりアニエスはそのつもりであった。この件には自分自身でけりをつける。それがどんな結末を用意していようと。

「竜籠を使いなさい。それからあなたにはわたくしの勅命で、この国におけるあらゆる権限の優先権を与えます。ラ・ロシェールの船を徴用してもかまいません、とにかく急ぐのです!」

 羊皮紙に大急ぎで必要事項を書き込んだ権限委任状をアニエスに渡すと、彼女は次にもっとも早い竜を用意するように命じ、さらに右腕であるマザリーニ枢機卿を呼び、事情を説明した。

「すぐに国内の貴族たちを招集してください。それから、王軍はこれより第一級臨戦態勢に入ります。場合によっては、数日中に出陣しなければならない事態にもなるかもしれません」

「御意に、しかし我らが動けば残った内通者を警戒させてしまうのではありませんか?」

「かまいません。もうそんな小さなことを気にしている場合ではないのです。それに、このことが彼らに情報が漏れているのだとけん制することにもなるでしょう」

「わかりました。ですが軍を動かすにはそれなりの準備がいりますので、早ければ早いほど戦力は下がるということをお忘れなくように」

 王女に向かって、ここまで歯に絹着せずに忠告できるのは彼くらいのものだろう。逆に見れば、それが彼の忠義心の強さを証明するものであったが、アンリエッタはとにかく急ぐようにだけ命じると、彼を下がらせた。

 謁見の間には、アンリエッタと近衛兵だけになり、窓からは赤みを増してきた陽光が差し込んでくる。彼女は窓際に歩み寄ると、空を見上げて誰にも聞こえないようにつぶやいた。

「ウェールズ様、本当なら今すぐお助けに参りたい。しかし、非力なわたくしではあなたのお役には立てない。せめて、この国の力がもっと強かったら、あなたを助けに兵を送れますのに」

 ベロクロン戦で大打撃を受けたトリステイン軍はいまだ再建途上にあり、とても国外に遠征する余裕などはない。今召集をかけた軍隊も、アルビオン王党派を援護するためのものではなく、万一彼らが敗れたときのために、後方の逃げ道を確保するためと、レコン・キスタが勢いに乗ってトリステインにまでなだれ込んでこないようにするために、威嚇するためのものだ。

 むろん、これにしても今すぐにというわけではなく、それなりに役立たせるようにするためには時間をかけて準備しなければならない。お話のように「いざ出陣」と王様が言ったら「おおーっ!」と兵士がついてくるわけではない。彼らに食わす兵糧、持たせる武器弾薬などはかさばり、輸送のために専用の部隊が必要とされ、その輸送のために計画も必要なのだ。

「時間がほしい……アニエス、なんとしても、なんとしてもウェールズ様をお救いしてあげてください」

 赤い光を受けて、アニエスを乗せた竜篭がアルビオンの方角に向けて遠ざかっていくのを、アンリエッタは必死に祈りながら見守っていた。

 

 

 続く



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第65話  黒い星の申し子

 第65話

 黒い星の申し子

 

 円盤生物 ブラックエンド

 円盤生物 ノーバ 登場!

 

 

 それは、今を去ること三十数年前……西暦一九七五年三月二八日にまでさかのぼる。

「ブラックエンド! ゆけぇー!」

 水晶玉を天に掲げ、憎憎しげな声で命じる黒尽くめの男。

 この年、地球防衛の任についていた宇宙パトロール隊MACの本部ステーションを襲って組織ごと完全に破壊し、幾度となく地球を攻撃してきた謎の円盤状の宇宙怪獣の一群を、GUYSのアーカイブ・ドキュメントは、その脅威に対する畏怖を込めて『円盤生物』と記録している。

 それは、地球を離れること一千万キロのかなた、悪魔の惑星ブラックスターからやってきた謎の宇宙人、ブラック指令によって操られる、宇宙生物を侵略用に改造した怪獣兵器の一種である。ヤプールの超獣と似ているが、隠密行動力、特殊能力に重点をおいて改造を施され、MACが全滅に追い込まれたことをはじめ、当時の地球人類は姿もなく襲い掛かってくるこの悪魔の群れになすすべもなかった。

 しかし、そのとき地球にはまだ、我らの勇者、ウルトラマンレオがいたのである。

 MACの全滅後、レオはたった一人残った地球の守りとして、次々と襲ってくる円盤生物と戦い、勝利していったのだ。だが、度重なる敗北に業を煮やしたブラック指令は、ついにブラックスターでもっとも強く、もっとも巨大な円盤生物を呼び寄せた。それが円盤生物ブラックエンドである。

 ブラックエンドは、まさしくレオを抹殺するためにのみ送り込まれてきた最強の円盤生物であった。全長五五メートル、体重二万九千トン、黒色の球体型の体の前後に巨大な角と、太く長大な尾を持ったその姿は、隠密行動を主とする他の円盤生物とは一線を画し、戦闘一点張りの凶悪なフォルムと絶大なパワーを持って、ウルトラマンレオに襲い掛かった。

 ところが、ブラック指令の目論見は大きくはずれた。

 突進攻撃は難なく避けられ、大きく裂けた口から吐き出す火炎もバック転で軽く避けられる。

 自慢の巨大な角はレオのパワーで引き抜かれ、逆にブラックエンドめがけて投げつけられる。

 地球にやってきた当時は弱かったレオも、ウルトラセブンの特訓を受け、数々の怪獣、宇宙人との戦いを潜り抜けて、もはやほかのウルトラ兄弟にも並ぶほど強くなっていた。正面対決を挑むには時すでに遅し、さしもの最強の円盤生物といえども、もはや我らのウルトラマンレオの敵ではなかったのだ!

 対して、ブラック指令は子供を人質にとる卑劣な作戦でレオを追い詰めた。だが、地球人の力をあなどっていたブラック指令は、勇気を振り絞って立ち向かってきた子供たちの逆襲にあって円盤生物を操るための水晶玉を奪われ、レオは水晶玉をブラックエンドめがけて投げつけ、ついにこれを打ち破った。

 かくして最後の円盤生物も倒され、ブラック指令も滅びた。最後のあがきと地球に急接近してきたブラックスターも、レオ渾身のシューティングビームで木っ端微塵に吹き飛ばされ、悪魔の星の地球侵略作戦は、ここに完全に潰え去ったのだ。

 

 だが、完全に砕け散ったと思われたブラックスターの破片を、人知れず採取していた者がいたのである。

「これがブラックスターの破片、皇帝も酔狂なものをご所望なさる。まあ、ゲームの駒は多いに越したことはないということですかな? フフフフ」

 ひっそりと、地球人の目には誰一人触れないまま、悪魔の星の欠片を手に入れたその黒色の宇宙人は、眼下に広がる青い星を一瞥すると、そのまま姿を消した。

 

 ブラックエンドとブラックスターの崩壊後、地球には再び平穏な日々が訪れた。それから五年後、怪獣クレッセントの出現と、ウルトラマン80の地球滞在を経て、怪獣頻出期の最後が訪れるが、やがてそれも冷凍怪獣マーゴドンを最後に二十五年間続く平和のうちに、長かった怪獣頻出期の記憶とともに、円盤生物の名前も人々の記憶から消え去っていった。

 しかし、完全に滅びたと思われていた円盤生物は、西暦2006年に再びその姿を現した。

 CREW GUYS基地フェニックスネスト近辺で目撃されていた不審な赤い幽霊。それは最初単なる噂かと思われていたが、やがてその実体を現したとき人々を驚愕させた。

「そうか、赤い幽霊は、円盤生物ノーバだったんだ!」

「円盤生物!?」

「アウト・オブ・ドキュメント……防衛チームMAC壊滅後に確認された宇宙怪獣です!」

 そう、完全に滅び去ったと思われていたブラックスターの円盤生物が蘇った。

 メビウスとGUYSは、苦戦しながらも復活した円盤生物を打ち破った。

 だが、事態はそれで収まらなかった。ノーバの出現からしばらくして、地球に襲来した無数の宇宙円盤群。その中の一機は地球に舞い降りて破壊活動を開始したが、それからは強大な生命反応が観測された。つまり、それは生きている円盤、新たな円盤生物の襲来であった。

 円盤生物ロベルガー。かつての円盤生物の特徴を持ちながら、まったく新しい戦闘に特化した、ウルトラマンを上回る人型の巨躯を持つそいつは、圧倒的な破壊力を持ってウルトラマンメビウスと激闘を繰り広げた。

 

 しかし、いったい何者が滅んだはずのブラックスターの円盤生物を蘇らせ、あまつさえ新種の円盤生物を出現させたのだろうか……謎は残った。

 けれどそれは、そのすぐ後に地球を襲った大いなる脅威の前触れだったことが、後に明らかとなった。

 暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人。ウルトラマンを光の化身とするなら、まったく対極に位置する闇の最高支配者。かつてウルトラ大戦争でウルトラの父と渡り合い、さらにあのヤプール、メフィラス星人、冷凍星人グローザム、策謀宇宙人デスレムからなる暗黒四天王をはじめ、ババルウ星人などすら配下にする最強の宇宙人である彼にとっては、円盤生物を復活させることなど造作もないことだったのである。

 それでも、そのエンペラ星人もメビウスとGUYSに滅ぼされ、円盤生物も、後にアーマード・ダークネスの事件の際に確認された、ロベルガーの別個体を最後にまた消滅したかと思われた。だが、エンペラ星人の死後、残されていたブラックスターの破片がどうなったのは誰も知らない……

 

 

 物語は、ウルトラマンAがブラック星人とスノーゴンと戦った、その日から再開される。

 

 ウェストウッド村から数十リーグ離れた平原に、アルビオン王軍は八万の兵を布陣させていた。ざっと見渡すだけでも、竜騎士数二百騎、砲兵八百、騎馬兵、歩兵ほかにいたっては雲霞のごとし。かつて、反乱軍レコン・キスタの攻撃によって廃滅寸前にまで追い込まれていた王党派軍は、終焉寸前の状態から皇太子ウェールズの指揮の元で反撃に転じ、今や反乱軍総数七万を超える大戦力となって、決戦のときを待ちわびていた。

 その、前線からおよそ五リーグほど離れた古びた小城に、一週間前に才人たち一行と別れたワルドとミシェルが窓から姿をのぞかせていた。

「総数八万人、ほんの数ヶ月前までたった千以下にまで減少していた王党派が、よくぞここまで再建できたものだな」

「すべて、レコン・キスタがニューカッスル城包囲戦に失敗して、追撃戦で二千もの損害を受けたゆえさ。その勝利の報を受けて各地に分散していた王党派の残党が集結、勢いのままに拠点の一つを奪取して、行動の自由を得た後は、ニューカッスルほかに蓄積していた財宝をはたいて傭兵団を組織して戦力を増強。指揮官たるウェールズ王子の軍事的手腕は非凡なものだったようだな」

 眼下には、地を埋め尽くすような大軍勢が詰めている。しかも、いまや王党派軍の全容はこれだけではなく、サウスゴータからスカボロー港までを占領しており、補給線確保のために各地の要塞や小城を防備している部隊が一万以上いる。

 そして、その全軍を統率しているのが、現在のアルビオン王国皇太子にして軍最高司令官であるウェールズ王子である。いや、王子という呼称も、この戦いが終われば過去のものとなるはずであった。

「ウェールズ王子か。ニューカッスル攻防戦のおりに、前線に無理に出て士気を鼓舞していたジェームズ一世が敵弾を受けて戦死した際に、巧みな扇動で王党派の自壊を防ぎ、無念をレコン・キスタへの憎しみに転化させて逆襲戦を成功させた男。若くして政戦両略に秀で、人望も豊かな美男子と聞く」

「そう。崩壊寸前のアルビオン王国をその手腕一つで再生させ、戦後は次期アルビオン王への即位は確実とされ、いまやアルビオンは彼一人が支えているとさえ言われる若き英雄に、私たちは会わなければならない」

 トリステイン王国からアルビオン王党派への使者として派遣された二人は、憮然として、自分たちの任務を確認するかのようにつぶやいた。

 とにかく、見るものが見ていれば、その取り合わせには奇異の念を覚えたであろう二人である。

 なにしろ、生まれは同じ貴族であるが、片方は名門の出として誰からもうらやましがられる恵まれた身分の元で立身出世を思うままにし、片や実家の没落によって極貧から身一つ剣一本で、誰にも頼らずに成り上がってきた一匹狼である。もし同一の任務がなければ、一秒だって同じ場所にいないだろう。

 この、前線基地にされるまでは荒れ果てていた名もない城に二人が到着して四日。すぐにウェールズ王子と謁見するものと思っていた二人は、王子はちょうど各補給基地の視察に出ていてしばらく戻られないと聞かされ、仕方なくこの城でずっと足止めを食わされていた。

「まったく、決戦が迫っているこの時期に悠長なものだ」

 いらだちを隠せないように、ワルドがブーツのかかとで石畳を叩きながら吐き捨てると、腕組みをしてじっと立ち尽くしていたミシェルがぽつりとつぶやいた。

「こちらの都合に合わせて、誰もが動いてくれれば苦労はないさ。アルビオン航路を、あの二羽の怪鳥が妨害して、事前の連絡がこちらに届いていなかったからな。それに、補給線を確実に確保するのは当然だ。後方の部隊に安心感を与えることもできるしな」

 だからといって、いつ戦端が開かれるかわからない状況で、最高司令官が最前線を離れるのはどうかと思うのだが、こちらの指揮官代理から聞いた話では、敵も戦力集結に時間をかけているらしく、あと数日は問題ないらしい。

「敵の準備が整う前に、奇襲をかけようとかかけられるとか思わないのかね」

「少なくとも、こちらは正面から勝てる兵力差があるのに小細工をろうそうとは思わないのだろう。むしろ充分用意を整えて、決戦にかけるほうが道理に合っている」

 地球の長い戦史の中でも、圧倒的な兵力差をつけているのに、欲をかいて奇襲を狙ったばかりに大敗を喫した愚かな司令官は枚挙にいとまがない。対して、かの織田信長は、桶狭間の戦いでは奇襲で勝利を掴んだが、それ以後は正攻法で勝ち抜いている。奇襲とは本来邪道の戦法なのだ。

「逆に、レコン・キスタ側は敗北続きで士気も下がっているし、司令官のクロムウェルに対する信頼感も薄れてきている。傭兵団も王党派に寝返るのをなんとか食い止めているような、全軍の統率もろくにとれない状態では、とても今すぐに攻撃をかけるなどできはしないさ」

 投げやりに言うミシェルの言葉には、短いあいだによくここまで戦力差を逆転させられたものだという、王党派への感心以上にレコン・キスタへの呆れが込められていた。ただ、ミシェルはその内心に、ほんの数ヶ月前まで政戦に見事な采配を見せていたクロムウェルが、どうしてここまで容易に逆転を許したのかと、ぬぐいきれない疑問が渦を巻いていた。

 しかし、ワルドはそうしたミシェルの心の機微には気づかずに、周りにほかに誰もいないことをいいことに、さらにいらだちをつのらせ、意味もなく立ち上がったり、そわそわと足を踏み鳴らしたりしていた。そのうち胸に下げていたロケットつきのペンダントを手にとって、中に入っているものを空けて見たり、閉じてしばらくしたらまた空けて見たりを繰り返すようになり、わずらわしさとわずかな興味からミシェルは彼のそれに視線をやって訊ねた。

「なんだそれは?」

「お前には、関係のないものだ」

 思ったとおり、返ってきた返事はそっけないものであったが、ロケットといえば誰かの肖像画を入れるものと相場が決まっている。

「恋人か?」

 返答は沈黙であったが、もしそうだとすればこの男に惚れられる女とはどんなものかと、多少おかしさが湧いてきて、その微妙な表情の変化を見て取られたのかワルドはぽつりと一言だけ答えた。

「形見だ」

「ほう……お前にそんな感傷的な面があったとは驚きだな」

 形見というなら親兄弟か……いずれにしても驚きだが、そうして手の中でもてあそんでいるということは、彼もまた過去を引きずっているということか。多少興味を増したミシェルは、なにげなくそれに手を伸ばしてみたが。

「触るな!!」

 あと一サント手を伸ばしていたら切り付けられたかもしれないほどの殺気をともなって怒鳴りつけられ、ミシェルはすぐに手を引き戻して彼に謝罪した。

「悪かったな。私が軽率であった」

 誰にでも、他者に踏み入られたくない領域はある。それを犯す権利は誰にもないということは、彼女も重々承知していた。ワルドは、意外にもたやすくやってきた謝罪の言葉に毒を抜かれたと見えて、ふんっ、と鼻で息をつくと、ごまかすように話を戻した。

「そんなことよりも、とにかく我々には時間がない。一刻も早くウェールズと会わねばならん! そうしなければ、我々のこれまでのことはまったく無駄になる」

「落ち着けワルド子爵、王子が戻ってきたらトリステイン特使である我々に会わないなどありえん。今はただ待てばいい」

「貴様はよくそんなに落ち着いていられるな……まさかとは思うが、我らの使命達成に迷いが生じたわけではないだろうな?」

 いぶかしげに問うワルドに対して、ミシェルは視線だけを彼に向けた。

「私も、今のトリステインを憂える思いは変わらず持ち続けている。トリステインのためになるというのなら、迷いなどありはせん」

「ならいいが、どうも君は最近あの平民たちに入れ込んでいるようだからね。大義をおろそかにしはしないかと、心配で、ね」

 淡々と、腰のレイピア状の杖を手のひらで弄びながらつぶやくワルドの表情を、気の弱い者が見たら鳥肌を立てるかもしれない。だが、ミシェルは眉一つ動かさずにその言葉の冷風をやり過ごしながら、国に残してきた仲間のことなどをぼんやりと考えていた。

「今頃トリステインでは、隊長たちが国内のレコン・キスタ勢の間諜をいぶりだしているころか……とはいっても、今のレコン・キスタにそこまで強力な情報網を維持する余力はないだろうが」

 彼女の見るところでは、これまでレコン・キスタと内通していた国内の造反者たちも、レコン・キスタの先を見限って、ガリアやゲルマニアなどの情報組織に鞍替えし始めているようである。よって、すでに影を潜めていて、完全に撲滅するのは難しいであろうと考えていた。

 もはや、早い遅いはともかく避けようもない両軍の激突。様々な要素を加味して戦力差を考えれば王党派が優勢とされているが、レコン・キスタ側にもまだ逆転の要素はあり、状況は予断を許さない。

「もし、この戦いにレコン・キスタが勝てば、彼らは王党派勢が擁していた傭兵らの戦力を吸収することができる。そうなれば、戦力を大幅に拡充した彼らは、強大な空軍力を背景にトリステインを落とし、ゲルマニア、ガリアと戦火は広がっていく」

 目を閉じたミシェルのまぶたの裏に、アニエスや苦楽を共にしてきた銃士隊の仲間たちの顔が浮かぶ。もし戦火がトリステインにまで及べば、当然彼女たちも戦いに巻き込まれて、少なからぬ者たちが帰らぬ人となるだろう。

 しかしワルドは、そんなミシェルの心を知ろうとすらせずに、彼女が言わなかった先を続けた。

「やがてロマリアも落ち、ハルケギニアはレコン・キスタによって統一されて王権は消滅し、共和制がこの世界をたばねることになる。やがて、エルフどもに占領されている聖地のある東方への侵攻が開始され、聖戦はクライマックスを迎える」

 この世界全てを巻き込む戦いの連鎖。その野望の全容をワルドは言い切ると、遠い東の空を仰ぎ見た。そのはるかな先には、この数百年人間の見たことのない、かつて始祖ブリミルの降臨したといわれる聖地がある。レコン・キスタの最終目的は、その聖地をエルフどもの手から奪還することとされているから、彼らの思惑どおりにいけば、いずれ東方を舞台に空前の大戦争が始まることになるだろう。もちろん、その前にもハルケギニア統一のために流される流血は、少なく見積もっても十万を下ることは絶対にない。

 仮にそうなったとき、自分は最後にどんな顔をしているだろうかと、ミシェルは思いを抱かざるを得ない。十万の人命というが、その一つ一つには人生があり、喜びも悲しみも、なによりも可能性がある。十万の死という言葉は、その奥に隠された無限に等しい悲嘆と憎悪を表現することはできない。人間の発明した言語というものの、なんと無力かつ不完全なことか。

 また、仮に百歩、否一千億歩譲って、赤の他人の十万人ならその死も許容できようが、その中に親しい仲間が混ざっていた場合はどうだろうか。自分が死ぬことに関してはとうに覚悟はできているが、そんな、生きたまま手足をもがれていくようなことに、自分は最後まで耐えられるのだろうか。そしていつの間に自分はこんなに軍人らしくない思考をするようになったのかと、彼女は思うようにいかない自分の心にいらだっていた。

 だが、そうして無為に流れていくと思われた時間も、全体からすればきちんと計算されているらしい。唐突に部屋のドアがノックされたかと思うと、鎖かたびらを着込んだ壮年の兵士によって、ウェールズ皇太子がご帰還あそばされ、数時間中にお二人とお会いしたいとおっしゃられているので準備されたいと伝えられた。

「いよいよ、か」

「ああ、いよいよだ」

 感想をその一語に集約させると、二人は本来なすべき役目を実行するために腰を上げた。

 

 

 この古城で、謁見の間とされている小さな広間に通されたとき、二人は値踏みするように中を見渡した。

「質素ながら、高潔さを保っているな」

 調度品は、元々この城にあったであろう古いランプやよろい飾りなどしかなく、それも決して高級品というわけではない。しかし、よく磨かれており、ほこりの堆積していた形跡さえ見えない。間接的ながらも、皇太子の華美を嫌う質実剛健さと、部下の皇太子への忠義心をかいま見れる光景であった。

 やがて、二名の近衛兵に護衛されながら、アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダーが入室してくると、二人はうやうやしく頭を下げて最敬礼の姿勢をとった。

「よく来てくれた、トリステインの大使殿。失礼ながら大変長らく待たせてしまって申し訳なかった。あらためて歓迎の意を表させてもらおう。ようこそ、アルビオンへ」

 金髪の凛々しい皇太子は、自分から名乗った後に、感じのよい笑顔で二人を歓迎した。ワルドとミシェルは顔を上げると、自らの名と地位を名乗りながら、はじめて見るウェールズ皇太子を観察し、噂どおりの人物であると認めた。端麗なる容姿と、明瞭かつ覇気にあふれた性格を持ち、一目で王族とわかる雰囲気をかもし出す若者が目の前にいる。

 影武者などではないことに納得して、まずはアンリエッタから皇太子に向けて宛てられた書状を差し出した。

「ほう、私の美しい従妹は息災のようだね。彼女は、自分の国も苦しいというのにアルビオンを援助してくれようというのか。優しい子だ、彼女は昔から変わらず美しい心を持ち続けているのだな」

 書状を読み終わったウェールズは、昔を懐かしむ顔を一瞬浮かべた後で、すぐに表情を戻して二人に向き直った。

「君たちも、遠路はるばるご苦労であった。早ければ、明日にでも決戦が起ころうというこのタイミングで、何とか会うことができたのは幸いだった。恥ずかしい話だが、内戦で我が国は相当に疲弊している。今でこそお互いが均衡を保っているが、勝敗がつけば戦いの傷は一気に表面に出てくるだろう。アンリエッタの厚意を無駄にしないためにも、君たちには大いに協力してもらいたい」

「御意に」

「我々は、そのためにこそ来たのです」

 ウェールズの申し出に対して、二人はもう一度うやうやしく頭を下げて了承の意を表した。

 そして、トリステイン王国よりの、アルビオン王党派への特使の役割はこれだけではない。国から持ってきた用件のほかにも、話し合うべきことは山のようにあった。

「感謝する。それでは会議室に案内しよう」

 三者は、物々しい様子の近衛兵に護衛されて、数人の将軍や政治家とともに卓を囲んでの会談に移った。

「諸君、情報を総合した結果、レコン・キスタどもは三日後に勢力を整えて攻勢に転じてくるとの線が濃厚だ。その前にこちらから仕掛ければ勝利は硬いが、ただし壊走した敵軍がロサイス方面にかなりの数逃走してしまうだろう。よって我々はこれに対して、緒戦は防御に徹し、敵の攻勢が限界点に達した時点で反撃に転じ、敵を完膚なきまでに撃滅するものとする」

 自信に溢れた声でウェールズは戦略の基本方針を発表した。これに対して、二人は内心でウェールズ皇太子が単なる戦闘屋でもないことを認めざるを得なかった。ただの戦士であればとにかく勝つことにだけこだわるだろう。言葉には出さなかったが、レコン・キスタの攻撃を正面から撃砕することによって、敵の戦意を砕き、国民や国外にも王党派の復活を強く印象づけようという政治的な狙いが、これには秘められていることは明白であった。それに引き換え、今のレコン・キスタは兵員こそ王党派に相当する数がいるが、士気が低く、その指揮する将軍も元は王党派だったものが、反乱時に上層部がそのままレコン・キスタに移ってしまったために仕方なく従っているというだけの人間たちである。無能ではないだろうが、愚直で思考の柔軟性に欠け、目先の戦闘のことしかわからない視野の狭い者しかいない。というかそういう者以外はさっさと王党派に寝返ってしまったために、実戦指揮官の質でも大きく水をあけられていた。

 しかし、二人には一つだけ解せないことがあった。これほどに政戦に才能を持つ人間に率いられた軍が、なぜ一時はほんの千足らずの軍勢で辺境の小城にまで追い詰められたのだろうか? 老骨のジェームズ一世が指揮をしていたときにも、彼は戦闘の実戦指揮をしていて、今と職責はあまり変わらないはずなのに、まるで人が変わってしまったかのようにさえ思える。むろん、そんなことがあるはずはないのだが……

 

 それから、今後のことを戦後処理に渡っても話し合い、従兵に告げられたときにはすでに夜になっていた。

「おお、もうこんな時間か。それでは会議の続きは夕食後とすることにしよう。みな解散してよろしい」

 ウェールズが手を上げてそう告げると、彼の幕僚たちは一礼して会議室を退室していき、残ったのはウェールズと彼の近衛兵と、ワルドとミシェルだけとなった。

「お疲れだったね、君たちのおかげで大変有意義な会議ができている。アンリエッタの人を見る目は確かだったようだね」

「恐縮です」

 流麗に、一部の隙も無く礼を返すワルドの態度は、貴族の礼儀作法の教科書と呼んでもよいようなもので、その美しさにウェールズは満足したように彼に微笑を向けた。

「まったく、君のような騎士のいるトリステインはうらやましいね。そうだ、夕食の準備ができるまで、少し休憩がてらトリステインの話でも聞かせてもらおうか。よろしいかな、子爵」

「喜んで、それでは我らで話し相手をつとめさせていただきましょう」

「では、私も……」

「いや、すまないがミス・ミシェルは遠慮してもらえないだろうか」

「えっ?」

 すまなそうに言うウェールズに、ミシェルは意味がわからずにとまどったが、ワルドは彼女の耳元で軽くささやいて、その答えを教えた。

「わからんかね? 皇太子はトリステインにいるアンリエッタ王女のことを聞きたがっているのさ。そして、そういう話を女性に聞かれるのは、男には気恥ずかしいものなのさ」

「そういうものなのか?」

 幼い頃から生きるか死ぬかで、最近になっても任務に己をささげて生きてきた彼女には、男女のそういう感情がどう働くのかわからなかった。しかし、そういうものだと言われれば納得するしかない。

「わかりました。それでは私は別室で休息をとっていることにしましょう」

 ほかに選択肢もなく、ミシェルは黙って頭を下げた。しかし、その別れ際にワルドが耳打ちした言葉が、彼女の心音を激しく高鳴らせた。

「皇太子はお疲れのご様子だ。ひょっとしたら、夕食に遅れるかもしれん。その間我々は時間つぶしに庭を散歩してみようかなと思う。すまぬが、従兵の方にそう伝えておいてくれぬかな」

 そう言い終わると、ワルドは振り向くことも無く、ウェールズに続いて入り口を近衛兵が固めている彼の私室のドアをくぐっていった。そして、後に残されたミシェルは、皇太子の部屋のドアが閉まるのを見届けると、憮然とした様子でその場を立ち去った。

「……星が流れる……それを、人の手で押しとどめることはできない……」

 暗い廊下を、硬い足音を立てて歩きながら、彼女はふと天窓から見上げた夜空の星々を仰いで、魂が抜けたようにつぶやいていた。

 

 ウェールズの私室は、元はこの小城の領主の部屋だったと見えて、古めかしい調度品が置かれている歴史を感じさせる部屋だった。それだけでも大方に不自由はしないであろうけれど、彼の人柄ゆえか新しく継ぎ足されたものは特に見えず、四、五人程度が入れる程度のそれなりに広い部屋に、彼の仕事机と衣装ケースぐらいが使われた形跡をとどめていた。

「手間をとらせて申し訳ないね子爵、まあ座ってくれたまえ。茶でもいれよう」

「いえいえ、どうぞおかまいなきように」

 部屋の中央に置かれた小さなテーブルに、ワルドはウェールズと向かい合って腰を下ろした。皇太子自らがいれてくれた上質な紅茶の香りが、彼の鼻孔をここちよくくすぐる。

「さて、トリステインは私自らも何度も訪れたが、反乱が勃発してからはとてもそんな余裕はなくてね。私の従妹は変わらず頑張っているかね」

「それはもう。国難に際してトリステインの先頭に立って、国の民を導いていくその凛々しき姿はまるで聖女のごとくであります。私、まだまだ若輩の身でありながら、あれほどの君主は歴史上、そうはおるまいと考えている次第です」

 そうワルドが評した言葉は、トリステイン国民のそれを代弁したものでもあっただろう。ウェールズは、従妹の成長を喜ぶかのように満足げにうなづいた。

「そうか、君はよい主君を持ったようだな。このアルビオンも、彼女のようなものが治めていれば内乱によって荒れることもなかったろうに」

「ご謙遜を、王子の才幹を疑うものがこの世界にいるとは思えません。レコン・キスタの者どもも、貴方を敵にしたことを後悔していることでしょう」

 それは世辞ではあったが、完全に事実を外れているというわけでもなく、ウェールズは軽くほおを緩めてみせた。

「よければ、ほかにもいろいろ話してほしい。私がこの大陸で動けない間、トリステインで何があったのか、興味は尽きないね」

「はい、ですがその前に私からも少しよろしいでしょうか?」

「ほお、なんだね?」

 自分の話をさえぎってきたワルドに、ウェールズは怪訝なそぶりを見せたが、すぐに平静どおりの様子に戻って、彼の話を聞く態度を示した。

「決戦が迫るこんなときに恐縮なのですが、私は国を出る前に別件の仕事を預かっていましてね。いえいえ、本業に比べれば取るに足りないことなのですが」

「その、別件と私が関係があるのかね?」

「ええまあ。王子はそのお若さで今やアルビオンの王党派を先導なさる名君。その貴方に折り入って、いただいてきてほしいものがあると、困ったことに頼まれてしまいまして」

「ふうむ、子爵も人のよいことだな。それで、私に用意できるものだったらできる限り協力しよう」

 さりげなく持ち上げながら話すワルドに、ウェールズも興味深げに彼の話に耳を傾けた。

「感謝いたします。ですが、私はこれでも欲深いほうでしてね。実は、私は昔からあるものをずっと欲してきたのですが、それを私の上司のさる方に相談しましたら、それをくれてやる代わりにと言われてしまい……いやあ、本当に恐れ多いことで」

「はは、遠慮などするでない。君がそれほど欲するとは、よほど珍しいものなのかな」

 下手に出るワルドの態度に、ウェールズはさらに気を良くしたように見えた。

「では、お言葉に甘えまして……なに、そんなたいしたものではありません。私は、ただ聖地へ行きたいだけなのですから」

 聖地を欲する。その言葉を聞いたとき、微笑んでいたウェールズの顔が瞬時にこわばって、とっさに杖を抜こうとした。

 しかし、ワルドはウェールズが呪文を詠唱するよりも早く、その二つ名である閃光のように杖を抜いて呪文の詠唱を完成させていた。

「いただきたいもの、それは貴様の命だ、ウェールズ」

 豹変して暗殺者の本性を現したワルドの魔力をまとわせた杖が、反撃の間もなくウェールズの左胸を貫いていた。

「き、貴様レコン・キスタ……」

「そうだ、私はアルビオンの貴族派レコン・キスタの一員さ。我々は、ハルケギニアを統一して聖地を手に入れる。そのためにも、貴様の存在が邪魔なのだ」

 苦しげなウェールズの声と、利き腕に伝わってくる確かな手ごたえに、ワルドは死者への最後の手向けとばかりに、雄弁に勝利の宣告を叩きつけた。

 

 だが……

 

「そうだね。だから、私は君を待っていたのだよ。ワルド子爵」

 なんと、心臓を貫かれたはずのウェールズが、突然晴れやかな笑顔で笑いかけてきたではないか。よく見れば、突き刺したはずの杖からも血は一滴も垂れてはいない。

「な、なに!?」

「ふふふ、残念だが君の要望には答えられないよ、すまないねえ」

 ワルドは、ウェールズの顔を直視して背筋を凍らせた。そこには、凛々しい若者も、勇敢な王子でもなく、黒々とした隈を顔に貼り付けた、狂気の悪鬼の形相があったからである。

「ど、どういうことだ!?」

「ふふふふ」

 動揺するワルドは、とっさに杖を引き抜いて、間合いをとるために後ろに跳んだ。すると、ウェールズの服の破れ目から、白い布のようなものが這い出てきたかと思うと、それは勝手に動いて、丸めた布の下に余った布が垂れ下がっているような、あえて言うなら頭以外をすっぽりとコートで覆い隠した人間、よく見れば頭の部分には単純な楕円と涙滴型でうつろな目と口が書かれている、そんな奇妙な形の人形に変化したのだ。

「そうか、そのマジックアイテムで、私の攻撃を受け止めたのか」

「ふふふ……マジックアイテム? 私の大事な友人に向かって無礼な。どれ、少しあいさつしてさしあげたまえ」

 不気味に笑うウェールズの手から、その不気味な人形が飛び立ってきて、ワルドはとっさに杖で振り払ったが、その人形はびくともせずにまた向かってくる。いや、それどころか、向かってくるたびに叩き落としているうちに、最初は十サント程度だったのがだんだんと大きくなり、ついには四十サントほどに膨らみ、子供くらいの大きさにまでなってしまったのだ。

「なっ、なんなんだこれは? ええい、『ライトニング・クラウド!!』」

 なおも向かってくる人形に、たまらずにワルドは得意としている電撃の呪文を浴びせた。たかが布でできた人形、これで黒焦げの炭になると彼は思ったが、その期待は無残にも打ち砕かれた。電撃は、人形の体に焦げ目一つ残すことも無かった。それどころか、電撃が収まった後には、ワルドの背丈の半分ほどにまで巨大化し、しかも全身を血のように真っ赤に染めながら宙に浮いて、ゆらゆらと自分を見下ろしていたのである。

「ひっ……うわぁぁっ!!」

 本能的に身の危険を感じたワルドは、悲鳴をあげて部屋のドアに駆け出した。冗談ではない、この王子は普通ではない、こんな化け物の相手などしていられるか! 

 だが、飛びついたドアのノブはびくともせず、『アンロック』の呪文もまったく通じない。

「ど、どうなっているんだ?」

 スクウェアクラスの自分の鍵解除の魔法が効かない鍵など、あるはずがない。そういえば、これだけ派手に暴れているというのに、外の近衛兵はまったく部屋に入ってくる様子がないのはなぜだ。

 けれどそのとき、部屋の中にウェールズのものとは違うしわがれた声が響いた。

「無駄だよ。この部屋はすでに三次元空間とは隔離してある。脱出も、進入も不可能だ」

「だっ、誰だ!?」

 思わず振り返って杖をかざすと、いつの間にかウェールズの横に、黒い服と黒い帽子、黒いマントを羽織った不気味な老人が立っていた。

「くっ、『ライトニング・クラウド!!』」

 相手の正体を確認するより先に、ワルドは攻撃を選択した。雷撃が、ウェールズともども老人を襲う。こいつらがどんな小細工をしようと、とにかく術者を倒してしまえば済むと判断したからであるが、なんと老人は雷撃を受けながらも平然と笑っていた。

「くくく、とりあえずは殺しにくるか、なかなかいい根性をしている。しかし、そんなものでは私は殺せないよ」

「ば、馬鹿な!!」

 老人が手を一振りすると雷撃は消え去り、老人にもウェールズにもダメージはまったくない。そのとき彼ははっと思い出した。あのアルビオンへ向かう船の中で、誰もいないはずの艦橋から聞こえてきた不気味な声は、この老人の声と同じなのだ。

 ワルドは今度こそ全身を貫く、死の予感にも似た恐怖に全身を支配され、震える口調で、やっと一言だけ言葉をつむぎだした。

「き、貴様……何者?」

 すると老人は、帽子を上げて口元を大きく歪ませると、地の底から響いてくるようなおどろおどろしい響きを、ワルドの耳と脳に送り込んだ。

 

「異次元人、ヤプール」

 

「なっ、なんだと!?」

 愕然とするワルドの前で、ヤプールはとても愉快そうに笑うと、宙に浮いている赤い人形に向かって命じた。

「やれ、ノーバ」

 その瞬間、赤い人形の口から真っ赤なガスが噴出してワルドを包み込んだ。

「あっ、ぎゃぁぁぁっ!!」

 赤い霧は、ワルドの口や鼻から体内に入り込み、彼の全身に形容しがたい痛みを植えつけていった。そう、常人ならば一瞬で正気を失ったほどの、人間の思考力を破壊する恐るべき毒ガスだ。

 さらに、のたうつワルドの喉に、赤い人形、ノーバの口から赤い鎖が放たれて彼の喉に絡み付いて、さらなる苦痛を与えていく。

「ぎゃぁぁっ、あぎゃぁぁ!!」

「どうだね。ブラックスターの破片から生み出した、新たな円盤生物の威力は? 猛毒ガスの威力、うまく再現できているようだね」

 円盤生物ノーバ。かつてウルトラマンレオを苦しめ、メビウスとも戦ったブラックスターの十番目の使者。その口から放たれる猛毒ガスは人を操り、心を乱し、互いに憎み合わせて死へといざなう。その恐るべき殺し屋を、今度はヤプールが作り出したのだ。

 奴に捕まったが最後、もはやワルドに助かる道はなかった。もう、ウェールズの暗殺も、なぜヤプールがウェールズの背後にいるのかを知ろうとすることもできない。

 彼はいっそ、すぐに正気を失ったほうが幸せだったかもしれない。なまじ鍛え上げた精神力を持っていたばかりに、脳を破壊されかねない苦痛にワルドはいつまでもさいなまされていた。

 そんな彼の耳に、ウェールズの歌うような言葉が響いてくる。

「子爵、私は力を手に入れたのだよ。私の国を奪い、父を殺した者たちに復讐するための力をね。すばらしいだろう、すばらしいだろう、すばらしいだろう」

 

【挿絵表示】

 

 心の闇をむき出しにしたウェールズの声が、遠ざかっていく意識の中で、ワルドの脳に冷たく突き刺さっていく。かつては評判どおり、誠実で穏やかな性格の持ち主だったウェールズも、レコン・キスタによって国を奪われたときには、親しかった友や信じていた部下を殺されたり、裏切られたりし、さらに屈辱的な逃避行の果てに眼前で父を無残に殺されたとき、その心には埋めようの無い怒りと絶望が芽生えていた。

 そんな彼の心の虚ろな空洞につけいったのが、ヤプールの送り込んだ円盤生物ノーバだったのだ。奴はウェールズの心の闇に取り入り、復讐に力を貸すと見せかけて彼を操っている。

 そして、ワルドの意識が途切れる最後の瞬間、ヤプールの背後に地獄の門のような異次元の亀裂が生じた。そこから巨大な怪物の影が現れて、その四つの目が彼を見つけて鈍い光を放ったと思ったとき、破滅への行進曲のように、彼にヤプールの残酷な宣告が送り込まれた。

 

「さあ今だ……乗り移れ……乗り移るのだ!!」

 

 そのとき、ワルドの首からペンダントが零れ落ち、硬い床に当たって乾いた音を立てた。しかし、温かな笑顔を浮かべた女性の、古びた肖像画を収めたそれを、持ち主が再び拾いあげることは、もはやなかったのである。

 

 

 続く



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第66話  裏切りの代償

 第66話

 裏切りの代償

 

 アンドロイド少女・ゼロワン 登場

 

 

 ハルケギニアの北方の、海上から海岸線を回遊する浮遊大陸アルビオンに、最初の人間が足を踏み入れたのが正確にいつなのかはわかっていない。しかし、六千年の昔にハルケギニアに光臨したとされる始祖ブリミルの三人の子供たちの一人が、現在のアルビオン王国を建国したとされているから、この大陸の歴史はそのときから始まったと考えてよいだろう。

 だが、今や王国は二つに割れて内乱の只中にある。王党派とレコン・キスタの二大勢力のどちらが勝つかで、この国はおろか近隣諸国のその後も大きく変わっていくことを強いられてしまう。

 ただし、誰もが争う二勢力の勝敗を固唾を呑んで見守る中で、それは表面上のことであって、裏では血も凍るような陰謀がめぐらされていることを知る者は、人間の中には存在しなかった。

 

 

 その、アルビオン王党派の現在の本拠地となっている名も無い城の、四階の外壁に面した小さな部屋で、ミシェルは客人用に用意されたベッドの上に腰掛け、憮然とうつむいていた。

「銃士隊副隊長の肩書きも、今日を持って最後だな……」

 今頃、ワルドはレコン・キスタ上層部からの密命に従ってウェールズを暗殺しているのだろうかと、彼女はこの国に来る前に、レコン・キスタ上層部より下された密命を思い出していた。

 そう、ワルドがレコン・キスタの内通者であり暗殺者であった以上、彼と行動を共にしていた彼女もまた、内通者であった。

 ただ、野心に燃えるワルドとは違って、ミシェルには私心はなかった。

「すべては、腐敗した王政を打倒し、トリステインを変えるため……」

 まるで自分に言い聞かせるように、彼女は単語一つ一つをじっくりと噛み締めてつぶやいた。以前才人に語ったように、彼女は幼い頃に実家が没落し、社会の底辺で生きてきた。そんな、天涯孤独の身の上となった彼女が、どんな経緯を持ってアルビオン貴族派であるレコン・キスタの協力者となったのかを知る者は、彼女の他にはごくわずかしかいない。けれどそのときの、弱者に対する強者、持てる者、力あるものの仕打ちの無情さが、彼女を強行をなしても社会の変革、破壊をおこなうように差し向け、その原動力となっていたのは間違いはない。

 はじめは、まだ無名の部隊であった銃士隊の中で地位を確立し、信頼と国内の有力者へのコネを作ろうとしてきた。そして銃士隊が名を上げ、社会的地位が高まっていくにつれて、国内の重要な情報にも触れられるようになり、諜報活動の幅も広がった。そのときは、その勢いを大きく加速させてくれた、ベロクロンのトリスタニア破壊に感謝したくらいだ。

 

 しかしその後、トリステインにも革命を成功させるために、間諜として動き続けていた彼女の信念は、この数ヶ月で大きく揺らぎはじめていた。言うまでもない、革命によらずともトリステインは変革を迎えてきていたからである。

 はじめは、温室で育てられた籠の鳥とミシェルもあなどっていたアンリエッタ王女は、意外にも非凡な政治手腕の持ち主であった。王女は国内の混乱をむしろ好機として、反対勢力が動く前に、軍政への平民の雇用、神学に凝り固まっていた魔法アカデミーの方針変換など、通常なら様々な手続きが必要となる改革を、短期間で成し遂げてしまったのだ。むろん、その後ろにはマザリーニ枢機卿などの協力者がいたのは確かだが、王女自身にもそれなりの実力がなければ、この改革は不可能だったろう。

 また、それと同時にアンリエッタという人間に対しても、評価がいちじるしく変化していた。あの、魔法学院への行幸のときに、アンリエッタはメイドやコックなどの平民にもわけ隔てなく接していた。それは、弱者を虐げて収奪する権力者の頂点に立つ王族、すなわち世間知らずで自分勝手で冷酷だとして、ミシェルが抱いていたイメージとは遠くかけ離れたものであった。以前、アルビオンへの船上で才人に自分の考えをもらしたのは、その表れだったのかもしれない。

 さらに、そのとき彼の言った言葉が彼女の胸に深く突き刺さっていた。

「あいつは言った。トリステインに革命は必要ない、と……」

 それが、彼女の最大の葛藤となっていた。貴族にいいように使われる平民の代表のような使い魔の才人は、トリステインはなかなかいい国と言い、実際自分もそれを実感してきている。せっかく、よい方面への改革が進んでいるトリステインを、無理にレコン・キスタの支配下に置いたとして、それがさらによい方向へゆくことになるのだろうか。もしも、自分が今何もない状態で、仰ぐ旗を決められるとしたらどちらを選ぶのであろうかと、彼女は苦悩する。もし、運命の女神とやらがいるとしたら、そいつの背中の翼は黒いコウモリのそれに違いない。

「それでも、もはや私に引き返す道はない……今頃、トリステインでは隊長たちが、私のしてきた数々の内部工作に気づいているだろう。そうなれば、私は国家反逆罪で……」

 そこから先は、考える必要もなかった。もう、トリステインに自分の帰る場所はない。あとはどこまでも、レコン・キスタの一員として戦い、征服者として恐怖され、裏切り者として怨嗟の視線を浴びながら生きるしかない。

 これまで、アニエス、才人らと、こんな自分にはもったいないくらい信頼できるパートナーと共に戦えてきたが、最後に組むことになったのが薄汚い野心家のワルドだったというのは、ある意味自分にふさわしいと彼女は苦笑した。二人は、これまでは別々にトリステイン国内の情報をリークしたり、また内部工作をおこなったりとほとんど関わりを持つことは無かったが、クロムウェルの指揮能力に疑問を抱き始めたレコン・キスタの上層部が、他国の大使ならば怪しまれずにウェールズに近づいて暗殺できると考えて、トリステイン国内の大物協力者に人事の工作を頼んだ結果、その人選によってはじめて共に行動をおこなっていた。

 ただし、二人の間柄は初期から良好ではなく、性格の違いをはじめ、互いに任務だから仕方なく協力しているのだという空気を隠そうともしていなかった。それでも任務は任務であるから、彼女はワルドが暗に指示したとおりに、彼がウェールズを暗殺した後に、即座にこの城を離れてレコン・キスタに合流できるように脱出の準備を整えていた。

「それにしても……遅いな」

 壁にかけられた古い時計を見上げて、彼女は首をかしげた。ワルドはトリステインでも数少ないスクウェアクラスの使い手、一対一でウェールズを仕留め損なうとも思えない。第一、万が一にも仕損じていたら自分も即座に捕縛されているだろう。

 だが、しびれを切らせて様子を見に行こうかと腰を上げたとき、部屋のドアが開いてワルドが顔を見せてきた。

 

「やあ、待たせたね。ミシェルくん」

 ミシェル……くん? 現れたワルドの異様に明るい態度と共に、ミシェルは妙になれなれしくなった彼の言葉使いに眉をひそめたものの、とりあえず任務の成否を尋ねようとした。

「遅かったな。それで、用は済んだのか?」

 さすがに誰の目があるかわからない状況で、直接「ウェールズを殺したのか」とは聞かなかったが、それで意味は通じるはずであった。けれどワルドは微笑を浮かべたままでミシェルに歩み寄ると、分厚い皮手袋をはめた手を彼女の肩に置いた。

「これからすぐにレコン・キスタと合流して、クロムウェル卿にお目通りする。そしてこの大陸を征服するのに、共に力をあわせて戦うことになるだろう」

「声が大きいぞ、そんなことは当に決まりきっていただろう。何をいまさら言っている」

 肩に置かれたワルドの手を払いのけながら、ミシェルはとりとめもなくしゃべるワルドになんともいえない気味の悪さを感じながらも、それよりも目的は達したのかともう一度問いかけた。

「おっとすまない。ちょっと確認をしただけさ。いやあ、はははは……そうだね、そのために僕らはわざわざここまで来たんだからね。でも、心配はいらないさ、暗殺などよりもずっと有効ですばらしい結果を得ることができたんだ。見てくれたまえ」

 ワルドは、まるで出来の悪い生徒に教え諭す教師のように、大仰な身振り手振りで演説をぶったあとに後ろを指し示した。そしてそこにいた人物を部屋の中に招き入れたのだが、その、そこにいるはずのない人物の顔を見た瞬間にミシェルは愕然とした。

「ウェ、ウェールズ王子!?」

 そう、そこには彼らが暗殺に来た目標であるはずのウェールズ皇太子が、暗殺者本人を前にしながらにこやかな笑顔を浮かべて立っていたのだ。

「王子も、我らの思想を快く受け入れてくれてね。我らの目的に同調して、戦闘が開始されたら裏切って王党派を壊滅させてくれるそうだ」

「うむ、子爵からすべては聞いた。私も実は古臭い王政などは滅んでしまえと常々思っていたのだ。そのために役に立てるなら、こんなうれしいことはない。さあ、一刻も早くこのことをクロムウェル殿にお伝えしてくれたまえ。君たち二人が伝えれば、レコン・キスタのほかの者たちも信用するだろう」

 ミシェルは、まるで夢でも見ているような思いで、平然と王党派を裏切るというウェールズの顔を見ていた。

 ともかく、なにがどうなっているのかさっぱりわからない。自分とワルドはウェールズを暗殺しに来たはずなのに、そのウェールズは売国奴のように、平然と王党派を裏切ると言っている。ワルドもそうだ、この任務に異様なほどの執念を見せていた彼が、殺すどころかウェールズを同志だと笑っている。若き名君と、他者を省みない野心家の姿はそこにはなかった。いや、ほんの一時間ほど前にはあったのに、今ではまるで別人のように豹変してしまっている。

「さあ、行こうではないか。トリステインに名高いグリフォン隊と銃士隊の隊長と副長が寝返ったと知れば、敗北主義に侵されたレコン・キスタの将兵も士気を高めるだろう。クロムウェル殿も大変お喜びになるはずだ。急ごうではないか」

 にこやかに微笑みながらせかすワルドの顔に、これまでミシェルに見せていた猜疑心を込めた剣呑さはこれほども入ってはいなかった。

「あ、ああ……わかった」

 訳がわからないが、とにかく任務が成功だというのであれば、予定に従って帰還しなければならない。ミシェルは、ワルドに従ってゆこうとしたが、ふとワルドが大事そうに首から下げていたペンダントがないことに気づいた。

「ワルド子爵、ペンダントはどうなされた?」

「ん? そういえばいつの間にかなくなっているな。まあ、ペンダントの一つくらいどうということはない……」

 ワルドは、それより早くゆこうではないかと言おうとしたが、その言葉は発せられる前に、飛びのいたミシェルの叫びで押しとどめさせられた。

「貴様、ワルドではないな!!」

「おいおい、急に何を言い出すのだね」

 両手を振ってごまかす仕草を見せたワルドだったが、すでにミシェルは偽者だと確信していた。あの人をたらしこむ芝居が得意なワルドが、形見だといって触ることすら許さなかったペンダントを、本物がそんなふうに扱うなどありえない。そのことを強い口調で告げ、いったい貴様は何者だと、剣と杖のどちらも抜けるように身構えたミシェルに対して、ワルドは貼り付けていた笑顔をはがして、憎憎しげに苦笑した。

「ふふふ……いや、こんなすぐに見破られるとは思わなかったな。人間など、見た目で相手を判断する愚かな生き物だと思ったが。よかろう、教えてやろう」

 そう言うとワルドは、ウェールズを後ろに下がらせて、両手を彼女にかざすように向けてきた。厚い皮手袋をつけてはいるものの、何も手にしてはおらず、杖を抜こうとするようでも、袖口に杖を隠しているふうでもない。ミシェルは警戒を続けながら、ワルドから視線を外さずにいたが、ワルドはそんな彼女を見て口元をゆがめると、かざしていた手の左手を動かして、右手の手袋を掴むと、それを一気に引き抜いた!

「なっ!?」

 その瞬間、冷静な彼女の脳も一瞬停止状態に陥った。かざされたワルドの右手のひらには、不気味に輝く一つ目と、鋭い牙を生やした口がついていたのだ! その青白く輝く目に見つめられ、ミシェルが我を失ったとき、手のひらの口から真っ白なガスが噴き出して彼女を襲った!

「ぬわっ!? おのれっ」

 そのガスには、これといった毒性はなかったようだが、目をふさがれて、本能的に吸い込むまいとしたために、熟達の戦士である彼女にも隙が生じた。その半瞬ばかりの間隙をぬって銀色の一閃が彼女の左脇腹に吸い込まれていき、焼きつくような激痛と、全身を貫いた冷気が通り過ぎた後に、ミシェルは自分の脇腹に突き刺さるワルドの杖を見た。

「き、きさ、ま……」

「ほう、とっさに急所だけははずしたか」

 血に濡れた杖を引き抜いたワルドの声が彼女の耳朶を不快に揺さぶる。攻撃を受ける瞬間、ほんのわずかだが体をひねるのが遅れていたら心臓を貫かれていたかもしれない。だが、それで彼女はさらに確信を深めていた。今の一撃の速度はまさに『閃光』の二つ名を持つワルドのもの、しかしこれが魔法をまとわせたものであったら、急所を外しても内臓をズタズタにされていただろう。肉体はワルドのものだが、魔法は使えない、ということは。

「ワルドの体を、乗っ取ったのか……」

「ほう、いい洞察力だ。いかにも、なかなか使いでのよさそうな体で気に入っている。だが、それに気づいた以上、なおさら貴様はここで死んでもらうぞ」

「ぐっ……そうはいくか!」

 傷口を押さえた手のひらに伝わってくる生暖かい感触と、強烈な嘔吐感がミシェルに受けた傷の深さを教えていた。このままでは、いくら魔法が使えないとはいえワルドには太刀打ちできない。また、部屋の出口はウェールズにふさがれており、そのウェールズもまともではない以上、勝ち目はないと判断した彼女は杖を取り出して背後の壁を『錬金』して砕き、そのまま四階の高さから一気に落下して城外の堀に水しぶきをあげて着水した。

「ちっ、逃がしたか」

 外壁の穴から堀を見下ろしたワルドが吐き捨てた。堀の水面は、すでに夜の闇で真っ黒に染まり、着水の白い気泡が消えた後は何も見えない。

「浮かんでこない、ということは死んではいないな」

 人間の体は水に浮く。むろん沈みもするが、体内には大量の空気が詰まっているために死亡してもしばらくは浮き続ける。それが浮いてこないということは、まだ生きていて泳いで逃げたということだ。この城の堀は自然の川を利用したもので、城の周りを流れる川は、そのまま陣地の横を流れて郊外へと続いていく。流れに身を任せれば、あまり体力を使わないでも城から離れることはできるだろう。そのまま闇夜にまぎれて逃亡されては面倒だ。

「あの傷で、しぶといものだな。ウェールズ、始末は任せた。私はクロムウェルを手伝いに行く」

「わかりました」

 皇太子に対して、ワルドだった”もの”は自分の部下のようにぞんざいな態度で命令した。そして些事よりも新たに与えられた役目を果たすために、元の人間が持っていた身体能力、すなわち幻獣を乗りこなす能力を使ってレコン・キスタの元へゆくために、王党派のドラゴンのいる厩舎へと悠然と去っていった。

「参謀長!」

 ワルドが立ち去った後に、ウェールズは自身の参謀長を呼びつけた。彼は、ウェールズが総司令官になったときに抜擢した男で、白い口ひげを生やした老人という印象しか与えない風貌ではあるが、その智謀は確かで、これまで数々の戦場でレコン・キスタを打ち破るのに貢献してきた。ただし、素性はまったくの謎で、どこの貴族の出身なのか、そもそもどこから来たのか、そしてなぜ皇太子は彼を抜擢したのかを知る者はいない。

「お呼びですか?」

「成り行きは知っていよう。我らの計画を知った人間一匹、すぐに始末をつけよ」

「御意に」

 参謀長はうやうやしく頭を垂れると、立ち去っていくウェールズを見送った。城のホールでは、もうすぐウェールズが何も知らない貴族や将軍たちを前にして、高らかに杯を掲げながら、もうすぐやってくるであろう輝かしい未来を喜び合うのだろう。まったく、これだから人間というのは度し難いのだと、誰もいない廊下を歩きながら参謀長はほくそ笑み、やがて誰も立ち入れさせない自分の部屋に入ると、部屋の奥の大きなスーツケースの扉を開いた。

「さあ、お前の出番だぞ」

 そのスーツケースの中には、きらきら輝く等身大の女性の人形が直立した状態で納められていた。

「さあ、目を覚ませ」

 参謀長は、ニヤリと笑うと人形に手をかざして念を込めた。するとどうだ、作り物めいていた人形の肌がみずみずしい輝きを持つようになり、裁縫糸のような髪は滑らかな金髪に、瞳はガラス球から黒曜石のような輝きを放ち、まるで人間のように変化したではないか。

 だが、その容貌は確かに人間そのものであるが、顔には一切の表情を浮かべておらずに、人間らしい一切の生気というものをまとってはいなかった。

「さあ、お前に働いてもらうときだ。この城から、我らの秘密を知って逃げ出したものがいる。そいつを追って殺せ」

「はい」

 参謀長の命令に、人形だった少女は機械的にうなずき、無言のままで部屋を立ち去っていった。

 ホールの方角からは、高らかに乾杯の歓声が響いてくる。トリステインからの大使など、いてもいなくてもかまわない。ただウェールズさえいれば王党派は安泰だという、それはとても陽気で、果てしなく愚かな笑い声であった。

 

 

 その日は、月も日没にかけて湧いてきた雲で隠れ、城の窓からの明かりと、陣地に張られた松明の炎だけが、闇をわずかな範囲のみ照らしていた。当然、それらから離れたらまったくの闇夜に包み込まれて、夜目の利かない者では歩くこともできない。

 そんな闇の中に響く川の水音の中で、傷ついたミシェルはやっと川岸に這い上がってきていた。

「くっ……いったい……なにが、どうなっているんだ……」

 川辺の砂利の中に倒れこんで荒い息をつきながら、彼女はまず周りを見渡した。どうやら、必死で泳いでいるうちに、かなり城からは離れられたと見えて、城や陣地の明かりは小さく遠くに見える。また、銃士隊の夜間訓練のおかげで、目が慣れてくると、川岸のはずれには林があり、その先には郊外に続く小さな道が見える。人影は、戦場に近いためかまったく見えない。

「ワルドめ……うっ!?」

 突然襲ってきた嘔吐感のままに、ミシェルは激しく咳き込んだ。口に当てた手には、唾液以外のねっとりしたものがついており、黒く塗りつぶされた景色の中でも、自分が何を吐いたのかは容易に知ることができた。

「はぁ……はぁ……くそ、あんな奴におくれをとるとは……いや、あれはもうワルドじゃなかった。ウェールズも、何かに操られているようだった」

 砂利の上に寝転んで呼吸を整えながら、ミシェルはなんとか意識を保とうと、自分の身に起きたことを考え続けた。

「あのとき、奴と別れるまでは、奴は確かにまともだった。だとしたら、ウェールズが……? しかし、ウェールズにワルドを倒すほどの力が……いや」

 そこまで考えたとき、ミシェルはこれが王党派やレコン・キスタなどとは別の次元の存在によって糸を引かれていることに思い至った。ウェールズを洗脳し、なおかつワルドを人外の怪物に変えてしまえるような存在。

「まさか……ヤプールか!」

 彼女にとって、それは証拠はなかったが、ほぼ確証に近く、また事実に見事に合致する答えだった。このアルビオンにはヤプールが攻撃を仕掛けたことはないと聞いていたけれど、そんな人間の常識を超えたことができるのは、ほかに考えられない。

「奴め……トリステインだけでなく、このアルビオンまでも焼き尽くそうとしているのか」

 彼女の脳裏に、超獣ドラゴリーと戦ったときに、初めて見たヤプールの不気味な姿が思い起こされてきた。考えて見れば奴は、この数ヶ月の間に幾度となくトリステインに攻撃を仕掛けてきたが、そのなかでもホタルンガを使ってトリステインの貴族を多数殺害した事件のときには、あの土くれのフーケを操っていたという。しかもフーケは、当時魔法衛士隊が必死で捜索しても、影さえつかめなかった神出鬼没のメイジである。それをたやすく手駒にしてしまったヤプールが、バム星人をトリステイン王宮に忍び込ませていたようにウェールズを洗脳して、一気にこの国を滅ぼしてしまおうと企んだとしてもなんら不思議はない。と、すれば、わざわざ王党派に合わせるように勢力を縮小していったレコン・キスタにも、すでにヤプールの手が回っていると考えれば、その説明がつく。

 考えれば考えるほど、頭の中で疑問の答えがパズルのように組み合わさってできていく。このままほうっておけば、ヤプールが最終的にどんな手段をとるのかまではわからないが、すでに指揮官が操られ、他の大半の者も目の前の戦争しか頭にない今の王党派やレコン・キスタは、さながらキングのないチェスを熱心にする愚か者のようなものだ。とてもではないが、あの狡猾なヤプールの企みに気づくことができるとは思えない。最後は盤ごと両陣営仲良く血濡れの剣舞を踊りながら、滅びへの谷底へ突き進むことになるだろう。

「早く、知らせねば、大変なことになる……! 知らせる? ……誰に……」

 だが、痛む体を必死に起こして立ち上がったとき、ミシェルはこの重要な情報を、どこへ持っていけばいいのかと気づかされた。洗脳されたウェールズのいる王党派に戻るわけにはいかない。かといってレコン・キスタにもヤプールの手が伸びているのはもう確実だし、行ったところで先回りしているはずのワルドに殺される。いや、すでにワルドの姿を借りた何者かによって、レコン・キスタにはミシェルは裏切ったと報告されているに違いない。どの道、もうレコン・キスタ勢にとって自分は敵となっているだろう。

 だけれども、トリステインにももう戻れない。アルビオンに来る前に、銃士隊が準備していた内容どおりに捜査していれば、すでに自分がレコン・キスタの内通者だと気づかれているだろう。もとより、そのタイミングを見計らって出てきたのだが、そうなれば、自分は間違いなく逮捕されて……。

「はっ、はははははは……」

 もう、どこにも自分の行くべき場所はないのだと知ったとき、彼女の口から漏れてきたのは、ただ、乾いた笑いだけだった。

 自分は、国の行く末を案じて、信頼してくれた仲間を、友を、国を裏切ってきた。けれども、その結果はこれだ。苦渋の選択のつもりで裏切りを選んだら、その陣営はとっくに侵略者の手に落ちており、革命などを起こす力はもう残ってはいない。

 裏切ったつもりが、実はすでに自分は自分の理想に裏切られていたのだ。なんという喜劇だ、薄汚い背信行為の代償に、裏切り者は全てを失いましたとさ、軽歌劇なら、ここで観客の爆笑と拍手があるところだ。結局は、地面を這いずる虫けらが、大それた夢を見るなということか、まるで黄泉路へ続くような闇夜の川原に、ミシェルの壊れたような笑いが響き続けた。

 

 しかし、神という名の残酷な脚本家によって、悲劇役者を演じるように定められた人間は、その命尽きるまで血濡れの輪舞を踊り続けろと言われんばかりに、さらなる舞台へと引きずり出されていった。暗い、一切の光も許さないと主張しているような闇の中に、透き通るような、だが、台本を読むような冷たい淡々とした声が突然流れてきたのである。

「銃士隊副隊長、ミシェルさまでいらっしゃいますね?」

 その声が鼓膜を震わせたとき、彼女は溺れてなお離していなかった二つの武器、剣と杖を持って、はじかれるように振り返った。

「何者だ!?」

 それはほとんど、訓練された兵士としての彼女の無意識の行動と言ってもよかっただろう。たとえ心が虚無に支配されかけようと、体は慣らされたとおりに反応してしまう。振り返った瞬間、脇腹の傷口が開いて激痛が走ったが、彼女はとにかく目を凝らして、闇の中で自分を見ている相手の姿を捜し求めた。そしてやがて林の中の、十メイルほど離れた場所に、闇の中でも目立つ金髪の少女が立っているのを見つけた。

「銃士隊副隊長、ミシェルさまでいらっしゃいますね?」

 その少女は、もう一度同じ内容の質問を彼女にぶつけた。いや、内容だけではない、口調も、音程も最初とまったく同じ、まるで録音を聞くようなその声色に、ミシェルの全身が、こいつは危険だと警鐘を鳴らしていた。

「だとしたら……どうする?」

「そう、なのですか?」

 殺気を込めて睨みつけてやったが、少女は微動だにせずに、質問を返してくる。暗闇でこちらが見えていないのではない。この少女は確実にこちらを捉えている。だがこちらからは、見えはするのだが、まるで人形のように、少しも気配を感じなかった。

 動けない、動いたら危険だ。ミシェルは、答えずに黙って睨み付け続けたが、やがて少女はゆっくりと手を上げると、その手のひらを彼女に向けた。

「直接の確認は得られませんでしたが、該当情報によりターゲットと認識します」

 言い終わった瞬間、少女の五本の指先から、光る蛇のような光線が発射された。ミシェルは、警戒していたおかげで間一髪回避に成功して、剣を抜いて、間合いを詰めるために走り出したけれど、足と体にいつもの半分くらいしか力が入らない。

「くっ、血を流しすぎたか……」

 傷は致命傷を避けていたが、長距離を泳ぐうちに大量の血液を失っていたらしい。ましてやまだ手当てすらろくにしていない状態では、塞がっていない傷口からさらに血が流れていく。それでも彼女は、渾身の力で駆け抜けて、少女に袈裟懸けに斬りつけたが、斬撃はまるで岩を斬りつけたような鈍い反動とともに跳ね返されてしまった。

「なにっ!? 馬鹿な」

 はじかれた手の痺れに耐えながら、愛剣を見たミシェルは愕然とした。なんと、上等の鋼鉄でできた長剣が、のこぎりのようにボロボロに刃こぼれした無残な姿で、わずかな光の中で光っていた。対して、斬りつけられた少女のほうは、身に着けている銀色のワンピースこそ破れてはいるが、斬られた場所からは血が流れてはおらず、代わりに鉄の鈍い輝きが見えていた。

「ガーゴイルの類か……奴らめ、これが私への刺客ということか」

 それが別の世界では、ロボット、あるいはアンドロイドと呼ばれる存在であることを彼女が知るはずはなかったが、痛がるそぶりも見せずに、再び手のひらを向けてくる相手を見て、一つだけわかることがあった。

「要は、貴様も化け物どもの仲間だということだろう!」

 剣が通用しないのだとわかったミシェルは、すぐに武器を杖に持ち替えて、得意の系統である土魔法で川原の砂利を鉄に『錬金』して、『念力』で散弾のようにぶつけた。だが、相手はまるでびくともしない。

「頑丈な奴め……ぐっ!」

 しかしミシェルには、攻撃が効かなかった精神的ショックよりも、魔法の反動でさらに痛みを増す傷口のほうが気力を削いだ。杖を持っていない手で傷口を押さえるが、血は止まる気配を見せない。それでも、逃げるだけの体力がもうない以上、戦いをやめるわけにはいかなかった。

「『アース……ハンド!』」

 地面から突き出た土の手が、アンドロイドの足首を掴んで動きを封じる。しかし、たったこれだけのために、ミシェルはさらに呼吸を荒くして、額から浮き出る大量の汗に耐えなければならなかった。

「どうだ……動けまい」

 決まればオーク鬼でも動きを封じられるこの魔法だ。これで時間を稼いで、なんとか突破口を見つけようと彼女は考えたが、アンドロイドは軽く足を振り払うだけで、土の呪縛を解いてしまった。

「……死んで、ください」

「くそっ……化け物め」

 これは、普通のガーゴイルなどとは違うと、ミシェルも理解し始めていた。恐らくヤプールが用意したのだろうが、完全人間型の上に、防御力も攻撃力もハルケギニアのガーゴイルを上回っている。実は、地球でもこれと同型のアンドロイドが侵略に使用されたことがあり、そのときも人間以上の俊足や、鍵をかけられた扉を破壊する怪力を見せている。まともに戦えば、生身の人間の太刀打ちできる相手ではなかった。

「はぁ……ぐ……出血は、そろそろ限界か」

 ひたひたと近づいてくるアンドロイドを、後ろに下がりながら見据えて、ミシェルはもうすぐ立ってすらいられなくなることを悟っていた。すでに、脇腹から漏れる血はブーツにまで染み渡り、川原には赤いしみを無数につけていることだろう。長い間戦士として蓄積した経験から、これ以上戦えば、命に関わるということはわかっていた。

「だが、たかが使い走りの人形ごときに、やられてたまるか」

 このままでは自分は死ぬ。だが、心を持ちすらしない操り人形に始末されたとあっては、ミシェルという人間は田舎芝居のピエロ以下の末路を辿った、最低の喜劇役者ではないか。せめて、このガラクタ人形だけでも破壊して、少しでも奴らを悔しがらせねば死んでも死にきれぬと、彼女は最後の力を振り絞って、杖に込めた。

「来い! この化け物!」

 血の混じったつばを吐き散らしながらミシェルが叫んだとき、アンドロイドは川原の砂利を蹴って駆けだした。もし、無傷のときのミシェルであったならギリギリ避けられたかもしれない。けれど、致死量の血液を失いかけた彼女では到底無理なことで、半瞬後にアンドロイドの腕はミシェルの首を掴んで宙に吊り上げていた。

「死んで、ください」

 アンドロイドが無機質な声とともに力を込めると、ミシェルの首から急速に力が抜けていった。血流が妨げられて、呼吸もできなくなる。必死に耐えようとするが、それもアンドロイドのパワーには通じない。いや、アンドロイドが本気を出せば、人間の首の骨くらい簡単に折れるだろう。パワーをセーブした状態で充分だと判断されたがゆえに、かえってミシェルは地獄を味わっていた。

「イル……」

 それでも、かすかに残った意識の中で、彼女は杖を握り締めて、最後の呪文を詠唱し始めた。

「アース……」

 本来、数秒で終わってしまう魔法のスペルが、今は限りなく長く感じられた。喉が焼け付き、たった一文字を発するだけでも力がどんどん抜けていく。さらに、アンドロイドは手のひらから強烈な電流を流してきて、ミシェルは壊れた管楽器のような音程の狂った悲鳴をあげた。それでも、杖だけは放さずに、血のあぶくを吹きながら、呪文の最後を唱えあげた。

「……デ……ル!」

 その瞬間、ミシェルの最後の力が込められた魔力の光が杖からほとばしって、彼女を掴んでいたアンドロイドの右腕に押し付けられた。それは、本来ならばこの星の魔法などでは変質しないはずの宇宙金属でできたアンドロイドの腕に染み入って、宇宙金属の分子結合を分解し、元のもろく、なんの性質も持たない原石の土くれに『錬金』し返した。

「ざまあ……みろ」

 ひじからへし折れて落ちていくアンドロイドの腕とともに、ミシェルの体も落下していく。ミシェルは、理解できないというふうに膠着してしまったアンドロイドの無表情な顔を見上げながら、川原の砂利の上に叩きつけられた。

「これは……死ぬな……」

 砂利の上に全身をぶつけられて、激痛が走るかと思ったが、意外にもなんの感触もなかった。それどころか、体を起こそうと思っても全身が凍り付いてしまったように動かずに、手足の先からゆっくりと冷たさがしみよってくる。

 これまで、自分たちが斬り殺してきた相手も最後はこんな感触だったのだろうか。人生の最後には、これまで自分が歩んできた記憶を一気に思い返すとか聞いていたが、どうせ振り返ってもろくな思い出などないのだから、勘弁してほしい。いや、この数ヶ月に限るのなら見ても悪くない。

「隊長……みんな……」

 わずかな時間ではあるけれど、共に肩を並べて戦った仲間たちの顔が一人ずつ思い浮かんでくる。もう、あそこには二度と戻れないが、思えば人生で一番充実して楽しい時間だったかもしれない。それに、トリステイン王宮で共に戦った魔法学院の未熟で阿呆だが勇敢な少年少女たち。こんな自分にも変わらず接してくれたアンリエッタ王女、最後に……。

「サイ……ト……」

 破天荒で向こう見ずで、剣技もへたくそなくせに、それでいて正義感だけは人一倍ある大馬鹿者。大して長くもない人生だったが、信頼できる男はあいつくらいであっただろう。

「副長はおきれいなんですから、騎士隊の中にでも、お友達を一人くらいお作りになってはいかがですか?」

 かつて、部下の一人がさりげなくそう助言してきたとき、自分は冷笑といっしょに聞き流したが、恐らくその助言に従ったとしても、騎士隊なんぞにあいつ以上の男はいなかったであろうのは確信できる。けれども、思えばそんなに多くあいつといっしょにいたわけではないのに、なぜこんなにあいつのことばかり気になるのか……もう、二度と会うことはできない、自分からすべての信頼を裏切ってきたというのに……。

「ふん……くだらん」

 どうせ、いまさら後悔したところで何を取り戻すことができるわけでもない。所詮、ドブネズミにはこんな最後がお似合いかと、ミシェルは唯一自由に動く瞳に映った、自分の頭の上に振り下ろされてくるアンドロイドの鋼鉄の足を見上げた。もう一瞬後には、鋼鉄の足は頭蓋を砕いて、ミシェルという人間がいた証を、この世から消し去ってしまうだろう。覚悟は決めていたはずだが、このまま誰もいない冷たい世界に行くのか、それは……。

 

「帰りたい……」

 

 疲れ果てて、瞳を閉じたミシェルの顔を、一筋のきらめきが流れて落ちた。

 だが、彼女は死の世界の門が眼前で黒い突風を受けて閉じるのを見ることはできなかった。慈悲なき潰死を彼女に与えようとしていたアンドロイドは、闇の中から狼のように飛び出してきた、黒衣の乱入者の打ち込んできた飛び蹴りの一撃によって、川の中まで吹き飛ばされていたのである。

「エネルギー兵器の気配がしたから来てみれば、戦闘用アンドロイドか。また、この星のものではないようだな」

 その人影は、全身金属製のアンドロイドを蹴り飛ばしたというのに、平然とした様子で、川の中から立ち上がってくるアンドロイドを見据えていた。

 それから後のことは、ミシェルは薄れ行く意識の中で、ほんのわずかに耳に届いてきた戦いの音によって知ることができた。

 アンドロイドは、川からあがると残された左腕を振るって、新たに敵と認識した相手に向かって襲い掛かっていった。すでに損傷しているためにフルパワーを出し、ギーシュのワルキューレを凌駕するスピードと破壊力を発揮して殴りかかってくるアンドロイドに対して、その相手が迎え撃った手段は、さらにそれ以上のスピードとパワーでの逆襲であった。

 アンドロイドを構成する金属がねじれ、回線がショートする音が立て続けに鳴り響く。手のひらから発射した光線も軽くかわされ、やっと相手を掴んで流した電流攻撃も、さらに強力な電撃を返される。

 ただの一分もかからないうちにアンドロイドは機能のほとんどを破壊され、最後に相手の拳が顔面を砕いたとき、アンドロイドは最初の人形の姿に戻って、陶器が砕けるような音を響かせて、川原の上に倒れて砕け散った。

 

 黒衣の人影は、アンドロイドが完全に機能停止したのを見届けた後、倒れているミシェルに歩み寄った。腰を落としてミシェルの口元に手をかざし、呼吸があるのを確認する。

「まだ生きているか……それにしても、この星の人間の力で、このアンドロイドの構造金属を破壊するとは。人間の力というものはやはり底が知れんな」

 その言葉が発せられたとき、すでにミシェルの意識はなかったが、その後で、なにか暖かいものに包まれたような感触を、夢の中で彼女は感じていた。

 

 

 それから、いったいどれくらいの時間が過ぎたのだろうか……。

 長い、長い夢を見続けていたような気がする。もしそれが死だったら、彼女は永久に安寧の闇の中を漂っていられただろう。しかし、闇の中に次第に光が滲み出し、死者は絶対に動かすことのできないまぶたに感触が蘇ってくる。

 そうして、ゆっくりと光を瞳の中に入れて、まぶしいと思ったときに、ミシェルの耳に、もう二度と聞くことはないとあきらめていた懐かしい声が届いてきた。

 

「あっ、目を覚ましたわよ、みんな、来て!」

「気がついたのか、よかった。心配しましたよミシェルさん!」

「あの傷で、よく助かりましたわね。悪運の強い人ですね、まあ、私も人のことはいえませんが」

「しぶといわねえ、まあこの人の部下なら、それも納得か」

「ミス・ヴァリエール、我々を人間じゃあないみたいに言うな。それにしても、お前ほどの者がいったい何があったのか、教えてもらうぞ」

 わいわいがやがやと、そこには自分を見下ろしている大勢の顔があった。

「サイ、ト……たい……ちょう?」

 つぶやいた声が届いたのか、よく見知った顔がいっせいに笑みを浮かべているのが見えた。だけれども、かすむ視界の中に、いるはずのない相手の顔を見て、ミシェルは、ああ、自分はまだ夢の中にいるんだと、安心してまぶたを閉じた。

 

 

 続く



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第67話  決闘!! 才人vsアニエス (前編)

 第67話

 決闘!! 才人vsアニエス (前編)

 

 殺し屋宇宙人 ノースサタン 登場!

 

 

 どこともしれない民家のベッドの上で、窓枠から差し込む日差しに目を細めて、温かなスープの香りが鼻腔をくすぐってくる。そんな穏やかで安らいだ時間が訪れたことを、全身の半分を包帯で覆われて、傷ついた体をゆったりと横たえさせてもらっている、青い髪の娘は、最初信じることができなかった。

 

「アニエス隊長!? それに、お前たちは!?」

 二度目に目を覚まして、そこで自分を心配そうに見守っている見知った顔の数々が幻覚でないことを知ったとき、ミシェルは思わず飛び起きようとしたが、全身を貫く激痛に阻まれて、ベッドの上に見えざる手で押し付けられてしまった。とたんに、珠のような汗が額に浮き出るのは、彼女の今の姿からすれば当然の肉体的反応だったろう。しかしその傷の一つ一つの痛みが、彼女にようやく今が間違いなく昨日からつながっているのだということを教えてくれた。

「無理をするものでは、ありませんことよ」

 苦悶のうめきを漏らすミシェルの額を、赤毛の少女がハンカチでぬぐってくれた。そうすると、不思議と痛みも汗といっしょにぬぐわれていくように、次第に苦痛は地平の果てにまで後退していってくれた。

「ここは、どこだ? なぜ、私はここに?」

 呼吸を整えて、室内を見渡したミシェルは、とりあえず自分の状況を確認しようと思った。自分の記憶は、昨日の……恐らく昨日だと思うが、闇夜の川原で途切れており、なぜ、あれから今の状況になったのか、まったく見当がつかなかった。

 その答えは、彼女の枕元で腕組みをして立つ、彼女自身の上司……いや、もはや、だったと過去形で呼ばれるべき人物から与えられた。

「王軍陣営近くの集落の一つだ。街道で見つけたお前を、私がここに連れてきたのだ。もっとも、村人はすでに軍に徴用されてしまったらしく、勝手に家を借りているだけだがな」

「隊長が、私を……?」

 見渡せば、そこは元は女性の部屋であったのか、花瓶に花が活けられているなど、どことなく女性的な雰囲気があった。けれど、勝手に家を借りても誰も文句を言わないとは、ずっと城の中で足止めを食らわされていた彼女には信じられなかったが、才人たちからこの近辺の町や村から住人が、法外な税金の代償に労働に駆り出されていると聞かされてさらに驚いた。外では、そんなことにまでなっているとは。

「いったい……奴らは何を企んでいるんだ?」

 また一つ、理解不能なことが加わってミシェルは混乱した。あの正気を失ったウェールズならば、何をやっても不思議ではないが、少なくともいい予感はまったくしない。

「ミシェル、やはり何か知っているんだな?」

「あ、いえ……」

 設問されるようにアニエスに睨みつけられて、ミシェルは言葉に詰まった。あの、ワルドや川原のガーゴイルのことをどう説明すればよいのか。

 しかし、そこで思わぬ方向から助け舟が来た。いったん部屋の外に出ていたロングビルが、トレイの上に、温かな湯気を立ち上らせる、大豆のスープの皿を持ってきたのである。

「まあまあ、けが人を相手にそう一気に話さなくても。とりあえず、ありあわせの材料ですけど、これなら食べられると思いますわ。食欲はありますか?」

「あ……すまない」

 最初は断ろうかと思ったが、スープの匂いをかいだら、すぐに空腹の虫が襲ってきて、あっさりと牙城は陥落した。そういえば、昨日の晩から何も食べてない。

 けれど、トレイを受け取ろうと思ったら、両手も包帯で厚く巻かれていて、受け取ることも、スプーンを握ることも、とてもできそうもなかった。そこへ、代わりにトレイを受け取って、彼女の口元にスープをすくったスプーンを差し出したのは、やはり赤毛のおせっかい焼き娘であった。

「はい、あーんしてください」

「え!? おっ、おいお前!」

 慌てるミシェルだが、空腹には耐えがたく、ほとんど反射的にぱくりとスプーンをくわえ込んでしまった。その赤ん坊のような姿には、周りで見ていた才人やルイズからも笑いがこぼれて、彼女は赤面するばかりであった。

「はいはい、けが人は素直に甘えておけばいいんですよ。そのほうが、可愛いですからね」

「むぅ……」

 開き直ったように憮然と運ばれてくるスープを口にしているミシェルに悪いので、才人たちは仕方なく話を一時中断して、食事が終わるのを待った。だがそれにしても、キュルケはいつもタバサといっしょにいるためか、誰かの世話をしている姿が非常に絵になっていると彼は思った。もしかしたらキュルケは幼稚園の保母さんなんかが似合うのではないか? 子供たちといっしょに庭を駆け回るだけでは飽き足らずに、川原や裏山に飛び出ていって、園長に心配をかけてばかりな、どちらが子供かわからないような、けれど、誰からも嫌われることのない、そんな先生。

 さて、そんな他愛もないことを考えているうちに、スープの皿は空になった。量は少なかったが、内臓や食道をやられている危険もあるので、あまり多くは与えられなかった。それでも空腹は去って、一息をついたミシェルは、部屋の隅でじっと立って見守っていたアニエスに恐る恐る話しかけた。

「あの、ところで隊長がなぜ、アルビオンに……」

「姫殿下の命令だ。昨日の夕方トリスタニアから竜籠でラ・ロシェールまで飛び、手近な船がなかったので、輸送用の竜を借りて夜のうちにスカボローについて、あとはひたすら馬を飛ばした。だが、驚いたぞ、王党派の陣に向かって急いでいたら、街道の向こうから血まみれのお前をかついだ女が歩いてきたときは、すでに死体かと思った」

「女……?」

「ああ、全身を黒衣で包んだ、風変わりな女だったな」

 そのときのことは、アニエスにもうまくは説明できなかった。

 一刻も早く、アルビオン王党派の元へ駆けつけようとアニエスは馬を走らせていた。その前に、反対側から肩に気絶したミシェルを担いだ女がやってきて、仰天した彼女は馬を止めると、その女を呼び止めた。

「おい貴様! そこで止まれ! その肩のものはなんだ!?」

「……お前に答える義務があるのか?」

「なにっ!?」

 女が怒鳴りつけられても泰然としているのに、焦ったアニエスは剣を抜こうとしたが、柄に手をかけた時点で思いとどまった。ミシェルがいるからだけではない、彼女の磨き上げた戦士の感覚が警鐘を鳴らしていた。なんだ、まるで隙がない、こいつはいったい何者だ、と。

「用件があるなら、手短に言え」

 剣に対して、まったく恐怖した様子もなく、無防備なようでいて、それでいていつでも攻撃ができる体勢を保つ相手だった。アニエスは、力に訴えても得られるものはないと激情を抑えて武器から手を離すと、今度は騎士として礼節をもって答えた。

「私はトリステイン王軍、銃士隊隊長アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、その女は、私の部下だ。名はミシェル、その者に会うために私は急いでいた。なぜ貴女がその者を連れているのだ?」

「……私はただの旅の者だ。この娘は、この先の川原で倒れているのを拾っただけだ。捨てておくわけにもいかんから、近隣の村にでも預けようと思ったが、身内ならばちょうどいい。引き取ってもらおう」

 女はそう言うと、担いでいたミシェルを軽々と両手に抱き上げてアニエスに差し出してきた。むろん、断る理由もなく、ミシェルを受け取ったが、真近で見ると、彼女は全身がズタズタになった痛々しい姿であり、アニエスはよくこれで生きていたなと息を呑んだ。

「応急手当はしてある。しばらく安静にしていれば助かるだろう。ではな」

「あ、待て! この者がこうなった原因を、貴女は知っているのか?」

「さあな、だが私が立ち寄る前に、戦う音が聞こえたから、それで受けたのだろう」

「戦っていただと? 相手はどうしたんだ?」

「さてな、私が見つけたときにはすでに戦いは終わっていた。恐らく彼女が刺し違えて倒したのだろう。気になるならこの先の川原を調べてみろ、まだ残骸が散らばっているはずだ」

 それは半分嘘であったが、口調を音程の一つも変えずに話されたので、さしものアニエスも見抜くことはできなかった。それでも、ミシェルが何者かと戦っていたということに関して嘘はない。

「その、戦っていた相手というのは王軍の兵士かメイジか?」

 すでに、ミシェルがレコン・キスタの間諜で、ウェールズ暗殺の実行犯の一人だと知っていたアニエスは、ミシェルが王党派に正体を見破られて追われていたのではないかと予測したのだが、相手から返ってきたのはまったく別の答えだった。

「人間ではない。動く人形、だいたいそんなところだな。お前達の言うガーゴイルとかいうものに似ているが、はるかに強力だ。よく、あんなものに襲われて助かったものだ」

「ガーゴイル?」

「のようなものだ、似たものをいくつか知っているのでな。しかし、この娘の生きようとする執念はたいしたものだ。アニエスといったか? ずっとうわごとのように、お前の名や、ほかにサイトとかなんとか、何人かの名をつぶやき続けていたのだ。よほど、帰りたかったのだろうな」

 そう言われて、はっとしてアニエスは腕の中で眠り続けているミシェルを見つめた。すでに苦しむことにさえ疲れきってしまったかのように、深い眠りについているが、アニエスの腕に抱かれているのが無意識にわかるからか、穏やかな表情で静かに

寝息を立てている。

「ミシェル……」

「精々大切にしてやることだな。では、私はゆくぞ」

「あっ、待て! もう一つだけ答えろ! 倒れていたのはミシェルだけか、ほかに誰かいなかったか?」

「その娘だけだ。ほかには誰も見あたらなかった」

 それだけ言うと、黒服の女はアニエスが礼を言う間もなく、無言のままで立ち去っていった。残ったアニエスは、このままアルビオン王党派の元へ向かうかどうか迷ったが、ミシェルの身に異常な事態が起こったのは確かだし、重傷者を連れて行くわけにはいかないと、わき道に入って、無人となった宿場町に立ち寄ったのだが、そこで偶然休息をとっていた才人たちと出会ったのであった。

 

 そこまでのことを、アニエスは噛み砕いて説明し、かたわらの椅子に腰掛けて一息をついた。

「と、いうわけだ。実際、わからないことだらけだがな。特にあの女、王党派でも

レコン・キスタの手の者でもないようだが、ただ者ではなかった」

 アニエスにとって、素手で自分を圧倒した相手が何者であるのか気になるところであった。しかしそれは一個人のプライドに領域を主張する些事であり、とりあえずは今必要とされることではなかったので、その一言でそれを記憶の内側にしまいこんだ。

 ただ、一方の才人たちには一定の推測が生まれていた。アルビオンと一言に言っても何十万人もの人間がいるために、確証とまではいかなかったので口には出さなかったが、その黒服の女が誰なのかを、薄々勘付いてはいた。

 ともかく、アニエスがミシェルを拾えたことはまったくの幸運であった。もしその黒服の女がいなければ、街道を外れた川原で倒れているミシェルにアニエスは気づきえず、実際には、見つけていてもすでに死体であっただろう。

 けれども、それ以上にミシェルを不思議がらせたのは、どうしてこんな場所に才人たちまでがいたかということであった。目的地が同じサウスゴータ地方ということぐらいは聞いていたが、学生が遊びに来るにはここは戦場に近すぎる。それについて、才人たちはウェストウッド村が役人に化けていたブラック星人に襲われたことなどを説明し、それで王党派が怪しいと睨み、探りを入れようと考えて、この地方の出身のロングビルに道案内を頼んで、ここまで来たと語った。

「ただ、ブラック星人が倒されたことで、別のヤプールの手下が留守中にウェストウッド村を襲っては大変ですからね。タバサに護衛してもらって、村のみんなやシエスタには一時別の街に避難してもらってます」

 よく見渡せば、船で見た小柄な眼鏡の少女と、黒髪の少女がいなかった。

「そうか、お前たちも大変だったんだな……」

 どうやら想像以上にヤプールはアルビオンに根を下ろしているらしい。トリステインやゲルマニアなどでは、白昼堂々怪獣や宇宙人が破壊活動をおこなっている分、かえって表面上は怪獣が出現しないから、この国の人々も目の前の内戦に気をとられて、多少の変事も雑多なニュースにまぎれてしまうのだろう。

「さて、これでこちらが言うべきことは伝えたが、今度はお前が答える番だ。お前ほどの者に、いったい何者がそれほどの傷を与えた。任務の途中で何があったのだ?」

 厳しく問い詰めるアニエスに対して、ミシェルは恐れていたときが来たと感じた。才人たちの手前、公言はしなかったが、彼女の言う『任務』のことが、トリステイン大使としてのものではないことは、その目を見れば明白だったからだ。

「あ、ええと……」

 冷や汗が背中をつたるのが、いやというほど自分で自覚できた。どう言えばいいのか、すでに隊長は自分のことに気づいている。しかし、才人たちにまで自分が裏切り者だと知られたくはなかった。

 だが、口ごもっていても、アニエスの苛烈な視線は変わらない。どんな嘘をついても、到底ごまかせるようなものではなかった。

「どうした? 言えないなら、言えるようにしてやろうか?」

 無言の抵抗の末に、ミシェルに突きつけられたのは、アニエスがトリスタニアで間諜から奪った密書だった。

「それは!」

「ん、なんですそりゃ。ルイズ、なんて書いてあるんだ」

「んー、なにこれ? 文字が雑多に書かれてて訳わかんないわ。キュルケ、あんた読める?」

「ふーん、なんか軍の暗号文に似てるわね。残念だけど、解読するためのキーがわからないと読めないわ。で、ミス・アニエス、なんなんですのこれは?」

 首をかしげたルイズたちは、アニエスに説明を求めたけれど、彼女はその密書をミシェルに突きつけたままで無言であった。しかし、当然ミシェルはそれを読むことができ、最後に記された暗殺者の名に、自分の名前がワルドと並んであることを見ると、もはや逃げ道がなくなったことを理解して、観念せざるをえなくなった。

「すべて……お話します……ですが」

 もう、隠し事は通用しない。それでも、せめて裏切りの事実をここで才人たちにまでも知られたくなかったが、アニエスの態度は冷断だった。

「だめだ、どうせいずれ知れることだ。お前が選んだことなら、最後まで責任を持て」

「……はい」

 一時ごまかしたとしても、すでにトリステインでは知られている以上、遅かれ早かれ彼らの耳にも入る。誰のせいでもない、自分で選んだ道なのだから、その落とし前は自分でつけるしかないのだ。

「ちょっとアニエス、話が見えないわよ!」 

 二人の間だけで、意味のわからない話が続いたことにいらだったルイズが怒鳴った。だがアニエスは黙ってミシェルに目配せしただけで、やがてミシェルは覚悟を決めたように、うつむきながら、血を吐くように告白した。

「皆……私は、実はレコン・キスタの内通者、間諜だったんだ……」

 たったその一言を告げるのに、どれだけの勇気と覚悟が必要だったのかはわからない。才人たちの反応は、最初は沈黙で、やがて言葉の意味を理解して「なんだって!」という叫びの後に、「嘘でしょう」というのが続いた。

「嘘じゃない……私の父はトリステインの法務院の参事官だったが、十年前、身に覚えのない汚職事件の主犯とされ、貴族の身分を失った。父は、国に裏切られたと、自ら命を絶ち、母も後を追った。幼い私は帰る場所を失い、路頭に迷った。そんな私を拾ってくれたのが、トリステインでレコン・キスタに通じている、ある人だったのだ。それ以来、恩返しと、腐敗した国を変えるために、内通者として軍に、銃士隊に入った」

 慄然として才人たちはミシェルの告白を聞いていた。特に才人は以前ツルク星人を倒すために、共に特訓をしたときと、アルビオンへの船上で聞いたミシェルとの会話を思い出して、そういえば恩人がどうとか、レコン・キスタのあり方がどうかと聞かれたなと、「信じられない」という一言さえも言い出せずにいた。

 また、彼女の口からは同時にワルドもレコン・キスタの一員であったということが語られて、昔馴染みで許婚だったルイズを一時愕然とさせた。しかし他の者たちにとっては、とうにアルビオンへの『ダンケルク』号での一件で彼を見限っていたので、やっぱりなと逆に納得させるものでしかなかった。また、ルイズも心を落ち着かせると、幼い頃の約束をそこまで真剣に考えていたわけでもなく、また『ダンケルク』の件で彼への評価を落としていたことには皆と変わりなかったので、脳内の好意的な人名語録のワルドの名に墨を塗って終わらせた。

「それで、お前の後ろで糸を引いていた、ある人というのは誰だ?」

「それは……それだけは言えません。父の古い友人で、あの人だけは父の無実を信じてくださいましたから」

「リッシュモン高等法院長か」

「え!?」

 愕然と、自分の顔を見上げたミシェルの顔を見て、アニエスはやはりとうなずき、そして彼女にとって恐るべきことを教えた。

「十年前の、お前の父の事件は私も調べた。証拠はないが、首謀者はリッシュモンだ」

「ば、馬鹿な! でたらめを言うな」

「本当だ。私は奴に関することはなんでも調べた。なぜなら、リッシュモンは私にとっても仇だからだ!」

 きっとして見返すアニエスの顔には、明らかな怒りと憎悪の影があり、ミシェルはそれに圧倒されて、その言葉が嘘ではないと感じた。

「二十年前、奴は権力争いの中で、公然とした手柄を欲していた。それで生贄に選ばれたのがダングルテール地方の私の村だった。奴は新教徒狩りとありもしない罪をでっちあげて、村を焼き尽くした。生き残ったのは、私だけだ」

「……」

「お前の父のことも、奴は出世の邪魔だったから濡れ衣を着せたのだ。奴はそうして、敵を排除して、今の地位を手に入れた」

「嘘だ……」

「ならばよく思い出してみろ。お前の父が失脚して、誰が一番得をしたのか? 当時参事官補佐で、お前の父のやってきた事業をむだにするわけにはいかないなどとほざき、結局役職の後釜に納まったのは、リッシュモンだったではないか。奴は何もせずに、お前の父の努力の結果だけを手に入れた。それも一度や二度ではない。奴の出世街道は、まさに他者の地位の強奪の連続だ。もはや、簡単に手を出せる身分ではなく、確たる証拠を残さない用心深さから逮捕できずにいるが、いずれ奴は私のこの手でひねり殺してやる!」

 今まで見せたことのない強烈な憎悪の決意は、その場にいた全員を震え上がらせた。しかし、もっともショックを受けたのは、当然ながらミシェルであった。

「……そんな、それでは私は」

「甘い言葉で誘惑するのは、奴の常套手段だ。奴にとって、自分以外の人間は都合よく利用するための道具にすぎん。つい先日も、奴の情報を聞き出そうとした奴の家の使用人が事故死した。お前も、利用されていたんだ」

「……じゃあ、私がこれまでやってきたことは……」

「全て、無駄だったということだ」

 その瞬間、堰を切ったかのようにミシェルは狂った音程の悲鳴をあげて、喉をかきむしりながら泣き喚き始めた。包帯が破れて、開いた傷口からまた血がにじみ始めるのを見て、慌てて才人やキュルケが彼女の手足を押さえにかかるが、ミシェルの狂乱は収まらずに、のども張り裂けんと叫び続ける。

「アニエスさん! いくらなんでもひどすぎます!」

 壊れてしまったように暴れ続けるミシェルを必死で押さえつけながら、才人はアニエスに向かって怒鳴った。

「ひどいものか、このまま何も知らずに、哀れな道化として踊り続けるより、床に落ちて壊れてたとしても糸を断ち切ってやるべきだろう。違うか!!」

 苛烈で、冷断ではあったが、その言葉には、自分の目で見て、考えて、そして決断して一人で生きてきたアニエスの強さが込められていた。

 やがて、十数分後にミシェルは顔を涙と鼻水でぐっしょりと濡らしながら、ようやく錯乱から覚めた。そして見かねたロングビルが濡らしたタオルで顔を拭いた後に、彼女は訥々と、順を追いながら、自分でも確認するように、昨晩起きたことを語り始めた。

 

「私は、ワルドといっしょに、この先の城へとウェールズ皇太子に会うために赴きました……」

 

 ウェールズ皇太子と会い、大使としての任務を果たし、夕食前にワルドとウェールズを見送ったが、次に現れたときには二人は変貌していた。手の中に目と口があったワルドに手傷を負わされ、必死で川に落ちて逃げ延びたが、追っ手のガーゴイルにやられて、その後のことはここで気がつくまでわからない。

 そこまでのことをざっと聞かされて、一同はぐっと息を呑んだ。ある程度の予想はしていたが、それは甘い予測を悪い形で見事に裏切ってくれた。ルイズは、ワルドが取り付かれてしまったことに多少驚いたが、すでに内通者だったということを知っていたために、それ以上はショックは受けなかった。

 むしろ、ワルドの変貌に驚いたのは才人のほうである。

「手に、目と口が?」

 それは才人だけでなく、彼と同化しているウルトラマンA、北斗星司にとっても忘れがたい記憶であった。ヤプールの配下で、そんなことのできる奴はただ一匹、そいつのために、かつてTACは新型超光速ロケットエンジンを破壊されてしまったことがある。

「また、やっかいな奴が……」

 もし、予測が当たってワルドがそいつだとすれば、これまでにない強敵となるだろう。時間が経つにつれて、ヤプールの戦力が次第に強大になっていくことを才人は実感せざるを得なかった。

 それに、川原で戦ったというガーゴイルも、ロボットに違いないと彼は確信した。こちらのほうは、単に等身大の人間型ロボットというだけで、それ以上はわからないが、他の宇宙人も敵の中にまぎれていると考えたほうがいいだろう。

 最後まで話し終わったミシェルは、それっきり人形のようにうつむいて動かなくなった。彼女にとっては、これまでの人生すべてを否定されたに等しく、それまでの自分を正当化してきた意義も、誇りも、さながら球根を水栽培していた鉢の底に、穴を空けられたかのように、根こそぎ零れ落ちてしまって、残った球根を包むのは空虚でしかない。いや、育てようとしていた球根も、見た目は変わらないが、すでに細菌に侵されて腐り果てており、芽を出すことなどもはやありえない。

「ミシェルさん……」

 才人は魂の抜け果てた、生ける屍のようになってしまったミシェルを見て、人間はここまで残酷に打ちのめされることができるのかと、憤然たる思いを抱き、自らの無力さを痛感していた。もはや、どんな慰めの言葉も彼女には意味を持たないだろう。こんなとき、ウルトラ兄弟ならどうするのだろうか、どうすれば彼女を救えるのだろう……

 けれどそこへ、剣を腰に挿し、ミシェルの前に立ったアニエスが皆を見渡して、全員外へ出て行くようにうながすと、才人以外の三人の顔に、さっと緊張が走った。

「えっ、どうしてですか?」

 才人は怪訝な顔をしたが、アニエスが再度反論を許さない口調で命令したので、仕方なくこの小さな一軒家の外へと出て、無人の村の広場に降り注ぐ日光に身を晒した。

「どうしたんだろう? アニエスさん」

 追い出されて、暑い日差しを手でさえぎりながら才人はいぶかしげにつぶやいた。まだ、ミシェルさんから聞きたいことがあったのだろうか? けど、それならば別に自分たちを追い出さなくてもよかったのに。

 才人は、何かわからないが二人だけの話をするのだろうかと、ロングビルやキュルケに聞いてみた。けれども二人とも不思議なことに視線をそらすばかりで、仕方なくルイズに問いかけてみると、ルイズもまた、気まずく、沈痛な面持ちで顔をそらそうとした。しかし、才人の何にも気づいていない顔を横目で見ると、ぽつりと苦しげに答えた。

「サイト、ミシェルはいまや、トリステインにとっては反逆者、銃士隊にとっても恥ずべき裏切り者なのよ。アニエスは、その銃士隊の隊長として……」

 最後まで聞くことなく、才人は韋駄天のごとく駆け出していた。

 

 アニエスとミシェル、二人だけになった部屋の中で、アニエスの抜いた剣がミシェルの喉元で冷たく輝く。

「ミシェル、わかっているな?」

「はい……」

 乾いた声で返事をしながら、ミシェルは来るべきときが来たと、不思議と明瞭な思考の中で、アニエスが突きつけてきた剣の意味を違えることなく理解してうなづいた。 

 裏切り者には死の制裁を、それは軍隊という救いがたい残酷な組織の中で、統率を守るための非情の掟。この前には、たとえ銃士隊といえども例外ではない。

 それに、かつてミシェルはワイルド星人の事件のときに、メイジであることと、素性を偽っていたことをアニエスに知られてしまったときに、「どんな理由があるにせよ。お前がこの国に仇なす存在になったら、私はお前を殺す。それだけは覚えておけ」と、見逃してもらったときの約束も破ってしまっている。

「思い残すことは、ないか?」

「いいえ……」

「そうか……」

 アニエスは、ミシェルの心臓に狙いをつけると、ゆっくりと剣を振りかぶっていった。その剣先に焦点の合わない視線を向けても、もうミシェルの心に恐怖はわずかも浮かんではこなかった。

「目をつぶれ」

 それは、アニエスからミシェルへ向けた、せめてもの情けだったのだろう。アニエスにとって、リッシュモンによって同じ苦しみと悲しみを味わわされてきたミシェルは、いわば鏡に映したもう一人の自分であったといってもいいのだ。しかも、復讐を決意した自分とは裏腹に、真実を知らずに、もっとも憎むべき者のために人生の全てを利用されてきた。せめて、もうこれ以上苦しまなくてすむように、安らかな眠りを……

 だが、そこへ部屋のドアを蹴破るようにして、怒気を顔全体に張り付かせた才人が飛び込んできて、アニエスに掴みかかった。

「なにをやってるんだ! あんたはあっ!!」

 あと半瞬遅かったら、アニエスの剣は確実にミシェルの心臓を貫いていたことは疑いようもない。しかし、アニエスは胸倉を掴もうとする才人を、彼よりずっと強い腕力で振りほどき、昂然と言い放った。

「邪魔をするなサイト! これは我ら銃士隊の問題だ、お前には関係ない!」

 その、烈火のような強烈な怒声は、いつもの才人であったなら、それだけで腰を抜かしてしまいかねない圧倒的な迫力を噴出していたが、すでに怒りの臨界点を超えている今の才人はひるまなかった。

「目の前で人が一人死ぬかどうかってときに、関係ないもなにもあるもんか! あんた、自分が何しようとしているのかわかってんのか!!」

「当たり前だ! 誰が好き好んで自分の部下を殺したいなどと思うか! だが、裏切り者を放っておいては銃士隊の規律が維持できん。それに、どうせトリステインでは、すでにミシェルは反逆者として死罪が確定している。ならばせめて、私の手で引導を渡してやるのが幸せという……」

「ふざけるな! 死んでなにが幸せだ、誰が救われるっていうんだ!!」

 一歩たりとて譲らず、ミシェルをかばうようにアニエスの前に立ちふさがる才人を、アニエスだけでなく、戻ってきたルイズたちも見つめる。誰も、ここまで才人が怒りをあらわにするのを見たことがなかった。

「サイト、気持ちはわかるけど、これはもう個人の感情じゃどうにもならないのよ。どういう理由があるにせよ、彼女はトリステインの法と、彼女を信じていた人々の信頼を裏切ったんだから」

 ルイズが、ミシェルを粛清するのはもうどうしようもない、決められた筋だと言い聞かせようとしても、そんな正論で納得するほど才人の怒りは半端ではなかった。

「それがどうした! 私利私欲で裏切ったとかいうならともかく、ミシェルさんは、ただだまされてただけじゃねえか! 散々苦しんで苦しんで、それでも悪い世の中を変えようと、自分の全部を捨ててまで戦おうとしたのはなんのためだ。そんな人がこれ以上、なんで貶められなきゃならないんだ!」

 たとえ理不尽であろうが、そんな簡単に人の命を奪うことは絶対に許されない。その身を唯一の盾として、才人はアニエスの白刃の前に立ち続けた。しかし、その壁は内側から、守られるべき者の言葉の一弾によって揺さぶられた。

「サイト……もういい、私なんかのために、そこまで怒ってくれて本当にうれしく思う。けれど、もうどこにも私のいる場所はないし、生きている意味もなくなった。もう、疲れたから眠らせてくれ……」

 全てをあきらめ、死の安寧を求めようとしている人間の願いを、しかし才人は聞き入れはしなかった。

「寝とぼけたこと言うんじゃねえ! おれだって、着の身着のままで、このバカで無茶で気まぐれで、嫉妬深くて、人使い荒くて気位ばかり高い貴族のとこに召喚されたけど、それでも一応はうまくやってんだ!」

「こらサイトぉ! そりゃどういう意味よ!」

 ルイズが怒鳴るのをとりあえず聞き流して、才人はなおも言う。

「生きている意味がないだって? たとえ裏になにがあったにせよ、あなたはこれまでずっといろんなものを守るために戦ってきたじゃないか。命を懸けて、大勢の人を救ってきたじゃないか!」

「……けれど、もう私には、守るものなどなにもない」

「馬鹿言うな、守るものなんて……いくらだってあるじゃないか! あんたがここで死んだって、精々殺す手間がはぶけたとヤプールが喜ぶくらいだ。それに、ミシェルさんが死んだら、おれはどんな顔すりゃいいんだ。こんな、悲しみしかのこさねえようなルール、おれは絶対に認めねえぞ!」

 呆然と、ミシェルは自分に向かって怒鳴り続ける才人の顔を見ていた。誰にも、どうして才人が裏切り者のためにここまで怒るのかを、理解しきることはできずにいる。

 しかし、生きて、生きてさえいれば、わずかな希望も見つけることができるかもしれない。たとえ理屈に合っていようと、未来への可能性を奪う行為を、才人は、そして彼のあこがれた者たちは許しはしない。

「どうしても、ミシェルさんを許してはもらえないんですか?」

「ああ、これは私の私情でどうこうできる問題ではない。たとえ隊長といえど、隊の規律と、国の法は守らなければならんのだ。お前こそ、どうしてもどかんというならば、共に斬り捨てねばならんぞ」

 どちらも決して譲れない意志を示し、妥協点は星くずほども見つけられそうはなかった。例え、死んだことにして見逃してくれと言っても、鉄の規律で縛られた銃士隊の隊長たるものが、生半可な温情などかけはしないだろう。

 もはや話し合いで解決できはしないとわかったとき、才人はウルトラマンとしてではなく、人間として戦う覚悟を決めた。

「わかりました。ならば、アニエスさん、あなたに決闘を申し込みます」

 一瞬の沈黙を置いて、驚愕と困惑の二重奏が小部屋を包み込んだ。

「決闘、だと?」

「ええ、もしおれが勝てば、この人の身柄はおれが預かります。それだけが条件です」

「正気か……と、聞くのは愚問か。なぜ、そこまでミシェルを庇い立てしようとする? こいつの裏切りが成功していたとしたら、ハルケギニア全土が戦火に巻き込まれ、お前も死ぬことになったかもしれん。第一、決闘となれば、私がお前を殺したとしても何も問題にはならんし、当然私も容赦などはせんぞ」

 才人は一瞬目をつぶり、一つの忘れられない過去を思い返してから答えた。

「罪を犯した者に罰が必要だっていうなら、ミシェルさんはもう充分すぎるほど罰を受けてますよ。それにおれにも、絶対に譲れない誇りと、義務があります。ここでこの人を見殺しにするくらいなら、たとえ死ぬ危険があっても絶対に引くわけにはいかねえ」

 今の才人の目には、いつものなよなよした雰囲気はなく、自ら傷つくことを恐れない戦士の炎が宿っていた。

「よかろう、もはや力によってしか解決をなしえぬのなら、力づくでねじ伏せてやる」

 表へ出ろとうながして、先に外に出て行くアニエスの後を追いながら、才人もデルフリンガーを抜けるようにして、ずっと自分の背中で経過を見守っていたはずの愛剣の言葉に耳を傾けた。

「いいのか相棒? あの姉ちゃん、冗談でなく強いぜ。以前戦った両手が刃物の奴みたいに、スピードと破壊力はあっても、単純な攻撃しかしてこねえならともかく、剣術じゃ素人同然のお前さんに、つけいる隙なんかまずねえ」 

 デルフリンガーの忠告も、幾度もアニエスと肩を並べて戦った才人にはいまさらわかりきったことだったので、特に反論もしなかった。ただ、それでも一言だけ言っておいた。

「おれは決闘をするんだ、試合や殺し合いにいくわけじゃない」

 だが、決闘、しかも実力でははるかに才人より勝るアニエスを相手にして、才人が無事ですむとは絶対に思えないルイズたちは、口々に彼を止めようとした。

 主人の命令が聞けないのと怒鳴るルイズ、勝てっこないわと止めるキュルケ、本当に殺されるわよと言うロングビル。そして、ロングビルに背負われながら、お前が隊長に敵うはずがない、私が死ねばすむことだと頼むミシェルの声が、次々に才人の耳に響くが、彼の歩みは止まらない。

「ルイズ、悪い、今回だけはお前の言うことでも聞けない。これはもう、おれだけの問題じゃないんだ」

 場合によっては死をすら覚悟した意志の強さが、今の彼の言葉には宿っていた。

 それほどまでに、才人を駆り立てるものがなんなのか、ルイズにも、他の誰にも、どうしてもわからなかった。

 

 それは、才人にとって決して忘れられない記憶。

 かつて、地球と光の国の滅亡を画策したエンペラ星人が、自ら地球への攻撃を開始したとき、奴は手始めにと、巨大人型戦闘用ロボット、無双鉄神インペライザーを地球に送り込んできた。

 このインペライザーは、対ウルトラ戦士抹殺のためにと生み出された超破壊兵器で、圧倒的な腕力と防御力を備え、頭や肩の砲門からのエネルギービームと豊富な武器を持っていた。その上ウルトラマンタロウのストリウム光線やウルトラダイナマイトを受けてさえ、簡単に自己再生するという桁違いのスペックを持って、一度はメビウスを完敗させたほどの恐るべき敵であった。

 しかも、エンペラ星人は一体でもやっかいな、この超兵器を、一気に東京をはじめとする地球の主要都市に十三体も送り込み、地球を破壊されたくなければ、ウルトラマンメビウスを地球人みずからの手で追放せよと脅迫してきた。

 むろん、GUYSはこれを呑むわけはなく、メビウスも登場して東京のインペライザーを迎え撃った。だが倒されてもすぐに次のインペライザーが補充されるために、さしものメビウスとGUYSも敗退を余儀なくされてしまった。

 その絶望的な光景を、才人は家族とともに避難する途中で、街頭のテレビで見て愕然としていた。ウルトラマンでさえ歯が立たないとは、才人の見ている前で、大人たちは肩を落とし、絶望に打ちひしがれていった。そして、絶望に取り付かれた人間の一部は、その恐怖から逃れるために、GUYSにウルトラマンメビウス、ヒビノ・ミライの引渡しを要求した。

 メビウスを追放するべきか、絶望と狂騒の中にあった地球人類を見て、エンペラ星人はほくそえんだことだろう。

 しかし、地球人が悪魔の誘惑に乗りかけたとき、GUYSのサコミズ総監は、テレビを通して人々に語りかけた。そのときの言葉は、今でもはっきりと覚えている。

 

”昔、私が亜光速で宇宙を飛んでいたとき、侵略者から地球を守るために、人知れず戦っていたウルトラマンを目撃しました。

 そのとき彼は言いました。いずれ人間が自分たちと肩を並べる日が来るまで、それまでは我々が人間の盾となろうと。

 彼らは人間を愛しています。

 そして人間を、命がけで守り続けてくれました。私たちは、その心に応える責任がある。

 地球は我々人類自らの手で守りぬかなければならない。ウルトラ警備隊キリヤマ隊長が残した言葉です。

 この言葉はウルトラマンが必要でないといっているわけではありません。彼らの力だけに頼ることなく、私たちも共に戦うべきなのだと伝えているのです。

 最後まで希望を失わず、ウルトラマンを声援し続けるだけでもいい。それだけで、彼らと共に戦っているといえるのです。

 彼らに、力を与えることができるのです。だから、お願いします、今こそ勇気を持ってください。

 侵略者の脅しに屈することなく、人間としての、意思を示してください。

 一人一人の心に従い、最後の答えを出してください”

 

 その心から呼びかけに、地球人はついに迷いを振り切って選択した。メビウスを守れ! メビウスとともに戦おうと、心を一つにした。

 むろん、才人も同様に力の限り叫び、戦いの終わるまで声援を送り続けた。

「おれはあのとき決めたんだ。どんなことがあっても、力の脅しには屈しない。守らなきゃいけないものを守るとき、相手がなんであろうと戦い抜く、それがおれが教わった人間の誇りだ!」

 たとえ時が流れ、守るべきものが変わろうと、ウルトラマンから教えられた、人々のために戦うという気高い思いは、彼の中で少しも損なわれてはいなかった。

 

 

 だがそのころ、アルビオン王党派の城では、送り込んだアンドロイドが破壊されたということを知った参謀長が、慌てふためいていた。

「ううむ、まさかこの星の人間が宇宙金属製のアンドロイドを破壊するとは。ともかく、こんな失態をしてはただではすまんし、何よりあやつから余計なことが外に漏れても面倒だ……仕方ない、扱いにくい奴だが、あいつにやらせるしかないか」

 彼はそうつぶやくと、自分の部屋の中に隠してある次元連結マシーンを起動させて、出番を待っていた宇宙人たちの中から、一人の青い表皮と、悪魔のような不気味な顔を持つヒューマノイド型宇宙人を呼び寄せた。

「ノースサタン、いいか、この女を見つけ出して殺せ、すみやかに確実にだ」

 ノースサタン星人、それはGUYSのドキュメントMACに記録されている宇宙人で、宇宙の殺し屋と異名をとる残虐極まりない星人である。こいつもまた、ハルケギニアのことを知ってヤプールに接触してきた星人の一人である。ただし、他の星人が主に侵略を目的としてるのに対して、宇宙の殺し屋と言われるとおりに、ハルケギニアそのものには興味を持っていなかった。

「…………よかろう、報酬は貴様の言うとおりにしよう。わかったから、さっさと行け」

 参謀長は、報酬として好物である千トンの宇宙金属メタモニウムを要求するノースサタンの条件をしぶしぶ呑んだ。そうして監視カメラの映像に残っていたミシェルの映像を見せて、アンドロイドが破壊された場所と、そこに残されていた血痕から、相手もかなりの深手を負っているはずという情報を与えて送り出した。

 このとおり、ノースサタンは報酬しだいで殺しを請け負ってやると、いわば仕事を売り込んできたのであって、集まってきた宇宙人たちの中でも、ヤプールもいまいち扱いかねている存在であった。

「……ちっ、何を考えているのかわからんやつだ」

 まるで自分のほうが格上であるかのように、依頼を受けると悠然と消えていったノースサタンに、参謀長は思わず舌打ちした。ブラック星人などのように、侵略目的でこちらの足元を狙ってきている奴は、自分から動くし、思考も読みやすいために扱いやすいが、ああいうふうに条件を満たしてやらなければ動かない奴は、いちいち使うのに手間がかかるし、考えを読みにくい。

 しかし、人間の追っ手をトリステイン大使だった相手に送っては、軍・政府内に動揺が起こり、これからの計画に支障をきたすかもしれないし、同族ゆえに懐柔されてしまう恐れもある。高い買い物だが、迅速さと確実さを優先するならばやむをえない処置であった。

「だが、あと二日……あと二日あれば、計画は完成する。そうすれば……フフフ」

 城の窓から見下ろす彼の眼下には、集結を続ける両陣営の軍隊と、徴用されて働かされている大勢の民間人の姿が、アリのように群がっていた。

 

 

 続く



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第68話  決闘!! 才人vsアニエス (後編)

 第68話

 決闘!! 才人vsアニエス (後編)

 

 殺し屋宇宙人 ノースサタン 登場!

 

 

「決闘のルールは、お前が決めろ」

「どちらかがあきらめるまで、それだけでいい」

 人のいなくなった小さな村の、小さな広場で、アニエスと才人がそれぞれの剣を抜いて、十メイルほど離れて身構えていた。才人の左手のガンダールヴのルーンが武器を抜いたことに呼応して輝き、対してアニエスは自然体で、どこからの攻撃にも対処できるように悠然と立っている。

 その二人の姿を、ルイズたちは広場の端からじっと見守っていた。

「どちらも、動かないわね」

「二人とも、相手の実力を知ってるからよ。うかつに手を出せば、カウンターを受けるのはわかっているからね」

 ルイズのつぶやきにキュルケが答えた。魔法にせよ、剣にせよ、人間が扱う武器ということに関しては変わりなく、攻撃した瞬間こそ最大の隙が生まれる。

 確かに、アニエスと才人では剣術の腕に天地ほどの差があるが、才人はそれをガンダールヴのルーンで極限まで高められた運動力と反射神経で補っている。アニエスといえど、至近距離から人間の反射速度を超えた速さで攻められたらかなわないだろう。むろん、それは才人にしても同じで、速いだけで突進しても、剣筋を読まれてやすやす回避されてしまう。

 ロングビルと、彼女に背負われたミシェルも、もはや止めようのない戦いを、息を呑んで、どちらかが動くのを待っている。

「先に動いたほうが、負けるってやつですかね……」

「馬鹿を言うな、隊長はそんなに甘くない」

 誰よりもアニエスの力を知っているミシェルは、この沈黙が長くは続かないということを確信していた。

「こないのなら、こちらからいくぞ」

 最初に動いたのはアニエスだった。しかし、一気に距離を詰めるのではなく、一歩一歩、隙無く構えたままで間合いを詰めていく。才人は心の中で舌打ちし、ロングビルやキュルケはなるほどと思った。これでは、才人の一番の勝機であるカウンターが使えない。

「さすが、小手先の生兵法が通じる相手じゃないな」

 才人は心の中で苦笑して、こうなったら真っ向勝負しかないと覚悟した。どのみち、自分から申し込んだ決闘である以上、逃げるわけにはいかない。二人は、互いの距離が剣先をつき合わせられるくらいにまでなったときに、同時に地面を蹴った。

 その瞬間、才人の裂帛の気合を込めた縦一文字の斬撃と、アニエスの猫のようにしなやかな跳躍がぶつかった。しかし、才人の斬撃は空を切り、逆にアニエスの剣の柄が才人の腹にめり込んでいた。

「甘い、隙だらけだ」

 出来の悪い生徒を酷評する教師のようなアニエスの声が流れたとき、才人は嗚咽を漏らしながら、地面にひざをついていた。

 やはり、この人はとんでもなく強い。正面きって戦ったら、その予測は見事に上方修正されて的中し、才人は戦いを挑んだことを後悔はしなかったが、少しでも甘い見通しをしていたことを今更ながらに悔いていた。だからといって、これで終わりというわけでは決してない。

「まだやるか?」

「当然!」

 起き上がって、再びデルフリンガーを構えた才人は、今度は自分から打って出た。右上段に振りかぶって、ガンダールヴの力を振り絞っての突撃は、並の戦士であれば反応すらできなかったであろう。彼は、万一にもアニエスを殺すわけにはいかないと、片刃剣であるデルフリンガーを峰に返しているが、それでも棍棒と同じなのだから、直撃すれば骨の五、六本は砕け散る威力だ。

 が、わかっていることではあるが、アニエスは並の戦士ではない。

「隙だらけだと、言っただろうが!」

 デルフリンガーが広場の地面を掘り返したときには、アニエスは才人の顔面を剣を握ったままの拳でかちあげたばかりか、背後に回りこんで背中を蹴り飛ばしていた。

「痛ーっ……」

 パーカーの前半分を泥で汚して、唇から血を流しながらも、才人は振り返って悠然と自分を見下ろしているアニエスを見上げた。

 どうも、さっき上方修正した評価もまだまだ甘かったようだ。自分は最初から全力なのに、この人は剣の刃すら使っていない。本気を出してないどころか、才人をまともに敵とすら見ていないだろう。

 これならば、宇宙金属の刀や、人間と宇宙人の身体能力の差というハンディがなければ、一人でツルク星人を倒すことも可能なのではなかったのではと才人は思ったくらいだ。むろん、それは彼女が宇宙人ではなく、あくまで人間相手の戦闘のエキスパートであるということを考慮すれば、いささか過大な評価ではある。ただしアニエス自身も、宇宙人相手には生半可な実力では敵わないことを知り、あれからずっと鍛錬を欠かさず、その実力はあのときより格段に上がっていた。少なくとも剣を使った戦いでは、テロリスト星人くらいならば圧倒できるだろう。

「どうした、当然まだやるのだろう」

「当たり前だ!」

 三度目はやはり才人のほうが仕掛けた。小細工は通じない、かといって大降りの攻撃が当たる相手ではないならば、こちらも動体視力の全てを駆使して、アニエスの手元を見て、その動きにあわせて小手を狙う。

「さっきよりはましだが、集中しすぎだぞ」

 アニエスが剣を戻して足を振り上げると、剣に視線が集中していた才人の腹に、見事にカウンターの形でキックが入った。アニエスは手加減していても、才人は自分の勢いをそのまま内臓に叩き込まれる形になり、またももんどりうって倒れ、胃液を逆流させた。

 それでも、才人はくじけない。四度目の攻撃では突きを狙って弾き飛ばされ、五度目では足元の土をはじきあげて目潰しにしようとしたが、剣を下げたためにできた隙をつかれて、顔面にしたたかにパンチを食らって鼻血を流した。

「汚い顔だな」

「別に、ハンサムでもイケメンでもないんだ。多少崩れたところで問題にゃなりませんよ」

 せめて、ツルク星人の二段攻撃のような必殺技が自分にもあればと思うが、ゲームじゃないんだから、レベルが上がって○○を覚えました、などと都合のいいことは起こらない。袖で鼻血と泥をぬぐうと、才人は六度目の攻撃をかけていって足払いを食らわされ、七度目の攻撃で額から血を流し、八度目で左肩をはずされた。それでもなお、デルフリンガーを握る手は緩まない。 

 九回目、十回目、何度仕掛けても才人の攻撃はアニエスにかすりもせずに、彼女自身は息一つ乱してはいない。

 ぶつかる度に、醜く傷ついていく才人の姿を、ルイズたちはじっと見守っていた。だが、やがて十六度目の突撃で、腹部を強打された才人が一時的な呼吸困難に陥って地面に崩れ落ちると、ついに見ていられなくなったミシェルがルイズに怒鳴った。

「ヴァリエール! もうやめさせろ、いくらやっても隊長に敵うはずがない。お前はあいつの主人だろう、なぜ止めないのだ!?」

 するとルイズは、一瞬だけミシェルに横目を送ると、すぐに立ち上がろうとしている才人に視線を戻し、そのままで静かに話し始めた。

「……わたしも、一応あいつの主人である以上、半年にも満たない程度だけど、少しはあいつのことを理解してるつもりよ。あいつはね、普段は大抵適当で、いい加減だけど、自分で決めたルールだけは絶対に譲らないのよ」

「自分で決めた、ルール?」

「そう、あいつはね、言ってみれば、弱きを助け強きをくじくといった、そんな子供じみたルールを自分に課してる。理不尽だと思えば貴族に物申すことも辞さないし、それを貫く諦めの悪さを持ってる。単なる意地っ張りといってもいいけどね」

 ルイズは、才人が自分に召喚されてすぐ、まだウルトラマンAと会うより前に、ギーシュと些細なことから決闘をしたときのことを思い出した。あのとき才人は、まだハルケギニアのことをほとんど知らずに、メイジであるギーシュと素手で戦って、青銅のゴーレム・ワルキューレに、今よりもずっとひどく、腕を折られ、骨を砕かれるほどに散々叩きのめされた。それでも、たかが平民と見下して降参しろと言ってくるギーシュに、「下げたくない頭は、下げられねえ」と、最後まで抵抗し続けて、初めてガンダールヴの力を発動させて勝利した。

「理解に苦しむでしょう? けどね、あいつはそれに誇りを持ってるし、何より、わたしも含めていろんな人を、そのルールで守ったり、救ったりしてきたわ」

 ホタルンガに捕らわれたとき、才人は我が身を省みずに助けに来てくれた。ツルク星人が暴れたときも、犠牲者が増えるのが我慢できずに飛び出していき、ミラクル星人がテロリスト星人に襲われたと知ったときも、助けに行くのに一切躊躇しなかった。

「あいつはね、悲劇ってやつが大嫌いなのよ。だから、目の前で誰かが不幸になろうとしたら、無理矢理にでもシナリオを変えようとする。たとえ、あなたが裏切り者でもね」

「……」

「考えてみれば、あいつは主人を守るっていう使い魔の役目を、誰よりもこなしているのかもしれないわね。まあ、その対象があたしだけじゃないってのが、多少しゃくだけどね」

 思い起こせば、才人は毎度不服と不平を並べながらも、誰かを助けてきた。ロングビルがフーケとして捕まったとき、衛士隊に引き渡せば死罪になるとわかったとたんに才人が大反対したから、ルイズも彼女を擁護しようと思った。また、ギーシュも、才人と決闘して負けて以来、傲慢さがなりをひそめて、馬鹿なのはそのままだが憎めない性格になったのも、ある意味では才人に救われたといえるかもしれない。

 それに、ミシェル自身もワイルド星人の事件の際に、崩れる地底湖の崩落から救われている。何より、なんだかんだと言いながら、才人はずっとルイズの隣にいてくれる。

「ただ、あいつがそうまでして戦う本当の理由は、まだわたしにもわからない。だから、主人としてわたしはサイトのやることを見届ける。あなたも、たとえこの決闘がどういう形で終わるにせよ、最後まで見届けないと許さないわよ。あいつは、あなたのために戦っているんですから」

「……わかった」

 自分に、まだこの世に残った義務があるのならば、せめてそれを成し遂げよう。今さら歪みきった自分の運命が修正されるとは思えないが、この決闘で、才人がどういう答えを見せてくれるのか、それを見届けるのが、こんな自分に手を差し伸べてくれた才人への、せめてもの礼儀なら逃げてはいけない。ミシェルは二十回目の攻撃をアニエスに弾き飛ばされて、背中から地面に叩きつけられた才人の姿を、目を逸らすことなく脳裏に焼き付けていった。

 

 戦いは、永遠に続くようにも思われた。

 照りつける夏の暑すぎる日差しの中で、才人は全身砂と泥まみれになって打ちのめされていた。すでに左手がしびれて動かなくなって、右手でかろうじてデルフリンガーを握っているだけの状態ながら、才人は三八回目の攻撃の失敗からも、ようやく立ち上がってアニエスに剣先を向けた。

「まだ、意識はあるか?」

「ああ、一応な」

 もう目が半分開かなくなって、才人は本能が無意識に立たせているのではと思えるほどにボロボロの状態になっている。しかしアニエスの問いに意外にも明瞭な返事をすると、彼とは正反対に、一太刀も浴びることなく、暑さで流した汗以外は最初と何も変わることなく立つアニエスは、そろそろ飽きてきたとばかりに、軽くため息をついてみせた。

「まだ、負けを認めんか?」

「全然、おれはまだまだ元気だぜ」

「念のために言っておくが、自分が傷ついてみせて、私の同情を買おうというならば、無駄な狙いだぞ」

「へっ、アニエスさんが、そんな甘えさせてくれる人じゃないのはわかってますよ。それに、そんなんじゃ負けたも同然だ!」

 そうして、才人は三十九回目の攻撃をおこなった。だが、すでに体力は落ちきり、全身にダメージを受けている今では最初の頃のような速度もパワーもなく、アニエスは剣を使うこともなくかわすと、後ろから才人の首根っこを掴んで地面に引きずり倒した。

「いい加減に、手加減して戦うのもくたびれてきた。これ以上やるというのなら、殺しはしないが、手足を切り落とすくらいはしてやるぞ、あきらめろ!」

 しかし、才人は顔面を地面に強く押し付けられながらも、決してまいったとは言わない。

「そうか、ならば仕方ない。せめて剣を握れない程度で済ませてやる。覚悟しろ!」

 業を煮やしたアニエスは、いまだデルフリンガーを握って離さない才人の右腕に剣を突きたてようとした。それを寸前で防いだのは、それまで無言で見守っていたルイズたち、そしてミシェルの彼の名を呼ぶ声であった。

 

「サイト!!」

 

 その声を聞いたとき、才人の中に沈んでいた最後の力が、輝きを増した左手のガンダールヴのルーンとともに蘇った。彼は、肺の底辺から搾り出してきた叫び声とともに、押さえつけていたアニエスの予想を超えた力で呪縛から脱出し、彼女を払いのけると、動かなくなっていたはずの左腕も使って、デルフリンガーを正眼に構えなおしたのである。

「まだ、それほどの力が残っていたのか……」

 才人に与えたダメージからみて、もう起き上がる力もないと思っていたアニエスは、はじめて余裕を崩して才人を見返した。さらに、ルイズたちの中から歓声があがり、黙って使われ続けていたデルフも、「相棒は不死身かよ」と、驚いた声をもらした。

 けれど、才人は皆を見渡して軽く笑い、ルイズたちにありがとよと言うと、何かを成し遂げたように晴れ晴れとした声で、ミシェルに微笑みかけた。

「ミシェルさん、あんたまだ、それだけ元気な声を出せるんだな、よかった」

「え……」

 思いがけない才人の優しい言葉に、ミシェルはたった今自分が大きな声で叫んだのを思い出して、まだ自分にそんな気力が残っていたのかと驚いた。

 また、意表をつかれたのはアニエスも同じで、いぶかしげに問いかけた。

「お前、まさかこのために?」

 返ってきた答えは、勝ち誇ったようにも聞こえる才人の短い笑い声であった。

「……ミシェルに、生きる気力を取り戻させるために、あえて傷ついてみせたのか。しかし、それもお前が私に勝たないことには、無駄なあがきに過ぎんぞ」

「いいえ、おれは負けませんよ。絶対にね」

「わからんな、勝機などどこにもない。かといって私を説得できるはずもない。なのに、なぜあきらめん? お前のその自信はどこから来る?」

 すると才人は、今度はやや自嘲げに笑って、アニエスの顔を見た。

「別に、自信なんてありませんよ。おれごときが逆立ちしたってあなたに勝てないのは、もう嫌というほど理解しました。単に、おれはおれの理想を裏切りたくないだけです」

「お前の……理想?」

「傷ついて打ちのめされても、何度でも立ち上がって、誰かのために戦うこと! だから、おれは絶対にあきらめないし、負けもしない!」

 デルフリンガーを強く握りなおし、才人は一片の迷いなく言い放った。

「そんなことが、私相手にかなうと思うのか!?」

「できる!!」

 このとき、一瞬だがアニエスは才人に気おされた。

 

「どんな強敵が相手でも、どんな卑怯な策略に陥れられようと、ウルトラマンは絶対にあきらめずに立ち向かって、何度も不可能を可能にしてきた。それが、絶望に打ちひしがれた人々にも希望を与えて、奇跡を起こしてきた。それが……おれの憧れた、ウルトラ兄弟だ!!」

 

 その瞬間、ガンダールヴのルーンがこれまでにない輝きを見せ、才人の体が重力を逆に受けたかのように飛び出した!

「なにっ!?」

 万全のときと比べてさえ、はるかに勝る速度と威圧感に、アニエスもとっさに対応できずに、反射的に剣を上げて才人の斬撃を受け止めざるをえなかった。二つの剣が、衝突の勢いで火花を散らし、勢いに押されてアニエスの足が後ろにずり下がる。

「くっ……まだこんな余力がっ!」

 まさか力で押されるとは思っていなかったアニエスは、それまでの余裕をかなぐり捨てて、才人の全力に全力で応えた。つば競り合いで鈍い金属音が流れ、二人の歯を食いしばる音が、それに二重奏となって戦いの旋律を奏でる。

 けれど、アニエスも銃士隊隊長としての意地があり、押し切られるのをよしとしなかった。

「っ、なめるなぁ!!」

 全身のばねを使って、才人の突進の衝撃を吸収しつつ、逆襲に転じたアニエスの体運びの見事さは、ロングビルやミシェルでさえ感歎を禁じえないものであった。勢いを殺され、行動の自由をアニエスに回復された才人は、体勢を立て直すには時間が足りなさすぎ、人体急所の一つであるこめかみに、剣の柄を使った一撃を叩き込まれてよろめいた。

 だが、急所への攻撃が直撃したというのに才人は倒れない。

「お前……本当に不死身か?」

「おれは、ただの人間ですよ……」

 驚いたことに、この冷徹豪胆な女騎士の顔に、明らかな焦りの色が浮かんでいた。もうすでに、普通の人間ならば激痛で立っていられないほどのダメージを与えたはずなのに、どうして立っていられるのだ。

「ちっ、もういい加減にしろ! これ以上戦えば、お前は確実に死ぬぞ、それでもいいのか!?」

 これまで才人はあくまでデルフリンガーの刃の部分を使わずに、峰でのみ戦っていたので、アニエスもそれに応えて才人への反撃はすべて体術か、柄を使用していたが、それでもこれ以上の打撃は致命傷になってしまうだろう。

「……死ぬのは、まっぴらごめんこうむりますね」

「ならばさっさと降参しろ! そうすれば」

「そうすれば、ミシェルさんが殺されてしまうでしょう……そっちも絶対やです」

「ちぃっ……」

 どれだけ痛めつけられても、まったく心を折る気配を見せない才人に、逆にアニエスのほうが追い詰められているかのように、ルイズたちには見えた。

「アニエスさん、お願いします。ミシェルさんを、見逃して……いいえ、許していただけませんか」

「許す、だと……何度も言わせるな。隊の模範となるべき隊長が、造反者を許すなど、できるわけがない」

「わかってます。けど、それじゃあ銃士隊という組織や、アニエスさんたちの誇りは、”守る”ことはできますが、たった一人の人間を、”救う”ことはできません。それに、いろんな消えない傷を残してしまう」

 皆を見渡して、才人は不思議な微笑を見せたように見えた。見えたというのは、もはや彼の顔が傷つき、汚れすぎて表情が不明確であり、もしかしたら悲しんだのか、ただうなずいただけだったのかもしれない。

 それよりも、アニエスやルイズたちは、これまで才人が単にミシェルの境遇を悲しみ、純粋な善意でその生命を守ろうとしているだけだと思っていたのだが、彼の言葉を聞くと、それだけではないことに気づいていた。

「お前、まだ何か、そこまで意地を貫く理由を隠しているな? もういい加減白状しろ! お前をそこまで駆り立てるのは、理想だけではあるまい。もう一本、何がお前を支えている!?」

 すると才人は、今度こそはっきりとわかるようにため息を吐き出し、観念したように答え始めた。

「……好きに、なっちゃったからですよ」

「なに?」

「ルイズ、キュルケ、ロングビルさん、アニエスさん、ミシェルさん、それにこの場にいないみんなも、こっちに来てひとりぼっちだったおれと、つながりを持ってくれた大事な人たちだ。だから、アニエスさんの手が仲間の血で汚れることも、ルイズたちが人が死ぬのが仕方がないことだとあきらめるようになるのも、絶対に認められねえ!」

 一瞬の時間の空白をおいて、アニエスをはじめとしたその場にいる全員が、頭をハンマーで殴られたような衝撃を感じたのは、自らの見識が狭隘だったことを思い知らされたからだけではなかった。

「わたしたちの、ために……」

 才人が守ろうとしていたのは、ミシェルの命だけではなかった。アニエスやルイズたちの心に、永遠に消えない暗い影が差さないように、皆の心までも救おうとしていたのだ。

「だから、おれは負けるわけにはいかない! あきらめるわけには、いかないんだぁーっ!!」

「ぬううっ!」

 最後の力を振り絞って向かってくる才人を、アニエスも今度は本当の全力をもって迎え撃った。技量がどうとかいうのならば、才人の斬撃は単なる上段からの振り下ろしでしかない。だが、そこに込められた気合は、まさに鬼神も退くといった絶大なもので、それはアニエスにはっきりとした恐怖すら感じさせたのである。

 

 刹那……

 

 二人の激突は、一瞬で終わった。

 共に、渾身の力で剣を降り抜いたとき、剣と剣の衝突の火花が閃光のように見守っていたルイズたちの目を焼き、次の瞬間に目を開けたときには、すでに戦いは終わっていた。

 二人の剣のうちの一本が、主人の手を離れて回転しながら宙を舞い、広場の一角に突き刺さったとき、その主人もまた、全ての力を使い果たして倒れたからである。

「サイト!」

 今度こそ、目を閉じて動かなくなった才人へ向けて、ルイズたちが駆け寄って助け起こす。才人は息はしていたが、すでに意識は完全に途切れていた。

「終わった……」

 死んだように倒れた才人の姿に、ルイズたち、そしてミシェルは才人の敗北を確信し、つらそうに目を閉じた。

 これで、才人の願いは完全に断ち切られ、同時にミシェルの命運も完全に尽きた。やはり、伝説の使い魔の力をもってしても、圧倒的な実力差を覆すことはできなかった。才人の力からすれば、信じられないほど善戦したといっていいが、決闘は勝たなければ意味がないのだ。

 アニエスは、倒れている才人にゆっくりと歩み寄ると、傷だらけになった彼の顔を見下ろした。

「サイト……よくやったとほめてやりたいところだが、決闘に情けは許されん、わかっているだろうな」

 聞こえるはずのない声を送りながら、アニエスはルイズとキュルケが憎しみをこめて睨んでくるのをあえて無視した。そして、覚悟を決めてロングビルの背から、なんとか自力で降りようと苦悶しているミシェルを一瞥して、もう一度才人に視線を戻した。

「この勝負は、私の……」

 そのとき、ルイズたちは不自然なところで言葉を切ったアニエスの表情が、微妙に変化していたのに気づいた。勝利宣言を前にして、壁にぶつかってしまったかのように固まるアニエスの姿に、ルイズたちは怪訝な表情をしたが、やがて彼女たちの不審はそのアニエス自身によって破られた。

 

「……なるほど、そういうことか……ふふふ、はーっはっはっは!」

 

 突然堰を切ったように大笑しはじめたアニエスに、ルイズたちは今度はだらしなく口を開いてあっけにとられる番であった。

「た、隊長?」

 特に唖然としたのがミシェルだったのは言うまでもない。これまで猛禽のように目じりを鋭く研ぎ澄ませ、一切の妥協を許さないと冷徹無比な厳格さを保ち続けていたアニエスが、まるで憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした穏やかな表情で笑っている。

「サイト! お前この私をハメてくれたな、お前が最初に提示したこの決闘のルールは、『どちらかがあきらめるまで』だった。つまり、どれだけ傷つこうが気を失おうが、お前があきらめない限り、私が勝利することは絶対にない。すなわち、勝敗がつかない以上、私がミシェルに手を出すことはできない。そういうことだな!」

 心の底から愉快そうに、最初からこの決闘は、どちらが勝つこともありえないのだと悟って呵呵大笑するアニエスの言葉に、ルイズたちの顔にも笑みが浮かんできた。

「それじゃあ、この決闘は……」

「引き分け……てことは、改めて勝負がつくまで、どっちも勝利条件を履行することはできないってこと……つまり!」

 頭の回転の速いルイズとキュルケは、それでもう全部を理解した。才人は、勝利条件にミシェルの身柄を預かるとは言ったが、本当の目的はアニエスに処刑をやめさせることだったはずで、それは見事に成功した。しかも、どんな理由があろうとも、一度受けた決闘の条件を反故にすることは、騎士として絶対にできないのだ。

 アニエスは、手のひらを顔に当てて、こみ上げ続けるおかしさに耐えようとしていたが、あまりに見事にひっかけられてしまったのがおかしくておかしくて、こらえるのはとても無理そうだった。

「本当に、とんだ茶番劇につき合わせてくれたものだ。まったく、なにが伝説の使い魔だ、このペテン師め!」

 だが、これほどに優しいペテンはほかになかろうと、穏やかな顔で、アニエスは眠り続ける才人の顔を見下ろして思った。

 それに、ルイズたちもだまされていたことには変わりないのだが、これほどあざやかなペテンだと、怒るよりも先に唖然としてしまう。何よりもだまされたことがこれほどうれしいペテンがほかにあるだろうか。

「あっはっは! サイト……あんたって奴は、人に心配させたと思ったら……」

「ほんと、それでこそあたしが見込んだダーリンよ! きゃははは!」

「ぷぷ……この私が、こんな簡単にひっかけられるなんて……あなた、詐欺師の才能ありますよ」

 笑いはルイズたちにも伝染し、才人とミシェルを包んでいく。

 呆然とするしかないのはもちろんミシェルだ。こんな展開、いったいどこの誰が予測できるというのか。才人とアニエス、どちらが勝とうと、つらい別れが待っていると思っていたのに、今はみんなでそろって笑っている。

 だがやがて、呼吸を整えたアニエスは才人の前で座り込んでいるミシェルの視線にまで顔を下げると、その目をじっとのぞきこんで、ゆっくりと話しかけた。

「さて、ミシェル……次は、お前が選択する番だ」

「え……?」

「形はめちゃくちゃだが、サイトは身をもってお前の命をつなぎとめた。しかし、結局命をどう使うのかは、その人間本人が決めることだ。ここで死ねば、もうお前は二度と苦しまずにすむ。けれど、もう一本、多くの苦難と、我慢ならない怒りや憎しみにさいなまされるかもしれないが、新しい道をサイトは作ってくれた。どちらを選ぶか、ここで決めろ」

「……私は」

 彼女は、じっと才人の顔を見下ろした。はじめて会ったときから、こいつには驚かされっぱなしだが、今回は格別だ。実力もなにもかも違うというのに、本当に最後まであきらめずに戦い、奇跡を起こしてしまった。

 それに、才人は生きる希望を失った自分に怒鳴った。

「守るべきものなど、いくらでもある、か……」

 才人にとっては、本当にそうなのだろう。国や立場などは最初から関係なく、目の前に不幸になろうとする人がいれば、手を差し伸べていく。そう、彼があこがれたウルトラ兄弟のように、そこには心ある人々を守りたいという優しさのみがあり、それに特別な資格などは必要ない。

 ミシェルは少しの間考え込むと、やがて決心したようにアニエスの目を見返した。

「私には、もう帰るべき場所はありません。ですがそれでも、生きていいというのであれば、残った人生は、サイトの示してくれた道を、最後まで駆け抜けてみたいです!」

「そうか、だがお前のこれまでの罪が消えることはない。険しい道だぞ」

「わかっています。ですが、その……できるなら、サイトに恩返しも、したいし……」

 そこで、ふとアニエスはミシェルのこわばっていた顔が、サイトを見ているうちになんとなく紅潮してきたのに気づいた。

「なるほど、生きる目的はもう見つけたようだな」

「あっ、いえ……その」

「ふっ、いまさら片意地を張ってもしょうがあるまい。まあ、生きる目的がないよりはあったほうがいい。だろう、ミス・ヴァリエール?」

「な、なんでわたしに、きき、聞くのかしら」 

 妙に赤面するミシェルと、反比例して顔をこわばらせはじめたルイズを交互に見渡して、アニエスは意地の悪い笑みを浮かべた。彼女自身には、そういった類の経験はほとんどないが、仮にも女ばかりの銃士隊の隊長である。部下のそういった関係には不干渉だが、自然と目と耳にそういう話は入ってくるので、意外にも知識はそれなりにある。

「だが、サイトも罪作りなやつだ。意識がなくて、幸せなのか不幸せなのか、しかし……感謝するぞ」

 アニエスは静かに思った。本当に、たいしたペテン師だ、生きるか死ぬかの死闘と思わせておいて、負けなかったばかりか、ちゃっかりおいしいところだけをかっさらっていってしまった。そればかりか、自分も部下殺しという重いかせを負わずにすんだし、誰の心にも傷をつけずに戦いを終わらせた。

 

 だがそれだからこそ、そんなささやかな幸せを奪おうとする者への怒りは深い。背後から突然不気味な気配を感じたアニエスは、とっさに護身用の短剣を懐から抜いて、気配のした方向へと投げつけた。

 

「出て来い、のぞき見など下種のやることだぞ!」

 

 短剣はダーツのように空を裂き、一軒の家の屋根の影に吸い込まれていった。

 しかし、次の瞬間には何かにはじき返されたかのように、真っ二つにへし折れて戻ってきたかと思うと、続いて影の中から青い色の肌と、鋭く尖った耳、さらにオレンジ色に不気味に輝く目を持った怪人が飛び出してきたのだ! 

 

「こいつは!」

 突然のアニエスの行動に驚いたキュルケたちだったが、屋根の上から前回転しながら着地してきた怪人を見て、とっさに才人たちを守るように布陣して、すぐさまそれぞれの武器を抜いた。

「亜人……じゃないわね。てことはまた、ウチュウジンってやつね……」

「ふん、ミシェルが死んでないのに気づいて送ってきた刺客ってわけね。サイトが動けないこんなときに……」

 ロングビルとルイズも、その異形の怪人がハルケギニアのものではないと一瞬で悟り、迎撃態勢を整える。ここで才人の意識があれば、こいつがGUYSのアーカイブドキュメントMACに記されたノースサタン星人だと気づいたであろう。等身大の姿を現したことは一度しかなく、写真も残っていないが、こいつと格闘戦を演じたMACの北山隊員が資料用にと書いたスケッチが残っていたのだ。

 臨戦態勢を整える一行の前で、青い怪人、ノースサタンは拳法の構えのように、両腕を上げてじりじりと近づいてくる。

「ウェールズめ……もう完全に人間ではなくなったのか」

「だが、こんな奴が追っ手にかかるということは、裏にヤプールがいるということを証明することでもある。なんとしてでも切り抜けるぞ」

 無言で一行はアニエスの言葉にうなずいた。追っ手として差し向けられるということは、それなりに戦闘力に長けた宇宙人だと見て間違いはないだろう。今のところ、ブラック星人のように怪獣を引き連れている様子はないが、つまりは単独で充分戦えるということだ。

 ノースサタンは、暗殺対象にこれだけの護衛がいるとは思っていなかったのか、用心しているようにじりじりと間合いを詰めてくる。けれども、その構えには隙がなく、相手が相当な使い手だと見抜いたアニエスは、振り返らずに後ろにいる他の者たちに声をかけた

「ミス・ヴァリエール、ミス・ロングビル、サイトとミシェルをつれて下がれ」

「えっ! なにを言うのよ、わたしだって戦えるわ!」

「馬鹿者! 重傷者を二人も守りながらまともに戦えるか! それに、主人であるお前以外の誰がサイトを守ってやれるというのだ!」

「うっ……」

 また、自分のことばかりに目がいって、才人のことを忘れていたことにルイズは自らを恥じた。それでも自分のなすべきことを思い直して、才人を肩に背負おうとする。

「感謝しなさいよ。使い魔をおんぶしてあげる主人なんて、普通はいないんですからね」

 そう言いながら、頭一つ大きい才人をあまり苦もなくルイズは担ぎ上げた。

「い、意外と力ありますね……」

 ミシェルを背負いなおしたロングビルが、平然と先に立っていこうとするルイズを追いかけながら言った。

 ルイズは、人より小柄だが、普通のメイジなら魔法で済ませられたりすることまでずっと自力でやってきたり、あの母親の教育方針で乗馬その他の修練も幼い頃から積んできたために、シエスタなどには及ばないにしても、相当な体力を持っているのだ。

 

 そして彼女たちを背中で見送ったアニエスとキュルケは、逃げていくターゲットを追いかけようとするノースサタンの前に立ちふさがって挑発していた。

「ここを通りたければ、わたくしたちを倒してからにしていただきましょうか」

 言葉が通じているかどうかまではわからないが、ノースサタンは瞳のない目を閃かせて、攻撃目標を二人に変えたようだった。まるで、悪魔のような醜悪な顔が二人を睨みつけるが、ツルク星人、ムザン星人との戦いを潜り抜けた二人は臆することはない。

「さて、足手まといになるなよ、ミス・ツェルプストー」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。あなたこそ、わたくしのパートナーが務まりますかしらね」

 減らず口を、と、アニエスは不敵な笑みとともにつぶやき、愛剣を上段に構える。

 また、キュルケもタバサがいないのが残念ですけれど、と、その場に似合わぬ妖絶な笑みを浮かべると、その身に流れる燃え滾るような情熱を、現実に破壊をもたらす烈火に変えるべく、呪文を唱え始めた。

 しかし、いくら並ぶもののない剣士とメイジといえど、まったく未知の宇宙人を相手に、即席のタッグで勝機はあるのだろうか? いや、似ているようであり、逆に、まったく似ていないともいえる二人であったが、一つだけ、これだけは絶対に同じものがあった。

 

「私の部下には……」

「ルイズたちには……」

 

 そう、彼女たちに宿る意志もまた、才人と同じ。

 

「絶対に手を出させん!」

 

 

 続く



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第69話  許す心 救う心

 第69話

 許す心 救う心

 

 殺し屋宇宙人 ノースサタン 登場!

 

 

 無人の小村を舞台に、アニエス、キュルケのコンビと、殺し屋宇宙人ノースサタンの戦いが始まろうとしていた。

「ちょうど人もいないことですし、存分に暴れられますわね。さぁーて、木っ端微塵にして差し上げましょうか」

「いや、できるなら生け捕りにしてヤプールの情報を吐かせたい。もっとも、素直に聞くとも思えんし、第一人間の言葉が理解できるかどうかもわからんから、手足の二、三本は叩き切らせてもらうか」

 宇宙人を相手にしているというのに、キュルケとアニエスには少しも恐怖した様子はない。いや、彼女たちのそれはもはや不遜とさえいってよかっただろう。二人は、同時に杖と剣の切先を星人に向けて、戦いの合図とした。

「いくぞ!」

 先陣を切ったのは、その猫科の動物のような瞬発力を持って駆け出したアニエスだった。脚力にものをいわせ、キュルケが抜け駆けをとがめる暇もないままに、長刀を星人に振り下ろしていく。

 だが、ノースサタンは命中直前に、普通の動体視力なら反応すらできないその攻撃をバックステップでかわすと、そのまま鋭い爪をかざして逆襲に転じてきた。

「ちっ!」

 とっさに爪の一撃を剣ではじくが、ノースサタンはアニエスに剣を構えなおす隙すら与えないというように、連続で爪やパンチを繰り出してくる。こうなると、大剣のアドバンテージも、振りと返しが遅い分アニエスが不利に働く。

「身のこなしなら、前のツルクセイジンとかいうやつより上だな」

 アニエスは苦々しげに毒づきながらも、鋭い目で剣の合間から反撃の機会をうががっていた。しかし、星人は予想以上に身軽で、剣を盾代わりにしてなんとか攻撃はしのいでいるものの、接近しすぎてしまったために、ちょっとでも受身を緩めたら爪が肉に食い込むのは見えていた。

 ノースサタンは、殺し屋宇宙人と異名を持つだけに、標的を抹殺するための宇宙拳法を極めており、スピードと一撃の破壊力ではツルク星人以下だが、小回りが利くために、さしものアニエスでも密着されては分が悪かったのだ。

 しかし、ここで抜け駆けされて頭に来ていた目立ちたがり屋が乱入してきた。

『ファイヤーボール!』

 キュルケの放った火球がノースサタンの右側面から襲いかかって爆発した。万一アニエスに当たっては大変なので、ホーミング性を重視して、威力は最低にまで落としてあるが、それでも一瞬隙を作って、アニエスがノースサタンの間合いの外にまで逃れる時間を作ることができた。

「貸し一個、ね」

「ふん」

 したり顔のキュルケに、アニエスは不愉快そうに唇をゆがめたが、視線は敵から離すことはなく、剣を接近戦から中距離戦に向くように構えなおした。

 一方で、キュルケは意気揚々として次なる攻撃を準備する。

「こういう接近戦主体の敵は、離れて戦うのがベストですわよ」

「……」

 次は自分の番とばかりに、キュルケは再び『ファイヤーボール』を放った。アニエスは、それをじっと見守っていたが、放たれた火の玉を星人が軽く回避して、魔法発射の隙をつき、猿のように敏捷に逆撃しようとしてくるのを、キュルケの前に立ちふさがって、大振りで星人を押し返した。

「一個、貸し返却な」

「早っ!」

「敵を見た目だけで判断するな。メイジ相手の刺客に、その程度の魔法が通用するはずがなかろう。それに、まだどんな武器を隠しているかわからんぞ!」

 アニエスは、これまでの宇宙人との戦いから、こいつらにハルケギニアの常識が通用しないことを学んでいた。そして、その経験は結果的に彼女たちを救うことになった。再び間合いをとったノースサタンの口から、白い煙が噴き出してきたかと思った瞬間、二人は反射的にその場を飛びのくことができたのだ。

「これは、含み針か!?」

 二人がさっきまで立っていた場所には、釘ほどの大きさがある針が無数に突き刺さっていた。それが、星人の口から煙に紛れて吐き出されてきたのだ。まさに間一髪、回避がちょっとでも遅かったら、二人ともハリネズミのようにされていただろう。

「なんとまあ、殺し屋らしい武器ですこと」

 『フライ』で、高速移動するキュルケを追うように、含み針がすぐ後ろの地面に深く突き刺さっていく。むろん、アニエスもうかつに近寄れずに、自分に向かってくる針攻撃の回避に専念している。ちなみに、たかが針だとあなどってはいけない、たとえば鋭く尖らせた鉛筆でも、喉や心臓に打ち込めば人を殺せるし、それ以外の場所に当たったとしても、体内の動脈などを傷つけられれば出血多量で死に至らしめることができる。

「これじゃ魔法を練る時間もありませんわ。姑息な武器を使ってくれますこと!」

「馬鹿め、武器なんてものは相手を殺せればいいんだ。無駄口叩くくらいならさっさと逃げろ」

「ああら、誰に向かって逃げろなんて言ってるんですの? あなたこそ近寄れもしてないではないの」

 毒づきあいながらも、二人は際限なく撃ち出される含み針の攻撃をかわし続けた。地味に見えるが、この含み針という武器はかなりやっかいで、煙に隠れて撃ち出されるために、平均以上を誇る二人の動体視力でも見切ることができないし、散弾のようにくるために剣ではじき返すことも、魔法でも全部を一度に止めきることはできない。

 けれども、不利だからといって逃げ腰になったりはせずに、むしろ闘志を奮い立たせるのが、この二人に共通する特徴であった。その性格は、ある意味では人間社会に争いが絶えない救いがたい一面であるのかもしれなかったが、それゆえに今の状況は、その素質を必要とした。

 二人は、間断なく撃ちかけられる含み針の攻撃を、間合いを遠くとって余裕を作ると、互いに一瞬だけ目を合わせた。それからはまるで入念に打ち合わせをしたかのように、アニエスを前に、キュルケを後ろにして突進していったのだ。

 もちろん、直線的な攻撃はノースサタンから見れば標的が止まっているも同然なので、表情をもたない顔面を笑うように上下に動かしたあと、含み針を一気に吐き出してきた。

 が、それこそ二人の狙いであった。

「ここだ!」

 アニエスは、ノースサタンの口から白い煙が吹き出てきたと見た瞬間、背中に羽織っているマントを外して、体の前に振りかざし、同時にキュルケがマントに『固定化』の魔法をかけた。これにより、鉄糸で織られたに等しい強度を一時的に受けたマントは、含み針を先端が数ミリ突き出る程度で、次々と受け止めた。

 確かに、薄布でできたマントでは鋭い含み針の先端をそのままでは防ぐことはできない。だが、布というのは張り詰めれば弱いが、固定せずに浮かせた状態では、衝撃を吸収してしまって意外な強度を発揮する。

「いまよ!」

 含み針を全て受けきって、間合いを一気に詰めたアニエスはマントを振り払うと、虚を突かれて立ち尽くす星人にむけて、渾身の力で剣を裂帛の気合と、怒涛のような叫び声とともに現実の破壊力として振り下ろした。

 そして半瞬後、ノースサタンの胴体に右肩から左腰に渡って赤い血しぶきが吹き上がり、星人の悲鳴が響き渡ったとき、キュルケは彼女らしい快活さで喝采を上げた。

「やったわ!」

 まさに、あざやかなチームワークの勝利だった。俊敏な星人を倒すためには、至近距離から重い一撃を食らわせるしかないが、近づくまでにサボテンにされてしまう。それならば、なんとかしてアニエスを星人に近づけるまでキュルケが防御するしかない。彼女たちはなかば本能的に自らが果たす役割を考えて、それを実行したのだった。

「まだだ、油断するな」

 傷口を押さえてよろめくノースサタンにも、アニエスはまだ警戒を解いてはいなかった。ヤプールの刺客ともあろうものが、この程度のことで簡単に死ぬとは思えない。その証拠に、突然ノースサタンの体から紫色の煙が噴き出してきたかと思うと、奴の体を包み込んで、そのまま天にも届くかのように高く立ち上っていった。

「これは……いやーな予感がしますわね」

「引くぞ!」

 危険を悟ったアニエスはためらわずに踵を返して走り出した。もちろんかつてテロリスト星人の例を見ていたキュルケも冷や汗を流しながら後を追う。

 

 そして、彼女たちの予感は見事なまでに的中した。

 地上百メイルばかりに立ち上った紫色の煙の中から、全長五八メートルに巨大化し、姿かたちも全身緑色のさらに鋭く凶悪な悪魔のような容貌となったノースサタンが、まるで怪獣のような遠吠えをあげて現れたのだ!

 

「あちゃー、かんっぺきに怒らせちゃったか、どうします隊長どの」

 怒り狂ったノースサタンが、踏み潰してやろうと地響きを立てて向かってくる。それなのにあまり緊張感をもっていないような口調でキュルケが言うと、アニエスは彼女とは反対に勤勉な口調で返した。

「全力で逃げるぞ、サイトたちとは反対方向にな」

「ですわね」

 二人とも、この危急にあっても冷静さは失っていなかった。巨大化した星人には、もう自分たちの力では太刀打ちできないが、彼女たちの目的は星人を足止めして才人やミシェルたちを逃がすことにある。その目的さえ達せられれば、別に星人を今倒す必要性はない。

 ただ、殺し屋宇宙人から逃げ切るのは、簡単ではなさそうであった。

 ノースサタンをはじめとするドキュメントMACに記録されている宇宙人たちの多くは、巨大化すれば姿形はまったく変わってしまうが、ツルク星人は両腕の剣、カーリー星人は両肩の角、フリップ星人やバイブ星人は分身能力に透明化能力と、その特殊能力までは変わることはない。

 つまり、ノースサタンも最大の武器である含み針の能力を失っていなかった。等身大のときと同じく、口から真っ白な煙と共に吐き出されてきた無数の光るとげ、それらは空中で人間の背丈ほどもある巨大な槍に変化すると、キュルケとアニエスのすぐそばの地面に、一本一本がタバサのジャベリンさながらに突き刺さったのだ。

「なっ!」

 キュルケの口から驚愕のうめきが漏れた。すぐそばの木は、含み針の槍が貫通して真っ二つに裂けてしまっている。こんなものを人間がまともに食らえば、百舌鳥のはやにえのようにされてしまうだろう。

 彼女はアニエスの顔をのぞき見たが、逃げる以外にどうしろとと、救いのない返事を返されて、文字通り槍の雨の中を右へ左へと回避し続けた。

 

 

 巨大化したノースサタンの姿は、戦いが早期に展開を変えてしまったために、まだ村からさして距離をとっていないルイズたちからもよく見えていた。

「たった二人で、ウチュウジンを巨大化させるまで戦うとは、さすがね」

 ルイズにとって、キュルケやアニエスはそんなに仲がよいというわけではなかったけれど、その実力は正統に評価しているつもりだった。特に、単なる魔法や剣の技量というわけではなく、それを使いこなす柔軟な思考と闘志のバランスのとれた、完成度の高い戦士ということは尊敬にも値した。ルイズの知る限り、彼女たち以上に知勇の均衡のとれた戦士は、タバサを除けば一人しか存在しない。

 しかし、いくらあの二人といえども、巨大化した星人に対しては抗する術はないだろう。タバサとシルフィードがいれば、まだ話は別だろうが、追われながらでは策を弄する暇もできない。

「ミス・ロングビル、追っ手をかわすために二手に分かれましょう」

 一つのことを決意したルイズは、ロングビルにそう告げると、返事を待たずに森の別方向に駆け出した。後ろから、ロングビルの叫ぶ声が聞こえてくるような気がしたが、もう彼女の耳には届かなかった。

 やがて、ロングビルが完全に見えなくなり、追ってもこないことを確認すると、眠り続けている才人を背中から降ろして、顔を覗き込んだ。

「醜い顔ね……」

 これなら、まだ自分がせっかんしたほうが人間らしい顔を残していると、ルイズはなんともいえない笑みを口元に浮かべた。けれども、それは決して醜さがおかしくて笑ったわけではない。むしろ、おかしかったのは自分のほうであった。

 もし、鏡を見てみたとしたら、そこには傷一つないきれいな自分の顔が映るだろう。しかし、心貧しき者にとって、美とは宝石のものを超えることはなく、その先にあるものに気づくことはない。だけれども、誇り高い心を持つルイズは、人のために傷つき血を流した者に対して、シルクの手袋で握手をしようとは思わなかった。

「あんたは、自分の正義を守るために命を懸けた。けど、わたしはあなたに……あなたの主人としてふさわしい、つりあえる人間なのかしら……」

 ルイズという人間の、誰にも否定させない美点をあげるとすれば、それは常に自分自身を高めようとし、そのための試練を拒否しないことであったろう。このときも、彼女は自分の精一杯を出しきって倒れた才人に対して、ならば自分がむくいてやる方法はなんなのかと、自問していた。

 振り向くと、ノースサタンは怒りのままに含み針での連続攻撃を続けている。いくらあの二人が強くても、あれではあと数分も持たないだろう。

「もし、あなたが目を覚ましていたら、間違いなく皆を星人から守るために奮闘したでしょうね」

 小さくつぶやきながら、ルイズはハンカチで才人の顔をぬぐった。

 彼女は考える。今、星人に襲われているアニエスやキュルケたちを救える方法を、自分は持っているが、それは自分自身の力ではなく、彼女のプライドは人に頼ることを拒否する。それは、人として立派なことではあるだろう。けれど、才人だったら言うだろう。

「人の命より、大切なものなのかそれは?」

 失われた命は二度と戻らない。たとえ不愉快な連中であろうと、死んでしまってはケンカもできない。だったら、今は屈辱、いや、自己満足を捨てて、手を伸ばして助けを求めよう。そう決意したとき、ルイズと才人のウルトラリングが一筋の光を放った。

「わたしには、今は力はない。けど、あなたの心には応えたい。だから、力を貸して! ウルトラマンA!!」

 ルイズの小さな手が、才人の泥と血で汚れた手を掴んだとき、まばゆい閃光が二人を包み、天に向かって駆け上る。そして、今まさに疲労して膝をついたアニエスに向かってとどめの含み針を吹きつけようとしていたノースサタンの前に立ちふさがった!

 

「デャァッ!!」

 

 宇宙の悪魔の前に、光の巨人が立ち上がり、これ以上の暴虐は許さないと、戦いの構えを取る。光と共に出現したウルトラマンAに、ノースサタンは一瞬ひるんだが、すぐに凶暴な本性を呼び戻してエースに含み針を吐き出した。

「ヌゥン!」

 仁王立ちするエースの体に、次々と含み針が突き刺さる。エースの身体能力からすれば、回避も不可能ではないが、そうすれば後ろにいるアニエスたちに当たってしまう。たちまちハリネズミのような姿にされるエースに、彼女たちの悲鳴があがるが、今のエースにこの程度の痛みなどは関係ない。

「デャァッ!!」

 気合と共に、エースは全身の含み針をすべて吹き飛ばした。今度こそ、ノースサタンは後ずさりをし、力の差を思い知る。かつてはレオをダウンに追い込んだほどの威力を誇る武器だが、ベロクロンのミサイルを立ったまま受け止めたエースには通じない。いや、それ以上に、今のエースには力がみなぎっている。

(ありがとう、エース、わたしの言葉に応えてくれて)

(いいや、君と、才人くんの心が一つになったから、私も応えることができた。力を使うことの意味を、これからも忘れないでくれ)

 いまだ才人が意識を取り戻していないなかで、精神世界でルイズはエースと、初めて一対一で話していた。

 けれど、人間と合体したウルトラマンは、変身するためにはその人間の純粋な強い意思がかかせない、中途半端に力を求めるだけでは、ウルトラマンは答えない。今回は、才人の願いをルイズが理解し、彼の願いを引き継いで、二人の心が一つになったからこそ、才人が意識を失ったままでも変身することができたのだ。

 力は、誰かのために使ってこそ価値がある。今はまだルイズの中には迷いがあるが、迷うことは悪いことではない。むしろ、迷うからこそ人間には成長がある。

 それに、エースは才人の中に、これまで兄弟たちが地球人とともにつむいできたものが、確かに息づいていることを改めて確認して、それがルイズたちにも伝わっていくことがうれしかった。

 だからこそ、そのかけがえのない一歩の成長を大事にするためにもエースは負けられない。

「ヘヤァッ!」

 エースとノースサタンが正面から組み合い、大地を揺るがす激戦が開始される。ストレートキックの一撃がノースサタンの腹を打ち、下から打ち上げるチョップが顔面を打つ。

 しかし、含み針が通用しなくなったとはいえ、ノースサタンも宇宙拳法の達人である。パンチとパンチがぶつかり合い、エースの投げを空中回転でかわしたノースサタンが背中の赤いマント状の皮膜をたなびかせながら、飛び上がって爪を振りかざしてくる。

「セヤァッ!」

 左腕でノースサタンの爪を受け止めて、エースはカウンターで右ストレートを叩き込んだ! 自分の力も合わさった一撃を受けて、ノースサタンの体が宙を舞って大地に叩きつけられる。それでも負けじと起き上がり、性懲りもなく含み針を吹きつけようとするが、そのときにはエースは空高く飛び上がり、急降下してノースサタンにキックをお見舞いした。

「トォォッ!」

 避けるまもなく後頭部を蹴られ、前のめりに倒されるノースサタン。奴は、エースのあまりの強さに、戦いを挑んだことを後悔しはじめていたがもう遅い。いかに宇宙拳法を極めていようとも、エースも光の国では同じく宇宙拳法の達人であるレオや、その師匠筋のセブンとも数え切れないほど組み手をしており、彼らに比べればノースサタンの攻撃などたやすく見切れる。

 だが、エースもまた今は完全ではなかった。

「あっ、カラータイマーが!」

「そんな! まだ一分しか経っていないぞ」

 地上で戦いを見守っていたキュルケとアニエスが、あまりに早く鳴り始めたカラータイマーの点滅に、悲鳴のような声をあげた。しかし、それも当然である。エースは今はルイズと才人と同化して、このハルケギニアの環境に適応している以上、才人が重体である今は、本来のエネルギーの半分程度しか使えない。

 ノースサタンは、エースのカラータイマーの点滅を見て、まだ自分にも勝機はあると反撃に出てきた。鋭い爪を振りかざし、エースの顔面を狙ってくる。

「危ない!」

 ノースサタンの爪が迫り、二人の悲鳴が耳を打つ。しかし、エースはそれよりさらに早く拳を繰り出し、ノースサタンの顔面を殴り飛ばして地面に叩きつけた。

 強い、本当に強い。間違いなく、エースのエネルギーは切れ掛かっているはずだが、宇宙の殺し屋と異名をとるノースサタンがまるで手が出ない。そのはずだ、戦いは戦う者の精神状態によって大きく左右される。才人とルイズの二人の心に応えるために多少の疲れなど知らないエースに対して、所詮自分の欲のために殺しをするノースサタンでは使命感が全然違う。

 それに、エネルギーが切れ掛かっているのなら、切れる前に戦いを終わらせればいい。

 ノースサタンが、さっさと逃げなかったことを後悔しながら立ち上がったとき、エースの両手には、二本の巨大な剣が握られていた。

 

『物質巨大化能力!』

『エースブレード!』

 

 巨大化したデルフリンガーと、ウルトラ念力で作り出された長刀を、二刀流の形で持って、エースはひるむノースサタンへ向けて最後の攻撃を繰り出していく。

(才人くん、君の力を貸してくれ!)

 二つの能力を使って、エネルギー切れ寸前に陥ったはずのエースの体に不思議な力が満ちていく。そう、エースが武器を持つとき、同化している才人のガンダールヴの能力も、一時的にエースに加算されるのだ。

 そのあまりの加速にノースサタンは反応しきれず、すれ違いざまに二閃の閃光が交差した。

 

『ウルトラ十文字切り!!』

 

 ウルトラマンAとノースサタンが交差し、離れた瞬間に勝負は決した。

 ノースサタンの首が置物のように胴体から転げ落ち、ついで胴体も引き裂かれるように左右に向けて真っ二つになって崩れ落ちたのだ。

 それは、宇宙の殺し屋と恐れられた星人の、あまりにあっけない最後であった。

 

「勝った……な」

 

 ぽつりとアニエスは結果だけをつぶやき、エースブレードを消し、デルフリンガーを元の大きさに戻したエースに向かって、一部の隙もない敬礼を送った。感謝の言葉は、いくら言っても足りはしない。けれど、これならば、言いたいことを言わずとも伝えられる。もちろん、伝わる相手にだけはなのだが、彼女はエースならば理解してくれるものと、なぜか確信できていた。

 そして、エースはアニエスにはなにも答えないまま、空を見上げると、またどこへともなく飛び去っていった。

 

 

 とにかくも、一つの戦いは終わった。

 バラバラに散っていた者たちも、ノースサタンの最後を知るや急いで戻ってきて、広場には全員欠けていなかったことを喜ぶ声が、少しのあいだ流れる。やがてアニエスはロングビルの背に担がれたままのミシェルに近づいて、微笑した。

「無事でよかった」

 その言葉を聞いたとき、ミシェルは本当に救われた気がした。

「はい……隊長こそ、ご無事で……」

 涙ぐむ声で、やっと言葉を返すミシェルの頭を、まるで子供にするようになでているアニエスの顔は、隊長という枠をはずした、どこまでも優しいものであった。

「たい、ひょお……」

「もう、いい、もう、なにもはばかる必要はない。もう、誰もお前を傷つけたりはしないさ」

 大粒の涙をこぼし始めるミシェルの顔を、アニエスは静かに抱きかかえると、ミシェルもアニエスの首に腕を回して彼女の胸に顔をうずめ、大きな声をあげて、幼児のように泣いた。

 そう、アニエスも決してミシェルを嫌っていたわけでも、ましてや憎んだことなど一度もない。むしろ、誰よりも長く背中を預けて戦ってきた仲間として、姉妹のような信頼を抱いていた。

 だから、課せられた義務を果たさなければならなくなったときには、自分の半身を切り離すような苦痛を感じていた。だが、才人の捨て身の活躍のおかげで、二十年と十年、歩んできた時間は違えど、共に利己的な人間のために人生を狂わされ、孤独と憎悪のなかで生きてきた二人の人間は、様々な紆余曲折を経て、ようやく心から分かり合えたのだ。

「よかったわね。あ、あれ? なんでわたしまで目からこんなものが……」

 かたわらで見ているルイズたちも、いつの間にかもらい泣きを始めていた。

「ようやく、悲劇も終わったのね」

「死んだら、誰も救われないか……そうよね」

 キュルケとロングビルも、目じりをこすりながら、自分のことのように喜び、今度こそ本当の幸せを掴んでほしいと願っていた。

 けれど、今回の一番の功労者であるはずの才人は、まだルイズに背負われたままで眠り続けている。もっとも、ルイズにとっては、自分の泣き顔を見られずにすんでよかったのかもしれないが。

 そういえば、ルイズも小さいころ母や姉によく甘えたなと、思い出した。厳しい母は近寄りがたい存在だったが、乗馬や魔法の訓練などで疲れきって、屋敷に帰り着く前に馬の上で眠ってしまったとき、部屋のベッドまで抱いて運んでくれた。エレオノールには叱られてばかりだったが、もう一人いる姉のほうには、思い出すと恥ずかしいくらいベタベタさせてもらったものだ。

 そうして、しばらくのあいだアニエスはミシェルがこれまで溜め込んできた悲しみや苦しみを、涙といっしょにすべて吐き出させてやると、ゆっくりと離れて彼女に語りかけた。

「ミシェル、お前の選んだ道は、これから数多くの苦難が待っているだろう。それに、お前のこれまでのことも、清算しなければならん。わかるな」

 ミシェルはぐっとうなずいた。許されたとはいえ、罪は罪、もう銃士隊には戻れない。彼女は、あらためて自分の業の深さを感じ、アニエスに「これまでお世話になりました」と、別れを告げようとしたが。

「だから、これからのお前の副長としての責務は、さらに重くなるぞ、覚悟しておけ」

「え……」

「どうした。なにを呆けたような顔をしている?」

「隊長、もしかして……私は、銃士隊に残っても、よろしいのでしょうか?」

「なんだ、やめたいのか?」

 むしろ意外そうにアニエスは言う。

「そんな……私は」

「私は事務に弱いし、まだまだ隊にはひよっこが多い。銃士隊を早く一人前の隊にするためにも、有能な補佐役が必要なのだ」

「はい……喜んで」

 言葉に詰まって、たったそれだけを答えたミシェルの目には、また新たなきらめきが宿っていた。

「泣く奴があるか、お前以外に誰が私の副官がつとまるのだ? これからも、よろしく頼むぞ」

「はい……はい……」

 まさか、改心したとはいえ背信者をそのまま副長として使うとは。ルイズたちも、アニエスの度量の深さに驚き、また、人の上に立つものとしてあるべき姿をそこに学んでいた。

 

 ただし、アニエスはその心の奥で、燃え滾る怒りもはぐくんでいた。

 そう……自分とミシェルをはじめ、数多くの悲しみを振りまきながら、いまだに王宮の奥底で安楽に惰眠をむさぼりながら、陰謀をはりめぐらせている諸悪の根源、リッシュモンに対する怒りである。

 思えば、アニエスのこれまでの人生はすべて奴への復讐のためにあった。人は不毛というかもしれないが、それがこれまでの彼女を支えてきた。また、ミシェルも内心ではすでにリッシュモンへの復讐を誓っていた。

 これは、なにも彼女たちの良心が歪んでいるわけではなく、人間としてはむしろ当然の感情の帰結であった。ただし、それを公然と口に出せば才人を悲しませてしまうと思うだけの理性のリミッターも働いていたので、今は心の中に眠らせていた。

 

「ところで、これからどうなさるんですの?」

 キュルケにそう問いかけられると、アニエスは気持ちを現実に切り替えて考えた。少なくとも、今のところはミシェルの粛清は思いとどまったが、トリステインで反逆者として手配されている状況には変わりない。このままでは、二人とも国に戻ることはできないし、悪くすればティファニアのように人目を避けて隠遁生活に入るくらいしか道はなくなる。

「方法があるとすれば、この陰謀の真の原因を明らかにし、それを阻止することによって生まれる功績で罪を相殺することだ」

 実際、それ以外にミシェルの社会的生命を確保する方法はないように思えた。裁判にかけられるにしても、ワルドなどと違って情状酌量の余地はあるし、うまく内乱を終結させれば、その祝いの恩赦も期待できる。

「しかし、手配犯を連れて行動することは、あなたにとっても危険ではありませんの?」

「ここまで来たら覚悟の上だ。それに、王党派とレコン・キスタの両方がすでにヤプールの手中に落ちているとすると、私がのこのこウェールズに会いに行っても、飛んで火にいる夏の虫だし、ヤプールが最終的になにをたくらんでいるのかまではまだわからんから、レコン・キスタに探りを入れるなら、内情に詳しいミシェルがいてくれれば何かと助かる。もう、レコン・キスタに未練もあるまい」

「ええ、もう目が覚めました。これから私は、自分で選んだ正義に従っていきます」

 依存から自立へ、それもまた地球人類がウルトラマンから得た意思であり、才人を通じて、また一つ受け継がれていった。

 しかし、意思はあっても重体であることには変わりなく、それをロングビルに指摘されると、ミシェルはまだ到底立ち上がれる状態ではないにも関わらずに、ひざをついて立ち上がろうともがいた。

「私なら大丈夫だ。隊長のお気持ちを、無駄にするわけには、いかん」

 そう言いながらも、やはり肉体のダメージは補いがたく、腰を上げかけたところで崩れ落ちて、危うくロングビルに抱きとめられた。

「無茶をするな、普通なら数ヶ月はベッドから動けないような傷だ。いくら銃士隊員が鍛えているとはいえ限界がある。当分はサイトにでも背負わせるから、それでよかろう」

 その瞬間、ミシェルが一瞬喜色を、ルイズが微妙に頬を引きつらせたのをキュルケは見たのだが、止めないほうが後々面白いことになりそうなので黙っていた。

 ただそれでも、それが綱渡りなことには変わりなく、場合によってはアニエスまでも反逆者の共犯として処分されてしまう可能性もある。いや、ミシェルのことを知っているリッシュモンならば、裏に手を回して必ずそうするとアニエスは確信している。

 実は、アニエスは先だってのホタルンガによる貴族の大量殺人で、リッシュモンが被害者にいなかったことに安堵していた。もちろん、自らの手で裁きを下すためである。奴は、国家機構の深部に巣食う寄生虫のようなもので、目立たず、無害を装いながら肉を食い荒らし、内臓の奥深くに住み着いている。奴は、その悪辣さもさることながら、危険を回避する保身能力の高さゆえに、これまで生き残ってきた。

 しかし、リッシュモンに深い憎悪を抱くアニエスは、奴を地獄に叩き込むためにずっと用意を整えてきたのだ。

「ミシェル、今のお前ならば話してもよかろう。実は、アンリエッタ王女も、リッシュモンの背信行為には気づいている。だから、お前も……」

 アニエスがなにやらミシェルの耳元で二言三言ささやくと、ミシェルも強い意志を込めた目でうなずいた。それに、リッシュモンさえ倒せば、宮廷内の反アンリエッタ勢力は完全に力を失う。相当に危険な賭けだが、ミシェルの協力が得られるのであればかなり確実性は増すだろう。

「だがそれも、このアルビオンで起きている異変を解決できたらばの話だ。なにせ相手は総勢二十万の軍隊だ。こっちは十人にも満たん」

「ウェールズは、三日後にレコン・キスタとの正面決戦に打って出ると言っていました。今からだと二日後になりますか、何かが起こるとしたらそのときだと思います」

「だろうな。しかし、何かが起こってからでは手遅れということもある。危険だが、王党派に探りを入れてみるしかないか」

 ヤプールが何かを王党派やレコン・キスタを利用して進めようとしているならば、その準備がおこなわれているはずだ。その証拠に、ブラック星人などを使って、周辺住民をなかば強制的に集めている。

 ただし、下手をすれば戦争のど真ん中に巻き込まれてしまうか、ヤプールの陰謀にまとめて捕まってしまうこともありうる。けれど、遠くから眺めているだけでは何もわからない。

「ようし、それでは時間がない、いく、ぞ……」

 そう言いかけて、アニエスは全身を貫いた疲労感に襲われて、倒れ掛かるところをかろうじてキュルケに支えられた。

「無理をなさらないほうがよいですわよ。あなただって相当に疲労してるじゃあありませんか」

 荒い息の中で、アニエスは自分の肉体のもろさを嘆いたが、それもやむをえないところではあった。トリステインで内通者の狩り出しをおこなってから、そのままアルビオンまで強行してきて、この村にたどり着くまでまったく休みなしだった。しかも才人との決闘やノースサタンとの激闘をしたとなっては、いかに鍛え上げたアニエスの体もスタミナを使い果たしていたのだ。

 彼女はロングビルに何らかの反論をしようとしたけれど、自分の足でまともに立つことすらできない状態では、なにを言っても説得力はない。仕方なく、まずは呼吸を整えることに専念した。

「今日のところは、この村で休んで、調査は明日からにしたほうがいいでしょう。その体では、また敵と遭遇したらとても戦えませんわよ」

「仕方がないな……」

 アニエスは、彼女にしては珍しく妥協した。いかな豪胆な彼女でも、才人、ミシェル、それに自分と、半数以上がまともに動けない状態では、なにもできないということはわかっていた。時間はない、だが、少なくとも一晩の休息をとれば才人と自分は動けるくらいには回復できるだろう。

 無茶は禁物か……焦る気持ちはあるが、あと二日なら半日くらい休養に使っても余裕はあるだろうと、彼女はなんとか自分に言い聞かせた。

 太陽は、真昼の光芒から、わずかな紅さを持ったものに変わりつつあった。

 

 小村の家屋は、半数は戦いの巻き添えで哀れにも倒壊したものの、幸いにも一行が寝泊りするのに充分な家は残されていた。もちろん、無断で借りるのであって、住民が戻ってきたときは、台風にでもあったとあきらめてもらうしかないのが心苦しいところである。

「壊れた家のところには、少しお金を置いていきましょう。申し訳ありませんが、それくらいしかできませんわ」

 ロングビルの妥協案に、一行はやむを得ずうなずいた。幸い、ルイズやキュルケの財布には予備の金が残っているし、アニエスも旅立ちのときに旅費としてそれなりの金子を持ってきている。木造の小さな小屋のような家ばかりの小村なら、建て直すのに充分とはいえなくとも家具代くらいにはなるだろう。

 

 その後、一行はよさそうな家に才人とミシェルを寝かせて、ロングビルが住人が残していった食材で夕飯を作る間、それぞれ休息をとった。やがて才人が目覚めて、アニエスがミシェルの処刑をおこなうのを中止、正確には無期延期したのを、飛び上がるほど喜んで、全身打撲を思い出させられたあとにベッドに逆戻りさせられた。

 簡素だが、ティファニアの師匠筋のロングビルの料理は、疲れきった一同の体から疲労を追い出し、新鮮な息吹を吹き込んでくれた。

「さあて、じゃあ明日は早いから、さっさと寝ましょうか」

「はーい」

 くたくたに疲れきった一同は、睡眠欲にまかせるままに、ベッドに倒れこんでいった。もしかしたら、これが最後の眠りになるかもしれないが、世界が滅べばどのみち死ぬのだから、彼女たちは案外な豪胆さでさっさと意識を放り出していった。

 ルイズ、キュルケ、ロングビルが、ベッドの上で健やかな寝息を立てている。ミシェルは、これまで眠っているときにさえさいなまされてきた重りから開放されて、何年かぶりかの熟睡を味わっていた。

 そうして、数時間ほどが流れたとき、才人はふと目を覚ました。皆はまだぐっすりと眠っているので、外の空気を吸ってこようかと家の外に出ると、壁にもたれかかるようにしながら立っているアニエスを見つけた。

「眠らないんですか?」

「全員で寝て、万一奇襲を受けたら目を当てられないだろう。私はここで見張りをしていよう。心配しなくても、立ったまま眠る訓練はしてあるから、朝までには疲れをとっているさ」

 才人は、はぁと答えながら、やっぱりこの人は並じゃないな。我ながら、よくもまあこんな人に決闘を挑んだものだと、自分自身に呆れていた。

「アニエスさんに追いつくには、あと十年はいるかなあ」

 そこでアニエスは、百年早いと言ってやろうかと思ったが、さすがに意地悪もほどほどにと考え直して、話題を転じた。

「お前こそ、もう立って歩けるのか?」

「傷の治りは早いほうなんですよ、伊達にこれまでルイズの折檻に耐えてきたわけじゃありませんって」

 笑って答える才人に、今度はアニエスのほうが呆れる番だった。もちろん、才人が成長期で、傷の治りが早いというのもあるが、同化したウルトラマンAに治してもらっているのだとまでは、さすがに言わない。

 やがて二人は、二言三言、他愛もないことを話したあとで、決闘のこと、ウルトラマンのこと、そしてミシェルのことを話した。

「本当に、いろんなことがありましたね」

「まったくな」

 そのいろんなことを起こした原因はお前だがなと、アニエスは内心で思った。初めて会ったときは、確かトリステイン王宮の廊下だったか。あの時は、貴族の坊ちゃん嬢ちゃんたちの付属品くらいにしか思っていなかったやつに、まさか自分が戦って勝てないことがあるなどと、本当に想像もしなかった。

「お前には、私たちにはない強さがあるのかもしれないな」

「え? なんですって?」

「なんでもない。さあ、それよりもそろそろ眠らないと、回復するものも回復しないぞ、子供は今のうちにいい夢を見ておけ」

「はーいっと」

 才人は、返事と同時に大きなあくびをしてアニエスに手を振って見せた。子ども扱いされたのは心外だが、実際彼女から見れば子供なのだから仕方がない。

 けれど、家のドアを開ける前に、才人は思い出したようにアニエスに頭を下げた。

「なんの真似だ?」

「まだ、お礼を言っていなかったから……ミシェルさんを、許してくれてありがとうございました」

「別に許してなどいない。いずれ、お前との決着は必ずつけるからな」

「そのときは、今度はおれが勝ちますよ」

「で、ミシェルの身柄をもらって、嫁にでもするつもりか?」

 才人の顔が、動揺のために一気に赤くなったのが、月明かりの中でもアニエスにはわかりすぎるくらいわかった。

「い、いえ! ミシェルさんは……おれにとって、その、姉さんみたいなものだから」

「ほう、姉か」

「ええ、おれには、姉妹がいないから……だから、お姉さんってのがいたら、あんなふうなのかと思って」

 その、どことなく寂しそうな才人の声を聞いて、アニエスは、わずかに目を細めた。才人が、ルイズに召喚された使い魔であることは彼女もずっと前から知っている。それはすなわち、彼にとって家族や友人と、強制的に離別させられたことを意味する。表面上は明るく振舞っているが、人間はそんなに長く孤独に耐えられるほどに強くはない。才人は、才人なりに孤独と戦ってきたのだと、アニエスは彼が誰よりも絆を大切にする理由の一つを、知ったような気がした。

「ふっ、そうだな、お前には、ミス・ヴァリエールがいたんだったな……ふふ、もういい、寝ろ」

「あっ、はいっ!」

「おっと、ちょっと待て」

 踵をかえそうとする才人を、アニエスは呼び止めると、壁に背中を当てて目を閉じた。

「私もそろそろ眠くなってきた。朝まで一眠りさせてもらおう。だから、これから言うことは、すべてただの寝言だ。朝になっても、何も覚えていなかった、いいな」

「あっ、はい」

 才人がうなずくと、やがてアニエスは呼吸を整えて、独り言のようにつぶやき始めた。

「……お前はいいやつだな……」

「えっ?」

「今回のこと、頭を下げて礼を言わなければならんのは私のほうだ。お前のおかげで、私も部下殺しという業を背負わずにすんだ。あいつを、殺さなくてすんだ……本当に、感謝する」

 アニエスは、のどに突っかかるように、とつとつとつぶやき続け、それが涙をこらえているということは、才人にもわかった。

「だが、今度の戦いは、ヤプールも国そのものを利用しようとしている以上、私もお前たちを守りきる自信はない。だから、私に万一のことがあったときには、お前が皆を連れて逃げろ」

「そんな、アニエスさんを見捨てるなんてできませんよ」

「むろん、あくまで万が一さ。私も、なすべきことが残っている以上、むざむざ死ぬ気はない。しかし、私一人の力でできることは限られている。だから、そのときは、ミシェルを、私の大切な部下……いいや……私の、大切な妹を、守ってやってくれ」

「……はい!」

 一切の迷い無く、才人は約束した。

 夜は深まり、月は沈んで、また朝が来る。けれど、その夜のことは、誰にも知られず、二人も朝になったら一言も口にすることはなかった。

 

 

 だがそのころ、ノースサタンがウルトラマンAに敗れ去ったことを知ったヤプールは、次元の裂け目から下僕たちに新たな指令を与えていた。

 

「うぬぬ……まさか、エースに我々の作戦を気づかれてしまったのではあるまいな。こうなればやむをえん、作戦の発動を一日早めるのだ! 明日を持って、この茶番劇を終わらせてやれぇーっ!」

 

 禍々しい叫び声が、王党派とレコン・キスタの最高司令官の部屋に木霊する。果たして、ヤプールがたくらんでいることはなんなのか、才人も、ウルトラマンAも、まだそれを知らない。

 

 

 続く



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第70話  呪いを込めたプレゼント

 第70話

 呪いを込めたプレゼント

 

 円盤生物 ブラックテリナ 登場!

 

 

「あれが、王党派とレコン・キスタの全軍……二十万は軽くいるっていうけど、あらためて見るとすさまじい数だわね」

 王党派の陣営から見て、左後ろに一リーグほどの距離に位置する草原の上。そこに今ルイズたちは立って、眼前で生き物のようにうごめく人間の大集団を眺めていた。

 すでに、太陽は高く昇り、空の上からじりじりと彼女たちを照らしてくる。

 さらに草原の先を見渡せば、二日前にミシェルが必死で脱出してきて、もはやヤプールの尖兵になり果ててしまったウェールズがいるであろう小城がそびえ立っている。早朝一番で出てきたが、これを見れば眠気も覚めようというものだ。

「さて、とりあえずはこの道をまっすぐ行けば、平民が働かされている後方陣地まで行けるのよね」

「そういうことだな、にしても、こんなにたやすく近づけると思っていなかった。途中で検問を突破することも考えていたのだがな」

 キュルケの問いに、アニエスは嘆息して答えた。途中、いくつか王党派の監視所があると思い、強行突破の可能性も考慮してやってきたのだが、実際は見張りの兵士が数人いるだけで、王党派に協力したくやってきた義勇兵だと説明すると、あっさりと通されてむしろ拍子抜けしていた。

 だが、それゆえに逆に不自然ではある。これだけの規模なのだから、徴用した平民や逃亡兵を逃がさぬために、第一間諜や破壊工作員が侵入してくるのを防ぐために街道は厳重にかためられていると思うのが普通だ。しかし、その手の気配はまったくなく、ほとんど自由通行に近かった。

「何か、逃亡者を出さない自信があるのか、それとも何か別に理由があるのか……」

 アニエスのつぶやきには、不吉な色がありありと漂っていた。ヤプールがからんでいるとなれば、単純に戦争の勝敗をつけさせようなどということはないだろう。始まる前か、戦闘中に何かが起こる。その可能性は極めて大きかった。

「ですが、考えていても始まりません。ともかく、潜入して話を聞いてみましょう」

 皆の迷いを吹っ切るようなミシェルの言葉に、アニエスもそうだなとうなずいた。

 ちなみに、今ミシェルはまだ立ち上がれるほどに回復していないために、才人が背中におんぶしている形になる。もちろん、怪我人が戦場に行くのは不自然であるし、銃士隊の制服のままでは目立ちすぎるので、戦場に行く家族に会いに行くとかなんとか理由をつけて、アニエスともども銃士隊の制服から、村で拝借してきた村娘の衣装を身に着けている。

「ミシェルさん、具合は大丈夫ですか? なんなら、もう少し静かに歩いたほうが」

「いや、気遣いありがとう。もうだいぶ傷の痛みもひいた。これも、お前のおかげかな」

「そんな、おれはそんな超能力みたいなことできませんよ」

 ミシェルも、今ではすっかり元気を取り戻していた。肉体は傷ついたままでも、良心に恥じることなく信じられる理想と、心から信頼できる仲間を手に入れて、彼らとともに歩めるという喜びが、彼女をずっと強く立ち直らせていた。

 ただ、才人の背中にしっかと抱きついているミシェルを見て、不愉快極まりないのも一人いたが。

「なによなによ。ベッタベタしちゃって……あんなにぴったりくっつくことないじゃない」

 黒いオーラというものが人間の目に見えたら、ルイズの周りには黒炎のようにみなぎっているのが見えただろう。まぁ、おぶさっている以上、くっつかないわけにはいかないのでルイズの言い草は言いがかりもはなはだしいのだが、そのおかげでルイズに持たれているデルフリンガーが、例によってつばで軽快な金属音を鳴らしながら笑った。

「ひっひっひっひっ……あいーかわらずおもしれえねおめえさん。相棒が、ほかの女の子といっしょにいるのが我慢ならないんだな? しっかもあんなにぴったりくっついちゃって、幸せそうだねえ」

「溶かすわよ……た、たかが使い魔が誰といようと、ど、どうでもいいわよ。それに、これはトリステインの平和を守るためだし、怪我人をそのままにしておけないじゃない」

「ずいぶん声が震えてるねえ。けどよ、うらやましいならうらやましいって言えばいいじゃねえか」

「だ、誰がうらやましいですって! そ、そりゃあ……そりゃあ……けど、サイトもサイトよ、デレデレして……」

 だめだこりゃと、デルフは歯をガチガチさせているルイズの顔を見上げて思った。とはいえ、ルイズの気持ちもわからないでもない。

「お前の背中は広くて居心地がいいな。でも、落ちないようにもっとつかまらせてもらおうか」

「わっ! あ、あの、そんなにぎゅっと抱き疲れると……あ、あたるんですが」

「ん? なにがだ」

「だ、だから……その胸が」

 無邪気な笑みを浮かべながら、ミシェルは才人の首筋に吐息があたるほどに背中にしっかと抱きついた。そうして才人は顔を真っ赤にしながら照れまくり、それをルイズは殺気で人を殺せるなら即死間違いなしといった視線で睨みつける。

 なにせ、ミシェルはこれまではずっと銃士隊副長と、間諜としての重圧で目を鋭く尖らせて生きてきた。しかし、その重荷が取り払われた今は、青い髪を短く刈りそろえたボーイッシュな容貌と、なにより表情から険が取れてやわらかくなったのがあいまって、はっきり言ってものすごく可愛くなっていた。

 それに、ルイズがなにより我慢できなかったことだが、これまで鎧に隠れてわからなかったとはいえ、ミシェルは実はキュルケと同クラスのバストサイズの持ち主であった。しかも鍛え上げられて引き締まっているので、全体のバランスでいえばシエスタやティファニア以上かもしれず、そんなグラビアモデルのような美人に薄着で抱きつかれている才人はたまったものではなかった。

「あ、あの、もう少し離れていただけますか?」

「ん? 離れたら落ちてしまうぞ。何か不具合があるのか?」

「そ、そりゃ……胸が、当たるから」

「いいじゃないかそれぐらい。減るものじゃなし」

 おまけに、長いこと男を寄せ付けずに生きてきたから、自分の魅力について無頓着なところも、ある意味たちが悪かった。前に地下貯水槽の崩落で才人にかばわれたときは、防衛本能で動揺していたけれど、もう才人に対しては抵抗がまったくなくなったようだ。

 なお、補足しておくと、自分の感情をもてあましているのは才人も似たようなものだった。元々彼は地球にいたころから、ろくにもてたことはなく、バレンタインでも収穫はゼロだっただけに、これまで傍から見たら呆れるほどわかりやすい好意を自分に向けるルイズにしても、「こんな美少女がおれなんかを好きなわけがない!」と、強迫観念に陥ってしまい、仲が進展しないのだ。対して、自分の気持ちをプライドで押し殺して、反対の態度をとってしまうルイズと違って、甘える子猫のような無邪気な愛情を、しかも年上の美人にぶつけられると、それだけで心臓の鼓動が生まれてはじめての感覚にファンファーレをあげている。

 そんな、純情極まりない二人を、キュルケはルイズからも距離をとって興味深げに眺めていた。

「こりゃあまあ、ルイズもとんでもない伏兵が現れたもんね」

 苦笑しながら、キュルケはルイズの相変わらずの初心さ加減に呆れていた。

 キュルケとルイズの実家は、何十世代にも渡る敵同士、特に男女関係についての因縁は深い。とはいえキュルケとしては、もはや勝って当たり前の勝負をルイズに挑もうとは考えていない。才人のことをダーリンと呼んで、今でもときたまアプローチをかけてはいるが、それはいつまで経っても進展のない才人とルイズにはっぱをかける意味合いが強く、友情はあっても恋愛感情はない。

 というわけで、ルイズにとって現在恋敵といえるのはシエスタぐらいだったのだが、シエスタは戦闘になると離脱せざるを得ないので、事実上一番いいところでルイズは才人を独り占めできていた。しかしこれは、今後うかうかしてられないかもしれない。

「ただ、それこそ見ものかもしれないけどね……うふふふふ」

 楽しくなりそうだと、キュルケは好奇心全開でほくそえみながら、どちらを応援すべきかなと迷っていた。

 もっとも、その肝心のルイズといえば。

「あああ、あいつ……がぎぎぎぎ」

 そろそろ言葉にすらなっていない。対して、ミシェルは今の状況を最大限に利用して、ほおを摺り寄せられるほどに才人に顔を寄せている。

「サーイト」

「な、なんですか?」

「ん、なんでもない」

 この上なく幸せそうに、ミシェルは才人の背中でまどろんでいた。確かに、今世界中で一番ミシェルが安心できるところは、才人の背中の上に違いない。幼い頃に両親を失い、誰かに甘えるなどということができなかった彼女は、ようやく取り戻した安心感のなかで、もし今才人が直視したとしたら、一発で心を奪われたかもしれないような、明るく優しい笑みを浮かべていた。

 本当に、笑顔は女性にとって最高の化粧とは、昔の人はうまいことを言ったものだ。それに引き換え、嫉妬に燃えているルイズのほうは、せっかくの美少女ぶりが台無しになっている。しかも、才人に手を出せば間接的にミシェルにも怪我をさせてしまうために、アニエスに「自重しろ」と言われてしまったおかげで、何も手出しができないのも、ルイズのフラストレーションを増大させていっていた。ただ、いくら不愉快に思ったとしても、「やっぱり死ねばよかったのに」などとは絶対に言わない。それが、人間としての節度であった。

 

 

 信じられないことに、着いてみると王党派の後方陣営は、彼らが想像していたのとはまったく異なっていた。

「こりゃ、まるで市場だな」

 そこは到底これから戦場になるのだとは思えない平和さで、食事を出す屋台や、武器屋や衣料屋に、床屋や無料の医院、簡易の教会に、さらに驚いたことには託児所までがあった。そこを、あちこちの街から集められてきたと思われる人々が、雑多に歩き回って、商品を売買したり、前線で使うと思われる食料品や武器を輸送していたりと仕事している。ただし、働かされているには違いないが、その労働環境は整えられており、聞いたところでは給金まで出ているそうであった。

「なるほど、これなら逃げ出す心配なんかはまずないってわけか」

 一個の街とさえ呼べる、そのいたれりつくせりぶり。てっきり、ブラック星人の言動から、徴用された人々は強制労働させられているものと思っていた一行は、予想外の快適さに目を白黒させるしかなかった。

「ミシェル、お前三日もあの城で足止めされていたのにわからなかったのか?」

「あ、いえ……私はすぐに城に向かいまして、それで私のいたところからでは、遠くてよくわかりませんでしたので」

 申し訳なさそうにミシェルが弁解するが、戦場というと過酷なものという先入観があるために、実際に近くで見ないとわからなかっただろう。

「しっかし、これじゃほんと小さな町だな。後方支援は大事だっていうけど、王党派ってのは金あるんだなあ」

 才人は、ロングビルが買ってきてくれた、串に刺したフランクフルトソーセージをかじりながら、金持ちのやることは次元が違うなあと感心していた。

 けれど、戦略的な面から見れば、後方でこれだけの豊かさがあるということは、前線の兵士たちには絶大な安心感を生むだろう。実際、地球での二次大戦時のアメリカ軍などでは、基地内や輸送船内などに映画館まであったくらいだ。

 おまけに、これだけの人間がひしめいていながら、治安がよくて、盗みや暴力沙汰はほとんど見えず、あってもすぐに兵士がとんできて、犯人を連行していってしまった。これではトリステインの市街よりも安全に見える。

「そこで聞いた話では、何百年にも渡って王家が埋蔵してきた財宝を、この内戦に勝利するために一気に吐き出したそうですわ。で、内戦に勝ったあとは、反乱に組した貴族の財産をすべて没収して、国政を立て直すんですって」

「なるほど、ウェールズは操られても、その下の政治家や軍人はまともということか」

 表面上でウェールズが、勇猛で高潔な皇太子を演じていれば、彼の虚名に引かれて能力のある人間も集まってくるのだろう。さらにそれらの人間が成果をあげれば、ウェールズの人望もさらに上がり、まさかとうにウェールズが洗脳されているとは、誰も気づかないというわけだ。

「これでは、城に乗り込んだところで、気が触れてると思われるか、こっちが間諜あつかいされるのが関の山だな。さて、どうしたものか」

 城を見上げて、アニエスはため息をついた。兵士もヤプールに洗脳されているならば、それを証拠に突破のしようがあるが、ウェールズ以外は正気ならば文字通り必死の抵抗にあって、ウェールズにはたどり着けない。

 まったく、悪辣この上ないものだ。これでは、竜の頭が蛇に摩り替わっているようなもので、兵士たちは自分たちを滅ぼそうとするものを、知らずに命がけで守らされている。

 それについては、才人やルイズたちも同感で、腹立たしさを覚えたものの、かといってウェールズのいる本城へ乗り込むのは無謀でしかないのは彼らもわかっており、ルイズは昔母から教えられた戦術の基礎を思い返してみた。

「竜騎士を落とそうと思えば、まず竜の羽根を撃てというわ、ウェールズに手を出せなくても、この陣地にも何かしらの陰謀の準備がされているかもしれない。手分けして、なにか怪しいものがないか探しましょう」

 才人たちは、そのルイズの口から出たとは思えない道理に合った戦術に驚いた。なにせ、これまでルイズの戦法といえば、今でこそ言わなくなったが「背中を見せない者を貴族というのよ!」の言葉どおりに、ひたすら無謀な突撃をおこなうばかりだったのだ。

「なによ、わたしが戦術を主張しちゃおかしい? 単なるお母様の受け売りよ。けど、間違っちゃいないと思うけど」

「い、いや……そのとおりだと思う」

 慌てて訂正する才人らを見て、ルイズはむずがゆい感じを持っていた。彼女とて、『烈風』と恐れられた母の教えを忘れていたわけでも、軽視していたわけでもないが、ずっと魔法を使えずにいたことで激しいコンプレックスを味わってきた彼女は、その反動から名誉欲が先行して、とにかく成果をあげたいと焦り続け、冷静な判断ができずにいた。それが、長い才人たちとの触れ合いで少しずつ心に余裕が生まれ、それにタルブ村で、ずっと超えることのできない大きすぎる壁として立ちはだかってきた母にも、今の自分のように未熟に苦難した時期があったのだと気づかされ、自分がなにをするべきかだけではなく、自分にはなにができるのかと考えはじめるようになっていた。

 アニエスは、そんなルイズの案を吟味しているようだったが、ほかに妙案も思いつかずに、今はリスクの高い行動をとらないほうがよいだろうと、その策を採用することにした。

「よかろう。それでいこう。分担は、北東は私、北西はミス・ロングビル、南東はミス・ツェルプストー、南西はサイト、ミシェルとミス・ヴァリエールだ」

 とりあえずは順当な組分けとあいなった。北東と北西は前線との境目で、支援部隊と兵士たちが入り混じっていて、調査が専門の二人が行くほうがよく、南東は慰問街ができていてキュルケの独壇場、残る南西は今いるところで、徴用された平民の宿泊する仮設家屋などがある比較的安全な場所だ。

「では、二時間探索して、その後はまたここに集合だ。厳命しておくが、たとえ何も収穫がなくても戻っていること、いいな」

 一同はうなずき、自分こそが手がかりを見つけてきてやると意気込んだ。

 とはいえ、後方陣地だけでも二万人はいるのだ。人を隠すには人の中というように、これでは怪しい奴が何人か紛れ込んでいても、簡単にはわからないだろう。

「ようし、じゃあいくわよサイト、ぐずぐずすんじゃないわよ」

「はいはい。わかりましたよ」

 真っ先に飛び出していこうとするルイズを、才人はやれやれと思いながら追いかけようとしたが、その前にロングビルがちょっと待ってと呼び止めた。

「お金が少しはないと困るでしょう」

 そう言って、いくらかの小銭を才人に手渡した。ルイズに渡さなかったのは、平民と金銭感覚のズレがまだひどいからだが、金貨と銀貨を数枚混ぜて渡されて、「こんなにいりませんよ」と返そうとしたら、「情報収集にはそれなりの代償も必要なんですよ」と、さすが元盗賊らしい言葉を聞かされて、なるほどと思った。

 が、それにしてもロングビルも、ここは昔自分から貴族の地位と家族を奪い取った憎き王族のお膝元だというのに、よく協力してくれて感謝してもしたりない。けれど、そのことを聞くと、彼女は微笑しながら。

「こんな時期に、何年も前に取り潰された家の娘一人のことを思い出すような酔狂な人はいないでしょう。それに、アルビオンはこんなところでも私やテファの故郷です」

 テファや子供たちのためならば、自分一人の怨恨にこだわっていても仕方がない。それに、未来だけでなく、彼女自身のものも含めてたくさんの大事な思い出がこの地には眠っている。地球人も、地球を守るためには命を懸けてきたように、ロングビルにもまた、故郷を愛する思いはあった。

「わかりました。では、無駄遣いせずに使わせていただきます」

「はは、そうしゃちほこばらなくても、おやつくらい買っていいわよ」

 そう言われると、たった今食べきったばかりのソーセージの味が恋しくなってくる。熱々の肉汁たっぷりに、マスタードをかけた味は、屋台で買ったものとしてはこの上なく、すぐさま注文に走って、ついでにみんなの分も買って戻ってきた。

「はい、皆さんもどうぞ」

「おっ、悪いな……ん、なんだこれは?」

 アニエスは、渡されたソーセージの袋の中に、菓子のおまけのような小袋がついているのを見つけて、それを破ってみると、中から手のひらサイズのピンク色の貝殻が出てきた。

「ああ、それですか? なんでも、幸運を呼ぶお守りだとかなんとかで、買い物をした人にはおまけでついてくるみたいです。まあ、きれいだし、いいんじゃないですか」

「ふむ、そういう趣味はないのだが、まあもらっておくか」

 なにげなく、アニエスはその桜貝に似た貝殻を懐にしまいこみ、キュルケやロングビルも、捨てるのも悪いし、とりあえずきれいだからタバサやテファへのお土産にしようかとポケットに入れ、ミシェルも才人から受け取った。

 しかし、ルイズだけはなんとなく、その貝殻を見回していた。

「どこかで見たような気がするのよね……」

 はっきりとは思い出せないが、つい最近のように思える。けれど、よい香りをただよわせるソーセージの魅力には効しきれずに、とりあえずポケットに入れると、そのまま食欲に身をゆだねた。なにせ、各人、歩いて腹が減っていたので、渡されたソーセージに遠慮なくかぶりついていく。

「うん、うまい。このソーセージは極上だな」

「そうね、平民の店にしてはいい出来ね。おいしいわ」

「今度シエスタに作ってもらおうかしら、タバサにも食べさせてあげたいわ」

 まずは、一仕事前の腹ごしらえというわけか。皆、それぞれ夢中になってぱくついている。

 なお、才人におんぶされたままのミシェルは、肩越しに才人に食べさせてもらっている。あーんと言いながらソーセージに食いつく姿は、まるで子供みたいだが、今本人は羞恥心より幸福感が圧倒的に勝っていた。天国から地獄という表現はよく使われるけれど、地獄から天国とはまさにこのことだろう。これは帰ってもおいそれと部下たちに見せられんなと、アニエスは苦笑したが、泣き顔やしかめっ面を続けさせておくよりはよほどいいと思って、そのままにしておいた。

 しかし、当然のごとくルイズはどんどん顔を不愉快にしていき、しまいには串を噛み砕いてしまった。

「このエロ犬が……なにが、あーんよ」

 殺気を込めたつぶやきがルイズの口から漏れるが、幸か不幸か周囲の喧騒のせいで才人の耳には届かなかった。

 さて、才人と、彼の垂らした蜘蛛の糸のおかげで地獄からサルベージされた、もう少女と呼んでいいほどに青春を取り戻した娘は、ルイズのそんなダークな台風注意報に気づかずと、気づく気もなく、傍から見たらソーセージ以上に熱々な雰囲気を漂わせていた。

「あっ、もうなくなっちゃいましたね」

「うん、残念……そうだサイト、お前のを一口くれないか?」

「え、いいですよ。おれはもう二本目ですし」

 と、才人が半分くらい食べていたのを、ミシェルがぱくりといただいて、それが才人は無自覚だが間接キッスになっているので、ルイズが歯軋りをしてキュルケがほくそえむ。

 ギーシュなどが見たら、「君もたいしたものだな」と感心するかもしれないが、あいにく才人は経験が圧倒的に不足しているために、まだ恋や愛というものがなんなのかすら、よく理解できておらず、女心というものが相対性理論以上にわからない。

 けれど、そんな純粋な才人だからこそ、大貴族の娘や、天涯孤独の身の上で、人を疑って生きてきたルイズやミシェルは安心して好意を持てるのかもしれない。まじりっけの無い、裏の無い、純粋な優しさ、それはこれまで打算から仮面の笑顔で近づいてくる男ばかりを見てきたルイズやミシェルから見たら、とてもまぶしいものであっただろうから。

 とはいえ、それゆえにアニエスやキュルケから見たら、才人はまだまだお子様なので、保護対象や友達から恋愛感情に発展しない。おかげでまがりなりにも恋愛と呼べるのはルイズと、あとはシエスタくらいですんでいたのだが、これは才人はとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

 アニエスは、しばらくしらけた表情でその突発性の愛憎劇を眺めていたが、やがて大きく息を吸うと。

「もういいからさっさと行け!!」

「はいいっ!!」

 クモの子を散らすように、一同はそれぞれ三方に駆け出していった。

 

 

 そして、四方に散った一同は、慣れているものはそれなりに、慣れないものは手探りで、怪しい物資や施設がないか、見回ったり聞き込みをしたりして調査をおこない、やがて二時間後に元の場所に全員集合していた。

「よし、全員そろってるな。では、それぞれ結果を報告してもらおうか」

 アニエスがまとめ役となって、それぞれの報告を頭に叩き込もうと準備する。周りには大勢人がおり、話し声は隠されもしないが、こういう雑踏の中のほうがかえってひそひそ話もばれないものだ。

「よし、それではまず……と、その前に、サイト、なんだその買い物袋いっぱいの貝殻の山は?」

 ちらりと、アニエスに細目で睨まれて、才人たちがギクりとしたのをアニエスは見逃さなかった。

「あ、これですか? 屋台のオヤジさんに、ここで妙なことはなかったか聞き込んでいるうちに……ゲップ」

「まさかと思うが、食い歩きをしていただけではあるまいな」

 才人たち三人の顔に、冷や汗が流れた。

「いえ、そんなことはないですよ……けど、どこの店もおいしくて、つい、なあルイズ」

「え、ええ。ちょ、ちょっと寄り道してただけよ。ちょ、たった一〇件くらい」

 その瞬間、アニエスはキレた。

「大馬鹿者! この非常時になにを考えてるんだお前たちは! ミシェル、お前がついていながらなんだこの有様は!」

「す、すいません、まじめにやるつもりだったのですが、なにかいつの間にやらみんなどうでもよくなっていて」

「誰が逢引をしにいけと言ったんだ! で、それで収穫は?」

「あ、出店ではどこでもこの貝殻をくれたんですが、結局なんの貝殻なのかは誰も知らないんですって」

「だからどうした!? もう邪魔だからさっさと捨てて来い!」

「はいぃっ!」

 慌てて駆け出す才人とルイズに、アニエスたちはやれやれと頭を抱えた。元々、調べごとにはド素人の彼らにはほとんど期待をしていなかったが、ほんとにもうとしか言いようがない。おまけに、ミシェルがついていればフォローもできるだろうと思ったが、夢見心地で完全に仕事を見失っている。

「ミス・ツェルプストー、なんとかならんのかあれは?」

「なりませんわね。恋心というものは、自分で制御できるような代物じゃありませんわ。特に、ミス・ミシェルのあれはどうみても初恋ですわ。わたくしにも覚えがありますけど、あのときはもう、わたしがわたしじゃなくなりましたもの。ミス・アニエスにはご記憶はなくって?」

「そんな軟弱なものに興味はない」

 そっけなくアニエスが答えると、キュルケの口元がいやらしく歪んだ。

「あら、お気の毒、ということは部下に先を越されちゃったってわけですわね」

 わざとらしく、語尾にざますとつけてもいいくらいに、宮廷の老婦人のようなしぐさで呆れたしぐさをとられると、さすがにアニエスも反論しなくては収まらなくなる。

「どうせ、いずれ私は王女殿下と国のために真っ先に命をささげる。男など作っている暇はない!」

「あら、だったらわたくしの母も、祖母も、曾祖母も軍人でしたけど、立派に恋愛の上で家庭を持って、わたくしもそれに習うつもりですわよ」

「だったら私が、母となる者を百人守りたおして死ねば、それで元はとれるだろう」

 この頑固者めと、キュルケは心の中で、アニエスの意外な幼稚さを笑った。くしくも、アニエスの言い訳のそれは、三十年前にカリーヌが佐々木に言ったものと同一だったのだが、あのカリーヌでさえ子供がいるんだから、アニエスにだけ恋ができない道理があるまい。

「まあ、なんといったって、男はいずれ父に、女はいずれ母親になるものですわよ。ただ、彼女の場合は、十年も心を閉ざしていたから反動がすごいんでしょう。しばらくすれば落ち着くと思いますわ」

 キュルケは苦笑しながら、そういえばタバサも、父が死んで花壇騎士にされる以前は明るい性格だったそうだと聞かされたのを思い出し、いつか彼女にも元のように笑えるようになってほしいと思った。

「ま、恋は盲目っていいますし、ね」

「それにしても、なあ」

 アニエスにしても、ミシェルが新しい生き方を見つけたのはいいが、少々いきすぎの感があると思わざるを得なかった。これはどうも、傷が治ったら鍛えなおしてやらねばいかんなと、前途に多難なものを感じて仕方がない。

 

「やれやれ……それで、ミス・ロングビルのほうはなにか収穫がありましたか?」

 息を切らせながら才人たちがゴミ箱から戻ってくると、気を取り直したアニエスは次にロングビルに話を聞くことにし、問われたロングビルは懐から小さな鉄砲を取り出して見せた。

「兵士に話を聞いてみたんですが、最近軍全体に新式の武器が支給されたそうです。その一つをちょっと拝借してきたんですが」

「ふむ、見たところ新しい以外には、特に不自然なところはないようだが?」

「ええ、けれどおかしいところは、同列のまだ使える武器まで根こそぎ、有無を言わさず無理矢理交換させられてしまったそうです。兵士たちには、愛銃を取り上げられて、不満を漏らしている人が何人もおりました」

「それは確かに変だな……けれど、どう見てもただの銃だが」

 アニエスは、手の中でその銃をくるくると回して眺めていたが、何度見てもどこの軍隊でも普通に使っているような拳銃で、妙な点は見当たらなかった。

 だが、そのとき才人はその銃のグリップに、歪んだ赤い三角形の中を銀色にくりぬいたような、妙なエンブレムがついているのを見つけてアニエスに伝えた。

「なに? 確かに……なんだ、銃の工廠のマークかな。確かに見たことはないが、銃に自分の工房のマークをつけるのは、別に珍しいことではないぞ」

 彼女はそれで、その銃への関心を打ち切った。考えてもわからないものはわからないし、まだまだ聞くべきことはあったからだ。しかし、才人はまだひっかかるものを感じていた。その奇妙なエンブレム、前にどこかで見たような気がしてならなかったのだ。

「次は、ミス・ツェルプストーか」

 呼ばれたキュルケは、勇んで自分の成果を公表していった。

 彼女は酒場で、休息していた兵士や商人などから情報を得ており、その手段はルイズを閉口させたが、得た情報の密度は三人組より格段に濃いものであった。

 まず、兵士たちの士気ははなはだ高く、特に食料事情が極めてよいために誰もが健康で、勝利を疑っていない。

 また、商人からの情報では、軍の上層部からの命令で、大量の武器を仕入れて兵士たちに供給したのだが、その武器の出所である工房がいまいちはっきりとしない。しかも八万人分の武器であるから、莫大な量になるはずなのに、その供給は一度として遅れたことはなく、それに軍から指示された、その工房以外からの仕入れは固く禁じられたという。

 そして、それらの補給及び兵站の一切を取り仕切っているのが、ここ数ヶ月のあいだにいつの間にかウェールズ皇太子に取り入っていた老将であるということだった。参謀として辣腕を振るっているが、その出身は誰も知らないのだという。

「その参謀、怪しいな」

 才人がつぶやいたのに、全員が同意した。洗脳されたウェールズのすぐそばで活躍する、出所不明の名軍師というだけで、すでに黒に限りなく近い灰色といえる。

 そして最後に、アニエスが調べてきたことを公表した。

「私はレコン・キスタ陣営のことを聞き込んでみたのだが、どうも向こうのほうも、ここ最近新式武器の購入や、兵力増強をおこなっているらしい」

「なんだ、それならこちらと同じじゃないですか」

「まあそうだが、話は続きがある。知ってのとおり、レコン・キスタ勢は今王党派陣営に押されている。よって、財源もこちらに比べてとぼしいはずなのだが、食料や武器弾薬などの補給に滞りはまったくないそうだ。しかもだ、こういうときはどちらかが体勢が整う前に打って出るのが普通なのだが、何度もその気配はあったが、そのたびに突然雨が降ったり、指揮官がいきなり倒れたりとトラブルがあいついで中止になったそうだ。両方の陣営でな」

 それはなんとも作為的だと、一同は思った。ヤプールだったら、雨を降らすことや、数人の人間を病気に見せかけて倒すなど造作もないことだ。これで、ヤプールがレコン・キスタ陣営にも根を張っていることと、同時にどちらの陣営も戦力を蓄えさせ、それが最大限に達するまではぶつけまいとしていることは、この情報で読み解くことはできた。

 ただし、これらの証拠から、最終的にヤプールがなにを企んでいるのかまでは洞察することは無理だった。単純に考えれば、両軍の戦力を集められるだけ集めさせて、二十万人に壮絶な殺し合いをさせようかとしているのかと思えるが、あの悪辣さでは他の追随を許さないヤプールが、そんな簡単に思いつく方法を使うとも思えなかった。

「出所不明の大量の武器、謎の参謀、同じ行動をとるレコン・キスタ、大兵力……わからんな」

 どうにも、証拠が不足していると思わざるをえなかった。とはいっても、ヤプールのやることを人間の常識で察知しろ、というほうがそもそも困難なのだ。仮に、空がガラスのように割れたり、牛のたたりで人間が牛人間に変えられるなどといった話を人にしてみたら、おとぎ話の見すぎと笑われるのが関の山だろう。しかし、現実にそういうことを起こせるのがヤプールなのだ。

 ただし、まだなにか見落としていることがあるのではないかということは、この中の全員が共通して思考していた。だが、それをノーヒントで見つけるとなると、とほうもない時間と労力が必要となり、残念ながら悠長に調査を続けるだけの余裕はなかった。

「こうなったら、直接軍主力に潜り込んで調べるしかないか」

「ですけど、さすがに前線は軍関係者以外は締め出されるでしょう。女子供ばかりの私たちなんて、門前払いですよ」

 ロングビルが、根本的な問題を提示すると、一同はそろって頭を抱えた。見回せば、ここに戦場にいて不自然ではない人間は一人もいない。

「こうなると、平民に変装したのが痛いな。ルイズもキュルケも、今は村娘のかっこしてるし」

「ふん、だからあたしはこんなみすぼらしい服を着るのはイヤだって言ったのよ」

「いまさら言っても仕方ねえだろ。どうしたもんかな、こっそり潜り込むにしても、こんなかっこじゃ軍隊の中じゃ目立ちすぎるしな」

 才人はこんなことなら、軍服を調達しておけばよかったと思ったものの、後悔先に立たずである。

 けれどそのとき、彼女たちの視線の先に、鎧がこすれるうるさい音をたてながら、えっちらおっちらとやってくる、目に見えて新兵ばかりと思える一団が入ってきた。

「ひい、ふう、みい……ちょうど六人か、悪いが、彼らに協力してもらおうかな」

 アニエスが横目でキュルケに目配せすると、彼女は水を得た魚のように、一瞬妖絶な笑みを浮かべた。むろん、アニエスが言わんとすることは、ルイズたちにも伝わって、ルイズはいやな顔をしたが、かといって代案があるわけでもなかったので、それに従った。いやむしろ、不満の原因は、なぜ実行役がキュルケで、自分ではないのかということであった。ただし、その理由を考えるのは屈辱的すぎるので、それよりも新兵たちの先回りをするために、先頭きって走り出すのを選んだ。

 

 さて、そんな企みに気づくこともなく、えっほ、えっほと新兵たちは着慣れない鎧に振り回されながら、彼らにとっては初陣になる戦場へと遅れまいと急いでいた。ところが人通りのないところで、連立している小屋の隙間の暗がりから、扇情的な声と共に、なまめかしい女性の生足がヘビのように這い出てきて、彼らは一様に足を止めて、それに見入ってしまった。

「ねえーん、そこのお兄さんたち、ちょっとよろしいかしら?」

「な、なんでありましょうか?」

 スカートを太ももまでめくり上げて、キュルケは上着の胸元を開けながら、上目使いに話しかけた。その大人の色気に対して、一応メイジであるみたいだが、純朴そうな顔をした少年兵が、トマトと見まごうばかりに顔面を腫れ上がらせて、無価値な敬礼をしながら答えたのは、むしろほほえましかったかもしれない。

「あたし、急にお友達たちが行っちゃって、さびしくてたまらないの、お願い、あなた方で慰めてえ」

「も、もうしわけありませんが、我々は軍務が……」

「五、六人くらい、抜けてもわからないわよ。それよりも、ね、この奥、み、た、く、な、い?」

「……!」

 その後のことは、彼らのささやかな名誉のためにも伏せておくべきであろう。ただし、その後暗がりの奥から何かをぶっつける音が複数した後で、その中から、入っていったのとは別の六人組が出てきたことで、経過は明らかであった。

「大成功」

 鎧兜を着込んだ才人が、Vサインをしながら言った。彼に続いて、同じように装備を整えたアニエス、キュルケ、ロングビルが現れてくる。古典的な手段だが、この手にひっかかる男は、恐らく人類の歴史上、これからも絶えることはないだろう。

「これで、とりあえず怪しまれはしないだろう。しかし、情けない男どもだ」

「あの子たち、少々お子さま過ぎましたから、この『微熱』の前に立つには、あと十年は必要ですわね」

 装備を剥ぎ取られた少年たちが聞いたら、女性不審に陥りそうなことをしゃべりつつ、キュルケは意外と様になっている鎧を鳴らしながら笑っていた。

 だが、一番サイズの小さい鎧をつけたにもかかわらず、サイズが大きくて寸詰まりのロボットのようになってしまったルイズが抗議した。

「ちょっと! なんでわたしまでこんな鉄くずを着なきゃならないのよ!」

「仕方ないだろ、メイジの衣装は一着しかないんだから」

 そう、一人分だけあったメイジの服はミシェルが着てしまったために、やむを得ずルイズは雑兵の鎧を着るはめになってしまったのである。

「ならちょっとあんた、その服わたしによこしなさいよ!」

「無茶言うな。兵士がメイジを背負えばかっこうもつくが、兵士が兵士を背負っていれば不自然すぎるだろう」

 ミシェルに言い返されると、ルイズは歯軋りしながら才人を睨んだ。もっとも、本当に兵士のかっこうが嫌だったのか、それともミシェルを才人の背中から下ろしたかったのかはさだかではない。

 というわけで、一種異様な雰囲気となってしまった一行は、周りからどう見られているとか考えずに、最前線の陣地へと潜入していった。

 

 

 しかし、才人たちが広すぎる陣地の中で、陰謀の尻尾を掴みえずに苦難しているころ、二つの陣営では、彼らの予想を上回る速度で事態は進行しつつあった。

 戦場を遠く離れたアルビオンの首都ロンディニウムでは、クロムウェルが時期が早まったことを、秘書であるシェフィールドとは別に囲っている一人の専属のメイドに命じていた。

「予定が早まった。サウスゴータにいるお前の九番目の姉妹に命じて、行動を開始させよ」

 うやうやしく会釈したメイドが、ほかのメイドとまったく違わないしぐさで退室していくと、次に彼は、先日王党派陣営からやってきて、今はトリステインの内情を知る協力者という立場で、壁際でふてぶてしく構えているワルド、だったものに命令した。

「さて、これで両軍は都合のいい形でぶつかり合うことになる。そして、これまで仕込みを続けていた”あれ”も動き出し、作戦も最終段階だ」

「ええ、長いお芝居ご苦労さまでした。ですが、おそらくはまた、奴が妨害しにくるでしょう」

 奴とはいったい誰をさすのか、二人にとってその名を出すのも忌まわしかったが、同時に現実から目をそむけるわけにもいかなかった。

「だから、保険をかける意味でも、我々はもうしばらく茶番劇を続けなければならん。下の階にいる、王様きどりの人間どもの相手はまかせた。精々明るい未来を聞かせて安心させてやれ、こちらは人形遣いのつもりでいる小娘の相手をしてやらねばならん。うまく乗せてやれば、漁夫の利を狙ってやってくる、きゃつらの国の軍隊も使えるかもしれんからな」

「布石のために、努力は怠らないというわけですか。そういう地道なところはあなたらしい」

「ふふ、お前こそ、今度は寝ているあいだに手袋を外されないようにな」

 クロムウェルは、口元を醜くゆがめてワルドに笑いかけると自分の役者としてのスイッチを切り替えた。これからどうせ手際の悪さをなじってくるシェフィールドの嗜虐心と優越感を満足させてやるために、小人の皮をかぶって、頭を下げながら別室で待っている彼女の元へと歩いていった。

 

 同時刻、王党派陣営でも、ウェールズが突然幕僚たちを招集して、決戦を一日早めると通告していた。

「わが参謀の情報によれば、敵軍は本日午後を持って、奇襲をかけようとしているようである。よって、我々はこれを利用し、逆撃をもって敵軍を撃破し、余勢を持ってロンディニウムを叛徒どもから奪還する!」

 並居る名将、名政治家を前にして、英雄ウェールズの勇壮で気高く、壮麗な演説が響き渡り、人間たちの理性を麻痺させていく。

 彼らの中にも、不自然な硬直状態をいぶかしむ者もいるが、勝利を前にしての慎重派は、常に少数派たるを強いられる。しかも、そんなわずかな者たちも、脳を侵食するようなウェールズの言葉と、部屋の中にたなびき始めた薄赤い空気に包まれるうちに、「ウェールズ皇太子万歳」「アルビオン万歳」「勝利を我が手に」と、狂乱の大合唱に巻き込まれていった。

 

 

 それと同時に、両陣営の上にたなびくいくつかの入道雲に混じって、雲の白さとはまったく異なる、巨大な黒い影が降下してきていた。とてつもなく巨大な二枚貝に、無数の触手を生やしたその異形は、見るものに戦慄を与えずにはいられない。

 それは、ノーバと同じくブラックスターの破片から蘇った、混乱と破壊を振りまく暗殺者、円盤生物ブラックテリナ。その体内から吐き出される無数の美しい輝きは、いったいこのアルビオンになにをもたらそうというのであろうか……

 

 

 続く



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第71話  死を呼ぶ黒い二枚貝

 第71話

 死を呼ぶ黒い二枚貝

 

 円盤生物 ブラックテリナ 登場!

 

 

 破滅は、あまりにもあっけなくやってきた。

 あと一日で、アルビオン王党派とレコン・キスタが全面衝突しようとしているとき、才人とルイズたちは、その両陣営の決戦を利用して恐るべき計画を進めているであろうヤプールの企みを看破するべく、手を尽くしてその影を追っていた。

 しかし、彼らの予想を裏切って、事態は最悪の展開を迎えた。

 

「総員戦闘準備、すべてのメイジと兵士はただちに配置につけ!」

 けたたましくラッパの音が鳴り、風魔法で増幅された声が放送となって、王党派の陣地を駆け巡る。それを聞いた兵士が前線へと駆け出し、平民たちは店じまいをして避難所となっている南西地区へ走っていく。

 それが、始まりであった。

 

 そのころ、才人たちは兵士の姿に変装して、前線の陣地の中を調べていたが、突然の戦闘配置命令にとまどっていた。

「おいお前、これは何事だ?」

 アニエスは、近くを走っていた立派な鎧をまとった曹長クラスと思える兵士を一人捕まえて、事情を問いただした。普通なら、ここで「邪魔だ!」と怒鳴りつけられるところだが、威圧感満点のアニエスに襟首を掴まれて睨まれると、その兵士は驚いて説明を始めた。

「よ、予定が早まったんだ。レコン・キスタの連中が一日早く動くって情報が入って、こっちも動くことにしたんだそうだ!」

「なんだと? それは確かか」

「そ、そうだ。これからウェールズ皇太子ご自身が陣頭指揮なさるそうだ!」

 その曹長の階級章をつけた男は、言うだけ言うと、アニエスの手を振り切って前線のほうへ走っていった。残された六人にも、等価の緊張が駆け巡る。彼らは元来、予言や運命めいたことを本気で信じるようなことはしなかったが、このときは、いわゆる運命の時がやってきたことを肌で感じ取っていた。

「どういうこと? 決戦には、あと一日時間があるはずじゃなかったの」

「バカねルイズ、多分ミシェルを殺しそこなったから、予定を早めたのよ。まさか、人間一人に逃げられた程度で、ヤプールが予定を変えるとは思わなかったけど、隊長さん、これは好機では?」

 キュルケの問いかけに、アニエスは強くうなずいた。

「ああ、まだ陰謀の全容を明らかにできていないのは痛いが、こうなれば水際で食い止めるしかない。意表をつかれたのは事実だが、向こうも準備期間を短縮して事を起こしたのだ、用意が完璧なはずはない」

「ええ、ヤプールがなにかを仕掛けてくるとしたら、このタイミングしかないでしょうしね。ウェールズが出てくるってことは、決戦しかないんだもの」

「ああ、ともかくここを出よう。このままでは身動きがとれん」

 一同はうなずきあい、巻き込まれては大変と前線から脱出を始めた。

 

 しかし、彼らが行動するよりも早く、敵は次なる手を打っていた。

 

 再び、風魔法での放送が陣地全体に流れ、ウェールズの演説が始まると、彼に心酔する将兵たちはすぐに聞き入りはじめた。

 

「我が忠勇なるアルビオンの勇者諸君、いよいよレコン・キスタとの決戦のときが迫った。まずは、ここまで私を連れてきてくれた諸君らの忠誠心に深く感謝の意を表しよう。しかし、我々はまだ勝ってはいない。諸君らに問う、この内乱はなぜ起きたのか? そう、一部身の程をわきまえない貴族たちの邪悪な野心によってだ。それが、この国を傷つけ、始祖よりこの国を与えられた王家の誇りに泥を塗ったのだ。今こそ我々は、この国を正統なる形に戻すための正義の杖となって戦わねばならない」

 

 傍から聞いていれば白々しい。だが、熱っぽさを増していくウェールズの声に呼応して、兵士たちからも共感と興奮の叫びが響いてくるのを、人の壁に阻まれてウェールズの姿が見えない才人やルイズたちにもはっきりとわかった。

「な、なんなのよこの空気は?」

 人間同士が戦う戦場などははじめてのルイズは、たちこめる異様な熱気に本能的な恐怖を感じはじめていた。アニエスやミシェル、ロングビルには経験があるが、やはり何回感じてもいい気分はしない。

「集団心理、あるいは群集心理というやつだ。人間というものは、群れから排除されまいとするために、本能的に周りの人間がおこなっていることに合わせようとする心理が働くんだ」

「にしたって、これは……」

 ミシェルの説明にも、ルイズはとまどうばかりだが、周りからはすでに「ウェールズ皇太子万歳」「アルビオン万歳」「勝利を我が手に」などに混ざって、「反逆者に死を」「我らこそが正義」「天誅を下すべし」といった正気を疑いだすような言葉が聞こえ出し、群集から理性が消失しはじめているのが感じ取れた。

「人間の理性というのはもろいものだ。十人のうち八人が蛮行をおこなえば、残りの二人が善人だとしてもたいていは八人に従う。お前にも、似たような経験の一つや二つはあるだろう」

 そう言われると、ルイズや才人にも心当たりはあった。学院でルイズが魔法を成功させられず、ゼロと侮蔑されるとき、笑い出すきっかけを作るのは数人だったが、それが五人、六人と増えていき、やがては教室中が合わせたように笑っていた。

 才人も、学校で掃除当番だったとき、一人がさぼりだしたら誰かがまねをしだし、やがて普段まじめな者も、自分もさぼらなければいけないのではないかと、掃除をやめていた。

 これらは小規模なものだが、政治や戦争ではこの群集心理が最大限に利用される。要は一種の催眠効果だが、最高指導者が憎め、殺せ、我に従えという声が、偉い人が言っているから、周りの人もやっているから、これは悪いことではないのだろうと、個々人の理性もモラルも破壊して、一人の意思がそのまま群集の意思に摩り替わってしまうのだ。

 もっとわかりやすい例をあげれば、『赤信号、みんなで渡れば怖くない』である。

「どうやら、ウェールズという奴には、扇動家としての才能があったらしいな」

 いつの世でも、大衆の最大の支持を受けるのは、彼らに甘美な夢を見せてくれる者と相場が決まっている。その点で言えば、ウェールズは容姿や発声などが、英雄活劇に登場する、悪大臣を倒して国を救う王子様という、大勢の人々が思い描く英雄像にぴったり合致するから、何の抵抗もなく人々に指導者として受け入れられたのだろう。

 しかし、それはよい方向へ向けば、歴史を建設的に動かす原動力となる反面、ひとたび邪悪な野心を持つものがやれば、略奪や殺戮を正当化する最悪の盗賊集団を作りかねない。そしてこの場合、どう考えても後者のようだった。

「これは、無理してでもウェールズを抑えておくべきだったか」

 熱狂の度を上げていく群衆の声を聞いているうちに、アニエスは王党派の軍を離れて、遠くに見えるところで歩を止めていた。ここまで興奮の度合いが上がってしまえば、前線に戻ることは危険だと判断したのだ。しかも、歓声は王党派軍だけでなく、後ろからも聞こえてくる。つまり、平民たちもウェールズの声に乗せられているということになる。

 恐らくは、レコン・キスタ陣営でも似たようなことがおこなわれているはずだった。戦いを始めるにいたって、自分たちを絶対正義の使途、敵を絶対悪の非人間だと思い込ませ、殺人の罪悪感を消し去るのは古今東西戦争の常套手段だ。

 風に乗ってやってくるウェールズの言葉は、いつの間にか洗練されたものから、レコン・キスタへの憎しみをむき出しにしたものへ変わっていた。「国を奪ったレコン・キスタの豚どもを殺せ、皆殺しにせよ、やつらは人間ではない、王家の血筋に手をかけた汚らしい虫けらだ、殺せ、殺せ、殺し尽くせ」と。さらにその声に兵士たちの「殺せ」「殺せ」の声が連呼して続き、さしものこの六人も背筋に蛇がはいずるような悪寒を感じていた。

 そうして、群集の歓喜が狂気へと変わったとき、それは起こった。

 一瞬、歓声がやんだかと思ったとき、それまで整然と隊列を組んでいた軍隊の兵士たちが、貧血でも起こしたようにそろってよろめき、全体が波打つように無言のままうごめいたのだ。

「……?」

 ルイズが、夢遊病患者のようにふらつく兵士たちを見て首をかしげた。そして、よろめく兵士たちの中の一人が、離れて見守っている自分たちに気がついたとき。

 

「敵がいるぞぉーっ!」

 

 その叫び声がとどろいたとき、それまで整然とレールの上を走っていたと思われたアルビオン王党派の運命は、脱線してブレーキの壊れた機関車のように暴走を始めた。

「敵を、殺せ、殺せ」

「あれは、敵だ、敵だ」

「殺せ、殺せ、殺せ……」

 力を失っていた兵士たちが、手に持った武器を次々と構えると、口々に殺意を表す言葉を叫びながら、焦点を失った目を幽鬼のように輝かせて向かってくる。

「な、なんなの!?」

「馬鹿! 逃げるんだよ」

 もはや、手遅れだということを彼らが悟るのに時間は必要なかった。

 意味を考えるのは先だ、この状況で棒立ちしているのはバカしかいない。踵を返して全員一目散に駆け出すと、それが引き金になったかのように、兵士たちから鉄砲の一斉射撃が襲い掛かってきた。

「うわっ! 撃ってきやがった」

 銃弾が周囲ではじけて、鈍い音を立てる。距離があるため当たらなかったものの、その射程がアニエスを驚かせた。

「馬鹿な、この距離で銃弾が届くだと!?」

 ハルケギニアで使用されている前込めのマスケット銃の射程は、およそ百メイルくらいしかないはずだ。それなのに、奴らの銃弾は百五十メイルは離れているはずの自分たちのところまで余裕で届いてきた。

 しかもそれだけではない。なんと、単発式で一発撃ったら弾込めに数十秒はかかるはずのそれが、地球の歩兵銃のように連射してくるではないか。

「どうなってるの? こんな強力な武器じゃなかったはずなのに」

「そうか、思い出したぞ!」

 才人は、ロングビルが持ってきた武器についていたエンブレムの意味をやっと思い出した。それは、かつてウルトラ警備隊の時代に、子供におもちゃの武器を配り、さらに子供を催眠状態にした上で、おもちゃの武器を本物に変えて、子供の軍隊で地球を征服しようとした星人がいて、そいつが使っていたのが、あの奇妙な形のワッペンだったのだ。

「なるほど、アンドロイド0指令を応用したってわけか!」

 今の状況は、そのときの状態に非常に酷似している。それで、才人にはウェールズのそばにいるという参謀長の正体が読めた。だが、それで事態が改善するわけではない。

「サイト! あんたそういう重要なことは、もっと早く思い出しなさいよね!」

「すまん! ほんとにすまん!」

 そうは言っても、数千ある怪獣事件を完璧に覚えきるということは簡単ではない。それでも、アンドロイド0指令を下敷きにした作戦だというのなら、大体の見当はつく。

「ヤプールの作戦ってのは、王党派とレコン・キスタの軍隊を洗脳して兵隊にすることだったのか?」

 しかし、事態は彼の予想したほどに単純ではなかったのである。

 逃げる彼らの行く先に、避難しているはずの平民たちが、次々と虚ろな表情で現れて、壁のように立ちはだかってきたのである。

 

「え……まさか」

 

 そのまさかであった。こちらの姿を見つけた平民たちは、奇声を張り上げると、手に手に棒切れやシャベル、つるはしなどの凶器になるものを振り上げて、ゾンビの群れのように襲い掛かってきたのだ。

「きゃあっ、なんなのよ!」

「パニックになるな、円陣を組んで身を守れ! ミシェル、お前も手を貸せ」

 アニエスの指示で、六人は背中合わせに丸く陣形を組んで、襲ってくる人々を迎え撃った。ミシェルも、ここに来る途中の川原で拾っていた自分の杖を渡されて、自分を背負っているせいで戦えない才人の代わりに呪文を唱える。

 しかし、ただの人間相手に殺すような攻撃をするわけにはいかない。キュルケのファイヤーボールを、相手の手前で炸裂させて炎の壁を作り、ルイズの爆発でけん制し、ミシェルが土壁を作って防御するのが精一杯。しかも正気を失った人々は、吹き飛ばされはしても、痛みを感じていないように起き上がってくる。

「ちくしょう、どうなっているんだよ!」

 ついさっき、ソーセージを買った屋台のおじさんが、目を血走らせて包丁を振り下ろしてくる。その顔に、あのときソーセージを一本おまけしてくれた気さくさはなく、殺人鬼のような狂気に溢れている。

「ミス・アニエス、これじゃすぐに押し切られてしまいますわよ!」

 石を投げて応戦していたロングビルが、焦りを隠せずに叫んだ。平民たちが操られているのは確かだが、ここで彼らを正気に戻す方法がなくては、いずれ圧倒的な人数の差に押しつぶされてしまう。

「ミシェル、屋根の上への道を作れ!」

 アニエスに言われて、ミシェルは土魔法で地面を隆起させると、近場にあった倉庫の上への道を作り、急いでその上に駆け上がったあとで道を消して、追撃を絶った。

「屋根の上に逃げて、一安心か。こんな映画を前に見たな」

 才人は昔観た、地底から襲ってくる怪獣と砂漠の町で人々が戦う映画のワンシーンを思い出してつぶやいた。あのときは確か、トラックの屋根から岩から岩へと逃げていたと思うが、高いところに上がって周りを見渡すと、もうすでに陣地全体の平民たちが暴徒化しており、逃げ場はどこにも残っていないとわかって愕然とした。

「軍隊と、平民、合わせて十万人が、いっぺんに洗脳されてしまったというのか!?」

 さしもの豪胆なアニエスやロングビルも、視界を埋め尽くす暴徒の群れには平静を保ってはいられなかった。人間の心を操る魔法というものはあるが、ここまでの人数を、しかも当然ながらレコン・キスタ軍も同じように操られているであろうから、総勢二十万人を一瞬で操作するとは、たとえエルフの先住魔法でも不可能だろう。

「隊長、見とれている場合ではありません。登ってきましたよ!」

 ミシェルに言われて、はっとして倉庫の下を見下ろすと、群集たちが次々と倉庫の壁をよじ登ってくる。見ると、近場のほかの建物の屋根にも人々が上がってきており、飛び移ることもできない。

「くそっ! ミス・ツェルプストー、飛んで逃げることはできんのか?」

「わたくし一人だけならできますけど、この人数を抱えて、あの距離を飛ぶのは無理ですわ」

 アニエスは歯軋りをしたが、魔法とて万能ではないことを彼女もよく知っている。せいぜい登ってくる暴徒を叩き落とすのが精一杯で、それも一時しのぎにしかなるはずがなかった。

「くそっ、これまでか」

 十万の暴徒のど真ん中に取り残され、脱出する術はもはやない。倉庫の屋根の上には、こちらが払い落とすよりも多く暴徒どもが上がってきて、しだいに屋根の中央に追い詰められつつあった。

 しかし、六人があきらめかけたそのとき、空のかなたから耳慣れた風竜の鳴き声が聞こえてきたのだ!

「きゅーい!」

「あ、あれは!」

「シルフィード!? タバサ、来てくれたのね!」

 まさに、天の助けとはこのことだった。タバサは、突風を起こして迫りきていた暴徒を払い飛ばすと、すぐさま六人をシルフィードの上に乗せて飛び立ったのだ。

「助かったわ、いいところで来てくれてありがとう」

「死ぬかと思ったわ、それにしてもでっかく借りができちゃったわね」

 やっと胸をなでおろしたキュルケやルイズが、変装用の鎧を脱ぎ捨てながら口々に礼を言うのを、タバサはいつもどうりの無表情で。

「ナイスタイミング」

 と、だけ答えて、その後アニエスやミシェルの姿があるのを見て首をかしげた様子だったが、才人が簡単に補足説明した。

「というわけで、今じゃ間違いなくおれたちの味方だよ。おれが保障する」

 ミシェルの素性を聞いたタバサは表情を変えることはなかったが、才人の真剣な様子と、ミシェル自身の「だましていてすまなかった」という言葉に、「そう、わかった」とだけ答えると、花壇騎士として常備している特製の傷薬を黙って渡してくれた。

 

 空中から見下ろすと、すでに洗脳操作は両軍に完全に行き届いたと見えて、眼下には死人の群れのような人間しか見えず、それらは次の命令を待っているかのように、その場でうごめき続けている。ここまでくれば、これまでに見つけた数々の不審な証拠や出来事が、すべて一本の糸につながって見えてきた。

 まず、ウェールズとクロムウェルを操り、戦闘をこう着状態にした上で、ブラック星人などを使って、平民も可能な限り集め、好待遇でウェールズへの信頼感と、依存心を植えつける。さらに、その間に特別製の武器を持たせ、それを持った者を洗脳する準備を整える。

「そして、集められるだけ集めたところで、ウェールズの演説で精神を高揚させて、闘争心を昂らせた段階で操作するという計画か」

 アニエスの推理は、そのほとんどが事実を指摘していた。確かに、二十万人の洗脳ともなれば、これだけの時間と手間をかけてでも成功させたい作戦には違いない。だが、当然ながら洗脳とはなにかをするための手段であって、作戦の最終目的ではないはずだ。

「いったい、これほどの人間をいっぺんに操って、なにをする気なんだ?」

 二十万人の洗脳、それは確かに想像を絶するが、問題はその手段よりもまず、それをした目的であった。才人たちははじめ、それらの大軍団でハルケギニアを攻め落とすとか、集めた人間の生体エネルギーを利用するなどと考えた。しかし、群集がクモの子を散らすように、無秩序に散開し始めると、アニエスはヤプールの目的がそれらよりはるかに恐ろしい事に気づかされた。

「そうか! なんてことだ、奴は二十万人の暴徒を、そのまま利用する気なのだ」

「どういうこと? わざわざ操った人間を、なんで手放すのよ」

「馬鹿! 二十万人もの武器を持った暴徒どもが国中にばら撒かれてみろ、アルビオンは一ヶ月と経たずに壊滅するぞ」

「なっ!?」

 才人たちは愕然とするしかなかった。一口に二十万人といっても、それを兵隊として扱うのならば、トリステインやゲルマニアなどの軍が総力をあげれば撃退することもできる。しかし、無秩序にばらまかれた二十万の獣の群れを殲滅するのは並大抵ではない。二十万人の軍隊を倒すのと、二十万人の盗賊を捕まえるのでは、どちらがより困難なのかは目に見えている。

 アニエスやミシェルも、レコン・キスタなどとは比較にならないほど悪辣なヤプールのやり方に、怒りを覚えた。

「おのれ、なんて卑劣なことを考えるのだ!」

「悪魔の所業だ……」

 これならば、洗脳後は細かな操作をする必要はなく、暴徒と化した人間の凶暴性にまかせれば、あとは高みの見物を決め込むだけでいい。準備段階で見破られる心配はまずなく、作戦が発動してしまったら一瞬でことがすむ。

「ともかく、今のうちに止めないと取り返しがつかなくなるわ!」

「そうよ、早くしないとテファたちも危ないわ!」

 キュルケとロングビルも、さすがに焦りの色を隠しきれなくなっていた。ここで暴徒たちを止められなければ、アルビオンは間違いなく蹂躙され、その後洗脳された人間たちは、トリステイン、ゲルマニアなどにも下ろされて、想像するだにおぞけが走る人間同士の殺し合いがなされることになるだろう。

 もちろん、タルブや魔法学院も同様の目に遭うはずだ。ルイズと才人も、そんなことは絶対に許しておけない。

「サイト、敵のやり口を思い出したんでしょ、方法はないの?」

「確か、洗脳をコントロールしている星人がいるはずだ。そいつさえ倒せれば」

 才人は、兵士たちが操られているのは、武器についている奇妙なエンブレムが洗脳電波(離れたところに思念を送る魔法のようなものと説明した)を受信しており、それを送っている者が、恐らくは人間に変身して近くにいるはずだと説明した。

「なるほどね。けど、ちょっと待ったぁ! これだけ人がいちゃあ、誰に変身しているかわからないじゃない!」

 ルイズはかんしゃくを爆発させたものの、才人の後ろで彼に寄りかかりながら考えていたミシェルは、見当をつけていた。

「落ち着け、ミス・ヴァリエール、これまでのことを思い出してみろ。武器を用意し、この舞台のお膳立てを整えた人間が、ウェールズのそばにいたはずだ」

「そうか、参謀長! 身元不明だっていう、あいつね」

 言われてみれば簡単すぎる答えに、ルイズは指を鳴らして脳内機械の歯車が噛み合った心地よい感触を楽しんだ。

 そいつが、ヤプールの使者だと考えれば、というよりその行動を見てみると、ほかに考えようがない。人間に化けることは、周りから怪しまれずに侵略計画を進められるので、昔から宇宙人たちにもっとも多用されてきた手段であり、ヤプールも、手下の宇宙人を人間に化けさせて潜入工作をさせる作戦を好んでいた。アンチラ星人、メトロン星人jrなどがその例である。

「つまりは、参謀長を見つけ出して締め上げればいいわけね」

「なんだ、簡単でいいじゃない」

 ルイズとキュルケは、いつもの不和とは正反対に、同時に肉食獣のような凶悪な笑みを浮かべた。元々二人とも頭は人並み以上にいいほうなのだが、どちらかというと行動派に性格は属する。また、もう一つ共通することとして、殴られたら殴り返さないと気がすまないという、淑女とは程遠い一面も持っていた。

 ただし、ルイズはそれ以外にも、怪我をいいことに才人にぴったりと張り付いて離れない誰かに対する怒りをぶつけてやろうという、八つ当たりに似たことをたくらんでいたのだが。

 けれど、それで方針が決まりかけたと思ったとき、ロングビルが眼下の草原の一角を指差して叫んだ。

「ちょっと待って! あそこにまだ無事な人がいますわ」

「えっ!」

 驚いて、シルフィードから体を乗り出して見下ろすと、草原の端を、まだ洗脳されていなかったらしい平民が数人、暴徒化してしまった群集から死に物狂いで逃げている姿が見えた。

「おい、助けようぜ!」

「待って、今降りたら私たちも巻き込まれかねない!」

 才人は当然助けようと言ったが、キュルケが彼らのすぐ後ろから追いかけてくる人の波を指差して止めた。

「なに言ってるんだよ、見殺しにする気か?」

 それでも才人はあきらめなかったが、タバサはシルフィードを降下させようとはしなかった。

「これ以上の人数は、シルフィードが持たない」

 そう聞いて、才人もやむを得ずに歯軋りした。成体の風竜ならば、二十人くらいを背に乗せて飛ぶこともできるけれど、なにせシルフィードはまだ幼生体なので、七人でも定員オーバーに近い。これ以上乗せたら暴徒たちのど真ん中に墜落しかねないだろう。

「だけど、逃げられるように援護するくらいはいいだろう。このままじゃ追いつかれて撲殺されてしまうぞ」

 それには、タバサも同意してくれて、追いかけている暴徒たちの正面に魔法で氷の壁を作って、彼らが逃げる時間を稼いだ。

「ようし、今のうちに逃げてくれよ!」

 才人は、逃げながら手を振ってくる人たちに、大きな声で声援を送った。このまま走れば、その先にはミシェルが流されてきた小川があり、そこを渡りきれば、あとは街道に出られる。

 しかし、彼らがその小川の川原にまでたどり着いたとき、才人たちの顔は一瞬で凍りついた。なんと、川原に彼らが足を踏み入れたとたん、川原に散乱していた無数の貝殻が、まるで生き物のように飛び上がって彼らの顔や体に張り付いていったのだ!

「なっ、なんだあれは!?」

 貝殻の群れに、ヒルのように食いつかれて人々があまりの激痛にもだえ苦しむのを見て、ルイズなどは思わず目をそむけてしまったほどだ。しかも、恐怖はそれでとどまらなかった。やがて人々の体に張り付いた貝殻が、ランプのように不気味に点灯しはじめると、取り付かれた人たちは、魂を失ったような表情になり、そのままふらふらと元来た暴徒たちのほうへと歩き出していったではないか。

「寄生生物……?」

 ロングビルが、こみ上げる嘔吐感に耐えながらつぶやいた言葉は、アニエスでさえ背筋をぞっとするにふさわしいものだった。人間に取り付き、思うがままに操る生き物、それがヤプールの用意した第二の手であり、いつの間にか人々はそのテリトリーのど真ん中に住まわされていたのだ。

 そして、それに気づいたときには、その恐怖は才人たちにも襲い掛かってきていた。突然、才人の後ろから手が伸ばされてきたかと思うと、はっとする間もなく彼の首にその腕が巻きついて、強い力で締め上げてきたのだ。

「が、はっ!? ……ミ、ミシェルさん!?」

 首の骨が折れるのではと思うくらいの締め上げに、とっさに手を差し込んで耐えながら、やっとのことで振り向いて才人は愕然とした。

「はははは! 死ねぇ!」

 目を疑う以外になにができたであろう。そこには今まで自分に寄りかかっていたはずのミシェルが、吊り上げた目と歪めた口元で狂気の笑いを浮かべながら、嬉々として自分の首を締め上げてきている顔があるではないか。

「きゃあっ! ア、アニエス、どうしちゃったの!!」

「キュルケ……やめて!」

「きゅーい! いたーい!」

 しかも、横目で見ると、なんとアニエスとキュルケも、ルイズとタバサに襲い掛かっている。どう見ても本気としか見えない殺意でそれぞれの首を絞めており、ロングビルはシルフィードの頭にナイフを突きたてようとしている。誰も、明らかに下の人々同様に正気を失っていた。

「ミシェルさん……や、やめてください……」

 必死で才人は訴えたが、殺人鬼と化してしまったミシェルには届かない。傷を負って弱っているとはいえ、ミシェルの腕力は才人を上回る。しかし、明らかに操られている相手に無理な反撃はできず、タバサも体格で上回るキュルケを振り払えず、杖を取り上げられてしまって抵抗もできていなかった。

「サイト、た、助けて!」

 アニエスに押されて、シルフィードの上から半分近く突き落とされかけたルイズが悲鳴をあげても、才人はどうすることもできなかった。このままでは、三人とも絞め殺されるか投げ出されて、それを免れてもシルフィードが墜落すれば全員死んでしまう。

「く、くそぅ……」

 頭に回る血流がさえぎられて意識が遠くなっていく。このまま、仲間に殺されて死ぬのか、まだ何もできていないのにと、才人の心に絶望がよぎった。

 だが、そのときこの中で唯一生き物でないために無視され、シルフィードの背中の上に放り出されていたがゆえに、状況をずっと冷静に見守っていたデルフの声が才人の耳に響いた。

「相棒! 貝殻だ、その姉ちゃんの胸の中の貝殻が犯人だ!」

「!」

 その声で一気に意識を覚醒させた才人は、ミシェルの服の中に黄色く輝く物体を見つけると、すかさず手を差し入れてそれを引きずり出し、シルフィードの硬い皮膚の上にたたきつけた。

「この野郎!!」

 それは、陶器が砕けるような乾いた音を立てて、破片をシルフィードの背中の上にばら撒いた。だが一瞬後にはタールのような青黒い粘液になって、そのまま空気に溶けるように消えてしまい、同時にミシェルもがくりと力が抜けて崩れ落ちた。

「こいつが……」

 才人は痛む首を押さえながら、その不気味な貝殻の最後を見届けたが、デルフの「早くみんなの貝殻も取ってやれ!」という言葉と、今にも落とされそうなルイズの悲鳴を聞いて、すぐさまアニエス、キュルケ、ロングビルの貝殻も取り出して砕いた。

「ぬ? 私は……」

「あれ? あたし、どうしてタバサにのしかかってるの?」

「え、私、なんでナイフなんか? きゃあっ! シルフィードさん、大丈夫!?」

 目を覚ました三人は、それぞれ記憶が飛んでいることにとまどいながらも、正気に戻ったようだった。ただし、ミシェルは暴れたことによってまた傷が開いてしまったようで、体を押さえてうずくまっていたが、才人に背中をさすってもらうと落ち着いた。

「大丈夫ですかミシェルさん?」

「うう……ありがとうサイト、だいぶ落ち着いたよ」

「よかった、ルイズ、お前は大丈夫か?」

「ええ、助けてくれてありがとうサイト……でもね」

 命が助かったというのに、なぜか下を向いて陰鬱な声で返事をしたルイズに、才人は怪訝な顔をした。もっとも、半瞬後に彼の体はシルフィードの反対側の、ギリギリ落下寸前の位置にまで吹き飛ばされていた。

 

「あんたさっき、ミシェルの胸に手を突っ込んだでしょうがぁー!!」

 

 激昂したルイズが、一瞬前に才人の顔面をしたたかにヒットした鞭を振りかざして怒鳴った。

 そう、ルイズはさっき才人が貝殻を取り出すために、ミシェルの胸元に手を入れたのを見ていたのだ。けれども、あのときは死にそうでそんなことを考えている余裕もなかった才人は、今度ばかりは理不尽な暴力に黙ってはいなかった。

「お前な、時と場合を考えろ! あのときほかにいったいどうしろっていうんだよ!!」

「うるさいうるさいうるさい! あんたみたいな破廉恥犬なんか、なんかあ!」

「落ち着けっての、こんなことしてる場合じゃないだろうが!」

「うるさーい! どうせあんたはあれでしょ、大きいほうがいいんでしょうが!」

 そう言われてみれば、なんとなくやわらかい感触が手のひらに残っているような気もするので、ルイズの怒りももっともかもしれない。さらに、ルイズはそれに加えて、才人が自分より先にミシェルの身を案じたのが気に入らなかった。むろん、才人としては、傷の深いミシェルのほうを優先しただけだったので、それは理不尽な八つ当たりに過ぎないのだが、これは理屈ではなく感情の発露なのだから、論理的に反論できるはずもなかった。

 しかし、ルイズが怒りのままにさらに才人を蹴り上げようとしたとき、ミシェルが才人の前に、たいして動かない体をおして立ちふさがった。

「よせ、サイトは、また私を助けてくれただけだ。それ以上やるというなら、私が相手になるぞ」

 その瞬間、ルイズの怒りはやり場を失って空中をさまよった。ミシェルが、本気で才人を守ろうとしていることが、ルイズにもわかったからだ。ただしそれが恋心なのか、それとも恩義を返そうとしているからなのかは、キュルケたちとは違って初心な彼女にはわからなかったが、その口が次の言葉をつむぎだす前に、気を取り直したアニエスがルイズの肩を掴んで、押しとどめた。

「やめろ、今はそんなことをしている場合ではなかろう。ケンカがしたいのなら、あとで三人でゆっくりやれ」

 身分ではルイズよりずっと下でも、圧倒的な貫禄差を感じさせるアニエスの命令に、ルイズは才人を睨みながら息を大きく吸い込んで、怒りを心の中に閉じ込めた。

「いいこと、あんたがした不埒な行為は、あとでゆっくり断罪してあげるからね」

 素直でない、と、キュルケは思ったが、こういうのがルイズの感情表現方法なのだから、いまさら変えようもない。人によっては、そんな屈曲したものを嫌悪することもあるだろうけれど、ルイズとて、その未熟さゆえに苦しいのだ。そしてだからこそ、その芯はとても純粋で、とてももろく、本当はとても優しくてかけがえのないものであることを、彼女はよく知っていた。

「ともかく、我らが意識を失っていたあいだに、なにがあったのか説明しろ」

「あ、はい」

 やっと解放された才人は皆に、貝殻に操られていたことを説明した。

「私たちが、操られていただと!?」

「ああ、あちこちの売店でおまけでもらったこの貝殻、こいつもヤプールの仕掛けのうちだったんだ」

 驚くアニエスの前に、才人はパーカーのポケットの中から、残っていた最後の一枚の貝殻を取り出してみせると、彼女もそれが川原で人々に取り付いたものと同一であると納得した。幸い、才人のものはポケットのさらに内側にガッツブラスターが納められていたために取り付けず、残っていたのだが、握っているあいだにもすごい力で体に取り付こうとするので、すぐに叩き割ってしまった。また、ルイズはさらに幸運だったようで、アニエスに押し倒された際に、ポケットの中の貝殻は押しつぶされてしまっていた。

「まさか、そんなところにまで仕掛けを隠していたなんて」

 ヤプールは、人間の心のあらゆる油断と隙に付け込む。いったいどこの誰が、気のいいおじさんの屋台の中に、恐るべき悪魔の申し子が隠れているなどと思うだろうか。これは、武器を通したものと、この貝殻みたいな生き物を利用した、二段構えの洗脳作戦だったのだ。

 そしてさらに、この貝殻が川原に大量に散乱してたことから、ルイズははっと一週間前の、サウスゴータ地方に来る前に、小川で休息をとったときに見つけた貝殻と、この貝殻とが完全に一致することに気づいた。もしあれが、この貝殻と同じものだとすれば、汚染はすでにアルビオン全体に広がっていることさえありえる、それどころか。

「ちょっと、あの貝殻、アイちゃんが宝物にするって持ち帰ってなかった!?」

「なんだって! そういえば、お友達のしるしだって、テファにあげてたような……」

 ロングビルの顔から血の気が引いた。もし、あれをティファニアが身に着けていたとしたら、彼女自身の手で可愛がっている子供たちを殺してしまうことにもなりかねない。いや、同じことがもはやアルビオンのどこで起きたとしても不思議ではないのだ。

「お願い! テファのところに戻って、あの子たちが、あの子たちが危ないわ!」

「落ち着いてくださいミス・ロングビル、今からではとても間に合いませんわ! それよりも、この貝殻もいっせいに動き出したということは、操っている大元がいるはず。それをなんとかするしかないですわ!」

 錯乱しかけたロングビルを止めて、ルイズは才人に、こんな貝殻を操る奴はいなかったのかと尋ねた。しかし、才人とてありとあらゆる怪獣事件を知っているわけではなく、結局原因不明で終わった事件や、防衛隊が結成される以前や、防衛チームMAC壊滅中に起きたアウトオブドキュメントの事件などは記録が少なくて、現れた怪獣の写真や名前程度しか公表されていないのも数あるため、才人にもこれだけではわからなかった。

 けれど、もうお手上げかと、皆の顔に悔しさがにじみ始めたとき、シルフィードが空の上を睨んで、威嚇のような声をあげた。

「シルフィード……あの雲の中……なにかいるの?」

 失われた古代の風韻竜であるシルフィードの感覚をタバサは信じた。さらに自らも、風の系統としての感覚を研ぎ澄ませると、頭上の雲から、邪気のような不気味なものを感じて、タバサは迷うことなく最大の魔力を杖に込めて、特大の空気球をその雲にぶつけた!

『エア・ハンマー!』

 突然のタバサの攻撃に驚く一同の眼前で、特大の風圧をぶつけられた雲は気流を乱され、千切れ砕かれて消えていく。だがその中から、全長七八メートルもの巨体を現したものに一同が慄然とし、才人がその恐るべき名を思い出すのに、半瞬とて必要はなかった。

「な、なんなのよ、あのグロテスクな怪物は!?」

「円盤生物、ブラックテリナ!」

 無数の触手を生やした、黒色の空飛ぶ超巨大二枚貝。それだけでも、その怪獣が持つ、生物でありながら感情を感じさせない無機質な不気味さが、それを見る人間の背筋を凍らせるには充分であった。そしてさらに、空中に不気味に静止するそれが、その巨大な貝殻を開き、中から花火の火花のように無数のピンク色の物体、そう、あの貝殻を噴き出し始めたとき、彼女たちは、これが何万人もの人間を狂わせた、紛れもない張本人であると知った。

「あいつが、ヤプールの本命か! 皆、この貝殻の雨を浴びるな! また操られるぞ!」

 アニエスの言ったとおり、この無数のピンク色の貝殻こそ、小型円盤生物の一種であるテリナQであり、人間に取り付き、思うが侭に操るブラックテリナの分身だった。

『ファイヤーボール!』

『ウィンドブレイク!』

『錬金!』

『念力!』

 頭上から、雨のように降り注いでくるテリナQの大群に、四人のメイジはそれぞれの魔法で振り払おうとし、才人とアニエスも剣を振るって叩き落とそうとする。しかし数百数千と降り注いでくるテリナQは、間隙を塗って次々と彼らの体に食いついていった!

「うわぁっ!」

「やめっ……」

「いやぁっ!」

「ああっ!」

「あぅっ!」

「きゅ、きゅいっー!」

 アニエスが、ミシェルが、キュルケが、タバサが、ロングビルが、さらに今度はシルフィードまでがテリナQの餌食となって意識を奪われていく。

 才人とルイズは、ウルトラマンAと合体しているおかげで操られることはなかったものの、その代わりにテリナQはヒルのように二人の顔や腕など体のあらゆる部分に食いつき、血が噴き出すほどの激痛を与えていく。

「あぐぅぅっ! ル、ルイズ」

「痛い、痛い痛いぃ!」

 すでに皆の体には数十のテリナQが吸血鬼のように吸い付いて、もう引き剥がすことはできそうもなかった。しかも、再び操られてしまったアニエスたちが、武器を持つことさえできなくなった二人に迫ってくる。

「ちくしょう! こんなところで、やられてたまるかぁーっ!!」

 そのとき、才人はルイズを抱えて、シルフィードの背から飛び降りた。すぐにとてつもない風圧が二人を襲い、頭上にアルビオンの大地が急速に迫ってくる。

 しかし、地上へとまっさかさまに落ちていく二人のあいだで、二筋の光が走り、激突寸前に二人を包みこんでテリナQを吹き飛ばした。

 

「フライング・ターッチ!!」

 

 合体変身! 草原の上に、土煙を上げてウルトラマンAが着地する。

 

 間一髪のところで、二人はエースへの変身に成功した!

 そしてエースは、空の上になお轟然と滞空し、テリナQを撒き散らしているブラックテリナへ向けて、地を蹴って飛び立つ!

「ショワッチ!」

 対して、ブラックテリナは、無数に生やした触手の先についた爪を振りかざしてエースを迎え撃とうとする。けれども決して逃がすものかと、エースはブラックテリナの頭上に出ると、そのまま真上から、奴の貝の上の部分を踏みつけるようにして、一気に地上に引きずり下ろした。

「デヤァッ!」

 ブラックテリナとエースは、高度一千メートルの上空から、無人の草原を選んで、轟音とともに隕石のように着地した。

「ヘヤアッ!」

 立ち上がったエースは、まだ生きているブラックテリナへ向けて構えをとった。ブラックテリナのほうも、貝の特性を活かして、地上へ激突したというのにほとんどダメージはなく、部屋の壁をはいずるクモのようにうごめいている。

 

 かつて、ウルトラマンレオを暗殺するために送り込まれたブラックスター八番目の暗殺者が、今度はエースを抹殺するために、その不気味な姿を脈動させ、攻撃の機会をうかがっている。

 けれど、今まさに激突しようとしている両者を、ヤプールが冷ややかな目で見守り続けているのに、エースは気づいてはいなかった。

 

「フッフッフッフ……現れたなウルトラマンA、さあブラックテリナと戦うがいい、そうしなければ人間どもを救うことはできないぞ。しかし、ブラックテリナに勝ったときこそ、貴様の最期となるのだ! ウワッハッハッハッハ!」

 

 

 続く

 

 

 

 

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第72話  ヤプールの罠! 赤い雨の死闘

 第72話

 ヤプールの罠! 赤い雨の死闘

 

 円盤生物 ブラックテリナ

 円盤生物 ノーバ

 高次元捕食体 ボガール

 頭脳星人 チブル星人 登場!

 

 

 ヤプールの尖兵として、無数のテリナQをばらまき、何万人もの人間を殺人鬼に変えた恐るべき怪獣、円盤生物ブラックテリナ。こいつを倒さない限り、テリナQの汚染はアルビオン全体にとめどもなく広がり、やがてはこの巨大な浮遊大陸全土が意思を奪われたゾンビの群れに占領されてしまう。

 才人とルイズは、同じように取り付かれてしまったキュルケたちを救うためにも、これまで散々やりたい放題をしてくれたヤプールに思い知らせてやるためにも、怒りを込めて変身した。

(ヤプールめ、まさか円盤生物まで復活させているとは……だけど、正体がわかったからにはつぶさせてもらうぜ!)

(よくもひどいめに合わせてくれたわね。この恨み、みんなの分も合わせて、百万倍にして返してあげるわよ! そうでしょう?)

(ああ、ヤプールがなにを企もうと、すべて粉砕してみせる。いくぞ!)

 二人の意思を受けてウルトラマンAは、無感情に悪魔のプログラムを進める漆黒の巨大貝に、ためらうことなく挑みかかっていった!

 

「ヘヤァッ!」

 エースは、草原から再び飛び立とうとしているブラックテリナを捕まえて、もう一度地面に引き摺り下ろした。

「デヤッ! ダアッ!」

 そのまま、押し倒したブラックテリナへ向けてエースは枕を殴りつけるようにして、パンチとチョップを叩き込んでいく。なにせ、ブラックテリナは全長こそ七八メートルとかなりの長さを持つが、二枚貝に触手がついたような体形からもわかるとおりに、全高はエースのひざくらいまでしかない。

 しかし、いくら小さいとはいってもブラックテリナも怪獣である。貝殻を閉じた状態ではエースの攻撃も充分な効力を発揮できずに、逆に先端に鋭い爪が生えた触手を振りかざしてエースを襲ってきた。

「デャッ!」

 ブラックテリナの触手に巻き込まれる前に、エースはバックステップで距離をとると、浮遊して貝殻を開いて、体内にある目でこちらを睨みつけてくるブラックテリナに構えをとった。普通、二枚貝に目玉はなく、精々光を感覚的に検知することしかできないが、こいつは普通の貝でいえば内臓に当たるところに人間のような眼球が二つついているという、他に類を見ないほどおぞましい姿を持っているのだ。

 体当たりを仕掛けてくるブラックテリナを、エースはがっちりと捕まえると、そのままさらに人のいない方向へと投げ飛ばした。

「デヤァァッ!」

 森林地帯へ、木々をへし折りながらブラックテリナは転げながら墜落する。このまま草原で戦い続けていたら、ブラックテリナに操られた人々を巻き込んでしまいかねないから、エースは足元を気にして満足に戦えないのだ。

 そのため、その心配さえ取り除いてしまえば容赦する必要はない。

「トオッ!」

 森の中から浮遊してくるブラックテリナへ、エースは走る。

 しかし、ブラックテリナも貝殻を開くと、体内から火花を噴き出して森に引火させ、山火事を起こしてエースを近寄らせまいとしてきた。

(エース、消火しよう)

(ああ)

 接近を阻む炎の壁に向かって、エースは両手を突き合わせて向けると、その先から消火剤を強烈な勢いで噴射した。

『消火フォッグ!』

 消防車の何百倍という水量の放出に、山火事もみるみるうちに消えていく。

(ようし、今だ!)

 むき出しとなったブラックテリナへ向けて、再度エースの攻撃が始まる。炎が消えても、なおも触手を振り回して接近させまいとするブラックテリナへ向けて、突き出したエースの両手の先からひし形の光弾が発射された。

『ダイヤ光線!』

 五連続で発射されて光弾は、爆発を起こしてブラックテリナの表面を焼き、何本かの触手がちぎれとんだ!

「ヘヤァッ」

 チャンスは逃さず。残った触手の攻撃をかいくぐり、ブラックテリナの本体を狙う。しかし貝殻を閉じた状態ではこちらの攻撃も効かないために、エースは奴が殻を閉じて本体を防御する前に、その間に手を差し入れてこじ開けようとする。

「ヌォォッ!!」

 渾身の力で、閉じようとあがくブラックテリナの力をねじ伏せて、殻の中に隠された本体が徐々に白日にさらされていった。

(ようし、そのまま本体をやっつけてしまえ!)

 ブラックテリナは貝の形をした怪獣であるために、貝殻の中身は内臓がむき出しであり、内部の防御力は皆無に等しい。実際、レオと戦ったブラックテリナも、空中攻撃で善戦したものの、貝殻を無理矢理こじ開けられたあとで内臓をつぶされて倒されている。

 だが、ブラックテリナには、生物兵器として改造されて感情はなくても、生命の危機に瀕して自らを守ろうとする生物としての本能は残っている。こじ開けられそうになる寸前、触手でエースの気を一瞬引いた隙に、その巨大な貝殻を閉じてエースの左腕を挟み込んでしまったのだ!

「グォォッ!」

 まるで巨大な万力に締め上げられたかのように、エースの左の腕に激痛が走る。その光景には、安全のために通常は感覚を切ってあるはずの才人とルイズでさえ、精神の顔を引きつらせてしまったほどだ。

(やばい、早く引き抜いてくれ!)

(だめだ、食い込んでいて抜けない!)

 エースは全力で引っ張るが、ブラックテリナの貝殻は深く食い込んでいて抜ける気配がない。しかも、右手だけではこじ開けるのに力が足りない。このままでは、骨をへし折られるか、悪くすれば腕を挟み切られてしまう。

 才人は、なんとかしてブラックテリナの弱点はないものかと考えるけれど、そうすぐには思いつかない。しかし、ここでルイズはブラックテリナの形を間近で見て、ふとあることを思い出した。

 それはしばらく前のこと、学院で才人に得意げに料理を食べさせるシエスタを見て不愉快になり、衝動的に厨房に駆け込んだとき、ちょうどそこでは貝料理を作っていた。もちろん、知能指数と頭のよさは関係ないというふうに、考えなしにルイズは「わたしに料理を教えなさい!」と、コックに詰め寄っていったのだが。

「えー、ではこのオオホタテ貝ですが、こういうふうに殻をがっちり閉じていますので、そこで隙間から包丁を差し込んで貝柱を切れば……」

「もういいわ……」

 そこで、生の食材を調理する現場の生々しさに負けてしまったルイズは速攻でギブアップしたのだった。もっとも後になって思い起こすと情けないことこの上なかったので、迷惑かけたおわびとしてシエスタに菓子折りを届けてもらったのだが、嫌な記憶というのは強く印象に残るものである。

 ただし、嫌な記憶=無駄な記憶という方程式は成り立たない。

(そうだ、貝柱よ! 貝柱を切れば貝は閉じられなくなるわ!)

 そうか! と、エースの脳裏に希望の光がきらめいた。ブラックテリナとて貝には違いない。その急所は!

「デヤァ!」

 ブラックテリナの尾部、上下の貝殻が接着している箇所に狙いをつけると、エースは右手にエネルギーを集中させて、白く輝く丸いカッターを作り上げた。

『ウルトラスラッシュ!』

 エースは、ウルトラマンの八つ裂き光輪と同じ形の円形ノコギリを整形すると、通常は投げつけるそれを手持ちの刃物のようにして、直接ブラックテリナの尾部に向かって振り下ろした!

「ヘヤァ!」

 光のカッターと、硬い貝殻がぶつかりあって火花を上げる。

 だが、カッターの刃の先端は、確かに殻のつなぎ目の隙間を抜けて、その奥にある貝柱に致命的な傷を刻み付けていた。

(開いた!)

 その瞬間、これまで強烈な力で閉じようとしていたブラックテリナの貝殻が、まるでゴムの伸びたカスタネットのようにだらしなく口を大開きにした。当然、今がチャンスだと、エースはすぐさま左手を引き抜いて、もはや決して殻を閉じることはかなわずにもだえるブラックテリナを持ち上げると、力いっぱい空高く投げ上げた。

「トォォッ!」

 バランスをとることができずに、ブラックテリナは回転しながらどんどん高く飛んでいく。

(とどめだ!)

 これまでだ。エースは飛び上がっていくブラックテリナを見据え、もう地上の人々に影響を及ぼさないだけの高度に上がったと確信すると、上空めがけて両腕をL字に組んだ!

 

『メタリウム光線!!』

 

 輝く光が立ち上り、吸い込まれるようにブラックテリナへと直撃した。

 その、圧倒的な光の力の前には、身を守るもののなくなったブラックテリナの本体は到底耐えられない。閃光とともに、体内に収納していた数万のテリナQを燃え盛る火花にして振りまきながら、黒い殺し屋は火炎に包まれて、木っ端微塵に爆裂して消え去った!

 

(やった!)

(よっしゃあ!)

 燃え尽きたブラックテリナの最期に、ルイズと才人は同時に喝采をあげた。

 エースは、まだしびれる左腕を押さえて、じっとブラックテリナの燃え滓の煙を見つめている。

(さすが、かつてはレオを苦しめただけはある。意外にてこずってしまった)

 円盤生物と戦うのはこれが初めてだが、超獣とはまた別種の怪獣兵器の威力には、エースも穏やかならぬものを感じていた。

 けれど、これで少なくともキュルケたちや、平民たちを操っていた本体が死んだために、テリナQも効力を失い、洗脳も解けたはずだ。見下ろすと、平民たちが怪訝な顔できょろきょろとしながら立ち尽くし、彼らにとっては突然現れたはずのエースの姿に驚いている。

 また、時を同じくして、アルビオン中にまかれたテリナQも同時に機能を停止し、取り付かれて刃物を振り上げたり、馬車を暴走させていた人々もすんでのところで正気を取り戻していた。むろん、アイが持ってかえってティファニアに預けられたものも同様で、彼女は子供たちが昼寝をしている寝室に、なぜか包丁を持って立っている自分の姿にきょとんとしていた。しかし、あと一分遅かったら……まさに間一髪だったことを、知るよしもなかった。

 シルフィードの姿は見えないが、彼女たちのことだからまず無事だろう。

 あとは、兵士たちにかかったほうの洗脳だが、それはエースよりも才人たちで動くほうがやりやすい。

 これで、やるべきことはすんだと思ったエースは、空を見上げて飛び立とうとした。

 

 そのとき!

 

「ヌワァッ!」

 突然、飛び立とうとしたエースの背後から、鞭のようなものが伸びてきてエースの首に絡み付いてきたのだ。

(こ、こいつは!?)

 鞭を掴み、振り向いた先に現れていたものを見てエースは愕然とした。例えるのならば、巨大な赤い照る照る坊主。球形の頭にうつろな穴で口と目を描き、垂れ下がった布のような体の左手側から鎌のような武器を覗かせ、右手側から伸びてくる長大な鞭のような触手がエースの首へと絡み付いている。

 その、数百数千ある怪獣の中でも、他の追随を許さないシンプルかつ不気味なシルエットは、才人にブラックテリナ以上の衝撃をもたらした。

(円盤生物ノーバ! そんな、二匹目の円盤生物だってのか!?)

 間髪いれずに襲い掛かってきた円盤生物の連続攻撃。そうだ、ウェールズを操っていた張本人であるノーバも、この戦場に潜んでいたことを彼らは知らなかったのだ。

 そして、エースを掴んだままノーバは眼下の平民たちを見下ろすと、その涙滴型の空洞状になった口から、真っ赤なガスを噴き出した。ガスは霧のように一瞬にして彼らを包み込み、たった今ブラックテリナの洗脳が解けたばかりの人々をまとめて凶暴化効果の餌食にしてしまったのだ。

(ま、まさか……ブラックテリナは、最初から囮だったのか?)

 あっという間に状況を元に戻されてしまったことに、エースも才人もそうとしか思えなかった。考えてみれば、ノーバはメビウスと戦った個体も自分の偽者のマケットノーバでメビウスのエネルギーを消耗させ、そこを狙うというずるがしこい戦法を使っている。もちろん、ノーバの能力ではブラックテリナとは違って、人間を凶暴化させられても操ることはできないので、ブラックテリナがやられた場合の保険という意味合いもあったのだろう。しかし、暴徒をアルビオン中に溢れかえらせようというヤプールの作戦からすれば、どちらでも問題はないので、テリナQで派手に人間を操ってウルトラマンAの気を引き、全力を出しつかせたところを狙っていたのだろう。

 そんな、正々堂々とはほど遠い戦い方しかしないヤプールのやり口に、誇り高いルイズは怒りが爆発する。

(本当に、どこまでも卑劣で姑息な奴らねえ!)

 その怒りはエースにも伝わり、エースは腕に力を込めてノーバの鞭を振りほどき、猛毒ガスで周囲を赤く染めていくノーバに構えをとった。

 だが、エネルギーの減少だけはいかんともしがたく、エースのカラータイマーは無情にも点滅を始める。対して元気一杯のノーバは鞭と鎌を振り上げて、その無機質な外見には不似合いな凶暴な叫び声を上げてエースに向かってくる。

「シュワッ!」

 鞭攻撃をかわして、ひらひらとした胴体にキックを打ち込むが、なんとも手ごたえらしきものが感じられない。また、鎌での攻撃を右腕で受け止めて、頭部へとパンチを打ち込んでも、のけぞりはするがまったく表情が変わらないので、才人にしてもルイズにしても、まるでロボットかガーゴイルを相手にしているようで、とても生き物を相手に戦っているとは思えない気味の悪さを感じ続けていた。

(こんな奴らと、レオは戦い抜いたのか)

 かつてMACステーションを奇襲して、おおとりゲン以外のステーションにいた全隊員を殺し、次々に人間社会に潜入して、人々を騙し、利用し、地球侵略を狙い続けた円盤生物群の恐ろしさを、エースは肌で感じ取っていた。

 しかし、だからこそこんな奴らにこの世界を好きにさせるわけにはいかない。エースは残り少ないエネルギーを両手に集中させて、ノーバに叩きつけた!

 

『フラッシュハンド!』

 

 高エネルギーの電撃によるパンチやチョップには、さしものノーバの手ごたえのない体にも焦げ目をつけて、引き裂くような悲鳴と共にダメージを与えられていく。

 けれども、ノーバが空に向かって叫び声をあげると、それまで夏空を見せていた空が見る見るうちに暑い雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。

(これは、赤い雨……)

 血のように真っ赤な色をした雨が、たちまちのうちに豪雨となって、世界を赤一色に染めていく。

 そう、ノーバは照る照る坊主を模した姿をしているが、赤い雨を呼ぶ能力はあっても晴れることは決してない。真紅に包まれた世界の中で、エースと赤の世界の支配者との第二ラウンドが始まった。

 

 しかし、赤い雨はノーバに元気を取り戻させはしたが、同時に奴自身にも思いもよらぬ副次効果を呼んでいた。群集から離れた場所に不時着したおかげで、猛毒ガスの影響範囲から逃れられ、今まで気を失っていたシルフィードに乗ったキュルケやアニエスたちが、冷たい雨に体を打たれる感覚で、目を覚ましていたのである。

 彼女たちは、視界を覆い尽くす赤一色の世界に驚いたものの、雨音を上回る轟音をあげて戦うエースの姿を認めると、すぐさまシルフィードを飛び上がらせて周囲の状況を確認し、自分たちがどうするべきかを考えた。

「エースを援護しましょう。わたしたちの実力なら可能だわ」

 最初に、もっとも簡単な意見を述べたのはキュルケだった。確かに、メイジ三人が風竜に乗って戦う威力は大きく、以前にムザン星人を倒した経験からも、彼女の自信は当然のものといえた。だが、それは即座にタバサが否定した。

「無理、この豪雨の中では、炎は無力化されるし、土も風も威力は半減する。むしろウルトラマンの邪魔になりかねない」

「あ、そっか……じゃあ、わたしたちにできることはないの?」

 頭の回転は速いが、基本的に単純にものごとを考えたがるキュルケは行動に行き詰った。が、そこは戦闘指揮官として確かな戦術眼を持つアニエスとミシェルが、すでに情報を分析していた。

「ミス・タバサ、この竜を王党派軍の先頭へもっていってくれ。そこにウェールズと、この状況の半分を作り出したやつがいるはずだ」

 アニエスは、最初に王党派軍を操っているものが、ウェールズのそばにいる参謀長であるであろうことを忘れてはいなかった。彼女は、傷の治りきっていないミシェルに直接雨が当たらないように、自分の上着を着せてやり、ミシェルも副長としての役割を考えて、アニエスの考えを補強した。

「幸い、竜などの幻獣は飛んでいませんし、この雨では対空攻撃の精度も落ちるでしょう。むしろ、この雨は好機です。敵が念入りに準備を整えて作戦を起こす奴ならば、恐らく自分の計画が成功するか見届けようとすると思われます。そこを逃げられる前に勝負をかけましょう!」

 むろん、ほかの誰にも依存はなかった。そうと決まれば、タバサはシルフィードをエースとノーバの戦いを避けて飛ばし、殺意を撒き散らして広がりつつある群集と軍隊の上へと向かった。

「そういえば、ミス・ルイズとサイトくんは大丈夫かしら……」

 ロングビルが、目を覚ましたときになぜかいなかった二人を気遣ってつぶやいた。目覚めたあとで、まずはシルフィードで飛び上がって探したけれど、周りには二人の姿はなかった。あの二人のことだから無事だとは思っているが、やはり自分の生徒のことは気になるようだ。もちろん、その気持ちはこの中の誰もが共通のはずで、一番才人の身を案じているはずのミシェルは力強く自らの思いを吐き出した。

「あいつは無事さ。きっとどこかでしぶとく生き延びていて頑張って、あとでひょっこり顔を出してくるに違いないよ」

 片目をパチリと閉じて、微笑む彼女の表情には、いつのまにか才人がウルトラマンを信じるのと同じ輝きが宿っていた。

 

 そのころ、本物のヒーローのようにミシェルの信頼を一身に受けているとは知るよしもないが、才人はなおもウルトラマンAと共に戦っていた。

(光線が来るぞ!)

 ノーバの目が光ったと思った瞬間、才人は叫んだ。ノーバの武器は猛毒ガスだけではない。その両眼から太いレーザー光線が発射されて、寸前で回避したエースのいた先で、木々を十数本吹き飛ばす爆発を起こす。

「トォォッ!」

 反撃のキックがノーバの頭を打ち、巨大なメトロノームのようにノーバの体が大きく揺れ動く。こちらのエネルギーもとぼしいが、ここで負けるわけにはいかないという才人たちの思いが、エースを支えていた。

 

 そして、エースとノーバの戦いが激化しているのを横目で見ながら、シルフィードは雨にまぎれて、ついに王党派陣営の本陣であったウェールズの元へとたどり着いていた。

「王党派のVIPも当然のごとく全滅ね……ウェールズ皇太子は?」

 シルフィードの下には、王軍の中核であったはずの将軍や騎士がやはりゾンビのような無残な姿で徘徊している。昨日まで輝かしい栄光を見つめていた彼らには悪夢だろうけれども、虚栄に釣られて集まった彼らの悪夢が大勢の人々の悪夢に拡大する前に、事態を収拾しなくてはならない。このゾンビの群れの中に、たった一人、したり顔で笑っているやつがいるはずだ、そいつを見つけ出さなくては。

「いたぞ、あれだ!」

 最初に赤一色の風景の中から、唯一この惨状で平然と立っている人影を見つけたのは、もっとも視力のよいアニエスだった。兵士たちを見下ろす壇上に悠然と居座って、薄ら笑いながら、死兵となった大軍を眺めている老人が、犯人でなくてなんだというのか。

 さらにミシェルも確認して、壇上の老人のそばに、一人の豪奢な服を着た青年が倒れているのがウェールズ皇太子その人だと断言した。レコン・キスタに対する復讐心を、ノーバによって利用されるだけ利用されて、最後に全軍の闘争心をかきたてるのに使われると、利用価値がなくなったとたんにぼろ雑巾のように見捨てられたようだ。ノーバが抜けて抜け殻のようになったその姿は、もはや凛々しかったかつての面影はどこにもなく、心の闇にとらわれ続けた者の哀れな末路のみをさらしていた。

「一国を統治する者として、情けない限りだな」

 アニエスの酷評に反論する者はいない。彼の事情はどうであれ、彼自身の心の隙が敵に付け入る暇を与え、このアルビオンを壊滅に追いやったのは事実だからだ。

 それに、ロングビルにとっては彼はかつて自分の一族を離散させた男の息子に当たる。もちろん、親の恨みをその子に向けることは、彼らが自分たちにしたことと同じということはわかっているが、その心中が穏やかなろうはずもなかった。

「皮肉なものですわね。私は王家の権勢を守るためにあなた方に追放されたけれど、そのおかげで、こうして今はあなたの醜態を見下ろすことができます」

 人生、なにがどう転ぶかわからない。ティファニアの件がなければ、ロングビルもこの操り人形の一人にされていたかもしれないのだ。かといって感謝する気は毛頭ないが、彼女もまたヤプールの道化にされていた過去を思うと、ウェールズを他人事だとは思えなかった。

 ロングビルは、もし私やテファの父がまだ健在ならばと想像してみた。強い権限を持ち、有能で忠実な太守であった彼らならばクロムウェルなどにつけこまれる隙を与えずに、もしかしたらこの反乱は未発に終わったかもしれない。

「結局は、自分の手足を切り離して立っていられなくなった国の最後なんて、ヤプールにつぶされなくてもこんなものなのかしらね」

 有能な臣下や、忠臣の咎を攻め立てて追放し、ひたすら王家に媚を売るものばかりが残れば、国は当然のように弱体化していく。もちろん、それはウェールズの責任ではなく、先王ジェームズ一世の厳格な法統治ゆえなのだが、その人間より法を重んじる厳格すぎる姿勢が、かえって自らの足をすくったことになる。法は人を守るべきものであり、支配するものではないはずなのに。

 だが、それでもアニエスはアンリエッタ王女から賜った、ウェールズ皇太子を救出するという任務を忘れてはいなかった。

「不本意であるが、王女殿下の命令だから助けてやる。それに貴様は、こんな事態を招いた責任をとってもらわねばならんからな」

 倒れているウェールズは、洗脳が解けただけであるから恐らく生きている。ロングビルは多少しぶい顔をしたが、この内乱が終わったあとに国を迅速に立て直すには、ウェールズが中核として必要であるとわかるので自分を納得させた。

 それに、ウェールズもこの内戦が始まる前までは、本当に人望高い立派な王子だったという。ただ軍事的、政治的才幹が乏しく、反乱を抑えられなかったのは彼にも責任の一端がないとはいいきれない。ただし、それも彼自身はまだ二十にも届かない若年で、精神的に成熟しきっておらず、またアンリエッタ王女のようにアニエスやマザリーニのような信頼できる副官もおらず、裏切りが続く中で猜疑心の虜になっていったのは、人間として仕方があるまい。

 目が覚めたら、ウェールズにとってはつらい現実が待っているであろう。それでも、そのときはトリステインのアンリエッタ王女が支援を惜しまずに、彼さえその気になればトリステイン、アルビオンの両国に深い友愛が結ばれることも充分にありえる。

 それに、本当に許せないのは、そんな孤独なウェールズの心を道具のようにもてあそび、数え切れないほどの不幸を撒き散らそうとしている悪魔たちのほうだ。

 彼女たちは、あれをやると目配せしあうと、赤い雨にまぎれて一気に上昇し、死角から一気に老人めがけて急降下した!

『ジャベリン!』

 空気中の水分、すなわち赤い雨を凝結させた真紅の氷の槍がタバサの杖の先で瞬時に形成され、彼女はそれを真下の老人へ向かって勢いよく振り下ろした。

「やったか?」

 ジャベリンが、老人の胴体に突き刺さり、枯れ木のような小柄な体がよろめき、攻撃をおこなったこちら側を凝視してくる。それで、彼女たちは今度こそ百%の確信を得た。胴体をぶち抜かれて、生きていられる人間などいるわけがない。

 彼女たちはシルフィードから飛び降りてウェールズを回収し、さらに油断なく杖の先を老人に向ける。

「おのれ、まだ生き残りがいたのか、小ざかしい虫けらどもが……」

 参謀長だった老人は、胴体に氷の槍をつきたてたまま、憎憎しげにつぶやいた。そこには、自らの立てた計画に従わなかった異分子に対する憎しみが満ちていたが、そんなものに彼女たちはかまわず、キュルケが一笑のあとによく通る声で勝利宣言をした。

「人間をなめるから、そういうことになるんですわ。さっさと正体を現しちゃいなさい。せめて楽にあの世に行かせてあげるわよ」

 すると、老人はキュルケの挑発に激昂したかのように醜く顔を歪ませると、その頭が見る見るうちに膨らんで、直径一メイルほどの大きな球体の下に目と口がついた異形の頭部に変形した。ついでジャベリンを打ち込まれた胴体は逆に見る見る縮小し、クモの足のような触手がだらりと下がったものだけが残った。総じて風船のような頭に触手だけを持つという、異様な姿の星人へと変形したのだ。

 アニエスが、キュルケがつばを飲んでその異形を睨みつける。

「それが、貴様の正体か」

「胴体は見せかけだったのね、どうりでジャベリンも効かないわけだわ」

 頭脳星人チブル星人……それが、参謀長の正体。

 こいつこそ、かつてウルトラ警備隊の時代にアンドロイド0指令という、子供を洗脳して兵隊にする計画を立てた張本人であり、その準備の周到さと人間の思考の盲点を突く悪賢さをヤプールに見込まれて、奴に雇われた宇宙人の一人であった。

「油断しないで……」

 タバサが注意を喚起すると、皆がそれに従った。これまでの経験から、宇宙人はそれぞれ特殊能力を持っていることが多く、うかつに手を出せばどうなるかわからないからだ。

 対して、チブル星人は奇怪な鳴き声を発しながらも、変身してからは一言も人間の言葉を発しなかった。しかし、奴の鳴き声に合わせるように周りの人間たちがゆっくりと振り返ってその武器を、彼女たちに向けてきた。

「兵隊たちが!」

 剣や槍、杖がゆっくりと彼女たちの方向を向いてくる。こいつは、その巨大に発達した脳を利用して、脳波指令によって一気にその受信機を身につけた大量の人間を操ることができる。

 だいぶん散らばっているとはいえ、王軍の本陣であるから兵隊は精鋭ぞろいでまだ三十人は残っている。これだけの兵隊から一斉攻撃を受けたらいくら彼女たちでもひとたまりもない。

 しかし、アニエスは事態を改善する最短で最良の方法を選んだ。自らの剣を不気味に浮遊し続けるチブル星人へ向かって投げつけたのだ!

「ちょ、アニエス!?」

 キュルケが叫んだときには、すでにアニエスの剣はチブル星人を深々と貫き、その後頭部にまで貫通、致命傷を与えていた。

「え……」

 アニエス以外の全員が呆然とする中で、チブル星人は壇上の床に落ちて、少しのあいだ足を痙攣させていたが、やがてまぶたを閉じると、そのまま氷が溶けるように雨の中に消えていってしまった。

「よ、弱い……」

 あんまりにもあっけなさ過ぎる星人の最期に、一同はそろってあっけにとられてしまった。いちかばちかで人間たちを操っている星人を狙おうとしたアニエスも、予想を上回りすぎる戦果に喜ぶ気も失せてしまったほどだ。

 だが、チブル星人は頭脳と引き換えに体を退化させてしまった宇宙人なので、その脆弱さは人間以上で、過去もウルトラセブンのエメリウム光線一発で簡単に倒されてしまっている。自らの代わりに戦わせるアンドロイドや、人間の洗脳計画を立てるのはその裏返しともいえた。

 どっちみち、星人の見た目の不気味さに警戒して、手を出せずにいたキュルケやタバサは騙されたようでいまいち不愉快だった。それでも星人が死んだおかげで、武器を上げかけていた兵隊たちも、糸の切れたマリオネットのように次々と泥の上に倒れていった。

「なんか釈然としないけど、洗脳は解けたみたいね。王子様のほうはどう?」

 キュルケに問われて、彼を介抱していたロングビルは、洗脳の後遺症で昏睡状態に陥っているけれど、生命には別状なさそうだと答えた。後は、ほかの人間も正気を取り戻したあとで、本職の医者に見せるしかあるまい。

 ただしウェールズを連れて行くわけにも、かといって見ず知らずの自分たちがここに残るわけにもいかない。そこで、彼を司令部用と思われた近くの大き目のテントに運んで、そこの簡易ベッドの上に寝かせた。

「わたしたちにできることはここまでね。とりあえずこれでヤプールの計画は頓挫させられたのかしら」

「いや……まだあの赤い怪獣がいる。あれを倒さない限り、ヤプールは何度でも計画を立て直せる」

 タバサがいまだに降りしきる赤い雨のかすむ先で、なおも戦い続けているウルトラマンAとノーバの戦いを仰ぎ見ると、キュルケはふっとため息をついて、それから気持ちを切り替えるように、濡れた髪をかきあげた。

「そうか……三段構えの作戦とは、その執念には恐れ入るわね。でも大丈夫よ、エースが負けるわけないじゃない」

 陽気にウィンクしてみせ、一行はそうだなと互いと自分に確認しあった。

 ウルトラマンAとノーバの戦いは、まさに佳境を迎えていた。

 エネルギーがブラックテリナ戦で消耗していたとはいえ、エースはノーバと互角以上に渡りあい、追い詰めていっている。これならば、もうエースの勝利は揺るぎないだろう。そう思い、彼女たちはこの戦いの最後を見届けるべく再び飛び立とうとしたが、その直前で笑顔を引きつらせた。

 なぜなら、ノーバに今まさにとどめを刺さんとするエースの背後に、どす黒い次元の裂け目が出現したからだ。

「あれは……エース、危ない!」

 キュルケとロングビルが絶叫し、その声がエースに届くのと、エースの背中に青黒いエネルギー弾が炸裂したのはほぼ同時だった。

 

「グワァァッ!」

 無防備な方向からの奇襲を受けて、エースは吹き飛ばされて地面にうつぶせに倒れこんだ。

(あ、あれは……まさか)

 次元の裂け目からその姿を現し、エースに不意打ちをかけたその怪獣を、才人はよく知っていた。かつて、健談宇宙人ファントン星人が地球に落とした非常食料『シーピン929』が圧縮を破って巨大化し始めた事件で、GUYSはシーピンを宇宙空間まで移送する作戦を立て、才人はその光景を生中継で見ていたが、作戦開始寸前にそいつは突如現れた。

(高次元捕食体、ボガール……)

(馬鹿な、円盤生物に続いて、ボガールまでも復活させたというのか!)

 エースすら、目の前の光景を信じられなかった。ボガールのことはエースも知っている。宇宙の星々の生命を食い荒らし、果てしなく強大化を続け、なおかつ宇宙警備隊の追撃もかわし続けた、あのボガール一族の中でも特に進化したこいつを蘇らせられるとは、この短いあいだにヤプールの力は想像を超えて巨大化していたのか。

 そのとき、赤い雨の中にとどろくように、異次元のかなたからヤプールの忘れようもない声が響いてきた。

 

「ふぁーはっはっは! 罠にかかったな、ウルトラマンA」

「ヤプール!」

「先日のノースサタンに続いて、ブラックテリナに、さらにノーバをも連戦して倒しかけるとはさすがだな。だがここまでは敵ながらあっぱれとほめてやるが、まだエネルギーは残っているか?」

 やはりそれが狙いだったのかと、エースや才人たちは内心で歯噛みをした。だが、それよりも、これほどの怪獣軍団をヤプールが作り上げていたことが脅威である。

「ヤプール、貴様どうやって円盤生物やボガールまでも蘇らせたのだ?」

「ふははは! 以前お前たち兄弟の末っ子と戦ったロベルガーやノーバは、皇帝の命を受けて俺が再生に協力したのだ。ボガールは、怪獣墓場に漂っていたのを復活させるのには骨を折ったが、以前貴様に言っただろう。この世界に満ちるマイナスエネルギーの規模は地球をしのいでいる。我らの捨て駒として充分役に立ってくれたこの国の王子一人にしても、復讐心、猜疑心、破壊衝動、わしがあれこれ手を加えるまでもなく、闇のとりこになっていた。おかげで、軍団の再編も滞りなく進んでいるわ!」

 ヤプールの一人称がコロコロ変わるのは、奴が多数の意識の集合体であるからだろう。さらにホタルンガ戦のときにヤプールが言っていたことが、ここまでの巨大規模だったということがエースを愕然とさせた。

 人間の汚れた心、マイナスエネルギーの発生にとって、ハルケギニアの中でも特に内乱中のアルビオンが有力だったのは今さら驚くことでもない。しかし超獣だけならまだしも、系統のまったく違う円盤生物やボガールまでもこれほどの数を操っているとは。

「貴様が、この国の争いを画策したのか?」

「ふん、我らは人間同士の小ざかしい争いになどは興味はない。それどころか感謝してもらいたいものだ。中々こっけいな見世物ゆえに、少々長引くようにしてやったが、我らが手を加えなければ、あやつらは当にどちらかが皆殺しになるまで戦い続けて、貴様の嫌がる大量の死者が出ていただろうからな」

 盗人猛々しいとはよく言ったものだ。それでも、アルビオンの人々が自ら生み出した邪念……貴族にとっては権力欲、支配欲。平民にとっては戦争に便乗した金欲、物欲また双方に共通する復讐心……持てる者、身分が上の者への妬み、嫉み、それらの邪念が、怪獣という形に変わって自分たちに襲い掛かってきているのは間違いなかった。

「ウルトラマンAよ、もう一度聞くが、こんな醜く歪みきった世界を、守る価値などがあるのか?」

「ヤプールよ、その問いに対する私の答えは常にイエスだ。人間には醜い心も確かにある。しかし、美しい心を持った人間も決して絶えはしない。この世界にそうした人が一人でも残っている限り、私は戦う」

 正義と悪、光と闇、守るものと壊すもの、そして未来を信じるものと奪おうとするものは、けっして相容れることはなかった。

「ふふふ、まあ貴様ならそう言うだろうと思ったが、まだまだ我らの計画は序の口だ! 無数の怨念を滞在させているのはこの国だけではない。貴様一人がいくら奮闘しようと、この世界の滅亡は止められぬ! ウルトラマンA、貴様が守ろうとした人間の心が蘇らせた悪魔によって死ぬがいい、ゆけボガール、エースを食い殺せ!」

 ヤプールの声が終わるよりも早く、ボガールは自分に命令するなとばかりにヤプールの声の響いてきた空間の歪みに、腕から発射した波動弾を撃ち込んで消滅させると、エースに襲い掛かってきた。

「ヘヤッ!」

 突撃してくるボガールを正面から受け止めて、力負けすることなくエースは食い止めた。もうカラータイマーの点滅は相当に早くなっているが、まだまだ不完全なボガールにやられはしない。

 だが、正面のボガールを受け止めた隙に、エースの背後からノーバが鎌状の左腕を振り下ろしてきた!

「ヌワァッ!」

 火花が散って、エースの巨体が崩れ落ち、倒れこんだエースをボガールが蹴り上げる。

(くそっ、挟み撃ちかよ)

(もう……ほとんど力が残ってないっていうのに)

 勝ち誇るボガールを見上げて、才人とルイズは苦しげな声を漏らした。通常はエースは二人の安全のためにと、肉体のリンクを切ってあるが、ダメージの蓄積量が一定を超えると二人にもダメージが行ってしまうこともある。以前のザラガス戦で、エースの受けた目潰しが二人にも反映されてしまったことがその顕著な例で、今はまだ疲労感が襲ってくる程度だが、このままでは二人とも衰弱が進んでしまう。

 なのに、残りわずかな生命力を振り絞って、エースは立った。

(だが、やるしかない! ここで負けたら、何十万という人間同士が殺しあう惨劇が生じてしまう)

 それを避けるためにも、エースは引くわけにはいかなかった。むしろ、そうしてエースの退路を絶つことも、ヤプールの策謀が悪辣極まりないことを示すよい証左であっただろう。

 ただ、そのために同化している才人とルイズまで生命の危険に晒すことはエースの本意ではもちろんない。しかし、ここで引いて世界が地獄と化することは、二人にも承知できることではなかった。

(おれなら大丈夫だ、だから気にしないで戦ってくれ)

(このくらいで、へたる……わけないでしょう。余計なことを、気にせずに……さっさと終わらせちゃって)

 二人とも、フルマラソンの後のような疲労感に襲われているはずだが、文句の一つも言わずに、わずかな自分の生命エネルギーさえ分け与えてくれた。

 その思いを無駄にしないためにも、エースは二体の凶悪怪獣へ向けて立ち向かう。

「トァァッ!」

 だが、心とは裏腹に、エースのエネルギーは底を切り、疲労も限界に達していた。

 ボガールとノーバが同時に光弾と光線を放ってくるのをエースは避けられずに、直撃を受けて思わずひざをついた。

「グゥゥ……」

 動きの止まったエースに対しても、二匹は攻撃の手を緩めない。ボガールの尻尾が蛇のように伸びてきてエースを突き倒し、飛び上がって円盤形態になったノーバが、高速回転しながらカッターのようになったマントで体当たりをかけてくる。

「ウワァァッ!」

 もし、エースが万全の状態であったならば、ボガールとノーバの二匹が相手でも充分に戦うことはできただろう。だがヤプールの言うとおりに、スノーゴン、ノースサタン、ブラックテリナときて、この二匹と、あまりに短期間に続いた連戦によって、エースのエネルギーは衰亡しきっていたのだ。

 そしてついに、ノーバがエネルギー切れ寸前に陥ったエースを、後ろから鞭と鎌で羽交い絞めにして動きを封じると、ボガールは背中に羽のように収納されていた捕食器官を、牙がびっしりと生えた口のように大きく広げて迫ってきた!

(くそっ、おれたちをエサにするつもりか!)

 才人はボガールの意図を正確に見抜いたけれど、エースのカラータイマーはもう消滅寸前にまで点滅を早めている。たった一つの光線を撃つエネルギーも、組み付いたノーバを投げ飛ばすだけの体力も残されてはいなかった。

(くそっ、負けられない、負けるわけにはいかないんだ!)

 それでもエースの心は折れないが、今頃ヤプールは念願だった宿敵の最期を前にして、異次元で大笑しているだろう。命令に従わないとはいえ、ボガールは飢えを満たそうと、捕食器官を全開にして着実にエースに迫ってくる。

 

 しかし、ヤプールはエースを倒すことに固執するあまり、一つだけ完全な計算違いを犯していた。

 はじめからこの戦いをじっと見守っていた一対の眼。それはずっとウルトラマンAとその敵を値踏みするように、戦いの一部始終を冷徹な思考で監視し続けていたが、その者にとって、宇宙の調和を乱す存在、ボガールの出現を持ってついに動いた。

 天空を覆い尽くしていた黒雲が切り裂かれ、陽光とともに一筋の光の矢が今まさにエースを捕食しようとしていたボガールの背中に突き刺さったのだ!

 

『ダージリングアロー!!』

 

 爆発とともにボガールが吹き飛ばされ、その余波で驚いたノーバの力が緩んだ隙に、エースは脱出に成功した。

(あれは……)

 エースは、そしてキュルケたちは、晴れ渡っていく空の下で、金色の光に包まれながら、血のようだった赤い雨とはまったく対照的に、邪悪を焼き尽くす炎のような力強い真紅にその身を包んだ戦士を見た。

 

「もう一人の……ウルトラマン」

 

 光に圧倒されるように消えていく暗雲を背中に見ながら、誰のものともしれない呟きがシルフィードの背に流れたとき、本来交わるはずのなかった異世界の光が、最初の邂逅を果たしたのだった。

 

 

 続く

 

 

 

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第73話  反撃開始! 二人のウルトラマン

 第73話

 反撃開始! 二人のウルトラマン

 

 円盤生物 ノーバ

 高次元捕食体 ボガール

 ウルトラマンジャスティス 登場!

 

 

 ヤプールの悪辣な罠にかかって、円盤生物ノーバと高次元捕食体ボガールの挟み撃ちによって、絶体絶命の危機に陥ったウルトラマンA。

 しかし、もはやこれまでかと思われたそのとき、ノーバの作り出した赤い雨の黒雲を打ち破り、一閃の光がボガールを撃ってエースを救った。

 そして、黒雲を消し去った光芒の中から姿を現した赤い巨人。それは、かつて超獣サボテンダー、さらにレッサーボガールを倒した、この世界の宇宙を守る戦士。

「グ……キサマハ……」

 ボガールは、以前自分の手下を全滅させ、自らにも手傷を負わせた仇敵の姿を見て憎憎しげにつぶやいた。しかし、邪悪な者たちにとっては憎らしいものにしか感じられないだろうが、心ある人間たちにとっては光と希望の象徴と見えた。

「あれはまさか、ティファニアの言っていた」

「もう一人の、ウルトラマン!」

 輝きを取り戻した太陽の下を飛ぶシルフィードの上で、キュルケやロングビルの驚愕と歓喜のまざった歓声が、空へと吸い込まれていく。

 今こそ、全世界の命運をかけた戦いは新たなラウンドを迎えたのだ!

 

「デュワッ!」

 エースの危機を救ったウルトラマンジャスティスは、右腕を前に突き出すファイティングポーズをとって、思いもよらない敵の出現に動揺するノーバとボガールを威圧する。

「ハァッ!」

 構えを解き、ジャスティスは二匹の怪獣をめがけて走り出す。当然、二匹は向かってくる敵を迎え撃とうとしたが、ジャスティスが地を蹴ったと二匹がその目で認識した瞬間には、ジャスティスは一瞬にしてマッハ3.5の最高地上走行速度にまで加速し、その姿はすでにボガールの正面にまで達していた。

「速い!」

 距離にしたら一千メイルはあろうかという距離を、常人ならば瞬間移動したかのようにさえ思ったであろう速度で駆け抜けたジャスティスの俊足には、『雪風』の異名をとるタバサでさえ驚嘆するしかなかった。だが驚いている暇もなく、ジャスティスの攻撃はさらに突風のように二匹に襲い掛かる。

「デヤァッ!」

 ジャスティスのハイキックがボガールの顔面を打ち、無防備だった鼻っ柱に強烈な一撃を食らったボガールはたまらずに、よろめきながらあおむけに転ばされる。ついでノーバには左ストレートを打ち込んでひるませた後、その頭をドッジボールの玉のように掴んで、ボガールに向かって投げつけた。

「ダァァッ!」

 起き上がろうとしていたボガールにノーバが頭から突っ込んで、両者は鞭やマントを絡ませてもんどりうった。

「すごい……」

 新たなウルトラマンの力も、エースに勝るとも劣らないすさまじさに、誰もが呆然として見とれた。

 けれど、ジャスティスは絡み合ってなかなか起き上がれないでいるボガールとノーバに追撃をかけようとはしなかった。くるりと振り向くと、力を使い果たし、ひざを突いてカラータイマーの点滅を消えかけさせているエースに歩み寄っていく。そして自らもエースのかたわらに片ひざをついて、無言でエースの右手をとると、エネルギーを光の粒子に変えてエースへと送り込んでいった。

『ジャスティスアビリティ』

(これは……エネルギーが、回復している)

 巨大化状態すら維持できなくなりかけていたエースのカラータイマーが青に戻り、同化の影響で疲労感が溜まっていた才人とルイズも楽になってくる。

「あなたは?」

 力を取り戻したエースは、無言で見守っているジャスティスに問いかけたが、ジャスティスは立ち上がると、構えを取り直して冷静にエースに告げた。

「話は後だ」

「……!」

 見ると、転ばされてもつれ合っていたボガールとノーバがようやく起き上がって、再びこちらへと叫び声をあげてきている。二匹とも、まだまだ余力があると見え、むしろ表情を持たないノーバさえ怒りに燃えているという風に鞭と鎌を高々と掲げて、口からは凶暴化ガスを漏らしている。

 だが、邪悪に対する怒りならばウルトラマンは負けない。

 

「デヤァッ!」

「デュワァッ!」

 

 並んで同時に構えをとったエースとジャスティスは、真正面から二大怪獣を迎え撃つ。

「よっしゃあ、これで二対二よ。いっけぇー!」

 キュルケの叫びがゴングとなったかのように、戦いの最終ラウンドの幕は切って落とされた!

「トォーッ!」

「ドァァッ!」

 エースが空中に飛んでノーバを蹴りつけ、ジャスティスは捕食器官を全開にして飛び掛ってくるボガールを受け止めると、圧倒的なパワーで地面に叩き付ける!

 対して、まさかこの場にレッサーボガール戦以降、ずっと未確認の存在であったウルトラマンジャスティスが乱入してくるとは計算していなかったヤプールは。

「うぬぬ……なにをしている! 二人まとめて早くやっつけてしまえぇー!」

 と、焦って叫ぶが、それこそこれ以上策がないことをエースたちに露呈してしまうだけの結果となった。確かに、エース一人だけを対象にしたならば、二十万人の人間を人質同然にしてエースに連戦を強いて消耗させて倒すヤプールの作戦は完璧といえた。ただしそれも他のウルトラマンの救援という事態までは盛り込まれておらず、ナックル星人やババルウ星人、ギロン人やリフレクト星人なども勝利寸前で大逆転を許している。唯一それを計算に入れて勝利できたのはヒッポリト星人くらいだ。

 二人のウルトラマンの攻撃を受けて、ダメージを受けた二匹はなおも持ち前の凶暴性を発揮して逆襲に転じようとする。しかし、それも無駄だった。

 ボガールはエースに向かって波動弾を放つが、エースは体の前で腕を回転させて作り上げたバリアで身を守る。

『サークルバリア』

 全弾を跳ね返されて、腕を震わせて悔しがるボガールの隣から、ノーバはもう一度円盤形態になって、高速回転しながらジャスティスに体当たりをかまそうと突進しても。

「ヌゥンッ!!」

 なんとジャスティスは突撃してきたノーバのマントのすそを真正面からがっちりと受け止めると、そのまま九万トンの握力を込めて回転を無理矢理に止めてしまった。そしてたまらず円盤形態を解除したノーバを、まるでハンマー投げのひも付き鉄球を振り回すように両腕ですそを掴んだままぶん回し、さらにそのままパワーに任せて勢いよく地面に何度もノーバの頭を叩き付けたのである! 

 もちろん、エースも受けてばかりではなく、さっきまでのお礼とばかりに腕を胸の前でクロスさせ、左右に勢いよく開くと同時にカラータイマーから虹色の光線を発射した!

『タイマーショット!』

 かつて超獣スフィンクスを粉々に粉砕した必殺光線が炸裂し、ボガールは吹き飛びこそしなかったものの、大爆発によろめいて、体の前半分を黒焦げにしてひざをついた。

 もはや、形勢は完全に逆転し、シルフィードから見守る面々の顔も一様に明るく強くほころんでいる。

「やったやったやったぁー! 見たか悪党どもー! あっはっはっはっ!」

「キュルケ……テンション上がりすぎ……」

「隊長、勝てます、勝てますよこれは!」

「ああ、もう大丈夫だ。よぅし、そのまま逃がさぬように一気にたたみかけろ」

「な、なんだか展開についていけなくなってるんですけど……とりあえずがんばれー!」

「きゅーい!」

 そうだ、ジャスティスと、完全回復したエースがタッグを組んだ以上、ボガールとノーバといえどももはや敵ではない。

 ジャスティスは連続して叩き付けた末にぼろきれのようになったノーバをボガールに向かって投げつけると、エースのそばへとジャンプして降り立った。そしてエースと目を合わせてうなずきあって、ボロボロになった二匹へ向かい、同時にとどめの一撃の体勢に入った。

「ヌゥゥゥ……」

 両腕を上げたジャスティスの眼前にエネルギーが集中し、エースは体を大きく左にひねる。もうボガールとノーバには回避するだけの余裕はない。

 

 とどめだ!

 

 ノーバは鞭と鎌をだらりと垂れ下がらせ、ボガールに向かって寄りかかるように倒れこんでいる。そこへ、二人はありったけの力を込めた一撃を放った!

 

『ビクトリューム光線!!』

『メタリウム光線!!』

 

 金色の光と三原色の美しい輝きが重なり合い、光の奔流となって二匹の怪獣へと突進し、一瞬のうちに光芒の中へと飲み込み、大爆発を引き起こして消し去った!

 

「やった……勝ったぁ!」

 黒煙が吹き上げて、火の粉が空中ですすに変わりながら消えていく中に、二匹の姿はどこにもなく、見守っていた者たちの中から歓声があがった。さらに、見るとノーバのガスにやられていた人々も、その効力が切れたらしく、凶暴化していた人々は糸が切れたように倒れこんでいる。過去の例から見て、おそらくは無事であるだろう。

 エースとジャスティスは、少なくともこの場でのヤプールの計画は完全に崩壊したことを確認すると、互いに目を合わせて、わずかにテレパシーで語り合った。

(あなたは……?)

(ジャスティス……)

(あなたも、ウルトラマンなのか?)

(そうだ、お前こそ何者だ? この星に逃げ込んだスコーピスの一体を倒したのもお前だな)

(スコーピス、あの砂漠化を進めていた宇宙怪獣か。私の名はウルトラマンA……何者かと問われれば、話は長くなるが)

(いいだろう、お前も私に聞きたいことはあるだろうからな)

 両者はそれぞれ話したいことが山ほどあった。だがこのままウルトラマンの姿のままでここに居続けると、それだけでエネルギーを消費してしまうので、同時に空を見上げて飛び立った。

「ショワッ!」

「ショワッチ!」

 二人のウルトラマンは、悲劇的な茶番劇の舞台となった戦場を後にする。シルフィードの背に乗る、たった五人の目撃者となった少女たちに見送られて、はるかな上空へと飛び去っていった。

 

 そして数分後、エースとジャスティスの姿は、アルビオン上空高度千五百キロの衛星軌道上にあって、ハルケギニアを見下ろしていた。

(アルビオンが、あんなに小さい)

 ルイズが、高高度からパンケーキのように小さく見えるアルビオンを眺めてつぶやいた。彼女にとって、宇宙からこの星を眺めるのは二度目になるが、やはり宇宙からの眺めというものは、地球は青かったと言ったガガーリンのようにちっぽけな人間を圧倒するものがある。

 が、今はこの青い星の上に立つようにして眼前に浮いている赤い巨人と会話するほうが重要である。 

「ここでなら、気兼ねなく話せるだろう」

 ジャスティスは、自分には地球型の惑星内での時間制限は特にないが、エースはハルケギニアのような星で活動するときはエネルギーを大量に消耗するであろうことを、今の戦いから見抜いていた。その問題のなくなる場所まで彼をいざなったのだ。

 エースも、星の影響圏を突破して、変身の時間制限がなくなったことで、話をするだけの時間が充分にとれたことを、自分の体の状態を確認してうなずき、ジャスティスに向かって静かに答えた。

「ああ……ジャスティス……いや、先に助けてくれたことを感謝する」

 エースは、ジャスティスに向かって一礼した。通じるかはわからないが、ウルトラマンとしてより、北斗星司としての人格が彼にそうさせた。ルイズと才人は、二人のウルトラマンの会話を、じっと息を呑んで見守る。

「礼を言う必要はない。私は、奴を追ってきただけだ」

「奴……ボガールのことか? なぜ、奴を追っているのだ」

「ボガール……それが、奴の名か? 奴は危険だ、放っておけば、奴はこの惑星の生態系に甚大な被害を与えるばかりか、やがては全宇宙規模で同じことを繰り返すだろう」

 そのジャスティスの洞察は、ボガールの習性を完全に的中させていた。ボガールはいわばイナゴの大発生にも似た生物災害で、しかも数段悪質で規模が極めて大きい。

 それは、かつてジャスティス自身が戦った異形生命体サンドロスともつながる己の繁栄だけを欲する、宇宙の調和を乱すものに他ならない。その根を絶つために数ヶ月前から奴を追っていることを、ジャスティスはエースに告げて、今度はエースにお前はどこから来て、この星で何者が暗躍しているのかを尋ねた。

「私は、この宇宙とは別の次元にある宇宙の、M78星雲の宇宙警備隊に所属しているウルトラマンの一人だ」

 エースは、難しいことだと思いながらも、ジャスティスに一つずつ事情を説明し始めた。

 自分は、この世界とは異なる宇宙から、ルイズの召喚魔法で呼ばれたこと。ヤプールと名乗る異次元空間に潜む悪意の塊のような侵略者がいることと、その配下の超獣や宇宙人たちなど。ジャスティスはそれらをじっと聞いていたが、やがてなるほどというふうにうなずいた。

「そうか、この星で起きている異変は、ただの別惑星からの干渉にしては妙だと思っていたが、別次元からの攻撃だったとはな」

「信用するのか?」

「異次元、平行宇宙からの侵略はありえないことではない」

 軽く言ってのけたジャスティスの言うとおり、こちらの世界でもジャスティスが関わったものではなくとも、異次元人が他の惑星の侵略を企てた例はある。

「それに、悪いがさっきの戦いは離れた場所から見させてもらっていた。お前が本当にウルトラマンなのか、確かめたくてな」

「どういうことだ?」

「お前の世界には、ウルトラマンは大勢いるようだが、この世界には私を含めてもウルトラマンは二人しかいない」

「二人!? 君以外にも、この世界にはウルトラマンがいるのか?」

 エースや才人は、ウルトラマンが二人しかいないというジャスティスの言葉に、やはりここは別の宇宙なのだということを実感したが、同時にこの世界にもウルトラマンはいるのだと知って喜びを覚えた。けれど、ジャスティスは宇宙のかなたを望んでつぶやいた。

「だが、今はどこの宇宙を飛んでいるのか、私にも見当はつかん」

 そう言われて、エースと才人は落胆したものの、ジャスティスがこの星にやってきたのも、スコーピスがたまたまこちらにやってきたのを追撃してきたからでしかない。広い宇宙での偶然の確率を考えると、ジャスティスだけでもいてくれたことは非常な幸運だったのだ。 

 けれどそこで、経過を見守っていたルイズが、エースのテレパシーを借りてジャスティスに話しかけた。

(だけど、ずっと見ていたのなら、なんでアルビオン軍が衝突しようとしているのを黙っていたのよ)

「この星の人間か……悪いが、そちらの世界ではともかく、我々ウルトラマンは宇宙全体の調和と秩序を守ることを使命としている。異種生命体の侵略攻撃ならばまだしも、同族同士のなわばり争いに干渉する責任はない」

(な、国と国の戦争を、動物の争いみたいに言わないでよ!)

「宇宙全体の視点から見れば、大差はない」

(……っ!)

 ジャスティスの切り捨てるような言い方に、ルイズは激発しかけたが、そこは才人がおさえた。

(ハルケギニアの人間の責任で起きた戦争を、ウルトラマンに解決してもらおうなんて、虫が良すぎるんじゃないのか?)

 ウルトラマンは個人としての人間一人一人を愛し、種族としての人類を守護しようとはするが、その活動単位である国には、なんらの干渉もしないのは、光の国のウルトラマンたちも一貫している。それは、全宇宙の平和を守るという大義のもとに絶対中立を必要とするためで、あくまで一方的な侵略行為は阻止するにしても、たとえばミステラー星とアテリア星や、ドロボン星の戦争などの同格の星間戦争には一切の干渉をおこなっていない。

 どうであれ、ハルケギニアの人間が起こした問題は、どれだけ痛みをともなおうが、その人間たちで解決せねばならない。厳しいようだが、それが責任というもので、責任を守れないような種族は宇宙のどこへ行っても信用されないだろう。

 もちろん、エースもそれは重々承知しており、怪獣、宇宙人の出現がなければ、仮にハルケギニア全土が戦火に包まれようとも変身を許すことはない。

「二人とも、過ぎた力を行使する者は、無力な者と同様に争いの火種となることを覚えておいてくれ。それでジャスティス、私はまだこの宇宙がどういうところなのか、この星以外ではほとんど知らないのだ」

 エースに問われて、ジャスティスはテレパシーでこの宇宙の概要をエースに伝えた。それによると、この星……仮にハルケギニア星と呼ぶ星は、エースのいた宇宙で地球のあった銀河系とほぼ同じ形をした渦状銀河の、地球のあるオリオン腕と呼ばれる場所から銀河系中心部をはさんで反対側にあるという。ほかにもマゼラン星雲、アンドロメダ星雲などもほぼ同じものが存在し、もちろんその中にある惑星や種族はほとんど別種の進化をたどった、聞いたこともないものばかりだが、宇宙地図的にはそっくりであって、ここが並行宇宙であることをあらためて納得した。

 だが、その中でも驚いたのは、この宇宙にも地球と呼ばれる星があったことであった。

「まさか……そこまで同じとは」

 もちろん、似てはいるけど並行世界の別物であるからGUYSもないし、日本はあるけど、様相はかなり異種であるらしいから、名前だけは同じのまったく違う星であることは間違いない。しかもハルケギニア星とは八万光年は離れているから影響も皆無だが、才人はもしかしたらその地球にも同じ平賀才人という人間がいて、別の人生を送っているかもしれないと、複雑な思いを抱いた。 

「むぅ……ありがとう、だいたいはわかった。それでジャスティス、君はこれからどうするのだ? 私は、彼らといっしょにヤプールの侵略を阻止に向かうが」

「私は、ボガールを追う。ヤプールとやらも、宇宙の調和を乱す存在である以上、私の敵ではあるが、奴の貪欲さはそれにも増して危険だ」

(ちょ、ちょっと待て、ボガールはさっき倒したんじゃなかったのか!?)

 才人が慌てて、さっきの戦いで爆炎の中にノーバとともに消えたボガールが生きているのかと問いただすと、ジャスティスは不愉快そうに答えた。

「人間の視力では捉えられなかったのも無理はないが、奴は我々の攻撃が命中する直前に離脱に成功している。見てみろ」

 すると、エースとジャスティスの間の空間に、ホログラフで今の戦いの再現映像が映し出された。スローで再生される中で、瀕死のボガールがメタリウム光線とビクトリューム光線の直撃寸前に、捕食器官でノーバを飲み込んですぐに背中から皮を残して脱皮し、異次元に逃走する様子が再現された。この間、わずか0.1秒以下。

(くそっ、なんてしぶとい奴なんだ!)

 才人がじだんだを踏みそうな勢いで吐き捨てた。あのとき爆発したのは、ボガールの残した抜け殻に過ぎなかったというわけだ。なんという逃げ足の速さ、さらに脱皮したということは、ボガール自身もパワーアップしているに違いない。

 ホログラフを消すと、ジャスティスはボガールがここ数ヶ月のあいだに、アルビオンに現住するものから宇宙怪獣までもあちこちで捕食していたことを告げて、最後に言った。

「ただし、脱皮したとはいっても奴がパワーアップした自分自身に慣れるまでには時間があるだろう。また、かっこうの餌場であるこの星を簡単に離れるとも思えないが、奴は今でもヤプールの命令に服従してはいない様子であったから、いずれこの星を離れて別の星を荒らしにまわることは間違いない。そうなってしまえば、再び捕捉するのは困難だ」

 ジャスティスは、ボガールが第二のサンドロスとなる可能性を考え、まだ不完全なうちにこの星で殲滅しようと決意していた。

 エースは、ジャスティスが行動を別にすると言ったことに、少々の残念を覚えたのは確かだった。しかしボガールも宇宙全体にとって脅威となる生命体であることには変わりなく、ヤプールと戦っているうちにボガールに漁夫の利を占められることは避けたかったので、そのままうなずいた。

「わかった。ボガールは怪獣を食うたびにパワーを上げていく。注意してくれ」

「言われるまでもない。そういえば、アルビオンという国を旅しているうちに聞いたことだが、レコン・キスタとやらは首都防衛のためと称して、大量の空軍戦力を首都近辺に温存しているそうだ」

「空軍戦力? しかし、そんなものがあるならなぜ今の戦いに投入しなかったのだ?」

 アルビオンを含めてハルケギニアの空軍戦力は幻獣を除けば、飛行する帆船による空中艦隊で、それで頭を抑えられれば陸上兵力はひとたまりもないはずである。クロムウェルがヤプールの傀儡としても、その他の軍人が納得するとは思えなかった。

「風石の採掘場が王党派陣営に抑えられ、長くは飛べないからと理由付けられてはいたが本当のところは知らん。だが、ヤプールが人間を利用する作戦を好んでいる以上、何らかの関係はあると思うがな」

「なるほど、ありがとう」

 あのヤプールが一度作戦を失敗させたからといって、おいそれとあきらめるとは思えない。だが、次になにかを起こすであろう場所が特定できるのなら、対策も打ちやすい。

(これで、目的地は決まったな)

(アルビオン首都、ロンディニウム……)

 そこでの計画さえつぶせば、さしものヤプールとて打つ手は残していないだろう。まだ未知の怪獣、超獣、宇宙人が待ち構えているのに違いないが、アルビオンが平和を取り戻せば、ヤプールの力の源であるマイナスエネルギーも減少する。

「では、私は行くぞ。ボガールに、これ以上時間を与えるわけにはいかん」

 ジャスティスは振り返り、眼下に見下ろすアルビオンへと戻ろうとする。が、その前にエースが引きとめた。

「ジャスティス……また共に、戦ってくれるか?」

「……我々は、ウルトラマンだからな」

 そう言い残すと、ジャスティスはまだアルビオンのどこかで怪獣を狙っているであろうボガールを仕留めるために飛び立ち、エースもまた才人とルイズの仲間たちの待つ元へと飛んでいった。

 

 

 戦いが終わった後、赤い雨が上がって静けさを取り戻した草原は、戦いに参加していたキュルケたち以外は貴族から平民まで総勢二十万人が洗脳が解けた後遺症で、死屍累々と気絶した姿をさらす壮絶な風景となっていた。

 そんな無残な光景を、キュルケたちはシルフィードを少し離れた場所に着陸させて、濡れた服をはたきながら眺めていたが、やがてロングビルが憮然としたようにつぶやいた。

「とてもほんの一時間前に、精悍な姿を見せていた軍隊とは思えませんわね」

 眼鏡をくいと右手で持ち上げながら言う彼女の言葉の内には、何年か前まで自分と自分の一族が誇りを持って仕えていた国家が、その当時想像もできなかった惨めな姿を目の前にさらしていることへの、悲哀がにじみ出ていた。

 つわものどもが夢の後。地球の古い歌人が残した一文にこんなものがある。どんなに権勢をふるって栄えようとも、後世の歴史から見れば一時の夢に過ぎない。しかも、これはなにもアルビオンに限ったことではなく、条件が揃っていればヤプールがターゲットにしたのはトリステインやゲルマニアなど、アニエスやキュルケたちの故郷であったかもしれず、他人事とは思えないキュルケは、目の前の人々をゲルマニアの人々に重ねてため息をついた。

「人間も国も、滅ぶときはあっという間なのね」

「いや、悪いがまだ滅びてもらっては困る」

 アニエスが、キュルケの言葉をさえぎって発した言葉に、一同は注目した。

 彼女によると、このままではヤプールに勝てるうんぬん以前にアルビオンが無政府状態になるのは避けがたく、そうなればトリステインなどの他国が調停に乗り出すことになる。だがそうなれば権益などをめぐって争いが起こることは当たり前で、やっと各国につながり始めた対怪獣防衛網が瓦解してしまうことになりかねない。レコン・キスタは論外であるから、ここはなんとしてでも王党派にアルビオンを再掌握してもらわねばならないのだと。

 が、そのことは皆にもわかったが、実際王党派はこのありさまで、中核となるウェールズが洗脳が解けたとはいっても、操られていたときのようなカリスマ性は望み得るまい。

「まるで、死人の目を覚まさせるような難題ですわね」

「だが、やってもらわねばハルケギニア中がこの騒動のとばっちりを受けてしまうことになる。まったく、気が重いわ……」

 大きく息を吐き出して、アニエスはアンリエッタ王女から受けた使命によって、ウェールズを助けなければならないことに、どうしてこう頼みもしない面倒な仕事ばかりが舞い込んでくるのかと、憂鬱になりかけたが、そこへシルフィードの上からミシェルが顔を出した。

「私がいますよ、隊長」

「ふっ、そうだったな。頼りにしているぞ」

 笑顔のはげましに、笑顔で応えたアニエスは、ミシェルの気遣いに感謝した。これからやるべきことは多く、今は無理でもミシェルや銃士隊全員の助力を必要とするときはすぐに来るだろう。

 だが、それらのことも、まだヤプールがレコン・キスタを掌握している以上、近いうちにまた何かを仕掛けてくるはずだ。それを撃破できなければすべて絵に描いたもちに等しい。

 アニエスはそこまで考えて、これからの行動の優先順位を決めようとしたときに、やっと待っていた二人組の声が聞こえてきた。

「おーい、おーい」

「待ってーっ、まだ行かないでーっ」

「……遅いぞ! さっさと来い」

 ぜいぜいと息を切らしながら才人とルイズがアニエスの怒鳴り声に迎えられながら走ってくる。それを見て、ミシェルが勝ち誇ったように、「な、無事だったろ」と言ったのには、キュルケやロングビル、ついでにタバサも、「ああ、やっぱりね」と、そのしぶとさに正直な感服さえ覚えていた。

「今回は、ずいぶん遅かったな」

「すみません、無事だった人を見つけたので、少し話を聞いていたので」

 才人は、ジャスティスから聞いた情報をうまく脚色して皆に説明した。皆は、この決戦を利用した作戦が失敗した後でも、レコン・キスタにかなりの戦力が残されているのに不安な様子が見て取れた。が、とりあえずそれは首都防衛のための固定戦力であるはずなので、ここにすぐ攻め込んでくる可能性は低いと思われる。ただし、たかが帆走戦艦の十隻や二十隻、ヤプールがその気になれば風石などなくても動かすことは簡単だ。

 アニエスは、それらの情報を総合して、今できる最善の方策を考えて披露した。

「とにかく、その残存した艦隊戦力が問題だな。それさえつぶしてしまえば、後は首都に残った兵力がせいぜい一万、その程度の数なら今回と同じ作戦は使えないだろう。残るは、有象無象の反乱貴族のみだ」

「ということは、首都に乗り込んで、アルビオン艦隊をつぶしてしまえば、もうヤプールにレコン・キスタを操る価値はなくなるってわけか」

「もしくは、ヤプールの傀儡となったクロムウェルを倒せば、あとは勝ち馬に乗ろうとして集まった雑魚ばかりだから、レコン・キスタは自壊するだろう。だが問題は、どちらも厳重に警護されている上に、トリステインからの増援を待つ時間はないから、我々だけで片をつけなければならんということだ」

 艦隊か、クロムウェルか、どちらかを倒せばヤプールの影をこの大陸から一掃できる。けれど、人数は少なく難易度は高い。

 けれど、皆が迷う中でルイズの決断は早かった。

「クロムウェルを倒しましょう。あいつを倒すか、ヤプールの傀儡であったことを暴露すれば、レコン・キスタそのものが消滅するわ」

「だが、艦隊を残しておけば、それをヤプールが別に利用しようと考えるかもしれないぞ」

「その危険性があるのは、トリステインやガリアの艦隊も同じことでしょう。それに、艦隊をつぶすなら焼き払うしかないけど、そうしたら多くの犠牲者が出てしまうわ」

 確かに、言われてみればそのとおりで、人的被害を見てみれば、クロムウェル一人を倒せばすむのに対して、艦隊は乗組員を巻き込んでしまう。ルイズの口から人命尊重の言葉が出たことは少々驚きだが、彼女もより広い視界で見渡す目が、少しずつ養われていると思うと才人は誇らしくもなった。

「ようし、じゃあこれからロンディニウムに乗り込んで、クロムウェルとかいうおっさんをぶっ飛ばすか」

 これで今後の方針は決まった。

 やることが決まれば、思考回路が明確にできている才人などは切り替えが早かった。相手が人間ならともかく、超獣か宇宙人が化けているのだとしたら容赦する必要はない。

 けれど、意気の上がる彼らの意表をつくような言葉がアニエスから発せられた。

「残念だが、私はここに残る」

「え? なんで」

「もうじき、ここの人間たちが目を覚ましたらパニックが起こる。そうさせないためにも、ウェールズにはさっさと目を覚ましてもらって、向こうで倒れているレコン・キスタの兵もまとめて全軍を撤退させなくてはならんからな」

「確かに、ですができるんですかそんなこと」

「張り倒してでも目を覚ましてやってもらうさ。それに私にはトリステイン特使としての立場と、アンリエッタ王女直筆の書簡がある。ウェールズ皇太子と姫様は昔から親友だったと聞くから、あとはまあなんとかやってみるさ」

 まぁ、アニエスさんの強引さにかかったら、大抵のごり押しは通るだろうなと、口に出しはしなかったが、才人はなんとかうまくいくのではないかと思った。もっとも、鬼より怖いアニエスに、ウェールズが女性にトラウマを持たねばよいのであるが、とても軟弱な取り巻きの貴族どもには止められはするまい。

 ともあれ、時間がないのでアニエスは他にやるべきことを順次説明していった。

「ミス・ロングビルは、すまないがいったんトリステインに戻って、ここであったことを王女殿下に報告してもらいたい」

「それは、別に構いませんが、ここから王城までは二日はかかりますわよ」

「それは大丈夫だ。今頃トリステイン軍は、ラ・ロシュール近辺に前線を敷いているだろうから、姫様もそこにいるはずだ。それに、今はアルビオンがトリステインに再接近する時期、急げば一夜で着けるだろう」

「わかりました。その代わりといってはなんですが、わたくしの故郷がこれ以上荒れないように、しっかり頼みますわね」

「心得た」

 アニエスは強くうなずくと、手持ちの紙に即席で紹介状と、種種の報告内容を書いてロングビルに手渡した。ロングビルとしては、本当はすぐにティファニアのところに戻って無事を確かめたかったのだが、事態がアルビオンはおろかハルケギニア全体の命運にかかってくるとなると有無を言ってはいられなかった。

 そして、アニエスは最期に、才人、ルイズ、キュルケ、タバサ、ミシェルを見渡して頭を下げた。

「すまん、お前たちには一番危険な仕事をしてもらわねばならん」

 そう、残ったこの五人のみが、今ロンディニウムへ向かって、ヤプールの陰謀を砕くことができる唯一の希望であった。だが、そのために、軍人でもない少年少女たちを敵の本拠地に乗り込めと言うのは、死ねと言っているにも等しいので、ほかに選択肢がないとはいえ、良心に痛みを覚えずにはいられなかった。

 けれど、彼らには迷いは最初からなかった。

「別に、最初からそのつもりでしたから問題ないですよ」

「そうよ、それに最初に喧嘩を売ってきたのは向こうなんだから、買ってやらなきゃヴァリエールの名が廃るわ」

 才人とルイズに続いて、今度はキュルケとタバサも。

「ま、ここで食い止めなきゃ、ゲルマニアのわたしの故郷も戦火に巻き込まれちゃうし、第一、ヴァリエールに背を向けるなんて、ご先祖に顔向けできないわ」

「付き合いだし」

 二人とも、乗りかかった船から下りる気はないようであった。

 最後に、ミシェルに目を向けたアニエスは静かに問いかけた。

「お前はどうする?」

「私は、サイトが行くのならどこへでも」

「本陣では、お前はすでに裏切り者として手配されているはずだ。生きて帰れないかもしれんぞ」

「私がいなければ、レコン・キスタ内部のことはどうにもならないでしょう? それに、私はもう死にはしません」

「わかった。サイト、ミシェルを頼んだぞ」

「はい!」

 強く返事をした才人に満足したアニエスは、ミシェルの同行を許可した。本来なら、まだ立つことすらままならないミシェルが同行するのは危険極まりないが、なんとなく才人たちならば立派に守り抜いてくれると思えていた。

 ちなみに、レコン・キスタ本陣でミシェルが裏切ると思っている者はこの中にいない。それが、信頼というものであった。

 

 そして、善は急げとばかりに、各々はすぐに行動に移すことになった。

「では、武運を祈る」

「無茶はしないでね、生徒の戦死報告なんてつまらない事務を、私の仕事に入れないでほしいからね」

 アニエスとロングビルを見送り、シルフィードは五人を乗せて、アルビオンの首都ロンディニウムへ向けて飛び立った。

 

 

 アルビオンから発した波紋は、たちまちのうちにハルケギニア全体を飲み込み、加速度を増して歴史の津波の下に乗り遅れた者を押し流そうとしている。平和か、大乱か、いずれになるにしても、この数日中に決着がつくであろうことは間違いなかった。

 だが、大半の兵力を失ったとはいえ、反乱軍という看板を背負うレコン・キスタの貴族たちには降伏という選択肢はありえず、文字通り死に物狂いになって最後の抵抗を試みるであろうし、そんな余裕をなくした彼らを、ヤプールは嬉々として捨て駒に使うだろう。

 もちろん、兵力に劣るレコン・キスタがどうしたところで勝利者となることはないであろうが、混乱と戦火の種を残すことはできる。ジャスティスとある程度似た意味で、異次元人であるヤプールにとって人間の国家などというものはどうでもいいものだった。

 その証拠に、ヤプールは今回、戦争を利用してハルケギニア壊滅を画策したわけだが、これまでに、人間を操れば簡単であろうに、戦争を作り出そうとしたことは地球の頃から一度もない。それは、ヤプールを含む大多数の宇宙人にとって、一つの星は一つの星人が所有しているのが当たり前なのに、別の種族ならばともかく、同種族のあいだで星の中に狭い枠組みを無数に作って争いをするなどとは、到底理解できない狭隘な思考だからだ。

 奴の目的は、今も昔も全ての人間を絶望に染めた上で滅ぼすこと。アルビオンは、たまたまその目的のための道具として適当だったので選ばれたにすぎない。 

 ヤプールは、どんな心の隙にも忍び込み、どんなものでも利用する。それに対抗するには強い心を持つしかないが、これまでハルケギニアの外からの攻撃にさらされたことの無い、この世界の人々にとって、外惑星からの悪意に満ちた攻撃に対抗するには、あまりにも経験が不足していた。

 

 しかし、心あるものがいる限り、運命はその方向をどうとでも変える。

 

 アルビオンで才人たちと別れたロングビルは、スカボロー港まで王党派から拝借した上等な馬をぶっとおしで走らせ、アニエスからもらった資金で竜を借り切ってラ・ロシェールまで直行し、半日でトリステインに戻ることに成功した。

 

 この時期、トリステイン軍はアニエスの言ったとおりに、トリステインに最接近するアルビオン大陸を眼前に見る、港町ラ・ロシェール近郊の、タルブ村郊外に再建なったその主力を結集させつつあった。

 現在の総兵力は一万五千。最盛期にはおよばないものの、港には空軍も艦隊の出動準備を整えて、陣頭指揮をとるべくやってきたアンリエッタ王女の命令を待っている。

 その本陣へ、夜明けとともにラ・ロシェールから魔法学院の教師で、銃士隊隊長アニエスの使いと名乗る女性が駆け込んできたとき、アンリエッタはわずか三分で身なりを整えて、仮司令部のテントにやってきた。

「ロングビルさん、でしたわね。オスマン学院長の秘書さんの」

「はい、学院では殿下にお目にかかっております。ご記憶いただけて光栄ですが、ことは急を要しますので、ご無礼をお許しください」

 ロングビルはアンリエッタに対して、礼節を正しく守って拝礼した。彼女にとって、元々こういう作法は貴族であったころに教え込まれて慣れたものだったので、その気品漂う姿はアンリエッタの心象をよくした。

 だが、ロングビルの口から、昨日アルビオンで起こった決戦の始終が余すことなく伝え聞かされると、白磁のような姫の肌から、さらに血の気が引いて死滅した珊瑚のようになっていった。

「王党派が……壊滅……ウェールズさまも、意識不明」

 よろめいて椅子に崩れ落ちたアンリエッタを責めるのは酷であろう。ワルドによる暗殺の計画を阻止するためにアニエスを向かわせたとはいえ、これまで王党派が有利とばかり聞かされていたのに、それが一夜にしてひっくり返されたのだからショックを受けるなというほうが無理である。

 それでも、アンリエッタはウェールズの命には別状がないことと、アニエスが彼の元へ向かって王党派の瓦解を防いでくれているであろうことを聞かされると、大きく深呼吸をして気を落ち着かせた。そして瞳に強い意志を宿らせて見開き、猛々しくも音楽性を感じさせる声で軍政の腹心であるマザリーニを呼びつけて、あいさつもそこそこに命令を下した。

「すぐに可能な限りの兵力をアルビオンに上げる準備をしなさい。出立は六時間後、正午をもって艦隊を出港させます!」

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第74話  鳴動する世界

 第74話

 鳴動する世界

 

 えりまき怪獣 ジラース

 宇宙海獣 レイキュバス 登場!

 

 

 アルビオン王党派とレコン・キスタの決戦が、ヤプールによって利用され、両軍ともに傀儡となりかける最悪の事態を、二人のウルトラマンと少数の勇敢な者たちによって回避してから、およそ半日後。タルブ村に展開したトリステイン軍本陣では、アルビオンへの上陸を命じたアンリエッタとマザリーニの激論が交わされていた。

 

「繰り返して命じます。トリステイン軍はアルビオン王党派と合流して、レコン・キスタ軍を撃滅します。すぐに準備なさい」

「なんですと! 無茶をおっしゃいますな、艦隊で軍隊をあの空飛ぶ大陸に渡らせるのに、どれほどの時間と資材がいるとお思いですか?」

 反対意見を述べるマザリーニも、アンリエッタも一歩も引かない。

「全軍でとは言いません。五千、いいえ千もいれば充分です。今必要なのはトリステイン軍が援軍に来たと、王党派に教えてあげることです。そうすることで彼らに安心感を与えるのです」

 確かに、トリステインのアンリエッタ王女が、自ら軍を率いて応援に来てくれたとなれば影響力は大きい。王党派はウェールズに次ぐ大義のよりどころを得て、自らこそがアルビオンの正当な統治者だと再認識して、立ち直ることができるだろう。

「確かに、ですが上陸の理由は他国にはどう説明します。大義名分がなければ軍は動かせませんぞ」

「大義名分? そのようなものが、それほど必要なのですか。考えているうちにアルビオンが壊滅したらどうします? 王党派が再建できたという既成事実さえ作ってしまえば、誰もそんなことは気にしません。」

 マザリーニは返す言葉がなかった。まさかこの少女から、こんな果断な決断を聞くことになろうとは想像もしなかった。まるで普段とは別人のように覇気に満ちているというか、それがなにゆえのことであるのかまではわからないが、その判断は強引ではあるが最善といえた。

 ただ、話はそれほど簡単ではなく、マザリーニはそのことを問いただすのを忘れなかった。

「艦隊の出動準備は整っていますが、食料等の積み込みは不十分です。補給はどうなさいますか?」

「王党派の補給基地がサウスゴータまでに点在していますから、そこから頂戴し、到着後は本隊から分けてもらいます。皮肉なものですが、ヤプールが平民も集めるために食料事情を良くしてくれましたから、余裕は充分にあるはずです」

「了解しました。ですが、アルビオンに渡りますのは、グリフォン隊を筆頭とします最精鋭部隊を優先しますが、国に残留する部隊の指揮はどうなさいますか?」

「マンティコア隊のド・ゼッサール殿にお任せします。あの方はカリーヌ殿の愛弟子ですから信頼できます。あなたはここに残り、彼を補佐してあげてください。それから……」

 アンリエッタは、念のために聞き耳がないかとディテクトマジックで盗聴の可能性を排除した後で、さらに用心深くマザリーニに耳打ちした。

「この混乱に乗じて、国内のレコン・キスタ派の残党や反動勢力が動くかもしれません。なにしろ、彼らはまだレコン・キスタがすでに乗っ取られていることを知らないのですから……筆頭はむろん、あの男ですが、害虫退治はこの戦の後です。それまで国内の治安維持を第一にお願いします」

「承知しました。ですが、軍の主力をアルビオンに送れば、侵略行為だとしてゲルマニアやガリアが黙っていますまい」

「その点は心配要りません。ゲルマニアのほうは、今軍を動かせばあの国は国内を襲う怪獣災害におびえている貴族たちが黙っていません。重工業の工場が破壊されたら、あの国の経済基盤が麻痺しますからね」

 ゲルマニアは、近代的にとまではいかなくても、製鉄業をはじめとする重工業が発達している。その多数の工場から生まれる鋼鉄や、高い冶金技術から生まれる高精度の部品は、兵器その他の需要を生んで、この国に莫大な財力をもたらしているが、その反面それが急所となって、工場を私有する有力貴族や大商人の国政への影響力を、皇帝とて無視できない。

 アンリエッタは以前ゲルマニアに行ったときにそれを実感していた。ゲルマニア軍は強力だが、今の彼らに外に向けられる余裕はない。なぜなら、金を生むからと巨大化を続ける工場群も、そのために焚きだす大量の石炭から生まれる煤煙や排水によって土壌や大気を汚している。その汚染がヤプールのマイナスエネルギーがきっかけとなって目覚めた怪獣たちを次々に呼び寄せ、悲鳴をあげる工場主たちによって、ゲルマニア軍はそれらの怪獣たちの対策のために国内にくぎづけにされるありさまだった。

「しかし、それでかの国々がトリステインに不信感を抱き、共同して攻めてきたらいかがいたします?」

「マザリーニ、そうやって敵を作るまいと他国の顔色をうかがってばかりいるから、トリステインは弱国だとあなどられるのです。ましてや今は、お母様が女王に在位中とはいえ、実権を持っているのは若輩もいいところのわたくし、これでは軽く見られないほうがどうかしています。だからこそ、トリステインは必要なときは戦うし、わたくしは油断ならない相手だと諸国に知らしめ、今後なめられないようにしなければ、彼らと対等にわたっていくことはできないでしょう」

 実績を示して、虚名でもいいから、トリステインにはアンリエッタというあなどれない指導者がいると、諸国に強い印象を与え、対等の立場を作り上げて国を守り抜く。そうしなければ、いずれトリステインは他国を恐れるあまり、自ら傀儡へと成り下がり、国民もそんな誇りのない国は見捨てていって、他国に併呑されるか、アルビオン同様の内戦で滅亡する未来が待っているだろう。

 マザリーニは、アンリエッタがそこまでを見通して決断したことに、年寄りから見たら若者の成長速度というものは目にも止まらぬものだということを痛感し、うやうやしく頭を下げた。

「成長なさいましたな殿下、少し前とは見違えるようです」

「あなたからお褒めの言葉をいただくのは、ずいぶんと久しぶりですわね。けれども、それは結果が出るまでとっておいていただきましょう。それよりも、ミス・ロングビル」

「あ、はいっ」

 それまで精力的に命令を下すアンリエッタの姿に見とれていたロングビルは、いきなり声をかけられてびっくりしたものの、すぐに姿勢を整えて、姫殿下の次の言葉を待った。

「もうしわけありませんが、トリステイン軍はアルビオンの地理には不案内ですので、水先案内をお願いします」

「わかりました。微力をつくしましょう」

 ロングビルは、傀儡に落ちて、上っ面だけ取り繕って実の無かったウェールズと違って、この姫君ならば任せても大丈夫であろうと、信頼を抱き始めていた。

 そうなると、あとは時間との勝負である。すぐさま移動の命令が全軍に飛び、ラ・ロシェールへ向けての行軍準備が命令される。兵士たちは、突然の命令に驚くものの、訓練に従って大急ぎで準備を進めた。

 その様子を、アンリエッタは先頭に立って督戦していたが、そこへ全身を鋼鉄の鎧と、鉄仮面で覆い隠した一人の騎士がやってきて、彼女の隣から話し掛けた。

「まあまあですな。政治の舞台で主導権を握るには、常に先手をとって相手に対処する余裕と時間を与えないこと、教えたことは忘れていませんでしたか」

「あれだけ厳しく指導されたら、忘れたくても忘れられませんわ。けど、感謝していますのよ、あなたがグリフォン隊の訓練の合間をぬって、家庭教師をしてくれなかったら、わたくしはどうしていいかわからずに、ここにとどまり続けていたかもしれません」

「お忘れなさいますな。あなたに教えたことはまだほんの初歩の初歩、まずは上出来といって差し上げますが、アルビオンの内乱を収めることなど、凡百の政治家でもできることです。今後、ガリアやゲルマニアと渡り合っていくには、今のままではいきませんぞ」

 王女に対して一かけらの遠慮もなく、仮面の騎士は厳しい言葉を連ねる。けれど、アンリエッタも黙っているわけではなく、したたかな反撃を用意していた。

「お手柔らかに……そういえば、教訓その二は『使えるものは死人でも墓から引きずり出して使え』でしたわね。ですから、あなたがわたくしの親衛隊に就任したことは、もろもろの方面から宣伝させていただきました。銃士隊からの報告ですが、どの国の間諜の方々も色を失って国に帰っていったそうですわよ」

「……老兵に酷なことをなさる。これでは、当分やめられなくなったではありませんか」

「あら、わたくしは教えを忠実に守っただけですことよ。それに、あなたがいるというそれだけで、戦争抑止力となります。もちろん何年もかかりますが、わたくしはこの国を軍事力などによらずして立ち行く国にしたいと思っています。それまで失業はさせませんので」

 にこやかだが目が笑っていない笑顔を向けて、アンリエッタはおしとやかなお姫様では決してありえない、たくましさというか腹黒さを見せた。

「ならばさっさと平和を取り戻しませんとな。せっかく楽隠居を楽しんでいたというのに、こんな世の中では、娘の恋人にケチをつけていじめる暇もありませんわ」

 どこまで本気なのかわからないが、仮面の下で笑ったようであったのに、アンリエッタは気づいていた。

 ともかく、これからアンリエッタが女王の冠を頂くにしても、アルビオンの内戦処理などは序盤のハードルの一つに過ぎないはずで、ぐずぐずと手間取っている訳にはいかないのだ。

 

 その後、アンリエッタの判断はハルケギニア全土で種々の反応を生んだ。

 

 この翌日にゲルマニア皇帝アルブレヒト三世は『トリステイン軍二千がアルビオンに上陸』の報を聞くに当たって、彼の参謀たちが、「これはトリステインがアルビオンを併合、あるいは傀儡国家にせんがための侵攻。どちらにしてもかの国の領土拡大の意思は明らか、ただちにトリステインを攻撃すべし」との進言に対して、トリステインを屈服させて、その始祖直系の権威を得ようという誘惑を一瞬だが感じた。しかし現実を見ればトリステイン国内にはまだ九割以上の軍が残っており、それを撃破するためにはこちらも全軍を動かさざるを得ず、そんなことは保有する工場や鉱山が無防備になる貴族や商人が許すわけはなかった。

 実際この日も彼の執務室には「南部の鉱山に見えない怪獣が出現」、「北部製鉄所の河川から青い怪獣が出現」という報告書と、それらに対抗するために軍が数個師団を出動させているとの追加報告が来ており、ここで軍を無理に他に動かせば、それらの貴族や商人は結託してアルブレヒト三世を退位させようとするだろう。元々、彼は他国の王のようにハルケギニアの基礎を築いたといわれる始祖ブリミルの血統というわけではなく、簒奪によって王冠を手に入れた皇帝である。そのためブリミル教徒の臣下からの忠誠心は無きに等しく、要するに自分たちに儲けさせてくれるというのが国民からの支持の理由であって、それがなくなったときには用無しとなった皇帝は即座に捨てられるだろう。

「まさかあの小娘、そこまで読んで兵を動かしたのか……」

 彼は執務机に面杖を突きながら憮然とつぶやいた。直接会ったのは、半月ほど前の会談のときが最初で最後だが、ゲルマニアのことを根掘り葉掘り調べていったのはこのときを見越していたのか。

「それで皇帝陛下、いかがいたしましょうか?」

 彼の摂政が話しかけるまで、皇帝はずっと娘のような年齢の、隣国の姫の食えない笑顔のことを思い出していた。

「……今は動けん。しばらくは情報収集に専念し、あやつがアルビオンの領有を宣言しようものなら、改めて経済制裁なり、宣戦布告なりをすればよい」

「仕方ありませんな。当分基本方針は、国内の安定が第一でまいりますか」

「まったく、どうしてわが国にばかり、こうも怪物が次から次へと出現するのか」

 ぼやいた皇帝は知らなかった。自らが富を得ようと、鉱石を掘り出すために鉱山を切り開いたことが地底に眠っていた怪獣を目覚めさせ、水を汚した工場の排水が怪獣を作り出し、空を汚した工場の煤煙が怪獣を怒らせていることを。そしてそんな欲に満ちた心や、劣悪な環境で働かされる平民たちの恨みがマイナスエネルギーとなって、ヤプールに力を与えていることを知らなかった。

 先の報告書にあった怪獣にしても、山を切り開いたせいで、山間部でおとなしくしていた透明怪獣ゴルバゴスを怒らせ、精錬のために出た廃液や魔法薬などを垂れ流しにした工場廃水が、川のただの魚を、巨大魚怪獣ムルチへと変貌させたのだった。

 

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 これらの件は結局、両方ともかろうじて怪獣を追い返すことには成功する。しかし工場の半分は破壊され、出動した部隊も多数の死傷者を出し、逃げた怪獣がまたいつ出てくるかわからないために、別の部隊が臨戦態勢で待機しなければならないという、到底外征などをしている場合ではないということになって、さらに皇帝を悩ませることになる。

 数十年前の地球と同じように、自らが壊した自然のバランスに復讐される。誰を恨みようもない、因果応報の結果であった。しかし、エコロジーの思想が世界的に広まり、公害怪獣の出現が激減した地球とは違って、公害の概念すらないハルケギニアで、そのことに人々が気づくまでにはまだまだ多くの痛みが必要であった。

 が、不幸にしてそれを知らない皇帝は、とりあえず目の前の問題を考えることにした。

「アンリエッタか、籠の鳥との噂はどうやら外れのようらしいな。あるいは名宰相との噂高いマザリーニの教育あっての代物か、どのみちしばらくはトリステインから目が離せんな」

 国土、国力、軍事力、すべてにおいて数倍の規模を誇るゲルマニアの皇帝ともあろう自分が、たかが小娘一人が勝手に振舞うのを止めることができないでいる。彼は忸怩たる思いを抱きながら、事務的に答える摂政の言葉を聞いていた。

「では、トリステインとはこのまま同盟を強化なさいますか?」

「強いものをわざわざ敵にすることはないからな。それに……卿も聞いているだろう。今トリステインには、奴がいる」

 戦えば、最終的に勝てるにしても、恐らくは全軍の半数以上が失われ、そして自分は確実に皇帝の座から下ろされる。彼にそう確信させるだけの巨大な不安要素が、トリステインにはあった。

 

 そのころガリアでも、会議にはほとんど欠席する『無能』と揶揄されるジョゼフ王を欠いて、大貴族と軍人たちによるトリステインのアルビオン侵攻に対する措置を論議していた。だが、自衛のためにと先制攻撃を主張する若い貴族や軍人たちはともかく、重鎮を占める壮齢以上の者たちは、アルブレヒト三世と同じ、たった一つの情報によって戦意を完全にそがれていた。

「だが……諸君も聞いているであろう。あの『烈風』が、現役に復帰したというではないか」

 生きた伝説である、ハルケギニア最強の魔法騎士が戻ってきたという情報は、数十年前にその鬼神のごとき圧倒的な強さを目にしてきた者たちにとっては、恐怖以外の何者でもなかった。

 もちろん、若い貴族の中には、

「噂に聞く『烈風』とやらが、いかに強くとも、今はとうに現役を下りた老兵、なにほどのことがありましょうぞ」

 という勇ましい意見も出たが、将軍たちの中でも特に年老いた白髭の大将はこう言った。

「そなたは、たった一人のメイジが、一個師団を相手にして、自らは無傷でこれを殲滅することが可能だと思うか?」

「いえ……」

「『烈風』は、それを二個師団を相手にやってのけたのだ」

 全員が絶句し、トリステイン攻撃の案はそのまま流された。

 ちなみにこのとき、ジョゼフは自室に一人でこもっていた。チェス盤を前に、チャリジャがハルケギニア各地から集めてきた、珍しい怪獣が収められた数個のカプセルを置いて、何か面白い使い道はないかと思案にふけるのを楽しみとしている。そこへ、トリステイン侵攻は是か非かという会議の案件についてを挙げられると。

「ふむ……そういえば父上が生前、トリステインを落とすには六個師団の犠牲がいるが、そのうち四個師団は、たった一人のメイジの精神力を削りきるのに必要だと、俺とシャルルに言っていたな。伝説の怪物か、俺の指し相手には面白いかもしれんな」

 そう思い、ほおを歪めたが、そこへチェス盤の上へ置いた小さな人形から、彼にしか聞こえない声で、女性の声が流れてきた。

「ジョゼフさま、ジョゼフさま……」

「おおミューズ、余のミューズか」

 それは、アルビオンでクロムウェルの表面上の秘書として、裏では彼を操っているシェフィールドの声だった。そう、ジョゼフはシェフィールドを介して、クロムウェルやレコン・キスタを裏から操っていたのだ。

 今から数年前のことだ、水の精霊から強奪したアンドバリの指輪と、シェフィールドの内部工作によって、アルビオンの不満分子を結集させてレコン・キスタを作りあげた。さらに、そのときはまだ一介の司教に過ぎなかったクロムウェルを言葉巧みに誘って最高指導者にすえ、いいように内乱を発生させていたのだが、それを彼の臣下で知っている者は誰一人としておらず、またなぜそんなことをするかについても、シェフィールド以外に知るものはいない。

 ジョゼフは、すっかりトリステインのことなど忘れてシェフィールドの話に聞き入った。シェフィールド、もっともそれは偽名で、ジョゼフは彼女を本来の呼び名のミョズニトニルンを縮めてミューズと呼んでいる。彼女はレコン・キスタ、その指揮官であるクロムウェルが最近こちらの要求をまともにこなせずに、ひたすら戦争を長引かせているだけであることを、怒りに震えた声であげつらい、かくなる上はアンドバリの指輪で操ろうかと言ってきたが、ジョゼフは笑ってそれを退けた。

「もうよい。どのみちアルビオンのことは、暇つぶしにはじめた余興に過ぎんし、そろそろ飽きてきたところだ。そんなものよりも、集まりつつある新しいおもちゃでどう遊ぶか、それを考えるほうが幾倍も愉快だ」

「では、アルビオンはもう切り捨てなさいますか?」

「いや……せっかく作ったオペラだ。出来栄えは悪くとも、脚本家が途中で降りては無責任だし、観客にも失礼であろう。せめて最後は派手に散らせてやろうか」

 彼はそう言うと、貴下の空軍の艦隊をアルビオンに向かわせようかと思案し始めた。ここでレコン・キスタを撃ってアンリエッタに恩を売るもよし、トリステインと戦争に拡大しても、それはそれで面白い。

 だが、ジョゼフもシェフィールドも、自らが脚本を書いていると信じるあまり、舞台がすでに別の脚本で動かされていることに気づかなかった。彼らの作った脚本に合わせて踊るはずのクロムウェルは、もはや彼らの糸の先にはいないことに……

 

 こうして、各国がそれぞれの事情の元に鳴動している中で、アンリエッタは精鋭二千の兵とともに船上の人となっていた。結局、大半の兵は置いて越さざるを得なかったが、トリステイン艦隊旗艦、新鋭高速戦艦『エクレール』の甲板上で、艦首の女神像と見まごうばかりの凛々しい姿を見せる王女の姿に、兵たちは自らがこの船に乗る資格を得れたことを誇りに思った。

「スカボロー港への到着は、あのどれくらい必要ですか?」

「およそ、二時間を見ています」

 航海士官の報告に、アンリエッタは満足そうにうなづいた。だがそれにしても、いくらアルビオンが再接近しているとはいえ、普通なら七,八時間はかかる行程を恐るべき速さである。

 その理由は、このエクレールはゲルマニアで開発された新鋭戦艦ランブリング級の三番艦で、次世代型の実験艦として様々な新機軸が導入されているためである。エクレールはそのシルエットからしてすでに異様で、高速艦として徹底的な軽量化が推し進められた結果、なんとマストすらもなく、完全に風石でのみ航行をおこなうハルケギニアではじめての実用軍艦だ。その結果、これまでの戦艦のなんと三倍もの速度を発揮することに成功して、今もなんとかこの艦に追随できるのは、兵を分乗させた六隻の軽駆逐艦のみというありさまであった。

 むろん、欠点も数多くはらんでおり、船体が脆弱で防御力が皆無に等しく、武装も従来艦の半分以下しか積んでいない。さらに今後の問題として、風石の消費量が従来艦の五倍という経理泣かせがついているが、実戦となったら大砲の照準を合わせる暇もない速度にものを言わせて、敵をかく乱できるものと期待されていた。また、燃費の問題も、今トリスタニアのアカデミーでは風石の力を数倍の効率で取り出す方法が研究されており、これが成功すれば、格段に少ない風石で船を動かせるようになる。

 むろん、そんなことは不可能だと断じる者も少なくはなく、確かに人間ではまだ成功したものはいない。だが、現実にエルフとの戦争中に、追い詰められたエルフが小石ほどに小さな風石のかけらで、何十リーグもの距離を目にも止まらぬ速さで飛んで逃げたという実例も報告されているので、技術的には可能なはずである。この課題は主任研究員のエレオノール女史以下が、上層部がそっくり入れ替えられて自由度の増した研究室で、日夜研究に没頭しているために、実現の日も遠くはないであろう。

 さらに、このエクレールを含む三隻の実験艦の運用実績を参考にして、まだ青写真はおろか仮称すら決まっていないが、これまでの常識を超越する、対怪獣用の巨大万能戦艦の建造も計画されているというから、そのうちの一隻を任されたアンリエッタの責務は重かった。

 もっとも、今アンリエッタに必要なのは、この船の常識外れの速力のみであったが。

「ウェールズさま、今まいりますから、どうぞご無事で」

 十日ほど前に、ウルトラマンAがバードンやテロチルスと戦った空間も駆け抜けて、七隻のトリステイン艦隊は、持ち得る風石を全部使い果たす勢いで走り続ける。

 

 

 

 そのころ、この戦争を犠牲なくして終結させうる唯一の希望は、シルフィードを一路北上させて、ロンディニウムへと急いでいた。

「これで、この戦争も終わるんだよな」

 山林地帯の上空を飛びながら、才人はこのくだらない争いが、とっとと終わって、残りの夏休み期間をのんびりと昼寝でもしてすごしたいなと、ため息をついた。

「ほんとに、こんなつまんない戦争はさっさと終わらせて、バカンスの続きとしゃれこみたいわねえ」

「今回はあんたに同調するわ。こりゃもう戦争なんてものじゃないわ、頭をなくしたドラゴン同士の醜悪な茶番劇よ」

 キュルケやルイズも、うんざりといった様子で、彼女たちが思い描いていた戦争の美のかけらも無い戦いに、これ以上つきあいたくないとつぶやいたが、タバサとミシェルはそんな二人に釘を刺すように告げた。

「戦争なんて、参加してみればそんなもの」

「戦いが終われば、たとえ勝っても、隣にいた誰かがいなくなっている。どんなにいい奴でも関係なくな。それらは名誉の戦死とたたえられるが、実際には戦いの勝敗にはなんら関係ない犬死、無駄死にさ」

 戦争の美などは、しょせん血濡れの本性を隠すための厚化粧でしかないことを、世の中の暗部と数々の実戦を潜り抜けてきた二人は、いやというほど思い知っていた。

 戦争を知る者と知らない者、その差は大きい。

 けれど、戦争がくだらないものであればあるほど、さっさと終わらせるに越したことはない。それで、具体的にどうしようかとルイズに問われると、才人は簡単に答えた。

「クロムウェルとかいうやつが、ウェールズ同様に操られてるなら、半殺しにして目を覚まさせる。超獣なり宇宙人なりが成り代わってるならぶっ飛ばす」

「ずいぶんと荒っぽいわね」

「でも、確実だろう」

 なにかすごい作戦案でもあるのかと思ったルイズは苦笑したものの、それが一番の近道であるとも認めていた。どっちにせよぶっ飛ばされるクロムウェルとやらには気の毒なことだが、レコン・キスタなどというつまらない組織を作った責任はとってもらわねばならない。

 それが成功すれば、中核を失ったレコン・キスタは自壊して、戦争は終結することだろう。その後のことは、アンリエッタ王女らが政治的に解決をなす番であるから自分たちの出る幕ではない。あくまで、やるべきことはヤプールの影響をこの大陸から排除することで、国家間の問題などは、それ相応の人々に任せるべきなのだ。

 だが、それにもまだ重要な問題が残っていることをミシェルが指摘した。

「しかし、ロンディニウムにはもう名のある貴族や将軍はたいして残っていないだろうし、敗戦の混乱もあるだろうから、クロムウェルの身辺に近づくのは難しくはないだろうが、あそこには恐らくワルドがいる。あいつが護衛についているとなると、ことは容易ではないぞ」

 奴に刺された脇腹の傷を押さえながら、ミシェルが憎憎しげに言うのを、ルイズ、そして才人は視線を尖らせて聞いていた。

 ルイズにとってはかつての婚約者であり、幼いころは面倒をよく見てくれた恩人でもある。しかし今は祖国を裏切ったあげくに敵の走狗に落ちてしまった薄汚い卑劣漢、もう一度会ったら、この手で引導を渡してやろうと決めていた。

 また、才人もミシェルの話から、ワルドに乗り移ったものの正体に見当をつけており、恐らくはウルトラマンAの最大の強敵となるであろうことを覚悟していた。だがそのためには、まず人間体であるワルドを追い詰める必要がある。

「今奴は、乗り移られたためかワルドが使えていたスクウェアクラスの魔法を使うことができない。それでも、グリフォン隊の隊長を任されるほどの体術と剣技は健在だ。だが、今度は遅れはとらん」

 特に、死線をさまよわされたミシェルは雪辱を晴らしてやると、歯を食いしばらせながら杖を握り締めた。しかし、また命を投げ捨てかねない危うさを感じた才人は、無理をしないようにと釘を刺した。

「ミシェルさんが危険を冒さなくても、あのいけすかないヒゲ親父はおれがぶっ飛ばして敵を討ってあげますよ。だから、安心して道先案内をお願いします」

「いや、お前の実力では、まだ奴には勝てないだろう」

「魔法が使えないなら、条件は五分ですよ。それに、元々気に入らなかった上に、ヤプールに操られたにしても、ミシェルさんを殺しかけたなんて許せるわけねえだろ、絶対ギタギタにしてやる」

 血まみれで死に掛けていたミシェルを見たときの絶望感は、いまでも忘れられない。ミシェルは、才人が自分の子を傷つけられた親のような純粋な怒りを自分のために燃やしてくれたことに、さらに信頼を深くした。

「サイト……わかった、私の命はお前に預けるよ」

 キュルケはここで、身も心も預けるよ、と言えばよかったのにと思ったが、それはいくらなんでも過大要求すぎるだろう。もっとも、鈍い才人はそこで、

「はい、全力で守り通しますよ」

 と、言葉どおりに受け取って、女性が自分を預けるという意味に気づきもしなかった。また、そこで例によってルイズが。

「あんたはまずご主人様を命に代えても死守することに専念なさい!」

 などとかんしゃくを起こして、才人の股間を蹴り上げたので、いつものドタバタした雰囲気になってしまった。おかげでキュルケは自分の好みのムードは飛んでしまったので、後は我関せずと、懐から赤い雨で台無しになってしまった本を取り出して、はりついたページと格闘しながら読みふけっているタバサの隣に座り込んだ。

 だがそれにしたってつくづく思う。

「まったく、さっさと夏休みの続きを楽しみたいものね」

 トリステイン魔法学院の夏休みは長い。全部が片付いたなら、ルイズからティファニア、知っている人たちをみんな集めて、もちろんアニエスやミシェルもいっしょに、全員そろって盛大に宴でもしたいものだと、キュルケは揺られながら思うのだった。

 

  

 しかし、加速を続ける時代の潮流は、次元を超えた先の地球でも、その勢いを緩めてはいない。

「ロンドン発東京行き、ヨーロッパ航空101便にお乗りのお客様は、三番ゲートまでお越しください」

 この日、イギリスのロンドン空港に、日本行きの便を待つ一組の男女がいた。

「やっと時間ね。いくわよジョージ、いつまでサイン会やってるのよ」

「おや、もうそんな時間か、すまないねセニョリータたち、この続きは今度の試合のあとでね」

 一人は、ひきしまった肉体とクールな印象を与えるロングヘアの若い女性。もう一人は、全世界をにぎわすサッカースペインリーグのトップチームのロゴをあしらったジャンパーを着た、精悍な長身の男。二人の名は、カザマ・マリナとイカルガ・ジョージ、日本初の女子プロライダーと、スペインリーグのスーパースターだ。

 だが、彼らにはもう一つの顔がある。すなわち、かつてヒビノ・ミライたちと共に地球を守るために戦ったCREW GUYS JAPANのメンバーとしての一面だ。

「久しぶりの日本だな。またあいつらに会えるかと思うと、わくわくするぜ」

「あの熱血バカが隊長で、今でもちゃんとやっていけてるのかしら? 新人隊員たちまでバカが移ってなければいいんだけどね」

 今彼らは、GUYSへと復帰するために、日本へ出発するところだった。

 けれども、GUYSとしての仕事ももちろん大切だが、彼らにも本業のレースやサッカー、仲間たちにかなえると誓った夢がある。しかしそれをおろそかにするような彼らではなく、GUYSで鍛え上げた彼らはそれぞれ、イギリス国際七十二時間耐久ラリー制覇と、スペインリーグ史上最速でのチーム優勝を決めるという快挙を成し遂げ、誰に後ろ指さされることも無く日本に向かおうとしていた。

 すでに日本では、かつてのGUYSメンバーたちが続々と集まってきており、彼らで全員集合となるはずである。

「だがそれにしても、イギリスで怪獣とやりあうことになるとは思わなかったな」

「ええ、ヤプールの影響が日本以外にも現れはじめたってことかしら」

 実は、彼らは出発直前にGUYS ENGLAND(イングランド)の要請を受けて、イギリスに出現した怪獣の迎撃に参加していたのだ。

 それは三日前のこと、イギリスのスコットランドにある、世界的に有名な湖、ネス湖で、一隻の遊覧船が火災を起こして沈没した事故から始まった。それだけであったら、よくある船舶事故で済ませられていたであろうが、沈没した船が湖底の地層を押しつぶし、そこで冬眠していた怪獣を目覚めさせてしまったのだ。

 突如湖面から猛烈な気泡を噴き出して現れた、古代の恐竜のような巨大怪獣。奴は湖上の船舶や湖岸の町に襲い掛かり、人々は逃げ惑って、通報を受けたGUYS ENGLANDはただちに出動した。

「ネス湖に怪獣が出現、日本のアーカイブドキュメントSSSPに同種族を確認、えりまき怪獣ジラースです」

 二足歩行のアロサウルス型のシルエットに、ごつごつとした黒い表皮をわずかに黄色がかせ、太い腕と、同じく太く長い尻尾、首筋から背中を通って尾までびっしりと生えた、鋭く大きな背びれ。そして喉元に大きく開いた巨大なえりまき状のひだ。

 かつて、日本の北山湖に出現して、初代ウルトラマンと激闘を繰り広げた古代恐竜の生き残りが怪獣化した、えりまき怪獣ジラースの二代目が出現したのだ!

 しかし、なぜ日本に出現した怪獣の二代目がイギリスに現れたかというと、初代も実は元々はネス湖に生息していたのである。それを恐竜学者の二階堂教授が日本に連れ帰って、ひっそりと育てていたので、本来の出身地はこのネス湖であり、同族がいたとしてもなんら不思議はなかったのだ。

 眠りを妨げられ、怒り狂うジラースはネス湖周辺の町に甚大な被害を与えると、そのままロンドン方向へ前進を始めた。

 むろん、それをGUYS ENGLANDが黙って見ているはずもなく、多数のガンクルセイダー、ガンウィンガーが出撃した。しかし怪獣の出現に慣れている日本と違って、エンペラ星人襲来時のインペライザー迎撃以外はまったく実戦経験のない彼らは、うかつに近づいてはジラースの腕で叩き落され、慌てて距離をとればジラースの口から放たれる白色熱線でバタバタと撃墜される始末であった。その後、やっとこさメテオール、スペシウム弾頭弾で、比較的脆弱なえりまきを焼き落としたものの、むしろ身軽になったジラースは、猛爆撃で黄色い部分が見えなくなるほど黒々となった体をいからせ、初代に比べて低く轟くような雄たけびをあげて暴れまわる。明らかに、この二代目は初代以上の強さを持っていた。

 しかも、悪いことは重なるもので、その近海に数ヶ月前に日本でリュウたちと戦った宇宙海獣レイキュバスまでもが現れたのだ。奴は、ガンフェニックスの攻撃によって海に追い落とされ、その後GUYSオーシャンの攻撃で消息を絶ち、受けたダメージから死んだものと判断されていたが、生きていたのだ。

「最近北海であいついでいる海難事故は、こいつが原因だったのか」

 おそらく日本からベーリング海峡を通って北極海を越えてイギリスまでやってきたのだろう。その間にエネルギーを蓄えたと見えて、すっかり傷も治っているレイキュバスに、イギリス海軍も出撃したが、フリゲート艦も巨大なハサミを振り下ろしてくるレイキュバスの攻撃の前に次々と撃沈され、戦闘機もレイキュバスの火炎弾の前に全滅した。

 陸と海、同時の怪獣の出現に、未熟なGUYS ENGLANDはなすすべもなかった。そこで、偶然ヨーロッパに滞在していた、経験豊富なGUYS JAPANの二人にヘルプが出たのである。

「ネッシーが、本当にいたとは思わなかったわね。どうするジョージ」

「二匹と同時に戦っては不利だ。この二匹を戦わせて、一匹になったところで、ワンオンワンに持ち込もう」

 ジョージが、サッカーでディフェンスを抜くときのテクニックから考えた作戦が採用されて、ジラースとレイキュバスをぶつける作戦が取られた。

 方法は、すでに時間は夜になっていたので、マリナがバイクのライトに虫が集まってくることを思い出し、動物が光に向かう走光性という習性を利用して、照明弾でジラースを海岸線にまで誘導する作戦がとられた。そうして見事海岸で上陸しかけていたレイキュバスの前に引き出すことに成功、こうして、えりまき無し怪獣ジラース対大ザリガニ怪獣レイキュバスの戦いが始まった。

 雄たけびをあげて、地上と海上から威嚇しあう二大怪獣、先に仕掛けたのはジラースだった。

 岩だらけの海岸線に転がっていた岩石をジラースはサッカーのように、レイキュバスに向かって蹴っ飛ばした! 

「あの怪獣、うちのチームにほしいぜ」

 ジョージがそんな緊張感のないことを言ったが、レイキュバスもやるもので、巨大なハサミをラケットのようにして、ジラースに向かって岩を打ち返した。

 驚くジラース。だが負けじとさらに岩を受け止めて投げ返し、レイキュバスはまたハサミで岩をはじきとばして、ハサミをバシバシと合わせてジラースを挑発する。どうやら、こいつもすっかり地球に慣れた様子であった。

 そうなると、ウルトラマンと光線の力比べをしたほどに知能が高くて負けず嫌いなジラースのことであるから一気にやる気を出した。さらに岩石を持ち上げて投げつけて、ハサミで打ち返されてきたら、頭突きでまた打ち返すラリーを繰り返す。

 が、レイキュバスはこのままでは埒が明かないと思ったのか、器用にもハサミで岩石をはさんでキャッチして、今度は野球のように振りかぶって第一球を投げた。

 速い! ジラースは打ち返そうとしたが空振りして、岩石はその後飛んでいって近辺の町のテレビ塔を破壊した。

「ストライーク、バッターアウッ!」

 誰かがそう言ったのが聞こえたわけではないだろうが、怒ったジラースは海に飛び込んで水中戦に突入した。昔、ネス湖は海とつながっていて、ジラースはそのときにやってきた海生爬虫類ではないかという説があったが、どうやら本当であったようだ。

 戦闘は、ジラースの放った白熱光がレイキュバスの腹を焼いてゴングとなった。もちろんレイキュバスもそのくらいでまいるはずはなく、海中から大バサミでジラースを水中へ引きずり込んで、壮絶な格闘戦になっていった。

「すげえ……」

 上空から見下ろしながら、ジョージとマリナだけでなく、GUYS ENGLANDの面々も、怪獣同士の大バトルに我を忘れて見入ってしまった。

【挿絵表示】

 

 戦いはその後、ときたま海面に浮き上がってはぶつかり合う、互角の様相を挺していたが、ジラースがレイキュバスの左の小ぶりなハサミに噛み付いて、勢いよく引っこ抜いてしまったことで勝敗が決した。ひるんだレイキュバスに、ジラースはさらに組み付いて、その怪力にまかせるままに右の大バサミももぎとってしまったのだ! 

 これで、完全に戦意を失ってしまったレイキュバスは、尻に帆かけて沖合いに逃げ出した。だが、逃がすわけにはいかない。

「今だ! 全機レイキュバスに総攻撃」

 潜水しかけるレイキュバスへ向かって、ありったけのスペシウム弾頭弾が叩き込まれる。この駄目押しに、ダメージが蓄積していたレイキュバスは遂に耐えられず、一声鳴いた後に、海面に焼きエビになって浮かび上がってきた。

 だが、もう一匹のジラースのほうは、その隙に悠々と海中に姿を消してしまっていた。もちろん、GUYS ENGLANDは追撃しようとしたものの、海中でもジラースの動きは相当に素早く、あっという間に深海へと逃げられてしまった。

 画龍点睛を逃したことに、ジョージたちは悔しい思いをしたが、その後は、GUYSオーシャンの管轄であるから、残念だがあきらめるしかなかった。

 北極海方面に逃げたジラースには、GUYSオーシャンに加えて、イギリスが誇る最新鋭原子力潜水艦グローリア三世号が撃滅に向かったという。その先はもうしばらく経たねばわからない。

 それでも、二匹の怪獣の脅威からイギリスを守れたことには、イギリス政府より感謝が送られ、二人はそれを慰めにして日本への帰路に着いた。

「シートベルトをお締めください」

 二人の座席は、機体中央あたりの右に二列、左に二列の座席にはさまれた、四列になったシートの真ん中の二つであった。

「ふぅ、到着までは四時間ってとこかな」

 ロンドンから東京までが、わずかに四時間。

 この101便はコンコルドを生み出したヨーロッパの航空技術の粋を集めて作られた画期的な超音速旅客機であり、さらに平和産業に一部開放されたメテオール技術を受けて、超音速で飛んでも衝撃波や騒音をほとんど発生させないという、新世代の夢の飛行機だった。

 機体が浮き上がっていく心地よい感覚を受けながら、ジョージとマリナは疲れた体を座席に横たえて、やがて寝息を立て始めた。

 だが101便が発進して三時間ほどが過ぎ、日本海に差し掛かったところで101便に東京国際空港から緊急連絡が入った。

「トウキョウコントロールより、101便へ、進行方向にイレギュラーの大型低気圧が発生、高度を上げて回避せよ」

「こちら101便、了解、高度を上げます」

 機長は飛行帽をかぶりなおして気合を入れると、副操縦士に合図して自動操縦を解除して、進行方向上にあるという大型低気圧を回避するために操縦桿をぐっと引いた。

「こんな黒雲は、見たことがないな……」

 101便の進路上には、まるで台風のように不気味にうごめく雲海が、巨大な壁のように立ちふさがっていた。 

 

 

 一方そのころ、再びアルビオンに舞台を戻す。才人たちを乗せたシルフィードは、ロンディニウムまであと数時間という距離にまで進んでいたが、進行方向に夏場の名物ともいえる巨大な積乱雲が現れて、行く手をふさいできた。

「どうする、迂回する?」

「時間がないわ。一気に突破しましょう」

 ルイズの判断で、シルフィードは積乱雲の真下へと一気に突入した。たちまち上空を黒雲が覆い、夜のように周りが薄暗くなっていく。

 しかし、そこで彼らを予想だにしていなかったトラブルが襲った。頭上の黒雲が突如として生き物のように不自然な渦巻きをはじめ、猛烈な突風とともに彼らを吸い込み始めたのだ。

「なっ、なんだぁ!?」

「す、吸い込まれる!」

 まるで、地上に出現したブラックホールのような黒雲は、とっさに逃れようとするシルフィードをどんどん吸い寄せ、ついにはその内部へと飲み込んでしまった。

 

 

 続く



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第75話  伝説の勇者たち (前編) 

 第75話

 伝説の勇者たち (前編) 

 

 四次元怪獣 トドラ 登場!

 

 

 異世界ハルケギニアにて、宙に浮かぶ大陸アルビオンの今後一千年の歴史を左右するであろう最終決戦が、その後ろで糸を引いているものの思惑も含めて幕を上げようとしている。

 しかし同じ頃、舞台裏では表の大事にも匹敵する特大の異変が、今まさに生じようとしていた。

 

 イギリスの事件を解決させ、日本への帰路についた、元GUYS JAPAN隊員イカルガ・ジョージとカザマ・マリナ。この二人を乗せた、ヨーロッパ航空101便を突然の激震が襲ったとき、偶然か、それともたちの悪い運命であったのか、この一機の超音旅客機をめぐる、GUYS史上に特筆されて残る事件は始まっていた。

 怪獣ジラースとの戦いの疲れもあって、機内で安眠をむさぼっていたジョージとマリナは、機体を貫いた不気味な振動に目を覚ましていた。ただ最初こそ、よくある乱気流にでもぶつかったのではと、あまり気にしなかったけれど、次第に窓際の乗客たちが騒ぎ出し、これはただ事ではないなと感づいた。

「どうかしたんでしょうか? なにやら騒がしいですが」

「それが、飛行機の外が突然真っ白になって、なにも見えなくなっちゃったんです」

 隣に座っていた、壮齢の女性に何事かを尋ねて答えを得ると、確かに機外の風景が右を見ても左を見ても白一色に染まっていた。はじめは雲の中かと思ったが、飛行機は普通危険な雲の中は飛ばない。GUYS時代から、キッカー、レーサーとして培った危険を察知する直感が、背筋を冷たい手でなでられるような感覚を彼らにもたらしていた。

「マリナ、どうする?」

「待って、まだ異常事態とは限らないわ。もう少し様子を見ましょう」

 様子はおかしいが、もしかしたら本当にただ何かしらの理由で雲海を飛んでいるだけかもしれない。だがそのころ、東京国際空港には、ヨーロッパ航空101便からのSOSが届いていたのだ。

 

「こちら101便、トウキョウコントロール、当機の位置を教えられたし」

「ディスイズトウキョウコントロール、101便、そちらの位置はこちらのレーダーには映っていない」

「そんな馬鹿な、こちらはすでに日本の領空に入っているはずだ。高度も七千はあるはず、映らないはずはない!」

「本当だ、こちらもロストしたそちらを探しているが、いまだに発見できない。周りになにか見えないのか?」

「それが、周り中濃い雲に覆われてしまって、どこまで行っても切れ目がないんだ。おまけに、高度計がいかれてしまって、上昇も下降もできないし、GPSにも反応がない。なんとかしてくれ」

 悲鳴のような101便からの救助要請に、管制官はすぐにでも救難隊を差し向けたかったが、位置がつかめないのではどうしようもなかった。

「ともかく落ち着いて、状況と位置の把握に努めろ。無線が通じるということは日本近辺のどこかにいるはずだ。こちらも至急対策を考える」

 そうは言ったものの、管制官にできることは上司に報告し、引き続き101便の行方を捜索するくらいしかなかった。

 

 しかし、そうしているうちにも101便が東京国際空港に到着している時間は迫ってきて、乗客たちも異常事態に気づき始めていた。

「おいどうなっているんだ、もう空港についていていいはずじゃないか!」

「今どこを飛んでるんだ? 本当に日本に着くんだろうな!」

 乗客が不安のあまりにスチュワーデスに詰め寄り始めている。もちろん、ただの客室乗務員に事態を解決できるはずはないのだが、冷静な判断力を失いかけている乗客はわからない。

 ジョージとマリナも、もう普通ではないのは確実だと席を立とうとした。ところが二人が立とうとしたときに、逆隣に座っていた親子の、三歳くらいの男の子が大声で泣き出してしまった。

「ああ、どうしたのひろくん、泣かないでね、よしよし」

 母親が泣き喚く子供をあやそうと頑張っているが、子供はこの場の殺気立った空気を怖がっているので、なかなか泣き止んでくれない。マリナは、GUYSの一員として、このままいこうかどうか迷った。ところがである、そのとき親子の反対側の窓際に座っていたざんばら髪をした山登りをしてきたようなかっこうをしたおじさんが、リュックから茶色くて先っぽが筆のようになった大きな棒を取り出して、泣く子供の鼻先をこちょこちょとくすぐった。

「ほらほらぼうや、これ見てみい。これはな、ライオンの尻尾なんやで、これで頭をなでるとな、強い子になれるんや、だからぼうやも泣くのやめ」

 うさんくさい関西弁で、その山男みたいなおじさんはニッと歯を見せながら、男の子に笑いかけた。すると男の子は最初びっくりしたようだったが、ライオンの尻尾と聞いて興味を持ったようで、おそるおそるもじゃもじゃに手を出した。

「ライオンの尻尾? ほんとに」

「ああ本当や、おじさんは世界中を冒険しててな、アフリカで秘境探検の末に原住民の長老からこれをもろたんや。古代の魔力がこもったすごいもんなんやで、だから、これでなでられたぼうやはもう強い子や、強い子は、泣いたりへんよな?」

「……うん!」

「ええ子や、じゃあ特別サービスで、これは坊にやる。大事にせいよ」

「うん!」

 男の子は、そのインチキくさいライオンの尻尾とやらを大事に抱きしめて、うれしそうに笑った。

 そんな様子を、母親や、ジョージとマリナも唖然として見ていた。見るからに怪しい変なおじさんだが、母親でもあやせなかった子供のかんしゃくをピタリと抑えてしまった。

 けれど、機体にまた激しい振動が加わると、その子はビクリと震えて、母親にしがみついた。やはり子供は子供、自分ではどうにもならないことに恐怖を感じるのは当たり前なのだ。だがそこへ、二人をはさんで反対側に座っていたおばさんが、ビニール紙に包んだキャラメルを差し出してくれた。

「どうです、なにかを食べてれば気分も落ち着きますよ。皆さんもどうぞ」

「あ、どうもありがとうございます」

 行き渡った四つのキャラメルをそれぞれが口に含むと、ほんのりとした甘さが、口の中に広がっていった。

「あまーい」

「うん、こりゃうまいで」

「それはよかった。実は私は北海道で牧場をやっているんですけど、そこで育てた牛からとった牛乳で作ったもので、イギリスに営業に行った帰りなんです」

 確かにこのうまさなら、イギリスでも通用するだろうと、ジョージもマリナも思った。男の子も、すっかりうれしそうにしながら、母親といっしょに口の中のキャラメルを舐めている。

 そこで、インディアンのおじさんが、男の子の頭を豪快になでた。

「よかったな坊や、けどもう男の子は泣いちゃいかんで」

「うん……でも」

「怖いか? だいじょぶや、おじちゃんがついとる。実はおじちゃんはな、昔防衛隊にいてな、怪獣と戦っとったんや」

「ほんと!?」

「ほんとや、こーな、でっかい宇宙ステーションや、かっこいいジープを乗り回しとって……おっと、わしゃ免許はなかったっけか? もちろん、ウルトラマンといっしょに戦ったこともあるんや」

 得意げに話すおじさんの言葉に、男の子はすっかり夢中になっている。

「だからな、そんなすごいおじちゃんがおるんやから、坊が心配することはなんもあらへん。そっちの兄ちゃんたちや、おばちゃんも平気にしとるやろ」

 こういうとき、大人がしっかりしなければ子供はどうしていいかわからない。ジョージとマリナは毅然とした態度で、男の子に笑いかけ、おばさんもにこやかに微笑んでいた。

「これで、もう大丈夫ですわね」

「ええ、ですがそれにしても、あなたはこの状況でよく平然としていられますね」

 マリナは、周りの乗客が少なくともそわそわしているのに、このおばさんはまったくといっていいほど平然としているのに、少し驚いていた。

「いえ、私も不安ではありますけどね。実は、私の兄が昔防衛隊で働いていましたから、母の教えで、いつも命がけで頑張っているシゲルに恥ずかしくないように、私たちも強く生きましょうって、そうやってきたんです」

 ということは、怪獣頻出期のいずれかの時期にあった防衛チームのどれかに所属していた人のご家族ということか。確かに防衛隊は警察や消防と同じくいつ死んでもおかしくない危険な仕事であるために、家族にもそれ相応の覚悟が必要とされ、それゆえにテッペイのようになかなか家族に打ち明けられなかったり、親御さんが除隊を求めることも少なくないという。

 二人は、こうした人々にも歴代の防衛チームは支えられてきたのかと、目に見えないところで頑張っている人々の熱い思いに感じていた。ならばこそ、今こそ自分たちが働く番なのである。 

「どうやら、日本に帰る前に一仕事こなさなきゃいけないみたいだぜ」

「ミライくんたちに会う前に、勘をとりもどしておきますか」

 ジョージとマリナは、GUYS隊員としての目に戻ると、己の使命を果たすために立ち上がった。

 客室内は、いっこうに事態の説明をしない乗務員側に対して、乗客のいらだちが限界に達しようとしていた。二人はそんな人々を掻き分けて、必死で乗客を抑えているスチュワーデスの前に出た。

「お客様、どうか座席にお戻りください!」

「私たちはCREW GUYSのものです。なにかご協力できることがあればと思うのですが」

 マリナがGUYSライセンスの証明証を見せると、客室内が驚きと、同時に期待に湧きかえった。もっとも、スチュワーデスさんは二人の見せたGUYSライセンス証以上に、ジョージが世界的に有名なスター選手だと気づいて、どうやら熱烈なサッカー好きのようでうれしさのあまり失神しかけてしまったけれど、なんとか落ち着かせて操縦席に案内してもらった。

「GUYSの方ですか、助かりました。今の状況は我々の範疇を超えています」

 機長は、プレッシャーに押しつぶされそうだったところで責任から解放されて、事態を彼らに説明した。ともかく無線だけはなぜかつながるが、ほかの計器がまるで役に立たない。

 ジョージとマリナも、思いつく限りのことは試してみたが、すべて無駄だとわかると、すぐさま管制塔に向けて無線を送った。

「101便より、トウキョウコントロール、当機は異常な空間に飲み込まれているもよう。ただちにGUYS JAPANを出動を要請してください」

 これを受けて、それまで対応に右往左往するばかりであった空港側もようやく明確な行動方針を見つけることができた。連絡を受けたGUYS JAPANはただちにフェニックスネストより、先陣としてミライをガンウィンガーで東京空港に派遣した。

 

「こちらミライ、今東京国際空港に到着しました。テッペイさん、何かわかりましたか?」

 滑走路を封鎖した空港にガンウィンガーを着陸させ、ミライは管制塔でフェニックスネストに連絡をとっていた。

「ああ、アウトオブドキュメント、ずいぶん古い記録だけど、これと似た事件が過去に報告されています。おそらく101便、ジョージさんたちの乗った飛行機はその空港のすぐそばにいると思われます」

「そば、ですか? でも、ガンウィンガーのレーダーにもそれらしい影は捉えられていませんが」

「それがね、一九六六年に同じように旅客機が空港のすぐそばで行方不明になり、通信だけができるという事件があったんだ。そのとき、その旅客機は次元断層とでもいうべき、異次元空間にはまりこんでいたらしい」

「異次元空間に!? ということはヤプールの陰謀ですか?」

「それはまだわからない。異次元空間を利用するのはヤプールだけではないからね、今こっちでもGUYSスペーシーに協力してもらって調べてる。もう少し待って」

「G・I・G」

 今フェニックスネストではテッペイやコノミが、新人オペレーターに指示しながら、この事件の詳細を調べているのだろう。ならば、まかせて待つのが一番確実だ。 

 ミライは、フェニックスネストとの通信を一時切ると、ぐるりと管制塔の窓から空港を見渡した。

「兄さんも、この景色を見ていたのかな」

 この管制塔というのは空港全体が見渡せて、とても眺めがよかった。

 メビウスが地球に来る二十年前、ウルトラマン、セブン、ジャック、エースのウルトラ四兄弟はヤプールが作り出した究極超獣Uキラーザウルスを、変身能力を失うほどの封印技『ファイナル・クロスシールド』で封印した後、地球で人間の姿で生活していた。そのときにウルトラマンは旧科学特捜隊のハヤタ隊員の姿で、神戸空港の管制官として働いていたという。ミライは敬愛する兄と同じ風景を見ているかと思うと、胸が熱くなるような気持ちだった。

 それから数十分ほど経って後、再びフェニックスネストからテッペイの連絡がはいってきた。

「お待たせミライくん、ジョージさんたちの居所がわかったよ!」

 ミライのGUYSメモリーディスプレイに、GUYSスペーシーの衛星が撮影した、空港周辺の気象図が送られてきて、その一つの雲に赤い×印がしてあった。

「ここですか?」

「ああ、レーダーに映らないというところがポイントなんだ。衛星写真では、その雲ははっきり映ってるけど、地上のレーダーからはその雲だけが映っていないんだよ」

 なるほど、と、ミライはテッペイの情報分析力にあらためて信頼を強くした。まさに逆転の発想、常識を超えた怪事件に対応するには柔軟な思考が必要とされるのだ。

 そのとき、管制塔にタイミングよく101便からの連絡が入ってきた。

「こちら101便、ディスイズトウキョウコントロール、オーバー?」

「こちら東京空港、ジョージさんマリナさん大丈夫ですか?」

「その声は、ミライか!? 久しぶりだなアミーゴ!」

「ミライくん、さっそく来てくれたのね。リュウもなかなか粋なはからいするわねえ、元気だった?」

「はい、おかげさまで。そちらは大丈夫ですか?」

「ああ、今のところ乗客も落ち着いて、機体も平常飛行を続けているが、相変わらずどこを飛んでいるのかはわからん」

 やはり、101便は異次元空間の中をさまよっているのだと思ったミライは、すぐさまテッペイが対策を打ってくれていることを知らせて、続いて通信をフェニックスネストにもつなげた。

「ジョージさん、マリナさん、お久しぶりです。お二人がその機に乗っていたのが、不幸中の幸いでした」

「俺たちには不幸以外の何者でもないけどな」

「まあそう言わないで、時間がないんですから、101便の燃料はあとどれくらい持ちますか?」

 そうだ、時間は限られている。いまのところは飛行を続けられているが、航空機の燃料はいずれ尽きる。異次元空間の中で墜落してしまったら、どうなるかはまったくわからない。

「巡航飛行を続けてるから、あと二時間は持つはずだが、正直余裕があるとはいえねえな」

 二時間、その間に救出しなければ101便は永遠に異次元空間をさまよってしまう。

「了解しました。こうなったら、ガンフェニックスで突入して、異次元空間の外まで101便を誘導するしかありません!」

「おい待て! そりゃ危険だ。下手すりゃ二重遭難になるぞ」

「そうよ、ここでGUYS全滅なんてなったらどうするの」

「お二人をはじめとする、二百余名の人命を犠牲にするわけにはいきません。それに異次元空間への突入は、ウルトラゾーン以来二度目ですから、こちらの世界へ誘導するビーコンを用意しておきます」

 ウルトラゾーンと聞いて、ミライの表情が引き締まった。メビウスが地球に来る直前、メビウスは太陽系内に突発的に開く異次元の落とし穴であるウルトラゾーンに引きずり込まれていく宇宙船アランダス号を救い損ねて、乗組員バン・ヒロトを犠牲にしてしまったことがあり、二度と悲劇を繰り返しはしまいと決心していたのだ。

 そして、異次元空間へ突入し、101便を救出する作戦はリュウ隊長に承認され、ガンローダーにテッペイ、ガンブースターにリュウ自らが搭乗した。

 コノミはフェニックスネストに残り、こちらの世界からガンフェニックスをナビゲートする。カナタやほかの新人隊員は作戦参加を申し出たが、万一リュウたちまで帰れなくなった場合は、彼らが後を継がねばならない。ここは先輩のお手並みを見学しておけということで、残留してサポートすることとなった。

 残る時間は一時間五十分、ただちに作戦は開始された。

「GUYS、Sally GO!」

「G・I・G!」

 全隊員の復唱がこだまし、新旧共同のGUYSは出撃した。

 

 

 だが、この時空間の歪みが、誰にとっても予測を超えた一大事の引き金となるとは、このときはさすがに想像できている者はいずれの次元にも存在しなかった。

 同時刻、ロンディニウム南方三十リーグの上空で、突然シルフィードごと雲の中に吸い込まれてしまったルイズたち一行は、気がついたら白一面の世界にいた。

「こりゃあ……なんの冗談なのかしら」

 見渡す限り白、白、白……空は真っ白い雲に覆われて、足元はドライアイスのような白い煙が漂っていて、足首より下がわからない。まるで雲の中のようだが、足をついて立てる以上、雲の中ではないだろう。ともかく、天地創造の神とかいう存在がいるとしたら、そいつの財布は絵の具一つ買うコインもないのではないかと思うくらいに色彩的特長のない世界だったので、誰もがすぐには状況を把握できなかった。

「俺たち、ロンディニウムとかいう街に向かってて……そうだ、雲の中に吸い込まれちまったんだ!」

 思い出してはっとすると、おのおのは顔を見合わせた。

 ルイズが懐からぜんまい式の懐中時計を取り出して見ると、すでに短針は元の位置から百二十度も回転していた。

「四時間も経ってる!」

「なんてことだ! 貴重な時間をこんなことで!」

 そこでシルフィードの背中に乗っていたミシェルが、硬いつもりでシルフィードの背中を思い切り殴ってしまったものだから、びっくりしたシルフィードは彼女を振り落としてしまった。

「わあああっ!」

「危ない!」

 急いで駆け寄った才人が危機一髪で受け止めた。けれども思いもよらずにお姫様だっこをされてしまったミシェルがほおを赤らめ、一瞬で機嫌を桜島火山のようにしたルイズが蹴りを入れるというコントが発生したが、そんなことはともかく、これはいったいなんなんだろうか。

「ア、アルビオンに、こーいうことは、ないのか?」

 お姫様だっこをしているせいで、蹴たくられて痛む股間を押さえることもできずに、涙目で才人は尋ねた。大陸が空を飛ぶくらいだから、雲の中に入ることができるんじゃないかと思ったのだが、「そんなおとぎ話みたいなことがあるわけないじゃない!」とルイズと怒鳴られた。どうやらハルケギニアはファンタジーと思っていたものの、限度というものはあるようだ。

 それなのに、異常事態より先にルイズの関心は別にあるようだ。

「サイト、あんたいつまで抱きかかえてるのよ! さっさと下ろしなさい」

「おいおい、けが人に無茶言うなよ」

「うるさい! だいたいミシェル! あんたけが人だと思って黙って見てたら、人の使い魔に好き放題ちょっかい出して、ちょっと調子に乗ってんじゃないの! 天下の銃士隊員ともあろうものが、でれでれ媚びちゃって情けない限りねえ」

 ルイズの横暴がまた始まったと、才人は内心で嘆息した。腹部貫通刺傷に、打撲、骨折複数箇所という負傷が二、三日で治るとでも思っているのか、もし自分ならば、一週間はベッドの上で寝たきりのはずだ。

 しかし、ルイズはここで眠れる獅子の尾を踏んでいた。

「言ってくれるじゃないか、貴族の小娘と思って呼び捨てくらいは大目に見ようと思ったが、銃士隊への侮辱は許さんぞ」

「え? ミ、ミシェルさん?」

「サイト、お前の主人の言うとおりだ、銃士隊副長ともあろうものが、こんな傷くらいでへばっている場合ではなかった、下ろせ」

「で、ですけど……」

「下ろせ」

 据わった声で命令されて才人は気づいた。ミシェルの眼光が、初めて会ったときのように、弱いものならそれだけで刺し殺せそうな冷たく鋭い光を放っている。ルイズの挑発で、ミシェルの中に眠っていたプライドの炎が呼び覚まされていた。

 とても逆らえた空気ではない。だが、才人ができるだけそおっとと気遣いながらも、足からゆっくりと地面、とおぼしきところに下ろしていくと、ミシェルは驚いたことに、ひざに手を置きながらも自力で立ち上がっていった。

「どうだ……これでも、まだ情けないなどと言うか」

 だが、歯を食いしばり、額に油汗を浮かべており、相当の苦痛に耐えているということはすぐにわかった。それでも、その苦痛をねじ伏せてでも立っているという気迫がルイズを圧倒した。

「な、なかなかやるじゃないの」

「ふん、あ、当たり前だ、お前たちとは、鍛え方が違う」

 やせ我慢も、ここまでくれば見事といえた。そういえばうっかり忘れていたが、あのアニエスと肩を並べて戦えるということは、単に腕がいいだけではまず無理で、同格の精神的なタフさ、いわゆる負けん気の強さがないと、弱い者は徹底的にいびるあの人の下ではやっていけまい。実際、ツルク星人と対戦したときにいっしょに特訓したときも、あれが二日、三日と続いていたら才人は倒れていただろう。

 だが、肉体を精神力でねじ伏せて動かすにも限度があった。

「う、ああ……」

「危ない!……っとに、無茶するから」

 血の気を失って倒れ掛かったミシェルを才人が危うく抱きとめた。今度はルイズも文句は言わないが、あとが怖いのでシルフィードの背中に乗せなおしてあげた。

「まったく、無理をするからよ」

「誰かさんにそっくりだけどね」

 ぼやいたルイズにキュルケがツッコんで、ルイズはわたしはもっと物分りがいいわよと、むきになって反論したが、それこそキュルケの言うとおりだった。

「負けず嫌いはどっちもどっちだろうに」

「そういうあなたも、人のことは言えない」

 意外にもタバサにツッコまれて才人はびっくりした様子だったが、考えてみればこの中に負けず嫌いという標語が当てはまらない人間はいなかった。しょせんは、体だけは大きい子供の集まりということか。

 はてさて、こんな欲しいもののためなら譲り合う気ゼロの彼女たちのうち、最後に景品を手に入れるのはどっちなのか? とてもじゃないが、引っ張り合わせて子供が痛がったから、手を離したほうが母親と認められた大岡裁きは期待できそうもない。

 そんでもって景品のほうも、両手を引っ張り過ぎられてちぎれる前に、どちらかを選べるのか? もっともこの場合、選ぶほうは心を決められても、選ばれたほうが素直に受け止められるのかどうかについても問題があった。

 まったくもって、いい意味でも悪い意味でも負けず嫌いすぎる若者男女は、ゴールがどうなるかの予測をまったくさせない。変わらずに複雑に心を絡み合わせたままで、とりあえずここがどこなのかを確かめるために歩き始めた。

 だが歩き出すと、意外にも足元にはじゃりじゃりと、川原で砂利を踏みしめているような感触があった。となると、やはり雲の中ではないだろうと、才人は足元のもやの中に手を突っ込んで、それを掴みあげてみた。

「なんだ、ただのガラス玉か」

 それは子供の拳くらいの透き通った玉砂利であった。でっかいおはじきとでもいえば適当であろうが、才人は興味をもたずに、それを一つずつ遠くへと投げ捨てていった。

「ちょっとサイト、危ないでしょ」

 目の前で石投げをされて、危なっかしく感じたルイズが文句を言うと、才人は玉砂利をお手玉のように手の中で弄びながら笑った。 

「いいじゃん、別に誰かに当たるわけじゃなし」

「そりゃそうだけど……サイト! ちょっとそれ貸しなさい!!」

 突然目の色を変えたルイズは才人からその玉砂利を奪い取って、まじまじと見つめた。

「どうしたんだ、たかがガラス球に目の色変えて?」

「バカ言いなさいよ……あんた、これガラス球なんかじゃない。ダイヤモンドよ!」

「なっ、なんだってえぇ!!」

 不満げな顔をしていた才人はおろか、キュルケやミシェルまでもが目の色を変えてルイズの手の中の玉砂利を見つめ、次いで足元から自分もダイヤの玉砂利を拾い上げた。

「ほんとだ……これは、みんなダイヤの原石よ」

「信じらんない、どれも五サントはあるわよ、これを磨き上げたらいったい何千エキューになることか……」

 名門の出で、宝石など見慣れているはずのルイズやキュルケでも、こんな馬鹿でかいダイヤモンドは見たことがなかった。

 唯一タバサだけが興味なさげに、その一個あるだけで大富豪になれる石ころを見ているが、ここに元盗賊のロングビルがいたら気を失ったかもしれない。しかも、足元にはそれらがごまんと転がっているではないか。もっとも、母親の結婚指輪についていたちっぽけな宝石しか見たことのない才人は、ダイヤモンドが高価なのはわかっても、価値が高すぎて実感がわかないらしく、焦点が外れた視線でそれを見ていた。

「すげえな、これだけダイヤがあったらファイヤーミラーも作り放題だぜ」

 などとのん気なことを言っているが、本当は天然ダイヤモンドではファイヤーミラーは作れず、むしろ元祖宇宙大怪獣が喜びそうな光景である。しかし、せっかくの銭の種を捨てるのもしゃくと、才人は二、三個を拾い上げると、ロングビルさんへのお土産にするかとポケットの空きに詰め込んだ。

「まあ、適当に叩き売っても、子供たちの養育費の足しにくらいにはなるか」

「バカ! あっという間にハルケギニア一の大金持ちになれるわよ! ったく、これだから平民は」

「はぁ……そう言われてもな、俺ゃそんなに金があったって、別に使い道がないし」

 ルイズやキュルケは、一国一城の主も夢ではない話に興味も持たない才人に呆れたが、才人の美点は分を超えた物欲や金欲を持たないことだろう。野心がないともとれるが、それで大成するのはほんのわずかで、大抵は強欲な物欲の権化と成り果てる。

「ここはまさか、伝説の黄金郷かしら」

「だとしても、帰れない黄金郷なんか刑務所以下だろ、出口を探そうぜ」

 才人は自分が、岩の穴の中の種を食べたくて手を突っ込んだら握りすぎて抜けなくなった間抜けなサルにはなりたくなく、歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……ええい!」

 腹立たしくなったルイズたちは、やけくそでダイヤモンドを投げ捨てると、才人の後を追った。

 そんな才人を、タバサはシルフィードをのしのしと歩かせてついていきながら見つめて思った。

「欲のない人……」

 ほとんどの人間は、貴族も平民も問わずにわずかな金銭のために血道を上げるというのに、珍しい人間だ。タバサはなんとなく、ルイズたちが彼から離れない理由の一端が、自分にもわかったような気がした。いや、そういえば、考えてみれば自分も彼が来て以来、関係ないことに首を突っ込んだり、自分のことに他人を入れる割合が増えたなと、心の中だけで苦笑した。

 そうして、彼らは世界一高価な砂利道の上を、出口を求めて歩き始めた。

 とはいっても、女子というものはこんなときでも静かにはしていられないものらしく、すぐにルイズとキュルケがおしゃべりを始めた。

「にしても、このダイヤモンドの山、あの成り上がりのクルデンホルフの小娘に見せたら卒倒するんじゃないかしら」

「それよりも、貧乏貴族のギーシュやモンモランシーあたりなら、プライド放り出してポケットに詰め込むかもよ。そういえば、ベアトリスだっけ、あの子も来年には学院に来るのよね。元気でやってるかしら」

 思い返せば、あの怪獣大舞踏会からもうずいぶん経っていた。

 しかしこうして、白一色の世界にいると、誰もがカンバスの主役を勤めるにふさわしい、美しき個性の持ち主であると才人は思った。髪の色一つをとっても、ルイズのピンクブロンド、キュルケの燃えるような赤髪、タバサの青空のような青色に、ミシェルのタバサよりやや濃い青色は、今では大海のようにも見え、典型的日本人で黒一色の自分などとは大違いだった。

 けれど、そうしていても単色すぎる世界は距離感も狂わせるらしく、たいして歩いてないはずなのに、頭がぼんやりしてきた。これなら茶色と青に分かれている分砂漠のほうがいくぶんかましだろう。

 変化が現れたのは、いよいよ頭の中がミルクセーキになりかけて、ルイズの激発五秒前というときだった。突如白一色の中に黒いなにかが入ってきたのだ。

「行ってみよう!」

 才人が全員を代表して叫ぶと、薄ぼんやりと見えるそれへ向かって走り出した。この際、白から解放してくれるのならば、黒きGでもなんでもいいという心境だったのだが、目の前に寄ってみると、それは想像だにしなかった形の鉄の塊だった。

「なに? この妙な鉄の造形物は?」

「翼がついてるけど、こんな形じゃ飛べそうもないわね。けどこの銀色は、鉄でも銀でもなさそうだけど、いったいなにでできているのかしら」

「……」

 ルイズやキュルケにはそれがなんであるのは理解できなかった。しかし、日本から来た才人は心臓を高鳴らせて、その銀翼の戦鳥を見つめていた。 

 とにかく、目の前にあるのが信じられない。極限まで無駄なく絞り込んだ機体に、カミソリのように生えた二枚の主翼と、そこに開いた二十ミリ機関砲の砲口。見上げれば、雨粒のような涙滴型風防の前に、一千馬力級エンジンとしては最高峰の傑作とうたわれる栄エンジンが、三枚のプロペラを擁して鎮座している。

 まぎれもなく、かつて無敵の名を欲しいままにし、世界最大最強として知られる超弩級戦艦大和と並んで日本海軍の象徴として、数々の戦争映画で主役を務める日本人ならその名を知らぬ者のいない、第二次世界大戦時の日本の代表機。

 

「ゼロ戦だ!」

 

 正式名称、三菱零式艦上戦闘機が、そこに主脚を下ろして静かに鎮座していた。

「サイト、これもあんたの世界のものなの?」

「ああ、タルブ村にあったガンクルセイダーを覚えているだろ。あれの遠いご先祖さ」

 才人は小さいころ、手をセメダインだらけにしながら作ったプラモデルの記憶に興奮しながら、ゼロ戦の主翼に触れてガンダールヴの力でこれの情報を読み取った。

 機体色は銀色で、やはり初期型の21型であり、最高速度、上昇限度などの情報がこと細かに流れ込んでくるが、そんなことなどどうでもいいくらいに才人は喜んだ。

「すげえ、こいつはまだ生きてる」

 なんと、ゼロ戦はほぼ完璧な形でそこにあった。燃料も半分以上あり、機銃弾も七割近く残存している。まるで航空博物館にあるような完全な代物だったが、主翼によじ登って、コクピットの中を覗き込むと、才人は調子よく喜んでいた自分に罪悪感を覚えた。

「うう……」

「うわ……骸骨」

 そこには、パイロットが前のめりになって計器に顔をうずめる形で白骨化している痛々しい姿があった。よく見れば、コクピットの後ろの胴体に小さな穴が開いている。おそらくはそこから敵機の弾丸が貫通して彼に致命傷を与えたのだろう。

「多分、敵機に追い詰められたところでこの空間に迷い込んで、最後の力で不時着したんだろうな」

 死に直面しながらも、愛機を無駄死にさせたくなかったのか、そんな状況でこんな場所に見事に着陸させた腕前はさすがとしかいいようがない。また、そんな熟練したパイロットを追い詰めた、彼の相手もおそらくは相当なエースであろう。ゼロ戦の形式と機銃弾の口径から考えれば、イギリスのスピットファイアあたりかもしれない。

 才人は、六十年以上前に、故郷を遠く離れた空で命をかけて死んでいった祖先たちに向けて、無意識に手を合わせて冥福を祈っていた。

 そうして十秒ほど、うろ覚えの般若信教を唱えながら祈ったくらいだろうか、周りに目を凝らして警戒していたミシェルが、白いもやが薄らいだ先にあるものを見つけて呼んできた。

「おい、向こうにも、あっちにも見えるの、あれもそうじゃないか?」

「なんだって?」

 言われて目を凝らしてみると、ゼロ戦と同じように無数の航空機の残骸があちらこちらに散乱している。

「月光、雷電、九七式戦闘機……みんな戦争中の飛行機ばっかりじゃないか」

 それらは、このゼロ戦とは違って着陸に失敗したようで、前のめりに突っ込んでいたり脚を折ったりしていて、とても使い物になりそうもなかった。しかし、その特徴的なシルエットは、小さいころにゼロ戦やタイガー戦車などのプラモデルを多く作ってミリタリーにも造詣のある才人には簡単にわかった。

 もちろん、それだけある機体がすべて日本機ということはなかった。

「アメリカのグラマンF4FにF6F、ライトニングにムスタング、イギリスのハリケーンにスピットファイア、ドイツのメッサーやフォッケまでありやがる」

 世界中の名だたる戦闘機が、ずらずらと並んでいて目移りしてしまう。赤い星などのマークがついたソビエトや中国などの機体はさすがにわからないが、この光景をマニアが見たら狂喜乱舞するだろう。

 また、目が慣れてくるとさらに遠方にある機体も把握できるようになり、戦闘機以外の飛行機も見えてきて、それらの方向へと順に歩き出した。

「一式陸攻、モスキート、B-17……」

 濃緑色やむきだしのジュラルミンに身を包んだ爆撃機が、半分近く残骸と化しながら横たわっている。その中を、才人たちはいまや墓標となったそれらに敬意をはらいながら進んでいく。

 だが、最後にひときわ大きい機体を中央部からくの字に折り、尾翼を十字架のように立たせてつぶれている飛行機のそばだけは、そのまま立ち去ることはできなかった。

「……」

「サイト、どうしたの?」

 ルイズの問いかけにも才人は答えずに、目の前の飛行機の残骸を睨み続けている。

 それは、他の飛行機と比べても圧倒的に大きく、主翼についている計四つの巨大なエンジンや、機体の各部の大砲のような銃座などを見ても、並々ならぬ技術で作られたことが一目でわかった。

「サイト? ねえサイトったら」

「……」

 答えずに、才人はなおも眼前の機体を睨み続ける。損傷が激しいが、のっぺりとした機首やうちわのように大きな垂直尾翼といった特徴までは失われていない。

 間違いはない。それは小学校の平和授業から、毎年夏になると放送される戦争特番で嫌と言うほど見せられ、才人だけでなく、日本人に畏怖と憎悪の感情を向けられる、史上もっとも多くの人間を殺した爆撃機。

「B-29、スーパーフォートレス」

 広島、長崎の惨劇の立役者にして、アルビオンの内戦などは比較にならない悲劇を残した第二次世界大戦の、戦争の愚かしさの象徴ともいうべき、空の要塞がそこにいた。

 そして、それで完全に彼は記憶を呼び戻した。

「そういえば小さいころ、ゼロ戦があるんだったら一度来てみたいと思ったっけな、この四次元空間には」

 テッペイがアウトオブドキュメントから解析したデータと同じく、才人もここが時空間に落とし穴のように開いた四次元空間だと気づいた。

 落ちている航空機も、同じようにこの空間に引っかかってしまったのだろう。二次大戦時の航空機ばかりなのは、何百何千と数がいて、引っかかる確率も高かったからだろうが、よく見たらセイバーやファントムなど、戦後の航空機もわずかに入っている。

「しかしまさか、ハルケギニアにも入り口があるとは思わなかったな」

 探せばもしかしたら、ハルケギニアから迷い込んだ竜騎士やヒポグリフなどの死骸も転がっているかもしれない。だが、そういうことならば、もう一つ嫌なことが彼の脳裏に蘇ってきた。

「ここが、その四次元空間だとしたら……」

 しかし、彼がその予感の内容を言い終わる前に、霧の向こうからくぐもった、まるで霧笛のような大きな遠吠えが聞こえてきたのだ!

「やっぱりか」

 彼はどうしてこう、悪いときに悪いことばかりが重なるんだと、ルイズに召喚されて以来の自分の苦労人体質を呪いながら、ガッツブラスターを取り出して安全装置を解除した。

 そして十秒と経たずに、彼の予感は的中した。

「巨大なセイウチの化け物ね」

「サイト、ルイズ、ほんとにあんたたちといると、人生退屈しないわ」

 ルイズやキュルケが、もう驚くことも慣れてしまったというふうに、達観した様子でつぶやいたのに、タバサやミシェルも全面的に同意した。

 唯一、シルフィードだけが焦った様子で、目の前にいて、巨大な牙を振りかざして地面をはいずって向かってくる怪獣を、きゅいきゅいと鳴きながら威嚇しているみたいだったが、はっきり全然怖くない。

「四次元怪獣トドラか……さて、どう見てもセイウチなのに、トドラとはこれいかに……」

 どうでもいいことをつぶやきながら、才人は自分たちをエサにしようとしているのかは知らないが、まるで何かに追い立てられているように吠え立てながら向かってくるトドラに銃口を向けた。

 

 そして、才人たちが異次元空間で足止めを食らっているうちに、状況は彼らの焦りどうりにどんどん悪化していっていた。

 ロンディニウムでは、アルビオン空軍艦隊の旗艦、大型戦艦レキシントン号をはじめとする六十隻の空中艦隊が、残存戦力のすべてを乗船させての最終決戦を挑むべく、出撃を命じられていた。

「諸君! 決戦である。一戦してウェールズの首をとれば、王党派の命運は尽き、我らはこの地を支配できる。私が先陣を切る。我に続く勇者はいるか」

「おおう!」

「決戦だ! 決戦である!」

 クロムウェルが檄を飛ばすと、生き残っていたレコン・キスタの貴族たちは、彼の示した起死回生の可能性に一縷の望みをかけて、一斉に狂乱の叫びをあげた。元より、反逆者である彼らはこの後王党派との戦いでからくも生き残っても処刑は確実で、降伏すれば命は助かるかもしれないが、財産領地没収となれば貴族に生きていく術はなく、こじきや傭兵に落ちるしかなくなる。

 だが、そうして冷静な判断力を失っているからこそ、クロムウェルには彼らを利用する価値があった。

「すでに、我らの秘密鉱山から運ばれた風石の充填は完了した。さあ、ゆこう忠勇なる戦士たちよ。歴史に我らの名を残そうではないか!」

 いまだ革命に幻想を見る貴族たちを乗せて、アルビオン艦隊は出撃していく。

 やがてレキシントン号の司令官室で、クロムウェルは渋い顔をしているシェフィールドに叱責されながら、作戦の最終段階を詰めていた。

「いいこと、これがお前に与える最後の機会よ。これまでの失敗を帳消しにして、生き残りたいのなら、なんとしても勝利なさい」

「ははあっ! この身命にかけましても、なんとしても勝利をささげまする。ですが、あのお方は本当に動いてくださるのでしょうか? わたくしは不安でなりませぬ」

「余計な心配をするでないわ、約束どおり、あのお方はこちらに注意を向けているトリステインを後方から攻撃する算段をつけていらっしゃる。あとは、お前が王党派を撃破しさえすれば、この国はお前のもの、わかったら全力をつくしなさい」

 本当は、シェフィールドの主であるジョゼフはすでにレコン・キスタを切り捨てようとしているのだが、彼女はそれを気取られないように演技して見せていた。

 もっとも、クロムウェルにとっても、すでにシェフィールドの思惑などはどうでもいいものになっていた。せいぜいが、こちらの作戦の最終段階に合わせて軍を動かし、混乱を広げてくれたらもうけもの、どのみちガリアなどいずれ超獣の軍団で蹂躙してくれると、内心ではせせら笑っていた。

 

 

 続く



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第76話  伝説の勇者たち (後編)

 第76話

 伝説の勇者たち (後編)

 

 四次元怪獣 トドラ

 時空怪獣 エアロヴァイパー 

 超力怪獣 ゴルドラス 登場!

 

 

 アルビオン大陸とハルケギニアの命運を懸けた数日と誰もが認識する中で、ウルトラマンAこと、才人とルイズ一行は想定外の四次元空間に迷い込んで未だに脱出に至難している。

 だが同じ頃、二千のトリステイン軍を率いたアンリエッタ王女は、ウェールズ皇太子が待つサウスゴータの陣地へ向けて休まずに進撃を続けていた。

「着いていけないものは置いていきなさい。たとえ半数でも、たどり着くことに意義があるのです」

 聖獣ユニコーンに引かれた戦闘馬車から叱咤するアンリエッタの言葉に応えるように、トリステイン軍は驚き慌てるアルビオンの人々を尻目に猛進を続けた。

「ミス・ロングビル、あとどのくらいで到着できますか」

「は、この調子ならば、あと四時間くらいはかかるかと」

 道案内をするロングビルが、元アルビオン貴族と知るはずもないが、アンリエッタは渋い顔をしたままで行く先を見つめている。昨晩、ロングビルはアルビオンからタルブまでを一夜で到達したが、たった一人で間道や獣道を踏破するのと、軍隊が行軍するには差があって、どうしても時間がかかってしまうのだ。

「飛んでいけたらよかったのですが」

「仕方ありません。こうも雷雲が厚くては、飛行獣は自殺行為です」

 運の悪いことに、北から流れてきた巨大な積乱雲が頭上を覆い、連れてきたグリフォン隊も飛ぶことができず、後方から走って着いてくるありさまだった。だがトリステイン軍はアンリエッタの執念が乗り移ったかのように疲れ知らずで進軍を続け、王党派の補給基地から貸与の名目で強奪同然に物資を補給しつつ、途中ブラックテリナの被害を受けた町村にはいくらか看護兵を残し、千七百名ほどに減りながらも、あと四十リーグほどの街にまでたどり着いた。

 それなのに、彼らはそこで思わぬ足止めを食らうことになった。

 突然、進行方向に立ちふさがってきた百人ばかりの白装束の一団。最初はレコン・キスタの待ち伏せかと思ったが、その中から一人髭面の老人が現れて、我々はロマリアの修行僧の一団で、名高いトリステインの姫君がいると聞き、少しだけでもお話をと申し出てきた。

 アンリエッタは怒鳴りあげたいのをじっと我慢して、丁重に拒否しようとした。しかし彼らは話がかなわぬならばここは通さぬとばかりに道をふさぎ、仮にも聖職者を力づくでどかすこともはばかられたので、謁見申し込みを司祭だという老人一人だけに限って、仕方なく会うことにした。

「あなたが、わたくしに折り入ってお話をしたいという人ですか?」

「はい、ご高名なる姫殿下に、ぜひ我が神のご意思をお伝えしたく、ぶしつけながら参上いたしました」

 その謁見の様子は、アンリエッタと彼女の護衛の仮面騎士以外は見ることを許されなかったが、外で幾人かの兵士はひそひそと噂話をしていた。

「おい、なんだよあの薄気味悪い坊主の集団は?」

「知らんのか? 今ロマリアではやってるという新興宗教の連中だよ」

「新興宗教って、例の実践教義ってやつか?」

 実践教義という名を出して、兵士は苦い顔をした。

 ハルケギニア全土で、宗教といえば、この地に四系統の魔法をもたらしたといわれる始祖ブリミルを聖人としてあがめるブリミル教がその全てであり、亜人が信仰する精霊を別とすれば、宗教はこれしか存在しない。そしてそれらを一括するのが宗教国家ロマリアであり、その教皇は各国の王以上の権威を持っている。

 ただし、それほどの巨大宗教ともなると組織も当然のように肥大化し、神の名を借りた詐欺師的な拝金主義者の神父も数多い。実践教義とは、そんな腐敗した体制から、始祖ブリミルの教え本来の姿に戻ろうというものだ。

 とはいえ、ロマリアの現政体から見れば反動なので、当然ながら弾圧の対象となる。さらに、それらへの不満からテロリストまがいの行動をとる者も多いので、ほとんどの人間は係わり合いになりたがらないのが実情だ。

 けれど、そう問われた兵士の同僚は首を横に振った。

「いや違うみたいだ。実践教義はともかく、ロマリアじゃあまったく新しい宗教がいくつもできてるらしい」

「新しい?」

「ああ、なにせこのご時世だ。当てにならない教会に平民も貴族も見切りをつけて、すがれるものにはなんでもすがってるんだろう。はやってるのの一つは、ある預言者と名乗るやつが指導してるんだが、いずれこの汚れた世界を聖なる炎で浄化なさる天使が、天国の門からやってくるから、人々は天使をあがめたててその審判を待たねばならない。って振れまわってるそうだ」

「天使ねえ、空から落ちてくるのは怪物ばかりだがな」

 兵士は、馬鹿馬鹿しいというふうに肩をすくめた。

「まあ普通はそう思うだろうが、世の中にはそういうのを信じるやつもいるんだよ。けど、今来てるのはそんな中でも、一番やばいやつだな」

「やばいだって」

「聞いて驚くな。今この世界を襲っている数々の怪物や異変は、六千年に渡って愚かな行為を続ける人間を滅ぼして、美しい世界を作り直そうという神の意思であるから、我々人間は破滅を受け入れて滅亡しなければならない、だとよ」

「馬鹿じゃねえのか」

 兵士は、今度こそ頭がおかしいのではないかと、顔の筋肉を引きつらせたが同僚は真剣だった。

「だがな、考えてもみろ。トリステインはまだそこそこ豊かではあるけど、ロマリアのほうじゃ無数の小都市国家が群雄割拠してるからな。平民たちは貴族に虐げられ、高い税金をとられ、戦争や野盗、貧困に加えて、最近じゃあ怪獣まであちこちで頻繁に暴れている。そんな中で親兄弟や財産を失った人間が、こんな世の中滅んでしまえ! なんて思っても不思議はないだろ」

 兵士は黙ってうなずくしかなかった。

 終末思想、世界の終わりを望む思想は人類の歴史に強く根を生やしてきた。この世の中に絶望し、来世での救済を願う人々が世界を道連れにしようとする。または世界へと復讐をしようとする心の歪んだ発露であるそれは、破壊によって新たな再生をなそうと、ラグナロクやノアの箱舟の神話などの再現を夢見る。

 

 このときも、やってきた司祭は兵士の同僚の予想したとおりにアンリエッタに向かって。

「姫様、こたびの内戦の趨勢は、この国に一足早い破滅を将来せんと望む神のおぼしめし、姫様はそのご意向に従い兵を引いて欲しく存じます。さすればトリステインにもいずれ我らが神の滅びの祝福がもたらされ、我らは将来神の国で、人がいなくなった美しいこの世界を見下ろすことができるでしょう」

 と、しごくまじめに説教をしていたのだ。

 

 そんな様子を、二人の兵士は当然知るよしもなかったが、元々ブリミル教徒としてもかなり不信心な彼らは、そんな思想には一ミリグラムも感銘を受けることなくぼやいていた。

「いつの間にか、アルビオンにも勢力を伸ばしてきてたんだな。まあ、内乱中のこの国なら、奴らに同調する人間には不自由せんだろうしな」

「だが、そんな連中は異端だから教会が取り締まるだろう?」

「教会にだって、人手があまってるわけじゃない。異端狩りの聖堂騎士団だって人数には限りがあるから、根絶やしにするのは並大抵じゃないさ。第一、その聖堂騎士団からも宗旨替えするやつも出てるそうだ」

「はぁ……しかし、世界の破滅だのなんだの、ろくなもんじゃねえな」

「まったくだ。だが、そんなもんに付き合わされる姫様も大変だな」

 二人の兵士は、早く出発できないものかと、火を分け合って煙草の煙をくゆらせていた。

 

 そしてアンリエッタも、二人の兵士の期待通りに、司祭の要求を退けていた。

「司祭殿、ご忠告は聞かせていただきましたが、わたくしは神が人間を見放したとは思っていません。まだ人間はあなた方の言うほど腐ってはいないと、わたくしは信じます。あなた方のご好意には感謝しますが、これ以上話し合っても接点は見つからないでしょう。本日は、お引取り願いますわ」

 すると司祭は、明らかに不満そうな表情で。

「神のご意思に逆らうものには、天より滅びの使者が舞い降りて罰を与えますぞ」

「それは、あなたに神がおっしゃったのですか?」

「いいえ、さるとてもご高貴なお方のお言葉です。名は申せませぬが、いずれあなた様にも直接神の意思と、きたるべき最後の聖戦に参加なさるべくお説きになってくださるでしょう」

「そうですか、ならばこの場で語ることはもうありませんね。では、失礼」

 アンリエッタは、それで司祭を追い出すと、遅れた分を取り戻すように部隊に進軍再開を命じた。

 あっという間に見えなくなっていくトリステイン軍を、どかされた司祭たちの一団はしばらく冷たい目で見守っていたが、やがて司祭は大きく宣言した。

「滅びの使者はすでにご降臨なさっている。破滅に逆らおうとするものは、すべて神の御力によりて粉砕されるであろう!」

 歓声を上げて、破滅、破滅と叫ぶ彼らを、人々は誇大妄想の集団として、白い目で見つめ、やがてつまらなそうに目を逸らしていった。

 トリステイン軍も、そのころにはとうにカルト宗教家たちのことなどは忘れ去っていた。ただ、アンリエッタはふとこれから向かわんとする先に、なおも分厚く立ち込める黒雲が、ふと地獄の門のように不気味に鳴動してうごめいているように見えて、身震いをした。

「いやな雲……天より滅びの使者が……まさか」

 ありえないとは思いつつも、アンリエッタはその不気味な黒雲と、司祭の呪いの言葉が重なり合って、なかなか忘れることができなかった。

 

 

 しかし、たとえ世界に滅びが迫っているにせよ、破滅を自らの意思と力で粉砕してきた者たちは、今日もまた人々を救うために飛び立っていく。

「ガンフェニックストライカー・バインドアップ!」

 リュウ隊長の号令一過、地球では東京空港上空でガンウィンガー、ガンローダー、ガンブースターが合体し、三機一体の最強大型戦闘機、ガンフェニックストライカーの形態となる。目的は、異次元空間に囚われてしまった旅客機、101便の救出だ。

「見えました。あれが目的の、異次元への入り口の雲です!」

 テッペイが指差した先に、明らかにほかの雲と違って、風に乗って流れずにその場に滞留し続けている不気味な黒雲がガンフェニックスを待ち構えていた。

「レーダーに映らねえってことは、間違いねえな。ミライ、テッペイ、準備はいいな?」

「G・I・G!」

「コノミ、中に入ったらお前のナビゲートだけが頼みだ。しっかり頼むぜ!」

「G・I・G! リュウさん、マリナさんとジョージさんをよろしくお願いします」

 緊張した声を返すコノミに続いて、もしリュウたちの留守中に怪獣が現れたときのために残留するセリザワが、注意を喚起した。

「リュウ、冷静さを失うなよ。いかなる状況においても、指揮官だけは最後まで氷のように心を研ぎ澄まさなくては、戦いには勝てん」

「肝に銘じておきます。ようし、フルパワーで突入するぞ!」

 コノミやトリヤマ補佐官たち、居残りの新人たちの見送りを受けて、三人を乗せたガンフェニックストライカーは、エンジンを全開にして異次元空間へと突入していった。

 

「亜空間内へ突入成功、フェニックスネスト聞こえますか!?」

「ガンフェニックスへ、こちら感度良好です」

 どうやら、外部との連絡は問題なくとれるようだ。これで、このビーコンをたどっていけば、出口を見失わずにすむ。次にテッペイは通信のチャンネルを調節して、ジョージたちのいる101便へと連絡をとった。

「こちらガンフェニックス、101便応答願います」

「おお、やっと来てくれたか、待ちわびたぜ!」

 通信機からジョージの快活な声が響いてくる。後は、この電波を逆探すれば101便にまでたどり着けることになる。電波の劣化具合から考えても、そう遠くはないはずだ。

「計算では、二十分くらいでそちらを補足できるはずです。ですが、気は抜かないでください。なにせここは異次元です。まだなにが飛び出してくるかはまったくわかりませんから」

 レーダーもセンサーも役に立たない雲海の中を、ガンフェニックストライカーは電波だけを頼みに飛んでいく。その間、101便に何事も起こらないように、リュウもミライも祈るしかなかった。

 

 それなのに、十分後に101便から飛び込んできたマリナの悲鳴は、思わずリュウの血圧を上げさせた。

「こちら101便、怪獣に攻撃を受けてるわ! 至急救援をこう!」

「んったく、お約束かよ!」

 どうしてこういうときの悪い予感の的中率というのは百パーセントを誇るのだろうか。リュウは吐き捨てると、ミライとテッペイに全速力で急行することを告げて、スロットルを全開にした。

「リュウさん、僕が行きます」

 ミライがメビウスになれば、ガンフェニックスよりも早く現場につくことができる。しかしそれはテッペイに止められた。電波を逆探して向かっている以上、メビウスだけで先行しても異次元空間の中で迷ってしまうだけだと。

「ジョージ、マリナ、持ちこたえていてくれよ」

 リュウは、13:10を指したままで進むのが遅い時計の秒針を見つめて、冷静さを失うなと自分に言い聞かせ続けた。

 

 そのころ、101便はマリナの言ったとおり、突如雲海から姿を現した怪獣に襲われていた。

「くそっ、こんなところでやられてたまるか!」

 主操縦席に座ったジョージが、ガンフェニックスと比べて格段に効きが悪い操縦桿と格闘しながら、怪獣の火炎弾を必死になって回避する。

「ジョージ、右上から来る!」

「ちっ、しつこい奴め」

 マリナがレーダーを見て怪獣の攻撃を教えてくれるので、101便はなんとか攻撃を回避できていた。しかし旅客機は戦闘機と違ってコクピットの視界も狭いし、急加減速にも向いていないので、こちらにはまったく余裕はなかった。

 この怪獣は、いわゆる両腕が翼になった飛行怪獣の一種と見られ、まるで中世の伝説のワイバーンのような姿で、ドラゴンのような裂けた口から火炎弾を吹いていきなり襲い掛かってきたのだ。

「この新型機じゃなかったら、とうに落とされてたぜ」

 火炎弾や体当たりをかろうじて回避しながら、ジョージは自分たちが乗っているのがイギリスの最新鋭超音速機でなければ、とてもこの激しい攻撃には対抗できなかったと、冷や汗を流した。

「空中戦能力は前に戦ったアリゲラよりは低いけど、このままじゃいずれやられるわよ」

「それもあるが、こうも急機動を繰り返したんじゃ燃料がもたねえぞ!」

 燃料計の針は、二人の見ている前でみるみるゼロに近くなっていく。巡航飛行を続ければ、まだ一時間は持つ計算だったが、これでは異次元空間を脱出する前に燃料が尽きてしまう。

 また、急機動によるGは、メテオール技術の一部流用による小規模な重力制御である程度の相殺ができているとはいっても、怪獣に襲われているという恐怖感にさらされ続けた客室内の二百人の乗客がパニックに陥るかもしれない。いや、実はそれよりも悪い事態が客室内では起こっていたのだ。

 それは、まったくいくつかの不幸な偶然が重なって起きた出来事だった。

 まず、その男が数ある航空便の中から、たまたまこの101便を選んだこと。その101便がこの時空間に飲み込まれてしまったこと。そして、乗っている飛行機が怪獣に襲われて、男が不安にかられて立ち上がった瞬間に、重力制御で相殺が間に合わない振動が客室を襲い、男の懐から零れ落ちたそれに、たまたま下を見た一人の乗客が気づいて悲鳴をあげたことだった。

「ひっ! け、拳銃!」

 タイミングの悪いことに、一人の銃器密輸犯が発見され、そこでハイジャック犯へと変貌してしまったのだ。

「こうなったら仕方ねえ! やいてめえら、死にたくなかったらおとなしくしてやがれよ!」

 ただでさえ不安にかられていた密輸犯は、すっかり冷静さを失って、こんなところで暴れてどうなるんだと説得する人の声にも耳を貸さずに、持ち込んでいた小型拳銃を振り回して、おびえる人たちを威嚇していった。

 そのとき、当然ながらジョージとマリナは操縦でそれどころではなく、拳銃を振り回す男に、乗客たちはなす術もなかった。なのにそんな中で、あのライオンの尻尾とやらをもらった男の子は、例の風変わりな男のとなりで毅然としていた。

「坊主、怖いか?」

「怖くなんかないやい、ぼくは強いんだぞ」

 うさんくさいライオンの尻尾を握り締めて、歯を食いしばっている男の子は、虚勢を張っているというのが見え見えではあったが、彼の目には幼いながらも恐怖と戦う男の光があった。

「坊主は強いなあ、ならよーく見とき、あの悪党運が悪いでえ」

 男はぼそぼそと男の子にささやくと、調子に乗っているハイジャック犯を横目で見て、ニッと笑った。奴は、自分の臆病さを隠すように両手に拳銃を持って、通路を歩き回りながら周りを威嚇していたが、真ん中よりの席の近くまで来たときに、彼から見て右側の席に座っていた男が、犯人がそこを通り過ぎようとした隙に持っていた松葉杖を差し出して、足元をひょいとすくって転ばせたのだ。

「うひゃあぁっ!?」

 間の抜けた声をあげてハイジャック犯はすっ転び、その手から二丁の拳銃が取り落とされた。もちろん、犯人はすぐに拳銃を取り戻そうとするが、そこでたった今犯人を転ばせた男が席から立ち、狭い飛行機の通路の中で、しかも松葉杖をついて右足が不自由そうにもかかわらずに見事なステップで走り、拳銃を犯人から遠くへと蹴り飛ばしていた。

「あっ、て、てめえなにしやがる!」

 犯人は怒鳴っても、すでに拳銃は何メートルもすべって、その先の席に座っていた別の男に拾われていた。

「おいてめえ、それを返しやがれ」

 さらに隠し持っていた拳銃を取り出して犯人は怒鳴る。だが、二丁の拳銃を拾い上げたその男は席から立つと微動だにすることなく、いやむしろ恐持ての容貌にサングラスをかけた彼のほうが犯人を威圧するくらいの迫力を持って、逆に犯人に向けて命令した。

「銃を捨てろ」

「へっ、素人が生意気な、銃っていうのはこうして……」

 犯人はそのおどし文句を最後まで言い終えることはできなかった。彼が台詞を言い切るより早く、サングラスの男が西部劇の早打ちのように二丁拳銃を構えたかと思うのと同時に銃声がこだまし、犯人が構えようとしていた拳銃ははじきとばされて何メートルも離れた場所に転がっていた。

「動くな」

 サングラスの男は、今度は犯人に銃口を向けて冷然と命じた。素人などではありえない、長いあいだ銃を友としたプロフェッショナルだけが放てる威圧感がそこから発せられて、一瞬で丸腰にされた上に虚勢も根こそぎつぶされた犯人は、そのまま客室乗務員に取り押さえられた。

「ふん、なっとらんな」

 拳銃を客室乗務員に渡し、サングラスをはずした男は、情けなくも一発でちぢこまってしまった犯人に向けて吐き捨てた。すると、さっき犯人を転ばせて拳銃を奪った松葉杖の男が、彼のそばにやってきて話しかけた。

「さすが、現役時代から腕は落ちていないようですね。搭乗時にちらりと見かけて、もしかしてと思いましたがやはりあなたでしたか」

「失礼ですが、あなたはどちらさまでしょうか……いや、あなたにはどこかで見覚えが……そういえばさっきの見事なステップといい。そうだ! 三十年前のオーロラ国際スキー大会で優勝した北山選手ではないですか。そうか、そういえばあなたはMACの、ならば私を知っていても不思議はないですね。ですが、MACは確か」

「お恥ずかしながら、負傷を機にリハビリ生活に入っていて、そのおかげで命拾いしましてね。人生、なにがどう転ぶかわからないものです」

 苦笑いしながら、北山は不自由になった右足をさすっていた。

 だがハイジャック犯を取り押さえても、まだ101便が怪獣に襲われていることに変わりはない。ときたま急旋回に重力コントロールが追いつかなくなって室内が揺れて、そのたびにどこかから悲鳴があがった。

 そんなとき、たまりかねたのか一人の女性が席を立って二人に話しかけてきた。

「やれやれ、下手な操縦ねえ。ずいぶんと機体に無理をさせちゃって」

「おや、あなたもこの飛行機に乗っていたんですか」

 サングラスの男はその女性と、一度だけだが前に会ったことがあった。

「お久しぶりですね。TACの解散式のときに引継ぎをして以来ですから、もう三十年以上にもなりますか。ともかく助かりました、私の後輩たちがあんまり危なっかしい操縦をするものですから、しかりつけてあげようかと思ってたんですけど、あれでは席を立てなくて」

「なるほど、単独出撃で墜落数ゼロのあなたから見たら、彼らもまだひよっ子ですか、ではさっそくお願いしましょう」

 にこやかにうなずいたその女性が操縦席のほうに去っていくのを、北山とサングラスの男は頼もしそうに見送った。これで当面の心配はない。安心したといわんばかりに席に戻ると、北山は松葉杖を立てかけ、彼もサングラスをかけなおして、過去何十回と繰り返した怒鳴り声を、操縦席の後輩たちにエールのように送った。

「まったく……ぶったるんどるぞ!」

 

 さて、客室でそんな騒動が起こっていると知るよしもなく、ジョージとマリナは彼らなりに必死で怪獣から101便を救うために戦っていた。

 ガンフェニックスが到着するまであと五分、それまで非武装のこの機体で耐えられるか。ジョージとマリナは、しだいに正確さを増してくる怪獣の攻撃をどうにかかわしていたが、ついにエンジンの一基に命中を許してしまった。

「右、三番エンジン被弾! 推力が落ちるわ」

「しまった! くそう」

 四つあるエンジンの一つを失っただけなので、墜落はしないが推力は二五パーセントの減少である。絶対音感を持つマリナの聴力が、機体が悲鳴をあげているのを聞き取る。これではもう怪獣の攻撃を避けることができない。そして右翼から煙を吐き出しながら動きの鈍った101便へと、怪獣がさらに体当たりを仕掛けようとしたとき、さしもの二人ももうだめかと思った。だが、

「右四番停止、一、二番最大で右旋回よ!」

 突如座席の後ろから響いてきた声に、自失しかけていたジョージはとっさにその指示に従った。考えるより先に手を動かしてエンジンと方向舵を操作すると、通常ではありえない推進ベクトルを与えられた機体は、空中をこまのように右旋回して怪獣をやりすごすことに成功した。

「やった!」

 窓外を通り過ぎていく怪獣を見送って歓声をあげたジョージとマリナは、思い出したように後ろを振り向くと、そこには乗客の一人と見える落ち着いた雰囲気をかもしだす壮齢の女性が立って、操縦席を覗き込んでいた。

「あなたたち、GUYSの隊員ですってね。筋はいいけど、まだまだ経験が足りないわね。それじゃあ飛行機の本当の動きは引き出せないわよ」

 彼女はそう言うと、有無を言わさぬままジョージを主操縦席からどかさせて自分がつき、唖然と見つめている二人の前で操縦桿を握った。

「どうしたの? 怪獣の位置を教えて」

「あっ、十時の方向、俯角四十五度から突っ込んできます!」

 マリナは慌ててレーダーを見直して叫んだが、101便は今の急旋回でさらに速度を落とし、今度こそ回避できそうもなかった。それなのに、操縦桿を握った女性は涼しい顔のまま、すばやくエンジン出力とフラップを切り替えて、機体を瞬時に横倒しにしてかわしてしまったのだ。

「す、すげえ……」

「信じらんない」

 あの状況から、またもや軽々と魔法のように機体を操って回避してしまったこの人の実力に、二人とも初心者のころに戻ったように、ただ呆然と見とれた。

「おばさん、すごいです。こんな操縦法があったなんて、びっくりしました」

「あら、そういえばもう私もおばさんと呼ばれる歳なのね。でもあなたたちも、あと五百時間も飛べば一人前よ」

 その一日三時間飛んでも半年近くかかる時間に、多少鼻白みはしたものの、そこでも女性差別はしないジョージが言葉を返した。

「いいえ、この扱いづらい機体をここまで操るとは、さぞかし名のある方では。セニョリータ、よろしければお名前を……」

「名乗るほどのものじゃないわよ。それに、この子だってスカイホエールやスワローのじゃじゃ馬たちに比べれば素直なものよ。それよりも、ほらあなたたちの仲間が、そろそろ来てくれたみたいね」

 言われて慌ててレーダーに目をやると、いつの間にか映っている光点が一つ増えて、それがぐんぐんと近づいてきていた。さらに、怪獣もそれに気がついたと見えて、こちらから遠ざかり始めていく。

「ジョージ、マリナ、待たせたな!」

 無線から、聞きなれたどら声が響き、怪獣に向かって放たれるガンフェニックスのビームの輝きが、窓外から希望の光となって差し込んできた。

「リュウ、遅いぞ!」

「うるせえ! くらえ怪獣野郎! バリアントスマッシャー」

 ガンフェニックストライカーのビーム攻撃が怪獣へ向かう。だが、命中直前怪獣の頭頂部の角が赤く明滅したかと思うと、怪獣はまるで空間に溶け込むようにして消えてしまった。

「消えた……」

 

 

 そして、時を同じくして別の空間でも、才人たち一行がさらなる怪獣に遭遇して向かい合う羽目に陥らされていた。

「でサイト、あのセイウチの化け物はなに?」

「四次元怪獣トドラ、この四次元空間に迷い込んだ人間を狙ってくる怪獣だよ」

「うん、予想が百パーセント的中した説明、ご苦労様」

 才人の説明を聞いて、ルイズがどうしてこう忙しいときに限って頼みもしないトラブルが次々にやってくるのだと、世の中の不条理に疲れた声を出した。

 本当だったら、さっさとロンディニウムに乗り込んで、こっそりクロムウェルを見つけてぶっ飛ばして、この件を終わらせているはずだったのに、運命の女神という奴は、さらに何をさせたいのだろうか?

 しかし、こちらの事情などは当然おかまいなしに、四次元空間の白いもやの中を、散乱している航空機の残骸を押しのけながらトドラが向かってくる。

「二人とも、たそがれてる場合じゃないわよ! さっさとあいつをやっつけないと」

「そうだ、こんなところで足止めを食らっている場合ではないぞ」

 迫り来るトドラを迎え撃とうと、キュルケとミシェルがそれぞれ杖をあげて二人にも戦闘準備をするようにうながす。二人ともトライアングルクラスでは相当な使い手の上に、才人のガッツブラスターは言うに及ばず、ルイズの爆発魔法も至近距離ならばかなりの威力を発揮する。

「しょうがないわね」

 気は進まないが、目の前に立ちふさがるというならやむを得ない。才人とルイズもうなずいて、戦う覚悟をしようとした。

 だが、その前にタバサが自らの身長より大きな杖を、さえぎるようにしてかざした。

「待って……」

「どうしたのタバサ?」

「逃げよう」

「えっ!?」

 思いもよらないタバサの言葉に、全員が目を丸くした。

「こんなところで、体力と精神力を浪費している場合じゃない」

「うっ……」

「無理して、あの怪獣を倒す必要はない。目的は、あくまでクロムウェル」

 確かに、この先に出口があると決まったわけじゃないので、トドラと戦う必要性は考えてみればまったくなかった。ただ目の前に立ちはだかってくるからというだけで反射的に身構えてしまったが、無視してもなんら支障はない。

 懸念があるとすれば、ルイズなどの「敵に背を向けない」誇りである。以前に比べればましになったほうではあるが、人間の芯というものはちょっとやそっとでは変われるものではない。ただ、そこは才人が先手を切った。

「見逃してやろう。ただでかいだけのセイウチをいじめるのも、かわいそうだしな」

「そうね、弱いものいじめは貴族の誇りに反するし」

 逃げよう、ではなく見逃してやろうと言い換えたのが、うまい具合にルイズたちの優越感を満たした。才人も不器用ではあるが、始終貴族の中で生活していたから貴族の扱いというものが多少はわかってきている。

 となれば善は急げ、動きの鈍いトドラから逃れるのはそんな難しいことではなく、シルフィードに乗り込めば、あっという間に牙の届く範囲から離れることができた。

「やーい、ここまでおいで」

 トドラは飛べないし、飛び道具もないので才人は余裕だった。

 だがそれにしても、タバサが冷静に忠告してくれなかったら無駄な戦いをしてしまうところだった。この中では実戦経験の豊富なキュルケやミシェルにしても、思考の行き着く先は基本『攻め』であって、今のタバサのように戦いを回避し、身を守るための『受け』の姿勢はもろいところがある。また言うまでもないことだが、相手がハリネズミやヤマアラシでも殴りかかりにいくルイズは『攻め』に傾斜しすぎていて論外だ。

「そういえば、タバサがいなかったら、わたしなんて何回死んでることか」

 キュルケが少々自嘲してつぶやいた。

 無口で、何事にも興味なさそうにしているくせに、いざとなったらそばにいて一番頼りになる。自分にはないものを補ってくれる、こんな得がたい友人を持てたことだけでも、わざわざトリステイン魔法学院まで来たかいはあったと彼女は思った。

 だがそのタバサは、いまだ地上をはいずっているトドラをじっと見下ろしていたが、ふとその動きが妙なことに気づいた。

「どうしたの?」

「……あの怪獣、わたしたちを追いかけてこない」

「えっ? ……そういえば」

 言われてみて、一行はいっせいにトドラを見下ろしたところ、トドラはシルフィードには見向きもしないで、航空機の残骸を踏み荒らしながら突進していく。最初はこちらをエサにしようとしているのかと思ったが、どうやらただトドラの進行方向に偶然こちらが重なってしまっただけのようだ。

「まるで、狼から逃げる羊のようだ」

 わき目もふらずに驀進するトドラを見て、ミシェルがそうつぶやいたとき、その悪い予感は見事に的中した。霧の中から、トドラのものとは違う、別の怪獣の遠吠えが響き渡ってきたのだ。

「あっ、奴の後ろを見ろ!」

 なんと、トドラの後ろの霧の中から、全身に黄金をあしらったような、さらに巨大な怪獣が出現した!

「あんな怪獣見たことないぞ!」

 そいつは、単純なシルエットでは、もっともありふれたアロサウルス型の怪獣だったが、体のあちこちに金塊を鎧のようにつけたような、荒々しいスタイルをしていた。そして兜のような金色の角を持ったそいつの姿は、怪獣頻出期からメビウスが戦ったものまで、ほとんどの怪獣のシルエットをだいたい記憶している才人の知っているどれとも似ていなかった。

 つまりは、まったくの新種か、もしくはこの世界特有、またはさらなる異世界の怪獣ということになる。

 その才人も知らない怪獣は、トドラに向かって驀進すると、トドラの背中を思い切り蹴り飛ばして転がし、墜落していた戦闘機を五、六機まとめて押しつぶさせた。

 さらに、仰向けになってもだえるトドラに、金色の怪獣は近づくと巨大な脚を振り上げて、何度も腹を踏みつけて痛めつけていった。

「そうか、あの化け物セイウチは、あの怪獣から逃げていたのね」

 キュルケが、彼女らしくも無い冷や汗をぬぐいながら、トドラと、明らかにトドラよりも格上の金色の怪獣の戦いを見つめた。どうやら、怪獣の世界でも、この四次元空間でも食物連鎖のピラミッドは作用しているらしい。

 追いつかれて逃げられないと悟ったトドラは、覚悟を決めたと見えて、振り返ると十メートルはある長い牙を降りたてて、金色の怪獣に反撃していった。トドラは見た目どおりにただ大きいセイウチでしかなく、四次元空間という場所に生息する以外に特徴や超能力、もちろん光線などは持ち合わせていないが、セイウチの最大の武器である膨大な体重を活かした、牙での突きたて攻撃はあなどれない。

 だが、トドラが必死の反撃をしようと、体を起こして牙を振りかざしたときであった。金色の怪獣の角を中心に渦巻くような球体の障壁が現れて、牙を軽々とはじき返してしまった。

「バリヤーだって!?」

 体格に加えて、そんな超能力まであったのではトドラに勝機はもはやなかった。

 呆然と見守る才人たちの目の前で、圧倒的な実力差を見せ付ける金色の怪獣は、トドラの牙を掴むと怪力でへし折り、首根っこを掴んで持ち上げると、勢いよく地面に叩きつけてとどめを刺してしまった。

「すごい……」

 短く断末魔をあげてトドラが絶命するまでに要した時間は、ほんの一分程度でしかなかった。

 だが、彼らはそこでのんびり観戦などせずに、そのままさっさと逃げておけばよかったのである。トドラを倒して、なお闘争本能の収まらない金色の怪獣は、すぐ近くをうろうろと飛んでいるシルフィードを見つけると、角から電撃のような破壊光線を放ってきた。

「しまった!」

 そう思ったときにはもう遅かった。彼らは自分たちが猛獣のショーを見ていたわけではなく、サバンナの木の上でヌーがライオンに食い殺されるのを見ていたことにやっと気がついたのである。

 それでも、機敏なシルフィードはとっさに翼を翻した。しかしやはり五人も乗せていたのは厳しく、右の翼に命中されて、悲鳴をあげながら墜落してしまった。

「……翼の皮膜を撃ち抜かれてる……わたしとしたことが、油断した」

 きゅいきゅいと痛さで泣きわめくシルフィードをなだめながら、タバサはシルフィードの受けた傷が思ったより深いことに、自分の未熟を悔いながらつぶやいた。

「飛べないの?」

「飛べなくはないけど、もう五人を乗せるのは無理」

 焦げ臭い匂いを翼から漂わせるシルフィードは、痛み止めくらいにはとタバサがかけてくれる『治癒』の魔法で、ほっと息をついていたが、そうしているあいだにも金色の怪獣は向かってくる。

「ああもう、結局戦うしかないんじゃない!」

 こうなればもう精神力温存とかは言っていられない。キュルケもルイズも、なかばやけくそで杖を取り出すが、先制攻撃とばかりに繰り出されたキュルケの『フレイム・ボール』が、怪獣のバリヤーで跳ね返されて戻ってきたあげくに至近で爆発して吹っ飛ばされると、頭が冷えた。

「キュルケ! 跳ね返されるってわかってたはずじゃない」

「ごめんごめん、うっかり忘れてたわ。だけど、わたしの魔法で子揺るぎもしないとなると……」

 そう、同クラスのタバサの『ジャベリン』なども含めて、こちらの魔法のほとんどが効かないどころか、強い攻撃を撃つほどに跳ね返されてこちらが自滅することになりかねない。

 怪獣は、勝ち誇っているのかなぶり殺そうとしているのか、思ったよりゆっくりと向かってくる。もっとも、人間が走ったくらいで逃げ切れる相手ではないのは確かだ。

 才人とルイズはウルトラマンAになるべきかと思ったが、この怪獣はかなり手ごわそうで変身に踏み切れなかった。勝てたとしてもこちらも相当に消耗し、それでは肝心のクロムウェルを狙うときに力を発揮できず、先のブラックテリナのときと同じ失敗をすることになる。

 しかし、逃げるにしてもそれをどうするかが問題である。シルフィードならばスピードが出せるが、今は乗せられて三人がやっとというところ、それに空を飛べなくては雲の中に入り口と、おそらくは出口があるであろうこの四次元空間からの脱出はできない。大ピンチである。そのはずなのに、なぜか才人の顔はにやりと緩んでいた。

「タバサ、二人どければシルフィードは飛べるんだよな?」

「え……できるけど」

 怪訝そうに答えたタバサの返答に、才人は不思議にうれしそうな顔をすると、全員を仰天させることを言った。

「よし、みんなは先に飛んで逃げてくれ、おれとルイズがここに残る!」

 そこで全員が怪獣が迫ってきているのも忘れて愕然として、ついで「なにを考えてるんだ」という主旨の怒声を上げ、さらに自分が犠牲になるつもりかに続いた。あとついでにルイズが、わたしもいっしょってどういうことよ? いやいっしょはそれはそれでいいんだけど……と、しどろもどろになりながら叫ぶと、才人は殴られそうになるのを避けながら早口で言い返した。

「待った待った! おれは正気だ。おれとルイズぐらいだったらシルフィードに乗らなくても脱出する方法があるんだ!」

「なんですって!? どういうことよ!」

 またもや驚いて、才人に詰め寄ろうとしたルイズたちだったが、そこで自分たちが怪獣に襲われていることを思い出した。ほんの十メイルばかし目の前に、金色の怪獣の巨大な足が降り立って地響きを立て、さらに反対側の足が彼らの頭上に降りかかってきたのだ。

「逃げろ!」

 とりあえずつぶれたパンケーキになってはなんにもならないので、危機感を取り戻した彼らはタバサとキュルケの『レビテーション』でシルフィードを浮かせて全力疾走に入った。

「で、さっきの続きなんだけど」

「まだ言うの!?」

「まあ聞けって、空を飛ぶ手段といっしょに、あの怪獣を撃退できるかもしれない手があるんだ」

 走りながらルイズたちはとにかくも才人の言う”方法”とやらを聞くと、一様に目を丸くした。だが、あのバリヤーを張って攻撃の効かない怪獣を撃退し、なおかつ翼を得る方法はそれ以外なさそうだった。

「どうだ、やるか?」

 ルイズたちは、自信たっぷりというよりは、やりたくて仕方がないといった才人の雰囲気に、どうにも不安であった。また、必要なものが才人の世界のものなので、作戦は理解できても本当にそんなことができるのか確信が持てずに懐疑的であった。

 それでも、才人がこれまで嘘を言ったことはなく、代案もなかったのでその作戦を実行に移すことになった。

「それからミシェルさん、ちょっとこういうの作ってもらえませんか」

「ん? ああ、こんな簡単なものならすぐできるが、なんだこれは?」

 才人は足元に転がっていたなにかの残骸の鉄片を拾うと、それをミシェルに頼んで棒状に『錬金』で整形してもらった。それは形はごく単純なL字に近いもので、先端部だけは細かく注文したが、そこはトライアングルクラスの土のメイジだけはあって、走りながらでも危なげなく注文の品をこしらえてくれた。

「ようし、それじゃおれとルイズはあっちにいくから」

「わたしたちは、あいつをあの場所まで誘導すればいいのね」

 最後に確認をとってうなずきあうと、才人とルイズは一行から離れて別方向に走り出し、残った者たちは別の作戦のために怪獣の陽動に移った。タバサとキュルケが杖をあげて、それぞれ呪文の詠唱に入る。

「さあーてと、『ファイヤーボール!』」

「『ジャベリン!』」

 二人の炎と氷が怪獣の眼前でぶつかりあって、派手な水蒸気爆発を引き起こすと、金色の怪獣の注意がそちらに向いた。

「さて、これからが問題ね。精神力を節約しながら怪獣を誘導」

 これならば派手にやりあうほうが何倍もいいと、キュルケは自分に合わない作戦を、それでも無表情で続けようとする親友の横顔を見ながら思うのだった。

 

 一方、別れた才人とルイズはある場所へとたどり着いていた。

「これ……本当に飛ぶんでしょうね?」

「たりまえだろ! 日本人で、これに乗りたがらない男はいないぜ!」

 息を切らしながら問いかけるルイズに、才人は誇らしげに答える。

 二人の目の前には、伝説の天空の戦士、ゼロ戦が再び飛び立つときを待っていたかのように、静かに鎮座していた。

 

 

 だが彼らは知らないことであったが、その金色の怪獣の名は超力怪獣ゴルドラス、さらにワイバーンのような空中怪獣のほうは時空怪獣エアロヴァイパーといい、どちらも別の次元の時空間を荒らしまわっている凶暴な怪獣だった。

 しかしなぜ別の世界の怪獣が、同じ時空間に揃ったのだろうか?

 ただの偶然か、それとも何者かの意思か、この時点では誰にもわからない。

 

 

 続く



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第77話  時を渡るゼロ

 第77話

 時を渡るゼロ

 

 時空怪獣 エアロヴァイパー

 超力怪獣 ゴルドラス 登場!

 

 

 並行宇宙、我々のいるこの宇宙は一つではなく、様々な違いを持った別の世界が無数に点在しており、それぞれの世界では同じ人物がまったく違う人生を歩んでいることもあるという。

 それをパラレルワールドといい、その存在を提唱するものを多次元宇宙論という。

 たとえば、ウルトラ兄弟のいる地球のある世界をAとすれば、このハルケギニアのある世界はBということができる。普段、それらの宇宙は互いに干渉することはないものの、ごくまれになんらかの理由でこれらを行き来することができるようになることがある。

 それらは故意、あるいは事故の場合もあるが、ルイズの使った召喚魔法、チャリジャの時空移動とイザベラの召喚魔法が偶然に重なったとき。またはグランスフィアの超重力圏内に呑まれたウルトラマンダイナの時空移動などがある。

 だがそんななかでももっとも恐ろしいものは、時空を超えてやってくる侵略者の存在である。

 その最たるものであるヤプールの異次元空間も、広義的に見れば並行宇宙の一つとも言え、並行宇宙からの攻撃は容易に反撃できないために、悪質さは数ある侵略方法の中でも群を抜く。

 今も自らの空間で復活を遂げたヤプールは、ハルケギニアを拠点として力をためていずれ地球への攻撃をかけるだろう。

 ただし、ヤプールもウルトラマンたちも考えもしていないことだが、あまりにも数多くありすぎる並行宇宙の中に潜む悪意は、本当にヤプールだけなのだろうか?

 

 そんな謎だらけの異世界の一つ、四次元空間。別名を時空界、時空間ともいうそれは、いまだ人類のとぼしい科学力では理解することのできない魔境。

 そこへ不幸にも吸い込まれてしまった才人、ルイズたちの一行は、キュルケたちが

超力怪獣ゴルドラスを引き付けているあいだに、この四次元空間の中で、唯一完全な形で現存していた空を舞う翼、ゼロ戦を蘇らせようとしていた。

 

「申し訳ありません。あなたのゼロ戦、お借りします」

 コクピットによじ登った才人は、操縦席に突っ伏した形で事切れている旧日本海軍のパイロットの白骨に向けて、感謝と侘びを込めて手を合わせると、大きく深呼吸をして恐る恐る白骨に手をかけた。

 が、飛行帽をはずして理科室でよく見かける石膏細工のような頭骨があらわになると、さすがに心音が抑えきれる範囲を外れて、しかめた顔を背けたい欲求に襲われた。

「サイトー! はやくしなさいよ」

 下からルイズが怒鳴ってくるが、死体に手をかけるというのは覚悟していたつもりでもやはり気が楽ではなかった。親戚のじいさんの納骨に参加したことはあるが、あのときは火葬後でバラバラだったけれど、今回はもろに骸骨である。才人は単なる普通科の学生であって、外科医志望でも生物学者を目指してもいなかった。

 それでも、死体といっしょに飛ぶわけにはいかない。罰当たりを覚悟して、心の中で念仏を唱えながら、目をつぶって飛行服ごと遺体を翼の上に運び出した。

「すいません、あなたを連れてはいけないんです。お叱りは、いずれあの世でお受けしますので」

 死者への冒涜もはなはだしいのはわかっている。しかし、自分たちも彼と同じところに行くわけにはいかないのだ。心の中で謝りながら遺体を降ろそうとすると、飛行服のポケットから黒皮の手帳がこぼれ落ちた。

「軍人手帳か……お預かりしていきます」

 泥棒みたいだが、いつか地球に戻れるときが来たとしたら、遺族に返す機会も巡ってくるかもしれない。本当は遺骨を持って行きたいのはやまやまだけれども、それは無理な以上仕方がない。

 才人は可能な限り丁重に遺体を降ろしていったが、降りたところで偶然にも頭骨がころりと回転して、うつろな空間になった目がルイズを見つめた。

「ひっ!」

「なんだ、怖いのか?」

「ば、馬鹿言うんじゃないわよ! た、たかが死体、動くわけがないんだから」

「気にするなよ、普通は死体が苦手なのが当たり前だ」

 普段気が強いだけにびびっているルイズというのは非常に貴重だ。もちろん、遺体をだしにしてルイズをびびらせようなどと罰当たりなことは考えていないけれど、ルイズも骸骨が怖い普通の女の子なのだと再認識できて、才人はなんとなくうれしかった。

 そして、才人は遺体を離れた場所にあった別の日本機の残骸のそばに鎮座させると、気合を入れなおすように顔を両手ではたいて叫んだ。

「ようし、飛ばすぞ!」

 彼が命と引き換えにしてまでも残したこのゼロ戦、無駄にするわけにはいかない。

「それでサイト、これどうやって飛ばすの?」

「ちょっと手間がかかるから、おれの言うとおりに手伝ってくれ。とりあえず、これを使うんだ」

 才人はそう言うと、ルイズにさっき作ってもらっておいた鉄製の金具を手渡して、扱い方を説明すると翼の上によじ登っていった。

 完全な形で残っていた操縦席に乗り込んで操縦桿を握ると、左手のガンダールヴのルーンが輝き、ゼロ戦の操縦方法が頭に流れ込んでくる。

「さあて、それじゃいくか。ようしいいぞ、ルイズ言ったとおりにしてくれ!」

 発進準備を整えた才人は、エンジンのそばで待っていたルイズに合図をした。一方のルイズはわけがわからないままだったが、とりあえず言われたとおりに、そのエナーシャ・ハンドルという器具を言われたところにはめ込んで、力いっぱい回した。

「まったくもう、どこの世界に主人に力仕事させる使い魔がいるのよ、普通逆でしょう、がっ!」

 イライラを力に変えたルイズが、固いハンドルを小柄な体からは想像できないような勢いで回していくと、やがてエンジンから大型バイクを押しがけするような重厚な音が響いてきた。昔のレシプロ機のエンジンは、ただコクピットからスイッチを入れただけでは始動できず、こうして外から整備員などに手動で回してもらう必要があるのである。そのため、最初にゼロ戦に触ったときにエナーシャ・ハンドルが必要だと知っていた才人は、わざわざミシェルに頼んでいたのだ。

「ようし、いいぞ……」

 次第に回転音が強く、さらに安定していき、それが最大限に達したところで才人は主スイッチを入れて叫んだ。

「コンターク!」

 それはコンタクトをなまらせた、接続を意味する単語である。昔のパイロットたちが皆叫んでいたらしいその言葉に、ゼロ戦は喜ぶようにエンジンを猛烈な爆音とともに蘇らせた。

「エンジン始動……すげえ、すげえぜ」

 栄エンジンが息を吹き返す快い振動を感じ、目の前で高速回転を始めるプロペラを見つめながら、才人は伝説をその身で存分に味わい、感動に全身を震わせていた。むろん当然のことながら、現代のレベルでいえばゼロ戦は当の昔に実戦では役立たない過去の遺物であり、速度、上昇高度など現代の戦闘機の足元にも及ばない。

 だが、たとえば現代の航空自衛隊の主力であるイーグルなどは知らなくても、ゼロ戦の名を知らない男子はいない。おもちゃ屋でも、航空機のプラモデルでトップに並んでいるのはゼロ戦をはじめとするプロペラ機がほとんどだ。ほかにも、一隻で一国を滅ぼす威力を持つ原子力空母や弾道ミサイルを迎撃する性能を持ったイージス艦などよりも、実際にはたいした戦果をあげられないままに沈んだ戦艦大和が、いまなお圧倒的な人気を誇るのはなぜか?

 答えは簡単だ。それらの兵器には現代兵器が強さと引き換えに失ってしまった、戦う男の美しさ、その姿を見るだけで心を奪われてしまう、言葉では言い表せないかっこよさ、戦争の論理うんぬんなどくそ食らえといった最強のロマンが宿っているからだ!

「よっしゃあ、ルイズ乗れ! いくぞ!」

「だからあんた、さっきから誰に命令してるのよ! 主人はわたしであんたは犬でしょうが!」

「犬か、上等だ! だったら征空八犬伝といこうか。発進するぞ」

 テンション上がりまくりの才人は、犬扱いも全然気にしていない。

 これがゼロ戦一機だけだったり、もしルイズとケンカしていたりなどして精神的に落ち込んでいたりなどしていたら、まだ冷静さを保っていたかもしれない。けれど、懐かしい地球の香りをたっぷりと嗅いだ上に、全日本男子の憧れを実行できるのだから燃えないほうがどうかしている。

 ルイズを自分の前に座らせると、才人は風防を閉じて操縦桿を引いた。昔の小柄な日本人の体格に合わせたゼロ戦のコクピットは、子供とはいえ二人乗りには少々狭かったが、プロペラの回転がさらに上昇し、残骸のあいだに開けた道を滑走し始めるとすぐに気にならなくなる。そして緊張しながらスロットルをあげて、百五十メイルほど滑走した後、ぐっと操縦桿を引き込んだ。

 すると、重量を相殺するのに充分な揚力を得た翼は、空気に乗るように、ゼロ戦を再び天空へと押し上げ、銀翼の戦士は新たな命を得て完全に復活をとげた!

「飛んだ! 飛んだぜ!」

「すごい、こんな鉄の塊がこんな速さで、あんたの世界の技術ってほんとどうなってんのよ」

 五メイル、十メイルとどんどん高度を上げていくゼロ戦から白亜の世界を見下ろして、才人は喜びの、ルイズは驚愕の叫びをあげた。

 が、のんきに喜んでばかりはいられない。霧の向こうから爆音をも超えるゴルドラスの遠吠えが聞こえてくると、才人は今頃みんなが必死であの強力な怪獣の相手をしてくれているのを思い出した。

「ルイズ、しっかりつかまってろ!」

「えっ、きゃあああっ!?」

 急旋回したゼロ戦の遠心力に押し付けられて、とっさに才人に抱きついたルイズが顔を赤らめているうちにも、ゼロ戦は霧を突き抜けていき、数秒後に巨大なタンカー船を持ち上げてシルフィードに投げつけようとしているゴルドラスの前に出た。

「あんなでかい船まであったのかよ、この空間はいったいどうなってんだか」

「言ってる場合じゃないわ、助けないとみんなぺちゃんこよ」

「そうだな、じゃあいくぞ!」

 ゼロ戦は旋回しながら加速すると、タンカー船を振り上げているゴルドラスの右側面から接近していき、距離が三百メートルになった時点で機首から火線をほとばしらせた。主翼の二十ミリ機銃は射程が短く弾道が低いので、もう一つの武装である七・七ミリ機銃による攻撃だ。

 軽快な音とともに放たれた数百発の弾丸は、ゴルドラスの目元に当たってはじき返されたが、やつの注意を引くには充分だった。

「サイト、来るわよって、わあああっ!?」

 こっちに向かって投げられた十万トン級タンカーが迫ってくる光景は、まるで空が降ってきたような圧迫感をともなってルイズに悲鳴をあげさせた。しかし、ガンダールヴのルーンのおかげでベテランパイロット並の技量を発揮できるようになっていた才人は、掴み取ろうとした木の葉がひらりと逃げるように回避すると、ゴルドラスの前をすり抜けて速度を落とし、陽動に当たっていたシルフィードに並んだ。

「悪い! 遅くなった」

「ダーリン、そ、それ本当に飛ばせたんだ」

「……どういう理屈?」

「サイト、お前ってやつは、すごすぎるぞ」

 三者三様で目を丸くしている顔がおかしくはあったが、彼女たちはゼロ戦を飛ばすまでのあいだ、この怪獣の光線に耐えながら陽動してくれていたはずなので笑うわけにはいかない。

 また、同時に頼んでおいた誘導のほうも、怪獣の進行方向にちょうど目的のB-29の残骸が転がっている。傷ついたシルフィードで、しかもこちらの攻撃が一切効かないこの怪獣を、それでも短時間できちんと陽動してくれるとはさすが彼女たちだ。

「あの銀色のところへおびきよせろってことだったけど、これでいいのよね!?」

「ああ、上等だ!」

 本当に、こんな危険な作戦を引き受けてくれるとは、才人は自分が強く信頼されていることを感謝すべきであった。そして、向こうが信頼に応えてくれた以上、今度はこちらの番である。

「それで、おびき寄せたはいいけど、この後はどうするの?」

「もう十分だ、あとはこっちにまかせて離れててくれ!」

「もういいって、あの怪獣をいったいどうするつもりなんだ!」

 ゼロ戦の爆音に邪魔されながらなので、キュルケやミシェルとほとんど怒鳴りあいながら話をしていたが、才人はすでに作戦ができていた。不愉快なものだけれど、バリヤーでこちらの攻撃をことごとく無効化できるこの怪獣にダメージを与えるには正攻法では無理なのだ。

 だが、それまでを説明している時間はなく、撃ちかけられてきたゴルドラスの雷撃光線を、シルフィードは左に、ゼロ戦は右にととっさに回避した。

 もう、ああだこうだと言っている時間はない。才人は意を決すると機首をゴルドラスへ向けた。

「すげえ怪獣だ、こんなのが地上に現れたらどれほどの被害がでるか」

 超能力、怪力、そしてこの凶暴性、生息地が時空界だったことは幸運というしかない。なので、間違っても自分たちについてアルビオンまで来てもらってはかなわないので、ここでお引取り願わなければならない。

「ルイズ、ちょっと操縦桿頼む」

「えっ、ちょ、どうすればいいのよ!」

「まっすぐ立てて動かさなきゃいいよ」

 簡単に頼むと、才人は風防から身を乗り出し、ガッツブラスターを取り出して構えた。残弾は少なく、チャンスはただ一回。しかもそれはガンダールヴのルーンがあるとはいえ神業に等しい。けれど、才人は自分を信じて全身の力を抜き、ゴルドラスの足元になったB-29の残骸へめがけてトリガーを引き絞った。

 青いレーザーがB-29の銀色の胴体に吸い込まれていき、直後目を開けていられないほどの火炎が吹き上がってゴルドラスを包み込んだ。B-29に積み込まれていた六発の一トン爆弾の一つの信管をレーザーが射抜き、総計六千キログラムの火薬と積載されていた燃料を瞬時に誘爆させたのだった。

 ゼロ戦もその爆風のあおりを受けて大きく揺らぎ、才人はルイズの手の上から手を添えて、機体を失速寸前から立て直した。

 これではとてもバリヤーを張る間も無く、ゴルドラスはその姿を完全に火炎の中に消し去った。

「あ、あわわわ……」

 操縦桿を握ったまま腰を抜かしているルイズから操縦を引き継ぐと、才人はゼロ戦を同じように愕然と見守っていた皆の乗るシルフィードの隣に並ばせた。

「や、やったわね。すごかったわよ」

「いや、あれで仕留めきれたかどうか……ともかく今のうちにここから離れようぜ」

 小さな町を廃墟にするくらいの弾薬量だったが、相手は怪獣である、通常兵器で簡単に倒せれば苦労はしない。むろんミサイルやレーザーで倒せることもあるが、全体のごく一部であって大半はウルトラマンの光線でも簡単には倒せない頑強さを持っている。

 ともかく、爆炎に包まれて向こうもこちらを見失っているであろう今がチャンスだ。ダメージ量を確認できないのは残念だが、怒った怪獣に追いかけられるよりはましだ。

 才人はゼロ戦をシルフィードでも追いついてこれるくらいに速度を調整すると、並走してゴルドラスに背を向けて離脱していった。

 そしてそのすぐ後に、霧を貫いてゴルドラスの怒りの遠吠えが響いてくると、一行は一様に胸をなでおろして、あの爆発に耐えるような怪獣と戦わずにすんだことを神と始祖に感謝した。

 ちなみにこの後、自らに傷をつけたハエ二匹を見失ってしまったゴルドラスは巣を荒らされたことに怒り狂い、時空界を操る能力をフルに利用して、メビウスたちのいる地球やハルケギニアとは違った世界に時空界を拡大させて、巨大な巣を作ろうと画策するのだが、今の時点で才人たちには関係のないことであった。

 

 が、ゴルドラスのテリトリーから離脱して出口を探す才人たちにはさらなる脅威が襲い掛かってきていた。

「ドラゴン!? いや、また別の怪獣だとお!」

 高度を上げて出口を探そうと思ったとたん、雲海から引き裂くような鳴き声とともに、巨大なワイバーン型の怪獣、あのエアロヴァイパーがこちらにも現れたのだ。

「巨大セイウチ、金色の竜に続いて今度は巨大飛竜なんて、まるで怪獣動物園ね」

「のんきなこと言ってる場合じゃないぞ、あんなのに当てられたらひとたまりもないぜ」

 ゼロ戦をひねらせてかわしながら、才人はここが自分の知っているよりはるかに危険な場所だと焦り始めていた。とにかくまずい、あの怪獣に比べたらシルフィードでさえ荒鷲と小雀だ。アルビオンへの出口を見つけるどころか速攻でエサ決定だ。  

 才人は本能的にゼロ戦をシルフィードとは逆の方向に旋回させた。固まっていてはいい的の上に、お互いが回避の邪魔になる。それに、シルフィードにとっては不愉快この上ないだろうが、ゼロ戦に比較してシルフィードは遅すぎる。

 そして二手に分かれたこちらに対して、エアロヴァイパーは迷うことなくゼロ戦をターゲットに選んで攻撃を仕掛けてきた。

「ちぇっ、こっちがハズレかよ!」

 シルフィードのほうに向かってくれと考えていたわけではないが、どうも自分には不幸を呼び寄せる黒い羽の女神がついているように才人は思えた。とはいえ、女神や妖精には程遠く、飛行機にとっては天敵のグレムリンのように凶暴だけど、なんでか嫌いになれない美少女をひざの上に乗せた贅沢な状態で、エアロヴァイパーVSゼロ戦の前代未聞の空戦が開始された。

「ぶっ飛ばすぞ、舌噛むな!」

 至近距離まで引き付けたエアロヴァイパーを、才人はギリギリで機体をひねりこませて回避した。

 大きさ、速度、火力のすべてで上回るエアロヴァイパーに対して、ゼロ戦が優位に立てる要素はただひとつ。空中格闘戦、いわゆるドッグファイトでは世界最強といわれたその身軽な旋回性能しかなかった。

「見たか、図体だけのうすのろめ、ん? ルイズどうした」

「も、もっろ、おとなひく、操縦、しなさいよね」

 がどうも、ルイズのほうは急旋回に体がついていけていないようだった。自分の胸に顔をうずめて目を回している姿は可愛くもあるが、このまま吐かれでもしたらちとかなわない。

 それなのに、何度かわしてもエアロヴァイパーはまるでそれが目的であるかのように、シルフィードを無視してゼロ戦にばかり攻撃を仕掛けてくる。

「くそ、これもヤプールの策略なのか……?」

 まるで自分たちを狙い撃ちにしてくるようなトラブルと怪獣の襲撃には、その背後に悪意が存在しているのではないかと自然と疑いを持たざるを得なかった。だが、同時にわずかな違和感も感じていた。それは、自分たち、すなわちウルトラマンAを標的にするとしたら間違いなくヤプールしか考えられないが、ヤプールが才人とルイズの二人がエースだと気づいた節はいまのところない。

 それならば、ヤプール配下の別の宇宙人が独自にということも考えられるものの、これほどの怪獣たちが生息する空間を操れるとはいったい何者が……

「サイト、来る来る、くるってば!」

 しかしそんなことを悠長に考えている暇はなく、襲ってくるエアロヴァイパーを避けるほうが先決だった。

「やろ、これでも食らえ!」

 すれ違いざまに、今度はゼロ戦の主要兵器である二十ミリ機関砲を撃ち込んでやった。が、やはり怪獣の皮膚にはまるで通用していなかった。

 それを見て、タバサやキュルケも援護射撃をしてくれようとしているのがちらりと見えた。だが、魔法の射程はせいぜい百メートル近所のうえに、弾速も銃弾より遅いためにとてもでないがエアロヴァイパーを狙うことすらできていなかった。

 だがしかし、彼らはエアロヴァイパーがただの飛行怪獣だと思っていたが、実はこいつには恐ろしい能力が備わっていた。再びゼロ戦に突進してきた奴の角が赤く発光したかと思った瞬間、才人とルイズを乗せたゼロ戦はエアロヴァイパーごと空間に溶け込むようにして消えてしまったのだ。

「えっ、消えた!?」

「サイト、ミス・ヴァリエール、どこだー!」

「……しまった」

 後に残された一行は、二人の乗ったゼロ戦を探し続けたが、ゼロ戦もエアロヴァイパーももう姿を現すことはなかった。そしてシルフィードはそのまま、不気味に静まり返る時空間の中を虚しく飛び続け、やがて目の前に現れた黒い穴のような雲から脱出に成功した。

 まるで、お前たちにはもう用はないと誰かの意思が働いたかのように。

 

 けれど当然ながら、才人とルイズはまだ無事で生きていた。

「くそっ、いったいここはどこなんだ!?」

 いきなり怪獣の作り出した不思議な空間に包まれてしまった二人の乗ったゼロ戦は、これまでの白い霧に包まれた時空間から一転して、うっそうとした針葉樹林の生い茂る、地平線まで続くジャングルの真上を飛んでいたのだ。

「サイト、今度はいったいなにがどうなったのよ!?」

「おれが聞きたいよ! ああもう、行けども行けどもジャングルと岩山ばかり、これじゃあまるで……」

 だが才人は最後まで言おうとした言葉を飲み込んで前を見つめた。

 はるかかなたから何か鳥のようなものが飛んでくる。最初はあの怪獣かと思ったが、一回り小さく、さらに数十匹の群れをなしている。

「あれは……おいおいおい」

 近づいてくるにつれ、それが鳥などではなく巨大な皮膜でできた翼を持った恐竜映画などでおなじみの、代表的な翼竜であることがわかった。

「プテラノドンだ!」

 仰天した才人は慌てて群れの進路上にいたゼロ戦を急旋回させた。プテラノドンの全長は七メートルにも達し、ぶっつけられたらゼロ戦でもあえなく墜落してしまう。

 が、プテラノドンの群れは見慣れないゼロ戦の姿をエサ、あるいは敵だと思ったのか、まとめてゼロ戦を追撃してきたのだ。

「じょ、冗談じゃねえ、おれたちはエサじゃねえぞ」

「ちょっとサイト、あのでかい鳥なによ? プテラノドンってなに!?」

 慌てる才人にルイズが怒鳴りつけてくる。何が何だかわからないけれども、ルイズの言うとおりにプテラノドンなんかが平然と飛んでいるとは、さすがにハルケギニアでもありえないだろう。

 ということはまさか……

「ルイズ、どうやらおれたち恐竜時代にタイムスリップしちまったみたいだ!」

「って、わかんないわよ! キョウリュウってなに? タイムスリップってなに!?」

「要するに、大昔に来ちまったってことだ!」

「大昔ってどれくらい!?」

「だいたい六千五百万年くらい前だ!」

「ろ、六千五百万年!?」

 考古学などまだ存在しないハルケギニアのルイズには、その巨大な年数は到底理解不能であったのはしょうがない。しかし低空からあらためて地上を見下ろせば、草原では二足歩行の黒い肉食恐竜と背中に無数の鋭いとげを生やした四足歩行の恐竜が戦っており、湿地帯ではさすがにゼロ戦の加速にはついてこれずに置いていかれたプテラノドンの群れが着水して、牛みたいに巨大なトンボのヤゴをついばんでいる。

 これは信じたくはないが、本当に白亜紀かジュラ期の恐竜時代に迷い込んでしまったみたいだ。二人は対処能力が自分たちの限界を超えてしまったと感じて、精神内のウルトラマンAに助けを求めた。

〔どうやら、あの怪獣には時空を超える能力があったみたいだな。私にも一度経験があるが、この時代で我々を恐竜の餌食にでもしようとしているのだろうか〕

「ど、どうしよう。恐竜時代なんて、これならハルケギニアのほうが百倍ましだ」

「こらサイト! ハルケギニアのほうがましってなによ、のほうがって!」

 パニックになっている二人はただでさえ狭いコックピットの中でぎゃあぎゃあと暴れるが、恐竜はそのまま現代に出現するだけでも怪獣扱いされることもあるくらいに巨大な存在である。地上に下りて生きていける確率は一パーセントもない。

 だが、一度タイム超獣ダイダラホーシによって奈良時代に行ったことのあるエースは比較的安心していた。

〔心配するな、あの怪獣が通った時空間の歪みを探せば追いかけることができる。私が案内するから、それに従って操縦してくれ〕

「わ、わかった」

 才人はともかくエースの誘導に従ってゼロ戦を操縦した。右、右、少し上昇と、何もないように見える方向へ向かって機首をめぐらせていくと、やがて白亜紀の空が唐突に消えて、またあの時空間の雲海が見えてきた。

「や、やったあ……」

 ほっとした才人は思わず計器盤に突っ伏そうとしてルイズを押し倒す格好になってしまい、顔を赤らめたルイズにしたたかに顔をはられた。

 だが、これこそウルトラ兄弟一の超能力使いで、技のエースの異名をとるウルトラマンAの真骨頂『時空飛行能力』の一端、エースは時間軸をも飛び越えることができる! エアロヴァイパーもさすがにここまでは読めなかったのだ。

 ただし、自由に時空を飛ぶためには時空を歪ませている元凶である怪獣を倒さなければならず、まずは奴を追う必要があった。

〔二人とも油断するな、どうやらあいつは追撃をくらますためにいくつかの時空を通過したようだ。なにが出てきてもおかしくないから気を引き締めろ〕

「あっ、はい!」

 もみじを貼り付けた顔を引き締めて、才人は操縦桿を握りなおした。

 次に来るのは古生代か原始時代か、雲海が開けたときにまたアルビオンとは違う太古の空が広がった。

 

 それから後のことは、恐竜時代が主であったが、行く度に死ぬような目にあった。

 ある世界では恐竜を食っていた金色の三つ首の龍と極彩色の巨大蛾の戦いに巻き込まれかけ。

 またある世界では巨大なイモ虫と、どこかの宇宙人が送り込んできたのか、腕が鎌になって腹部に回転カッターがついたサイボーグ怪獣が戦っていて、あやうくそいつのバイザー状になった目から放たれた光線に撃ち落されそうになった。

 次は大和時代あたりだったので安心かと思えばヤマタノオロチみたいなのが出てくるし、まったく安心できずにどこでも逃げるのに必死だった。

 極めつけは、いつの時代かさっぱりわからないが、燃え盛る巨大な石造建築の都市の中で、ウルトラマンに似た無数の巨人ととてつもない数の怪獣たち、そして黒い巨人たちによる最終戦争を思わせる戦いのただ中に放り出されたときである。これはもうタイムスリップというより完全に別の世界だろと怒鳴りたくなったが、かろうじて出口にたどりつくことができた。ちなみにこのとき、エースは黒い巨人たちの中に、どこかで見たような姿を見たような気がしたが、どうしても思い出すことができなかった。

 そしてやっと時空間に逃げ込むと、才人とルイズはまったくいったい古代ってのはどうなってたんだ? つくづく昔は恐ろしかったんだなあと、現代に生まれたことを神に感謝するのであった。

 

〔どうやら次が最後のようだ、そこで決着をつける気だろう〕

「もう……最後にしてほしいです」

「死ぬわ……」

 二人とも、行く世界行く世界で悲鳴を上げまくって完璧に憔悴しきっていた。精神世界からナビゲートするだけのエースが多少恨めしいが、文句を言う気力も残っていない。

 けれども次で最後ならばそこで怪獣を倒せば元の世界に戻れる。

 だが、そこで彼らに『次の世界までは襲われないだろう』という油断が生まれたのは否定できないだろう。気を抜いた一瞬の隙を突いて、正面からエアロヴァイパーが戻って攻めてきたのだ!

「なにぃっ!?」

 とっさに回避したが、油断していたせいで反応がほんのわずかだけ遅れて、直撃は避けられたが機体が衝撃波を受けて大きく揺さぶられた。

「やろ、こざかしい手を使いやがって!」

 直下型地震を受けたように振動する機体の上で毒づいたものの、衝撃波のダメージはエンジンに及んだらしく、それまで好調に動いていたエンジンが急に咳き込み始めた。とたんに、急に舵の利きが悪くなり、速度がガタ落ちになっていく。エアロヴァイパーは後方から反転してくるというのに、これではもう避けきれない。 

 しかし、もう変身する以外に手は残されていないと二人が覚悟しかけた瞬間、ゼロ戦の上を突如現れた三つの影が高速ですれ違っていった。

「なんだ!? あのジェット機は」

 振り返った二人の目に映ったのは、見慣れない形の一機の青いジェット戦闘機と、その左右を固めて飛ぶ二機の赤い戦闘機の姿だった。彼らは二人の乗ったゼロ戦には気づいていないように通り過ぎていくと、その先で待ち構えていたエアロヴァイパーへ向けてレーザーで攻撃を始めていった。

「味方なのか……? くそっ、エンジンが!」

 何者なのか見届けたかったが、咳き込んでどんどん回転数が落ちていくエンジンは機体の自重を支えきれずに墜落を始めた。いくつかのスイッチを試してみるが、生き返る様子は残念ながらない。こうなったら、せめてどんなところでもいいから地面のあるところに降りてやると、才人は残りのゼロ戦の浮力を使い切って最後の世界に飛び込んだ。

「今度はいったいどんな世界のどこの時代だ!?」

 次元の壁を潜り抜けて出た先には、一面の青空と赤茶けた岩と砂が延々と続く砂漠が待っていた。またもやアルビオンではなかったが、とりあえず恐竜や怪獣がお出迎えしてくるような世界ではなさそうだった。しかし、酷使したエンジンはそこで大きく咳き込んだ後で、事切れるように完全にプロペラを停止させてしまった。

「あ……」

 推進力を失った機体はもはやグライダーでしかなく、いくら安定性に優れたゼロ戦とはいえ半分墜落に等しい状態で、急速に降下し始めた。

「きゃぁぁぁっ! 落ちる、落ちる、落ちてるぅぅ!」

「黙ってろ! 舌噛むぞ!」

 眼下は岩石砂漠、当たったらゼロ戦なんかひとたまりもない。けれど才人はなんとかゼロ戦を操って、岩と岩の間のわずかな滑走できるスペースに機体を滑り込ませることに成功した。

「不時着成功、ルイズ、生きてるか?」

「あんたといると、心臓がいくつあっても足りないわ」

「まあそう言うな、お前にもらったガンダールヴのおかげで命拾いしたんだし」

 才人はほっと息をつくと風防を開いた。ゼロ戦は完全に停止し、エンジンはかかるかどうか、試してみなければわからないが、しばらくは休ませたほうがいいだろう。

「こりゃ直るかなあ……ん、ルイズどうした?」

「サイト、あの建物、なにかしら?」

「え?」

 ルイズに指差された方向を見て、才人は思わず息を呑んだ。

 そこには、黒焦げになった巨大な金属製の建造物が、薄い煙を上げながら横たわっていたのである。

 

 

 一方そのころ、別の空間でもガンフェニックスが再び現れたエアロヴァイパーとの戦闘に突入していたが、時空間内を自在に飛び回る奴の機動力に苦戦を強いられていた。

「今度こそ当ててやる!」

 一斉発射されたガンフェニックスのビーム攻撃をエアロヴァイパーは下降回避して、反撃の火炎弾を放ってきた。当然、ガンフェニックスもこれぐらいは回避するが、一筋縄で勝てる相手ではなさそうだった。

「ちっ! やるな。テッペイ、あの怪獣の分析はすんだのか?」

「アーカイブドキュメントに該当なし、新種の怪獣です。気をつけてください」

 エアロヴァイパーはこれまで執拗に攻撃していた101便から、まるで彼らがやってくるのを待っていたかのように、今度はガンフェニックスに対して狙いを変えて仕掛けてきた。そのすばやい動きにはさしものガンフェニックスといえども手こずる。

「よし、こうなったら分離して三方から攻撃だ!」

 業を煮やしたリュウがガンフェニックスの分離を決断したとき、エアロヴァイパーの角が光り、その異常を検知したテッペイが叫んだ。

「リュウさん、時空間が歪曲を始めました。奴は、僕らをどこか別な時空に送り込むつもりです!」

「なんだと!? くそっ、止めてやる」

「無理です、もう間に合いません。衝撃に備えて!」

 その瞬間、ガンフェニックスはエアロヴァイパーによって別の時空間へと転移させられ、気がつくとどこか見知らぬ荒野の上にいた。

「ここは、どこだ?」

 機位を取り戻したリュウはとりあえず周りを見渡した。あの怪獣の姿はいつの間にか消えている。けれどGPSにも反応はないし、フェニックスネストとも連絡がとれないところを見ると、元の世界に戻ってきたというわけではなさそうだった。

「テッペイ、どうなっているんだ?」

「もしかしたら、あの時空間はただの異次元ではなく、別の時空同士をつないで行き来することを可能とする、ワームホールに近い性質も持っていたのかもしれません」

「つまり、ここは奴の巣?」

「わかりません。大気組成は地球と同じですが、それよりもなぜ101便を無視して僕らだけを引き込んだのか……獲物としては、ガンフェニックスとは比べ物にならないはずなのに」

「そういえば、ジョージさんたちは大丈夫でしょうか?」

「それは大丈夫だと思うよ、出口までの進路は確保したから、まっすぐ飛び続ければいずれ脱出はできるはずだ」

 あの二人の技量ならば、脱出にさして苦労はしないはずだが、それよりも今度はこっちが脱出に苦労しそうになってきた。

 さらにそれもあるが、ミライはかつてボガールをはじめて見たときのように、あの怪獣の背後にざわめくような悪意を感じていた。もしも、あれが破壊本能に従って動くだけの怪獣ではなく、何者かの意思を受けた生物兵器だったとしたら。

「ミライ、なにぼおっとしてるんだ?」

「あ、いえ……ちょっと気になったことがあったもので」

「ウルトラマンの直感ってやつか? お前の言うことはよく当たるからな」

 リュウにそう言われてミライは少し照れたものの、内心は決して愉快なものではなかった。

 この、決して表には出ずに裏で人知れずに糸を引くやり口を、まだ誰にも言ったことはないけれど、ミライにはよく似たものに覚えがあった。

 それは今思い出しても夢だったのではと思うあのとき……以前奇妙な反応を探知して横浜へ調査に行ったときに、ミライは世にも不思議な経験をしたのだ。

”七人の勇者を目覚めさせて、共に侵略者を倒して”

 そのときの超時空を超えた想像を絶する事件の顛末と、究極の光と闇の壮絶なる一大決戦は到底筆舌に尽くせるものではない。しかし、この恐るべき事件の元凶となった存在は、並行宇宙を越えて存在して、複数のパラレルワールドから強力な怪獣軍団をそろえて攻めてきた。

 最終的に時空を超えて結集した七人の勇者の力を合わせることによって勝利できたが、闇の権化は最後に言い残した。

”我らは消えはせぬ、我らは何度でも強い怪獣を呼び寄せる。人の心を絶望で包み、全ての並行世界からウルトラマンを消し去ってやる”

 まさか、あのとき奴は完全に消滅したはず……それとも、そんなことをするような奴がまだいるとでも? 不安は不安を呼び、さしものミライも表情を暗くしかけたが、レーダーのアラームとテッペイの言葉が彼を現実に引き戻した。

「前方に金属反応、人造構造物のようです」

「わかった。降下してみよう」

 やがて高度を下げたガンフェニックスの見下ろす先に、完全に破壊された超巨大な要塞のような建物が見えてきた。だが、その傍らにはそれにも増してリュウたちを驚かせるものが横たわっていた。

「おい見ろ! あれはさっきの怪獣じゃないか?」

 なんと、さっきまで戦っていたはずのエアロヴァイパーが、五体バラバラの無残な死骸となって砂の上に散乱していたのだ。

「ほんとだ……コンピューターのデータと特徴が完全に一致、同一個体に間違いありません。生命反応はなし、完全に死んでいます」

「どういうことでしょうか? 僕たちと別れたあとに、何者かに倒されたのでしょうか?」

「いや、僕たちがこちらに来てから五分程度しか経ってないはずなのに、あれはどう見ても死後一時間近くは経ってる」

「なんだって!?」

 本職が医者のテッペイが診たてたのだから間違いはないだろう。五分前に別れた怪獣が、死後一時間経った死骸で見つかる。この矛盾はいったいなんなのだろうか? 目の前の、破壊された建物と何か関係があるのだろうか。

「ようし、着陸して調査するぞ。ミライ、テッペイ、いいか?」

「G・I・G!!」

 こういうときは、とにかく行動するに限る。リュウはガンフェニックスを用心のために岩山の影の目立たないところに着陸させると、勢いよく風防を開いた。

 

 

 この宇宙は、絶対的な単一者の手によって動かされているわけではない。それが善であろうと悪であろうと、宇宙が宇宙として存在しはじめたときから、そこを支配する概念は個ではなく多であった。

 それは当然、ウルトラ一族やヤプールをはじめとする数ある強豪宇宙人たちも例外ではなく、この宇宙におけるハルケギニアという小宇宙にしても、大小多くの国家が乱立していることからも明らかだ。

 そんな中で、世界はアルビオン王国の滅亡か再建か、ヤプールの作戦が成功するか失敗するか、当事者たち以外の故意、無意識も含めて、遠慮なく歴史書の一ページに濃いインクで落書きをしようとしていた。

 王党派とレコン・キスタをまとめて消し去ろうとしているクロムウェルに率いられたレコン・キスタの空中艦隊は、まるで進路を譲るように晴れていく黒雲のあいだをぬって進撃していく。

 アンリエッタは全軍を率いて、一刻も早くウェールズの元に駆けつけようとユニコーンに拍車を入れる。

 ガリア、ゲルマニアも、今後の流れ次第では即座に軍を動かせるようにと情勢を観察することに余念がなく、その一方で地理的にもっとも遠く離れた宗教国家ロマリアは、不干渉を決め込んでいるのか不気味なまでに沈黙していた。

 また、国家というマクロの次元のほかのミクロの人々の中でも、魔法学院では何も知らないオスマンが生徒のいない学院を寂しがり、トリスタニアでは今日もエレオノールがアカデミーで研究に没頭し、魅惑の妖精亭では夜に備えて準備するジェシカやスカロンたちが忙しく働いて、ガラクタを集めて屋根裏で連日爆発を繰り返す三人組に怒鳴り声を上げている。

 ガリアでは退屈をもてあましたイザベラが、暇つぶしにタバサを呼びつけて無理難題を吹っかけようかと思ったところで、伝書用ガーゴイルを切らしていましてと言い訳するカステルモールを、なら遊びに行くから用意しな! と無理に『フェイス・チェンジ』をかけさせて城下のカジノへ出かけていった。一方で、リュティスを遠く離れたエギンハイム村では、人間と翼人の様々な声が今日もにぎやかに響き渡る。

 ラグドリアン湖は今日も静かな水をたたえ、噴火が収まった火竜山脈には火竜や動物たちが帰ってきた。

 クルデンホルフ大公国では出会いがあった。ベアトリスが彼女と同じく来年魔法学院に入学予定のメイジの少女三人と知り合いって意気投合し、たちまち取り巻きになった彼女たちに囲まれて高笑いしている。

 

 

 互いの存在を知らないまま、どんな場所でも時間は一瞬も止まることなく進み続けている。だがそんな中で、もし一切の目的を持たずにただ破滅だけを望む存在がいて、その邪魔となる最大の障害を排除しようとしていたとしたら? 表舞台には上がらずに、影から糸を引くそんな存在がいたとしたら?

 ハルケギニアの誰一人として知ることもなく、全世界の未来の命運を懸けた運命のときが、舞台裏で始まろうとしていた。

 

 

 続く



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第78話  第四の異世界

 第78話

 第四の異世界

 

 時空怪獣 エアロヴァイパー 登場!

 

 

 運命の時、と表現される時間がある。

 歴史というものは、絶え間なく流れる時間の記録であるだけに、そのターニングポイントとなる数日、数時間、数分、あるいは数秒が特別なものとして記録されることなどはざらである。

 ただし、歴史とはあくまで人間のものである以上、その場所にいた人間の行動が結局は結果を左右する。もしもあのときあの場所に、あの人がいたら、こう行動していたらというIFは、常に後世の人の想像力をかきたててくれる。

 さて、今日、この場合のIFの課題は、

『もしもアルビオン内乱の最終時に、トリステイン軍の援軍が間に合わなかったらどうなっていたか?』

 もしこのIFが現実となっていたら、大軍を擁するとはいえ統率を欠く王党派は壊滅し、遅れてやってきたトリステイン軍も各個撃破されていたであろうことは、後世の歴史家が等しく認めるところである。

 もっとも、現実にはこの通りにはなっていないからIFである。史実では、このときアンリエッタは後世の歴史家の冷笑の対象になるつもりはなく、脱落者が続出するのもかまわずに軍隊を急がせ、とうとうわずか半日の行程でタルブ~サウスゴータ間を踏破することに成功した。

「ここに、ウェールズさまがいらっしゃるのですね」

「はい、信じられない……この距離を本当に一昼夜で踏破してしまった」

 アルビオンで生まれ育ったはずのロングビルも、決して平坦なだけではないこの大陸の半分近くを、それでも千以上の兵を保ったまま走りきったことが常識的には信じられなかった。

 

 だがこのとき、場合によってはその努力も水泡に帰していたかもしれなかったのである。

 

 才人たちやロングビルが旅立ってからすぐ後、アルビオン軍の大半は気絶から覚めていたが、洗脳時の記憶の欠落と、状況がわからないことから混乱に陥っていた。しかもそれを収めるには当然ながら司令部からの状況説明と指示が必要であったのに、トップであるウェールズ王子が近来の記憶の大半を欠落させて発見された。

 このため将軍や参謀たちもどうすることもできずに、ウェールズを欠いたままの会議も、船頭多くしての言葉どおりに紛糾するだけで何一つ決まらず、しまいには代理指揮官として誰が指揮をとるかということで揉めだしてしまう醜態をも見せた。このままでは同じように混乱するレコン・キスタ軍もあわせて同士討ちということもありえたのだが、激発寸前というところで司令部に怒鳴り込んできた者がいた。

「御免! アルビオン王国皇太子殿、トリステイン王国よりの大使である!!」

 衛兵を殴り倒しかねない勢いでアニエスが乱入してきたことにより、混乱していた座はあっけにとられた。彼女はそのまま数十人のいかつい男たちを見渡すと、よく響き渡る声で姓名と階級を名乗り、ウェールズ皇太子にお目通り願いたいむねを伝えた。

 もちろん、突然のこの乱入者に対して、「今それどころではない」「たかが一隊長ごときが」「シュヴァリエ程度が来るところではない」「戦場に女がいる場所はないわ」などなどの罵声が飛んだが、そのようなものはトリステイン王宮で聞き飽きたアニエスは息を大きく吸い込むと一喝した。

「私はアンリエッタ王女よりの直接の命で全権を与えられた者である。私への侮辱はトリステインへの侮辱、ひいては宣戦布告として受け取るがよろしかろうな!」

 その瞬間、居丈高だった貴族たちがいっせいに口を閉じた。

 トリステイン王家の紋章が大きく描かれた書状をかざして見せ、さらにかかる事態が起きた場合には、卿らに責任があるものと報告するがよろしいなと、念を入れて脅しをかけると、貴族たちの喉は凍結してしまった。

 彼らのようなタイプの貴族というものは、家名や名誉に傷がつくことを恐れるために、自らが責任をとらされることを何より嫌がるものだ。ということを、アニエスは経験から知っていたのだが、内心では、まったくどこでもこういった輩に違いはないなと、つばを吐き捨てたい欲求にかられていた。

 が、そういった貴族の悪弊は別としても、ここにそろった者たちは文官にせよ武官にせよ、王党派をここまで再建させるのに貢献してきた非凡な人材には違いない。多少の問題はあっても、王党派がこの難局を乗り越えることができたときにはアルビオン再建のために必要となることはわかっていたので、アニエスは彼らへの不満に有給休暇を与えて心から追い出すと、ここにいる全員はおろか、陣地全体に響き渡るような声で叫んだ。

「アルビオン皇太子、ウェールズ・テューダー殿! トリステイン王国アンリエッタ王女から直接の親書である。お出ましなされ!!」

 それは、シュヴァリエが一国の王子に出て来いと命令した驚くべき光景であったが、貴族たちがその無礼をとがめる怒声をあげる前に、よろめくようにそのウェールズ本人が司令部のテントの幕を上げて入ってきた。

「ウ、ウェールズ様……そのようなお体で、まだ動かれては」

「かまわん、トリステインの大使殿に、王子たるものが寝巻きで会うわけにはゆかんからな」

 現れたウェールズは、ほんの三日前にミシェルが会ったときの精悍さはなく、やせた顔にくまを貼り付け、立つのも苦しいというふうに息を切らしていたが、それでも自分の足で立ってここまでやってきた誇りがその目に宿っていた。

「使者殿、遠路ご苦労であったな。見苦しい姿を見せて申し訳ない」

「いえ、わたくしこそ臣下の方々への非礼の数々、どうか平に。それよりも、こちらをごらんください」

 アニエスから親書を受け取ったウェールズは一読すると、私のいとこは元気でいるのだな、わざわざ使者をよこしてくれるとは優しい子だと懐かしそうにつぶやいた。

「トリステインは、我らに対してあらゆる協力を惜しまぬと言ってきている。ありがたい話だが、私は……」

 ウェールズは、アンリエッタからの書状ということで一時的に気を持ち直したようであったが、やはり数ヶ月分の記憶欠落という精神的ショックは大きく、自分自身を信じられないようになっていた。

「卿らには信じられないだろうが、私がつい先程目を覚ましてみると、いきなり何ヶ月もの時間が過ぎていた。しかもその間、王党派は奇跡のような勢いで勝利を重ねていったというが、私にはそんな記憶はないのだ。いったい、私が意識を失っているあいだに私の体を動かしていたものはなんなのか。それどころか、今ここにこうしている私は本物なのか、それすらもわからないのだ」

 円盤生物ノーバによって、父王が死んだときに生まれたレコン・キスタへの憎しみを利用されてコントロールされていた記憶がないのは、彼にとっておそらく幸福であるのだろう。しかし自己喪失に加えて、いきなり王党派壊滅の危機に直面させられて、彼の精神は回復する暇すら無くすり減らされかけていた。

 だが、そのすべてをすでに知ることになっていたアニエスは、いっそ残酷ともいえる口調で彼の迷いの霧に冷風を吹き込んだ。

「殿下、殿下が過去を失ったというのは事実でありましょう。ですが、ご記憶にない殿下もまた、間違いなく殿下であったことでしょう」

「どういうことかね?」

「人は、必ずしも自分自身をすべて知っているわけではありません。怒りや憎しみ、悲しみにとらわれたとき、人は己を失います。それは思い返してみれば、自分だとは認めたくないことでしょうが、紛れもなく自分自身のもう一つの姿なのです」

「……まるで、酒に酔って暴れた暴漢のようだな」

「そのとおりです。が、酔いが覚めた後に、暴れたことを酒のせいにするか、それとも醜行もまた自分自身のしたことだと認めるかの違いはあります。殿下は、いやアルビオンは今酔いから覚めました。これから、覚めた頭でなにをするのかは、殿下と、ここに集まった皆様次第です」

 ウェールズは、押し黙って考えた。これからなすべきことは何か、アルビオン皇太子として、やるべきこと、できることはなんなのか。

「考えるまでもない、我らの悲願はアルビオン王国再興。その意志は、ここにいる全員のものであろう」

 全員がうなずくのを見ると、アニエスは場合によっては無礼討ちにされても文句は言えないが、どうしても確認しておかねばならないことを聞いた。

「ですが、レコン・キスタもまた、この国を統一したい意志は同じでしょう。失礼ながら、殿下に彼らと存在を異にする理念がおありなら、お教え願いたく存じます」

 もしここで王家の血筋や伝統などと口にするようなら、所詮その程度の小さい男とアンリエッタには報告するつもりであった。だが、臣下たちが無礼な奴よと激昂する中で、ウェールズはやせた喉からはっきりと明瞭な声でその問いに答えた。

「レコン・キスタには、ハルケギニアを統一して聖地を奪回するという理想があるが、我々には無い、それが違いだ。ブリミル教徒としては、むろん彼らのほうが正しいのであろうが、彼らは民草のことを考えぬ。目的のためなら何百万という躯がこの地に並ぼうとも理想のためにと恥ずかしげもなく言い逃れるだろう。我らは、いや私は彼らの理想を許すわけにはいかぬ。私は、この国のために理念がないことを理念としたいと思う」

 アニエスは周囲の雑音にはかまわずに、ウェールズの言葉を一言一句残さず聞き取った。大義名分としてはレコン・キスタのほうが明らかな正当性を持つであろうが、あえてその正当性を否定しようとするウェールズの、その心の奥底にまだ理性の光が残っていることを感じた。

 なぜなら、現実では正しい論理から良い結果が生まれるとは限らずに、むしろ何人も反論できない正当性を有する意見のほうが往々にして悪用されることが多いことを、多くの詭弁家の貴族を相手にしてきたアニエスは知っていたのだ。

 彼女は、ウェールズをとりあえずは捨てたものではないという評価に落ち着けると、内心に温存しておいた切り札を暴露してみせた。

「民草を第一に思いやる殿下の御心、感服いたしました。あなた様こそ、この地を治めるにふさわしきお方。実は、ここに来る直前に事態を知りましたわたくしは、使いの者をトリステインへ帰しておきました。使者が到着次第、出撃態勢にあったトリステイン軍は、すぐにもここへ駆けつけてくるでしょう」

 トリステインから援軍が来ると聞き、場に一気に歓喜の波が通り過ぎた。むろん、これは無線機や伝書鳩があるわけではないし、この時点ではまだロングビルはタルブに到着していないので、アニエスの一世一代のハッタリであったが、その破壊力は絶大であった。

 人間というものは現金なもので、都合のいい流れになると喜んでそれに乗ろうとする。この場合は、それが彼らの心の中にあった離反、造反といった打算を吹き飛ばす結果を生んだ。

「アンリエッタは、そこまで私のために」

「そうです、あの方は必要なときに必要な努力を怠りません。殿下、あなたはどうなされますか?」

「……どうやら、私の眠っているうちにずいぶん世界は変わってしまったようだな。ならば、私も目やにのついた顔で出迎えるわけにはいかないか」

 それから、わずかに精悍さを取り戻した笑みを浮かべたウェールズは臣下たちを叱咤して、軍の再編を図り始めた。それはとぼしいエネルギーをやりくりしての、再編というより瓦解をかろうじて防いでいるといったものであったが、アニエスもともすれば不遜な考えを持とうとする貴族を怒鳴りつけながら、ついにトリステイン軍の到着まで持ちこたえることに成功した。

 

「アンリエッタ、まさか君自身が来てくれるとは」

「ウェールズさま、ご無事でなによりです」

 

 トリステイン軍来る! という報はすぐさま全軍を駆け巡り、動揺していたアルビオン軍の士気を爆発的に高めた。アンリエッタは到着した早々に自軍の兵の半数をアルビオン軍全体に散会させ、援軍の情報を大々的に宣伝したのだ。それによって、武装解除されていたレコン・キスタ兵も、元々は勝ち馬に着きたがる傭兵ばかりであるから、形勢が変わったと見るやすぐさま王党派への帰順を要望してきた。

 これで、王党派軍は数字上では総勢二十万人にまで膨れ上がったことになる。ただし、アンリエッタはウェールズに、それらには多数の非戦闘員や、または場合によってすぐさま敵になりかねない危険分子も混じっていると告げ、平民はその場で、レコン・キスタの傭兵たちは武器を取り上げさせた状態で、どちらにも金子と食料を与えて解散させた。

「どうにも、残った兵力が七万になっては、さびしいものだな」

「いいえ、彼らには戦場で戦うよりも、もっと重大な役割がありますわ」

 兵力の減少を単に残念がるウェールズと違って、アンリエッタには各地へ散った十三万人の人間に大きな期待をしていた。それは、マザリーニから教わった政治戦略の一つ、「平民一人には国を動かす力はありませんが、町一つの平民に流れる噂話は、一国を動かす力を持つことがある」

 風聞、噂というものは、昔から人間を大きく動かしてきた。

 古今東西の歴史を紐解いても、企んでもいない反乱の噂が流れたことによって王に疑われて取り潰された大名や、反対に無名の人間が一夜にして英雄に祭り上げられた例などは枚挙にいとまがない。

 アンリエッタが狙ったのは、国中に散った十三万人の口から、トリステイン軍が援軍が来て、もはや王党派の勝利はゆるぎないとアルビオンの全国民に知らしめ、その協力を得ると共にレコン・キスタを四面楚歌に追い込み、自壊を招かせることだった。むろん、ヤプールの傀儡であるクロムウェルには効かないだろうが、その他のレコン・キスタの人間には大いに効果が期待できる。

 その策をアンリエッタから聞かされたウェールズは、驚愕に目を見開いて、かつておしとやかで世間知らずそうであった従妹姫が、いまや冷断ともいえる鋭い視線を放っているのを見ていた。

「君は、ぼくと違って随分成長したようだね」

「自分の国が、目の前で滅んでいき、何十万の絶望と怨嗟の声を聞けば、変われない人間などいませんわ。ただ、わたくしには支えてくれる人がそばにいただけです」

 今でもアンリエッタの脳裏から離れない、燃え尽きていくトリスタニアと虫けらのように殺されている人々の姿。それらを目の当たりにしながらも、逃げることのできない王族という立場が、否応なく彼女に成長を強いていた。

 ただ、それだけではウェールズと同じだが、彼女には幼い頃に身をもって味わわされた、自らの判断一つで大事なものが死にゆくということになるという経験があった。そしてそれから来る義務感と、骨身を削って仕えてくれるマザリーニがいたし、唯一の親友がいつもどこかで見守ってくれているという思いが心の支えになっていた。

「ルイズ、あなたも今どこかで戦っているのですね。あなたに恥ずかしくないように、わたくしも精一杯がんばっていますよ」

 遠い空の親友にエールを送ると、アンリエッタはまだまだやるべきことはいくらでも残っていると、ウェールズを支えながら政務に戻った。

 

 

 だが、アルビオンを救うために旅立ったはずのルイズたちは、予想外のアクシデントでまったくそれどころではない事態に巻き込まれていたのである。

 

 エアロヴァイパーを追ってやってきたどこかの時空で、大破した巨大な要塞のような建物を目にした才人とルイズは、ゼロ戦を置いてその建物の内部に足を踏み入れていたが、内部の様相に息を呑んでいた。 

「この建物は、地球のものなのか……?」

 そこは壊れているとはいえ、ハルケギニアのような中世的なイメージはまったくなかった。壁や床の材質は金属やプラスチックで作られ、破れた壁面からむき出しになった配電盤がショートしてスパークしている様子は、かなり控えめに言って警察署、ストレートに表現すればSF映画の宇宙戦艦の中のようである。現実的には、雑誌で見たGUYS基地の中のような、軍事基地めいた設備やごつい隔壁、さらには入れなくなった場所も多かったが、あちこちに英語や日本語でフロアの階数や案内などが書かれており、さらにそれらの標識からここが元はなんと呼ばれていたのかも知ることができた。

 

「エリアルベース……それが、ここの名前か」

 

 才人にも聞いたことはない名前だったが、しっかりと備品にカタカナでそう書かれているのだから、ここは地球の施設であることだけは間違いない。

「チキュウって、サイトの来た世界のこと?」

「ああ、てことはここは地球なのか……それとも、この建物もゼロ戦とかみたいに時空間に飲み込まれたものなのか」

 先の飛行機の墓場に続いて、思いもかけない地球との邂逅に才人の精神は高揚のきわみにあったが、生きているものの気配すらないこの場所の雰囲気に、ルイズは寒気を感じていた。

「それにしても、ひどい壊れようね。これじゃ人がいたとしても、到底……いったい何があったのかしら」

 ルイズにとっては才人が始めて学院や王宮に足を踏み入れたときと同じ、未知の世界の建物の中だ。極論すれば現実感のないダンジョンを歩いているような感覚であったが、薄く煙を上げている破壊状況を見れば、ごくごく最近のあいだにここが破壊されたのはなんとなくわかった。まるで大地震にあった……いや、そんな表現は生ぬるく、戦争のあとのような徹底した破壊状況だった。

「あの怪獣に破壊されたのかな?」

 いろいろ考えてみたが、やはり一番自分を説得させえる妥当なところに落ち着いた。元が何の施設だったのか、素人の二人にわかりようもないところではあったが、怪獣の攻撃を受けたらなんであってもひとたまりもなかったであろう。

「行き止まりか、さっきのところを左に行ってみるか」

「ねえサイト、探検もいいけど、それよりも帰ることを考えない?」

 そう指摘されると才人はうーんと考え込んだ。地球にからんでいそうなことだったので、無意識に奥までやってきていた。だが落ち着いて考えてみれば、アルビオンに行くことのほうが大事だったはずだ。

 怪獣は時空間内で見た謎の戦闘機隊と戦っているのか、この空間に現れる気配は今のところない。だったらタバサの言っていたとおりに無理に戦わずに逃げ帰るのも手かもしれない。

「そうだな、あの怪獣も出てこないし、今のうちに帰っちまうのも手か。そういえば今何時だ?」

 時間を問われて、ルイズは懐中時計をポケットから取り出した。それは、全体が銀で作られて、蓋に小さなエメラルドがはめ込まれた、ガリアの魔法職人の一品物で、時刻のほかに月や日にち、曜日なども表示する機能もある。電池の代わりに土石で歯車を動かし、二、三年ほどの寿命を持つ、地球で言えばスイスの機械時計とクォーツを足して二で割ったような、ルイズ自慢の高級品だった。

「15:21よ。って、もうずいぶん経ってるじゃないの!」

「ほんとだ、やべえ、早く行かないと間に合わなくなる!」

 もちろん彼らはすでにアルビオン艦隊が出撃してしまったのを知るよしもないが、こんなところで寄り道をしている場合ではないのも確かだ。

 オーバーヒートしたゼロ戦のエンジンも、冷えればまたなんとかかかるかもしれない。万一だめだったら、最後の手段で変身して飛んでいけばいい。とにかく、外へ出ることが先決だと二人は踵を返して走り出そうとしたのだが、その瞬間不可解な無重力感に襲われて、下を見下ろすと、なんと床がなくなってぽっかりと黒い穴が空いていた。

「え?」

「は?」

 実は痛んでいた床が、とうとう二人の重さに耐えられずに一気に抜けてしまったのだった。慣性の法則で、一瞬だけ空中に静止することになった二人は顔を見合わせると、落ち始めた瞬間にせーのでお決まりのセリフを叫んだ。

 

「あーれーっ!?」

 

 異世界でも重力には逆らえずに、才人とルイズは階下へと墜落していった。

 だがそのとき、二人のこの悲鳴を聞きつけていた者がいたのである。

「リュウさん、人の声が!」

 そう、ここをはさんで反対側に着陸していたガンフェニックスからリュウ、ミライ、テッペイのGUYSの三人も、調査に来ていたのだった。

 彼らは才人たち同様に、この基地の破損状況から生存者を絶望視していたが、ミライのウルトラマンとしての超聴力が、離れた場所の二人の悲鳴を聞きつけたのだ。

「まさか、生存者が!?」

 そうであれば、ここでなにがあったのか聞き出すこともできるだろうと、三人は急いで駆けつけた。だが直後にむなしく空いた床の穴を見てため息をついた。

「こりゃ深いな……おーい、誰かいるかぁーっ!」

 リュウの叫びに返事はなかった。ミライは降りて助けに行こうと言ったが、エレベーターは止まっているし、階段は埋もれているので容易には動けそうもなかった。

 もし、ここで床板がもう少し根性を見せて崩落しなければ、彼らはここでそれまでの疑問を一気に氷解させる答えを得れていたであろう。しかし運命は気まぐれで、そんな重要な瞬間を逃してしまったことを、彼らはここで知ることはできなかった。

「仕方がない、別な道を探そう。テッペイ、この施設についてなにかわかったか?」

 歩きながら調査分析を続けていたテッペイはそう尋ねられて、首をひねりながら答えた。

「破損が激しすぎて詳しくはわかりませんが、フェニックスネストのように何かしらの軍事目的で作られた基地には間違いないと思います。コンピュータールームのようなところがあれば、端末から情報を引き出せるんですが、それよりも気になっていることがあるんです」

「なんだ?」

「時計を見てください。僕らが、時空間に突入した時刻は、確か13:00でした。それから飛行と戦闘に費やしたのが、おおよそ三〇分としても、今の時間は」

「15:25? 二時間近くも進んでる。ミライ、お前の時計は?」

「同じ時間を指してます。三人いっしょに時計が壊れたんでしょうか?」

「それは確率的に言ってもありえないよミライくん。もしかしてと思うけど、ここは四次元的に超越した、時間軸までもが歪んだ場所なのかもしれない」

 テッペイは、君のお兄さんが経験したことなんだけどねと前置きして、ドキュメントTACに記録されたタイム超獣ダイダラホーシの事例を話した。現代と奈良時代を自在に行き来してTACを翻弄したやっかいな超獣、それにミライ自身も、かつて時間怪獣クロノームによってマリナといっしょに過去に飛ばされたことがある。 

 タイムスリップはいまだ人類が実用化し得ない技術だが、あのドラゴンのような怪獣が、それらの怪獣と同じような能力を持っていたとしたら……

「実際、どうなるっていうんだ?」

 寒気を覚えてきたリュウは、息を呑んで尋ねた。

「これは推測なんですが、いかなる時間軸にも行けるということは、それを最大限に活かせば、理論上どんなパラレルワールドにも行けるということになります」

「うーん、もっとわかりやすく頼む」

「そうですね。小さなものなら、リュウさんが昨日の夕食にカレーを食べた世界と、ラーメンを食べた世界の違いくらい些細なものですが、これがもし、ウルトラマンのいない世界や、地球が滅びた世界に行けるとしたらどうします?」

 それは、実質的に万能ということになる。そこまでしなくても、不利な未来をあらかじめ知って回避したり、悪用する手段はいくらでもある。

 が、そこまで思い至ったとき、彼らは突然目の前の空間が猛烈なめまいとともに変動していく、不可思議な現象に襲われた。

「なっ、なんだ?」

「空間が歪んでいる。このままではどこか別な時空へ飛ばされます!」

「なんだと!?」

「もう間に合いません、衝撃に備えて!」

 取り込まれた時空の渦の逆らいがたい勢いのままに、ミライは人生三回目の、リュウとテッペイははじめての時空転移を経験し、何が待っているかわからない時空の先へと飛び込んでいった。

 

 また、階下に落下した才人とルイズも、落ちた先で信じられない光景にあって驚いていた。それまで廃墟の中を歩いていたのに、落っこちたところは格納庫であるのか、一辺数十メートルはありそうな広大な空間に何十人もの整備士とおぼしき人々が忙しく動き回っていて、仰天した二人はとっさに物陰に飛び込んでいた。

「ちょっと、なんで隠れるのよ?」

「バカ、おれたちはどう見ても不法侵入者だろ、捕まりたいのか」

 なにかの機械の陰に身を潜めて、とりあえず見つかる心配のなくなった二人はひそひそ声で話す。

「どうなってるの? ここさっきの廃墟の中よね。こんなに人がいるなんて」

「知らねえよ、おれが聞きたいくらいだ」

 とりあえず落ち着いてまわりを観察しようということで、二人は格納庫の中を見渡した。見たこともない機械ばかりでさっぱりわからないが、とてもあの廃墟の中とは思えない。というか、才人でそれなのだからルイズは完璧に理解不能でほとんどぼんやりしている。

 才人にしても、あまりの状況の変化に困惑する以外の選択肢がなかった。

 それでも、働いている整備士たちはみんな日本人に見えるし、ここが少なくともハルケギニアではないことだけは確実だった。ただし、ここが『自分のいた地球のある世界』だと喜ぶことはできなかった。 

「ハルケギニアのある宇宙にも地球はあるっていうし、ウルトラマンダイナの例もあることだしなあ」

 そうだ、数ある時空には、よく似た別の世界、パラレルワールドが存在するとすでに知ってしまった以上、調子よく喜ぶ気にはなれない。そして格納庫に係留されて整備されている戦闘機が、時空間内ですれ違ったものと同じだと気づくと、やっぱりここは、おれの地球と似てるけど別の世界なんだろうなと落胆を濃くした。

 けれど、戦闘機を見ているとなぜか気持ちが高ぶってくるのは男の本能だろうか。

 

”ファイターSS、オールチェックグリーン”

 

 放送でそう流されると才人は、ファイターっていうのか、かっこいい飛行機だな、とその青い戦闘機を見て感想をつぶやいた。

 続いて時報が午前7:00を知らせてくるのを聞くと、落ち着いた頭で頭上を見上げて、落ちてきた穴がどこにも見当たらないことを確認して、ルイズにさっきの時計を見せてくれるように頼んだ。

「あれ? 七時ちょうどを指してる、壊れたのかしら」

「いいや、もしかしてと思ったらやっぱりそのとおりだったか……そういえばあらためて思い返してみたら、さっきも恐竜時代やいろんな古代文明めぐりをさせられたんだ。そのとき妙に思うべきだったなあ」

「サイト、わたしはあんたの故郷の知識に一応の信頼は抱いてるけどね。もっとわたしにわかるように話しなさい、いいこと?」

 実際ルイズには完璧にちんぷんかんぷんであった。ただでさえ、皆とはぐれて見知らぬところに放り出されているのである。才人がいる分だけルイズに召喚された直後の才人の立場よりはましだが、早く落ち着かせてやらなくては感情が暴発してしまうかもしれない。

「じゃあわかりやすく言うとな、あの怪獣はお前がおれをハルケギニアに呼んだのと、似たようなことができるんじゃないかってことだ」

「はぁ? なんでサモン・サーヴァントと関係あるのよ」

「だから、似たようなものだって……隠れろ」

 そのとき大勢の声と足音が近づいてきたので、才人とルイズは再び物陰で縮こまってやりすごそうとした。

「梶尾リーダー、そっちに逃げました!」

「逃がすな大河原!」

「梶尾さん、どうかしたんですか?」

「吉田さん、不審者が紛れ込んだんです」

「なんですと!? ようし、俺たちも手伝うぞ!」

「リュウさん、僕たちなんで逃げてるんですか?」

「捕まったらやばそうだからに決まってるだろ! とにかく走れ」

「僕は、肉体派じゃないのに」

 どうやら不審者がこの基地のクルーに追いかけられているらしい。興味は湧くものの顔を出すとこっちも見つかるので、遠ざかるまでじっとしていて、静かになったら様子を見た。

「どうやら、行ったみたいだな」

「それよりも、さっきの話の続きをしなさいよ。まだなにもわからないんだから」

「ああ、そうだな」

 なにか、さっき通り過ぎていった人の声が、どこかで聞いたようでひっかかるが、まさかこんなところでそれはないだろう。

「じゃあ面倒だから単刀直入に言うぞ。ここは、さっきから八時間前の過去の世界だ」

「はぁ?」

「そんなバカを見るような顔をするなよ。考えてもみろ、何万年も過去に行けるのなら八時間やそこら移動させられても問題ないだろ」

「あ、なるほど……けど、あんたに考えろとか言われるとなんか無性に腹立つわね」

 遠まわしにバカと言われているようなものなので才人は顔をしかめた。

 そりゃあ、もしルイズが地球の学校にいたとしたらどうなるか? 成績優秀、スポーツ万能でおまけに超美少女と、才人なんか在学中一度も話す機会なんかなくて卒業していくであろうのは容易に想像がつく。それほどすべてにおいて引き離されているのは明白だけれども、これまで何度も役に立ってるではないか。

「まあ、それはいいが……時間移動もともかくだが、おれたちはハルケギニアとはまったく違った世界に飛ばされちまったらしいぜ」

「ああ、そりゃこれを見ればだいたいわかるけどね。ほんとにあんたを召喚して以来、わたしの身にはろくなことが起きないわ」

「呼んだのも無理矢理契約したのもお前だろうが」

「うるさいわね、使い魔らしいこと何一つしてないのに偉そうにするんじゃないわよ」

「なんだと、この……やめよう、こんなことしてる場合じゃなかった」

 小学生レベルの口げんかをやっとやめた二人は、ともかくも今後について話し合った。問題は、なにを置いてもアルビオンに戻ることだが、このままここにいたのでは六時間後にはここは怪獣の攻撃を受けて破壊されてしまう。あるいはこの基地ごと自分たちを抹殺するのがあの怪獣の狙いなのかもしれなかったが、ここにいたのではいずれ見つかるし動きもとれないので、外に出ようということで意見が一致した。

「抜き足、差し足、忍び足」

「どうしてわたしがこんな泥棒みたいなことを……ほんとにあんたといると、自分が貴族から遠ざかっていくのがわかるわよ」

 こそこそと、物陰やダンボール箱などを使って身を隠しながら、二人は格納庫から脱出して、その後なにかのゲームのように人目を避けて基地外への脱出を図った。本来なら、基地の規模に応じて人の往来が絶えることはないのだろうが、幸い早朝で人が入れ替わるわずかな隙の時間で、忍者になったようにカサカサと二人は進んだ。

 しかし、ガラス張りになって外が見える通路に出たとたんに、ここがとても脱出などできるわけがない場所だとわかって絶句した。

「な……この基地、飛んでやがる!」

 そう、ここは雲を下に見れるほどのとんでもない高度に位置する空中基地だったのだ。その威容は、かつてのZAT基地やMACの宇宙ステーションすらしのぐほどの、空に浮かぶ一大要塞。こんなものを作るのはたとえGUYSでも無理だろう。

 これ以上のものがあるとすれば、浮遊大陸アルビオンくらいしか思いつかないほどに、圧倒的な存在感を持ってそれは空に君臨していた。

 だが、呆然としていた隙に、彼らは人影が近づいてくる気配に気づくのが遅れてしまった。

「お前ら、そこでなにしてる!」

「しまった! 逃げるぞ」

 慌てて駆け出す二人の後ろから、この基地の隊員らしい青い制服を着た人たちが大勢追いかけてくる。そういえばさっきも不審者らしき人が追いかけられていたが、彼らは逃げられたのだろうか? いや、今はそんなことを気にしている暇はなかった。

「ふはははは、日ごろルイズにこき使われて鍛えたこの足はだてじゃないぜ!」

「言ってる場合じゃないわよ、ここが空の上なら逃げ場がないじゃない!」

「ともかく撒くぞ! 考えるのはそれからだ」

 いくら違う世界の人とはいえ、人間相手に攻撃を仕掛けるわけにはいかない。後ろから待てと叫びながら追いかけてくる人々を振り切ろうと、二人は曲がり角を次々と通って、気がついたら居住区と思われる一角に入り込み、消火栓の陰で小さくなっていた。

「くっそぉ、また逃げられた」

「なんて逃げ足の速い奴らだ、ウルフガスのとき以来だぜまったく」

「ちっ、せめて顔が見れてればよかったんだが、まだ近くにいるはずだ、探せ」

 足音が次第に遠ざかっていくと、二人はほっと息をついた。

 だが、これもしょせんは一時しのぎにしかならない。早急に、対策を考える必要があった。

「やれやれ、どうやら行ってくれたようだな」

「サイト、いっそのこと捕まってみたら? あんたの世界と似てるんなら、悪いようにはされないかもよ」

「捕まったら拘束されるのが普通だろ、わたしたちは違う世界から怪獣の超能力でここに迷い込んでしまいました。なんて、信じてもらえると思うか? それに、数時間後にはここは怪獣に襲われる。捕まって逃げられないうちに巻き添えをうけたらどうすんだ」

「じゃあどうすんのよ!?」

「だから、それを今考えてるんじゃないか!」

 最悪変身して脱出するという方法があるにはあるが、できるだけここに迷惑をかけたくはない。それに、ここがやられるとわかっているのなら、だからこそやりたいこともあった。

「なんとか、ここの人に、怪獣に襲われるってことを伝えられないかな」

「あんたね、お人よしも大概にしなさいよ。自分のことさえできないのに、他人の心配してる場合じゃないでしょ」

「そりゃそうなんだが……相手は時空を飛び越えられる怪獣だし、おれは科学苦手だったんだよなあ……」

 単純に怪獣と戦って倒せ、とかいうのであれば知恵も湧いてくるが、まったく違った世界に放り込まれてしまっては二人ともなすすべはなかった。

 しかし、たそがれている暇すら二人には与えられてはいないようで、再び通路の先から足音が聞こえてきた。

「まずい、逃げよう」

「サイト、こっちからも来る!」

 まずいことに反対側の通路からも同時に人の気配がしだした。このままでは逃げ場がなく、確実に捕まってしまう。万事休すかと、二人があきらめかけたときだった。

「君たち、こっちへ!」

 突然、二人のそばにあったドアの一つが開き、中から誰かが手招きしてきた。

「えっ!?」

「早く、僕は君たちの敵じゃない」

 二人は一瞬逡巡したが、どのみちここにいても捕まるだけだと、思い切ってその部屋に飛び込んだ。

「ちょっと待ってて、声を出さないでくれよ」

 中にいたのは、いきなりなので顔を見ることはできなかったものの、声からして二人より少しだけ年上そうな青年だった。部屋の中は彼の私室らしく、ベッドやパソコンの周りに雑多な機械が散乱していて、広さの割りに狭く感じた。

 彼は、二人を室内に隠すと、外に出てやってきた人たちの相手をして、ドア越しに話し声が途切れ途切れに聞こえてきた。

 

「おう……この……こなかったか?」

「いえ、見てませんが……ですか?」

「ああ、やたら逃げ足の……かっこう……なんだが」

「まさか、見間違い……なエリアルベースに」

「うーん、ともかく……教えてくれ」

 

 しばらくして、どうやらうまくごまかしてくれたみたいで、彼はもう大丈夫だよと、部屋の中に戻ってきて、テーブルの上のパソコンに向かった。

「あの……」

「ちょっと待ってて、監視カメラの映像から、君たちの映ってるのを消しておくから」

 彼は二人に背を向けたままでキーボードをすごい速さで操作し、どうやったのかはさっぱりわからないが、数秒後に問題を解決したらしく、ログアウトすると二人に向き直った。

「これでいいよ。記録上から、君たちのことは抹消した」

「あ、どうも……」

 展開の急さに唖然とするしかない才人と、完全に何がなんだかわからないルイズはほとんど自失していたが、彼は平然としたままで、穏やかな笑顔で話しかけてきた。

「さて、どうも君たちは、ここがどこだかもよくわかってないみたいだけど、どこからきたんだい?」

「あ……それは」

 才人は当然ながら返答に窮した。だが、彼はそのまま二人が驚くべきことを言ったのだ。

「君たちは、こことは時空を超えた場所、パラレルワールドから来たんだろう?」

「え! ああ」

「実は、さっきの君たちの会話を偶然聞いてね。別の世界から来てしまったんだって?」

「あ、はい……」

 あんまりにもストレートに言いたいことを指摘されて、才人はすぐには二の句が継げなかった。それでも息を整えて、自分たちが突然巻き込まれてしまった時空間をさまよううちに怪獣に襲われて、そいつの超能力でこの世界に来てしまったことなどを、まとめられる限りまとめて話した。

「なるほど、時空を飛び回る怪獣か、やっかいだね」

「あの、信じてくれるんですか?」

「量子物理学的には、パラレルワールドの存在はありえないことじゃない。それに、そうでもないと、このエリアルベースに部外者が入り込むなんてありえないからね」

 確かに、そう言われればそのとおりだが、それだけで明らかに怪しい人間をかくまってくれるものかと才人は思った。

「うーん、ちょっとした実体験からかな……それに、一目見たときからなんというか、既視感っていうのかな、なにか君たちは初めて会った気がしないんだ」

「あ、そういえばどこかで会ったような」

「ほんと、なんか他人と思えないような……」

 才人もルイズも、初めて会ったはずの青年が、どこかで知っているような奇妙な感覚にとらわれて、そんなはずはないはずなのにと、首をかしげた。

「もしかしたら、どこかのパラレルワールドで、僕と君たちが会って、その記憶がリンクしているのかもしれないな」

「そんなことありえるんですか?」

「わからない、普通なら異なる世界の者同士が会うなんてこと自体、大変なイレギュラーだからね。けれど、肉体が時空を超えることができる以上、それをきっかけに精神のリンクが起きる。そういうこともあるのかもしれない」

 話が難しすぎてうなずくしかできないけれど、とりあえず二人はこの青年がものすごく頭がいい人なんだなということはわかった。

「うん、とりあえずここのみんなに見つかると面倒だから、少しここに隠れているといいよ」

「あ、いや、お気持ちはありがたいんですが」

 戻ってやらねばならないことがある以上、ここでのんびりしているわけにはいかない。好意には感謝するとして、才人は危険を承知で出て行こうかと思ったのだが、彼はさらに二人を驚愕させることを提案してきた。

「元の世界に戻りたいのなら、方法がないわけじゃないよ」

「えっ……ええっ!?」

「まだ実現には至ってないけど、この世界でも時空を超えるワームジャンプ理論は確立している。それを利用すれば、君たち二人くらいなら、元の時空へ送り変えすことができるかもしれない」

 まさに、地獄に仏とはこのことだった。もしそんなことが叶うのであれば、これ以上あの怪獣に振り回されることもなくなる。才人は喜色を顔全体に浮かべて感謝を表現した。

「あ、ありがとうございます。見ず知らずのおれたちのために……あ、ええっと」

 そこでようやく才人は、お互いに名前すら名乗りあっていないことに気づいた。少々照れながらも、相手の名前を聞く前にはまず自分が名乗れということだし、二人はあらためて、自分の名前を告げた。

「平賀才人です。よろしくお願いします」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ、さっきから何を話してるのかさっぱりわからないけど、とりあえず助けていただけるのよね。よろしくお願いいたしますわ」

 二人が期待に胸を膨らませながら、礼儀正しく頭を下げると、青年も人懐っこい笑みを浮かべて、自己紹介した。

「僕は高山我夢、よろしく」

 差し伸べられた手を握り返し、三人の時空を超えた若者たちは固く握手をかわした。

 

 しかし、そのころエリアルベース近辺の空に怪しげな積乱雲が生じ、その中からエアロヴァイパーがこの時空に出現しようとしていたのだ……

 

 

 続く



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第79話  シュレディンガーの猫

 第79話

 シュレディンガーの猫

 

 時空怪獣 エアロヴァイパー

 宇宙戦闘獣 コッヴ

 宇宙雷獣 パズズ

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンガイア 登場!

 

 

 アルビオン王国の首都、ロンディニウムを目指す最中、才人とルイズたちは時空怪獣エアロヴァイパーに襲われて、その時空転移によって仲間たちと引き離されたあげく、見たこともない世界に飛ばされてしまった。

 二人は、飛ばされた先の世界の空中空母エリアルベースの中で途方にくれていたが、偶然にも彼らに興味を持った高山我夢という青年に救われて、元の世界に帰る方法があると言う彼の助けに希望を見出していた。

 

 現在の、この世界での時間はおよそ七時一五分、元に来た時間は一五時過ぎである。またタイムスリップが起きるかどうかは不確定だが、ハルケギニアへと続いている時空の歪みはその時間にしかなく、それまで待っていてはこの基地ごとエアロヴァイパーの攻撃を受けてしまうので、なんとしてでも自力で戻る必要があった。

 ただし、彼らにとってはまったく偶然にしか思えないようなこの出会いが、これからのいくつかのパラレルワールドの歴史において、非常に大きな影響力を持っていたのを、この時点ではどちらも知るよしはなかった。

 

 そんななかで、二人は我夢の自室で身を隠しながら、彼が準備をしている間、お互いの世界のことについて話していた。だが、我夢の口から語られるこの世界の事実は、二人を何度も驚愕させた。

「この世界は、常に狙われ続けています」

 そう、ここは地球であることは間違いないが、この世界もまたほかの様々な世界同様に、平和を脅かされていた。

 時代は二十世紀末、突如として宇宙から送り込まれてくる、それまでの地球人類の常識を超えた地球外生体兵器群。それらに対抗するために人類は秘密裏に地球防衛連合GUARDと、その特捜チームXIGを組織し、巨大空中空母エリアルベースを建造し、その攻撃と戦い続けていた。

 そしてその、地球を狙っているという正体不明の敵とは。

「根源的、破滅招来体……」

「そう、それも仮称に過ぎないし、出現元や目的もはっきりとしない。ただその存在だけは想定された、そんな敵さ」

 キーボードを操作しながらぽつりぽつりと語る我夢の言葉には、これまで何度も死地を潜り抜けてきた重みが備わっていて、二人はそれが誇張や虚構などではないことを知った。

 それにしても、仮称とはいえなんと不気味な名前であろうか。人類に対しては攻撃を仕掛けるものの、反面具体的な意思は示さずに、常に正体は厚いヴェールに隠され続けているということが、形のないものに対する原始的な恐怖を呼び起こしてくる。

「もしかして、おれたちがこっちに来てしまったのも、その破滅招来体の陰謀なのかな」

「それはわからない。なにせ、これまでに起きた事件でも、破滅招来体と関係があるのかないのか、あいまいで終わったものも多いからね」

 その点でいえば、正体が知れている分ヤプールのほうがやりやすいだろう。もちろん、脅威の度合いでいえば甲乙つけがたいが、こういう類の敵は関係ないことまで、もしかしたらこれも、と思わせる分だけ性質が悪い。

「けれど、これはあくまで僕たちの世界のことであって、君たちには関わりがないし、なるべきじゃない問題さ」

「けど……」

「この世界のことは、この世界のことで解決するさ。それよりも、君たちは君たちで、元の世界でやらなきゃいけないことがあるんじゃないかい?」

 だから、君たちを元の世界に戻すのは、余計な人を巻き込みたくないからでもあるんだと前置きすると、我夢はそういえば君たちの来た世界はどんなところなのかと、興味深そうにたずねてきた。

 二人は、今度は才人の世界でメビウスがエンペラ星人を倒したときまでや、ハルケギニアでのこれまでの戦いのことなどをざっと語り、我夢の反応を待った。

「異次元人に宇宙人、怪獣……パラレルワールドでも、やっぱり宇宙の平和は脅かされているのか」

 振り返らずにつぶやいた我夢の声は明るくはなかったが、同時に絶望もしていないようだった。

「あの、高山さん……」

「けど、どの世界でも平和を守るために戦っている人はいる。それだけで充分安心したよ」

「えっ?」

「はは、それよりも、君たちの世界のこと、もっといろんなことを教えてくれないかな?」

 我夢は、怪獣などの殺伐とした話はもういいから、それらの話とは別に、才人の地球やハルケギニアの普通のことについて聞きたいと無邪気な興味を見せてきて、二人は才人の学生生活の頃や魔法学院のことなどを話した。

「へえ、なかなか面白そうな世界だね。できるのなら、一度行ってみたいな」

「そうですか?」

「そりゃ興味深いよ、異なる発展を遂げた文明はそれだけでも人間の可能性の豊かさを見せてくれる。進化の可能性は、まだまだ無限大にあるってね」

 才人の地球と、この世界とはあまり差はないように思われたが、それでもメテオール技術などには深い興味を抱き、可能なら留学してみたいと我夢が言うのに、才人は目をぱちくりさせていた。

 また、二人の話や、この基地の規模に圧倒されてほとんど自分からはしゃべれていなかったルイズからも、我夢は熱心にハルケギニアの話を聞いていた。だが、ルイズはしゃべるたびにどことなくつらそうな顔をして、やがて言葉を止めて我夢に尋ねた。

「あの、ミスタ・タカヤマ」

「ああ、呼び捨てでいいよ。なんだい?」

 一応相手が年長者で、自分が招かれざる客であることを自覚しているので敬語で遠慮がちに話すルイズに、才人も何かなと耳を傾けると、彼女はつらそうに口を開いた。

「あの、正直に言ってほしいんです。わたしの話は、そんなに面白いですか」

「面白いよ、魔法が実在している世界なんて、すごくわくわくする」

「ええ、けどそれはおもしろおかしそうだから、そう思ってるんじゃないですか。わたしは、あなたたちの話の百分の一も理解できないけど、この基地だけでもわたしなんかには想像もできない技術で作られているってことくらいはわかるわ、だから……」

 ルイズはそこで言葉を詰まらせたが、言いたいことは我夢にも才人にも理解できた。彼女は、これまで才人に言葉ごしに聞いていただけであった科学技術、それも才人から見てさえ超科学とさえいえるエリアルベースのそれを目の当たりにしてしまって、いわば黒船来航のときの日本人のようにハルケギニアにコンプレックスを抱いてしまったのだ。

 才人は、そういえば自分のいた地球にも、科学技術の進んだ星にあこがれて、宇宙人にそそのかされるままに実際に地球から立ち去っていった人がいたということを思い出して、その気持ちは少しだけだがわかった。しかし、難しい問題に、慰める言葉は浮かんでこなかった。

 だが、我夢は穏やかだがまじめな表情をすると、ルイズの目を正面から見据えて語った。

「ルイズくん、君の言いたいことはわかる。けど、それは間違いだ。進んだ技術を人から取り入れることは決して間違いではないけど、それで劣等感を持っちゃいけない。ほかと違うということに、上下なんてないんだ。ようく、君の故郷のことを思い出してごらん、君の世界はそんな恥ずかしいところなのかい」

「……」

「じゃあ、もう一つ聞くけど、君は自分の生まれ育った世界が、侵略者に征服されるのを、黙って見てられるかい?」

「それは、そんなことできないわ! 断固として戦うし、これまでもそうしてきたのよ!」

「だろう、それはつまり、君は自分の世界が好きだってことだろ? ちょっと見れば隣の家の芝生はきれいに見えるものだけど、やっぱり自分の家ほど安らぐところはないし、一度失ってしまえばほかに探してもどこにもないんだ。だから、自分の世界が劣っているなんて思わないで、大切に、大事にしていってほしいな」

「うん……」

 深い知性の光を宿した目で見つめられて、ルイズは難しいことながら、我夢の言葉には嘘はなく、言いたいことがなんとなくだがわかったような気がした。

 これは地球の歴史上の事実だが、明治初期西洋文化を取り入れていたころの日本は、脱亜入欧を掲げてひたすら西洋文明を取り入れていた反動で、江戸時代までの日本文化が間違ったものだと誤解してしまった。そのため、芸術的、歴史的に貴重な浮世絵などが破壊されたり海外に流出してしまったりして、後年二束三文で売り飛ばされて海外で保管されていたものが高い評価を受けているという、なんとも皮肉なことが起こっているのである。

 それに才人も、ハルケギニアが地球に劣った世界などとは、今ではまったく思っていなかった。

「そうだなあ、確かに最初のころはコンビニもネットもない世界でどうしようかと思ったけど、空気はうまいし、平民も貴族も話してみればいい奴は多い、第一雑用さえしてればあとはのんびりできる。あ、こりゃおれだけか」

 使い魔には学校も試験もなんにもない。とまではいわないし、決して地球に勝っているとまでは思わないが、ハルケギニアのルールさえ飲み込んでしまえば、あとはちょっとした知恵と根性があれば充分に生きていくことができると才人は思った。第一、実例として佐々木隊員やアスカ・シンなどはハルケギニアに立派に適応していたではないか。

 けれどルイズは、それでも今一つ納得しきっていないようであったが、ならばと我夢は駄目押しの質問をぶつけた。

「どうしてもそう思うんだったら、こっちの世界に住んでみるかい?」

「え、そんな冗談じゃないわよ、わたしは……」

「それが答えさ」

「あ……」

 我夢の完全勝利であった。

 まったくもって、才人もルイズも、自分たちとほんの三、四歳くらいしか違わないのに、知力でも、そして人生観でも「かなわないなあ」と、我夢をすごく思うのと同時に、自分たちがまだまだ子供なんだなと痛感した。

 やがて我夢はなにが映っているのか、二人から見てさっぱりわからないパソコンの画面に向かっていくつかの入力をしているようであったが、最後に軽くEnterキーをはじくと、椅子から立ち上がった。

「さて、じゃあ行こうか」

「え、どこへ?」

「格納庫だよ、必要なものはそこに置いてあるから、ここじゃあ無理なんだ。それに、君たちがここに落ちてきたのも格納庫だから、その時空の歪みが残っていたら、元の時間に戻りやすいからね」

「じ、じゃあ今までやってたのは?」

「ん、ああ、エリアルベースの警備システムに侵入して、ちょっとした細工をね。また映されたら面倒だから、君たちが映らないようにしておいたよ」

 才人は完璧に絶句した。これほどの基地のコンピュータとなったら、どれほど厳しいセキュリティがあるか想像もつかないというのに、まるで隣に遊びに行くように簡単にやってしまうとは。GUYSでも彼ほどの人間はまずいないだろう。

「我夢さん、あなたいったい何者なんですか?」

「ただのXIGの一隊員さ、それよりも、この仕掛けは十分しか持たないし、ベース内が朝食時で人がいなくなるのは今しかないから、さあ急ごう」

 せかされて、とにかく才人とルイズは我夢について部屋から出ていった。

 二人は、我夢がこのエリアルベースを空中に浮かせているシステム、『リパルサー・リフト』の理論を確立し、XIGの誕生に大きく貢献した天才であるとは知らない。

 

 そして、一時的に人のいなくなった通路を小走りで駆け抜けて、我夢に連れられた二人は格納庫の一角に定置してあった、側面に縦に大きな円盤のついた大きな機械のそばにやってきた。

「我夢さん、これは?」

「時空移動メカ、『アドベンチャー』二号機、これを使って君たちを元の時空に帰す」

「じ、時空移動メカ!? すげえ」

 すごいなどというものではなく、時空移動装置など才人の世界の地球ですら夢物語にすぎない。それでも、二人にとっての希望の象徴がそこにあった。

 だが、近くによってよく見ると、才人は愕然とした。

「が、我夢さん、これって!」

「うん、未完成なんだ」

 なんと、アドベンチャーはぱっと見ではできあがっていたが、内装はほとんどまだがらんどうで、とてもではないが飛べるようには見えなかったのだ。

「ちょっと前に一号機を壊しちゃってね。改良型を作ってるんだけど、おかげですっかり計画が縮小されちゃって、僕が一人で組み立ててるんだ」

 思い出にひたるように語る我夢に、二人とも完全に唖然となった。こんな未完成品でどうしろというのか、元の世界に帰してくれるというのは嘘だったのか?

 しかし我夢は胴体の下に潜り込むと、機械部分を空けてドライバーで部品を外し始めた。

「この機体はまだ飛べないけど、行って帰ることを考えないならメインのシステムだけを取り外して使えば充分だよ」

「なるほど……あ、でも行って帰ることを考えないっていうなら、おれたちがそれを持って行ったら、我夢さんが困るんじゃあ」

「いいさ、機械はまた作ればいいけど、君たちには今これが必要なんだ」

 なんのためらいもない我夢に、二人は頼りっぱなしなことを情けなく思った。しかし我夢は気にした様子どころか、むしろありがたそうに二人に笑いかけた。

「いや、礼を言うのは僕のほうさ、君たちのおかげで、これから起こる事態をあらかじめ知ることができた」

 そう、才人たちはさきほどの話の中で、このエリアルベースが六、七時間後に壊滅するということも伝えていたのだ。むろん、それで我夢がショックを受けるのではと思ったが、意外にも我夢はあまり気にした様子もなかったので、ルイズは思い切って聞いてみた。

「あの、ガムさん? あなた、怖くないんですか? 目の前に最後が迫ってるってのに」

「最後になんてならないさ、僕がいるからね」

 手を機械油で汚しながら、ドライバーやメガネレンチを使う我夢は落ち着いた様子で、もうそうなることはないと自信を持って答えた。

「だけど、現にわたしたちの見た未来では……」

 二人の脳裏に、墜落して残骸となったエリアルベースの無残な姿が蘇ってくる。いったいどうしたのかは詳しいことまではわからないけれど、あの未来ではおそらくこの基地の人間は全員……なのにどうしてそんなに落ち着いていられるのかと二人が問うと、パーツを外して出てきた我夢は、作業テーブルの上に置いてあった計量用のビーカーを手に取って。

「才人くん、シュレディンガーの猫って知ってるかい?」

 才人が首を振ると、我夢はビーカーを手の中で回しながら、ゆっくりと説明を始めた。

「量子力学では、有名な理論の一つだけどね。簡単に言えば、密閉された箱の中に一匹の猫と、毒エサを入れて一時間ほど放置しておいたら、一時間後に猫は毒を食べて死んでいるか、それとも食べずに生き残っているか、空けてみるまではわからない。つまり、確率論的には、箱の中では猫は死んでいるし、同時に生きているとも言える。けど、現実にたどりつく未来は一つだ」

 一句一句、ゆっくりと語った我夢は、二人がとりあえずそうした、猫が死んでいて、かつ生きているといったパラドックスがあるということをどうにか理解したのを、理知的にうなずくルイズと頭髪をかき回しながらしぶい顔をしている才人を見て確認すると、ビーカーを目の前でかざして見せた。

「じゃあ、このビーカーだけど、これを床に落としたらどうなると思う?」

 二人は、もろそうなビーカーと、ゴムが敷かれた床を見比べて、それぞれの答えを出した。

「割れる」

「割れない」

「そう、つまりこのビーカーの未来は、割れていて、かつ割れていないという、落としてみないとわからない不確定なことになる。だけど……」

 我夢はビーカーを握っていた手を離した。すると、ビーカーは重力に引かれて9.8m/sで加速していき、二人の視線は急速に距離を縮めていくビーカーと床に集中して……

「んなっ!」

「ええっ!?」

 二人の期待は、右斜め上の方向で裏切られた。

 ビーカーは床の寸前で我夢に掴みあげられて、そのまま持ち上げられると無事な姿を見られたのだ。

「割れなかったろ」

「そ、そりゃ割れるはずないでしょうが!」

「ずるい、そんなのないわよ」

 得意げに言う我夢に、才人もルイズもそんなの反則だと口々に抗議するのだが、我夢は二人に言うだけ言わせると、真面目な表情で語った。

「そう、割れるはずがないよね。けど、そのままだったらこのビーカーの未来は1/2の確率で運命にゆだねられていたけど、僕の手という意思が加わることによって、割れない方向に定まったんだ」

「あっ……」

 そこで二人は我夢の言おうとしていることを理解した。

「つまり、未来は意思によって変えられる。そういうことですね?」

「ああ、決まった未来なんてあるはずがない。この時間軸は、間違いなく君たちの来たエリアルベース崩壊の時間軸には流れなくなる。いいや、僕がきっとそうしてみせる」

 我夢の声に、その意思を確かに感じた二人は、これ以上のおせっかいは不要だと悟った。

「わかりました。けど、時空怪獣は手ごわい相手です。気をつけてください」

「頑張るよ。さて、あまり時間がない。こっちに来てくれ」

 我夢は取り外した一抱えほどある時空移動システムにバッテリーをつなぐと、機能の微調整をしてスイッチを入れた。すると、システムが格納庫に残っていたわずかな時空の歪みを検知して、一角の空間が渦巻くように歪んでいく。我夢の説明によれば、歪みが最大になったときに近くのものもまとめてジャンプするとのことだったので、二人は時空移動装置の前に立ってそのときを待ちながら、我夢に最後の別れを告げた。

「あの我夢さん、本当にいろいろとありがとうございました!」

「あ、ありがとう、このご恩は忘れませんわ!」

「いいよ、むしろお礼を言うのは僕のほうさ。無事に帰れたら、君たちも頑張れよ」

 手を振って見送りながら、我夢は二人の姿が時空のかなたに消えていくまで見つめていた。

 なのだが、ここで我夢にも思いがけないアクシデントが起こった。才人たちと会っていたために、我夢は気づいていなかったもう一組の異世界からの闖入者が、またもや見つかって追いかけられてきたのだ。

「北田、そっちに行ったぞ! 逃がすな」

「くそっ、つかまってたまるかよ」

 よく知った声と、聞きなれない声が、偶然であるのかこっちのほうに近づいてくる。まずいことに、時空の渦はまだ残っていて、うかつに近づけば吸い込まれてしまうかもしれない。

「まずい、こっちに来ないでください!」

 我夢は慌てて、やってきたGUYSの三人に向かって叫んだが、向こうも追われれば逃げるというふうに全速力で来たために、もろに時空の渦に突っ込んでしまった。

 最初に飛び込んだリュウと、続いてテッペイが思わぬおこぼれに預かって彼らも来た時間へ戻っていく。けれどミライだけは時空間の手前で立ち止まって、我夢と視線を合わせていた。

「君は……」

「あなたは、あのときの……」

 我夢は、会ったことのないはずのミライの姿に、なぜか不思議な懐かしさを感じた。だが、時空間の入り口が閉じかけているのを見ると、反射的にそれを指差していた。

「急いで!」

「はい、ありがとうございます」

 律儀に礼を言ってミライの姿も時空間に消えていき、一瞬後に入り口は時空移動システムもろとも、この世界から完全に消滅した。

「行っちゃったか」

 元の時間軸に戻れたかどうかは我夢にも確かめようもなかったけれど、なぜか彼らであれば、どんな困難が待っていようとも乗り切っていくことができるだろうと、根拠はないが不思議な確信があった。

「おい我夢、今ここに来た奴ら、どこに行った?」

 振り返ると、そこには彼の仲間たちが息を切らせた様子で立っていた。

「どうしたんです? チーム・ライトニングにチーム・ハーキュリーズがおそろいで」

「ここに来た不審者だよ。追い詰めたと思ったのに、お前隠してないだろうな?」

「まさか、僕はアドベンチャーをいじってただけです。おかしいと思うなら、どこでも探してみてください」

 もう、なにをしようと彼らが見つかることはありっこないので、余裕たっぷりの我夢の態度に、皆しぶしぶながら納得して去っていった。

 

 そして、時間はA.M8:00、エリアルベースに警報が鳴り響く。

 

”エリアルベース近辺の空間にエネルギー体の反応をキャッチ、チーム・ファルコン、ファイターEX、スタンバイ”

 

「来たな、歴史を思うとおりにはさせないぞ、エリアルベースは必ず守る」

 決意を新たに、我夢は自分の専用機であるファイターEX機に向けて走り出した。

 

 

 そして我夢の思いを受けて、才人とルイズも渦巻く時空の波を超えて、ようやく三次元空間へと復帰していた。

「ここは、元の時間か?」

 周りの景色は格納庫のものから、元来た荒廃した廃墟と、裂けた外壁から見える荒涼とした砂漠のものとなっていた。我夢の作り出したアドベンチャーの時空移動システムは見事に時空を超えて二人を送り返してくれたのだ。

「すげえな! ほんとに戻ってきたんだ」

 万歳三唱しかねない勢いで、才人は我夢は本当に天才なんだなと素直に賞賛と尊敬を表した。ただし、過信だけは禁物と念のために懐中時計を覗き込んでいたルイズは、重くぽつりとつぶやいた。

「喜ぶのは早いみたいよ。これを見なさい」

「え、これは!?」

「そう、13:34、元の時間より二時間ほど前だわ」

 じゃあ、失敗したのかと才人の心に焦りが浮かんだときだった。二人の耳に、引き裂くようなあの鳴き声が聞こえてきて、とっさに外壁の穴から飛び出して空を見上げたとき、そこにはあの黒雲のような時空間への入り口が開き、そして。

「あれは!」

 エアロヴァイパーがそこから現れて、このエリアルベースの残骸へとまっさかさまに急降下してきた。

「時空怪獣……そうか、あいつが時空を歪めていたから元の時間に戻り切れなかったんだ」

「それよりも、あいつがまだ生きてるってことは、やはり未来は……」

 

 変えられなかったのか?

 

 我夢や、エリアルベースの人々のことを思い浮かべて二人はぞっとした。

「未来は変えられるって、やっぱり無理だったのかよ」

 どうせ戻れないのならば、無理にでも残って戦っていればよかった。そうすればわずかでも犠牲を減らせたかもしれない。しかし、苦悩する才人を叱り付けるようにルイズが言った。

「サイト、悔しがってる場合じゃないわよ。あいつを倒さない限り、わたしたちもこの世界に閉じ込められたまま、それじゃわたしたちの世界も守れないわ」

 見上げた彼女の目には、過去を悔やむ気持ちはなく、がむしゃらでもひたすら前へ進む意思が宿っていた。

「行くわよ、意思が未来を決めるって、彼も言っていたでしょう。人の知らないところで決められた運命やなんだで、わたしの未来を指図されるなんて冗談じゃないわ」

 その目は何度も見てきたルイズならではの、彼女の人生そのものといえる光を宿した目だった。彼女は才人と会う前から、いくら魔法を使えない無能・ゼロとさげすまれてもいつかは使えるようになるとあきらめず、結果として才人を呼び出し、出会って以後も人が止めるのも聞かずにベロクロンやホタルンガ、メカギラスにも単身向かっていったりと、後先考えずどんな結果が待っていようと負けず嫌いに立ち向かっていった。

 言い換えれば、売られたけんかは買わねば気がすまないやっかいな性格だともいえる。しかし、周りに流されずに、良いことも悪いこともすべて自分で選択してきた生き様は、現代日本で普通の高校生としてテストや進学に流され続けてきた才人にはとてもまぶしく、そしてそのがむしゃらなまでに誇り高さを貫くところが好きだった。

「そうだな、こうなったら弔い合戦だ!」

 我夢のためにも、元の世界に戻るためにもここで気落ちしているわけにはいかない。第一下手に落ち込むとルイズにきつい気付け薬をプレゼントされてしまうので、その点は断じて避けたい。

 だが、そうして二人がエアロヴァイパーを見上げたとき、突然エースが心の中から話しかけてきた。

(待て、この世界の歴史はまだ定まっていない)

「え? どういうことよ、もうここは……」

(いや、私にはわかる……この世界を守る者は、まだ滅んでいない、見ろ!)

 その瞬間、舞い降りてくるエアロヴァイパーを迎え撃つかのように、空へと舞い上がっていく四機の翼が轟音とともに、彼らの視界に飛び込んできた。

「あれは、ファイター! ということは、我夢さんもあれに」

 そう、それはXIGの主力戦闘機XIGファイターSSとファイターSGの三機と、我夢専用のファイターEXの雄姿。証拠はないが、不思議な直感によって二人は飛び上がっていく編隊に我夢がいると確信し、見事にそれは的中していた。

 

 あの後、二人を見送った後の我夢はエリアルベース近辺に現れたエネルギー体に潜んでいたエアロヴァイパーと戦うために、自らファイターEX機で参戦した。そして才人たちと同じように崩壊したエリアルベースの未来で、様々な形をとった未来と対面していったが、最後にこの時間帯で決着をつけるために現れたエアロヴァイパーを迎え撃ち、未来を変えるために飛び立ったのだ。

 

「頑張れーっ! いけー!」

「撃ち落しちゃいなさーい!」

 本当に、我夢がいるという確証はないのに、二人は疑いもなく声援を送った。

 だが、いったいそこまで根拠のない確信を持たせ、それが的中した理由はなんなのだろうか? それは、二人ではなく、二人と同化しているエース、北斗星司の記憶にあった。

 

”オッス! おれ? 僕ら一番最後?”

 

 どこかのレストランで、ハヤタや郷たち兄弟といっしょに、先にやってきていた我夢たちと仲良く話すビジョンが、一瞬エースの脳裏に浮かんだ。

(なぜだろう、俺はあの我夢という青年にどこかで会った気がする。しかも、ずいぶん親しくしていたような)

 そんなことはないはずなのに、記憶のどこかからとても親しげな感情が浮かんでくる。そしておぼろげに見える自分以外のウルトラマンたちの影、共に超巨大な怪獣に立ち向かう、見慣れたセブンやジャック兄さんたちとメビウス……そして……

 

 エース・北斗は、これが我夢の言った、別の世界の自分との記憶のリンクなのかと思い戸惑う。また同時に、この時間帯のエリアルベースの反対側に飛ばされてきた、その答えを唯一知るメビウス・ミライは、数奇なめぐり合わせに運命の皮肉を感じていた。

「また会いましたね、別の世界の兄弟たち……」

 

 運命の糸が絡み合い、数々の思いが交差するこの時空間の中で、思いの答えを見つける暇もないままで戦いは始まっていく。

 

 急降下するエアロヴァイパーと、同じ角度で上昇していくファイターチーム。先手をとったのはファイターチームで、三機連携のとれたレーザービームが赤い光となってエアロヴァイパーに吸い込まれていく。だが、命中直前にエアロヴァイパーの角が光ると、奴の姿が掻き消えてレーザーは何もない空間をむなしく通りすぎていった。

「タイムワープだ!」

 才人、ミライ、そして機上の我夢が同時に叫んだとおり、奴は時間移動能力を戦闘に利用していた。つまり攻撃が当たる直前に過去か未来に退避してしまい、こちらから見たら瞬間移動したかのようにファイターEX機の頭上に出現すると、口から吐く火球弾でEX機を被弾、戦線離脱させてしまった。

「我夢さん!」

 薄く煙を吐きながら降下していくEXを見送りながら、彼の仲間の三機のファイターはなおもエアロヴァイパーへと攻撃を仕掛けていく。その空中機動はもとより怪獣に真正面から向かっていく恐ろしいばかりの闘志は、ミライと共に戦いを見守っていたリュウをも感嘆とさせたほどだが、まるで避ける気配すらなく正面から突撃していく姿には、闘志以上のものを感じさせた。

「まさか、体当たりするつもりか!?」

 確かに、レーザーでもさして効果のないエアロヴァイパーを倒すならば航空機のありったけの弾薬と燃料とともに、自らを巨大なミサイルに変えての特攻しかないかもしれないが、それでは搭乗者は確実に生きては帰れない。

「だめだ!」

 いくら勝つためとはいえ、それはやってはいけないことだ。才人たちもミライたちもやめるんだと絶叫するが、エアロヴァイパーとファイターの距離は近づき、もはや地上からでは何をやっても間に合わない。

 

 だが、あわや衝突かと思われたとき、突如すべての天空を照らさんほどの紅い光が両者のあいだにきらめいた!

 

「この……光は」

 まばゆい光に照らされながらも、二人はそれをまぶしいとは思わずに、むしろ春の陽光にも似た暖かなものと、この光の色に確かな懐かしさを感じていた。

「我夢さん……?」

 

 さらに、満ちた光はCREW GUYSのメンバーたちも照らし出す。

「ミライ、また新しい敵か!?」

「いいえ、あれは味方ですよ」

 光に戸惑うリュウとテッペイに、ミライは穏やかに答えた。

 そうだ、あの光は敵ではない。起源は違えど、それはM78星雲の光の国の戦士たちと同じ正義の光!

 そして光の中から現れた、赤き地球の申し子、その名は!

 

 

「ウルトラマンガイア!!」

 

 

 エースとメビウスの記憶から蘇って、才人とルイズ、ミライの口から飛び出した名を持つ彼こそ、ティガやダイナと同じく異世界の地球を守り抜いてきた、光を受け継ぐ勇者の一人。 

「かっ……こいい!」

 才人ははじめて見るウルトラマンの姿に、まるで子供の頃に戻ったかのように心の底から湧き出た感情をそのまま叫んだ。宙に浮かんで怪獣を睨みつけているウルトラマンガイアの姿は、ウルトラ兄弟との誰とも違うが、その勇壮かつ守るべきもののために戦う闘志を漂わせた勇姿は、紛れもなく彼が幼い頃から憧れ続けてきたウルトラマンそのものだった。

 

(そうか、なんとなく感じていた既視感の原因はこれだったのか)

 ガイアの姿を見た瞬間、エース・北斗の脳裏にもメビウスと同じビジョンが生まれていた。我夢の語った、別の世界の自分との精神のリンク、並行宇宙でガイアとともに戦ったもう一人のエースの記憶が、こうして再び彼らを引き合わせてくれたのだ。

 

 

 だが、ガイアの戦いの開始を見届ける前に、再び時空の歪みが彼らを襲った。

「くそっ、こんなときに」

 ガイアとエアロヴァイパーが激突しようとしている風景が歪みの中へと消えていくのを、彼らは無念の思いで耐えるしかできず、お互いがすぐ近くにいたのにも関わらず、才人たちとミライたちは別々の時空の支流へと流されていった。

 しかし、時空間が歪曲を続けて、今度はいったいいつの時間かと覚悟して飛び出してみると、そこは見慣れたあの街の風景だったのだ。

「ここは!」

「トリスタニア……」

 なんと、夜の帳に包まれてはいるが、そこは皆と共に旅立ってきたトリスタニアの街そのもの。いや、街並みは確かにトリスタニアではあるが、建物はあちこち崩れ落ちて一軒の明かりもなく、高台に見えるトリステイン王宮も半壊して、月の光に不気味に照らされるその下に生きた人間の姿はどこにもない、街全体が完全な廃墟と化していたのである。

「どういうことだ!? なんでトリスタニアが滅んでるんだよ」

「これは……まさか!」

 無音の地獄と化した街は、二人に何も応えなかったが、ルイズの持っていた懐中時計の日付がすべてを教えてくれた。そこには、信じられない数字が示されていたのだ。

「ウィンの月の二十一日……ここは、四ヶ月後の未来よ! しかも、この徹底した街の破壊ぶりは戦争によるものとしか考えられない。ということは、ここはアルビオンを止められずに、すべてが終わってしまった未来」

「じゃあ、おれたちはこのまま戻れないっていうのかよ!」

「いいえ、運命は自分の意思で切り開くもの……こんな未来を見せて、わたしたちの心を折ろうとしたって無駄よ、出てきなさい!」

 ルイズが空に向かって怒鳴った瞬間、空が歪んで出現したワームホールから巨大な青い岩のような物体が、廃墟の中へと降下してきた。

「どうもおかしいと思ってたけど、これで合点がいったわ」

「どういうことだ?」

「わたしたちは見られていたのよ。この未来へ続く道を妨害されたくない何者かによってね。けれど失敗したわね、こんな姑息な方法で心を折れるほど、わたしはあきらめが悪くない」

 見えざる何者かに向かって叫んだルイズの声に呼応したかのように、地上に降り立った岩塊にひびが入り、それがはじけるとともに内部から巨大な頭部と鎌になった両腕を持つ二足歩行型の怪獣が出現した。

「怪獣……そうか、これでおれたちばかりが狙われ続けた訳もわかった」

「ええ、敵の目的は最初からわたしたち、ウルトラマンだったのよ!」

 現れた怪獣、宇宙戦闘獣コッヴは地を踏み鳴らし、長い尾を振り回しながら二人をめがけてまっすぐに進んでくる。その振動が近づいてくるたびに、二人はこれが現実であることと、この戦いが仕組まれたものであるのならば、その邪悪な意図を打ち砕くにはどうすればよいのかを、冷静に判断していた。

「サイト、やることはわかるわよね?」

「ああ、時空怪獣はウルトマンガイアが必ず倒す。おれたちはこいつをぶっ倒して、元の時代へ帰って、歴史を変える」

「正解、じゃあ、わたしたちをなめてくれたことを、そろそろ後悔してもらいましょうか」

 喧嘩を売ってくる相手に対して、ルイズは自らそれ相応の態度で報いなかったことはこれまで一度もなかった。圧力にせよ、脅迫にせよ、理不尽なる服従を求めるものに彼女の誇りが屈することは決してない。今度もその例外ではなく、彼女は、彼女の誇りと志を共に背負ってくれる頼もしいパートナーに手を差し伸べた。

「ウルトラ・ターッチ!」

 光芒輝き、廃墟の街を踏み砕いてウルトラマンAが降り立つ。

 

 

 さらに、ミライたちGUYSもまた別の時空、かつてエンペラ星人と戦ったときのような、闇に覆われて廃墟と化した東京の中で、羊のような巨大な角を持った怪獣と対峙していた。

「リュウさん、行きます!」

「ミライ」

「今わかりました。ジョージさんたちの乗った飛行機が狙われたのも、全部は僕をおびき寄せるための罠だったんです」

「罠だって?」

「ええ、おそらくはこの未来をもたらしたい者が、邪魔となる存在である僕らウルトラマンをおびき出して抹殺するための罠です」

 ミライもまたルイズと同様に、その直感によって、この事件の裏側には明らかな悪意を持った何者かの意思が潜んでいることに気がついていた。

「じゃあ、これはヤプールが仕組んだことなのか」

「それはわかりません。ですが、これが挑戦だというのなら、受けるまでです。地球を、こんな姿にしちゃいけない」

 ミライはリュウとテッペイに向けて強く決意をあらわにすると、怪獣へ向かって数歩歩みだして、左手を胸の前にかざした。すると、ミライの左腕にウルトラの父から与えられた神秘のアイテム、メビウスブレスが現れて、ミライが右手を添えて中央のクリスタルサークルを勢いよく回転させると、ブレスから金色の粉のような光がほとばしり、空へ向かって高く振り上げると同時に叫んだ。

「メビウース!」

 ミライの姿が金色に輝くメビウスリングの中で、ウルトラマンメビウスへと変わって、怪獣の前へとその勇姿を現し、すばやく構えをとる。

 

 

 今、三つの時空間で三人のウルトラマンの戦いが始まろうとしていた。

 

 ウルトラマンガイア 対 時空怪獣エアロヴァイパー

 ウルトラマンA 対 宇宙戦闘獣コッヴ

 ウルトラマンメビウス 対 宇宙雷獣パズズ

 

 それぞれの未来を強き意志によって掴み取るべく、ウルトラマンたちは立ち向かう。

 

 だがそのころ、アルビオンから遥かに離れたハルケギニアの一角で、誰も知らないはずのこの戦いを冷ややかに見守る目があった。

「どうやら、計画も最終段階みたいですね。さて、うまくいきますかね?」

「どうでしょう、破滅の未来のビジョンを見せてあげればおとなしく滅びを受け入れていただけるかもと思ったのですが、皆様なかなか心がお強い。ですが、案ずることはありません。これはまだ、始まりにすぎないのですから」

 大きな宮殿のような建物の中で、澄んだ少年の声と、穏やかで優しげながら機械的で冷たい男性の声が、誰もいない聖堂の一室の中に短く響く。

 

 

 続く



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第80話  エース・メビウス&ウルトラマンガイア 時空界の大決戦

 第80話

 エース・メビウス&ウルトラマンガイア 時空界の大決戦

 

 時空怪獣 エアロヴァイパー

 宇宙戦闘獣 コッヴ

 宇宙雷獣 パズズ

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンガイア 登場!

 

 

 破滅した未来、自分の住んでいる世界が滅亡しているのを見せて、人間を絶望させようとする何者かの策謀によって、ウルトラマンガイアの世界に呼び寄せられてしまった才人とルイズ、そしてミライたちCREW GUYSの三人。敵の目的は世界の崩壊に対して最大の障害となるであろうウルトラマンの抹殺。

 しかし、常に自分の意思と選択によって未来を勝ち取ってきた者たちにはそんな姑息な策謀は通用しない。未来を変えるものは常に人間の意思であると、才人とルイズはウルトラマンAへ、ミライはウルトラマンメビウスへ、そして我夢はウルトラマンガイアへとそれぞれ変身した。

 

 崩壊したトリステインの未来で、ウルトラマンAと宇宙戦闘獣コッヴ。

 滅亡した東京の未来で、ウルトラマンメビウスと宇宙雷獣パズズ。

 全滅したエリアルベースの未来で、ウルトラマンガイアと時空怪獣エアロヴァイパー。

 

 今、時空間でそれぞれの世界の未来をかけた一大決戦が始まった!

 

 

『パンチレーザー!』

『メビュームスラッシュ!』

『クァンタムストリーム!』

 

 戦いのゴングは三人のウルトラマンが、くしくも同時に放った光線技で鳴らされた。

 

 指を頭上に合わせたエースの額のウルトラスターから放たれた青い光線がコッヴへ。

 メビウスブレスからのエネルギーをくさび形の光の矢に変えた光弾がパズズへ。

 飛行しながら腕をL字に組んだガイアから放たれた赤い光線がエアロヴァイパーへ向かう!

 

 だが、何者かによって刺客として送られた怪獣たちはどいつも一筋縄ではいかない奴らばかりであった。

 メビュームスラッシュとパンチレーザーは火花を散らしたが、どちらもさしたるダメージを与えられずにはじき返されて、エースはコッヴと、メビウスはパズズと廃墟を踏み砕いて接近格闘戦に入った。

「ヌゥン!」

 コッヴの両腕の鎌を受け止めたエースが、その腹に向かってキックを打ち込み後ずさったところへボディへチョップを食らわせる。

(なかなかタフな奴だな)

 エースの渾身の一撃を受けたというのに、コッヴは特に弱った様子も見せずに両腕の鎌を振りかざして反撃に出てきた。こいつは、ガイアの世界では最初に地球攻撃に使用され、初めてガイアが戦った宇宙怪獣なのだが、それゆえに弱点らしい弱点を持たないバランスのよさを持っている。

 しかし才人やエースは、当然コッヴのことを知らない。だが、どうやら超獣並みに侮ってかかれる相手ではないと、全力で戦うことを覚悟した。

「トオーッ!」

 突進してくるコッヴを大ジャンプしてかわしたエースの眼下で、以前に才人たちがデルフリンガーを買った武器屋がコッヴの巨大な足に踏み潰されて瓦礫の山となっていく。

 また、数々の戦いを潜り抜けて、いまや立派なウルトラ兄弟の一員とみなされるようになったメビウスも、立ちはだかってくる怪獣パズズに容易ではない戦いを繰り広げていた。

「ワアアッッ!」

「あの怪獣、雷を操る能力を持っているのか!」

 パズズの羊のような、大きくてねじれた角が瞬時にさらに巨大化して空を向いたかと思うと、角から放たれた雷が空へと舞い上がって、雲の中から無数の光の矢となってメビウスに襲い掛かったのだ。

「ミライ! その程度の攻撃でへばるんじゃねえ」

「……ヘヤッ!」

 だが、リュウの厳しくも心強い声援を受けると、メビウスはすぐに立ち上がって、さらに雷を食らわせようとするパズズの攻撃を、右へ左へとステップを使って回避し、助走をつけるとジャンプキックをおみまいした。

「セヤァッ!」

 喉元にヒットしたキックを受けて、パズズの巨体が大きく揺らぐ。もちろん、パズズもこの程度でまいるような怪獣ではなく、すぐに態勢を立て直して、怪力を誇る太い腕を振りかざして襲ってくるが、メビウスもウルトラマンタロウとウルトラマンレオ直伝の格闘技で迎え撃つ。

 エースもメビウスも、初めて見る怪獣ながらも豊富な経験と勇気をもって、互角以上に渡り合っていた。しかし、それだけで単純に勝てるほど、この時空間を用意してきた敵の計略は甘いものではなかった。

 

 エースとメビウスがそれぞれ別の時空でコッヴとパズズを相手に激闘を繰り広げている頃、ウルトラマンガイアはエアロヴァイパーと戦っていたが、奴の持つ時間移動能力に苦戦を強いられていた。

 エアロヴァイパーは、戦闘の開始と同時にガイアが放ったクァンタムストリームを命中直前にタイムワープしてかわすと、ガイアの頭上にワープアウトしてきて死角から火炎弾をガイアに撃ち込んできたのだ。

「ウワァッ!?」

 命中でガイアの肩から火花が飛び散る。思わぬ方向からの攻撃にはさしものガイアもよろめいて、空中から砂漠の上にまっ逆さまに墜落していき、高い土煙と猛烈な振動とともに地面に叩きつけられた。

「グゥゥ……」

 それでも、ウルトラマンガイアはくじけることなく立ち上がり、降下してくるエアロヴァイパーをキックで迎え撃とうとした。だが直前でまたしてもタイムワープでかわされて、背後から不意打ちを仕掛けてきたエアロヴァイパーを避けられずに直撃を受けてしまった。

(奴は、時間軸を歪めて好きなときに未来や過去に逃げられる。このままじゃ、奴を捉えることはできない)

 ガイアの意思は我夢そのものであるから、彼はエアロヴァイパーの能力を正確に分析して、奴がこちらの攻撃を軽々と避けられる訳を悟っていた。

 だが、ガイアから見ればエアロヴァイパーは瞬時に消えて現れるだけの単なるテレポーテーションに見えるといっても、それがタイムワープである以上は、ある時間帯で消えたからといって、すぐに次の時間帯に出現しなければいけないということはなかった。

 つまり、ガイアの時間帯の15:55の45秒に消えたエアロヴァイパーは、15:55の46秒にガイアの死角に現れる前に、エースやメビウスの時間軸に出現することができたのである。

 

「ウワァッ!?」

 コッヴを投げ飛ばして光線技を放とうとしていたエースに、突如として真横に現れたエアロヴァイパーが体当たりして吹き飛ばし、コッヴに助太刀するかのように、倒れたコッヴの真横に着陸してきた。

(なんだっ? いきなり現れたぞ)

 才人は、まったく予期せずに出現したエアロヴァイパーの攻撃に驚いた。今の一撃を受けなければ、コッヴには倒せなくても大ダメージは確実の一撃を入れられたはずなのに、すでにコッヴも態勢を立て直し、エアロヴァイパーと二体でこちらへ威嚇の雄たけびをあげてくる。

(あいつは、ウルトラマンガイアと戦ってたはずなのに)

(バカね、あいつが時間を好きに移動できるのを忘れたの? その気になったらあいつはどこにでも逃げ込んでこれるのよ)

 ルイズも、わずかな学習の中でエアロヴァイパーの特性を理解していた。元々頭の回転は人並み以上に速いのだ。才人と我夢の会話も、ほとんど理解できなくとも、才人の教えてくれた結論やわずかにわかる単語の断片から推理して、おおまかなことは読めていた。つまりエアロヴァイパーは、いつでもどこにでも出現して攻撃してくることができることになる。

(まずいな、つまりは実質二対一ということか)

 エースも一対一なら負けるつもりはなくても、数はそれだけでも大きな力となる。多勢に無勢、質より量と数の優位性を示した言葉が多いとおりに、二匹の怪獣はエアロヴァイパーを先頭に、トリスタニアの石造りの街を粉砕しながら向かってくる。

(だが、それがどうした!)

 エースも数で負けている戦いをしたことは一度や二度ではない。超獣ドラゴリーとメトロン星人Jr、超獣カイマンダとシシゴランのタッグと戦ったときなど、不利ながらも勝利してきた。廃墟と化して、もはや人的被害を考慮しなくてもいい街をこちらも踏み砕きながら、エースはエアロヴァイパーの空中体当たりを迎え撃とうとパンチを繰り出す。

 だが、命中直前にまたしてもエアロヴァイパーはタイムワープして掻き消え、空振りして体勢を崩したエースに、コッヴの額から放たれた黄色い破壊光弾が何発も命中して爆発した。

「グワァァッ!」

 

 さらに、エースにフェイントをかけてコッヴにチェンスを作ったエアロヴァイパーはメビウスの空間にも現れて、パズズと組み合っているメビウスに後ろから襲い掛かった。

「ミライくん、後ろだ!!」

 テッペイの叫びがメビウスの耳に届いたとき、背後からエアロヴァイパーに襲われたメビウスは、後ろから首を絞められていた。

「ウワァッ!」

 エースのときと同じく、一対一だと思っていたのに急に出現した別の敵にはメビウスもとっさに対応しきれない。正面のパズズと後ろのエアロヴァイパーのどちらを優先させるか一瞬迷った隙に、エアロヴァイパーは後ろからの首絞めからメビウスの両腕を掴んでの羽交い絞めに切り替えてきた。

「アァァッ!?」

 身動きできなくなったメビウスを、パズズは容赦なく殴りつけ、大木のような尻尾を叩きつけて痛めつけていく。だがそうはさせじ、ミライを助けるためにリュウとテッペイはGUYSの専用光線銃トライガーショットを取り出した。

「野郎! ミライを離せ、バスターブレッド!」

 リュウとテッペイは、メビウスを羽交い絞めにしているエアロヴァイパーへトライガーショットの三つのカートリッジの一つ、イエローチェンバーの高熱火炎弾バスターブレッドを放った。

 狙いは正確で、二人の連射した弾丸は正確にエアロヴァイパーの頭部に炸裂! 多少なりのダメージとともに奴に隙を作り、メビウスは脱出に成功して、エアロヴァイパーの翼を掴むとパズズへ向かって力いっぱい投げ飛ばした。

「ティヤァッ!」

 自らの体重が生み出す慣性の法則にしたがってエアロヴァイパーは上下さかさまになって頭からパズズへ突っ込んでいく。これで二匹がぶつかってもつれあえば、そこに光線技を打ち込んで一気に決めることができる。

 しかし、奴の角が赤く光ると、またしてもいいところで奴は別の時空へと逃げ去り、もう一度パズズと対決することになった。

 

 そして、エースとメビウスを散々翻弄したエアロヴァイパーは、消えてから一秒後のガイアの世界に再び現れて、死角から爪の一撃でガイアを吹っ飛ばした。

「グウゥゥ……デヤッ!」

 けれどガイアも負けてはおらず、手を左の腰あたりに構えてエネルギーをためると、走って突撃してくるエアロヴァイパーに光弾を放った。

『ガイアスラッシュ!』

 赤い光弾は高速でエアロヴァイパーに迫ったが、奴はそれも予測していたのか命中前にまたもや空間に溶け込むようにしてタイムワープしてしまう。おまけにその後、コッヴを持ち上げてエースリフターを決めようとしているエースの背後に現れて、口から吐き出す火炎弾を撃ち込んできた。

(エース! くそっ、またいいところで!)

 死角からの攻撃では視覚を共有している才人とルイズも的確にサポートすることができない。背中に攻撃を受けたエースは頭上に持ち上げたコッヴの重みに耐えられずに、逆に押しつぶされる形になって倒れこんでしまった。

 幸い、今度はエアロヴァイパーはすぐにまた消えたものの、倒れたエースにマウントポジションをとったコッヴは叫びながら両腕の鎌を振り下ろして何度もエースを痛めつけてきた。なんとかやっと腹を蹴って脱出に成功しても、勢いづいたコッヴはさらに額から放つ黄色い破壊光弾を連射して、エースを爆発で包みダメージを蓄積させていった。

(まずい、このままじゃやられる)

 両者の戦いの巻き添えで、ブルドンネ街もチクトンネ街も炎上し、才人とルイズが何度も通った大通りや、魅惑の妖精亭も跡形もなく瓦礫の山と化している。これはあくまで別の時空のことであるが、本当にこのままではこれが現実となってしまう。

(なんとかして、時空怪獣の不意打ちを封じ込めないと、大技は繰り出せねえぞ)

(それに、脱出のための力も残しておかないと、勝っても共倒れになるわよ。わたしはこんな滅びた世界じゃなくて、元のトリステインに戻りたいんですからね)

 カラータイマーが点滅をはじめ、残りのエネルギー残量が少ないことを知らせてくるが、三人とも戦局を打開するいい手は浮かんでこなかった。

 

 時空を飛び、思わぬ方向から何の前触れもなく奇襲をかけてくるエアロヴァイパーには、エースだけでなくメビウスも完全に打つ手をなくしていた。

「くそっ、神出鬼没に右から左から!」

 どこから来るかわからないエアロヴァイパーにはリュウたちも援護射撃が間に合わなかった。奴は時間を飛んでやってくるので前触れがなく、せっかくメビウスが攻撃のチャンスを掴んでもそれをつぶされてしまい、雷撃や、パズズが口から吐き出す強力な火球弾の直撃を浴びて次第に追い詰められていっていた。

「ウウ……」

 赤くなったカラータイマーと同じく、苦しげに大地にひざを着いてメビウスは勝ち誇ったように雄たけびをあげるパズズを見上げた。パズズ一体ならばメビウスにとって決して恐ろしい相手ではないが、足元をすくわれ続けてまともに戦えないのでは意味がない。

 エースとメビウスはそれぞれの次元で、コッヴとパズズが直接戦い、エアロヴァイパーが不意打ちでサポートするタッグ攻撃の前に手詰まりに追い込まれていた。

 カラータイマーの点滅は残り時間の問題となり、最初は優勢に戦えていた二人もパワーとスピードの衰えが隠せなくなってきている。そのためエアロヴァイパーは二人のウルトラマンが充分に弱ったと見たのか、二匹に任せて再度ガイアの時空へと戻っていったものの、二人が逆襲に転じれば戻ってきて、また二匹で攻撃してくるに違いなく、ピンチにいささかの回復も見られなかった。

 

 二人のウルトラマンを相手に、まるで忍者のように立ち回ったエアロヴァイパー。奴は向こうの世界では二分ほど戦闘に参加していたにも関わらずに、ガイアの前から姿を消してから一秒後の未来に飛行したまま時空間から姿を現すと、見失って探し回っているガイアに頭から体当たりを食らわせた。

「グワァァッ……」

 ガイアの胸についているライフゲージが赤く点滅を始める。これは名称こそ違うが基本的にはカラータイマーと同じもので、ガイアには活動時間制限はないがエネルギーの残量がなくなりかけると赤く点滅する。

 すなわち、ガイアもまた大ピンチに追い込まれていた。捕まえられないエアロヴァイパーは勝利が近づいているのに調子に乗ったのか、ガイアの後ろから近づいて羽交い絞めにしようとしてくる。

 

 だが、エアロヴァイパーはそこでウルトラマンだけに目がいって、わずかなりとて人間のことを忘れていたことを思い知らさせた。

 

「ガイアを援護しろ。奴の触覚を狙うんだ!」

 

 我夢のEX機と同時にこの空間でエアロヴァイパーと交戦していたファイターチームの一隊、チーム・ファルコンがガイアのピンチを見て取って助太刀に入ったのだ。

 三機のXIGファイターのレーザーが集中して、ガイアを押さえつけていたエアロヴァイパーの頭部を乱打し、奴の触覚、角を破壊していく。彼らはエアロヴァイパーがタイムワープする直前に触覚が赤く発光することから、これがタイムワープに重要な器官だと見破って、見事ガイアを救出し、奴から時空移動能力を奪い取ることに成功した。

 

 触覚を失ったエアロヴァイパーは時空転移ができなくなったばかりか、副産物ともいえる影響をエースとメビウスのいる時空にもたらした。

(そ、空を見て!)

 なんと、闇に包まれていた空が歪んで、エースのいる場所からガイアの戦いが空に映画を投影してるかのように映し出されていたのだ。

(時空が歪んでる。あの怪獣がダメージを受けて時間を制御する力が弱まったから、元の世界との境界が小さくなっているんだ)

(だとしたら、ガイアがあの怪獣を倒したら)

(ああ、そのときこそ脱出のチャンスだ!)

 遠い空の向こうで、脱出したガイアは反撃態勢を整えている。

 これで、もう時空怪獣に横槍を入れられる心配はない。ならば、こちらも反撃開始だ!

「トォーッ!」

 空中高く跳びあがり、エースは死角からコッヴの首筋にキックを打ち込んで倒した。そして今度こそはと、起き上がってくる前に奴の尻尾を掴んで、ジャイアントスィングの要領で大回転させて投げ捨てる。

「ダァァッ!」

 猛烈なパワーで投げられたコッヴは数kmも吹き飛んで、商店街から貴族の邸宅にいたるまでを粉砕し、猛烈な土煙を巻き上げてやっと止まった。

 だが、エースの攻撃は緩まない。コッヴの額から放たれる光弾を腕で防ぎながら、廃墟の中を一歩ごとに土煙を巻き上げながら走りぬけ、その助走を活かしたドロップキックをお見舞いする。

 

 また、同様の現象はメビウスの時空でも起きており、エースと同じく反撃のチャンスを悟ったメビウスは、一気に勝負をかけるためにメビウスブレスに手を添えて、ブレスから伸びる光の剣、メビュームブレードを作り出した。

「ヘヤァッ!」

 道路のアスファルトがはがれて吹き上がるほどの振動を出しながら、メビウスはメビュームブレードを振りかざしてパズズは向かう。しかし、光の剣に本能的に恐怖を感じたパズズは角から発射する雷撃を広範囲に拡大させてメビウスを近づけまいと、雷のカーテンを張り巡らせてきた。

「ワアアッ!」

 逃げ場がないほどの雷に追い詰められて、雷の落ちた場所からの爆発に包まれたメビウスの足が止まる。これではパズズに近づくことは到底かなわない。けれど、エースに才人とルイズ、ガイアにチーム・ファルコンがいるように、メビウスにもリュウとテッペイという仲間がいた。

「ミライ、今助けるぞ! いくぞテッペイ」

「G・I・G!」

「メテオール解禁! キャプチャーキューブ!」

 パズズに狙いを定めた二人のトライガーショットから青い光が放たれる。だが今度は先のイエローチェンバーではなく、切り札のメテオールカートリッジの収められたブルーチェンバーだ。光は雷撃攻撃を続けていたパズズの頭上で閃くと、一瞬にしてその巨体を覆い尽くす幾何型の光の壁を発生させた。

 これこそ、数々の怪獣や宇宙人の使ったバリヤーを研究して作られた、あらゆる攻撃を跳ね返すバリヤーを作り出すメテオール、キャプチャーキューブであった。それは外からの攻撃から中を守るためにも使われるが、その反面内部の衝撃やエネルギーも決して逃さない。そのためパズズはバリヤーに跳ね返されて逆流してきた自分の電撃を受けて苦しむことになり、その隙にメビウスは接近して、バリヤーが切れた瞬間にパズズの片方の角を切り落とした。

 

 そして最後に、ウルトラマンガイアの逆襲が今こそ始まろうとしていた。

「デヤッ!」

 両手を頭上に上げたガイアの手の間でまばゆい光が走り、そのまま両手を左右に開くと同時にガイアの体を赤い光が包み込んだ。それは、ガイアの力の根源である地球の大地の赤い光、その輝きに全身を包んだガイアは限りない力を発揮する新たな姿へとチェンジする。

「ダァァッ、デュワッ!!」

 ガイアを包んだ輝きが増し、腕を振り下ろした瞬間にガイアはそれまでの銀色と赤を基本としたV2ヴァージョンから、大地の赤に海の青も加えて、ひとまわり大柄でたくましくなった最強のモードへと変わったのだ。

 

『ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョン!!』

 

 地球の光を一身に受けたガイアは、V2とは比較にならないほど強化された瞬発力を持ってエアロヴァイパーに駆け寄り、正面からキックをお見舞いした。

「ハッ!」

 重さを格段に増した蹴りを食らってエアロヴァイパーの体が大きく後ずさる。

 さらに、よろめいたところに勢いを保ったまま、今度はしっかりと地に足をつけて左キックをかけると、隕石が落ちたような轟音とともにエアロヴァイパーの体がぐらつき、奴は痛がるように前のめりにかがんだ。

「デュワッ!」

 たった二撃。だがガイアの圧倒的な攻撃力の前に、エアロヴァイパーは文字通り手も足も出ずに、さらに頭をわしづかみにされて、そのまま力任せに引き倒された。

「ダァァッ!」

 ガイアの猛攻、怒涛のごとく。倒れたエアロヴァイパーを軽々と持ち上げて、地面に向かって背中から一気に叩きつける。その息もつかせぬ連続攻撃にはガンフェニックスやファイターと空中戦を繰り広げ、レーザーやミサイルの集中攻撃にも耐えたエアロヴァイパーといえども打つ手がない。

 頭を掴まれて引き起こされたエアロヴァイパーの腹に、駄目押しの膝蹴りが打ち込まれると、奴の口から苦悶の声が流れた。今の一撃だけでも、ダイナマイト数千発分、五十万トン級タンカーを一撃で真っ二つにするくらいの威力があるだろう。

 その圧倒的な強さには、時空を超えて眺めていたリュウやテッペイも。

「すっげえ……」

「あのパワー、ウルトラマンタロウにも劣らないかも、あんなすごいウルトラマンがいたなんて!」

 思わずメビウスの戦いから目を逸らしてしまったほどに、ガイアの強さはすさまじいの一言だった。

 だが、その強さの秘密は単に地球の力をフルパワーで発揮できるからというだけではない。ガイアはウルトラ兄弟やティガやダイナとは源泉が違う光の巨人ではあるが、その地球が生み出した純粋な光は、高山我夢という一人の人間の持つ平和を守りたいという強い意志と呼応して、無限の成長と無尽蔵の可能性へと変わるのだ。

”この世界は、滅びたりしない”

 そうだ、意志こそ心あるものが邪悪に立ち向かうための最初にして最後の力、それこそが未来を決めるのだ。そのことには、いかな世界とて変わりはない。

 

 三つの時空で繰り広げられる戦いも、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 荒廃したトリスタニアでのエースとコッヴの戦いも、コッヴの額から放たれる破壊光弾をすべて叩き落したエースの圧倒的優位に傾いている。この流れをもはや逃してなるものか! 喰らえとばかりにエースは背中からコッヴを持ち上げて、ありったけのパワーで、滅びた街を見下ろす廃屋と化したトリステイン王宮へ投げつけた!

「トアァァッ!」

 投げられたコッヴは悲鳴をあげながら、まるでバレーボールのように軽々と宙を舞って王宮に激突した。とたんに衝撃に耐えられなくなった王宮が尖塔をへし折り、宮殿は粉塵を上げながらまるで爆破解体されたビルのようにコッヴを埋め尽くして崩落した。

(いまだ!)

(決め時よ!)

 二人の叫びを心に受けて、エースは壊滅した王宮をめがけて必殺の一撃を放つ。

『メタリウム光線!』

 光芒炸裂! 光線の直撃を受けた王宮はコッヴを飲み込んだまま、小高くそびえた丘の上を活火山のように燃え滾らせて爆裂、粉砕した。

 

 続いて、メビウスも自らの戦いに決着をつけようとしている。

「ヘヤァッ!」

 メビュームブレードでパズズの放ってくる火炎弾を弾き飛ばしながら突進したメビウスはすれ違いざまに剣閃一閃! 奴の残ったもう一本の角も切り飛ばし、自慢の角を失って狼狽するパズズへ向かって、一瞬のうちにX字に斬りつけた!

「セヤァッ!」

 だが、パズズの強固な皮膚はメビュームブレードでも切り裂ききれず、奴の体にはX字に深い切り傷が刻まれたものの、まだ致命傷には到達していない。パズズは怒り狂い、メビウスへと豪腕を振りかざして襲い掛かる。これを受けたらいくらメビウスといえども首の骨を折られてしまうかもしれない。けれどもメビウスはメビュームブレードを消滅させると、右手をメビウスブレスのクリスタルサークルにかざしながら、左腕を正拳突きの構えのようにぐっと腰を落として身構えると、瞬間的に奴の雷よりさらに強力な電撃をチャージして、奴のX字の傷の中央をめがけて一気に叩き込んだ。

『ライトニング・カウンター・ゼロ!』

 超強力なプラズマ電撃が開放されて、直接体内にエネルギーを打ち込まれたパズズは断末魔の悲鳴をあげると、炎の中に蒸発して消えた。

 

 こうして、時空間を舞台にした戦いも、コッヴ、パズズの二大怪獣が倒されて、残るはエアロヴァイパーただ一匹。

 時空移動能力を失ったエアロヴァイパーは、スプリームヴァージョンとなったガイアの前に追い詰められて、なおも爪を振りかざして反撃をこころみるが、所詮やけっぱちの攻撃などがガイアに通用するはずもない。

 これがとどめと、ガイアはエアロヴァイパーの尻尾を掴んで、渾身の力を込めて投げとばした!

「デヤァァッ!」

 スプリームヴァージョンのすさまじい力で投げられたエアロヴァイパーは、時空間へ逃げ込むこともできないままに、飛ばされていく方向にある岩山と次々と衝突しながらそれを粉砕していく。

(いまだ!)

 空中へと高く飛び上がり、数百メートルの上空で静止したガイアは、この戦いに決着をつけるべく、エアロヴァイパーを見下ろした。両手を下にかざし、円を描くように上に上げていきながらエネルギーを溜めていく。

「デァッ!」

 光の力は形をなして、正面に突き出して重ねた手のひらに、巨大な白色のブーメランとなって顕現する。光の大剣、その威力を見よ!

 

『シャイニングブレード!!』

 

 高速回転する光子のブーメランは、まるで三日月を投げつけたようにエアロヴァイパーに正面から直撃した。そのエネルギーは瞬時に奴の体内の隅々にまで行き渡り、エアロヴァイパーは一瞬の硬直の後に、頭から爆発を起こすと、瞬時に全身をバラバラに砕け散らせた!

 

 ガイアの勝利だ!

 

(我夢くん、やったな)

(我夢さん、さすがです)

 その勇姿に、エース、メビウスも遠い世界のウルトラの仲間に惜しげもない賛辞を送る。また、リュウとテッペイも、元々ウルトラマンは大好きなので、一発でガイアのファンになって、それに、才人もガイアのかっこよさにすっかり惚れ込んでいた。

(……っ! 超かっこいいーっ!!)

(……)

 ルイズが多少ひいているが、聞こえんねといわんばかりに才人のテンションは絶頂を迎えている。とはいえ、それは才人にもあれくらいかっこよくなってもらいたいという気持ちの裏返しでもあった。そう、ウルトラマンの魅力に男女など関係ない。

 

 ウルトラマンA、ウルトラマンメビウス、そしてウルトラマンガイア、時空を超えて数奇なめぐり合わせで揃った三人の勇者は、それぞれの世界で見事に勝利した。

 

 だが、勝利もつかの間、時空の歪みは一挙に拡大し始めた。

 

「14:00、エアロヴァイパーを殲滅」

 

 時空怪獣の死によって、パラレルワールド同士をつなげていた力が消滅し、確定した未来に反するそれぞれの破滅した未来が、時空の狭間に飲み込まれ始めたのだ。

「すぐにエネルギー体から脱出を、未来が変わります!」

 変身を解除してファイターEXに帰った我夢は、この時空を飲み込んでいく時空の巨大な渦へと、チーム・ファルコンをともなって突入していった。

 

(まずい、脱出しよう)

 エースもこのままでは時空の狭間に巻き込まれていっしょに消滅してしまうと、急いでこの空間から脱出するべく、出口であるガイアのいる時空へ続いている空へと飛び立った。

「シュワッチ!」

 時空の歪みは収束し、エアロヴァイパーが棲み処としていた全ての時空がつながりを失って元に戻っていく。そのため、存在しえなくなった破滅した未来のトリスタニアが時空の狭間に飲まれて消えていく。

 それは、彼らのスタート地点となった15:25のエリアルベースにおいても変わりはなく、我夢が去った14:00の時空もいっしょにすでに時空の渦に消えかけていた。指標もない荒れ狂う時空間の中を、エースも激流に流される小石のように弄ばれる。

(どこへむかってるんだよぉぉっ!?)

 さしものウルトラマンといえども時空乱流には逆らいがたく、どこかの世界へと通じているのであろう方向へと流されていく。これでまた太古の世界にでも飛ばされてしまっては元も子もない。だがここまで来て! とエースも才人たちも絶望しかけたとき、彼らの前に一筋の光が走った。

(見て、あれは……)

(あれは? ゼロ戦、それに!)

 なんとエースの前に、置いてきたはずのゼロ戦が待っていたかのようにふわふわと不思議な光に包まれて浮いていた。

(いったい何故……?)

 不可思議な現象に、エースも理解できずに思わずぼおっとなってしまった。だがそのゼロ戦はまるで早く乗れというふうにコクピットをこちらに向けていて、それにこの変身での活動限界が近づいていたエースは、一か八かと変身を解除してコクピットに飛び込んだ。

「これは……我夢さんの!」

 なんと、コクピットの足元にはあのアドベンチャーの時空移動ユニットが転がっていて、まるで道を指し示すように動いていたのだ。

「バッテリーは切れてるはずなのに……」

 これは奇跡か、それとも自分たちには理解しえない未知の現象なのかわからないが、ユニットが放つ光はまるで正しい道を教えるようにある一点を指し示している。

「サイト、やるしかないんじゃない」

「そうだな、こうなりゃ我夢さんの作ったメカを信じるしかないか、じゃあ、頼むぞ、動いてくれよ」

 風圧でプロペラが回っていたので、才人は思い切っていきなり主スイッチを入れた。するとエンジンは好調な音を出して回りだし、不敵に笑った才人はルイズをひざの上に乗せたまま、操縦桿を倒した。

 

 そのころ、メビウスも自分のいる時空が消えていくのを感じると、リュウとテッペイを手のひらの上に乗せて、同じように飛び立った。

「しっかり掴まっていてください。シュワッ!」

 その後、エースに遅れてメビウスも時空乱流の中で行く先を見失いかけて、運良く漂流していたガンフェニックスに乗り込んでいたが、エースと違って導き手のない彼らは遭難しかかっていた。

「ちぃっ、レーダーもセンサーも全部役に立たねえ! どうする」

 罪のない計器盤を拳で殴りつけたリュウは、それでもセリザワに忠告されたとおりに冷静にいようと計器を見渡し、通信機がわずかに反応をしているのを見つけるとスイッチを入れた。

”こ……フェニックスネス……ガンフェニックス、応答せよ”

「これは、カナタか! よし、こいつを辿っていけば」

 元の世界から入ってくる通信を逆探して、ガンフェニックスは速度を上げる。

 

 だが、最後に運命はアドベンチャーのユニットの未知なる力か、わずかな偶然をプレゼントしていった。

 エアロヴァイパーの死によって不安定化していた時空間は、我夢、才人たち、ミライたちが出口にたどり着く直前に、大きく収縮して真空状態を作り出した。つまりはファイターEX、ゼロ戦、ガンフェニックスがほんの数秒だけ同じ狭い空間に揃ったのだ。

「あ……」

「え……」

 ゼロ戦とファイターEXがお互いに相手を逆さに見る形で上下にすれ違ったとき、才人たちは一瞬だけコクピットにいた我夢と視線を合わせた。

 

”そうか、自分の世界に帰るんだね”

 

 言葉が通じたわけでも、ウルトラマンの超能力を使ったわけでもないが、そのとき彼らはお互いにやるべきことを成し遂げ、声なき声で相手に別れを告げた。

 そしてそのとき、ゼロ戦の上空をガンフェニックスが通過していったことを残念ながら才人は気づけなかったが、ミライはその超視力によって見慣れない飛行機に乗っている才人とルイズの顔を見分けていた。

「あの少年は……」

 一瞬の邂逅が済んで、目の前にはそれぞれの世界へと続く時空の出口が開き、ガンフェニックスは日本上空へ、ファイターEXはエリアルベース近辺へとそれぞれ帰還し、ゼロ戦もまたうっそうとした森の上空へと飛び出していた。

 

 その後、エース、そしてメビウスと初めての邂逅を果たした我夢は、未来は人間の意志によって変わるという言葉を貫き、根源的破滅将来体との戦いを駆け抜けていくことになる。だが、この日の小さな出会いが非常に大きな意味合いを持ってくることを知るのは、もっとずっと先のことであった。

 

 また、ミイラ取りがミイラになりかけて、サコミズ総監以下GUYSクルー全員に心配をかけていたリュウ隊長以下のガンフェニックスも、無事に東京空港に着陸していた。そしてそこでは、先にリュウたちのおかげで脱出できていた101便に乗っていたジョージやマリナら乗客たちの出迎えが待っていた。

「おかえり、ミライくん。元気そうでなによりだね」

「リュウが上司だと苦労してないかアミーゴ? ともかく助かったぜ」

「お二人や、乗客の方々がご無事でなによりでした。お二人とも、わざわざ来ていただいて、どうもありがとうございます」

 エンペラ星人の件で、ミライがウルトラマンメビウスだということが一般の人にも知られているので、無用な混乱を避けるためにミライとジョージたちの再会は空港の別室でおこなわれていた。ただ、リュウは隊長であるので仕方なくKCBをはじめとしたテレビ局や新聞社相手に慣れない記者会見に臨んでいるが、生中継される姿が一度ならず仲間たちの失笑を買ったのは、まだまだ経験を積まねばならない課題だろう。

「だけど、驚いたぜ。まさか俺たちの乗っていた飛行機に、あんな大物が乗っていたなんてなあ」

「そうね。偶然ってあるものだけど、実際聞いてみて驚いたわ」

 ジョージとマリナは気疲れしたようにつぶやいた。

 降りてみて、乗客とあらためて顔合わせをしてみたのだが、そのそうそうたる顔ぶれは、一応有名人である彼らをも唖然とさせるに充分だった。

 まず、子供にインチキくさい(本当にみやげものだった)ライオンの尻尾とやらをあげて勇気付けていたのは、旧防衛チームMACで冒険家として有名だった佐藤隊員。松葉杖の男は、同じく元MAC隊員でスキーヤーとしても実績を残していた北山隊員。ハイジャック犯を撃ち倒したサングラスの男は旧TACで二挺拳銃の名手として、科学特捜隊のアラシ隊員と並んで歴代防衛チームで一、二を争う名射手として名を残す山中隊員。そしてジョージとマリナをも上回った操縦テクを見せたのは、旧ZATで単独出撃で墜落ゼロを誇った森山隊員だった。

 つまりは、全員がかつて歴代ウルトラマンと共に戦った、いまや伝説となった勇者たちで、それを知ったテッペイは。

「みんな僕たちの大先輩ですよ!」

 と、サインをねだりそうな勢いで握手を求めに行ったほどである。

 それにしても、これほどの顔ぶれがたった一機の飛行機に乗り合わせたのもすごい偶然だが、今頃は彼らも英雄としてほかの乗客や報道陣に囲まれていることだろう(もしかしたら山中隊員あたりは、あとで最近のGUYSはたるんどると怒鳴り込んでくるかもしれないが)。

 だがそれはそれとして、ミライは記憶が確かなうちに確かめておきたいことがあって、GUYSメモリーディスプレイでフェニックスネストに連絡をとった。

「こちらミライです。ああ、コノミさん。ちょっと探してほしい資料があるんですが」

 やがて転送されてきたデータに目を通したミライは、以前リュウたちといっしょに見た異次元調査の途中資料の中の、奇妙だったために特別に記憶に残っていた最後のページに記されていた記事の写真で目を止めた。

「平賀才人……間違いない。やっぱり、時空間で見たあの少年は……」

 点と点がつながって線となり、答えに一歩ずつ近づいていく。

「ミサキさん、フジサワ博士に連絡をお願いします」

 まだ、ミライの先を閉ざす闇は深いが、闇の先には光があると信じている。ミライはこの先誰がどんな罠を仕掛けてようと、全て乗り越えて、必ずエース兄さんを救い出してみせると心に決めた。

 

 

 しかし、時空間に入った者が全員無事に帰還した様子を、ハルケギニアの一角からずっと眺め続けていた二人の怪しい影は、目論見が失敗したことを悟ると、映像を杖を軽く振って消してため息をついた。

「やれやれ、失敗ですね。途中まではうまくいくと思ったんですが」

「仕方ないですよ。こちらから仕掛けるのは初めてですし、この世界には我々はまだほとんど地歩を築いていませんからね」

「しばらくは様子見を続けましょう。どのみちこの世界での我々の役目はバックアップですから、私たちの存在が価値を持ち始めるのはまだまだ先です。さあ、信者たちが待っていますよ。大勢のね」

 やがて彼らは質素な暗がりの部屋から、眩い光の照らし出す大聖堂に最上段に立って、数千のブリミル教信者を見下ろしていた。

 ここはハルケギニア南方のロマリア。数十万の飢えた難民が集まり、きらびやかに着飾った聖職者が物乞いのそばを金馬車で通り過ぎるこの都市で、一つの陰謀が始まって終わったことを知る者はいない。

 

 

 一方、知らないところで大変なまでに事が動いていると知るはずもないが、最後に三次元空間に復帰できた才人たちは、とりあえず白亜紀なんかではないことだけを一番に確認すると、落ち着いて現状を確認しようとした。

「今度こそ、アルビオンに戻れたんでしょうね?」

 体勢を立て直したゼロ戦から地上を見下ろしてルイズは叫んだ。周りには森ばかりで民家の影すらない。確か最初に吸い込まれたときもこんなものだったと思うが、もしかしたら……

 が、二人のそんな不安は彼らが口に出す前に、低速飛行をするゼロ戦にすっと並んできた青い影が晴らしてくれた。

「おーい、ルイズぅ! サイトぉ! 無事だったのね!」

「シルフィード!」

 キュルケがいつの間にか隣に並んで飛んでいるシルフィードから、うれしそうにルイズと、ダーリンではなくサイトの名前を呼びながら手を振ってくるのを見て、二人は元の世界に戻れたことを知った。

「キュルケ、タバサ、ミシェルさん、みんなも無事だったんだ!」

 才人とルイズは思わずコクピットの中で抱き合って喜んで、皆が見ているのに気づくと慌てて離れた。だがそれにしても、こうして皆が待っていてくれたことには照れくさいものもあって、自然と頬が赤く染まってしまう。

 しかし、再会の喜びもつかの間で、キュルケから伝えられた事実は未来を変えてきたはずの二人をも愕然とさせるものであった。

「大変よ、アルビオン艦隊はすでに全艦発進して王党派軍を攻撃に向かったわ。レキシントンってばかでかい戦艦で、空から吹き飛ばすつもりらしいわよ!」

「なんだって!?」

 ヤプールの策謀、いまだすべて破れきらず。翼を翻した彼らははたして間に合うのだろうか。

 

 

 続く



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第81話  アルビオン決戦 烈風vs閃光 (前編)

 第81話

 アルビオン決戦 烈風vs閃光 (前編)

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

 

 才人とルイズたちが時空間に囚われていた間に、事態は大きく動いていた。レコン・キスタ艦隊はすでにロンディニウムを後にして、王党派陣営を直撃するために進撃中だという。

「どういうこと? アルビオン艦隊は風石不足で動けないはずじゃあ」

「ヤプールもなりふりかまうのをやめたってことだろ。どのみち正攻法じゃあレコン・キスタの逆転がなくなった以上は、適当に使い切ってポイ捨てってとこだろうな」

 ゼロ戦をシルフィードとともに飛ばしながら、才人はこの先始まるであろう血みどろの戦争を想像して吐き捨てた。彼らが時空間にいる間に敵艦隊はこの場所を通過して、今やずっと先にいるはずだった。むろん、そのときはタバサたちの前を通り過ぎていったのだが、さすがに艦隊相手には手が出せず、森に隠れてやり過ごした後に才人たちが戻ってきたのだ。

 二人はレコン・キスタ艦隊がすぐには風石不足で動けないと、甘く見ていたことを後悔した。

「もっと速く飛べないの?」

「だめだ、時空間内でいろいろ無茶をやったツケが回ってきやがった。これ以上加速するとエンジンが止まるかもしれねえ」

 ゼロ戦は時空間脱出の後から、一定以上にトルクを上げようとすると異常振動を起こすようになっていた。どうやらエンジンのどこかを損傷したのか接触が悪くなってしまったようだが、元々放棄されていた上に、エアロヴァイパーとあれだけ激しく戦ってなお飛び続けられたことこそ奇跡に近い。

 かといってシルフィードも翼を怪我したままで、エースもコッヴとの戦いでエネルギーを消耗している。一行は、行きに比べて遅くなった足で、焦りながら来た方向へと飛び続けた。

 

 

 だがそのころ、才人たちのはるか前を航行するアルビオン艦隊は、もはやレコン・キスタの全戦力となった一万の兵力を全て乗せ、窮鼠猫を噛むの言葉を自ら実践するために殺気を撒き散らしながら進んでいた。

「進め進め、今敵は油断しているだろう。勝利は我らの前にあるぞ」

 艦隊旗艦レキシントン号の艦橋から全艦に向かって流されたクロムウェルの士気を鼓舞するための演説を受けて、各艦のレコン・キスタ派の貴族が大きく歓声を上げる。しかしその一方で、この艦の艦長、サー・ヘンリ・ボーウッドらのような非レコン・キスタ派の人間はもうやる気を失っていた。

「いったい、なんのために戦うのか?」

 もとより革命などに興味のなかった彼のような人間は、もはや趨勢を変えようもない今になっても、戦い続けなくてはならないことに疑問を抱かずにはいられなかった。

 確かに、ここでウェールズら王党派の首脳陣を抹殺してしまえれば王党派は力を失う。だが後に残されるのは国内の混乱と国力の疲弊、それにともなう税率引き上げによる圧政だ。一部の者のみを喜ばせるために国の将来を犠牲にする戦いに、彼のような実直な人間は苦悩したが、その軍人としての実直さゆえに彼は上官たるクロムウェルに逆らえなかった。

「索敵の竜騎士から連絡、前方距離四十万に王党派軍を確認」

「全艦、砲雷撃戦用意!」

 ボーウッドの命令が全艦隊に伝達され、将兵は配置につき、大砲に砲弾が装填されていく。彼は本来この艦の艦長にしか過ぎないのだけれど、本来の艦隊司令官であるサー・ジョンストンが主力軍全滅の報を聞いて、脳溢血で卒倒してしまったのだ。そのおかげで、ほかに艦隊指揮のできる人間もいないことから、不本意ながら司令官代理を勤めて、かつて忠誠を誓った相手に挑まなければならない羽目に陥っていた。

「後世の人間は、私のことを恥知らずな裏切り者と記すかもしれんな。だが、それが私の運命ならば、もはや仕方あるまい」

 唯一の救いは、彼らはもはやクロムウェルが人間では無く、レコン・キスタも王党派もこの世から消してしまおうとしていることを知らずにすんでいることだろう。

 破滅へ向かって、様々な思いを乗せながら、レコン・キスタ艦隊はついに王党派陣営を空からその視界に捉えようとしていた。

 

 その一方で王党派陣営も、再編を完了して行軍を再開しようとしていた。しかし上空警戒中の竜騎士が大型戦艦を中心とした大小六十隻の大艦隊を山影のかなたに発見して、即座に行軍準備の完了を待っていたウェールズとアンリエッタの元へ報告していた。

「この局面で艦隊を投入するだと? 敵は何を考えているのだ」

 報告を聞いたウェールズは呆れかえった。ここでいささかの損害を王党派軍に与えたところで、現在ほとんどの拠点を王党派が抑えている今となっては補給もできずに艦隊はすぐに行動力を失う。むしろ戦略的にはロンディニウムで持久戦に入り、艦隊の強大な攻撃力と防御力を防衛に活かし、戦局の転換を図るべきなのに、なぜわざわざ長躯して艦隊をすりへらそうというのか?

 彼は常識的な人間なので敵の意図を読みかねた。むしろそこが用兵家としての彼の限界を示しているのかもしれなかったが、彼より客観的に、かつ、貴族というものの負の面を彼より見慣れてきたアンリエッタには想像がついた。

「追い詰められて冷静な判断力を失い、無謀な冒険に出てきたのでしょう。おそらく、わたしたちの首をとれば逆転できると考えて……まあ、あながち間違いではありませんが、ともかく、艦隊戦力を持たない今の私たちには強敵です。すぐに迎撃の準備をしましょう」

 ここでハルケギニアのことをまだ詳しく知らない才人なら、空を飛ぶ艦隊になすすべを失っただろうが、ハルケギニアでは空中艦隊は当たり前である以上それに対抗する手段も当然ながら存在する。敵襲の報はすぐさまアルビオン軍七万に伝達され、「全軍、対空戦闘用意」が下命された。

 また、アンリエッタもアニエスにトリステイン軍一千五百も戦闘参加することを命じた。そのときアニエスはレコン・キスタ軍が来たことで才人たちが失敗したのかと、彼らの身を案じていたが、冷静な軍人の部分の彼女は冷徹にアンリエッタの命令を遂行していった。

 砲兵に配備されている大砲は、アルビオンの冶金技術で作られたものは射程が短く対空用に使えないために後送されてカモフラージュの布をかけられて隠され、輸入品であるゲルマニアの少数の長砲身の大砲は榴弾を装填されて高射砲へと変わっていく。

 さらに、チブル星人によって与えられた銃は星人の死によってハルケギニアの標準的な性能に戻っていたものの、銃兵は弾を込めて待機し、弓矢や槍しか持たない平民の部隊は即席の蛸壺を掘って、その中に避難していった。砲弾による被害というものは、大部分が爆風と破片によるもので、地中に隠れれば直撃でも受けない限りは安心だ。陸兵が無事なうちは、敵も兵士が無防備となる降下作戦には容易に移れないので、これでも充分に敵への威圧になる。

 そして、頼みの綱はやはりメイジである。火や風の優れた使い手は火炎や風弾を数百メイル飛ばせるために攻撃に、やや劣る使い手や土の使い手は防御壁となるために、水の使い手は消火および救護要員にと、指揮官さえ復活すれば熟練した軍隊の動きを取り戻して、きびきびと配置についていく。

 それらは、地球でも航空機が戦争に使われるようになってから見られるようになった光景と、ハルケギニアならではものを合わせた軍事行動であった。しかし、敵は空に浮かんだ艦隊、この程度で対抗できるのだろうか。

 そんなとき、参謀の一人がもっとも対艦戦に有効な竜騎士が足りないと言ってきた。

「殿下、敵の射程に入るまでにはあと三十分ほどと思われますが、現在戦闘可能な竜騎士はおよそ百騎、いささか心もとなく存じますがいかがいたしましょう?」

 ブラックテリナとノーバの影響で、竜騎士は大部分残っていたが、肝心の竜のほうが暴徒化した人々に襲われたり逃げたりして、半数もの数が使えなくなっていたのだ。

 だが、アンリエッタの助力を得て、名誉挽回に燃えるウェールズは、ほんの少し前まで廃人の一歩手前だったとは思えないほど果敢に攻撃を命じた。

「かまわん、全騎を出撃させろ。数だけにものをいわせる烏合の衆などに先手をとらせるな!」

 そのウェールズの攻撃的な姿勢に、病み上がりに不安を抱いていた参謀は驚いたが、それでは竜騎士を無駄死にさせるだけだと反論した。

「待ってください。百騎の竜騎士は我が軍の唯一の空中戦力です。これを失ってしまえば……」

「わかっている。正面きって激突すれば我がほうは数で負ける。しかしな……」

 そこでウェールズはアンリエッタと、彼女のそばで控えているアニエスから教えられた、アルビオン軍の弱点と、魔法の使えない銃士隊がメイジと戦ってこれた戦法を応用して、その弱点を突く作戦を説明していき、全部を聞き終えた参謀は今度こそ本気で驚いた。

「そんな、しかしそんな戦法では我が軍の誇りに傷がつきましょう」

「馬鹿者! 負ければ奴らは我々のことを臆病で惰弱な愚か者だったと世界中に言いふらし、あらゆる歴史書にそう書き残されるであろう。そうすれば我らの誇りなど闇に葬られる。それに空から地上の人間を虐殺しようとしてくる敵に、なんの遠慮がいるのか!」

 宮殿の端整な貴公子から、戦場の猛将のものに変わったウェールズの怒声に、参謀は目が覚める思いがすると同時に、彼への評価を改めていった。

「わかりました。では命令を徹底しましょう」

「そうだ。あとは地上からの対空砲火で敵艦隊を漸減していく」

「それで、あの艦隊と戦えますか?」

「そこはやりようだ。敵とて無理をしてここまで来ている上に、艦隊に乗っている一万程度の戦力では七万の我々を制圧することはできないから、艦隊さえなんとかしてしまえばレコン・キスタの命脈はそこで尽きる」

 ウェールズは残された時間でいかにして敵艦隊を迎撃するか、脳細胞をここで使い切るくらいに考えた。こちらの持っている戦力はすべて把握しているから、あとはそれをどれだけ効率よく使い、敵の弱点をつけるかどうかで勝敗は決まる。彼は王党派の命運がかかっているのもあるが、とにかくじっと見守っているアンリエッタにみっともない姿は見せられないと考えていた。

 

「婦女子に戦争の手ほどきをしてもらうようでは、アルビオンの男は天下に大恥をさらしてしまうだろう」

 

 それは、敵襲の報告を受けてすぐのことであった。ウェールズは復帰してから調子を早く取り戻そうと、焦りながらもてきぱきと指示を出していっていたが、艦隊を相手にしては、とりあえず対空戦闘準備を命じたものの、すぐには続いて出す有効な手立てを思いつけなかった。

 だが、そうして悩むウェールズに、参謀が伝令のために立ち去って、人目がなくなったことを確認したアンリエッタは優しげに話しかけた。

「ウェールズ様、今はわたしもここにいます。あなたの苦しみはわたしの苦しみ、わたくしにもあなたの苦しみをわけていただきたく存じますわ」

「いや、アンリエッタ、君の気持ちはうれしいが、軍事上のことを君に相談しても仕方が無い。ことは君のような可憐な人には似合わない、殺伐とした世界のことなのだ」

「いいえ、確かに敵は強大ですが、敵は隠しようも無い弱点をいくつも持っています。それを突けば、勝利は遠くありませんわ」

 アンリエッタは驚くウェールズに向けて、レコン・キスタ艦隊の弱点を一つ一つ説明していった。

 空を飛ぶ艦隊は地上の軍隊にとって天敵と思われがちだが、決してそんなことはない。確かに、まともにぶつかれば力の差は圧倒的でも、巨艦をそろえたら強いのであれば駆逐艦や巡洋艦はいらなくなるし、陸戦でも歩兵より戦車が強いのなら歩兵はいらなくなるが、実際にそんなことはない。なぜなら、巨大であることはメリットだけでなくデメリットでもあるからだ。

「ある意味、追い詰められたのは彼らでもあるのです。なにせ、危険物を満載した当てやすい目標に潜んでいてくれるのですから」

 そう、戦艦とはいわば動く火薬庫で、もしそこに攻撃が命中すれば一瞬にして炎は自らを焼き尽くす。地球でも過去に不沈とうたわれた多くの巨大戦艦が、弾火薬庫への引火で沈没している事実からも、それは疑いない。また、図体がでかい分だけ攻撃をこちらから当てやすいというのもあり、舵、姿勢制御翼、マスト、指揮艦橋など、一発でも攻撃を受ければ艦の機能に著しい障害を負ってしまうところはいくらでもある。

 それに対して、防御を固めた七万の兵隊を高高度からの砲撃だけで全滅させるのは困難で、精密射撃を試みたり陸兵を下ろそうと低高度に下りようとすれば、降下中が絶好の攻撃のチャンスとなる。

「それに敵は指揮する貴族は後がなくなってヒステリーになっていますし、兵士は勝つ価値の無い戦いに厭戦気分が高まっているでしょう。そこにもつけいる隙はあります」

 それらの考察は、軍事の専門家を自負するウェールズをうならせるのに充分なもので、勝機があるどころか王党派の優勢をも示している。すなわちそれは、発想を転換してみればピンチはチャンスにもなるという、もう一つ言うならば心に余裕を持てというアンリエッタからのアドバイスであった。

「敵は数の半分の力も出せないでしょう。油断さえしなければ、恐れるべきものはありません」

「うむ。君の洞察力は、僕の想像を超えているようだ。けれど、君はそれほどの見識をいつのまに身につけたのだい?」

「ウェールズさまのお役に立てるのでしたら、わたくしは何でもいたしますわ。ただ、ちょっとわたくしは軍事顧問の先生に恵まれましてね、ほほ」

 軽く口を押さえて上品に笑うアンリエッタを、ウェールズは唖然として見ていた。

 

 

 両軍が激突したのは、それから二十分後の、双方の竜騎士隊の接触からである。

「撃ち落してくれる!」

「全騎、迎撃せよ!」

 レコン・キスタ軍二百十騎、王党派軍百騎の火竜、風竜の大部隊同士は正面きって激突した。

 たちまち竜のブレス、魔法の応酬、竜同士の牙と爪の組み合い、さらに近接しての騎士対騎士の肉弾戦があちこちで繰り広げられる。だが、最初の戦局は数で圧倒的に勝るレコン・キスタ側が優勢に進めた。

 状況が変わったのは、戦闘開始から十分ほど経ってからである。敵側の竜騎士はレコン・キスタ派の貴族が多数であるから、文字通り必死になって攻撃してきたが、ウェールズから作戦を与えられた王党派陣営の竜騎士隊は敵軍の凶熱をまともに受け止めようとせずに、戦力を温存しながら負けて逃げ帰るふりをして、追いかけてきた敵を友軍の銃兵の射程に誘い込んで撃墜していった。

「追撃戦をしているときこそ、一番敵の奇襲を警戒せねばならんものだ」

 これはアニエスがまだ無名であった銃士隊の原型の部隊を率いていた頃使っていた戦法の一つである。一部が負けたふりをして逃げ帰り、敵を逃げ場の無い十字砲火の巣に引きずり込んで殲滅するというもので、これに一度誘い込まれればメイジだろうがオーク鬼だろうが反応するまもなく蜂の巣になるのだ。

「卑怯な!」

 レコン・キスタ側の竜騎士は怒ったが、王党派の竜騎士は彼らとは反面、はぐれメイジやレコン・キスタに親兄弟を奪われた貴族の生き残りがその多数を占めていたから、勝つためには手段を選ばなかった。そのほかにも二、三騎で一騎を袋叩きにしたりと、数で勝る敵軍と互角の空中戦を演じた。

 

 そして、とうとうやってきた艦隊に対しての王党派軍の反撃は、卑怯な戦い方をしてきたレコン・キスタのやり方を跳ね返すような徹底したものが加えられた。

「ごほっ! ごほっ! くそっ、煙幕とは」

 接近して大砲を撃ってこようとしてきた艦隊に、風向きを計算して、二千の兵が油や木材を焚いて放たれた煙幕がもうもうと襲い掛かる。これは一見地味だが、軍隊なら必ずあるタバコの葉や竜など動物の糞を乾燥させたものをくべることで、催涙ガスともなって、煙の上がっていくほうにいる艦隊の将兵の目と喉を痛めつける。

「おっ、おのれ! 風のメイジは煙を吹き飛ばせ」

 それぞれの艦の艦長は当然の命令を出したが、これもまたウェールズの作戦のうちであった。密集した艦隊のそれぞれから放たれた『ウィンド・ブレイク』などは確かに煙を吹き飛ばす働きをしたものの、同時に煙の先にいた味方に当たって、敵の攻撃と誤解されて逆に風の槍を返されるという同士討ちがあちこちで見られた。

「うろたえるな、高度を上げて振り払え!」

 熟練の指揮官であるボーウッドは、味方の醜態に舌打ちしつつ艦隊を守ろうと命令を飛ばした。が、彼より爵位の高い貴族の艦長の操る船はその命令に従おうとせず、バラバラの方向に転舵して、挙句の果てに味方同士が衝突して沈没するという

最悪の展開を生み出した。

「連中は素人か、なにをやってるんだか」

 王党派のパリーという老いた将軍は、まともに統率すらとれていないレコン・キスタの艦隊に呆れかえった。敵の大艦隊が接近中の報を聞いたときには、皇太子殿下をお守りして名誉の戦死をとげようと覚悟していたのに、相手がこれではもったいなくて到底死ぬ気にはなれなかった。

 だがそれというのも、全体の最高司令官たるクロムウェルが艦隊戦はわからんよと早々に命令を出すのを放棄してしまったのが原因だった。あとは戦意だけはあるが協調性がない艦長たちが艦隊司令官の命令をあちこちで無視したり、戦意不足な兵士たちがサボタージュをしたりしたので、アンリエッタの予言どおりにせっかくの大艦隊も、その実力の半分も出せてはいなかった。

 それでも、まだ艦隊は健在であるので、今度は本格的な攻撃が艦隊に襲いかかった。

「高射砲隊、撃ち方始め!」

 地球の基準からいえば、それは多少長く見えるだけの鉄の筒にすぎないが、その砲は王党派がありったけの財力と交渉を駆使してもたった四門しか手に入らなかったというほどの代物だった。射程八リーグ、砲弾到達高度三千メイルと、砲兵器では砲亀兵と呼ばれる部隊が持つ、射程たった二リーグほどしかないカノン砲が最強クラスのハルケギニアでは、とにかくバカ高いことをのぞけば、戦艦殺しとして大いに期待される新兵器で、それが一斉に高度一千のアルビオン艦隊に向けて放たれた。

「着弾! すごい威力だ」

 放たれた四発の砲弾のうち、三発は外れてかなたの森に火柱を上げるだけにとどまった。しかし、護衛艦『エンカウンター』の右舷艦首付近に命中した一発は、艦首の兵員室を吹き飛ばした後に、二本あるマストの前部を倒壊させて、八百トン程度しかないこの船を、即座に戦闘続行不能、総員退艦に追い込んだ。

「全砲、射角調整急げ! いける、この砲なら戦艦でも沈められるぞ」

 だがそれでも、敵艦隊は数にものを言わせてくる。恐るべき対空砲火に犠牲を払いながらも、高高度から王党派軍主力の頭上に砲弾を降らせようと艦首付近の砲門を開き、砲弾を装填した。

「見ておれ、下賎なるものどもに鉄槌を下してくれるわ!」

 怒りに燃えているレコン・キスタの若い貴族の士官は、ともすれば手を抜こうとする兵士たちに杖を向けて脅しながら砲撃準備を整えさせると、やっと煙幕を脱して視界に捉えた王党派の陣地に向かって、「砲撃開始」と怒鳴った。

 火薬が砲内で一瞬にして燃焼して、そのガス圧で音速近くまで加速された球形の砲弾が数十発撃ち出されて、さらに重力の助けも借りて地上に這いずる敵兵を粉砕した。

「やったぞ、ようし、あの敵兵が固まっているところにどんどん撃て」

 調子付いた彼は、旗が何本も立って人影の多く見えるところへの砲撃を命じ、周りの艦の同じような若い士官もそれに続いた。

 だが、彼らにとっての敵は阿鼻叫喚どころかほくそえんでいた。

「馬鹿な連中だ。人形だということに気づいていない」

 そう、それは土のメイジが作った等身大の泥人形に、華美な貴族風衣装を着せたダミー人形でしかなかった。本物の人間は別のところに目立ちにくい格好で分散していたので、人的被害はほとんど発生していない。

 これが、熟練したボーウッドのような指揮官であったら即座に見破って無差別砲撃を加えていたであろうが、ダミーやカモフラージュといった戦法は効果、歴史ともに深く古いものである。創作だが古くは例えば三国志の諸葛孔明が赤壁の戦いでかかしを積み込んだ船に攻撃させて十万本の矢を集めたり、現実では近代でも爆撃から守るためにニセモノの工場や飛行場をわざわざ作ったり、停泊している航空母艦を迷彩ネットで覆うばかりか、甲板上に小屋まで建てて島に偽装した例が実際にあるので、若くて血気盛んだが経験不足な士官たちはこんなものでもあっさりとだまされてしまったのだ。

 ボーウッドは味方が見当外れの方向を攻撃していることに気づき、忠告してやめさせようとしたが、その隙に王党派軍の攻撃部隊は艦隊の真下にまで潜り込んでいた。

「目標は直上、全員撃て!」

 空に浮かんだ敵艦への最短距離である真下に陣取ったメイジたちは頭の上に向かって総攻撃を開始した。火球を投げつける者、空気の槍を発射する者、ガーゴイルを体当たりさせるものなどいろいろだが、目標は船にとって死命を決する最重要の木材である竜骨に集中していたのだけは変わりない。

 以前才人たちの乗った『ダンケルク』号が竜骨が折れかけて沈みかけたように、竜骨が折れればそのまま船は真っ二つになる。むろん軍艦は重要な部分の部品には念入りに『固定化』がかけられているが、それも同等以上のクラスの高レベルのメイジの連続攻撃に耐えるには限度があり、外れても船底はもっとも防御が薄い部分であるために、艦内に飛び込んだ魔法が被害を与えていった。

「真上と、真下、さて、もろいのはどちらでしょうか?」

 戦いは、情け容赦なく敵の弱点を突け。アンリエッタは彼女の軍事顧問から叩き込まれた鉄則を忠実に実行して、レコン・キスタ軍をすり減らしていっていた。

 

 これが、能力、士気ともに万全であったなら、レコン・キスタ軍は王党派に大打撃を与えられたかもしれない。だが、艦長や指揮官たちは戦闘意欲に著しく欠けるか戦意過多の両極端で、艦も実戦経験の薄く士気の低い将兵に操られていたのでは、そもそも勝てる道理がなかった。

 だが、まだ旗艦レキシントンほかの多数の艦が健在で、往生際悪く砲撃を続けてきて、こちらにも無視できない死傷者が出ている。アンリエッタは、敵が損害の大きさに驚いて撤退してくれればいいがと期待していたが、それがかなわないと悟ると、味方と、そして敵の犠牲をこれ以上拡大させないために切り札を投入することを決断した。

「やはり、使わざるを得ませんか……すみませんが、よろしくお願いいたします」

「御意」

 アンリエッタの命を受けて、それまで彫像のように直立不動の姿勢で彼女の傍らに立ち続けていた鉄仮面の騎士が、ゆらりと最敬礼の姿勢をとった。

 

 それから五分後、硬直状態にある戦場で、その姿を最初に見つけたのはレコン・キスタ艦隊の戦艦『レパルス』の見張り員であった。

「なんだ……鳥?」

 太陽の方向にちらりと見えた影が一瞬陽光をさえぎったので、手で光をさえぎりながらそれが何かを確かめようと見上げた。だが次の瞬間に、その影が今度は完全に太陽を覆い隠すと、それが鳥どころかドラゴンより巨大であると気づき、反射的に彼は絶叫していた。

「ちょっ、直上から敵襲ぅっ!」

 しかし、彼の叫びは艦長の命令ではなく、その鳥の方向から放たれてきた『エア・カッター』によって返答された。彼がまばたきしている間に、空気の刃はレパルスの四本あるマストを小枝のように切り払ったばかりか、甲板上にある人間と救命ボート以外の全てをバラバラに切り刻み、さらに舵をも破壊することによってこの船を瞬時に戦闘不能に追い込んだのだ。

「レパルス大破! 戦線を離脱します」

 ボーウッドの元にその報告が届いたときには、すでに第二第三の犠牲者がレコン・キスタ軍の沈没艦リストに予約を確定させていた。巡洋艦『ドーセットシャー』が特大の『エア・ハンマー』で甲板を押しつぶされ、戦艦『リベンジ』が『エア・カッター』で真っ二つにされて墜落していく様は、何人もが目をこすってほっぺたをつねってみたほどだ。

「いったい何が……」

 破壊された三隻から、乗組員たちが救命ボートで脱出を図っている。彼らにとってさらに信じられなかったのは、攻撃を受けた三隻ともに轟沈にはいたらずに、戦闘不能かゆっくりと墜落していくことになったので、乗組員のほとんどが無事に脱出できていることだった。

 が、それも三隻の艦を撃沈せしめた上空の敵が降下してきたときには、甲板上の全ての大砲を向けろという命令にすりかわって、彼らは対空用の榴弾を込めた大砲を謎の敵へとぶっ放した。

「二時の方向、仰角六十度、距離五百……撃てぇ!」

 いっぱいに上を向かせた大砲が硝煙と炭素の混じった黒煙を撒き散らしながら、小さな鉄の弾を数百数千と上空へ打ち上げていく。それらは徹甲弾に比べれば威力は劣るが、鉄の小弾丸が高速で当たるので竜の皮膚をも打ち抜く威力を誇る。

「落ちろ!」

 太陽を背にしているせいで、何がいるのかはよくわからなかったけれど、数十門の一斉射撃である。これにかかればどんな竜でもグリフォンでも逃げ場なく撃墜されるものと思われた。

 だが、数千の鉄の豪雨の中から姿を現したのは、血だるまになったドラゴンなどではなく、戦艦にも匹敵する広大な翼を広げながら、死神の鎌のような巨大なカギ爪を振りかざして急降下してくる怪鳥だったのだ。

「巡洋艦『ベレロフォン』、轟沈!」

 哀れにも最初の犠牲者になった二本マストの巡洋艦は、巨大なカギ爪に船体をつかまれると、そのまま大鷲に捕まった子牛が肉を引きちぎられるように、無数の木片をばらまきながら真っ二つに引き裂かれたのだ。

「巡洋艦を一撃でだと!?」

 軍艦の構造体には固定化がかけられていて、並の鉄骨くらいの強度があるはずだ。それを気にも止めずに力任せに引き裂いた怪鳥に、隣接していた艦から何人もの愕然とした声が流れたが、惨劇はそれで終わらなかった。それからわずか十秒の後に。

「戦艦『インコンパラブル』『インディファティカブル』、護衛艦『アキレス』撃沈! 戦艦『テメレーア』大破、戦線離脱します」

 四隻もの艦が撃沈破されたという信じられない報告がレキシントンの艦橋に届けられたとき、冷静沈着を持ってなるボーウッドも、思わず杖を落としてしまいそうになった。

「馬鹿な、いったい何が起こったというのだ!?」

「そ、それが……」

 報告を持ってきた兵士は、司令官の怒声に緊張しながら、自らもとても信じられなかった光景のことを説明しようとした。が、ボーウッドはそんな話よりも、艦橋の窓から見えてきた翼長五十メイルにもおよぶ巨鳥と、その背に立って杖を振り、一撃の『エア・スピアー』をもって巡洋艦の艦腹に風穴を開ける、鉄仮面の騎士の姿を見つけてしまっていた。

「あ、あれは……」

 ボーウッドの脳裏に、士官候補生だったころにトリステイン、ゲルマニア間で一週間だけ続いた国境線争いのとき、留学していたゲルマニア空軍の戦艦『ザイドリッツ』で体験した記憶が蘇る。

 あのとき、ゲルマニアは国境線に居座っていたトリステイン軍を空から制圧しようと、彼の乗る艦を合わせて十隻の艦隊を出撃させた。そしてこれで空軍の進出の遅れたトリステイン軍を追い返せるものと確信したが、その目論見はたった一人の騎士によって阻止され、あわや全面戦争もと思われた緊張は一週間の小競り合いで終了した。

 その騎士は、たった一つの魔法と、使い魔への一声の命令をもって艦隊の半数を撃沈し、指揮官を捕虜にして戦いを艦隊の降伏を持って終わらせた。

 幸い、『ザイドリッツ』は攻撃を免れて帰還したものの、あの恐るべき巨大竜巻と、羽ばたく風圧だけで戦艦を落とした巨鳥の姿は今でも忘れることはできない。

「まさか、あれは三十年も前のことだぞ……」

 しかし、彼の目の前では、その巨鳥が通り過ぎただけでマストを全てへし折られた戦艦がよろめきながら離脱していき、やっと大砲の照準をあわせた六隻の艦が四方から集中砲火を食らわせても、その騎士は杖の一振りで自らの乗る巨鳥の周りに風の防護壁を作って全弾をはじき返し、ケタ違いに大きい『ブレイド』で巡洋艦を輪切りにしてしまった。

 もう間違いはない。目の前の光景が記憶の中の伝説の仮面騎士と完全に一致したときに、彼は指揮官としての名誉も威厳もすべてかなぐり捨てて叫んでいた。

「反転百八十度、全軍撤退! 『烈風』だ! 『烈風』が現れた!」

 それは、レコン・キスタ艦隊の、実質の敗北宣言であった。

 

 そして地上でも、ケタ違いの強さで次々と敵艦隊を撃沈していくたった一人の騎士に、ある者は胸躍る快感を、ある者は恐怖を、ある者は信頼と尊敬のまなざしを向けていた。

「あの方が、あの伝説の『烈風』……なんという強さだ」

 ウェールズは、自らもトライアングルクラスの使い手ながら、そんなものがまるで通用しない次元の戦いを、呆然とアンリエッタとともに見ていた。

「はい……本来はもう戦場には出ないと決めていたそうですが、この世界の危機に、決して侵略には力を使わないということを条件に力を貸してくださいました」

 今は仮面をかぶって正体を隠しているが、『烈風』カリンことカリーヌ・デジレとその使い魔の古代怪鳥ラルゲユウスのノワールは、かつてタルブ村を滅ぼしかけた吸血怪獣ギマイラをはるかに超える脅威に、佐々木とアスカから教わった勇気を次世代に伝え守るべく、再び立ち上がったのだった。

「そうか、君の軍事顧問というのは」

 彼はそれでアンリエッタの急激な成長の理由の一端を理解した。確かに、教師としてはこれ以上の存在はハルケギニア中に二人といるまい。

「それにしても、犠牲者が極力出ないように手加減してくださいとは言いましたけれども、やはりすさまじいものですわね」

「なっ……あ、あれで手加減しているのかい!?」

 確かに見た目には派手に暴れているように見える。だが実際には攻撃はマストや風石の貯蔵庫などに集中して、船体を破壊されたものも浮力を残したままゆっくりと墜落したので、被害の割には死傷者の数は驚くほど少なかった。

 

 だが、全軍撤退を指示したボーウッドの指令は、当然ながらクロムウェルに却下されていた。

「なぜ逃げる、撤退の許可など出していないぞ」

「もう勝ち目はありません! 敵は伝説の『烈風』です。あれに敵う者など全世界に一人とて存在しません!」

 ボーウッドは説明する暇すら惜しく、自分がどれほどの醜態をさらしているのかすら念頭にない様子で、ひたすらに全速力で逃げるようにとの命令のみを発し続けた。今の彼は、まるで雷に怯える幼児のように本能の底から湧き出る恐怖に支配されていた。

 けれどもクロムウェルは能面のように穏やかな表情のままで、ボーウッドの肩に手を置いた。

「ほほお、あれが噂に聞く烈風か、確かに噂にたがわぬすさまじい力よ。だが落ち着きたまえ、君の気持ちはわかるが恐れる必要はない。我らにはあれに匹敵する切り札があるのだ」

「は……ははあ」

 ボーウッドは、枯れ木のように細い腕ながら、びくともしないほどに強い力で肩を押さえてくるクロムウェルの笑顔に、まるで触られたところから生気を抜かれていくような冷気を感じて、それ以上口を開くことができなくなった。

 もしこのとき、クロムウェルの秘書扱いであるシェフィールドがそばにいればクロムウェルの異常に気づいたかもしれない。しかし彼女は万一にも艦橋への被弾が起こることを恐れて、遠方からガーゴイルを使って高みの見物を決め込んでいた。

「無様ね……せめてウェールズと刺し違えることくらいできれば、お前を使ってもう少しこの国で遊べたのだけれどもと、あの方もご慈悲を与えてくれるものに」

 せせら笑いながら、万一にも勝てたらもう少し生きながらえさせてもとと、シェフィールドは心にもないことを考えた。ところが、彼女はすぐに自分の目を信じられない光景を目にすることとなった。

 それは、レコン・キスタ艦隊のめぼしい大型艦を戦闘不能にしたカリーヌがレキシントン号の前に出たとき、艦首に見覚えのある人影がたたずんでいるのに気づき、翼を止めて睨みあった。

「ワルド子爵……」

「ふふ……お久しぶりですな、教官殿」

 そこには、グリフォン隊の隊長にしてカリーヌの不肖の弟子、しかし今や汚らわしい裏切り者として汚名をさらすワルドが、不敵な笑みを浮かべていたのだ。

「話は聞いている。私欲のためにレコン・キスタと通じていた……そうだな?」

「ええ、間違いなく」

 悪びれた様子もなく明確に答えたワルドに、鉄仮面の下でカリーヌは舌打ちをして、杖の先をワルドに向けた。

「ふん、私はランスの戦いで戦死した貴様の父上にも昔世話になったし、お前のメイジとしての将来にも期待していた。だからルイズとの婚約を了承したのだが、どうやらとんだ見込み違いだったようだな」

「見る目が無いというのは、つらいものですねぇ。あははは」

 短い間とはいえ、教え子だった男に反されて、なおかつ愉快そうに前よりもやや濃くなった口ひげを揺らしながら笑うワルドに、カリーヌは娘の将来をもてあそばれたことも含めて、すでに決めていたことだが、あらためて強烈な殺意を覚えた。

「なにが目的だ、金か? 権力か? ……いいや、今更そんなことはどうでもいいな。その体は使い心地がいいか?」

 カリーヌはすでにワルドが何者かに体を乗っ取られてしまった経緯を聞いていた。つまり、目の前にいるのはワルドであってワルドではない。しかし、そんなことはもはやどうでもよく、乗り移った奴ごと粉砕してやるつもりだったが、ワルドは余裕でレイピア状の杖を抜いてカリーヌに向けた。

「ふふ、まあ確かにそんなことはどうでもいいですな。だが、私がこの体を無理矢理所有していると思ったら大間違いですよ。『ウィンドブレイク!』」

「なに!?」

 ワルドの杖から放たれてきた空気の弾丸を、カリーヌはとっさに杖をふるってはじき返したものの、その威力はかつてのワルドのものよりも強力で、カリーヌの杖を握る手がわずかにしびれた。

「貴様、魔法は使えなくなっているはずではないのか?」

「ふっふっふ、それなりに利用価値がありそうな男だったので乗り移ったが、この男はお前たちが思っていたよりも大それた野心と欲望を持っていた。そのためになら悪魔にでも魂を売ると……だからこそ、”私たち”の利害は一致したのだよ」

「ちっ!」

 再び撃ちかけられてきた『ウィンドブレイク』『エア・ハンマー』を跳ね返しながらも、その威力に押されてカリーヌは使い魔のラルゲユウス・ノワールを後退させざるをえなかった。

「なるほど、ワルドの人格と欲望を取り込んだのか……ということは、貴様はワルド本人でもあるということだな?」

「ええ、あなたに受けた修行の数々や、ルイズの可愛らしい顔もよーく覚えていますよ。ルイズを私のものにできれば、ヴァリエールの名もあっていろいろと便利な道具になると思って小さい頃から面倒を見てきたというのに、今となってはすべて徒労になって残念ですよ」

「……」

「ですが、あなたの娘さんは本当に純情で愛らしくてなかなか楽しかったですよ。そうだ、ルイズは落ち込むといつも湖のボートで小さくなっていて、私が慰めにいくと……」

「もういい、その汚らわしい口でこれ以上私の娘の名を呼ぶことは許さん。これでもう、私は貴様への情けなど欠片も持たなくてよくなった。覚悟しろ、生きたまま五分刻みで解体してくれるわ」

「ふふ、ご老体にできますかな?」

「この『烈風』をなめるなよ。確かに魔法を使えるようになった上に威力も本来の奴のものよりも強化されている。だが、それだけで私に勝てると思っているのか?」

「ふっ、確かに攻撃力はともかく戦艦に乗ったままのこちらは機動力で分が悪い。ならば……いでよ、サタンモア!」

 ニヤリと笑ったワルドが指をはじくと、レキシントンの上の空がガラスのようにひび割れて砕け散った。そして真っ赤な裂け目が現れた空間から、壊れた笛のような甲高い鳴き声をあげて、鋭い口ばしと流線型のシルエットを持つ、全長六十メイルにも及ぶ怪鳥が飛び出してきたのだ。

「なに!? 避けろ、ノワール!」

 怪鳥が大きく開いた口から発射してきた火炎弾を、カリーヌはとっさに使い魔を急旋回させてかわした。しかし怪鳥は飛び乗ってきたワルドを背に乗せると、カリーヌとノワールに向かってきた。

「それが、貴様の新しい使い魔か?」

「ふふふ、こいつの名は大怪鳥円盤サタンモア、これで条件は対等ですな。では、かつて『烈風』と呼ばれたあなたと、『閃光』の異名をとるわたくし、共に風のスクウェアとして、どちらが最強か決闘といこうではないですか!」

「ほぅ……私に決闘を挑む者など、もう一生現れまいと思っていたが、おもしろい。多少強くなった気でいるようだが、身の程というものを思い知らせてやろう」

「ふはは! では、お世話になったご恩返しをさせてもらいましょう」

「ほざけ、すぐに化けの皮をはがしてくれる!」

 

『ウィンドブレイク!』

『エア・ハンマー』

 

 二人の放った空気の弾丸同士が空中でぶつかり合って、まるで台風のような爆風がレキシントンやレコン・キスタ艦隊どころか、地上の王党派軍にも降りかかる。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 かつて、ハルケギニア最強とうたわれた『烈風』カリンと、その使い魔の古代怪鳥ラルゲユウスのノワールに対するのは、ヤプールに支配されて、その実力を何倍にも増加させた現トリステイン最強の魔法騎士『閃光』のワルドと、かつてブラックスター九番目の殺し屋としてウルトラマンレオを苦しめた円盤生物サタンモア。

 その人知の想像を超えた激突に、至近で爆風を食らったレキシントンのボーウッドも、思わず指揮を忘れて見とれてしまった。

「あ、あれが切り札?」

「そう、我らの崇高な志に共鳴して同志にはせさんじてくれたジャン・ジャック・フランシス・ワルド子爵だ。とある事情でこれまで実力を隠していたが、彼さえいれば『烈風』などは恐れるに足らんさ。さあ、攻撃を続けたまえ」

「ほ……砲撃を始めよ!」

 優しげに肩を叩くクロムウェルの笑顔に、ボーウッドは催眠にかかったように王党派への攻撃を命じた。一隻で並の戦艦三隻分に匹敵するレキシントンの全砲門と、残存艦隊の大小かまわない弾雨が切り札を封じられた王党派軍に降り注ぐ。

 

 だが、はるか上空ではそんな戦いすら児戯にすら思えるような、風と風、雷と雷、牙と牙、爪と爪がぶつかり合う。

 アルビオンの空に、真の最強を決する激戦の幕が切って落とされた。

 

 

 続く



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第82話  アルビオン決戦 烈風vs閃光 (後編)

 第82話

 アルビオン決戦 烈風vs閃光 (後編)

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

 

 地上へ向かって艦砲射撃を加える戦艦レキシントンをはじめとするレコン・キスタ残存艦隊と、それを全力で迎え撃つアルビオン王党派とトリステイン連合軍。

 レキシントンに百門近く搭載された新式カノン砲が火を噴くと、地上で身を隠す兵隊が何人か、伏せていた穴ごと掘り起こされて粉砕される。だが即座に王党派軍も新型高射砲や制空権を確保した竜騎士隊で応戦し、この大型戦艦や護衛艦艇にダメージを与えていく。

 

 だが、彼等のはるか上空では、それらとはまったく次元の違う戦いが繰り広げられていた。

「はっはっはっは! 遅い遅い! 『烈風』の異名はその程度ですかな?」

「ほざけ、速さだけが空中戦ではないぞ」

 大気を裂き、雲を散らして二羽の巨大怪鳥と二人の騎士が火花を散らす。

 一方は、古代怪鳥ラルゲユウスに乗る『烈風』カリンことカリーヌ・デジレ。

 対して円盤生物サタンモアを操る『閃光』のワルド。

 『風』のスクウェアメイジである二人の戦いは、両者とも自らの周りに空気の防護壁を張ることで、マッハを超える巨大怪鳥の速度によって生まれる強烈な衝撃波や、高高度での気圧の減少から身を守って戦っていたが、いわばジャンボジェット機以上の大きさの戦闘機が超音速で空中戦をやるわけであるから、そのソニックブームが生み出す爆音はレキシントンの艦砲射撃以上のすさまじさを持って、あまねく地上を揺さぶった。

「ふん、このノワールより速いとはやるな。だがその程度の機動性ではこいつは捕らえられん」

 両者の空中戦は、速度に勝るサタンモアが優勢に見えたが、ラルゲユウスも小回りの効きのよさでは勝り、後ろに回り込もうとするサタンモアを機敏にかわして、逆に回りこむチャンスを狙っていた。

 これは、同じ鳥型怪獣でも、サタンモアのまるで水中へ飛び込む前のカワセミのように流線的なシルエットは、明らかに速度を出すのには有利であったものの、必然的に浮力を得にくいし安定性は悪くなる。そのためホバリングはできるものの、大気圏内での旋回能力は低く、反面ラルゲユウスはそのまま巨大な鳥であるために宇宙は飛べず、速度もマッハ1.5が限界だが、巨大な羽は空気を掴みやすいために小回りが効く。

「どうした? いつまでもぐるぐる回っているだけではつまらんぞ」

 いくらワルドが後ろに回り込もうとしても、カリーヌはそのたびにノワールに的確な指示を与えて、何度やっても無駄であることを知らしめる。ワルドも、互いに相手の尻に食いつこうとする一般的な空中戦では勝負がつかないと、ドッグファイトをやめさせた。

「ふん、ちょろちょろと小雀はすばしっこくて困る。ならば杖で決着をつけてくれようぞ、『エア・カッター!』」

「望むところだ、『エア・カッター!』」

 空中で二つの空気の刃が激突し、一瞬つばぜり合いのように押し合った後で、互いにエネルギーを使い果たして元の空気に戻る。

 だが、両者の魔法の応酬はそんなものではすまなかった。

『ウィンドブレイク』対『エア・ハンマー』

『エア・カッター』対『ウィンドブレイク』

 空気の弾丸や、真空波の大太刀が作り出されては相殺、回避を繰り返し、そのたびに津波のような衝撃波が発生しては、さらなる衝撃波に飲み込まれていく。さらにはタバサでさえまだ使えないような強力な呪文や、魔法の高速連射などの超高等戦法が瞬きをしているあいだに繰り出され、戦いは激化の一途を辿る。

 その様子を、アンリエッタやウェールズは後方陣地から『遠見』の魔法を使って見ていたが、とても若輩な自分たちが評論できるような戦いではなく、なにが起こっているのかすら、把握するだけで精一杯だった。

「信じられない。あれが、人間の戦いなのか……」

 ウェールズのその感想は、この戦いを見ていた人間全員を代表したものであった。

「わたくしも、伝説は時が経つに連れて誇張されていったものだと思っていましたが、人間の想像力というものが、いかに現実に対してちっぽけであるかを思い知りました」

 二人とも、メイジとしてはスクウェアに限りなく近いトライアングルクラスの使い手である。その二人をもってしても百人がかりでも一蹴されると思えるほどに、次元が違う世界の戦いだった。

「あれほどの騎士がわが国にもいたら……しかし、あの『烈風』と渡り合っている敵の騎士、あれほどの者がレコン・キスタにもいたのか」

「……」

 アンリエッタは忠臣と信じていた者の裏切りをすでに知り、いずれは自分の前に立ちふさがってくることを覚悟はしていた。しかし、こうして目の当たりにしてみるとふつふつと怒りが湧いてくるのを、はっきり感じていた。

 切り札である『烈風』が戦線を離脱し、戦局は再び荒れ模様となっていく。だが、上空でいかな強靭な竜でも追いつけないような超音速の激闘を繰り広げる二者の戦いには、援護などという言葉は浮かんでこず、ひたすら『烈風』の勝利を祈り続けるしかなかった。

 

 

 だがそのころ、北の空にはもう二つの小さな影が現れていた。

「見えた! ちっ、もう戦いがはじまってんじゃねえか!」

「けどギリギリ間に合ったみたいよ! 急いで」

 ともすれば停止しそうになるエンジンをあやしながら、才人とルイズを乗せたゼロ戦と、タバサたちを乗せたシルフィードは目的を果たすことができないままで、やっとここまで戻ってきたのだった。

 遠くには、レコン・キスタ軍の大型戦艦が地上へ向かって大砲を撃っている姿と、迎え撃っている対空砲火の煙が見える。あんな大きな船が相手では、王党派はさぞかし苦戦しているだろうとルイズは思ったが、戦いが続いているということはウェールズはまだ無事なのだろうと、希望を持った。

 けれど近づくにつれて、一度この艦隊を見ているキュルケたちは、艦隊の数がさきほど見たときより大幅に減っていることに違和感を覚えて、さらに近づくと森や草原のあちこちで沈んだ船が煙をあげているのを見つけて驚いた。

「うっそ、あれだけの艦隊を地上兵力だけで半減させちゃったの?」

「ううむ、信じられん」

 軍事に専門的な知識を持つキュルケやミシェルは、常識的に考えてありえない展開に唖然とした。もちろん、彼女たちが両軍の内情や戦いの経緯などを知るはずもないが、やがて陣地のかなたにアルビオンの旗と並んでトリステインの旗と王家の紋章を見つけると、ここで何が起こったのかの一部を知ることができた。軍旗はともかく、トリステインの王家の紋章をかかげることのできる人間は一人しか存在しない。

「トリステイン軍が、姫様が援軍に来たのよ!」

 それはまったくルイズにとって最高の意味で予測を裏切る出来事であって、むろん才人たちにとっても、想像の範疇を超えたことだった。

「あの姫様、そこまでやるか」

 二人が最近のアンリエッタに直接会ったのは、終業式の日の夜に呼ばれていったときの一回だけで、確かに非凡な才覚の持ち主のようであったが、まさかあの華奢な体で自ら戦場に乗り込んでくるとは。

「人を見た目で判断するものじゃないってのは、本当なのねえ」

「……」

「姫様……」

 キュルケたちも、空中艦隊に一歩もひかずに応戦する二カ国連合軍の士気の高さを遠くからでも感じた。

「このままなら、何もしなくても勝っちゃうんじゃないの?」

 ルイズなどは本気でそう思ったくらいだが、軍事の専門家であるミシェルなどから見れば、補助艦艇はともかくレキシントン級の戦艦を撃沈するには決定力が欠けているように見えた。事実、圧倒的な威力を発揮した新型高射砲もそれゆえにレコン・キスタ艦隊の集中砲火にあって四門のうち三門が破壊されて、たった一門では照準修正もしがたく、苦戦を余儀なくされていた。

「レキシントン一隻のために、犠牲は増える一方だ。それに、あの艦には奴がいる」

 脇腹の傷を押さえながら、ミシェルは目元にかかった青い髪をたなびかせてつぶやいた。

 そう、敵がレコン・キスタと艦隊だけであれば自分たちの出る幕はなく、戦争は軍隊にまかせておけばすむ。しかし裏でヤプールが糸を引いているのならば、人間たちが役に立たなくなったら、すぐさまクロムウェルに擬態させてある尖兵を使って無差別破壊に出てくるだろう。勝ったと思ったら、戦場のど真ん中に超獣が出現しましたとなっては目も当てられない。

「隊長はわかっているはずだが、この乱戦でそれどころではないのか……」

 戦闘空域のギリギリ外を飛びながら、戦局を見渡そうとしても戦塵や煤煙で見通しが悪く、才人などは、

「いっそ敵旗艦に強行突入して白兵戦でクロムウェルを倒すか?」

 などと冗談半分に言ったが、ハリネズミのような対空武装をしている敵艦にはいくらゼロ戦でもたどりつけそうもない。それ以前にこのまま直進したら戦闘に巻き込まれかねないので、うかつに近づくわけにもいかなかった。

「けど、このままここでこうしていても変わらないわ。遠巻きに観ていて、なにかあってから飛び込んでも手遅れになるわよ」

「気持ちはわかるが、おれたちだけで飛び込んで何ができる? かえってアルビオン軍の邪魔になるだけだぞ。それに……」

 そこから先は言わなかったが、才人はゼロ戦の機銃をレコン・キスタでも人間には使いたくなかった。元より戦わされている兵士のほとんどは理由も無く、強制されたりだまされたりした被害者であるし、なにより一般的な高校生だった才人は殺人に大きな抵抗感を持っていた。

 それでも、下手に飛び込んだら所属不明な彼らは両軍から敵とみなされて袋叩きにされることはルイズにもわかる。考えに詰まった彼女を見た才人は、シルフィードで並行しているキュルケたちに助言を求めた。戦場での実戦経験や判断力といえば、対怪獣専門の才人より軍門の名家の出身であるキュルケや、彼はまだ知らないが花壇騎士のタバサ、それから本職の軍人であるミシェルのほうが当然優れていて、彼女たちはいくらか話し合ったあとで、才人に向かって叫んできた。

「おーい、とりあえず姫様が来てるのなら、指揮系統に問題はないわ! わたしたちはとにかく少し様子を見ましょう。今動いてもやぶへびになるだけだわ」

 戦争という巨大な歯車が一度動き出したら、もはや個人の力で止めることは不可能であった。せめて、あの時空間での戦いが無く、艦隊の出航前に叩けていたらと思うと残念でならない。この世界を混沌に導こうとする何者かの意思が複雑に絡まりあったことが一因であるとはいえ、人と人とがそれぞれの生存をかけての戦いにはウルトラマンの入り込む余地はなかった。

「わたしたちって、無力なのね」

 力が欲しいとルイズは思った。あの巨大な戦艦を沈めるほどの力が自分にあれば、こんな無意味な戦いはすぐに終わらせられるのに、なぜお母さまはあんなにすごいメイジなのに、自分にはその片鱗もないのだろう? 

 だが才人は、そんなルイズの苦悩をなんでもないことのように、のんきに声をかけた。

「世の中、なるようになることとならないことがあるさ。そう気を落とすなよ、お前は責任感は強いけど、くそ真面目すぎるのが欠点だからな」

「なによそれ、あんたわたしをバカにしてるの?」

「だーから、お前はおれより頭いいから考えすぎるんだよ。いいか? ただの女学生とその他少々が集まったくらいで戦争止められたら誰も苦労しねえよ。だろ?」

 そう言われるとぐぅの根も出なかった。才人とて、このゼロ戦で助太刀に入りたいのはやまやまだが、あの戦艦などを見てしまったら、とても二十ミリ機関砲程度では歯が立たないとわかるし、やはり人は撃ちたくない。

「それにしても、あんたってどうしてそうのんきにかまえてられるの」

「誰かさんの扱いを受けてるうちに慣れたんだよ。さて、ここじゃまだ遠いからもう少し近づいておこうか、ようし、行くぞ」

 二人を乗せたゼロ戦とシルフィードは、戦火の激しい区画を避けて連合軍の本陣のほうへと慎重に近づいていった。

 だが、思えばこのとき、ルイズはある可能性について冷静に考えれば気づいてしかるべきだったのだが、気づいたときには手遅れになっていた。戦場へと近づくにつれて、一行の耳に響いてきた大砲の音とは違う爆音。ルイズはそれを最初はなにかしらと思っても、別に気にも止めずに聞き流していたが、数秒後に自分の注意力の無さを盛大に後悔することになる。

 戦場に近づくゼロ戦とシルフィードを突然襲った真上からの突風。それに驚いて、思わず上を見上げたルイズの目に映ってしまった信じられないものが、その答えだった。

「あ、あ……」

 このとき才人がルイズの顔を見ていたら『血の気が引く音がする』珍しい光景をじっくりと観察できただろう。彼女の両のとび色の眼に飛び込んできたのは、彼女にとって小さいころからようく見慣れた……

「……て」

「え? なんだって」

 ひざの上で突然小さくなったルイズの発した声を、才人は最初聞き取ることができなかった。

 しかし、ルイズは突然振り返ると、才人の襟元をむんずと掴んで、血走らせた目をいっぱいに見開いて怒鳴った。

「引き返して! 今すぐに! 早く!」

「なっ! なに!?」

 何かに取り付かれたかのように、ルイズはつばを吐き散らすほどに取り乱して才人に詰め寄り、困惑した才人が相手にならないとわかると、自ら操縦桿を飛びついて倒そうとした。

「バカ! なにすんだ」

「うるるう、うるさいうるさい! にに、逃げないと! いゃぁ! お母さま、ごめんなさいぃっ!」

「あっ、フラップが! あっ……わーっ!」

 錯乱したルイズがでたらめに操縦桿を動かしてバランスを崩したゼロ戦は、さらに空気抵抗を調節するための可変翼(フラップ)を突然動かしたために、完全に失速して墜落を始めてしまった。

「うわーっ!?」

「いゃー! ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!」

 きりもみしながら落ちていくゼロ戦は、そのままだったら地上に激突して砕け散っていただろう。だが幸い間一髪のところで、タバサたちがレビテーションで救い上げてくれて助かった。

「まったく、なにをやってるんだミス・ヴァリエールは、サイトを殺す気か!」

 ゼロ戦のコクピットの中でいまだに暴れているルイズを見て、ミシェルは自らもレビテーションをかけながら、かろうじて間に合ったことに胸をなでおろしつつ怒ったが、ルイズの錯乱の原因をなんとなく察したキュルケとタバサは彼女の名誉のために一言付け加えた。

「複雑な、家庭の事情があるんですわよ」

「……お母さんが、来てる」

 天敵というものが人間にも存在するのならば、ルイズにとっての根源的な恐怖の対象はまさにそれであった。だが彼女たちも、ヴァリエール家で粗相をした者が受ける『高度五千メイルのおしおき』の恐ろしさは知らない。

 

 

 しかし、娘のそんな醜態を見たら怒髪天を突いたであろう母親は、今ほかの何人もたどり着くことのできないであろう空の上で、さらに戦いを激化させていた。

『ライトニング・クラウド!』

 雷撃と雷撃がぶつかりあって、山のかなたまでとどろくほどの雷鳴を生み出す。

「くっ! ただの人間が、これほどの力を持っているとは!?」

「雑魚が多少力をつけたところで、多少強い雑魚になるだけだ。どうした、もう息切れか?」

 パワーアップしたワルドは、自らが人間を超えた存在になったと自信を持っていたが、世の中上には上がいる。彼が見てきた『烈風』は、あれでも全然本気を出していなかったことを思い知らされていた。

 なにせ、同じスクウェアクラスでも魔法力のケタがまったく違う。いや、メイジとしては最高位にあるスクウェアクラスだからこそ、ほかのクラスとは違って上限がないために個々人の実力差が極めて大きく出ていた。

「魔法の威力は、そのメイジが待つ精神力を、いかに多く、また強く込めることによって決まるといっていい……が、俺は並のメイジ百人近い容量を持ったというのに、奴の容量はまるでラグドリアンの湖のように、まったく底が見えない」

 ワルドの人間だった部分が、カリーヌがいまだにまったく疲れを見せないことに焦りを感じていた。元よりワルドも『烈風』の伝説を聞かされて育ち、その実力を訓練とはいえ間近で見たことから、これなら勝てると踏んだのに、まったく話が違う。五分に渡り合えたのは最初だけで、互角の魔法戦を演じた結果は、精神力の絶対量に劣るワルドがじり貧に追い込まれていた。

「どうした? いっそその貧相な器を捨てて、さっさと本性を見せたらどうだ? そのほうが私もはりあいがあるというものだ」

「ぐぬぬ……人間の分際で」

 ワルドの肉体を乗っ取り、その人格をも同化吸収しかけているものは、カリーヌの挑発に、ワルドの人格を押しのけて外に出掛かったが、なんとか思いとどまった。奴にとっては、執念、妄念、つまりはマイナスエネルギーに溢れたワルドの体は非常に居心地がよく、簡単に捨てるのは惜しかったし、なにより人間に負けて本性を現すというのは、高度な知的生命体である奴には屈辱であった。

 また、ラルゲユウスに対抗しているサタンモアも、生物兵器としての差から速力や武器では上回っていたが、生まれたばかりで戦闘経験が不足していたのが響いてきていた。どうしても飛行に無駄が出てしまい、何十年にも渡ってカリーヌとともに戦場の空を駆け巡ってきたノワールをまったく捉えることができなかったのだ。

 だが、追い詰められたとはいえ、奴はヤプール譲りの悪辣な知力と、ワルドの持っていた戦術家としての能力を駆使して逆転の方法を考えて、やがて一つの結論にいたると口元を歪めて笑った。

「フフフ、確かにあなたは人間にしては強い。だが、あなたもちっぽけな他人のために弱くなるくだらない人間には変わりないでしょう!」

 ワルドが叫んだとき、サタンモアの腹の穴から、全長三十サント程度のサタンモアとよく似た姿かたちをした小型の怪鳥が無数に飛び出した。そいつらは、まるでカラスの群れのように鋭い口ばしを振りかざして、地上の人間たちを目掛けて急降下していく。

「貴様、何を!?」

「ふははは! あれぞ小型怪鳥円盤リトルモア。宙を舞って人間の肉をついばむ悪魔の群れに、お前の仲間たちが餌食になるのを見るがいい」

「なんだと!」

 カリーヌは慄然とした。サタンモアから射出される小型怪鳥円盤は大きさこそカラスくらいしかないが、天を覆うコウモリの群れのようなすさまじい数で王党派軍全体にいっせいに襲い掛かり、素早い動きで剣や槍のすきまをかいくぐって人間に鋭い口ばしを突き立てて血をすすっていく。

 

「うわっ! こいつらっ!」

「ぐぇっ、やめろぉ!」

 

 軽装の鎧くらいは簡単に貫通する鋭さと強度を持つリトルモアのくちばしについばまれて、兵士たちが次々に血を流して倒れていく。もちろん人間たちの側も応戦して、何羽かを叩き落したり、魔法で撃破したりしているのだが、サタンモアからは無限であるかのようにリトルモアが射出され続けて、人間たちの抵抗をあざ笑うかのように攻撃を続けていった。

「ちぃっ! 『カッタートルネード!』」

 リトルモアの群れへとめがけてカリーヌの巨大真空竜巻が突進していき、千羽近くを切り刻むが、その隙を見逃すワルドではなかった。

「隙あり! 『エアカッター!』」

 空気の刃がカリーヌのそばをかすめて、マントの先を切り裂き、鉄仮面に亀裂を入れさせる。カリーヌ自身に傷は無いが、はじめてワルドの魔法がカリーヌに当たった。

「ふっふっふっ、いかな『烈風』といえども、私と戦いながら地上の人間どもまで守ることはできまい。偏在を使えば分身はできるでしょうが、使い魔までは増やせませんし、私相手にそんな余裕がありますかな?」

 勝ち誇ったように杖を向けてくるワルドに、カリーヌは軽く息を吐き出すと目に宿った光を別個の次元のものへと変えた。

「なめてくれたものだな。こんな姑息な策でもう勝ったつもりとは……仕方ない、出来の悪い弟子に、特別補修をくれてやろう」

 言い終わった瞬間には、すでにカリーヌは超高速で詠唱を終えて杖を振り下ろし終わっていた。

「ちっ! エア・カッターか!? いや!」

 ワルドの動体視力は確かにその、空間を歪めて飛んでくる不可視の刃を見破ってはいた。しかしそれは一発や二発ではなく、風に吹かれて飛んでくる木の葉のように瞬間的に数十発まとめて飛んできて、とても相殺することはできないと見たワルドは『エア・シールド』で身を守ったが、そのときにはラルゲユウスが猛烈な勢いで突進してきており、サタンモアと激突してふっとばし、間髪いれずに『ライトニング・クラウド』の直撃が来た。

「うがああっ!!」

 ワルドの口から絶叫が吐き出され、サタンモアから薄い煙があがる。ワルドが憑依によって肉体強化されていなければ、瞬時に感電死していたであろう。だが、死んでいない以上カリーヌの攻撃は緩まずに、さらに強力な雷撃の集中がワルドを痛めつける。

「がああっ、おのれっ!」

 このままでは生きたままローストチキンにされると思ったワルドは、無理矢理に思念波をサタンモアに送って、目から発射される破壊光線で攻撃をやめさせるとともに、ついに奥の手を出すことにした。

「ユビキスタス・デル・ウィンデ……」

 サタンモアの上でワルドが分裂して人数を増していく。先程カリーヌに使用を示唆した分身魔法『偏在』で、その数は総勢三十体。

「見たか! 今の俺はこれほどの数の偏在を可能にした。これほどの数、貴様でも不可能だろう!」

 三十人もの同じ顔が同時にしゃべるのは異様であったが、偏在は単なる分身ではない。個々が意思を持つと同時に全体がつながっており、一つ一つがオリジナルとまったく同じ能力を持つために、その戦力は正しく三十倍になっていた。なのに、カリーヌは慌てた様子などかけらも見せなかった。

「やってみろ、私は一人でいい」

 平然と、しかしあからさまな侮蔑の意思を込められた言葉をぶつけられて、ワルドの怒りは頂点を迎えた。

「言ったな、ならば死ねい! 『ライトニングクラウド!』」

 三十人のワルドがいっせいに唱えた、三十倍に拡大された超巨大雷撃がカリーヌに襲い掛かる。しかしカリーヌはワルドがライトニング・クラウドを発射する前に、魔法で周辺の湿度、気圧、大気組成を変化させていた。つまり、自らの周りはきわめて伝導性が低く、逆にその外は伝導性がよいように仕組んでいたために、雷撃はカリーヌの周りだけをきれいに避けていってしまったのだ。

「な、にぃ!?」

「風のメイジの本分は風を己の体と同じにすることにある。お前にとっては単なる道具にしか見えないであろう大気は、本当は血液のように複雑で絶えず脈動しているのだ。単なる力しか見えない貴様では、私には到底勝てん」

 カリーヌの強さは、単にその常人を超えた魔法力にあるのではない。マンティコア隊の隊長としていくつもの内乱を収めてきたことを初めとして、吸血怪獣ギマイラに苦杯をなめたことから、諸国を渡り歩いた修行の旅で数え切れないほどの強敵との命を懸けた戦いで磨きぬいてきた、究極とも言っていい戦闘感覚が、魔法力を何倍にも引き上げているのだ。

「まさか貴様、それでもまだ本気を出していないというのか?」

「さあな、試してみたらどうだ? お前の命を授業料にして、講義してやってもよいぞ」

「うぬぬ、なめおってえ! 死ねえ!」

 逆上したワルドが嵐のような魔法の連射を放ち、さらに彼らを乗せたサタンモアも甲高い鳴き声を上げて、口からの火炎弾を連射しながら突撃してくる。

「ノワール、好きなように飛べ、どうせ当たらん」

 カリーヌは何十年も共に戦った戦友を信頼しきって、飛行の自由を完全に与えて自らは三十人のワルドを仕留めに回った。

「魔法の連携がまるでとれていなくて隙だらけだ、こんなもので私の相棒を落とせると思うか」

「言わせておけば! だが、いくら貴様でもこの数の偏在とサタンモアを簡単に落とせはするまい。その間に地上の人間どもはどうなるかねえ?」

 人間たちの命を盾に、ワルドは再度の逆転を狙おうと挑発をかけた。しかし、カリーヌは今度はまったく動揺などは見せずに、眼下をちらりと見下ろしただけだった。

「ふん、あまり人間をなめるなよ。私がいなくても、彼らは立派に戦えるさ」

 そう、決して人は一人ではない。佐々木と、アスカに教えられたことは今でもカリーヌの中で脈々と息づき、そして人間たちは反撃に出ようとしていた。

 

「全員、身を低くしろ! 奴らは上から襲ってくる。目をやられないようにして、首筋を狙って切り落とせ!」

 リトルモアについばまれていた兵士たちにアニエスの指示が飛ぶ。一方的にやられるだけだった彼らは、そうすれば攻撃を受ける方向を限定できることに気がついて、リトルモアの弱点である長い首筋に剣を振り下ろして倒していった。

 また、上空では才人たちの乗るゼロ戦やシルフィードも当然ながらリトルモアの攻撃にさらされていた。だがキュルケ、タバサ、ミシェルの三人はそれぞれの魔法で弾幕を張ってシルフィードを守り、才人はさっきめちゃくちゃに動かしたせいか、やっと機嫌を直してくれたゼロ戦のエンジンを吹かして空戦に突入していた。

「ルイズ、しっかりつかまってろ、振り落とされたら死ぬぞ!」

「いぎゃああっ!」

 後ろについて、ゼロ戦の機体に穴を開けようとリトルモアの群れが来る。そうはさせじと才人はブラックアウト寸前のルイズを同伴させたまま、振り切ろうとエンジンを全開にして、急上昇をかけた。

「そうだ、ついてこい」

 数十羽のリトルモアが群れをなしてゼロ戦を追尾してくるのを、才人は涙滴型風防の中で振り返って確認する。そして上昇の途中で急に機体を左旋回させながら、失速寸前の状態で水平に立て直したかと思うと、一気に急下降をかけた。

「あびゃあっあっ!」

 ルイズが涙と鼻水を撒き散らして、才人自身にも急激なGがかかるが、下降して再度立て直したときには、いつの間にかゼロ戦はリトルモアの群れの後ろについていた。

「くたばれ」

 短くつぶやいた才人はゼロ戦の七・七ミリと二十ミリ機関砲を一気に発射した。きらめく曳光弾が混ざった弾丸の雨が群れを覆い、さしもの小型円盤生物も蜂の巣にされて落ちていく。おそらくリトルモアたちには、ゼロ戦が上昇の途中で急に消えたと見えたに違いない。

「す、すごい! こんな動き、王軍の竜騎士隊だってできないわよ。い、今のどうやったの?」

「確か、ひねりこみって技さ」

 才人はガンダールヴのルーンがやり方を教えてくれた、ゼロ戦の高度戦闘技の名前を告げた。

 ひねりこみ、別名横山ターン、インメルマン・ターンともいうこれは、空中で機体の向きを入れ替えることによって旋回においての半径を劇的に少なくし、一気に敵の背後に着く空中格闘戦の必殺技だ。むろん、難易度はきわめて高く、旋回性能に優れたゼロ戦のような機体でしか使えないのだが、その威力は見てのとおりだ。

「すっごいじゃない! それも、ガンダールヴの力なの?」

「いや、空飛ぶ豚の受け売りだ」

「はぁ?」

「男の中の男の称号さ。さて、次に行くぞ」

 怪訝な顔をしているルイズをひざの上に抱いたまま、才人はまだ弾丸には余裕があると確認した。そしてシルフィードに群がっていたリトルモアを蹴散らすと、さらに兵士たちを襲おうとしてる群れへと機首を向けた。

 

 そして、王党派のかなめであるウェールズとアンリエッタの元には、特に数百羽が一気に攻撃を仕掛けてきていたが、天空から黒い槍となって襲い掛かってくるリトルモアの群れへと、恐れることなく二人は杖を向けていた。

「風のトライアングルには」

「水のトライアングルを!」

 高々と杖を掲げた王子と王女を中心として、とてつもないエネルギーを持った水と風の魔力が渦を巻いて一つになっていく。

 それは、風と水のトライアングルメイジである二人が、三つの『風』と三つの『水』を合わせて生み出す合体魔法。しかし通常はいかに息の合ったメイジ同士でも、魔法を同時に発射や混ぜ合わせることはできても合体まではさせることはできないが、二人に流れる王家の血筋がその神技、二つのトライアングルが一体となったヘクサゴンスペルを可能とする。

「全員伏せろ! 巻き添えを食うぞ!」

 六芒星の描かれた、カリーヌのカッタートルネードにも匹敵する巨大な水の竜巻が放たれる。かつてトリステン王宮の火災を消し止める際に使われた同じものは不完全であったが今回は違う。はるかに完成度と破壊力に優れたそれは、またたくまに悪魔の群れを包み込んで、圧倒的な水圧と真空波で数百の大群を数万の破片へと粉砕しつくした。

「強くなったね、アンリエッタ」

「あなたとこうして肩を並べて戦える日が来るなんて、夢のようですわ」

 一人の力は凡庸でも、強い絆で結ばれた者同士が力を合わせればその力は何十倍にも大きくなる。ワルドのように数を頼んでいるだけでは決して生まれないその力と、力強く、そして優しい笑みを浮かべているウェールズとアンリエッタの勇姿に、全軍から巨大な歓声があがったのはそのすぐ後のことであった。

 

 いまや、ワルドが起死回生を狙って放ったリトルモアも次々と落とされ、ワルド自身もカリーヌの前に、全ての偏在を破壊されて地獄の門の入り口を見始めていた。

「おのれ……こんなはずでは」

「人間を甘く見すぎたな。確かに貴様らのような力の持ち主には、人間の力などとるに足りないものに見えるだろうが、それは決して”無”ではないのだ」

「うぬぅ……」

「さて、貴様もそろそろ覚悟を決めてもらおうか、さっさとその馬鹿の体を捨てて本性を現せ。それともいっしょに粉砕してくれようか?」

「人間ごときがぁ」

 屈辱に燃えるワルドから黒いオーラが立ち上り、マイナスエネルギーが凝縮していく。超獣化かと、カリーヌは杖を構えなおし、ワルドに乗り移っていた者もそのつもりであった。だが、ワルドはふと見下ろした先に、レコン・キスタ軍の駆逐艦が浮いているのを見つけて、どす黒い笑みを浮かべて変身をやめた。

「そうだ、こうすればよかったんだ。『ライトニング・クラウド!』」

 ワルドの杖から強力な電撃が放たれる。しかしそれはカリーヌではなく眼下の駆逐艦を直撃したではないか!

「貴様、血迷ったか!?」

「ふははは! いや、私は正気ですよ。考えてみれば、最初から人間どもの争いの勝敗などどうでもよかったのだ。かくなるうえは、あの船どもを落として地上の人間どももろとも皆殺しにしてくれるわ!」

「なんだと!?」

 雷撃で大破炎上した駆逐艦は急速に墜落して、逃げ遅れた王党派の兵士や脱出できなかった船員たちもろとも砕け散る。その阿鼻叫喚のちまたに味を占めたワルドは、さらに残っていた十隻ほどのレコン・キスタ艦隊に杖を向けて魔法を放った。

「ふはは、死ね、死ね人間ども!」

「やめろ!」

 カリーヌが止める間もなく、三隻の船が燃え盛りながら、数千の兵士たちもろとも業火に包まれていく。もちろんカリーヌは止めようと攻撃を放つものの、ワルドはサタンモアからの光線や火炎弾をも含めて、レコン・キスタと王党派を地獄の業火へと突き落としていく。

「あっはっはっ! あの中で何人の人間が焼かれているんでしょうね? 悔しいかな? 私はあなたには残念ながら勝てないようだが、私も簡単には落とされない。そうして人間たちが焼け死ぬ姿を指をくわえて見ているがいい」

 カリーヌの攻撃を回避することにのみ専念し、攻撃はすべてレコン・キスタ艦隊に集中して、一隻を落とすごとに惨劇をワルドは生み出していった。

 あの炎の中で、何人の人間が故郷を、親兄弟を思い、残してきた妻や恋人、子供たちの名を呼んで息絶えていっただろう。そして、夫や父親の死を聞いて、何千何万の涙がこれから流れるのだろうか。

「外道が……」

 血を吐くような怒りの言葉がカリーヌの口から漏れたとき、レコン・キスタ艦隊は味方からの攻撃に慌てふためき、レキシントンを含むたった四隻にまで打ち減らされていた。さらにワルドの哄笑が耳朶を打ったとき、カリーヌはその素顔を覆い隠していた鉄仮面を勢いよく脱ぎ捨てた。

「ワルドぉ!」

 鬼神をも震え上がらせるであろう怒声が響き、ワルドの動きが止まった。そこには、寡黙な仮面騎士ではなく、長く伸びたブロンドの髪を風にたなびかせた壮烈にして華麗な、天空の戦女神が立っていたのだ。

「貴様は、この私を本気で怒らせた。もう後悔しても遅い……」

「ふん、な、なにを言っている」

 けれども、ワルドの声は震えていた。彼と一体化した存在は恐怖などという余計な感情は持ち合わせていなくても、ワルドの本能は人間には決して消すことのできない原始的な感情に支配されていたのだ。

 天に杖を掲げ、呪文を詠唱しはじめたカリーヌの周りの大気が渦を巻く。その渦が彼女を覆うように高速で流動を始めたときに、ワルドは風系統の最高峰の一つとして知られるスクウェアスペルの名を思い出した。

「『カッター・トルネード』か?」

「寝ぼけるな、そんな生易しいものだと思うな」

「なっ!?」

 そう聞いてワルドは戦慄した。生易しいなどとはとんでもない。カッタートルネードは世界でも使える者は数えるほどしかいない超上級魔法で、自分も元々はまだ習得していないのだ。けれども詠唱を続けるカリーヌの杖の先で、上空が見る見るうちに黒雲に覆われ、無数の稲光が舞い降りはじめる。さらに、黒雲は渦巻き、生き物のように黒色の竜巻へと変わっていくではないか。

「まさか、天候が貴様の魔力の影響を受けているというのか?」

 そんな馬鹿なことがあるはずがないと、ワルドの理性は否定する。しかし通常は、たとえスクウェアスペルといえどもカリーヌが詠唱をすることはほとんどなく、瞬時に魔法を完成させてしまうのに、今は延々と呪文が続いていることが、彼の仮説を

何よりも強く立証していた。

 ケタ違いの風と水の力が凝縮し、黒い竜巻は竜のようにうねる。そしてそこに水と風のトライアングルが重なった六芒星を囲むように風のスクウェアが刻まれた紋章を見たときに、ワルドは絶望を知った。

「ま、まさか……魔法融合を、ヘクサゴンスペルを、一人で……」

「ヘクサゴンスペルではない。『ライトニング・クラウド』の雷撃、『ウェンディ・アイシクル』の氷嵐、そして『カッター・トルネード』の真空竜巻……まだ名はないが、光栄に思え、これを人間相手に使うのは初めてだ……消し飛べ」

「まっ、待てっ!」

 命乞いは届かなかった。

 ここに、カリーヌが三十年前の修行の旅と、さらなる研鑽と戦いの末に体得した結晶がこの世に顕現し、その瞬間、初めて見せるカリーヌの全力の魔力を込めた三重融合魔法が、アルビオンの空を猛り狂った。

 

 

 続く



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第83話  双月に抱かれた星 (前編)

 第83話

 双月に抱かれた星 (前編)

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

 

 神の怒り、その光景を目にしていた者は、後にそう言い残している。

 アルビオン王党派軍と、レコン・キスタ艦隊の戦闘の最終局面。地上をはるか四千メイルで放たれた一つの魔法は、天変地異としか言い表せない悪魔的な破壊力を持って、この世の悪魔に襲い掛かったのだ。

 

「ぐぎゃぁぁっ!」

 

 今、ワルドは人間が作り出した究極の地獄の中にいた。そこは、かつてハルケギニア最強とうたわれた『烈風』カリンが、その人生の研鑽の末に生み出した、二つのトライアングルスペルに最強のスクウェアスペルを融合させた超魔法に、怒りの全魔力を込めた人知を超えた破壊空間。その中では、人間を超えた肉体を持ったワルドとて、幼児にもてあそばれる人形のように五体を引き裂かれていく。

「生き地獄の中で、己が罪を悔いるがいい」

 カリーヌは冷酷な目で、並の人間なら瞬時に血風と変わってしまうだろう暴風迅雷の中で、なまじ肉体を強靭にしたばかりに生きながら切り刻まれ、焼かれ、凍りつかされていくワルドの絶叫を見つめた。

 脱出は絶対に不可能。もだえるワルドは呪文を唱えるどころか五体の自由を完全に奪われて、大怪鳥円盤サタンモアすら、かつて防衛軍のミサイル攻撃を跳ね返したほどのボディを、まるで大鷹に捕まった小鳩のようになすすべもなく裂かれていく。

「あれは、本当に人間なのか……?」

 薄れゆく意識の中で、ワルドは自分が何と戦っていたのかと、悪夢よりもひどい現実に抗議するように思った。

 だが本来ならば、カリーヌもここまでする気はなかったし、複合魔法はカリーヌにとってもまだ危険な大魔法である。にも関わらず、ワルドはあまりにも卑劣な行為を続け、怒らせるべきでない相手を怒らせてしまったのだ。

「これでとどめだ、二度とその不愉快な顔を私に見せるな」

 一片の情すら見せず、カリーヌは意識を失い、かろうじて人間の姿を残すだけとなったワルドと、外皮をズタズタに引き裂かれたサタンモアにとどめを刺すべく竜巻の回転を極限まで上げていく。

 しかし、ワルドの意識は死んでも、彼の肉体を占拠したものはまだ健在だった。

「役に立たん人間だ。戻してやった体は返してもらうぞ!」

 再びワルドの肉体を完全に占拠した存在は、ワルドをすでに見限ったものの、この竜巻の中でワルドと分離することは危険だと考え、痛覚を切り離した状態でワルドの口で叫んだ。

「人間よ! ここは貴様の勝ちにしておいてやろう! だが、こんな雑魚を利用しようとしたミスは二度と犯さん、次は全力で皆殺しにしてくれるわ」

「ふざけるな、逃げられると思うか!」

 カリーヌは竜巻の破壊力を上げて、逃すまいと壁を強化する。しかし、ワルドはほくそえむと、竜巻の内部の空間に異次元への亀裂を発生させた。

「なにっ!」

 ヤプールの手下はいざとなったら次元の裂け目を作って、そこに逃げ込む能力を持っている。元より正々堂々などという思考などないために、メビウスと戦ったドラゴリーなども、やられそうになると即座に逃げを打とうとしている。

 しかしそれ以上に、密閉空間だった竜巻の中に、突然開放された空間が現れたために気圧のバランスが崩れて、竜巻が逆に押し込む形になってワルドの体が吸い込まれていった。

「しまった、待て!」

 だが時すでに遅く、ワルドの姿は次元の裂け目の中に消えうせ、次元の裂け目が消滅すると、竜巻は激流を急にせき止めたときのように無秩序に暴走を始めた。

「ちぃぃっ! やむを得ん、引けノワール!」

 魔法を解除したものの、バランスを崩されて暴走する竜巻は術者であるカリーヌも飲み込もうと荒れ狂い始め、これを受けてはラルゲユウスといえどもひとたまりもないためにカリーヌは後退していった。

 ただ幸い、ここは高度四千メイルの高高度なので地上にまで被害が及ぶことがないのが救いだった。元々自然のものではなく、人工的に作り出した竜巻なので、送り込んだエネルギーが尽きればすぐに消滅するはずだ。

 しかし、その安心感やワルドに対する怒りのあまりもあってか、さしものカリーヌといえども、その竜巻の中にまだ何が残されているのか忘れていたのは失態だった。

 完全に暴走して秩序をなくした竜巻から、突如凶暴な金切り声を上げて、ワルドに取り残されていた円盤生物サタンモアが飛び出して、ラルゲユウスめがけて襲い掛かってきたのだ。

「ぐっ、しまった!?」

 カリーヌはとっさに回避を取らせたものの、ラルゲユウスは空中でホバリング状態でいたために、すれ違いざまにサタンモアの目から発射される破壊光線を翼に食らってしまった。なんとか墜落にはいたらなかったが、しばらくは浮遊するだけで精一杯になってしまったのだ。

 けれど、向かってくるかと身構えるカリーヌの前で、サタンモアは襲ってくるどころか眼下の王党派の人間たちへと急降下を始めたではないか。

「なにっ! おのれ、行かせる……うぐっ!?」

 だが、魔法を打とうとしたカリーヌの体を突如強い痺れと疲労感が突き抜けた。それはメイジが魔法を使うために必要な精神力を、短時間で枯渇させてしまったときにまれに起きる現象で、普通ならば精神力が尽きても魔法が使えなくなるだけだが、単独での三重複合魔法はその制御や使用に必要な精神力もケタ外れであるために、これまでの戦いも合わせて、さしもの『烈風』もとうとう限界が来てしまったのだ。

「くっ……やはり、無理をしすぎたか」

 元々、この神技はカリーヌといえどもこれまでの人生でも数えるほどしか使ったことはなく、かつ制御を失ったら無差別に周囲を破壊するために、いわば禁じ手に当たる技であった。だが今回は周囲が無人であったことと、ワルドへの激怒で増加した精神力を使うことで封印を解いて使ったが、それでもなおリスクは大きかった。反動をもろに受けたカリーヌは意識を失うことはなかったのがギリギリで、降下していくサタンモアを追う力はすでに残されていなかったのである。

「こんな、ところで……」

 冷静さを失って禁じ手を使ってしまった己の未熟さを悔いながらも、カリーヌは桃色のブロンドを汗に濡らして、使い魔の背にひざを突いた。

 

 地上では、ワルドによる戦艦落としで甚大な被害を受けながらも、すでにほとんどのリトルモアを撃墜して態勢を立て直しかけていた。だが、上空から火炎弾を吐きながら降下してきたサタンモアの攻撃の前にはわずかばかりの陣形など意味を持たず、圧倒的な空襲の前に再び壊乱状態に陥りかけていた。

「うわぁぁっ!」

「助けてくれっ!」

 戦艦よりも強靭で、竜より機敏な巨大怪鳥には王党派の装備では手も足も出なかった。

 確かにサタンモアはカリーヌの複合魔法で大ダメージを受けており、スピードも半減しているしボディも傷だらけだ。それでも、生物兵器として改造された際に植えつけられた凶暴性はそのままに、目の前の敵と認識したものへと攻撃を続けた。

 だが、突如どこからかの砲撃が暴れ狂うサタンモアへと襲いかかって、その体を無数の爆発が包み込むと、それまで轟然と飛行していた巨鳥の行き足ががくりと鈍った。

「い、今の攻撃は……」

 王党派の人間は、最初何が起こったのか理解できなかったが、それは実はレコン・キスタ軍に唯一残った戦艦レキシントンから放たれた一斉射撃によるものだった。

「どういうつもりだね? ボーウッド君」

 せっかく王党派を攻撃していたワルド子爵の怪鳥へと射撃命令を下したボーウッド艦隊司令官に、総指揮官であるクロムウェルの冷たい声がかかる。

「ワルド子爵は我が軍にも攻撃を仕掛けてきました。これは明確な裏切り行為であり、その使い魔も同様と思われます。よって、本官は艦隊を保持するという義務に従って、事前に脅威を排除しようとしたに過ぎません」

 淡々と無感情に口上を述べるボーウッドは、王党派軍へと攻撃を再開せよと命令してクロムウェルの反論を封じると、硝煙によって曇る空を見上げた。こんなもので、主君に反した自分の罪が許されるとは思えないが、せめて最後の誇りだけは失うまいと、彼は狂ってしまった自分の人生にささやかな抵抗を試みたのだった。

 だが、運命の女神ほど残酷で気まぐれな神は他に存在しない。レキシントンの砲撃でようやく致命傷を負わされたサタンモアが墜落していく先には、ボーウッドが忠誠の対象としていたウェールズの本陣があったのである。

「こ、こっちに来るぞぉーっ!」

 墜落していくサタンモアは、偶然かそれとも最後の悪意のなせる業か、一直線に本陣を目指して突進し、もはや避難は到底間に合いそうもない。将軍や参謀達は慌てふためくか絶望し、ウェールズはせめてアンリエッタだけでも救おうと彼女をかばったが、墜落したサタンモアが爆発でもしたら半径百メイルほどは吹き飛ぶことは確実と見られた。

 

 しかし、執念深いヤプールの悪意の代行者のもくろみを成功などさせてたまるものか。そのころ郊外にゼロ戦を不時着させて、戦いの続きを見守っていた才人とルイズは、墜落していくサタンモアの先にアンリエッタとウェールズの本陣があると知ると、誰の目もないことを確認して、彼らを救うべく手を結んだ。

「ウルトラ・タッチ!」

 輝きが二人を包み、光の中からウルトラマンAが姿を現し、高速で飛行して墜落寸前のサタンモアの前に回りこむ。そして、ここから先は通さぬと、細長い体を腰に抱え込むようにして受け止めた。

「セヤァッ!」

 慣性がついた一万五千トンの重量を、草原をかかとで削りながら停止させたところは、かろうじてアンリエッタとウェールズの立っているほんの十メイルだけ前であった。

(ギリギリ間にあったわ!)

 さすがに目を丸くしてエースを見上げているアンリエッタの顔を、ルイズはエースの後ろ目で確認した。姫様は無傷だ。隠れた親友の無事を知り、次いで安堵に続いて湧いてきた憤怒を込めてルイズは叫んだ。

(よくも姫様に手をかけようとしたわね! 死ねーっ!)

 そのときだけはルイズが体の主導権を握っていたのではと思うくらいの気迫を込めて、エースはサタンモアの首根っこを掴むと、無人の森林地帯へと向けて全力で投げ飛ばした。すでに飛行能力を失っていたサタンモアはきりもみしながら地面に激突し、体内の火炎袋が破裂した勢いで断末魔の一声を上げると、一瞬のうちに木っ端微塵に吹き飛んだ。

(はぁ、はぁ……ざまあみなさい)

(……)

 女を怒らせると怖いというのを、才人はあらためて実感した。また、エースは北斗星司だったころの記憶、たとえばTACの同僚がひどい自己中の女カメラマンにひっかかったり、自分も買い物の荷物持ちをさせられたなと、あまり美しくない地球での思い出を蘇らせていた。

 が、サタンモアが倒されて、ウルトラマンの登場に喜びに沸くアンリエッタやウェールズたちの前で、エースは突然よろめくとひざを突いた。

「ど、どうしたんだ!?」

 くずおれたエースを見て人々の間からどよめきが流れる。しかも、登場したばかりだというのにカラータイマーはもう赤く点滅しているではないか。

(まだエネルギーが回復していなかったか……)

 そうだ、時空間でのコッヴとの戦いがまだ尾を引いて、この短時間では満足な回復ができていなかった。だが、サタンモアは倒したし、ひとまずは安心かと思ったエースの姿を、ヤプールは陰から見ていたのだ。

 

”現れたなウルトラマンAめ! あと一歩だったというのに忌々しい奴め。だがどうやらエネルギーを消耗しているようだな。ようし、もう芝居はいいから正体を現してエースを倒せ!”

 

 その思念波による命令はクロムウェルの下へと届き、彼は不気味に微笑むと、忙しく動き回っている艦橋の人間たちを無視して、窓から眼下に見えるエースを睨みつけた。

「ふっふっふ……のこのこ姿を現したのが運の尽きだウルトラマンAよ、今こそこの私が……ぬ?」

 だがクロムウェルが言葉を終える前に、エースはエネルギーの消耗からか、透き通るようにして消えていってしまった。

「ちぃっ、逃げられたかっ!」

 悔しがってはみたが、消えたエースはもうどこにも見当たらない。残されたクロムウェルは肩透かしを食らった気分で立ち尽くしていたが、そこへボーウッドが叫んだ命令が耳に入って我に返った。

「全艦反転、撤退せよ」

「待ちたまえボーウッド君、撤退命令などは出していないぞ」

 せっかくいいところなのに何を言い出すのかと、とりあえずはクロムウェルのままで、クロムウェルはボーウッドに命令の撤回を求めたが、彼は窓の外を指差すと、憮然として返答した。

「日没です。暗がりでは砲撃の効果は得られません。それに残弾も残りわずかです。ここは一旦引いて、待機されてある給弾艦で補給し、明朝以降に再度決戦をかけるべきです」

 確かに、激戦が続いて気がつかなかったが、いつの間にか夏の長い太陽もかなたの山影に沈みゆき、赤い陽光も弱まりつつある。もうあと数分で日没を迎えてしまうだろう。レコン・キスタのことなどは最初からどうでもいいが、エースもいなくなってこのままどうするべきかとクロムウェルは悩んだが、再びヤプールから思念波が送られてきた。

 

”エースを倒せないのであれば正体を現しても意味がない。しかし、人間どもを追い詰めれば奴は必ず現れるだろう。ここは引け、そして日の出とともにその人間どもを使って奴をおびき出すのだぁ!”

 

 クロムウェルの頭の中には、異次元空間の極彩色の景色の中にうごめく無数の顔のない人影が、新たな指令を送ってくる光景が映し出されていた。そしてヤプールからの命令を受け取ったクロムウェルは、にこやかに人のよさそうな笑みをボーウッドに向けた。

「よろしい、最終決戦は明朝としよう。全軍を撤退させたまえ」

「了解」

 疲れ果てた声でボーウッドが再度転進を命じると、レキシントンのほかはわずかに護衛艦数隻にまで打ち減らされてしまったレコン・キスタ艦隊は、まるで敗残兵のようによろめきながら、薄れゆく陽光の中へと帰っていった。

 

 これによって、第二次サウスゴータ攻防戦は一応の終結を見て、急速に暗がりを増していく中で、王党派軍は敵艦隊が去ったことを確認すると、やっと戦闘態勢を解除した。

 しかし、敵が去ってもやることは数多くあり、ウェールズとアンリエッタは手分けして戦闘の興奮も冷め遣らぬままに、後始末に追われることになった。

「各部署は損害の確認を急げ。負傷者の手当ては貴族平民を問わずに重傷者を優先するように徹底せよ」

 差別のない救護命令が飛び、衛生兵や水のメイジが死に物狂いで走り回る。さらに沈没艦から脱出した多数の捕虜もいたために、その収容と武装解除、さらに離反者の味方入りのための手続きもあり、数時間の間本陣から火が消えることはなかった。

 が、それでもなんとか二つの月が天空にぽっかりと浮かぶ頃には、一定のことを臣下に任せて、ようやく二人は息をついていた。

「やれやれ……本当に助かったよアンリエッタ、君がいなければ僕独りではどうしようもないところだった」

「あなたのお役に立てるのでしたら、わたくしに疲れなどはありませんわ。まだまだ何でもおっしゃってください」

 疲労困憊のウェールズに、疲れによく効くという東方由来のハチミツをたっぷりと混ぜた紅茶を淹れて差し出すアンリエッタの瞳は、王女の者ではなく年頃の一人の少女のものであった。

「ところで、これからどうなさるおつもりですの?」

 アンリエッタは、ウェールズがティーカップの中身を、これはうまいなと言って一気に飲み干すのを見ると、明朝までの対応策を尋ねた。

「そうだな……ここから南東に五リーグほど下ったところに我が軍の城が一つある。かなり古いが補給基地として整備していたから物資の貯蓄は充分だし、戦艦相手に平地で戦うよりはましだろうから、そこへ移動しようと思うのだが」

「なるほど、城砦の防御力は無視できませんし、敵は砲弾の残りも少ないはずです。いい考えですわ」

「そう、それに明日はあの日だ。本来は休戦するべきなのだが、敵はもう後がないから夜明けとともに攻めてくるだろう。だが、知ってのとおり軍艦は日中しか砲撃をおこなえないから、午前中に勝負をかけるために短期決戦を挑まざるをえない。それまで耐え切れれば我々の勝ちだ」

 ウェールズは自信ありげに答えたが、アンリエッタはもはや敵はレコン・キスタなどではない以上、恐らくそうはならないだろうと思った。しかしそれでも被害を最小限に抑える義務がある以上、ウェールズの作戦が最善であるとも思っていた。

「そうですわね。では、もうしばらく休息をとったら移動を指示しましょう。ところで……ウェールズさま」

「なんだい?」

「こうして、二人だけでお話するのも、ずいぶんお久しぶりですわね」

「ああ、最後に会ってから、もう何年になるか」

 昼間は軍務のことで忙しくて、ゆっくり再会の感動に浸る間もなかった。しかしこうして二人だけになると、三年前に初めて出会ったラグドリアン湖の湖畔から始まって、いくつもの思い出が次々に浮かんできてしまう。そのままでは涙を抑えきれなくなった顔を見られてしまうと思ったアンリエッタは、ウェールズの横に座って、顔が見えないように彼に寄りかかった。

「懐かしいです。ウェールズさまのにおい」

「やれやれ、甘えん坊なところは変わってないね」

 ほんのわずかな時間だが、このときだけは二人の時間は三年前に戻っていた。それから二人は思い出話をとつとつと続けて、この戦争についての話にはいると、それは自然と目の前で見たウルトラマンAの話題に流れていった。

「それに、初めて見たけれど、あれが君の国の守り神かい」

 ウェールズはウルトラマンAのことをそう呼んだが、アンリエッタは首を振った。

「いいえ、たぶんそうではありませんわ」

 ベロクロンとの戦いではじめてその姿を現して以来、その存在がもてはやされたウルトラマンだったが、時が経つにつれて彼も無条件で助けてくれるということではないことを、アンリエッタたちも気づいていた。

「確かに、彼は幾度となく私たち人間が窮地に陥ったときに、どこからともなく現れて助けてくれました。けれども、それは怪獣やヤプールなどの侵略者のような、人間の力ではどうしようもない敵が現れたときにだけで、先程のレコン・キスタとの戦闘など、それ以外の事柄で現れたことは一度もありません」

 アンリエッタの判断は、だいたいの線で事実を指摘していた。ウルトラマンは人間同士の事柄には干渉せずに、宇宙規模で平和と秩序を守ることを使命としている。もちろん非常時の人命救助などの例外はあるが、才人もルイズもウルトラマンの力は私的に乱用することは危険すぎると、なかば本能的に知って心にブレーキをかけていたのだ。

 が、なんにせよ地球人でさえウルトラマンが何者であるかを理解するには何十年もかかったのだから、アンリエッタたちが推論以上で答えを得る術はなかった。

 ところがである。話題が自然消滅しかけたところで、一兵士がアンリエッタの心音を急上昇させる報告を持ってきた。

「ご報告いたします。ただいまトリステインのラ・ヴァリエールのルイズ・フランソワーズと名乗る者をはじめとする一行が、姫殿下へのお目通りを願っておりますが」

 半瞬を待たずして、喜色を満面に浮かべたアンリエッタが、すぐにここに通しなさいと、間髪入れずに命令を出したのは言うまでもない。

 

 ルイズたちがここに到着したのは、今からおよそ二十分ほど前であった。戦闘が終了した後に、ルイズと才人はゼロ戦を放棄して皆と合流していたが、戦闘終了後の混乱の中では、いくら貴族とはいえ女子供が入っていく余地はなかった。そのため、何時間も待ち続けてやっと受け付けてもらえたのだったけれど、陣営の入り口で待っていた人との再会は、そんなイライラを吹き飛ばしてくれた。

「お前たち、無事だったか!」

「おかげさまで、目的は果たせませんでしたけど」

 本陣に顔を出した一行を出迎えてくれたのはアニエスで、彼女は全員が生きて帰還してきたことを知ると、柄にもなく大きな声で喜んでくれた。なので、目的を果たせずに戻ってきてしまったことで叱られるのではと思っていた彼らは拍子抜けすることと、ちょっとばかり照れくさく感じた。多分、一番危険な仕事を押し付けてしまったことに負い目を感じていたのだろうが、今思えば無事にロンディニウムに着いていたとしても警戒をかいくぐって、何らかの変貌を遂げているであろうクロムウェルを討つことができたかは怪しい。

 その後ロングビルとも再会を果たして、彼女もまた生徒たちの生還を心から喜んでくれた。一方で、奥へ案内されていく途中で、ルイズは無言のままアンリエッタたちを守るように本陣の前にたたずんでいる仮面の騎士の前に出ると、思わず立ち止まって見えない相手の顔を見上げた。

「……」

 両者は少しの間何も言わずに視線を交わしたが、やがて仮面騎士のほうが軽く首を振って、「行け」と合図してくると、一行は王党派の本陣の中にあるウェールズとアンリエッタの私室のテントへと招かれていった。もっとも、わずかそれだけでルイズは寿命が十年縮む思いを味わっていた。

”お、怒ってるかも……”

 昼間もそうだけど、改めて無言の圧力を受けて、ルイズは目眩を抑えながら歩いていった。そしてそれを見送ると、仮面騎士は軽く息をついて、娘の無茶さ加減を思うとともに、若いうちはこれぐらいの無茶はしておきなさいと、相反した親心に身を焦がし、疲れきった体に鞭を打つと、見掛けは何も変わらないように立ち続けた。

 

 本陣の奥には、さすがにそうそうたる顔ぶれの将軍たちが顔を連ねており、ルイズたちは場違いな者たちを見る視線に刺されまくった。しかし、さすがにルイズやキュルケなどは貴族らしく泰然たるもので、最奥の王族の部屋まで通されると、中で待っていたアンリエッタとウェールズの前にひざまずいた。

「ルイズ、ルイズ、無事でしたか、よかった!」

 アンリエッタはルイズの顔を見るなり疲労をまったく感じさせない顔で、親友の来訪を喜んでくれた。

「姫様、まさか姫様がじきじきにこのアルビオンにまでいらっしゃるとは思いませんでした。不肖ながら、この戦を止める働きが少しでもできればと愚考していましたが、結局姫様のお手をわずらわせてしまい……」

「なにを言うのルイズ。あなたたちがどれほど頑張ってくれたのかは、みんな聞きました。あなたたちがいなければ、わたくしがこれまでにしてきたことも全て無駄になるところでした。わたくしにもっと先を読む力があれば……」

 声を落とすアンリエッタに、ルイズはそれはどうしようもないです。姫様はおろか他の誰にも読めなかったのですからと慰めると、彼女はやっぱりルイズは優しいわねと答えて、微笑を見せた。

「ともかく、皆さんご無事でお帰りになられたのが一番の幸いでした。それに、こうしてウェールズさまもご無事で」

「話は聞かせてもらったよ。君たちが陰で我々王党派を……いや、アルビオンを救ってくれたそうだね。心から感謝するよ」

 ウェールズはアンリエッタと同じように、尊大な態度はかけらもなく気さくに一行に話しかけてくれた。彼には洗脳されていた事実などはある程度脚色して、ショックが少ないように伝えてあったが、さすがに何もなかったわけにはいかなかったので、ルイズたちの活躍は「ひかえめに」報告されていた。

「しかし、我が軍の名誉と信望を根本から損なうことなので、君たちの活躍を表に出して表彰するわけにはいかないのだ。許してほしい」

「いえ、わたくしどもはそんなもののために行動したわけではありません。そのお言葉だけで充分でございます」

 それはルイズの本心であった。人一倍自己顕示欲の強いタイプではあるが、アンリエッタやウェールズに認められたということが、彼女の胸を満たしていた。それに、下手に目立っては後で天罰が怖い。その点ではキュルケたちも同じで、名を上げるにしてももっと別な戦いでと考えていた。

 一行は、初めて見るウェールズの本当の人格に好感を持って、この人ならアルビオンは悪い方向にはいかないだろうと思うと、彼は気を利かせてアンリエッタに場を譲った。

「わたくしからもお礼を申し上げます。あなた方には、いずれなんらかの形でお礼いたします。さて、堅苦しい話はここまででいいですわね。皆様とは学院以来になりますが、あのときのように自然に話してください」

「わかりました」

 ルイズはそう答えたが、振り向くついでに才人やキュルケが無礼な言動をしないようにと、視線で釘を刺しておくことを忘れなかった。

「サイトさんでしたね、いつもルイズを守ってくださって、どうもありがとうございます」

「い、いやあ……」

「ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、他国の人でありながらこれほどの助力、ルイズは本当によい友達をもってうらやましいですわ」

「国は違えど、同僚の危機を見捨てては貴族の名折れ。ですが姫様よりお褒めの言葉をいただき、感無量の極みです」

「……」

 一人ずつねぎらいの言葉をかけていくアンリエッタに、才人は照れくさそうに、キュルケはウェールズもいる前ではさすがにふざけないが、猫をかむるのは大得意といわんばかりに普段とは百八十度言動を変えて返礼した。その隣でタバサは無言のままで頭を下げている。

 そしてアンリエッタは最後に、アニエスに肩を支えられてじっと待っていたミシェルの前に出た。そうして少しのあいだ傷の痛みか、それとも別のものであるのか苦しそうな顔をしているミシェルの目を見て、ゆっくりと振り返るとウェールズに言った。

「ウェールズさま、申し訳ありませんが、少しのあいだだけ席を外していただけないでしょうか?」

「え? ……わかった」

 ウェールズは突然のアンリエッタの言葉に戸惑ったが、彼女の視線が真剣であることを読み解くと、風に当たってくると言い残して外に出て行った。

「少し待ってくださいね」

 アンリエッタはディテクトマジックで周囲を確認し、テントの周りにサイレントを張って外に音が漏れる心配を除くと、あらためてミシェルの前に立った。

「……」

 ミシェルは息を呑んだまま何も言えない。当然のことだが、彼女が間諜であり暗殺の実行犯の一人であったことをすでにアンリエッタは知っている。普通ならば死罪以外はありえず、特にウェールズを殺そうとしたことは、アンリエッタにとって許すべくもないことのはずだった。

 それでも、生きると決めたミシェルにとって、これは遅かれ早かれ避けては通れない道で、どんな裁きが待っていようと受け入れる覚悟は決めていた。しかし、沈黙を破ったアンリエッタの言葉は、その場にいた誰の予想をも完全に裏切るものであった。

「ごめんなさい、わたくしのせいで、ずいぶん長いあいだあなたを苦しめてしまいました」

「え……」

 一瞬、その場にいる全員の目の前が白くなった。それほどに、アンリエッタの言葉は衝撃的で、返す言葉もかける言葉も思考の地平線のかなたへ吹き飛んでしまった。

「あなたの一族が、不当な罪によって滅ぼされてしまったことを聞きました。それも、奸臣の跳梁などを許してしまった前王と、それに気づきもしなかった未熟なわたくしの罪」

「そんな! 殿下に罪など」

 思わずルイズはそう叫んだが、アンリエッタはゆっくりと首を振った。

「ルイズ、王族は国を受け取るときに権力や名誉だけでなく、先代までの業も共に引き継がねばならないのです。それに、どうあれ彼女の心に気づいてあげられなかったのはわたしのせい。本当の悪に気づかずに、真に国を憂える者をないがしろにした、私自身の愚かさのせい」

「……姫様」

「ミシェル、先王に代わり、改めておわびいたします。謝ってすむことではありませんが、傷つけられたあなたのご両親の名誉は、いずれ責任をもってわたしが回復します」

「そんな、いまさらそんなことをしてもらったって!」

 父も母も帰ってきはしないと、ミシェルは苦しげに吐き捨てたが、アンリエッタは王家に伝わる杖を置いて害意のないことを示すと、彼女の手をとって語りかけた。

「申し訳ありません。残念ですが、今のわたしにはあなたを満足させてあげられるような答えは見つかりません。けれども、たった一つだけ、あなたのご両親に報いてあげられる償いがあります。それだけは、受け取ってほしいのです」

「それは……?」

 瞳を見つめあう二人と、無言で見守る一同を静かな空気が包み込む。ゆっくりと流れる時間が、アンリエッタの唇の動きから、それがつむぎだす言葉を伝えていった。

「あなたの、命です」

「え……」

 一瞬、なにを言われたのかわからなかったミシェルへと、アンリエッタの言葉は続いた。

「命令です。これから何があろうとも、どんな戦場に行こうとも決して死を選ばずに、時間が人間としての終わりを告げるそのときまで生き抜いてください。戦死も自殺も許しません。わたしはあなたから死を奪います。それがわたくしの償いです」

「い、意味がわかりません!?」

 混乱するミシェルに、アンリエッタは口調をさらにゆっくりと穏やかに変えて、子供に絵本を読み聞かせるように微笑を向けた。

「わかりませんか? では思い出してみてください。あなたのご両親は亡くなるときに、その気があればあなたを道連れにすることもできたはずです。ですが、ご両親はそれをせずに、あなたを残して逝かれました。それは、あなただけはなんとしてでも生き延びて、幸せになって欲しいと願っていたからではありませんか?」

 ミシェルは頭を雷で打たれたようなショックを感じた。それと同時に、在りし日の両親との思い出が蘇ってくる。仕事人間だったが、帰ってきたらいつも思い切り抱きしめてくれた父。そんな父を誇りにし、あなたも大きくなったら父さんのように責任感が強く誇り高い人間になりなさいと、父の帰りをいっしょに楽しみにしていた母。

「父さま、母さま……」

 長い間心の奥底に悲しみと共に封じてきた懐かしさがどっと津波のように襲い掛かってきて、ミシェルは思わず胸を押さえた。

「あなたにそれほど慕われていたご両親が、あなたの幸せを願わないはずはありません。わたくしにできるのは、その思いを少しだけ酌んであげることだけ」

 もうミシェルに、言葉の形で返事をすることはできなかった。そうだ、自分は両親の死という現実から来る悲しみばかり見て、その死が残した意味までは考えなかった。こみ上げてくるめちゃくちゃな感情に、顔を押さえた手の隙間から涙が漏れ、喉は嗚咽を漏らすことしかできない。

 そして、子供の頃に戻ったように涙を抑えきれなくなったミシェルを、ドレスが汚れることもかまわずに抱きとめたアンリエッタへ、半分期待で顔をほころばせた才人が問いかけた。

「えっと、じゃあ姫様、ミシェルさんへの処罰は?」

「処罰? いまさら彼女へ罪を問えるような偉い人間がどこにいるというのです? それに、万一彼女を死なせでもしたら、わたしは彼女のご両親に呪い殺されてしまいますから、そう簡単にご両親と再会などはさせません。強いて言えば、それが処罰ですね」

 今度はまったく遠慮のない感激が皆のあいだを駆け抜けた。

「いよっしゃあ!」

 全員を代表した才人の大きな歓声があがるが、今回ばかりはルイズも無礼をとがめるような無粋な真似はしない。しかし実をいえば才人は、万一アンリエッタが苛烈な裁きを下せば、後先考えずにミシェルをどこか遠くへ逃がそうと考えていた。むろん、それがルイズにも迷惑をかけることを想像できないほど彼は子供ではないが、もしもウルトラ兄弟ならばどうするか、それを思えば答えは決まっていた。

 そして、長年溜め込んだ思いを全て吐き出したミシェルが涙をぬぐうと、アンリエッタは真剣な顔つきになって彼女を見つめた。

「ミシェル、許してほしいとは言いません。けれど、わたしはこれ以上悲劇が増え、心ある者が死にゆくことを見たくはありません。人は生きてこそ何かをなせるし、誰かを生かすためにこそ生きるべきと思います。ですから、生きてください。その先にある、あなただけの光を天国のご両親に届けるためにも」

「はい」

 もうミシェルの顔に迷いはなかった。人は死者のために生きるのではないが、死者に報いるために生きることはできる。今死んだりしたら、天国の門で両親に殴り倒されてしまうだろう。

 だが、アンリエッタが許したとしてもトリステインではまだミシェルは反逆者として手配されている身分であるから、おいそれと戻ることはできない。そこでアニエスが進言した。

「姫様、私に考えがあります。ミシェルの身柄は、しばらく私が預からせていただいてよろしいでしょうか?」

「わかりました。して、その考えとは?」

「はい……ですが、その前にミス・ヴァリエール、あなた方にも出ていてもらいたいのだが」

「なに? いまさらあたしたちが信用できないってわけ?」

「そうではない、だが、仲間であってもどうしても明かせないことというのもあるのだ。遠からず、お前たちにもすべてを明らかにするが、今は私を信じてくれ」

 そう言われてはルイズも信じるしかなく、テントの中にアンリエッタとアニエスとミシェルを残して、一行は外に出ようとしたが、その前にアンリエッタがルイズだけを呼び止めた。

「ルイズ……ウェールズさまを救ってくれて、本当にありがとう」

「そんな、わたし一人の力では何もできませんでした。皆が力を貸してくれたから、わたしなどほとんど何もしていませんわ」

 自信なく、礼を返すルイズにアンリエッタは優しく笑いかけた。

「いえ、ルイズ、あなたがいてくれたからこそ、あなたのお友達もここにいてくれたのです。その方々は、あなたがお友達だから力を貸してくれたのではないですか? 戦おうとするあなたの勇気が、皆に目的を与えたのでしょう」

 過大評価だとルイズは思うが、同時に最近は漠然とだが、単純な力のみが強いのではないということも感じ始めていた。現に、才人は実力では完全に負けているというのに、アニエスとの決闘を引き分けにまで持ち込んだではないか。

 アンリエッタはもうルイズの古い記憶にある可憐なだけの少女ではなく、立派な王族としての道を歩み始めている。しかし、自分は果たしてあのころから少しでも成長できているのか? ルイズは自分自身がわからず、黙って頭を垂れた。

「では、わたしはこれで」

「そうね……あ、ルイズ、あなたは始祖の祈祷書というものをご存知だったかしら?」

「え、名前くらいは、確か始祖ブリミルが神に祈りを捧げた際に読み上げた呪文を記したという、トリステイン王家に伝わるという秘宝では」

「そうです。そしてそれは代々の王族が……いえ、今言うべきことではないですね。それはトリステインに戻ってからにしましょう。ともかく、記憶の片隅にとどめておいてくだされば充分です」

「は、では」

 結局、アンリエッタが何を言いたいのかは聞けなかったが、ルイズはその『始祖の祈祷書』という単語を脳内の一ページに赤字で書き込んで、幕の外で待っている才人たちの元へと立ち去っていった。

 本陣の外はいつの間にか喧騒も収まっていて、見上げればそこには天空を覆い尽くす何兆という星々がまたたいて、ルイズたちを照らしていた。

「きれいね……」

 地上の人間がどうあろうとも、宇宙は変わらずに静かに見守り続けてくれる。だが、万古普遍の大宇宙と違って、ちっぽけな人間はあわただしく変わりゆく。それからしばらくの後、アンリエッタとウェールズによって全軍移動が布告され、一行も王党派軍について、後方の補給基地へと転進していった。

  

 

 続く



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第84話  双月に抱かれた星 (後編)

 第84話

 双月に抱かれた星 (後編)

 

 高次元捕食体 ボガールモンス

 宇宙大怪獣 ベムスター

 ウルトラマンジャスティス 登場

 

 

 深夜、地球でいえば午後十時ごろにアルビオン王党派軍は後方五リーグにある小城の補給基地へと撤退を始めた。テントは折りたたまれて馬に積まれ、その他大砲などの兵器や道具も持ち運べるものは人力や馬で運ばれたが、破損しているものや移動不能なものは破壊された。

 そんな中を、ルイズたち一行はウェールズやアンリエッタたちの本営から少し遅れて徒歩で着いていっていた。その途中、陣地が置かれていた草原を離れる前に、才人は草原の向こうの木陰に向かって独り言のように話しかけた。

 

「これが終わったら、必ず戻ってくるからな」

 

 その先には、時空間から持ち帰った、とある日本海軍兵から預かったゼロ戦が静かに鎮座しているはずだった。

 あのとき才人とルイズを乗せたゼロ戦は、多数のリトルモアを撃ち落したものの、弾切れと再度のエンジントラブルに襲われて、王党派陣営から少し離れた森のそばに着陸していたのだった。

「あちゃあ、完全にエンジンが焼けちまったか」

 コクピットから這い出してきた才人は、とうとう白煙を上げて動かなくなってしまった栄エンジンを見上げてため息をついた。時空間からここまでよく働いてくれたが、どうやら点火プラグまでいかれてしまったようで、本格的な修理を施さなくてはもう動きそうもなかった。

 とはいえ、このハルケギニアで精密機械であるゼロ戦のエンジンを修理する部品を手に入れることは実質不可能なので、感謝する意味合いで才人はゼロ戦に向かって手を合わせた。だが次の瞬間、頭上を甲高い鳴き声と空気を切り裂く飛行音が通り過ぎていったとき、見上げた彼の耳朶をルイズの声が遅れて打った。

「サイト、怪獣が落ちていくわ!」

 そして二人は変身することになり、アンリエッタたちを助けることに成功するが、いずれなんとかしてゼロ戦は回収しておかねばならないだろう。

 

 

 やがて名もない小さな城に着き、簡単な食事をいただいた才人とルイズは一行と別れて、古ぼけたバルコニーから二人で空を眺めていた。

「きれいな空だな」

「ええ、今日は月が二つ揃った満月ね」

 天空には、地球では決して見られない赤と青の色の月が満天の星空を背に輝いている。その幻想的な風景には、普段顔をあわせれば憎まれ口を叩き合っている二人といえども、魂を奪われて見入らずにはいられなかった。

 だが、この美しい星空も、夜が明ければまた血みどろの死闘が始まる前の、つかの間の平穏であることを誰もが知っていた。

「明日で、終わるのよね」

 ぽつりとつぶやいたルイズの言葉に才人は答えなかった。明日、夜が明ければレコン・キスタ軍は最後の攻撃を仕掛けてくるはずだ。むろん、そのときにはヤプールも逃げ延びさせたワルドなど、あるだけの駒を使って攻撃をかけてくるだろう。ワルドに乗り移ったもの……それの正体については見当がついているが、カリーヌと戦ったときにはワルドの能力を利用するために本来の力を抑えられていたはずで、次は確実にワルドという余計な殻を捨て去ってくるであろうし、ほかにもまだ奥の手があるかもしれない。これまでの超獣や宇宙人とは明らかに違うであろう敵に、果たして勝てるだろうか。

 けれど、そうして物思いにふける才人に、ルイズは同じように空を見上げながら穏やかに話しかけた。

「ねえサイト、覚えてる? フリッグの舞踏会のときもこんなきれいな夜空だったわね」

「忘れるもんか、あんな大騒ぎ……」

 そう言うとサイトは、自分の手のひらを見つめて、あのときルイズといっしょに学院の外の原っぱで踊ったときのことを思い出した。

「わ、わたくしと踊っていただけますこと、ジェントルマン」

 二人で大勢の生徒たちや怪獣たちといっしょに踊ったときは、本当に楽しかった。

 あのときは、お互いにぎこちかったと思うが、今ははたしてどうなのだろう……二人は考えて、互いの顔を見合わせるとほおを赤らめて視線を逸らし、しばらくうつむいて沈黙が続いた。

「そうね……けど、きっと明日には終わるわよ。きっと始祖がお導きになってくださるわ」

「ずいぶん確信的に言うな?」

 やたら自信たっぷりに言うルイズに、才人は怪訝な顔をしたが、彼女はブリミル教についてまだ無知な才人のために、指をぴんと立てて講義を始めた。

「明日はね。数十年に一回の皆既日食の日なのよ。始祖ブリミルは伝説によれば四人の伝説の使い魔を連れていたっていうけど、それぐらいは知ってるでしょ?」

「ああ、学院長やコルベール先生からいくらか聞いたけど、名称不明なのが一人と、ミョズニなんとかとヴィンダールヴだっけと、それからこれだろ?」

 左手の甲をかざして見せる才人のそこには、あらゆる武器を扱ったといわれている伝説の使い魔の一つ『ガンダールヴ』のルーンが刻まれていた。

「ええ、その四人の使い魔を率いて、始祖はこの地に平和をもたらしたと伝説にはあるけれど、その一人が始祖の元に現れたのが日食のときだったのよ」

「なるほど……で、どれが?」

「くしくもあんたと同じガンダールヴらしいわ。伝説によれば、『その者はあらゆる武器を使いこなし、その命を始祖の盾として守り抜いたる気高き勇者。しかして無数の魔なるものが立ちはだかり、この地に滅びが迫りしときに、天より光ありて一つとなり、魔を鎮め、邪を滅ぼした』、本当はもっと細かいんだけど、大まかに言うとこんなところね」

 指を立てて、博士のようなしぐさで話すルイズは、小難しい伝説をスラスラと詰まることもなく言い切って才人を感心させた。

「すごいもんだな。それ、ハルケギニアじゃみんな知ってるのか?」

「まさか、聖職者でもない限り、使い魔たちの名前くらいしか知りゃしないわよ。学院の図書館で、ガンダールヴに関することや魔法の記録をいろいろと調べているうちに自然とね。まあ、六千年も前の話なんで資料も乏しかったんだけど、さすが資料庫としては国内有数のところだから無駄に知識は増えたわよ」

「ほう、ほう」

 そこで、才人はさすが勉強家のルイズだと普通に感心したのだが、ルイズのほうはここまで言って気づかない才人の鈍さに内心いらだちを覚えていた。自分の使い魔がこんなでなければ、誰がわざわざガンダールヴのことなどを調べるだろうか? 伝説などいうやっかいなルーンが、才人にどんな悪影響を与えるかもしれないと、どれほど心配したと思っているのだ。そして、これだけのことを調べるのに何百冊の本を積み重ねるはめになったのかと、いっそぶちまけてやりたい衝動にかられたが、そうすれば負けたも同然だと妙なプライドに阻まれて思いとどまった。

「ふん、けど大体の資料ではガンダールヴはあらゆる武器を使いこなして始祖を守ったというのは共通してるわね。あと、勇敢で気高く、始祖の信頼もほかの三人よりも厚かった。誰かさんとは大違いよね」

「大きなお世話だ。それで、ほかには何かあるのか?」

「それより古い本はあったにはあったけど、記述はまちまちで信頼性には欠けるわね。中にはうら若き美女で始祖の恋人だったなんてのもあったけど、こりゃ眉唾もいいところだわ。ただいくつかの資料では一度始祖を守って命を落としたけれど、天から舞い降りてきた光に新たな命を与えられて蘇り、邪悪な軍勢によって敗滅寸前だった始祖と仲間たちを救ったとあるんだけど、これ、どう思う?」

「どうって、言われてもな……」

 あいまいに答えたが、才人の脳裏には以前ラグドリアン湖で水の精霊から聞いた話が蘇っていた。

 

(もはや我の記憶すらかすむ、今からおよそ六千年の昔、この地を未曾有の大災厄が襲った。無数の怪物が大地を焼き尽くし、水を腐らせ、空を濁らせ、世界を滅ぼしかけたとき、その者は光のように天空より現れ、怪物達の怒りを鎮め、邪悪な者達を滅ぼして世界を救った。彼がいなければ、我もお前達もこの世には存在しなかっただろう)

 

 その話と今ルイズから聞いたガンダールヴの伝説はあまりにも合致している。しかもそのとき水の精霊は、ウルトラマンAがその存在とよく似ていたと言っていた。

「六千年前に、大変なことが起きていたのは事実みたいだな」

 頭の中でたどりついた結論を才人はあえて言わなかった。確たる証拠があるわけではなかったし、何より自分ごときがわかることがルイズにわからないはずがないと思ったからだ。

「そうね、わたしたちの想像を超えた何かが……その証拠に、ガンダールヴに関する記述はヴィンダールヴやミョズニトニルンに比べて多いし、ブリミル教では毎年年末に始祖がこの地に降り立った日を記念して、始祖の降臨祭がおこなわれるんだけど、使い魔で降臨が祝われるのはガンダールヴだけなのよ」

「なんか、今まで多少強くなるくらいにしか考えてなかったけど、ずいぶんと大変なもんだったんだな、このルーンって」

「かもしれないわね。そして、そんなものを呼び出しちゃったわたしも、いったいなんなのかしらね」

 伝説の重さと、不条理な現実に圧迫されているのはルイズも同じであった。答えがあるものならば、今すぐにも教えてもらいたい。しかし、それを知ってしまったときに自分はどうなるのか、それもまた恐ろしかった。

 けれど、そんなルイズの不安の雲を払ったのは、またも才人の緊張感を欠いた声だった。

「ふぅ……けどまあ、そんなすごいものをもらったならもうけものと思っとくか。何の役にも立たないただの模様だったらダサいだけだからなあ」

「はぁ……あんたほんと事の重大さがわかってないのねえ」

「そう言ってもな。いくら考えたって、六千年前にタイムスリップできるわけじゃないし、なるようにしかならないんじゃねえのか?」

 ため息とともに、ルイズは悩みを共用してくれないかと思った自分の考えをまるめてくずかごに投げ捨てると、答えが出るはずのない思考の堂々巡りを打ち切った。

「ま、わたしが考えてわからないものがあんたにわかるはずもなかったわね。わたしが悪かったわ、ごめんなさい」

「お前、それおれをバカにしてるだろ」

「あら、それぐらいはわかるのね。そういえばずいぶん話が脱線しちゃったけど、日食のこの日だけはどんな争いもやめて祈りをささげるのが慣例になってるの。もちろん敵は罰当たりにもそんなことにはお構いなしで攻めてくるでしょうけど、過去にも日食の日にはいろんな奇跡が起こったと言い伝えられてるから、始祖はきっと見守ってくださってるわよ」

 才人はウルトラの父降臨祭と似たようなものかと思った。もちろん重要性には歴然たる違いがあるだろうが、偉人の生誕日を記念化する風習はハルケギニアでも変わらないらしい。

 才人は、空に向かって祈りをささげるポーズをとるルイズを見ながら思った。自分は正月には神社に初詣に行き、お寺に高校の合格祈願に行き、クリスマスを祝ってついでに財布に貧乏神を引っ張ってくる節操なしの日本人だけども、世界平和を頼むのだったら文句はないだろうと、ルイズのまねをして祈った。

 だが、そうして祈る二人を才人の背で見守っていたデルフリンガーは、鞘の中でじっと物思いにふけっていた。

(懐かしい話を聞かせてもらったぜ。そうか、あれからもう六千年なのか……ずっと忘れていたが、我ながらよく生きたもんだ。ブリミルも、ほかの連中ももう顔も思い出せねえが、いい奴らだったな……)

 単なるインテリジェンスソードと思われていた一本の剣の中に蘇った記憶が、果たして真実であるのか、それとも年月の磨耗が呼んだ妄想の産物であるのか、六千年という年月はあまりにも長すぎ、確かめる術はなかった。

 

 そしてそれから、じっとお祈りを数分続けた頃だろうか、そこへ唐突に沈黙を無遠慮に破る明るい声が響いてきた。

「やっほー、こんなところにいたのね、探したわよ」

 その声にはっとして振り向くと、そこにはキュルケたちがいつものようにみんな揃って立っていた。

「あら、デートの最中にお邪魔しちゃったかしら?」

「そ、そんなんじゃないわよ!」

「照れるなっての。いやあいい雰囲気だったから声をかけるか悩んだんだけど、いつまで待ってもキスの一つもする気配がないからじれったくなってね」

「なっ!?」

 どうやら最初からずっと見られていたらしい。二人とも、さっきよりさらに顔を赤らめて、無邪気な覗き魔を睨みつけたが、当の本人はそ知らぬ顔。

「で、わ、わざわざ雁首そろえて何の用よ」

「ごあいさつね。仮にも生死を共にした戦友じゃない、辛気臭いのは嫌いだからパーッと飲もうと思って誘いに来たんだけど、余計なお世話だったかしらね」

「……」

 どう考えても翌日は二日酔いで戦いどころではなくなると思うのだが、二人は呆れてもう返す言葉が浮かんでこなかった。いや、というよりもキュルケにはいつも一歩も二歩も先を行かれて、会話でまともにペースを握れたことはなかった。まったく生来の陽の気質とでも言おうか、どんな暗い舞台でも彼女がいればたちまち軽歌劇のようになるのだから不思議なものだ。

 そんなキュルケの後ろには、いつものようにタバサがいて、じっと無表情ながらもこっちを見ていた。

「……や、やあ」

「……うん」

 どうもタバサを相手にしては、これまでうまく会話ができた思い出がない。けど、何かがあったときには必ずそばにいてくれた。才人にとってもルイズにとっても、タバサの存在は最初はキュルケの付属物のようなものだったが、今では余計な言葉を交わさなくても、必要なことはわかりあえるようになってきた……気がする。

”相変わらず何を考えてるのかよくわからない子だけど……まあ、詮索する必要もないわね”

 ぺちゃくちゃしゃべるばかりが友達ではないと、最近になってルイズも思うようになっていた。彼女が自分たちをどう思っているのかよくわからないが、少なくともこうしてここにいてくれるということは、自分たちを悪く思っているわけではないということだろうし、いつか本当に分かり合えるときが来るだろう。

 頭をかきながらそんなことを思っていると、いくらかの荷物を抱えたロングビルが二人に話しかけてきた。

「すみませんが、私はお先にここを失礼させていただきます」

「ロングビルさん?」

「やっぱりテファたちが心配ですし……それにここは、私には居心地が悪いですから」

 そういえばロングビルはアルビオンの前王によって地位を剥奪されたのだった。理性では直接関係のないウェールズを憎んではいないのだろうが、やはり王党派の元にいることはつらいのだろう。そう理解した二人は、引き止めることなく道中の無事を祈って送り出した。

 そして最後に……

「よかったですね、ミシェルさん」

 そこには、長年の心の鎖から解放されたミシェルが、穏やかに微笑を浮かべていた。

「ああ、隊長のはからいで、この戦いが終わったら、私はしばらく身を隠すことになった。当分会えなくなるかもしれんが、おかげで胸のつかえが下りたような気がする。思えばずいぶん遠回りをしてしまったように思えるが、やっと私は自分自身に帰れたようだ」

「別に、ミシェルさんはずっとミシェルさんですよ」

「いや、もしお前たちと出会うのがもっと遅かったら、私は妄信のままにトリステインを滅ぼす企てに邁進し、目的のためなら手段を選ばないワルドのような卑劣漢に成り下がっていたかもしれない。私を闇の中から引き上げてくれたのは、お前だ、サイト」

 その瞬間、星の光に照らされて、夏の風を受けてわずかに青い髪を揺らして微笑んだミシェルの顔が、妖精のように美しく輝いていたように才人は思った。

「いや、おれは……その」

 どぎまぎして、ルイズになに動揺してんのよと足を踏まれながらも、才人は自らのやったことに一片の後悔もなかった。

 

”ウルトラマンは、困った人を絶対見捨てない”

 

 それが才人にとっての正義感の源泉であり、行動の大原則だった。

 誰しもが心に宿しているヒーローが教えてくれる勇気や優しさを忘れずに、目の前の人を救うためにその心を尽くす。ただそれだけのことである。

 けれども、救われた者にとってはその人こそがすなわちヒーローである。ミシェルは才人のすぐ前に立つと、照れてだらしない顔をしている才人に笑いかけた。

「お前には、大きな借りができてしまったな、何度も命と心を救われた。本当に、どうやって返せばいいのか、大きすぎるくらいにな」

「いやいいですって、見返りなんかが欲しくてやった……んむっ!?」

 才人の言葉は最後まで続けられることはなかった。いや、それどころか周りで見守っていたルイズやキュルケ、タバサでさえあまりのことに絶句して、酸欠の金魚のように口を無意味に開け閉じすることしかできないでいる。

「キ、キ、キキキキ……」

 なぜなら才人の口は、別のもので塞がれていた。

「あら……まあ」

 それはとてもやわらかくて温かく、才人にとっては人生二度目の経験。

「……大胆」

 才人はまるで石像のように硬直して動けない。それもそのはず、彼にとってミシェルのとったその行為は完全に予想外で、目の前にちらつく彼女の顔を見つめるしかできず、現状を理解したのは数秒の間をおいてのルイズの絶叫を待ってからであった。

 

「キキキキ……キスしたぁーっ!!」

 

 時間にしてたっぷり十秒ほど、ミシェルは突然才人の体を抱きしめて唇と唇を合わせていたのだった。もちろん、ルイズたちの目の前で、堂々と、誰にも止める暇などはない一瞬の早技であった。

 愕然とするルイズ。だが彼女の絶叫が響き終わると、ミシェルはようやく茫然自失としている才人から離れて、指を彼に突きつけて宣言した。

「いいか、これで借り一つチャラだからな! わかったな」

「あ……い、が」

 才人はなにかしゃべりたいのだろうが、脳がパンク状態の上に舌がもつれて単語の一つもつむぎだすことはできず、ルイズもどうすればいいのか割り込む方法を思いつけなかった。しかしミシェルは才人の答えを待たずにきびすを返すと、大股で帰っていきかけたが、途中で思い出したように止まり、最後にそんな才人にもしっかりと聞こえるように大声で言い残した。

「ま、まだ借りは残ってるから、この続きはトリステインに帰ってからしてやる! だから絶対に死ぬなよ、私も生き残るからな!」

 それだけ言うと、ミシェルはこちらが言葉をかける間もなく、とても怪我人とは思えないくらいに軽やかに立ち去っていった。

 残されたのは、現実についていけてない才人とルイズと、二人を温かく見守っているキュルケとタバサの四人だけ……才人とて、キスされただけでKOされてしまうほどウブではないが、完璧にふいを突かれた上に、これまで高圧的だった女性が優しくなるようになるとのギャップルールや、何よりミシェルが本来持っていた魅力が解放されたのも加わって、ものの見事に心を奪われてしまっていた。

 だがやがて夏風が、一回二回と彼らのほてった頬をなでていき、三回目あたりでやっと我に返った二人の反応は例のごとくであった。

「この……続き……? はっ!?」

 才人は唇に残る心地よい余韻をも消し去るような、グローザムも真っ青の絶対零度の殺気とゼットンの火球をもしのぐ超高熱の激怒のオーラを感じて、油の切れたロボットのように首をきしませながら振り返ると、そこには悪魔がいた。

「サーイートー!」

「あ……ルイズ」

 鬼神も退く『烈風』の遺伝子を受け継ぐ者の、バーストモードの放つオーラは母親のそれと比較しても、なんら遜色のないすさまじいものだった。そしてそれは才人に一切の弁明も説得も無意味だと確信させるものがあった。

「あ……こりゃ……死ぬな」

 ルイズの杖に、これまでのどれとも比較にならないほどの魔力が集中し、その目標はただしく才人のみを向いていた。

「ル、ルイズ落ち着いて……」

「もう、手遅れ」

 キュルケとタバサの声も、もはや届かない。そして、ありったけの悲しみと嫉妬とその他もろもろのやけくそを詰め込んだ、ルイズ究極最大の失敗魔法が、すべてを巻き込んで解放された。

「この、馬鹿犬ーっ!!」

「ほげーっ!!」

 その瞬間、はや敵襲かと全軍が錯覚するほどの大爆発が、小さな古城の一角を完全に消滅させ、少年一人と巻き添えを食った少女二人が救護所に担ぎこまれたのが、この日の最後のイベントとなった。ただしルイズにとってイベントの開催費用は安くなかったが。

「ルイズ、この大馬鹿者が!」

「ごめんなさいお母様、ごめんなさーいっ!!」

 当然のごとく激怒したカリーヌに雷を落とされる結果となったが、そのときは幸いにもすぐにアンリエッタが止めに入ってくれたために、大きなこぶを作らされたが魔法の行使だけはなくてすんだ。もっとも、そのときカリーヌにそんな魔法を使う余力などは残っていなかったのだが。

 その後、陣営の一角に食事と睡眠のための場所をもらったルイズたちは、明日の戦闘には参加せずに、不測の事態、つまりヤプールが攻撃を仕掛けてきたときのために遊軍として待機することになった。これはまだ若いルイズたちに人殺しを経験させたくないというアンリエッタの温情と、宇宙人や超獣に対抗が可能なのは彼ら以外にないと思われたからだ。

 それから夜が更けた後に、ルイズと才人の姿はまだ救護所にあった。

 才人はまだ目を回したまま簡易ベッドに横になっている。そしてルイズは水のメイジが足りないので、頭に大きな湿布を貼り付けて、自分のせいで何も悪くないのにいまだに意識を取り戻さない才人を看護していた。

「……」

 才人の間抜けな寝顔を見ていると、ルイズの胸に思い出し怒りが湧いてくる。が、今度母の怒りを買ったら命の危険があるので、生存本能がかろうじてストップをかけていた。

「ほんとに……お人よしもたいがいにしなさいよね」

 才人のしたことは正しいことだということはわかっている。わかっているのだが、才人のそばに自分以外の女の子がいると、自分でもどうしようもなくなるのだ。

 けれど、もしさっき二人でいるときにキュルケたちが来なければ、自分は才人と何ができたか? ミシェルの半分でも勇気がもてただろうか……

「来年も、いっしょに踊ってくれる?」

 ルイズはそう言いたかったが、言ってしまえばそれがなぜか永遠に叶わなくなるような気がして、どうしても口に出せなかった。

 

 

 ゆっくりと流れる時間とともに、二つの月だけはいかなる者をも平等に照らして夜空に輝き続けている。

 

 

 一方そのころ、レコン・キスタ軍も出て行って、もぬけの殻となったアルビオンの首都ロンディニウムを見渡せる山の頂。月が天頂に輝き草木も眠るこの時刻に、闇夜と同化するような黒い服をまとって、街の郊外に突き刺さる、全長百メイルにもなる巨大な岩の柱をじっと見つめている人影があった。

「やはり、あれが怪獣たちをこの星に呼び寄せている元凶か」

 月を覆っていた雲が晴れて、その人物、ジュリの顔が明らかになる。彼女はエースと話して、この星を襲っている異変の現況が異次元人にあることを知ってから、その侵略を阻止することに目的を切り替えて、以前にロンディニウムに立ち寄ったときに見かけたこの石柱を再度調べるために戻ってきたのだが、それは案の定であった。

 これは巧みなカモフラージュを施してあって、人間の目にはただの岩石にしか見えないだろうし、ジュリも最初はたんなる隕石かと思っていた。だがよく透視すると宇宙鉱物でできており、微弱な脳波にも似たシグナルを出している以上、これこそが侵略兵器に間違いはなかった。

「また怪獣が来る……」

 ジュリの超知覚は、すでにこの恒星系に突入してきた何匹かの宇宙怪獣を捉えていた。いずれはこんなものではなく、もっと大群をもって星を埋め尽くすほどの数がやってくるだろう。そうなる前に、この星の生態系を守るために、宇宙全体の生態系のバランスを崩さないために、そして宇宙の秩序を崩すものを許さない宇宙正義を貫くために、誰の目にも止まらずに、ウルトラマンジャスティスの孤独な足音が夜空に響く。

 だが、その前に立ちはだかる者が姿を現した。

「貴様か、やはり生きていたな」

 ジュリの黒服と対照的な白衣をまとい、暗い影をまとった笑みを浮かべた女、高次元捕食体ボガールの人間体が姿を現した。奴は、あのときにメタリウム光線とビクトリューム光線を受けて滅び去ったと思われていたが、やはりしぶとくも生き延びていたのだ。

「ク……アノトキハ、ヨクモヤッテクレタナ」

 ジュリの言葉にボガールは、あのときのダメージなどはまったく感じさせない不敵さをもって、以前のように腕をだらりと垂れ下がらせ、しかし目にだけは陰湿な輝きを宿らせて答えた。

「なるほど、お前があれの番人ということか、確かに貴様にとっては都合のいい代物だろうが、破壊させてもらうぞ」

「コレイジョウ、オマエニショクジノジャマハサセナイ」

 鋭く睨みつけるジュリに対して、ボガールも殺意をみなぎらせた視線で応える。いつの間にか、両者の周りには微細なエネルギーが飛び交い、隙あらばいつでも襲いかかれる態勢をどちらもとっていた。

「あくまでこの星の環境を破壊しようというのならば、今度はもう容赦はしないぞ。宇宙の秩序を守るために、お前をこの星から逃しはしない」

「フ……コンドハ、ワタシガオマエヲクウ」

 食欲の権化であるボガールと、宇宙の秩序の守護者であるジャスティスの間に妥協点などは最初からあるはずもなく、ボガールは食事を邪魔するジャスティスを抹殺するために、人間体であるボガールヒューマンから、一気に怪獣体へと巨大化をはじめた。しかし、その姿は以前のボガールのものではなく、さらに体格や腕も巨大に鋭角的になり、背中に無数の鋭いとげの生えた翼のようなものが備わった凶悪なものに変わっていたのだ。

「やはり、脱皮して変貌を遂げていたか。ならば、これ以上巨大化する前に処理する」

 かつて宇宙の破壊者となったサンドロスに猶予を与えてしまったがために、宇宙の各地に甚大な被害を与えてしまった過ちを繰り返さないため、ジュリもブローチの変身アイテム・ジャストランサーを手に取り、光に包まれてウルトラマンジャスティスに変身する。

「シュワッ!」

 黄金の光に包まれて現れた巨人と、ボガールが進化をとげて変貌した強化形態、ボガールモンスが夜闇の郊外を舞台にして、新たなる戦いの幕を上げた。

「ヘヤッ!」

 第一撃を放ったのはジャスティスだった。さらなる異形と化したボガールに恐れを抱かずに懐に飛び込んで、ボディに両鉄拳を叩き込み、隕石が落ちたような轟音を深夜の街に響き渡らせる。

 しかし、先制攻撃を許したとはいえ、ボガールモンスはかつてもグドンやツインテールなどの強力怪獣をほんの数分で叩きのめしてしまったほどに強力なパワーを秘めている強敵だ。さらにボディもその程度では充分なダメージにならずに、かぎ爪を振り上げてジャスティスを攻め立て、回り込まれそうになれば鞭のように自在に動く尻尾を使って接近をはばんだ。

 その激闘は、はじまったばかりだというのに大地を揺るがし、眠りについていたロンディニウムの市民たちを夢の世界から引きずり戻した。

「か、怪獣だぁーっ!」

 これまで怪獣の出現は地方のみで、大都市圏にはまったく現れていなかったロンディニウムの市民たちにとっては、初めて目にする、ドラゴンなどとは比較にならない巨体を持つ大怪獣と、それと戦う巨人の姿である。その衝撃は街全体を惰眠から覚まさせるのにほとんど時間を要せず、彼らは一目散に逃げ出した。

 しかし、初めて見るということは同時に危機感も乏しいということで、郊外で激闘を繰り広げる両者の姿に、無謀な好奇心を持つ者も少なからずいたのである。

「おい、もっと近くに行って見ようぜ」

 若者を中心にした男女が、紙芝居を追いかける子供のように口々に声を掛け合って、恐怖感もかけらもなく走っていく。それは、地球やトリステインの常識で見れば最悪の愚行であったのだが、そのことをまだ知らない人々は、目の前のことを、檻の中で猛獣同士を戦わせる見世物のように思った代償を高い見物料で支払わされる結果となった。

 戦いのさなかで、ボガールモンスは素早く動き回るジャスティスを接近戦では捉えられないと判断し、頭部の後ろから突き出た発光器官から、雷撃のような破壊光線を放って攻撃したが、これもまたジャスティスを捉えることはできなかった。だが悪いことに、外れて流れ弾となったこれのその先は不運にも大勢の人々が駆け巡っている大通りがあったのだ。光線は通りの両側に連立している、石とレンガ造りの建物を直撃した結果、人々の上に何百キロもある破片を降り注がせた。

 それにより、お祭り騒ぎは一瞬にして阿鼻叫喚のちまたと化した。目の前をいっしょに走っていたはずの兄弟や恋人が、一抱えほどもある岩の下敷きになり、即死を免れた者の中にも、腕や足をつぶされて悲鳴をあげる者が続出し、彼らはやっと自分たちが地獄の釜のふちにいることを知ったのである。

「に、逃げろぉーっ!」

 人の流れの向きが逆になり、享楽が狂乱に変わると同時に、人々は今度こそ行く先を揃えて一目散に避難を始めた。むろん、この街の被害はそれで終わらず、アイのときのような悲劇がいくつも量産されたのだが、そんな中でも勇敢な人々はいた。

「待ってくれ! 置いていかないでくれ!」

 足を建物の破片につぶされて動けない男が、見向きもせずに通り過ぎていく群集にすがりつくように上げた声に応えたのは、どこにでもいるような中年の太った男であった。

「待ってろ、すぐに助けるからな!」

 彼は二百キロはありそうな大岩の下に、柱の残骸らしい太い棒を差し込むと、崩落した建物から火の手が上がりかけている横で、一心に岩をどかすと男に手を貸した。

「急いで逃げよう、肩を貸すから掴まれ」

「お、恩に着るよ」

 その男は、いつもならば酒場の陰で飲んだくれているのが似合うようなさえない脂ぎった顔だったが、助けられた男には、そんなものがなぜかこの上なく頼もしく見えた。

 また、別の場所では寝たきりで逃げられない老婆を、普段はやっかいもの扱いしている孫の少年が背負って走ったり、混乱の中でも最後まで残って市民の誘導に当たっていた衛士がいたことを、救われた人々は生涯忘れることはなかった。

 むろん、ことはそれほど単純ではなく、岩の下敷きになった死体から金品を抜き取ろうとしたり、混乱に乗じて火事場泥棒を働こうとしたりした馬鹿者の醜悪極まる話や、それを食い止めようとした衛士隊の活躍など、善悪美醜様々なエピソードが生まれた。そして、人々は初めて味わう怪獣災害の恐ろしさと共に、それらを記憶していくことになる。

 だが、人々に死と恐怖を撒き散らし続けるボガールモンスの無差別攻撃を、ジャスティスは可能な限り食い止めようとしていた。

『ジャスティスバリア!』

 手を前にかざして作り出した金色に輝く半円球のドームが、街へ向かおうとしていたボガールモンスの光線をはじき返して無効化していく。この一撃も、もしジャスティスが食い止めなければ数百人規模で死傷者が出ていただろう。

「ジュワッ」

 バリアを解除したジャスティスは、ボガールモンスに組み付くと、街から引き離そうとして押し込む。だがボガールモンスも進化して増大したパワーで、そうはさせまいと押し返す。

 命を滅ぼそうとするボガールと、正義と同じく命を守ろうとするジャスティスは、決して相容れることはないまま、戦いはさらに激しさを増していく。

 ボガールモンスのパワーにまかせた打撃を受け止めたジャスティスは、巨体を持ち上げて放り投げたが、飛行能力を持つボガールモンスはひらりと地上との激突を避けて着地し、戦いは振り出しに戻って永遠に続いていくかに思われた。

 しかし、戦いが長引くにつれて地力の差がじわじわと現れ始めた。

「グウウ……」

 いつの間にか、ボガールモンスは全身に受けた打撃によって体力を削り取られて、対するジャスティスはほとんど無傷でカラータイマーも青のままだった。

 この差がついた原因は大きく分けて二つある。一つは、ボガールモンスは体格が大きくなったために、ボガールに比べて攻撃力は上がっていたが、当然の引き換えとしてスピードが犠牲になっていた。対して速攻と重い一撃が持ち前のジャスティスは、かつてメビウスとヒカリが超高速飛行で翻弄して戦ったときのように、ヒットアンドウェイを繰り返したために確実なヒットを与えられなかったこと。もう一つは、ボガールモンスはジャスティスの実力をかつて戦ったメビウスやヒカリと同程度と見積もっていたが、数千数万年に渡って一人で宇宙の秩序を守ってきたジャスティスが積み重ねてきた戦闘経験は彼らの比ではなく、想定以上に強すぎたのだ。

「コンナハズデハ……」

 強くなったはずの自分の力がまるで通用しないことに、ボガールモンスは焦りを覚え始めていた。今すぐにやられるほど余裕がないわけではないけれど、このままでは相手にダメージを与えることすらままならない。ボガール一族の中でもいまや伝説となっている最強形態ならばともかく、第二形態程度ではジャスティスに勝ち目がないことはすでに自分でもわかっていた。

(とどめだ)

 ボガールモンスが弱ったことを見て取ったジャスティスは、躊躇無く必殺のビクトリューム光線の体勢に入った。エネルギーが収束し、回避したり受け止めるだけの余力がなくなったボガールモンスへ照準を合わせる。

 しかし、とどめの一撃が放たれようとした瞬間、ボガールモンスはおどろおどろしい声で呪いの言葉を吐き出した。

「イイノカ? オマエノスキナイノチガ、タクサンシヌゾ?」

「ヘヤッ?」

 その言葉に不吉なものを感じたジャスティスはとどめの一撃を反射的に止めて、そして透視能力でボガールモンスの体内をスキャンすると、驚くべきことがわかった。

〔高エネルギーが、体内を循環している。捕食した怪獣のものか〕

 そう、ボガールモンスの体内にはこれまで食らった怪獣から奪った高エネルギーが満ち溢れていた。それにひとたび引火でもしたら、今の状態ならこのアルビオン大陸の半分が吹き飛ぶほどの、まさに動く水爆と化していたのだ。

「ソレデモ、コウゲキデキルカ?」

 ジャスティスは、ボガールモンスが自分の弱点を知って、それを利用しようとしていることを知った。おそらく奴は、かつて地球でメビウスとツルギに倒されたときの自分の記憶から、自らの体が持つ特性を知ったのだろう。

 だが、それでジャスティスは攻撃ができなくなるだろうともくろんだボガールモンスは考えが浅かったことをすぐに思い知らされた。復讐の念を込めて、発光器官からの光線をジャスティスに浴びせかけたが、ジャスティスはそれを避けるとボガールモンスの前に高速移動して顔面を蹴り飛ばし、さらに腹の下から担ぎ上げると石柱に向かって放り投げたのである。

「セヤアッ!」

 油断していたところに容赦ない攻撃を食らい、ボガールモンスはたまらずに投げ飛ばされて、ぶっつけられた石柱の下敷きになってしまった。

「キサマ、コノホシノイノチモマキゾエニ?」

 激突させられた石柱の下から這い上がってきたボガールモンスは、ジャスティスの加減のなさから、人間の犠牲をいとわずに自分を倒そうとしているのかと思った。しかし、かつて戦ったメビウスやヒカリとは違う能力をジャスティスは持っていた。

「ハアッ!」

 精神を集中させ、エネルギーを解放したジャスティスと、それを受けたボガールモンスと石柱が金色の光に包まれて消えたかと思うと、次の瞬間にはロンディニウム郊外から一挙にハルケギニアの二つの月の一つへとテレポートしていた。

「コ、ココハ?」

〔あの星の衛星の一つだ。ここでなら、遠慮なく貴様を爆破できる〕

 ウルトラマンジャスティスは、ウルトラ兄弟らと違ってほとんど単独で宇宙の秩序を守る使命を帯びているために、その移動能力は桁外れなのだ。異次元空間への瞬時の移動すら自在に可能で、かつてスコーピスに追われて全滅寸前だったギャシー星人の宇宙船団を救った際には超空間航行中の円盤の前に突然現れている。

 今までとは逆に、荒涼とした砂漠の空に青く輝く星が見える月面上へと移されたことで戸惑うボガールモンスに、ジャスティスは攻撃を再開した。

「デュワッ!」

 強烈な威力を秘めたパンチがボガールモンスの顔面を打って火花を散らし、巨体を持ち上げてそのまま月面に叩きつける。

 もちろんボガールモンスも必死で抵抗を試みて、腕力と光線で迎え撃つ。しかし、そのことごとくを見切られて、内部のエネルギーはまだ無事だが外皮は見るも無残にボロボロにされていた。

 その一方的な展開には、ボガールを苦労して再生させたヤプールも失望を禁じえなかったであろうが、この世界のウルトラマンの実力をなめていたことは間違いはなかった。

 そして、ボガールモンスを月面に新たなクレーターができるほどに強烈に叩き付けたジャスティスは、奴といっしょにテレポートさせてきた時空波放出の発信機である石柱が、戦いのどさくさにまぎれて飛んで逃げようとしていることに気づくと、逃がしはせぬぞと睨みつけた。

「ハアアッ!」

 ジャスティスの眼前に金色に輝くエネルギーが収束していき、両腕を同時に前に突き出すと、そのエネルギーは両拳の先から奔流となって撃ち出されていった。

『ビクトリューム光線!』

 大破壊力の一撃を撃ち込まれた巨大石柱は、表面に細かい亀裂を生じさせて、その亀裂が内部から輝いたかと思った瞬間に、大爆発を起こしてただの砂へと返っていった。

〔これで、あとはお前だけだ〕

「オマエ……ヨクモ」

 ボガールにとっては、労せずして餌場を肥やせる願ってもない道具を破壊されただけに、その怒りはすさまじかったが、ジャスティスをひるませることはできなかった。

 だが、このまま戦い続ければジャスティスの勝利は間違いなしと思われたが、卑怯なボガールは最後の切り札を間に合わせることに成功した。それは、時空波を放つ岩塊の力を借りなくても怪獣を呼び寄せることのできる能力を使って、すでに宇宙のかなたからハルケギニアを目指していた一匹の宇宙怪獣をこの月へと呼び寄せたのだ。

(あれは?)

 ジャスティスの目に、こちらをめがけて一直線に飛んでくる、平たい体と緑色の表皮を持った怪獣の姿が映った。敵か!? すると超高速で飛行してきたそいつは頭の上に生えている一本角から、黄色い破壊光線をジャスティスめがけて放ってきた。

「シュワッ!」

 とっさにかわしたジャスティスのいたところへ、光線は命中して月の岩と砂を巻き上げる。

 そして、その怪獣は明らかにジャスティスを敵と認識したように、一気に突進してくると、高速でジャスティスに体当たりをかけてきた。

「ゼヤアッ!」

 避けきれないと判断したジャスティスは、その怪獣を受け止めると、突進の勢いを利用してハンマー投げのように放り投げた。けれどもそいつは空中で器用に姿勢を整えると、月の上に降り立ち、先が鋭い爪になった腕を振り上げて、五角形の幾何学模様をした腹を見せつけながら威嚇をかけてきた。

(この怪獣……強い)

 ジャスティスは、その怪獣の自信にあふれた姿から、おそらくは過去にも相当な数の怪獣や宇宙人と戦い、勝利してきたのだろうと推測し、それはまったく間違ってはいなかった。

 この怪獣のもう一つの地球での名が語られるとき、そこに戦慄を覚えない者はいない。かつてMATをあわや全滅寸前にまで追い込み、ウルトラマンジャックを一方的に叩きのめした強豪中の強豪。

 その名は、宇宙大怪獣ベムスター、かに座の爆発によって生まれ、水素、窒素、ヘリウムなどのガスをエネルギー源にする、強力無比な大怪獣だ。

 

(厳しい戦いになりそうだな……)

 

 ハルケギニアをかなたに見やる、誰一人見届ける者も知る者もいない荒涼とした月の世界で、ウルトラマンジャスティスの孤独な戦いは続く。

 

 

 続く



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第85話  蒼月の激闘

 第85話

 蒼月の激闘

 

 高次元捕食体 ボガールモンス

 宇宙大怪獣 ベムスター

 ウルトラマンジャスティス 登場

 

 

 月にはウサギがいて餅をついていると、昔の日本の人々は夜空にロマンを追い求めた。

 そして近代になって月が岩と砂ばかりの荒涼たる世界であると知っても、その強い思念は消えずに受け継がれていったのは誰もが知っている。それは、時には多少はた迷惑な怪獣を生み出すこともあったけれども、人々の月に対する愛は変わらず、宇宙の銀世界にひときわ美しく輝く地球の兄弟星に思いを寄せてきた。

 そうした人間の思いは、時空を超えたハルケギニアの人間にも同じように宿っている。彼らから見れば夜空に美しく映える青と赤の月は、むしろ余計な科学的知識がない分、見上げた人々はそこに神秘と敬意を抱き、はるか天上の神の世界に思いをはせていった。

 

 だが、いまや美と神秘の象徴であった月は、宇宙正義と宇宙悪とが雌雄を決する血みどろの死闘場と化そうとしていた。

 

「ヘヤッ!」

 右腕を引き、左拳を前に突き出すファイティングポーズをとって油断なく構えるウルトラマンジャスティスの目の前には、二匹の大怪獣が立ちはだかって隙を狙っていた。

 一匹は、高次元捕食体ボガールの進化体ボガールモンス。ヤプールによって再生され、ハルケギニアを餌場として着々と力をつけてきたボガールは、捕食活動を妨害し続けるジャスティスを倒すために第二形態に進化して挑んだが、ジャスティスの実力はその想像をはるかに超えており、宇宙のかなたから新たな怪獣を呼び寄せた。そのもう一体の異形の鳥形怪獣こそ、かつてウルトラ兄弟を数度にわたって苦しめ続けた、宇宙大怪獣ベムスターだ。

 

「シュワッ!」

 しかし、相手が何であろうと先手必勝を旨とするのがジャスティスだ。見たことのない相手であろうと、反撃をさせずに倒してしまえばよいと、ベムスターへ向かって高速移動で距離をつめて先制攻撃のパンチを繰り出した。

「ゼワッ!」

 掛け声とともにベムスターの左肩付近に命中したパンチが火花を上げる。それでも、かつてMATの大型ミサイル攻撃にもまったくダメージを負わなかったベムスターの堅固な皮膚は、ジャスティスの一撃をも衝撃を緩和して受け取め、反撃として鋭い一本爪のついた腕を振り下ろしてきた。

(防御力、パワーともにかなりのものだ。だが、恐れるほどではない)

 打撃を受け止めたジャスティスは、冷静にベムスターの力量を分析していた。防御力に打撃力、いずれも決して低くはない。しかし今のところは、これまでに戦った敵をしのぐほどではないと判断して、警戒は続けながら打撃戦を続けていく。

「ヘヤアッ!」

 ボディに連続でパンチを打ち込み、かと思えば足払いを食らわせて月面上に転がして、背中から抱えて投げ飛ばす。その隙をついてボガールモンスが破壊光線を撃ってきても見切って回避し、反撃に放った光弾が奴の翼の一部を抉り取って爆発する。

 もちろん、二体の怪獣は怒りに燃えて反撃するが、ジャスティスは正面から力でねじ伏せた。ウルトラ戦士にも戦うスタイルがあり、ウルトラマンのような万能タイプをはじめとして、セブンのようなテクニカルファイター、タロウのようなパワーファイターと様々だが、ジャスティスはまぎれもなく重量級の戦いを得意とするヘビー級のストロングファイターであった。

「デヤアッ!」

 渾身の力を込めたダブルパンチが六万一千トンのベムスターの体を、木の葉のように軽々と吹き飛ばす。

「デリャァッ!」

 間髪いれずにボガールモンスにも反撃や逃げる隙も与えずに、急速に間合いを詰めてジャスティススマッシュの至近距離からの連射で痛めつけて、ふらついたところで強烈な回し蹴りをくわえてなぎ倒した。

 この、あまりにも一方的な展開をもしジャックやメビウスが見ていたら、その強さに唖然としていただろう。それほどに異世界の存在であるジャスティスは、戦闘能力にかけて飛び抜けていた。

 青い星と赤い月を背にして悠然と立ち、ジャスティスは一見ダンスを踊るようにふらふらと起き上がってくるボガールモンスを見据えると、両腕を上げて躊躇なく必殺光線のエネルギー充填の体勢に入った。

「アレハ……」

 ボガールモンスは、一度食らって九死に一生を得た破壊光線の威力を思い出して戦慄した。あのときは、かろうじて脱皮に成功して離脱できたが、まともに直撃されていたらひとたまりもなかったであろう。それは進化体となった今でもそうは変わらないが、だからこそ奴はこの怪獣を呼び寄せたのだ。

 空間移動する隙を与えまいと睨みつけるジャスティスの前で、ボガールモンスは同じようにふらついているベムスターの後ろに隠れるように回りこんだ。

(ぬ? 手下を盾にするつもりか)

 別に珍しいことではない。追い詰められて仲間を見捨てたり、身代わりにしようとする宇宙人や怪獣などは人間に限らずごまんといる。そんな共通の醜悪な心根を持つ破壊者たちをジャスティスは全宇宙で見てきており、だからこそ容赦などする気は毛頭なく、丸ごと吹き飛ばすべく全力で一撃を放った!

 

『ビクトリューム光線!』

 

 サボテンダーやレッサーボガールを欠片も残さず粉砕した金色のエネルギー流が一直線にベムスターに向かう。だが、ベムスターがなぜ宇宙大怪獣と呼ばれるのか、その由縁をまだジャスティスは知らなかった。

 奴は、真正面から来るビクトリューム光線に対して避けるどころか、五角形が連なった模様をした腹を突き出すと、その中央部に開いた口に、エネルギー流をまるで換気扇に吸い込まれていく煙のように軌道を変えて飲み込んでしまったのだ。

(なにっ!?)

 光線を避けたりバリアで跳ね返すならともかく、吸収してしまったことにはジャスティスも驚いた。だがこれこそがベムスター最大の特徴であり、歴代のウルトラ戦士や防衛チームに恐れられた理由なのだ。

 ベムスターは頭についている特殊合金をも食いちぎる口のほかにも、腹についている五角形の吸引アトラクタースパウトという口からあらゆる物体や、エネルギーさえも吸い取ってしまう。そして飲み込んだ物体やエネルギーは体内にあるベムストマックと呼ばれる強力な胃袋で瞬時に消化して自らのエネルギーに転換してしまう機能を持っており、この吸収能力のすさまじさは、ジャックのスペシウム光線やメビウスのメビュームシュートさえも飲み込んでしまったことから証明されている。

 そして、それはすなわち光線技が戦いの決め手であるウルトラ戦士にとって、まさに天敵ともいえるほどの封じ手になるということだ。今ビクトリューム光線を吸収したベムスターは、そのエネルギーを変換することによって宇宙空間を長期間飛んできて消耗した分を補給し、元気いっぱいとなってジャスティスに反撃を開始した!

「ヌウォッ!」

 口ばしを突きたてながら突進してきたベムスターを受け止めきれずに、月面にこすった足跡をつけながらジャスティスは後退した。しかも、ベムスターはこれまでの恨みを晴らすかのように、防御のあいだをかいくぐって打撃を入れてきて、たまらず距離をとろうとすると奴の頭部に生えている一本角からの破壊光線、『ベムスタービーム』がジャスティスを吹き飛ばした。

(……やってくれる)

 ダメージを受けながらも、ジャスティスは冷静さを失わずに立ち上がり、目の前の怪獣を見据えた。まさか、ビクトリューム光線を吸収してしまうとは思わなかった上に、そのエネルギーが付加された奴のパワーは先程より跳ね上がっている。

(こんな怪獣がいたとは……!)

 ベムスターは爪を振り上げて、ジャスティスが与えたダメージがなかったかのように威嚇のポーズをとってくる。最初に見たときに感じた、この怪獣の自信の理由はこれだったのかとジャスティスは理解した。おそらくは光線だけではなく、火炎や冷凍ガス、カッター光線などの、通常は決め手とされる武器はことごとく吸収できるのだろう。これならば、どんな怪獣や宇宙人が相手でも、最初からきわめて有利に戦える。

 その証拠に、ベムスターの種族は地球をはじめ、宇宙のあちこちに度々出現しているのが知られている。その最初の一匹がウルトラマンジャックと戦ったのを皮切りに、その後ウルトラマンタロウ、メビウス、ヒカリとも同種族が戦っているが、どれも人間の援護やほかのウルトラマンの助力を得てようやく勝てていて、ウルトラマンが単独で勝利できた例は、ナックル星人が再生させて、初代とまったく同じシチュエーションでジャックにぶつけた一体を例外として、実はただの一回も存在しないのである。なにせ、こちらの武器も必殺技も、なにもかも吸収してエネルギーにしてしまうために手の出しようがないのだ。

 必殺光線を連射し、エネルギーを消耗したジャスティスに対して、エネルギーを吸収したベムスターは元気を増してジャスティスに襲い掛かる。

「ヌワッ、ヌォォッ!」

 鋼鉄をも噛み砕くベムスターの口ばしがジャスティスをつつき、隙を見て鋭い爪がわき腹や腰を刺し貫こうと狙ってくる。

 また、当たり前のことだがボガールモンスも見物に徹しているわけはなかった。雷型の破壊光線がベムスタービームと共同でジャスティスに炸裂し、たまらずによろめいたところで、ベムスターと挟み撃ちにする形で太い腕を振りかざして接近戦を挑んできた。

「ヌグゥゥッ!」

 万全の状態ならばこの二体を相手でもジャスティスは問題なく戦えただろうが、ビクトリューム光線二発の消耗は少なくはなかった。そしてとうとう、これまでのハルケギニアでの戦いでは、一度も点滅することのなかったカラータイマーが赤く鳴り始めてしまった。

「ソロソロアブナイヨウダナ?」

 赤く輝くカラータイマーの点滅が、ウルトラマンの命の灯であることは地球人に限らず多くの宇宙人に知られている。ジャスティスのエネルギーが残りわずかだということをそれで知ったボガールモンスは恨みを込めてほくそえんで、さらに嬉々としてジャスティスを痛めつける。

「……」

 だが、それとてもジャスティスの闘志を折ることはできていなかった。二大怪獣の猛攻にさらされながらも、じっとその攻撃を耐え、受け流しつつ、エネルギーの消耗を抑えながら逆転のチャンスを狙い続けていた。

 むろん、ウルトラマンといえども痛みも苦しみも人間同様に存在するので、その、強靭な精神力は、「さすが」の一言では到底言い表せないほどだった。二匹の怪獣は水に落ちた犬に石をぶつけて遊ぶ残忍な子供のように、一方的にジャスティスをなぶることに狂奔し、はさみ打って抵抗ができないようにしながら、爪で、牙で、角で、さらに光線を撃ちまくる。煮え湯を飲まされ続けた憎しみと、本来持っていた残忍性、そしてもう一つの目的を達せられそうだという興奮が、ボガールモンスを駆り立てていた。

「オマエ、ワタシノゴチソウニナレ」

 ボガールモンスの背中についている翼状の器官が巨大化し、食肉植物の葉のように大きく広がる。そのグロテスクな姿には、それがなんであるかを知らなくても、少しでも想像力を持つものであれば、その目的と用途を戦慄と共に悟っただろう。ボガールの目的は、その始まりから帰結にいたるまで食事をすること以外にはない。その対象は怪獣にとどまらず、生物であるのなら一切の差別なく食いつくし、はてはウルトラマンとてその例外ではない。

(私を食う気か……)

 以前の戦いでウルトラマンAを捕食しかけた奴の捕食器官も、本体と同じく進化を遂げて巨大化していた。いまやウルトラマンすら簡単に飲み込んでしまえるくらいに開いて、背中からジャスティスを食い殺そうと迫ってくる。

「オマエ、ウマソウ、ズットタベタカッタ」

 鞭のように自在に動く尻尾でジャスティスの体を捕獲し、捕食器官で覆いつくすようにボガールモンスは迫った。かつて地球に出現したときはメビウスに目をつけて、ツインテールを囮に使ってまでおびき出し、その後も執念深く狙い続けてついに果たせなかっただけに、捕食対象としてのウルトラマンにはまだ強い執着を持っていた。これでジャスティスを食えば、奴は次にベムスターをも捕食しにかかり、あとはハルケギニアはおろか、あらゆる星々の生命という生命を滅ぼしにかかるだろう。まさに、宇宙の全てを食い尽くすまで収まらない食欲の権化。

 そしてついに、ジャスティスの体が引きずり込まれるようにして捕食器官に挟み込まれてしまうと、ボガールモンスは勝利と食事にありつける喜びに、歓喜の叫びをあげた。だが、奴は食欲に忠実なあまりに、自らの敵が何者であるかを破壊の快楽の向こうに忘れ去ってしまっていた。

「ヌゥン! デヤァァッ!!」

 突然、収縮しかけたボガールモンスの捕食器官が膨れ上がったかと思うと、水素ガスを詰め込んだ気球に火がついたかのように、猛烈という言葉すら生ぬるい大爆発をあげて吹き飛んだ! 

 それは、その瞬間をハルケギニアから見上げたならば、一瞬月が光ったように見えたであろう。それほどの火炎を吹き上げ、その火炎の中心部から炎をまとって現れた戦士の姿を見たとき、背中を丸ごと粉砕されてもだえるボガールモンスは、狩る者と、狩られる者の立場が逆転したことを知った。

 月面を力強く踏みしめ、何人にも屈しない絶対正義の使徒は今、その胸を覆うプロテクターを通常の銀色から、邪悪を焼き尽くす太陽の光のようなまばゆい金色に輝かせた、新たな形態にチェンジしていたのだ。

 

『ウルトラマンジャスティス・クラッシャーモード』

 

 それは、ジャスティスが基本形態のスタンダードモードから、本気での戦いを決意したときにのみ見せる最強の戦闘形態。この二大怪獣を宇宙に逃せば、また数え切れないほどの命が犠牲になる。それを防ぐために、通常は封印し、宇宙を荒らしまわった異形生命体サンドロスとの戦いのときでさえ使わなかった、この力を解き放ったのだ。

「ハアッ!」

 二匹の怪獣を見据え、両腕を左右に大きく開いたジャスティスの腕の先から光が漏れて、一瞬ジャスティスが光の十字架となったかのように思われた。さらに、ジャスティスが両腕を下回りにゆっくりと回していくにつれ、金色に輝くエネルギーが頭上に光の玉となって収束し始めたではないか。

「コレハ……!?」

 本能的にボガールモンスは、これがビクトリューム光線さえはるかにしのぐほどの超エネルギーを秘めた一撃の前兆だと予知して戦慄した。そして、再びベムスターを盾にしようとその背後に身を隠し、ベムスターはさらなるエサを得られる興奮から、捕食者がすぐそばにいることも知らずに、腹の口を開いて待ち構える。これでは、むざむざとエネルギーを食われるだけだが、ジャスティスはそんなものは見えていないといわんばかりに、エネルギーの集中をやめない。

「シュワッ……」

 膨大なエネルギーがジャスティスの頭上で、まるで真夏の太陽のように赤々と燃え上がりながら収束し、解放のときを待っている。

 ここは、一人のウルトラマンと、二匹の怪獣のほかは生命の兆しも見えない荒涼たる月の世界。誰一人見守る者もなく、見届ける何者もない世界で、ジャスティスはその身に背負う使命を果たすべく、収束した全エネルギーを腕を振り下ろすと同時に、煮えたぎる太陽のプロミネンスのような光線に変えて解き放った!

 

『ダグリューム光線!!』

 

 光の竜のような光芒は狙いたがわずに立ちはだかるベムスターの腹の口に命中して、吸引アトラクタースパウトに吸い込まれていく。

「グフフ……バカメ」

 同じ失敗を二度するとはと、ボガールモンスはせせら笑った。ベムスターは注ぎ込まれ続けるエネルギーを着々と吸い込み続けて、歓喜の叫びを高らかにあげている。

 しかし、ジャスティスはカラータイマーの点滅が上がっていってもダグリューム光線を発射する手を止めない。それは、正義は悪に対しては絶対に背を向けてはならないからだ!

「ヌォォォォォッ!」

 全身の力を込めたダグリューム光線がなおもベムスターに注ぎ込まれ続けると、やがてベムスターの体に変化が現れ始めた。その体にわずかな亀裂が生じて木漏れ日のように光が漏れ出したかと思うと、それは一筋、二筋とベムスターの全身に広がっていき、その後ろに隠れていたボガールモンスをも明るく照らし始めたのだ。

「コ、コレハッ!?」

 ベムスターを倒す方法は大きく分けて三つある。一つは吸収されることのない物理的な攻撃で攻めることで、ウルトラマンジャックがウルトラセブンから与えられた新兵器・ウルトラブレスレットの光の剣、ウルトラスパークで切り裂いたことがこれに当たる。

 二つ目は、吸収する隙を与えずに一気に大威力の攻撃を叩き込むことで、GUYSが粘着弾で腹の口を封じようとした作戦や、ウルトラマンヒカリがホットロードシュートで倒したときがそれだ。

 そして最後の一つは、ZATがウルトラマンタロウをも倒したベムスターを完全撃破したエネルギー爆弾作戦のときのように、吸収しきれないようなエネルギーを叩き込んで内部から吹き飛ばすことだ!

「ヌォォッッッ!!」

 さらに力を増したダグリューム光線が吸引アトラクタースパウトに吸い込まれたとき、とうとうベムストマックの許容量をも超えたエネルギーは、さしずめ凝縮されたウラニウムが臨界点を超えたときのように、白光となってすべてを覆い尽くした。

 

「…………」

 

 ベムスターが溜め込んだジャスティスのエネルギーと、ボガールモンスが溜め込んできた怪獣たちの膨大なエネルギーは一つとなり、無音の世界を光速で駆け巡った。そして次の瞬間、月面の1/3を、この星が悠久の時の中で刻んできた無数のクレーターをすら、形も残さないほどの大爆発となった。

 二大怪獣も、ジャスティスも炎は厚くて姿は見えない。この大爆発のことは、ハルケギニアでも肉眼ではっきりと確認できており、翌日の日食のこととも合わせて、神が見せた奇跡の前兆ではないかと、しばらく人々の口を騒がせることになる。しかし、月の地形をも変えてしまうほどの爆発の中で、ジャスティスは二大怪獣といっしょに吹き飛んでしまったのだろうか?

 

 月は猛火に包まれて、その火炎の中にはまったく生命のきざしは見えない。けれど、今は青い月が赤い光で照らすハルケギニアの、どことも知れない森の一角に、亜空間から光粒子が漏れ出したのに続いて、ジュリが次元の穴からワープアウトしてきた。

「はあ、はぁ……どうやら、成功したようだな」

 地面の上に降り立ったジュリは、呼吸を整えると、一本の大きな木の根元に疲れきった体を横たえた。

 あの、二大怪獣が大爆発したタイミングで、火炎はジャスティスが飛んで逃げても逃げ切れないほどの勢いで広がっていた。しかし、間一髪のところで、彼女は残ったエネルギーを使って、ハルケギニアまで瞬間移動することに成功したのだ。

 ただし、そのために消耗したエネルギーは大きく、ジャスティスはウルトラマンの姿を保っていることさえ不可能になってしまった。ワープアウトした時点でジュリの姿に戻り、さらにワープした地点もアルビオンからは大きくずれて、トリステインかゲルマニアか、ガリアかすらわからなかった。

「少し、無理をしすぎたか……ここまで消耗するとは」

 強大な力には、それに見合った代償が必要になる。ジャスティスにとってもそれは変わりはなく、圧倒的な強さを誇るクラッシャーモードやダグリューム光線も、通常は封印されて使わないのは、その強さと引き換えにエネルギーの消耗は莫大で、多用すればジャスティス自身の生命にも関わるためだ。

「回復には、最低四、五日はかかるか。それまでは戦えないな」

 エネルギーを使いすぎたウルトラマンは、時間が経てば回復するが、かつてダメージが溜まりすぎて死亡しかけたセブンのように、無理をすればそれだけ命を削ってしまう。周りは静まり返った森で、人間の気配はなく、人里から大きく離れているということだけはわかった。ただ、この星には危険な生物が地球以上にあふれており、人間の盗賊程度だったら今の状態でも問題ないけれど、オーク鬼などの大群にでも襲われたらさすがに危ない。

 ジュリは、ともかく今は下手に動き回らずに回復を待つべきだと、目をつぶろうと思った。が、悪い予感というものはほとんど予知に近い的中率を持つらしく、人間の匂いを嗅ぎ取ったらしい狼の群れが闇の中からうなり声をあげて現れた。

「やれやれ……」

 ため息をついてジュリは立ち上がると、相当に飢えているらしくよだれを垂らしながら近づいてくる狼の群れを見下ろした。見たところ、数は三十匹前後、いつもであれば相手にもならないが、人間でいえばフルマラソンの後にも匹敵するほどに疲れきった今では、寿命が削れる程度の無茶をしなければ切り抜けられまい。

 が、無理を押して立ち向かおうとしたジュリの前で、狼たちの反対方向から闇を裂いて小さな赤い光が飛んできたかと思うと、群れの中で特に大きな狼に突き刺さった。

「矢か……いや」

 その赤い光の正体が、矢に取り付けられた導火線の火だとわかったときには、突き刺さった矢は真っ赤な炎をあげて爆発し、その狼を尻尾の先などのわずかな肉片を残して粉砕していた。さらにそいつがこの群れのボスだったようで、ほかの狼たちも一気に散を乱して逃げ出していった。

「おいあんた、そんなところで何してるんだい?」

 振り返ってみると、そこには革の胴着やよれた綿のズボンなどのみすぼらしい……いや、この森の中では機動性と保護色をかねているのだろうと思われる服を着た女が、今使ったと思われる弓を持って立っていた。

「人間か……」

「おいおい、助けてやったのに第一声がそれかい。まあこんなところじゃ亜人と間違えても無理はないけどさ、確かにあたしは人間さ、それで満足かい?」

 黒い髪を短く刈りそろえて顔にわずかにかけたその女性は、興味と警戒心を半分ずつ込めた目でこちらを見ていた。しかし、ジュリはそれがヤプールの刺客や、知能の低い亜人種ではなく、本当に単なる人間だとわかるとほっと息をついた。

「すまないな、おかげで助かった」

「なあに、たまたま通りすがっただけさ。それにしても、あんたこそこんなところに何の用だい。このファンガスの森は今でこそ落ち着いてるけど、それでも狼や熊が頻繁にうろついてるんだよ」

 月明かりの中を歩いてくるにつれて、その女性の容姿も詳しくわかってきた。先の服装や髪の色に加えて、よく日焼けした顔立ちにはわずかに少女っぽさが残っており、見るところまだ十代の後半から二十代の前半あたりだろう。だがそれよりも、彼女が手に持った弓につがえられた矢の先端部には、火薬筒と思われる円筒が取り付けられており、見かけに不釣合いなほどの重装備がジュリの目を引いた。これならば重さで射程距離は落ちたとしても、命中すれば熊であろうと一発で仕留められるだろう。

「お前、兵士か?」

「ん? ああ、これのことかい。あいにくと、わたしはただの狩人さ。昔ここじゃちょいと面倒な獲物を狩ってたから、ないと落ち着かなくてね。それよりも、いいかげんこっちの質問にも答えなよ。変わったかっこだけど、一番近い街からも十リーグ以上離れたこんな辺ぴな場所に何のようだい?」

「……旅の途中で、どうやら道を間違えたらしくてな」

 あながち嘘でもない答えを返すと、若い女は愉快そうに笑った。

「あっはっはっは! それでこんなところまで迷い込んでくるとは、たいした方向オンチだねえ。けどまあ、ここにはわざわざ物取りが狙いにくるようなもんは何にもないし、信じてやるよ。で、お前さんこれからどうするんだい?」

「……今は特に目的はない。また、足のままに旅するだけだ」

 これは嘘ではない。当面の目的であるボガールの撃破はなったものの、まだこの星は異次元人ヤプールの侵略対象にされている以上、見過ごすわけにはいかないのだ。

 しかし、そう言って立ち去ろうとしたジュリを、女は呼び止めて言った。

「待ちなよ、今この森を無理に抜けようとすれば、また獣どもがわんさかと集まってくるよ。見たところ、体調もよくなさそうだし、この近くにわたしの家があるから休んでいきなよ」

「お前は、こんなところに住んでいるのか?」

「まあね、話せば長いが、誰にだって事情ってものはあるだろ。んで、どうするかい? 小さいとこだが、メシと寝床くらいは用意してやるよ」

 その申し出を、ジュリは受けるか否かと考えたが、受ける以外に今は安全な選択肢はないと判断した。どのみち変身もままならない今の状態では無理に出回ったとしても何もできないだろう。休めるうちに休んで、体調を万全にするのもまた戦いのうち、無理をするにも時と場合がある。

「わかった、やっかいになろう」

「そうかい、じゃあついてきな。こっちだ」

 若い女は了承を得たことで軽く笑うと、指を立てて方向を示して、先に立って歩き始めた。森の下草や木の葉、腐葉土が踏み鳴らされて特有の音を立てる。しかし、いくらか歩く中でジュリは女の足音が右と左でわずかに違うことに気づき、足首を見てみると、彼女の左足のズボンのすそからは、足首の代わりに木の棒が伸びていて、それが義足だとわかった。

「お前、その足は?」

「ん? へえ、これに気づくとはあんたもなかなかだねえ。なに、昔大物とやりあったときにね……」

 失われた左足に視線をそそぐ彼女の目に、一瞬感傷めいた光が浮かんだ。

「おっと、そういえば、さっきからお前だのあんただのと、まだ名前も聞いてなかったね」

「……ジュリ」

「そうかい、よろしくな。わたしの名は……」

 そのとき、再び一陣の風が流れ去り、森の木々と木の葉を揺らしていった。

 ファンガスの森は静まり返り、この森の唯一の住人と、その客人をじっと見守る。

 ガリアの辺境に位置し、今やその名を知る者も少ないこの森に、名乗りあった二人は立ち、やがてまた歩き始める。やがて青い月の炎も薄まり、双月も沈み行く中で、ウルトラマンジャスティスの戦いは、この日一つの終わりを迎えた。

 

 

 だが、そんな激闘があったことなどはハルケギニアの誰一人として知る者はいない。大部分の人々にとって、その夜はいつもと変わらず月が照り、被災したロンディニウムもしだいに混乱から静けさへと移り変わり、やがて時間が日付を一日進ませる頃には、あわただしすぎる一日に疲れきった人々は、安らぎの世界へと落ちていっていた。

 けれども、安らぎを与える宵闇も、この世界を滅ぼそうとする悪の胎動を止めることはできなかった。

 王党派のこもった小城から北に五十リーグ離れたところに、戦艦レキシントンをはじめとしたレコン・キスタ艦隊はいた。給弾艦から最後の補給を受けて、貴族は在りし日の甘い夢に逃げ込み、平民たちはどうやって勝ち目のないこの戦いから逃げ出そうかと、密談や、脱出の準備をひそかに進めて、それをする気もない者は惰眠にすべてを預けて眠っていた。

 そんな中で、いまや千名強にまで落ち込んでしまったレコン・キスタを率いる立場にあるクロムウェルは、自室にシェフィールドを招いて密約を交わしていた。

「おお、それは本当ですか! でしたら、間違いなく勝利することができましょう」

「そうよ、あのお方はすでに全軍に出撃を命じたわ。計画が成功した暁には、約束どおりこの大陸はあなたのもの、ですからはげむことね。これがお前に与える最後のチャンスよ」

 シェフィールドは突っ伏して土下座するクロムウェルに、自らの指にはめた『アンドバリの指輪』をかざして、その指輪の宝石が放つ光を照らすと、クロムウェルは大仰に喜んだしぐさを見せて、何度もひれ伏して見せた。

「いいこと? もう一度確認するけど、この世にある四つの系統の魔法の中で、水の力は生命の活動をつかさどるわ。普通はそれを人体の治療などに役立てるものだけど、水の力にはさらなる奥があるわ、それは何?」

「ははあ、禁術とされていますが、水魔法には人間の精神に作用し、感情を操作したり、記憶を書き換えたりするものがあります」 

 模範解答をいただいたシェフィールドは、口元をゆがめてクロムウェルを見下ろしながら、アンドバリの指輪を軽くなでた。彼の言った禁術とは、簡単な例をあげれば、以前モンモランシーが製造に失敗して大事件を巻き起こした惚れ薬のように、人間の心を操ってしまう魔法や魔法薬のことを言う。これは実際的に麻薬にも等しい危険物なために、世界中で厳しく規制されている代物であるが、シェフィールドの考えていることはその程度の生易しいものではなかった。

「そう、ご名答。そしてこのアンドバリの指輪に込められている水の魔力は、人間の扱うそれとは比較にならないほどのパワーを秘めてるわ。これを、これから私が王党派の城の水源に使って、その水を飲んだ人間を狂わせて暴れさせるから、あなたはその混乱をついて我らの艦隊と挟み撃ちで一気に王党派を殲滅なさい。いいわね?」

「ははあ、重ね重ねのご温情、決して無駄にはいたしませぬ」

「期待しているわよ」

 とは言ったものの、シェフィールドの目はすでにクロムウェルを見てはいなかった。あの激戦で、いったいなにがどうなったのか理解を超えたことが続いたが、とにもかくにも戦いを引き分けに持ち込んだクロムウェルに、ジョゼフは最後の利用価値を見出しただけだった。

「もうレコン・キスタを動かすのも飽きた。そんな国の行く末などに最初から興味もないし、そろそろ広げたおもちゃは行儀よくおもちゃ箱に戻すとしようか」

 あくびをしそうな様子で、ジョゼフは無駄に状況がややこしくなって、死に石ばかりでこれ以上盤を動かしにくくなったアルビオンをさっさと片付けようと、シェフィールドにアルビオンでの最後の仕事をさせるとともに、ガリアの一個艦隊にすでに出撃を命じていた。ただし、シェフィールドの言葉どおりにレコン・キスタを勝たせるつもりはなかった。

「アンドバリの指輪の効果で、小僧と小娘の軍が混乱して、じじいの艦隊が喜んで攻撃しているときに、我が艦隊が割って入ってレキシントンを沈めれば、アルビオンとトリステインに同時に恩を売れる。どうやらトリステインの小娘は侮れぬ才覚の持ち主らしいからな。俺の差し手に充分になる前に死なれては、後がゲルマニアの成り金やロマリアの坊主だけでは面白くないからな」

 自分が世界を盤にしてのゲームを楽しむにしても、相手がそれなりにいなくては張り合いがない。腕に自信のある差し手ほど、強い敵を求める。どこの世界に、幼児を殴り飛ばして喜ぶ格闘家や、サルを相手に知識を披露する学者がいるか、より楽しいゲームのために、まず敵を育てる。クロムウェルは、そのための捨て石でしかなかった。

 けれども、相手を捨て駒と思っているのはなにもシェフィールドだけではなかった。彼女が計略を実行に移すために立ち去った後で、クロムウェルは大きく口元を歪めて、ふっとせせら笑っていた。

「ふふ……愚かな人間め」

 人形遣いの優越感に浸っている者は、自らも操り人形に過ぎないとは考えもしないものだ。これまでシェフィールドの優越感をくすぐりながら、あの手この手で時間を引き延ばし、レコン・キスタを動かしてきたが、アルビオン全土を壊滅させる作戦も失敗した今、それも終わりに近づいてきている。

「しかし、この期に及んでアンドバリの指輪か、さてどうしたものかな」

 アンドバリの指輪のことは、クロムウェルもよく知っている。元々水の精霊の有していた秘宝であるあれは、普通の人間が使っても上級の水魔法に匹敵するくらいの真似ができるが、どういうわけかあの女が使えばノーバやブラックテリナの規模には及ばなくても、多数の人間を操作することができるようだ。だが、アンドバリの指輪の効力を多少惜しいと思うクロムウェルを一喝するようにヤプールの声が響いた。

「何を迷っているのだ! 我らの目的を忘れたのかぁ!」

 瞬間的に個室は異次元空間となり、ヤプール人は自らの計略のために邪魔になったシェフィールドを排除するために、クロムウェルに命令を与える。

「いいか、人間どもを追い詰めれば必ずウルトラマンAは現れてくるだろうが、ここで余計な真似をされて、いらぬ混乱が起きては面倒だ。あの女を始末しろ」

「はっ、しかしあの女の策を用いれば、この世界にさらなる混乱をもたらす火種とすることもできましょうが?」

「エースへの復讐に比べれば、人間の世界のことなど二の次だ! 積もり積もった我らヤプールの怨念を、今こそ晴らすのだぁー!」

 ヤプールの怨讐がこもった声とともに異次元空間は掻き消え、クロムウェルは元の部屋の中に立っていた。ただし、そこにはさっきまではいなかった、もう一人の長身の男の影が現れていた。

「戻ったか、傷の具合はどうだ?」

「ふ、人間の体を修復するなど造作もないこと。ただ、この体の元の人格は、役に立たないので封じ込めてあるがな」

「そうか、ならさっそくだがウォーミングアップをかねて仕事に行ってきてもらおうか」

 月光のみが明かりとなる部屋の中に、二人の男の影が揺れて、一つが消えた。

 

 そして、それから数時間後。王党派陣営の拠点である城に流れ込む、地下水脈の源泉となる深山の湧き水に、シェフィールドの姿はあった。

「ここね」

 そこは、平時であれば清らかな山水を求めて人々が集うであろうが、戦時である今は誰もいない。というより、水源であるここに万一毒が投げ込まれたときのために、一個小隊分の兵士が駐留していたが、シェフィールドがアンドバリの指輪の光を向けると、全員が一瞬にして倒されていた。

 しかし、そのまま水源に向かおうとしたシェフィールドは、闇夜の中から染み出るように姿を現した男に阻まれて立ち止まった。

「お前は……ワルド子爵」

「こんばんわ、ミス・シェフィールド」

 不敵な笑いを浮かべながら、ゆるやかに両手を広げて立ちはだかるワルドの姿は、すでにカリーヌにやられた外傷は完全に消え去り、以前となんら変わらぬ様相でそこに存在していた。

「なんのご用ですの?」

 口元にだけは笑みを浮かべ、親密そうに、かつ目にだけは警戒心を宿らせながら問いかけるシェフィールドに対して、ワルドは喉を鳴らして笑った。

「いえいえ、私の主はもうあなた様に大変お世話になりましたが、そろそろ男らしく独立独歩していこうと決意されましてね。それで、ごあいさつにと参ったしだい」

 そのとき、シェフィールドの目の下の筋肉が微妙に震えたが、夜闇のせいでワルドには見えなかった。

「へえ、あのクロムウェルがねえ。それで、私の助けはもういらないということなのかしら?」

「はい、ですからここはお引取りいただきたく存じます。あなた様と主様には……」

「その必要はないわ!」

 ワルドが言い終える前に、シェフィールドの額に魔法文字のルーンが輝いたかと思った瞬間、彼女はアンドバリの指輪をワルドに向けて、その光を放っていた。

「うぉぉっ……」

 ワルドの体が倒れこみ、にぶい音を立てるとシェフィールドはせせら笑った。

「フン、メイジ風情が楯突こうなどと百年早いわ。最初から杖を持っていなかったのがあなたの敗因ね。さて、あの小心者が裏切るとは思わなかったけど、お前なら手駒としてそこそこ優秀でしょうから、しばらくは私の道具にしてあげるわ」

 シェフィールドはつまらなさそうにつぶやくと、ワルドを使って裏切り者を始末させるために、再びアンドバリの指輪を向けた。だが、彼女が指輪の効力を使う前に、倒れていたワルドが起き上がって笑った。

「ふむ、生体組織を遠隔操作する類の道具か、確かに中々強力ではあるようだな」

「な……なんだと!?」

 シェフィールドは、首を鳴らしながら平然としているワルドに、初めて平静を乱して後ずさり、手の中の指輪を見つめた。

「ば、馬鹿な……この、アンドバリの指輪で操れない人間などいるわけが……」

「ふっふっふ。そう、確かに人間なら操れるだろうが、あいにく私には効かないようだね」

「なにっ!? ま、まさか!」

 人間になら効果がある。しかし、このワルドには通用しないということは、彼女の脳裏に不吉な仮説を立てさせた。

「ふふふ。さて、ではご苦労をかけさせましたお詫びにそろそろお休みいただきましょうか。永遠に、ね」

 ワルドが笑い、両手にはめられていた手袋に手をかけたとき、泉に一陣の風が吹いて木の葉を巻き上げ、かなたの空へと運び去っていった。

 

 善も悪も関係なく、人々の運命の糸はねじれ、からまりながら、切れなかったものは前へ前へと伸びていく。その先にある何かを求めて。

 そして、宵闇の封印が太陽によって破られた、いつもと何も変わらない快晴の夏の日の朝が訪れた。この日、二年近くに渡ったアルビオン王国の内乱は、最後の戦いの幕を上げたのである。

 

 

 続く

 

 

 

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第86話  暗黒の意思

 第86話

 暗黒の意思

 

 変身超獣 ブロッケン 登場!

 

 

 どんなに長い夜であろうと、明けない夜はない。たとえ、その夜明けが望まれないものであったとしても。

 

 長いようで短くもあった内乱を続けたアルビオン王国にとって、王党派と反乱勢のその正真正銘の最終決戦となった、ある夏の日の戦いは、ごくごく平凡な形で始まった。

 王党派は夜明け前に全員起こしがかかり、内臓に負担がかからない糧食をとった後に、北の空へと向かって待機し、太陽が昇ったその数時間後に目的のものは現れた。

 

「北北西、距離二万、敵艦隊を確認! 戦艦一、護衛艦三」

 

 王党派の拠点の城の最上階の見張り台の兵士の叫びとともに、王党派は全軍戦闘配備をとり、全戦力を敵旗艦レキシントン号を撃沈するためだけに備える。

 その様子を、ウェールズとアンリエッタは城のテラスから見下ろしていたが、やがて肉眼でも敵艦隊が見えてくると、自然とそちらを見上げていた。

「やはり正面から来ましたわね」

「ああ、奴らにはもう小細工をする余裕もないし、風石や弾薬の余裕もないだろう。戦略的に、今さら撤退しても戦力の回復は不可能だし、もうレコン・キスタが逆転に望みをかけられる手段は一つしかない」

「わたくしたちを、殺すことですわね」

 もしここで王党派の旗手であるウェールズを失えば、王党派は再起不能の打撃を受ける。けれども、敵の大将をとれば大逆転という軍事的な冒険に出て成功した例は少なく、地球の例を取ってみても大阪夏の陣で徳川家康に肉薄した真田幸村も、その壮絶な戦いぶりが伝説となったが、結局は力尽きて全滅している。ただし、その逆もないとは言い切れず、だからこそ敵は死に物狂いになって攻撃を仕掛けてくるだろうが、これを撃退してこそやっと平和がこの大陸にやってくる。

 また、無言でうなずいて、接近してくるレキシントンを見つめ、来るべき時を待ち受けているウェールズとは別個に、アンリエッタはおそらくはやってくるであろう悪魔の襲撃を見落とすことのないよう、神経を集中して空を見やっていた。

 

”ヤプール、今もこの空のどこかから見ているのでしょう。お前たちの企みはわかっています。どこからでもかかってきなさい。このアルビオンを、トリスタニアの惨劇の二の舞にはさせません”

 

 何の正当な理由もなく、破壊し、服従させることだけが目的の侵略者・ヤプール。

 あの燃え盛る街と、何の罪もないのに焼け出され、断末魔の悲鳴をあげて死んでいく人々の姿は忘れることはできない。アンリエッタは、このアルビオンをも同じ目に合わせようと企んでいるのなら、全力を持って阻止すると心に誓った。

 その後ろには、護衛としてカリーヌとアニエスが油断なく直立不動で構え、レコン・キスタの事情に詳しいミシェルは準参謀で、ルイズたち一行は、護衛兼、ヤプールの攻勢が始まった場合に対応するためにつばを飲んで待っていた。

「敵、距離一万! 竜騎士等は見受けられません」

 レキシントンにはドラゴンをはじめとした、幻獣を搭載する母艦機能もあったはずだが、戦闘空域に達しようとしている今でもそれらが飛び立つ気配は見当たらない。やはり、昨日の戦いで消耗した分の補充が、もう不可能なのだということが察せられた。

「これなら、案外早くけりがつくんじゃない?」

「甘いわね。制空権をなくしているとはいっても、レキシントンはアルビオン最強の戦艦であることには変わりないわ。それに、敵も今回は窮鼠と化してる。一隻だけだからこそ、逆にあなどれないわ」

 敵の残存戦力が少ないからと、楽観ムードを漂わせているルイズをキュルケがたしなめている間にも、レキシントンは巨体ゆえに一見したら止まっているのではないかと思えるが、しかし確実に接近してきていた。そして、その距離が二千になったところで戦闘開始の号砲は鳴った。

「対空砲、撃ち方はじめ!」

 先日の戦いで、一門だけ生き残ったゲルマニア製の長射程砲が火を噴き、レキシントンからやや離れた空間で砲弾を炸裂させる。これに反応して、レキシントンは照準を外そうと右に転舵しながら、左舷の大砲を城の前で陣を張って待ち受ける王党派軍に向けてくる。

 もはや、戦闘回避は不可能。ここにアルビオン内乱の最終決戦、第三次サウスゴータ攻防戦の幕は切って落とされた。

「竜騎士隊、突撃せよ!」

「各部隊は散開し、それぞれの判断に従って対空攻撃をおこなえ!」

「敵弾、来ます!」

「東側陣営に着弾、バレーナ小隊、指揮官戦死!」

「衛生兵は、ただちに負傷者を後送せよ。全部隊、全兵器使用自由、集中攻撃をかけろ」

 矢継ぎ早に命令や報告が乱れ飛び、戦場はたちまち両軍の砲弾や魔法が無数に交差する。落とそうとする王党派と、落とされまいと必死で前進を続けるレキシントンが攻防を繰り広げる姿は、遠くから見れば大変に勇壮に見えただろう。

 その戦闘の様子を、ルイズたちは遠見の魔法でその場所にいるように眺めていたが、先日の戦いとは違って、間近で見る凄惨な人間の殺し合いは、ルイズたちの想像をはるかに超えていた。

「母さん、母さん……」

「腕……俺の腕はどこへ行った」

「兄さん、首、あれ? 首から下は……」

 ほんのわずかな時間で、死への門をくぐるもの、体の一部を失って捜し求めるもの、発狂して幽鬼のように戦場をうろつくものが続出し、それは戦場を武勲を立てる場だと考えていたルイズに、耳を塞ぎ、目を閉じてもなお嘔吐をもたらすほどの凄惨さを叩きつけていた。

「ルイズ……」

 アンリエッタも、目を逸らしたいのを我慢して必死に自分の命令で死地に赴いた人々を見つめる。カリーヌやアニエスは何も言わずに、唯一変わらないタバサを例外にして、才人やキュルケですら、目の前に見せ付けられる現実には顔を青ざめさせていた。

「なんなんだよこれは、こんなもの、まともじゃねえ」

 才人も、ウルトラマンAとともに数々の怪獣や宇宙人と戦い抜いてきたが、それらには平和を守るための使命と誇りがあり、戦う先にある平和を望むことができた。だが、目の前のものは、そうした『戦闘』ではなく、人間と人間が身勝手な理由で無関係な人々を代わりに戦わせる最悪の愚行、『戦争』であった。

 『戦闘』と『戦争』は、似ているようでまったく違う。ウルトラマンと怪獣、侵略者の戦いには、平和を守る使命、破壊本能、支配欲、生存のためと両者ともに、もしくは片方だけでもそれぞれちゃんと理由を持っている。レッドキングとチャンドラーの縄張り争いにさえ、きちんとした戦う理由があり、そのために自ら血を流しているから、そこには戦う者の美しさがある。

 ただし、そこに『国』という枠が入ると戦いはその質を大きく変える。

 意思と意思のぶつかり合いであった『戦闘』は『戦争』へと変わり、この戦いでも一部の忠誠心あふれた貴族を除いては、ほとんどの者が徴兵され、扇動されて戦っているので、ひとたび心が折れれば、そこには醜悪な本能の露呈しか残らず、筆舌しがたい苦悶と絶望の場となる。まさに、人間の生み出す中でこれほどの愚行はほかにない。そんな中で、わずかな慰めがあるとすれば、ウェールズやアンリエッタがそうしたことを理解しており、自らの身を敵の囮として、戦いをほんのわずかでも早く終わらせるように勤めていることだろう。

 そのわずかな一端にルイズたちは触れ、一刻もはやく終わってほしいと心から願った。

 

 しかし、ルイズたちが良心から人々の苦悶に必死に耐えている間にも、絶望と悲嘆の声を望むものは、さらなる混沌の種をこの戦場にばらまいた。それは、戦闘開始から一時間ほど後に、両軍の戦闘が硬直状態になったときであった。

「っ? 地震か!?」

 突然城の床が大きく揺れ動いたかと思うと、次いで慌てて駆け込んできた伝令の兵士によってもたらされた報告が、戦場が最初の変化を遂げたことを告げた。

「ほ、報告します! 突然一階に所属不明のメイジが侵入してきて暴れております。現在近衛師団が応戦していますが、どうやらスクウェアクラスらしく、こちらのメイジや兵では太刀打ちできません。至急応援を願います」

「なに!? レコン・キスタにまだそんな戦力があったのか。まさか、レキシントンは囮で、その隙に我らを襲うのが狙いか」

 ウェールズは想定外の事態に驚いたが、ルイズたちはすでにその相手について想像がついていた。

「ワルドか……」

 遠見の魔法で確認して、間違いがないことがわかると、奴に手傷を負わされたミシェルや、形だけとはいえ婚約者であったルイズの顔に憎憎しげな色が浮かんだ。アンリエッタや仮面の下のカリーヌも、表情は変えないが心境は同じようなものだ。

「また性懲りもなくやってきたのね。けど、あいつは昨日『烈風』に瀕死の重傷を負わされたんじゃあ?」

「ヤプールなら、人間の体を一晩で治すなんて簡単だろうぜ。にしても、あの野郎、ひどいことしてやがる!」

 超獣を次々と作り出し、かつては死者を蘇らせることまでやってのけたヤプールにとって、人間の命などはとるに足りないものに違いない。

 ワルドは、無差別にあらゆる魔法を撃って、食い止めようとしている兵士たちを蹴散らすだけではなく、抵抗できない者には風を、逃げ出そうとする者には雷を与えて、死と破壊を振りまいている。むろん、王党派のメイジも食い止めようとしているようだが、スクウェアクラスの魔力をさらに増大させているワルドには歯が立たない。しかもその力は、己の欲のために悪魔に魂を売った結果であるから、裏切り者、卑怯者、あらゆる悪罵を投げつけてなお余りある。

「ほんの少しでも、あいつに気を許していた自分が腹立たしいわ」

「ああ、見れば見るほどムカつく顔してやがる。だが、よほどワルドの体が気に入ったんだな。もしかしたら、今ならワルドの体のまま倒すことができるかもしれない」

 ウルトラマンとて、同化した人間や、人間に変身した状態で殺されたらひとたまりもない以上、ワルドの体のままでなら人間の力でも倒せるかもしれない。才人の言葉でそれを確信したルイズは、すぐに杖を上げていた。

「わたしが行きます!」

「ルイズ!?」

「今、動ける余裕のある戦力はわたしたちしかいません。それに、あいつだけはわたしのこの手で引導を渡してやらねば気がすみません!」

 幼い頃から優しくしてくれたのは、いずれ利用するためだったと知ったときに、ルイズのワルドに対する感情は、すべて黒く塗り替えられていた。怒りと悲しみが渦巻いて、今にも爆発しそうなほどに膨れ上がっていく。しかしそれを聞いて、アンリエッタは確かに予備戦力として残しておいたが、あの『烈風』でさえてこずった相手に本当にぶつけていいのかと、この場になって急に迷いが生じた。

「しかし、相手はただでさえスクウェアメイジ、あなたの力では」

 本来ならアンリエッタはカリーヌに出てもらいたかったけれど、残念ながら昨日の戦いでカリーヌの精神力は空になってしまっていて、一晩の休養では回復しきれず、並のトライアングルメイジ程度の力にまで落ち込んでしまっていた。もっとも、使い魔とともに戦えばまた別だが、城の中でラルゲユウスを暴れさせるわけにはいかない。

 いや、それ以前に、アンリエッタはルイズたちを予備兵力にしたのは冷静に判断した結果だと自分では思っていたが、ひょっとしたらルイズに目の前で死なれたくはないというわがままを、無意識にしてしまったのではないかと湧き上がってきた焦燥感の中で、自己嫌悪に陥りかけていた。しかし、アンリエッタの意思とは裏腹に、ルイズはまぎれもなくカリーヌの娘であった。

「戦いはメイジのクラスだけで決まるものではありません。わたしには、わたしにしかない武器、たとえワルドとともに自爆してでも主人のためにつくす、最強の使い魔がついていますわ!」

「ちょっと待て、それっておれのことか?」

 怒りのボルテージを上げて首根っこを掴んでくるルイズが、なにやら非常にぶっそうなことを言っているのに、才人はだめもとでツッコミを入れてみたが、返ってきたのはやはりの答えだった。

「命をかけて主人を守るのが使い魔の仕事でしょ。あたしがあのバカに一発入れるまで、何が何でもわたしを死守しなさい。なんのためにあんたを食べさせてると思ってるの?」

「それを言われるとなーんも言えんなあ」

 自爆しても復活できるのはタロウとメビウスだけだぞと思いつつも、才人はルイズの性格上、受けた恨みは必ず晴らすとわかっているので、あきらめも早い。背中のデルフに合図をして、かくなる上はルイズを守ってあのいけすかない中年をぶっ飛ばすかと覚悟を決めた。

「というわけで姫さま、ちょっと行ってぶっとばしてまいります」

「で、ですけれど!?」

「心配いりませんわよ姫さま。わたしたちも行きますから」

 そういつもどおりの口調で割って入ったキュルケとタバサに、ルイズは今回は意外な顔はしなかったが、ワルドとの因縁は自分の問題だと首を振った。

「あんたたちには関係ないわ、ここで姫さまたちを守っていて」

 するとキュルケは軽くため息をつくと、呆れたように言った。

「はーあ。あんた、たった二人であいつに勝てるつもり? それに、関係について言うんだったら、あたしもあいつには、ダンケルク号でいらない苦労をさせられた恨みもあるしね。あ、それとも、デートの邪魔されるのはいやだった?」

「なっ、こ、こんなときに何言い出すのよ!」

 そう言われてしまっては、来るなと言えるわけもなかった。しかしルイズは、いつの間にかキュルケもタバサも隣にいるのが当たり前にものを考えるようになっていた自分に気づいて、別の意味で赤面した。けれど、キュルケはそんなルイズの気負いなどは気づいていないと言わんばかりに、彼女の肩を叩いた。

「それにルイズ、ここでアルビオンやトリステインが万一レコン・キスタの手に落ちるようなことがあれば、次はゲルマニアやガリアが戦場になることを忘れたの? わたしたちの働きに、世界の命運がかかっているのなら、こんな燃えることはないわ。それに、なんにせよ乗り込んだ船を途中で見捨てるのは心苦しいしね」

 キュルケに合わせてタバサもうなずき、話は決まると、一行はアンリエッタとウェールズの護衛をアニエスたちに任せて、階下への階段を駆け下りて行った。

「ご武運を……いえ、始祖ブリミルよ。どうかあの人たちをお守りください」

 大勢の人々に、自分の命令で殺し合いをさせているにも関わらず、親友の無事を祈るのは偽善かもしれないと思いつつも、アンリエッタは心から願った。『烈風』やアニエスは何も言わずに、彼らと共に戦えないことをふがいなく思っているミシェルとともに若者たちを見送る。

 窓外には、被害を受けながらもまだ戦う六万強の兵と、その上にはレコン・キスタの怨念が宿ったように砲撃を続けるレキシントンの姿があった。

 

 そのころ、すでにこの城に侵入したワルドは一階、二階の防衛線を突破して、アンリエッタたちのいる四階へと続く、三階の大ホールに到達していた。そこで必死の防衛線を引く兵士たちを、まるで人体をむしばむウィルスのように圧倒しながら進んでいたが、そこへやってきた桃色の髪の少女を先頭にした一団が、一錠の薬となった。

「そこまでよ! それ以上の暴虐はわたしたちが許さないわ」

「ほう、また来たな、愚かな人間どもよ!」

 ワルドの前に立ちふさがったルイズたちにワルドの発した第一声は、そこにいるのがもはやワルドではなく、ワルドの形をした何者かであることを確信させた。

「久しぶりねワルドさま、わたしのことを覚えていらっしゃるかしら?」

「なに……いや、この男の記憶に反応があるな。ルイズ・フランソワーズ、この男の婚約者か。ふふふ、また会ったね、僕のルイズ、とでも言っておこうか?」

 ルイズの眉に、あからさまに不快な震えが走った。

「あいにく、婚約は正式に破棄しました。本日まいりましたのは、今日までの負債を利子つきでお返しするためですわ」

「ほお、だがこの男の記憶では、お前の力はいまだ目覚めてはいないのだろう。そんな不完全な力で、勝てると思っているのか?」

 そのとき、悠然と余裕を示すワルドの言葉が、怒りと不快感に満ちていたルイズの心に一筋の理性の光を差し込ませた。

「目覚めては……? どういうことよ」

「ふふふ、どうやらこの男は貴様を利用して、かなり大それたことを考えていたらしいな。大方、ともに世界を手に入れようなどとでも言って、そそのかすつもりだったのだろうが、愚かなことだ」

「わたしの力で、世界を……?」

 困惑が、ルイズの心臓に下手なダンスを躍らせた。目覚めていない力? 世界を手に入れる? 初歩のコモンマジックすら使えずに『ゼロ』の忌み名しかない自分に、ワルドはいったい何をさせるつもりだったのだ? ただの妄想、あるいはワルドに乗り移ったものの口からでまかせか? しかし、それほどまでしてほしいものがあったから、ワルドは十年以上に渡って念入りにヴァリエール家に取り入ってきたのではないか? いったい、自分にはなにがあるというのだ?

「落ち着けルイズ、あいつの口車に乗せられるんじゃねえよ」

「はっ!?」

 自分を見失いかけたルイズを現実に引き戻したのは、またしても才人の、自分にとって唯一間違いなく存在する頼もしい使い魔の声であった。

「こんな奴の言うことなんか気にすんな。なんのためにここに来たのか忘れたのかよ? お前はおれが守るから、あの中年に一発くれてやれ」

「そうね、わたしとしたことがうっかりしてたわ。わたしのやるべきことは……」

 すっと、まっすぐに杖の先をワルドに向けると、奴はさらに愉快そうに笑った。

「いいのか? この人間の体を壊せば、貴様の力の秘密はわからなくなるかもしれんぞ?」

「わたしを見くびらないでほしいわね。自分のことは自分でなんとかするわ。それに、お前はもう人間じゃない!」

 杖を振るい、ルイズはワルドの至近に『錬金』の失敗で爆発を起こさせたことで迷いを振り切り、ゴングを打ち鳴らした。もはや問答は無用。キュルケとタバサが左右に展開して、ルイズはワルドの正面から、才人に守られながらで戦いが始まった。

「いくわよタバサ!」

 左右からワルドを挟みこみ、息の合った二人の『ファイヤーボール』と『ウィンディ・アイシクル』が同時に襲い掛かる。

「こざかしい!」

 しかしワルドは『エア・シールド』でそれを無効にすると、高笑いしながらルイズと才人に向かって『ライトニング・クラウド』を放ってきた。

「死ねぃ!」

 雷撃は、至近の床を掘り返しながら一直線に二人に向かい、二人のすぐそばの柱で爆発して二メイルばかり吹き飛ばした。

「って、おいそれ反則だろ!」

 才人は石や氷とかの類だったらはじきとばす自信はあったが、さすがに雷を跳ね返すのは無理だった。しかし、さっきのかっこいい台詞はどこへやらで、

「や、やっぱりやめときゃよかったかな!?」

 と、うろたえた才人に手の中のデルフリンガーが叫ぶように語り掛けた。

「心配すんな相棒、おれをあいつの魔法に向けろ!」

「なにっ!?」

「説明してる時間はねえ! また来るぞ!」

「っ! ええい、ちくしょう!」

 また襲ってくるライトニング・クラウドの雷を前に、避ければルイズに直撃する状態で、才人はせめて避雷針になればとデルフリンガーを前に突き出した。すると、それまで赤錆が浮いていて百エキューで叩き売られていたデルフリンガーの刀身が輝きだし、なんと雷撃を引き寄せるようにして全部吸い込んでしまったではないか。

「わっはっはっはぁ! どうだ、見たか相棒! これがおれっちの能力よ。いやあ、ずいぶん長く使ってなかったから完璧に忘れてたわ。それに、見てみろこの俺さまの美しい姿をよ」

「お前、こいつは!?」

 才人とルイズは、輝きが収まった後のデルフを見て二度びっくりした。赤さびた二束三文の安物はそこにはなく、今にも油がしたたってきそうな見事な波紋を浮かべた、白銀の長刀が輝いていたのだ。

「これがおれっちの本当の姿さ。もう何百年前になるか、あんまりおもしれえこともないし、ろくな使い手も現れねえんで飽き飽きして、自分で姿を変えてたんだった」

「てめえ! そういう重要なことをなんでさっさと言わねえんだよ」

「だぁーから、忘れてたって言ったろ。俺はお前らと違って寿命がねえからな。何百年も思い出さなきゃ、そりゃ忘れるさ」

「だからって、そんなすごい機能あるって知ってたら、これまでにも別な作戦の立てようもあったのによお」

「いや、それについてはほんと悪かったわ。だが、けちな魔法なら俺さまがみーんな吸い込んでやるから安心して戦え」

「んったく! 後で覚えてろよお前!」

 自分の剣と口げんかしていたアホな時間のうちにも、才人はさらに撃ちかけられてきた『エア・ニードル』や『ウィンド・ブレイク』をデルフリンガーで吸収、あるいははじき返した。とにかく、なんでそんな機能があるのかとか聞きたいことは山ほどあるが、今はバルンガみたいなその能力を役立たせてもらおう。

「どうだワルド、お前の攻撃は通用しないぞ」

「ちょこざいな、手加減してやっていれば調子に乗りおって」

 挑発に乗ったワルドは魔法の威力を上げて才人を攻め立てるが、デルフはつばを激しく鳴らして大笑いしながら、それさえも飲み込んでいく。

「マジですげえなデルフ。よぉし、みんな、一気にいこうぜ!」

「わかったわ!」

 勝機が見えたなら一気にたたみかけるしかない。正面から才人と彼に守られたルイズ、両側面からキュルケとタバサが同時攻撃をかける。

「こざかしいわ!」

 しかしワルドも自らの周りに空気の防壁を張って守りを固め、さらにその内側から攻撃をかけてくる。これではデルフリンガーでもやすやすとは突破することができない。

「さすが、スクウェアクラスは伊達じゃないわね」

「それだけの力、正義のために使ってくれればな」

 一旦引いて態勢を立て直したルイズたちは、あらためて容易ならざる相手だということに気合を入れなおした。しかし、彼らは知らないことではあったが、ワルドの魔法のなかでもっとも恐れるべきものである『偏在』だけは、先のカリーヌ戦のときとは違ってワルドの精神を何者かが完全に乗っ取っているため、分身体にまでは影響をおよぼすことができないためにコントロールすることができず、使えなかった。つまり、パワーアップしているとはいえ一人だけを相手にすればいいのは非常な幸運といえたのだ。

 トライアングルクラスの炎と雪風、伝説の使い魔の攻防かねそろった剣技。そして失敗魔法と揶揄されながらも、逆に誰一人真似できない攻撃力を持つ爆発が、邪悪な風に立ち向かう。

 

 だが、四人の攻撃によって劣勢に近い状態に追い込まれながらも、ワルドの顔から人を馬鹿にした笑みが失われることがなかった意味を、誰も気づくことはできなかった。そこに、恐るべき企みが秘められているとも知らずに。

 

 それから十数分、さらに数十分。

 戦闘はワルドとのもの以外にも遠慮なく進行し、王党派軍とレコン・キスタ艦隊は激しく砲火を散らし、地上の迎撃部隊にも少なからぬ被害を出ていた。しかしレキシントンの護衛についていた護衛艦は全て撃沈し、ただ一隻だけ残り、他の戦艦とは段違いの耐久力を見せる旗艦レキシントンも、数百門あった砲門の半数を破壊され、いまや軍隊蟻に取り付かれた猛虎のように、巨体をもてあましながら、王党派の竜騎士や、対空砲火、遠距離攻撃の魔法などを受け続けていた。

「敵旗艦はすでに中破、もうこちらにたどり着く余裕はないでしょう。撃沈は、時間の問題と思われます」

 報告を持ってきた兵士の朗報にも、アンリエッタやウェールズは快哉をあげたりはしなかった。戦術的に見れば、いかな大型戦艦とはいっても七万の大軍には勝てないのは最初からわかっていたことだ。

 あの、威容を誇った巨大戦艦も、やはり一隻では圧倒的多数を覆すことは不可能だった。落城寸前の城郭のように全身から炎を吹き上げて、それでも残った砲門で散発的に攻撃を仕掛けてきているが、それも最後の悪あがきに近く、もうどんなことをしても逆転は不可能であろう。

 だが、すでに勝負の見えた戦いはともかく、アンリエッタはなおもワルドを相手に戦いを続けるルイズたちの安否を思う心が、重く強くのしかかっていた。

「やっぱり、ワルドは強かったのね。わたしは、あなたたちを行かせるべきではなかったのかもしれない。けれど……」

 義務と私情のはざまで若いアンリエッタは揺れる。この城の中で、今でも足元に伝わってくる振動に知らされて、遠見の鏡の中で激しく魔法の火花を散らせて、若い命を危険にさらしている四対一の激闘を見守るのが今の彼女に唯一できることだった。

「ルイズ、頑張って……」

 せめて、無事を祈るだけはと、その小さな声は、アンリエッタの口の中だけでつぶやかれ、隣にいたウェールズにも聞こえることはなかった。

 だが、古ぼけた城に染み付いた苔のような薄暗い柱の陰から、まるで地の底から響いてくるような、低く小さいのに、直接頭の中に共鳴する暗く陰鬱な声が、その場にいた全員の耳に届いてきた。

 

「ふふふ……ずいぶんな偽善ですな、姫様?」

 

「!? 誰だ!」

 とっさに振り向き、剣を、杖を向けた護衛と王族の視線の先には、誰もいない部屋の隅の暗がりがあった。しかし、その陽光を嫌うような湿った影の中から、影よりも濃い黒い服とマントをまとい、同じく漆黒の帽子で顔の半分を隠した老人が、染み出るように歩みだしてきたのだ。

「ふっふっふふふ……」

「貴様、何者だ? どうやってここに入ってきた?」

 並の者ならそれだけで腰を抜かすほどのカリーヌの殺気を浴びせかけられながらも、老人は平然として薄ら笑いを続けた。そして、目深にかぶった帽子のつばをあげて顔を見せたとき、アンリエッタはおろかカリーヌさえ背筋に寒気を覚え、アニエスとミシェルはその恐怖に震えた。

「き、貴様は……」

「ふふふ、そちらの二人とは二度目と……久しぶりですな、ウェールズ王子?」

「なにっ!? 馬鹿を言え、私は貴様など知らないぞ」

 突然話しかけられてとまどうウェールズに、老人は不気味な笑い顔を見せるとさらにせせら笑うように続けた。

「おやおや、記憶を失っているとはいえ薄情な……あなたに、この国を取り戻す力を与えてあげたのは、私ではないですか」

「な、なんだと?」

「姫様、王子、おさがりください。こいつは、こいつは……」

 顔面を蒼白にして剣をかまえるアニエスと、傷をおして杖を向けるミシェルをなめるように見渡しながら、薄ら笑いを消さない老人の視線が自分を向いたとき、アンリエッタは魂が吸い取られるような錯覚を覚えながらも、必死に気力を振り絞って、無礼な闖入者に宣告した。

「何者かは知りませんが、ここにいるのはトリステインの王女と、アルビオンの皇太子と知っての狼藉ですか。名乗りなさい、あなたは、何者ですか!?」

 二つの国の誇りと名誉を背負い、強く言い放ったアンリエッタの言葉が響いたとき、場は一瞬光が差したように思われた。だが、その言葉を受けた老人が含み笑いをしながら、ああそういえば自己紹介がまだだったなとつぶやき、両手を奇術師のように広げて口を開くと、そこは死の恐怖が支配する暗黒の空間に変貌した。

 

「異次元人、ヤプール」

 

 最初の一瞬は、誰も動けなかった。

 次の一瞬は、その言葉を理解して、恐怖が全身を駆け巡った。

 だがその次の瞬間には、たった一人、誰よりも速く己の職責を思い出したカリーヌの放った魔法がヤプールに襲い掛かっていた。

『ライトニング・クラウド!』

 威力が衰えているとはいえ、巨象をも一撃で炭にする雷撃が巨人の手のひらのように老人を包み込み、雷光の檻が包み込んで焼き尽くそうと迫った。しかし……

「だめだ! そいつに攻撃は」

 アニエスの脳裏に、かつて超獣ドラゴリーが現れたときの記憶が閃光のように蘇ってきたが、叫んだときにはもう遅かった。雷撃は、ヤプールの手前で曲がって、奴の後ろや天井、床の石畳を粉砕するだけで、その笑いを止めることはできなかったのだ。

「なにっ……」

「やはり……」

 あのときと同じだ。奴は何らかの方法で攻撃を無力化している。しかし、まさか今のでもスクウェアに近い威力があったライトニング・クラウドでさえ、身じろぎもせずに跳ね返してしまうとは。

「無駄なことはやめるといい。私の周りの空間は歪曲し、いかなる攻撃も通すことはない。猿の頭でも、多少は理解できるだろう」

「貴様……」

 異次元人であるヤプールにとって、この程度の空間操作はお手の物だった。隠す気もない侮蔑の言葉とともに、ヤプールは打つ手が無くなって歯を食いしばっているカリーヌやアニエスたちを楽しそうに眺めると、わざとらしく帽子をかぶりなおして、アンリエッタとウェールズに向き直った。

「ふふ、さて、うるさい者たちも静かになったところで、直接話をするのはトリスタニアの時以来、およそ半年ぶりかな。王女様」

 その言葉に、アンリエッタのまぶたの裏に、ベロクロンによって焼き尽くされたトリスタニアの街と、鼓膜には勝ち誇った声で降伏と奴隷化を勧告してきたヤプールの声がありありと蘇ってきた。

「あのときのトリスタニア……お前が、お前があの惨劇を作り出したというのですか!?」

「そのとおり、あのときはずいぶんと楽しませてもらったものだ。そうそう……それに、ウェールズ殿、あなたにも長い間楽しませていただいた。本日は、せめてお礼を一言ぐらいはと思って参上した次第」

「な、なにを言っているのだ?」

 とまどうウェールズに、ヤプールは口元を大きく歪めて笑いかけた。

「聞きたいのかね? よろしければ説明してあげようか」

「耳を傾けてはなりません、ウェールズさま!」

 ここで真実を暴かれたら、ウェールズの心は壊れてしまうかもしれないと恐れたアンリエッタは、ヤプールの言葉をさえぎった。さらに怒りと、義務感で心の底から引き出してきた勇気を、そのままヤプールに叩き付けた。

「お前の、お前のせいで、トリステインもアルビオンも、国も街も、大勢の人々の命が犠牲に。もうこれ以上の茶番はたくさんです。答えなさい! お前はいったい何者なのです。なぜこんなむごいことを続けるのですか!?」

「ふっ、それがお前たち人間の望んだことだからだよ」

「なっ!?」

「ふふ、我々ヤプールは、生物であって生物ではない。貴様たち人間の心から生まれる、怒り、憎しみ、悲しみ、嫉妬、嫌悪、そういった邪悪な思念、マイナスエネルギーが異次元の歪みにたまり、生まれたのが我々だ」

「わたしたち人間の、心から?」

 そのとき、さっきの一撃で壁が崩れ、部屋に差し込んできた陽光が老人の体を照らした。だがその影は人間ではなく、全身にとげのようなものを生やしたヤプール本来のシルエットとなって、壁に映し出された。

「我らは暗黒より生まれ、全てを闇に返すもの。自分以外の全てのものの、屈服と支配を望むのは、お前たちの持つ本能だろう? 見てみるがいい、あの人間どもの醜態を、同族同士で意味のない殺し合いを延々と続ける。なんとも楽しい見世物だ」

 誰も、反論の余地がなかった。目の前でおこなわれている戦争と、ヤプールの侵略攻撃のどこが違うと問われて、はっきりと自分を擁護できるほどきれいな戦いでは、これはない。

「それではお前が、この戦争を画策して、この国に内乱をおこさせたというのか?」

 怒気を交えて叫ぶウェールズに、ヤプールはつまらなさそうにかぶりを振った。

「それは違う。我らは人間同士のつまらぬ争いなどをいちいち作り出しはせん。教えてやろう。この戦争を裏で操る者は我らの他にもいて、我らはそれを多少利用したに過ぎない。我らの目的は、別にある」

「目的……?」

 見ると、これまで人を馬鹿にした笑いを浮かべていたヤプールの顔が、目つきを鋭く尖らせて、刺す様なオーラを発していることで、奴が遊びをやめて本気になったことがわかった。アンリエッタたちも、これまで天災のように訳もわからず攻撃を仕掛けてくるヤプールの目的、それが明かされるとなって、一様に息を呑んだ。そして。

「復讐……」

 一瞬、何を言われたのか、誰もが理解できなかった。

「今から数十年前、我らはこの世界と同じように、ある世界の侵略をもくろんだ。見るがいい……」

 すると、部屋の風景が揺らぐように変わり、そこに初めてヤプールが地球への攻撃をおこなった、ベロクロンの東京攻撃のシーンがホログラフのように映し出された。

「これはっ!?」

 東京の街の風景は、それだけでそこがハルケギニアとはまったく違う世界のものであることを知らされたが、それよりも傍若無人に暴れまわるベロクロンの姿は、まさに半年前のトリスタニアを髣髴とされて、蘇ってくる怒りが心に立ち込めた。

 だが、トリスタニアと同じように好き放題に暴れるベロクロンの暴虐は、長くは続かなかった。その前に立ちふさがった者こそ。

「ウルトラマン……エース」

 そう、それが今なお続くヤプールとウルトラマンAとの、長い戦いの幕開けであったのだ。

 ベロクロンが倒された後は、場面はめまぐるしく変わり、数々の超獣とエースとの戦いが続いた。そしてやがて場面は両者が直接対決した異次元での巨大ヤプール戦となったが、自ら挑んだ戦いでも最後はエースの勝利で終わった。

「地球の支配をもくろんだ我らの計画は、奴の手によって防がれてしまった。だが、たとえ死しても我らの怨念は消えることはない」

 復活したベロクロン2世、ジャンボキングとの最終決戦などが映し出され、さらに復活してウルトラマンタロウと戦ったとき、Uキラーザウルスとなってメビウスをはじめとするウルトラ兄弟と戦ったときの光景が、彼女たちを圧倒した。

「我らは、我らを滅ぼしたウルトラ兄弟や人間どもが憎い。だから我らは、この世界で力を蓄え、一挙に地球を滅ぼそうと考えたが、またしても奴は我らの前に立ちふさがった。心底忌々しい、奴らウルトラ兄弟、特にエースへの復讐に比べたら、こんな世界のことなど枝葉にすぎんわ!」

「あなたたちは……本物の悪魔ですね」

 これまでの、この世界で失われた命、撒き散らされた悲しみがすべて逆恨みの生んだ代物だということを理解したとき、彼女たちの心には、怒りをも超えた何かが生まれつつあった。

「これではっきりしました。今までわたしは、なんのために戦うのかわかりませんでしたけれど、あなたたちのような悪魔に、この世界を好きにはさせません!」

 それは、アンリエッタからヤプールへの宣戦布告であった。それを受けて、ヤプールの邪気に圧倒されていたウェールズや、アニエスとミシェル、そしてその言葉を待っていたカリーヌは、いっせいに武器を向けた。

「アルビオンの民に代わって、私が貴様を倒す」

「覚悟しろ、今度こそ生きて帰れると思うな!」

 トライアングル以上のメイジが四人、いかな強力な防御を持っているとはいえ、これに耐えられるわけはないと思われた。しかし、ヤプールが不敵な笑みを浮かべながら手を上げた瞬間、彼らの目の前の床が破裂するように下から吹き飛んで、そこから竜巻に巻き上げられた木の葉のように、才人やルイズたちが吹き上げられてきた。

「げほっ、うぅ、いったぁ……」

「ルイズ、大丈夫!?」

 床に打ち付けられて咳き込んでいるルイズたちに、アンリエッタは駆け寄ると水魔法で傷を癒していった。幸い、誰も軽傷ですんでいるようだが、なにがあったのかと問いかけられると、才人が起き上がって剣を構えなおした。

「あの野郎、あの狭い中で『カッター・トルネード』なんか使いやがったら、天井が抜けるに決まってるだろ。むちゃくちゃしやがって」

 つまり、密閉された閉鎖空間で大規模な空気の対流を作り出してしまったために、全員が飲み込まれて上層階にまで飛ばされたということらしい。しかし、床に空いた大穴から、遅れてワルドが浮遊するように上がってきて、老人のそばに着地すると、楽しそうなヤプールの声が響いた。

「ふっ、どうやら役者がそろったようだな」

「お、お前は!? ヤプール!」

「なっ、なんでこんなところに!」

 才人とルイズにとってはドラゴリー戦、キュルケとタバサにはホタルンガ戦以来となる悪魔との思いもよらぬ再会が、四人の背筋を凍らせた。

「お前たちとも、前に会ったな。事あるごとに、よくも我々の作戦の邪魔をしてくれたな。だが、それもここまでだ。邪魔者がそろった今こそ、まとめて消えてもらおうか」

「そうか! だからこのタイミングで」

「ふははは、貴様らがこの世から消えればこの世界はさらなる混乱に陥るだろう。そこから生まれるマイナスエネルギーを得て、我らはさらに強大となる。絶望して死ぬがいい。さあ、巨大化せよ。変身超獣ブロッケン!!」

 とっさに、カリーヌやタバサが魔法を放ったが、それもすべてはじかれてしまった。勝ち誇ったヤプールの死刑宣告同然の命令が下ると同時に、手袋を脱ぎ去ったワルドの手のひらの目が緑色に輝いたかと思うと、体が白色の光に覆われて、見る見るうちに膨れ上がって部屋の中に満ち始めたではないか。

「いけない! 押しつぶされるわよ」

 あっという間に部屋中に満ちていった光から、一同は窓から逃れようとしたが、光が膨張する速度は予想よりずっと早かった。窓のすきまもふさがれて、部屋の隅へと見る見る間に追い込まれていった。

「お母様、ノワールは!?」

「だめだ、ここで大きくしたら私たちも押しつぶされる」

「いやぁぁっ!」

 ヤプールの哄笑が響き渡る中で、部屋の隅に追い詰められたアンリエッタたちは死を覚悟して、思わず目を閉じた。

 だが、膨張する光が床と天井を押しのけて、彼女たちの寄りかかる壁にのしかかろうとしたとき、才人とルイズは皆を守るようにして手をつないだ。刹那、古城は降りかかった重量に耐えられずに、轟音を立てて崩壊した。

 そして、その瓦礫の中から姿を現す異形の影……

「ち、超獣だぁーっ!!」

 王党派とレコン・キスタを問わずにあがった悲鳴。そこに現れた四本足のケンタウロスのような姿と鰐のような頭を持った超獣こそ、ワルドに乗り移っていた者の正体、その名も変身超獣ブロッケンだった。

 

【挿絵表示】

 

 だが、悪の手が無慈悲に命を奪おうとするとき、それを阻もうとする光の意思も現れる。

 あの瞬間、死を覚悟して意識を手放しかけたアンリエッタは、いつまで経っても痛みも冷たさも襲ってこないことから、ゆっくりと目を開けてみると、自分が不思議な温かさを持つ銀色の光に包まれているのに気づいた。

「ん……こ、ここは、天国?」

 けれども、ゆっくりと手を動かしてみると、自分はまだ死んではいないようなのがわかった。しかも周りを見渡せば、そこにはウェールズもカリーヌも、キュルケ、タバサ、アニエスもミシェルもいて、皆目を覚ますと、不思議と自然に上を見上げて、そこにある希望を見つけた。

「あっ……」

「ウルトラマン……」

「エース!」

 そこは、エースの手のひらの上で、彼女たちは城が崩壊する寸前に、エースによって救い出されていたのだった。

(間に合ってよかった……)

 手のひらに乗る小鳥のように、全員が無事に微笑んでいるのを見届けると、ルイズと才人はほっと胸をなでおろした。そして地面にひざを突いて皆を下ろしたエースは、城の瓦礫を押しのけながら前進を始めた超獣に向かい合う。

「ヘヤァッ!」

 しかし、エースによって全員が助け出されたというのに、ヤプールは異次元空間から狂喜した叫びをあげていた。

「ふっふっふっ、とうとう現れたなウルトラマンA! さあ、復讐の時だブロッケン!」

 崩れ行く城に、鰐と宇宙怪獣の合成超獣と、ヤプールの高笑いがこだました。

 

 

 続く



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第87話  二大超獣エースに迫る!

 第87話

 二大超獣エースに迫る!

 

 変身超獣 ブロッケン

 一角超獣 バキシム 登場!

 

 

 このハルケギニアという世界には、誰もが知っている伝説がある。

 六千年の昔、まだ人も獣も混じって暮らす、混沌とした地であったハルケギニアに、どこからかやってきた神の使い、始祖ブリミルが降り立ち、この地に平和と四系統の魔法をもたらして、四つの国の基礎をおつくりになったという。

 しかし、始祖ブリミルがどんな人であったのかについては、あまりにも昔のことすぎて諸説入り乱れ、信頼できる資料は残されていない。

 ただ、その第一の使い魔にして、生涯その傍らにあって始祖を支え続けたという伝説のガンダールヴが召喚されたという、数十年に一度の日食の日のことを、人々は『神の左手の降臨祭』もしくは『日食の降臨祭』と呼び、遠い昔から祝い続けていた。

 そしてくしくも、今年はその日食の日であり、ハルケギニア中の人々は、一日限り仕事を忘れて欠けた太陽に祈りを捧げ、その後は飲めや歌えと狂奔する。半月前に怪獣ザラガスに襲われたトリスタニアの街も、今ではほぼ完全に復興をとげて、その下町のチクトンネ街にある一番の居酒屋である魅惑の妖精亭でも、今日は特別であった。正午近くに予想されている日食に合わせて、この日だけは日中に店を開くために、店員の女の子たちがジェシカの威勢のいい声に叱咤されながら走り回っていたのだ。

「さあ、みんな! 今日は真昼間からチップをかせげるまたとない掻き入れ時よ、これを逃したら一生後悔するからね」

「おーっ!」

 才人たちを見送って後も、魅惑の妖精亭は営業を休まずに続け、看板娘のジェシカを筆頭に、その父のスカロンのパワーにも引っ張られて集客を増やしていた。この日も明るい笑顔とともに、目指しているのはもちろん大もうけである。

「さあ妖精さんたち、夜の花は昼間でも輝けるってことを見せてあげましょ。ウドちゃんカマちゃーん、ドルちゃんがサボった分はお給金から引いておくわよ、早く呼んでいらっしゃーい。みんな、時間がないから頑張ってね!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 もとより大半の子たちは行くべきところもないところをスカロンに拾われて、その器量に惚れこんで少しでも恩を返せればと頑張っている努力家たちだ。大きく明るく返事をして、開店の準備に精を出していく。

「この調子なら間に合いそうね。けど残念ね、正式には聖堂で王族の方々がそろって祈りを捧げるのに合わせて全国民がお祈りするのに、肝心のアンリエッタ王女が外征に出ていてお留守だなんて」

「仕方ないわよお父さん。お姫さまにはこの国を守る大切なお仕事があるんだし、アルビオンが平和になったら、向こうの国からもお客さんがトリステインに来てくれるかもしれないじゃない」

 相変わらず、初見の人間には到底親子とは映らないほどギャップの大きいスカロンとジェシカは、外で特別開店の飾りつけをしながら会話に花を咲かせていた。

「あっそうだ、平和になったらいっそアルビオンへ営業へ行きましょうか?」

「あっ、それいいかも! 国の復興のときにはお金も大きく動くしね。それどころか魅惑の妖精亭アルビオン支店なんてやってみてもいいんじゃない。店の子も増えて、みんな経験も積んできたからいい機会かもよ!」

「やーん、ジェシカちゃん天才! さすがわたしの娘」

 なんともたくましく、雑草の花はそれだからこそ美しく輝いて広がっていく。だがそれも、平和な世の中であればこそで、今おこなわれているアルビオン内乱が、もし王党派の敗北で終わるようなことがあれば、ここも安全に商売をしてはいられなくなるだろう。

 立ち話に区切りをつけたスカロンとジェシカは、あらためて空を見上げて、奇跡を呼ぶという太陽の欠けるときに思いを寄せた。

「もうすぐよね、待ち遠しいわ……それにしても奇跡か……そんな大それたものはなくてもいいけれど、誰もがこうしてお日様を見上げられる日が来るといいわね。こんなささやかなお願い、神様に届くかしら」

「大丈夫よ。こんな世の中だって、神様も今日ぐらいはチップを落としていってくれるわよ。それにしても暑いわねえ、アルビオンに行ったシエスタたち、楽しくやってるかしら……」

 この日、アルビオンを含むハルケギニア全土は雲ひとつない快晴。絶好の日食日和で、大都市から地方の小村まで、誰もが太陽が欠けるという奇跡のときを心待ちにしていた。

 魔法学院では使用人たちにまで特別休暇が与えられた。ハルケギニアの各地でも、ラグドリアン湖の湖畔では、モンモランシーの実家に彼女を送っていく途中のギーシュとリュリュの三人が湖面に映った太陽を見つめ、タルブ村ではレリアが佐々木の墓に祝いの酒をかけながら娘たちの無事を祈り、遠く離れたガリアでも、ホテルの屋上でイザベラが日傘の影でメイドに扇であおがせて涼みながらその時を待ち、エギンハイム村では巨木のてっぺんに作った展望台に翼人と村人が立って、翼人と人間の両方の作法で祈りを捧げている。

 そして、ハルケギニアを見下ろす、ここアルビオンでも、町々では人々が神の奇跡に内乱の終わりを願い、おごそかに空を見上げて祈っていた。豊かでなくとも、ただ平和な日々に戻って欲しいと。そんな戦火を避けてきた人たちが集まるある町に、ティファニアと子供たち、そして彼女たちの身を案じて来たロングビルの姿もあった。

「マチルダ姉さん、奇跡って本当かな……?」

「さてねえ、教会の連中は声高に触れ回ってるし、以前にあったときはわたしも赤ん坊だったから……おっと、そんな悲しそうな顔しないでおくれよ! そうだね、起きるんじゃないかい」

 ロングビルからマチルダの口調に戻った彼女は、うっかり蓮っ葉な態度をとってしまったことを慌てて謝った。とはいえ、奇跡にすがりたいのは彼女とて同じなのだ。このアルビオンを覆う悪意のパワーはすさまじく、とてもではないが魔法の力すら失った自分などではどうこうすることはできない。

「奇跡、起きるよね?」

 もう一度同じ問いをかけてきたティファニアに、ロングビルは彼女の目と、その後ろで落ち着かずに遊んでいる子供たちを見渡して、自嘲気味に笑うと優しく口を開いた。

「あたしの望む奇跡は、あんたたち全員がすこやかにたくましい大人に育ってくれることだけだよ。でもさ、神様ってやつがどんなやつかは知らないけど、あたしはほとんど一回死んでから帰ってくることができた。だから、案外粋なところがあるのかもね」

「え? 一度、何?」

「ああ!! 今のなし、なんにもなかった! なかったからね!」

「はい?」

 危なかった。自分が盗賊をしていて、毎日命の危険に身をさらしていたというのはティファニアたちには秘密だったのだ。しかし、こうもあっさりと秘密を口にしそうになるとは、やっぱり自分には盗賊の素質などはなかったのかもしれない。速めに足を洗えたのは本当に正解だった。

「ごほん、ああ……まあ、奇跡なんて大げさなことを言ってもさ、別にお前はそんな大それたことを望んでるわけじゃないんだろ。だったらさ、遠慮せずに神様にお願いしてみな。今日だったら、神様もよく聞いてくれるかもしれないしさ」

「うん、そうだね。ありがとう姉さん、わたし精一杯祈ってみるよ」

 泊まっている宿屋の窓を開けて、ティファニアはエルフであることを隠す帽子を深々とかぶったまま、両手を合わせて、目をつぶって太陽のほうへと祈った。

「神様お願いです。みんなをどうか無事に帰してきてください。もうこの子たちから大切な人を奪わないであげてください……」

 ティファニアと子供たちの祈りが天に届くかは、すでに罪深き身となってしまったロングビルにはわからなかった。

 

 彼女たちの見上げる空には、太陽と、青と赤の月が輝いている。それらの三つの影はゆっくりと一つに近づき、ハルケギニアの全ての民が待ちわびる、その瞬間へと近づいていた。

 

 が、日食が蒼天にこぼれた染みだと悪意で表現するのならば、ただ一箇所、天の陽気とは裏腹に殺意と邪気で満たされ、今まさに全世界の趨勢を決する戦いが始まろうとしている場所は確かにある。しかもそれは彼女たちが無事を願う者たちのいるところであった。

 アルビオン大陸中央部、サウスゴータ地方に聳え立つ小さな古城。それを踏み壊し、その巨体を現した超獣にウルトラマンAが立ち向かい、幾年にも渡ってウルトラ兄弟への怨念を蓄えつつけてきたヤプールは、その邪念を呪いに変えて吐き出した。

 

「ついに現れたなウルトラマンAよ! さあ、闇の底から蘇った悪魔の化身よ。今こそ復讐を果たすのだぁぁぁっ!」

 

 ヤプールの怨念に満ちた声を受けて、崩れ去った古城の瓦礫を踏みつけながら、ヤプールのしもべがウルトラマンAをめがけて、雄たけびをあげながら驀進していく。

 奴の名は変身超獣ブロッケン。ヤプールの超獣合成機によって鰐と宇宙怪獣が合成されて誕生した、身長六五メートル、体重八万三千トンにも及ぶ、超獣の中でも最大級のボリュームを誇る怪物だ。

「シュワッ!」

 だが、ついに正体を現したブロッケンに対して、エースも構えをとって向かえ、手裏剣を投げつけるように突き出した指先から先制攻撃の光線を放った。

『ハンディシュート!』

 連続発射される小型光線がブロッケンの正面から当たって爆発するが、巨躯を誇るブロッケンには大して効かない。どころか、怒りに燃えたブロッケンは両腕の爪の先から破壊光線を撃ち返しながら、うなり声をあげて迫ってくる。しかし、それがエースの狙いであった。

(そうだ、ついてこい)

 このまま戦えば大勢の人々を踏み潰してしまうだけに、エースは光線を回避しつつ、慎重に奴を牽制しながら人のごったがえしている戦場から、反対側の平原へと誘導していく。けれども、いつもとは違って、その心境は決して穏やかではなかった。

(やはり、こいつだったか)

 ブロッケンを前にしたエースの心に、以前戦ったブロッケンとの記憶が蘇る。ワルドの手にあった目と口から、十中八九と予測をつけていたが、的中したことに喜びなどはまったくない。なぜなら、こいつはヤプールの操る超獣の中でも、特にエースがピンチに追い込まれた相手だからだ。

 正面から見据えるだけでも、普通の超獣の二倍はある体格は軽くエースを見下ろすほどあり、人馬形態の体格と超獣屈指の体重から生み出されるパワーは、それだけでも充分すぎるほど脅威となる。

 しかも、以前はブロッケンは右腕を失っているというハンデを背負っていたが、今度は万全な状態な上に、ヤプールによってさらに強化されているのに違いない。

 

”はたして勝てるか”

 

 そんな、不吉な考えがエースの心にさしたとき、それを晴らしたのは恐れを知らない若い声であった。

(ブロッケンか、やっぱりな。ヤプールもとんでもないやつを切り札に出してきやがったぜ。やっぱ、実際見てみるととんでもない迫力だな。けど、こいつを倒せばこんなくだらない戦争も終わるんだよな)

(腕にまで目と口があるなんて。まるで、ケンタウロスの体を持つ三頭のドラゴンね。それに、よくも姫さまたちを手にかけようとしたわね。もう絶対にゆるさないんだから!)

 ブロッケンを見て、その威圧感に圧されながらもやる気を出している才人とルイズの勇気が、エースの心にも闘志をよみがえらせてくる。

 そうだ、例え相手がなんであろうと逃げることはできない。そういえば、自分も北斗星司だったころには猪突猛進くらいで生きてきたが、知らないうちに心に白髪が増えていたようだ。

(ようし、いくぞ!)

 恨みを込めた遠吠えをあげて迫るブロッケンを、エースは正面から受け止めて、そのボディに渾身のパンチを打ち込む。避けられない戦いはついに本格的にその火蓋を切った。

「ヘヤァッ!」

 ブロッケンの鼻から吹き出される高熱火炎をかいくぐり、ブロッケンの左腕を掴んだエースは、もぎとれるくらいの力を込めてひねり上げ、悲鳴をあげた奴の頭をあごの下から殴りつける。

 並の怪獣ならばこれだけで軽く脳震盪を起こすだろうが、ブロッケンはそんな生易しい相手ではない。奴は睨みつけるようにエースを見下ろすと、鞭のように長く伸びた二本の尻尾を振りかざしてエースの首を絞めようと狙ってきて、チョップで跳ね返したエースに、今度は鋭い牙の生えた口がついた腕で噛み付こうとしてくる。

「ヌワァッ!」

 かといって距離をとろうとすれば、爪の先や尻尾の先からの破壊光線で狙い撃たれ、かわしても至近での爆発がエースを包み込む。

(なんて火力だよ!?)

 近、中距離での攻撃力ではベロクロンさえ上回る破壊力を発揮するブロッケンの力は、知っていたはずの才人の予測もはるかに超えていた。しかし、エースの闘志は一人だけのものではない。

(鞭って自分で使うのはいいけど、他人に使われると、どうしてこうむかつくのかしらね)

(だったらお前、おれを殴るのをやめろ)

(いやよ、犬のしつけには鞭が一番だもの。けど、あんたも最近すばしっこくなってきたから、振りかぶろうとしたらすぐに逃げるから困ったものよ)

 ふっと笑いかけたルイズの言いたいことを、エースは乱暴なたとえだなと内心苦笑しながらも理解して、もう一度ブロッケンに接近戦を挑んでいった。

 むろん、飛び道具にも増して現在の地球上で最強の爬虫類である鰐の力を受け継ぐブロッケンにとって接近戦は望むところである。至近距離での火炎放射と三つの口で猛然と噛み付いてくるが、エースは正面を避けて奴の側面に回りこむ。しかし、普通なら死角になる場所さえ、ブロッケンは自由自在に動く二本の鞭状の尻尾で補っていた。それらは、まるで蛇になっているという伝説の怪物キマイラの尾のように動いて、エースを打ち据えようと振りかぶった。その瞬間。

(今だ!)

 このタイミングを見計らって、エースは奴の尻尾の付け根に渾身のチョップを打ち込んだ。するとたちまち付け根にある神経節が衝撃で麻痺して尻尾の動きが止まり、できた隙を逃さずに横から思い切り蹴り飛ばした。

「テェーイ!」

 いくら打たれ強いといっても、生物である以上強いところもあれば弱いところもある。横合いからキックを決められたブロッケンは勢いよく吹っ飛ばされて、土煙を巻き上げながら倒れこんだ。ルイズの与えたヒント、鞭は相手に叩きつけるためには一度振りかぶらなければならないから、その隙をつけという答えが見事的中したのだ。

(ようし、今がチャンスだ!)

 巨体をもてあましたブロッケンは一度倒されると簡単には起き上がれず、溝にはまった馬のようにもがいている。今ならいけるとエースは横倒しになった奴の上にのしかかり、マウントポジションからパンチを連続で浴びせかけた。

「デャッ、ダァッ!」

 けれどブロッケンも、痛みを怒りに変えてエースを跳ね飛ばしながら無理矢理起き上がってきた。尻尾の先から放つスネーク光線をエースに放ち、当たりはしなかったが間合いを外し、戦いをもう一度振り出しに戻した。

(さすが、一筋縄でいく相手ではないな)

 態勢を立て直した両者がにらみ合う戦場を、天空に燃える太陽と、その傍らに並ぶ二つの月がひときわ熱く、明るく照らし出していた。

 

 そして、今や両者の戦いは、すべての人間たちにも注目されていた。

「ようし、そこよ。いけーっ!」

「危ない! 後ろから触手がくるぞ」

 離れた丘の上から子供のように声援を送るキュルケと、ブロッケンの動きを読んで警告を叫ぶアニエスだけではなく、アンリエッタとウェールズが風の魔法で声を増幅して、全軍に向かって演説していた。

「アルビオンのすべての兵士たち、今、目の前でおこなわれている戦いは現実です! 聞いてください。このアルビオンで起きている様々な異変や長引く戦争は、ヤプールが裏で糸を引いていたのです。奴は、わたしたちを抹殺することで、アルビオンはおろか、ハルケギニア全体に終わることのない戦争を広げようと画策していました」

「諸君、私も気づかされた。これまでの戦いすべてが、敵に仕組まれていたことを。我々も、そしてレコン・キスタの貴族たちも、最初から争いを好む者たちによって利用されていたのだ。だから、本来我々が争わなければならない理由などは何もない。我々が無意味に争って、限りなく生まれる悲嘆と憎悪こそが敵の狙いだったのだ。だからもう、終わらせよう。そして平和な国を取り戻し、自分たちの家へ、家族の下へ帰ろうではないか!」

 兵士たちの間から、いっせいに天も割れよといわんばかりの大歓声が沸きあがった。それを受けてアンリエッタとウェールズは叫ぶ。

「あの戦いを見てください。今、この世界は異世界からの侵略者に襲われています。ですが、異世界からは救世主もやってきてくれました。こうして戦ってくれている彼、ウルトラマンがそうです。彼はこれまでも、ヤプールの超獣からわたしたちを守ってくれました。けれど、わたしたちが愚かな争いを続ける限りヤプールは無尽蔵に力を得ることができます。わたしたちの敵は、わたしたちの生み出す邪悪な心そのものなのです。そしてこれ以上、悲劇を繰り返さないためにトリステインとアルビオンは、これから手に手をとりあって、争いのない平和な世の中を作ることを神と始祖に制約します」

「戦争は、今日で終わりにしよう。さあ、みんな、悪魔どもに、もう人間はお前たちの思惑どおりにはならないということを、教えてやろうじゃないか!」

 大地を揺るがす大歓声がそれに応えた。アンリエッタとウェールズは先頭に立って、最後までこの戦いを見届けようと恐怖心をねじ伏せて、震えそうになるひざを押さえて立つ。そして後は、飾り物の自分にできるのはこれぐらいしかないと、アンリエッタは両手を合わせて一心に祈り、その肩を彼女の愛しい人が支えた。

「神よ、どうか悪魔の手からこの世界をお守りください」

 人間の心の光と心の闇、ウルトラマンAとブロッケンの戦いはまさにそれを現実に顕現したものであった。大地を揺るがし、大気を震わせ、光が舞って炎が猛る。そんな中でも、大宇宙の神秘はウルトラマンAとヤプールの戦いをさえ小さいものとあざ笑うように、数十年の長い時を超えて、本来出会うことのない太陽と月が重なる時を、今ここに作り出した。

「殿下! 太陽が……欠け始めました!」

 気象観測を任務とする兵士のたった一言の叫び。それが戦いに心を奪われていた人々に、はるかな時を超えて起こる最大級の天体現象が、ここにその瞬間を迎えたことを伝えた。 

「日食が、始まった……」

 昼を照らす太陽と、夜を照らす月が交わるときに生まれる闇の時間、日食。ハルケギニアの歴史では、始祖の降臨祭に次いで聖なる日と言われ、平和と幸福を人々が祈るこの日を、戦塵に汚して荒れ狂い、血と死のカーニバルと化する悪魔を倒すために、その心に光を宿す者たちはあえて剣をとる。

 そして人間たちも、心を持たない臆病者や卑怯者はとうに逃げ去り、残った勇気ある兵士たちは戦いを終わらせる最後の戦いを見守り、エースの勝利を願い続けた。

「がんばれーっ! ウルトラマーン!」

「化けもんをやっつけてくれーっ! 俺たちが応援しているぞ」

 月に覆われ始めたとはいえ、なお強烈な光を持つ太陽は変わらずにハルケギニアを照らし続けている。祈りをささげるアンリエッタと彼女を守るウェールズを先頭に、二人を救ってくれたエースの勝利を願う人々を、太陽はじっと見守っていた。

 

 

 だが、世界に光が満ちようとも悪魔の邪悪な野望の影が晴れることはない。

”フッフッフフフ……今のうちに喜んでおくがいい、愚かな人間どもよ。希望に満ち満ちたところから突き落とされたときにこそ、その絶望は何倍にも増加する。さあ、そろそろ第二幕をあげてやろうではないか!”

 ヤプールの暗黒の想念がアルビオンの大気の中を毒の煙のように流れていき、その怨念の命令を今や遅しと待ちわびていた者は、冷ややかな目ではるかな天空から戦いを見守っていた。そこは、すでに撃沈寸前になって誰からも忘れ去られているレキシントン号。すべての砲門を失い、生き残った乗員は総員退艦の末に、船を見捨てて脱出していった。ボーウッドは戦闘のさなかに負傷して運ばれていってからは、二度と艦橋に戻ってくることはなかった。

 ……だが、幽霊船のように、ただ浮くだけの無意味な木の塊となったレキシントン。この廃船の艦橋で、たった一人残っていたクロムウェルは、眼下を見下ろしながら薄い笑みを浮かべて、思わぬ来客を迎えていた。

「ほう、まだ生きていたのか。人間というものは、案外しぶといものだな」

「クロムウェル……貴様、よくも私を殺そうとしてくれたな」

 振り返りもせず、後ろ目で視線を流したクロムウェルの見る先には、ほんの昨晩まで彼がひざまずいて慈悲をこうていた女、シェフィールドがいた。あちこち引き裂かれた黒服と、浅からぬ深さを持った赤い傷を全身にまとわされながらも、憎悪に満ちた目でこちらを睨んでいる。どうやって戦場の中を空を飛んでいるこの船に来れたのかわからないが、いや、人間にしては神出鬼没なこの女のこと、なんらかの仕掛けをこの船にあらかじめ仕掛けていたのかもしれない。

「ふぅ……私は奴に、確実に仕留めろと言っておいたのだが、よく生きていられたものだな」

「あいにくと、手持ちの魔道具のほとんどを使ってしまったけど、やられる寸前にアンドバリの指輪で仮死状態になってやりすごしたのさ。死んだと思ってとどめを刺さずに行ってくれたのが幸運だったよ」

「ふっ、ならばそれも本体ではあるまい。我らを出し抜くとは、一応、さすがとだけは言っておこうか。だが、もうお前にも、愚かなお前の主にも用はない。これまでよく働いてくれた。礼を言おう」

 すると、シェフィールドの顔に明らかな怒気が浮かんだ。自分のことではなく、自分の主が侮辱されたことに反応したようだったが、かろうじてそれを押し殺し、尊大な態度をとる操り人形だと思っていた男を弾劾する。

「貴様、いったい何が貴様をそこまでに変えたのだ? ただの臆病な地方の一司教でしかなかったお前が! 答えろ、クロムウェル」

「クロムウェル? ふっふっふっ、お前の言うクロムウェルという男はとうの昔に死んでいるよ。ずいぶん前から入れ替わっていたが、気づかなかった己を呪うのだな」

「っ!……クロムウェルを殺して、成り代わっていたのか」

「そのとおり、お前たちのような愚か者を騙すのはなかなか楽しかったし、長引いた戦争のおかげでマイナスエネルギーもだいぶ補充できた。まったく感謝に耐えんよ。もっとも、お前もそこに転がっている愚か者たちのように、これから死ぬのだがな」

 そう言って、あごで床を指した先には、何人もの豪奢な服を着た死体が横たわっていた。それは、レコン・キスタ派の貴族たちの亡骸、だが戦闘で死亡したのではない。どの死体にもほとんど傷はなく、それぞれ喉に深々と突き刺さった鋭いダーツが致命傷となっていた。彼らはもはや敗北が必至だと知ると、よくもこれまで調子のいいことを言って我らをだましてくれたな、貴様には一足速く地獄へ行ってもらうぞと目を血走らせて艦橋へつめかけ、そして皆殺しの目にあったのだ。

「まったく、人間というものはつくづく愚かよ。見た目で相手を判断する。そこに大きな落とし穴があるとも知らずにな……さて、そろそろ私も行かねばならん。ちょうど太陽も隠れて、闇が濃いよい眺めになってきたことだ。だがその前に、貴様は消えてもらおうか!」

 クワッ! そう表現するふうにクロムウェルが目を見開いて、口が裂けるくらいに広げたかと思うと、奴の喉の奥から真っ赤な光がシェフィールドに向かって放たれた。

「くっ!?」

 シェフィールドは貴族たちの死に様から、とっさに腕を喉元にやって守ったが、赤い光に当てられた腕には、大降りのナイフほどもある巨大なロケットが突き刺さって打ち抜いていた。だが血は流れずに、シェフィールドの腕が無機質な人形のものに変わる。

「ほう、思ったとおり遠隔操作型の魔法人形か、さすが抜け目がないな。どうだ、愚か者の主人などは捨てて、我らと手を組まないか?」

「ふざけるな! 私の主人はジョゼフ様ただお一人だ!」

「それは残念、ならばジョゼフに伝えておけ。お前の作ったゲームはなかなか楽しかった。その礼に、今しばらくの命はくれておいてやる。せいぜい世界が燃え尽きるその日まで余生を楽しむのだな。フフフ、はーっはっはっは!」

 高笑いをしながら、クロムウェルは次第に不気味な異次元の光に包まれていく。シェフィールドは、だまされていたことと主を嘲笑されたことに激しい怒りと憎悪をこめて奴を睨みつけたが、壊れてどんどんただの人形に戻っていく魔法人形では何もすることができない。だが彼女は人形の口と耳を通して、最後の質問を奴にたたきつけた。

「言え! 貴様の本当の名を!」

 すると、クロムウェルは口元を悪魔のように大きく歪めて笑うと、床に崩れて倒れていく人形に向かって、人間ではない本当の声で答えた。

 

「私の名はバキシム……ヤプール人だ」

 

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 その瞬間、巨大戦艦レキシントン号は地上に落下して燃え上がり、そのどす黒い火炎の中から、悪魔がその雄たけびをあげた。

 

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「超獣だぁーっ!」

 兵士たちの間からあがったその悲鳴こそが、目の前の出来事を何よりも如実に表現し、そして恐怖と絶望の波が心を支配していく始まりであった。

 

「ゆけぇーバキシム! お前の力でエースを倒し、我らの同胞の悪霊が待つ地獄へと送り込むのだぁーっ!!」

 

 一角超獣バキシム。けたたましい鳴き声をあげて、太い二本の足に支えられた蛇腹状の胴体の上に、緑色の瞳のない目を爛々と輝かせたオレンジ色の頭と、鋭く天を突く一本角をそびえさせて現れたこいつこそが、宇宙怪獣の能力と地球のイモムシの体を与えられた破壊工作員にして、クロムウェルに成り代わってアルビオンの人々の運命をもてあそんだ悪魔の正体であり、ウルトラマンAへ復讐を果たすためのヤプールの切り札だった。

(そんな! ブロッケンに続いてバキシムだって!?)

 巨体ゆえの重量で、地面をへこませながら前進を開始したバキシムを見て、才人は愕然とした。今でもブロッケンとはやっと互角の勝負をしているというのに、ブロッケンに続いて超獣屈指の重量を誇るバキシムと戦う余裕などはエースに残っているはずもなかった。だが、だからこそといわんばかりにバキシムは、櫛状に鋭いとげの生えた両腕のあいだからミサイルを発射してエースを攻撃してきた。

「ヘヤァッ!」

 とっさにかわしたエースのいた場所を強烈な威力を持つミサイルが吹き飛ばし、土と石を草原ごと大量に王党派軍の頭上に降りかからせた。

「まずい! 全軍後退しろ、急げ!」

 ミサイルの破壊力から、離れていても爆風で被害を受けると判断したウェールズは全軍にそのままの姿勢で後ろに下がることを命じた。なまじきびすを返させると、急いで逃げようとするあまりに混乱が起きる危険性があったからだが、その判断は正しかった。バキシムのミサイルはベロクロンほどの数は撃てないものの弾頭は大型で、かつて襲った超獣攻撃隊TACの基地に大打撃を与えているのだが、彼を信頼する兵士たちは隊列を保ったまま数百メイル後退するのに成功した。

 しかし、バキシムにとっては人間たちなどはどうでもよく、ミサイルに続いて七万八千トンもある体重を活かしてエースに突進攻撃を仕掛けていった。もちろん、単純な突進ならばエースにとって避けるのは難しくはないが、華麗にかわしたと思った瞬間、ブロッケンのスネーク光線がエースの背を打った。

「フワァッ!?」

 死角からの攻撃を受けて、エースはよろけて倒れる。そして、それを見逃すバキシムではなかった。巨体に似合わずすばやく反転してくると、今度は鼻の穴からさっきよりも大型のミサイルを発射してきたのだ。

「グォォッ!」

 ミサイルの着弾の爆炎に包まれて、エースから苦悶の声が漏れる。

(いけない、守りに入ったらそのままやられるわ!)

(反撃だ、このままじゃやられる!)

 二大超獣を前に、ルイズも才人も完全に余裕を失って叫ぶが、エースもそれには同感であった。バキシムとブロッケン、超獣の中でも屈指の火力とパワーを誇るこの二体を相手に、守りに入ったところで防ぎきれるわけがない。

「トォォッ!」

 反撃に出たエースは空中高く飛び、バキシムへ向かって急降下キックをお見舞いし、蹴倒したところで反転するとブロッケンの首根っこを掴んで投げ捨て、草原を人工の巨大地震で揺さぶった。

「おおっ、すごい!」

 地面に伏す二匹を見て、兵士たちのあいだから歓声があがる。あんな巨大な超獣を投げ飛ばすとはやはりウルトラマンはすごい、これならば二匹が相手でも勝てるかもしれないと。

 だが、奴らは単に巨大で鈍重なだけの怪獣ではなく、その身に極限までの改造を施されて、全身を武器に作り変えた生きた要塞ともいうべき超獣だった。二匹は起き上がると、エースから受けた攻撃などはまるで最初からなかったというように、ミサイル、レーザーをSF映画の宇宙戦艦のように雨あられとエースに浴びせかけたのだ。

「ウワァァッ!!」

 バリヤーを張る暇すらなかった。いや、最初にブロッケンと戦い始めて以来、消耗を続けていたエースはすでに大量のエネルギーを失っており、この攻撃で舞い上がる炎の中で、もはやエースのカラータイマーは青い輝きを保っていることは不可能になっていた。

(強いっ……)

 月面のように掘り起こされ、焼き尽くされた大地の上にエースはひざを突き、苦しげに頭を上げて二大超獣を見上げた。この、これがヤプールの切り札か、かつて戦ったときにも増して両方とも強力になっている。おそらくは、ハルケギニアで収集したマイナスエネルギーに加えて、かつて倒された奴ら自身の怨念によってパワーアップをとげたに違いない。

 

”怨念を晴らすまでは、幾度でも蘇る”

 

 それはまさに、ヤプールの本質そのもの。エースへの怨念を残して、怪獣墓場をさまよっていた超獣たちの魂は、ここに復讐の機会を得て歓喜に沸き、積み重ねた怨念を力に変えて、蘇ってきたのだ。

「ふはははっ! エースよ、我らの怨念の深さを思い知れ! そして兄弟たちもいないこの世界で、なんの助けにもならない非力な人間たちを恨みながらみじめに死んでいくがいい!」

 異次元空間から、ヤプールの狂喜に満ちた笑い声が響き渡る中で、二大超獣は力を失いつつあるエースへと向けてミサイルとレーザーの照準を合わせる。これをまともに受けたら、いかなエースでもひとたまりもない。

 さらに、それにも増して人間たちのあいだにも動揺とともに絶望感が伝染病のように速やかに拡大しつつあった。

「ああっ……怪物が、二匹も」

「ウルトラマンも歯が立たないなんて。終わりだ、アルビオンはもう終わりなんだ!」

 恐怖は何よりもたやすく人間の心を支配する。そして理性を麻痺させ、人間を本能のままに動く獣に変えてしまう。今はまだ、アンリエッタやウェールズが堤防となって決壊を抑えられているが、もしエースが倒されようものならば、七万の人間の恐怖はアルビオン全体へと拡散し、この大陸はヤプールの超獣の恐怖に支配される暗黒の地と化してしまうだろう。

「エース、頑張って」

「立て、立つんだ」

 アンリエッタやアニエスの声が届き、エースは苦しい身を起こして立ち上がる。だが、ブロッケンはそんなエースをあざ笑うかのようにレーザーを放つ。

「ヘヤァッ!」

 側転でかわしたエースのいた場所で連続した爆発が起こり、距離をおいては的になるだけと接近しようとしたエースを、バキシムの火炎放射が草原を焼きながら阻止してくる。

「グワァッ!!」

 七万度もの高熱火炎がエースをあぶり、敵を前にしてエースのひざが大地に着かれて、体が麻痺したように痙攣して動かなくなってしまう。

(くそっ、離れても近づいても駄目なのか。ちくしょう、おれはこんな大事なときに役に立てないなんて)

 この二体には死角らしいものが見当たらない。ましてや弱点などもないため、今回は才人も作戦の立てようがなく、無力感が彼の心を侵していった。そして無力感は絶望感となり、未来への希望をも黒く塗り込め始める。もしこの二匹がハルケギニア中で暴れたら……才人とルイズ、二人の脳裏によぎるのはあの時空間で見た、崩壊して死の街となったトリスタニアの記憶。

(そんな、そんなはずはない、あの未来は消滅したはずよ!)

 エアロヴァイパーによって連れて行かれたあの破滅した未来は、奴の死と同時に消え去ったはずだ。それに、未来が変えられるということは我夢が教えてくれたではないか。だがここで負けたら、あの未来へと続く破滅の道が新たに生まれてしまう。すべての命が滅ぼされ、漆黒の荒野と化したあの世界をヤプールに作り出させないためにも。

(ここで、ここで負けるわけにはいかない!)

 かつてをはるかに超える邪念を宿らせて迫るバキシムとブロッケンに、エースは消えない正義の火を胸のカラータイマーに宿して立ち上がる。しかし、月に侵食されて光を失っていく太陽のように、破滅の未来は確実に目の前にやってきていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第88話  舞い降りる不死鳥

 第88話

 舞い降りる不死鳥

 

 変身超獣 ブロッケン

 一角超獣 バキシム 登場!

 

 

 ハルケギニアを拠点として復活を果たした異次元人ヤプールは、ウルトラマンAへの復讐に燃えて、超獣ベロクロンをはじめとして数々の怪獣、超獣、宇宙人をこの世界に送り込み、幾度となくこの世界を守ろうとするエースと死闘を繰り広げてきた。

 だがそうした攻撃の一方で、ヤプールはひそかに別の計画も進めていた。それは、内戦を続けていた浮遊大陸国家アルビオンの戦いに介入することによって、その混乱から生まれるマイナスエネルギーを収集し、同時に宇宙から怪獣を呼び寄せる時空波を放射する石柱と、同じ能力を持つボガールを復活させることによって戦力を増強することだ。むろん、最終的にはこの国を完全に滅ぼすことが定められているのはいうまでもない。

 それは、内乱の最終段階においてブラックテリナの能力を使うことによって完全に成功しかけたが、ウルトラマンAと勇敢な人間たちによって阻止された。

 しかし、計画の失敗などはヤプールにとってはさしたる問題ではなかった。なぜなら、そのときすでに充分なマイナスエネルギーを吸収した超獣は完成しており、数え切れないほどの人間が集まったここでそれらを解放すればエースは必ず現れると踏んで、その読みは見事に的中してエースは逃れられない戦いに引きずり込まれてしまった。そう、このアルビオンの内戦そのものが、エースへの復讐のための壮大な囮だったのだ。

 そして、その総仕上げとしてパワーアップされた超獣ブロッケンとバキシムが最強の刺客として差し向けられた。数十年に一度の皆既日食が迫る中で、消え行く太陽をエースの墓標としようとしているように雄たけびとうなり声をあげて、数ある超獣の中でも最強クラスの破壊力をもってエースに挑み、地獄へと引きずり込もうと攻撃を続けていた。

 

「ウルトラマンAよ、我らの作戦にまんまとはまったな。もうエネルギーもろくに残っているまい。貴様に滅ぼされた我らがヤプールの怨念を思い知れ! さあ、ゆけぇーバキシム、ブロッケン! 光線を放て、光線を撃つのだ!」

 

 異次元からのヤプールの怨念を受け取り、二匹の超獣は復讐の雄たけびをあげて荒野の上に立つエースに狙いを定めた。

 しかし命令を待つまでもなく、復讐の時は来たれり。バキシムは鼻腔と腕から放たれる大量のミサイルを、ブロッケンは両腕と二本の尾の先から放たれる四条の破壊光線を放って襲い掛かっていく。

「ヌォォ……!」

 ダメージを受けたエースには、その圧倒的な弾幕をかわす力は残っておらず、連続する爆発と肌を焼く高エネルギーの乱打が、射的の的のように彼を打ち倒していった。

(エース!)

(エース!)

 ゆっくりとひざを突き、地面を手で支えるエースに才人とルイズの声がかかるが、失ったエネルギーは返らずに、肉体が受けたダメージは消えはしない。しかも当然ながら二匹はエースにわずかな回復の時間も与えまいと、猛烈な勢いで突進してきて、バキシムの巨木のような足がエースを蹴り上げ、ブロッケンが跳ね飛ばしていった。それでも、不屈の闘志を持つウルトラ戦士であるエースは立ち上がり、起死回生をかけて光線技を放とうとするが、かつてエースに首を跳ね飛ばされて倒されている二匹は、そうはさせないとミサイルとレーザーを撃ち込んで来る。

「ウワァッ!」

 光線技のエースと異名をとるエースも、あまりの手数の違いには圧倒されるしかなかった。カラータイマーの点滅はますます速くなり、反比例して二匹は元気を増して攻め手を強化していく。

「卑怯者め! 二匹がかりでなぶるなんて、お前たちには誇りというものがないの!?」

 残酷で、情け容赦のないブロッケンとバキシムにキュルケの声が飛ぶが、当たり前ながらそれは届かず、アニエスの悔しさをにじませた声が彼女の感情をいさめた。

「無駄だ、奴らは地上に現れた悪魔そのものだ。奴らにとって、誇りなんてものは冷笑の対象にしかなりはしない」

 残酷、卑怯、卑劣、猟奇、狂気、そんな人間にとって踏み入れてはならない領域から、ヤプールは人類の破滅を狙ってやってくる。奴らは正真正銘の悪魔そのものなのだから。

 ミサイルが大地を砕き、レーザーが大気を焼く、それをかわしてもバキシムの両手の間と、ブロッケンの鼻から吹き出される高熱火炎がエースの体を燃やしていく。二大超獣の猛攻の前に、エースはなすすべもなく追い詰められていき、それはもはや戦闘と呼べるものではなく、一方的なリンチに等しいものであった。

 その絶望的な光景を、アンリエッタもウェールズも唇を噛み締めて見ていたが、通常の軍隊の装備では超獣には歯が立たないことが証明されているので、手を出すことができなかった。

「エース、がんばって……」

 アンリエッタの声も弱弱しくなり、兵士たちの歓声もしだいに絶望を帯びたものへとなっていく。しかも、天はさらにエースに過酷な運命を強いてきた。

(くそっ……太陽が……)

 日食が進むことで、ウルトラ戦士の力の源である太陽光線が弱まり始めたのだ。カラータイマーの点滅はさらに速くなり、闇が濃くなって喜ぶかのように二大超獣は目を不気味に輝かせて、雄たけびをあげる。

(畜生、あいつら調子に乗りやがって)

(エース、お願い。ここで敗れたら姫さまたちも……)

 エネルギーの消耗とダメージの蓄積は、すでに同化している二人の生命力を削るところにまで悪化してしまっていた。このまま戦えば、二人とも命の危険をともなう。しかし、逃げることもできなかった。

「トァァッ!」

 渾身の力を込めて飛び蹴りを食らわせても、もうバキシムの巨体は揺るぎもしない。逆に弾き飛ばされて倒れたエースを、ブロッケンが鋭い牙の生えた腕で引き起こしてバキシムがとげつきの腕で殴りつける。

「グッ、ウォォッ……」

 高層ビルでも一撃で穴だらけにするバキシムの攻撃がエースのわき腹を襲った。激しい痛みとともに、全身の力が抜けたエースはブロッケンに放り投げられて地面を転がった。

「グゥゥ……デュワッ!」

 ともすれば飛びそうになる意識を奮い起こしてエースは起き上がり、残った力を振り絞って指先を額のウルトラスターに当て、突進してきたバキシムへと光線を放った。

『パンチレーザー!』

 断続発射型の速射タイプのパンチレーザーが、直進してくるバキシムの左目へと命中する。それは爆発の後に緑色に発光している奴の目玉を吹き飛ばして、調子に乗っていたバキシムを大きくひるませた。

「やった!」

 ようやく敵に与えたダメージらしいダメージに、誰もたがわずに歓声があがった。バキシムの目はレーダーになっていて、これで敵の位置を正確に把握して攻撃をかけてくる機能をもっているだけに、それを失った奴はバランスを失ってエースを攻撃することができずにふらついている。

 しかし、半端な反撃はより強大な反撃を受ける結果を招来してしまった。バキシムを行動不能にしはしたもののブロッケンにまで攻撃を仕掛ける余力を残していなかったエースへと向けて、そのブロッケンからパンチレーザーの十倍にも及ぶのではないと思われるほどの、完全に手加減を除外した破壊光線の集中砲火が叩き込まれたのだ。

「ウワァァーッ!」

 衰弱していたところにこの攻撃を食らっては耐えられようもない。エースは大地にひざをつき、なんとか倒れるだけはするまいと力を込めたが、そこを残った右目を怒りに燃え上がらせたバキシムが蹴り飛ばして、まるで小石のようにエースは地面を転がされた。しかも、それで怒り収まらないバキシムはなおもエースを蹴り続けて、とどめに巨大タンカーにも相当する体重で、カラータイマーの点滅ごとエースの命を踏み消すように何度も踏みつけた。むろん、エースは必死でバキシムを押しのけたが、今度はブロッケンがバキシム以上の体重で踏みつけてくる。二匹の超獣に休む間もなく攻め立てられたエースは、タイマーの点滅を急速に早めて、もはや戦う力が限界に近づいてきていることは誰の目にも明らかだった。

 だが、誰にもどうすることもできないと思われたにもかかわらず、恐れを怒りと情熱の炎で焼き尽くし、敗北の先にある破滅の未来を水のような冷徹な目で見据えて、二人の若いメイジが立ち上がった。

「もう我慢できないわ! タバサ、行きましょう。ここで黙って終わりを待つなんて、わたしにはできないわ」

「うん」

 シルフィードを呼び寄せ、キュルケとタバサはムザン星人と戦ったときのように空へと飛び立つ。だが二大超獣に比して、彼女たちはあまりに小さくて儚げであった。

「いけない! 戻って」

 アンリエッタの叫びも届くことはなく、二人は攻撃を仕掛けていく。数々の実戦を勝ち抜いて、スクウェアクラスに近く成長した二人の攻撃魔法はすさまじく、王党派のメイジたちをもうならせる勢いを見せたが、カリーヌは憮然としてつぶやいた。

「無理だ。とても威力が足りない」

 自分の魔力をすべて使い尽くすほどの大魔法でも、サタンモアにとどめを刺すことはできなかったのに、それより劣る二人の魔法ではとても効果があるとは思えない。実際見た目の派手さとは裏腹に、超獣の皮膚を貫くには不十分で、二匹はほとんど気にも止めていなかった。

 だが、二人の勇気は戦うことを躊躇していたアンリエッタたちに、一歩前に踏み出す決意をする勇気を与えた。

「ウェールズさま。わたしたちはこのままでいいのでしょうか? 力が及ばないからといって、こうして安全なところで見守っているだけで、それでいいのでしょうか!?」

「しかし、あの巨大な怪物を相手に兵を無駄に死なせるわけには……」

「わかっています。わかっていますけど……」

 冷静に判断すれば、二大超獣に戦いを挑めば、ベロクロンを相手に全滅した旧トリステイン軍と同じ末路しか待っていないのはわかる。未熟ながら戦術家としての彼女の理性は、動いてはいけないと告げるが、たとえ戦っても勝てない相手とわかっているからといって、奴隷として生命をまっとうすることと、自由と誇りを懸けて死地に赴くのではどちらが人として尊いことなのだろうか。

 アンリエッタはすがるようにカリーヌのほうを見つめたが、鉄仮面は表情を隠して何も答えてはくれず、それは彼女が初めてヤプールの脅迫を跳ね返したときの自分の言葉を思い出させてくれた。

 

「断ります!! 誇りを捨て、奴隷となって服従するなどするくらいなら死んだほうがましです。私達は断固として戦い、この国を守り抜きます!!」

 

 あのとき、降伏を要求するヤプールの圧力を、自分は毅然として跳ね返したのに今はどうだ? ウルトラマンAに頼りきり、彼がピンチだというのに救いにいくことすらできないでいる。なんとも、情けなくなったものだ……

「ウェールズさま、申し訳ありませんが、わたくしのわがままをお許しください。これからわたしのやろうとすることは、きっと途方もなく愚かなのでしょうけれど、わたしは友人の危機を見捨てることはできません!」

「アンリエッタ、君は……」

「わかっています。けれど、わたしは彼に何度も国を救われてきました。その恩義を返すこともですけれど、自分の力で戦う努力もしないで、どうして世界を平和にするなどとおこがましいことが言えるでしょうか」

 他人に戦争をさせて自分は平和を賛美だけすることほど、恥知らずで情けない行為はない。それは、ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長が言い残した「地球は人間自らの手で守り抜かねばならないのだ」という精神にもつながる。たとえ蟷螂の斧しかなくても、平和の奴隷と成り下がるよりはましだとアンリエッタは自身を恥じて、その手の中にある杖を握り締めた。

「トリステイン軍一千、よく聞きなさい。今、我々の恩人が危機にさらされています。これを座視できるという者は、今すぐここから去りなさい。ですがわたしはこれからあの超獣に挑んで、あるだけの魔法で彼を援護するつもりです。さあこの中に、ヤプールに我々人間がウルトラマンに頼るだけしかできない生き物ではないということを示す勇気のある者はいますか?」

 歓呼の大合唱が、アルビオン王党派をも含めた多数の人間からあがったとき、ウェールズはアンリエッタの肩を抱き、彼女の杖に自分の杖を添えた。

「ともに行こう、我らの手で平和をつかみとるために」

 貴族としての誇りではなく、人間としての誇りを守るためにウェールズと彼の部下たちも立ち上がり、それを見てカリーヌも仮面の下でうなずいていた。

「そうだ、それでいい」

 たとえ勝ち目なんかなくても、戦わなければならないときもある。彼女は残り少ない精神力ながら、ギマイラに戦いを挑んだときのように杖を振りかざし、まだ傷の癒えていないノワールに乗って飛び立っていき、彼女に続いてアニエスとミシェルをはじめトリステイン軍、王党派軍も突撃していく。

 正直に言えば、どうやって戦えばいいのかをわかっている者など一人もいない。だがかつてウルトラマンが地球に現れる以前にも、人類は知恵と勇気で怪獣と戦ってきたように、心までも負けるわけにはいかなかった。

 ラルゲユウスの体当たりを食らって、バキシムはブロッケンにのしかかるように倒れこみ、突撃してきた人間たちの魔法や矢の雨がバキシムとブロッケンに降り注ぐ。もちろんこの二匹からすれば、そんなものはかゆみすらもたらさなかったが、エースの最期という絶望的な状況を見せ付けて人間たちを恐怖のどん底に陥れようともくろんでいたヤプールは、恐怖に縮こまって動けないどころか立ち向かってきた人間たちに困惑していた。

「なんだ、人間どもめ、気でも狂ったか!?」

 ヤプールにとって、人間たちの勇気という心は完全に計算外の代物だった。人間たちに恐怖と絶望が生まれなければ、ヤプールはそこから生まれるマイナスエネルギーを得ることができない。そしてその逆に、人間の勇気という心の光こそがウルトラマンの力であった。

「テャャァッ!」

 ラルゲユウスの突貫によって袋叩きから助け出されたエースは、彼らが与えてくれたほんのひとかけらの力を振り絞って、バキシムを殴り倒し、ブロッケンの巨体を投げ飛ばした。

「おのれっ! そんな力がまだどこに?」

 ヤプールだけではなく、バキシムやブロッケンも驚き、立ち向かってくるエースに向き直る。だが、そこへまたラルゲユウスが体当たりして蹴り倒し、動けないように地上から縄や鎖が放たれて、氷の魔法が動きを封じようとする。

 確かに最新科学兵器ですら歯が立たない超獣に、数だけはそろっていてもレベルの低い魔法や、ましてや弓や槍ではかなうはずもなかったが、人類の勇気はそんな理屈を超えた未知なる力を生み出して、悪の軍勢を攻め立てた。

「私たちを愚かでとるに足りないものだと言ったな。だがお前たちが人間の邪悪な心が生み出した魔物であるなら、人間の力で倒せないはずはない」

 ウェールズは、恐怖をねじ伏せるようにして二大超獣を見上げるくらいの距離で陣頭指揮をとっていた。正直、ちょっとでも気を抜けば失神してしまいそうな恐怖が全身の血管を凍りつかせそうになるが、こういう場合に指揮官が安全な後方にとどまっていては兵士たちは命を懸けてはくれない。それに、彼にもある男のどうしようもなく救いがたい性だが、見守ってくれている女性に格好悪いところを見せたくはないという、譲れない意地があった。

「攻撃の手を緩めるな。あるだけの武器を叩き込め!」

 前線のそれぞれの隊長たちは、レコン・キスタとの戦いに使っていた大砲も銃も矢も槍も、すべて使い切るように叩き込む。むろん、メイジも平民に負けるわけにはいくかと、残っていた精神力をすべて注ぎ込んで可能な限りの魔法を炎や風、氷に変えて送り込む。それは、小山に油を撒いて火をつけたような壮絶な光景であった。

 だが、人間たちの攻撃は気迫と勢いで二大超獣を圧倒したが、やはり決定打を与えるにはいたれずに、いらだったヤプールは怒気を含めて二匹に命令を飛ばした。

「ええいこざかしい、バキシム、ブロッケン、目障りだ、そんなやつら蹴散らしてしまえ!」

 一時の混乱からヤプールの叱咤で二匹は目覚めた。その命令に従って、拘束を力づくで破って起き上がると、まずは足元に群がるこうるさい虫けらどもを始末しようと、攻撃を開始した。

 ミサイルが軍隊の真ん中で炸裂し、地を走るレーザーが人間たちを巻き上げる。それでも、愛する国を、家族を守るために彼らは立って戦いに望んでいくが、高熱火炎に呑まれた人間は瞬時に骨も残さず消滅し、歩くだけで地響きが生じるほどの重量を持つ二匹に踏みつけられたものは地底に化石同然に埋葬された。

「いかん、全軍後退しろ!」

 態勢を立て直しつつある二匹を相手に正面攻撃を続けては犠牲が増えるだけと、ウェールズとアンリエッタはいったん攻撃を中止させて、後退するように命じたが、撤退は攻撃の十倍難しいものなのである。なぜなら、撤退するということは自分が負けているということを否応なく自覚してしまうものであるし、なにより敵が逃げるこちらをのんきに見送ってくれることなど、どれほど楽観的な思考の持ち主でも期待することはないだろう。まだ若い二人は、目の前で吹き飛ばされる兵士たちを見て反射的にそう命じてしまったのだが、そこまで思いをいたらすことができなかった。

「だめだ! 今兵を引いてはいかん」

 上空から軍が後退しはじめるのをカリーヌが確認して叫んだときには手遅れだった。人間たちが逃げ始めたことを見て取った二匹は、蟻に足を噛まれた子供が蟻の巣にするように、憎悪をそのままに解放して人間たちを蹴散らし始めたのだ。

(やめろっ!)

 戦闘から虐殺へと一方的な下り坂を転がり始めるのをエースは見ていることはできずに、食い止めようと人々に向かいつつあるバキシムに後ろから組み付いた。しかし、バキシムは目障りだといわんばかりに剣のように巨大で硬質な尾を振り回してエースを吹き飛ばしてしまった。

「ヌワァァッー!」

 勢いよく跳ね飛ばされたエースは、骨格にまで響き渡るほどの衝撃に、全身がしびれて立ち上がれなくなるほどのダメージを受けてしまった。

(く、くそぉっ!)

 人間でいえば、コンクリートの壁に叩きつけられて呼吸が麻痺したときのような状態になっては、いかにエースの闘志が折れていなくても、肉体がそれについていくことができなかった。さらにカラータイマーの点滅も、ほとんどタイマーが赤一色に染まっているように点滅が早まり、同化している二人の生命力までも危険に近くなっていく。

(せめて、太陽が出ていれば……)

 空を見上げても、ウルトラ戦士の力の源である太陽はすでに九割方日食に覆い隠されて、その恵みの光を地上に届けることはできなくなっていた。立ち上がることもできないままで、復讐に猛り狂う二匹を睨みつけるしかできない。

 阿鼻叫喚、その風景を一言で表すのならばその四文字が使われるだろうが、その四文字が一瞬ごとに散っていく数百の命の叫びを表現することはできない。地球でも、怪獣が暴れるたびに街が破壊され、そこに住んでいる人の命が奪われていくのと同じ光景が繰り広げられて、それ以上の悲劇が大量生産されていく。

「止まれぇーっ!!」

 ラルゲユウスの可能な限りの速度でカリーヌは二匹に体当たりを加えさせ、自らも平常時の1/10ほどまで減少してしまった精神力で、二匹の体組織を麻痺させて動きを止めようと電撃魔法を使う。だが、捨て駒となったサタンモアの犠牲のせいで威力がまったく足りず、ほんのわずかに二匹の気を逸らしただけで、ノワールごとブロッケンのレーザー攻撃を受けて撃ち落されてしまった。

「なっ!? あの『烈風』までもがやられた!」

 二人の王子と王女と並んで、彼らの心の支えであった伝説の騎士であるカリーヌがやられた影響は瞬時に全軍に伝わり、それまで抑えられていた絶望感を一気に解放してしまった。「もうだめだ」「殺される」「助けてくれ」という叫びが轟くと、一部が後退から壊走に転落しはじめたばかりでなく、カリーヌに従って戦っていた残りの竜騎士の思考力と状況判断力も麻痺させて、次は自分たちが狙われる番だということに気づくのを遅れさせてしまった。二大超獣がその気になれば、タックアローなどよりはるかに遅い竜騎士などを叩き落すことは造作もなかったのである。ほんの数分のうちに、彼らもミサイルとレーザーの餌食となって全滅して、最後に残ったシルフィードもミサイルが至近で爆発して、即死こそしなかったが乗っていた二人もろとも撃ち落されていた。

「タバサ、無事?」

「わたしは……それより、シルフィードがひどい怪我」

 不時着の寸前に、レビテーションでショックは軽減したが、爆風を二人の代わりにもろに受けてしまったシルフィードは大火傷を負い、きゅいきゅいと苦しそうに鳴いている。これでは、飛ぶことはおろかもはや戦うことなど到底できそうもなかった。いや、それ以前に精神力の尽きたタバサとキュルケも自分が戦力にはなり得ないと自分でわかってしまっていた。

「こんなときに戦えないなんて……っ」

「……」

 以前戦ったムザン星人やガギなどとは、生物兵器として作られた超獣のパワーは根本から違っていた。怒りにまかせて飛び出し、いつものようになんとかなるだろうという甘い見通しは打ち砕かれて、シルフィードを守ることしかできない二人の見ている前で、惨劇はその度合いを増していく。

 一瞬で、その命を絶たれた者はむしろ幸せだったかもしれない。なぜなら、乗っていた飛行機を爆発させられた人間は痛みを感じる余裕もないが、崩されたビルの下敷きになって生き残ってしまった人間に待っているものは、生き埋めにされた苦痛と恐怖と絶望だからである。

 焼死や爆死を免れた兵士たちも、体の一部を失った自分の姿を目の当たりにしなければならないという残酷な現実を突きつけられた後で、緩慢に迫ってくる死の恐怖の中で母親を呼びながら息絶えていく。

 その、凄惨と呼ぶにもあまりにも過酷な状況にありながら、アンリエッタたちはそれまで最前線であったところから、一気に殿になってしまった場所で、一兵でも多く逃がそうと奮闘していた。

「水のトライアングルよ!」

「風のトライアングルよ!」

 ヘクサゴンスペルが炸裂し、二匹の動きがわずかに止まるが、超重量を誇る二匹は吹き飛ばされはせずに、氷嵐の大竜巻の中でかすり傷ひとつ負わずに立ち続けている。

「なんて奴らだ……」

「ウェールズさま、頑張って……」

 みるみるうちに削られていく精神力と体力の消耗に耐えながら、二人は全力で二匹を閉じ込めた氷竜巻を維持し続けた。だが、ヘクサゴンスペルの長時間使用などは前例がなく、二人は自分の魔法に命を吸われていくような感覚を覚え始めていた。

「みんな、早く逃げて」

 すでに二人の力は底を尽いていたが、ここで魔法を解除すれば解放された超獣は、今度こそ止める術はないままに人々を蹂躙していくだろう。一人でも多く逃げて生き延びてくれ、それだけを祈って二人は力を振り絞った。

 しかし、そうして命を削る二人の姿を忌々しく見つめていたヤプールは、歯向かう者にはすべて死をと、禍々しい声で命令を放った。

「こしゃくな真似を、バキシムよ、その二人が人間どもの要だ! そいつらを殺せば人間たちは完全に絶望に沈む、やれぇー!」

 その瞬間、氷竜巻の中で脱出を図っていたバキシムの右目が緑色の輝きを放つと、突然バキシムは前傾姿勢をとって頭をアンリエッタとウェールズに向けた。

「え……?」

 最初彼女たちは、それが何を意味するのかわからなかった。しかし、レーダーになっているバキシムの目は、そのときにはすでに二人を完全にロックオンしており、その頭頂部に生えた一本角が、巨大なミサイルと化して発射されたときにはもう手遅れとなっていた。

「ひっ……」

 角ミサイル、一角超獣の別名をもつバキシムの、これが最大最強の隠し技であった。

 氷竜巻をぶち抜いて、一直線に音速で飛んでくるそれを相手に、お互いの名前を叫ぶ時間すらそこには無かった。死ぬ直前にはそれまでの人生を走馬灯のように見るとか、自分が死ぬ瞬間を時間を圧縮されて見るなどというが、アンリエッタが見たものは自分に向かって飛んでくる、巨大な塔ほどの大きさがあるミサイルと、自分に覆いかぶさってくるウェールズ、我が身を捨てて壁となっていくアニエスとミシェルの姿だけだった。

”わたくしは、ここで死ぬのですね”

 奇妙に冷静な思考の中で、アンリエッタはふとそんなことを思った。けれど、愛しいウェールズさまに抱かれながら死ねるのなら、それも幸せかもしれない。しかし、結局何一つなしえないままに死んでは、残された人々はどうなってしまうのだろうか。種を撒くだけ撒いて、収穫は他人任せ、それではあまりにも無責任すぎる。以前の何も知らなかったころなら、それでも気に止めはしなかっただろうが、今はそんな自分を支えて引き上げてくれた人たちを思うと、胸の奥が針で刺されるように痛む。

”ごめんなさい、ルイズ……”

 最後の瞬間、アンリエッタは親友の名を呼んだ。

 誘導能力を持つミサイルは一寸たりとも狙いを外さずにこちらへ向かってくる。あの超大型ミサイルの爆発力の前では人間の壁など何の役にも立たず、付近一帯もろとも自分たちは消し飛んでしまうだろう。

 だが、すべてをあきらめて目を閉じようとした瞬間、アンリエッタの目にミサイルと自分たちのあいだに割り込んできた銀色の影が映った。

 

「デャャァッ!」

 

 その瞬間、巨大な爆発が引き起こり、真っ赤な炎が空気を、草原を焼き尽くそうと膨れ上がったが、その炎はアンリエッタたちに届くことはなかった。そこには、最後の力を振り絞って、その身を盾に、ミサイルをその背に受けたウルトラマンAが立ちふさがって、すべての衝撃を代わりに受けていたのだ。

「エースが助けてくれた……」

 数秒かかって、そのことを理解したアンリエッタは、安堵のあまりウェールズに支えられたままで、やっとそうつぶやいた。しかし、呼吸を整えて礼の言葉を発しようとした彼女の喉は、絶対零度の風を受けて凍結することとなった。両手を広げて巨神像のように悠然と人々を守って立ちふさがっていたエースの胸の赤い灯が燃え尽きたようにふっと消えると、同時にその目から輝きが消えて、巨体が朽ち果てた巨木のように軽く揺らめき、そして……

「ああっ……!!」

 彼女たちも、エースによって救われたほかの兵士たちも、言葉を発することができなかった。これまで、いかに傷つこうとも立ち上がって最後に勝利を収めてきたあのウルトラマンAが、大地に崩れ落ちてぴくりとも動かなくなってしまったではないか。

「まさか、こんな……」

「立て、立ってくれよ!」

「頑張れ、起きるんだ!」

 何度もエースの戦いを見守ってきたトリステインの兵士たちの中から、アルビオンに来てなお救いの手を差し伸べてくれたエースに、必死の叫びが送られるが、もうエースにその叫びに応える力は残されてはいなかった。代わってそれに答えたのは、歓喜に震えたヤプールの遠吠えにも似た悪魔の叫びだった。

「ふわっはっはっはっ!! 馬鹿なやつめ、わざわざ死にに来るとはな! だがこれで貴様にはもはや指一本動かすエネルギーも残ってはいまい、貴様にはお似合いの死に様だ! ゆけえバキシム、ブロッケン、エースにとどめを刺すのだぁ!!」

 その声が終わるのを待つまでもなかった。二大超獣は歓呼の雄叫びをあげて横たわるエースに駆け寄ると、まるでサッカーボールのように蹴り上げて地面に叩きつけ、踏みつけては放り投げと、無邪気で残酷な子供が笑顔で人形の腕をちぎって遊ぶように、エースの体を考えられる限りの方法で痛めつけていった。

「人間どもよ、我らヤプールに歯向かった者の末路を見ておくがいい。我らに逆らうものは、皆こうやって死んでいくのだ!」

 積もりに積もった怨念を一撃一撃に込めて、バキシムとブロッケンは凶暴性という単語を超えた残忍さで、無抵抗なエースを嬉々として痛めつけていた。殴りつけ、蹴り飛ばし、炎で焼き、ミサイルの標的にして吹き飛ばす。それはもはや嬲るというよりも、遊んでいるといったほうが適切な光景で、見守ることさえできなくなった幾人かが、思わず目を逸らしてしまったことを誰も責められまい。

 才人とルイズはエースの中で、活動するエネルギーは失ったが、かろうじて意識だけは残しているエースとともにいたが、そこにも確実に死は迫っていた。

(ちくしょう……もうエネルギーが……)

 カラータイマーの点滅は、あくまでエネルギーの残量を示すものであって、タイマーが消えたことがそのままウルトラマンの死を意味するものではない。しかし、敵を前にして動けないのでは意味がなく、攻撃の痛みを一身に受けているエースだけではなく、同化している二人の生命力さえも猛烈な勢いで削っていた。

(寒い……なんだ、まるで凍りついたような)

(まだ、戦わなきゃならないのに……お願い、立って……た……)

(お、おいルイズ眠るな! 意識を失ったら、起きるんだ!)

 肉体の死は、そのまま心にも死を強いてくる。精神世界にいる二人にも、真冬の海に浮かんでいるような冷たさが忍び寄ってきていた。しかし、二人に代わって攻撃を受け続けるエースの苦痛は、それらさえ比ではなかった。二つの月は残酷にも、ひとかけらの光もよこさぬと完全に太陽を隠して漆黒の天体に変えて、闇の中に閉ざされた光の戦士を悪魔が力の限り攻撃する。

「やめて! もうやめてください!」

 みせしめにしても残酷すぎる仕打ちに、アンリエッタが血を吐くような叫びをあげても、その声もまた轟音の中にかき消されていく。

 もはや、王党派、トリステイン軍に余剰戦力はなく、『烈風』が倒れ、キュルケとタバサも力尽き、アンリエッタとウェールズの魔法の力も尽きた今、人間たちにエースを救う術は何一つ残ってはいなかった。

 そして、ぼろくずのようにエースの体が放り投げられて地面に転がると、ヤプールは復讐の最終段階に入った。

「ふっふっふ、ようしそのあたりでよかろう。ふふふ、ちょうど太陽も隠れて闇もいい塩梅になってきたな。そして闇といえばエースよ、ゴルゴダ星を覚えているか? 我々は貴様ら兄弟を極寒のゴルゴダ星におびき寄せて全滅させようとしたが、貴様だけは兄弟からエネルギーをわけてもらって脱出に成功したな。だが、今度はお前一人で死んでいくがいい! 見よ」

 すると、中空の空にひび割れが生じ、異次元の裂け目が現れた。そしてそこから全高七十メイルにはなろうかという巨大な十字架が現れて、地面に突き刺さり、どこからともなく伸びてきた鎖がエースの四肢を絡めとって、磔にしてしまったのだ。

「ああ、もうだめだ……」

 無残に十字架に四肢を縛り付けられ、力なく首を落としているエースの姿は、人々から最後の希望を奪うのに充分だった。わずかに動く気力のある者は逃げ出し、気力のない者は絶望してひざを突く。

 カリーヌも、なんの魔法も出せなくなった杖を握り締めて仮面の下で歯軋りをし、キュルケとタバサも、シルフィードを守りながら自分たちの無力さを痛感していた。アニエスやミシェルも、これまで修練を重ねてきた剣も杖も何の役にも立たないことに、血がにじむほどこぶしを握り締め、絶望の歌がすべての人間を覆っていく。

 そしてヤプールはついに、二大超獣に最後の命令を下した。

「さあ、今こそ復讐が完遂する時だ! エースを殺せ! バラバラにして跡形も無く粉砕してしまうのだぁーっ!」

 バキシムのミサイルが、ブロッケンのレーザーが飛び交い、死人同然となったエースの体に集中していく。

「人間どもよ、お前たちの守護神であるウルトラマンはこれから死ぬ。そして、我らヤプールがこの世界を暗黒に染めるこのときを、絶望して見ているがいい!」

 かつて、これほど残酷な処刑があっただろうか。復讐とともに、光を闇に染め、希望を奪い、絶望をばらまく。ヤプールは、エースをハルケギニア侵略のための人柱にするために、これほどの手間と労力をかけて罠に嵌めたのだ。

 すでに誰にも、戦う力も武器も残されていない。カリーヌも、キュルケやタバサもアニエスやミシェル、ウェールズや数々の勇敢で強い将兵たちのすべてが、ヤプールの計画のままに、絶望の沼地の中に沈み、エースの命ももはや風前のともし火であった。

 そんななかでアンリエッタはただ一人、ひざを突き、祈っていた。

「神よ。始祖ブリミルよ、どうか、我らの恩人を、この世界を闇からお救いください。今日が、奇跡の起きる日だというのならば、わたくしの願いをお聞きとどけください。そのためなら、わたくしの命でも差し出します。だから、どうか……」

 答えるものはなく、神は降臨したりはしなかった。二大超獣の攻撃はますます激しさを増して、十字架ごとエースを粉砕しようという勢いで、火力を集中する。そしてついに、二匹はエースの命を完全に絶つべく、ミサイルとレーザーの照準をすべてカラータイマーへと向けた。

(もはや、これまでか……)

 エースも含め、誰もの心を絶望が覆い尽くした。全力を出し切ったことについてはなんらの悔いもないが、実りを残すことができなかったのでは言い訳にもならない。ヤプールの侵略を阻止するという使命を果たすことができずに、ここで倒れればやがてハルケギニアを滅ぼしてマイナスエネルギーを蓄えたヤプールは、地球、光の国へと侵略の手を伸ばし、最終的には宇宙全体を巻き込んだ争乱となっていくだろう。そうなれば、もはや失われる命の数はこのアルビオン内乱などは比にもならない規模に膨れ上がる……

 戦場だった空間には、絶望と悲嘆に満ちた七万人の亡者のような声が流れ、その心から生まれるマイナスエネルギーに満ちた空に、ヤプールの哄笑だけが響き渡る。

 終わった……誰もが、あきらめて最後を覚悟した、そのときだった。

 

 

”兄さん、あきらめないで!”

 

 

 突如、心に響き渡ったその声に、エースははっとして目を覚ました。それは、ウルトラ一族が持つテレパシーの波動。その響きを持つ声の主を、彼はよく知っている。しかし、なぜここに? 空耳か、いや違う!

(太陽……?)

 彼は最後の力で、今にも攻撃を開始しそうな二匹の超獣から、視線を天空に黒い穴のように存在する日食へと向けた。そこは、一点の光も見えない虚ろな空間。しかし、その漆黒の虚無の空間の中に、ありえべからざる光が輝いた。

 それは、最初夜空に瞬く小さな星のように儚げに見えたが、闇の中にあって消えることは無く、生まれたばかりの若い恒星が宇宙に新たな息吹となっていくように、強く明るく光を増していき、滲み出してきた光は幻ではなく形をなしていく。

 希望は無いと誰もあきらめた。奇跡は起きないと誰もがあきらめた。

 しかし、絆がある限り、どんなに闇が深かろうと光は必ず差し込んでくる。虚無の闇の中から次第に近づいてきたそれは、銀色の翼に不死鳥のような炎のシンボルをまとった、希望の姿となって現れた! 

(あれは!? まさか!)

 ありえない、ありえるはずもないシルエットに、才人は幻を見ているのではないかと思った。だがそれは大気を切り裂き、闇の中でも赤々と燃え盛るファイヤーシンボルを猛らせて彼の視界を埋めていき、困惑が確信に変わった時、彼は心から叫んでいた。

 

(ガンフェニックストライカーだ!)

 

 奇跡が、起きた。ブースターを全開にして、急降下してきたその炎の翼を、忘れることなどできようはずもない。それこそ、CREW GUYSの象徴にして、地球の平和を守り続けてきた平和の不死鳥。先頭にガンウィンガー、後方にガンローダー、さらにその上方にガンブースターを合体させた、人類の英知の結晶が生んだ最強の戦闘機が今、ハルケギニアの空に飛び立ったのだ!

 そして、舞い降りてきたガンフェニックストライカーは地上のエースと二大超獣を認めると、幻でないことを誇示するかのように、全ビーム砲門の一斉射撃、バリアントスマッシャーを輝かせた。

「な、なんだあれは!?」

 天からの光芒が大地を砕き、爆風が二大超獣をもたじろがせると、地上の人々もガンフェニックスの姿に気づき、いっせいに空を見上げた。

「速い! あれはなんだ!?」

「赤い、火竜か?」

「いや、大きすぎるし速すぎる! あんなもの見たこともないぞ」

 戦闘機などを見たこともないハルケギニアの人々は、ガンフェニックスの正体がわからずに戸惑い、新しい敵かとどよめいた。しかし見慣れない翼はさらに光線を放ってバキシムとブロッケンを打ちのめしていく。そして彼らの頭上を信じられないスピードで飛び去っていった、その翼に刻まれた炎の紋章を見て、アンリエッタは自然と心に浮かんできた名をつぶやいていた。

「不死鳥……?」

 だが、一番驚き慌てたのは当然ながらバキシムとブロッケンである。今にもエースに積年の恨みを晴らそうとしていたのに、突然現れた戦闘機によって妨害されて平静でいられるはずはない。あれはなんだ、どこから現れた!? いや、あれは地球のものだ、それがどうしてこんなところに現れる!? 人間以上の知能を持った二匹の超獣は、事態を把握できなくて混乱に陥った。

 しかし、悪意の塊であるヤプールは、突然のガンフェニックスの出現には驚いたものの、その原因などよりも、それが現れたことによって起こる結果を瞬時に見抜いて、その前に復讐を果たそうと、二匹に怒鳴るように命じた。

「なにをしている! はやく死にぞこないのエースにとどめを刺せぇ!」

 その叫びで我に返ったバキシムとブロッケンは、ガンフェニックスの攻撃に驚いたショックから立ち直って、ミサイルとレーザーを全弾発射した。

「死ねっ! ウルトラマンAよ!」

 炎を引きながら迫る数十発のミサイルと、蛇のようにしなるレーザーが一直線に十字架上のエースのカラータイマーに向かう。しかし、確実な死が迫っているというのにエースに恐れはなかった。なぜなら、空気を切り裂く衝撃波を生みながら、二大超獣とのあいだを飛び去っていったガンフェニックスの、ガンウィンガー部分のコクピットに座っている、ウルトラ十番目の弟が光に変わる姿を、確かに見たのだから。

 

「メビウース!」

 

 ヒビノ・ミライの掛け声とともに、金色の光がガンフェニックスから飛び立ち、光の球がエースを守るように十字架の前に立ちはだかり、ミサイルとレーザーをすべてはじき返す。そして、光が爆発し、その中から立ち上がるのは、宇宙警備隊が誇る、若き不死鳥の勇者!

 

「ヘヤアッ!」

 

 闇の時間が終わり、再びさんさんと降り注ぎ始めた美しい陽光を浴びて、ウルトラマンメビウスが二大超獣を前に恐れのかけらもなく、しっかりと大地を踏みしめて降臨する。ウルトラ兄弟VSバキシム&ブロッケン、最終ラウンド。

 

 今、反撃の時は来た!

 

 

 続く



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第89話  時空を超えた奇跡

 第89話

 時空を超えた奇跡

 

 変身超獣 ブロッケン

 一角超獣 バキシム

 ウルトラマンメビウス 登場!

 

 

 たとえどんなに闇が深かろうと、たとえ世界の全てが踏みにじられようと、すべての力が尽きて、誰もがあきらめてしまおうと、助けを求める人がいる限り、光は必ず差し込んでくる。

 

 異次元人ヤプールの罠にはまって十字架にかけられ、人々の目の前で、二大超獣バキシムとブロッケンによって、今まさに処刑されようとしているウルトラマンA。ヤプールは、何万人もの人間にエースの死に様を見せつけることで、復讐の成就と共に、その悲嘆と絶望のマイナスエネルギーで一気に力を回復しようと画策していたのだ。

 矢尽き刀折れて、精神力もなくなった人間たちにもはやエースを救うすべはなく、誰もが絶望に沈んだとき、アンリエッタはただ祈ることしかできず、その祈りの声に答えるものはいなかった。しかし、このとき神に祈っていたのはアンリエッタだけではなかった。世界の各地で、奇跡の日のその時に神に祈るものは何十、何百万人といて、彼らの中にも世界の平和を望む者は大勢いた。

 その願いを神が聞き届けたのかはわからない。けれども、神という超越的な存在に頼らなくても、世界を隔てても断ち切れることのない兄弟の絆は、時空を超えた奇跡を起こした。

(ガンフェニックスだ! ルイズ見ろよ! はは、こりゃ奇跡だぜ)

(この赤い光、エース、あなたに似てる。あれは……?)

 擦り切れそうだった心に差し込んできた希望の光は、尽きていたはずだった元気を二人の心に蘇らせ、ウルトラマンAは穏やかな声色でルイズの問いに答えた。

(弟だ……)

 日食の闇を超えて現れた不死鳥の翼。そして舞い降りた光は、エースの命を奪おうとした悪意の力を打ち砕き、人々の前に夜の終わりを告げる朝日のように立ち上がる。

 

「ヘヤァッ!」

 

 十字架にかけられたエースをかばって立ちふさがった赤い光が、超新星爆発のように輝くとき、人々はその光の正体を見た。

「見ろ、あれは!」

「ウルトラマン!? 新しいウルトラマンだ!」

 この世界の人々は、まだ彼の名を知らない。けれども、その銀色の勇姿と、みなぎる正義のオーラは邪悪な超獣を圧倒し、それを見る人々から恐怖心を拭い去ったばかりか、大きな声で叫ばせる。

「これは奇跡か? いや、もうなんでもいいや。いっけーっ! がんばれーっ!」

「そうだ、俺たちが応援してるぞ! がんばれーっ!」

 人々の希望と平和への願いを一身に受けて彼は立つ。人々の幸せを壊そうとするものを倒すため、無意味に命を奪おうとするものから人々を守るため。二大超獣の放ったミサイルとレーザーをすべて跳ね返し、赤い光の中から銀色の勇姿を現したウルトラ十番目の弟が、二大超獣へ向かって戦いの構えをとる。今ここにガンフェニックスの炎の翼に乗って、CREW GUYS JAPANとウルトラマンメビウスがハルケギニアに駆けつけたのだ。

 

「セヤァッ!」

 

 右腕を引き、左腕を突き出した独特のファイティングポーズから一転して、メビウスは軽快な動きで走り出した。その背にかばう兄エースを、敵二匹から引き離すために速攻に打って出たのだ。

 まずは、一度戦ったことのあり、戦法がわかっているバキシムを狙う。だが奴は、突っ込んでくるメビウスを食い止めるために腕のあいだから高熱火炎を発射してきたが、これをメビウスはジャンプして飛び越え、奴の頭を踏み越えていく。

「タアッ!」

 踏み台にされて、前のめりに倒れるバキシム。それを超えて、メビウスは間髪入れずにブロッケンに挑みかかり、細身の体からは信じられない重さの鉄拳、メビウスパンチをそのどてっぱらにめり込ませる。

「デヤァッ!」

 たまらずに、悲鳴をあげて後退するブロッケンだったが、逃がしはしないとメビウスは、接近戦に持ち込んでキックを放ち、噛み付こうとしてきた頭を逆に掴んでねじ上げた。しかし、その隙を狙って起き上がったバキシムが、鼻先からミサイルより強力な熱線を放とうと片目のレーダーで狙いを定める。だが、その後頭部にさらに強力なビームが浴びせかけられて、バキシムのほうが吹っ飛ばされた。

「見たか超獣め。俺たちCREW GUYSを忘れるな」

 バリアントスマッシャーの直撃を浴びせかけ、ガンフェニックストライカーが二匹の上空を飛び去っていく。ミサイルやレーザーしか武装のなかったガンクルセイダー以前の防衛隊の戦闘機と違って、ガンフェニックスの火力は通常でも怪獣を軽く吹っ飛ばせるほど強力なのだ。

 しかし、なぜ地球の戦闘機がこのハルケギニアにやってくることができたのだろうか? いや、エースや才人、ヤプールや超獣たちも感じたその疑念も、今現実に彼らがここにいて戦っているということの前には些細な問題であった。しかも、それだけではない。

「テッペイ、あいつらはバキシムはわかるが、もう一匹のでかいやつはなんだ!?」

「ドキュメントTACに記録を確認、変身超獣ブロッケンです! 気をつけてください。そいつもバキシムに劣らずに強豪ですよ」

 メビウスになったミライを見送り、あらためて敵の様子を確認していたガンフェニックスに、時空のかなたの地球から、アーカイブ・ドキュメントに残された二大超獣のデータが届く。それぞれのコクピットでは、ガンウィンガーに乗るマリナ、ガンローダーのリュウとセリザワ、ガンブースターのジョージが、亜空間突破の興奮も冷め遣らぬままに、気を引き締めなおして、操縦桿を握っている。

「二匹とも超獣か、やっぱりヤプールが復活してたってのは本当だったのか」

「ウルトラマンA……あんなにまでなって、たった一人でこの星を守ってたのね。ヤプール、絶対に許さないわよ!」

「ああ、特にバキシムめ、前の借りはここで返すぜ!」

 ジョージ、マリナ、リュウはメビウスと戦う二大超獣の姿を見て、新たなる戦いの覚悟を決めた。特に、リュウは以前バキシムに体を乗っ取られた経験があるので、そのときのことは覚えていないものの怒りが深い。しかし、血気にはやりがちになるリュウに、後部座席のセリザワが釘を刺すように声をかけた。

「リュウ、冷静さを失うなよ。怒りや憎しみは判断を誤らせる。それで、守るべきものを守れずに、失ってしまってからでは遅いのだ」

「はい、肝に銘じておきます」

 セリザワの、ウルトラマンヒカリの警告はリュウに隊長としてのあるべき姿を思い出させた。それにセリザワは、リュウにとってあこがれであるとともに、隊長として乗り越えなければならない壁でもある。彼は、これがそのための試験の一つだと考えて、短く深呼吸をすると全員に言った。

「ようし、メビウスと、ウルトラマンAを助けるぞ。GUYS・サリー・GO!!」

「G・I・G!」

 たとえどんな空であろうと、GUYSの心は常に一つ。ガンフェニックスは急降下しながら必殺のバリアントスマッシャーを放ち、二匹の超獣を攻撃してメビウスを援護していく。

 

 その一方で、時空をへだてた地球でもガンフェニックスのサポートに余念がなかった。

「こちらガンフェニックス、観測データは届いてるか?」

「大丈夫です。亜空間ゲートは計算どおりに安定してます。そちらの惑星の観測データは現在検証中ですが、地球型惑星でほぼ間違いないようです。それよりも、バキシムもブロッケンも遠距離攻撃が得意な超獣です。気をつけてください」

「G・I・G!」

 東京湾上空に、ぽっかりと開いた時空の穴。それを前にして、超巨大戦闘機形態、フェニックスネスト・フライトモードに変形したGUYS JAPANの基地で、ガンフェニックスから送られてきた時空の向こうの惑星の環境や、バキシムとブロッケンのスキャニングデータがスーパーコンピュータによって高速で解析されていく。そしてそのディレクションルームでは、無言で見守るサコミズの元で、テッペイとコノミがリーダーになって若い隊員たちを引っ張りながら、異世界で戦うリュウたちのために奮闘していた。

「気圧0.9、大気組成、窒素77パーセント、酸素21パーセント、二酸化炭素0.03パーセント、ほかアルゴン1パーセント、湿度60パーセント……重力地球の98パーセント、このデータはほとんど地球と同じじゃないか」

 気圧がやや低いのは、ここが浮遊大陸であるためなのだが、便宜的にハルケギニア星と呼ぶこの星の自然環境はほとんど完全に地球と同じであった。もっとも、そうでなければ才人が生存できているはずはないのだが、この環境であるのならば、GUYSクルーたちも宇宙服なしで行動できるとあって、居残り組のテッペイたちはほっとして、さらに住人もほぼ完全な地球人型とわかるとそれをガンフェニックスに通達した。

「リュウさん、その星はやっぱり完全な地球型惑星です。地球とまったく同じ感覚で行動できます」

「なんだって? しかし、地球とまったく同じって、そんなことありえるのか?」

「アーカイブドキュメントZATに記録のあるミラクル星や、MACのサーリン星などは地球とほぼ同じ環境の惑星であったことが確認されています。住人がヒューマノイドタイプなのもそのためでしょう」

「なるほど、ヤプールが狙いそうなわけだ。だとしたら、なおさら奴らは許しておくわけにはいかねえ!」

 たとえ宇宙のどんな星であろうと、平和に暮らしている人々に侵略の魔の手を伸ばすやつを、CREW GUYSが許すわけにはいかない。地球一つだけの平和だけでなく、宇宙全体の幸せあってこそ真の地球の平和もあるのだと、GUYSの面々は、決意を新たに戦いの空を駆ける。

 

 が、人々の目をもっとも奪ったのはウルトラマンメビウスの活躍であることは言うまでもない。

 突然のメビウスとGUYSの戦闘介入によって、パニックに陥って攻撃が半端になっていたバキシムとブロッケンも、相手がメビウス一人だということで落ち着きを取り戻し始め、バキシムは得意のミサイルの連射攻撃を仕掛けてくる。

 だがメビウスはメビウスブレスから発生したエネルギーをそのまま両手のひらにとどめ、光の手刀にしてミサイルをはじきかえしながら、逆にバキシムに突撃していった。

『ライトニングスラッシャー!』

 かつてパラレルワールドで、双頭怪獣キングパンドンの火炎弾『双頭撃炎弾』を跳ね返したように、バキシムのミサイルも一発残らず叩き落とされて、すれ違い様にバキシムの腹に強力な手刀の一撃が居あい抜きのように斬りつけられた。背中まで届く衝撃にバキシムは振り返ることもできずに、背中からメビウスに持ち上げられて、そのまま投げ捨てられてしまう。

「テャアッ!」

 轟音轟き、バキシムの体が舞い上げられた土煙に隠される。バキシムは、普段は強力な武器となる体重も、今は逆に自らを痛めつける諸刃の剣となって地面にめり込んだままで必死にもがいていた。

「すごい、なんというパワーとスピードだ」

「それなのに、動きに一切無駄がない……」

 戦い始めてからまだ一分も経っていないというのに、メビウスの戦いを見守っていたカリーヌやタバサから感嘆の声が漏れる。なぜなら、メビウスの師匠はウルトラ兄弟最強と名高い、宇宙警備隊筆頭教官ウルトラマンタロウであり、彼が地球滞在時から磨きぬいてきた、パワーとスピードの両方を極めたテクニックを直伝されて、いまやそれに独自の戦法を組み合わせた、新たな宇宙拳法として大成させつつあったのだ。

 

 むろん、上空を飛ぶガンフェニックスのことも忘れてはならない。

「バキシムとブロッケンのスキャンが終了しました。二匹とも、過去に出現した個体に比べて体内エネルギー量が増大しています」

「て、ことは攻撃力が上がってるってことか」

「はい、ですが体内の構造は変わっていませんから、武装強化などはおこなわれていないようです。ミサイルとレーザーに気をつけて、中距離以上からの攻撃につとめてください」

 時空の壁を超えて、フェニックスネストからテッペイの的確な敵情分析が届く。バキシムは一度戦ったことのある相手だが、ブロッケンは初見である。ただし、既に戦ったことがあるといってもバキシムも強敵に違いはない。メビウス一人では荷が重いし、本当の目的はあくまでエースの救出である。現CREW GUYS隊長リュウは決断した。

「ようし、超獣はガンローダーとガンブースターで引き受ける。ガンウィンガーはそのあいだにウルトラマンAを十字架から解放しろ。いくぞ、ガンフェニックス、スプリット!」

「G・I・G!」

 隊員たちの返答とともに、ガンフェニックストライカーはガンウィンガー、ガンブースター、ガンローダーの三機に分離した。それを見てガンフェニックスが機械だとは知らない地上の人々からは、「三匹に分かれた!?」と、GUYSのメンバーが聞いたら失笑しそうな叫びがあがったが、もちろん彼らはそんなことは知らずにそれぞれの任務に向かっていく。

「いくぜバキシム、くらえ! バリアブルパルサー」

 リュウの操るガンローダーの黄色のビームが、メビウスに向かってミサイルを放とうとしていたバキシムを直撃して火花を散らせ、続いてジョージがガンブースターの引き金を引く。

「ブロッケン、お前の相手は俺だ、アルタード・ブレイザー!」

 青白色のエネルギー弾が見事にブロッケンに炸裂し、ひるませたところへメビウスがすばやくキックを叩き込み、さらに頭一つ以上背の高いブロッケンの上にジャンプして、奴の額に強烈なチョップをお見舞いした。

「テャァッ!」

 生き物にとって額は急所の一つである。そこに東京タワーでも真っ二つにしてしまうほどのメビウスチョップを食らっては、さしものブロッケンも脳震盪を起こして巨体をよろめかせ、力なく後ずさりして後ろ足をついて倒れこんだ。

 しかし、その隙をついてバキシムがなおもエースの処刑を実行しようとミサイルをエースに向かって放つが、それを見逃すメビウスではない。素早くメビウスブレスに右手を当てると、メビウスブレスから引き出したエネルギーを矢じり型の光弾に変えてミサイルを狙い撃った。

『メビュームスラッシュ!』

 高速で追いすがったメビュームスラッシュは、ミサイルに追いついてこれを全弾撃墜した。悔しがったバキシムはなおも次のミサイルを放とうとするが、今度はバキシムの顔面にメビュームスラッシュが命中する。

「マリナさん、ここは大丈夫です。はやくエース兄さんを!」

「わかったわミライくん。リュウ! いくわよ、お願い」

 メビウスの声が、ミサイルを避けてチャンスをうかがっていたガンウィンガーのマリナに届く。そして彼女は必死に二大超獣を抑えているメビウスを見て、今がチャンスだとリュウに決断をうながした。

「ようし、一気に決めるぜ! 全機、メテオール解禁!」

「G・I・G!」

 その瞬間、枷は解き放たれ黄金の不死鳥は舞い上がった!

「パーミッション・トゥシフト・マニューバ!」

 ガンウィンガー、ガンローダーに収納されていたカナードウィングが展開し、常時展開状態のガンブースターのウィングとともに、それぞれの機体がまばゆく輝く金色の粒子に覆われる。超絶科学メテオール、それを解き放ったガイズマシンの本当の姿、マニューバモードの威力をここに見よ!

「喰らえ! ガトリングデトネイター!!」

 ガンブースターから放たれた六本のビーム砲の一斉射撃がバキシムを吹き飛ばし、巨体に軽々と泥をつけさせる。だが、いきりたったブロッケンは両腕と二本の尻尾を空に向けて、ビーム光線の乱射を仕掛けてきた。

「危ない!」

 両腕の先から連射されるストレート光線と、尻尾の先から放射されて、空中を鞭のようになぎはらうスネーク光線が空を切り裂いてガンローダーとガンブースターを狙う。その弾幕の濃さには、どんな敏捷な鳥でも逃れられないと人々は恐怖したが、GUYSクルーたちはおびえてなどいなかった。

「ファンタム・アビエイション・スタート!」

 ビームがガンローダーを貫いたと思われたとき、ガンローダーの姿は掻き消えて、別の場所に出現していて、さらにそれも別の場所にガンローダーが現れたと思ったときには消えていた。そう、それこそ右に左に、上下前後とランダムにめまぐるしく金色の光を撒き散らしながら飛び回り、ブロッケンのどころか鍛えぬいたタバサやカリーヌの動体視力でもまったく捉えることができない。

「速すぎる!?」

 普段冷静沈着な二人が、そんな感想しか漏らすしかできなかったほどガンローダーの動きは彼女たちの常識を超えていた。むろん、ガンブースターやガンウィンガーも同様の動きをして、まるで実体のない幽霊のように攻撃をまったく寄せ付けない。これこそ、超絶科学メテオールの技術の一つ、かつて地球にやってきた数え切れないほどの宇宙人のUFOや宇宙船の残骸を分析して発見された、数々のオーバーテクノロジーを転用して、重力や空気抵抗、慣性などを無視し、分身さえ可能な超高速を機体に与える、その名も『ファンタム・アビエイション』。この技術の原型は防衛チームZATのコンドル1号やMACのマッキー二号の翼にあった重力制御コイルにも使われて、空力特性をまったく無視した形ながら高い空中機動性を可能にしているが、ガンフェニックスのこれは文字通りレベルが違う!

「当たるものかよ!」

 通常のクルーズモードでさえ、ベロクロンの全力のミサイル攻撃の弾幕すらかいくぐれる機動性を持つガンフェニックスの各機がこのモードを展開すれば、威力はあっても弾数はそれより少ないバキシムのミサイル程度なら、当たるわけがなかった。おまけに、意地になってガンフェニックスを追おうとすれば、隙ありとばかりにメビウスが殴りつける。

「セヤァッ!」

 メビウスの鉄拳、バキシムの顔面直撃。左目がつぶれていたことからメビウスの接近に気づけなかったのもあるが、わざわざ位置を教えてから殴りにいくほどこちらもお人よしではない。

 しかし、ただではメビウスやガンフェニックスを捉えられないと思ったバキシムは、悪辣な頭脳を回転させ、ウルトラマンは人間が危機に陥れば必ず助けにいくはずだと考えて、ミサイルを戦いを見守っていたアンリエッタたちに向かって発射した。

「きゃあっ!?」

「姫さま、危ない」

 迫ってくるミサイルを見て、アニエスが盾になろうと彼女をかばう。だがこれこそバキシムが望んでいる展開、愚かな人間たちは勝手にかばいあって死んでいく。それはヤプールには決して理解できない感情だが、それを利用する術は誰よりも心得ており、あえて速度をゆるめにしたミサイルが、一直線に人間たちに向かって突き進む。さあ早く助けに行け、飛び道具で撃ち落そうとすれば人間たちも巻き込むぞと、バキシムは、エースが角ミサイルから人々を守ったようにメビウスがミサイルに飛び込んでいくことを期待した。

 ただし、人間たちのことわざに、柳の下にドジョウは二匹いないというものがある。

「ジョージ!」

「G・I・G! やらせるかよ、スパイラル・ウォール!」

 リュウの指示でミサイルとのあいだに割り込んだジョージのガンブースターが回転を始めると、ガンブースターの機体が巨大な金色の球体のようになってミサイルを全弾叩き落した。

「ジョージさん!」

「ミライ、この星の人たちは俺にまかせろ。お前は気がねなくそいつらをやっつけてしまえ!」

 高速回転するガンブースターは、ミサイルどころか熱線さえ軽々とはじき返して、唖然として見守っているアンリエッタやウェールズの前に立ちはだかっている。これも、メテオール技術の一つの成果、機体の周りに強力なバリヤーを張り巡らせてあらゆる攻撃を跳ね返す究極の盾、『スパイラル・ウォール』だ。これによって、人間たちに手出しができなくなったバキシムは、またメビウスと戦わざるを得なくなったが、上空にはまだガンローダーが遷移していた。ブロッケンに攻撃を集中させて、二対一にならないように妨害をし、さらに怒り狂ってビームを乱射するブロッケンの弾幕を軽々とかいくぐったガンローダーは、翼に隠された巨大なファンを高速回転させて、二本の荒れ狂う荷電粒子ハリケーンを発生させた。

「ブリンガーファン・ターンオン!」

 竜巻は二頭の黒い龍の様にバキシムを飲み込むと、七万八千トンの奴の体重を意にも介さず軽がると回転しながら空中へと巻き上げた。

「すっ、すごい……」

 アンリエッタとウェールズのヘクサゴンスペルにもびくともしなかったバキシムが、まるで木の葉か人形のように軽々と宙を舞っている。とても現実とは思えない光景だが、この程度は、ウルトラマンやウルトラマンジャックを一敗地にまみれさせたゴモラやグドンをさえ翻弄したガンローダーのメテオール、『ブリンガー・ファン』にかかれば序の口に過ぎない。

 空中をきりもみしながら飛ばされたバキシムは、身動きができないままブロッケンに向かって叩き落され、二匹はそれぞれが超重量級であったために激突の衝撃も並ではなく、大きなダメージを受けた。だが、これだけの攻撃を受けながらも二大超獣は信じられないほどの生命力を見せて起き上がってくる。

「さすがにしぶといな」

 メビウスとガンフェニックスのメテオールをこれだけ受けてもなお、バキシムとブロッケンには余裕が見られる。それに絶大な威力を誇る反面、メテオールはまだ未知の部分が多いために、その使用可能時間が一分間と厳しく制限されており、限界時間は刻一刻と近づいてきている。が、ならばその限界が来る前に勝負を決めてしまえばいいだけだ。

「ミライ、行くぞ!」

「はい! リュウさん」

 残りの時間を一秒でも無駄にしないために、リュウはメビウスとともに一気に攻勢に打って出た。ガンローダーとガンブースターのビームが二大超獣に火花を散らせ、その隙をついて空中にジャンプしたメビウスの高角度からの急降下キックがブロッケンを狙う。

『流星キック!』

 ウルトラマンジャックの代名詞ともいうべき必殺技がブロッケンの顔面に炸裂。さすがにキングザウルス三世の角をへし折った本家ほどの威力はまだないが、メビウス渾身の一撃にブロッケンの巨体が揺れて、それは偶然にもまたバキシムを巻き込んで地面へと倒れ伏させた。

 そして二匹の超獣が身動きできなくなったのを見るや、リュウは攻撃に参加せずに待機していたガンウィンガーのマリナに合図をした。

「マリナ、今だ!」

「G・I・G!」

 マリナはガンウィンガーを急旋回させて、十字架に磔にされているエースの前に出ると、照準機を睨んで操縦桿のトリガーボタンに指をかけた。ターゲットはエースのカラータイマー、通常ならばガンウィンガーにはスペシウム弾頭弾が装備されているが、今回は別のメテオールカートリッジが搭載されてきており、それこそウルトラマンAを救出するための切り札だ。

 

「マグネリウム・メディカライザー・シュート!」

 

 ガンウィンガーの機首から真っ赤な光線がほとばしり、エースのカラータイマーに吸い込まれていくのを確認すると、ガンウィンガーは役目を果たしたように十字架から離れていった。しかし、そのとき力尽きて灰色に染まっていたエースのカラータイマーに赤い点滅が戻ったかと思うと、赤は青に色を変えて力強く輝きだし、エースの瞳に乳白色の輝きが戻ると、目覚めたように彼は首を上げた。

「エースが……生き返ったぁ!」

 これこそ、かつてウルトラ警備隊がガッツ星人に倒されたウルトラセブンを蘇生させた、ウルトラマンの活動エネルギーである、マグネリウムエネルギーを光線化して発射する装置をメテオール化し、回復させることのできる特殊兵器『マグネリウム・メディカライザー』である。

 十字架上のエースは、四肢を固定している鎖に力を入れると一気に引きちぎった。

「ハァァッ……ダァァッ!」

 乾いた金属音を立てて鎖が粉々に砕け散るのと同時に、エースの足が大地に降り立つ。そして太陽の輝きと弟や仲間たち、人々の喜びに満ちた眼差しを受けて、ウルトラ兄弟五番目の弟は、右手を高く掲げて復活の雄叫びをあげた。

「トアァーッ!」

 ウルトラマンA、完全復活! 

 ここに、エース抹殺のために組み上げられたヤプールの謀略は完全に崩壊し、闇はすべて光の中へ暴き出された。そして、闇の中でこそ恐怖の対象となる悪霊も、光の下では消滅するしかない。バキシムとブロッケンは、まだ戦うには充分な力を残していたが、エースの復活はもとより人間たちのあいだから恐怖が完全に拭い去られ、マイナスエネルギーの発生が消滅してしまったことに驚きとまどった。

「シュワッ!」

 倒れて砕け散る十字架を背にエースは跳び、メビウスと並んで戦いの構えをとる。

「エース兄さん、大丈夫ですか?」

「メビウス、すまなかったな、もう大丈夫だ」

 時空を超えて別れ別れになった兄弟が、再びめぐり合い、肩を並べて戦うときがついにやってきた。目指すは、バキシムとブロッケン、こいつらを倒せばもはやヤプールは当分のあいだ打つ手を失う。

 だが、長年に渡って怨念を積もり積もらせてきたヤプールは策が破られても、なおもあきらめてはいなかった。

「ええい、何人に増えようとも同じことだ。いけぇーバキシム、ブロッケン! 二人まとめて地獄に送り込めぇ!」

 光の戦士を前に、今度は二大超獣のほうが恐怖をふりはらうように雄叫びをあげてエースとメビウスに突進していく。しかし、ウルトラ兄弟が力を合わせたら、その力は二倍にも三倍にも強くなる。

「テャァッ!」

 エースのキックがバキシムの腹を打ち、巨体が大きく後ずさりする。さらにメビウスもブロッケンに対して速攻をかけて、流れるようなパンチやチョップが人馬の胴体や首にめり込んでいく。

 特に、ブロッケンをメビウスにまかせたエースの攻撃は猛攻という言葉も生易しいすさまじさをもってバキシムに炸裂した。

(よくもやってくれたな、この野郎!)

(好き放題してくれた分は、百倍、いえ一億倍にしてお返ししてあげるから、覚悟なさいよ!)

(その意気だ。しかし二人とも、心を憎しみに支配されるなよ。いくぞ!)

 エースに力を分けてもらって回復した才人とルイズの怒りも込めて、エースはバキシムに立ち向かう。ミサイル攻撃も意に介さずに大地を蹴り、天空から急降下チョップをおみまいし、首筋を掴んで背負い投げ、さらに尻尾を掴んでジャイアントスィングで放り投げた。

「ダァァッ!」

 大地を揺さぶる投げ技の連続攻撃。エースのフルパワーとハルケギニアの引力に打ちのめされて、バキシムの全身に激しくダメージが加わる。しかし、この程度で倒せるのならば、最初からとっくに倒している。起き上がってきた奴は、なおも怒りを増して、この死にぞこないめとばかりに腕から高熱火炎を放射してくるが、エースも突き合わせた両手の先から火炎を放って迎え撃つ。

『エースファイヤー!』

 火炎対火炎の衝突で、接触した熱エネルギーは暴発して大爆発を引き起こす。吹き荒れる猛烈な爆風。しかし、その炎すらも火鼠の衣のようにまとって、エースの真正面からの跳び蹴りが炸裂する。

「テヤァァッ!」

 炎の一撃が、熱エネルギーと運動エネルギーを火山弾のごとき破壊力にしてバキシムを地にひれ伏させる。だが、これでもなおバキシムは悲鳴をあげながらも残った右目のレーダーでエースを見据え、倒れたままミサイルを放とうと狙ってくる。けれど、そうはいかない。エースはバキシムを背中から持ち上げると、空高くへ向かって垂直に投げ上げた。

「ダアッ!」

 ウルトラパワーで投げ上げられて、空を飛べないバキシムは何もできずに宙を舞う。そして奴が重力に負けて落ちてきたところをエースは受け止めて、風車の羽のように回転させながら投げ飛ばした。

『エースリフター!』

 激震と轟音が、地震などないはずのアルビオンの大地を激しく揺さぶり、人々は立っていられないほどの揺れに見舞われる。かつてはこれだけで地底超獣ギタギタンガを木っ端微塵にした大技に、重装兵はこけて動けなくなり、馬に乗っていた兵は落馬して、軽いタバサなんかは二メイルばかり宙に浮き上がった。が、これで終わりと思ったら大間違いだ。エースは地面にめり込んでいるバキシムを引っ張りあげると、またも頭上に持ち上げて、衝撃ででんぐりがえってスカートの中を丸出しにしているキュルケの見ている前で。

「もしかして、二発目!?」

 そのまさかだった。バキシムの体が再度宙を舞い、エースリフターの第二波がもう一度バキシムを大地に沈ませ、人間たちに一秒間の空中散歩をさせる。しかし、エースの怒涛の連撃は止まらない。

「イャァッ!」

「って、まさか三発目!?」

 力を緩めずエースリフターの三発目が、バキシムを容赦なく痛めつける。エースは光線技の豊富さが有名であるが、投げ技のバリエーションも豊富で強力なのだ。

 

 むろんメビウスも兄に負けてはいない。ジャンプしてブロッケンのあごを下から蹴り上げると、鋭い牙で噛み付こうとしてくるブロッケンの三つの口をかわし、至近距離から放たれた火炎熱線をメビウスディフェンスサークルで受け止め、そのままブロッケンめがけて押し返す。

「エイヤァッ!」

 バリヤーに跳ね返された自分の火炎をもろに受けて、ブロッケンは焼け焦げ、チャンスを逃さずメビウスは連続攻撃を仕掛けて、巨体にみるみるうちにダメージを刻み込んでいく。

 しかしそれでも、現在ヤプールが最大の切り札として作り出したブロッケンはしぶとく、残った生命力を全て破壊力に変えるかのように、怒りのままに両腕と二本の尻尾の先からのビームで光線の弾幕を張ってきた。 

「ヘヤッ!」

 襲い掛かる光の矢の雨あられをメビウスは高い瞬発力をもってかわすが、激昂したブロッケンの攻撃は収まらない。だが、CREW GUYSも忘れてはならない。再び合体したガンフェニックストライカーのバリアントスマッシャーがブロッケンをひるませ、セリザワはメビウスにテレパシーで呼びかけた。

「奴を倒すには、あと一歩強力な一撃が必要だ。使え、メビウス!」

 すると、空間を越えてセリザワの右手に出現したナイトブレスがメビウスのメビウスブレスに一体化し、赤と青の輝きを放つナイトメビウスブレスに変形させた。その先端からメビュームブレードをもしのぐ光の剣が伸び、メビウスの体に雄雄しく輝く金色のラインが刻まれる!

『ウルトラマンメビウス・メビウスブレイブ』

 ウルトラマンヒカリの意思を受け継いだ、メビウスのパワーアップバージョンが姿を現し、メビウスは光の大剣、メビュームナイトブレードを振りかざし、力強く駆けていく。

「テャァァッ!」

 正面攻撃、それは例えるならば強力な魔法を使うメイジに一本の剣だけで向かっていく無謀な剣士を人々に連想させるものであったが、浴びせかけられる光線はメビウスを止めるどころか、メビュームナイトブレードによってすべて受け止められ、そのままメビウスは速度を緩めることなく突進していくではないか。

「いけーっ!」

 驚愕するブロッケン、その眼前でメビウスはジャンプして自分の体をコマのように高速回転させながら、奴の巨体に向けて瞬時に剣閃を閃かせた。

『スピン・ブレードアタック!』

 超獣の強固な皮膚をものともせずに、メビュームナイトブレードの一撃はブロッケンを切り裂き、ななめに大きく燃える刀傷を巨体に刻み付けた。しかし、宇宙量子怪獣ディガルーグを真っ二つに切り裂いたこの技を喰らっても、なおもブロッケンは絶命せずに生きていた。恐るべきはヤプールの怨念の力、だが闇が強かろうと、光はそれを超えていく。

「いくぜ! とどめだミライ」

「はい! リュウさん。エース兄さん」

「ああ、頼むぞメビウス」

 上昇し反転してきたガンフェニックスと、エースリフターの猛攻で、バキシムを立てないほどにまで叩きのめしたエースが、ブロッケンと距離をとったメビウスに並んで力をためる。そして、瀕死の傷を負ってなおもビームを放とうとするブロッケンへ向けて、メビウスはメビュームナイトブレードをかざし、剣舞を踊るように、その切っ先をメビウスの輪の形になぞらせ、形成した巨大なメビウスの輪の形のエネルギー波を投げつけた!

『メビュームナイトブレード・オーバーロード!』

 メビウスブレイブ最強の必殺技が炸裂し、ブロッケンがメビウスの輪の光のエネルギーに焼かれていく。そこへ、ガンフェニックストライカーとウルトラマンAはとどめの一撃を叩き込んだ!

「インビンシブルフェニックス・ディスチャージ!」

『メタリウム光線!』

 ガンフェニックストライカーがまとった灼熱のエネルギー。それが機体の形をかたどった、巨大な火の鳥となって飛び立ち、ブロッケンを炎の翼の中に包み込むのと同時に、エースの必殺光線が勝利への架け橋となって突き刺さる。

 光の三重攻撃、その圧倒的な威力の前にはさしもの巨大超獣といえども到底耐え切れるものではない。

「馬鹿なぁーっ!」

 ヤプールの悲鳴とブロッケンの断末魔の遠吠えがこだました瞬間、悪魔の使者は太陽のような業火に焼き尽くされ、粉々の塵となって飛び去り、夏の風の中に消滅していった。

「やったぁーっ!」

「すごすぎる……」

「ウェールズさま……」

「アンリエッタ……いや、もう言葉が出ないよ」

「やったやった! ほんとサイコーよ、ねえタバサ! ねえねえねえ!」

「く、苦しい……キュルケ、抱きしめすぎ……」

「きゅいーっ!? ちょっと、お姉さまを絞め殺す気」

 悪魔の最期に、人々の間からかけらの遠慮もない大歓声があがる。

 見たかヤプール! お前がどんな卑劣な陰謀をめぐらせようと、人間の、そしてウルトラマンはそれを超えていく。

「ようし、あとはバキシムだけだ」

 そう、超獣はあと一匹残っている。しかし、エースリフターの連続攻撃によって大ダメージを受けていたバキシムがやっと起き上がってきたが、塵と化したブロッケンと、いまだ戦意の衰えない二人のウルトラマンとガンフェニックスを前にしては、もはや勝ち目などないことは誰の目にも明らかだった。

「ヘヤッ!」

「セァッ!」

 構えをとり、攻撃の態勢をとるエースとメビウスに対して、バキシムはそれでも戦意を衰えさせずに、なおもミサイルで反撃を試みてくる。恐るべきはヤプールの怨念の力だが、もうそんなものは通じず、全弾軽々と叩き落されて、二人のウルトラマンにはいささかのダメージもない。

「とどめだ!」

 誰もがそう叫び、メタリウム光線とブレードシュートの狙いがバキシムに向けられたときだった。

「おのれぇ! やむを得ん、バキシムよ、ここは引け、引くのだ!」

 バキシムの背後の空間が割れて、異次元の裂け目が現れる。ヤプールはここでバキシムまでも失うことを恐れ、バキシムを回収しようとしたのだ。

「逃がすか! バリアント・スマッシャー!」

 あと一歩のところで取り逃してなるものかと、ガンフェニックスの砲火がバキシムを狙う。だがそれは残念ながら異次元の裂け目にバキシムが逃げ込んでしまったことで、空振りに終わってしまった。

 しかし、綿密に立てた計画をすべて破壊され、用意した怪獣や超獣もバキシムを残して倒されてしまったヤプールの怒りは、さらにすさまじかった。

「覚えていろウルトラ兄弟、そして人間どもよ! 我らの計画はまだまだ始まったばかりだ。いずれもっと強い超獣を生み出して、必ずや復讐してくれるぞお!」

 次元の裂け目がヤプールの怒りと悔しさに満ちた捨て台詞とともに閉じると、あたりはそれまでの戦いがうそであったかのように、明るい光に包まれて、早くも鳥や虫の声がざわめき始める。しかし、それが決して夢でも幻でもないことを、人々は陽光を浴びて銀色に輝く、二人の巨人を見て感じていた。

「エース兄さん、よくぞ無事で」

「ありがとうメビウス、お前の……お前たちのおかげだ」

 ナイトブレスをヒカリに返還し、通常の姿に戻ったメビウスは、長い間探し続けてきた兄を前にして、言葉を詰まらせながら手を握り合った。そして感極まった様子のメビウスを見て、エースは強い懐かしさを感じた。思えば、この世界にやってきて半年……短いようで、なんと長い月日であったことか。そのあいだに、どれだけ兄弟たちに心配をかけてしまったか……しかしそれでも、こうして守るべきものを守ることができた喜びは、何にも変えがたい。

「メビウス見てみろ、人々のあの笑顔を」

「はい」

 二人の見下ろす先では、誰もが喜びに湧いていた。キュルケはタバサを持ち上げて胴上げをしてシルフィードに止められて、アニエスとミシェルは喜びすぎて調子に乗った兵たちが抱きついてくるのを張り倒している。カリーヌでさえ、仮面の下の目は笑っていて、そしてアンリエッタとウェールズが肩を抱き合いながら手を振り、七万人の歓呼の声を浴びながら、ガンフェニックスとともにエースとメビウスは飛び立った。

「ショワッチ!」

「ショワッ!」

 光の中を、三つの光が帰っていく。

 一つの戦いが終わり、アルビオン大陸に平和が戻った。

 しかし、物語はまだ終わらない。

 

「エース兄さん!」

「え?」

「へ?」

 

 そう、まだ終わりはしないのだ。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第90話  決断のとき

 第90話

 決断のとき

 

 ウルトラマンメビウス

 マケット怪獣 リムエレキング 登場

 

 

 アルビオン大陸を覆っていた戦雲は、長い戦いの末に払われた。

 しかし、一つの戦いの終わりは、また新たなストーリーの始まりでもある。

 

 激闘の末に、ブロッケンを倒し、バキシムを退けてヤプールの陰謀を完全に打ち砕いたウルトラマンA、ウルトラマンメビウス、そしてガンフェニックス。

 彼らが空のかなたへと飛び去っていったのを見送ると、アンリエッタとウェールズたちには新しい戦いが待っていた。戦争は終わったものの、後始末はまさにこれからだ。ふたりには、いまだに興奮冷めやらぬ兵たちをまとめて、負傷者の救護から使い物にならなくなった城から別の拠点への移動の準備と、戦闘中にも増して忙しい時間が用意されていたのだ。

「水のメイジと秘薬は重傷者の介護に優先的に回しなさい。自分で歩ける程度の負傷者は、たとえ貴族でも後回しにしてかまいません」

「内戦終結を国中の生き残った貴族や領主に知らせて、王政府に従属することを制約させるために送る書簡と、各国に王政府が復古したことを宣言する書簡が何百通も、しかも早期にいるだと? なぜそんなことを早く……ええいペンと公文書紙をもて! それから使者の準備をしろ」

 次から次へと面倒な仕事が二人のもとへ入ってくるが、二人は疲れた体を押してその公務を果たしていった。しかし、レコン・キスタの完全崩壊と内戦の終結は、数日と経たずにアルビオン全土、さらにはハルケギニア全土に伝わって、また人々は安心して生活できる日が戻ってくるだろう。そのためと思えば、この程度の苦労はなんでもなく、むしろ力が湧いてくるくらいだった。

 その光景を、戦いから解放されたカリーヌ、アニエスらは当然自分たちも手伝いながら、どこか楽しそうに横目で見ていた。

「ふむ……あれだけのことをこなしたばかりだというのに元気なものだ。やはり、若いというものはいいものだ。私もあれくらいのころは」

「ほお、伝説の『烈風』の青春? それは少なからず興味がありますな」

 短いとはいえ、ともに死地を抜けて戦友と呼べる間柄になったカリーヌとアニエスは、頼もしく働いている自分たちの主君を見て、満足げにつぶやいていた。しかし、その余裕は数秒も経たずに破られた。

「お二人とも、仕事は山積みなんですから私語は謹んでください! 隊長、恩賞を求める貴族や傭兵の部隊が詰め掛けてきてますから、実績と身元、功績の証拠を書類にまとめて提出するように説明してきてください! 『烈風』どのも、補給部隊がもうすぐ到着するはずですから出迎えと護衛をお願いします。とにかく人手が足りないんですから!」

「あっ! す、すまん」

「むう、騎士など平和になれば役立たずか……」

 戦闘となれば一騎当千のアニエスとカリーヌも、戦いが終わってみれば馬車の中に作った簡易事務所の中で、被害報告や嘆願書やらの書類と格闘しているミシェルに怒鳴られる立場に転落してしまっていた。

「やれやれ……事務仕事を部下に任せきりにしていたツケがこんなところで回ってくるとは」

「まあ、若いうちは何事も経験と思うことだ。愚痴をこぼしていられるのも、今のうちだぞ」

 これからさらに忙しくなるだろうし、笑って済ませられないことも数多く出てくるだろう。それでもこうして、新生アルビオン王国とトリステイン王国はこの日、新しい一歩を踏み出した。

 

 しかし、どんなに太陽が明るく照らそうとも、いつかは日が沈んで夜が来るように、ヤプールがまだ滅んでいない以上、この平和がかりそめのものであることを誰もが知っていた。そう、確かに、ヤプールはこの世界における最大の作戦を失敗し、多数の怪獣、超獣を失い、バキシムも深手を負ったためにすぐには手を打てないだろうが、奴が復讐をあきらめるということは絶対にない。必ず、より強力な超獣とより悪辣な計略を持って侵略攻撃を仕掛けてくるだろう。それまでに、こちらも迎え撃てるだけの戦力を整えておかねばならない。戦いは、まだこれからが本番だった。

 

 そしてもう一つ、人間たちを救ったあと、高空をマッハで飛び、かなたへと飛び去っていった三つの光。その行方がどうなったのか、それからもう一つの幕があがる。

 

 二大超獣を撃破し、大空へと飛び立ったウルトラマンA、ウルトラマンメビウス、そしてガンフェニックストライカーは瞬く間に人間たちの肉眼で観測できる距離から飛び去っていっていたが、彼らは神でも霊魂でもない。その消えていった先は天上界でも冥界でもなく、まだこの世界に確かに存在していた。

 

 ここは戦場から一〇リーグばかり離れた、森の中にぽっかりと開いた草原。そこに、青々と茂る草花をカーペットにして、才人とルイズが寝転んでいた。

「生きてるなあ」

「そうよねえ……」

 全身の力を抜いて、草原の上に大の字で寝転んだ二人の肌を太陽の日差しが暖めて、吹き去っていった風が冷やし、草の香りが鼻腔をなでる。ハルケギニアの自然の息吹が、二人に生きているという実感を与えていた。

 とにかく、今回の戦いはいままでとは激しさが違った。怪獣、宇宙人、円盤生物、そして超獣の息もつかせぬ波状攻撃……よくぞ、生き残れたものだ。死を恐れないとか口では偉そうなことを言えるが、やはり生きている幸福は生きているときにだけ味わえるものだ。

「なあルイズ」

「ん?」

 ルイズはぼんやりと返事をした。戦いのダメージは、エースが後遺症が残らないようにしてくれたとはいえ、全身をガタガタになったような疲労感が包んでいる。しかしそれは心地よい疲れだった。大きな仕事をやりとげた後の、満足感のともなう疲労感だった。

「俺たち、やったんだよな?」

「ん? んっふっふっふふ……あーはっはっはっ!」

 なんのことかと思ったら、そんなことかとルイズは笑い出した。

「おい、なんで笑うんだよ?」

「あっはっはっ! だって、あんまり当たり前なこと言うんだもの。そんなに自信がなかったの? バカねえ、わたしが保障してあげるわよ。わたしたちは勝った、どっか間違ってる?」

「はっ……そうか、そうだよな」

 ルイズの一言で、才人もようやく胸をなでおろして、ルイズといっしょに大きな声で遠慮のない笑い声を、彼ら以外誰もいない草原の上に響かせた。そしてひとしきり笑ったあとで、上体を起こすと顔を見つめあった。

「よう、ゼロのルイズ」

「なに、馬鹿犬」

 いつもだったら腹立たしい言葉も、今は何も感じない。むしろ、貴族だの軍隊だの政治だの、そんなものとは何一つ関係のない凡人以下の自分たちが、一時的にせよ世界を救ったという圧倒的な優越感が二人の心を満たし、自然と手を握り合った。そして目と目を見つめあい、どちらからともなく顔を近づけはじめた。

 が、そこで突如頭上から響いてきたジェット音と、森の木々をもゆるがせる暴風で我に返って空を見上げると、そこには。

「サイト、あれは!」

「そうか! 忘れてた」

 草原の中央へと向かって、大きな影を差しかけながら降下してくる炎を描いた鋼鉄の翼。空からジェットの垂直噴射でガンフェニックストライカーが降下してきたのだ。

 それは、今から数分前のこと。

「ではメビウス、またあとでな」

「はい、兄さん」

 人間たちの見える距離から離れたと確認したウルトラマンAは、ヒビノ・ミライの姿に戻ってガンフェニックスのコクピットに座ったメビウスと分かれて、一旦別の方向へと飛んでいった。マグネリウム・メディカライザーでエネルギーを補充できたものの、活動限界時間は刻々と近づいてきており、早めに変身を解除する必要があったのである。

「さて、それではどのあたりに……」

 見下ろす先は、人里はなれた未開の樹林地帯が延々と続いていた。サウスゴータ地方はアルビオンの重要な拠点であるが、ひとたび都市部を離れると、手付かずの自然が残っている。ただそれはいいのだが、そんな中で変身解除しても上空のガンフェニックスに気づいてもらえないし、気づいてもらえたとしても着陸することができない。

 だが、時間が近づいてカラータイマーも鳴り出し、さすがに焦りが湧いてきたときに森の中にぽっかりと開いた草原を見つけることができた。そこへ向かって手を合わせるとリング状の光線が二つ発射されてエースの姿が掻き消え、草原に降り立った

リングの中から二人の姿が現れた。ただし、二人とも疲労感だけはしっかりとエースから分け与えられていたために、開放感からすっかりガンフェニックスとメビウスのことを忘れて、寝込んでしまっていたのだった。

「すげえ、本物のガンフェニックストライカーだ!」

 雑誌やテレビの中で親しみ、何度か東京上空を飛んでいくのを遠くから見ていたCREW GUYSの主力戦闘機が今、目の前に実物が下りてこようとしている。

「サイト、一応聞いておくけどあれって……」

「ああ、おれの世界の戦闘機だ。すっげーっ! こんなに近くで見るの初めてだ」

 興奮して目を輝かせている才人と、圧倒されているルイズの前で、ガンフェニックスはジェット噴射で彼らの髪をなびかせながら着陸し、ガンウィンガーのコクピットが開くと、そこから才人にとってあこがれの人物が降りてきた。

「ヒビノ・ミライ隊員だ!」

 そう、彼こそウルトラマンメビウスその人。あのエンペラ星人との決戦のときに、才人も彼がメビウスであることを知って、ずっと一度会ってみたいと思っていたのだ。さらに見てみれば、ガンローダーやガンブースターからも、TVで見知ったGUYSの隊員たちが続々と降りてくる。皆、地球を救ったまぎれもない英雄たち、才人だけでなく、地球で彼らのことを知らないものはいない。

 だが、ガンフェニックスから降りて、こちらに向かって駆けてきたミライ隊員の第一声は、二人を仰天させた。

 

「エース兄さん!」

「え?」

「へ?」

 

 一瞬、空気が凍りついた。にこやかに笑っているミライに対して、二人の顔は驚愕とパニックで引きつってしまっている。が、それも当然である。いきなり正体をそのものずばりで言い当てられてしまったのだから。だけど、二人が鯉のように口を無意味に動かしながらうろたえていると、そこへセリザワがとがめるようにミライへ告げた。

「メビウス、お前と違って人間と同化したウルトラマンは元の人格と同居しているんだ。そんな直接的に言っては驚かせてしまうだろう。それに、彼らにも人間としての生活があるんだ。それを考えろ」

 厳しいセリザワの言葉に、ミライははっとしたように二人に向かって頭を下げた。

「す、すみません。つい兄さんとまた会えたことがうれしくて」

「あ、そんないいですよ」

 ほとんど九十度の姿勢で、すまなさそうに頭を下げられては怒るセリフなど湧いてくるはずもなかった。

 しかし、頭の回転が人一倍速いルイズはセリザワとミライの言葉の中にあった聞き捨てならない単語を耳ざとく捉えていた。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。わたしたちを兄さんってことは、あんたは……」

 するとミライはルイズのほうを向いてにっこりと笑い。

「はじめまして、僕はヒビノ・ミライ、ウルトラマンメビウスです」

「えっ……ええーっ!」

 びっくり仰天して、思わず後ろに飛びのいたルイズを見て、才人はやったねとばかりに口元をほころばせた。見ると、後ろのほうでもマリナ隊員やジョージ隊員が苦笑いしていた。

「あーあ、そりゃまあびっくりするよね。あたしたちだってそうだったもの」

「そうだよな。で、ミライ、その二人がか?」

「はい! お二人の手の、ウルトラリングがその証拠です!」

 明るくはきはきと語るミライは、頼もしい兄を自慢するようでとても輝いていた。それはそうだ、エースだけではなく、長男ゾフィーから一つ上の兄の80まで誰もが地球と宇宙の平和を守り抜いてきた永遠のヒーローたちだ。今ではメビウスもその栄光あるウルトラ兄弟の中の一人であるが、彼にとって兄たちがあこがれの人であるのは変わりない。

 がしかし、目の前にいる子供二人がウルトラマンだとはにわかには信じがたいGUYSの面々に興味深げに見つめられて、ルイズは自分がまるで珍獣になったような気分を味わっていた。

「ちょっとサイト、この連中なんなのよ!?」

「おっ、落ち着けルイズ。えーっと、話せば長いことながら……とりあえずサインください」

「あんたが落ち着けぇ!」

 あこがれのヒーローのウルトラマンメビウスと会えて、才人はアイドルのコンサートで偶然声をかけてもらったミーハーな女の子のようになっていた。といっても、本物のウルトラマンや防衛チームの人たちに会えたのだから才人ならずとも大なり小なり動揺しただろう。道端で総理大臣だの大統領に会ったのだとかいうのとは格が違う。

 

 ちなみにそのとき、エースは大混乱まっしぐらな才人とルイズを置いていて、メビウスとテレパシーでわずかだが先んじて会話をしていた。

(あらためて、よく来てくれたなメビウス)

(はい! リュウさんや、GUYSのみんなのおかげです)

 ウルトラマンA、北斗星司はGUYSの面々を見て、かつてのTACの仲間たちのことを思い出した。以前に、ウルトラマンジャック、郷秀樹はGUYSのことを家と表現したが、それほどの絆で結ばれた仲間を得ることほど、人生においての宝はない。

(迷惑をかけたな。皆は変わりないか?)

(はい、ゾフィー兄さんも、大隊長もきっと喜ぶと思います)

(そうか……)

 メビウスはうれしそうに言うが、その言葉でウルトラの父や兄弟たちに心配をかけていたとわかって、エースは罪悪感を覚えた。それに、ボガールによってM78星雲のアニマル星が襲撃されたことなどを聞かされて、ヤプールの攻撃が向こうの世界にも及びはじめたことを知って慄然となった。

(ほんの半年でそこまで……ヤプールめ、怪獣墓場にはまだ数多くの凶悪怪獣たちが眠っている。このままでは、奴の戦力は際限なく強化されていくぞ)

 いくら攻撃を食い止めても、ヤプールはいくらでもやり直しが利く状況ではいつまで経っても戦いは終わらない。新たなる戦いの予感が、エースの心に走ったが、彼は才人とルイズの分も疲労していたので、残念ながら会話はそれ以上長くは続けられなかった。けれどそれでも、ミライは心配しつづけていた兄の無事を確認できてうれしかった。

 

 しかし、感動の再会を果たした兄弟とは裏腹に、いつものやりとりをはじめた才人とルイズだったが、才人も浮かれてばかりはいられなかった。

「しかしミライ、あんまりホイホイ正体明かすようなまねすんなよ。いくら相手がお前の兄さんだからってな。さてと、君が平賀才人くんだな?」

「え!? どうして俺のことを」

 てっきりGUYSはウルトラマンAを追ってやってきたと思っていた才人は驚いたが、リュウはまだ貫禄というものにはほど遠いものの、姿勢を正して彼に言った。

「GUYSの情報収集力を甘くみちゃいかん。ウルトラマンAが消息を絶ったのと同じ日に、君が失踪した秋葉原で次元の歪みが観測されていたんだ。それで調べた結果、君のことが捜査線に浮上してきたのさ」

 セリザワ隊長とサコミズ隊長を真似しているのだろうけれど、どちらかといえばトリヤマ補佐官のほうを連想させるリュウの仕草と口調に、マリナとジョージは声を殺して笑っていた。

「じゃあ、GUYSはおれを探してここへ?」

「人命救助も、立派なGUYSの仕事だからな。命の大切さに、人間もウルトラマンも差はねえよ。しかし、まさかウルトラマンAと合体してるとは思わなかったけどな」

「あ、はい……ぼくらは、エースに命を救われたんです」

 才人はリュウたちに、ベロクロンに一度殺されて、それでウルトラマンAに救われたことを語った。

「本当は、ぼくたちはとっくのとうに死んでるはずだったんです。けれど、エースに助けられて、それでせめて役に立てればと思って」

「そうか、苦労したんだな。たった一人で、よく頑張った」

「いえ、おれは決して一人じゃああり……いだだだっ!?」

 一人ではありませんでしたと、そう言おうとしたところで才人は耳を思いっきり引っ張られる痛みに襲われた。

「こらあ、このバカ犬! さっきからご主人様を無視して、なに一人でくっちゃべってんの!」

 存在をスルーされていたことで、夜叉のようになっているルイズの顔を見て、しまったルイズのこと忘れてたと思ったときには遅かった。

「あだだだ! ルイズ、ちょっとやめろって!」

「うるさい! だいたいあんたはなにかれ構わず気が散りすぎるのよ。もう何百ぺんも、なにを置いてもわたしを第一に行動しなさいと言い聞かせてあげてるでしょうが!」

 才人は、そんなに言われたか? ていうか忘れてたのは謝るから爆発は勘弁してくださいと、必死に懇願したが、ルイズの怒りはそんな簡単には収まりそうもなかった。なにせ、プライドと独占欲が人一倍強い上に、主人と使い魔という関係から才人に対しては自制心が極端に薄い彼女のこと、最初はガンフェニックスや、ウルトラマンメビウスに驚いて慌てたけれど、気が落ち着いてみれば、無視されていた不愉快さプラス、せっかくさっきは才人といい雰囲気になりかけたところで水を差された腹立たしさが蘇ってきて、ルイズの機嫌はツインテールを食べ損ねたグドンのようになってしまっていた。

 もっとも、そんな二人の様子を見てあっけにとられたのは、もちろん二人のいきさつなど知るはずもないGUYSの面々であった。

「えーっと、そちらのお嬢さんは……」

 GUYSの面々は、視線を隣で不機嫌そうにしているルイズへと向けた。すると、ルイズはきっとして振り返ると、地球の街場で見かけるような女子高生とは比較にならないほど、鋭い目つきで彼らを睨み付けた。

「なに!?」

 目つきの悪さなら、残酷怪獣ガモスといい勝負をしそうな今のルイズを前にしては、大抵の男はおじけずいて声をかけられないだろう。だが、そこで持ち前を発揮したのが、GUYS一の伊達男のジョージだった。

「失礼、セニョリータ、君のパートナーを無断でお借りしてすみませんでした。私はCREW GUYS JAPANの隊員でジョージと申します。よろしければうるわしき貴女のお名前をお聞かせ願えますか?」

「あら、少しは礼儀のわかる奴がいるみたいね。いいわ、わたしの名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、以後お見知りおきを」

 聞いているこっちが恥ずかしくなるジョージの歯の浮くようなセリフが、意外とルイズの気に入ったようだった。とはいえ、同じような台詞ならほかの貴族から飽きるくらいに聞かされているであろうルイズに通じたのはジョージの人柄のなせるわざか。ともあれ、ずいぶんと今更だが、ここに来てようやくルイズとGUYSの面々はお互いに名乗りあった。しかし、さっきの才人の説明でルイズが才人と同じく、ウルトラマンAと分離合体している人間なのはわかったが、その才人との係わり合いがGUYSの面々を唖然とさせた。

「こいつはわたしの召喚した使い魔、だからわたしはこいつの主人なのよ!」

「はぁ?」

 怪訝な顔をする一同を前にして、才人は頭が痛くなるのを我慢して、あまり思い出したくない召喚時の思い出と、ルイズとはそれでご主人様と使い魔という関係になってしまったこと、それでこの半年をいろいろな事件に見舞われながらも微妙な関係を続けてきたことを、とりあえずルイズを怒らせない程度にまとめて説明した。しかし、戦闘中にもこの星の住人は完全な地球人型で、星もほぼ完全な地球型惑星であることは観測されており、だからこそ宇宙服もつけずにガンフェニックスから降りてきたのだが、ここまで地球とそっくりだと時空を超えてきたという実感も薄まってしまっていた。

「なによ?」

「えーっと……人間、だよな?」

「はぁ? なに寝とぼけたこと言ってるの、あんたバカぁ?」

 と、言われてもリュウたちから見れば、ルイズは中学生くらいの普通の女の子にしか見えないので、なんと言ってきりだせばいいのか困惑してしまっていた。なにせ、過去の記録はともかくGUYSが直接会ったことのある宇宙人ではサイコキノ星人のカコや、メイツ星人のビオも人間と同じ姿をしていたが、あれはあくまで地球人に変身していたのであって、元から完全な地球人型の宇宙人と会うのはこれが初めてである。またルイズのほうも、GUYSの面々をあからさまに警戒している。

「お、おいルイズ」

「なによ、ケンカ売ってるのはあっちでしょ。人のことじろじろ見て、失礼ったらないわ」

 それはそうなのだし、ルイズの性格から言って見世物のようにされるのは到底我慢ならないものなのもわかるが、自分でさえハルケギニアになじむにはかなりの時間を必要としたのだ。まして、GUYSの面々はこちらに来てまだ一時間も経っていないのである。

 これはまずいかも……互いに、話を切り出せずににらみ合いが続いた。このままでは、ただでさえ短気なルイズが怒って、話がややこしくなると思った才人は仕方なしに両者のあいだに入っていった。そしてまためんどくさいなあと思いながらも、ルイズにはGUYSが自分の国でウルトラマンといっしょに平和を守った人たちであること、GUYSの面々には、このハルケギニアは地球と非常によく似た環境や文明を持っているが、彼らが魔法と呼ぶ超能力は持っているものの、まだ自分たちが星というものに住んでいる概念すらないことを、大急ぎで説明した。

「……というわけです。あー疲れた」

 さっきから説明しっぱなしで才人はようやく息をついた。ほんとに、こんなにしゃべったのは久しぶりだ。召喚のときから今までのことを、ほとんど根こそぎ口に出してしまったように思える。水があったらペットボトル一本分は飲みつくしたいところだが、才人やウルトラマンAが消えたいきさつから、このハルケギニアの概要をまとめて聞かされたリュウたちのショックは大きかった。

「つまり、ここには宇宙船とか時空転移装置とかいうものは?」

「そんなもん、あったらとっくに使わせてもらってますよ」

「あー……なんてこったい」

 才人が次元の裂け目に消えてしまったことについては判明していたものの、そんなものを作り出すのだから、てっきり科学の進んだ星に連れ去られてしまったものだと思い込んでいたGUYSの面々は、それがまさか使い魔召喚のための儀式による事故だったとは思いもよらず、拍子抜けしたようにしていた。唯一の例外は、ウルトラマンヒカリと意識を共用しているセリザワで、彼はその科学者としての知識と経験から、彼らにこう説明した。

「テレポーテーションやワープのミスで、たまにとんでもない場所に出たり、時空を超えた場所からものを呼び寄せたりすることがある。ある星の例だが、ブラックホール兵器の実験中に、誤って古代の巨大昆虫を呼び出してしまい、都市がひとつ壊滅させられた例があるそうだ」

 ウルトラマンでさえ、空間移動には膨大なエネルギーを必要とする。この星ではそれがサモン・サーヴァントという形でそれが日常的におこなわれているが、実は自分の望んだものを遠方から転移させてくるというのは大変なことなのだ。

 また、魔法についてなのだが、一応証拠としてルイズが爆発を起こして見せたものの、分身したり火を噴いたりと、超能力を持った宇宙人は山のようにいるので初期の才人のようにGUYSの面々は特に驚いたりはしなかった。むしろそれよりも、あらためてルイズの顔と才人の顔を間近で見比べて。

「しかし、ほとんど地球人と同じなんでびっくりしたぜ」

 そう言われて才人ははっとした。確かに、地球人から見ればルイズたちは別の星の、いわゆる宇宙人に違いない。魔法という超能力を使える以外は一切違いがないので、これまで考えたこともなく、思わず自分もルイズの顔をじっと見つめた。

「なによ、わたしの顔になんかついてるの?」

「あ、いや……なんでもねえよ」

 髪の毛をかきむしって、才人はいかんいかんと自分自身に警鐘を鳴らした。考えてみれば、ウルトラマンはいうに及ばず地球人だって立派な宇宙人ではないか。彼は自分の心の中に、宇宙人イコール悪という間違った方程式ができていたことに自己嫌悪を覚えると、それを意識して追い出した。しかし、同時にやはり自分は違う星に生まれたのだということをあらためて実感してしまうことになった。

「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「いや、ほんとになんでもないって。あ、そういえばエースはM78星雲出身のウルトラマンは、この世界の人間と同化しないと一分間しか行動できないって言ってたのに、どうしてメビウス……ミライさんはなんともないんですか?」

 余計なことを言ったらまた殴られそうだったので、才人はとにかくごまかした。

「そういえば……あのときエースは太陽の光に苦手なものが含まれてるとか言ってたけど、どうしてあんたは平気だったの?」

 ウルトラマンダイナやウルトラマンジャスティスはM78星雲出身ではないので別格だと思っていたが、エースと同族のメビウスはその制約を受けてしまうはずなのだ。しかしミライは少し考え込むと、その質問に一つの仮説を提示した。

「いえ、エース兄さんの言うとおりだと思います。僕も変身したときに、少し体が重いような気がしました。僕が平気でいられたのは、多分これのおかげだと思います」

 そう言ってミライは左腕に現れたメビウスブレスをかざして見せた。

「これは、ウルトラの父から預かった神秘のアイテムなんです。武器としてだけでなく、様々な環境から僕を守ってくれています」

「へえ、便利なものがあるものだなあ」

 才人はミライの腕に赤く輝くメビウスブレスを見て思った。メビウスブレスは今でも謎の多いアイテムで、変身のときやメビウスの技の元になるだけでなく、本来ウルトラ心臓を持つタロウにしかできないウルトラダイナマイトを、ウルトラ心臓の代わりになることで可能にするなど、超絶的な力を秘めている。これが、どういう理屈かはわからないが、メビウスをこの星の環境から保護しているのだろう。

「この星は、僕たちM78星雲のウルトラマンにとっては過酷な環境なんですね。エース兄さんをずっと助けていただいて、どうもありがとうございました」

「いや! 命を助けてもらえたことに比べればこのくらい」

「まあまあミライ、つもる話は多いが、ともかく今はみんな無事だったことを喜べよ。ほんとに、無事でよかったよかった。なあ」

「あ、ありがとうございます」

 豪快にリュウに肩を叩かれると、才人の体が強く震えた。自分のような、まだ未成熟で、魔法の力で底上げした強さしかない細身ではなく、長年の鍛錬と実戦で鍛え上げられた大人の体、戦士の肉体の力強さだった。もっとも、マリナなどは「熱血バカはこれだから」などと呆れているけれど、やがて才人に向かって話しかけた。

「ところで才人くん、私たちに聞きたいことがあるんじゃないかな?」

「あっ、そ、そうだった!」

 うっかりあこがれのGUYSやウルトラマンメビウスと会えたことで舞い上がっていたが、考えてみれば、聞きたいことはほかにも山のようにあった。どうしてGUYSがこの世界に来れたのか、地球は今どうなっているのか、ほかにも地球に残してきた両親のことなど数限りない。だが、頭の中を整理すれば一番に聞きたいことは決まっていた。

「ど、どうやって、あなたがたはこの星にやってきたんですか?」

 やはり、何をおいてもそれしか考えられなかった。地球とハルケギニアは完全に次元を超えた別宇宙にあるのに、いったいどんな方法を使ってその壁を超えてきたのか?

 しかし、それに答えたのはここにいる誰でもなかった。

 

”それに関しては、私が説明してあげるわ”

 

 突然、どこからともなく響いてきた声に才人とルイズは驚いた。だがジョージがGUYSメモリーディスプレイを差し出すと、そこにはフェニックスネストのディレクションルームで手を振るフジサワ博士が映し出されていた。

「はじめまして、才人くんに、異星のお譲ちゃん」

「わっ! なによこれ」

「あー、簡単に言えば遠く離れたところにいる人と話せる道具かな」

 才人も、ルイズに地球のものを説明する要領をわかってきていた。どうせ理屈を教えても無駄なのだから、役割だけを答えればいい。地球人の自分が魔法の理屈を理解できないのと同じことだ。

 ディスプレイを通して見る後ろのほうでは、サコミズやミサキが見守る前で、新人隊員たちが緊張して構え、データの記録と分析に当たっている。あと、留守番部隊のテッペイとコノミが、「魔法の星なんて、リュウさんたち、なんてうらやましいんだ」と、学術的興味とロマンの両面から残念がっている。

 だが、きさくに話しかけてくるフジサワ博士から教えられた答えは、二人を仰天させるのに充分だった。

「日食が、地球とハルケギニアを結ぶゲートですって!?」

「ええ、地球でも今年に数十年に一度の大型の皆既日食が起きるってことは知ってた? あなたの消えた日の異次元のゲートを調査しているうちに、それと同じ波長の時空波を突き止めて、しかも観測を続けた結果、それがピークに達するのが偶然にも日食のときだとわかったの。多分、二つの星は時空間で何かしらの結びつきがあって、それが強く顕実するのが日食のときなんでしょうね」

 その理由はフジサワ博士にも残念ながらわからない。強いていうなら古代になんらかの魔法の力が働いたのかもと、あいまいな答えしか出てこなかったが、原因よりむしろ結果が大事であった。

「じゃあ、あそこにはまだ……」

「ええ、肉眼で視認はできないでしょうけど、地上高度六千メートルに、確かに亜空間ゲートは存在してるわ」

 才人は思わず空を見上げて、目を焼いた日の光を手でさえぎりながらも顔を上げ続けた。目には見えないが、太陽の中に地球へとつながる門が、この世界に来てから探し続けてきた門が、あそこにあるのだ。

「ただ、時空のゲートは見つかっても、それが正しくこの世界に通じているかどうかまではわからなかったわ。下手に飛び込んだら、それこそGUYSも全滅なんてことにもなりかねなかったしね。けど、あなたたちは本当に運がよかったわね」

「どういうことですか?」

 意味がわからなかった才人に、フジサワ博士に代わって説明したのはミライだった。彼は、昨日の異空間内での戦いのときにゼロ戦に乗った才人の姿を見かけ、それでその消えた先にウルトラマンAもいると確信してフジサワ博士に連絡をとり、開いたゲートを通してわずかに伝わってくるエースの思念をたどって、ここまできたのだと語った。

「あのエアロヴァイパーの時空間にGUYSも……そうとわかっていたら……」

「ああ、気に病むことはないわよ。ガンフェニックスの記録を見たけど、あんな一瞬のこと、ミライくんでもなければ気づけっこないわよ。けれど、それだけでは二つの世界を結びつけることはできなかった。それで開発したのが……」

 そこでフジサワ博士は、科学者らしくもったいつけた様子で間をおくと、手品のタネを明かすように誇らしげに語った。

「新型の、メテオール!?」

「そう、私が作った最新型メテオール、『ディメンショナル・ディゾルバーR(リバース)』、かつて異次元人ヤプールの異次元ゲートを封鎖したディメンショナル・ディゾルバーの極性を反転させて、異次元ゲートを封鎖するのではなく、固定して半永久的に開いたままにするのよ」

 自分が作ったんだぞと、誇らしげに語るフジサワ博士の態度は、どこかしらエレオノールを連想させてルイズは嫌な感じになったが、これで一番の謎は解けた。

「苦労したのよ。日食がゲートを開く鍵だとわかったのはいいけど、地球で次の日食までたった一日しかなかったし、ゲートをこじ開けるにはフェニックスキャノンを使わなきゃならないから、フライトモードを起動させるのにみんな不眠で頑張ったんだから」

「そこまでして……」

「気にしなくてもいいわよ。みんなお礼なんか目当てじゃないんだし。それに、私はもう一つ実験してみたいこともあったしね」

「え?」

 怪訝な顔をした二人の前で、緑色の粒子がきらめいたかと思うと、ルイズの目の前に、白くてまるっこいからだをしたぬいぐるみのような怪獣が現れた。

「ひっ……きゃーっ!」

 思わず突き飛ばしてしまったルイズの手の先で、小型の怪獣はくるくる宙を舞うと、ひょいとマリナの頭の上に乗っかった。

「あはは、心配しなくてもいいわよ。リムはとってもおとなしくていい子なんだから」

「そ、それってGUYSのマスコットの?」

「ええ、マケット怪獣のリムエレキング、愛称はリム。どう、可愛いでしょ」

 そう言って、マリナはそっとリムをルイズに差し出した。この、体長ほんの四十センチほどしかない小さなエレキングは、ミクラスなどと同じくGUYSの粒子加速器で生成された高エネルギー粒子ミストを使って生み出される、擬似的な生命体『マケット怪獣』の一体である。ただし、意図的にではなく過去に粒子加速器の故障で偶然生まれたためにほとんど戦闘力はなく、現在はその愛らしい姿からCREW GUYS JAPANのマスコットキャラとして人気を集めている。とはいえ、小さいけれども怪獣であり、ハルケギニアで小さいころから色々な幻獣を見てきたルイズも、恐る恐るといった様子で受け取ると、そっと抱きしめた。

「へ、平気よね?」

「大丈夫です。リムも僕たちの大切な仲間です。人に危害を加えたりするようなことはしませんよ」

 ミライもそう保障してくれて、ルイズは最初はビクついていたが、やがてリムが小さな声で鳴いて、体をもぞもぞと腕の中で動かすと、ルイズの顔も赤ん坊を抱いた母親のように柔らかくなっていた。

「……けっこう、かわいいかも」

 もっとも、才人にとってはリムよりもそんなルイズの表情のほうが可愛らしく、思わず顔がにやけかけたのを見られかけて、慌てて話題を戻させた。

「そ、それで実験ってのはこのことなんですか?」

「ええ、亜空間ゲートを越えて、どれだけのものを送り込めるかやっておきたくてね。けれどリムを出現させるための分子ミストもそちらに送り込めるということは、少なくとも、二つの世界の行き来にはほとんど支障はないみたいね」

 要するに、ガンフェニックスなどを使えば、ハルケギニアと地球の行き来が可能だということを意味していた。しかしそれは、才人にとって無意識に考えることを避けてきた、一つの選択をいやおうなく思い出させることでもあった。そして、半分自慢に近い説明を終えたフジサワ博士が満足して引っ込み、テッペイが話の要点をまとめようとしたとき、才人の動揺は決定的になった。

「通信の確保及び、ゲート内の空間の航路確保の計算も完了しました。現在、両世界間の直結はほぼ完璧です。これならば、才人くんをこちらの」

「あっ! そういえばリムエレキングをこっちで実体化できるということは、もしかしたらほかのマケット怪獣も?」

「え? ああ、それは……」

 才人は強引に話に割り込んで中断させた。しかしそれは、地球との行き来が可能だとわかったときに、半年前の自分ならば必ず口にしたはずの言葉を、今口に出すこと、そして聞くことを恐れているということを思い知らせるだけであった。

「サイト、どうしたの? なんか顔色が悪いわよ」

「そ、そうか? 気のせいじゃないか」

 無意識のうちに湧いてきた冷や汗を、ルイズは目ざとく見つけていた。結局、ごまかしきれずに心音は高鳴り、口の中はからからに干からびてくる。その理由は、自分でわかっている。

「いえ、ほんと顔色悪いわよ? どっか、怪我でもしてた?」

 普段、大抵のことではほうっておかれるルイズがここまで言うのだから、顔色がないのは本当のことなのだろう。心配したマリナが、医療セットをとってこようかと言ってきたが、問題は心理的なものなのだから体をどうしたところで回復したりはしない。

 今の才人は、まるで悪い点をとったテストのことを親に思い出されたくない小学生のように、皆の一挙一頭足におびえていた。だが、どんなに引き伸ばそうとしても、それが一時しのぎにしかならず、どれだけ聞きたくないと思っても、その時は躊躇無くやってくる。

 

「よかったな、これで日本に帰れるぜ!」

 

 まったくの、何の邪気もない親切心で言われたその一言が才人を打ちのめした。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第91話  迷いと戸惑いと…

 第91話

 迷いと戸惑いと…

 

 ウルトラの父

 ゾフィー 登場

 

 

「地球に……帰れるのか……」

 戦いから時が過ぎて、すっかり日も落ちた静かな夜の闇に才人のつぶやきが流れて消えた。

 ここは、ウェストウッド村のティファニアの家、さらにその隣にある小さな畑。超獣サボテンダーに踏み潰されたあとに耕しなおされたが、作物は時期を逃したために黒い土があらわになっている。けれども空を見るには村の中で一番開けているその真ん中がちょうどよく、才人はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、かかしになったようにもう二時間もこうして空を見続けていた。

「サイト、もういいかげん中に入りなさい。スープが片付かなくて、テファが困ってるわよ」

 背中からした声に振り向いてみると、そこには彼のご主人様が一人で立っていた。

「ルイズ、悪い、今メシを食う気にはなれないんだ」

「そう……でも、あれだけ動いたんだから、食べなきゃ体がもたないわよ……って、ミス・ロングビルが言ってたわ」

「……サンキュー」

 柄にも無く穏やかな口調で、ずっと戦いどおしだった才人の身を下手な照れ隠しをしながら案じてくれているルイズに、今の才人は一言の礼を持ってしか答えることができなかった。

 二大超獣との激闘から、もう六、七時間はゆうに過ぎた。あれから後で、GUYSの面々といったん別れた才人とルイズたちは、避難していたロングビルやティファニアたちといっしょに、ウェストウッド村に帰ってきていた。しかし、皆と再会しても才人は上の空で夕食にも参加せずに、こうしてずっと一人でもの思いにふけっていたのだ。

「まだ、あのことを考えてたの?」

「ああ」

 それ以上を言う気力は湧かずに短く答えた才人に、ルイズも無理に問いただそうとはしなかった。いつものように強権的に口を開かせるには、その問題はあまりにも重すぎたからである。

「あの空の上に、あなたの故郷があるのね」

「ああ……おれのふるさと、地球が……」

「チキュウ……」

 ルイズは、感情の浮かんでいない言葉で、才人の故郷の名前を復唱した。今や、手の届かない幻ではなくなった地球へとつながる亜空間ゲート、それがこの空のはるか上に月の光に隠れて、確かに存在しているのだ。

「あの先に、日本が、東京が、アキバが、おれの学校も、友達も……母さんも、父さんもいる」

「……」

 きっと今、才人は故郷にいたころの思い出を一つ一つ呼び起こしているのだろう。もう二度と帰れないと思っていた自分の家や、離れ離れになってしまった家族、思い出は、その人間の過去から今へと続く大切な架け橋だ。悲しいものも、うれしいものも、今の自分を形作るかけがえのないブロック。そしてルイズも、そんな彼の姿に、意図しなかったとはいえ才人にそんな苦しみを与えてしまったことに罪悪感を感じていたから、じっとその横顔を見つめていた。

 だが、思い出に浸るだけでは未来には踏み出せない。

「サイト、まだ迷ってる?」

「わからない……というか、まだ心の整理がついてないのが正直なとこだ」

「そうね。たった一日で、あまりにも多くのことがありすぎたわ……」

 才人とルイズは、満天の星空の下で二つの月を見上げながら、これまでの人生で一番長かった今日の日の出来事を思い出した。

 

 レコン・キスタと王党派・トリステイン連合軍の最終決戦。姿を現した超獣ブロッケンとバキシムとの死闘と敗北、そして時空を超えて助けにきてくれたウルトラマンメビウスとCREW GUYS。彼らはまさにハルケギニアの伝説にあるとおりの、奇跡となってこの星とエースの絶対絶命の危機を救った。

 しかし、戦いに勝利して才人とルイズの前に現れた彼らとの出会いは、そのまま才人にとって喜びとはならなかった。時空を超えてハルケギニアにやってきたGUYSの存在は、この世界にとってイレギュラーな存在である才人に、ここは地球ではなく、自らもまたこの世界には異質な存在であることを自覚させ、そして地球人としてこのハルケギニアでどうするのかの、重要な決断を迫っていた。

 

「地球に、帰れる……」

 リュウからその言葉を聞いたときに、才人の心を貫いたのは歓喜ではなく、狼に育てられた少年が初めて人間を見たときの、そんな感情だったかもしれない。

 地球、それは才人の故里。才人が生まれ、育ち、多くの人を愛し、そして愛されてきた、忘れることのできない思い出の場所。しかし今、地球という言葉は残酷なまでの鋭さをもって才人の胸に突き刺さっていた。

「地球に、本当に帰れるんですか?」

「ああ、そのためにガンスピーダーの座席を一つ空けてきたんだ。それに、君は家族から捜索願いが出ている。ご両親も、大変心配しておられるようだ」

 その言葉を聞いて、才人の心に強い衝撃が襲った。

「おれがここにいることを、母さんたちは」

「いや、まだご存じない。なにせ、時空を超えた場所にいるなんて、俺たちでさえ半信半疑だったんだ」

「そう、ですよね」

 才人の心に、忘れかけていた両親のことが蘇ってきた。勉強しなさいとばかり言っていた母に、無口なサラリーマンだった父。あのころはそんな特別なものだとも、貴重なものだとも思っていなかったが、離れてみたら、思い出してみたら喉の奥から何かが湧いてきて、あふれそうになってくる。だがそれと同じくらいに、思い出すと胸が締め付けられる人たちがこの世界にもいることに、才人は気づいた。

 

 この世界で出会った人たち。ほんの半年に過ぎないが、いろんな人たちと出会った。意地悪な奴、悪い奴もいた。でも優しくしてくれた人もたくさんいた。

 

 才人の学院での生活を陰ながら支えてくれたオスマン。

 キザでバカでアホだけど、けっこう気さくでいいところのあるギーシュ。

 身分のかきねを越えて友達になれたギムリやレイナールたち。

 優しくて可愛いメイドのシエスタに、すっかり頼りになる先生になったロングビル。

 人間じゃないけど、たよりになる相棒のデルフリンガー。

 綺麗で尊敬できるお姫様、アンリエッタ。

 きびしいけれども、自分を認めて頼りにしてくれたアニエス。

 自分自身の罪と向き合って、人間の弱さと強さを見せてくれたミシェル。

 ふざけてばかりいるけど、いつでも明るくはげましてくれるキュルケ。

 無口だけど、いつもいざというときには助けてくれるタバサ。

 

 才人は地球に帰れるという現実を前にして、いつの間にかハルケギニアが居心地良くなっていた自分が生まれていたことに気がついた。

 

 そして、そばにいるだけで、胸が高鳴るご主人様。

 高慢ちきで、生意気で乱暴だけど、たまに見せる優しさが、胸をどうにかするルイズ。

 桃色のブロンドと、大粒のとび色の瞳を持った女の子……

 

 誰一人として、大切でない人はいない。誰一人として、別れたい人はいない。

 帰りたいのは事実だ。しかし、この人たちと別れていくのは、身を切られるように苦しくてつらい。けれども、地球でもそうして自分のことを思ってくれているであろう両親や、友達のことを考えると、同じくらい苦しくなった。

 

 そして、それはもう一人にも、つらい現実を突きつけていた。

「……ねえサイト、今の話、よく聞こえてなかった。もう一回言ってくれる」

 リュウが最初に才人にその言葉を言ってから、ずっと魂の抜けた幽霊のように立ち続けていたルイズの、いつもでは考えられないほどに弱弱しい声でつぶやかれたその言葉が、才人を夢想の世界から呼び戻した。

「ルイズ」

「ねえ、この人たちなんて言ったの? わたし、話の意味がよくわからなかったから」

「地球に、おれの故郷に帰れるんだってさ」

 もしこのとき才人が落ち着いていれば、ルイズの言葉のその奥に込められている思いを、断片だけでも読み取ることができたかもしれない。だが、今の彼にはその余裕も、ましてや相手の気持ちを充分に汲み取ってやるだけの経験ももってはおらず、残酷にも質問に対する回答をそっくりそのまま彼女に返してしまった。

 

”サイトが、帰る……?

 

 ルイズはその言葉を聞いたとき、長い裁判の末に死刑判決を宣告された被告人のように、だらしなく口を開けて、両腕をだらりと垂れ下がらせて立ち尽くした。けれども、ルイズの明晰な頭脳は痴呆に陥って逃避することを許さずに、その言葉の指し示す意味と、それがもたらす結果を正確に読み取って、反射的に叫んでしまっていた。

「な、なによそれ! 使い魔は主人と一心同体ってのを忘れたの!? あんたは死ぬまで、わたしの使い魔なん、だか、ら……」

 いつものように怒鳴りつけようとしたルイズの言葉は、その中途で才人のうつむいた横顔を見てしまったことで、失速して消えてしまった。

”サイト、泣いてるの……”

 ルイズの目の前で、才人は涙を流さずに泣いていた。歯を食いしばり、こぶしを強く握り締めて、涙を見せまいとして泣いていた。

 使い魔だからといって引き止めることは簡単だ。しかし、両親に会いたいという才人を引き止める権利が自分にあるのか? いや、そんなことは言い訳だ。自分は恐れている。才人を失うことに、彼が隣からいなくなることに。

 半年前、ルイズは一人ぼっちだった。魔法の才能がなく、学院の誰からも見下げられ、ゼロのルイズとさげすまれて、誰にも頼らずに生きてきた。それが変わったのは、あの使い魔召喚の儀式からだ。才人が来てから、自分の周りは騒がしくなった。やたら騒ぎを起こし、トラブルを持ち込んでくるあいつがいなければギーシュやタバサとは、今でも名前も知らないに違いない。シエスタともティファニアとも知り合えず、一年のころと同じ孤独な学院生活を送っていたに違いない。

”わたし、ずっとサイトを頼って生きてきたんだ”

 ルイズはいつの間にか才人に大きく依存するようになってしまっていた自分に気づいて愕然とした。才人がいなくなったら、また自分は一人ぼっちになってしまう? それは今のルイズにとって、恐怖以外の何者でもなかったが、同時に決して口に出すことのできないものでもあった。

 

 一方、才人に地球に連れて帰れることを告げたリュウは善意のつもりで言ったのに、なぜか暗い顔をしている才人に首を傾げていたが、その鈍さに呆れたマリナが耳元でささやいた。

「このバカ! 考えてみなさいよ。前にインペライザーと戦ったときだって、ウルトラの国に帰らなきゃいけなくなったミライくんがどれだけつらかったか」

「! そうか……悪かった」

 失言に気づいてリュウが素直に謝ってくれるのも、才人にとっては余計に心苦しいだけであった。

「いえ、皆さん方が来てくれなくても、いつかはこうなるはずだったんです」

 前にフリッグの舞踏会のあとで、才人はルイズにヤプールの異次元空間を逆用すれば地球へ帰ることができるかもしれないと語った。しかしそれはおぼろげな可能性であったし、はるかな未来のことだと思っていた。

「おれはともかく、ウルトラマンAは絶対にいつかは元の世界に帰らなきゃならなかったんだ。そうなることはわかりきっていたはずなのに」

 そう、遅かれ早かれこんな機会が来ることはわかりきっていたはずなのに、自分の中の臆病な部分が、そのことについて考えることをずっと先延ばしにしていた。

 けれど、考えることを先延ばしにしていたのは才人だけではなかった。

「待ってよ、わたしとサイトの命はエースのおかげでつながってるのよ。サイトが帰っちゃったら、いったいどうなるの!?」

 悲鳴のように叫んだルイズの言葉に才人もはっとなった。そうだ、自分たち二人がウルトラマンAに合体変身するようになったのも、二人がベロクロンに殺されて、その命を助けるためだったではないか、ここで才人が地球に帰還してエースと分離することになったら、その命は。

 だがそれは、決断をしたくない、させたくないという二人の甘えが呼んだ一本の藁であった。そして、心の中のエースに問いただしてみた答えは、そんな二人のわずかな期待を簡単に打ち砕くものであった。

(君たち二人の負った傷は、もうほとんど治っている。才人くんから分離しても、もう問題はないだろう)

「……」

 明らかに肩を落とした様子の二人に、エースは罪悪感を覚えたが、ここはあえて厳しく突き放したのだった。なぜなら、ここで治っていないと言って才人をとどまらせるのは簡単だったが、それで惰性で戦い続けたとしても、そんな馴れ合いの関係ではいつか限界が来る。戦いは、何よりも強く心を持たなければ、悪辣なヤプールらのような侵略者の姦計とは戦えない。

 才人はじっと、指にはめられたウルトラリングを見つめた。あの日、二人がエースに救われて、その命を受け入れたときから、これは二人をつなぐ絆の象徴だった。しかし、才人がエースと分離すれば、当然これは……

「でもそれじゃあ、ルイズ一人でヤプールと戦うことになります。そんな、こいつを置いて帰るなんて」

 そう、才人がいなくてもヤプールが滅んだわけではない以上、エースはこの世界に残らなければならないだろう。そうなれば、今のところ新しい同調者もいないために必然的にルイズが一人で変身することになる。しかし、ルイズは激しく侮辱を受けたかのように口泡を飛ばして怒鳴り上げた。

「ば、馬鹿にしないでよね。あんた一人がいなくなって、わたしがおじけずくとでも思ってるの? 貴族は、国のために命をかけるのが当たり前だって言ってるはずよ。あんたなんていなくたって、わたしは誰とだって戦うわ」

「そんな、お前一人で戦うつもりかよ!」

「うるさいうるさい! そんな、同情なんか、安っぽい義務感なんかでいっしょにいてほしくないわよ。帰りたいなら、帰ればいいわ! あんたずっと帰りたいって言ってたじゃない」

「な、なんだよそれ、おれがどんなにお前のことを……」

 だが、短気を起こしてルイズに怒鳴り返そうとした才人の肩をジョージがつかんで、耳元で「レディが無理をしてるのに、男が怒っちゃいけないよ」とささやくと、ルイズが震えながら歯を食いしばっているのが見えて、思慮の浅い自分を恥じて怒りを静めた。しかしこれで、才人がハルケギニアに無理をしてでもとどまらなければならない理由はなくなってしまった。後は、帰るか残るかを決めるのは才人の感情、意思によってしかない。

 しかし、考えをまとめるよりも早く、またやっかいなトラブルの種が空からやってきた。

 

「あっ、あそこよタバサ。おーい、サイトぉ、ルイズ!」

 

 よく聞きなれた大きな声が上から響いてきて、上を見上げるとそこには思ったとおりにシルフィードに乗ったキュルケとタバサが、こちらに向かって降りてくるところだった。

「あちゃーっ、なんてタイミングの悪い」

 いつもなら歓迎すべきところなのだが、今回ばかりはタイミングが激悪だった。

「敵か!?」

「待ってください、あれは味方です!」

 ドラゴンの姿を見て、反射的にトライガーショットを構えるリュウたちを才人は大慌てで止めた。ところが銃を向けられたことで、才人たちが捕まっているのだと誤解してしまったらしいキュルケたちはこちらに向かって杖を向けてきた。

「サイト、ルイズ、今助けるわ!」

「だーっ! 違ーう!」

 大声で怒鳴ったときには、例によって炎と風が放たれた後で、迎え撃たれたトライガーショットのバスターブレッドとぶつかって、相殺の爆発が宙を焦がす。二人とも、もうたいした魔法を使うだけの精神力は残っていないはずだが、生身の人間相手にはドットの低級魔法で威力は充分。また逆にGUYSのトライガーショットも対怪獣用の銃なので、命中したらシルフィードくらいは木っ端微塵にできる。

「待ってください! あれは敵じゃありません。おーいキュルケ、タバサ、おれたちは無事だ、だからやめろ!」

 才人は銃口の前に立ちふさがって、なんとかGUYSの面々には銃を下ろさせることには成功したが、両手を振りながら大声で空の上のキュルケとタバサに怒鳴ったものの、爆発を避けるために上空退避していた二人には届かずに、またもファイヤーボールが降ってきた。

「聞こえないのか!? くそっ! やめろってのに」

「キュルケーっ! タバサーっ! ああもうっ! ツェルプストーの女は血の気が多すぎるから嫌いなのよ!」

 人間の叫び声くらいでは、爆風とシルフィードの羽音にかき消されて、上空の二人には届かなかった。しかも、攻撃を加えられれば戦う気がなくてもGUYSも自己防衛のために、自分に向かってくる炎の弾を撃ち落さなくてはならない。かといって、まさかガンフェニックスをこんなことのために飛ばすわけにもいかずに、戦局は硬直状態に陥った。

「リュウさん、こうなったら僕が」

「待て、お前がウルトラマンだってのを、ばらすのはまずい」

 才人とルイズは別格として、この星の人間にもメビウスの正体を知られるのは好ましくない。しかしこのままではどちらかに必ず怪我人が出る。なんとか止める手立てはないか、リュウたちや才人は必死になって考えた。

 だが、さっきのショックが覚めやらないルイズの怒りは、吐き出すところを求めた結果、もっとも単純明快な方向に落ち着いた。

「ああもう、うるさいうるさい、うるさーい!」

 ついにキレたルイズの特大の爆発が全方位に無差別炸裂した。その後はキュルケとタバサやGUYSの面々はもちろんのこと、着陸しているガンフェニックスがわずかに浮き上がったほどの爆風が通り過ぎていったあとで、地面の上に立っている者は、当の本人以外は一人もいなかった。

「お、お前やりすぎだ……」

「なによ、これが一番てっとり早いでしょうが」

 それは……確かにそうかもしれないが、荒っぽすぎるぞと、ツッコミを入れたところで才人はバッタリと草の上に倒れこんだ。それは図らずも、ハルケギニアの人間の持つ”魔法”という能力の強力さを、地球人が初めて認識したときだった。

 

 それから、ああだこうだと言い合いが続き、やっと話がまとまったのはゆうに一時間が経過してからであった。

「じゃあ確認するけど、つまり、この人たちはサイトの国の人たちで、サイトを探しにやってきたわけで、あれはあなた方の乗り物なわけね」

「まあな、GUYSガンフェニックス、こいつなら時空の壁を突破するくらいわけないぜ。どうだ、かっこいいだろ」

「へー……サイトの国って、こんなのが飛び回ってるんだ。変わってるのね」

「そりゃあ、地球ではドラゴンなんていないからね。でも、ドラゴンに似た怪獣は知ってるけど、本物のドラゴンを見るのははじめてだわ。うふ、けっこうかわいい顔をしてるじゃない」

「怪獣マニアのテッペイや、かわいいものが好きなコノミに見せたら狂喜乱舞するな。けれど、この国では君たちのようなレディたちまで戦いに駆り出されているのかい?」

「あら、ご丁寧にどうも。遠い異国にも、あなたのような紳士がいてうれしいですわ。けれど、おびえ惑っているような臆病な男よりも百倍、わたくしのほうが強いですわよ。ああ、もちろんあなた方は違いますわ、わたしの炎を正確に撃ち落すなんて、なかなかお見事な腕前でしたわ」

 さっきまでの争いがうそのように、キュルケはGUYSの面々と打ち解けていた。もちろん、GUYSの皆のほうもファントン星人やサイコキノ星人、メイツ星人らと交流を重ねてきて、宇宙人を相手にして差別せずに交流する心を養ってきたからというのもあるが、その社交性の高さはうらやましいくらいである。なお、ほめられてまんざらでもない様子のシルフィードと、超獣を相手に獅子奮迅の大活躍をしたガンフェニックスを間近で目にして興味をそそられ、じっとそばで観察していたタバサは、ミライから詳しく解説を受けている。

「タバサはともかくキュルケには、人見知りというものがないのかな」

「ほんと、あの年中お気楽極楽ぶりは、ときたまうらやましくなるわ」

 才人とルイズは、人の苦労も知らないでと明るくおしゃべりをしているキュルケに驚くやら呆れるやらで、正直唖然としてしまっていた。けれども、重苦しく沈痛な空気をかき回し、少しなりとて二人に笑顔を取り戻させてくれたのも事実だ。本当に、得がたい友人、そのことを思うたびに地球に帰らなければならないという事実が、重くのしかかってくる。

 

 ただその前に、残っていた王党派がどうしたのかについて心配していたことは、キュルケの口からだいたい語られて二人を安堵させた。戦闘の混乱はもうだいぶおさまって、今はアンリエッタたちが中心になって後始末に走り回っている。飛行兵力こそなくなって、伝令などはすべて馬か徒歩を使わなければならないので時間はかかるだろうが、それは逆にいえばガンフェニックスが捜索される危険性がなくなったということにもなって、これ以上余計なトラブルが起きることを恐れた一同をほっとさせた。ともかく、もう戻ったとしても、姫さまもアニエスたちも会ってはくれないだろうが、これに関してはもう心配する必要はないだろう。

「姫さまたち、ご無事でよかった」

「ああ、これでこの国はもう安心だな」

 二人は、エースの眼を通して確認したものの、あの激戦の中で最後まで皆が無事でいてくれたことに安堵した。それに、アルビオンからヤプールの影が一掃された以上、この大陸を覆っていた戦乱は急速に鎮まっていくだろう。もちろん、まだ不平貴族や戦禍を受けた民衆と、職を失った傭兵が盗賊に転職するなどの問題は山積みだが、それらはこれからウェールズたち、この国の新しい統治者たちのすべきことで、少なくともこの件については、もう自分たちの入っていく余地はない。

 ただ、アンリエッタの言っていた『始祖の祈祷書』とやらについては、まだ当分待たなければならないだろう。それでも、この内戦が終われば、今のところはハルケギニアに大きな戦乱の種はなく、しばらくは平和が続くと見て間違いはない。

「どういうことですか?」

「茶番劇が終わったってことだけですよ。やれやれ、苦労したかいがあったってもんだ」

 事情を知らないミライにたずねられて、才人はこれに関してだけは満足げに背伸びをしながら、ルイズたちと喜びを共用した。

 それから、おまけのようについてきたことだが、ワルドが生きて見つかって捕縛されたという知らせもあった。なんでも案の定、乗り移られていたときの記憶は無くなっていて、本人はなにがなんだかわからないまま兵士たちに袋叩きにされてお縄になったそうで、一発殴ってやる機会はなくなったがいい気味だった。

 

 しかし、そんな喜ばしいこともそうでないことも、次のキュルケの放った一言によって、全て二の次のことへと押し込められることになった。

 

「それでサイト、故郷に帰っちゃうの?」

 なんの溜めも前置きもなく、簡潔に、間違えようもないくらいにキュルケに明確に問いかけられた言葉に、才人はすぐに答えることはできなかった。

「そう、ルイズが心配なのね。わかるわ」

「ち、ちょっとキュルケ!」

「わたしは嘘を言ってないわよ。けど、わざわざ迎えが来るということは、サイトの国でもサイトを待っている人がいるということでしょう。帰らないわけにはいかないんじゃない」

「うっ」

「それにルイズもよ、サイトが帰れるなら帰してあげたいって言って、図書館で調べものとかしてたんじゃない? いざそのときになって、怖くなったの?」

「う……」

 キュルケは軽いように見えて、言うべきことは遠慮せずに厳しく言ってのける。それが、時には残酷に見えることもあるが、彼女は、ごまかしや問題の先送りを好まない。図星を射抜かれて、言葉に詰まる二人を順に見渡して、軽くため息をつくとタバサに振り向いて言った。

「で、タバサ、あのガンフェニックスとかいう、ひこうきだっけ? あんたから見て、あれはどんなもんだった?」

「……理解、できなかった。今まで見た、どんな文献にもあんなものは載っていない。どうして飛べるのか、あの光の矢はなんなのか、どんな説明を受けてもわからなかった。でも、強いて言うなら……」

「そう、やっぱりあなたも、あれと同じものを連想したのね……」

 うつむいて、自信をなくしたようにぽつりぽつりとしゃべるタバサを見て、キュルケは本当にこの見たこともない鉄の塊が、本当に遠く離れた異国から才人を迎えにやってきた使いであると理解した。これならば、本当にハルケギニアの外からやってくることができるかもしれない。そして、才人をあっという間に連れて帰ることもできるだろう。けれども、それはルイズにとってはもちろんのこと、才人と親しくなった者たち、もちろんキュルケやタバサにとって、悲しいことであるには違いなかった。

「ねえ、いったんサイトのふるさとに戻って、またこっちに来てもらうってのはできないの? なんなら、夏休みも残ってることだしルイズも向こうに連れて行ってもらっちゃうって手もあるんじゃない」

 キュルケの提案は、ある意味でとても魅力的に思えた。二つの世界が完全につながった以上、都合のいいときにどちらかの世界を行き来すれば、それは理想的な状況といえるだろう。しかし、その虫のいい考えは、時空を超えてきたテッペイの声によってあっけなく粉砕された。

「いいえ、それは無理です。亜空間ゲートの発見から、ディメンショナル・ディゾルバーRの完成までに、あまりに時間がなさすぎました。日食のときにはまだゲートの位相の計算も、ディゾルバーRも不完全で、この作戦はなかば賭けに近いものだったんです。亜空間ゲートを維持していられるのは標準時間で三日、それを過ぎてしまえば、次のゲートを開けるのは最短で三ヶ月かかります。しかも……確実に同時間軸のそちらにつながるかどうかの保障はできません」

 その答えには、用語や単語の意味を半分も理解できなかったが、ルイズと頭の回転の速さではひけをとらないキュルケも、また軽口を叩くことはできなかった。要は、サモン・サーヴァントのゲートを自由な場所に永続的に開き続けるにも等しい、想像を絶する難題だったのだ。しかも、残されたリミットの短さは例外なく彼と彼女たちを打ちのめした。

「三日……」

 才人は自分自身に確認する意味でも、そのタイムリミットを噛み締めるように口にした。それが、彼に残された決断のための猶予、すなわち、地球に帰るか、もしくはこのハルケギニアに残るか、二つに一つ。しかし、まだ十七歳の彼にとって、それはあまりにも困難な二者択一であった。

「……少し、時間をくれませんか?」

 選択の重圧に耐え切れなくなった才人は、ぽつりとそれだけを口にした。聞いていたGUYSクルーたちは、彼の気持ちが痛いほどわかるだけに無言でこの場の指揮官であるリュウに視線を向けると、彼は才人の目線に立って穏やかに、しかし甘えを許さない力強さを含めて言った。

「わかった。今日は俺たちは引き上げる。明日にまた来るが、ようく考えていてくれ。俺たちは君だけに関わっていられるわけじゃあない。ただ、君がどういう判断をしようと俺たちはそれを尊重する。誰でもない、君自身が考えて決めるんだ。君も、もう自分の決断に責任が持てないほど子供じゃないはずだ。いいな」

「……はい」

「声が小さい!」

「はいっ!」

 ウルトラ5つの誓いの一つ ”他人の力を頼りにしないこと” 才人にとってこれは人生最大の壁だろう。それをどう越えるのか、それによって今後の才人の人生は大きく分かれていくであろう。怪獣と戦うときよりはるかに重い、人生の分岐点に今彼は立っていた。

「じゃあ、またな」

 最後にリュウは、もう余計なこと言わずに、隊長らしく堂々と振り返らずにガンローダーに乗り込み、マリナとジョージも続き、セリザワも無言でリュウの決断に従うようにガンローダーに乗り込んだ。そして彼らはガンフェニックスを駆って、空のかなたにある地球へと帰っていった。

 後には、こぶしを握り締めて重く沈んでいる才人と、そんな才人を無言で見詰めているルイズが、しばらくのあいだ彫像と化したようにたたずんでいた。

 

 

 回想を終えて、二人の前にはまた夏の夜空が広がった。空の月と星は微動だにせず、時間はまるで凍り付いてしまっているかのように夜は静まり返っている。永遠に夜が明けなければいいのに、才人はそう願ったが、時間は止まってなどいないことを主張するかのように、二人の後ろから一人の声を響かせた。

「才人くん、ルイズさん」

「あ、ミライさん」

 そこには、明日来るガンフェニックスがこちらの世界に迷わずに来れるように、ナビゲートするために残ったウルトラマンメビウスことヒビノ・ミライ隊員が、二人を心配したように立っていた。

「あまり夜風に当たっていると、風邪をひくよ」

 この世界には不似合いなオレンジ色のGUYSの制服を月明かりに目立たせて、微笑を浮かべながら歩いてくるミライに、才人は申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。心配をかけてしまって」

「僕なんかよりも、その言葉はみんなに言ってあげるといいな。みんな、食事しながらでも君のことばかり話してたよ」

 すでに皆にも、才人が地球へと帰らなければならないことは話していた。ロングビルは大人らしく、さびしくなるわねと一言だけ言ってくれたが、肩に置いてくれた手には力がこもっていた。ティファニアは、せっかくできたお友達がもういなくなってしまうのかと、とても悲しんでくれた。特にシエスタはミライに向かって「サイトさんを連れていかないでください」と懇願したが、ロングビルに「それはサイトくん自身が決めることよ。あなたももう子供じゃないんだから聞き分けなさい」と諭されると、ぐっと涙を拭いてくれた。

「あんなに君のために一生懸命になってくれるなんて、みんな、いい友達だね」

「はい」

 ミライは「まだ決心がつかないのかい」などと、才人を焦らせることを言ったりはせずに、軽く肩を叩いていっしょに星空を見上げた。元々、裏表のない快活な性格の持ち主なのでテファたちともすぐに打ち解けて、今ではキュルケやタバサにせがまれて、向こうの世界のことなどをいろいろと話している。そんな彼の姿は人間とどこも変わりなく、ルイズは本当に彼があのメビウスなのかと、疑問に思った。

「ねえ、あんたもウルトラマンなのよね?」

「ええ、けど僕はあなたたちと違って、ウルトラマンの力で人間の姿を借りているだけですけど」

「とてもそうは見えないわ。どこからどう見ても、人間そのものよ」

 本当に、言われなければとても人間ではないなどとは思えなかった。その姿がというだけでなく、空気というか、そばにいることにまるで違和感を感じない。

 けれども、彼は間違いなくエースの弟であり、地球の平和を守った栄光のウルトラマンの一人なのだ。

 それから、才人とルイズはミライから、いくつかの話を聞かせてもらった。人間、ヒビノ・ミライとしてと、宇宙人、ウルトラマンメビウスとして生きてきた彼の話は二人にとってとても新鮮で、そして彼から伝わってくる穏やかな優しさは緊張していた二人の心に、落ち着きを取り戻させてくれた。

「僕は、エース兄さんたち、伝説のウルトラ兄弟にあこがれて宇宙警備隊に入ったんだ。タロウ教官の特訓は、厳しかったなあ。でも、なんとかテストに合格して、地球に派遣されたときはうれしかったな。それで、地球でリュウさんやみんなと出会って、はじめて戦ったのがディノゾールでした」

「あ、そのディノゾールとの戦い、おれ橋の上から見てました!」

「そうなんだ。でも、あのときは街の被害のことまで頭が回らないで、リュウさんに「なんて下手な戦い方だ」って、怒られちゃいました」

「はぁ……あ、ごめんなさい」

「でも、それも今では懐かしい思い出です。隊長から教わったんだ。どんなことも、時が経てばそれは思い出というものに変わる。それが、何よりも大切な宝物なんだって」

 本当に、ミライには傲慢なところはかけらもなかった。その無邪気な笑顔を見ているだけで、彼がGUYSの中でも信頼されているのが聞かずともすぐにわかり、才人は思い切って、ウルトラマンとして同じ選択をしたであろう彼に、質問をぶつけてみた。

「ミライさんは、光の国に帰らなければならなくなったとき、どんな気持ちでした?」

 するとミライは懐かしそうに空を見上げて思い出を語り始めた。

「……悲しかったな。リュウさんや、みんなと別れ別れになるのはすごくつらかった。けどね、僕は兄さんから教えてもらったんだ。たとえ離れていても、仲間たちと心がつながっている限り、決して一人じゃあないんだって」

「心が、つながっているから……」

 それは、誰あろう今ここにいるウルトラマンAこと、北斗星司から教えられたことであった。しかし、ミライと同じようにするためには、まだ才人がこの世界でつちかってきたことは少なく、また、心が幼いのかもしれない。

「おれは、父さんや母さんが待ってる地球に帰らないといけない。それはわかってます。けど、けど……」

「……」

 ミライは、かつてインペライザーが地球に来襲したときにウルトラの国に帰還を命じられたときの自分を、才人の中に見た。

「そうだね。やらなければいけないこと、最善の選択というものは決まっているのかもしれない。けれど、君は君自身で、後になって後悔しない選択をすべきだと思うよ」

「後悔しない、選択?」

「そう、けれどそれが何かは君が見つけるんだ。それは、ルイズちゃん、君も同じかな」

「え? わたしも」

「そう、彼は君のパートナーなんだろう。だったら、君が彼のためになにをしてあげられるか、彼の決断を待つ以外にもあるんじゃないかな」

「わたしが……」

 ルイズは、才人が故郷へ帰るのならば、それを引き止める権利はないと思っていたが、才人のためになにをしてあげることができるのかということを考えていなかった自分にはっとした。確かに、理不尽にこの世界に連れてきて、拘束し続けてきた自分に何の言う資格があるだろう。けれど、傍観していればいいのかと言われれば、それは違うと思った。

「さあ、難しい話はそろそろ休憩にしよう。才人くんも、スープとか軽いものなら大丈夫だろう。ウルトラ5つの誓い、はらぺこのまま学校に行かぬこと。おなかが空いてちゃあいい考えは浮かんでこないよ」

「あっ、はいっ!」

 すると急に胃袋の辺りから、ひもじいよと悲鳴が聞こえてきて、才人は今更ながらテファやシエスタの料理が恋しくなった。ただ、その前に才人はミライに後一つだけ、どうしても言っておかなければならないことが残っていた。

「ところでミライさん、実は明日行ってみたい。いいえ、皆さんに来てほしいところがあるんですが」

「えっ? けれど、ゲートを開いていられるのはあさってまでだから、自由に行動できるのは明日までだよ。それでもいいのかい?」

「はい、おれはともかく、皆さんには……いえ、そこで皆さんを待っている人がいるんです」

「僕たちに、この世界で?」

 才人は怪訝な顔をするミライに、今はそれ以上聞かないで、行けばすべてわかりますとだけ答え、その才人の表情から真剣さを見て取ったルイズは、ごく近い記憶の中から才人が考えていることを読み取った。

「サイト、もしかして」

「ああ……タルブ村だ」

 時間がないのはわかっているが、CREW GUYSの人たちが来ているのならば、どけて行くわけにはいかないだろう。それに、その中でなにかの答えが見つかるかも、そんな気がした。

「わかった。みんなには僕から伝えておくよ。明日、そのタルブ村へ行けばいいんだね。じゃあ、明日に備えて力をつけておかなくちゃ、食べる子は育つって言うだろ。さっ、入った入った」

「いや、それ寝る子はじゃないの?」

 が、ミライは笑いながら強引に二人の肩をつかんで、温められたシチューの香りのする家の中へと連れて行った。 

 

 帰るか、とどまるか……どちらにせよ失うものは大きく、つらい決断となる。けれど、逃げはしない。それが自分を支えてくれた人たちや、なによりもこれまで積み重ねてきた自分自身に対する最低限のけじめだと、才人は思った。

 タイムリミットはあと二日、魔法学院の夏休みはまだ半分しか過ぎていなかった。

 

 一方そのころ、ヒカリからのウルトラサインを受け取った光の国では、ウルトラの父やゾフィーらが、エースの無事を確認したというその報告に安堵の色を浮かべていた。

「大隊長、報告はお聞きになりましたか?」

「もちろんだとも、息子の無事を聞き逃す親がどこにいる。エースよ、必ず無事でいると信じていたぞ」

「ええ、本当によかったです」

 二人は、エースの無事を我がこと以上に喜んでいた。

 今頃は、ウルトラサインによって宇宙に散った兄弟や、ほかのウルトラ戦士たちにも知らせが届いていることだろう。休まず宇宙を駆け回っていたウルトラマンも、セブンも、ジャックも、レオ兄弟や80、捜索に加われずに歯がゆい思いをしていたタロウも、きっと喜んでいるのに違いない。

 ウルトラの父と、ウルトラ兄弟のあいだには血縁関係はタロウ以外にはなく、兄弟間でもレオとアストラを除いては血はつながっていない。しかし、兄弟たちとウルトラの父と母のあいだには、血のつながりよりも濃い絆があるのだ。

 だが、同時に確認されたヤプールの復活は、この二人をしても慄然とさせるのには充分だった。もし、メビウスの救援が一分でも遅れていたら間違いなくエースは殺されていただろう。

「ヤプールめ、このわずかなあいだにそこまで力を増大させていたとは、やはり恐ろしいやつだ」

 また、宇宙の各地では怪獣の出現の報告が目に見えて増えている。一例を挙げても、先日アストラが惑星フェラントで光熱怪獣キーラを発見し、撃破したのを皮切りに、80が地球への進路をとっていた凶剣怪獣カネドラスを太陽系に入る前に捕捉して撃滅している。ほかにもジャックやセブンもパトロールのさなかに、何者かに監視されているような気配を感じたというし、宇宙の異変はもはや気のせいでは済まされないレベルまで拡大しているようだ。

「それに、勇士司令部や宇宙保安庁の間でも、ここのところ不穏な動きをする宇宙人や、正体不明の宇宙船の目撃報告が増加しています。恐らく、ヤプールの動きに呼応しているものと思われますが」

「嵐の前の静けさというやつか……また、この宇宙に多くの血が流れる」

「ともかく、今はメビウスからの続報を待ちましょう。場合によっては、宇宙警備隊始まって以来の戦いとなるかもしれません」

 宇宙の平和をつかさどる光の国にも忍び寄るヤプールの暗雲、それがどういう未来をもたらすのか、ウルトラマンさえまだ知らない。

 

 

 しかしそのとき、タルブ村の近くの山では、すでに小さな事件が幕をあげていた。

 山の中にうずもれた、小さな木作りのほこら。そこに草木を掻き分けてやってきた二人組の男たち。

「おう、情報どおりだ。イカサマの宝の地図の中からマジものを見つけるには苦労したが、わざわざこんな山奥まで来たかいがあったってもんだ」

「兄貴、この中にその、異国の旅人が残していったってご神像があるんですね?」

「ああ、大昔に暴れていた魔物を倒した旅人が、その霊を永遠に封じ込めるために残したって代物がな。うまくすれば、高く売れるぜ」

「でも兄貴、その魔物っていったい?」

「どうせでかいオーク鬼かなんかの類をおおげさに言ってるだけさ、迷信だよ迷信。さあて、それじゃご開帳といくかい」

 この、二人組のこそ泥によって、ほこらに安置されていた四十サントほどの石作りの小さくて風変わりな像が盗み出された日の夜、タルブ村近辺の山林のみを、震度十二以上の超巨大地震が襲い、地すべり山津波が一帯を破壊しつくした。

 そして、盗み出された石像にはハルケギニアのものではない文字で、こう書かれていた。

『魔封・錦田小十郎景竜』

 

 

 続く



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第92話  受け継がれていた魂

 第92話

 受け継がれていた魂

 

 えんま怪獣 エンマーゴ 登場!

 

 

 長い一日の夜が明けて、またハルケギニアに朝がやってきた。

「ガンフェニックス、バーナーオン!」

 ウェストウッド村の朝日を浴びて、ガンフェニックストライカーが空に舞い上がる。そのコックピットには、昨日とは違ってガンウィンガーにリュウとセリザワ、ガンローダーにはジョージと、マリナと入れ替わりにハルケギニアの調査分析のためにやってきたテッペイ、そしてガンブースターにはミライと、後部座席に二人乗りでルイズと才人が乗っていた。目的地は、トリステインのタルブ村、そこにGUYSの人たちを待っている人がいるという才人の言葉に従って、彼らはまだその全容を知らない未知の星に、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

 

「いってらっしゃい、気をつけてね!」

 村からは、テファにロングビル、それに子供たちが手を振りながらこの巨大な銀翼の不死鳥の飛び立ちを見送ってくれている。本当はロングビルにも来てもらいたかったのだが、彼女たちのせっかくの家族水入らずを邪魔するのも野暮と思って、今回は居残ってもらった。

 そして、ガンフェニックスの後尾から伸びた、全長百メイルにも及ぶ長大な固定化をかけた綱の先には、キュルケ、タバサ、シエスタを乗せたシルフィードが、ぎゅっと先っぽを掴んで飛んでいた。

「発進するぞ、準備はいいか?」

「準備オーケー、いつでもいいわよ」

 渡された簡易無線機を通して、リュウとキュルケは合図をかわした。ここからタルブ村まではシルフィードをぶっとおしで飛ばしたとしても一日以上はかかる。それでは日帰りが間に合わないので、こうしてガンフェニックスに牽引してもらうことになったのだ。ただし、近すぎたらガンフェニックスのジェット噴射に焼かれてしまうし、音速を軽く突破するガンフェニックスのスピードに生身の人間やシルフィードは耐えられないので、こうして長い綱を使って、さらにタバサの風魔法で空気の壁を作って風防代わりにしている。

「はじめはゆっくり行くけど、それでも速いようだったら速度を落とすから言ってくれ」

「大丈夫よ。わたしたちだって、空を飛ぶことには慣れてますから。遠慮なくフルスピードでいっちゃってくださいな」

「そうか? なら少し飛ばすが、あとで泣いてもしらねえぞ」

「どうぞどうぞ、タバサの『エア・シールド』は強力ですから、どうぞ存分においでなさってくださいな」

「……そうか、だったら遠慮はいらねえな」

 ジェットコースターに初めて乗る子供のように、ガンフェニックスのパワーをなめきったキュルケのセリフにカチンときたリュウが、やや据わった言葉で了解を返したとき、才人はルイズをひざの上に乗せて座りながら、「おれ知ーらねえ」と、細目でつぶやいていた。また、キュルケの後ろに座っているシエスタと、特にタバサは嫌な予感がひしひしとしていたが、矢でも鉄砲でも持って来いとばかりに胸を張るキュルケの前に結局言い出せず、そして……

「テファおねえちゃん、あのひこおき、びゅーんってすごかったね」

「ええ、流れ星みたいだったね」

 ほんの数秒で視界から消えていったガンフェニックスの残していった飛行機雲を、ティファニアと子供たちが指差しながら、いつまでも見つめていた。

 

 

 それからおよそ一時間後、ガンフェニックスはタルブ村近郊の草原にその翼を休めていた。

「だからもう、言わないこっちゃないんだから」

 夏の晴れ渡った日差しが差し込んで、蝉の声が四方八方から聞こえる中で、整備点検をするジョージと、この星の調査分析のデータをまとめるテッペイから少し離れた翼の下で日差しを避けて涼みながら、才人は呆れたようにつぶやいていた。

「自業自得よ。すぐ調子に乗るんだから、たまにはいい薬よ」

 ルイズも、目の前のめったに見られるものではない光景に、いい気味だといわんばかりに、口元をゆがめていた。それはというと。

「うぇぇぇ……」

 そう、飛行機酔い。超音速で飛ぶガンフェニックスの速度は、正しく彼女たちの安い想像を超えていた。まず、発進から二秒でシルフィードの最高速を突破して、四秒でゼロ戦の最高速を、十秒も経つころにはウェストウッド村の影も見えなくなり、二十秒後にはタバサがエア・シールドを維持できなくなるから止めてくれと悲鳴をあげて、ようやくと速度をその半分に落とされた。しかしそれからタルブ村へ着くまでの二十九分間、シルフィードは力いっぱい引っ張りまわされる凧のようにあおられ続けて、その結果。

「はぁ、はぁ……そ、空が茶色く見える」

 彼女の人生で、これほど自分の言動を後悔したことはなかったに違いない。普通メイジは『フライ』の魔法によって空を飛ぶことには慣れているし、キュルケの場合はシルフィードに何回も乗せてもらって、高速で飛ぶことにも慣れていたはずだったのだが、あえて言うならポニーにしか乗ったことのない子供がいきなりサラブレッドに乗って競馬に出たようなものである。ガンフェニックスを甘く見てリュウを挑発したキュルケは、しっかりとその代償を体で支払わされたのだった。

 それと、そんなキュルケの不注意な言動の犠牲者がもう一人。

「うぇぇぇ……なの、ね」

 いや、もう一頭。

「飛行機酔いするドラゴンなんて、はじめて見たぜ」

「ああ、多分もう一生見ることもないと思うよ」

 ジョージとテッペイが作業の手を止めてまで見るような、地球では決してお目にかかれない珍しい光景が、そこにあった。そう、自身の最高速度を軽く超えて引きずり回されたシルフィードもまた、ものの見事に目を回して、その後、着陸から三十分も経ったというのに、キュルケとシルフィードは仲良く草原の片隅でうずくまっていまだにもだえていた。

「うぁぁ……ぎもぢわるい」

「あ、あんたのせいなの、よね」

 美少女とドラゴンが並んでリバースしている姿はシュールとしか言いようがないが、とりあえずもう数十分も風に当たっていれば治るだろう。幸い、シルフィードの声もGUYSの面々には聞こえていないようであることだし、超聴力を持っているマリナは今回来ていないし、ミライはここにはいない。

「ははは、ほんと、面白い連中だよな……」

 だが、そうしてキュルケたちを見る才人の笑いに、苦いものが混じっているのを、ルイズは肌で感じていた。才人にとって、目の前の光景はもうすぐ日常のものではなくなりつつある。

 ルイズはなんとなく、魔法学院に入学して、家から出て行った日のことを思い出した。あのときも、窮屈だったとはいえ慣れ親しんだ屋敷と家族に別れを告げて一人で出て行くのは、口には出さなかったがひどく不安だった。しかも、才人は一度帰ったら、もう二度とこちらに戻ってくることはできないかもしれないのだ。

 だからこそ、彼は残り少ない時間を使ってこの場所にGUYSの面々を連れてきたのだろう。自分と同じ運命を背負って、自分と同じ選択肢を与えられなかった人のために。

 ここにいるのは、才人とルイズ、ジョージとテッペイ。それからキュルケとシルフィードをのぞけば、飛行機酔いなどにはびくともせずに、ガンウィンガーの座席に座らせてもらって何事もなかったかのように本を読んでいるタバサのみで、そのほかの面々はいない。いや、いる場所はわかっているが、そこに立ち入る資格はこの場にいる人間にはないのだ。

 

 

 ウェストウッド村を出発してから三十分後、タルブ村郊外の草原に着陸したガンフェニックスを待っていたのは、当然歓迎などではなかった。村人たちは、突然やってきた巨大な戦闘機に恐れおののき、くわやすきを持って集まってきて、場は一時騒然となりかけた。

 だがその中で唯一恐れる様子もなく近づいてきたのは、シエスタの母であるレリアだった。

「シエスタ、お帰りなさい」

「た、ただいま、お母さん」

 着陸した瞬間に伸びてしまったシルフィードの背中から、やっぱり酔っ払いのようになって降りてきたシエスタを、レリアはなんでもないことのように、抱きとめるようにして受け止めた。

「お、おいレリアさん! あれ? よく見たらシエスタちゃんじゃねえか」

 唐突によく見知ったシエスタが現れたことで村人たちのあいだにざわめきが走ったが、レリアは目を回している娘の肩を支えて立たせると、村人たちにもよく聞こえるように穏やかに言った。

「あらあら、あなたときたら、貴族のお嬢ちゃんたちの次は、また珍しいお客を連れてきたわね。おもてなしのお料理を作るのが大変じゃないの」

 その警戒心などひとかけらもこもっていない優しい言葉に、村人たちの敵意も急速にやわらいでいき、今がチャンスと才人は叫んだ。

「おばさん、お久しぶりです! 連絡もなしで突然押しかけてすいません!」

「あら、サイトくん。娘がお世話になってるわね。元気そうでなによりだわ」

 シエスタの母は以前と同じように、娘より少ししわが入っているが、そっくりな優しさを浮かべた顔で二人を迎えてくれた。

「どうも、すいませんがまたお世話になりたいんですが、よろしいですか?」

「ええ、シエスタのお友達ならいつでも大歓迎よ。何人でも、どんときなさい!」

 その豪快に胸を叩いて陽気に笑う姿に、GUYSの面々はサーペント星人に体を乗っ取られたが、家族への愛の強さで逆に星人の体を乗っ取り返してしまった前代未聞のGUYSの食堂のおばちゃんを思い出した。

「シエスタのお母さん、相変わらずだな」

「うちのお母様では、考えられないことだけどね」

 コクピットから降りた才人とルイズは、無礼な来訪などお構いなしといった様子でよそ者である自分たちを迎え入れてくれたレリアに笑い返し、シルフィードからもヘロヘロになったキュルケがタバサに支えられて降りてきた。

「……大丈夫?」

「は、話しかけないで……うぇっぷ」

 死神に取り付かれたとは、こういうことを言うのであろう。青ざめきったキュルケの顔色に、さすがにリュウも悪いことをしたなと思ったが、GUYSを馬鹿にする奴は絶対に許せねえというのが彼の性分なのだから仕方ない。

 また、村人たちも落ち着いてくると、彼らが前にコボルドの襲撃から村を守ってくれた一団だと思い出してくれたようで、手に持っていた武器代わりの農具をようやく下ろしてくれた。

「どうもすみません、お騒がせしちゃいまして」

 他人に頭を下げるという習慣の無いルイズに代わって才人が村人たちに頭を下げて、ゾンビと紙一重のキュルケを支えながらタバサも可愛らしくぺこりとお辞儀をすると、村人たちにも安堵の色が流れた。

「なあんだ、人騒がせなあ」

「ってことは、これも貴族の新型のマジックアイテムかい。いやあ、最近は都会じゃすげえの作ってるんだなあ」

「それにしても、シエスタちゃんも帰ってくるたびに貴族のお知り合いを増やしてくるなあ。やっぱ、魔法学院に行った子は違うなあ。うちのバカ息子に、村一番の出世頭を見習わせたいくらいだぜ」

 納得して、村人たちは気が抜けたように仕事に戻っていき、ガンフェニックスを珍しそうに見上げていた村人たちも、危険はないと説明すると、皆意外にもすんなり納得して帰っていってくれた。

「やれやれ、ほっとしたぜ」

 まさか何も知らない村人に銃を向けるわけにはいかないので、コクピットから顔をのぞかせるだけだったリュウたちも、続々とガンフェニックスから降りてきた。

「うーん、空気がうまい!」

 東京のスモッグ交じりの空気に慣れた地球の人間にとって、タルブ村のまじりっけのない空気は新鮮そのものであった。思いっきり深呼吸して、肺の奥底にまで吸いこんだ空気は、みずみずしく彼らの体内を癒していく。

 だが、そうして降りてきたGUYSの面々の着ている制服のデザインを間近で見て、レリアは古い思い出の中にある祖父の勇姿と、ひとつの約束をはっきりと思い出していた。

「あの、なにか?」

 リュウたちが着ているGUYSの制服をじっと見つめていたレリアは、あまりにじろじろと見つめられているので不思議に思ったミライから尋ねられた。そして覚悟を決めるかのように軽く息を吸い込み、そして才人たちはすでに知る、この世界と地球の二つの血から生まれた言葉で言った。

「あなた方が来るのを、ずっとお待ちしていました。クルー・ガイズ・ジャパンの皆さん。ようこそタルブ村へ」

「えっ!?」

 リュウたちの顔から余裕が消えた。自分たちは、この村へ来るのは初めてのはずだ。それなのになぜ、自分たちがGUYSであると知っているのだ。

「驚かれているようですね。ですがあなた方のことは祖父からよく聞かされてきました」

「祖父……おれたちや、才人くん以前にも地球人がここに来ていたのか!?」

「ええ、残念ながらすでに亡くなってしまいましたが。とにかく、歓迎いたしますわ。シエスタ、皆さんをご案内して」

「は、はーい。じゃ、じゃあ皆さん、こちらでふう」

「こら、いいかげんしゃきっとしなさい。皆さんに失礼でしょう」

 まだ飛行機酔いの覚めやらぬシエスタに、母の厳しくも優しい叱咤が飛んだ。軽く両手でほおを叩いた手が、小さな乾いた音を立てて、夢と現実のはざまの世界から娘を連れ戻した。

「はっ! あわわわ……し、失礼いたしました。じゃ、じゃあ皆さんこちらです!」

 やっとこさ自分を取り戻したシエスタは、背筋をぴしっと伸ばし、皆の前に立って案内しはじめた。が、やっぱり数歩あるいたら千鳥足になってしまって失笑を買い、母に叱られてしまった。

 けれども、狭くも無い道を踏み外しそうになりながら必死で歩くシエスタの、本人に言っては悪いが愉快な姿は殺気だっていたリュウたちの心を落ち着かせてくれた。ただ、そんな母娘の姿は、今の才人には残酷なほどにまぶしく映って見え、ルイズが隣にいるというのに目頭を熱くさせた。

「サイト、どうかしたの?」

「いや……なんとなくお袋を思い出しちまってな」

「お母さんのこと?」

「ああ、なんでかな。前に来たときは、こんなに感じなかったんだが、変だな」

 しかし、それがどうしてなのかは、ルイズにだって痛いくらいにわかった。

 やっぱり、サイトは自分の家に帰りたいんだ……

 深く考える必要も、誰に答え合わせをしてもらう必要もないくらいに明確すぎる答えが、ルイズの心に深く突き刺さった。

 

 それから、レリアとシエスタたち親子は才人たちも半月前に見た村はずれの寺院へと、GUYSの人たちを連れて行った。そしてそこで……

「こい……つは!」

 あのときと同じ姿で、静かに銀色の翼を休ませてGUYSガンクルセイダーはそこで彼らを待っていた。

「これは、旧GUYSの!?」

「ああ、ディノゾール戦で全滅した……」

 ミライやジョージも、想像もしていなかった地球の産物に、以前の才人と同じく驚きを隠せずにいた。かつて、ディノゾール戦からこの世界に流れ着き、吸血怪獣ギマイラ戦で一度だけ蘇った翼は、その両翼に描かれたGUYSのシンボルを薄れさせながらも、主人の意思を受け継ぐように確かにそこにあり続け、その傍らに立つ日本語で刻まれた石碑の文字は、六十年の時を超えて、戦友たちを再会させてくれた。

「佐々木……」

「佐々木、先輩……」

 佐々木隊員と同じ、旧GUYSの生き残りであるセリザワとリュウは、死んだと思っていた戦友の名前をそこに見て、こみ上げてくる懐かしさと、表現のしようもない感覚に襲われて、まなじりを熱くした。

 そして、彼がこの世界に残したもう一つのものも……

「あんたが、佐々木先輩の……」

 レリアが差し出した、佐々木隊員の使っていた古びたGUYSメモリーディスプレイ。そこには、怪獣調査用の写真撮影機能で写された、やや老けてこの世界の服を着た佐々木隊員が、今のシエスタによく似た若い女性と並んで、生まれたばかりの赤ん坊を抱いている写真が映し出されていた。

「確かに、君たちには佐々木の面影がある」

 普段寡黙なセリザワも、ぐっと何かをこらえているように親子の顔を見比べて、そして懐から古びた写真を取り出してレリアに手渡した。それは、ディノゾール戦前のセリザワが隊長を務めていたころの旧GUYSクルーの集合写真。中央にセリザワ、その隣にリュウ、周りにはあの日の戦いで戦死した旧GUYSクルーたち、その中に、在りし日の佐々木隊員が誇らしげに立っていた。

「! 間違いありません。おじいさんです……」

「佐々木は、優秀なGUYSの隊員だった。もう怪獣など出ないと言われている時代でも、暇さえあれば訓練に励み、ほこりの積もった過去の資料に目を通しているようなな。おれは体力じゃあリュウのやつには敵わないけど、だったらほかの全部であいつより上になってやる、後輩に負けるわけにはいかんですからねとよく言っていた。あいつが生きていればと、何度思ったが知れんが……そうか、佐々木は最後まで立派なGUYS隊員だったのだな」

「はい、おじいさんは、生きているあいだずっとこの村や私たち家族を守ってくれました。だから、私たちはおじいさんを、おじいさんの残してくれた誰かのために生きるという強い意志を、この黒い髪を誇りに思っています」

 そのときのリュウとセリザワの顔を、ジョージや才人たちは直視することはできなかった。いや、見てはいけないと思ったのだろう。ただ、佐々木隊員の孫娘と、ひ孫の声だけが静かに響いた。

「私はおじいさんが他界するまで、ずっとそばで育ててもらいました。おじいさんは、ときどき妙なことを言って皆を不思議がらせる変わり者と思われていましたが、とても優しい人でした。今でもよく覚えてるのは、「おなかいっぱいパンを食べて、はだしで思いっきり外で遊んで来い。ただし道で遊ぶときは馬に気をつけろ。たとえいじめられても誰かに泣きつかずに、一度自分の力で思いっきりぶつかれ。あとそれから、晴れた日には必ず布団を干すこと、これらを守っていたら、ウルトラマンみたいに強くなれるんだぞ」と、口癖のように言い聞かされました。それで私が「ウルトラマンって何?」と聞くと、「世界で一番強くてかっこいいヒーローさ」と、笑いながら言っていました」

「それに、わたしもおじいちゃんやお父さんから聞かされました。ひいおじいちゃんはとても働き者で正義感が強くて、悪漢が襲ってきたら先頭に立って戦って、飢饉が起きれば危険な狩りに出かけていって、そして雨が降らずに、村の皆が高額の報酬を要求する水のメイジに財産を差し出そうとすると、他人の力を頼りにするなと一喝して、とうとう井戸を掘り当てたりしたそうです。わたしたちは、そうして村をかげから支えてきたひいおじいちゃんのようになれと、小さいころから教えられてきました」

 それを聞いてミライは、「それってウルトラ5つの誓いのことじゃ!?」と叫ぶと、レリアは黙ってうなづき、そしてガンクルセイダーを見上げた。

「祖父は死ぬ前に、もしもこの翼に描かれたマークと同じシンボルを持つ者がこの地を訪れたら、これを返してあげるようにと言い残していました。俺はこの世界に骨をうずめるが、せめてこいつは鉄くずでもいいから、地球の土に返してやってほしいと」

 それは、自らと血肉を分けて戦った愛機に対する愛情だったのか、それともハルケギニアの人間になってもなお、地球への思いを捨てきれなかった佐々木隊員の望郷の念だったのかは、もはや死者の胸のうちにしかなかった。

「ですから、これはあなた方にお返しします。おじいさんの形見として、ずっと私たちを見守ってくれましたが、私たちではこれを役立てることはできません。あるべきところに返してあげたいのです」

 親子四代にも渡って受け継がれてきた願いに、現GUYSの隊長であるリュウはブーツのかかとを合わせると、表情を引き締めた。

「これまで、我がCREW GUYSの魂をお守りいただき、どうもありがとうございました。佐々木隊員の志は、私が責任を持ってお引き受けいたします!」

 するとレリアはほっとした表情を浮かべて、お願いしますと深々と会釈した。そしてそれから寂しげにガンクルセイダーを見上げて言った。

「サイトくんがやってきたときから、なんとなく、近いうちにこんなことが起きるんじゃないかと予感していて、飛んでくるあなたがたの飛行機を見たときに確信しました。祖父の遺言を果たす日が来たんだと」

 しばらく無言で、戦友の忘れ形見の顔を見つめていたリュウは、ジョージやテッペイに背を向けたままで、ぽつりと言った。

「わりい、しばらく俺とセリザワ隊長と、この人たちだけにしてくれねえか?」

「……ガンフェニックスで待ってるぜ」

 肩を小さく震わせながら言うリュウの頼みに、ジョージはテッペイと才人の肩を軽く叩いて、寺院の外へと出て行った。

「シエスタ、あなたも先に帰っておもてなしの用意をしていなさい。作るものは、あなたにまかせるわ……あ、いけない、ちょうど家の材料を切らしてたわ」

「じゃあ、倉庫に寄っていきます。サイトさんも……もう一度、タルブの味を味わってから……いえ、なんでもないです」

「あ、力仕事なら僕も手伝います!」

 シエスタは、なにかを思いつめたように外に飛び出していき、それをミライが追いかけていった。そうして最後に才人たちも扉を閉めて出ていって三人だけになると、レリアは自分の祖父にして元GUYS隊員、佐々木武雄がこの世界のこの村で送った人生を、一つ一つ語り始めた。

 

 

 そして、草原に着陸したままのガンフェニックスに戻った一行は、それぞれがこの世界で一生を終えた一人の地球人のことに対して思いを寄せた。中でも才人は寺院での話に何か感じることがあったのか、ガンフェニックスの着陸脚に背を預けて考え込んでしまっている。

 ただ、村人の中にも商魂たくましい人がけっこういるもので、安全だとわかったら、相手は貴族であるからこの村の特産品であるぶどうや、それで作ったジュースやワインなどの加工品などを、荷車に載せて何人かが売りにやってきた。特に、まだ草原のすみで伸びている一人と一匹に酔い覚ましが売れたそうだが、GUYSの面々がハルケギニアの通貨などを持っているはずはないのでルイズの財布が少し軽くなることになった。

「毎度ありっと、お客さんいい買い物をしたねえ。今年のタルブの作物は国中のどこに出しても一番をとりますぜ」

「だったら、ちょっとくらいまけてくれてもよかったじゃないのよ」

「ちっちっ、いくらシエスタちゃんのお友達でも、それはそれこれはこれってやつでさ。けどまあ、こうして商売ができるのも平和が戻ったおかげでさあ。前にトリスタニアが怪獣にやられて焼けちまったときなんか、まったく買い手がつかなくなったし、国に送る復興資金を集めるとかで税金が高くなるってお触れが出たときは、もう首を吊ろうかって思いましたよ」 

「……大変だったのね」

「いやいや、でも最近はだいぶ落ち着いてきましたので大丈夫ですよ。税金のほうも本国のほうから、勝手に税率の変更を禁ずるという勅令が出まして、取り立てられる寸前で助かりました。まったく、ウルトラマン様々、トリステイン万歳ってとこです」

 ルイズは愉快そうに笑う村人の顔を見て、自分たちの戦いが無駄ではなかったと胸を熱くした。だがだからこそ、エースはまだこの世界を去るわけにはいかないのだ。

 村人からはほかにも、今年のぶどうの出来は最高だったとか、昨日の晩に大地震が起こって南の山でひどい地滑りがおきたとか、どうでもいい情報もあったが、驚いたことに早くもアルビオンの最終決戦に関する情報が手に入った。それには、二大超獣や二人のウルトラマンやガンフェニックスのことなども当然入っていて、噂千里を走るということをこちらの世界でも実感させた。

 だが、ガンフェニックスのことが知れ渡って捜索の手が伸びてくるのではという心配は、ほかの情報で杞憂となった。いわく、「戦いのさなかに日食が起こり、神の怒りが敵軍を壊滅させた」「伝説のフェニックスが降臨し、恐れおののいた敵軍がいっせいに降伏した」「ウェールズとアンリエッタが婚約して、まもなく両国のあいだで盛大なセレモニーが開かれるだろう」などと、伝わってくる最中に尾ひれがついたのだと思われるものも多数含まれていて、一同を苦笑させた。だが、これだけ情報が混乱していれば、その場にいた人間でもなければガンフェニックスを見てもなんだかはわからないだろうから、少なくともこの数日は確実に安全といえる。

 ジョージとテッペイは、ルイズと村人たちのそんな会話を、自分たちの仕事をしながら立ち聞きしていた。

「それにしても、こうして見ると本当に地球のどこにでもある農村だよなあ」

「はい、それに農作物もほとんど地球のものと同一種です。まさか異星でぶどうをお目にかかれるとは思いませんでしたよ」

「まあな、しかしこれはうまい。いいワインが作れるだろうな」

 植物などの採取分析をしていたテッペイと、ヨーロッパ生活の長いジョージがタルブ村の風景を眺めてつぶやいていた。本当に、言われなければ異星の風景だとはとても信じられない。

「なんか、佐々木隊員や、彼の気持ちもわかる気がするな」

「そうですね。それに、ウルトラマンレオもこんな気持ちだったんでしょうか」

 二人は、もの憂いに考え込んでいる才人の姿に、以前ミライから聞いた話を思い出した。ウルトラマンレオの故郷、L77星は凶悪なマグマ星人と双子怪獣の猛威によって全滅させられ、地球を第二の故郷に決めて、その平和を命を懸けて守り抜いてきた。地球へ帰る術を失った佐々木隊員や、才人もこの世界で生きているうちにそんな気持ちになっていったのかもしれない。

「あれから、どのくらい経った?」

「まだ、十分足らずですよ」

 何の心の準備もできないままに、重い運命を背負わされてしまった少年の背中は、歴戦の勇者である二人から見ても、不思議なほどに小さく見えた。

 と、そのときテッペイのメモリーディスプレイに着信の合図が鳴り、開いたウィンドウにコノミの姿が映し出された。

「テッペイくん、どうそっちは?」

「いえ、まだです。もう少し、時間をあげてください」

「そう、つらいでしょうね。リュウさんとセリザワさん……」

 この、かつて全滅した旧GUYSの生き残りがはるかな異世界に漂着して、そこで生涯を終えていたということはすでにフェニックスネストの残留組や、サコミズ総監方にも伝えられており、それは数々の怪事件を解決してきた彼らにも、過去になかったほどの衝撃を与えていた。

「才人くんのほかにも、ほかの世界に飛ばされていた人がいたなんて、驚きよね」

「でも、この世界に来ても佐々木隊員は、人々のために戦い続けてきたんですね。さすが、僕たちの先輩です。一度、お会いしてみたかったです」

 ディノゾール戦で、殉職扱いになっている佐々木隊員のことを、今のGUYS隊員のほとんどは知らない。けれども、旧GUYSからの勤務を続けており彼と面識があったトリヤマ補佐官やマル秘書は、その報告を聞いた後で席を外していった。そのときのいつもの三枚目じみた姿からは想像できない沈痛な表情は、しばらく忘れられそうもなかった。

「ところで、なにか用事があったんじゃないのかい?」

「あっ、そうでした! そちらから送られた観測データの分析がすみましたから、転送します」

「うん、わかった」

 テッペイは、メモリーディスプレイに映し出されてきた、生物の遺伝情報や地質のデータをざっと見渡したが、やはりどれもこのハルケギニアと呼ばれている星が異常なほど地球に似た環境の惑星であるという証明にほかならなかった。

「生物は独自の進化を遂げているけど、惑星の環境の九十九パーセントは地球とほぼ同質といってもいいのか……これは、惑星の環境が同じなら、生物の進化も同じような経路をたどるということなのかな」

 もしそうだとすれば、生物の進化のしくみを知る上でまたとない発見となる。もしこの場に地球の科学者がいれば、よだれを垂らしてうらやましがったのが目に見えるほど、これは宇宙生物学だけでなく、人類が今後宇宙に生存圏を広げていく上で貴重な資料となるだろう。

「もしかしたら、これは地球人類史に残る大発見かもしれないぞ……いやいや、今はそれどころじゃなかった」

 科学者としての功名心にかられそうになったテッペイは、慌てて今おかれた状況を自分に認識させた。かなり昔の話だが、東京都心に古代植物ジュランが根を張ったときも、生物学的に貴重な資料だから攻撃を待ってくれという学者がいたのだが、ジュランの危険性に気づいた彼は即座に炭酸ガス固定剤による攻撃に切り替えて、その結果被害を最小限度に抑えることができている。好奇心は、人間にとって大事なものだが、それも時と場合を考えなければならない。

「どうもありがとう。また、追加のデータがたまったら送信するよ」

「はい、あ、それからテッペイさん、そのあたりの地殻から、断層や火山帯のものとは違った異常振動が観測されています」

「異常振動……まさか、地底怪獣かい?」

「まだわかりません。杞憂ならいいんですが、念のため、気をつけてください」

 通信を切って、テッペイは周囲の風景を見渡した。夏の日差しに照らされて、平和な村と、青々と葉を茂らせた木に覆われた山が平和な風景を続けている。このどこかの地底に、怪獣がいるかもしれない。なにか異常なことが起きれば、すぐに怪獣を疑うのは職業病かもしれないけれど、万一に備えてガンローダーのコックピットで、地底探知レーダーの準備を彼は進めていった。

 

 それからまたいくらかの時間が緩慢に流れ、足元に射す影の長さが著しく縮んだ時刻になって、リュウとセリザワが戻ってきた。

「変わりはねえか?」

「なにも」

 村はずれの寺院に安置してあったガンクルセイダーと、佐々木隊員の墓を目の前にした、旧GUYSの生き残りであるリュウとセリザワがなんと言ったのか、途中で引き返してきた才人も、ジョージやテッペイももちろん知らない。また、聞くのも野暮というものだ。

 すると、こちらもタイミングよくお昼ごはんの用意ができましたよとシエスタが呼びにやってきた。そうなると、一応弁当は用意してきたけれども、ファントン星人を地球食でもてなしたり、サイコキノ星人とバーベキューをしたりしたGUYSの面々のことであるし、この星の食材が地球人には問題がないとわかっているので喜んで受けることにした。しかし……

「あの、ところでミライさんは?」

「いや、君といっしょじゃなかったのか」

「あれ、おかしいですね。先に皆さんを呼んでくるって……もしかして」

 リュウたちの脳裏に浮かんだのは一様に『迷子』の一言であった。まさかとは思うのだが、”天然”と”お人よし”という言葉が服を着て歩いているような人なので、たとえば道端でおばあさんが困っていたりとかいう展開に遭遇したとしたら、躊躇無く助けに行ってしまうだろう。リュウはメモリーディスプレイで呼びつけようかと思ったが、まだ深刻に考え込んでいる才人を見ると、指を鳴らして。

「仕方ねえな……おい才人くん、悪いけど探しに行ってくれねえか?」

「あ、はいっ! じゃあちょっと行ってきます」

「あ、サイト……わたしも行くわ」

 考えが堂々巡りに陥っていた才人は二つ返事で飛び出していって、ルイズも後を追うように走って村のほうに駆けていった。

「あの子たちに気を配るなんて、ちっとは隊長らしくなったじゃねえか」

「ああ、なんのことだ?」

「とぼけるなよ。これが気分転換になればいいと思ったんだろ。うじうじ考えるより、体を動かしたほうがいいからな。ま、お前らしいやり方だ。これでもほめてるんだぜ」

「ふん」

 リュウは照れくさそうにそっぽを向くと、フェニックスネストへの追加報告のためにメモリーディスプレイの通信をつないだ。

 

 そして、半月ぶりにタルブ村を歩き回った才人とルイズは、前のときに知り合った村人たちとあいさつをかわしながら、ミライを探し回っていたが、これが意外にも難航していた。

 思ったとおり、ミライはあちらこちらで人助けをしていたようだ。道端で出会った子供のひざ小僧にカットバンが貼ってあったり、荷物を運んでくれたというおばあさんに会ったり、荷車を引いてくれたというおじさんとか、数え始めたら手の指だけでは足りないくらいだ。

「水戸黄門か、あの人は」

 才人もルイズによくお人よしがすぎると言われるが、ミライはそれ以上だった。

「まさか、村中で人助けしてるんじゃないでしょうね」

 ありえない、と言えないところが怖かった。とにかくあっちに言ったという村人からの情報で、北へ西へと駆け回っているのだがなかなか見つからない。

「タ、タルブ村って、こんなに広かったかしら?」

「まるでロープレの無限回廊だぜ。いいかげん疲れてきた……」

 ぜいぜいと息を切らしながら、二人は牧場の柵に腰を下ろして休んでいた。そんなに広くない村のはずなのに、行くところ行くところで行き違いになっている。おかげで鬱は吹き飛んだが、もうへとへとだ。

 だが、もうあきらめて、向こうで待とうかなと思ったときだった。

 

”そこの二人、ちょいと手を貸せい”

 

「なによサイト、変な声出さないでよね」

「え? いや、おれじゃねえぞ」

 突然耳元に響いた野太い声に、二人は思わず回りを見渡したが、あたりにはいるのは牛くらいで、村人の姿はなかった。しかし、「空耳かな?」と思ったとき。

”空耳ではない”

「! だ、誰だ!」

「何者! 出てきなさい!」

 さすがに二回目ともなると、二人とも幻聴の線を廃してデルフリンガーと杖を握って周りを警戒した。しかし、やはりいくら見渡しても誰もいない。ただし、「透明宇宙人か?」と才人が言うと、”無礼者、拙者を愚弄するか!”と反応が返ってきたので、姿は見えないがけっこうノリのいい相手のようだ。

「拙者とか愚弄するなとか、まるで侍みたいなこと言いやがるな。出て来い!」

「そうよ、顔も見せずにものを言うなんて、あんたのほうが無礼じゃない」

”ほう、なかなか物分りのよい小僧に小娘じゃ。じゃが悪いが、こうも明るくては肉体を持たぬわしはお前たちに姿を見せられぬのじゃ。お主らは、どうやら異能の力を持つらしいので、こうしてわしの声も聞こえるであろうが、普通の人間では声すらも届かん。先の無礼は切に謝るので、今は何も言わずにわしの頼みを聞いてほしい”

「頼み?」

”うむ、この道をもうすぐ二人組の盗人が追われて逃げてくる。そやつらを捕らえて、盗まれたものをあるべき場所に返してほしい”

「盗人だって?」

「あっ、サイトあれ見て!」

 すると道の向こうから、今言われたとおりに、二人組の男がなにやら包みを抱えて走ってくる。そしてその後ろから追ってくるのは。

「ミライさん!」

「あっ、サイトくん、ルイズちゃん、その二人を捕まえて! 泥棒だ」

「なんですって!」

 謎の声の言うとおりに、本当に盗人がやってきた。よく見ると、一人の背中にはなにやら白い包みにくるまれた大きなものが担がれている。あれが盗まれたものか。二人は謎の声の言うことに従うべきかと躊躇したが、ここは一本道、ミライに追われて盗人は一直線にやってくる。おまけにその手にはナイフが握られ、どけどけどかねえとぶっ殺すぞと、ぶっそうなことを言っている。このままではルイズが危ないかもと思った才人は決断してデルフリンガーを正眼に構えた。

「おお! やっと出番か! このまま一言もしゃべれねええまま相棒が帰っちまうかと思ったぜ」

 ワルド戦が途中でお流れになって、もう使われる機会がないものと思っていたデルフがうれしそうにつばを鳴らして、喜びを表現した。なのだが、彼は自分で自分の出番を削ってしまった。なぜなら、彼の台詞の後半の部分にルイズが眉を動かして、それで。

「いらないこと思い出させんじゃないわよ、この駄剣がああっ!」

 ナパーム手りゅう弾も真っ青の爆発が、おしゃべりな剣とその主人、ついでに二人組の盗人もまとめてぶっ飛ばした。

「さ、才人くん、大丈夫かい!?」

「は、はひーっ」

 半分ぼろ雑巾のようになった才人を、幸い爆発の影響圏からぎりぎり逃れられていたミライが慌てて助け起こした。

「ルイズちゃん、ひどいじゃないか!」

「うっさいわね! 手間がはぶけたでしょうが、こいつが明日どうしようと、それまではわたしの使い魔なんだから、わたしがどうしようと勝手でしょ!」

 ルイズとミライのあいだに、険悪な空気が流れかけた。しかしミライは冷たく才人を見下ろしているはずのルイズの目が、微細に潤んでいることを見て、彼女が口と心を合反させていることに気がついた。

「ルイズちゃん、君は……」

「……」

”あーっ、取り込み中のところすまぬが、先にそやつらから盗まれたものを取り返してくれぬかのう”

「あっ、はい!」

 そこでようやく三人は、自分たちが何をしていたのかを思い出して、才人を揺り起こすと、爆発に呑まれてしまった盗人二人組に駆け寄った。なんでも、ミライもこの不思議な声に頼まれて、この二人を追ってきたのだそうだ。むろん彼も最初は驚いたが、邪悪な気配は感じなかったというので、ほかの村人たちと同じように頼みを聞いたのだという。

 二人組は完璧に気絶していて、担いでいた包みは地面に転げ落ちている。だが、その布の中から姿を見せている、丸い頭をして手を合わせた形の石像に、才人は目を丸くした。

「変わった形の石像ね」

「いや、こりゃお地蔵様だ。おれたちの世界の神様の像だよ」

 これはまた、なんでこんなものがハルケギニアに? だが、その地蔵を持ち上げようとした時、突如彼らの立っている地面を象の大群が足踏みしたような激震が襲った。

「きゃあっ! じ、地震!?」

”どうやら、遅かったようじゃな”

 

 そのとき、タルブ村の南の山奥では、常識ではありえないほどの地震が起こり、林が陥没し、地下水が吹き上げ、山肌はことごとく森林ごと崩れ落ちた。そして、無残に崩れ落ちた山肌を内側から貫いて出現した真っ黒な空洞から、恐ろしげな叫び声とともに、真っ赤な目と、いっぱいに牙を生やし大きく裂けた口を持つ魔神が現れた。

 その手には鈍く鉄色に輝く巨大な剣と丸い盾を持ち、全身を金色に輝く鎧で覆い、『王』と刻まれた冠を掲げるその姿は、まさに地獄のえんま大王そのもの。

 今、地獄からの使者、えんま怪獣エンマーゴの封印が解かれてしまったのだ。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 続く



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第93話  勇者への手向け

 第93話

 勇者への手向け

 

 ウルトラマンヒカリ

 えんま怪獣 エンマーゴ 登場!

 

 

「大変だあ! 怪物が出たぞぉ!」

 真夏の暑すぎるくらいの陽気を受けて、平和そのものであった村に一人の村人の悲鳴がこだまする。大地震を引き起こし、辺境の村の美しい自然を破壊して暗い地の底から、血のように真っ赤な目をらんらんと輝かせて這い出してくる巨大な人影。

 

 身の丈五十二メートル、体重四万五千トン

 

 全身を金色の鎧でまとい、王の文字が刻まれた冠を戴くその姿は古代中国の皇帝の戦装束を思わせ、左手に持った丸い金色の盾には竜の顔の文様が刻まれて、まるで地獄の釜の蓋のようでもある。

 そして、その大きく裂けた口には人間にはありえない巨大な犬歯がずらりと並んで、猛虎の頭蓋すら一撃で噛み砕きそうな異様を放つ。とどめに右手に握られた大剣は鈍く鉄色に輝き、お飾りの宝剣などではなく、数え切れないほどの無機物と有機物を切り裂いて鍛え上げられてきた殺気を放っている。

 これを、子供が間近で見たなら恐怖のあまり泣き喚き、大人でも気の弱い者は気を失うか悲鳴をあげて逃げ惑うだろう。それほどに、こいつの発する威圧感は桁外れであり、見る者に与える絶望感は、同じ人型ながらもかつて才人たちが戦った土くれのフーケのゴーレムなどとは比較にもならない。

 形容する言葉があるのならば、それは魔神のただ一言。

 天災のように荒れ狂い、人々を苦しめる荒ぶる神。

 かつて、江戸時代の地球にも現れ、江戸の街の四分の三を壊滅させたという古の大怪獣が、封印を解かれてこのハルケギニアに蘇ったのだ。

 

 

「GUYS・サリーGO!」

「G・I・G!」

 リュウ隊長の号令を受けて、CREW GUYSの翼、ガンフェニックストライカーが草原から大空へと舞い上がっていく。乗り込むのはガンウィンガーにリュウ、ガンローダーにセリザワ、ガンブースターにジョージ、彼らによって操られた炎の翼は空を切り、やがてタルブ村の南から村に向かって巨大な剣を振りかざしながら歩いてくる、巨大な魔神のような怪獣の前に出た。

「こりゃ驚いたぜ、えんま大王の怪獣じゃねえか!」

「テッペイ、こいつはいったいなんだ?」

「今フェニックスネストのアーカイブドキュメントに検索してます。出ました! ドキュメントZATに一件記録を確認、えんま怪獣エンマーゴです!」

 村に、地上からのナビゲートのために残ったテッペイからフェニックスネストを通して送られてきた怪獣のデータが、ガンフェニックスに届く。先のバキシムとブロッケンとの対決はゲートを抜けてすぐの出会い頭のものだったが、今度は時空を超えての初の本格的な対怪獣作戦だ。

 東京湾上空のゲートをGUYSオーシャンに任せて、基地に帰還したフェニックスネストでも、時空を超えて送られてくる怪獣のデータの分析に余念がない。

「スキャニング完了、ヤプールエネルギーは感知されません」

「ということは、奴はヤプールが送り込んできた怪獣じゃあないってこと?」

「はい、あの世界に元々生息していた怪獣だと思われます。過去のデータとの照合を始めます。弱点とか、あればいいんですけど」

 今回ここに残ったマリナと、データ分析をしているコノミが話し合っている。カナタたち新人隊員は、地球でもあとを絶たないいくつかの怪事件の調査のために出ていて、頭数はそんなに多くないが、彼らのやる気は満タンだ。

 しかしその前に、ミサキ女史はサコミズ総監に対して、戦闘を開始するに当たって厳しい表情で、一つの重大な問題を提唱した。

「サコミズ総監、リュウ隊長は他の知的生命体の生息する惑星上において怪獣に対して攻撃を開始しようとしています。GUYS総監として、この行為を容認なさいますか?」

 そう、これはGUYSとしてはおそらく初の他の惑星への直接の干渉ということになる。先のバキシムたちとの戦いは突発的なものだったからやむを得なかったが、ほかの星のトラブルによそ者である自分たちが勝手に手を出していいのか? この判断を誤れば、救命活動を口実とした侵略行為を容認するという、地球の過去の歴史の汚点を再現することになる。

 サコミズ総監は数秒両手を組んで考え込んでいたが、やがて席から立ち上がるとディレクションルームの全員から、時空を超えた先のリュウたちにもはっきりと聞き取れる声で言い放った。

「……過去にウルトラマンが地球を助けてくれたのは、ただ地球とそこに生きる人たちの平和と幸せを守りたいという、その一心においてのみだった。だから彼らは戦いが終わればすぐに立ち去り、自分から名乗り出たりもしなかった。リュウ、GUYS総監として敵怪獣に対して攻撃を許可する。ただし、たとえ勝利しても一切の見返りを求めず、どれだけの損害を受けても許容しろ。この命令に例外はなく、その範囲内においてのみの行動を認める!」

「G・I・G!」

 我が意を得たりとばかりにリュウは奮起し、全兵装のロックを解除した。元より怪獣を倒して英雄面しようなどいった野心は彼らにはない。そんなつまらないものよりも、ほんの数時間であったが、共に泣いて笑ったこの星の人たちや、その人たちの家族や友人を守りたいという使命感が彼らを奮い立たせる。

「村まで、あとおよそ十キロだ。奴を人里に入れるわけにはいかねえ、ここで食い止めるぞ!」

「G・I・G!」

 あまりに突然の怪獣の出現だったために、まだタルブ村には数多くの人間が残っている。むろん、地球に比べて野盗の集団やオークなどの猛獣の襲撃があるハルケギニアの人々なので危機意識は強く、すでに村はずれにまで避難が始まっているのは見事と言えるだろう。そしてそんな中で、中心になっているのはレリアとシエスタたち親子だった。

「さあ、皆さん早く逃げてください。訓練どおりに東の街道へ向かって、急いで!」

「さあみんな、大きい子は小さい子をかばって、転ばないように走るのよ。大丈夫、お姉ちゃんがついてるからね」

 前にコボルドの大群に襲われたときの教訓から、村をあげての避難訓練を重ねてきた。そのかいあって、村人たちは迅速に避難用具を持って村の外へと一目散に走っていき、その先頭に立っているはずの夫のために、一人の取り残しも出さないように声を上げるレリアと、村中の子供たちを優しくなだめながら駆けさせていくシエスタの姿は、最後まで勇敢に生き抜いたGUYS隊員佐々木武雄の血筋と意志を引き継ぐ者としてふさわしいものだった。だが、人の足と怪獣の歩く速度では圧倒的な差がある。

 避難完了までにまだ時間がかかると判断したリュウは、ためらわずにエンマーゴの真正面から攻撃に出た。合体状態のガンフェニックストライカーから、全ビーム砲の一斉射撃が放たれる。

「喰らえ、バリアントスマッシャー!」

 メテオールを除けばGUYS最強の一撃が一直線にエンマーゴに向かう。しかし、奴は迫ってくる光線に対して避けるそぶりも見せずに、左手に持った盾をかざしてその攻撃を受け止めてしまった。

「跳ね返しやがった!?」

「なんて硬い盾なんだ」

 バキシムとブロッケンの巨体をも吹っ飛ばした一撃が、軽々とはじき返されてしまったことにリュウやジョージも驚きを隠せない。そこへ村の物見やぐらに登って一部始終を見ていたテッペイの通信が入った。

「リュウさん、エンマーゴの盾は、かつてウルトラマンタロウのストリウム光線を跳ね返したほどの強度を誇ります。正面からの攻撃では、メテオールでも通用しないでしょう」

「なんだって! てことはスペシウム弾頭弾でもダメか。なんて奴だ」

 防御力でいえば、恐らくGUYSが戦った中でもトップクラスに入るだろう。下手なバリヤーを張っているのならまだしも、盾は単純ではあるが隙が少なく防御しながら移動も攻撃もできる。しかし、それでも離れていれば剣が主武器のエンマーゴの攻撃を受けないと思っていたら、奴はその鋭く裂けた口から噴煙のように真っ黒な煙を吹きつけてきた。

「危ねえっ!」

 とっさに回避したガンフェニックスのいた場所を、黒煙は青空を黒く塗りつぶすように通り過ぎていった。しかも、回避してそれで安心と思いきや、外れた黒煙はそのまま村の外の木々に当たると、一瞬で緑に茂っていた植物をさびた針金のような枯れ木に変え、数ヘクタールを荒野に変えてしまったのだ。

「なんて奴だ! あんなのが暴れまわったらこの村どころか、世界中が地獄にされちまうぜ」

 リュウがうめいたとおり、エンマーゴは地獄で亡者に責め苦を与える鬼どものように、人間を苦しめる能力をいくつも持っている。その一つがこの黒煙で、あらゆる植物を枯らし、かつて江戸時代には大変な飢餓をもたらしたという。

「リュウ、やつは必ずここで倒すぞ。もし取り逃しでもしたら大変な被害が出る」

「はい、ですがセリザワ隊長はしばらく手を出さないでください。奴は俺たち、GUYSの手で止めます。それが、GUYSの魂を貫いていった佐々木先輩への手向けです」

 セリザワは黙ってうなずき、右腕に現していたナイトブレスを消し去った。異世界に来ても、その命尽きるまで戦い抜いた一人の戦士に、成長したGUYSの力を見せてやり、彼の第二の故郷を守りぬく。それが、唯一地球のことを心残りにして逝った彼への、ただひとつのはなむけだ。

「しっかし、えんま大王の怪獣とはな。いや、本当に怪獣と呼んでいいのか、あれは?」

 ジョージの疑問ももっともであった。怪獣には、恐竜を大きくしたようなものから、人間型、動物型や異形型、不定形型と数え切れないほどの分類があるが、このエンマーゴはその中でもどれにも属さない、超例外的な一体である。

 そもそもが、えんま大王とは一般的には地獄の支配者で、死者の生前の罪を計って天国か地獄行きかを決める裁判官として知られている。これは正式には『夜摩天』といい、この世で初めて死んだ人間が転じたという、仏教における正真正銘の神であり、冥府でさまよう子供を鬼から救いにやってきてくれるという地蔵菩薩と同一の存在ともされる大慈大悲の神様だ。むろん、これには様々な解釈や地方による差もあるのだが、あくまで恐ろしい顔を見せるのは悪人に対してであり、決してただ恐ろしいだけの悪鬼羅刹の類ではないのだ。

 しかし、今目の前にいるエンマーゴはそんな慈悲の心などは微塵も感じさせずに、ただただ見るものに恐怖心を植えつけるように、森森を踏み潰し、あるいは雑草を刈り取るように手に持った剣で切り払いながら、村へ向かって前進してくる。というよりも、地球とは似てはいるが本質はまったく違う文化宗教を持つハルケギニアで、なぜエンマーゴが出現するのだ!?

 だが困惑するGUYS隊員たちの元へ、慌てて届いたミライからの入電は彼らをさらに驚かせるものだった。

「リュウさん、こちらミライです」

「ミライ! お前今までどこで何してたんだ!」

「すみません、ですが緊急事態なんです。あの怪獣が、なんで出現したかがわかったんです!」

「なんだって!」

 リュウたちはそろって驚いた。GUYSの分析も終わってない状態で、どうして先にそんなことがわかるのだと。

「あいつは、お地蔵様に封じ込められていたんです」

「……は?」

「だから、奴は守り神のお地蔵様に封じられていたんです。ですけど、それが盗み出されてしまったから、封印が解かれて暴れだしたんです」

「ミライ、お前寝ぼけてんのか!」

 この忙しいときに、なにをトンチキなことを言い出すんだと、リュウは本気で怒鳴りあげたが、ミライの声は真剣だった。

「うそじゃありません。エンマーゴは元々地獄に落ちることを恐れる人間の気持ちが凝り固まって生まれた怪獣です。あいつは、大昔にこの世界にやってきた浜野真砂衛門という盗賊が、死ぬ前に残した怨念が結晶化したものだそうなんですが、同じようにやってきた錦田景竜というお侍の作ったお地蔵様の力で封じられていたんです。これがそのお地蔵様です」

 そうすらすらとしゃべりきって画面を動かし、才人が支えているお地蔵様や、足元にルイズの爆発で伸びたままで縛り上げられた盗賊たちを見せると、さすがにリュウもうーんとうなった。また、さらにテッペイもその説を指示するように通信に割り込んできた。

「考えられなくはないです。今ドキュメントZATを検索し終えましたが、以前のエンマーゴも土地に埋められていたお地蔵様の力によって封印されていたそうです。エンマーゴが人間の精神エネルギーが作り出した怪獣ならば、人間の精神力で封じ込めることも可能かもしれませんよ」

 この世には、まだ科学では解明できない様々な謎や神秘が満ち溢れている。それに考えてみれば、エンマーゴは怪獣というよりむしろ妖怪に近い存在だ。この類の怪獣は、80の戦ったマイナスエネルギー怪獣が代表的だが、そのほかにも初代ウルトラマンと戦った、交通事故で死んだ少年の魂が乗り移った高原竜ヒドラや、殺された牛の怨念が人間に乗り移って実体化した牛神超獣カウラなどが確認されており、怪獣というものが単に巨大なだけの生物ではないことを示している。

「なるほど、わかんねえけどわかった。しかしミライ、お前そんなことよくわかったな」

「はい、ご本人に教えていただきましたから!」

「……はぁっ!?」

 今度はリュウだけでなく、ジョージやテッペイも怪訝な顔をした。ご本人って、いったい誰のことを言っているのだ? 今度こそ本当に意味がわからない。後ろにいる才人とルイズも、どうやって説明したらよいものかと頭を抱えていたが、仕方なく三人がかりで何度かリュウに怒鳴られながらも説明したことは、今度はフェニックスネストにいた全員も合わせてびっくり仰天させるに充分だった。

 

「幽霊に、教えてもらっただってえ!?」

 

 そう、彼らに地蔵を取り戻すように要請した謎の声や、エンマーゴのことをミライに説明した張本人こそ、地蔵に思念の一部を残して番人にしていた四百年前の妖怪退治屋、錦田小十郎景竜その人であったのだ。

 彼は、四百年前にこの地に出現したエンマーゴを、その類まれな異能の力をもって打ち倒し、この地に平和を取り戻させた。しかし、以前別の土地で封印したタブラのようにこの世から滅するまでにはいたらずに、霊力を込めた地蔵を作って、地中に封じた奴の上に安置して封印の鍵としていたのだ。

”そのとき、念のためにとわしの思念をこの地蔵に残しておいたのじゃが、あいにくと普通の生者にはこの世のものではなくなったわしの姿は見えんで困っておった。この盗人たちの体に乗り移ってもよかったが、あれはあまり好きではないのでのう。じゃが都合のよいことに、お前たちのような異能の力を持つ邪な気を持たぬものがやってきてくれて助かったわ。はっはっはっは”

「と、いうことらしいです」

 ざっとミライから景竜の説明を同時通訳されて、リュウやジョージは目の前に怪獣がいることも忘れて、空いた口がふさがらなかった。それにフェニックスネストでもミライの隣に景竜の幽霊がいると言われて、コノミやマリナが悲鳴をあげていた。

「つまりは、ウルトラマンであるミライさん、その力を持つおれたちにのみ、このおっさんの姿が見えて声も聞けるということらしいですね。全然実感ないけど」

「ていうか、なんで幽霊のくせにこんな偉そうなのよ。幽霊って普通こう……」

 実際、慣れたおかげか今の才人たちには地蔵と重なって、半透明のお侍の姿で景竜が見えていた。しかし、夜ならともかく真昼間、ついでに言えば足もついているためにまったくと言っていいほど恐怖感はなく、むしろまんまとエンマーゴに復活されたというのにあまり緊張感がなさそうで、何か聞いてて腹が立つ。

”ふむ、近頃のわっぱは理屈っぽくていかんのう。年長者の言うことは素直に聞かんか。母上に教わらなかったか?”

「うるさいわよ! だいたいあんたが四百年前にきっちりとどめを刺しとけば、こんなことにはならなかったんでしょうが!」

”いやあ面目ない。が、今はそれどころではあるまい。あやつを捨て置けば、このトリステインという小さな国なんぞ、あっという間に滅ぼされるぞ。つべこべ言わずに手を貸せい”

「と、言ってますがリュウさん」

「ミライ、それほんとーに、その幽霊が言ってるんだろうな?」

 お侍なのだからなのかは知らないが、どうも景竜の言い方はいちいち上から目線でかんに触った。もっとも、一人で妖怪退治の旅を生涯続けるにはそれくらい強い我を持っていなければ勤まらなかったのかもしれないけれど、ルイズなどは、これが才人だったらとっくにぶん殴っているところだ。とはいえ相手が幽霊では殴りようが無いのだが。

 しかし、ミライの言うこととはいってもいまいち半信半疑だったリュウも、彼のもっとも信頼する人であり、ウルトラマンでもあるセリザワに諭されると疑いを捨てた。

「リュウ、考えるのはあとにしろ。お前たち地球人の目には見えないだろうが、俺の目にも、モニターを通してでも精神体が存在しているのがわかる。それに、お前は隊長だろう!」

 ウルトラマンの視力は、単なる透視能力にとどまらずに、こうした霊的な存在にも対応することができることがある。実際に、時空を超えたあのティガやダイナの故郷であるパラレルワールドでも景竜はエンマーゴと同じような、宿那鬼という怪獣を封印しているが、その封印が破られたときにも景竜の霊魂はウルトラマンティガであるマドカ・ダイゴにだけは見えていた。また、セリザワはヒカリとして行動しているときに三度目に訪れた惑星アーブで、滅ぼされたアーブの知性体の精神と出会って勇者の鎧アーブギアを託されている。

「はっ……そうですね。悪かったミライ、考えてみたら、お前がそんなふざけたこと言うわけないもんな」

 リュウはもう一つ、セリザワの言葉に隊長としてのあるべき姿を思い出させられた。どんなときでも、隊長が一番に隊員を疑ってはいけない。どっしりと構えて、隊員たちを受け止めてやらねばいけない。隊長とは、いつでも大黒柱のように構えて、頼れる存在でいなければならない。歴代の防衛チームの隊長たちも、様々な個性を持っていたが、隊員たちにとって不動の存在で、一番信頼できる人だったことに違いはない。

 ただし、心構えはともかく本人の性格はそう簡単には変えられない。

「で、そのお地蔵さんとやらが封印なら、もう一度元に戻せば封印できるのか?」

”今のわしでは、もう奴を再封印するのは無理じゃ。だからぬしらちょうどいい、わしに代わってやつを成敗せい。そうすれば、封印の鍵くらいにはなってやる”

「と、おっしゃってます」

「ふざけるなーっ!」

 無責任というか、図々しいというか、いくら自分に力が残っていないとはいっても態度がでかいにもほどがある。しかも、どっちにしろ怪獣退治はしなければいけないところがなお腹が立つ。

 しかも、怒りっぽいのは一人ではなく。

「サイト、離しなさい! もう頭きたから吹き飛ばしてやるわ!」

「やめろって! 腹立つのはわかるから、地蔵を壊したらもう封印できなくなるだろ!」

 杖を振り回すルイズを羽交い絞めにした才人が引きずっていく。はたから普通の人が見たら、石の人形の前でわめき散らしている変な一団に見えただろうが、彼らは真剣であった。

 しかし、そうして話しているうちにもエンマーゴは刻一刻とタルブ村へ近づいている。

「くそっ、迷ってる暇はねえか、ともかくわかった! とりあえずそいつを壊されたらまずいんだったら、適当なところに運んでおいてくれ。それに、村人が近くにいたんじゃ、どっちみち満足に戦えねえ。こっちはなんとか食い止めてるから、村人の避難を急いでくれ!」

「G・I・G!」

 ミライと、そして才人にも了解を受けたリュウは、村へ向かって驀進するエンマーゴを止めるために、次の作戦を開始した。

「正面からでだめなら、三方向から攻撃をかける。いくぜ、ガンフェニックス・スプリッド!」

 

 そして、ガンフェニックスが全力でエンマーゴの前進を阻んでいるあいだにタルブ村では必死の避難作業が続いていた。

「早く、逃げてください!」

「もたもたしないの、逃げ遅れたら吹っ飛ばすわよ!」

 才人がガンダールヴの力で加速して一軒一軒確認していき、ルイズが遅れている男の尻を蹴っ飛ばす。ミライがお地蔵様を運んでいったので人手が足りないけれど、泣き言を言っても代わりはいない。あと、二人組の盗賊のほうは、ほうっておくわけにもいかないので村人に引き渡して連れて行ってもらったが、避難完了にはまだ時間がかかりそうだった。

 それに、こういう災害時には思わぬトラブルもつきものである。

「泥棒だぁーっ! うちの蓄えが盗まれた!」

「ひゃっはっはっ、間抜けどもめ。慌ててるから隙だらけなんだよバーカ」

 そう、村にいるのは何も村人だけではない。たまたま村を通りすがっていた商人や旅人も多くいて、それらの人々はパニックになって避難の妨げになるばかりか、火事場泥棒に転じて、さらに混乱を拡大させつつあった。

「くそっ! あのボケども!」

「待って、この地区にはまだ逃げ遅れてる人がいるわ、わたしたちが離れたらその人たちはどうなるの!?」

 激情のままにデルフリンガーを抜いて駆け出そうとした才人を、ルイズがそでを引いて押しとどめた。

「わたしだって腹立たしいわよ。けど、今やるべきことはあいつらを捕まえることじゃないわ。自分に与えられた仕事は何があってもやりとげる、それが筋ってものでしょう」

 ルイズは杖を握り締め、唇を血が出そうなほどに噛み締めながらも、才人を止めている。その姿を見て、才人は自分を小さく思うとともに、やっぱりおれのご主人様はすごいやつだなと思った。トリステイン有数の大貴族の子女として生まれ、国の名誉を守ることを生涯の使命として育ってきた彼女にとって、トリステインを汚すああいった輩ははらわたが煮えくり返るほど憎らしいのに違いないが、それを抑えて逃げ遅れている農夫たちや老人のために、あえて無視しようとしている。

「あっはっはっ! 大量大量、これだけあれば当分遊んで暮らせるぜ」

「待ってくれ、それを持っていかれたら、もう来年の仕事ができなくなってしまう」

「うっせえよ! そんなことより、早く逃げねえと踏み潰されるぜ、ま、おれは別の道からとんずらさせてもらうけどな」

 あざ笑いながら逃げていく盗賊たちに、才人とルイズは殺してやりたいほどの怒りを覚えたが、追いかけて捕まえている時間はなく、やつらはどんどん遠ざかっていく。

 しかし、因果応報、自業自得、世の中悪いことをして簡単に生きていけるほど甘くはない。村の外に逃げ出そうとした盗賊たちを、空の上から降り注いできた火炎弾と氷風が、容赦なく叩きのめしたのだ。

『ファイヤーボール!』

『ウェンディアイシクル!』

 炎弾のピンポイント射撃と、無数の氷のナイフが愚か者たちを無慈悲に地面との接吻と、泥をパートナーにしてのダンスを強いた。

「ぎゃああっ、あちい、あちいぃっ!」

「いでぇ、いでえよおっ」

 盗賊たちは盗んだものを放り出して、地面の上でのたうちまわった。そして、その上空からさっそうと現れた青い影に乗る、燃えるような赤い髪と大海のような青い髪は見間違えるはずもない。

「はあい、サイト、ルイズ、あなたたちって、あたしたちがいないと本当にだめねぇ」

「……間に合った」

「キュルケ、タバサ!」

 なんと、飛行機酔いでダウンしていたはずのキュルケが、いまやピンピンした様子でタバサといっしょにシルフィードに乗って、熟達の奏者よろしく杖を軽快に振って笑っていたのだ。

「あんたたち、どうして!?」

「あはははっ! こんなおもしろそうなトラブルのときに、このわたしがへばって寝込んでると思ってるの? 空から見て回って、馬鹿な連中はおおかたお仕置きして回ったわよ」

 不謹慎な発言ではあるが、キュルケは確かにトラブルになればなるほど力を発揮するタイプには違いない。それに、火事場泥棒どもが逃げ隠れしようとしても、北花壇騎士として闇の仕事で慣らしたタバサの目を逃れることはできない。

「サンキュー! 二人とも」

「いいってことよ。こういうお馬鹿たちは一度死ぬような目に合わせないと治らないしね。それよりも、村の東側の避難は完了したみたいだから、あなたたちは西側の残りをお願い」

「わかった。ありがとな!」

「ええ、あたしたちは街道の人たちの護衛に当たるわ。さあっ!」

 最後にキュルケは『レビテーション』で、盗賊たちの傍らに転がっていた盗まれた品物をこちらに飛ばして、北の空へ飛び去っていった。

「ほんと、いざとなるとすげえ頼りになるよな。さあ、これを持って早く逃げてください」

「あ、ありがとうございます。これで来年の作物の種と肥料を買うことができます」

「ですが、それよりも命あっての物種でしょう。さあ早く」

「いいや、それは違う。わしらはこの村の土地に育てられて、この村に生かされてきた。だから、わしらは自分のためと同じように、わしらの故郷を守らんといかん。そのために、この金は絶対必要なんじゃ」

 そう言うと彼は急いで北のほうへと走っていった。だが、才人は彼が言い残した言葉をしばらく噛み締めていた。故郷、自分を育ててくれた故郷、おれにとってそれは……

「サイト、なにぼっとしてるの! まだやることはあるのよ!」

「あっ! そ、そうだったな」

 慌てて頭を切り替えると、才人はルイズとともに村の西側へと走っていった。が、あの農夫の言ったことは、なかなか忘れられそうになかった。

 

 こうして、皆の努力によって避難活動は完了しつつあったが、肝心のエンマーゴの攻略については難航していた。

「くっそ、なんて頑丈な鎧なんだ!」

 盾ではじかれないように三方向から包囲攻撃を仕掛けたにもかかわらずに、各機のビームはエンマーゴが全身にまとった鎧にはじき返されて、一切のダメージを与えられていなかった。それもそのはず、エンマーゴの鎧はなんと十万度の高温や五十万トンの圧力にも耐える力を持っており、過去にZATのスカイホエールによる爆撃にもびくともしていない。

「リュウ、メテオールを使うか?」

「だめだ、今使ったら村人を巻き込む危険がある!」

 メテオールは確かに強力だが制約も大きいし、万能でもない。それにエンマーゴは意外と頭もよく、ZATが地雷作戦を仕掛けたときでもあっさりと見破って破壊してしまっている。これではスペシウム弾頭弾を撃っても盾ではじかれるか切り払われるかしてしまう。が、それよりもメテオールは威力が大きすぎるので、避難が完了していない村の近くで使うのは危険すぎた。仮にスペシウム弾頭弾の一発でも流れ弾になったらタルブ村が吹っ飛んでしまう。

「テッペイ、まだ避難は完了しねえのか! やつはもう村の入り口まで来てんだぞ」

「あと少しです。あと少しで、みんな街道に逃げ込めます。そうすれば、村の南の広場でやつを迎え撃てます。リュウさん、キャプチャーキューブの使用許可を!」

「よし、メテオール解禁、使用制限時間は一分間だ!」

「G・I・G!」

 返礼し、テッペイはトライガーショットをブルーチェンバーにチェンジして、銃口をエンマーゴに向けて、引き金を引いた。

「サイト、なにあれ! 怪物が光の檻に閉じ込められちゃったわ!?」

 残っている人がいないか、最後の確認をしていた才人とルイズは、エンマーゴを突然取り囲んだ光の壁を見て、思わず足を止めていた。

「あれは、キャプチャーキューブだな。あらゆる攻撃を通さないバリヤーを張る。そうか、こういう使い方もあるんだ」

 才人は一軒の家のドアを閉めると、感心したようにつぶやいた。閉じ込められたエンマーゴは、脱出しようと光の壁に剣を打ち付けたりしているが、跳ね返されてまったく身動きできなくなっている。キャプチャーキューブはバリヤーであるので、本来の使用法は防御にあるが、内側の打撃やエネルギーも外に逃がさないために逆用することも可能なのだ。つまり、かつてメビウスがバードンと戦った際にメビュームシュートの命中に合わせて、爆発の衝撃が外に漏れないようにしたり、インペライザーのエネルギー弾を中で乱反射させたり、前のパズズ戦のように自分の攻撃を自分に跳ね返させる手段もあり、さらにこうすれば一分間だけだが敵の動きを封じる監獄とすることもできるのだ。

 

 そして、GUYSの善戦と、才人とルイズや、空中から見て回ったキュルケたちの協力もあって、村人はほとんどが北の街道に避難を完了した。

「これで全員?」

「うん、みんな行ったよ。けど、このままじゃぶどう畑が……」

 レリアとシエスタは、最後の村人が街道に入ったのを見届けると、キャプチャーキューブの封印が解け、GUYSの猛攻を受けながらも前進を続けてくるエンマーゴをにらみつけた。

 村人は全員避難させたけれど、まだ村には皆の家々や畑、なにより村の生命線であるぶどう園が残されている。もちろん命が一番大事なのは当たり前だが、家を破壊されるのはもちろん、あの黒煙をぶどう園に浴びせられかけでもしたら、タルブ村の人々はこれからの生きる糧を失ってしまう。レリアは、エンマーゴの進む先にちょうどぶどう園があるのをじっと見つめていたが、やがて娘の目を見つめると有無を言わせぬ強い口調で言った。

「シエスタ、よく聞きなさい。あなたはこれから走っていって、お父さんや弟たちを守りなさい。いいですね、誰一人犠牲を出してはいけませんよ」

「はい、けれどお母さんは?」

「お母さんは、そうね……自分の村がこんなになってるってのに、のんきに先にあの世に行ってしまったおじいさんの、代わりを務めなきゃいけないから」

 そう言うと、レリアは娘と生き写しの顔を、二十年前怪獣ギマイラと戦ったときと同じように強く輝かせると、娘に背を向けて走っていった。

「お母さん、どこに行くの? お母さーん!」

 シエスタが呼んでも、もう母は振り返らない。そして、その行く先には彼女と祖父との思い出の場所があった。

 

 

 だが、GUYSの必死の防衛線にも関わらず、エンマーゴは自慢の防御力にものを言わせてとうとう村へ侵入してしまった。悪鬼よろしく破壊の歓喜に耳につく笑い声を上げながら、平和だった村にその真っ赤な目を向けて死刑宣告をしようとする。

 しかし、村の広場に入り、テッペイから全住民の避難が完了したと報告が入ると、GUYSはようやく心置きなく総攻撃に入った。

「いくぞみんな、メテオール解禁!」

「パーミッション・トゥシフト・マニューバ!」

 三機がそれぞれイナーシャル・ウイングを展開し、金色の光に包まれてマニューバモードへチェンジする。

「ガトリングデトネイター!」

 攻撃用メテオールの装備されていないガンブースターから六条の光線が発射されて、正面からエンマーゴの盾と火花を散らす。しかしその隙をついてガンウィンガーが、奴の背後から狙いを定めた。

「スペシウム弾頭弾、ファイヤー!」

 背中からスペシウム弾頭弾が突き刺さり、通常の兵器とは比べ物にならない爆発が起こって、エンマーゴが前のめりに吹っ飛ばされる。しかし、鎧にはひび一つ入っていない。

「くそっ、防御力はリフレクト星人以上か!」

「攻撃の手を緩めるな。いくぞ、ブリンガーファン・ターンオン」

 今度はセリザワがガンローダーのブリンガーファンを作動させ、荷電粒子ハリケーンがエンマーゴに襲い掛かる。これにかかれば、どんなに重い怪獣でも木の葉のように吹き上げられてしまう。しかし、奴は剣を地面に突き刺すと、それを支えにしてハリケーンに耐えている。

「なんだと?」

 これまでブリンガーファンで吹き上げられなかった怪獣はいなかっただけに、セリザワもうめくようにつぶやいた。けれども、吹き上げられなかったとしても荷電粒子ハリケーンに包まれ続ければ、かなりのダメージはあるはずだ。リュウたちはそう思ったが、ハリケーンが収まったあと、エンマーゴは剣と盾を振りかざして、何事もなかったように立ち上がったではないか。

「くそっ! まだ動きやがるのか」

 メテオールの攻撃をこれだけ受けてもなお、エンマーゴにはダメージらしいダメージがなかった。さすがはこの世ならざる存在、といってしまえばそれまでだが、笑い話ではすまされない。リュウは、一機ずつの攻撃では効果がないと、ガンフェニックストライカーに合体しての一撃にかけた。

「インビンシブルフェニックス・ディスチャージ!」

 炎の不死鳥が正面からエンマーゴを襲い、灼熱のエネルギーが盾で抑えきれないほどに全身を包んで燃え上がる。これならば、鎧を身につけていても熱が中に浸透してダメージを与えられるだろう。だが、超絶科学メテオールとて万能でも無敵でもないことを、彼らは再認識させられることになった。

「馬鹿な! 炎を振り払った」

 仏教では、地獄はその苦行に応じて六つに分類され、その中の一つに亡者が永遠に地獄の炎で焼かれ続けるという焦熱地獄というものがある。エンマーゴは、その六道地獄を支配する閻魔大王ともあろうものが、この程度の炎に焼かれるものかと炎を振り払い、マニューバモードの時間が切れて唖然と見ている彼らの前で、ついに村に手を下し始めた。笑いながら、まずは物置小屋を一足で踏み潰し、村一番の高さをほこった風車を、まるでつくしのように切り捨ててしまう。

 むろん、GUYSはあきらめずに通常兵器で攻撃を続けるが、奴の前進は止まらない。その猛威はもはや天災とすら呼んでよかった。

 しかし、奴は村の家々を破壊しつくそうとはせずに、吸い寄せられるかのようにある一点にのみ向かっていた。

「あいつ、村のブドウ畑に向かってる!」

 才人たちは、奴の目的が青々と茂るブドウ畑を枯らしつくすことだと知って愕然とした。あれがやられれば、タルブ村の人々は生き延びたとしても、生活する術を失う。奴はそれを知って、もっとも村人が苦しむ方法をとろうとしているのだ。

「やろう、行かせてたまるか!」

 怒った才人は、懐からガッツブラスターを取り出して、奴の後頭部に撃ち込んだ。すると一瞬奴の動きが止まり、こちらのほうを睨んで、口からあの黒煙を吐いてきた。

「ルイズ、危ない!」

「きゃっ!」

 間一髪、飛びのいた先を荒地にして黒煙は二人のそばをすり抜けていった。しかし、わずかに吸い込んでしまった煙は喉を焼き、目に入った煙は視力を奪った。

「げほっ、げほっ!」

「サイト、どこっ、目が、目が見えないっ!」

 焚き火の煙をまともに浴びてしまったときのように、二人は咳き込み、涙を流して動けなくなってしまった。それでも、才人はわずかに薄目を開いて照準を定め、ガッツブラスターをエンマーゴに向かって放ったが、三発、四発目を撃ったところでとうとうそのときがやってきた。

「弾切れ……ち、畜生っ」

 いくら引き金を引いてもカチリ、カチリというだけで、もう銃口からビームは放たれない。アスカ・シンからオスマン、そして才人の手に渡ってから、数々の戦いを潜り抜けてきたこの銃も、エネルギー切れという運命からだけは逃れられなかった。

 エンマーゴは、GUYSの攻撃などは意に介さないといわんばかりにブドウ畑へ向かう。才人の行動を見て、地上からテッペイとミライも援護射撃を加えたが、やはり黒煙を受けて戦闘不能にされ、才人たちもミライも変身不能にされてしまった。

「ああっ、わしらの畑がやられる……」

 街道の先の、ラ・ロシュールへ続く山道から村を振り返った人々は、精魂込めて作り上げてきた畑が、悪鬼の手にかかろうとしているのを見て、がっくりとひざを折った。

 しかし、あざ笑いながらエンマーゴがその口を開けたとき、その後頭部に爆発が起き、黒煙を吐こうとしていた奴をよろめかせた。

「今のはバスターブレッド!? ミライかテッペイか?」

 ジョージは、自分の超視力で一瞬だけ見えた光弾の形から、当たったのがトライガーショットのバスターブレッドだと判断した。しかし、地上から撃てるはずの二人は黒煙でまだむせていて、とても銃を撃てる状態ではないはず。

 ならば誰が? その疑問は弾道から逆算した先にある、村の外れの寺院のそばにある墓地に立つ一人の姿を見たときに解かれた。

「あれは……レリアさん!?」

 なんと、そこにはシエスタの母が、祖父の形見のトライガーショットを握り、毅然とした顔で、大怪獣を睨みつけていたのだ。

「おじいさんの愛したこの村を、お前などの好きにはさせません!」

 ギマイラとの戦いから、眠り続けていた銃口がうなり、顔を狙って放たれた弾丸が火花を散らす。もちろん、そんな無茶もいいところの行動には、リュウやジョージも聞こえないことを承知で、やめろ、逃げろと叫ぶが、驚いたことに本来なら、エンマーゴにはこの程度の銃撃は効かないはずなのに、まるで村を守ろうとするレリアの気迫に押されているかのように、エンマーゴは必死で顔をガードしているではないか。

「すげえ……」

 ガンフェニックスの攻撃をものともしなかったエンマーゴが、たった一丁の銃と、か弱い女性一人にひるんでいる。信じられない光景だが、人間の意思の力は時に常識を超えた力を発揮する。

 しかし、放たれた一発が偶然にもエンマーゴの目元を直撃してしまったことで、追い込まれていた奴はとうとう逆上してしまった。そして、もうブドウ園などどうでもいいとばかりに、剣を振りかざしてレリアに襲い掛かった。

「危ない!」

 村の家や街路樹を蹴散らして、走ることで地震すら引き起こしながら、エンマーゴはたった一人の女性に向かって迫り来る。レリアはそれでも、村のみなの未来のためなら、きっと祖父もそうしただろうと、胸を張って立ち続けていた。だがそこに、ここで聞こえるはずのない声が彼女の耳に飛び込んできた。

「お母さーん!」

「シエスタ!? どうしてここに」

「だって、だってお母さん、死ぬ気なんでしょう!」

 愕然として振り返ったとき、目の前には街道に残してきたはずの娘が、息を切らせながら走ってきている姿があって、彼女は顔色を無くした。いけない、怪獣はもうそこまで来ている、私一人ならともかく、シエスタを巻き込むわけにはいかない。

「馬鹿、逃げるのよ! はっ!?」

 そのときにはすでに遅く、エンマーゴの剣は彼女たちの頭上に来ており、レリアはとっさに娘の盾になろうと、その身に覆いかぶさった。

 だが、エンマーゴの剣が彼女たちに地獄の判決を下そうとした瞬間、セリザワの右手にナイトブレスが輝き、ガンローダーのコクピットから一条の光が飛び立った。

「きゃあっ!」

「……っ」

 レリアは、悲鳴をあげた娘を抱きかかえ、心の中の祖父に娘を守りきれなかったことをわびた。しかし、覚悟してもいっこうに痛みも、魂が天に登っていく感覚も無く、そっと目を開けて見上げてみると……そこには、青く輝く希望……群青に輝く光の巨人が、エンマーゴとレリアたちのあいだに割り込み、右腕から伸びた光の剣で、邪悪な一刀を受け止めている姿があったのだ! 

「ウル……トラマン」

 レリアの口は、無意識のうちに懐かしい温かさを持つ、その巨人の名を口ずさんでいた。そして、自分たちを守って立ち上がるその青いウルトラマンから、彼女はかつてウルトラマンダイナを見たときのような、強く、頼もしい声を聞いたような気がした。

 

「佐々木と、あなた方の意思は、俺が引き継ぐ! もうこれ以上、この村をお前の好きにはさせんぞ!」

 

 今、ナイトビームブレードの一撃でエンマーゴを押し返したウルトラマンヒカリが、強く輝く正義の剣を右腕に宿し、友と、その愛したすべてを守るために立ち上がった。

 

 

 続く



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第94話  防人の魂

 第94話

 防人の魂

 

 ウルトラマンヒカリ

 マケット怪獣 ウィンダム

 えんま怪獣 エンマーゴ 登場!

 

 

 かつて、光の国の優秀な科学者であったウルトラマンヒカリは、心から愛した惑星アーブの生命体をボガールから守れなかったことをきっかけに、アーブの知性体の怨念のこもった鎧を身にまとい、復讐の戦士、ハンターナイトツルギとして宇宙をさすらっていた。

 気が遠くなるような長い旅の果てに、彼はボガールが次の餌場として選んだ星、地球へとたどり着いた。だが憎しみのあまりにウルトラの心を失っていた彼は、地球での活動のために、ディノゾール戦で戦死した旧GUYS隊長、セリザワ・カズヤの体を乗っ取って、ボガールを倒すためなら手段を選ばない非情な戦いを繰り広げた。

 しかし、地球で出会ったメビウスや地球人たちとのふれあいで徐々に心を取り戻していった彼は、彼らと力を合わせて苦闘の末についにボガールを打ち倒した。

 そして、ウルトラの母の力で復讐の鎧から解き放たれて、ウルトラの心を取り戻した彼は、なおも怪獣の出現の続く地球を守るために、彼とともに戦うことを選択したセリザワと本当の意味で一心同体となり、真の光の戦士・ウルトラマンヒカリに生まれ変わったのだ。

 

「この星を、お前の好きにはさせん!」

 

 ウルトラマンとして、心ある人々を守るヒカリの意思と、かつての部下であった佐々木隊員の愛したものを守ろうとするセリザワの意思。二人の意思をその身に宿し、タルブ村を荒らしまわり、人々を苦しめる怪獣エンマーゴの前に、群青の輝きをまとってウルトラマンヒカリが立ち上がる。

「セリザワ隊長! そうか、メビウスにメビウスブレスがあるように、ヒカリにはナイトブレスがあったんだ」

 このハルケギニアでは、M78星雲出身のウルトラマンは、この星の人間と一体化しない限り、行動を著しく制限される。しかし、メビウスブレスと同系統のアイテムであるナイトブレスを持つヒカリならば、この星でも問題なく戦うことが可能だった。

 しかし、どす黒い破壊の喜びを満たすのを、あと一歩で邪魔されたエンマーゴは怒り狂い、鋭い牙を生やした口から凶悪な雄叫びをあげて、真っ赤な目に次なる獲物を映して剣を振り上げる。もはや、人間の心の闇が生んだ妖怪と、人間の光を守ろうとする光の戦士の激突は不可避。ヒカリは、彼の信じた仲間たちの意志を受けて敵に挑む。

 

「セアッ!」

 

 ウルトラマンヒカリのナイトビームブレードと、怪獣エンマーゴの剣がぶつかり合って激しく火花を散らす。エンマーゴの剣は、地球上のあらゆる物質を切り裂くと言われているが、ウルトラマンキングから授かった神秘のアイテム、ナイトブレスから生まれるナイトビームブレードが折れることはない。

「こいつは俺が食い止める。今のうちに、その人たちを頼む!」

 はっとして才人たちはヒカリのすぐ後ろに視線をやると、そこには気を失ったシエスタを抱いて守っているレリアの姿があった。なぜ逃げないのかと思ったが、うずくまっているところを見ると、とっさにシエスタをかばったときに足を痛めたのかもしれない。

「まじい、あのままじゃつぶされちまうぞ!」

「サイト、ぼさっとしてないで行くわよ!」

 ヒカリが直接助け出そうとすれば、手を下ろした瞬間に斬られてしまうのは明白なので、今助けに行くことができるのは自分たちだけだ。ルイズは才人の手を引きながらカモシカのようにスカートからすらりと伸びた足を俊敏に動かして雌鹿のように駆け出し、才人も慌ててデルフリンガーを抜くと、ルイズの後を韋駄天のように追っていく。

「間に合ってくれ!」

 友達を死なせてなるものか。二人とも怪獣の暴れ狂う死地へと、恐怖心にも勝る熱い心を持って全力で駆けていき、ヒカリも才人たちがたどりつくまで、なんとしてでも時間を稼ごうと、命を懸けて剣を振るう。

 

「この人たちには、指一本触れさせん!」

 

 自分に傷をつけようとした人間を決して許すまいと、憎悪を込めた剣を振り下ろすエンマーゴ。それに対して、ヒカリは邪悪の白刃の眼前に自らの命をさらし、真っ向からナイトビームブレードを唯一の盾に、全身の筋肉とばねを使って受け止めた。

「止めた!」

 人間でいえば、身長三メイルにも及ぶ人獣ミノタウロスの斧を受け止めたにも等しい荒業に、さしものタバサなどからも驚嘆のうめきが漏れた。確かに、あの大刀の重量とエンマーゴのパワーが加われば、瞬間的な圧力は何万トンにも相当するだろう。だが、ヒカリの足が大地にめり込み、さしものナイトビームブレードもきしんだようにさえ錯覚したが、それでもナイトビームブレードの上で大刀は確かに止まっており、そして、間違いなく誕生してから初めて自分の剣を耐えしのがれたことに驚くエンマーゴの隙を逃さず、ヒカリは一瞬のつばぜり合いを経て、全力を込めて弾き飛ばした。

「ファッ!」

 ヒカリの力にも増して、その裂ぱくの気合に押されたかのように、それまで無敵の勢いで驀進してきたエンマーゴが、はじめてよろめいて後ずさった。確かに、その場から動くことが許されず、エンマーゴの比類ない剛剣を受け続けなければならないヒカリの立場は不利だ。剣道で足の運びが勝敗を大きく分ける要素として重視され、基礎訓練として徹底的に叩き込まれるのに反する、圧倒的なディスアドバンテージである。しかしその昔、かの武蔵坊弁慶が主君たる源義経を守るために、その身を不動の壁と化させて、立ったまま息絶えるまで矢玉にさらし続けた豪勇無双ぶりが迫り来る幾千の軍勢をおびえたじろがせたように、破邪の威光は圧倒的優位にあるはずのエンマーゴをたじろがせ、絶望の思いで破壊されていく村を見つめていた村人たちからも、ヒカリの勇姿に希望の声が次々とあがり始めた。

 

「おおっ! ウルトラマンだ、ウルトラマンが来てくれたぞ!」

「これでわしらの村も助かるかもしれん。頼むぞ」

「ウルトラマーン! がんばれーっ!」

「がんばれー!」

 

 村人たちが、逃げるのをやめて口々に青いウルトラマンを応援し始めるのに、ヒカリは胸が熱くなる思いを感じていた。

 かつて地球では、青いウルトラマンは本当にウルトラマンの仲間なのかと疑われ、ババルウ星人の策略によって侵略者ではないかと恐れられたが、そんな先入観のないハルケギニアの人々は、素直にヒカリを受け入れてくれた。

 また、村人たちを空の上から護衛していたキュルケとタバサも、ヒカリの登場に驚きをあらわにしていた。

「すごい! また新しいウルトラマンよ! タバサ、今度はあなたの髪の色みたいに真っ青なウルトラマンよ」

「……」

「タバサ、どうしたの? タバサ」

 呼びかけても、タバサはじっと青い巨人を見つめているだけで、いっこうに返事をしてくれようとしない。

「……あの青い巨人……いえ、似ているけど、違う」

「タバサったら!」

「あ……なに?」

「なに? じゃないわよ、どうしたの急に何かに取り付かれたみたいに?」

「ごめん……ちょっと考え事してた。けど、思い違いだったみたい」

「はぁ……まあ、あんたの考えることの大半はわたしにはわかんないからいいけど、あんまり心配かけないでよ」

 優しく頭をなでてくれるキュルケは、そのときタバサにとってほんの少しだが母親の記憶を思い出させた。だが、友の温かさにひたる暇も無く、空気を揺るがす激震をもって、ウルトラマンヒカリとエンマーゴの戦いは激しさを増していく。

 

「トアッ!」

 

 ナイトビームブレードとエンマーゴの大刀による激突は大気を揺るがして、一太刀がぶつかり合うごとに、遠く離れているはずの村人たちにさえしびれるような衝撃が襲い掛かった。

「た、たっぷり二リーグは離れてるはずなのに……」

「まるで、この世の戦いとは思えねえ」

 ハルケギニアではメイジの魔法の威力が強大なために、剣は平民の武器、弱者の武器というイメージが濃いが、眼前の戦いを見てそんなことを思える者は、ただの一人たりとて存在しなかった。

 しかし、一見互角の勝負に見えても、やはり、すぐ後ろで逃げられないでいるシエスタたち親子を守りながらでは、ヒカリは得意のフットワークを活かすことができずに、エンマーゴの剛剣の乱打に対して防戦一方とならざるを得なかった。

「強い……だが、俺はもう二度と悲劇を繰り返させはしない!」

 それは、惑星アーブをボガールから守れなかったヒカリ、ディノゾール戦で部下を全滅させてしまったセリザワの二人分の決意だった。そして彼はその決意を剣に込めてエンマーゴを押し返すと、ナイトビームブレードにエネルギーを込めて、矢じり型の光弾にして発射した。

『ブレードスラッシュ!』

 かつてババルウ星人の変身を強制解除させた一撃が、炎の矢のようにエンマーゴに突き刺さろうと向かう。しかし、奴は自慢の盾を構えるとそれさえもはじき返してしまった。身動きができないのに加えて、あの鎧と盾というアドバンテージは、メビウスに勝るとも劣らない力を持つヒカリといえどもきつい。

 しかし、戦闘を時とともにうつろいゆく川の流れのようなものだとすれば、その勢いに一時は押し流されてしまいそうになったとしても、流れが変わるときは必ずやってくる。

 

「ヒカリ! こっちはもう大丈夫だ! あとは思う存分戦ってくれ」

「よし!」

 

 驚くほど圧縮された時間の中でヒカリは才人の声を聞いた。一瞬だけ振り返って、レリアとシエスタのところに、才人とルイズが駆けつけたのを見て取ると、枷から解き放たれた猛獣のように、これまで受けるだけだった剣撃をはじき返し、今度はこちらから反撃の斬撃を送り込む。

「テヤァッ!」

 ナイトビームブレードがエンマーゴの剣と何度もぶつかり合って押し返し始めた。かつてウルトラマンタロウは素手であったために、エンマーゴには大苦戦を強いられたが、今度はウルトラマンも同じ武器を持った以上、あとは力と技の勝負だ。ただ残念ながら、力任せに大刀を振り回すエンマーゴの圧倒的なパワーにはさしものヒカリも抗し得ないものの、技ならば別。

「デヤァッ!」

 子供が棒切れを乱暴に振り回すようなエンマーゴに対して、ヒカリは剣閃に無駄な動きをつけずに、スピードと軽快なフットワークで攻撃をかわしながら奴の隙をついて斬りつけていく。それは、ガンダールヴを発動させた才人や、剛剣を持ち味とするアニエスやミシェルとは違うが、我流を実戦の中で進化させていった戦場の剣技である。ハンターナイト・ツルギとして宇宙をさすらっているときに磨いた腕は、確かに血となり肉となって、今では正義のために閃く。

 その勇姿を間近で目の当たりにして、才人は興奮を最高潮にして叫んでいた。

「ウルトラマンヒカリ、がんばれーっ!」

「ヒカリ、それがあのウルトラマンの名前なんですか……」

 才人の背におぶさられながら、レリアがぽつりとつぶやいた。

「ええ、エースと同じ光の国の戦士です。すげえ、ヒカリも来てくれたならもう大丈夫だぜ」

 レリアを安心させようと、才人はわざと大げさに喜んで見せたが、彼女はずっと握り締めていた祖父の形見のトライガーショットを見つめると、悲しそうにつぶやいた。

「三十年前と同じで、私は結局助けられてばかりですね。おじいさんの残した武器で少しは村のために戦えると思っても、やっぱり何の役にも立てなかったばかりか、娘まで死なせてしまうところでした。それに、今だって私のせいでウルトラマンは自由に戦えない……」

「そんなことはないですよ!」

 気落ちしているレリアに向かって、才人はぴしゃりと言ってのけた。

「ウルトラマンは、人間が精一杯戦いぬいたときにだけ力を貸してくれるんです。今だって、おばさんが力いっぱい頑張ったから、ヒカリは来てくれたんですよ。な、ルイズ?」

「知らないわよ。けど、少なくとも何もしないで助けを待ってるだけの奴なんか、ウルトラマンだって助けたくないんじゃない。わたしだったら、見捨ててるわ」

 才人の思いやりと、ルイズのぶっきらぼうな優しさは、傷ついたレリアの心に染み入り、懐かしい記憶を呼び起こした。そう、あの三十年前の祖父やアスカ、カリーヌやティリーも、それぞれ励ましあい、支えあって人知を超えた怪物に憶さずに立ち向かっていた。

 

 ただ、このままだとずっと見物していそうだった才人を、幸いにも抜いたままにしてもらっていたデルフが注意した。 

「おい相棒、見とれてるのもけっこうだけどよ。あのウルトラマンが、お前さんを信じてまかせた仕事をほっぽっといていいのかね」

「あっ! そ、そうだった」

 親子を逃がしてくれというヒカリからの指示を、才人ははっとなって思い出した。デルフは声を荒げて人を叱ったりはしないが、本人いわく何千年も生きてきたと言うだけはあって、人の気持ちをよく心得ており、どう言えばその人がよく動くのかということを知っている。

「ルイズ、行くぞ」

「ええ、でもちょっと……そんな簡単に言わないでよ……ガンダールヴ全開のあんたに走ってついてくの、けっこう大変なんだからね」

 才人がレリアをかつぐ以上、シエスタはルイズが背負わなければならないのは明白だったが、いくら人並み以上の体力を持つルイズといっても、全力疾走のあとに人一人かついで走るのは、体格が小さいこともあってやはりかなりの難題だったようだ。

「ええーっ! おいこの大事なときに……おいデルフ、どうしよう」

「全力で走ったら馬並の相棒についていけるだけ娘っこの脚力もすげえもんだが、さすがに限界か……しゃあねえな、あの手でいけよ」

「あの手?」

「そう、あの手だよ」

 だが、デルフから『あの手』とやらを聞かされた二人は思わず赤面した。

「お、お前、こんな公衆の面前で!」

「そ、そうよ、そんな破廉恥なこと、ラ・ヴァリエールの三女のこのわたしができるわけないじゃない」

「心配しなくても誰もというか、お前さんの一番気になるメイドは見てねえよ。てか、前は相棒が自分からやったことだろうに、てか、危ねえぞ」

「へ?」

 思わず振り向くと、すぐ目の前には塔のような太いエンマーゴの足、さらにいきなり影に隠されたと思って上を向くと、そこには垂直に落ちてくる巨大な足の裏があった。

「んだーっ!」

「きゃーっ!」

 踏み潰される寸前、才人は背中にレリアを背負ってデルフを握ったまま、右腕にルイズ、左腕にシエスタを抱えて駆け出した。それはまさしく、以前トリスタニアでスリを追っかけたときにやったやつのパワーアップバージョン。しかしあのときは追い詰められてて半分やけくそだったが、人からやれと言われたらやっぱり恥ずかしい。とはいえ間一髪、わずか一メートル後ろにエンマーゴの足が着地して、彼の体は衝撃で宙に舞い上がるが、かまわずそのまま全力ダッシュで逃げていく。いくらガンダールヴの力を発揮しているとはいえ、人三人抱えて走るなど完璧に火事場の馬鹿力、特に気を失ったままのシエスタはいいとして、ぶんまわされるルイズは体にしがみつくものだから、走りにくいことこの上ない。

「きゃーっ! きゃーっ、ぎゃーっ!!」

「あ、暴れるな! 爪を立てるな! 落としちまうぞ!」

「バカーっ! 落としたら殺す! 置いていったら殺す、だから走りなさいよ!」

 理不尽な怒りを受けながらも、才人は戦いの巻き添えで飛んでくる樹木や家屋の残骸も超人的な身体能力で回避して、とにかく少しでも遠ざかろうと試みた。が、五十メートル以上の大きさの相手から、安全圏に逃げるとなったら容易ではない。むろん、ガンフェニックスも巻き添えを恐れて攻撃はできないし、ヒカリも刃物を振り回す相手をこれ以上刺激するわけにはいかないと手が出せない。

「さ、さっさと逃げておくべきだったぁーっ!」

 後悔先に立たず、悲鳴をあげたところでもう遅い。エンマーゴの歩く振動で走りにくい中を、才人はそれでもフルパワーで走った。しかし。

「サイト、後ろ後ろぉーっ!」

「え? うわぁーっ!」

 ルイズの絶叫で、ふと後ろを振り返ったとき、そこにはエンマーゴが蹴り飛ばした一抱えほどもある巨大な庭石が迫ってきていた。軽く見積もっても一トンはある。エンマーゴにとっては小石ほどだろうが、こんなものが直撃したら人間なんかひとたまりもない。ルイズが慌てて懐をまさぐっているが、とても杖を取り出して失敗魔法を使う暇もない。天は我を見放したか! 才人の脳裏に古い映画で見た台詞が浮かび上がった。その瞬間。

 

『レビテーション!』

 

 突然、才人の体がはじかれるように宙に浮き上がると、ほんの半瞬前まで彼のいた場所に巨石が落下して、そこにあった古い切り株をグシャグシャにつぶしてしまった。そして、巨人につまみ上げられたように、訳もわからないままに空中散歩をした才人たちの下ろされたところは。

「はあい、あんたたちってほんとわたしたちがいないとだめねえ」

「キュルケ!」「タバサ!」

 シルフィードの背中の上に下ろされた才人とルイズは、間一髪のところで駆けつけてきたこの二人によって助け出されたことを知って、ほっと胸をなでおろした。

「まったく……あんたたちの向こう見ずと考えなしは、何回見てもひやひやするわ、ねえタバサ?」

「もう少し、早く逃げてればよかったのに」

「め、面目ない」

 今回はタバサにも呆れられたように言われ、反論の余地のない才人は頭を掻きながら、自分の非を恥じたが、ルイズはふてくされたようにそっぽを向いて。

「ふん、あんたたちこそ、もっと早く助けにくればよかったのに」

「あら? わたしに借りができちゃった負け惜しみ? けーど、誇り高いラ・ヴァリエール様は、まさか助けられてそのまま、はい知りませんよ、なーんて言いはしないわよねえ?」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 普通なら、最初の一言で激昂しそうなものだが、ルイズの扱いに慣れたキュルケはその上を行ってしまった。どうやら、身長やスタイルのよさ、恋の駆け引き以前の段階でルイズはキュルケに、まだ遠く及ばないらしい。

 だが、キュルケはルイズで遊ぶのはそこそこで中断すると、足を捻挫していたレリアに治癒の魔法をかけていたタバサに声をかけた。

「どう、傷の具合は?」

「問題ない。ちょっとひねっただけ、安静にしてれば一週間くらいで歩けるようになる」

 タバサの治癒は炎症を止めるくらいで決して強くないけれど、サバイバル的な医療知識のある彼女の診断を聞いて、キュルケはほっとしたように微笑んだ。

「よかった。もう歩けないなんて言われたら、シエスタになんて言おうかと思ったわ。それにしても、無茶もいいところよ。あんなことをして無駄死にになるとは思わなかったの?」

「返す言葉もありません。ですが、ここは私の故郷なんです。私が生まれ、育ち、そして私の子供たちが生きていくための、かけがえのない場所なんです。そこを守って次の世代に託すのが、母親である私の務め……あなたも、いつか母親になったらわかる日が来ますよ。どんなに大きくなったって、自分が腹を痛めて生んだ子供ほど、かわいいものはないんですから」

「……」

 まだ気を失ったままのシエスタを優しく抱きかかえるレリアの言葉を聞いて、自分が母親になることなど考えたこともなかったキュルケは、久しぶりに故郷に残してきた両親のことを思い出し、ルイズやタバサも、幼いころの家族の思い出に心を寄せた。

 けれど、レリアのそんな姿にもっとも強いショックを受けたのは、ほかならぬ才人だった。もちろん、才人の母とレリアは顔は全然似ていない。それでも、かもしだす優しい雰囲気は、昔母から与えてもらったものと変わりなかった。

 そう、たまたまテストの点がよかったとき、食器洗いを手伝ったとき、そんななんでもないことでも母は大げさに、なんの他意もなく褒めてくれた。

 もしも、シエスタが突然行方不明になったらレリアはどんなに嘆き悲しむだろう。見れば見るほど、それが痛いほどわかるだけに、才人はレリアに自分の母を重ねて見てしまい、耐え切れなくなった彼は、心の中のそんな罪悪感にも似たもやもやを吹き飛ばすかのように、無理に大声を出して叫んだ。

「ウルトラマンヒカリ、がんばれーっ!」

 

 しかし、ハンディがなくなって自由に戦えるようになっても、ヒカリを追い詰めるエンマーゴの猛攻は止まるどころか、無限のスタミナを持っているかのように斬撃の威力を次第に増していった。

「ヒカリと互角に渡り合うなんて、なんてすごい奴なんだ」

 見守るミライからも、信じられないといった声が漏れる。いまや宇宙広しといえども、ヒカリと互角に切り結ぶことのできるのは、ミライに思いつく中では、かつて戦った宇宙剣豪ザムシャーくらいしか存在しないのに、疲労がたまっていくヒカリとは反対に、エンマーゴの剣に衰えは見えない。そして、とうとうエンマーゴの剣がナイトビームブレードをはじき、剣の先がヒカリの喉元をかすめた。

「ヒカリ!」

「危ない!」

「サイト!」

 ミライの左腕にメビウスブレスが現れ、才人とルイズのウルトラリングに光が灯る。

 だが、加勢に駆けつけようとしたミライや才人たちの頭の中に、ヒカリからの声がテレパシーで響いた。

「待て! この戦いは、俺にやらせてくれ」

「ヒカリ!? しかし、君だけでは」

「そうですよ、エンマーゴはウルトラマンタロウも負けかけたほどの強敵なんですよ」

「意地張ってるんじゃないわよ! あんたやられかけてるじゃないの」

 手助けを拒もうとするヒカリに、三者からそれぞれテレパシーで抗議がかかるが、ヒカリの意思は固かった。

「すまない。しかし、俺の部下が人生を懸けて守りぬいたここは、あいつが信じた俺とGUYSの力で守りたいんだ」

「ヒカリ……」

 それは、かつてGUYSを率いながら、使命を果たせなかったセリザワの無念を込めた頼みだった。つまらない意地と笑うなら笑えばいい。しかし、平和を守るものとしての誇りは、効率という言葉で切っていいものなのか。

 すると、沈黙したミライや才人たちに代わって、GUYSの面々が次々とヒカリの意思に応えて叫んだ。

「セリザワ隊長の言うとおりだぜ。あんな怪獣の一匹や二匹にてこずってるようじゃ、佐々木先輩にどやされるぜ」

「アミーゴ、悪いが今回はお前たちの出番はなしだ。後輩の実力、天国のOBにしっかりとおがませてやるぜ」

「ミライくん、僕たちはまだ力を出し尽くしちゃいない。大丈夫、勝算はあるさ」

「みんな……はいっ! ですが、僕だってCREW GUYSの一員です。僕も、みんなといっしょに精一杯戦います」

「ああ、GUYSの誇りをみんなで見せてやろうぜ。ようし、ウルトラマンヒカリを援護する。いくぞみんな!」

「G・I・G!」

 翼をひるがえし、急角度からの攻撃を加えるガンフェニックスと、地上からの銃撃がエンマーゴに隙を作り、そこを狙ってヒカリが剣を振り下ろす。確かに奴は強い、しかし心を一つにして立ち向かえば、たとえ相手がどんなに強大だろうと切り開けない道は無い。

「あれが、ウルトラマンといっしょに戦い抜いた人たち……」

 才人は、GUYSがメテオールを持っているから強いと思っていたが、メテオールの効かない敵を目の当たりにして、なぜGUYSが一年ものあいだ戦い抜いてこられたのか、その秘密がわかったような気がした。

「戦う、誇り……」

 また、ルイズもGUYSの闘志に、本当の戦う誇りというものを見た気がした。以前自分は、敵に背を向けないものを貴族というのよと言ったが、今ならあのときの自分と彼らとの違いが何かというのがわかる。

 

 それでも、GUYSの総力をあげてもなおエンマーゴは強かった。攻撃を鎧と盾で強引に受けきって、小手先の技を力でねじふせようと大剣を振り回してくる攻撃を続けられ、さしものヒカリも攻撃をさばききれなくなってきた。

「ヌゥッ!」

 戦国時代の剣豪は、全身を分厚い鉄の鎧で覆って、防御を完全に無視した現代の剣道では考えられない荒々しい攻撃一点張りの剣術を使った猛者がいたと言われるが、エンマーゴの戦い方はまさにそれを彷彿とさせた。このままでは、疲労したヒカリはいずれ直撃を受ける。戦いに慣れたタバサやキュルケだけでなく、才人たちもそう感じたとき、奴は突然口からあの黒煙をヒカリに向かって吹き付けてきた。

「グワァァッ!」

 至近距離からの噴霧だったので裂けられず、ヒカリはもろに黒煙を全身に浴びてしまった。さらに、あらゆる樹木を腐らせる黒煙は、ウルトラマンに対しても強力な毒ガスとして作用し、視界を奪って全身をしびれさせる。

「卑怯な手を!」

 ルイズは怒ったものの、怪獣や宇宙人に卑怯もラッキョウもない。体の自由を奪われてひざを突いたヒカリをエンマーゴは鉄柱のような足で蹴り上げて、わざと剣を使わずに剣のつかや盾でなぶるように殴りつけてくる。おまけに、防戦が続いてエネルギーを消費し続けていたために、カラータイマーも点滅を始めて、警報音が村に響き渡り始めた。

「なんで反撃しないのよ!」

「毒が、体にまわってる。彼もわたしたちと同じ、生き物」

 タバサの言うとおり、ウルトラマンも生命体である以上、毒は人間と同じように効いてしまうのだ。エネルギーの欠乏に加えて、体を麻痺させられたヒカリは反撃もままならず、エンマーゴは肉食獣が倒した獲物を誇るときのように足蹴にして愉快そうに喉を鳴らして笑った。しかも、足の下に敷いたヒカリにとどめを刺そうと、エンマーゴの剣はさらに無慈悲に高く振り上げられる。

「あいつ、首を刈る気よ!」

 キュルケが思わず口を押さえて悲鳴をあげた。エンマーゴの剣は、かつてウルトラマンタロウの首を切り落としたほどの切れ味を誇る。そのときはタロウの持つ強力なウルトラ心臓のおかげで奇跡的に再生に成功したが、ヒカリにはそんなことは不可能だ。

 

 だがそのときだった!

 

「リュウさん、ウィンダムの使用許可を!」

「ようし、メテオール解禁!」

「G・I・G!」

 許可を受けて、テッペイはノートパソコン型のGUYSタフブックから緑色の卵ほどの大きさのカプセルを取り出し、自分のGUYSメモリーディスプレイに接続すると、ディスプレイにメテオール使用可能のシグナルが浮き上がった。そう、GUYSメモリーディスプレイは、各隊員の身分証や通信機、さらに過去に出現した怪獣の簡易データが収録されている万能ツールとしての機能のほかに、ガンクルセイダーやガンフェニックスと同じく、いくつかのメテオールアイテムの作動キーとしての役割も持っているのだ。

 そして、メテオールはキャプチャーキューブやスペシウム弾頭弾だけではない。それと並び、CREW GUYSを象徴するとっておきの目玉、分子ミストの送り込みが成功し、リムエレキングがこっちの世界で出現できたことから、使用可能が確実となった奥の手がまだある。

 テッペイはスタンバイOKを確認するとエンマーゴからやや離れた村の広場へと、拳銃のようにメモリーディスプレイを向けてスイッチを押した。

 

”リアライズ(顕現)”

 

 メテオール作動の電子音が鳴り、それに続いて広場に緑色の粒子が渦を巻いて現れ、その中から西洋の甲冑を身にまとったような銀色の怪獣が現れる。そしてテッペイは、その怪獣に向けて大きな声で命令した。

「頼むぞ、ウィンダム!」

 機械の駆動音のような鳴き声を上げて、銀色の怪獣は力強く両腕を上げて、エンマーゴに存在をアピールし、新たな敵の出現にヒカリへのとどめをいったん中断してこちらに剣を振り上げてくるエンマーゴを睨みつける。これこそ、ミクラスと並んでCREW GUYSの誇る頼もしい仲間、マケット怪獣ウィンダムだ!

「ウィンダム、攻撃開始だ!」

 剣を振りかざして威嚇してくるエンマーゴに、ウィンダムはその場から動かずに両腕を上げると、額のランプからビームを発射した。その前触れのない一撃に、さしものエンマーゴも驚いて鎧に喰らって後ずさる。

 また、ルイズたちも突然現れた銀色のゴーレムのような怪獣に驚いていたが、才人は驚く彼女たちに愉快そうに説明した。

「サイト、もう一匹怪獣が現れたわよ!」

「いや、あれは味方だ」

「えっ? あの、ゴーレム、みたいなのが味方?」

「ゴーレムか、確かに似たようなもんだけど、中身は全然違うぜ、見てろ」

 ウィンダムは皆が見守る中で、ヒカリを助けようとビーム攻撃を続けた。しかし、エンマーゴは一時は驚いたものの、すぐにビームを盾で防御し、この攻撃をものともしていない。あざ笑うエンマーゴ、ただしウィンダムの力は才人の言うとおりこれだけではない。

「負けるな、ファイヤーウィンダム!」

 そう、このウィンダムはウルトラセブンが使役していたカプセル怪獣のウィンダムをモデルに作られているが、オリジナルにないGUYS独自の改良も施されている。元々遠距離攻撃が得意で、クール星人の戦闘円盤を撃ち落したこともあるウィンダムの左腕には、大きなカノン砲が装備されており、そこから強力な火炎弾をピストルのように連射して放つことができるのだ。

「いいぞ、攻撃を緩めるな!」

 これには、さしものエンマーゴも盾の陰に隠れてうかつには動けない。おまけに、ロボット怪獣であるウィンダムにはあの黒煙も効果がありはしないだろう。その勇姿に元気付けられた才人たちの前で、ファイヤーウィンダムの猛攻は続く。

「よし、これならいけるぜ。頑張れ! ウィンダム」

「あれほどのゴーレムを自在に召喚して操るなんて、あんたのところって、ほんと便利なものがあるのね」

「ああ、すげえだろ。これがGUYSの実力さ!」

 ウィンダムを間近で見て鼻高々な才人だったが、実は彼はメテオールが一分間しか使えないということまでは知らなかった。とはいえ、メテオールは以前トリヤマ補佐官が、うっかり記者会見でしゃべってしまいそうになったとき、厳しくけん責処分になったほどにGUYSも機密保持に神経質であり、一般情報しか知りようのない彼が知らなかったのはやむをえないところではある。

 しかし、ウィンダムはメテオールが生み出すただの幻影や、ましてや言いなりのロボットなどではない。

「ウィンダム、頑張れ!」

 テッペイの声に勇気づけられたかのように、ウィンダムはダイヤモンドをも切断できるという剣を自分に向かって振りかざしてくるエンマーゴにひるまずに、ヒカリを助けようと銃撃を続けて援護する。仲間たちの思いを一つに、それは彼らも同じ、マケット怪獣たちは心を持つ立派なGUYSの仲間たちなのだ。さらにその隙をついてガンフェニックスが側面や背後から攻撃をかけていく。

「がんばれセリザワ隊長! あんたの力は、こんなものじゃねえだろ」

「立ち上がれ! あんただって、おれたちGUYSの仲間だろ」

 リュウやジョージの声が、苦しむヒカリの耳に届く。

 そして、その仲間の声をウルトラマンは裏切らない。

「ヌゥゥ……ッ、ダアッ!」

 全身にこびりついていた黒煙を振り払って、ヒカリは残り少ないエネルギーを振り絞ってエンマーゴに斬りかかり、下段から打ち上げたナイトビームブレードでエンマーゴの剣を手元から弾き飛ばした。

「やった!」

 その瞬間、タイムリミットを過ぎたウィンダムは再び緑色の分子ミストになって消え去った。だがウィンダムの奮闘とヒカリの渾身の力で、エンマーゴの手からはじかれた剣は回転しながら空中を舞い、三百メートルほど離れた場所に突き刺さった。

「セリザワ隊長、今だ!」

 メテオールを使い切ったガンフェニックスではエンマーゴにとどめを刺す手段はない。しかし、リュウの叫びが響いても、カラータイマーの明滅がすでに限界点に近づいてきているヒカリの体には力が入らない。

「隊長ぉ! 立ってくれ」

「畜生、剣に近づかせるか!」

 ヒカリが動けない今、剣を取り戻されては勝ち目がない。ガンフェニックスはバリアントスマッシャーで足止めを図るものの、最大の武器を取り戻そうと焦る奴の足取りは止まらない。これまでか! ミライや才人たちの手がメビウスブレスとウルトラリングにかかりかけた。だが、地面に突き刺さった剣に、今まさにエンマーゴの手がかかろうとした瞬間、突然エンマーゴの体が光るオーラに包まれたかと思うと、その動きが凍りついたように止まった。

「なんだっ!?」

 あのエンマーゴが、指一本動かせないほどに動きを止められている。ミライは直感的に、これが念動力により封印だと直感したが、これほどのパワーはウルトラ兄弟でも、レッドギラス、ブラックギラスの双子怪獣やガロン、リットルの兄弟怪獣を撃退したほどの力を持つほど、特に念力に優れたウルトラセブンくらいしかまず発揮することできないはずだ。ならば、いったい誰がこれほどの念力を、もしかして!

 

”愚か者め、四百年前に貴様を封印したこの景竜を忘れたか? 剣を失い、慌てて心を乱したのが、ぬしの運の尽きよ”

 

 それはミライによって、タルブ村の小高い丘の上に置かれた地蔵に宿った古代の妖怪退治屋・錦田小十郎景竜の念力による金縛りの技だった。

”これがわしに残された最後の力じゃ。どうじゃ、動けまいが”

 残留思念となった景竜には、もはや生前のような神通力はない。しかし、彼は万一のときに備えて、この地蔵にその力を思念とともに一度限りの切り札として封印していた。しかしそれも、まともに使っては強力なマイナスエネルギーに跳ね返されかねないので、彼は残った力を本当の最後の攻撃の、今このときのために温存していたのだ。

”今じゃ、とどめを刺せ!”

 動きの止まったエンマーゴを指して、景竜の声がヒカリに届く。今を逃せば剣を取り戻したエンマーゴを倒す術はない。

「立ってくれセリザワ隊長!」

「ヒカリ! 頑張って」

「負けるな! ウルトラマンヒカリ!」

「立て! 立つのよ! そのくらいでへたばるんじゃないわよ!」

「いっけーっ! 勝つのよーっ!」

「お願い、あのときのように、立って、ウルトラマン」

「立ってくれ! 俺たちの村を、救ってくれーっ!」

「ウルトラマーン!」

 リュウやミライたちGUYSの面々、才人たちやレリアたち村人たちの心からのエールが、ヒカリの消えかけた光に新たな灯を灯していく。

「そうだ……俺は、ウルトラマンなんだ……!」

 蘇ったウルトラの心に奮い立たされ、ヒカリはついに苦しみを振り切って二本の足で大地に立ち上がった。

「デャァァッ!」

 そう、ウルトラマンであるということは、常に人々の希望であり続けるのと同時に、決して彼らの期待を裏切らないこと。ヒカリは空に向かってかかげたナイトブレスに残った全てのエネルギーを込めて、青い雷のようにスパークしたその光のパワーを十字に組んだ手から解き放った!

 

『ナイトシュート!』

 

 青い正義の光芒が、エンマーゴに突き刺さり、マイナスのエネルギーと相反するパワーが怒涛のように、その強固な鎧をも貫きとおす勢いで吸い込まれていく。

「いけーっ!」

「ダァァーッ!」

 人々の声援と、ヒカリの正義の意思が最高潮にまで高まったとき、その奔流の力にとうとう耐え切れなくなった地獄の妖魔は、闇の鎧に無数の亀裂を生じさせた。そして次の瞬間、天界の浄火をつかさどって悪鬼羅刹を焼き尽くすという不動明王の裁きを受けたかのように、真っ赤な炎に包まれて粉々の塵となって消し飛んだ!

 

「やった!」

「うぉっしゃあーっ!」

「すごいっ!」

「わーい! ウルトラマンが勝ったあー!」

 

 ヒカリの勝利に、GUYSや才人たちだけでなく、村人たちのあいだからも老若男女問わない歓声があがって、喜びの声が平和の歌声となって山々と村の空にこだましていった。

 だがそのとき、ヒカリやミライたちウルトラマンの力を持つ者たちは、砕け散ったエンマーゴの炎の中から、どす黒いもやのような塊が抜け出ていくのを見た。

「あれは! エンマーゴの亡霊体か!?」

 そう、エンマーゴが人間の邪悪な思念から生まれた怪獣ならば、実体である肉体を破壊しても、その邪悪な精神はマイナスエネルギーの集合体となって残る可能性がある。となれば、あれを逃せばまたエンマーゴがいつかどこかで復活する可能性があるのだ。ウルトラマンたちの背筋を冷たいものが走った。

 しかし、実体のない霊魂のような相手をどうやって止めればいいのかと焦りかけたとき、エンマーゴの亡霊体は突然底の抜けた池の水のようにお地蔵様の小さな体の中に吸い込まれていって、景竜の言葉が彼らの心に最後に響いた。

 

”実体を失った影の状態ならば、今のわしでも封じることができる。さらばじゃ、光の人たちよ”

 

 それが本当に最後の力だったのか、景竜の言葉はそれっきり二度と聞こえることはなかった。そういえば、かつて地球でもエンマーゴの前に絶体絶命に陥ったウルトラマンタロウを助けてくれたのは、土地に埋められていたお地蔵様だという。この世界では、ちょっとひねくれていたが、ハルケギニアでもやっぱりお地蔵様は正しい者の味方だった。

 

「こちらこそ、感謝する。あなたの力や、そして仲間たちや村人たちの思いがなければ、奴には勝てなかった」

 

 光は闇を照らすことはできるが、闇はたやすく光を侵食する。しかし夜空を無数の星々が輝かすように、小さな光でも集まれば闇を打ち負かすことができる。そして、エンマーゴの邪念が完全に封じ込められたことを確認したヒカリは、人々の歓声をその背に受けながら青空へと飛び立った。

 

「ショワッ!」

 

 戦いは終わり、村に平和が蘇った。

 避難していた村人たちは続々と村へ帰還していき、勝利に沸いて精気あふれる男たちによって、壊された家々の修復がさっそく始められた。

 景竜のお地蔵様は、今度こそエンマーゴが復活しないようにガンフェニックスで地球に持ち帰ったあとで、メビウスによってグレイブゲートという、怪獣墓場に通じるといわれる宇宙の果てに運ばれることになった。

 そうして、平穏を取り戻した村の中で、GUYSのクルーたちが熱烈な歓迎を受けたのはいうまでもない。派手なパーティは勘弁してくれということで、シエスタの家で昼食会が開かれただけでお開きとなったが、ヨシュナヴェはあっという間に平らげられてしまい、フェニックスネストに残ったコノミやマリナをうらやましがらせた。

 なお、今頃になってこの地方の領主の竜騎士が数騎駆けつけてきて、ガンフェニックスが疑われそうになったが、トリステイン最大勢力のヴァリエール家の三女であるルイズに脅されると、小心さを自ら証明するようにさっさと引き返していった。

 だが、明るい光に包まれた村の中で、ふとルイズは才人に呼び出されてガンクルセイダーの納められている寺院で二人きりになった。そしてそこで、心臓が止まりそうな衝撃を才人から受けて、冷たい床に崩れそうになった。

 

「ルイズ……おれ、地球に帰るよ」

 

 

 続く



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第95話  最後の夜

 第95話

 最後の夜

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ 登場

 

 

 ハルケギニアの夜空は、二つの月がそれぞれ個別に満ち欠けを繰り返し、青い月が一つだけしか見えないときもあれば、どちらの月もまったく見えない新月の夜もある。

 そして、あの日食の日は二つの月が完全に満ちる特別な満月であった。しかしそれから二日が過ぎたこの日の空は、青と赤の月が、まるで千千に乱れる才人とルイズの心を象徴するかのように、中途半端な欠け方で、くっつきもせず離れすぎもせずに夕闇に染まりつつある星空の中にたゆたっていた。

 

「ルイズ……おれ、地球に帰るよ」

 

 エンマーゴとの戦いが終わってしばらくしてからのこと、才人に呼び出されて地球へ帰るという決意を告げられたルイズは、一瞬頭の中が蒼白になってしまったのを感じた。しかしプライドの高いルイズは、理性と意思を総動員して自分を奮い立たせると、高い熱を出しているときのように視界がぐらつき、動悸が押さえようもないくらいに激しくなっていく中で、彼に言葉を返した。

「そ、そう……やっと決意が固まったの……よ、よかったじゃない。これで、あんたも自分の家に帰れるのね」

 そのとき才人がはっきりとルイズの顔を見ていれば、作り笑いの中で大量の冷や汗をかきながら震えているのが見えただろうが、あいにくそのときの彼にルイズの顔を直視する勇気はなく。

「ああ、長いあいだ世話になった」

 と、視線を逸らして言うのが精一杯だった。

「ふ、ふん、無駄飯食いが減って、せいせいするわ。で、でも、どうして急にそんなこと決めたの? それくらい教えなさいよ」

「……懐かしくなりすぎちまってな……」

「え?」

「レリアさんや、シエスタたち親子を見てると、お袋を思い出しすぎちまう。きっと、すっげえ心配してるだろうな。それに……この村の人は、みんな自分の故郷のために努力してる。おれは、やっぱりこの世界では根無し草だって実感した」

 いくらこの世界に長くいようと、才人が地球人であることを動かすことはできない。佐々木隊員のように、この世界に骨をうずめるだけの根は張り巡らせていないし、第一地球にはまだ彼という草を育てた両親という土が、彼の根を離さずにずっと待っている。根は地球に、葉はハルケギニアに……今の才人は洪水に飲み込まれた一本の草のように、ただの草にも、ましてや水草になることもできずに水面で必死に自分を探していた。

「あ、で、でも心配するなよ! 行ったっきり二度と帰れなくなるって決まったわけじゃねえし、きっとまた戻ってくるよ!」

 それが気休めであることくらい、ルイズにだって簡単にわかる。それでも、言わずにはいられないのだろう。

「サイト……わ、わたしも……」

 ルイズは、自分も連れて行ってと思わず口にしかけて止めた。無理をしてでも才人と離れたくないという気持ちに偽りはないが、それでは二人の立場を逆にしてしまうだけだ。第一、無理に行ったとしても才人にルイズを養う力はない。

 しばらくのあいだ、才人もルイズも次の句をつなぐことができずに、沈黙と静寂がその場を支配した。それが破られたのは、二人とも棒立ちで何十分経過したのか、寺院の扉が無遠慮に外から開け放たれたときだった。

「はーいーっ! 探したわよ二人とも、急に消えるもんだから何かあったんじゃないかって……あら? お取り込み中だったかしら」

 どうやら、かなり長い時間を無為に過ごしてしまっていたらしいが、キュルケは二人の雰囲気を見て、なんとなくそれを察して訳を聞くと、なるほどとかぶりを振った。

「そう、とうとう覚悟を決めたのね」

 思えば、この村には才人の望郷の念を呼び覚ますものが多すぎた上に、レリアとシエスタの親子を見て、国の両親が心配になったというのが何よりも大きいだろう。例えばルイズも、万に一つもないかもしれないが母親のカリーヌが倒れたり、姉の誰かが事故に合ったという知らせが来たりしたら、いくら日頃反目しているとはいっても飛んで帰るし、キュルケもそれは同様。タバサも、もしも病床の母に手を出す者がいたら、即座に殺すつもりでいた。

「で、ルイズはそれでいいわけ?」

「え?」

「え、じゃないわよ。使い魔と主人は一心同体、どちらかが死ぬまで離れることはできないんだって、いつもあなたが言ってることじゃない!」

「……」

 それが建前を利用した叱咤であることは明らかだった。才人が故郷に帰るという苦渋の決断をしたことは仕方が無い。だが、ルイズはその”仕方がない”を才人の意思を尊重するという理由で無条件に許容しすぎて、自分の気持ちをいまだにまともに口に出せていない。要するに、キュルケは、

「いいかげんにしろ!」

 と、ルイズを言外に怒鳴ったのだった。

 しかし、無言で押し黙るルイズに、これまでのじれったさもあってさらに怒鳴りつけようとしたキュルケは、そでを引いてくるタバサに止められた。

「どうせ無駄……」

 キュルケは彼女らしくもなく、軽く歯軋りをすると怒りをおさめた。長いあいだ他人に心を閉ざし続けたルイズの心の扉を、力でこじ開けさせるのは無理だと、タバサの言葉で気づいたのだ。

「ああ……そういえばそうね。この子の頑固さは、ダイヤモンドより硬いんでしたっけ。ともかく、一度帰るわよ、ここはどうも陰気くさくていけないわ」

 扉を乱暴に開け放つと、キュルケはいつもの淑女を装った体ではなく、荒っぽく道の砂利を踏みつけながら歩いていって、才人たちもタバサに無言でうながされて、寺院を後にした。

 しかし、タバサの一言は同時にルイズの心にも大きく突き刺さっていた。

”どうせ無駄”

 それは、どうせ本当のことを才人に言う勇気なんか、どうしたってルイズにあるわけがないと、この小さな少女からの、冷酷な侮蔑のように聞こえた。しかし、ルイズがそれに対抗できる文句は虚勢の一言も存在しなかった。

 

 二人が戻ったときにはタルブ村での騒動は後始末が一区切りついて、リュウたちも一休みしていたところで、才人は自分の決意を彼らにも伝えた。

 

「本当に、それでいいんだな?」

「はい、ですが、みんなとあいさつをすませたいんで、もう一日待ってください」

 

 才人の決意を聞いたリュウは、それ以上なにも言いはせずに、彼の肩を軽く叩いただけだった。

「いいのか、何も言わなくて?」

「言ってどうする。ますますあいつを悩ませるだけだろう」

 ジョージの問いかけに、リュウはそっけなく答えただけだった。もちろんジョージもミライも、そのとおりだとわかっているので、才人に対しては何も言ってやることはできなかった。

 それに、実際問題としてGUYSもいつまでも才人にだけかまっているわけにもいかないのが現実である。次のゲートを開くときにも備えて、この世界のデータの収集など、やることはいくらでもあったし、激しい戦闘を繰り広げたガンフェニックスはどうしてもいったんフェニックスネストに戻して整備を受けさせる必要があった。

 そして、別れ際に才人はもう一つリュウに自分の持ち物を託した。

「この銃は?」

「ガッツブラスター、俺より前にこの世界に来た異世界の人が残していったものだそうです。もう弾切れですが、うちにもって帰るわけにもいかないし、引き取っていただけますか?」

 かつてアスカ・シンがオスマン学院長に託し、三十年の月日を経て才人の手に渡ったビームガンは、リュウの手に渡されてその役目を終えた。

「いいの、あれあなたの武器なんでしょう?」

 何度も肩を並べて戦って、ガッツブラスターの威力を目の当たりにしてきたキュルケが、もったいなさそうに言ったが、才人は首を振った。

「いいさ、俺の故郷には戦いはないし、ここに残していって、誰かに悪用されても困るんでな」

 この世界の技術ではガッツブラスターの解析も複製も不可能だが、ライト兄弟の飛行機の発明からゼロ戦が登場するのに、わずか四十年ほどしか必要としていない。ここに残していって、百年後、二百年後に構造を解析されたら、当然のように兵器に転用されるだろう。平和を守るための武器が、戦争兵器にされるのは耐え難いことだった。その点、ゼロ戦も同様だが、さすがにあれを持ち帰るのは無理なので、才人はあのゼロ戦のパイロットの遺体から預かった軍人手帳を向こうの世界の遺族会に届けることにして、機体の破壊をロングビルに頼むことにした。

「だから、その分もうしばらく頼むぜ、デルフ」

「相棒……」

 背中のデルフリンガーも、寂しそうにつぶやいた。半年前、武器屋で買われて以来、なんだかんだ言いながらも才人とデルフは常に死線をくぐり続けてきた。才人がいなくなったら、銃士隊にでも引き取ってもらえば使い手には困らないだろうが、彼としてもこんな形でせっかくめぐり合った使い手と別れるのは心苦しいだろう。

「シエスタ、ごめん、さよならだ」

「サイトさん……」

 最後に、シエスタとレリアの親子に才人は別れを告げた。シエスタは、エンマーゴに壊されたタルブ村の復旧のために、ウェストウッドには戻らずにここで皆と別れることになったから、必然的に才人ともお別れということになる。

「思えば、ずっと前からシエスタには世話になりっぱなしだったな。ろくにお礼もできなくて、本当にごめん」

「そんな……お礼を言わなきゃいけないのはわたしのほうです。サイトさんが来てから、学院のメイド仲間たちも、貴族の人におびえてばかりじゃなくなりました。それに、サイトさんのお友達の人は、みんないい人ばかりで、ずっと働き甲斐のあるところになって、みんな感謝してるんです。それに、それに……わたしはそんなサイトさんのことがずっと……」

「シエスタ、聞き分けなさい。サイトくん、できれば私もあなたをシエスタの婿にもらっておじいさんの畑を受け継いでもらいたかったんだけど、代わりにどうかおじいさんの魂を故郷に返してあげてね」

 レリアはぐずるシエスタをなだめると、才人に佐々木隊員の使っていた隊員服と、メモリーディスプレイ、トライガーショットを手渡した。

「はい、おばさんにもいろいろとお世話になりました。それに、いろんな勉強をさせてもらいました。本当に、ありがとうございます」

 それは才人の本音だった。親の心子知らずとはよく言うけれど、実際どれほど自分が親不孝者だったか、嫌と言うほど実感していた。レリアは、祖父や両親から受け継いだ村を、シエスタたち子供たちに受け継がせるために命を懸けていたというのに、自分は生まれてこのかた両親から受けた恩を百分の一も返したことはない。孝行したいときに親はなしとも言うが、もし次の機会があったとしても、それが間に合うとは限らないのだ。

 名残惜しむシエスタや、感謝の気持ちを表す村人たちに見送られながら、才人たちは、今度はシルフィードのみに乗り込んだ。そうしてガンフェニックスから分離したガンウィンガーに引かれ、かろうじて動力の残っていたガンクルセイダーはガンローダーとガンブースターの二機に牽引されて、ガンウィンガーはウェストウッド村へ、残りの三機は地球へとそれぞれ飛び立った。

 

「じゃあ、俺たちはいったん地球に帰るが、ミライ、それまで彼らを見てやってくれよ」

「はい。まかせてください」

「セリザワ隊長も、お気をつけて」

「ああ……俺には、この世界でやらねばならないことがあるからな」

 最後に無線で、リュウはガンウィンガーとともにこちらの世界に残ることになったミライとセリザワの二人に別れを告げてこの世界を去っていった。

 計算によれば、ゲートが閉じる時間はこちらの世界では明日の昼過ぎ、ガンフェニックスの最後のハルケギニア突入は地球時間で午前九時と決まった。

 

 才人たちに残された時間は、あとおよそ半日程度……ウェストウッド村に戻った才人にとって、それは長いのかそれとも短いのか、他人には判断できない。

「あの二人、どうしたの? 帰ってきてから、一言もしゃべらないけど」

「今は、そっとしておいて」

 ティファニアに、戻ってきた才人とルイズがずっと沈黙して、何を言っても無視されることを問われたキュルケは、自分も今はどうしていいのかわからないというふうに寂しげに答えるしかなかった。その後、タルブ村で何があったのかを彼女から伝えられたティファニアは残念そうにうつむき、ロングビルは空を見上げると、憂えげにため息を吐いた。

「二つの満月、二つの月が重なるときに起こる日食が呼ぶ奇跡……ね」

 恐らく、過去に日食のときに起こった奇跡と呼ばれている現象も、地球やその他の異世界と一時的にハルケギニアが連結されることによってこの世界に現れた、この世界の人間では理解できないもののことを指しているのだろう。

「ふっ……奇跡といえば、私がここにいるのも何もかも、奇跡みたいなもんだけどね」

 これまであの二人が起こしてきた、”奇跡”と呼べるものは数知れない。非情な盗賊フーケが、魔法学院教師ロングビルとしてこうしているのも、それにトリステインを襲った様々な事件を解決してきた背後の多くには、彼ら二人の姿があった。

 ただ、奇跡とは神が人間に与えた祝福と言われるが、あの二人にとってこの奇跡は、果たして幸せなものになるのだろうか……

「神様ってのは、いったい人間に何をさせたいんだろうねえ」

 鬼や悪魔なら、やることがはっきりしているからいい。しかし、神様というやつは人を救うかと思えば試練を与えたり、罰を下したりと節操がない。さして敬虔なブリミル教徒ではない彼女は、あの二人にこんなろくでもない運命を与えた神という奴がいるとしたら、靴の先っぽを踏んづけてやりたい気持ちになった。

 

 そして、そんな才人たちを、セリザワとミライはガンウィンガーの翼の上にたたずんで見守りながら、テレパシーを通して彼らの心の中にいるウルトラマンAと、精神世界で会話していた。

「エース兄さんは、やはりこの世界に残られるんですか?」

「ああ、ヤプールの大攻勢は食い止めたが、今日のようにそれとは関係ない原因で暴れだす怪獣や、ヤプールに便乗して漁夫の利を占めようとする宇宙人が、いつこの星を狙いに来るかもしれない。今、この星を離れるわけにはいかないんだ」

 エースの言葉は、ヤプールをきっかけにしてこの星に怪獣頻出期が訪れるかもしれないという可能性を示唆していた。そうなれば、地球と比べてさえはるかに戦力に劣るこの星など、簡単に滅亡してしまうだろう。

 だが、メビウスはエースの言うことをもっともだと思いながらも、それがどんなに危険なことかということを危惧していた。

「しかし、ヤプールはまた力を蓄えて大攻勢をかけてくるでしょう。いくらエース兄さんでも、一人では」

「だからだ、メビウス、お前は向こうの世界に戻って、ゾフィー兄さんやウルトラの父にこの世界で起こっていることを直接報告しろ。そうして、皆を連れて必ずここに戻って来い」

「兄さん、それじゃあ」

「ああ、これはもはや私一人で解決できることではない。我らウルトラ兄弟全員で当たるべき問題だ。お前が次のゲートを開いてくるまでの三ヶ月、私が何としてでも持ちこたえていよう。いいな」

「兄さん……」

「心配するなメビウス、ここには俺も残る」

「ヒカリ!」

「ナイトブレスを持つ俺ならば、この世界でも行動に支障はない。それに、ボガールがこの世界で隠れ潜んでいるのならば、奴を倒すのは俺の仕事だ」

 ヒカリにとってボガールの殲滅は宿命と呼んでいい。食欲のおもむくままに惑星アーブを始め、数多くの命あふれる星を滅ぼしたあの悪魔が、この世界に潜んでいる可能性が少しでもあるなら、絶対に見逃すわけにはいかなかった。

「わかりました。でも、無茶はしないでくださいね」

「ああ、俺はもう、二度と復讐の闇に囚われたりはしない。ボガールは、あくまで宇宙警備隊員として倒す」

 それを聞けば、メビウスにもう言うことはなかった。

「よろしくお願いします。僕も、必ずソフィー兄さんたちと共に、もう一度ゲートを開き、この世界に戻ってきます! ですが、エース兄さん……」

「わかっている。メビウス、人間の命は我々に比べて短く、そしてその生涯には常に試練がともなうものだ」

「はい、才人くんとルイズちゃん、ぼくらに何かしてあげられることはないんでしょうか?」

 メビウスは、深く沈みこんでいる二人を心配して言ったが、エースはそんな迷える弟に、人間、北斗星司として教え諭した。

「残念だが、我々には何もしてやることはできん。だが、人間には自分の力で試練を乗り越えていける力がある。お前の仲間たちがそうであったように、彼らがどんな答えを出すにせよ。信じて見守ってやれ」

「はい!」

 ウルトラマンは決して万能の神ではない。怪獣を倒し、宇宙人の侵略を阻止することはできても、一人一人の人間が、その中でどんな人生を歩むかは、その人間自身の選択しかないのだ。

 

 しかし、残された時間は、過ごす方法が無為にせよ有意義にせよ、完全に平等に流れていく。太陽が地平線上に消え去った後でも、才人とルイズはろくに会話をしようともしていなかったが、夕食後に才人から皆に頼まれたことは、一同を驚かせた。

「今夜のうちに、学院に帰るですって!?」

「ああ、せめて学院長くらいにはあいさつしておきたいからな」

 ガンウィンガーに牽引してもらえば、学院までは一時間半もあれば充分だろう。夜半に飛べば地上から目撃されても流星と間違えられるかもしれない。しかし、ルイズはそれでいいようだったけれど、それがこの世界への未練のためではないのかとキュルケに問われると、才人はため息をついて答えた。

「正直に言うと、そうだろうな。てか未練がないなんて言ったら、おれはどんだけ人でなしなんだよ」

「そうね……でも、やっぱり帰りたくなくなったからこっちに残るって、気が変わってもあたしは全然歓迎だからね、ダーリン」

 色っぽくウィンクしてきたキュルケに、才人は思わず赤面してルイズに無言で蹴り飛ばされた。

「ってえなあ、何するんだよ!」

「足がすべったわ」

 それっきりお互いにそっぽを向いてしまった二人に、キュルケとタバサは顔を見合わせて、やれやれと首を振った。ほんとに、この期に及んでもなお、素直になれずに嫉妬を燃やすとはたいした強情さだ。

「ちょっと、はっぱをかけてやるつもりだったんだけどねえ」

「あの二人の場合、逆効果」

 タバサに、論文の内容を酷評されたようにつぶやかれて、キュルケは軽く苦笑いすると、ごまかすようにタバサの肩を叩いた。上っ面だけの恋愛ごっこなら奪い取ってやりたくなっても、本当に大事な気持ちで思っているのなら、下心なしで応援したくなる。それもまた、彼女の系統である『火』の情熱のなせる業かはわからないが、才人と恋愛感情がなくなっても、ルイズと家柄では宿敵同士でも、友情まで砕けることはなかった。

「まあともかく、学院に帰るのならわたしたちも同行するわ。もう付き合いも長いし、ここでお別れなんて、つれないじゃない」

「ふんっ! 勝手にしなさいよ」

 嫌そうに振舞っているものの、それが照れ隠しなのは見え見えなので、キュルケは笑いをこらえるのに苦労した。

 

 今度の飛行では、ガンウィンガーにミライとセリザワが乗らねばならないから、シルフィードに残りの全員が同乗することになった。しかし、才人、ルイズ、タバサ、キュルケが乗ったところで、ロングビルが同乗を断ってきた。

「ロングビルさんは、行かないんですか?」

「ええ、元々もう少しここにいる予定だったし、それにせっかく戦争が終わったんだから、この際あちこち見て回りたくてね。こんなとこでも、一応私の故郷だし」

 ティファニアをかくまうようになってから、お尋ね者扱いされるようになったマチルダ・オブ・サウスゴータも、レコン・キスタも壊滅し、旧体制で彼女の敵だった貴族がほぼ廃滅か没落した今なら、もうこそこそ逃げ回る必要はないだろう。むろん、本名こそ名乗ることはできないが、今更その名を名乗る気はないし、商人からの速報でレコン・キスタの残党も、ロンディニウムに王党派が入城したとたんに完全に降伏したそうだ。王権の再生がなった今、それがどういう方向に向かうのか、それぐらいは自分の目で確かめてみたかった。

「それに、ま、一応教師みたいなもんだし、世界情勢ってやつにも詳しくないと生徒のためにならないし、ね……しっかし、一時の宿と日銭稼ぎのつもりであのじいさんに取り入ったのに、いまや本職、人生ってのはわからないもんだよな?」

 言外に、裏家業から抜けさせてくれたことへの感謝をにじませつつ苦笑いしたロングビルに、才人は「いえいえ、ロングビルさんは面倒見がいいし、ほんと天職ですよ」と答えて、さらに苦笑させた。

「言ってくれるわね。けど、私はあくまで給料に見合うだけの分は働いてやってるだけってのを、忘れてもらっちゃ困るよ」

 そう、あのホタルンガ事件の終わりで、彼女は盗賊をやめて学院長秘書として正式に雇われるときに、オスマンに通常の五倍もの給金をふっかけ、その一部はルイズが出しているとはいえ、その分に見合うだけの仕事はしているのだ。

「だがまあ、子供の面倒をみるのは嫌いじゃないし、給料日を待って過ごすのも思ったより悪くはない。だから、私はまたあそこに帰るよ。だからあんたも人のことには構わずに、自分の思ったように行動しな」

 彼女は不器用なりに才人を激励すると、あとは心配するなと眼鏡の奥の瞳を緩ませて、昔からティファニアたちに見せてきたのと同じ笑顔で、早くいきなとうながした。

「じゃあ、さようなら、ロングビルさん、テファ」

「元気でな。体に気をつけていくんだよ」

「さようなら……また、またいつでもいいですから、遊びに来てくださいね」

 ぐすりと、涙をこらえながら手を振ってくるテファを見ると、また罪悪感がこみ上げてくるが、それも自分で決めたことであるから仕方がない。テファとロングビル、アイや子供たちに手を振って見送られながらシルフィードは飛び立ち、ついで離陸したガンウィンガーが、今度はゆっくりめに加速して夜のアルビオンの空を流星のように飛び去っていった。

 

 やがて機体は大陸から洋上に出て、黒一色で塗り込められた中を速度をさらに上げて疾走していく。学院までは、およそあと一時間ほどといったところだろう。

 相変わらず、誰も一言も発しない。そんな中で、キュルケは才人が昼間の疲れからか、うつらうつらとし始めているのに気がついた。そうして、彼が眠っているのを確認すると、隅のほうで向こうを向いたままひざを抱えてうずくまっているルイズの肩を軽く叩いて声をかけた。

「ルイズ、サイトに何か言うことはないの?」

「……」

「大丈夫、サイトは眠ってるわよ」

「……話せば、別れがつらくなるだけよ」

 ぽつりと、しぼりだすように答えたルイズの言葉に、キュルケは話せばつらくなるのは、自分ではなくてあくまで才人を指していることを感じ取った。しかし、自分と話すことで才人の決意を鈍らせてはいけないというルイズの決意の中に、本当に才人に言いたい言葉を、それは言ってはいけないことだと自分の中に押し込めてしまっている、彼女の頑固で愚直すぎるほどの真面目さが生んでしまった苦しみも、同様にキュルケにはわかっていた。

「あなたって、本当にどうしようもないくらいに馬鹿なのね」

「……うるさい」

「でもね、同じくらいに純粋で、とても優しい心を持ってる。まるで、天使のようなきれいな心をね」

「え……」

 思いもよらない宿敵からの優しい言葉に、ルイズは振り返りこそしなかったが、少しだけ頭を上げた。

「サイトの気持ちを尊重してあげたいあなたの気持ちはわかるわ。けどね、おそらくサイトはあっちに戻ったら、当分のあいだ、いいえ悪くすれば二度と帰ってくることはできないわ」

 キュルケの言うことに反論の余地はなかった。仮に三ヵ月後に再度のゲートを作り出すことに成功したとしても、どう考えても一般人である才人が渡航させてもらえるとは思えないし、彼の両親をはじめとする人々がそれを許すまい。だが、この機会を逃せば、今度は二度と才人が帰ることは不可能になるかもしれないのだ。

「わかってるわ……でも、サイトをずっと待ってるご両親を、これ以上苦しめるわけには……いかないでしょう」

 確かに、そのとおりだ。半年ものあいだ、子供と無理矢理に引き離された親がどんな気持ちになるか、レリアとシエスタの親子に才人が感じたようにルイズにだってわかるに違いない。しかし、キュルケにはそれも、ルイズが『正論』という盾の影に隠れて、本当の気持ちを吐き出すことに怯えているように見えて、力づくで無理ならばと一計を案じることにした。

「ねえルイズ、こんなお話を知ってる? 昔々、あるところに戦争ばかりしている二つの国がありました……」

 キュルケはルイズからの返事を待たずに、彼女のかたわらに座りながら、とくとくと子供に子守唄を歌う母親のように、よく通る声で語り話を始めた。

 

 ”二つの国は、ずぅっと長いあいだ戦を続けて、大勢の人が傷つき死んでいました。そんな中で、片方の国に一人の少年兵士がいました”

 

 ”彼は、戦いの中で家族を殺され、自分も大勢の敵を殺してきました。けど、あるときに彼は戦場で一人の傷ついた少女の命を救いました。けれど実は、その少女は敵国の兵士で、彼はこんないたいけな少女を戦争に駆り出すとは、敵国はなんてひどいところなのだと怒り、献身的に彼女を介護しました”

 

 ”初めは、単なる同情や、失った家族の代償だったのかもしれません。しかし、共に過ごすうちに戦いに明け暮れていた少年は、誰かを守るということの喜びを、死に怯えていた少女は守られることで生きることへの希望を持っていきました”

 

 ”そして、少年と少女は次第に惹かれあい、愛し合うようになっていきました”

 

 ”けれど、少女が負った傷はあまりに深く、少年の献身的な治療だけでは治癒させることはできず、日を負うごとに少女は衰弱していきました”

 

 ”さらに、二人のことを知ったその国の軍隊は、少年にその少女を引き渡すように要求してきたのです”

 

 ”少年は悩みました。いつまでも、愛する少女といっしょにいたい。けれども、ここにいれば彼女は軍隊に殺されるか、それでなくとも衰弱して死んでしまいます。助けるには、敵国に彼女を帰して治療を受けさせるしかありません。ですが、少女の敵国の人間である自分は、いっしょに行くことはできない。そうしたら二度と自分は彼女に会うことができなくなってしまう”

 

 ”少女の死期が迫る中で、少年は悩み悩んだ結果、ひっそりと彼女を敵国に送り届けました。あの国なら、彼女の家族も仲間もいる。自分なんかといるよりも、そのほうが彼女の幸せなんだと、自分自身に言い聞かせて……”

 

 ”しかし、少年の願いはかなえられませんでした。国に戻された少女は、確かに傷の治療を受けさせられましたが、敵国に囚われていたということで激しい尋問を受けさせられ、身も心もボロボロのままで、口封じのために再び戦場に送り込まれました”

 

 ”さらに、国に残った少年にも、選択の代償はやってきました。これまでの功績から死罪はまぬがれた彼でしたが、さらに過酷な戦場に送り込まれ、少年は少女のことを忘れようとしているかのように戦いにのめりこんでいきました”

 

 ”そして、最後のときはやってきました。ある戦場で少年は敵軍を追い詰めます。しかし、逃げようとしている敵を追撃している最中、少年は立ちはだかってくる敵を殲滅した中に、あの少女が倒れている姿を見出して愕然としました”

 

 ”残酷なことに、少女は仲間からぼろくずのように使い捨てにされ、背中から杖を突きつけられて、時間稼ぎのための捨石にされていたのです”

 

 ”少年は狂ったように少女の名を叫びます”

 

 ”少女も、少年の姿を見つけて閉じかけていた目を開けました”

 

 ”ですが、少女の体は少年の見ている前で、彼の仲間の手によって恐ろしい魔法の餌食になり、血まみれの無残な姿に変えられていたのです”

 

 ”傷ついた少女を抱き上げたとき、彼は少女が仲間から受けた仕打ちを知り、彼女の流した涙で、その地獄の中でずっと自分に助けを求めていたことを知りました”

 

 ”ごめん、ごめんと少年は血を吐くように謝りました。あんなところに帰したこと、自分が非力なこと、助けを求められたのに気づきもできなかったこと、そして守ってやることができなかったことを”

 

 ”けれど少女は恨み言の一つも言わずに、「どうして泣くの? もう一度会えて、わたし本当にうれしいよ」と言って微笑むのです”

 

 ”そのときになって、ようやく少年は少女が何を求めていたのかを知りましたが、すべてはもう手遅れでした”

 

 ”愛してる、その言葉を最後に息を引き取った少女の亡骸を抱いて、少年は泣き崩れました……そのときに、少年の心もまた、死んだのです”

 

 物語を、「おしまい」の一言で閉じたキュルケは、うつむいたままのルイズに「どっかの誰かさんたちみたいねえ」と、からかうように言った。すると、

「だから、なんだっていうのよ」

「あら、居眠りしないで聞いてたのね。さてねえ、実は言ったわたしもよくわかってないのよ。けど、いろんな悲恋の話は聞いたことがあるけど、なぜかこれだけは忘れられなくてね」

「……」

「だってそうでしょ、わたしなら恋人が死に掛けてるなら、敵国だろうが始祖の御前だろうが殴りこんでいって腕づくででも治療させるわ。そうでなくたって、誰が愛する人を他人の手に任せるものですか! そう考えたらもう、腹が立って腹が立ってねえ」

 ルイズにも、キュルケの言いたいことはなんとなくだが理解できた。彼女らしく不器用なやり方だが、才人をこのまま帰していいのか? それで、本当に後悔しない自信はあるのかと言っているのだ。

 ルイズは、さっきの物語でもしも少年の立場だったら、少女を国に帰しただろうかと自分に問いかけた。そのときに、少女の命を第一に考えた少年の判断も、もちろん間違ってはいない。しかし、少年と別れることで生き延びたとして、少女に幸せは来たのだろうか? いや、これは自分の思い上がりだろう。なぜなら、才人が自分を愛しているなどあるわけが……

「あ……っ!」

 そこでルイズは、無意識に少年を愛した少女を才人に置き換えて、自分が何を才人に望んでいるのかを気づかされた。

「わたし……どうすればいいの……?」

 才人のために、自分はどうするのが正しいのか、ルイズの心はさらに乱れた。

 

 

 そして深夜、日付が変わる時刻になったときに、ガンウィンガーとシルフィードは、魔法学院に到着した。

「変わってないな」

 学院は静まり返り、大型戦闘機が着陸したというのに人っ子一人出てくる様子もない。ほとんどの教師や生徒が里帰りしているから、当然といえば当然なのだが、フーケ事件の際に露呈した無用心さは改善されていないようだ。

「そうか、帰るのか……ここもまた寂しくなるのう」

 学院にほとんど誰も残ってない中で、ロングビルの残していった書類の山にうずもれながら暇をかこっていたオスマンは、気が抜けた酒を飲んだときのようにがっくりと安楽椅子に体を沈めた。

「すみません、お世話になりっぱなしのままで、それでわがままついでに、おれがいなくなった後のことをお願いしたいんですが」

「ああ、それはかまわん。元々君はこの学院の生徒ではないから、手続きも必要ないしな。しかし惜しいもんじゃ、君もようやくここになじんできたばかりじゃというのに……おっと、余計なことを言ってすまんかった。コルベールくんも悲しむじゃろうが、まあわしから話しておくわい」

「よろしくお願いします」

 ルイズたちのクラスの担任教師のミスタ・コルベールは、ホタルンガと戦ったときに助けに来てくれたことから親交が深まって、平民扱いである才人と対等に付き合ってくれる数少ない先生だった。だが、残念ながらこのときはどこかに旅に出ていて、いつ帰ってくるのかも定かではなかった。

 才人たちはそうして、オスマンの恩人であるアスカ・シンが、その後タルブ村を訪れていたことを話して、ミライとセリザワに部屋を一つ貸してもらえるように頼むと、感慨深げに水パイプを手に取ったオスマンに一礼して退室していった。

 

 それからの二人は、自分の部屋で休むというキュルケとタバサや、ガンウィンガーの整備をしておくというセリザワとミライたちと別れると、何気なく人気のなくなった深夜の学院をぐるりと一周して回った。火の塔、水の塔、中庭や食堂、ホール、生徒たちや使用人たちもほとんど里帰りし、最低限の警備員しかいない今はどこも人気なく、唯一使い魔の厩舎を覗いてみたときに、ルイズのクラスメイトの灰色の髪の女子が使い魔にエサをやっていたので声をかけていった。

「そっかぁ、サイトくん帰っちゃうんだぁ……寂しくなるねぇ」

 彼女は、実家がかなりの貧乏貴族で、なかば口減らしのために学院に押し込まれて、自分で秘薬とかを調合して売ることで生活費と学費を稼いでいるという苦学生だった。おかげで、長期休暇でも帰るわけにもいかず、寮に残って自炊しているそうだが、健気にもそれを感じさせない明るい性格の持ち主で、才人も召喚当時の右も左もわからないころは、いくらか助けてもらった思い出がある。

 最近は色々あったせいもあって疎遠になっていたが、訳を話すと「別れに涙は禁物だよ。はい、これ餞別だよ」と、手作りの傷薬をくれてはげましてくれた優しさが身にしみた。

 そうして、明日の朝一番で街に薬をおろしに行かなきゃいけないから、ここでお別れだねという彼女と別れると、二人はもう一度学院の散策に向かった。ギーシュと決闘したヴェストリの広場、ルイズが失敗魔法で大破させた教室、行くところどこも、良くも悪くも半年間ここでつむいできた思い出をありありと思い出させてくれた。

 

「人のいない学院って、こんなに広かったんだな」

「ええ、一年半も過ごした学院だけど、こんな景色もあったのね」

 教室の窓を開けて見渡した学院は、一枚の絵画のように幻想的な雰囲気に包まれており、まるで二人が天空に聳え立つ神の城の王子と姫になったような、そんな気分にさせた。

「おれがいなくなった後も、お前はここで過ごすんだよな」

「そうよ。これまでと変わらず、朝起きて、食事して、授業を受けて、宿題して寝る。それだけよ」

「お前、おれがいなくてちゃんと朝起きられるのか?」

「……そろそろ夜も遅いわ、部屋に帰りましょう」

 

 久しぶりに帰ったルイズの部屋は、あの終業式の大掃除のときのままで、整然と片付いていて、なんとなく他人の部屋のようで違和感があった。しかし、カーテンを開いて窓を開けると、二つの月が部屋の中を照らし出し、懐かしい光景がそこに現出した。

「ねえサイト、あの日のこと覚えてる?」

「ああ、何度も忘れようと努力したが、ぜーんぜん忘れられなかった、あの最初の日のことだろ……」

 異世界ハルケギニアにやってきた最初の夜、この部屋でルイズから使い魔の心得とやらを教え込まれ、二つある月にびっくりして、そして硬い床の上で寝かされた散々な日のことを、才人は頭を抱えつつ思い出した。

「あ、あのときのことは、悪かったと思ってるわよ。だからほらっ! 今日は特別に、わたしといっしょにベッドで寝ることを許可するわ」

「へいへい、ありがとうございます……ん? こいつは、そうか忘れてた」

 才人はベッドに入ろうとしたところで、隅のほうに何か固い感触があるのでまさぐってみると、そこから出てきたものを見て思わず微笑んだ。

「それって、あんたがここに来たとき持ってた」

「ああ、おれのノートパソコンだ。すっかり忘れてたぜ、懐かしいな」

 それは、才人が召喚される前に修理に出していて、電気屋からとりに行った帰りに召喚されてしまったのでいっしょに持ってきてしまった彼のパソコンだった。その後、電池残量が乏しくて封印していたのだが、どうせ明日にはこれも持って帰ることになるのだからとスイッチを入れると、OSの名前に続いて、立ち上がった画面が浮かび上がった。

「うわあ、きれいな絵ね」

「だろ、親父のツテで、中古だがかなり年式の新しいやつをもらったからな。使いもしないのに、南極でも見れる衛星LANなん、て……!」

 画面を才人の肩越しに見入るルイズの前で、才人は思わず固まってしまった。そこには、修理に出す前と同じ壁紙の画面の隅に、この世界で最後に立ち上げたときには確かに無かったウィンドウが、『新着メールを359件保存しています』と、表示しており、まさかと思ってメールブラウザを開くと、数秒の読み込みの後に、自分宛てのメールが次々と表示されてきた。

「これは……そうか!」

 才人は、地球にいれば今日までの日付で止まったその大量のメールが、どうして届いたのか思い当たった。考えられる可能性はたった一つ、GUYSの開いたゲートを通して、インターネットをするための衛星回線がこのハルケギニアにつながったのだ。しかし、それにしたってなんという奇跡か、考えてみればウィンダムを作るための大量の分子ミストを送り込めた時点で気づいてもよかったのだが、こんなどこにでもあるパソコンが地球とハルケギニアをつなげてしまうとは。

 恐る恐ると、才人はスライドさせてメールの送り主の名前を見ていった。友人のものもあった。ダイレクトメールがあった。

 だが、一番多かったのは母からのメールだった。

 最後の、つまり今日のメールを開いた。

 

《才人へ、あなたがいなくなってから、もう半年が過ぎました。

 今、どこにいるのですか?

 いろんな人に頼んで、捜していますが、見つかりません。

 もしかしたら、メールを受け取れるかもしれないと思い、料金を払い続けています。

 今日は、あなたの好きなハンバーグを作りました。

 タマネギを刻んでいるうちに、なんだか泣けてしまいました。

 生きていますか?

 それだけを心配しています。

 他は何もいりません。

 あなたが何をしていようが、かまいません。

 ただ、顔を見せてください》

 

 次々にメールを開いていく。文面はほとんど変わらない。いなくなった才人を案じるメールが、たくさん並んでいる。才人は、それらのメールを読んでいくうちに、画面とキーボードの上に無数の涙を垂らして、パソコンの電池残量がとうとうゼロになって、警告音に続いて電源が落ちたときには、もう何も見ることができなくなっていた。

「サイト、どうしたの? ねえサイトったら!?」

 突然、ルイズには読めない文字の前で黙り込んで、とうとう泣き出してしまった才人に、慌てたルイズが彼の肩を揺さぶりながら問いただすと、才人は鼻水をすすってぽつりと答えた。

「メールだ……」

「メール?」

「手紙だ。母さんからの」

 ルイズは蒼白になって息を呑んだ。そして、今才人が目を閉じていることを神に感謝すると同時に、もう絶対に彼をこの世界に引き止めてはいけないんだと、才人と同じように涙のしずくを垂らした。

 

 

 続く



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第96話  一人の変身

 第96話

 一人の変身

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ

 彗星怪獣 ドラコ

 肉食地底怪獣 グドン

 再生怪獣 グロッシーナ

 バリヤー怪獣 ガギ

 マグマ怪地底獣 ギール 登場!

  

 

 才人とルイズ、地球とハルケギニアや、宇宙の様々な人々の思いを乗せて、夜の帳は二つの月が沈むまで続いた。

 若者たちはわずかな眠りに身を任せ、そして東の空に真っ赤に燃える太陽が登ったとき、全宇宙の未来を左右するかもしれない運命の日の朝は明けた。

 

 遠くに見える山すそから登った太陽が黄色い光で魔法学院を照らし出す。その窓枠の隙間から差し込んできた朝日をまぶたの上に受けて、才人は目を覚ますと、ベッドから降りて窓を大きく開け放った。

「朝、か……」

 見渡す限りの清浄な青空と、それに照らされた学院が、半年間見慣れたままの形で眼下に広がっている。しかし、広大な中庭の中に着陸しているガンウィンガーを見ると、昨日までのことが夢でも幻でもなく、今日この世界と別れて地球へ帰らなければならないのだということを、あらためて覚悟させられた。

「ルイズ、起きろ朝だぞ」

「うーん、あと五分……」

 気分を変えようとしてルイズを揺さぶった才人だったが、ルイズはまだ寝ぼけているらしく、布団にしがみついたままで動こうとしなかった。

「こいつは……」

 こんな日だというのに、まるで緊張感のない一言目の台詞に、才人は思わずこのまま帰ってやろうかと、少々腹立たしい気分になった。そりゃあ、一睡もできずに朝まで目を腫らしたままでいてほしいとか、そんなわけではないけれど、それにしたってあんまりというものがあるだろう。

 めんどうくさくなった才人はこうなったら布団をひっぺがそうかと思った。が、ふとちょっとしたいたずらを思いついて、ルイズの耳元で声真似をした。

「こらルイズ、ちびルイズ! 起きなさい」

「ひぎゃ!? ご、ごめんなさいお姉さま、いますぐに! あ、あれ?」

 もっとも苦手とする姉エレオノールの物真似に、寝ぼけていたルイズは飛び起きた。しかし目を開けると才人がニヤニヤしながら隣に座っているのが見え、混乱する頭で状況を整理して、十五秒後に自分がだまされたことに気がついた。

「あ、あんたねぇーっ!」

「大成功っと、王宮で一度見ただけだけど、お前の姉さん怖そうだったしな。普段ならひっかからないだろうけど、さすが寝起きじゃ判断できなかったか」

「よ、よくもだましてくれたわね。しかもよりによって、エレオノールお姉さまの声で……か、覚悟はできてるんでしょうねぇ」

「お前がいつまでもぐーすか寝てるからだろ! こっちは早くに目が覚めちまったってのに、ずいぶんと深くお休みのようですいませんでしたねえ」

 憎憎しげに言う才人の言葉に、ルイズははっとなって昨晩のことを思い出した。あのとき、母親からのメールを見て泣き崩れた才人を見て、彼の家族を離れ離れにしてしまった罪悪感と、もう才人をここに引き止めておくことはできないという悲しさから逃れようとして、思わず子供の頃のように毛布を頭からかぶってうずくまってしまったのだが、どうやらそのまま昼間の疲れから眠り込んでしまったようだ。 

「そうか、あんた今日帰るんだったわよね」

「そうだよ、やっと思い出したか? それをまあのんきにぐーすかと、たいへん幸せそうでけっこうでしたねえ」

「なによそれ……わたしがどんだけあんたのために……ああそうよ、だって同然でしょ、たかが使い魔一匹親元に帰すだけで、このわたしがメソメソするとでも思った? 思い上がりもはなはだしいわ」

「ふん、どうせおれはいくらでも代わりのいる使い魔なんだろ、とっとと帰ってやるから、あとはドラゴンでもなんでも勝手に呼び出しやがれ」

 売り言葉に買い言葉、憎まれ口の応酬を始めてしまった二人は、才人は自分が帰るというのに平気な態度をとっているルイズに、ルイズは何食わない顔をして帰ろうとしている才人へ、共にいらだちを言葉に込めて叩き付けた。

 それが収まったのは、『アンロック』で部屋の扉を開けて無遠慮に踏み込んできた乱入者の、炎の魔法の一発によるものであった。

「目は覚めた?」

 キュルケがそう言うと、髪の毛の一部を焼け焦げさせた二人は、黙ってコクコクとうなずいた。水で酔いを醒ますのは聞いたことがあるけれど、炎で目を覚ますことになるとは思わなかった。

「まったく、なにかぎゃあぎゃあと騒がしいと思って来てみたら、あんたたちはほんといついかなる状況でも、マイペースというか、進歩というものがないわねえ。おかげでこっちの目もばっちり冴えちゃったわよ」

 やや論点はずれているが、てっきり昨夜は最後の夜だから男と女でいいところまで行ったんじゃないかとキュルケは期待していた。ところが欠片の進歩も無く予想を裏切って、普段どおりのケンカをしていた二人に、失望もあらわにため息をついた。

 けれど二人からケンカの理由を聞いたキュルケは、一転して猫のようにくすくすと口に手を当てて笑った。

「そう、つまりお互いに、相手に心配してもらいたいって思ってたんだ。じゃあわざわざケンカする必要なんかないじゃない」

 図星を指された二人は、仲良く「ひぐっ」と、情けない声を出して顔を赤くした。まったく、いつまでたってもまともに本心を表せない二人の嫉妬や甘えなど、百戦錬磨のキュルケの目にかかれば、特殊噴霧装置で色をつけられたクール星人の円盤のようなものだった。

 人間というのは不思議なもので、これから人生を左右するような大変なことが起きるとわかっていても、そのときまではなぜか至極普通に日常を送れてしまう。ルイズと才人は、やはりどう周りが転ぼうとルイズと才人以外の何者でもなかったらしい。

 よく見れば、キュルケの後ろにはタバサも来ており、いつものように身長よりずっと大きな杖を抱えて、無表情で立っていた。

「時間……」

 はっとして時計を見ると、時刻は早くも朝の七時に迫っていた。GUYSが最後にこちらにやってくる時間が九時に予定されていることを考えると、時間はほとんどないといっていい。

「アルヴィーズの食堂に、朝食を用意していただいてるわ。二人とも、さっさと着替えていらっしゃいな」

「ええ……」

 あっさりときびすを返してキュルケとタバサが部屋から出て行くと、二人は大急ぎで服装を整えて食堂へ向かった。

 

 学院は、この時期ほとんど無人ではあるが、ここに住み込んでいるオスマンや、警備兵のためにごく少数の使用人が残ってくれていた。食堂にはいつもの貴族用の豪華なものとは比べ物にならないが、湯気を立てた朝食が六人分用意されていた。

「ミライさん、セリザワさん、おはようございます」

「おはよう、才人くん、ルイズちゃん」

 すでに席についていたミライとセリザワにあいさつをして才人はルイズと並んで席に着いた。見ると、二人の上着や手のひらには洗ってはいるが黒い油汚れがついており、多分日の出とともにガンウィンガーの整備を済ませたに違いない。

「あの、迎えのほうは?」

「すでに地球との連絡はとった。九時には予定通り、ここにやってくる。君も、用意を怠らぬようにな」

 恐る恐る尋ねた才人の言葉に、セリザワは余計な修飾は一切つけずに簡潔そのもので答えた。それは、もう決めたことには口出しはしないのだと、突き離されたように才人は感じたが、万一トラブルが起きて地球に帰れなくなったらと、期待していた部分があったのも事実ではあった。

 六人は、ルイズたちは始祖へのお祈りの後に、才人たち地球組は「いただきます」とあいさつして、黒パンや野菜スープの朝食に手を付けていった。しかし、食事を始めたあとも誰も一言も発せず、ただでさえ広すぎる食堂に六人しかいないために、場の空気はやたら重苦しいものになっていった。

 そのときである、才人の左向かいの席で皿に盛られたサラダを黙々と口に運んでいたタバサのところから塩の小瓶がこぼれて、才人の足元にまで転がっていった。

「とって」

「うん? ああ」

 頼まれて、才人はかがむと小瓶を拾い上げて、タバサに手渡そうと手を伸ばした。

「ほら、もう落とすな、よ……?」

 不思議な既視感が才人を襲った。なんだ、前にもこんなことがあったような? こぼれた瓶を拾って渡そうとして……そうだ、あれは。

 

”落し物だよ。色男”

 

 思い出した。忘れもしない、召喚された翌日の昼休みのこと。

 あのとき、突然召喚された上に主人と名乗ったルイズにぞんざいに扱われて、自分はずいぶんとイライラしていた。そして、唯一優しくしてくれたシエスタに恩返しをしようと、手伝いを買って出て、それで食器運びの最中に偶然、まだ名前も顔も知らなかったギーシュが落とした香水の小瓶を拾って……

「サイト、どうしたの?」

 小瓶を持ったまま固まってしまった才人に、ルイズが声をかけると、彼ははっとしてタバサの前に塩の小瓶を置くと、一度ぐるりとアルヴィーズの食堂を見渡して、微笑を浮かべた。

「懐かしいな、ここはあのときのまんまだ。覚えてるか? あんときは、お前はあのへんの席に座ってて、おれはその隣の床でメシ抜きにされて、そんでギーシュのやつが向こうのほうでバカな話で盛り上がってたよな」

 次々に指差して語る才人の言葉に、ルイズも彼が何を言おうとしているのかを記憶の奥底から蘇らせていった。

「ああ、思い出したわ。けど、あれはあんたが悪いんでしょ。わたしが魔法を使えないゼロだって言ったら、ルイルイルイズはダメルイズ。魔法ができない魔法使い。なんてイヤミな歌を作るからでしょうが」

「う、お前ってほんと記憶力いいよな。でもしょうがねえだろ、あのときおれはお前のことが大っキライだったからな」

「い、言ったわねぇ!」

 ルイズの手が杖にかかったが、才人は落ち着いたままで思い出話を続けた。

「あのとき、まではな。けど、お前はまだ魔法の怖さを知らないおれが、無謀な決闘をしようとしてるのを必死で止めてくれたし、おれがボロボロにされたときには泣いてくれた。気を失っていた三日間、看病してくれたって聞いたときには本気でうれしかったんだぜ」

「なっ、なななっ!?」

 一気にまくしたてた才人の思いもかけない言葉に、ルイズは振り上げかけていた杖を持ったままで、顔を真っ赤にして硬直してしまった。

 そして、才人はもう一度食堂をぐるりと見渡した。

 思えば、このハルケギニアでの冒険は、この食堂から始まったのかもしれない。

 もしも、あのときの決闘がなければ、ギーシュや悪友たちとの友情が芽生えることはなかっただろう。

 決闘に勝ったごほうびとして、トリスタニアへ剣を買いに行き、ベロクロンの襲撃に遭ってウルトラマンAと出会う機会もなかったはずだ。

 それに、ルイズともいがみ合ったままで、打ち解けるのもかなり先になり、下手をすれば放り出されるか、飛び出していくかして、二度と会わずに別れ別れになったかもしれない。

 一気にこみ上げてきた思い出からか、饒舌になって話す才人に、ルイズは怒るべきか喜ぶべきかわからずに、手を振り上げたままで固まっている。

「思えば、おれたちが今こうしていること自体が奇跡みたいなもんだな。普通に考えたら、おれとお前なんか、三日もあれば破綻してるぜ、うんうん」

「む、そりゃあんたが十言った中の三もできないようなグズだからでしょう。ヴァリエール家にも何百人と使用人はいたけど、あんたほどの無能は一人もいなかったわよ」

「だから、おれは元々召使でもないただの学生だったって、何度も言っただろうが! 夢にも思ってなかったことが、一日や二日でうまくなるか」

「はっ! 無能の言い訳の常套句ね……けど、だったらなんであんたは今日まで、わたしのところから出て行かなかったの?」

「……大嫌いだったのは、あのときまでだって言っただろ。一応、おれは受けた借りは返す主義なんでな」

「そう……」

 所詮、才人が自分に付き合ってくれたのは、恩返し、ただの義理だったんだとルイズは肩の力が抜けた。しかし、才人はそこでふっと笑うと。

 

「けどな、理屈じゃねえんだよ……す……な、人のそばにいたいって気持ちは」

「えっ……今、なんて?」

 

 一瞬、何かとんでもないことを言われたように感じたルイズは、聞き取れなかった部分を、もう一度言うように才人に迫った。が、才人はもう、「ここまで言ったんだ、あとはちっとは察しろ!」とばかりに口をつぐんで、乱暴に食事を口にかっこんでいった。

「ちょっと! 今なんて言ったのよ! もう一度言いなさいってばあ!」

 ルイズが詰め寄っても、才人はそっぽを向いたままで、つんっとして答えない。けど、それを見ていたキュルケは、そ知らぬ顔でサラダに塩を振りかけているタバサに耳打ちした。

「タバサ、あなた図ったわね」

「デジャヴュ……」

 塩の小瓶は、タバサの利き手の反対側の、普通なら絶対触って転がしたりしない位置に、”最初と同じように”置かれていた。どうやら、二人とも見事にタバサの手のひらの上で踊らされていたらしい。まあ、二人とも単細胞な点では共通しているから、こういう手にはもろいだろう。正面から門を開けることができないのならば、隣の塀を乗り越えるなり、穴を掘ってもぐりこむなりすればいい。

 なお、恋愛感情というものに対してうといミライは、人間の心ってやっぱりとても複雑なものなんですねと、感心したように言ってセリザワに、お前はやっぱりもうしばらく地球で勉強したほうがいい、と言われていた。

 タバサの姦計で、互いに心の一丁目くらいまでは到達した才人とルイズ。しかし二人にとって本当に知りたい心の深淵部は、まだまだ多くの扉を超えた先にあった。

「サイト! 言わないとぶっ飛ばすわよ」

「うるせえ! 言ったら……言ったら……」

 ただ、普通の恋人同士ならば、それらの扉は時間をかけて一つずつ開けていくことだろうが、そうした段取りさえ、この二人は他人から見ればおよそくだらないとしか言いようのない見栄や意地で乗り越えられないでいる。本当の意味で信頼しあうのには、あと何が必要なのか、本人たちもその答えを欲しながら、時間は無情にも柱時計の鐘が九回鳴る刻へと進んでいった。

 

 

「来たな」

 きっかり地球時間で午前九時に、ミライのメモリーディスプレイからの誘導電波を受けて、ガンローダーとガンブースターは学院外の草原に着陸した。今回、こちらに来ているメンバーは、才人を連れ帰るためのガンスピーダーの座席一つ分を空けても、リュウ、ジョージ、テッペイ、マリナが揃ってやってきて、フェニックスネストでオペレートに残ったコノミをのぞいてGUYS JAPANが勢ぞろいしたことになる。

 才人は、とうとうやってきたその瞬間に、大きく深呼吸すると、幼児が初めての予防接種を受けるときにも似た、逃げ出したくなる不安感の中で両のこぶしを汗で湿らせながら握り締めた。彼らがここに到着してから、この世界の調査分析を済ませて出発するまでのあいだが最後の猶予、それをどうすごそうかと考えていた。

 だが、急いで降りてきたリュウたちはミライたちの姿を認めると、すぐさま駆け寄ってなにやら話すと、才人に驚くべきことを伝えてきた。

「予定が早まったですって!?」

「ええ、来る前にゲートの閉じる時刻を再計算したら、今からあと三十二分後にゲートはガンフェニックスの通れる大きさでなくなって、五十分後には完全に閉じてしまいます。すみませんが、急いでもらえますか」

 テッペイから慌てたように教えられた事実に、才人たちはガンフェニックスが安全にゲートにたどり着くまでの時間を考えると、ここにいられるのはあと二十分足らずという、そのあまりにも短い時間に愕然とした。

「準備はできてるか?」

「あ、はい……」

 才人はノートパソコンなど、地球に持って帰る品物を詰めたリュックを背負って待っていた。だが、その顔には地球へ帰れるという喜びよりも、やはりルイズたちを残していくことへの憂いが浮かんでおり、リュウたちは地球に帰らなければならなくなった才人を、以前光の国に帰還命令を受けたときのミライとだぶらせた。

 しかし、同時にあのときのミライとはどこか違うとも考えていた。

「いいのか、本当にこれで?」

 余計だと思っても、リュウはそう言わないわけにはいかなかった。

 その目はこう言っていた。

 

”いいのか? こんな中途半端な終わり方で?”

 

”いいのか? お前の仲間たちを悲しませて?”

 

”思い残すことはないのか?”

 

”それで本当に後悔しないのか!?”

 

 彼が去った後にこの世界に残る数々の歪みは、容易にリュウたちにも想像できる。

 以前のミライは、今の才人のように義務と感情の板ばさみで苦しんでいたが、自分の選んだ道のためには迷わず命を懸けるだけの覚悟を持っていた。対して、お前はどうか、それほどの意思と覚悟があるのか。どうなんだと鋭い視線で問いかけられて、才人はびくりとしたが。

「……はい! これでいいです、連れて……帰ってください」

 それは、決して明朗でも快活でもなかったが、意思を示された以上、もう彼らには不満は残っても、それを拒否する権利はなかった。

「わかった! だったらさっさとあいさつくらいはすませちまえ」

「あっ、はい!」

 もう、知らん! とばかりに怒鳴られたことで、才人は雷光を受けたように飛び上がると、慌てて沈痛な顔で見送ろうとしているルイズたちの前に立った。

「なんだよみんな、別れに涙は禁物だぜ。今生の別れってわけでもないんだし、また必ず機会はくるってばさ」

 それが、から元気だということは言った本人が一番よくわかっていた。けれども、タイムリミットが来てしまった以上、もはや気休めは何の意味も持たない。もうそんな上っ面の言葉はいらないと、厳しい目つきで訴えてくるルイズたちを見て、才人はついに観念した。

「みんな、さよならだ」

 それが、彼が選んだ決別の言葉だった。

「それだけ?」

「うるせえ、気の利いた台詞を言いてえのはやまやまだが、おれは国語の成績が”2”だったんだ。キュルケ、タバサ、お前たちには借りが山ほど残ってるけど、返しきれなくてすまねえ。それにデルフ、これまでありがとな」

 才人は、背中に背負っていたデルフリンガーを下ろすと、ルイズに手渡した。

「なあ相棒、ガンダールヴのこととか、もっと教えてやるからここに残れよ」

「悪い、けどおれが向こうに帰ったらこのルーンも消えるかもしれねえ。そうしたら、また別のガンダールヴとやらを探してくれ」

 まだ、才人がルイズの使い魔となるきっかけとなったガンダールヴのルーンの謎は武器の使い方が達人級になることと、身体能力を極限まで引き出すこと以外にはほとんど解けていない。普通の使い魔のルーンには主人に服従するようになる、一種の洗脳効果があるらしいが、前にエースに聞いてみたところでは才人の精神に外部から干渉が加わってはいないようだった。もっとも、忘れっぽいデルフに期待してはほとんどいないのだけれど、地球に帰ってしまえばそれも変わった刺青くらいの意味しかなくなる。

「ギーシュたちには、適当に言っておいてくれよ」

「はいはい、けどきっと残念がるでしょうね。知ってる? 彼ら、ああ見えてけっこう義理堅いのよ」

 自称、水精霊騎士隊、通称WEKCと名づけてやった悪友たちの顔を思い出して、才人は苦笑した。この世界に来てから、貴族はみんないけすかない野郎ばかりかと思っていたが、ギーシュと決闘してからいつのまにやらぞろぞろと集まってきたギムリやレイナールといった連中は、日本の高校に通っていたときの友達となんら変わることはなかった。

「アニエスさんやミシェルさんたちにも、悪いけどよろしく頼む」

 銃士隊の隊長の、あの勇敢な女騎士にも才人はいろいろなことを教わった。戦うことの厳しさ、自らに課せられた責任を守りきらねばならないつらさ、体を張って戦う人間がどういうものか、肌で体感できた。もしも、彼女たちとのあの三段攻撃の特訓がなければ、その後の激しい戦いにガンダールヴの力だけで生き残っていけたか自信はない。

 それに、ミシェル、彼女と会えなくなることもつらい。初めて会ったときは誰も寄せ付けないとげとげしさをまとっていて、かわいくないなと思ったりもしたけれど、その内にはとてももろくて傷つきやすく、そして優しい心を隠していた。そのひたむきさゆえに道を誤りもしたが、だからこそ守ってあげたいという気になった。彼女を頼むというアニエスの頼みを反故にしてしまうのは、罪悪感でいっぱいではあるものの、心の中で謝る以外に方法はなかった。

 ルイズは、確実に才人に好意を持っているであろう彼女に伝えていいものかと思ったが、それも才人の主人としての義務だと、自分に言い聞かせた。

 ほかにも、コック長のマルトーや、魅惑の妖精亭のジェシカたちなど、言い出せばきりがない。しかし、それまで言っていては本当に決意が揺らいでしまうかもしれないと、頭を振って打ち切った。

 

 そして最後に。

「ルイズ」

「サイト」

 互いに相手の名だけを言い合って、二人はそれぞれの右手を差し出した。そこには、ともに中指にはめられたウルトラリングが銀色に輝き、これまでの二人の絆を象徴するように存在していた。

 才人は、覚悟を決めたように左手を伸ばすとリングを抜き取り、一度ぐっと握り締めるとルイズに向かって差し出した。

「これからは、お前が」

「うん……」

 リングを受け取ったルイズは、一瞬躊躇したが左手の中指に一気にはめ込んだ。その瞬間、リングを通してルイズの体に何かが入ってくるような熱さが駆け巡ったかと思うと、才人の指の太さに合わせて大きめだったリングが、彼女の体の一部だったかのように、ぴったりと細い指に納まっていた。

 これで、二人の体に別れていたウルトラマンAは、ルイズ一人の体に一体化したことになる。もちろん、傍で見守っていたキュルケやタバサには、今の二人の行為が何を意味していたのかはわからないが、それが二人にとって何か重大な儀式のようなものであったことを理解していた。

「じゃあ、またな」

「うん、じゃあね」

 周りの人間が予想、あるいは期待していたのとは異なり、二人の別れの言葉は実に無個性な、短いもので終わった。

 才人は、ルイズに背を向けて、ガンローダーのほうへと歩いていく。その後姿に、ルイズは衝動的に、何か言わなければいけないのではないかと思った。けれど、何を言えばいい? 行かないで? ここにいて? いや、それは言ってはいけない……

 

”どうせ無駄……”

 

 タバサの厳しい言葉が脳裏に蘇り、焦燥感が急速に増していくが、それなのに喉はからからに渇き、舌は凍りついたように動かない。しかし、才人はどんどんと遠くへと行ってしまう。

「もういいのか?」

「はい」

 リュウに頭を下げた才人は、振り返らずにガンローダーへと歩いて行き、ほかの誰もがその後姿を無言で見詰めている。ルイズはぐっと、歯を食いしばってガンローダーに乗り込もうとしている才人を感情を無理矢理押し殺している顔で見つめていたが、その沈痛な表情にテッペイは隣のジョージに向かってぽつりとささやいた。

「なんか、僕たち悪者みたいですね」

「なんだ、気がついてなかったのか? ドラマとかだったら間違いなく憎まれ役だよ。けどな、大人は子供のために憎まれ役を買って出なきゃいけないときもあるんだよ。お前にも、思い当たる節はあるだろう?」

「まあそりゃあ……小さいころは、父さんや母さんの言うことがいじわるばかりに聞こえたこともありましたが、ジョージさんもそうだったんですか?」

「……」

 ノーコメントらしいが、誰にでも親にせよ先生や近所の大人からにせよ、やれああしろこうしろ、またはあれやこれはするなとか、うるさく言われたり、なかば強制されたりして大人を憎んだことはあるだろう。だが、それらは本当に憎らしくてやっているわけではない。その子のことを大事に思っているからこそ、厳しい顔で迫るのだ。

 今も、才人にとって帰るべき場所があり、そこへ戻ることを彼が選択したというのならば、たとえ彼の友人たちから恨まれようと、それをかなえてやるのがつとめであろう。

 また、エースを補助してボガールを撃破するためにこの世界に残ることになるウルトラマンヒカリ=セリザワに、リュウはくれぐれもお気をつけてと伝えていた。

「隊長は、これからどうなさるつもりですか?」

「ボガールがいるならば、必ず怪獣を呼び寄せて事件を起こすはずだから、しばらくはここで下働きでもして世界観に慣れながら情報を集めるつもりだ。それに、仮にいなかったとしても、ヤプールやほかの宇宙人が騒ぎを起こせば、すぐに駆けつけるつもりだ」

 宇宙警備隊員は、地球のような惑星に長期滞在して防衛する際には、その星の住人になりきって生活して、陰から平和を守っていかねばならない。これは宇宙警備隊の基本任務であり、本来たまたま地球に立ち寄ったウルトラマンやウルトラセブン、地球に亡命したレオを除いて、ウルトラマンジャックからメビウスまで連綿と受け継がれてきたことである。それに、本来科学者であるヒカリにとって、魔法という未知の法則が息づくこのハルケギニアは、観察対象として興味をそそられる部分があった。

「わかりました。では三ヵ月後に必ず迎えに来ますので、よろしくお願いします」

 現在、完全なディメンショナル・ディゾルバーRの完成を、フジサワ博士以下GUYS科学陣の総力を挙げて研究しているが、ただでさえ不安定な時空を数十年に一度の皆既日食という触媒すらなくして固定するのは、天才と呼ばれた彼女をもってしても容易なものではなかった。しかも、最短のチャンスと予想されている三ヵ月後の日食にしても、半分も欠けない部分日食であるために今回よりも可能性は低く、もしかしたら二度と戻れないかもしれない異世界に、尊敬するセリザワを残していかねばならないリュウはつらかった。

「地球は、お前たちに任せたぞ」

 だが、リュウたちGUYSクルーの迷いは、セリザワの一声で払われた。そうだ、地球とて安全なわけではない。むしろ、ヤプールの復活で活性化した宇宙人や怪獣の猛威にさらされていく可能性が、これからはどんどん大きくなっていくのだ。それをメビウスと力を合わせながら食い止めて、三ヵ月後にはゲートを再度開いてヤプールを一気に撃破しなければならないのである。

「じゃあ、これを持っていってください」

 リュウは最後に、二個のアタッシュケースをセリザワに手渡した。一つは、トライガーショットの整備キットなど、この世界で必要になるものなどをコンパクトにまとめたもので、セリザワは中身を確認するとすぐ閉じた。ところが、もう一つのケースのほうは、なぜかリュウと軽く目配せをしただけで中身を改めようとはしなかった。

 そして、別れの時間はやってくる。

「飛ぶぞ、準備はいいか?」

「はい!」

「ガンフェニックス・バーナーオン!」

 垂直噴射で草原を焦がしながら、ガンローダーは離陸した。さらにそのまま空中でミライの操縦するガンウィンガーやガンブースターと合体し、ガンフェニックストライカーの形態となる。その光景を、セリザワは無言で見つめ、キュルケとタバサは手を振り、ルイズは唇を噛み締めながら見守っていた。

「これでいいのよ……これで」

 ルイズの脳裏に、キュルケから聞かされた昔話の少年の姿が蘇る。だが、なんと言われようと、あんなに才人のことを心配してくれている母親の元に才人を帰さないわけにはいかない。これが才人が一番幸せになれることだと、ルイズは信じた。信じようとした。

 

 

 しかし、飛び立とうとするガンフェニックスを、学院の城壁の上から憎悪を込めて見下ろしている、黒衣の人影があることに、そのときまだ誰も気づいていなかった。

「おのれウルトラ兄弟に地球人どもめ、よくも我らの計画を台無しにしてくれたな。このまま帰すと思うなよ」

 アルビオンでのウルトラマンA抹殺計画を、突如出現したウルトラマンメビウスとCREW GUYSによって失敗させられ、現有戦力の大半を失ってしまったヤプールが、そこにいた。

 奴はこれまで、まったくの予想外にこの世界に現れたウルトラマンメビウスたちが、どうやって地球とハルケギニアを往復しているのかを慎重につきとめて、その方法がこの不安定な亜空間ゲートだと知ると、迷わず復讐の攻撃に打って出てきたのだ。

「まさか、人間ごときが亜空間移動を可能にするとは予想外だった。しかし、そのゲート発生装置は未完成のようだな。恐らくは、今度閉じたら数ヶ月は開くことはできまい。ふっふっふ……ならば、当分は光の国からの援軍は来ることはできなくなる」

 ヤプールが地球では正面きって超獣を出現させて攻撃に出なかった理由がここにあった。確かに、復活が不完全で作り出せる超獣の数が揃いきっていないというのも大きいが、かつてUキラーザウルス・ネオでメビウスとウルトラ四兄弟を追い詰めながら、ゾフィーとタロウの参戦で逆転されてしまったように、地球を下手に追い詰めてウルトラ兄弟の総がかりを招いたらまず勝ち目は無い。しかも宇宙警備隊に属しているのは当然ウルトラ兄弟だけではなく、その気になれば兄弟と同格の実力を持つ別の戦士を送り込むこともできるのだ。

 しかし、次元で隔離されたこのハルケギニアでならば、前回の様によほど特異な状況でもなければ救援に駆けつけることはできずに、たとえウルトラマンが三人もいたとしても各個撃破も夢ではない。ヤプールは不気味に笑うと、右手を高く掲げて、マイナスエネルギーをそこに集中させていった。

「くっくっく、ウルトラ兄弟よ、先の戦いで私が戦力を使い果たしたと思っているだろうが甘いぞ。確かに、バキシムの再生もまだで、今投入可能な超獣は残っていないが、まだこういうこともできるのだ。さあ、この世界にうごめく邪悪な魂よ! 破壊を、殺戮を喜びとする凶悪な心を持つ者たちよ。ここに集まれ! そして全てを破壊するのだあ!」

 ヤプールが手を握り締めたとたんに、紫色の邪悪なエネルギーは四方に飛び散り、数秒の間隔を置いてその影響を現世に現し始めた。

 

 はじめに、その異変に気がついたのはタバサだった。高位の風と水の使い手である彼女は、自分をとりまく空気に普段とは違った、べたついてくるような不快な感触を覚え、さらに同じような気配を感じ取ったシルフィードが主人に言った。

「お姉さま、風の精霊が、悲鳴をあげてるのね。なんかとっても、ぞわぞわするような悪いものが大気の中に渦巻いてるのね!」

「わかってる。この不快な気配……キュルケ!」

「ええ、最後まで平穏無事にすむとは思ってなかったけど、やっぱり仕掛けてきたようね。ほんとに、涙の別れをなんだと思ってるのよ!」

 見えない手で肌をなでられているような不快感を感じ、即座に杖を構えて戦闘態勢を整える二人の足元から、明らかにただの地震とは違う不気味な振動が少しずつ伝わって、大きくなり始めた。

 

 そして、人間の第六感とほぼ前後して、科学の目も異常事態に気がつき、警報を鳴らしていた。

「これはっ! リュウさん、強力なマイナスエネルギーとヤプールエネルギーが発生しています」

「なにっ!」

 テッペイの叫びに、リュウはとっさにガンローダーの計器を見渡した。するとレーダーにまだ微弱ながら、大型の生命反応が多数映し出されているのが目にはいってきた。

「ミライ!」

「間違いありません、奴です」

 ミライも、かつて間近で感じたヤプールの気配を強く感じて、鋭くあたりを見渡した。一見、それらはのどかな自然と中世の城を描いた絵画のように平和に見える。だが、ミライの目は空高くを見上げたときに、ガンフェニックスのレーダーよりも早く、宇宙空間から大気圏に突入してくる巨大生物の姿を捉えていた。

「リュウさん、左十時の方向、宇宙から怪獣が降りてきます!」

「ちっ! 俺たちを帰らせないつもりか! 仕方ねえ、やるぞみんな!」

「G・I・G!」

 帰還コースへの自動操縦を解除して、戦闘モードに入ったガンフェニックスは急速旋回し、ミライが捉えた敵怪獣に対して備える。

 だが、突然の怪獣の来襲に驚いたのは、彼らよりもむしろ才人のほうだった。

「えっ? あ、ちょっと、どういうことなんですかミライさん」

「ヤプールだ、怪獣が迫ってきてる。しかも、一匹や二匹じゃない!」

「なんですって!? 待ってくださいよ、ここはまだ学院の上空じゃないですか! てことは……ルイズ!」

 才人は愕然とし、眼下に見える学院を見渡して、広大な草原のあちこちから複数の土煙が吹き上げるのを見た。それは、紛れも無く地中から巨大な物体が地表に現れようとしているサイン。

「ミライさん、地底からも怪獣が!」

「えっ!? あ、あれは!」

 ミライはその一つの中に、まず前方に向かって大きく伸びた巨大な角と、真っ赤に輝く瞳の無い目を持った頭を見た。さらに、次に土砂を弾き飛ばすように現れた、二頭の大蛇のような太く長大な鞭状の腕を確認したとき、忘れようも無いそいつの姿に、思わず叫んでいた。

「地底怪獣、グドン!」

 そう、そいつこそかつてウルトラマンジャックを一度は倒し、東京を壊滅の危機に落としいれた凶暴な地底怪獣で、さらに新GUYSが初めて戦った怪獣として記憶にも新しい、肉食地底怪獣グドンだった。

 しかも現れたのはグドンだけではない。土煙の柱の中からはさらにグドンより巨大で同じように鞭を持つ怪獣や、角ばった頭部を持つ二足歩行型の恐竜型怪獣、扁平な体を持つ土色をした甲殻類のような怪獣が続々と這い出してきたのだ。

「よ、四匹!? テッペイさん、あいつらは?」

 才人はグドン以外は見たこともない怪獣軍団に、自分よりはるかに専門知識のあるテッペイに助けを求めた。だが、そいつらはテッペイの知識にもGUYSのアーカイブドキュメントにも記録されていない、異世界の種類だった。

 角ばった頭部を持つ恐竜型怪獣は、ウルトラマンダイナと戦った怪獣グロッシーナの同族怪獣。また平たい体を持つものはウルトラマンガイアと戦った怪獣ギールの同族で、どちらも地中をテリトリーにする性質と高い凶暴性を持つ。

 さらに、最後の一匹がその姿を完全に地上に現したとき、キュルケとタバサは二本の巨大な爪のあいだから鞭を生やし、前に突き出した一本角を持つ特徴的なシルエットに、あのエギンハイム村での戦いを戦慄とともに思い出していた。

「タバサ! あの怪獣は!」

「……生きてたの」

 そう、ムザン星人によって操られ、エギンハイム村と翼人の森を荒らしまわったバリヤー怪獣ガギに間違いない。サイクロメトラは反物質袋を取り除かれていたから爆発に巻き込まれることはなかったが、いずれ寄生され続けていた反動から死ぬはずだったのが、どうやら奴の生命力が上回ったようだ。

 四匹の怪獣は地底から現れると、そろって雄叫びをあげて学院に向かって進撃を始めた。

「あいつら、学院を狙ってる!」

 ヤプールによって呼び出されたからには、それは当然の行動であった。特にほかの三匹はともかく、ガギとは一度戦ったことがあり、その破壊力や能力を熟知しているキュルケとタバサは、なんとか食い止めようとシルフィードで飛び立った。

 むろん、GUYSとて黙っているわけではないが、ガンフェニックスは空中から襲い掛かってきた、昆虫のような翼を持つ黒色の怪獣に追撃されていた。

「テッペイ! あれも未確認の怪獣か!?」

「いえ、ドキュメントSSSPに記録があります。彗星怪獣ドラコ、かつて地球に接近したツィフォン彗星から飛来した怪獣で、レッドキングと戦ったこともあります」

 これで、確認された怪獣は総勢五体! GUYSもかつて経験したこともないほどの大軍団だ。しかも、その半分以上はデータのない未知の敵。タイムリミットの迫る中、リュウはGUYS隊長として決断を迫られていた。すなわち、このままゲートへ向かって地球へ撤退するか、それとも。

「テッペイ、ゲートが閉じるまで、あと何分だ?」

「あと……十五分です!」

「てことは、フルスピードで飛ばしたとして、とどまれるのは十分ぐらいか……よし、俺たちのためにこの世界の人たちに迷惑をかけるわけにはいかねえ、総力戦で一気に叩き潰すぞ! GUYS・サリー・GO!」

「G・I・G!」

 ガンフェニックストライカーが分離し、甲高い鳴き声を上げながら追尾してくるドラコを三方向に分かれてかく乱する。

「ジョージさん、僕も行きます!」

「ミライ、よしガンウィンガーは俺にまかせろ」

 敵の数を見て、ガンフェニックスだけでは手に余ると判断したミライはリュウの指示を待たずに変身を決断した。メビウスブレスを輝かせ、金色の光がコクピットから飛び立つ。

「メビウース!」

 空中でその姿を現したメビウスは、突進してくるドラコを正面から受け止めると、空中から引き摺り下ろそうと翼を掴んで、もろともに草原の外れに墜落した。

 さらに、草原に残ったセリザワも、前進してくる怪獣軍団を睨みつけて、右腕に出現させたナイトブレスにナイトブレードを無言で差し込んだ。

「あれは、ウルトラマンヒカリ!」

 四大怪獣の前に青い光とともに立ち上がったヒカリの姿に、コクピットから覗き込んでいた才人が叫ぶ。見ると、地面に叩き落されたドラコもメビウスから離れて怪獣軍団に加わり、メビウスもヒカリに並んで学院を守ろうと構えをとる。

 しかし、いくらメビウスとヒカリといえども相手は五匹もの大軍団、しかもどいつも一筋縄ではいかない強敵ばかりだ。半分ずつ請け負い、ガンフェニックスの援護があるといっても一対二、一対三の圧倒的不利な戦いを強いられる。

 だが、これを打ち崩す手が一つだけあった。

「わたしが、やるしかないんだ……」

 草原の端に、一人だけ残ったルイズは、こみ上げる悪寒にも似た気持ち悪さの中で、ぐっと胸の前で祈るように握り締めた両手を見ていた。そこには、半年間右手に輝き続けたリングと対を成すように、左手に才人のはめていたリングが冷たく銀色の輝きを放って、ルイズが決断する瞬間を待っていた。

「わたしが……わたしが、やるんだ」

 ルイズは、自分自身を叱咤するようにつぶやいたが、その声は震えていた。

 怖い……才人がいないことが、このリングが光るとき、いつも才人がそばにいてくれた。そうすると、どんな強敵が相手でも、すうっと勇気が湧いてきたのに、今は何も感じない。どうして、自分はこんなに臆病だったのか? 力はある、戦えるはずなのに、勇気だけが欠け落ちたようにからっぽだった。

「サイト……ううん、これからは、わたしが一人でトリステインを、ハルケギニアを守っていかなきゃいけないんだ。あんな……あんな使い魔の一人が欠けたからってなによ。わたしは、ルイズ・フランソワーズ! 『烈風』の娘よ!」

 そのとき、ルイズはかっと目を見開くと、両手を大きく広げて、こぶしを握ると胸の前で突き合わせて、リングの光を一つにつなげた。

「ウルトラ・ターッチ!」

 光がほとばしり、メビウスとヒカリの前に輝いた光の柱の中からウルトラマンAがその銀色の勇姿を現す。三人のウルトラマン対五匹の怪獣軍団、しかし、才人の欠けたウルトラマンAは、果たしてこれまでどおりに戦えるのだろうか?

 タイムリミットは、刻一刻と迫りつつあった。

 

 

 続く



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第97話  孤独の重圧

 第97話

 孤独の重圧

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ

 彗星怪獣 ドラコ

 肉食地底怪獣 グドン

 再生怪獣 グロッシーナ

 バリヤー怪獣 ガギ

 マグマ怪地底獣 ギール

 吸電怪獣 エレドータス

 宇宙同化獣ガディバ 登場!

 

 

「ふっふっふ……やはり現れたなウルトラ兄弟! 待っていたぞ、お前たちに受けた屈辱の数々、今ここで晴らしてくれる! ククク……さあ、我が暗黒の呼びかけに応じて現れた怪獣軍団よ! ウルトラ兄弟を抹殺し、すべてを破壊するがいい!」

 現実世界に姿を現した異次元人ヤプールの哄笑が、平和だった学院の空に木霊する。宇宙と地底から出現した五匹もの怪獣軍団の雄叫びが、立ちはだかるウルトラマンA、ウルトラマンメビウス、ウルトラマンヒカリの肌を震わせた。

 

 宇宙から襲来し、両腕の鎌を振り上げるのは、かつてツィフォン彗星から来襲し、今回は恐らく事前にボガールか時空波発生装置によって呼び寄せられていたと思われる、日本アルプスを舞台にレッドキング、ギガスと激しい格闘戦を繰り広げた彗星怪獣ドラコ。

 太い二本の鞭、『振動触腕エクスカベーター』を振り回すのは、ウルトラマンジャックを一度は撃退し、メテオールの攻撃にも耐える強固な皮膚を有する肉食地底怪獣グドン。

 さらに、ウルトラマンダイナが戦った初めての地球怪獣であり、猛烈なパワーと強い生命力を持つ再生怪獣グロッシーナ。

 巨大な爪と二本の鞭、大きく鋭い角を持つのはウルトラマンティガと互角のせめぎあいを繰り広げ、今回出現した個体もサイクロメトラの寄生から生還するだけの強靭さを見せたバリヤー怪獣ガギ。

 最後に別世界で二人のウルトラマンを苦戦させ、この世界でも眠りをさまたげられて怒り狂うマグマ怪地底獣ギール。

 

 どの怪獣もかつてウルトラマンたちを苦しめ、今やヤプールの放ったマイナスエネルギーの影響でさらに凶暴化して、恐るべき敵となっている。しかし、ヤプールの逆恨みによって、多くの若人たちの未来をになうこの魔法学院を破壊させるわけにはいかない。

 

「シュワッ!」

「ヘヤッ!」

「セァッ!」

 

 メビウス、エース、ヒカリは威嚇してくる怪獣軍団に真正面から向き合い、その上空をガンフェニックスが固める。今、ほとんど無人の魔法学院で、この戦いを見とどける者は、学院長室からじっと見下ろすオスマンと、シルフィードから見つめるキュルケとタバサ以外にはおらず、わずかな衛兵や使用人たちもすべて逃げ去った。

 だが、圧倒的な敵の戦力に対して、ゲートが閉じるまでに残されたリミットはあと十分足らず。ウルトラマンの活動時間が三分なのも手伝うが、その短い時間で怪獣軍団を撃退せねば、メビウスやGUYSは地球に帰ることができなくなってしまう。

 そして、初めてたった一人で変身したルイズと、自分が宿っていないエースの姿をガンローダーのコクピットから見下ろす才人は、離れ離れになって戦うことに刺す様な胸の痛みを覚えながらも、戦いの渦中に身を投じようとしていた。

 

「テヤッ!」

 

 怪獣軍団とウルトラ兄弟の中で、先陣を切ったのはウルトラマンメビウスだった。一度戦って、その戦法を知っているグドンへと向かい、地底を進む際に岩盤を砕くほどの破壊力を誇る振動触腕エクスカベーターの直撃を受けないように、ジャンプして奴の背後に回りこむと、背中を掴んで地面に引き倒した。

「デャァ! ダアアァッ!」

 グドンに背中から馬乗りになったメビウスは、奴の後頭部をめがけてパンチの連打を叩き込んだ! 目にもとまらぬメビウスパンチのラッシュ、ラッシュ、ラッシュ! グドンの皮膚はスペシウム弾頭弾ですら貫通できないほど強固だが、それならば効くまで打ちまくってやると、集中攻撃が炸裂する。

 ただ、相手も伊達に彼の兄を倒したことのある怪獣ではない。さすがに背中に向かっては振り回せない振動触腕エクスカベーターに血液を送り込んで硬化させると、目の前の地面に突き刺して、その振動で吹き上がる大量の土砂でメビウスを吹き飛ばしてしまった。

 怒りに燃えて起き上がってくるグドン。さらにその上に、先に空中戦で苦杯をなめさせられたドラコも並んで、挟み撃ちの構えでメビウスに襲い掛かってくるではないか。

 もし、ここでメビウスがどちらかに意識を集中すれば、正面の相手には対応できても後ろから襲い掛かってきたもう一匹に攻撃されて、結局は二匹がかりで袋叩きにされていただろう。が、数多くの実戦を潜り抜けて、ウルトラ兄弟の一員と認められるまで成長したメビウスは判断を誤らなかった。

「テアッ!」

 挟み打とうと鞭と鎌を振り上げて向かってくる二大怪獣にやられる直前、メビウスは垂直にジャンプすると、空中で一回転して落ちてくるついでにドラコの後頭部を蹴飛ばした。もちろん、全力疾走をしているときにそんなことをされればドラコは前のめりに勢いがつきすぎて、そのまま勢いあまってグドンと正面衝突! 出会い頭のごっつんこみたいにはじけとび、左右対称に背中から倒れこむ。

 むろん、頭から激突させられたグドンは怒り、メビウスそっちのけでドラコにむかって鞭を振り下ろし、ドラコも翼を広げて威嚇しながら、鎌で鞭を迎え撃つ。見事に同士討ちを始めてしまった二大怪獣だが、もしドラコに人間並みの知能があったらこの戦法に屈辱を覚えただろう。なぜなら、突進してくる相手の直前でジャンプして、敵同士を激突させるという戦法は、初代ドラコが二代目レッドキングとギガスに使った戦法そのままで、お株をそっくりいただいてしまったものだったからだ。

 とはいえ、メビウスは二匹の対決をそのままのんびりと見物しているつもりは無く、横合いからドラコにジャンプキックをお見舞いし、三つ巴の乱戦にもつれこんでいった。

 

「デュワッ!」

 

 メビウスとは反対側で、ウルトラマンヒカリもガギとギールを相手に戦闘に突入していた。ナイトブレスを輝かせ、彼のシンボルともいえるナイトビームブレードの金色の光を振りかざし、雄叫びをあげるガギの鞭をかいくぐり、ギールの背中に剣を振り下ろす。

「グアッ!?」

 硬質な音とともにはじかれたナイトビームブレードに、ヒカリはしびれた右手をおさえて、平然としているギールを見下ろした。こいつの皮膚はまるで岩石だ。実際に、かつての同族怪獣はXIGの主力戦闘機、ファイターの攻撃でも背面からでは一切ダメージを与えられなかった。これでは、いくらカミソリのような切れ味を誇る日本刀でも石灯籠を切れないように、ナイトビームブレードも役に立たない。

 ギールは、無敵の鎧に守られていることに安心したのか、ナイトビームブレードを恐れずに突進し、鉄筋コンクリートすらウエハースのように噛み砕く顎でヒカリの足に噛み付こうとしてきた。

「タァッ!」

 突進を回避し、間合いをとったヒカリは態勢を立て直してギールを睨み返す。奴は地底怪獣独特のスタイルで、地上での行動ではあまり素早さを発揮できない。しかしガギは当然別で、今度は逃さないとばかりにヒカリに狙いを定めて、巨大な角を光らせた。

「気をつけて! そいつは角から光線を撃つわよ!」

 キュルケの声が寸前で響いて、ヒカリはギリギリでガギの放った赤色光線の回避に成功した。あれはエギンハイム村で戦ったとき、リドリアスに重傷を負わせた威力がある。ヒカリも、ギールに気をとられていた今、あれを喰らったら危なかったかもしれない。

 ありがとう、そう言ったわけではないが、ヒカリはシルフィードに向かってうなずいてみせ、ヒカリがそう言ったことを理解したキュルケも、頑張れと言う様に大きく手を振った。

 ガギは、最初の一発をはずされたことに腹を立てた様子ながらも、まだ鞭の届かない間合いから二発、三発目の光線を放ってくる。けれども、威力はあるが発射の際のチャージに一秒ほどかかり、そのタイミングで角が発光するためにヒカリは今度は余裕を持ってこれをかわす。

「やるう……」

「けど……あの怪獣にはまだ武器がある……どうするの?」

 キュルケとタバサは、ヒカリの身のこなしを見ながらも、あのときに見たガギの能力からそれだけでは勝てないと見ていた。離れれば光線、近づけば鞭で締め上げて、肉薄しようとすれば巨大な爪にやられる。遠距離、中距離、さらに近距離でガギには隙がない。

 しかし、科学者としてと、隊長としてとの両面でヒカリはガギを冷静に分析していた。そしてガギの鞭の性質が、グドンのような主に相手を殴りつけるための太く強靭な武器ではなく、長くしなやかで、相手をからめとって動きを封じるためのものだという結論を得ると、ギールが割って入ってくる前に、一気に間合いを詰めようと、ナイトビームブレードをかざしてガギに向かって走り出した。

「正面攻撃!?」

「無茶な……!?」

 二人とも、いくらなんでも無策すぎると悲鳴をあげて、案の定ガギは向かってくるヒカリへ向けて二本の鞭で絡めとろうと巻き付けて来る。だが、縛り上げられる瞬間にヒカリは右腕を腰まで下げて、鞭が巻きつく場所に刃がくるように仕向けた。すると、切り払うよりも強く、ガギ自身のパワーで刃を締め上げた鞭はバラバラに切断されて飛び散った。

 作戦成功。いくらしなやかで強い鞭でも、ピンと張り切ったときは非常にちぎれやすくなってしまうのだ。その隙に駆け寄ったヒカリは奴の顎を下から蹴り上げたキックでふっとばし、よろめいた奴の胴体を掴むとギールの上へと投げ飛ばした。

「タアァッ!」

 地底の圧力に耐えるギールはその衝撃に耐えたが、溶岩大地の上のように固くてゴツゴツしたギールの背中の上に投げ飛ばされたガギはたまらない。背中を強打してもだえているうちに、ヒカリはギールの頭を蹴り上げて、二足歩行になって向かってきたギールと組み合い、力の限りで押し返す。

 

 そして、四匹の怪獣を弟たちにまかせ、ウルトラマンAは怪獣グロッシーナと戦いを繰り広げていた。

「ヘアッ!」

 ストレートキックがグロッシーナの胴体に決まり、黄色く発光する腹にめり込んで五歩ほど奴を後退させた。しかしキックはクリーンヒットしたものの、グロッシーナの腹は弾力性に富んでいるようで、キックによる衝撃を緩和させてダメージを最小にして、今度はエースに背を向けると長い尻尾をエースに打ち付けてきた。

「デヤッ!」

 エースはとっさにバックステップで回避したが、グロッシーナはさらに右へ左へと尻尾攻撃を続けてくる。恐竜型怪獣の恐ろしいところは、人にはないその尻尾という武器である。莫大な重量の体重を支えるために、太い骨と筋肉の塊であり、腕や足よりも破壊力がある。

 連続攻撃を後方に跳んでかわし続けるエースだったが、いくら惑星が丸くできているとはいえ、限界はすぐにやってきた。

(待って! 学院を壊しちゃう)

 感覚を共有しているルイズの叫びで、エースはすぐ後ろに学院の校門がきていることに気がついた。これ以上下がったら、城壁を押しつぶしてしまう。かといって右や左に逃げても、グロッシーナは勢いのままに城壁を破壊してしまうだろう。

(サイト、どうすれ……)

 助言を求めようとして、ルイズはもう自分の隣には誰もいないのだと思い出した。いつも、困ったときには助言をし、そうでなくとも怒りを受け止めてくれた才人はもういないのだ。

(なにを甘えているのよ、ルイズ・フランソワーズ! わたしが支えなきゃ、エースはこの世界では戦えないってわかってるじゃない。そうでなきゃ、サイトが、サイトが安心して帰れないじゃない……サイトが……)

 自分を厳しく叱咤するように言ったルイズの独語は、しかし逆に彼女の気持ちを自分でも訳がわからないくらいにめちゃくちゃにかき回していった。

 だが、ルイズの葛藤に慰めの言葉をかけている余裕はエースにはなかった。グロッシーナの尻尾は強力な電流を帯びており、そのパワーは初代ウルトラマンをスペシウム光線を撃つ暇もなく叩きのめし、ゼットンを除いては唯一ウルトラマンに黒星をつけた古代怪獣ゴモラのものに比較すれば落ちるだろうが、きれいに受け止められたとしても無傷ですむとは思えなかった。

 それでも、肉を切らせて骨を断つというように、ダメージを恐れていては学院を守ることはできないと、エースは意を決して尻尾を受け止めにかかった。

「ヌウンッ!」

 右からすごい速さで飛んできた尻尾を受け止めた瞬間、坂道を転がってきた丸太を受け止めたように衝撃が骨格を通して全身を貫き、足が地面を削りながら左へと押し出される。

(すごい力だ……っ! だが)

 殴られるよりはるかに強いショックを受けながらも、エースはグロッシーナの尻尾を完全に掴み取った。そのまま今度は自分の体を軸にして放り投げ、ジャンプすると起き上がってきた奴の頭に急降下キックをお見舞いする。

「トアァーッ!」

 タロウのスワローキックほどではないが、空中からの一撃が炸裂してグロッシーナがよろめく。しかし、奴はほんの少し後退するとすぐに態勢を立て直して、エースに向かって口から赤い光弾を、ショットガンのように撃ちだしてきたのだ。

「グワアッ!」

 光弾には爆発性があったらしく、着地直後でかわしきれなかったエースを無数の爆発が包みこむ。さらに二発目、三発目の攻撃が直撃すると、エースはがっくりとひざをついた。

「グゥゥ……ッ」

 グロッシーナの光弾はショットガンに似た特性から射程は短いものの、広範囲に広がるために回避が難しく威力も高い。奴はダメージを受けて動きの止まったエースにさらに攻撃を加えようと腕を振り上げる。だがそこへ、GUYSの援護攻撃が加えられた。

 

「ウィングレットブラスター!」

「バリアブルパルサー!」

 

 ガンウィンガーとガンローダーのビームが命中して、小爆発にひるんだグロッシーナが後退した隙に、エースは奴の間合いの外へと離脱できた。

「危なかった……」

 ガンローダーのコクピットから見下ろしていた才人が、ほっとしたようにつぶやいた。変なものだが、彼にとって昔テレビで見た記録映像以外では、これが生まれてはじめて見るウルトラマンAの戦いである。しかし、あそこでは今、ルイズが命をかけて戦っていると思ったら、才人はないのをわかっているのに右手を強く握り締めずにはいられなかった。

「がんばれ……」

 それは、エースにか、それともルイズに言ったものであったのか。才人には自信を持てる回答がなかった。

 才人を乗せたガンローダーは、エースとグロッシーナの上空を一度旋回すると、グロッシーナからの反撃を避けるために距離をとり始めた。不必要に慎重にも見えるかもしれないが、ゲートが閉じるときにはガンフェニックストライカーになっていなければならないので、一機たりとて被撃墜されるわけにはいかないのだ。

 ただ、ガンブースターから才人とは違った目でエースの戦いを観察していたテッペイは、奇妙な違和感が増大してくるのを感じ始めていた。

 

「おかしい……」

 

 それがなにか、具体的な答えはまだ出ていないけれども、才人よりも昔からウルトラマンの戦いを見慣れてきて、つい二日前のバキシムとブロッケンの激闘もモニターごしとはいえその目に焼き付けたテッペイにとって、今は何かが違う、そんな感じがし続けていた。

 また、同様の違和感はキュルケやタバサも感じ始めていた。

「なにか、変ね……タバサ、あなたはそう思わない?」

 タバサは無言でうなづいただけであったが、その目は否定していなかった。

 それぞれ二匹の怪獣を相手に互角に戦うメビウスとヒカリのちょうど中間にあたる地点で、再開されたエースとグロッシーナの戦いは、確かに壮絶なものではあった。

「トア!」

 短くジャンプして、グロッシーナの脳天にチョップを打ち込むと、即座にグロッシーナは大きく角ばった頭部をハンマーのようにしてエースを打ち据え、鋭い爪で殴りかかってくる。

「ダッ!」

 なんとか避けたエースは光弾を吐き出してこようとするグロッシーナの口をめがけて、抜き手のように突き出した手の先から単発の白い光弾を発射した。

『スラッシュ光線!』

 グロッシーナが光弾を吐こうとした瞬間を狙い撃った一撃は、見事に奴の口内で炸裂した。その爆発の勢いは大きく奴の口の周りを焼け焦げさせて、ウルトラ兄弟一の必殺技数を持つエースの器用さをまざまざと見せ付けた。

「やった! あれならもう光線は吐けない」

 口内から煙を噴き上げるグロッシーナに、才人が快哉をあげた。確かに彼の言うとおり、口の中を爆破されたのでは、光弾を発射することは不可能と、テッペイもそう分析していた。だが、それもつかの間で、グロッシーナは傷ついた口を炭化した皮膚をそぎ落としながら開くと、また赤色光弾をエースに吐きつけてきたのだ。

「グワアッ!」

「なんだと!?」

 直撃を受けたエースは爆発に包まれて、一瞬その姿が見えなくなった。むろん、その程度でやられるはずもなく、煙が晴れた後には無事な姿を見せていたが、そのときテッペイやキュルケたちが感じていた違和感は、具体的な形を持って単語形成を始めていた。そしてグロッシーナがさらに光弾を吐き出そうとしているのを見て取ったエースが、次にとった攻撃でそれは確定的となった。

 

『メタリウム光線!』

 

 赤、黄、青の三原色で構成されたエースの最大の得意技がグロッシーナの胴体に吸い込まれて爆発を起こす。これで今度こそやったか!? と、才人はエースの勝利を確信したが、そうはならなかった。なんと奴は光線の直撃した部分は醜く焼け焦げさせているものの、まだ両の足でしっかりと立って、怒りの叫びをあげてくるではないか。

「やはり……なんてことだ」

「テッペイさん、どういうことなんですか!?」

 通信を通して聞こえてきた、テッペイのどうしようもない重病患者を前にしたようなうめきに、はじかれたように反応した才人の声はうわずって、冷静さを失っていた。けれど、テッペイのようにガンフェニックスのセンサーに頼らなくても、キュルケやタバサのように冷静に戦いを見守っていたら、それはおのずとわかることだったのである。

 

「エースのパワーが、急激にダウンしている」

 

 それが結論で、もはや疑う余地はどこにもなかった。最初から見返してみても、グロッシーナはパワー、特殊能力ともに決定的といえるような強大なものは持っておらず、その点でいえばバキシムやブロッケンのほうが格段に勝るだけに、互角の勝負になること自体がおかしかった。

 また、これは彼らには知るよしもないことだが、グロッシーナは実際にそれほどたいした強さは持っていない比較的弱い怪獣である。別世界での同一個体も、GUTSの攻撃で一度撃退された後に、サイクロメトラに寄生されて蘇ったが、ウルトラマンダイナのソルジェント光線はおろか、スーパーGUTSの戦闘機、ガッツイーグルγ号の光線砲ガイナーでさえ体を貫通されて大穴を空けられてしまうなど、エネルギー系の攻撃に対しては脆弱であるのに、メタリウム光線が皮膚を焦がしただけに終わるなんてありえるはずがない。

 記録されたエネルギー数値を参考にすれば、現在のウルトラマンAのエネルギー数値は先日の二大超獣と戦ったときの、およそ半分以下にすぎない。それでも、違和感を感じさせるだけで、怪獣と互角にやりあえていたエースの基本ポテンシャルの高さはたいしたものであったが、エースのパワーダウンを見抜けていなかった才人は驚いて叫んだ。

「エースのパワーが!? なんで」

 GUYSのクルーたちはさすがに「バカかお前は!」と怒鳴りたくなる寸前になった。エースの弱体化の原因、それと同じものをGUYSクルーたちは過去に見たことがある。以前メビウスが光の国に帰還を命じられたとき、メビウスは出現したインペライザーと帰還命令を振り切って戦ったが、使命と感情の板ばさみになった結果、充分に力を発揮できずに敗れている。

 そのとき、リュウたちGUYSクルーははじめてミライがメビウスであるということを知り、彼の苦悩と痛みを分かち合い、共に戦っていくことを誓った。だから、まだ会って数日しか経っていないが、ルイズという少女の気持ちもよくわかる。そしてリュウは、そこまでなるほどに築き上げた絆の強さに、鈍感にも気がついていない才人にかつてミライの気持ちに気づいてやれなかった自分自身に感じたものと同じ強い憤りを感じ、お前本当に気づいてねえのか? それとも半年もいっしょに戦ったパートナーの気持ちが、本当にわからねえのか!? と、背中越しに怒鳴りつけていた。

「そんな、でもあいつは……」

「うわべと本音くらい、見分けてやれ。生まれた星は違っても、共に生きていれば言葉を使わなくても伝わるものはあるはずだ。おれたちと、メビウスがそうだったようにな」

「あいつの……本音」

 叱り飛ばされて才人は、これまでは念じればなんとなくそばにいることを感じられたルイズの心を思ったが、今は何も感じることはできなかった。いやそもそも、あのルイズが自分ごときに本音を隠そうとしていることが信じられなかった。いつも余計なほど高慢で、かんしゃくもちで、少しでも気に障ることをしたら遠慮なく暴力を振るってくるルイズが、よりにもよって本音を隠している? まさか、そんなことが……

 それに皮肉な話だが、もっともエースと近くにいた才人だからこそ、離れて見ることによってエースの戦いの不自然さに気づくことができなかった。いや、無意識に見ないようにしていたのかもしれない。

「ルイズ……ばかやろうが」

 忘れろとは言わない。もしも自分がルイズの立場だったら、悲しくてもその思い出を一生の宝物としてずっと大切にしていく。けれど、今はそんなことを考えてる場合ではないだろう。少なくとも、これまで彼の前ではルイズは常に毅然として貴族らしく気高く振舞っていて、どんな相手にでも立ち向かっていた。

 しかし、才人はやはりルイズと近くにいすぎたゆえに、自分が一つの大きな誤解をしていることに気がついていなかった。ルイズの勇気は何も誇りや名誉から、無尽蔵に沸いてくるわけではない。彼女が誰にも負けない強さを発揮するには、重大な条件が必要だった。ただ、それを理解するためには、才人には一つ、絶望的なまでに欠けている要素があり、これまでの彼の振る舞いから、下手をすれば二人の絆を修正不可能なまでに破壊してしまう危険性を感じ取ったマリナとジョージは、この小学生レベルの恋愛知識で四苦八苦している青少年に、大人としてアドバイスをした。

「はぁ、才人くん。あなたって、もててる割には熱血バカ以上の鈍感ね。才人くん、女の子の言うことを、そのまま真に受けちゃだめなのよ。特に、あれくらいの年頃の子はね。」

「今回は俺もマリナに賛成だな。俺の見たところじゃ彼女はそう、なんていったっけかな、表側ではツンケンしてるけど、本音は甘えたがってるってそんなタイプだ、思い出してみろよ。それと、お前のほうは彼女の事をただのパートナーと、それだけしか思ってないのか?」

「えっ……」

「え、じゃない。この際だから聞いとくが、お前バレンタインでチョコもらったことないだろ?」

 才人の脳裏に「あるよ! お袋にだけど」という言葉が浮かんで消えた。ちなみに、プロサッカー選手であるジョージのところには、毎年山のようにチョコが届けられている。

「やっぱりな。どうりで自信もててないわけだ……才人くん、君は自分ではわかってるつもりだろうけど、大きな誤解をしてるぜ?」

「そうね、このままじゃ前にフェミゴンと戦ったときのテッペイくんの二の舞ね。もしも、またこの世界に戻れても、そのときは彼女は君の事をきれいさっぱり忘れてしまってるかもね」

「えっ!? ど、どうしてそんな?」

 わけがわからないという風に言う才人に、マリナは「嫌なこと思い出させないでくださいよ」と言うテッペイの抗議を聞き流しながら、ジョージは軽くしてやったり笑いを浮かべてそれぞれ答えた。

「残念だけど、それを私たちが言っちゃあ意味がないわ。あなた自身で、答えを見つけなさい。けど、女の子はね、自分の本当の気持ちを知ってほしいといつだって思ってるものよ」

「じゃあ、俺も初級のレッスンをしてやるよ。そうだな、難しく考えるな。バカになれ、お前なんかがうじうじ考えても無駄だ。心の中に隠してるもの全部吐き出して、当たって砕けてみろ。女に向かって、勇気を示してやるのが男の義務だ!」

「えっ? ええっ!?」

 完全に困惑してしまった才人は、だったらどうすればいいんだと助けを求めるが、マリナもジョージも、もう戦闘に頭を切り替えて答えてはくれない。

 

 ”ルイズの本当の気持ち、それにおれの本当の気持ち? なんだそりゃ、全然わけわかんねえ! でも、なんでだ? なんで覚悟を決めたはずなのに、なんでこんなに不安なんだ? 畜生、ルイズのバカめ、エースに下手な戦いなんかさせやがって! これじゃ心配になっちまうだろう! お前にとって、おれは何だっていうんだ? 使い魔? パートナー? それとも、それとも……”

 

 ルイズはいい奴だ、そんなことはわかっている。いろいろあって、ずいぶんとわがままを言われたけれど、たまに見せる気遣いは彼女の理想とする貴族らしく、とても気高くて優しかった。だからこそルイズの自分に対する感情はある一点以上にいくことはないと、高嶺の花のように思っていた。

 けれど、それは逃げだったのかもしれない。違うと言われるのが怖くて、ルイズの優しさに甘えて、彼女は自分がいなくても大丈夫な強い女の子だと決め付けて。

 ルイズの心……近くにいたからゆえに、気づかなかった。勝手に思い込んでいた。自分の手から離れていきかけたとき、才人の中に急速にある気持ちが生まれ始めていた。

「ばっきゃろうが……」

 吐き捨てた言葉はルイズにか、それとも彼女の心の内を見抜いてやれなかった自分に対してか、それとも両方か……

 

 ルイズと才人、切れかけた絆がもたらす苦しみの中で二人の若者が苦しむ中でも、光と闇、ウルトラマンとヤプールの激闘は続く。

「デアッ!」

 グロッシーナの尻尾攻撃を回避し、接近戦で戦うエースだったが、パワーが落ちた状態ではパンチやキックの威力も半減して、奴も弱った状態なのにまともなダメージを与えることができない。

 そして、半年ものあいだエースとともに戦ってきたルイズは、エースの力がなぜ発揮できないのか、もうわかっていた。はじめてエースに変身したあの日、エースはこう言った。

”君達のあきらめない強い意志が私の力となる”

 今の自分にそれはない。しかし、どうしてもルイズの心からは闘争心や覇気といった戦いに必要な感情が浮かんでこない。いや、ハルケギニアや、今この学院を守りたいという使命感はあるのだが、それを支えるいわば土台の部分が抜け落ちたみたいに虚ろで冷たいのだ。しかも、その原因が自分でわかっているのが、何よりも腹立たしかった。

 エースは、北斗星司は黙して何も言わずに、ただ戦い続ける。

「ダアッ!」

 赤色光弾をサークルバリアで跳ね返し、力比べでは負けそうになるのを気合で押さえながら、奴の腹の下に体を潜らせて、ひっくり返すように投げ倒す。だがそれも、勢いにいつもの張りがなく、必殺の一撃を加えられないのではエースの苦闘は続く。

 

 そのころ、メビウスとヒカリもそれぞれ二大怪獣を相手に互角の戦いを繰り広げていた。

「ヘアッ!」

 メビュームブレードでグドンの鞭の一本を切り落として、ドラコに袈裟懸けに斬りかけて黒々とした皮膚に大きな刀傷をつけ、さらに殴り倒したメビウスはマウントポジションからドラコの胴体をめがけてパンチの猛攻撃を加えてダウンさせた。

 ヒカリも、キュルケとタバサの的確なアドバイスと、ときたま目くらましや足止めに送り込まれてくる炎弾や氷風の援護で、ガギを相手に優勢に戦い、奴の角をジャンプキックでへし折って光線を封じた。だが、頑丈な表皮を持つギールにはナイトビームブレードでも致命傷を与えられずてこずっていた。

「デヤアッ!」

 正面からでは、よほどの攻撃力がないと無理だと判断したヒカリは噛み付き攻撃をかけてくるギールを避けて、首をかかえて持ち上げた。こういう四足歩行の生物はだいたい背中は頑丈だが、腹はやわらかいと踏んだのだ。

 しかし、そのもくろみは半分は的中したが半分は失敗した。確かにギールの腹は背中より装甲は薄かったが、そこには秘密兵器が隠されていたのだ。

「危ない! 怪獣の腹が開いてます」

 ヒカリに向かって腹部を向けたギールの腹の中央が観音開きに開き、そこから巨大な琥珀のようなオレンジ色に輝く球体が現れたかと思うと、球体から真っ赤に燃える無数のマグマエネルギー弾を乱射してきたのだ。

「グウッ!?」

 予想だにしていなかった攻撃にたじろぐヒカリの周りに、無数のマグマ弾が着弾して爆炎を上げる。これが、ギールがマグマ怪地底獣と呼ばれているゆえんで、この攻撃にはXIGもだいぶ苦戦させられたものだ。ただし、諸刃の剣のたとえのとおり、最大の武器は最大の弱点ともなる。ヒカリはマグマ弾が発射数は多いが、狙いをつけることはできないと悟ると、奴の体内へと直結していると思われる球体にナイトビームブレードの切っ先を向けて突進した。

「デァァッ!」

 

 そして、苦戦を続けていたエースもグロッシーナとの戦いの中で奴の動きを見切った。奴が光弾を放つときの、エネルギーをためる一瞬の隙をついて、エネルギーを右手に集中して、光輪状のカッター光線に変えると素早く投げつけるように発射したのだ!

『ウルトラスラッシュ!』

 光弾とすれ違って飛び込んだ、ウルトラマンの八つ裂き光輪と同等の威力を誇る切断光線は水平に高速でグロッシーナの首をすり抜けて、次の瞬間奴の首は壊れた置物のように無造作に胴体の上から転がり落ちた。

「やった!」

 首の後を追うように大地に崩れ落ちたグロッシーナを見て、才人の歓声が飛ぶ。グロッシーナは再生怪獣と別名を持っているが、自身に再生能力は持っておらず、首をはねられたらもう蘇ることはできない。

 だが、喜びもつかの間であった。才人はエネルギーを大量に消費して、片ひざをついて息をついているエースの背後の林が何も無いのに倒れていき、ついでエースに向かって草原の草が不自然になぎ倒されていくのを見て、とっさに叫んでいた。

 

「ルイズ! 後ろだ!」

 

 はっとしてエースが振り返った瞬間、エースはまるで後ろから何かに追突されたように倒れ、さらに右足が何かに掴まれているように浮き上がり、後ろに向かって引きずられはじめたのだ。

「ルイズ!」

「あれは!? テッペイ、どういうことだ」

 明らかに攻撃を受けたらしいエースは、引きずられていく右足を押さえてふんばっているものの、相手の力のほうが強いらしく、なすすべも無く引きずられていく。しかし、エースの周りには怪獣どころか足跡の一つすら見当たらない。不自然なエースのやられ方に、才人の前の座席に座るリュウがガンブースターのテッペイに説明を求めると、テッペイは慌てて叫んだ。

「しまった油断した。マリナさん、エースの周りを攻撃してください!」

 言われたマリナはガンブースターを旋回させて、エースに当てないように注意しつつ、言われたとおりにエースの至近に照準を合わせてトリガーを引いた。

「いくわよ、アルタードブレイザー!」

 青色の光弾が、エースの周囲で炸裂する。それらの多くは無駄弾となって草原を掘り返しただけに終わったが、何発かは何も無いはずの空間で炸裂して、そこから緑色をした巨大な亀のような怪獣が、エースの右足を咥えた状態で浮かび上がってきた。

「あれはやっぱり」

「吸電怪獣エレドータス!」

 それはかつてウルトラマンジャックと戦った、文字通り電気を吸収する特性を持った怪獣で、溜め込んだ電気エネルギーを使った攻撃を得意とする。また、それだけではなく、初代ウルトラマンが戦った透明怪獣ネロンガと同じように自分の姿を透明にする能力も持っているのだ。

「くそ、見えない怪獣なんて反則だぜ」

 完全にふいを打たれた形になったジョージはガンウィンガーを旋回させつつ、攻撃目標を、スッポンのようにエースの足に食いついて離さないエレドータスに向ける。だが、同時にGUYSクルーたちは怪獣博士と異名をとるテッペイよりも早く怪獣の名前を言い当てた才人の知識に感心していた。

”やるな、こいつ”

 一般人で、これだけ怪獣に精通している人間はそうはいない。リュウたちですら、入隊当初はグドンの名前すら知らずに、テッペイの知識にはかなり世話になったものだ。これほどの知識があれば、もしかしたら……GUYSクルーたちは才人の資質にある思いを抱いたが、そんなことはつゆ知らずに、才人は目の前で苦戦するエースを見て歯軋りをする。

「畜生、おれがあそこにいたなら……」

 エレドータスの能力を知っている自分がいたら、ああも一方的に攻められることはなかったはずだ。うぬぼれかもしれないが、これまでもヤプールの操る怪獣、超獣、宇宙人の正体からその特徴を読み解き、サポートできてきたのに……だが、言っても遅く、消耗したところを襲われたエースは抵抗できずに噛み付かれた足から電撃を流されて苦しめられる。

 

「ウァァッ!」 

「エース兄さん!」

「ちっ! 邪魔だ、お前たち!」

 

 エースの苦境に、メビウスとヒカリも二大怪獣を相手にしながらも、もうおちおちしてはいられなかった。エネルギーを大量消費するのを覚悟で、二人はそれぞれ必殺光線を敵に放つ。

『メビュームシュート!』

『ナイトシュート!』

 なぎ払うように放たれたメビュームシュートがグドンとドラコを同時にはじき飛ばし、ナイトシュートの直撃を腹に浴びたギールは爆発四散。さらにガギも鞭を失って、今の光線の破壊力を目の当たりにしてはかなわないと見たのか、その巨大なカギ爪を地面に食いつかせて、あっという間に土中に逃げ去ってしまった。

「逃がすか!」

「待て、逃げるやつなんかほっとけ、エースの援護が先だ!」

 リュウは追撃を加えようとするガンウィンガーのジョージに指示を与え、三機もメビウスとヒカリとともに、苦戦するエースへと援護攻撃を開始した。

「ウィングレッドブラスター!」

「バリアブルバルサー!」

「アルタードブレイザー!」

 光線砲の集中攻撃がエレドータスに集中し、ひるんだ隙にエースは脱出する。

「エース兄さん! 大丈夫ですか」

「ああ、すまないメビウス」

 メビウスの目から見ても簡単にわかるほど、エースの消耗は大きかった。テクニックでカバーしてはいるものの、本来ならばあの程度の怪獣など真っ先に倒せていていいはずだ。

「エース兄さん、やっぱり……」

「何も言うなメビウス、それよりも、まだ戦いは終わっていないぞ」

 エースは、明白な自分の身の異常には何一つ言わずに、立ち上がると二人に戦いに戻るようにうながした。なぜなら、北斗星司は信じていた、人の心は時に自分でもどうしようもないくらいに大きく乱れることはあるが、それは同時に人の心が大きく成長するチャンスであるということを。

 しかし、ともかくもこれで戦いはグドンとドラコ、それにエレドータスにとどめを刺すだけだ。メビウスとヒカリはエースをかばいつつ、起き上がってきたグドンと、叫び声をあげてくるエレドータスを見据え、攻撃態勢に入る。

 

 だが、怪獣軍団の劣勢を目の当たりにしながらも、ヤプールは予想外のウルトラマンAの弱体化にほくそえんでいた。そして、宿敵に復讐を果たす願っても無い好機に、手のひらに強力なマイナスエネルギーを集めていた。

「ふふふ……なぜかは知らんが、ウルトラマンAめ、満足に戦うことができないようだな。ならば、ここを貴様の墓場にしてやる。さあガディバよ、今わしの持てるすべてのマイナスエネルギーをくれてやる。ゆけぇーっ!」

 ヤプールの手から、正真正銘最後のマイナスエネルギーを込めた黒い蛇、宇宙同化獣ガディバが空へと解き放たれた。そして、GUYSが強力なマイナスエネルギー反応に気がついたときには、すでに遅かった。

「リュウさん! とてつもなく強力なマイナスエネルギーが!」

「なにっ!? しまった、あれは!」

 空を生きているような黒雲が走り、それが空から舞い降りてきたとき、真っ赤な目を持つ漆黒の大蛇はGUYSも、ウルトラマンたちも止める暇もなく、半死半生状態であったドラコの周りにまとわりつくと、その体の中に吸い込まれるように消えていった。

「あれは、あのときの!」

「そうです。レジストコード宇宙同化獣ガディバ! 別の怪獣に乗り移ってその体質を変化させる宇宙生物です!」

 GUYSはかつて、ヤプールがメビウスの戦闘データを採集するためにぶつけられたどくろ怪獣レッドキングとの戦いで、ガディバを目撃していた。あのときは、倒されたレッドキングの生体構造を変化させ、古代怪獣ゴモラに作り変えたが、今度はいったい!?

 ガディバに取り付かれたドラコは、異物が体内に入り込んだことによって、生体の持つ拒絶反応で最初は苦しんでいた。だが、やがてガディバの持つ能力とマイナスエネルギーがなじんでくると、その肉体がまるでクレイアニメのように変化を始めた。

 メビウスにやられていた刀傷がふさがっていき、身長四五メートルの体が徐々に巨大化し、六十メートルまで大きくなるのにあわせて翼も三倍近くにまで大型化。さらに愛嬌もあった顔は、口が昆虫のように横開きになって鋭い牙を無数に生やし、瞳の色も白から真っ赤に変化した凶悪なものになり、腕もはるかに大型化して、まるで別の怪獣のようにたくましく、威圧感をあふれさせた容貌になったのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「で、でかくなりやがった!?」

「いや、それだけのはずがねえ……みんな、気をつけろ!」

 そうだ、あれだけのマイナスエネルギーを吸収したのが、見掛け倒しのはずがない。だが、ドラコの急激な変化に危機感を抱いたのか、奴の前にいたグドンがきびすを返すと、残った一本の鞭を振りかざしてドラコに襲い掛かっていった。

「よっしゃ! 同士討ちしやがるぜ」

 ジョージが、怪獣同士つぶしあいをしてくれるならちょうどいいと、歓声をあげた。それに、グドンだって弱い怪獣ではない。残り一本とはいえ、振動触腕エクスカベーターはウルトラマンの体ですら簡単に叩きのめす威力を誇る。しかし、GUYSクルーや才人たちの期待は最悪の形で裏切られた。

 ドラコは、グドンの鞭の一撃を微動だにせずに体で受け止めると、最大の武器である鎌をきらめかせ、一瞬のうちにグドンの首筋を一撃! 急所を切り裂かれたグドンは口元からつうっと血を垂らすと、魂を抜かれたように大地に崩れ落ちたのだ。

「なっ!? あ、あのグドンを、一撃で!」

「な、なんて防御力と攻撃力なんだ! あれは、あれはもうドラコじゃない」

 リュウとテッペイの驚愕の声が、ガンフェニックス全体と、三人のウルトラマンの耳に響き渡る。ドラコは、ゆっくりと彼らに向かって前進をはじめ、本能的に絶対勝てない相手だと気づいたエレドータスは、じりじりと後ずさりしていく。しかし、残されたリミットはわずか。それまでに、彼らはこの恐るべき大怪獣を、果たして倒すことができるのだろうか。

 

 

 続く



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第98話  本当のウルトラタッチ

 第98話

 本当のウルトラタッチ

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ

 彗星怪獣 ドラコ

 吸電怪獣 エレドータス 登場!

 

 

「ウルトラマンが三人がかりで敵わないなんて、なんて化け物なの!?」

 空高くまで舞い上がった戦塵で髪と頬を薄黒く染めて、キュルケの叫びがシルフィードの背の上から恐ろしげに響く。

 ウルトラマンA、ウルトラマンメビウス、ウルトラマンヒカリの三人は今、たった一体の怪獣によって窮地に陥れられていた。その怪獣の名は彗星怪獣ドラコ、かつて初代ウルトラマンの時代にレッドキングやギガスと戦い、怪獣酋長ジェロニモンによって蘇生して科学特捜隊に倒されたことでも知られる。

 だが、いずれも別の怪獣や人間の手によって倒され、強豪というイメージとは程遠い。ところが、ガディバのもたらした生体改造と大量のマイナスエネルギーの投与は、ヤプールにも予想外だった超強化を、この怪獣にもたらした。

 

「光線技が、跳ね返されるっ!」

「ナイトビームブレードでも切れないとは……」

「以前のドラゴリーのときと同じだ……マイナスエネルギーが付加された怪獣は、元よりもはるかに強化される」

 

 パワーアップしたドラコは、体格が巨大になり、容姿が昆虫然とした凶悪なものになっただけではなく、そのポテンシャル全体が比較にならないほど強化されていた。腕力、瞬発力に優れているのはもちろんのこと、得意武器の両手の鎌はグドンの皮膚すらやすやすと切り裂くほどに鋭く研ぎ澄まされている。

 しかし、それらに加えて何よりも恐ろしかったのが、防御力の超強化であった。ウルトラマン三人の格闘技が効かないのはもちろんのこと、メビュームシュートのような光線技、ウルトラスラッシュのようなカッター光線、さらにはナイトビームブレードの斬撃をもってしても傷一つつけることができない。この、まさに不死身といっていい能力を得たドラコには、残存エネルギーの全てを与えたヤプールも大満足した。

「ふははは! まさか、あの怪獣にこれほどの素質が隠されていたとは。とんだ拾い物だが、これで貴様らの最後は決まったな。ウルトラ兄弟、そこで死んでいけ! ウワッハッハッハ!」

 もはや勝利は疑いなしと、満足の哄笑を残してヤプールは次元の裂け目に消えていく。

 ドラコは、ウルトラマン三人の必殺技をなんなく受けきり、悠々と鎌で反撃をしていく。その悪夢のような光景には、空から見守るGUYSクルーたちも戦慄を禁じえなかった。

「テッペイ、あいつの体はいったいどうなってるんだ!?」

「全身が、リフレクト星人の誘電体多層膜ミラーのような、光線の吸収性のない物質に変わってる上に、強度はキングジョーのペダニウム装甲並です。つまり……」

「つまりなんだ?」

「つまり、僕らの兵器はもちろん、ウルトラマンの必殺技もほとんど通用しなくなっちゃったってことです」

 その結論は、リュウをもってしても平然と受け入れるというものではなかった。光線も、打撃もどちらに対しても完全無欠。むろん、ウルトラ兄弟のパワーを集結させたメビウスインフィニティーのコスモミラクルアタッククラスの超々破壊力をもってすれば話は別かもしれないが、今いるのは三人だけで、これにガンフェニックスのパワーをあわせたところで到底及ばない。

「何か弱点はねえのか?」

「フェニックスネストに分析を依頼してますが、はたして間に合うかどうか……」

 そのころ、ガンフェニックスからデータを送られたフェニックスネストでは、ゲートが閉じる時間が間近に迫る中、コノミやカナタがうろたえるばかりで役に立たないでいるトリヤマ補佐官の見ている前で、大急ぎでドラコの外骨格に弱点がないかと分析していた。しかし、いくらGUYSのスーパーコンピューターを使っても、残り少ない時間で間に合うかどうか。

 そして、GUYSと同様にドラコの頭抜けた強化に悪寒が止まらないでいる才人は、戦いに何の関与もできずにいる自分の無力さに、握ったこぶしに汗をためながら見守り続けていた。

「エース……ルイズ、頑張れ……頑張れよ」

 三人のカラータイマーの点滅が響く中で、ただ一匹ドラコの勝ち誇った遠吠えだけが響き渡る。

 

 だが、相手がいくら強かろうとひざを屈するわけにはいかない。自分たちの後ろにはルイズたちの母校、トリステイン魔法学院がある。この国の、ひいてはこの世界の未来をになうべき若者たちの明日を育てる、この大切な学び舎を、壊させるわけには絶対いかなかった。

「テヤッ!」

「ヌゥン!」

 一人ずつではだめならと、メビウスとヒカリが同時にドラコの右腕と左腕に掴みかかり、組み付いて動きを封じようとする。

「くっ、すごい力だ!」

「だが、エース今だ!」

 六十メートルの今のドラコの巨体の前にはウルトラマンさえ小さく見えた。両側から押さえ込んだメビウスとヒカリを、それぞれ腕一本の力で押し返そうとするドラコは、細かな牙をいっぱいに生やした口を横に開いて、甲高い声で空気を揺さぶって正面に立つエースを威嚇してくる。そのバッタを捕食するときのカマキリのようなドラコの口の奥から垂れる唾液を見て、ルイズは思わず雷に怯える幼児のように無意識に訴えかける恐怖感に襲われた。

(……ひっ!)

 自分に向けられてくる圧倒的な敵意と悪意に、ルイズの心は氷結してしまったかのごとく熱を失っていく。いや、いつもならば相手がどんなに強大であろうと、臆することはなかった。なぜなら、いつでも襲い掛かってくる恐怖や悪意から、神の盾のように守ってくれた頼もしい人がいたから……なのに、自分はそれが失われた後のことなんかを……

(怖いか?)

(こ、怖くなんてないもの!)

 今のルイズには、案じてくれているエースの声もとがめるようにしか聞こえずに、虚勢を張ることしかできず、その怯えがまたエースの力をそいでいく。けれども、メビウスとヒカリの作ってくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。

 しかし打撃、光線、斬撃もだめ……ならば!

『エースブレード!』

 ウルトラ念力で構成した剣を握り締めたエースは、切り裂くのではなく、切っ先をドラコの腹に向けて構えた。

「テェーイ!」

 刃物を使用した攻撃で、もっとも殺傷力の高いのは斬撃ではなく刺突だ。いくら強固な外骨格を誇るとて、その力を一点に集中するのであれば、鉄板をアイスピックの一撃で貫けるように貫通も不可能ではないものとエースは判断したのだ。しかし!

 

「そんなっ!? エースの剣が、折れた」

 

 なんと、ウルトラ念力で作られた、この世のあらゆる刃物よりも鋭いはずのエースブレードがドラコの外骨格にはじき返されたばかりではなく、柄元から乾いた金属音を立てて真っ二つにへし折れてしまったのだ。

 まったく無傷のドラコは、メビウスとヒカリを振り払うと、巨体からは想像しがたい俊敏さでエースに突進し、体当たりだけで大きく弾き飛ばして学院の城壁に叩きつけてしまった。

「グッ、ォォォッ!」

 崩れた瓦礫の中になかばうずめられながら、エースは起き上がることさえできずにもだえる。そこへ、ドラコは鎌を殺人鬼がナイフを舌なめずりしてもてあそぶように振り回しながら、とどめを刺そうと近づく。

「エース兄さん!」

「いかん、今のエースにはあれは避けられん!」

 グドンの皮膚をもたやすく切り裂いた今のドラコの鎌ならば、ウルトラマンの体でも無事で済むとは思えない。メビウスとヒカリはドラコに後方からメビュームスラッシュとブレードスラッシュを撃ち込み、気を逸らして方向転換させることに成功したが、両腕の鎌を使って二刀流で挑んでくるドラコは、まるで全身を鎧で固めた宮本武蔵も同然で、二人がかりでもまるで太刀打ちすることができない。

 それに、かろうじて難を逃れたと思っていたエースにも、次の脅威が迫っていた。瓦礫を押しのけて起き上がろうとするエースに突然襲い掛かる圧迫感、それがもう一度瓦礫の上にエースを押し付け、打ちのめしていく。

「ウォォッ!」

 まるで体の上で大岩がダンスしているようなこの感触、間違いない。それに気づいたキュルケとタバサがエースの上に攻撃を仕掛けると、案の定透明化を解除してエレドータスが姿を現した。

「あいつ、逃げたんじゃなかったのね!」

 ドラコに恐れをなして、尻に帆かけて逃げ出していたはずのエレドータスが戻ってきたことにキュルケとタバサだけでなく、シルフィードも強い憤りを覚えた。奴は二人のウルトラマンが助けに入れないことをいいことに、抵抗力が衰えたエースにのしかかるだけでなく、口から吐く電撃光線で追い討ちをかけていく。相手が強ければ逃げ出すくせに、自分より弱いと見れば喜んで襲い掛かっていく。しかもこそこそと姿を消してふいまでうって、人間に例えるまでもなく、こういうことをするやつを好きである理由は一欠けらもなかった。

「お姉さま! あんな卑怯者、やっつけちゃってなのね!」

「シルフィードの言うとおりよ。あいつだけは、生かしておけないわ」

 タバサも一度だけうなずくと、シルフィードとキュルケに即席で考えた作戦を指示して、自らも精神を集中して呪文の詠唱を始めた。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

 『氷嵐』、現在のタバサが使える最強のトライアングルスペルが、彼女の膨大な魔力を得て節くれだった杖に集中していき、さらにキュルケも可能な限りの熱量を集中させた『炎弾』を構築していく。

 だが、普通に放てばハルケギニア最強の幻獣であるドラゴンにさえ致命傷を与えられるであろう二人の魔法でも、相手は生物の常識を超えた存在である怪獣である。ケムラー、スコーピス、ガギら強敵と渡り合ってきたタバサには、これでもたいしたダメージはいかないものと予想していた。かといって、数で勝負しようにも、時間をかければこちらが奴の破壊光線にやられる。

 ならば、勝負は一撃でかけるしかない。

「お姉さま、いくのね!」

 奴の目の死角から急接近していくシルフィードの背から、まずキュルケが先手をとった。

「炎よ!」

 発射された火炎は流星のように尾を引いてエレドータスに向かう。しかし、相手は全身を強固な甲羅に覆った亀の怪獣、胴体を狙ったところで意味は無い。キュルケの炎は亀の最大の急所である首筋にまとわりつくと勢いよく燃え上がった。

「やった! これであいつはもう首を引っ込められないのね!」

 亀型怪獣のやっかいなところは甲羅の中に頭と手足を引っ込めると、鉄壁のガードとなって一切の攻撃が効かなくなることだ。けれども首筋に炎のネックレスをあしらわれたエレドータスは、その熱さのあまりに首を甲羅に戻せないでいる。

「今がチャンスよ! タバサ、頼んだわよ!」

 キュルケの激励を受けて、タバサは精神を集中させた。そして、首筋を焼く炎を振り払おうとして、悲鳴をあげながら頭を振り回しているエレドータスが、ひときわ大きい叫び声をあげたその瞬間、巨大な口の中に渾身の『アイス・ストーム』を叩き込んだ! すると、極低温の吹雪が口内で荒れ狂い、エレドータスの唾液から、口内の薄い皮膚の下の毛細血管の水分も一瞬にして凍りつかせ、それらは細胞を破壊する無数の槍となってエレドータスを一瞬にして凍死に追い込んだのだ。

「やったやった! さすがお姉さまなのね!」

「やった……すごいわ、タバサ!」

 地面に崩れ落ちて完全に絶命したエレドータスを見下ろして、シルフィードとキュルケは躍り上がるようにして喜んだ。

「見事よタバサ、けど硬い体を避けて体内を直接狙うなんて、よく思いついたわね」

「たまたま気づいた」

 そう、タバサの立てた作戦とは、体の外からの攻撃に強いのならば、逆に体内から攻撃すればいいというものであった。これまでの戦いから、『烈風』カリンほどの超攻撃力をいまだもてない自分が、怪獣と戦うにはどうすればよいかと考えた結果、行き着いた答えがこれであった。

 ようやく起き上がったエースの眼前を通り過ぎて、シルフィードはまた舞い上がっていく。

(すごい友だちだな)

(ええ、認めたくないけど、キュルケたちは強いわ)

 手を振りながら飛び去っていったキュルケたちに、エースが惜しみない賞賛を送るのに、ルイズも認めざるを得ないというふうに答えた。

 はじめは、ハルケギニアの人間は怪獣に対して軍隊をもってしてもまったくなすすべはなく、累々と死山血河を築き上げるだけであったのに、努力を重ねてかつて初代ウルトラマンを苦しめた怪獣ザラガスを独力で撃破するまでに短期間で成長し、今でもヤプールをはじめとする侵略者と戦い続けている。もしも、彼らの奮闘がなければウルトラマンAだけではヤプールの侵攻は防ぎきれなかったに違いない。それは、ハルケギニアも地球も変わりなく、強大な悪意に対抗し、守るべきものを守るためならば人は限りなく進化を続けていく。

(我々も、負けてはられないぞ)

(ええ、サイトに……みっともないところは見せられないもの)

 自分だけが、ずっと同じところにとどまっているわけにはいかない。ルイズはからっぽの心に風を吹き込むように、キュルケたちからもらった一欠けらの闘志を燃え上がらせ、その心を受け取ったエースは力を振り絞って立ち上がり、メビウスとヒカリを相手に暴虐を振るうドラコに立ち向かっていく。

「デャアッ!」

 ドラコの背中から飛び掛り、翼を掴んで引っこ抜こうと試みる。しかし、スチールより硬くてビニールより薄くて柔軟なドラコの翼も、同様にパワーアップされていて、奴が軽く羽ばたかせただけでエースは振り払われてしまった。

「エース兄さん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ。しかし、このままでは我らの力を結集したとしても、奴には勝てない」

「ああ、何か弱点を見つけなければ……」

 ウルトラマン三人と、ガンフェニックスの総攻撃を受けてもいまだドラコにはかすり傷一つつけられていない。それほどに、ドラコの全身をくまなく覆った外骨格の強度は並はずれで、カラータイマーを鳴らす三人とは裏腹に、奴は疲れたそぶりさえ見せていない。

 けれど、この世に存在するものに完全無欠などということは絶対にない。金城鉄壁を誇る外骨格に唯一存在したアキレス腱を、フェニックスネストで必死の努力で分析していたコノミたちがついに見つけ出したのだ。

「リュウさん、わかりました。ドラコの右肩の頂上部に、わずかですが亀裂があります!」

「なにっ!? そうか、奴が強化する前にメビウスにつけられた刀傷が残ってたのか。なら、そこを攻撃すればいいんだな」

 ギリシャ神話の英雄アキレスは、冥府の不死身の川の水を全身に浴びたときにかかとだけが隠されて浴びそこない、そこを射抜かれて倒されてしまったという。ドラコにとってはメビウスから受けた深手が、ガディバの生体再構築をもってしても再生しきれず、場所は違うがアキレスのかかととなったらしい。

 ただ、ドラコの弱点は右の肩だということはわかったが、それには大変な難題がいっしょについていた。

「はい……ですけど」

 なんとコノミから伝えられた結果は、そのドラコの外骨格の唯一の亀裂は、ほんの十センチに満たない小ささで、それも時間が経つにつれて徐々に小さくなっていっているというのだ。

「十センチだって、そんなもんカラスの足跡みたいなもんじゃねえか!」

 口で言えば簡単だが、相手は全長六十メートルの巨大怪獣であり、しかも当たり前のことではあるが、動き回るために照準は一定することはない。いくらガンフェニックスの性能をもってしても、そこまでの超精密ピンポイント射撃は不可能だ。

 期待が大きかっただけに、それに対する落胆もまた彼らを打ちのめしたが、それでも勝率ゼロが、一パーセントにも二パーセントにもなったのは事実である。

「行くぞ、ドラコの弱点は……右の、肩だ!」

「はい!」

「おうっ!」

 エースを先頭に、三人のウルトラマンはドラコの唯一の急所をめがけて飛び掛っていく。

 エースのパンチが、メビュームブレードが、ナイトビームブレードがドラコの右肩のみを狙って何度も攻撃を仕掛けては、そのたびにハエを払うように無造作に弾き飛ばされる。

「なんて強いやつなんだっ!」

 むろん、ガンウィンガー、ガンローダー、ガンブースターの三機もチャンスがあるたびに射撃を繰り返すものの、的が小さすぎるためにいくら撃ってもヒットを得ることができないでいる。メテオールも、今回ばかりはブリンガーファンもスパイラルウォールも役には立たないし、唯一効果がありそうなスペシウム弾頭弾は昨日の戦いで使い果たしてそのままなので、残念ながら使えない。

 そのとき、才人は時間ばかりが無意味に過ぎていく絶望的な状況で、これまで戦いをどうすることもできずに見守り続けていたが、ついにたまりかねて意見を口にした。

「ガンローダーの機動性なら、ギリギリまで接近して攻撃できるんじゃないですか?」

 確かに、三機中もっとも安定性の高いガンローダーの性能ならば、直接照準ができる場所まで接近して攻撃できるかもしれなかったが、それは大変な危険もはらんでいた。

「つまり、ギリギリまで肉薄してゼロ距離射撃に賭けろってことか」

「ちょっとあんた! それは危険すぎるわよ」

「マリナの言うとおりだ、下手すれば特攻になっちまうぞ」

 ジョージとマリナの言うとおり、蜂に刺されるとわかっているのに飛んでくるのを黙っている人間がいないように、奴は暴れて接近しようとするガンローダーを撃ち落そうとしてくるに違いない。

「す、すいません……素人考えで口をだしちゃって」

「いや、このままじり貧でエネルギーを削られていくよりかは成功率がある。悪い考えじゃねえかもしれん」

 才人は謝ったけれど、リュウは虎穴にいらずんば虎子を得ず、危険を恐れていてはなにも成し遂げられないと、むしろこの無謀な案に強い興味を示していた。それに、才人は半年ものあいだこの世界で怪獣や宇宙人を相手にエースをサポートして戦ってきたのだ、実戦経験という点では万金の価値がある。

 ただし、才人はあくまでも一般人という立場であることを忘れてはならない。ジョージはその作戦は、可能だとすればガンローダーくらいだが、才人を乗せたままで怪獣に肉薄する気かと問うてきたが、才人は決然とリュウより先に答えた。

「おれのことは気にしないでください。だてに怪獣と戦ってきてません! それに、ウルトラマンたちや、ルイズやキュルケたちも必死に戦ってるのに、おれだけ何もしないでいるなんて耐えられません」

「そうか、よく言ったぜ。その勇気、あの嬢ちゃんたちに見せてやろうぜ。さあて一瞬でも、奴の動きを止められれば」

 そうすれば、一撃でけりをつけてやるのにと、リュウは才人の案に一筋の光明を見たような気がした。ともかく、一瞬でも奴の動きが止まれば。それができるのは、彼らしかいなかった。

 

「リュウ、作戦は決まったようだな。なら、そのチャンスを俺たちが作ってやる」

「僕たちが、全力で奴を押さえつけます。その隙にお願いします」

「恐らく、我々の残りの力では数秒も持つまい。チャンスは一度きりだ、頼むぞ」

 

 ヒカリ、メビウス、エースは活動時間のリミットがすぐそばまで迫っている中で、最後の希望を人間たちにたくそうと、残された力を振り絞ってドラコに向かっていく。

「テァッ!」

「ヘヤッ!」

 ヒカリがドラコの右腕に、メビウスが左腕に組み付いて、先程と同じように動きを封じようとする。エースもドラコの首筋にねじ上げるように取り付くが、奴の強靭な体は関節技も通じないらしく、三人がかりでも先ほどより消耗した状態では、ドラコのパワーにはわずかな時間で負けてしまう。

「リュウさん!」

「リュウ、いまだ!」

「G・I・G!」

 ドラコの動きが止まった。仲間が作ってくれたこのチャンスを逃してなるかと、リュウはガンローダーをドラコに向かって急接近させ、照準をオートからマニュアルに変更し、照準機に映し出されたドラコの右肩にあるという、外骨格の亀裂を撃とうとトリガーに指をかけた。

 しかし……

 それは、リュウが照準機の中に拡大されたドラコの右肩に、針の穴のようにかすかに見える傷跡を捉えて、意識をトリガーに集中したその一瞬の隙のことだった。メビウスとヒカリに両腕を、エースに首根っこを押さえつけられて動けないでいたドラコの、その昆虫型の赤い複眼だけは接近してくるガンローダーの姿を克明に捉えていた。奴はガンローダーがなにをしようとしているのかを瞬時に把握すると、身動きできない状況からも右腕だけを上に向かって振り、鎌を手先から外して飛ばして、ガンローダーに襲い掛かからせたのである。

「なにっ!?」

 思いもよらぬ攻撃に、リュウはとっさに回避しきることができなかった。回転して飛んでくるドラコの鎌はガンローダーの左上面をなめるようにすれ違っていくと、グドンの皮膚をも切り裂いた鋭さでガンローダーの装甲をたやすく切り裂いた。

「うわあっ!」

「ぐあっ!」

 被弾の衝撃で左翼から煙を吹き、コクピットの内部にも激しく火花が散ってリュウと才人に襲い掛かる。

「リュウ!」

「サイト!」

 GUYSクルーやキュルケたちの絶叫が響き、損傷したガンローダーは煙を吹きながら墜落していく。

「リュウ、機体を立て直せ!」

「ああ、ぐっ! 腕が」

 リュウの利き腕は被弾のショックで負傷し、とても操縦桿を握れる状態ではなくなっていた。このままでは地面に激突して粉々になってしまうだろう。そのとき、才人は自らも火花で負った火傷をおして操縦桿を手にした。とたんに、もう二度と使うこともあるまいと思っていたガンダールヴのルーンが輝き、ガンローダーの操縦方法が頭の中に流れ込んでくる。

「操縦切り替え完了! 上がれぇぇぇっ!」

 渾身の力で操縦桿を引いた才人のルーンの輝きに応えるように、ガンローダーは地面とほんの数メートルのところで機首を立て直し、地面をはいずるようにして機体を持ち直させた。しかし、才人の力をもってしてもそこまでが限界で、メビウスとヒカリと、エースを弾き飛ばしたドラコは、今の投げナイフのように使えるようになった鎌をさらにガンローダーに向けて投げつけてきた。

「くそぉぉっ!」

 ちょっとでも操作を間違えばすぐ失速してしまう状態で、才人はなんとかドラコの左腕からの鎌を回避することに成功した。だが、それすら予測していたらしい右腕からの鎌は一直線にガンローダーのコクピットに向かって飛んでくる。

 

「サイト!」

「リュウ!」

 

 シルフィードの背から、ガンウィンガーとガンブースターからの仲間たちの声が響くが、もはやどうしても間に合わず、才人も自分に向かって回転しながら飛んでくる鎌を振り返って、見つめるしかできない。

”ああ……草刈りで、すっぽ抜けた鎌が飛んでくるのってこんなもんなのかな”

 死神が肩を叩きに来るときまで来ているというのに、才人の脳裏にはそんなつまらないことしか浮かんでこなかった。ちくしょう、おれは結局最後までみんなに迷惑かけっぱなしかよ。

 だが、最後の瞬間に才人に届いたのは、死の宣告ではなかった。

 

「サイトーッ!」

「っ!? ルイズ?」

 

 耳にではなく、頭の中に直接響いてきた声は、才人にとって忘れようとしても忘れられなかった彼女のものに、間違いはなかった。

 そして、眼前に迫った死神の鎌の前に立ちはだかってさえぎった銀色の影。

 

「グアアッ!」

 

 あの瞬間、ただ一人エースだけが驚異的な瞬発力を発揮して、跳ね飛ばされた状態から起き上がり、ドラコの鎌からその身を盾にして、ガンローダーを守ったのだ。そう、その身を盾にして。

 

「ウルトラマンA!」

「エース兄さん!」

 

 人間たちと、メビウスの絶叫が響いたときエースはゆっくりと前のめりに倒れた。その背には、ドラコの鎌が深々と突き刺さっている。ガンローダーの身代わりとなったエースは、彼らの死を自らを犠牲にして防いだ代わりに、その力を全て使い果たして、カラータイマーの点滅を消した。

 

「あっ……あああ!」

 

 才人の、皆の見ている前でエースの体が透き通っていき、やがてその巨体が空気に溶け込むように消滅したとき、そこには草原の上に倒れているルイズの姿だけが残っていた。

「ウルトラマンAが!」

「エネルギーを、使い果たしたんだ……」

 ジョージの、テッペイの悲嘆にあふれた声がガンフェニックスに、さらにフェニックスネストに流れ、CREW GUYSに絶望が流れる。

「エース兄さん!」

「エース……くっ、おのれえっ!」

 カラータイマーの点滅を早めさせ、息苦しそうにひざを突くメビウスとヒカリも自分の無力さをなげく。

「ル、ルイズ? な、なんであの子が!」

「まさか……ルイズが」

 キュルケとタバサも、目の前で起きた信じられない出来事に自分の目を疑い、そして……

 

「ルイズ……ばかやろうが……」

 

 涙で襟元まで濡らしながら、才人はルイズへの感謝と、自らへの怒りで身を焼いていた。あの瞬間、ウルトラマンAが飛び込んできてくれなかったら、自分たちは間違いなく死んでいた。けれど、力を失っていたはずのエースが発揮したにしては信じられない速さ、それを呼び起こしたのはあのときのルイズの声に違いない。

「ちっきしょうおっ!」

 ドラコの急所を狙った瞬間、奴の鎌攻撃を、照準に集中していたリュウはともかく、自由だった自分は気づくことができたはずだ。もしも半瞬早く気づいて、リュウに知らせていたら、結果は逆だったかもしれない。結果的に勝利を逃してエースとルイズに迷惑をかけたのは、おれのせいなんだと、才人は自分を責めた。

「おい! 悔しがるのはあとにしろ、まだ戦いは終わってねえぞ」

 無理矢理止血して、我を取り戻したリュウが才人を激しく叱咤して、はっとした才人はどうにかコントロールをある程度回復させたガンローダーを上昇させた。

 

 しかし、残酷なヤプールは倒れ消えたエースに歓喜の声をあげるだけでなく、勝利と、復讐をより完璧なものにするために、さらに残虐な命令をドラコに下した。

 

「ふっはっはははは! 勝った、とうとう我らはエースを倒したぞ。だが、まさかそんな小娘に憑依していたとはな! さあ、ゆけ怪獣ドラコよ、その小娘を踏み潰し、エースに完全にとどめを刺すのだぁーっ!」

 

 異次元からの凶悪な思念波がドラコを動かし、ドラコはヤプールの命令に従って倒れ伏しているルイズを、その巨体の下敷きにしようと前進を始めた。

「まずいっ!」

「行かせるか! ウィングレッドブラスター!」

 ドラコの意図を悟ったGUYSは阻止しようと正面から攻撃を加えるが、やはりまったく通用しない。

「ルイズ! 起きるんだ、ルイズーッ!」

 才人の必死の叫びが、喉も枯れんとばかりにコクピットに響く。普通に考えたら、そんな声が届くはずは無く、二人だけに通じていたテレパシーも今はない状態では、才人の叫びも無駄でしかなかっただろう。なのに、奇跡は起こった。

「う、ううん……サイ、ト? ひっ!?」

 ルイズは、すぐそばまで迫ってきていたドラコの巨体を見上げたとき、奴から明らかな自分に対する悪意と殺意を感じて、全身を貫く寒気に襲われた。

「逃げろぉ! ルイズ」

「サイト? ひっ、ひゃぁぁっ!」

 聞こえるはずのない才人の声に突き動かされたように、ルイズは眼前に迫ったドラコから逃げ出した。それこそ、泥にまみれて、涙と鼻水を垂れ流して、無様に、みっともなく。

「助け、たすけてぇぇっ!」

 嬉々として蟻を踏み潰す幼児のように迫り来るドラコから、ルイズは何度も転びながら、それでもときには四つんばいになりながらも逃げ続けた。死にたくない、死にたくない、死にたくない! 生への純粋な渇望が、ひたすらに彼女を突き動かしていた。

「ヘヤァッ!」

「セアッ!」

 メビウスとヒカリが特攻同然で体当たりをかけ、押しとどめようとしてもドラコは軽々と彼らを退け、一時の時間稼ぎにしかならない。だが、そのわずかな隙をついて、キュルケとタバサがルイズを救い出そうと、シルフィードを急降下させた。

「ルイズ! 今助けるわ」

「キュルケ、タバサ!」

 そのときのキュルケには、いつものルイズをからかって遊ぶ小悪魔的な雰囲気は微塵もなく、タバサとともに友達を助けたいという一心のみがあった。降下するシルフィードからタバサの杖が伸び、ルイズに『レビテーション』をかける用意に入る。しかし、複眼でシルフィードの姿を捉えたドラコは、口を大きく開くと、そこから壊れたスピーカーの音を数百倍にしたような破壊超音波を放ってきた。

「きゃぁぁっ! あ、頭がぁっ!」

「うぁっ! いゃああっ」

「いっ!? ああぐっ!」

 キュルケとタバサは耳を押さえてもだえ、シルフィードも頭を万力で締め上げられるような激痛に耐えられずに、きりもみしながら墜落していった。

「やろう、まだこんな隠し技を!」

 宇宙空間でも飛行できるガンフェニックスの各コクピットの中はまだ無事だが、常人がこれを聞き続けたら聴力を失ってしまうかもしれない。最後の希望が打ち砕かれたルイズは、耳を押さえて苦しみながら、あと数歩で間違いなく自分を踏み潰して跡形もなくするであろうドラコの足を、地面にあおむけに倒れて眺めていた。

「あ……ぅ、た、た」

 あと二歩、ドラコはぼやける風景の中でゆっくりと迫ってくる。舌ももつれて、悲鳴さえもまともに発音することはできない。なのに、ルイズの心はある一点に集中して恐ろしいまでに研ぎ澄まされて、確実にやってくる死にあらがうかのように、たった一つの言葉を吐き出させた。

 

「助けて、サイトぉ!」

 

 それが、メイジと使い魔につながるという魔法のせいなのかはわからない。

 分離したとはいえ、長期間ウルトラマンAを通じてつながっていたなごりがあったのかもわからない。

 いや、無粋な詮索をやめて一言でそれを表現するのならば、『奇跡』と、人は呼ぶだろう。

 

「ルイズーッ!」

 

 はじかれたようにガンローダーの操縦桿を握りなおした才人は、リュウの静止も聞かずに機体をドラコにめがけて降下させていく。なぜなら、才人は聞いたのだ、ルイズが助けを呼ぶ声を、ルイズが自分を呼ぶ声を。

 そして、才人はコクピットの下にある黄色いレバーを手に取った。けれどそれを握り締めたとき、一瞬のとまどいが才人の心をよぎった。

”父さん、母さん、じいちゃん、ばあちゃん、みんな……”

 才人の家族や地球の友達の顔が脳裏をよぎる。会いたい、会って「ただいま」と言ってやりたい。しかし、これを引いてしまえば、それはもうかなわない夢になってしまう。

”でも、ごめん。おれには、どうしても守りたい人ができたんだ!”

 意を決してレバーを引いたとき、ガンローダーの風防が吹き飛び、才人の体が空中に投げ出される。

「ばっかやろーう!」

 リュウの叫びを背中にわずかに聞いて、空中に飛び出た才人の体は重力に引かれてまっすぐに舞い降りていく。そう、彼が引いたのはガンローダーの脱出レバーだった。

 猛烈な風圧が全身を襲い、等加速度直線運動の法則に従って、才人は絶対に助からない速度にまで加速しながら頭から落ちていく。なのに、背中に背負ったパラシュートを才人は開かない。いや、あえて開かずに、ガンダールヴの力で計算されて飛び出した彼の体の行く先には地面ではなく黒い壁が聳え立っていて、そしてパラシュートから、ロープがからんだときにそれを切断するためのナイフを取り出した才人の左手にルーンが輝き。

「でぇぃやぁぁっ!」

 ナイフは深々と、ドラコの肩にほんの五センチだけ残されていた傷口を貫いていた。とたんに、激痛が全身を走ってドラコは苦しみだす。当然だ、人間とてつまようじで刺しただけでも痛い。

「よくもルイズをやりやがったな、この野郎」

 ガンダールヴで強化された肉体でドラコの肩口にナイフを握り締めてとりついた才人は、なおも傷口をえぐる。しかし、猛毒を持った蜂の一刺しは大熊を絶命させることもあるが、才人のそれはまったくの自殺行為でしかなかった。

「あの馬鹿! なんてことを」

「サイト、やめて、逃げて!」

 ジョージとキュルケの悲鳴が響いたとき、まとわり付く害虫に怒りを燃やしたドラコの鎌が、才人の前に迫っていた。

「えっ……?」

 空中に投げ出されたとき痛みはなかった。ただ、自分の体を妙な無重力感が包んだかと思ったあとで、目の前が空の青から真っ赤に染まり、その後全身の骨が砕ける不快な感触が伝わってきたあとで、彼の世界は真っ黒になった。

「サイト……? い、いゃああーっ!」

 引き裂くようなルイズの悲鳴がすべての惨劇を物語っていた。

 ルイズの目の前に落ちてきた才人の体は、両手両足がありえないところから曲がって、愛用してきたパーカーとズボンの一箇所たりとも、赤く染まっていない場所はないと見えるほどに、鮮血に彩られていた。

「畜生! おれたちがついていながら」

「なんて……こと」

 GUYSクルーたちや、超音波攻撃からようやく起き上がってきたキュルケたちも、才人の惨状にがっくりと肩を落とした。彼らからは、二人は小さな人形のようにしか見えないが、六十メートルもの高さから転落して助かる人間などいない。

 いない、はずだった。

「ル、イズ……か?」

「はっ? サイト、サイト!」

 わずかに漏れた頼りなげな声を聞き取ったルイズは、才人の手をとって顔を覗き込んだ。

「お、まえ……そこに、いる、のか?」

「そうよ、わたしはここにいるわ! わかる、聞こえてる?」

 生きている、才人はまだ生きているという喜びにルイズは才人の手を握り締めたが、才人の手からぬめりとした生暖かい感触が伝わってきて、それがルイズのひじから袖に達して、白いシャツを真紅に染めていく。

「ああ……お前の、手の、感触だな……けど……わりい、もう、目が見えねえんだ」

「バカ! なんて無茶をするのよ。ああ、血が、血が止まらないっ!」

 無駄とわかっていながら、ルイズはハンカチを取り出し、制服をズタズタの布切れにしながらも才人の傷口に当てていく。だが、簡易の包帯は吸血鬼のように才人の血液を吸い上げるだけで、いっこうにおさまる気配を見せない。

「やだ、やだやだ。止まって、止まってよお!」

 とび色の瞳から涙をこぼれ落ちさせながら、ルイズはこのときほど魔法の力がほしいと思ったことはなかった。百万の敵を倒すような、誰よりも速く空を飛ぶような、黄金を錬金するようなものでなくていい。ただ一つ、才人の傷を治せる魔法があれば、もう一生魔法なんて使えなくていい。

 けれども、もうどんな治療をしても手遅れと悟ったのか、才人は数回血反吐交じりのせきを吐き出した後で、さっきより弱弱しい声でルイズに語りかけていった。

「もう……いい、それよりも、早く、逃げろ」

「バカッ! あんたをおいて逃げられるわけないじゃない。なんでよ……なんで、故郷に帰って家族と平和に暮らせるはずだったのに、なんで戻ってくるのよ!」

「そりゃ……お前が心配ばっかり……かける、からだろう。だ、第一……た、助けてって、言ったのは誰だよ?」

「うう……でも、そのせいであんたは……なんで、なんでここまでするのよ! 死んだら、死んだら意味ないじゃない!」

 それは、半年前のルイズならば絶対に出てくるはずのない言葉だった。

 才人はルイズが、命の大切さに気づいてくれていたことに、しびれていく顔の筋肉をわずかに動かして微笑を浮かべたが、あえてそれを否定する言葉をつむいだ。

「命より、大切なものが……ある、からな」

 するとルイズは涙で顔をずぶぬれにしたままで、烈火のごとく怒った。

「なによそれ! ウルトラマンとの誓い? 平和を守る決意? ばっかじゃないの! 誇りのために死ぬなんてバカらしいって言ったのはあんたじゃない! 誇りより、命より大切なものってなによ! 答えなさい、このバカ犬ーっ!」

 そのとき、ふっと才人は悲しげな表情を見せて、ゆっくりと答えた。

「お前が……好きだから」

「えっ!? 今、なんて……」

 思いもかけない才人の言葉に、ルイズの心音が高鳴っていく。

「ルイズ、おれは……お前が好きだ……それじゃ、だめかな?」

「えっ! ええっ!?」

 それが、才人の最後に出した答えだった。

 ルイズが好きだ、だから守りたい。

 どんなにわがままを言われようと、どんなにつらくあたられようと、それでも守ってやりたいという単純で純粋な願い。

 何もかも捨てても、これだけは手放したくないというどうしようもない思い。

 ただ、その気持ちにはずっと前から気づいていたが、告白する勇気だけが、この土壇場にくるまで、情けないが湧かなかった。

「サイト、あなた」

「あーあ……とうとう、告っちまった……がっ! で、でも……おかげで、なんかすっきりしたぜ」

 才人は肺から血と、口の中で折れた歯を混ぜ合わせたものを吐き出した。もはや彼の命が急速に失われていっているのは、誰の目から見ても明らかだったが、意外にも才人の心はこれまでにないくらい晴れやかだった。

 はじめから、こうしておけばよかった。なんでこんな簡単なことが、いままでできなかったんだろう。まったく自分はどうしようもない臆病者だ。おかげで、もう誰にも会えないところに行っちまう。でも、ルイズを助けられたんだから、まあいいか……あと、思い残すことがあるとしたら。

「サイト、サイト……」

 才人は、どう答えていいのかわからずに、顔をぐしゃぐしゃにしながらあたふたしているルイズの気持ちが、握られた手から伝ってくるのを感じた。そうして心の中で苦笑しながら、全身を覆う寒気と、急速にやってくる眠気に耐えて口を開いた。

「ルイズ」

「なに? なによ」

「答え……聞かせて、くれねえかな?」

 ルイズの心音が最大規模になるのと同時に、心を押し付けるような圧迫感が包んでいく。

「そ、それは……」

「なん、だよ……おれにだけ、告らせといて、ずるいぜ……」

 不愉快そうに才人はつぶやいたが、ルイズにとってその言葉は、これまで絶対に言ってはならない禁忌であった。貴族と平民、メイジと使い魔、体裁、意地、家名、誇り、ルイズにとって捨て去ることのできない様々なものが強固なダムとなってそれを押さえつけ、本当の思いが流れ出すのをせき止めてきた。

「わたしは、あんたのことを最高の……」

 使い魔だと言おうとしたところで、ルイズははっと気づいた。

「サイト……?」

 今まで荒い息を続けていた才人が、いつの間にか静かになっていた。

「ねえ、サイト……」

 返事はなかった。

「冗談でしょ、ねえ」

 肩を揺さぶると、横向きに転がった才人の口から大量の血が吐き出された。

「あたしをからかってるんでしょ。ねえ、起きてよ、起きなさいよ。ねえ、ねえ、起きなさいって! 起きなかったら殺すわよ!」

 どんなにルイズが揺り起こそうとしても、もう才人の口から息が吐かれることはなかった。そして、涙と血で赤黒く汚れた才人の左手の甲から、契約の日以来ずっと存在してきたガンダールヴのルーンが、一瞬鈍い輝きを放って消えたとき、ルイズはその意味を知った。

「ルーンが……そんな」

 使い魔のしるしが消えるとき、それは主人か使い魔か、そのどちらかが死んだときしかありえない。

「いや……いゃぁーっ! サイトぉーっ!」

 平賀才人は死んだ。

 彼のなきがらを抱いて、ルイズの慟哭が遠く響いても、もう才人の心臓に鼓動が蘇ることはない。

 しかし、泣き叫ぶルイズにまでも彼のあとを追わせようと、悪魔の手は残酷にも迫りつつあった。

「ルイズ! 逃げてぇ!」

 キュルケの声がルイズに届いたとき、ルイズの姿は才人ごと暗い影に覆われた。才人によってルイズの抹殺を妨害されたドラコが、今度こそその命を餌食にしようとやってきたのだ。

 巨大な足が頭上に迫り、キュルケの血を吐くような叫びが響くが、もうルイズの耳には届かない。

「ばか、ばかばかばかサイト……いくらわたしを助けても、あんたが死んだら意味ないじゃない……あんたのいない世界に、わたしの生きる意味なんてないじゃない……だって、だって」

 確実に迫ってくる死など、もうどうでもいい。ようやくわかった。失ってようやく。

 こんなことになるくらいなら、言えばよかった。

 自分は、なんてバカだったのか、誇りや名誉など、才人とてんびんにかける価値自体、ありはしなかったのに。

 涙といっしょに、自分の中のどろどろしたものが流れ出していくようにルイズは感じた。もう、ほかのことなどどうでもいい。全部捨ててしまってかまわない。

 そのかわりに、今なら言える。

 才人に伝えたくて、伝えたくて、何度も胸をこがしたあの言葉を。

 もうどうしようもなく手遅れだが、今ならそれが言えた。

 

「わたしも、サイトのことが好きなんだからぁーっ!」

 

 その瞬間、ルイズと才人ごと、ドラコの足がすべてを踏みにじっていった。

 翼を広げ、両腕を広げたドラコの勝利の雄たけびが残酷に学院にこだまする。

「ふっはっはっははは! 勝った、とうとう我らは勝ったのだぁ! 見よ、人間どもよ、ウルトラ戦士どもよ。ウルトラマンAの死を! さあドラコよ、あとはメビウスどもと、目障りなものどもにとどめを刺すのだ」

 ヤプールの狂気に満ちた哄笑が、これほど残忍に人々の心を打ちのめしたことはなかっただろう。メビウスもヒカリも、GUYSも、キュルケたちも、絶望と悲嘆に打ちのめされていた。

 

 しかし、どんなに絶望の闇の中が深く濃く世界を覆い尽くそうとも、人がいる限りどん底からでも、希望の光は生れ落ちる。

 

 それに、最初に気づいたのはメビウスだった。ルイズを踏み潰したはずのドラコの足の下から、木の葉の隙間から木漏れ日が森の中に降り注いでくるように、はじめは鈍く、やがてだんだんと金色の光があふれ出してくる。

「あの、光は……」

 金色の輝きは、急速に膨れ上がると、まるで足元に太陽が出現したようにドラコを照らし出し、さらに輝きを増していく。

「これは……いったい!?」

 ドラコもヤプールも、何が起こったのかわからない。

「テッペイ、いったい何が!?」

「わかりません! 分析不能です」

 GUYSのスーパーメカニックをもってしても、解析結果はエラーを出すばかり。

「な、なんなの! なにが起こってるの?」

「わ、わからない」

 キュルケもタバサも、うろたえるしかできない。

 ただ、メビウスとヒカリだけはその輝きに確かな希望を見始めていた。

「メビウス……?」

「はい……あのときと、同じです」

 マイナスエネルギーが人間の心の闇の象徴ならば、この光はそれと対を成す希望の光。かつてエンペラ星人との決戦のとき、フェニックスブレイブの奇跡を生み、そして時空を超えた闇との決戦で、超八大戦士に究極の力をもたらした輝き、それは!

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 二つの声が一つに重なり、爆発した光芒がドラコを吹き飛ばす。

「なんだっ!」

「ジョージさん、見てください、あれは!」

 それはたとえるならば、古き星が滅び、新たな星の始まりを祝する超新星爆発。

「ウルトラマン……エース」

「生き返り、やがったのか」

 思いはめぐり、とまどい、やがて答えにいきつく。

「ルイズ」

「サイト……」

 仲間の思いを背に受けて、迷いを断ち切った願いは一つ。

「エース兄さん」

 闇を打ち払い、未来をつかむために、今こそ蘇れ光の戦士!

 

「ショワッチ!」

 

 光よ輝け、闇よ怯えろ!

 心の光と共に、超戦士立つ。

 

『ウルトラマンA・グリッターバージョン!』

 

 

 続く



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第99話  ありがとう才人、異世界の思い人

 第99話

 第一部最終回

 ありがとう才人、異世界の思い人

 

 ウルトラマンメビウス

 ウルトラマンヒカリ

 彗星怪獣 ドラコ 登場!

 

 

「金色の、ウルトラマン……」

 さんさんとした太陽に照らされる真夏の草原に、もう一つの太陽が出現したかのような光芒がきらめき、漆黒の魔獣を塗りつぶすかと思えるほどに圧する。

 その中心にいるのは、カラータイマーを満ち満ちたパワーを示す青に染め、幻ではないことを誇示するように力強く大地を踏みしめる、雄雄しく気高い光の戦士。

 

「テェーイ!」

 

 右腕を高く天に掲げ、あふれんばかりの力をまとって立ち上がった彼の名を、知らぬものはなし、呼ばぬものはなし。

 

「ウルトラマンA!」

 

 GUYSが。

 

「エース兄さん!」

「ウルトラマンA……」

 

 メビウスが、ヒカリが。

 

「ウルトラマンA……生き返ったんだ!」

「奇跡……!?」

 

 キュルケが、タバサが、希望の到来に表情を輝かせる。

 

 

『ウルトラマンA・グリッターバージョン』

 

 

 その姿は、かつて一つの異世界を滅ぼそうと企んだ謎の暗黒卿・黒い影法師との戦いの終幕に、ウルトラマン、セブン、ジャック、メビウスと、ティガ、ダイナ、ガイアを合わせた超ウルトラ八兄弟が人々の未来を信じる思いを受け取って、超パワーアップをとげた奇跡の形態と同じ。

 そして、その圧倒的なまでに強大な光の力の誕生に、闇の化身であるヤプールは驚きとまどい、ありえない現象に抗議するように叫ぶ。

 

「ウルトラマンA、なぜだ、なぜ蘇った! 貴様のエネルギーは完全に尽きていたはず!」

「ヤプールよ、お前が我々への怨念を糧に強大になっていくとしたら、我らもまたその闇に負けないように強くなる。貴様にはわかるまい、真に人と人とが互いを思いあい、愛し合ったときに生まれる力はな!」

 

 うろたえるヤプールに毅然と言い放ったエースに、もはや先程までの弱弱しさは微塵も残ってはいなかった。まっすぐに前を見据え、立ちはだかる闇におびえずに、猛き姿はまさしく勇者。いや、勇者たちと呼ぶべきだろう。エースのオーラのその中にいる、まぎれもない彼らの勇姿を彼らの友は見た。

 

「あれは……ルイズ!」

「それに……サイト」

 

 幻影か、実際そうなのであろうがキュルケとタバサには確かに、金色の輝きの中でエースに重なり合うようにして、二人の姿が見えていた。

「生きて、生きていたのね……」

 涙が、そのつぶやきとともにキュルケのほおをつたった。タバサも、口元に明らかな喜色を浮かべて、意味不明に大騒ぎしているシルフィードをなだめながらぎゅっと杖を握っている。

 二人とも、いつもはルイズや才人とは一定の距離をとっているようにも見えるが、見方を変えればそれは決して馴れ合いの関係ではなく、それぞれの踏み込んでいい領域をわきまえているからこその、本当の信頼関係といえるかもしれない。

「本当に、あなたたちといっしょにいると心臓がいくつあっても足りないわ……ねえタバサ!」

「心配する……こっちの身にもなってほしい」

 今度ばかりはタバサも魂を抜かれてしまったように、腰を抜かしてキュルケに寄りかかった。シルフィードはといえば、興奮しすぎで飛び方が不安定で、この二人でなければ振り落とされているところだ。

 ともかく、何が起こったについてはこれっぽっちもわからない。だが、ただ一つわかることは、あの二人が過去最高のとんでもない奇跡を引き起こしたことだ。

 いや、もう一つだけ、キュルケには直感できていることがあった。それは、この奇跡を呼び起こしたであろう原動力がなんだったのか、彼女からしてみれば、長い間やきもきさせられていた、最初からわかりきっていたあの答えを……

 

 

 あのとき、ドラコの足下にその命を踏みにじられたはずのルイズと才人は、その命が尽き、闇に消えていく意識の中から暖かな光に掬い上げられて、肉体のくびきを離れ、時間すら超越した不思議な空間で再会を果たし、裸になった心で向かい合っていた。

「ルイズ」

「サイト」

 互いに相手の名だけを呼び合い、二人はどちらからともなく歩み寄って抱き合った。

 ここにやってくるのは、ベロクロンによって命を奪われて、はじめてエースと出会ったとき以来。ただし、あのときは恐らく仮死状態でガンダールヴのルーンも残っていたのに、今度は二人とも完全に命を失ってしまった。

「わりい、おれのせいで」

「もう、そんなこと言わないで……もう一度、あなたと会えただけで充分よ」

 それぞれの犯した過ちも、葛藤も、魂で触れ合った二人はすべて許容して、誇りも名誉も命さえ失ったことすら気にも止めずに再会を喜び合った。そして相手のすべてを受け入れることのできた二人には、もう余計な前置きの言葉は必要ではなかった。

「好きだ」

「好きよ」

 同時に、なんの迷いも戸惑いもなくつむがれた思いが、直接相手の心に染み渡っていく。

”おれはルイズが好きだ”

”わたしは、サイトが好き”

 ずっと言いたかった言葉と、聞きたかった言葉が今ここにあった。

 思えば、あの召喚の日の一言から始まって、今日までの日々は二人にとってとても長かった。

「あんた誰?」

「誰って……俺は平賀才人」

 本来、絶対ありえるはずもない時空を超えた出会い。しかしそれから始まった戦いと冒険の日々の中で、時にぶつかり、憎みあい、笑いあい、助け合い、喜び合い……そうして常にいっしょにいるうちに、かけがえのないものが二人の心の中に作り上げられていった。

「おれ、バカだったよ。ずっと前から、お前への気持ちには気づいてたはずなのに、お前がおれなんかを好きなはずがないって、思い込んでた……いいや、振られるのが怖くて、そう思い込もうとしてたんだ」

「サイト、それはわたしもよ。本当は、あなたのことが誰よりも一番好き。だから、誰にもあなたを渡したくない。それなのに、くだらないものに囚われて、本当の気持ちを言い出せなかった。とことんバカよね、あなたを失ってみて、ようやく素直になれたわ」

 二人とも、言いたいことは山ほどあった。この半年で築き上げてきたものは、大小美醜問わずに、いっぱい過ぎるほどある。けれど、二人とも心の壁を取り払って裸で向かい合った今なら、もうこれ以上はいらない。 

「サイト、一つだけ約束して」

「なんだ?」

「ずっといっしょにいて、ほかの女の子に目移りしても、どんなやっかいごとを持ち込んできてもいい。元の世界に帰らなきゃいけないなら、いつかわたしも連れて行って……もう二度とわたしを一人ぼっちにしないで」

「約束する」

 間髪も入れずに返ってきた返事に、ルイズは心から満たされた気がした。いつもなら本気を疑うところだが、ここでなら才人の本当の気持ちが偽りなく感じることができる。

 二人はなんだかとても切ない気持ちになって、もう一度強く抱き合った。

「ルイズ……」

「サイト、わたし……今、幸せよ」

「おれもだ……」

 体温ではなく、互いを思いあう温かい心が触れ合って、才人とルイズは生まれてはじめて感じる、この上ない幸福感に包まれた。

 

 だが、そんな彼らを突然夜闇の吹雪のような猛烈な冷気と悪寒が襲った。

「……っ!」

「この、気配は!」

 白い紙を黒いインクにつけたような、一点の光さえ射さないどす黒い暗黒の意思。欲望、嫉妬、恐怖、破壊、怨念、憎悪、ありとあらゆる負の感情を混ぜ合わせたとてつもないマイナスエネルギーの波動。それが自分たちを狙って、ありえないほどの悪意と殺気を撒き散らしながらやってくる。

 こんな、邪悪な気配をもつものはほかに考えられない。

「ヤプール!」

「そうか……そうね、まだ……終わってなかったのよね」

 二人は、まだこの世にやらねばならないことが残っていることを思い出した。

 あの日に誓った、この世界に破滅をもたらし、ありとあらゆるものから未来と幸せを奪おうとする邪悪なものたちから、この世界を守るという使命。

 それはなにも、我が身を捨てて人々のために尽くすという崇高な自己犠牲の精神からではない。単純に、好きだからだ。空が、海が、山が、街並みが、そこに暮らす人々や、共に歩む友たちが、愛する人がいるこの世界が好きだから。

 本当に守りたいものを見つけた今なら、何もかもが愛しく思える。人は一人だけでは生きられないように、二人だけでも幸せをつかむことはできない。人は人の間にいるからこそ人間となる。人は人から救われるだけでなく、人を救うことでも救われる。それが生きるためだけに生きる動物と、人間の違うところだ。

 守りたい、戦いたいと二人は思った。

 家族……ルイズの心に、母カリーヌや姉たちの顔が浮かぶ。

 友……ギーシュやシエスタたち学院の仲間たち、ルイズが信じるアンリエッタ王女、才人を認めてくれたアニエスや心を通わせられたミシェル。

 オスマンやコルベールら恩師、スカロンとジェシカの親子、ロングビルとティファニア、子供たちに、いつでもなんだかんだで力を貸してくれたキュルケにタバサ。

 彼らを守りたい、彼らのいる世界でこそ生きていたい。

 

 そのとき、二人を包んでいた光の空間が収縮し、やがて光の中から一人の初老に見える、茶色いジャケットを着た男性が二人の前に現れた。

「出したようだね、君たちなりの答えを」

「あなたは……?」

「僕の名は北斗星司、かつて君たちのようにウルトラマンAの力をさずかって、今はエースと一心となって戦っている者だ」

「と、いうことは……あなたは、ウルトラマンAそのものってこと?」

「そういうことだな」

 二人は肉体はないはずなのに、その瞬間飛び上がるようにして驚いた。これまでウルトラマンAとは何度も会話をしたり、精神世界で会っていたりしたが、エースの人間体と、仮の姿とはいえ会うのはこれが初めてだったからだ。

 今、エース、北斗星司はかつてのテンペラー星人との戦いのときに兄弟たちといっしょに地球に再訪したときと同じ、背中にウルトラ文字でエースと書かれた茶色いジャケットに身を包んで、そんな二人を温かく見守っていた。だが、やがて二人の決断を賞賛するように、ゆっくりと語り始めた。

「僕も、かつて君たちのように大切な仲間との別れを経験した。一度目は共に戦ってきたパートナーと、もう一度は地球人北斗星司としての自分に」

 才人とルイズの心に、直接イメージとして、月星人であった南夕子と、ウルトラマンAとしての正体を明かしてTACの仲間たちと別れ、地球人としての自分を捨てたときの北斗の記憶が流れ込んできた。

「北斗さん……」

「君たちは、昔の僕らによく似ていた。だからあえて、君たちの判断を鈍らせないようにと、助言は控えていたんだけれど、やはり君たちは僕が見込んだとおりの人間だったよ」

「でも、あなたは使命のために自分を捨ててまで戦ったのに、わたしたちは結局自分たちを優先して……」

「ルイズくん、それは違うよ。確かに、僕と君たちの境遇は似ていたかもしれないし、僕もかつての決断を後悔したことはない。でもね、正しい答えというのは一つじゃないんだ。僕らウルトラマンは大きな力を持つが、決して神じゃない。どんなに望んでも、救えない命もあるし、届かない願いもある。そのなかで一生懸命あがいて、生きていくことこそが大切で、その結果が選ばなかった選択肢と比べて、正しかったか間違っていたかなんて、誰にもわかりはしないんだ」

 あのとき、ああしていれば、こうしていれば今はもっとよかったはずに違いないと考えるのは、逃れがたい人間の性だろう。けれども、絶対の正解が用意された数式などと違って、無数に絡まりあう人間の選択に絶対の正解などはない。たとえば、車にひかれそうな子供を身を張って助けるか否かで、助けたら自分がひかれて自分の家族が悲しむ、かといって助けなかったら自分の家族は悲しまないが、子供の家族が悲しむ。この世は、そんなどうしようもない矛盾でできているのだ。

「だから君たちは、自分の選択に負い目を感じることなんかはない。僕が君たちの前にやってきたのは、ウルトラマンとしてではなくて、人間として一言だけ君たちに言っておきたいことがあったからさ」

「人間として……?」

 微笑してうなずいた北斗は、二人に歩み寄ると、才人とルイズ、二人の肩をがっしりと父親のようにつかんで言った。

「今の気持ちを忘れるな。これからも、がんばれよ」

 その一言で、二人は心から救われた気がした。自分たちの出した答えを、誰かに認めてもらえたということが、二人だけの孤独から人間になれたように思えた。

「はい……忘れません、絶対に!」

「わたしも、忘れるものですか」

 二人の答えに、北斗は今度は満面の笑みを浮かべて笑ってくれた。

 だが、同時に二人は北斗が「がんばれよ」と言った意味も噛み締めていた。

 がんばれよということは、これから二人でなすべきことを指している。

 そうだ、幸福な未来とは、天国に用意されているのではない、二人でがんばって、この世でこそ作り出して、そうして味わうべきものなのだ。

 だからこそ、二人は願うのだ。

”力がほしい、未来を守って、いつかそれを見つけるために、戦う力が!”

 だからこそ、二人は叫んで呼ぶのだ。

 

「もう一度、力を貸して! みんなを守る力を……エース!」

 

 迷いのないその言葉に、北斗は満足したようにうなずくと、また光となって消えた。

 そして、現実世界へ開かれた先の光景を二人は見た。

 勝ち誇り、さらにその魔手をメビウスとヒカリに向けようとしているドラコの姿。そのドラコを陰から操り、二人が愛するすべてのものを踏みにじろうとしているヤプールの邪悪な意思を。

 ふつふつと、二人の心に闘志が湧いてくる。

 負けない、こんな奴に負けて終わるわけにはいかない!

 そう思ったとき、二人の右手に輝きが灯り、中指に銀色のウルトラリングが現れた。

「ルイズ」

「サイト」

 いつものように、これまでのように、二人は互いの名前を呼び合うと、一度右手を大きく後ろにそらして構えて、目と目を合わせるのと同時に、鏡に映したように完璧な呼吸で手をつないだ!

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 正義の光が二人を中心に輝き満ちる。この瞬間、才人とルイズは再びウルトラマンAと一心同体となって生命を復活させ、二人の心から生まれた限りないパワーを受けたエースは、邪悪を弾き飛ばし、現実世界に新たな勇姿を現す。

 

「サイト」

「ん?」

「生き延びましょう。そして、勝ちましょう。あんたには、まだまだ言いたいことは百や千じゃ足りないほどあるんですから!」

「合点! 万でも億でも聞いてやる。なんたって、おれとお前は?」

 二人は手をつなぎ、心をつなぎ、未来をつなぐために、笑いあっていっしょに夢見たその言葉をつむぐ。

 

「恋人だから!」

 

 すべてのくびきを解き放ち、自由の空の下で二人は立つ。

 もうどんな鎖も二人を縛ることはできない。

 何者も、笑わば笑え! 怒らば怒れ! 邪魔するならばぶっ潰す!

 ルイズが好き、サイトが好き、そして愛する人のいるこの世界が好き。

 何よりも尊い心の光を満たし、二人の絆が輝き光る。

 その強き意志を背に受けて、ウルトラマンAはここに蘇った!

 

〔いくぞ! 二人とも〕

〔おおっ!〕

〔ええっ!〕

 

 いざ、光と闇の決戦のとき。グリッターエースはヤプールの怨念の結晶と化したドラコへと挑みかかっていく。

「おのれぇ! どこまでも我らの前に立ちはだかるというかウルトラマンAめ! ならば何度でも地獄に落としてくれる。ゆけぇー! 闇の力の強大さを思い知らせるのだぁーっ!」

 ヤプールも、エースへの怨念を最大限にたぎらせて勝負を受けてたった。純粋悪であるヤプールにとって、人間の光の力は決して認められないものなのだ。なればこそ、こちらも全力で迎え撃つのみ。高速でドラコの懐に飛び込んだエースの中段からのチョップが、ドラコの腹に突き刺さる。

「デヤァッ!」

 巨木に突き刺さる鉄の斧のごとく、恐るべき破壊力を秘めた一撃が叩き込まれ、ドラコの体がくの字の曲がって大きく後退した。さらに間髪いれずに追撃で打ち込まれたストレートキックが、これまで一切の攻撃を寄せ付けなかった奴の外骨格をもゴムのようにへこませて炸裂し、苦悶の叫びが奴の口から漏れる。

「ヘヤッ!」

 むろん、それで終わりではなく、頭一つ自分より巨大なドラコの首根っこを掴むと、背負い投げの要領で投げ飛ばし、巨体が紙のように宙を舞う。その驚愕無比の光景には、誰一人として目を離すことができない。

「すっげぇ!」

「なんて、強さなの!」

 ドラコは計算上メテオールの攻撃にも耐えると算定されていたはずだ。それにやすやすとダメージを与えだしたエースにジョージとマリナがコクピットの中でガッツポーズをとり、カメラを通して戦いを見守っていた地球のフェニックスネストでも、今トリヤマ補佐官をはじめとして、新人隊員たちによる大歓声があがっている。

「イャァッ!」

 起き上がってきたドラコが体勢を立て直す前に、エースは奴の巨大な腕を掴んで、バランスを崩させて下手投げを喰らわせた。激震轟き、学院の壁からレンガがこぼれ、教室の机にほこりが舞い散る。

 エースは兄弟の中ではウルトラマンと並んで戦闘では投げ技を多用する。相手が重量級であればあるほど、投げられたときにその衝撃は増すからだ。

「すごい、すごいです。エース兄さん!」

「俺たちがあれほど苦戦した相手を、これが……ウルトラマンAだけが持つ力か」

 メビウスが無邪気に、ヒカリが感嘆したようにつぶやく。ウルトラ戦士に数いれど、二人以上で変身をしたものは、特別な数件を除いては後にも先にもエースしかいない。かつて、北斗星司と南夕子に分離していたときは、サボテンダーのとげにエースが刺されたとき北斗の腕に傷が付き、ドラゴリーとメトロン星人Jrとの戦いでエースバリアーを使ってエネルギーを浪費しすぎてしまったときには、南が重体に陥ってしまった例から、肉体は北斗、エネルギーは南と分割されていたが、もしもリスクを分割するのではなく、二人からその力を存分に引き出すことができたら……それは、遠い世界で邪神を滅ぼした希望の光のように、誰にも想像もつかない新たなウルトラ戦士の姿なのかもしれない。

 そんな、とてつもない奇跡を生み出して、今もなお戦い続ける才人とルイズに、キュルケは胸をこの上なく熱くしていた。

「いったい、今度はどんな奇跡を起こしたんだか……というか、あの二人ようやく……」

 そのときキュルケは、なんとなく出来の悪い娘がやっと嫁に行った母親か姉のような気持ちにとらわれた。よくもまあ、紆余曲折というにもまどろっこしすぎる過程を経たが、どうやら無事に元の鞘に納まったらしい。

 ただ、タバサはキュルケの言う意味がわからないらしく「ようやく……なに?」と、怪訝な表情をしている。

「そうね、この件に関してはあの二人があなたの先輩になっちゃったわね。でも、あなたにも必ずいつかわかる日が来るわ。そのときは、この『微熱』のキュルケ様が、手取り足取りレクチャーしてあげるからね」

 さらに目を白黒させるタバサに、キュルケはまだ当分自分のやることはなくならないなと、期待を浮かばせた笑みを浮かべると、大きく息を吸い込んだ。そして、明るい未来を呼び寄せるかのように、シルフィードといっしょに声の限りに叫んだ。

「よーし、ぶっ飛ばせぇーっ!」

 

 高く響くその声に応え、グリッターエースの猛攻は才人とルイズの闘志をそのまま現出させているかのように続く。

「ダアッ!」

 助走をつけての跳び蹴りが正面から決まり、ドラコは翼を広げてこらえようとするものの、それに耐えられないくらい巨体が激しく後退する。まさしくもって、段違いの攻撃力。さらにグリッターパンチ、グリッターチョップが次々と決まって、外骨格をへこませてドラコの体内にダメージを蓄積させていく。

「いける、勝てますよ、これは!」

 テッペイの叫んだとおり、グリッター化したエースの威力はドラコの防御力を完全に凌駕していた。だが、エースが光の鎧をまとうなら、ドラコにも闇の剣がある。これまで一方的にやられるだけだったドラコは、グドンを一撃で抹殺した両腕の鎌を振り上げると、二刀流でエースに反撃をかけてきた。

「ヘアッ!?」

 間一髪、後ろに跳んでかわしたエースは構えを取り直して、両腕を広げて威嚇してくるドラコを睨み返した。直接食らったからわかるが、やはりあの鎌だけは危険だ。ヤプールのマイナスエネルギーを物質にまで凝縮させたといっても過言ではない密度を持っており、グリッター化した今でもあれだけは防げないだろう。

 ドラコは、接近戦における絶対的なアドバンテージを確保し、攻撃を食らっても致命的なまでのダメージは受けないと余裕を持ったのか、にじりよるように向かってくる。しかし、才人は完全無欠に見えたドラコの外骨格に一点だけ、蟻の一穴が存在することを知っていた。

〔エース! 肩だ、奴の右肩におれの刺したナイフがまだ残ってる!〕

 黒色のドラコの皮膚にただ一点、銀色の輝きがとどまってその存在を誇示している。あのとき、ルイズを助けるために才人が決死の覚悟で突き刺した一本のナイフが、無敵の装甲に唯一の汚点を刻み込んでいたのだ。あそこならば、攻撃が効く!

「デュワッ!」

 狙うは一点、しかし本当に蟻の一穴に等しい一本のナイフを狙うには、いくらピンポイントで光線技を集中させても無理だ。けれど、金属製のナイフに、一つだけ確実に攻撃を命中させる方法がある。エースは全身に流れるエネルギーを高圧電流に変換すると、カラータイマーから天空へと向かって一気に放出した。

 

『タイマーボルト!』

 

 上空に立ち上った超電撃は、一瞬にして高度数万メートルにまで達すると、電離圏のプラズマエネルギーをも吸収して、再び邪悪を砕く雷神の槌となって舞い降り、ドラコの肩に刺さったナイフめがけて落雷した!

「やった!」

 雷鳴轟音天地を揺るがし、天の怒りの直撃を受けたドラコは体内へと直接送り込まれた、大都市数個分にも匹敵する莫大すぎる電撃を受けて揺らぎ、口から、鎌のすきまから、さらに全身に卵の殻がひび割れるように生じた無数の亀裂から白煙を上げて動きが止まった。

「効いた! 効いてるわよ!」

 ライトニングクラウドに換算したら、数千人分に匹敵するのではと思われた今の雷撃に、キュルケは興奮して叫び、また、タバサはこの戦法にデジャヴを感じていた。

「今の攻撃……もしかして」

 疑う余地もない。強固な敵の外皮を避けて体内を直接攻撃するこの戦法は、ついさっきキュルケとのコンビで自分がエレドータスを倒したあの戦法に相違なかった。

 ドラコは大ダメージを受けて、目の赤い輝きを鈍らせ、翼は力なく垂れ下がっている。そう、キュルケとタバサの奮闘も、ルイズを救うためにたった一本のナイフで立ち向かっていった才人の勇気も、何一つとして無駄なものはなかった。どれも、誰が欠けていても今のこの状況はない。たとえ相手が凶悪強大な大怪獣とても、大鬼を退治した一寸法師のように知恵と勇気をもってして立ち向かえば、必ず光明は射す。

 

 さあ、これが最後の一撃だ。

 

 その身に込められた光の力を一つに集めて、ウルトラマンAの体が最大の輝きを放つ。

〔いくぞ二人とも、この一撃に、君たちのこれまでにつちかってきた全ての思いを込めるんだ〕

〔はい! さあて、じゃあやろうかルイズ〕

〔そうね、わたしたちの力、見せてやりましょう〕

 とびっきりの笑顔をあわせ、才人とルイズはお互いへの信頼と、未来への希望、この世界の愛すべき人々への思いを全て光のエネルギーに変えてエースに渡していった。

「ヌウゥッン!」

 ストリウム光線を発射する際のタロウのようにエースの体がさらに輝きを増していき、凝縮されたパワーが腕に集まっていく。

 だが、パワーを集めるこの一瞬が無防備になることを悟ったドラコは両腕の鎌をひらめかせると、投てき可能なそれを二本同時にエースに向かって投げつけてきた。

「危ないっ!」

 今、あれをまともに食らえばグリッター化した体を持つエースといえどもやられてしまい、エースが倒されれば、もうこちら側にドラコを倒す術はなくなってしまう。だが、ドラコの執念を込めて宙を飛んだ二本の鎌は、エースに届く前に放たれた二筋の光束によって妨げられた。

『メビュームシュート!』

『ナイトシュート!』

 空中で爆発が二つ起こり、闇の鎌は粉々に砕け散って風に舞い散る。兄が限界を超えて戦っているのに傍観しているわけにはいかないと、自らもカラータイマーの示す限界を振り切って放ったメビウスとヒカリの必殺光線が、その危機を救ったのだ。

 ドラコは、いやヤプールは横合いからの思わぬ邪魔に焦り、さらなる一撃を加えようと、ドラコに新しい鎌を用意させる。大丈夫だ、ウルトラマンAがエネルギーを収束しきるには、あと数秒必要だろう。メビウスとヒカリは今の攻撃でエネルギーを使いきり、もう邪魔はない。この勝負は我らの勝ちだとヤプールは確信した。

 しかし、ヤプールにはなくてウルトラマンにはあるもの、それはピンチのときに助けに来てくれる仲間の存在である。

「メテオール解禁!」

 ガンフェニックストライカー形態に合体し、カナードウィングを展開して金色の光に包まれたGUYSの翼が、今度はおれたちの番だと天を駆ける。

「いくぞみんな、俺たちGUYSの誇りを、やつらに見せてやれ!」

「G・I・G!」

 リュウ隊長の叫びに呼応するかのように、ジョージ、マリナ、テッペイがガンフェニックストライカーと同じように心を一つにして吼える。自分たちよりずっと若い子供たちが勇気を振り絞って起こしたこの奇跡、大人がぼさっと見ていてどうするか!

 フェニックスネストでもサコミズ総監が、ミサキ女史が、トリヤマ補佐官とマル秘書や新人隊員たちも、誰一人目を離す者はおらず、誰もがGUYSとウルトラマンの勝利を信じ、応援の言葉が尽きることはない。

「いっちゃえー! リュウさん」

「がんばって、リュウ隊長!」

 リムを肩に乗せたコノミが、手に汗握らせたカナタが叫ぶ。

 彼らの期待に応えない理由はリュウにはない。ガンフェニックストライカーは燃え上がり、GUYSの誇りを込めた一撃を、最強の不死鳥に変えて解き放った。

「エースの道を切り開け! インビンシブルフェニックス・パワーマキシマム!」

 インペライザーをすら一撃で蒸発させた、GUYS最強の一撃がドラコを撃ち、赤き不死鳥の炎の翼が邪悪の魔獣を包み込んでいく。

「いまだ、いけえぇぇーっ!」

 炎に包まれて動きの止まったドラコの姿にリュウが叫ぶ。

 その瞬間、才人とルイズのすべての思いをエネルギーに変えたエースは、ゆっくりと上半身を左にひねると、腰のばねを使って瞬間的に引き戻し、赤熱化した両腕をL字に組んだ。

 見よ、そしてその目に刻み込め。

 光は解放され、エースは彼の代名詞とも呼べる必殺光線を極大化した最大・最強の一撃を撃ち放った!

 

 

『グリッター・メタリウム光線!』

 

 

 金色をまとった虹色の光芒が天界の浄火の中でもだえ苦しむ悪魔に突き刺さり、怒涛の奔流となって吸い込まれていく。

「デャァァーッ!」

 すべてを込めた正義の光に貫かれ、ドラコの全身にはいったひび割れが拡大し、そこから光が漏れ出していく。それなのに、なんと奴は崩れ始めた体でなおも鎌を繰り出そうともがいている。

 恐るべき奴だ、これだけの攻撃を受けてなお動けるというのか!? 執念、その一言が持つ底知れぬ力が、人間たちを戦慄させた。

 だが、ウルトラマンAは負けずにグリッター・メタリウム光線を撃ち続ける。

 タバサの知恵、キュルケとシルフィードの勇気。

 メビウスとヒカリの闘志、GUYSの誇り。

 才人とルイズの愛。

 そして、ここまで自分たちを連れてきてくれた大勢の人たちに支えられ、決壊したダムからほとばしる大洪水のように、ドラコに巣食う闇の力をすべて焼き尽くそうと、光は輝き、轟き穿つ!

 

「消えろヤプール! 人間は、決してお前などに負けはしない!」

「おぉのれぇ覚えていろぉーウルトラマンAめ! 我らの復讐はまだ始まったばかりだということを! いずれ必ずこの世界の人間どもごと滅ぼしてくれるからなぁーっ!」

 

 その瞬間、ヤプールの怨念に満ちた叫びとドラコの断末魔がこだまし、闇の力が生み出した最強の魔獣は、光の中へと溶け込んでいくように崩壊して、ついで混在した光と闇の力の融合によって生まれた強大なエネルギーが解放された。天地を揺るがす大爆発。ドラコは塵一つも残さずに消し飛び、超衝撃波が全方位に向けて解き放たれた!

 

「うぁぁっ!?」

 

 猛烈な粉塵が周囲に広がり、半壊していた学院の城壁は崩れ落ち、窓ガラスは叩き割れ、突風にあおられて何も見えなくなったことで、シルフィードは木の葉のようにもまれて、はるか上空まで飛ばされた。

「やっ……た?」

「の……ね?」

 白煙がたなびき、ようやく体勢を立て直したシルフィードは、学院を見下ろせる高度でホバリングしているガンフェニックスと並んで、煙に覆いつくされた地上を見つめていた。

 

”勝った……のか?”

 

 キュルケたちも、リュウたちも息を呑んで、濃霧のような白煙に包まれて何も見えない地上の、戦いの結末がどうなったのかを見守った。あの瞬間、ドラコが吹き飛んだのは瞬間的に見えたが……あの爆発に巻き込まれて、まさか……

 そのとき一陣の風が吹き、煙を吹き払った。

「あれは!」

「あっ!」

「おっしゃあ!」

 瞬間、今度こそ誰にもはばかることのない、完全全員参加の大歓声が青空に響き渡った。

 

「シュワッ!」

 

 大地にしっかりと足を踏みしめて、ウルトラマンAが元通りの銀色の巨体を悠然と煙の中から現したとき、長きにわたるハルケギニアでのヤプールとの戦いは、その第一幕においてウルトラ戦士たちの完全勝利に終わったのだった。

「エース兄さん」

「やったな、さすがは栄光のウルトラ兄弟だ」

 メビウスも、ヒカリももちろん無事だ。学院も、校門側の外壁が大破しているものの、校舎や寮など主要施設は問題ない。

 これで、溜め込んだマイナスエネルギーを使い切ったヤプールは当分の間大規模な行動を起こすことはできないだろう。むろん、配下の宇宙人を使った破壊工作の可能性はあるが、今回のドラコのような強力な怪獣や超獣は、一ヶ月か二ヶ月か、作り出すことは不可能に違いない。

〔終わったんだな、これで〕

〔ああ、見事だった。君たちの絆が、ヤプールの邪悪な意思を打ち砕いたんだ〕

〔わたしたちが、そう……わたしたちが勝ったんだ!〕

 かりそめのものとはいえ、平和を自分たちの手で守り抜いたという実感が、爽快な達成感となって才人とルイズの胸を吹き抜けていった。

 

 だが、勝利は同時に別れのときでもあった。

 

「リュウさん! ゲート封鎖まであと六分です。急がないと間に合わなくなります!」

「よし、進路反転百八十度! いくぞ!」

 タイムリミットの迫る中で、勝利を見届けたGUYSはガンフェニックスを全速で飛ばして、ハルケギニアの空に別れを告げていった。

「エース兄さん……」

「急げメビウス、間に合わなくなるぞ」

 エースは、よろめきながら立ち上がったメビウスにエネルギーを与えて回復させると、早くガンフェニックスの後を追うようにうながした。

「兄さん」

「心配するな、この世界のことは私にまかせろ。お前には、お前にしかできない使命があるだろう」

 エースには、なぜガンフェニックスが振り返りもせずに飛び去っていったのか、リュウたちの心のうちを知っていた。

「ふっ、本当に心配はいらないぞ。今の私は、これまでよりも強いし、何よりも一人ではない」

 そうだ、迷いを断ち切った才人とルイズがいる限り、エースが力を失うことはもう二度とないに違いない。それがわかっているから、リュウも声をかけることを一考だにしなかったのだ。

「兄さん……はい、わかりました!」

「うむ、頼んだぞ。三ヵ月後、必ずまた迎えに来い」

「必ず……必ずまたやってきます! ヒカリも、お元気で」

「ああ、任せておけ。さあ、急げ!」

「G・I・G! ショワッチ!」

 この世界の命運をエースとヒカリにゆだね、メビウスは地球へ、光の国へと帰還するために、ガンフェニックスのあとを追って飛び立っていった。

 

 戦いは終わった。

 

「ヘアッ!」

「デュワッ!」

 全てが終わり、役目を果たしたエースとヒカリは、メビウスを見送ると光の輪の中で体を収縮し、変身を解除した。

「ふぅ……終わったな」

 やたらとだだっ広い学院の前の草原の、学院正門前で人間の姿に戻った才人は、平穏を取り戻した空を見渡して、大きく深呼吸をすると満足したようにつぶやいた。

 考えてみれば、この世界で初めて変身して戦ったのもこの学院前だった。ベロクロンに破壊される寸前だった学院を守るために最初の変身をして、いままた同じ理由で戦って、ここを守りぬけた。

 けれど、ルイズにとってはそんなことよりも、今手に入れたささやかな幸せのほうが大切だった。

「サイト……」

「おっ……ただいま、ルイズ」

 何気なくルイズの呼びかけに反応した才人は、胸の中に飛び込んできた彼女の体を最初は優しく、やがて強く抱きしめた。

「サイト……わたし、わたし……」

「もう何も言うな、おれは全部ひっくるめて受け入れるつもりで、ここに残ったんだ」

 地球への未練は、そりゃ山のようにあるが、それでも守りたいものがあることを、才人はようやくと理解したのだった。

「サイト……」

「ん?」

「ありがとう」

「なんだ、柄でもねえな。そんな腰の低いご主人様がいるかよ……おっと、もう使い魔のルーンはないんだっけか」

 蘇生したとはいえ、一度なくしたガンダールヴのルーンは消えたままだった。できた当時はうっとおしくて仕方がなかったが、無ければ無いで妙な喪失感が残っていた。メイジと使い魔、それがこれまでの二人の関係で、あのルーンこそがそれの証明であったのに。

 けれどもう一度契約すればいいかと言うと、ルイズは迷わずにかぶりを振った。

「そんなもの、なくていいわよ。あんたは使い魔で、わたしは主人、そう言ってずっと自分をごまかしてきたんだもの」

「でも、あれがないとおれはほんとにただの平民になっちまうぜ。それなりに強かったのも、ガンダールヴのおかげだったんだし……」

「だったら、自分で鍛えるなりなんなり考えなさいよ。ともかく、ガンダールヴ目当てで、あんたとその……するなんて、冗談じゃないわ!」

「あん? なんだって」

「だ、だからあ……もう、き、今日だけだからね!」

「なにを? ぬ、うぐっ!?」

 よく聞こえなかったので、才人は腰を落としてルイズの顔を覗き込もうとしたところで、ルイズの両手で頭をつかまれて、そのまま唇にルイズの唇を押し当てられた。

「!? う、ぅ……う?」

「ひ、ひいから、ひょっと、だまってなはい!」

 パニックに陥っている才人の頭を力づくで押さえ込んで、ルイズはそのままたっぷり五秒ほど口づけをして、やっと才人を離した。

「なっ、ななな! お前、急に何を!」

「ううう、うるさいうるさいうるさい! この鈍感、大バカ犬! 使い魔の契約をするってことは、それはそのままわたしとキスするってことじゃない! それをなんでもなさそうに、再契約すりゃいいじゃないかって、バカバカバカ!」

「あっ! ご、ごめん」

 才人は言われてようやく、使い魔の契約にはメイジと使い魔の口付けが必要であることを思い出した。まったくバカもここに極まれり、これが相手が動物や幻獣とかなら特に問題はないが、ルイズも才人を男性と意識するようになったからにはそれは特別な意味を持つ。才人は地球でなんで自分が一度たりともバレンタインでチョコをもらったことがなかったのかという理由を、やっとこさ理解した。

「でも……これで、あげたからね」

「え? なにを?」

「こ、この……わ、わたしの……ファーストキスに決まってるじゃない!」

「い、ええーっ!」

「最初の使い魔の契約のときは、ノーカンよノーカン! ちっとはムードってものを考えなさいよね!」

 そう言われると、ルイズのはじめてをもらったという実感が湧いてきて、いまさらながら才人は顔をおおいに赤らめた。本当にどこまでもなさけの無い男である。しかも、ルイズはそんな才人のふがいなさにさらに怒りをつのらせたのか、これまでずっと溜めに溜めてきたうっぷんをここぞとばかりに吐き出していった。

「ほんとに、あんたって、あんたって、どこまでわたしを怒らせれば気がすむのよ! わたしの気も知らないで、ほかの女の子とイチャイチャしたり、人をほっぽってどっかに行っちゃったり、あげくの果てに女の子にとってファーストキスがどれだけ大切なものかも知らないで、バカーッ!」

 しだいに涙目になりながらまくしたてるルイズを前にして、けれど才人は今度こそ女心に対する選択を誤らなかった。感情の塊となったルイズに弁明を講じたりはせず、彼女の体を強引に引き寄せて、困惑と抗議の声がその桜色の唇から漏れ出す前に、自らの唇を使って封じたのである。

「ぅ!? うぅーっ!」

 暴れるルイズを、今度は才人が押さえる番だった。左手でルイズの華奢な体を、右手で最高級のビロードのように滑らかな彼女の髪を押さえて、互いの唇の感触を味わい続けて、一秒、二秒と長くて熱い時間が過ぎていく中で、しだいにルイズの体から力が抜けていった。

 そうして、たっぷり十秒ほど一つになった感触を味わったあとで、静かに力を抜いてルイズを離した才人は、そのとび色の瞳をじっと見つめると、胸を張って言った。

「セカンドキス、一回目は誓いだけど、二回目はその履行だ。これからは、おれがおれの力でお前を守る。お前は……おれだけのものだからな!」

「サイト……ばか」

 ルイズは涙をぬぐって、才人の胸に顔をうずめた。やっと、望んでいたものを得られた幸福感、満たされていく温かさが、ルイズの顔を赤ん坊のように、純粋で優しいものに変えていた。

 と、二人の世界にひたっていたそこで、空の上から底抜けに軽く明るい声が響いてきた。

「ヒューヒュー、お熱いじゃない、お二人さん!」

 はっとして空を見上げると、そこにはシルフィードが急速に降下してきていて、慌てて離れた二人の前に下りたその背から、キュルケとタバサが笑いながら降りてきた。

「キ、キュルケ、こ、これは」

「あ、一部始終見てたから、無駄な抵抗しないでね。ともかく、おめでとうね。結婚式にはちゃんと呼んでね。それから、子作りは二十を超えてからしたほうがいいわよ。あとで苦労するからね」

 言葉にならない悲鳴をあごをけいれんさせて、顔を真っ赤にして叫ぶ二人に、キュルケは過去最大の笑みを浮かべて祝福するのだった。

「よ、よりにもって、ツェルプストーなんかに見られてたなんてぇー!」

「なーによ、あたしじゃ仲人に不足だっていうの? もう気持ちを隠さないんじゃなかったの? でも、まあいいわ。ルイズ、サイト……いえ、ウルトラマンA」

「えっ……!?」

 絶句して、赤から一転して二人は顔を青ざめさせた。そうだ、一部始終を見ていたということは、ドラコに二人まとめて踏み潰されたときから、変身解除のときまで、つまりこれまで守り抜いてきた二人の秘密がばれたということになる。

 けれどそんな二人にキュルケは表情を引き締めると、軽く深呼吸をしてから声をかけた。

「心配しなくても、誰にも言いはしないわよ。わたしたちはこれでも口は堅いんだから、でも、正直驚いたわ」

「ごめん、今まで黙ってて……」

「いいわよ、込み入った事情は聞かないけど、あなたたちはあなたたちで変わらないじゃない。けど、これまでずっと二人だけで戦ってたのね。それに引き換えわたしなんか、あなたたちを守ってあげてるつもりが、いつも守られてたのはこっちだったのよね。まったく、いい道化だわ」

「そんな、二人には何度も助けてもらったし、おれたちほんと感謝してるんだぜ。なあルイズ」

「う……まあ、山のように借りができちゃってるってのは自覚してるわよ。けどね、ツェルプストーの女なんかに神妙面されたら、気分悪いからやめてよね」

 才人もルイズも、英雄面なんかする気はなかったし、こうして特別扱いされて、友達が友達でなくなっていくのが怖かった。しかしキュルケはそんな二人の焦った顔を見ると、一転して破顔して、二人の肩を何度も叩いた。

「あっはっはっ、なーんてね。やっぱり、あなたたちはあなたたちだったわね。ねえタバサ」

「下手な芝居……でも、ほっとした」

 どうやら二人も、二人の姿が偽ったもので、本当の人格は違うものではないのかと心配していたようだが、それが違っているとわかると、とたんに安心したようだった。

「お、脅かすなよ、もう」

「ごめんごめん。でも、サイトも思い切ったものね。これで、次に帰れるチャンスは早くて三ヵ月後ね。お母様方、大丈夫?」

「……」

 確かに、覚悟を決めたとはいえ、才人にとってそれだけは気がかりだった。三ヶ月といえばあっという間に思えるが、息子を失った悲しみにふるえる両親にとって、それははるかに長い時間に違いない。もしも、失望のあまりにはやまった行為に走られたらと思うと、才人の肝は冷えた。

 と、そこへウルトラマンヒカリ=セリザワがやってきて、才人に話しかけた。

「優柔不断も、少しは治ったようだな。今度は、握った手を二度と離すんじゃないぞ」

「あ、はい!」

 セリザワの無骨な祝福に触れて、才人とルイズはまた顔を赤くした。けれど、両親を忘れるということができるはずがない才人の心のしこりも、同時に察していたセリザワは、リュウから受け取っていた二つのアタッシュケースのうちの、開けないでおいた一つを才人に投げてよこした。

「受け取れ」

「うわっ!? な、なんですか?」

 慌てて、そのジュラルミン製のアタッシュケースを、才人はケースの重みによろめきながらも受け取った。そうして、いきなりなんですかとセリザワに尋ねようとしたが、「いいから開けてみろ、鍵はかかっていない」というセリザワの言葉に、恐る恐る止め具を外して、ふたを開けてみた。

「っ! これは」

 そこに入っていたものを見て才人は目を見開いた。

 ケースのスペースに所狭しと収められていたのは、GUYSメモリーディスプレイに、背中にGUYSの翼のエンブレムが描かれた隊員服、しかもメモリーディスプレイには白い文字で、平賀才人と刻まれているではないか。

「セリザワさん、これは!?」

「見てのとおり、お前のものだ。手にとってみろ」

「は、はい……」

 心臓の鼓動を抑えながら、才人は自分の名前が掘り込まれたメモリーディスプレイをケースから取り出した。その重量感と、金属とプラスチックの質感は間違いなく本物で、思わず喉を鳴らしてつばを飲み込んだ。

 すると、いきなり無線受信を示すアラームが鳴り出し、慌ててそれらしいスイッチを押すと、そこにリュウ隊長の顔が映し出された。

「よお、俺たちは今ゲートを通ってるところだ。やっぱり残ったんだな」

「ええ、申し訳ありません……」

「謝る必要なんかねえよ。お前、自分の選択に後悔してねえんだろ? 顔を見ればわかるぜ。なあ、みんな」

「ああ、男らしく精悍な顔つきになった。あのとき、ガンローダーから飛び出ていったときは見事だったぜ、アミーゴ」

「がんばりましたね。ウルトラマンAが、君たちを選んだわけもわかります」

「サイトくん、きっちり男の責任はとらなくちゃだめよ。女の子を不幸にする男なんて、最低だからね」

 リュウに続いて、ジョージ、テッペイ、マリナもディスプレイに現れて、それぞれ才人の選択を認めて、激励してくれた。そして、彼らの後ろからは、損傷を負ったガンフェニックストライカーを後押しするメビウスが、同じように無言でうなずき、才人は彼らの優しさに目じりが熱くなるのを感じた。

「ありがとうございます。それで、ひとつだけお願いがあるんですが……」

「わかってる、ご両親のことだろう?」

 才人は黙ってうなずいた。

「そう言うと思ったよ。けどな、一時をしのいだとしても、また三ヵ月後に同じことをしなければならねえぜ。いつまでも、お袋さんたちをほっとくわけには」

「はい……」

 そう、結論を先送りにしても、いつか地球に戻らなければならないことには変わりなく、あくまで一般人である才人は、ヤプールとの戦いが終わったとしたら、必ず地球に永住しなければならないだろう。だけれど、才人のそんな苦悩を見抜いたリュウは不敵に笑ってのけた。

「ふっふっふ、おい、なんのためにお前にそいつをわざわざ用意していったと思ってるんだ? 中身をよーく見てみろ」

「えっ……これは」

 才人は言われて、GUYSジャケットの下をまさぐって、そこから出てきたものを見て二度びっくりした。

「『よくわかるGUYSライセンス試験過去問題500』『地球のために、地球防衛軍入隊への道』『新訳、宇宙の中の地球人』……それに、航空機操作シミュレーションソフト!?」

 なんと、それらの参考書や資料集、ほかにも才人のパソコンで使える防衛軍戦闘機のシミュレーションソフトや外付けジョイスティック、予備バッテリーやソーラー充電器までもが備え付けられていたのだ。

「ふふふ、一般人じゃあ無理なら、問題なく二つの世界を行き来できる資格と立場を持てばいいだろ? お前も、聞けばもうすぐ十八歳、GUYSライセンスを持つには文句のない年齢だ」

「てことは……おれに、GUYSに入れと?」

「ほかに何があるってんだ? 俺たちだって、お前とたいして変わらない歳のときに試験を受けたんだ。無理難題は言ってねえぞ。それとも、俺たちの仲間になるのは嫌か?」

「そ、そんな! とんでもないです。おれは……」

 嫌なはずはなかった。小さいころからウルトラマンに憧れ、親や友達から怪獣バカと言われながらも、怪獣図鑑を読み漁ってきた才人にとって、GUYSは憧れの職業No.1であった。しかし、両親からは危険な職業だし、お前みたいな軟弱な奴がつとまるはずはないと反対されてきて、なかばあきらめていた。あきらめていた、そのときまでは。

「なります! GUYSライセンス試験、受けさせてください!」

 今、その眠っていた情熱に火がついた。正式な地球防衛軍の隊員になれば、任務をおびて二つの世界を自由に行き来することもできるだろう。そうなれば、その任務はハルケギニアで長期滞在していた自分こそがふさわしいに違いない。

「よく言った! ただし、試験は三ヵ月後にきっちりおこなうから、間違っても落第すんじゃねえぞ!」

「あっ、はいっ! いえ、G・I・G!」

 下手な敬礼をしながら、慌てて答える未来の後輩に、リュウだけでなくジョージたちもそれぞれのコクピットで失笑を禁じえなかった。

「頑張れよ。じゃあ、CREW GUYS JAPAN隊長として、三ヶ月間、平賀才人をGUYS特別隊員として認め、メモリーディスプレイ一式を貸与するものとする。それまでのあいだ、ウルトラマンとともに世界の平和を守ることに勤め、正隊員となる研鑽を怠らないこと、この二点を命令する。わかったか!」

「G・I・G!」

 そのころ、フェニックスネストではコノミやカナタたちが後輩ができたことに喜び、サコミズ総監が、時代の流れが移り変わっていくものを感じていた。ウルトラ兄弟からメビウスへ、セリザワからサコミズ、リュウからカナタへ、そして今度は才人が未来の宇宙の平和を背負って立つことになるのかもしれない。

「それじゃあ、またな。ご両親のことは任せておけ、まあなんとか説得しておくぜ」

「よろしく……お願いします」

 言ってしまえば、自分の代わりに両親に叱られてくれと言っているようなものだから、心苦しいが才人はせめて頭を下げて頼み込んだ。ただし、リュウが説得にあたるということについてはマリナやジョージの大反対を呼び、結局サコミズ総監やミライも同伴するということにはなった。どうやら、リュウが隊長として全幅の信頼を寄せられるようになるには、まだまだ経験と実績が必要らしい。

「じゃあ今度こそ、元気でな。また会おうぜ」

 最後に、通信はリュウ隊長以下、GUYSクルー全員とウルトラマンメビウスのGOサインで、切れて終わった。

「おれが……GUYSに……」

 通信が切れたあとで、才人は春の夢を見ていたときのように呆けて空を見上げていた。彼にとって、あこがれはしてきたが手の届かないものとあきらめていた夢が、今手の届く場所にある。小さいころからなりたいと思っていたウルトラマンといっしょに戦える仕事が……

 そして、話を横から聞いていたルイズたちも、才人が向こうとこちらを自由に行き来することができるようになるかもしれないということに、快哉を叫んでいた。

「やったじゃない! なんだかわからないけど、ようするに竜騎士隊に入れるようなものでしょう! シュヴァリエなんて目じゃないじゃない」

「ほんと!? そりゃとんでもない出世じゃない、サイトって、やっぱりすごい奴だったのね!」

 あながち当たらずとも遠からずなルイズとキュルケの喜びように、照れくさい感じを味わいながらも才人はうれしく思った。

 けれど、道は決して平坦ではない。GUYSライセンスは一六歳になれば誰でも取得できる免許だが、数年前の怪獣頻出期から二十五年経って就職に有利な資格としてしか思われていなかったころと違って、怪獣の出現が当然のようになった今では合格基準も跳ね上がっており、しかも受験勉強の期間は三ヶ月しかない。なのに、今の才人は中学高校の期末試験などとは比較にならないほどのやる気に燃えていた。

「ふっ……やってやろうじゃあねえかあ!」

 ケースの中のGUYSメモリーディスプレイや隊員服を見れば見るほど、エネルギーが心の中に満ち満ちてくる。そこにはトライガーショットなど武器こそ入っていないが、GUYSの隊員として必要なものがそろっており、合格したら晴れてそれらは自分のものになる上に、なによりルイズとも両親とも別れる必要はなくなるのだ。

 そうして、いつかはルイズを連れて家に紹介しに行こう。そのときに、両親は喜んでくれるだろうか? 才人は時計を見下ろして時刻を確認した。もうゲートは人間が通れるほどの大きさではなくなっているだろうが、完全に閉じてしまうまでにはあと十分ほどは猶予があるだろう。

「……やっておくか」

 少し考えると、持ち帰る予定だった荷物を詰めていたリュックから、才人は自分のノートパソコンを取り出した。リュック自体はドラコに振り落とされたときに才人といっしょに叩きつけられたが、運がいいのか悪いのか、こちらは開かないままだったパラシュートがクッションになって無傷ですんでいた。彼は切れていたバッテリーをアタッシュケースから取り出した新品に交換して電源を入れると、タッチマウスを使って急いでメインメニューからクリックを繰り返して、やがて思い出すようにキーボードを叩いていった。

「サイト、なにやってるの?」

「わり、ちょっとだけ話しかけないでくれ」

 覗き込んでくるルイズたちにはかまわずに、才人は画面の右下に表示された時刻を気にしながら、額に汗を浮かべながらキータッチを続けて、やがて画面いっぱいにテキストが埋まったのを確認すると、大きく息を吸い込んでエンターキーを叩いた。

「送信確認……完了」

 そう才人がつぶやいた瞬間、画面に「ネットワーク回線が切断されました」と警告メッセージが表示されて、彼はパソコンをシャットダウンすると、折りたたんでリュックの中にしまった。

「サイト?」

「ああ、心配ない。こっちのことだ」

 小さいが、自分にできることはすべてやった。あとは、これからの未来を見据えて歩き出していく番だ。と、その前に……

「さーて、と……暴れるだけ暴れたら腹減ったな、昼メシにすっか」

 振り返って背伸びをし、緊張を吐き出すようにのんきに言った言葉が、抗議の台詞よりも早く一同の腹の虫を鳴らさせた。

「そういえば、くったびれたわねえ」

「あれだけやれば当然よ。ちょっと早いけど、ランチにしましょうか」

 時計を見てみれば、なんとまだ午前十時にすらなっていなかった。GUYSの到着が九時だったことを考えると……驚いたことに、あれから一時間も経ってない。だが、ルイズたちが貴族にあるまじきくらいにでっかい腹のなる音に苦笑して、学院に向かって歩き出そうとしたとき、どこからともなくよく聞きなれた低い男の声が軽快な金属音とともに響いてきた。

「おーい相棒! 俺のことを忘れちゃいねえかぁー!?」

「んっ!? あ、デルフ!」

 見ると、ちょっと離れた場所にデルフリンガーが突き刺さっていたので、才人は慌てて駆け寄ると、埋もれかかっていたところから引っこ抜いた。

「ふぃー、危なかったぜ、娘っこときたら、俺っちをほっといて変身すんだからな。おかげで吹き飛ばされるわ、生き埋めにされかかるわ、ほんと死ぬかと思ったぜ」

「あ、ご、ごめん忘れてた」

「やーれやれ……こりゃほんと、娘っこに預けられたまんまだったらどうなってたことか、やっぱり相棒の手元が一番だぜ」

「ああ、またよろしく頼むぜ、相棒」

 才人は微笑を浮かべてデルフを背負うと皮ベルトを締めた。この重さがしっくりとくるのも、なにか懐かしいものだ。

 もっともあらためて周りを見渡してみたら……

「しっかし、こりゃギーシュたちが戻ってきたら腰を抜かすかもしれないな……」

 戦場跡となった学院は、外壁は倒壊し、草原は掘り返されてクレーターだらけで、さらに怪獣の死骸まで転がっているとんでもない状態だった。才人は、これはオスマン学院長が脳溢血でもおこさなければいいがと思った。

「まあ、校舎は無事だし、授業に支障はないからなんとかなるんじゃない」

「お前はずいぶんお気楽だなあ」

「今のわたしは、もう校舎なんかどーでもいいのよ。もっと大切なもの、見つけたからね」

 心から幸せそうなルイズの顔を見ると、才人も自然と幸せな気持ちになれた。

「ま、世の中なるようになるか。ところで、夏休みはあと半分も残ってるけど、これからどうする?」

「そうね、わたしの実家に帰りましょう。お母さまやお姉さまも、この時期はいったんは帰省してるはずだから、顔を見せにいかないとね」

「ルイズの実家か、けどあの怖そうな人たちがいるのか」

 才人は以前見たカリーヌとエレオノールの威圧感を思い出して憂鬱になったが、ルイズは軽く笑うと胸を張った。

「なによ、あんたわたしのこと好きなんでしょ。だったら、いずれヴァリエールの血に連なる者になるって事よ。遅かれ早かれあんたのことは紹介しなきゃならないんだから覚悟なさい」

「へぇーい」

 前途多難、せっかく生き返ったのに、早くもまた命の心配をしなければならないとは。しかしルイズの言うとおりに、いつかはしなければいけないことなら、仕方がない。まあ、いきなり娘さんをくださいと言いに行くわけではないし、とりあえずは顔見せか。

「よし、じゃあ明日さっそく出発するか。ところで、キュルケやタバサはどうするんだ?」

「心配しなくても、せっかくの婚前旅行を邪魔する気はないわよ。わたしも、一度実家に帰ることにするわ。ちょっと疲れちゃった」

「わたしは……ガリアに、会いたい人がいるから」

 二人とも、新学期までの一時の別れを告げて、これで山あり谷あり、いろいろあった夏休みの旅行は、本当の意味で終わったのだった。

「いよっーし! それだったら今晩は盛大に宴会やろうぜ、食堂の食い物がなくなるくらいにな。酒の肴の思い出話も売るほどあるし、学院長も呼んで、セリザワさんもいっしょにどうです?」

「まあ、たまにはいいだろう。ご相伴にあずかろう」

「おっ! そりゃいいわね、にぎやかなのは大好きよ。タバサも、今日は付き合いなさいよ」

「……まあ、いいか」

「きゅいーっ、お姉さま、それでいいのね。お祭りを蹴るなんて、竜でも一番やっちゃいけないことなのね」

「はぁ、あなたたち、もっと貴族のつつしみというものを……ま、いっか」

「よっしゃあ、じゃあ善は急げだ。今日は、魔法学院はおれたちだけのものだぜぇ!」

「おおーっ!」

 

 青空に若者たちの元気よい声が響き渡り、暖かな風に背を押されて彼らは学び舎へと駆けていく。

 未来のCREW GUYS隊員、平賀才人。その手の中のノートパソコンには、彼のこれからの未来への架け橋と、彼の故郷と家族へ愛情のすべてを込めて当てたメールが、決して消えないように記録されている。

 

”母さんへ。

 驚くと思うけど、才人です。黙って家を出て、ほんとにごめんなさい。

 いや、ほんとは黙って出たわけじゃないけど、詳しく言うと長くなりすぎるし、時間がないんでそういうことにしておきます。とにかく、ごめんなさい。

 メール、ありがとう。

 心配してくれてありがとう。ハンバーグ、食べたかったです。

 おれは無事です。

 無事ですから、安心してください。

 おれは今、地球とは別の次元にある星にいます。

 うそだと思うだろうけど、本当のことです。

 友達も大勢います。宇宙人、になるのかもしれないけど、みんないい奴ばっかりです。

 だけど、ここは異次元人ヤプールに狙われていて、今大変なことになっています。

 そして、おれの力が必要なんです。

 だから、まだ帰れません。

 でも、いつか帰ります。

 お土産を持って帰ります。

 だから、心配しないでもう少しだけ待っていてください。

 父さんやみんなに、よろしく伝えてください。

 とりとめなくてごめんなさい、あと数分しかないもんで。

 母さんありがとう。

 ほんとに、ありがとう。

 あ、それからおれ、将来なりたいものが決まりました。おれ、地球に帰ったらGUYSライセンスをとって、将来は地球や宇宙の平和を守る仕事につきたいです。

 それと……ガールフレンドができました。ちょっとキツいけど、けっこうかわいいから、今度紹介しますね。

 じゃあ、さようなら。

 けっこう大変だけど、おれは幸せです。

 それでは、また。平賀才人”

 

 

 ウルトラ5番目の使い魔 It is not the End



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第二章
第1話  ルイズの帰郷 (前編)


 第1話

 ルイズの帰郷 (前編)

 

 始祖怪鳥 ラルゲユウス

 獣人 ウルフガス

 童心妖怪 ヤマワラワ 登場!

 

 

「これがルイズの家ぇ!? まるでお城じゃねーか!」

「ちょっと、大きな声で叫ばないでよ。誰かが聞いてたらどうするの、恥ずかしいじゃない!」

 地球とは時空を超えた場所にある異世界にある星、そこにある国トリステインの二つの月に照らされた夜空に、一組の男女の叫び声がこだました。

 声の主は、地球からやってきた少年平賀才人と、このトリステインの大貴族の令嬢ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。

 ここはトリステイン王国にあるラ・ヴァリエール領。

 あの、アルビオン内戦を利用した作戦を完全に破壊され、最後の攻撃をかけてきたヤプールの怪獣軍団と、ウルトラマンメビウスとCREW GUYSの死闘から、もう四日が過ぎた。

 あれからキュルケ、タバサらや、今後の処遇をオスマンと話し合って決めるというセリザワと別れた二人は、二ヵ月半にも及ぶ長い夏期休暇を持つトリステイン魔法学院の夏休みの後半を利用し、ルイズの馬に相乗りして里帰りの旅に出た。

 そして、学院をあとにして三日。まだまだ夏休みも半ばの蒸し暑い日の夜、才人とルイズはルイズの実家のあるヴァリエール領の本邸にやってきていた。なのだが、トリステイン有数の大貴族と口では聞いていたが、実際にその領地を治めている建物を見たとき、才人は自身の貧弱な想像力を早々に打ちのめされていた。

「うーん……ファンタジー世界恐るべし」

 月明かりに照らされて、丘を越えた先に見えてきたルイズの実家というのは、まさしくテレビゲームに出てくるRPG世界のお城そのものだった。軽く正面からだけ見ても三階建ての豪邸で、贅をつくした装飾が細やかなところに施されている。さらに、よく見えないが奥行きも相当なもので、高々とそびえる尖塔を東京タワーのようにいくつも明々と灯らせ、先に聞いた話では広大な裏庭にはボートに乗れる池もあるという。

「ト、トリステイン王宮よりでかいんじゃないか?」

「それはないわ。貴族の分をわきまえるために、どんな大貴族もトリステイン王宮を上回る規模の城を建てることは禁じられてるの。まあ王宮は山城で、私の家は平城だから、大きいように見えるかもしれないけどね」

 呆然と、目の前に迫ってくる壮麗な大邸宅を見上げている才人に、ルイズはなんでもないことのように言ったが、才人にとって目の前に広がる豪邸という言葉すら謙虚に聞こえる城は、社会科見学で見に行った国会議事堂すらおもちゃのようで、才人の知ってる中で、これに匹敵するものは一つしかなかった。

「個人でZAT基地を持ってるようなもんだな。おれ、生まれて初めて金持ちってものを知った気がするよ」

 かつて、歴代防衛隊最強とうたわれた宇宙科学警備隊ZATは東京都心に巨大な円盤型基地を構えていて、当時日本最大の建造物だったそこは東京タワーすら及びもつかない東京の名所だったというが、ルイズの実家も地球に持ってきたら観光客には不自由しないだろう。ただし、ルイズは金持ちという単語を褒め言葉とは感じなかったようだ。

「あのね、ヴァリエールを成金貴族のクルデンホルフみたいに言わないでよ。それと、このくらいで驚いてたらどこの田舎者だってバカにされるから、今度からはもう少し冷静にしなさいよ。壮麗で有名なガリアのヴェルサルテイル宮殿なんか、この五倍はあるのよ」

「ご、五倍……まいった」

 ハルケギニア恐るべし、才人はただただ開いた口が塞がらなかった。

 とはいえ、才人とずっと相乗りしているのでルイズの機嫌が悪かろうはずもない。唖然としている才人に体を密着させながら、顔が直接見えないのをいいことに、得意げな口調とは裏腹に、いわゆるルンルン気分で馬に揺られるのを楽しんでいた。

 

 

 と、そのとき唐突にであった。

 後ろから馬を九頭もつらねた大型馬車が猛スピードで走ってきて、ぶつけられそうになったルイズは慌てて手綱を引くと馬を路肩に避けさせた。

「あっぶねえな、はねられるところだったぜ」

「やってくれるわね。どこのバカ貴族だか知らないけど、よくもヴァリエールの領内で無礼な真似をしてくれたわね。サイト、つかまりなさい、飛ばすわよ!」

 せっかくの上機嫌をぶち壊されて、完全に頭にきたルイズは、馬の腹に蹴りを入れると、全速で馬車を追いかけ始めた。その馬車の従者はどうやら命令に従うだけのゴーレムだったようで、追いついたルイズが横合いから止まれと叫ぶと、二十メイルほど進むと猛烈な砂煙をあげさせながらもようやく止まった。

「危ないじゃないの! どこを見てるの!」

 危うくぶつけられるところだったルイズは、見慣れないその馬車にどこかの貴族がヴァリエール候にあいさつに来たのだと思って叫んだ。しかし、停止した馬車から悠然と、見事なブロンドをひるがえした、眼鏡をかけた長身の女性が降りてくると、怒りで赤く染まったルイズの顔色は一瞬にして青ざめたものに変わった。

「ちびルイズ、このわたくしに向かって怒鳴りあげるとはえらくなったものね」

「エ、エレオノールお姉さま」

 その人は、ヴァリエール家の長女にして、王立魔法アカデミーの主席研究員。そしてルイズが両親に次いで最も恐れる姉、エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールに間違いはなかった。

「ようやくとれたアカデミーの休暇、一分一秒も無駄にするまいと急いでたのに、よくもまあ余計な手間を取らせてくれたわね。宝石より貴重なわたくしの五分間、どう弁償してくれるのかしらぁ!」

「あべべべ! ご、ごべんなはぃお姉さまぁ!」

 馬から引き摺り下ろされて、頭二つ分くらい身長差があるエレオノールにほっぺたをつねり上げられるルイズは、半泣きになりながら、いつもの気の強さがまったく想像もできない姿で、ひたすらに許しをこうた。

「ちょ、お姉さん、そのくらいで!」

「平民は黙ってなさい!」

「は、はいぃっ!?」

 才人が止めようとしても、エレオノールは一括しただけで聞く耳を持たない。あの母親ゆずりなのは間違いない男勝りの威圧感もだが、どうやら昔のルイズ以上に貴族と平民の身分にこだわる主義らしい。以前トリステイン王宮で見たときには遠目で傍観していただけであったが、間近で見るととにかく怖い。

 だが、才人もどうしようもなく、ルイズがエレオノールの怒りのはけ口にされているところで、天は女神を遣わしてくれた。地獄と化しているこの場に、エレオノールのものとはまったく対照的な、穏やかで優しげな声が音楽のように流れてきたのだ。

 

「まあまあ、エレオノールお姉さまもそのへんで、せっかく久しぶりにみんな帰ってきたんじゃないですの」

 

 見ると、馬車からまるで桃色の風が形になったような、優雅で可愛らしい顔をした女性が微笑を浮かべて立っていた。

 彼女は、腰がくびれたドレスを優雅に着込み、夏の微風にルイズと同じ桃色がかった髪を揺らしている。

「カトレア」

 エレオノールが、その母親が幼児をなだめるように優しい声に、反射的に手を離すと、ルイズはほっぺたをおさえて地面にへたりこんだが、カトレアと呼ばれた娘の存在に気がつくと、喜びに顔を輝かせて抱きかかっていった。

「ちぃねえさま!」

「ルイズ、お久しぶりね。わたしの小さいルイズ、あなたも帰ってきてたのね!」

 人目もはばからぬくらいに抱き合って喜ぶ二人を見て、才人は目を丸くした。突然のことで動揺したけれど、どうやらこのカトレアという人もルイズの姉さんらしい。

 しかし、それにしてもルイズとよく似ていた。体格はエレオノールよりやや小さいくらいでルイズとは頭一つ違うが、髪の色や瞳の色はそっくり同じで、顔つきはルイズを柔和にして大人びさせたといえばそのもの。姉妹だからといってしまえばそれまでなのだが、エレオノールが多分に父親似なのだろうからルイズと大して似てないので、余計に驚いてしまった。

「遺伝子ってのは神秘だなあ……特に……」

 そこで才人はルイズとカトレアを比較しているうちに、非常に不逞ながらも一箇所だけこの姉妹に決定的な違いがあることに気がついてしまった。それはまあ、平たく言えば幼児体型のルイズにはなくて、同年代の一般女性には普通についているもので、出産後に乳児に母乳を与えるために必要になる器官。あと男性の夢と希望が詰まっているもので、十八才未満視認禁止なところ、しかも標準のそれよりもかなりサイズはプラス方向に補正されている。

「ティファニア以下、シエスタ以上……うむ、まだまだ世界は広いなあ」

 ルイズに聞こえたら確実にぶっとばされることをつぶやきつつ、才人は二人で仲良く再会を喜び合っているカトレアを、ぐっと胸を詰まらせて見つめていた。とにかくも、ルイズに優しさというヴェールをかぶせて大人びさせたカトレアの容姿は才人の好みを直撃したのである。

 と、そうやって感動の再会を、ややにごった瞳で見物していた才人であったが、ふとカトレアがこちらに目を向けたかと思うと、子供が道端でどんぐりを拾ったときのような、無邪気で底抜けに明るい笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

「まぁ、まあ、まあまあまあ」

「は、はい?」

 すっかり隣にいるエレオノールのことは無視して、なにが『まあ』なのかわからないが、緊張している才人の顔をカトレアはぺたぺたと触ってまわった。

「あなた、ルイズの恋人ね?」

「いっ!?」

「ち、ちぃねえさま!」

 いきなり本城天守閣を大砲で吹っ飛ばされて、才人とルイズの顔がまだ夏だというのに、秋の夕暮れのように真っ赤に変わった。

「やっぱり! わたしの勘ってよく当たるのよ。おめでとうルイズ、しばらく見ないあいだにあなたもすっかり大人になったのね」

「えええ、ちちち、ちぃねえさま、そそそそ、それは」

 心の準備が皆無だったので、さしものルイズの聡明な頭脳もすぐにはうまい言い訳の文句が浮かんでこなかった。これがひと昔前だったら、

「ただの使い魔よ! 恋人なんかじゃないわ!」

 そうすぐに怒鳴っていただろうが、あいにくとすでに恋人宣言はすませてしまった後だったので、その手は使えなかった。貴族に二言はないのだ。

 が、ルイズの恋人宣言を聞いて、怒髪天を突いたのがエレオノールである。

「なんですって! ルイズあなた、爵位どころか、ただの平民相手に恋をしたっていうの!」

「ひっ! エ、エレオノールお姉さま」

 金髪の魔女、という表現をするのならばそのときのエレオノールほど適した対象はなかったであろう。ただでさえ威圧感満点のエレオノールが、まなじりを上げて怒っている。貴族と平民の違いをはっきりとさせている彼女にとって、栄誉あるヴァリエールの候女がたとえ三女でも平民などと付き合うなどとは言語道断なのだろう。

 ルイズは、蛇に睨まれた蛙同然で、魔法の杖を漏れ出す魔力でスパークさせながら振り上げている姉に何か抗弁しようとしたが、恋人なのかどうか、「はい」とは言えないし、かといって「いいえ」とも言えない。

「あ、あのその、えっと……そ、そうだ! お姉さま、バーガンディ伯爵との婚約、どうもおめでとうございました!」

 記憶の鉱脈を掘り下げて、なんとか起死回生の一手を探り出したルイズは、前に実家との手紙のやり取りで知った、エレオノールの婚約の話題で話をそらそうとした。なのだが、これが結果的にエレオノールの逆鱗に触れることになってしまった。

「ちびルイズ、このわたしにイヤミを言えるようになるとは、態度だけはでかくなったようね」

「へっ?」

「婚約は解消よ! 解消になりましたが、何かぁ!」

 実はエレオノールの婚約の話は、ルイズが知って間もなく破談になっていた。理由はバーガンディ伯爵談「もう限界」、その心はわずかでも想像力を持つ者であれば容易に理解できることだろう。

「ルイズ、あなたにはちょっとおしおきが必要なようね」

「ひっ、ひぃぃぃっ!」

 堪忍袋の尾は切れるためにある、いやすでに切れてしまっている。おまけに、多分に自分の婚約が破談になってしまったことへの八つ当たりが混ざっているからなお性質が悪い。才人とルイズは仲良く腰を抜かして、これなら怪獣相手のほうがまだましだと思いながら、振り下ろされようとしている鉄槌を待ち構えていた。

 けれど、目をつぶって覚悟しても、なかなか魔法が跳んでこない。そこで、そっと目を開けてみると、二人の前にはいつの間にかカトレアが立ってエレオノールと向かい合っていた。

「エレオノールお姉さま、お気持ちはわかりますけど、ルイズにはルイズの考えがあるのでしょう。少しはルイズのお話も聞いてあげましょうよ」

「おどきなさいカトレア、ルイズにはあらためてヴァリエールの娘というものがどういう責任を持つのかを、みっちり仕込んであげなくては。それに、平民の分際でヴァリエール家の者に恋慕するなどと、そこの下品な顔の男にもしっかりと身分の差というものを思い知らせてあげなくては!」

「お姉さま、確かにお姉さまのおっしゃることは正論ですが、お姉さまは少々加減というものが苦手でらっしゃいますから、わたくしは心配で。それに、平民とはいえ彼はルイズが連れてきた以上ヴァリエール家の客人ですわ。どうしてもとおっしゃいますなら……お姉さま、わたくしがお相手してさしあげてもよろしくてよ」

「うっ……」

 いつの間にか、カトレアの右手にもルイズのものと同じ形の小ぶりな魔法の杖が握られていた。そして、ルイズたちに背を向けて、笑顔を消したカトレアのその無言のプレッシャーは、エレオノールの頭に上っていた余分な血液を下がらせた。

「はぁ……わかったわ、カトレアに免じてここは保留にしてあげる。けどね、二人とも、ヴァリエールの血統を下賎な者の血で汚すなんて、わたくしは絶対に認めませんからね!」

 そう言い捨てると、エレオノールは憤然と馬車の中に入っていった。

「ふぃーっ、た、助かったぁ」

 寿命が十年は縮んだと、ほっと胸をなでおろした才人に、カトレアはへたり込んでいる彼の前にかがみこむと、微笑んだ。

「ごめんなさいね、でも、エレオノールお姉さまを恨まないでちょうだいね。本当は、ルイズが可愛くてしょうがないのよ。だから、ついついかまってしまうの、わかってあげてね」

 本当に、優しい人だと才人は思った。もちろん返事は「はい」と答えたが、これはあのルイズが懐くのも至極当然だ。

「ありがとう。ところで名前はなんて言うの……そう、サイト・ヒラガくん。これからもルイズをよろしくね。さあ、ルイズももうお立ちなさい。せっかく会えたんですもの、ここからはみんないっしょに行きましょう」

 腰に力を入れて立ち上がった二人が、カトレアの提案に二つ返事で賛成したのは言うまでもない。彼女たちの乗ってきた馬車は馬九頭立てのワゴンタイプで、小さな家が動いているようなものであった。

 ところが、ルイズが自分の乗ってきた馬を馬車につないで、いざ乗り込もうとしたところで、なにやら怒った様子のエレオノールが馬車の窓から顔を出してきた。

「ちょっとカトレア早くしてよ! こいつらったら、あなたがいないとてんで落ち着かないんだから!」

「あらごめんなさい。すぐに行きますから」

 なんだなんだ? まだ誰かいるのかと、才人とルイズは顔を見合わせると、カトレアに続いて馬車に飛び込んで、そして目を丸くした。

「わっ! なんだこりゃ」

 そこはさながら動物園であった。

 前の席では大きな虎がいびきをかいているし、その横では熊が座っていて、床にはいろんな種類の犬や猫がいる。どうやらカトレアは相当な動物好きらしかったが、その中でもカトレアにじゃれついて遊んでいる二頭の見慣れない動物が、才人とルイズの目を引いた。

 

「ゴ、ゴリラ!?」

「コボルド!?」

 

 二人がそう叫んだのも無理はなかった。一頭は毛むくじゃらの雪男みたいなゴリラみたいなやつ、もう一頭は狼男そのものといったところで、ハルケギニアに生息する犬頭の亜人コボルドとルイズが認識するのも当然だった。

 けれども、反射的に杖と剣に手を伸ばした二人に、カトレアは手のひらを向けると穏やかに静止した。

「やめて二人とも、この子たちは悪い子じゃないわ。みんなわたしの大切なお友達よ」

「えっ……」

 慌てて武器を持つ手を緩めた二人は、あらためてよくその二頭を観察してみた。

 まずはコボルド似のほうだが、落ち着いてみればコボルドは普通の人間より小さいはずなのに、そいつはカトレアより大きい上に、前にタルブ村で戦ったコボルドと比べて、顔つきが犬より狼に近くて、茶色いはずの体色も銀色だ。なによりも、コボルドは知能が低くて凶暴なのに、そいつはいかつい見かけに反してカトレアの陰に隠れて臆病そうに震えている。

 それに、雪男みたいなやつのほうも、顔はこわもてで頭のわきや肩には立派な角が見受けられるが、まるでカトレアをいじめるなといわんばかりに彼女の前に立ちはだかっており、これではこっちのほうが悪人にしか見えない。

「サイト」

「う、ううん……」

 すっかりきまずくなってしまった空気の中で、とりあえず二人は武器から手を離すと、敵意はないし、君たちには何もしないよと手のひらを向けて謝意を示した。すると、言葉は通じなくてもこちらの熱心な意思は通じてくれたようで、二匹とも警戒を解いて二人にすりよってきたりして、カトレアはころころとうれしそうに笑った。

「ありがとう、わかってくれて。さあ行きましょう」

 そうして、四人と多数の動物を乗せて、大型馬車はゆっくりと屋敷に向かって進み始めた。

 

 

「しかし、すごい馬車ですね」

 さすがに、貴族用の大型馬車は乗り心地も格別だった。揺れも少ないし、椅子はふかふかで羽根布団に横たわっているように感じる。地球でいうならば超高級車のベンツかロールスロイスに乗っているようなものなのだろうか。ルイズと馬に相乗りも最高だが、これはこれで悪くない。

 それに、聞いてみてわかったことだが、今見えていた大きな屋敷も実は分邸の一つで、本邸にはまだ時間がかかるということなので、ルイズと才人はカトレアからいろいろな話を聞いていった。

「ちぃねえさまは動物が大好きなのよ」

 そうルイズが言うとおり、普通は猛獣とされる動物も、まるで牙を抜かれてしまっているかのようにカトレアの前ではのどを鳴らしてじゃれついている。どれも、カトレアが住んでいるラ・フォンティーヌ領で傷ついたり、飢えたりしているところをカトレアに救われて、そのまま懐いてしまったのだという。

 かくいうこの二頭のうちの、ゴリラと雪男もどきのほうも、カトレアが森の散策に出かけて、うっかり道に迷って帰れなくなってしまったときに助けてくれて仲良くなったそうだ。

「この子はさびしがりやでね。わたしの姿が見えなくなると不安になってどこからか探しにきてしまうの。人目につくと大騒ぎになっちゃうから、今日はこうして連れてきちゃったわ」

 狼男もどきのほうは少々複雑で、ある日突然森の中に直径何十メイルもある巨大な鉄の球が降ってきて、驚いて見に行ったら、壊れた鉄の球の周りでおろおろしているのを見つけて助けたら懐かれたのだという。

「この子は不思議な子でね。夜のあいだは元気なんだけど、お日様が昇るとふっといなくなるの。けど、誰かを傷つけたりしないし、一人ぼっちだと、さびしいよ、怖いよって鳴いてるの。だから、どうしても置いていけなくてね」

「ちぃねえさますごいわ! 動物の言葉がわかるなんて!」

「使い魔の考えは手に取るようにわかるでしょう? それと似たようなことなんじゃないかなって思うの」

 カトレアは微笑んで、ルイズは頬を染めた。

 だが、楽しそうにおしゃべりをしている二人に安心したように寄り添っている動物たちや、二匹の奇妙な生き物を眺めながら、才人はうーんと考え込んでいた。

「こんな動物もいるなんて、ハルケギニアってのはやっぱすごいところなんだなあ」

 人畜無害らしいので警戒は解いていたし、念のためにリュウ隊長にもらっていた自分用のGUYSメモリーディスプレイで調べてみたが該当するものはなかったから、才人はこの二頭もハルケギニア独特の動物なんだろうなと、宇宙の広さを感じていた。

 しかし、残念ながら才人は知らなかったが、この二頭はどちらも動物などではなかった。

 雪男みたいなほうは、実は才人の世界とは別次元の地球の日本にあるヤマワラワ山脈に古来から生息しているヤマワラワという生き物の同種で、不思議な力を持っているが、優しい心を持っており、一種の妖怪として言い伝えられている。この個体も、恐らくはカトレアが純粋な心を持っていると感じて彼女の元に現れたのだろう。

 また、狼男みたいなやつは別世界でウルフガスとコードネームをつけられた改造実験生物で、太陽光線を浴びると体をガス化させる体質を持っており、昼間に姿を消すのはこのためだ。しかし見た目の恐ろしさに反して戦いを好まないおとなしい性格の持ち主なので、倒されずにガスタンクに封入されて宇宙のかなたに帰されている。それがどういう経緯をたどったかは不明だが、時空を超えてハルケギニアに墜落したらしい。

 とはいえ、知らないこととはいえ怪獣を二匹も懐かせてしまったカトレアの人徳というか、博愛精神はたいしたものである。もちろん、二匹ともおとなしい性格なのも理由だが、馬車に乗るぶんだけでこれなのだから、カトレアの家を才人が見たらひっくり返るかもしれない。

 と、そのとき急に馬車の中の動物たちが泣き喚いたり、おびえて震えだしたので窓から外を見てみると、馬車の上を巨大な怪鳥が通り過ぎていくところだった。

「ラルゲユウス!」

「お母様だわ、帰ってらしたのね」

 風圧で馬車がわずかに揺れて、巨鳥が屋敷の向こうに飛び去っていくと、絶対に敵わない相手に本能的に服従の姿勢をとっていた動物たちもようやく安心したのかおとなしくなった。

 馬車は仏頂面を続けているエレオノールと、『烈風』カリンと会わねばならないことに緊張しはじめたルイズを優しくなだめているカトレア、それからそんな二人を眠気と戦いながら見ている才人を乗せて街道を駆けて、深い堀にかけられた跳ね橋を超えて本邸のほうへと入っていった。

 

 

 さて、外もすごかったが、中に入ってみると才人はあらためて大貴族の邸宅の豪華さに驚いた。とにかくどこもかしこもきらびやかで規模が大きく、なにげなく飾られている絵画一枚にしたって、才人が一生働いたとして買えるだろうか。

 いくつも部屋や長大な廊下を抜けて、数えるのを飽きてしまったほどにいた使用人やメイドの前を通り過ぎて、やっとダイニングルームにたどり着けた。そこにはすでにカリーヌが三十メイルもある長大なテーブルについて待っており、ルイズとエレオノールは向かい合って座り、数分遅れて使用人たちに動物たちを任せてきたカトレアがエレオノールと並んで座り、才人は本来こういう席に参加する資格はないのだが、ルイズの使い魔ということで特別にルイズの後ろに警護のような形で立って控えていた。

「ただいま戻りました、お母さま」

「久しぶりね、エレオノール、カトレア、ルイズ、三人とも元気そうね」

 厳格ながらも、どことなく温かさを感じるカリーヌの一言に、三人の娘たちはそろって軽く会釈を返し、給仕たちが前菜を運んできて晩餐会が始まった。

「お母さま、お父さまはまだお帰りではないのですか?」

「残念ながら、公務が思ったよりもお忙しくてね。皆も知ってのとおり、半年前に壊滅した軍の再建も途上であるし、アルビオン王党派への支援や他国への牽制のためもあって、ヴァリエール公だろうとのんびり退役してはいられないのよ」

 どうやらルイズたちの父親であるラ・ヴァリエール公爵は、宮廷に駆り出されていてもうしばらくは帰ってこれないらしかった。その知らせに、ルイズたち姉妹はがっかりしたようで、また才人も、あのルイズたちの父親を見損ねたことで、ほっとしたような残念なような気もしていた。

 だが、アカデミーの主席研究員であるエレオノールは、そんなところで働いている母に、アカデミーにこもっていては知ることのできないトリステインの内部事情を聞いてきた。

「ところでお母さま、アルビオンの内乱が終結したのは伝え聞きましたが、その後のトリステインの方針はどうなりますの? アカデミーとしては、なにぶん時間が必要な仕事ですから、早めに武器かアイテムか秘薬かの研究の重点を決めておいてもらわなくては、いざというときに間に合いませんわ」

「エレオノール、国の機密をそんなに軽々と口にするものではないわ。けれど、あなたの言うことには一理あるわね。皆、これから話すことは他言無用よ」

 そうしてカリーヌは懐から取り出した杖を軽く振って、この部屋が盗聴されていないか『ディテクト・マジック』で確認すると、部屋全体に『サイレント』を張って音を遮断した。これで、ここで話されたことが外に漏れる心配はない。ただ、カトレアはまだしも才人もいっしょに聞くことに関してはエレオノールから抗議が出たが、ルイズが「こいつは大丈夫です!」と固持し、カリーヌも「かまいません」と許可したことから、彼女も押し黙るしかなかった。

 

 晩餐会をゆっくりと続けながら、カリーヌから語られたトリステインの近況はざっとまとめるとこのようなものであった。

 

 アルビオンの状況は、王党派がほぼ国内の再統一に成功。若き皇太子ウェールズの元で再建に向けて精力的に動いており、国内がまとまれば皇太子が新国王に即位するのは確実だそうだ。

 トリステイン軍も、それにともなってガリアやゲルマニアを刺激しないために、交易のためのわずかな軽武装の小隊を数個だけ残して、アルビオンからは撤兵しつつある。

 ただし、最終的にはたいした損害もなく帰還してきたトリステイン軍ではあるが、汚点を残した部分もあった。トリステイン大使で、レコン・キスタの内通者だったワルド子爵は逮捕されてチェルノボーグの監獄に収監され、同じく内通者であった銃士隊副長は、捕縛後に戦闘に巻き込まれて死亡となったことが公表されたという。しかし、この公式発表には裏があることを才人は知っていた。

「ミシェルさん、大丈夫かな……」

 しばらく身を隠すと言っていた彼女のことを、才人は口の中だけでつぶやき、その無事を祈った。すでに、反逆が露呈している状態では、死んだことにする以外には方法はなかったのだろうが、死人を装いながら生きるということは並大抵の苦労ではあるまい……いや、お互いに生き延びて再会すると約束したんだと、才人は別れ際に見たミシェルの笑顔と、唇に残ったかすかな甘い香りを思い出して、いつかみんなで笑い会える日が来るはずだと信じた。

 その後は、才人にはうまく理解できない部分も多かったが、現在のトリステインの内政状態や財政、他国との同盟や共同軍事演習などが話されて、エレオノールとルイズは随所でうなずいていた。

「基本的には、アルビオンと連携しながら国力の底上げと、軍事力の再建を目指していく形になったわ。あと、巨大生物の出現に悩まされているゲルマニアとも、技術提携がなされることなったから、武力の面では加速されるでしょう」

「では、これからは有力な魔道具の開発が主眼になると考えてよろしいのでしょうか?」

「ええ、火石を作った爆弾が増産不可能である以上、あなたたちはその技術力を使って、新しい魔道具やポーションの開発を進めなさい。得意分野でしょう?」

「ええ、お任せくださいませ」

 元々、兵器の製造には乗り気でなかったエレオノールは、いまにもアカデミーに舞い戻っていきそうなくらいにやる気を顔にみなぎらせていた。なにせ、やっと神学にしばられた研究体系から解放されたと思ったら、次は強力な兵器を作れと気に入らない研究を続けてきた彼女にとっては、自由に研究をしてもよいと言われているのと同義語であるから燃えないはずはない。

「期待しています。それから、これはまだ正式な決定ではないのだけれど、トリステインとアルビオン、両国が安定した暁には、アンリエッタ姫殿下とウェールズ皇太子のご結婚が発表されるでしょう」

「お母さま! それは本当ですか」

 アンリエッタ姫と幼馴染であるルイズは、その知らせにあやうく椅子を蹴倒してしまいそうになるくらいに喜んだ。

「ええ、両国の関係を揺るがなく強固にするための王族のつとめですもの。当然、解決すべき問題は山積みですし、最低でもあと一年は必要でしょうがね」

 それでも、ルイズにとって親友であるアンリエッタが愛する人と結ばれるのはうれしく、二人の幸せな前途を切に祈った。

 けれど、結婚という話が持つ意味について、現在ルイズと正反対の感情を持つのがエレオノールである。

「そうだお母さま、大切なお話があるんでしたわ。聞いてください、このルイズったら、身分の低い男と……」

 そこでエレオノールはルイズが平民の男に恋をしていることをカリーヌに告げてとがめてもらおうと思ったようだったが、彼女にとっては計算外に、これが思い切り彼女自身の墓穴を掘る結果となった。

「そういえばエレオノール、あなた先日のシャレー伯爵家との婚約も解消されたらしいわね。一ヶ月前のバーガンディ伯爵との婚約解消から、これでもう三件目の破談ですが、何かわたくしに言うべきことがあるのではなくて?」

「えっ!? あっ、そ、その!」

 鋭い目でカリーヌに睨みつけられて、エレオノールから怒気が一瞬で払いのけられた。

「お姉さま! 三件目って、そんなに振られてたんですか!?」

 さすがに恋愛にうといルイズもあまりの数に呆れてしまった。ヴァリエール家の長女ともなれば国中で引く手あまただろうに、しかもここ一ヶ月に限ってさえそれなのだとしたら、総数ではいくらになるのか。

「ル、ルイズ! ふ、振られるなんて、そんなことがこの私に限ってあるわけが。ど、どいつもこいつも栄誉あるヴァリエールにはふさわしくないでくの棒だったから、こっちから振ってあげたのよ!」

「にしたって、多すぎませんか? お姉さまの基準で言うと、ハルケギニアから貴族はいなくなってしまいますが……」

 バーガンディ伯爵にしたって、ルイズから見れば理想とは言わないまでも悪い印象を持ったことはない。本人は振ったと言っているが、それをそのまま信用するほどルイズはこの姉を知らないわけはない。

 そうなると、散々八つ当たりをぶつけられただけにルイズの心にもささやかな復讐心がわいてきて、それからこの方面に関しては姉より先輩になれたという優越感から、ルイズは思いっきり生意気な口調で言ってやった。

「どうも、わたしなどよりエレオノールお姉さまのほうが、貴族の子女のたしなみが必要なのではないでしょうか? もう危ない時期なのですし」

「ル、ルイズあなた!」

「エレオノール!」

 ルイズに怒りをぶつけようとしたところをカリーヌに鋭くとがめられ、エレオノールは恐縮すると椅子の上で縮こまった。

「ルイズの言うとおりよ、あなたに人のことをとやかく言う資格があると思ってるのですか? あと数年で三十路というのに、いまだに身も固まらずにふらふらと……どうやら、あなたにはわたしが直々にヴァリエールの長女としての、それから貴婦人としての心構えというものを叩き込まねばいけないようね」

 エレオノールの顔から血の気が引いた。カリーヌは言い終わると、何事もなかったかのようにディナーを口にして、ルイズと才人はこみ上げる笑いをスカートのすそを握り締めたり、ももをつねったりしてこらえて、カトレアは相変わらず微笑を浮かべている。

 そして食後、そそくさと逃げ出そうとしたエレオノールが、逃げられるはずもなく捕まって、屋敷の奥へ強制連行されていくのを、彼女の妹たちは温かく見送った。

「ルイズ、カトレア! 助けて、助けてぇーっ!」

「頑張ってお姉さま、痛いのは多分最初だけですわよー」

 満面の笑みと、白いハンカチを振って涙の別れを告げるルイズの前で、大きな扉がきしむ音を立てて閉じた。それからしばらくしてニワトリの首を絞めたときのような、切ない悲鳴が届いてくると、一同は心からの哀悼の祈りを捧げたのだった。

 

 

 それからは、夜も更けてきたのでルイズは才人を連れてカトレアの部屋に泊まる事になった。もちろん、これも特例中の特例なのだが、公爵および公爵夫人、長女も不在なので次女と三女が実質この家の最高権力者だったので可能となった。鬼のいぬまのなんとやらである。

 だが、その寝室も当然高級ホテル並に広大なものであったが、カトレアの動物たちもいっしょに泊まるとのことなので、彼らが寝静まるまでのあいだ、カトレアはルイズと才人をともなって、夜の庭園の散歩に出かけた。

 もっとも、それは夏の夜長の風流なものとは……ならなかったが。

「あっはっはっはっ! それにしても、エレオノールお姉さまのあの顔ったらなかったわね」

「ほんとほんと、それにしても、上には上がいるってほんとなんだな。いーひっひっひっ、は、腹がよじれる」

 二人とも気兼ねする必要がなくなったので、エレオノールをだしにして言いたい放題言って、大爆笑した。二人とも、今頃は魔法騎士隊すら震え上がる『烈風』カリンの指導の下でエレオノールがどうなっているかを思うと、やや薄情ではあるとは思うのだが、元はといえばエレオノールの八つ当たりが原因なのだから、いわば自業自得。おまけにこれであの高飛車な姉が多少はおとなしくなってくれれば一石二鳥と考えていた。

「あっはっは……しっかし、お前の家族もけっこうにぎやかな人たちだな。おれはてっきり、大貴族だからもっと堅苦しいものかと思ってたぜ」

「バカにしないでよ、今日は特別、普段はお母さまもお父さまもずっと厳しいんだから」

 やっとこさ収まった笑いの余韻を口元に残しつつ、二人は夏の夜の涼しげな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「あー、笑うだけ笑ったらスッキリした」

「まったく、あんなエレオノールお姉さまの顔なんて、めったに見れるものじゃないわ、自分のもてないのを人に押し付けようとするからあんなことになるのよ。でも、あんたちょっと笑いすぎよ、あれでも一応わたしのお姉さまなんだからね」

「そんなこと言って、おれよりでかい声で笑ってたのはルイズだろ。ぷ、やべ、思い出したらまた笑いが」

「ぷくく……わたしも、あっはっはっははは!」

 人目がないからいいようなものの、二人ははしたないととがめられても文句は言えないほどにまた笑い転げて、そんな二人を後ろからついていきながらじっと見守っていたカトレアは、ふと短くつぶやいた。

「二人とも、本当に仲がいいのね」

 微笑を浮かべながらささやかれたカトレアの言葉に、二人ははっとなったようにほおをそろって紅く染めた。

「いいお姉さんだな」

「でしょ、でしょ!」

 耳元でぼそぼそと、二人はカトレアに聞こえないようにささやきあった。

 まったく、ルイズが自慢するのもよくわかる。おしとやかで優しくて、おまけにスタイル抜群と、非のつけどころが見つからない。

「サイトくん、どう? わたしたちの家は気に入ってくれた」

「はい、最初はちょっとビビってたけど、みんなルイズのことを思ってるし、すごくいい家族だなって思いました。でも……」

「でも?」

「ちょっと、不安になったっていうか、ルイズはこんなすごい家に住んでる身分なのに、おれは身ひとつの平民ですから」

 気を落ち着かせて、この広大な庭園を見まわしてみたら、カトレアの優しさに包まれていても、才人は、自分はやはりここには場違いな存在なのだなと、心の中の疎外感をぬぐいきれなかった。

「気後れして、自信がなくなっちゃった?」

「いえ、ルイズが好きなのは変わらないけど、将来うまくやっていけるかなあって」

 その心配ももっともであった。世界中、過去幾多の愛し合った者同士が、身分の差、財産の有無などで泣く泣く別れなければならなくなったことか、銀河の星々の数にも匹敵しよう。

「何言ってるの、あんたごときがどうあがいたって、ヴァリエール家に匹敵できるような門地を一代で得られるわけないでしょう。心配しなくても、どうしても許してくれないっていうならわたしにも考えがあるから」

 ルイズはそう言ってくれて、実際それはうれしかったけれど、エレオノールのことは明日は我が身なのである。

 ただの平民が、トリステイン最大の名門貴族であるヴァリエール家に婿入りする。どんな痴人でも夢想しないようなバカな幻想であるが、そのバカなことをこそ成し遂げなければならないことに、二人が不安を感じているのを見て取ると、カトレアはふぅと息を吐き出すと、数歩後ろに下がった。

「サイトくん、悪いけど、ちょっとわたくしのわがままに付き合ってもらえるかしら?」

「え?」

「ルイズ、あなたの彼、ちょっとお借りするわよ」

「ちぃねえさま……?」

 唐突なカトレアの言葉に、二人は思わず怪訝な表情をした。しかし、カトレアはいつの間にか魔法の杖を取り出しており、微笑を浮かべたままだが、まとった雰囲気がこれまでのような穏やかで優しいものから、刺す様な峻烈な気配に変わっていた。

「サイトくん、わたしもね、ルイズのお姉さんだから、妹が意気地のない男の人のところへ嫁いでいくのは我慢できないの、わかってくれる?」

 無意識につばを飲み込む音が才人の喉の奥に響いた。口調は穏やかでも、その中にはとてつもない威圧感が潜んでいる。エレオノールに睨まれたときと同じような……いや、エレオノールが燃え盛る大火の迫力だとしたら、それよりもはるかに高温なのに、静かに煮えたぎるマグマ……そう、まるで『烈風』のそれに匹敵する、段違いの殺気。

「ち、ちぃねえさま、まさか!?」

 ルイズが言い終わるより早く、カトレアは高速で詠唱を終え、『クリエイト・ゴーレム』の呪文を完成させていた。魔法の光がカトレアの足元に吸い込まれ、瞬く間に地面が小山のように盛り上がっていき、やがて土くれでできた巨大な人形の形をなしていった。

「ゴーレム!」

 そう、それは錬金によって生み出されるメイジの操り人形ゴーレム。カトレアはその左肩に立って二人を見下ろしていた。

「サイトくん、あなたが本当にルイズを守れる殿方かどうか、確かめさせてもらうわね。あなたの本気、証明してみせなさい」

「やっ、やっぱりですかぁー!」

 才人は最悪の予感が的中したことと、想像もしていなかった天国から地獄への落下に人生の不条理を呪わずにはいられなかった。なんで? どうしてここでカトレアさんと戦わなければいけないの? しかも、このゴーレムは。

「で、でかい……」

 カトレアのゴーレムの身の丈は、かつてトリステイン中を震撼させた怪盗・土くれのフーケのゴーレムでもせいぜい三十メイルだったのに、少なく見積もっても四十メイルは下るまい。才人は、さっきなぜエレオノールがカトレアから引き下がったのか理解した。単純な話だ、この人は……強いんだ!

「ルイズ、カトレアさんって……メイジのクラスは?」

「土の、トライアングルだったはずだけど……わたし、ちぃねえさまが本気で魔法を使うところなんて、見たことないの」

 ルイズも、カトレアがこれほどの魔法を使えるとは知らなかったようで、顔を引きつらせてゴーレムを見上げている。

「さあ、いくわよサイトくん。わたしに勝って、見事ルイズを手に入れて見せなさい!」

「ちょ、ちょっと待ってーっ!」

 振り下ろされてくるゴーレムの巨大な拳を間近に見ながら、才人はやっぱりこの人も間違いなくルイズのお姉さんなんだなと思った。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第2話  ルイズの帰郷 (後編)

 第2話

 ルイズの帰郷 (後編)

 

 獣人 ウルフガス

 童心妖怪 ヤマワラワ

 始祖怪鳥 ラルゲユウス 登場!

 

 

「だわーっ!」

 カトレアのゴーレムの放ったパンチを、寸前のところでかわした才人のいたところが、巨大な土の拳に芝生ごとつぶされて、子供が泥んこを殴りつけたような跡ができた。

 ラ・ヴァリエール家の広大な庭園の一角で、今全長四十メイルの超巨大ゴーレムが、すさまじい地響きをあげて暴れまわっている。

「カ、カトレアさん……マジですか」

「当然本気ですよ。本当は戦いは不得手なのですが、かわいいルイズの将来のためですもの、少々無茶をするわね」

 杖を下向きに振ったカトレアの手の動きに合わせるように、今度はゴーレムの右足が浮き上がって、月明かりに浮かんだ影が才人に重なるように迫ってくる。

「ぬぁーっ!」

 踏み潰される寸前に飛びのいた才人の後ろに、また新たなクレーターが新設されて、続けて第二第三の攻撃がやってくる。

 才人も、この半年で鍛えた体力でどうにか逃げ回っているが、所詮は高校生のスタミナを多少底上げしたところでたかが知れている。相手が巨大すぎるために動きは緩慢に見えても、実際直撃されたらスルメは決定だ。そのとき、このままでは才人の命が危ないと感じたルイズが叫んだ。

「ちぃねえさま、やめてください! なんでこんなことするんですか!?」

 あの優しい姉が信じられないと、悲鳴に近い声で叫ばれたルイズの問いかけに、カトレアは攻撃の手を止めると二人を見下ろして、よく通る声で返してきた。

「ルイズ、あなたの気持ちはわかるわ。けど、今は恋ですんでいるけど、生涯の伴侶を決めるというのはそんな簡単じゃないの。いざというときに、あなたを守れるだけの覚悟が彼にあるのか……姉として、どうしても見極めておきたいの」

「ちぃねえさま……」

 最後に目を閉じてうつむいたカトレアの憂えげな表情に、ルイズは姉が自分に恨まれるのを覚悟で、こんな無茶をしていることを悟った。

「でも、いくらなんでもやりすぎです! サイトはただの平民なんですよ!」

「ルイズ、あなたはまだ自覚がないかもしれないけど、ヴァリエール家の息女ともなれば、どんな刺客がかけられるかわかったものではないわ。もし、わたし以上の使い手がルイズの命を狙ったとき、サイトくん、あなたはどうするの?」

「あー、まあ、ルイズを連れて全力疾走で逃げますかな」

「ふふ、面白い子ね。けど、今みたいに逃げられない状況ならどうするか、わたしはそれを見極めたいの。手荒なのは承知で、悪いとは思うけどね。それに、わたし一人を納得させられないものが、お父さまや、お母さまを納得させられると思う?」

 二人はぐぅの音も出なかった。温厚なカトレアでさえ、ルイズのためを思ってこれほどの無茶をしているというのに、父や、まして『烈風』と異名をとるあの苛烈な母が交際を認めてくれるとはとても思えない。

「家柄や爵位などといったものは、わたしは気にしないわ。平民でも、ルイズを幸せにしてくれるなら、それで充分。けれど、ルイズへの愛を貫ける器量があるかは別よ。サイトくん、あなたはそれを証明できるかしら?」

 サイトはぐっと息を呑んだ。カトレアは、もし半端な覚悟しかないのなら躊躇なく命を取りに来るかもしれない。それだけ、ルイズを大切に思っているのだ。しかし、相手はフーケのものさえ上回る巨大ゴーレム、普通に考えて勝ち目は微塵もないし、こんなことのためにウルトラマンAの力は借りられない。

 けれど才人がためらっていると、背負っていたデルフリンガーが鞘から出て才人をうながした。

「抜け、相棒! あの姉ちゃんは本気だ。こっちも本気でいかねえと、死ぬぞ!」

「くっ、仕方ねえ!」

 腹を決めた才人は、背中からデルフを抜き放つと、ゴーレムに向かって正眼に構えた。

 だが、握った感触がこれまでと違って、デルフリンガーがとても重い。

「ちっ、そういやガンダールヴの力は抜けてるんだった」

「バカ! 今頃思い出すな。今の相棒の力は、いいとこ前の十分の一ってとこだ。ちょっとでも気を抜いたらアウトだ。来るぜ!」

「ああ!」

 再び襲ってきたゴーレムのこぶしを、才人はバックステップでなんとかかわした。ガンダールヴだったときの、体に羽が生えたような身の軽さはないが、やはりデルフを手にしていると、そのときの動きを体が覚えていて反応してくれる。

 しかし、ガンダールヴの力を失ったことと、一撃でも喰らったら即死確定の攻撃を避け続けなければならないことで、動きに精彩を欠きすぎると思ったデルフは才人を叱咤した。

「相棒、回避に無駄が多すぎる! 思い出せ、お前はあれよりもっと速いものと戦ったこともあるじゃねえか!」

「へっ? ……そうか! あれか」

 合点した才人はデルフをかまえて気を落ち着かせると、今度はゴーレムの手の動きをよく観察して、軽く飛びのいただけで余裕を持って回避した。

「どうやら、思い出したみたいだな相棒」

「ああ、ツルク星人の剣に比べたら、遅い遅い」

 そう、あの奇怪宇宙人ツルク星人との対決のときの三段攻撃の見切りの特訓も、ガンダールヴの力が失われた後でもちゃんと才人の血となり肉となっていた。コツを取り戻した才人は、今度は先程よりも格段に無駄のない動作で、機敏に攻撃を回避していく。

「いいぞ、前の動きが戻ってきてるぜ」

「ああ、それにしてもガンダールヴがなくても、これだけ動けたなんて信じられねえぜ」

「あんまし自分を過小評価すんなよ、お前さんは実戦経験だけならすでにベテランの域なんだ。ようし、そろそろ反撃してみろ!」

「反撃って!? ちぃっ、だめもとでやってみっか、せゃあっ!」

 だが、やけくそでデルフリンガーの重さを振り子のように使ってゴーレムの手に斬りつけてみても、やはり硬質化した土には通用せずに、わずかに刃先がめり込んだだけではじかれた。

「ちぇっ、相棒、やっぱ正攻法じゃ無理だ」

「わかってる、怪獣を相手にしてるようなもんだからな。連打してもいいけど、手が痛くなるだけだなこりゃ」

 と、言いながらも才人の頭の中の冷静な部分は、どうにかしてこの苦境を突破できないものかと回転していた。元々、日本にいたころからも怪獣が突如出現して避難するなどは日常だったし、ハルケギニアに来てからは、腕っ節といっしょに度胸も鍛えられてきている。

 

 メイジを相手に勝つ方法……

 

「デルフ、メイジを倒すには、やっぱり杖か本人を狙うしかないか?」

「そりゃそうだろうが、あの姉ちゃんはゴーレムの肩の上だぜ。ガンダールヴのままの相棒だったら、ゴーレムの体を駆け上がれたかもしれねえが、普通の人間が四十メイル近くも昇れるわけねえだろ」

 確かに、メイジの魔法の源は魔法の杖であり、いかなる魔法も例外なく杖がなければ発動することはできない。それが、メイジの最大の弱点であるのだが、そもそもメイジを相手に正面からは、近づくことさえ困難なのだ。

「まあ、そうだろうが、一つだけ作戦があるぜ。このだだっ広い庭ならな」

「相棒?」

 不敵に笑った才人の自信の根源は、六千年生きてきて、その生涯の中で幾度か「メイジ殺し」と呼ばれてきた剣士にも使われたことのあるデルフにもわからなかった。ただ、才人がこの期に及んでハッタリでその場しのぎをするほど卑小な男ではないことだけは、デルフもルイズも信じている。

「カトレアさん! その挑戦、受けて立ちます。もし勝ったら、ルイズとの交際、認めてくれますか!」

「ええ、それはわたしの誇りにかけて誓いましょう。けれど、平民のあなたがわたしに勝てると思うの?」

 それは差別意識からではなく、冷然たる事実から出た言葉だった。魔法を使える貴族と、使えない平民とでは、その力に雲泥の差がある。ルイズも、ガンダールヴの力もなしで無茶よと、青ざめた顔で才人に怒鳴ってくる。

 それでも、才人はそんな常識に臆することなく決然と叫んだ。

 

「そんなこたあ関係ねえ! 魔法なんかなくたって、人間には誰にでも知恵と勇気があるんだ!」

 

 そうだ、魔法が使えなくたって、ガンダールヴがなくたって、ウルトラマンの力を借りられなくても、才人にはまだこの最初で最後の武器が残っている。かつて地球でも、ウルトラマンや防衛隊の力を借りずに、単身怪獣に立ち向かっていって、平和を守ってきた人が大勢いた。その勇敢な志は、才人にも脈々と受け継がれて、一瞬ルイズとカトレアを圧倒した。

「さすがに、ルイズが選んだだけのことはあるわね。あなた何者? ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なにか根っこから違う人間のような気がする。違って?」

「あ、うーん……」

「うふふ、やっぱり。わたし、なんか勘が鋭いの……ルイズ!? あなた」

 そのとき、剣を構えている才人を守るように、それまで諦観しているだけだったルイズが前に出てきたのを見て、驚いたカトレアは攻撃をいったんやめた。

「ちぃねえさま……いいえ、カトレアお姉さま。わたしはこれまで、おねえさまに甘えるだけで、何もわかってない子供でした。けど、わたしは本気でサイトが好きなんです」

「ルイズ……」

「それに、わたしは一方的に守られてばかりなんてできません。敵に背を向けないこと、それが貴族なんだとわたしは教わりました。今、わたしはその意味をわたしなりの言葉にして使います。敵に背を向けないとは、自分を守ってくれる大切な人に背を向けて逃げ出さずに、いっしょに立ち向かうということ! だから、だから……わたしは、ちぃねえさまとだって、た……たたた、戦います!」

「……しばらく見ないうちに、ずっと大人になりましたねルイズ……わかりました、あなたたち二人の力、見せてみなさい。手加減はしません、いきますよ!」

 才人とルイズの度胸のよさに感心したのか、カトレアもうれしそうな笑みを見せてオーケストラの指揮者のように杖を振り下ろし、楽団のように同調したゴーレムの攻撃が襲い掛かってくる。

「うわっとお!」

 ルイズを抱えて、ひとっとびしたところへゴーレムの一撃がやってくる。さすがはおっとりしているように見えて『烈風』の娘、妹がいてもこれっぽっちも容赦をしてくれない。

 ルイズも、たんかをきった以上黙っているわけにもいかず、いつもの爆発を引き起こす魔法攻撃を加える。とはいえ、わずかに土をこぼさせるだけで、当然ながらあっという間に再生してしまう。

 救いがあるとすれば、カトレアのゴーレムはフーケのもの以上の体躯と破壊力、身のこなしを誇るが、戦闘にゴーレムを使い慣れていないために今の才人の実力からすれば、単調なその攻撃を回避するのは難しくはなかった。

 ただ、攻撃しても効果はゼロなのだし、ゴーレムの繰り出してくるパンチや踏み付け攻撃を、身をかわしてとにかく避けていっても、いずれスタミナが切れれば直撃をこうむってしまう。このままでは時間ばかりが無駄になり、なによりもさっきの大言壮語が口先だけになってしまう。

「サイト、なにか作戦があるんじゃないの?」

「ああ、一か八か、耳かせ」

 才人は、ゴーレムが打ち込んだこぶしを引き抜いているあいだにルイズの耳元に早口で、作戦を伝達した。そのとたん、ルイズの顔が期待から驚愕に急変した。

「ば、ば……ばっかじゃないの! あんた正気? そんなの、作戦どころか、でたらめもいいところじゃない」

「じゃあ、ほかにいい案があったら教えてくれ」

 言葉に詰まったルイズだったが、才人から伝えられた作戦とは、ルイズどころか一般常識の範囲に照らし合わせても、無理、無茶、無謀を三点セットでプレゼントしてもらえるような、とんでもないものだった。

 なのに、才人の顔は異様なまでの自信にあふれている。まるで、とっておきのいたずらを仕掛ける前の腕白坊主のようだ。

「うう……わかったわよ! なんで、あんたみたいなのを信じるって決めちゃったのかしら。乗ってあげるわ、あの森まで誘導すればいいのね」

「ああ、ここじゃ無理だが、森まで逃げ込めればチャンスがある!」

 このヴァリエール家の広大な庭園には、今二人とゴーレムが戦っているゴルフ場のような芝生の庭のほかにも、ボート遊びが可能なほどの池や、そこを取り囲むように森林がある。

 だがなぜ、森に逃げ込む必要があるのか? 普通に考えたら木々に身を隠して隙をうかがうなどと考えるだろうが、才人の自信からして、そんなせこいものではないだろう。

 二人は、ゴーレムの激しい攻撃に、大粒の汗を流しながらもちょこまかと逃げ回って、次第に森のほうへゴーレムを誘導していった。

 その様子を、カトレアは攻撃を続けながらじっと見詰めていたが、二人の息の合ったコンビネーションに、内心感嘆していた。

「本当に、仲がいいのね……」

 つぶやきながら、ゴーレムの上で指揮をとるカトレアの表情には、いままでルイズが見せたことのない勇ましい顔つきになっているのを見れることへの、無意識な喜びがあった。

 

 そして、そんな二人の連携もあって、森林地帯にゴーレムは誘導されて、才人の作戦は開始された。

 

「ふぃーっ、さすがに広い森だな。これが原生林ってやつか」

 まだ自然が色濃く残るハルケギニアの森は、日本の森よりもずっと深くて、月明かりもたいして届かずに、ずっと薄暗かった。地球でも、ドイツには影の森という場所があると地理の授業で聞いたことがあるのを才人は思い出した。

 だがこれならば木々が邪魔をしてしばらくは身を隠せるかと思えたのもつかの間、ゴーレムはなんの遠慮もなく木々を蹴散らしながら森の中に踏み込んできた。

「ちぇっ、やっぱ小細工が効くはずもねえよな。よーし……あれなんかちょうどいいか、ようしルイズ、作戦開始だ!」

 一方、カトレアは森に逃げ込まれて才人たちを見失ったものの、ほかの二人の姉妹と比べて落ち着いた性格ゆえか、慌てた様子を微塵も見せずに、微笑を浮かべたまま、ゴーレムを操りながら二つ目の呪文を唱えていた。

「森に逃げ込んで隙をうかがうつもりかしら? 残念だけど、メイジを相手に暗闇は武器にならないわよ」

 カトレアは水系統の『暗視』の魔法を使って、まるで赤外線スコープを使っているかのように二人の姿を探した。彼女の得意系統は『土』だが、『水』系統も得意な上に、母親ゆずりで精神力の容量も並外れている。

 しかし、時を経ずして見つけた二人がやっていたことは、姉や妹にも負けずに頭脳明晰なカトレアから見ても、疑問符をつけずにはいられないものだった。

「なにを……してるの?」

 森の一本の木を使って、二人はなにやら奇妙なことをしている。最初はよじ登ってゴーレムに飛び移るつもりかと思ったが、どうも違うようだ。おまけに、ゴーレムが一直線に向かっていっても逃げる気配もない。

「よーし、思いっきり引けーっ!」

 才人は、森の木々の中から、垂直に伸びている高さ五メイルくらいのまだ幹の柔らかい若木を見つけると、その先端をつかんで、ルイズといっしょに思いっきり弓なりになるまで引っ張って曲げていた。

「ほ、ほんとにこんなんでうまくいくんでしょうね!?」

「ああ、見て腰を抜かすなよ。よーし、ちょうど正面から来てるな。デルフ、いいか?」

「おれっちはいつでもいいが、相棒、何をする気か知らねえが、こんな木をぶっつけたって、ゴーレムはびくともしやしねえぜ」

「ふふふ……そんなことは百も承知だぜ。ようし、まっすぐ来てるな。ルイズ、いくぜ!」

 ルイズに合図を送ると、才人は限界まで引っ張られてきしみ音を上げている木のてっぺんにしがみつき、デルフを持って身構えた。

「いくわよサイト! いち、にの、さーん!」

「平賀特別攻撃隊、いきまーす!」

 ルイズが手を離したその瞬間、限界まで曲げられていた木は、その弾力性から一気に元に戻ろうと跳ね上がった。するとどうなるか、てっぺんに掴まっていた才人もいっしょに持ち上げられて、なおも勢いを落とさない木の反発力は、まるでパチンコのように才人の体を空中に投げ上げたのだ!

 

「と、飛んだ!」

 

 半信半疑だったルイズやデルフ、それにカトレアも度肝を抜かれて、ゴーレムで迎撃するのも忘れて、みっともなく叫んでしまったが、それを誰が責められようか。平民が魔法の力も借りずに空を飛ぶなんて、普通に考えたら絶対にあるはずがない。

 のにも関わらず、才人は空をゴーレムに向かって一直線に飛んでいき、見事にゴーレムの左肩に着地したではないか。

「おっとっとっと! あぶねー、もうちょっとで落ちるとこだった」

「……あ、ぁ」

 さしものカトレアも、目の前で起きたことが信じられないと、この世のものではないかのように呆然として、ゴーレムにしがみついている才人を見つめた。

 このときの彼女たちの心境を一言で表すなら「そんなアホな!?」のこれしかないだろう。

 けれども、植物の反発力というのをあなどるなかれ。実際に木のしなりを利用して大きな石を飛ばす『投石器』という武器は地球でも使われていたし、近代でも防衛チームZATの東光太郎隊員が、竹のしなりを利用して身長四八メートルもある蜃気楼怪獣ロードラの鼻っ先に飛び乗ったという実例があるのだ!

「さてと、これでおねえさん、おれたちの勝ちかな?」

 デルフをカトレアに突きつけながらした才人の勝利宣言を受けて、カトレアはようやく我に返ると、大きく息を吐き出して、杖を下に下ろした。

「ずいぶんと、信じられないことをするのね……いいわ、わたくしの負けですね」

 毒気を抜かれてしまったカトレアは、いさぎよく負けを認めると、ゴーレムをゆっくりと元の土くれに解体していった。

「はぁーっ、やれやれ、死ぬかと思ったぜ」

 空気の抜けていく風船に乗っているように、ゆっくりと下ろされている感触を味わいながら、デルフを下ろした才人は緊張が一気に解けたようにへたりこんだ。勝利宣言はしたものの、まさかルイズのお姉さんに向かって本気で剣を振り下ろすわけにはいかないし、カトレアも、剣を突きつけられていても、彼女ほどのメイジならいくらでも逆転の手はあっただろうから、本気で寿命が縮んだ。

「サイトーッ!」

「おーいルイズー! 見てたか、おれ勝ったぜーっ!」

 ゴーレムがただの土の山に返ると、才人は慌てて駆け寄ってきたルイズに勝ったことを知らせて喜ばせようと、満面の笑みを浮かべて抱きとめようとした。けれども、おれの胸に飛び込んで来いという才人の胸に実際に来たのはルイズのドロップキックの一撃だった。

「この、バカーッ!」

 目を白黒させているカトレアの前で、ルイズは見事に飛ばされて土の山に大の字になってめり込んだ才人を引きずり出すと、襟首をつかんで締め上げた。

「なんてむちゃくちゃやるのよ! 見てたけど、あと一メイルでもずれてたらゴーレムを通り過ぎて地面と激突してたじゃない。一瞬だめかと思っちゃったじゃないの」

「せ、成功したからいいじゃねえか……ん? お前」

 そこで才人は、怒りに燃えていたはずのルイズの顔が、いつの間にか涙目になっているのに気がついた。

「バカ……サイトのバカ、あんたって、どうしてそう自分の命をかえりみないのよ。わたしが、どれだけ心配したと……」

 また、あんたの死体を見ることになったらどうするのよと、ポカポカと自分の胸板を殴りながらぐずるルイズに、才人はその顔は反則だぜと思いながら優しく頭をなでてやった。

「わりい、心配かけちまって。もう二度としないから、泣き止んでくれよ、な」

「むぅ、な、泣いてなんかないもん! 怒って目から汗が出ただけだもん!」

「ぷくくく、なんだよそのド下手な言い訳は、まったく可愛いなお前って!」

「わっ、サ、サイトぉ!」

 仲良く抱き合う才人とルイズを見て、カトレアはもう一度ふうとため息をついた。彼女としては、この戦いの決着についての予定として、いくら才人ががんばろうと四十メイルのゴーレムにかなうはずはないのだから、適当なところでルイズに攻撃がそれたふりをして、才人がルイズをかばおうとしたら、

「ルイズといっしょになれない障害が、あなたが貴族じゃないということなら、貴族の条件というのをご存知? それはね、お姫さまを命がけで守ること、それだけなのよ」

 と、はげましてあげて水入りにして終わらせるつもりだったのだが……まさか、本当に勝負して負けることになるとは思わなかった。それも、才人は特別な力や道具などには一切頼っていない。言ったとおりに、知恵と勇気でこの難関を切り抜けてしまった。

 どうやら、自分は余計なおせっかいをしてしまったようだなと、カトレアは魔法の杖をしまうと、まだじゃれあっている二人に歩み寄った。

「ルイズ、サイトくん」

「ちぃねえさま」

「あ、はい」

 そのときのカトレアの表情は、もういつもの温和で優しいものに戻っていた。

「お見事だったわサイトくん、あんなかたちで負けちゃうなんて、夢にも思わなかった。わたしの完敗よ。あなたは、すばらしいナイトだわ」

「い、いやそんな。た、たまたまうまくいっただけですよ、あはは」

 才人は笑ってみせたが、カトレアのまったく他意のない言葉は、まるで母に褒められているときのような充足感を、彼の心に満たしてくれた。

「うふふ、でもねサイトくん。もしあなたがルイズを悲しませるようなことになったら、おねえさん怒っちゃうから、覚えておいてね」

「き、肝に命じておきます!」

「ルイズ、サイトくんなら、きっとあなたを守ってくれるわ。うらやましいわ、あなたにはこんなすばらしい騎士がついていてくれる。ハルケギニア中探しても、二人といない勇者でしょうね」

「ち、ちぃねえさま、あんまり褒めすぎるとこいつはすぐ頭に乗るから、そのへんで!」

 とはいえ、頬を染めているところから、ルイズもまんざらではないらしい。

「ルイズ、でもこれだけは言っておくわね。サイトくんがあなたを守ってくれているように、あなたもサイトくんを大事にね。恋人というものは、温かいコートのようなもので、着ているときは、ときに汗をかいて暑苦しく思うこともあるけど、脱いでしまったらとたんに冷たい北風にさらされてしまうものなの、わかる?」

「はい、わかります。ちぃねえさま」

 一度、才人を失っているルイズには、カトレアの言いたいことがよくわかった。これからも、二人の前にはさまざまな障害や、試練が待ち構えていることだろう。それらに立ち向かっていくには、二人の強い絆が絶対に必要なのだ。

 カトレアは、強い光を宿した二人の瞳を、大切に籠に飼っていた小鳥を、空に放すときのように、一瞬寂しそうに見つめると、ルイズを抱きしめた。

「もうすぐ、あなたもわたしが抱きしめられないくらい大きくなるのね。だけど、わたしはずっとあなたの味方だからね。わたしの小さな、いいえ、愛しいルイズ」

「ありがとう、ちぃねえさま……」

「サイトくん、この子はきかん坊なところがあるけど、仲良くしてあげてね。ただ、お母さまとお父さまの説得には、わたしもできるだけの助力はするつもりだけど、がんばってよ」

「ど、努力します」

 こうして、恋人として歩み始めた才人とルイズの最初の試練は無事に終わった。

 すっかり仲良くなった三人は、それから散歩の続きをするように、これまでの思い出をカトレアに語りながら、ゆっくりと屋敷のほうへと歩いていった。

 

 しかし……そんな三人を、空の上からこれまでずっと見守っていたものがいたのである。

 

「ま、まさか……カトレアに、あんな平民が勝っちゃうなんて、信じられないわ」

「カトレアも、ゴーレムに上がってこれるはずがないと油断したわね。まあ、あの子は元々争いごとには向かない性格だけど、ふふ……あんな無茶をする男は久しぶりに見たわ」

 高空で、月を背にホバリングする巨大な怪鳥、ラルゲユウスの背中に立つ二人の女性が、今の戦いぶりを見てそれぞれの感想を述べていた。

「お母さま、笑い事ではありませんわ。カトレアが、あのカトレアがただの平民と戦って負けてしまったんですわよ。このことがおおやけになれば、ヴァリエール家の大恥に! いえ、それよりも、あの男は何者ですか! カトレアは、その気になればトリステインでも五指に入ると言われた魔法の使い手ですよ。それを……きっとあの男はヴァリエール家にとって大変な災厄になります。即刻排除いたしましょう!」

 ぶっそうなことを目を血走らせて言っているのは、カトレアとルイズの姉のエレオノール。彼女はヴァリエール家の長女として、いつもは轟然とかまえているが、幼い頃にカトレアの飼っていた子犬を蹴飛ばしてしまい、泣かせてしまったカトレアから受けた仕打ちが、今でもトラウマになって忘れられないでいた。

 さて、ところでなぜカリーヌに教育的指導を受けているはずのエレオノールがここにいるかといえば、カリーヌの指導の苛烈さを身にしみて知っているエレオノールは、カトレアと同じ『土』系統のメイジなので、カトレアが大型のゴーレムを作り出したことを地面の振動で知り、これ幸いとばかりに何事かが起こったに違いないとカリーヌをけしかけて、こうして出てきたというわけだ。

 が、その個人的感情を大いにこめたうったえを、彼女たちの母であるカリーヌは冷然と受け止めた。

「心配しなくても、誰もこのことを言いふらしたりはしませんよ。それに、彼はルイズの使い魔、今はそれで充分ではありませんか?」

「使い魔といっても、だったらなおのこと問題ではないですか! どこの世界に使い魔と連れ合いになる貴族がいますか。カトレアが許しても、わたしは絶対に認めませんわ」

「さて、それはどうかしらね。あのサイトという子、このままただの使い魔で終わるかしら? 彼が見せたあの力は、私たちの持つ魔法などとはどこか異質な……けど、とてもユニークなものね。ふふ、ルイズやカトレアが気に入るわけねえ」

 そこでエレオノールは、普段厳格そのもので、めったに笑顔など見せないカリーヌが声を出して笑っているのを間近で見て、背筋が冷たくなるものを感じた。

「ま、まさかお母さまは、あの二人の交際をお認めになるつもりなのですか!?」

 信じられなかった。カリーヌの現役時代からのモットーは、決して揺るがない鉄の規律であり、貴族としての精神、しきたりを踏みにじることになる行為をするはずがない。だが、カリーヌは含み笑いを止めると、真面目な表情に戻って言った。

「それはこれからのあの二人しだいね。あの二人の愛が本物ならば、彼が爵位をとるなり、ルイズが家を出て行くなりするはず、そうなればわたしに止める理由はなくなるでしょう」

 規律の中で違反を犯すならとがめるが、その枠から外れてしまうなら叱る必要はない。ヴァリエール家の娘をめとるのだ、それくらいのことはしてもらわなくては困る。

 そして、カリーヌはエレオノールには言わなかったが、あの二人ならばもしかしたら自分が考え付かないような、新しい可能性を見せてくれるのではないかという期待があった。

 けれど、どうしても才人のことが認められない様子のエレオノールは、まだカリーヌに噛み付いてきた。

「わたくしは、断固反対です。平民が貴族になど、なれるはずがないではないですか! それもあんな野良犬みたいな男を……それも、ルイズが私より先になんて!」

「……エレオノール」

「え……あ」

 そこでエレオノールは、うっかり自分が言ってはならない本心を口に出してしまったことに気がついて、慌てて口を塞いだが……後の祭りだった。

「そうね、十以上も歳の離れた妹に先を越されたら、それは悔しいでしょうね。けれど、それはいったい誰のせいなのかしら? そして、そんな子に他人の恋路にとやかく言う資格が、はたしてあるのかしらと言ったわよね?」

 エレオノールは、嫉妬のあまりに地獄行きの切符を自ら切ってしまったことを、死ぬほど後悔した。しかしもはや逃げ道はなく、座った目つきになった母からの死刑宣告を、幼児のように泣き喚きたい気分で聞くことになった。

「確か、アカデミーの休暇は一週間ほどあるんでしたわね。あなたの不徳は母であるこの私の不徳によるもの。罪滅ぼしに、付きっ切りで性根を叩きなおしてあげましょう。感謝なさい」

「い、いやーっ!」

 なんとか逃げられるかと思ったのに、さらにひどい地獄がエレオノールの前に口を開けていた。これからエレオノールは一週間にわたって、おしとやかに歩かなければ靴に噛みつかれるとか、大声を出したら全身に電流が走るとか、眠っているオーク鬼の群れの中を起こさずに歩きぬけるとか、なかば拷問に近い『烈風カリンの社交界マナー講座、初級編』を受けさせられることになるのだが、ルイズたちはその内容を知るよしもない。

「ふふふ……どうも、なかなかおもしろい時代になってきたようね。老兵は去りゆくのみと思っていたけれど、どうしてどうして、私の人生もまだまだ捨てたものではないらしい」

 才人という少年を中心にして、ヴァリエール家にも新しい風が吹いてきたのかもしれない。

 そうだ、世界は可能性に満ちている。自分が若い頃にしてきた奇想天外な冒険の数々や、アスカや佐々木らと駆け抜けた、常識を超えたタルブ村での戦いの記憶は今でも薄れることなく、カリーヌの魂の奥底に根付いていたのだ。

「さて、これからどういったものを見せてくれるのか、母として見届けなくてはいけませんね」

 まるで少女のころに戻ったように、カリーヌの瞳に若々しく未来への期待にあふれた光が灯り、悲鳴をあげる娘をひっとらえたままで、夜空のかなたへと消えていった。

 

 やがて、月は天頂へと駆け上り、夜は草木も眠る真の静寂へと落ちていく。

 ルイズとカトレアは同じベッドで仲良く抱き合って眠り、ソファーに寝転んでいた才人は寝相が悪くて転がり落ちたところに、ヤマワラワとウルフガスにはさまれて、もじゃもじゃの毛皮のサンドイッチにされているうちに、ワイアール星人に追いかけられている悪夢を見ながら、一人うなされていた。

 

 

 双月は、二つ揃った満月の日から離れ、片方が欠けて片方だけが強く輝くようになり、今は満ち満ちた赤い月が、半分になった青い月のぶんまで天に君臨しようと、煌々と晴れ渡った夜空に輝いている。

 そして、そんな赤い月の光を受けてもなお色あせない群青の影が、トリステインを遠く離れたガリア王国の一角の空を、優しいそよ風のように飛んでいた。

「きゅーい、おねえさま、今日は任務でもないのにずいぶんと遠くまでくるのね? こんな人気のない場所に、なんの用なのね?」

「もうすぐだから、このまままっすぐに飛んで」

 風竜のシルフィードに乗って、雪風のタバサは月明かりで本を読みながら、じっとこの空の向こうにある目的地につくことを待ち望んでいた。

 ここは、トリステインの何倍もの広大な領地をかかえるガリア王国の中でも、いまだ手付かずの自然が色濃く残り、めったに人間の入ることのない秘境。タバサはルイズたちと別れた四日前から、一度ラグドリアン湖畔の実家に帰省した後で、シルフィードに命じてこの辺境の地、『ファンガスの森』へとやってきたのだった。

「見渡す限り、森、森、森、なーんにもないところなのね。シルフィとしては、そりゃ自然がたっぷりなところは好きだけど、こんなところじゃ満足にごはんにもありつけそうもないのね。まさかまたごはん抜きなんて言わないのね?」

「……」

「竜にだって、働いたらそれに見合った報酬を受ける権利はあるのね。おなかすいたー、ねー、おねえさまってば」

 そろそろ我慢の限界が来たらしいシルフィードがわめいても、タバサは本から視線を離さずに、うんともいいえとも言わない。

「もー、最近のおねえさまはほんと竜使いが荒いのね。こんなに遠くまで飛ぶのがどれだけ疲れると思って……ねー! ねーってばー……あれ?」

 いいかげん堪忍袋の緒が切れて、タバサから本を取り上げようと首を後ろに向けたシルフィードは、タバサの読んでいた本が、飛び始めたときからほとんど進んでいないのに気がついた。いや、それ自体は珍しいことではない。タバサでも、強く緊張したり、心が乱れていたりするときは本に集中できないこともある。

 けれど、今のタバサは……いつもと同じ無表情なのには違いないが、どことなくそわそわしているというか、ほおの筋肉がこわばってないというか……

「はて……いつものおねえさまとはどこか違う?」

 それが何か? といわれれば困ってしまうけれど、少なくとも今のタバサからは危険な仕事におもむくときのようなピリピリした殺気のようなものは感じられず、むしろご馳走を前にしたときの自分のようなうれしそうなものに思えた。

「うーん、この先におねえさまの大好物のハシバミ草の群生地でもあるのかね? いやいや、おねえさまは確かに大食いだけど、そこまで食い意地は張ってませんから、となると……はっ!」

 そこでシルフィードは、人間に換算するなら十歳くらいの脳みそで、ちょうどその年頃の人間の子供も思春期に突入して、やたらと気にするようになるあることにタバサの状態を強引に当てはめて、一人合点した上でおもいっきり叫んだ。

「そうか! おねえさま、恋してるのね! だからこんな人里離れたところで逢引を。ずるいのねずるいのね、それならそうと」

 どうしたのか、というところを言う前にシルフィードの頭上にはタバサの杖の一撃が、きついお仕置きとなって降りかかった。

「いたーいのね!」

「早とちり」

 タバサの杖は節くれだっていて大型なので、鈍器としてもけっこうな威力を持つ。この竜は、実年齢こそ人間であるタバサの何倍もあるくせに、まだ幼獣なので精神年齢は低くて、話を低俗なほうへもっていこうとする悪いくせがある。

「わたしは恋なんてしていない」

「うー、でもー……わ、わかったのね」

 反論したかったが、またどつかれるのが怖くなったシルフィードは、しぶしぶと『タバサ逢引説』を撤回した。

「んで? 逢引でなかったら、こんなへんぴなところになんの用なのね?」

「会いたい人がいる」

「えっ、それって恋……」

 うっかり口を滑らせそうになったシルフィードは、振り上げられたタバサの杖を見て、慌てて前足で口を閉じた。けれども、タバサの杖はシルフィードの頭を通り過ぎて、前方下の一点を指し示していた。

「目的地」

 見ると、いつのまにか黒々とした森の中にぽつんと灯が見えている。シルフィードは、とにかく言われるままに、そこへと向かって降下していった。

 

「はぁー、こんなところに家があったのね」

 降りた先には、森の木を利用して建てられたと思われる一軒家が建っていた。

 ただ、家といっても、二階建ての倉庫と山小屋の合いの子のような感じで見栄えはまったくしない。だがネズミ避けの高床式で、太い木を隙間なく組み合わせた頑丈なつくりの、オーク鬼でも簡単には壊せそうもない、小さな砦の様相を見せていた。

「ここが、おねえさまのお知り合いの家なの?」

「そう、少し待ってて」

 シルフィードの背から降りたタバサは、彼女にそう言うと、ゆっくりと玄関の扉のほうへと歩いていった。

「それにしても、こんなところにこんな家を建ててるなんて、何者なのかね?」

 近場まで来てわかったのだが、ここは森の一角を伐採して作った、半径百メイルはありそうな円形の広場で、家はその中央に建っている。この造りは明らかに、外からの猛獣の侵入を警戒したもので、空き地に作られた畑や、動物の侵入をこばむ有刺鉄線などからも、この家の住人がここに長期間住んでいることは、シルフィードでも容易に推測できた。

「人間にもいろいろと変なのがいるけど、また物好きなのがいたものね。けど、こんなところに、おねえさまがどんな知り合いが?」

 竜が首をかしげているところは、普通はなかなかお目にかかれない貴重なものであろう。とはいえ、そんなもの見慣れているタバサは振り向きもせずに、玄関の前にある小さな階段へと歩いていく。

 と、そのとき家の扉が内側から開き、中から一人の人影が現れた。

「来たね。そろそろだと思っていたよ」

 女の、それも若い声だった。シルフィードの位置からは、家の明かりが逆光になってシルエットしかわからないが、長身で短く刈りそろえた髪が、一瞬少年のような精悍さを感じさせた。

 彼女は階段の前で立ち止まったタバサに向けて、ゆっくりと階段を降りていった。だが、木の階段を下りるときに右足と左足で足音が違う。右足は普通の革靴のものだが、左足は硬い音がする。よく見ると、ズボンのすそから見える足首が木でできている。義足だった。

「また、少し大きくなったかな?」

「……」

 彼女はタバサの前に立つと、手を上げてタバサの頭を豪快になでまわした。

「痛い……」

「おっと、悪い悪い」

 シルフィードはそこで、「おねえさまになにするのね!」と、飛び掛ろうとしたのだが、タバサは嫌がるどころか、感極まったように彼女の胸に飛び込むと、甘えるようにほおをすりつけていった。

「お、おねえさま!?」

 タバサのこんな無防備な姿、召喚されて半年経つけれど一度も見たことがなかった。一番の親友と思っている、あのキュルケの前でさえ、こんな姿は見せないだろう。

 そして彼女はすりよってくるタバサの背中を優しく抱きかかえると、とても穏やかに、母が娘に語りかけるときのように、心を和ませる声色で、タバサの本当の名で迎え入れた。

 

「おかえり、シャルロット」

「ただいま、ジル」

 

 

 続く

 

 

 

 

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第3話  タバサの冒険  群青の狩人姫 (前編)

 第3話

 タバサの冒険

 群青の狩人姫 (前編)

 

 変異昆虫 シルドロン 登場!

 

 

 シルフィードは唖然としていた。

 

「ごちそうさま、おいしかったよ、ジル」

「あいかわらずシャルロットはよく食べるねえ。こりゃ、はりきって野豚を狩ったかいがあったってものだ」

 ファンガスの森の一軒家で、こぢんまりとしたテーブルを囲んで、タバサが皿に山盛りにされていた料理の数々を残さず平らげたのは、いまさら珍しい光景ではない。しかし、食べ終わってニコニコと笑っているタバサは前代未聞だった。

「やっぱりジルの料理はおいしい。この味はほかの誰にも出せない」

「ありがとさん。でも野豚の丸焼きと、保存食とムラサキヨモギやハシバミ草のサラダでそんなに喜んでもらうと、ちょっと後ろめたいかな」

「おせじじゃない。わたしはジルの作ったものが一番好き」

 いつもであったら、タバサはいただきますからごちそうさままで、一貫して無口無表情を貫いて終わる。大食で食べ物の好みもはっきりしているが、何をどこで食べても眉一つ動かさないのに、今はまるで別人みたいだ。

「ふふ、シャルロットはやっぱり優しいね。それに、ずいぶんとたくましくなったし、おまけに友達まで連れて来るようになるとは、魔法学院ってとこも、けっこう楽しいとこみたいだね」

「シルフィードは使い魔。でも、友達……今はいるよ」

「へーえ、そりゃ気になるなあ。聞かせなよ、ていうか聞かせたくて来たんだろ」

「うん、赤毛のこーんな大きな子なんだけど……」

 タバサと、ジルと呼ばれていた女が、まるで家族のように会話をしている姿には、夢でも見ているんじゃないかと、何度ほっぺたをつねってみたことか。

 おまけに、それだけならただの仲のよい知り合いですませられるだろうが、タバサはいつもであったら絶対考えられないようなことを、今シルフィードにさせていた。

「で、この韻竜のシルフィードが、そのキュルケって子とあんたを乗せて今はハルケギニア中を飛び回ってるってわけなのね。あんたってば、すごいすごいとは思ってたけど、なんとまあしゃべれる竜を使い魔にできるとは、もうびっくりだよ。けど、体格はあんたと正反対だねえ、特にこのでっかいお乳とかさ」

「ひゃっ! さ、さわらないでなのね!」

 つんっと、自分の胸を突っついてきたジルの指先から、シルフィードは慌てて両手で胸を隠して逃げ出した。

「あはは、大人びた見かけと違ってうぶだねえ。シャルロット、どうやりゃこれがあんたの妹に見えるんだい?」

「一応、人前で人間に化けさせてるときは、わたしの妹にしてるんだけど、変かな?」

「あんたたちさ、鏡に並んで映ってみなよ。あんたって、昔っから頭は切れるくせにどっか抜けてるんだから、変わらないねえ」

 なんと、驚いたことにいつもは他人にはシルフィードが韻竜であることを決して明かさせずに、しゃべることすら絶対させないタバサが、ジルの目の前では人間に化けさせて、うれしそうに紹介しているではないか。

 

”いったい何がどうなっているのね?”

 

 シルフィードは、さっきから何十回となく自身に問いかけた問題を、頭の中を整理してもう一回最初から考え直してみた。

 

 まず、自分はこのファンガスの森におねえさまのお知り合いがいるということでやってきた。

 それで、このジルという若い人間の女が、そのお知り合いの人で、おねえさまとはすっごく仲がいいらしい。

 

 以上、十も数えないうちに回想は終わった。

 いやいや、そんなことは最初からどうでもいいのだ。問題は、あの寡黙で、口の悪い従姉妹姫からは人形とまで言われてるほど無愛想なタバサが、まるで幼い子供のように楽しそうに話している、このジルという女が何者かということだ。

「最近はもう、のんびり本を読んでる時間もないほど、いろんなことが起こるよ。ジルは、何か変わったことはあった?」

「いいや、最近はもうこの森に出るのもせいぜい狼や熊程度だから平和なものさ。変わったことといえば、こないだ道に迷った旅人を泊めたくらいかな」

 シルフィードは、楽しそうにタバサからキュルケのことや学院でのこと、数々の戦いや冒険の思い出話を聞いているジルを、じいっと見つめて観察してみた。

 

”とりあえず、悪い人ではないみたい。でも、こんな人里離れたぶっそうなところに女の人が一人で住んでるなんて、どういうことなのかしら?”

 

 部屋の壁には、斧や肉厚の短剣、槍や弓などがいつでも使える状態で掛けられて、足元にはなめした熊の毛皮がじゅうたんの代わりに敷いてある。

 それに、ジル自身も引き締まった全身にはぜい肉の欠片もなく、日焼けした横顔にはいくつもの傷が刻まれていて、相当な戦いを潜り抜けてきたことが察せられた。

 

”軍人……いえ、猟師……”

 

 そのどちらかで悩んだが、並べられている武器に人間相手に使うものがほとんどなかったので、シルフィードはそう判断した。

 けれど、女性の猟師は珍しくはないとはいえ、一人で、しかもこんな辺境の地で暮らしているなんて、なにか事情でもあるのだろうか? そして、おそらくは自分を召喚するよりずっと前から、いったいタバサとどんな関係があったのだろうかと、シルフィードはもう少し二人の会話に耳を傾けた。

「そうかい、あんたの母親の心を治す方法は、まだ見つからないか」

「うん、でも……きっと見つける」

「そうだな。しかし、もうあれから三年か、早いもんだ。あたしも、あとちょっとでおばさんって呼ばれる歳だな」

「ごめん」

「あんたが謝ることじゃないさ。これは、あたしが決めた約束だからね。だけど、こんな森の奥にいると、世間からは遠くなるが、ヤプールに、怪獣、超獣、宇宙人、世界の危機なんて、とても信じられないよ……」

「ぜんぶ現実、今は世界中の人々が未知の脅威と戦ってる。ジルにも、わかるでしょう」

「ああ、あのときのことは忘れられないよ。あんたと初めて会った、あのときのことはね」

 タバサとジルは、そこで会話をとぎると、遠い目をして天井を見上げた。

 

”三年前、約束、あのとき……いったい、この二人の過去に、なにがあったのね? うーん! 考えれば考えるほどわからないのね!”

 

 シルフィードは、二人の会話の中に出てきた単語を抜粋してみたが、断片的な情報は、ますます未熟な彼女の脳を混乱させるだけだった。

 ただし、三年前といえば、確かタバサが北花壇騎士に任命されて、危険な任務に従事させられるようになったころのはず、ということはそのころのどれかの任務で知り合ったのか? でも、自分の知る限りにおいて、タバサが任務内で知り合った人と親密な関係をもったことなど一度もない。

 ひょっとして、遠い親戚? いや、全然似ていないし、近しい匂いはまったくしない。じゃあいったい何? この二人は何を隠しているの?

 表情をぐるぐるとめまぐるしく変えたシルフィードは、頭が爆発しそうになるにいたって、とうとう考えるのをやめて、一番簡単な方法をとることにした。

「おねえさま、この人といったいどういう関係なのね?」

「うん? シャルロット、あんたあたしのことをこの子に話してなかったのかい?」

「うん、あのときのことは、ジルと二人で話してあげたかった」

「ふーん。なるほど、信頼されてるね、シルフィードちゃん」

「ち、ちゃんはいらないのね!」

 野性的な色っぽさを持つジルに笑いかけられて、シルフィードは種族が違うというのに一瞬どきりと心臓が鳴ったように思えた。

「ふふ、可愛いねえ、食べちゃいたいくらいだよ」

「ひっ! シ、シルフィーはおいしくないのねー!」

 妖しく視線を向けられて、シルフィードは脱兎のように壁際まで逃げ出して、それを見たジルは腹を抱えて笑った。

「あっははははっ! 冗談に決まってるだろ。いくらあたしが猟師だからって、シャルロットの使い魔を食べたりはしないさ。それにあたしは、ドラゴンってやつが嫌いでね。おっと、あんたは別さ……さてと、それじゃあ少しばかり昔話を聞かせてあげようか、シャルロット」

「うん、三年前のあのとき、わたしがまだ一二歳だったころ……あの、夢のような不思議なときのことを……」

 手作りの木の椅子に背を預けて、ジルとタバサはシルフィードと、それから自分たちに語りかけるように、ゆっくりと、静かに物語りはじめた。

 

 

 それは、今から時をさかのぼること三年前。

 

 当時、ガリア王国には二人の王子がいた。

 長男で、現ガリア王のジョゼフと、その弟で、当時十二歳だったシャルロットの父親であった第二王子のオルレアン公シャルルである。

 この二人は、兄弟でありながら、まったく対照的な存在として世間に認知されていた。

 ジョゼフは生来魔法の才がなく、成人した後でもドットの力すらなく暗愚と呼ばれ、対してシャルルは頭抜けた才覚を発揮し、幼年にしてライン、トライアングルと昇格を続けて、天才との賞賛をほしいままにしていた。

 それは、魔法が使えることが貴族の証とされるハルケギニアでは、人格やその他の才覚をおいて絶対的な評価の差となって現れ、誰もが時期国王はシャルルがふさわしいと考えていた。

 しかし、先王はジョゼフを時期国王にすると遺言を残して、この世を去った。

 それからすぐのことである。シャルルが狩猟会のさなかに、何者かに毒矢で暗殺されたのは。

 犯人は、捜すまでもなかった。シャルルが死んで一番得をするのは、いまだに圧倒的な指示を集めるシャルルに対して、孤立無援に等しい無能王子ジョゼフ。

 だが、残されたシャルロットの母は国が二分される内乱になるのを恐れ、はやる貴族たちを抑えると、罠と知りつつジョゼフの誘いに応じてシャルロットと二人だけで王宮へ出かけて。

 

「わたくしだけでご満足ください。なにとぞ、娘だけはお救いくださいますよう」

 

 それが、シャルロットと母の別れの言葉となった。

 母は心を狂わす毒で正気を失い、娘を認識することさえできなくなった。

 しかも、残されたシャルロットも無事にすむはずはなく、目付け役にされたイザベラから、残酷な命令が与えられた。

 

「ファンガスの森へ行って『キメラドラゴン』を退治してきな。言っておくが、逃げ出したら母親の命は保障しない」

 

 そうして、送り込まれたのがファンガスの森……当時、この森はキメラと呼ばれる凶暴な合成獣たちの巣窟であり、ジョゼフが、イザベラが自らの手を汚さずにシャルロットを抹殺しようと考えていたのは、幼い彼女にも簡単にわかった。

 よだれを垂らし凶悪なうなり声をあげて向かってくる双頭の巨大狼。対抗するにはあまりにもシャルロットは非力だった。

”もうだめだ”

 そのころのシャルロットの稚拙な魔法では傷もつけることはできず、恐怖に支配されたシャルロットは絶望の中で死を覚悟した。

 だがそのとき、絶体絶命のシャルロットを救ったのが、この森を狩場にしていた猟師のジルだったのだ。

 

「どうして、この森をほっつき歩いてたんだい? あんただって、この『ファンガスの森』が、どうなっているんだか知っているんだろう?」

 連れて行かれた、彼女が隠れ家にしている洞窟の中で、シャルロットはうつむきながらジルの話を聞かされた。

 数年前、この森にはとある貴族が魔法生物を研究していた塔があったという。

 その貴族が、何を目的にしてキメラを研究していたのかはもはや知る術もない。だが、研究は失敗して貴族は自ら生み出したキメラたちに殺されて塔は破壊され、解き放たれた異形の怪物たちは野生化し、今やこの森を我が物顔で跳梁跋扈している。

「馬鹿な連中だよ。何がしたかったのかは知らないけど、人間が生き物を簡単に作ったりできるわけないだろうに……それに、さっきの狼なんて序の口だよ。ここにはね、もっとでかい、元がなんだったのかわからない化け物や、キメラドラゴンなんてのもいるんだ」

「キメラドラゴン……」

 倒すべきと命じられた標的の名を聞いて、沈んでいたシャルロットの顔が少し上がった。

 キメラドラゴン、それは火竜をベースにしていくつかの生物を融合させた、キメラたちの中でも最大クラスの大物。ジルも実物は遠巻きに見たことがあるだけだというが、別のキメラさえ餌食にする、とても人間が敵う相手ではないそうだ。

「だから悪いことはいわない、帰りな。見たところ貴族みたいだけど、遊びでどうこうなる相手じゃあない」

 そんなことはわかっている。いいや、キメラどころかただのキツネ一匹にだって、シャルロットは勝てる自信などは微塵もなかった。

 それでも、母の命がかかっている以上、逃げ帰ることはできないシャルロットは「武者修行」と、とっさに言い訳を口にしたが、ジルは大笑いすると彼女に奥から一冊の古びた本を取り出して手渡した。

「この本……怪物たちの、図鑑?」

 それは、ジルがこの森で見つけたという、かつてキメラたちを生み出していた研究者のノートのようだった。

「う……っ」

 ページをめくるたびに、スケッチされたおぞましい姿の怪物たちが目に飛び込んできて、シャルロットは吐き気がこみ上げてくるのを感じた。さっき襲われた双頭の狼の他にも、腕が六本ある熊、尻尾も頭になっている蛇、馬の足を持った虎、おとぎ話で出てくるような怪物たちが紙面を埋めて、その一ページにキメラドラゴンはいた。

 

”こんなの、勝てるわけがない……”

 

 どうすることもできない虚無感がシャルロットの胸を支配した。火竜はただでさえハルケギニアで最強の幻獣とされているのに、それに無数の生物の利点を移植し、強化改造したその姿は、もうごちゃまぜの『何か』としか言いようがない。しかも、ジルの言うところによれば、キメラドラゴンは他の動物やキメラを捕食することによって、遭遇するたびに大型化していっているという。

「な、だから言っただろ? それに、キメラドラゴンさえも、このイカレきった森じゃあ王者じゃあない。あんたみたいな子供には十年早いんだよ。どうせ本当は家出してきたってところだろ? 親父さんやおふくろさんが心配してるよ。森の外まで送っていってあげるから、おとなしく帰りな」

「……いません、父も、母も……」

「なに?」

 そこでようやくシャルロットは、自分の身に起こったことを説明した。

 父が殺され、母も薬で心を奪われて一人きりになってしまったこと、キメラドラゴンを倒せと一人きりで送り込まれてしまったことを。

 ジルはシャルロットの血を吐くような独白をじっと聞いていたが、彼女が話し終わってすすり泣きながら押し黙ると、胸くその悪さといっしょに大きく息を吐き出した。

「ったく、貴族ってのはえげつないことを平気でするね。血を分けた兄弟が、誰がお家の跡取りになるかで殺し合いか。にしても、あんたがこの国のお姫様だったとは、驚いたよ」

「……」

「まったく馬鹿馬鹿しい! 下々の下の下の身分のあたしにはわかんないけど、王様ってのは、そこまでしてなりたいもんなのかい?」

「……」

「ふん、そのあげくがこんな子供を化け物のエサになってこいって、人質までとって森に放り出すとは、どいつもこいつもイカれてる。あんたの親父も、無様な死に方をしたもんだ」

「父を悪く言わないでください!」

 それまで黙っていたシャルロットが、目を赤く腫らしながら叫ぶと、ジルは怒鳴り返すでもなく、つまらなさそうに答えた。

「同じさ、あんたの親父がどんな善人だったかは知らないけど、そんな魑魅魍魎が跋扈する汚い世界にいるってことを知りながら、あんたたちを守りきれなかった負け犬ってことに変わりはない。本当にあんたたち家族を一番に思うのなら、さっさと跡継ぎなんかから引いて、保身をはかってればよかったんだ」

 言われてみれば、返す言葉は幼いシャルロットからは浮かんでこなかった。

 確かに、ジョゼフはシャルルに比べて暗愚と言われてきたが、それは魔法の才に限ってのことであって、知能・体力などの能力は勝る点も多々あった。また、長子が家督を継ぐのが当然とされる習いの中で、無理に次男であるシャルルが競争をする必要が、ガリアの未来のためにあったとはいいがたいだろう。

「な、あんたの親父もどっかでは王様になりたいって野心があったのさ。けど、欲望ってのは強いほうが勝つんだ。中途半端な善人ほど始末に悪いものはない。だがまあ……すんでしまったことはいい。あんた、これからどうするんだい?」

「……」

 しばらくの沈黙の後に、シャルロットが出した答えは、ジルをさらに暗然とさせた。

 

「わたしを、殺してください」

 

 シャルロットは、もう何も考えたくないほど生きることに絶望していた。どうせ、母は助からない、そうすれば今度こそ天国で親子三人楽しく暮らすことができる。

 心の底から疲れきったシャルロットの言葉に、ジルはこんな幼子にそこまでのことを言わせるとはと、多少の同情を覚えなくもなかったが、はっきりと首を横に振った。

「やなこった。人殺しなんて冗談じゃない。死にたければ、勝手に出て行って、あいつらに食われればいい」

「それはいや、あんな化け物に食べられるなんて……せめて、痛くない方法で……」

「はっ、なんて贅沢だい、死に方にまで注文をつけるなんて……」

 ジルが一考だにせず笑い捨てると、シャルロットは小さな声で泣きはじめた。

 

 それから、どれだけの時間が流れたのだろう。

 洞窟の外をカモフラージュする草戸の隙間から漏れこんできた紅い日の光が消え去って、焚き火の灯りだけが薄暗く洞窟の中を照らす中で、二人はじっと焚き火のそばに座り込んでいた。

 ジルは無言のままでシャルロットに毛布をほうり、干し肉をわけてやった。

 それは、シャルロットにとって、はじめての粗末な食事であったが、疲れ果ててからっぽになった胃袋は贅沢を言わずに飲み込んでいき、やがて食べ終わったころを見計らって、ジルはシャルロットに尋ねた。

「あんた、まだ死にたいかい?」

 シャルロットはこくりとうなずいた。

「……わかったよ。そこまで言うなら殺してあげる。あたしは毒にも詳しいんだ。眠ったまま楽に死ねる毒を調合してやる。ただし、ひとつ条件がある。あたしの仕事を手伝ってほしいんだ」

 

 翌朝から、シャルロットはジルについて狩りに出かけるようになった。

 どうしても狩りたい獲物がいるから、それを狩るのを手伝ってくれれば薬を調合してやるというのが、ジルが出した条件だった。

 昨日まで着ていた貴族の服から、ジルの用意してくれた狩猟用の服を着込んで、杖を構えてシャルロットは森の中を歩いていく。

「怖い……でも、がんばらなきゃ」

 勇気を奮い起こして、シャルロットはキメラの潜んでいる洞穴に向かって呪文を唱えながら忍び寄る。杖の先には小さな氷の鋭い塊ができていた。『氷の矢』という、シャルロットが唯一使える攻撃魔法であった。

 ただし、それは普通の動物はまだしも、キメラ相手に使うにはあまりにも小さく非力だったので、目的はキメラを倒すことではない。

 

「いいかい、キメラの皮膚の分厚さと生命力はドラゴンにも匹敵する。なにせ元々そういうふうに作られてるんだからね。だから、あんたはその魔法をぶち込んで、奴を怒らせておびき出してくるんだ。とどめは私がやる」

「つまり、囮ね。でも、そんな相手に、ジルはどうするの?」

「ふっ、安心しな。あたしは魔法は使えないが、それなりに知恵は働くからな」

 

 そうして、シャルロットはなんとかキメラを穴から引きずり出した。

 出てきたのは、昨日のノートにもあった、真っ赤な毛で全身を包み、角を生やした巨大なヒヒだった。怒りに燃えたヒヒのキメラは、シャルロットを見つけると、激昂して襲い掛かってきた。

”イル・フラ・デル・ソル・ウィンデ”

 フライの魔法で、キメラの攻撃をかわしてシャルロットは待ち伏せ地点までキメラを誘導した。

「ジル、今!」

 あとはあっけなかった。トラップにはまって身動きがとれなくなったキメラは、ジルの特製の爆薬を仕込まれた矢を頭にぶち込まれて、頭部を粉々にされてひとたまりもなく絶命したのだった。

「その矢、すごい威力ですね。わたしの魔法なんか、足元にも及ばない」

「私が考えたのさ。キメラを相手にするには大砲でもほしいところだが、こちとらただの人間である以上、知恵をしぼらないとね」

 はじめて共同でしとめた獲物を前にして、二人は顔を見合わせて笑いあった。

 父が死んでから、シャルロットが見せる初めての笑みであった。

 

 それから四日間、シャルロットは見事に囮役を勤め上げた。

 二人の連携も回を追うごとに密になっていき、倒したキメラの数も両手の指に余るほどになっていった。

 また、シャルロットの魔法の実力も実戦を繰り返すうちに次第に磨かれていき、フライの飛翔能力の速度と瞬発力、氷の矢もキメラに手傷を与えられるほどには強力になっていた。

 けれど、幸か不幸かその間に肝心のキメラドラゴンには一度も遭遇する機会はなかった。

「おかしいね。これだけ動き回ってれば、気配くらいは感じてもいいはずなんだけど……」

 キメラドラゴンは、遠目からだが観察を続けた経験上、この森を獲物を求めてある一定の周期で徘徊しているのがわかっている。なのに、うなり声はおろか足跡や糞すら発見することはできず、最初は単なる偶然かと思ったが、さらにそれから三日が過ぎても遭遇がなかったので、ジルもさすがに不審がりはじめた。

「もしかして、森の外に逃げ出したんじゃ」

「いや、キメラも異形になってしまったとはいえ動物としての本能は残ってる。奴にとってテリトリーであるこの森から、出て行くとは考えられない」

 考えてみれば、火竜山脈の火竜だって、よほどエサに窮したときくらいしか住処である山脈から離れていくことはない。それに対して、いくら自分とジルが大量のキメラを倒したとはいえ、キメラドラゴンにとってファンガスの森にはまだ充分な数の獲物がいるはずだ。

 その後、二人は狩りの範囲を広げていったが、それでもキメラドラゴンと遭遇することはなかった。

 

 いつの間にか、狩りを始めてから二週間の時が流れていた。

 

「まいったね。ここまで来ても、足跡も見当たらないとは」

 すでに三十体ものキメラを共同でほふったジルとシャルロットは、隠れ家の洞窟を遠く離れて、ファンガスの森の中で唯一開けた空間にいた。

 ここは、最初のジルの話にも出てきたキメラを研究していた貴族の塔があった場所だった。むろん、キメラが脱走した際に崩壊し、現在は跡形もなく瓦礫が散らばるだけの廃墟となっている。

「ここで、キメラたちが生まれた……」

「ああそうさ、あんたに見せたノートを拾ったのもここだった。まあ見てのとおり、今じゃあ何があったかすら見当もつかない、岩と鉄くずの山だがね」

 涼しげな風が、シャルロットの何倍もある巨大な岩塊の山のあいだをすり抜けて、ジルとシャルロットのほてった肌を優しくなでていった。

 二人は、遠出の疲れから瓦礫の上に腰を下ろすと、用意してきた乾パンや干し肉の遅い昼食をとった。

 この時期になったら、シャルロットも粗食にもすっかり慣れ、積み重ねた戦歴と比例するように、猟師の服も倒したキメラの返り血が、勲章のように全身を染めていた。

 それから二人はしばらく無言で、それぞれの分の弁当を口にしていたが、半分ほど食べ終わったところで、シャルロットは尋ねた。

「あの、ジルさん」

「なんだい?」

「そろそろ、薬を……」

 するとジルは呆れたようにため息をつくと、乱暴に干し肉を食いちぎって言った。

「まだ死にたいの? そろそろ諦めたと思ってたよ。あんたもけっこう強情だねえ」

 シャルロットはぐっとこぶしを握り締めた。

「約束したじゃないですか」

「あんときは、ああでも言わなきゃ、あんた納得しなかったろ。それに、第一あんたはあたしとの契約を果たしていない。それじゃあ是も非もない」

 正論だった。約束を果たした後でなら、強行に出ることもできるが、そもそもジルとした約束を果たしていない状態なら、ジルも約束を守る筋合いはない。いや、それ以前に、幼いシャルロットは、ジルのターゲットそのものを聞いていないことに、今頃気がついた。

「ジルの、倒したい相手って……どのキメラなの?」

 すると、ジルは残っていた乾パンを水で一気に流し込むと、吐き捨てるようにその名を口にした。

「キメラドラゴン……」

「えっ?」

 一瞬、聞き違いかと思った。けれど、ジルは憎憎しげな眼差しで、乾いた廃墟を睨みつけると、足元に転がっていたなにかの破片を拾い上げて、遠くに投げ捨てた。

「いや、キメラドラゴンだけじゃない。この森のキメラすべてを殺しつくすまで、あたしはこの森を出るつもりはない」

 今まで一度も見たことのない、触れれば切れるほどに鋭い目つきのジルがそこにいた。そして、ジルのその峻烈ともいえるほどに殺意に満ちた決意の源泉が、憎悪にあることは、シャルロットにも肌で伝わってきた。

「ジル……」

「シャルロット、あんたの身の上に起きたことは同情する。けど、やっぱりあんたは甘えてるんだと思う。心を狂わされたって、あんたのお母さんはまだ生きてるんだろ? だったら戦いな、戦って、お母さんを奪い返してみなよ!」

「でも、わたしの力なんかじゃあ」

「そんなことはないさ。あんたには、あたしなんかよりずっと強い”矢”がある。今じゃあキメラさえ倒せるようになった。昨日使えるようになったの、なんていったっけ?」

「ウィンディ・アイシクル、水蒸気を氷結させて、氷の矢を無数に作り出す魔法」

「そう、そんなすごいのをあんたはたった二週間で使えるようになった。だから、できるさ。こんなところで地をはいずってるあたしよりも、あんたはきっといつかもっと高いところを飛べるようになる」

 その、物悲しげで、どこかうらやましそうなジルの眼差しに、シャルロットは自分と同じものを感じて、尋ねてみた。

「ジル、ジルはどうしてキメラを……?」

「……三年前、あたしが十六歳のころのことさ」

 だが、ジルの告白は第一小節から先に進むことはなかった。そのとき、瓦礫を通して彼女たちの足元から突き上げるような衝撃が襲ってきて、続いて森全体が突風に吹かれたかのように揺らいだのだ。

 

「これは……まさか!」

 

 ジルの表情が凍りついた。衝撃は、その一度だけで終わらずに、二度、三度とおよそ一秒ほどの間隔をおいて規則的に伝わってくる。

「なに? まるで、足音みたい」

「ちぃっ! よりにもよって、隠れるよ!」

 血相を変えたジルは、シャルロットの手をつかむと、痛がる彼女を無視して強引に手近な瓦礫の影に伏せさせた。

「なに? なんなの?」

「しっ、隠れてな。来るよ、この森のボスが」

「ボスって……キメラドラゴン!?」

「いや、違う! そんな生易しいものじゃない」

 今のジルの顔には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。そう、絶対にかなわない天敵と出会ったときの、獲物になるしかない動物と同じ目。

 足音は、次第に大きくなりながら廃墟のほうへと近づいてきて、森の影からその持ち主の姿が現れたとき、シャルロットはジルにしがみついてがたがたと震えていた。

「な、なにあれ……」

 最初に見えた顔は、例えるならばカマキリの顔を鋭角にしたような、肉食昆虫のようなもので、鋭い牙と緑色に光る複眼がついていた。

 しかし、昆虫ではありえないことに、そいつは直立して二足歩行をし、普通の昆虫についている六本の足のうちの中央の二本がない代わりに、人間の腕のように前に突き出た前足の先には鋭いハサミがついている。

 いや……それだけならば、この森のキメラのほうがもっと異形と呼んでよく、そいつは全身を鎧のように覆った外骨格と合わさって、洗練された姿と呼べなくもない。異常なのは、そのサイズであった。

 目測でも、その怪物の全長は少なく見積もっても六十メイルは軽くある。ノートで見たキメラドラゴンでも全長は十メイルに満たず、スクウェアクラスの土メイジが作る最大級のゴーレムでも、二十から四十メイルが限度とされていることからしても、文字通りケタが違いすぎる。

「ジル! なんなのあれ? あれもキメラなの?」

「わからない……けど、絶対に見つかるな。森のキメラも、あいつにだけは手を出さない」

 巨大な昆虫の怪物は、森の木をへし折りつつ廃墟の中に足を踏み入れ、岩塊を踏み潰しながら二人のすぐそばを通り過ぎていった。

「大きい……まるでお城が、動いてるみたい」

 これまで見たキメラたちとは威圧感の格が違った。震えるシャルロットに背を向けて、怪物は廃墟の一角を前足で掘り返すと、そこから出てきたパイプを破って、中から湧き出してきた緑色の液体を飲み始めた。

「何かを飲んでる?」

「ああ、あいつはたまにここに来ては、あの液体を飲んでるんだ。多分、やつのエサなんだと思うんだが……これを見てみな」

 ジルは懐から、先日のものとは違う本を手渡した。

 それには、キメラたちとはまったく違う怪物たちが無数に描かれた、一種の図鑑のようなもので、驚くほど精巧な絵が描かれていた。ざっと見ると、だいたい前編と後編に分かれており、前編はまだら模様を体にあしらった二足歩行の竜とワイバーンから始まって、どす黒い巻き貝から逆さまになった頭と巨大なハサミを生やした怪物で終わり、後編は全身が岩でできたクモから始まり、背中に鋭いとげを無数に生やした見るからに凶暴そうな竜で終わっていた。

「それも、ここで拾ったものなんだけど、どうやら奴らはキメラとは別になにかの研究をしていたらしい。それの、後編の最初のあたりだよ」

「うん……あっ、これね」

 言われたとおりにページをめくると、そこには例の恐ろしく精巧な絵とともに、この昆虫の怪物が確かに載っていた。ただし、説明文はガリア語ではない見たことのない言語で書かれていて読み解くことはできなかったので、シャルロットは短くスペルを唱えて、もう一度そのページを眺めた。

 魔法の光がシャルロットの目を覆い、彼女の目には不確かな記号にしか見えないその文字を、ハルケギニアの意味にして脳へと伝達していく。

「変異昆虫……シルドロン。高純度液体エネルギーを好んで飲み、全身を強固な外骨格で覆い、さらに両腕の装甲を盾の様に使って攻撃をかわす怪獣って書いてある」

「えっ! あんた、読めるのかい!?」

「いいえ、リードランゲージっていうコモンスペル。読めない文字を解読できるの」

「はあ、まったく魔法ってのはすごいものだね」

「ジル、どうしよう?」

「どうしようって、相手が悪すぎる。逃げるよ、こっそりとな」

 普通のキメラだって、入念に作戦を練って、罠を用意して戦うというのに、十倍以上の巨体の怪物に、無準備で戦えるわけはない。第一、キメラと違ってあれは戦うべき相手ではない。

 

 しかし、彼女たちは知らなかった。

 

 この瓦礫の数十メートル下……地下ではまだ研究所の施設の一部が生き残っており、度重なるシルドロンのエネルギーパイプからの吸収に、ついにエネルギー欠乏をきたした機械群が、非常システムを作動させていたのだ。

 

”高純度エネルギーパイプ破損、研究所内エネルギー、レッドラインまで降下……緊急避難エノメナシステム作動、補助動力ネオマキシマオーバードライブ作動開始。これより本研究所は三百秒後に半径三十キロメートル四方を亜空間転移して撤退します。転移座標ザリーナポイント001、転移計算開始……エラー、エラー、計算に失敗、転移座標算定不能……”

 

 ハルケギニアにあるはずのない機械が、電子のうなりをあげて始動し、時空間に膨大なエネルギーを注ぎ込んで歪めていく。それに、シャルロットとジルも、シルドロンも、森に残ったキメラたちも気づいていない。

 

「音を立てるなよ。奴が食い物に夢中になってるうちに、森の中に隠れるんだ」

「うん……」

 

 勝負にならない敵から逃げるのは恥ではない。自分の牙が届く範囲もわきまえず、銃口の前に飛び出す狼は豚となんら変わりはない。二人は息を殺して一歩一歩瓦礫の中を忍び足で進んでいく。

 

 だが、そのときにはすでに手遅れで、この世界で作られた、この世界のものではない技術の産物の装置は、製作者が万が一の場合には研究所ごと逃げられるようにとプログラムして、結局役に立たなかった最後の命令を今になって果たそうと、エラーを出し続ける座標計算を続けながらエネルギーチャージを続け、そして最後のカウントの時が刻まれた。

 

”5、4、3、2、1、ワープします”

 

 そのとき、ファンガスの森全体を光が包み込んで、一瞬で消えた。

 

「今、なにか光った?」

「ああ……気のせいか」

 

 このとき二人にもう少し余裕があれば、空が曇り空から晴天に変わっているのに気がついただろう。けれども、すぐにジルとシャルロットは大変な危機に見舞われて、その余裕を失うことになった。

 

「……っ! やばい、見つかった!」

 パイプからたっぷりと高純度エネルギーを飲み干したシルドロンはむくりと起き上がると、食後のひと運動と、手ごろなおもちゃとばかりに二人に向かって襲い掛かってきたのだ。

「走れ!」

 瓦礫を飛び越え、森の道なき道を二人は必死で逃げた。けれども、怪獣は逃げ隠れする二人をまるで森の木をすかして見えているように、いくら隠れても見つけ出してきた。

「ジル、なんであいつはわたしたちが見えるの!」

「わからない! 匂いか音か。でも、やろうと思えばすぐにあたしたちを殺せるはずなのに、あいつ、あたしたちで遊んでやがる」

 実は、シルドロンの頭部には、第三の目のような発光器官が備わっていて、これが極めて鋭敏なレーダーの役割を果たす。しかも、大量のエネルギーを吸収したためか、奴はまるで疲れを見せない。

 

 そして、日が地平線上に傾き、森を紅い光が照らす時間になるまで、二人は追ってくるシルドロンから逃げ続けた。

 

「はあ、はぁ……ジル、もうわたし走れないよ」

「弱音を吐くんじゃない。畜生、虫けらなんかに踏み潰されるなんて、あべこべじゃねえか」

 心身ともに疲労しきった荒い息の中で、ジルは倒れそうになっているシャルロットを助け起こしながら毒づいた。

 腹を満たした猫はネズミをすぐに殺さずに手の中で死ぬまでもてあそぶというが、いざ自分がその立場に立つとうれしいものではない。それに、四、五時間に及ぶ逃避行で、さしものジルの体力も尽きてきた。

「こうなったら、二手に分かれよう。あんたは魔法でさっさと飛んで逃げな!」

「そんな、ジルを置いていけないよ!」

「バカっ! そんなこと、危ない! 前」

 ジルが叫んだときには遅かった。シャルロットは森の木々のあいだに密集していたつたに正面から突っ込んで、完全に全身をからめとられてしまっていた。

「う、動けないよ」

「ああもうっ! 動くなよ、すぐに助けてやるからな」

 舌打ちすると、ジルはブーツからナイフを取り出して、シャルロットをからめとっているつたを切り裂いていった。しかし、つたは硬い上に数が多く、ナイフが刃こぼれするばかりで作業がいっこうにはかどらない。

「畜生、こいつが」

「ジル、怪物が来るよ、もういいよ。逃げて!」

「バカ! あたしよりずっと小さいくせに何気を使ってるんだい。絶対に助けてやる、助けてやるからな」

 鬼気迫るとさえ言えるジルの表情に、シャルロットは見ず知らずの自分のためにどうしてそこまでしてくれるのかと思った。

 けれど、ジルがつたを切り裂くよりも早く、もう遊びにも飽きたのかシルドロンの巨大な足が迫ってきた。

「きゃあっ!」

「くそっ!」

 とっさにジルがシャルロットを守るように覆いかぶさった。けれど、そんなものではあの何万トンという巨大怪獣の重圧から守りきれるはずがない。シャルロットは思わず死んだ父親に向けて祈った。

 

 そのときだった! 突然シルドロンの額についている発光器官が光って、奴が反射的に上げた左腕の装甲に光り輝く青い球体が飛んできたかと思うと、装甲ではじき返されたそれは強烈な衝撃波を呼び、つたを引きちぎって二人を地面に叩き付けた。

「きゃあっ!」

「うっ……」

 激しく背中を打ちつけたジルはそのまま気を失い。シャルロットも、咳き込んで薄れゆく意識の中で、わずかな気力を奮い起こして顔を上げて……見た。

 

 連射されてきた無数の青い光球を、シルドロンは両腕の装甲を使ってガードし、立ち向かってきた何者かと戦いに望んだ。

 だが、勝負は一瞬だった。

 鋭い刃のような光が二回閃いたかと思うと、シルドロンの自慢の強固な両腕が肩口から切り裂かれて宙を舞っていた。

 悲鳴をあげたシルドロン。そして青く輝く光の束がその腹に打ち込まれたとき、シルドロンは爆発を起こして粉々に吹き飛び、その爆風にあおられてシャルロットは、最後に自分たちを見下ろしてくる何者かの視線を感じながら、完全に意識を失った。

 

 

「う……」

 それからどれだけ時間が過ぎたのだろうか。意識を取り戻したとき、シャルロットはすっかり闇のとばりに覆われた森の、どこかの場所に寝かされていた。

 うっすらと目を開けて周りを見渡すと、目の前には焚き火がたかれており、ジルは少し離れた場所に寝かされていて、シャルロットはほっとしてさらに周りを観察すると、一人の人影が視界に入ってきた。

”誰……?”

 まだよく動かない体の中で、瞳だけを動かしてシャルロットはその人影の動きを追った。

 こちらに背を向けているので顔は見えなかったが、黒髪の長身の男性らしく、ジルに負けないくらい引き締まった体格が目を引いた。

 ただ、こんな危険な森にいるというのに、彼は武器どころかほとんど手ぶらの状態で、服装も街中で身につけているような極めて軽装なものだった。

”王家の、回し者?”

 シャルロットはそう考えたが、すぐにその答えを否定した。もしも、ジョゼフかイザベラの息がかかった者であったら、自分を生かしておくはずがない。即座に始末して、キメラの仕業としてしまえば全部片がつく。

 けれど、味方だとしてもこの森には自分やジルのような人間以外は近づかないし、オルレアン派の貴族は全て抑留されるかしたはずで、助けに来てくれるはずがない。

 でも、答えはわからなかったがシャルロットは安心した。自分とジルの傷には、彼が巻いてくれたのであろう包帯が白い肌を見せており、彼が悪意の人間ではないということがわかっただけで充分だった。

 あの怪物はどうなったんだろう? 自分たちはどこまで逃げてきてしまったのか? ガリアは今どうなっているんだろう? 安心したとたん、様々な疑問が頭の中に浮かんできたが、ほっとしたとたんにまた襲ってきた睡魔に次第にまぶたが重くなっていく。

”いいや……目が覚めたら、聞いてみよう……”

 

 まぶたを閉じ、シャルロットは彼の持っていた銀色の箱から聞こえてくる不可思議な声を子守唄にして、また眠りの中へ落ちていった。

 

 

”AAB・アルバータ州総合ラジオ放送、臨時ニュースを申し上げます。先日、日本・東京に出現しました地球外生体兵器は、コードネームを【コッヴ】と呼称することが発表されました。それと並行し、世界各国政府は、現在地球へ迫りつつある脅威から地球を守るべく、秘密裏に地球防衛連合G.U.A.R.D.を設立していたことを発表しました。これについて、本国政府の対応は……”

 

 星空と、たった一つの月の下で、過酷な運命を背負わされた少女の最初の冒険は、幸せな小休止を迎えていた。

 

 

 続く



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第4話  タバサの冒険  群青の狩人姫 (中編)

 第4話

 タバサの冒険

 群青の狩人姫 (中編)

 

 ハイパークローン怪獣 ネオザルス 登場!

 

 

「シャルロット、起きろシャルロット」

 深い眠りの中から、自分の名を呼び覚ます優しい声。シャルロットは、父と母といっしょに屋敷で幸せに暮らしていたころの夢の中から、まぶたに染み入ってくるまぶしい光に引き上げられるように、現の世界に帰ってきた。

「う……ん……おかあさま?」

「ん、なに寝ぼけてるんだよ。あたしだよ、しゃきっとしな!」

 半目を開けていたところを、両ほほをはさみこむようにはたかれて、シャルロットは痛みでびっくりすると同時に、一気に思考を覚醒させた。

「はっ! ジ、ジル?」

「そうだよ、もうとっくに朝だよ。ふふ……それにしても、あたしをお母さんと間違えるなんて、よほどいい夢を見ていたんだね」

 水筒を手渡されたシャルロットは、ただ赤くなって、ごまかすように無言で水を飲み干した。

 あたりはすっかり夜が明けて、樹上の隙間から朝日が木漏れ日となって差し込んでくる。シャルロットは、目が覚めて昨日のことを思い出していったが、完全に燃え尽きた焚き火の跡がそこにあるだけで、昨日の男の姿はどこにも見えなかった。

「あの人は……どこ?」

「うん? いや、あたしが目が覚めたときにはもう誰もいなかったよ」

「そう」

 多分、夜のうちに立ち去ったのだろう。いろいろ聞きたいこともあったが、それよりも一言お礼を言いたかったのにと、シャルロットは残念そうにうつむいた。

「何者かは知らないけど、おかげで命拾いしたようだね。さあ、朝食をとったら出かけるよ」

「出かけるって、どこへ?」

「キメラ狩り、ほかに何があるんだい」

 すでに荷物を片付けて、武器に磨きをかけているジルは、道具袋の中に残っていた乾パンと干し肉を二つにちぎって、半分ずつをシャルロットに渡した。

 粉っぽさと、しょっぱさが強いこの味も、もうすっかりと慣れていた。父が殺されたのは、ちょうど十二歳の誕生日の日だったけれど、母が用意してくれていたドラゴンケーキは結局一口も食べられなかった。

 ドラゴンケーキの代わりに、こんな森の奥でキメラドラゴン退治をやっている自分の境遇が、いまだに信じられないからあんな夢を見てしまうのだろう。できれば、ずっと目が覚めずにいてほしかった。

「ねえ、ジル」

「うん?」

「ジルのお父さんやお母さんは……?」

「……」

 答えがないことが答えだった。

 二人は、それから押し黙ったまま残りの食物を胃袋に放り込んで、水で口の中をゆすいでしまうと、それぞれ弓と杖を持って立ち上がった。

「じゃあ行くか、今日こそキメラドラゴンのやつを見つけ出さないとな」

「うん!」

 それから二人は、昨日わき目も振らずに逃げ回った跡をたどりながら、遭遇した何体かのキメラを倒していった。

 二人とも一晩ぐっすりと休んだおかげか、体調は万全で、小型のキメラならば罠を張らずに仕留められるようになっていたが、それにはシャルロットの成長が著しかったのが大きい。

 唯一の攻撃技だった『氷の矢』は大木を貫通できるくらいにまで大きく鋭くなり、『ウィンディ・アイシクル』を使えるようになったのをきっかけに、本来の彼女の系統である風の基本スペル『ウィンド・ブレイク』『エア・カッター』なども、不器用ながらも使用ができるようになっていた。また、『フライ』での飛行速度と機動力も鳥に迫るのではないかと思うくらいに上達し、ジルを驚かせた。

 元々持っていた才能が、命を懸けた実戦の中で目覚しいまでの速さで開花していくのには、戦い方を教えているつもりのジルが、今では舌を巻くくらいのものがあったのだ。

 そして、シャルロットの『ウィンディ・アイシクル』で、全身を蜂の巣にされて大木に磔にされた大熊のキメラを見上げて、ジルはこれはもう自分が教えることは何もないんじゃないかと、軽く苦笑するのだった。

「さすがだね。やっぱ、王家の血筋ってものは伊達じゃないか」

「ううん、わたしはこれまで、どんなに練習してもこんなに魔法が使えるようにはならなかった。家庭教師の先生が言ってたけど、同じ系統でもメイジによって移動や治癒、観察や操作とか得意分野ができるんだって。だから、わたしはきっと『攻撃』が得意なタイプのメイジなんだと思う」

「ふーん、なるほどね。メイジにも、得手不得手があるわけか」

 ジルは、なんとなくだがメイジにも個性というものがあるということだけは理解した。

 だが、シャルロットは自分の才能がすごい速さで開花していっているというのに、まったくうれしそうな顔をしないので、ジルは怪訝な顔をして尋ねた。

「どうしたんだい? うかない顔して、こんなすごい魔法が使えるようになって、うれしくないのかい?」

「こんな魔法があっても、お母さまを助けられない。もっと強力な治癒の力があったらよかったのに……」

「そうか……でもな、その力があれば、いつかあんたの母さんを力づくで奪い返すときに、役に立つだろうよ。そう思えばいいんじゃないか?」

 すると、シャルロットは静かに首を振り、初めて『氷の矢』を覚えて、喜んで母にほめてもらおうとしたときに、厳しく教えられた言葉を繰り返した。

 

”いい? シャルロット、どんなに優れていても、どんなに華麗に見えても、『人殺しの技術』というものは、決して自慢するべきものではありませんよ。自分の持つ力が人間に向けられたときにどんな結果が起きるのかを、考えることもできなくなったものは、必ずいつか人を不幸にしてしまいますからね”

 

「だから、わたしはうれしくても喜ばない。喜んだら、わたしは魔法で母の心を狂わせたあいつらと、いっしょになってしまう」

「そうか……そうかもな」

 ジルは、シャルロットの言葉を否定はしなかった。どんなに突き詰めても、『殺し』の技術は相手を不幸にする技術には違いない。それを忘れて、戦いの華麗さにのみ目を奪われた人間が、平気で戦争などを起こすのだろう。

 けれど、ジルにも命を奪って生きていく狩人として、殺しの技術が単なる嫌悪の対象で終わることは、許容できなかった。

「でもなシャルロット、戦わなければ自分や自分の大切なものが不幸になってしまうこともあるってことは、お前もわかるだろう?」

「うん」

「生きるってことは、誰かの命を奪うっていうこと。おかげで、狩人の本分を久々に思い出したよ。これまでも、そしてこれからもね」

「うん……だからわたしも、いつか生きるために、伯父を……殺す」

 それは、シャルロットが初めて冷たい復讐の感情を、表に表した瞬間だった。

 伯父と父のあいだに何があったかは知らない。おそらく伯父にも、言い分はあるだろうが、それで納得することはできない。父を殺し、母を狂わせた憎い男、今は無理でも、いつか必ず。

 しかし、そのためにこんな強力な魔法の力が与えられたのだとしたら、なんと悲しいことなのだろうとも、彼女は思う。復讐の意思に呼応して目覚めた殺しの技。自分はいったいなんなのだろう。

「わたし、こんな思いをするくらいなら、魔法の力なんていらなかった」

「持って生まれたものは、自分じゃどうにもできないさ。だからといって、泣き言を言っていたって始まらない。行くよ、あんたがこれから何になるにせよ、答えは前にしかないんだからね」

「うん」

 涙を拭いて、シャルロットはジルに続いて、森の木の根っこを飛び越していった。

 

 ただ、実はシャルロットがうかない理由はもう一つあった。

 

”空気が……違う”

 

 風の系統に本格的に目覚めてきたからか、シャルロットの五感は敏感に森の空気の変化を感じ取っていた。

 言葉には言い表せないが、とにかく昨日と今日では空気が違う。まるで、森ごと別の場所に移ってしまったかのようだ。

 

 けれども、そうした違和感を感じつつも、シャルロットはジルとともに、遭遇したキメラを次々と撃破していった。どうやら、連日の狩りで大型のキメラはほぼ狩りつくしてしまったらしく、猿、犬、蛇、どれももはや二人の敵ではなかった。

 だが、調子に乗りかけていた二人の前に、突如森が開けて恐ろしい光景が飛び込んできた。

「うっ!」

「ぐっ! ひ、ひでえ」

 森の木々が幅数メイルに渡ってなぎ倒され、巨大な道ができたところに、無数の生き物の死骸が散乱していた。キメラだけではなく、普通の狼や熊などの動物もいる。しかも、それらのほとんどは体のほとんどを食いちぎられ、引き裂かれて原型をとどめていない。

 あまりに凄惨な光景に、シャルロットはたまらず嘔吐しそうになった。

「キメラドラゴンだ。こんな真似をするやつは、ほかにはいない」

 これが……キメラドラゴンの仕業? シャルロットは話から想像していたが、目の前の光景は、少女の乏しい想像力の範囲をはるかに超えていた。

「死骸の状態から見て、通り過ぎたのは三、四時間前か……とうとう見つけたよ」

 この森で倒すべき、最後の大物の尻尾をつかんだことに、ジルの目が鋭く輝く。けれども、延々と続く屍で舗装された道に、シャルロットは震えて動けないでいた。

「シャルロット、あんたはもうここまででいい、すぐに帰りな。そして、お偉いさんには自分が倒しましたと報告すればいい。奴は、あたしが刺し違えてでも倒す」

「そんな! 一人でだなんて無茶だよ」

「無茶でもなんでも、あたしはこの森のキメラを全滅させるまで、森を出ないって決めてるんだ。そして、これが最後なんだよ!」

 ジルの様子がいつもと違った。冷静沈着で、常に計算づくで動く彼女が、なにかに責め立てられているかのように焦っている。ただの意地やこだわりではない、もっと切羽詰った何か。

 そういえば、ジルはキメラドラゴンを倒したいと昨日も言っていた。しかし、あれはどう考えても普通の人間が太刀打ちできる相手ではない。実際、ジルもこれまでは遠巻きに見ているだけだった、それなのに。

「教えて、キメラドラゴンとのあいだになにがあったの?」

 するとジルは搾り出すように言った。

「あいつは、あたしの家族の仇なんだ」

「えっ!?」

「三年前、あたしの家族はこの森で狩りをして生計を立てていた。貴族の研究所があるっていうんで、仲間の猟師も誰も寄り付かなかったから、獲物には不自由しなかったからね。けれど、世の中はどこかで帳尻が合うようにできてるらしい。ある日、外から帰ってきたあたしがこの森にあった屋敷に帰ってきたとき……屋敷は跡形もなく破壊されて、あとには家族だった”モノ”が転がっていた」

 冷たい声で、淡々とジルは続けた。

「まったく、いいように食い荒らしてくれてたよ。父は下半身がなかった。母は内臓を食われてからっぽだった。妹は、手が一本しか残っていなかった」

 シャルロットはめまいがして倒れそうになり、ジルに肩を支えられてなんとか立っていた。

 現実と思いたくなかった。そんな残酷な光景、想像することもできない。

「それを、キメラドラゴンが?」

「ああ、壊れた屋敷に残されていた巨大な爪痕、あんな馬鹿でかいのはほかに考えられない。それに、いくらふいを打たれたって、父も母も手だれの猟師だ。それが手もなく倒されるなんて、それほどのキメラはほかにいないさ!」

 今のジルの目は、憎しみのどす黒い炎が燃え滾っているように思えて、シャルロットは身震いした。

「ふん、そりゃあこっちだって食うために動物を狩ってたんだ。お互い様といっちゃあそれまでだけど、そんなんで納得なんてできるわけないだろ」

「だから、ずっと敵討ちの戦いを」

「そうさ、たった一個残ってた妹の手は、弓を握ってた。あんとき、あの子はまだ十歳だった。生きてたら、あんたより一個年上だね。とても弓なんか引ける力があるわけはない。なのに、戦おうとしてたんだ」

 使い込まれた弓を握って話すジルの手は小刻みに震えていた。三年前、ということはジルは三年ものあいだ、この薄暗く殺意に満ちた森で、たった一人で戦い続けていたのだろうか。

「ジル……」

「そして、あたしはみんなの仇のキメラどもを皆殺しにしてやろうと、この森にこもって戦ってきた。妹が撃てなかった矢を、キメラドラゴンの心臓に突きたててやるために」

 そのとき、シャルロットはジルの顔に懐かしさにふれたようにほころびが浮かんだのを見て、はっとした。

「もしかして、わたしを助けてくれたのは、妹さんの……」

「違う、といえば嘘になるな。最初助けたのは偶然だったけど、面倒みてるうちにいつのまにか、妹が生き返ったように思えてきたのさ……本当に助けられてたのは、あたしだったんだよ」

 ジルの目には、それまで抑えていた感情が大粒の涙になって零れ落ちていた。

 三年ものあいだ、この殺意に満ちた森でたった一人きり、復讐の二文字のために押さえ込んでいた孤独感が決壊したとき、ジルもまた一人の少女に戻っていた。

「けれども、あたしには勇気がなかった。出会ったら殺してやるつもりだったけど、あいつの恐ろしい姿を見たら、怖くてどうしても近づけなかった。だから、別のキメラを代わりに殺して、三年も自分をごまかし続けてた……でも、もうあたしは逃げない!」

「だめだよ! 二人でだって敵うかわからないのに、死んじゃうよ」

「大丈夫、あたしだって自殺するつもりはない。いつか使おうと思って、用意してた切り札がある」

 ジルは、背負った矢壷の内側を破って、一本の小ぶりな矢を取り出した。矢じりが、氷の塊のように青白い輝きを放っている。

「”凍矢”(アイス・アロー)っていうんだ。金貨二十枚もしたマジックアイテムだけど、命中したらどんな大きな相手でも氷の塊にできる。ただ、万一外してしまうのが怖くて、これまで使わなかったけれども、あんたのおかげで勇気が出た」

「わたしの……?」

「そうさ、あんたがあの怪物に踏み潰されそうになったとき、あたしは久しぶりに自分の命を省みずに動くことができた。自分以外の誰かのために、そんな気持ち、ずっと忘れてたのに。だからキメラドラゴンはあたしが倒す。あんたはこれ以上、危ない橋を渡っちゃいけない」

「そんな! だめ、絶対だめ」

「……ありがとう、そうして誰かに心配してもらえるなんて、本当に久しぶりだ。でも、だからこそ何も姉らしいことをできなかったあの子のためにも、あんたのためにあたしの命を使わせてくれ」

「でも、でも……」

「勘違いするなよ。あたしはうれしいんだ。あたしの私怨が、あんたを助けることにつながる。じゃあ、元気でな、シャルロット」

「え?」

 問い返す暇もなく、ジルのこぶしが当て身となってみぞおちに食い込み、全身の力が抜けたシャルロットは枯れ葉の上に崩れ落ちた。 

「生きて帰れよ。そして、いつかお母さんの心を必ず取り返すんだ!」

「待って、待ってジル!」

 慌てて追いかけようとしても、体がしびれて起き上がることすらできないでいるうちに、すでにジルの姿は森の奥へと消えてしまっていた。

 恐らく、ジルは本気でキメラドラゴンと刺し違えるつもりだ。そして、そんな悲壮な決意をさせてしまったのは自分なのだ。絶対に止めなくてはならない。ジルを犠牲にしてキメラドラゴンに勝てたとしても、父も母も決して自分を許すことはないだろう。

 やっと落ち着いてきた呼吸で、大きく肺の中に酸素を吸い込み、シャルロットは杖にすがってようやく立ち上がった。

「止めなきゃ……」

 震える足で、一歩、一歩とジルの後を追って、シャルロットは歩き始めたが、みぞおちへの一撃は大の大人でも昏倒させるか、悪ければ死んでしまうほどの人体の急所である。そんなすぐには回復できないし、もとよりシャルロットの脚力では追いつくことはできなかった。

「だめ……こうなったら、飛んで」

 ジルから、精神力を節約するために『フライ』の使用は極力抑えるように言われていたが、今はそれどころではない。幸い、キメラドラゴンのたどった道ははっきりとしており、見失うことはないだろう。シャルロットは、杖をかまえて『フライ』の詠唱を始めようとした。

 が、そのとき背後の茂みが大きく揺らぎ、続いて大きな影がシャルロットに覆いかぶさってきた。

 

 一方……その少し前、昨日の研究所跡の瓦礫の山。

 そこは相変わらず砕けた大岩の破片が散らばり、昨日と同じ殺風景な風景が続いていた。

 唯一違うのは、瓦礫の山の上に立つ人影があったことである。

 

「ふん……自然循環補助システムの、第一号機の建設が開始されるというから、わざわざカナダまでやってきてはみたが、どうやらそれどころではないらしいな」

 

 年のころは二十代前半というところ。無造作に伸ばした黒髪を持ったその青年はラフな洋服に身を包み、小さなリュックを唯一の荷物に、無表情に瓦礫を踏みしめ、残骸の中を検分するかのように見回しながら、廃墟の中をゆっくりと歩いていく。

 しかし、ジルとタバサでさえここまで来るのには、何体ものキメラと戦わなければならなかったというのに、その青年はほとんど非武装にも関わらず、着衣にまったく乱れが見られなかった。

「……この森の植物、動物も明らかに地球のものではない。G.U.A.R.D.の連中はまだ気づいていないようだが、これだけの量の外来生物が一度に入り込んだら、カナダの自然環境は目茶目茶に破壊されるぞ」

 その眼光は冷たくて、若々しさよりはむしろ老齢な印象すら、どこかにあった。

「しかし、この残骸……自然石の中に鉄筋を組み込んである。こんな建築法、地球の技術では不可能だ。やはり宇宙から送り込まれたものか……だが、散乱している機械は、地球のレベルでできている。どういうことだ……」

 彼は残骸の中から、建物の破片や機械の残骸を学者のように一つずつ検証していった。

 やがて、崩れた壁の下に古く黒ずんだノートが下敷きになっているのを見つけると、彼はすきまに手を突っ込んで取り出し、ほこりを払ってページを開いた。

「日記か……」

 それは、日本語で書かれた手書きの日記帳で、彼は最初のページから読み進めていった。

 

 

『*月*日、もうこの世界にやってきてかなり経つ……私は、いまだに自分の境遇が信じられない。あまりに非常識な状況に、ときたま気が狂いそうになるくらいだ。それはそうだろう、地球からまったく違う異世界に飛ばされてきたなどと、狂人と思われても仕方がないものだ。

 そのため、私は正気を保つために、これまでのことを書き記しておくことに決めた。

 思い返せば、あの日……生物学会を追われた私は太平洋上のザリーナポイントに建設した秘密研究所で、長年の研究の最終段階に入っていた。

 人間の役に立つ怪獣を作る。それが私の研究だ。

 クローニング技術を使い、そのときすでに私はシルドロン、シルバゴンをはじめ、いくつかの怪獣の複製に成功していた。

 だが、研究完成を目前にして、SUPER GUTSに研究所をかぎつけられてしまい、私は研究所ごと死んだ……はずだった。

 気がついたら、私はこの明らかに地球とは違う異世界にいた。

 この世界は、文明レベルは中世ヨーロッパと非常に酷似しているが、住人の一部は地球人にはない超能力を持っていて、ここをハルケギニアのガリア国だと言っていた。

 私が転移した原因は、ザリーナポイントが持つ特異な電磁界の影響かと推測してみたが、確証が持てるものはない。

 しかし、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、私の持っていた生物学の知識に彼らは深い関心を持ち、保護する代償として、私に改造生物を作る手助けをしろと要求してきた。

 どうやら、彼らは生体改造を施した強化生物を使って、クーデターをもくろんでいるようだ。まったくどこの世界も根本は同じようなものらしいが、思う存分研究ができるというのであれば是非もない。

 幸い、私といっしょに破壊された研究所の地下部分も転移してきたので、施設には苦労せず、彼らの超能力をもってすれば、研究所の拡張も研究素材の調達も楽なものである。

 だが、私は私の目的を忘れてはいない。奴らに手を貸すのは仕方ないとして、私の悲願である、私の意のままに動く究極のクローン怪獣を今度こそ完成させて、私の存在を思い知らせてやる』

 

 そこからは、研究の日々の内容が連ねられていて、彼は流し読みすると、最後のページを開いた。

 

『ついに、ついに長年の研究が実を結ぶ日がやってきた。研究所の奥深くに残していた、私のクローン技術の最高傑作、最強のクローン怪獣ネオザルスのDNAデータから、とうとうその全体を復元することに成功したのだ。すでにシルドロンの再生にも成功し、予備実験は充分だ。

 唯一の懸念であった知的遺伝子の欠如も、この世界の、人語を理解し、人間に絶対服従する生物どもから組み込むことができた。これが起動すれば、やつらに作ってやったキメラドラゴンなどという出来損ないとは次元が違う、まさに芸術品とも呼べる、私の最高傑作が蘇るのだ。

 そうすれば、もはやこんな世界に用はない。奴らは気づいていないが、私は極秘裏に魔神エノメナの持っていた次元移動の原理を応用し、地球へと帰還するための装置の製造にも成功している。

 まず目的は、私をこんな目にあわせたSUPER GUTSの小僧ども、そして生物工学研究委員会を襲撃して、私の研究の正しさを認めさせることだ。

 ああ、明日が待ち遠しい。明日より、私の輝かしい栄光の日が始まるのだ』

 

 日記の残りのページは、ひたすら空白で埋められていた。

 

 彼は日記を閉じると、つばでも吐き捨てるかのようにつぶやいた。

「愚か者の、幼稚な幻想だな」

 日記を書いた当人が聞いたら激怒しそうな感想を無表情に述べると、投げ捨てられた日記が砂の上に落ちる乾いた音が続いた。

「破滅招来体の仕業かと勘ぐったが……考えすぎだったか。それにしても、これは地球のものであって、この地球のものではない。多次元宇宙論か、別の世界に別の地球、ひいてはもう一人の自分がいるかもしれない……量子物理学を専攻していたあいつが聞いたら喜びそうな現象だな。しかし、地球にこの場所が有害であることは変わりない。後始末はしておくか」

 やがて、彼は残骸の中に張り巡らされていたコードやパイプが、ある一定の法則に従ってつながっていることを突き止めて、その収束した場所から瓦礫にうずもれていた地下への入り口を見つけると、その奥にいまだ健在な姿を保っている機械群を発見した。

「これが例の時空移動システムか。確か我夢の奴が草案を作っていたことがあったな。しかし、こいつはずいぶんと中途半端なシステムだ」

 機械の外側を見ただけで、これだけのことがわかるとは、彼が口先だけでなく、並々ならぬ知識を有していることがうかがえた。

 彼は装置の概要を調べて、これがエネルギー切れに陥っていることを突き止めると、スイッチを現在の位相の逆に合わせて、右手にまいているブレスレットのクリスタルから青い光を装置に照射した。

 

”……エネルギーチャージ完了、位相固定……これより、空間転移フィールドを展開します。転移まで千八百秒、カウント開始”

 

「これで、三十分後にはこの森は元の時空に戻る。それで終わりだ」

 機械の正常作動を確認すると、彼は即座に立ち去ろうとした。だが、その前に足元から心臓の脈動のような振動が伝わってくると、監視モニターの一つに映った地下格納庫の映像を見た。

 そこで動き始めていたのは、シャルロットの見た、あの異世界の怪獣図鑑の最後のページに、その創造主が自ら写真を貼り付けていた大怪獣。

「エネルギー補給の余波で、ついでに眠り姫もお目覚めか。しかし今更起きたところで、お前を地球には残さん」

 つまらなさそうにつぶやくと、彼は自分も時空転移に巻き込まれないために、地下室を出て足早に森のほうへと歩き始めた。

 

 絹を引き裂くような絶叫が、森の奥から響いてきたのはそのときであった。

 

「きゃあぁぁーっ!」

 森の枝葉を揺り動かすような悲鳴をあげて、シャルロットは背中から腐葉土の上に倒れこんだ。

 青い美しい髪が泥に汚れ、毛むくじゃらの虫が体を這い上がってくるが、そんなものにかまう余裕はない。

 かろうじて杖だけは握り締めたまま、震える手で背泳ぎをするかのように木の葉を掻き分けて後ずさりする彼女に、巨大な異形がうなり声をあげて迫ってくる。

「キ、キメラドラゴン!?」

 凍りつきそうな喉から、やっと搾り出した声が最悪の状況をシャルロットに再認識させた。

 間違いない。あのノートにあったとおりに、全身を赤黒いうろこで覆った火竜の体に、キメラの証である無数の他の生物のパーツがついたその体。しかもつき方が尋常ではない。

 

 奴の体から生えていたのは無数の”首”だったのだ。

 馬の首、豚の首、羊の首。

 豹、熊、狼などの猛獣の首。

 キメラのものと思われる複数の動物の混ざった首。

 そして、人間の首とおぼしきもの。

 

”キメラドラゴンは、捕食した生物の特性を吸収する”

 ノートに書いてあったキメラドラゴンの特性はそれで、研究者たちは、もし成功したら食えば食うほど強くなる究極の戦闘生物となるであろうそれに、未来の栄光を夢見ていたに違いない。

 けれども、生き物を都合よく作り出そうと考えた愚か者たちの思惑は失敗し、こうして食った相手の頭を無差別に生やす、ただの化け物と化したものこそがキメラドラゴンであった。

 

「そんな、なんでここに!?」

 キメラドラゴンはジルが追跡していったはず、こんな場所にいるはずがない。けれど、恐らくは研究所の家畜や実験動物、さらには研究員や仲間のキメラまで食い散らかして、もはや自然界の摂理から完全にすべりおちた異形を、間違えるはずがない。

 信じられないほどのおぞましさに、シャルロットは戦うことさえ忘れて逃げようとするが、すぐに背中が木にぶつかって逃げられなくなってしまった。

「た、戦わなくちゃ……」

 逃げられないと悟ると、シャルロットは必死で杖をキメラドラゴンに向けた。しかし、奴の全身に生えた数十の首から、冥府から響いてくるような亡者のオペラが自分に向けられると、喉は凍り付いて一言のスペルも刻むことはできない。

 キメラドラゴンは、唯一残ったドラゴンらしい部分、巨大な牙の生えたあごを開くと、唾液をこぼしながら口腔をシャルロットに向けた。

 

”助けて……助けて”

 

 夢なら覚めてくれと祈りながら、シャルロットは自分に向けられてくる死神の牙を見つめた。

 だが、キメラドラゴンはその牙を少女に突き立てる前に、突如何の前触れもなく爆発して、轟音とともに粉々に砕け散った。

「うあぁーっ!」

 降り注いでくる肉片から必死で身を守りながら、シャルロットはなにが起こったのかもわからないまま、しばらく固く目を閉じて震えていた。その数十秒後、おそるおそる目を開けて、かすむ視界の中に映ってきたものは、バラバラの破片になったキメラドラゴンと、その後ろに立つ一人の男の姿であった。

「あの人……!」

 悠然と、あるいは冷然と立つその男に、シャルロットは見覚えがあった。昨晩の、傷ついたジルや自分を助けてくれた人。あのときは顔は見えなかったが、服装や背格好には確かに見覚えがある。

 彼は、粉々になったキメラドラゴンを軽く一瞥すると、あとは無感情にこれを無視して、へたりこんでいるシャルロットのすぐそばまでやってきて彼女を見下ろした。

「あ、ありがとう……ございます」

 返事はなかったが、シャルロットは助けてもらったお礼を言うと、いまだに悲鳴をあげている足を叱咤して立ち上がり、男の姿を見つめた。

 

”なにか、怖そうな人……でも、助けてくれたし、悪い人じゃないのかも”

 

 今まで会ったことのない不思議な感じを、シャルロットは感じていた。

 これまで出会った貴族や平民の誰にも当てはまらず、ジルのような狩人とも違う、なにか神秘的な近寄りがたさを、その青年は持っていた。

 それに、こんな危険な場所にいるというのに武器らしい武器は何も持っていないのも不思議だった。今起きたことから考えても、キメラドラゴンを倒したのは彼のはずだが、どんな方法を使ったのか見当もつかず、彼は特になにをするでもなくシャルロットを見返していた。

”わからない……けど、きっとこの人も……強いんだ”

 いまや、生死の境を何度もくぐってきたシャルロットには、感覚的にそれがわかった。

 彼の冷たい視線に冷まされたように、次第に気持ちを落ち着けていったシャルロットは、息を整えると破片となったキメラドラゴンの死骸に視線を移した。

 

”なぜ、こんなところにキメラドラゴンが……?”

 

 キメラドラゴンは一匹しかおらず、一度獲物を食った場所には当分寄り付かないと聞いていたシャルロットは、話に合わない実情に、持ち前の明敏な頭脳と、やはりジルに叩き込まれた『獲物の考えを読め』という教えに従って考えた。

 ランダムに動き回っているうちに戻ってきたのか? いや、改造されても動物としての本能は健在のキメラドラゴンが、そんな間抜けなことをするはずがない。

 ならば、なにかの理由で戻ってきた? いや、それならジルと真っ先に出くわすはず。

 別個体? なにをバカな、キメラドラゴンは一匹しか……

 

 その瞬間、シャルロットの頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、瞬時に一つの形になって組み合わさった。

 

 すなわち、冷静になって思い返せば、図鑑で見たキメラドラゴンの全長は十メイル以上あるのに、このキメラドラゴンはいいところ五メイル程度。

 さらに、キメラドラゴンは食った獲物一体ごとに頭を生やすのに、あのキメラドラゴンから生えていた頭の数はせいぜい十個ぐらいだった。

 極端に小さな体格と、キメラとしては未成熟な体質……それから導き出される最悪の結論に、シャルロットの全身の血液が凍りつき、理性が否定しようとする。だが、冷静な部分がそう考えれば、キメラドラゴンが一ヶ月ものあいだ、森のどこを探しても見つからなかった理由になると警告してくる。

 

”いけない! もしそうだとしたら、ジルに勝ち目はない!”

 

 予感ではなく、絶対に避けがたいジルの死を狩人の血が感じ取って、シャルロットはジルの消えていった先の道を見つめた。しかし、自分が行ってどうなる? この一匹にすら太刀打ちできなかった自分が行っても死ぬだけだと、心の中からもう一人の自分が呼びかけてくる。

 

「お願い、助けて! この先にわたしの友達がいるの、このままじゃ殺されちゃう」

 

 自分の力ではどうしようもないと思ったシャルロットは、すがるようにして青年に助けを求めた。

 だが、少女の悲痛な願いは彼には届くことはなかった。

「……」

「え?」

「……」

 何を言い返されたのかわからなかった。最初は聞き損じたのか、聞き取れなかったのかと思ったが、さらに二言三言彼の言葉を聞くうちに、疑問は絶望へと変わった。

 

「言葉が、通じてない……」

 

 青年の話している言葉は、ハルケギニアの公用語のガリア語でも、シャルロットの習ったトリステインやアルビオンのいずれの言語ともまったく違っていた。

 これでは、意思を彼に伝えることはできないと、シャルロットの視界が黒く染まりそうになる。

 それでも、ジルを放っておけないシャルロットは、おもちゃをねだる子供のように彼の袖を引っ張った。しかし、彼は無造作に振り払うと、あちらも言葉が通じないことを理解したのか、さっさと出て行けといわんばかりに森の外のほうへと指を指して見せた。

”だめ……これじゃ、間に合わない”

 助けを求めることもできず、がっくりとシャルロットは肩を落とした。

 いったいどうすればいいのか、このまま一人だけで助けに向かっても、二人とも死ぬ。かといって、ほっておいてもジルは確実に殺される。

 どうすれば、どうすれば……自問自答が何十回もシャルロットの中で繰り返され、どうしても答えが出せなかったシャルロットが、ふと顔を上げたとき、彼はまだそこにいた。

 青年は、シャルロットに何を語るでもなく、何をしてくれるでもなく、ただそこにいて彼女を観察するようにじっと見下ろしていて、その見定めるような冷たい視線が、彼女に決意を促した。

”ジル……待ってて!”

 彼が何を考えていたのかシャルロットにはわからない。しかし、彼女にはあの目が、守りたいものを本気で守りたいのかと、自分のちっぽけな心をせせら笑われているように見えて、そう思ったときには自然と走り出していた。

 そして、駆け去っていくシャルロットの姿を無表情に見送った後、青年はシャルロットにはわからない言葉で、憮然としてつぶやいた。

「せっかく拾った命を、わざわざ自分から捨てに行くとはな」

 

 それから、時間にして数分後……シャルロットが見たのは、洞窟を背後にしたキメラドラゴンと、襲い掛かってくるキメラドラゴンに向かって”凍矢”を放って仕留めたジルの姿であった。

「やった……」

 完全に氷漬けになり、絶命したキメラドラゴンの前でほっとしてへたり込んだジルに向かってシャルロットは大急ぎで駆けつけた。

「ジルーっ!」

「シャルロット……見たか! あたし、やったよ!」

 勝利の喜びに手を振ってくるジルの笑顔も、今のシャルロットの目には映らない。その視線はまっすぐにジルが倒したキメラドラゴンの死骸に向けられている。

”やっぱり、あのキメラドラゴンも五メイル程度しかない。ジルは興奮してて気づいてないんだ!”

 仮説は確証に変わり、迫り来る死神の鎌からジルを逃がそうと、シャルロットはフライで飛んだらスペルのせいでまともにしゃべれないので全力で走った。

 しかし、シャルロットがあと十メイルほどに駆け寄ったとき、ジルの背後の洞窟の闇の中で、瞳孔のない血走った数十の目が輝き、不気味なうなり声が響いた。

 

「ジルー! 後ろーっ!」

「えっ!?」

 

 ほんのコンマ数秒のうちに暗転は起こった。

 シャルロットの声に反応して後ろを振り返ったジルに向かって、鋭い斬撃が振り下ろされ、反射的に飛びのいたジルのいた場所で、真っ赤な血しぶきがあがった。

「うぁっ……」

「ジル、大丈夫!?」

 倒れこんだジルにシャルロットは駆け寄って抱き起こした。

「シャルロット……うあっ!」

 荒い息をつき、顔中に脂汗を浮かばせたジルはシャルロットの姿を認めると、地面に手を突いて立ち上がろうとしたが、左足に走った激痛に再び地面に崩れ落ちた。

「ジル……あ、足が」

 シャルロットの引きつった顔と、いつもあるはずのものがないことに、ジルは自分の身に何が起こったのかを理解した。ジルの左足は、ひざの部分から寸断されて、滝のように血が流れ出している。

 そして、鋭い爪の一撃で自分の足を切り落とし、それをうまそうに喰らっている相手の姿を確認したとき、ジルの顔は絶望に彩られていた。

「キメラドラゴン!? ば、馬鹿な……あいつは、あたしが……ああっ!?」

 そこにいたのは、倒したはずのキメラドラゴン……しかも目を疑うことに一匹ではない。洞窟の奥から三匹、四匹と、違う頭を生やしたキメラドラゴンが続々と出てくるではないか。

「あいつは、身を隠していたあいだに、子供を作ってたんだよ」

「なに!? でも、動物がつがいもなしで、子供を作れるはずが……」

「ううん、いるの。動物の中には、自分だけで子供を作れる生き物が」

 読書好きのシャルロットは、生き物について書いてあった本の一節を思い出して語った。

 無性生殖……普通の生き物はオスとメスが交尾をして子供を作るが、原始的な生き物の中には自分の体を分裂させるなどして繁殖できるものが存在する。ヒトデを真っ二つに切るとそれぞれが再生して二匹になったり、細菌が細胞分裂の要領で増えていくのがその例だ。

 ただ、普通ある程度以上高等な生物は無性生殖はしないのだが、このキメラドラゴンには捕食した獲物の一部をコピーする機能が備わっている。すなわち、もしも生物として種の保存という本能に駆り立てられたキメラドラゴンのその機能が、食った獲物の代わりに、自分の分身を体から生やすといった繁殖方法を会得したと、考えられなくはないだろうか。

「なんてこった……それじゃ、あたしが倒したのは奴の分身にすぎないってのか」

「残念だけど、それよりも早く逃げよう」

 あのときシャルロットが危機を知らせたおかげで、ジルはかろうじて体への直撃だけは免れていたが、左足を失ってはもう走れない。シャルロットは氷の魔法でジルの傷口を凍結させて止血を施すと、抱えてフライの魔法を唱えようとした。けれども、天を舞う白鳥も地に枷がつけられては這うようにしか飛べず、ジルの足を奪い合って食っていたキメラドラゴンの幼生体たちは、もっと大きな獲物へと我先にと襲い掛かってきた。

「シャルロット、もういい、あたしを置いて逃げろ、あんた一人なら逃げ切れる!」

「そんなことできるわけないよ!」

「バカ! 二人とも死ぬ気か。どのみち、もうあたしにはもう仇をとる力はない! あんたは違う」

「違わない! わたしも生きてる、ジルも生きてる! だから死んじゃだめなの!」

 叫んだとたん、キメラドラゴンの爪が背中をかすめて、二人は地面の上に投げ出された。

 さらに、奴らは多少は知恵が回ると見え、ちょこまか逃げる獲物を逃がすまいと、四方を取り囲んで退路を断つと、よだれを垂らしながら包囲陣を狭めてくる。

「負ける……もんか」

 動けなくなったジルをかばいながら、シャルロットは渾身の力を込めて『ウィンディ・アイシクル』を放った。だが無数の氷弾がキメラドラゴンを襲っても、分厚い皮膚にさえぎられてダメージになっていない。続けてためした『エア・ハンマー』『エア・カッター』もだめだった。

 キメラドラゴンたちは、こそばゆい攻撃に喉を鳴らして笑いながら、じわじわと迫ってくる。

”もう、だめなの……”

 持てる力は全て出し切った。最後まであきらめずに戦い抜いた。それでもだめだった悲嘆が涙となってシャルロットのほおを流れ落ちてくる。こんなとき、幼少の頃母に読んでもらった『イーヴァルディの勇者』の物語なら、正義の勇者が助けに来てくれるのに。

 

「誰かぁ! 助けてーっ!」

 

 そのとき、森の奥から冷たく二人を見つめていたあの青年が、意を決したように右腕のブレスレットを胸の前にかざした。すると、収納されていたブレードが左右に開いて回転し、中央の青いクリスタルからまばゆい輝きがあふれ出して彼を包み込んだのである!

 

 群青の光芒、それは生命ある星を包み込む大海……アグルの光。

 

 数秒後、絶叫して死を覚悟し、ゆっくりと自分に向かってくるキメラドラゴンの牙を見つめていたシャルロットの瞳の中に、水晶のように美しく輝く美しい玉が映った。

 刹那……光の玉がキメラドラゴンの体に吸い込まれていったかと思うと、そのキメラドラゴンは粉々の肉片になって飛び散った。

 

『リキデイター!』

 

 青い光球は次々と飛来し、ジルとシャルロットを取り囲んでいたキメラドラゴンたちを容赦なく粉砕していく。

「シャルロット……あんた、なにを?」

「わたしじゃない、わたしじゃないよ……」

 圧倒的……威容を誇っていた怪物どもが、なすすべもなく爆死していく信じられない光景を、二人は魂を抜かれたように見つめた。

 そして、その光景をもたらし、悠然と……しかしケタ違いの存在感を持って生き残りのキメラドラゴンを睥睨する一人の戦士が森の奥から現れたとき、彼女たちはその姿を生涯の記憶に焼き付けていったのだった。

 

 

 続く



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第5話  タバサの冒険  群青の狩人姫 (後編)

 第5話

 タバサの冒険

 群青の狩人姫 (後編)

 

 ハイパークローン怪獣 ネオザルス

 ウルトラマンアグル 登場!

 

 

 シャルロットとジルは夢を見ているような心地の中にいた。

 キメラドラゴンたちが……幼生体とはいえ巨大な体と、この世のものとは思えない凶悪な力を誇る怪物たちが、まるで赤子の手をひねるように倒されていく。

「あれ……は」

 しぼりだすような声を発したジルとシャルロットの前に、”彼”は陽炎のように現れた。

 深い青き体に、黒と銀色のラインをあしらい、鋭く冷たく輝く目を持った彼は、銀色のマスクを無表情に輝かせ、突然の乱入者に慌てるキメラドラゴンを悠然と見据える。

 ”彼”は、人ではなかった。かといって、亜人と呼ぶのも二人にははばかられた。

 どうしてかというならば、キメラどもによって汚染されたこの森の毒々しい空気の中で、彼のいるその場所だけは、まるで浄化されたように澄み切った空気が流れ、彼から沸き立つ風の匂いは、シャルロットに幼い頃両親に連れて行ってもらった、海原の潮風を思い出させた。

 

 そう、彼こそは多次元宇宙……無数にある異世界、パラレルワールドのその一つを守るべく、大いなる地球の海が遣わした光の化身。

 これは、その一つの世界にこれから起ころうとする巨大な戦いの序幕の、どこにも記録されることもない一幕。そこへ図らずも迷い込んでしまったジルとシャルロットは、これから起こることになる、自らの知識を超えた現象を、ただその身が有する感覚にのみ従って感じ、記憶していくことになる。

 

 彼は、自らよりも圧倒的に体躯で勝るキメラドラゴンを恐怖の欠片もなく見回した。それは相手を敵とさえ評価していない絶対の処刑宣告。そして両腕を下げ、手のひらのあいだに稲妻のようなエネルギーを放出すると、それを胸の前で合わせた手のひらの中で、輝く水の球のようなエネルギー球に変えて撃ち出した。

『リキデイター!』

 また一匹、光球の直撃を受けたキメラドラゴンが粉々に粉砕される。

 その、ハルケギニアには存在しない異質な力の前には、メイジとの戦いを想定して作られたキメラドラゴンなど、相手にもならない。

 

「わたしたちを……助けようというのか……?」

 だが、彼はジルの言葉を無視し、傷つき倒れている二人を助けるそぶりは見せずに、仲間を突然大量に失ってうろたえるキメラドラゴンたちの正面へと向かっていく。

 それを、酷薄さと見るかは、彼の内面を知るかによって変わってくるだろう。

 なぜならば、強大な力を与えられた超人といえども、その心までは変わることはない。

「もしかして……あの人?」

 シャルロットは、表情を映さない彼の顔からではなく、彼がまとった他者を寄せ付けない孤独をまとった威圧感から、彼の中に自分たちを助けてくれたあの青年と同じものを見た。

 そうだ、彼もまたあらゆる人々と同じように、怒り、悩み、苦しみ、葛藤の中で自問自答を続ける一人の”人間”であった。

 

 地球は、突如として与えた強大な力の持つ意味を、彼に教えなかった。

 その地球の真意も、また知る人間は誰一人としていない。

 ただ彼はその光をアグルと呼び、後に人々は大地の光の巨人と並び、彼をその名を冠して呼ぶようになる。

 

 ウルトラマン……ウルトラマンアグルと。

 

 そのときシャルロットは森の空気が急にどす黒く濁る感触を全身に感じ、次の瞬間森が揺らぎ、異形の群れが現れた。

「キメラドラゴン! まだ、あんなに」

 森にエサを求めて散っていたキメラドラゴンが、血の匂いをかぎつけて戻ってきた。その数は五体、生き残った三体を合わせると、総勢八体。奴らは、仲間を殺された怒りから凶暴なうなり声をあげ、数の優勢をたのんで四方からアグルを包囲した。

「まずい、いくらなんでもあの数では!」

 ジルの言うとおり、普通に考えたらこれだけの数のキメラドラゴンを相手にしたら、仮に軍の一個中隊をもってしても蹂躙されるのが落ちだろう。にも関わらず、二人を驚愕させたのは、アグルはキメラドラゴンに対して、構えるどころか悠然と直立して、片手でもって挑発するように手招きしたのである。

 怒り、屈辱……強大な力を生まれながらにして与えられ、自分以外のあらゆる生き物を恐怖させてきたキメラドラゴンたちに、はじめて他者から見下されるというあってはならない事態が、彼らから狩人としての冷静さを奪った。

 一匹が、森の中で数多い獲物を切り裂いてきた爪でアグルの首を狙って切りかかる。対してアグルは避けるそぶりさえ見せない。

 それでも、キメラドラゴンに勝利の女神は微笑むことはなかった。

 巨大な爪は、アグルの首からほんの三十センチばかり離れた場所で静止していた。むろん、爪の持ち主にそうさせる意思があったわけではない。渾身の力と、全体重に助走をかけた一撃は、確実に敵の首をとっているはずであった。ただ、そこにそえられている一本の腕さえなければ。

「あ、あの一撃を、片手で止めた!」

 防御どころか、よりつくハエを追い払う程度の無造作ぶりに、ジルは片足を失った痛みすら忘れて驚愕の叫びをあげた。が、それも続いてキメラドラゴンの巨体が突然重力から切り離されたように浮かび上がると、叫ぶことすら忘れてしまっていた。

 

「デヤァッ!」

 

 アグルが力を込めた瞬間、推定百トンはあろうかという巨体は、アグルの手の中で紙細工のように軽々と持ち上げられた。もはや、怪力などというレベルではない。

 驚愕するジルとシャルロット。いや、本当に驚いていたのは対峙しているキメラドラゴンたちであっただろう。奴らの一匹たりとて、自分がパワーで負ける、さらには持ち上げられるなど想像もしていなかったに違いない。

 ましてや、まるで風車のように振り回されたあげく無造作に投げ捨てられて、別の一匹を押しつぶし、折り重なった二匹にリキデイターが叩き込まれてとどめを刺されたときには、驚愕は狂騒へと変わっていた。

 精神の根源から湧き上がってくる恐怖を振り切ろうと、三匹が全身の頭から叫び声をあげて三方から同時攻撃をかけてくる。だがアグルはキメラドラゴンに向かって三度腕を振りかざしただけで、三匹を六つの肉塊へと変貌させた。

『アグルブレード』

 アグルの右手から伸びる光の剣。その恐るべき切れ味の前に、切られた三匹は自分が切られたということさえ理解せぬうちに、左右、または上下に両断された巨体を崩れ落ちさせた。

「強い……強すぎる」

 自然の理から外れた歪んだ生命が対抗するには、理そのものの存在であるアグルはあまりにも強大すぎた。あっという間に半数を蹴散らされたキメラドラゴンたちの生き残りには、もはや戦意などは残されておらず、これまで自分たちが恐怖させ、喜びながら喰らっていった獲物たちと同じように算を乱して逃げ出した。

 逃げられるはずなどはなかったが……

 残った三匹のうち、もっともアグルから近くにいた一匹はアグルブレードで両断された。

 二匹目は、背中からリキデイターで撃たれて粉砕された。

 三匹目のみが、アグルの手から逃れることに成功した。ただし、それは己と己の仲間が欲望のままに喰らってきた負債を一手に押し付けられて返済を強要されたような結末で……

 

 森を蹴散らし、地震と間違うばかりに大地を揺さぶり震わす、シルドロンのものとさえ比べ物にならない激震をともなう足音。

 樹海の影から姿を現す、あまりに巨大かつ凶暴な空気を撒き散らす二本足の竜の口の中に、噛み殺された最後のキメラドラゴンはいた。

 

”来たか……人間の愚かさの、その結晶め”

 

 アグルはこちらを見下ろしてくる凶悪な目を見上げて思った。

 全長七三メートル、体重七万五千トン。

 典型的なティラノサウルス型怪獣ながら、その圧倒的な筋肉質の巨躯はシルドロンさえ小さく見え、頭部に大きく張り出したとさかは暴君の冠のように猛々しく天を突く。

 かつて、異世界からハルケギニアに迷い込んだ一人の科学者が、一匹の怪獣に多数の怪獣の遺伝子を組み込み、妄念の末に完成させたものの、研究所の壊滅によって誕生を見ることなく封印されつづけてきた最強のクローン怪獣ネオザルスが、主なき世界に遠吠えをあげた。

「終わった……」

 大群を誇ったキメラドラゴンの幼生の、最後の一匹が噛み砕かれて、落ちてきたその肉片を間近で見たとき、ジルとシャルロットの心に今度こそ完全な絶望が覆った。これは、人間が敵うかどうかという問題ではない。

 だが、アグルは絶望に打ちひしがれる人間に語りかけることはなく、巨大なる敵に対しても小揺るぎもせずに数歩前に進むと、腕を胸の前でクロスさせ、気合を溜めはじめた。

「ヌォォ……」

 アグルの力が、その胸に輝くライフゲージに集中して青い輝きとなってあふれ出していく。

 そしてその輝きが最高潮となったとき、アグルは光とともに空高く飛んだ!

「トァッ!」

 舞い上がった光が天空で輝きを増し、一個の恒星と呼べるほどにまで膨れ上がっていく。あの怪獣を倒すために、これまでの人の体躯に合わせてセーブしたものではなく、アグルの力を最大限に発揮するために、光の中でアグルはパワーのリミッターを解除する。

 

 出て行け悪魔の知恵の申し子よ。この世にお前の居場所はない!

 

 光が急速に収束したと思った瞬間、真にウルトラマンとしての力を発揮できる、身長五二メートルの本来の巨体へと巨大化変身し、アグルはその中から再びその姿を現した。

 着地の衝撃で大地がめくれ、舞い上がった土砂がアグルの姿を一瞬隠す。しかし茶色いカーテンが晴れたとき、はじめて敵に対して構えをとるアグルと、アグルを本能的に倒さなければならない敵だと認識したネオザルスとの、大地を揺さぶる激戦の幕が切って落とされた。

 

「シュワッ!」

 キメラドラゴンを相手にしていた余裕に満ちた姿勢から一転し、素早く間合いに飛び込んだアグルの回し蹴りがネオザルスのあごに炸裂し、巨体をわずかに揺らがせる。しかし、製作者によって最強となることを想定されて改造されたネオザルスはその一撃に耐えて、凶暴な叫び声とともにつかみかかってくる。

 さしものアグルも、捕まればパワーでは敵わないが、組み合うことなく流れる水のように高速移動してかわし、離れた位置から飛び道具で攻撃をかける。

『リキデイター!』

 人間大のときの数十倍の大きさに拡大されたエネルギー弾がネオザルスに直撃する。けれども、キメラドラゴンならば原子にまで還元するほどに強化された攻撃も、ネオザルスの皮膚をわずかに焦がすだけでたいしたダメージにはなっていない。

 

 ファンガスの森を蹴散らしながら、アグルVSネオザルスの激闘は第一幕から第二幕にもつれ込んでいく。

 

「すごすぎる……」

 一進一退の攻防を続ける、ウルトラマンと怪獣の、どんな神話やおとぎ話にも出てこないような戦いに、シャルロットとジルは魂を抜かれたように見入っていた。

 超重量の巨体どうしがぶつかり、はたまた宙を舞って大地に舞い降り、圧倒的な破壊力を秘めた光線が乱舞する。まったく、人間の戦いなどはこれから見たら、昆虫が朽木の上で角をつき合わせているようなものだ。

 しかし、そんな小虫に等しい人間たちにも、危機はまだ去っていなかった。

 確かに、ウルトラマンアグルによってキメラドラゴンの幼生体はすべて倒された。洞窟に潜んでいたもの、森に散らばっていたもの、そのすべてを。

 ただし、子供が生まれてくるために絶対必要なものがなにか、そのことを誰もが失念していたそのときだった。暗い洞窟のそのさらに奥から、幼生体を全部まとめたよりもはるかに低くおぞましいうなり声が轟き、洞窟の入り口を岩の破片を撒き散らして破壊しながら、とてつもなく巨大なキメラドラゴンが現れた。

「キメラドラゴン! あれが親か」

「なんて大きい……図鑑と全然違う」

 二人の前に現れたキメラドラゴンは、幼生体とはまるで違った。全長だけでも図鑑にあった初期段階が十メイルだったのに、目測で二十メイル超にまで巨大化し、全身に生えた頭部の数も百では足りるまい。むろんネオザルスに比べれば小さいのだが、それはあくまで比較論でいうのであって、ここまでの巨体と異形は、もはや怪物の段階を通り越し、充分すぎるほどに”怪獣”と呼んでいいだろう。

 子供をすべて倒されて怒り狂うキメラドラゴンのオリジナルは、住んでいた洞窟を破壊しつくして外に出てきたあとで、無残に殺されつくされた子供たちの死骸を見て、一度悲しげに遠吠えをした。そして、当然のようにもっとも近くにいたシャルロットとジルに”お前たちがやったのか”といわんばかりに迫ってきたのだ。

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ!」

 とっさに『フライ』を唱えたシャルロットはジルを抱えて飛びのいた。瞬発力も速度も、一人のときよりはるかに劣るが、キメラドラゴンの成体は体格が巨大で、体にいらないものをたくさんくっつけている分動きは幼生体に比べたら鈍く、二人にかわされた後も突進の勢いを止められずに、木々をへし折りながら森の中へと突っ込んでいった。

「なんて奴だ……はっ!」

 恐らく、森中の生き物を食らいつくしてここまで巨大になったのだろう。火竜は二十メイルを超えるまで成長することはできるが、それには何百年もの時間が必要とされる。成長速度まで奴は元となった火竜のそれを異常なほど凌駕している。

 シャルロットは、奴が反転して戻ってくる前に逃げようと思ったが、抱えたジルに強く襟首をつかまれて地面に落っこちた。

「げほっ! ジル、何するの?」

「あたしを置いていけ! あいつは、あたしが倒す!」

「えっ!?」

 シャルロットはジルが気が触れてしまったのではないかと思った。それは、あのキメラドラゴンこそがジルが三年間追ってきた奴に違いないが、あんな巨大な奴に、しかも切り札の”凍矢”もなしに、せめて出直すでもしないと無駄死にだ。

 しかしジルは爪で地面をかきむしりながら絶叫した。

「あいつだ! あいつがあいつが妹を食ったんだ! あいつの体から妹の首が生えてた! 殺してやる! あいつだけはあたしが殺してやるんだ!」

 シャルロットは絶句した。愛した家族をそんな無残な姿に変えられて、ジルの心がどれほど傷つけられただろうか。神という存在がいるとしたら、どうしてこんな悲劇を振りまくのだろう。シャルロットの心には、怒りよりもむしろ冷め切った悲しみが残り、変に冴え渡った頭の中で、彼女は巨体を引きずりながらこちらへUターンしてこようとしているキメラドラゴンを見据えた。

「悪魔……」

 ほかに表現のしようのない、ただこの世に存在するだけで誰かを不幸にし続ける存在。

 シャルロットは、もしこのキメラドラゴンが際限なく巨大化しつづけたらどうなるかと想像して、そら恐ろしくなった。生き物ならなんでも喰らい、頭抜けた破壊力と生命力を持ち、さらに桁違いの成長速度と、単体で繁殖する能力まで持ったこいつが、外の世界に解き放たれたら。

 あの巨人は、怪獣と戦うのに手一杯でこちらを気遣ってくれる余裕はない。いや、気遣ってくれるかどうかなんてわからない。なら、道は一つしかない。

「わたしがやる。ジルは、ここで待ってて」

「な、なにを馬鹿なことを言ってるんだい! あんたの魔法でもあれが相手じゃあ! それに第一、あれはあたしの仇だ、あたしが倒さなくちゃ意味がないんだ!」

「ううん、やる。ジルはわたしに戦い方を教えてくれた。だから、わたしがジルの矢になって、あいつを倒す!」

「シャルロット……」

 すでにシャルロットの目は、おびえ逃げる子供のものではなく、牙を持った猛獣に挑む狩人のそれとなっていた。

 

「いくよ! 化け物!」

 

 戦いの決意をその言葉に込めてシャルロットは飛んだ。

 小山のような巨体からありすぎるくらいの感覚器官でこちらを見つけ、攻撃対象に定めてくるキメラドラゴンに対して、一メイルちょっとの小柄なシャルロットは、まさに象に立ち向かう蟻同然。だが敵の見た目の恐ろしさよりも、今のシャルロットの心は大事なものを失うことへの恐怖が勝っている。その恐怖を勇気に変えて、シャルロットはキメラドラゴンの真上に飛翔し、こちらを見つめてくる数百の目へと氷弾の乱舞『ウィンディ・アイシクル』を叩き込み、奴を一瞬にして氷の剣山に変えた。

「あの子、いつの間にあれほどの魔法を!」

 驚愕にうめくジルの問いに答えることができるとしたら、その答えは『たった今』と言うしかないだろう。魔法の力は心の強さ。ジルを守るため、帰るべき故郷を守るために戦う覚悟を決めたシャルロットの力は、先におびえ、逃げようとしていたときとは同じ魔法でもその威力には雲泥の差があった。

 だがむろん、キメラドラゴンもこれしきでまいるほど甘い相手ではない。全身を覆っていた氷の刃を振り払うと、あっというまに傷口を粘土で塗りつぶすように自己再生を果たし、巨大な口から高圧の空気のブレスを吐きかけてきた。

「くぅっ!」

 吹き飛ばされそうになって、シャルロットは空中でなんとかふんばって耐えた。キメラドラゴンは火竜としての火炎のブレスを吐く能力は失われているが、この巨体であれば肺活量も絶大である。直撃されて木に叩きつけられでもしたら即死だ。

 正面からではかなわない。そう判断したシャルロットは奴の背中側に回り込もうとしたけれど、奴は全身に生えた頭の目で、常にシャルロットを捉えていて攻撃のチャンスをつかませてくれない。

 どうすれば……焦りがシャルロットの心によぎったとき、彼女の目にアグルとネオザルスの戦いが映りこんできた。

 

「セアッ!」

 アグルはそのとき自分よりもはるかに重量級のネオザルスを相手に、素早い動きで翻弄しながら戦っていたが、体格差によって格闘ではなかなか決定打を与えられずにいた。

 しかし、アグルはがむしゃらに攻撃をかけてくるネオザルスが、高い身長から重心も高いことを冷静に見抜いていた。そしてスライディングから足払いをかけて転ばせることでダメージを与え、起き上がってくる前にかかとおとしを食らわせて、さらに追い討ちをかけていく。

 

”そうか、大きいということは弱点にもなるんだ”

 

 そう気づいたシャルロットは、振り向いてこようとするキメラドラゴンの、回転の軸にしている足の腱を氷の刃で狙い撃ち、バランスを崩して倒した。

「やった! あれであいつの足も折れた」

 キメラドラゴンの肥大しすぎた体格を支えていた足は、過大な負荷に耐えられずにへし折れて、奴は左に大きく傾いて身動きがとれなくなっている。この程度の傷はあいつならばすぐに治癒してしまうだろうが、それでも攻撃するならば今だ。

『エア・カッター!』

 真空の刃がうなり、キメラドラゴンの表皮をえぐり、生えた頭を次々に切りとばす。

 傷口からは赤い血しぶきがほとばしり、返り血を受けたシャルロットの全身が青い髪を除いて真紅に染まるが、彼女はひるむことなく次のチャンスを探し、アグルの動きに呼応するように攻撃を放った。

 

『氷の矢!』

『アグルスラッシュ!』

 

 氷の矢がキメラドラゴンの喉元に、アグルの指先から放たれた小型の光弾がネオザルスの首筋に当たって火花を散らす。だが、この程度ではキメラドラゴンは無理矢理に矢を引っこ抜き、ネオザルスは軽く揺らいだだけで、ひるまずに反撃しようとしてくる。

 そのとき、シャルロットは氷の矢が効いたのかどうか確かめようとして、一瞬動きを停止させてしまっていたためにキメラドラゴンに次の行動の自由を許してしまったが、アグルは違った。アグルはアグルスラッシュが命中したのと同時にネオザルスに接近し、奴の尻尾をつかむと渾身の力で振り回して投げ捨てたのだ。

「トァァッ!」

 高速で地面に叩きつけられたネオザルスのとさかが折れ、筋肉から骨格にまで衝撃が浸透する。

 

”攻撃をかけるときには、悠長に時間をかけてはいけない”

 

 キメラを相手の狩りとは違う。力と力のぶつかり合い、狩人と狩人の戦いのルールを、また一つシャルロットは自分の頭に叩きこみ、それを実践して氷の矢で隙を作り、その瞬間にエア・カッターでキメラドラゴンの頭に深い切り傷を刻み込んだ。

 それでも、キメラドラゴンもネオザルスもまだ衰える兆しを見せない。

 アグルのジャブのラッシュ攻撃と、シャルロットの魔法の波状攻撃にいらだちを見せたネオザルスとキメラドラゴンは、腕と足、頭以上に強力な武器である、長く太い尻尾を鞭のように振り回して襲い掛かってきた。

「くっ!」

 尻尾による攻撃は恐竜型怪獣最強の打撃攻撃だ。これにはアグルもいったん引かざるを得ず、喰らえば全身粉砕骨折で即死のシャルロットも距離をとる。しかし、今度はシャルロットも慌てずアグルの次の一手を観察し、アグルの右手から光の剣が伸びたとき、自らも次の魔法を唱えていた。

 

『アグルブレード』

『ブレイド』

 

 光の剣が急接近してきたネオザルスの尾を両断したとき、シャルロットも初めて使う魔法で自らの杖を鋭利な剣に変え、キメラドラゴンの尾を切断とまではいかないまでも脊髄を傷つけて尻尾を振るう力を失わせた。

 

”接近戦での剣の威力は魔法より高い”

 

 さらに戦闘は激化し、どちらも様子見から本気で、本気から奥の手の戦いへと入っていく。

 ネオザルスの胸に青白く輝いている発光器官が光り、奴が大きく腕を広げた瞬間、光の帯が二本からみあったような光線をそこから発射した。

「ファッ!?」

 思わぬ飛び道具に、反射的にアグルは飛びのいてそれを回避した。けれどもその光線にはホーミング性能があり、外れたと思われた光線がアグルの後ろで引き返してくると、アグルの背中に直撃した。

「ヌワアッ!」

 死角からの一撃に、激しくダメージを受けてアグルのひざがくずおれる。

 また、シャルロットも、尻尾を深く傷つけられて激怒したキメラドラゴンから、生き残っていた足で激しく地面をかいて、土塊と石を飛ばす攻撃にさらされていた。

「痛っ!」

 ただの土塊や石といえど小柄なシャルロットにとっては砲弾と同じだ。彼女はフライを駆使して回避を続けるものの、石のうちのいくつかは樹木に反射して思わぬ方向から襲ってくる。

「シャルロット!」

「大丈夫! ジルは伏せてて」

 いくつかの小石が当たって体のあちこちが痛みながらもシャルロットは不思議と冷静であった。むしろ、こんな攻撃方法があったのかと感心さえしている。

 そして、敵の奥の手に対しての対処法も、すでに揃っていた。

 

『ウルトラバリヤー!』

『ウィンド・ブレイク!』

 

 アグルが両手を前にかざして作り上げた、渦を巻くエネルギーのバリヤーがネオザルスの光線を正面から受け止めて、シャルロットの放った風が飛んでくる石の軌道を変えて直撃を逸らす。

 

”無理に回避したりするよりは、対応しやすい正面から迎え撃ったほうがいいこともある”

 

 もうシャルロットには一個の石も当たることはなく、爪も牙も当たらない距離からシャルロットは悠然とキメラドラゴンを見下ろしていた。

 その森の木漏れ日を受けて浮かぶ勇姿は、まるで地獄に舞い降りた一人の天使。いや、武具をまとって悪鬼を狩る戦乙女の天使、ヴァルキュリア。あれが今日まで自分の胸の中で甘えていた子供かと、ジルは息を呑んで見ていた。

「あの子……戦いの中で成長している」

 まるで乾いた土が雨を吸い込んで芳醇な土壌となるように、シャルロットはアグルの戦い方を見て学び、実戦の中でそれを土台にすさまじい速さで強くなっている。まさしく天性の素質。いいや、そんな努力をないがしろにした安っぽい台詞ではなく、大切な母を失いたくない恐怖心、ジョゼフを倒さねばという使命感、生への執着、力への渇望、そしてジルを守り助けたいという優しさ、あらゆる心の力が一つとなって、シャルロットを一気にドットからラインクラスのメイジへと昇格させ、戦いの経験値が可憐な姫を無慈悲な狩人へと変えたのだ。

「これで終わり……今、眠らせてあげるからね」

 地面に降り立つと、シャルロットは残りの精神力をすべて杖に込めて、キメラドラゴンの首の中で、哀れにも死んだときの行動を繰り返すように、泣きじゃくる表情を続けるジルの妹の首へと話しかけた。

 だが、アグルのように絶対的なパワーを持たないシャルロットが、再生能力を持ったキメラドラゴンの息の根を止めるためには、一気に脳と心臓を破壊して生命活動を停止させるしかないが、今のシャルロットの全精神力をつぎ込んでもそれは不可能。

 ただし、一つだけ方法がある。冷たく冴えきった心で、以前家庭教師から教わった魔法の理のその一つを思い出したシャルロットは、懐からジルから借りていた短剣を取り出すと、ためらいもなく、長く美しく伸びていた青い髪の毛をバッサリと切り落としたのだ。

「わたしからすべてを奪っていった奴ら……なら、この髪もくれてあげる!」

 呪文を唱えた瞬間、シャルロットの髪を核にして巨大な氷の塊が生まれ始めた。

 古来より、血、爪、髪など人間の体の一部を媒介または触媒にした魔法は多い。それは人間の体には元々強い水の力、生命力が宿っているからで、それを引き出して使う魔法は禁忌とされるものも多いが絶大な威力を誇る。このとき、王家の強い魔力を受け継いだシャルロットの髪を使った魔法は、たった一回ではあるがシャルロットにスクウェアクラスの力を与えた。

 さらに、もう一つの戦いも終幕を迎えつつある。

 ネオザルスの攻撃をすべて受けきり、機と判断したアグルは全パワーを額にあるブライトスポットに集中させて、高く伸びる光の柱のようになったエネルギー体を作り出す。

 これで本当に終わらせる。愚かな人間の過ちも、生まれるべきではなかった生命の狂気も、そしてジルの悲しい復讐劇も、すべて終わらせて、未来へと足を踏み出すのだ。

「シャルロットーっ! 頼む、あたしの妹を、家族を眠らせてやってくれーっ!」

「わかった! 見てて、これがわたしとジルの最後の攻撃よ!」

 二人の思いを力に変えて、シャルロットの放った最強・最後の一撃がキメラドラゴンのブレスをも押しのけて飛翔し、同時にアグルの額から放たれた光線がネオザルスに突き刺さる!

 

『フォトンクラッシャー!』

『ジャベリン!』

 

 光子の奔流がネオザルスの細胞を分子単位まで焼き尽くし、奴の体は頭から順に粉々に砕け散り、爆発して跡形も残さず崩壊した。

 そして、口の中にジャベリンを打ち込まれたキメラドラゴンもまた、体内で全魔力を放出して膨れ上がり、シャルロットの髪一本一本を核にして作り出された何千本にも及ぶ氷の槍によって、内部から爆砕されて消え去ったのだった。

 

「やった……」

「シャルロット!」

 

 気力を使い果たして倒れたシャルロットに、ジルは残った足と手を使って、はいずるようにして彼女に駆け寄って抱き起こした。

「生きてる……よかった、本当によかった」

 ジルは、抱きしめたシャルロットが穏やかな息を吐き、心臓の鼓動が自分の体に伝わってくるのを感じて、大粒の涙を流した。

「本当にありがとう、あたしたち家族を救ってくれて……」

 復讐が完結したというのに、ジルの心には達成感はなく、ただ自分のために命を懸けてくれたシャルロットへの感謝と、彼女が無事だったことへの安心感のみがあった。

 ジルの腕の中で、シャルロットはあるだけの力をしぼりつくして泥のように眠っている。まるで赤ん坊のようだ。その無邪気で安心しきった表情を見ていると、ジルの中にずっとあった怨念が溶けるように消えていく。

「みんな……あたし……」

 そのとき、ジルの目の前に死んでいった家族の姿が浮かんだのは、彼女の疲労が生んだ幻影か、それとも家族の霊がかいま戻ってきたのかはわからない。ジルは父が、母が、そして妹が自分を見て微笑みながら天へと昇っていくのを見て、自分もシャルロットにかぶさるように安らかな眠りに落ちていった。

 

 けれども、物語はまだ終わってはいない。戦いの最中も地下でじっとカウントを刻んでいた時空転移装置は、その最後の時へと刻々と進んでいたのだ。

 

”最終カウントを開始します。三十秒前、二九、二八、……”

 

 元通ってきた時空の通路を逆にたどり、あるべきものをあるべき場所へ返す。

 その時間がやってくることを知っていたアグルは、一瞥してジルとシャルロットが生きていることだけを確認すると、その影響の及ばない空へと向かって飛び立った。

 

「ショワァッ!」

 

 飛び立ったアグルが、青い光となって空のかなたへと消えていってから数秒、異世界へと飛ばされていたファンガスの森は、再び白い光に包まれて、一瞬のうちにハルケギニアへと戻っていった。

 

 そして、ファンガスの森のあったカナダのアルバータ州から飛び立ったアグルは、人類のいかなるレーダーでも捉えられない速さで太平洋を渡り、数日後に、ある砂漠で金属生命体に苦戦するもう一人の巨人の前に、はじめてその姿を現すことになる。

 

 根源的破滅招来体……この世界に破滅をもたらそうとするものとの戦いの、その果てに何が待っているのか、今の彼には知るよしもない。

 ただ、絶え間なく起こり続ける事件と、戦いの日々の渦中に身を投じていくうちに、今日の日の出来事はそれらの戦いの中に埋もれて忘れられていった。

 

 ジルもシャルロットも、彼の名さえ知ることはなかった。それでも、救われた者たちはそのことを決して忘れない。

 

 けれど、一つの終わりは一つの始まりでもあり、それは一つの別れをもともなった。

 翌日、任務を果たしたシャルロットは、証拠品であるキメラドラゴンの爪を持って森を後にしようとしたところで、ジルから別れを告げられていた。

「いっしょに、行ってくれないの?」

「ああ、あたしはここに残って、家族やこの森で死んでいったものたちを弔うよ。それに、あたしはもう戦える体じゃない。あんたの足手まといにしかならない」

「そんな……」

 シャルロットの目には自然に涙が浮かんでいた。父も母もいなくなり、やっといっしょにいてくれる人が見つかったのに、また一人ぼっちになってしまうなんて耐えられなかった。

 しかし、ジルは松葉杖をつき、左足に包帯をきつく結んだ不自由な体で、シャルロットを優しく、ただし明確に突き放すようにして諭した。

「いいかい、よく聞きな。あんたはこれから帰っても歓迎される立場じゃあない。きっと、今回みたいな残酷な仕事が次々にまわってくることだろう。でも、あんたのお母さんが生きている限り、それに立ち向かっていかなきゃいけない。お母さんの心を、取り戻すためにはね」

「……」

「だから、これからあんたは狩人にならなきゃいけない。冷たく、容赦なく敵を狩る本当の狩人に。そのためには、もっともっと強くならないといけない。わかるね?」

「うん……」

「それにね、さっきあたしはあんたの足手まといにしかならないと言ったけど、それはただあたしが戦えないからだけじゃない。あんたの敵と戦うには、どんな悪意も跳ね飛ばし、どんな卑劣な罠も潜り抜ける心の強さが必要なんだ。そのためには、誰かにたよってちゃいけないんだ」

「わかった……わたし、一人で戦う」

 涙を拭いたシャルロットは杖を握り締め、ジルの目を見つめて答えた。だが、心を殺して生きていくということは並大抵のことではない。希望もなし、味方もなしの凍りつくような世界で、復讐だけを目的に生きていけるのだろうか。

「ふっ、そんな悲しそうな顔をするなよ。あたしだって、また一人になるのは怖いんだ。そうだな……一年だ」

「えっ?」

「一年、それが過ぎたらもう一度この森に来な。あたしは必ずここで待っていてやるから、そのときには、また会おう」

 ぱあっとシャルロットの顔が明るくなった。別れはある、けれどそれは永遠ではないのだ。

「また、ジルと会えるのね」

「ああ、だけどあんたは優しい。それはすばらしいことだけど、邪悪な敵と戦うときにはそれは命取りにもなる。だから、本当のあんたは心の中に凍りつかせて、これからは氷のように生きていけ。目的を果たすまでは、決して溶けない氷のように」

「氷……ジョゼフ……」

 シャルロットの心に、父を殺した憎い男の顔が浮かんでくる。あいつを殺して、母を奪い返すためならば、氷にでもなんでもなってやろう。

「わかった。でも、ジルも一つだけ約束して。もしわたしがすべてを取り戻して、平和にすごせるようになったら、いっしょに暮らそう」

「ああ、約束だ」

「うん……さよなら、ジル」

「さよなら、シャルロット」

 

 そうしてシャルロットはヴェルサルテイル宮殿に帰還し、思いも寄らぬ生還に驚くイザベラから、北花壇騎士として生きていくためのシュヴァリエの称号を得、王族としてのシャルロットという名前を捨てて、タバサという第二の名前を持つことになる。

 

 それが、三年前の真実だった。

「で、それから一年ごとにこの子はあたしのとこへ来て、話を聞かせてくれるのさ」

 たっぷりと数時間に渡って、思い出話を聞かされたシルフィードは、まさかそんな過去がタバサにあったのかと目を丸くしていた。

「驚いたのね。お姉さまったら、昔のことは全然話してくれないんだもの、シルフィーよりも前にお友達がいたなんて、もうびっくりとしか言いようがないのね」

「あはは、まあ好き好んで人に暗い過去をさらしたい人間なんていやしないさ。でもね、シルフィーちゃんとやら、あんたも含めて今のシャルロットには本当にいい友達ができたみたいだね」

「へっ?」

「ジ、ジル! よしてよ」

「いいじゃないか、これまでの二年間、いっつも死にそうな顔して帰ってきたシャルロットが、こんな生き生きした顔でやってきたことはなかったよ」

 果実酒を片手に、ジルは顔を真っ赤にしているタバサを見て楽しそうに笑った。

 それからジル、タバサ、シルフィードの三人は夜遅くまで、飲み、食い、笑い、歌い、楽しい時間を過ごして、せまいベッドの上で押し合いへしあいながら眠った。

 

 そして夜は明けて、ジルとすごした温かい時間はやがて終わりを告げていった。

「じゃあ、そろそろ行くね」

 竜に戻ったシルフィードの前で、タバサはまたやってくる戦いの時間のために、普段のように冷たく凍りつかせた表情で、ジルに別れのあいさつをしていた。

「気をつけていきな。シルフィーちゃんも、この子をよろしくな」

「まかせておいてなのね。お姉さまはこのシルフィーが、絶対にお守りするなのね。きゅいきゅい!」

 気合を入れるシルフィードの頭をなでてやると、ジルはもう一度タバサの前に立った。

「また、会うときまで死ぬんじゃないよ」

「うん、ジルも、約束覚えてる?」

「もちろんさ、早くこんな山奥の掘っ立て小屋から解放して、お城に住めるようにしてくれよ」

「うん、わたし、もっともっと強くなって必ず迎えにくるから、待っててね」

「ああ、待ってる」

 三年前から途切れぬ約束、それがタバサとジルをずっとつなぎとめていたことに、シルフィードは少々嫉妬さえ覚えた。タバサが強くなるのは、復讐や母を救い出すためだけではない。ジルとの約束を、一刻も早く果たすためでもあったのだ。

”三年も互いを思いあってるなんて、なんかロマンチックなのね”

 夢見がちなシルフィードは、別れを間際に見詰め合っている二人を見つめて悦にいっていたが、いきなりジルは腹を抱えて笑い出した。

「ぷっ、あっははは! いやそれにしても、森の中のお姫様を助けに来るのは、普通は王子様の役目のはずなのに、王女様がやってきたんじゃあどうにもしまらないねえ」

「しょうがないよ。わたしたち二人とも女なんだもの」

「そりゃそうだな。なら今度は恋人でも連れてきなよ。あんたがどういう男を好きになるか、非常に興味があるね」

「そんな、わたしは恋なんて、まだわからない」

「そうかい? こんなに素材がいいのにもったいないね。でも、ときどき思うけど、もしあたしが男だったらあんたを……」

「ううん、その気持ちだけで充分だよ。ジルは、わたしにとってかけがえのない人だもの」

「ありがとう……好きだよ、シャルロット」

「わたしも、大好き」

 二人は、どちらからともなく抱擁しあうと、目をつぶり、そのまま唇を重ね合わせた。

 ジルの野性的な美しさを備えた顔と、タバサの幼女のような愛らしさを備えた顔が一つになる。

「えっ! ええーっ!?」

 あまりに突然な出来事に、シルフィードは竜のくせにだらしなくしりもちをつくと、口をパクパクとさせて言葉に詰まった。

”ちょっ、おねえさま! 確かに恋人を作ってくれとは言ったけど、そういう方面はNGなのよねーっ!”

 言葉にならない悲鳴をあげたシルフィードだったが、シルフィードがなにをどう早合点しようと、そんなことは二人にはどうでもよかった。人がどう思おうと好きにすればいい。自分たちの絆は自分たちにしかわからないだろうし、わかってもらおうとも思わない。

 やがてジルとタバサは、唇から伝わってくる互いの体温と唾液の味、そして言葉にできない思いを交換しあうと、ゆっくりと離れて最後の別れを交わした。

「じゃあ、いってくるね」

「ああ、いってきな」

 

 数分後、タバサはシルフィードとともに空の上にいた。ジルの家はすでに後方に流れていって影も見えない。

「また、ここへ来るのは一年後なのね」

「そう」

 シルフィードの言葉に短く答えると、タバサは読みかけだった本を取り出して、しおりからページを開いた。これから向かう空には、遠からず次なる戦いが待っているだろう。そのときに備えて、少しでも知識を蓄えておかねばならない。

”おかあさま、ジル、待ってて……必ず迎えにいくからね”

 決意を胸に、ゆくべき道に迷いはない。

 ただ……タバサは同時に不思議と不安を感じてはいなかった。

 一年も経たないうちに、もう一度この森をおとずれることになるような、そんな予感が漠然としている。

 それはすなわち、自分の復讐劇の終焉を意味することであったが、根拠がないわけではない。

 今、世界は大きく動いている。異世界からの侵略者というかつてない事態に、すべての国が大きく動き、動乱の時代となりつつある。

 すでにトリステインもアルビオンも一度は滅んだ。滅んだが、若くて強く、正しい心を持つ者たちによって再建された。

 ひるがえって、ガリアはどうであろう? この世界を巻き込む動乱の中で、ガリアだけが、あのジョゼフだけが例外となりえるだろうと誰がいえるだろうか。

 遠からずチャンスはめぐってくる。そのときこそ、三年に及んだ自分の戦いを終わらせて、すべてのものを取り返す。

 いいや、王座や財産、権力などという馬鹿馬鹿しいものはいらない。

 ほしいものは一つだけ、母と、ジルと、シルフィードと四人で暮らして、キュルケたち友といっしょに、閉ざした心を解き放ち、なんの不安もなく笑い会える時間。

 それが、わたしの夢、それがかなうなら、わたしはどんな戦いにも臨んでみせよう。

 

 はるかかなた、敵が待つ空を目指して、群青の髪と瞳を持つ狩人姫は飛ぶ。

 戦いがすんで、武器を捨てるその日のために。

 たとえどんな敵が待っていようと引き下がりはしない。

 まだ見ぬ未来を目指して戦い抜こう。

 そう、あの名も知らぬ青い巨人のように、強く、孤高に。

 

 

 続く



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第6話  波乱の二学期、やってきた新人先生たち

 第6話

 波乱の二学期、やってきた新人先生たち

 

 昆虫型甲殻怪獣 インセクタス 登場!

 

 

 光陰矢のごとし。二ヶ月にも及んだトリステイン魔法学院の夏休みもあっという間に終わり、今日から新学期がやってきた。

「うーん、帰ってきたなあ」

「ええ、ここに帰ってきて、これまで懐かしさを感じることなんてなかったけど、なんか昔とは違って見えるわ」

 もちろん、才人とルイズの二人もヴァリエール領から馬に乗って帰ってきた。

 ほかにも、始業式に間に合わせるために国中から続々と生徒たちが集まってきつつある。

 残った夏休みの日々を、カリーヌとエレオノールによってときに厳しく、カトレアといっしょにときに楽しく過ごした二人は、結局ルイズの父のヴァリエール候に会うことはできなかったが、どうにか無事にこうして帰ってこれた。

「おーいサイト! 久しぶりだな」

 見ると、もう見慣れた金髪の少年が大声で叫びながらやってきた。

「ギーシュ、早いな。もう登校か」

「なあーに、実家で父上や兄たちの武勇伝を聞かされるのに飽きただけさ。やっぱり美しい薔薇は温室よりも、太陽の下でレディたちを楽しませないとね」

「ギーシュ、それは浮気の予告ととっていいのかしら?」

「ギクッ! モ、モンモランシー、そ、そんなことは……」

 例によって、いいタイミングでやってきたモンモランシーに耳元でささやかれて、ギーシュに暑さとは違った汗が流れたのはいうまでもない。とはいえ、この掛け合いも二ヶ月ぶりに見るとなにかじんわりしてくるのも不思議なものだ。

 ほかにも見渡せば、ギムリやレイナールなど、見知った顔がちらほらと見える。みんないい具合に黒く焼けていて、夏休みをエンジョイしたようだ。

「ところでサイト、君たちはアルビオンに旅行に行くといっていたけど、よく無事だったね。突然トリステイン軍がアルビオンに出撃するというので、うちの親父たちなんか大慌てだったんだぜ。まあ間に合わなくてしょんぼりしてたけどな」

「ああ、そりゃあ……な」

「うん? まあ、なにはともあれ無事でよかったよかった。君がいないと、どうにも学院も刺激がないからね。あまり命を粗末にしないでくれよな」

 才人は、へえこいつ心配してくれてたのかと、少し彼を見直した。

「それでアルビオンはどうだったい? こっちにいるといまいち正確な情報が来なくてね。先頭きってアルビオンに乗り込んだ姫さまの勇姿、この目で見たかったなあ。どうだい、見てきたのかい?」

「いや、別に……」

「そりゃもう、王家の危機に立ち上がらなくちゃトリステイン貴族じゃないわ。姫さまを助けて、敵のスパイを見つけたり、裏切り者を相手に大立ち回りを演じたりと、大活躍だったんだから」

「なんだって! そりゃすごいじゃないか」

 よせばいいのに、ルイズが自分の活躍をおおっぴらに、このおしゃべりに語ってしまったものだから、波風立てられるのを嫌がってる才人は、あーあとため息をついた。

「うらやましいなあ、これならぼくも君たちに同行すればよかった。でもな、ぼくだってこの夏のあいだ遊んでたわけじゃない。なあ、モンモランシー?」

「まあね、多少は見直してるわよ」

 そこで才人は、モンモンが普通にギーシュのことをほめるなんて珍しいなと、彼らのあいだにも何があったのかなと、ふと興味を持った。

「そういや、お前もモンモンとデートしながら帰るって言ってたな。さては……?」

「おっと、下世話な想像はやめてくれたまえよ。まあ、互いに土産話は後で腰をすえてやろう。しかし、事前に通知をもらってたが、学院もひどいものだな」

「ああ、ウルトラマン三人と怪獣六匹の乱闘だったからな。よくまあこれですんだもんだぜ」

 近づくごとに、あのヤプールの最後の大攻勢で破壊された痕跡がまだ痛々しい魔法学院の惨状が目にはいってきた。ドラコ、グドン、ギール、ガギ、グロッシーナ、エレドータス、今思い出してもぞっとする。

 やってきた学生たちも、大破した正門や、焼け焦げた城壁、草原に無数に開いたクレーターを見て呆然としている。さすがにグドンやエレドータスの死骸などは取り除かれているが、オスマン学院長やロングビルの苦労が忍ばれる。本当に、よくもまあ休校にならなかったものだ。

「あんたたち、なにを軟弱なこと言ってるの? トリステインの未来をになう学院が、こんなもので休みになるわけないじゃない」

「いやルイズ、みんな君みたいに強いわけじゃないからね。女子生徒の中には、撤去される前の怪獣の死骸を見て、泡を吹いて気絶した子もいるらしいじゃないか」

「そうよルイズ、誰もがみんなあなたみたいに神経が竜のひげでできてるなんて思わないでよね。わたしみたいなか弱い女の子もいるのよ。ね、ギーシュ」

「そうとも、水面に咲く一輪の花のように、はかなげな君は美しいよモンモランシー」

 本当に、相変わらずであった。ルイズは惚れ薬を調合してギーシュを洗脳しようとした女が、よくもまあ抜け抜けとと呆れた。もっとも、そんなルイズも才人から見たら、あのお母さんと姉貴たちの妹がなにいってんだかと思ったが、馬から蹴落とされるのは勘弁なのでその場は自重した。

「さてと、じゃあぼくらはちょっと学院長にお話があるんで先に失礼するよ」

「ん? 休み中になんか問題でもやらかしたか?」

「とんでもない。真逆のことさ、あとで君たちもわかるよ、とてもすばらしいことさ」

 はて、この目立ちたがり屋がもったいぶるとは珍しいことだ。見た目は特に変わらないが、やはり休み中に何かあったのだろうか? 怪訝に思った才人はもう一度問いかけようかと思ったが、その前に空気を読まないこの能天気はとんでもないことを叫んでいってしまった。

「それじゃあ! 二人仲良く相乗りしての登校を邪魔するほど野暮じゃないんでね。いやあ仲良くなっていてうらやましいかぎりだが、さらばだよお二人さん。わっはっはっはは!」

「いっ! バ、バカ!」

 言われた瞬間、二人に衆目が集中し、新学期早々恥ずかしい思いをする羽目になった才人とルイズが、ギーシュを今度会ったら張り倒してやろうと誓ったのを、当の本人が知るよしもない。

 

 そうして、教室につくまでのあいだにキュルケやタバサとも再会し、寮に荷物を運び込んだ二人はホールへ集合し、始業式を迎えることになった。

 だが、いつものように退屈に終わるだけだと思っていた通過行事で、二人はとんでもない事態を迎えることになる。

 食堂上の、まだまだ蒸し暑いホールに一年から三年までの全生徒が集合し、こればかりは地球の学校とも少しも変わることのない、オスマン学院長の無駄に長いあいさつが終わった後に発表された、新任の先生の紹介。それで壇上に上がってきたのは。

 

「本学期より、風系統の授業を請け負うことになりましたカリーヌ・デジレです。夏季休暇中に不幸な事故で入院療養することになりましたギトー先生の代わりになれるよう、皆さんといっしょに頑張ろうと思っています。よろしくお願いします」

「エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールです。アカデミーより、土系統と学術面で皆さまをご指導せよとおおせつかってまいりました。どうぞ、仲良くお勉強にはげみましょうね」

 

 なんと、見間違えるわけもなく、数日前に別れてきたはずの、教員服に身を包みながらも鋭い眼光は変わらないルイズのお母さんと、なんか最後に会ったときとは別人みたいに優雅に会釈するエレオノールがそこにいた。

「な、なんで!?」

 顔を引きつらせる才人と、これは悪い夢に違いないとルイズは頭を抱えた。

 周りからは、はやくもあの先生ルイズと似てないか? それにヴァリエールって、まさかという声が上がり始めているし、事情を知っているキュルケは、なんか面白いことになってきたじゃないと言っているが、とても受け答えする余裕はない。

 その後、式が終わると同時に職員室に駆け込んだルイズが、母と姉を問いただしたところ、返ってきた答えはこうだった。

 

「先日アンリエッタ姫殿下が魔法学院を行幸なさったおり、学院全体の風紀が著しく緩んでいると思われたそうです。学生の堕落はすなわち未来の国の堕落、そこで私に姫殿下より直々に、老朽化した校風の建て直しをしてほしいとおおせつかりました」

 

 そういえば、終業式のときにシエスタたちからもいろいろと話を聞いていたのを思い出した。その結果がこれだったのか。

 ルイズは、確かに効果は上がるだろうと考えたが、とてもじゃないが明るい未来の展望は浮かんでこなかった。おまけに、本当におまけになんで……?

「は、はぁ、それはよろしいのですが、なぜエレオノールおねえさままで?」

「私の助手ということでアカデミーから週の半分ということで許可をとりました。このまま見合いを続けようにも、この子の噂はもう国中の貴族のあいだで知らないものはいませんからね」

 なるほどとルイズは合点した。これ以上見合いを繰り返しても、貰い手の見つからないエレオノールのための苦肉の策ということか。しかし、学院の男子生徒も気の毒だが、このエレオノールも。

「あら? わたくしの顔になにかついてるかしらルイズ。そんなにじろじろ見つめられたら、わたくし怖いですわ」

「……」

 違う、違うといってなにが違うかといえば全部としか答えられない。一応、顔だけは同じなのだけど、歩き方や話し方がしずしずとしていて、眼鏡がふちが大きく目つきを柔和に見せるものになったことで、どこか落ち着いたものになっている。

 第一、エレオノールが教員服の上からとはいえ、こんなカトレアが着るようなゆったりしたドレスを着るか? 才人とルイズが、この世のものではないようなものを見るように、何もいえずに立ち尽くしていると、教員用の書類をまとめていたカリーヌが説明した。

「なにを驚いているの? エレオノールには、私からあらためて貴婦人としての心得を教えなおしてあげただけよ。これまで我が子だからと甘やかしていたのが間違いでした。即席の教育ですが、ないよりはましでしょう」

「そうですわ。ルイズ、いままで意地悪ばかりしてごめんなさいね。お母さまのおかげでわたくしは目が覚めました。これからは、優しい姉になるように心がけますから、どうか仲良くしてくださいね」

「……」

 これは再教育というより洗脳ではないだろうか? 姿を見なかったあのわずかな日数のうちに、いったい何が……? 知りたいが、知ったら一生後悔することになりそうな……ルイズと才人は、なにがあってもこの人だけは怒らせまいと、あらためて心に誓った。

「さあ、休憩時間はもうすぐ終わり。はやく教室にお帰りなさい。それから、ここでは私たちは家族ではなく、あくまで教師と生徒です。よろしいですね」

「は、はーい……」

 こうして、二人の新学期は始まって早々に、目の前に嵐の予感が見えたのだった。

 

 

 おかげで、教室に戻ったルイズは頭を抱えたまま、先生の新学期のあいさつやら授業予定などもろくに耳に入らないまま昼休みを迎えることになる。

 もっとも、暇ができたらできたで今度はクラスメイトたちの好奇に囲まれることになった。

「ねえルイズ! 今度の先生たちってあんたの身内じゃないの! どうなってんのよ?」

「おい、とうとうゼロが行き過ぎて身内のコネに頼ることにしたのか? いい身分だな」

「どうせゼロのルイズの家族だろ、たいしたことないんじゃね?」

「ちっ! これじゃ下手にルイズに近寄ったら成績下げられかねねえな。んったくいい迷惑だぜ」

 予想していた野次ややっかみが降り注いできても、今は言い返す気にもならない。

 平然としているのは事情を知っているキュルケやタバサくらいだ。

 ただ、そんななかでもルイズの興味の一端を引いた問いかけはいくつかあった。

「なあさルイズ、あのエレオノールって人、君のお姉さんだろう? いやあ、美しい人だったなあ」

「そうそう、清楚で優しそうで、おまけにあの眼鏡が知的な雰囲気も与えるし」

「聞けば、あの王立魔法アカデミーの主席研究員だっていうじゃないか。いやすごい、身持ちは固そうだが……で、できればぼくを紹介してくれないかな?」

「あっ! 抜け駆けは汚いぞてめえ、あの方のような女神には、ぼくのほうがふさわしいのだ」

 知らないというものは恐ろしい。いや、幸せというべきか。早くも女郎蜘蛛の巣に哀れな羽虫がふらふらと足を踏み入れつつある。

 それに、カリーヌのことはほとんどの人間が知らなくて当然だが、こんな下品な笑いをこだまさせているやからを、あの人が見逃すとは思えない。

 ルイズは細目でそうした野次を飛ばしてくるクラスメイトや、無邪気に興奮する男子生徒たちを見ながら、ただ一言だけつぶやいた。

「そうやってのんきに笑ってられるのも、今のうちよ」

 

 そんでもって、やっとこさ明るさの欠片も見えない未来を見る気にもならず、ふらふらと食堂に向かったルイズだったが、悪いことの後にはすばらしい出会いが待っていた。

 隣でやや遠慮がちにスプーンを使う才人すら目に入らぬように、ルイズは機械的にろくに味も感じない昼食を口に運んでいた。ところが、ある料理に手を伸ばしたとき、はっとして思わず叫んでいた。

「なにこれ! すごくおいしい」

 ふと、デザートについていたクックベリーパイを口にしたとき、一気に生気を取り戻したルイズに、周り中の視線が集中した。元々ルイズはこのパイが大好物で、機会があれば菓子屋を食べ歩きをしているほどだが、この味はこれまでの食堂はおろか、トリスタニア中のどこの店よりもはるかにまろやかで、それでいてさっくりとした、まさに絶品であった。

「なによこれ、一級のパティシエなみじゃない」

 ぼんやりしていた頭が一気に覚めて、あっけにとられている才人たちの前でひたすらスプーンをルイズは動かした。一口ごとに、幸せな気持ちが口中に広がっていく。やめられないとまらない、あっというまに皿は空になっていた。

「我慢できない。おかわりもらいにいくわ」

「おいおいおい、マジか?」

 席を立ったルイズを追いかけて、才人も慌てて立ち上がった。

 いつもは貴族がどうのと口やかましくて、テーブルマナーにも非常にこだわるあのルイズとは信じられない。やはり人間の最大の欲求は食欲なのか? つか、こんな姿お母さんに見られても知らないぞと思いつつ、いつもシエスタに食事をもらいにいく厨房のドアをルイズに続いてくぐった才人は、そこでおもいもかけなかった相手と鉢合わせした。

「おおサイトにルイズ! やっぱり君もこっちに来たかい、待っていたよ」

「ギーシュ! なんでお前がここに!?」

 思わず大声をあげてしまった才人の目の前で、ギーシュがとりあえずは厨房の皆の邪魔にならないようなすみっこに置かれた椅子に腰掛けて、例のパイをかじりながら手を振っていた。

「なあに、ぼくも最近ではここのコックたちと知らない仲ではないんでね。ふふふ、それにしても思ったとおり、やっぱりこの味に釣られてきたな、このくいしんぼめ」

「うぐっ!」

 おもいきりニヤリと見つめられ、やっと正気に戻ったルイズは冷や汗を流してあとずさった。

「う、うるさいわね! それよりもなんであんたがここにいるのよ! ここがどういうとこだか知ってるんでしょう!?」

「もちろん、だから迷惑にならないようにこうして隅にいるんじゃないか」

 そういう意味ではなかった。今でこそ多少ましになってきているが、この魔法学院でも貴族と平民のあいだには溝が深く、特に厨房は料理長のマルトーはじめ貴族ぎらいが揃っているのに。

 けれど、そこへシエスタといっしょに、白いエプロンを着てコック帽をかぶった見慣れない少女が二人のもとへやってきた。

「ギーシュさま、わたしのパイのお味はどうでしたか?」

「おおリュリュくん。もちろん文句なしさ、さすが諸国めぐりをしてきただけはあるね。そうだ、さっそく紹介しよう。この二人がサイトとルイズ、ぼくの親友たちさ」

「あっ! あなたがたがサイトさんとミス・ルイズですか。ギーシュさまからお話はうかがっております。はじめまして、本学期からこの魔法学院に転入してきました。リュリュと呼んでください」

 にこやかに笑って、軽く会釈した明るい雰囲気を持つ少女に、つられて思わず才人とルイズも頭を下げ返した。

 それは、あの夏休みの、ある山奥での冒険でギーシュとモンモランシーが出会った料理人志望の少女のリュリュだった。

 才人とルイズは、ギーシュからそのときの怪獣タブラとの戦いのことや、彼女が錬金を使って平民にもおいしい料理をたくさん作ってあげたいと望んでいて、そのために魔法と料理の腕を同時に磨ける場所として、彼女をこの学院に推薦したことなどを聞かされて目を丸くした。なるほど、朝オスマン学院長にあいさつに行っていたのはこのためだったのか。

「すごいなあ、貴族なのに平民のために頑張りたいなんて。リュリュさん、俺尊敬しちゃいますよ」

「くす、リュリュでいいですよ。ただのお菓子作り好きが高じて、家出までしちゃいましたけど、シエスタさんやここの方々にもよくしてもらってますし、そんな堅苦しいのはやめてください」

 才人は、リュリュに貴族らしい高慢さが少しも見られないので驚いた。この学院にも何百人も女子生徒はいるが、こんなわけへだてをしないのは彼の知る限り数人だけだ。

 二人は、リュリュが焼いたという新しいクックベリーパイを受け取り、この若さだというのに本場のコックたちにもまったくひけを取らない腕前に、あらためて感心した。

「うーん、うちの家の専属コックにほしいくらいね。たいしたものだわ。でも、転入してくるってことは、この学院の生徒でもあるってことなんでしょ? コックとしての修行と学業の両立なんて大変じゃない」

「いいえ、多少できるのはお菓子作りくらいで、デザート以外はまだまだ見習いです。それにその心配なら大丈夫です。学院長のおはからいで、通常の魔法の授業はそのままで、地理や歴史といった分野は免除していただくことになりました。おかげで、魔法とお料理、どっちもバッチリ勉強できてます!」

 ルイズの問いにも明るく答えたリュリュだったが、それでも朝から晩まで働き通しで、休めるのは寝るときくらいなのに違いない。なのに、彼女の顔には暗さなどはかけらもなく、夢に向かって驀進しているという充足感で満たされていた。

 

”うらやましいな”

 

 ルイズはパイの味を噛み締めながらそう思った。自分の進むべき道に、彼女は少しの迷いもない。それに対して、自分は国のため、姫さまのために命をかけるという信念はあるが、漠然としていて具体的な目標はない。

 と、そのとき感心しながら立ち食いを続けていた才人とルイズの耳元で、シエスタがこっそりとつぶやいていった。

「ところで、ミスタ・グラモンもけっこうすごいんですよ。サイトさんたちがここを去って、新学期の準備のために一足早くわたしたちが帰ってきたときに、ミスタ・グラモンがリュリュさんを連れてきて、マルトーさんたちに紹介したんですけど、最初マルトーさんたちひどく渋ったんです。俺たちの大切な職場に、貴族の遊び半分を入れられるかって。そしたら、どうしたと思います?」

 そのとき、憤慨して去っていこうとするマルトーたちを引き止めたギーシュは、彼らを唖然とさせたことに、いきなり床にひざを突くと、頭を下げて土下座してみせたのである。

「彼女のことについては、ぼくが誇りにかけて全責任を持つ。一生の頼みだ、彼女をここにおいてやってほしい。お願いする!」

 不器用で、下手な頼み方だったが、マルトーたちも、嫌っているとはいえ貴族にここまでされてはむげにするわけにもいかなかった。

 あくまで見習い。この世界は実力だけがものを言う、泣き言は許さないぞと念を押すマルトーに、リュリュがどう返事をしたのかは、今の彼女を見れば明らかだ。

「やるなあ、この野郎」

 目の前でのんきにパイの残りを食っている本人に気づかれないように、才人はぽつりとつぶやいた。女性のためなら火の中水の中のギーシュらしいといえばらしいが、そのために平民に頭を下げるなど、昔のあいつでは考えられないことだ。

 まあ、問題があるとしたら、リュリュと仲良くしすぎるとモンモランシーの堪忍袋の尾がいつまで続くかということだが、そこまで心配してやる義務はない。

 

 そうして、世の中が自分たちの知らないところでも止まらずに進んでいくことを感じながら、新学期の一日目はあっという間に過ぎていった。

「なかなか、二学期も面白くなりそうだな」

 波乱の一日が終わり、久々に帰った寮のルイズの部屋で、就寝前に才人はルイズの机に座りながら、ベッドに入ろうとしているルイズと話していた。

「冗談じゃないわよ。戦いが終わって、やっと平穏に過ごせると思ったのに、なんで学院でまでお母さまに監視されなきゃならないのよ」

 ネグリジェをだらしなく着崩して、精神力を使い果たした様子でつっぷしているルイズは、残暑の暑苦しさからか毛布をかぶらずに、首だけを才人に向けて答えた。

「まあ、姫さまの決めたことだから文句も言えないしなあ。それ言い出せば、おれだってあの人は怖いよ。けど、下手に逆らって『教育的指導』を受けたくはないだろ?」

「それこそ冗談じゃないわよ」

 暑さとは別の汗が大量に浮かんでくるのは、人間の精神の根源に刻まれた恐怖の発露に他ならない。カリーヌにも、規則違反などの禁忌にさえ触れなければ寛容さはあるのだが、その度を越えてしまったときの怒りの恐ろしさで比肩しえるものは現世には存在せず、少なくとも、エレオノールと同じ目には死んでも遭いたくない。

 才人は、ルイズの母親へのプレッシャーは相当なものだと思って話題を変えていった。

 キュルケやタバサも、夏休みの残りのあいだ中に特に何もなかったらしく、いつもどおりに再会したし、ギムリやレイナールたち悪友連中も元気だった。

 また、放課後になってオスマン学院長にあいさつに行ったときに、ロングビルとも再会した。その場で聞かされたことには、破壊を頼まれていたゼロ戦は、どうせこちらに残ると思ったから固定化をかけて森の中に隠したということで、感謝するのとともに、そのうちこちらに持ってこようと思った。

 そして、ウルトラマンAを補佐するためにこちらに残ったウルトラマンヒカリことセリザワ・カズヤとも再会し、しばらくは警備員としてこの学院を守りつつ、この世界に慣れるつもりだとも聞かされた。

 ほかはといえば、コルベール先生が夏休み中どこかへ行っていた旅から帰ってきて、せっかくだからとあいさつに出向いた。が、先生の小屋がいろいろとわけのわからないもので埋め尽くされていて、結局近づく気にもならなかった。そのあたりで日も暮れて今に至るわけだが、やっぱり今日一番喜ばしいことはあれだった。

「しかし、ギーシュの奴も見直したぜ。やっぱり女の子がらみってところではいつもどおりだが、自分だけで怪獣に挑んでいくとはな」

「ばーか、どうせあいつのことだから誇張された話半分に決まってるじゃない。でも、確かに相当な変わり者ね。類は友を呼ぶということかしら」

 お前が言うなと才人は思ったが、それを言えば類友に自分も入ってしまう。

 もっとも、ランプの灯りでよくルイズの口元を観察してみたら、緩んだ唇からよだれが光って見えるので、ルイズがリュリュのことを大いに歓迎しているのはわかった。

「ま、ともかくよかったじゃねえか。虚無の曜日とかは練習をかねてお前の好物とかを作ってもらえることになって。おれもこれでもうお前に付き合って、苦労して菓子屋めぐりをしなくてすむってもんだ」

「わかってないわねえ、自分で苦労してお店をまわるから、当たりにめぐり合ったときの感動が大きいんじゃない。菓子屋がなくても、服にアクセサリーとか、探し歩きたいものはいくらだってあるわ!」

 やれやれと才人は肩をすくめた。気の強さは男の何十倍なのに、こういうところばかりは普通の女の子なんだからな。ま、そこが可愛くもあるんだが。

 とはいえ、そうしていられるのも平和の証といえばそうなのだ。少なくとも、誰かが傷つき死んでいく場面に立ち会わされるよりは、ルイズの荷物持ちをさせられているほうがよっぽどいい。

 ちなみに、歴代防衛チームの隊員の間でも、北斗星司と南夕子のように、休暇を利用した女性隊員のショッピングの荷物持ちに駆り出されて大変な目に合った男性隊員が幾人もいたという。

「ふわぁーあ……それじゃ、あたしはもう寝るわ。あんたも寝たら?」

「いや、おれはもう少し勉強してから寝るよ」

 机の上には才人のパソコンが置かれ、液晶の明かりを煌々と部屋の中に照らしていた。

 そのディスプレイには、GUYSライセンスの講習ビデオが映し出されていて、傍らには筆記試験の教本などが詰まれている。早ければ三ヵ月後にやってくるGUYS入隊試験に向けて、才人の受験勉強はすでにはじまっていた。

「そう、でも明日ちゃんと起こしてよ。寝坊なんかしたら許さないからね」

「ああ、ほどほどにしとく」

「……おやすみ」

「おやすみ」

 熱心にパソコンに向かい始めた才人をちらりと見て、ルイズは目を閉じた。

”サイトも夢に向かって努力してる。あたしは将来、なにになればいいんだろう”

 睡魔に身をゆだねる前に、ルイズの心に小さな疑問が浮かんで、すぐに安眠の中に飲み込まれていった。

「ほんとに、寝顔だけは世界一可愛いんだけどな」

 それにしたって、新学期早々ここも一気ににぎやかになったものだ。悪く言えば、騒々しいとかやかましいともいうが、人の多く集まるところには必ず何か事件がつきものである。

 もっとも才人は、平穏が続くよりは、そうしたアクシデントやハプニングを無意識に望む若者らしい鋭気に満ちた心を忘れてはおらず、不謹慎ながらも明日が来るのが楽しみでしょうがなかった。

 

 

 けれども、期待と現実というものは往々にして反比例するものである。

 才人の期待やルイズの不安とは裏腹に、翌日からは意外にもそこそこ平穏な日々が帰ってきた。

 

 

「では次、教本の一七四ページを、ミス・シャラント、読んでください」

 いつもどおりの教室の中で、黒板の前に立って、左手に教科書、右手にチョークを持ったカリーヌの声が、ペンを動かす生徒たちのあいだを通り抜けていく。余所見をしたり、ふざけあう生徒は一人もいない。

 この日の一時限目から始まった風の授業。はじめに教室に入ってきたカリーヌは、ごく普通に自己紹介をし、ついでなにか質問はないかと言ったところ、一人の男子生徒が立ち上がり、胸をそらして恐れを知らないというふうに野次をとばした。

「どうしたらルイズみたいな『ゼロ』を育てられるんですか?」

 思い切り挑発的に、大人をなめきった世間知らずな子供の、他者の心を傷つけることをなんとも思わない残酷さの、醜悪な発露がそこにあった。

 だが、その下品な野次に彼の友人の追従は得られなかった。

 ルイズの激怒、他の生徒の笑いよりも早く、ほぼ無詠唱で唱えられた雷の魔法がその生徒を直撃し、気を失う寸前で崩れ落ちたその生徒を一瞥して、カリーヌは冷然と言ったのである。

「プライベートなことには答えられません。ほか、何かありますか?」

 口を開くものがいるはずがなかった。ほとんど瞬きをしている瞬間ぐらいしかない超高速詠唱、わずかでも反応できたのはタバサとキュルケの二人くらい。その二人でさえ、反応するだけがやっとだった。

「では、授業を始めます。教科書の一六五ページを開きなさい」

 誰もが、無神経な男子生徒の二の舞になる気はなかった。全員が慌てて教科書を開き、しんと押し黙って先生の講義が始まるのを待つ。ただしその後のカリーヌの態度は、ルイズやほかの生徒達が予想していたものを裏切った、完璧なまでの教師のそれであった。

 黒板に文字や図形を書き、解説をし、生徒に教科書を読ませ、頻繁に質問や、生徒の独自の考察を述べさせて授業に飽きさせないようにし、ノートをとらせる。むろん、居眠りをするような生徒には、チョーク代わりに魔法で目覚ましが飛んだが、講義自体は高圧的ではなく、ほかの教師は自分の系統の魔法の有意性について延々と語るばかりの授業が多い中で、特に独自性や個性はないが、最後まであくまで客観的に授業をおこなった新しい先生に、生徒達は新鮮な感覚を味わっていた。

 

 放課後になって、教員室で書類を相手にしていたカリーヌの元にルイズが駆け込んだのは、そうした普段の母親との激しいギャップを感じたからである。

「強権で言うことを聞かせたところで、目に見えないところでは恨みと反発を蓄積させていくだけでしょう。ここは軍隊ではありませんからね。時には鞭も必要ですが、教えるべきことをきちんと教えていけば、あとはこれぐらいの年頃の子供は、自分で自分を育てていくものです」

 てっきりすぐにスパルタ教育が待っているものと思っていたルイズは、カリーヌのその意外にも寛容な教育方針に、母の懐の深さをあらためて知った気がした。

 というより、子供はある程度育つと、正しいとわかっていても大人に逆らいたくなるもので、自分が世界で唯一正しくて、大人はみんな悪者だと思いがちになる。これが自我の目覚めであり反抗期なのだ。

 そしてこの時期が人格形成にとって重要なのだが、ここで挫折や失敗を繰り返して、世界は自分だけの論理で動いているのではないと知れば他人の苦悩も理解できるようになり、一個の人間、一人の大人として成人していく。ただし失敗したら、自分のためには他者を省みないエゴイズムの塊みたいな人間ができてしまうので、まわりの大人は細心の注意を払う必要がある。

「それに、お前やエレオノールのように気心の知れた間柄ならともかく、昨日今日急に現れた人間の言うことを、素直に誰もが聞くと思いますか? 教師と生徒というものは、軍隊の上司と部下とは違いましょう?」

 もとより、教育というのは地道なものなのである。かつて、地球で数ヶ月間教師を務めていたウルトラマン80こと、矢的猛も、徹夜でテストの採点をしたり、朝のあいさつの練習をしたりと人の知らないところで努力を積み重ねて、生徒の信頼を勝ち取っていった。

 それに、カリーヌはルイズに対して教育ママかといえばそうともいえない。ルイズが学院に入る前には、勉強しろと口やかましく言ったりもしたが、度を越えて怒鳴りつけたり、できばえが悪いからとヒステリーを起こすようなことはなかった。

「さて、私はそろそろ客が来る。そろそろ帰りなさい。宿題を忘れでもしたら、ただではすまさないぞ」

「あっ! はいっ!」

 すっかり長居してしまったことにようやく気づいたルイズは、慌てて教員室の外へと駆け出していった。

 それを追って、才人も教員室を出ようとしたのだが、その前にカリーヌに呼び止められて、意外なことを告げられた。

「サイトくん、私も姫さまの命とはいえ、慣れない教職という仕事だ。完璧をこなせるとは思わないし、特にあの子は私の子というので、しばらくは風あたりが強いでしょう。苦労すると思うがなだめてやってほしい」

「ええ、それはもちろん」

 ルイズをなだめるならいつもやっていることだ。その点に関しては是も非もない。ただ才人が少々面食らったのは、あの厳格そのもののカリーヌが、自分に頼みごとなどをするとは思わなかったことだ。

 カリーヌは、才人から了解をとると、周りで誰も聞いていないことを確認し、軽く息をつき、力を抜いて彼に言った。

「サイトくん、君から見て、この学院の教師というのはどういうものですか?」

「はぁ……えーと、コルベール先生は平民のおれにもよくしてくれますけど……えーっと」

「つまり、その他の教師は語るにも値しないということね。ねえサイトくん、私はこれでも、理想的な教師になろうなどと傲慢なことは考えてはいない。ただ、せめて受け持った子供が世に出ても人に迷惑をかけない程度の、普通の人間になるくらいにはするつもりだ。どうも不器用で、娘にはすっかり嫌われてしまったようだけどね」

「そんなことはないですよ、ルイズはああですが、本当はお母さんのことが大好きですって」

「本当にそう思いますか?」

「もちろん」

 才人は、カリーヌもこの新しい仕事に不安を感じていたことを知った。普段誰にも弱みを見せず、強く見える人でも、人間である以上悩みや不安とは無縁ではいられない。特に、もはや荒療治をして直すしかなかったエレオノールと違って、人生で一番多感な時期のルイズのことは、誰よりも心配なのだろう。

「やれやれ、親はなくとも子は育つ、とはうまく言ったものね。三人も生んでおきながら、誰も親の思い通りには育ってくれない。あなたの母上も、さぞご苦労なされたことでしょうね」

「……はい」

 やれやれ、この親にしてこの子ありとはよく言ったものだ。才人は、この人も充分甘いではないかと思って苦笑しかけたが、ほおの筋肉を引き締めると、退室しようと腰を上げた。

「失礼します……あ」

「才人か、さっきお前のパートナーが慌てて走って行ったぞ」

 入れ違いに、警備兵の制服を着た偉丈夫とすれ違うと、才人はルイズを追って寮へと向かった。

 

 それらの言葉どおり、それからのカリーヌは地道に教師としての地歩を築いていった。授業をし、宿題を出し、テストの成績がよければ褒め、態度が悪ければ魔法を飛ばす。

 笑顔を見せることはなかったが、元々前任の風の教師であったギトー教諭が傲慢な性格で生徒たちから嫌われていたこともあり、そうした堅実な態度はしだいに周囲に認められていき、一週間もするころにはルイズの母親だからとやっかむ声も自然に消え、職員室にノートを持ってくる生徒も現れ始めた。

 逆に言えば、それまでの魔法学院の教師はそんな当たり前のことさえできていなかったということであった。だが、カリーヌはひたすら堅実に努め、生徒たちと馴れ合いはせず、必要以上に恐れられもせず、そこにこの先生がいるという存在感を、学院の中に構築していった。

 

 なお余談ではあるが、すっかり人格を変えられてしまったエレオノールは、一部の生徒の間にファンクラブまでできているそうだが、ルイズは触らぬ神にたたりなしで不干渉を決め込んでいる。付け焼刃の淑女の化けの皮がはがれる、そのときに恐怖しながら。

 

 そうして魔法学院の二学期は、新しい先生や仲間を増やして過ぎていき、ルイズは本来の生活である学生としての平穏な生活に徐々に慣れていった。

 

 だが、ルイズも誰も気づかないところで、事件の幕は上がっていた。

 

 週に一度、トリスタニアの市場から学院に運び込まれている大量の食品。

 野菜、肉、穀物、それらは学院の食堂で調理され、豪勢な料理となって食卓に並ぶ。

 その、膨大な食品の中に、どんな注意深い人間でも気づかないような異物が紛れ込んでいた。

 ほんの、二ミリほどの大きさの紫色のそれは、二本の触覚を伸ばして、ちょこまかと虫のように跳ね回る生き物。これをもし地球の学者が見たら、カニやエビなどの甲殻類の幼生『ノープリウス』だと言うだろう。

 ただし、それは食料庫のなかを縦横に飛び回り、一人のコックが小麦粉などをとりにやってきたときに、こっそりと彼の体をよじのぼり、耳の中に飛び込んでそのまま寄生してしまったのである。

 もはや、それはただのノープリウスではなかった。

 これこそ、地球にも出現したことのある昆虫型甲殻怪獣インセクタスの幼生体だった。

 この個体は、かつてのインセクタスが、危機的状況にあって成長が加速されて孵化からわずか一日で成体になったのとは異なり、何日もの時間をかけて寄生した人間の体内でじっくりと成長を続けて、ミクロ単位から巨大怪獣になろうと細胞分裂を繰り返していった。

 おまけに、インセクタスは寄生した人間に風邪に似た症状を引き起こしはするものの、人体に致命的な影響を与えることはないので誰にも存在を感づかれることはなかった。それをいいことに、奴は人から人へと宿主を変えていき、せいぜい夏風邪がはやっている程度にしか、人々は異変を感じることはなかったのである。

 

 事件の火種は、いつも平和の中でくすぶりながら、大火になる準備を進めていく。

 数日のあいだは、シエスタやマルトーが食料庫に入っても。

「なあシエスタ、最近食料庫の在庫の数が異様に減ってるんだが、心当たりないか?」

「いいえ、別に」

「そうか。俺は貴族のガキの誰かがつまみ食いにでもきてるんじゃないかと思うがな。やつらは味の好みにうるさいくせに、平気でこっちで作ったものを残しやがるから」

 そうした立ち話がかわされるだけで、すぐに日常に埋もれて忘れられていく。

 

 音もなく、気配も見せずにインセクタスは成長を続けた。そしてある日とうとう食料庫のかたすみに繭をはって、ノープリウスから一気に全長二メートル大の一次変態を迎えて、小型ながら怪獣の姿を現した。

 太くたくましい六本の足で地面を踏みしめ、その上に乗った兜のような大きな頭部からは、黄色の大きな角を左右に二本、上部に一本生やし、金切り声にも似た鳴き声を上げて動き出す。こいつは、雌雄がはっきりと分かれているインセクタスの雄だ。

 まだ大きさとしては小さいものの、姿かたちはすでに成体と同じ。しかも無害に近かったノープリウス状態と違い、凶暴性も上がっている。もしも、こいつが何も知らない学院の生徒たちの中にいきなり飛び込んでいったら、大変なパニックが起きるだろう。

 インセクタスは食料庫の中を這い回り、やがて大きな鉄の扉の前に出た。

 これを突き破れば、外にはちょうど昼休みでのんびりとティータイムを楽しんでいる生徒たちの正面に出る。むろんインセクタスはそんなことを知るはずはないが、生徒たちがインセクタスの姿を見て悲鳴をあげでもしたら、インセクタスは即座に彼らを外敵とみなすだろう。

 

 十メートル、八メートルとインセクタスは扉に近づいていく。

 

 だが、不思議なことにインセクタスの前、すなわち扉の前に直径三メイルほどの真ん丸い穴がぽっかりと空いていた。

 こんなところにこんな穴があったか?

 インセクタスは本能的に巣としていた食料庫の構造を思い出し、その齟齬に一瞬動きを止めたが、すぐに警戒心より外に出たい欲求が上回って、穴を避けて扉に向かった。

 その瞬間、インセクタスが穴から目を逸らしたほんの一瞬のことだった。

 穴はまるで生き物のようにすばやくその場から動くと、気が逸れていたインセクタスを逃げる間もなく落とし込んでしまったのだ。

 そして穴は、そのまま並行に動いて食料庫に詰まれていた小麦粉の袋をいくつか飲み込むと、後は地面に吸い込まれるようにして消えていった。

 

『ワハハハハハ……ウハハハハハ……』

 

 地の底から響いてくるような不気味な笑い声が食料庫にこだまする。

 

 本当の事件は、ここからはじまる。

 

 

 続く



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第7話  がんばれ!未来の三ツ星シェフ (前編)

 第7話

 がんばれ!未来の三ツ星シェフ (前編)

 

 再生怪獣 ライブキング 登場!

 

 

「相談? おれたちにか」

 新学期が始まってから二週間半が過ぎたある日。夕食を終わらせて、あとの放課後を特にすることもなくギーシュやモンモランシーといっしょに、夏休みの思い出話をしていた才人たちに、突然リュリュが相談を持ちかけてきたのが始まりだった。

「なんなりと言ってくれたまえ。レディに相談を持ちかけられて、断ってはグラモン家の名折れ、積もる話もあることだし、向こうでゆっくりと二人で……」

「なにをする気なのかしら?」

「え? あ、まっ、ごぼぐげごぼっ!」

 まあさっそくギーシュがいつもの悪いくせを出して、モンモランシーの作った魔法の水の玉の中で溺れているが、自業自得なので才人もルイズもしらけた視線でだけ見ている。

「さてと、バカのおかげでいきなり話が横道に逸れたけど、多分学院で一番多忙な生徒のあなたがわざわざ来るってことは、ただごとじゃないようね」

 溺死寸前のところでギーシュをずぶ濡れで放り出したモンモランシーは、水もしたたるが全然いい男ではない一応の恋人に一瞥もくれずに、今となっては戦友ともいえるリュリュに、真摯な態度で向き合った。

「ありがとうございますモンモランシーさん。実は、少し言いにくいことなんですが……」

「なによ、いっしょに死線をくぐった仲じゃない。脳みそがお花畑のあのバカはほっといて、できることなら力になるわよ。人に聞かれたくない話なら、わたしの部屋に行く?」

「いいえ、できればルイズさんや、平民のサイトさんにも聞いてほしいんです」

 そう言われて、才人とルイズは平民の才人にも聞いてほしいとはどういう話かと怪訝な表情になったが、日夜寝る間も惜しんで修行に励んでいるリュリュのことは聞き及んでいたので、文句を言わずに了承した。

「おれで役に立てるかはわかんないけど、相談に乗るくらいはいつでもいいぜ。ここだけの話だけど、君のクックベリーパイのおかげで最近ルイズの機嫌がよくてね。おこぼれにあずかって、おれの食卓も豪華になってきたんだ」

「サイト、なにひそひそ話してるの? わたしもね、あんたみたいにひたむきな人は嫌いじゃないから力になってあげる。そういえば、今日のクックベリーパイも絶品だったわよ。また腕を上げてきたんじゃない」

「ええ、ありがとうございます。ルイズさん……でも」

 ご機嫌なルイズの賛辞にも、リュリュは暗い態度のままでぽつりとつぶやいた。

「実はわたし、料理人としての自信がなくなってきたんです」

 まったく予想していなかったその言葉に、聞いていた全員が「ええっ!?」と驚いた。考えるまでもなく、彼女の料理の腕はここで修行するようになってから、短期間ではあるが上達こそすれ問題があるようには思えなかった。特にルイズは、今日も三枚もパイを平らげただけに、食べられなくなるのではと必死でリュリュに詰め寄った。

「リュリュ、なにがあったかは知らないけど、あなたの腕はもう小さな店をもってたって不思議じゃないレベルにまできてるわよ。このわたしの舌がそう言ってるんだから間違いないわ! だから元気出して、あなたがいなくなると困るのよ!」

「あ、ありがとうございますルイズさん、でも」

「おいおい、まだ話もろくに聞いてないのにそんなに迫るなよ。つか目が血走ってるぞ」

 興奮したルイズに詰め寄られて困ってしまっているリュリュに、才人が助け舟を出してルイズを落ち着かせると、リュリュはほっとして話を続けた。

「みなさんが、わたしの……わたしたちの作ってくれたお料理を楽しみにしてくださっているのは、とてもありがたく思います。けれど、皆さんに楽しく食卓を囲んでいただこうと思って、無理を言ってデザートを付け加えさせていただいても、ほかの方々には……」

「どういうことだい? 話が見えないが」

 はてな、とでもいうふうにギーシュが両手を横に広げてジェスチャーをとると、リュリュは「ちょっと来てみていただけますか?」と、一同を厨房の裏手に案内した。

 するとそこには、強烈な異臭とともに、うず高い極彩色の小山が築かれていた。

 

「うっ! これは」

「げほげほっ! ひどい匂い」

「ざ、残飯の山じゃないかい」

 一同はその生ゴミの山からただようすさまじい悪臭に、のどや口を押さえて慌てて距離をとった。

 ただ、十メイルほど離れても、その臭いはまだ漂ってきて、周りにはさっそくカラスやネズミなどが群がって凄惨な光景を見せていた。

「こ、これが見せたいものってこと?」

 モンモランシーが手持ちの香水を消臭剤代わりに水魔法で薄めてばらまき、やっと臭いが少しは収まると、リュリュは悲しそうに首を縦に振った。

「これが、今日一日に出た分の……食堂の食べ残しです。わたしたちがいくらがんばってお料理を作っても、ほとんどの方々は充分に手をつけずに残していってしまいます」

 見ると、リュリュのクックベリーパイも、残飯の山に大量に埋もれて無残な姿をさらしていた。

「量も味も、毎日のメニューも、毎日きちんとみんな考えて、飽きないように、健康に過ごせるようにと、料理長もみんなも、いつも真剣なんです。なのに、どうして……」

 心底つらそうに、とつとつと告白するリュリュのうつむいた顔を、四人のうちの誰もまともに見ることはできなかった。それは、誰にでも好き嫌いはあるのだし、アレルギーなどでどうしても食べられないものがある人もいるのだから、残飯が出るのはどうしても避けられない。けれども、この量は……

「少しでしたら、あとは家畜のえさにすれば無駄にはなりません。でも、これだけ多いと全部ごみに出すしかないんです」

 リュリュの言葉を聞きながら、才人はじわじわと真綿で首を絞められているような息苦しさを感じた。

 食い物を粗末にすることは、ルイズに召喚された当時に、犬のえさのような食事しかもらえずに、ずいぶんひもじい思いをした経験から腹は立つ。しかし、だからといって自分も地球にいたころはジャンクフードやカップラーメンの食べすぎで、夕食にせっかく母が作ってくれた料理を、たいして食べられずに生ゴミにしてしまったことが一度や二度ではない。

 恐らく、この学院にかよう生徒たちも似たようなものなのだろうと才人は思った。毎日見ていることだが、朝食から鳥のローストなどが出るようなのが魔法学院の食卓なのだ。そりゃあ、どうしたって食べきれずに残すものが出てきてもおかしくはない。ただ、それなら量を減らせばといえばそんな単純なことではない。飽食に慣れた貴族たちに、明日からいきなり食事の量を半分にするといったって聞き分けられるはずはないし、才人だって昔ならば、いきなり米の飯から、明日から粟やひえやめざしだけ食えと言われれば腹を立てただろう。

 なによりも、コックたちは全員平民であるから貴族に対して文句を言えない。生徒の中にはそれをいいことに、菓子やらワインやらを自室に持ち込んで偏食している者もいるだろう。さらには、それを指導する教師もここにはいないのだ。

 それでも、ルイズは厳しくしつけられて育ったために、ディナーもまともに食べられないほかの生徒に憤りを覚えた。また、その反面貧乏貴族の出で、食えないことはないが飽食とは程遠い生活を送ってきたギーシュとモンモランシーも憮然としてこの惨状を見ていた。

「まさか、毎日こんなに残飯が出ていたなんて知らなかったよ」

「こりゃあ、自信をなくすのも当然ねえ」

 洞窟で三日間飢えて過ごした二人にとって、それは笑ってすごせる問題ではなかった。特にモンモランシーのほうは、自作の香水を売って小遣い稼ぎなどをしているので、自信作の香水がまったく売れなかったときの苦い記憶が重なって、リュリュの気持ちがよくわかった。

「わたしの夢は、万人が平等に美食を楽しんでいただけるようになることで、それは貴族の人たちも例外ではありません。けれど、美食を追及していくと、人は食べ物への感謝を忘れるようになる。わたしも、昔はおいしいものをたらふく食べて育ったから、えらそうなことは言えませんが……わたしの考えは、間違っているんでしょうか」

 空気は人間が生きるのに必要なものだが、空気をありがたいものだと感じる人間は少ない。それは空気がそこらじゅうにごく当たり前にあるからだ。ならば、食べるものが当たり前にある人たちに、食べることの幸せを伝えようとするリュリュの夢は通じないのだろうか。

 四人はそれぞれリュリュの夢の純粋さも、ひたむきさも、その原動力となった優しさも理解しただけに、無責任な否定や慰めの言葉を口から出すことはできなかった。それでも、いろいろ思うところはあったが、まさか全校生徒に注意するというわけにもいかないし、ほかにいい方法も浮かばない。

 結局、悲しみに沈むリュリュを四人で慰めると、その日は彼女と別れて終わった。

「皆さん、今日はどうもありがとうございました。お話したら、少し楽になった気がします」

 身分が下の才人にまで、ぺこりと礼儀正しくおじぎをして帰っていくリュリュの後姿は、とても痛々しく見えた。

 

 その光景を、屋根の上から一羽の小さな白い鳥が眺めていたのを、誰も気づいてはいない。

 

 

 だが、異変はその翌日に唐突に厨房の一角から始まった。

 早朝、学院の朝食を用意するために、まだ日の昇らない暗い内に起きだしてきたコックたちは、道具を洗浄し、かまどのおき火に風を入れて、日常のとおりに料理にかかろうとした。

 それなのに、準備が整ったのにいつまで経っても食材が運び込まれてこないので、マルトーたちが不審がりはじめたとき、今日の厨房手伝いの当番だったシエスタが血相を変えて飛び込んできた。

「た、大変です! 一大事です。大事件です!」

 大急ぎでここまで走ってきたのだろう。エプロンのすそを泥で汚して、息せき切って駆け込んできたシエスタを、マルトーはとりあえず落ち着けと息を整えさせると、なにがあったのかと改めて問いかけた。

「た、大変なんですよぉ! し、食料庫の食べ物が全部なくなっちゃってたんです!」

「なんだとぉ!?」

 食堂の全員が仕事を忘れてシエスタに詰め寄り、どういうことなんだと問いただしたあとに、そろってまだ夜闇が濃い道を走って食料庫に駆けつけた。扉の前にはシエスタといっしょに行った使用人たちやコックが呆然とした様子で立っていて、中を覗き込んだ一同は例外なく愕然とした。

「なっ……!」

 食料庫が……学院生数百人分の一週間分の食材を余裕で保存しておける、高さ五メイル、横幅奥行き五十メイルほどもある巨大な食料倉庫が、ものの見事にすっからかんになっていた。どれだけ見渡しても、うずたかく積み上げられていた小麦粉の袋や、肉や野菜を詰め込んであった木箱も一つたりとて見当たらない。

「どっ、どっ、泥棒だぁぁーっ!」

 それから魔法学院は、叩き起こしたオスマン学院長に報告が上がるや否や、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 なにせ、隠しておけるような事件ではない。学院の食料が根こそぎ消えるという前代未聞の出来事に、すぐさま全教員が招集されて調査がおこなわれるあいだ、食堂近辺は立ち入り禁止とされて、朝食がなくなるとわかった生徒たちは騒ぎ始めた。

 

「メシ抜きってどういうことだ!」

「食料庫に泥棒が入ったって? 警備の連中はなにをしていたんだ」

「この学院に泥棒って、まさかまたあの土くれのフーケみたいな奴がか」

「いや、おれは厨房で火事があったって聞いたぞ」

「コックどもはなにをしてるんだ、これだから平民は」

 

 憶測や噂がデマを拡大させ、騒ぎの無秩序な拡大を恐れたロングビルらによって、全校生徒は許可が出るまで寮から出ることを禁止し、自室で待機を命じられて、ようやく騒ぎは一応の沈静を見た。

 

 が、肝心の問題の解決はこれからであった。

「ともかく、この魔法学院に賊が入るとは一大事じゃ。こんな不名誉を放置しておくわけにはいかん、全教師の誇りにかけて犯人を捕らえねばならん。もし、取り逃すようなことがあれば、我ら全員減俸程度ではすまん事態になるぞ!」

 オスマンが集まった教師たち全員を一喝して、ただちに捜査が開始された。

 なにせ、名誉を何よりも重んじる貴族たちのことであるから、自分の勤めているところでの失態はその後の職歴に大きく響く反面、ここで賊を捕らえて手柄をあげれば小は昇給から、大は王都への転勤にも一歩近づく。そのどちらにも興味のない例外はカリーヌとコルベールの二人くらいだ。

 そうして、保身から野心までいろいろあれど、最低でもトライアングルクラスのメイジ数十人をもってして、捜査は数時間にわたって行われた。けれども……彼らの必死の努力もむなしく、犯人の有力な手がかりらしきものは発見することはできなかった。

「これだけのメイジがそろっていながら、情けないものじゃのう」

 失望しきったようなオスマンの言葉に、一人の教師が言い訳するように調査結果を報告したが、それで事態が好転するわけではなく、無力感を味わった彼らは、すごすごとすきっ腹を抱えて引き返していくしかなかった。

「やれやれ、普段生徒たちに言っていることの半分も自分ができればこんなみじめな思いはしなくてもすむまいに。まあ、連中にはよい薬か。それでカリーヌくん、君から見て、この事件はどう思うね?」

 オスマンは、教師たちが立ち去っていった後に、ただ一人表情を変えずにじっと立っていたカリーヌに質問した。なお、オスマンはカリーヌの前歴をルイズたち以外に知っているただ一人の教師である。

「少なくとも、あの連中の手には負えないでしょう。これは、どうもただの人間の仕業とは思えません」

 カリーヌは、烈風と呼ばれていたマンティコア隊時代の表情になって、集めてきた資料に目を通すと言った。

 

 まず、昨日の夕食のとき食料庫は数人の使用人とコックが確認しているが、そのときにはまったく異常はなかったので、犯行時間はそれから明け方までのあいだ。

 犯人の候補としては、盗られたものの量から大規模な盗賊団が想定されたが、これが早々に暗礁に乗り上げた。

 なぜなら、数百人分の食料を一夜で運び去るには、当然それなりの人数と装備がいるが、あの土くれのフーケ事件以降警備もそれなりに強化されていて、夏休み中はまだしも新学期が始まって以降はきちんと見張りの目が存在している。実際その日も、正門の当直の教師をはじめ、セリザワほかの数十人の警備員も夜通し見回りをしており、それらにまったく気づかれずに学院に侵入することはまず不可能。つまり外部からの人間の線は薄い。

 ならばと、根性の曲がった教師の何人かはコックたちの自作自演の狂言を疑ったが、食料庫が昨日まで満載であったのは警備員も確認しており、なによりもそれほどの重量物を運んだのなら食料庫前に荷車の跡くらいはつくはずである。だが、そんな形跡はなく、リュリュ以外は全員平民のコックたちにそんな芸当はできない。

 外部の人間ではなく、平民にも無理、そうなればこの学院に通う生徒たちが疑われたが、これは馬鹿馬鹿しいとして一蹴された。そんなものすごい真似、教師である自分たちでさえ不可能なのだから。

 ともかく、食料庫の鍵は壊されておらず、倉庫の壁や天井にも壊されたりした形跡はない。ディテクトマジックで徹底的に調べた結果、教師たちは未知なるメイジの仕業と断言したが……それが限界であった。

 

「彼らは、ものごとを自分の常識の範囲内でしか見ていません。不可能と思われるなら、その不可能を可能にする方法を考えもしない。よくもまあ、あれで堂々と教師と名乗れるものです」

「うーむ、耳の痛いことじゃ……わしもあと六十年若ければ。いやあ、こんなポンコツはもうさっさと隠居すべきなのじゃが、跡継ぎを決めないままだらだらとやってきてしまって、今じゃあもうやめるにやめられん。まあ、年寄りの愚痴はともかくとして、やはりこれは手だれのメイジによる盗賊団だと思うかね?」

「知らせを聞いてからすぐに私の使い魔に、この学院の四方二十リーグを索敵させましたが、怪しい一団の影など皆無でした。空を飛んだにせよ、あれほどの重量物をもって早々遠くには逃げられません」

「ではやはり、生徒か教師の仕業じゃと?」

「いえ、始業式から今日まで、学院の生徒はほぼ見尽くしましたが、それほどの実力者はおりませんでした。教師は論外です」

「まあ、君の若い頃に比べたら、この学院の全員がたばになっても敵うまい。が、まさか食料がなにもなく蒸発してしまったとは思えん。それに、食事ができなくては授業どころでもないしの。困ったものじゃ」

 ため息を軽くついて、いかにも困ったしぐさをするオスマンは、不思議とどこか楽しそうにも見えた。錯覚かもしれないが、カリーヌにはその何事にも他人事のように平然としている神経の太さが少しうらやましく見えた。

「それで、学院長はこの件をどうなさるつもりですか?」

「そうじゃの。ことが公になったら大恥じゃし、衛士隊には通報せずにこちらで処理しよう。まあこれから当分学院全員メシ抜きじゃが、自分の尻拭いくらいは自分でせんとな」

「学院長もお人が悪い……では、私も独自に調査を続けさせていただきますので、これで」

 カリーヌは、オスマンの真意を完全には理解できなかったが、カリーヌも今は教師であるので学院で起きた事件を放っておくわけにはいかなかった。

 だがどうにも、普通の事件とは思いがたい。はっきりした証拠はないが、若い頃から人間以外の化け物とも数多く戦ってきた経験が、この事件をなめるなと警告してくる。現役を退いてから、長いこと感じていなかった感覚だ。

 それにしても、この自分の目すらごまかして、数百人の一週間分の食料を盗むとはどんな方法をとったのか? そして、なぜ宝物庫などを無視して食料を狙ったのか……犯人の意図は、皆目見当がつかなかった。

 さらに、現実的な問題として、週に一回運び込まれる食料が次に来る日は五日後、急いで発注しても三日はかかる。それまで、生徒たちが空腹に耐えられるか。

 

 

 カリーヌの懸念は、時を置かずして現実のものとなった。午後になって、外出禁止令はとりあえず解除され、本日の授業はすべて中止されることが発表されると、事情を知った生徒たちは朝食に続いて昼食、さらに夕食も出ないという事態に騒ぎ始めたのだ。

 

「メシが出ないってどういうことだ! 学費はちゃんと払ってるんだぞ」

「役立たずの警備の連中を出せ、おれが制裁をくわえてやる!」

「そういやお前、先生に黙って部屋にエクレア持ち込んでたな。黙っててやるから少しよこせよ」

「お前こそ、実家から送ってきたワイン隠してるんだろ? 知らないと思ってるのか」

 

 空腹が理性を麻痺させ、醜い争いがあちこちで起こっていた。

 怒りの矛先を求める者、わずかな食料を奪い合おうとする者、とかく空腹を味わったことのない若者たちはこれに弱かった。

 けんかの仲裁をしながら、この学院にいる才人以外のもう一人の地球人、セリザワ・カズヤはぽつりとつぶやいた。

「人間というものは、どこでもたいして変わらないものだな」

 今、この学院で起きていることは決してここだけの特別なことではない。地球でも、かつて肉を狙って現れる火山怪鳥バードンの目を逃れるために、肉や魚を外に出すことが禁じられたときや、宇宙大怪獣ムルロアによって太陽光線がさえぎられ、光に集まってくるムルロアや宇宙蛾の大群によって流通が麻痺し、食料不足が起きたときには似たようなことが起きている。

 さらにいえば、トイレットペーパーがなくなるからといってスーパーに大挙して押し寄せた主婦たちの話も、心理的に見れば同類である。後世から見たら、馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、未来を予知することのできない人間は恐怖に対して屈しやすく、冷静さをすぐに失ってしまう。そうしたところでは、地球人もハルケギニアの人間も、なんら変わるところはなかった。

 

 騒ぎから離れていたのは、才人やルイズなどを含めてごく少数だけである。

「まったく食い物の恨みは恐ろしいって、昔の人はよく言ったもんだな」

「あんた、よく平然としてられるわね」

「メシ抜きは誰かさんのおかげで慣れてるからな。お前こそ、けっこう我慢強いな」

「貴族たるものが、無様に人前でわめき散らすものじゃないわ。でも、黙って見ているのもなんでしょうね」

 二人は、ギーシュやモンモランシーなどといっしょに、興奮している友人たちをなだめてまわった。同調したのは、ルイズに対抗して意地を張っているキュルケや、忍耐力の強いタバサなど数名。彼らはつかみ合っている同級生たちを力づくで引き剥がしたり、水をぶっかけて気を落ち着かせたりといろいろしてまわった。

「レイナールにギムリ、普段仲のよい君たちまでこんな騒ぎに加わるとは、情けない限りだな」

「ごめん、おなかが減って、ついカーッとしてしまって……」

「おれも、イライラしてて……悪かったなレイナール」

 暴れたくなる気持ちもわかる。ギーシュも身をもって彼らと同じ気持ちを味わったのだから。いや、だからこそ友人たちが醜い争いを続けているのを黙視することはできない。落ち着かせた二人も加えて、ときには殴られ、蹴られながらも彼らはけんかの仲裁を続けた。 

 それでも、学院全体で見れば氷山の一角である。騒動がエスカレートし、ついには魔法を使っての暴動に発展しかけたときだった。

 突然、学院を覆い尽くすほどの巨大な影が学院全体を包み込み、誰もが空を見上げたとき、そこには四十メートル以上の巨鳥が羽ばたきながら、こちらを見下ろしていたのである。

 

「静まれ! 国の未来の名誉をになうべき学院生が、この無様な姿はなんだ! 恥を知れ」

 

 巨鳥の肩口から響いてきたよく通る声に、生徒たちは聞き覚えがあった。

「ヴァリエール先生……」

 聞く者に絶対的な畏怖を植えつける、威厳と威圧感をかねそろえた声。そしてそれを放つ、見間違えようもない桃色がかった長いプロンドの髪を風になびかせる女傑の姿。

 

「見苦しいものだ。お前たち、今の自分の姿を鏡で見てみろ。それに考えてみろ、故郷の両親や兄弟が今のお前たちを見て、どう思うかを」

 

 厳しい口調で叱りつけられて、生徒たちの幾割かは正気を取り戻し、自分の醜態に気がついてうつむいた。

 

「頭を冷やせ。たとえ何もないものでも、常に自分のしていることは誰かに見られているということを忘れるな。空腹の苦しさはわかるが、貴族以前に人間としての礼節を簡単に捨てるな。将来国のために奉仕するつもりならば、苦しいときこそ歯を食いしばって耐えて見せろ!」

 

 一声をもって数百の人間を畏怖させる胆力。カリーヌは容姿こそルイズを鋭角に成長させたものであるが、内面に関しては数十年の歳の差以上に、文字通り大人と子供の差があった。

 それでも、「ゼロのルイズの母親がなにをえらそうに」と、一部の生徒に反感が見えたので、カリーヌは中庭に大きな雷を一発叩き落して見せた。

 

「わたしとて今朝から何も口にしてはおらん。空腹は皆平等だ、自分だけが苦しいと思うな。これ以上に苦しいことなど、世にいくらでもあるぞ。だがどうしても暴れたいというのであれば、こやつも腹を空かせているから胃袋の中でいくらでも暴れさせてやる。それでもいいか?」

 

 ラルゲユウスの野太い鳴き声が響き渡ったとき、もう逆らう生徒も教師も一人もいはしなかった。

「よろしい。ならば全員、追って指示があるまで校内で待機せよ。心配せずとも一日や二日食わなくても人は死なん。根性で乗り切れ」

 その言葉を最後に、カリーヌはラルゲユウスの肩から地上に飛び降りると、ラルゲユウスを文鳥サイズに縮小させて自分の肩に止まらせ、唖然と見守る生徒たちのあいだを悠然と校舎の中へと消えていった。

 なにもかもあっという間で、冷水をかけられたように静まり返った生徒たちは、一人、また一人と寮の中へと消えていき、残された才人やルイズたちは、相変わらずのカリーヌの絶対的な支配力に、あらためて恐れを抱いていた。

「おれの学校にも、あんな怖い先生は何人かいたけど……さすが、格ってものが違うな」

「だから言ったでしょ。のんきにしてられるのは、今のうちだけだって」

 眠れる獅子を目覚めさせてしまったら、眼前の羊はただ恐れおののくしかない。あれだけ無秩序に争っていた生徒たちも、カリーヌの前では牧場の羊と同然だった。

 同じ教師でも、オスマンやコルベールのような温厚さとは別格に、彼女は力と恐怖で生徒を従わせる。その、尊敬や信頼を求めることのない厳格な態度に、才人とルイズは鉄の規律をモットーとした『烈風』カリンの在りし日の一端を見た気がした。

 でも、それは必要なものなのかもしれないとも、心のどこかで二人は思った。温厚な教師の甘さや優しさだけでは、子供は育てられない。彼らのように、大人と子供の中間点にある未成熟な若者たちには、屁理屈をこねることを許さずに、世の理を叩き込むそんな存在が必要なのかもしれない。元々教師と生徒は上下関係にあることが当たり前なのだから。

 やがて日は落ち、事件はなんの伸展も見せないままで、生徒も教師も水やワインで空腹を紛らわせて、やっと眠りに着いた。

 

 

 けれども翌日になっても、事態はいっこうに変わることはなかった。食料庫は空のままで食堂には朝から誰一人立つことはなく、武士は食わねど高楊枝を決め込んでいた者たちも、動けばなお腹が減るだけと、自室にこもって水っ腹で空腹をごまかして寝込んでいた。

「魔法学院が、ここまでもろかったなんてね」

 窓から静まり返った学院を見渡して、ルイズは憮然とつぶやいた。たかが食事を一日抜いただけで、盗賊も恐れて近づかないという魔法学院がまるでゴーストタウンのようになってしまった。

「まあ丸一日メシ抜きなんて、この学院のほとんどの連中にとっちゃ初めての経験だろうしな。ラッキーなのはエレオノールさんか、こういうタイミングに限ってアカデミーに帰ってていないんだもんなあ」

「むしろ空腹のあげくに地が出るほうが恐ろしいわよ。はぁ……」

 二人とも、しゃべるのもめんどうくさいが、黙っていても気がめいるような、そんな気分だった。

 しかも、悪いことに事件捜査にあたっている教師たちも大半がすでにまいってしまっていて、捜査は見事にストップしている。つまり、かろうじてあった犯人から食料を奪い返すという可能性は、現在のところほぼゼロ。

 ちなみに、街まで食べに行くという選択肢もない。食料が戻り次第授業は再開するという建前なので、無断外出したら単位に響く。第一、何時間も馬を操って街まで行く体力、いいや気力がほとんどの者には残っていない。

「ああもう我慢できない! サイト、行くわよ」

「行くって、お前どこに」

「体力が残ってるうちに、犯人をふん捕まえて食料を取り返すのよ。さっさと来なさい!」

 どうやら意地を張っていたルイズも限界が近いらしい。才人は一瞬躊躇したが、どのみちこのままではあと二日なんてとても持たないだろう。ならば、ルイズの言うとおり、体力に余裕のあるうちに。

「わかった。こんな探偵みたいな真似はじめてだけど、おれもメシは食いたいからな。でも、二人だけじゃどうにもならないから、何人かには声をかけていこう」

 人手は捜査にせよ、犯人を捕まえるにせよ多いほうがいい。水精霊騎士隊のほとんどはゾンビ状態になっていて役に立たなかったが、ギーシュとモンモランシーだけは、香水作りに使う薬草の中で食用になるもので飢えをしのいでいたので仲間にいれ、ついで当時の状況や食料庫のことに詳しいシエスタに助力を求めに行った。

「喜んで行かせていただきます。サイトさんのお役に立てさせてください」

 欲をいえばリュリュにも来てほしかったが、彼女は食堂のコックたちといっしょに近隣の村に食料の買出しに出かけたという。彼女自身も空腹で大変だろうに、頭が下がる。けれど、魔法学院の周りにあるのは小村ばかりなので、正直期待はできない。

 それから一同は、シエスタの摘んできた野草の雑炊で少しだけ空腹をごまかすと、憎き食料泥棒を捕まえるために行動を開始した。

 ただし、その直後に。

「なになに? なんか面白そうなことがはじまるの?」

 こういうことへの嗅覚だけは鋭いキュルケが、例によって読書中だったタバサを引き連れて参加してきたことによって、ちょっとした少年少女探偵団ができてしまった。

「キュルケ、なんであんたはそんなに元気なのよ?」

「ふふーん、別に。ちょっと男友達数人にお願いしたら、君のためならってお菓子やパンを持ってきてくれただけよ」

「ちっ、相変わらずうちの男子どもはバカばっかりなんだから……まあ、あんたでもいないよりはましね」

「あなたこそ、相変わらず素直じゃないわね。ありがたいならはっきりと言えばいいのに。さて、それじゃどこから調べる?」

「え?」

 そこでルイズはやっと、自分が勢いだけで飛び出してきたことに気がついて間抜けな声を出してしまった。頭の回転は人一倍速く、聡明な頭脳も短気では役に立たない。

 しょうがないので一同は、いい案はあるかということで考え込んだが、すでに教師連がじっくりと調べたあとだったので、そういい方法も浮かんでこなかった。ただし、捜査に行き詰ったときには基本がある。

 

「やっぱり、現場百ぺんかな」

 

 刑事ドラマの基本中の基本、捜査に行き詰ったら現場に返れ。とりあえずほかにやることもないし、一同はシエスタの案内で、食料盗難事件の現場となった食料庫にやってきて、なにか見落とされたものはないかと調べることにした。

「がらんどうか、まあ当然のことだけどね」

 地球でいうなら、小学校の体育館くらいの広さのある食料庫は、明り取りの天窓から差し込む光が直接土の床を照らして、わずかにかびくさい臭いがつんとするだけで、今ではネズミもゴキブリも引っ越してしまって、この上なく殺風景であった。

「ここに満載されていた食料を一晩で、いったい犯人はどんな手を使ったんだろうか?」

「それをこれから調べるんでしょ。ほら、みんなで手分けするわよ」

 七人はバラバラに散って、それぞれ思い思いに調べ始めた。

 壁を叩いて音を聞き、天窓に細工がされてないか、どこかに秘密の抜け道がないか。

「まさか使い魔になって探偵の真似事するとは思わなかったぜ」

 才人はそうつぶやいたが、探偵は少年が将来なりたい職業のトップ10に頻繁にランキングされるあこがれの職業だから気分は悪くなく、子供の頃に探偵ごっこやスパイごっこをしたワクワク感を思い出していた。

 その点では、ギーシュや、ルイズたち女子も同じようなものである。幼い頃に自分だけの秘密基地を野っ原や木の上、ベッドの下などに作ったときのような気分で、なんの変哲もない壁や天井を熱心になって調べ上げた。

 とはいえ、あくまで素人調査であるから都合よく手がかりが見つかるはずもなく、三十分もするころには全員があきらめてしまっていた。

「だめねこりゃ。天窓も通風孔もまったく異常なし、犯人は幽霊かしらねえ」

 ディテクトマジックをかけ疲れて、なかばやけくそ気味で言ったモンモランシーの言葉に積極的な反論をする者はいなかった。食料庫の中は、空調がしっかりしていて夏の日中でも涼しかったが、誰の額にも汗が浮いている。

「シエスタ、当日はきちんと扉にはカギがかかってたんだよな」

「はい、専用のカギ以外では外せない、対魔法の仕掛けが施された頑丈な錠前が二つかけられてました」

「つまり、食料庫は完全に密室だったわけだ。犯人はどんなトリックを使ったのだろうか」

 密室トリックは推理小説の定番で、もっとも読者の探究心をくすぐる分野だ。

 才人はあごに手を当てて、パイプがあったらいかにもシャーロック・ホームズみたいなしぐさをとったけれど、当然意味のわからないルイズたちは怪訝な顔をするだけだった。

 と、そのときだった。輪になっている一同の真ん中の地面が急に盛り上がったかと思うと、土の中からぴょこりとでっかいモグラが顔を出した。

「ヴェルダンデ! おお、ぼくの可愛いヴェルダンデじゃないか」

「ヴェルダンデって……ああ」

 その大モグラにギーシュが飛びついてほお擦りしたので、ルイズたちや、特にモンモランシーは見るからにひいたが、おかげで最近とんと見ていなかったギーシュの使い魔のジャイアントモールのことを思い出した。

「久しぶりだな。あのラグドリアン湖のとき以来か」

 今となってはもうずいぶん懐かしい思い出になる。以前モンモランシーが惚れ薬を作ろうとして失敗し、なにがどうなっているのかできてしまったハニーゼリオンをなめてしまったヴェルダンデが巨大化して、中和剤を作るためにラグドリアン湖まで材料をとりにいったことがある。あれ以来、ギーシュが呼ぶとき以外は地中にいるためにすっかり忘れていたが、相変わらず主従ともに仲がいいようだ。

「よしよし、相変わらずかわいいなあ君は。そうかいそうかい、落ち込んでるぼくらを慰めるために出てきてくれたのかい。なんて優しいんだ君は!」

 使い魔と主人は意思の疎通ができる。つまりは動物ともある程度話ができるというわけで、大モグラとじゃれあっている少年というのは傍から見ていたら気味のいいものではないものの、彼らは人の目などは気にも止めずにじゃれあっていた。

「うんうん、君の気持ちはうれしいけど、悪いけどぼくたちはどばどばミミズは食べられないなあ。ん? なに、話……なんだって!? うん、うん……そうか」

「ギーシュ?」

 なにか様子がおかしいので、才人が声をかけてみたら、ギーシュはヴェルダンデとうんうんとうなずきあってから振り返った。

「みんな、ぼくのヴェルダンデがお手柄だ。彼がこのあたりのミミズを食べてたら、ここの地下をつい最近何者かが通っていったみたいだってさ」

「なんだって!? そうか、地面の下か」

 足元とは盲点だった。これだけの荷物を運んだんだから、陸路か空路かと思い込んでいたが、食料庫の床は土がむき出しなので、穴を掘って入った後に埋めてしまえば証拠は残らない。おまけにこれなら無理に魔法を使わなくても、誰にだって時間をかければできる。

 ともかく、それがわかれば善は急げと、気の短いルイズは空の倉庫によく通る声で叫んだ。

「ようっしゃあ! じゃあさっさと追い詰めるわよ。ギーシュ、案内させなさい」

 イライラがつのって爆発寸前のルイズに尻を蹴飛ばされるように、一同は地面を盛り上げながら驀進していくヴェルダンデを追いかけて走っていった。

「まったく、主人と違って本当に頼りになる使い魔よねえ」

 最後尾を追いかけるキュルケがぽつりとつぶやいて、タバサが無言でうなずいたのを、先頭を走っているギーシュは知らない。

 

 そして、穴の出口を探して走った一同は、普段はあまり人の寄り付かない、外出用の馬がとめてある厩舎の近くにやってきた。

「みんな、この穴だってさ!」

 見ると確かに厩舎のそばに直径三メイルほどの真ん丸い穴がぽっかりと口を開いていた。

「そうか、盗賊団はここから穴を使って食料庫に侵入したんだな」

「なるほど、この大きさの穴なら、大きな袋でも簡単に運び込めるわね。けど、この調子じゃ盗賊団はとっくに逃げちゃってるでしょうね」

 キュルケにざっくりと言われて、一同はがっくりと肩を落とした。

 けれど、ヴェルダンデの手柄を逃したくないギーシュは肩をいからせて穴の前に立った。

「いいや、諦めるのはまだ早い。まだ穴は残ってるんだ、ひょっとしたらなにか証拠が残っているかもしれない。ぼくがちょっと探してくるから、君たちはそこで待っていてくれ」

 モンモランシーにかっこつけたい気持ちも見え見えなのだが、さすがにキュルケや才人もそこまで突っ込むほど無粋ではない。それに、土系統のメイジのギーシュなら、確かに土の中はお手の物だし、本当に遺留物の一つでも見つけてくれば追跡の手がかりにはなる。

 だが、ギーシュが例によってモンモランシーに言わなくてもいい別れ文句を言っているとき、才人の耳に聞きなれない声が響いてきた。

 

『ウハハ……』

 

「ん? ルイズ、お前何か言ったか?」

「は? なんのこと」

「いや、なんか笑い声みたいなのが聞こえたんだが……」

 気のせいかと才人は思うことにしたが、なんとなくあの地の底から響いてくるみたいな野太く不気味な声が耳に残って忘れられずに気にかかった。

”そういえば、どうして犯人はこの穴を残したんだろうか”

 普通に考えたら、出口も埋めてしまえば追跡を完全に断つことができるのに、ここまで用意周到な犯人はそれをしていない。完全犯罪には妙に不自然な点が、落ち着いてみたらべったりと才人の気に障った。

 穴からはなにやら生暖かく湿った空気が湧いてくる。はじめはこの夏の暑さのせいかと思ったけれど、それにしては何か生臭い臭いもする。

 今までに培ってきた経験が、才人に危険信号を出している。これはどうもただの穴ではない。そうして、敵意のこもった目で穴を見下ろしていた才人の目の前で、今まさにギーシュが飛び込もうとしていた穴が、生き物のように厩舎のほうに向かって五センチほど動いたとき、反射的に才人は叫んだ。

「ギーシュ! 待て、入るな!」

 とっさにギーシュの肩をつかんで、後ろに向かって無理矢理に引き倒すと、才人はなにをするんだと抗議して来るギーシュを無視して、穴の中へ向かって耳をすませた。

 

『ワハハ……』

 

 やはり、まさかと思ったがそのまさかだった。この笑い声、こいつの仕業と考えればすべて納得がいく。才人は、青ざめた顔で振り返ると、シエスタに必要なものがあるからとってきてくれと頼みごとをして、一同を穴から下がらせた。

「サイト、どういうこと? なんで穴から逃げなくちゃいけないの」

「あれはただの穴じゃない。あれに食われたらえらいことになるぞ、見ろ!」

 ルイズたちも、最初は訳が分からないと不思議がっていたが、シエスタを待っているうちに穴が生き物のようにじりじりと動くのを見て顔色を変えた。

「な、なんだいありゃ!? 穴が、動くなんて」

「すぐにわかる。とにかく絶対に近づくなよ」

 やがてシエスタがおっとりがたなで戻ってきて、才人に食堂でよく見かける小瓶を差し出した。

「サイト、なにその瓶……ん? ふ、ふ……ふえーくしょん! コ、コショウじゃない」

「ああ、見てろ。こいつが犯人だ!」

 そう叫ぶと才人はコショウの小瓶のふたをとると、それを穴の中へと投げ入れた。

 すると……しばらくしたあとでからっぽになった小瓶が穴から吐き出されてきたかと思うと、続いて穴の中から猛烈な勢いで蒸気が噴き出し、さらに周囲を激しい揺れが襲い始めた。

「うわあっ! 地震!?」

「まずいわ、みんな逃げましょう!」

 慌てて逃げ出した一同の後ろから、土が盛り上がる音とともに奇怪な笑い声が響き始める。

 

『ワハハハ! フェーックショイ! ワハハハ! フェークシェイ! ブエックション!』

 

 笑い声とくしゃみの混じった珍妙な声を、カモノハシのようなくちばしから響かせ、地中から姿を現す巨大な怪獣。全身は青緑色で首筋にはいくつもの丸いこぶがついており、大きく突き出た出っ腹にはぽつんとでべそがついている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 かつてウルトラマンタロウを散々にてこずらせた大怪獣、再生怪獣ライブキングが白昼の魔法学院に、とてつもなく大きな笑い声をあげて出現した!

 

 

 続く



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第8話  がんばれ!未来の三ツ星シェフ (後編)

 第8話

 がんばれ!未来の三ツ星シェフ (後編)

 

 再生怪獣 ライブキング 登場!

 

 

『ワハハハハ、ハークション! ウハハハハ、イーックション!』

 

 残暑の日差しも厳しい魔法学院に、場違いで巨大な笑い声とくしゃみが何度もこだまする。

 才人は声の主に向かって、自分のために与えられたGUYSメモリーディスプレイを向けた。カメラに映し出された映像から、内部に記録された膨大な怪獣データと照合がおこなわれて、やがてドキュメントZATの中に該当するものが現れる。

 地底から現れた、この人間の笑い声とそっくりの鳴き声を発する巨大怪獣は、その名も再生怪獣ライブキング。かつて多摩川の地底に潜んで鼻の穴だけを露出し、落ちてくる生き物を無差別に平らげていた悪食の大怪獣だ。

 こいつは巨大な腕で腹を叩きながら、鼻の穴から才人の放り込んだコショウを撒き散らし、学院の中庭を足をじたばたともだえさせながら笑い転げている。

 

 その一方で、白昼の大怪獣の出現は、否応なく平穏な人間生活を破壊する。

「き、きゃーっ! か、怪獣ーっ!」

「あ、あわ、あわわわ」

 目の前に突如出現した巨大怪獣にシエスタは悲鳴をあげて、モンモランシーも以前のタブラの恐怖を思い出して腰を抜かした。 

「あ、あの穴は、あいつの鼻の穴だったのか」

 不用意に飛び込もうとしていたギーシュも地面にへたりこむと、才人は止めるのが間に合ってよかったと、ほっと胸をなでおろした。地底に潜伏しているときのあいつの鼻の穴はまるで落とし穴のようなもので、かつて地球でも防衛チームZATの東光太郎隊員が知らずに近寄って落ちてしまって、救出するのに一苦労したのだ。

 戦いに慣れている才人とルイズ、キュルケとタバサは即座に臨戦態勢をとって武器を取り出す。だが、ライブキングは人間たちなどまるで目に入らないようで、鼻の穴に放り込まれたコショウのせいで笑いながらクシャミを連発して、おまけに人間ならば呼吸困難に陥りそうな状態になりながらも、元気に学院の中庭を転がって、ときたま城壁に体をぶっつけたり、馬小屋に足をひっかけて壊したりしていた。

 そのせいで、つながれていた馬が悲鳴をあげて逃げ出し、奴のとんでもなく大きな笑い声とあいまって、騒ぎは小さな街ほどもある魔法学院に、一瞬にして拡大した。

 

「うわっ! なんだこいつは」

「か、怪獣!?」

「あっはっはは! なんだありゃあ」

「あ、あばばばばばば」

「せ、先生ぇー!」

 

 走ってきたり、フライで窓から飛んで来たりと方法は様々だが、続々と生徒たちが集まってきて、現場はあっというまに数百人に囲まれてしまった。

「あちゃあ、まさかこんなに人が集まってくるとは」

 才人はライブキングを追い出すのに夢中になって、うっかりここが魔法学院の中であることを忘れていた。みんな、腹が減って部屋にこもっていたはずなのに、どうやらライブキングの笑い声が天の岩戸開きの役を果たしてしまったらしい。

 見渡せば、ダウンしていたはずの全校生徒がほぼ勢ぞろいして、教師の方々もちらほらと見られる。このときばかりは空腹を好奇心が上回ったらしい。それに、ライブキングの見た目が他者に警戒心を与えにくいものなのも理由だろう。大笑いしながら転がりまわるカモノハシ頭の出っ腹怪獣は、早くも生徒たちの失笑を買っている。

 そのとき、ライブキングのすぐ前にいた才人たちに向かって、コルベール先生が汗を噴き出しながら慌ててやってきた。

「君たちなにをしてるんですか! こんなところにいちゃあ危険です。はやく下がりなさい」

 普段は影の薄い、頭頂部が地上の太陽になりかかっているこの先生は、ほかの教師たちがどんな指示をだしていいか分からず戸惑っている中で唯一、生徒たちの身を案じてやってきた。そうして、壮齢に達していそうな老けた容貌からは想像もできないほど強い力で、有無を言わさず彼らを数十メイル引きずっていった。

「ミスタ・コルベール、待ってください。怪獣が出たんですよ、退治しないと」

「なにを言ってるんです。あなたたちはまだ子供ですよ。そんな危ないことに手を出してはいけません」

 引っ張られていく途中でルイズが抗議してもコルベールは聞く耳を持たなかった。この先生は、ほかの学院の教師と違って生徒に親密だが、反面過保護な一面がある。もっとも、以前にホタルンガと戦ったときはコルベールのその性格のおかげでルイズたちは助けられている。

 ほかの面々はといえば、キュルケとタバサはギャラリーも増え、せっかくこれから派手にやろうかと思った矢先に腰を折られてしまって、とりあえずシルフィードを呼んでシエスタを避難させてから、自分たちも下がった。モンモランシーはまだ腰が抜けたままで、うれしがっているのか拒否しているのかわからない様子でギーシュにおんぶしてもらっている。

 

『ウハハハ、ヒーハッハハハハ、イヒヒヒ!』

 

 ルイズたちが校舎脇に下げられてからも、ライブキングは相変わらず笑い転げていた。

 生徒や教師たちは、怪獣を見るのは初めてではないし、ドラゴンやグリフォンなどの恐ろしげな幻獣を使い魔にしているものもいるので、最初は物珍しげに見ていた。だが、その先はとなると、こんなふざけた姿で、しかもひたすら笑うだけの怪獣をどうしたらいいのかわからずに、最初の興奮が冷めやって空腹感が戻ってくると、つぶされないように五十メートルばかり距離をとって、遠巻きに眺めていた。

 そんな中で、ルイズたちは校舎の影で少々涼しさを感じながら、コルベールからお説教を受けている。

「まったく、本当に君たちは危ないことばかりして、怪我でもしたらどうするんですか」

「申し訳ありませんミスタ・コルベール、でも」

「でももかかしもありません! どんな理由があろうとも、あなた方は子供です。怪獣を相手に戦うなんてこと、許しませんよ」

 にべもなかった。コルベールは自分の生徒に危険を冒させはしまいと、場合によっては実力で阻止するように、杖をもって立ちふさがっている。しかし、その気持ちはありがたかったがルイズにも意地があった。

「……確かに子供かもしれません。でも、貴族として! いいえ、あいつはわたしたち全員の家であるこの学院を荒らしてるんです。家を荒らされたら平民だって、動物だって戦うでしょう!?」

「それは大人の論理です。どこの世界に子供より家が大事な親がいますか。あなたたちは、まだ戦場の恐ろしさを、傷つくことの恐怖を知らないから……」

 この、注意しなければ景色に埋もれていきそうな中年教師のどこにこれだけの力強さが眠っていたのか。かたくななまでに、コルベールはルイズたちの前に立ちはだかり続けた。ルイズがなにを言ってもまったく聞き入れてくれる様子はない。

 けれど、命より名誉を重んじる貴族たちの教師としては、臆病にすぎるとも見えるコルベールの態度に、キュルケなどは少々いらだちをみせはじめた。

「ちょっとミスタ、わたしたちの身を案じてくださるお気持ちはうれしいですけど、わたしたちはすでに一度ならず実戦を潜り抜けています。大人ではないといいますが、ただの子供でもありませんわ」

「私は、君たちが戦いに行くことはずっと反対してました。一度や二度勝てたからといって調子に乗ると、いつか取り返しのつかないことになりますよ」

 確かに、言っていることは正論なのだが、すでに多くの戦いを潜り抜けてきた自負を持っているキュルケには納得しがたいものだった。

「もういいです。自分の家に野良犬が入り込んできても平然としているような臆病者の言うことなど聞いてられませんわ。タバサ、行きましょう」

 キュルケはタバサを連れて憤慨したように行ってしまい、ギーシュはモンモランシーを守らねばということで残っているが、ルイズと才人はまだ足止めを受けていた。

「あちゃあ、先生、こりゃもうただですみはしないですよ。みんな気が立ってるし、止まれと言って止まるもんじゃないです」

「だからといって犠牲者が出てからでは遅いでしょう。君たちこそ、敵と見ればどうしてそうすぐに好戦的になるんですか? 怪獣になんの恨みがあるというんです」

「だって、あいつが学院の食料を食べちゃったんですよ!」

 そのルイズの一言が、地雷のスイッチであった。

 ただでさえ空腹で我慢の限界に来ていた生徒たちはその言葉を聞くなり、憎しみを込めて杖を握る。中にはゼロのルイズの言うことだからと、疑いを見せたものも少数いても、ライブキングの大きく突き出した腹と、人を馬鹿にしているような笑い声が無意識に彼らの憎悪を喚起した。

 

「ウォォォッ! やっちまえぇ!」

 

 激発した生徒たちは憎しみと怒りを込めて、ライブキングに魔法を打ち込んだ。

 炎、風、水、氷、土、雷、系統も威力もバラバラで、戦闘を得意としないものも多くいたが、それよりも怒りのほうが圧倒的に強い。男女問わず、教師まで含めた数百人ぶんの魔法の総攻撃が一匹の怪獣に集中して、激しく火花を散らせた。

「うわあっ! さ、さすがにすげえっ!」

 才人はかなり離れていたのに吹き付けてきた爆風を、手で顔を覆ってなんとか避けた。

 さすがにみんな魔法学院の生徒たちである。玉石混合ではあっても、人数が三桁だけに爆風だけでもその威力はキュルケやタバサの魔法すら軽くしのいでおり、弱い者の中には自分で放った魔法で吹き飛ばされてしまったものもいたくらいだ。

 だが、軍隊だったら一千人、小さな山なら吹き飛ばすくらいの威力をもっていたはずのその攻撃の爆風が晴れたとき、そこから聞こえてきたのは怪獣の断末魔などではなかった。

 

『ウッハハハ! ウフフハハハ……』

 

 なんとライブキングは多少焦げてはいるものの、まるで痛さなど感じていないように続けて笑い転げているではないか。

「そ、そんな馬鹿な……」

 まさかこれで生きているはずがないと、全力で攻撃を仕掛けた生徒たちは意気消沈してひざを突いた。なにせ、消耗しきっていた体力を怒りだけでカバーしていたのであるから、それを吐き出してしまった後では、後には虚無感のみが残った。

「なんて頑丈な……っていうか、信じられないくらいニブい怪獣ね」

「やっぱりな、噂に違わない不死身っぷりだ」

 あいた口がふさがらないといったルイズの隣で、才人は体についた煙の灰を払い落としながらつぶやいた。

 ライブキングは再生怪獣という別名のとおりに、たとえ体を木っ端微塵にされても復活する恐るべき生命力を秘めている上に、タフネスさやスタミナも他の怪獣を大きくしのぐ。過去に出現した個体も、防衛チームZATの攻撃を受け、同時に出現した液体大怪獣コスモリキッドと長時間にわたって交戦しながらもまるで弱らず、コスモリキッドと二対一の状況でありながらもウルトラマンタロウの腕を折るほどの暴れっぷりを見せている。

 それでも、数百人もいればあきらめの悪いものもいるもので、続いての攻撃をかけようと呪文を唱え始める。しかも悪いことに、負けん気が強いキュルケがその先頭に立って、男子生徒がいいところを見せようと続いているから始末に負えそうもない。ルイズは明らかに冷静さを失っている様子のキュルケに呆れて叫んだ。

「馬鹿ね! 全員でやってダメだったのに、ほんの数十人で効くわけないでしょう」

 キュルケは友人としては最上の部類に入るが、欠点もまた多い。男癖が悪いことがその最たるものだが、自分の実力に絶対の自信を持っているだけに引くことを知らない。今回はそれが悪い方向に発揮されていた。

「ありゃ完全に頭に血が上ってるな。しょうがない、いくぞルイズ」

 ライブキングは凶暴性は少なく、かつてもコスモリキッドに散々殴られながらもほとんど反撃していないことや、ウルトラマンタロウの戦いも幼児がおもちゃにじゃれつくようなものだったことから、才人もあまり危機感はもっていなかったのだけれど、このまま攻撃を続けたら万一にも怒らせてしまうかもしれない。

 犠牲者が出る前にウルトラマンAに変身して、一気にライブキングを片付ける。

 二人はうなずきあうと、人目を避けるために人ごみに背を向けて、校舎の裏へと駆けていった。だが、ウルトラタッチを決めようとしたとき、突然二人は肩を叩かれて止められた。

 

「待て、二人とも」

「あっ、セリザワさん!」

 

 いつのまにか二人の後ろには、警備兵の服に身を包んだセリザワが立っていた。

「今はまだ、ウルトラマンAにはなるな」

「えっ!?」

 二人は予想もしていなかったセリザワ=ウルトラマンヒカリの言葉に戸惑った。怪獣がいるというのに変身するなとはどういうことか? あの血気にはやった生徒たちが馬鹿なことをする前に止めなくては、本当に犠牲者が出るかもしれないのに。

 そんな二人の抗議を、セリザワはGUYS隊長であったころと同じように表情を変えずに聞いていた。けれども、少しすると今度は急に「ならば変身してみろ」と言って二人を驚かせた。

「えっ……じゃあ」

 才人もルイズも、セリザワの真意を理解できないままだったが、最初から変身するつもりだったので、怪訝な表情をしながらも、向かい合って互いに右手を差し出しあって重ねた。

「ウルトラ・ターッチ!」

 しかし……変身の光は起こらず、つなぎあった手はそのままだった。

「えっ!? な、なんで」

「なんで変身できないのよぉ!?」

 いったいどうしてと、才人とルイズはうろたえながらセリザワを見た。

「やはり、エースも同じ気持ちか。そのリングをよく見てみろ」

 えっ、と二人は言われたとおりにそれぞれの右中指にはめられた、銀色のウルトラリングを覗き込んで、そしてなぜ変身できなかったのか理解した。これまでは、変身のタイミングの度にまばゆい光を放っていたリングが、今は鈍い銀色のままを保っている。

「人間と肉体を共有しているウルトラマンは、その人間とウルトラマンの意思が一体になったときにしか変身することはできない。知っているはずだろう?」

 二人は無言のうちにうなずいた。人間によって、ウルトラマンの強すぎる力が乱用されないために、ウルトラマンは自分の力を意思によって制限している。かつて、タッコングとの戦いのときに利己心からウルトラマンジャックの力を使おうとした郷秀樹は、その心のために変身を許されず、人間として限界まで戦い抜いたとき、はじめてウルトラマンは力を貸してくれるのだと知った。また、エースも地獄星人ヒッポリト星人の巨大な幻影にエースになって立ち向かおうとした北斗と南を制している。

「じゃあ、今はウルトラマンの力はいらないってことですか? なんで!?」

「それは、君たち自身の目でこれから見極めるんだ。力だけでは物事は解決しない。私はそれをかつてメビウスたちから教わった」

 そこまで言うとセリザワは校舎の上の尖塔を見上げた。そこには肩に小さな白い鳥をとまらせて、ブロンドの髪をなびかせた麗人が立っていた。

 

「そろそろ……ね」

 

 風の流れを敏感に感じ取り、マントの中から取り出された杖が陽光を反射して鋭く光った。

 ライブキングは学院生たちの攻撃も、心地よいマッサージくらいにしか感じないのか、地面に腰を下ろして、学院の城壁に背を預けながらなおも笑っている。

「ぜえ……ぜえ。な、なんて奴だ」

 息も絶え絶えになり、どうにか魔法を撃っていた生徒たちは、もう数人を残してみんな体力の限界に達して、地面の上に倒れこんでいた。

「くそぉ、ぼくたちの魔法が全然効かないなんて」

「やろう、なにがそんなにおかしいんだよ。ああ、ムカつくなあ!」

 レイナールやギムリも、完全に魔法が打ち止めで、役に立たなくなった杖を地面に叩きつけて悔しがった。彼らも、何度も怪獣や宇宙人と戦って自分の実力に自信を深めていたのだが、この怪獣は文字通り彼らのそんな自信をあざ笑うように、傷一つない体をのんびりと横たえている。

「ちきしょう……この泥棒やろう!」

「なんでこんな奴が学院に出るんだ。腹減った、もうだめだ」

「おなかすいた……ごはん返してよお」

 虚勢を張っていた男子生徒たちは悪態をつくしかなく、女子生徒たちには泣き出すものまで現れ始めている。彼らは皆、飢えに苦しんだ目で、出べその飛び出た出っ腹をポンポンと太鼓のように鳴らして笑い続けてるライブキングを憎しみを込めて睨みつけた。

 そして、体力を残していたキュルケとタバサも、あまりにもタフな怪獣に打つ手をなくしていた。

 

『アハハハ! ウッヒャッヒャッハ!』

 

「くぁーっ! もう、なんて腹の立つ怪獣なのかしら」

 ただ強い怪獣なら、相手の強さに戦う高揚感というものが湧いてくるが、こいつにはそういった戦闘する快感というものが微塵もなかった。とにかく、美的センスの欠片もないブサイクさと、人を馬鹿にした笑い声が神経を逆なでする。プライドの高い貴族の子弟たちにとって、これほどの屈辱を感じたことはなかった。

 だが、ライブキングの声に冷静さを失ったキュルケが怒りのままに、特大のファイヤーボールをライブキングの顔に向けて撃ち込んだときだった。それまで一方的に攻撃を受けるだけだったライブキングが突然カモノハシのようなくちばしを開き、猛烈な火炎を吐き出してきたのである。

「っ! しまった」

 一瞬でファイヤーボールを飲み込んで、火炎熱線は一直線にキュルケに向かった。もうフライで回避する余裕はない。タバサがアイス・ストームで防壁を張ろうとしてるが、火炎が大きすぎてとても無理だ。

 油断した。いくら間抜けな姿をしていても怪獣は怪獣だった。いつもならこのぐらいの火炎を避けるくらいなんでもないのに。自分のうかつさを呪って、キュルケが目を閉じかけたそのとき、火炎と彼女たちのあいだに割り込むように、渦を巻く突風が飛び込み、炎を巻き込んでいった。

「な、なに!?」

「カッター……トルネード?」

 二人の見ている前で、真空渦巻きは火炎放射を飲み込んで上空へと舞い上がり、誰にも被害の出ない高度まで達すると拡散して消滅し、続いて峻烈な女性の声が響き渡った。

 

「全員引け! これ以上の戦いはまかりならん!」

 

 鋭く、よく通る声で発せられたその命令が頭上から場を駆け抜けたとき、生徒たちは校舎の上に立つ一人の教師の姿を見つけていた。

「か、カリーヌ先生……」

「下がれ、お前たちの力ではどのみちそいつは倒せん」

 彼らは正体を知るよしもないが、『烈風』カリンの迫力は声からだけで生徒たちを圧倒して、対抗するだけの胆力のない彼らは、ほぼ言われるままにライブキングから離れていった。

 一方のライブキングは自分の吐き出した火炎が無力化されたというのに特に次の攻撃をするでもなく、もう二言三言笑い声をあげると、ごろりと横になってまぶたを閉じ、大きないびきをかき始めた。どうやら今の火炎は別にキュルケたちを攻撃したわけではなく、奴にとってゲップかあくびのようなものだったらしい。

 つくづくふざけた怪獣……しかしそのふざけた怪獣に勝てないことは、生徒たちの自尊心を大きく傷つけていた。

 

「ちくしょう……」

 

 誰か一人の生徒がもらしたつぶやきが、全員の思いを代弁していた。

 自分の魔法の威力に自信を持っていた生徒も、生徒に自分の系統の自慢ばかりしている教師も、もう体力も気力も戦えるだけ残ってはいない。キュルケとタバサも、高いびきをかきつづけるライブキングを憎らしげに見上げるしかできず、ギーシュやモンモランシーなど、戦いに参加しなかったり、途中で離脱した生徒たちも、精魂尽き果てた様子で呆然としており、それらの人々を見回したカリーヌは軽く息を吐いた。

「情けないものだな。これだけの頭数がいて、なにもできずに終わるか……噂の魔法学院のレベルも、たいしたものではなかったな」

 無数の歯軋りの音が連鎖した。反論のできない現実が目の前に横たわっていることが、昨日今日学院にやってきたばかりの新任教師の酷評に、抵抗する術をなくさせていた。それでも、誰かが負け惜しみのようにつぶやくと、カリーヌは即座にそれを聞きとがめた。

「くそ……こんなに腹減ってなきゃ、こんな奴」

「ほお……万全だったら勝てたと……では聞くが、この中に朝昼晩と、まともに食事をとっていた者がいるか?」

 ルイズや才人など、一部が手を上げただけであとは大半が口ごもった。才人にしても、学校に遅刻しそうで味噌汁を残したりした経験はあるので、手の上げ方は控えめである。

「ふん、けっきょくは全員口だけか。そんなことでは勝てる戦いも勝てんよ」

「じ、じゃああんたは。い、いや先生はあの怪獣に勝てるっていうんですか?」

「そ、そうだ! おれたちに偉そうなことを言うからには、先生はそれができるんでしょうね!」

 一人の生徒が、昨日のラルゲユウスの圧倒感を思い出しながら恐る恐る言うと、ほかの生徒たちも釣られるように、口々にカリーヌをなじりはじめた。

 カリーヌは、それらの悪口を無表情で聞き、やがて軽く杖を振って彼らを黙らせると、熟睡しているライブキングを見下ろして言った。

「倒せんな」

「な、なんだって、それじゃあ」

「情が移った」

「はぁっ!?」

 想像もしていなかった答えに、生徒たちは罵声を浴びせることも忘れてあっけにとられてしまった。怪獣に情が移るとはどういうことか? だがカリーヌは口元に皮肉な笑みを浮かべると、喉から乾いた笑いを短くあげて言い放った。

「ふふふ……見てみるがいい。その怪獣、食って、遊んで、あとは寝る。まるでどこかの誰かたちとそっくりではないか」

「うっ……ぐっ」

 怒りと、羞恥心と、屈辱感が全員を駆け巡った。もちろん、全員が全員そうではないし、勤勉な生徒だって大勢いるが、人生の一切を怠惰に生きたことのないものなど、まずいない。日本の普通の学生として生きてきた才人だって、漫画やゲームが身近に氾濫していたし、ルイズやキュルケだって授業をサボったことはある。

 いわば、目の前で高いびきをかいている怪獣は、自分たちの同類なのだ。人は、自分の顔を鏡に映して見ることはできるが、鏡には醜い心までは映らない。それを認識させられたとき、生徒たちは完全にカリーヌに対しての反抗心を失っていた。

「はっは、だがそう見ると可愛くもあるだろう。食べさせて、遊ばせておけばあとは無害だ。いやあ、この学院の仕事は楽そうだ。そう思わないか?」

 生徒たちは怒っても、同時に否定することはできなかった。まったくの真実であるからだ。これまで学院の教師たちが、自分たちがなにをしてもほうっておいたのは、捨てておいてもなにも問題ないから、つまり自分たちはその程度の存在なのだと。

 けれど、生徒たちがぶつけようのない屈辱感でうなだれているとき、真っ向からカリーヌに対抗する声があった。コルベールである。

 

「デジレ教諭、それは違います。彼らは確かに、まだまだ心身ともに未熟ですが、悪いところばかりではありません」

 

 彼の、カリーヌに対して一歩も引かない強い口調に、普段彼を見下している生徒や同僚の教師たちは、驚いた目で、その禿頭の冴えない中年教師を見つめた。

「コルベール教諭、しかしあなたがどう言おうと、今こうして彼らは自分の身の程も理解せずに自分の命を危険にさらしていたではないか」

「それは、彼らがまだ未熟だからです。ですが、未熟による失敗は誰でも経験していくもので、決して重い罪ではありません。彼らはまだ若い。過ちは、正していけばいいのです」

「だが、あなたは教職の身でありながら、ほとんどここの生徒たちは放置に等しい状態ではなかったではないか」

「う……た、確かにわたしは生徒たちが過ちを犯していても、ろくに注意することもできないだめな教師でした。でも、それでも……見捨てることはできません!」

 コルベールのその発言は、深海の水圧に抗うように、勇気を振り絞ったものであったろう。コルベールの額に浮かぶ汗は、暑さや空腹による疲労だけではない。

「見捨てない、か……なら、これからあなたはどうするつもりですか?」

「それは……」

 見捨てないだけなら誰でもできる。行動に示すことができなければ、ダメ教師のままだ。コルベールははあっと息を吸うと、全員に向かって大きな声で述べた。

「皆さん! 昨日からまる一日、何も食べられてなくてさぞ苦しいことと思います。ですが、見てのとおり、あの怪獣は恐らく食べ物を求めてここにやってきたのでしょう。ここでは、毎日のように大量の食物が捨てられています。いわば、あいつを呼んでしまったのは私たち全員に責任があるのです」

 突飛な話だったが、説得力は強くあった。ヘドロが生んだザザーンや、汚水が生んだムルチ、騒音に引かれてやってきたサウンドギラーやノイズラーなど、人間が原因で現れた怪獣は多いが、飽食が大食いの怪獣を呼んでしまうとは。

「皆さん、私たちは毎朝食事の前に、始祖ブリミルと女王陛下に感謝の祈りを捧げますが、いままではそれを実現してはいませんでした。これからは、自分の言ったことには責任を持つようにしようではありませんか」

 必死に生徒たちを教えただそうとコルベールは声をしぼった。だが、その呼びかけに生徒たちの何割かは、自分のおこないを悔いる姿勢を見せたけれど、別の生徒が反論の言葉をあげた。

「でもミスタ・コルベール、あの怪獣をなんとかしないと、それどころじゃないでしょう?」

「いいえ、怪獣を追い払い、また食料が届くようになったとしても、わたしたちが自分の過ちを改めない限り、何度でも同じことは起こるでしょう。あの怪獣はまだおとなしいからいいですが、次に来るのが丸々と太った人間が大好物な、そんな凶悪怪獣だったらどうします?」

 生徒たちのあいだに戦慄が走った。そうだ、次に来る怪獣もこの怪獣のように間抜けな奴とは限らない。むしろ、うじゃうじゃいる人間を好んでエサにしようとする奴が来るほうが、圧倒的に確率としては高いのだ。

「わかりますな? 今回私たちは、まだ運がよかったのです。さあ皆さん、今ならまだ間に合います。あんな怪獣が二度と来ないようにするにはどうすればいいか、もう理解していますね? 朝、昼、晩、それぞれ出されたものは残さずいただく。いいですね!」

 

「はい!」

 

 生徒たちのほとんどと、才人の唱和が学院にこだました。

 恐らく、貴族として育ってきた生徒たちにとって、それはいままで教えられてきたことの中で最小のことに違いないし、才人にとっても小学一年生の学級目標のレベルのことだ。でも、大人になるほど、食物を作ってくれたお百姓さんや漁師さんに感謝して「いただきます」と言い、食べられた魚や肉の命に感謝して「ごちそうさま」と言うような、そんな素朴な気持ちを忘れていくものだ。

 カリーヌは、生徒たちをまとめあげたコルベールの手腕に感心すると、屋上から飛び降りて彼の前に立った。

「お見事な手腕、どうやら私はあなたを見損なっていたようですね」

「いえ、私に教師としての義務を思い出させてくれたのはあなたです。私は臆病で、あなたのような厳しさをもてなかった。おかげで生徒にもなめられて……活を入れてくれて、ありがとうございました」

「なあに、こちらもなかなかよいものが見れました。あなたの言うとおり、彼らもまだ捨てたものではないようです」

 二人の教師は、互いを認め合うと口元に軽く笑みを浮かべて、固く握手をかわした。

「さて、それはともかく怪獣をどうしましょうか? 目を覚ます前になんとかしないと」

「この大きさでは私の使い魔でも厳しいわね……レビテーションで運び出すにしても全校生徒の倍はいるか……」

 昔からベッドにしがみついて起きない子供をどかすのは大変なものだ。コルベールとカリーヌは、さてどうしたものかと、残った課題に頭を抱えた。

 

 けれど、ここでようやくヒーローに出番が回ってきた。

「さて、もうそろそろいいですよねセリザワさん」

「ああ、さっさと後始末をやってしまおう」

「まったく、久々の出番がこれだなんて、さえないわねえ」

「そう言うな。ウルトラマンは殺し屋じゃないんだ。さあ、久しぶりにいくぞ!」

「ウルトラ・ターッチ!」

 才人とルイズのリングが光を放ち、セリザワのナイトブレスにナイトブレードが仕込まれる。

 

 ダブル変身! ウルトラマンA&ウルトラマンヒカリ。

 

 姿を現したエースとヒカリは、二人のウルトラマンだと驚く生徒たちを踏み潰さないようにゆっくりと歩くと、ライブキングをはさんでしゃがみこみ、奴の腹の下に手を突っ込んで、思い切り持ち上げた。

「デャァァッ!」

「トァァッ!」

 ライブキングは再生能力を持っているので、始末するには宇宙空間に運ぶしかない。二人のウルトラマンのウルトラ筋肉が収縮し、ライブキングの巨体がじわじわと持ち上がっていく。

 が、二人のウルトラマンの力をもってしても、こいつはなかなか持ち上がらない。

(と、とんでもない重さだ)

(タ、タロウが苦労したというものもわかるな……これはきつい)

 ウルトラマンらしくもなく弱音を吐きながら、ヒカリとエースはよろめきそうになるのをこらえながらなんとかライブキングを持ち上げていく。こいつの基本重量は六万五千トンと、ただでさえ戦艦大和と同等の重さがあるのに、食べた食物の分も加わればメガトン怪獣スカイドンに匹敵するのではないかと思うくらいに重い。

 それでも、二人のウルトラマンは、頑張れと応援してくれる生徒たちの声援を受けて、どうにかライブキングを持ち上げて飛び上がった。

「ショワッチ!」

 飛行をはじめたら、みるみるうちに学院が小さくなり、やがて雲を突き抜けて成層圏を超え、銀河の星々が渦巻く宇宙空間へとやってきた。

(ふぅ、ここまで来たらもう大丈夫だな)

 無重力であれば奴がいくら重くても関係ない。二人のウルトラマンは、運んできただけなのに激しく明滅しているカラータイマーの光に照らされながらも、なおも爆睡しているライブキングをようやく手放した。

(さて、これから奴をどうする?)

(……殺すのは、かわいそうなんじゃない)

 エースからライブキングの処遇を問われたルイズは、ぽつりとそうつぶやいた。

 確かに、憎たらしいやつには違いないが、カリーヌの言ったとおり、奴は自分たちの心の一部が具現化したようなものなのだ。始末して終わりでは、なにか負けたような、そんな気持ちがする。それに……あんなに気持ちよさそうに眠っているやつを撃つのは、後ろめたい。

(わかった。それでは、あとは成り行きにまかせようか)

 エースとヒカリはうなずきあうと、しだいに小さくなっていくライブキングを見送った。

 なんとも、はた迷惑この上ない怪獣だったが、いなくなると寂しい気がするのはなぜであろうか。

 そういえば、ライブキングはもともと宇宙怪獣だったという説がある。次に行くのはどんな星か、せいぜいのんびり食べて寝てられる星であればよいのだが……

 やっと一人暮らしを始めた馬鹿息子を見送った母親のような気持ちで、二人のウルトラマンと二人の少年少女は、再び青い星へと帰っていった。

 

 こうして、大迷惑な怪獣によって引き起こされた事件は一応の解決を見た。

 新人教師カリーヌ・デジレは、生徒たちから畏怖されながらも頼られる存在になり、影の薄かったベテラン教師のコルベールは生徒たちから見直された……のだが、根本的な問題はまだ解決していなかった。

「腹……減った」

 そう、ただでさえ丸一日食事を抜いて、なおかつ怪獣相手に精神力の限度を振り絞って戦った生徒たちにはもはや動く力もろくに残されておらず、才人たちなど一部の例外を除けば校舎の日陰にはいずっていって、なかば死体のように寝こけているありさまであった。

 しかし、反省して心を入れ替えたご褒美か、日が暮れはじめるころになって天使がやってきた。

 

「みなさーん! お食事の材料をいただいてきましたよーっ!」

 

 底抜けに明るい声が、腹の虫の鳴る音しかしない学院の庭に響き渡ったとき、死体たちはフランケンシュタインとなって蘇り、我を争って正門前へと集合した。

「遅れてすみません。どうにか、皆さん全員にいきわたるだけの食材を集めてきました」

 そこには、リュリュやマルトーをはじめとした食堂のコックたちが、荷車にいっぱいの小麦粉や野菜を積んで、息を切らせて立っていた。

 みんな、朝からあちこちを駆け回り、重い荷物を運んできて服は薄汚く汚れている。けれども、先頭に立ってにんじんを振っているリュリュをはじめ、マルトーや今のコックたちからは後光さえ生徒たちには感じられた。

「なんだなんだ。どいつもこいつも死人みたいな顔色しやがって、いつもの威勢のよさはどこいった? ええ」

「まあそう言わないで、こっちもいろいろ大変だったんです」

 マルトーは才人から、そこでようやくこの学院で、怪獣をからめた大騒動があったことを聞かされた。

「ふん、飢えてようやく食い物のありがたさが身に染みたか。馬鹿どもにはいい薬だ」

 空腹の苦しさは体験してみないとわからない。いつもは居丈高な態度をとる生徒たちも、力を失って目の前の食べ物の山に目が釘付けになっている今になって、やっと食べられることのありがたさを知っていた。

 でも、今のマルトーの貴族の子弟たちを見る目には憎しみはない。いや、そもそも本当に彼らが憎いのならばとっくに学院のコックなどやめているだろう。なんだかんだで、子供が可愛いのは親心か……彼らも空腹で苦しいだろうに、早朝からあちこちの村々をめぐり、頭を下げて、下げて、下げて、ようやく集めてきた食材が、彼らコックたちの心を雄弁に象徴していた。

「さあて、それじゃあさっそくメシにするとするか。お前ら、道あけろ! どけどけどけい」

 すると生徒の波が、さあっとまるで赤じゅうたんをひいたように割れていった。

 マルトーたちが集めてきたのは、小麦粉二十袋、野菜荷車一台分、肉は牛一頭分、牛乳荷車一台分と、けして裕福ではない近隣の村々から集めてきたにしては上出来すぎるくらいの収穫だった。これだけを集めるのに、マルトーたちがした苦労は計り知れない。実は、これを集めるのに彼らは自分たちの私財の一部まで使っていた。プライドの高い彼らだからこそ、自分たちの仕事がどれだけ重要なものなのか、それを証明したかった。

 リュリュはそんな彼らと行動をともにする中で、遊びではなく、本気で仕事に命を懸ける職人の心意気というものに触れられた気がした。

 けれど、荷台に山積みになっている食材を見れば大量に見えるだろうが、数百人で分配する上に、次の食料がトリスタニアから届くのは明日の昼過ぎなので、あと二食分に分割せねばならず、一人当たりに回るのはわずかスープ一杯分でしかなかった。

「申し訳ありません。本当はみなさんにおなかいっぱいめしあがっていただきたいのですが……」

 誰にも食の満足を味わってほしいと夢見るリュリュは、いつもの十分の一もないメニューに、すまなそうな顔をして、スープの皿をテーブルに並べていった。

”みなさん、怒るだろうな”

 いつも贅をつくした豪華な料理でも満足してもらえないのに、これではとても……

 だが、食事がはじまったとき、リュリュが見たのは、彼女がずっと見たいと願っていた光景だった。

 

「うまい! こりゃうまい」

「うめえ、うまいぜ」

「おいしい! なんで? こんな粗末なスープなのに」

 

 男女問わずに、作法もろくに守らずにスープをかきこんでいく。

 才人もルイズも、ギーシュやモンモランシーも同様だ。

 リュリュは、なぜ塩とコショウで味付けしただけの粗末な野菜スープがこんなに喜ばれているのか、すぐにはわからなかった。だが、そうして呆然としているところをマルトーに肩を叩かれた。

「連中はこれまで、一番大切な調味料が欠けたものしか食ってなかったからな。それに、うますぎる料理ってのは、飽きられやすいもんだ」

 その一言でリュリュは、以前タブラに追い詰められて飢えに苦しんだとき、いままでずっとできなかった食物の錬金に成功したときのことを思い出した。

 体だけでなく、心が求めるからこそ味覚が普段に倍して応える。たとえば、一日中走り回った後では、豪勢な料理よりも塩をふっただけの握り飯がやたらとうまく感じたりするようなものだ。

「味だけじゃないんですね。料理というものは」

 うまければみんな喜んで食べてくれると思っていたリュリュは、また一つ身をもって大切なことを学んだ。

 

 むろん、他者の苦労を想像することのできない浅慮な生徒や教師の中からは、「こんなもので足りるか!」と、罵声が出たが、そういった者たちはカリーヌによって石壁にめり込まされて土の味を噛み締めることになった。

「いやなら食べなくてけっこうです」

 好き嫌いをする子供に食わせる飯はない。食卓において母親より強いものはいない。

 ほかの生徒たちは、飯抜きにされてはかなわないと、慌てて自分のスープを確保する。

 

 その様子を、オスマン学院長は秘書のロングビルといっしょにスープをすすりながら、のんびりと眺めていた。

「ふむ、さすがカリーヌくんじゃのう。惰眠をむさぼっていた者たちの目を一気に覚まさせてくれたわい。彼女に全部をまかせて正解じゃった」

「学院長、まさか全部こうなるって予想されてたんですか?」

「馬鹿言っちゃ困る。わしゃ神様じゃないから千里眼なんかないわい。ただ、歳をとると多少は人の扱いというものもうまくなるでのう。おかげで、これから学院の食堂の予算を削ると言っても誰も文句はつけるまい。ひっひっ」

 口元に人の悪い笑みを浮かべるオスマンを見て、ロングビルはこの事件が最初からオスマンの手のひらの上で踊らされていたような、そんな不気味さを感じた。さすが腐っても齢三百歳、年の功はキングトータスの甲羅より厚いようだ。

「抜け目ない人ですね。ただ、笑いながら人のお尻に手を伸ばすのはやめてください。フォークで刺しますよ」

「ちぇっ、ミス・ロングビルは相変わらず隙がないのう」

 そんなたわむれを続けながらも、夕食会は静騒とりまぜながら続き、やがて空には幾兆の星々が瞬き始めた。

 あそこに光る一番星はライブキングか? それともウルトラの星か。今日が過ぎたら明日が来る。

 明日もいいことありますように。あーした天気になーあれ。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第9話  イザベラのリュティス探索記!

 第9話

 イザベラのリュティス探索記!

 

 誘拐怪人 レイビーク星人 登場!

 

 

 トリステインからラグドリアン湖をはさんで南に位置する大国ガリア王国。そこは、面積だけでもトリステインのざっと十倍の広大さを誇り、人口三十万の膨大な数の力が生み出す国力によって、ハルケギニア最大の国家として知られている。

 

 しかし、そんな豊かな国の中枢では、血で血を洗う低級な権力闘争が続いており、前王の死後は弟を殺して王位を奪ったとうわさされるジョゼフ王と、そのジョゼフを廃位して弟王子の忘れ形見であるシャルロットを擁立しようとするオルレアン派とのあいだで、水面下の戦いがなおも続いていた。

 

 まこと、人間の愚かさとは古今東西判で押したように変わらないものである。だが、その馬鹿馬鹿しい争いの犠牲者であるシャルロット・エレーヌ・オルレアン王女ことタバサは、そんな権力闘争には興味を持たず、北花壇騎士として牙を研ぎながら、父の復讐の機会のみをじっと狙っている。

 

 今日もタバサは任務を命じるイザベラの書簡で呼び出され、その内容を確認するためにシルフィードに乗って、ガリアの首都リュティスにやってきた。

「あの一番高い建物の屋上に降りて」

「はーいなのね」

 街の上空を高度を上げて一巡りしたタバサは、街の様子がいつもと変わらないことを確認すると、アストロモンスに破壊されてから再建間近なプチ・トロワの代わりに、イザベラが仮の住まいにしているホテルの屋上にシルフィードを着陸させた。

「ここで待ってて」

 こういう高級な建物の屋上は、竜籠などで移動する金持ちや貴族などのために、地球でいうヘリポートのような設備を持つ場合がある。前回来たときはわざわざ玄関から入ったが、今回はイザベラの側近で、タバサにオルレアン派の復興を夢見ている東薔薇騎士団長のカステルモールが気を利かせて屋上の場所をとっていてくれたおかげで、ずいぶんと時間を節約することができた。

 だが、最上階のイザベラのスイートルームのドアをノックした後で、出迎えてくれたカステルモールの顔は、いつもとは違う意味で曇っていた。

「イザベラが、いない?」

「はい、朝からお出かけになられておりまして、昼過ぎには戻られるとおっしゃられていたのですが……」

 非常に困った顔をするカステルモールの謝罪に、タバサは「いい」と短く答えると、主のいない豪華な部屋を見渡して、軽く誰にも気づかれない程度のため息を漏らした。

「すみませんシャルロットさま。私どももできる限りおいさめしてるのですが、イザベラさまの放蕩癖はなかなか変わらず」

 あのアストロモンスの事件以来、面従腹背であったイザベラとカステルモールたち騎士団との関係は多少は改善し、またイザベラも以前のような理不尽な暴力はあまり振るわなくなっていた。でも、幼い頃からわがままいっぱいに毎日を遊びまわって育った、そんな習慣はなかなか抜けないようであった。 

「わたしは北花壇騎士、主の私生活には関心はない。それよりも、あなたたちこそ不当に扱われてはいない?」

「おお、なんとありがたいお言葉……やはりあなたさまこそ、この国の王の器にふさわしい。そのときのためなら、どんな艱難辛苦にも耐えられますとも。と、言ってはおおげさですが、昔に比べれば天国のようなものです。やれ茶がぬるいだの、料理に飽きただのと召使泣かせなのは変わりませんが、首をもらうだの、一週間食事抜きだのとはおっしゃいません。おかげで、苦労はともかく誰もおびえなくてすむようになりました」

「そう」

 本意は、不満のあまりに激発して反乱など起こさないだろうかと危惧していたのだが、この様子なら大丈夫そうだ。わがまま度は相変わらずだが、このくらいなら魔法学院の生徒たちと大差はない。

「それで、いつ戻るかもわからないの?」

「はい、市街で遊び歩くのを覚えなさってから、『フェイス・チェンジ』で顔を変えて頻繁に。このあいだなど、日帰りと言いながら三日も遊び歩かれて、冷や汗ものでした」

 困った従姉妹姫であるのはいつものことながら、今回は本当の意味で困ってしまった。イザベラが自分のことを嫌っているのは百も承知だし、罵声やら腐った卵やらで出迎えられるなら無視すればいいだけの話だが、いないとあっては任務がもらえないから話にならない。

「それに最近は、妙な事件がはやっていますから、できるだけ出歩かないでほしいのですが」

「妙な事件?」

 聞き捨てならない単語に、タバサは何のことかと問いただすと、カステルモールはここ一週間ほどリュティスで頻発している、ある事件について説明した。確かに、それはイザベラの身が危険かもしれない。

「それで、どうなさいます? ここでお待ちになられますか?」

 できる限り歓迎したいというカステルモールの誘いを、タバサは首を横に振って断った。別に歓迎されるために来たわけではないし、どこで誰が聞き耳を立てていないとも限らない。

「彼女はどこに行ったの?」

「お迎えに行かれるおつもりですか?」

「そう、急ぐ用事ならもだけど、彼女の身に危険があるとしたら、待ってたら手遅れになるかもしれない」

「はい、ですが実は……」

 言いにくそうに答えたカステルモールの返答の場所に、タバサはこれは任務よりも面倒かもしれないなと、らしくもなくずれた眼鏡を指先で上げながら思った。

 

 

 一方、タバサやカステルモールにそんな心配をかけているとはつゆ知らず、知ってても気にも止めなかったであろうが、王女イザベラは広いリュティスの中心街から外れたやや狭くて暗い路地で、一人で敷石に腰を下ろしてぶつくさぼやいていた。

「まったく、迷子になるとは使えない従者たちだよ。おかげで帰り道さえわかりゃしない」

 彼女の周りには、カステルモールがつけた東薔薇騎士の護衛数人の姿はない。この入り組んだ路地を駆け回っているうちにはぐれてしまった。本当はイザベラのほうが迷子になったのだが、それを口にするとプライドが傷つくので言わない。 

 そんな彼女は、平民の中流階級が着るような目立たない服を着て、タバサと同じ色の青くて長い髪を、動きやすいように後ろでまとめたラフな格好をしていた。

「しょうがない。腹も減ってきたし自力で帰るかい。カステルモールには、次はもう少しましな連中を貸すように言っておかないとね」

 よいこらと、男の子のようなしぐさで立ち上がったイザベラの懐から、金色のコインが一つ落ちて敷石の上を転がっていく。それは、このあたりの裏町に点在するカジノのコインで、非合法スレスレな過激な経営方針が、地下の闇カジノについで平民、貴族問わずに人気を呼んでいる。イザベラも、そんなスリルに魅了されたひとりであった。

 裏町は迷路のようで、変な連中のたまり場があったり、意味不明な看板をあげている店があったりと以外には、すれ違う人も少ない。しかしそれとは逆に、建物の中からは異様なまでの人の気配が漂っている。

「おい見ろ、なんだあの女?」

 イザベラは、暗がりや窓の中からいぶかしげに見つめる男たちの視線にいくつもさらされていた。フェイス・チェンジの魔法の効力の時間は過ぎて、目を引く青い髪とともに、タバサによく似た美貌が地味な服を着ていても強烈に人目を引いた。

 もし、その観察者たちがその気になれば、あっという間にイザベラは取り囲まれて、物陰に引きずり込まれていただろう。そうならなかったのは、実はまったくの幸運があったからである。

「ありゃけっこういいところの出だぜ。どうだ、やるか?」

「バカ、そんなのがこんなとこをノコノコ一人で歩いてるもんか。大方出て行ったところで頭上から網が降ってきて一網打尽って筋書きさ。見え透いた囮作戦だよ。あの目を見ろ、あれがいいところのお嬢さんか」

 皮肉なことに、あまりにも無防備なことと、いらだって目じりにしわを寄せていたことがごろつきどもの警戒心をあおって、襲われることを回避していた。もっとも、そんな幸運を知るはずもなくイザベラは、とりあえず歩いてれば知ってるところに出るだろうと適当に歩き回った。

 だが、山で迷えば来た道を引き返せと鉄則があるように、迷ったときに適当に歩いたらよりいっそう迷うのが世の常である。

「ああもう! この道さっき通らなかったかい!? どうなってんだこの街は!」

 ゴミ箱を蹴飛ばして、群がっていた野良犬が逃げ去るほどの怒声をあげながら、イザベラはちっとも改善しない現状にいらだっていた。なにぶん狭い裏町の路地というものは目印になるものもない上に、箱入り娘として育った彼女は方向感覚も未熟で、遊園地の迷路に勢いよく入ったはいいが出られなくなった子供と同じ状況になっていた。

 ここまでくればさしものイザベラも、自力で裏町を出ることが不可能だと理解していたが、いかに彼女が高慢な性格だとしても、こんなところにいるごろつきに道を尋ねたとしても、まともな対応が返ってくるとは思っていない。

 どうしたものか……イザベラはそろそろ焦り始めていた。

 このまま暗くなったら、いくらなんでもまずいことになる。そういえば人形娘も呼んでいたけど、そちらのほうはまあ後でもいい。でも、もし自分が帰らないことを城の連中が知ったら…… 

 不吉な予感が心を蝕んでいく。冗談ではない、こんなことでオルレアン派の連中にいい目を見せたら自分は笑いものどころではない。なにがなんでも自力で帰ってやると、駆け足になって路地をくぐっていき、ある曲がり角を曲がったときだった。

 

「きゃあっ! や、やめて、離してください」

「へっ、こんなところに譲ちゃんみたいなのが一人で歩き回ってるのが悪いんだぜ」

「そうだぜ。ここはな、俺たちの縄張りなんだ。縄張りに勝手に入り込んだ奴は、おしおきしねえとな」

「な、なにするつもりですか!」

「くくく、払うもの払ってくれればいいんだよ」

 

 見ると、路地の真ん中で、赤い髪をした十八歳くらいの少女が、見るからに柄の悪い四人ほどの男にからまれているところだった。

「や、やあっ! 触らないで」

 どうやら少女のほうは、この裏町の人間ではないようだ。町娘風の服装の袖やスカートから見える手足は華奢で、男の力に抗えてはいない。

「んったく……」

 イザベラは道を塞いでいる混雑をうっとおしく思って引き返そうかと考えたものの、戻って別の道に入るには数百メイル歩かなくてはならない。面倒くさかったが、少女の服に手をかけている男たちに向かって、思い切り居丈高に叫んだ。

「おいそこのゴミども! 目障りなんだよ。道を開けな」

 ごろつきたちは、突然浴びせかけられた怒声に驚き、とっさに声のしたほうを見た。けれどそこに立っているのが同じような少女だと知ると、とたんに下品な笑みを漏らした。

「なんだ姉ちゃん、俺たちになんか用かい?」

「ああん? 薄汚い口でこのあたしに質問すんじゃないよ。耳が悪いのかい? それとも中身が悪いのかい? ああ、顔が悪いんだね。見たらわかったよ」

「んだと……言ってくれるじゃねえか、こんのクソ女」

 まさかこんな美少女から、自分たちよりもはるかに汚い言葉が飛び出してくるとは思っていなかったごろつきどもは、額に血管を浮かび上がらせてイザベラを睨んだ。

 だが、その程度の眼光ではイザベラはひるまない。

「おっ、人間の言葉を理解する知能はあったか。あたしはてっきりサルに話しかけてたかと思ってたよ。んじゃあまあ、目障りだからさっさと消えろ」

「ざけんな! てめえ生かしちゃ返さねえ」

 イザベラの高慢な命令に、短い堪忍袋の尾を切れさせたごろつきたちは、いっせいにイザベラへと襲い掛かった。だが、イザベラは汚いものを見る目つきのままで、懐に手を伸ばすと、短く呪文を唱えた。

「なっ!? メ、メイジ!」

 先頭の男がイザベラの杖を見て驚いた瞬間、つむじ風がその男の茶色く汚れたシャツをざっくりと切り裂いていた。

「あたしはゴミを眺めて楽しむ趣味はないんだよ。ゴミのくせに、何度も人間さまにしゃべらせるな」

「く、くそっ。貴族が相手じゃかなわねえ。逃げろっ!」

 ごろつきたちは、さっきの威勢はどこへ霧散してしまったのやら、恐れおののくと尻に帆かけて、あっという間に路地の先へと逃げ去ってしまった。

「はん。ちょろいな」

 イザベラは杖をしまうと、怯えていたごろつきたちの顔を思い出して、多少溜飲を下げた。本当は、今使ったつむじ風程度がイザベラにできる限界で、四人の男をいっぺんに相手取るなどできないのだが、だからこそ愉快でもあった。

「馬鹿な連中だよ。勝とうと思えば勝てるはずなのに、こちらがメイジというだけで、ちょっと脅しをかけたら勝手に驚いて逃げていくんだから」

 はったりもまた立派な戦術のうち、幼い頃から他人をかしずかせてきたイザベラは、他者を威圧することにかけては天性ともいえる才能を持っていた。人生なにが幸いするか分からないものである。

 そうして、口元を歪めて品のない笑いを浮かべたイザベラは、しばらく勝利の余韻にひたっていたものの、ふと視線を下ろすと、さきほどごろつきたちに襲われていたあの少女が目の前にひざまづいて、感謝の視線でこちらを見ていることに気がついた。

「ど、どこのどなたかは存じませんが、危ないところをお助けいただき、ありがとうございました」

「ん? ああお前、まだいたのか」

 イザベラは謝意を述べてくる少女を、さっきのごろつきを見るのとたいして変わらない視線で見下ろした。別に、助けるつもりなどは最初からなかったし、眼中になかったというのが正しいだろう。

 少女は、成り行きとはいえ助けてもらったことになるイザベラを、キラキラと輝いた瞳で見上げている。

”うざいな。こいつもちょっと脅かして追い払うか”

 少女の心を完全に裏切るように、イザベラはもう一度杖を取り出そうと懐に手を伸ばした。

 けれど、こちらに向かって祈るように手を合わせている少女の手の甲に、さっきごろつきにからまれたときについたと思われる傷が血をにじませてるのが目に入ると、イザベラの心に一つの言葉が蘇ってきた。

 

”いいかい、ここから動いちゃいけないよ。すぐに助けがくるからね”

 

 忘れかけていた、優しく、頼もしいあの言葉。するとどういうわけか、心の中にたぎっていたドロドロした感情が溶けていき、イザベラの手は杖ではなく、胸ポケットにしまっていたシルクのハンカチを握っていた。

「怪我してるのか……ちょっと待ってな」

 もしこの光景を、カステルモールやヴェルサルテイル宮殿の人間などが見たら、夢かと自分の目を疑ったに違いない。イザベラは上質のシルクのハンカチを斜めに伸ばすと、包帯の代わりにハンカチを少女の手に巻いていった。

「あ、そ、そんなもったいない!」

「いいから、黙ってな」

 なかば強引に、結び目もいびつながらもイザベラは少女の手にハンカチをぐるぐる巻きにして、大きくため息をついた。

 ハンカチはしわくちゃになり、血がにじんで高級品としての価値が台無しになっている。本来なら、平民相手にこんなことは絶対にしないのだが、どうしてそんな言葉が出たのか、どうしてこんな気になったのか、イザベラ本人にもよくわからなかった。

「あ、ありがとうございます」

「……フン」

 だが、今度礼を言われたときには、なんとなく悪い気はしなかった。本当に、訳がわからない。

 いや……ああそうか、やってもらってうれしかったことを、誰かにやってやりたかったのか。

「……おい平民」

「あ、はい!」

「誰だかは知らないが、そこらのゴミよりかは使い物になるだろう。表通りまで案内しな」

「はい! 喜んで」

 満面に笑みを浮かべて立ち上がった少女に先導されて、まだよくわからない気持ちをひきずりながら、イザベラは薄暗い路地を歩き始めた。

 

 両側に高い石作りの建物に挟まれた路地は、昼間だというのに薄暗く、単調な風景を続けて二人の少女を見下ろすようにどこまでも壁が続いている。

「おい、この道はさっき通らなかったかい?」

「いいえ、このあたりの町は意図的に似たような風景で作られてるんです。それを知らないと、どんどん迷うばかりなんですよ」

 少女によれば、このあたりは敵が侵入してきたときに迷わせて時間を稼ぎ、あわよくば内部で殲滅するためにこんな入り組んだ構造になっているのだという。もっとも、今ではすねに傷があるものが隠れ住むのに使われているくらいだそうだが。

「ほお、この臭い町に、そんな意味があったとはな」

「大都市というのは、それ自体が要塞みたいなものなんだそうです。もっとも、これは旦那様が坊ちゃまに講義してらっしゃるのを、隣で聞いていただけですが」

 その少女は、名前はアネットといい、このリュティスに屋敷をかまえるド・ロナル伯爵家の召使をしていると自分のことを語った。

「ド・ロナル家か……確か、大臣や将軍を何人も輩出した名家だっけね。そんなところの召使が、なんでこんなゴミために一人でいるんだい?」

「それは……」

「ふん、言いたくない事情があるってかい。お前ら平民はいつもそうだ。目の前じゃあ貴族さま、貴族さまとへいこらするくせに、陰じゃあせせら笑ってやがる。そんなに人を馬鹿にするくらい偉いなら、わざとらしく頭なんか下げてんじゃねえってんだ!」

 形だけはうやうやしく礼儀正しくして、カーテンの陰でひそひそと話をしている召使や従者への不満を、なんの関係もない少女に向かってイザベラはぶちまけた。けれど、アネットはイザベラの怒声を別の意味に解釈したらしく、うーんと、なにやら深刻そうに考え込むと、ぱっと顔をあげた。

「そうですよね。怖くても、言わなきゃいけないことってあるんですよね。ありがとうございます! ……あの、その堂々たるふるまい、きっと名のあるお方とお見受けしますが、失礼ですが、お名をうかがってもよろしいでしょうか」

「ん? あ、ああ……」

 そういえば名を名乗っていなかったことにイザベラは気がついた。自分はめったに平民の前には顔を出さないので、アネットは自分が王女だということには気づいてないようだが、まさか本名を名乗るわけにもいかない。

 いくつかの偽名の案を頭の中で選定する。ニーナ、バーバラ、イオナ、ほっぽ、ウィンダ、エリアル……召使や、物語の中の登場人物の名前を思い出していくが、どうにも自分としっくりくるものがない。いっそ自分の名前をもじってイーザ、もしくはベラと名乗ろうかと思ったが、これもいまいちいい感じがしない。

 アン、グレア、ハンナ、ティナ、セリス、アブトゥー……イメージに合いそうなのは少しはあるけど、やっぱりどうしても納得いかない。どうやら、今まで意識したことはなかったが、イザベラという名前は見事に自分に合った名前だったらしい。

「名前、か……」

 イザベラ……それを名づけてくれたのは、生まれてすぐ死んだ顔も覚えてない母だという。でも、そんな愛情の欠片も感じたことのない母も、たった一つだが自分に生涯消えることの無い贈り物を残していってくれたのかと、イザベラは少しだけ感傷的な気分になった。

「あの……どうなさったんですか? もしかして、名乗るほどの者ではないと……な、なんて奥ゆかしい!」

「え!? いやいや! イ、イザベラ、そう、あたしの名前はイザベラさ!」

 結局イザベラは本名を名乗った。別に言わなくてもよかったけれど、羨望のまなざしを向けてくるアネットの視線のほうが痛かった。

 だが、アネットは王女の名前が出されたというのに驚いた様子もなく。うれしそうに言った。

「イザベラさまですね。勇敢で賢そうで、すごいいい名前だと思います」

「え? あ、ありがとう」

 拍子抜けしたが、本当にアネットはイザベラが王女だとは少しも気づいてないらしい。まあ考えてみれば、イザベラという名前の女など、このリュティスだけでもはいて捨てるほどいるだろうし、仮に王女の顔を知っていたとしても、人間は思い込みというものが強いから、本人だとはまず思わないだろう。

 ほっとしたような残念なような、やや複雑な思いをしつつ、それから二人はたわいもない話をしながら、あっちへこっちへと、迷路のような街並みを歩いた。

 ただ、いくら人通りが少ないとはいえ無人ではないので、イザベラだけならともかく、温和な雰囲気を漂わせるアネットがいては、二人は一度ならず柄の悪い男たちにからまれた。もっとも、そのたびにイザベラが軽く魔法で驚かすと逃げていった。

「あ、ありがとうございます。また、また助けていただきまして」

「ばーか、あいつらが臆病だっただけだ。しかしまあ、よくお前は一人でこんなところまで来れたな。普通だったらとっくに捕まって、下手すりゃ生きて帰れないとこになるとこだぞ」

「駆け足には自信があるもので……」

「に、したって命知らずもいいところだ」

 他人の心配などという感情にとんと無縁であったイザベラが呆れるほど、アネットは見た目どおりに無防備そのものだった。これでは狼の巣に子羊を放り込むようなものである。他者に無関心なイザベラであっても、いくらなんでも黙っていられない。

「お前さ、もう一度聞くが、なんでこんなヤバい場所に一人で来た? なんかよほどの訳があるんだろ」

「それは……イザベラさまには、関係のないことで」

「うるせえ。お前のことだ、あたしを外に出したらまたここに戻ってくるつもりなんだろ。気になるだろうが。それとも、魔法で無理矢理しゃべらせようか?」

 もし相手がタバサだったら、絶対にこんな心配はしないだろう。弱いものいじめは嫌いじゃないが、なぜかアネットがさっきのような連中に襲われたらと思うと、無性に腹が立って仕方が無かった。

 アネットは、杖を突きつけるイザベラに一瞬びくりと震えた。しかしイザベラがいっこうに呪文を唱えようとはしないので、ほっとしたように、次いで観念したように事情を告白した。

「主人が、誘拐されただって?」

 理由を聞いたイザベラはびっくりした。話によれば、数日前アネットの働くド・ロナル家の一人息子オリヴァンが突如失踪したのだという。

「馬鹿な、ド・ロナル家の嫡子が誘拐されたなんて大変な事件になるはずだ。あたしはそんなこと一言も聞いてない。家出じゃないのかい?」

「いいえ、ぼっちゃまは、一人で外に出たことはありません。それに、知られると家名に傷がつく恐れがあると、旦那様も奥様も、事実をひた隠しにしていますので」

 ちっと、イザベラは不愉快そうに舌打ちした。アネットのいたところも、宮殿となんら変わりない薄汚れた世界だ。

「で、身代金の要求とかはあったのかい?」

「いいえ、そういったものは何も……それに、こういったことはわたくしどもばかりではないのです」

 「なに?」と、いぶかしげに尋ねたイザベラに、アネットはさらに驚くべきことを語った。

 誘拐事件は、このリュティス全域で貴族、平民問わずに頻繁に起こっていたのだ。

「新聞を読んでいた旦那様の話を聞いたのですが、この一週間ほどですでに百人ほどが行方不明になっているそうです。それも、年齢、性別、職業などまったくかまわずに」

 さらに家族や友人には脅迫などは一切ないから、衛士隊も事件の頻度の割には捜査の足がかりがつかめずにいると聞き、イザベラも自分の足元でそんな大火が起こっていたのかと、正直に驚いていた。

「惜しいな。そんなうまい話があるなら、あの人形娘に……いや、だがお前がこんな場所にいた説明になってないぞ」

「それは……旦那様が、もし人攫いの集団が根城にするなら、衛士もうかつに手を出せないこの裏町が一番怪しいなと、独り言でおっしゃっていましたので」

「はぁっ!?」

 何度も呆れていたが、人生最大の呆れをイザベラはこのときした。

 なんとまあ、そんな適当な根拠で、命の危険のあるこんな場所に乗り込んできたというのか。無茶で無謀で、成功するなどとはコンマ一パーセントもあるとは思えない、大馬鹿の考えだった。

「信じられないね。それに第一、奇跡的にそのオリヴァンぼっちゃんが見つかったとして、誘拐団から、あんた一人で助けだせると思ってるのかい」

 アネットは無言で首を振った。

「ほおらね。やめとけやめとけ、しょせん平民にできることなんか、たかが知れてるんだから」

「でも!」

 小馬鹿にするように言った一言に過剰なほどの大声で反応したアネットに、イザベラのほうが一瞬気圧された。

「ぼっちゃまは、きっと今ごろ一人ぼっちで泣いてらっしゃいます。お友達もおらず、屋敷からもろくに出たことのないぼっちゃまが、そんなことにいつまでも耐えられるかどうか!」

 イザベラは本日になってから、もう数えるのも馬鹿らしくなってきた呆れをまた体感した。

 話を聞く限りでは、そのオリヴァンとかいうやつは、絵に描いたようなダメ人間みたいで、おまけにどうやらアネットのほうは、そのダメ人間に並々ならぬ愛情をもっているらしい。

 だが、アネットのこだわりがどうあれ、このままほっておいたら絶対にただではすまない。なんともとんでもないお荷物を引き受けてしまったものだ。イザベラは、こうなったら王女の身分を明かして無理矢理連れて行こうかと思った。

 そのときだった。

 

「わああぁーっ!」

 

 突然、路地の先から男の悲鳴が聞こえてきた。それも、一人や二人ではない。

「こっちだ!」

 とっさにイザベラはアネットの手を引いて、そばに放置してあった荷車の陰に飛び込んだ。

「ど、どうしたんですか?」

「しっ、黙ってろ」

 相手がごろつき程度なら、これまでどおりに脅して追い払う自信はあったが、イザベラにも備わっていた動物的な第六感が、「隠れろ、危険だ」と告げていた。

「な、なんだてめえらぁ!」

「た、助けてくれぇ!」

 路地の曲がり角の先からは、数人の男の怒声や悲鳴が木霊してくる。二人は荷車の陰から、その曲がり角を息を呑んで見守って、やがて角から一人の男が逃げ出してきた。

「あいつは、さっきの」

 それは、さっきアネットを襲っていたごろつきの一人であった。なにか、とてつもなく恐ろしいものに追われているらしく、顔中を恐怖に引きつらせている。

 しかし、彼はその何者かから逃げ延びることはできなかった。飛び出してきて、その曲がり角を曲がろうと一瞬足を止めた瞬間、青白い光が彼に照射されて、男は悲鳴と共に一瞬で消えてしまったのだ。

「なっ!?」

「人が、消えた!?」

 二人とも愕然として角を見やった。すでに男の仲間も全員消されてしまったらしく、怒声も悲鳴も一つもしない。

 そして、角の先から現れた異形の人影を見て、二人は背筋に強烈な寒気を覚えた。

「な、なんだあいつは!?」

「カ、カラス人間!?」

 それは明らかに人間ではなかった。全身は黒いスーツのような服で覆っていて見えないけれど、頭はカラスに似た兜状の鋭角のもので、黄色い大きな目がらんらんと光って周りを見渡している。

 二人は、見つかってはまずいと荷車の陰で息を潜めてカラス人間を観察し続けた。すると、そいつの後ろから別のカラス人間が数体現れたではないか。

「まだあんなに!」

「しっ! 見つかったらどうする」

 鳥類の耳がいいかどうかは知らないが、この状況、あの男たちを消したのは間違いなくあのカラス人間たちだ。それに、奴らの何体かは手にかなり大型の銃のようなものを持っている。あれがどれだけの威力を持つかは、平民の武器には無知なイザベラには見当がつかなくても、撃たれたら死ぬということくらいは知っている。

 それにしても、奴らは人間ではないのは確かだが、あんな亜人がハルケギニアにいたかと、イザベラは首をひねった。翼人、ミノタウロス、オーク、コボルド、トロール……だいたいの亜人の種類くらいは暗記しているけど、カラスの亜人なんて聞いたことも無い。

 奴らは隠れている二人にはまだ気がついていないらしく、集まってなにやら話をしているようだ。できれば内容を知りたかったが、奴らの声は鳥か虫の声を絞り出したような聞きにくいもので、人間の言語とはかけ離れていた。

「あいつら、いったい何者なんだ……?」

「あの、イザベラさま……」

「なんだ?」

「もしかして、ここ最近はやってる誘拐事件の犯人って、あの人たちなんじゃないでしょうか?」

「なに……ありえるな」

 突飛だが、その可能性は強いとイザベラも思った。犯人が人間でないのなら、普通の捜査で手がかりが見つからないのも当然で、動機や手段も人間の思うものではないのだろう。

 カラス人間たちは、その後意味のわからない会話を続けていたが、やがて二人に気づかないままに、元来た方へと立ち去っていった。

「ほっ……」

 安堵のため息をイザベラは漏らした。いや正直ほっとしていた。もし見つかっていたら自分の稚拙な魔法ではどうなっていたか。危ない危ない、ああいうやっかいなのは今度あいつに押し付けて片付けさせよう。

 そこまで考えて、荷車の陰から立ち上がろうとしたときだった。アネットが突然飛び出すと、カラス人間たちの消えていった路地のほうへ走り出したのだ。

「あっ! お、おいアネット、なにしてんだ」

「あいつらがぼっちゃまをさらったんです。追いかけて、ぼっちゃまを取り返します」

「馬鹿! あの光線を見なかったのか、お前まで消されるぞ」

「でも、やっとつかんだ手がかりなんです。わたし、行きます!」

「わからずやが! あたしゃ知らないからな」

 亜人だかなんだか知らないが、あからさまに危険なものにこれ以上関われるかと、イザベラはアネットに背を向けて逆方向に去ろうとした。が、そこで大事なことに気がついた。しまった、わたしは一人じゃここから出られないんだと。

「んったく……今日はとんでもない厄日だな。ええい、こうなったら乗りかかった船だ!」

 進むも地獄、戻るも地獄ならせめて前のめりに倒れよう。

 アネットに追いついたイザベラは、この興奮しきっている爆弾娘に騒がれないようになだめつつ、角一つごとにこっそりと身を隠しながらカラス人間たちの後を追っていった。

「やっぱりイザベラさまって、すごく優しい方なんですね」

「やかましい。じんましんが出るからやめろ」

 なんで王女である自分が平民の召使に振り回されなきゃならないのか? 魔法で脅せば簡単なのかもしれないが、下手に騒がれてカラス人間たちに見つかればこちらの身が破滅する。

 爆発させる対象がないだけに、イザベラのうっぷんはたまる一方であった。

 それでも、十数個の角や十字路を通り過ぎると、カラス人間たちはある行き止まりのところまでやってきて止まった。

「やつら、こんな袋小路でなにを?」

 例によって曲がり角から少しだけ顔をのぞかせて、イザベラとアネットはいぶかしげにカラス人間たちの動向を観察していた。だが、やがて一人が壁に近づくと、なんの変哲も無い石壁と思われていたそこが、渦を巻くように開いていって円状の門になった。

「なっ!」

 二人がその光景に唖然としているうちに、門は全員が潜り抜けると即座に収縮して、元の灰色の石壁に戻ってしまった。

「ここが奴らのアジトか。こんな方法でカモフラージュしてたんじゃあ、そりゃ誰にも見つからないわけだ」

「では、ぼっちゃまもあの中に。わたし、行きます」

「馬鹿、門の開き方を知らなきゃ壁ごと吹き飛ばすしかないが、あの分厚い石壁はわたしの魔法じゃどうにもならん」

「で、ではどうすれば!?」

「アジトの場所は割れたんだ、衛士隊に連絡して部隊をまわしてもらうしかないだろ。わたしたちにできるのはここまでだ。あきらめな」

 アネットは納得がいかないようだったが、実際彼女にはもう打つ手がないのだから仕方が無い。

 うつむいているアネットの肩を叩き、「ほら行くよ」とイザベラはほっと息をついた。

 やれやれ、これでやっと帰れる……そう思ったとき、彼女たちの後ろから突然声がかけられた。

「どこへ行くつもりかな?」

 のどにひっかかるような、人間が発したとは思えない声に、イザベラとアネットが振り返ったときには、もう遅かった。

 いつの間にか後ろに立っていた赤い目のカラス人間の銃が二人に向けられたとき、杖を抜くことも叫ぶこともできないまま、二人に青色光線が浴びせられ、二人の姿は次の瞬間には、その場から消滅してしまっていた。

 

 それから数十分後……袋小路には別の二人組がやってきていた。しかし彼女たちは、そこに他の誰かの姿を見出すことはできなかった。

「本当に、ここで間違いないの?」

「あー! お姉さまシルフィーの鼻を疑ってるのね。確かにここで、あのわがまま王女のにおいが途切れてるのね。うそじゃないのね」

 タバサとシルフィードは、イザベラを探してこの裏町を散々駆け回ったあげく、やっとそれらしい人物を見かけたという情報から、シルフィードににおいを追わせてここまでやってきたのだった。

 だが、イザベラのにおいは突然空を飛んだかのように途切れ、目の前には分厚い石の壁が聳え立っている。

「……」

 もしやと思って、タバサは石壁にディテクト・マジックをかけてみた……石壁には、魔法の反応は一切なかった。

「きゅい、お姉さま、これからどうするの?」

「……」

 石壁には、どうやら細工はないようだ。となると、フライを使って壁を飛び越えたのか? 魔法の才のないことで知られるイザベラだが、それくらいのことはできるかもしれない。ならば、においが途切れるも当然……

「行く」

 これ以上ここに手がかりはないと判断したタバサは、別のところを捜索するために、竜に戻ったシルフィードの背に飛び乗った。

 

 

 しかし、タバサも気づいてはいなかったが、それらの光景の一部始終はある男によってつぶさに見物されていたのだ。

「ふっはははは! さすがに我が姪も、あの仕掛けは見破れんか。まったくお前の連れてくる連中は、面白い道具をたくさん持っているものだなあ」

 ヴェルサルテイル宮殿の中核グラン・トロワの、大臣でも気安くは立ち入れない王の寝所のある広い部屋にその男はいた。床に張られた直径十メイルほどの大きな水鏡に、イザベラの消えた行き止まりで思案にくれているタバサの姿が、斜め上から見下ろしたように映し出されている。

 それを見物している人影は三人。まずは困り果てているタバサを愉快そうに笑っているガリア国王ジョゼフと、この水鏡型のマジックアイテムを操作しているジョゼフの使い魔の女。そしてもう一人、この場の雰囲気に合わない小太りで顔を白塗りにした奇妙な紳士姿の男。

「いえいえ、あの程度のゲートは作り出すのにそんなに難しい装置はいらないです。壁抜けならわたくしごときにだってできますし」

「ふ、だがまあそんなことは些細なことだ。チャリジャよ。一週間前に、お前がお前の世界から連れてきたあの連中はなかなか面白い仕事をする。おかげで、リュティスに不安と動揺が疫病のように蔓延しはじめているぞ」

「レイビーク星人の方々は、そろそろ切羽詰ってますから張り切ってるんでしょう。わたくしのビジネスとは少し違いますが、商売人としてコネクションは多いにこしたことはありませんからね」

 商売人らしく愛想笑いを常に浮かべながら、人間に変身した宇宙の怪獣バイヤー・チャリジャは語った。

 あのアストロモンス事件以来、ジョゼフをこのガリアでのスポンサーに選んだチャリジャは、この土地での自由な怪獣探しを手伝ってもらう見返りに、ムザン星人にガギをつけてこの世界に呼び込んだりと、ジョゼフの依頼でいくつかの怪獣や宇宙人を、この世界に送り込む手引きをしていたのだ。

「では、わたくしはまた商品の調達にまいります。取り急ぎご用事ができましたら、わたくしの携帯のほうへご連絡を」

 すっと、壁に溶け込むようにチャリジャは消えた。

 ジョゼフは、この水鏡……正確には小鳥型のガーゴイルを飛ばして、その見たものが映る仕組みになっているマジックアイテムの中で、正解が目の前にあるというのに立ち去ろうとしてるタバサを哀れそうに見つめると、独り言のようにつぶやいた。

「それにしても、まさか我が娘が網にかかるなどとはさすがに予測できなかった。いやいや、さすが現実というものはチェス盤の上とは違って、想像もしていなかったことが起こる。アルビオンのゲームは余の完敗であったが、今度のゲームもなかなか楽しめそうだ。さあてシャルロットよ。お前にとってイザベラは目障りな存在だろうが、イザベラがいなくなってはお前は北花壇騎士としての本分を果たすことができない。つまりはお前の父の仇である余に近づく機会も失われるということだな」

 途中から声の抑揚を上げていき、子供が親に手製のおもちゃの説明をするときのようにジョゼフは独奏を続けた。

「ふむ、皮肉なものだな。お前は自分の目的のために、自分に一番敵意を持つ人間を救わねばならないのだからな。しかし、ぐずぐずしていてはイザベラは二度と手の届かないところに行ってしまうぞ。どうするかな?」

 チャリジャと取引のあるジョゼフは、レイビーク星人たちがなんの目的で人攫いをしていたのかも知っている。少なくとも、このままでは無事ですむことはないだろう。

 すると、それまでじっと水鏡を操っているだけだった女、アルビオンでジョゼフの手先として暗躍していたシェフィールドが、いぶかしげにジョゼフに尋ねてきた。

「あの、ジョゼフさま。イザベラさまをお助けにならなくてよろしいのですか?」

「助ける? なぜだ」

 心底不思議そうに聞き返してきたジョゼフに、シェフィールドは主の不興を買うのは承知で、今は好奇心のほうに身をゆだねた。

「イザベラさまは、あなたさまの血を分けた娘なのでは」

「だからどうした? それがなにか問題になるのか」

 なんの感慨も無い、履いて捨てるような返答に、シェフィールドは息を呑んだ。すでにアルビオンでワルドに憑依したブロッケンから受けた傷はほぼ完治しているはずなのに、胸のどこかがにぶく痛む。

「イザベラさまを、愛してはいらっしゃらないのですか?」

「イザベラ? まさか、子を愛さぬ親はいないなどと世間ではいうが、そんなものは余にとってはただの美談だ。自らの子の血肉と金貨を交換する親などいくらでもいる。まあシャルル……あいつは、自分の娘を、シャルロットを愛していただろうな」

「だから……シャルロットさまを」

「ああ、最愛の弟の最愛の娘を絶望に沈んだ顔を見てこそ、我が心は再び痛むかもしれん。あの日……この手でシャルルを手にかけたとき以来、余の心はなにも感じなくなってしまった。あとに残されたのは恐ろしいまでの退屈さだけ。それまでは当たり前に感じていたはずの愛情や良心の呵責など、あのときを境に消え去った。だから、余はもう一度それを取り戻したい。ああ、余の望みはそんなちっぽけなことなのになあ」

 本気とも冗談ともつかない口調で語るジョゼフの言葉。だが、シェフィールドは答えがそのどちらに属するのか理解している。そして、主人がそれ以上の言葉を自分に求めていないことを知って、黙って水鏡の操作に戻った。

「ああシャルル、我が弟よ。お前は誰よりも魔法の才に長けていた。お前は誰より賢かった。お前は俺にできないことはなんでもできた。そしてお前はいつでも優しかった。そんなお前を、いつも俺はどんな目で見ていたと思う? うらやましかった。それはそうだろう、あたりまえのことだろう? でもな、憎くはなかったんだよ。本当だ。あんなことをしてしまうほど、憎くはなかった。あのときまでは……そう、お前が俺に向かって、あの一言を言った、あのときまでは……」

 つらつらと、過去何十ぺんと繰り返した独白を続けるジョゼフの声が、ただ機械的に仕事をこなすシェフィールドの耳だけを通り過ぎて、室内の湿った空気を空虚に揺らした。

 

 

 続く



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第10話  小さなイザベラの大冒険!

 第10話

 小さなイザベラの大冒険!

 

 誘拐怪人 レイビーク星人 登場!

 

 

「う……ここは……」

 うすぼんやりした思考が徐々に覚醒していって、まぶたを開けたイザベラの目に最初に入ってきたのは、どんよりとした空間の上に、温室の天井のようなガラスのふたがかぶせられた見覚えのない場所であった。

「わたしは……?」

 普通なら目が覚めたら見えるのは王族用の天蓋つきベッドの天井なのだが、これは夢の続きなのだろうか?

 いや、目は覚めているはずなのだが、寝起きでどうにも頭がはっきりしない。

「えーっと」

 落ち着いて、眠る前の自分の行動を思い返してみる。わたしは呼びつけた人形娘が来るまでの暇つぶしに裏町のカジノに出かけて、それで護衛とはぐれて帰れなくなって、アネットっていうなんかムカつく女と出会って……

「そうだっ!」

 そこで完全に目が覚めたイザベラは、とっさに飛び起きようとした。しかし上半身も両腕も思ったとおりには動かず、がくんと反動を受けると頭を寝ていた場所に打ち付けてしまった。

「いたー……って、なんじゃこりゃぁーっ!」

 自分の体を見渡したイザベラは愕然として叫んだ。なんと、自分は台座のようなところに寝かされていて、全身を透明なベルトのようなものでがっちりと固定されているではないか。

「あっ、イザベラさまも、目が覚められましたか」

「んっ? お前……アネットか」

 目が慣れてくると、自分のすぐ隣にはアネットが同じように全身を拘束されて寝かされていた。

 よく見たら、差し渡し三十メイルほどの半円柱状の場所に、総勢二十人ほどの人間が拘束されている。男女、子供に老人、大柄から小柄、立派な身なりのものもみすぼらしい身なりのものもいる。そこまで目に入れば、元々明晰な頭脳を持つイザベラには、それが誘拐されていた人たちなのだとすぐに理解できた。

「そうか、わたしたちはあのカラス人間に捕まって……ここはどこなんだ?」

「わかりません。周りの人も、さらわれてきてずっとここにつながれているそうで」

 すまなそうに言うアネットも、イザベラよりもほんの数十分前に目覚めたらしく、ほとんど何もわからないようだった。気がついている人はほかにもいるようだが、長時間の拘束で衰弱しているのか、新入りの二人に話しかけてくるものはいない。

 ならばと身をよじって暴れてみても、ベルトはびくともせずに、せいぜい手のひらで腰の辺りをまさぐるくらいしかできなかった。

「無駄ですよ。力自慢の人もさんざん試してみたそうですが、このベルトは皮みたいにしなやかで、鉄みたいに頑強なんです」

「ちっ、わたしとしたことがとんだヘマをしちまった。あいつら、絶対ぶっ殺してやる!」

 体が動かない腹いせから、イザベラは思いっきり大声をあげた。周りの人間からは「やかましい」と抗議が出るが、そんなことで萎縮するようなイザベラではない。

 だがそのとき、イザベラに向きかけていた周囲の人間のいらだちが、いっぺんに吹き飛ぶような悲鳴がこだました。

「うわあっ! また来た」

「なに? なにが来たって? う、うわぁっ!」

「きゃあぁーっ!」

 驚いて上を見上げたイザベラとアネットは絶叫した。

 そこには二人が気を失う前に見た、あの赤い眼のカラス人間が、ガラスの天井のいっぱいを占めるくらいの巨大な顔を覗かせて、こちらを見下ろしていたのである。

「ふっふっふ、誰が誰を殺すだと?」

 奴は、イザベラたちが襲われたときの、人間と変わりない大きさではなく、まるで怪獣のような巨躯になっている。そのため、ささやくほどしか口を動かしていないはずなのに、カラス人間の声が内部に反響して人々の耳を痛めつけた。

 そのカラス人間は、驚きとまどうイザベラたちを愉快そうな声を出して見回すと、天井をまるでふたを開けるようにして開いた。そして中に手を突っ込んでくると、イザベラの体を拘束台からひょいとつまみあげてしまったのだ。

「イザベラさまーっ!」

「うわぁっ! やめろっ! 離せぇーっ!」

 襟首をつかまれて宙ぶらりんにされているイザベラは、今はカラス人間の手のひらにおさまる人形くらいの大きさにしか見えない。

「ふふふ、威勢がいいな。勇敢なお嬢さん。だが愚かだったな、我々のあとをつけたりしなければ、こんな目にはあわずにすんだものを」

「くっ……この化け物め」

 普通の少女ならとても正気を保っていられず、とうに気を失うかしていただろうが、あいにくイザベラの気はそれほど弱くなく、毅然と顔を上げるとカラス人間の顔を正面からにらみつけた。

「ほお、気丈なものだな。元気があっていいことだ」

「わたしをなめるんじゃないよ。そんなにでかくなって脅したって無駄だからな!」

「カッカッカッ、まだ気づいてないのか。我々が大きくなったのではない。ほら、見てみるがいい」

 すると、カラス人間はイザベラを床近くまで下ろして、壁のすきまの亀裂を覗き込ませた。

「な、なんだっていうんだ……っ! ひ……」

 声にならない悲鳴がイザベラの喉から漏れた。洞窟のような石壁の隙間から現れた、赤い瞳に続いて、毛むくじゃらの不潔な体と長い尻尾を持つ動物。それは宙吊りにされているイザベラの姿を見つけると、大きく裂けた口の先から伸びた二本の前歯を覗かせてちゅうと鳴いた。

「ひゃあぁっ! ネ、ネズミ! ネズミぃ!?」

 そこにいたのは、イザベラの身長ほどもある信じられない大きさのクマネズミだった。こうなるとイザベラとて女の子である。目の前に迫った生理的嫌悪感を刺激するおぞましい姿に、手足をじたばたさせて少しでも遠ざかろうとする。が、ネズミはイザベラに向かって長いひげを震わせると、牙を振り上げて飛び掛ってきた。

「いゃあぁーっ!」

 しかしイザベラはネズミに食いつかれるより一瞬早く、カラス人間の顔の高さまで引き上げられて助かった。

「カッカッカッ、どうだわかったかね? 私が大きくなったのではない。お前たちが小さくなったのだ」

「て、てめぇ……いったいわたしたちになにをしやがった!?」

「カカカ、お前たちは我々の開発した物質縮小光線で、元のおよそ八分の一程度にまで縮小されたのだ。我々の重要なサンプルとしてな」

「サンプルだと……お前たちいったい何者だ。いったいわたしたちをどうしようっていうんだ!?」

 カラス人間の口から聞こえてきた恐ろしげな単語に、イザベラはともすれば泣き出したくなるくらい恐ろしい気持ちを抑えて、虚勢を振り絞って叫び返すと、カラス人間は笑ったのか、喉を鳴らすと得意げに答えた。

「我々はP413星雲から来たレイビーク星人だ。いや、お前たちの文明レベルに合わせて言うなら、お前たちが一生かかってもたどり着けないような遠い土地からやってきたのだ。どうかね、わかるかね?」

 こばかにするようなレイビーク星人の台詞に、イザベラは激しい怒りを覚えた。それでも小さくされたという恐ろしい事実は確かなので、ギリギリの線で理性を保って叫び返した。

「……その、レイビークセイジンが、このガリアに何の用だ!」

「カカ、我々の星にも実は君たちと同じような姿の生命体がいるのだよ。奴隷としてこき使っているがね……しかし、酷使しすぎて近く絶滅の危機に瀕している。だから、新しく労働力として、この星の人間に目をつけたのだよ」

「なんだと……」

 イザベラは、気を抜いたら失神してしまうような恐怖の中で、なおも愉快そうに語るレイビーク星人を睨みつけた。

「我々はこうして様々な人間を採集して調査を続けてきた。その結果、ここの人間も奴隷として充分に使えることがわかった。この結果を報告すれば、大挙して奴隷狩りにやってくるだろう」

「ふざけるな! そんなことになればガリア軍が黙っちゃいないぞ」

「カッカカカ! お前たちの軍隊など、何万いても小さくしてしまえばいいのだ。それに、本国のほうでは奴隷狩りの調査船団の第一陣が失敗しているから焦っている。お前たちは、ある日突然空を埋め尽くす我々の大船団を見たときには、すべて終わっているのだよ」

「きさま……」

 それ以上返す言葉をイザベラは失った。悔しいが、こいつらならばそれくらいのことはできるかもしれない。

「カッカカカ、では私はもう一仕事あるのでこれで失礼するよ。君たちはもうしばらく、その中で楽しんでいるといい」

 そう言うと、レイビーク星人は再びイザベラを拘束台に固定して、笑いながら立ち去っていった。

 残されたイザベラは、歯軋りしながら忌々しげに吐き捨てる。

「ふざけやがって、あのクソガラスども! 奴隷になんかなってたまるかってんだ!」

「ですがイザベラさま、わたしたちこのままじゃ、それこそ手も足も出ませんよ」

「うるさいっ! レイビークセイジンだかなんだか知らないが、わたしにあんななめた口叩きやがって、絶対許しちゃおかないからな」

 手足が動かないので頭だけ起こしてつばを飛ばしながら、イザベラはわめきたてる。だがそれも身動きができないのでは、それこそ負け犬の遠吠えと思われても仕方がない有様である。周りに拘束されている人々からも口々に「うるさいぞ」と怒鳴られた。

「すみません皆さん。イザベラさま、皆さん気がたっていらっしゃるので、どうか」

「わたしに命令すんじゃない! 無駄口叩かず黙ってろ」

「あっ! は、はいっ!」

 なんの罪も無いアネットを怒鳴りつけて黙らせると、イザベラは不貞寝するように拘束台に体を横たえた。

「この体さえ動かせれば……とにかく、元の大きさに戻らないとどうにもならないな」

 しかし、イザベラにはまだ一つだけ賭けてみる価値のある手段が残されていた。

「悔しいが、あいつに頼るしか無いか……なんとか、外にこのことを知らせられれば……」

 プライドが傷つくが、今この状況をひっくり返すことができるとしたらあいつしかいない。あいつに借りができてしまうのはしゃくでしかないが、このままどことも知れないところに連れ去られて奴隷にされるよりはまだましだ。

 イザベラは、どうにか使えるものはないかとズボンのポケットをまさぐると、奥からカジノの景品でいただいた、あるものを引っ張り出してほくそえんだ。

 

 一方同じころ、イザベラの行方を見失ったタバサは、最後にイザベラのにおいをかぎつけた袋小路の周辺を捜索していたけれど、足取りはぷっつりと途絶えてしまい、打つ手をなくしてシルフィードを無意味に旋回させ続けていた。

「きゅいー……お姉さま、もう帰りましょうよ。シルフィーおなかすいたのね。あのわがまま王女も、もう帰ってるかもしれないでしょー」

「だったら知らせのガーゴイルが飛んでくるはず。もう少し調べてみる」

 地上を入念に見回すタバサの表情は不変だったが、内心には焦りが生まれ始めていた。イザベラの性格から、小細工をして自分を困らせようとすることはこれまで何度もあった。だが今回はいたずらにしては一人で危険な裏町を歩き回ったりと手が込みすぎている。

 それに、カステルモールから聞いた誘拐事件のことも気になる。いまだに衛士隊ですら尻尾をつかめていない誘拐団、まさかとは思うがそんなものに遭遇していたら。いや、それでなくともこの一帯はリュティスでも特に治安が悪いのだ。

「もう一度最初から探しなおす」

 タバサは「ええーっ!」と不満げな声を漏らすシルフィードを人目につかないところに着陸させて人の姿に変化させると、その先の道の道端で怪しげな薬の露店を開いているフードの男の前に銀貨をはじいて尋ねた。

「聞きたいことがある。わたしと同じような髪の色をした、若い女を見なかった?」

 なめられないようにと、わざと杖をよく見えるようにしてタバサは尋ねた。あまり好きな方法ではないが、こういう場所では金と力がなによりものをいうからだ。

 けれども店主の男は驚いたしぐさも見せずに喉からひっかかるような笑いを出すと、その質問には答えずに、売り物の中から一つの緑色の小瓶を摘み上げた。

「おや? 人探しかねぇ。それならいいポーションがあるんだが、十エキューでどうだい? トリステインの魔法アカデミーで作られたっていうやつの横流しで、探し人には極上だよ」

 顔を見えないように目深にフードをかぶる男の手に握られている小瓶には、確かにトリステイン魔法アカデミーの、魔法の刻印が刻まれていた。

「……聞いたことに答えて」

「ひひ、信じるか信じないかはお客さんしだいですよ。お急ぎでしょう。こんな機会は二度とございませんよ?」

 質問に答えようとせず、商品を売りつけようとする男にタバサはいらだちながらも、その視線は男の手の中の小瓶に吸い寄せられていた。

 うさんくささはこの上なしだが、確かにトリステイン魔法アカデミーの名声は聞き及んでいる。もしも本物ならば十エキューは破格といえる。しかし、こんなところで油を売っている余裕は無い。どうするべきか……

 そんなタバサを、物陰からじっと見つめる目があった。

「あの娘は……確か、アルビオンで……ずいぶん遠くまで来たつもりだったが、この星も案外狭いものだな」

 珍しいものを見つけたかのように、ぽつりとつぶやいたその足元には、叩きのめされて、物質縮小光線銃も粉々に踏み壊されたレイビーク星人が数人、ぼろ雑巾のように横たわっていた。

 タバサは、横からシルフィードにやめておいたほうがいいと忠告されながらも、買うべきか、買わざるべきかと迷っていて、その視線には気づいていない。

 

 さて……タバサがそうして自分を探し回っているとは知らないイザベラも、そのころこのまま黙って捕まっていてはやらないぞと、脱出の算段をつけていた。

「さて……カジノの店主は本物だって言ってたが……頼むから動いてくれよ」

 イザベラはズボンのポケットの中から、落とさないように慎重にそれを取り出した。出てきたのは、手のひらサイズの小さな騎士の青銅人形で、彼女はそれの背中についている盾の部分を、カジノの景品交換係に説明されたように押した。すると、騎士人形は一瞬電気が走ったように震え、イザベラの手から離れると、腰のとなりに待機の構えで生き物のように立ち上がったのだ。

「ようし、どうやら本物だったか! さあ、わたしの体を縛ってる、このベルトを切れ!」

 命令が下ると騎士人形は言われたとおりに腰の剣を引き抜き、イザベラの腹の上に飛び乗って剣を振り上げ、達人のような見事な動きでイザベラの体を拘束していたベルトをバラバラに切り裂いた。

「よっし! まさか、人形娘を驚かせてやろうと思って手に入れたもんが役に立つとはね」

「イザベラさま、それは……ガーゴイルですか?」

 あっけにとられているアネットに、イザベラは拘束台から立ち上がると得意げに説明してみせた。

 このガリアは魔法技術が各国の中でも発達しており、特に魔法人形・ガーゴイルの製造では、貴族の子供のあいだで魔法で動く自動人形がおもちゃとして普通に流通しているくらいであるのだ。

「カジノのコイン五百枚は破格だと思ったが、さすが裏カジノだけはあるな。古代の王たちが戦争ごっこに興じたという伝説の魔法人形の複製とは、たいしたもんだ」

 本当はこれを使って、タバサがやってきたらスカートを切り落としてやろうとかくだらないことを考えていたことを忘れて、手足をコキコキと鳴らすとイザベラは目の上のケースの蓋を見上げた。

「やっぱり出口なんてものはあるはずないか。だがこのくらいのガラスなら、わたしの魔法でも破れるかな」

 タバサに比べたら、十分の一くらいしかないできそこないの『エア・ハンマー』でも、やってみると天井のガラスは意外にもあっさりとひび割れて、三回ほどで天井には直径五メイルほどの大穴が開いた。

「ふふん。杖を取り上げておかなかったのが、てめえらの落ち度さ。さあて……と」

 これで脱走の準備は整った。天井の穴までおよそ五メイル、フライも下手くそだがあそこまで上がるくらいのことならそこまで難しくは無い。

 しかし、飛び上がろうとしたところで、イザベラは必死な形相のアネットに呼び止められた。

「待ってくださいイザベラさま! わたしも、わたしも連れて行ってください」

「あん? お前なんか連れて行っても足手まといになるだけだろ。助けなら呼んできてやるから、おとなしくここで待ってろ」

 ただでさえ、稚拙な自分の魔法では自分一人の身を守れるかどうかすら危ういのにと、イザベラは取り付くしまもなく、ひらひらと手を振った。だが、アネットはあきらめなかった。

「お願いです。ここから連れ出されたことのある人によれば、ほかにもこんな人間を保管しているケースはいくつもあるそうです。もしかしたらそこにぼっちゃまも……お願いです。外に出れたらあとは自分でなんとかします。囮に使っていただいてもかまいません。どうか!」

「囮ねえ……まあ、お前一人くらいなら抱えて飛べないこともないか。いいだろう、そいつのベルトも切ってやれ」

 命令して数秒後には、騎士人形はアネットを拘束していたベルトも切り払っていた。

「あ、ありがとうございます」

「礼はいいからさっさと掴まれ。二人分の重さで飛ぶなんて初めてなんだ」

 ぺこぺことおじぎをするアネットを黙らせると、イザベラは騎士人形をしまって、アネットに背中に掴まらせた。周りでは、「おい俺も連れてけ」と何人もが騒いでいるけれど、華奢なアネットでさえあまり自信がないのに、それより重そうな連中や、反面軽そうでも子供や老人などを連れて行っても役に立つわけが無いし、頭数が増えればそれだけ見つかる危険性も増大するので黙殺した。

「じゃあいくよ……えーっと、イル・フラ・デル・ソル・ウィンデ!」

 呪文を唱えると、イザベラの体はアネットを背負ったままふわりと浮かび上がった。

 おお、わたしだってやればできるじゃないかと心地よい高揚感に押し上げられるように、二人の体は天井の穴から外に出て、ケースを置いてあるテーブルのふちに立った。

「ひ、ひぇぇっ、た、高いですね」

 八分の一サイズになってしまった二人にとっては、なんでもないテーブルも、高さ七、八メイルのがけっぷちと同じだった。これは魔法が使えなければロープでもなければ脱出は不可能だっただろう。イザベラは、たとえへたくそでも自分がメイジに生まれたことを感謝した。

「ぼっとしてる時間はないよ。あいつが戻ってくる前に、ここから離れないと」

 イザベラはアネットを背負ったまま、テーブルの端から飛び降りた。上がるなら大変だが、降りるなら多少重力に逆らってやればいいので、数秒後には二人の体はふわりと硬い石畳の床の上に降り立った。

「よし、作戦第一段階は成功っと。ざまあみろクソガラスどもめ」

「お、お見事です。じゃあ、さっそくぼっちゃまを探しにいきましょう」

「ああん? あのな、わたしはお前が脱出を手伝うっていうから、わざわざ重い思いをして連れ出したんだぞ。なめてんのか」

「なめてなどおりません。ですが、入り口はどうせわたしたちには開けられませんし、どっちが出口かもわかりません。ならば、まずはぼっちゃまを探しながら別の出口を探すか、ぼっちゃまを助けながら脱出の方法を探すべきではありませんか?」

「お前、ぼっちゃまを探すってくだりが丸々いらないだろう。ったく、わかったよわかったよ」

 うんざりしたけど、アネットのぼっちゃま第一主義はいやというほど思い知っていたので、いいかげんにしてくれと手を振って認めることにした。

 まったく、聞く限りでは美点の一つも見当たらないダメ人間のくせに、こうまで献身的に尽くす人間がいるとは世の中間違っている。見つけたらとりあえず尻を蹴飛ばしてやろうと心に決めて、イザベラは歩き出した。

 だが、歩き始めてしばらくも経たずに、後ろからひたひたと別の足音が大量に忍び寄ってくるのを感じて、二人はそおっと振り返ってみた。するとそこには今の二人にとって、レイビーク星人よりも恐ろしい悪魔が大挙して整列しているところだった。

「あ、そうだった。下には、こいつらがいたんだった……」

「きゃーっ! ネズミーッ!」

 悲鳴をあげる二人に向けて、視界を埋め尽くす、飢えたネズミの大群がいっせいに襲い掛かってきた。人の足では逃げ切れるはずはなく、鋭く研ぎ澄まされた犬歯が、イザベラとアネットの柔肌を食いちぎろうと迫ってくる。

「ちぃっ!」

 しかし、アネットは死を覚悟してもイザベラはあきらめていなかった。

『ウィンド・ブレイク!』

 初歩の風魔法ながら、なにも知らないままに突進してきたネズミの口の中に飛び込んだ空気の塊は、三匹まとめてネズミを吹っ飛ばした。

「す、すごいですイザベラさま!」

「いや、やっぱりわたしの力じゃここまでだ。逃げるよ!」

 アネットの襟首をつかむとイザベラは全力で走り出した。後ろからは、今吹き飛ばしたネズミも加えて、十匹くらいの凶暴な猛獣が追いかけてくる。

 やっぱり、並以下の威力しかない攻撃魔法では、吹き飛ばすくらいが限界でネズミにさえ致命傷を与えることができていない。こんなことなら、もう少しまじめに魔法を習っておけばよかったとイザベラは思った。だが、今は魔力より体力がほしい。

「きゃーっ! きゃーっ!」

「うるせえ! ちっとは黙って走れ」

 『ウィンド・ブレイク』や『エア・ハンマー』でどうにか時間を稼ぎながら、二人は必死になって床の上を逃げ回った。けれど、普通の大きさのときでもネズミのすばしこさには手を焼くのに、人形大ではとても逃げ切れない。

 どこか、身を隠せる場所はないか? 逃げながらイザベラは必死で避難場所を探した。

 なお、そのときのイザベラの姿は、皮肉にも任務の途中のタバサと極めてよく似ていた。でも必死の彼女はとにかくネズミの餌食になるのだけはごめんだと、かろうじて壁にすきまを見つけて、そこに飛び込んだ。

「イザベラさま、これじゃ逃げ場がないじゃないですか!?」

「広いところじゃ逃げ切れないよ。くそっ、もったいないが……」

 穴に飛び込んだ二人に向かってネズミの大群が押し寄せてくる。イザベラは、とても自分の魔法では防ぎきれないと悟ると、騎士人形を放り出して、「この穴に入ってこようとする奴を迎え撃て!」と、命令した。

「いまだ、走れ!」

 騎士人形は命令に従って、穴に入ろうとしてくるネズミを剣で切りつけて食い止めてくれている。しかし大きさも数も違う上に、第一あれはカジノの景品のおもちゃにすぎない。もって数分が限度というところだろう。

「イザベラさま、この穴どこにつながってるんですか?」

「知るか! 外であることを祈れ」

 どうやらレイビーク星人はリュティスの廃屋をそのままアジトとして利用しているらしく、老朽化した石作りの建物に、ネズミが作ったものと思われるこのトンネルはけっこう長く続いていた。

 

 二人はイザベラが杖の先に作り出す小さな灯りを頼りに、右へ左へ、ときには昇ったり降りたりと繰り返しているうちに、やがてひろびろとした部屋に出た。

「ここは……」

「しっ、奴らが大勢いる」

 息を殺して、二人は部屋の片隅にあるなにかのパイプの陰に隠れた。

 そっと顔を出して見渡してみると、ここは元は集会所かなにかだったのか、五十人ほどが収容できる広大なスケールがあり、そこに七人ほどのレイビーク星人が集まっている。彼らは、テーブルの上に乗せられているイザベラたちが捕まっていたのと同じケースの前で、なにやら作業をしているようだった。

「どうやらここがアジトの中枢だな……あっ、あの野郎」

 そのとき室内に、さっきの赤い目のレイビーク星人が入ってくると、イザベラはいまいましさからちっと舌打ちをした。

 赤目の奴はほかの黄色い目の奴らに、さっきの人間の言葉ではなく、鳥の鳴き声のような声でなにやら命令して働かせている。一匹だけしゃべれることから考えても、赤目が奴らのリーダーと考えて、まず間違いはなかった。

「まずいな。よりにもよって、とんでもない場所に出ちまったぞ」

 これでは下手に動けないので、イザベラは顔を出したがるアネットの髪をつかんでひっぱり返しながら毒づいた。

 唯一幸いといえば、部屋に充満するカラス……レイビーク星人の匂いに恐れをなしてか、ネズミたちも穴から出てこない。だが、物陰から出ればまず見つかってしまうし、もと来た穴の先にはネズミの大群が待っているので、引くも進むも完全に行き詰ってしまった。

「イザベラさま、どうしましょう?」

「お前な、人に聞くんじゃなくてちっとは自分で考えろ。その頭はかざりか? これだから平民は」

「はい……けど、あのケースの中にも捕まった人たちがいるんですよね」

「まあ、ケースの数から考えたら、さらわれた残りの連中全部いると思っていいだろうな」

「じゃあ、あのどれかにぼっちゃまも!」

 喜色を浮かべたアネットだったが、イザベラは冷たく言い放った。

「かもしれないが、わたしたちに何ができるよ。のこのこ出て行って捕まるか? ええ」

「それは……」

 うなだれてしまったアネットを置いておいて、イザベラはこっそりと物陰からレイビーク星人たちの様子をうかがった。

 レイビーク星人たちは二人にはまったく気がついていないようで、せわしく部屋の中を行き来している。そのため、たえず誰かが二人の隠れている場所のそばにいるので、少しも身動きすることができなかった。

 それにしても、こんな役に立たない平民、とっとと見捨てればよかったのに、なんで面倒な思いをしてまで世話を焼いてしまっているのだろうかと、イザベラは思った。

「おら、ぼっとしてる暇があったら、反対側を見張ってろ。見つかるようなヘマするなよ」

 それに、なんでまた王女の自分がこそ泥の真似事のようなことを……

 いや……心のどこかにひっかかっていたのだが、前にもこんなことをしたことがあったような。

 

”イザベラお姉さま、なんかドキドキするね”

”むっふふ、おじいさまの銀婚式のドラゴンケーキなんていっても、年寄りはケーキなんか食べないんだから、こっそりいただいちゃいましょう”

”でもお姉さま、盗み食いなんかして、お父さまや伯父さまに怒られないかな?”

”ばか、だからこっそりいくんだろ。それに今のわたしはお姉さまじゃなくて、団長とお呼び。名誉あるガリア花壇騎士の団長に、将来わたしはなるんだからね”

”はい、イザベラ団長さま!”

”よろしい。ではいざ厨房へ突入するぞ。続け、エレーヌ副団長!”

 

 そう……思い出すのも大変なほど、幼かった頃に。

 

 部屋の中のレイビーク星人たちは、リーダーの指示に従ってケースの前でなにかの機械を操作したり、ケースを機械の中に入れたり出したりを繰り返していた。なお当然、二人にはそれらがどういうことなのかについてはさっぱりわからなかったが、やがてしたっぱのレイビーク星人たちはそれらのケースの中から一つを選び出すと、リーダーの下へと持って行って、なにやら報告した様子だった。

「なにしてるんでしょうか?」

「しっ、黙ってろ」

 もしかしたら逃げ出すチャンスが来るかもと、イザベラはアネットを抑えて赤目の動きを追う。

 やがて赤目のリーダーは、部下に別の仕事を命令した後で、そのケースを部屋の広いところに持って来ると、ふたを開けて逆さまにし、乱暴に上下に振って、中のものを放り出した。もちろん、中身は人間であるからケースの中からはボタボタと人間が零れ落ちてきて、うまく受身をとれたり着地できたりしたものはよかったが、着地に失敗して半数が体を強打し、激痛でうめいている姿にアネットを顔をしかめた。

「さて、人間諸君、気分はどうかね?」

 赤目のリーダーは床に転がってうめいている人間たちを愉快そうに見下ろすと、人間の言葉で彼らに話しかけた。

 放り出された人々は二人が見る限りでは、でっぷりと太った貴族、やせた乞食、老いさらばえた老人などがほとんどで、不思議なことにイザベラたちが閉じ込められていたケースのような、若者の姿がほとんど見れなかった。

「ふふふ、やれやれ少々元気がないか。それは残念だが諸君、長いあいだ我々の調査に協力してくれてありがとう。おかげで、必要なデータはすべて確保できた、礼を言うよ」

 明らかに感謝とは程遠い口調で言う赤目の言葉に、振り落とされた人間たちの中には虚勢をはって叫ぶ者もいるようであったが、石壁にキンキンと反響して二人には聞こえない。また、逃げ出そうとしている人も、通路には別のレイビーク星人が立っていて、逃げ場は完全に塞がれていた。

「予備調査もたった今完了し、この星の人間が我々の奴隷として最適だったことがわかり、本国の同胞たちもさぞ喜ぶことだろう。しかし、一つだけ悲しい知らせがあってね」

 明白にあざ笑うような声に、不吉な予感が人々に走った。

「それはね。我々は君たち人間のことを、知力、体力、瞬発力、持久力など多岐にわたって調査し、どんな労働に適するかを区分していった。けれど、中にはどの分野をとってみても使い物にならない困った人材もあってね。そういうものは、できるなら報告したくないんだ……」

 いやな予感が強烈になり、見下ろされていた人々の血の気が一気に引いた。

 赤目の足がゆっくりと上がり、腰を強打して動けないでいた太った貴族に影がかかる。

 そして、その足が振り下ろされて、身の毛もよだつ断末魔が響き渡ったとき、イザベラとアネットは思わず目を逸らしてしまっていた。

 

「使い物にならない道具は、早めに処分したいだろう」

 

 それから先の凄惨な光景を見る勇気は二人にはなかった。

 レイビーク星人たちは、労働力として不適格と判断された人間たちを次々に殺害……いや、彼らにとっては山で獲ってきたイノシシから毛皮と肉を取り出して、残りの骨を捨てるのと同じような感覚で、『処分』していった。

 悲鳴と断末魔が連続してこだまし、アネットも、イザベラも虚勢を張ることも忘れて、ただただ悪夢が過ぎ去っていくのを待つしかできない。

「ひぁっ、あああっ……」

「あ、あいつら、なんてことを」

 イザベラも、何度もタバサを死地に追いやってきたが、間近で人の死を目の当たりにするのはこれが初めてだった。頭では、他人が死ぬことなどなんとも思いはしないと思っていても、こうして人のつぶれる音を聞いたら、精神の根源的な部分から恐怖が湧いてくる。奴らは、最初の段階から、人間を自分たちより劣る、それこそ『道具』としか見ていないのだ。

 そうして、どれほどの時間……おそらくは数分も経っていないだろうけれど、二人にとっての拷問にも等しい時間が過ぎ去り、後にはまた赤目のすっきりしたような声が響いた。

「ようし、これで本星のほうには質のよいサンプルを提供できる。我々の評価も期待できるぞ」

 ゴミ掃除が終わると、嬉々として赤目は部下たちに命じてまた仕事にかからせた。

 二人は、恐る恐る、やつらの足元だけは見まいとしながらも、どうにか首だけは出して様子をうかがう。機材を片付けているところを見ると、どうやら奴らは撤収の準備をしているらしかった。

「しめた。これなら奴らはもうすぐいなくなるぞ」

「でも、あの人たちも連れて行かれちゃいますよ。助けなくていいんですか」

「どうやって助けろっていうんだ。お前も今の連中みたいになりたいのか! あんなやつらよりまず自分の命のこと考えろ」

 実際イザベラにほかの人々を救う手段などありはしなかった。彼女の考えていたことはひたすら、ここから逃げ出すことだけで、人助けをしようなどという気持ちはさらさらない。目の前で大勢が惨殺されるのを感じて、イザベラは正気を保つために、自分以外のものを意図的に意識から外そうとしていた。

 ともかく、やつらに奴隷として連れて行かれるのだけはまっぴらごめんだ。それよりも、このことを外に知らせて、レイビーク星人を迎え撃つ準備をさせるほうが先決である。小さくされた自分という証拠もあることだし、国の危機を救った英雄としてあがめたてられる可能性もある。そうしたら、これまで自分を見下してきた連中も……

 元の大きさに戻れないのは仕方が無いが、それはガリアにもある魔法アカデミーで、大きくなる薬でも研究させればいい。

 そんな打算を胸に秘めて、イザベラはひたすらに奴らが立ち去っていくのを待った。

 しかし、人間が収められているケースを片付けていた一人が、ふと赤目にさっきの空になったケースを持って行って見せると、赤目は喉で笑ってケースに手を突っ込んだ。

「カカカ……そんなところにしがみついて隠れていたか。虫けらめ」

 引き出した赤目の手には、寝巻き姿の太った少年がつままれていた。身なりからして、恐らくはどこかの貴族の子弟なのだろうが、今は赤目の言ったとおりに虫けら程度の存在感しか有していない。

 彼は離せ、離せとわめいているが当然赤目はあざ笑うばかりで気にも止めていない。

 イザベラは、どこの貴族の馬鹿息子か知らないが、床に叩きつけられるか、踏み潰されるか、どちらにしてもあれは死んだなと、酷薄に思った。

 だが、その少年の声にぴくりと反応したアネットが、偶然こちらを向いたその少年の顔を見た瞬間、イザベラのもくろみは雲散霧消して破滅した。

「オリヴァンぼっちゃま!」

 なんと、今赤目に捕まっている少年こそが、アネットが捜し求めていたオリヴァン少年その人であった。

 「やめろ! 行くな」というイザベラの命令も耳に届かずアネットは走り出し、たちまち一人のレイビーク星人に発見されたアネットは集団で追い回されて、あっけなく捕まった。

「きゃあっ! やめて」

「こいつめ、どうやって逃げ出したか知らんがこしゃくな真似を。まだほかにいるかもしれん、探せ」

 赤目の指示が飛び、部下たちがわっと散らばって部屋中を調べまわりはじめる。

 もちろん、イザベラの隠れている物陰にも一人の捜索の手が延びてくる。

「くるな、くるな……」

 祈っても、そいつの足音はまっすぐにこちらに向かってくる。ああ、こんなことになったのも全部あの生意気な平民のおかげだ。ちくしょう、ちくしょうとイザベラの心に焦りと恐怖が染み渡ってくる。

 そして、うずくまっていた物陰のすきまからレイビーク星人の黄色い目が覗いたとき、イザベラは物陰から飛び出して赤ん坊のように叫んでいた。

「いゃぁーっ!」

「イザベラさま! 逃げてください」

 アネットの叫びと、赤目の「捕まえろ」という声が同時に響く。

「あ、あ……」

 どうすれば、どうすればよいのかといいのかという声が頭の中で反響する。こんなこと、こんなときにどうすればよいのかなど、誰も教えてはくれなかった。

 世界中の時間がゆっくりになったように思え、自分に向かって手を伸ばしてくるレイビーク星人の肩越しに、赤目の手の中で締め上げられているアネットが見える。

 ああ、あんなに苦しそうに、そんなことをしたら窒息してしまうではないか。

 死んでしまう、殺されてしまう。誰が? アネットが、いや自分が?

 助けなければ、逃げなければ。

 どうすれば、どうしたらいいの?

 ぐるぐる、ぐるぐると心は回る。

「うっ……あーっ!」

 レイビーク星人の手が触れそうなところまで近づいたとき、イザベラははじかれるように走り出していた。捕まえようとしていた手がすんでのところで空を切る。

「逃がすな! 捕らえろ」

 赤目の声が背中に響き、イザベラはアネットに背を向けて逃げた。

 わたしのせいじゃない、わたしが悪いんじゃない、あいつは逃げろと言ったじゃないか、わたしは何も悪くない……

 必死で自分自身に言い聞かせながら、イザベラはほこりっぽい空虚な空間へと向かって駆けた。

 

 

 しかしそれより少し前、イザベラとアネットが小さな大怪獣の群れに襲われていた頃、タバサは彼女たちが捕まっている建物へ向けて一直線に飛んでいた。

「きゅい、お姉さま。そのポーション、本当にあてになるのかね?」

「今はこれしか方法がない。それよりも、見失わないように飛んで」

 今タバサはシルフィードに乗って、大通りから裏町のほうへと飛んでいた。彼女たちの目の前には、肉眼では視認しづらいが、ひらひらと小さくて長い糸のようなものが風に逆らって飛んでいる。

 あのとき、イザベラを見かけなかったかどうかと聞いた露天商から売りつけられた薬は、「これを探し人の体の一部、例えば髪の毛なんかに振り掛けると、その人がどこにいても、その髪の毛はその人のところに戻っていきますよ」という効果のものであった。

 もちろん、これにはシルフィードはあからさまに「インチキくさいのね」と疑ったし、タバサも八割方信用していなかった。が、刻まれている刻印は偽造のきかないアカデミーの本物であったし、封もしっかりしていたので、溺れる者はわらをもつかむと十エキュー払って購入すると、ホテルに飛んで帰ってイザベラがまだ帰宅していないことを確認し、ベッドに残されていた彼女の髪にそのポーションを使ったのである。

「やっぱり、裏町のほうへと向かってる」

 タバサはあのとき引き返したことを後悔していた。やはり、イザベラはあの場所で何者かにさらわれたに違いない。魔法の反応がないからと、油断したのが間違いだった。

 イザベラの髪は、タバサが予想したとおりにあの袋小路にまで飛んでくると、突き当りの壁に貼り付いて止まった。

「きゅいー、またここ? やっぱりなんにもないじゃない。あの商人、やっぱりインチキをつかませたのね」

 シルフィードは、なんの変哲も無い石壁を口先でこずいてわめいているが、タバサはもう疑わなかった。「どいて」とだけシルフィードに向けて告げると、石壁に向かって杖を突きつける。

「な、なにするのねお姉さま? きゃーっ!」

 強力なエア・ハンマーが炸裂し、古ぼけた石壁に突き刺さる。しかし、家一軒吹き飛ばすほどの威力のタバサの魔法を受けてもなお、石壁はわずかな亀裂を生じるだけで平然と聳え立っている。

 やはり、ただの石壁ではない。巧妙にカモフラージュされているが、まるで鉄壁だ。

 タバサは壁の亀裂へと、二発目、三発目のエア・ハンマーを打ち込み、五発目で、ついに壁に大穴を空けることに成功した。

 破砕された壁の中には、薄暗い空間がずっと続いており、イザベラの髪は、まっすぐその中へと吸い込まれていった。

「行く」

「が、がんばってなのね」

 シルフィードを入り口に残し、タバサはほこりとかび臭さが漂う廃屋の中を覗き込んだ。

 中からは瘴気にも似た得体の知れない気配が漂ってきて、タバサは眉をしかめた。

 杖の先に、ウェンディ・アイシクルの氷の矢を幾本か精製し、臨戦態勢を整える。

 しかし、覚悟を決めて内部に突入しようとしたとき、突然タバサは後ろから肩を掴まれた。

「無策に入っても、返り討ちに合うだけだぞ」

 はっとして振り返ると、そこにはいつの間に忍び寄られたのか、全身を黒い服で固めた、黒髪の女性が冷たい瞳で立っていた。

 

 

 続く



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第11話  泥まみれの勇気

 第11話

 泥まみれの勇気

 

 誘拐怪人 レイビーク星人

 破壊獣 モンスアーガー 登場!

 

 

 イザベラは、夢を見ていた。

 

 いつからだったろうか……あの子の顔を見るのが嫌になったのは?

 はじまりは、出会いはもう覚えていないし、あの子も多分忘れているだろう。

 思い出せるのは、自分が五歳くらい、あの子が三つくらいのころ。

 あのころは楽しかった。小さなエレーヌ、姉さまと呼び合い、いっしょに日が沈むまで遊びまわった。

 それが変わったのは、いつだったか……よく思い出せない。

 でも、気がついたときには、二人で遊ぶことはなくなり、いつしか会うこともなくなっていた。

 きっと……そのときからだろう。ある噂が耳について離れなくなったのは。

「シャルロットさまはシャルルさまに似て、大変魔法がよくおできになるのに、イザベラさまはさっぱり上達なさらないわねえ。やっぱり、父親が無能だから、娘も無能なのかしら?」

 侍女のそんな噂話を偶然耳にしてから、自分は誰も信じられなくなった。

 あいつも、こいつも、顔では笑ってるけど自分を無能の娘とあざけっている。

 どいつもこいつも、表ではこびへつらうくせに、裏では魔法が使えないと笑っている。

 いくら耳を閉ざそうとしても、噂話はどこからともなく聞こえてきた。

 無能、おちこぼれ、あれでも王家か、だめだよなあ……

 そして、そのたびにいっしょに聞こえてきたのは、それにひきかえシャルロットさまはすばらしいという声。

 なんだなんだ、魔法が使えるのがそんなにえらいのか、みんなシャルロットがいいのか?

 だったらお前たち、わたしをあなどった報いをくれてやる。お前たちはしょせんわたしの家臣でしかないことを思い知らせてやる。

 それにシャルロット……あいつさえ、あいつさえいなければ……

 今に見てろ、多少魔法がうまいからって頭に乗るなよ。いつか、必ず見返してやる……

 

 イザベラは、夢を見ていた。

 

「う……ぐぅぅ……はっ!」

 

 暗い意識の中から目を覚ましたイザベラは、まだはっきりしない頭を、額に手を当てて起こした。

「夢……か」

 とりあえず、気分は最悪だ。よく覚えてないが、すごく悪い夢を見たような気がする。

 いや……考えてみたら、ここ何年もいい夢というものを見た記憶はない。それもまた、いつからか……

「そうだ……わたしは……そうか、また捕まったのか」

 左手につけられた鎖の枷を見たとたん、イザベラはすべてを理解した。

 あのとき、飛び出したアネットのおかげでレイビーク星人たちに見つかって……それから。

 そこまで思い出して、イザベラは考えるのをやめた。考えたら、自分がどうしようもなく惨めになるからやめた。やめて、ゆっくりと周りを見渡すと、すぐそばにアネットが自分と同じように無造作に寝かされているのを見つけた。

「生きてたか……」

 すぅすぅと寝息を立てているアネットの寝顔に、イザベラはなんとなくほっとした思いを感じた。でもすぐにアネットの顔を直視することができずに目をそらしてしまった。

 しだいに目が慣れてくると、今度自分が囚われているのは、あのケースではなく、やたらとだだっ広い真っ暗な部屋らしかった。幸い杖は取り上げられていなかったので、”ライト”を唱えてみると、部屋のはしまでは照らせなかった代わりに、すっとんきょうな声が響いた。

「うわっ! まぶしい」

「誰だっ」

 灯りをそちらに向けてみると、そこにはちょっと見覚えのあるふとっちょの少年が顔を隠してうずくまっていた。

「お前……オリヴァンか?」

「え? な、なんでお前、ぼくの名前を知ってるんだ」

 びっくりした様子の少年に、イザベラはやっぱりなとうなづくと、まじまじと彼の身なりや体格、それから顔つきなどを見渡して、ふっとあざ笑った。

「なんとまあ、アネットからだいたいは聞いてたけど、ぶっさいくな野郎だね」

「な、なんだと! こ、この無礼者め」

 突然の暴言に怒ったオリヴァンが立ち上がっても、イザベラはまるきし恐怖を感じなかった。彼が恐らく自宅でさらわれたときの、サテンの寝巻き姿であったこともあるが、それ以上にプクプクと太っていて、まるきし外に出ていないことが一目でわかる真っ白い顔をしていては、幼児にだってピエロと間違われて笑われるだろう。

「声がでけえんだよこの寸詰まり。ガマガエルみたいな口をでかく開くな、笑えちまうだろうが」

「なっ! きさま、ぼくはド・ロナル家の跡継ぎだぞ。それを知ってのことか」

「うるせえって言ってんだよ。てめぇが貴族ならわたしは姫様だ。文句があるっていうんなら、てめえのその余った肉塩漬けにして肉屋に叩き売ってやるぞ」

 オリヴァンの身分を盾に取った脅しも、当然王女であるイザベラには効かず。彼女は年頃の少女から、よくもまあ出てくると感心するほどの悪口雑言を叩きつけて彼を黙らせると、だらしなく床にすわりこんで、オリヴァンとアネットを交互に見渡した。

「けっ、アネットがぼっちゃんぼっちゃんとうるさく言うから、どれほどのものかと思ったら、かけらの美点も見つからないブタじゃねえか」

「きっ、きさ……え、アネットがなんだって?」

「あん? だから、アネットはお前のところの召使なんだろ? あいつは行方不明になったお前を探し回ってたんだよ。手がかりを探して危険な裏町にまで一人で乗り込んでな。うちでどう扱ってるのか知らんが、お前みたいなのの何がいいんだか」

「アネットが……なんで?」

 本当に不思議そうに言うオリヴァンに、イザベラは「知るか!」とだけ答えた。その怒声に彼がびくりとしたので、イザベラは退屈しのぎに、オリヴァンに自分とアネットのことを語らせた。というより、杖を突きつけておどしてしゃべらせたのだが、そうしてたどたどしく答えたオリヴァンの話は、イザベラをさらに不愉快にした。

 いわく、青っ白い見てくれのとおり、彼は学校にもまともにかよっておらず、ほとんど家にこもってばかり。その理由も学校でいじめられるからという、イザベラからしてみればなんとも馬鹿馬鹿しいことだった。

「男のくせにだらしねえな。ケンカ売ってくる奴がいるならぶっ飛ばしてやればいいだけだろ」

「できるわけないよ。あいつら大勢なんだ……それに、暴れたりなんかしたら、家名に傷が」

「つかねえよ。ガリアを治めてる王様が、周りからなんて言われてるのか知らないのか」

 言い訳を一蹴すると、イザベラは見れば見るほど腹が立ってくる肉だるまに向けて、さらに吐き捨てた。

「お前見てると、わたしの家にも大勢いる使用人どもを思い出すね。ビクビクオドオドと、年中人の顔色をうかがって……そういうのをさ、耳をつねったり、杖でひっぱたいてやると面白かったんだ。わかるかい?」

 ”面白かった”と、あえて過去形にしてあるけれど、残虐な笑みを浮かべて笑ったイザベラの顔に、オリヴァンはひっと言って後ずさった。

「そうそう、そういう顔だ。お前今鏡見てみたら笑えるぜ。そりゃいじめられもするわ。で、怖くて家に閉じこもってうじうじしてるうちにブクブク太ったわけだ。あっははは」

「う、うるさいうるさいっ! ぼくだって、ぼくだって、ド・ロナル家の人間だ。いつか、あいつらなんかよりすごい魔法が使えるようになるさ」

 嘲笑に耐えかねて叫んだオリヴァンの、「ぼくだって……いつか」という言葉を聞いたとき、イザベラの目つきが変わった。嘲笑していた冷たい目がよりいっそう冷酷になり、口元が笑いではなく怒りのために歪む。

「いつか、できる……だとぉ? ふざけてんじゃねえよ。女に怒鳴られて縮こまってるやつが言う言葉か? ええっ!」

「ひっ!」

「ほんとに、なんでお前みたいな奴に、こんな献身的なメイドがつくのか……なんだ、お前アネットに『制約(ギアス)』の魔法でもかけてるのかい?」

「そ、そんな! そんな恐ろしいこと、いくら相手が平民だってできるわけないよ!」

 人の心を操る伝説の禁呪の名を聞いて愕然とするオリヴァンは、少しは良心というものを残しているらしい言葉を返した。だがむろん、イザベラも最初からそんな超高等スペルを彼が使えるなどとは思っていない。

「けっ、ならなにがあの貧弱女を動かしてたんだろうな。もしかしてお前に惚れてるとか?」

 これも冗談だったのだが、それで青ざめていたオリヴァンの顔が、今度は一転して真っ赤になって、イザベラが含み笑いすると、彼はぽつぽつとつぶやいた。

「そんな……ぼくに、女の子が……アネットは、ただの使用人で、着替えや食事の世話をさせてるだけで……」

 この照れようを見ると、女性と対等に話したことも皆無に違いない。貴族の中には身分の差を盾に、平民の女性や、それもできない奴は自分の屋敷のメイドにいかがわしい真似をするのも少なくないけれど、幸か不幸かオリヴァンはまだそういった遊びは覚えてないようだ。

「やれやれ、怒る気もうせるわお前見てると。で、つまりアネットと特別な関係とかはないのかよ」

「うん……」

「ふん。だが、こいつの身の入れようは半端じゃなかったからな……こいつしか知らない理由か。さて、なんなんだろうね」

 普通、平民は貴族の揉め事に巻き込まれるのを嫌うのに、珍しい平民もいるものだ。ま、当の本人は二人がこれだけ騒いだにも関わらず、まだすやすやと眠っている。これは案外大物かもしれない。

 しかし、アネットには多少の興味を持ったイザベラも、オリヴァンにはまだなんらの好意的感情を持ち合わせることはできなかった。とにかく、さっき言った理由のほかにも、なぜか見てたらむしょうに腹が立って殴りたくなってくるのだ。

「ぼ、ぼくたちこれからどうなるのかなあ?」

「さあな。煮て食われるか焼いて食われるか。まあ一番はお前だな。ブクブク太っていかにもうまそうだ」

「な、なんだとぉ!」

 臆病者のオリヴァンも、相手が少女ならば多少は勇気が出るようだ。イザベラとしては、それでも多少はからかいがいがあるぐらいの圧迫感しか感じないが、人形を相手にするよりは面白みがある。

 

 だがそのとき、突然真っ暗だった室内に白色の照明がつき、続いて室内にあの赤目のレイビーク星人の声が響き渡った。

「カカカカ、お楽しみのところを邪魔してすまないね。人間諸君」

「貴様!」

 明るさに目がなれたイザベラは、自分たちのいるところが直径およそ三十メイルほどの、円形のドームであることに気がついた。天井まではおよそ五メイル、壁も床も天上も白色の石膏のような建材でできていて、照明の効果以上に室内が明るく見える。

 そんなところで、自分たちに声をかけてきたあの赤目は、彼女たちから見て正面の壁に、唯一開いた大きな窓の先で、ガラスごしに見物するようにこちらを眺めていた。

「この野郎!」

 オリヴァン以上に見て腹の立つ顔に、イザベラは問答無用で窓に向かってつむじ風の魔法をぶつけた。が、窓はわずかに震えるだけで魔法を跳ね返し、赤目はカカカと愉快そうに笑った。

「無駄だよ。この窓はバリヤー怪獣ガギのバリヤーと同じ物質でできている。そんなものでは傷もつかんよ」

「くっそぉ……ここはどこだ! あたしたちをどうするつもりだ」

「カカカ、ここは我々の宇宙船の中さ。あのアジトはもう引き払って、我々は本国に帰還する。奴隷狩りの準備のためにな」

「ふざけるな。そんなことさせるか! さっさとあたしたちを元の大きさに戻して解放しろ」

 歯軋りをしながら、イザベラが最大限の憎しみをこめて睨みつけても、赤目は余裕のままだった。

「カッカカ、敵に向かって元に戻せとはけっさくだ。しかし安心したまえ、君たちのサイズはすでに元の大きさに戻してある。そうでないと、ショーにならないのでね」

「ショー……だって?」

 いやな予感がイザベラの胸をつたった。ただでさえ、オリヴァンはイザベラの影で震えるだけで役に立たないし、たった一人で宇宙人を相手にしているという圧迫感が、冷や汗と脂汗を額に浮かばせてくる。

「まさかお前たちのような雑魚に逃げられるとは思わなかったよ。本来なら即座に処分するところだが、君たちの勇気と力に免じて特別に生き延びるチャンスをあげようというのだ」

「チャンスだと?」

 慇懃無礼な赤目の言い草にイザベラは腹を立てた。しかし、ここで怒ってもなんにもならないので、歯を食いしばって問い返すと、赤目は待ってましたとばかりに笑った。

「ふふ……君たちの世界にも、闘犬や闘鶏とかいう遊びがあるそうじゃないか?」

 すると、ホールの向こう側のシャッターがうなりを上げてゆっくりとせり上がり始めた。

 そして、床とシャッターのあいだにできた隙間からのぞき始めた鋭い爪のついた足。同時にシャッターに何かがぶつかって起きる大きな音と恐ろしげな遠吠え、それが意味するものは、ただ一つしかなかった。

「ひっ、ひぃっ!」

「ぐっ、て、てめえ!」

「カカカッ、ウハハハ!」

 赤目の哄笑が響き渡る中、シャッターは無慈悲に全開し、中から現れた赤色の竜は、三人の姿を見つけると威嚇するように吼えた。

「そいつの名はモンスアーガー。我々の世界に生息する怪獣の一種で、第七メラニー遊星で捕獲して我々の命令に従うように改良したものだ。まあ本来は六五メートルの巨大怪獣なのだが、それではさすがにつまらないので二メートルにまで縮小しておいた。さあ、もしこいつを倒すことができたら、君たちを解放してあげよう」

「そ、そんなこと、できるわけないよ!」

「ならば死にたまえ。さあ、ショーの始まりだ!」

 オリヴァンの哀願を一顧だにせず、赤目が手元のスイッチを押すと、イザベラたちを拘束していた鎖の枷が外れ、同時にモンスアーガーは叫び声をあげて、一歩一歩と三人に向かって進撃を始めた。

 モンスアーガーは赤色をしたドラゴン型怪獣で、動きはあまりすばやくないようだが、太い腕や鋭い牙のついた口を持っている。

「ちくしょう。なにがチャンスだ。要するに、あたしたちをなぶり殺して楽しむつもりなんだろ」

「ど、どうしようどうしよう!」

「うるせぇ! 男のくせにビービー泣くな。それとも、土下座して許してくださいって頼むか? わたしは死んでもごめんだけどね」

 王族や貴族というものはプライドが高いが、イザベラとて例外ではない。相手がドラゴンだろうが悪魔だろうが、命乞いなど冗談ではない。生まれてはじめての逃げ場のない実戦に、杖を握る手が震えても、震えるオリヴァンを蹴たくって前に出すと、二人でモンスアーガーに杖を向けた。

「いいか、あたしが援護するから、お前はやつに近づいてなんでもいいから魔法をぶっ放て」

「ええ!? ぼ、ぼくがぁ」

「なに? か弱い乙女に前に出ろとでも言う気か? なんだったら、お前を吹き飛ばして奴にぶっつけてやってもいいんだぞ? どうする」

 怪獣よりイザベラのほうが怖い。このときオリヴァンは本気でそう思った。そこらの不良やチンピラよりも目の据わり方や口調に年季が入っている。

「わ、わかった。ぼ、ぼくも戦うよ」

「ようし、それでこそ男だ。それから、わたしのことはイザベラと呼びな。いくよ!」

 でかい分盾代わりにはなるだろう。元々盾になると言っていたのはアネットだが、気絶したままだし、怪獣を見たらまた気絶してしまうかもしれないので起こさない。もっとも、目の前に亜人やらドラゴンやら宇宙人やら怪獣やらが現れたら、たいていの女の子はびっくりするだろうから、イザベラの神経の太さも並ではない。

 二人はうなり声をあげながら迫ってくるモンスアーガーへと向けて、同時に魔法を放った。

『ウィンド・ブレイク!』

『ウィンド・ブレイク!』

 偶然にも二人とも風が得意な系統だったので、平均以下の破壊力の二人の魔法も増幅しあい、通常の『エア・ハンマー』級の威力となってモンスアーガーの腹に命中した。しかし、圧縮空気が通り過ぎた後、モンスアーガーの皮膚には傷一つついていなかった。

「だ、だめだぁ! どうしよう」

「やかましい! 第一、わたしたちの攻撃で簡単に倒せるような奴をぶつけてくるわけないだろうが! 少しは頭を使え」

 うろたえるオリヴァンを叱咤して、イザベラは魔法が当たった場所をかゆそうに爪でかいているモンスアーガーを見据えた。元々イザベラは人格的には未熟でも、頭の回転は決して鈍くない。絶対に負ける心配がないからこそ、赤目はモンスアーガーをぶつけてきたのだ。

 だが、いきなり全力の攻撃をしのがれてうろたえる二人に、赤目は愉快そうに告げてきた。

「カカカカッ、そちらのお嬢さんはなかなか頭が切れるようだ。だが、こうも一方的では面白くもないので、君たちに一つハンディをあげよう」

「ハンディだと?」

「そう。モンスアーガーの後頭部、青い半球がついているのが見えるだろう。そこがモンスアーガーの弱点だ。そこを破壊すればモンスアーガーは行動を停止する」

「な、に!?」

 見ると、確かにモンスアーガーの後頭部には、青い皿のような半球がついている。しかし敵の言うこと、イザベラはすぐには信じなかった。

「おい、あとでそこは弱点じゃありませんでした。なんてこと言わないだろうな!」

「もちろん、お前たちごときに小細工などせんさ。ふふ、やれるものならやってみるがいい」

 つまりは、完璧にこちらをなめているということか。まあそりゃそうだ。あたしが赤目の立場でも同じようにするだろうとイザベラは思った。が、それならそれで利用させてもらうだけだ。

「おいデブ、お前が囮になれ。その隙にあたしが後ろに回りこむ」

「えっ! なんでぼくが」

「少なくともわたしのほうがお前よりは身軽に動ける。わたしだって、お前なんかに頼りたくないが、負けるよりはましだ。来るぞ!」

 話しているうちに至近に寄られたモンスアーガーの爪の一撃をどうにかかわすと、左右に散ってそれぞれ魔法を放った。

『エア・カッター!』

『ウィンド・ブレイク!』

 放たれた二人の風の刃と衝撃波の魔法は、またも直撃したが弾き返された。

「だめだぁ、こいつの全身はまるで鎧だよ」

 モンスアーガーの皮膚は、かつて同族がウルトラマンダイナやスーパーGUTSの光線を跳ね返したほどの強度を誇る。二メートルにまで縮小されたとはいっても、ドットの二人の攻撃程度で傷つくはずはなかった。

 しかも、動きが鈍いからと侮ったら、奴は大きく裂けた口から真っ赤な火炎弾を吐き出して攻撃してきた。

「わっ、あちち!」

「にゃろう、飛び道具もあるのか」

 壁に当たって爆発した火炎弾の威力は、おおよそファイヤーボールくらい。そこまで強大な破壊力というわけではないが、人間相手には威力は充分だ。

 だがそれでも、オリヴァンが魔法を乱射している隙にイザベラはモンスアーガーの背中に食いつき、頭部の皿に向かってエア・ハンマーの狙いを定めた。

「もらった!」

 コントロールに自信がないので近づかなければならないが、必中の間合いに踏み込んで、イザベラの顔に凶暴な笑みが浮かんだ。しかし、イザベラは恐竜型、あるいはドラゴン型怪獣を後ろから攻撃するときに注意しなければならないことがあるのを知らなかった。

「ぐはっ!?」

 突然脇腹に鈍い痛みを感じたときには、イザベラの体はドームの隅にまで吹き飛ばされてしまっていた。

「し、尻尾か……」

 肺が圧迫されて激しく咳き込むなかで、イザベラは自分を吹き飛ばした太く長いモンスアーガーの尾を見て思った。そうか、あれがあるから赤目は平然と奴の弱点をさらしたのか。

「イ、イザベラ!」

「う、うるさい。お前なんかに心配されるいわれはねえ。こんなもの、なんでもないよ」

 大きく息を吸うと、イザベラは笑うひざを押さえて立ち上がった。

 ようし、まだ体は動く。本当は地面を転げまわって泣き喚きたいが、敵や、特にあの軟弱男にだらしないところは絶対に見せたくない。けれどイザベラの痛みに歪んだ顔を見て、赤目は低い声で笑った。

「ふふふ、女性にしては見事な精神力だが、そのまま楽になったほうがよくないかね?」

「ふざけろ……おいデブ! もう一度いくぞ」

「ヒィッ、もうやだよぉ」

「泣くな! 立たないならあたしがお前をぶち殺すぞ!」

 もう意地だけがイザベラを立たせていた。魔法の才能は乏しく、知力、体力、求心力、どれをとってもタバサには敵わないことは、内心ではわかっている。だがそれでも負けたくないという気持ちだけは譲れない。

 しかし、二人の魔法はその後も何度もモンスアーガーの皮膚に当たったが、ことごとくはじき返された。しかもその反面、二人のほうは疲労がたまるうちにモンスアーガーの攻撃をかわせなくなってきた。

 鞭のようにしなる尻尾がイザベラの腕に醜いみみずばれを作り、転んだオリヴァンがボールのように蹴飛ばされて、その隙を狙おうとしたイザベラのほおに、振り返って振り上げられた爪が三本の傷をつける。

「ちくしょう……よりにもよって女の顔を傷つけるかよ」

 もう左半身が動かず、顔をぬぐった手にはべっとりと血がついて、女として悲嘆が湧いてくる。けれども……イザベラはそれでも杖だけは手放さずにいた。

「おいデブ……まだ生きてるか?」

 イザベラは、腹を蹴られたショックで胃液を吐き出していたオリヴァンを見下ろした。彼も、なんとか生きてはいるが、着ていた寝巻きはボロボロになり、杖も持っているというより手にひっかかっているといったほうが正しいような状態だ。

「痛い、痛いよぉ、なんでぼくが、こんな目に」

 涙で崩れた彼の顔を冷たくイザベラは見下ろした。なんでこんな目にあうかなど、言いたいのはこっちだ。生まれてこの方、なぜ自分だけが報われないのかと歯軋りをした日は数え切れない。

 対して、モンスアーガーは死に掛けの二人に余裕しゃくしゃくといった様子でゆっくりと歩いてきており、赤目も愉快そうにそれを眺めている。

「バカにしやがって……」

 後頭部をなんとか狙おうとした攻撃はすべて失敗し、残った精神力も体力もあとわずか、チャンスは、あと一回……それを逃せば、死ぬ。

「死……か……けっ、あの人形娘より先にくたばるなんて、冗談じゃないよ」

 伝説によれば、勇敢な戦士の魂は死後に戦士の楽園ヴァルハラに導かれるというけど、イザベラはそんなところに行ける自信はないし、行ってやる気もなかった。

 

 だが……捻じ曲がった執念のせいでも、まだ勝負をあきらめていないイザベラと違い、生まれて一度も真剣勝負をしたことのないオリヴァンの心はすでに折れてしまっていた。そして、死にたくないとだけ願う彼は、誇りも人間としての尊厳も捨てて、とんでもないことをイザベラに提案してきた。

「てめぇ……もう一回言ってみろ」

「だから、アネットをたたき起こして囮になってもらうんだよ。あいつは、ぼくのためにここまで来たんだろ。だったら、ぼくのために死んでもいいはずだ。たかが平民だ。あいつが食われてる隙にぼくたち二人でやっつけるんだよ!」

 ふつふつと、怒りを超えた憎悪がイザベラの胸に湧いてくる。見下げ果てた自分勝手さ……イザベラは、このときなぜオリヴァンのことがずっと気に入らなかったのかを理解した。

「どうだい、いい考えだろ!」

「ああ……すごくな」

 目の前のオリヴァンの姿が、いつもタバサに任務を言い渡すときの自分と完全に一致する。

 こいつは……自分そのもの……なんの力もないくせに偉ぶり、強者に嫉妬し弱者をいたぶる……生きた鏡、もう一人のイザベラ。そう思ったとき、イザベラの手はこぶしを握り、魔法ではなく素手の一撃を、オリヴァンの顔面に向けてぶちこんでいた。

「ぶはっ! な、なにすんだよぉ!?」

「……クズが!」

 その一言をつくのがやっとなほどイザベラは怒っていた。強者が弱者を使い捨てる。これほど醜いものだったとは……人の姿を通して、はじめてわかった。罪悪感よりもむしろ、こんなものと自分が同じだったのかという嫌悪感と羞恥心が身を焼いていく。

 そして、殴られたオリヴァンのほうは、なぜ殴られたのかさえ理解していないようだったが、そうして味方同士で攻撃をはじめた二人を、赤目はそろそろ飽きたように見て、言った。

「とうとう発狂して仲間割れをはじめたか。モンスアーガーよ、もういい。とどめを刺せ!」

 赤目の命令がスピーカーを通して二人にも聞こえ、はっとして二人が振り返ったときにはモンスアーガーは両腕を大きく広げ、全身を赤熱化させていた。

「しまっ……」

 怒りに我を忘れて、敵のことを意識から外していたことをイザベラは悔いたが、もう遅かった。ウサギを猟犬に追わせて逃げ切れるかどうかを楽しむ競技では、いつまでも勝負がつかない場合にウサギを射殺するという。見世物としての価値を失った二人に向けて、モンスアーガーは全身のエネルギーを腕に集め、腕を合わせて突き出すことで、口で撃つよりも大きな火炎弾を発射した。

「これまで……か!」

「うわぁぁっ!」

 フレイム・ボール級の大きさがあるそれを受ければ、二人とも焼け死ぬ。しかし、覚悟して目を閉じようとしたイザベラの瞳に、その直前飛び込んできた光景は、火炎弾を背中で受け止めて、木の葉のように崩れ落ちた赤色の髪の少女の姿だったのである。

「アネットぉ!」

 固い床に、受身をとることもできずに倒れたアネットを、イザベラは、オリヴァンは蒼白になって抱き起こした。

「アネット! このバカ女、聞こえるか!」

「あ……イザ……ベラさま。ぼっ……ちゃま……ご、無事で」

 弱弱しい息の中で、アネットはとぎれとぎれに口を動かした。けれど、火炎弾の直撃を受けた彼女の背中の服は燃え尽き、皮膚は黒く炭化している。とてもではないが、助かる傷ではなかった。

「アネット、お、おいアネット、だ、だいじょうぶか」

 青ざめた顔で、たどたどしく言うオリヴァンに、アネットは口元にわずかに笑みを浮かべて見せた。

 モンスアーガーは、事態の急変に驚いている赤目からの命令がないために棒立ちになっているが、今の二人の目には入らない。

「アネット、お前どうしてぼくなんかのために……聞いてたんだろ。ぼくは、お前を売ろうとしたんだぞ」

「いいえ……ぼっちゃまは、いっとき気が迷われただけ……ほんとうのぼっちゃまは、そんな人ではないということを、アネットは知っております」

「なんでだよ。ぼくは、いつもお前をこき使うだけで……」

「……三年前の……ことで、ございます。ぐずでのろまで、毎日叱られてばかりいたわたしが、家宝の大切な壷を割ってしまったとき、ぼっちゃまは、ぼくが割ったことにするから気にするなと、おっしゃってくださいました。あのときのご恩は、忘れません」

 懐かしそうに、とつとつと語るアネットに、オリヴァンは激しく首を振ると懺悔するように叫んだ。

「違うんだ! あれは、あのときぼくはラグドリアン湖への旅行に行くのがいやで、なんでもいいから謹慎になるような罪がほしかっただけなんだよ!」

「知っていましたよ……」

「え……?」

「たとえ、いつわりだったとしても、ぼっちゃまがわたしを必要としてくれたことで、わたしは救われました。ですから、わたしはこの命ある限りぼっちゃまのために尽くそうと決めたのです。それが、信じるということだと思うから……」

 冷たくなっていくアネットの手を握る、オリヴァンの顔は、もう涙で原型をとどめてはいなかった。

「イザベラさま……もうしわけ……ありませんが、ぼっちゃまをよろしくお願いします」

「お前……それが、お前の言う信じるってことなのか!? わたしはお前を見捨てて逃げようとした人間だぞ! 愚かだと思わないのかよ」

「わたし、バカですから……信じるしか、できないんです。でも、こんなわたしに優しくして、傷の手当てまでしてくださった方を、信じてはいけないのでしょう、か……」

「お前って、やつは……」

 すでにアネットの声は、注意して聞かねば聞き取れないほどに弱弱しくなっている。

 バカのために流す涙があるということを、イザベラはこのとき知った。

「さよう、なら……イザベラさま……ぼっちゃま……必ず……」

 それから先の言葉がアネットの口からつむがれることはなかった。

 

「おやすみ……」

 二人は、満足げな顔を浮かべて横たわっているアネットの両手を胸の上で重ねると、立ち上がってモンスアーガーを睨みつけた。

「お前だけは、ゆるざないぞぉっ!」

「アネットの弔い合戦だ。貴様だけは地獄に道連れにしてやる!」

 再び凶暴なうなり声をあげるモンスアーガーを前にしても、すでに二人におびえはない。アネットの仇への怒りと、アネットをみすみす見殺しにしてしまった羞恥心が、二人の心を熱く満たしていた。

「チィッ、とんだ茶番を。もうお前たちはいいわ、早く死ねクズども」

 しびれをきらせた赤目の命令が飛び、モンスアーガーは一直線にこちらに向かってくる。

 イザベラは、不思議と冴え渡った頭で突進してくるモンスアーガーを見据えると、オリヴァンに向かってぽつりと告げた。

「おい、ウィンド・ブレイクは使えるか?」

「ああ……けど、あと一発が限度だよ。それに、あいつには当たっても」

「奴じゃない。わたしに撃つんだ」

「えっ!?」

 オリヴァンは、イザベラの気が触れたのではと彼女の顔を見たが、その目はまるで氷のように冷静だった。

「やることはわかるな? これがわたしたちの最後の攻撃だ!」

 無言でうなずいたオリヴァンを背に、イザベラはフライで飛んだ。速度も遅く、滞空高度も低いがモンスアーガーを正面から飛び越えようと、きゃしゃなその身は青色の髪をなびかせて宙を舞う。

 だが、空中では火炎弾の絶好の的になる。そのことを知っているモンスアーガーは、口を大きく開くと、ためらいなく火炎弾をイザベラめがけて発射した。青い彗星に向けて、赤い流星が吸い込まれるように向かっていく。そのときだった。

『ウィンド・ブレイク!』

 オリヴァンの全精神力を使った突風が鷹の翼のようにイザベラを後押しした。そして、瞬間的に加速したイザベラは、モンスアーガーが二発目を放つ前に奴の頭上に出ると、杖をまるでナイフのように両手で持って振り上げたのだ。

 

「クズの意地を、思い知れぇ!」

 

 怪獣を一発で倒すような強力な攻撃魔法など使えない。しかし、イザベラに使える魔法の中でたった一つだけ、モンスアーガーを倒せる可能性のある魔法があった。それは、誰もが使えるコモンマジックの一つ。

 魔法の力がイザベラの杖に巻きつき、瞬時に木製の杖を鉄の強度に鍛え上げる。そして、イザベラは渾身の力を込めて、モンスアーガーの急所の後頭部の青い皿をめがけて、槍と化した杖を突き刺した。

『硬化』

 串刺しの一撃。確かな手ごたえを感じたイザベラの手から杖がはずれ、魔法の制御を失った彼女の体が放り出されて床に叩きつけられる。

 しかし、イザベラとオリヴァンは見た。杖を突きたてられたモンスアーガーの頭から真赤な火花が噴火のように立ち上ったかと思うと、奴の巨体はがっくりと力を失って、その場に倒れこんだのだ。

 

「やった……やったんだぁー!」

 

 横たわる巨体を前に、イザベラとオリヴァンの歓声がこだました。信じられない、まさか自分たちなんかの手で怪獣を倒せるとは……だが、モンスアーガーの敗退に驚愕した赤目は、怒りのあまりに約束などすっかり忘れて、ドームに設置された電撃装置に手を伸ばした。

「おのれぇ、せっかく捕獲したモンスアーガーをよくも! 黒こげになって死ね」

 十万ボルトのショックを与える高圧電撃のスイッチが、イザベラたちを焼き殺そうと振り下ろされる赤目の手を待って胎動する。だが、その凶悪なエネルギーが解放されることはなかった。

 観戦席の側面についていたドアが突然爆発するように外側から破壊されると、粉塵の中から放たれた空気の弾丸が赤目を反対側のドアにまで吹き飛ばし、さらにドームのコントロールパネルをめちゃめちゃに破壊したのである。

「き、貴様は」

 赤目は、そこに現れた敵の姿が子供のように小柄だったことに驚いた。

 そこには、イザベラと同じ色の髪を短く刈りそろえた眼鏡の少女が、油断無く杖を振りかざしていたのだ。

「そこまで……さらっていった人たちは、返してもらう」

「お前! どうしてここに」

 イザベラは、窓の向こうに突然現れたタバサに驚愕した。だが、タバサはこちらをちらりと一瞥しただけで、赤目に毅然として言った。

「さらっていった人たちは、どこ?」

「キサマ、余計なことを……」

 赤目はチッと舌打ちした。レイビーク星人は巨大化能力などは持たず、今は物質縮小光線銃も持っていない。そのため、赤目は魔法使いを相手にしては分が悪いと逃げ出した。

 タバサもまた逃げていった赤目を追って、扉の向こうへ消えていく。イザベラとオリヴァンは、助けが来たと思ったのもつかの間、呆然としてタバサが消えていったあとの扉を見つめていた。

「あいつ……どうやってここに」

「知り合い……かい?」

「まあ……な」

 あまりにもあっという間の出来事で、体力も気力も使いきり、床にへたりこんだ二人は、急に静まり返ったドームの中を無気力に見渡した。けれど、横たわるアネットの姿が目に入ったとき、ぐっと体に力をこめて立ち上がった。

「行こう。アネットを、こんなところに置いておくわけにはいかないよ」

「ああ、そうだな……」

 もう動かなくなってしまったアネットを連れ帰ろうと、二人はよろめきながら彼女へと歩み寄った。

 

 だがそのとき、急所を貫かれて、完全に息絶えたと思われていたモンスアーガーの目が開いて起き上がった。そして奴は自分に背を向けている二人に向けて火炎弾を放つべく、大きく裂けた口を雄たけびとともに開いたのだ。

「しまった!」

 モンスアーガーは死んだと思っていた二人は完全に虚をつかれた。

 逃げようにも、とっさのことで足が動かず、魔法を使おうにもイザベラの杖はモンスアーガーの後頭部に刺さったままで、オリヴァンには魔法を使う精神力がもうない。

 

 死んだふりか! いや、あれでは傷が浅かったのかもしれない。ちくしょう、ここまできたのに!

 

 獣の狡猾さをあなどっていたことを二人は後悔したが、打つ手はもはや残されていなかった。

 せっかくアネットが命を捨ててまで助けてくれたのに、たった数分生き延びただけか、あの世でどう言ってわびればいいんだ。

 目の前に死の世界の門が開くのを、二人はこの世への未練と、アネットへのすまなさをこめて待った。

 しかし、開いた扉は死の世界からのものではなく、ドームの側面に備え付けられている怪獣搬入用のシャッターだった。恐らくは鋼鉄か、それ以上の強度を誇るであろう金属のシャッターが外側から大砲でも撃ちこまれたかのように吹き飛び、飛ばされた鉄の扉がモンスアーガーにぶち当たる。

「なっ!?」

 あっけにとられた二人の目の前に、破壊されたシャッターの扉の奥から現れたのは、黒髪の、全身黒尽くめの女だった。その右手には気絶したレイビーク星人が首根っこを掴まれて引きずられ、左手にはそいつが持っていたと思われる物質縮小光線銃がある。

 彼女はドームの中の惨状を、ぐるりと見回すと、その視線をシャッターをぶち当てられて怒りに燃えているモンスアーガーに向けた。そして、右手に掴んでいたレイビーク星人を投げつけ、同時に前傾姿勢をとって床を蹴った。

 

 

 続く



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第12話  過去の光、未来の光

 12話

 過去の光、未来の光

 

 ウルトラマンジャスティス

 誘拐怪人 レイビーク星人

 破壊獣 モンスアーガー 登場!

 

 

「速いっ!」

 イザベラには、一瞬その女が黒豹のように見えた。モンスアーガーは投げつけられたレイビーク星人を振り払うと、その女に向かって火炎弾を放とうとする。しかし、一瞬目を放したその隙に、女の姿は視界から消えていた。

「上だ!」

 イザベラとオリヴァンの動体視力では、それを把握するので精一杯だった。

 女の身は重力を無視するかのようにモンスアーガーの頭上を舞い、次の瞬間には全身のばねを使ったキックを、モンスアーガーの急所の裂け目、突き刺さったイザベラの杖をめがけて打ち込んだ。

 すると、加重を加えられた杖はさらにモンスアーガーの急所を深く貫き、同時に増した亀裂は頭頂部の皿全体に行き渡り、最後には乾いた音を立てて粉々に粉砕してしまった。

「やった……」

 唖然とする二人の前で、今度こそモンスアーガーは断末魔をあげて崩れ落ちると、赤色の粒子になって跡形もなく消滅した。

 

「大丈夫か?」

「あ、あい……」

「はあ……」

 

 モンスアーガーをあっという間に倒した女の第一声が、意外にも普通だったので安堵した二人は少々間の抜けた返事をした。と、いうよりも、二人はあまりにも勝手に進んでいく場の展開に頭がついていけていなかったというのが正解だろう。

 イザベラは、突然現れたタバサに仰天した余韻が続いていたし、オリヴァンは初めての実戦で心が擦り切れかけていた。

 そんな二人だったが、女が横たわっているアネットに悠然と歩み寄っていったときには、はっとして駆け出していた。

「おい! お前何を」

「黙っていろ」

 死者に向かっていったい何を? だが女は駆け寄った二人には目もくれず、アネットをじっと見つめると手をかざした。

「まだ脳死にはいたっていないか……間に合えばいいが」

 女の手が一瞬輝くと金色の光が放たれて、アネットの体に吸い込まれていく。

 イザベラとオリヴァンは、今なにをしたと、女に向かって思わず声をあげかけた。しかし、その前に聞こえてきたか細いと息に、二人は信じられない思いで凍りついた。

「う、うぅん……」

「アネット! まさか!?」

 驚いたことに、死んでいたはずのアネットが息をしていて、白く透き通っていた肌に赤みが戻っているではないか!

「成功したか……」

 息を吹き返したアネットを見て、女は軽く息をついた。

 オリヴァンが抱き起こしたアネットは、まだひどい傷で激しく汗をかいているが、心臓だけは確かに動いている。

「生きてる……アネットが生き返ったよお!」

「ばかな、生き返っただと……お前、いったい何を?」

「応急的な手当てだ。すぐに医者に診せるがいい」

 アネットを抱いて泣きじゃくるオリヴァンと、唖然としているイザベラに、女は淡々と告げた。

 そして、一度は完全に死んでいたアネットを蘇らせた力、それは。

 

『ジャスティスアビリティ』

 

 本来はエネルギーを分け与える技なのだが、人間に使用するのは初めてだ。生命エネルギーの付与は、傷を直接治すことはできなくても、自己治癒力を増進するくらいはできる。そう考えて、五分五分の賭けながらも使ったけれど、どうやら成功だったようだと、その女……ジュリは思った。

 

 

 一方、赤目のボスを追いかけていったタバサは、妨害してくるレイビーク星人の兵士たちを排除しつつ、赤目を追撃していた。

『ウェンディ・アイシクル!』

 大振りの杖の先に無数に作り出した氷の矢の一本が、襲ってきたレイビーク星人の一体を物質縮小光線銃をかまえる間もなく串刺しにして倒した。この魔法は、普通は無数に作った氷の矢の乱射で敵を蜂の巣にする攻撃魔法だが、魔法の矢をストックして、一本ずつ打ち出すこともできる。

 タバサは、この攻撃によってこれまで十数体のレイビーク星人を倒していたが、さすがに敵の本拠地だけあって数が多く、一時も気を休める暇がなかった。

 今また、背後から奇襲をかけてきたレイビーク星人を、風の動きを読んで振り向かずに倒し、さらに正面に向かって二本の矢を放つ。

 息つく間もない激戦、それにしてもなんという数の亜人だとタバサは思った。これほどの数の亜人が、誰にも気づかれることなくリュティスに入り込んでいたのか……いや、彼らの不可解な技術や、ハルケギニアでは発見されたことのない姿かたちからして、奴らは以前にエギンハイム村で戦った奴や、トリステイン王宮に潜入していた奴ら……サイトの言っていたウチュウジンという連中と同類かもしれない。

 それにもう一つ、自分がここまでここまで早期に来れた最大の理由である、あの黒服の女は何者だろうか? 自分がここに突入しようとしたときにいきなり現れ、無策で突入しようとしても返り討ちにあうだけだと忠告し、その後こちらがものを申す前に、「見ていろ」とばかりに入り口で待ち伏せていた敵を片付けてしまった……しかも、驚くべきことに、素手で。

「あなた、何者?」

「説明している余裕はないのではないか? お前のことは、アルビオンという場所で遠巻きに見ていた。あの少年たちの仲間だな」

「っ! あのときの戦いは、どれも見ている人はいなかったはず。まさか、ヤプールの……」

「違う、とだけ言っておくが信用するかはお前しだいだ。どのみち、私はこの中のやつらの無法を許しておくつもりはない。ただ、さらわれた百人近い人間まで無事に救い出せるほど余裕があるかはわからん」

 それだけ告げると、女はタバサに背を向けてアジトの中へと突入していった。タバサはどうするべきか迷ったものの、イザベラの安全が第一だと考えて、すぐにその後を追った。

 けれど、その先にあった光景は圧巻としかいえないものだった。

 廃屋の物陰から襲い掛かってくる見たことも無い亜人を、女は信じられないような身のこなしで、次々と撃破していっていた。むろん、タバサもすぐに参戦しようとしたが、亜人の銃から放たれる光線が、すぐそばにあった置物を小さくして吸い込んでしまうと、自然と防戦にまわらざるを得なくなっていた。

「下がっていろ」

「くっ」

 そう言われて黙って引き下がるのはしゃくではあったけど、こうなったら女の戦闘テクニックを盗んでやろうと考えるあたり、タバサは極めて現実的かつ冷静な性格であった。

 女は黙々と襲い掛かってくる敵を倒していく。そのおかげで、こちらとしては安全であったし、自分では気づかなかった身のこなし方を発見できたり、敵の攻撃パターンなども頭に叩き込むこともできた。

 そのうちに、いつの間にか廃屋からこの奇妙な建物に入って、途中であの女ともはぐれてしまった。もっとも、そのおかげで偶然にもイザベラたちの危機を救うことができたのは、怪我の功名といえるだろう。ただし、もはやイザベラだけ救えればそれでいいわけではないので、こうして追撃をかけている。 

 敵は複雑な構造になっている場所で待ち伏せ、隙あらば物質縮小光線でタバサを捕らえようと狙ってくる。が、そこはトライアングルクラスの風の使い手であるタバサのこと、神経を研ぎ澄ませて敵が潜んでいる場所を嗅ぎわけ、または飛び出してくる敵の乱す空気の動きを肌で感じて回避して、ウェンディ・アイシクルの氷の矢を打ち込んでいった。

「待て!」

「チィッ! しつこいやつめ。これでも食らえ!」

 追い詰められた赤目は、目から赤色の破壊光線をはなって攻撃してきた。だがタバサはそれさえも左右に跳躍してかわすと、杖を振るって反撃の一打をはなった。

 

『ライトニング・クラウド!』

 

 強力な雷撃魔法が赤目を撃ち、スパークと焦げ臭い臭いが吹き上がる。それでも、赤目はレイビーク星人の親玉らしく持ちこたえてみせた。

「おのれぇっ、覚えていろ!」

 赤目はそう言い捨てると、背後の扉の向こうへと逃げ込んでいき、扉は赤目が通り抜けると頑強な金属製のシャッターが下りてきて塞いでしまった。

「待て! ……これは」

 扉を破って追いかけようとしたタバサは、そこに赤目の部下がここまで運んできたと思われる人間のケースが積まれているのを見つけた。

 

 追うか……それとも。

 

 迷った時間は一瞬だった。タバサは多量のケースにレビテーションをかけて浮かせると、来た道を走って戻った。

「お前、なにやってたんだ! あいつは仕留めたのか?」

 ドームにまで戻ると、そこではイザベラたちが、いまだ虫の息のアネットを介抱していた。もちろん、途中参加のタバサにはそういう経緯はわからず、一瞬本物のイザベラかとうたぐってしまったくらいだが、すぐにそうした妄想を振り払って、彼女たちに脱出をうながした。

「今のうちに外へ、敵が次の手を打つ前に」

「なんだと! やられっぱなしでひきさが……ちっ!」

 イザベラは悔しさのあまり舌打ちしたけれど、タバサの冷静な顔を見ると、これ以上ここにとどまっては危険だということは理解できた。

「くそっ……おいデブ、アネットを背負え。逃げるぞ」

「えっ! いや……その」

 女の子とまともに手を握ったこともないオリヴァンは、この期に及んで照れて顔を赤くした。しかしイザベラはせっかく人が気を使ってやってるのに、なにをぐずぐずしてるんだと彼の尻を蹴っ飛ばしてとにかく背負わせる。

 だが、同時にドーム全体がぐらりと揺れて、全身に押し付けられるような感覚がきた。

「いけない。飛び上がった」

 空を飛びなれているタバサは、それがこの場所が浮上したものであることを悟った。

 

 それはまさに的中していた。裏町の廃屋に偽装して隠されていたレイビーク星人の、直径百メートルはあろうかという巨大な宇宙円盤は、カモフラージュをといて空中へと舞い上がり、宇宙空間へと向けて上昇を開始していた。

「人間どもめ、こうなったら貴様らごと我々の次元に連れ去ってやるぞ」

 チャリジャから譲られた帰還装置にエネルギーが伝達され、時空移動の準備がはじまる。だが、人一人だけならともかく宇宙船ごとワープさせるとなっては膨大なエネルギーがいり、それには数分の準備が必要であった。

 宇宙船は、巨大な浮遊物体に唖然とするリュティスの市民たちを尻目に、誰にも妨害されることのない高度へと上昇していく。

 

「脱出する」

「逃げるって、お前どうやって!?」

 落ち着いて告げるタバサに向かってイザベラは怒鳴った。しかし実際タバサにもいい方法があったわけではない。自分たちはこの宇宙船の一角に幽閉されたも同然であり、宇宙船の外壁は試してみても、タバサの魔法でもびくともしなかった。

 このままでは全員まとめて二度と帰れない場所に連れ去られてしまう。タバサの額にも、焦りの汗が流れたときだった。それまでじっと押し黙っていた黒づくめの女が、タバサに物質縮小光線銃を渡すと、こう言ったのだ。

「私が、この外壁に穴を空ける。お前たちはそこから脱出しろ」

「え?」

「その銃のスイッチを逆に設定すれば、小さくされた人間を元に戻すことができる。全員を戻すだけのエネルギーは充分にあるだろう」

「待って、あなたは何者なの? どうしてそんなことがわかるの?」

 だが、女はタバサの質問には一切答えずに、言うだけを言うと壁際に立ち、胸につけていた羽型のブローチを外して、胸の中央に押し当てた。するとたちまちブローチから光が溢れ出し、閃光が部屋中を満たして、三人が目を開けていられなくなるまで強くなる。

 瞬間、大地震のような揺れがドームをゆさぶった。

「なっ、なにが起きたんだあ!」

「あっ! か、壁を見てくれ」

 目を開けたとき、すでに女の姿はどこにもなく、壁には直径三メイルほどの大穴が空いて、そこからは空がのぞいていた。

「うわっ! もうこんな高さに」

 見下ろすとリュティスの街はすでに雲の切れ目の下。宇宙船はなおも上昇を続けている。もう猶予はないと、タバサは杖を握って、人々が閉じ込められているケースを風の紐でがっちりと固定した。

「飛び降りる」

「なっ、そんなことできるわけないだろ!」

 イザベラは蒼白になって怒鳴った。高すぎる、落ちれば絶対に死ぬ。でも、タバサはぽつりとつぶやいた次の言葉で、簡単にイザベラを変心させてしまった。

「怖いの?」

「ぐっ、こ、怖くなんてあるわけないだろ」

 これで話は決まった。イザベラは震えるオリヴァンを引きずってくると、「無理だよ死んじゃうよ」とわめく彼の耳元で一喝した。

「うるせえ! てめえも男なら、女の子の前でちっとはかっこつけようとか思ってみせろ。いいか、なにがあってもアネットを離すんじゃねえぞ。わかったら行ってこーい!」

 尻を思い切り蹴っ飛ばし、アネットを背負ったまま落ちていくオリヴァンを追って、タバサとイザベラも意を決して飛び降りる。

 

「うわぁぁ……」

「どひゃぁぁ……」

 

 高度五千メートルの高高度からのダイブは、オリヴァンとイザベラの悲鳴をも飲み込んでいく。毎秒9.8キロずつの等加速度自由落下を続けながら、ケースを守るための魔法を使っているタバサと、杖をなくしたイザベラ、精神力を使い果たしたオリヴァンはフライを使うこともできないで、地上めがけてまっ逆さまに落ちていく。

 しかし、タバサの小さな口から放たれた口笛が、宙を切り裂き雲を突き抜けたとき、青い閃光が落ちていく三人を拾い上げた。

「お姉さま、大丈夫なのかね!」

 間一髪、駆けつけてきたシルフィードに掬い上げられて、タバサとイザベラとオリヴァンはその背に転がった。

「こ、こいつはお前の使い魔か!」

「ド、ドラゴン、ドラゴンだあっ」

 命拾いをした二人は、全身の力を失ってシルフィードの背中にばったりと寝転んだ。

 雲の上のその空には、ひたすらに青い空が広がっており、そこに逃げていく宇宙船が黒いしみのようにへばりついている。

 だが、宇宙船の逃げていくその先には、侵略者を許すまじと、恐るべき敵が待ち構えていた。

「見ろ……あれは」

 天空に輝く赤い光の球、そこから現れる赤き巨人、その姿にタバサははっきりと見覚えがあった。

「あれは……」

「ウルトラマン……ジャスティス!」

 かつて、ウルトラマンAとともにノーバやボガールと戦った、もう一人のウルトラマンが、そこにいた。

 

 同時に、レイビーク星人たちにとっては最後の瞬間の到来であった。

「急げ、早くこんな世界からはおさらばするんだ!」

 作戦がことごとく瓦解した今となっては、せめて母星に帰還して報告し、奴隷狩りの大船団を仕立ててもらわなければならない。しかし、宇宙船のブリッジで焦って叫ぶ赤目の声に答えたのは、レーダー手の震えた声であった。

「リ、リーダー! ぜ、前方に……」

「なに、なんだというの……」

 スクリーンに映し出された宇宙船の前方の光景を見たとき、赤目は絶句していた。

 そこに映されていたのは、宇宙船の進路を塞ぎ、破壊エネルギーをまばゆい光と共にチャージしている巨人の姿。

「ば、馬鹿な……なぜ」

 その問いに答えるものは誰もいなかった。

 迎撃も逃亡も、もう絶対間に合わない。

 そしてジャスティスは、凝縮したエネルギーを光の矢に変えて、一気に解き放った。

 

『ライトエフェクター!』

 

 かつて、怪獣兵器スコーピスを二匹いっぺんに粉砕した必殺光線が放たれて宇宙船に突き刺さり、エネルギーを解放して内部で暴れ狂う。爆発につぐ爆発の連鎖、強固な宇宙金属でできているはずのそれも、強度をはるかに超える負荷には耐えられない。

 そして、爆発がとうとうエンジンに及んだ瞬間、一気に膨れ上がった破壊の力は、宇宙船を内部よりの圧力によって一瞬にして焼き尽くした。

「ギエェェーッ!」

 赤目の断末魔と共に、宇宙円盤は大爆発を起こしてリュティスの空の塵となった。

 

「やったぁー!」

「ざまあみやがれ!」

 

 粉々の燃えカスとなって散っていく宇宙船をあおぎみて、オリヴァンとイザベラの大歓声が空の上に吸い込まれていく。

 こうして、ハルケギニアでの奴隷狩りをもくろんだレイビーク星人の野望は完全に潰え去ったのである。

 あとに残ったのは、平和を取り戻した空と、そこに漂う一頭の竜のみ……

 シルフィードは、傷ついた四人を乗せて、ゆっくりと高度を下げていく。彼らは、疲れきった体をその背にゆだねながら寝転び。その視線の先で、こちらを一瞥すると、この果てしない空へと飛び去っていくウルトラマンジャスティスを見送った。

「行っちまったな……」

「あれが、ウルトラマン……すごかったね」

「ああ……そうだな」

 イザベラとオリヴァンは、ぐったりと寝転びながら、口だけを動かして会話していた。

「ねえ……あのお姉さんが、ウルトラマンだったのかな?」

「わかんねえ……けど、なんで助けてくれたのかは、今度はわかる気がするよ」

 イザベラは、以前、マドカ・ダイゴに助けられたときと同じ温かさを、どこからかあのウルトラマンからも感じることができたと思った。

 その答えは、ウルトラマンが人間でもあるという事実を知っているタバサのうちにだけあった。

 そうか、アルビオンでのヤプールとの戦いを、あのウルトラマンは見ていて、それで自分を覚えていてくれたのか……

 タバサは、こんなハルケギニアの端と端で、また同じウルトラマンに助けてもらえることになるとはと、世の中は意外と狭いなと思い、そして才人とルイズのように、人間はいつもどこかでウルトラマンに見守られているのかなと、空の上のその先へ思いを寄せた。

 だが、タバサはあくまでもイザベラから任務をもらうために、わざわざこうしてやってきたのである。任務の遅れはすなわち母の心を取り戻すのが遅れることになる。そのためいったんタバサはイザベラをホテルまで送り届けようと、イザベラにそう断った。しかし、その提案は胸倉をつかまんばかりに詰め寄ってきたイザベラとオリヴァンに、全力で却下された。

「いや! その前に病院だ病院!」

 タバサはぎくりとしたが、虫の息のアネットを見ると、何も言わずにシルフィードをリュティス中央病院の屋上へと向かって降下させ、そのまま集中治療室に運び込ませた。

 

 アネットの容態は、ジャスティスに蘇生してもらったとはいえ、集中治療室に運び込まれた時点でかなり危険なものであった。だが、そこは各国の中でも魔法技術の進んでいるガリアだけはあり、優秀な医師団と水魔法の粋を集めた集中治療によって、なんとか一命をとりとめた。

 けれど、貴族の中でも特に高貴なものしかかかれない、その治療を平民のアネットに受けさせるには、イザベラは王女としての自分の身分を明かさなければならなかった。

 

「万難を排してその女を救え。もし死なせるようなことがあれば、お前たちの指を全部切り落としてやる!」

 

 わけもわからず病院に呼びつけられた東薔薇騎士団に持ってこさせたドレスに身を包み、居丈高に命じるイザベラの剣幕に医師団が震え上がったのはいうまでもない。

 手術は四時間に及び、タバサはそのあいだに囚われていた人々を全員元の大きさに戻して解放した。だがイザベラは言うだけいうと病室の一室を借り切って、泥のように眠り込んでしまったので任務を受け取ることができず、仕方なく別室で待機することにした。

 

 そして、半日後……イザベラの姿はリュティス中央病院の、一等病室にあった。

 

「入るよ。アネットが元気になったんだって?」

 イザベラが乱暴に自分の手で扉を開けると、あの廃屋とはうって変わり、白く清潔な室内に柔らかな羽毛布団が敷かれたベッドのある病室が目に入ってきた。

 その中で、アネットは全身に包帯を巻かれてベッドに寝かされており、彼女の傍らにはオリヴァンがついていた。しかし、二人はイザベラが入ってきたことに気がつくと、はっとしたように、オリヴァンは床に頭をつけて、ベッドから動けないでいるアネットはぐっと毛布に顔を押し付けるようにして土下座した。

「お、おいおい。どうしたんだよお前たち」

「ま、まさかガリア王国姫殿下とは存じませず、大変なご無礼をいたしましたぁ!」

 なるほどそういうことかと、イザベラは合点した。確かに、今のイザベラは、お忍びのための平民の服ではなく、王女らしいきらびやかなドレスに身を包み、すぐ後ろに東薔薇花壇騎士団長のカステルモールを控えさせている。さすがにこの姿と、王家の証である青い髪の組み合わせを見たらイザベラが王女だと疑うものはいないが、軽く見舞いのつもりでやってきたら、まるで死刑執行人のように扱われて、イザベラは軽く息をついた。

「そういえば、お前たちにはまだきっちり名乗ってなかったか。じゃああらためて自己紹介しておくが、確かにわたしはこのガリア王国国王ジョゼフ一世の娘、イザベラだ」

「はっ、姫殿下ともあろうお方が、このような下賎な場所へのご来訪、恐れ入りますぅ!」

 下手な宮廷言葉でしゃべるオリヴァンに、イザベラは怒るよりもまず呆れてしまった。ド・ロナル家がいかに名門といっても、王家から見たら一貴族にすぎない。その機嫌を損ねたら、出世の道が閉ざされるばかりか、貴族としてほかの貴族から関係を持つことを避けられるようになり、最悪お家断絶もありえる。きっと、イザベラが来る前に、ド・ロナル家からくれぐれも粗相のないようにと、厳命がきたのだろう。

 とはいっても、王女とわかったとたんにこの態度。イザベラは自分はそんなに怖がられていたのかと少し悲しくなった。とにかくこれでは話もできないので、恐れ入って頭を下げてくるオリヴァンとアネットの前に立って、「頭を上げろ」と言った。が、王女を前にして震えている二人は、まったく動く気配を見せない。

「やれやれ。あたしゃ別に、隠していたつもりはないんだけどねえ」

「そ、それだからこそ罪は重いのです。王女殿下に対しての無礼の数々、いかようなお裁きでも」

「ア、アネットに罪はありません。すべては、彼女の主人であるぼくの罪。お裁きになるなら、すべてぼくにお願いいたします」

 これでは本当に首狩り役人にされたようなものだ。彼らとしては最大限わびてるつもりなのだろうが、そんな血も涙も無い悪魔のようにされてはさすがにたまらない。いや……いつもなら、身分が下の者がはいつくばって許しをこうのは愉快なのだが、今回に限って不愉快なのはなぜだろうか?

 イザベラは、はしたなく頭をボリボリとかくと、めんどうくさそうにオリヴァンの前の床にどっかと腰を下ろしてあぐらをかいた。

「お、王女さま!」

「いけません! お召し物が汚れます」

 イザベラの、王女が人前でするのにはあまりに常識を外れた行動に、アネットとカステルモールが悲鳴のように叫ぶ。しかしイザベラは気にも止めずに、「ほうっておけ」と、いわんばかりにひらひらと手のひらを振って、オリヴァンに告げた。

「さて、あらためて言うぞ。面を上げろ」

「そ、そんな、恐れ多い」

「ほぉー、お前、その位置からだとわたしのスカートの中見えるんだが、王女のパンツを覗いたって父上に報告してやろうか?」

「えっ!?」

 がばっと、興奮したんだか血の気が引いたんだかわからない表情でオリヴァンが起き上がると、イザベラは意地の悪そうな笑いを浮かべた。

「ひっひっひっ、面白いねお前は……ほんとに覗いてたら、その場で絞め殺してるよ。よかったね命拾いして」

 それはまったくもって現実的な脅しであった。しかもイザベラはからかうように、スカートの端をはためかせて見せるもので、オリヴァンはますます動揺する。

「お、おからかいにならないでください」

「ばーか、こんなもんからかってるうちに入るか。んったく、こんなんじゃあ、将来貴族どころか平民の女にさえコロッとだまされそうだねえ。お前のとこにいたのが、アネットでほんとよかったよ」

「もったいないお言葉で」

「その言葉はアネットに言ってやりな。アネットが助けに入らなかったら、いまごろお前はつぶれたトマトさね……ほら、どうした? 命の恩人に、礼の一つもないのか」

 軽く笑いながらイザベラがうながすと、オリヴァンは立ち上がって、アネットに向かって頭を下げた。

「ありがとうアネット、君はぼくの恩人だ」

「そ、そんな! なんともったいないお言葉。おやめくださいぼっちゃま」

 そうはいうものの、イザベラがここに来る前から二人でいろいろと語り合っていたのであろう。

アネットの頬に浮かんだ赤みは、ただの照れだけではなかった。

「ほんと、これ以上ない主従ってとこか。これからはせいぜい大事にしてやりなよ。じゃあま、お邪魔虫はそろそろ退散するとするか。いくよ、カステルモール」

「はっ」

 さすがにいい雰囲気の空気を感じたイザベラは、まだ言いたいことはあったが、そこまで無粋になる気にはなれなかったので、よっこらしょと立ち上がってドレスのほこりをはたくと、自分からドアを開けた。

「じゃあ、せいぜいお大事にな」

「はい、ありがとうございました。姫殿下」

 ドアから半身だけを見せたイザベラは、やっぱり他人行儀な二人に苦笑すると、続いてぼりぼりと頭をかくと、少しいたずらげに二人に告げた。

「ああそうだ。言い忘れてたが、もうすぐプチ・トロワの再建がすんでホテルから引っ越すんだが、なにせ再建したっていっても、娯楽施設を増やしたわけじゃないから退屈だろ。アネット、今度そのデブ連れて遊びに来いよ」

「は……え、ええーっ!」

 アネットが仰天したのも当然だ。プチ・トロワといえばヴェルサルテイル宮殿の中の、王族の居城である。一般人はおろか、貴族だって気軽に立ち入れる場所ではない。

「あー、心配するなよ。ちゃんと通行証は出してやるから」

 いや、そういうことではない。

「どーせ帰ったって、学院行くわけでもないなら暇なもんだろ? 菓子くらいは出してやるよ。それに、わたしもちょうど、杖をなくして、新しいのを契約するのに魔法を使う相手がほしかったんだ」

 メイジの杖は単なる棒ではない。そのメイジと杖との相性というものがあり、メイジは時間をかけて祈りの言葉とともに、杖との契約をはたして自分のものにする。その際に、隣で不安定な魔法が暴走しないように、補佐する相手がいればちょうどいい。

「で、でもぼくなんかより。そこの騎士どのなどのほうが……」

「こいつらが相手だと、自分の下手さが際立ってやなんだよ。てか、そんなに嫌なら別にいいが、お前、わたしのことが嫌いか?」

「い、いえ、そんなことは! 決して」

 それが本心でも嘘でも、王女に面と向かって「嫌い」などと言えるわけがない。オリヴァンは恐縮して、また頭を下げた。そんな彼に、イザベラはカステルモールにあらかじめ「口出しはするな」と手で伝えて、ゆっくりと問いかけた。

「わたしは、王女イザベラじゃなくて、お前たちといっしょに駆け回った、ただのイザベラが好きかってことが知りたいんだけどな」

「え?」

「まあいいさ、でもな、わたしはお前たちに感謝してる。誰もがわたしにかしづくか恐れる中で、お前たちだけだよ。いっしょになってあんなにバカやれたのは」

「イザベラさま……」

 わずかな憂いを含んだイザベラの横顔は、どことなくとても寂しそうに見えた。

「じゃあな、楽しかったよ。変なこといってすまなかったな、忘れてくれ」

 イザベラは、やっぱりダメだったかと、夢のようでもあった今日の日に別れを告げるように、ドアを静かに閉めていった。だが、ドアのすきまが残り数サントにまで狭くなったとき、部屋の中からのアネットとオリヴァンの声が、イザベラの手を止めた。

 

「イザベラさま! アネットは、こんなわたしを助けてくれた心の優しいイザベラさまが大好きです! よろこんでイザベラさまのおうちへ、遊びにいかせていただきます!」

「イザベラ、さま! ぼく、学院へ行くよ。それで、もうアネットに心配をかけないようにする。それで、イザベラさまの、杖の契約のお相手、さ、させてもらってもいいかな?」

 

 二人とも、今度は腹の奥から絞り出した声で、”さま”の部分に必要以上の力がこもっていない。

 イザベラは、二人のその言葉に、自分の思いが通じたことを悟った。

「ちっ、ばかやろう……はやく……きっと来いよな……」

 ドアノブを握り締めたまま、うつむいて肩を震わせているイザベラの声は、確かに室内の二人に届いていた。

 そして、そんなイザベラを無言で見守るカステルモールの心の中では仕える主人に対するうれしさがこみ上げていた。なんと、イザベラに初めての友達ができたのである。相手は平民のメイドと、名門とはいえ問題児の少年と、凸凹には違いないが、友人にそんなものは関係ない。

 それにしてもあの少年、あのままでは到底ものの役に立つまい。そうだな、将来イザベラさまの警護団長が務まるくらいまでしごいてやるか。カステルモールは、かつてあれほど憎んだ主君の将来を、自然に考え始めていた。

 

 その階のホールには、タバサが待っていて、彼女はそのまま廊下にひざまずくと言った。

「任務を」

「あ、ああ……そういえばそうだったね」

 イザベラは、ふとタバサを任務で呼び出したまま、それっきりだったことを思い出した。まずはドレスの内懐に入れっぱなしだった任務の書簡を取り出して、カジノから帰った後で確認しようと思っていた、その内容をまず自分で目を通してみる……見た、のだが。

「む……ん? ふふふ……あっははっは!」

 読み終わったとたん、つぼにはまったように笑い出したイザベラに、タバサはあっけにとられた。

 いつもなら、意地悪そうに申し付けるか、つまらなさそうに投げ渡すかのどっちかであるのに、笑うとはどういう風の吹き回しだろうか?

 しかもイザベラは、ひとしきり笑って落ち着くと、書簡を手の中で丸めて、ポイとゴミ箱に投げ捨ててしまった。

「今回の任務はもうないよ。いや、もう終わってる。だからもう帰っていいよ」

「は?」

 さすがのタバサも訳がわからなかった。柄にも無く間の抜けた返答をしてしまい、いったいどんな任務だったのかと、ゴミ箱からはずれて転がっている紙くずを拾い上げて開いてみると、そこには。

『ド・ロナル家の引きこもり息子を、なんとしてでも学校に通わせろ』

 と、概要としてはそんなことが書かれていて、今度はタバサがため息をついた。なんのことはない。要は引きこもりのオリヴァンを外に出すことで、それはたった今イザベラ自身が完了させてしまったのだ。馬鹿馬鹿しすぎて怒る気にもなれないのも当然だろう。

 しょうがない。ともかくも用がなくなったのならトリステインへ帰ろうと、タバサは屋上で待たせてある

シルフィードの元へと階段を上り始めた。しかし、その途中で突然呼び止められて、その言葉に驚いた。

「あっ、ちょ、ちょっと待ちな……エレーヌ」

「え?」

 階段の途中で振り返ると、そこにはなんとなくきまりが悪そうに、目が泳いでいるイザベラがいた。

 いや、それよりも今イザベラはなんといった。聞き間違いかと思ったが、その名前は確かに。

「なにを鳩が豆鉄砲食らったような顔してんだい……せいぜい気をつけて帰りな、エレーヌ。それだけさ」

 言い終わると、イザベラは反対側の下り階段をカステルモールを連れて足早に駆け下りていった。

 けれども、イザベラの最後の言葉はタバサの心に残って、しばらくのあいだそこに立ち尽くすことになった。

 エレーヌ……それは、まだ自分がシャルロットと名乗っていた頃のミドルネーム……もう三年のあいだ、誰からも呼ばれることのなかった、自分の本当の名前。

「イザベラ……あなた」

 誰もいなくなった階段に、タバサの口から小さく漏れたつぶやきが流れた。

 昨日までのイザベラとは、どこかが違う。どことははっきりと断言できないが、タバサはイザベラのどこかに、懐かしい温かさを感じたように思った。

 

 タバサにとって、もっとも短かった任務はこうして終わった。

 シルフィードはリュティスの街の上空を一巡りし、いつもどおりに読書にふけりだしたタバサを乗せて、進路を一路トリステインへと向ける。

 しかし、この北花壇騎士としても、一切の記録に残らないであろうささやかな事件が、後にトリステインを揺るがす一大事件の引き金になるとは、そのときタバサには知る由もなかった。

「ふわっはっははは! いや愉快愉快、またとない演劇。最高の大活劇を見せてもらった。こよいはよい日だ。アンコールを頼めぬのが残念でならぬわ」

 グラン・トロワの一角に、ジョゼフの心底愉快そうな哄笑が遠慮会釈なく響き渡る。その足元の水鏡には、今まさにリュティスをシルフィードに乗って去ろうとしているタバサの後姿が映し出されており、彼はシェフィールドの操るそれを使って、タバサやイザベラの戦いの一部始終を観戦していたのだ。

「いや、我が姪も少し見ないうちにまた腕を上げたようだ。さすがはシャルルの忘れ形見、なんとも頼もしい限りだ」

「まったく、あの様子では間もなくスクウェアクラスにも到達しましょう。しかし、まさかイザベラさまがあれほどの頑張りを見せるとは思いませんでした」

「イザベラか……」

 自分の娘の名前を聞いて、ジョゼフの顔に苦いものが走った。

「ただの余に似た出来の悪い他人かと思っていたが、いつの間にか、あんな余とは似ても似つかないことができるようになっていたとはな……親はなくとも、子は育つか……」

 ジョゼフは一瞬、皮肉げな笑みを浮かべたが、すぐに元のとおりの表情になると、もうタバサの姿が見えなくなった水鏡を見下ろした。

「もうよいぞミューズ。ふむ、興奮したら喉が渇いたな」

 映像を消させ、充分満足したとばかりに、ジョゼフは部屋にすえつけてある高級品の椅子に立ちっぱなしだった体をどっかと沈ませると、傍らのテーブルに置いてあるワイングラスに自分の手でワインを注いで、ぐっと一息で飲み干した。

「ふむ。酒を多少なりともうまいと感じられれば、余にもまだ人間らしいところが残っているということかな。しかし、可愛い姪や娘が死地にありながら愉快と思ってしまうとは、まだまだ余には悲劇が足りんらしい」

 ジョゼフは、こんなはずではなかったといわんばかりに首を振ると、力なくグラスをテーブルに戻した。シャルルを殺したあの日以来、なにをしても罪悪感を感じなくなってしまった自分の心のすきまを埋めようと、アルビオンに内乱を誘発させたりといろいろと試しても、期待に応えられたものは一つもなかった。

「ジョゼフさま」

 沈黙を破ったのは、いつの間にか傍らに控えていたシェフィールドだった。

「ん? おお、どうした余のミューズよ」

「たった今、トリステインで仕込んでいた例の計画の準備が整いました。あとはジョゼフさまのご命令を待つだけでございます」

「なんと! おお、余としたことがすっかり忘れていた。ゲームはまだまだ続いていたのだったな。いつもながら、お前の手腕には世話になるな」

 あっというまに顔色を取り戻したジョゼフは、新しいおもちゃを手に入れたばかりの子供のように、無邪気にシェフィールドの説明する企みの概要に聞き入った。

「すでに実行者への根回しはすんでおります。かの国は、現在アンリエッタ王女の指導下で、国力の増大につとめておりますが、反面平民や下級貴族の登用で閑職にまわされた貴族たちの不満はくすぶっております」

「ふふふ、だが不満はもっても反乱を起こすような気概は持ちえぬ臆病者たちのたがを、こちらで外してやろうというのだな」

「そのとおりです。現在のトリステインの要は王女アンリエッタと、その側近の枢機卿マザリーニ、実戦部門は現役に復帰した、あの『烈風』……暗殺という手段に頼ろうにも、王女は論外であり、神の代理人たる枢機卿につばするは不敬、かといって『烈風』に暗殺が成功するはずもなし。よって、彼らのとりうる方法は」

「うむ、国内に混乱を生み出して、王女とその取り巻きに無能の汚名を着せるか。悲しいものだな、自分を高めるのではなく、上を引き落とすことしかできない無能者というのは。だが……」

 ジョゼフは、シェフィールドから愉快そうに説明を聞きながらも、この計画に絶対必要な要素をまだ知らされてないことを、的確に指摘した。

「さすがジョゼフさま、ご明察です。不満貴族を統合するには、彼らをまとめあげるだけの地位と権限を持っていて、万一の時には罪をすべてなすりつけられるような、そんな存在が必要です」

「ふふ、お前は頭がよいからすべてまかせておける。それで、その者の取り込みはできているのだろうな?」

 主人に褒め言葉をいただいて、喜色を浮かべたシェフィールドは、口調をこころなしか明るくして続けた。

「アルビオン内戦時から、レコン・キスタに国内の情報を売って私服を肥やしていた人物ですが、その地位によって逮捕を今まで免れていたようであります。国への忠誠心はないに等しく、金で動くので操りやすいかと」

「うむうむ……しかし、余の願いは国内の混乱などというつまらないものではない。それも、わかっているだろうな」

「はっ、きゃつには例のものの試作品の一部を渡しておきました。それからもう一つ、わたくし自ら『切り札』を授けてまいりました。ああいう輩は他人を信用しませんから、強力な力を持たせてやるに限ります」

 それからジョゼフは、シェフィールドから『切り札』の概要を聞くと、呵呵大笑して褒め称えた。

「なるほどなるほど! まさかトリスタニアの地下にそんなものが眠っていたとはな。そんなものが手元にあれば、使いたくなる気持ちもよくわかる」

「はっ、秘密の地下道を掘削している最中に偶然発見したものの、使い方がわからずに放置されていたところ、わたくしの能力で調べ上げました」

「ほぅ? ということは、それはマジックアイテムの類だったのか?」

「それは、実はわたくしにも詳しいことは……ただ、同時に発見された古文書によれば、少なくとも数千年は地下に埋まっていたようです」

「ふむ……まぁよい。ともかく、扱いこなせれば一国を滅ぼせるかもしれない道具を、俗人に与えるのも一興よ」

 ジョゼフはそれ以上、その切り札については言及せずに、ただその計画がもたらす結果にのみ興味を示した。

「ふふ、ちまたでは未来の名君と噂されているようだが、アンリエッタ王女が、余の主催するゲームのプレイヤーとしてふさわしいか、これで見極められよう。それで、その実行者はなんというのだ?」

「リッシュモン高等法院長……」

「そうか、ではさっそくゲームの駒を動かそう! 劇音楽は、トリステインへのレクイエムだ!」

 高笑いを続けるジョゼフの胸元には、ムザン星の魔石が鈍い輝きを放っていた。

 

 ガリアの中枢に、陰謀の網が張り巡らされ、遠く離れたトリステインへと投げかけられようとしている。

 空は夏の終わりの入道雲に、嵐の兆候を鳴らし始めていた。

 

 

 続く



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第13話  涙雨の日

 第13話

 涙雨の日

 

 宇宙調査員 メイツ星人

 巨大魚怪獣 ムルチ

 巨大魚怪獣 ゾアムルチ 登場

 

 

 いやな雨……

 いったい、いつまで降り続けるんだろう……

 雨が、やまない……いつまでも……いつまでも……

 

 

 その日、トリステインは夏の終わりを告げる長雨にさらされていた。

 太陽は朝から黒く立ち込めた雲にさえぎられ、いつもは高台に聳え立つトリステイン王宮が壮麗な美しさを誇る首都トリスタニアも、行き交う人はまばらで、王宮のバルコニーから街を見下ろす王女アンリエッタの顔にも、笑みはない。

「まるで、この世界が死んでしまったようですわね……」

「殿下、風雨が強くなってまいりました。お体にさわりますので、室内にお入りください」

「ええ……」

 アンリエッタはその声に従って、自らの執務室に戻るとガラス戸を閉めた。

 室内は薄暗く、ときたま差し込んでくる雷光が、部屋の中でアンリエッタにひざまずいている二人の人影を照らし出していた。

 一人は、鎧と鎖帷子に身を包み、貴族のマントを羽織った金髪の女騎士アニエス。もう一人は、頭からすっぽりとかぶったぼろで全身を覆い隠し、わずかにすきまからのぞく口元の形で、それが女性であるということだけはわかる奇怪な風貌の持ち主であった。

 アンリエッタは、ひざまずいたままじっと自分の次の言葉を待っている彼女たちに話しかける前に、ディテクト・マジックで念入りに部屋に盗聴が仕掛けられていないかを確認すると、さらに声をひそめながら口を開いた。

「それで……その情報に誤りはないのですね?」

「はい。きゃつは、我々の捜査が身辺に及ぶにいたって、公職から追放された幾人かの貴族と連絡を取り合っているのが確認されました。近日……早ければ、今日、明日にでも行動を起こすでしょう」

 アニエスの返答に、アンリエッタは肩をすくめた。

「悲しいことですわね。わたくしはこの国を愛しています。ですから、この国を支えてきた貴族も、この国を愛していると思っていた……いいえ、思いたいと思っていたのですが」

「彼らは、なによりもまず黄金を愛するものたちです。この国が売り物になると思ったら、より高く売ることしか考えますまい」

「残念ですが、仕方ありませんね。できれば、この日が来てほしくはないと願っていましたが。しかしこの国の未来を座視して、このような者たちの手にゆだねることはできません」

 机の上に置いてあった書簡を取り上げて、アンリエッタはそこに書かれている貴族の名前を憎憎しげに読み連ねた。それは、このトリステイン王国からアンリエッタ王女を放逐し、ある高貴な身分の人物を押し頂いて新たな国を作ろうという、反乱計画の概要書だった。

 アンリエッタは書簡から目を上げると、それまでの悲しげな表情から一転して、苛烈さと冷徹さを併せ持つ目に代わって命じた。

「アニエス、この報告書に名を連ねた貴族をすべて捕縛しなさい。容赦はいりません、反抗するものは手打ちにしてかまいません」

「御意に、しかしこの首謀者に限りましては、まだ不明な点が残っていますので、あと少々泳がせたく存じます」

「不明な点?」

「はい、こやつが不平貴族どもを糾合するために用意した金銭は、彼の所得はおろか、どう賄賂を集めたとしてもまかなえるものではありません。それに」

 アニエスが言葉を止めると、今度はぼろの女が軽く頭を下げて報告した。

「わたしは、ここ一ヶ月間、きゃつの身辺を徹底的に洗いました。すると、レコン・キスタの崩壊を境に、きゃつの下へ出入りしていたアルビオン人の姿が消え、代わってガリアなまりのある人物が現れるようになったということです」

「ガリア……それが、新しいパトロンだと?」

「それはまだ不明です。ガリアと一口に言いましても、様々な組織が入り乱れております。奴は、レコン・キスタ以前からもガリアの人身売買組織と通じていました。その節での線で洗っておりますが」

「人間を売り買いする……人として、もっとも恥ずべきことですわね。わたくしは、わたくしの治世のうちでどれほどのことができるかはわかりませんが、少なくとも人身売買だけは、トリステインから一掃しようと考えています」

「ご立派なお考えです。どうか、もうこれ以上あの男のために不幸になる人が増えないように、お願い、いたします……」

 そのとき、ぼろの女の声がかすれ、顔を覆ったフードの下の絨毯に雨粒がこぼれたようなしみが落ちると、アンリエッタは彼女の前にかがみこんで、その肩を抱いた。

「あなたには、つらい役回りばかりをさせてしまって、本当にごめんなさい」

「いいのです。これは、わたしの人生で、つけなければならないけじめなのですから……」

「それは、あなたのご両親の……?」

「はい、わたしの父と母は、奴のために命を奪われました。そして、残されたわたしの人生をめちゃめちゃにした、あの男が生きている限り、両親は安心して眠れないでしょう」

 体裁を整えてはいたが、その言葉にははっきりとした憎悪と決意が込められており、アンリエッタはその意思の強さを悟った。だが、同時にそれは極めて危うく、彼女自身をも焼きかねないどす黒い炎であることも見抜いていた。

「命を粗末にしてはいけませんよ。前にも言いましたが、たとえ仇を討てたとしても、あなたが命を失えば、それ以上の親不孝はないのですから」

「は……」

 彼女は小さく答え、そうして彼女はアニエスに続いて、我々は準備がありますのでまた後刻と言い残して、執務室を退室していった。

 その後ろ姿を見送ると、アンリエッタはまた窓際に歩を進め、まるで城が海の底に沈んでしまったかのように水を流す窓に手をつくと、悲しげにつぶやいた。

「深く愛するがゆえに、逆に憎しみを捨てることができないとは、人の心とは、なんと残酷な仕組みで作られているのでしょうか……」

 王女である自分の権力をもってしても、たった一人の人間の心さえも救ってあげることができない。人の心とは、愛とはいったいなんなのだろうか……アンリエッタは、自らの知識をはるかに超えた難題に心を痛め、もし自分も愛する人を失ったら復讐に狂った人間になってしまうのだろうかと、今ははるか遠くの空で自分を思っているに違いない愛しの人の笑顔を、まぶたの裏に思い浮かべた。

 

 雨はなおも降り続き、日はとっくに昇っているはずだというのに夜のように暗い。

 普段は数多くの貴族が豪華な衣装をきらびやかに輝かせて歩く廊下も、今は人の絶えた古城のように生気がなく、そこを歩くアニエスともう一人の姿も、あたかも妖怪のような陰影さえまとっている。

「まもなく、私のはなった斥候が帰ってくる。その報告しだいだが、おそらくは今晩あたりで決着をつけることになるだろう。覚悟しておけよ」

「……」

「つらいか? いつわりだったとはいえ、お前にとって育ての親だった男だ。迷いがあるのだったら、ここで降りてもいいんだぞ」

「いいえ、迷ってなどはおりません」

「嘘をつくな。これでも人を見る目には多少自信がある。お前はまだ迷っている。だまされていたことが嘘であってほしいと、心の底でそう願っているだろう」

 ぼろの女は返事を言わず、じっとうつむいたままだった。

「気持ちはわかる。しかし、迷いはためらいを生み、命取りとなる。お前一人で死ぬのならともかく、足手まといになられたらかなわん」

 突き放すようなアニエスの言葉に、ぼろの女は立ち止まると、つぶやくようにアニエスに尋ねた。

「隊長には、迷いはないのですか?」

「ない。私の故郷、ダングルテールを焼かれて二十年、復讐の一念だけが私を支えてきた。奴の心臓に剣を突きたてるのが、私の生きる意味だ」

「……二十年」

 それほどの長い時間、練り続けられてきた復讐の念とはどれほどのものだろうか。ぼろの女は、アニエスの中に隠されたその怨讐を理解していたつもりだったが、あらためて聞くと、その長さに慄然とせざるを得なかった。

「それにな、正直なところを言うと、私はお前には来てほしくはない。私はもう、二十年間ささげてきた復讐の人生から逃れることはできんが、お前はまだ引き返せる。今日までよくやってくれた。しかしもう戦いからは身を引き、一人の女として幸せを求めてもいいんだぞ」

「そんな……わたしにだって、もうほかに行くべき場所なんて、どこにもありません」

「なら、戦うか引くか、はっきりと覚悟を決めろ。ここにいる限り、我らの行く道は修羅道なのだから」

「……」

 答えはなく、その肩が小刻みに震えているのを見たアニエスは、フードの下に手を伸ばすと濡れていた彼女のほおを指でぬぐい、静かに告げた。

「作戦開始は今夜だ。日暮れまで休暇をやる。それまでに決めろ」

「……隊長」

「行って来い。お前が今、一番信じられる、会いたいと思っている人のところへ」

「……はい」

 小さくうなずいた彼女はアニエスに一礼すると、小走りに立ち去っていった。

 外はなおも豪雨が続き、暗くかすんだ街は死んだように静まり返っている。

 アニエスは城門から、彼女が馬に乗って雨の中へ溶け込むようにして走っていったのを見送ると、彼女を救ってやれない自分の無力を嘆くように、かつて唯一自分と引き分けた一人の少年に向かって、祈るようにつぶやいていた。

「あの子は、私では救ってやることはできない。だから頼む、あの子はもうこれ以上、不幸になる必要なんかないんだ」

 雨中に歩を進めていったアニエスの背を雷光が照らし出し、やがて彼女の姿は街の闇の中に染み込むように消えていった。

 

 

 低気圧はトリステイン全土を覆い、この魔法学院とても例外ではない。

「よく降るもんだ」

 才人は女子寮のルイズの部屋で、窓ガラスに叩きつけられる雨粒を見ながら一人でつぶやいていた。今日は平日なのでルイズは昼前の今は授業中で、才人は一人で留守番だ。

 トリステイン魔法学院は、ライブキングの騒動が引いていた尾もすでに薄れ、平常を取り戻して連日普通に授業が続いている。その間、授業に参加してもやることのない才人は、ルイズが帰ってくるまでGUYSライセンスの勉強時間をもらって、毎日地球で高校に通っていた頃とは比べ物にならないほど勉強にはげんでいた。もっとも、それも最近の雨のせいでパソコンの予備バッテリーも尽き、充電用のソーラー充電器も使えないので、今ははっきり言って暇をもてあましていたのだが。

「んったく、雨雲を吹き飛ばしたりできないもんかねえ」

「まぁ、しょうがねえよ。天気だけは、これまでどんな大魔法使いだってどうにかできた奴はいねえんだから」

 部屋の中で唯一の話し相手である、インテリジェンスソードのデルフリンガーが、つばをカチカチと鳴らしながら、憂鬱そうにしている才人の退屈を紛らわせようと話しかけてきた。

「空を晴らすのは魔法でも無理か。恵みの雨とは言うが、こうも長続きするとうんざりするな」

 空はどんよりと分厚い雲で覆われ、ときたま雷鳴がとどろく冷たい雨は、今日でもう三日も降り続けている。

「まあおれっちも、湿気はさびる原因になるから嫌いだね。たまには手入れしてくれよ相棒」

「自分からさび刀に変身してたくせによく言うぜ。しかし、やることがないってのも善し悪しだな」

 長雨のおかげで、ルイズが授業中に片付けておくことになっている洗濯や掃除といった雑用もしばらくは休みになり、体を休めることができているのはうれしいが、人間……特に日本人というのは不便なもので、仕事がないとどうしてかそわそわしてしまう。

「シエスタやリュリュも今ごろは仕事中だろうしなあ。この学院で、今暇なのはおれぐらいか」

「相棒もなんぎな性質だねえ。人は人、自分は自分だろ。暇なら寝てろよ、せっかくの休みじゃねえか」

「一年中夏休みみたいなやつに言われたくないぜ。ったく」

 才人はやれやれとぼやいた。まったくもって、仕事中毒の日本人からしてみればデルフリンガーほどうらやましい身分はない。なにせ学校もない試験もない。会社もないし仕事もない。死なないし病気だってない。さぞ楽しいことであろう。できないのはのんびり散歩するくらいか。

「馬鹿言っちゃ困るぞ相棒、俺だってお前みたいな奴ばっかりならいいが、俺を手に入れた大半はろくでもないのばっかりだった。お前と違って、俺は嫌いな奴から逃げたりはできねえんだからな」

「わかってるって、デルフには前からいろいろと世話になってきたからな。ツルク星人のときやテロリスト星人のとき。ちょっと前も、ワルドと戦ったときだって、デルフがいなけりゃ俺はどうなっていたか」

 スクウェアクラスの使い手であるワルドとの戦いで、魔法を吸収するというデルフの特性がなかったら、無事に戦えたかは疑わしい。いや、そうでなくとも、常日頃から色々なことで助言をしてくれたり、戦い方を教えてくれたりするデルフには世話になっているのだ。

「……剣に向かって頭を下げる持ち主ってのも珍しいな。さすがにそこまでされるとこそばゆいぜ」

「そうか? お前はおれよりずっと年上なんだろ?」

「もう正確に何歳かなんて覚えてねえよ。つか年寄り扱いすんな」

 その一言に、才人は白髪の老人姿のデルフを想像してしまって、思わず口元を押さえた。

「ぷっ……まぁ、なにはともあれお前には何度も命を救われたな。またワルドみたいな奴とやることになったらよろしく頼むぜ」

「任せときなよって。そういやあ、アルビオンから帰ってもう一ヶ月を過ぎたのか。早いもんだな」

「ああ……」

 才人は軽く相槌を打って、あの浮遊大陸であった数々の冒険や戦いの日々を思い出した。あれ以来、ヤプールの攻勢は知っている限り一つもなく、逃したバキシムのことは気になるが、しばらくは戦力の増強をはかっていると考えていいだろう。

 アルビオンも平和になり、ウェールズ皇太子も頑張っているだろうし、ティファニアや子供たちも元気にしているだろうか。それに……

「ミシェルさん、いまごろどうしてるかな……」

 才人の脳裏に、アルビオンで別れて以来、一度も会っていない銃士隊の副長の、最後に見た笑顔が蘇ってきた。アルビオンでの戦いが終わったあとでは、しばらく身を隠すと言っていたが、無事でいてくれるだろうか。

「なんだ相棒、もう浮気の画策か? ま、あの姉ちゃんも美人だったもんなあ」

「茶化すなよデルフ。そんなんじゃねえってば」

「照れるなっての、なんつったって相棒は思いっきり抱きしめて、チューしてもらったような仲じゃねーかよ!」

「お前……それルイズのいるところで言ったら、鉄くず屋に叩き売ってやるからな」

 すんだこことはいえ、ルイズに半殺しにされるネタを思い出させて得はない。才人はデルフに念を押して、余計なことを言うなよと脅しをかけておくと、はぁとため息をついてルイズのベッドに大の字になって寝転び、目を閉じた。

「もう怪我も治ってるだろうが……無茶してなきゃいいけど」

 ヤプールがアルビオンで暗躍しているのを知って、調査で乗り出したときに偶然アニエスと出会い、死に掛けていたミシェルを見たときはどういうことかと慌てたものだ。

 でも、本当にショックが大きかったのは、意識をとりもどしたミシェルから彼女の生い立ちを聞いたときのことだ。

 幼い頃に陰謀で父と母を失い、天涯孤独の身の上となったこと。かつての父の友人で、レコン・キスタの協力者に拾われて、その恩返しと国への復讐のために銃士隊に入った……つまりは、最初から裏切り者だったということ。

 だが、その父の友人こそが父を罠にはめた張本人であり、利用されていたのだということをアニエスから聞かされ、絶望に打ちひしがれたミシェルを、才人はどうしても憎むことができなかった。

 あのときは、ほとんど自殺に近い形で背信者として処刑されようとしていた彼女をどうにか思いとどまらせることができたが、復讐の対象が国からその男に変わっただけで、今でも復讐のために生きているということには変わりない……

 最後に話をしたのは、アルビオン最終決戦の前夜だったけれど、今考えてみたらあれで終わったと思ったのは甘かったかと才人は悔やんだ。あのときに見た笑顔が、今はまた曇っているかもしれないと思うと、やりきれない思いばかりがしてくる。

「……本当に、よく降るよな」

 雨の日というものは、思い出したくないことばかりよく思い出す。

「家族の復讐……か」

 才人は、豪雨の音を聞きながら、机の上に置いてあった地球防衛軍の全戦闘記録が記載された分厚い教本の中から、ごく最近……GUYSがボガールを倒し、ヤプールの第一次侵攻を撃退してから、少し経ったときの記録を選び出し、デルフに向かって独り言のように読み上げ始めた。

 それは、地球防衛軍にとって、いいや地球人にとって決して忘れてはならない愚行の記憶を呼び覚ました事件。才人にとっても、これまで黄金色に彩られていると思っていた防衛チームと怪獣・侵略者との戦いの中で、消えない血文字で記された記憶。

 

 ある日、宇宙のかなたからやってきた一機の宇宙円盤……当時、怪獣頻出期の再来、ボガールとヤプールという強敵を迎え、つい先日も謎の大円盤群によって送り込まれた円盤生物ロベルガーに襲われたばかりの地球は当然警戒し、対怪獣邀撃衛星をはじめとした防御網を発動させた。

「そのときおれは学校にいて、教室の備え付けのテレビで、非常警戒警報を見てた。また宇宙から侵略者が来たのかよってな……けど」

 その円盤から降りて語りかけてきた宇宙人の声は、侵略者のものではなかった。

 はるか宇宙のかなたにあるメイツ星から、地球と友好を結ぶためにやってきた使節、それが来訪した宇宙人の目的だった。

 しかし、彼は同時に地球とのあいだでどうしても解決しておかねばならない問題があるとして、CREW GUYSに、かつて地球で起こった地球人と、あるメイツ星人とのあいだに起きた事実を語って聞かせた。

 その事実とは……才人はページをさかのぼり、時代をさかのぼっていく。

「最初は嘘だと思った。でも、この事件のあとでGUYSの広報部から公式の説明が発表されて、みんなが事実だとわかったのさ」

 

 才人は、ドキュメントMATに記載されている一つの悲しい物語を読みはじめた。

 あれも、こんな冷たい雨が降りしきる日だったという。

 

 今を去ることおよそ四十年前の、昭和四六年。日本の高度経済成長期。

 当時の日本は、戦後の混乱期から脱して、ひたすらに上へ上へと働き続ける反面で、公害や経済格差などの問題が強く表面化してきており、厚くたちこめたスモッグの下で人々の心にも黒いすすがかかっていた。

 そんなとき、とある工業都市の一角の川原で、寄り添うように暮らしている老人と少年がいた。

 彼らはいつからかそこに住み、老人は身寄りをなくした少年を、まるで息子のようにかわいがり、少年も老人を本当の父親のように慕っていた。

 けれど、そんな彼らに近隣住民の目は必要以上に冷たく、いつの間にかあいつらは宇宙人だという、根も葉もない噂が広まっていき、悲劇は始まった。あからさまな村八分は序の口で、ほんの一例だけでも、抵抗する術のない少年に対して、近隣の少年たちが寄ってたかって、彼を首だけ出して生き埋めにしてリンチをかけるといった、およそ人間というものがここまで残酷になれるのかと思うくらいの凄惨ないじめが加えられたのだ。

 それを、当時のMAT隊員郷秀樹はなんとか食い止めようとしたのだが、とうとう暴徒と化した住人たちは大挙して二人の住んでいた廃墟に押し寄せ、少年をかばう老人を殺害してしまった。

 だが、老人が殺されたとたん、まるで人間たちの愚挙をとがめるかのように地底から一匹の怪獣が現れて、人間たちに襲いかかった。

 巨大魚怪獣ムルチ……実は老人の正体は、数年前に地球に環境調査の目的で降り立っていたメイツ星の宇宙人で、工場の吐き出す汚水によって変異した魚の怪獣であるムルチを、人々の害にならないようにと超能力を使って川底に封印していたのだった。しかし人間たちは愚かしくも、善意の宇宙人を勝手な思い込みで悪魔と信じ、本当の悪魔を自らの手で蘇らせてしまった。

 口から強力な火炎を吐き、暴れまわるムルチに人々は逃げ惑い、工場地帯はみるみる火の海と化していった。

 結果的に、ムルチはその後現れたウルトラマンジャックに倒された。しかし、この事件は人間の愚行が招いた怪獣災害の中でも、特に醜悪で忘れてはならないものとして、MAT隊長伊吹の意向で事実のまま記録され、三十五年後にGUYSの目に止まることになる。

 しかし、ミライ隊員とのあいだで交渉を成立させかけていたメイツ星人は、まだ状況を知らなかったリュウ隊員に誤って撃たれてしまい、激昂した彼は万一の際の武力手段として宇宙船に乗せてきた怪獣を出現させた。

 巨大魚怪獣ゾアムルチ……かつてのムルチの同族を強化改造したその怪獣は、メイツ星人の怒りを代弁するかのように街を破壊していく。

 そして、攻撃をやめるように言うリュウ隊員に、そのメイツ星人は告げた。

「殺されたメイツ星人は、私の父だ」

 ゾアムルチは豪雨の中で、まるで三十五年前を再現するように暴れまわり、食い止めようと立ちはだかったウルトラマンメビウスをも寄せ付けない勢いで破壊を続けた。

 それは、三十五年前に地球人の無知と恐れが生み出し、邪悪さによって増幅された、二度とあってはならない悲劇から続いた、あまりにも悲しい復讐劇だった。

 

 才人はそこまでを話すと、つらそうに息を吐き出して、立てかけてあるデルフに話しかけた。

「おれは人間ってのが、こんなひどいことをできるのかって、しばらく夜うなされたよ」

「相棒の世界も、人間ってのは大概バカなもんらしいな。三十五年前に戦ったっていうそのウルトラマンも、よくもまあそんなバカどもを助けようと思ったもんだぜ」

「……そうだな」

 才人はデルフの言葉を否定はしなかった。もし、自分がその場にいあわせたとしたら、メイツ星人を殺した人間たちを、絶対に助けようなどとは思わなかっただろう。赤の他人の自分でさえそうなのだから、その息子の憎しみは想像にあまりある。

 想像してみると、心が震える。ミシェルの両親は、利己的な人間の欲のために破滅させられた。犯人はそのとき、喜び笑っていただろう。一方で、メイツ星人と少年を虐待した人間たちも、恐れるほかに明らかに楽しんで弱者を痛めつけていたはずだ。

 考えてみるといい。自分の大切な人が、あざ笑われながら殺されたら、平然といられるだろうか。自分なら、死んでも許せないに違いない。

「でも、復讐して誰が幸せになれるっていうんだ」

 ほんの小さくつぶやいた才人は、だからこそ今でも復讐に走っているであろうミシェルのことを思うと、悲しくてたまらなくなるのだった。

 復讐をあきらめられない気持ちはわかる。それでも、そんなことより、あの人にはもっともっと似合うことがあるはずなのだから。

 教本を握り締め、無言で固まっている才人にデルフが言った。

「なあ相棒、その話さ、父親を殺されたっていうそいつのこと、最後はどうなったんだ?」

「ん? ああ……」

 才人は我に返ると、ウルトラマンメビウスとゾアムルチの戦い。そしてメイツ星人のその後のことを話そうとした。

 しかしそのとき、突然部屋のドアがノックされて鍵を開けると、そこには才人もよく見知ったつるっぱげ頭の教師が杖をついて立っていた。

「やあサイトくん、ちょっといいかな?」

「コルベール先生じゃないですか」

 思いもよらない訪問者に、才人は授業はどうしたのかと尋ねると、コルベールは今日は午前中は私の担当の授業はないのだと答えた。

「ミス・ヴァリエールのところや、食堂のほうにもいなかったのでここだと思いましてね。お邪魔でしたか?」

「いいえ、こっちも暇してたところです。なあデルフ」

「まあなあ、長雨ってのは気がめいるもんだ。ちょうどいいところに来てくれたな、先生」

「おや、なにか話し声がすると思いましたら、あなたでしたか。インテリジェンスソード、ほおこれだけ見事な刃ぶりのものは珍しい」

 コルベールは壁に立てかけられて、カチカチとつばを鳴らしている剣を珍しそうに眺めた。

「はじめましてと言っとくか。そういえば直接話したことはなかったが、相棒の背中でけっこう噂は聞いてたぜ。確か『炎蛇』って二つ名の火のメイジだっけな。そんでもって、授業中にいろいろと珍妙な機械を持ち出してくる変わり者って聞いてるよ」

「ほぉ、私もなかなか有名だね。このあいだ披露した、火と蒸気の力で動く愉快なヘビくんはぜひ君にも見せたかったな」

 剣に向かって楽しげに話すコルベールに、才人は苦笑してかるく肩をすくめた。この先生は基本いい人なのだが、この世界にしては珍しく才人たちの世界でいう機械を作ることに生きがいを感じていて、研究者気質というのか、それに没頭すると周りが見えなくなる癖がある。

「それで先生、わざわざ女子寮まで何かご用ですか?」

「おっとそうだった。サイトくん、ちょっと悪いんだが急いで手伝ってほしい仕事があってね。今、いいかな?」

「はい、ちょうど暇してたところですしいいですよ」

 コルベールなら変な仕事はもってくるまいと、才人は快く了承すると雨具を取り出して部屋を出た。

「悪いなデルフ、話はまだ今度な。ルイズが帰ったら、よろしく言っといてくれ」

 ドアがきしんだ音をして閉められ、鍵の閉められる音がカチリと鳴ると、デルフリンガーは何かを考え込むように鞘の中に納まって、そのまま静かに動かなくなった。

 

 それから数十分後、才人はコルベールが自宅にしている小屋の中でほこりに埋もれていた。

「うっ、げほっ! げほっ! 先生、こりゃいったいなんですか?」

「ん? ああ、そこにあるのは火の力を利用して自動的に動く装置の試作品、そっちのはある村に伝わっていた古代の秘薬の製造法の写しだよ」

 コルベールは粉塵にまみれて咳き込んでいる才人に得意げに説明した。

 周りには、木でできた棚に様々な色の薬品のビンやら試験管やらが雑然と並んでおり、ほかにも古びた本がぎっしりとつまった本棚や、才人からみたらわけのわからないガラクタとしか思えないものが詰まった木の箱がいくつも置いてあって、それこそ足の踏み場もない。

「先生、発明好きもけっこうですけれど、少しは部屋を整理してくださいよ」

「いやあ面目ない。男の一人やもめというのは不精になりがちでね。でも、明日までになんとかしないと、私のせっかくの研究成果が全部捨てられてしまうんだ」

 才人がコルベールから頼まれた仕事というのは、ずばり部屋の掃除であった。コルベールは一般の教師とは違って、本塔と火の塔のあいだに掘っ立て小屋を建てて、そこを自宅兼研究所としている。でも、最近異臭と騒音に続いてコルベールが夏期休暇のあいだにあちこちから集めてきたらしいガラクタでゴミ屋敷の体までなしてきたので、教師ということで大目に見てきた学院側からも、とうとう改善命令が来たのだそうだ。

「まあ、掃除はルイズので慣れてますからいいけど、この臭いは……目と鼻につくなあ」

「なあに、臭いはすぐになれる。しかし、ご婦人方には慣れるということがないらしく、このとおり私はまだ独身である」

 聞かれもしないことまでコルベールはつぶやきながら、足元の木箱の中から、これはいる、これはいらないとガラクタを振り分けていく。

「やれやれ」

 才人は嘆息したものの、普段から世話になっているコルベールの一大事であるのでと割り切って、気合を入れなおすとほこりとガラクタの山に向かっていった。

 

 そしてそれから数時間、正午を過ぎるころになってようやくと部屋の半分ほどが片付いた。

「ふぃー、疲れた」

「ご苦労様、これだけ片付ければとりあえずはいいだろう。私はこれから午後の授業の準備をせねばならんから、君も休んでいたまえ。三・四時間ほどしたら戻るから、後は一気に片付けてしまおう」

 そう言うとコルベールは雨具を着込んで外に出て行った。

 才人は、腹も減ったことだし食堂で残り物でももらおうかと考えたが、疲れてすぐに動くのがいやだったので、コルベールが使っている質素なベッドにごろりと横になった。

「十分ほど休んだら、メシを食いに、行く……か」

 そう思って目を閉じたとたん、疲れからか強烈な眠気に襲われて、才人は深い眠りに落ちていった。

 外に降る雨はなおも勢いを衰えさせず、屋根や窓ガラスに叩きつけられる雨粒は、小屋の中に規則正しい音響となって流れていく。

 

 やがて何時間か過ぎたころであろうか……ふと目を覚ました才人は、うすぼんやりした意識の中で壁にかけられた仕掛け時計の針を目の当たりにして飛び起きた。

「いっけね! 寝すぎた」

 見るとたっぷりと一時間半は過ぎてしまっている。才人は慌ててベッドから飛び降りて、雨具に手を伸ばした。しかし、扉に手をかけようとしたところで、今の時間ではもう残り物も処分されていると思い当たると、大きくため息をついて、コルベールの研究机の椅子に腰を預けた。

「失敗したなあ……」

 寝過ごしてメシを逃すとは不覚。こんなことならさっさと食べにいっておけばよかったと才人は悔やんだが、もはや後の祭りだった。

「しょうがない、せめて水っ腹でごまかすしかないか」

 やむを得ず妥協した才人は、片付けの最中に見つけたコルベールのティーセットを取り出すと、戸棚の中から茶葉を取り出してお湯を沸かし始めた。

 しばらくすると、アルコールランプで温められたやかんから湯気が漏れ始め、ティーポットにすくって入れた茶葉から緑茶とよく似たよい香りがただよってくる。

「この匂いも懐かしいな」

 ハルケギニアではお茶は高級品にはいるが、コルベールは研究のときの眠気覚ましとして利用していたらしい。勝手に飲んで悪い気もしたけれど、これくらいはお駄賃としてもいいだろう。いい具合に沸騰したやかんを火からおろし、ティーポットにお湯をつぐと、悪臭がたちこめていた小屋の中を、芳醇な香りが塗り替えていった。

「それじゃ、いただきますか」

 充分に色が出たことを確認した才人は、いよいよカップにお茶をそそごうとティーポッドを手に取った。だが、その直前に小屋の扉をトントンとノックする音が響いて、びっくりした才人は思わずティーポットを落としてしまいそうになった。

「やべっ! 先生帰ってきたか」

 盗み飲みしようとしていたのがバレると、才人は半分パニックになって、足りない頭で隠ぺい工作をしようとティーポットの隠し場所を探した。けど、相手がいつまで経っても中に入ってこないことに、ふといぶかしさを覚えて冷静に戻った。

 おかしいな、先生だったら自分の家なのだから普通に入ってくるはずだ。ならルイズか誰かか? いや、おれの知り合いにご丁寧にノックして返事が返ってくるのを待つようなのはいない。

 尋ねてくる人間に心当たりがなかったので才人が考え込んでいると、また同じようにドアがノックされたので、とりあえず才人は出てみようとドアを開けてみた。

「はい、今開けますよ」

 ドアを開けたとたんに、外から風雨が飛び込んできて入り口付近と才人のズボンのすそを濡らした。

 けれど、そこに立っていた人物を見て、才人は立ち尽くしたまま首をかしげた。

「あの……どちらさまでしょうか?」

 相手は才人と同じくらいの背格好だが、全身にボロボロのローブのような布を羽織っていて、顔はおろか服装すらまったくわからない。まるで街角で物乞いをするこじきのようだ。もちろん才人にはこじきに知り合いはいなかったので、「コルベール先生にご用事ですか?」と、できるだけ礼儀正しく尋ねた。

 しかし、相手はゆっくりと首を振ると、やがてぽつりとつぶやいた。

「サイト」

「えっ!?」

 才人が驚いたのは突然自分の名前を呼ばれたからではなかった。その相手の声が、よく聞き知っている……ここで聞けるはずのない人のものだったからだ。

「ま、まさか!」

 才人の心に、信じられないというのと同時に期待が湧いてくる。

 そして、フードをまくって現れた、短く刈りそろえた淡く青い髪と、同じ色の瞳を持つ顔を見て、才人は自分の予測が正しかったことを知って喜色を浮かべた。

「ミシェルさん!」

 はたしてそこに立っていたのは、アルビオンで別れて以来、ずっと才人が安否を気遣ってきたその人に間違いはなかった。

 だが、才人は喉の先まで出掛かっていた再会の喜びの言葉を飲み込んだ。

「どうしたんですか!? ずぶ濡れじゃないですか」

 気づいたのだ、今彼女が身につけているものは粗末なぼろだけで、雨具すら着込んでいないこと。それに……雨粒を受けて水を滴らせる彼女の顔には、アルビオンで最後に見たときの笑顔が微塵も残っていないことを。

 ミシェルは何も答えずに、ただじっと感情のこもっていない瞳で才人を見つめてくる。

「と、ともかくそんなところにいたんじゃ風邪ひいちゃいますよ。えと、とりあえず中にどうぞ」

 才人がうながすと、ミシェルは小さくうなずいて小屋の中に入ってきた。

 閉じられた扉にまた雨粒が当たり、激しく音を立てて跳ね返る。

 魔法学院に降る雨はさらに勢いを増し、嵐の様相を見せてきた。

 

 

 一方そのころ……トリステインをむしばもうとする勢力もまた、新たな一手を進めていた。

 同じく雨の降りしきるトリスタニアの街の一角にある、チェルノボーグの監獄。

 国中から、特に凶悪犯や政治犯などが集められる、この地上に現出した冥府ともいえる暗黒の牢獄の、さらに深部の死刑囚用の独房に、一人の男が拘禁されていた。

「さて……今日で、何日目になるんだっけかな」

 窓の一つもなく、一本のろうそくの灯りでかろうじてシルエットくらいはわかる、そのカビとネズミの臭いで満たされた狭苦しい牢獄の中で、手足を赤さびた鎖でつながれてその男はいた。顔は、垢と無精ひげにまみれて見る影もなく、以前の彼を知るものがこれを見たとしたら、その凋落ぶりをあざけるとともに、憎むべき裏切り者とののしっただろう。

 元トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、自分の国を裏切って薄汚い暗殺に自ら手を染め、あげくの果てに侵略者に操られた道化と成り果てた男の、これが報いだった。

 だが、眼光だけはまだ死んではおらず、その視線の行く先は牢獄の石壁を超えて、はるかに見果てぬ先を幻視していた。

「いつか……聖地へ」

 この牢獄に入れられた時点で死刑が確定しているというのに、ワルドはときたま神への祈りの言葉のように、その単語を繰り返しつぶやき、生きていることを自分自身に確認させるようにからからに乾いた唇を動かしていた。が、あるとき、ふとおかしな気配を感じて視線を流すと、そこにはいつの間にか見慣れぬ人影が立ってこちらを見下ろしていた。

「誰だ……?」

 看守ではないことはわかるが、元々部屋が薄暗く、しかも逆光になっていて相手の顔は真っ黒くしか見えない。ならばいよいよ死刑執行人がやってきたのかと身構えたら、その相手は思いもよらないことを言ってきた。

「聖地に、行きたいかね?」

「なに……!?」

 突然切り出された言葉に、思わずワルドが反応すると、相手は自分は敵ではないと示すように、両手をひらひらとして、素手であることを教えて見せた。

「ふふふ……ワルド元グリフォン隊隊長……かつてはトリステイン最高の騎士とまでうたわれた勇者が、ずいぶんとみじめになったものだな」

「自分の才覚にうぬぼれて、世界がなんでも思うとおりに動かせると錯覚した男の、これが末路さ。誰かは知らないが、なかなか面白い見世物だろう?」

 いまさら自分のかっこうを取り繕う気はないのできっぱりと言ってやったら、相手は面白かったのか乾いた笑いを漏らした。

「ふはは、おやおや思ったよりも謙虚ではないか」

「多少は、反省というものはしているのでね」

「よい心がけだ。しかし、このままでは君は明日にでも斬首だ。それではその反省とやらも役に立つまい。どうだね? 我々に協力するというのならば、その暁には聖地でも世界の果てでも行けるようにしてあげようではないか」

「ふん。いまさらレコン・キスタの再建か? 張子の虎の担ぎ手はごめんだね」

「いいや、我々の後ろ盾はレコン・キスタなどとは比較にもならん。それに、我々は革命を起こそうなどというまどろっこしいやり方はとらん。まずは手始めにアンリエッタを廃し、トリステインを我が物とする」

 ワルドは内心で嘆息した。目の前のこいつはアンリエッタに恨みを持つ不平貴族だろうが、あまりにも無謀な計画だ。出してくれるのはありがたいけれど、そんなものに加担したところで、処刑されるのが明日から三日後に変わったとしてもあまり意味はない。

「いったいあなた様はどこの大貴族さまだい? 王権に反逆するなど、アルビオンのバカどもの最期を知らないのかね」

「ふふ、あいにくと私は奴らとは違う類の立場の人間でね。今名乗ってもいいが、まだ知らないほうが、君もいろいろと興味が湧いてくるだろう」

「ちっ、もったいぶるやつだ。いったい、どのような大義名分があると?」

「大義名分? ふふ、君ともあろうものが、そんなものは後付でいくらでも作れることくらい承知していよう。この国には、アンリエッタのおかげで閑職にまわされ、腐っている貴族が大勢いる。それらが共謀すれば、生み出せない濡れ衣などないよ」

 確かにそうだとワルドは思ったが、その反面アンリエッタには、下級貴族や平民から取り立てられ、彼女に忠誠を誓った味方も数多いし、大多数の国民はアンリエッタに味方するだろう。そのため、不平貴族が共謀したところで数では圧倒的に負けている。なにより力といえばアンリエッタには、絶対的なジョーカーが存在しているのだ。

「子供の空想だな。一国を相手取るにしては戦力が足りなさ過ぎる。それに、仮にアンリエッタを捕縛なり殺害なりできたとして、『烈風』はどうする? あいつがいる限り、反乱軍は即座に皆殺しにあって、それで終わりだ」

「はっはっはっ! そう言うと思ったよ。だが、我々の後ろ盾は一国を相手取るにふさわしい強大さを持っている。それに、我々にはあの『烈風』に対抗するだけの力もある。これを聞けば君も心変わりをするだろう。教えてあげるよ」

 男は嬉々として反乱計画の概要を語り、それが進むに連れて、ワルドの顔に驚愕と歓喜の笑みが満ち満ちてきた。

「なんと、俺が投獄されているあいだにそこまで……面白い。俺の考えていたよりは世界は広かったということか」

「どうかね? 我々に協力してくれる気になったかね」

「いいだろう。このまま処刑台の露と消えるよりかは賭けてみる価値はありそうだ。お前たちに協力しよう」

 男はワルドの口から望んでいた回答を得ると、袖口から牢獄の鍵を取り出して、鉄格子の鍵を開けて牢内に立ち入ってきた。すると、これまで逆光で見えなかった男の顔がぼんやりとだが視認できるようになり、それが自分もよく知るトリステインの要人だとわかると、口元をゆがめた。

「そうか、まだあなたがこの国にはいましたね。確かにあなたなら、不平貴族を糾合し、国法を利用して王権を弾劾することができる」

「長く表に出ず、雌伏のときを送ってきたが、さすがにあのぼんくら王女もそろそろ私を排除しようと動き出したのでな。こちらに手袋を投げてくるなら迎え撃つまでというわけだ」

 ワルドは数えるのも飽きてしまったほど長い時間自由を奪ってきた鉄枷が床に落ちると、足の感覚を取り戻すかのようによろめきながら立ち上がった。

「で、私になにをしろと?」

「なに、私の首を狙ってドブネズミが這い回っていてね。無視してもよいのだがなにかと目障りだ。とりあえずは、勘を取り戻すつもりでそやつらを始末してほしいのだ」

 そういって、男はワルドに彼の杖を手渡すと、やがて牢内に雷鳴がとどろくような音が響き渡り、牢の扉が閉まった音を最後に静寂が戻った。

 後には、溶けたろうそくのように溶解した鉄枷が二つ、薄く煙を上げて残されていた。

 

 

 続く



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第14話  傷の記憶

 第14話

 傷の記憶

 

 うろこ怪獣 メモール 登場

 

 

 六千年間、ハルケギニアという土地は大きく分けて五つの国によって統治されてきた。

 アルビオン、ガリア、ロマリア、ゲルマニア、そしてトリステイン。

 始祖ブリミルの血を引く王家の治めるアルビオン、ガリア、トリステイン。

 都市国家の集合体であるゲルマニア、もっとも小国ながら始祖の教えを伝えることで宗教的に四国の上に立つロマリア。

 それらの国が様々に絡まりあうことで平和が保たれてきた。

 けれども、どんな世界のどんな国であろうと統治するのが人間である以上、その暗部でなされることには地球と比べてもなんら変わりはしない。

 ゲルマニアでは、現皇帝アルブレヒト三世が親族すべてを幽閉して皇位につき、アルビオンではレコン・キスタの内乱が集結したばかり、ガリアでも現国王ジョゼフ一世が弟を暗殺したことは公然の秘密となっている。それはむろん、トリステインも決して例外ではない。

 現在でこそ王女アンリエッタの手腕の元で権力の集約と浄化がおこなわれているが、数十年前、名君と呼ばれた前々王フィリップ三世の死後は、ひとつの暗黒時代といってよかった。たがが緩んだ中で賄賂、脅迫、裏切りが貴族のあいだで日常のようにおこなわれ、その中で大勢の人が地位や財産、あるときは命までも失ってきた。

 だが、そんな醜い争いの影で犠牲にされてきた罪のない人々を、いくら闇に葬ったとしても、彼らはそれを忘れることは決してない。

 ある日突然、父を、母を、家族を奪われた子供は、いったい誰を憎み、どうやって生きていけばいいのだろう……

 

 

 夏の終わりの冷たい雨が降るある日、コルベールの研究室の掃除を手伝っていた才人は、突然やってきたミシェルを迎えていた。

「えっと、とりあえずこれで体を拭いてください」

 才人はコルベールの荷物の中から取り出したタオルを、ずぶ濡れのミシェルに差し出した。

「ありがとう」

 受け取ったミシェルは、それを使って濡れた顔や体を拭いていった。本当は着替えるのが一番なのだろうが、あいにくこの小屋にそんなものがあるはずがないので、掃除の最中に見つけた小さなストーブに火を入れた。

「これでよしっと……それにしても、よくおれがここにいるってわかりましたね」

「正門で会った教師に尋ねたら、ここにいると聞かされた」

「ああ、コルベール先生と会ったんですか。いや、それよりもアルビオン以来ですね。お元気……」

 そこまで言いかけて、才人は自らの配慮のなさに失望を覚えた。このひどい雨の中、銃士隊の制服でもないぼろを着て、雨具もなしにやってきたミシェルがただならぬ状況にあるのは、少し考えればわかることだ。

「なにか、あったんですか?」

 尋ねると、ミシェルは才人に向かって小さくうなずいた。

 ともかく、濡れた服のままでは体に悪いので才人が毛布を手渡すと、ミシェルは羽織っていたぼろを脱いで、その下に身につけていた質素な肌着の上から毛布をまとった。そのとき、わずかに触れたミシェルの手は、まるで氷のように冷たかった。

 才人は、すぐにでも話を聞こうと思ったのをやめて、椅子を引いて彼女をテーブルにさそった。ミシェルは黙って椅子に腰掛け、才人もその小さな木製のテーブルの反対側に座ると、ついさっき自分が飲もうとしていたお茶でもてなした。

「えーっと……どうぞ、粗茶ですが」

「……」

 テーブルに二つ置かれたティーカップから、温かな香りが立ち上って鼻腔を快く刺激する。

 とはいっても、女の子を自分の部屋に招きいれたことなんかない才人は、お茶の香りなんかわからないくらいに内心どぎまぎして、心臓の音が大きく高鳴っていた。

 

 やべ……この人こんなにきれいだったっけか?

 

 間近で顔を見ると、アルビオンで彼女を背負ったときのちょっと恥ずかしい記憶が蘇ってくる。なにせ普段はコルベールが研究台として使っているテーブルなので、二人が向かい合って座ったら、軽く手を触れ合えるくらいに顔が近づいてしまうのだ。

 

”ルイズやシエスタもそうだけど……女の子って、いい匂いだよな”

 

 そんなことを考えている場合ではないのはわかっていても、男というのは悲しい生物である。第一、才人より年上といってもミシェルもまだ少女と呼んで充分な若々しさがある。おまけに、それでもうミシェルの吐息が顔にかかりでもしたら、初心な才人が我を失うには充分すぎるくらいであった。

 どうしよう、時間が経ったからお茶は苦くなってるんじゃないか? というか、お茶菓子でも出したほうがいいのか? いやそんなものないし、というよりもなんと言って話を切り出せばいいんだ? ああ、思えばルイズやキュルケやシエスタは黙っていてもあっちから好き放題しゃべるから苦労しなかったけど、こっちから話しかけるにはどうしたらいいんだろうか。

 才人は久しぶりに自分がなぜ地球にいた頃もてなかったのかを思い出した。

 でも、本当の男と女……いいや、本当の信頼というものはそんな上っ面だけのものではない。

 ミシェルは才人の淹れたお茶を無言で口に運んでいたけれど、やがて中身を飲み終わるとティーカップをおいて、口元に微笑を浮かべた。

「ありがとう。おかげで体が温まったよ」

「あっ、はい!」

 その一言で才人はようやく我に返ると、自分もお茶を飲み干した。でも慌てて飲んだせいでむせてしまい、それで笑われてしまうと、ほんの少しなごんだ空気が二人のあいだに流れた。

「よかった。てっきりしばらく会わないうちに人が変わったのかと思いましたよ」

「変わらないさ。いや、曇っていたわたしの目を覚まさせてくれたのはお前だ。もうわたしは昔のわたしに戻る気は無いよ」

 両者は顔を見合わせると、ようやくそろって微笑みを浮かべた。

「お茶、もう一杯いかがです?」

「いただこう。こんなものを飲むのも久しぶりだ」

「あの……アルビオンのあとで、アニエスさんのところに帰ったんじゃなかったんですか?」

 才人が尋ねると、ミシェルはもう一杯注がれたお茶の温かさを確かめるように答えた。

「いや、形式上私は戦死したことになっているからな。銃士隊でも私の生存を知っているのは隊長しかいない。私は、死んだことになって密かにトリステインに残ったレコン・キスタの残党や、王家に不満を持つものたちの動向を調査していた」

「それで、そんな格好を?」

「そうだ。この姿なら貴族どもは汚いものと目を逸らすからな。それに、これが私の本当の姿のようなものだ……」

 自嘲的につぶやいたミシェルに、才人は以前聞いたミシェルの過去の話を思い出すと、苦しげに首を振った。

「昔は昔、今は今でしょう。少なくとも、おれは今のミシェルさんがどんな人なのかを知ってます。格好なんか、どうだっていいでしょう」

 たとえ相手がどんな姿をしていようと、変わらない態度で接する。そうでなければ、地球人はいつまで経っても宇宙の仲間入りを果たすことはできない。かつてババルウ星人は、人間は相手を外見で判断する愚かな生き物と言ったという。才人は、正しい答えになったかはわからないが、少しでもミシェルを元気づけたかった。

「おれたちの部屋に行きましょうか? もう少し経てばルイズたちも帰ってくるし、なにか困ったことになってるんなら、キュルケやタバサも力になってくれると思いますよ」

 けれどミシェルは静かに首を横に振った。

「いい、わたしはお前に……お前だけに、会いに……会って、別れを言いに来たんだ」

「わ、別れ!?」

 思いもよらない言葉に仰天した才人に、ミシェルは事のあらましを説明した。

「ああ、我々が内偵していた不平貴族たちの一団が、今晩あたりにでも決起するとの情報がはいった。これをつぶせば、もうトリステインに王女殿下に反抗する勢力は無くなる。けれど、それだけに奴らも窮鼠と化してくるだろう。手だれのメイジや傭兵を相手に、生きて帰れる自信は無い。だから、その前に一目お前に会いたかった」

「なに言ってるんですか! だったらなおのこと、助太刀させてもらいますよ」

 テーブルを強く叩き、上半身を乗り出した才人の目には強い闘志が宿っていた。あのときと同じ、苦しんでいる人を放っておけないウルトラの誓い。でも、ミシェルはそれを受け入れることはできなかった。

「いや、これはレコン・キスタを利し、不平貴族たちを肥えさせてきたわたしがケリをつけなければいけないことなんだ。お前たちを巻き込むことはできない」

「そんなこと関係ねえよ! おれたちは、何度もいっしょに戦った仲間だろ!」

「すまない。でも決めたことなんだ……それよりも、死地に赴く前に、お前にだけは話しておきたいことがあるんだ」

「おれに、だけ?」

 不思議な顔をした才人に、ミシェルは胸に手を当てて少し照れくさそうにした。

「アルビオンで、裏切りが発覚して処刑されるわたしを、お前は……お前だけは血を流してまでかばってくれた。もう生きる価値もない、ゴミクズのようだったわたしに、生きる希望をくれた。あのときから、お前の存在はわたしにとって太陽だった」

「そんな……おれなんか、ただ自分の気に入らないことのために暴れただけです。最後に生きる決断をしたのは、ミシェルさんの勇気ですよ」

 誰かを救いたいとは思っても、自分を救世主だなどとは才人は考えたことはなかった。他者への愛は崇高でも、それに快感を覚えては他者愛は自己愛になり、醜悪なエゴイズムに転落する。

 でも、才人はミシェルに頼ってもらえたことは素直にうれしかった。ルイズがそばにいるときと同じように、胸がカァッと熱くなり、どこか幸せな気持ちになってくる。

 ミシェルは、そんな邪心の一欠けらも無い才人の照れ顔に、心の鍵を外した。

「勇気か……でも、その勇気をふるいおこしてくれたのもサイトだよ。お前は遠い国から来たそうだが、お前の国の人はみんなそんなに優しいのかな?」

 才人は軽く首を横に振った。

「おれの国にだって、いい奴も悪い奴もいますよ。ただおれは、小さいころから何度も世界を救ってくれたウルトラマンたちにあこがれて、あんなふうに人を助けられるヒーローになりたいなと思ってきただけです」

「ヒーローか……わたしにとってそれはまさしくお前だったよ。闇に沈んでいっていたわたしを引きずりあげてくれた……サイト、わたしにとってお前こそがウルトラマンだよ」

 ミシェルはそう言うと、手を伸ばして才人の手を両手のひらで包み込んだ。すると、手のひらを通じて才人の体温が冷え切っていたミシェルに伝わっていく。

「サイトの手はあったかいな……」

「えっ! あっ、え!」

 こんなときにどう反応すればいいのかわからない才人は、無様にうろたえるしかなかった。

 でも、二人っきりで心の扉を開いて、はじめて会ったときとは比べ物にならないくらい穏やかな笑みを浮かべられるようなったミシェルは、この上なく優しく才人に語り掛けた。

「自覚がないなら何度でも言うぞ。サイトは、わたしにとって本物のヒーローだよ。こうして、わたしの手のひらを暖めてくれるように、サイトはわたしの心に火を灯してくれた。だから、もっと誇りを持て、お前は本物の……ウルトラマンだよ」

「ミシェルさん……」

 才人の心にとまどいに代わって、じんわりとした温かさが染み入ってきた。

 そうか、おれはこれまでウルトラマンAの力を借りてみんなを守ってきたつもりだったけど、ちょっとだけ……ウルトラ兄弟と同じことができていたのか。

 才人は、ミシェルにとって自分が特別な存在であることを自覚したのと、少しだけ夢がかなった思いで、ささやかな幸福感をミシェルと共有した。

 けれど、才人の笑顔に小さな勇気をもらったミシェルは、才人の手を離すと目を閉じて、ゆっくりと……静かに言葉をつむぎはじめた。

「なあ、サイト……わたしが昔、貴族だったということを覚えているか?」

「はい。確か、十年前に」

「ああ、そうだ……十年前、あのころのわたしは十を少し超えただけの、子供だったな……」

 とつとつと告白をはじめたミシェルの話を、才人はじっと黙って聞いた。

 

 十年前、それまでは法務院の参事官だった父のもとで、何不自由なくすごしていた。けれど突然父に身に覚えのない罪が着せられ、地位は剥奪されて財産も失い、両親は失意の中で自ら命を絶ち、あとには一人自分だけが残された。

「ここまでは、前にも話したな」

「はい」

「その後はひどかった。屋敷から追い出され、自分の杖まで奪われて、魔法も使えなくなったわたしは、国中をさまよった……人のものを盗み、ものごいをし、ゴミをあさったり……生きるためにはなんでもやったさ」

「……」

 才人は何も言うことはできなかった。それを体験したこともない者の慰めやはげましが、なんの効果もないことぐらいは知っていたからだ。

「でも、子供がいつまでも一人でそんなことで生きていけるはずもない。やがて官憲に捕まって牢獄に入れられることになった。いや、牢屋の中で出た食事のほうが、ゴミの中のパンよりもうまくて、情けなくて涙がでたのを覚えているよ」

 才人は聞きながら、できる限りの想像力を動因してその情景を思い浮かべようとした。腐肉をあさる野良犬のような生活、町の人からは石を打たれて追われ、夜は物陰で一人震えて眠る……自分なら、一週間も耐えられそうもない。

「でも、牢屋に入れられたってことは、そこで働かされるようになったということじゃないんですか?」

 日本の刑務所をイメージして才人は尋ねた。だが、ミシェルは首を横に振ると、さっきよりもさらに苦しそうな様子で話を続けた。

「いや、わたしにとって本当の地獄はそこからだった……知っているかサイト? 牢獄というところは、いつなんどき囚人が死のうと事故や自殺で片付けられる。それを利用して、その監獄の署長はある商売をしていたんだ」

「商売?」

 なんのことかわからないと怪訝に問い返す才人に、ミシェルは皮肉な笑いを浮かべて答えた。

 

「奴隷売買だよ」

 

 その瞬間、才人の体温は零下にまで下がった。「えっ?」と、聞き返そうとした言葉も凍りついた喉から発せられることはない。

 奴隷……現代日本ではすでに絶滅したはずの、忌まわしすぎる単語。才人は何度も聞き間違いではないかと、自分の耳を疑って記憶を推敲するが、ミシェルは愕然としている才人へ追い討ちをかけるように、小さな唇を動かしていく。

「いまから七、八年ほど前……勢力を伸ばしつつあったガリアの人攫いたちは、この国の役人と結託して人身売買をやっていたんだ。それでわたしも売られ、トリステインのある豪商のもとで働かされることになった……」

 それから先の告白は、才人にとって何度耳を塞ごうかと思ったほどの壮絶な告白だった。

「子供の奴隷は大人と違って、安くて言うことを聞かせやすいから、そこではわたし以外にも大勢の子供が働かされていた……そこは、いわゆる金貸しだったのだが、借金のかたに取り立てられてきた荷物を運ぶために昼夜を問わず駆り出される日々……できないものや失敗したものは容赦なく殴られ、食事もわずかなパンとスープしか与えられず、みんなやせ衰えていた」

「……」

「当然、脱走するものもいたけれど、弱った体で、しかも子供の足で逃げ切れるはずもなく、みんな捕まった。それで、奴らはほかの子供たちが逃げようなんて気を起こさないよう見せしめとして皆の前で拷問にかけるんだ。生爪をはがしたり、焼けた鉄棒を押し付けたり、手足をしばって犬をけしかけたり。それで死んだものも大勢いる」

「ひどい……ひどすぎる」

「朝起きたら、隣で眠っていた子が冷たくなっていたこともある。いっしょに働いていた子が、突然倒れて血を吐いて、そのまま死んだことも何度もあった。そのたびに、やつらはゴミを扱うようにつまんで捨てると、また子供を買ってきて働かせるんだ」

「狂ってる! 人間のやることじゃねえ!」

 怒り、怒りしかありはしなかった。人間は欲のためにそこまで残酷になれるのか、そしてなぜそんなクズのために、なんの罪もない子供たちが犠牲にならねばならないのか。身を焼くような憤怒の中で、才人は歯を食いしばった。

 過去の世界を闇から引き出すように、ミシェルの独白は続く。

「そんななかで、わたしは生き残った。生きていたのかどうかわからない毎日だったが、体だけは生きていた……けど、わたしが十六歳のころ、店に運ばれてきた荷物の中に、偶然わたしの屋敷で使われていた家具や美術品が混ざっていたんだ」

 当然、自分は必死になってその荷物をあさったとミシェルは言った。ただ懐かしさにとりつかれたから……だけではない。そこに、もしかしたらあるかもしれないと思ったからだ、貴族だったころの自分を象徴していたもの、魔法の杖が。

「結果をいえば、あったよ。荷物の底に紛れるようにしてな。そのままだと、間違いなくゴミとみなされて処分されていただろう。わたしはこっそりと、懐に隠して持ち帰り、記憶を頼りにして魔法を試した」

「それで……?」

「できたよ。時間は経っても、わたしの杖はわたしの杖のままだった。でも、魔法が使えたとしても、当時のわたしはドットに過ぎず、逃げ出したとしても生きていく術などはなかった……でも、それからしばらくしてのことだった……」

 そこまで語ると、ミシェルは口をつぐんで、テーブルの上でうつむいてしまった。

 才人は口を閉ざしたミシェルの顔をじっと眺めていた。こんな顔は自分もしたことがある。例えて言えば、小学校のころにクラスメイトにいじわるをされたことを両親にうったえようとしたときか……あのとき、言うべきかどうか迷っていた自分を、両親は決意がつくまでじっと待っていてくれた。だから才人もせかしてはいけないと思い、黙ってミシェルのティーカップにお茶を注いで、自分もじっと押し黙って待った。

 それから、時間にすれば多くて数分だろうけど、二人にとっては数時間に匹敵した沈黙が流れた後で、ミシェルはティーカップを掴むと、すっかりぬるくなってしまっていたお茶をぐっと飲み干した。

 どうしようか……ミシェルはこのとき、才人に続きを話そうかと迷っていた。心を許していても、これから先の話を語るのは、身を切るような苦しみがともなうだろう。

 だから、ミシェルは最後に才人の気持ちを確かめることにした。

「サイト……頼みがあるんだ」

「なんです? おれにできることなら、なんでも言ってください」

 才人はにっこりと笑って答えた。そこに一切の他意はなく、ミシェルは才人のそんな純粋な優しさを感じ取って、最後の決意を固めて立ち上がった。

「ミシェルさん?」

 突然自分の横に立ったミシェルを、才人ははっとして見上げた。そして、差し伸べられた手を握って立ち上がると、まっすぐに目と目を合わせて見つめあった。

「これから先のことは、隊長にも、誰にも話したことはない。お前がはじめてだ……おぞましい、吐き気がするような……それでも聞いてくれるか?」

「はい」

 強く、一点の曇りもない返事を才人は返した。

「ありがとう……なら、これから見せるものを、決して目を逸らさずに見てほしい。わたしの、本当の姿を……」

「え……?」

 ミシェルは、怪訝な表情をした才人から離れると、後ろ向きに一歩、二歩と歩いて立ち止まった。

 マントのように羽織っていた毛布がスルリと床に落ち、灰色の粗末な肌着を肩からまとっただけの肢体があらわになる。

「えっ!? ちょっ」

 才人はとまどい、つばを飲み込んで見入ってしまった。ルイズの着替えは手伝うし、キュルケに下着姿で迫られたこともあるけれど、彼女たちとはまた別に、薄布一枚に包まれただけのミシェルの体は贅肉の欠片もなく、かといって筋肉で固まっているというわけでもなく、女神像のような崇高さを漂わせていた。

 しかし、恥らうように才人に背を向け、肌着の肩紐に手をかけたとき、ミシェルは目をつぶり、強く歯を食いしばった。

「見てくれ……これが、わたしだ」

 そして、最後に残った薄布が床に落とされ、一糸まとわぬ姿となったミシェルの裸体がさらされたとき、才人は息を呑んで目を見開き……言葉にならないうめきをもらした。

「あ……な……」

 それは、才人の想像したようなものではなかった。

 薄明かりの中で、ぼんやりと浮かび上がったミシェルの後姿はシルエットだけで見れば、均整のとれた芸術品のようなプロポーションを持っていた。

 しかし、灯りに照らし出された背中……本来なら、純白のキャンバスのように彩られているはずのそこは、到底数えきるなどはできないほどの傷跡で、ズタズタに埋め尽くされていたのだ。

「う……その、傷は……」

 あまりのむごたらしさに、才人は思わず口を覆い、額に大粒の汗を浮かばせた。

 それまで肌着で覆い隠されていたが、ミシェルの肩から臀部にまでいたる無数の傷跡は、銃士隊の訓練や戦闘による負傷などでは絶対になかった。才人もハルケギニアで何度も剣をとって戦ったからわかる。ほとんどの傷は刃物による裂傷や刺し傷ではなく、ひも状のもので強く殴られたことによるみみずばれの痕……つまり。

「鞭の傷……?」

 自分にもルイズに乗馬鞭で叩かれた傷跡があるのですぐわかった。しかし、ミシェルの背に刻まれたそれは、深さや大きさが才人のものよりはるかに大きい。

 ミシェルは、才人の言葉にこくりとうなづくと、背を向けたまま苦しそうにしゃべりはじめた。

「これが……わたしが生き残った代償さ……実はな、奴隷になってから数ヶ月経ってから後のことは、あまりよく覚えていないんだ。考えるのをやめて……人形にならなければあの地獄では生きていけなかった」

 才人は歯軋りした。心を殺さなければ生きていけないほどの地獄……それがどれほどのものだったのか、想像の及ぶ余地などなかった。

「でも、今でもときどきふっと思い出すんだ。背中を炎で焼かれているような痛みを、わたしを怒鳴って、嬉々として鞭を振り下ろす男たちの顔を……はは、はははは」

「……」

「だが、そんな地獄のある日……仕事を終えて奴隷小屋に戻ろうとしていたわたしを、その商家の息子が呼び止めた。自分の部屋に来い、そう言われたらしいが、疲れきっていたわたしはそのままふらふらと、言われるままについていった。そこに……なにが待っているかなんて想像もせずにな」

「え……」

「ふふふ、男が女を部屋に連れ込む。だったらすることはわかるだろう? なあ!」

「ミシェルさん?」

 突然ミシェルの声が抑揚を失ったことに、才人は背筋に冷たいものを感じた。

「ひひひ、その息子も例に漏れない下種野郎だったよ。部屋に入るなり、わたしの手を掴んでベッドに押し倒したんだ! あははは」

「ミシェルさん! どうしちゃったんですか!?」

「ああ、あのときのことは今でも夢に見るよ。なんでも、いつのまにか十六歳になっていたわたしのことを、前々から狙っていたらしい。ひっひ、笑っちゃうだろ。脂ぎった顔を上から近づけて、よだれを垂らして笑うのさ」

「ミシェルさん! ミシェルさんってば!」

 慌てた才人が駆け寄り、肩をつかんで激しく揺さぶってもミシェルはいっこうに反応する様子を見せない。才人は気づいた。このときの記憶は、ミシェルにとっても心の中に固く封印されていた、開けてはならないパンドラの箱だったのだと。

「もちろんわたしは暴れたよ。でも、やせ衰えて疲れきった体じゃかなわない……奴隷の服を破り捨てられて、さんざん殴りまわされたあげくに奴は言ったのさ。「奴隷のくせに主人に歯向かうな、お前はモノなんだ。いくらでも代わりがきくんだから、せいぜい壊れる前にボクを楽しませろ」ってな!」

「もういい……もうやめてください」

 狂ったようにわめき散らすミシェルのあまりの痛々しさに、才人はとうとう耐えられなくなった。しかし、才人の必死の呼びかけも、今のミシェルには届かない。

「あはは……そのとき、わたしの中の何かが壊れた……隠し持っていた杖を取り出して……あとは、あとは」

「言うなーっ!」

「……気がついたら、わたしは血の海の中に一人で立っていた……馬鹿息子はもう形も残ってなくて、周りにはわたしを苦しめてきた男たちの死骸も転がってた。それからわたしは、奴隷の仲間たちのところに帰って行ったんだけど、あの子たちは、全身に血を浴びた、裸のわたしを見て言ったのさ……化け物ってね!」

 あとはもう、壊れた楽器のようなけたたましい音がミシェルの喉から流れ続けた。

 才人はどうすることもできずに、ただ自分の無力を歯を食いしばって嘆いていた。だが、突然ミシェルは笑うのをやめると、才人に向かって大きく手を広げて、自分の裸身を正面から見せつけた。

「なあサイト、見てくれよ。わたしの体はどこもかしこも傷だらけさ。あのごみための中で、ボロボロに汚されきってしまって、おまけに血を浴びたにおいも全身に染み付いてる。わたしは、お前の考えてるような女じゃない……こんな醜い女なんていないだろ?」

 それが、ミシェルの心を今でも縛っている錆付いた鎖だと才人は知った。

 ミシェルの全身には、普通の女の子ならば大切に守られていなければならない乳房からへその周り、太ももにまで傷がまだらのように刻まれている。だが、それにも増して深い傷、奴隷だったころの記憶が亡霊のように彼女を苦しめている。

 だから、才人はこぶしを握り締めた。彼女の苦しみに気づいてやれなかった無力な自分、何の罪もない少女にこうまで残酷な運命を押し付けた世の中と悪党ども、そして……過去の鎖に縛られて未来に手を伸ばせないで、必死で助けを求めに来たミシェルに向けて、ありったけの怒りを込めてこぶしを振り下ろした。

 

「この、バカ野郎ーっ!」

 

 才人のパンチはミシェルの顔面をとらえ、大きくはじけた音を部屋に響かせた。むろん、才人の腕力程度では鍛えぬいたミシェルには通じないけれど、才人の気迫はミシェルをよろめかせ、床の上に崩れ落ちさせた。

「誰が、ミシェルさんを醜いって言った! 誰がミシェルさんをバカにした!? そんな傷が何百何千あったって、ミシェルさんが別の何かになったりはしない! もしそんなことを言う奴がいたら、おれは絶対にゆるさねえ。たとえ、ミシェルさん自身だったとしてもな!」

 痛むこぶしを握り締めながら、才人は思いのすべてをぶっつけた。そうして、魂のすべてを叩きつけるしか、できなかった。この人は、もう一生分の不幸を使い果たしている。過去に囚われていてはいけない。未来に幸せを見つけなければいけないんだ。

 ミシェルは、床に腰をついて、殴られたほおを抑えながらぼんやりと才人の顔を見上げていたが、やがて相貌を崩すと、大粒の涙と大きな声をあげて泣き始めた。

「うっ、うわぁあん! あああっ!」

 うずくまって、幼児のようにミシェルは泣いた。過去のすべてを、自分の中の闇を全部涙に変えて流してしまいたいかのように泣いた。彼女にとって、一番恐ろしかったのは自分の隠してきた姿を知られて、才人に嫌われてしまうことだったのだ。たった一人、闇の中に手を差し伸べてくれた才人がいなくなったら、また一人ぼっちになってしまう。

 でも、そんな心配は無用だった。才人は、確かに力も技も、人格もなにもかも未熟な少年である。けれど、たった一つ、どんなことがあろうとも苦しんでいる人を見捨てることはできないという、ウルトラ兄弟が地球に残していった心の遺産を受け継いでいる、ミシェルが願っていたとおりの、本当のヒーローだったからだ。

 泣きじゃくるミシェルを、才人は今度は守るように優しく抱きしめた。生まれたままの姿のミシェルの体は、まるで蝋人形のように冷たく、手を離したら、そのまま崩れ落ちてしまいそうにもろく才人は感じた。

「あなたにどんな過去があろうと、おれはあなたを卑下したりしない。あなたを傷つける奴がいたら、おれがぶっとばす。だからもう、自分で自分を傷つけるのはやめてください」

「ぐっ……ひぐっ……ほ、本当にいいのか? こんな、血と泥に汚れきった奴隷のわたしを、サイトは……」

「ミシェルさん、血で汚れてるんだったらおれも似たようなものですよ。でもね、血で汚れたものを、唯一きれいにできるものがあるとしたら、それは涙だとおれは思います。悲しい過去に苦しむのに、おれに真実を打ち明けてくれたのは、おれを信じてくれたからでしょう? 人を信じる。こんな貴いことができる人の流した涙が、血の汚れなんかに負けることは絶対にないですよ」

「サイト……」

「もうあなたは鎖につながれた奴隷なんかじゃない。今度は、おれが言いますよ。自覚がないなら何度でも、ね。ミシェルさんはきれいです。誰よりも、おれが保障します」

「サイト……ありがとう……ありがとう」

 ミシェルは才人の首に手を回すと、ぎゅっと抱きしめた。才人もそれに応えて、ミシェルの背中を強く抱きしめる。すると、ミシェルの瞳からまた涙がぽろぽろとこぼれだした。でも、今度のそれは悲しみの涙ではない。喜びの、安堵の、感謝の、愛の涙だった。

「サイト……お前に会えて、本当によかった」

「おれも、あなたに会えてよかった」

 それは、ミシェルの心を長年に渡って縛りつけ、苦しめてきた鎖がついに朽ち果てて切れた瞬間だった。

 やがて、才人の体温が移って温まってきたミシェルから、ほのかな甘い香りが漂ってきて、才人は顔を赤らめた。冷静になると、今生まれたままの姿のミシェルが腕の中にいるとわかると心音が高鳴ってくる。

 同時にミシェルも、才人の温かさをさえぎるもののない全身で受け止めると、今度はそれを才人に返したくなって、才人の腕の中から離れると、決心したように言った。

「なあサイト……アルビオンでの夜で、トリステインに帰ったらキスの続きをしようって言ったのを覚えているか? これが最後になるかもしれないなら……わたしの、わたしの初めて、もらってくれるか?」

 ミシェルは才人の手を取ると、自分の胸元へといざなった。才人は、一瞬衝動にかられたが、腹に力を込めて手を引っ込めると、ゆっくりと首を横に振った。

「いや、遠慮しておきます」

「どうして? わたしは、わたしじゃあ駄目なのか!?」

「違います。そんな、現実から逃げるような理由で、ミシェルさんの大切なものをもらうわけにはいきません。それに……おれはルイズが好きだ。あいつを裏切るようなことはできない」

 ミシェルは悲しそうな顔を浮かべ、しばらくするとやや寂しげな笑みを浮かべた。

「お前は、本当に優しいな。ミス・ヴァリエールよりも早く、お前に会いたかった」

「すみません」

「謝ることはないさ。わたしは、お前のそんなところに救われたのだから。でも、大好きだよサイト……この世の中の誰よりも、お前が、一番」

 切ない声で思いを告白したミシェルの思いに、才人は応える術をもたなかった。だから、せめて最後にと二人はどちらからともなく唇を重ねあい、離れた。

「サイト……ありがとう」

 ミシェルは穏やかに笑うと服を身につけ、才人と並んでベッドに腰掛けた。

 そして、過去の出来事の最後を語った。

「あのあと、屋敷を逃げ出したわたしは、裏町を転々としながら魔法で脅したり、奪ったりしてなんとか生き延びた。しかし、やがて衛士の手が伸びてわたしは捕らえられ、主人殺しのとがで牢獄に入れられた」

 ミシェルの口調は今度はしっかりとしていて、才人はじっと黙って聞いていた。

「あとは裁判を受けて……といっても、主人殺しは死刑に決まっているから裁判など形だけのものだ。だが、そのとき裁判長だったのが、高等法院長のリッシュモンで、奴はわたしの素性を知ると助命を申し出てきたのさ」

 それから先のミシェルの話し方は、まるで吐き捨てるかのようだった。

「当然、わたしは喜んださ。はじめて父の無実を信じてくれる人に巡り合えたのだからな。そしてわたしは奴に引き取られた。温かい食事も、普通の人間が着るものも、風雨にさらされずに眠れる場所も与えられてわたしは有頂天だった。そして奴は言ったのさ。「今この国は腐っている。君の父上の無実も、君が奴隷に落ちたのも、全部国が悪いからだ。実は私は有識ある人々と国境を超えて手を組んで、腐った王政を打倒する組織に組している。どうかね? 共にご両親の仇を討ってみないかね」とな!」

 才人は、激昂するミシェルの手をぐっと握り締めた。

「……もちろん、わたしは一も二もなく喜んで従ったさ。体と魔法を鍛え、学を身につけて、騎士としてアニエス隊長にとりいった……あとは、知ってのとおりさ。だが、今にして思えばはじめからわたしを道具にするつもりだったのだろう。それに、あとから知ったことだが、お前が以前に銃士隊に報告してつぶさせた人身売買組織の元締めもリッシュモンだった! わたしから家族を奪い、わたしの人生をめちゃめちゃにしたのは、誰でもないリッシュモンだったのだ!」

 怒りと、悔しさからミシェルはベッドにこぶしをつきたてた。

 なにも知らないうちに道具にされ、操り人形にされ、自分にとって本当に大切なものを奪う手助けをさせられそうになっていたのだ。

 

 才人は、ミシェルの境遇を聞いて、地球で過去に起こったある事件を思い出した。

 それはドキュメントZATに記載されている。あまりに悲しい出来事。

 

 今を去ること五十数年前、地球から一人の幼い少女が姿を消した。

 けれど数十年のときが流れたある日、その少女は幼馴染であった宇宙科学警備隊ZATの北島隊員の元に成長した姿を現した。

 北島隊員とその少女・マリは短い時間だが幸せなときを過ごした。

 しかし……実は、マリは地球侵略を狙う惑星帝国ドルズ星の凶悪宇宙人ドルズ星人によって拉致され、ZAT基地を破壊するための尖兵として改造されていたのだった。

 北島隊員にとりいってZAT本部へ侵入を試みようとするマリ。だが本部の厳しい警備の規則に阻まれて入場を拒否されても、信じようとしてくれる北島隊員やZAT隊員たちの優しさに触れて、すんでのところで我に返ることができた。

 だが、ドルズ星人の埋め込んだタイムスイッチは容赦なく、彼女を醜いうろこ怪獣メモールへと変えてしまう。

 火炎を吐き、暴れまわるメモールはもう以前のマリではなくなっていた。

 立ち向かうZAT隊員たちや、ウルトラマンタロウ。

 メモールは火炎や長い尻尾、吸盤状の右腕から放つ赤い煙幕を使ってタロウと五分の戦いを繰り広げる。対してタロウもアロー光線で隙を作り、反撃に転じて形勢を有利に展開するものの、必殺のストリウム光線を撃つことはできなかった。

 なんの罪も無い少女を、侵略のための生物兵器に変えてしまうとは、戦いながらタロウは卑劣なドルズ星人に怒りを感じたが、憎きドルズ星人はM88星雲の星に隠れて、決して自分は姿を見せることはない。メモールを元の姿に戻してやることはできず、かといって殺してしまうこともできない。やるせない思いを抱きながら、ただただ宇宙のかなたに送り出してやるしか、タロウにもしてやれることはなかった。

 それは、数ある怪獣事件のなかでも、どうしようもなく救われなかった悲劇として記憶されている……

 

「似てるといえば、似すぎてる……」

 才人はミシェルに聞こえないようにぽつりとつぶやいた。何の罪も無い人間を道具にし、自分は決して手を汚さない奴は、悪党の中でも最低の部類に入る。ミシェルも、真実に気がつくのが遅れていたら、メモールのように使い捨ての道具として終わっていたかもしれない。

 でも、まだ間に合う。そんなクズのいいようにさせてはならない。メモールの悲劇を繰り返してはならないと、才人は強く決意した。

「どうしても、復讐はするんですか?」

「ああ、恨みや憎しみだけじゃない。わたしや、なんの罪もなく死んでいった奴隷の子供たちのような存在がこれ以上生まれないためにも、あの男だけは始末しなければならないんだ」

 復讐はなにも生まない。才人はそう思ったけれど、顔も見たこともないリッシュモンという男に、自分でさえ激しい怒りを覚えるのを思えば、きれいごとを言う気にはならなかった。

 それに、奴隷貿易の元締めであるリッシュモンと一味を倒せば、その機に乗じてトリステインから奴隷制を一掃できるかもしれない。奴隷……人が人を物として扱う、これほどおぞましいことはない。だが、才人の故郷である日本だって、太平洋戦争時くらいまでは貧しい農村が娘を女郎に出す人身売買が横行していた。また、つい近代になるまでアメリカが黒人奴隷を使っていて、そのときの差別が今でも強く尾を引いているのは誰もが知っている。決して、ハルケギニアが、トリステインが特別なわけではないのだ。

 しかし、そのためにミシェルが命を落としてはなんにもならない。だからこそ、才人はウルトラマンA、北斗星司の記憶も借りて、ひとつの昔話を静かに語りだした。

「昔、おれの国でも超獣に父親を殺された少年がいたんです」

 そして、二人はしばらくのあいだ穏やかに語り合い、やがてトリスタニアに戻らねばならない時間がやってきた。

「じゃあサイト、わたしは行くよ」

「わかりました。アニエスさんによろしく」

 くどくどしい別れの言葉はなく、ミシェルは着てきたぼろに才人から借りた雨具をかぶせて、なお強く降り続く雨の中に消えていった。

 

 

 才人は、小屋の軒下からしばらくミシェルの去っていった方角を見つめ続けた。

 だが、閉じたドアに寄りかかって物思いにふけっているところに、横合いから声をかけられて振り向くと、そこには桃色の髪の少女が立っていた。

「ルイズ……いたのか」

「ええ」

 才人はルイズの声色で、ここでなにがあったのかルイズは知っていることを悟った。

「どこから見てた?」

「さあ、想像にまかせるわ」

「そうかい……」

「言い訳はしないのね」

「ああ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 二人だけで会っていたことは事実なのだから、どう言おうと無駄だ。それに、たとえ相手がルイズでも、ミシェルの過去の秘密は絶対に言えない。

 でも、ルイズは表情を変えずに、鞭も杖も取り出すことはなかった。

「怒らないわよ。あんたの性格くらい知ってるわ。言い訳しないってことは、あんたは自分のやったことや言ったことに、なんの負い目も感じてない。後ろめたいことがないからでしょう。なら、わたしが怒るのはお門違いってもんだわ」

「へぇ、こりゃ雪でも降るかな」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。さぁ夕食にいくわよ。ミスタ・コルベールも、この雨で退去期間が伸びたから、片付けの続きは明日でいいそうだからね」

 けれど才人はルイズの言葉には従わず、雨具をとるとルイズに背を向けた。

「わりいけど、晩飯と明日の朝飯はいらないってシエスタに言っておいてくれ。ちょっと野暮用ができた」

「どこへ行く気?」

「世間一般で言うところの、大きなお世話ってやつかな」

 才人の言葉が何を意味しているのか知ったルイズは、軽くため息をつくと止めても無駄だと思った。

 授業が終わって寮に戻ってみたら、才人がいなかったのでデルフリンガーに行き先を聞いてみて来たのだが……まったく、こいつはどこまでも優しすぎる。ほうっておくと、すぐに別の誰かのところに行ってしまう。

 でも、そんな才人だからこそ、ルイズは誇らしさで胸が熱くなるのを感じていた。

 

 

 続く



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第15話  悪夢との決闘

 第15話

 悪夢との決闘

 

 異形進化怪獣 エボリュウ 登場!

 

 

 豪雨の降りしきる闇夜のトリスタニアで、戦いは始まった。

 夢よもう一度と、国家転覆を企てる不平貴族の一団による反抗を阻止しようとする王軍は、アニエス率いる銃士隊を中心にして一斉摘発に乗り出したのだ。

「王家直属銃士隊である。リグヨン子爵、国家反逆の容疑で逮捕します」

 次々と有無を言わさず屋敷に突入して、隊士たちは次々と反逆計画に加担した貴族たちを捕獲していった。

 けれど、貴族たちは皆メイジであり、さらに反逆計画に備えて傭兵を従えていたものも大勢いたために、おめおめと捕縛されようとはしなかった。

「おのれ小ざかしい平民どもめ、貴族の力を見るがいい」

 屋敷の中で銃士隊と貴族、傭兵の戦いが繰り広げられる。だが、銃士隊は平民のみの部隊であるとはいえ、全員が対メイジの訓練を受けてきた猛者ばかりである。集団になっての屋内戦はお手の物であり、反抗した貴族たちは無情に切り伏せられていった。

 

 しかし、子ネズミをいくら退治したところで、丸々太った親ネズミを放置しておいたら子ネズミはいずれまた増殖してくる。不平貴族たちを束ねる大物、それを捕らえるか倒す、そうでなければ、トリステインは白蟻に蝕まれた木のようになってしまうであろう。

 アンリエッタ王女は、街を見下ろせる王宮の窓から、貴族の邸宅が集まる高級住宅街を見下ろして、貴族の邸宅のいくつかから火の手が上がったのを見ると、緊張してつぶやいた。

「はじまりましたわね」

「御意に」

 答えたのは、現在王女と王宮の護衛のすべてを一任されているマンティコア隊の隊長、ド・ゼッサール卿である。竜騎士隊や、トリステインの誇る三つの魔法騎士隊のうちのヒポグリフ隊がいまだ再建途上、グリフォン隊が隊長謀反で信頼を落とし、戦力はあるが新隊長がまだ部隊を統率しきれていない今では、マンティコア隊はまだ全盛期の半分程度の戦力だが、唯一統率のとれた優秀な部隊だ。

「作戦が完了するまで、殿下の身に不逞なやからが近づかぬよう、我ら一同身命に代えましてもお守りいたしますので、どうかご安心を」

「『烈風』カリン殿の愛弟子の貴方、信頼していますよ」

 今、トリスタニアに『烈風』はいない。いたら警戒させてしまって、地に潜られたらやっかいだからだ。少数のマンティコア隊と、平民のみの銃士隊なら敵も油断するだろうというのが、アンリエッタの目算であった。

「ご信頼にお応えできますよう、全力を尽くします。しかし、あの銃士隊というものの実力はたいしたものでありますな。正直わたくしも、平民の女のみということで、なにができるものかと思っていましたが……あの勇猛さ、戦えば私でも危ないかもしれません」

 ゼッサールは、遠見の鏡で見えてくる銃士隊の奮戦に、嫉妬や世辞のない率直な感想を述べた。

 銃士隊は、武器は剣やマスケット銃しかなく、確かに一対一で戦えばメイジに及ばない。けれど、それが二対一、三対一となれば連携と虚を突く素早さで、戦いなれていない貴族や油断した傭兵メイジなど物の数ではない強さを発揮できるのだ。

 眼下で燃えている屋敷は、火のメイジが炎を放ったのか。それとも照明の火が引火したのかは定かではない。だが、遠見の魔法で見たら、屋敷から出てくるのがおおむね貴族を捕縛した銃士隊員ばかりであることに、アンリエッタはほっと胸をなでおろした。

「子ネズミの一掃は、とどこおりなく進んでいるようですわね。ゼッサール卿、火災が広がらないように、ただちに消火の手配を」

「はっ、ただちに」

 ゼッサールはアンリエッタの命令を伝令するためにいったん室外に出て行った。それと入れ替わりに、アニエスが入室してきて、ひざをついて一礼した。

「反乱分子の捕縛は、ほぼ予定通りに進行中です。こちらの被害は軽微です」

「よくやってくれました。彼らの裁判は、後日あらためておこないましょう」

 アンリエッタの声に喜びはなかった。反乱を計画した貴族は、国家反逆罪で死刑はまず確定といっても、彼らにも家族はあるのだ。一族郎党皆殺しという残虐行為に手を染める気はなくても、彼らの恨みは残る。それらとの戦いを考えて憂鬱にならぬほど、アンリエッタは大人ではなかった。

 しかし、そういった情念を捨てなければならない巨悪も、またこの国にいるのだ。

「あとは、彼を捕縛するだけですわね」

「はっ、リッシュモン高等法院長……」

 その名が語られたとき、二人の顔に苦いものが伝った。

 この国の司法をつかさどる機関である高等法院。そこは主に貴族同士の揉め事を法と神の名の下に解決する、いわゆる裁判所としての役割を持つ。また、その他にも劇場でおこなわれる歌劇や文学作品などの検閲、平民たちの生活をまかなう市場の取締りなど、幅広い職権を有している。その権限の強さは、政策をめぐってしばしば行政をになう王政府と対立するほどであった。

 だが、強い権力には得てして悪意がつきやすいものである。リッシュモンもその例に漏れずに、自らの権力をもてあそび、さらに貪欲に強化しようとして数え切れない人間を泣かせてきた。

「わたくしは、幼いころから彼にはずいぶん可愛がってもらいましたが、あれは出世のための嘘の笑顔でしたのね」

「私の故郷、ダングルテールも奴の差し金で焼かれました」

「……彼をそこまで駆り立てる欲とはいったいなんなのでしょう? 国を売り、人を騙し、奪い、殺し、悲しませ……およそ人間としてあるべきものを全て捨ててまで、お金というものに魅力があるのか、わたくしには理解できません」

「私も、理解したくもありません」

 二人とも、リッシュモンのためにこれまで失ってきたものは大きかった。アニエスは故郷と人生を、アンリエッタは過去の思い出と愛した国に住まう大勢の善良な人々を。

 だが、これ以上奴の思い通りにいかせるわけにはいかない。罪人には、罪に合った罰を突きつけてやらねばならないのだ。

 アニエスは、アンリエッタも自分と同じ思いだと確信すると、立ち上がって一礼した。

「では、私は最後の始末に向かいます。彼の生死は、私に一任されてよろしいですね?」

「ええ、国の品位と権威を守るべき高等法院長が逮捕となれば、あとの始末が大変でしょう。不慮の事故ということにしておきなさい」

「御意」

 冷酷だが正しく、そしてありがたい命令だとアニエスは思った。アンリエッタはアニエスの過去については一言も触れなかったが、復讐の機会をくれたのだ。

 

 戻ってきたゼッサールと入れ替わりに、アニエスは室外に出て、マンティコア隊の隊員たちが固めている廊下を無言で歩いた。歩きながら、腰につった剣や、全部で五丁持っている銃に異常がないかを自然な動作で確認する。

 そして、正門へと続く王宮の中庭に差し掛かったときだった。道の真ん中に、今は全員が出払っているはずの銃士隊の制服を着た者が、アニエスを待っていた。

「隊長、わたしも連れて行ってください!」

「ミシェル……」

 かつて、アニエスの片腕として、銃士隊の副長として戦っていたときと同じ戦装束で、ミシェルはアニエスの前に立っていた。

「わたしも、銃士隊の一員です。隊長、お願いします!」

「ミシェル、お前……」

 言い掛けて、アニエスは口をつぐんだ。今のミシェルは、半日前の小動物のようなか弱さに支配されていた少女ではない。一本の芯を飲み込んで、一人で立つ力を手に入れた一個の戦士の表情をしていた。

「行ってきたんだな?」

「はい!」

 強く答えたミシェルの返事に、アニエスは満足そうにうなずき、そして思った。

 やはりサイト、お前はすごいやつだな。

 アニエスは、ミシェルの心の鎖を断ち切ってくれた才人に、心の中で強く感謝した。バカで、無謀で、弱いくせに勇敢で……だが、一つだけあいつは誰にも負けない強さを持っている。人を救うために必要な、金でも力でもない、人間の本当の強さを。

「もう心残りはないのだな?」

 最後の確認のつもりでアニエスは聞いた。けれど、ミシェルの答えはアニエスの想像とはまったく逆だった。

「いいえ! 心残りをもらってきました」

「……なに?」

 思わず抜けた声を出してしまったアニエスだったが、強い光を宿しているミシェルの瞳を見てその訳を理解した。なるほど、あいつならこの世に思い残すことなくなんて、間違っても認めるわけはないな。

 でも、考えてみたらそのほうが何倍もいい。

 とたんに愉快になったアニエスは、含み笑いを押し殺すとまっすぐにミシェルを見据えた。

「ようし、ならばゆくぞ! 目指すは、リッシュモンの首一つだ」

「はっ!」

 心を一つにしたアニエスとミシェルは、城門から豪雨降りしきる闇の中へと駆け出していった。

 

 

 リッシュモンの屋敷は、高級住宅街の一角にある二階建ての巨大な建物だった。最高法院長という身分のものにふさわしく、外壁は美しく塗られ、屋根や窓辺には見事な彫刻が飾られている。

 だが、アニエスとミシェルは建物の外観の壮麗さに、かえって憎悪を掻き立てられた。二人はリッシュモンがなにをして、このような豪奢な屋敷を建てられるほどの財力を手にしたのか、つぶさに調べ上げていた。柱の一本、レンガの一つ……奴は食い物にした人間の骨を柱に、肉をレンガに、涙を漆喰にしてこの屋敷を建てたのだ。

 それに、偶然だろうが周りにはかつてのベロクロンやホタルンガの襲撃で家を捨てていった貴族たちの廃墟が軒を連ねていて、アニエスとミシェルは憮然とした。まるで、どんな状況にあっても他者を身代わりに生き残るリッシュモンのこ狡さを象徴しているようだ。

 むろん、玄関は頑丈な扉で閉ざされていて、招かざる客に帰れと訴えている。

 が、今の二人にとって城門などはなんの障害にもならなかった。

「吹き飛ばせ」

 アニエスの指示でミシェルが杖を振り、高級木材でできた扉を粉々に粉砕する。

 邸内に足を踏み入れた二人は、まだ子供のような小姓が腰を抜かしているそばを足早に通り過ぎると、押し入ってきた賊を捕らえようとする衛兵や傭兵を蹴散らしていく。

「邪魔だぁ!」

「道を開けろ!」

 剣で突き、銃で撃ち、魔法で邪魔者がなぎ倒されていく。どいつも、リッシュモンが金にまかせて集めた一騎当千のつわものや、トライアングル以上の強力な使い手ではあっても、今の二人の敵ではない。

「は、はぇ……がっ」

 一人の傭兵メイジが杖ごと叩き斬られて倒れる。彼は何度も戦場をくぐった自分が、たかが平民の剣士、しかも女に負けるなどと信じられなかった。が、しょせんはそんなふうに敵をあなどっていた彼らが、はじめからこの二人に敵う道理などなかった。

 

 過去の呪縛から解放され、明日への希望を手に入れたミシェル。

 頼もしい右腕が帰ってきて、肩に背負っていた重荷を下ろせたアニエス。

 

 メイジの力は心の高ぶりに左右されるというが、それはなにもメイジに限った話ではない。強い心をもって互いに死角を補い合う二人は、それぞれの力を何倍にも増幅し、どんどんと奥へ進んでいく。

「おい、リッシュモンはどこだ!?」

 廊下で出くわした執事を捕まえて、アニエスが問いただすと執事はあっさりと「奥の執務室におられます」と答えた。所詮金の虫の家臣、主への忠義心など無きに等しいらしい。

 二人は微細な抵抗を退けつつ、ついに屋敷の一番奥にあるリッシュモンの執務室にたどり着いた。なんのためらいもなくドアを蹴破る。

 だが、中に飛び込んだ二人が見たものは、もぬけの空となった部屋の空虚さだけであった。

「しまった! 逃げられたか」

「いや待て、椅子が温かい……まだ遠くへは行っていないぞ」

「くそ、逃がしてなるものか!」

「落ち着け! あの尊大な男が雨中に一人飛び出していくはずはない。奴はまだこの屋敷のどこかにいる」

 あのリッシュモンがおめおめと捕縛されるはずはないと考えていたアニエスは、窓辺に駆け寄るミシェルを制して室内を調べ始めた。窓を開けているのは恐らく偽装だ。これまで散々したたかに生き延びてきた奴が、万一の際の逃亡手段を用意していないはずがない。

 丹念に室内に仕掛けがないか二人は本棚を蹴倒し、壁に剣を突きたてて探した。すると、床の一部、ちょうどリッシュモンの執務机の下の床を叩いたときの音が違うことにアニエスは勘付いた。

「ここか……よし、ミシェル」

 ミシェルに命じて床板を壊させると、その下からは正方形の形をした一辺二メイルほどの穴がぽっかりと暗い口を開けていた。

「隠し通路ですね……かなり深そうです」

「風が来るな。どこかに通じているようだ。奴は、この先か」

「追いましょう」

「当然だ。頼むぞ」

 穴は深く、どこまで続いているのかわからなくても、二人には迷いはなかった。アニエスがミシェルに抱きつき、二人は暗い穴の中へと飛び込んだ。

 絶対に逃がしはしないぞ。地獄の底まで逃げようとも、必ず追い詰めて決着をつけてやる。

 決意を胸に秘めて、二人の姿は冥府にまで通じていそうな漆黒の穴の中に消えていった。

 

 

 一方、暗い穴のその先は地下通路に通じていた。このトリスタニアには、昔から暗殺を恐れる貴族たちが、思い思いに築いた抜け道が縦横無尽に張り巡らされている。過去に銃士隊がつぶした人身売買組織の親玉が逃亡に使った抜け道も、この一つであった。

 その湿ってよどんだ空気の中を、豪華な法服に身を包んだ男が歩いていく。

「やれやれ、あの姫さまと跳ね返りどもにも困ったものだ」

 忌々しげにつぶやきながら歩く男の顔は、杖の先にともされた魔法の灯りを受けて、老いた顔に暗い影をささせている。こいつこそ、トリステインに残った反アンリエッタ派の最後の大物、リッシュモン高等法院長だった。

「やれやれ、先手を打つつもりがあんな小娘に裏をかかれるとはしてやられたわい。この調子では、ほかの貴族どもも全滅じゃろうが、私はそうはいかぬぞ」

 追い詰められた様子は微塵も見せず、リッシュモンは暗い笑みを濃くしていく。なぜなら、アニエスの予想したとおりに、リッシュモンは自分は絶対に捕まらないと自信をもっていたからだ。

「ふっふふふ。今頃、平民どももさすがに抜け道には気付いていよう。しかし、そこから私にたどり着くには少なくとも半日はいるだろう」

 その自信の一つが、過去数百年に渡って掘られた貴族の抜け道を調べ上げて、接続、延長したこの地下道であった。ここは、トリスタニア全体……それこそ彼の屋敷から高級住宅街の別の屋敷、チクトンネ街のなんでもない家の床下、国立劇場の地下から下水道まで迷路のような分岐点と長大さを誇っている。その道筋を熟知しているのは自分だけ。ほんの数十人ばかりが降り立ったところで、リッシュモンのところにまでたどり着くのは不可能といってよかった。

 しかし、リッシュモンには地下通路を通って国外逃亡をはかるつもりは毛頭なかった。この国には彼が長年に渡って蓄積してきた富が残されているし、自分をコケにした小娘たちをそのままにして逃げるほど、彼の自尊心は小さいものではない。

「くっくっく、今のうちにせいぜい勝ち誇っているがいいわ。あの方からいただいた切り札があれば、最後の勝利は私のものだ」

 リッシュモンは懐から一片の書簡を取り出し、それに書かれている図説を読んでほくそえんだ。そこに描かれていたのは、このハルケギニアのあらゆる設計思想に該当しない形をした、巨大な”あるもの”の説明書。彼がこの地下通路を延長しているときに偶然発見されたそれは、はじめは何に使われるものなのか皆目見当もつかずに放置されていた。けれどガリアから彼を支援したいと申し出てきたある男の使者としてやってきた女が、その使用方法を突き止めてくれた。それさえあれば……リッシュモンは最後の勝利を確信していた。

 だが、そんな想像をしながら歩いていると、リッシュモンは通路に反響する足音に、いつの間にか別の誰かのものが混じっていることに気がついて立ち止まった。

 追っ手か? 立ち止まってなお響いてくる足音に、リッシュモンは灯りをランタンに移すと、杖を構えて自分がやってきた道からやってくる何者かを待ち構えた。

 通路の曲がり角の先から、ぼんやりと灯りが近づいてくる。その中に現れた人影は、リッシュモンの姿を見て口元を歪めた。

「おやリッシュモンどの。近頃の高貴な方は、ずいぶんとかび臭い場所を好まれるようですな」

「貴様か……アンリエッタの飼い犬め」

 ほっとした笑みを浮かべ、リッシュモンは現れたアニエスを見据えた。二人は身分の違いで直接話したことはなくても、アンリエッタの御前で何度か顔を合わせている。しかし、彼は現れたのがメイジではないただの剣士ということで、最初から彼女を甘く見ていた。

「消えろ、貴様と遊んでいる暇はない。この場で殺してやってもいいが面倒だ」

 リッシュモンの言葉に対するアニエスの答えは銃口だった。

「よせ。私はすでに呪文を唱えている。あとは貴様に向かって解放するだけだ。二十メイルも離れれば銃弾など当たらん。命を捨ててまでアンリエッタに忠誠を尽くす義理などあるまい。貴様は平民なのだから」

 面倒くさそうにリッシュモンは続ける。

「たかが虫を殺すのに貴族のスペルはもったいないわ。去ねい」

 完全にこちらをなめきった様子のリッシュモンに、アニエスは絞り出すように言葉を切り出した。

「私が貴様を殺すのは殿下への忠誠からだけではない。私怨だ」

「私怨?」

「ダングルテール」

 リッシュモンは笑った。その地名を聞いたとたんに、ほとんど忘れかけていた記憶を懐かしく掘り返して、心底楽しそうに笑った。

「なるほど! 貴様はあの村の生き残りか」

「貴様に罪を着せられ……何の咎もなく我が故郷は滅んだ」

 アニエスとリッシュモンの、まったく対極に位置する光をはらんだ視線がぶつかり合う。

「ロマリアの異端審問『新教徒狩り』。貴様はロマリアの依頼を好機として、ありもしない反乱をでっち上げて踏み潰した。その見返りにロマリアの宗教庁からいくらもらった? リッシュモン」

 リッシュモンは唇を吊り上げた。

「さあな。金額を聞いてどうなる? 気が晴れるのか? 教えてやりたいが、二十年前のことなどいちいち覚えてはおらぬよ。まあ、当時のロマリアは今と違って新教徒狩りに熱気だったから、大金だったとは言っておこう。おかげで、あのときは随分うまい酒が飲めたよ」

 アニエスの食いしばった唇から、血が糸のように流れた。

「金しか信じておらぬのか。あさましい男よな」

「お前が神を信じることと、私が金を愛すること、いかほどの違いがあるというのだ? お前が死んだ肉親を未練たっぷりに慕うことと、私が金を慕うこと、どれほどの違いがあるというのだ? よければ講義してくれ。私には理解できぬことゆえな」

 話しているだけで、アニエスの全身に身の毛もよだつような悪寒と、煮えたぎった溶岩のような憎悪の熱さが駆け巡った。

 殺してやる。誰がなんと言おうと、こいつだけは生かしておくわけにはいかない。

 しかし、アニエスは爆発寸前の感情を抑えて言った。

「貴様を殺す前に、一つだけ聞いておくことがある。二十年前の、ダングルテールの虐殺に加わった実行部隊の記録を探しているが見当たらぬ。貴様なら、実行部隊の隊長が誰なのか知っているはずだ」

「なんとも執念深いことよ。確かにあの記録は公になるとまずい類の資料ゆえ、ある場所に厳重に保管してある。だが隊長の名前など、とうに忘れたわ」

「ならば言え! その資料はどこだ!?」

「はっ! 甘いわあ!」

 アニエスが激昂して吼えた。その一瞬の隙をついてリッシュモンは魔法を解放した。

 杖の先から巨大な火の玉が飛び、逃げ場のないアニエスに向かって一直線に飛ぶ。

 だが、火の玉はアニエスに当たる直前に、アニエスの前に突如出現した土の壁に当たって、粉々の火の粉となって四散した。

「なにぃ!?」

 相手は剣士、魔法など使えるはずがないと思っていたリッシュモンの口から驚愕のうめきが漏れる。土の壁は役割を果たすと崩れ落ち、その後ろで守られて無傷のアニエスの姿が再び浮かび上がる。

 そして、アニエスの背後の曲がり角から、杖を握って現れたもう一人の姿を確かめたとき、リッシュモンの顔にはじめて苦々しい歪みが伝った。

「リッシュモンさま……あなたとこうした形で再会するとは、まことに遺憾の極みです」

「ミシェル……お前、生きていたのか!」

 たっぷりの皮肉を込めて現れたミシェルを見て、リッシュモンは今アニエスを守った魔法と、そしてなぜこれだけの短時間でアニエスが自分に追いついてこれたのかを理解した。ミシェルは土系統のトライアングルメイジだ。風のメイジが空気の流れを読み、火のメイジが温度に敏感なように、土のメイジは土中を伝わる微細な振動を察知して、歩く振動だけでも人の動きを知ることができる。

 ミシェルはアニエスと並んで立つと、杖の先をまっすぐにリッシュモンに突きつけた。

「リッシュモン! 十年前に貴様に無実の罪を着せられて死んでいった父の恨み、今ここで晴らさせてもらうぞ!」

「ほぅ……ということは、もうすべてに気づいたと見えるな」

「信じたくはなかった。だが隊長と貴様の会話ですべてわかった」

「ふん! 親子そろって愚かなものよ。少し甘い言葉をかければすぐに信じ込む。貴様も黙って利用されていれば幸せな夢を見られていたものを」

 あざ笑うリッシュモンに、ミシェルの手の中に握られている杖がきしんだ音をあげた。

「確かに……わたしは愚かだった。しかし、貴様の作ったよどんだ悪夢からわたしを目覚めさせてくれた人がいるんだ。覚悟しろリッシュモン、今ここで殺してやる」

「ふん、平民や裏切り者ふぜいにやられる私ではないわ!」

 二人分の憎悪を一身に受けながらも、臆した様子もなくリッシュモンはさらなる呪文を唱えた。

 先よりも巨大な火球や、鋭い切れ味を持つ風の刃が飛ぶ。さっきの火の玉はアニエスを甘く見ていたために手加減していたが、今度は本気の攻撃だ。

 しかし、アニエスとミシェルも前に向かってためらいなく地を蹴った。

「いくぞ! ミシェル」

「はい! 隊長」

 剣と、杖を振りかざして二人の剣士は駆けた。その前に立ちふさがる放った火球や真空刃をミシェルの作り出した土の壁ではじき、はじかれた火の粉をアニエスがマントで振り払ってミシェルを守りながら進む。

「おのれっ!」

 リッシュモンも豪語するだけはあって、放つ魔法の威力は相当なものだ。だが、この地下道はミシェルにとって自分の系統を最大に活かせるフィールドである。それに、完全に息の合った二人のコンビネーションには一切の隙もない。

 二十メイルだった間合いが、じわじわと縮まっていく。十五メイル、十二メイル、十メイル。

 予想外の二人の進撃に、リッシュモンにも焦りが生まれ始めた。

「くっ、小娘どもがっ!」

「無駄だ。貴様の魔法の手の内はすべて調べ上げてある。せいぜい貴様の愛する金にでも祈れ」

「い、いいのか? 私を殺せば、貴様の望む資料の場所はわからなくなるぞ!」

「かまわんさ。あと何十年経とうが調べ続けてやる。貴様は一足先に、貴様が馬鹿にした平民の牙を受けて死ね。リッシュモン!」

「うぬっ!」

 後ずさりしながら魔法を打っていたリッシュモンと、アニエスとミシェルの距離が五メイルに迫ったところで、アニエスは疾風のように駆けた。

「死ねーっ!」

 ありったけの憎悪と殺気を込めて、その身そのものを一つの刃に変えてアニエスは突進する。

 目指すはただ一つ、憎き仇の心臓ただ一点!

 一度打ってから次の魔法を使うまでの、ほんの一瞬の隙をついたアニエスの突きをかわす術はリッシュモンにはなかった。

 必殺の間合いに飛び込み、剣の切っ先を無防備なリッシュモンの胸に向ける。

 あと半瞬、あと少し力を込めれば奴の命を取れる。アニエスは全身のばねを込めて剣を突き出そうとした、そのときだった。突然アニエスに圧縮された空気の塊、エア・ハンマーの魔法が打ち込まれて、アニエスの体はリッシュモンまであと数サントというところで、後方に向かって吹き飛ばされてしまったのだ。

「ぐあっ!」

「隊長!」

 投げ出されたアニエスにミシェルが駆け寄って抱き起こす。幸い、少し打っただけで打撲にはなっていない。しかし、今の攻撃はなんだ? あの瞬間、リッシュモンは完全に無防備だったはず。なら、まさか!? ミシェルがそう思った瞬間、リッシュモンの背後の暗闇から、暗い男の声が響いてきた。

「やれやれ、来るのが遅いから様子を見に来てみれば……困りますね。あなたは私を聖地に送り届けるのが約束でしょう」

「ワルド! 貴様か!」

 アニエスもミシェルも、その男の顔を忘れるはずはなかった。元グリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、国の栄誉をになう魔法衛士隊の重責にありながら、私欲のために国や仲間を売った卑劣漢。

「久しぶりだね。アニエスくん、ミシェルくん」

 往年と変わらない、魔法衛士隊の制服で現れたワルドに話しかけられて、アニエスとミシェルは背筋に怖気が走るのを感じた。こんな奴に名前を呼ばれるだけでも気持ちが悪い。しかし、ワルドの出現は感覚とは別に、現実的な脅威が出現したことを意味していた。

「貴様、リッシュモンについていたのか?」

「ああ、処刑を待っていたところを、その親切な御仁に救われてね。恩返しもかねてネズミ退治を請け負っているのさ」

 ネズミはどちらだと、アニエスとミシェルは思った。結局は自分の欲のために他人にへばりついていることには変わらないではないか。

 ワルドは、邪魔をした自分を憎憎しげに睨み付けてくる二人を見据えて不敵に笑った。

「さて、観念してもらおうか。ミシェルくん、君はトライアングルだろうがアニエスくんは平民だ。対してこちらはトライアングルとスクウェアの組み合わせ。いかに地の利があろうと、君たちに勝ち目はないよ」

「みだりに舌を動かすな。この薄汚い裏切り者が!」

「ふっ、ぼくの目的に比べたら、トリステインもアルビオンもとるに足りないことさ。それよりも、裏切り者というならば、そこの彼女もじゃないのかね?」

 ワルドはアニエスの弾劾にも動じずに、悠然とミシェルを杖の先で指した。だが、ミシェルがワルドに言い返すよりも早く、アニエスはワルドの汚らしいものを見るような視線から、ミシェルを守るように毅然として言った。

「ミシェルを、貴様のようなクズといっしょにするな。たとえやり方が間違っていたにせよ、お前たちにミシェルの苦しみのなにがわかる……過去になにがあろうと関係ない。ミシェルは、紛れもなく私の部下だ……我々銃士隊の仲間だ!」

 その言葉には、一辺の迷いもためらいも存在しはしなかった。

 アニエスの気迫に押され、ワルドは「うぬぅ」と思わず後づさった。

「酔狂な女だ。裏切り者を仲間とはね。ならば、その大切なお仲間といっしょに地獄に送ってあげよう」

「貴様ごときにできたらな」

「強がりはよしたまえ。確かにこの狭い空間では、僕の特技の偏在は役に立たないけれど、それでも君たちごときを倒すには充分だ。魔法衛士隊を、平民の寄せ集めの銃士隊といっしょに考えないでくれたまえよ」

「言ってくれるな……だが、貴様こそ我らをなめるなよ」

 再び剣を構えなおしてアニエスは立った。そんな彼女を見て、リッシュモンはあざ笑う。

「馬鹿な女だ。頭に血が上って平民は貴族に、トライアングルはスクウェアに敵わないことを忘れているらしい。ましてワルドくんは元グリフォン隊の隊長だぞ」

 すっかり自信を取り戻し、傲慢に笑うリッシュモン。だが、ミシェルはそんなリッシュモンに、喉から響く笑い声で答えた。

「ククク……」

「……なにがおかしい?」

「いや、さすがはわたしがバカだったころに従ってた人だ。以前のわたしと同じ、曇った目しか持っていない」

「なに?」

「戦いの勝敗を決めるのは、魔法の有無でも、メイジのランクでもない。そんなものは、見せ掛けの強さでしかないと、わたしはある男から教わった。本当の強さというものは、どんな強敵が相手でも、恐れず立ち向かえる勇気があるかどうかということ……いくら強力な魔法が使えようと、自分の力にうぬぼれた貴様らなど、恐れるに足らんさ!」

「ふっははは! どうやら貴様は英雄歌劇の見すぎのようだな。なんとも青臭い脚本だ!」

 引きつったように聞き苦しい笑い声をあげるリッシュモンに、しかし笑われたミシェルは哀れそうな表情を見せると、杖に続いて剣を抜き放った。

「どうかな? ……隊長」

「ああ、やるぞミシェル」

 同じ二人でも、自分たちと貴様たちでは二人の意味が違う。笑いたいならいくらでも笑え、それを今証明してやる。

 誰にも聞こえぬ開幕のベルが鳴り響き、アニエスとミシェルが走り、リッシュモンとワルドが呪文を詠唱する。

「ふふん、馬鹿め」

 リッシュモンは馬鹿正直に突っ込んでくるアニエスとミシェルを見て口元を歪め、隣にいるワルドと視線をかわして杖を振った。狙いは二人ともミシェルのほう、敵にとって唯一のメイジであるミシェルを始末すれば、残った平民の剣士など恐れるに値しない。

 たちまち放たれた風と炎がからまりあって、灼熱の熱波となってミシェルに向かう。得意の土壁で防御しようとも、スクウェアとトライアングルの融合のこの魔法は、そんな防御などは突き破ってしまうだろう。

 しかし、アニエスもミシェルも、リッシュモンたちがそういう戦術で来ることくらいはあらかじめ読んでいた。アニエスがミシェルにのしかかって地面に引き倒すのと同時に、

ミシェルは地面に錬金をかけて泥に変え、勢いそのままに飛び込んだ。一瞬後、アニエスの背中の上を摂氏数百度の熱風が通り過ぎていくが、火のメイジであるリッシュモンと戦うことを想定して、マントに水袋を仕込んでいたアニエスには熱波は

届かずに、そのまま素通りしていった。

 一方、攻撃を放ったリッシュモンとワルドのほうは勝利を確信していた。

「二人揃って燃え尽きたか、少し力を入れすぎてしまったようだな。あっけないものよ」

「苦しまずに死ねたのですから、幸せというものでしょう」

 強力すぎる魔法は二人から視界を奪い、目標に当たったときの手ごたえも失わさせていた。いや、それよりも先に今の攻撃に耐えられるわけはないという思い込みが、アニエスとミシェルの姿が消えたことへの警戒心を麻痺させた。

 その隙に、二発の銃声が闇を裂く!

「ぐわぁっ!」

「ぬおっ!?」

 肩を射抜いた痛みにリッシュモンとワルドが気づいたとき、そこには泥まみれの姿で、防水加工をした銃を両手に構えたアニエスがいた。

「きさっ」

 ワルドが反応するよりも早く、今度はミシェルが銃を撃ってリッシュモンの右手とワルドの腹に命中させる。命中率の悪いマスケット銃の片手撃ちでも、目標まで十メイル未満にまで接近すれば二人の腕ならば充分に当たる。

「だから言ったろう。自分の力にうぬぼれている貴様らなど、恐れるに足らんと」

「この距離なら、速攻性は銃のほうが勝る。平民の武器だからとあなどったな。その傷では満足に杖も握れまい。覚悟はいいか」

 弾切れの銃を放り出し、剣を握りなおした二人の剣士。

 リッシュモンとワルドは痛む傷口を抑え、「おのれ平民が、卑怯な手を使いおって」と毒ずくけれど、それこそ自分たちの敗因だということに気づいていない。

 そう、魔法も剣も銃も、威力こそ違えど戦うための武器でしかないことに変わりはない。そして武器である以上、それを扱う人間によって生きもすれば死にもする。あのとき、リッシュモンとワルドが油断せずに本気だったら、アニエスの奇襲に気がつく余裕があったはずだ。

 それでもワルドはこんな奴らに負けるはずはないと、撃たれていない腕で杖を握って呪文を唱える。しかし、二発銃弾を受けて精神の集中が乱れている状態では、抜き撃ちの早さではアニエスに敵わず、手の甲を撃たれて杖を取り落とした。

「ぐぁっ!」

「無駄な抵抗はよせ、晩節を汚すぞ」

 冷酷に言い放ったアニエスの剣が正確にワルドの喉元を狙う。

 リッシュモンも、落とした杖をミシェルの錬金で土に変えられ、魔法を使えなくされていた。

 抵抗する術を失ったワルドとリッシュモンに、アニエスとミシェルの剣が狙いを定める。

「ワルド、貴様には以前ミシェルを傷つけてもらった借りがあったな。ミシェル! リッシュモンはお前に譲る。両親の仇を討て!」

「はっ!」

 振り上げられたアニエスとミシェルの剣が、数え切れないほどの歳月で積み重ねられた憎悪の全てを込めて振り下ろされる。

 だが、追い詰められながらもリッシュモンは撃たれていない腕を懐に忍ばせ、内ポケットにしまった”ある物”を取り出していた。

 それは、内部に緑色の液体が込められた小さな筒状のガラスで、針とピストンがついている。すなわち注射器であり、リッシュモンはミシェルから見えないようにマントの影にそれを隠すと、針の先端をワルドの背に向けた。

 

”大口の割に役に立たない奴め、貴様ごときに使うのはもったいないが、やむを得ん”

 

 心の中で吐き捨てたリッシュモンは、力のままにワルドの背に注射器を突き刺した。

「ぬぁっ!?」

 突然背中に走った激痛にワルドはのけぞった。同時に、予想外の事態に驚いたアニエスとミシェルも反射的に後ろに飛びのく。

 ワルドは自分がリッシュモンに何かを打たれたことに気がつくと、すぐにリッシュモンを振り払った。しかしそのときにはすでに、リッシュモンは注射器の中身をすべてワルドに注入し終えていた。

「貴様! 俺になにをした!?」

「フフフ……」

 毒でも打たれたのかと慌てたワルドが問い詰めても、リッシュモンは薄ら笑うだけで答えない。しかし、変化は早急に、残酷に始まった。

「リッシュモ!? うっ、がぁぁぁっ!」

 突然襲ってきた激しい胸の痛みに、ワルドは胸を押さえて悶絶した。

「き、きさ……」

 しゃべろうとしても、痛みで喉も震えて声も出てこない。アニエスとミシェルは獣のような叫び声をあげてもだえるワルドを、なにがどうなっているんだと呆然として見つめた。

「あっ、がぁぁっ!」

 とうとうワルドの意識が苦痛に耐えられなくなってきたのか、人間のものとは思えない叫び声があがる。しかもそれだけではなく、ワルドの体が雷光のようなスパークに包まれだしていく。リッシュモンはそんな様子に戦慄しながらも、満足そうにつぶやいた。

「フフフ、さすがあの方のくださった薬だ。こんなに早く効き始めるとはな」

「薬だと!? リッシュモン、貴様ワルドになにを打ったんだ?」

 危険な予感にアニエスが叫ぶように問いただすと、リッシュモンは空になった注射器を見せ付けるように、得意げに説明した。

「私に力をお貸しくださっているあるお方からのプレゼントでね。君たちのようなネズミが目障りになったときに使えとおっしゃられたのだ」

「前置きはいい! 早く言え」

「クク……こいつの名は確か『濃縮エボリュウ細胞』とかいったな。これを移植された生物は、能力を飛躍的に増大させることができるが、ある副作用がある。これは、その副作用を特化して改良したものだそうだ。その副作用とは……ふはははは! これはすごい」

「な……」

 歓喜するリッシュモンと、愕然とするアニエスとミシェルの前で、ワルドは人の姿を失っていった。

 全身の皮膚が岩肌のように硬質化し、腕も四本爪の鍵爪に変化、さらに巨大な頭部と長い尻尾を持った怪獣の姿へと変身してしまったのだ。

 もはや人とは思えないうなり声をあげて、ワルドがエボリュウ細胞で変化してしまった怪獣は鍵爪を振り回して暴れ始める。

「ふははは! 打ち込んだ生き物を怪物に変えるというのは本当だったか。聞いていたより小さいが、まあ生まれたばかりならば仕方あるまい。役に立たない男だったけれど、捨て駒としては上出来だよ」

「リッシュモン、貴様というやつは!」

 哄笑するリッシュモンを、アニエスとミシェルは憎悪を込めた目で睨んだ。

 この男にはいったい、人の血は通っているのだろうか? ワルドも確かに憎むべき敵ではあったけれど、こいつは自分の安全のために平気で他者を怪物に変えてしまった。

 人の皮をかぶった悪魔というものがいるとしたら、まさにそれはリッシュモンのことだろう。そして奴は、自らが怪物に変えてしまったワルドに、犬にするように命じた。

「さあ、我がしもべエボリュウよ。お前は私の言うことだけは聞くようになっているはずだ。その虫けらどもを殺してしまえい!」

「リッシュモン……お前は、人間じゃない!」

 怒りを込めて、アニエスとミシェルは道を塞いでいるワルドの変異した怪獣・エボリュウへ切りかかった。

 だが、エボリュウの皮膚は鋼の剣さえ通らず、逆に鍵爪の一撃を受けてしまった二人は吹き飛ばされて土の床に転がった。

「ミシェル、大丈夫か!?」

「はい……しかし、あいつの体は剣では切れません」

「見かけ倒しではないということか。しかし、奴を倒さねばリッシュモンへは届かん。私が奴を引き付ける。その隙に魔法で仕留めろ」

 剣がだめであったら、それしか二人には打つ手はなかった。

 鍵爪を振りかざして襲ってくるエボリュウの攻撃を、アニエスは剣で受け止める。しかし、エボリュウのパワーは片腕だけでもアニエスの全力を上回っており、こらえきれずにアニエスは靴底を削って後ずさりさせられた。

「くぁぁぁっ!」

 まるで猛牛の突進を受け止めたようだ。アニエスの全身の筋肉がきしみ、鋼鉄の剣さえ曲がりはじめているかのように思える。

「隊長! あぶない!」

 アニエスの危機を見て取ったミシェルが助けに入ろうとする。エボリュウは片腕だけでアニエスを押さえ込んでおり、無防備なところを反対の腕で殴られたらひとたまりもない。だが、アニエスは加勢を跳ね除けて怒鳴った。

「馬鹿者! 今がチャンスだ。早く撃て!!」

 一時の情にほだされて機会を失うなと、軍人として冷静な部分がアニエスに叫ばせた。ミシェルははっとして、反射的に杖の先をエボリュウに向けて呪文を唱える。しかし下手に強すぎる呪文を使えばアニエスも巻き込んでしまうために、精神の集中は巧緻を極めた。

『錬金!』

 上下左右の土壁から鉄の槍が飛び出してエボリュウに突き刺さる。土系統のメイジはランクが上がるに従って、より希少価値が高く上質な金属を作り出せるがゆえに、トライアングルクラスのミシェルの作り出した鉄は単純な硬度と考えればチタニウムにも匹敵するだろう。

「やったか!?」

 動きの止まったエボリュウを、アニエスとミシェルは息を呑んで見上げた。さしもの異形進化怪獣も、三十本近い槍に貫かれたらこれまでかと思われ、じっと動く気配を見せない……だが。

 アニエスとミシェルが気を抜いたその一瞬の隙に、エボリュウは全身の槍を振り払うと、鍵爪の一撃で、二人をまとめてなぎ払ってしまった。叩きつけられて倒れたアニエスとミシェルの口の中へ、胃液とともに濃い鉄の味が広がってくる。

「うぁ……っ」

「ミシェル……しっかりしろ!」

 アニエスは壁に背中を打ち付けて激しく咳き込んでいるミシェルを助け起こした。

 なんという奴だ。あれだけの魔法を受けて無傷に近いとは、小さくてもあれはまさに怪獣だ。

 奴の後ろからはリッシュモンの高らかな笑い声が響いてくる。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。アニエスに支えられ、立ち上がったミシェルは荒い息の中でつぶやいた。

「負ける……もんか」

 

 

 続く



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第16話  奇跡の星、ウルトラの星

 第16話

 奇跡の星、ウルトラの星

 

 異形進化怪獣 エボリュウ 登場!

 

 

 アニエスとミシェルにとっての憎い仇、リッシュモンへと通じる通路は、今一匹の怪物によって閉じられていた。

「ワルド……人間だったころの意識はもうないようだな」

 凶暴なうなり声をあげて、四本の鍵爪を振り上げる怪物を、アニエスは憐憫をわずかに含んだ目で見上げた。

 ワルド……いや、今や意思のない獣。エボリュウ細胞によって変貌した異形進化怪獣エボリュウは、細胞に仕込まれた「細胞を打ち込んだ人間に従え」という唯一の命令に従って、アニエスとミシェルに牙を向ける。

「ぬははは、人間だったころよりよほど頼りがいがある。大事の前の余興にはちょうどいい。さあエボリュウよ。この私に傷を負わせてくれた礼だ。せいぜいむごたらしく引き裂いてやれ!」

「なめるな! 化け物どもが」

 アニエスはもうリッシュモンを人間と思っていなかった。人の姿こそしていても、こいつの心に人間らしい美しさや優しさは一滴たりとて感じられない。むしろ、人間の持つあらゆる醜い部分のみを集めたような……いわば反対人間だ。

 リッシュモンの命令に服従して襲い掛かってくるエボリュウに対して、アニエスとミシェルは右と左に分かれて同時に斬りかかった。だが、エボリュウの強靭な皮膚は刃を通さずに、そのまま身をよじらせただけで二人は軽々とはじきとばされてしまった。

「くそっ、この馬鹿力め」

 並の男の傭兵以上に鍛え上げた二人の力をもってしても、エボリュウには通じなかった。

 まるでオーク鬼かトロール鬼……いや、それ以上だ。しかもこれでも小さいとリッシュモンは言っていた。ならば成長すればどこまで巨大になるのか……?

 いったいどんな悪魔がリッシュモンに加担しているのかと、アニエスとミシェルは奴の背後の闇に空恐ろしいものを感じた。二人とも裏の仕事は長いけれど、人間を怪獣化させる薬など聞いたこともない。奴はエボリュウ細胞と言っていたが。

 

 まさか……かつて戦ったバム星人やワイルド星人のように、ハルケギニアの外からの技術!?

 二人の懸念は、残念なことに当たっていた。

 

 エボリュウ細胞とは、かつてウルトラマンティガの戦っていた世界で発見された宇宙細胞の一種である。それは、生物に移植すると能力を飛躍的に向上させる特性を持ち、生命の人工的な進化の可能性を秘めているとして研究されてきた。

 だが、大きな変化には大きな代償もともなうものである。エボリュウ細胞には、ある致命的ともいえる欠陥が二つあった。一つは、変異した細胞を維持するには定期的に電気エネルギーを補充しなければいけないということ。もう一つは……移植した生物の進化を加速させることに限度がなく、最終的には元の生物とは似ても似つかない、恐るべき巨大怪獣へと変貌させてしまうのだ。

 エボリュウも、かつてティガの世界でエボリュウ細胞を移植した科学者がしだいに変化して、最初はときたま人間大の怪獣に変身するだけだったのが、最後には完全に理性を失った巨大怪獣と化してしまった。

 さらに、エボリュウ細胞の脅威はこれだけにとどまらず、後にメタモルガ、ゾンボーグといった異形進化怪獣を生み出して、ウルトラマンティガ、ダイナを苦しめている。

 

 そして、このエボリュウ細胞を薬品化したものがどういう経緯によってかこの世界に持ち込まれた。それを手に入れたシェフィールドがチャリジャの手を借りてそれに改造を施し、さらにリッシュモンに渡された。それがどういう結果をもたらすのか考えられもせずに……

 

 エボリュウの攻撃は、壁を砕き、天井を落としてアニエスとミシェルに襲い掛かってくる。

「避けろ!」

 これまでの攻防で、エボリュウにはこちらの攻撃は通じず、パワーでも負けることを二人は学んでいた。正面からぶつかり合うことを避け、身の軽さを活かして攻撃をいなしていく。しかし、リッシュモンは防戦一方になってしまった二人を見てあざ笑った。

「どうしたどうした。守ってばかりでは勝てんぞ!」

「吼えていろ。それができるのも今のうちだ」

 攻撃の通用しない敵など銃士隊の戦いの中でいくらでもあった。だが、完全無欠の存在などこの世にない。必ずどこかに弱点はあるはずだ、それを見つけ出せれば……冷静な目で二人はエボリュウの体や動き方を観察する。

 一方エボリュウは、力任せの攻撃を俊敏な二人の騎士に避けられていらだっていた。だがワルドだったころにあった沈着さや判断力を消失した代わりに、両腕を突き出すと高圧の電撃光線を発射してきた。

「うわああっ!」

 通路を埋め尽くすほどの稲妻の乱舞は避ける場所などどこにもない。直撃を受けた二人の全身に強烈なショックが走り、鎖帷子が電熱を持って体を焼く。

「これは……まるでライトニング・クラウド……?」

 つぶやいたミシェルの体が土の上に崩れ落ちる。起き上がろうともがいても、体中がしびれて言うことを聞かない。筋肉が電流で弛緩して脳の命令に従えないのだ。

 本物のライトニング・クラウドは一撃で人間を黒こげにするというが、これも充分すぎるほどに強力だ。それでも、もしも常人が浴びていたら即座にショック死していても不思議ではない電流を浴びていながらも、アニエスとミシェルは意識を保っていた。

「ミシェル……だ、大丈夫か?」

「くぅぅ、た、隊長」

 武器は握っていても、立ち上がるだけの力が出ない。

 リッシュモンは倒れ付した二人を見下して、得意げになって叫んだ。

「うわっはっは! 虫けらはそうやって地面をはいずっているのがお似合いだ。さあエボリュウよ。まずはその役立たずの裏切り者から殺せ」

「なにっ!?」

 エボリュウの足が上がり、倒れているミシェルの上にかかる。ミシェルは避けようと必死で体をよじろうとした。しかし手足はまだ満足に動かず、ミシェルの背中にエボリュウの足が落石のようにのしかかる。

「ミシェルーっ!」

 アニエスの見ている前で、ミシェルの体がきしみをあげてつぶされていった。あばらが曲がり、肺が圧迫されて悲鳴をあげることさえできない。しかも、エボリュウは嬲るように足にかけた体重を徐々に増加させていった。

 息を吐くことはできても吸うことはできない。さらに、しだいに重量は肋骨の柔軟性を上回っていき、何本もの骨にひびが入り始めた。

 このままでは肋骨がへし折れるのと同時に内臓もつぶされ、ミシェルは確実に殺されてしまうだろう。アニエスはようやく自由を取り戻した体で立ち上がると、エボリュウに力のままに斬りかかった。

「その足をどけろーっ!」

 渾身の力を込めたアニエスの剣は、エボリュウの左腕の鍵爪とぶつかり合って、乾いた音を立てて砕け散った。しかし、同時にエボリュウの爪の一本をへし折り、激痛を奴に与えた。苦しげな咆哮がエボリュウの喉から漏れ、リッシュモンが驚きの声をあげた。

「なんと!? 平民ごときの力で」

 だが、爪一本の代償として剣を失ったアニエスに、もうそれ以上エボリュウを攻撃する手段は残されていなかった。怒り狂ったエボリュウの振るった腕がアニエスを吹き飛ばして壁に叩きつけ、ミシェルにもさらに体重がかけられて、吐き出す息に血が混じり始めた。いや、ミシェルはもはや酸欠を起こして顔色はなく、あと少しエボリュウが力を込めたら心臓も肺もつぶされる。その無残な光景が目に浮かび、アニエスは思わず叫んでいた。

「やめろぉー! もうやめてくれぇー!」

 幼いころに家族を失い、戦いの日々の中で仲間や部下を何人も失ってきて、もう人の死というものに慣れたつもりであった。でも、死神の鎌を首にかけられたミシェルを見たとたん、なぜかとうに失ったはずの感情が蘇ってきた。

 そして……アニエスのその叫びは、意識を失いかけていたミシェルの気をわずかに呼び覚ましていた。

「隊、長……?」

 苦しみから、強烈な眠気が襲ってくる中で響いてきた声に、ミシェルは顔を上げて声のしたほうを見た。かすれる視線の中で、ひざを突いたアニエスが何かを必死で叫んでいるのが見える。でも、耳もいかれてきたのか意味が聞き取れない。

 このままわたしは死ぬのかとミシェルは思った。

 悔しい……まだ何一つ成し遂げていないのに……

 いや、死ねない。死ぬわけにはいかない。ここで死んだら父と母にも才人にも申し訳が立たない。こんな奴のために、死ぬわけにはいかない!

 

 負けてたまるか……負けるもんか!

 

 そう思ったとき、ミシェルの瞳に一つの強く輝く光が差し込んできた。

「この……光は……?」

 まるで、夜空に輝く星のようにその光はミシェルの視界の中にきらめいていた。

 でも、とても強く輝いているというのにアニエスやリッシュモンには見えていないようだ。

 いったいあれは……? もしかして……

 ミシェルの心に、才人との別れ際に聞かされた一つの話が蘇ってきた。

 

「昔、おれの国でも超獣に父親を殺された少年がいたんです」

 

 それは、いまを去ること三十数年前……ウルトラマンAがTAC隊員北斗星司として、ヤプールが倒された後も日々出現し続ける超獣と戦っていた、あるときのことである。

 パトロール中だった北斗は、仲間内からいじめられていた梅津ダンという少年と知り合いになった。

 なぜいじめられているのかと話を聞くと、彼の父親は一年前に酔っ払い運転のドライバーとして、非業の死を遂げていた。それで、その息子だというダンもいじめの格好の的になっていたのだ。

 でも、ダンはいじめっこたちに屈することもなく、父親の無実を信じていた。

 そんなダンから、北斗は昼間でも空に輝く星があることを聞かされた。その星はダン以外の誰にも見えていなかったが、北斗はダンにその星が彼にだけ見えるわけを教えた。

「今まで君が星を見たとき、きっと心の中で「負けるもんかって」思ったはずだ……あの星はウルトラの星だ」

「ウルトラの星?」

「そうだ、あれがウルトラの星だ」

 その、二人にしか見えない星は、どんなときでもあきらめない人だけが見ることができると北斗は教え、ダンはその言葉を信じて父の無実を信じた。

 そして、二人の前に真犯人が姿を現した。かつてのダンの父の事故は、人間の地下水汲み上げに怒った地底人アングラモンが、手下の地底超獣ギタギタンガに命じて、その吐き出す酸欠ガスによって引き起こされたものだったのだ。

 ダンは単身、人間の大きさになって人目のない場所に潜んでいたアングラモンに挑み、地底人に弱点があることを発見した。

 工場地帯で暴れるギタギタンガと、巨大化したアングラモンにTACの戦闘機も全機撃墜され、ウルトラマンAが登場する。しかし一対二のハンデ戦ではさしものエースも苦戦を余儀なくされ、カラータイマーが点滅を始めた。

 そんなとき、アングラモンに崖に突き落とされながらも必死に「負けるもんか」と頑張っていたダンの叫びがエースを復活させ、エースのパワーがギタギタンガの巨体を粉砕する。さらにそこへ、アングラモンの弱点を突き止めていたダンの声が飛んだ。

「地底人の急所は、胸だよー!」

 それを知ったエースは地割れから空中高くジャンプして、アングラモンの胸をめがけて必殺光線を放ち、アングラモンを炎上させた。

 エースは勝った。しかし、ダンの声やアドバイスがなければどうなっていたかはわからない。

 そう、ダンは負けるもんかとあきらめないことで、見事に父の仇を討ったのだ。

 

 それを話し終わった後で、才人はぐっと拳を握り締めて言った。

「もう止めはしません。行ってください。でも、どんな相手と戦っても、最後まで「もうだめだ」とは思わないでください。そうすれば、必ずウルトラの星は輝きますから!」

「ウルトラの……星?」

「ええ、奇跡を起こしてくれる星です。負けそうなとき空を見上げて、その星が見えてもなお諦めなかったら、絶対に負けたりはしないんです」

 普通に考えたら、それは子供の妄言以外のなにものでもないだろう。けれどもミシェルは、力強く断言した才人の言葉に、確かなものを感じていた。

「わかった。でも、そんなこと言われたら……心残りなく戦いにいけないな」

「それでいいと思いますよ。心残りなくあの世に行くなんて、あと七・八十年生きてじいさんばあさんになってからで遅くないですって」

「八十年、か……」

 ミシェルはなにか自分がずっと悩んでいたことが、ずいぶんとちっぽけなものだったように感じた。十年間、地獄をさまよって人生をあきらめていたけれど、まだわたしにはそれだけの時間が残されていたのか。

「そういえば、年をとった後のことなんて、全然考えたことなかったな」

「ミシェルさんなら、きっといいお母さんになってるんじゃないですか?」

「フッ……」

 その才人の言葉に、ミシェルは切なげに苦笑した。本当は、才人にわたしの子供の父親になってほしいと言いたかった……だけど、才人はルイズが好きだと言った。だから言えない。才人の特別な人は自分じゃないから。

 でも……

「ミシェルさん?」

「ごめん。今はまだ、自分の気持ちをうまく整理できないんだ。なにか、一度にいろんな思いが吹き出してきて……」

 才人は何も言わずにじっとミシェルの顔を見ていた。女心に敏感だなどと、夢にも思ったことのない才人であっても、はっきりと「好きだ」と言われたのでは思うところがある。こういうとき、どんな言葉をかければいいのか才人は知らない。

「そろそろ時間だ……行くよ」

「ミシェルさん」

「大丈夫、わたしはもう負けないよ。サイトがくれた勇気があるから」

 ミシェルの差し出した手を才人が握ると、最初のときとは比べ物にならないほど強い力で握り返されてきた。

 思いは届かなくても、譲り受けたものは大きい。かつて北斗からダンへ、兄弟たちから大勢の人間へ、そして今度から才人からミシェルへ。物は分け与えれば減っていくが、愛や勇気、心は減ることはない。

 

 そして、あきらめない限り勇気は、未来は無限大だ!

 

 まるで、第二の太陽が現れたような、ミシェルの瞳に宿った光の正体はなにか?

 くじけそうになったとき、その輝きを目にしたミシェルは、才人から教えられた言葉をつぶやいていた。

「負けるもんか……負けるもんか」

 すると、黄泉への門をくぐりかけていた心に熱が戻ってきて、麻痺していた体がわずかに動いた。

 痛みから見えた幻覚かもしれない。いや、それ以前にここは地下だ、星が見えるはずはない。

 でも、見えるのだ! 空に輝く一つの星が。

「イル……ア……」

 肺に残ったわずかな空気を使って、ミシェルは呪文を唱え始めた。しかし背中からは、エボリュウがさらに体重をかけてきて、肺からは同時にぬめった血も吐かれてくるためうまくルーンにならない。それでも、ミシェルは蚊の羽音のように小さく、喉の焼ける痛みで涙が湧いてきても、心の中で「負けるもんか」と念じながら詠唱は止めなかった。

 最後まであきらめなければ、必ず奇跡は起きるという才人の言葉だけを信じて。

 そして、永遠にも思われるような長い時間の中で、上級魔法の詠唱を終えたミシェルは、渾身の力を込めて魔力を解放した。

『クリエイト・ゴーレム!』

 ミシェルの杖から放たれた魔力が地下通路の床に吸い込まれていき、とたんに通路の床や壁、天井からも不気味な地鳴りが響いてくる。リッシュモンは、その地鳴りからミシェルの唱えた呪文の正体を知り、顔を青ざめさせて叫んだ。

「ば、馬鹿め! こんなところでそんな魔法を使ったら!」

 だが、すでに時遅く。魔力を受け取った通路の壁は瞬時に膨張し、ある場所は収縮したりして、まるで生き物の胃袋のように脈動を始めると、アニエスもリッシュモンも、さらにエボリュウとミシェルもまとめてもみくちゃにしていった。

「ひゃあっ! や、やめろ止めろぉ!」

 リッシュモンは何度も地面に打ち付けられ、口の中を切って無様にわめき散らした。

 これは明らかにまともな魔法の発動ではない。なぜなら、ミシェルの使った『クリエイト・ゴーレム』という魔法は、読んだとおりにゴーレムを作り出すためのものであり、以前に土くれのフーケがゴーレムを作っていたときのものがこれだ。しかし、本来全高数十メイルのゴーレムを作り出せるほどの魔法を、この狭い地下通路の中で最大級で解放すればどうなるか? それは、密閉された容器の中で風船を膨らませたらということにも似たことになる。

 本来ゴーレムの胴体や手足を構成するはずの土の塊が、具体化する空間を与えられずに暴走する。その猛威にはさしものエボリュウも対抗できず、ダメージを受けることはなくても通路に倒れこんで身動きできなくなった。

 その隙にアニエスは地震のように揺れ動く地面の上をはいずるように動くと、エボリュウの足元から解放されたものの、自分の放った魔法にもてあそばれていたミシェルを抱き起こした。

「ミシェルお前、なんという無茶を!」

 圧死寸前で解放されたはよいが、何度も床や壁に叩きつけられたミシェルは返事を返すこともできずに荒い息をついていた。それでも杖を手放さなかったのはさすがと言えるであろうけれど、そんなことは今はどうでもよかった。

「しっかりしろ! 死ぬな」

「……たい、ちょ……」

「ちゃんと息をしろ! まったく、なんという馬鹿なことをするんだ!」

 メイジでないアニエスにも、今の魔法が本来の使い方でない邪道だということはわかった。運良くエボリュウが後ろ向きに倒れたからいいようなものの、下手をすれば全体重を一気にかけられて即死することになったはずだ。

 だが、暴走していた魔力も維持するメイジがいなくては長くは続かず、通路が元の土壁に戻るとエボリュウも行動を再開した。むくりと起き上がると、ミシェルを抱えているアニエスに向かって左腕を向けてくる。

「隊長! 危ない」

 とっさにエボリュウの気配に気づいたミシェルはアニエスを突き飛ばした。とたんに、エボリュウの腕から鞭のような触手が伸びてきて、ミシェルの首にからみついた。

「うわぁっ!」

「ミシェル!」

 触手は完全にミシェルの喉に食い込んでいて外すことができない。しかも、エボリュウは触手で喉を締め付けるだけでなく、触手を引き戻してミシェルを自分のところへ引きずり込んでいった。その先には、鋭い爪を振りかざしたエボリュウの右腕がある。あれを喰らえばひとたまりもない! アニエスは落ちていたミシェルの剣を拾い上げると触手に斬りつけた。

「くそっ、硬い!」

 切っ先は食い込んだ。しかし生木に切りつけたように刃が捉えられて切断することができない。それでも、エボリュウの手前で触手の神経系まで刃が届いたらしく、触手の力が弱まるとアニエスはミシェルの首に絡み付いていた触手を振りほどいた。

「大丈夫かミシェル!? うぐっ!」

 そのときミシェルは、自分に手を貸してくれたアニエスの声がくぐもって、表情に曇りが浮かんだのを見た。

「隊長!?」

「なんでもない! それよりも、やるぞ!」

 エボリュウは目の前だ。また逃げたら電撃にやられる。アニエスは剣をミシェルに握らせると、その上から手を添えて二人で一本の剣を握った。

「隊長?」

「い、いいか? 奴に普通の武器は通じない。杖を刃物にする魔法があったろう、使えるな? そいつをこの剣にかけろ」

「は、はい!」

 ミシェルは言われるままに、剣といっしょに握っている杖を使って、『ブレイド』の魔法を剣全体にかけた。

「よ、ようしいいぞ。だが、今のお前の体では力が出せまい。かといって、私一人の力でも奴の体は切れないだろう……だから、頼む」

 そう言ってアニエスがミシェルの瞳を見つめると、ミシェルもアニエスの目を見つめ返して、こくりとうなづいた。

「わたしの力でよければ。勝ちましょう、隊長」

「ああ、行こう」

 一つの剣を二人で握り、互いの手と手の暖かさを感じたとき、痛みはどこかに消えていた。

 アニエスの力と、ミシェルの魔法、一人の力ではだめでも、二人が力を合わせれば別の力が生み出される。人は弱いから群れるのではない。強くなれるから手を結ぶのだ。

 雄叫びをあげて向かってくるエボリュウと、いらだって顔を悪魔のように歪めて叫ぶリッシュモンを、二人は体を寄せ合い、剣を握り合って正面から見据える。

「平民の成り上がりと奴隷出のクズめ。いつまでも私の貴重な時間を貴様らごときに費やしておれんわ! やれい! そしてそやつらの首をねじきって、アンリエッタの前にさらしてくれるわ!」

 何重にもかけていためっきがはがれ、下種の本性をむきだしにしたリッシュモンを前にしても、二人の心は不思議と平静であった。

「こうしてお前と共に命を懸けるのは、あのとき以来だな」

「ええ、あのときはサイトがいた……そして、今も」

 ツルク星人と戦ったときも、力を合わせて勝つことができた。今度も、才人はいなくても才人の与えてくれた勇気とともに戦っている。今一度、闇の中に輝く星が見えたとき、ミシェルははっきり理解した。ウルトラの星とは心の光の象徴なのだ。そこへ向かって歩む勇気があれば、恐れるものなどなにもない!

 

「でゃぁぁぁぁぁっ!」

 

 渾身の力を込めてアニエスとミシェルは吼え、そして駆けた。

 エボリュウも、大きく振り上げた腕に全体重を込めて振り下ろしてくる。

 だが、いくら恐ろしいなりに変わろうと、いくら悪魔じみた力を持とうと、心無き力の底は浅い。

 振り下ろされた腕を、アニエスとミシェルはまるで一つの体を共有しているかのように跳びあがってかわした。

 飛翔した二人の眼前に、体勢を崩したエボリュウの体が迫ってくる。その左肩をめがけて二人は剣を振り下ろした。

 一閃……銀色の閃光が天から地へと駆け下りる。

 次の瞬間、二人の姿はエボリュウの足元にあった。地に足をつけ、祈るような形で止まっていた。

 エボリュウは、その二人を見下ろし、とどめを刺そうと左腕を上げる。

 だが、上げられた左腕の根元に亀裂が生じたとき、戦いの勝敗はエボリュウの体に形となって現れた。

「切った……」

 岩の塊のようなエボリュウの左腕が、落石のように体から零れ落ちる。

 次いで、絶叫がエボリュウの喉からほとばしり、傷口からは体内に溜め込んでいた電気エネルギーが空中放電を起こして漏れ出していく。アニエスとミシェルは、苦しむエボリュウを見上げ、短く宣言した。

「私たちの」

「勝ちだ」

 体の維持に必要な電気エネルギーを消耗しつくしたエボリュウは、急速に力を失っていった。変身したときとは逆の順序で、爪が消え、肌が元通りになって体が収縮していき、最後にはワルドの姿に戻って床の上に倒れこんだ。

「ぐぉぉっ……ぬあぁっ、俺の、俺の腕が……おのれ貴様ら……いや、リッシュモン、貴様ぁ!」

「腕を失ったショックで変身が解けたか……さて、残るは……」

「ひっ!」

 正気に戻ったワルドと、アニエスに鮫のような冷たい目で睨まれ、リッシュモンはおびえてあとずさった。杖を失ったメイジはただの人でしかない。まして贅沢な貴族生活におぼれていたリッシュモンに、切り札のエボリュウをも失ってなおアニエスとミシェル、それにワルドに対抗する手段などありはしない。奴はそれまでの大言壮語をどこに捨て去ったのか、怯えた声を残すと通路の奥へ駆け去っていった。

「待て、リッシュモン! 隊長、追いましょう!」

 逃げ出したリッシュモンを追おうと、ミシェルは息を整えて立ち上がった。

 逃がすつもりはなかった。傷ついているとはいえ、脚力は自分たちのほうが上だし、土のメイジである自分ならば、この地下通路で見失うことはない。

 だが、アニエスは憎い仇が逃げていくというのに追う様子を見せずに、ふっとミシェルのほうを見て微笑んだ。

「ミシェル、今日までずっとご苦労だったな。お前がいなければ、リッシュモンをここまで追い詰めることはできなかった」

「隊長?」

 こんなときになにを言い出すのかと、ミシェルは怪訝そうにアニエスを見つめた。

「思えば、銃士隊ができる前から、お前にはずいぶんと世話になってきた。私に甲斐性がないばかりに、ろくに報いてやることができなかったが、許してくれ、よ……」

「っ!? 隊長!」

 急にアニエスの体が力を失い、倒れそうになったのをミシェルは慌てて支えた。

 しかし、体を支えようとして背中に差し伸べた手に生暖かい感触を感じ、引き戻した手のひらを見てミシェルは愕然とした。

「血っ……! まさか隊長、さっきわたしを助けたとき」

「ふっ、私としたことが、つい背中をおろそかにしてしまったよ」

 自嘲ぎみにつぶやくアニエスの背には、エボリュウの爪でつけられた四つの刺し傷が湧き水のように血を噴き出している。見れば顔からはいつの間にか血の気が引き、呼吸は大きく荒くなっていた。

 こんな体で体調の不調を悟らせず最後まで戦い抜くとは信じられない精神力。けれど、その糸もエボリュウを倒したまでで切れ、失血によってもうアニエスには立つ力も残されてはいなかった。

 ミシェルは腕の中でみるみる衰弱していくアニエスに、思いつく限りの応急処置を施していった。それなのに、焦るミシェルに向かってワルドは残った右腕で杖を拾い、突きつけてきた。

「ふっははは! やはり最後に笑うのは私だったな。左腕の礼だ、二人まとめて黒焦げにしてくれる!」

「ワルド、貴様!」

 常軌をいっした目で杖を向けてくるワルドに、ミシェルは反撃をおこなえなかった。瀕死のアニエスを抱いている今、避けても反撃しても反動はアニエスに行く。それに今手当てをやめたらアニエスは助からない。

 だが、魔法を放つ寸前にワルドは急に胸を押さえてうずくまった。エボリュウ細胞の発作がまた始まったのだ。それでも、ワルドは完成していた魔法を憎しみを込めてアニエスとミシェルに向かって解き放った。

『ライトニング・クラウド!』

 杖から魔法で生み出された電撃が放出される。しかし、その電撃はアニエスとミシェルに向かうことはなく、逆に放ったワルドに吸い込まれていった。

「なっ!? ぬわぁぁっ!」

 放った魔法がコントロールできず、電撃に包まれた自分の姿にワルドは狼狽した。けれど電撃による痛みはなく、反対に電撃が体に吸い込まれるごとに胸の痛みが消えていくことに、ワルドは気づいた。

「まさか……この発作は電撃を吸収することで治るのか? はっ、はは、はっははは!」

 このときほどワルドは、自分が電撃を生み出せる風のメイジに生まれたことを感謝したことはなかった。偶然だが、エボリュウ細胞に犯された生物の唯一の生存手段に、ワルド自身の能力が合致したのだった。

「ふははは、リッシュモンめやってくれたな。しかし、私は死なんぞ。生き延びて必ず聖地にたどり着いてやる。だが、その前に……」

「くっ」

 ワルドは残忍な笑みを、アニエスを抱きかかえながら自分に杖を向けてくるミシェルに向けた。

 杖と杖が向かい合い、緊張が走る。が、どちらも先制を打とうとはしない。いや、できなかった。

 ミシェルはアニエスを守りながらでは戦えないけれど、ワルドが攻撃してアニエスが絶命すればミシェルは捨て身の攻撃をかけてくるだろう。そうなれば、スクウェアとトライアングルの差はあるといっても、地の利で負けていることからワルドの勝機は低い。

 結局、折れたのはワルドだった。

「ふん。まあリッシュモンから離れられただけでもよしとしよう。それに、どうせ貴様らも長くは持つまい。さらばだ、もう二度と会うこともあるまい」

 捨てゼリフを残し、ワルドは失った左腕を押さえながら通路の先へと消えていった。

 残されたミシェルはほっとしたのもつかの間、アニエスの手当てに戻った。

 でも……診れば診るほど傷は深く。とても間に合わせの治療では時間稼ぎにしかならないのは明白であって、ミシェルは歯軋りするしかなかった。

 薬は携帯のものしかなく、土のメイジである自分では治癒の魔法は使えない。このままでは……そのとき、荒い息をつきながら苦しんでいたアニエスがミシェルの肩に手を伸ばしてきた。

「もう……私のことはいい。リッシュモンを追え」

「そんな! た、隊長を見捨てていくわけには」

「任務のためには、例え隊長でも見殺しにせねばならない。基本中の基本だろう? 今逃がしたら、もう二度と奴は捕まらんぞ。両親の仇を討てなくていいのか!?」

「うっ……し、しかし」

 アニエスの言うことが正論だとはわかる。けれど今放り出したら確実にアニエスの命はない。

「行け……どうせ私は、奴への復讐のために生きてきたんだ。奴と道連れなら悪くない。さあ」

「隊長……すみません。わたしが足手まといになったばかりに、隊長が」

 何度も敵に捕らえられ、あげくの果てにアニエスに傷を負わせてしまったことに、ミシェルは恥じて涙した。だが、アニエスは恨み言などは一言も言わずに、ミシェルの頭をなでた。

「泣くな……お前のせいじゃない。言ったろう、お前がいなければ奴には勝てなかった……それに、私はこれでもけっこう満足しているんだ」

「えっ……?」

「私の代わりに、お前が生きられる。前に、お前の命を奪おうとした侘びではないが、私よりもお前のほうが未来がある。だから行け……お前には、心残りがあるんだろう?」

「隊長……いやです! それだけは聞けません。銃士隊を裏切ってから、ずっと隊長に守られてきたのに甘えてばかりで……なにも恩返しできてないのに」

 するとアニエスは、これまで見せたことのない穏やかで優しい笑みを浮かべた。

「私も同じだよ」

「えっ?」

「お前といると、ずっと一人で戦っていた寂しさを、そのときだけは忘れることができた。お前と共に戦うと、どんな敵にも負ける気がしなかった。喜びも、苦しみも……お前といると一人のときとは違ってた……いつからかな。血はつながってなくても、いつの間にか妹のように思っていた」

「……」

「私は、もう助からん……だから行け……お前に、死に顔は見せたくない」

「……」

 アニエスは、歯を食いしばってうなだれているミシェルをうながした。

「どうした? 早くしないと、両親の仇を討つチャンスはなくなるぞ!」

「……やです」

「なに?」

「いやです!」

 ミシェルは叫ぶと、アニエスを無理矢理に背負ってリッシュモンとは反対方向に走り出した。

「ミシェル、なにをするんだ!?」

「すみません隊長。命令無視させてもらいます……」

「馬鹿な! ここで、奴を逃せば……」

「わかってます! わかってますけど……」

 あの狡猾なリッシュモンが、二度と網にかかるとは思えない。長い年月をかけて積み上げた機会を無にするつもりかとアニエスは制止した。だが、ミシェルの足は止まらない。

「でも、でも……わたしは二度も目の前で家族を失うのは耐えられないんです! わたしもあなたが好きだ。だから……だから姉さんを絶対に死なせはしない!」

「ミシェル……」

 アニエスは喉が詰まって、それ以上しゃべることができなかった。

 ミシェル、お前は……お前は私を姉と呼んでくれるのか……

 そう思ったとき、アニエスの心の中にも、急に死にたくない、生きたいという思いが湧いてきた。

 

 土の感覚に従って、ミシェルは一番近い地上への出口へと体の痛みを忘れて走った。

 

 飛び出した出口は、チクトンネ街の奥まった場所にある下水道の入り口であった。ミシェルは階段を駆け上がり、出口のドアを蹴破るようにして雨中の下町へ躍り出た。

 しかしそこには、出口を取り囲むようにして三十人近い、汚いなりをした男たちが待ち構えていたのだ。

「うへへぇ、来た来た」

「お譲ちゃん。そんなに急いでどこへ行くのかな?」

「そうそう、俺たちと遊ぼうぜぇ」

「ぬふふ、飛んで火にいる夏の虫だな」

 ごろつきたちはいやらしい笑みを浮かべながら、出口を背にしているミシェルたちへとじりじりと迫ってきた。どいつもこいつも、野良犬のような、まともに働いて暮らしている人間とは思えない目つきをしている。ミシェルは、一人でさすらっていたころに散々見たそんな連中が、自分たちに意図していることを察して、おぞましい予感を覚えた。だが、路地の奥の小さな広場にある下水道の出口は完全に人の壁に囲まれて隙間はない。

 しかし、これはいったいどういうことだ? なぜこんな場所に都合よく待ち伏せがされているのだと、ミシェルはアニエスをかばいながら男たちを睨み付けた。

 まさか……すると、男たちの一人が口にした言葉がミシェルを激昂させた。

「ぐふふ、まったくあの貴族の旦那の言ったとおりだぜ。ここで待ってたらいい女が出てくるってよぉ」

「ワルド!? あの下種が!」

 それで理解できた。多分奴も地下通路の構造を知っていて、当然もっとも近いこの出口から出てきたのだろう。ミシェルはワルドが去り際に言った「もう二度と会うことはあるまい」という捨て台詞の意味を理解した。

 ごろつきたちは、ミシェルの構えている杖を警戒して、全員でいっせいに襲い掛かろうとじりじりと包囲陣を狭めてくる。しかも例外なく下種な言葉をつぶやきながら。

「殺してくれって依頼だが、それまでになにしようとかまわねえよなぁ」

「こいつら銃士隊だぜ。俺はこいつらに何度も煮え湯を飲まされてきたんだ。お礼してやるぜ」

「見たとこ、けっこう怪我してるみたいだが、この人数相手にしてどれだけ持つかな?」

 魔法で飛ぶことはできる。しかし飛翔の衝撃にアニエスが持ちこたえられるかわからない。

 かといって、引き返す時間はない。アニエスは一刻も早く医者に診せなければ死んでしまう。とてもではないが別の出口を探す余裕はない。

 魔法で正面突破するしかないのか……しかし、全員をいっぺんに吹き飛ばせるほどの力は残ってないし、今の自分では一人に組み付かれただけでも振りほどく力はない。

 こんなところで……絶望がミシェルの心を覆いかけた。

 それでも、目をつぶらず空を見上げたミシェルの目に、暗雲をものともせずに輝く星が映ったとき、絶望は闇のかなたへと追いやられていた。

「そうだなサイト……あきらめちゃいけないんだよな……わたしも、最後まで戦うぞ」

 決意を決めたとき、ミシェルにもう迷いはなかった。この背に背負ったこの人だけは死なせない。その覚悟を決めて、杖を振って叫ぶ!

「どけぇ! 貴様らぁ!」

 地面が爆裂し、ごろつきたちを吹き飛ばす。それでできた包囲網の裂け目へ向けて、ミシェルは全力で駆けた。

 本気になれば、トライアングルクラスのミシェルの力はすさまじく、残りの力を絞りつくした一撃は数十人を舞い上がらせる。

 だが、ミシェルの力も今はそこまでが限界だった。吹き飛ばした連中も半数は立ち上がってまた向かってきて、アニエスを背負ったままでは早く走れない。

「観念しろ、このアマぁ!」

 男の声がすぐ後ろから迫ってきて、途切れそうになる息が体の自由を奪っていく。それでも、ミシェルはあきらめずに走り、心の中で叫ぶ。

「負けるもんか、負けるもんか!」

 命を懸けて、希望を、奇跡をウルトラの星に信じて。

 けれど、男の汚い手がついにミシェルの肩にかかろうとした。

 そのとき!

 

「でぁりゃああっ!」

 

 突然ミシェルの前方から、豪雨を切り裂くように飛び込んできた黒い影。

 それが振るった銀色の閃光が閃いたとき、ごろつきは下種な笑顔ごと数十メイルを吹き飛ばされていた。

「危ねえ、ギリギリかろうじて間に合ったか」

「お、お前は……!」

 ミシェルは、アニエスは、今見たものが信じられなかった。その、大刀を峰に返して持ち、肩で息をしながら立っている黒髪の男の後姿は、彼女たちにとって忘れられない戦友のもの。だが、こんな場所に現れるはずはない。現れたら、それこそ……奇跡。

 しかし彼は、ふと何気なく振り返ると、よく見慣れた屈託のない笑顔を示した。

「どうも、こんばんわ。アニエスさん、ミシェルさん」

「サイト!」

「お、お前!?」

 それはまさしく、ミシェルが昼間会ってきたはずの才人以外の誰でもなかった。彼は雨中の中で黒髪から水滴を滴らせながら、あのときとなんら変わらぬ様子で立っている。

 アニエスとミシェルは、どうしてお前がここにいると当然の疑問をぶつけた。しかし才人はそれには答えずに、再び狂声をあげて襲い掛かってくるごろつきたちに切っ先を向けた。

「おいお前ら、悪いが今日は手加減してやれる心境じゃねえんだ。骨折くらいは覚悟しろよ」

 奥歯を強く食いしばり、愛刀デルフリンガーを峰に返したことを唯一の気配りにと、才人はごろつきの集団に飛び込んで縦横に剣を振り回した。瞬く間に男たちの腕が折れ、あばらが折れ、鼻がへし折れて血飛沫が舞う。

 いくら峰打ちとはいっても、鉄の棒で殴られるわけだからただですむはずはない。ごろつきどもは手に手にナイフやピックなど凶悪な武器で反撃しようとしたが、才人の動きについていけずに逆にデルフリンガーで殴り飛ばされて気を失った。

「なんなんだこのガキ!?」

 男たちは才人が子供だとなめていた。しかし、ガンダールヴの力が抜けたとはいっても、ある程度は体のほうが動きを覚えているし、それに今の才人とごろつきどもの間には決定的な差があった。

「うっひょお! 相棒、怒ってるねえ!」

「当たり前だ! 怒って悪いか!」

 アニエスとミシェルを傷つけられそうだったということが、才人の怒りとともに力を極限まで引き出していた。戦いは精神のありようによって弱者でも強者を倒す。窮鼠猫を噛むというのがそれだ。

 だが、それでも圧倒的な数の差は埋めがたく、才人はごろつきたちに完全に包囲されてしまった。

「調子に乗りやがって。だがバカめ、もう逃げ場はねえぜ。死にやがれ!」

 四方からいっせいに刃が才人を襲う。しかし、勝ったつもりでいるごろつきたちに才人は不敵に笑って見せた。

「バカはお前らだ。おれがたった一人で、偶然こんなところにこれたとでも思ってるのか?」

 それが、男たちにとって地獄への招待券であった。突如、闇の中に閃いた無数の銀色の輝きと、それに続く勇壮な歓声。

 

「突撃!」

 

 闇から飛び出した数十人の女剣士たちは、才人を取り囲んでいたごろつきたちに襲い掛かると次々に切り倒していく。一人残らず地に伏せさせられるまで、十秒もあればたくさんだった。

 そして彼女たちは、アニエスとミシェルの前に整列すると、見事な敬礼をして言ったのである。

「隊長、副長、お迎えにあがりました!」

「お前たち……」

 それはまさしく、アニエスとミシェルの仲間たち、銃士隊の勢ぞろいした勇姿だった。

 彼女たちは、気が抜けて倒れこみそうになったミシェルを支えると、すぐに衛生兵の隊員を呼び、二人を担架に横たえた。

「お前たち、どうしてここに……? それに、わたしを……」

 担架で運ばれながら、不安げにミシェルはかたわらの隊員に尋ねた。任務で街中に散っているはずの隊員たちがどうしてここに? それに……自分が背信者だったということを、みんなは……

 けれど、その隊員は優しく微笑むとミシェルに毛布をかけた。

「話は後で……でも安心してください。あなたも隊長も、決して死なせはしませんから」

 その笑みと、視界の端で才人がルイズにほっぺたをつねられながらもガッツポーズを決めてくるのを見て、ミシェルは奇跡が起きたんだなと幸福感に包まれて、やっと睡魔にその身をゆだねた。

 

 

 だがそのころ、逃げたリッシュモンはトリスタニアの地下深くの巨大な空洞に安置された、切り札を始動させようとしていた。

「くくく、これさえあれば馬鹿な貴族どもも、役立たずのワルドも必要ない。見ておれアンリエッタめ、今からこの国に地獄を見せてやるわ!」

 彼の眼前には、光り輝く巨大なUFOが、不気味な稼動音をあげて鎮座していた。

 

 

 続く



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第17話  邪悪へのレクイエム

 第17話

 邪悪へのレクイエム

 

 UFO怪獣 アブドラールス 登場!

 

 

 ミシェルが目を覚ましたとき、そこはどこかの大部屋のベッドの上であった。

 薄く目を開くと、白い天井と、白い壁でできた清潔な部屋の様子がうっすらと見えてきた。あたりでは、銃士隊の制服を着た女性たちのほかに、白衣をまとった男性や、同じように看護婦たちがたくさんのベッドの周りを駆け回っている。まるで、ベロクロン戦のときにトリスタニアのあちこちに建てられた野戦病院のようだと思い、ミシェルは顔をあげた。

「う……」

「あ! 副長、気がつかれましたか。おーいみんな、副長が目を覚ましたぞ!」

 かたわらで傷病者の額にかける濡れタオルをしぼっていた隊員が、ミシェルが目を覚ましたことに気がついて叫ぶと、部屋中からわっと隊員たちが押しかけてきた。

「副長が目を覚ましたって?」

「よかった! もうだめかと思ったもの」

「ちょっとあなたたちどきなさいよ。副長の顔が見えないじゃない」

「お前たち……」

 あっという間にミシェルのベッドは銃士隊の隊員たちによって取り囲まれてしまった。

 どの顔も、ミシェルにとってはよく見慣れた懐かしい戦友だ。

 そう、あのときまでは……今では、違う。

 しかし、周りを囲んだ隊員たちには殺気は一切感じられない。また、体を起こしてみたらあちこちに包帯がきちんと巻いてあって、ミシェルはこれは夢の続きかなと思って聞いてみた。

「ここは……どこだ?」

「トリステイン大病院の大部屋です。覚えてらっしゃいませんか? 副長、隊長といっしょにリッシュモン卿と戦って傷を負って、ここに運び込まれたんです」

「! そうか……だんだん思い出してきたよ」

 やはりこれは夢ではなかった。自分はチクトンネ街でごろつきどもに襲われたところを銃士隊員たちによって助けられ、ここまで運ばれてきたのか。

 ぼんやりした頭を部屋の照明で覚まして見渡すと、部屋の中には作戦中に負傷したのか、ほかの隊員たちもベッドに寝かされているのが見える。誰もよく眠っており、致命的な傷を受けた者はいないようだ。

 ミシェルは、仲間たちがあの激戦を無事にくぐりぬけたことにほっとすると、まずは一番気にかかっていたことを尋ねた。

「隊長は……?」

「大丈夫です。今、王女殿下のお計らいで、最高の水のメイジに手術を受けてます」

 ミシェルの問いに答えたのは、一人の濃い緑色の髪をした隊員だった。ミシェルの記憶では、確か名前はアメリーといったか。彼女は、ミシェル副長の不在のあいだ副長代理を預かってまいりましたと名乗り、アニエスの容態が峠を越したことを報告した。

 それを聞き、ミシェルはそうか……と、安堵した。治療さえ受けることができたら、アニエスならば心配はいらないはずだ。それに手術中ということは、自分はそんなに長く寝ていたわけではないだろう。

 でも、アニエスは当たり前として、自分が当然のようにここに寝かされているわけは、ミシェルにはわからなかった。隊の皆には、あのアルビオンでの戦いで、自分は裏切りのあげくに死んだと知らされているはずなのに。

 ふと、ミシェルは隊員の一人が手渡してくれたティーカップの水面に映った自分の顔を見て、それに向かって恐る恐る尋ねてみた。

「なあ、みんな……わたしは……」

「わかってますよ。もうみんな知ってます」

「え……?」

 急に不安が心をよぎった。みんなとはどういうことか? いや、すでに裏切りの事実は知られているはず、ということは……皆のこの笑顔は仮面で、その内側には……

 逃げようにも、逃げ出すことのできない状況に、ミシェルの握り締めた手が小刻みに震えた。

 アメリーはベッドの傍らの椅子に腰掛け、言葉を続ける。

「知ってますよ。副長が、元は貴族だったということも、元レコン・キスタの一員だったことも、私たちをだましていたことも、全部」

「う……」

 罪悪感と、皆の顔を見ることのできない恐怖がミシェルの心を覆った。けれども……隊員たちからミシェルに贈られたのは弾劾の言葉ではなく、優しい呼びかけであった。

 

「でも……同時に長いあいだ一人で苦しんでいたことも、本当は私たちを大切に思ってくれていたことも、みんな知ってます。そして……強がっていても、本当はとても優しい人だということもね」

 

 はっとして顔を上げると、そこにはどこか照れくさそうにしている隊員たちの姿があった。そして、ミシェルがとまどっていると、アメリーはいたずらっぽく笑った。

「実はね。サイトのやつが教えてくれたんですよ。あなたが生きているって」

「サイトが!?」

「はい。掃討作戦も終わりかけてたときに、あいつがいきなり本部のほうに押しかけてきたときはびっくりしましたよ。それで言ったんです。「アニエスさんとミシェルさんを助けに行きたいけど、どこにいるのかわからないから力を貸してくれ」ってね」

 ミシェルはそこで、あのとき別れてからすぐに才人も飛び出してきたことを知った。いらないと言ったのに、本当にあいつという奴は……

「多分あいつは、隊長と副長が互いのためなら死を選ぶであろうってことに気づいてたんでしょうね。ともかく、それからは事後処理にまわっていた隊員たちも全員集まってきて、もう隊中大騒ぎですよ。隊長が一人でリッシュモン卿の逮捕に乗り出したことは計画の内でしたが、まさかあなたが生きていて隊長に協力していたとは……」

「みんな、わたしは……!」

 本当のことを告白しようとミシェルが口を開くと、アメリーは静かに首を横に振った。

「何も言わないでいいです。わたしたちは尋問をしているわけではありません。ただ、わたしたちは全員寄る辺もなかったり、家から逃げ出してきたような世間のはずれものだったところをアニエス隊長に拾われたおかげで、女だてらに剣士などになれた者たちです。隊長がいなければ、野垂れ死にせずに何人が今でも生きていられたことか……だから、アニエス隊長の判断を、私たちも信じます」

「しかし、それではお前たちの気持ちはどうなんだ! わたしは、わたしは隊の名前に泥を塗り、いままで逃げ隠れしてきた卑怯者だ」

「はい……確かに隊を裏切って敵と内通していた副長を恨む声も、隊内には根強くありました。それは間違いありません」

「じゃあ……」

 また、ミシェルはおびえたように肩をすくめた。でも、アメリーも隊員たちも、そんなそぶりは欠片も見せずに、話を続けた。

「サイトの言葉で、あなたが生きているとわかったあとは、隊は真っ二つに分かれて押し問答になりました。隊長もいるからすぐに助けにいこうというものと、裏切り者を助けるいわれはないというものたちの……でもね。そうしてついに剣が抜かれかけたとき、サイトの奴があなたを恨むものたちの前で突然土下座して言ったんです。「お願いですからミシェルさんを許してあげてください。あの人は、決して悪い人じゃありませんから」って」

「サイト……あいつ、そこまで……」

「でも、いきりたった者たちはそう簡単に止まらず、サイトにあらゆる罵声を浴びせかけました。それをあいつは全部正面から受け止めて、あなたがリッシュモンのせいで両親を失い、さらにだまされて利用されていたことも説明して、何度も頼んだんです」

 ミシェルは、その中でも才人が自分が奴隷だったことは話していないことに気がついた。あいつは、向こう見ずでも、忌まわしい秘密だけは守り通してくれたのだ。

「しかし、あなたの境遇には同情しても、隊の規律や、裏切られたという感情は簡単にはぬぐえませんでした……けど、あいつは頼むのをやめない……それで、一人が怒鳴ったんです。「我々には王国の剣としての誇りがある。その誇りを汚したものを許すことはできない。いったい、我々の誇りに勝るものが裏切り者を救うことにあるのか、言ってみろ!」ってね。するとサイトの奴、いったいどう答えたと思います?」

 アメリーの問いに、ミシェルは見当もつかないとばかりに首を横に振った。すると、アメリーは周りの隊員たちを見渡した後で、愉快そうに笑って告げた。

 

「そうしたら、また仲良くなれるじゃないですか」

 

 アメリーはそう言うのと同時に、おかしさが抑えきれないように腹を抱えて笑い出し、ついで周りの隊員たちもそれぞれの方法で、声を出して笑った。

「あっははは! おかしいでしょう。真顔でそんなことを言うなんて誰が予想するでしょう……そのときも、意表を突かれてみんな大爆笑でしたよ」

「サイト……ふふ……あいつらしいな」

「ですね。でも、おかげで自分たちの本当の気持ちに気づかされました。みんな、心の中では副長、あなたが好きだったんです。隊長と副長がいつでも前にいてくれたから、ひよっこの私たちでも安心して危険に身をさらすことができた。あなたたちの後姿は、わたしたちに勇気をいつもくれました」

「いや、わたしは……わたしの目的のために、皆を利用していたに過ぎないんだ……」

「いいえ、副長はちゃんと私たちを守ってきてくださいました。それは誰もが知ってますし、そう思ってます。そうだからこそ、裏切られたときにあなたを憎みもしたんです。好きだった相手に裏切られたからこそ、憎しみがあったんです」

 人の心には表と裏があり、それらは決して切り離すことはできない。好きだからこそ憎んでしまう、それもまた人の心のありようなのだ。しかし、裏を知ることで表の心の強さを知ることもできる。

 ミシェルは、銃士隊の中で自分がどれだけ大きな存在だったかを初めて知った。一人だったと思っていたのは、勝手な思い込みだった。

 アメリーは、ぐっと涙をこらえているミシェルに、皆の心を代表して語った。

「隊長と副長を助けに行こう。全員でそう決めました……考えてみたら、断罪なんかするより、仲直りするほうがいいに決まってる。大人が子供に口をすっぱくして言うことを、いい大人の私たちはさっぱりできていませんでした。でもそのおかげで自分たちがどれだけちっぽけな”誇り”というものにしがみついていたか、思い知りました。いきがったところで、我々はトリステインに星の数ほどある部隊の一つに過ぎないのに、いったい何様のつもりだったのか」

 思い上がりを反省するようにアメリーがつぶやくと、皆も同様にうなずいた。

「サイトの奴はたいしたものですね。私たちがどれだけ苦労して銃士隊を盛り立ててきたか知りもしないくせに、いつの間にかつまらない建前に曇ってた私たちの目を覚まさせてくれました」

「ああ、すごい奴さ。あいつはな」

 誇らしげにミシェルは言った。才人には、特別な知恵や力があるわけではない。彼にあるのは、むしろ誰もが持っている力……誰かをかわいそうだと思い、手を差し伸べる心、純粋な優しさだ。でも、それがあるからこそ、くだらないしきたりや体裁にこだわらずに人を救うことができるのだ。

 そして最後に、アメリーは立ち上がってミシェルに向かって敬礼をとった。

「副長、我々の気持ちは一つです。帰ってきてください、お願いします!」

 すると隊員たちも口々に述べた。

「副長。副長あってこその銃士隊です。帰ってきてください」

「私たちには副長が必要なんです」

「副長! 副長には私たちは剣の振り方を教わりましたが、私たちは副長になにも教えられてません。恋人の一人も作らずに逝くなんて悲しすぎますよ」

「もう一度いっしょに戦ってください」

「お願いします!」

 ここで泣かずにいられたら人間じゃあない。ミシェルは歯を食いしばり、大粒の涙をこぼしている。

「副長、これ以上はもう余計な言葉は必要ありません。我々は、もう皆副長を許しています。あとは、副長自身が、自分を許してあげてください」

 この瞬間、ミシェルと隊員たちとのあいだにあった壁は、すべて砕けて消え去った。

 裏切り者という重荷を下ろすことができ、長く、遠く回り道をしてしまったけれど、ようやくミシェルは帰るべき場所にたどり着くことができた。

 

 そうして、アメリーは急遽作戦を変更してアニエスとミシェルの救援に乗り出した後のことを説明した。

 才人とアメリーを含む一隊でリッシュモン邸を強襲したけれど、邸はすでにアニエスとミシェルに破壊されていた。地下通路の入り口は見つけたものの、その先を地図もなしに追跡したら遭難するばかりと思われた。

 そのため、彼女たちは一計を案じた。追いかけるのではなく、先回りしようとしたのだ。

 これがリッシュモンの逃げ道とすれば、必ずどこかに出口がある。そのため、全員が街中に散り、トリスタニア中に網を張った。その一人が下水道の出口から出てきたワルドを発見し、全員を呼び集めたのだった。

 

「なるほど、それでみんながあんなところに突然現れられたのか……それで、ワルドとリッシュモンは?」

「残念ながらワルドは取り逃してしまいましたが、すぐに国中に指名手配が出るでしょう。リッシュモンのほうは、申し訳ありませんがまだ発見できていません。街道には検問が張ってありますから、トリスタニアの外にはまだ出ていないはずですが」

「そうか……」

 仕方がない。自分も隊長も動けない今となっては、これ以上は官憲の手にまかせるほかはないだろう。自分たちの手で始末をつけられないのは残念だが、アニエスの命にはかえられなかった。それに、どうせ奴は国家反逆罪で死刑だ。ミシェルはそうして自分を納得させた。

「わかった……そういえば、わたしたちを助けるために全部隊を使ってしまって、作戦のほうはよかったのか?」

「ええ、そのときすでに大半の標的は確保していましたので、支障はほとんどありませんでした。ただ、数人トリスタニアを逃げ出そうとしていましたので、サイトにも手を貸してもらって捕らえました。もっとも、副長たちを助けた時点で体力を使い果たしてたみたいで、途中でのびて今は隣室で寝てますがね」

「!? サイト! サイトがここにいるのか!?」

「ええ、呼びましょうか?」

 ミシェルは一も二も無く頼むのと同時に、急に胸が高鳴ってくるのを感じた。

 サイトが来る……ただそれだけなのに……ミシェルの瞳に、ごろつきたちに捕まりそうになったときに颯爽と助けに来てくれた才人の姿がありありと蘇ってきた。

「ミシェルさん、元気になったんだって!」

 病室のドアを開けて才人が喜び勇んで駆け込んでくる。その顔が人やベッドの隙間をくぐって近づいてくるごとに、心音が抑えようもないくらいに大きくなって、目の前にやってきたときには鼓動が耳で聞こえるのではないかと思うくらいになっていた。

「よかった、一時は面会謝絶なんて言われたから心配してましたよ」

「サイト……」

 ミシェルは言う言葉を探したけれど、結局彼の名前を口にするのが精一杯だった。

 才人はあのときとまったく変わらない笑顔で、率直に傷の心配をしてくれた。彼もまた雨の中を駆け回ったのがすぐわかる、よれて泥がついた服や髪をしていて、みっともないことこの上なかったが、ミシェルは見た目などではなくそのまっすぐな言葉に救われた気がした。

「すみません。来るなって言われてたのに、余計なことしちゃいまして」

「ばか……」

 謝られたって、叱れるわけなんかなかった。才人が来なければ、自分もアニエスも確実に死んでいた。それに、仮に生き残ったとしても仲間たちとの不和は残ったままだったろう。ミシェルは、言葉よりもまず才人に手を伸ばし、才人はその手をとった。あのときと同じ、温かさがミシェルの手のひらに伝わってくる。

「ありがとう……あのときのサイト、かっこよかったよ」

「あ……はいっ」

 つらつらと長く言葉をもらうより、その一言で才人は全部が報われたような思いを感じた。人のために働いたとき、ありがとうの一言に勝る報酬はない。才人はうれしくなって、颯爽と駆けつけたときとは似ても似つかないほど、顔をだらしなくにやけさせた。でも、そうした無邪気な笑顔と、握った手から直接伝わってくる体温が、ミシェルになにも恐れることのない安らぎを与えてくれた。

「本当に、あったかいなサイトの手は」

「いえ、今はミシェルさんの手のほうが熱いですよ。それに、えーっと、その……」

「なに?」

「すごく、可愛い顔になってます」

「えっ……」

 言ってみて、才人は「うわーっ、なんてこと言っちゃったんだ」と内心で汗をかいた。女の子に向かってそんなことを言うのに、普通に慣れていないのである。

 ミシェルのほうも、そんな言葉をかけられるとは予想だにせずに、思わず呆けてしまった。

 けれども、才人はうそやおせじを言った気はなく、今のミシェルには本気で鏡を見せてあげたかった。今のミシェルの顔は、コルベールの研究室で見たときとは比べ物にならないくらいに多くのもので満たされ、輝いている。それは、孤独という牢獄に囚われた人間には、決して見せることの出来ないものだ。でも、人から「可愛い」などと言われたことのないミシェルは、それが才人からだったのも合わせて一気に顔を赤らめた。

「ば、ばか! 人前でなんてこと言うんだ。み、見損なったぞ、お前がそんな軽薄な言葉を使うなんて!」

「いっ!? す、すいません! そ、そんなつもりじゃ」

 才人は、やっぱり余計なことを言うべきじゃなかったと後悔した。

「そんなもこんなも……う……」

「ミ、ミシェルさん!?」

 突然顔を伏せてしまったミシェルに、才人は傷が開いたのではないかと慌てて近寄って顔を覗き込んだ。けれど、ミシェルは顔を覗こうとするとそっぽを向いてしまって、才人に顔を見せてくれない。

「あの、ミシェルさん……すいません。怒ってますか?」

「怒ってない……けど、そんな顔を近づけるな……は、恥ずかしいだろ」

 それっきり、ミシェルは毛布を頭からかぶって寝込んでしまった。才人は、思いもよらずに拒絶されて、どうしたらいいのかわからずに立ち尽くしている。

 その一方で、銃士隊の面々は全員例外なく仰天していた。

 あの副長が、恥ずかしい!? あの、真面目一徹で、因縁をつけてきた魔法衛士隊の男を半殺しにして眉一つ動かさず、隊員たちの恋愛談義を冷笑するだけだった、あの副長が!?

 隊員たちは顔を見合わせてひそひそと話し合い、やがて一人の隊員がわざとミシェルに聞こえるように才人に言った。

「なあサイト、副長があんな様子だし、向こうで食事でもおごらせてくれないか?」

「えっ、でも……」

「いいだろ? 副長も疲れてるんだろうしさ。それに、あとでイ・イ・コ・ト、してあげるからさぁ」

 なまめかしく艶のある声でその隊員が才人にささやくと、思わずその先を想像してしまった才人は初心に赤面した。だが、それ以上に激しい反応を見せたのはミシェルだった。

「だめだーっ!」

 毛布をふっとばし、鬼気迫る表情で跳ね上がったミシェルに隊員たちは気おされて、親の仇のように睨まれたその隊員は「冗談ですよ」と慌てて首をふった。

 しかし、同時に隊員たち全員は確信した。

”これは……本物だ!”

 そうとわかれば勇名とどろく銃士隊の隊員たちだって、二十やそこらの年頃の女性たちである。興味関心は自然とそっちの方面に向くし、堅物一本で来たアニエスやミシェルと違って、みんな経験や知識も豊富だ。

 言葉など必要とせずに、目と目で会話し、全員の総会を経て決議は一瞬にして決まった。

 

 副長の初恋、応援させてもらいます!

 

「サイト」

「え……えっ?」

 肩を叩かれて振り返った才人は、そこにいる隊員たちの表情が変わっているのに気づいた。

 なにか……なんとは言えないが、やけに全員ニコニコしてこっちを見ている。

 嫌な予感がする……と、ルイズやキュルケとか、女性で痛い目を見てきた才人は直感した。

「サイト、この部屋なんだか寒いと思わないか?」

「えっ? ま、まあ少し」

「そうだろう。でもさ、副長毛布ふっ飛ばしちゃって汚れてしまったなあ。それに、今負傷者が多くて毛布に余裕がない。サイト、お前代わりに副長をあっためてやってくれ」

「は!?」

 言われたことの意味がわからず才人は絶句した。が、その隊員は逃がさないぞと才人の肩をがっちりと掴んで、耳元でそっとささやいた。

「だからさ、副長と添い寝してあたためてあげてくれ」

「いっ! ええーっ!?」

「お、お前たち!?」

 才人とミシェルはそろって仰天した。みんな何を言い出すんだ!? しかし、才人は銃士隊のみんなのいたずらを思いついた子供のような笑みに、これは本気だと感じた。

 まずい……この雰囲気は! 例えるなら、友達の好きな子を知ったときの女子グループと同じ。

 だが逃げようとしたときにはすでに遅く、才人は両腕をつかまれて、まわりの隊員たちも喜んで「添ーい寝! 添ーい寝!」とはやし立てている。ミシェルは、才人を捕まえた皆に向かって、「みんな、わたしはそういうつもりじゃ!」と抗議するものの、今度はアメリーはミシェルの味方だが味方ではなかった。

「副長、自分のお気持ちに素直になってください。副長は、サイトのことが好きなんでしょう?」

「う……で、でもサイトにはミス・ヴァリエールがいる」

「それがなんです! それで引き下がって副長は満足なんですか? サイトといっしょにいたいと思うならそうすればいいでしょう。そうやって目の前の幸せから身を引いて、本当に副長は後悔しないんですか?」

 もっと貪欲に幸せを求めてくれというアメリーの言葉に、ミシェルはどう答えていいかわからずに押し黙った。

「しょうがありませんね。おいサイト」

「あっ、はいっ!」

「ミス・ヴァリエールを裏切れとは言わんし、すぐに答えを出せとも言わん。でもな、今副長の気持ちを受け止めてやれる男はお前しかいないんだ。わかるな」

 そのときのアメリーの表情には上付いたものはなく、純粋にミシェルの幸せを願う思いが声に込められていたので、才人も黙ってうなずいた。

「よし、やはりお前はいい奴だな。ようし、それじゃみんな、やれ」

「えっ! ちょっとおれはそういう気で言ったんじゃあ!」

 躊躇する暇もありはせず、才人の力では銃士隊に敵うわけがなく、あっという間に持ち上げられる。

 そして、ベッドの上に放り投げられた才人の顔と、赤くなって恥らうミシェルの顔に近づく……

 が……調子に乗ったのもそこまでだった。

 

「はいそこまで! 病室でなに破廉恥なことしてんのあんたたちは!」

 

 それまで生来気が短いのを、ミシェルの人生にも関わるからと必死で才人の行動を黙認してきたルイズの堪忍袋の尾も、こんなもの見せられたら切れるに決まっている。

 並み居る銃士を小柄な体のどこから発揮されるのかわからないパワーで押しのけ、正確に才人の耳たぶを捕まえて、ルイズは彼を病室の外へと引っ張っていく。

「いててて! ルイズ、ちょっとやめ! タンマ!」

「却下! さっさと来なさいこの馬鹿! また犬に落とすわよ」

「わかった! わかったって! ともかくミシェルさん、お大事にねーっ!」

 入り口のドアが乱暴に閉められ、才人の声がエコーを残して消えていった。

 ミシェルや隊員たちは、あまりのルイズの早業にしばし呆然としていたが、やがて腹を抱えて笑った。

「あはは! まったく、今ひとつのところでかっこうのつかないやつだな」

「あれが本当に、隊長や副長、ひいては我々銃士隊を救った男なんですかね? しかし、あれはまた嫉妬深そうな娘だ。副長、負けてはいられませんよ」

 楽しそうに笑っている隊員たちに混ざっているうちに、ミシェルは帰ってきたのだという安心感に包まれて、共に話に加わっていった。

 

 

 一方、部屋から引きずり出された才人は、廊下に出されるとやっと離してもらえた耳をなでた。

「いってぇなあ……お前、ここまですることないだろ」

「うるっさい! あんなところにあんたを一人で置いておけるはずはないでしょう。少しはわたしの気持ちも考えなさいよねまったく……で、これで気は済んだの?」

「ああ、まあ大体は」

 苦笑しながら答えた才人に、むしろルイズのほうがほっとした。

 人助けはいい。その点については、非のつけようはない。だが、たとえ危険が待っていようとも救いの手を差し伸べることに迷いがないのは、美点には違いなくても見ている自分からしてみれば気の休まるものではない。今回だって、たった一人でごろつきの群れに飛び込んでいって、下手をすればどうなっていたことか。

 しかし、ルイズとて感情の激するところはあっても、決して狭量の人ではない。

「一応、結果がよかったから今回はもう何も言わないわ。ただし、次からはわたしに相談して、もっと計画的に行動しなさいよね」

「はーい」

 全然信用はできないけれど、一応の答えは得れたのでルイズはうなずいた。

 室内からは、まだミシェルや銃士隊員たちの楽しそうな笑い声が響いてくる。その声を耳にして、ルイズはふと思いついたことを才人に尋ねてみた。

「ねえサイト……もし、もしもよ。もしわたしがあなたを裏切って、あなたに杖を向けて殺そうとしたらどうする?」

「なに? なんだよおい。藪から棒に、縁起でもない」

「いいから、万が一そんなことになったらどうするかって、答えなさいよ!」

 才人はルイズの唐突な問いかけにとまどった様子だったが、やがてあごに手を当てて四・五秒ほど考えると口を開いた。

「そうだな。とりあえずは、ふん捕まえてぶん殴るな」

「は?」

「だって、お前が本心からおれを殺すなんてあるはずないだろ。だから、はっ倒して正気に戻してやる」

「もし、本心で裏切ってたら?」

「そのときも殴る。殴って反省させて、そして許す。おれにできるのはそれくらいさ」

 手を横に広げて、自分の限界を示した才人に、ルイズはため息をついて呆れた様子を見せた。

「あんたってほんとにバカね。殴ることと許すことしかできないの?」

「できないよ。おれは神父やカウンセラーじゃない。こんこんと教えを説いて人を救済するなんてできっこねえよ。ただ……」

「ただ?」

「どんなに人から裏切られても、誰かを助けたいっていう、その心だけは失いたくないって思ってるだけさ」

 才人の心に、幼い頃父から聞かされた一つの言葉が蘇ってきた。

 それは、才人の父が子供の頃、ウルトラマンAが地球を去るときに言い残したという言葉。

 

”優しさを失わないでくれ。

 弱いものをいたわり、互いに助け合い、

 どこの国の人たちとも、友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。

 たとえその気持ちが、何百回裏切られようと”

 

 エースの残した心の遺産。それをルイズが知るはずもなくても、ルイズは才人の横顔を見ているだけで、才人だったらどんなときでも助けてくれるだろうと、安心した。

「しかし、やむ気配がないな。この雨は」

 廊下の窓から外を眺めた才人はぽつりとつぶやいた。すでに日付は変わり、時刻は地球でいうなら午前三時あたりの深夜を過ぎているのに、いまだにこの雨はやむ気配を見せない。

 

 だが、異変は突如としてなんの前触れもなく訪れた。

 

「うわっ! 地震かっ!」

 いきなり床が左右に振れ動き出し、窓ガラスが揺さぶられてきしんだ音を立てる。

 地震、それも並ではなく大きい。

 病院の中は、慌てる患者や医療器具をばらまいてしまった看護婦の悲鳴で早くもパニック状態に陥って、倒れたランプから漏れた油の炎を消しとめようと何人かが着ていた服を叩きつけている。

 そんな中で、才人とルイズは廊下の手すりに掴まり、なんとか揺れに耐えながらいたけれど、地震が始まったショックから覚めると、揺れの不自然さに気づいていた。

「サイト! この揺れ方って」

「まさか……」

 感覚、何度もそれを経験した感覚が、この揺れが普通の地震のそれではないことを二人に教えていた。かつてザラガスが出現したときと同じ、地底から巨大なものが浮き上がってくるときに地面を押し上げて起こる、特徴のある揺れ方。

 二人は雨粒が叩きつける窓からトリスタニアを見渡し、漆黒に包まれた市街地の中から、闇を拒否するような輝きを放つ巨大な宇宙円盤が浮上してくるのを見た。

「な、なにあれ!?」

「UFOだって! しかも、あの形はっ!」

 土や家の破片を振り払い、地上三百メートルほどに浮き上がったUFOの形を見て才人は息を呑んだ。平たい円盤型をして、全体が蛍光灯でできているかのように光り輝いているあのUFOはまさか……目の前にあるものと、才人の取り出したGUYSメモリーディスプレイに登録されている、ドキュメントUGMに記録されたあるものとが完全に一致した。

 才人とルイズは、人でごった返し始めた廊下から、銃士隊のつめている大部屋に移って、ミシェルたちと共に窓からUFOを見上げた。光り輝く円盤は、漆黒の闇の中でもはっきりと目立つ姿を誇示しながらトリスタニアの街の上空を浮遊している。その昼が来たような明るさに、眠りをむさぼっていた街の人々も起きだして、家々に灯りが灯り始める。

 そして、トリステイン王宮を見下ろすような位置で停止したUFOから、突如として人々をあざ笑うような声が響いてきた。

 

『ヌゥッハッハハハ! やあ、親愛なるトリステイン国民の諸君。そしてアンリエッタ姫、お元気かな』

 

 惰眠から、一気に街全体を悪夢に引き込むようなおどろおどろしい声。その声の主はミシェルにとっても、そして王宮のテラスから円盤を見上げていたアンリエッタにとっても、決して忘れられないあの男のものだった。

「リッシュモン! あなた、その円盤に乗っているのですか!」

『ヌフフフ、そのとおり。私は今、この輝く神の玉座の中にいるのだ。見るがいい、この神々しき姿を!』

「神の……玉座ですって?」

『そうだ、これこそ数千年に渡ってこのトリスタニアの地下に眠っていた、真の王の証よ!』

 憎憎しげにUFOを見上げているアンリエッタに、UFOからのリッシュモンの笑い声が降りかかる。

 これこそ、リッシュモンのこの反乱計画においての本当の切り札であった。

 彼は万一の際の逃亡手段として整備していた地下通路の拡張中、偶然このUFOが安置されている空洞を発見した。

 むろん、リッシュモンにはUFOの正体などはわからなかった。しかしUFOが安置されていた空洞には、以前このUFOに関わったと思われる人たちの記録が遺跡のような形で残されていた。それによると、この円盤は飛行機械であり、強力な兵器であると記されており、ここを発見したものはただちにここを封印しなおすようにと警告してあった。

 しかし当然リッシュモンはこのUFOを自分のものにしようとした。けれど、ハルケギニアの人間の人知を超えた代物であるUFOの使い方がわからず、もてあましていたところに、ガリアから反乱計画の資金援助の交渉などの目的でやってきたシェフィールドがこれを解析してくれた。

「これはすごいものです。原型が何かはわかりませんが、恐ろしいほど高度な魔法技術を持つ何者かによって改造されて、魔力を受けることによって操縦できるようになっています」

 少なくとも数千年も前に、この円盤を改造して封印したものが誰であるかはもうわからない。しかし、UFOの持つ強大な力に魅せられたリッシュモンにとっては、そんなことはどうでもいいことだった。

『アンリエッタよ。死力を尽くしての羽虫退治、ご苦労だったな。しかし、私にとっては不平貴族の反乱計画など余興に過ぎなかったのだよ。あんなゴミどもなどいなくても、この神の玉座があればすべてのことがかなう。その威力を見せてやろう!』

 その瞬間、上空のUFOから怪光線が放たれ、街のあちこちに着弾して火の手をあげた。

「リッシュモン! なんてことを!」

 騒然としてUFOを見上げていた人々は、突然のUFOからの攻撃に驚いて、慌てて逃げ惑い始めた。しかし、リッシュモンは逃げ惑う人々にも向かって、無差別に怪光線を降らせていく。

『フワッハッハハ! 見たか、この破壊力を。しかしこんなものは序の口だ。これが本気を出せばトリスタニアを瞬時に壊滅させることもできるのだ』

 リッシュモンの言葉ははったりではなかった。いや、その気になったら一機でハルケギニアを崩壊させることもできるほどの威力をこのUFOは持っている。GUYSのドキュメントUGMに記された記録によれば、このUFOの同型機はかつてスカンジナビア半島に大被害を与えた後に、メルボルンの街の地底を地震を起こしながら移動して、壊滅させるという惨事を引き起こしているのだ。しかも、当時の防衛チームUGMは必死の捜索にもかかわらず、空間移動を多用する神出鬼没のUFOに終始翻弄され続けてしまった。

 まして、レーダーもないこの世界では、このUFOが本格的に暴れだしたら止める手立てはない。リッシュモンはさらに数件の家を怪光線で焼き払うと、勝ち誇ってアンリエッタに告げた。

『さあ、これで私の力はわかってもらえたかなアンリエッタよ。街をこれ以上壊されたくなければ、城を捨てて降伏するがいい』

「くっ! 無辜の民を人質にとろうというのですか、なんと卑劣な!」

 自分の命が狙われるなら誇りにかけて降伏などしない。けれど、トリスタニアの何万という民の命が引き換えといわれては、選択を迷わざるを得ない。

 ミシェルは空の上から暴虐を繰り広げるUFOを見上げてつぶやいた。

「リッシュモン……やはり貴様は人間じゃない」

 UFOは飛び立った竜騎士やマンティコアなどを相手にもせず、悠然と空の上から街を攻撃し続けている。そのあまりの機動性の高さに、幻獣でもついていけないのだ。

 アンリエッタは雨中に身を晒しながら街の惨状を見つめていたが、ついに耐えられなくなって叫んだ。

「やめなさいリッシュモン! お前の敵はこのわたしのはず、これ以上民を傷つけてはなりません!」

『よかろうアンリエッタよ。私は心優しい男だ。五分間の猶予をやろう、その間に城を捨てて出てきたまえ。さもなくば、今度はお前ごと城を木っ端微塵にしてくれるぞ』

「そんなことをしたら、お前はこの城を手に入れられなくなります。王になれなくなりますよ」

『そんな城、この神の玉座に比べたらおもちゃのようなものよ。今日からこの神の玉座こそがトリステインの新たなシンボルとなるのだ』

「ならば、なぜ城を欲しがるのですか?」

 怒りをあらわにしたアンリエッタに、リッシュモンは今度は一転して憎しみを込めた声で答えた。

『お前をひざまずかせたいからだ。私は先王のころより王家に使えてきた。毎日毎日、作り笑いを浮かべて媚を売る日々、その屈辱が貴様にわかるか? 私は貴様ら王家を屈服させることを夢見てこれまで生きてきたのだ!』

「悲しいほど卑小な人ですわね、あなたは……たとえこの国の玉座を奪ったところで、あなたなど砂の城の王の器ですらありません」

『なんとでも言うがいい。私はこの神の玉座に選ばれたのだ。貴様もトリステインも、私に歯向かうすべてのものは滅びさるだろう!』

 完全に力に溺れたリッシュモンに、アンリエッタもひるむことは許されない。

「それはどうでしょう。力など、所詮ひとつの道具でしかありません。正義を欠いたあなたなど、遅かれ速かれ滅びさるでしょう」

『フハハハ! 私の足元からいくらでも負け惜しみを言うがいい。よかろう、どうしても降伏しないというのであれば、望みどおり城ごと吹き飛ばしてくれる!』

 勝ち誇ったリッシュモンの声がトリスタニア中に高らかに響く。あの怪光線が放たれれば王宮とてひとたまりもない。街中の人々は王宮がやられると、息を呑んでUFOを見上げた。

 だが、リッシュモンがUFOに怪光線を放たせようとした、その瞬間。

『死ね、アンリエッタ! ぬ? なぜ反応しない……うわっ!? なんだこれは、うわぁぁっ!』

「リッシュモン? どうしたのですか!」

 突然UFOが静止したかと思うと、リッシュモンの声が乱れて悲鳴に変わった。

 アンリエッタや街の人たちは、ただ呆然として見守るしかない。

 やがて悲鳴がか細くなり、断末魔のうめきへと変わった後で、UFOからの声は完全に途絶えた。

「リッシュモン……」

 沈黙した円盤を見つめて、アンリエッタやミシェルはつぶやいた。今のは演技などではなく、絶対に死に瀕した人間の断末魔だ。しかし……リッシュモンは死んだのか……?

 そのとき、空中に静止していたUFOが突然動き出し、街の中央部に遷移した。そして底部からリング状の光線を放射し、光の中から全身緑色の表皮に覆われた異形の怪獣が現れたのだ。

「怪獣!?」

「アブドラールス……やっぱり来たか!」

 才人は、その爛々と輝く黄色い目と、イソギンチャクのような触手を体から生やした怪獣を見て叫んだ。

 UFO怪獣アブドラールス……かつて地球でも、あれと同じ型のUFOから現れて、ウルトラマン80を苦しめた怪獣だ。

 UFOはアブドラールスから離れると、まるで見守るように離れた場所に静止した。

 出現したアブドラールスは、口のあたりに明滅している発光機関から叫び声をあげると足元にある家を踏み壊し、やぐらをへし折って暴れ始めた。

 UFOを攻撃できずにいた竜騎士やマンティコアは、ここぞとばかりにアブドラールスに攻撃を仕掛けるが、まるで効いた様子はない。それどころか、奴は竜騎士やマンティコアの存在をそもそも無視しているかのように街を破壊し続ける。

 アンリエッタは、UFOからの攻撃とは比べ物にならない勢いで街を破壊していくアブドラールスを見て、UFOに向かって「リッシュモン! いえ、その円盤を操っている何者か、交渉があるならわたしにしなさい。街の人たちは関係ありません」と叫ぶが、UFOからはなんの反応もなかった。

 街は逃げ惑う人々でパニックと化し、しかも、アブドラールスの行く手には病院があった。

「まずい! 全員、一人でも多くの患者を抱えて退避しろ!」

 アメリーは隊員全員に命令し、隊員たちは動けない患者を背負って次々と病院を飛び出していく。これなら、なんとか怪獣がやってくる前に全員が避難できるかもしれない、そうアメリーが安堵しかけたときだった。

「大変です! 手術中の隊長が、さっきの地震で縫合中に傷口が開いて、今動かしたら危ないそうです!」

「なんだって!?」

 想定外の事態に、アメリーやミシェルは顔色をなくした。ハルケギニアの医療は地球と比べて魔法というアドバンテージがあるために、外傷の治療に関しては大きくしのぐものの、限界はある。あれほどの傷だ、手術を途中でやめたらアニエスは確実に死ぬ。しかし、どうすることもできない。

 ミシェルは、アメリーに残りの全員をまとめて病院から去るように告げた。むろん、アメリーは副長はどうするのですかと尋ね返すけれど、ミシェルは強く言った。

「わたしは副長だ。最後まで隊長を補佐するのが任務だ。さあ行け、隊長はわたしが最後まで守り抜く」

「副長……」

 アメリーの目に見えるミシェルは、もう弱弱しい少女ではなく、かつてのような凛々しく精悍な副長のそれに戻っていた。

 反論を封じ、ミシェルは窓外を見つめた。アブドラールスはもはや眼前にまで迫ってきている。しかし、今のミシェルには恐れはなかった。なぜなら、今は才人がいる、仲間たちがいる。守るべき人がいるから逃げることはできない。

 だから、決してあきらめない。最後の最後まで奇跡が起こることを信じて。

 そして、アブドラールスの目から黄色の破壊光線が病院に向かって放たれた瞬間、空に輝く一つの星に思いが届いて奇跡は起こった。病院の屋上から飛び立った光がアブドラールスの前に降り立ち、光線を跳ね返して巨人の姿を現す。

「デヤァッ!」

 闇の中にもまばゆく輝く銀色の巨体を雄雄しく立たせ、真のヒーローが登場する!

 拳の先に凶悪怪獣を向かえ、その背の奥には守るべき人をかばう。

 その頼もしき勇姿を見るとき、人は必ず彼の名を呼ぶ!

「ウルトラマンA……」

 今、人の邪悪な心が生んだ悲しい戦いは、その幕を引く時を迎えようとしていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第18話  長い雨のやむ日

 第18話

 長い雨のやむ日

 

 UFO怪獣 アブドラールス 登場!

 

 

 豪雨の中に身をさらし、銀色の巨人と、緑色の光沢を放つ異形の怪獣が対峙する。

 ウルトラマンAとUFO怪獣アブドラールス。

 かつてウルトラマン80を苦しめたこの強敵を相手に、エースはいかに戦うか。

 しかし、その背の先に守るべき人たちがいる限り、戦士の心におびえはない。

〔この怪獣は強敵だ。ゆくぞ、二人とも〕

〔よっしゃあ〕

〔見てなさいよ!〕

 ウルトラマンA・北斗星司とともに、才人とルイズもそれぞれの志をもって戦う決意を定めた。

 そのエースの後ろでは、病院の窓からミシェルや銃士隊の仲間たちが息を呑んで見守っている。

「ウルトラマンA……頼む、みんなを守ってくれ」

 この病院には、手術の終わっていないアニエスや、重病で動かせない患者がまだ残っている。だから、なんとしてでも怪獣をやっつけてくれと、ミシェルは祈り、その祈りがヒーローに力を与える。

 

【挿絵表示】

 

〔ミシェルさん、みんな、必ず守ってみせるからな〕

〔あなたたちの努力、無駄にはしないからね〕

 せっかく仲間たちのもとに帰ることができたミシェルの幸せを、怪獣なんかに踏みにじらせてたまるものかと才人はエースとともに拳を握る。ルイズは恋敵を助けることに釈然としない思いはあったものの、命を軽視することは才人が一番嫌うところである。それに、自分たちの住む国を守るために傷ついた人たちのために戦うことは、ルイズの信じる貴族の責務と一致する。

 対して、アブドラールスは目の前に出現したウルトラマンAに驚いたふうもなく、口元に縦に四個ずつ二列になってついている赤いランプのような発光機関を上から下に輝かせながら、両腕を小刻みに上下させている。また、鳴き声もラジオのノイズのような機械的なもので、その異質さには闘志を燃えさせていたルイズや才人も鼻白むものがあった。

〔なんか、気持ちの悪い怪獣ね〕

〔ああ……こいつ、本当に生き物なのか……?〕

 二人が息を呑んだのも無理はない。これまで多くの怪獣や超獣、宇宙人と戦ってきたが、このアブドラールスにはそいつらが持っていた生物的な怒りや憎しみ、こちらに対する敵意などがまるで感じられず、ロボットかアメーバでも相手にしているような無機質さしか伝わってこない。これならば生物兵器である超獣のほうがまだ生き物らしいだろう。

 ともかく、ウルトラ戦士が戦った怪獣たちの中でもアブドラールスほど謎の多い怪獣はあまり例がない。かろうじて人型をしているものの、頭部の側面から突き出た目は、黄色く不気味に輝き、まったく感情というものを感じることができない。また、胸から腹にかけて鏡のように光を反射する物質がまだらのようについていたり、背中から足にかけて長さの異なる触手が無数に生えている。これら地球上のいかなる生物や、地球に現れたほかのどんな怪獣とも類似点のない容姿から、アブドラールスの存在は宇宙生物学の謎とされている。

 だが、放っておいたら平和が乱される存在であることは間違いない。

「デャァッ!」

 エースのキックがアブドラールスの脇腹を打ち、つかみかかってきたアブドラールスの手をかいくぐって頭部をつかみ、後頭部にチョップの連打を叩き込む。

「ヘヤァッ、シャッ!」

 鋼鉄すら軽くひしゃげさせるエースのチョップ。普通の怪獣ならばこれで脳震盪くらいは起こすだろう。しかしアブドラールスは痛がるそぶりも見せずに、機械的にエースの腕を振り解くと、頭からエースに体当たりをかけてきた。

「エース!」

 背中から煉瓦作りの建物に突っ込んで、舞い上がった土煙に包まれたエースに見守る人々から叫びがあがる。

 もちろん、エースもこのくらいではまいらずにすぐに立ち上がり、正面から激突してパンチやキックの応酬を繰り広げる。

「セヤッ!」

 エースのパンチがアブドラールスのボディに突き刺さり、巨体がよろめいて後退する。だがアブドラールスは苦しそうなそぶりも見せずに持ち直すと、エースに強烈な張り手を喰らわせた。

 横っ面から殴られたエースが、風に吹かれた看板のように吹き飛んで、家々を巻き込んで倒れこむ。軟体じみた体のくせにすごいパワーだと才人は思った。かつてウルトラマン80と真正面から戦って、格闘戦で圧倒したというのもうなずける。

 しかもアブドラールスは単なるパワーファイターではない。エースとの間合いが離れたとみるや、黄色く輝く両眼から、黄色の怪光線をエースに向けて放ってきた。

「ヘヤァッ!」

 とっさに側転してかわしたところに光線は命中し、一軒の家を粉みじんに吹き飛ばす。さらに攻撃は一発では終わらず、エースが避けたところへ二発目、三発目と命中して火の手をあげ、ついにかわしきれなかった怪光線がエースの体に命中した。

「ガァァッ!」

 怪光線が胸に当たったところから電撃を浴びせられたようなショックがエースを襲う。かつても一撃でウルトラマン80にひざを突かせたとおり、この個体の光線も並の威力ではない。

〔いけない! くるわよ〕

 ルイズが叫んですぐ、駆け寄ってきたアブドラールスの足がよろめいたエースを蹴り飛ばした。超獣にも劣らないパワーの攻撃に、エースは地面を転がり、アブドラールスは追撃をかけようとさらに向かってくる。

 しかしエースもやられっぱなしではない。突進してくるアブドラールスの勢いを利用して、体をアブドラールスの体の下に潜り込ませて、掬い上げるように投げ飛ばす。

「ヘヤッ!」

 頭から落下したアブドラールスがあおむけに倒れて転がる。エースはそのチャンスを逃さずに、アブドラールスが体勢を立て直す前に、頭上にあげた手のひらのあいだに赤色のエネルギーを溜め、両腕を突き出すのと同時にくさび形のエネルギー弾の連射に変えて撃ち出した。

『レッドアロー!』

 赤い光の矢がアブドラールスに突き刺さり、断続した爆発が異形を包み込む。

 やったか……? 

 炎と煙に包まれたアブドラールスを、エースは油断なく見据える。だが、炎の中から怪光線が突然撃ち出され、エースの体に槍のように突き刺さった。

「ウッ、グォォッ!?」

 ダメージを受けてエースがよろめくのと同時にアブドラールスが炎の中から立ち上がる。

〔そんな! あの攻撃でまだ動けるのか〕

 才人は炎の中から悠然と現れたアブドラールスを見て愕然とした。レッドアローはかつてタイム超獣ダイダラホーシを木っ端微塵にしたほどの威力があるというのに、奴はまるで無傷だ。そういえば、アブドラールスはかつても防衛組織UGMの戦闘機、スカイハイヤーやシルバーガルのミサイル攻撃をものともせずに、ウルトラマン80のサクシウム光線にも耐える頑丈さを見せている。

 アブドラールスはエースに体当たりを仕掛け、弾き飛ばされたエースを何度も蹴りまわす。

〔このままじゃやられる! 反撃だ〕

 一瞬の隙を突き、エースは突進してくる敵の勢いを利用した巴投げをかけて投げ飛ばした。次いで起き上がってきたところに駆け寄ってジャンプし、両足をそろえたドロップキックをお見舞いする。

 だが、吹っ飛ばされるもアブドラールスはすぐにまた起き上がってくる。

 エースは追撃をかけようとするが、アブドラールスは両眼からの怪光線を弾幕のように乱射してきた。これではさしものエースも回避するのが精一杯で近づくことができない。

 あの武器は強力だ! エースを襲う無数の怪光線の雨あられが火炎と黒煙を生み出して、人々が平和に暮らしていた街を悪魔の炎で包み込んでいく。

 

 街は炎上し、さらに悪いことに、豪雨で視界がさえぎられた人々は効率よく避難することができない。

 しかしその頃、銃士隊はすでに行動を開始していた。

「一番小隊は西番地、二・三番隊は中央街、四番隊は下町へ、各班速やかに避難誘導に当たれ!」

「はっ!」

 人命救助も軍の立派な仕事のうちだ。アメリーの指示が飛び、隊員たちはすばやくまとまると、それぞれの小隊指揮官に従って街中に散らばっていった。

「残りの隊はここに残って患者の避難を手伝え! 副長、副長もどうか安全な場所へ」

「いや、わたしはここでいい。それよりも、一人でも多く避難を急がせろ」

 ミシェルはアニエスといっしょでなければ逃げ出すつもりはなかった。こんな自分をかばって、妹のようだとまで言ってくれたあの人を置いていくなんてできない。手術が終わるまで、絶対に守り抜いてみせるとミシェルは決意した。

「さあ行け、そして銃士隊としての責務を果たすんだ」

「はっ!」

 軍隊とは人殺しを仕事にするろくでもない組織だ。それでも、人を生かせる機会が与えられるならばそれに全力を尽くす。銃士隊に続いて、怪獣に歯が立たないことを認めざるを得なくなった竜騎士隊やマンティコア隊などもアンリエッタの命で救助活動に加わって、逃げ遅れた人々を空から救い出す。それは華々しい戦闘とは違って、地味で功績とは無縁ではあるが重大な……そう、地球で一般の防衛隊員たちがメガホンを片手に市民を避難させてくれるからこそ、防衛チームは安心して戦闘機や超兵器を使うことができるのと同じだ。

「早く! 急いで逃げてください!」

 誘導する隊員たちに従って、人々が洪水のように駆けていく。ベロクロンからメカギラス、ツルク星人とヤプールの攻撃開始当初に受けた大被害を繰り返すまいと、街をあげて避難訓練を繰り返してきた経験が迅速な避難を可能としていた。

 だが、エースに当たるも外れるもかまわずに怪光線を乱射するアブドラールスによって街の各所で火の手があがり、豪雨の中だというのに延焼が広がりつつある。

 カラータイマーの点滅が始まり、ひざを突いて身を守るエースの周囲に着弾の爆炎があがる。

「グォォッ……」

 炎にあぶられてエースは地面に手をつき、苦しそうに倒れこんだ。アブドラールスはエースの動きを封じたのを確認すると、それっきり興味を失ったかのようにくるりと反転すると歩き始める。その行く手にあるものに、才人は憎憎しげに叫んだ。

〔あいつ、また病院を狙ってやがる!?〕

 間違いない、奴は一直線に病院を目指している。あそこには、まだ大勢の人が残っているというのに、行かせるわけにはいかない。

「ヘヤァッ!」

 起き上がってアブドラールスの後ろから組み付いたエースは、奴を強引に振り向かせると肩口から胸に向けてチョップを打ち込み、投げ飛ばそうと組み合う。けれど、アブドラールスのパワーはエースを上回り、逆にエースのほうがアブドラールスに持ち上げられて投げられてしまった。

「ウォォッ……」

 蓄積したダメージの大きさですぐに起き上がれずにいるエースを、まるで丸太のように踏み越えて、なおも病院のある方向へと向かう。

 いったい何が、アブドラールスを引き付けているんだ……?

 奴は明確な目的をもって病院を狙っている。三度にも渡って偶然同じ方向を目指すなどありえない。

 エースのみならず、才人やルイズもアブドラールスがエースにとどめを刺すのも無視して、執念とでもいうべきしつこさで病院を狙う目的を考えた。しかし、病院にいるのは銃士隊と患者、医師くらいのもので、怪獣を引き付ける要素などはなにも思いつかなかった。

 それでも、奴は磁石に引き付けられるかのように病院へ向かっている。

 止めなければ……エースは追おうとするものの、受けたダメージから体がいうことを聞かない。

 そのとき、アブドラールスの放った怪光線が病院の一角に命中し、石造りの建物の一部を吹き飛ばした。

 

 爆発の衝撃は建物の中にも伝わり、ミシェルたちのいる大部屋も天井がはがれて落ち、ベッドが紙細工のようにひっくり返る。もちろん、人間も無事でいられるはずもなく、ミシェルも窓際から部屋の中まで投げ出された。

「う……く」

 舞い散ったほこりと、降りかかってきた天井の破片の中からミシェルは身を起こした。

 周りでは、同じようになにかの残骸にまみれた隊員たちがうめき声をあげている。その中を、痛む体を引きずりながら窓に歩み寄ると、今の一撃で病院を壊せなかった怪獣が、さらに一撃を加えようと腕を揺らしながら怪光線の発射姿勢をとっているのが見えた。その視線の先は、まっすぐ自分のいる場所を睨んでいる。

 これまでか! 思わずミシェルは目をつぶった。だが、その瞬間ミシェルの耳朶を力強い声が打った。

「うろたえるな! 銃士隊の一員たるもの、最後の最後まであきらめずに戦いぬけ!!」

「隊長!」

 振り返ると、なんとそこにはアニエスが一人の隊員に肩を支えられながら立って、鋭い眼差しでミシェルやほかの隊員たちを睥睨していた。

「隊長! お体は!?」

「かまうな。こんなときにのんびり寝ていられるか!」

 そうは言って、しっかりと制服を着込んではいるものの、手術を無理矢理に終わらせてきたのは額の汗を見れば明白であった。その苦痛に耐える精神力は驚嘆にさえ値する。

 これが人の上に立つ人間の義務なのだ。あくまで堂々と、アニエスは窓辺によると、今にも光線を放とうとしているアブドラールスには目もくれず、その後ろのウルトラマンAに向かって叫んだ。

 

「立てウルトラマンA! 私たちも街の人々も、まだ誰一人絶望していない。皆、お前を信じているんだ。それなのにお前が寝ていてどうする! 立たないか!」

 

 燃える街を見て、アニエスの心の声が言っていた。この街を、かつて焼かれた自分の故郷のように滅ぼしてはいけない。故郷を奪われて泣く人間を、一人たりとて生み出してはいけないのだと!

 その声は闇夜を切り裂き、エースの耳を打った。

 そうだ! ウルトラマンであるということは、決して人々の期待を裏切らないということだ。

 ウルトラの父の教えを思い出したエース。皆が応援していることを知った才人。自分も負けていられるかと奮起したルイズの意思が共鳴し、エースの瞳に新しい光が灯った。

「トォーッ!」

 立ち上がったエースは大きくジャンプし、アブドラールスの前に着地した。さらに、怪光線を放ったアブドラールスに向かって両腕を回転させて光の鏡を作り出す。

『サークルバリア!』

 跳ね返された怪光線がアブドラールス自身を打ちのめす。

 今だ! エースの大反撃が始まる。

「ヘヤアッ!」

 首根っこを掴んで持ち上げた勢いで、背負い投げが炸裂し、巨体を泥の中に叩き落す。

 さらに、起き上がってくる前に足をつかんだエースは、そのまま自らを軸に大回転! 風車のようにジャイアントスイングを決めて、放り投げた。

「ようしいいぞ! いけぇー!」

 アニエスやミシェル、街中の人々の歓声の中でエースはアブドラールスを打ち、蹴り、投げて怒涛の猛攻をかけていく。アブドラールスは復活したエースの攻撃に瞬く間にボロボロにされ、ようやく起き上がるも、そこへエースは額のウルトラスターに指を当て、青色の破壊光線を発射した。

『パンチレーザー!』

 顔面に直撃し、アブドラールスは口元のランプを焼け焦げさせてもだえる。

 とどめを刺すのはいまだ! エースはウルトラ念力を集中し、高く掲げた手に一本の長刀を実体化させた。

『エースブレード!』

 作り出した長剣を構え、エースはよろめくアブドラールスの正面から突進した。

「トアァッ!」

 気合一閃! エースの突き出した剣はアブドラールスの胸の中央を見事に貫いた。

”やったか!?”

 世界が凍りついたかのような静寂が訪れた中で、その光景を見ていた誰もが思った。

 エースが剣から手を離すと同時に、止まっていた時間も動き出す。

 エースブレードに背中まで貫通されたアブドラールスは、数歩よろめきながら後退した。

 そして、ふらりと右に傾いたかと思うと、ゆっくりと地響きをあげて倒れこんだ。

「やった……勝ったんだぁーっ!」

 地に崩れ落ちたアブドラールスに、街中から天にも届かんばかりの歓声が沸きあがった。

 避難誘導に当たっていた銃士隊員たちや、王宮から見守っていたアンリエッタからも、思わず安堵のため息が漏れる。

”ありがとうウルトラマンA、トリタニアはこれで救われた”

 だが、人々が歓喜に震える中で、たった二人だけ、背筋の凍るような悪寒に支配されている者たちがいた。アニエスとミシェルは、アブドラールスが倒れたあとで、地面に伏した奴が這いずるようにしながらも病院に……自分たちに向かって手を伸ばし、力尽きて絶命するところを見て、ある男と共通の憎悪を感じていた。

「リッシュモン……?」

 そのとき、それまでずっと戦いを傍観していたUFOが、アブドラールスの死をきっかけにしたかのように動き出した。

「あっ! 円盤が、逃げる!」

 街の誰かが叫んだとおり、UFOは飛行を開始するとぐんぐんと上昇を始めていた。竜騎士も追いかけるけれど、到底追いつける速度ではない。このままでは逃げられてしまう。そうはさせじと、エースはUFOを追って飛び立った。

「ショワッチ!」

 両手を広げ、エースはウルトラ兄弟最速を誇るマッハ二十の猛スピードでUFOを追撃していく。UFOは雲に隠れて遁走を図るが、エースの透視能力にはかなわずに、さらに雲を抜けて上昇を続ける。

〔あいつ、宇宙まで逃げる気か!?〕

 才人はUFOの上昇速度を見てそう思った。奴はさらに加速を続けており、間もなく大気圏を離脱できる第一宇宙速度まで到達する。そうはさせるか! エースは飛行しながら腕をL字に組んだ。

『メタリウム光線!』

 三原色の光芒がUFOに吸い込まれ、UFOは一瞬激しく明滅したのを断末魔とするかのように、次の瞬間大爆発を起こして、跡形もなく吹き飛んでいった。

〔やったあ!〕

〔ざまあみなさいよ!〕

 燃え上がる爆炎に照らされて、エースの中で才人とルイズも勝どきをあげる。

 そこへ、爆発したUFOの衝撃波がエースを通り過ぎていった。それは、地上に届くほどの威力ではなかったものの、トリスタニアを覆っていた低気圧の気流をかき乱し、雲を吹き払ってトリスタニアの街の空に美しい銀世界を取り戻させた。

「わぁ……きれい」

 空を見上げていた人々は、いつも見ているはずの夜空がこんなにきれいだとは思っていなかった。

 銀河は数億の星を輝かせ、いかなる魔法でも作り出せない究極の芸術を見せている。

 その星空に、ふと一つの流れ星が輝いたとき、人々の幾割かは、この星空があの流れ星の贈り物なのかなと思った。

 そして……アニエスとミシェルも。

「終わったな……」

「はい、終わりましたね」

 リッシュモンは死に、奴の陰謀のすべても地獄に落ちた。

 この戦いは……いいや、奴の欲望から端を発した悲劇が、今ここでようやく幕を下ろしたのだ。

 アニエスは、仇の一人がこの世から消えたことへの達成感と、自ら手をかけられなかった無念さと……あと一つ、自らの手で復讐を遂げられなかったのに、なぜかそのことに安堵している自分の心に複雑な思いを抱きながら、ミシェルの腕の中で眠りについた。

 

 

 だが、戦いには勝利したものの、一つの謎が残った。

「ねえサイト……あの円盤と怪獣、結局なんだったのかしら?」

 ルイズに問いかけられて、才人はあのUFOのとった不可解な行動について考えた。

 途中までは、確かにあれはリッシュモンが操縦していたはずだ。しかし、突然のリッシュモンの死と同時にUFOは、まるで自らの意思があるかのように動いてアブドラールスを出現させた。あのUFOにリッシュモン以外が乗り込んでいたとは思えない。ならば、いったい誰が……?

 才人はしばらく考えていたが、やがて空をあおぐと一つの仮説を提示した。

「あの円盤が、リッシュモンを食っちまったのかもしれねえな」

「食べちゃったって? まさか、あの円盤が生き物だったっていうの? もしかして、あんたが前に言ってた、『円盤生物』って怪獣のこと?」

「さあな、おれは思いつきを言っただけだ」

 確証はなにもない。しかし、アブドラールスを乗せてきたUFOについても謎は多い。どこの星からなに星人が送り込んできたのか? 地球を攻撃してきた目的は? アブドラールスが単体で乗ってきたのか、それとも黒幕の宇宙人がいたのかもわかっていない。

 しかし、空を駆け、海に潜り、地を進み、神出鬼没に姿を隠す常識離れしたUFOの能力が、かつての円盤生物に似ている部分があるのも否定できない。

 もしかしたら、あの円盤は太古にハルケギニアにやってきた機械生命体で、誘蛾灯のように自身をおとりにして獲物を待っていたのかもしれない。

 それに、恐ろしいことだが……アブドラールスの断末魔に見せた行動から推測すると、もしかしたら奴は円盤に吸収された……と、それ以上考えることが恐ろしくなった才人は頭を振って打ち消した。

「円盤も怪獣もなくなってしまった以上、どっちみち真実は闇の中さ……」

「そうね……」

 結局、謎は謎のままだった。しかし、確かなことを探すのだとすれば、それはリッシュモンが死に、円盤も永遠に消滅してしまったということだ。過去の人々が懸念した円盤の復活が起こることは二度とないだろう。

 

 謎とともに、古代の悪魔もまた永遠の闇のかなたへと消え去った。

 やがて街の火の手も消え、トリスタニアは平和の中で新しい朝を、黄金の太陽とともに迎えた。

 

 才人たちは、戦いの疲れを泥のように眠って癒すと、銃士隊の面々らとともに昼すぎになって、王宮に呼び出され、謁見の間で王女アンリエッタから祝福を受けた。

「我がトリステインが誇る、忠勇無双な騎士たちよ。よくぞこの国に巣くっていた獅子身中の虫を退治し、王国の平和を守ってくださいました。わたくしは、全国民を代表し、あなた方の勇気と強さと、助け合う心に感謝し、その活躍を永久に心にとどめるでしょう」

 壇上から王家の杖をかかげて祝福の言葉を述べるアンリエッタに、アニエスら銃士隊員たちは、ひざまずいて頭をたれ、少し離れた場所ではルイズが形だけ礼をとっている才人の頭を抑えながら、皆と同じように礼をとっている。

 王女以外誰も一言も発することもなく、やがて儀礼の言葉が終わると、アンリエッタは軽く息をついた。

「さて、堅苦しいあいさつはここまでにしましょう。アニエス、皆さん、ご苦労さまでした。おかげで不平貴族の反乱は未発に終わりました。それに、あなた方が迅速に避難誘導をおこなってくださったおかげで、市民の負傷者も最小限に抑えることができました」

「もったいないお言葉。我ら一同、これよりも殿下のために身命をささげる所存です」

「アニエス、堅苦しいあいさつはここまでにしましょうと言いましたでしょう。儀礼や作法は確かに大切ですが、度を過ぎると嫌味に聞こえますわよ。こうして、誰一人欠けることなくここに揃ったことを、素直に喜びましょうよ」

「は、はぁ……」

 真面目一徹のアニエスには姫様の前で無礼講といわれても、素直に砕けるのは少し難しかったようだ。

 アンリエッタは、少し困った様子のアニエスの前を内心苦笑しながら通り過ぎると、次に隅でかしこまっているルイズたちに声をかけた。

「お久しぶりねルイズ、まさかあなたが来ているとは思いませんでした」

「え……まぁ。トリステイン貴族として、国の大事に立ち上がるのは当然ですから」

 まさか使い魔のお守で来たとは言えないルイズは下手な言い訳をした。むろん、見抜かれてはいたが。

「まあいいでしょう。あなたにはあなたの都合もあるでしょうしね。とにかく、ルイズの助力も少なからず貢献しました。それに、ちょうどあなたに渡すものもありましたし、後で少し時間をとってくださいね。サイト殿も、いつもよくわたしのお友達を守ってくださいまして、お二人には感謝いたしますわ」

 姫と友人とを半分ずつで、アンリエッタはルイズの手をとってお礼を言った。ルイズは、アンリエッタが細かいことにはこだわらないでいてくれるのを知って、「これで母さまに知られずにすむわ」とほっとした。

 アンリエッタは銃士隊員一人一人に笑みを向けて労をねぎらうと、最後にミシェルの前に腰を沈めて微笑んだ。

「お帰りなさい、ミシェル」

 アンリエッタからのすべての思いが、その一言に込められていた。

 長い文句はいらない。ただ、仲間たちにかこまれた彼女の今の姿が、アンリエッタに余計なことを言わせるまでもなく、自然とすべてを物語っていた。

 よく帰ってきてくれた。あの雨の中で、幽鬼のように沈痛なミシェルを見送ったアンリエッタは、人間らしい明るさを取り戻した彼女に心からそう思った。そして、アニエスと並んでリッシュモンを討伐する戦果をあげたミシェルに対する恩賞として、小姓にトリステイン王家の紋章が金字で刻まれた小箱を持ってこさせ、アニエスはそれを開けて中のものを取り出した。

「ミシェル、受け取れ」

 アニエスはその手の中で一枚のマントを広げると、それをミシェルの首にまいてやった。

「これは……銃士隊のマント……?」

「ああ、これがお前の新しいマントだ。私と姫さま、そして銃士隊全員からのプレゼント、受け取ってもらえるだろうな」

 ミシェルは返事の代わりに、真新しいマントのすそをぐっと握ると一度うなずいて見せた。

 マントの肩口にはトリステインの象徴である百合の紋章があしらわれて輝き、間違いなく自分が銃士隊に戻ってきたのだという実感が湧いてきた。

 と、美しいマントの感触をためしていると、マントの胸元に前のマントにはなかった銀色の糸で刺繍された五芒星があしらわれているのに気がついた。

「これは……姫様!」

「ええ、アニエスと同じシュヴァリエの紋章。わたくしからのささやかなプレゼントです」

 ミシェルの顔に驚きとともに歓喜の色が浮かんだ。シュヴァリエ、つまり騎士となることは貴族として認められたことを意味する。それはアニエスと同格となるだけでなく、かつて無実の罪で剥奪された称号が戻ってきた。つまりは、汚名のすべてが浄化されたことを意味するのだ。

 さらに、シュヴァリエに任命されるということは貴族としての、苗字をつけることが許されるということであり、ミシェルはそれを一つの条件つきで受け取った。

「本当によろしいのですか? あなたの失われた家名を返してあげることもできるのですよ」

「はい。いまさら形ばかりの家名を取り戻しても、父も母も戻ってきはしません。それよりも、わたしは新しいこの名前で、隊長や皆と共に生きていきたいのです」

「わかりました。ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン。それがあなたの新しい名前です」

「はっ! 確かに承りました」

 うやうやしく礼をしたミシェルは、隣に歩み寄ってきたアニエスの前に立つと、しっかと抱き合った。

「これからも、よろしく頼むぞ。ミシェル……我が妹よ」

「はい……姉さん」

 そう、ミシェルはかつて失われた家名の代わりに、アニエスと同じ名を背負うことを選んだのだった。

 ミランという、短いが確かなその名を、これからアニエスとミシェルは共有する……姉妹として。

 続いて、銃士隊の隊員たちからも二人を祝福する声が続々とあがった。

「副長! おめでとうございます」

「隊長、かわいい妹さんですね!」

「お二人とも、いつまでも仲良くね」

 割れんばかりの拍手に包まれて、新しい姉と、新しい妹は、思いだけではなく形となった絆をしっかと確かめた。そして、このことを快く認めてくれたアンリエッタに、二人そろってもう一度深々と頭を下げた。

「姫様、ありがとうございます」

「喜んでいただけてうれしいですわ。さて、それでは次にサイトどの、よろしいですか?」

「へ? はい」

 唐突に姫様に話しかけられて、なんだろうなと思いながらも才人はアンリエッタの前に出た。

「あなたのご活躍も聞きました。わたくしの大切な家臣……いいえ、かけがえのない人たちを救っていただいて、本当に感謝しています」

「そんな、おれは自分のわがままを通しただけです」

「そのわがままで救われる人がいるなら、それはよいわがままでしょうね。あなたにも何か報いてあげたい。個人的にはシュヴァリエに任命してもよいと思っているくらいですわ」

 アンリエッタの言葉にルイズは仰天した。それは才人も下級とはいえ貴族の地位を手に入れるということである。平民がシュヴァリエというだけでも例外中の例外なのに、まして才人は異世界人であるし、形式上はルイズの使い魔と規格外すぎる。

 けれど、ルイズが反論をまくし立てる前に、アンリエッタは軽い口調で言った。

「冗談ですよ。いくらなんでも、そこまでしては軋轢が大きすぎることくらいは承知しています。それに、サイト殿にとってシュヴァリエはあまり価値のないものでしょう」

「まあ、そりゃあ」

 実際才人はシュヴァリエといわれてもよくわからなかった。騎士といわれればかっこいいとは思うけれど、別になりたいとは思わない。それに、前にツルク星人が暴れたときに銃士隊に加勢したときも、表彰されるのを断ったとおりに、抜け駆けの手柄でせっかく結んだギーシュたちとの友情にひびを入れたくはない。

「でも、功績をあげたものには報酬を与えなくては示しがつきません。それで、アニエスとも相談したのですが、サイト殿はルイズに召喚されたために、正式にトリステインの国民ではありません。そこで、サイト殿には家名を送ろうと考えました」

「家名って……苗字のことですか?」

「はい。といっても、難しく考えないで、あなたの名前が正式にトリステインの国民として登録されるものと思ってください。役所などでは、身分が不明確な人間は受け付けてもらえませんから、あって不便にはならないはずです。ああ、もちろん母国に帰さないということではなく、トリステインの中だけの話なので安心してください」

 なるほど、つまりは外国人が日本に帰化するときに英名を強引に漢字に直すようなものかと才人は理解した。それでヒラガ・サイトではトリステイン人ではありえない名前なので、少し継ぎ足すわけだ。

 名ばかりの平民から普通の平民に。戸籍ができたら変わるといっても、あまり実感はないけれど、身分証明書を発行してくれるのならありがたい。せいぜいかっこいい名前がつけばいいなと、才人はあまり深く考えずに了承し、アンリエッタは証明書類を秘書官に持ってこさせた。

「ではここに、あなたを正式なトリステイン王国の民の一員として認め、我が名をもちましてその身分と姓名を保障いたします。サイト・ヒラガ・ミラン殿」

 公文書を読み上げて、アンリエッタは自らの花押が押されたそれを才人に手渡そうとした。だが、受け取る側の才人は、たった今アンリエッタが述べたその名前に愕然としていた。なぜなら、その名前は明らかに! 

「ちょ、ちょっと待ってください姫さま! ミ、ミランってことはまさか?」

「ええ、戸籍を作るにしても身寄りがなくては困りますからね。アニエスに後見人になってもらいました」

 唖然としてアニエスのほうを見ると、彼女はしてやったりというように笑っている。

「と、いうわけだ。お前には前々から借りを作りっぱなしだったからな。この国にいる限り、私がお前の身分上の保護者になってやる。ありがたく思えよ」

「い、いやそういうことじゃなくて! おれもこの苗字にするってことは」

「ああ、これでお前は戸籍上私の弟になったわけだ。それに……ほら!」

 アニエスは一歩下がると、ミシェルを才人の前に押し出した。

「た、隊長!?」

「隊長じゃない。姉さんと呼べ。そら、お前にとっても新しい弟だぞ。よく顔を見ておけ」

 そう言われて才人と向かい合わされたミシェルも、予想だにしていなかった事態に困惑し、どうしようもなく才人と顔を見合わせた。

”サイトが、わたしの弟に!?”

”ミシェルさんが、おれの姉さんに!?”

 二人とも、あまりにも突然のことなので心の準備もできずとまどった。

 でも、だからといって嫌だというわけではない。ミシェルの才人への思いは当然、才人にとってもミシェルはもうかけがえのない人だった。

 そこへアニエスが二人の肩を抱いてこう言った。

「突然ですまなかったなサイト。でもな、血のつながりはなくても、ミシェルは私にとって本当の妹だ。この子をまかせられる男はお前しかいない」

「で、でもだからって」

「無茶なのはわかってる。それでも私はミシェルを……いや、お前もいっしょに守ってやりたくなったんだ。少し前は、復讐のため以外に生きるなんて想像もしなかった。お前のせいなんだぞ」

「……アニエスさん」

「ありがとうなサイト、お前はミシェルを救うのと同時に、私にも守るべきものをくれた。恩返しといったら変だが、お前たちの未来をそばで見届けたいんだ。私たちの弟になってくれないか」

「……わかりました。アニエス……姉さん」

 心から納得できたわけではないが、才人もまたアニエスやミシェルの今後を見届けたかった。それに、血がつながっていないといえばウルトラ兄弟もそうだ。血よりも濃い絆で結ばれた兄弟。そう思い、才人はアニエスとミシェルの弟になることを決めたのだった。

「サ、サイト……」

「ミシェル……姉さん」

 ミシェルと才人は、互いに照れながらも弟と姉として相手を認め合った。

 するとアニエスは無邪気な笑いを浮かべ、才人とミシェルの肩をぐっと掴んで、二人を思い切り抱きしめさせた。

「わっ!」

「きゃあっ!」

「おっと、やりすぎた。まあいいか」

 勢い余って、才人はミシェルの胸元に顔を突っ込んでしまった。しかもアニエスが面白がって力を緩めないものだから、才人の顔はミシェルの豊かな双丘にはさまれたまま身動きできない。

「むぐぐ……ちょ、アニエスさん。や、やめてください」

「きゃはは! サ、サイト、息を吹きかけるな。ね、姉さんやめて!」

「なんだなんだ、姉弟なんだからこのくらい気にするな。スキンシップだと思え、スキンシップと」

「そ、そんなぁ!」

 いつもの真面目な態度はどこへやら、いたずらっこのように無邪気な笑顔を浮かべながら、アニエスはミシェルと才人を抱きかかえ続けた。一方で、ミシェルは恥ずかしくて顔から火が出る思いだけれど、いっしょにうれしさで才人を跳ね除けようとはしなかった。それで、そんな降って沸いた天国の中で、才人は、ガールフレンドができたのはいいけれど、姉が二人もできてしまったのをどうやって日本の両親に説明しようかと、本気で悩むのだった。

 むろん、おさまらないのはルイズである。

「あにやってんのよ! あのバカはぁ!」

 才人の身分が公的に保障されるならそれもよいとルイズも軽く考えていた。しかし、こんな展開になることなど念頭にはない。これならまだヴァリエール家の召使その一で押し通したほうがましだ。だいたい才人もなんだ? あんな無茶な条件突きつけられて、しかもあの女のあの胸に……

 だが、激発して才人に殴りかかろうとしたルイズの肩をアンリエッタがつかんで静止した。

「だめですよルイズ。せっかく家族水入らずで親交を深めているというのに、よそさまが割り込んだりしたら」

「ひ、姫様!? か、家族って」

「あら? 姉弟であるということは、当然家族であるということでしょう? ほら、見てごらんなさいよ。アニエスにミシェル、それにサイト殿のあのうれしそうな顔を。やっぱり、家族というものはすばらしいですわね」

 アンリエッタに止められたのでは仕方がないと、ルイズは歯を食いしばって我慢した。

 それに、考えてみたらミシェルが才人と姉弟になるということは、必然的にそれ以上の関係にはなりえないと、ルイズは自分を説得した。

 が、アンリエッタはそんなルイズの目算をテレパシーでも使ったかのように打ち砕いた。

「あ、そうですわルイズ。トリステインの法律では義姉弟って結婚できるの知ってました?」

「んなっ!? ま、まさか……姫様、わかってて最初から全部仕組んだんですか?」

「さあ? なんのことでしょう」

 愕然として、震えながらルイズに見つめられたアンリエッタの顔には、幼いころに二人で侍従長や城の者たちに散々いたずらをしてまわったときの、おてんば娘だったときとまったく変わらない微笑が浮かんでいた。

 そして、アンリエッタは作戦大成功とゆるんでいた顔を引き締めると、アニエス、ミシェル、才人の三姉弟に向かって言った。

「あなた方三人は、もう家族なのです。ですから、決して命を粗末にすることは許されません。その命は、もう一人だけのものではないのですからね。三人とも、これからも姉弟三人仲良く、助け合って生きていくのですよ」

「はい!」

「よろしい。ではさっそく、銃士隊の皆さん。盛大に祝ってあげてください」

「へ?」

 気づいたときには、三人はうずうずしている銃士隊のみんなにすっかり囲まれていた。

「そーれみんな! 新しい隊長のご一家を胴上げだー!」

「おおーっ!」

 あっという間に三人は皆の頭上に持ち上げられて、アンリエッタとルイズの見ている前でわっしょいわっしょいと、何度も宙を舞った。

 アメリーから衛生兵まで、誰もがアニエスたち新しい姉弟を祝福していた。

 おめでとう。よかったですね。これからも仲良くね。仲間たちの温かい声に包まれながら、アニエスとミシェルの心に、遠い昔になくした懐かしいものが蘇ってくる。

「ミシェル」

「姉さん」

 失ったものは戻らないと思っていた。二度と帰ることはできないとあきらめていたもの。

 でも、今彼女たちはそれを手に入れて、その温かさの中にいた。

 家族という、かけがえのない光の中に……

 

 

 数分後、才人はようやく輪の中から抜けると、酔ってふらつきながら窓辺で外の空気を吸い込んだ。

 空は雲ひとつなく晴れ渡り、どこまでも、どこまでも澄み渡っている。

 そんなさんさんと降り注ぐ太陽を浴びながら、才人に背中のデルフリンガーが話しかけた。

「そういえば相棒、聞きそびれてたことさ。お前の世界で復讐にやってきたって宇宙人、その後どうなったんだ?」

「ん? メイツ星人のことか。なんだ藪から棒に」

「いいから、聞きたいんだよ」

 強く問いかけてくるデルフリンガーに、才人は空をあおぐと記憶をたどった。

 

 ゾアムルチを覚醒させ、地球人に対する憎しみをあらわにするメイツ星人の息子・ビオ。

 けれど、銃撃で傷ついた彼に手を差し伸べたのは同じ地球人の子供だった。

 ビオは、殺された父が地球人を愛し、ともに暮らしていた少年に注いでいた愛の記憶が、今の地球人たちにも受け継がれていることを知った。

 そして、ビオの憎しみの化身となったゾアムルチはウルトラマンメビウスによって倒され、復讐をあきらめたビオは、握手を求めてくるリュウ隊員に一言だけ言い残して地球を去った。

「握手は、父の咲かせた遺産の花を見とどけてからにしよう」

 彼は地球人を許したわけではないだろう。けれど、父が地球人を愛し、残した優しさという遺産を信じて、そこに希望を見出してくれたのだ。

 

 才人は、その地球とメイツ星とのあいだの小さな前進を思うと、ぽつりと答えた。

「怒りと、憎しみがどんなに深くても、手を差し伸べてくれる人がいれば、人は未来に希望を持つことができるのさ」

 そう、復讐劇に決着をつけたのは怒りでも憎しみでもなかった。

 ビオにとって父の遺産を受け継いだ人々の手が救いとなったように、才人は銃士隊の仲間たちにもみくちゃにされているミシェルを見て思った。

 

 笑い声はこだまし、空に吸い込まれていく。

 長い雨がやんだ空は、どこまでも美しかった。

 

 

 続く



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第19話  混戦始末記、おいでませ魅惑の妖精亭!

 第19話

 混戦始末記、おいでませ魅惑の妖精亭!

 

 知略宇宙人 ミジー星人

 特殊戦闘用超小型メカニックモンスター ぽちガラオン 登場!

 

 

 無限に広がる大宇宙、そこには様々な生命が満ち溢れている。

 死に逝く星、生まれくる星。

 命から命に受け継がれる大宇宙の息吹は、永遠に終わることはない。

 

 しかし今、我々の住むハルケギニアに、恐るべき侵略の魔の手が迫りつつあった。

 人々は、まだその脅威を知らない。

 

 

 アブドラールスとの戦いが終わった日の夜、銃士隊全員は戦勝祝いもかねて大宴会を開こうとしていた。

「それでは、銃士隊全員の無事生還と、ミシェル副長の復帰。そして、新しい隊長たちミランご姉妹の誕生を祝して、乾杯!」

 アメリーが音頭をとり、店を埋め尽くした銃士隊員たち全員がグラスを高くかかげて乾杯と叫ぶ。

 ここは、トリスタニアのチクトンネ街にある魅惑の妖精亭。アンリエッタ王女から祝福を受けたあの後、格別のおはからいと、たいして活躍できなかったことで責任を感じていたド・ゼッサールが事後処理をすべて引き受けてくれたおかげで、銃士隊は全員休暇をもらえた。そして、彼女たちは才人の紹介で、アルビオンに旅立つ前に彼らがお世話になったここを借り切ってパーティを開いたのだった。

 主賓は、隊長アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランと、帰ってきた副長にしてアニエスの新しい妹、ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン。それから、今回の影の大功労者で二人の弟にされてしまったサイト・ヒラガ・ミラン。

 店の奥側に急造された段に並んで立たされた三人は、それぞれ照れながらもこんなパーティを開いてくれた仲間たちに感謝の言葉を送った。

 

「ごほん。皆、今日はよく戦ってくれた。本来なら、陛下の近衛隊である我々がこのようなパーティを開くのはけしからんことだが、今日は姫殿下のお許しもある。存分に楽しめ!」

「みんな、実を言うとまだ自分がここにこうしているのが夢みたいだ。みなのおかげで、まだこの世の中は捨てたものじゃないと思うことができた。これからもよろしく頼む」

「えーっと……なんて言えばいいのかな。あ、そうだ。皆さん、これからもアニエスさん……いや……まだちょっと実感わかないけど、姉さんたちをよろしくお願いします」

 

 アニエスは固さのなかに柔らかさを、ミシェルは素直に仲間たちへの感謝を、才人は二人の姉への心遣いを見せて、店中からの割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

 続いて、隊員たちのあいだから口々に「隊長、あんまりサイトをいじめちゃだめですよ」とか、「副長、もういなくならないでくださいね」「サイト、姉弟はいっしょに風呂入っていいんだよ」「いつまでも仲良くね」などの声があがる。それらの優しい声を聞いて、才人は銃士隊が単なる軍の一部隊などではなく、ウルトラ警備隊やMATのような厳しさの中に、ZATやGUYSのような優しさをもった、すばらしい組織なのだと思った。

「さあ、今日は副長の復帰祝いだ。全員思う存分飲んでいいぞ!」

 おおーっ! と歓声があがり、続いて何十もの乾杯の音が響いてパーティが始まった。

 魅惑の妖精亭の自慢の料理や酒が次々と運ばれてきて、激務で疲れていた隊員たちは舌鼓を打って胃袋に食物を送り込んでいく。まあ、うら若き乙女たちが肉や酒にかぶりついていく光景は少々圧巻で、さすがはアニエスの部下たちだと才人は感心した。

 妖精亭の店員の少女たちは、普段はこの時間にはむさい男たちを相手にしてるので、いつもと違う層の客たちに最初はとまどっていたものの、そこは鍛えられた接客の名人ばかりである。すぐに適応すると、武勲の自慢を聞いたり、店員も女性であるから隊内での恋愛談義の相談に乗ったりしながら隊員たちに酒をついで、話に聞き入り場を盛り上げていく。

 そこへ響き渡る野太い声。

 

「トレビア~ン! 今日はこんなにうるわしいお客さんがいっぱいおいでくださってうれしいわあ。しかも来てくださったのが、姫殿下の覚えめでたく今をときめく銃士隊のみなさまでしたなんて、こんな名誉は二度とありません。妖精さんたち、今日はいつもの五割り増しでサービスしてあげてちょうだいね」

「はい! ミ・マドモアゼル!」

「トレビアン」

 

 十メートル離れていてもすぐにわかる巨体を左右にくねくねと腰を動かすオカマ、この店の店長のスカロンのあいさつに才人は思わず吐きそうになった。いい人だとわかってはいるけど、この人のこのかっこうはいまだに慣れない。グドンの前のツインテールのように本能が拒否反応を起こしてしまうのだ。

「あれさえなきゃいい店なんだけどなあ」

 パーティが自由時間になったので、才人はアニエスとミシェルといっしょに、三人でテーブルを囲んで話をはずませていた。

 テーブルの周りでは、料理や酒を盆に乗せた店員の少女たちがいそがしそうに駆け回っている。

 ただ、才人にとって意外だったのはアニエスやミシェルをはじめ、銃士隊の隊員たちのほとんどがスカロンの容姿に対して平然としていたことである。

「あんなものより気持ち悪いものなどいくらでもある」

 それとなく尋ねてみて、アニエスから帰ってきた答えがこれだった。

 考えてみたら、銃士隊も立派な軍隊なので、戦場では死体や見るに耐えない汚物を眼にすることも多いだろう。やはり彼女たちは並ではない。アニエスはスカロンのパフォーマンスにもむしろ拍手を送る様子で、才人の肩を叩いた。

「サイト、見たくないものがあるならミシェルの顔でも見ててやれ。この子もそのほうが喜ぶぞ」

「いっ?」

「ちょ、姉さん!」

 二人はまだ酒がまわっていないのに頬を染め、アニエスはそれが面白いというふうに笑った。どうやら妹や弟をからかう楽しみに目覚めてきているようだ。

「ははは、照れるな。さあて、二人とも今日は疲れたろ、たっぷり食べて飲んでいけ。おーい! 酒と料理の追加、早くしろ」

「あっ、はーい! ただいまぁ」

 アニエスが怒鳴ると、奥の厨房から盆に酒と料理を乗せた男たちが駆けてきた。一人はがたいのいい大男、もう一人は厚化粧のスカロンとは別方向のオカマだ。

「まいど、置いておきますね」

「はーいお待たせ。ゆっくりしていってねん」

 二人は料理を運び終えると、また厨房のほうへと走っていった。よく見たら、厨房ではもう一人恰幅のいい男が皿洗いをしているのが見える。才人は記憶を辿って、あれは確か行き倒れていたのをスカロンが拾った三人組だったなと思い出した。名前はドル、ウド、カマとかいったっけか。まだここでアルバイトしていたんだな。

「おーい、こっちも追加オーダー頼む」

「こっちもだ! お酒が足りないよ」

「はーい、たっだいまあ!」

 ウドとカマはオーダーが出るたびに素早く駆け回って、料理を運んだり皿を片付けたりしている。その接客態度はけっこう様になっていて、隊員たちからのウケも悪くないようだ。

 もっとも、耳をすませてみたら厨房のほうからは「ほらドルちゃん! お皿たまってるよ、グズグズしないの」と、叱る声が聞こえてくるのであいつだけはまだ適応してないようだ。

 

 

 さて、そんな店内の喧騒から少しばかり離れ。けっこう広い店内を銃士隊員たちが埋め尽くす中、一人だけはじかれたルイズはふてくされるように隅っこのテーブルで、一人ワインのグラスをかたむけていた。

「なによもう、バカみたいにうかれちゃって。功績あげたからって調子に乗りすぎじゃないの? そんなんで、いざというときに戦えるのかしら」

「まぁまぁルイズ、せっかくのお祝いなんだし、喜べるときには喜ばしてあげなさいよ」

 飲んだくれのおやじみたいにくだをまくルイズを、ジェシカが慣れた手つきで空瓶を片付けながら慰めている。

「ジェシカ! あんたは人事だからそんなのんきに言えるのよ。それにね……はぁ」

 ため息をついたルイズは、そばに置いていたかばんの中から古びた羊皮紙の本を取り出した。

「なに? このボロボロの本?」

 表紙は題名が書いてあったのすらわからないほど擦り切れて、しかも中の茶色くくすんだ紙には一ページたりともただの一字も書かれてはいない。これでは何の本だかさっぱりだとジェシカが首をかしげると、ルイズはつまらなさそうに言った。

「トリステイン王家に伝わる『始祖の祈祷書』よ」

「始祖の祈祷書? あの国宝の?」

 王家に伝わる伝説の書物。それをなぜルイズが持っているのかとジェシカはまた首をかしげた。

「実はね、来月にとりおこなわれるアンリエッタ姫と、アルビオンのウェールズ皇太子の結婚式のために、式の詔を考えてくれって頼まれちゃったのよ」

 ルイズは、銃士隊の表彰式の後でアンリエッタに呼び出されて頼まれたことを聞かせた。

 

「ルイズ、聞いてちょうだい。ついに先日ウェールズさまとの正式な婚約の日取りが決まりましたの」

「本当ですか! おめでとうございます。姫さまとウェールズさまなら、きっとよいご夫婦になられますわ」

「ありがとうルイズ。これもみんなあなたたちのおかげよ。それでねルイズ、あなたに折り入ってお願いがあるんだけど。わたしとウェールズさまとの婚礼の折に、式の詔を読み上げる巫女に、あなたになってもらいたいの」

 

 それで、涙を流さんばかりに喜んだルイズは即座に引き受けた。王家の結婚式の巫女とは国中にその名が知れ渡ることになる、この上ない名誉な役割である。父や母、姉たちもきっと喜んでくれるはずだ。そのときはそう思った。

「へえ、それは大変な名誉じゃない!」

「そう思う? でもね、世の中そんなに甘くないのよね」

 ため息をつくと、ルイズは指でペラペラとページをめくりながらぼやいた。

「なんていったって、王家の結婚式の詔でしょ。いくら公爵家の子女だからって、わたしが作ったものをおいそれとは採用されないわ。候補者はほかにもいて、それらの中から一番優秀な詔を作った人が巫女として認められるそうなのよ」

 つまりは、いくつかの貴族から選ばれた巫女候補の娘たちが詔作りでその座を争うということらしい。それも、あとで聞いたことだがルイズ以外の候補者はすでに祈祷書を借りて詔を作ってしまって、あとはルイズが一人だけ。

「多分姫さまのことだから、わたしに巫女になってもらおうと無理に候補者に入れてくれたのね。

そのお心には応えたいのだけど。でも、いったいなんて作ったらいいのかしら……」

 少々不可解に思えることだが、座学においては学年一の成績を誇るルイズは、紙数にしたらせいぜい二~三枚分ほどの詔をどう作成すればいいのかと本気で悩んでいた。むろん、過去に使われた詔を参考にするという手もあるし、アンリエッタもそこまで完璧は求めていないのだけれど、負けず嫌いを地でいくルイズの性格が、人真似は嫌だと妙なプライドを燃やさせていた。

「ほかの貴族の娘なんかに負けたら、ヴァリエール家の名折れだわ。けど、わたしは作文だけは苦手なのよねえ……」

「はぁ、人間意外なところに弱点を持っているものね。だったら、誰か友だちに相談してみたら?」

「それができれば苦労はないんだけど……」

 プライドにひっかかるけど白紙答案だけは嫌なので、その方面はルイズも考えた。しかし、脳裏に浮かんだ名簿に、早々に挫折を強いられた。なぜなら、才人やギーシュをはじめ男連中はアホばっかりで、女もキュルケやシエスタのような色ボケは論外、タバサは定型文しか作ってきそうにない。先生方も、詩的な才能ではロングビルやコルベールはだめそうだ。

 総じて、頼りになりそうなのがいないので、ルイズは行き詰っていた。

「なんとかしないと、名誉どころか大恥だわ……ああもう! ジェシカ、もう一杯」

「はーい、追加オーダーね。カマちゃーん、ルイズにもう一本ね!」

「はぁーい! たっだいまお持ちしまーす」

 すかさずカマちゃんが新しいワインをテーブルにおいて、にこやかにウィンクして去っていった。そのスカロンに勝るとも劣らずの横顔に、思わずルイズからも嗚咽が漏れる。

「うぇーっ、あんたたち、あんなのよくいまだに雇ってるわねえ」

「そうでもないわよ。前にもオカマバーで働いてたこともあるってんで接客態度は悪くないし、今じゃ普通のお客さんも慣れて、けっこう人気あるんだから」

 そんなものか、男っていうのは訳のわからない生き物だとルイズは思った。けれど、そこがこの店の営業戦略なのである。たとえば甘いお菓子を作るときにほんの少し砂糖に塩を混ぜておけば甘みが増すように、美少女たちの中にスカロンのようなのを混ぜておけば、両者を対比することでお客はいつでも新鮮な癒しを得ることができるのだ。

 ともかくも、ルイズは口直しのつもりでワインを無造作にグラスに注いだ。と、そこに才人がアニエスやミシェルと仲良く会話してるのが映って、思わず席を立ちかけたところをジェシカに引きとめられた。

「野暮はやめておきなさいよ。どうせ学院に帰ったらあんたがサイトを独占できるんでしょ。余裕のない女はもてないわよ」

 と言われて、ルイズはしぶしぶ腰を下ろした。

 

 一方、ルイズにしっかりと見張られているとは思わず、才人は若者らしく食欲を本能のままに満たす作業に没頭していた。居酒屋とはいえ、魅惑の妖精亭の料理は充分に標準以上を満たしている。まだ若く、酒より肉のほうに美味を感じる才人は酔いもせずに空になった皿を増やしながら、アニエスやミシェルと、王宮で初めて会ったときからの思い出を語り合っていた。

「早いものだな月日が経つのは。初めて会ったときは、見ている方向も望んでいるものもバラバラだった我々が、今はこうして同じ名を背負って姉弟になるなんて……」

 感慨深くつぶやいたアニエスと、才人とミシェルは同じ気持ちだった。

「ギーシュの奴が道に迷ったおかげで鉢合わせすることになったんだよな。うーん、思えばアホらしい出会いだったな」

「ははっ、でもそのおかげでサイトと出会えた。そして、あのトリスタニアを震撼させたツルクセイジンとの戦いのとき、サイトが駆けつけてくれなかったら、わたしを含めて銃士隊は皆殺しにされていただろう」

「それいうんだったら、その前にバム星人に撃たれかかってたとき、おれはアニエスさんたちに助けられてますからおあいこですよ」

 互いに、助け助けられて、大変な戦いを生き延びてきたのだと彼らはあらためて感じた。

 いくらすごい力を持っていようと、一人でできることなどたかが知れている。ウルトラマンだってひとりじゃあない。兄弟たちや大勢の人々に支えられてきたからこそ、恐るべき怪獣や侵略者と戦い抜くことができたのだ。

 思い出話はそれからもじっくりと続いた。時系列は時を進め、やがて現代にまでたどり着くと、ミシェルは一呼吸をおいて才人の耳元で小さくつぶやいた。

「実は、わたしの体の傷、消そうと思うんだ」

 才人ははっとすると、食べる手をやめてうなずいた。

 ミシェルの体には、奴隷だったころにつけられた無数の傷跡がまだ残っている。リッシュモンを倒したとしても、それが消えることはない。でもそれは、誰にも言ってはいない秘密なのではと、才人がアニエスを見ると、アニエスは驚いた様子もなくうなずいた。

「実はもうアニエス姉さんには話したんだ。サイトが受け入れてくれたんなら、姉さんも受け入れてくれると思って……」

 答えは、ミシェルの肩を優しく抱くアニエスを見れば一目瞭然だった。お前が何を抱えていようと、無条件でいっしょに背負ってやる。それが家族というものだろうと、アニエスは小さい頃に父と母から受け取った愛情をミシェルに注いだ。そしてミシェルはその愛情を受けて、これまでは忌まわしいものとしてひた隠しに隠してきた傷に、勇気を出して向き合うことに決めたのだった。

「できるんですか? 傷を消すなんて」

「水の秘薬を使って時間をかければ可能だそうだ。お前は気にしないと言ってくれたけど、この体じゃわたしの子供がびっくりするからな」

 お腹をさすって、ミシェルはいつかそこに宿るはずの未来の息子か娘の幻想に思いをはせた。

 才人は、そうして前向きに生き始めようとしているミシェルをうれしそうに見つめた。けれど、才人も多少なりとてハルケギニアで過ごしてきた以上、魔法の薬の価値は知っている。それで、お金かかるんじゃないですかと尋ねると、ミシェルは軽く苦笑した。

「貴族の屋敷が庭付きで買えるくらいはいるそうだ。でも、何年かかっても稼いでみせるさ」

 そうは言っても、それが容易なものではないことくらい才人にもわかる。銃士隊の給金は決して安くはないが、それでもサラリーマンがフェラーリを買おうとするようなものだ。無理だと思った才人は、何か補助になれるものはないかと考えて、ふとあることを思い出してパーカーのポケットの中を探ると、奥から玉砂利ほどの大きさの透明な結晶を取り出した。

「じゃあこれ、足しになるようでしたら差し上げます」

「ん? ガラス玉……?」

 アニエスは、才人がテーブルの上に置いたそれを見つめて首をかしげた。

 しかし、ミシェルも意味がわからないと不思議そうにしていると、才人はいたずらっぽく笑って言った。

「覚えてませんか? ほら、アルビオンで雲の中に吸い込まれたとき」

「あっ! ああっ!」

 はっとしたミシェルは、アルビオンで才人たちと行動しているときに、四次元怪獣トドラや超力怪獣ゴルドラスが生息していた異空間に迷い込んだときのことを思い出した。

「あのとき拾ったダイヤモンドか」

「ええ、持って帰って金に換えようと思ってたけどすっかり忘れてた。でもまあ、どうせおれが金持ってても使い道がないし、使ってください」

 惜しげもなく、才人はポケットからつかみ出したダイヤを無造作にテーブルの上にばらまいた。

 それらの価値は、ざっと換算しても、どれだけ安く買い叩いたとしても、これほど大きく質のよい結晶なら二万エキューは軽くするだろう。水の秘薬の代金を払っても山のようにおつりが来る。ミシェルはいくらなんでも受け取れないと遠慮しようとしたけれど、才人はまったく未練はないようだった。

「いいですよ遠慮なんかしなくても。どうせ拾ったものなんだし、役に立てる機会があるなら使わなくちゃ。それに、弟が姉を助けようと思うのは普通でしょ。姉さん」

「う……」

 それを言われたら返す言葉がなかった。アニエスも「もらっておけ」と微笑んでいる。それは、はやく傷を治してきれいになった体を見せてやれというアニエスの姉心だった。ミシェルは姉さんと呼ばれたことにぽっとして、少し頬を染めると、迷った結果、中くらいのダイヤを一つ選んで仕舞った。

 残ったダイヤは、一番小さいものをアニエスが万一の際に隊の運営資金に当てるとしてもらうことにして、あとはまた才人のポケットに仕舞われた。

「まったく、お前は少し目を離すとどこでなにをしてるかわからんな。それにしても、それだけの宝石があれば大金持ちどころか、ゲルマニアだったら爵位や領地も買えるぞ。少しはもったいないと思わないのか?」

「全然」

 呆れたようなアニエスの質問に、才人は即答した。自分が大金を持っていたところで使い道はないし、やたらと貯金する趣味もない。

 ダイヤを異空間で拾ったときもそうだったが、才人の長所であり欠点は金欲や物欲がとぼしいといった点である。衣食住はルイズに保障してもらってるから充分、金貨のプールで泳ぐなどといった下種な夢はない、そんなことより本当に必要としている人に使うべきだと、才人は考えていた。

 しかしそのとき、ポケットから零れ落ちたダイヤが一つ転がって、こっそりと摘み上げられたことに才人は気づいていなかった。

 

 また一方、ルイズは離れた席で今日は酌をする必要のないジェシカを相手にして、才人がミシェルと仲良くしてるのを歯がゆく見つめていた。

「あのバカ、あのバカ、あのバカ……」

「落ち着きなさいよルイズ。焼きもちを焼く女は可愛いけれど、度を越えたら嫌われるわよ」

 注がれたワインをちびちびと飲みながら、ルイズはジェシカになだめられていた。

「うー……でも、サイトはわたしのものなのよ。あいつ、わたしのこと好きって言ったのに、わたし以外の女とベタベタして」

「ま、姉弟になったそうだしそのへんは大目に見て上げなさいよ。心配しなくても、サイトはあんたのこと好きって言ってくれたんでしょ。だったらどっしりかまえてなさいよ。それに、あんたは人の不幸を見てみぬふりをする人を好きになったの?」

 ルイズは人一倍独占欲の強いタイプなので、才人がほかの女と仲良くするのを見ているとたまらなく腹が立った。でも、ジェシカの言うことが的を射ているので、大きく深呼吸して自分を落ち着かせた。

「そうね。サイトは嘘なんかつかないわよね。うん、そうよね。だったらわたしも大人のレディーとして対応しましょう。あんな女に、わたしが負けるはずはないんだから!」

「そうその調子よ! さすが大貴族は器がでっかいわ。さっ、でしたら景気づけに乾杯しましょう」

「ええ、ぐっとつぎなさい」

 ジェシカに持ち上げられていい気分になったルイズは、自分が言われるままに店で一番高いワインを買わされたことに気づいていない。ルイズを慰め励ましつつ、ちゃっかり商売に持ち込むジェシカがすごいのである。

 なんといっても、ジェシカは貴族に対して物怖じしない。むろんルイズが親戚であるシエスタの知り合いだからというのもあるけれど、それを差し引いても、一秒で親友のように陽気に話しかけてくる。しかも、普通なら貴族に対して無礼なと思われるような台詞でも、彼女が言うと悪意をまったく感じず、むしろ楽しくなるのは天性の人柄というべきか。

「ぷはーっ! もう一杯」

「おお、さすがいい飲みっぷりね」

 自分がもろにカモにされているのに気づかず、ルイズの酔いはまわっていった。もっとも、別にジェシカもルイズに悪気があるわけではない。ルイズの悩みには真摯に対応していたし、腹が立ったときには思いっきり飲んで忘れてしまったことがいいこともあるのである。ルイズの場合は不満を内にこもらせるタイプなので、発散できる機会に全部吐き出させたほうがルイズのためだとジェシカは考えていた。お金はもらうけれど、それに見合った幸せはきちんとサービスする。それがジェシカのプライドであった。

 むろん、商売のことも忘れていないが、いかに高級ワインといえどもルイズの小遣いからすれば微々たるものなので、気兼ねせずにボトルをあけると、ルイズはグラスに注いで一気に飲み干した。

 

 と、そのときだった。店の入り口の羽扉が開いて、新しい客が店内に入ってきた。一人だけだが、貴族と思しきマントを身につけた中年の男性である。

 その貴族が入ってくると、貸し切りだと思っていた隊員たちは突然の来客に驚いて店中から視線を集中させた。それから、スカロンが腰をクネクネさせた例の動きで、意外にも素早く駆け寄っていった。

「これはこれはチュレンヌさま。ようこそ、魅惑の妖精亭へ!」

 チュレンヌと呼ばれた貴族は、自分より頭二つくらい大きいスカロンを見上げてにこやかに笑った。

「こんばんわ店長。今日はいつにも増して繁盛しているようだな。まことにけっこう」

「はい、おかげさまで景気よく商売させていただいています。本日はお仕事で?」

「いやいや、今日はプライベートでな。普通に客としてまいったのだ」

「ああ、申し訳ございませんが本日は貸し切りでして」

「なんと! ああそうか、入り口になにやら看板があったようだがうっかり見落としてしまっていた。いやどうも皆の衆、お騒がせしてすまん。わしのことはかまわずに続けてくだされ」

 チュレンヌがさわやかに笑って手を振ったので、怪訝な顔をしていた隊員たちも、とりあえずはまたワイングラスやフォークを手に取った。

「では、わしはこのへんで退散しようか。ご迷惑をかけてすまなかった」

「いえいえとんでもない! あなたさまのおかげで私どもは安心して商売ができるのです! 立ち話でよろしければ少しいかがでしょうか? タルブの新酒が手に入りましたもので」

 スカロンは立ち去ろうとしていたチュレンヌを引き止めて、ほかの客の邪魔にならないように世間話をしながらもてなした。けれど、大半の隊員たちは彼の顔を知っていたので、食事に戻りながらも横目でチュレンヌを見ていた。

「あいつは……」

 さらに、そのスカロンと話しているチュレンヌの顔を見て、アニエスとミシェルが不快そうな顔をしたので、才人はそっと耳元で尋ねてみた。

「あれ、誰です?」

「この区域の徴税官をしているチュレンヌという男だ。すこぶる評判の悪い奴で、脱税や贈賄の噂も耐えない。平民にたかって袖の下をほしがる、典型的な小役人というところだな」

 吐き捨てるようにミシェルが言ったので、才人もまじまじとチュレンヌの様子を観察してみた。こじんまりとした寸詰まりの胴体に、薄くなった頭髪が油で頭に張り付いて、ちょこんとしたなまずヒゲ、絵に描いたようなエロ中年だ。

 しかし、見た目はそのとおりなのだが才人はどうもミシェルの説明に納得できなかった。

「ふーん、でもそんなふうには見えないけどなあ」

 才人の見たところ、貴族の居丈高さは見られないし、スカロンとは友人のように話をしているように見える。これなら会ったばかりのころのアニエスたちのほうがまだ傲慢さがあった。物腰も柔らかで、むしろあっちのほうが頭を下げているような雰囲気に、才人はとてもそんな悪徳役人とは思えなかったのだ。

 するとそこへ、ジェシカが才人の後ろにやってきて三人に耳打ちした。

「そうなのよ。前は副隊長さんの言うとおり、一銭も払わないくせに店にたかってくるひどい奴だったんだけど、一ヶ月くらい前かな。突然人が変わったみたいにいい奴になっちゃったの」

「どういうことだ?」

「どういうことだも、見てのとおりよ。急に腰が低くなって、税金を下げてくれるようになったり、いばってた貴族たちを抑えてくれるようになったりと、まるで以前とは別人みたい」

 ジェシカの言うとおりなら、チュレンヌという奴は過去は相当な嫌われ者だったのだろう。

「どこの世界にも庶民にたかるセコいやつはいるもんだな。ん? そういえばルイズは?」

「ほらあそこ、酔いつぶれて寝ちゃったわよ」

 見ると、ルイズはテーブルにつっぷしてすやすやと寝息を立てていた。そういえば、ルイズもかなり疲れてたんだろう。おれのわがままに付き合わせて悪かったなと、才人はその可愛い寝顔に心の中で頭を下げた。

 しかし、チュレンヌに対しては、突然人が変わったということに関して、職務柄アニエスが怪しんだ。

「ふん、ああいうやからは芝居がうまいからな。本来は、奴も今回の戦いで始末してしまう予定だったんだが、確かに一ヶ月前ほどから贈賄を送っていた貴族との関わりが消えてしまってな。我々の探索に気がついてなりをひそめたのではというのが隊の見解だ。もしくは、奴に恨みをもつ何者かが魔法の薬で人格を変えたか……」

 それについてはジェシカも同感だったらしく、軽くうなずいてはくれた。だが、首を横に振るとその意見をはっきりと否定した。

「誰かが魔法で成り代わってるんじゃないかって、彼の部下たちも怪しんだそうだけど、結局魔法の形跡は見つからなかったそうよ」

「では、本当に人が変わったということか……フン……」

 むろん、納得したわけではないけれど、魔法の薬を使わずに人格を急に変えることは難しい。ならば本当に改心したのか? いや、アニエスやミシェルは多くの悪党を相手にしてきた経験上、チュレンヌの変貌をまったく信用していなかった。

「ともかく、奴はしばらくマークしておく必要があるな。ミシェル、頼むぞ」

「はい」

 隊長と副長の目に戻って、アニエスとミシェルはうなずきあった。

 チュレンヌは、すぐそばでそんな会話がかわされているとは知らず、スカロンと親しげに会話していた。

「おっと、少し長居してしまったか。歩いて帰れるうちにやめておくとしよう」

 空になったワイングラスをスカロンに返し、スカロンはそれをボトルといっしょに受け取りに来たカマちゃんに手渡した。

「ありがとうございましたぁ。これからもどうか、ごひいきに、お・ね・が・い・しますぅ!」

 オカマがウィンクしてのあいさつは、遠目で見ていた才人でも吐き気がしてくるほどキモかった。でも、さすがにこれは無礼うちになるのではとアニエスたちは身構えたけれど。

「うむ、君も商売がんばりたまえよ。美しいお嬢さん」

「んなっ!?」

 想像もしていなかったチュレンヌの反応に、さしものアニエスやミシェルもずっこける寸前まで行った。あのオカマが美しいお嬢さん!? どういう美意識をしてればそんな言葉が出てくるんだ? というか、お前はほんとに人類か?

「ではさらばだ。楽しかったよ」

 最後まで場の雰囲気には気がつかないまま、チュレンヌは帰っていった。残された隊員たちは、別に彼は何もしていないというのに緊張からくる気疲れで、そろってため息をついた。

 でも、パーティは終わりではなく、飲みなおしだとばかりにまだ酔いのまわっていない隊員たちはさらにボトルをあけていく。酒豪ぞろいの銃士隊のパーティは、女性にたいへん失礼なことながら酔っぱらい怪獣ベロンと飲み比べができるんじゃないかと思ったくらいだった。

 やがて三人で飲んでいたアニエスたちも酔いのまわった隊員たちに引っ張り出された。

 なにをしんみりしてるんですか! 隊長たちもいっしょに楽しみましょう。

 スカロンが特別に許可してくれて、飲めや踊れと宴会はまだまだ遠慮なく続いた。

 

 

 パーティは夕暮れから深夜にもつれ込んでいき、日付が変わりそうな時刻になってようやく終わった。

 才人は酔いつぶれてしまったルイズを背中に背負い、アニエスたちは学院に帰る二人を馬車駅まで見送った。

「それじゃ、また」

 才人は借り上げたガーゴイル操縦の自動馬車の座席にルイズを横たえると、簡潔にあいさつをした。

「またいつでも来い。銃士隊は男子禁制だが、お前だけは例外だ。というより、準隊員にしてやろうか?」

「サイト、次に会えるのを楽しみにしてるからな……また、姉弟三人でいっしょに飲もう」

 アニエスとミシェルも、にっと笑って手を振ってくれた。才人は、姉弟に見送ってもらえるということに、なんとなく気恥ずかしさとうれしさを感じた。M78星雲から旅立つウルトラマンも、こんな気持ちなのだろうか。

 馬車の中では、ぐっすり眠ったルイズが、いい夢を見ているのかなにやら寝言を言っている。

「あははは、サイトー、待ってえ。もう、待たないとひどいんだぞぉー」

 夕日の砂浜で追いかけっこでもやっているのだろうか? もしかしたらジェシカが吹き込んだことかもしれないけれど、幸せなものだ。でも、ルイズも才人に付き合って疲れたのだろう。なんだかんだといっても、ルイズもけっこうお人よしなのだ。

 才人がルイズの横の席に座ると、ルイズは無意識にわかるのだろうか才人のひざに頭を乗せてきた。

「サイトー」

 しかもその寝顔が無邪気で可愛いものだから、才人もついつい顔が緩んでしまう。

 そんな二人にミシェルは少し寂しそうな表情を見せたけれど、馬車のドアを閉めるとガラスごしに才人に手を振った。

「じゃあなサイト、道中気をつけてな」

「はい。姉さんたちも、無理はしないで頑張ってくださいね」

 ひづめと車輪の音を残して、馬車は夜の闇の中へと去っていった。

 アニエスたちは、車輪の音が聞こえなくなるまで見送り、静かになるとアニエスは全員を見渡して告げた。

「ようし、では本日はこれで解散する。明日は完全休暇にするから、おのおの宿舎に帰ってゆっくり疲れをとるように。では、解散!」

「はっ!」

 夜空に全隊員の声が響き渡り、銃士隊の最大の戦いはようやく幕を下ろしたのだった。

 

 

 街は寝ぼすけな子供もベッドの上で夢を見て、満天の星々の中に双子の月が仲良く輝いている。

 

 

 だが、光あるところに影がある。平和を取り戻した街の暗い闇の中で、今恐怖の計画が始まろうとしていた。

 

「ふっふっふ、ついにきた。この世界にやってきて苦節三ヶ月! ついにこの星が我々のものになるときがやってきたのだ!」

 

 暗がりの中に高らかに侵略者の声が響き渡る。月明かりだけがわずかに照らすこの室内に、赤いマスクのような頭部をした宇宙人が、ハルケギニアを我が物にしようという、恐るべき企みを育てつつあった。

「かつて、この世界にも様々な侵略者が現れたが、すべて失敗した。だがしかし、我々は詰めを誤って失敗した彼らのようにはいかない。綿密な計算を立てて、誰にも気づかれずに作戦を遂行するのだ」

 自らの計画に絶対の自信を持つ宇宙人は、すぐそばで話を聞いている仲間に力強く宣言した。なんと宇宙人は三人もいた。それが、いつの間にかトリスタニアに潜入していたのだ。なんと恐ろしいことだろう。

「でも、この星にもウルトラマンがいますよ。昨日も見たあいつ、けっこう強そうだったし」

「はっはっはっ! ウルトラマンなど恐れるに足らず、覚えているだろう。あのときのダイナのようにやっつけてくれるわ!」

 ウルトラマンAの存在を危惧する仲間の心配を意に介さずに、リーダーは高らかな笑い声を響き渡らせた。

 ウルトラマンすら恐れないとは、なんとふてぶてしい奴だろう。その自信の根拠はなにか?

 

 だがそこへ、闇を切り裂く雷鳴のごとき声が階下から響き渡った!

 

「うるさーい! 今何時だと思ってるの、早く寝なさーい!」

「うわぁっ! す、すみませんジェシカさん」

 彼らはぽんと手を叩いて人間の姿になると、階段の下を見下ろした。そこには寝巻きを着て、すごく怒った様子のジェシカがぎろりとこちらを見上げている。

「ドルちゃん、近所迷惑だっていつも言ってるでしょう。いい加減にしないと給料下げてもらうわよ」

「す、すいません。すぐ寝ますんで」

 へこへこ謝った彼らは、なんとかジェシカが許してくれるとほっとして部屋の中に戻った。

 なんとここは魅惑の妖精亭の天井裏の部屋だった。実は、ドル、ウド、カマの三人の正体は、この世界の侵略をもくろむ凶悪な宇宙人、ミジー星人だったのだ。

 リーダーのドルことミジー・ドルチェンコ。その手下のミジー・カマチェンコとミジー・ウドチェンコ。

 彼らはかつて別の世界で地球侵略を数度にわたってもくろんだものの、そのすべてに失敗して、ついに何をどう間違ったのか、ハルケギニアに来てしまったのだった。

 でも、人間に変身できる以外はたいした能力を持たない彼らは、食べていくために偶然拾ってくれたスカロンの下で住み込みでバイトしていたのだった。だが、たとえ異世界に来てしまったとしても、彼らは凶悪宇宙人である。

「もうミジー星どころか地球に戻ることもできない。しかーし! 我々の進んだ科学力があれば、こんな未開の星なんぞ、あっという間に征服することができる」

 ドルチェンコは高らかに宣言して、屋根裏部屋を占領している鉄くずの山を見渡した。

 飽くことのない彼の野望は、この世界にあっても侵略用のロボット兵器を作るべく、給料を侵略資金に金属を買い集めたりして連日実験を繰り返していた。しかし、ハルケギニアで手に入る金属や工具ではたいしたことはできず失敗ばかり。前に才人たちが来たときの爆発もその失敗の一つだった。

 が、今ドルチェンコには秘策があった。

「見よ! とうとう宇宙の神は我々に味方した。このダイヤモンドがあれば、高名な土のメイジに部品の作成を依頼する資金を得ることができる」

 なんと才人のダイヤが一個、彼らにくすねられていたのだ。そして、ハルケギニア征服のためのミジー星人の切り札とは!?

「ふっふっふ、今のうちに平和を満喫するがいい人間たちめ。この特殊戦闘用超小型メカニックモンスター・ぽちガラオンが完成したときこそ、この世界の最後となるのだ!」

 ドルチェンコの手のひらの上には、ピンポン球くらいの大きさの、小さな小さなロボットがちょこんと乗っかっていた。このちびっこロボットで、いったいドルチェンコはどんな侵略計画を立てようとしているのだろう? 知略宇宙人と異名をとるミジー星人の頭脳は、人間には図りがたい。

 しかし、意気上がるドルチェンコとは裏腹に、カマチェンコとウドチェンコは後ろを向いてひそひそと話し合っていた。

「そんなお金が手に入るんだったら、あたしは新しいアクセサリーやコスメがほしいわ」

「それより、安くていいから自分たちの家をもちたいって。ここの人たちは親切だけど、いつまでも借家暮らしはなあ」

 どうやらこの二人は今の生活にあんまり不満はないようだ。でも、地球征服がだめならばと野心を燃やすドルチェンコは、二人の頭をつかむとビビビビっ! と電流を流した。

「あばばばばば!」

「目的を見失った、バカどもめが!」

 悪の宇宙人のリーダーらしく、おもいっきり居丈高にドルチェンコはブスブスと煙を吹く二人を叱り付けた。

 でも、この世には上には上がいる。

「こらーっ! いつまで騒いでるの!! いい加減にしないと外に放り出すよ!」

「はいぃっ!」

 ジェシカに怒鳴られて、ドル、ウド、カマは慌ててせんべい布団に潜り込んだ。

 おのれ見ていろ、今にこの星は我々のものになるのだ! 

 この夜ミジー星人たちは、仕事の疲れとハルケギニア侵略の甘い夢に酔いしれて、ぐっすりと眠った。

 

 

 そして翌日とてとてと、アルバイトをこなしながらハルケギニアを侵略すべく、ミジー星人は街を歩く。

 恐るべき侵略ロボットを完成させるために、まずはダイヤを換金するのだ!

「ねえ店長さんのおつかいさぼって大丈夫なの? 怒られてお給料下げられたら大変よ」

「不良にからまれていたおばあさんを助けていたとでも言っておけばいいさ。ハルケギニア征服のためなら、おつかいの一つや二つ!」

 お給料日が近いので心配するカマチェンコをよそに、ドルチェンコは栄光の未来を夢見て、肩をいからせる。これまでコツコツ貯めてきたお金を使って身なりを整え、少しでも高くダイヤを売って、侵略資金を確保するのだ。

 チクトンネ街の裏店では買い叩かれるので、ブルドンネ街の専門店が目的地だ。

 買い物に出ているほかの店員たちや、知り合いに会ったらまずいのでこっそりと、きょろきょろ辺りを見回しながら、三人は進んだ。でも、そんな努力も虚しく三人に後ろから声がかけられた。

「おや? 君たちは魅惑の妖精亭の店員じゃないかね」

「ひゃあっ!?」

 宇宙人のくせに注意力不足。この世の終わりのように振り向いた彼らの前では、チュレンヌがさらにびっくりしていた。

「ど、どうしたね?」

「チ、チュレンヌさま! ど、どうしてこんな早朝から?」

「い、いや、昼食を終えて役所に帰る途中なのだが……悪かったか」

「いえそんなことは! わ、わたしたち急ぎますので、失礼しマース!」

 大慌てで、ミジー星人の三人組は逃げていった。チュレンヌは呆然としてそれを見守る。

 なにか悪いことをしてしまったか……? 訳を知るはずもないチュレンヌは、しばらく考え込んでいたが、やがて苦笑すると自分も自分の仕事場に向けて歩き始めた。

「まあいいか……しかし、やはりこの星はいいな。どことなく地球に似ているし、人々は明るくて親切だ。まぁたこ焼きがないのは残念だけど、もうしばらくいることにしようかな」

 ぽつりと意味ありげなことをつぶやいて、チュレンヌも昼の雑踏の中へと消えていく。

 やがて魅惑の妖精亭の屋根裏からまた爆発音が響き、ジェシカの怒鳴り声がこだまする。

 ミジー星人の野望が成就する日は、まだ遠かった。

 

 

 続く



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第20話  ウルトラ大相撲! 百番勝負

 第20話

 ウルトラ大相撲! 百番勝負

 

 すもう怪獣 ジヒビキラン 登場!

 

 

 ハルケギニアにも秋が来る。

 例年にない猛暑が続いたブリミル暦六二四二年の夏もその暑さを減じ、蝉に変わって鈴虫が鳴く季節がやってくる。

 この地方は基本的に温暖で、日本ほどはっきりと四季が分かれているわけではないけれど、それでも季節は移ろいゆく。

 山では木の実がたわわに実り、海には丸々油ののった魚が群れをなして帰ってきた。

 これら、当たり前だといえばそうなのだが、地球とはまったく起源の違う惑星で、これほど自然環境が似ているのは宇宙の神秘といえるだろう。

 トリステイン魔法学院でも、旬を迎えてやってくる食材の数々に、食堂のコックたちは腕を振るう。

 ああすばらしきかな食欲の秋。

 でも、彼ら学生にとっての本分はこれから。勉強しやすい季節になって、先生方はこぞって宿題を出し、毎夜生徒たちはノートと教科書を前に悪戦苦闘。

 少々厳しい読書の秋。負けるな若者、この苦悩もまた青春だ。

 

 

 一方、トリステインで夏の終わりの長雨が終わった頃、空のかなたの浮遊大陸アルビオンでも季節の変わり目をむかえていた。

 復興が進む各地方都市では、大陸各地からの名産品が集まってくるようになり、市場に活気の花が咲く。アルビオンはトリステインなど下界に比べて寒冷で、冬になったら雪に閉ざされるから、今から年越しの準備に余念がない。少し前に才人たちがお世話になっていたサウスゴータ地方のウェストウッド村でも、森の木々が枯れ葉を散らし始めて、ティファニアはそろそろ薄着に肌寒さを感じ始めていた。

「はぁーっ、最近は急に冷え込むようになってきたわね」

 手のひらに息を吹きかけて暖めながら、ティファニアは行商人から買った品物を家の中に運び込んで一息をついた。

「最近は品物が安くなって助かるわ。これも戦争が終わったおかげね」

 家の中には、野菜や果物、穀物やパンのほかに生活雑貨が小さな山を作っている。長く続いたアルビオンの内乱が夏に終結し、秋になるとその恩恵はこのウェストウッドにもやってきたのだった。

 思えば、あの王党派とレコン・キスタの内乱は、アルビオン全体が悪い夢を見ていたようなものだった。戦艦ロイヤル・サブリン号の反乱から始まった内乱は、あれよあれよと広がって、気がついたときには国を二分する決戦となっていた。始祖の血を守ろうとする王家と、ここ数百年おこなわれたことのないはるか東方の聖地奪還戦争を再開しようとするレコン・キスタ。ぱっと見では華々しく華麗な戦争歌劇だが、終わって思い起こせば、そんなことで戦争をしたのかと馬鹿馬鹿しく感じてしまう。

 でも、これを教訓としなければ、死んでいった者たちも浮かばれまい。

 先日国王に即位したウェールズ皇太子は、もう二度とヤプールなどに付け込まれないように、国の建て直しに腐心しているようだ。噂では、トリステインを見習って平民や女性の登用を始めたり、戦時中にあぶれた大量の傭兵が野盗に転じないようにいろいろ手を尽くしているらしい。詳しいことはティファニアにはわからなかったものの、流通が安定したことで物価が安くなり、ロングビルの仕送りの範囲でもけっこう余裕をもって買い物ができるようになった。そのほかも、ウェールズ新国王は若さをいかして精力的に改革に取り組んでいるのだが、とりあえずウェストウッドまで伝わってくるのはまだそれくらいである。

 ティファニアは、戦争中は戦火が及んでくるようなところではなかったので意識してなかったけれど、やっぱり平和はいいものだとしみじみ思った。

「今日はお肉が手に入ったから、サイトから教えてもらったスキヤキというのをやってみようかしら? みんなもうすぐおなかをすかせて帰ってくるから、がんばらなくっちゃね」

 ティファニアはエプロンを結ぶと、日が暮れたらやってくる可愛い十数人の食欲魔神に立ち向かうために、キッチンに立って、かまどに立ち向かい始めた。

 この、たいした娯楽のない森の中の村でも、子供たちにとってはこの上ない遊び場となる。夏場は照りつける日差しが強すぎて木陰で伸びて、小川で水遊びをしていた彼らも、秋の涼しさの中では存分に駆け回ることができる。

 特に、最近ウェストウッド村の子供たちのあいだでブームになっているものがあった。

「はっけよーい! のこった!」

 地面に引いた丸いわっかの中で、男の子二人ががっぷりと組み合って力の限りに踏ん張りあう。

「のこった! のこった!」

 周りの子供たちからは、顔を真っ赤にして組み合う二人に声援が送られる。

 そして、押し合い引き合いの駆け引きの末、片方の子が相手の一瞬の隙をついて投げ飛ばした。

「東ぃー、チックのやまー!」

 うちわで作った軍配をかざして、行司のアイが勝者の男の子の名前を高らかに呼び上げる。

 そう、今ウェストウッド村ではすもうが大ブームなのだ。

「よぉーし! 今度はおれが相手だ」

「ジムが相手か、返り討ちにしてやるぞ」

「言ったな。今日こそヨコヅナはおれのものだ!」

 また元気よく、土俵の中で二人の男の子がしこを踏んで向かい合う。

 もちろん、これを教えたのは才人である。夏休みにここで遊んでいた頃、なにか面白い遊びはないかと聞かれて、考えた結果教えたのがこれであった。なにせ、すもうは野球やサッカーなどと違って道具は一切必要ない。地面に輪を書けば土俵が出来上がる上に、ルールも相手を土俵の外に出すか、殴る蹴る以外で相手を地面に触れさせればいいだけと極めてシンプルだ。

 子供たちも、最初はかっこ悪いとしぶっていたものの、すぐにその力強さが気に入ってしまった。

「がんばってチック!」

「なんの、今日こそジムが勝つんだからね!」

 女の子たちも、応援している男の子に声援を送る。

「よーっし! 見合って見合って」

 すっかりみんなになじんだアイが軍配を下げて、次なる勝負の始まりだ。

 これぞまさしくスポーツの秋。

 今日もまた、一日で一番強かった子に授けられるヨコヅナの称号をかけて、日が沈むまでのこったのこったと、子供たちの掛け声がウェストウッド村に響き渡る。

 

 

 そして、時空のかなたの青い星でも、珍しい取り組みがおこなわれていた。

「えーい!」

「うわーっ!」

「リュウさん! 大丈夫ですか」

 思いっきり投げ飛ばされて宙を舞ったリュウ隊長に、慌てたミライが駆け寄った。

 ここは日本のとある地方の山間部。そこにある神社の境内で、リュウたちCREW GUYS JAPANのメンバーは、今赤いちゃんちゃんこを身につけた小太りな少年と、すもうで対決をしていた。

「弱い弱い、さあもっとすもうとろうよ」

 リュウをあっさり投げ飛ばした少年は、境内に作られた土俵の中で無邪気に笑って次の相手を待っている。でも、GUYSで一番力持ちのリュウを軽々と投げ飛ばした少年に、カナタをはじめ新人隊員たちもたじたじだ。

 しかし、なぜ地球防衛組織であるGUYSが子供とすもうをとっているのだろうか? その答えは数時間ほどさかのぼる。

 

 異世界での戦いからこちらでも一ヶ月半ほどが過ぎ、GUYSはヤプールの復活以来、地球でもまた出現しはじめた怪獣の撃退に連日取り組んでいた。そんなある日、奇妙な情報がフェニックスネストに寄せられてきた。

「すもう小僧が山から下りてきた?」

 新人のオペレーターからその報告を受けたとき、リュウは最初なんのことやらさっぱりわからなかった。これがテッペイだったら、わかりやすく資料をまとめて説明してくれるだろうけど、今彼は医者の勉強のために大学に戻っている。マリナ、コノミ、ジョージも現在は本業に復帰中。旧メンバーで残っているのは自分と、一度光の国に報告に帰って、また戻ってきたミライの二人だけだった。

 でも、いつまでもOBに頼るわけにはいかない。これからのGUYSを背負っていくのは彼ら新人たちなのだ。報告をそのまま持ってきた隊員は軽くとがめられると、自分なりに資料をまとめてリュウに提出しなおした。

「ドキュメントUGMに記録があります。すもう小僧というのは、足柄秘境に住むすもうの神様と呼ばれている少年で、数十年に一度山から下りてきてはすもうをとってくれると地元の子供たちからは親しまれています。ですがその正体は、ジヒビキランという怪獣なんです」

「へーえ、相撲取りの怪獣か」

 怪獣といえば恐ろしい奴ばかりかと思っていたリュウは、そんなユニークなやつも中にはいるんだなと感心した。

「記録では、百番のすもうをとると満足して山に帰るそうです。しかし、万一怒らせてしまうと、手のつけられない凶暴な怪獣になってしまうそうです」

「そりゃやっかいだな。だが、なんでまたそんな奴がやってきたんだ?」

「先日、足柄秘境の近くで地底怪獣マグラを撃破したときのことをご記憶でしょう。恐らくそのとき、奴が起こした地震が原因ではないかと」

「やれやれ、迷惑なことしやがって」

 怪獣は怪獣を呼ぶ。ボガールのようにぞろぞろと目覚めさせてくるのもいれば、レッドキングのように別の怪獣がいればとりあえず喧嘩をふっかけるために出てくるようなのまで様々だ。

 リュウは、相手が怪獣でもいつもとは違うにおいの事件に、前にファントン星人の落とした非常食料を街中走り回って探したときのような、面倒さを感じた。しかし、人々の平和を守るGUYSとしては座視するわけにはいかない。

「それで、まだそのすもう小僧というのは町に入ってないんだな?」

「はい、ですが過去にも誤って彼を怒らせてしまったために、近隣の町に少なからぬ被害が出ています。ものすごい怪力の持ち主らしいので、怪獣化させたら大変ですよ」

 それを聞いた隊員たちは、怪獣になる前にやっつけてしまえばいいと主張した。しかし、ミライは真っ向からそれを否定した。

「待ってください。怪獣でも、怒らせない限りはおとなしいやつなんでしょう。むやみに攻撃するなんてかわいそうです。人間が宇宙の一員であるように、悪さをしない怪獣はこの地球で人間と共存する権利があるのではないでしょうか」

 人間、ヒビノ・ミライとして、彼は主張した。宇宙には、悪さをしない善良な怪獣も数多くいる。ボッチ村の歌好き怪獣オルフィ、宇宙で一番美しいといわれているローラン。それに兄であるウルトラマンタロウは少年時代に怪獣の友達がいたそうだ。

 そしてリュウもまた。

「ミライの言うとおりだ。俺たちGUYSは殺し屋じゃない。相手が無害だとわかってるなら、攻撃する必要はない。それに弱いものいじめは、俺の性にあわねえ」

 昔、ディノゾールに仲間を全滅させられ、怪獣に対する憎しみに凝り固まっていたころに比べて、リュウも人間としてはるかに成長していた。隊員たちは、弱いものいじめといわれて自分たちの好戦さを反省し、ミライも満足そうにうなづいた。

「しかし隊長、今はおとなしくても万が一ということもあります。GUYSとして黙って見ているというわけには」

「そうだ、出動するぞ。ただし武器は持たずにな」

「は? ですが武器なしでどうやって」

「ようはすもうをとれれば満足するんだろう? だったらやることは簡単だ。よっし、GUYS・サリー・GO!」

「G・I・G!」

 

 というわけで、リュウたちGUYSは現地に急行した。そして町に入る前のすもう小僧を見つけて、正々堂々と勝負を申し込んだのだった。

 

「すもう小僧! 俺たちGUYSが相手になってやる。百番すもうをとったらおとなしく山へ帰るんだ」

「わかった。お前たち強そうだな。よーし、すもうとろうよ」

 こうして、すもう小僧VS新生GUYSのすもう合戦がはじまり、今にいたるというわけだ。

「まず一番手はカナタだ。相手が子供だからって油断するな。ああ見えても怪獣だぞ」

「わかってます。まかせてください!」

 リュウに指名されて、新生GUYSの期待の星、ハルザキ・カナタがまずは土俵入りした。

 地元の相撲部が使用している神社の土俵をお借りして、二人の力士が見合って塩を振る。

 行司はリュウ。ミライははじめて見る相撲とやらに興味深深で見学している。

 でも、いざ取り組もうとしてしこを踏む番になったら、すもう小僧がしこを踏むたびにすさまじい地震が引き起こされた。

「どすこい、どすこい!」

 すもう小僧からしてみれば、軽くしこを踏んでいるだけなのだろうけれど、一歩ごとに森の木々から鳥たちが逃げ出して、古い神社の建物がびりびりと震える。一同はそれだけでひっくり返ってびっくりだ。

 しかしそれでも気を取り直し、まずは一番。

「見合って見合って、待ったなし。はっけよい、のこった!」

 はじかれたように飛び出したカナタとすもう小僧ががっぷりと組み合う。

 けれど勝負はあっさり決まった。すもう小僧の頭上にカナタは軽々と持ち上げられて、ひょいと放り投げられて勝負あり。まずはすもう小僧に白星ひとつ。カナタは目を回して早くも戦線離脱した。

「まだまだ。もっとすもうとろうよ」

 あっけにとられていた隊員たちは、すもう小僧の余裕しゃくしゃくな声で我に返った。

 正直、子供の姿なので油断していた。しかしこの金太郎のようなすさまじい怪力は、やっぱり怪獣だ。

 そこへ、人間離れしたすもう小僧のパワーに気おされて尻込みした隊員たちに、リュウの叱咤が火をつける。

「お前ら、いい大人がそろいもそろってびびってんじゃねえ! GUYSの隊員なら、根性見せやがれ!」

 マリナいわく、熱血バカの真骨頂がここで発揮された。スポ根、熱血、どんと来い。倒れるならば前のめりに思いっきりこけろ。旧MACでは、素手で星人との格闘戦をやることが日常だったそうだ。それに比べたらこのくらいでなんだ。それでもお前たちは男か!? 尻を蹴っ飛ばされた隊員たちは、気合を入れなおしてすもう小僧に立ち向かう。

「よぉーし、隊長! 次は俺がいきます」

 だが、気合はどうあれ結果は散々だった。

 新人隊員たちは一人残らず投げ飛ばされ、みんな地面に転がってグロッキーになっている。

 最後に、こうなったらGUYSのプライドにかけてとリュウが挑んだが、やっぱり勝負にならなかった。

「あいたたた……くっそー、俺が負けるなんて」

 根性見せて、新人たちみたいに伸びはしなかったもののリュウのダメージも甚大だ。実はすもう小僧は昔にも、勝負を挑んだUGMの隊員たちを全員あっさりと返り討ちにしたほど強いのだ。

「どうした? もう終わりかい」

「ちっくしょ……あいたた」

 まだまだ元気一杯のすもう小僧に対して、リュウたちはもうボロボロだ。一人だけミライが残っているけれど、いくらミライが地球人以上の身体能力を持っているからといって、百番まであと九十番近くもあるのに一人だけで取り組ませるわけにはいかない。

「なーんだもう終わりかあ。それじゃあ」

「ま、待て! いてて」

 立ち去ろうとしているすもう小僧をリュウは慌てて引き止めた。これはまずい、ここまで強いとは思っていなかった。しかし、全員打撲で動けない上に、自分も腰が痛くてまともに立つことすらできない。

 ところが、ここで思わぬ援軍が神社の階段を昇って彼らのところにやってきた。

「あれぇ、リュウさんじゃないですか? どうしたんですかこんなところで」

「あっ、コ、コノミじゃないか!」

 なんと、幼稚園の仕事に戻っていたはずのコノミが子供たちを連れてやってきた。驚いたことに、偶然にも幼稚園の遠足が、ここの山登りだったそうだ。彼女はリュウから事情を聞くと、ポンと手を叩いて提案した。

「お相撲なら、みんな大好きですよ。この子たちに、すもう小僧さんの相手をしてもらえばいいんですよ」

「えっ! それは危険だ。子供に見えても、相手は怪獣だぞ」

 自分たちですら敵わなかったのに危なすぎると、リュウは当然ながら受け入れなかった。しかし、話を聞いていた園児たちはリュウの言うことなどおかまいなしで、口々に「すもうとろうよ」と言い、すもう小僧のほうもうれしそうに土俵で待っている。

 リュウは子供たちに怪我をさせては大変だと、腰が痛むのを我慢して止めに入ろうとした。けれど、その前にミライがリュウを助け起こしながら言った。

「リュウさん。ここはコノミさんと皆さんにまかせてみましょうよ」

「おいミライ、何を言うんだ。お前もあいつがどれだけ怪力持ってるのか見ただろう」

「大丈夫です。すもう小僧は子供たちとすもうをとってくれる神様なんでしょう? ほら」

 見ると、すもう小僧はさっきリュウたちとすもうをとったときのパワフルさとは打って変わって、軽くこける程度に手加減して相手をしている。子供たちは、投げられてもたいして痛くないのですぐに立ち上がって泥をはたき、次の子が「今度はぼくの番だ」と元気にしこを踏む。

 ミライの言うとおり、すもう小僧は子供たちに乱暴したりはしなかった。そういえば、村の伝承ではすもう小僧は子供たちと仲良くすもうをとってくれると、アイドル的な伝わり方をしていた。きっと、昔はすもう小僧が目覚めるたびに、村の子供たちがすもうをとって彼を眠らせていたのだろう。

 それにしても、ミライには相手が邪悪なものかそうでないかを感じ分ける不思議な力があるなとリュウは思った。以前も、初めて見るボガールの映像を見ただけで、奴には邪悪な意思を感じると、その脅威をいち早く見抜いている。

「どすこいどすこい」

「まだまだ。もう一回だ!」

「いいぞ、何度でもすもうとろう」

 子供たちは投げられても投げられてもへこたれずに向かっていき、すもう小僧も楽しそうに相手をしている。

 

 言い伝えでは、すもう小僧は昔は足柄秘境に住む普通の子供だったという。

 でも、力自慢で村のすもう大会の賞品をみんなかっさらっていってしまうので村人から疎まれ、崖から突き落とされて怪獣になってしまったのだという。

 それが本当かは今となっては不明だが、目の前にいるすもう小僧はひたすら楽しくすもうをとっていて、そんな悲しい過去があったとはとても見えない。

 

「さあみんな、そろそろお昼よ。お弁当にしましょう」

 次々に取り組んでいるうちに、いつの間にやら正午になっていたらしい。コノミの合図でいったん取り組みは中断して、園児たちはシートを広げて弁当箱を開ける。おにぎりやら、ふりかけのかかったご飯、それにウィンナーや焼き魚など色とりどりなおかず。母親が腕によりをかけたおかずが、子供たちの食欲をそそる。

 けれど、すもう小僧は当然食べ物なんか持っていない。すると、子供たちは物欲しげにしているすもう小僧に、自分の弁当からおかずをわけてすもう小僧に差し出した。

「はい、これあげる」

「あたしも、おかあさんのタコさんウィンナー、どうぞ」

 たちまち、弁当箱のふたの上がおかずでいっぱいになる。それを受け取ったすもう小僧は、満面の笑みを浮かべてぺこりと行儀よくおじぎした。

「ごっつあんです」

 腹が減ってはいくさはできぬ。否、子供たちは大きくなるためにいっぱい食べて、遊ばなければならない。小さいころは遊ぶことが勉強だ。野を駆け山を駆け、多少の怪我なんかお構いなしで、自分の肌で自然からいろいろなことを教わる。昔は誰でもできていたことだ。

 あっという間に弁当を平らげると、すもう大会の午後の部のスタートだ。午前と同じように、投げたり押し出されたり、それでも子供たちはへこたれずにすもう小僧に向かっていく。むしろ鍛えてるはずのリュウたちのほうが疲れた顔をしているから、子供たちのタフさというのはものすごい。

 そしてとうとう九九番の勝負が過ぎて、あと一番を残すのみとなった。これを終わればすもう小僧は山に帰る。

 最後はいったい誰が相手をするか? GUYSの隊員たちはまだあいたただし、子供たちもへとへと、まさかコノミが相手をするわけにはいかない。

 すると、すもう小僧はまっすぐにミライを指差した。

「最後の一番は、お前ととりたい」

「えっ、僕と? いいよ」

 指名を受けたミライは怪訝な表情をしたが、彼だけはまだ勝負をしていなかったので快く受けた。でも、土俵に上がろうとしたミライにすもう小僧は首を振った。

「お前とじゃなくて、ウルトラマンと勝負したい」

「えっ、メビウスと?」

「うん、お前の兄さんはすごく強かった。だから、80の弟がどれだけ強いのか、すごく興味がある」

 ミライは、すもう小僧からの挑戦に息を呑んだ。そうか、彼は昔、兄のウルトラマン80と勝負したのか。そうと言われれば、メビウスもさすがに血が騒ぐ。

 子供たちはすでにウルトラマンメビウスと怪獣のすもう対決に大興奮している。リュウも、怪獣からの挑戦状。しかも自分たちをこてんぱんにした相手からの指名にすっかり乗り気だ。

「ようしミライ、思いっきりぶん投げてやってこい!」

「G・I・G!」

 ミライも、みんなの九十九番までの相撲対決を見てきたので、自分もやってみたくてうずうずしていた。幸いここは山の中、ウルトラマンと怪獣が暴れても人家に被害はでない。

 これでいよいよ千秋楽。対決表は、ウルトラ兄弟の新星・メビウス対怪獣界の横綱ジヒビキラン。

 ミライは土俵の中で、左手にメビウスブレスを出現させると、空高くかかげて変身する。

 

「メビウース!」

 

 金色の光の中から、ウルトラマンメビウスが銀色の雄姿を現す。

 そしてすもう小僧もメビウスを見るとニッと笑い、赤い光に包まれると見る見る巨大化した。それは、すもう小僧の小柄な体型とは打って変わって、伝説の力士雷電のような全身筋肉の真赤な巨躯。顔は逆立つ髪の下に仁王像のような威圧感にあふれ、大木のように太くてがっしりとしたまわしをきりりと締めている。

 これぞジヒビキラン。まさしく、大横綱の大怪獣だ。

「ようし、勝負だジヒビキラン」

 両者気合充分。土俵はないけど投げられたら負けの時間無制限一本勝負。

 雄叫びをあげるジヒビキラン。対してメビウスも臆せずににらみ合う。次に両者は塩の代わりに谷川の砂利をつかんで振りまき、四股をふむのだが、これがまたすさまじい地震を引き起こす。

「きゃああっ! ミライくん、ちょっと加減してよ!」

 しりもちをついたコノミがたまらず悲鳴をあげた。なにせメビウス三万五千トン、ジヒビキラン三万トンが同時に四股を踏むのであるから、隕石が団体さんでいらっしゃったような衝撃が起こる。それでも両者は腰を落として拳を地面につけて仕切りをとった。

 行司は、リュウがガンウィンガーで上空から見下ろしながらすることになった。

「ようしいくぞ! 両者見合って、はっけよーい……のこった!」

 スピーカーで増幅された声が響き渡り、いよいよ立会いが始まった。

 はじかれたように飛びだすメビウスとジヒビキラン。まずは両者ががっちりとよっつに組んで、がちんこで力比べとあいなった。

「ヘヤッ!」

 全身の力を込めて、メビウスはジヒビキランを押していく。先手必勝、攻められるときに攻めろ。小柄な分、素早さではメビウスの勝ちでジヒビキランは押されていく。

 でも、横綱が立会いに遅れたからといって早々やられるわけがない。ジヒビキランはうなり声をあげて気合を入れると、足を踏ん張り、腹に力を込めてメビウスを押し返しはじめた。

「ウワッ!?」

 突然強くなったジヒビキランのパワーにメビウスは驚く間もなく、あっという間にどんどんと押し返されていく。これはまずい、土俵がないとはいってもメビウスの後ろには山肌が近づいてきている。このままでは押し倒されて負けになると、メビウスは組み合いから脱出していったん間合いをとった。

 でも相撲はとにかく押して押して押しまくれが基本だ。離れたメビウスに向かって、ジヒビキランの猛烈な張り手攻撃が襲い掛かり、観戦しているカナタたちGUYSクルーたちから声があがる。

「すごい、なんという突っ張りだ!」

 かつて勢いのあまりにビルを木っ端微塵にしてしまった突進がメビウスに襲い来る。この突進力は犀超獣ザイゴン? いや、キングザウルス三世か、古代怪獣ゴモラのようだ。

「メビウス! 避けろぉ」

 ウルトラマンでもこれは無理だ! メビウスも言われるまでもなく、ジャンプしてジヒビキランの頭上を飛び越えてかわす。やはり身軽さではメビウスのほうが上だ。ジヒビキランは勢いが強すぎて急に止まれずに、一キロほど無駄に突進してやっと止まった。

 その隙をついて、メビウスは反撃に出る。

「セヤァ!」

 助走して勢いをつけ、威力を増したメビウスのジャンプキックがジヒビキランの後頭部に炸裂する。これにはさしものジヒビキランもこらえきれずに前のめりに転ばされた。でも……決まったのはジャンプキックなのだから当然……

「あーあ……」

 やっちゃったなと、カナタたちはため息をついた。子供たちも、「メビウスずるい」と口々に非難の声があがっている。もちろん、転ばされたジヒビキランもメビウスを指差して明らかに怒った様子で物言いをつけてきている。

「えっ? ぼ、ぼく、なにか間違ったことしましたか?」

 メビウスは勝ったと思ったのに、周り中から冷たい視線を投げかけられて戸惑っていた。すると、ガンウィンガーからリュウの呆れた声が流れてきた。

「ミライ! 相撲ではパンチやキックは反則だ!」

「あっ!? そ、そうなんですか」

 ルール違反をしたことにやっと気づいたメビウスは、ジヒビキランに向かって頭を下げると、「ごめんなさい」と平謝りした。

 まったく、地球に来てけっこう年月が経ったけれどもミライが地球の文化にうといのは相変わらずだった。でも、みんなが相撲をとっているのを傍から見ていただけなのだから、ルールを詳しく知らなくても仕方ない。

「ミライくんは相変わらずね」

 コノミが呆れながらも親しみを込めてつぶやいた。昔も、不用意な発言で正体をばらしそうになるミライをフォローするのにいろいろ苦労したのも、今となってはいい思い出だ。

 その後なんとかメビウスにパンチやキックや光線などの相撲の禁じ手を教えて、ジヒビキランに許してもらうと、あらためて立会いが再開された。

「タアッ!」

 突っ張り攻撃を仕掛けてくるジヒビキランに、今度はメビウスも正面からぶっつかる。その衝撃の勢いたるや、周辺の山々の木々が震えて、木の実が冬眠前の熊の頭の上に降り注いだくらいだ。

 メビウスとジヒビキラン、組み合った両者のパワーとパワーが火花を散らす。

”どうしたどうした! ウルトラマン80はもっと強かったぞ”

”僕だって、まだまだあ!”

 ジヒビキランの言うとおり、兄に負けまいとメビウスも全力を尽くす。自分だって、タロウ兄さんやレオ兄さんの厳しい特訓や、いろんな怪獣との戦いを乗り越えてきたんだ。

「がんばれー! メビウス」

「負けるなあ! ファイト」

「相撲は土俵際からが勝負だぞ」

 GUYSクルーたちから、メビウスへのエールが送られる。戦うことはできなくても、GUYSの心はいつでもメビウスといっしょなのだ。

「タァァッ!」

 百二十パーセントのウルトラパワーが発揮され、じりじりと押されていたメビウスの足が止まる。メビウスとジヒビキランの力が釣り合って、一転してまったく動かなくなった。こうなると、少しでもバランスを崩したほうが負ける。ここからは緻密な駆け引きと、精神力の勝負だ。

 両者とも彫像と化したようにぴくりともしない。しかし、メビウスには地球上の三分間という時間制限がある。限界が近づいてカラータイマーが点滅を始める。

 メビウスが危ない! コノミは、手に汗握って見守っていた子供たちに言った。

「みんな! あともう少しよ。さあ、みんなでいっしょに応援しましょう」

 その瞬間、はじかれたように子供たちから歓声が響き渡った。

「がんばれメビウス」「負けるな」「いっけー」「ふんばれ」「ファイトだ」「ジヒビキランもがんばれ」

 声が入り乱れて誰が誰だかわからない。中にはジヒビキランを応援している子もいるけど、それはもうすもう小僧が子供たちの友だちになったという証拠だろう。さあ、時間切れで水入りなどつまらない。最後の勝負だ。

「ヘヤァァッ!」

 メビウスとジヒビキランが同時に声をあげ、決め技をかけようと力を込める。メビウスの体がジヒビキランに押されて後ろにさがる。これは力任せの豪快な押し倒しだ。メビウスもふんばるが、じわじわとメビウスの上半身が地面に近づいていく。

 危ない、メビウス! だがメビウスはこの瞬間を待っていた。ジヒビキランのまわしをしっかりとつかんだメビウスは、ジヒビキランの押してくる力を逆に利用して一気に持ち上げた。

「おおっ! 浮いた」

「吊り上げだあ!」

 力士の巨体をそのまま持ち上げるとんでもない大技が炸裂した。空中では、ジヒビキランがいくら力持ちでも手も足も出ない。

「いまだ、いけぇー!」

 これで百番勝負もとうとう終わりだ。最後の一本、派手に決めてくれ! メビウスは、GUYSクルーや子供たちの声を受けて、ジヒビキランを抱え込んだまま後ろに向かって思いっきり倒れこんだ。

『ウルトラバックドロップ!』

 頭から地面にぶっつけられて、これまでで最大の地響きを起こしながらジヒビキランはぶっ倒れた。最後まで相撲がよくわかってないあたりメビウスらしいけれど、なにはともあれ土がついたのはジヒビキランだ。行司のリュウの高らかな声が、勝者の名を宣言する。

「ウルトラマン、メビウ~ス!」

 見事、メビウスは勝利した。子供たちはメビウスに向かってうれしそうに手を振って祝福した。

 そして、百番勝負を終えたジヒビキランはすもう小僧の姿に戻ると、地面に大の字に寝転んで言った。

「まいった。お前、強いなあ」

「君もすごく強かったよ。さあ、山へ帰ろう」

「うん! 楽しかった」

 満足したすもう小僧は満面の笑みを浮かべて、お礼を言うようにメビウスに手を振った。

 

 こうして、CREW GUYS始まって以来の怪獣とのすもう合戦は幕を閉じた。

 満足したすもう小僧は、言い伝えどおりに山へと帰っていく。そんな彼を、GYUSクルーや子供たちは、山道の途中まで見送っていった。

「じゃあ元気でな。これ、もっていけ」

 リュウが食べ物を詰め込んだ風呂敷包みを渡すと、すもう小僧はにっこりと笑って受け取った。

「ごっつあんです」

 風呂敷には子供たちのお菓子や、村の人たちがくれたおむすびなどがぎっしりと詰まっている。相撲取りは大食いだけど、すもう小僧ももちろん例外ではない。これを平らげて、またいつか目覚める日のためのパワーを補給するのだろう。しかしよく食べよく眠るとは、本当に子供そのものだ。

 すもう小僧は最後にぺこりとお辞儀をすると、笑いながら山の中へと駆けていった。

「さようならー」

「さようならー」

 見送る子供たちとすもう小僧の声が短く響くと、山の中は何事も無かったように静かに戻った。

 これで、また数十年は眠り続けるだろう。次に彼と相撲をとるのはこの子供たちの子供たちかもしれない。きっとそのときも、すもう小僧は喜んで相手をしてくれるだろう。でも、リュウはまた自分が相手をするのはちょっと勘弁と苦笑した。

「やれやれ、嵐のような奴だったなあ」

「でも、気のいい奴でしたね」

 珍しくくたびれた様子を見せたリュウに、カナタが言った。リュウにしてもカナタたち新人たちにしても、怪獣退治のために入隊したGUYSで、まさか相撲をとることになるとは夢にも思っていなかった。怪獣と一口に言っても、こんな愉快なやつも中にはいるのかと目からうろこが落ちた思いをしていた。

 それを見ていたミライは、さわやかな疲れを額の汗ににじませながら言った。

「相撲って楽しいものですね。いつか、またあいつと勝負してみたいです」

「おいおい……でもまあ子供たちにとっては、あいつはアイドルみたいなものだな。それにしても、怪獣と相撲をとったウルトラマンなんて、80とお前くらいじゃないか?」

「うーん。かもしれませんね」

 本当は、怪獣と相撲をとったウルトラマンはエースやタロウなど、ほかにもけっこういる。言ってしまえば、怪獣とバレーをしたり、ボクシングや野球やサッカーをしたりしたウルトラマンもいるのだが、それはまた別の話。

 

 

 その後、GUYSのサコミズ総監は、この一風変わった事件の顛末を、ニューヨークの総本部から帰る途中の専用機の中で、ミサキ総監代行から電話で聞いた。

「以後の調査で、ジヒビキランが完全に眠りについたことが確認されました。しかし、GUYSクルー全員が筋肉痛で、しばらく役に立ちそうもありませんが」

「ふふふ、リュウらしいな。今日いっぱいは怪獣の監視に専念して、無理をせず休むよう伝えておいてくれ」

 サコミズ総監は、好物のコーヒーを飲みながら、立派にGUYSとして活躍しているリュウたちを頼もしく思った。

 でも、無理は禁物だ。リュウは防衛チームの隊長としては史上最年少なだけに、勢いのままに無理をしすぎるところがある。一途で向こう見ずなところが彼の長所であり短所だった。

 それでなくてもリュウは、ハルケギニアから帰ってきて、怪獣対策に追われる毎日。それに、異世界に残った平賀才人くんのご両親に、事情を説明しにうかがったときは、ミライと二人で数日憔悴しきって帰ってきた。無理もない。子供がある日突然手の届かないところに行ってしまった親御さんの気持ちは想像するに余りある。

 さらに通常勤務に並行して、次の日食の日に備えた新型メテオールの試作をフジサワ博士と打ち合わせねばいけなかったり、異世界でも長時間戦えるようにGUYSメカやマケット怪獣の改良をおこなったりと、ただの隊員だったころが懐かしいほど忙しいのである。

「今日のことは、彼らにとっていい気分転換になったんじゃないかな。それに、怪獣にも友達になれるような善良なやつはいる。それを、みんなが知ってくれたのは大きい」

「そうですね。いつか人間と怪獣がいっしょに地球で暮らせる日が来る。そうすれば、この宇宙にも本当の平和というものが来るかもしれませんね」

 敵対ではなく共存。怪獣はいったん怒らせると手に負えないけれど、人間が余計な手出しをしなければおとなしい奴だっていっぱいいるのだ。互いの住処に干渉せず、きちんと住み分けるだけでも怪獣災害はぐんと減るだろう。

「人類は、これからももっと賢くならなければいけない。でなければ、人知れず地球を守ってくれていたウルトラマンたちに、いつまでも恩を返すことはできない」

 サコミズ総監は、かつて最初の防衛チームだった科学特捜隊の亜光速実験船隊のキャップだった。ウラシマ効果で地球とは時間の流れが違うその世界で、彼らは亜光速試験船イザナミを駆って、人類が外宇宙に羽ばたくための実験に明け暮れていた。

 しかし、冥王星軌道に差し掛かり、サコミズキャップが搭載艇イカヅチで母船を離れたとき、どこかの星からやってきた侵略円盤の大群に襲われた。

 そのとき、絶対絶命のサコミズを救ったのが宇宙警備隊の隊長ゾフィーだった。

 それ以来、地球が宇宙の中でいかに危うい存在であるかを知ったサコミズは、その人生を地球防衛と、人知れず地球を守ってきてくれたウルトラマンたちの心に応えるためにささげてきたのである。

 光の国に報告をしにいったん帰っていたミライによれば、ウルトラ兄弟たちも次の機会にはヤプールの率いる超獣軍団との決戦を決めたという。彼らを異世界で戦っているエースのもとへ送り届ける。責任は果てしなく重大だ。

「まだ我々には、ウルトラマンと対等な力はない。それでも、彼らの助けになり、平和への架け橋になれるのなら全力を尽くそうではないか」

 来るべき戦いに備えて、サコミズ総監も人知れず努力していた。実は、GUYSが別の次元世界へと出撃することに関しては、GUYS内部でも反対意見が強いのである。地球防衛を主眼としたGUYSの行動目的を離反する、異星文化への干渉、侵略の引き金にならないか、未知の伝染病、さらなる異世界からの侵略を招かないかなど、数え上げればきりがない。

 だが、最大限の慎重さをもってそれらの課題をクリアしなければならない。必ずやってくる、時空を超えたウルトラ兄弟とヤプールとの決戦のために。各国GUYSとの会議はまだまだ続くだろう。それでも、サコミズにはリュウという頼もしい後継者がいるから安心できる。

 

 この日、小さな事件を経てGUYSの隊員たちはまた大きく成長した。

 明日からは、また自然界のバランスが崩れて目覚めた怪獣たちや、宇宙からの脅威が地球に迫るかもしれない。

 そんなとき、彼らは必ず駆けつけるだろう。平和を守り、未来を切り開くために。

 

 平和を守るヒーローへのあこがれは、いつしか小さな芽となって人々の心に葉を茂らせはじめる。

 地球で、子供たちがそうするように、時空を超えたハルケギニアでもそれは変わらない。

 今日も、トリスタニアの一角では子供たちの遊び声がこだまする。

「がおー! おれは怪獣ザラガスだ。トリスタニアの街なんかぺっちゃんこにしてやるぞ」

「そうはいくか、このウルトラマンAが相手だ! くらえ、メタリウム光線だ」

 日が暮れるまで、子供たちはウルトラマンAごっこを楽しんで、やがて母親に呼ばれて家に帰っていく。

 こんな光景がある限り、世界が闇に閉ざされることはないに違いない。

 例え今日に百人の悪がはびころうと、明日には千人の善人がいればいい。

 誰にも知られず、記憶されることもない世界の片隅で、世界を変えていく希望の光は少しずつ育ちつつあった。

 

 

 続く



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第21話  カトレアの怪獣ランド

 第21話

 カトレアの怪獣ランド

 

 童心妖怪 ヤマワラワ

 原始怪鳥 リトラ

 宇宙小怪獣 クプクプ

 友好珍獣 ピグモン

 伝説妖精 ムゲラ

 音波怪獣 シュガロン

 メガトン怪獣 スカイドン  登場!

 

 

 秋の涼しい空気が空を吹いていき、トリステイン魔法学院の中庭に茶色い木の葉を散らした。

 学院の軒下では、夏のあいだにたくましく成長した燕たちが、温かい南を目指して住み慣れた巣を巣立っていく。

 地球でも、今ごろは紅葉が見ごろになっていることだろう。

 才人とルイズが魔法学院に帰ってきてから一週間ほどが過ぎた。あれから、目だった事件も起きずに、トリステインは至極平和を保ち、魔法学院ものんびりとした空気が流れていた。

 

 人の気配がなくなる授業時間を終えれば、またぞろと生徒たちのにぎやかな声が学院に満ちる。

 ギーシュは下級生の女子に手を出してモンモランシーにかんしゃくを買い、ギムリとレイナールはどうしてあんな情けない奴がもてるんだと真剣に話し合う。

 タバサは陽気を浴びて気持ちよく昼寝しているシルフィードに寄りかかって本を読み、キュルケはそんなタバサに向かって最近のボーイハントの成果や愚痴をこぼす。

 シエスタは晴れた日に布団を干し、物干し竿の上にとまっている白い小鳥が彼女を見守るように喉を鳴らしている。

 

 総じて、平和そのもの。こんな日が永遠に続けばいいなと思うような、そんな昼下がり。

 

 そんななかで、才人は学院の城壁の上に立って、ある方角だけをまるでなにかを待っているように見つめていた。本日は、天気晴朗にして風は穏やか、気温も温かく眠気を誘う陽気である。でも、今日の才人は目をぱっちりさせて、居眠りの兆しはさらさらない。

「……来た!」

 森の向こうの空に待ち焦がれていたそれが見えたとき、才人は思わず手を叩いて喜んだ。

 五匹のドラゴンが、銀色に輝く大きななにかを吊り下げてゆっくりと飛んでくる。それが近づいてくるにつれ、才人の胸に少年らしいワクワクが満ち溢れてきた。

「間違いない。ゼロ戦だ!」

 その翼に描かれた真っ赤な日の丸が目に入ってきたとき、才人は思わず叫んでいた。アルビオンで戦っていたとき、四次元怪獣トドラの異空間で見つけた零式艦上戦闘機。才人とともに空を飛び、リトルモアの大群とも戦った懐かしい翼だ。

 竜の運送屋たちは、城壁の上で指示している才人の誘導に従って、ゼロ戦をゆっくりと学院の広場に下ろした。すぐに才人も階段を駆け下りてゼロ戦のそばによって、じっくりと見つめる。触れれば切れそうなくらい鋭い主翼、すすのこびりついた機首と両翼の機関砲。あのときと変わらない姿で、ゼロ戦は才人の元へと帰ってきた。

「久しぶりだな。またこうして見られるとは思わなかった」

 才人は、二度と動かせないと思っていたゼロ戦をこうして間近で見て、久しぶりに小学校の校舎に足を踏み入れたときのような感慨深さを感じた。以前アルビオンでの戦いで奮闘するものの、ついにガス欠で動けなくなったゼロ戦は、ロングビルに頼んで後日破壊してもらう予定であった。

 しかし、才人がハルケギニアに残ったことと、先日ダイヤモンドを持っていることを思い出したおかげで事情が変わった。才人はダイヤの一つをロングビルに換金してもらって、そのお金でゼロ戦をアルビオンから魔法学院にもってきてもらう代わりに、残ったお金をティファニアへの仕送りにプレゼントしたのだ。

 これにはロングビルは飛び上がらんばかりに驚き、そして喜んだ。アルビオンから学院までの距離を竜をチャーターするのには大金がかかるが、それでも残った額は莫大だった。土くれのフーケとして、貴族からセコい宝石やアクセサリーを盗んでいたときの何日分にも相当する額である。

 でも才人も置物にするためにわざわざ大金をはたいたわけではない。その理由は、いっしょに戦った愛機を雨ざらしにしたり破壊するのは忍びなかったことが一つ。もう一つは、下りてきたゼロ戦にこれ以上ないくらいに目を輝かせ、知的好奇心をくすぐられている人に、これを見せるためであった。

「きみ! こ、これはなんだね? よければ私に説明してくれないかね?」

 ミスタ・コルベールは、才人から見せたいものがあると言われて待っていたものが、自分の想像をはるかに超えていて目を輝かせた。当年とって四十二歳、教員歴二十年。縁結びと毛根の神様にそっぽを向かれた彼の生きがいは研究と発明である。そんな彼に喜んでもらえるだろうと無理を言って手配してもらった才人は、思ったとおりの反応を得れて喜んだ。

「これは『ひこうき』っていうんです。おれたちの世界では普通に飛んでる」

「これが飛ぶのか! はぁ! 素晴らしい!」

 コルベールはゼロ戦のあちこちを興味深そうに見て回った。翼の下に潜ったり、エンジンのオイルの香りを嗅いだり、操縦席の計器を覗き込んだり。このあいだ自分の小屋をゴミ屋敷にして追い出されかけたというのに、もうすっかり忘れているようだ。ただ、胴体によじ登ろうとしたときはゼロ戦の機体構造は非常にもろいので慌てて止めた。機体には早いうちに『固定化』をかけて保護しておいたほうがいいだろう。

 コルベールはひととおり見回ると、翼やプロペラの意味などを根掘り葉掘り才人に質問した。

「なるほど、この風車を回して風の力を得るわけか。なるほどよくできておる! では、さっそく飛ばせてみせてくれんかね! ほれ! もう好奇心で手が震えておる!」

 本当に、おもちゃの箱のリボンを解いてよいかと親にねだる子供のようだ。才人としても、すぐに要望に応えてあげたかったけれど、残念ながら首を横に振った。

「すみませんが、しばらく野ざらしにしていたので先に整備が必要なんです。それで、先生に相談なんですが」

 才人は、このゼロ戦が非常にデリケートな構造でできていること、以前アルビオンで飛ばしたときにも、エンジンを故障していることを話した。

「ううむ、無理に動かすと二度と動かなくなるかもしれないということか。それで私の出番というわけだね。見るところ、とても複雑な構造らしいが、一定の法則に従って分解できるようにもなっているようだ。これは腕が鳴るものだ」

 機械には整備性といって、あらかじめ整備や修理をしやすいように設計されているものだが、それを一目見ただけで理解したコルベールはたいしたものだと才人は思った。工具は『錬金』で作れるし、分解するたびに痛むネジなどは『固定化』で補強すれば穴がつぶれたりすることはない。

 才人は、そういった細かな注意をし、コルベールはうんうんと言いながらそれらをメモした。

「図面をとりながら分解すれば、ばらして二度と組み立てられなくなるということもあるまい。それにしても、これは私の思い描いていた理想そのものだ」

 楽しげにコルベールはゼロ戦を見つめ続けた。才人はやはりこの人に相談してよかったと思った。コルベールは魔法に頼らずに動く機械の製作をライフワークにしていて、まだ機械の概念すら乏しいハルケギニアで、初歩的ながら独力でエンジンを作ったこともある。確かあれはいくらか前の火の授業中、油を気化させてピストンに送り、中で引火させて爆発の勢いで動かすものだった。おもちゃの域ではあっても、誰にも教わらずにそれだけ作ったのだから天才的だ。

 しかしなぜ、周りから変人され続けても研究を続けるのかまでは知らない。聞いてみたことはあるが、世の中の役に立ちたいからだとはぐらかされてしまった。

「サイトくん、君は私に幸運を運んできてくれる天使のようだ。よろしい、私の誇りにかけて、これをもう一度飛べるように整備してみせようではないか!」

「さすが先生は話がわかる! ああそれと、燃料のガソリンも補給をお願いしたいのですが」

「ガソリン? ガソリンとはなんだね?」

「これの燃料で、風石の代わりのものといえばわかりやすいでしょうか。特殊な油なので、普通の油では代用が利かないんです。それをこのエンジンの中で燃やして、プロペラを動かす力を得るんです」

 才人は胴体タンクに残っていたガソリンを試験管に汲んでコルベールに手渡した。

「ふむ……嗅いだことのない臭いだ。温めなくともこのような臭いを発するとは……随分と気化しやすいのだな。これは、爆発したときの力は相当なものだろう」

 あっという間にガソリンの性質も理解してしまった。才人は、この人のすごいところはこの発想の柔軟なところだと思った。ただ頭のいい秀才とは訳が違う。コルベールはすでにぶつぶつとつぶやきながら、ああでもないこうでもないと思案を始めている。きっと彼の頭の中では『錬金』でガソリンをどう調合しようかと、めまぐるしくニューロンが動いているに違いない。

 それに、才人としても単なる親切だけではない。将来GUYSクルーになれたとしたら、当然戦闘機の操縦もしなければならない。あくまで修理ができたとしたらが前提で、ガンダールヴの力が抜けた今では空戦は無理だけれど、ゼロ戦は機体が軽くて操縦性が非常に良好なので練習機としては理想的だ。

「先生は、変わってますね」

「ん?」

 才人がそうぽつりと言うと、コルベールは顔を上げて才人を見た。

「いえ、悪い意味じゃなくて、このゼロ戦を見て興味をもってくれるのは先生くらいですから。ほかのみんなは、ただの鉄の塊にしか見てくれない。ルイズたちにしても、実際飛ばすまで信じてくれなかったし」

「ははっ、それはこれを見てすぐに用途を理解するのは難しいだろう。私とて、変人などと呼ばれて、自分の趣味が人とかけ離れていることくらいは自覚している。おかげで、嫁も未だにおらんが、私には信念があるのだ」

「信念ですか?」

「そうだ。ハルケギニアの貴族は、魔法をただの道具……普段なにげなく使っている箒のような、使い勝手のよい道具ぐらいにしかとらえておらぬ。私はそうは思わない。魔法は使いようで顔色を変える。従って伝統にこだわらず、様々な使い道を試みるべきだ」

 コルベールは頷いて、言葉を続けた。

「君を見ていると、ますますその信念が固く、強くなるぞ。わかるかね? この『ひこうき』は、ハルケギニアの理によるものではない。それはつまり、世界はまだまだ私の知らない未知の発見にあふれているということだ。なんとも興味深いことではないか。その中には、いつか私の理想に合致するものがあるかもしれない。おもしろい! とても興奮するものだ。先は長くけわしいだろうが、私はそれらを見てみたい。新たな発見は、私の魔法の研究に新たな一ページを加えてくれるだろう! だからサイトくん。困ったことがあったら、なんでも私に相談したまえ。この炎蛇のコルベール、いつでも力になるぞ」

 胸をどんと叩いてコルベールは宣言した。才人はそんな先生を見て、これは思ったより早くゼロ戦にまた乗れるかもしれないなと、確信めいた予感を覚えるのであった。

 

 

 さて、そんなふうにのんびりと普通の生活に戻ったかに見えた才人だったが、最近思わぬ悩みを抱えていた。

「姫様の結婚式の詔、まだ思いつかないのか?」

「うん……」

 部屋の中で机に向かって、ルイズは見るからに落ち込んだ様子でうなだれていた。秋の日差しは窓から部屋を適度に暖め、小鳥の声でも聞こえてきそうな明るさなのに、ルイズの周りだけはお通夜のように沈んでいる。そんなルイズに、才人も力なくため息をつくしかない。

 原因は、机の上で無造作に広げられているぼろっちい白紙の本にあった。先日、王宮でアンリエッタ姫に依頼された、来月にとりおこなわれるアンリエッタ姫とウェールズ皇太子、いや新国王との婚礼の儀を祝福する巫女の読み上げる詔。それが今日になっても少しもできていなかった。

 一時、夜通し頭をひねって、翌日才人に聞かせたときはこんな感じである。

 こほんと可愛らしく咳をして、椅子に座って清聴している才人に向かってルイズは自分の考えた詔を詠みはじめた。

「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を願いつつ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。畏れ多くも祝福の詔を読み上げ承る……」

 ここまでは前置きで、誰のものも変わりはない。しかし、これからが大事というところでルイズは黙ってしまった。

「どうした? 続けろよ」

「これから、火に対する感謝、水に対する感謝……四大系統に対する感謝の辞を、詩的な言葉で韻を踏みつつ詠み上げなくちゃいけないんだけど……」

 そう、それがルイズを悩ませている根本的な原因であった。詩的といえば一言だけれども、論文やレポートと違って、詩は聞く人間の感性に訴えかけねばならず、そこが直情的でロマンティズムとは無縁な生き方をしてきたルイズにはきつかった。

「なんも思いつかない。詩的なんていわれても、困っちゃうわ。わたし、詩人なんかじゃないし」

「いいから思いついたこと、言ってみ」

 ルイズは困ったように、がんばって考えたらしい”詩的”な文句をつぶやいた。

「えっと、炎は熱いので、気をつけること」

「『こと』は詩的じゃねえだろ。注意だろそれ。てか、感謝してねえし」

「うるさいわね。風が吹いたら、樽屋が儲かる」

「ことわざ言ってどうすんだよ!」

 こういう感じのボケツッコミとしか思えないやりとりに終始して、前置きから一行たりとて前進しなかった。ルイズは真面目に考えれば考えるほど”詩的”というワードにひっかかって泥沼にはまっていくばかり。皮肉なものだが、遊ぶ間も惜しんで学院で誰よりも真面目に勉学に打ち込み、学術書ばかり読みふけっていたことが、今回は完全に裏目に出ていた。

 才人は、こりゃ漫画ばっか読んでて叱られてた自分のほうがまだましだと思った。魔法が使えないことを除いては完璧人間だと思っていたルイズに、こんな意外な弱点があったとは。いや、正直、才人にとってはすごくどうでもいいことである。ルイズの詔が落選したら、別の貴族が代わりに採用されるだけだ。でも、毎夜部屋の中でうんうんうなられたら、自分の試験勉強にも悪影響が出る。

 言葉の迷宮に迷い込んだルイズの、無限ループのような日々は続いた。

 しかしそんなある日のこと、グッドアイディアを才人は思いついた。

「そうだ! 明日から三連休が始まるだろ。カトレアさんに相談しに行ってみたらどうだ?」

「そっか! なんで今まで思いつかなかったんだろう。ちぃ姉さまならきっと素晴らしい詩を考えてくださるに違いないわ」

 ルイズの脳裏に、温和で知的なカトレアの笑顔が浮かび上がってくる。小さいころ、ルイズの枕元で昔話を聞かせてくれたり、自作の子守唄を歌ってくれたりしたあの優しい姉なら、必ず期待に答えてくれるだろう。それに、なんといっても公然とカトレアと会える理由ができたことにルイズは喜んだ。

「ようし、それじゃあ明日一番で出発するわよ。今日は早寝しなくちゃ!」

 そう言うと、いつもより一時間は早くルイズはベッドで寝息を立て始めた。このところ寝不足だったから寝つきが早い早い。才人はこれでやっと勉強ができると、ノートパソコンを開いて、ライセンス試験の問題集を夜がふけるまで解いていた。

 

 そして翌日、早朝早めの朝食をとった二人は、空を飛んでヴァリエール領に向かっていた。

「おお、さすが速いな。学院がもう見えなくなったぜ!」

「この調子なら、あと二時間くらいでつけるわ。うーん、やっぱり空の旅はシルフィードが一番ね」

 幸運にも見事な秋晴れになった空を、風竜シルフィードはすべるように飛んでいく。ヴァリエール領は国内にあるといっても馬では遠すぎる。そのため、二人は部屋にこもって読書にあけくれていたタバサに頼んでシルフィードを使わせてもらうことにしたのである。

「タバサ悪いな。せっかくの休みに無理いっちゃって」

「いい、ギブアンドテイクだから」

 本当は、タバサは虚無の曜日の読書の時間を至福としているので最初はしぶった。でも、ルイズが「うちの書庫から好きな本を持って帰っていいから」という条件で折れたのである。トリステイン有数の名家であるヴァリエール家の書庫ともなれば、どんな貴重な古文書や絶版書が眠っているかもしれない。タバサからしてみれば宝の山に等しかった。

 馬車でも二日以上かかる道のりも、シルフィードのスピードなら数時間でたどり着けた。前に通った街道や森の上を飛び越えると、見慣れた屋敷が見えてくる。空飛ぶ使い魔を下ろせる前庭に着陸すると、才人とルイズは名残惜しげに飛び降りた。ゼロ戦なら一時間、ガンフェニックスなら数分だろうけれど、快適さではやっぱりシルフィードが一番だ。

 城門でカトレアが滞在していることを確認した才人とルイズは、まずシルフィードを屋敷の召使に預けた。それから、さっそく書庫に行くというタバサに夕方落ち合おうと約束して、メイドに案内されていく彼女と別れると、こちらもメイドに案内されて屋敷の奥に向かった。

 

 ところが、カトレアは才人たちが来る数分前に、休暇をとってやってきた別の客を迎えて相手をしていた。

「まあまあお姉さま。元気を出してくださいませ。お母さまだって、何も悪意があってしているわけではないのですから」

「カトレア、あなたはいいわね。なにもなくても世間の殿方の人気を独り占めなんだから」

「わたしなど、お姉さまに比べたら教養も低いですし、国に貢献するような功績をあげたこともありませんわ。お姉さまは、アカデミーの主席研究員で、発明の数々の中にはトリステインを救ったというものもあるそうではないですか」

 テーブルを挟んで、せっかくの高級な紅茶に口をつける気配も見せずに突っ伏しているブロンドの女性に、カトレアは微笑を浮かべながらなだめの言葉をかけていた。

「はっ、そんなの男を遠ざけこそすれ、引き寄せる要素にはならないわよ。わたしなんて、こんな似合わないドレスを着て、作り笑いしてやっとガキをだますので精一杯なんだから……」

 そう言って、カトレアの姉のエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールは、疲れきった体をだらしなく高価な椅子に横たえた。 

 その様子は、魔法学院で見せているような、優雅で華やかで清楚な公爵令嬢としての雰囲気はなく、地の性格が久しぶりに表に出てきている。それというのも、あのカリーヌ直々の『烈風カリンの社交界マナー講座、初級編』を受けさせられてから今日まで、一日たりとてエレオノールに心の休まる日はなかったのだ。

 今思い出しても、あの日々のことはぞっとする。優雅さを身につけるために、カップの底に沈んだしびれ薬を混ぜないように紅茶を飲む訓練や、足音を立てたら吸血コウモリが襲ってくる洞窟を抜ける訓練。気品を身につけるために、笑顔を崩したら電撃を喰らう鏡の前に縛り上げられて座らされたり、殺気を見せたら噛み付いてくる軍隊コヨーテの子を育てさせられり。あと男性に優しくするための訓練は、思い出すだけでのた打ち回りたくなるような、一言で言えば地獄だった。

 しかも、卒業の日に母カリーヌはこう言ったのだ。

「エレオノール、今日までよく試練に耐え抜きました。それらの教えたことをきちんと守れば、お父さまのような立派な殿方とめぐり合えることも夢ではないでしょう。けれど、それが付け焼刃でしかないということはよく覚えておきなさい。よって、今後例えルイズにでも、その態度で接し続けて定着させることです。なお、二十八歳の誕生日までに婚約が決まらない場合、『中級編』に進みますのでそのつもりで」

 初級編でさえ地獄だったのに、中級編となると生きて帰れる保障などない。そのため、ルイズにも本心をさらせず、猫をかむってすごさなければならない毎日。

「私が本当の私に戻れるのはこことアカデミーだけよ……もうやだ。ただの一研究員に戻りたい!」

「まあまあ、焦らなくてもまだ時間はありますわ。疲れたらいつでも私がお相手いたしますから、じっくりがんばりましょうよ」

 カトレアは姉をなだめながら、内心かなり同情していた。自分を偽って生きるということは大変な苦悩に違いない。でも、本当にこのままではいかず後家決定なのだから、母の焦りもわかるためにやめろとも言えなかった。

 ちなみに、地球に対してハルケギニアは一年の周期がわずかに長く三百八十四日で、十九日長い。そのため、十七歳の才人と十六歳のルイズはほぼ同い年ということになる。しかし、二十七歳のエレオノールの年齢を地球基準にしてみると、十九×二十七=五百十三で二十八歳と半年となり、三十歳に極めて近くなる。十代のうちの結婚が当たり前のトリステインでは、大変危ない年齢だ。

 と、そのとき。窓から一羽のフクロウが入ってきてテーブルにとまった。足には『エレオノール・ド・ラ・ヴァリエール宛』と書かれた筒がくくりつけられている。

「あら、伝書フクロウですわね。お姉さま宛ですか」

「そうね。アカデミーか学院でなにかあったのかしら? ……ふむ。なるほど」

 筒から出てきた手紙を一読すると、エレオノールはすっかり冷めてしまっていた紅茶を一口で飲み干して立ち上がった。

「悪いけど、すぐにアカデミーに戻らなくちゃいけなくなったみたい。話の続きは、また今度聞いてもらうわ」

「それはまたいつでも。道中お気をつけてくださいませ」

 立ち上がったとき、すでにエレオノールの眼鏡の奥の瞳は鋭さを取り戻していた。

 カトレアは、ドレス姿とはあまりに不似合いな眼光を宿した姉の表情を見て内心で苦笑した。やっぱりこの人は仕事がなによりの生きがいなのだ。特に、最近の魔法アカデミーは対超獣用の魔法兵器などの開発を遅延なく進めさえすれば、その他の研究も倫理に触れたりしない限り、大抵の内容に認可が下りるようになっている。猫をかむりつづけなくてはいけないとしても、好きなように実験をおこなえる今の環境は、エレオノールにとって楽しくてしょうがないのだろう。

 それに、男運が悪いのを気にしてはいるけれど、自身がなまじっか有能すぎるので、ただの男ではすぐに不満が爆発してしまう。その際の相手を容赦なくなじるキツさは体験したものでないとわからない。

 はてさて、この姉と対等に付き合える男がいるとしたらどんな人なのだろうかとカトレアは考える。エレオノールの知力に匹敵して、なおかつ胆力を備えた男? こればかりは伝説のイーヴァルディの勇者でもどうであろうか。

 けれど、カトレアがそうして姉に知られたら、かんしゃくを起こされそうなことを想像しながら見送ろうとしていたところだった。エレオノールはふとドアの前で立ち止まると、カトレアに言ったのである。

「おっと、大事なことを忘れるところだったわ。カトレア、これあげるからつけておきなさい」

 エレオノールは懐から小さななにかを取り出すとカトレアの手に握らせた。それは、カトレアが手のひらを開いてみると、銀色の水滴型をした、こじゃれたペンダントであった。 

「まあきれい! 大切にいたしますわお姉さま……でも見かけない細工ですわね?」

「それはそうよ。それ、装飾品じゃないからね」

「はい?」

 怪訝な顔をしたカトレアに、エレオノールは二・三説明をした。これは、アカデミーでの研究の副産物で、ある特殊な仕掛けの施されたアイテムの試作品である。その使用法を教えると、エレオノールは自分の手でそのペンダントを妹の首にかけてあげた。

「あんたは強いけど、ぼっとしたところがあるからね。私はこれでも心配なのよ。じゃあ、またね」

 それだけ言うと、エレオノールは照れくさそうに足早に立ち去っていった。その後姿を、カトレアは廊下の向こうに見えなくなるまで見送ると、感謝を込めてつぶやいた。

「ありがとうございます。肌身離さずいたしますわ、お姉さま」

 カトレアの胸には、涙のようにきらきらと輝くペンダントが静かにまたたいている。

 

 それから数分後、メイドに冷めた紅茶を片付けてもらったとき、カトレアは妹の来訪を知らされた。

 

「ちぃ姉さま、ただいま!」

「まあまあ、おかえりなさいルイズ!」

 元気よく扉をくぐってきたルイズを、カトレアは温かく迎えた。そして、ルイズから相談事があると聞かされると、快く引き受けたのである。

「まぁ、姫さまの結婚式の巫女の詔ですって! ルイズ、あなたがそこまで姫さまに頼られるようになっていたなんて、私も鼻が高いわ。いいわ、いっしょに考えましょう」

「はい! ありがとう、ちぃ姉さま」

「どういたしまして。それじゃあ、久しぶりに私の屋敷に行きましょうか。あの子も、あなたに会いたがってるわよ」

 ルイズはぱあっと表情を輝かせた。

「はい! 喜んで。わあ、お姉さまのお屋敷、久しぶりだわ」

 すでにピクニックのようにルイズはうかれていた。でも、ここで詔を考えるんじゃないのかと才人に聞かれると、ルイズはそういえば前のときには話していなかったわねと説明した。

「カトレアお姉さまはヴァリエール家の一員だけど、お父さまから公爵家の一部のラ・フォンティーヌ領を与えられて、その当主をやってるの。だから、お姉さまの屋敷もこことは別にあるのよ」

 才人がうなずくと、カトレアは次いで笑った。

「でも、お母さまやエレオノールお姉さまと会うときは大抵こちらに来るけどね。お姉さまったら、どうも私の屋敷が苦手みたいで」

 まあそうだろうなと才人は思った。前にここに来たときのカトレアの馬車が動物園だったことを思えば、屋敷のほうにはどれだけの動物がいることか。あのエレオノールには耐えられないだろう。しかしルイズは平気なようだった。

「エレオノールお姉さまはツンツンしてるから動物も警戒するのよ。ちぃ姉さまの動物たちはみんなおとなしくていい子たちばかりなんだから」

「そうね。心を割って話せばみんな無為に襲ってきたりはしないわ。動物が牙をむくのはエサを欲してるときと、自分や仲間を守ろうとするときだけ。怖く見えるのは、人間が驚かせてしまうから……さあ行きましょう。ルイズがいないあいだにも新しく増えた仲間も紹介したいわ。ちょうど裏庭に私が乗ってきた子が一羽待ってるわ」

「わぁ! ちぃ姉さまの新しいお友達って、グリフォンかしら、それともマンティコアかしら? 楽しみだわ」

 ルイズはカトレアといっしょに飛べるとなって、もう舞い上がっている。ルイズにとって、カトレアは本当に大好きなお姉さんなのだろうと才人も思った。

 しかし、いざ裏庭に出てみると才人とルイズは度肝を抜かれた。そこにはシルフィードが雀に見えるような巨大な鳥が、草原を覆うようにして翼を休めていたのである。

「ち、ちぃ姉さま! こ、この鳥は!?」

「最近散歩に出かけたら、がけの中に大きな卵が埋まっているのを見つけてね。暖めてみたら、この子が生まれたの。最初は三メイルくらいしかなかったのだけれど、あっというまにこんなに大きくなっちゃって。今では私を背中に乗せてどこへでも行ってくれるわ」

 ころころと笑いながら、カトレアが手を差し出すと、その巨鳥は口ばしを差し出してじゃれついてきた。しかし、カリーヌのラルゲユウスに比べれば小型なものの、全長十五メートルはある巨鳥と平気で触れ合えるカトレアはやはり並ではない。

 しかも、この鳥はやはりというかGUYSメモリーディスプレイに該当があった。

「アウト・オブ・ドキュメントに一件記録を確認。原始怪鳥リトラか……」

 怪獣頻出期の初期の初期に確認された、記録に残っている中では特に古い怪獣だ。正式名称はリトラリアといい、古代怪獣ゴメスから人間を守るために戦って、相打ちで死んでしまった個体の墓が今でもとある山間部に残されていることで知られている。かつての個体は生まれてすぐに死んでしまったために、このリトラがリトラ本来の大きさなのだろう。才人は親子揃って怪獣を飼うとは、本当にすさまじい一家だと改めて思った。

 ルイズは人間なんか一口にしてしまいそうな巨鳥とじゃれあっているカトレアに、危ないですわよと慌てて止めようとしたところ、才人に止められた。

「大丈夫だ。リトラはおとなしい生き物だ。それに、どうやら刷り込みでカトレアさんを親だと思ってるらしい」

「う、ううん……わきゃっ!」

 おびえていると、カトレアがご挨拶しなさいとリトラに言って、リトラが鼻先を擦り付けてきたのでルイズは危うく腰を抜かすところだった。

「大丈夫よ。この子はとても賢くて優しいから」

「は、はい……いい子ね。よしよし」

 勇気を出して口ばしの先をなでてあげると、リトラはうれしそうに喉を鳴らした。ルイズも、それでもやっぱり迫力はあるが、リトラに敵意はないと知って少し落ち着く。

 そうして、カトレアに誘われてルイズと才人はリトラの背に乗り込んだ。

 

「うわーっ! 速ーい!」

 三人を乗せて飛び立ったリトラは、すさまじい速さでラ・フォンティーヌ領の方向へと翼を向けた。たちまち、猛烈な風圧が襲ってきて二人は飛ばされそうになるが、カトレアが魔法で風の障壁を作ると落ち着いた。

「どう? 私の新しいお友達は、すごいでしょう?」

「は、はい! なんて速さだ」

 才人もさすがリトラだと感嘆した。ガンフェニックスとはさすがに比べようがないけれど、ゼロ戦よりも格段に速い。カトレアは才人に友達を褒められてうれしそうに微笑んだ。

「この子がいるようになってから、ヴァリエールのお屋敷にも自由に行き来できるようになったわ。空っていいわね。こうしてると、この世でできないことはないように思えてくるわ」

 風の障壁の中に漏れてくる微風を受けて、髪をなびかせるカトレアは、カリーヌが烈風のような精悍さを持つ女神だとしたら、春風のような暖かさを持つ天女のようだった。

「さっ、それじゃあ着くまでに、学院に帰ってから今までどんなことがあったのか教えて! あなたたちのことだから、きっといろいろあったんでしょう?」

「えっ? あ、まぁ、そりゃ」

 好奇心を顔一面に張り付かせて尋ねてくるカトレアに、才人とルイズはちょっとたじたじながらも、新学期からどんなことを体験したのかをカトレアに話して聞かせた。教師として着任したカリーヌのこと、新学期早々怪獣が現れたこと、それらをカトレアは驚きながら、興味深そうに聞き入った。

 だがしかし、ラ・フォンティーヌ領についてからの驚きはこんなものではなかったのである。

 

 リトラの巣である丘の上に着陸して、止めてあった馬車に一行は乗り込んだ。ここから屋敷までは、馬車でおよそ二十分ほどだという。ラ・フォンティーヌ領は人里から遠く離れた山間部と森林が大部分を占める未開の土地だといい、その豊かな自然を満喫しつつ、馬車は丘を下りて小さな渓谷にかけられた吊り橋に差し掛かった。そこで、吊り橋の前に全身にマシュマロを貼り付けたような、ふわふわした見た目の怪獣が現れたのだ。

「きゃー!!」

「お、音波怪獣シュガロン!? なんでこんなところに」

 悲鳴をあげるルイズと、思わずデルフリンガーに手を伸ばす才人。しかし、びっくりする二人とは裏腹に、シュガロンはカトレアが手を振ると、合わせるように手を振って見送ってくれたではないか。

「大丈夫よ。最近この谷に住み着くようになったんだけど、とてもおとなしい子だから」

「は、はぁ……」

 そう言われても、すぐ目の前にいきなり怪獣が現れたら普通は驚く。

 そういえば、才人はシュガロンは普段はおとなしい怪獣だったとドキュメントMATを思い出した。ただ、音波怪獣というとおり非常に聴覚が優れていて、車のエンジン音などちょっとした騒音でも凶暴化してしまうやっかいな性質を持っている。恐らく、ヤプールの活動による地殻変動の一環で目覚めたものだと才人は推測したが、騒音など皆無のここはシュガロンにとっては天国に違いなく、暴れられる心配はまずない。

 だが、怪獣が家のそばにいて平気なのですかと才人が尋ねると、カトレアは笑って「えっ? かわいいでしょう」と、二人を引きつらせた。

 さらに、やっと屋敷が見えてきたときに差し掛かった小高い丘では。

「ちぃ姉さま、こんなところに丘なんてあったかしら?」

 記憶にない地形に、ルイズが怪訝そうに首を傾げても、カトレアは黙ってにこにこしているだけであった。馬車は丘をまたぐようにかけられた、やや傾斜がきつい陸橋をゆっくりと登っていく。それにしても何か変な丘だ。なにやら黒光りしていて、しかも近づくにつれて地の底から響いてくるようないびきが聞こえてくる。

 これはまさか……非常に悪い予感がして、陸橋の頂上部について丘の全容を見たとき、ルイズと才人は空いた口がふさがらなかった。その丘には、頭や尻尾がついていたのだ。

「ま、また怪獣……」

「メ、メガトン怪獣スカイドン……」

 なんと、丘だと思っていたのは昼寝の最中のスカイドンだった。彼らが渡っている陸橋は、スカイドンをまたぐようにかけられており、カトレアはもう腰を抜かしかけている二人になんでもないように言った。

「ちょっと前に空から落ちてきて、そのまま道を塞いで眠ったままだから、思い切って橋を架けてみたの。いかつい顔だけど、こうして見るとけっこうかわいいでしょう」

 もう驚くのにも疲れきってしまった。確かにシュガロンもスカイドンも基本はおとなしい怪獣だけれど、それを子犬や子猫同然に扱えるカトレアの胆力は、やはり『烈風』の血を色濃く受け継いでいるとしか思えない。

 

 そうして、今日近くに来てるのはこれくらいねと、思わせぶりなことを言うカトレアに戦慄しつつ、馬車は屋敷の前へと止まった。

 カトレアの屋敷は、門をくぐると植物園のようなつくりになっていた。手入れされた木や草が適度に陽光をばらまいて、その下をカトレアが飼っている犬や猫、熊や虎などが気持ちよさそうに歩いたり眠ったりしている。以前来たときに馬車の中で会ったヤマワラワも、よく帰ってきてくれたと木陰から飛びだしてきてカトレアにすりよっていく。

 さらに、茂みからひょこひょこと飛び出してきた赤い生き物に、才人は歓喜の叫びをあげた。

「ピグモン! ピグモンじゃないか!」

 多々良島や大岩山でのピグモンの献身的な活躍を知らないものはいない。怪獣界の小さなアイドルとこんなところで会えると思っていなかった才人は、思わず握手してもらった。

 また、庭を見渡すと噴水の近くの石の上に、マンション怪獣キングストロンの元になった、子豚ほどの大きさの宇宙小怪獣クプクプが、白い置物のようにしてうずくまって眠っている。まさに怪獣動物園、地球の怪獣学者が見たら狂喜乱舞するだろう。しかも、それらはすべてカトレアが山や森で出会って、友達になったものだというではないか。

「人間も動物も区別はないわ。姿が違っても、みんな心を持っているのよ」

 

 やがて、名残は惜しいがピグモンたちともいったん別れて、一行は屋敷のほうへとまた歩を進めた。と、屋敷の中へと歩いていく途中で、才人はふと思いだしたことをカトレアに尋ねた。

「そういえばカトレアさん。ルイズに会わせたい人がいるとおっしゃってましたけど、ここにほかに誰かいるんですか?」

「いえ、人は私のほかには執事やメイドの方たちしかいないわ。もちろん彼らも大事な我が家の一員だけれども、ここには私の古い友達が住んでるの」

「友達?」

 人間以外で友達となれば、動物のことかと才人は思った。けれどカトレアは空を遠い目で見上げると、思い出話を語り始めた。

「実はね、私は小さいころ体が弱かったの。これといった名前のない奇病でね。原因も治療法もわからなくて、国中のお医者さまもさじを投げたわ。どうも生まれついてからだの作りが悪いみたいで、強力な水の魔法で抑えても、別のところが悲鳴をあげだして、その繰り返しだったわ」

 懐かしそうなカトレアの話に、ルイズも同じようにうなずいた。

「あのころ、お父さまもお母さまもできる限りの手を尽くしたけれど、結局発作を弱めるのが精一杯だったわ。ヴァリエール領から出ることもできないで、ラ・フォンティーヌ領を与えられたのも、せめて貴族として一人前として扱おうというお父さまのせめてものお心だったわ」

「そうね。出て行けるのもせいぜい庭までで、窓から飛んでくる小鳥だけが唯一の友達だった」

 憂いを含んだ姉妹の言葉に、才人は正直に驚いていた。

「カトレアさんに、そんな過去があったなんて……」

 今のカトレアからは、とてもそんな壮絶な過去があったようには思えなかった。でも、カトレアはそれが事実であると証明するように言葉を続ける。

「あのころはまだ小さかったルイズも、毎日のように「ちぃ姉さまがんばって」と看病してくれたわね。でも、いっこうに病状が改善せずに、もうみんな諦めかけていたそんなときだったわ」

 カトレアは、足を止めるとそのときの光景を思い浮かべるために目を閉じた。

「ある日の夜、自分の体がいやでいやでしょうがなくなって、無理に屋敷を抜け出したの。けれど、庭の中で発作が起こって動けなくなってしまったわ。私がいないのに気がついたルイズが駆けつけて来てくれたけど、小さなルイズでは私を運ぶことはできなくて、もう死ぬのかと思った。そのときよ」

 カトレアはうそじゃないからねと断ると、にっこりと微笑んだ。

「空からね。光り輝くお城が降りてきたの。金色に光って、何十もの塔が聳え立つ逆さまのお城が、太陽のように私たちを照らしながらゆっくりとね」

「わたしも、あのときのことは今でもよく覚えているわ。天国なんてものがあるとしたら、たぶんあんなのをいうんでしょうね。あっサイト、信じてないでしょ? 本当のことよ……それでね、二人ともすっかり見とれていたときに、あの子が現れたのね」

「あの子?」

 才人が聞くと、カトレアとルイズはよくぞ聞いてくれたとばかりにうなずいた。

「空のお城の光の中で、いつの間にかその子はわたしたちの前にちょこんと座ってたわ。最初は驚いたけど、悪い気配は全然しなかった。それでね、その子が苦しんでいる私に指先を向けて、ピカッと光ったと思うと、気を失いそうなくらい苦しかったのが、ふっと楽になったの」

 胸に手を当てて微笑むカトレアは、とても幸せそうに続けた。

「するとね。空のお城はゆっくりとまた空のかなたに帰っていったわ。でも、その子は消えずにまだ私たちの目の前にいてくれた……そうして、おそるおそる私が手を伸ばすと、その子も笑ったの。『トモダチ』ってね」

「友達……」

「ええ、彼が私にとって初めてできた友達だった……それからよ。その子は、私とルイズ以外の人間がいるときは姿を見せないんだけど、私が発作を起こすとどこからか現れて治してくれるようになったの。そのうちに、発作が起きる回数も少なくなっていって、今ではこのとおりすっかり元気なの!」

 なるほど、少なくとも巨大ゴーレムで暴れられるだけは元気なのだなと才人は思った。しかし、カトレアの言う彼とは、まず人間ではないだろう。地球の常識を持つ才人が考えれば、その空飛ぶ城というのは、宇宙船と考えて間違いはない。すると……と、才人がそこまで考えたとき、カトレアはくすりと笑って言った。

「あの子はね、偶然このあたりを通りかかったところで苦しんでいる私を見かけて、どうしても見ていられなかったんですって。それで、仲間と別れてまでもここに残ってくれたの。だからね、私も彼の優しさに応えるために、傷ついた動物たちを助けようと思ったの……いつか、あなたが安心して仲間の元に帰れるようにね」

「えっ!?」

 才人は驚いてカトレアの視線の先を追った。すると、いつの間に現れたのか、柱の影に隠れるように子供くらいの背丈の、白い妖精のような生き物が静かにこちらを見つめていた。そして、ルイズはその生き物に歩み寄ると、親しみを込めてあいさつをした。

「ただいま、ムゲラ」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 続く



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第22話  ものいわぬ友だち

 第22話

 ものいわぬ友だち

 

 獣人 ウルフガス

 童心妖怪 ヤマワラワ

 原始怪鳥 リトラ

 古代怪獣 ダンガー

 爆弾怪獣 ゴーストロン

 黄金怪獣 ゴルドン

 友好珍獣 ピグモン

 宇宙小怪獣 クプクプ

 伝説妖精 ムゲラ

 音波怪獣 シュガロン

 メガトン怪獣 スカイドン

 凶悪怪獣 ギャビッシュ 登場!

 

 

 トリステイン有数の大貴族、ヴァリエール家の領地は広大である。

 領地の端から屋敷まで馬車で半日ほどかかり、日本でいえば大きめの市くらいの面積を持つ。

 領内には数万人の人間が暮らし、様々な町や村が存在して、ヴァリエール家に莫大な税収をもたらしている。

 そんな広大な領地の端に、カトレアが領主を勤めるラ・フォンティーヌ領はあった。

 とはいっても、本来は病弱であったカトレアの保養地として与えられた土地であるので、山岳地帯の中にぽつんとある平地で、辺境と呼んで差し支えない。屋敷と、わずかに整備された街道から少しでも離れると、あとは原生林と山岳地帯が人間の侵入を拒む。しかも、けわしい山岳地帯を縫った街道は危険が大きいために、外部との連絡は竜籠など主に飛行手段に頼らざるをえなかった。

 当然、領民もほとんど存在せずに、訪れる人間も極めて少ない。

 しかし、そうして陸の孤島と化しているからこそ、この一帯は野生動物たちにとって楽園であった。

 

 ルイズが詔の作成をカトレアに手伝ってもらいに来た日の翌日。今日もさわやかに晴れ渡った空の空気を一杯に吸いこんで、カトレアは庭の隅々にまで通る声で呼びかけた。

「みんなおはよう! ごはんですよー!」

 呼びかけに応じて、庭のあちこちから動物たちが集まってきた。犬がいる猫がいる。熊や狼、狐やリスもいる。けれどそれらの動物たちは、互いに争いあうことはせずに、カトレアが用意していた食べ物に群がっていく。

「こらこら慌てないの。みんなの分はきちんとありますからね」

 カトレアは楽しそうに笑いながら、ケンカが起こらないように動物たちに食べ物を配分していく。満腹のライオンの前をシマウマが平気で通るように、飢えなければ肉食動物もほかの動物を襲うことはない。

 また、餌によってきているのは動物だけではない。

 日中出てくることのできないウルフガスを除いて、ピグモンがカトレアから手渡されたパンをほうばっている。また、ヤマワラワは食べ物のお礼にと山から木の実などをカトレアにもってきた。今は秋だから、山葡萄や山菜など、どれもよく熟していて生でも食べられた。はじめはメイドからそのようなものは口にしてはいけませんととがめられていたけれど、今ではすっかり慣れてしまった。

 そして最後に、庭に引き出したテーブルでカトレアも優雅に食事を始める。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下。本日もささやかな朝の糧を与えたもうたことを感謝いたします」

 こうして、いっしょに暮らしている動物たちと朝食をともにするのが、カトレアの一日の始まりであった。

 

 さて、貴族といえば優雅な生活が思い浮かぶものであるが、カトレアはその温和な雰囲気に反して、食後はティータイムとはいかない。飼っている百匹を超える動物たちの世話が待っているからだ。

「さあみんな、いらっしゃーい!」

 呼びかけに応じて、あっという間にカトレアは動物たちに囲まれてしまった。彼らにとって、ブラシを手にしたカトレアがこれからやってくれることは、一日で一番至福のときだからだ。

「さ、じっとしててね」

 カトレアは芝生の上に座って、一匹の犬をひざの上に乗せてブラッシングを始めた。犬のほうは、優しく毛をなでるカトレアのブラシさばきにうっとりとしている。こうやって、寄生虫がついたりしないように一匹ずつ毛並みを手入れしてあげるのが、カトレアの最初の仕事である。

 でも、百匹以上のブラッシングとなったら並の苦労ではなく、メイドが手伝っても何時間もかかった。終わっても、傷ついている動物には治療の水の魔法をかけてあげたり、休む間もなくカトレアの仕事は続く。

 しかし、普通、ペットを飼っている貴族はそうした面倒な世話は使用人に任せるものである。実際、動物を飼い始めた頃は、カトレアもそうしたことはしてはいけませんと執事などにとがめられたものだが、カトレアは人任せにすることは望まなかった。

「人のいないラ・フォンティーヌでは、この動物たちがわたくしの領民であり、子供のようなものですわ。親が子供のおしめを代えてあげるのは当然のことでしょう」

「しかし、そんなことは平民の親のやることで」

「いいえ、人間でも動物でも、ただかわいいかわいいと頭をなでるだけの親に本当の信頼を寄せるでしょうか? 動物の世話も満足にできないものが、将来お父さまやお母さまのあとを次いで、ヴァリエールの何万という領民を守っていけるとは、私にはとても思えませんわ」

 執事はぐうの根も出なかった。ヴァリエール家は大貴族であるから、それだけ国や領民に対する責任も重大である。三姉妹の次女であるカトレアに、いつ鉢が回ってこないとも限らない。今は領主としての仕事がない代わりに、カトレアはそれ以上の苦労を自ら買って出て、巣の掃除やフンの処理などと、汚いことも進んで自分からこなした。

 

 昼からも、カトレアのやることはまだなくならない。

 怪獣シュガロンの住んでいる渓谷にやってきたカトレアは、谷川の流れに負けないような大声でシュガロンを呼んだ。

「シュガローン! 出てらっしゃーい」

 すぐに耳のよいシュガロンはカトレアの前にやってきた。そしてカトレアが用意していたタルを摘み上げると、中に詰まっていた白い粉をぺろりと平らげる。

「まあまあ、そんなに慌てて食べると喉に詰まらせるわよ。あなたは本当に甘いものが好きなんだから」

 カトレアは、案の定粉が気管に入ってごほんごほんとむせているシュガロンを見て微笑み、顔にかかったその粉をなめてもう一度微笑んだ。タルの中身は、砂糖だったのである。

 シュガロンはその名前の通り、甘いものが大好きで、砂糖を食べれば食べるほど元気になる。体内にはシュガー袋という内臓器官があり、食べたものはすべて砂糖に変えて保存していると言われるほどだ。カトレアは何度かシュガロンと会ううちに、この怪獣が甘いものが好物だと知って砂糖を持ってくるようになったのだ。

 そうして、シュガロンが満足したのを見届けると、カトレアはリトラのところへ向かった。

「あらら、あなたはもう朝ごはんをすませてたのね」

 着いたときには、リトラは巣の中に食べ残しを散らかして昼寝の最中だった。なにせこのラ・フォンティーヌ領はまったくといっていいほど人の手が入っていないので、怪獣たちの餌は普通に豊富にある。

 けれど、カトレアの仕事は怪獣たちの餌やりだけではない。

 ある山のふもとにやってきたカトレアは、山肌に空いた洞窟をそっと覗き込んだ。

「今日も、おとなしく眠っているようね」

 小さくつぶやいたカトレアは、ほっと胸をなでおろした。洞窟の中には、岩に半分うずもれるような形で、一匹の怪獣が眠っていた。

 下半身は完全に埋もれているが、上半身は頭から無数に生えたドレッドヘアーのようなこぶで守られ、口先には鋭い一本牙が生えている。古代怪獣ダンガー……地球でも、太平洋上の孤島に生息していたことのある怪獣の一種で、怒るとかなり凶暴性をみせることがある。

 しかし、反面刺激を与えさえしなければほとんどは地底でおとなしく眠っている。カトレアは、この怪獣を発見したときに、彼が目を覚ませば彼も含めて大勢が不幸になると予感し、この洞窟を封印することに決めた。

『サイレント』

 音を遮断する魔法を張り巡らせると、カトレアはそっと洞窟を出て入り口を岩で閉じた。こうしておけば、偶然人や動物が迷い込むことはなく、彼の安息は守られ続けるだろう。かつてドキュメントMATに記録されている一体も、人間側の攻撃で目覚めているが、現在は余計なことをしなければ眠ったままだったのにと批判の対象にされることもあるくらいである。

 次にやってきたのは、以前ウルフガスが乗ってきたガスタンクの跡地である。ガスタンク自体は落下のショックで大破しているけれど、その近くの森の中をのしのしと歩く金色の肌の怪獣が一匹。

「あらまあ、あの子はほんとにのんびり屋ねえ」

 微笑んだカトレアの前で、金色の怪獣はゆっくりと腰を下ろすと、尻尾を巻いて居眠りを始めた。

 この怪獣は、爆弾怪獣ゴーストロン。ウルトラマンジャックが地球で初めて戦った凶暴怪獣アーストロンの弟と言われる怪獣だ。だが、アーストロンが活発で乱暴なのに対し、ゴーストロンは小型で動きも鈍い。

 大抵は地底にいるけど、たまに地上にも出てくる。地球では、その存在そのものが危険視されて、出現してすぐに怪獣攻撃隊MATに攻撃を受けた。そのときに撃ち込まれた、時限装置付新型爆弾X弾が、別名の爆弾怪獣の由来だが、ここでは彼はそうしたこととは関係なく毎日のんびりしたものだ。

 でも、怪獣が多く住むということは、かつて多々良島がそうであったように当然出てくる問題もある。眠っているゴーストロンの近くの地面が盛り上がり、地中から四足歩行型の、ゴーストロン以上に全身金ぴかの怪獣が現れた。

「いけない! あの子は」

 カトレアは、その怪獣を見て焦った様子を見せた。その怪獣は、地球でも科学特捜隊の時代に二匹が観測されている黄金怪獣ゴルドンだった。現れたゴルドンは、うなり声をゴーストロンに向けて放ち、それを聞きつけたゴーストロンも目を覚まして起き上がり、戦闘態勢に入った。

 だが、なぜゴルドンがゴーストロンに戦いを挑んだのかにはちゃんと理由がある。この二匹は、体色が金色をしているとおり、金を常食としている怪獣なのである。実は、ラ・フォンティーヌ領の地底には巨大な金の鉱脈があり……といっても、人間が採掘できる限度よりはるかに深い場所なのだが、そこをめぐってこの二匹は度々縄張り争いをしているのである。

 ゴーストロンは目が退化していてほとんど見えないが、音でゴルドンの位置を知って吼える。また、ゴルドンも負けてはおらずに、地面を前足で蹴って突撃の体勢を整えている。

 しかし、無益な喧嘩はカトレアは嫌いであった。彼女は、二大怪獣の激突を阻止するために、杖を振り上げて魔法の呪文を唱え始める。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ……」

 発生した魔法の霧が、いまにも激突しようとしていた二大怪獣にまとわりつく。すると、ゴーストロンとゴルドンは戦おうとしていたのに、うとうとと船を漕ぎ出し、やがてまぶたを閉じて横になりいびきをかき始めた。

「ふぅ、間に合ってよかったわ」

 眠りの雲、『スリープ・クラウド』の魔法であった。強力な睡眠作用を持つ霧で相手を眠らせる。場合によっては下手な攻撃魔法よりも有能で、なにより相手を傷つける心配はない。カトレアは、怪獣たちのあいだで危険な争いが起きそうになると、こうして仲裁しているのである。

 ゴルドンとゴーストロンが完全に眠り込んだのを確認すると、カトレアは『クリエイト・ゴーレム』を唱えた。作り上げたのは、前に才人たちの相手をしたときのような、全長四十メイル級の巨大なものである。それで二匹を起こさないように忍び足で、ゴーストロンをゴルドンの目の届かない場所にまで連れて行った。これで目が覚めても、二匹が争うことはないだろう。地下の金鉱では、二匹がいくら食べてもマントルから次々に新しい金が染み出してくるから問題ない。この星は巨大な金エネルギーの塊なのだ。

 

 それからも、カトレアは近隣に住んでいる怪獣たちの下に、それぞれに応じた食物を持っていったり、変わったことが起きていないかを確認したりしていった。それらのすべてはカトレアが一匹ずつ自分で接して理解したものである。普通の動物園でも外国から新しい動物を入れるときは苦慮するものだが、カトレアはそれを誰にも教わらずに、自分の努力と根気だけで学んだのだ。

 

 そして、メイドたちにも手伝ってもらいながらとはいえ、夕方になってようやくカトレアは一日の仕事を終えて人心地をついた。その生活は、貴族というよりは動物園の飼育員や野生動物の管理官のようだ。これを対外的にはおしとやかで通している社交界の貴族たちが知ったら、はしたないとあざけるだろう。家族も、両親は黙認していたけれど、姉のエレオノールはそんなことは貴族のするべきことではないと会うたびに咎め、妹のルイズもカトレアの優しさは好いていたが、自ら手を汚して世話をすることにはずっと疑問を抱いていた。

 だが、カトレアはそれをまったく恥じてなどいなかった。見た目が可愛いからと人間に飼われ、すぐに飽きられて捨てられた生き物も、ここには大勢いる。カトレアはそうした動物たちを引き取り、体の傷を魔法で癒し、心の傷を毎日接することで癒した。

「怖がらないで……心配しなくていいのよ。ここでは、誰もあなたをいじめたりしないから」

 生き物は物ではない。生きていて心を持っているのだ。幼いころ、病弱だったがために、身動きすらろくにできずに”モノ”同然の生活しかできなかったカトレアは、人間の都合で自由や生命を奪われていく動物たちの心が、まるで自分のことのように思えた。

「さあ、行きなさい。あなたはもう、自分の翼で飛べるのだから」

 ある傷ついたつぐみを空に帰すとき、カトレアはそう言った。自分のもとから去っていこうとする動物を、カトレアは引き止めない。例え厳しい自然の中に帰ろうとも、自分の意思で自由に生きたいものはそうすればよい。幸せはそれぞれにある。

 そんなカトレアの心を、昨日久しぶりにラ・フォンティーヌにやってきたルイズは、帰り際にこう言って表現した。

「わたし、今ならお姉さまの気持ちが少しわかる気がします。相手のいいところも悪いところも受け入れなくては、本当の愛情は生まれないのですね」

 いまだ才人の悪いところを受け入れられているとは言いがたいルイズだが、ぼんやりと愛情というものの輪郭は見えてきていた。

 

 こうして、カトレアは怪獣たちと共に毎日を懸命に暮らしていた。

 でも、それは必ずしも楽しく、報われることばかりとは限らない。

 誰よりも深い優しさをもっているカトレアの心も、届かない相手はいるのである。

 

 ある日、こんな事件が起きた。

 いつものように怪獣たちと一日を過ごし、夜もふけてカトレアがそろそろベッドに入ろうかと思ったときだった。ふと窓の外を見ると、南の空、ガリア方面の空から一条の光が走り、それは近隣の森へと一直線に吸い込まれていった。

「流れ星? 近くに落ちたわね」

 森に住む生き物のことを案じたカトレアは、すぐに流れ星が落ちた場所へと飛んでいった。

 落下で森の木々が焼け爛れて倒れているその中心に、それはちょこんと座っていた。

「あら、まあ」

 それは、青と白の体毛を持った、手のひらに乗るくらい小さな生き物だった。どことなくネズミに似ているようで似ていない。ハルケギニアの生き物のほとんどを知っているカトレアも、見たことのない奇妙な生物だった。

「あなた、どこから来たの……うちに来る?」

 カトレアは、この生き物がなんであれ、夜の森に置いて帰ることはできないと考えて、連れて帰ることにした。

 しかし、それが忌まわしい事件の始まりであった。

 

「今日からあなたも、うちの仲間よ。みんなと仲良くしてね」

 翌日から、カトレアは拾ってきたその生き物を、ほかの動物たちと同じように世話をした。

 その小動物は、意外にも知能はかなり高いらしく、カトレアが話しかけるとかわいく鳴き声をあげてうなずいた。名前は、それを問いかけると答えてきた鳴き声から、ギャビッシュとつけられた。

 ギャビッシュは、犬や猫と戯れ、そんな眺めをカトレアはほほえましく見守った。

 だが、そうした一見平和な空気の中で、わずかな変化が現れていることにカトレアはまだ気がついていなかった。

 いつもなら、カトレアにじゃれついて遊ぼうとするヤマワラワが、今日はカトレアのそばで守るようにじっとしている。

 陽気なピグモンが、木の陰に隠れて出てこない。

 夜になっても、ウルフガスは遠くで吼えるだけで屋敷に近づいてこようとはしない。

 それは恐らく、普通の動物とは違う彼ら特有の本能が、”同類”の気配を感じて警戒していたためだったのだろう。

 深夜、カトレアが深く眠りについた頃、ラ・フォンティーヌ領のあちこちで動き回る小さな青い影があった。

 そして、普段なら眠っているところ、異様な胸騒ぎを感じてカトレアは目を覚ました。

 窓を開けて庭を見下ろすと、夜の帳に包まれて静まり返っているが、なにかがおかしい。

 そのとき、一陣の風が庭の空気をカトレアの元まで運んだ。

「っ!? この臭いは!」

 はじかれたようにカトレアは杖を握ると、寝巻きのままで窓から庭へ飛び降りた。

 これが、カトレアにとって生涯忘れられない悪夢の夜となったのである。

「み、みんな……」

 カトレアがいつものように庭に下りてみて目の当たりにしたもの、それは地獄絵図だった。

 犬猫はおろか、熊や虎のような大型の動物さえも、全身から血を流して死んでいた。

 虫の息ながら生きているものもいたが、どれもが鋭い爪や牙で切り裂かれたりしていて、傷は深い。動物同士のいさかいなどではなく、何者かに襲われたのは明白であった。

「いったい誰が、こんなひどいことを!?」

 必死で水の魔法で動物たちの傷を癒しながら、カトレアは悲しみで荒れ狂う心で思った。

 動物たちの傷はどれも深く、相手に明確な殺意があったのは間違いない。しかし、それが捕食を目的とした狩りであったのなら、まだ自然の摂理としてあきらめもつくだろうが、動物たちの傷つけられ方は明らかに普通ではなかった。

 おぞましいことに、一匹たりとて肉を食われたような形跡のある死骸はなかったのである。中には、巣で眠っているところを鋭い爪で一突きにされたものもある。これは明らかに、殺すことだけを目的とした、残忍極まりない快楽殺獣である。

「まさか、領内に密猟者が? だとしたら、絶対に許さない!」

 ひざに抱いた犬が、治療のかいもなく絶命するのを目の当たりにしながらカトレアは怒りに震えた。このラ・フォンティーヌ領は自然のままであることもあって、珍しい動植物を狙ってハンターがやってきたり、魔法アカデミーの研究員が捕獲にきたことがたびたびあった。

 むろん、動物たちの平和を乱す行為はカトレアがこれまで断固排除してきた。そのおかげで最近は領内への侵入者は鳴りを潜めていたのだけれど、まさか。もしそうなら、今度という今度は許してはおかない。

 と、そこへ庭の木々が揺らめき、草を踏みしめる足音がしたのでカトレアは反射的に杖を向けた。しかし、そこにいたのは、彼女の友人だった。

「あなたたち……無事だったのね」

 ヤマワラワがクプクプを背負ってそこにいた。後ろからは、ピグモンがひょこひょことやってきて、続いて何匹かの犬や猫が茂みから出てくる。どれもこれも、ずっと逃げたり隠れまわったと見えて、泥や木の葉で体をひどく汚している。

 それでも、無事なものたちがいたということは少しだけだがカトレアを安堵させた。

「よかった。ほんとうによかった」

 ヤマワラワに抱きついてカトレアは涙を浮かべた。母カリーヌや妹ルイズと同じ美しい桃色の髪が汚れるけれど、そんなものは気にもならない。

 そして落ち着くと、まだ怯えている彼らに問いかけた。

「教えて、ここでなにがあったの?」

 言葉での返事は当然なかった。しかし、彼らはカトレアの問いかけの意味は理解して、必死で身振り手振りでそれを伝えようと試みた。眠っていると、突然何者かが襲ってきて、自分たちも逃げるだけで精一杯だった。どうにか隠れて難を逃れたけれど、相手が何者なのかは突然だったのと真っ暗だったのでわからなかった。

「そう、仕方がないわね……でも、あなたたちだけでも無事でよかった」

 もし彼らまで死んでいたら、カトレアは自分を慰めることができなかった。それに、探せばまだ生き残っているものもいるかもしれないのだ、ぐずぐずしてはいられなかった。

「ねえ、ほかにまだだれかが隠れていたりする? 知っていたら教えて」

 早く治療すれば助かるかもしれない。カトレアの心はそれでいっぱいであった。

 それからカトレアは、鼻をきかせたヤマワラワたちに助けられて、まだ生きている動物たちを治療して回った。

 しかし、そうして必死で走り回っているカトレアを、冷たくじっと見守っている二つの目があった。

 そして、そいつはカトレアが二十匹以上の動物に治癒の魔法を使って、息を切らしているのを確認すると茂みの中から姿を現したのだ。

「あなたは……よかった、あなたも無事だったのね」

 カトレアの目の前に現れたのは、あの青い小動物、ギャビッシュだった。カトレアは、怯えたような声を出すギャビッシュが無事であったことにまず喜び、続いてなんのためらいもなく抱き上げようと、ギャビッシュに歩み寄ろうとした。しかし、ヤマワラワはそうしようとするカトレアの手をつかんで、強い力で引き戻した。

「きゃっ!? 急にどうしたの?」

 突然乱暴な行動に出たヤマワラワに、カトレアは困惑した。だが、よく見ると変なのはヤマワラワだけではなかった。動物たちが、まるでカトレアを守るかのようにして円陣を組み、いつの間にか現れていたウルフガスが、威嚇するようにうなり声をギャビッシュに向けている。

「みんな……」

 カトレアとギャビッシュのあいだには、動物たちの分厚い壁ができていた。みんな、爪や牙をむいて威嚇のポーズをとり、ピグモンまでもが低く喉を鳴らしている。カトレアは、動物たちの見たこともないような凶暴な様子に、ぞっとするのと同時にギャビッシュを見つめた。

「まさか……いえ、そんなことないわよね。あなたは、そんなひどいことしないわよね?」

 恐る恐る問いかけるカトレアに、ギャビッシュは怪訝な様子で首をかしげた。

 が……カトレアは頭では否定しようとは思っても、理性では冷徹に事実を認識していた。動物は、自分より強い動物を自然に恐れる。これだけの動物が怯え、逆にこれだけの動物に威嚇されても動じた様子がないということは、答えは一つだ。

 そのとき、彼としては緊張を解かせようと思ったのかもしれないが、ギャビッシュは口元を震わせて笑ったしぐさをとった。しかし、薄く開いて可愛らしい鳴き声をあげたギャビッシュの唇から、つうと赤い液体が零れ落ちたとき、カトレアの中にあった甘い考えは雲散霧消していた。

「その血……やっぱり、やっぱりあなたが、あなたがやったのね……!」

 怒りと悲しみで温厚な顔を大きく歪ませて、カトレアはギャビッシュに杖を向けた。ギャビッシュは、口元についた血に気づき、慌ててぬぐおうとしたがすでに遅く、もうカトレアをだまし討ちにできないと知るや、真っ赤な目をぐにゃりとゆがめ、牙をむき出しにする。

 この凶暴な顔こそが、ギャビッシュの本性であった。さらに奴は目を発光させると、一瞬にして体長二メイル程度の体躯へと大型化した。小動物の姿は周りを油断させるための擬態だったのだ。

 戦闘形態になったギャビッシュは、多くの動物たちを血祭りにあげた爪と牙を振りたてて襲ってくる。カトレアは、動物たちを守るために意を決して魔法を唱えた。

『ブレット!』

 地面から作り出した土の弾丸が雹のようにギャビッシュに叩きつけられる。その隙に、カトレアは動物たちに叫んだ。

「さあみんな! 今のうちに逃げて!」

 動物たちがいては大きな魔法は使えない。カトレアの叫びを聞き、ヤマワラワは何匹かの子犬や子猫を抱きかかえて離れていく。だが、カトレアの魔法が蛮勇の口火となった。経験の浅い若い犬と狼がギャビッシュに飛びかかってしまったのだ。

「だめよ! 戻って!」

 カトレアの悲鳴はむなしく空を切った。ギャビッシュはカトレアの『ブレット』による攻撃などは意にも介さずに、飛びかかって来た犬と狼に向けて、口から白色の針状光線を放ってきた。

 ギャワンという断末魔とともに、一撃で絶命させられた二匹の躯がカトレアの足元に転がる。

 その瞬間……カトレアの中でなにかが切れた。

「……許さない! お前だけは、許さない!」

 もうカトレアは温厚なルイズの姉としての顔を残してはいなかった。怒りと悲しみに身を任せ、破壊衝動に身を任せる鬼と化していた。その感情の激するままに杖を振り、全長五十メイルを超える巨大なゴーレムを作り出す。

 もし今のカトレアをルイズが見たら、あのちぃ姉さまと本当に同じ人かと目を疑ったかもしれない。

 でも、いったい誰がそれを責められるだろうか? 友だちだと信じていたものに裏切られたこと、さらに心から愛し、家族のように暮らしてきた動物たちを何の理由もなく殺されたこと。それでなお理性を保っていられたとしたら、そいつは人形か怪物だ。

 母・カリーヌに匹敵するほどの殺気と威圧感をまとって、戦いの女神と化したカトレアは杖を振るう。

 だが、ギャビッシュは黙ってつぶされようとはしなかった。中型の形態からさらに巨大化を続けて、ついに身長七十メートルのイタチに似た顔を持つ、悪魔のような容姿の怪獣へと変貌を遂げたのだ。

 それがあなたの本当の姿なのね、と、カトレアは杖を握る手に力を込めた。彼女の思ったとおり、これがギャビッシュの本性……凶悪で残忍な思考を持ち、立ち寄った惑星で破壊と殺戮を繰り返す宇宙怪獣なのだ。

 

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 ギャビッシュは口から針状の光線、さらに巨体に反して敏捷な動きでカトレアのゴーレムを狙ってくる。

「くっ……」

 カトレアも必死で防戦するけれど、身のこなしや武器の威力では敵わない。しかし、カトレアの苦戦を見て取ったウルフガスが、空に向かって大きく遠吠えを響かせたことによって形勢は変わった。

 夜空にこだまする助けを求める狼の声に応えて、渓谷からはシュガロンが、空からはリトラが駆けつける。さらに、大好きなカトレアを助けようと、ヤマワラワも見る見るうちに巨大化した。

 カトレアのゴーレムを追い詰めていたギャビッシュは、突然現れた怪獣たちに囲まれて、シュガロンとヤマワラワに殴られ、リトラに空からつつかれて苦しめられる。

「みんな……」

 助けに来てくれた三匹の姿を見て、カトレアは怒りで熱くなっていた心に、別の熱を感じた。

 そうだ、まだ自分にはこんな多くの友だちがいるではないか。カトレアは落ち着きを取り戻すと、怪獣たちを援護するために自身のゴーレムの肩に乗り、戦いに参戦する。

 しかし、それこそがギャビッシュの狙いであった。昼間ラ・フォンティーヌ領を見て回り、この土地には数多くの怪獣がいると知った奴は、まともにそれらとやり合っては敵わないと、ある策を用意していた。

 それは、カトレアが数多くの動物たちを魔法で治療し、さらに巨大ゴーレムをも作って精神力を消耗したこの瞬間。ついにカトレアがゴーレムを維持しきれなり、はじめて動きを鈍らせ、隙ができたこの瞬間に発動した。

 ギャビッシュの目から放たれた赤い光が、動きの止まっていたカトレアを包み込むと、逆再生のようにギャビッシュの目に戻る。そのあとゴーレムの肩には、カトレアの姿は煙のように消えていた。

「!!!?」

 怪獣たちは、言葉は使えなくともカトレアが消えてしまったことに明らかな狼狽を見せた。

 そして、ギャビッシュはそんな怪獣たちに向かって、見せ付けるようにして真っ赤な目を見開く。視力の優れた怪獣たちは、その目の中を覗き込んで愕然とした。カトレアは奴の眼球の中に幽閉されていたのだ。

 優勢を保っていた怪獣たちも、カトレアが人質にとられていたのでは攻撃ができない。ギャビッシュは、こうして人間の盾を得るために、動物たちを皆殺しにできるところをあえて瀕死で残したのだ。

 卑劣な手段で怪獣たちの攻撃を封じたギャビッシュは、ここぞとばかりに容赦ない反撃に出た。先に見せていた針状光線だけでなく、長く伸びた尻尾の先端から稲妻状の光線を放って怪獣たちを攻撃してくる。

 その光景を、ギャビッシュの目の中に幽閉されたカトレアは、どうすることもできずに眺めているしかできなかった。

「みんな! やめて、逃げて!」

 必死に叫ぶものの、その声は外には届かない。魔法の杖は持っているけど、使うための精神力が底をついているために、今のカトレアは非力なただの女に過ぎなかった。

 彼女の見ている前で、針状光線がヤマワラワに突き刺さり、雷撃光線がリトラの羽根を傷つけ、鋭い爪で殴られたシュガロンがさらに蹴り飛ばされる。ただ、破壊と殺戮だけを喜びとする凶悪怪獣としての本能を、ギャビッシュは存分に満たしていた。

「みんなが……これも、みんな私のせい。みんなを助けるためなら、私は」

 責任を感じていたカトレアは、怪獣たちを助けるために自ら死を選ぼうとした。このままでは、いずれこの怪獣は自分を人質にしてヴァリエール領にも侵入するだろう。父や母に迷惑をかけるわけにはいかない。だが、思いつめたカトレアが胸に手を当てたとき、エレオノールから譲られた護身用の仕掛けペンダントに触れた。

 

「いいカトレア? もしあなたが窮地に陥って、魔法を使うこともできなくなったときには、これの先を相手に向けて、真ん中についている宝石を強く押しなさい。これの中には強力な催涙ガスが仕込んであるから、浴びた相手はひとたまりもないわ」

 

 そうか、もしかしたらこれならば! 姉がくれた万に一つの可能性にカトレアは賭けた。

 ハンカチで口と鼻を押さえ、ペンダントのスイッチを強く押す。すると、エレオノールの言ったとおりにペンダントからは白いガスが勢いよく噴き出した。

「うっ……!」

 狭い空間に満ちたガスはハンカチごしでも容赦なくカトレアの喉を痛めつけ、さらに目を刺激して激痛とともに視力を奪っていった。

 しかし、カトレア以上に大きなダメージを受けたのがギャビッシュであることはいうまでもない。なにせ催涙ガスを目の中で直接散布されるのである。ラー油を点眼されたようなものだ。想像を絶する激痛がギャビッシュの目に走り、もだえ苦しんだ奴はとうとう目の中からカトレアを外に放り出した。

「ごほごほっ! で、出れたのね」

 森の中に放り出されたカトレアは、痛む目をこすりながらどうにか木に寄りかかった。

 危ないところだった……かろうじて助かったカトレアは、このペンダントをくれたエレオノールの心遣いに感謝した。涙を袖でぬぐって目を開くと、ピグモンやウルフガスが心配そうに駆け寄ってくる。

「みんな、心配かけてごめんなさい」

 一度は死のうと思ったけれど、こうしてみると胸の奥から生きていてよかったという思いが湧いてくる。

 

 そして、片目を押さえて苦しんでいるギャビッシュに、怪獣たちの大反撃が始まった。

 

 視力の半分を失ったギャビッシュに、ヤマワラワの体当たりが炸裂して吹き飛ばし、起き上がってくる前にシュガロンの吐き出した赤色熱線がギャビッシュの毛皮に焦げ目をつけた。むろん、それで終わらずに上空からリトラがギャビッシュの残ったもう一方の目をつつく。

 よくもやってくれたな! もう許しはしないぞ!

 普段はおとなしい怪獣たちも、住処を荒らされ、慕っているカトレアに手を出されたことで完全に怒っていた。

 三匹の怪獣の猛攻を受けるギャビッシュは、なんとか反撃の糸口を作ろうと、尻尾の先からの雷撃光線などで隙を作ろうと乱射する。だが、全方位に攻撃できるわけではないので空いた方向から攻撃を受けてしまうし、視力が衰えている今ではもちまえの怪力や俊敏さも役に立たない。

 それでも、不利な状況ながらも三匹の怪獣を相手にして五分の戦いを繰り広げていたギャビッシュだったが、とどめともいうべき事態がやってきた。

 突然、大地が浮き上がるようなケタ違いの地震が一帯を襲った。カトレアやピグモンたちは立っていられずにその場に倒れ、怪獣たちも自分を支えるのに精一杯なほど大地が揺さぶられる。

 こんなときに地震!? いや、この揺れは地震などではない。なぜなら、震源は地上にあってしかも動いている。

 ほかの怪獣たち同様、動けないでいたギャビッシュは、森の向こうから自分に向かって、とてつもなく巨大なタイヤのようなものが転がってくるのを見た。

 なんだあれは!?

 高度な知能を持つギャビッシュにも、それが何かはわからなかった。しかし、正面から見ていたギャビッシュと違って、側面からそれを見れていたシュガロンやヤマワラワにはそれが味方だということがわかっていた。

 なんと……それはスカイドンが自分の体を丸めて、まるでアルマジロのようになって転がってきていたのだ。

 あのとき、スカイドンもウルフガスの声を聞きつけていた。しかし、その巨体と重さゆえに即座に駆けつけることのできないスカイドンが選んだのが、この移動法だったというわけだ。

 避けることもできずに、ギャビッシュは総重量二十万トンの超重戦車にひき潰される。

 それでなお死ななかったのは、さすが凶悪怪獣といえるかもしれなかったが、もうまともに動く力も残されてはいなかった。地底からは遅ればせながらゴーストロンも駆けつけて、弱ったギャビッシュにシュガロンの熱線、スカイドンの高熱火炎、ゴーストロンのマグマ熱線が浴びせかけられる。その怪獣たちの集中攻撃で小爆発が連続して、一瞬にしてギャビッシュは致命傷を与えられた。

 が、もはや大勢は決したかに見えても、ギャビッシュの目にはまだ邪悪な光が残っていた。

 

 このままでは死なないぞ。道連れに、お前たちの一番大切なものを奪っていってやる!

 

 ギャビッシュの口が開き、その口腔の先がまっすぐカトレアに向けられる。

「……っ!」

 声にならない声がカトレアの喉から漏れた。逃げようにも、精神力はつきて魔法は使えない。

 邪悪な執念を振り絞り、カトレアに狙いを定めたギャビッシュの口から針状光線が放たれた。あれを喰らえば人間はひとたまりもない。ピグモンやウルフガスが盾になってくれようとしているが、とても防げたものではない。

 だが、怪獣たちの中で唯一、ギャビッシュの攻撃に反応できたリトラが、素早く飛び込んでくると、その身を挺してカトレアを針状光線から守った。

「あっ! あああっ!」

 決して大きくないリトラの体が針状光線に貫かれ、羽毛やうろこ、そして鮮血を空に飛び散らせる。間一髪、カトレアはリトラの犠牲で救われた。けれど、それでもなお執念深くカトレアをギャビッシュは狙おうとするが、その前にリトラの最期の攻撃が炸裂した。

 リトラの口から放たれる白色の液体がギャビッシュの顔面にかかった瞬間、強烈な白煙を上げて皮膚が溶解を始めた。シトロネラアシッド……リトラが持つ強力な酸による攻撃で、その威力は過去に古代怪獣ゴメスを倒したほどだ。

 顔面を溶かされ、視覚と嗅覚のすべてを奪われたギャビッシュは顔面を押さえてもだえた。そして、身動きの止まったギャビッシュに、もう一度怪獣たちの総攻撃が炸裂する。今度こそ、完全に引導を渡されたギャビッシュは断末魔の叫びをあげて、青い炎に包まれて消滅した。

 

 勝った! 怪獣たちから勝利の雄叫びが、夜の空へと響き渡った。

 

 しかし……勝利の影で一つの命が消えようとしていた。

 カトレアを救い、実質ギャビッシュにとどめを刺したといえるリトラだったが、代償は大きかった。受けた傷の深さに加え、シトロネラアシッドを使うことはリトラにとって最期を意味する。あまりにも強力な酸であるために、リトラ自身の呼吸器をも溶解させてしまうのだ。

 末期の息を吐きながら、リトラはカトレアに頭を抱かれて命の灯火を消そうとしている。

「ごめんね……ごめんね……わたしのために」

 流した涙が雨のようにリトラの頭に降りかかる。治癒の魔法を使うだけの力はすでになく、あったとしても治せるような傷ではなかっただろう。カトレアにしてあげられることは、ただ強く抱きしめ続けることだけだった。

 でも、リトラは恨みも、後悔した風も微塵も見せることはなく、カトレアに頬を摺り寄せると、短く鳴いて、眠るように息を引き取った。

 

 戦いには勝った。しかし、得たものは何一つなく、この夜、リトラをはじめ数百の動物たちが命を奪われた。

 

 この事件は、カトレアの心に深い悲しみを残してようやく終わり、日が昇るまでのあいだ、カトレアは子供の頃に戻ったように泣き続けた。そのそばには、ウルフガスが、ヤマワラワが、生き残った動物たちが片時も離れずに彼女を守り続けていたという。

 

 けれども、日が昇ったあとで、カトレアは涙をぬぐうと立ち上がった。

 生き残った動物たちに、いつものように食事を与え、犠牲になったリトラや動物たちを埋葬する。

 その後、怪獣たちに争いが起きないように見て回ると、もう二度と主が帰ることのなくなったリトラの巣を焼き払った。

「……」

 燃え上がる巣を見上げて、カトレアは最後まで一言も発することはなかった。

 夕刻になり、シュガロンの渓谷を過ぎ、スカイドンの陸橋を超えてカトレアは家路に着く。

 その途中、道の中に一匹の子狐が倒れているのを見つけてカトレアは馬車を止めた。

「まあ、ひどい傷……」

 子狐は親とはぐれ、途中で狼でも襲われたのか、あちこちに傷を負って身動きすらできないでいた。ひどく怯えてもいて、カトレアが近づいただけでもうなり声をあげて威嚇してくる。

 そのとき、カトレアの心に暗い影が射した。

 

”また、あのときのようなことになったらどうする? もう、あんな悲しい目にあいたくはないだろう”

”いいじゃないか、たかが一匹くらい見捨てても。どうせ牙をむいてくるような可愛げのない動物だ”

 

 もう一人の自分が、心の奥から甘い言葉をかけてくる。だが、カトレアはその悪魔の誘惑を振り払うと、子狐に向かって手を差し伸べた。

 

「お母さんと会えなくてさみしいのね。でも、もう大丈夫よ。私が、あなたのお母さんになってあげるから」

 

 どんなに苦しくても、悲しくても、強く誓った夢は捨てない。

 未来を与えてくれた友、自分を愛してくれた友や家族を悲しませるような人間にだけはならない。

 差し伸べた手に噛み付かれ、血が流れてもカトレアはじっと耐えていた。

 すると、怯えていた子狐はやがてあごの力を緩めると、カトレアの手に顔を摺り寄せて眠り始めた。

「行きましょう。あなたの家族が待ってるわ」

 子狐を抱きかかえ、カトレアは馬車へ乗り込んで屋敷に向かう。

 この日、カトレアに新しい仲間が一匹加わった。

 日は山影に姿を消しつつ、馬車の背中を見送っていく。

 そして、屋敷に元気な姿で帰ってきたカトレアを、屋敷の窓からムゲラが優しく見守っていた。

 

 

 続く

 

 

 

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第23話  ミス・エレオノールの多忙なる日常

 第23話

 ミス・エレオノールの多忙なる日常

 

 古代怪獣 ツインテール 登場!

 

 

 トリスタニアの西の外れに、トリステイン王立魔法アカデミーはある。

 そこは名前どおり、様々な魔法の研究をおこなう公立機関である。国内の学者たちから特に選りすぐられたエリート研究員たちが昼夜を問わずに、その知識をぶつけ合い、研究塔から灯が消えることはない。

 その中でも、エレオノールは三十人からなる主席研究員たちの一人であり、土系統の分野においてのリーダー格として、将来を待望される人材であった。

 

 ヴァリエール領で伝書フクロウを通じての呼び出しを受けたエレオノールは、まずは四階にある自分の研究室で、ドレスから研究衣に着替えた。

「うん、やっぱりこの服のほうが落ち着くわね」

 身動きのたやすい研究衣の感触を確かめると、エレオノールは開放感にひたるように背伸びと深呼吸をした。男女共通のデザインで、あちこち薬品のしみがついていて、おせじにも可憐とはいえない服だけれども、着慣れた服は自分の体の一部のようで安心感がある。

 しかし、実母のカリーヌが見たら淑女らしさが足りないと雷を落とされそうな光景でもある。このほかにも、エレオノールの部屋にあるのは専門の土の魔法の研究のための機材のほかには、装飾らしいものはご先祖の肖像画一枚くらいで、女性らしい飾り気はほぼ皆無であった。

 と、そうして落ち着いていると、部屋の扉がノックされた。

「どうぞ」

 扉に向かって告げると、黒髪のメガネをかけた妙齢の女性が入ってきた。

「あら? 帰ったって聞いてたけど、なんだもう着替えちゃってたの」

「おあいにく様、またどうせ似合わないかっこうしてるとか冷やかすつもりだったんでしょうけど、そうはいかないわよ。ヴァレリー」

 同僚で、同じ主席研究員仲間のヴァレリーだった。エレオノールから見て二歳年下で、専門の研究対象は水系統の魔法薬、自身のメイジのランクも水のスクウェアと、彼女もまたエリート中のエリートだ。

「残念、実はエレオノールのドレス姿はけっこう好きなんだけどなあ」

「余計なお世話よ。動きづらいったらないし、お化粧にはやたら時間がかかるし、どうして男ってのはあんなのが好きなのかしらねえ」

「あはは、でもこわーいお母さまのご命令だもんねえ。でも、おせじ抜きでエレオノールはいい線いってると思うけどなあ。私が男ならプロポーズしてるところよ」

 くだけた調子で話しかけてくるヴァレリーに、エレオノールは嘆息したけれど、その明るい態度に憎しみは持たなかった。同僚とはいえ、研究者としては全員がライバルのアカデミーで、ヴァレリーは数少ない心を開いて話せる友人であった。

 ちなみに、アカデミー内は昔からの知己が多いためにエレオノールはここでは淑女の皮を被っていない。アカデミー内部のことは一切の他言が禁じられているので、秘密が漏れる心配がないのも理由だ。

「冗談じゃないわよ。体力消費は十倍、気疲れは百倍、ストレスは千倍。寄ってくるのは歳食った教師と青臭い子供ばかり」

「それで、そろそろ見つかった? 結婚相手」

 その瞬間、エレオノールの冷静さは結婚という単語が起爆剤になって吹き飛んだ。豹を思わせる俊敏さで、ヴァレリーの喉下を締め上げたのだ。

「私の前で、その不愉快な単語を軽々しく口に出さないでくださる?」

「ご、ごめん……ごめんなさい……許して……」

 さすが、あのカリーヌの娘でルイズの姉だけあって、エレオノールの腕力と握力は見た目の華奢さとは裏腹に並みの男をはるかにしのいでいた。肉体派系メイジの家系とでもいうべきか、ヴァレリーはエレオノールの手を振り解こうとするもののビクともしない。

「結婚は人生の墓場、とおっしゃい」

「げ、げっごんば、じんぜいのはかば……」

「よくってよ」

 エレオノールはそこでヴァレリーを放すと、不機嫌な顔で木製の簡素な椅子に腰を下ろした。目の前にあった蒸留水のビンの中身をコップに注ぐと、一口を含む。行儀が悪い上にまずいが、少しだけ落ち着いた。しかし、結婚は人生の墓場とはいうが、エレオノールの場合は結婚できなかったら本物の墓場が近づくので、焦りといらだちも相当なものだろう。ヴァレリーは激しく咳き込んで、なんとか息を整えると、気を取り直すように言った。

「ま、まぁ……女だてらにこういった研究生活をしてると、結婚から遠のいてしまうのもしかたないわね」

「そうよ。決して私に難があるわけじゃないの。ところで、何の用よ?」

「ああ、すっかり忘れてたわ。今日の仕事は私があなたとパートナーを組むのよ」

「なんだ、そういうこと……って、そういうことは普通忘れないんじゃない?」

「いやいや、我が親愛なるエレオノールくんの艶姿を想像すると、仕事のことなんか地平線のかなたに吹っ飛んでしまうのさ」

「あなた、ほんとよくそれで主席研究員をやってるわねえ……」

 それから、ヴァレリーととともに、エレオノールは塔の最上部にある所長室で用件を受け取った。内容は、トリスタニア郊外で行動中のチームの助力をすること、詳しい内容は現地で聞くようにとのことだったので、二人は所員用の竜籠を借りるために階下へ降りていった。

 大きな研究塔のあちこちでは、大勢の所員たちがたくさんの書類や実験道具をかかえてすれ違っていく。

「ここも、前とは比べ物にならないくらいにぎやかになったものね」

 自分たちには目もくれずに忙しく働く所員たちを見て、エレオノールは感慨深げにつぶやいた。

 設備が拡張されたアカデミーでは、重要な研究がいくつもおこなわれている。

 たとえば、地下には大規模なドームが建設され、かつて破壊されて収容されたメカギラスの残骸の検分が今も続いている。また、冷凍保存庫では倒された超獣や怪獣の死骸の一部が保管されている。

 それらはすべて国運を左右するために関係者以外立ち入り禁止で、厳重に衛兵がついて監視されていた。

 そういったところを素通りしつつ、エレオノールはヴァレリーに愉快そうに言った。

「こういう空気っていいわよね。なんかこう、未知への探求をしてるって感じで、血が騒ぐってものがあるというか」

「あなたの恋人は昔から実験材料と好奇心だもんね。でもま、私も今が楽しいのは賛成だけどね」

 ヴァレリーも、懐からなにやら薬品の入った小瓶を取り出して、手のひらの中で弄びながら答えた。

 昔は神学一辺倒で、美しい神像を作るとか、どのような風が始祖の使ったものに近いのかとか、そういう役に立たない研究しかできなかったアカデミーも、今ではすっかり自由になった。皮肉な話だが、ヤプールの操る超獣には通常の兵器や魔法はほとんど効果がないということがはっきりしたからで、対抗可能な魔法兵器や、その他もろもろの補助アイテムを製作できるのはアカデミーしかなかったのが、旧弊を打ち破る原動力になったのだ。

 アカデミー専用の、実験機材も運べる特別製のゴンドラのついた竜籠に乗った二人は、命令を受けた場所へと飛び立った。その場所はトリスタニアを挟んでアカデミーとは反対側にあり、街の上空を横断する際に、先日のアブドラールス戦で破壊された箇所の再建などがおこなわれている様子が手に取るように見えた。

 

 やがて竜籠は街をすぎて、人影の少ない郊外へと飛んでいく。このあたりは立ち入るものも少なく、うっそうとした森が続いている。目的地は、この森の中で数週間前に猟師が偶然見つけたという、古代の遺跡の発掘現場であった。

「それにしても、このあいだの円盤といい、トリステインの地下には何が埋まってるか知れたものじゃないわね。それで、あなたは先に予備調査に来たことがあるそうだけど、まだかかるの?」

「いえもうすぐよ。ほら、見えてきたわ」

 見ると、行く先から調査チームの炊いたと思われる焚き火の煙がうっすらと見えてきた。食事時でもないのだが、空路でしかまともに近寄れないので、目印のために上げているのだろう。

 と、そのとき飛んでいく先から奇妙な匂いが漂ってきた。

「ん? この匂いは……」

 エレオノールはくんくんと鼻をならして、その匂いを確かめて首をひねった。それは、前に家のディナーで食べたことのあるエビの丸焼きのような、なんとも香ばしくていい匂いである。しかし、こんなところで漂ってくるとは変なものだ。

 その正体は、発掘現場の上にまでやってきたときに明らかになった。森が切り開かれて、大きな穴が口を開いているその横に、全長四・五十メイルほどの寸胴なヘビのような姿をした、手足のない巨大な生き物が黒焦げになって横たわっていたのである。

「ヴァレリー! なによあのバケモノ!?」

「あー、やっぱりびっくりした? 驚かそうと思って黙ってたんだけどね。実は、発掘の途中で大きな卵が出てきて、調べてみようと魔法をかけたら巨大化してあのとおり。いや、やっつけるのに苦労したわ」

 それは古代怪獣ツインテールの死骸だった。ツインテールは地球ではジュラ期に生息していたと考えられている怪獣で、非常に頑強な卵を持っていて、ほぼ化石の状態からでもなんらかの刺激を吸収することで復活することができる。過去の例ではMATのマットシュートのレーザーや、高次元捕食体ボガールの与えた熱エネルギーなどが確認されており、今回の場合は魔法による探査が蘇生のきっかけとなったのだろう。

 ヴァレリーは唖然としているエレオノールに、そのときの自分たちの武勇談を誇らしげに語った。

「今思い出しても身震いがするわ。なにせ怪獣を目覚めさせたなんてことになったらアカデミーの大失態だから、そのときはもう上も下もおおわらわで、テストも済んでない魔法兵器の試作品まで持ち出して、なんとかこの場所で始末しようとやっきになったわ。かくいう私も、戦いは苦手だけど杖をふるってがんばったんだから」

 火を出す装置、土を水に変える装置、その他薬品から新型のマジックミサイル等々、そのときトリステインにあるありとあらゆる武器が使われたといってよかった。しかし、ツインテールはこれでもウルトラマンジャックやウルトラマンメビウスを苦しめた強力な怪獣である。頭を下にして、体をブーツのように縦に起こした特異な形で移動し、頂部の二本の鞭を振るって暴れるツインテールに、アカデミーの持ち出した武器のほとんどは跳ね返され、メイジたちも蹴散らされていった。

 

「でもそのとき! 天は我らに味方したわ。一発の凍弾頭のマジックミサイルが、奴の尻尾のほうの目に直撃したのよ!」

 

 まるで講談師のようにどんでん返しを強調してヴァレリーは言った。その一発で目を凍りつかされた奴はフラフラと足元がおぼつかなくなり、総崩れしかかっていたアカデミーのメイジたちは立ち直る猶予を得ることができたのだと。

 本当に幸運なことに、ミサイルの当たったツインテールの第二の目こそが奴の急所であった。ツインテールは頭の目のほかに、尻尾側にも青く輝く目を持っているかのように見えるけれど、実はこれは目ではなく三半規管に近いもので、ここを破壊されると平行感覚を失ってしまうのだ。

「あとは、身動きの止まったところに錬金で作った油と、ありったけの火力を集中させて丸焦げにしてやったというわけ。いやあ、見せたかったなあ、あのときの私たちの勇姿!」

 からからと、ヴァレリーはまるで試験の成績がよかったのを親に自慢する子供のように笑ってみせた。これは巨大怪獣の前に煮え湯を飲まされ続けてきたトリステインの軍隊が、非公式にとはいえあげた大戦果である。それに、ザラガスを撃破した火石の爆弾が二発目を作れないことを考えれば、トリステインの武器でもやりよう次第では怪獣と戦えるという証明になって、彼らの溜飲を大いに下げていた。

 しかし、怪獣に囲まれて育った妹ならともかく、大半がインドア派の研究者たちが怪獣とやりあってよく無事であったなとエレオノールは呆れていた。

「あなたたち、私が留守のうちにそんなことしてたのね。死者が出なかったらしいからいいようなものの、下手したらトリステインの頭脳が全滅してたじゃない」

「終わりよければということにしておいてよ。おかげで最良の実戦テストになって、使える武器と使えない武器とがはっきりしたわ。怪獣の死骸も、生物調査団が解体して持ち帰るそうだし、次にヤプールが攻めてきたときは、目にもの見せてやれるかもしれないわよ」

 結果論だが、ツインテールとの戦いはアカデミーの兵器開発を多いに前進させることとなった。実際、すでにアカデミー内部では研究の大幅な整理縮小がおこなわれ、ツインテールに通用しなかった兵器は即刻開発中止になり、効果のあったものへと予算と人員を移していた。

 やがて二人を乗せた竜籠は高度を落とし、ツインテールの死骸のそばに着陸した。ビッグマウスと呼ばれる大きな口をだらりと開き、ほどよくミディアムに焼けている図体を見上げて、エレオノールは嘆息した。

「それにしてもすごい匂いねぇ。いえ、悪臭ならともかくだけど、こう香ばしい香りがされると拍子抜けするわ」

 ツインテールは生まれたばかりだとエビのような味がするという有名な俗説がある。本当かどうかは試してみた人がいないので不明だったが、どうやら本当らしかった。

「男たちの中には度胸だめしで肉を食べてみた人もいるそうよ。けっこう美味だったらしいけど、試してみる?」

 むろん、エレオノールが丁重に断ったのは言うまでもない。

 

 

 さて、ツインテールのことは置いておいて、エレオノールとヴァレリーは問題の遺跡の発掘現場へとやってきた。

 一帯は森が切り開かれており、調査団が作った架設テントや、掘り出した土をまとめた山がそこここに見受けられる。その中で、地下十メイル、直径二十メイルほどに掘られた縦穴に二人は入っていくと、そこには石壁と、分厚い鉄で作られた大きな扉が口を開いて待っていた。

「これが入り口……」

 獅子のような石のレリーフに見下ろされた門を二人は潜ると、中と外との明るさの差で思わず目を覆った。

 だが、中の灯りに目が慣れると、そこには驚くべき光景が広がっていたのだ。

「これは……大発見じゃない!」

 そこは、天井までの高さが五メイルもある、石造りの巨大な建造物だった。

 内部のあちこちには、獅子や虎、あるいは竜などをかたどった石の彫刻が柱や壁と一体化しており、見たこともないレリーフが刻まれている柱もある。これは明らかにトリステインはおろかハルケギニアの文化ともかけ離れた文明の産物であり、これを作った人間たちが相当な技術力を持っていたという証でもあった。

「どうエレオノール? 驚いたでしょう」

「驚いた、なんてものじゃないわよ。これはハルケギニアの歴史がひっくり返りかねない発見よ。つくりの頑丈さから見て、古代の神殿跡かしら? もしかしたら、始祖が降臨して魔法が伝わる、有史以前の文明のものかもしれないわ」

「ええ、私たちも同じ見解よ。これまでの出土品から、生活道具の類が見つからないことを見ると、なにかの宗教儀式に使われた線が強いの。みんなのあいだでは、仮称として悪魔の神殿と呼んでるわ」

「悪魔の神殿……ね」

 誰が言い出したものかは知らないが、よく言ったものだとエレオノールは思った。こんな地下に隠されて、気味の悪いレリーフが散見する様は、どこか背筋が寒くなるものがある。

 今のところ発掘されているのは入り口から五十メイルくらいで、さらに奥の通路は発掘途中で進めず、二人は土砂が取り除かれている部分を、丹念に調べていった。

「ねえエレオノール。壁になにか絵が描かれてるみたいだけど、ちょっと見て」

「ほんとね。だいぶかすれてて見にくいけど……怪物の絵……それも複数いるみたいね」

 それぞれ違う形をした怪物の姿が、二匹……いや三匹か? 細部はよくわからないけれど、それらの周りには街、さらには炎を思わせる絵が描かれており、その情景はそのまま戦いを連想させた。

「怪物を神として祭ってたのか、それとも逆か……この絵も、復元してみる価値はありそうね」

 案外、ここは本当に悪魔の神殿かもよと、エレオノールが真顔で言うと、ヴァレリーはよしてよ気味が悪いわねえと身震いした。

 

 そうしてエレオノールとヴァレリーは、発掘がすんでいる箇所の検分を終えると地上に上がった。日の光が目に染みて、ほこりっぽい空気から森の澄んだ空気が喉を通り抜けていく。

 しかし、穴を登って発掘チームの仮設テントに向かおうとしたところで喧騒が聞こえ、何かしらねといぶかしんでいると、一人の若い研究員が助けを求めに来た。

「あっ! エレオノール女史にヴァレリー女史。申し訳ありませんが、手を貸していただけませんか」

「どうしたの? そんな血相を変えてしまって」

「それが、どこで噂を聞きつけたのか。評議会員のエスパニヤ博士がやってきて、これは異教の邪悪な代物だからすぐに破壊するべきだ、お前たちは異端な研究をしていると言ってるんです」

「ああ、あの評議会のヒヒじじいか」

 エレオノールはつまらなさそうに吐き捨てた。評議会とはアカデミーの意思決定機関で、研究員から選抜された彼ら評議会員によって、アカデミーは運営されている。ただし、一線を退いた老人や、実践より理論を優先する者の流れ着き場、さらにはその地位だけが欲しい者が金で売買したりもするので現場との対立は絶えず、ヴァレリーも眉をひそめた。

「エスパニヤといったら、家柄と金だけでアカデミーに入ったって能無しじゃない。そういえば、司教の称号も持ってたっていうわね。はっ、大方若手が手柄を立てて自分の地位を脅かすのが怖くて邪魔をしに来たってところでしょうねえ」

「ですが、なにぶん博士は司教の肩書きをもっておりますもので、あまり強く反抗すると異端審問にかけられてしまいます。どうか、お二人にお知恵をお貸し願えないでしょうか?」

 必死に懇願する若い研究者に、ヴァレリーは親友の横顔を見ると不敵な笑みを浮かべた。

「だ、そうよ。どうする? 先輩として」

「馬鹿の相手なんて気が進まないけど、宝の山をつぶされるのはもっと冗談じゃないでしょう。いいわ、あなたたちにいいものを見せてあげる。案内しなさい」

 鋭角的なメガネをついとあげて、好戦的な笑みを浮かべたエレオノールを、若い研究員は救世主を得たかのように、喜び勇んで連れて行った。

 

 仮設テントが数多く建てられ、発掘現場はちょっとした街のようになっている。その中の、ひときわ大きな発掘団本部になっているテントで、エスパニヤ博士は何人もの研究者に向けてわめきたてていた。

「諸君、私はアカデミー評議会員として、そして何よりも始祖の代弁者たる司教として諸君に忠告する。このような忌まわしい邪教の神殿に触れることは、神の御技を与えられた貴族のすべきことではない。即刻この世から消去し、君たちの信仰の深さを天に知らしめよう。諸君らの中に、悪魔に心を売った異端の徒がいない限り、私に反対するものはいないはずだ」

 口八丁も八丁、よくもまあ心にもない言いがかりをつけられるものだと研究者たちは憎しみを込めてエスパニアを睨んでいた。偉そうなことを言ってはいるが、エスパニア自身は研究者として在職中のころも、めぼしい成果をひとつもあげたことはないことで知られる。単に、家柄がよくて追放させにくかったために、厄介払いで評議会員に押し上げられたのだが、こういうやからはどこへ行っても人の迷惑になり続けるらしい。

 それでも、ハルケギニアにおいて始祖の御心から離れる、異端のレッテルを貼られることは事実上の死刑にも等しい。研究者たちは、エスパニアをうっとおしく思っても、司教の肩書きという伝家の宝刀をかざされては、せいぜい時間稼ぎをするしかできなかった。

 そこへ、さっそうとエレオノールが現れたのである。

「これはこれはエスパニア博士、いらしているとは存じませず、出迎えもいたしませんで失礼仕りました」

「おお、君はアカデミー一の才女として名高いミス・エレオノールくんか。久しいねえ、君の活躍は先輩として常に誇らしく思っていたよ」

「それは身に余る光栄ですわ」

 両者とも、言葉の丁寧さとは裏腹に、口調には砂の一粒ほどの敬意も込められてはいなかった。エスパニアにとって優秀な若手はすべて自分の地位を脅かす敵であったし、エレオノールにとって無能な男とは路傍の石ほどの価値もない代物にすぎない。

 社交辞令が終わると、エスパニアは先に研究者たちに言ったのと同じことをエレオノールに機関銃のようにぶつけた。あるだけの言いがかりと異端を楯にした芸のない文調の羅列。ヴァレリーや研究者たちは、それを黙って聞くエレオノールを、じっと見守っていたが、やがておもむろにエレオノールは口を開いた。しかし、その発言は研究者たちを愕然とさせるに充分だった。

「わかりました。私も忠実なる神の僕、遺跡をとり壊しましょう」

「おお! さすがアカデミー一の才女、物分りがよいのお」

 エレオノールが折れたことで、エスパニアは勝ったとばかりにしわまみれの顔を醜く歪めて笑った。一方研究者たちには絶望と、エレオノールに対する失望感が流れる。

 だが、ヴァレリーにはわかっていた。エレオノールの目は死んでいない。あれは狩人が冷静に獲物を見る目だ。

「ではエスパニア博士、わたくしたちはこれから遺跡の破壊作業に移ります」

「うむ、手早くするのだぞ」

「早急に……ですが、さすがはエスパニア博士。ご自分の身命を省みずに始祖と、そして我々の生命を守ろうと駆けつけてくれるとは、なんたる自己犠牲の精神と感涙いたします」

「な……? じ、自己犠牲とはどういうことかね?」

 不吉な単語が流れたことに、エスパニアの顔から笑みが消える。その瞬間、これこそが待ちわびた瞬間だと、エレオノールのメガネが光った。

「ご冗談を、高名な博士ならご存知のはず。こういった邪教の神殿には、異教徒の盗掘を避けるための呪いがかけられていることが多いのです。悪意をもって踏み入るものには死の罰をと、奇病にかかったり事故にあったりと、三百年前のリューベック博士が全身の血を吐いてミイラになって死んだり、エルダー男爵が突然湖に身を投げたりした例があります。まして神殿を破壊しろなどとなったら、どれほど恐ろしい呪いが命じた者に降りかかるか……ああ、それを信仰のために自らの身を投げ打とうとするエスパニア博士の名は、アカデミーの歴史に刻まれることでしょう」

 一気にまくしたてたエレオノールの言葉が終わったあと、エスパニアに顔色はなかった。

「では、我々はエスパニア博士のご命令に従い、ただちに……」

「ま、待て!」

 エレオノールの完全勝利であった。エスパニアはそれまでの高言はどこへやら、邪教の神殿かどうかをきちんと調査してから、改めて判断を下そうなどと適当なことを並べると、逃げるように去っていった。

 そして、エスパニアの乗った竜籠が見えなくなると、あとは研究者たちの歓声がこだました。

「さすがねエレオノール」

「ちょろいもんよ」

 すべては、エスパニアが知識が薄弱で臆病なことを計算したエレオノールの作戦だったのだ。

 研究者たちから熱烈な感謝の言葉をかけられたエレオノールは、「つまらない時間を使ったわ」と、ぽつりとつぶやくと、彼らに仕事に戻るようにうながした。馬鹿に勝って悦に入るほどエレオノールは暇ではないのだ。

 

「ヴァレリー、次は?」

「じゃあすでに発掘された出土品を見ましょうか。水系統の私より、土系統の貴女のほうが見るものは多いでしょう。それと後で、あなたに紹介したい子がいるから」

「紹介したい子?」

「ええ、とっておきのね。そういえば、エレオノールとも、けっこう相性がいいかもしれないわね。なにせその子ったら、あなたと同じで見た目はいいくせに、ひたすら研究ばかりに……」

 と、ヴァレリーがそこまで言ったときだった。向こうのテントで発掘品の調査をしていたらしい女性職員が、ヴァレリーに気がついて駆け寄ってきた。金髪がまぶしい、青い瞳の驚くほど目鼻の整った美少女だった。

「あっ! ヴァレリー先輩! 戻られたんですか。すごいですよ! あれからもう発見発見、大発見の連続です。見てください、この宝物の山を」

「ああ、わかったからわかったから。そんなに詰め寄らなくても聞こえてるわよ」

 興奮を隠し切れない様子の彼女に、ヴァレリーはまあまあとなだめると彼女のよこしたレポートの途中経過を検分した。

「へえ、よくまとまってるわね。出土品のリストやスケッチもきれいだし、たいしたものだわ」

「トリステインで五本の指に入ると言われているヴァレリー先輩に褒められるとは光栄です!」

 その女性職員は、表情に満面の笑みを浮かべて喜びを表現した。どうやら感情を隠すことが下手なタイプのようで、その勢いにヴァレリーのほうがたじたじになっている。

「ヴァレリー、その子は?」

 エレオノールは、アカデミーにこんな若い娘がいたかしらといぶかしんだ。

 すると、その少女はエレオノールの顔を見るなり、子供のように飛び上がった。

「わあっ! もしかしてあなたはエレオノール博士でいらっしゃいますか! 先輩からお噂はかねがね。博士の書かれた論文の数々を拝見させていただき、ぜひ一度お会いしたいと思ってました!」

「あ、うん。それはどうも光栄ね」

 生き別れていた親と会ったような少女の喜びように、今度はエレオノールがたじたじになる番だった。

 小声で、「誰? この子」とヴァレリーの耳元でささやくと、ヴァレリーも気恥ずかしそうに答えた。

「あなたが魔法学院に行ってるあいだに入った新入りよ。あとで紹介しようと思ってたんだけど、ガリアから来たそうで、アカデミーの入学試験を優秀な成績でクリアした英才なの」

「よろしくお願いします。いやあ、叔父様にくっついてガリアに来てたんですけど、せっかく面白いものをいっぱい見れると思ったら、叔父様ったらお前はおとなしくしてろの一点張りで、たまりかねてトリステインまで来ちゃったんです」

「ふーん、身内で苦労するのはどこも同じなのねえ」

 エレオノールは、母や妹たちの顔を思い出して軽く息をついた。

「ま、優秀な若手が育つのは悪いことじゃないわ。このレポートもよくできてるし、まあ仲良くやりましょう」

「はい」

 差し出した手をとった彼女と、エレオノールは握手した。意外にも思えるけれど、実力で地位と名誉を勝ち取ってきたエレオノールには後輩いじめをして若い芽をつぶそうという気はなく、アカデミーの若手の中では人気があるのである。

 エレオノールは彼女のレポートを基にして、遺跡の調査を進めていった。

「出土品の状況から見て、最低四・五千年は経ってるのは確実ね。やはり始祖以前の古代人のものかしら」

「はい、私も大災厄以前の蛮人の……あ、いえ。ですが、同時に文字板も複数出土しています。解読すればなにかわかるのではないですか?」

「そうはいっても、ほとんどがバラバラに砕けてるから復元からやらなきゃね。この古代文字の解読はリードランゲージでやればいいけど、復元作業は手作業になるから、解読は相当後になるわね」

 いくら魔法でも壊れたものを元通りにすることはできない。こういうことは、地道に人間が根気と努力でやるしかないのだ。

 そうして、三人は出土品を前にして議論を戦わせていたが、一番奥に置かれていたあるものの前で足を止めた。

「これは……なに?」

 エレオノールは、そこに一つだけあった、明らかにほかの出土品とは違う物体をいぶかしんだ。それは、石版や石の彫刻とは違い、子供ほどの大きさの透明なカプセルで、それに関してはヴァレリーも首をふった。

「それは入り口近辺の祭壇に安置されてたものなんだけど、中に液体が詰まっているということ以外はまだ何もわかってないわ。中のサンプルをとってみようと試みても、恐ろしく頑丈で錬金もどんな衝撃も受け付けないのよ」

 なるほどと、エレオノールもそばにあったハンマーで叩いてみても傷一つつく気配はなかった。

「これが先史時代のものだとすれば、固定化も使わずにこれほどの強度の物質を作り出せたということになるわね。それに、中の液体も興味深いわ」

「でしょう。私は古代人の秘薬だと踏んでるんだけど、ああ! もし不老不死の秘薬とかだったらどうしよう?」

 興奮して叫ぶヴァレリーに、エレオノールたちは呆れた顔を見せた。

「あのねぇ……」

「わかってるわよ。冗談よ冗談。不老不死なんてものが存在したら、古代人が滅びるわけはないもの。まあ、これはアカデミーに持ち帰ってじっくり調査しましょう。なんにせよ、楽しみじゃない」

 ウィンクしてみせるヴァレリーに、二人は「同感」と笑い返した。

 

 なんにせよ、この発掘現場はアカデミーにとって金山よりも貴重な宝の山だった。

 一般人から見たらガラクタに見えるようなものも、彼らからしてみたら古代の謎を解き明かす鍵なのである。特に、始祖が降臨する前の歴史についてはほとんどわかっていないので、その一ページをめくることに興奮していないものはいない。

「この文字の形は、やはりここ数千年のあらゆる文献の文字とも違うわね」

「でも、一部の形がエルフの使っている文字記号と酷似しているように見えなくもないと思わない?」

「可能性はなくもないと思いますよ。エルフの文明は、ば……人間よりも古いですからね」

 いくら話しても、話のタネがつきることはなかった。

 そのとき、エレオノールのところに、例の伝書フクロウがまた飛んできた。足にはしっかりと手紙筒がつけられており、それを外して一読した彼女は、一瞬口元に苦い表情を浮かべた後にため息をついた。

「ごめんヴァレリー。魔法学院から緊急の呼び出しが来たわ。悪いけど、今日一日はあなたにまかせるわ」

「あら、それは残念。まったくあなたはどこでも大人気で大変ね」

「お勤めだから文句も言えないからね。すまないわねヴァレリー。それからあなた、ヴァレリーを補佐してあげてちょうだい、頼むわね」

「はい! お任せください」

 明るく返事をした新人の顔を見て、エレオノールは微笑を浮かべた。この新人、若いがかなり見所がある。ゲルマニアからガリアに留学していたとのことで、どうやらメイジではないらしく魔法は使えないようだが、知識量はそこらの学者が及ばないほどすごい。

 なによりも、その好奇心と探究心の高さは感心するほどで、あれこれ発見があるたびに興奮しまくりで、文字通り寝食を忘れているほどである。あちらの国では学者も平民の登用も大規模に進んでいるようなので、トリステインはそのあたりも見習わなくてはならないだろう。

 

 大発見を目の前にして、後ろ髪を引かれる思いながら、エレオノールは竜籠に乗り込んだ。四頭の竜に吊り上げられたゴンドラは空へと舞い上がっていき、地上から、あとはまかせてくれと手を振ってくるヴァレリーと、新入りの姿もどんどん小さくなっていく。

「間違えて大事な史跡を壊したら承知しないわよヴァレリー! それに……」

 と、叫ぼうとしたとき、エレオノールはまだ新入りの名前を聞いていなかったことにようやく気がついた。ありったけの声で、そういえばあなたの名前は!? と叫ぶと、風に乗って音楽めいた響きの言葉が飛んできた。

「ルクシャナ……」それが彼女の名らしかった。

 

 

 急いで竜籠で学院に帰還したエレオノールは、自室で作業服からドレスに着替えると、その足で手紙をよこしたオスマン学院長の待つ学院長室に出頭した。入り口で来訪者を受け付けていたロングビルに

用件を伝え、学院長室のドアをノックする。

「地系統担当教諭、エレオノール・ド・ラ・ヴァリエール参りました。失礼いたします」

「おお、来たかねミス・エレオノール。ううん、相変わらず美しいのう。ほっほっほっ」

 室内に足を踏み入れると、オスマン学院長が早くも軟派な言葉であいさつをかけてきた。例によって、口調は威厳を保っているのと反比例して、口元がにやけている。エレオノールは、来たことを早くも後悔しつつ、スカートのすそをつまんで、カリーヌ直伝の優雅におじぎを返した。

「学院長におかれましては、本日も大変ご機嫌うるわしいようで」

「いやいや、年寄りの楽しみは若い者の育つのを見ることだけじゃからのお。特に、貴女のような美しいお方を見れば、寿命が百年は延びるというものよ。ミス・ロングビルもじゃが、メガネ美人というものは胸にキュンとくるわい。ほっほほほ」

 内心で百年寿命が縮めと吐き捨てたのを、少なくともこの学院の女子生徒ならば誰もとがめるまい。このじいさんの好色ぶりは、エレオノールも学院生活を送っているうちに重々承知しているつもりではあるけど、オスマンの視線がまっすぐに自分の胸元に向いていると、自然と殺意が湧いてくる。

 それでなくとも、今はカトレアのようなゆったりとしたドレスに身を包み、麗しき公爵令嬢という猫をかむって学院生活を送り、今では望まぬも『エレオノール公爵令嬢を見守る会』などいうものに始終監視されているだけに、不愉快度は倍増した。

「最近はおぬしのおかげで、土の授業で生徒の出席率もよくてのう。いやはや、感謝に耐えんよ」

「真面目な生徒ばかりでして、わたくしも教えがいがあるというものですわ」

 本当は大きなお世話だと怒鳴りつけたかった。なにが悲しくてガキども相手に愛想ふりまかねばならんのか? いや、こうして教師などをしなければいけないのも、もう国中のめぼしい貴族との縁談が破談し、こうでもしないと相手が見つからないのはわかってはいる。けれど、常日頃から男の視線にさらされ続けると疲れてしまう。ついでにオスマンの使い魔の、ネズミのモートソグニルがスカートの中に入り込もうとしていたので、偶然を装って踏みつけておいた。

 しかし、長居するのが嫌でオスマンに呼びつけた用件を問おうとしたところ、隣室の扉からもう一人、見覚えのある人物が入ってきた。

「あなたは……確か銃士隊の」

「お久しぶりですね。ミス・エレオノール、直接お会いするのはおよそ三ヶ月ぶりくらいですか」

 学院長の机の横に立ち、この魔法学院に不似合いな剣を吊り下げた女剣士、アニエスがエレオノールを見て言った。二人には、以前アンリエッタ王女の御前で一度だけだが面識がある。あれは確か、ワイルド星人の事件が起きる少し前だったか。エレオノールは魔法アカデミーの研究成果を、アニエスは国内のレコン・キスタの内偵を報告するためにやってきたときだったはずだ。

 あのときはそれぞれ忙しかったので、あいさつをするくらいしか余裕はなかった。しかし、互いに女性としては有名なので、無意識にライバル視して、耳に入ってきたそれぞれのことはよく記憶していたのだ。

「ミス・アニエスでしたわね。昨今ますますのご高名はアカデミーでも今や知らぬものはおりませんことよ。先日もトリスタニアでのご活躍、まさに貴女方の勇猛の証明と呼べるでしょう」

 一見褒めているようだが、言外に平民あがりはゴミ掃除がお似合いだという侮蔑が含まれている。むろん、それを表に出すほどエレオノールは浅慮ではなく、わずかに眼鏡のふちを光らせただけであった。

 しかし、彼女の言う平民あがりの反撃は、対照的に直球だった。

「ミス・エレオノールもアカデミーでのお噂はかねがね。以前の怪獣を一発で倒した超爆弾の件では、正直に感服いたしました……しかし、短いうちにお変わりになられて。そろそろお焦りですか?」

「……っ!」

 エレオノールは、アニエスが自分の格好を見て笑っていることに気がついて赤面した。アニエスは仕事柄国中の貴族のプロフィールを暗記していて、その中には当然エレオノールのこともある。

「まあ、少々乙女のたしなみというものに目覚めまして。美しいということも、なかなかに罪なものですわね。おほほ」

 下手なごまかし方をしたが、前のエレオノールと直接会った事のあるアニエスは涼しいものだった。だが、怒ってはいけない。似非貴婦人だとばれればまた婚期が遠くなる。また、母にばれたら天国が近くなる。エレオノールは、この成り上がりめいつか泣かす! と、怒りをぐっとこらえると本題を切り出した。

「と、ところで学院長。わたくしをわざわざ呼び戻したということは、よほどの重大事が起きたものとお察しいたしますが」

「うむ。君も先日王都で不平貴族が反乱未遂で大量に検挙されたのは知っていよう。それに関することなのじゃが、詳しいことはアニエスくん。説明してやってくれい」

「はっ」

 アニエスは、先日の王都でのリュシュモンをはじめとする貴族との戦いの顛末からを簡潔に説明して、それから事後処理を進めるうちに浮いてきた問題を語った。

「逮捕した貴族たちの自供によって、これまで王政府内でおこなわれてきた汚職や不正の実体が明らかになってきました。しかし、それらの証拠となる命令の公文書のありかだけが不明でしたが、調査を進めるうちに、その秘密公文書館がこの魔法学院の地下にあることが判明したのです」

「なんですって!? ああ、失敬……それは本当なのですか? 学院長」

「まあのう。確かに、この学院の地下には数千年前に作られたと言われる書庫が存在しておる。しかし、古い施設で危険なので普段は立ち入り禁止にしてあるんじゃ……まれにアカデミーから研究のためにと、貴族が派遣されてくることはあったがの」

「そんな! アカデミーではそんな研究のことは……はっ」

 それでエレオノールもことの詳細を理解した。汚職官僚たちは、この学院の地下にある古代の書庫を都合の悪い文書を保管しておく場所にすることを思いついたのだろう。なにせ場所が場所な上に、アカデミーの研究者を名乗れば出入りは自由。しかもその際に書類を出し入れしたとしても怪しまれることはない。エレオノールはよく盲点をついたものだと感心した。

「なるほど、うまく悪知恵を働かせたものですわね」

「ええ、しかし書庫まではそいつらの仕掛けた魔法のロックが仕掛けられているらしく、並のメイジでは解除できません。そのため」

「私に白羽の矢を立てたというわけですわね。ふむ、なかなか面白そうですわね」

 エレオノールが口元に微笑を浮かべたのを見て、アニエスも喜色を浮かべた。

「お引き受けいただけますか?」

「古代の書庫ともなれば興味は尽きませんわ。それに、極秘の魔法実験の資料も残っているかもしれません。お引き受けいたしましょう」

 エレオノールの研究者としての血が燃えていた。アニエスとしてはエレオノールは気難しい性格だと聞いていたので、王女殿下の命令であるとして押し通すことも考えていたのだが、向こうが乗り気ならそれに勝るものはない。

 欲を言えば、才人とも会っていきたかったがあいにくルイズとと共に留守だった。けれど、それはまあいいだろう。余計な心配はかけたくないし、任務が第一だ。

「そういうわけです。オスマン学院長、地下への入場を許可いただけますね」

「うむ……仕方あるまい。地下への入り口の鍵はミスタ・コルベールが管理しておる。しかし、古代の施設なので謎も多い。くれぐれも注意してくれ」

 

 

 続く



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第24話  地底の秘密書庫

 第24話

 地底の秘密書庫

 

 大ぐも タランチュラ 登場!

 

 

 オスマンから許可をもらったアニエスとエレオノールは、さっそくミスタ・コルベールに会おうと本塔を降りた。途中すれちがった何人かの生徒に居場所を聞くと、研究所にしている小屋にいるとのことであった。

 しかし、いざ小屋の近くまで行くと、見たこともない鉄の塊の上に乗ったコルベールが二人を出迎えたのである。

「おお! これはこれはミス・エレオノール教諭! こんな狭苦しいところに来ていただけると光栄ですな」

 二人の姿を見るや、ゼロ戦の翼の上から飛び降りてきたコルベールは手を叩かんばかりに喜んだ。何を隠そう、コルベールもエレオノールファンクラブの一員なのである。この人、前にロングビルをデートに誘ったことはあるがあっさりとあしらわれ、一応嫁がいないことを気にしているのであった。

 アニエスはコルベールに事情を説明して、鍵の貸与を申し出た。しかし以外にもコルベールはしぶった態度を見せた。

「地下へですか? それはあまりおすすめできませんね。あそこは泥棒避けに防犯の強力な魔法が仕掛けられていて、うかつに入ると大変危険なのです」

「私は騎士だ。危険などは恐れん。そのためにミス・エレオノールに同行を頼んである。それに、これは王女殿下の命令であるし学院長の許可も下りた。貴方に拒否権はない」

 ここまで来ながらアニエスに引き返す選択肢はなかった。危険だというのであれば、それ以上に危険なことを少し前にもしてきている。今更魔法のトラップごときにおたおたしてはいられない。コルベールはなおも不服そうな様子を見せたけれど、やがて観念したようにため息をついた。

「わかりました。鍵を開けましょう。ですが、私の権限で開ける以上、安全のために私も同行いたします。よろしいですね?」

「了解した。参考までに、貴方のメイジのクラスは?」

「一応、火のトライアングルだ」

「そうか……」

 そのときコルベールは、アニエスの顔にわずかにかげりが見えたような気がした。

「アニエスくん、なにか私は気に障ったことをしたかね?」

「……いや、個人的なことだ。公務に差し支えはない。それではいくぞ、ミス・エレオノール……あれ?」

 と、出かけようとエレオノールに声をかけようとしたアニエスだったが、いつのまにやらその本人はさっきまでいた場所から消えていた。

 どこに行ったのか? きょろきょろと首を回してアニエスはエレオノールの姿を探した。すると、エレオノールはゼロ戦の翼の上に乗って、その胴体を興味深そうに撫で回していた。

「ミスタ・コルベール、これはいったいなんですの? こんな金属、今まで見たこともありませんわ!」

 エレオノールの目が、まるで少女のように嬉々としてきらめいていた。ハルケギニアにはまだ存在しない、ゼロ戦の超超ジュラルミン板が、土系統のメイジと、研究者としての両方の好奇心を存分にくすぐっていたのだ。

 コルベールのほうも、あこがれのエレオノールに声をかけてもらったことと、ゼロ戦に自分以外に興味を持つ人間が現れたことに感激して、喜んで説明を始めた。

「よくぞ聞いてくれました! これは『ひこうき』といいまして、はるか異国の……」

 こうなったらもう止まらなかった。コルベールから説明を受け、その分解図を見せてもらったエレオノールは驚き興奮して、自らもコクピットやエンジン部を興味深そうにのぞいたり叩いたりする。研究者と呼ばれる人種にとって、自分の知らないものがあるということは、本能的に確かめずにはいられないものなのだ。

「これが飛ぶというの? 風石の力も借りずに、しかもこの羽根は羽ばたけるようにはできていないじゃない」

「いえ、飛ぶ仕組みが風石とはまったく違うのです。それに、鳥も常に羽ばたいているわけではありません。風を受けているときには翼を静止しているでしょう。これの場合はこのプロペラという風車を……」

「なるほど、しかしこれほど重そうなものが……」

「そのために、まず地上を滑走して助走をつけるそうです。そのために……」

「それで、これだけ薄い鋼板を使っているのですね。それに、この首のところの『えんじん』というものの精巧さは……」

 水を得た魚とはこのことだろう。研究バカ同士、見事なまでに息が合っていた。エレオノールが問題点を指摘すると、コルベールはそれに論理的な解説を返す。

 アニエスは二人の会話についていけず、しばらく唖然として見守っていた。だが、二人の話が延々と、いつまで経っても終わる兆しを見せなかったので、いらだってついに怒鳴った。

「お前たちいい加減にしろ!! 日が暮れるまでそうしているつもりか!」

 ゼロ戦の胴体を平手でどんと叩き、せかすアニエスにエレオノールとコルベールはそろっていやそうな顔をした。けれど、仕事は仕事なので仕方がない。二人はしぶしぶゼロ戦から離れると、名残惜しそうにアニエスに続いて地下への秘密通路へと歩いていった。

 

 しかし、その後姿をひっそりと見守っている者がいることに、そのときの三人はまだ気がついていなかった。

 

「あれはいつかの銃士隊のお姉さん? それにミス・エレオノールにミスタ・コルベール? ずいぶんと変わった組み合わせねえ。うふふ、なんか面白そうな予感がしてきたわ。フレイム、あの人たちがどこへ行くか見張っててちょうだい」

 

 口元に愉快そうな笑みを浮かべつつ、『フライ』でこっそりとその人影は飛び去っていった。

 

 一方、地下道へと向かったコルベールたちは、いくつかの魔法の扉をくぐって、薄暗い洞穴に入っていた。

「まさか、あんなところに入り口があるなんて、誰も思わないでしょうね」

 たいまつを掲げるコルベールの背中を見ながら、エレオノールは感心したようにつぶやいた。

 コルベールに案内されてついた地下道の入り口とは、なんと女子トイレの壁にカモフラージュされていた。なるほどあれでは一般生活で見つかることはまずあるまい。男はそもそも入れないし、女にしても長居したい場所ではない。姑息だが、よく考えたものだ。

「ミスタ・コルベール、書庫へはどれくらいかかりますの?」

「普通に歩いて、およそ十分というところでしょう。ここから先はもう仕掛けはありませんが、足元がすべりやすいのでお気をつけくださいね」

「はい、ありがとうございますね」

 親切に警告してくれたコルベールに、エレオノールは優雅に会釈した。すると、彼がたいまつの灯りでもわかるくらいに赤面したので、エレオノールはこんなものでもそれなりに効果があるのねと、ちょっといい気になった。

”ふむ、こういうのも悪くないかもね”

 なんとなくだけど、ご先祖さまから代々にかけて、ヴァリエール家の恋人を寝取ってきた仇敵ツェルプストーの気持ちが少しわかったような気がする。難しく考えていたが、男というものは案外単純なものらしい。

 もっとも、あまりやると横目で見ているアニエスに笑われかねないので、話題を転じることにした。

「こほん、ところでミスタ・コルベール。あなたのことは、以前よりアカデミーに論文を持ち込んでくるので名前くらいは存じていました」

「おお! 名だたるエレオノール女史に記憶いただけるとは、光栄のいたりですな」

「残念ながら、大半は考慮する価値なしとして破棄されましたがね。神学一筋の以前のアカデミーでは、実用主義のあなたの研究は異端以外の何者でもなかったですから」

「はは、まあわかってはいましたが……」

 苦笑するコルベールは、認められないことは慣れっこですよと、かぶりをふった。エレオノールは、そんな彼を冷ややかに眺めていたが、続いて言った。

「……ですが、その内容の精密さについては一目置いていました。先程も、あれほどの精密機械を分析する知識と技術、いったいどこで?」

「いや、ただ趣味が高じただけですよ。二十を超えてこの道に入りましたが、私には後ろ盾になってくれる家がなかったもので、最初はあれこれやって食い扶持を稼いでいました。そのうちオスマン学院長のご好意でこちらで教鞭をとらせてもらいながら、好きに発明をやらせてもらっているうちに自然と」

「と、いうことはそれほどの知識と技術を独学で!?」

 ええまあ、と後ろ頭をかきながら答えたコルベールに、エレオノールは絶句した。主席研究員である自分ですら、アカデミーでそれだけの地位を得るには並ならぬ努力があったというのに。ゼロ戦の構造を即座に理解したときに才人が驚いていたように、コルベールの技術力は天才的と評してよかった。

「たいしたものですわね。ですが、あなたほどの技術があれば、アカデミーでも相当な地位と名誉を得られるでしょうに」

「……まあ、貴女から見ればそう見えるかもしれませんが、私にも信念というものがありまして」

 コルベールは、先日才人に語ったとおりのことをエレオノールにも語った。彼女は、その話をしばらくじっと聞いていたが、やがてため息をつくと言った。

「つまりませんわね。あなたの言うような、火の力でひとりでに動くような装置は、魔法を使えばすぐにできるではありませんの?」

「ははっ、まあ生徒たちからもよくそう言われます。ですが、魔法に頼らないで魔法と同じようなことができるようになれば、平民が楽になり、ひいては貴族も楽になって、大勢が幸せになる。そうは思いませんか?」

「神の御業である魔法をそんな下賎なことといっしょにするなど、とんでもありませんわ。異端とまでは言いませんが、あなた相当変わってらっしゃいますわね」

 エレオノールは軽蔑する様子を隠そうともしなかった。彼女も、神学一辺倒のアカデミーの方針にうんざりしていたのには違いないけれど、貴族に一般的な『魔法は神聖なものなのだから、それを平民のために使うのは下劣なこと』という思考と無縁ではない。むしろ、コルベールとは貴族の階級の差で頭ごなしに怒鳴りつけないだけましなほうである。

 しかし、コルベールの信念も、それで曲がるほどやわではなかった。

「私はこのとおり、貴族としての身分も低いし、見た目もさえません。この歳で嫁のきてもなく、私の家系は私の代で絶えるかもしれません……ですが、こんな私でも人の役に立てることがあれば、死ぬときまで誰かのために尽くして生きたい。そして、私にできることは、教師として働くことと、そうしたこざかしい発明を考えることくらいなのです」

 熱く、熱くコルベールは語った。

「平民のために尽くすですか。私にはわかりませんわ」

「いいえ、それは違います。私は貴族とか平民とかではなく、人々のために尽くしたいのです。この命が続く限り……いや、私のことはいいでしょう。私には私、ミス・エレオノールにはそれぞれの信念があり、それが結果的にトリステインのためにつながっていくならば」

「そうですわね。こうして議論をしていても、互いに妥協点が見つかるとは思えませんわ」

「いつかはわかりあいたいものですがね……では、互いに興味のある話題に戻りましょうか。貴女もさっき見たとおり、私は最近、あの『ひこうき』の研究に打ち込んでおりましてね。いやはや、調べれば調べるほど興味深いものでして、楽しくてたまらないのです」

 すると、気難しそうな表情をしていたエレオノールも、それには同感だと顔の筋肉をほころばせた。

「確かに……私も仕事柄、古代のアイテムを扱うことはありますけれど、あれほどに精巧に組まれた装置はいまだかつて見たことがありませんわ。あなたはあれを、どこで手に入れなさったのです?」

「生徒の使い魔……いえ、友人からの預かり物でして。はるか遠くの異国からやってきたものだそうです」

「異国……使い魔……? それはもしかして、黒髪の剣をたずさえた少年ではありませんか?」

 ピンときたエレオノールが尋ねると、コルベールは意外そうな顔をしてうなずいた。

「おや、サイトくんをご存知でしたか。これは奇遇……いやいや失敬、ミス・エレオノールはルイズくんのお姉さんでしたな。ならば知っていて当然ですな」

「ええ……あの駄犬が」

「は? なんですと?」

「あ! いえいえなんでもありませんことよ!」

 思わず漏らしてしまったつぶやきを、エレオノールは慌ててごまかした。彼女にとって、いまだ才人は妹をたぶらかした不埒な平民なのである。才人はまったく意識していないけれど、自分がいまだに恋人の一人もできないことへの苛立ちも含めて、逆恨みの激しさははらわたが煮えくり返るようだ。

 と、そのとき。それまで二人の話を興味無げに前で聞いているだけだったアニエスが振り返った。

「ほお、なんとも珍妙なものがあるなと思ったら、やっぱりサイトが絡んでいたか。まったく、あいつは相変わらずところかまわずに騒動のタネを撒いているようだな」

「おや、アニエスくんはサイトくんとお知り合いなのですか?」

 意外そうに驚いたコルベールに、アニエスはそうだとうなずいた。目立つことを嫌った才人が隠しているので、ツルク星人やワイルド星人、それにアルビオンや先日のトリスタニアでのことも、一般には才人のことは知られていないのである。

 アニエスは、才人との関係を、前にトリスタニアですりを捕まえるときに手伝ってもらい、その縁で剣の指南などをしているうちに親しくなったと語った。あながち嘘でもない。

「あいつはあの歳でなかなかたいした奴だ。剣の腕はそこそこだが、性格はまっすぐで心に強い芯を呑んでいる。私は任務やいろいろな戦いの中で、散々悪党やろくでもない奴らを見てきたが、あいつを見てたらこの世もなかなか捨てたものじゃないなと思えてくる」

「そうですな。ん? そういえば、サイトくんはこのあいだトリステインの戸籍を取得したと、学院長のところに登録に来ましたが、ミランという名前はもしかしたら?」

 すると、アニエスはご名答とばかりに微笑んだ。

「サイトとは、貸し借りも増えてきて他人とは思えなくなってきたので、その縁で身元の引き受け人をね。ミスタ・コルベール、よろしければ私のかわいい弟をこれからも頼みます」

「あっ! い、いえこちらこそ彼には色々と教えられています。あなたこそ、彼は危なっかしいところが多いので、助けてあげてください」

 二人とも、自分の見ていないところでは才人をよろしくと、誠意を込めて相手に頼んだ。

 だが、逆にエレオノールの不愉快度は上昇の一途をたどった。

 気に入らないの二乗となって、清楚の殻の下で怒りのマグマが煮えたぎる。あの平民は、妹をたぶらかしただけでも許しがたいのに、それが今をときめく平民の英雄の弟になったとは。これでは、身分いやしきものとして結婚に反対する大義名分が崩れてしまう。お母さまも元はといえば下級貴族の出身なのだから、これだけあれば身分には拘泥するまい。いや、万一にもあの平民とルイズが結婚するようなことになれば、自分とこの女とは親戚どうしになる。

「エレオノールお姉さん」

 ならまだいいが。

「エレオノールおばさん」

 冗談ではない! 未婚のままおばさんにされてたまるものか。

 理性のたががずれて、地の暴言が喉の奥まで湧いてくる。「平民が調子に乗るんじゃないの! トリステインの上流階級に、魔法も使えないものが入ってこれるなんて思わないことね」と。

 けれど幸いに、エレオノールの理性が外れる前に、メイジの本能がそれを上書きした。

 ふと、足の裏から伝わってきた異様な振動。普通の人間では感じ取れないような微細なそれも、土のトライアングルメイジである彼女になら感じ取れる。

「お二方!」

「はい」

「ええ……」

 話しかけると、コルベールとアニエスも足を止め、目つきを鋭く変えて振り向いた。エレオノールとは別に、アニエスは歴戦の経験から異様な気配を感じ、火のメイジであるコルベールも、後ろから流れてくる空気の温度の微妙な変化を感じ取ったようである。

 

”つけられている……”

 

 自分たち三人以外の別の誰かが、この地下通路にいる。しかも、気配からして一人ではなく複数だ。

 何者だろうか……ここまで自分たちに気づかれなかったということは、向こうも気配を殺していたのだろう。ならばまさか! 当たりをつけたアニエスは素早く銃を取り出すと、後ろに向かって撃った。

「出て来い! そこにいるのはわかっている!」

 銃声が通路の壁に反響し、地上より強烈に耳を痛めつける。

 しかし警告にも関わらずに相手が動かないと、今度はエレオノールが叫んだ。

「出ていらっしゃい! 不平貴族どもの残党ですか!? 隠れていると、丸ごと生き埋めにしますよ!」

 それは脅しでもなんでもなく、明白な最後通告だった。もしもあと数秒、なにも反応がなかったらエレオノールは本気で通路を崩していただろう。

 だが、緊張して相手の出方をうかがっていたら、通路の奥から聞こえてきたのは、完全に想像外の間の抜けた声であった。

 

「まままま! 待ってくださいエレオノール先生! 埋めないで!」

 

 ん? この声は……? この、すっとぼけた軽い男の声は。三人とも、どこかで聞いたような気がした。

 ピンときて思い出そうとしていると、通路の奥からさらに聞き覚えのある声が響いてきた。

「このバカギーシュ! あんたが石にけつまずいてこけたりするから気づかれちゃったじゃない!」

「そうよ。せっかく話が面白くなってきたってとこだったのに!」

「いやいや! それよりもやることあるだろ君たち! 生き埋めにされたらたまらないよ」

「ギーシュ隊長! 隊長のせいなんだから、先陣きってお願いします」

 がやがやとにぎやかな声がこだまして、アニエスたちはあっけに取られた。そして、たいまつの灯りに照らされて、まずは金髪の少年が、それから赤髪の少女やよく見知った少年少女たちがぞろぞろと出てくると、三人とも唖然としていた。

「ギーシュくん……それにミス・ツェルプストーにミス・モンモランシ。レイナールくんとギムリくんまで……」

 コルベールが一人一人名前を告げたとおり、頭をかいたりごまかし笑いをしたりしながら現れたのは、何を隠すまでもない、彼らの教え子達であった。

「あなたたち、いったいこんなところで何をしているの?」

 すっかり気が抜けて、杖を持った手を下ろしたエレオノールが聞くと、一同からいっせいに視線を向けられたキュルケが空笑いしながら答えた。

「あははは。実はさっき、先生方が『ひこうき』のところでなにかお話しているのをたまたま見かけて。コルベール先生がエレオノール先生と連れ立ってどこか行くなんて、ねえ」

 すると、ギーシュもモンモランシーに突っつかれて言った。

「ま、まあキュルケに面白そうなものが見れるかもよと言われて……つい」

「なに言ってるのよ。我らの女神、ミス・エレオノールがあのコッパゲと逢引などと許せん、なんて気勢吐いてたのはあなたたちじゃない」

「だったら君はなんでついてきたんだね?」

「え、そりゃあ……」

 モンモランシーが口ごもると、キュルケがわざと独り言のようにささやいた。

「いつも目の届くところにあの人がいないと、落ち着かないのよね」

「ちょ、キュルケ! わ、わたしはギーシュやこの男たちが思い余って馬鹿なことしないか見張ってるだけよ」

 するとギムリとレイナールも。

「いや、我々はギーシュ隊長の指示に従っただけであります」

「おいギムリ! ああもう、だから尾行なんかやめようって言ったのに」

 どうやら、ことのあらましがわかってきた。

 彼らの言ったことを端的にまとめると、ゼロ戦の前でのコルベールたちの話を立ち聞きしたキュルケが、面白そうだと言ってギーシュたちに伝えた。それでエレオノールのファンであるギーシュが悪友のギムリとレイナールを誘って、ギーシュが心配になったモンモランシーもついてきたというわけだ。

 コルベールとエレオノールは「まったく君たちは……」と呆れた。年頃から、そういうことに興味が深いのはわかるけれども、逢引とはいくらなんでも。

 しかし、二人に代わってアニエスが口を開くと、ギーシュたちの愛想笑いも消えることとなった。

「ほお、お前らは。久しぶりだな、まだ生きていたか」

「あ、はい……その節は、お世話になりまして」

 アニエスとギーシュたちは、以前一度だけ、王宮で顔を合わせたことがある。あれは、もうずいぶんと前になるか、ホタルンガの事件のおかげで国内の貴族などが召集されたとき。あのとき、王宮が広すぎたせいで情けないが迷子になり、銃士隊と出会い頭にぶつかってえらい目にあってしまった。

「前は銃を突きつけられただけで腰を抜かしかけていたな。学生の騎士ごっこはまだ続けているのか?」

「あ、ま、まあ……」

 せせら笑うようなアニエスに、ギーシュはそのときのことを思い出して冷や汗をかいた。王宮に呼ばれたということで浮かれあがり、不審者と間違われて銃を突きつけられたときは死ぬかと思った。

 だが、悠然と見下してくるアニエスの視線に晒されていると、威圧感と並んで屈辱感も湧いてくる。

「どうした? 顔色が悪いぞ。そうか、騎士ごっこは怖くなったから、今ではままごとをしてるのか?」

「くっ……」

 侮蔑を隠そうともしないアニエスに笑われても、すぐには反論の言葉が喉を通らない。たとえるならば、子供が立派な大人になっても、よぼよぼになった母親の一喝にかなわないようなものだ。

 確かに、近衛部隊である銃士隊に比べれば、一応ギーシュたちはヤプールによる内部侵攻に対するための軍の一員として認められているものの、実体は魔法学院の防備のみを任された自警団にすぎない。

 それでも、ちっぽけでも譲れない誇りはある。

「あ、あまり馬鹿にしないでもらえるか! ぼくらだって、これでも何度も学院を襲った怪獣と戦ってるんだ」

 ギーシュがアニエスの眼光に負けないように、勇気を振り絞って叫ぶと、ギムリとレイナールもいわれない侮辱は許さないぞとアニエスを睨みつけた。

「ほお、言うことは立派になったな……なら、試してみるか?」

 不敵な笑いを浮かべ、拳を顔の高さまで上げたアニエスにギーシュたち三人は明らかに気圧された。普通に考えたら、平民一人がメイジ三人にかなうはずはない。が、アニエスは剣どころか素手でも三人を倒して見せるといわんばかりの迫力を見せている。

 コルベールとモンモランシーは、よしてくださいとアニエスを止めるがアニエスは一瞥もしない。そして、どうするかと選択を迫られたギーシュは、軽く息を吐き出して言った。

「よしておきましょう。平民でも、婦女子に向ける杖をぼくは持ちません」

「ふ、臆病風に吹かれたか?」

「……」

 挑発するようなアニエスの言葉に、ギーシュは答えずにじっとアニエスを見返した。

 数秒か数十秒、睨みあいが続いた。アニエスの眼光は、気の弱いものなら失神してしまいそうなほど鋭い。

 それでもギーシュが目を離さずにいると、やがてアニエスは表情を緩めてふっと笑った。

「なかなかいい顔ができるようになったな。見ないあいだに、立派になったようだ」

「へ?」

 唐突なアニエスからの褒め言葉に、ギーシュたちは思わず目を丸くした。

「ふふ、共に肩を並べて戦った戦友は忘れんさ。すまんな、お前たちが腑抜けていないか気になって、少しばかり発破をかけてみた。許してくれよ」

 深く頭を下げて謝罪するアニエスに、ギーシュたちは驚いた。でも、戦友という言葉に気がつくと、照れくさそうに頬を染めた。バム星人が王宮に侵入したとき、銃士隊とギーシュたちは一度だけだが力を合わせて戦ったのだ。

「えーっと……どうか、頭を上げてください。我ら一同も、あのときの銃士隊の皆様との共闘を忘れてはいません。その勇猛さは、噂が伝わってくるたびに尊敬していたほどです」

 その言葉は嘘ではない。数々の経験を積んで、ギーシュたちの器も昔より大きく成長していた。それに、ギーシュの見るところ、アニエスもあのときに比べたらだいぶとげがとれたように思える。むろん、それに才人がいろいろと関係しているのを彼らが知る由もないが、冷や冷やしながら見守っていたコルベールとモンモランシーは、ほっと胸をなでおろした。

 それからアニエスとギーシュたちは、主にそれぞれが体験した怪獣や宇宙人との戦いなど、懐かしい話をいろいろと交わした。特にアニエスと才人が姉弟になったことはギーシュたちを驚かせたのはいうまでもない。

「しかしまあ、任務中の我らをつけるとは大胆な真似をしてくれたな」

「ああ、そうだ! 話はそこそこ聞いてましたが、任務ってなんなんですか?」

「ん? まあ隠すことでもないが」

 どうせもう事後処理の段階なのだからと、アニエスは地下書庫へ行くことを教えた。

 そして、資料探しは時間がかかるだろうので、人手は多いほうがいいから、お前たちも手伝えと告げた。もっとも、これはどうせ貴族がそんな雑用みたいなことできるかと断られると思っていた。ところが、アニエスの要請に、ギーシュたちは意外にも「はいっ!」と、あっさりと了承して、拍子抜けしてしまった。いや、それどころか彼らの顔はむしろ真逆に期待に震えているように見える。

「なにかうれしそうに見えるな……」

「あ、いやそんなことないですよ!」

 ギーシュたちは慌てて否定したけれど、もちろん裏はある。古代の図書館と聞いて、ギーシュやギムリは発禁になった艶本があるかもと考え、モンモランシーは特殊なポーションの調合書、キュルケはタバサが喜びそうなものを探してみようかなと思ったのだ。

 

 やがて、思いもよらずに大所帯になってしまった一行が歩いていくと、巨大な地下空洞に出た。

「あれが、秘密書庫か」

「うわぁ……こりゃ、とんでもないところにあるな」

 たどり着いてみて、この場所のことを知らなかった者は一様に慄然とした。

 石造りのギリシャ建築のような書庫の建物は、彼らのいる地下空洞の反対側にあり、その地下空洞は下が見えないほど深い断崖になっていたのだ。

「これはよく作ったものね。土のメイジの傑作だわ」

 書庫へと続く一本橋を渡りながら、エレオノールはつぶやいた。この光景だけでも、一つの芸術品としての価値はありそうだ。しかし、魔法の研究者としては垂涎ものの光景を見ながら、コルベールが憂鬱そうな顔をしているのに気づいて、エレオノールは尋ねてみた。

「どうしたのですか? 何か気になることでも」

「いえ……ここまでは無事に来れましたが……実は、数ヶ月前や一年ほど前にも、ここを調査したいというアカデミーの……あ、もちろん擬態だったのでしょうが、そういう人たちがここに入って、帰ってこなかったことがあったのです」

 地上にいたときも話したコルベールの懸念は、ここに来てもなおぬぐわれてはいなかった。実は彼がここの管理を任されるようになる前からも、地下通路に入ったまま帰ってこなかった人間の話はあり、ここが完全に閉鎖される理由もそれがあった。しかし、早く資料を閲覧したいとはやっているエレオノールは、彼の懸念を一笑にふした。

「あなたが出てくるのを見落としただけでしょう。あまり変なことをおっしゃらないでください」

「はぁ……」

 その言葉にコルベールもとりあえずはうなずいた。だが、それだけでは片付けられない不安と悪寒を、彼の六感は感じていた。数百年、貴族の悪事と欲望の数々を飲み込んできた書庫。古さだけではない禍々しい気配が漂っているように思えてならない。

 

 入り口には、『施設内での一切の魔法の使用。及び資料の持ち出しと改変を禁ずる。これを犯したるとき、死の制裁が下るであろう』というただし書きがついていた。それを見てエレオノールは「ただの脅し文句ね」と鼻で笑ったが、アニエスは懐から手形のようなものを取り出した。

「賊軍の貴族の一人から押収したものだ。これを持っていれば、資料の持ち出しはできる。ただし、中で魔法を使うとトラップが発動するそうだから、皆注意しろ」

 生徒たちは「はい」と、元気よく答え、勘が外れたエレオノールはやや不愉快そうな顔をした。

 

 屋内はひんやりとした空気に包まれ、足を踏み入れた彼らの頬を冷たくなでていった。

「うわぁ、こりゃすごい。ロマリアの宗教図書館並みだな」

 館内を見渡したレイナールが、眼鏡を持ち上げながら、館内の広大さに感心してつぶやいた。薄暗い館内は二階に分かれて、それぞれ何百という本棚が延々と続いている。収められている本は大小合わせて何十万冊にのぼるか見当もつかない。

「これは予想以上に大変そうだ」

 本来一人で探すつもりだったアニエスは、アクシデントとはいえ人手を得れた幸運にほっとした。そして、一同はアニエスに探して欲しい資料の題名が書かれたメモを一瞥させてもらうと、おのおの好きに本棚の奥へと散っていった。だが、ひとりコルベールだけが残っていたので、あなたは行かないのかと尋ねると、

「私は責任者としてあなたを見張る義務がありますからね。お供しますよ」

 そう言われたので無理に断るわけにもいかず、アニエスも誰もいなくなったのを確認すると、コルベールと別の一角へと向かった。しかし、彼女には皆に見せた資料のほかにもう一冊、どうしても探さなければいけない資料があるのを、誰にも言ってはいなかった。

 そしてもう一つ……これは確証ではなく、戦士としてのいわば勘なのだが、ここに入ったときから皮膚にざわざわとなでられるような感触がしてならない。

「誰かに見られているような気がする……」

 そんなはずがあるわけないと思いながらも、アニエスの手はいつでも剣を取り出せるように身構える姿勢から動くことはなかった。

 

 書庫は物音一つなく、ただ足音のみが古い床板をきしませる。

 歩くたびに降り積もったほこりが舞い上がり、足跡が雪上のように残されていく。

 見渡す限り、本、本、本……これだけの書物を貯蔵するのには、いったい何百年の歳月を必要としたのだろう。

 ある偉人は、本を読むことは本を書いた人と会話をしているに等しいと言ったそうだが、そうするとここにいったい何十万人の人がいることになるのだろうか?

 増して、人に見せたくない記録ばかりを収集してきたこの書庫のよどんだ空気は、まるで流動せずに形を持っているかのように闇の中に沈殿する。

 やがて、今日またやってきた入館者たちが館内に散ると、闇の中からそれはゆっくりと姿を現した。

 入り口ホールの天井に吊るされた古びたシャンデリアから、音もなく一匹のクモが降り立つと、毛むくじゃらの足を動かして床を這い始めた。まるで、怒っているかのように。まるで、喜んでいるかのように……

 

 カサカサというわずかな足音がホールに響き、やがて消えていった。

 

 

 館内の思い思いの場所に散った一行は、それぞれの思惑を胸に秘めて、高い本棚を見上げながら歩いている。

 エレオノールは、アカデミー関連の資料が収められている一階の奥へと進んだ。

 

 ギーシュたちは、探し物が人に言えるようなものではないので、三人でひそひそ話しながら左右の本棚を見渡していく。

「うーん、小難しい本ばかりだなあ。ここじゃないのかなあ」

「ねえ、こんなことやっぱりよさない? アニエスさんにバレたら大変だよ」

「なにを言う。レイナール、君は知りたくないのかい? この世の心理が記されているという伝説の古文書を! ぼくらは貴族だ、騎士だ。いつ国のためにこの命を散らせるかもしれない。そんなとき、真理を得ぬままに、ヴァルハラへと旅立てるのかい!?」

 最低なことを熱く語るギーシュと、ノリノリなギムリに、レイナールはそんな奴がヴァルハラに行けるのだろうか? と、はなはだ疑問に思わざるを得なかった。本当に我ながら、よくもまあこんな友人といまだに付き合っているなと感心する。でもギーシュもギムリも女性に手招きされたら鬼女でもホイホイついていくような奴である。レイナールも、これは何を言っても無駄だと悟るしかなかった。

「わかったよ。こうなったら毒を食らわば皿までだ」

「そうだレイナール! それでこそ、君も立派な騎士だ」

 褒められても少しもうれしくない。むしろ人には隠したい光景である。レイナールはため息をつき、本をあさる手をひと時も休めない友人二人に、それでもなにか苦言を呈しようと思ったが、先のギーシュの一言が、最近忘れていたある単語を思い出させた。

「騎士ねえ……そういえばギーシュ、覚えてるか? ぼくたちが自分たちの騎士隊につけた名前」

「ああ、そういえば最近使ってなかったな。水精霊騎士隊とつけたかったけど、学生が名乗るには立派過ぎるってんで、才人がつけてくれたのが……」

 

 キュルケは、あまり本には興味がないので、とりあえずは頼まれた資料を探しながら、適当な本を見繕おうとぶらぶらしていた。が、彼女は運が悪く、数百年に渡って張り巡らされていた自然のトラップに行く手を遮られていた。

「面白そうだと思ったけど、書庫ってけっこう退屈なものね。それにほこりっぽいし、なによこれ! どこもかしこもひどいクモの巣!」

 人の入らない建物の多くがたどる運命は、この書庫とて例外ではなかった。薄暗い室内は、細いクモの巣は視認しにくく、うっかりすると顔にベタベタと張り付いてくる。クモの巣というものは意外と強度が強く、巣の主がいなくなってもかなりのあいだ残るのだ。

「もう! せっかくのセットが台無しだわ」

 美容を気にするキュルケは、髪にへばりついたクモの巣を引っぺがしながら怒りを吐き出していた。興味本位でここまで来たものの、こんなことなら適当に男を見繕って遊んでおけばよかった。でも、珍しい書物を手に入れてタバサを驚かそうという考えも捨てきれない。あの無口無表情なタバサから礼を言われたことは、親友と自負している自分でさえもめったにないのだ。

「ま……あの子のためと思えばいいか」

 気を取り直したキュルケは、左右の本棚を見渡しながら少しは面白そうなものがないかと探していく。しかしそこは何百年も前の、今はもう存在しない領地の生産高を報告したような書類ばかりで、学術的な書物の類はなかった。

 やがて通路が行き止まり、目の前が大きな本棚に閉ざされると、キュルケは大きく息をついた。

 骨折り損か、仕方がない引き返そうと思ったとき、ふと突き当たりの床にほかの書類とは表紙のデザインが違う厚めの本が落ちているのを見つけて、手にとってみた。

「『ハルケギニア亜人便覧、及び先住魔法についての概要と考察』、うん。小難しそうなところがタバサにはぴったりかもね」

 ようやくそれらしい本を見つけたことに満足して、キュルケは本のほこりを掃うとペラペラとページをめくった。中身は題名どおり亜人の説明と考察がぎっしりと書き込まれていて少しも面白くないけれど、タバサなら喜んでくれるだろう。

 しかし、なんでこの本だけが場違いにこんなところに落ちていたのだろうか? 誰かが前にここに来て落としていったのだろうか……? なんとなくそんなことを思ったキュルケは、突き当りの壁にまだ何かが落ちているのに気がついて拾い上げてみた。だが、それは……

「何これ? メガネに入れ歯、それに短剣……なんでこんなものが落ちてるの?」

 ほこりの中から取り上げられたものは、明らかにこの場には不似合いな代物だった。おまけに、短剣にはさびと同化しかかっているが、明らかに血の跡がある。

 薄気味が悪くなってきたキュルケは、さっさと立ち去ろうと腰を上げかけた。しかし、突き当りの本棚に、爪で引っかいたように残されていた文字を見て、思わず立ちすくんだ。

「タスケテ……タベラレル」

 

 一方、生物書庫欄へと向かったモンモランシーは、さっそく珍しいマジックポーションの調合の作り方を記した本を見つけて、熱中して読んでいた。

「ふむふむ、このポーションにこんな配合の仕方があったなんて。こうすれば、より少ない材料で効果を倍増できるのね」

 すっかり目的を忘れて、モンモランシーはめぼしい配合の方法をメモに書き写すのに忙しかった。

 だが、そうして一人で本に向き合っているうちに、モンモランシーの背後に、天井から音もなく何かが降りてきていた。

「んー、この材料は現在じゃ入手不可能ね。でも、これならマンドレイクで……ん?」

 そのときモンモランシーは、後ろから肩を軽く叩かれたことに気がついた。

「なに? ギーシュでしょ。今忙しいの、話なら後にして」

 どうせ二人きりで愛の本を探そうとか、そういう話だと思ってモンモランシーは相手にしなかった。

 けれど、無視しているとさらに数度、それでも無視しているとさらに数度肩を叩かれた。

「んもう! しつこいわねぇ! 今それどころじゃないって言って……」

 

 

 続く



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第25話  愚か者の勇者

 第25話

 愚か者の勇者

 

 大ぐも タランチュラ 登場!

 

 

 古来、蜘蛛は悪魔の使いだという。

 八本の足で這い回り、網の目のような巣を貼って獲物を待ち受ける姿は人間の生理的な嫌悪感を刺激する。

 また、中には恐るべき猛毒をもって音もなく忍び寄り、多くの命を殺めて恐れられる種類もある。

 地球でも、東西を問わずにその不気味な容姿は様々な神話・民話で語られ、代表的な妖怪の一つとなっている。

 

 しかしその反面、朝見る蜘蛛は神の使いと呼ばれ、殺してはいけないものとされている。

 さらに、蜘蛛はその巣を使って蝿や蚊などの害虫を捕獲する益虫としても知られ、珍重される虫でもある。

 

 悪魔と神、両極の顔を併せ持つ蜘蛛の本当の姿とは何なのであろうか……?

 

 

 トリステイン魔法学院のはるか地下、秘密書庫にやってきたアニエスと二人の教師に五人の生徒。

 彼らはこの書庫に隠されているという、貴族たちの不正の証拠を見つけ出すために、広大な書庫の方々へと散っていった。

 だが、まだ彼らはこの地下書庫のよどんだ空気に隠された、本当の秘密には気づいていない。

 

 

 地下書庫の一角、「財務関連書・ブリミル暦六二〇〇~」と分類された書棚の前にアニエスはいた。数百年の年月で積もりに積もったほこりにまみれながら、古書を一冊ずつ手に取り、貴族たちの賄賂の証拠の書類を捜す。しかし、苦労に見合うだけの成果は、アニエスに達成感を与えはしなかった。

「リキャード大橋修繕工事、正規見積もり六万エキューのところが七万エキューに増額。ゲルマニアのシュルツ伯爵の歓迎式典も、下請けのユーノフという商店は実は存在しないか……」

 ここ二十年ばかりの資料に絞って調べても、嘆息を抑えきれないほどに不正な金の動きに関する証拠は出てきた。それに関わった貴族の名も、リッシュモンや前回捕らえた貴族を含め、まさか!? と驚くような人物も散見している。

「姫様が言っておられたが、国よりも黄金を愛するものたちは……いや、むしろ我々のほうが異端なのかもしれないな」

 自嘲げな笑みを浮かべて、アニエスは証拠となるその本をかばんの中にしまい込んだ。

 人間、誰しも欲はある。しかし、国の柱となるべき貴族たちの中に巣食っている白蟻の数は、こうして見てみると、むしろ真面目に勤務に打ち込んでいる自分たちのほうが異常なのではないかと思えてしまう。

「ふっ」

 だがアニエスは含み笑いをすると、馬鹿な幻想を頭から追い出した。周りが異常なものばかりだから、真面目にしているのが馬鹿らしくなって、自分も不正をするようになる。この書類に記された貴族たちは、そうした負の連鎖に呑まれて手を汚していったのだろう。それに、今は自分も下の下とはいえ、貴族の一員であるのだ、彼らと同じ轍を踏むわけにはいかない。

「常に誇りを持ち、身分ではなく精神の高貴さで人を判断すれば、あなたは誰よりも貴族らしい貴族になれるでしょう……か」

 アニエスはもう一つ、以前アンリエッタから教えられた言葉を繰り返した。

 すると、後ろで書類探しを手伝っていたコルベールが振り返った。

「いい言葉ですな。誰の言葉です?」

「姫様だ」

「ほお、アンリエッタ姫殿下の……精神の高潔さですか。そうですな、私も生徒たちにはそうして貴族のありかたというものを教えていきたいものです」

「ぜひそうしてくれ。私も、将来お前の生徒たちを切り捨てることになるのは愉快ではないからな」

「ははっ……これは、ご厳しいことで」

 アニエスの苛烈な言葉に、コルベールは冷や汗をかきながら後頭部をなでた。

 笑い事ではない。今の魔法学院には、このまま大成したら第二第三のリッシュモンになりかねないものがまだまだ多くいる。彼らがまだ感受性が高いうちに、人としてのありかたを教えなくては、いつまでもトリステインはよい方向には向かえないだろう。

 コルベールは、自分がまだまだ未熟な教師であることを痛感した。教師とは、生徒の将来を左右する。半端な気持ちで勤まるような代物ではない。

 しかし、財務関連から軍事作戦関連の計画書や報告書がまとめられた場所にやってきたときのことである。コルベールはふと、アニエスが探している書類とは関連のない項目に視線を泳がせているのに気がついた。

「アニエスくん。ほかにまだなにか探し物が?」

「いや、これは私的なものだ。気にするな」

「まあそう言わずに、袖触れ合うも多少の縁というし、若者は素直に年配を頼りたまえ」

 人のよさそうな笑顔を浮かべるコルベールを見て、嫌悪する人間はまれだろう。だが、アニエスがぽつりと、しぼりだすように告げた名前を聞いたとき、コルベールの顔から笑顔は消えていた。

「ダングル……テール?」

「そうだ。今はもうない私の故郷の、それが名前だ」

 アニエスはとつとつと、以前ミシェルにも語った滅んだ故郷と、自分とリッシュモンらとの因縁を語った。三歳のころに肉親も親類も友も皆殺しにされ、それ以来復讐を果たすことを願って生きてきたと。

「リッシュモンは死んだが、まだ直接手を下した奴らは残っている。そいつらの記録がここにあるはずだ」

 アニエスが、今回あえて一人でここまで来た本当の理由がここにあった。ミシェルにとっての敵討ちはリッシュモンが死んだときに終わったけれど、自分の復讐するべき相手はまだ残っている。ようやく人間らしい人生を取り戻した妹を、また得るもののない戦いに巻き込むわけにはいかなかった。

「それで、仇を見つけられたらどうするのです?」

「……答えなければわからんか」

 アニエスの言外の意思は、少なからずコルベールの背筋を寒くした。でも、コルベールはそれで黙らずに、悲しげに言った。

「せっかく助かった命を、復讐ですり減らすなんて」

「なんとでも言え。貴様のように、毎日のほほんと研究していればすむほど楽な生き方はしてこなかった」

 ぞんざいにアニエスは吐き捨てた。他人の言葉で簡単に生き方を変えるには、二十年という歳月は長すぎた。今復讐心を捨ててしまうことは、たとえできたとしても、高く積み上げた塔から柱を抜いてしまうようなものだった。

「そういえば、何か顔色が悪いな。何か知っているのか」

「あ、いえ……若い時分にあの地方には立ち寄ったことがありましたので……まさか、そんなことになっていようとは」

「ふん……」

 それっきり、アニエスはコルベールに背を向けて振り返ろうとはしなかった。

 そうして、古書をあたっているうちに、アニエスは今から二十年前の資料。ブリミル暦六二二二年、ダングルテール事件と書かれた本を見つけ、手に取った。

「これだ……」

 表紙のほこりを払ってページを開いたその本は、事件の事後報告書としてまとめられたものだった。背中のコルベールの視線を無視しつつ、アニエスはページを追う。リッシュモンによって、新教徒狩りと銘打っておこなわれた虐殺の全容が、この中にあるのだ。

「命令書……疫病蔓延を阻止するため、ダングルテール一帯の人間を焼却処分せよ……疫病だと!?」

 アニエスは、その命令書に書かれていた内容に愕然とした。これまではリッシュモンはロマリアからの新教徒狩りの依頼を利用して虐殺を指示したと思っていた。だが実際に発行された命令は、書面を読む限りでは、極めて致死性と伝染性が高い疫病が発生し、やむを得ずに人間ごと焼き払うことに決めたという、苦渋の選択をうかがわせる内面になっていた。むろん、どこにも新教徒狩りの気配も見せない。

 間違いなく、リッシュモンの仕組んだ隠蔽工作の一環であった。対面を疫病対策としておけば、涙を呑んで苦渋の決断をしたとして同情と、決断力の高さを評価される材料になる。ありとあらゆるものを私欲のために利用してきた奴らしいと、怨讐の炎がアニエスの中で燃え上がる。

 だが、死んだ人間への復讐は不可能だ。その恨みを向ける相手は別にいる。そう、ダングルテールに火をかけて焼き払った実行部隊だ。

 ページを進めるうちに、作戦に携わったと思われる貴族の名が記された名簿に行き当たった。

『魔法研究所実験小隊』

 その総勢三十人ほどの部隊が、アニエスの故郷を焼いた張本人であった。

 名前を一人一人確認していくごとに手が震える。少数精鋭の部隊であったらしく、当時かなりの年齢ですでに故人となっていたり、傭兵メイジで本名かどうかも怪しいものも混じっていて、手出しのしようがないものも多い。

 ならばせめて、虐殺の命令を下した指揮官だけでもと、ページをめくったアニエスの口から強い歯軋りの音が漏れた。

 なんと、小隊長の名前のところが破られていたのだ。自然に破けたものではなく、明らかに誰かの手によって破られている。これでは、もっとも罪深い男の名がわからない。アニエスは、恐らくはその小隊長に先手を打たれていたことを知って、思わず本を床に叩き付けた。

 

 と、そこへ本棚の影から数冊の本を抱えたエレオノールがやってきた。

「あら、あなたたちここにいたの?」

 ちょうどよかったと言って、エレオノールは抱えていた本のうちから数冊、アニエスに探すように頼まれていたタイトルの本を手渡した。アニエスは受け取ると、こちらもちょうどよかったと言って、エレオノールに尋ねた。

「感謝する。ところでミス・エレオノール、貴女は王立アカデミーの主席研究員だそうだが、魔法研究所実験小隊というものをご存じないか?」

「は? なんの話よ」

 アニエスは、エレオノールに事情を説明した。

「そう、なるほどね。確かにざっと調べてみたけど、アカデミーも昔はかなりエグいことをしていたみたいね。でも悪いけど、今その実験小隊とやらは存在していないわね。噂も聞いたこともないわ」

 主席研究員であるエレオノールが言うのだから間違いはないだろう。考えてみれば、自分の悪事の証拠となるような部隊をリッシュモンが長々と存続させておくはずもない。

 また、エレオノールの顔にも皮肉な笑みが浮かんでいた。極秘の魔法実験の資料を閲覧したいと、彼女は確かにそうした関連の書物をいくつか見つけていた。が、それには添付して、非道な実験の数々の記録も残されていたのだ。

「罪人を利用してのポーションの人体実験。辺境の村の井戸水に薬品を混入しての観察……異端どころか狂気とさえいえる実験。これなら少し前の、神学一辺倒のほうがまだましだったわ」

 その当時在籍していなかった幸運を、エレオノールは感謝した。そういえば、よくよく思い出してみたら、酒の席でヴァレリーから聞いた噂では、その昔非合法な魔法実験を専門にする闇の部隊があったとか……そのときは、よくある与太話として気にも止めていなかったけれど、こうしてみると現実味が湧いてくる。

 まさか……と、アニエスに睨まれると、エレオノールははっきりと首を横に振った。

「だーから! 今はやってないわよ。いくらなんでも、そんなことをやるところに私も籍を置くものですか。それに、今のアカデミーの所長は保守的で小心な年寄りですから、うかつなことには手を出さないでしょう」

 どうかな、とアニエスは思った。小心者ほど姑息な悪事をろうするものだ。自身へのリスクを最小限に、隠れて何をしているのかは知れたものではない。けれど、今はそれを考えるときではないので、余計なことは言わずに、素直に書類を仕舞った。

 

 そのときだった。

 

「きゃあぁぁぁーっ!」

 突然、絹を引き裂くような女性の悲鳴が響き渡り、書庫に散っていた者たちは一斉に振り返った。

「今の声は!? ミス・モンモランシ」

 生徒の声にとっさに反応したコルベールが真っ先に駆け出し、半歩遅れてアニエスとエレオノールも走り出した。

 一方、別所にいたギーシュたちも当然ながら駆けつけている。

「うぉぉぉ! モンランシー、今このぼくが行くからねえ!」

「おいギーシュ! あいつあんなに足が速かったけっか!?」

 まるで迷路のようになっている書庫の本棚のあいだを、一同はモンモランシーの悲鳴だけを頼りに走り抜けていく。

「いゃあ! 誰か! 誰か来てえ!」

「こっちだ!」

 声が壁に反響して聞きにくいが、大まかに聞こえてくる方向を見当をつけて一行は走った。

 そして、大きな本棚の角を曲がったところでモンモランシーを見つけた彼らは例外なく絶句した。

 

 そこには、蜘蛛がいた。

 

 蜘蛛、全長二メイル以上はあるような巨大なクモが、倒れこんでいるモンモランシーに覆いかぶさるようにして、口から吐き出す糸で絡みとろうとしている。

「ギーシュ! 助けて! は、早く!」

「ま、待ってろモンモランシー! 今助けるよ!」

 恋人の悲鳴で我に返ったギーシュは懐から杖を取り出した。だが、魔法を唱えようとしたその手をアニエスが抑えて怒鳴る。

「待て! ここで魔法を使うなと言ったのを忘れたか。それに、下手な魔法では彼女を巻き添えにするぞ」

 はっとしたギーシュは呪文の詠唱を途中でやめた。大グモとモンモランシーがほぼ密着している状態では、ギーシュの得意技のワルキューレは床から作り出せても、モンモランシーも踏み潰してしまう恐れがある。

 だが、メイジたちが魔法を使えずにとまどって、アニエスが剣を抜こうとした瞬間、はじかれるようにコルベールが飛び出して大グモに飛び掛った。

「このっ! 彼女から離れるんだ」

 大グモの毛むくじゃらの胴体にためらいもなく掴みかかって、ひっぺがそうと力を込める。それを見たギーシュたちも、勇気を振り絞って大グモに向かっていった。

「化け物め! モンモランシーから離れろ!」

「ギ、ギーシュ隊長に続け!」

「うわぁぁっ!」

 奇声を張り上げながら、ギーシュたちは大グモを蹴っ飛ばしたり、本棚から取り出した本を投げつけた。しかし大グモも、巨体ゆえの重量と怪力でなかなかモンモランシーから離れようとはしない。それどころか、巨大な口から粘着性の高い糸を吐いて反撃してきた。

「くそっ、こんな糸なんかに!」

 ギーシュたちはすぐに振り払おうとするが、糸はへばりつくだけでなく意外に頑強で、引きちぎるにもかなりの力を必要とした。日本の昔話にも、池のほとりで休んでいた旅人のわらじに糸を結びつけて引きずり込もうとした水蜘蛛の話があるが、あれは実は単なるおとぎ話ではない。蜘蛛の糸は集めて紐にすればワイヤーロープ並の強度を持つようにさえなるのだ。

 しかし、糸で足止めされたギーシュたちが手を出せず、ついに大グモの牙がモンモランシーにかかろうとした瞬間。

「いゃーっ!」

「どけっ!」

 大グモの注意が逸れた一瞬の隙に、アニエスの剣が大グモの喉元に突き刺さった。その一撃で大グモは激しくけいれんし、アニエスが剣をねじって引き抜くと、足をだらりとさせて動かなくなった。

 そして、大グモの絶命を確認したギーシュたちは、急いで死骸に下敷きになっていたモンモランシーを引きずり出した。コルベールが、彼女をがんじがらめにしていた糸をナイフで切って無事を確かめる。

「大丈夫か、怪我はないかね?」

「は、はい。ありがとうございます、先生」

 自由になったモンモランシーは、立ち上がると傷一つないことを皆に見せて安心させた。

「よ、よかった! 君があんなクモの餌食になったらぼくはもう生きていられなかったよぉ!」

「ギーシュよしてよ。みんな見てるじゃないの! 第一、本当ならあなたが真っ先に助けに来てくれなきゃいけなかったのよ! なによ! コルベール先生に先を越されたりして」

「そ、そんなぁ」

 情けない顔をするギーシュの前で、モンモランシーは腕組みをして怒った態度を見せたが、それは彼女なりの照れ隠しだった。本当は、自分のためにギーシュが素手で怪物に挑んでくれたことがうれしくてたまらないのである。

「わたしの騎士を気取るんだったら、もっと勇敢になりなさい」

「とほほ」

 落ち込むギーシュを見て、ギムリやレイナール、アニエスからも笑いがこぼれた。

 それともう一つ、モンモランシーは糸を切ってもらったとき、自分が無事だったことに、それならよかったと安堵の表情を見せてくれたコルベールの顔に、なぜか自分が安心できていくのを感じていた。さえないはげ頭の中年教師だけど、真っ先に助けに来てくれた先生の顔が、このときはとても頼もしく見えたのはなぜだろうか。

 

 しかし、そんななかで一人だけ何もせずに突っ立っていたエレオノールは、なにか物悲しさを感じていた。

 頭では、あのとき自分が飛び込んだところで何の役にも立たず、むしろアニエスが剣を突き立てる邪魔にしかならなかったと理性が主張している。しかし、今笑いの輪に加わっているのは、愚かにも素手で怪物に挑んでいった馬鹿者達のほうで、正しい判断をしたはずの自分は見るからに阻害されてしまっている。

 

「ミス・エレオノール」

 結局、コルベールが声をかけてくれるまで、エレオノールは一人でじっと立ち続けていることしかできなかった。

「はっ……なにかしら?」

「貴女は、アカデミーの主席研究員として、学内の他の研究にも多く携わっているとのこと。この巨大なクモですが、貴女から見てどう思われますか」

 その一言で、とにもかくにもエレオノールの頭脳は再回転を始めた。絶命した巨大なクモを見下ろし、自分の頭の中にある生物学の知識と照らし合わせてみる。

「ロマリアに生息するという、ある種類の毒グモに似ていますね。ですが、それは大きくても十サント前後しかないはず。突然変異か、新種か……どちらにしても、わたくしも初めて見ますわ」

「そうですか……」

 一同はあらためて巨大グモの死骸を見下ろした。全身に針金のような毛を生やし、鋭い牙を隠した口を持つ姿は、悪魔の化身と呼んでも差し支えはなかった。

「まさか、学院の地下にこんな奴がいたとは、夢にも思わなかったな」

 ギムリがぽつりとつぶやくと、ギーシュとレイナールもそうだなとうなずいた。

 モンモランシーは、もう見たくもないらしく、ギーシュに寄り添って目をそむけている。

 そして、光を失ったクモの目をじっと見つめていたコルベールが、ぞっとするくらい重い声で言った。

「これまで、地下に入って帰ってこなかった人たちは、みんなこいつにやられたんでしょうな」

 ギーシュたちは一様に身震いし、特に餌食になる寸前だったモンモランシーは短く悲鳴をあげた。身の毛もよだつことだが、ほかに考えられない。アニエスは集めた書類を確認すると、簡潔に全員に向かって告げた。

「長居は無用のようだ。さっさと引き上げるぞ」

 反対意見は出なかった。まだ足りない本はあるけれど、ここは危険すぎる。書庫は逃げないのだから、いずれまた戦力を整えて来ればよい。

 モンモランシーは言うに及ばず、ギーシュたちも下心はとうに吹き飛んでいた。

「は、早くこんなところから出ましょうよ!」

「落ち着きたまえよモンモランシー、これまでも君はぼくが守ってきたじゃないか」

「その度にわたしは死にそうな目に会ってたじゃないのよ!」

 今にも二匹目のクモが出てくるのではと怯えるモンモランシーをギーシュがなだめるが、本能的な恐怖が言わせてるのだからいかんともしがたい。

 このままではヒステリーを起こしかねないモンモランシーに、困り果てたギーシュは助け舟を求めるように周りを見渡した。しかし悪友二人は贅沢な悩みだと言わんばかりに目を逸らしていて、アニエスは知らん顔、コルベールとエレオノールは「そういうのは恋人のあなたの仕事でしょう」と言わんばかりに静観している。

 まったく頼りにならない連中に、ギーシュはみんなの薄情者と心の中で叫んだ。

 ああ、モンモランシーは可憐で美しいけれど、ちょっと怖がりなところが玉にキズだなあ。いやいや、そんなところも可愛いんだ。これがキュルケだったら、こんなクモなんかは……

「ん? ちょっと待てよ。そういえばキュルケはどうした?」

 皆はギーシュの一言ではっとした。慌しかったので気がついていなかったけれど、こんなときに普通なら真っ先に駆けつけているはずのキュルケの姿がどこにも見えない。モンモランシーもそのことに気がついて見渡すが、あの燃えるような赤毛だけがこの場から欠けている。

「まさか……」

 悪い予感が場を駆け巡る。もしや、いやあのキュルケに限ってそんなはずはない。きっと、悲鳴を聞き逃したか、まだたどり着いていないだけだろう。そんな楽観的な考えが浮かんだ、そのとき。

 

「うあぁぁーっ!」

 

 絶叫が、断末魔の叫びにも似た絶叫が響き渡り、一同ははじかれたように振り返った。

「しまった!」

 コルベールが真っ先に駆け出し、遅れてアニエス、ギーシュたちが続く。

 こんな場所で、ちょっとでも気を緩めたのが間違いだった。コルベールは、生徒を助けられたことで安堵し、その生徒のことを忘れていたことを深く悔いたが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 しかし、当然というべきであろう。逃げ場を塞ぐように、天井や本棚の上から新しい大グモが何匹も現れる。

「正面突破するしかない!」

 立ちふさがる大グモを、コルベールとアニエスが先頭になって排除しながら彼らは走った。

 そうして、なんとか入り口の玄関ホールまで戻ってくると、コルベールは皆に告げた。

「よし、ミス・ツェルプストーは私が助けに行く。皆は先に地上に逃げてくれ!」

「先生!? いや、一人では危険ですよ」

 無茶だと、レイナールが抗議した。

「大丈夫、若い頃にはそれなりに場数も踏んできた。アニエスくん、ミス・エレオノール。すまないが、生徒たちを頼む」

「わかった。気をつけろ」

 アニエスは、ホールに入ってこようとする大グモにナイフを投げつけながら答えた。すでにあちこちの通路から何十匹もの大グモが集まってきている。この調子では、あと数分もせずにここはクモで埋め尽くされてしまうだろう。

 

 だが、アニエスたちが入り口のドアを開け、コルベールが走り出そうとしたときだった。突然書庫全体が地震のように身震いを始めて、不気味な地鳴りの音が書庫に響き渡り始めた。

「いかん! 防犯用の魔法が動き始めた」

 コルベールの言ったとおり、書庫の本棚が動き始めて通路の幅を狭め始めている。中で違法な行為をおこなったものを抹殺する、機密保持のための恐るべき仕掛けだ。しかし、この仕掛けが動き出すためのスイッチは、中で魔法を使うこと。この中の誰もが魔法を使っていないことを考えたら、答えは一つだ。

「そうか、キュルケが魔法を使ったんだ」

「ということは!」

「彼女はまだ無事だ!」

 ギーシュたちの歓声が唱和された。正直、彼らもいくらキュルケでもこれほどの大グモに襲われたら、もしかしたらと不安に思っていただけに、喜びも大きい。けれど、魔法を使ってはいけないとわかっているはずのキュルケが魔法を使ったということは、それだけ追い詰められているかもしれないということだ。

 猶予は無い。コルベールは『フライ』の魔法で飛び上がった。

「みんな、急いで! ここにいては命が危ない」

「待ってください先生、ぼくらも手伝います」

「馬鹿な! 危険すぎる」

「一人で行くほうが危険ですよ。それに、もう魔法を使ってもかまわないんだったら、ぼくらでも役に立てます」

 ぐっと、コルベールは言葉に詰まった。確かに、この広い書庫のどこにいるかわからないキュルケを探すのには人手がいる。しかし、一刻も早く立ち去りたいエレオノールは怒鳴った。

「あなたたち何を言っているの! あなたたちのようなひよっこが出て行っても、なにもできるわけ無いでしょう」

 だが、ギーシュたちはひるまなかった。

「エレオノール先生、すみませんがお逆らいいたします。友を見捨てては騎士の恥! 先生はモンモランシーを頼みます。では!」

 あとはギーシュたちは振り向かなかった。『フライ』で生き物のように荒れ狂う本棚の上に飛び上がっていく。

「さあて、ギムリ、レイナール、久しぶりに三人で戦うとしようか」

 薔薇の杖を杖を芝居臭く振るギーシュに、ギムリとレイナールも懐かしそうに笑った。この面子だけなのは、スチール星人とヒマラのとき以来になるか。彼らの前には、本棚の上に上がってきた大グモどもが立ちふさがっている。さっきはやってくれたが、今度はこっちの番である。

「レイナール、作戦を頼む」

「作戦って、コルベール先生を助けてキュルケを探し出す。バケモノ退治は二の次、それ以上あるかい?」

「上等だよ。ようし! 次期水精霊騎士隊、WEKC出撃!」

「了解!」

 久々に名乗る自分たちの騎士隊の名を高らかに宣言し、三人は邪魔者をありったけの魔法で蹴散らして突っ込んでいった。トリステイン王宮でバム星人と戦って以来の腐れ縁だが、隣に戦友がいるということは限りなく勇気が湧いてくる。

 エレオノールは、コルベールを先頭にして荒れ狂う書庫の奥へと飛んでいく四人の男たちを唖然として眺めていた。

「馬鹿なんだから、ドットの駆け出しメイジができることなどないわ。黙ってトライアングルに任せておけばいいのに」

 その評価は恐らく正しいだろう。メイジとしては最下級のドットメイジは使える魔法の威力も小さく、使える精神力の量も少ない。あんなに派手に飛び回ったらあっという間に精神力切れを起こしてしまうのに。

 でも、同じように彼らを見送ったモンモランシーは、そんなエレオノールに抗議するように、微笑んで言った。

「ええ、ギーシュもあの連中もたいしたバカですよね。でも、ああいう人たちを、”勇者”っていうんじゃないですか」

「ああいうのは蛮勇っていうのよ。考えなしで動く男は、早死にするだけよ」

 口先だけで実のともなわない男を、エレオノールは山のように見てきた。戦争になったら真っ先に突撃すると言い、そのとおりに戦死した馬鹿もいる。そんな男たちを知っているからこそ、エレオノールにはギーシュたちの行動が愚かに見えた。

 しかし、モンモランシーはそんなエレオノールの言葉に苦笑しながら。

「そうですね。おかげで、わたしはいつも冷や冷やさせられっぱなしで……でも、男ってのはそんなバカなところが可愛いんじゃありませんの?」

 モンモランシーの、その若いのに達観したような笑いに、エレオノールはため息をつくのと同時に、「なるほど、だから女は苦労するのね」と、自身も悟ったような笑みを浮かべた。

 お母さま……お母さまなら、こんなときどうなさいますか……?

 

 だがそのころ、キュルケはまさに死の門のふちに片足をかけた状況に陥らされていた。

 全身を糸でがんじがらめに巻き取られ、顔だけをかろうじて出して身動きひとつできない状態の彼女に、大グモたちが我先にと群がってくる。モンモランシーが襲われたのとほぼ同時刻に、キュルケも大グモの大群に襲われていたのだ。

「わたしとしたことが、こんな不覚をとるなんて! こ、こないでぇ!」

 叫んでも、クモに言葉が通じるはずはない。杖だけはかろうじてまだ握っているけれど、振ることができなくては意味がない。今のキュルケには、逃げることも、抵抗する術も残されてはいなかった。

 大グモに最初に襲われたとき、誇り高い彼女はモンモランシーとは違って助けを呼ぼうとはせずに、自力で切り抜けようと考えた。でも、いくら強力な炎の使い手のキュルケでも、こんな狭くて可燃物があふれた場所では下手をすれば自分まで焼いてしまう。おまけに、魔法を使えば防犯用の魔法が作動すると言われていたのが彼女の判断力を鈍らせた。走って逃れようとして、気がついたときには四方八方を取り囲まれ、やっとファイヤーボールを一発使ったときには手遅れだった。

「ああっ……や、やだ」

 抵抗できないということと、相手に言葉が通じないということが、炎の女王のような気丈なキュルケの心の鎧の中に、恐怖という冷たい水を浸透させていく。

 ミイラのようにされ、身をよじることもできないキュルケに向かって大グモが口から唾液を垂らしながら迫ってくる。キュルケは、本棚に書き残されたメッセージの言葉を思い出した。

『タスケテ、タベラレル』

 ああっ……こんなことなら変ないたずら心なんか起こさなければよかった。いつもなら窮地に陥ったとき助けてくれるタバサもここにはいない。クモの口腔の奥までが覗けるようになり、捕食されるという、動物的な恐怖がキュルケの胸を支配する。

 毒の唾液が垂れる蜘蛛の牙が目の前に迫り、思わずキュルケは目をつぶった。

 だが、クモの喉から突然うめき声が漏れ、おそるおそるキュルケは目を開いた。

 そこには、クモの背に自分の杖を槍のように刺して、自分を見下ろしているコルベールの姿があった。

「大丈夫かね、ミス・ツェルプストー」

「せ、先生……」

 キュルケは、それを口にするだけで精一杯だった。自分が涙目になっていることすら気づかずに、火の魔法で自分を拘束している糸を焼ききるコルベールを見上げている。

「先生! 急いで!」

 周りでは、ギーシュたちがクモの大群を相手に必死になって防戦しているのが見える。それで、キュルケはやっと皆が助けに来てくれたのだと理解した。

「ミス・ツェルプストー、どこも怪我はないかい?」

「はい、でもみんな、どうやってここに?」

「なあに、クモが一番集まっている場所に君がいるなとギムリくんが気づいてくれただけだ。それより、さあ早く私につかまって」

 腰を抜かしているキュルケを背負おうと、コルベールは彼女の傍らにかがもうとした。しかしそのとき、この場所でも防犯の魔法が作動し、彼らのそばの本棚から大量の本が吐き出されてきた。

「危ない!」

 二メイルはある本棚から、二キロはある分厚い本が雨のように降り注ぐ。コルベールはとっさにキュルケの上に覆いかぶさり、彼女の傘になった。その背や頭に、容赦なく鈍器と化した本が叩きつけられる。

「せ、先生!?」

「だ、大丈夫だ……それより、早く」

 本の雨を耐え抜いたコルベールは、キュルケを担いで『フライ』で飛び立った。力が足りない分は、ギーシュたちが途中立ち止まりながら、『レビテーション』で補佐しているが、コルベールの額は切れ、血が垂れ落ちている。

「先生……苦しくないんですの……?」

「ん? そりゃあ、痛いし苦しいさ。でも、私の大切な生徒のためなら、なんてことはないさ」

 空元気を張っていることくらい、声色でキュルケもわかる。けれど、こんな立派な、先生らしい先生がほかにいるだろうか。キュルケは思わず、ぎゅっとコルベールにしがみついた。

「先生、出口です!」

 先行していたギムリの声が響く。あと少しで、この魔宮と化した書庫から脱出できるだろう。

 けどそのとき、天井から落下してきた大グモがコルベールにのしかかり、キュルケを奪い取ろうとしてきた。

「くそぅ、みんな、彼女を頼む」

「先生!?」

 背負ったキュルケをギーシュたちに放り投げ、コルベールは一人で組み付いてくる大グモに立ち向かう。

 すぐにギーシュたちが駆け寄ってコルベールを救い出そうとするものの、大グモはまだこんなにいたのかと思うくらいに集まってくるではないか。

「だめだギーシュ! これ以上の戦いは、もう精神力が持たない」

 『フライ』を使いながら、断続的に攻撃魔法を使わざるを得ない戦いが、ドットの彼らから急速に精神力を絞りつくさせていた。ギーシュに肩を借りたキュルケが、コルベールを救おうと杖を向けるが、その手をギーシュが止める。

「だめだキュルケ! 炎の魔法では、どう撃っても先生を巻き添えにしてしまうぞ」

「そんな! じゃあどうしろってのよ」

 助けられたまま、借りを返せずに終わるなどキュルケは許せなかった。そうしているうちにも、大グモは糸を吐き出し、コルベールを奥へ奥へと引きずり込もうとしてくる。

「みんな! 私のことはかまうな! はやく出口に行くんだ!」

「先生! そんな、そんな卑劣なことぼくらにできると思ってるんですか!」

「行くんだ! 私は教師だ。生徒を道連れになどしては、地獄で私の肩身がなお狭くなる。早く!」

 コルベールは大グモから逃れようとするどころか、自ら大グモを抱え込んで生徒たちに向かわないように押さえつけて叫んでいた。

 両手両足を糸で拘束され、連れ去られていくコルベールをギーシュやキュルケたちはどうすることもできずに見守るしかできなかった。そう……あきらめかけたとき。

『念力!』

 突然、本棚に納められていた書物が浮き上がり、弾丸と化して大グモたちを襲った。

 群れはそれで隊列を崩し、ひるんだところにさらに本が叩きつけられて、コルベールを捕まえていた足が緩む。ギーシュたちは何が起こったのか正確に理解する間もない。そこへ、間髪いれずに魔法の光が飛んだ。

『錬金!』

 魔法の光がコルベールを拘束していた糸を砂に変え、それ以外の糸は鉄に変わって大グモたちの動きが封じられる。魔力を飛ばしての遠隔地からの錬金。土系統の中でも高等なそれに、やっと振り向いたギーシュたちは、その魔法を飛ばした張本人が誰かを知った。

「まったく、世話の焼ける生徒に先輩なんだから! 急ぎなさい! 早くこんなところからはおさらばするわよ!」

「エレオノール先生!」

 歓喜の声がギーシュたちの口から飛び出る。エレオノールが、逆三角のメガネの下の顔を心底腹立たしげに歪め、母から命じられた清楚の仮面を脱ぎ捨てることを承知で、それでも助けにきたのだ。

 自由になったコルベールは残りの力で『フライ』を使って脱出し、皆も残りの精神力で飛んで続く。

 そして、玄関ホールで持ちこたえていたアニエスたちと合流し、一行は今度こそ書庫からの脱出に成功した。

「ここからはもう走るしかない。みんな、急げ!」

 精神力が尽き、あとは体力に頼るしかない。書庫と地下通路を隔てる谷間にかかる石橋を一行は全力で走った。しかし、渡ろうとする人間に連動するかのように石橋はひび割れて、見る見る間に崩落をはじめる。

「わたしたちを帰さない気ね! どこまで意地の悪い仕掛けなのよ」

「駆け抜ける以外ない、走るんだ」

 ここさえ突破すれば後はもう仕掛けはないはずだ。一行は必死で崩れ落ちていく橋を渡る。しかし、怪しい気配を感じて後ろを振り返ったモンモランシーが叫んだ。

「クモ! クモが追ってくる」

「なに!?」

 見ると、書庫から這い出てきた大グモたちが追いかけてくる。よく見たら、来るときは気づかなかったが谷のあいだには糸が通してあって、連中はそれを伝って追いかけてくる。途中で捕まったら今度こそ助からない。しかし、人間の走る速さよりクモが糸を這うスピードのほうが速い。魔法で迎撃しようにも、少しでも足を緩めたら崩落に巻き込まれてしまう。

 これまでか! だがその瞬間、谷の上から青い光芒が放たれてクモたちをなぎ払った。

 

『ナイトシュート!』

 

 一瞬で、一行に追いすがっていたクモたちは吹き飛ばされ、残ったものも糸を断ち切られて谷底へと落下していく。

 そのおかげで、コルベールたちは石橋が完全に崩落する前に、かろうじて渡りきることができた。

 それを見届けると、彼らを救った何者かは青い光を残して幻のように消えて、洞穴には再び静けさが戻った。

 地下書庫は谷の向こう側に蜃気楼のようにたたずみ、もうあそこに行く手段は無い。

 ようやく、すべての罠から解き放たれたことを悟ったギーシュは、気が抜けたように地面にへたりこんだ。

「はぁ、死ぬかと思ったよ」

 緊張から解き放たれて、大きく息をついたギーシュを見てギムリやレイナールも笑った。

 エレオノールも軽く額の汗を拭き、コルベールも相貌を崩した。

 もう大グモも追ってくることはできない。アニエスは、目的が失敗した悔しさよりも、窮地を切り抜けた仲間たちが全員無事だったのに満足そうな笑みを浮かべ、先頭に立って宣言した。

「さあ、こんなところに長居は無用だ。地上に帰るぞ!」

「おーっ!」

 全員そろって、こんな辛気臭いところには一秒も早くおさらばするために歩き出した。

 道中は、ギーシュたちがそれぞれの活躍の自慢話をしたり、モンモランシーがそれに突っ込みを入れたりして、あんな騒ぎの後だというのに行きと変わらないようなにぎやかさに包まれた。

 そんな中で、生徒たちから一歩下がって歩いていたコルベールに、エレオノールが話しかけた。

「ミスタ・コルベール、少しよろしいかしら?」

「ああ、ミス・エレオノール、先程はどうもありがとうございました。あなたのおかげで助かりました」

「勘違いしないでくださる。わたくしはただ、ヴァリエール家のものとして、恥ずかしくない行動をしたまでです。同僚を見殺しにしたなどとしたら、家名を剥奪されますわ。それよりも、なぜ貴方はあんな無茶を? あなたには、やりたい研究や信念があるのではなかったのですか?」

 エレオノールは、コルベールの才能を内心では認めていた。彼に匹敵する頭脳の持ち主は、めったにいはしないだろうに、なぜその頭脳をむざむざ危険にさらすのか、自分なら何が何でも危険は避けようとするだろう。すると、コルベールは照れたようにしながら、しかし口調は強く答えた。

「確かに、それも私の生涯をかけてやりたいことだと思っています。ですが、それ以前に私は教師なのです。生徒を守るという、その義務を果たせずして何の信念でしょう」

「それで、あなたの研究が未完に終わってもよいと?」

「人の命に代えられるものなどありませんよ。特に若者はね。彼らは今はひよこですが、いずれ私よりも大きなことをなせるようになるでしょう。そう、貴女にもあんな時期があったでしょう」

 コルベールはそう言って生徒たちを指差した。そこには、バカ話を続けているギーシュたちがいる。エレオノールは、そんな彼らをうとましく思いながらも、そういえば確かに私にもあんなころはあったかなと、風化しかけていた学院生時代の記憶を呼び起こした。

 いつの間にか忘れていた、心の赴くままに行動できた時期。それに、エレオノールは橋を渡りきった後で、ギーシュたちや、モンモランシーから送られた言葉を思い出した。

「エレオノール先生、ありがとうございました!」

 淑女として振舞うのを忘れ、気丈な本性を出してしまったというのに、彼らは恐れるどころか笑っていた。なにか、利口ぶって気をはいていたのがバカみたいだ。さて、なにが悪かったのだろうか。

 そして、エレオノールは、あなたは研究者としては二流ですわねと前置きをした上で、恐縮しているコルベールに言った。

「……でも、我が身を捨ててでも生徒を守ろうとする、教師としてのあなたの使命感には感心しました。今度、お茶でもしながらお話でもしませんか?」

「は、はい! よ、喜んで!!」

 男やもめ歴、四十とうん年。ミスタ・コルベールは、跳ね上がらんばかりに喜んだ。

 しかし、そんなコルベールの背中を、キュルケが熱いまなざしで見つめていたのに、二人は気がついていない。

「ヴァリエールの女……ふふ、やはりこれは宿命なのかしらね」

 

 

 

 人の気配が去り、地下書庫には物音一つしない静寂が蘇った。

 アニエスは地上に上がると、太陽の光の中で、まるであれが夢だったように思えた。

 広大な地下書庫も、凶悪な大グモたちも、現実のものだったのだろうか。

 もしかしたら、あの大グモたちは、過去数百年に渡って地下に葬られてきた人間たちの怨念が形をなしたものかもしれない……なかったことにされたものたちが、自分たちの存在を認めさせようとした。あるいは、地の底への道連れを増やそうとしたのか……

 アニエスは、ふとそんなことを考えると、首を振った。

「埒もないな……」

 ぽつりとつぶやくと、アニエスは白昼夢に別れを告げた。

 どうせいつかは地に帰るのなら、そのときまでは太陽の下で生きていたいなと、そう思うのだった。

 

 

 続く



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第26話  群青の湖の悪魔と伝説

 第26話

 群青の湖の悪魔と伝説

 

 液体大怪獣 コスモリキッド 登場!

 

 

 トリステインの西方、ガリア王国と国境を接する内陸部にハルケギニア最大の湖、ラグドリアン湖はある。その規模は六百数平方キロメイルの広大さを誇り、その景観の美しさをもって人造物の追随を許さない。

 しかし、この湖は人間の所有物ではないことも知られている。水の精霊、湖底のはるか深くに住まうという、人間よりもはるかに古い、ハルケギニアの先住民がその主なのである。

 彼らは一説には、数万年もの長い時を変わらずに存在し続け、誰も見たことのない深い湖の底に独自の都市と王国を持っているという。誰も確かめようのない伝説ではあるが、彼らは確かに存在する。

 

 湖水はなみなみと澄んだ水をたたえ、画家がいたとしたら絵筆をとらずにはいられないことだろう。数ヶ月前にその水の精霊によって水位を上昇させられ、沿岸部の住民が遠のいていたが、今では平常に戻った湖水のほとりの道を旅人がいきかっている。

 だが、宝石のように美しい水の中に、人間の目を逃れて住まうものは果たして水の精霊だけなのだろうか……

 

 湖の湖畔……街道から外れて、藪の中の獣道を進んで出る静かな湖岸で一人の老人が釣り糸を垂れていた。白髪で、しわに覆われた顔の枯れ木のような体つき。でも、若い頃は漁師をやっていたのか、体に刻まれた幾筋もの傷跡や、筋肉のなごりが人生を物語るような、小さな老人がそこにいた。

 周りにはほかの釣り人の姿もなく、あるものといえば虫の羽音くらいの中で、老人は朝からずっと、眠っているように釣竿を握っている。

 そんな老人の後ろに、いつの間に現れたのか一人の男が現れていた。

「もし、ご老人」

「なんじゃい」

 振り返らずに返事を返した老人に、その男は「釣れますか?」と何気なく質問した。返って来た答えは、「さっぱりじゃ」と、そっけない。びくの中をのぞいて見ると、雑魚の一匹たりとて入ってはいなかった。老人は不機嫌そうに釣竿を振ると、愚痴るようにつぶやいた。

「ここ最近は外道もろくにかからん。以前はこんなことはなかったんじゃがな。まったく、このあいだの異常増水もやっとおさまってほっとしたところにまたこれじゃ、水の精霊さまは何を考えておられるんじゃのう」

 うんざりしたようにぼやくと、老人は沖合いを見つめた。今日はよく晴れていて対岸もうっすらと見渡せる。ラグドリアン湖は水の精霊の居場所というだけでなく、ガリアとトリステインの国境の要所なので、両国の取り決めによって対岸に一定以上大きな街や港の建造は禁止されている。そのおかげで、自然が保護されて良好な漁場として両国の民の舌を潤しているが、今はまるで巨大な水溜りのように見えた。

 老人は、何もかかっていない針を引き上げると、ため息をついてまた放った。小さな水音がして、水面には浮きだけが顔を見せている。男は、しばらくその浮きをじっと見詰めていたが、やがて老人に警告するように告げた。

「ご老人、今日はもう帰ったほうがいい」

「なんじゃ、まだ日は高いぞ。それにわしゃ、今日の晩飯を釣って帰ると孫と約束しとるんじゃ」

「いくら粘っても今日は釣れはしない。孫には早めに帰って謝るといい」

 無愛想に告げる男の言うことに、老人は当然のように拒否した。わしは五十年以上この湖に住んでいる、若造が知ったような口を利くなと。しかし、男は語気を強めると、再度老人に警告した。 

「もう時間がない。急いで立ち去れ……命が惜しかったらな」

「なにを言うとるんじゃ、ここは昔からわしの専用の穴場じゃ、よそ者などに……」

 異変は、老人が抗議の言葉を終わる前に始まった。

 老人の前から五十メイルばかり離れた湖面が突然泡立ったかと思うと、巨大な水柱が立ち上りはじめた。

「わわっ! なんじゃ、なんじゃ!?」

「遅かったか」

 狼狽する老人と、憮然として見上げる男の前で水柱はどんどん高くなり、水しぶきが雨のように二人に降り注ぐ。そして、その中から青い肌をした巨大な怪獣が姿を現した。全長はおよそ六十メイル、鼻先と頭の両側に巨大な角がついていて、そいつの作り出した影に二人は覆い隠された。

「ひええぇっ! たす、助けてくれぇ!」

 老人は釣り道具を放り出して逃げ出した。しかし、男のほうは身じろぎもせずに、湖水から上がって自分たちへと向かってくる怪獣を見上げていた。

「現れたな……怪獣め」

 

 ことの始まりは、その数時間ほど前にさかのぼる……

 

 ハルケギニアの気候も秋から冬へと変わりゆくそんな夜明けの日、朝霜を踏みしめて、一人の男が湖畔に立っていた。

 背格好はトリステインでよく見る平民のものと変わりなく、道を歩いていても誰も気に止めることはないだろう。しかし、彼はハルケギニアではまず見ることのできない黒い髪を持ち、さらに注意して見てみたら、彼の洋服の左胸付近に、白い翼をイメージしたエンブレムがあしらわれているのがわかるだろう。

 彼の名はセリザワ・カズヤ、またの名をウルトラマンヒカリという。

 

 二ヶ月前のヤプールとの決戦の後、エースと、彼と同化している才人とルイズたちを補佐するためにセリザワはこの世界に残った。それからしばらく、彼はこの世界のことを知るために、魔法学院の警備として勤めてきた。だが、今は違った。

 トリステインの国土を歩いて回り、その場に怪異や異変が起きていないかを調べ、時には解決に手を貸す。それは普段学院から自由に動くことのできない才人とルイズに代わって、ヤプールが復活するのなら、その予兆を一刻を早くつかむため。

 そしてもう一つ、ウルトラマンヒカリにとって絶対に座視することのできない目的があった。

「ボガール……この世界のどこかに、貴様がいるのか……?」

 その忌まわしい名を口にするとき、セリザワ……ヒカリの脳裏にはある悲劇が蘇ってくる。

 かつて、奇跡の星と呼ばれ、ヒカリが守り抜こうと決めた星・アーブ。そのアーブを滅ぼした宇宙の悪魔ボガール。メビウスと力を合わせて、仕留めたはずのボガールが蘇り、この世界に潜伏しているかもしれない。あの悲劇をこの美しい星で繰り返させないために、ボガールを探し出して討伐する。それがヒカリのもう一つの目的であった。

 セリザワの胸中には、ハルケギニアに来る前にゾフィーからのウルトラサインで伝えられた事実が深く焼きついている。M78星雲のアニマル星を多量のレッサーボガールが襲い、それらを使役していたのが間違いなくボガールであったということ。同時に、ボガールの背後にはヤプールがいるということも。

「何度蘇ろうとも、貴様の野望は俺が砕く。今度は、宇宙警備隊員として」

 彼はまだ、ウルトラマンジャスティスが月面上でボガールを撃破したことを知らない。

 

 そして今日、セリザワはこのラグドリアン湖へとやってきた。理由は、近隣の住民から最近この湖の近辺で人間や家畜が行方不明になる事件が頻発していると聞きつけたからだ。むろん、それだけならば、単なる失踪や誘拐事件と、よくあることですまされるかもしれない。だが先日、水の精霊のために水没していた村の住人が、水が引いたために帰ってきて再建の準備をしていたところ、一夜にしてその数十人が消えてしまったために、今では恐れをなして人々はめったに湖に近寄らなくなっていた。

「美しい湖だな……」

 湖畔に立ったセリザワは、朝日を受けて輝く湖を見て、思わずそうつぶやいた。ヒカリの故郷、光の国や惑星アーブ、地球にも勝るとも劣らない神々しさを秘めた輝き……魔法であろうが科学であろうが、数千年をかけて作られた大自然の造詣を再現することは不可能だろう。

 けれど、セリザワはこの美しい風景に大きく欠けているものがあることにも気づいていた。

 湖畔は静まり返り、水を飲む動物も水鳥の気配もない。湖水は鏡のように平坦で、魚一匹跳ねることもない。

 静かすぎる……異常なほどに、生き物の気配そのものが、これほどの湖だというのにほとんど感じられなかった。

 ラグドリアン湖は、無機質な絵画のような光に包まれて、セリザワの砂利を踏みつける足音のみが響いている。

 ふと、水際でセリザワは立ち止まった。同時に湖のほうを睨み、鋭い声で告げる。

「出て来い。私を見ているのは気づいている」

 すると、湖畔に立ったセリザワの前で、湖水が揺らめいてアメーバのように一部が浮き上がり始めた。セリザワは右手に左手を添え、いつでもナイトブレスを展開できるように備える。水の塊はそのまま浮上を続けると、湖水から二メートルほどの高さで止まって、やがて不完全な人間の形をとった。それは、湖の主である水の精霊が人間と会うときに、人の姿を模して現れる姿だった。

 水の精霊は、警戒するセリザワの前でぐにゃぐにゃと形を整えると、よく澄んだ声で彼に話しかけた。

「近頃は、わずかも月が交差する前にめずらしい客がよく来るものだ。光の戦士よ」

「私がわかるのか?」

 自分がウルトラマンであることを知っている。そして、その声に敵意がないことを悟ると、セリザワは手を下ろした。 

「水の流れが、我にとってはお前たちの目のようなものだ。特に、お前たちはとても強い息吹をその生命から発している。以前やってきた、お前よりも若い二人もそうだった」

 水の精霊は、以前に才人とルイズがスコーピスと戦ったときのことを覚えていた。あのとき、湖の付近で砂漠化を進めていたスコーピスをエースが倒さなかったら、ラグドリアン湖も枯れ果てていたかもしれない。セリザワは、そのときのことを水の精霊から聞かされると、なるほどとうなずいた。

「そうか、あの二人がな……」

「かの者たちには、我は大いなる恩がある。彼らに似た気配を持つ者よ。何用にてやってきた?」

 そう尋ねる水の精霊に、セリザワは自分がラグドリアン湖にやってきた目的を話した。自分たちウルトラマンは宇宙の平和を守るために戦っていること、この世界に世界を崩壊させかねない凶悪な敵が入り込んでいること、そのため、最近この湖で頻発している行方不明事件を調べにやってきた。それはお前の仕業かとも尋ねると。

「それは我の関することではない。しかし、最近この湖に住み着き、荒らしているものがいる。そのもののしわざであろう」

 セリザワの眉がぴくりと動いた。そして「心当たりがあるのか?」と尋ねると、水の精霊の姿が揺れ動き、声が不快になった。

「ある夜、空から落ちてきた石よりそやつは現れた。世の理に従わぬ、我らとはまったく異種の生き物だった。奴は我の住まう水底にまで巣食い、湖の生き物を次々と捕食していった。我も憂慮している」

「なるほど、湖の不気味すぎるくらいの静かさはそのせいか。生き物のバランスが崩れれば、湖の水もやがて濁り始める」

 優秀な科学者でもあるヒカリは、一見平穏に見える湖の中で大変な事態が起きているのだと息を呑んだ。

 湖の生態系が崩れれば、大量発生や大量死亡による水質悪化が引き起こされ、それは一朝一夕には回復することはできない。水と同質の水の精霊にとっては、まさに死活問題であろう。

「危険な兆候だな。しかし、そいつがお前にとって害になる存在だとわかっているのなら、なぜ排除しようとしない? 聞けば、お前は水が触れた相手の心を奪うことも簡単にできるのではないか?」

「むろん試みた。だが、そいつはまるで我と同じように水と同化してしまうために、我の力も通じなかった」

 水の精霊の声に悔しさらしいものが混ざった。精霊にとって、水を扱ってうまくいかないことがあるなどということは、この上ない屈辱なのだろう。

「光の戦士よ。そこで我はお前に頼みごとをしたい。その、我に徒なす侵入者を退治してほしい。そうすれば、世界に散った我の一部を通して知った。世界の異変のことを教えよう」

「……いいだろう。俺としても見過ごすことのできない事態のようだ。それで、そいつのいる場所はわかるのか?」

 水の精霊は湖水の中へと沈んで消えた。しかし湖面には、まるでそこだけ石を投げ込み続けているような波紋が残り、それが静かに動き始めた。

 ついてこいということか、水の精霊の意図を理解したセリザワの姿も湖畔から消えた。

 

 

 そしてその数時間後……セリザワは、水の精霊の示した”敵”と対面していた。

「ドキュメントZATに記録。液体大怪獣コスモリキッドか」

 手に持ったGUYSメモリーディスプレイに表示されたデータに目を通し、セリザワはぽつりとつぶやいた。

 全長五十八メートル、体重六万トン。

 ウルトラマンタロウが二番目に戦った怪獣で、名前にコスモとあるとおり宇宙怪獣の一種といわれる。

 その最大の特徴は、名前のリキッドに象徴されるとおり、自らの体を液体化させ、水と同化することができるというものだ。これによって、恐らくは隕石などに付着して星々を渡り歩いたり、小川や池など水さえあればどんな場所にでも潜伏し、自由に実体化できるのだ。かつてもこれによって、とても怪獣が隠れることのできないような浅い川に潜んだりしている。今回も水の精霊の力が通用しなかったのも、この水と同化する能力ゆえであろう。

 さらに、こいつには忘れてはならない特徴がもう一つある。

 セリザワの忠告の意味をようやく理解し、老人は必死に走って逃げようとしていた。だが、それを血の匂いをかぎつけた鮫のような目で見つけたコスモリキッドは、口を大きく開くと真っ赤な舌を触手のように伸ばして、あっというまに老人をからめとってしまったのだ。

「わ、わ、ひぎゃぁぁっ!?」

 分厚いマットのような舌に巻き取られ、老人は悲鳴をあげながら引き戻されていった。その先には、鋭い牙の生えた口が待ち構えている。それを目の当たりにして、老人は自分が行方不明になった村の住人と同じことになったのを悟った。

 そう、コスモリキッドは肉食性の怪獣。かつての地球でも、確認されているだけで五人の人間がこうやってコスモリキッドに捕食されている。

 老人は、危険だから行くのはよせと止めてくれた息子や嫁の言葉に従わなかったことを後悔した。一番上の孫は自分を手伝って農作業をするようになり、来年早くには四番めの孫が生まれて、今度は自分が名づけ親になるはずだったのに……こんなことならもっと……

 だが、老人が絶望し、足が宙に浮きかけた瞬間、カマイタチのような鋭い斬撃がコスモリキッドの舌を切り裂いた。セリザワの持つ青い短剣、ナイトブレードの一撃である。深く切り裂かれた舌は力を失い、老人を離してだらりと垂れ下がる。ウルトラマンヒカリと一体化したセリザワは、ボガールヒューマンと渡り合えるほど超人的な身体能力を持ち、風のように素早く切り込んだのだ。

「逃げろ。決して振り向くな」

 助け出した老人に言い置くと、セリザワはすっとコスモリキッドを見上げた。老人は、何がなんだかわからないままに必死になって走っていく。けれど、コスモリキッドの舌はもう老人を追いはしない。獲物よりも、自分を傷つけたこしゃくなちびに腹を立てて、今度は捕らえるためではなく叩きつけるためにコスモリキッドは舌をセリザワに向かって振り下ろす。

「そうだ。お前の相手はこの俺だ」

 舌が当たる瞬間に、セリザワの姿は掻き消えて別の場所に移っていた。ウルトラマンの力を使った超高速移動、人間の目からしたら瞬間移動したように見えるだろう。

 コスモリキッドは怒って、さらに舌を振り下ろしたり、踏み潰そうと執拗にセリザワを襲う。しかし、セリザワはそのすべてをなんなくかわし、あの老人が安全な遠くまで逃げ延びたのを気配で確かめると、コスモリキッドから離れた場所で足を止めた。

「怪獣よ。ここはお前のいるべき場所ではない」

 セリザワが右腕を胸の前に掲げると、手首にウルトラマンキングから託された神秘のアイテム、ナイトブレスが出現する。そして、対となるナイトブレードを差し込むと同時に青い光があふれ出し、光の渦の中で青いウルトラの戦士、ウルトラマンヒカリへと変身。巨大化してコスモリキッドの前に立ちはだかった!

 

「セヤッ!」

 

 登場したヒカリは至近距離からのウルトラキックの一撃で戦いの幕を開けた。強烈なキックの威力に、コスモリキッドの巨体が吹っ飛び、湖の中に大きな水柱をあげる。ヒカリは湖岸に着地して足元から砂利を巻き上げて、湖へ向かって構えをとる。

 

 ウルトラ兄弟十一番目の戦士、ウルトラマンヒカリの戦いが始まった!

 

「トアッ!」

 湖の中から起き上がってきたコスモリキッドに、ヒカリの素早い回し蹴りが炸裂する。さらに、よろめいたコスモリキッドのボディに向かい、かがみこんでの正拳突きによる連続攻撃。巨大な太鼓を叩いたような轟音が鳴り、ひるんだコスモリキッドはいったん水中へと逃れようとするが、そうはさせじとヒカリも湖に飛び込んで追いかける。

「逃がさん!」

 この周辺は遠浅になっているので、ヒカリとコスモリキッドは足首までを水につけて格闘戦に入った。退路を塞ごうとするヒカリに、コスモリキッドも本気を出して襲い掛かってくる。角をふりかざし、太い腕で殴りつけてくるのをいなし、得意の中段からのミドルキックで迎え撃つ。

 しかし、コスモリキッドは水と同化する能力があるので湖の中へ逃れられたらまずい。そのとき、湖水を通じてヒカリに水の精霊が語りかけてきた。

「我の力で、彼奴が水に逃げ込むのを抑えていよう。しかし長くは持たない。いまのうちに倒すのだ」

「心得た!」

 水の精霊の援護のおかげで心置きなく戦える。ヒカリはジャンプすると、コスモリキッドの脳天にウルトラチョップを炸裂させ、その強烈な衝撃によって火花を散らせた。

 水の精霊はその戦いを見守りながら、悠久の時を積み重ねてきた記憶を蘇らせていた。

「すさまじい戦いよ……数えるのも愚かしいほどの時を重ねてきたが、歴史は繰り返すか。光の戦士よ、今一度悪しき者たちから世界を守ってくれ」

 ウルトラマンと怪獣の激突によって湖の水は荒れ、湖畔は津波に襲われて木々がなぎ倒される。

 美しい湖の景観は見るかげなく破壊され、この湖を愛する者が見たら激しく嘆くだろう。しかし、その美しい水の中に目に見えない毒が居座り続ける限り、湖はいずれ本当に死んでしまうに違いない。自らも破壊の一端となることを苦く心のうちにとどめて、ヒカリはパンチ、キックを繰り出し、腕を掴んで思い切り放り投げる。

 だが、ヒカリの攻撃のあいまを狙ってコスモリキッドも反撃に出る。怪力を活かしての突進攻撃に、毒を持っているとも言われる鋭い爪での攻撃。体格で勝っているがゆえの利点を活かして、ヒカリを追い立てようとする。

「さすが、タロウと渡り合っただけはあるな」

 ヒカリはコスモリキッドの戦歴を思い出して、あなどれない相手だと冷静に判断した。

 ウルトラマンタロウとコスモリキッドが戦ったのは都合二回。最初の一回はタロウに圧倒されて逃げ出しているが、二度目は再生怪獣ライブキングとタッグを組んだとはいえ、ウルトラ兄弟最強と言われているタロウを後一歩のところまで追い詰めている。

 けれど、強敵だとわかっていてもヒカリはひるまない。ハンターナイト・ツルギとしてボガールと戦っていたころから、ウルトラマンヒカリとなって生まれ変わった後も、再生怪獣サラマンドラ、宇宙大怪獣ベムスターといった強敵と戦って勝利してきている。その経験が自信となってヒカリを支えていた。

「ムゥン!」

 ハイキックによる横合いからの攻撃を顔面に食らわせ、間髪要れずに逆方向からのキックを加える。その攻撃で、コスモリキッドの左側の角がへし折れて水中へ吹っ飛び、自慢の角が折られたことで奴はあたふたと手足を振り回して慌てた。

 戦闘テクニックの差でコスモリキッドを圧倒するヒカリ。対するコスモリキッドは、まるで雷をはじめて見る子供のように右へ左へとうろたえて、手足を振り回すくらいの反撃しかできていない。

 なのに、湖水を通して戦いを見守っていた水の精霊は、次第に不自然さを感じ始めていた。

「どういうことだ……奴の力はまるで衰えていない。いや、むしろ攻めている彼のほうがどんどん力を失っていっている」

 そのことには、ヒカリも気づきはじめていた。攻撃は確実にヒットしているのにどうも手ごたえが妙だ。そのとき、ヒカリはへし折ったはずの奴の角がいつの間にか元に戻っていることに気づいた。

「あれは……そうか! 奴は液体怪獣だった」

 そのことに気づいたとき、妙な手ごたえの理由もわかった。コスモリキッドは瞬時に自分を水に変えることができる特殊な細胞を持っている。地球に出撃した個体も、その特性によってZATのミサイル攻撃がまったく通じなかった。殴っても衝撃はすべて吸収される。いわば水風船を殴っているようなものなのだ。

 また、メビウスたちが戦った憑依宇宙人サーペント星人も似た特性を持っていて、体組織のほとんどが水であるために、メビウスの攻撃を受けても瞬時に再生して彼らを苦しめている。コスモリキッドにも同じ能力が備わっていても不思議でもなんでもない。

「水に勝つためには、どうすれば……」

 ヒカリは、通常の攻撃では奴を倒せないと思った。サーペント星人はメビウスのメビュームブレードでもすぐに再生するほどの体を持っていたが、塩化ナトリウムを含んだ金属火災用消火弾、つまり塩を浴びせられて水分を失って倒されている。しかしここには塩はない。

 そして、かつて倒されたコスモリキッドは……そこまで考えたとき、コスモリキッドの口から舌が伸びてヒカリの体に絡み付いてきた。

「ヌワッ! やはり、弱った振りをしていたのか」

 能力に気を取られていたが、奴は意外に知能も高いようだ。体に巻きついた舌はゴムのように頑強で引きちぎれない。コスモリキッドは、このときを待っていたかのように舌を引き戻してヒカリへと爪を向けてくる。

 危険だ! 力比べではヒカリでも勝てない。

 湖の中で思うように踏ん張りが効かない。綱引きの姿勢をとりながら、ずるずると引っ張られていくヒカリを、コスモリキッドは文字通り舌なめずりして待ち構えている。ヒカリはとっさにナイトブレスに左手を当て、光の長剣を発生させた。

『ナイトビームブレード!』

 振り上げて舌を切り裂き、絡みついた舌を振りほどく。すると、水に落ちた舌はすぐに溶けてなくなってしまった。

「やはり、奴を相手にすることは水を相手にすることと同じか……」

 コスモリキッドは切られた舌を意にも介さずに、元気一杯に甲高い鳴き声をあげてくる。

 それなのに、ヒカリのエネルギーは減少する一方で、カラータイマーが赤く点滅を始めた。

 ウルトラマンは、地球のような惑星の大気中では急激にエネルギーを消耗する。残された時間はもうわずかだ。

 ヒカリは、疲労して苦しくなっていく息の中で考えた。水に勝つ手段、いかにでも形を変える水をいくら殴っても蹴っても結果は同じだ。ならば、高熱を浴びせて一瞬で蒸発させてしまえばどうだ!? ヒカリはエネルギーをナイトブレスに集中すると、十字に組んだ手から必殺の光線を放った!

 

『ナイトシュート!』

 

 青色の必殺光線が炸裂し、コスモリキッドの体で激しい爆発が引き起こる。

 だが、爆発が収まった後、コスモリキッドは胴体の突起物のいくつかが吹き飛んでいたものの、なおも健在な姿をそこに置き続けていたのである。

「だめか……くそっ!」

 奴を蒸発させるには威力が足りなかった。方法としては悪くなく、ここの湖に住む水の精霊も、体を炎であぶられたら蒸発して消滅してしまうと言われているとおり、理論上は間違っていなかったのだが、コスモリキッドの耐久力がヒカリの光線のそれを上回っていた。残念だが、すでにエネルギーをいちじるしく消耗していたこと、八十七万度の高熱を持つというゾフィーのM87光線が自分にはないのが悔やまれる。

 カラータイマーの点滅が早くなり、もう光線を放つのは無理だ。それでも、コスモリキッドの突進をジャンプでかわしながら、ヒカリはなおもあきらめずに考えた。ほかの兄弟に比べたら戦闘能力は低く、力の劣る自分にとって、それをおぎなう武器は科学者であることの知識と経験しかない。

 最初に現れたコスモリキッドはどうやって倒されたか。それは、タロウのウルトラフリーザーで全身を凍結させられて、ZATの鉄球攻撃で体をバラバラにされたからだ。しかし、ヒカリには冷凍系の技はない。ならばどうする? 奴を凍らせる。この温暖な場所で? 考えろ、考えろ。

 ヒカリは、コスモリキッドの爪をかわし、尻尾を避けながら必死に対処方法を練った。

 奴を溶かせるほどの塩はないし、海に連れて行っても海水と同化される危険性がある。

 ならば熱? だめだ、光線技を撃つ力は残ってないし、今ハルケギニアに噴火している火山はない。

 だとすれば、やはり低温……しかし、冷凍技はないし、極地に連れていこうにも遠すぎる。

 

 低温……遠くに行かず、光線を使わずに低温を作り出す方法……そんなものが……いや、待て!

 

「そうか……一つだけ方法がある!」

 可能性に思い至ったヒカリは、突進してくるコスモリキッドを、ジャンプして頭上を飛びこえた。

「ジュワッ!」

 空中で華麗に一回転し、コスモリキッドの後ろをとる。そのままヒカリは、奴が振り向く前に背中に抱きつくと、脇腹をがっちりと抱え込んで固定し、空中高く飛び上がった。

「シュワッ!」

 コスモリキッドを抱えたまま、ヒカリはラグドリアン湖の上空へとどんどん上昇していく。ヒカリの飛行速度はマッハ七、つまり音速の七倍の秒速二千三百八十メートルの猛速を発揮できるということだ。残念ながら、エネルギーの消耗によって速度は格段に落ちているとはいえ、当然ながらハルケギニアのいかなるものよりも速い。あっという間に小さくなっていくヒカリと怪獣の姿を見上げながら、水の精霊は人間でいうなら呆然としているかのようにつぶやいた。

「いったい……どうするつもりなのだ……?」

 それは、ヒカリにとっても一つの賭けだった。自分の力が尽きる前に上がりきれるか、またコスモリキッドの体組織が思ったとおりになってくれかどうか、保障はない。

 しかし、高度一千、五千、七千と上がっていくにつれて効果は次第にあがってきた。暴れていたコスモリキッドの体が霜を降った様に凍り始め、やがて動きが止まって彫像のようになっていく。

「効いて来たな。上空は、地上からの熱が届かないために気温は軽く零下を切る。そのまま凍り付いてしまえ!」

 ヒカリの作戦とはこれだった。たとえ地上が熱帯でも、高度を上げれば気温はみるみるうちに下がっていき、高度一万を超えて成層圏と呼ばれる場所に到達すれば、そこは零下五十度を下回る極寒地獄と化す。そんな場所では、水なんかあっという間に凍って当たり前なのだ。

 地上を離れること、高度一万一千メートル……もはや、地上に聳え立ついかなる大山脈の頂すら遠く及ばない高さにいたったとき、ヒカリはコスモリキッドを離した。奴はすでに白く結晶化した姿で、完全に沈黙している。液体は温度を下げれば固体に変わって動かなくなる。子供でも知っている単純な論理だが、コスモリキッドといえどもその法則から逃れることはできなかった。

 石のように落下していくコスモリキッドを見下ろし、ヒカリはもう一度ナイトビームブレードを引き出した。

 上段に構え、自由落下していくコスモリキッドをめがけて、自分も落下の速度を利用して一気に切りかかっていく。

「デャァァッ!」

 縦一閃の斬撃。青い閃光が閃き、ヒカリのシルエットがコスモリキッドと重なった刹那、彼はコスモリキッドよりも高度にして五百メートルほど下の空中に静止していた。

 落下していくコスモリキッドを背にして、ヒカリはナイトビームブレードを、左手で鞘に収めるようにして消し去った。その瞬間、コスモリキッドの頭部から股下までにかけて一列の亀裂が生じた。そして、亀裂はさらなる亀裂を呼び、コスモリキッドの全身へ蜘蛛の巣を幾重にもかぶせたような微細な筋が侵食していく。

 最後は、いうなれば霧であった。全身の細胞の一つ一つにいたるまで、打ち砕かれたコスモリキッドの体は爆発するでもなく、まるで空気中に溶けるように崩壊すると、白い霧となって風の中に舞い散っていった。

「ここまで粉砕すれば、もはや再生することはできまい」

 液体大怪獣コスモリキッドは、虚空に消えた。

 

 ウルトラマンヒカリの、勝利だ。

 

 コスモリキッドの最期を見届けたヒカリは、静かに地上を見回した。

 高度、およそ八千メートル……雲さえもはるか下で、この日は全国的に晴天だったらしく、ラグドリアン湖の周辺をはてしなく見渡すことができた。

「美しい星だ。これほど美しい星は、宇宙でもそうはあるまい」

 地球を、かつての惑星アーブをヒカリは思い出した。無限にある星々の中でも、これほどまでに恵まれた環境を有する星は一握りしか存在しない。まさに、宇宙に輝く一つの宝石といっていい。

 だが、それゆえにこの星も数々の侵略者たちの標的とされる運命から逃れることはできないだろう。他人の持つものをうらやみ、力づくで手に入れようと企む凶悪宇宙人はごまんといる。ヒカリは、そんな奴らのためにこの星が荒らされ、平和に暮らしている人々の幸せが壊されてはいけないと強く思った。

「アーブの民よ、見ていてくれ。俺はもう二度と、俺の前で惑星アーブの悲劇を繰り返させはしない」

 決意を新たに、ヒカリは美しい緑の星へと帰っていく。

 ヤプール、ボガール、まだ見ぬ未知の敵……戦いは、まだまだ続くのだ。

 

 ラグドリアン湖に帰還し、セリザワの姿に戻ったヒカリは水の精霊と再び相対していた。

「よくやってくれた。これで、湖もまた平和に戻った。感謝するぞ、光の戦士よ」

「礼にはおよばない。俺は、俺のなすべきことをしただけだ」

 ヒカリも、宇宙警備隊員として、ゾフィーにスカウトされたときから宇宙の平和のために戦おうという覚悟は決めていた。それでも、感謝をされること自体は悪くはない。顔には出さなかったけれど、心の奥でセリザワは水の精霊の感謝の言葉をしっかりと受け止めていた。

 精霊の言うには、怪獣のせいで減少していた湖の魚も時間が経てば元に戻れるという。そうなれば、ラグドリアン湖の湖畔にはまた人が集まり、この湖は豊かな漁場に戻ることだろう。

 しかし、湖に平和を取り戻した今、ヒカリにはせねばならないことがあった。

「精霊よ。お前はこの地に人間が現れるよりも以前から存在したという。教えて欲しい、かつてこの星でなにが起こったのか。そして今、世界になにが起こりつつあるのかを……」

「わかっている。約束だ……我の記憶すらすむ悠久の時をさかのぼった、人間たちの暦で言えば六千年の昔、一度この世界は滅亡したのだ」

 水の精霊は淡々と、過去にこの星で起きた災厄を語った。それまで、この世界は今のように多くの生き物がそれぞれのバランスをとって生きている平和な世界だった。しかしあるとき、争いが起こり、空は曇り、地は裂けて、生き物たちは秩序を失って互いに殺しあう混沌とした世界となり、当時からこの場所に存在していたラグドリアン湖も生物が死滅した死の湖となった。

「それほどの異変が……いったい何が原因で」

「わからぬ。我が知りえるのは、我と我のかけらがある場所だけに限られるからな。しかし、最初の異変ははるかな東方よりやってきた。それまで見たこともない姿と、圧倒的な力を持つ者たちが巨大なる異形の軍団を率いてこの地を蹂躙していった」

 それだけでは漠然としすぎていてなんの結論もくだせない。水の精霊はさらに続けた。

「今でも、エルフなど、その当時の伝承が残っている種族の間では、彼らのことをシャイターンの軍勢と呼んでいるらしいが、その正体については謎のままだ。だが、彼らシャイターンもすぐに滅亡の道をたどることになった……」

「なぜだ?」

「より強大な悪魔が現れたからだ……そして、お前たちとよく似たあの光の戦士も、そのときに現れた……」

 水の精霊の語る、それからの戦いの歴史はウルトラマンヒカリをしても驚愕せずにはいられなかった。

 かつてのエンペラ星人の侵攻にも匹敵する恐るべき侵略。それによって生まれた数多くの悲劇と、歪められてしまった星の命……

「災厄が去って、この湖が元の姿を取り戻すだけでも、ゆうに月が六千回はめぐる歳月が必要であった。東方には、いまだ災厄によって生まれた砂漠が広大な不毛の地をさらしていると聞く」

「その災厄が、再び起こりえると思うのか?」

 セリザワのその質問に、水の精霊は体をしばらくぐにゃぐにゃと歪めながら沈黙した。どうやらあれが精霊が考えているときのしぐさらしい。やがて精霊は人の姿に戻ると、やや低めの声で言った。

「わからぬ……起きてほしくはないというしかない。だが、我は人間たちが我の涙と呼ぶ体の破片を通して世界のことを見ている。この世界に充満しつつある邪悪な気配は、もう無視できるものはない」

「邪悪な気配……ヤプールか?」

「ヤプール……お前たちの世界からの侵略者か、確かにその気配も日々強くなっている。しかし、それとは別の邪悪な意思も感じるのだ」

「別の意思?」

「そうだ。かつてのシャイターンによく似た……いや、そのものと呼んでよい何かが育ちつつあるようだ。今はまだ小さいが、濁った水のような意思を持つ何者かが……さらに悪いことには、それらのすぐそばに以前我の手から奪われたアンドバリの指輪の気配がある。指輪に付着した、我のかけらが小さすぎてそれ以上のことはつかめないがな……」

 憂いげに告げる水の精霊の言葉を、セリザワは深く脳裏に刻み付けていった。アンドバリの指輪、水を操り、人間の精神をも支配できる凶悪なアイテム、そんなものが邪悪な意思を持つ者たちの手にいまだに存在しているのは無視できる問題ではない。

「わかった。もしもどこかで見つけたら、必ず取り返すと約束しよう」

「お前は信ずるに足る存在だ。期待しよう。だが、単なる者たちの時間は短い、恐らく近いうちになんらかの行動を起こすだろう。用心せよ」

「心得ておこう……有益な話を聞けた、ありがとう」

「礼を言うべきは我のほうだ。今日の恩を永久に心にとどめておくことを誓約しよう……さらばだ」

 水の精霊は、知っていることはすべて話し終わったと、湖の中へと去っていった。

 後には、平和を取り戻した湖が何事もなかったかのように、小さな波を岸に寄せている。

 セリザワは、ラグドリアン湖を一瞥するときびすを返した。

「ヤプールとは別の、邪悪な存在か……」

 ぽつりとつぶやいたセリザワは、憂慮すべき事実であり、同時にいつかは戦わなければならないかもしれないと覚悟した。正体も目的も不明だが、少なくとも水の精霊からアンドバリの指輪を盗み出すといった暴挙をおこなっている限り、じっとしている可能性は低いだろう。

 が、セリザワはまだこのことを才人たちには知らせるべきではないと考えていた。不確かな情報で平穏な学院生活を送っている彼らを不安にさせたくはない。彼らはまだ若い、きたるべき戦いのときは必ずやってくる、それまで無用な重荷を背負わせるべきではない。

「もうしばらく、探りを入れる必要があるようだな」

 独語しながら、セリザワはわずかな懐かしさを覚えていた。かつて、エンペラ星人が地球への侵攻をもくろんだときも、ヒカリは地球で戦っているメビウスやGUYSのために宇宙で調査をおこなっていた。あのときと、状況も場所も違うけれど、次世代をになうべき者たちのために働いているのは同じかと、セリザワ、そしてヒカリは運命の偶然に苦笑した。

 

 その後、トリステインをぐるりと一周したセリザワは、ある虚無の曜日に学院に帰ってきた。

 そして、数人の生徒が危険な地下洞穴に入ろうとしているのを耳にし、洞窟内にテレポートして彼らの窮地を救った。

 しかし、彼の活躍を知る者はいない。孤高に、自らを語ることはなくウルトラマンヒカリの戦いは続く。

 人々の自由と平和と、ささやかな幸福を守るために。

 

 

 続く



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第27話  魅惑の妖精亭は今日も繁盛!

 第27話

 魅惑の妖精亭は今日も繁盛!

 

 知略宇宙人 ミジー星人

 合体侵略兵器獣 ワンゼット

 潜入宇宙人 ベリル星人 登場!!

 

 

 月も替わって、トリステインもめっきり冷え込む日が多くなってきた。

「うー、さぶさぶ」

 トリスタニアでも、店の窓ガラスにつゆがつきはじめる中で、夏服のまま外に出た店主が鳥肌を立てている。

 ハルケギニアは北方のアルビオンをのぞいて全体的に温暖で、雪が積もるほど冷え込むことは滅多にないけれど、そろそろ厚着をするのが必要そうである。

 しかし、街の雰囲気は冷え込む気温とは裏腹に、日を追うごとに熱気を増していっていた。

「家の飾り付けや、紙吹雪の用意はしたかい? 窓から掲げるトリステインとアルビオンの国旗、これも必需品だ。急いで買った買った」

「さあさ、アルビオン名物の麦酒が出る店はこちらだよ。この味に慣れとかないと、乾杯のとき恥かくよ!」

「うちのホテルの窓からは、パレードの様子が一目ですぞ。予約はお早めにお願いします」

 間近に控えたトリステインのアンリエッタ王女と、アルビオンのウェールズ新国王の婚礼の祝いに備えるために、王都は近来なかったにぎわいを見せている。

 家を飾り立て、祭りのために酒を買い込む市民。かき入れ時に声を張り上げる店店の店主。パレードを一目見ようと早くもやってきている観光客。さらには、街の衛士や日ごろ蔑まれる裏町のごろつきたちも、期待に胸を膨らませて口々に噂話に花を咲かす。

「あと少しで婚礼式典の始まりね。アルビオンからの国王陛下座上のお召し艦を迎えるラ・ロシェールでも、今頃はさぞ忙しいでしょう」

「しかし、今回のご婚礼は今までの歴史になかったものだなあ。本来なら、姫さまがアルビオンに嫁いでいくのに式典はトリステインで。しかも、国政については両国とも大きな変更はほとんどないとは」

「うむ、それについては大臣や役人たちの間でも、前例がないとか、非常識だとか相当にもめたそうだ」

「それも、今の暗い世相を吹き飛ばすための特例らしいわね。それに、レコン・キスタみたいなはた迷惑な連中が出てこないためにも、慣例を捨ててでも両国が緊密な関係を作り上げねばなるまいよ」

「それにしても、ウェディングドレス姿の姫様は美しいだろうなあ。おれ、一目見たらもう瞬きできないかもしれないぜ」

「大げさなんだよお前は。ああ、そういえば魔法アカデミーが式典を盛り上げるために、なにかすげえ催し物を用意して、前夜祭で盛大に披露するっていってたな」

 老若男女問わずに、人々は一様にトリスタニアの焼失以来ろくなことがなかった空気を吹き飛ばそうと、始まる前から盛大にお祭り騒ぎを楽しんでいた。

 

 今日も、昨日は見なかった出店や立ち商売が増えていてトリスタニアはにぎやかさを増している。以前にベロクロンの襲撃や、その後のメカギラスから先日のアブドラールスによって破壊された街並みも今ではすっかり復興し、新しくやってきた人々が家財道具を運び込んでいる。

 そんなにぎわっている商店街の中を、メイド服を着た黒髪の少女が一人、大荷物を抱えて歩いていた。

「ふー、はー、うーん、さすがにちょっと重いかしら。おじさまったら、いくらいいお酒がいっぱい入荷したからメイド仲間にもおすそ分けしてあげなさいって、もたせすぎよ。これから、学院のみんなのためにお買い物もしなきゃいけないのに、もう」

 シエスタは、今日タルブ村でとれた秋野菜を、酒場をいとなむ叔父のスカロンのところに届けた帰りだった。背中に背負った見上げるほどの荷物の中には、スカロンの好意でもらってきた銘酒のケースがぎっしり詰められて、がしゃがしゃとガラスの触れ合う音を立てている。なのに、彼女は荷物の重さを感じさせない軽やかな足取りで、人波をくぐって商店街を行き来する。か弱そうに見えても、さすがこの世界のメイドは地球のハウスキーパーなどとは格が違った。

「ふー……けっこう出費しちゃったわね。クリスに頼まれてた香水はあきらめるしかないかなー。でも、偶然ですけど途中の本屋で、念願だった『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』シリーズの最新刊を購入できたからよしとしましょう。でもジェシカったら、こんな本幼稚ねなんてひどいわよね。そりゃああなたに比べたらだけど、私たち普通の女の子にとっては聖書なのよ。うふふ、帰ったらさっそくお勉強して、そしてそして……うふふふ」

 と、シエスタは今トリスタニアの婦女子のあいだで流行ってる本を抱きしめて、一人できゃあきゃあ言いながら歩いていった。乗り合い馬車に乗った彼女が学院についたのは、その夕方のことである。

 

 さて、そんな平和な風景に混じって、ある特定の侵略者たちは今日も明日のためにがんばっていた。

 チクトンネ街に面した『魅惑の妖精亭』で、屋根裏部屋に響くいびき声が三つある。

 

 元・在日宇宙人、現・在トリステイン宇宙人のミジー星人たちの朝は遅い。

 街の時報の鐘が十時を鳴らす頃、屋根裏部屋でぐっすり眠っている彼らのところにジェシカが上ってくる。

「ほらー! ドルちゃん、ウドちゃん、カマちゃん。昼だぞ起きろ!」

 ジェシカが鍋をおたまでガンガンと叩くけたたましい音に呼び起こされ、寝ぼすけな三人組は飛び起きた。

「うーん、ジェシカちゃんおはよう……」

 一番はじめに目が覚めたカマチェンコが、ふらふらしながらベッドから降りてきた。その顔はメイクが崩れて、ただでさえキモいオカマ顔がホラー調になっているけど、さすがジェシカは気にも留めない。

「おはよう。食事できてるけど降りてくる? それともここで食べる?」

「はい、じゃあ今日は下で食べさせてもらいますね」

 寝ぼけ眼をこすりながら、ドルチェンコは年齢では(変身した人間の見た目上)ずっと下だけど、この店の身分ではずっと上のジェシカにぺこぺこしながらあいさつした。

「わかったわ。じゃあスープ用意しておくから、冷めないうちに降りてきなさいね」

 言い終わると、女の子たち全員の世話係を任されているジェシカは、次の子を起こさねばと降りていった。

 ドルチェンコは、くっそーなんであんな小娘に頭を下げなきゃいけないんだと内心で悔しがるものの、食わせてもらってるんだから文句は言えない。世の中郷に入れば郷に従え、よその星に行けばその星のルールに従うのが筋というのを言ったのは、かのウルトラマンことハヤタである。

 昨晩まで大勢のお客さんでにぎわっていた店内で、店長のスカロン以下、ジェシカたち店の妖精たちといっしょに、三人組はテーブルについた。

「それでは、今日もこうしてみんな揃って一日を始められることを、始祖ブリミルと女王陛下に感謝しましょう」

 スカロンが音頭をとって、一同はハルケギニアでは一般的な食事前のお祈りをささげた。

 メニューは、パンとバターと牛乳と、スープにソーセージが三本ついたささやかなものだが、鍛えられた店のコックたちの作った料理は、できたての湯気をはなって食欲を多いに沸き立たせる。

 三人組は、宇宙人なのでもちろん心から感謝したりはしないけれど、代わりに「征服がうまくいきますように」「お給料があがりますように」とかは祈った。現金なものである。とはいえ、スカロンたちに読心術があるわけはなく、各人それぞれお祈りをすませると、あとは実質は朝食になる昼食のはじまりだ。

 

 やがて正午を過ぎると、店員の女の子たちはそれぞれの当番に応じて仕事をはじめる。

 魅惑の妖精亭は夜から明け方までが営業時間なので、夜の妖精たちも昼間は粗末な衣装で下働きだ。店の清掃にはじまり、酔っ払いが壊した椅子の修繕や、店の収支の計算、銀行への払い込みや役所に税金の支払いとやることは普通の店となんら変わることはない。もちろんそこで働いている三人は、ほかの店員たちと同じように朝になったら眠って、昼近くになったら起きて食事をとり、働かねばならない。

 

 まぁ、とはいうものの彼らもこの魅惑の妖精亭に住み込みで働いている以上、行動パターンはこの店のスケジュールに従うことになる。

 今日の三人組のお仕事を、てきぱきと指示を出していたスカロンが発表した。

「それじゃ、今日の買出しの当番はドルちゃんたち三人ね。場所はこのあいだジャンヌと行ったとき覚えたわね。頼んだわよ」

 毎日消費される食料の量が膨大なので、荷車を引いて三人組は市場に向かう。そこで、肉や野菜、何百本ものお酒を買い込む。そしてすごい重さになった荷車を、彼らはひいこら言いながら店まで引いて帰って、厨房に運び込むと、もう三人とも汗だくだ。

「終わりましたー」

「ご苦労様。しばらく休憩してていいわよ」

 店の清掃をしているスカロンたちに迎えられて、三人組はへとへとになった体をやっと休ませた。

 けれど、ハルケギニア征服を企む彼らミジー星人にとっては、このわずかな自由時間こそが本番である。鉄くずが山積みされて、床が抜けそうな屋根裏部屋で、彼らは侵略兵器の開発にいそしむのだ。

『絶対侵略!』『打倒ダイナ!』『日本一』『脱、借金生活』『目標、チップ五百エキュー』

 などと、よくわからない標語や侵略と全然関係ないスローガンが掲げられた垂れ幕が下がった中で、鉢巻を締めて、ミジー星人たちは少ない給料をやりくりして集めた侵略資金を元に集めた鉄くずを加工していく。

「先日の特殊戦闘用メカニックモンスター・コガラオン28号は残念ながら失敗した。しかし、その残骸はぽちガラオンのコントローラーとして、生まれ変わるのだ」

 製作に失敗して大破したロボットのパーツを使い、ノミやトンカチをふるって屋根裏の『ピコポン製作所Ⅳ』ににぎやかな喧騒がこだまする。作っているのは、秘密兵器ぽちガラオンのコントロール装置である。なにせ、これは全長七センチメートルしかない、史上最小のロボット怪獣であるために乗り込んで操縦するわけにはいかないのだ。

 このコントロール装置さえ完成すればと、ネバーギブアップの精神を持って、ドルチェンコの努力は今日も続く。すべてはハルケギニア侵略のため、凶悪宇宙人の面子にかけて。

 そうこうしているうちに日は傾いて、開店時間がやってくると階下からジェシカの声が響いてきた。

「三人とも、そろそろ夕食にするわよ。降りてらっしゃい」

「はーい!」

 三人そろって仲良く返事し、彼らは作業を中断して降りていった。宇宙人といえども腹は減る。腹が減っては侵略はできない。大事をなすためには、とにかく体力が重要だ。

 昼食に比べて、エネルギー補給を重視したこってりした食事をほうばって、魅惑の妖精亭の営業時間がやってきた。

 

 街は街灯に火がつき始め、仕事帰りの男たちがちらほらと目につきはじめる。

 店のテーブルをきちんと並べ、料理の下ごしらえが済んだら、看板娘たちの登場だ。

 昼間は普通の街娘だったジェシカたちは、色っぽさと可愛らしさを併せ持つ衣装に身を包み、夜の妖精に変身する。

「さあ! 開店よ」

 スカロンがぽんと手を叩き、入り口の羽扉のプレートの「close」を「open」に変えて、夢の世界の入り口が開く。

「いらっしゃいませ! ようこそ、魅惑の妖精亭に」

 一番に入ってきたお客さんに、店中からの笑顔の雨が降り注ぐ。今日もまた、一時の安らぎと、明日への活力を与える妖精の国が花開いた。

 

 きわどい姿の女の子たちが勺をし、ニコニコと微笑みを向ける。

 ジェシカは先頭に立ってお客からチップを集め、負けじとほかの女の子たちも若さを駆使して色仕掛けをかける。

 たまには悪酔いして暴れ出す迷惑な客もおるものの、そういうのはもれなくスカロンとウドチェンコが外のゴミ捨て場にテイクアウトした。

 

 そしてその日の夜、この地域の徴税官を勤めているチュレンヌが客として姿を見せていた。

「ふーむ、この酒はいいものだ。ゴーニュの三十年ものかね?」

「惜しい。二十五年ものですわ。ですがさすがチュレンヌさま、一口でこの名酒の銘柄をお当てになるとは」

「いやいやまぐれだよ。私はそんな上等な舌は持っておらん。昔もまあ、人が嫌がるものばかり好物になって、まわりの顰蹙をかってたものだ」

 スカロンと並んで、最近の景気について話しながら、和気藹々とチュレンヌは酒を酌み交わしていた。

 以前は法外な税金を取り立て、逆らえば魔法を振りかざすチュレンヌがやってきたら店の客たちは逃げ出していたものだが、いまでは誰も気にする客はいない。

 ジェシカたち店の女の子も、前はたかるだけたかってチップの一つも置いていかなかったチュレンヌを毛嫌いしていたけど今は違う。話の合間を見て、酒やつまみを自分から差し入れに行く子が何人もいる。それは、前はあった好色な目つきやいやらしい手つきがなくなったことと、もうひとつ。

「国に残してきた娘に似ているから」

 そういって、チップをはずんでくるからである。とはいえ、店の娘たちは誰一人として、チュレンヌの故郷がどこかとか、どんな家族がいたのかとかを知りはしない。でも、そのときの彼の顔は、本当に娘を見る父親のような温かさがあって、疑う娘は誰もいなかった。

 

 だが、そんなチュレンヌにも一つだけ、人には言えない秘密があった。それは、ある日彼がカマチェンコと飲んでいるときに、ふと語った昔話。酒も進み、それまで何気ない世間話をしていたチュレンヌは、突然驚くべきことを言った。

「君たち、実は人間ではあるまい」

「えっ!? なななな、なな、何を言われるのですか!」

「はは、そう驚かせてすまなかったな。だが、同類ゆえかな、私には君たちの正体がわかるのだよ」

「は? と、言われますと、あなたさまも?」

 驚くカマチェンコに、チュレンヌはうなずいてみせた。

「この星の人間の体を借りているが、私は元はベリル星という星に住んでいてね……」

 とつとつと、チュレンヌ……いや、チュレンヌに乗り移ったベリル星人は自分の身の上を語った。

 

”昔、私はベリル星の諜報員として、ある星を侵略するために潜入工作員としてもぐりこんでいた。

 その星の人間に憑依し、本隊がやってくるときまでに準備を整えておくためにね。

 そのため、目立たないように、憑依する人間もどこにでもいるような普通の男にしました。妻一人、娘一人のしがないサラリーマンで、仕事はけっこう大変でした。でも正体がバレないように気をつけながら、がんばりました。

 でもね、人間になりきって生活しているうちに、私は大変な過ちを犯してしまいました。

 ……愛してしまったんですよ、偽りのはずの家族をね。

 私たちベリル星人には、家族という概念がありません。家族というものは、私にとってとても新鮮で、とても幸せな場でした”

 

「それで、仲間を裏切ったと」

「ええ、迷いに迷いました。でも、家族の愛が私に勇気をくれたんです。しかし、母星からしてみたら私は許しがたい裏切り者。必ず命を狙ってくるはずだと、私は妻や娘を巻き込まないようにするため、元の人に家族を返して長い旅に出ました」

 それで、長い長い旅の末にたどりついたのが、このハルケギニアだったというわけだった。

「このチュレンヌという人の体に乗り移ったのは偶然でした。この星にやってきて、人に見られたらいけないと思い、人里からはなれた場所に降り立った私の目の前で、この人の乗った馬車が事故にあったのです」

 それは二月ほど前の嵐の日だった。そのときチュレンヌは、重税に耐えかねて夜逃げをした店の店主を追っていったらしい。しかし、その日はちょうどひどい嵐の日だった。でも店主に逃げられるのを嫌がっていた奴は、危険だと部下が止めるのも聞かずに無理に馬車を出した結果、途中の丘でがけ崩れに会い、馬車ごと五十メイルはある崖下に転落したのだった。

「驚いて馬車に近づいてみたら、彼は頭を強く打ったらしくすでに虫の息でした。私はとっさに、彼を助けなければいけないと思い、彼の体に同化したのです」

「そうか、それで周りからは急に人が変わったように見えたわけなのね」

 謎はすべて解けた。操られていたのでも成り代わられていたのでもなく、乗り移られていたのならいくら魔法で調べてもわかるわけがない。まして、宇宙人に憑依された人間を見極めるなど、やれというほうが無茶だ。

「それで、元のチュレンヌさんは助けられたんですの?」

「いや、一命はとりとめられたものの、脳へのダメージが大きかったらしく、彼の意識はほとんど植物状態といってもいい状態でした」

 それでベリル星人は、仕方なくチュレンヌに代わって彼の仕事をこなしてきたのだと語った。幸い、前の星で人間に憑依していたときも売り込みみたいなことはしていた経験が役に立った。でも、彼としては普通におこなったつもりの仕事が想像以上に人々から歓迎されてしまい、元の人間がよほど悪辣なことをしてきたのだと知ったときは、やや憂鬱になった。

「私としては、一時の宿代代わりと思ってした仕事だったのですが、こうも信頼を得られるとは思いませんでした」

「それだけ、あなたが立派な仕事をしたってことなんでしょ。もうその体、ずっと借りちゃってたらどう?」

 元のチュレンヌが帰ってきたところで、誰一人喜ばないんだからとカマチェンコはそう勧めた。しかし、ベリル星人はきっぱりと首をふった。

「元の人間がいかに悪人であっても、私のやっていることは卑怯な行為に違いはないです。いつか、彼の意識が目覚めるときが来たら、私はこの体を返すつもりです。これから彼の意識が目覚めるかは、未知数としかいえませんが、可能性はあると思います」

 地球でも、ほとんど脳死にいたった人が目を覚ましたり、植物状態の人間が回復した例はある。チュレンヌの意識が回復する可能性もゼロではない。しかしそのとき、チュレンヌの周りの人たちやチュレンヌ本人が直面するであろう違和感はどうなるのか……

「つらい選択をしたわね、あなた」

「仕方ありませんよ。私は元々、よそ者なんですから。あ、お酒おかわりお願いします」

 ぐっと酒を飲み干したチュレンヌを見て、カマチェンコはお人よしな侵略者もいたものだと思った。

 自分たちなんか、秘密工作員として地球に潜入したときは輝いていた。それが、ふとしたことから計画が漏れてアジトを破壊され、ミジー星に帰れなくなって後は潜伏生活……不屈の闘志で残存戦力でリベンジマッチを挑んでもやっぱり負け続けて、あげくの果てに異世界に迷い込んでしまった。

「人生、なかなか思ったようにはいかないものですわね」

「そうですね。ここでこうしていることなど、数年前は考えもしなかった」

「それはだいたいの人がそうでしょうよ。思ったとおりの人生生きられる人なんて、そうはいませんわ。でも、あたしだってこの星を侵略しに来た凶悪宇宙人かもしれないのに、なんで秘密をばらしてくれましたの?」

「さてね……しかし、同じく人の目を忍んで生きている身の上だ。少しくらい愚痴をこぼしてもいいではないか」

 それから二人は、孤独な宇宙人同士、じっくりと飲みながら語り明かした。

 そして、二人はこのことは二人だけの秘密にしようと思った。もしもベリル星からの追っ手がかかったら、ここにいるほかの皆を危険に巻き込むことになる。

「母星を裏切った業は、この先も背負っていきます。でも、この街には私やあなた方のほかにも、何人かのお仲間もおるようなので、できるだけ前向きに生きていきますよ」

 人懐っこい笑みをチュレンヌの顔に浮かべたベリル星人は、酒の追加を注文した。

 トリスタニアだけではなく、この星には自分の星にいられなくなって、彼のように、この星を第二の故郷と決めて住んでいる宇宙人がまだまだいる。かつて、ウルトラマンレオがそうであったように……ミステラー星人や、サーリン星人が地球人となることを選んだように。そんな宇宙のさすらい人が、平和に過ごしていければいいなと、宇宙人二人は語り合い続けた。

 

 

 ところで、魅惑の妖精亭には最近新しくできた名物があった。

 それは、可愛い女の子の接客が売りのこの店にはまったく異質な二人のオカマによる、あるサービスである。

 スカロンとカマチェンコのテーブルに、一人の疲れた表情をした中年男性がやってくる。

「あらん、誰かと思えばブルドンネ街のゴーダさんじゃないの。どうしたの、うかない顔しちゃって」

「うっうっ、聞いてくれよスカロンさん。女房が、ロゼのやろうがよ。俺のことをよ、学もない役立たずだって、おれぁ一生懸命働いてるのに稼ぎが少ないって、今月の儲けが悪かったら離婚だって言うんだよ。あいつはもう、俺のこと嫌いなのかいよ!?」

 男は半泣きになりながら、酒の味もわからないという風にグラスの中身をこぼしてスカロンにすがり付いていた。

 どうやら話を聞くところ、彼は妻と最近うまくいっていないらしい。それでとうとう離婚話まで持ち出されるようになってしまったという。スカロンは、彼が話したいだけ話すまで聞くと、つとめて優しい声で話しかけた。

「それは大変ね。あなたたち、もう十年も連れ添ってるってのにねえ。でも、絶望するにはまだ早いわ。奥さんが本当にあなたのこと嫌いなら、だんなをほっておいて別の男を見つければいいだけだもの。奥さんは、あなたのことを思っていればこそ厳しくするのよ。私も、ずいぶん前に逝ってしまった妻のことを、昨日のように思い出せるわ。あのころはこのお店もたいしたことなかったけど、私が弱気になろうものなら、彼女が尻を蹴っ飛ばしてくれたものよ」

 しみじみと語るスカロンの言葉に、男はいつしかじっと聞き入ってしまっていた。

「ね、だからあきらめないで。愛は決して冷めてなんかないわ。女ってのは、強い男にあこがれるから、弱い男には腹が立ってしまうものなの。だからあなたも男を見せて応えてあげて、あなたならきっとできるはずよ」

「でも、あいつ俺がどんなにがんばっても、そんなのできて当たり前って相手にしてくれねえんだ。おれはどうすりゃあいつを満足させられるんだ? あいつは俺より金のほうが大事なのかよ」

「そんなことないわよ。ああいうタイプはね、正面から褒めるのが恥ずかしいだけなの。だからね、例えば『あんたにしてはよくやってわね。で、でも勘違いしないでよ。この程度で満足しないで、次はもっと稼いでこないと許さないんだからね!』、なーんて言ったりしたことない?」

「う、そ、そういえば……」

 心当たりがあるという男に、スカロンは間髪入れずに弾丸のように言葉を発して男を勇気付けていった。野太い声ではげまされ、たくましい腕で背中を叩かれているうちに男は少しずつ元気が湧いてくるように思えてきた。それは、彼がすっかり忘れていた、子供の頃に父親から受けた愛情の思い出が蘇ってきたからだろうか。

 次第に気力を取り戻していく男に、同席していたカマチェンコも別の方向から応援した。

「そそ、私の国じゃね。そういうのを、始めツンツン後からデレデレ、略してツンデレっていって人気あるのよ。すごいじゃない、あなたの奥さん流行の最先端なのよ。照れてるだけ照れてるだけ、そうね……そうだわ、部屋を真っ暗くして、お互いに顔が見えないところで話してみなさい。きっと素直になってくれるわ」

「そ、そうなのか? そういえば、若い頃もあいつは最初はなんでも馬鹿にしてたなあ。でも、俺はあいつのそんな気の強いところに引かれて……わかったよ。俺もう一度、あいつとぶつかってみるよ!」

 男は涙を拭くと、酒をぐっと飲み干した。そして、両手で顔をはたくと「ありがとよ!」と、言い残して、勘定を置いて店を飛び出ていった。スカロンとカマチェンコは、がんばってねと手を振って見送った。

 

 これが、今静かなブームを呼んでいる『スカロンとカマチェンコのお悩み相談室』なのである。

 

 もちろん、そんな名前のサービスが正式に魅惑の妖精亭にあるわけではない。ただの人生相談や愚痴の相手ならば店の女の子も勤めるし、相手をしてもらってうれしいなら若い女の子のほうがいいと大多数の客は言うだろう。

 けれど、中には酒や女で紛らわせないほど重い悩みを抱えた人間もいる。さらに、そういう人間は往々にして悩みを相談する相手がいなかったり、身内に話すのは気恥ずかしかったりするものだ。

 男手一本でこの店を守ってきたスカロンの言葉には重みがあり、人生に迷う者たちが一杯の酒ともに人目を忍んでやってくる。一方カマチェンコのほうも、一応潜入工作員だったので、現地の住民とコミュニケーションをとる手段は熟知している。地球にいたころにオカマバーで働いていた経験も役立った。

 なお、新入りのカマチェンコもスカロンと肩を並べていることが、多少妙に思えるかもしれない。しかし、実は意外にも、店員たちの中でも人気のベストⅢにいるのはカマチェンコなのだ。これには当初女の子たちも驚いたのだけれど、カマチェンコが聞き上手に徹しているため、若い女の子相手にはなかなか言えないような愚痴も言えるからだった。

 才人はキモがっていたが、女の包容力と男の頼もしさを合わせて持つ、それがオカマなのである。むろん、そばで見ると慣れるまでにかかるが、それはそれ。

 

 それに、やってくるのはなにも男ばかりではない。今度二人が指名されてやってくると、テーブルには緑色の髪をした歳若い女性が待っていた。

「あらアメリーちゃんじゃないの。今日は銃士隊の仕事は非番?」

「ああ、本当の副長が帰ってきたから、代理もお役御免でね。とりあえず、水割りを軽くもらおうか」

 実は今では銃士隊の面々も、この店の常連が多くなっていた。アメリーは、二言三言世間話を交わした後で、カマチェンコに相談を持ちかけた。

「実は、うちの隊のある者が今恋をしているんだ」

「あら、それは素敵ね。女の人生は恋をするためにあるもの。私も、初恋のあのドキドキは忘れられないわ」

 カマチェンコは、地球のオカマバーで働いていたころのお客の一人の顔を思い出した。思えばあのころは真面目に働いて生活するという喜びを知ったばかりで輝いていた。懐かしい思い出を蘇らせたカマチェンコは、「それでそれで?」と、続きを尋ねる。

「うむ。けれど、その子は引っ込み思案で見ていてはがゆくてな。せっかく元がいいというのにもったいないのだ」

「あらまあ、それでみんなでその子の恋路を応援してあげようっていうのね?」

「話が早くて助かる。しかし問題があってな。その男にはすでに思い人がいて、しかも大貴族の令嬢ときている。我々としては、仲間の恋心をなんとか実らせてやりたいのだが、名案はないだろうか?」

「あれま、他人の恋人を横取りできないかっていうの? アメリーちゃんたちもけっこう悪ねえ」

 と、言いながらもカマチェンコはうーんと考え込むそぶりを見せると、店の奥に向かって叫んだ。

「ジェシカちゃーん! ちょっといいかしら」

「はーい、どうしたの?」

 客の陰からよく目立つ黒髪が飛び出して、店内を飛び石を踏むように駆けて来た。彼女は別の男たちの相手をしていたと見えて衣装が少々乱れているが、走りながら器用に直すとアメリーとカマチェンコをはさんで座った。そしてカマチェンコからアメリーの同僚の恋についての相談を聞いた。このシエスタの従姉妹は、男女の恋愛に関しては、そんじょそこらの娘など及びもつかない百戦錬磨の達人なのである。

 ジェシカは興味深そうにうなずくと、アメリーの耳元でひそひそととんでもないことをささやいた。

「そういうときはねえ。とにかく既成事実を作っちゃうに限るのよ。お酒飲ませて酔いつぶれさせて、ベッドに誘い込んだら、あとはもうわかるでしょ?」

「うーむ。やはりその手しかないか。しかし、強引すぎはしないか?」

「いいのよ! こういうのは先にやっちゃったもの勝ちなんだから。その人だって、彼のことを愛してるんでしょう? だったら絶対幸せになれるって! ともかく、子供作っちゃえば、もうこっちのものよ!」

 ジェシカは拳でテーブルを強く叩いた。その勢いでグラスの中のワインがこぼれて赤い水溜りを作り、ナプキンにも赤いしみを作った。アメリーは、その水溜りとしみをしばらくじっと見つめていたが、やがて決意したように顔を上げた。

「なるほど……なら、しびれ薬も用意したほうがいいかな。よし、皆と検討してみよう。感謝する」

「がんばってね。恋は攻めて攻めまくるのがコツよ」

 なにやらぶっそうな気配がひしひしとするが、アメリーは満足げにうなずくと店を出て行った。

 見送ると、カマチェンコは尊敬と疑問を半々でジェシカに話しかけた。

「さっすがジェシカちゃん。でも、あれでほんとによかったの?」

「いいのよ。一度しかない人生、思う様に生きればね。年をとってから後悔したって遅いし、恋を押し殺して生きるなんて、女の幸せ放棄してるも同然じゃない」

「じゃ、ジェシカちゃんはいつ恋するの?」

「んー……あたしを惚れさせる男が現れたらするわ。でも、早売りと安売りはしないつもりだからね。さっ、お仕事お仕事」

 どうやら、妖精を人間界に連れ出す勇者はまだ現れないようである。

 

 

 次にやって来たのは、フードを目深にかぶった街娘風の女性だった。

「あらん、これはこれはアンリエ……」

 カマチェンコが彼女の名前を呼ぼうとしたとき、脇腹にコートの下に隠し持っていた杖が突きつけられていた。

「だめですよ。ここでは街娘のアンさんで通してるんですから」

「あらん、これはまたデンジャラス&バイオレーンス」

 笑顔の殺気ほど怖いものはない。異世界の宇宙で星となって輝くのはごめんのカマチェンコは、両手をあげて無条件降伏の姿勢をとった。でも、ただの街娘は絶対に他人に杖を突きつけて相談に来たりしない。この娘の正体は何者なのであろうか? フードからは、紫色のなめらかな髪と、薄くルージュの塗られた上品そうな唇がのぞいている。

 ついでに、離れた席には少しも笑っていない怖い顔をした女性が数人、こっちを睨んでいる。なんとなく、前に銃士隊が戦勝パーティをしたときに似た子がいたような気がするけれど、とりあえず他人ということにしておいたほうがよさそうだ。

「こほん、それで今日はわざわざ何用ですの? あなたさまも、今は結婚式の準備で忙しいんではなくって?」

「ですから、スケジュール前倒しにして一気に片付けてきましたの。ですからご心配はまったく無用ですのよ、ほほほ」

 上品な微笑みを浮かべるアンさんを愛想笑いで見て、オカマ二人は背筋に寒いものを感じていた。この人が今こなさなければいけない仕事の量は、平民である自分たちから考えても寸暇を入れぬものだろう。それを、たった一晩だとはいえ暇を作れるとは、やはりこの人は並ではない。

 謎の街娘こと、アンはこほんと可愛らしく咳払いをすると用件を話し始めた。

「実は、わたしの親友に恋人ができたんですの。幼い頃からよく遊んだ仲のよい子でして、私も自分のことのようにうれしく思ってるんですの」

「あら、それは素敵なことね。わたしたちからもお祝い申し上げますわ」

「ありがとうございます。でも、その子は頑固といいますか、少々真面目すぎまして。彼を狙ってる子は他にもいるというのに、どうも進まないようですの。まあ傍から見てたらおもしろ……いえいえ、じれったいものですから。それで、なかなか直接会える立場ではありませんけど、親友として何かしてあげたいなと思いまして。いてもたってもいられずに、こうして評判のお二人に相談に来たのですわ」

 なにか、今日は同じような相談がよく来る気がする。でもまあ、のんびりと恋にうつつを抜かしていられるのも平和な証拠だ。そのうち侵略するにも都合がいいし、第一……自慢じゃないけど弱い、自分たちミジー星人が隠れ住むにも平和なほうがいい。

 カマチェンコは、うーんと考えるとさっきのジェシカの言葉を、ほとんどそのまま伝えた。

「なるほど……既成事実ですか。それは効果絶大ですことね。よろしい、これはおもしろそ……いいえ、ためになるお話を聞かせていただきました。きっと、お友達も喜んでくださると思いますわ」

 ぱあっと、花のような笑顔を浮かべたアンさんは、カマチェンコの手をとって何度もお礼を述べてくれた。でも、あるところでふと考え込むと、数秒思案して問題点を提示してきた。

「でも、あの子は本番に弱いから、いざとなったら怖気づいてしまうかも。私がずっとついていてあげるわけにもいきませんし、なにかいい手はありませんか?」

 すると、スカロンはふと手をぽんと叩くとジェシカを呼んで言った。

「ジェシカちゃん、あれ、あれまだ持ってる? こないだ不埒な貴族の客から没収したやつ……うん、じゃあそれ、お客さんにプレゼントしちゃいましょ」

 アンさんの手に、紫色の液体が入った小瓶が渡された。瓶の形はハート型で、見るからになんともいかがわしい雰囲気が漂っている。スカロンは、その瓶の中身についての効能と使用方法を耳打ちし、それを聞いたアンさんは、最高級のワインで乾杯いたしましょうとオーダーを出してくれた。

「ありがとうございました。さすが評判のお二方ですわ、わたくしの銃し……いえ、お友達のお話をたまたま立ち聞きできて幸いでした」

「うーん、口コミは営業の基本ですからんね。でも、できれば次は杖は置いてきてくださりませ」

「おほほ、考えておきますわ」

 街娘のアンさんとやらは、とても平民とは思えない優雅な会釈をして帰っていった。

 だがしかし、何か……すさまじく嫌な予感がするけれど、それは多分深酒のせいなのだろう……

 

 月は天頂に昇りつめ、やがて沈んで見えなくなってもやってくる客足は途切れず、妖精の宴は続く。

 

 そして空が白み始めたころに最後のお客が帰り、夢の世界は朝日の中に溶けて終わった。

「みんなお疲れ様!」

 スカロンが店内に集合した全員をねぎらい、妖精たちは一仕事を終えた疲れに身を任せる。

 彼女たちの顔は、たくさんチップを稼げてほくほくしているのから、ちょっとしか集まらなくて反省しているのまで千差万別だ。

 むろん、チップの獲得数トップがジェシカなのは言うまでもない。彼女は、集めたチップの少なかった子に、明日はこうしたらいいよと軽くアドバイスをしたりしている。仲間でも商売上では敵同士だけれど、あくまでそれは公平かつ対等に、競争は大いに結構だがつぶしあいはいけない。

 ミジー星人の三人組も、ずっと皿洗いと雑用だけさせられていたドルチェンコをのぞいて気持ちのいい疲れ方をした、さわやかな顔をしている。まったくものすごい適応力のある宇宙人だ。

 

 

 本当に、このまま魅惑の妖精亭の店員として定住してくれたらみんな助かるだろう。

 それなのに、性懲りも無くろくでもないことを企む、あきらめの悪さをもっているから困ったものである。

 

 

 さて、この宇宙で、もっともしつこい宇宙人とは誰だろうか?

 ウルトラの戦士たちを苦しめた怪獣や宇宙人は数多い、だがここに長年に渡ってと言葉を付け加えるとどうだろう。

 大抵の宇宙人は、一度地球侵略に失敗したら諦めて、二度と地球に姿を見せることはない。

 しかし、中にはしぶとく複数回に渡って攻撃を仕掛けてくる宇宙人も存在する。

 メフィラス星人やメトロン星人、連合を組んでやってきたザラブ、ガッツ、ナックル、テンペラー星人などがそれだ。

 そして、もし才人のいた世界でこの質問をしたとしたら、ほとんどの人は宇宙忍者バルタン星人と答えるだろう。

 ウルトラマンの滞在時に総計三回も人々を恐怖に陥らせ、都合二回ウルトラマンと対戦している。

 このときまでに彼らは地球人とウルトラ戦士に恨みを固め、ウルトラマンジャックが地球を守っていたころも、かつて倒されたバルタン星人の息子と名乗るバルタン星人jrがロボット怪獣ビルガモを率いて現れている。

 これだけでも計四回、四回も地球攻撃を仕掛けてきた宇宙人は他に存在しない。しかも、これでなお諦めないバルタン星人はさらに地球の研究を重ね、ウルトラマン80に対して二回も挑戦してきている。

 まさに、不屈の闘魂とはバルタン星人のためにある言葉だといっていいだろう。

 だが、はるかに時空を超えた世界では、バルタン星人に負けずにしつっこい宇宙人も存在する。

 それが、ウルトラマンダイナと戦った知略宇宙人ミジー星人の一派なのである。

 

 トリスタニアを少し離れること数リーグ。

 街道から外れて、普段は誰も訪れることのない森の中に、巨大な鉄の巨人が倒れていた。

 全高はおおよそ六十メイル、頑強そうな体を持ち、腕には五本の指ではなく、鋭く太い三本の鍵爪がついている。

 しかし、その目に光はなく、ぴくりとも動く気配はない。

 壊れているのだろうか? いや、それよりもこれは明らかにハルケギニアの産物ではない。そんなものが、どうして人家からさして離れていないこんな場所に無造作に置かれているのか? その答えは、こいつの頭のかたすみで、一人気勢をあげているオヤジにあった。

「ふっふふふ! もうすぐだ。もうすぐ、この宇宙最強のロボット怪獣ワンゼットが復活すれば、この星は我々ミジー星人のものとなるのだ!」

 凶悪な侵略宇宙人……といっても考えるまでもないことだが、それはミジー・ドルチェンコだった。

 彼は横たわる巨大ロボット、ワンゼットを見上げて高らかに笑っていた。

 ワンゼット……それはかつて、ミジー星人たちのいた世界の地球を侵略しようとしたデハドー星人がウルトラマンダイナを抹殺するために送り込んできたロボット怪獣である。しかし、ダイナの必殺技レボリュームウェーブで時空のかなたに飛ばされて、ミジー星人たち同様ハルケギニアに漂着していた。以前ミジー星人たちが企んでいた計画とは、このワンゼットを利用しての侵略攻撃だったのだ。

 だが、今のミジー星人たちにはこの巨大なワンゼットを動かす手段がない。しかし、優れた科学力だけはある彼らは、地道な努力によってワンゼットを復活させようとしていた。驚くべき、その方法とは?

「我が念願の傑作、超小型メカニックモンスター・ぽちガラオンが完成したら、ワンゼットの制御装置として使用することができる。見ておれよ、おろかな人間どもめ」

 なんと、驚いたことに手のひらサイズの超小型ロボットで、ミジー星人はこの巨大ロボットを動かそうとしていた。そんな無茶な、と言いたくなるところだがさにあらず。実は、これまた何がどうなっているのか、ワンゼットは頭脳部分にある穴にぽちガラオンを放り込めば、ぽちガラオンのコントローラーで動かせるのである。

 もはや科学理論がどうとか考えるだけおかしくなりそうな理不尽さ。でも、動くものは仕方ない。 

 もしも、ミジー星人たちがワンゼットの起動に成功したとしたら大変だ。こいつは対ウルトラマン用のロボットであるために、一度はダイナをやっつけたことがあるほどの強さを誇る。ミジー星人の自信もそれゆえだ。

 

 危うし、ハルケギニア!

 ところが……

 

 三人組の留守中に、彼らの寝床兼アジトの屋根裏部屋に、口元を引きつらせて立つ黒髪の少女と、十数人の割ぽう着姿の少女たち。

「ほんとにもう、ドルちゃんたちったら散らかすだけ散らかして、このままじゃ天井が抜けちゃうじゃない。あれだけ言ってもわからないなら実力行使よ! みんな、徹底的にお掃除しちゃいなさい!」

「おおーっ!」

 こうして、悪の宇宙人の秘密研究所は壊滅した。

 魅惑の妖精亭の看板娘ジェシカ、若干十六歳にてハルケギニアを救う。

 

 トリスタニアは、今日も平和であった。

 

 

 続く



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第28話  東方よりの客人

 第28話

 東方よりの客人

 

 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾール

 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾールリバース 登場!

 

 

 ガリア王国の首都、リュティスのヴェルサルテイル宮殿。

 壮麗さと優美さをかねそろえ、ハルケギニア最大の王国の国力の象徴ともいうべき大宮殿。

 別名、薔薇園とも呼ばれるここには、広大無比な庭園が敷かれ、およそ人間が知る限りの花々が彩られている。

 その中でも特に異彩を放つ、青色の大理石で建造されたグラン・トロワは、今日は人払いがされて警備の兵士すらいない。

 最奥の一室に、宮殿の主が一人の特別な客人を迎えていたのが、その理由であった。

「ここへ出向いてくるのも久しぶりではないか。どうかな? お前たちのいう蛮人の世界に、そろそろ慣れたかね?」

「慣れる慣れないの問題ではない。我には、この地で果たさねばならぬ使命がある。それだけだ」

 人懐っこく声をかけるジョゼフに、客人の男は眉一つ動かさずに無感情に答えた。

 国王を前にしているというのに、まるで臆した様子の無い彼は、薄い茶色のローブを着た、痩せた長身の男だった。ジョゼフの筋肉質の巨躯と並ぶと、対照的な体格といってもよい。彼は、殺風景で椅子すらなく、とても客人をもてなすものとは思えない部屋には一瞥もせず、バルコニーを背にしたジョゼフに告げた。

「我らとお前との契約、よもや失念してはおるまいな?」

「むろんだ。これでも記憶力はよいほうなのでな。お前が余の元を訪れた日の会話は、一言一句まで覚えている。聖地に近づこうとする人間を抑えて欲しいという願い、なんなら再現してみせようか?」

「ならばよい。お前が契約を忘れない限り、我も契約を遵守する。願わくば、今後も共存していきたいものだ」

 彼は、ガリアの国王を平然と”お前”呼ばわりした。ジョゼフがその魔法の才のなさゆえ、公然と無能王と呼ばれていることを差し引いても、これは考えられない無礼な言動といえる。

 しかしジョゼフは意に介した風も無い。また、客人も無表情を崩さない。

 それはまさしく、両者がほぼ対等な立場を有しているという証拠である。

 客人の男は、外の日差しを背にしているジョゼフから離れ、部屋の中ほどでつばの広い帽子を脱いだ。

 長く伸びた金髪の下の顔は、一言で表現すれば極端なまでに美しく、それゆえ絵画的な非現実感を漂わせている。けれど、切れ長な瞳は研いだ刃物のように鋭く、そして金色の髪から長いとがった耳が伸びている。

 彼は、人間とよく似ているが人間とは決定的に違う、この星を二分するもう一つの種族、エルフだった。

「信用してもらいたいものだな。なにせ、お前を城に招くときには毎回苦労する。エルフと接触しているなどということが公になれば、余は異端者として国王を追われるだけでなく、このガリアもどうなるかわからんのだから」

「無理を強いているということは重々承知している。ただし、それなりの代償を与えてはいるはずだが……」

「確かにな、お前たちは人間の世界にはないものを色々と持っている。お前たちが我らを蛮人などと呼ぶのも納得がいくものだ。だが、もっと楽にしたければその耳を隠せばいいだけの話ではないか? いつばれるか危なっかしい帽子なんぞより、お前たちの魔法なら容姿を変えるなどたやすかろう。やはり、蛮人に化けるのはプライドが許さんか? ビダーシャル卿」

 せせら笑うようなジョゼフの態度にも、ビダーシャルと呼ばれたエルフは表情を動かさなかった。

 エルフは、ハルケギニアの東方に広がる砂漠地帯に住む長命の種族である。

 人間の有史、始祖ブリミルの降臨のはるか以前から文明を持つと言われ、強力な先住魔法を使う強力な戦士たち。

 そして、人間にもっとも近い亜人といわれながら、もっとも人と敵対してきた種族。

 

 数千年前から数百年前まで、人間とエルフは数限りなく戦争を繰り返してきた。

 エルフの支配地にある、始祖ブリミルの降臨したという聖地を奪還する聖地回復戦争。

 しかし、圧倒的に強力なエルフの力の前に、人間側は敗退を繰り返してきた。

 戦いしかない歴史の中で、人間はエルフを異教の悪魔とみなし、エルフは人間を野蛮で遅れた蛮人と蔑視する。

 当然、友好的な交流などは生まれようはずもない。

 

 今や、エルフはハルケギニアの中では、伝説で誇張されて怪物扱いされ、人々のあいだで恐れられている。

 だが、それほどまでに恐怖されるエルフと、ジョゼフはなんでもないことのように会話している。

 この光景を城の人間が見たら、恐怖で口を閉ざすか、それとも卒倒するか。

 なぜ、このような光景が生まれたのか? それは、今から四ヶ月ほど時をさかのぼったある日のこと。

 いつものように、グラン・トロワで政務を処理していたジョゼフの元に、何の前触れも無くビダーシャルはやってきた。

 

「誰だ? お前は」

「我は”ネフテス”のビダーシャルだ。ガリア王ジョゼフ、まずは出会いに感謝しよう」

「エルフか、警護の兵士たちはどうした?」

「お前の部下たちには、しばらくのあいだ眠ってもらった。願わくば、話し合いの機会を設けられたい」

「ふ、招かざる客にしては、無作法だな……よかろう、座れ」

 

 それが、ジョゼフとエルフの使者としてやってきたビダーシャルとの邂逅であった。

 ビダーシャルは、自身がエルフをまとめるところの国家機関であるネフテスからの使者であることをまず名乗り、その来訪の目的を語った。

「最近、我らの守りし”シャイターンの門”の動きが活発になってきた」

「聖地のことか?」

「お前たちにとっては聖地でも、我らには忌まわしき”シャイターン(悪魔)の門”だ。六千年前に、大厄災をもたらした」

「それが動き出したということは、なにかの予兆か?」

 ビダーシャルは一呼吸おくと、ややためらいがちに口を開いた。

「我らの予言にはこうある。四つの悪魔揃いしとき、真の悪魔の力目覚める。真の悪魔の力は、再び大厄災をもたらすであろうと」

「悪魔の力?」

「お前たちのいう、”虚無”の力のことだ」

「ほう……虚無」

 ハルケギニアの人間ならば、誰でも知っている伝説の名を聞いて、ジョゼフの口元に笑みがこぼれた。

 虚無とは、始祖ブリミルが伝えて、今でもメイジのあいだで使われている四系統魔法のほかにもう一つ、始祖ブリミル自身が使ったといわれる五番目の系統魔法のことだ。

 むろん、今では伝説上にしか存在しない代物だけれども、始祖の用いた聖なる魔法としてたたえられている。

「我らにとっては悪魔の力だ。このままでは、我らの平和は守れない。お前の力で、門に近づこうとする者たちを止めて欲しい」

「ふん。大事だな……しかし、大厄災と漠然と言うが、具体的にどのようなものなのだ?」

 ジョゼフが質問すると、ビダーシャルは少し考え込んだ様子を見せ、少々苦しげに口を開いた。

「実は我らにも、大厄災に関する詳しい資料は残っていない。歴史の文書が記され始めるのは、大厄災が起きてから、少なくとも数百年は経過してからで、大厄災に関してはおおむね口述による伝聞が大半なのだ」

「なんとな。ハルケギニアよりも、はるかに文化の進んだエルフにしてはあいまいなものだ」

「だが、我らの歴史は大厄災を境に、それより以前が切り落とされたかのように欠落している。さらに、記録が始まってからしばらくは、不毛の大地を切り開くことから始まり、それが数百年続く……」

「要するに、大厄災があったという状況証拠はそろっているというわけか」

 ビダーシャルは軽くうなづき、ジョゼフが彼の求めているだけの理解力を備えていることを確認した。だが、ジョゼフはそこで含み笑いを見せると、冷たく突き放すように言った。

「お前たちの事情はわかった。しかし、大厄災とやらがなんであれ、我ら人間には関係のないことだ。なぜエルフの安全のために、人間の王である余が力を尽くさねばならぬ?」

 それはまさしく現実的かつ、ビダーシャルには極めて重い反論だった。

 過去、エルフと人間は何度となく戦争を繰り返してきた。ここ数百年は膠着状態を保っているものの、不倶戴天の敵のために働けというのは、あまりに虫がよすぎるだろう。

 しかし、ビダーシャルもその反論は予想していたらしく、目を閉じると、澄んだ声で歌うように語り始めた。

 

「大厄災を伝える。数少ない伝承の一つを、我らは一言一句違えることなく語り継いできた……」

 

”昔、この世界はあふれんばかりの緑で覆われていた。

 不毛の砂漠も、草も生えぬ荒野も存在せず、すべての生き物は有り余る大地の恵みを受けて平和に暮らしていた。

 しかしあるとき、空から悪魔たちが大地に降り立ったことからすべてが変わった。

 彼らは強大な力でまたたくまに世界の理を崩し、ありとあらゆるものを作り変えていった。

 空はかすみ、水は濁り、大地は荒野と化した。

 生き残った我らの祖先と、シャイターンの軍勢との戦いはいつ果てるまでもなく続いた。

 さらに、天には悪魔の虹が輝き、地に生きる獣を魔物に変えていった……”

 

 そこまで話すと、いったんビダーシャルは口をつぐみ、ジョゼフの反応をうかがった。

「まるで黙示録……いや、ラグナロクといったところかな。平和な世界に突然悪魔がやってきて……定番の神話だな」

 ジョゼフが軽く拍手をしながらそう言うと、ビダーシャルの眉がぴくりと動く。

「……信じぬというのであれば別にいい。我は質問に答えただけで、聞いてからのことはお前の問題だ」

「ふっ、まあそう怒るな。悪気はなかったのだ、許せよ」

 初対面だというのに、まるで友人のように気安く、楽しげに話すジョゼフに、ビダーシャルは眉をひそめた。

「お前も、シャイターンを信奉する狂信者の一員なのか?」

 この場合のシャイターンとは、始祖ブリミルを指す。ハルケギニアであがめられている始祖を悪魔と言い放つエルフに、ジョゼフは笑い返した。

「余は神も始祖も信じてはおらぬ。余が信じているのは己だけだ」

「知っている。だから我らは、交渉相手にお前を選んだのだ」

「褒められたと思っておこう。では、現実的な問題に戻ろうか。お前たちは、余に聖地へ向かうやからを止めて欲しいという。相応の見返りはあるのだろうな?」

「向こう百年間の、”サハラ”における風石の採掘権と、各種の技術提供」

 風石は、船を空に浮かべるために不可欠の物質だ。大空軍を有するガリアにとっては、重要な戦略物資であり、民需としても需要が高い。風の精霊の力の結晶とされ、サハラにはそれが大量に埋蔵されているのだ。

 さらに、不毛の砂漠を切り開いて人の住める土地にするエルフの技術。水や土のメイジが荒地を開墾するのとはレベルが違う。

 それらを提供するという条件は、まさに破格といえた。

「気前がいいな」

「お前たちが信じる理想を曲げさせるのだ。当然だ」

 ジョゼフはわかった、というふうにうなずいた。

「よかろう、あともう一つだ」

「なんだ?」

「エルフの部下が欲しい」

 想像もしていなかったらしく、ビダーシャルの眉が曇った。

「交渉してみよう。期待に添えるように善処する」

「その必要はない。お前でいい。余の命ある限り、余に仕えよ」

 ビダーシャルは言葉を失った。

 この人間は何を言っているのかわかっているのか? 人間にとって最大の敵であるエルフを配下に欲するなど、想定の範囲を超えている。いや……そうではない。

 そこでビダーシャルは、ジョゼフの目の色に、自身がこの蛮人を見損なっていたことを悟った。

 ジョゼフは無言のうちに、いやならこの話はなかったことにと言っている。

 しまった……と、ビダーシャルは内心で後悔した。

 

”だから我らは、交渉相手にお前を選んだのだ”

 

 この一言で、ジョゼフはこちらに拒否権がないことを見破ったのだ。

 余計なことをしゃべりすぎたと思っても、すでに手遅れだった。風石や技術提供などは関係なしに、ジョゼフに断られたらエルフは人間に交渉相手を失う。人間たちの噂のままに、物欲や権力欲だけが強い愚王と思っていたら甘かった。こいつはとんだキツネだ。

 ためらっているビダーシャルに、ジョゼフは言い放つ。

「蛮人に仕えるのはプライドが許さぬか? お前たちは世界の均衡を、平和を、守りたいのだろう? はは、余の理想と一致するではないか。その余に仕えるということは、エルフの理想を守ることに他ならない」

「本国の意向もある。我の一存では……」

「バカが! 自分で決めろ」

 一喝され、ビダーシャルは進退窮まったことを悟らざるを得なかった。

 初めて表情にわずかに感情らしいものをかげらせ、一礼する。

「……よかろう。仕えよう。だが、それならば我にももう一つ条件がある」

「言ってみよ」

「お前に仕えるにしても、我は当分この地に滞在することになる。お前の権限で、この国のどこへでもゆける許可を、二人分出してほしい」

「二人分?」

 いぶかしげに尋ねるジョゼフに、ビダーシャルは観念したように息を吐いた。

「我がこの地に来た目的は、お前との交渉のほかにもう一つあった……シャイターンの門の活動の活発化に続いて、サハラの大いなる意思にも異変が生じ始めたのだ」

 大いなる意思とは、エルフなどのハルケギニアの先住民が信仰している、人間にとっての神に近い概念だ。精霊の力の源泉でもあり、言葉で表現するのであれば、自然界の意思とでも呼べばよいのか。ともかく、人間には、やや理解の難しい概念であり、ジョゼフもその例外ではなかった。

「具体的に言うとどういうことなのだ?」

「お前たちには感じられぬだろうがな。この世界は精霊の力によって、地、水、風などのバランスを整えて、平和を保っているのだ……そのバランスが、崩れ始めた。時期に沿って訪れるはずの風が変わり、水の流れが止まり、空に不気味な黒い影が現れるようになった。まるで、邪悪な意思を持つ何者かの影響を受けているかのように」

 それは、自然界のバランスが崩れることで生まれるアンバランス現象に他ならなかった。地球でも、かつてウルトラマン80と戦うことになるマイナスエネルギー怪獣が出現し始める以前に、植物が腐ったり、石が突然変色するなどの現象が発生している。人間よりも自然界に密接なエルフたちは、その変調を敏感に感じ取っていた。

 自然にまで影響をもたらせるような邪悪な存在、ジョゼフの知る限りにおいても、それは一つしかない。

「ヤプール……か」

 考えられる唯一の可能性に行き当たることで、ジョゼフも納得した。突如出現し、トリステインを滅亡寸前まで追い込んだという、謎の侵略者。恐るべき超獣や、人知を超えた不思議な力を行使すると聞き及んでいる。ヤプールの力は、遠くサハラにまで影響を及ぼしていたのだ。

「だから我は、異変の元凶であるハルケギニアで何が起きているのかを調べ、本国に報告せねばならない。むろん、お前との契約も果たすが、お前にも我の使命の邪魔はさせぬ」

「ああ、よかろう。なんでも、好きなだけ調べていくがいい」

「そうさせてもらおう。しかし、いちいち蛮人の目をごまかすために精霊の力を行使するわけにはいかぬ。ガリア王の許可状があれば動きやすいだろう。我と、もう一人助手としてついてきた者がいる。我が動けないときは、その者が代わってこの地の異変を本国に報告する手はずになっている」

「用意がよいな。いいだろう、今日中に文書にして渡してやる」

 向こうの申し出に比べたら、安すぎるくらいの代償であった。ジョゼフからしてみれば、ガリアの内情がエルフに漏れたとて痛くもかゆくもない。

 契約は成立し、ジョゼフはビダーシャルに下がってよいと告げた。しかしビダーシャルは動かずに、じっとジョゼフを見つめていた。

「どうした。なにか文句があるのか?」

「一つ、お前に聞きたい」

「言え」

「お前はなにを考えているのだ? お前が、世界の均衡と平和を望んでいるとは、その顔と態度を見るに、我には思えぬ。その上、我らは、お前が属する民族のよりどころであろう、神を、聖者を侮辱しているのだぞ? 正直なところを言えば、相当の悶着を想像していた。一筋縄ではいかぬと、本国では予想していた。どうしてあっさり我々に協力するのだ?」

 つまらなさそうな声で、ジョゼフは答えた。

「退屈だからだ」

「なんだと?」

「いいから去れ」

 用件があれば連絡はガーゴイルでとると言うと、ジョゼフは手を振ってビダーシャルを追い出した。

 

 その後、ジョゼフはガリアに滞在するビダーシャルと幾度かに渡って会う機会を持った。

 ビダーシャルは約束を守り、ジョゼフが要求する技術を可能な限り提供した。

 大国ガリアの作り上げた大規模な魔法研究施設。そこで秘密裏のうちに、新型のゴーレムや魔道具の開発を補助するのが、ジョゼフから与えられた命令だった。それが軍事利用に転用された場合、いずれ自分たちエルフを攻撃するために使われる危険性も充分にあったが、ビダーシャルに選択の余地はなかった。

 けれどジョゼフも約束を守り、ビダーシャルにガリア全土での自由な行動権を保障して、その行動を制約しようとはしなかった。

 また、たまにジョゼフのほうから呼びつけて、国内で起きている精霊の力の変調を聞くことはあった。それを何に役立てるのかについては、ジョゼフは一切の口を閉ざしてはいたが。

 

 

 そして今日、珍しくビダーシャルのほうから会談を持ちたいという知らせを受けたジョゼフは、一切の政務をキャンセルして、部下となったエルフの客人を招きいれていた。

「しばらくぶりだな。どうだ、頼んでおいたものは順調かね?」

「お前の期待を裏切らない程度には努力している。予定を下回ることはないはずだ」

 つまらなさそうに答えたビダーシャルに、ジョゼフは怒らなかった。彼が嫌々協力していることなどは先刻承知している。無能王として、他人からの蔑視や敵意の視線に慣れているジョゼフにとっては、この程度の不満を向けられるなどあいさつのようなものである。

「順調ならばけっこう。資材や人員など、必要なものがあれば言うといい。簡単なものならすぐ送り、難しいものでも揃えさせよう」

「ならば、齢二百年以上の火竜の鱗を十頭分ほど」

「よかろう。すぐに集めさせよう」

 ささやかな嫌味にも本気で答えたジョゼフに、ビダーシャルは覚悟していたはずなのに脱力を覚えた。老齢した火竜はスクウェアメイジや数千の軍隊をもしのぎ、本気で集めようとしたら軍艦を出して、さらに何千人の犠牲がいることか知れない。

 ビダーシャルは早くも疲れた声で、「冗談だ」とだけつぶやいた。

「おやおや、エルフも冗談を言うのか! これは勉強になる」

「余計な世話だ。我も先に聞いておくが、お前に要求しておいた件は、できているのだろうな?」

「ああ、ロマリア宗教庁の内部事情など調べておいた、聖地にもっとも執着があるのは連中だからな。どうやら今のところ、表立った動きはないようだ」

「ならばいい」

 ロマリアはガリア南方にある、ブリミル教の総本山である。始祖の子孫が統治している各国と異なり、始祖の弟子が作ったという、小国ながら周辺の都市国家を傘下におさめ、ハルケギニア全土への影響力も絶大である。

 むろん、エルフに対する敵愾心の塊でもあるので、ビダーシャルもうかつには近づけない。そのため、ジョゼフを通して間接的にその動向を調べていたのだ。

 聞きたいことを聞いたビダーシャルは、感謝の色も見せずに視線を逸らした。ジョゼフも、それでいいとばかりに、暗い笑みを口元に浮かべる。初対面から数ヶ月経つというのに、両者のあいだには友好的な兆しは一切存在しないようである。

「調査は、引き続いて要求しておく」

「引き受けよう。ところで、今日はあの元気なお嬢さんは来ていないのかな?」

「彼女は単独で動きたいと言い、今の行方は知らん。お前の部下になったのは我だけで、彼女の行動に指図する権利はないはずだが?」

「そうだな。では本題に移ろうか。今日はどういった用向きかな?」

「ネフテスから、新たな指令が届いた」

「ほう……」

 ビダーシャルは、ジョゼフが興味を示したことを感じ取ると、大きめの手鏡のようなものを手渡した。

 しかし、それにはジョゼフの顔は映らない。代わりに映っているものは、広大な砂漠の風景。地球でいうのならばビデオに近いマジックアイテムらしかった。

「我らが故郷、砂漠(サハラ)の風景だ。今日、本国から届いた」

 つまりは、見ろということらしい。無駄口を叩いて興を削ぐ気はなかったジョゼフは、じっと鏡の中を凝視し、やがて砂色一色だった風景に変化が現れた。

 砂漠の中に、オアシスのように緑に覆われた一帯が、海に浮かぶ島のように存在している。よく見れば、オアシスの周りには薄い膜がドームのように覆っており、ジョゼフはそれが砂漠の中で生活環境を確保するための、なんらかの先住魔法であると判断した。

「我らの部族の一つが住む村の一つだ。三日前、この村が襲撃を受けた」

 ビダーシャルが言い終わるとすぐに、映像が空を向くと、雲ひとつなく晴れ渡っていた青空に黒いしみのような点が現れ、それは見る見るうちに長い首と甲殻の体を持つ怪獣の姿となって降り立ってきた。

「怪獣か……」

 ジョゼフがつぶやくと、ビダーシャルは不愉快そうに軽くうなづいた。

 着地の衝撃で吹き上がる砂の中から現れた怪獣は、全身を藍色の装甲で覆われ、前方に突き出た首の先には四つの目を持つ小さな頭を備え、背面からは二本の尻尾が長く伸びている。

 これはまぎれもなく、宇宙斬鉄怪獣ディノゾール。才人たちの地球での第二の怪獣頻出期の始まりを告げて、旧GUYSを全滅させて佐々木隊員がハルケギニアに来るきっかけを作り、ウルトラマンメビウスが地球で初めて戦った怪獣の同族が、この世界にもいたのだ。

 砂漠に降り立ったディノゾールは、目の前に広がるオアシスの緑に誘われるように前進を始めた。ディノゾールは宇宙空間でエネルギーとなる水素分子を必要とするために、惑星上では水場に引き付けられる性質を持つのである。

 だが、オアシスを目の前にしてディノゾールは見えない壁に当たった。まるで、空気が固化したかのようなそれによって、十歩ほど後退を余儀なくされる。見ると、いつの間にかオアシスの緑のふちに何人ものエルフが集まっている。

「村を守護する。我らの騎士たちだ」

「ほほぉ……」

 騎士と聞いて、ジョゼフの口元に笑みが漏れた。エルフは皆が強力な先住魔法を使用するが、その中でも人間同様戦闘を専門におこなう者たちは存在する。ビダーシャルも、城の警護の者たちを軽々と無力化してグラン・トロワの中に入ってくるほどの使い手ではあるものの、エルフの戦いというものは、さしものジョゼフも見たことはない。

 村に入れてなるものかと、エルフの戦士たちは全長七十七メートルにも及ぶ巨大怪獣に挑んでいく。

 戦いの口火を切ったのは、騎士たちの中でも小柄な者だった。彼がなにやら呪文を唱えると、砂漠の砂が渦を巻いて、直径五十メートルほどの流砂となってディノゾールを飲み込もうとしていく。

「見事だな」

 率直な感嘆をジョゼフは述べた。人間も、土のメイジは大地を操ることはできるが、局地的なものにすぎない。仮に、土のスクウェアメイジを集めて、直径五十メイルの流砂を作ろうとすれば何十人必要になることか。

「これが、お前たちのいう精霊の力というものか?」

「そうだ。我らは自然の万物に宿る精霊の力と契約し、その力を行使する。今のは、砂に宿る精霊の力を借りたものだ」

 エルフの先住魔法は、人間の系統魔法とは基本からして違う。系統魔法が、人間の精神力を糧にして様々な現象を発生させるのに対して、先住魔法は自然の力そのものを利用する。端的に述べるならば、仮に岩を動かすとしたら、系統魔法は岩を自分で押して動かす。しかし先住魔法は、岩に「動いてくれ」と頼んだら岩が自分で動いてくれる。どちらが強力かは論ずるまでもない。

 ディノゾールは水の上の石が沈むように、流砂の中へと吸い込まれていく。だが、宇宙怪獣であるディノゾールにとっては、重力が邪魔になるなら飛べばすむだけの話である。すぐに流砂から脱出すると、再度進撃を開始した。

 同時に、目の前にいる小さな生き物が邪魔だということを理解したのか、ディノゾールは背中から液体焼夷弾、『融合ハイドロプロパルサー』を、エルフたちに乱射した。たちまち爆発の嵐がエルフたちを襲い、エルフたちの姿がかき消される。

「死んだかな?」

 と、ジョゼフは冷酷に判断した。あれだけの火炎、たとえスクウェアメイジの全力の風でも受け流せまい。ならばエルフがどうやって回避するか、見ものだと思った。

 かつて東京の街を火の海にした火炎はエルフたちのいる至近で吹き上がり、紅蓮が周りを包み込む。人間ならば簡単に焼死してしまうほどの火炎量だ。けれど、炎が収まった後でエルフたちは同じ場所に変わらぬ姿で立っていた。

「カウンターだな」

「そうだ」

 ジョゼフの質問に、ビダーシャルは一口で答えた。

 カウンター・反射とは精霊の力を自身の周りに張り巡らせて敵の攻撃を跳ね返す先住魔法の一つである。その強度はスクウェアメイジの魔法すらそのまま返すほど頑強で、人間がエルフと戦って勝てない大きな理由の一つが、この鉄壁のガードにある。

 小柄なエルフは、使う魔法を誤ったなと言われたように後ろに下がり、今度はやや年配のエルフたちが前に出る。

 それからの戦いは、スクウェアクラスのメイジを何人も部下に持つジョゼフにしても、圧巻の光景であった。

 

 あるエルフが手をかざすと、オアシスの木々から触手のように枝や根が何百メートルも伸びて怪獣をからめとった。

 砂が生き物のように動くと、全長十メイルもの槍の形をした塊になって、それを数百本作り出した。

 また、別のメイジは大気を歪めて巨大なレンズを作り出し、太陽光をレーザーのように変えて照射した。

 最後に、幾本もの竜巻が起こり、真空波で怪獣を四方から切りつけた。

 

 それら、わずか数分足らずの出来事だけでも、ジョゼフはエルフがなぜ恐れられているのかを理解するのに充分だった。

 たった四人程度なのに、まるで自然を己が手足としているようなこの威力。これだけで、人間ならば数千の兵を一瞬にして葬ることが可能だろう。一個軍団がそろったときのエルフの力は、もはや想像に余りある。

 

 だが、相手が人間ならばこれで勝負がついたであろう攻撃も、その相手が違えば結果も違う。

 エルフたちの起こした、一個の街をも瓦礫の山に変えられそうな天変地異が過ぎ去った後、そこには全身を切り刻まれ、さらに長い首の付け根をざっくりと切り裂かれたディノゾールが横たわっていた。

 エルフたちは手を取り合い、勝利の喜びに沸いているのが見ただけでもわかる。しかし、これで終わりならばビダーシャルがわざわざ見せる必要などはない。

 突然、死んだと思われていたディノゾールの体が震え始めた。千切れていた頭の代わりに長い尻尾が生え、腕が大型化して逆立ちのような形で立ち上がる。さらに、長く伸びていた二本の尻尾が引っ込み、そこから頭が二つ生えると、ディノゾールは上下逆さまの双頭の怪獣となって復活したのである。

『ばかな!』

 声は聞こえなくても、エルフたちがそう叫んだのはジョゼフにもわかった。

 これこそ、ディノゾールの進化形態ディノゾールリバース。ディノゾールには特殊な再生能力があり、一度致命傷を受けても生物学的な極性を反転させてパワーアップすることができるのだ。

 そう、怪獣とは、生物の常識を超えた生物のことなのである。

 エルフたちをはっきりと敵とみなしたディノゾールは、砂漠を地響きを立てて前進していく。

 当然、エルフたちも先程よりも強力な先住魔法で応戦する。しかし、今のディノゾールには通じない。

 融合ハイドロプロパルサー乱射で周りを炎に包み込むのはもちろん、奴の双頭の口が開かれたと思った瞬間、エルフたちの放った砂の槍や竜巻、植物の触手などはすべてバラバラに切り裂かれて粉砕されてしまった。

「なに……?」

 ジョゼフもエルフたちも、なにが起こったのかわからなかった。奴が何かを仕掛けたのは確かだ。けれど、何も見えなかった。

 いや……エルフたちは風の精霊の力を借りて、空気を切るような鋭い音を感じた。

 まるで鞭を振るうような……まさか!

 それは、ディノゾールリバースの口から放たれる、一ミリの一万分の一という細さしかない奴の舌、『断層スクープテイザー』の放つ音だった。これは、かつてGUYSのガンクルセイダー隊を全滅させた武器で、あらゆる金属を切断する威力を持つ。さらには、振り回せばバリヤーとしての効果も発揮でき、マケット怪獣ウィンダムのレーザーショットを軽々と防ぐ強度まで備えているのである。

 むろん、ディノゾールリバースは相手がなんであれ容赦などするつもりはまったくなかった。

 音速を軽く突破する断層スクープテイザーが振られ、直撃をこうむった一人のエルフが吹き飛ばされた。鉄壁のカウンターとて無敵ではない、どんなバリアーにも共通することだが、強度を上回る威力を当てられたら破られる。攻撃を喰らったエルフは、なにが起こったのかさえわからずに体にななめに走った傷口を見て気を失った。もし、カウンターや精霊の力を何重にも使った防備をあらかじめしていなかったら、彼の体は両断されていたに違いない。

 仲間が助けようと彼に向かって飛んでいく。エルフの治癒の力は、死者をも蘇生させると言われるけれど、傷の具合によっては助からないことも当然ある。が、人数が半減したらいくらエルフの力でも怪獣を食い止めることはできなくなった。

 あらゆる攻撃を断層スクープテイザーで跳ね返し、オアシスに乱入したディノゾールリバースは怒りをぶちまけるように無差別に暴れまわる。こうなれば、エルフたちもオアシスそのものを破壊しかねないために、うかつな攻撃はできなくなった。いや、戦って勝つなどといったことがもはや不可能であることを彼らは理解せざるを得なかった。むしろこれ以上怒らせては、戦う力には乏しい女子供を守ることすらできなくなる。彼らは抵抗するのをやめて女子供を連れて逃げ、嵐が過ぎるのをじっと待つしかできなかった。

 

 魔法の鏡は記録したものを映し終わると黒一色に変わり、ジョゼフは必要のなくなったそれを持ち主に返した。

「いや、なかなか面白い見世物だった。サハラでは、あのようなことを毎日やっているのか?」

「同じようなことは、すでにサハラ全土で起き始めている。これまで地の底から現れた獣たちはどうにか撃退はしてきたのだが、空から現れる獣たちは地から現れるものたちとはまったく違う……なんとかその後、首都アディールから集めた戦士たちが協力して倒したが、被害は甚大だった」

 ビダーシャルは、暗い様子で続けた。

「精霊の力は、日に日に不安定になっていく。このハルケギニアでも、連日怪物の出現が増えていくのはそのためだ。歪んだ精霊の力が、地の底に眠っていたものたちを次々と呼び起こしているのだ」

「なるほど、言われてみたら報告にあがってくる、怪物につぶされた町や村の数が増えてきたような気がする。おかげで、軍も休む暇がないと大臣がぼやいていた」

 まるで人事のように話すジョゼフにビダーシャルは嫌悪感を覚えたものの、ジョゼフの人柄はすでに承知していたので無言で流した。

「大厄災を書き残したわずかな文献にはこうある。悪魔の力は、まずはじめに地より巨大なる獣を目覚めさせ、続いて汚された地に引き寄せられるかのように、空から異形のものどもが現れはじめた。これは、まさに今の世界の状況と一致する」

 マイナスエネルギーの波動が、地底怪獣、古代怪獣たちを復活させ、その混乱に付け入るように宇宙怪獣が現れ始める。ヤプールによって仕組まれた混乱は、ボガールが死んだ後も、宇宙怪獣をこの星に呼び続けていたのだった。

「事情はわかった。それで、余にどうせよというのだ? ネフテスの意思を述べよ。ビダーシャル卿」

「このまま精霊の力の変動を放置しておいては、混乱に拍車がかかる一方だ。根本的な対策が見つかるまでのあいだ、我にもこの地の精霊の力を鎮めよと命がくだった」

「精霊の力を鎮める?」

「世界はつながっている。この地の不穏はやがてサハラにも影響を及ぼすかもしれん。そのため、乱れた世の理を修正する。これは、精霊の声を聞けない人間にはできない仕事だ。そして、お前にも頼みたいことがある……」

 そのとき、窓の外から一陣の冷たい風が吹き入り、花瓶に生けられていた花を揺らした。

「ほう……なるほど」

 ビダーシャルの口から発せられた、一つの要請を聞き終わったとき、ジョゼフの口元には皮肉げな笑みが浮かんでいた。

「本気だな。お前たちエルフも」

「かつての伝説では、大厄災から我らを救ったという聖者によって、この世界の地の底には無数の魔物が眠りにつかされたとある。もし、それらが一斉に目覚めるようなことになれば、お前たちと我ら、どちらの世界も無事ではすまなくなる」

 そこには、ある種の悲壮感が漂っていた。

 対してジョゼフは、群青色の瞳を細めて、なにやら考え込むように瞑目している。実際、この要求は彼にとっても、かなり呑みがたい条件であると思われた。しかし、ビダーシャルに技術提供を受けて作ろうとしているものは、まだまだ中途半端で人間の力だけでは完成は望みがたい。ただでさえ破格の提供を受けている身、ここで要求を断絶され、それらを失うのは惜しい。ここでなんと答えるかが正念場であった。

「いいだろう。ネフテスには、余が了解したと返信するがよい」

「そうか……」

 交渉が受け入れられると、ビダーシャルは安堵したような色をわずかに見せた。

 

 会談が済むと、ビダーシャルはまるで逃げるように立ち去っていった。

「やれやれ、嫌われたものだな」

 人から嫌われるような性格だとは自覚しているけれど、エルフにも嫌われるとは重症らしい。まあ、どうでもいいことだ。今更治そうとも思わないし治るとも思っていない。

 ビダーシャルが去り、しばらく経つとジョゼフはシェフィールドを呼び寄せて尋ねた。

「今の奴の話、どう思う?」

「彼らは我々を蛮人とさげすんでいます。ビターシャル卿のおっしゃったことに、偽りはないものと思いますわ」

「余も同意見だ。それにしても、奴らもなかなかに無茶を押し付けてくれる。おかげで、余はこれから大臣たちに小言を言われねばならん。年寄りの話は長くて退屈で、うんざりするものだ」

「それだけに、相当切羽詰っているのも確かでしょう。自分たちの弱みを、わざわざ教えてくれるとは」

 シェフィールドの答えに、ジョゼフは満足げにうなずいた。エルフはあまりにも人間よりも優れているため、人間となんらかの接触を持つ場合でも『話し合ってやる』と、傲慢な態度に出ることがほとんどなのである。しかしそれゆえに、自身と対等以上の立場を持つ相手との交渉術は不得手であった。

「彼らエルフに比べたら、我ら人間がいかに汚れた種族かというのがよくわかるものだ」

 それは辛辣極まる皮肉であった。宮廷闘争を勝ち抜いてきたジョゼフにとって、人間をあなどってやってきたビダーシャルを手玉にとるなどは児戯にも等しい。しかし、エルフたちの思惑はどうあれ、ジョゼフにはジョゼフの目論見がある。

「かつてこの世界を破滅させたという大厄災か……眉唾物かと思っていたが、少々興味が湧いて来たな」

 暗い笑みをジョゼフはこぼした。ビダーシャルの言ったことが本当だとしたら、その時は現実にすぐそこまで来ているということになる。

「大厄災をもたらすものは、四つの悪魔の力……ふふふ、面白いではないか」

「ジョゼフさま」

「アルビオンのゲームは、余の敗北であった。しかし、どうやら次のゲームが見つかったようだ」

 プレゼントの小包を破った子供のような笑みがジョゼフの顔に満ちる。その主人の笑みを見て、シェフィールドも恍惚とした喜びを表した。

「ジョゼフさま、それでは……」

「うむ、世界を滅ぼすという力、それが余の掌中に収まったらどうなるか……エルフの先住、そして伝説の虚無の力、ゲームの賞品としてなかなかに食指をそそる。先日の件で、対局相手にもそれなりの力量があることも知れた」

 先日、リッシュモンを扇動して起こさせた事件の顛末はすべてジョゼフの知るところだった。反乱を事前に鎮圧し、国内をほぼ統一したトリステインのアンリエッタと取り巻きたち、アルビオンの阿呆な貴族たちよりは楽しめそうだ。

「言い伝えでは、始祖の血を引くものたちは、それぞれの国の王族の源流となったそうだ。ということは、各国にそれぞれ一人ずつ、虚無の継承者がいることになる。まずは、それをあぶりだすとするか」

「それは、いかようにして?」

「なに、始祖の力はその継承者が時を迎えれば目覚めるはずだ。ビダーシャルの言うとおりならば、虚無の担い手たちは自然に世に現れるだろう。ならば、それを少々後押ししてやろうではないか」

 計画を練るジョゼフの顔は、心底楽しそうにシェフィールドには見えた。

「では、まずはどの国から……?」

「ふむ、そうだな……おっと、忘れていたが、今度トリステインではアルビオンの新国王と婚礼の儀があるそうだな?」

「はっ、我が国からは、新鋭の戦列艦、シャルル・オルレアン号を使節として派遣する予定ですわ」

「シャルル・オルレアン……シャルルの、我が弟の名を受け継いだ艦か」

 その名を聞いたときの、ジョゼフの表情が何を意味するのか、シェフィールドにも判然とはしなかった。ジョゼフによって暗殺された弟の名を、この新鋭艦につけたのはほかでもないジョゼフである。その真意が何にあったのかを知るものは、ジョゼフ以外にはいない。

 ひとしきり考えたあとで、ジョゼフは含み笑いをするとシェフィールドに命じた。

「よいだろう。余のミューズ、お前に特に命ずる。お前の裁量で、派遣使節のすべてを取り仕切れ。ははっ、せいぜいガリアとして恥ずかしくないくらいに、身なりを整えさせよ」

「お心のままに……ご期待に添えられますよう、身命を注ぎますわ」

 ジョゼフからの信頼を一身に受け取ったと感じたシェフィールドは、その胸を熱くして頭を垂れた。

 

 

 続く



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第29話  嵐の前夜祭

 第29話

 嵐の前夜祭

 

 ゾンビ怪人 シルバック星人 登場!

 

 

 地球で言えば十一月に相当するギューフの月、トリステインは最大の活気に包まれていた。

「トリステイン万歳! アンリエッタ姫殿下、万歳!」

「アルビオン万歳! ウェールズ新国王に乾杯!」

 首都トリスタニアには着飾った人々であふれ、街並みの窓にはトリステインとアルビオンの旗が雄雄しくはためいている。

 この日、トリステイン王国のアンリエッタ王女と、再建なったアルビオン王国の若き国王ウェールズ一世との婚礼の儀、その前夜祭がとうとう始まろうとしていた。

 国内のあらゆる行事や祭事も中止となり、当然魔法学院もその期間は完全休校。生徒たちも貴族としての責務を果たすために、総出で式典に参列することになっている。

 ルイズも、カトレアに力を借りてようやく完成させた詔と始祖の祈祷書を持っておっとり刀で駆けつける。

 目指すは、トリステインとアルビオンの玄関口、港町ラ・ロシェールである。魔法学院の生徒たちはトリステイン代表の一員として、明日アルビオンからやってくるウェールズ国王のお召し艦を出迎えるという大役を預かっているのだ。

 ほかの生徒たちとともに、ルイズは学院がチャーターした馬車で三日をかけてラ・ロシェールについた。そこでルイズたちは、すでに街中を包んでいる喧騒に目を丸くして馬車を降りたのである。

「うわぁ、もうこんなに人が集まってるなんて!」

 街並みを一見しただけで、とてつもない数の人が集まってきているのが見て取れた。以前訪れたときの、ひなびた港町という印象はすっかり失せて、街中に世界各国から集まってきた観光客や、商売をもくろんでやってきた商人たちがごった返している。

「いやあ、これは平時のトリスタニア以上じゃないかな」

「ざっと二、三万人はいるんじゃないか。おれ、こんなに人間が集まってるの見るの初めてだ」

 後続の馬車から降りてきたギーシュたちも、ラ・ロシェールのあまりの賑わいぶりには圧倒されている。

 岩山を切り抜いて、平時は三百人くらいしか住民がいない殺風景な街並みの様子はどこにもない。今では、もとからある建物にはすべて人が入り、廃屋だった場所もなんらかの商店へと生まれ変わっている。また、街の外には街道を縫うようにして旅籠や土産物屋が急造されて軒を連ねている。商人のほかにも芸人や見世物屋台、旅の説法師などがよりどりみどり。それでもあぶれた人々はテントを張ったり、小屋を建てたりして、まるでラ・ロシェールの街が十倍に膨れ上がったかのようなとてつもない賑わいだった。

 馬車駅に全員の馬車が到着すると、引率の教師たちは生徒たちに告げた。

「では皆さん。ここでいったん解散にします。夕食の時間までは自由行動としますが、魔法学院の生徒としての自覚をもって行動するように、以上!」

 あっけにとられながらも、生徒たちは馬車駅から街中にあるホテルへ向かうために歩き始めた。でも、ごったがえしている街中では、貴族であろうと道を譲られることはほとんどない。やってきた生徒たちはあっという間にバラバラになって、ルイズと才人たちも、ギーシュやキュルケなど見知った面々とだけいっしょになって、人々をかきわけて進んでいく。

 

 そうして街中へと歩を進めていくと、才人にとって、もはや懐かしくも耳に染み付いた声が呼びかけてきた。

「おーいサイト! サイトじゃないか」

「あっ、ミシェルさ……姉さん!」

 振り返ったとたんに手を握り締めてきた義姉に、才人も満面の笑みで応えた。

「久しぶりだな。元気だったか?」

「おかげさまで、毎日ルイズの雑用しながら楽しく過ごしてますよ。姉さんも、お元気そうで」

 才人が答えると、姉さんと呼ばれたことでミシェルはうれしそうに笑った。見ると、警備任務の途中だったと見えて、後ろには見知った銃士隊の人たちもついている。彼女たちは、才人の姿を認めると、自分たちは目配せをしあって一歩下がった。その様子に、才人は王宮での姉弟三人で胴上げされたときのことを思い出す。二人とも、前に比べて少し髪が伸びていた。

「わたしも、あれ以来このとおり、元気にやってるさ。ところで、お前またミシェル”さん”と言いかけたろ?」

「あ、やっぱりバレてました? ごめんなさい」

「いいさ、習慣ってものはなかなか変えられないものだ。わたしも、変わるまでにはずいぶん遠回りをしてしまったことだし……とにかく、会えてうれしいぞ」

 苦笑いしながらごまかした才人と、笑ってそれを許したミシェル。そんな彼女の笑顔に、才人も胸の奥から充足感が湧いてくるのを感じた。以前の、目を離したらどこかに消えてしまいそうな儚さに代わって、春の野花のような明るさと力強さに満ちている。この笑顔を取り戻すために自分の力が役に立ったのだ。

 そうして才人とミシェルが親しく話していると、後ろからキュルケやギーシュたちも出てきた。みんな、才人が「姉さん」と呼んだことに注目している。

「サイト、きみいつのまにそんなきれいな姉を得たんだい?」

 ギーシュの疑問ももっともであった。というより、才人とミシェルの関係を推理することができる者がいるとしたら、それは現世の者ではあるまい。才人は、ハルケギニアでの身分の後見人として、ミランという名字をもらったことを簡潔に説明した。

「なるほど、そういえば先日銃士隊のアニエス隊長がやってきたとき、コルベール先生とそんな話をしてたなあ」

 そのとき、才人は偶然学院を留守にしていたのであいまいにうなずいておいた。ミシェルは、ギーシュやキュルケたちを見て「お前たちも久しぶりだな」と話しかけている。その気さくで陽気な様子に、キュルケやタバサはともかく、王宮で会って以来のギーシュなどは本当に同じ人かととまどったほどだ。

「ところで、姉さんがいるということは、アニエス姉さんもここに?」

 まだ、「姉さん」という呼称には照れくささがあるものの、そう聞くとミシェルはそのとおりだとうなずいた。

「ああ、銃士隊もここの警備に狩りだされてな。姉さんは、いや、隊長は港の本部で指揮をとっている」

「へえ、大任ですね」

「陸戦に限っては、銃士隊はもうトリステイン最強と誇ってもよいからな。それだけじゃないぞ、上を見てみろ」

 言われたとおり、首を上に向けてみると、空にはぽつぽつと、ごまをふったような黒点がいくつも旋回しているのが確認できる。

「ようやく再建がなった各魔法衛士隊の幻獣たちだ。これだけの式典だ、どこから何者の妨害が入っても対応できるように万全の布陣を敷いている。それに、入場者のチェックにも魔法だけでなく、貴族に対しても身体検査や犬を使った確認まで徹底しているのさ……アルビオンの轍を、踏むわけにはいかないからな」

 最後の部分を小声に変えたミシェルの言外に匂わせた意味に、才人だけでなく、ルイズやキュルケやタバサ、あのときアルビオンにいた者たちは一様につばを呑んだ。

 アルビオン王国の深部が蚕食され、ウェールズまでもが傀儡に変えられていた事実は記憶に新しい。むろん、このことは公にはされていないけれども、トリステイン、アルビオン両国ともに過敏になっていて当然のことであった。ミシェルも、以前ワルドに刺された古傷を、苦笑いしながらなでている。

 港も今日は船の入出港はなく、関係者以外の立ち入りは厳禁されている。周辺の空域にも、トリステイン空軍の艦艇や、手だれの竜騎士やグリフォン、マンティコア隊が配置され、万一の事態に備えて蟻一匹見逃さぬ、厳重な警戒網を敷いていた。

「ただのお祭り騒ぎじゃ、ないってことか」

「当然よ。祭典や式典のときっていうのは、暗殺者にとって絶好の機会ですもの、いくら警戒厳重にしてもしすぎるってことはないでしょう」

 うかれ気分に冷や水をかけられたような才人にルイズが釘を刺した。レコン・キスタや不平貴族の残党、その他国内の混乱をもくろむ者たちにとって、トリステインの要と同盟国の元首を同時に抹殺できるこの機会は二度とないだろう。

 実を言えば、魔法学院の生徒たちがウェールズ国王を船から出迎えるということにも、護衛の意味合いが込められている。少年少女ばかりとはいえ、メイジが数百人もいるところを襲うような無謀な暗殺者はまずいない。恐れるとなれば、生還を期さずに死なばもろともと自爆を試みるやからだが、そうして心配していてはきりがない。

 いきなり、責任重大だということを自覚させられたギーシュは身震いした。

「ううむ。も、もしものときはトリステインの貴族として、この身を盾にして陛下をお守りせねば」

「せいぜい頑張ってね。首は無理だけど、手や足なら千切れてもくっつけてあげるから」

 から元気を張るギーシュをモンモランシーが冷やかして、ギーシュが「そ、そんなぁ」とへこむのも、今では見慣れた光景であった。

 すると、情けなさそうにしているギーシュの肩をキュルケがぽんと叩いた。

「まあ安心しなさいよ。いざとなったら三年生もいるし、あたしやタバサが助けてあげるからさ」

「ちぇ、トライアングルは余裕があっていいねえ。君たち、もう少し男性を立ててくれないかね?」

「そういうことは、ミスタ・ジャン・コルベールくらいになってから言いなさい。ああ、あのとき危険を省みずに飛び込んできた勇姿といったら! いままで見過ごしていた自分が恥ずかしいわ」

 祈るようなポーズで天をあおぐキュルケに、ルイズとモンモランシーは呆れた調子で顔を見合わせた。

「また始まったみたいね」

「しかも今度はミスタ・コルベール。前にふられた男たちに同情するわ」

 キュルケの”微熱”という二つ名を思い出した二人は、ついていけないわねと同調した。

 一方で才人も、ガンダールヴではなくなってるので昔ほどの働きは望めないけれど、いざとなったら頑張りますと胸を張る。

 しかし、そうしてまかせてくれと意気をまく才人たちに、ミシェルたちは複雑な笑みを見せた。

「気持ちは受け取っておこう。だが、本当に万一のときには我々本職に任せて、お前たちはとりあえず自分を守ることを考えろ」

「そんな! 平民を守るのがきぞ」

 真っ先に反論しようとしたルイズの口元にミシェルの手が伸びて、その先の言葉を押しとどめた。そして、同じように納得できないと顔をしかめているギーシュやキュルケなどの顔も見回すと、教え諭すように語った。

「わたしも、銃士隊の副長、それ以前にもいろんな人間の死と向き合ってきた。いちいち数えてはいないが、目の前で死体になった人間の数は三桁を下るまい。貴族は国のために命を賭し、貴族は平民を守る。魔法を使えるお前たちが、使えないわたしたちより役に立つのは確かだろう。しかしな、この世の中にはもう一つ、『死ぬのは歳の順』というきまりがあるんだ」

「歳の、順?」

「ああ、お前たちと会う前のことだが、うちに一人、お前たちと同じくらいの隊員がいた。わたしなんかよりずっと明るくて器量がよくて、剣士としても才能があった……でも、そんなやつも初陣のオーク退治であっさりと死んでしまった……生きていたら、わたしなどより副長にふさわしかったかもしれん」

 憂えげに独白するミシェルの悲しげな横顔は、ルイズたちから覇気をもぎとっていた。

「覚えておいてくれ。誇りや使命のために命を賭けるのも間違いなく尊いことだ。でも、年上の人間にとって、年下の仲間が自分より早く死んでいくことほど悲しいことはないんだ」

 多くの死を目の当たりにしてきた者であるからこそ、彼女の言葉には重みがあった。時には部下にむかって「死ね」と同義語の命令を下さなければならない立場だからこそ、無益な犠牲は何より嫌う。同時に、若い人間から先に死んでいくことから、戦争というものがいかに愚劣な行為かがわかるだろう。

 もちろん、”万が一”という事態が起きたときに一番危険なのはアニエスやミシェルたち銃士隊なので、才人は心配そうにミシェルを見た。

「ええっと……無理は、しないでくださいね」

「おいおい、無理をするのが我々軍人の仕事なんだ。あまり無茶はいわないでくれ。でも、お前のことだ、わたしや姉さんだけでなく、銃士隊の誰が戦死したって号泣してくれるんだろう。そんなんじゃあ、気が気じゃなくておちおち死んでられないさ。なあ、お前たち」

 ミシェルが振り返ると、彼女についてきていた二人の隊員も気恥ずかしそうにうなずいた。

 戦いの中で死ぬ覚悟をつける、というのは軍人として特に珍しいことではない。が、そんな覚悟とは別件に生きる欲求……いや、生きる義務感が芽生えてくるのはなぜなのか? 例えるのは難しいが、幼子を持つ親が、どんなに過酷であろうとも仕事を投げ出さないようなもであろうか?

「やれやれ、柄にもなく説教臭いことをしてしまったな。こういうことは大方隊長に押し付けたいのだが」

「アニエス姉さんなら、「ひよっこは下がってろ!」の一喝だと思いますよ」

「かもな」

 二人は顔を見合わせて大いに笑った。気を張る必要がなくなったからか、ミシェルは本当に明るくなった。そういえば、ルイズやアニエスも出会ったばかりのころはほとんど笑わなかった。やっぱり、女の子は笑っているときが一番美しい。そういえば、なんだかんだ言っても面倒見のいいところは、姉のアニエスに似てきているかもしれない。

 ミシェルはそうしてギーシュたちに、「まあそういうことだ。急がなくても死に場所なんてものはめぐってくるときはくる。焦らずに出番は年長者に譲っておけ」と切り上げた。それ以上話すこともできたけれど、若者は長話は聞かない。心の隅に軽く止めておいてもらうだけでも、今はそれでよかった。

 それよりも、ミシェルには話したいこと、話したい相手が目の前にいるのだから。

「話を戻すが、警備は我々軍が責任を持ってするから、お前たちは気兼ねなく楽しむといい。ただし、騒ぎを起こしたらお前たちでも容赦なくしょっぴくぞ」

「はい、気をつけます」

「よし。それでまあ、固い話はおいておくとしてだ……な」

 そこで、ミシェルは軽く間をおくと才人の目の前でじっと彼の目を見つめてきた。

 才人は、はてなと頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるような怪訝な表情をする。

 なんだろう? おれなにかしたかな? と、才人は思い当たる節がない。だが、ミシェルは才人にいきなり抱きつき、才人の頭を脇の下に入れて、がっちりとヘッドロックの姿勢に持っていった!

「お前ってやつは! 学院に帰ってから今日まで一度も会いに来てくれないじゃないか! わたしがどれだけ寂しかったと思ってるんだ!」

「あいててて! ちょ、ギブ! すいません! おれにもいろいろ事情があって」

「うるさい! 私は仕事を抜けられなくて、待つしかなかったというのに。それに、このあいだは学院が三連休に入るっていうからもしかしたらと期待して、信じてたのに! お前はなにか? 釣った魚にはエサはやらないって奴なのか!?」

 と、それまで我慢していたうっぷんが爆発したミシェルは思いっきり才人を締め上げた。才人にも一応、ルイズの詔をいっしょに考えなきゃなかったりと言い分はあるのだが、女心に理屈が通じると思う奴はバカの一言で片がつく。

「すみません! 会いに行かなかったことは謝りますから、許してください」

「そうはいくか! ここで会ったが百年目だ。それに、お前はまだそんな他人行儀なしゃべり方で! よーし、謝る気があるんなら、今日は一日手伝ってもらおうか」

「ええっ!? で、でも……」

「なんだ、姉さんが苦労してるときに黙ってるなんて薄情な弟だな、お前は」

 才人としても、銃士隊の手伝いができることはやぶさかではない。ガンダールヴの力はなくなってるので、警備の役には立たなくても、猫の手も借りたい状態では雑用でもなんでもあるだろう。また、ミシェルの言うとおりに、ろくに会いにもいかずに寂しがらせてしまった罪悪感もある。「好きだよ」と言ってもらったあの日のこと、その思いは重々承知していたはずなのに……

 ギーシュたちが唖然としてる前で、気持ちが定まらない才人はズルズルと引きずられていった。

 が! 才人がこういう状況になって、そのままただですんだことはない。そう、こんな状況を見てルイズが黙ってるはずはないのだ。才人の手をつかんで、力の限りに引っ張りあげる。

「この! 離しなさいよ! あんたはなに人のものに勝手に手を出してるの!」

「姉が弟を連れて行ってなにか悪いのか? 貴女こそ、家族の触れ合いに手を出さないでもらえるか?」

 ミシェルも一歩も引かずに、ルイズの頭に一気に血が上る。

 家族ぅ!? 冗談じゃない、才人を家族に入れるのは自分のほうだ!

「調子に乗るのもそのへんにしておきなさいよ。久しぶりだっていうから大目に見てあげてたら。いいこと! サイトは頭のてっぺんから足の爪の先までわたしのものなのよ!」

 久しぶりに、ルイズのやきもちが燃えた。才人と恋人宣言をしてからこれまで、才人とのあいだに入ってくる女のことを意識しなかった分、反動とばかりにすごい腕力が発揮される。男の才人の力でも、全然敵うものではない。

 

 それを見ていた友人たちは、三角関係と呼んでいいのか適切ではないかもしれないが、だいたいの事情を理解すると、それぞれらしい反応を見せた。

 ギーシュは、「サイトも隅におけないなあ」などと、まるで不肖の弟子を見るようにうなずいた。

 モンモランシーは、才人のどこにあれだけ好かれる要素があるのかと首をかしげる。

 キュルケは、「情熱ねぇ」と感心し、タバサはいつもどおりそ知らぬ顔。

 総じて、じっくりと観察している。

 

 だが、見世物にされているほうはたまったものではない。

「ぐぁぁっ!?」

 ほぼ大岡越前状態である。違うのは引っ張っている二人とも離すつもりがないということだけ。ギーシュなどは「うらやましいものだ」と口を滑らせてモンモランシーに足を踏まれているけど、当の本人はそれどころではない。

「お、おい! おれを殺す気かあ!」

「なに言ってるの、大事なあなたを死なせるわけないじゃない。でもね、わたしのものはわたしのもの、だからあんたはわたしのものなの」

 独占欲丸出しでムキになるルイズ。

「日中サイトを独占してるくせに、少しはこっちに還元しても罰は当たらないんじゃないかな? サイトだって、たまには息抜きも必要だろうに」

 ミシェルのほうも負けてはおらずに、今日こそ才人をと執念を見せる。なお、ミシェルの部下の隊員たちは、止めるどころか「がんばれ副長!」と応援している。こういう方面では、学院の女子も銃士隊もなんらの差もありはしないようだ。

 レオとアストラに袋叩きにされているアトランタ星人のように、才人はルイズとミシェルの二人に挟まれて、右に左にと引っ張りまくられた。しまいには、ミシェルが才人の頭を抱きかかえて、ルイズが才人の足をねじ上げるせいで逆エビ固めのポーズとなり、才人の背骨がミシミシと軋み声をあげる。

 そんな才人を見ても、誰一人仲裁にも入らないのは見慣れた光景であるからだけではない。いや、むしろ止めたら才人に悪いと思っているからで、それは。

「死ぬ死ぬ! 死ぬって! でも、ちょっといいかも……」

 よーく観察したら、ホールドされている位置関係で、ミシェルの胸が才人の顔にもろに押し付けられていた。窒息寸前だというのに本能というものは悲しいものである。ようやく解放されたときには、才人は十回近く咳き込んだ後でルイズに蹴り飛ばされるはめになってしまった。

「まったく、このエロバカ!」

「そうはいっても、これは男の不可抗力といったところで」

 抗弁してもルイズに聞く耳がないのはいつものことである。まるで簡単にへし折れるギャンゴの回る耳のようだ。イカルス星人とまではいかなくても、フック星人くらいの耳はあってほしいと才人は思った。

 むろん、ルイズの怒りは才人だけにとどまらない。ミシェルにも、当然ながら食って掛かった。

「あんた! 調子に乗るのもいいかげんにしなさいよ! サイトに助けられて、その気持ちもわかるわ。でも、恩義を傘に人のものに手を出そうだなんて最低よ。サイトはね、わたしを好きだって言ったんだから」

「知っているさ。けれど、人を好きになる権利は誰にでもある。貴族のお前が平民のサイトを好きになったように、私もサイトのことが好きだ。今なら胸をはって、心から愛していると言える。お前のほうこそ、サイトの気持ちを知っているなら、なぜもう少し親密にしてやれない? お前にはまだどこかサイトのことを、主人と従者、あるいは自分の持ち物のように扱う風があるように見える」

 ミシェルの指摘に、ルイズはぐっとなって一瞬言葉を詰まらせた。

「それは……貴族には、それなりの体裁を整えなきゃいけないことも多いのよ!」

「体裁か、私も元は貴族……いや、今は貴族に戻ったか。だからわかるが、私の父と母は、家にいるときは貴族など関係なく明るく優しかった。今の仲間たちとなんら変わらないようにな。それに、お前の友達は少しも体裁など気にせずサイトとつきあっているようだが?」

 ルイズはぐぅの音も出なかった。そのとおりだ、今では才人の貴族の友人で、貴族らしく肩を張っている人間など一人もいない。一番近いところにいながら、一番才人を遠ざける態度をとっているのは他ならぬ自分自身なのだ。

 むろん、ルイズももっと素直になれたらいいと思っている。一度だけだが、才人に好きだとも言った。しかし、長年積み重ねてきたプライドや、身に染み付いた貴族の慣習はすぐには変われない。変わりたいと思っても、その度にそれらが出てきて邪魔をしてしまう。そんな葛藤が顔に出たのか、ミシェルは今度は穏やかな声色でルイズに言った。

「それがお前のやり方だというなら、それもいいんだろう。サイトも、そんなところが好きなようだしな?」

「え!? おれ? いや、そりゃまあ……」

 唐突に視線をぶつけられた才人はとまどったが、まんざらでもないような様子にミシェルは笑った。

「本当に、一番にサイトに会えなかったのが悔しいよ。ミス・ヴァリエール、わかってると思うが、こんな物好きな男、手を離したら二度と現れないぞ」

「わ、わかってるわよ、それくらい!」

「なら、もっと努力することだ。サイトの優しさに甘えているようじゃ、いつか後悔することになる。もしも、お前がサイトを不幸な目に合わせるようなことがあれば、私は決して許さない。力づくでも、私はサイトを奪っていく」

 ミシェルの目は、冗談でもなんでもなく本気だった。ルイズは、その気迫に息を呑み、彼女の本気には自分も本気で向き合わないとだめだと思った。

「あ、あんたなんかにとやかく言われる筋合いはないわ! サイトと、こ、こここ……恋人になったのはわたしのほうなんだから! だから、サイトに手を出すなら、わたしが許さないんだから!」

 それが、ルイズのミシェルからの宣戦布告に対する回答だった。そばで聞いていたギーシュやモンモランシーは、あのルイズがここまで!? と、仰天し、当の才人はルイズが恋人と呼んでくれたことに正直に感激して涙を流していた。

 そして、ミシェルはビシッと自分を指差しているルイズを見返すと、なぜか満足げに微笑んで。

「それはだめだな。サイトよりいい男なんてそうはいないよ。私をあきらめさせたかったら、さっさと結婚まで持っていくことだ。それにな……」

 と、ミシェルはルイズの耳元に唇をよせると短くつぶやいた。

「姉として、弟に悪い虫がつかないように見張らなきゃいけないからな」

「このっ!?」

 抗議しようとするルイズをよそに、ミシェルは悠々と背を向けて去っていく。でも、単純なルイズが怒ったように、ミシェルに二人の恋路を邪魔しようとかいう悪意はない。むしろ、気を抜くなと発破をかけているのである。表面上は順調なように見えても、大貴族と平民、まだまだ二人の先にふさがるであろう障害は多いに違いない。しかし、こうして人を気遣う余裕も、少し前の彼女ならとてもなかったであろう。

 内心の切なさを表情には出ないようにしながら、ミシェルは人生最大の恩人であり思い人の顔を見て思った。

”サイト、今でも大好きだよ。でも、やっぱりお前はミス・ヴァリエールといるほうが楽しそうだな。寂しいが、私はお前の姉で充分だよ……”

 好きな人がそばにいるから、それだけで満足だ。恋人でなくてもいい。ただ、あなたのそばにいられるだけで、私は幸せなのだよ。

「副長、そろそろ……」

「おっと、そうだな。じゃあサイト、非番になったら遊びにいくからな」

 ミシェルはそう言うと、部下を引き連れて任務に戻っていった。才人は手を振って見送り、ルイズは「来なくてけっこう!」と、塩をまきそうな剣幕だ。

 

 さて、早々に親しい顔と対面して意気を大きくあげた才人だったが、その後は少々怖い眼差しを送ってくるルイズのおかげで、祭りの雰囲気を楽しむどころではなくなっていた。ギーシュたちは痴話げんかの巻き添えはごめんだと、いつの間にか人ごみの中に消えてしまっている。

 薄情者たちめ! 心の中で叫んでも、結局才人のテレパシーは誰にも届くことはなかった。

 

 その後、ほかの生徒たちは学院で予約したホテルにまずは直行し、荷物を置いた。馬車旅はけっこう揺られるので思ったよりも疲れるものだ。一方、ルイズはその前に港に向かうと、国の役人に始祖の祈祷書と完成した詔を提出した。

「それでは、よろしくお願いします」

「承りました。それでは詔のほうは実行委員会のほうへ送付いたしますので、ヴァリエール嬢の詔も審議され、選ばれた巫女はトリスタニアでの式典開始の際に発表されます」

 これで、後は運を天にまかせるのみである。ルイズは、ほかの巫女候補がどんな詔を考えたかは知らないけれど、ちぃ姉さまといっしょに考えた詔が落選するはずはないと心に強く祈った。

 けれど、それで立ち去ろうとしたところ、役人に呼び止められたルイズは始祖の祈祷書を返されて告げられた。

「お待ちを、始祖の祈祷書のほうはそのままお持ちください。祈祷書はラ・ロシェールから途中の町々で人々に祝福を与え、巫女候補の者たちによって運ばれていくことになっておりますので、ヴァリエール嬢にはその最初の一人になっていただきます」

「わかりました。喜んで承ります。神のしもべとして、立派に大役をはたしてごらんにいれますわ」

 思わぬ大役をおおせつかったルイズだったが、一切の躊躇なく一礼して拝命した。

 才人は、そういうルイズの『貴族の責務』というところをまだ完全に受け入れられたわけではないけれど、今回はせいぜい聖火リレーのランナーのようなものだろうと軽く考えて、特に文句はつけなかった。

 

 さて、一足遅れでホテルにチェックインした二人はとりあえず荷物を下ろして人心地ついた。

 敏腕秘書のロングビルが結婚式の予定が立ってすぐに予約をとっていてくれただけはあり、部屋を取れていない生徒は全校生徒の中で一人もいなかったのはたいしたものである。

 二人が一夜を過ごすことになったのは、それらのホテルの中で一番立派な『女神の杵』亭だった。もっとも、上等な部屋は最上級生にとられてしまっていたので、二人が泊まるのはルイズの部屋とあまり差のない個室だった。

「はふう」

 ベッドの上に祈祷書の入ったカバンを置くと、ルイズはごろりと横になって息をついた。同時に、才人も二人分の着替えを詰めたバッグを床に置く。以前の旅の経験があるので、今回は必要最低限も最低限に抑えられていて、バッグひとつですんでいた。

「ご苦労さん。これでひとまず、今日やることは終了よ」

「そりゃ助かる。じゃ、とりあえずおれらも下に降りてメシにしようぜ」

「はぁ、あんたはほんとに物言いがはしたないところは治らないわねえ。いい、紳士淑女というものは……」

 と、ルイズがご高説を述べようとしたところで、彼女のおなかがきゅううとかわいい音を立てた。

「……遅れたから、もうみんな引き上げて食堂はすいてるでしょう。いくわよ」

「G・I・G」

 実を言うと、ルイズも空腹を我慢していたのだった。

 『女神の杵』亭の食堂は、貴族が使うだけあって広々としてなかなか立派なものであった。テーブルには純白のクロスがかけられ、食器は銀製である。その中で小さめの席をとった二人は、向かい合って少し遅めの昼食をとった。

 しかし、日本にいたころも外食といえばせいぜいファミレス程度の才人には高級ホテルのマナーなどはさっぱりわからない。そのため、食事を始めて早々に、才人はルイズ直伝のテーブルマナー講座を受けることになった。

「サイト、ワインを飲む前には口を拭きなさいよ。それから、食器に音を立てさせたらだめよ」

「はいはい、わかりましたよお嬢様」

 ルイズの講習は、さすがに母親があれなのでとても厳しいものだった。おかげで、せっかくのご馳走だというのに思うように食べられない。

「おい、そんなに細かくやってたら冷めてしまうぞ」

「だったら一度で覚えなさいよ。今日は二人だからいいけど、そのうちなにかのパーティなんかに出たときに無作法で恥をかくのはわたしと、ひいてはヴァリエール家になるのよ。いい機会だから、この際基礎はみっちり教えておいてあげるわ。それとも、二人そろってお母さまのレッスン受ける勇気があるの?」

「ご教授、お願いいたします……」

 エレオノールの二の舞はまっぴらなので、才人はぶつくさ言いながらも従った。

 でも、正直をいえばルイズは才人といっしょに二人きりで外で食事する機会などは最近なかったから、内心うれしくてしょうがなかった。なにせここには普段邪魔するうるさいのが一人もいないのだ。ナプキンでさりげなく隠しても、ついつい口元がにやけてしまう。

 しばらくすると、才人のテーブルマナーも一応は見れるようになってきた。肉をナイフで切り刻み、フォークで口元まで運ぶのは地球となんら変わらない。やがてそこそこ腹も膨れてきた二人は、自然と結婚式のことに話題が向いていった。

「ところでルイズ、慌しく出て来たけど、この結婚式はこれからどうなるんだ?」

「なんだあんた、そんなことも知らずについてきてたわけ? 相変わらずのんきというか。しょうがないわね、じゃあこのわたしが、優しく! 親切に! わかりやすく! 説明してあげるから感謝しなさい」

「遠まわしにバカと言われているような気がするが、まあいいや。よろしく頼む」

 才人からの気のない拍手を受けて、ルイズは得意げに胸をはって解説をはじめた。

 式のざっとした予定は、ラ・ロシェールからトリスタニアへのパレード。次にトリスタニアでの婚礼式典と、三日間におよぶ各種行事、それから両夫婦によるアルビオンまでのパレードと、ロンディニウムでの祭りとなり、実に一月近くをかけた壮大な結婚式となるわけだ。

 それらの予定を説明された才人は改めて感心すると同時に、両国がこの式典にかけている意気込みを知って、その凄みに身震いさえ覚えた。

「金かけてるなあ」

「まあね。ヴァリエール家もかなり出資したそうよ。でも、ヤプールの襲来以来、トリステインにはいつまた襲ってくるかわからない超獣に対する恐怖心が巣食ってるし、アルビオンは内乱からようやく国を立て直したばかり。ここは、国庫を圧迫してでも国民の不安感をぬぐわないといけないのよ」

「……おれには政治はわからねえが、自分の結婚式まで利用しなきゃいけないなんて、姫さまも気の毒だな」

「そうね。王族の責務とはいえ、つらいわよね。でも、ずっと願い続けたウェールズさまとのご結婚だもの、姫さまが不幸なわけはないじゃない。みんなで喜んであげなくちゃ」

「そうか……そういや、そうだよな!」

 少し陰鬱になっていた才人は、ルイズの言葉に心の中のもやを祓われたような気がした。こんなとき、いつでも前向きなルイズのはげましは大きく力になる。第一、これは祭りなのだから楽しまなくては損だ。大きく息を吸い込み、背伸びをした才人はルイズにこれからの予定を尋ねた。

「今日は前夜祭だから、ホテルにチェックインしたらあとは特に予定はないわね。さあてと、ところでサイト、あなたの世界ではお祭りがあったらどうするの?」

「なあルイズ、街を歩いてたらさ、パイやソーセージの屋台があったんだけど、お前もう満腹か?」

 そう言うと、才人は横目でルイズの横顔を見つめた。するとルイズも、視線だけをこちらに返してきて、二人は同時にニヤリと笑った。

「か、勘違いしないでよね。これはあくまでお祝い、遠慮したら姫さまに対して無礼になるわ。貴族たるもの、いついかなる場合においても、礼節をわきまえ、平民の模範になるように心がけないといけないわ」

「よし、じゃあ明日までホテルで休んでるか?」

「サイトぉ……」

「冗談だよ。じゃ! 今日は夕食をキャンセルして楽しむか?」

「わかってるじゃない!」

 祭りの魅力に抗することのできる子供は少ない。普段何かと意見の食い違いの多い二人も、このときばかりは完全な意見の一致をみた。

 学院のクラスメイトたち、キュルケとタバサ、ギーシュとモンモランシーはとうの昔にどこぞに遊びに出かけていって影も形もない。見えはしなくてもほかの生徒も同様であろう。第一、ここでじっとしたら後々一生後悔するという、確信めいた予感があった。

 

 季節は冬に入り、あっという間に日は落ちて真っ暗になる。だが、ラ・ロシュール近郊は大量の明かりで埋め尽くされて、不夜城のようにその夜君臨し続けていた。その明かりの中で、生徒たちだけでなく教師たちも、日頃の垢を存分に落として楽しんだ。

 見世物や菓子の屋台、踊りや歌のステージ。生徒たちはただの子供になって、その中ではしゃいでいる。

 さらに、中にはもっと楽しいところもないではなかった。

 が、それらの内容については彼ら自身の名誉にも触れる恐れがあったと見え、なにをしてきたかについては大半の者が口を閉ざした。が、深夜になっても帰ってこない生徒を教師が探し回ったり、なぜかパンツ一丁でホテルに戻ってきた馬鹿者が怒鳴りつけられたあげく、貴族らしからぬ鉄拳制裁を受けさせられた光景もちらほら見かけられたことから、目撃者は大体の想像はついたようである。

 才人もルイズに無理に飲まされた酒のせいで警備の衛士に捕まりそうになり、危うくミシェルに助けられたりした。さらに、その後は今度は酔いつぶれたルイズに引きずりまわされて、気がついたら二人揃って銃士隊隊舎のベッドで寝かされていたりした。当然、その間自分が何をしていたかの記憶は一切残っておらず、運んできた銃士隊員たちも口を閉ざしていた。

 悲喜こもごも、楽しい思い出もろくでもない思い出も一緒くたに、一生残る記憶を築き上げていく。そういうものも祭りの風物詩といえばそうである。

 

 

 しかし、平和と幸福を祈る祭典の陰で、騒乱と悲嘆を望むものの目論見は着々と進行しつつあった。

 

 夜もふけ、月も隠れた漆黒の闇の中を、ガリアからトリステインへと向かう空中船が一隻あった。

 船の名は『シャルル・オルレアン』号。ガリア空軍の主力である両用艦隊の旗艦であり、全長百五十メイルの巨体と、二百四十門もの大砲を備えた威容は、ハルケギニア最強の戦闘艦の称号を欲しい侭にしている。

 しかし、その巨艦の体内は、いまや惨劇の場と化していた。

「うわぁっ!? な、なんだお前たちは!」

「ば、バケモノ!」

「ミ、ミイラだ! ひええ」

 船内のあちこちに突然何の前触れもなく異形の者達が出没し始めた。そいつらは、干からびた茶色い皮膚をし、まるで生きているとは思えない生気のない姿で、うめくような声をあげながら船内をさまよう。そして、生きた人間を見つけると、口から灰色の怪光線を放って襲い掛かり、それを浴びた人間は蝋人形のように体色を失って倒れていった。

 船内は逃げ惑う人間でパニックになり、追い詰められた者は容赦なく餌食にされていく。そんな中でも、軍人として鍛えられた船員たちの中には、手に手に槍や杖を持って立ち向かっていった勇敢な者もいた。

 だが……

「こ、こいつら不死身なのか!」

「ま、魔法が効かない。そんな」

「よ、寄ってくるな。助けてくれぇ」

 ミイラたちはあらゆる攻撃を受け付けず、逆に手向かってきた兵たちをことごとく餌食にしていった。

 船内は阿鼻叫喚のちまたと化し、絶叫と怒号は船の隅々まで響き渡っている。

 そんな地獄の叫びを、シェフィールドがマストの頂上に立って冷たく聞き流していた。

「チャリジャめ、得体の知れない奴だが、確かにあいつの持ってくるものは役に立つわね。魂を吸い取る、屍の亜人の軍勢とは恐れ入るわ」

 感心したようなシェフィールドのつぶやきが、惨劇のすべてを物語っていた。船員たちを襲っているミイラは、シェフィールドが運んできてばらまいたものだったのである。屍の元の名はシルバック星人、元々は外宇宙のシルバック星に住む理知的な宇宙人であったが、彼らは宇宙船で移動中に”ある事故”に会って全滅し、その屍だけが人を襲う怪物に変化してしまった者たちだった。

 シェフィールドは、船内から響いてくる悲鳴を、耳を塞ぎもせずにそのまま聞き、口元に薄笑いを浮かべた。

「この船のクルーたちには、かわいそうなことをしたと思うけれど、まあ運がなかったと思って諦めなさい。ジョゼフさまのゲームの駒としてこの船は役立つんでね。ジョゼフさまの大望の捨て石になれることを栄誉として、エサになりなさい」

 すべてはジョゼフのため。主に喜んでもらうためなら、シェフィールドにとってこんな船の一隻や二隻、惜しくなどはなかった。

 船内からの悲鳴はしだいに乏しくなり、魔法の炸裂する振動も伝わらなくなってきた。『シャルル・オルレアン』は、その威容をそのままにして、所有者を生者から死者へと変えたのである。不気味な沈黙が甲板を支配し、唯一の生者となったシェフィールドは、マントをひるがえすと空を見上げた。

「さて、じゃあそろそろ逃げないとわたしも危ないね」

 ぽつりとつぶやき、シェフィールドはエイ型のガーゴイルを呼び寄せて飛び乗った。黒色のガーゴイルに乗った黒衣のシェフィールドの姿は、闇に溶け込んで、闇夜のカラスかコウモリを思わせる。

 そうして、五千メイルばかり『シャルル・オルレアン』号から距離をとったシェフィールドは、いったんガーゴイルを止めて振り返った。『シャルル・オルレアン』は、内部であんな惨劇が起きているとは思えない姿で、舵のおもむくままにゆっくりと航行を続けている。

 ふと、舷側から一艘のボートが切り離され、次いでふわりと浮き上がって母船から離れていくのをシェフィールドは見た。生き残った船員が、救命ボートに命からがら乗り移って脱出したのだろう。

 だが、シェフィールドは追いもせずに、むしろ哀れむようにそのボートを見た。そしてその数秒後、ボートの上空、雲の中から怪光線が照射されて、浴びたボートは木の葉のようにまっ逆さまに墜落していった。

「終わったね……いえ、これが始まりかしら……トリステインにアルビオン、ジョゼフさまと私からの黒い花束、確かにお贈りいたしましたわよ」

 

 『シャルル・オルレアン』号に向かって、巨大な影がゆっくりと降下していき、包み込んでいった。

 

 

 続く



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第30話  封じられたウルトラタッチ

 第30話

 封じられたウルトラタッチ

 

 幽霊船怪獣 ゾンバイユ 登場!

 

 

「みなさーん! 朝ですよ。さっさと目を覚ましなさい! 起きないとこうですよ!」

 ガンガンガンと、鉄の鐘を鳴らす耳障りな音がホテルの廊下に響き渡る。朝を知らせるロングビルの声と鐘の音がホテルの壁もドアも通り抜けて、まだ惰眠をむさぼっていた生徒たちを無理矢理夢の世界から引きずり出した。

 生徒たちは、その貴族の子女にあるまじき起こされ方に腹を立てながらも、イモ虫のようにベッドから這い出してくる。ルイズと才人も、楽しい時間が過ぎるのは早いというが、それはまったくの真理であると目覚めて思った。

「う、うーん……頭が」

「あいたた……も、もう朝か」

 ウェストウッド村伝統の目覚ましはさすがによく効く。二日酔いで、頭の中でベル星人が暴れているような不快感と合わさって、二度寝の欲求が二人を襲う。でも、自分の顔をはたいて目を覚ますと、二人はベッドから勢いよく飛び降りた。

 そう、夜が明けて、ついにめでたき婚礼の儀の朝がやってきた。部屋のカーテンを開けると、真っ白な陽光がさあっと差し込んでくる。空は青空、日本で言うならまさに日本晴れ、まるで今日この日のために天の神様が特別に用意していてくれたかのようだ。

 朝日の洗礼を全身に浴びて、叩き起こされた全校生徒は最高の礼装に身を包み、身なりをきちんと整える。

 ルイズも才人に手伝わせて、礼装に着替えるとすぐに部屋を出た。駆け足で一階ホールに集合すると、そこで待っていたオスマン学院長から訓示を受けた。

「諸君、ついにこの日がやってきた。わしも魔法学院の学院長をして長いが、これほどめでたい日は先王の婚礼の日以来じゃ、諸君はまだ生まれてはおらんのう。わかるじゃろう。これは諸君らにとっても二度とめぐってくることのないであろう歴史的な行事じゃ。そこに汚名など残さぬよう、誇りと使命感をもって勤めを果たし抜くのじゃ」

 普段敬遠されるオスマンの言葉も、今日に限っては誰一人として視線を逸らす者はいない。いまさら説明されるまでもなく、今日この日の重要性は心得ている。一世一代の大仕事、貴族の義務と誇りを叩き込まれて育ってきた彼らにとって、これほど重要な日はない。

「では、わしらは一足先にトリスタニアで待っておる。諸君らはトリステインの代表として、ウェールズ新国王陛下をお出迎えし、トリスタニアで待つ姫殿下のところまで、立派にお連れするように。よいか、魔法学院は諸君らの貴族の誇りと努力に期待する」

「杖にかけて!」

 全生徒の唱和が響き、その声に満足したオスマンと教師陣は退室していった。

 ここからは、教師の引率はなく、トリスタニアまで生徒にすべてがまかされる。厳しいようだが、国の大事に生徒といえどおんぶにだっこでは締まらない。三年生も一年生も、すべて一人前として扱われ、一切甘えは許されないのだ。

 

 それから彼らは、豪華な朝食の味も感じぬほどに腹に詰め込むと、三年生の引率で港に向かった。

 

 ラ・ロシェールは巨大な世界樹の枯れ木の枝に空中船が停泊する港である。ここで、間もなくやってくるウェールズ新国王を出迎えるのが、生徒たちに与えられた最初の使命だ。空洞になった世界樹の内部の階段を、彼らは急いで駆け上る。ウェールズ国王の座上するお召し艦が到着するのは、最上部に位置する桟橋だった。

 

 桟橋には、歓迎の使節団、軍楽隊がすでに並んでいた。生徒たちも横に三年生、二年生、一年生の順に並び、さらに学年ごとに縦に三列に整列する。ルイズはその中で二年生の最前列に並んで、才人はルイズから離れて列の一番後ろ、従者という扱いで待機していた。

「いよいよね、緊張してる? ルイズ」

 直立不動の姿勢で停止していたルイズに、隣のキュルケが小声で話しかけた。

「キュルケ、こんなところで話してたら叱られるわよ。黙っててよ」

「心配しなくても、まだ時間はあるって。それよりも聞いたわよ。巫女の大役、あんた大丈夫なの?」

「審査はパレードがトリスタニアにつくまでに審議されて、合格者は結婚式の直前に発表されるそうだから、まだわたしが巫女になると決まったわけじゃないわよ」

「そう、それで見事合格したらどうするの?」

「そのときは、ヴァリエールの名に懸けて務めを果たすだけよ。それくらいの覚悟は決めてるわ」

 ルイズが小声ながら、はっきりとした物言いで返すと、キュルケはルイズにだけ見えるように唇に笑みを浮かべた。

「ならいいわ。緊張でガチガチになってるなら面白いかもと思ったけど、つまらないわね」

「神経が世界樹の幹でできてるような人らしい言い草ね。あんたこそ、せっかくの式典をぶち壊さないでね」

「心配なく、その程度の節度はわきまえてるわ。わたしの恥はツェルプストーの、ひいてはゲルマニアの恥になるからね。留学生ってのはつらいわよ」

「よく言うわ」

 うわべだけうんざりしたようなキュルケの心中など、ルイズには手に取るようにわかる。別に無理して取り繕わなくても、キュルケの社交能力はルイズよりも上だ。だてに数百年にわたってヴァリエール家から恋人を奪ってきたツェルプストーの末裔ではない。

 キュルケは、ルイズが緊張しているようならほぐしてやろうかと思ったが、どうやら杞憂だったとわかると、視線を流してタバサのほうを見た。こちらは想像通り直立不動で身じろぎもしていない。まあ、元々が王族であるのだから心配するだけ無駄だろう。対して、ギーシュやギムリたちなどは見てて哀れなほどにガチガチに緊張していて声もかけられない。

「だめだわこりゃ」

 呆れたキュルケは視線を正面に戻してため息をついた。普段でしゃばりなやつほど、こういうときになると緊張してダメになるのはなぜだろうか? この際、式典の間中気絶でもしていたほうが恥をかかずにすんでいいかもしれない。

 そっと懐中時計に視線をやると、式典の開始時刻まで、あと十分ほどを長針が示していた。予定ならば、そろそろウェールズ新国王のお召し艦が見え始めてもよいころだ。そのとき、生徒たちの整列している桟橋を突然大きな影が覆いつくした。 

 空を見上げると、そこには数十隻の空中帆走軍艦からなる大艦隊が見事な隊列を組んで浮いている。それはこの日のために国中の軍港から召集された、トリステイン空軍の主力艦隊であった。

「すっげぇ……」

「かっこいいなあ」

 男子生徒の中からは何十もの感嘆の声が漏れ、その中には才人のものもあった。プラモ屋に行けば、必ずアニメのガレキやロボットもののプラモに劣らない存在感で、大和をはじめとする軍艦のプラモがのきを連ねるように、船というものは男の冒険心、ロマンを心の底からくすぐる魅力を持っている。

 

 トリステイン艦隊の旗艦は、新鋭戦艦『ブルターニュ』号。ゲルマニアに発注して、先日届いたばかりの木材の香りも香ばしい新品である。全長はおよそ百四十メイル、火砲は片舷八十門、総計百六十門と戦没したアルビオンの『レキシントン』級の二百メイルの巨体に比べれば小さく、武装もたいしたことはないように思えるが、その分厚い装甲を持ち、巡洋艦並の速力を併せ持つ俊足の戦乙女であった。

 その後甲板上で、トリステイン艦隊司令官のラ・ラメー伯爵とフェヴィス艦長は満足げに話をしていた。

「フェヴィス君。まこと壮観な眺めだと思わないかね。この空の下、一同に会したトリステイン空軍の艨艟たちを見たまえよ。我が国も、ようやくこれだけの艦隊を配備できるようになれたのだな」

「はっ、以前のトリステイン空軍は列国の中でも最弱と見くびられ、我ら将兵もろともに屈辱に耐えていました。ですがこの勇姿が知れ渡れば、もはや何者もトリステインを弱国とは言いますまい」

 感無量とはまさにこのことだと、二人は新造艦ばかりで構成された艦隊を見渡していた。

 後方には、旧トリステイン艦隊の旗艦であった『メルカトール』号。上空にはアンリエッタ王女のアルビオン一日行軍で名をはせた高速戦艦『エクレール』の姿もある。

 その後方には、新鋭の竜母艦『ヴュセンタール』号と、以前バードンとテロチルスに襲われたがかろうじて助かった『ガリアデス』が修復を終えた姿でいる。それに続いては、やや小型の戦列艦と旧式戦艦群。それらを取り巻くように巡洋艦、駆逐艦の快速艦艇が輪形陣をなす。それらは、レコン・キスタの脅威がなくなったために浮いた国費、それでも巨大戦艦を多数揃えるだけの資産がないトリステインが、他国に対抗できる艦隊を持つために考え出された戦略。比較的安価な小型艦艇を多数使った、高速打撃艦隊思想が、ようやく形となった姿だった。

「さて、もうすぐウェールズ国王のご座乗艦がいらす。フェヴィスくん、わかっているだろうが、この歓迎は我ら新生トリステイン空軍の偉容を世界に示す観艦式でもある。万に一つも、無様は許されんぞ」

「はっ、この日のために我ら一同、日々の猛訓練に耐えてきたのです。その成果、とくとご覧ください」

 ラ・ラメーの言葉に、任せておいてくれとフェヴィスは胸を張った。二人は、『メルカトール』号を旗艦としていたころからの付き合いで、いっしょに船に乗るようになってからもう何年も経つ。権威主義的な官僚軍人のラ・ラメーと、叩き上げのフェヴィスははじめは折り合いのよくない仲であったけれど、長く付き合っていたらそれなりに付き合い方もわかるし、相手への愛着もわいてくる。

 

 空のかなたにその船が現れたのは、予定と数分も違わぬ時刻だった。

「ウェールズ国王ご座乗艦、ご到着!」

 桟橋で待機している歓迎団にさっと緊張が走り、全員が背中に棒を入れられたように気をつけの姿勢をとった。もはや、私語をしたりするものは一人もいない。ここで何かあったら末代までの恥となる。普段ふざけているギーシュなども、別人のように見た目だけはきりっとしていた。

 静寂の中で、時間が止まっているような感覚が続く。皆、目だけを動かして、ウェールズ国王の乗った船がやってくるのを今か今かと待って、彼らの視界の中にその船はとうとう現れた。

 十数隻の小型艦に護衛されて、一隻の大型艦がやってくる。あれがお召し艦に間違いないが、その船が近づいてくると、才人やルイズたちは息を呑んだ。

「あの艦は……」

 才人たちはその艦影に見覚えがあった。それもそのはず、その艦はかつてのアルビオン戦でレコン・キスタ最後の船として戦い、バキシムによって無残な最後をとげた『レキシントン』号の同型艦。正確には『ロイヤル・サブリン』級の二番艦『レゾリューション』だったからだ。

 かつて、ハルケギニアを我が物にしようとしたレコン・キスタは空軍兵力の増強として、当然のごとく最強艦であった『レキシントン』級の増産に乗り出した。が、王党派の逆襲で新造艦の建造どころではなくなり、船台上で放置されていたのを新王国軍が完成させたというわけだ。

 アルビオンの造船所では、すでに同型の三番艦『ラミリーズ』も建造中である。ちなみに、これには軍備の再編のほかに、造船で人を集めて復興を推し進めようという側面もある。ただし、『ロイヤル・サブリン』級は図体が大きすぎて小回りが利かず、ガリアでさらに小型で砲戦力の強力な戦艦が建造中との情報があったため、四番艦『リベンジ』の建造は中止され、新設計の『ドレッド・ノート』級が計画中だった。

 トリステイン艦隊が道を開けるように隊列を開いた中を、『レゾリューション』はすべるように通過し、桟橋にわずかも行き過ぎることなく停止した。巨体にもかかわらず、見事な操船技術。感嘆した拍手が高らかに、なによりの歓迎として鳴り響く。

 『レゾリューション』からタラップが下ろされ、桟橋から軍楽隊のファンファーレが奏でられると、ついにその人が現れた。

「アルビオン王国国王、ウェールズ一世陛下! おなーりーっ!」

 いっせいに歓迎の貴族たち、生徒たちは最上級の礼をとる。タラップを降りて桟橋に、アルビオン新国王、ウェールズ・テューダー一世陛下がその御身を現しなされたのだ。

「ようこそトリステインへ、ウェールズ陛下。我ら一同、陛下を心より歓迎いたします」

「出迎えを感謝する。すばらしき友邦たちよ。以前、私がトリステインにやってきたときはまだ若輩なる皇太子の身分であった。そのときに受けた心よりのもてなしとよき思い出は忘れてはおらぬ。今日この日、アルビオン王国国王として、この地を踏めることを心より喜んでいる」

 さっと手を上げたウェールズに応えるように、歓迎の一団から歓声が轟いた。

「ウェールズ一世陛下、万歳!」

「アルビオン・トリステイン王国に栄光あれ!」

 大歓声を浴びながら、ウェールズ国王は護衛の騎士団を引き連れてゆっくりと歓迎の列の前を歩み始めた。

 楽団はアルビオンの国歌を演奏し、場に荘厳な空気が流れる。その中を一歩一歩、豪奢なマントを翻して歩むウェールズ陛下の凛々しい姿に、男子は尊敬とあこがれの視線を送り、女子はただただ見とれて陛下が前を通り過ぎるのを見守った。

 ルイズも最敬礼の姿勢を崩さず、ウェールズ国王が三年生の前を通って、二年生の自分のところにやってくるのをじっと待った。

”殿下、いえ国王陛下、なんて凛々しくなられて”

 見る限り、ウェールズにアルビオンでの憔悴した感じはもう残っていなかった。今では若々しさに重なる形で、老齢した威厳を感じる。ノーバに憑りつかれた心の弱さを乗り越えて、母国の復興のために心身を削って打ち込んだことが、彼の精神を大きく磨き上げたのだろう。

 でも、多分国王陛下はわたしのことなんか覚えていないだろうなあ。アルビオンの陣地や城で、多少は話ができたけれど、ほんのちょっぴりだし。そんなので、例え選ばれることができたとしても婚礼の儀の巫女などしてもいいのだろうか。と、ルイズが自嘲気味に思っていると、国王陛下はルイズの前を通り過ぎる一瞬、軽く視線をルイズに向けて片目を閉じて見せてくれた。

”陛下……?”

 一瞬の自失のうちに、ウェールズはルイズの前を通り過ぎて一年生のほうへと歩んでいってしまった。けれど、明晰なルイズはそれだけで、ウェールズが自分のことも覚えていてくれたことを悟った。私のような非才な者のことまでお心にとどめていてくださるとは、さすが姫さまの選んだお方だ。ルイズは感動するのと同時に、あんな素敵な方といっしょになれる姫さまはなんて幸せなんだと、少しうらやましくも感じるのだった。

 

 

 だが、そうした華々しい祭典を冷ややかに見守っている目があった。

 ラ・ロシェールを望む小高い丘にたたずむ漆黒のローブで全身を包んだ女。式典に湧く街とは裏腹に、まるで喪服のような暗い衣装をまとって、薄く笑みを浮かべるその女は、シェフィールドであった。

「さあて、と。祭りも盛り上がってき始めたところで、そろそろショーには観客があっと驚くハプニングが必要でしょうね。ちょうど始祖の秘宝もそろっている今、わたしとジョゼフさまからの心ばかりの贈り物。受け取りにいらしてくださるかしら? 虚無の使い手どの」

 暗い笑いが丘に流れて、風の中で風化して消えていく。その一瞬後には、彼女の姿は煙のように消えていた。

 

 

 到着の式典はとどこおりなく進み、ウェールズ国王は桟橋から世界樹の中へと続く階段へと歩んでいった。

 お召し艦から続いて、アルビオンの大臣や将軍も降り立ち、ウェールズよりも下位の礼を受けながら主君の後へと続いていく。その中には、かつての『レキシントン』号艦長で、負傷して部下の手で離艦されたために命拾いし、その堂々たる戦いぶりから罪を許され、『レゾリューション』艦長に任命されたボーウッド提督の姿もあった。

「なんと凛々しき若者たち、それに勇壮なる艦隊よ。彼らと戦わずにすんだ幸運を、私は神に感謝すべきだろうな」

 空を見上げて、小さな声でつぶやいたボーウッドの視線の先には、かつての敵であった自分たちを守って浮かんでいる『ブルターニュ』の勇姿があった。

 

 ウェールズ国王の行進の様子は、『ブルターニュ』号からもよく見え、ラ・ラメーとフェヴィスも満足げに見物していた。

 そのとき、トップマストの見張り台より、見張り員の大声が伝声菅を通じてブリッジに響き渡った。

「左舷、八時の方向に大型艦見ゆ! ガリア空軍、『シャルル・オルレアン』級戦艦と認む!」

「ちっ、ガリアの野蛮人どもめ、こんな時間になってようやくやってきおったか」

 悦に入っていたところを邪魔されて、ラ・ラメーは不機嫌そうにつぶやいた。この式典には、当然ながら列国もそれぞれ婚礼の祝福のための使節を送ってくることになっている。

 ロマリアからはすでに高級司祭と聖堂騎士の一隊がトリスタニアに入ったし、ゲルマニアも式当日にはアルブレヒト一世がやってくることになっている。だがガリアは国王ジョゼフの大使として、代理の一団を送ってくると告げてきただけで、トリステインからは不快感を買っていた。

「あの無能王め、国が大きいことを鼻にかけて、我が国のような小国など眼中にないとでもいわんばかりではないか。しかもやってくるのはたかが戦艦一隻だけとは! 貧弱なトリステイン空軍など、それだけで充分おどしになるとでもいうのか。人をなめるにもほどがある!」

 貴族の例に漏れず、誇り高いラ・ラメーは軍靴で床を何度も打ち付けて吐き捨てた。けれど、彼のそんな性格も承知しているフェヴィスは、慣れた様子で彼の機嫌をとった。

「まあまあよいではありませんか。山奥でせせこましく威張っている、世間知らずの田舎者に、今のトリステインがどんな国か教育してやるいい機会だと思えば。この新鋭艦隊の礼砲で、図体ばかりのでくの坊の目を覚まさせてやりましょう」

「ふむ、それもそうだな。我が空軍を弱軍とあなどっていた奴らを歓迎して、慌てさせるのも一興か」

 ラ・ラメーは気を取り直すと、ブリッジに備え付けの大型双眼鏡を覗いた。しかし、まだ空のはるかかなたにいるガリア艦は彼の視力では捉えることができない。それを手持ちの望遠鏡だけで艦種まで見分けた見張り員の視力が、いかに優れているかということがわかるだろう。

 戦闘では、常に相手の先手を取ることが勝利につながるために、敵を一秒でも早く発見するための見張りの能力は欠くことのできない条件なのである。そのため、彼ら見張り員の視力は、最低でも3.0は下らない。常人ではありえないその視力は、軍艦乗りの中から特に選ばれた視力の持ち主に、たゆまぬ訓練によって培われた艦隊の財産なのだ。

 その見張り員の報告からしばらくして、双眼鏡をのぞく二人の目にも巨大かつ優雅な戦艦が見えてきた。

「……あれが新鋭の『シャルル・オルレアン』級戦艦か」

「『ロイヤル・サブリン』より小型の船体に、より以上の武装を施したという、連中のご自慢の一品ですな。奴らはハルケギニア最強の戦艦などと豪語していますが、一隻だけでくるとはたいした自信ですな」

 自国の新鋭艦隊に自信を持っていた彼らも、接近してくるガリア艦が誇るに値するだけの威力を秘めていることは認めざるを得なかった。国王は無能でも、その軍隊は寝ぼけてはいないということか。トリステインも、国内で大型戦艦の建造ができるよう船台の増強を急いでいるが、実際に建造できるようになるにはまだ何年も必要だろう。

「ガリア艦に信号を送れ。『貴艦ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎スル。トリステイン艦隊司令官』。それから我の指示に従い接岸されたし」

「了解」

 フェヴィスは苦笑しつつ、司令官の命令を実行した。『ブルターニュ』のマストの先端に信号旗が掲揚される。これで向こうから返信があり、近距離にまで近づいてくれば双方が礼砲であいさつをかわすことになる。

 ラ・ラメーは人をなめたガリアの大使を、新式大砲の砲撃音で驚かせてやるのを楽しみにして、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 しかし、『シャルル・オルレアン』号が近づいてくるにつれて、なにか様子がおかしいことに彼らは気づき始めた。

 

 接近してくる『シャルル・オルレアン』号の甲板やマスト上には人影が見当たらず、こちらの送る手旗信号にも応答がない。

「ガリア艦応答せよ。貴艦は我が国の領空上にある。我の指示に従え」

 再三の警告にも従わず、『シャルル・オルレアン』は進路、速度ともに変更せずに向かってくる。ラ・ラメーとフェヴィスは、はじめガリアが新鋭戦艦の威容を誇示し、おどしをかけてくるいわゆる砲艦外交の一環かと思ったが、それにしても妙だと気づいた。

 いくら最新鋭戦艦だからといって、数十隻のトリステイン艦隊を前にしてはたった一隻に過ぎない。まっすぐ接近し、対応にとまどうこちらを笑っているのか? いや、それにしても危険すぎる。

 第一、今ガリアがトリステイン、アルビオン両国と戦端を開いて政治・軍事的に利点などはほとんどない。

 フェヴィスは背中にぞくぞくときな臭いものを感じ、司令の意思を待たずに命令した。

「両舷第二戦速、本艦をガリア艦の進路上に入れろ。全艦第一級警戒態勢。右砲戦用意」

 トリステイン艦隊旗艦『ブルターニュ』は、大きく舵を取り、同時に右舷に装備されたすべての砲門を開いた。距離はおよそ三千、『シャルル・オルレアン』はなおも止まる気配を見せない。

 距離は二千五百を切った。もはや向こうの船体の装飾物まで見分けられる。旗流信号は停船勧告から命令に変わり、こちらが砲門を向けていることもわかるはずなのに止まらない。

「全艦、警戒態勢から戦闘態勢へ移行。二番艦から六番艦まで我に続け! 残りの艦は『レゾリューション』の上空を死守せよ!」

 ラ・ラメーもフェヴィスにうながされて、ついに非常事態宣言を下した。トリステイン艦隊は礼砲から実弾へと装填しなおし、各種魔法兵器の発射準備も整えられる。

 

 一方、空の異変は地上でも敏感に感じ取られていた。

「どうしたのかしら? 艦隊が陣形を崩すなんて」

 艦隊の異常に気がついたルイズがいぶかしげにつぶやいた。周りでも、これから同盟国の国王を歓迎して艦隊行動演習のお披露目が予定されているのにどうしんだろうかと、生徒たちが顔を見合わせている。

「すみません、なにか予定の変更があったのでしょうか?」

「いえ、特にありません。皆さんはそのままプログラムを続けるようお願いします」

 不信感を持ち始めた生徒たちを、桟橋の護衛団はそういって抑えた。彼らには、すでに『ブルターニュ』からの警報が伝えられていた。”接近中のガリア艦に不穏の気配あり、警戒されたし”と。

 しかし、気配だけで世界が注目している式典に、最初から水を差すわけにはいかない。もし、騒いでなんでもなかった場合は、トリステインが臆病さを世界に宣伝するようなものである。護衛団は彼らを落ち着かせるために、状況の一部を公開することにした。

「現在、ガリア王国の大使を乗せた戦艦『シャルル・オルレアン』号が本港へ接近中でありますので、艦隊の行動はそのためであります。皆様におかれましては、ご心配なきようお願いします」

 その説明で、生徒たちはだいたいは納得した。だが、接近中のガリア艦の名を聞いたタバサの眉が、ほんの少しだが震えた。『シャルル・オルレアン』、それはジョゼフに暗殺されたタバサの父の名前である。なぜジョゼフが自ら殺した弟の名前をこの船につけたのかは知らない。また、知りたくも無い。

 そんなタバサの心の機微を察して、キュルケが軽くタバサの肩を叩いた。

 気を取り直した生徒たちは、歓迎式典の続きをやるために世界樹の階段を降り始める。

 それでも、予兆とでもいうべきか……ぬぐいきれない何かを感じて振り返った者は、一人や二人ではなかった。

 

 そのころ、地上で混乱が起こるのを食い止めているうちに、上空でもトリステイン艦隊が、不審な動きを続ける『シャルル・オルレアン』をなんとか止めようと腐心していた。

「『ヴュセンタール』号に伝令、竜騎士を出して『シャルル・オルレアン』を止めさせろ。場合によっては強行接舷してもかまわん!」

 砲門を向けても応答をよこさない『シャルル・オルレアン』に、ラ・ラメーはとうとう実力行使を決意した。警告にも威嚇にも応じない以上、これ以上近づけさせるわけにはいかない。あるいは、こちらから手を出させることで、戦争の口実を求めているのかとも思ったが、ここにはトリステインだけでなく上空からアルビオン艦隊も見ている、濡れ衣をかけられないための証人としては充分だ。

 竜母艦『ヴュセンタール』から、厚い鎧で身を包んだ竜騎士が十騎飛び立っていく。彼らの乗っているのは火竜で、近距離でブレスを放てば木造船ならば甚大な被害を与えることができる。それでなくとも帆を焼いてしまえば航行不能に陥らせることができる。

「いくらなんでも、これならば止まらざるを得まい。ガリアの連中め、あとでたっぷりしぼりあげてくれるからな」

 せっかくのめでたい日に水を差された不愉快さから、ラ・ラメーは毒づいた。

 双眼鏡で見ている先で、竜騎士は『シャルル・オルレアン』の周りを旋回し、示威行動をおこなっている。

 だが、そのときだった。

 甲板に強行接舷しようとしていた竜騎士に向かって、灰褐色の毒々しい光線が放たれたと思った瞬間、光線を受けた竜騎士は小石のようにまっ逆さまに墜落していったのだ。

「あれは!? 司令、見ましたか!」

「ガリアの奴らめ、何のつもりだ」

 その光景を目撃していたフェヴィスとラ・ラメーは同時に驚愕と怒りの感情をぶちまけた。しかし、一時の激昂がすめば、実戦経験の長いフェヴィスはすぐに冷静に戻っていた。『シャルル・オルレアン』は近づこうとした竜騎士をその怪光線で撃ち落しつつ、なおも接近してくる。

 もはや、敵対の意思は明らかだ。

「司令、ガリア艦の敵対行為は明白です。ただちに応戦許可を!」

「う、いやしかし……」

 こちらも攻撃したら、それはもう戦争だ。そうなれば、自分はガリアとの戦端を開いた責任をとらされるに違いない。軍人よりも政治家気質の強いラ・ラメーは迷った。しかし。

「早くしてください! 万一ウェールズ陛下にもしものことがあったら、我ら二人首が飛ぶだけではすまなくなりますよ!」

 その言葉がとまどっていたラ・ラメーの迷いを吹き飛ばした。

「反撃だ! 全艦砲撃開始!」

「了解! 目標、敵戦艦『シャルル・オルレアン』、撃ち方始め!」

 たちまち『ブルターニュ』『メルカトール』『エクレール』をはじめとする巨砲戦艦群が咆哮する。距離が至近だったために初弾のほとんどは『シャルル・オルレアン』に狙い違わずに命中した。巨艦のあらゆる箇所で着弾の爆発が起こり、船体のほとんどが爆煙に包まれる。

 そこへ、第二陣として控えていた軽快艦艇が間髪入れずに追撃をかけた。

「左舷雷撃戦! 目標敵戦艦、てぇーっ!」

 小艦艇から放たれた、一隻につき数十発の大型マジックミサイルが炎上する『シャルル・オルレアン』へと向かう。これは、火薬や油の塊を風石の力で飛ばして敵にぶつけるもので、破壊力は砲弾以上ではあるが、反面速度が遅くて射程が短いために、敵に接近してなおかつ敵の防御火力が衰えたときしか有効に使えない。しかし今回は、炎上し、炎と煙の塊となった『シャルル・オルレアン』は回避も反撃もできずに至近距離からの集中雷撃を浴びて槍衾となり、数十の爆発に包み込まれる。

「敵戦艦、轟沈!」

 雷撃の爆煙が収まった後の『シャルル・オルレアン』を見た見張り員の報告が高らかに響き渡る。先程まで威容を誇っていた『シャルル・オルレアン』は、船体外板の木材を撒き散らして空中で崩れていき、原型をとどめない炎の塊となっている。

「少々やりすぎましたかね?」

「うむ、あれでは生きている人間はおるまい。捕虜を得て、奴らの意図を暴くべきであったな」

 燃え盛る敵艦を眺めて、フェヴィスとラ・ラメーは憮然としていた。これで、攻撃をかけてきたガリア艦の意図はわからずじまいとなった。しかし、あの怪光線だけでなく、『シャルル・オルレアン』の全砲門が開かれていたらトリステイン艦隊にも甚大な被害が出たかもしれない。全力での反撃はやむを得ざるところであった。

 『シャルル・オルレアン』は、燃え盛りながら船内に残った風石の余剰浮力からか、ゆっくりと墜落していく。その光景を、トリステイン艦隊は上空から見守り、『シャルル・オルレアン』が、地上に激突して爆発炎上したとき、艦隊将兵たちはそろって万歳した。

 

 しかし、燃え盛る炎の中に突如として黒い影が出現し、おどろおどろしい声が響き渡った。

「し、司令! あれは」

「な、なんだとお!」

 フェヴィスとラ・ラメーは愕然とした。爆沈した『シャルル・オルレアン』の船体を踏み砕き、尖塔の先端部分の円錐が横に二つつながったような胴体から足が生えたような、黒々とした体を持つ一つ目の不気味な怪獣が出現したのだ!

「フ、フェヴィスくん、なんだねあれは!?」

「船の中から怪獣が!? あんな化け物が、『シャルル・オルレアン』の中に潜んでいたというのか」

 愕然とする二人の前で、怪獣はその全容を炎の中から現した。

 全長はおよそ六十メイル、胴体の正面にそのまま顔がついていて、青い一つ目と裂けた口がついている。生き物というよりも、まるで城に手足がついて動いているかのようだ。

 怪獣は壊れた笛のような鳴き声をあげて、上空を遷移する艦隊を見上げると、突然空へと飛び上がった。

「なっ!?」

 なんの前触れもなく飛翔した怪獣に、ラ・ラメーもフェヴィスも一瞬脳が凍結した。翼もなく、見るからに重く鈍重そうな見た目に反して、重力を無視して、空気の上を走るかのように怪獣は一隻の小型船に体当たりした。避ける余裕もなく、ぶつけられたその船は、船体の左半分をひしゃげさせられて落ちていく。

「駆逐艦『ヘレネ』大破! 墜落していきます!」

「くっ! 応戦だ、全艦砲撃を開始せよ!」

 見張り員の報告で我に返ったフェヴィスは反射的に攻撃を命じた。

 「撃ち方始め」の号令と同時に、艦隊全艦の砲撃が再開される。さしもの怪獣も、一千門近い大砲の集中砲火を受けてはひとたまりもないように思われたが、怪獣は巨体に見合わない身軽さでゆうゆうと砲撃をかわしてしまった。

「続けて撃て!」

「だめです! とても照準が追いつきません」

「ちっ! 図体の割に猫みたいなやつだ」

 怪獣は悔しがる艦隊の将兵をあざ笑うように、ヘラヘラと気味の悪い鳴き声をあげながら体を揺さぶっている。しかも、怪獣は艦隊を無視するかのようにラ・ロシェールの街へと向かい始めたではないか。

「怪獣が来るぞ! 逃げろぉ!」

 渓谷の街はお祭り騒ぎから一転して、狂騒の渦に巻き込まれていた。出店の屋台は踏み壊されて、道は逃げ惑う人で溢れかえる。銃士隊や軍の人間が避難誘導に当たっているが、あまりにも人が密集していたためにパニックを軽減するだけで精一杯だ。

 そんなところへ、まるでスキップをするように四本の足で軽快に近づいた怪獣は、逃げ遅れた人々を青い一つ目でじろりとにらみつけた。そして、その目から灰色の怪光線を浴びせかけた。

「うわぁ……かっ……」

 怪光線を浴びた人々は悲鳴をあげる間もなく倒れていった。その光景を見たラ・ラメーやフェヴィスは愕然として言った。

「あの光線は!? さっき竜騎士を撃ち落したものと同じ!」

「まずい、ほっておいたら被害はどんどん増えるぞ」

 今、ラ・ロシェールには何万人という人が詰めているのだ。さらに、万一ウェールズ国王がやられてしまったら、せっかく復興しかけたアルビオンや、同盟国を失うトリステインも大変なことになってしまう。

 ラ・ラメーは即座に砲撃続行を命じたがフェヴィスに止められた。怪獣が街に近すぎる。この艦隊の砲撃の仮に一割でも流れ弾になったら、逃げ遅れた何千という人々の上に降り注いでしまうであろう。

 艦隊が手を出せずに足踏みをしている前で、怪獣は怪光線を好き放題に撒き散らし人々を襲う。しかし、不思議なことに倒れた人々には外傷らしきものはなく、ただ全身がミイラのように青色に染まっている。まるで全身から生気を抜き取られてしまったかのようだ。

 

 被害者は加速度的に増え続けていく。その凄惨な光景は、遠方から見守っていたシェフィールドも鼻白むものであった。

「人の魂を食らう伝説の怪物……あいつめ、よくもまああんな化け物を用意してくれたものね……」

 レコン・キスタを組織し、アルビオンを戦乱に巻き込んだ張本人も思わず目を逸らしかけた。

 

 幽霊船怪獣ゾンバイユ……『シャルル・オルレアン』に乗り移っていた怪物の、それが正体であった。

 宇宙怪獣の一種であり、宇宙を渡り歩いて宇宙船や惑星を襲い、生物のプラズマエネルギー、いわゆる魂を食い荒らして死の世界を広げていく。さらに、襲った宇宙船に同化し、隠れ蓑とすることで油断させて近づき、犠牲者を増やしていく。それゆえに、宇宙航海者たちから伝説の怪獣として恐れられている存在がこいつなのだ。

 怪光線を受けた人間は、魂を吸い取られて仮死状態になる。そして、ほおっておけばそのまま死んでしまう。ゾンバイユは光線を乱射して街中の人々から好き放題に魂を吸収していっている。いまや、ラ・ロシェールの街の一割が奴の餌場として蹂躙されていた。

 

 シェフィールドは、眼前の光景を作り出した原因が自分であるということに、戦慄すら覚えていた。

 今でも怪獣を見ると、アルビオンで受けた古傷がうずく。あのときは一方的にやられるだけであったが、同じことを自分がするとなると話は違う。

「トリスタニアの地下に眠っていた円盤といい、まだ世界には我々の知らない力が数多く存在するようね。でも、これもジョゼフさまのため。さて、トリステインのものども、舞台は整えてやったわよ。このまま蹂躙されるにまかせるか、それとも……」

 握った手のひらから汗が染み出る。シェフィールドの中指で、アンドバリの指輪が陽光を受けて鈍く輝いていた。

 

 ゾンバイユの暴虐はなおも続き、阿鼻叫喚のちまたはさらに広がりつつあった。怪光線がなめるように街をかすめていき、その度に魂を吸い取られた人々が抜け殻となって地面に崩れ落ちる。

 ウェールズの一行は、世界樹から出たところで怪獣の襲撃を知り、いったん世界樹の中へ戻っていた。しかし、これからどうするかについては、護衛団のあいだで意見が真っ二つに割れていた。すなわち、『レゾリューション』に戻って空へと退避する方法と、空は危険だから陸路で退避する方法である。

 だが、激論をかわすだけでいっこうにまとまる様子を見せない護衛に向かって、ウェールズは一喝した。

「静まれ! 諸君、友邦の民が蹂躙されている前で逃げる算段しか頭にないとは、君たちは自らを情けないとは思わないのかね? 民をあの暴虐から救おうと、私に進言する者はいないのか!」

「し、しかし国王陛下。あなた様の身にもしものことがあればアルビオンはどうなります。それに、実際に怪物を相手にどうしようと」

「民を守るという王の責務を果たせない者が生き残っても、それはもはや王ではあるまい。なおも意義がある者がいるならば去るがよい。追いはせぬ。しかし、卑怯者は二度と余の前に立つことを許さぬ。次に相対するときは、反逆者として葬り去る!」

 殺意さえ感じられるような、ウェールズの闘志の前に、足を翻す臣下は誰一人いなかった。

「さあ、余はアルビオン王国国王として命ずる。アルビオン艦隊は全艦出撃、トリステイン艦隊と協力し、怪獣から街を死守するのだ!」

 歓呼の声が世界樹のうろの中にこだまし、次の瞬間彼らは『レゾリューション』の待つ桟橋を目指して駆け上がっていった。

「ウェールズさま、お見事です」

 ルイズはその後姿を見て、惚れ惚れしたようにつぶやいた。やはりあの方は王の器だ。死ぬ可能性のほうがはるかに大きい敵に挑むというのに、まるで臆した様子を見せない。

 生徒たちは、『レゾリューション』までついていくわけにはいかないのでその場所に残っていた。仕方がないが、艦隊が動くとなったら彼らは完全にお荷物でしかない。しかし、恥を忍んで自分たちは陸路で街から避難しようとしたとき、外からの絶叫が悲鳴のように響いた。

「大変だ! 怪獣がこっちに向かってくるぅ!」

 愕然とした生徒たちは出口から飛び出して、気の弱い者は悲鳴をあげた。

 街を襲っていたゾンバイユが方向を変えて世界樹のほうへと一直線に向かってくる。

 いけない! 『レゾリューション』が出航するにはまだ時間が必要だ。停泊時を襲われたら、いかな強力な戦艦といえどもひとたまりもない。いや、もし世界樹に体当たりされて折れでもしたら、世界に二つとない良港をトリステインは失い、ラ・ロシェールも滅びてしまう。

 だがそうしているうちにも、ゾンバイユは高い渓谷を軽々と飛び越えてやってくる。

「俺たちが囮になって、怪獣の気をひきつけるんだ!」

 誰かがそう叫んだ。すると、行動を決めかねていた生徒たちは、その言葉に勇気付けられたかのように我も我もと杖を掲げ始めた。無謀かもしれない、愚かかもしれないが、彼らはそうすることが自分たちの使命だと信じていた。貴族の誇り、それだけではなく、自分たちの国を、故郷を荒らすやつがいるのに、じっとしていることなどできない。たとえこの身は非力でも、彼らも立派なトリステイン貴族の一員であった。

 けれど、彼らにとっては幸か不幸か、勇敢な行動は始まる前に打ち砕かれた。

 なぜならば、百人前後の人間の集団をゾンバイユが見逃すはずはなかったからだ。光線が発射され、生徒たちは次々に倒れていく。ルイズたちは幸い難を逃れたものの、大半の生徒が魂を抜き取られて、残った生徒たちは散りぢりになっていった。

「ギーシュ! モンモランシー!」

 叫んでも、魂の抜け殻となった肉体は答えられない。新鮮なプラズマエネルギーを得れて喜ぶゾンバイユはさらに迫ってくる。

 そのとき、ルイズのそばを風が流れ、青い影が目の前に現れた。

「ルイズなにやってるのよ! こんなときにあなたがじっとしててどうするの!」

「キュルケ、タバサ!」

 それはシルフィードに乗ったキュルケとタバサの二人だった。彼女たちも、とっさに空へと逃れていたのだ。

 ルイズは、二人が無事だったことを喜ぶのと同時に、自分がすべきことを思い出した。

 今、あの怪獣を止めることができるのは自分たち二人、ウルトラマンAしかいない。戦うことを決意したルイズは才人に毅然として告げた。

「サイト、やるわよ」

「ああ、わかってるぜ」

 変身を決意した二人は、ぐっとこぶしを顔の前で握った。銀色のリングが白い光を放つ!

 だが、二人が二つのリングを合わせようと右手を振り上げた瞬間、ゾンバイユの目がまっすぐにルイズを向いた。

「危ない!」

 反射的に才人は空いていた左手でルイズを突き飛ばした。

「きゃあっ!」

 小柄で体重の軽いルイズははじかれて転がり、礼服が砂まみれに汚れる。

 しかし、ルイズは服のことを気遣う余裕などはなかった。転がりながらかすかに目に飛び込んできた光景は、たった今自分がいたところを灰色の光が埋め尽くし、才人がそれに飲み込まれるものだったのだ。

「うわぁぁっ!」

「サイト!? サイトぉっ!」

 才人の断末魔と、ルイズの絶叫が響き渡る。

 そして、灰色の光が過ぎ去っていった後、才人の体がぐらりと揺れた。ルイズは、才人の体が地面に叩きつけられる前に、必死で駆け寄って抱きとめたが、才人の顔はすでに生者のものではなかった。

「サイト……ねえちょっと、嘘でしょ」

 揺さぶり起こそうとしても、才人はルイズの腕の中で目を閉じたままで動かない。

 魂の抜け殻となった才人の手の中で、ウルトラリングもまた力を失い、くすんだ光を放っていた。

 

 

 続く



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第31話  伝説の力

 第31話

 伝説の力

 

 幽霊船怪獣 ゾンバイユ 登場!

 

 

 ルイズは悪夢の中にいるような思いを味わっていた。才人が、自分の手の中で物言わぬ姿になって横たわっている。

 あのとき……彗星怪獣ドラコから身を挺して自分を救い、命を落としたときと同じ……

 もう二度と見たくない……もう二度と、味わいたくないと思っていたのに。

「起きなさい! 起きなさいよ! こら! あんたがいなくてわたしにどうしろってのよ。わたしを、わたしをまた置いて一人でかっこつけてるんじゃないわよ! 起きなさい、このバカ犬ーっ!」

 ルイズが力いっぱい才人の頬を張り、あらん限りの声で揺り起こそうとしても、才人の目が開かれることはなかった。しかし、絶望に沈むルイズをあざ笑うかのように、怪獣ゾンバイユはさらなる食料となる魂を求めて迫ってくる。

「ルイズ! 逃げてーっ!」

 空の上から、自分の名を呼ぶキュルケの声も今のルイズには届かない。才人が倒れたということが、完全にルイズから冷静さを奪っていた。自分の命が危機にさらされているという実感も、今のルイズにはなかった。

「サイト、起きてよ。あんたはわたしを救えてそれでいいかもしれないけど、残ったわたしはどうすればいいのよ……わたしはあんたが好きだって言ったでしょう。知ってるくせに、ばか……」

 つぶやく声もだんだん細くなり、激情も冷たい悲しみへと変わっていく。

 まるで、体の半分を突然失ったような、そんな喪失感が心を覆って、外の世界のことがすべてどうでもよくなって感じられる。このまま眠ってしまいたい……才人と同じところに行けば、会えるのかな。

 だが、ルイズまでも犠牲になっては才人の意思が無駄になってしまう。動かないでいるルイズへ、キュルケはせめてルイズだけでも拾い上げようとタバサに頼んだ。

「ルイズ! タバサ、早く」

「だめ、間に合わない」

 怪獣の視線はまっすぐルイズを睨んでいる。今、降りていったら自分たちも巻き込まれると、タバサはシルフィードを上昇させた。

「タバサ! あなた」

「……」

 ルイズを見捨てるつもりかと、キュルケはタバサに詰め寄った。だが、唇を噛んでいるタバサを見て黙らざるを得なかった。友達を見捨てるなんて、気楽にできるわけがない。でも、花壇騎士として鍛え上げたタバサの冷静な意思が、残酷な選択を彼女に強制していた。

 ゾンバイユは、目の前で動かないでいる絶好の獲物へ向かって狙いを定める。このまま、ルイズまでもあの怪光線の餌食となってしまうのか、タバサとキュルケが、思わず目を閉じかけた……そのとき!

 

「シュワッ!」

 

 突如、流星のように飛び込んできた青い光がゾンバイユを横合いから弾き飛ばした。その光は、ゾンバイユが渓谷を転がり落ちていくのを見下ろし、世界樹の傍らに降り立った。

「くっ……遅かったか」

「ウルトラマン……ヒカリ!」

 ルイズは、目の前に自分たちを守るように現れたヒカリの姿に思わず叫んだ。

 現れた青い巨人、ウルトラマンヒカリは構えをとり、怪獣からの反撃に備える姿勢をとりつつルイズたちを見返した。ルイズの腕の中で才人は血色を失った体になり、学院の生徒たちも皆同じように倒れている。死屍累々、むごたらしい惨状に、ヒカリは自らのうかつさを悔いた。

「すまん、俺がもっと早くここが襲われる可能性が高いことに気づいていれば」

 水の精霊から、この世界の陰で暗躍している謎の存在のことを聞かされてから、セリザワはずっとそいつが動き出す気配がないかを探り続けてきた。アンドバリの指輪を水の精霊から強奪した者たち。時期から考えるとヤプールとは恐らく無関係であろう。しかし、かつてこの星を一度滅亡させたというシャイターンと同じ気配を持つ者によって所有されているとなれば、何が起こるかはわからない。

 セリザワはハルケギニアを歩き回り、怪獣や宇宙人の動静を探り、攻撃の兆候がないかを調べ続けた。

 そして、先日ガリアに立ち寄ったおりのことだった。空を不気味な光を放つ船が、トリステインの方向へ飛んでいったという話を聞き、もしやと思って飛び去った方角を追って来てみれば……まさか、こんな能力を持った怪獣が現れるとは! ヒカリ・セリザワも初めて見る怪獣の攻撃には正直に驚いていた。GUYSのアーカイブドキュメントにも記録のない、まったく未知の怪獣……いったいほかにどんな能力を持っているのか、想像もできない。

 だが、相手の正体がなんであれ、人々の平和を脅かす存在であることだけは間違いない。なぜ、どこから、何者が送り込んできたのか? それを考えるのは後でよい。

 この怪獣は、ここで倒す! ヒカリはそう決意し、構えをとって怪獣を牽制する。その隙に、タバサはシルフィードを降下させてルイズと才人を拾い上げ、ヒカリの周りを旋回させた。

「ウルトラマン! サイトが、サイトが大変なの! わたし、わたし、どうしたらいいの!」

「才人くん……だめか、完全にエネルギーを抜かれてしまっている」

 半泣きになっているルイズに、ヒカリは才人の様子を見ると落ち着くように語り掛けた。

「慌てるな。まだエネルギーを抜かれて時間は経っていない。奴を倒せば、エネルギーを吸われた人たちも生き返れるかもしれん」

「そ、それは本当なの!」

「ああ、いくつか前例はある。可能性は充分高い」

 それは嘘ではない。怪獣や星人に人間が異常状態にされた例としては、生物Xワイアール星人に植物人間にされた人々や、吹雪超獣フブギララに氷付けにされた人々、きのこ怪獣マシュラにきのこ人間にされた人々などが記録されているが、どれも元凶となる怪獣が倒されるとともに正常に戻っている。

 冷静さを取り戻したルイズは、精神を集中させて、自分たちの中にいるウルトラマンAへと呼びかけた。

〔エース……ホクトさん、聞こえる? 聞こえたら返事をして〕

〔ああ、大丈夫、聞こえているよ〕

〔よかった! ねえ、サイトは! サイトはどうなったんですか!?〕

〔あの怪獣によって、肉体から魂だけを吸い取られてしまったようだ。今の彼の体は、抜け殻の仮死状態といったところだろう。残念だが、これでは私も力を出すことはできない。だが心配はするな。ヒカリの言うとおり、あの怪獣を倒せば、サイトくんや他の人たちもみんな助かるはずだ〕

 一縷の希望を得たルイズはヒカリに向かって叫んだ。

「お願い! サイトを助けて」

「ああ! 君は彼を連れて下がっているんだ」

 もとよりヒカリに異存があろうはずもない。それに、才人だけでなく、同じように魂を奪われた大勢の人々を救うためにも、あの怪獣を倒さなければならない。

 対して、ゾンバイユもヒカリを敵と認識して、ラ・ロシェールの渓谷から平地に出てヒカリを待ち構えている。

 好都合だ、これで少なくともヒカリを狙っているうちは人々が危険にさらされることはない。それに、平地のほうが戦いやすいのはこっちも同じことだ。

「いくぞ! 怪獣」

 左手を前に出したゆるやかな構えから、ヒカリは怪獣に向かって駆け出した。

「デヤアッ!」

 ヒカリの素早い動きを活かした速攻だ。助走して勢いをつけ、ジャンプして振り上げた手からチョップをお見舞いしようと飛び掛る。ヒカリは元々科学者であり、ハンターナイト・ツルギだったころは、戦闘力が不足しているのをアーブギアによって補っていたけれど、今では格闘技でも兄弟にひけはとらないのだ。

 まるで、獲物に牙をむいて襲い掛かる狼のように、ヒカリの手刀がゾンバイユを襲う。

 必中! 誰もがそう思った。しかし、ヒカリのチョップが命中する寸前、誰も予想だにしていなかったことが起きた。

「消えた!?」

 突如、怪獣の姿が何の前触れもなく掻き消えて、ヒカリのチョップはむなしく空を切った。

 これは!? だが、考える間もなく背後から聞こえてきた不気味な声に振り向いてみると、そこにはおどけるように手足を揺らしている怪獣がいるではないか。

 

”この怪獣は、瞬間移動が使えるのか!?”

 

 ヒカリの、その推測は誤っていなかった。空から、そして地上から、たった今起きたことを見守っていた人々の目にも、チョップが当たる寸前にゾンバイユの姿が分解するように消滅し、次の瞬間にはヒカリの背後に現れたように見えていたのだ。

”これは、厳しいかもしれないな……”

 ヒカリは、再度構えを取り直しながら、早くも焦燥を感じ始めていた。

 瞬間移動、いわゆるテレポーテーションはウルトラマンでさえ大幅にエネルギーを消耗し、場合によっては寿命を削るとさえ言われている代物だ。しかし、それゆえに戦闘に応用できれば強力であり、かつて五代目バルタン星人はこれでウルトラマン80を翻弄し、あの宇宙恐竜ゼットンも初代ウルトラマンやウルトラマンメビウスをきりきり舞いさせている。

「強敵だな……しかし、打つ手がないわけではない!」

 ヒカリはナイトブレスから光の長剣ナイトビームブレードを引き出すと、中段に構えてゾンバイユに切り込んだ。むろん、正面からの馬鹿正直な攻撃をゾンバイユは恐れはせずに、青い単眼をいやらしく歪めて笑い声をあげる。そして、切り込んだナイトビームブレードの切っ先がゾンバイユに触れようとした瞬間、またしても奴は全身を分解するようにして消えてしまった。

「だが、同じ手は何度も通用しないぞ!」

 ゾンバイユが消えた瞬間、ヒカリはそれを待っていた。間髪を入れず、ナイトビームブレードを後ろに向かって振るい、半月状のエネルギーの刃を打ち出した。

『ブレードショット!』

 振り返るまでも無く放たれた光刃は、まさにヒカリの背後で実体化しようとしていたゾンバイユに命中した。単眼の左上部付近で爆発が起き、ゾンバイユはダメージを受けて慌て、うろたえる。奴にしてみれば、攻撃をかわして死角に潜り込んだと思ったところへのダメージである、驚かないはずはない。

 しかし、ヒカリからしてみたらたいして難しい問題ではない。本当に単純な話、敵が死角に入ってくるならば、死角に向かって撃てば敵の方から当たりに来てくれるという、それだけなのだ。攻撃を当てられてうろたえているゾンバイユに向かって、ヒカリはすかさず反撃に打って出た。

「テヤァッ!」

 フットワークを活かして高速で怪獣の懐に飛び込み、ヒカリの攻撃が始まる。パンチが火花を散らし、キックが怪獣の皮膚を削り取る。

”当たる。今ならいける!”

 ゾンバイユはヒカリの攻撃を受けるだけで、先程までの人をこばかにした余裕は見せず、テレポートで脱出することもしないでいる。恐らく、奴はテレポートで敵を翻弄する戦術を、うぬぼれに近いところまで自信を持っていたのだろう。例えるなら、サッカーの試合ではるかにランクの低い相手に先制ゴールを許してしまった強豪チームがそのままペースを乱して惨敗してしまうように、自信を崩してやったことが動揺を生み、当たり前にできることもできなくしてしまっていた。

 ヒカリは、このチャンスを逃してはならぬと、パンチ、キック、チョップと怒涛のラッシュをかける。だが、ヒカリとゾンバイユは人間と子牛くらいに体格に差がある。軽量級のヒカリの攻撃が、重量級の怪獣に対してどこまで効果を発揮できるか、戦況はまだ予断を許さない。

 

 その戦いを、トリステイン空軍艦隊と、戦艦『レゾリューション』号に乗ったウェールズ国王は息を呑んで見守っていた。

「ウルトラマン……あのときと同じように、我々のために戦ってくれるというのか」

 それは半分当たり、半分外れていた。ウルトラマンは無条件に人間を守るような都合のいい神様ではない。人の力ではどうしようもなくなったとき、失われてはいけないものが危機にさらされたとき、少しだけ手を貸してくれる、本当にそれだけの存在なのだ。

 ウェールズは、しばらくその戦いを呆けたように見つめていたが、部下から「艦砲の射撃準備完了しました」と報告を受けると、ぐっとしてつぶやくように答えた。

「しばらく待機だ。今砲撃しては、ウルトラマンにも当たる危険が大きい」

 以前アンリエッタは彼に告げた……ウルトラマンは人間の力ではどうしようもないときにだけ力を貸してくれるのだと。けれど、それは裏を返せば、自分たち人間の非力を証明されているようなものだ。これだけの艦隊を有しているというのに、たった一匹の怪獣にすら手も足も出ないとは。

「王家は民を守るのが責務……口先ではそんなことを言っても、肝心なときには人任せにせざるを得ないとは、情けない……」

 自嘲を込めたウェールズの笑いが、『レゾリューション』の後甲板に流れて消えた。

 

 しかし、直接怪獣に立ち向かう力はなくても自分たちなりに戦っている人は大勢いる。

 

「皆さん、今なら怪獣の気が逸れています。落ち着いて逃げてください」

「我々は非常事態に対応するための訓練を受けています。我々の指示に従えば助かります。皆さん、どうかパニックにならないようお願いします!」

 街の保安の任務についていた兵士たちは、必死になって逃げ惑う人々を秩序正しく避難させようとしていた。その中には、アニエスやミシェルたち銃士隊も当然おり、衛士隊や他の街から集められてきた保安官などもいろいろいる。トリステインは、もはや特別なものではなくなってしまった市街地への突然の怪獣襲来という事態が起きることを考慮し、備えていたのだ。

「隊長、北地区の隊員と連絡がとれません。西地区も、避難が完了したのか確認が」

「落ち着け! 戦場で連絡の不具合が起こるのはよくあることだ。三班は北地区へ、五班と六班は商業地区の確認に向かえ。無人を確認したら打ち上げ花火で連絡、その後は、避難完了地区の閉鎖に当たれ。引き返してくる奴らはどんな理由があろうと通すな!」

 銃士隊ではアニエスが陣頭に立ち、避難誘導のための命令を次々に発していた。彼女たちは、特にこうした経験が豊富なために中核として活躍している。中には、こうした華々しさとは無縁の仕事が続くことに不満を持っている者もいるが、多くの者はこれまでの怪獣出現や、先日のアブドラールスのトリスタニア襲撃で、自分たちの仕事がいかに重大であるというかを痛感していた。地球でも実際に証明されているとおり、訓練を受けた人間が避難誘導をするのとしないのとでは生存率が大きく違ってくる。彼女たちは、見るだけで肝が縮んでしまいそうな人の波に当たりながらも、必死で己の責務を果たそうとしていた。

 

 武器なき戦いを続ける人々の、目に見えない功績によって、ラ・ロシェールは着実に無人に近づきつつある。

 

 その光景をタバサとキュルケはシルフィードに乗って上空から暗然と見ていた。

「昨日までのにぎわいが、まるでうそみたいね……」

 昨晩、タバサと連れ立って食べ歩いた店店も、男の子をひっかけて歩き回った歓楽街も、今は人っ子一人いないゴーストタウンと化している。キュルケは、他国の姫君であるアンリエッタの結婚式には、それほどの興味関心を抱いていたわけではなかったが、思い人との婚礼……女の幸せをいきなり踏みにじられる出来事が起きてしまったことには、内心で同情していた。

「ようし、タバサ! わたしたちも……?」

 何かをやろうと言いかけたキュルケに、タバサは無言で首を横に振った。

 今回は、自分たちにできることはない。戦うにせよ、人を逃がすにせよ、専門の訓練を受けた人たちがすでに働いている以上、素人が顔を出しても邪魔にされるだけだ。

 それに、今は意識不明の才人と、意気消沈しているルイズがいる。無茶はできないとうながすと、キュルケも配慮が足りなかったことを素直に恥じた。

 今やるべきことは、ルイズと才人を安全なところまで運ぶこと。ウルトラマンAになることのできる二人に何かがあったら、ハルケギニアが危機にさらされる。シルフィードは狂乱する街と、戦いを続けるウルトラマンたちに背を向けて飛ぶ。

 だが、郊外を目指そうとしていたそのとき、シルフィードが地上を口先で射して叫んだ。

「お姉さま、あそこ、火の中に人がいるのね」

「えっ!」

 驚いた二人は地上を見下ろした。怪獣の破壊活動で火災を起こしている街の中を、一人の法衣を着た男が逃げ場を失って右往左往している。あのままでは火に巻かれてしまうと、キュルケはタバサを見ると、タバサはうなずいて、杖で降りろと命令した。

「わたしが炎を抑える」

「わかったわ」

 二人には、それだけのやりとりで充分だった。タバサが風の魔法で、火災の上昇気流を抑えてシルフィードの道を作り、地上スレスレまで降りたところでキュルケが『レビテーション』を使って男をシルフィードの上まで引き上げた。

「あ、あなたがたは……?」

「はーい、ま、通りすがりの天女のご一行ってところかしら。飛ぶわよ、じっとしてなさいな」

 呆然としている男に洒落た答えをしつつ、キュルケはタバサに目配せした。「飛んで」と短く告げると、シルフィードは今度は上昇気流に乗って一気に上昇し、安全高度に到達した。

 タバサは、シルフィードに急いで郊外へ向かうように伝える。人が大勢集まる予定だったので、万一に備えて、あちこちに救護所が設けられており、そこでなら薬もあるだろう。その前に、応急手当としてルイズとキュルケはハンカチを破って即席の包帯で、彼の傷を覆っていった。普段は男勝りな二人でも、やはり女性らしい優しさが心の中には満ちている。止血をしながら、キュルケは男に話しかけた。

「ここはもう大丈夫だから心配しないでいいわよ。それにしても、なんであなたあんな危ないところに一人でいたの?」

「面目しだいも……私はこの式典の資材の運搬をまかされている者なのですが、アルビオンから預かった積荷の中に、どうしても壊してはいけないものがありまして。仲間がすべてやられてしまい、私一人で行くしかありませんでした」

 助け出した男は彼女たちに礼を言うと、大事そうに抱えていた包みを下ろした。

「助かりました。私はともかく、これをなくしてしまってはウェールズ陛下にも始祖ブリミルにも申し訳が立たないところでした」

「それは、もしやアルビオン王家の秘宝と言われる……」

「はい、風のルビーです」

 包みの中から現れたのは、緑色の大きな宝石が埋め込まれた指輪であった。これは、ハルケギニアの三つの王家と、ロマリアの法王庁に一つずつ伝わっている秘宝であり、始祖ブリミルより、それぞれの王家の始祖と、ロマリアを開いたブリミルの弟子に与えられたと言われる。そして、この指輪には、トリステインには”水”、アルビオンには”風”、ガリアには”土”、ロマリアには”火”というふうに、四色のルビーがはめ込まれて、それぞれの王家の象徴ともなっているのだ。

「本当に、危ないところをお救いいただきありがとうございます。あの危機の中、貴女方はまさしく天使に見えました。こうして命拾いできましたのも、神のお導きかと存じます」

「しゃべらないほうがいいわよ。ひどい怪我……安全なところまで連れて行ってあげるからおとなしくしていなさい」

「うう、ふがいない……申し訳ありませぬが、見れば、あなた方は身分卑しからざる方々とお見受けします。どうか、わたくしめに代わりまして、この秘宝をお守りいただけぬでしょうか」

 男はそのまま気を失った。

「どうする? ルイズ」

「わたしが預かっているわ。どうせ、始祖の祈祷書も守りきらなきゃいけないんだし、このくらいどってことないわよ」

 キュルケは、まあそう言うだろうねとつぶやくと、「なくすと大変だから、身につけておいたほうがいいわよ」と忠告した。ルイズは姫さまとウェールズさまのエンゲージリングを自分などが身につけてはと躊躇したが、ポケットに入れておくよりは安全だろうなと、忠告に従うことにした。

「わたしの指には少し大きいかしら……あら?」

 そのとき、ゆるかったリングが急に縮んでルイズの指に合ったサイズになったように思えた。しかし、そんなことがあるはずないわねと切り捨てると、かすかに息をしている才人を、また心配そうに見下ろした。才人は相変わらずぴくりともせずに、人形のように横たわっている。

「サイトの魂を、取り戻して……お願い」

 

 ウルトラマンヒカリと怪獣ゾンバイユの戦いは、なおも熾烈さを加速度的に上げていっていた。

「トァッ!」

 ヒカリの飛び蹴りを口元に受けたゾンバイユがのけぞる。重量級のゾンバイユに対して、ヒカリはスピードから生まれる破壊力を活かし、連続攻撃でダメージを蓄積させる戦法をとっていた。

 流れるような、息もつかせぬ攻撃が次々にきまる。しかしゾンバイユも、伊達に伝説の怪獣などと呼ばれているわけではない。手数の多さに圧倒されているかに見えて、強固な外皮に覆われた体はまだまだ余力を備えており、一時の動揺が収まると、また悪辣な頭脳を回転させ始める。必殺の気合が込められたヒカリの正拳が、ゾンバイユの単眼に命中しかけた瞬間、再びテレポートして消えてしまったのだ。

「姑息な真似を……なにっ!?」

 奴が再出現したところをまた叩こうと、後ろを振り返ったヒカリは愕然とした。

 怪獣は、確かにそこに実体化していた。ただし、信じられないことに一体ではなく複数いる。いや、そんな生易しいものではなく、視界を埋め尽くすような大量のゾンバイユが右に左にとあふれかえっていたのだ。

「こいつ、分身まで使いこなせるのか!?」

 平原をゾンバイユが埋め尽くす不気味この上ない光景を見渡しながら、ヒカリはどこから攻撃があってもいいように構えた。分身……有名どころでは宇宙忍者バルタン星人や、分身宇宙人ガッツ星人がこれを使いこなすことで知られ、特に後者はこれを狡猾に使いこなすことでウルトラセブンを倒している。

 地味だが決してあなどれる能力ではないと、ヒカリは数十体のゾンバイユを前にして思った。

 とにかく、どれが本物かわからないというのは始末が悪い。それはそうだ、簡単に本体を見破れるような代物であったら使う意味は無い。どうする? どれを攻撃するべきなのか。

 外れを選んでしまったら本物に死角から攻撃される。迷うヒカリをあざ笑うかのように、ゾンバイユは聞き苦しい笑い声をあげて挑発してくる。まるで、『こないのか、こないのかな?』とでもいっているようだ。けれど、ウルトラマンAが変身できない今、ヒカリまでもが倒されてしまってはこの世界を守るものがいなくなってしまう。

”焦るな。冷静に、冷静になれ……”

 自分自身に言い聞かせながら、ヒカリは隙を作らずにゾンバイユの分離攻撃に向き合った。

 だが、そちらからこないならこちらからゆくぞとばかりに、数十のゾンバイユの一体から灰色の光線がヒカリに向かって放たれる。

「ヘヤッ!」

 とっさに飛びのいてかわしたヒカリは肝を冷やした。危なかった、あれは街の人々や才人から魂を奪い取ったあの光線だった。当たればどうなるかはわからないけれど、少なくとも無事ではすむまい。しかし、今は運良くかわせたが、何発もこられてはすぐにかわせなくなる。

”どうする……どうすればいい……?”

 打開策を練ろうとしても、早々都合よく名案も浮かばない。どうすれば、この無数の分身の中から本物の怪獣を見つけ出すことができるのか。

 

 だがそのとき、戦いの推移を見守っていたラ・ラメー率いるトリステイン艦隊と、ウェールズ王指揮する戦艦『レゾリューション』で、高らかに命令が放たれた。

「砲撃開始! ウルトラマンを援護せよ」

 たちまち数十隻の戦闘帆船から放たれた数百門の大砲の弾が、ゾンバイユの群れに雨のように降り注ぐ。

 ゾンバイユがいかに多数に分離しようと、大砲の数に比べたら微々たるものだ。幻影はすり抜けて落ちるものの、全部を攻撃されたら本体にも必ず当たる。大砲の弾では怪獣にダメージは与えられないけれど、爆発が体のあちこちで起こり、驚いたゾンバイユは分身を消してしまった。

「いまだ!」

 分身攻撃が破れたことを見て取ったウェールズは、ウルトラマンヒカリに向かって叫んだ。その叫びには、自分たちは非力ではない。こうして戦う力はあるんだ、それを証明したいんだという願いもこもっている。ヒカリは、自ら戦う勇気を見せた彼らの声を確かに聞き届けた。

「君たちの意思、受け取った!」

 ヒカリの渾身の力を込めた猛攻が、ゾンバイユに暴風のように襲い掛かっていく。

 人間とともに戦うときのウルトラマンは、一人で戦うときの何倍もの力を発揮する。それは、ウルトラマンも人間もともに心を持ったもの同士、仲間であるからだ。ヒカリの攻撃に押されるゾンバイユは、超能力を発揮する暇も与えられずに追い詰められていく。

 

 このままいけば、ウルトラマンの勝ちは決まりだろう。誰もがそう思った。

 

 しかし、それを望まない邪悪な意思がここに存在することを、ヒカリは知らなかった。

「悪いけど、そんな簡単に勝たれたんじゃあジョゼフさまの計画どおりにはいかないのよ。だから、うふふ……まだこれにも、使い道があったわね」

 人目を離れた場所で、戦いを見守っていたシェフィールドの指にはめられていた指輪が怪しい光を放つ。それは、かつて水の精霊から盗み出された古代の秘宝『アンドバリの指輪』。それにはめられた宝玉が深海のように暗く深く輝くとき、水の精霊が懸念していた破滅への序曲が奏でられ、その戦慄を聞いた者たちは、愕然として己の目を疑った。

「ウワアッ!?」

 突如、轟いた大砲の音と、炸裂する砲弾の爆炎……そして、砲撃を受けてのけぞるウルトラマンの姿。

 誰もが、一瞬何が起こったのか理解することができなかった。

 ウェールズ、ラ・ラメー、艦隊の将兵たち、戦いの推移を見守っていたルイズたち。

 彼らは、目の前で起きたことの意味がわからずに、その思考のすべてを一時停止させた。

 しかし、現実において時が停止することはない。一瞬の間を置いて、彼らの脳が再始動したとき、困惑は激怒となって発露した。

「ば、馬鹿な! 誰だ今撃った奴は! 誰がウルトラマンを撃てと言ったあ!」

 犯人は即座に判明した。アルビオン艦『レゾリューション』の砲手四名が、無断で砲をウルトラマンに向かって撃ったのだ。むろん、彼らは即座に拘束され、誤射だと友軍には報告された。だが、ウェールズは自艦の砲手が反逆行為に出たことが信じられなかった。彼らはいずれも内戦時から王党派に尽くし、この艦にも特に選ばれて乗り込んだ忠臣たちだというのに。

 けれど、困惑している余裕は誰にもなかった。完全な不意打ちの形で砲撃を喰らったウルトラマンヒカリは、砲撃によるダメージこそさしたるものはなかったが、体勢を崩してしまったことでゾンバイユに反撃の機会を与えてしまったのだ。

 人間たちから攻撃されたことで動揺するヒカリに、ゾンバイユの体当たりが命中する。受け止めることもできなかったヒカリは、闘牛にはねられたマタドールのように宙を舞って地面に叩きつけられた。

「ヴアアッ!」

 このダメージは大きく、ヒカリはすぐに立ち上がることはできない。対してゾンバイユは、やられた恨みを晴らそうとヒカリへさらに体当たりを仕掛け、さらに巨体でのしかかっていった。

「ウッ……アアァァッ!」

 背中の上で暴れられ、ヒカリの骨格がきしみをあげる。まるで象を怒らせてしまったライオンのように、踏みにじられてつぶされ、はねとばすこともできないいままヒカリのカラータイマーが赤く点滅を始める。

 あの馬鹿な砲撃さえなければ! と、そのときウルトラマンがやられるのを歯軋りしながら見守っていた誰もが思ったことだろう。が、四人の兵隊の錯乱したとしか思えない暴挙の裏に、狡猾な影が糸を引いていることには、気がつきようもなかった。

 突然ウルトラマンを砲撃した四人の兵士はロープで柱に厳重に拘束されていたが、その顔を覗き込んだ兵士たちは、一様に背筋を振るわせた。彼らの顔は、まるで魂を抜かれたように、ぼんやりと目を見開いたまま呆けた形で固まっていたからだ。

 そして……それこそが、シェフィールドの仕掛けた卑劣な策略の正体だった。

「うふふふ……アルビオンに内乱を起こすために、二年も前に根回ししていたことが今ごろに役立つとはねえ。まだまだ、モノは使いようということかしら」

 暗い笑いをシェフィールドは口元に浮かべた。以前、レコン・キスタを作るためにアンドバリの指輪でアルビオンの貴族を操って行動させたように、王党派の中にも戦闘中に王党派を不利に働かせるために洗脳したものたちがいたのだ。アルビオンの内戦を操る謀略自体は、途中でヤプールに利用されたために瓦解したものの、指輪の効力を眠らせていた者たちがアルビオン艦に乗っていたのはシェフィールドにとって幸運だった。

「さあて、これでウルトラマンを倒したら、次は上空の艦隊。そして次は地上の虫けらどもを皆殺しにしましょうか……でも、ジョゼフさまのおっしゃるとおりなら……? さて、どうなるかしらね」

 好奇心と、残忍な笑いを浮かべたシェフィールドの耳に、人々の怨嗟の声が届くことは無い。

 

 ジョゼフと、その意を受けたシェフィールドの邪念が乗り移ったかのように、ゾンバイユの攻撃は容赦なくヒカリを襲う。

 足蹴にしていたヒカリを、ゾンバイユは子供が石ころにするように蹴飛ばした。

「ヌワアッ!」

 腹を蹴られ、大きくダメージを受けたヒカリは、それでも立ち上がろうと手をついて力を込める。しかし、もはやエネルギーも残り少ない状態では、体が別人のものになってしまったように言うことを聞かない。

 絶好の標的となったヒカリに向けて、ゾンバイユの単眼が不気味に輝く。放たれた光線はヒカリの体にロープのように絡みつき、動きを封じて持ち上げはじめた。これは、相手を拘束する牽引ビームの一種だ。振り払うこともできず、両手両足にビームをかけられたヒカリは、マリオネットのように空中でエネルギーロープの磔にされてしまった。

「なんてこと! これじゃなぶり殺しじゃない」

 いたぶることを楽しんでいるような怪獣の攻撃に、思わずキュルケの口から怒りの声が漏れた。

 同じように、上空の艦隊でもウェールズをはじめ激昂した者たちによって怪獣への攻撃命令がくだる。

「撃て! あの化け物を今度こそ吹き飛ばせ!」

 艦隊の一斉砲撃が、動きの止まったゾンバイユに降り注ぐ。が、煙の薄れた後にゾンバイユは元と変わらない姿をとどめていた。

「馬鹿な……」

 落胆の声が将兵の数だけ流れる。ゾンバイユの皮膚はビーム砲の直撃に耐えるだけの強度を兼ね備えている。不意を打たれて驚くことはあっても、まともに受ければ大砲の弾くらいでは傷つくことはないのだった。

 人間たちの必死をまるで無視し、ゾンバイユは身動きの取れないヒカリを攻め立てる。空中で見えない十字架にかけられているも同然のヒカリを、ビームの力でそのまま五体バラバラにするつもりなのだ。

「ヌワァァッ……」

 カラータイマーの点滅はすでに限界に達し、もう何秒も持たないだろう。「ウルトラマン、がんばれ」という声援も、この絶望的すぎる状況を逆転させるだけの力は持っていない。

 どうすればいいんだ……艦隊の砲撃すら通じなかった相手に、いったいどんな手段があるというのだ? しかし、このままでは奴に魂を食われた大勢の人たちの命はない。それどころか、ハルケギニア中の生き物の魂が奴に食い荒らされてしまう。

 なんでもいい、何か残されている手はないのか? 絶望の中で、人々は必死に希望を探した。

 そして、そんな中でルイズは深い悲しみのふちに立たされていた。

「こんなときに……サイトの命がかかってるこんなときに、なにもできないなんて……わたしは、こんなに無力だったの……」

 今、ウルトラマンAへ変身することさえできれば、怪獣を倒してみんなを助けることができるのに。

 小さいころから魔法の才能がなく、無能のゼロだなどと揶揄されてきた自分。でも、そんな自分でもできることがあるとがむしゃらに突き進んできた。そうして、才人と出会い、多くの戦いや冒険を乗り越えていくうちに、世界を守るなんて大それたことができると思ってきた。

 なのに、今の自分はなんだ? うずくまっているだけで、何一つすることはできない。いつもはげましてくれる才人も今はいない。自分は、一人だとここまで無力だったのか。思わず歯軋りをした口元からかきむしる音が漏れ、目じりから熱いものがこぼれた。

「サイト……わたし、いったいどうすればいいの? 教えて」

 無力をなげいてすがる言葉にも、才人は答えることはできない。ヒカリが敗れれば、才人の魂は怪獣の胃袋の中で消化されてしまうだろう。そうなれば……

「やだ! こんなことで、こんなところで永遠にお別れなんて許さないんだから! まだ、まだあんたにはこの世でやることがいっぱい残ってるんでしょう! わたしだって、サイトといっしょにやりたいことがたくさんあるんだから!」

 なによりも、才人を失うかもしれないという恐怖がルイズに喉の奥から叫ばせた。風のルビーがはめられた手が強く握り締められ、爪が手のひらに食い込んで血がにじむ。あれほど大切にしていた始祖の祈祷書も放り出し、シルフィードの背に落ちてページが開かれる。

 

 その……その瞬間だった。

 風のルビーと始祖の祈祷書が、ともに共鳴するように光り始めたのだ。

 

「な、なんなの!?」

 突然の目もくらむばかりの光に、ルイズはとまどった。そばで見ているタバサとキュルケも、想像もしていなかった事態に何も言うこともできずに、ただ目を覆って呆然としているだけだ。

 けれど、ルイズは光の中に、白紙だったはずの始祖の祈祷書のページの中に文字を見つけた。

 それは、古代のルーン文字で書かれていて、ルイズは無意識にその文字を追った。

『序文。これより、我が知りし真理をここに記す……』 

 ルイズはとりつかれたように文字を追う。その正気を失ってしまったかのような目に、キュルケが「ルイズどうしたの? いったい何をつぶやいているの?」と、問いかけてくるが、ルイズの耳には入らない。どうやら、不思議なことに文字はルイズにだけ見えているらしい。いったいなぜか……いや、今のルイズにとってそんなことも、ここに記されていた信じられないような内容もどうでもよかった。

 記述の最後、古代語の呪文の羅列をルイズは祈祷書を手に、杖をかざして読み上げる。

 

「エオヌー・スーヌ・フィル・ヤルンクルサ・オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド」

 

 呪文を読み進めるごとに、自らの中に力が湧いてくるのをルイズは感じた。

 生まれて今日まで、どんな魔法を唱えても爆発しか起こらず、虚しさを感じていたのとはまるで違う。

 例えるなら、血が滾り、自らが炎と化していくような。今まで空回りしていた歯車が、はじめてかみ合ったような快く、猛々しい感覚。

 これが、自分が生涯初めて使う魔法だとルイズは理解した。そして、自らに隠されていた系統も知った。

 だが、それすらも今のルイズにはどうでもよかった。必要なのは、今何ができるか、それだけだ。

 

「ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシュラ・ジュラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……」

 

 長い詠唱の後、呪文は完成した。

 同時に、ルイズはこの呪文がどれほどの威力を持つのかを理解した。

 破壊……圧倒的な破壊がもたらされる。

 それは、望むのならば視界に入るすべてを焼き尽くすことも可能だろう。

 選択肢はルイズの杖にある。なすべきことは、破壊すべきはなにか?

 答えは、最初から決まっていた。

 

「キュルケ、タバサ、身構えてて。とてつもないのが来るわよ」

 

 友への気遣いが、ルイズの魂が人のうちにあることを証明していた。

 力は今、この手の中にある。それは、ただ一つの願いのためにだけ使う。

 杖の先を、この瞬間にもヒカリにとどめを刺そうとしている怪獣に向け、そして振り上げると息を吸い込み叫ぶ。

 

「サイト、今助けるからね。いくわよ……虚無の系統、初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン!!』」

 

 その瞬間、すべての力を込めてルイズは杖を振り下ろした。

 

 刹那……白い光がゾンバイユを包み込んだ。

 

 

 続く



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第32話  伝説を受け継いだルイズ

 第32話

 伝説を受け継いだルイズ

 

 幽霊船怪獣 ゾンバイユ

 ミイラ怪人 ミイラ人間 登場!

 

 

 ウェールズは、信じられないような光景を目にしていた。

 今まさにウルトラマンにとどめを刺そうとしていた怪獣の傍らに、ぽつりと小さな光球が現れた。

「あれは……」

 なんだ? という言葉をつぶやく前に、光は自らの存在感を変えていった。はじめ夜空の星のような儚げな点であったものが、みるみるうちに真昼の太陽のように膨れ上がって、瞬く間に怪獣の巨体を覆いつくしたのである。

 白の世界、そのときに彼らが見たものを表現するとしたらその言葉しかないであろう。

 とどまることなく膨張する光は、本物の太陽以上の輝きを持って人々の網膜を焼く。

 とても目を開けていられなくなったウェールズや、艦隊の将兵たちは目をつぶり、手のひらで目を覆った。それでも太陽の中に投げ込まれたような錯覚が襲い……唐突に、光は消滅した。 

 まぶたを開けたとき、目の前の景色は一変していた。

 怪獣の体の半分……光に包まれた部分が、溶岩に触れた大木のように焼け焦げていたのだ。

 悲鳴をあげて、怪獣はがくりと地面に崩れ落ちた。砂塵が舞い上がって、一呼吸遅れて地響きが鳴り響いてくる。

「やった……のか?」

 ウェールズは、目の前で見たものをそのまま言っただけのつもりだったが、自分で自分の言ったことが信じられなかった。あれだけ傍若無人を尽くした、悪魔のような怪獣が、ほんの一分前には考えられなかったような無残な姿をさらしている。いったい何が……? その疑問に答えられるものはいなかった。

 

 一方、ゾンバイユがダメージを受けたことにより、同時にウルトラマンヒカリを拘束していたビームも解除されて、解放されたヒカリはかろうじて着地して、苦しそうにひざをついた。カラータイマーは限界で、全身に激しいダメージがあるが、どうやらギリギリのところで助かったようだ。

 ヒカリが無事だったことで、艦隊から離れたところでことの推移を見守っていたキュルケたちも、シルフィードの上で胸をなでおろした。が、ルイズはただ一人、杖を振り下ろした姿勢のままで立ち尽くし、その視線を怪獣へと向けている。ルイズの目的は、まだ果たされていないからだ。

 ゾンバイユの、城砦のような胴体の左側に直径十数メートルの大穴が開き、そこから煙が噴き出していた。中には、生体に埋まるようにしてメカがのぞいて火花を散らしている。あれは、ゾンバイユがどこかの星の宇宙船だったころの名残だろうか。

 そのとき、もだえていたゾンバイユの様子が変わった。まるで食べすぎた人間が、胃袋の反動を受けたときのように、短い腕で腹をかきむしって苦しみだした。そして、ついに耐え切れなくなったとき、傷口から蛍のように輝く光が大量に漏れ出しはじめたではないか。

「あの光は、まさか!?」

 周囲一帯へと散らばっていく光を見て、タバサははっと気がついた。光はそれ自体が意思を持っているかのように、それぞれがゾンバイユに襲われた街のほうへと飛んでいく。そうして、タバサが予想したとおり、光は魂を奪われた人々の体へと吸い込まれていった。

「う……」

「あれ……わしは」

「ど、どうしたのかしら」

 思ったとおり、光を得た人々は次々に意識を取り戻していった。

 当然、街の人々だけではなく、魂を奪われていた学院の生徒たちも皆蘇生している。

「あ、あれ。俺?」

「なんか、すげえ冷たいところに行ってたような」

「ギーシュ! ギーシュ目を覚まして」

「う、ううん今行くよレディたち……あれ、モンモランシー? おかしいな、きれいな川の向こうにたくさんの美女たちが待ってたはずなのに」

「こんのぉ、やっぱり地獄に落ちなさい!」

 約一名、生き返ったはずなのに死に掛けている者がいるが、生徒たちは誰一人欠けることなく現世に舞い戻ってきた。

 そして、シルフィードの上にやってきた光が才人の体に宿ったとき、蝋人形のように血色を失っていた彼の肉体に肌色が戻った。同時に、固く閉ざされていた瞳が動き、喉からうめくような声が漏れる。

「う……ああ」

 うっすらと目を開いた才人は、陽の光のまぶしさに思わず眉をひそめた。それでも、光をさえぎっている影から、自分を見下ろしている誰かがいることにだけは気がつくと、見慣れた髪型から無意識にその名をつぶやいていた。

「ルイズ?」

「サイト! サイトぉ、生き返ったのね。よかった、よかったあ!」

「わっ! お、おいどうしたんだ」

 突然抱きついてきたルイズに、才人は目を白黒させるばかりであった。そりゃ、何があったのかなど知っているわけはないので当たり前ではある。でも、一部始終を知っているキュルケとタバサは、ほっとして顔を見合わせていた。

「ほんとに、見てるこっちの寿命が縮むカップルなんだから」

「昔から……それと、あっちも」

 タバサが杖で指し示した先を見て、キュルケも息を呑んだ。

 怪獣ゾンバイユは、どてっぱらに風穴を開けられただけでなく、エネルギー源として取り込んだすべての魂を解放されて、明らかに弱体化していた。鋭い爪を生やした太い腕はだらりと垂れ下がり、四本の足は酔っ払いのようにおぼつかない。飛行能力も失ったと見えて、致命的なダメージを受けたというのに逃げる気配も見せない。

 これを、ルイズの……あのルイズの魔法がやったのかと、二人は信じられない思いだった。確かにルイズの魔法はすべて爆発する。しかし、軍艦の砲撃やウルトラマンの打撃でさえ大きなダメージを負わなかった怪獣の体をえぐるとは、いくらなんでも度を越えすぎている。

 だが、今が奴を倒す最大のチャンスなことに変わりはない!

 死に体のゾンバイユに向かって、ウルトラマンヒカリは最後の力を振り絞ると、右手を空に向かってかざした。

「ムゥン!」

 気合とともに、ナイトブレスにエネルギーが稲妻のようにスパークし、スペシウムエネルギーがチャージされる。

 とどめだ! ヒカリは片ひざをついたまま、腕を十字に組んでエネルギーを解き放った。

 

『ナイトシュート!』

 

 青い光芒がゾンバイユを撃ち、単眼を打ち抜いて体内でエネルギーが荒れ狂う。

 断末魔の遠吠えをあげ、倒れこんだゾンバイユは次の瞬間、巨大な爆炎をあげて吹き飛んだ。

「や……やった!」

 炎が立ち上がり、火花が舞い散る噴火口のような光景に、艦隊から、街中からいっせいに人々の歓声が轟いた。ゾンバイユは、もうあとかたもなく、煙となって炎の中へと消え去っている。宇宙を荒らし、魂を貪り歩いて恐れられた伝説の怪獣は、異世界の土となって本当の伝説のかなたへと消えたのだ。

 被害を受けた人々も皆回復し、火災を発生させている市街地も、早くも銃士隊や衛士隊が避難誘導から消火活動に切り替えつつある。それに、フェヴィス艦長の進言でラ・ラメー提督は護衛艦数隻を降下させていった。バラストや飲料水タンクの水を放水すれば、消火にはかなり助けになることだろう。

 ウルトラマンヒカリは、そんな人間たちのたくましさを見届けると、ぐっと力を込めて立ち上がった。それだけで目がくらみ、よろめきそうになるけれど、なんとか体を支える。そして、視線をめぐらせてシルフィードのほうを見、才人の無事を確認すると、視線をルイズに移した。

「……」

 時間にしたら、多くて二秒というところだろう。そのときのヒカリは、結局最後まで何も言うことは無く、ただじっと才人の無事を喜んでいるルイズを見つめると、やがて無言のままで空に飛び立った。

「ショワッ!」

 あっというまに艦隊の上空を飛び越え、雲のかなたへとヒカリは飛び去っていった。

 人々は、ウルトラマンを初めて見る人もそうでない人も、大きく手を振って見送った。

 街の火災も艦隊の応援を得て急速に鎮火に向かい、ラ・ロシェールは危うく壊滅の危機から救われた。

 戦艦『レゾリューション』は再び桟橋に接岸し、ウェールズ王は世界樹に降り立った。これから、誤射の件も含めてしばらくは事後処理に当たらねばならないだろう。悪くすれば、結婚式の予定も数日遅れることになるかもしれない。

 それでも、民間人への被害だけは最低限に抑えることはできた。これで犠牲者が多数出るような事態になっていたら、婚儀の中断もあったかもしれない。ウルトラマンだけでなく、艦隊や地上で人々を逃がすために奔走した、大勢の勇敢な人たちがいてくれたおかげなのだ。

 

 地上の騒ぎが一段落したことを確認したルイズたちは、やっと力を抜くとシルフィードの上にへたりこんだ。

 疲れた……今回は、本当に疲れた。体だけでなく、心の底から力をしぼりつくしてしまったように思える。

 このまま、ホテルに帰って寝てしまいたいと思ったくらいだ。しかし、今ごろは魂の戻ったギーシュたちが心配しているかもしれない。まだ少々くたびれるが、帰ろうか。ルイズにそう言われたタバサは、シルフィードを世界樹に向けさせた。

 

 だが、すべてこれで終わったと思いかけていたルイズの元に、突然暗い女の声が響いた。

「ふっふふふ、見たわ、確かに見せてもらったわよ。偉大なる虚無の担い手殿」

「っ! 誰!?」

 聞き覚えの無い声に、ルイズたちは周りを見渡したけれど何も見つけることはできなかった。すると、ルイズの目の前にひらひらと一羽の蝶が飛んできた。

「蝶?」

「違うわ、これはガーゴイルの一種よ」

 怪訝な顔をするキュルケに、ルイズは落ち着いた様子で指摘してみせた。形はどこにでもいる蝶そのものだが、今は真冬。それに蝶がこんな高度にまで来るはずがない。それを裏付けるように、蝶から先程の女の声が、今度は抑揚を下げて響いた。

「ご明察、なかなか賢いわね。とりあえず、はじめましてと言っておきましょうか」

「あなた、誰?」

「ふふふ、そうね。呼び名がなくては不便だから、とりあえずはシェフィールドとでも呼んでもらおうかしら」

「っ! ふざけないで」

 明らかに本名ではない名を告げた相手に、ルイズは怒鳴り返した。キュルケとタバサは周囲を見渡しているが、まず無駄だろう。恐らくここから見下ろせる一帯のどこかに相手はいる。けれども、地上には何万もの人があふれていて、とても見つけ出すのは不可能だ。

 ルイズは、怒りをおさめると目の前の蝶のガーゴイルに問いかけた。

「わたしに何の用? わたしが、虚無の担い手ですって」

「そうよ。すでに気づいているはずでしょう? あなたは始祖の指輪を身につけ、始祖の祈祷書を読んだはず。それは、虚無の担い手しか読むことはできないのだから」

 その言葉に、ルイズは手の中の祈祷書と風のルビーを見つめた。

 気が落ち着いてくると、漠然とした不安がルイズの中に生まれてきた。先程は、才人を助けるために一心不乱で、手段のことなどは気にも止めていなかったが、自分が使ったのは……

「虚無……虚無って」

 始祖が使ったという伝説の系統ではないか。授業をまじめに受けていたルイズは、それが失われた伝説の魔法であることを知っていた。それを自分が? あらためて思うと実感はないけれど、そういえば才人の使い魔としてのルーンは、伝説の使い魔ガンダールヴのものであった。ならば、その主人であった自分も……明晰なルイズの知性は、彼女の意思とは無関係にパズルのピースを組み上げていく。

 戸惑うルイズに、才人もキュルケもタバサも話しかけることができずにいる。いらだったルイズは、その激情を、ガーゴイルの向こうの女に向けた。

「それで! わたしが虚無の担い手だからどうだっていうのよ」

「ふふふ、怒らない怒らない。可愛い顔が台無しよ。今日は、ただあなたにあいさつをしたいだけよ。わたしはね、さる高貴なお方に仕えているのだけれども、そのお方があなたとお友達になられたいとおっしゃられているの」

「わたしと?」

「そうよ、かつてはエルフとさえ対等に渡り合ったという伝説の魔法、それが虚無の系統。そんなすごい人と、友好を結びたいというのは当然でしょう?」

「ふざけるんじゃないわよ!」

 ルイズはシェフィールドの言葉が終わらないうちから、自分の歯を噛み潰してしまいそうなほどに激昂した。

 なんのことはない、こいつらは自分を利用しようとしているのだ。そんなこと、断じて認めるわけにはいかない。経過を見守っていた才人たちも、口々に武器を手にして言う。

「おい、シェフィールドだかなんだかしらねえが、ルイズに手を出したらただじゃおかねえぞ」

「誰だか知りませんが、あなたはわたくしたちの敵なのだけは間違いないようですわね」

「……帰れ」

 今にも木っ端微塵にしそうな敵意がガーゴイルに向けられる。しかし、シェフィールドは軽い口調を崩さずに、むしろ楽しげに言った。

「うふふふ、よいお友達をたくさんお持ちでうらやましいですわね。では、今日のところはそろそろおいとますることにしましょう。あなたという虚無の担い手を探し出すという、本日の目的は充分に達成できましたからね。今日のサプライズはお気にめしたかしら?」

「なんですって!? まさか、あなたがあの怪獣を……まさか、ヤプールの手先!?」

「失礼ね。わたしをそんなものといっしょにされては迷惑ですわ。わたしはれっきとしたハルケギニアの人間よ。ふふ、でもそれなりのことをできる手段は有していることだけはお教えしておきましょう。では、近いうちにまたお話にまいりますわ」

「あっ! ま、待て!」

 叫んだ瞬間、ガーゴイルは自爆して粉々の塵となった。破片を捕まえるまでもなく、残骸はあっという間に風に吹かれて消えていき、後には何も残らなかった。

「逃げられた……」

 これで、もうシェフィールドを追跡する手がかりはなくなってしまった。

 もはや、誰の声もなくなってしまった空の上で、憮然としてルイズはつぶやいた。

「シェフィールド……いったい、何者なの」

 それに答えることができるものは誰もいなかった。わかっていることは、ヤプールとは別の新たな敵が現れたということだ。それも、ハルケギニアの人間だという。そう、自分たちと同じ人間だと。

「わたしたちは、人間とまで戦わなくてはいけないの……?」

 これまで、自分たちが命をかけて戦ってきたのは人間のためではなかったのか? なのに、その人間が自分たちの敵となる? なぜ……? どうしようもない脱力感がルイズの全身を包んだ。そして、抗うこともできないままで、ルイズは才人の腕の中にくずおれていった。

「ルイズ!? どうした!」

「ごめんサイト……すっごく、眠いの……」

 激しい睡魔に襲われて、ルイズは意識を深い闇の中へと沈めていった。

 ゆるやかな寝息をたてはじめたルイズを見て、才人はほっとしたようにルイズを優しく抱きかかえた。

 しかし、キュルケとタバサは、気を失ったルイズと、彼女の指にはめられた風のルビー、そしてただの古書に戻った始祖の祈祷書を見て、自分自身に確認するように憮然とつぶやいていた。

「虚無の系統……ルイズが……」

 

 

 翌日、ルイズと才人、それにキュルケとタバサはトリスタニアの王宮に姿を見せていた。

 すでに、ラ・ロシェールでの事件のあらましはアンリエッタの元へと報告がされていた。ガリア艦『シャルル・オルレアン』から怪獣が出現し、ラ・ロシェールの街を破壊し、駐留艦隊やウルトラマンの迎撃も撃退して暴れまわったが、正体不明の謎の光によって倒された。

「その、光を作り出したのがあなただというのですか、ルイズ?」

 アンリエッタの、テーブルの上に置いた報告書から視線を移しての質問に、ルイズは深くうなずいた。

 緊急の用があると、謁見を申し込んできたルイズを、アンリエッタは公務を中断させてまで招きいれた。だが、人払いをさせた上で親友の口から語られた話は、覚悟していたはずのアンリエッタの想像をはるかに超える内容だったのだ。

「信じられないと思いますが、そのとおりなのです。わたしは、この始祖の祈祷書に書いてあった文字を読むことができました。これには、始祖ブリミルが直筆で、後世にあてた文書が残されていたのです」

 どこまでも真面目な顔で驚くべきことを告げるルイズに、アンリエッタはただうなづいた。ルイズは、自分の知る限り、こんな嘘をつく人間ではない。それに、同行してきたゲルマニアの大家ツェルプストー家の子息と、公言はしていないがガリア王家に由来する青い髪を持つ少女も証人と言っている。

 ルイズは、一呼吸をおくと、一気に続きの用件を伝えた。

「むろん、これはわたしたちにとっても晴天の霹靂でした。ですが、虚無といえば伝説上の系統……容易に調べるわけにも他言するわけにもいかず、考えました結果、始祖の祈祷書と始祖のルビーが伝わってきた王家になら、なにか手がかりがあるかもと愚考いたした次第です」

 テーブルの上には、艦隊から届けられた映像の記録水晶が置かれている。それには報告書のとおりに、怪獣の出現から撃破までの一部始終が映し出されており、荒唐無稽な話だと退けるわけにはいかなかった。

 しかし、いくら幼少からの親友とはいえ、確証もないことをおいそれと信じるわけにはいかない。

「言っていることはわかりました。しかし、わたくしにはその始祖の祈祷書は、ただの白紙の本にしか見えませんが……」

「ごもっともです。では、これより証拠をお見せいたします」

 そう言うとルイズは風のルビーをはめ、始祖の祈祷書を開いた。すると、風のルビーと祈祷書が、あのときと同じように神秘的な光を放ちだし、アンリエッタは息を呑んだ。

 そして、ルイズは最初のページに記された輝く古代文字を読み上げていった。

 

『序文。これより、我が知りし真理をこの書に記す。この世のすべての物質は、小さな粒よりなる。四の系統は、それらの粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの系統を『土』『風』『水』『火』と為す』

 

 光に照らされて、憑かれたように朗読を続けるルイズを、一同は無言で見守った。

 

『さらに、これらの四にあてはまらざる系統の力を我は持った。四の系統が影響せし粒は、より小さき粒より成り立つものである。我が系統は、この極小の粒に影響を与え、変化させし呪文なり。四にあらざればそれすなわち『零』、よって我はこの力を『虚無の系統』として後世に伝えるものなり』

 

 そこには疑いようも無く、虚無の系統と明記されていた。誰とも無くつばを飲み込む音が鳴る中で、ルイズはさらにページをめくり、読み進める。

 

『我と、我の同胞がなし得なかった目標を、我はここに書き残す。我の果てる地を、『ハルケギニア』と名づけて我は逝く。我の唯一の心残りは、『ハルケギニア』のはるかな東方、『聖地』を取り戻すことが叶わなかったことにあり。これを読みし者は、我の『虚無』の力を受け継ぐ資格を持つ。その力は強大なり、そして『聖地』を目指す鍵である。ただし、汝にその意思なくばそれもよし。『虚無』は詠唱は長きにわたり、多大な精神力を消耗する。時として命すら削る諸刃の刃、我の理想と目標を受け継ぐもののみが、この力を手にするがよし。そのため、我はこの書の読み手を選ぶ。たとえ資格なきものが指輪をはめてもこの書は開かれぬ。選ばれし読み手は『四の系統』の指輪をはめよ。されば、この書は開かれん』

 

 ページをめくり、ルイズは深く息を吸って読み上げた。

 

『最後に、我の目標を受け継ぐものが後世に現れることを切に願う。我の子たちは、我が第二の故郷にそれぞれ国を作った。将来、我の力を受け継ぐものたちはその血筋より現れるだろう。しかし、我は同時に子孫たちに詫びねばならない。我と、我の同胞の犯した罪は『聖地』より、いずれこの地にまで厄災をもたらすやもしれぬ。その日が未来永劫来ないことを願い、万一のときに備えてこれを残すものとする。我が末裔よ、意思あらば書を開き続けよ。時いたらば、すべてを語ろう。

 

 ブリミル・ル・ルミル・ユリ・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ

 

 以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。

 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン』』

 

 読み終えたルイズは祈祷書を閉じた。アンリエッタは唖然として言葉もない。

 半信半疑だったアンリエッタも、国宝の祈祷書と、アルビオンの秘宝が放つ光を目の当たりにしては考え込まざるをえなかった。ルイズが虚無? 幼馴染であり、今でも姉妹のように思っている親友が伝説の系統の担い手だというのか。

「わかりました。正直、わたしも気持ちの整理がつきませんが、事実に間違いないようですわね。ですが、虚無とは……いいえ、考えてみたら当然かもしれませんわね。世界が危機に陥り、破滅へと突き進んでいるこの時、始祖の力を受け継ぐものが目覚めるのは……かつて、始祖ブリミルは三人の子供に王家を作らせ、指輪と秘宝を残した。それらの一つがその祈祷書とルビー」

「はい」

「そして、王家には、こんな言い伝えがあります。始祖の力を受け継ぐものは、王家に現れると。今、ルイズが読み上げた内容とも一致しています」

「わたしは王族ではありませんわ」

「いいえ、ラ・ヴァリエール公爵家は王家の庶子。あなたにも王家の血は流れているのですよ」

 はっとしたルイズに、アンリエッタはうなづいてみせた。

「話してくれますね。わたくしにすべて」

「はい」

 ルイズは迷うことなくすべてを告白した。

 昨日、意識を失ったルイズが意識を取り戻したのはすでに日も落ちた時刻になってからであった。それでも、自分のやったことについてはしっかりと覚えていた彼女は、気持ちを整理するとまず才人に、続いて才人の勧めでキュルケとタバサに相談した。

 いくつかの憶測と仮説が提示され、実験を重ねた結果、少しだがわかったこともあった。

 まず、祈祷書に注意書きされていたとおり、文字は風のルビーをはめたときでないと読めないこと。

 ルイズ以外の人間には、祈祷書が発光するのまでは見えるが、文字は見えないこと。

 エクスプロージョン以外のページは、どうやっても白紙のままなこと。

 また、もう一度、実験のためにエクスプロージョンを唱えてみようとしたのだが、途中で意識を失って唱えきることができなかった。

「推測ですが、虚無の魔法は使用する精神力が膨大なために、あの一撃で力を使いきってしまったというのが、まず正解だと思います」

「と、いうことは回復するまではしばらくは虚無の魔法は使えないということですか?」

 無言でうなづいたルイズに、アンリエッタはほっとした様子を見せた。

「そうですか、それはかえって幸いだったかもしれませんね」

「どういうことですか?」

「よいですかルイズ、過ぎたる力は心を狂わせ、身を滅ぼします。今のあなたにその気が無くても、必要に迫られれば力を行使せざるをえないことにもなるでしょう。人は、よくも悪くも『慣れ』やすい生き物です。そして慣れは、警戒や恐怖を薄れさせます。なにが言いたいのか、わかってくれますね?」

「はい、わかります。いえ、わかっているつもりです」

 ルイズは、もしもあの力が行使することに失敗し、トリスタニアの真ん中や魔法学院で炸裂させてしまったときにはどうなるのかを想像して身震いした。あのときは、相手が怪獣であったからよい。しかし、あの魔法はその気になったら数万の人命をも一瞬で消滅させてしまうような凶悪なことにも使用できてしまうのだ。

 アンリエッタは、手に入れてしまった強すぎる力におびえるルイズの肩を抱き、優しく話しかけた。

「次に、虚無の魔法を使えるようになるのにどのくらいかかるかわかりませんが、それまでのあいだにじっくりと考えておくことです。わたしとしては、あなたにはその力を二度と使ってほしくありませんけれど、これが始祖のお導きならば、あなたが担い手になったのは、きっと何か意味があることなのでしょう。悩みなさい。自分に問いかけ続けなさい。その苦しみがある限り、あなたは自分を見失うことはないでしょう」

 あえて、迷いをぬぐうことをアンリエッタはしなかった。悩みの無い人間を人はうらやましがるけれど、実はそういう人間は、ほかの人間にとって大変危険なのである。なぜなら、例え誤った考えを持っていたとしても、自分のやることを疑わないから過ちに気づかない。正確には、自分を妄信するというべきであろう。確かに悩みはないだろうけれど、自分の正義のためなら他のすべてを犠牲にして平気な最悪の人間となってしまう。

「姫さま、ですがわたしはご存知のとおり、すべての魔法を失敗させてきました。嘲りと侮蔑の中、ついた二つ名は『ゼロ』。姫さまと祖国のために尽くしたいと考えてもなにもできぬ口惜しさに、常に身を震わせてまいりました。運命が、わたしに力を与えてくれた今、この力を正義のために、姫さまのためにもお役に立てたいと考えます」

「ルイズ、結論を急いではいけません。虚無には、まだ謎が多すぎます。あなたは、いわば初めて自分の足で立った幼児のようなもの。いきなり跳んだり駆けたりすることができますか? 第一、あなたのその力を狙っている敵がいるとのこと。なによりもまず、自分を守ることを考えなさい。これは主君としての命令です」

「はい……」

 命令という形をとられては、ルイズは貴族として従うしかなかった。アンリエッタとしても、こんな手段は使いたくはないのだが、親友ゆえにルイズの向こう見ずさはよく知っている。内心では、心配で仕方が無いけれど、それを知ればルイズは逆に強がるであろう。

「よろしい。それから、このことは当分のあいだはここにいる者だけの秘密としましょう。人は欲深い生き物……あなたのその力を知れば、よからぬことを考えるものも出てくるでしょう」

 ルイズは無言でうなづいた。才人は当然のこと、キュルケとタバサも異存のあろうはずもない。

 皆の意思を確認すると、アンリエッタは始祖の祈祷書をあらためてルイズに渡した。

「これは、しばらくあなたに預けておきましょう。虚無の謎を解くのには、欠かせないでしょうからね。それから、風のルビーはアルビオンに返還しなければいけませんから、代わりにわたしの水のルビーを預けておきます」

「姫さま! ですが、これらは姫さまの結婚式のために」

「式典用のイミテーションがありますから、それで代用することにいたします。ウェールズさまは、わたしが何とかごまかしておきましょう」

 軽くウィンクをして、まかせておけという仕草をしたアンリエッタの顔は、幼少のみぎりにルイズといたずらとしてまわったおてんば娘の、それそのものであった。

「ただし、あなたに頼んでおりました詔と巫女の役目は下りてもらわねばなりませんが、よいですね?」

 むろん、ルイズに異存のあろうはずはない。破格の配慮に比べれば、安すぎるくらいである。

「姫さま、何からなにまでありがとうございます」

「よいのです。誰よりもまず、わたくしに相談にきてくれたあなたの友情に、応えないわけにはまいりません。しかし、独力で虚無の謎を探るにも限界があるでしょう。誰か、優秀で信頼のおける学者に心当たりは……そういえばルイズ、あなたのお姉さまは王立アカデミーで主席研究員をしておられるとか」

「え゛っ」

 ルイズが露骨にいやそうな顔をするのも無理はない。本来の筋で言えば、真っ先に相談に行くべきなのは母のカリーヌか姉のエレオノールなのだけれど、パスしたのはこの二人が苦手だからだ。

「姫さま、それはちょっと……」

「なにか問題でも?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

 苦手だから嫌だとはさすがに言えない。でも、秘密を厳守してくれて、且つ優秀な学者といえばほかに思いつかないのも事実だ。それはわかっているのだけれど、あの姉と四六時中顔を突き合わせて、でなくとも見張られたり観察されたりするのは、まるで牢屋に入れられてるような気がする。

 というより、小さいころにはヴァリエール家にもよく遊びに来ていたアンリエッタは、ルイズがエレオノールを苦手としていることは知っているはずだ。なのに、平然とエレオノールを推すとは。ルイズは、「どうしたのルイズ?」といわんばかりに微笑を浮かべているアンリエッタを見て、気づいてしまった。

”姫さま、わかってて楽しんでるわね”

 内心でルイズは、この方は幼い頃のままなのねと頭を抱えた。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。しかも昔に比べて知恵がついてるから、なお性質が悪い。背中に天使の羽がついてるけれど、スカートの中には先のとがった黒い尻尾があるらしい。

 それでも、どうせいつかは話さねばならないことだからとルイズは自分に言い聞かせた。

「わかりました。エレオノールお姉さまに頼ってみます」

「賢明ですわ。辞令のほうは、わたくしからアカデミーにまわしておきます。とはいえ、調査といっても古代の文献を調べたりするようなことが大部分でしょうから、あまり会う機会はないかもしれませんが。まあ、あなたの体を直接いじりまわすわけにはいきませんからね」

「姫さま、冗談になっていません」

 正直、ぞっとするのである。エレオノールは性格的にはもっとも強く母の血を受け継いでいると言っていいだろう。妹相手でも何をしでかすか、保障はどこにもない。

「カリーヌ殿には、ルイズの護衛をお願いいたしましょうか?」

「いえ、母に余計な心配をかけたくありません。今の母は、騎士として教師として重責を担う身、いずれ虚無のことが少しなりとてわかったときに、打ち明けることにいたしたほうがよいと思います」

 暗に、護衛は才人がいるからほかにはいらないとルイズは言っていた。

 アンリエッタはうなづくと、ペンをとってテーブルの上の公文書用紙にサインを書き込んだ。

「ルイズ、あなたをわたくし直属の女官ということにいたします。この許可証で、王宮を含む、国内外におけるあらゆる場所への立ち入りと、公的機関の使用が可能です。万一のときには使いなさい。ただし、このようなものを一学生が持っていると不審を呼びますから、濫用してはいけませんよ」

「はい、お心遣いに感謝を返す術もありません」

「わたくしには、これしかできることはないだけですよ。でも、銃士隊準隊員の彼がいれば、大抵のことには困らないでしょう」

 アンリエッタに視線を向けられた才人は、どきりとすると姿勢を正した。

「本当は、そばでルイズを助けてあげたいのですが、わたしはこの国を背負う身、代わりにどうかわたくしの大切なお友達を守ってあげてくださいね」

「それはまあ、これまでもやってきたことですから」

 素直に「はい」と答えられないのが才人の未熟なところだろう。けれど、虚無だろうがなんだろうが、ルイズを守ろうという才人の決意はいささかも変わるところはない。すると、アンリエッタは声をひそめて、才人にだけ聞こえるようにつぶやいた。

「お気持ちはけっこうです。ただし、守るだけでなくて男性として責任は持たないといけませんよ。先のことだからと後回しにして、女の子を泣かせるような真似をしちゃいけませんからね」

 才人は、背中からいきなり氷の剣を刺されたように錯覚した。やっぱりこの人は、敵に回すと恐ろしい。

「き、肝に命じておきます」

「よろしい。女の子を泣かす男はアルビオン大陸につぶされて死ねばいいと母も言っておりました。忘れないでくださいね。女が男に惚れるということが、どれだけ重大なことなのかを」

 言葉は優しいが、アンリエッタの目は笑っていなかった。ルイズのことを親友というだけでなく、才人に関わったすべての人も、裏切ることは許さないと言っている。女性と付き合うとは、一介の高校生であった才人が想像していたような、甘く甘美なものばかりでは、ないようだ。

 それからアンリエッタは、控えていたキュルケとタバサに「これからも、どうかルイズを助けてあげてください」と、頼んだ。二人はそれぞれうなづくと、キュルケは「気の抜けたヴァリエールなんて見るに耐えないから」など、憎まれ口を少々口にし、タバサは無言のままで可能な限りの協力を約束した。

 

 そうして、ルイズたちはもうしばらく話し合いを続け、心配そうなアンリエッタに見送られながら王宮を出た。

 しかし、ルイズはずっと何かを考えているように押し黙ったままで、才人も今のルイズにどう話しかけたらよいのか思いつけない。

 怪獣にすら致命傷を負わせえる伝説の魔法『虚無』、それを担わされてしまった自分、なぜわたしが? わたしでなければならない理由があるのか? 始祖ブリミルは『聖地』を目指せと書き残していた。『聖地』にはいったい何がある? さらに、謎の女シェフィールドと、彼女の後ろで糸を引く『虚無』の力を狙う何者か。わからないことが多すぎる……解決の糸口すら見つからず、思考の迷路の中をルイズはさまよった。

 その途中、ルイズと才人に、テレパシーでウルトラマンヒカリが直接語りかけてきた。

(どうやら、ただならぬ事態が生まれてしまったようだな)

(セリザワさん……気づいていたんですか)

 精神世界で、ヒカリ・セリザワはうなづいてみせた。ルイズが実質怪獣を倒したことは、彼女たちの会話をウルトラヒアリングで聞いていたことで知っていたのである。二人は事情を説明すると、ヒカリは憮然としてつぶやいた。

(そうか、とうとう姿を現したのか。しかし、まさか君たちのもとへと現れるとは予想外だった)

(セリザワさん、なにか知ってるんですか?)

(うむ……)

 ヒカリは迷ったが、先日に水の精霊から語られた邪悪な存在のことを打ち明けた。

(アンドバリの指輪……思い出したわ)

 磨耗しかけていた記憶から、ルイズはラグドリアン湖での戦いを思い出した。そういえば、あのとき水の精霊は、アンドバリの指輪を盗んだやつはクロムウェルと呼ばれていたと言っていた。クロムウェルといえば、レコン・キスタの指導者だった男の名前だ。あのときは、まさかと思い同名の別人と考えたけれど、シェフィールドの黒幕の強大さを想像すれば、もしやと思えてくる。

(わたしたち、もしかしてとんでもない相手を敵にしようとしているのかも)

 その予想が当たっていたら、敵は国すら動かせるような力を持っているのかもしれない。いったい、虚無を手に入れて何をするつもりなのだろうか? いや、レコン・キスタのしたことや、虚無を探すためだけに怪獣に街を襲わせたことからしても、ろくなことではないだろう。

 ルイズは、見えない敵のプレッシャーに押しつぶされそうになった。だが、縮こまって怯えていてはなにも始まらない。ヒカリは気休めの言葉をかけはせず、あえて厳しくルイズに告げた。

(俺も、敵の正体を探るために動くことにする。きたるべき時が迫る今、容易ならざる事態だ)

 ヤプールの復活、地球との再結合の時期が近づく今になっての未知の敵の出現は、放置しておいたらどんな不測の事態が起きるかわからない。奴らは、どんな方法かは不明だが、怪獣をも操る術を持っているのだ。

(あの怪獣のパワーは並ではなかった。俺はしばらくこの国を離れるが、君たちも油断しないようにな)

(ええ……あなたも、気をつけて)

 ヒカリの声は去り、現実の静けさが戻ってきた。

 

 王宮を出た後、城外で待っていたシルフィードの元に一行は帰った。きゅいきゅいと、深刻な空気の中でも彼女だけは元気よく主人の帰りを喜んで迎える。けれど、シルフィードにルイズと才人は乗らなかった。

「じゃあルイズ、わたしたちはいったんラ・ロシェールに戻るから」

 怪獣出現のどさくさにまぎれて出てきたが、いつまでも行方をくらませてはいられなかった。無断で飛び出したことはさておいても、三人もいっぺんにいなくなっては仲間たちにも迷惑がかかる。ルイズは、シルフィードに乗ったキュルケとタバサを見上げた。

「みんなによろしくね。わたしたちは学院に戻って、エレオノールお姉さまを待つから」

「ええ、みんなには、あんたは急病で学院に帰したって説明しておくから。ともかく、早めに抜け出すつもりだから、それまでシェフィールドとかいうのに襲われても無茶しちゃだめよ」

 ルイズに対して、ここまで深刻な表情を向けるキュルケはまず見られない。それだけ、ルイズの使った虚無の力がキュルケの中にも大きな戦慄を残しているのだろう。二人は、後ろ髪を引かれる思いながら、学院の仲間たちの待つ街へと飛び去っていった。

 残るルイズたちは、馬車を借りて学院へと帰ることにした。空には、昨日までの晴天は嘘だったかのような、黒く分厚い雲が立ち込めている。才人は、言葉を忘れて人形になってしまったかのようなルイズの肩を軽く叩くと、顔を上げて小さくつぶやいた。

「ひと雨、来そうだな……」

 まるで、二人の行く手を、この世界の未来を暗示しているような光景。二人は、何事も起こらないでほしいと、ただ願うことしかできなかった。

 

 

 だが、彼らの知らないところで、すでに異変は始まっていたのだ。

 王立魔法アカデミーが発掘を続けている、トリスタニア郊外の古代遺跡。その深部で見つかった石棺。

 学者たちは、好奇心の赴くままに石棺を開けて、中の遺体を確認しようとした。

 ところが、石棺の中に収められていた古代のミイラは突如として息を吹き返し、発掘チームを恐怖のどん底に叩き込んだのである。

「ぎゃあああっ! ミイラ、ミイラが生き返ったあ」

「た、助けてくれぇっ!」

「ひっ、来るな! エア・ハン……うぎゃあっぁ!」

 生き返ったミイラは、荒い息のようなうなり声をあげつつ、遺跡の中を徘徊した。青黒い皮膚と、サルの様な顔を持つミイラが動くのを目の当たりにした発掘チームの人々は、口々にミイラの呪いだと叫びながら我先にと地上に逃げ出していく。メイジの中には魔法で攻撃を試みようとする者もいたが、ミイラは目から怪光線を放って、それらをことごとく返り討ちとしていった。

 地下のパニックはミイラが地上に上がってきたことによって、一気に地上にも拡散した。

 戦う術の無い平民や学者は逃げ惑い、戦闘の心得のあるものも貴重な発掘資材のある場所では思ったように魔法を使えない。いや、むしろ古代人の生き残りかもしれないから捕まえろと、無茶な命令が出されて飛び掛っていった工夫が、ミイラの怪力によって次々と倒されていった。

 上下の区分も無く、右往左往の混乱を続ける人間たちを尻目に、ミイラは発掘テントの中を何かを探しているかのように歩き回った。そして……

「大変だあっ! ミイラが、昨日発掘したばかりの赤いカプセルを持って逃げたぞぉ!」 

 暗雲から雨粒が落ち始める中を、ミイラは森の中へと消えていく。

 彼がいったいなんなのか、知っているものは誰もいない。

 

 

 続く



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第33話  灼熱の挑戦

 第33話

 灼熱の挑戦

 

 ミイラ怪人 ミイラ人間

 赤色火焔怪獣 バニラ 登場!

 

 

 彼は、長いあいだ闇の中にいた。

 いつから、どうしてここにいるのかも忘れてしまうほど長い時の中を、静かな闇の中でまどろんでいた。

 ときおり、ぼんやりと夢の中で何かを思い出す。遠い昔……まだ、太陽の下を歩き回っていたころ。

 そのころ、自分の周りにはたくさんの生き物がいたように思える。

 大きいのもいれば小さいのも、数え切れないほどいろんなものがいる。

 と、彼はその中で一つ、珍しいものがあるように思えた。

 周りの生き物たちとはどこか異質な、人間のような気配。けれど、彼はそれが悪いものとは思えなかった。

 顔はわからないが小柄な男性のようだ。隣には、髪の短い女性と、幾人かの人間がいるようだ。

 ここはどこで、彼らは誰なのだろうか……? 思い出せない。でも、どこか懐かしいような感じがする。

 そうだ、自分は彼らから……

 やがて眠りは深くなり、また幾分か眠りが浅くなると彼は同じ夢を見た。

 それを何万回、何十万回かと繰り返したろうか。

 

 あるとき、闇に閉ざされていた彼のまぶたに光が射した。

 太陽の光ではなく、ろうそくの薄暗い灯りだった。

 いつからかの外からの刺激に、彼は延々と繰り返してきた夢の中から、外に向かって意識を向けてみた。

 どうやら、大勢の人間がいるらしい。がやがやと、何かをしゃべっているようだが言葉の意味はわからない。

 目覚めるときが来たのかと、彼は思った。

 まぶたを開け、体を起こしてみた。感覚が蘇り、体が自分の思うように動くのがわかる。

 と、彼は何気なく周りを見渡すと、人間たちの様子が変わっているのに気づいた。なにやら驚いたり怯えたりした様子で、奇声をあげて部屋から逃げ出していく。

 どうしたのか? 彼は疑問に思ったが、目覚めたばかりからか考えがまとまらない。

 しかし、部屋の中にあった祭壇に目をやった瞬間、彼ははっとした。

 ここには、何かがあったはずだ。それは確か……思い出せない。

 自分はそれを……思い出せない。

 長すぎる眠りが、彼の記憶の重要だった部分までほこりに覆わせていた。それでも、彼はここにあったものを取り返さなければいけないという意思で動き出す。

 あれを、あれを取り返さなくては大変なことになる。なのに、彼の目の前に何人もの人間がやってきて自分に攻撃をかけてきた。

 彼らは何者なのだ? なぜ自分が攻撃されねばならない? 意味がわからないまま、彼は自分を守るために彼らを排除していった。力では自分が上だし、なにやら術を使うやつらも目から出せた光を浴びせたら簡単に倒すことができた。

 そうして地上に出ると、彼はすっかり変わってしまった外の風景に驚きつつも、目的のものを見つけることができた。

 よかった……彼は安堵した。しかし、まだ何かを忘れているような気がする。

 それに、人間たちは徒党を組み、またも自分に襲い掛かってきた。

 ここは危険だ。彼は大切なもの、赤いカプセルをかついで走り出す。

 自分は、あの人たちからこれを……

 眠りに着く前にしたはずの、何か大切な約束。それを思い出そうとしながら、彼は一心不乱に駆けた。

 

 

 ミイラの復活から、およそ一時間後……

 小雨の降り始める中、いまだ混乱の収まらぬトリスタニア郊外の発掘現場に、一機の竜籠が着陸した。

「これはいったい、どういうことなの!」

 飛び降りるように竜籠から真っ先に下りてきたエレオノールの絶叫が、惨劇の現場となった遺跡に響き渡った。

 所用で現場を留守にしていて、ようやく遺跡に戻ってきた彼女を待っていたのは、まるで戦場跡のような惨状だった。掘り出した遺物を置いていたテントはのきなみ野戦病院のようになり、即席のベッドには負傷者が並べられて苦しそうにうめいている。

 なにがあったのかを、エレオノールは近場にいた人間に説いただしていった。混乱する現場では、右往左往する平民、ひたすら怒鳴るばかりの貴族など、要領を得ない者にいらだたされはしたけれど、ようやくテントの中で負傷者に治癒の魔法を使っていた若いメイジを捕まえることができた。

 しかし、古代のミイラが蘇ったことまでを知った彼女は当然のように驚愕するのと同時に、歓喜した。

「ミイラが動き出した? ……ふふ……うっふふふ」

 報告を聞くなり、エレオノールは口元を含み笑いを浮かべだした。逆に報告した若い研究者や、治癒を受けていた土方の平民たちは悪い予感を覚える。案の定、彼女は眼鏡を光らせて手を上げると、高らかに命令したのである。

「すばらしいわ! 数千年ものあいだ生命を保管する技術が存在しただなんて。これは不老不死に人間が近づく大いなる一歩だわ! あなたたち、なんとしてでもそのミイラを生け捕りにするのよ。アカデミーの総力をあげて、永遠の生命の謎を解明するのだわ」

「い、いえ! すでに警備班や幻獣捕獲隊から追撃が出ています。どうかご安心を」

「生ぬるいわ! これがどれほどの大発見だかわかってるの? さあ、発掘を再開するわよ。動けるのは働きなさい! ミイラの追撃隊も、いるだけのメイジを送りなさい、あなたもよ!」

 エレオノールの剣幕に、若い研究者は震え上がった。

 しかし、興奮して命令を飛ばすエレオノールの肩を、彼女と同乗してきていた親友のヴァレリーが掴んで止めた。

「待ちなさいよエレオノール、負傷者が続出してる中で発掘の再開なんて本気? まして、追撃隊の増強なんて、できると思ってるの?」

「なにを言ってるのよヴァレリー? あなたこそわかってるの。これは大発見なのよ、有史以前の古代人の生き残り、歴史が根底からひっくり返るほどの大発見じゃない」

 興奮を抑えきれていない様子のエレオノールの主張を、ヴァレリーはそれはわかるけどと受け止めた。彼女も大発見だということは重々承知している。でも、エレオノールよりは社交性の高い彼女は、興奮を押し殺した冷めた目つきで、彼女の耳元に口を寄せてささやいた。

「いいから、黙って周りの平民たちを見てみなさい。みんな、親の仇みたいな目でこっちを見てるじゃない」

 エレオノールは、憎らしげに睨んでくる平民の工夫たちの視線に気づいたが、なおも強気だった。

「なによそんなの、平民が貴族のために尽くすのは当然でしょ」

 その言葉がどれほど彼らを怒らせるか、ルイズと違って平民と対等に付き合ったことのない彼女にはまだわからなかった。一方、ヴァレリーのほうは貴族らしい平民への蔑視と完全に無縁というわけではなかったが、友人よりははるかに温厚で人との付き合い方を知っていた。彼女はエレオノールの耳元で強い口調でささやいた。

「バカ、時と場合をわきまえなさいよ。いい? 研究するのは私たち貴族でも、現場で発掘作業するのは大半が彼ら平民なの。彼らを怒らせて仕事が雑になったら、今後大発見があってもパーになるかもしれないじゃない。それに、無茶をして死傷者を出したら、私たち全員の管理責任になる上に、アカデミーの空気を入れ替えてくれた姫さまの期待を裏切ることになるわ。冷静になりなさい、エレオノール・ド・ラ・ヴァリエール!」

 普段温厚なヴァレリーの厳しい警告と、姫さまのことを出されたことでエレオノールもやっと気を落ち着かせると、こほんと咳払いをしてうなづいた。

「ごめん、頭に血が上ってたわ」

「わたしに謝ってもしょうがないけどね。我が親友は物分りのよい人物で助かるわ」

「いいえ、私の独断で死傷者を増やしたら、お母さまにきついお叱りを受けるところだったわ。ヴァレリー、あなたは命の恩人よ」

 苦笑を浮かべたエレオノールを、ヴァレリーは微笑を浮かべて見返した。エレオノールは、きつい性格で研究熱心で度を超してしまうところもあるけれど、決して残忍な人間ではないことを親友の彼女は知っていた。

「あなたも大変ねえ。ともかく、発掘は一時中断しましょう」

 ヴァレリーは、エレオノールが同意するのを確認すると、現場責任者に先の命令は撤回、全員を地上に上げて休息をとらせておくようにと命じた。これのおかげで、急落しかけていた工夫たちの信頼はある程度つなぎとめられた。

「やれやれ、これはアカデミーの大失態ね」

「こんな事態を予想できた人なんていないから仕方ないわよ」

 落ち着きを取り戻したエレオノールは、てきぱきと指示を出して混乱していた現場を片付けていった。

 と、そのとき空から一羽の伝書フクロウが飛んできた。あて先はエレオノールになっていて、差出人はアンリエッタ王女。婚礼を控えたこの時期に、なんの用かと書簡を開いてみると、そこには早急なる出頭を命ずる旨の内容が記されていた。

「こんなときに……間が悪いわね」

 そうは思っても、姫さまはここの惨状は知らないのだし、知らせるわけにもいかない。エレオノールは眼鏡の奥の瞳をしかめさせた後、現場は元々の監督官に任せると告げて、ヴァレリーを誘った。

「やむを得ないから、私は王宮に赴くわ。できるだけ早く戻るつもりだけど、ヴァレリー、あなたはアカデミーに戻りなさい」

「エレオノール、仕事を頼みたいのかしら? 見返りは」

 不敵な笑みを浮かべる友人に、エレオノールは雨に濡れた口元を軽く歪ませると、研究者の目つきに戻って答えた。

「緊急事態よ、ツケにしといて。ミイラは赤い液体のカプセルのみを持ち去ったんでしょう? だったら、先日発掘された青いカプセルも狙われる恐れがあるわ。今のうちに開封して、中身を確認しておくのよ」

「なるほど、道理ではあるわね」

「この際だから、多少荒っぽい手を使ってもかまわないでしょう。それと、あの生きのいい新人がいたでしょ。助手に使ってみるいい機会かもしれないわよ」

 エレオノールの提案に、ヴァレリーもそれもそうねとうなずいた。少し前にアカデミーに来て以来、昼夜を問わずに様々な分野の研究に顔を出している、金髪の新人。名前をルクシャナということ以外、ほとんど自分のことを語らないけれど、どの分野でも秀でた才覚を見せている彼女ならこの仕事も任せられる。

 エレオノールとヴァレリーを乗せた竜籠は、遺跡を離れるとトリスタニアの方角へまっすぐに去っていった。

 

 

 同時刻、トリスタニアの郊外の森林地帯では、魔法アカデミーからの追っ手が必死にミイラを追撃していた。

「ユーノフとハイツは北から回りこめ、俺たちは西の道を塞いで退路を断つ」

「小隊長どの、見張りにつけていた使い魔のフクロウが落とされました!」

「くそっ! この雨じゃ人の視界が効かないし、奴は頭がいい」

 捕獲の命令を受けてきた十人ほどのアカデミーのメイジは、すでに三人が負傷して脱落し、二人を救護のために残して半数になっていた。残る五人も、長引く追撃戦で精神力を消耗し、使い魔も失って疲弊している。

「せめて抹殺命令が出ているなら気が楽なのだが、最低でもカプセルは奪取しなくてはならん。くそっ、やっかいな!」

 小隊長は、受けた任務の困難さと、思うようにいかない苛立ちから吐き捨てた。彼らはアカデミーの中でも、秘薬の材料となる入手困難な薬草や、危険な生物の捕獲を主として請け負う一隊なので魔法の実力は高い。それでも苦戦を強いられているのは、ミイラの捕獲とカプセルの確保という、厳命された任務内容と、雨中の森林地帯という追撃には不利な地形、そして予想以上に強力なミイラの武器にあった。

「奴の怪光線は風や水の防壁では防げません。この雨の中では火や土の魔法は効力が半減します。このままでは、逃げられてしまいます」

「おのれ……我々がここまで手こずるとは。それにしても、あのミイラはいったいなんなんだ? 目から光線を放つ亜人など聞いたこともない!」

 彼もアカデミーの一員である以上、亜人などの知識には精通しているが、ミイラの正体はまったくわからなかった。とにかく、ケタ外れの腕力と体力を持っており、これだけの時間追撃しているのに疲れる様子を見せない。特に目から放たれる怪光線の威力は絶大で、魔法と違って相手を見るだけで発射できるために避けられず、近寄ることさえままならなかった。

「奴は北東へと逃げています。これ以上進まれると、街道に出ることになります。もし、誰かに見られるようなことになったら大変ですよ」

「わかっている! くそっ、俺たちも残った精神力は少ないし、こうなったら賭けに出るしかないか」

 捕らえるにしろ殺害するにせよ、近づくことができなくては無理だ。頭の悪いオークやコボルドなどならまだしも、奴は人間並に頭が働くのは明らかだ。

 考えた末に、小隊長は一計を案じた。

「確か、この近くに小川があったな。ようし、そこに奴を誘い込め」

 起死回生をかけて、小隊長は最後の作戦を開始した。

 追われるミイラは、森の木々のあいだを素早く駆け抜けていく。地面の様子は凸凹で、雨でひどくぬかるんでいるというのに、それを感じさせないすごい脚力だ。また、肩には子供ほどの大きさがある透明なカプセルを担いで、大事そうに守っている。これは、先日発掘されたカプセルと同型のものだが、中の液体は赤色であった。

 うなるような声を漏らし、木々のあいだを縫って逃げているミイラは、ふと空を見上げた。人間が一人、こちらに向かって飛んでくる。追っ手だと気づいた彼は、そいつを向かって目を見開くと、眼球から白色の破壊光線を撃ちだした。

 命中、肩に攻撃を受けた追っ手のメイジはうめきながらふらふらと墜落していく。しかし、そいつと入れ違いに現れたメイジが風をふるい、周辺の木々をなぎたおしてミイラの行く手を塞いでしまった。

 あれは囮か、そう気づいたミイラは道が全部ふさがれる前に、残っている道へと駆け出した。

 それを見て、伏兵のメイジは作戦通りとほくそえむ。ミイラの行く先には川があった。

 一方、先回りをしていた小隊長は、部下の風のメイジ二人とともに川べりで隠れて待っていた。作戦通り、誘導されてきたミイラが彼らよりもわずかに上流に現れる。

「小隊長」

「待て、焦るな」

 はやる部下を抑えて、小隊長はじっとチャンスを待った。呪文の詠唱はすでに完了している。しかし残った精神力すべてを注ぎ込んだ一撃であるから、万一にも失敗は許されない。ミイラは、川辺に出たことで躊躇し、引き返そうかと迷っているように思える。

「来い、そのまま来い」

 心の中で叫びつつ、気配を殺して彼らは待った。もし、ミイラが引き返したら作戦は失敗に終わる。けれど、彼らの忍耐は望むとおりに報われた。ミイラは退路を塞がれることを焦ったのか、川の中に入ってきた。幅はほんの四メイルほどの浅い川、すぐに渡れると思ったのも無理は無い。だが、それこそが小隊長が待っていた瞬間だった。

「かかったな! くらえ、『ライトニング・クラウド!』」

 三人分の電撃魔法が川に向かって放たれ、電撃が水を伝ってミイラを感電させた。

 さしものミイラも巨像すら即死させる威力の電撃を浴びてはたまらないと見え、全身をけいれんさせてもだえている。作戦が図に当たって、小隊長は木の枝で作った偽装を脱ぎ捨ててからからと笑った。

「どうだ怪物め、この雨中では電撃もまともに直進できないが、それならそれでやりようはある。人間様の知恵をあなどったな。さあて、身動き取れまい。アカデミーに連れ帰ってじっくり調べてやる」

 部下を傷つけられた恨みもあって、小隊長は残忍な笑みを浮かべてミイラに歩み寄った。

 ミイラは大きなダメージを受けたと見え、小川の中にひざまずいて荒い息をついている。まだ、あの目からの怪光線は脅威で慎重に近づかなければならないものの、もう逃げられる心配はなさそうだ。

「よし、ミイラは俺が捕まえる。お前たちはカプセルを回収しろ」

「はっ」

 これで任務は終了だと、小隊長は部下に任務の半分をまかせて、自分はミイラに向かって『蜘蛛の糸』の魔法をかけようと杖を向けた。

 だが、そのとき……ミイラの手から取り落とされ、川の水につかっていたカプセルから乾いた音がした。

”ピシリ……ピシシ……”

 まるで、卵から雛が孵化するような音が、一回だけでなく断続的に続き、次第に大きくなっていった。

 

 

 そのころ、才人とルイズは馬車に乗って魔法学院への帰途を急いでいた。

「ひでえ雨だな」

 窓から外を覗き見た才人は、忌々しそうにつぶやいた。街を出たときから雨は降り続き、すっかり土砂降りになってしまった。冬の雨は冷たく、馬車の中も冷えて気がめいる。いや……気温などより、向かい合って座っているルイズの沈黙こそが、才人にとって寒かった。

「なあ、ルイズ」

「なに?」

 話しかけても気の無い返事しかしてこないルイズに、才人のほうがため息をつきそうになった。それでも、おせっかい焼きの才人は、明らかに言外に話しかけるなと言われているのに、続けて声をかけた。

「そんな、つっけんどんにしなくてもいいだろ。お前の姉さんと違って知識はないけど、もう短い付き合いじゃねえだろう、俺たち」

「このことは誰にも言わない秘密だってこと、もう忘れたの? どこに敵の目があるか、わからないのよ」

「ここには俺しかいないんだし、気兼ねする必要はねえだろ」

 御者は自動操縦のガーゴイルなのだからと、才人はルイズをうながした。

 けれど、好意はうれしいけれども、こればかりは才人に相談してもどうにかなるとは思えない。

「あんた、魔法のことなんかわからないでしょう?」

「そりゃそうだが、落ち込みようがひどいからな。虚無だかなんだが知らないが、すごい魔法が使えるようになったって、それだけのことだろ」

「はぁ、あんたの気楽さの半分でもあれば、わたしも気が楽なんだけどね」

 『エクスプロージョン』の炸裂のとき、才人は魂を奪われていたために、その光景を見ていなかった。それゆえ、ルイズがすごい魔法使いになったと言われても実感は薄かったのだろう。しかし、すごい魔法使いという表現さえ、虚無の前には過少評価というしかない。

 これを、あのエレオノールにどう説明すればよいかと考えるだけで、限りなく憂鬱になっていく。

 そんなルイズの心境には思い至らず、才人は、むしろ「黙っていなさいよ」とか怒鳴りつけられたほうが、まだましだと思った。から元気すらないルイズなど、まったくもってルイズらしくない。どうしたものかと元気付ける方法を考える才人は、ふとかたわらに置いてあるデルフリンガーがやけに静かなのに気がついた。

「そういえば、デルフ、お前も何か言ってやれよ。このままじゃ葬式の帰りみたいでたまらねえぜ」

 ここはデルフの軽口に期待しようと、才人はデルフを鞘から抜いて話しかけた。しかし、いつもは饒舌なデルフが、今日に限ってはしゃべろうとしないので、才人は不審に思った。

「どうしたんだよデルフ、湿気でさびるのが嫌なのか? それとも、しばらく抜いてなかったんですねちまったか」

「……そんなんじゃねえよ」

「なんだ、ルイズに続いてデルフまでどうにかなっちまったのか? 勘弁してくれよ」

 元来、めったなことでは物事を深刻に考えない才人は、大げさな身振りで呆れて見せた。しかし、ルイズもデルフも黙り込むばかりで、才人は自分が出来の悪い道化のようで情けなくなった。仕方なく、おどけるのをやめて真面目な口調でデルフに尋ねる。

「デルフ、お前らしくないぜ。なんで何も言わないんだよ」

「……」

「おい、おれのことを相棒って言い出したのはお前だろ? お前は口の軽い奴だとは思ってるけど、嘘をつく奴だとは思ってないんだぜ」

「……そうだな、わりい相棒。少し、昔のことを思い出しててな」

「昔のこと?」

 才人は、意外なデルフの答えに怪訝な顔をした。そういえば、デルフが自分のもとに来る前のことはほとんど聞かされていなかった。デルフリンガー……意思を持つインテリジェンス・ソード。魔法を吸収し、自らの姿を変化させることのできる、自称伝説の剣。

 考えてみたら、自分はデルフのことを何も知らずに振るっていた。相棒と互いを呼んでいたのに、いつどこで誰が何のために作ったのか、一つも知らなかった。

「昔って、いつぐらいのことだ?」

「さあな、俺は生き物じゃねえから寿命ってやつがない。時間の概念ってもんが、当の昔にふっとんじまってるんだ……けど、大昔だったのは間違いねえ。そう、虚無、嬢ちゃんの虚無に関するこった」

「なんだって!」

 なぜそれを早く言わないんだと、才人だけでなくルイズも詰め寄る。お前は、昔に別の虚無の使い手と会っていたのか? いったい虚無とはなんで、その人はどういう人だったのか、聞きたいことは山のようにある。

 だがデルフは、期待をかける二人にすまなそうに告げた。

「すまねえ、話してやりたいのはやまやまだが、昔過ぎてなかなか思い出せねえんだ。さっきから思い出そうと努力はしてんだが」

「おいおい、せっかく手がかりが見つかったと思ったのに。ほんとに、何一つ覚えてないのか?」

「いや、少しはある。例えば相棒、おめえに初めて会ったとき、俺はおめえを『使い手』と呼んだよな。以前、俺を使ってたのもおめえと同じガンダールヴだった。それは感覚が覚えてんだ」

 才人は、大昔のガンダールヴと言われて、今はルーンが消えてしまった左手の甲を見つめた。自分の前のガンダールヴ、その人も自分と同じように虚無の担い手を守って戦ったのだろうか。

 ほかには? と尋ねると、デルフリンガーはうーんとうめいた後、自信なげに言った。

「始祖の祈祷書にも書いてあったと思うが、ブリミルは四つの秘宝と指輪を残してる。そして奴は三人の子供と一人の弟子に、力も分けて残した。だから、担い手は嬢ちゃんを含めて四人いるはずだ」

「四人? そんなに!」

「ああ、そして四人の担い手と秘宝と指輪、使い魔が揃ったとき、虚無の力は完成する」

「虚無の力の完成って、何?」

「覚えてねえ」

「デルフ……」

 がっくりと、二人は肩を落とした。

「ほんとだ。ただ、ぼんやりとだが……でっかくて訳がわかんなくて、俺なんかの想像を超えてた。それこそ、世界を変えてしまいそうなくらいの……そのことだけは覚えてる」

「世界を、変える」

 ごくりとつばを飲み込む音が二つ響いた。漠然とではあるが、初歩の初歩の初歩である『エクスプロージョン』の度を超えた破壊力からすれば、完成型の威力はデルフの言うとおり想像を絶するものなのだろう。それがもし悪用されたらと考えると、戦慄を禁じえない。

「シェフィールドの一味は、いったい虚無の力をどうしようというのかしら?」

 ルイズのつぶやきに、才人も考え込む。聖地の奪還、虚無の存在する目的はそれだが、そんなことではあるまい。力を背景にしての世界征服、手口の悪どさからして九割がたそんなところだろう。そんなこと、絶対に許すわけにはいかない。

 二人はそれからも、デルフに覚えていることはないのかと散々尋ねた。そのことの努力の多数は徒労に終わったものの、デルフのにわかには信じがたい話は、才人とルイズに半信半疑ながらも、おぼろげな道を示したように思えた。

 ただし、デルフは何かを思い出したら必ず教える、と約束するのに続いて、不吉極まる勧告を二人に残した。

「二人とも、これだけは覚えといてくれ。虚無の力は、四系統とは文字通り格が違う。ブリミルのやろうも、わざわざ警告を残したくらいだ。お前さんが成長すれば、威力も上がるし使える種類も増えてくだろう。だが、虚無のことを思い出そうとすると何か嫌なものがひっかかるんだ……もしかしたら、俺は思い出せないんじゃなくて、思い出したくねえのかもしれねえ。何か……とんでもなく嫌な、悲しいことがあったような、そんな気がするんだ」

 それだけ言うと、デルフはしばらく考えさせてくれと言って鞘の中にひっこんだ。

 才人とルイズは、デルフの話に大きな衝撃を受けて、頭の中の整理がつかずに押し黙った。

 

 誰も言葉を発しなくなり、馬車の中はひづめと車輪の音、それに雨音だけが無機質に響いていく。

 

 雨は先程よりも激しくなり、街道は彼らの馬車以外には通行している人影はない。

 魔法学院までは、あと二時間くらいだろうか。ルイズは、始祖の祈祷書を握ったまま瞑目している。

 才人も、次第に船を漕ぎ出した。疲れから、馬車の揺れがゆりかごに、雨音も子守唄のように快く感じられて、睡魔が急速にやってくる。

 このまま、着くまで寝てよう。才人は睡魔に抗うことをあきらめて、からだの力を抜こうとした。

 だがそのとき、鼓膜の奥にわずかだが人の悲鳴のようなものが響いてきて、はっと顔を起こした。

「いまのは……」

「サイト、あなたも聞こえたの?」

 ルイズも気づいたと見えて、鋭い目つきになっている。普通なら馬車と雨音に紛れて絶対に聞こえないようなかすかな声だったけれど、ウルトラマンAと合体したことによる作用で、二人は聴力が常人の何倍にも強化されているのだ。

 聞こえてきたのは前からと、揃って馬車の前の窓を覗く。しかし、雨足が強くて視界がさえぎられて、前方の様子は霧のようにかすんで判別しがたかった。

「だめだわ、これじゃ何もわからない」

「馬車を止めて、歩いて探ってみるか。傘、あったよな?」

「ええ、座席の下に……待って、あれ何かしら?」

「ん? なんだ、電灯? いや、そんなはずないか」

 いつの間にか、街道の行く先にぽっかりと二つの白い光が浮いていた。まるで、東京にいたころに毎日見ていた道路の街路灯のように、街道をはさむように二つが同じ高さで浮いている。

 なんだいったい? 正体を掴みかねて戸惑う二人に向かって、白い光はじわじわと近づいてくる。いや、光ではなく二人を乗せた馬車のほうが近づいているのだ。

 好奇心がわいて、二人は光がよく見えるところまで近づこうと思った。

 ところが、光が近づいてくるにつれて街道の先にぽっかりと暗い穴のようなものが見えてきた。

”トンネル? いや、学院とトリスタニアのあいだにトンネルなんかなかったはずだ!”

 背筋にぞくりと冷気を感じた瞬間、穴の中の上下に鍾乳石のようなとがった柱が幾本も見えてきた。

 さらに、穴の奥には真っ赤な洞穴。いや、これは洞穴なんてものではない! その証拠に、白い光の中に黒い瞳が動き、こっちを睨んでいるではないか。

「止まれぇーっ!!」

 反射的に二人は叫んでいた。御者のガーゴイルが命令を忠実に実行し、馬の手綱を引く。

 しかし、遅すぎた。勢いのついた馬車は止まりきれず、穴の中に突っ込んでようやく停止したとき、天井が落ちてきて馬車を押しつぶそうとしてきた。

「きゃあぁーっ!」

「ルイズ!」

 悲鳴をあげるルイズに、才人は覆いかぶさってつぶれてくる馬車から守った。だが、馬車の中に何本もの鋭い柱が突き刺さってくる。馬車は踏まれた缶のようになり、馬は穴の奥へと悲鳴をあげて落ちていった。

 二人は、押し上げられるような感触を覚え、砕けた窓から外を見て絶句した。森が、街道が空から見たときのようにはるかに下にある。このとき確信した。自分たちは何か巨大なものの口の中へと飛び込んでしまったのだ。

 馬車を咥えた巨大な何かは、歯ごたえでそれが何かを確かめているようだった。そうして、それが食べ物ではないとわかると、ぺっと外へと吐き出した。馬車は地面に激突してグシャグシャになり、その何かは興味を失ったかのようにきびすを返そうとする。

 だが、そのとき!

 

「ヘヤァ!」

 

 上空から急降下してきたウルトラマンAのキックが、何かの背中に炸裂して吹っ飛ばした。

 間一髪、馬車が押しつぶされる直前に、才人とルイズは合体変身することに成功していたのだ。

 着地したエースは、構えをとって敵を見据える。

 しかし、起き上がってきた敵の姿に、才人は愕然としていた。

 細身の体に、タツノオトシゴのような頭。らんらんと光る両眼に、なによりもその赤一色の姿。

(赤色火焔怪獣バニラ! なんでこんなところに!?)

(サイト? 今度は知ってる怪獣なの)

 知っているどころの話ではない。ウルトラマンに少しでも興味があれば、バニラの名前は知らないほうがおかしいほどだ。

 かつて、地球上に栄えていたといわれる古代文明ミュー帝国において猛威を振るっていた、赤い悪魔と呼ばれていた恐るべき怪獣。かつても、科学特捜隊や防衛軍の攻撃がまるで通用せず、オリンピック競技場を壊滅されられたことをはじめ、暴れるにまかせられた東京は甚大な被害を受けている。

 その、バニラがなぜこんな場所にいるのか? 才人は理由がわからず戸惑った。

 けれど、戸惑う才人とは裏腹に、ルイズの腹は明確に決まっていた。

(サイト、そんなこと考えるのは後でいいわ。怪獣が出たんなら、こいつが街に向かう前に倒すべきでしょう)

 こういうとき、ルイズのほうが現実的な思考をする。幼い頃から魔法を使えず、なぜ自分は魔法を使えないんだろう。といちいち考えるのをあきらめ、ひたすら困難にぶつかってきた経験が形を変えて生きていた。

(そうだな、ルイズの言うとおりだ)

 才人も、考えるよりもやるべきことがあると気がついた。同時に、ルイズへの信頼感と、ある意味の尊敬を深くする。いかなるときでも折れない芯と、気高さが彼女の魅力なのだ。

 

 寒風吹きすさび、雨がみぞれに変わりつつある嵐の中で、ウルトラマンAの戦いが始まる。

 

「トァァッ!」

 先手必勝、エースは体当たり攻撃を仕掛けた。肩から突っ込み、バニラの胸板にぶつかっていく。

 衝突! 太鼓を百個同時に打ち鳴らしたかのような轟音が響き、衝撃が木々の枝を揺さぶる。

 組み合ったエースとバニラは、エースが身長四十メートル、バニラが五十五メートルだから頭一つ分バニラがエースを見下ろす形となる。しかし、戦いは体の大きさだけで決まるものではない。エースは、組み合ったまま、バニラの胴体へと膝蹴りを繰り出す。

「デヤッ!」

 相手の動きを封じたままの姿勢での、巨岩をも砕くエースの攻撃が連続して炸裂する。

 だが、バニラは細身の体に見合わぬ力で、がっしりとエースの攻撃を受け止めると、すかさず腕をふるって逆襲に転じてきた。

「ヘアッ!」

 振り下ろされてきたバニラの腕を、X字にクロスさせた両腕でエースは受け止めた。

(くっ! 重いっ)

 しびれるような感触が、両腕を通して体に伝わってくるのをエースは感じた。完全に止めたはずなのに、まるで斧で打たれたような、強烈な感触だ。細身に見えてこの怪力、まともに組み合っては不利だと、エースはガードを解くと、バニラの腹をめがけてキックを入れる。

「ヌンッ」

 中段からの体重を込めたキックが、バニラの腹に当たって後退させた。

(よしっ、いまだ!)

 間合いが開き、チャンスを逃してはなるまいと才人の檄が飛ぶ。エースはそれに応え、バニラへ攻撃を続行した。人間に似た形の腕で掴みかかってくるバニラの攻撃をかわしつつ、比較的柔らかそうな腹にパンチの連打を浴びせ、反動で距離が開くと助走をつけてドロップキックをお見舞いする。

(いいわよ、その調子)

(そのまま一気にいけっ!)

 エースの猛攻に、ルイズと才人も歓声を送る。キックを受けたバニラが、森の木々を巻き添えにしながら倒れてもがいているところへ、馬乗りになったエースはパンチを連打して追い討ちをかけていく。だが当然バニラも無抵抗ではなく、鳥の鳴き声のような叫びをあげてエースを振り払い、尖った頭を打ちつけて反撃を繰り出す。

(右だ! エース)

 肉体を共有している才人の叫びで、エースはバニラの頭突き攻撃を寸前でかわした。そして、空振りして体勢を崩したバニラの頭にキックを浴びせ、バニラは悲鳴をあげて倒れこむ。

(いいわよ。このままいけるんじゃない!)

 優勢に運ぶ戦いに、先日から閉塞感を感じ続けていたルイズは胸のすく思いを感じていた。才人のほうも、理由はともあれ元気を取り戻してくれたルイズにならって「いや、まだ油断はできないぞ」と言いながらも声色が浮いている。

 

 ウルトラマンAの攻撃は着実にバニラをとらえ、エースの勝利は疑いないように思われた。

 

 しかし、湧き上がる二人とは裏腹に、エースは攻撃を加えるごとに違和感を感じていた。

 確かに、攻撃して手ごたえはある。攻撃が着実にヒットしているという自信はあるのだが、それがダメージに結びついているという実感がわかないのだ。例えば、腹など弱そうな部分を狙って打っても、バニラにはこたえた様子がない。

 戦いを見つめているうちに、才人も次第にそのことに気づいてきた。至近距離からのパンチを受けてもなおバニラは平然と立ち上がってくる。

(なんて頑丈な奴だ!)

 そのタフさに才人は舌を巻いた。エースのパンチは蛾超獣ドラゴリーの体を貫いたほどの威力があるというのに、耐え切るとは恐ろしい奴だ。いや……それにしても異常だと才人、それにエースは感じ始めていた。

 このバニラは、これまでに見るところでは科学特捜隊が交戦した初代バニラと大きく変わるところはない。なのに、この異常なまでのタフネスさはなんなのだろう? 無限の体力を誇る怪獣は、液汁超獣ハンザギランなど例はあるが、バニラにそんな能力があると聞いたことはない。第一、ウルトラマンと戦う前に倒された怪獣なので、倒せないはずはないと思っていたがとんでもない。才人は、自分の知っている中で、何かバニラの特徴に見逃しているところはないかと考えた。

 古代ミュー帝国において、赤い悪魔と恐れられた怪獣。性質は凶暴で……いや、能力自体はそこまでの脅威ではない。バニラと同程度の怪力や能力を持つ怪獣などは、探せばいくらでも見つかる。はるかに文明が進んでいたと伝えられるミュー帝国の人々をして、悪魔と言わしめたものはそんなものではないだろう。ならばと、才人は考える。確か、バニラは同時に暴れていたもう一匹の……

(そうか!)

 頭の中でピースが組みあがったとき、才人にはなぜバニラが恐れられていたのかという理由がわかった。もしこの仮説が当たっているとしたら、このままバニラといくら戦い続けても無駄でしかない。

 そのとき、バニラの口が開かれると、真っ赤に裂けた口腔から紅蓮の火焔がエースに向かって放たれた。

「ヌオオッ!?」

 近距離にいたエースは火焔を避けきれず、胸に直撃を受けて大きくのけぞった。

 これが、バニラが赤色火焔怪獣と呼ばれるゆえんである。

(エース!)

(北斗さん!)

(大丈夫だ……)

 直撃を受けた箇所を押さえて、エースは苦しげに答えた。バニラの火焔は二万度の熱量を誇ると言われ、エースの胸は大きく焼け焦げている。口では大丈夫というものの、そんな生易しい傷のはずはない。その証拠に、カラータイマーも青から一気に赤の点滅を始めた。

 この機を待っていたと、バニラはエースを見下ろしてさらに火焔を放射した。

(避けて!)

(くっ!)

 転がり避けた後を火焔がなぎ払い、森が一瞬のうちに炎に包まれていく。しかも、勢いあまった炎は、そのまま数百メイルに渡って森を焼き、炎の壁ともいうべき森林火災が引き起こされた。

(な、なんて炎なの!?)

(バニラの火焔は、空の上の戦闘機を狙い撃ちできるほどの射程もあるんだ。エース、もう時間がない。一気に決めましょう!)

 カラータイマーの点滅は、バニラとの格闘戦が長引いたことで急速に早まっている。これ以上引き伸ばされては光線技を放つエネルギーもなくなる。エースは、この戦いはここで終わらせると決意すると、腕をL字に組んで最大の得意技を放った。

 

『メタリウム光線!』

 

 赤、青、黄の輝きを放つ光の奔流が驟雨を貫いてバニラへ向かう。いかに奴が頑丈であろうとも、これを喰らえばただではすまないのは確実だ。

 ところが、バニラは避けようとするどころか火焔をメタリウム光線に向けて放射した。

(なにっ!?)

 三原色の光線と、灼熱の火焔が空中で衝突して激しいエネルギーのスパークがほとばしる。三人は信じられなかった。火焔がまるで障壁と化したかのように光線を受け止めている。そしてついに、メタリウム光線はバニラに届くことなく空中ですべてかき消されてしまったのだ。

 エネルギーを大量に消耗し、エースはがくりとひざを折った。カラータイマーの点滅は一気に限界まで達し、才人は愕然としてつぶやいた。

(メタリウム光線を防ぐなんて……なんて奴なんだ)

 起死回生の一手もしのがれて、もはやエースにはまともに戦うだけの力は残されていなかった。

 バニラは、今の攻撃がこちらの最後の切り札だったことを見透かしたかのように、安心して悠然と向かってくる。

(いけない! 奴が来るわよ、エース立って!)

(くっ!)

 急激な疲労感の中で意識が遠のきかける中、ルイズの叫びでエースは我に返った。目の前まで迫ってきたバニラに飛び掛り、投げ倒そうとする。だが、逆に軽く弾き飛ばされてしまった。

「ウッ、フゥゥーンッ……」

 地面に叩きつけられ、エースから苦悶の声が漏れる。森の木々をへし折り、仰向けに倒れるエースは起き上がることもできずに、平然と接近してくるバニラを見上げることしかできなかった。

(エース! バニラがくるぞ! がんばれ、がんばってくれ!)

(そうよ! あなたが負けたら誰がこの世界を守るの。お願い、立って!)

 苦しむエースの心に、才人とルイズの必死の叫びが響く。二人とも、エースがダメージを受けたことによる反動で、すでに激しい苦痛を受けている。それにも負けずに呼びかけてきた声にはげまされ、エースは最後の力を振り絞った。起き上がろうと、しびれる腕に鞭を打ち、地面に手を着いて体を支えようとする。

 だが、バニラはそれすらも許さなかった。火焔を放ち、周辺の森ごとエースを炎に包み込んだのだ。

「ヌワアアッ!」

(うあぁぁっ!)

(きゃああぁぁ……)

 太陽が地上に出現したような業火の中に、ウルトラマンAの姿が飲み込まれていく。

 バニラの勝ち誇った遠吠えが、暗雲の中にとどろいていった。

 

 

 続く



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第34話  最終戦争の一端

 第34話

 最終戦争の一端

 

 赤色火焔怪獣 バニラ

 青色発泡怪獣 アボラス

 岩石怪獣 ネルドラント

 毒ガス怪獣 エリガル

 古代暴獣 ゴルメデ

 噴煙怪獣 ボルケラー

 透明怪獣 ゴルバゴス 登場!

 

 

 古代遺跡から発掘されたカプセルから蘇った、怪獣バニラ。

 才人とルイズはウルトラマンAへと変身し、これを迎え撃った。

 しかし、強靭な肉体とメタリウム光線をも防ぐ火焔を持つバニラの前に、エースはエネルギーを使い果たして倒れてしまう。

 バニラの吐き出す火焔に包まれるウルトラマンA。

 この、悪魔のような大怪獣を倒す方法は、はたしてあるのだろうか……

 

「うわぁぁっ……」

 バニラの火焔が作り出した山火事の中に、ウルトラマンAは沈んでいった。

 かつて、ミュー帝国の街を蹂躙したであろう紅蓮の業火と同じ炎の中が、容赦なくエースを焼き尽くそうと燃え盛る。

 このままでは、確実に死んでしまう。エネルギーが尽きかけたエースは、最後の手段をとった。

「ヌゥゥ……デュワッ!」

 横たわるエースが、腕を胸の前でクロスさせ、大きく開いた瞬間、エースの体が白色に輝いた。

 ちかちかと、光は燃え尽きる前のろうそくの炎のようにエースを包んでまたたく。そして、最後にわずかにまばゆく発光したかと思われた瞬間、エースの姿は炎の中に溶けるように消えてしまった。

 怪獣バニラは、勝利の雄叫びをあげるとくるりときびすを返した。燃え盛る森を背にして、いずこかの方角に去っていく。

 後には、轟音をあげて燃え盛る森と、炎から逃げ惑う鳥や動物の悲鳴だけが残される。

 

 ウルトラマンAは、死んでしまったのだろうか……?

 

 いや、そんなことはない。エースが倒された場所から、数十メートル離れた森の中に才人とルイズが横たわっていた。

 あの瞬間、エースは残された最後の力を使って、変身解除と同時に二人をわずかな距離ながらテレポートさせて炎から救っていたのだった。

 しかし、バニラの起こした山火事の勢いはなおも衰えず、二人の倒れている場所にも次第に迫ってきた。

 雨はなおも降り続いているが、炎はそれに反抗しているがごとく天高く黒煙をあげ、二人を狙ってくる。

 生木を枯れ木同然に焼き、下草を燃やしながら炎は獲物を狙う蛇のようにうごめき、とうとう二人は火災の中に取り残されてしまった。

 業火の中、死んでしまったかのように、ぴくりとも動かず横たわる二人。

 飲み込まれれば、人間など骨も残さず焼き尽くされてしまうだろう。

 だがそのとき、炎から一つの影が浮き出るように現れ、その異形のシルエットを二人にかぶせていった。

 

 

 一方そのころ。まだ異変の発生を知るよしもないトリスタニア。

 遺跡を飛び立ってから、およそ二時間後。王宮において、アンリエッタに謁見したエレオノールは、自身を呼び出したアンリエッタ王女から、耳を疑う知らせを受けていた。

「ルイズが伝説の虚無の系統? そんな、信じられませんわ」

 単刀直入にアンリエッタの口から語られた真実を、エレオノールは最初信じようとはしなかった。しかし、軍の正式な報告書に記された、想像を絶する魔法の炸裂と、水晶に浮かび上がったその映像。そして、冗談などでは決してない、真剣な表情のアンリエッタの説明が、エレオノールに曲げようのない事実を突きつけていた。

「信じられないのは無理もありません。わたくしも、今日まで虚無とはなかばおとぎ話だと思っていました。ですが、現実はこのとおりであり証拠も揃っています。わたくしも考えましたが、ルイズの姉であり優秀な学者であるあなたしか信用できる人はいないのです。どうか、信じていただけないでしょうか」

「ちょ、ちょっと待っていただけませんか! ルイズが、あのちびルイズが虚無? あの、あの……」

 普段の彼女の凛々しさからは考えられないほど、エレオノールは狼狽していた。もはや、仕事中に呼び出された不満も吹き飛び、頭の中は許容量を超えてしまった情報で混沌と化している。その末に、目眩を起こして倒れかけたところへ、慌てたアンリエッタに抱きとめられた。

「エレオノールさま、大丈夫ですか!? お気を確かに」

「はっ! こ、これは無礼をばいたしました。どうか、平にご容赦くださいませ」

 どうにか正気を取り戻したエレオノールは、謁見の間での失態に顔を赤くして謝罪した。

 普段冷静な彼女だが、頭がいいことが災いして、自分の知識の及ばない出来事が起こると脳がフリーズしてしまうようだ。平謝りし、どうにか気を取り直したエレオノールは、頭の中で聞かされた事柄をまとめると、自分に言い聞かせるようにアンリエッタに向かって復唱していった。

「……つまりは、ルイズがこれまで魔法が使えなかったのは、その系統が虚無ゆえで、あの子には聖地をエルフから取り戻すという使命が与えられたというのですね?」

「祈祷書に記されたとおりなら、そのとおりです」

「馬鹿げてるわ! 始祖ですらできず、数千年に渡って負け続けてきたエルフとルイズが戦わなければならないですって!? 悪い冗談にもほどがありますわ。姫さま、まさか貴女はルイズを旗手に聖地奪還の戦を再開なさろうとしているのでありませんでしょうね? もし、そんな愚考をしておられるようなら!」

「落ち着いてください! まだ、そうなると決まったわけではありませんわ。ルイズの意思は確認しましたし、わたくしも彼女に聖地を奪還させようなどと考えてはおりませぬ」

 つかみ掛かってきそうなくらいいきり立つエレオノールを、アンリエッタはたじたじになりながらも必死に抑えた。ルイズとともに、ヴァリエール家との付き合いは長く、エレオノールとも小さいころから何度も会っているが、この気性の強さと迫力はいまだになかなか慣れない。

「はあ、はあ……申し訳ありませぬ。わたくしといたしたことが取り乱してしまいました」

「いえ、ご家族の人生に関わることです。怒られて当然ですわ。ともかく、この事実を知っているのは、ルイズの友人数人とわたくしと、お姉さまのほかにはおりませぬ。しかし、虚無の存在を知れば、今おっしゃられたとおりに悪用しようともくろむ輩も出てくるでしょう。実際に……」

 シェフィールドと名乗る謎の人物に狙われていることを語ると、エレオノールは再び怒りをあらわにした。けれど、アンリエッタから「ことがことだけに、わたくしも表立って助けることができません」と、苦悩を告げられ、敵からルイズを守るためには虚無の謎を解き明かさねばならず、信用できて且つそれができるのは貴女しかおりませんと改めて頼まれると、自分の肩にかけられた荷の重大さを悟った。

「わかりました。微力ながらお引き受けいたしましょう」

「ありがとうございます、エレオノールさま」

「いえ、いくら出来の悪いとはいえ、妹のことを他人にはまかせられませんわ。わたくしを頼っていただけたことに、こちらこそ感謝いたします」

 二人は手を取り合って、それぞれ感謝の言葉を述べ合った。

「さあ、では具体的な話に入りましょう。指令をいただけても、今のままでは自由に動けませんわ」

 それから二人は、これからのエレオノールの権限などについて話を進めていった。現在、アカデミーの研究員、学院の臨時教諭と掛け持ちをしているが、これに虚無の調査も加えたらとてもではないが身が持たない。

 

 だが、話がまとまらないうちに、突然謁見の間の扉があいさつもなしに開かれた。

 

「何事です?」

 あらかじめ、ここには呼ぶまで誰も入れるなと人払いをしていたはず。なのに何か? まさか、今の話を盗み聞きされたのではと二人が振り向くと、なんとずぶ濡れの騎士が蒼白の表情で駆け込んできた。

「ほ、報告……トリスタニア東方、三十リーグの森林地帯に……あ、赤い怪獣が出現。迎え撃ったウルトラマンを倒して、トリスタニア方面に進行中」

「なんですって! ウルトラマンを、倒して!?」

 想像もしていなかった報告に、アンリエッタは愕然とした。彼は、ミイラを追っていた魔法アカデミーの騎士の一人だった。あのときミイラに撃ち込まれた『ライトニング・クラウド』によってバニラが復活し、その猛威から命からがら逃げ延びた彼は、すべてを見た後でここまで駆けてきたのだった。

「怪獣は、あと数時間でトリスタニアまで到達するでしょう。は、早く手を……うぁ」

 騎士は、息も絶え絶えの状態で、絞り出すようにそう報告すると倒れた。

「しっかり! 誰か、誰か!」

 気を失った騎士にアンリエッタが駆け寄り、呼び起こしながら侍従を呼んで医者を手配させた。すぐに宮廷の従医が呼ばれ、彼を担架に乗せて運んでいく。さらに、怪獣が接近していることが明らかになったので、直ちに迎撃の準備を命ずる。今のトリスタニアは、結婚式典のために大勢の人間がやってきている。市街地への侵入を許したら大惨事になるのは必然だ。

 そしてエレオノールは、報告を持って来たのが魔法アカデミーの雇い騎士だったこと。現れたのが、赤い怪獣だという内容から、一つの仮説を導き出し、全身の血が引いていく音を聞いていた。

「しまった……ヴァレリー!」

 

 様々な思惑と錯誤、謎と現実が交差しながら、時の流れは残酷にその歩みを止めない。

 場所を戻し、激しい戦いのおこなわれたあの森に舞台は返る。

 一時は天にも届くほどの勢いで燃え盛っていた山火事も、天からの恵みには屈服し、炭と化した木々が薄い煙のみを吐いている。その一隅の、雨を避けられるある場所に、才人とルイズは並べて寝かされていた。

「う、ぅぅ……」

 かすかなうめきと、吐息が二人がまだ生きていることを如実に示している。しかし、怪獣バニラとの戦いで大きなダメージを受けた二人は、いまだ無意識の世界……暗く、生暖かい不思議な空間の中をさまよっていた。

 

”おれは……いったいどうしたんだろう”

 

 浮いているような脱力感と、激しい疲労から襲ってくる眠気に耐えながら、才人の意識はただよいながら考えていた。

 そこは、ぼんやりとものを考えることはできるけれども、体を動かすことはできない。例えて言うならば、春の日差しの中でうたたねしているみたいな、夢と現実のはざまのような世界。そこで、夏の波打ち際に体を預けているような心地よい感覚に、才人は身を任せていた。

「おれは……いったいどうしたんだろう」

 もう一度、才人は同じことを思った。いや、もしかしたら一度だけでなく何度も同じことを考えていたのかもしれない。

 現実感のない世界で、才人にできるのは考えることだけだった。いや、起きようと頭では思うのだけれども、意識が現実に覚醒することがない。疲労で深い眠りについているというよりも、なにかの力で夢の世界に閉じ込められているような、そんな気さえする。

 ここは、強いて言うなら変身している際に、三人で意識を共有している精神世界とも似ているような気もする。しかし、エースなら不必要に二人の心に干渉するわけはない。ならば何故? と思っても、それを考えるだけの思考力は得られない。

 ふと、才人はこの精神世界の中に自分以外の誰かがいる気配を感じた。とはいえ、すぐに相手のほうから呼びかけてきたから、確認する手間ははぶけた。

「サイト?」

「ルイズか?」

 不思議なことに、二人とも意識がはっきりとしていないのに、相手の存在だけははっきりと理解することができた。それが、自分たちが肉体と意識を共有しているかはわからないけれど、二人にとってはどうでもよかった。寄り添うように手と手を重ねると、二人は安心したように力を抜いた。

 互いのことを感じあえるところにいることで、緊張を失った二人の心は無意識のさらに深くへと沈んでいく。

 ところが、閉じ行く意識の中で、才人とルイズの目の前に突如現れたものがあった。

「あれ、は……?」

 ぽつりと、唐突に現れたそれを、二人は閉じかけた心のまぶたを開いて見た。沈んでいく水底のような世界の中で、海底に沈んだ一粒の真珠のように、小さな、しかしはっきりとした光がはげますように二人の前に現れていた。

「なにかしら、きれい……」

 消えかけた意識の中で、ルイズは自然に光に手を伸ばしていた。あの光からは、どこか懐かしいような、どこかで見たようなそんな不思議な感覚がする。さらに、才人の意識もルイズにひきずられるように、二人は手を握り合い、いっしょになって落ちていった。

「深い……サイト、わたしたちどこまで沈んでいくの」

「心配するな。どこまでだって、おれがお前についていってやる」

 自分たち以外に誰もいない世界で、才人ははげますようにルイズの手を握った。

 ひたすら、深く、深く。二人の心は沈んでいく。

 光は、どれほどの深さがあるのか知れない深淵の底から、しだいに輝きを強めていく。

 もうすぐ見える……期待と不安とが入り混じる。二人は、まもなく到達するであろう精神世界の最深部で、何かの正体を見極めようと目を凝らす。そして、輝きを放っていたものがなんであるかに気がついたとき、同時にそれの名前をつぶやいていた。

 

「始祖の……祈祷書?」

 

 見間違えるはずもなく、それは始祖の祈祷書そのものだった。表紙の汚れも、破れ具合もすべて見覚えがある。

 そして、祈祷書が間近にまで見えるようになったとき、ルイズの脳裏に不思議な声が響いた。

「呼んでる……」

「ルイズどうした? 呼んでるって、誰が?」

「わからない。けど、祈祷書がわたしを呼んでるの」

 自分でも不可思議なことを言っているとはわかっている。夢の中だとしても、おかしいといわざるをえない。

 でも、聞こえたことを否定する気にはならなかった。低い、おちついた大人の声で「来い」と言われた。聞き覚えはないけれど、どこか懐かしいようなそんな声……わからないけれど、祈祷書を持てば、その答えがわかるような気がする。

「サイト……」

「お前の好きにしろ。どうしようと、おれはそれでいい」

 わずかなためらいを、才人の言葉でぬぐい払うと、ルイズは祈祷書に手を伸ばした。触れたとたん、指先からまばゆい光があふれて二人を包み込んでいく。

「わあっ!?」

 あまりのまぶしさに、二人は思わず目をつぶろうとした。しかし、ここは精神世界であるから、まぶたはあるようで実は存在しない。光はさえぎるものなく二人の世界を白一色に染め上げ、やがて唐突に消えるとともに、二人の目の前がさあっと開けた。

「これは……砂漠?」

 突然現れた風景に、二人は周囲を見渡しながらつぶやいた。

 今、二人は広大な砂漠地帯を見渡す空の上に浮かんでいた。

 しかし、吹きすさぶ風も照りつける熱射の熱さも感じることはない。どうやら、自分たちはこの場所では幽霊のようなものであるらしいと当たりをつけると、才人はルイズに尋ねた。

「ルイズ、ハルケギニアにこんな砂漠があるのか?」

「いえ、ハルケギニアに砂漠なんてないわ……いいえ、正確にはハルケギニアにはないけれど、そのはるかな東方の世界には、サハラと呼ばれる大砂漠地帯があるはず。ここは、多分」

 タバサまではいなかくても、様々な史書を読み漁ったルイズの知識の中でも、このような光景は他には考えられなかった。サハラ……聖地に通じる、エルフの住まう場所。数千年の長きに渡って、聖地を奪還せんものとする人間とエルフの果てしない抗争の続いた地。

 無限にも思えるほど広がる砂の地には、人の影ひとつ、虫一匹の姿すら存在せず、ただ砂丘と吹き荒れる砂嵐のみが擬似的な生命のように動き回っている。まさにこれは死の世界と呼ぶにふさわしい光景。

 無の世界に戦慄する二人の見ている中で、景色は急速に流れ出した。砂漠をどんどん超え、地平線のかなたへと景色が進んでいく。まるでジェット機から地上を見下ろしているかのようだ。

 やがて、砂漠が途切れて緑の山や平原が見えてくる。ここがサハラだったとすると、あれが恐らくはハルケギニアか? ルイズはハルケギニア全土の地図を思い出し、サハラに隣接する場所に当たりをつけた。

「きっと、あれはガリアのどこかよ。人間とエルフは、ガリアの東端を国境線にしているの」

 ルイズの説明に、才人もなるほどとうなづいた。二人の見下ろす先で景色はさらに流れ、砂漠から草原や山岳地帯へと入っていく。このまま進めば、どこかの町も見えてくるだろう。そう二人は考えた。

 

 しかし、結果からすれば、二人の思ったとおりに町……人の住んでいるところはすぐに見えてきた。

 ただし、それは二人の想像していたものとは似ても似つかない形で現れたのである。

 

「サイト! ま、町が」

「怪獣に襲われている!?」

 

 凄惨としかいえない光景が二人の前に広がった。

 町が……いや、町だったと思われるところが怪獣によって破壊されていた。それも、一匹や二匹ではない。少なく見ても五匹以上の怪獣が、せいぜい人口千人くらいの町を蹂躙している。

 火炎や熱線が建物を炎上させ、元の町の姿はもう見受けることはできない。当然、人間の姿もどこにも見えない。 

「ひどい……」

「くっ! こんなことになってるのに、この国はなにをやってるんだ!」

 思わず怒鳴った才人の声も虚しく、二人の体はどんどんと流されていく。山を、川を飛び越えて山麓に広がる次の町が見えてくる。赤い炎と黒い煙とともに。

「ここでもっ!? 怪獣が」

 その町も、同じように怪獣によって蹂躙されていた。ざっと見るところ、街を破壊しているのは二匹。

 一匹は、全身が岩のようになっている透明怪獣ゴルバゴス。口から火炎弾を吐いて街を焼いている。

 もう一匹は、ドリルのような鋭い鼻先を持っている噴煙怪獣ボルケラー。口から爆発性イエローガスを吐き、自らも街の建物をけり壊している。

 町は先程の町と同じように業火に覆われ、元の姿をうかがい知ることはできない。

 けれど、ここでは先の町とは明らかに違う点があった。町は無人ではなく、まだ大勢の人間がいた。ただし彼らは炎や怪獣から逃げるでもなく、その手には槍や剣、それに杖があった。彼らは二つの陣営に分かれて、それぞれが相手に武器を向け合っている。

「戦争をしてやがる……」

 それしか考えられる答えはなかった。そこにいる人間たちは、全身を分厚い鉄の鎧で覆い、武器をふるい、魔法をぶつけあって互いを倒して炎の中へと放り込んでいく。目を覆いたくなるような、大規模な凄惨な殺し合いの風景。それは、戦争と呼ぶ以外に表現する術はない。

 だが、怪獣が暴れているというのに人々はそれには目もくれずに、ひたすら戦い続けている。そういえば、ゴルバゴスやボルケラーは町は壊すものの、地上で戦う人間たちには目もくれていない。いや、そうではないと才人は二匹の行動を見て思った。

「怪獣たちも戦っている、のか」

 町の惨状に幻惑されていたが、両者は確かに戦っていた。火炎弾やイエローガスの撃ち合いだけでなく、ゴルバゴスの岩のような腕がボルケラーを打ち据え、負けじとボルケラーも風の音のような鳴き声をあげて、巨大なハサミ状になった腕でゴルバゴスを締め付ける。

 その怪獣同士の激闘は、町をさらに無残な状況へと変えていく。

「あいつら、やりたい放題じゃない」

「ああ……だけどなんであの二匹が……ハルケギニアだとはいえ、あれらは戦うようなやつらじゃないのに」

 才人は、普通なら戦うことになるはずのない二匹が戦っていることに、大きな違和感を感じていた。ゴルバゴスは山中に潜み、体を擬態して獲物を待つ怪獣。対してボルケラーは火山地帯に生息し、大半は地底にいる怪獣。生息地が大きく違う上に、どちらも人里に下りてくるような怪獣ではないのだ。

「ねえサイト、あの怪獣たちの後ろにいるやつら、何かしら?」

「え? なんだ……あいつら」

 ルイズに言われて目を凝らした才人は困惑した。二匹の怪獣の、それぞれ後ろに一人ずつ人間が立っていた。そいつらは、戦っている人間たちが鎧兜などの重装備をしているのに対して、まるで休日の街中を散歩するような軽装で、怪獣に向かってなにやら手振りしているように見える。

「もしかして、怪獣を操っているのか……?」

「まさか! 人間にそんなことができるわけが……」

 ない! と言い切れない事例をこれまでに二人は嫌というほど目にしてきていた。よくよく見てみれば、声は聞こえないものの、軽装の人間は兵士たちに向かってなにやら指示をしているようにも観察できる。ならばあれが指揮官かということは容易に連想することができた。

 しかし、怪獣を操って戦争の道具にするなどと、そんな恐ろしいことを……いや、宇宙人が地球を攻撃するために怪獣を使うのは、誰もが知っている常套手段である。ならば当然、兵器としての怪獣同士での戦争などは、地球以外の星からしてみれば当たり前のことなのかもしれない。

 ただ、状況は奇異につきた。あの、怪獣を操っているものが人間であれ宇宙人かなにかであるにせよ、人間の軍隊までも率いて戦争している理由がわからない。怪獣どうしの戦闘のすぐ横で、槍や剣を使った”普通”の戦争がおこなわれているアンバランスさ。それに、ルイズも確認してみたのだが、兵士たちはトリステインはおろか、アルビオン、ガリア、ゲルマニアのどの軍隊とも装備が違っていた。少なくとも、今のハルケギニアの兵士は竜騎士など一部の例外を除いて、全身鎧などという化け物じみた装備を使わない。

 

 目の前で起きていることの答えを見つけられぬまま、二人はさらに空を流されていった。飛びゆく先の空は、夕焼けを悪意の色で塗りなおしたかのような、凶悪な赤で染まっている。それを見下ろせる空にたどり着いたとき、不安と恐怖を編みこんだ予測の刺繍絵は、現実と極めて近い形で眼前に姿を現したのである。

 

「ここでも、あそこでも……なんなのよこれ。どうしてどこでもここでも殺し合いをしてるのよ!」

「暴れまわってる怪獣の数も尋常じゃねえ。それに、あれは人間じゃないな」

 信じられないことに、戦いは人間や怪獣ばかりではなかった。

 ある場所では、翼人の一団とコボルドの群れが。またある場所ではミノタウロスとオークの群れが斧をぶつけあい、火竜がワイバーンや風竜と空戦をおこなっているところもある。

「自然の秩序にしたがって生きているはずの亜人まで……でたらめじゃない」

 しかし、二人がこれが序の口に過ぎないことを知るのはこれからだった。

 空を飛び、ゆく先々の町や村はすべて怪獣に襲われるか、襲われた後の廃墟として二人の目の前に現れた。それだけではなく、移動する先々の山々や森林も焼き払われ、ひどいところでは砂漠化しているところまである。そのどこでも、圧倒的な破壊がおこなわれた後……もしくは、それをおこなっている最中の破壊者の姿がある。

 人間、エルフ、翼人、獣人、幻獣、怪獣……そして、それらを統率している正体不明の人間たち。

 この世界のどこにも、平和はなかった。

「違う……これは、わたしの知ってるハルケギニアじゃないわ」

 愕然とするルイズの言うとおり、どこまで飛ぼうとも、いくら戦場跡を乗り越えようとも破壊の跡が視界から消えることはなかった。それどころか、進むほどに戦火は激しくなり、まるで地上すべてがフライパンの上の肉のように煮えたぎっているかのようにも思える。

 空の上には翼人やドラゴンが、地上には人間の軍勢や亜人、そして怪獣たちが無秩序に暴れている。

 いったいなんのために戦っているのか、それすらもわからない。

 唖然とする二人。と、そのとき二人の耳に聞きなれた低い声が響いた。

「やれやれ……とうとう見ちまったか」

「その声は!」

「デルフか! お前、どこにいるんだ!?」

 唐突に響いたデルフリンガーの声に、反射的に周りを見渡す二人。しかし、あの無骨な大剣の姿はなく、声だけがどこからともなく聞こえてくる。

「落ち着け、お前ら。いいか、今お前らは祈祷書に記録されているビジョンを見せられてるんだ。そこは、かつて俺が生まれた世界……六千年前のハルケギニアだ」

「な……なんだって」

「この荒廃した世界が」

 続く声もなかった。この、破壊と混沌にあふれた世界が、あの平和で美しいハルケギニアだとは。

 絶句する二人の耳に、重く沈んだ様子のデルフの声が少しずつ入ってくる。

「ふぅ……嫌なこと、思い出しちまったなあ。ブリミルのやつめ、遺品にいろいろ細工してたのは知ってたけど、よもやこんな仕掛けを祈祷書に残してたとは気づかなかったぜ」

「デルフ、もっとわかるように説明してくれよ」

「ああ、すまねえな。要するに、これは祈祷書に記録されていた過去のビジョンが、お前らの頭の中に投影されてる光景らしい。六千年前、この世界は見ての通りに、いくつもの勢力が戦争を繰り広げていた。今でも、エルフとかのあいだではシャイターンとかヴァリヤーグとか、そのときの勢力の名前のいくつかが語り継がれているらしい。いや、これはもう戦争と呼べる代物じゃなかったな。人間にエルフ……世界中の、あらゆる生き物を巻き込んだ、際限のないつぶしあいだった」

「いったい、なんでそんな無茶苦茶なことに……」

 愕然とする才人の質問に、デルフはすぐに答えなかった。

「すまねえ、まだそこまで記憶が戻ってねえんだ」

 いつになく沈んだデルフの答えに、才人とルイズは頭に血を登らせかけたものを押し下げた。六千年分の記憶と一言にいえば簡単だけれど、それは地層の奥深くに沈んだ化石を掘り返すようなものだろう。一気に掘り返そうとすれば、デルフが持たないかもしれない。発掘は、赤子の肌を拭くように慎重に時間をかけなくてはならない。

「わかった。じゃあ、あの怪獣を操ってる連中はなんなんだ?」

 いっぺんに聞くのをあきらめた才人は、とりあえず一番気になっていることを尋ねた。

「あれが、この戦いの元凶さ。エルフに悪魔と呼ばれてるのは、あの連中のことだ。あいつらは、この世界に元々いた怪獣や、どっかから探してきた怪獣なんかを武器にして戦争やってたんだ。ちょうど、今のメイジが戦争で使い魔を利用するみたいにな」

「怪獣を、兵器に……」

 恐ろしい想像が当たっていたことを、才人は喜ぶ気にはもちろんならなかった。

 地球人も、怪獣を兵器にという構想はすでにマケット怪獣で実用化の域にある。しかしそれを人間どうしの戦争に利用しようなどとは考えられもしない。そんな愚かな時代は、かつて核兵器の脅威によって人類絶滅の危機におびえた前世紀で充分すぎる。

「まあ、コントロールできなくて暴れるにまかせるしかなかったのも少なからずいたらしいが、この混乱の中じゃあ些細なことだったろうな」

「いったい何者なんだ? 怪獣を操るなんて、並の人間にできるわけないだろう」

「わからねえ……いや、思い出せないんじゃなくて本当に知らねえんだ。俺が作られたのは、連中が現れてからしばらく経ってからのことらしいからな。ただ、なにかしらすさまじい力を誇っていたのだけは確かだ」

 デルフの説明は、後半は余計だった。怪獣を操る時点で、手段はともかく常人のそれではない。

 現在、二人の見下ろす先にいる怪獣は三匹、いずれも才人の知るところではない姿をしている。

 

 一体は、全身を乾いた岩の色をした二足歩行の恐竜型怪獣。体はごつごつとしていていかついが、顔つきはどこか柔和なものが感じられる。これは、才人の故郷とは違う地球で岩石怪獣ネルドラントと呼ばれている、ゴモラなどと同じく古代恐竜の生き残りといわれている怪獣。

 もう一体は、同じく二足歩行型で、顔の形がどことなくカンガルーに似ている怪獣。これも、毒ガス怪獣エリガルと呼ばれてる種類の怪獣で、肩の部分にそのガスの噴出孔がフジツボのようについている。

 最後の一体は、ここにキュルケかタバサがいたならば、その姿に記憶のページから同じしおりを選んでいただろう。

 古代暴獣ゴルメデ……才人とルイズの知らないところ。エギンハイム村で、翼人たちの伝説に残されていたあの怪獣がそこにいた。

 

 三体の怪獣は、ほかの怪獣たちと同じように何者かのコントロールを受け、目に付く木々を踏み潰しながら前進していく。本来ならば彼らにも意思があり、こんな戦いに加わるはずはない。才人とルイズは、道具として操られている怪獣たちに一抹の同情を覚えると、デルフに問いかけた。

「なにがしたいのか知らないけど、ひどいことをしやがる」

「わたしは、戦いは名誉や国……なにかを守るためにするものだと教えられてきたわ。けど、この戦いにはなにも感じられない。ただ戦うために戦ってるみたい。ねえ、この戦いの結末はどうなったの? いったい誰が勝ち残ったっていうの?」

「誰も、残らなかったのさ」

「えっ!? うわっ!」

 ぽつりと、恐ろしいことをつぶやいたデルフの言葉が終わると同時に、二人の視界をまばゆい光が照らした。太陽ではない。まして、戦闘の戦火でもない。不可思議な極彩色の光に、二人がおそるおそる目を開けてみると、そこには幻想的な光景が広がっていた。

「虹……? きれい……」

 思わず口から出た言葉のとおり、空には虹色の光が溢れていた。しかし、それは虹などではなく、よく見たら虹色をした蛍のような小さな光が、雲のような集合体をなしているものだった。

「くるぞ……この戦いを混沌に変えた。本当の悪魔が」

 デルフが言ったその瞬間、虹色の雲から光の塊が地上に向かっていくつも降り注いだ。

「なんだっ!?」

 それは、虹色の雲から流星が落ちたように地上からは見えたことだろう。流れ星は、まるでそれ自体に意思があるかのようにネルドラント、エリガル、ゴルメデに吸い込まれていった。

「どうしたっていうのよ……えっ! なに!?」

「ただの戦争だったら、それが一番よかったかもしれねえ。けど、戦いの混沌につけこむように奴らは突然現れた。そしてこれが、終わりの始まりになったんだ」

 淡々と話すデルフの言葉を、才人とルイズは驚愕の眼差しの中で聞いていた。

 夢の世界の中で、始祖の祈祷書が語ろうとしている歴史は、まだ先があるようだった。

 

 

 だが、時を同じくした頃、魔法アカデミーではエレオノールが予感した最悪の事態が起ころうとしていた。

 エレオノールに依頼され、ヴァレリーは青い液体の入ったカプセルの開封作業に入った。助手は、先日アカデミーに入った中ルクシャナという新人研究員。性格的に少々調子のよすぎる感はあるが、入学以来様々な分野で目覚しい実績を上げている彼女を、ヴァレリーは迷うことなくパートナーにすえた。

「ヴァレリー先輩、私に折り入っての仕事って何ですか? 先輩からご指名されるくらいですから、さぞや重要な研究なんでしょうね!」

 最初から期待に胸を躍らせた様子のルクシャナに、ヴァレリーは苦笑すると同時に頼もしさも覚えた。彼女は若いくせに、自分やエレオノールに輪をかけた学者バカな気質なようで、男性研究者の誘いも一つ残らず断って、毎日新しい発見があるたびに目を輝かせている。

「先日、あなたといっしょに遺跡で発掘した青い液体のカプセルがあるでしょう。あれの開封作業に入るわ。あなたはいっしょに発掘された碑文の修復と解読を急いでちょうだい」

「ええーっ! そんなあ、どうせなら先輩のお手伝いをさせてくださいよ」

「わがまま言わないで、理由は言えないけど急ぐ仕事なのよ。それに、砕けた石碑を修復するには、根気もそうだけど直観力も大切なの。あれが解読できたら遺跡の秘密にも一気に迫れるわ。一番頼れるのはあなたなの、引き受けてもらえるかしら」

「……わかりました。引き受けましょう」

 最後には快く引き受けたルクシャナに、ヴァレリーは内心で素直ないい子だと感心した。彼女はあまり自分のことを語りたがらないが、わずかに語ったところでは国に婚約者を待たせているらしい。きっと、その男も彼女のそんなところに魅かれたのだろう。もっとも、それ以外の部分にはさぞ苦労させられているに違いないが。

 ルクシャナに碑文の復元を任せたヴァレリーは、さっそくカプセルの開封作業に移った。これまでの経過から、物理的な衝撃や、『錬金』による変質も受け付けないとわかっていたので、それ以外の方法を模索する。

 今までは内部の破損を恐れて、強行的な手段は避けてきたけれど、非常事態ゆえにヴァレリーは多少強引な手段を用いてもカプセルを破壊することに決めた。

 一方のルクシャナは、碑文の破片の復元作業のおこなわれている部屋にやってきていた。ここでは、数千ピースに及ぶ石の破片を元通りにする作業が続けられている。これには、さしもの魔法も役には立たないので、取り組んでいるのは雇われた平民が多数であった。

 ルクシャナは、部屋に入るなり彼らに向かって告げた。

「これから、私が復元作業に当たることに決まったわ。あなたたちはご苦労様、ほかのところを手伝ってちょうだい」

 命令を受けた平民たちは、ほっとした様子で速やかに部屋を出て行った。彼らとしても、延々と続く石くれとの格闘には飽き飽きしていたのだ。そして、部屋が無人になったのを確かめると、ルクシャナは復元途中の石碑に手をかざしてつぶやいた。

「蛮人はだめね。このくらいのことを、何日かかってもできないなんて。でも、私も精霊の力をこんなことに使って、叔父様に怒られちゃいそうだけど、ね……さて、では石に眠る精霊の力よ……」

 いたずらっぽく微笑んだルクシャナが呪文をつぶやくと、バラバラだった石碑の残骸が動き出し、まるで生き物のように自然に組み合わさっていく。数分もせずに、残骸は一枚の石版の姿を取り戻し、さっそく彼女は書かれている文字の解読に当たった。

「これは、私たちが使ってた中でも、もっとも古いとされている文字じゃない。これは興味深いわ、なになに……」

 好奇心旺盛に、ルクシャナは碑文を読み上げる。

 だが、読み進めるうちに彼女の顔からは急速に笑みが消え、読み終えたときには蒼白に変わっていた。

「いけない! そのカプセルを開けてはいけない!」

 脱兎のように、ルクシャナは碑文の部屋を飛び出していった。

 けれど運命は残酷に、破滅への秒読みを進めつつある。

「おう、ヴァレリー教授、どうやらカプセルが開けられそうですよ」

 研究室で、実験台の上に置かれたカプセルに、微細なひびが入りつつあった。加えられているのは、アカデミーの風のメイジの使用した電撃の魔法である。ヴァレリーはこれまでの実験結果から、高熱や衝撃ではこのカプセルには通じないと知っていたので、いくつかの可能性を吟味して電撃に賭けたのだ。

「やったわ! 成功のようね」

「おめでとうございます。ヴァレリー教授」

「ええ、これで中身の分析もできるわ。六千年も生きていたミイラの守っていたもの……もしかしたら、本当に不老不死の妙薬かもしれない。もっとパワーを上げて、一気に砕くのよ」

 期待に胸を膨らませて、ヴァレリーはひび割れゆくカプセルを見守った。エレオノールには悪いけれど、大発見の一番乗りとして自分の名前が歴史に残るかもしれないという、むずがゆい快感もわいてくる。

 ところが、ヴァレリーがさらに電撃のパワーをあげるように命令しようとしたとき、ルクシャナがドアを蹴破らんばかりの勢いで部屋に駆け込んできたのだ。

「待ってください! そのカプセルを開けてはいけません。中のものは、悪魔なのです」

「なんですって!? 悪魔?」

 ルクシャナの剣幕に驚いたヴァレリーは思わず聞き返した。そして、意味がわからないという顔をしている彼女に、ルクシャナは震える声で説明した。

「文字の解読ができたんです。これには、こう書かれていました」

 

”未来の人間に警告する。かつてこの地は大いなる災いによって滅ぼされた。

 生き残った我々に残された文明も、いずれ消え去るであろう。

 しかしその前に、我々は世界を破滅へと導こうとした、巨大なる悪魔たちの一端を捕らえることに成功した。

 赤い悪魔の怪獣バニラ。青い悪魔の怪獣アボラス。

 我々は彼らを液体に変え、防人とともにはるかなる地底の悪魔の神殿に閉じ込めた。

 決してこの封印を破ってはならない。もしこの二体に再び生を与えることがあれば、人類は滅亡するであろう”

 

 語り終わったときには、ヴァレリーもすでに顔色をなくしていた。もはや、どうしてこんなに早く解読ができたのかということなどは思考から消し飛んでいる。

「じゃあ、この液体は青いから……怪獣アボラス!」

 愕然とつぶやいた瞬間、ひび割れたカプセルが卵の殻のように割れた。その傷口から、青い液体がどろりと零れ落ちる。

「しまった。遅かった……」

 愕然とするヴァレリーとルクシャナの見ている前で、青い液体はどんどん広がっていく。

 そして、液体から白煙があがり、流動する液体が何かの形を作りながら巨大化し始めた。

「いけない! みんな逃げてーっ!」

 あらんばかりの声で叫び、ヴァレリーは出口へと駆け出した。しかし、怪獣が実体化する速度は彼女たちが逃げ出すよりも早く、天井を突き破り、床を踏み抜いて研究塔を破壊した。

「間に合わな……きゃぁぁっ!」

 ヴァレリーの足元の床が抜け、壁と天井が巨大な瓦礫と化して彼女の上へと降り注いでいった。

 アカデミーの研究塔は一瞬のうちに崩れさり、中から青い体をした巨大怪獣が姿を現す。

 

【挿絵表示】

 

 青色発泡怪獣アボラス……その復活の雄叫びが、廃墟と化した魔法アカデミーに高々と鳴り響いた。

 

 

 続く



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第35話  激震!二大怪獣

 第35話

 激震!二大怪獣

 

 赤色火焔怪獣 バニラ

 青色発泡怪獣 アボラス

 ミイラ怪人 ミイラ人間

 ミイラ怪獣 ドドンゴ

 友好巨鳥 リドリアス

 岩石怪獣 ネルドラント

 毒ガス怪獣 エリガル

 古代暴獣 ゴルメデ

 カオスネルドラント

 カオスエリガル

 カオスゴルメデ 登場!

 

 

 炎に惹かれた蛾は、最後には自ら炎に飛び込んで燃え尽きる。

 象牙の塔は瓦礫となり、禁忌を犯した好奇心は、災厄となって己自信に降り注ぐ。

 トリステイン王立魔法アカデミーは驟雨に洗われるその身を、いまや破滅の色に塗りつくそうとしていた。

 アカデミーの象徴たる、巨大な研究塔が轟音をあげて崩れ落ち、中から青い怪獣が姿を現す。

 青色発泡怪獣アボラス……強靭な肉体と太く長い尻尾、短く太い角を生やした巨大な頭部を持ち、その全身は名前の通りに青く染まっている。赤色火焔怪獣バニラと対を成す、青い悪魔と呼ばれたもう一匹の怪獣だ。

 未来に希望をつなげるために、古代人によって液体に変えて封じ込められていた古代の大怪獣は、皮肉にも古代の神秘を解き明かそうという人間の欲求から、復活を遂げて動き出す。瓦礫を踏み越え、観葉樹を蹴倒し、解放されたことを喜ぶかのように、大きく裂けた口からあげられた凶暴な叫び声が響き渡る。

「なんだ!? うわーっ! か、怪獣だ。逃げろーっ!」

 研究塔の崩壊の轟音により、他の施設から飛び出してきた研究員たちは、アボラスの姿を見るなり一目散に逃げ出した。雨中に彼らの白衣がひるがえり、まるで白蟻の行進のようにも見える。それが気に障ったのか、アボラスは一度空に向かって吼えると、アカデミーの施設の一つ、魔法実験をおこなうための石造りの頑丈な建物に、巨大な顎の奥から白い霧状の泡沫を噴射した。

「あ……建物が、泡で溶けていく!」

 一人の研究員の絶叫が、まるで水をかけられたケーキのように崩れていく建物の末路を知らしめた。

 これが、バニラが赤色火焔怪獣と呼ばれるように、アボラスが青色発泡怪獣と呼ばれるゆえんである。アボラスの口から放たれる白い泡は、一瞬にして相手を包み込むと、例えコンクリートのビルでもものの数秒で溶かしてしまう恐るべき溶解泡なのだ。

 小山ほどの規模があった建物を、一瞬のうちにあぶくまみれの泥の山に変えてしまったアボラスは、次に目に付いた倉庫らしき建物に腕を振り下ろした。轟音が鳴り、怪力に負けた倉庫は紙細工のように崩れ去る。一方的な暴虐に、王立魔法アカデミーの敷地の半分がすでに瓦礫と化している。さえぎるものもないままに、悪魔と呼ばれた怪獣は六千年前と同じように、破壊をほしいままにしていた。

 ほんの数分で、めぼしいものを破壊しつくしたアボラスは、くるりと方向を変えて歩き出す。その後姿を追うように飛んできた風竜の背から、エレオノールは廃墟と化したアカデミーを見下ろして、絶望に顔を染めてつぶやいていた。

「間に合わなかった……もう一匹の怪獣まで、復活させてしまった」

 赤い怪獣と赤いカプセルのキーワードから、青いカプセルにも怪獣が封じ込められていると直感したエレオノールの予感は最悪の形で的中した。魔法衛士隊から竜を借りて、死に物狂いで駆けつけてきたことも一足違いで間に合わなかった。

 悠然と去りゆくアボラスの後姿を見送りつつ、研究塔の残骸のそばに竜を着陸させたエレオノールは、面影もなく破壊された塔を見上げて、喉も割れんばかりに叫んだ。

「ヴァレリー! どこなのーっ!」

 雨つぶが瓦礫を叩く中を、エレオノールは親友の名を叫びながら走り回った。

「なんてこと、元はといえば私がカプセルの開封なんかを頼んだばかりに。ヴァレリー、頼むから無事でいて」

 エレオノールは、今ほど自分を責めたことはなかった。この光景を生み出してしまった責任は、どう取り繕おうが自分にある。軽率に、正体のわからない古代の遺物などに手を出してしまったがために、アカデミーがこんなことに。せめて、彼女だけでも無事でいてくれとエレオノールは叫ぶ。

 金糸のようであったブロンドの髪は雨でべったりとしなだれ落ち、姫殿下に拝謁したときのままのドレスはクラゲのように縮れて見る影もない。それでも、エレオノールは親友の名を叫び続けた。アカデミーが受けた被害は計り知れない。これで、もしヴァレリーまでも死なせてしまっていたら、自分はどうすればいいのだ? なにが主席研究員だ、なにが選ばれた者だ。こんな単純なこと、ほんの少しの慎重さがあればわかったことではないか。馬鹿者め、自惚れ屋め。

 だがそのとき、エレオノールの必死の呼びかけに、ほんのかすかだが応える声があった。

「エレオノールなの? ここよ、助けて」

「ヴァレリー! そこにいるの、今行くわ!」

 大急ぎで声のしたところにある瓦礫を土魔法でどかすと、その下からはヴァレリーとルクシャナ、ほか数名の研究員がすすまみれの姿で現れた。

「ヴァレリー! 無事だったのね」

「ええ、なんとかね。瓦礫に埋まる寸前に、彼女が空洞を作ってくれたおかげで命拾いしたわ」

「はい。でも、あまりに急なことだったので、先輩と周りにいた人を助けるだけで精一杯でした」

「ルクシャナ、あなた土系統のメイジだったのね。ともかく、無事でよかったわ」

 瓦礫の穴の中から、ヴァレリーたち生存者を引き上げたエレオノールはほっと息をついた。死んでいった者には不謹慎かもしれないが、生きている者がいてくれたおかげで、少しだが救われた気がした。

 一方で、ヴァレリーたちも九死に一生を得た安堵から、なかば放心状態で雨に身をさらしていた。いつも人一倍にぎやかなルクシャナも、今は憔悴した様子で元気がない。エレオノールはヴァレリーに、深く頭を下げて詫びた。

「ごめんなさいヴァレリー、私がカプセルの開封を急ぐように言ったせいで、こんなことに」

「そうね、あなたの責任ね。罰として、来月までに魔法学院のかわいい子、五・六人見繕っておいてもらうわね」

 軽く肩を叩いて微笑したヴァレリーに、エレオノールは自分は本当によい友を持ったと眼鏡の奥の目を熱くした。ヴァレリーも、自分もろくに警戒せずに非常事態を口実にカプセルを開けた責任を感じている。それに、仮にエレオノールが何も言わなかったとしても、アカデミーにある以上、なんらかの理由で遅かれ早かれ封印が解かれていた可能性は常にあった。けれど、それを直接言っても母や妹と同じく責任感の強いエレオノールは、なによりも自分を許すまい。

 少し元気を取り戻したエレオノールとヴァレリーは、すでに見えなくなりつつあるアボラスの背中を見つめた。奴の行く先にはトリスタニアの市街地がある。エレオノールがここに来る前に軍にも通報しておいたから、間もなく魔法衛士隊も動き出すだろう。

「けれど、あの怪獣の進撃を食い止めることはできないでしょうね」

 ヴァレリーの一言にエレオノールもうなづいた。これまでの経験から、怪獣を相手に魔法やドラゴンのブレスなども含めて、通常の攻撃はほとんど通じないと思い知らされている。しかし、エレオノールは絶望はしていなかった。

「そう、相手は怪獣、まともに戦ったら人間の勝ち目は薄いことはわかっている。それでも、できることがないわけじゃあないわ。わたしたち学者には学者なりの戦い方がある。ヴァレリー、すまないけどもう一度手を貸して。カプセルといっしょに見つかった未解読の文書の残りを解読してみるの。もしかしたら、怪獣の弱点が記されてるかもしれない」

「なるほど、試してみる価値はありそうね。わかったわ、アカデミーのスタッフ全員で取り組めば数時間でなんとかなるかもしれない。すぐ取り掛かりましょう」

「あっ、先輩! 私も手伝います」

 ヴァレリーは軽くため息を吐き出すと、去りゆくアボラスを見つめてきっと唇を噛んだ。自分たちは学者、怪獣に立ち向かうのは仕事ではない。あとはド・ゼッサール隊長以下の、魔法衛士隊の活躍に期待するほかはない。

 

 

 現実の脅威がトリステインを襲っている頃、幻想の世界をたゆとう才人とルイズも、最大の脅威を目の当たりにしていた。

 岩石怪獣ネルドラント、毒ガス怪獣エリガル、古代暴獣ゴルメデ。三匹の怪獣に降り注いだ、毒々しい虹色の光。デルフリンガーが言う、この戦いを混沌に変えた本当の悪魔。それがもたらした災厄が今、二人の眼前に全容を現そうとしている。

「なんだ? 光が怪獣に、なんなんだこの気味の悪い光はよ!」

「この光、まるで生き物みたい。なんなの、なにが起こるっていうのよ!?」

「黙って見てな。すぐにわかるぜ。けっ、何回見てもえげつねえ光だぜ……」

 才人とルイズは困惑しながらも、デルフリンガーの言うとおりに三匹の怪獣を見つめた。虹色の光に全身を覆われて、彼らは爆発しそうなほどにまばゆく輝いている。それと同時に、激しい苦痛に襲われているように光を振り払おうと身もだえしていたが、ふっと虹色の光は怪獣たちの体内に吸い込まれるように消えた。

 すると、信じられないことが起こった。変化、と呼ぶのも生易しい変貌が怪獣たちに現れたのだ。

 

 ゴルメデの頭部にルビーの結晶のような、赤色の毒々しいとげが現れた。

 エリガルの腕が巨大で硬質な、恐ろしげな鎌に変わった。

 ネルドラントの爪が伸び、背中や頭部に巨大な鋭角の結晶が生えた。

 

 一瞬にして凶悪な容姿に変わってしまった三匹。しかし、もっとも変わってしまったのは外見よりも中身のほうであっただろう。操られながらも、どこか穏やかだった目つきは赤色の凶暴なものに変わり、それを証明するかのように吼えて、暴れ始める。

 混沌、すなわちカオスをもたらすものに憑依されたその姿は異形にして邪悪。

 ゴルメデがカオスゴルメデに、エリガルがカオスエリガルに、ネルドラントがカオスネルドラントに。

 カオス怪獣へと変異してしまったゴルメデたちは、今まで自分たちを操っていた者たちよりもさらに強力な呪縛に縛られて、それまでの主人へと牙を向ける。彼らの後ろで、思うように彼らを操っていたものたちが、狼狽しながら吹き飛ばされるまでに一分もあれば充分であった。

「んなっ!? お、おいデルフ、いったいなにが起こったんだよ!」

「見てわからねえか? 取り憑かれたんだよ。混沌を広げる、光の悪魔にな」

 吐き捨てるようなデルフの言葉に、二人は愕然として見ているしかできなかった。

 光に取り憑かれた三匹の怪獣は、前の主人ではかろうじてあった理性的な行動もしなくなり、目に付くものに無差別に攻撃を加えるようになっていった。ゴルメデの火炎が森を焼き、エリガルの毒ガスがあらゆるものを腐食させ、ネルドラントの怪力が山を崩す。

「なんてこと! こんなのが暴れまわったら、ハルケギニアなんて……」

 その先は言う必要すらなかった。あの虹色の光が、今世界中にあふれている怪獣たちに無差別に取り憑こうものなら、戦争などをするまでもなくこの世界は滅亡してしまう。

「ちくしょう! 変身できれば」

「アホ、ここは過去のビジョンの世界だと言っただろ。お前たちはここじゃ存在しないんだ」

「んなこといったってデルフ! なにがなんだがさっぱりわからないけど、この世界が滅亡しようってんだぞ。じっとしてられっかよ」

「落ち着けっての。何度も言うが、ここは過去だ。終わったことだ。いいから黙って先を見ろ、そろそろ、あいつの出番だぜ……」

「なにっ!? そりゃ」

 どういうことだ。という言葉を続けることはできなかった。デルフリンガーは、才人の言葉をさえぎるように「前を見てみな」と告げ、その言葉に従って視線を流した先に、はじめて二人にとって知った光景が見えてきたのである。

「あの湖は……」

「もしかして、ラグドリアン湖?」

 直感的に、二人は視界の先に広がる広大な湖を見てそう思った。もちろん、現在のものとは湖畔の地形や周辺の人家などの様子もまるで違う。それでも、ここがハルケギニアだというのであれば、あのなみなみと水をたたえた湖はほかにない。

 三匹のカオス怪獣は、破壊を繰り返しながら過去のラグドリアン湖へと向けて進撃していく。

「あいつら、ラグドリアン湖を狙うつもりなの!?」

 ルイズの脳裏に、以前スコーピスの砂漠化によってラグドリアン湖が危機に瀕したときの記憶が蘇った。総面積六百平方キロメイルを超える広大な湖とはいえ、微妙な自然のバランスによって成り立っていることの例外ではありえない。湖そのものをどうすることはできなくとも、周辺の森林を焼き払われたり、湖水に毒が混ぜられたりしたら、湖は毒沼へとたやすく変わってしまうことだろう。

 けれど、焦る二人とは裏腹に、デルフは穏やかな声で、懐かしそうにつぶやいた。

「ああ、ずっと忘れてたぜ……また、おめえの姿を見られるとはな」

 そのとき、宙に浮かぶ二人の目の前を、大きな影がすごい速さで飛びぬけていった。

「きゃっ! な、なに?」

「あそこだ……あれは、鳥? いや、違う」

 ありえないスピードで空を舞い、ドラゴンよりもはるかに大きなそのものを、二人は動体視力によって許された中で必死で追った。それは、薄い空色の体と、小さいがたくましい翼を持った、巨大な鳥の飛ぶ姿。赤いとさかを優美に風に翻し、空を切る勇姿に才人は一瞬心を奪われて、そこにひとつの記憶を重ね合わせた。

「リトラ? いや、違う!」

 ほんの一瞬だけだが、才人にリトラと誤認された大鳥はラグドリアン湖へ向かう三匹の怪獣の直上をフライパスし、上昇していった。当然、そのあからさまな挑発に気づいた三匹は、飛び道具を用いて撃ち落そうと試みるけれど、そのときには巨鳥は攻撃の届かない高さまで飛び上がってしまっていた。

 さらに、巨鳥は上空で反転してくると、急降下しながら怪獣たちに突っ込んでいった。その降下角度があまりに急だったために、対応しきれない怪獣たちの周りに巨鳥の吐いた光弾がいくつもの火柱をあげる。

「やるぅ!」

 あざやかなヒットエンドランの攻撃に、才人は思わず歓声をあげていた。まるで、ゴメスを翻弄するリトラのような胸のすく光景。先ほど、才人はその怪獣にリトラの姿を見た理由をなんとなく察した。

 むろん、落ち着いて見れば目の前の巨鳥は、リトラとはとさかを持つこと以外はほとんど似ていない。しかし、錯覚であったとしてもそう感じさせた何かがあの怪獣に見えたのも確かだ。あのリトラと……人間のためにその尊い命を犠牲に戦ったリトラに通じるもの。

 巨鳥は、上昇と降下を繰り返して攻撃を続ける。だが、そのうちに才人とルイズは巨鳥の放つ光弾が一発も怪獣たちには当たらず、三匹がしだいにラグドリアン湖から離れていっているのに気がついた。

「怪獣を傷つけずに、誘導しようとしているんだ」

「あんな危険を冒しながら? いえ……優しいのね。まるで、ちぃ姉さまみたい」

 ルイズのその言葉で、才人は自分の感じた既視感の正体を知った。そうだ、怪獣たちは操られているだけ、彼らにはなんの罪もありはしない。そう、救おうとする意思を翼に込めて飛ぶその巨鳥こそ、エギンハイム村の戦いでタバサとキュルケを救った、友好巨鳥リドリアスだった。

 彼は、あのときムザン星人に果敢に挑んでいった個体と同一のものかはわからなくても、その勇敢さにはいささかも劣るところなく戦いに望む。怪獣たちは猛り狂って撃ち落そうとするものの、きりきり舞いさせられるばかり。

 と、ふと才人はリドリアスの背中に誰か人影らしきものが乗っているのに気がついた。

「あれ? おいルイズ、あれ女の人じゃないか?」

「女ぁ? あんた、こんなときにまでなに言ってるのよ。みさかいないのも大概にしないと殺すわよ」

「違うって! ほら、あの鳥怪獣の背中、人が乗ってるんだって」

「はぁ? そんなこと言って、嘘だったら……」

 ルイズは才人のうったえに、半信半疑ながらも目を凝らしてみて驚いた。

 リドリアスの背中に、確かに人が立っていた。才人の言ったとおり、長身だが華奢な体つきは女の人のようで、短く刈りそろえた金髪が空によく映えている。また、彼女の顔の両脇から伸びた耳の形が、ティファニアと同じ形をしていることから彼女がエルフらしいということは読み取れた。彼女は寒風吹きすさび、常人ならば重力の変化で自分の状態を把握することもできないような場所にありながら、リドリアスの背をしっかと掴んで前を向いている。

「すごい」

 独創性のかけらもない表現が、何よりも彼女を正しく表していた。風竜の何倍ものスピードで高機動を続ける怪獣の背で、振り落とされもせずに乗り続けられるとは竜騎士などの比ではない。ラルゲユウスを操れる烈風カリン並みの技量はもちろんのこと、タバサとシルフィードのように両者のあいだには深い信頼関係があるに違いない。

 なびく髪に邪魔されて顔はうまく判別できないけれど、彼女はリドリアスの背から槍のような武器を振るってリドリアスに指示を与えているように見える。やはり、どこかへ怪獣たちを誘導しようとしているようだ。

「きれい……」

 ルイズは、母カリーヌの戦いぶりを見たときのように、うっとりと目を細めてつぶやいた。まるで妖精のように、華麗に宙を舞う彼女は何者も犯しがたいような気高さにあふれている。

 と……彼女がひときわ高く槍を天に向かって掲げたとき、二人は槍を掲げた彼女の左手にありうべからざるものを見た。

 彼女の左手の甲が輝いて、見覚えがある……否、見忘れられるわけがないルーンが浮き出ていたのだ。

「あのルーンは!?」

「ガ、ガンダールヴじゃねえか!」

 そう、才人がルイズの使い魔だったことを示す魔法の印と同じものが彼女の手にもあったのだ。ドラコとの戦いの際に才人が一度絶命し、契約が解除されてしまったために消え、再契約もしていないことから才人からは消滅したままになっているが、あの形は忘れるわけはない。

 なぜエルフがガンダールヴのルーンをと、驚愕する二人の前で、エルフの女性は大きな槍をタクトのように操って、リドリアスに行く先を教えている。最初は信じられなかった二人も、それを見るにつれて確信を深めていった。

「あの武器を自在に操る力、以前のサイトとそっくり。ほんとに、ガンダールヴだっていうの」

「この時代にもガンダールヴがいたのかよ」

「そりゃそうさ。これが虚無の力が見せている映像だってことを忘れるな。虚無には常に虚無の使い魔が付き従う。そう、あいつは強かったな。いや、あいつらか……」

「えっ」

 それはどういう、と言いかけたときだった。ガンダールヴの女性は、これまでになく大きく槍をふり、リドリアスはそれが彼の目であるかのように、大きく翼を翻した。はっとした二人が、視線をリドリアスからその先へと流すと、その先は草原になっており、小高い丘になったところに数人の人間が立っているのが見えた。

「おいまさか、たったあれだけの人数で立ち向かうつもりなのかよ!」

「無茶だわ。勝てるわけがないじゃない! いくらガンダールヴがいるからっ……」

 ルイズは罵声を途中で呑み込んだ。そうだ、ガンダールヴは虚無の使い魔、ならばその主人も当然。

 そう気づいたとき、ルイズは丘の上にいる人たちの中で、真ん中にいる小柄な男性が高く杖を掲げているのに気がついた。遠くて顔はわからないけれど、彼の杖に集中している光には見覚えがある。そして、聞こえるはずもないのに彼が詠唱している呪文の内容が、耳の奥に響く気がした。

 

”エオヌー・スーヌ・フィル・ヤルンクルサ……”

 

 間違いはない。たった一度しか詠唱しきれたことはないが、その呪文の内容は一言一句違わずに記憶している。次に彼がなんと詠唱するのか、手に取るようにルイズにはわかった。長い詠唱が終わりに近づき、リドリアスが彼らの上空を飛び越えていく。

 そして、呪文が最後の一小節に入ったとき、絶妙のタイミングで三匹の怪獣たちが草原に足を踏み入れた。

 呪文が完成し、彼は杖を振り下ろす。その瞬間、三匹の怪獣へむけて、白い閃光がほとばしった。

「うわっ! なんだ」

 目の前でカメラのフラッシュをたかれたような、人間の網膜が受け取れる許容量を超えた光に、才人は本能的に”見る”という行為を手放した。

 しかし、ルイズはその鳶色の瞳を白く塗りつぶされながらも、見る行為をやめようとはしなかった。この輝きは、あのときに見た光と同じ……わきあがる懐かしさに心を焼かれながら、ルイズの唇は疑うことなくひとつの言葉を口ずさんでいた。

「エクスプロージョン……?」

 光芒は視界を侵略し、あるときにぷつりと消えてなくなった。

 その後には、大きく吹き飛ばされて崩おれた三匹の怪獣の横たわる姿のみがある。

「なんて、威力なの……」

 一撃のもとに三匹もの怪獣を倒してしまった魔法の威力に、ルイズは呆然とするしかできなかった。才人も、なにが起こったのかまるで理解できていない様子であったが、ルイズのつぶやきを思い出すと、はっとして言った。

「おいルイズ! い、今のが……お前の使ったっていう、き、虚無の魔法ってやつなのか!?」

「え、ええ。あの輝きは確かに。でも、わたしが使ったときはこんなとんでもない威力じゃなかったわ」

 声を震わせるルイズに、またデルフリンガーの声が告げた。

「そりゃそうさ娘っこ、駆け出しのひよっこのお前さんなんかと比べ物になるわけがねえ。覚えときな、あれが正真正銘、元祖の虚無の使い手の力さ」

「元祖? そ、それってまさか!」

 虚無の使い手の元祖、それに値する人間の名をルイズは知っていた。いや、ハルケギニアに生を受けた人間であるのならば、誰でも知っている当たり前のこと。虚無を操った人間は歴史上たった一人しか存在しない。

「し、始祖……ブリミル?」

「そのとおり、あいつが虚無の系統の始祖。ま、お前さんの遠いご先祖さね」

「いいいい! えええええっ!?」

 もはや、びっくりするとかそういう次元は通り過ぎていた。肉体はないはずなのに、才人の耳にルイズの絶叫がキンキンと響いてくる。これはルイズでなくても、たいていのハルケギニアの人間でそうなるだろう。始祖ブリミルといえば、ハルケギニアの歴史上最大の聖人である。もちろん、敬虔なブリミル教徒であるルイズの衝撃は才人の想像したそれを大きく超えていた。

 ブリミルと呼ばれた男の左右には、それぞれ数人の男女が控えている。虚無の使い魔は全部で四人いたというから、彼らの中にガンダールヴの仲間もいるかもしれないと二人は思った。

 しかし、倒れ伏した怪獣たちを見下ろすと、ここまでする必要があったのかとやるせない気持ちもわいてくる。彼らはあくまで外囲的な力で操られていただけで、悪意があったわけではないだろうに。

「怪獣三匹を一撃で倒すなんて、これが本当の虚無の威力……」

「いや、ルイズ。あれを見ろよ!」

「えっ……ま、まだ生きてる!」

 なんと、怪獣たちは横たわっていても、手足をわずかにけいれんさせているところから、気絶しているだけのようであった。驚く二人に、デルフは今度は誇らしげな声で語った。

「威力を調節して、失神させるだけにとどめたのさ。あいつは……あいつらは、決して無益に命を奪ったりはしなかった」

「すっげぇ! すごすぎるぜ」

「ええ。これが、虚無の力の本当の使い方なのね」

 エクスプロージョンの威力を調節したということよりも、怪獣たちを殺さなかったということのほうが二人を喜ばせた。

 特に、ルイズは心の中のもやを吹き飛ばされたような晴れ晴れとした思いを感じていた。虚無の系統という、突然手に入れてしまった強すぎる力をもてあましていた彼女にとって、虚無が破壊するだけの力ではないとわかったそのことは、闇夜を終わらせる朝日も同じ輝きを持っていたのだ。

 だが、悪魔の光に取り憑かれた怪獣たちは、まだ完全に戦闘不能に陥ったわけではなかった。宿主の肉体が使用不可能になったと悟ったのか、ゴルメデの、ネルドラントの、エリガルの体から虹色の光が離れていく。そのために、憑り付かれていた三匹は元の姿に戻った。しかし、それぞれの怪獣の肉体から抜け出した光は、一瞬まばゆく輝いたかと思うと、憑り付いていた怪獣とまったく同じ姿で実体化したのである。

「なにぃ!? おいデルフ、ありゃあ」

「あれが奴らの能力さ。奴らは怪獣に乗り移って操るだけじゃねえ、憑り付いていた怪獣から力を吸い取って、実体化することまでできるんだ」

 まったく、あのえげつねえ力にはブリミルも最後まで悩まされたぜと、デルフは吐き捨てた。

 オリジナルから分離したカオスゴルメデ、カオスネルドラント、カオスエリガルは凶暴な遠吠えをあげる。さらに、エクスプロージョンで失神し、エネルギーも抜き取られて身動きのできなくなっているオリジナルの怪獣たちへと、もう用済みだとばかりに攻撃を加えだして、才人とルイズはともに激昂した。

「あいつら! さんざん利用するだけしておいて、ひでぇことを!」

「デルフの言うとおり、悪魔ね。あいつらは」

 手を出せるなら、今すぐにでも駆けつけたい。瀕死のゴルメデたちに向け、カオス怪獣の攻撃が容赦なく加えられる。このままではすぐにも殺されてしまう。そのとき、降下してきたリドリアスのキックがカオスゴルメデにきれいにヒットし、隣にいたカオスネルドラントとカオスエリガルもドミノ倒しになぎ倒される。

 そう、ブリミルと仲間たちが、目の前の暴虐をそのまま見るに耐えかねて助けに入ったのだ。

「よっしゃあ! さっすがルイズのご先祖様。そのままさっきのでかいのでやっちまえ」

 才人がうれしさで歓声をあげた。それに、今度の相手は本物の怪獣ではなく、いわばコピー品だ。遠慮なくぶっとばしても誰にも迷惑はかからない。

 だが、カオス怪獣たちは起き上がると、ブリミルたちへと火炎や毒ガスを放った。とっさにブリミルのそばに控えていた者たちが魔法で風の障壁をはるが、完全には防ぎきれずに余剰エネルギーが暴風のようにブリミルたちを襲う。

 さらに、カオス怪獣たちの邪悪な気配に誘われたのか、方々から別の怪獣たちも現れ始めた。

 それらは、才人の知る限りの名前を並べるなら、暴れん坊怪獣ベキラ、毒ガス怪獣メダン、宇宙礫岩怪獣グロマイト。さらには、先にウルトラマンAが苦杯をなめさせられた赤色火焔怪獣バニラ、青色発泡怪獣アボラスも木々を蹴散らして集まってくる。カオス怪獣たちも合わせて総勢およそ十体……どれもその本性からして凶暴で、残忍な凶悪怪獣ばかりである。

「おいちょっと、冗談だろ! いくら虚無の魔法がすごくたって、あんな怪獣軍団を相手にできっかよ」

「戦力が違いすぎるわ! 逃げて、あなたたちが死んだらわたしたちが生まれなくなるのよ!」

 愕然とした二人は、ここが過去のビジョンだということも忘れて必死で叫ぶ。あれはもう勝てる勝てないのレベルの問題ではない。しかしそれでも、デルフは落ち着いた声で二人に告げる。

「ふっふっふ、黙って見ててやりな。確かに、あいつらの戦いは決して楽なもんじゃなかった。でもな、お前たちに大勢の仲間がいるように、やつらも決して孤独じゃなかったのさ」

 傷ついたブリミルたちを守るように、リドリアスが降下してその傍らに着陸する。

 さらに、ブリミルたちの後ろから、援軍も姿を現した。人間、翼人、獣人、エルフ、見たこともない亜人たち。二十人にも満たない少数だけれども、皆恐れもなくブリミルの周りに集まっていく。

「人間と亜人が、あんなに!」

 現代では、顔を見ればすぐ殺し合いに発展してもおかしくない者たちが、共に肩を並べて戦っている。信じられない光景に圧倒されるルイズ。それでも、十体もの怪獣軍団を相手にしては勝ち目など望めない。そう思ったとき、さらなる光景が二人を圧倒した。

「こっちにも、まだ怪獣がいたの!?」

 ルイズの叫びこそが、デルフの言葉の真意だった。援軍に続いて、彼らの後ろにも怪獣が出現してブリミルたちの味方についた。これでリドリアスも含めてブリミル側にも怪獣が五体。それらのほとんどは才人にとって見覚えのない種類だったものの、先頭に立つ金色の怪獣には記憶があった。

「あの、麒麟みたいな怪獣は確か……」

 中国の伝説上の動物に似たシルエットを持つ、その怪獣の特徴を才人は素早く頭の中に蘇らせた。

”あの怪獣は確か科学特捜隊の時代に出現した奴で、あいつといっしょに眠っていた……そういえば、亜人たちの中に……”

 しかし、考える余裕があったのはそこまでだった。いかに伝説の魔法”虚無”と五匹の怪獣であっても、相手は彼らの倍の数を誇る大戦力だ。まともにぶつかれば勝ち目はない。それでも、ブリミルと仲間たちは恐れずに凶悪怪獣たちへと挑んでいく。

 

”いったい、この時代でなにが……ブリミルたちは、どうしてこんな戦いをしなければいけなかったのか!?”

 

 戦いを見守りながら、才人とルイズは答えが出るはずもない疑問を何十回も頭の中で反芻した。

 ところが、終わりは唐突かつ理不尽にやってきた。激しい戦いの中で、リドリアスが翼に攻撃を受けて不時着し、その背からエルフの女性が投げ出される。それを見たブリミルが何かを叫んだように見えたとき、過去のビジョンは霧がかかったように輪郭を失い、代わって白くて無機質な光が満ちてくる。

 光芒は世界を白く塗り替え、その中で薄れていく意識の中で、二人はデルフのかすかな声を聞いた。

「なんだ、せっかくこれからってときに次回へ続くかよ。ブリミルのやろう、中途半端な仕掛けしやがって。お前ら、どうやら夢の時間は終わりのようだぜ。目を覚ましな、目を覚ましな……」

 デルフの声が遠ざかり、いくらかの時間が経過したのだろうか。

 静寂の中から、しだいに水の音、雨粒が木の葉を叩く音が二人の耳を打った。

「ぅ……ううん」

 うっすらと目を開けたルイズの目に、最初に映ってきたのは大きな木のうろの中であった。樹齢は軽く千年を超えているであろう大木の中に生まれた、小さな部屋。自分たちはそこに寝かされていた。

「どうして、こんな……」

 バニラとの戦いに敗れた後、いったい誰が自分たちを安全な場所に運んでくれたのかとルイズは思った。

 まだぼんやりするまぶたをこすって、周りを見回す彼女の目に、うろの外へと出て行こうとする人影が見えた。

「あなた……」

 青白い肌をして、猿のような頭をした人影に、ルイズは亜人かと思った。けれど、夢のせいか恐怖はない。

 ここに運んできてくれたのは、あなたなの? と言おうとしたときには、彼の姿はルイズの視界からは消えていた。

 それからしばらくして、いまだ大粒の雨が降り注ぐ中へ、才人とルイズも飛び出していく。謎の答えよりも、今やらなければならないことを果たすために。

 

 

 才人たちが夢から現実の世界に戻ってきたのと、ほぼ時を同じくしてトリスタニアでも戦いは続いている。

 街を横断しようとするアボラスを、ドラゴンやグリフォンに乗った魔法騎士が迎え撃つ。

 ただし、無理に食い止めようとして犠牲を増やしていた以前までと違って、今回からトリステイン軍は戦術を大幅に変更していた。

「下手に近づいて撃ち落される危険を冒すな! 遠距離から注意をひいて、街路に誘い込むんだ!」

 首都防衛の任についているド・ゼッサールの指揮の元、アボラスの溶解泡を浴びないように注意しつつ、魔法衛士隊はアボラスに魔法を浴びせる。むろん、遠くからの及び腰な攻撃ではスーパーガンやマルス133のビームでも傷一つ負わないアボラスに通用するはずはない。彼らの目的は、倒すことではなくて誘導することにあった。

 攻撃にいきりたって、魔法衛士隊を追うアボラスの前に広い道路が現れる。幅はおおよそ四十メイル、そこへアボラスを誘い込んだ彼らは、そのまま道路の先へとアボラスを挑発して引っ張っていく。

「ようしいいぞ。このまま被害の出ないところまで連れて行け」

 ニヤリと笑った衛士隊員の言うとおり、アボラスは道路を通って建物を壊さずに街中をすり抜けていく。

 これは、頻発する怪獣出現からトリスタニアを守るために、都市の復興と並行して、ザラガスの出現あたりから進められてきた都市改造計画の一つであった。なにせ、以前までのトリスタニアでは、敵の軍隊が攻め込んできたときのために、最大の通りであるブルドンネ街でも幅はたったの五メイルしかなかった。だが、人間相手ならともかく、怪獣はそんな狭い道は通れない。一歩ごとに確実に建物を破壊してしまい、かえって被害を拡大させてしまっていた。

 そのため、道幅を一気に八倍にすることで怪獣が通りやすくし、周辺の建物への被害を防ごうという逆転の発想がこれであった。

 怪獣だって、わざわざ好き好んで建物を壊しながら歩きにくいところを進むより、平坦な道を好むのは当たり前のことである。

 この広大な道路はトリスタニアを碁盤の目のように縫って広がっており、怪獣が街のどこに出現してもすぐに誘導できるように計算されて作られている。

「おかげで、街の雰囲気はずいぶん変わってしまったが、広い道は市民が避難するにもちょうどいい。これは想定していたよりも効果が大きいようだな」

 ド・ゼッサールは市街地を素通りしていくアボラスを見て、満足げにうなずいた。はじめは道を広くしただけで被害を減らせるものかと懐疑的だったが、これは予想以上の名手らしい。

 

 実は、同じことは地球でも怪獣頻出期の中ごろから取り入れられて効果をあげていた。

 怪獣頻出期の初期、市街地に出現したゴモラやテレスドンによって、多くのビルが破壊されて甚大な被害が発生してきた。

 ところが、ウルトラ警備隊の時代のある事件が契機となって、都市計画は大きく見直されることになった。

 発泡怪獣ダンカンがウルトラセブンと戦ったときのことである。戦闘能力の低いダンカンは、ウルトラセブンに対しては終始逃げに徹し続けた。最終的にダンカンはセブンのエメリウム光線で倒されることになるのだが、ビル街でおこなわれた両者の戦いは、道路を逃げるダンカンをセブンが追い回すという形になった。普通に考えたら怪獣とセブンが街中で追いかけっこをしたら甚大な被害が出そうなものだが、その街は道路が広かったおかげで、戦闘が終わってみた後で集計された被害はビルが二つ倒壊しただけという、極めて軽いものになったのである。

 これを機に、大都市の道路は必要を超えてもかなり広く作られるようになり、MATの時代にはさらにそれが発展されていった。それは、洪水を防ぐためにダムや遊水地を築くように、怪獣にも被害軽減のための遊水地を作ろうというのである。

 簡単に説明するならば、街中に出現した怪獣を攻撃するためにミサイルを撃ち込めば、当然周りの建物にも被害が出る。また、ウルトラマンが現れても狭い市街地では満足に戦えないこともあるだろう。そのため、市街地のど真ん中に、百メートルから数キロ四方の広大な空間が配置されるようになった。

 もうお分かりだろう。つまりは、ウルトラマンが怪獣と街中で戦っているときの、大きな空き地のことなのである。

 ここでなら、周りの被害を気にせずにウルトラマンも防衛隊も思う存分戦うことができる。

 宇宙大怪獣ベムスターをはじめとして、囮怪獣プルーマ、ブーメラン怪獣レッドキラーと、この空き地を使ってウルトラマンと激しい肉弾戦を繰り広げた怪獣は多い。むろん後のウルトラマンたちも、エースやタロウは初戦のベロクロン戦、アストロモンス戦でさっそく活用し、レオや80もむろんここで数多くのバトルを繰り広げている。

 

 相次ぐ怪獣出現による経験は、地球とハルケギニアで偶然にも……いや、必然と呼ぶべき同じ進化を街に与えていた。

 むろん、古来より続いた街並みを変えることには大きな抵抗感があったし、軍からもトリスタニアが敵軍に攻められたときにどうするのかという反発もあった。けれども、広い道は平和時には交通や交易に非常に便利であり、火事や地震の際にも安全な避難路として使うことができる。また、軍に対しては「トリスタニアまで敵に攻め込まれて、そんな状態からどうやって戦争に勝てるのかお教え願えますか」というアンリエッタの一言がすべてを決した。

 少なからぬ時間と、アンリエッタやマザリーニの不断の努力を代償にした新しいトリスタニアの形。それは直接目に見える形ではなく、恐らくはほとんどの人々の記憶には残らないだろうが、これまで破壊されるにまかされるだけであった人々の暮らしを、怪獣から守ることに成功した。

「ゼッサール隊長、怪獣の進行方向の市民の避難はほぼ完了しました。信じられない速さです。おかげで、これまで犠牲者は一人も出ていません!」

「ご苦労。それに火災や建物の倒壊も、以前と比べると格段に少ない。姫殿下の慧眼は、私のような老眼の持ち主よりもはるかに遠くを見れているようだ」

 満足げにうなづきながら、ゼッサールは市街地を進んでいくアボラスを見た。さすがに完全に素通りとはいかず、置き去られた屋台や荷車が踏み潰され、運悪く尻尾をぶつけられた建物がひしゃげさせられたりしているものの、これまでだったら大火災の発生と多数の死傷者を生んでいるはずだ。

 英断をくだした主君に、あらためて忠誠を誓うゼッサール。けれど、これはあくまで被害軽減の策にすぎず、怪獣を倒さなければ意味はない。部下の持って来た報告を聞き、彼はここからが正念場だと覚悟を入れなおした。

「隊長、東の森林地帯より赤い怪獣が接近中。このままいくと、トリスタニア東部の住宅街で青い怪獣と衝突するものと思われます」

「赤い怪獣、アカデミーから連絡があったバニラとかいうやつか。ウルトラマンAをも撃退してのけたそうだが、もしも青い怪獣と同士討ちになってくれれば、我々にもまだ望みはある」

「しかし、もしも二匹が共闘して我々に向かってきた場合には……」

「そのときは、陛下から杖を預かったものとして恥ずかしくない行動をとるまでだ。我々が滅んでもトリスタニアが残ればよい。トリスタニアが滅んでも、市民が残れば街は何度でも作り直せるからな」

 どちらにせよ、覚悟だけは決めておけと部下に告げると、ゼッサールは目を閉じて瞑目した。

 

 しかし、かつて地球でも悪魔と呼ばれた二大怪獣の本当の恐怖を、ゼッサールたちはまだ知らない。

 

 そして、二大怪獣を封じ込めた人々が、未来の人々のためにと残した最後の望みも、同時に目覚めようとしている。

 アボラスとバニラを封じていた悪魔の神殿。その付近一帯を激震が襲い、発掘現場は再びパニックに包まれる。

「じ、地震だ! でかいぞ!」

「遺跡が崩れる。みんな逃げろ!」

 崩落する悪魔の神殿、そのさらに地底から高い声の遠吠えとともに、金色の巨体が浮上してくる。

「か、怪獣だぁーっ!」

 天を見上げて、金色の巨躯を持つ怪獣は復活の雄叫びをあげる。

 ミイラ怪獣ドドンゴ……ミイラ人間の忠実な僕である彼は、逃げ惑う人々には目もくれずに、無人と化した発掘現場の片隅に姿を現したミイラ人間に向かって頭を垂れた。

 ミイラ人間は、遠い過去からの友との再会に、わずかに目を細めると、ある方向へ向かって指を指した。

 その指す先はトリスタニア。ドドンゴは、己のなすべき使命を知ると、翼をひるがえして高く吼えた。

 

 

 続く



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第36話  星の守護者

 第36話

 星の守護者

 

 ミイラ怪人 ミイラ人間

 ミイラ怪獣 ドドンゴ

 青色発泡怪獣 アボラス

 赤色火焔怪獣 バニラ 登場!

 

 

 驟雨にさらされ、無人と化したトリスタニアの一角で、六千年の時を超えた宿命の対決が再び始まろうとしていた。

 東から現れる、赤色火焔怪獣バニラ。

 西からやってくる青色発砲怪獣アボラス。

 市街地の中に、怪獣出現を想定してもうけられた空白地帯が二大怪獣の戦いの舞台となる。

 東西から、まるでコロシアムに入場する剣闘士のように同時に現れた二大怪獣。

 しかし、彼らには戦いのゴングは必要なかった。互いの姿を見ただけで凶暴な叫び声をあげ、牙をむき出し、大地を蹴って相手に迫る。

「始まるぞ。怪獣同士の戦いが……」

 この戦いの観客である、魔法衛士隊のド・ゼッサールをはじめとする隊員たちは、息を呑んで戦いの始まりを見届けた。 

 アボラスとバニラは真正面から激突し、両怪獣合わせて四万トンもの大質量が生み出す運動エネルギーは、その余波を衝撃波に変えて、ド・ゼッサールたちのほおをしびれさせる。

「うわっ!」

「落ち着け、まだ始まったばかりだぞ」

 うろたえる若い隊員を叱咤しつつ、ゼッサールは自らも緊張からつばを飲み込んだ。

 体当たりに始まった両者の激突は、当然それにとどまるものではなく、さらなる攻撃へと発展をはじめる。

 アボラスの巨大な顎が開き、バニラの肩に食らいつく。鋭い牙に皮膚を貫かれ、バニラは悲鳴をあげてのけぞるが、痛みでむしろ戦意をかきたてられて、アボラスの角を掴み、長い首を伸ばしてアボラスの頭を噛み付きかえす。

 たまらずバニラを離すアボラス。同時にバニラもアボラスを離し、両者は再び数十メートルの距離を挟んでにらみ合う。

 数秒の硬直。と、アボラスとバニラの口が同時に大きく開いた。

 アボラスの口から放たれるビルをも溶かす白色溶解泡、バニラの口から放たれる二万度の超高熱火焔。

 

 白と赤、対照的な力を持つ二匹の怪獣のブレスは空中で激突し、対消滅による爆発が巻き起こる。その衝撃波は空中を伝わり、中空で待機していた魔法衛士隊を幻獣ごと吹き飛ばし、周辺の建物の窓ガラスを一枚残さず粉砕した。

 

「す、すごい……」

「ううむ。これはいかん。全員、百メイル後退せよ! 近くにいると巻き添えを受けるぞ」

 それは臆病から出た命令ではない。今の爆風だけでも、頑強なグリフォンやヒポグリフが木の葉のようにもまれて、訓練されているはずの魔法衛士隊員たちでさえ振り落とされそうになったくらいだ。

 ド・ゼッサールは古参の軍人として、『烈風』カリンの部下だった頃から数々の戦いをくぐってきた。人間同士の戦争から、凶暴な亜人や猛獣退治、何度も命を落としそうになってきた。最近では、トリスタニアに現れた超獣や怪獣とも幾度も渡り合い、ウルトラマンAと怪獣との戦いも間近で見てきた。それでも、怪獣同士の戦いという未知の体験は、彼の心に戦慄を覚えさせる。

「野獣同士の喰らいあいか……とてもじゃないが人間の入る余地がない」

 理性のない獣対獣の、純粋な敵意の激突は、理性持つ人間からすれば本能の奥に忘れてきた、根源的な恐怖を呼び起こす。かつて同族が地球で激突した際にも、二大怪獣は科学特捜隊からスーパーガンやマルス133で攻撃を受けながらも、まったく意にも介さずに戦いを続けた。

 

 溶解泡と火焔が相殺に終わったことにより、アボラスとバニラは再度接近戦に打って出た。

 バニラが雄叫びをあげて、掴みかかろうと突進する。対してアボラスはくるりと背を向けると、太い尻尾を振り回してバニラをカウンターでなぎ払い、運の悪い家屋が押しつぶされて崩れ去る。

 すかさず追撃をかけようと飛び掛っていくアボラス。しかしバニラもこんなものではまいらず、すぐさま起き上がると隣の家を掴んで引っこ抜き、岩石のようにアボラスに投げつけた。

「ああっ! 街が」

 アボラスに向かって投げられた家は、アボラスが軽く腕を振るだけでバラバラのレンガのかけらになって飛び散った。しかし、バニラは体勢を立て直すために、二軒目、三軒目の家を引き抜いては投げつけ、そのたびに街が無残に破壊されていく。

 だが、二大怪獣にとって当然そんなことはおかまいなしだ。街を犠牲にして体勢を整えたバニラは、今度は頭からアボラスに突進し、両者は組み合ったままで反対側の住宅地に倒れこむ。組み合ったままで、互いに相手を押し倒そうと、二匹は自分が上になろうと転がり、次々に家が押しつぶされていく。しかも、砂埃と同時に、炊事用のかまどの火が燃え移ったのか火災までもが起こり始めたではないか。

「なんてことだ。これでは、トリスタニアは戦いのとばっちりだけで壊滅してしまうぞ!」

 いかに怪獣被害の緩衝地としてもうけられた空き地が広くても、怪獣同士が中で戦い合うことまでは想定に入っていない。コロシアムの中だけでは狭すぎるとばかりに、アボラスとバニラは場外に躍り出てなおも戦う。

 蹴倒された商店が、尻尾をぶつけられた家が粉々に砕け散る。

 溶解泡を浴びせられた役所が溶けてなくなり、高熱火焔の流れ弾を受けた工場が灰に変えられる。

 ド・ゼッサールたちの焦りをよそに、二大怪獣の激闘はエスカレートの一途をたどっていた。

 

 

 一方、バニラがトリスタニアに到達する少し前まで時系列はさかのぼる。

 まとわりつくような霧雨が降る森の道を、才人とルイズはトリスタニアに向かって急いでいた。

「急ぎましょう! あの怪獣は、最後に見たときトリスタニアの方角に向かってたわ。早く戻らないと、街が大変なことになっちゃうわよ」

 ルイズが走りながら才人をせかして言った。

「お、お前そうは言っても、トリスタニアまで何十キロあると思ってるんだよ」

 ぜえぜえと、息を切らしながら才人は答えた。ハルケギニアに来てからだいぶ鍛えられているとはいえ、半年ほどでは才人の体力は高校男子の平均から大きく逸脱することはない。

 走れど走れど、変わり映えのしない景色が才人の気力を削ぐ。まったく、馬車で数時間かけた道のりというのは、徒歩で駆ければ気の遠くなるほどの距離があった。単純に馬車が時速二十キロで二時間かけたとして、四十キロトリスタニアから離れていることになる。フルマラソンの距離が四十二.一九五キロメートルであるから、それだけで普通の人ならば気力がなくなるだろう。

「せ、せめて歩こうぜ。とても、体力もちゃしねえよ」

「あんた馬鹿! こうしてるうちにトリスタニアがどうなるかわかってるの」

 声を張り上げ、ルイズは才人を叱咤する。けれど、強気を見せていても、ルイズも見た目とは裏腹に脇腹に走る痛みをこらえている。プライドの高さから弱みを見せないようにしていても、華奢で小柄な彼女のスタミナの限界値はそう高くはない。それでも、走り続けようとするのは彼女が才人と出会う前から持っている一本の芯のためであった。

「ヒカリがトリステインを離れて、軍の主力もウェールズ陛下の護衛に裂かれている今、わたしたちが戦わなくてどうなるっていうの。姫さまや、魅惑の妖精亭のみんなが傷つけられるかもしれない。大勢の人が家を失うかもしれない。だったら、ここでわたしたちの足が折れようとも、安い代償じゃない。最高の名誉の負傷じゃないの!」

 これほど誇れる名誉が、ほかにある? と締めくくってルイズは笑って見せた。その気高くて、折れない強い意志を秘めた凛々しい笑顔を見て、才人はがくがくと笑うひざにもう一度鞭を入れた。

「名誉か……ったく、お前は昔からそうだな」

 情けないが、この笑顔にはいつも勝てない。まあ仕方ねえかと才人は自嘲した。なんたって、おれはルイズのこの誇り高さに惚れちまったんだから。

「なに人の顔見て笑ってるのよ?」

「いや、なんだ……貴族の誇りってのも、たまにはいいかと思ってよ」

「はぁ? いつも名誉なんてくだらねえって言うあんたが? 雨に打たれて熱でも出た」

「あいにくと、馬鹿は風邪ひかないって昔から言うだろ。さて、急ごうぜ」

 今度は才人がルイズをせかして走り出した。ルイズの言うとおり、今でも誇りや名誉のために命をかけるのはくだらないと思っている。しかし、今のルイズの誇りや名誉ならば悪くはない。昔と今で違うところといえば、一人よがりの誇りと名誉か、誰かのために戦う誇りとおまけでついてくる名誉のためかの違いだけだ。

 まとわりつく雨の降る寒い道を、二人は無言で走った。この街道も、いつもならばゆきかう人を普通に見かけるのだけど、今はこの天気と、なによりトリスタニアやラ・ロシェールに人が集まっているために、たまに雨具を着た人とすれ違うくらいで、馬車を捕まえることもできない。

 ウルトラマンAに変身して飛んでいくという手もあるけれど、エースは先のバニラとの戦いで消耗したエネルギーがまだ回復していない。トリスタニアについたところでエネルギー切れを起こしてしまったのでは本末転倒でしかなく、二人の足に今はすべてが懸かっていた。

 しかし、ぬかるんだ泥道は、走るうちに二人ともひざまではねた泥で染まらせ、式典のためにあつらえた服も見るかげなくしおれさせる。そればかりか、濡れた服は体温を奪い、ぬかるみは二人の足をとって、体力を余計に消耗させた。

「も、もうだめだ」

「サ、サイト、弱音吐いてる暇があったら……あぅっ」

 とうとう、気力でおぎなっていた体力も限界にきた。二人とも、泥道に倒れこみ、大の字になって荒く息をついている。

 やっぱり、雨の中を子供の体力で数十キロも走るのは無理があったようだ。しばらく過呼吸を繰り返し、なんとか呼吸だけは落ち着いたものの、体が痛くていうことを聞かない。

「くっ、くそぉ。まだ、あと何十キロもあるってのに」

「シルフィードが、いてくれたら、あっというまなのにね……ねえデルフリンガー、虚無に体力回復の魔法とかないの?」

「んなものいちいち覚えてりゃしねえよ。移動に便利な呪文はあったかもしれねえが、どのみちお前さんは昨日あんだけぶっ放した後だからな。虚無魔法は精神力を多大に削るから使えやしねえよ」

「ああもう! 肝心なときに使い勝手が悪いわねえ!」

 困ったときの虚無頼みは失敗に終わった。あの夢の中でブリミルが使っていたような、とてつもない力の一端でも自分に使えたら、この窮地を脱することができるのに。おまけにデルフリンガーは、「お前さんが未熟なのがいけねえんだ。虚無の力は使いこなせばできねえこたぁなんもねえ。今のお前さんには渡したって振り回されるだけだって、祈祷書も読めなくしてあるんだよ。いやあ、ブリミルのやつは子孫思いだねえ」などと、人事のように言うのだからなお腹が立つ。

 だが、運はまだ二人を見放してはいなかった。薄暗い街道の、学院に向かうほうから、霧雨の奥にぼんやりとランプの灯りが見えてくる。やがて馬のひづめの音や車輪が地面をはむ音も聞こえ始め、一頭の馬に引かれた小さめの馬車がやってきた。

「馬車だ! おーい! おーい!」

「止まって! 乗せてほしいの!」

 残った力で二人は馬車の前に出て必死で引きとめた。その馬車もガーゴイルが御者をしているらしく、声には反応してくれなかったけれど、人をひいてはいけないといけないという判断をしたらしく、直前で停止させた。けれど、ほっとする間もなく馬車から顔を出してきた人を見て才人とルイズは仰天した。

「ミス・ヴァリエールにサイトくんじゃないか。どうしたんだいこんなところで?」

「コルベール先生!?」

 三者三様の驚いた顔が雨中に展示された。才人、ルイズともに、まさかこんなところでコルベールに会うとは思っておらず、コルベールのほうもずぶ濡れの二人を見て目を丸くしている。

「君たち、ラ・ロシェールでの式典はどうしたんだい? いや、それよりも早く乗りたまえ、そんなところにいては風邪をひいてしまうぞ!」

 手招きするコルベールの言うとおり、二人はコルベールの馬車に乗り込んだ。この馬車は学院の公用品の、四人乗りの小さなものであったが、二人くらいが同乗する分には問題ない。タオルをわたされて体を拭き、コルベールの炎の魔法で体を温めると、二人はやっと人心地ついた。

「ふぅ、どうも助かりました。ミスタ・コルベール、こんなところで先生にお会いできるなんて。でも、どうしてこんなところに?」

「なに、トリスタニアの式典まで、私は特にするべきこともありませんのでね。ほかの先生方にちょっと失礼して、先に帰っていたのです。それで、近頃はじめたアカデミーとの共同研究を進めておこうと、学院から資料を運ぶところだったのですよ」

 そういうことだったのかと二人は納得した。オスマン学院長以下の教員方は、馬車でゆっくりとトリスタニアに向かっているから、到着は明日以降になるはずだった。時期がずれていたらこの事件と鉢合わせすることになったかもしれないから、運がよいと言うべきであろう。

「ま、普段から変わり者で通ってる私が抜けたところで誰も問題にはしないしね。あなたたちこそ、ウェールズ陛下の歓迎式典はどうしたんだね? なにかあったのかい」

「あっ! そうだった! 先生、急いでトリスタニアに向かってください。理由は走りながら話しますから」

 それから二人は、コルベールにこれまでのことを説明した。ラ・ロシェールが怪獣に襲われたことから、赤い怪獣がトリスタニア方面へと向かっていることまで。むろん、虚無に関わることは隠して、自分たちが学院に報告しに戻る途中に怪獣に襲われたとごまかした。

「なんと、我ら教師のいないときにそんなことになっていようとは。トリスタニアに知らせなければ大変なことになる。わかった、怪獣より早くつけるように急がせよう。それでも一時間ほどかかってしまうが、君たちはともかく体を休めたまえ」

「ありがとうございます……はぁ」

 コルベールの心遣いが、緊張し続け、疲労困憊の極だった才人とルイズから肩の力を抜かせてくれた。

 たった一時間だけれども、ともかくもこれで休むことができる。座席に深く体を沈めて、全身の筋肉を脱力させた二人は、ぼんやりとこれまでのことを振り返った。

 たった二日足らずのことなのに、とてつもなく多くのことがあったように思える。伝説の大魔法『虚無』、それを狙うシェフィールドと名乗る謎の女の一味。突如現れた怪獣バニラ。そして始祖の祈祷書が見せたという、六千年前の始祖ブリミルの戦い。どれも、一つだけでもショックが大きいことなのに……

 また、始祖の祈祷書に過去のビジョンを見せられているあいだに、かくまわれていた大木のうろの中。そこまで運んできてくれたのは……最後にちらりと見えたあの顔は、人間のものではなかった。しかし、それと同じ姿をした亜人を、始祖ブリミルとともに戦っていた者たちの中に見た気がする。

 堂々巡りの思考の中、けっきょくわからないことだらけだと才人もルイズも結論づけるしかできなかった。虚無のことは、なにかを結論づけるには材料が断片的過ぎる。バニラも、アカデミーの事情などを知るはずもない二人には、現れた理由は皆目見当がつかなくて当然だった。

 ただし、あの不思議な亜人……ミイラに関しては話が別だ。なぜ自分たちを助けてくれたかはわからないけれど、もう一度会えば何かがわかるかもしれないと、ルイズはふと思った。危険で、しかも馬鹿げた考えかもしれない。しかし、少なくとも無防備な自分たちに手出しをしなかったところから、敵意だけはなかったと思いたい。それに、なぜ祈祷書はこのタイミングで自分たちにあのビジョンを見せたのだろうか? ビジョンに出てきた怪獣と亜人が、今ここにいる。偶然にしては、あまりにもできすぎている。

「ねえサイト……」

「うん」

 声を潜めて、才人とルイズは小声で話し合った。幸い、馬車の音と雨音でコルベールに話し声は聞こえない。

 才人の意見も、ルイズとほぼ同じだった。もしも、過去のビジョンで見たバニラが自分たちが戦ったバニラと同じものであるならば、祈祷書は自分たちになにかヒントを与えてくれようとしたのではないか?

 

 だが、それより前に、バニラはなんとしてでも倒してしまわねばならないと、二人は決意を新たにした。

 

 バニラは科学特捜隊のジェットビートルがロケット弾を撃ちつくすほど攻撃してもこたえず、航空自衛隊の戦闘機も次々に撃ち落したほどの火力もかねそろえている。先日戦ったゾンバイユのような超能力こそ備えないけれど、首都防衛のわずかな部隊では太刀打ちできないだろう。奴をそのままほっておけば、ビジョンで見た世界の終末の光景が、この時代でも現実となってしまう。それだけは防がなくてはいけない。

 でも、勝てるか……? ぬぐいきれない不安が二人の心をよぎる。

”ウルトラマンAの力でも、バニラを倒すことはできなかった。もう一度戦ったとして、はたして勝利できるのだろうか”

 かつて、初代ウルトラマンはバニラと対を為すアボラスを苦闘の末に倒した。しかし、戦いの勝敗はやってみないとわからない。怪獣だって必死なのだ。以前勝てた相手だから、今度も勝てるなどという保障などどこにもない。バニラがかつて悪魔と呼ばれた理由となった能力も、だいたいのところは予測がついている。エネルギーが回復しきっていない、不完全な状態のエースで立ち向かえるのか。

 敗北の衝撃が、戦いを目前にして二人の心に影を落としていた。

 そんな二人の暗い波動が届いたのか、北斗星治の声が心に響く。

(かつてのウルトラマンたちも、強敵に敗れることはあった。しかし、彼らは再び立ち上がり、侵略者を打ち倒してきた。なぜ、負けるかもしれない相手とまた戦えたのか、わかるかい?)

(それが、使命だからですか)

(それもある。しかし、使命感だけでは戦いの恐怖には打ち勝てない。ウルトラマンには常に、共に戦ってくれる仲間がいたからだ)

(仲間……でも、今のわたしたちには、いっしょに戦う仲間なんて)

(そんなことはない。君たちには、ここにはいなくても大勢の仲間がいる。思い出してみるんだ、今でも君たちを心配している友達や家族のことを。地球で、再びこの世界とつなげるためにがんばっているメビウスたちを。考えてみるんだ、我々が戦っているすぐそばで、応援してくれる人々を)

 強くうったえかける北斗の言葉が、暗雲にとざされていた二人の心に記憶という名の光を呼び戻した。

 キュルケ、タバサ、アンリエッタ、アニエス、ミシェル……まだまだ名前が浮かんでくる大勢の友。

 父、母、姉……血の絆で結ばれて、さらに強い心の絆を確かめ合ったかけがえのない人たち。

 才人は、中学生だったころにTVで見たウルトラマンメビウスと、エンペラ星人配下の暗黒四天王の一人、凍結宇宙人グローザムとの戦いを思い出した。不死身のグローザムの異名を持ち、その気になれば地球すらあっという間に氷付けにできるという圧倒的な力を持つグローザムの前に、メビウスは手も足も出ずに氷付けにされ、ダムに張り付けにされてしまった。

 しかし、CREW GUYSは先日の暗黒四天王デスレムとの戦いで戦力が半減した状態にも関わらず、果敢に反撃に出てメビウスを救出することに成功する。さらに、メビウスとウルトラセブンとの共闘により、不死身を誇ったグローザムに見事にとどめを刺す快挙も達成したのである。

 圧倒的な力の差がある相手でも、恐れず立ち向かえばどこかに光明は見える。それに、過去のビジョンで見た始祖ブリミルも、仲間とともに圧倒的に強大な敵と戦っていた。一人でない限り、どんな敵とも戦うことができる。

(我々の戦いは、必ず勝たねばならない戦いだ。それも、仲間と別れて、一人で戦うのはつらいことだ。しかし、一人でいることは孤独であるということではない。心でつながっている限り、誰もが君たちと共に戦っている。それに、君たちはなによりも、二人じゃないか)

 北斗はかつて、超獣ファイヤーモンスに敗れたときにウルトラセブンに励まされたことを。かつて、ヤプールの精神攻撃に苦しめられるメビウスを励ましたことを語った。心に距離は関係ない。どこかで戦っている仲間とは、心でいっしょに戦っている。だからこそ、ウルトラマンたちは二度と負けまいと立ち上がることができたのだ。

”そうだ、おれたちはまだ一回負けただけだ!”

”次は、必ず勝ってみせるわ”

 闘志がふつふつと蘇ってくる。仲間たちががんばっているのに、自分たちだけ情けない顔は見せられない。負けん気を呼び起こした二人が空を見上げたなら、そこには必ず暗雲をもものともせずに輝く星が見えたであろう。

 

 馬車は街道をトリスタニアへと向けて急ぐ。

「君たち、トリスタニアまで、あとおよそ十分だ」

 コルベールの声で、仮眠していた二人は目を覚まして外を見た。いつの間にか雨はやんで、街道の幅もだいぶんと広くなっている。しかし、どこを見渡してもバニラのあの赤い姿は見つからない。

「まだ見えないってことは、バニラはもうトリスタニアについちまったってことか。くそっ」

「落ち着きなさい。あんなでかい奴が近づいたら、いくらなんでも気がつくはず。首都の防衛の部隊も残ってるから、すぐには大事にならないわ。まだ間に合うかもしれない。急ぎましょう」

 街を舞台に戦うことは避けたいと思っていた二人は、最悪の事態を予感して憂鬱になった。バニラの能力は火焔であるから、雨上がりの街なら火災は広がりにくいだろうけど、それも時間の問題だ。馬車は速度をあげて街へと急ぐ。

 そのとき、突如馬車を激震が襲い。跳ね飛ばされた二人は、コルベールとぶつかったり、あちこちを痛めたりした。それでも何事かと起き上がって外を覗くと、そこには想像もしていなかった光景が広がっていた。

「あたた……なんだ、穴にでもはまり込んだか? んぇぇっ!?」

「なによ、大きな声を出して……へぇぇっ!?」

 才人もルイズも自分の目を疑った。彼らの馬車と並行して、金色の怪獣が五十メートルばかり離れた森の中を走っている。今の激震はこいつの足音だったのだ。いや、そんなことよりも、才人はすぐ間近で見上げることができているこの怪獣がなんなのか、それに思い至っていた。

「ミイラ怪獣ドドンゴ……やっぱり、あのミイラは」

 頭のすみで気になっていた、ミイラへの仮説が完全なものになって頭の中で組みあがる。

 やはり、あのミイラは地球で確認されたものと同じ。科学特捜隊の時代、日本のある洞窟で発見された七千年前のミイラ。はじめそれはただのミイラと思われていたが、突如復活して暴れまわった。そして、ミイラの呼び声に応えるように現れたのが、あのミイラ怪獣ドドンゴだ。

 今、目の前にいる怪獣がドドンゴならば、あの亜人の正体はやはりミイラに違いあるまい。理由はわからないけれど、なんらかの理由で、恐らく六千年前から眠っていたミイラが蘇ってドドンゴを呼び寄せたのだろう。もしかしたら、バニラの出現にもなにかの原因が? 才人はそう考えたものの、やはり確証はない。

「んったく、おれたちの知らないところで勝手に話を進めるのはやめてほしいな」

 才人は、神ならぬ自分の身を呪ったがどうにもならない。人間一人の知ることのできることなどはたかが知れているのだ。問題は、自分の手の届く範囲でなにができるかである。

「あいつ、トリスタニアに向かってやがる……くそっ、バニラだけでも手にあまりかねないってのに!」

 才人は歯噛みして、頼みもしないのに次々起こる異常事態を恨んだ。まったく昨日の今日で、どうしてここまで連戦しなければならないのか。運命の神とやらが天界でサイコロを振っているなら、五・六発殴ってやりたい気分である。

 それでも、怪獣を見てそのままにしているわけにはいかない。才人は、ドドンゴを見てあたふたしているコルベールをおいておいて、ルイズに問いかけた。

「仕方がない。ここで戦うか?」

「だめよ。前回のダメージが残ってるのに、ここで変身したら赤い怪獣と戦う力は確実に無くなるわ」

「だけど、怪獣をそのままトリスタニアに行かせるわけには……」

「ううん、行かせるべきだとわたしは思う」

「ルイズ!?」

 突拍子もないことを言い出したルイズの顔を、才人は思わず正面から見返した。怪獣をトリスタニアにそのまま行かせるべきだとはどういうことか? しかし、ルイズのとび色の瞳は正気を失ってはおらず、真剣な様子で才人に言った。

「あの怪獣、夢の中で始祖ブリミルといっしょに戦っていたやつと同じだわ。きっと、わたしたちを助けに来てくれたんじゃないかと、そう思うの」

「それは……確かに、言われてみたらあいつは夢の中で見た。しかし、あいつが六千年前にいたやつと同じやつだとは限らないだろ」

「ううん、同じだと思う。でなければ、祈祷書があんなビジョンを見せる意味がないもの。それに、そうだとするなら、あの亜人がブリミルの子孫であるわたしを助けてくれた理由にもなる」

 自信ありげに断ずるルイズに、才人はうーんと考え込んだ。つじつまはそれで合う。でも、ルイズが虚無に目覚めたその翌日に、こんなことが起きるなどとできすぎではあるまいか。

 するとルイズは、窓の外を指差してもう一つ付け加えた。

「ほら見て、あの怪獣ずっと森の中だけを走ってるわ。走るなら道を走ったほうが速いのに。きっと、わたしたちのような人間を踏みつけないようにしてるのよ。邪悪な怪獣だったら、まずはわたしたちに襲い掛かってくるはず」

 確かに、ドドンゴは馬車などは目に入らないように一心不乱にトリスタニアを目指している。それによく見ると、あのミイラがドドンゴの背に乗っているのも確認できる。だが、才人は迷った。仮に、あのドドンゴが六千年前にいたものと同じ個体であったとするなら、百歩譲って敵ではないかもしれない。けれど違っていたら、トリスタニアは複数の怪獣による同時攻撃を受けることになる。そうなれば、いくらなんでも勝ち目はない。

 悩む才人に、ルイズはいつもの命令口調ではなく、諭すように話す。

「あなたは運命なんか信じないかもしれない。でも、現実は時にはおとぎ話以上に荒唐無稽なことが起きることもあるわ。始祖のお導き……くらいしか、わたしには表現する方法がないけど、信じて欲しいの」

 あっけにとられた。ルイズがここまで下手に出ることなど、これまでほとんどなかった。

「きっと、祈祷書には始祖ブリミルの意思が宿ってるんだと思う。だから、かつての仲間と敵の復活を夢の形でわたしたちに教えて、彼と戦ってはいけないと警告してくれたんじゃないかしら。それに、ここまで舞台がそろったのなら、もう最悪の事態を考えてもいいんじゃない?」

「最悪の事態って……まさか、バニラが復活してるってことは、アボラスも」

 蘇っているのか? という疑問は、アボラスとバニラが対となっていることを知っていれば、当然にして浮かんでくることであっただろう。むろん、才人もその可能性にはずっと前から気がついていた。ただし、あまりにも最悪の事態であるので、考えることをすらずっと拒否していた。

 しかし、無意識の現実逃避をすらあざ笑うかのような、二つの巨大な遠吠えがトリスタニアの方向から聞こえてきたとき、才人はルイズの言うとおりに、最悪の事態が起きたことを悟らざるを得なかった。

「今の叫び声は、ひとつは赤い怪獣のものよね。もうひとつは……」

「青い怪獣……アボラスだ。間違いない」

 甲高いバニラの声と、野太いアボラスの声はよく覚えている。かつて二匹が地球で戦ったときの舞台である、オリンピック競技場に仕掛けられていたカメラの映像はTVでも一般公開され、その迫力に圧倒された才人はビデオに録画して擦り切れるまで画面にかじりついて見たものだ。

 けれども、今目の前にあるのは子供の頃に見た過去の記録ではない。現実の脅威として、アボラスとバニラは自分の目の前に立ちふさがっている。泣きっ面に蜂か……ここまで完璧に揃えば、もう不運のお釣りを出したい気分だ。

 そのとき、唐突に馬車が止まったのでコルベールを見ると、彼は自分の荷物を小さなかばんにまとめながら二人に言った。

「むうう、あの怪獣。アカデミーが最近発見したという古代遺跡のほうからやってきたぞ。エレオノール女史から見学させてもらえるはずで期待しておったのに。いや、それよりも遺跡のスタッフたちが心配だ。君たち、悪いがわたしは行くところができた。馬車は預けるから、君たちで先に行きたまえ」

「えっ? お、おれたちだけでですか」

「君は、銃士隊隊長と副長くんの弟なんだろう。だったらわたしより顔が利くはずだ。ミス・ヴァリエールは下級貴族のわたしなどより宮廷に入りやすい。第一、君たちのほうがこういうことには慣れている。今、トリスタニアは猫の手も借りたい状態のはずだ。助けにいってやりたまえ、わたしはわたしの友人たちを救いに行く」

「わかりました。お気をつけて」

 コルベールと別れた二人は、馬に鞭を入れて急がせた。トリスタニアの街並みと、立ち上る煙を目にしながら、やはり間に合わなかったかと心が痛む。しかし、コルベールの言い残した古代遺跡というキーワードで、漠然とではあるけれどアボラス・バニラの出現と、ミイラ人間・ドドンゴの出現の理由の見当はついた。昔から、遺跡だの遺物だのを地中から掘り出すとろくなことが起きない。貝獣ゴーガが封じられていたゴーガの像しかり、地中に埋められていたお地蔵様を掘り出したら復活したエンマーゴしかり、現代人の浅い知識で古代の神秘に不用意に触れようとすると、大抵手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。

「ったく、掘り出すにことかいてよりにもよって怪獣を穿り返すことはねえだろうが。せめて温泉でも掘り当ててくれたらありがてえんだけどなあ」

「今更言ってもはじまらないわよ。サイト、二大怪獣を相手に勝てると思う?」

「万全ならともかく、回復に時間がなさすぎたからな。でも、ウルトラマンの本当の強さは力じゃない。そうだろう?」

 覚悟はすでに決めている。後は、一歩前に踏み出すだけだ。

 才人とルイズは顔を見合わせると、互いの心を確認してうなずきあった。彼らの視線の先では、ドドンゴが馬車をはるかに追い抜いて、もう間もなくトリスタニアに入ろうとしている姿がある。二人も負けじと、最後の鞭を入れて急ぐ。

 

 戦場と化したトリスタニアは、いまや象の群れに蹂躙されるジャングルのような光景となっていた。

 アボラスに蹴り飛ばされた建物が積み木のように崩れ去り、バニラに踏みつけられた公園が子供たちの遊具ごと無残なクレーターに変えられる。

 昨日までは家族が揃って団欒していた家が溶解泡を浴びて崩れ去り、仕事に疲れた人々がわずかな癒やしを一杯の茶に求めにやってきたカッフェが高熱火焔で灰に変えられる。

 アボラスとバニラの戦いは延々と互角のまま続き、二匹が移動し、攻撃を重ねるごとに街が壊されていく。それでも被害は現在のところ最初の戦場であった広場から、およそ数百メイル四方に抑えられて、かろうじて少ないといえるのは被害軽減を考慮に入れた都市計画のおかげだろう。

 だが、都市計画はあくまで被害を軽減して時間稼ぎをするためのものでしかない。二匹の怪獣のあまりに長続きする戦いに、開始からずっと見守り続けていたド・ゼッサールたちは疲弊を隠しきれなくなってきていた。

「やつら、いったいいつまで戦い続けるつもりなんだっ!」

 激突してから、すでに二時間近くが経過している。それなのに、決着がつくどころか戦いは同じ舞曲を何度も見ているかのように延々と続き、街は自らが破壊される音で彼らをひきたたせる楽団となったごとく、崩壊の戦慄をかなで続けている。

「まさか、このまま永遠に戦い続けるのではあるまいな……」

 そのつぶやきは、口にしたド・ゼッサールにとって冗談に含まれる部類のものであったろう。どんなものにも始まりがあれば終わりはある。三日三晩の死闘などという言葉が、英雄譚などには頻繁に登場するものの、それは作者の空想のうちから生まれた幻想の決闘にすぎない。

 永遠はない。それは真実である。しかし”半”無限であるならば実在する。そして、ルイズが現実は時として幻想よりも荒唐無稽なことが起きると語ったとおりに、残念なことに彼のつぶやきは正解に限りなく近い位置にあった。

 地球でも、アボラスとバニラが宿敵同士だと知った科学者たちが一つの矛盾に行き当たったことがある。

 

”アボラスとバニラが敵対しあっているのなら、ほっておけばいずれどちらかが倒れるはず。なのになぜ、ミュー帝国の人たちは二匹を同時に捕らえる必要があったのだろう?”

 

 考えてみたらしごく当たり前の疑問である。二匹より一匹になるまで待ったほうが、手間隙あらゆる意味で有利になるのは子供でもわかる。それを、大変な労苦であっただろうに二匹同時に捕らえなくてはならなかったのは、そこにこそアボラスとバニラが『悪魔』と形容された理由があったのだろう。

 才人がたどりついた、バニラがウルトラマンAを圧倒できた理由も実はそこにある。科学者たちは研究の末に、結論をこういう形でまとめた。

「アボラスとバニラは、人間を狙って暴れたわけじゃない。彼らにとって、人間などはそもそも眼中になく、目の前を通り過ぎる目障りな小虫くらいにしか感じていないだろう。彼らの目的は、互いを打倒するというその一点に尽きる。しかし、二匹の戦いは完全に互角であり、双方共倒れとなることもなく延々と戦い続けた。その無限と思われる死闘に巻き込まれたものはことごとく破壊され、荒廃が広がっていった。それが人類を滅ぼすと恐れられた理由、彼らの持つ無限のスタミナこそが悪魔と呼ばれたゆえんだったのだ」

 ウルトラマンに爆破されたアボラスの残骸を調査した結果、この怪獣の筋組織はいくら激しく動いても、決して疲労しないものであることが判明した。前回ウルトラマンAの攻撃をいくら受けても、こたえた様子がなかったのはそのためだ。どれだけ戦っても疲れることがなく、いくらでも戦えるまったく互角の実力を持った怪獣同士の戦い。

 終わらない悪夢を人々に見せ続け、破壊と死を撒き散らし続ける悪魔。

 このまま戦いが続けば、トリスタニアも古代のハルケギニアやミュー帝国同様に滅びの道を歩む。

 それを阻止するために、六千年前の人々は二匹の怪獣とともに、彼らに対抗できるわずかな可能性を残してくれた。

「隊長大変です! 東から、また新たな怪獣が!」

「なんだと!」

 ド・ゼッサールやこの時代の人間たちは知らなかったが、それこそが彼らにとっての希望であった。

 天上の雲の上を走る、神話の獣のようにドドンゴが駆けてくる。その眼の睨む先にあるのはアボラスとバニラの二頭しかいない。

 金色に輝く体を弾丸のように加速させ、高らかな足音を響かせながらドドンゴはアボラスに体当たりを仕掛けた。

 ドドンゴの地上失踪速度は最大でマッハ1.8の超高速を誇る。それに体重二万五千トンの重量が加われば、さしものアボラスの二万トンの巨体といえども木の葉のように吹き飛ばされる。

 むろん、死闘に横槍を入れられたバニラは怒り、矛先をドドンゴに向けて火焔を吐いてくる。エースにも大ダメージを与えたこれが直撃すればドドンゴもひとたまりもないだろう。しかし、ドドンゴは背に乗るミイラ人間が指示するように方向をバニラに向け、目から怪光線を発射して火焔を空中で相殺した。

 バニラはドドンゴを新たな敵として認識し、続いてアボラスも起き上がってくる。同時に、遠吠えをあげて威嚇する三大怪獣。六千年前と同じように、暴れまわる凶悪怪獣から星を守るために、過去から遣わされてきた星の守護者はその身を賭して立ち上がった。

”いくぞ”

 ミイラの呼び声にしたがって、ドドンゴはその身をバニラにぶつけていく。重量差からバニラは押されるが、怪力を発揮してドドンゴを押しとどめる。

 このままバニラとのみ正面からぶつかれば、勝負は体格差からドドンゴが有利だったかもしれない。けれど、先に体当たりを受けた恨みをアボラスは忘れてはおらずに、横っ腹から鋭い角を振りかざして頭突きをかけてきた。たまらず五分の状況からバニラに逆転され、苦しみながらドドンゴは後退する。

 敵・敵・敵の三つ巴の状況ながら、実質この戦いはドドンゴにとって不利だった。決闘を邪魔されたアボラスとバニラは、その怒りの矛先を一時的ながらもドドンゴに向けて襲ってくる。一対二の圧倒的に不利な状況。それでも彼らは戦わなくてはならなかった。

 あの悪夢のような戦いのはてに、奇跡的に掴んだ平和を崩さぬために。もう二度と破滅を招かないために、自分たちはあえて地の底で長い眠りについていたのだ。多分自分たちはここで死ぬだろう。それは恐ろしくはない。死ねばかつての仲間たちがきっと迎えてくれるだろう。仲間との再会は喜ばしいものであるのだから。

 ただしその前に、刺し違えてでも二匹のうちの一匹は道連れにしなくてはならない。

 迫り来るアボラスとバニラ。ミイラは、ここで散ることは覚悟しながらも、ふと昔のことを思い出した。あの厳しい戦いをともにくぐってきた仲間たち。叶わぬことながら、彼らがここにいてくれたらと思ってしまう。

 だが、仲間たちの命は尽きていても、その志は彼らの子孫に消えずに受け継がれていた。

 この世界を理不尽な破壊の手から守ろうとする強い意志。それがこの場に顕現する。

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 閃光輝き、ドドンゴに一度にかかろうとしていたアボラスとバニラがひるんで止まる。

 光が収まったとき、そこにはドドンゴの傍らに戦友のように立っているウルトラマンAの勇姿があった。

「ヘヤァッ!」

 これで二対二、歴史は蘇り、六千年前の戦いの続きがここに最後の決着のときを迎えようとしている。

 激震とどろき、トリスタニア最大の決戦がここに幕をあげたのだった。

 

 

 続く



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第37話  三大怪獣、トリスタニア最大の決戦

 第37話

 三大怪獣、トリスタニア最大の決戦

 

 ミイラ怪人 ミイラ人間

 ミイラ怪獣 ドドンゴ

 青色発泡怪獣 アボラス

 赤色火焔怪獣 バニラ 登場!

 

 

 暗雲に閉ざされ、住人のいなくなったトリスタニアで天空を揺るがす激戦が始まろうとしていた。

 銀色の巨人と金色の怪獣、ウルトラマンAと星の守護者の怪獣ドドンゴ。

 それに対する青い怪獣と赤い怪獣、すべてを溶かす青い悪魔アボラス、すべてを焼き尽くす赤い悪魔バニラ。

 六千年の時を超えて現代に蘇った三体の怪獣と、新たに星の守りについた光の戦士。

 一度は敗れた相手ながら、才人とルイズの心にはおびえも躊躇もすでにない。

(あんなビジョンを見せられちまったんだ。もうお前たちの好きにはさせないぜ)

(始祖ブリミルのご意思、子孫のわたしたちが無駄にするわけにはいかない。はぁ、まったくとんでもないご先祖を我ながら持ってしまったものね)

 人間は、若者は敗北を乗り越えて前へ進む。命ある限り、停滞することなく彼らの進化は進む。

 ウルトラマンAは、彼らを選んだことは間違いではなかったと確信していた。そして彼らなら、敵がどんなに強大であろうとも、そこには希望があるであろうとも。果て無き闘争を求める者から、平和と人々の安息を守るために。

 その恐れなく、まっすぐに敵を見据える雄姿を、怪獣ドドンゴと彼の背に乗るミイラは、その目に六千年分の驚愕をすべて詰め込んだ視線で見ていた。

”やはり来てくれたか……それにしても、よく似ている”

 彼の姿は人とは違い、この時代の言葉も話せなかったが、その心の中身は人間と大きな差はなかった。

 あのとき、バニラと戦うウルトラマンAの姿を見、敗れて変身が解除されたルイズと才人を見たとき、彼は六千年のまどろみから完全に目覚めていた。

”そうか、この時代にも……”

 記憶を蘇らせた彼は、最初自分の目を疑い、続いて懐かしさを感じた。

”味方なのか……それとも”

 とまどいの中で、彼はどうするべきかを迷った。むろん、彼はウルトラマンAの正体などは知らない。彼の宿敵であるバニラと戦っていたからといって、敵の敵は味方だと短慮を起こすわけにはいかない。しかし、ルイズの懐から零れ落ちていた始祖の祈祷書を見たとき、彼の選択は決まった。

 さあ、もはや天運を望む時は過ぎた。あとは、現世に立つ者の意思と努力がすべてを決する。

 六千年前の破滅の再来を防ぐためには、勝利以外に道はない。

 わずかな観客となったド・ゼッサールと魔法衛士たちは息を呑み、その時が訪れたのを知った。

「始まるぞ……戦いが!」

 アボラス、バニラの咆哮がゴングとなり、決戦の火蓋は切って落とされた。

 

 

「トオーッ!」

 最初に打って出たのはウルトラマンAだった。空中高くジャンプして、空中できりもみしながら急降下、猛烈な勢いをつけたキックをアボラスの頭部に炸裂させる。しかし、アボラスも巨体をいかしてこらえきり、巨大な顎を開いて飲み込まんばかりにエースに噛み付いてくる。

(そうはいくか!)

 噛まれる寸前に、エースはバックステップでアボラスの攻撃を回避した。才人の記憶から、アボラスの戦い方はすでに心得ている。初代ウルトラマンが戦った怪獣の中でも屈指のパワーファイターであり、初代ウルトラマンも頭を押さえつけて噛まれないように防戦につとめたという恐るべき相手だ。接近戦に持ち込まれたら分が悪い。ヒットアンドウェーで、間合いを操って敵の体力を削っていこうと、エースは突進してきたアボラスの勢いを利用して、巴投げでアボラスを投げとばした。

 

 一方、ドドンゴはバニラと正対していた。

 目から打ち出す光線と、口から吐き出す高熱火焔が武器である両者は、それぞれの武器の威力が互角であることを知っているために、にらみ合ったままで相手の出方と隙をうかがっている。しかし、そんな状況は何秒も続きはしなかった。

 ドドンゴが四本の足を蹴立てて頭から突進し、受け止めたバニラがドドンゴの首筋に噛み付いて出血させる。だが負けじとドドンゴも龍のように鋭い牙が生えた口でバニラに噛み付き、バニラは悲鳴を上げながらドドンゴの頭を殴りつける。

 二匹の戦いは、まるで大熊の決闘のように肉弾相打つぶつかり合いとなり、小細工抜きの力と力のみがものをいう。

”負けるな! さあゆけ!”

 ミイラの声がテレパシーとなってドドンゴの頭に響き、ドドンゴは雄叫びをあげてバニラの腹に頭をぶつけると、そのまま首の力でかちあげた。

 ミイラとドドンゴ、かつての地球でもこの二体が強い絆で結ばれていたことは知られている。主人と従者か、あるいは友だったのか、それを伝える資料は残されてはいなくても、ミイラの呼ぶ声に応じてドドンゴが助けにやってこようとしたことから、彼らがかつては並々ならぬ関係だったのは疑う余地はない。

 接近戦では体格差を活かし、バニラに得意の火焔を吐く間合いを与えまいとミイラはドドンゴに指示を飛ばす。

 

 さらに、アボラスの相手をしているウルトラマンAも、アボラスを相手に五分以上の攻防を繰り広げていた。

(アボラスは頭がでかくてバランスが悪い。角をつかんで振り回してやれ! よっし、そこだチョップ!)

 才人の言うとおり、エースはパワーと巨体を誇るアボラスを素早さで翻弄していた。なにせ、バニラと違ってアボラスはウルトラマンと対戦した記録が残されている。初代ウルトラマンがアボラスを相手にどう戦ったのか? 弟が戦うことになっても、その戦訓は大いに役に立つはずだった。

(あっ! 口が開いた)

(エース避けろ! 溶解泡が来るぞ)

 アボラスの口から放たれた白い霧状の溶解泡が、エースが飛びのいてかわしたところにあった建物を、ドロドロに溶かして消し去ってしまった。ルイズが反応するのが一瞬遅れていたら、エースはまともに溶解泡を喰らっていたかもしれない。あの溶解泡は、ウルトラマンの体を溶かすまではいかなくても、一気にエネルギーを消耗させてしまう力を持っている。初代ウルトラマンも、ほぼ万全の状態から一度これを受けただけで、カラータイマーの点滅がはじまってしまったほどだ。

 切り札をかわされてしまったアボラスは、殴りかかり、尻尾を振り回し、さらには闘牛のように角を向けて一気に突進を仕掛けてくるようになった。重い一撃の連打に、エースもはじきとばされてなるものかと目を凝らし、敵の気配を全身で感じ取る。

 

 力を力でねじ伏せようとするバニラとドドンゴ。アボラスの直線的な攻撃を受け流して、反撃の機会をじっと待ち続けるウルトラマンA。両者の戦いは互角で、その戦いは高所からならば容易に見学することもできた。トリスタニアでもっとも高いところにある、王宮のテラスからアンリエッタは激闘を見てつぶやく。

「また、この街が戦場となってしまった。いったい、いつになったら平和で活気に満ちていたあの頃が帰ってくるのでしょう……」

 平和が戻ってきたと思っても再び怪獣が現れる。何度復興してもまた壊される。人々が戻ってきてもまた逃げ出さざるを得ない。

 いくら怪獣を倒したところで、次々と新しい怪獣がやってくる。怪獣は倒しきれるものではなく、無限に沸いてくる天災のようなものかもしれないのではないか?

 アンリエッタが感じたその不吉な予感は、実は怪獣頻出期に地球の人々が感じていたのと同じものであった。連日連週、地球を襲う怪獣・超獣・宇宙人の果てしなき来襲。西暦一九六六年に始まり、同年の初代ウルトラマンの地球来訪から西暦一九八一年のウルトラマン80の地球防衛期間までの実に十五年間。実際には一九七五年の円盤生物ブラックエンドから、一九八十年の月の輪怪獣クレッセントまで五年ほどの休止期間はあるが、それでも怪獣頻出期は十年もの長きに渡ったのだ。

 その間で失われた人命や、破壊された財産は数知れない。幽霊怪人ゴース星人の地底ミサイル攻撃では世界の主要都市の多くが破壊され、広島県福山市を壊滅させたベロクロン、一夜ごとに一つの街の住民を皆殺しにしてまわった残酷怪獣ガモスなど、当時はいつ自分が怪獣災害の犠牲になってもおかしくない時代であった。

 自分のやっていることは、実は雨粒をすべて受け止めようとしているにも似た不毛なものなのではと、アンリエッタは薄青の瞳を曇らせた。幼い日、軽い気持ちでルイズを伴って幻獣を盗み出して遠出し、沼地の怪物にルイズの命を取られかけたあの日から、自分のやることには責任をもとうと心に言い聞かせてきた。そして、実戦で戦っているルイズやアニエスたちに少しでも報いようと、トリスタニアの改造にも取り組んできたのだが……それは無意味だったのだろうか。

 気落ちした表情を浮かべるアンリエッタに、いつの間にやってきたのか枢機卿のマザリーニが顔を覗きこんで告げた。

「殿下、お気持ちはわかります。確かに今、トリステインが直面している危機は歴史上類を見ないものです。しかしながら、殿下のなさっていることは決して無意味ではありませぬ」

「枢機卿!? あなた、わたくしの心が読めるのですか?」

「いやいや、伊達にあなたさまの三倍近く歳をとってはいないというだけのことです。それよりも、殿下のなさっていることは、間違いなくこの国の民の命と幸福を守っていると、それだけは言っておきたく存じましてな。一部心なきものもおりますが、多くの民はあなたさまに感謝し、信頼しております。でなければ、少なくとも利にさとい商人などはとうにこの街を去っていることでしょう。昨日まで、殿下がここから見下ろされていた街の活気がなによりの証拠です」

「……そうですわね。わたくしとしたことが、どうかしていたようです」

「わかられたなら結構。では、私も付き合いますゆえ、戦いの決着を見届けましょう」

「はい。彼は……ウルトラマンAはわたくしたちのために命を懸けて戦ってくれている。でしたら……」

 せめて、彼の戦いを最後まで見届けるのが、わたしたちの義務でしょうからと、アンリエッタはテラスの手すりを強く握り締めた。

 

 銀と金、青と赤。遠目にもよく映えるウルトラマンと三大怪獣の死闘は、開始からいささかも勢いを衰えさせずに続いている。

 アボラスの溶解泡をかわしたエースが、アボラスの顎を掴んで背負い投げを炸裂させる。

 バニラの火焔で、背中の翼の一枚を焼かれたドドンゴが目からの怪光線をバニラの尻尾に当てて熱がらせる。

 全力でのぶつかり合いは五分から、ややエース側が優勢に見えてきていた。このまま追い込めば、二大怪獣を倒すことができる! ド・ゼッサールを含め、見守っていた人間たちは皆そうした明るい予感を持った。

 だが、さらに攻撃を強化しようとしていたエースのカラータイマーが、突如激しい警告音を鳴らして点滅を始めたのである。

「そんな! まだ一分くらいしか経っていないぞ!」

 彼らも何度もエースの戦いを見て、エースの活動限界がおよそ三分間であることは知っている。さらに、カラータイマーの点滅はその危険を表し、約二分で点滅しはじめることにも見当をつけていた。しかし、今回はあまりにも点滅の開始が早すぎる。しかも、エネルギーの消耗が大きくなってきている証拠に、エースの動きががくりと鈍くなってきた。

(やはり、バニラとの戦いのダメージが、まだ回復しきってなかったか……)

 エースは、急に重くなった体に抵抗しながら、心の中でつぶやいた。バニラに敗退してから、まだ半日も時間は経過していないのだから当然といえば当然だ。むしろ、序盤でここまで善戦できたことが奇跡とさえいえる。

 動きが鈍ったエースに、アボラスが気づくのには数秒と必要はしなかった。肉食獣が弱った草食獣を群れの中から正確に見つけ出すように、エースの弱体化を察したアボラスは体をひねり、強烈な尻尾の一撃を加えてきた。

「ウワァッ!」

 頑強な皮膚と重量から生み出されるパワーは、弱ったエースを吹き飛ばすには充分すぎるくらい強烈だった。建物の中へ吹っ飛び、レンガとしっくいの破片でできた煙にエースは埋もれた。間髪いれずにアボラスは溶解泡を吹き付けてとどめを刺そうとしてくる。

「ヘアッ!」

 飛びのき、すんでのところでエースは直撃されるのだけは防いだ。けれど、凶暴なアボラスは攻撃を緩めるどころか、エースが起き上がる前に突進してきて、彼の体を蹴り上げた。

「ヴッ、ヌォォッ」

 そこは偶然、先の戦いでバニラから受けた打撲のある場所だった。普通に攻撃されたよりひどいダメージに、耐えられない苦悶の声が漏れる。緒戦で飛ばしすぎたために、エネルギー切れの反動がいつもよりも大きかった。エース、それに才人とルイズは短期決戦でアボラスを倒すつもりであったあてが外れて焦った。

 万全であったなら、倒し方を知っている分だけこちらが有利であったはずなのに、それを活かしきれなかった。

 アボラスは安全を確信したのか、ひざをついたまま立ち上がれないでいるエースを太い腕で殴りつける。

「グッヌォッ!!」

 顔面を殴りつけられたエースは、ひとたまりもなく吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。脳を揺さぶられる強烈な衝撃で、視界が暗くなって一瞬体の自由も利かなくなる。アボラスの体は、怪獣の中でもトップクラスの腕力を誇るどくろ怪獣レッドキングと非常によく似た形をしており、軽くビルを叩き壊す恐るべき怪力を誇っているのだ。

(エース! 立ってくれ)

(だめだ、体の自由が利かない……っ)

 バニラとの戦いでダメージを受けたところに、さらにダメージが加わったことが傷を致命的なまでに深めていた。カラータイマーの点滅は加速度的に早まり、エネルギー以前に肉体のダメージがこれ以上耐えられないのは明白だ。

 エースをこれで倒したと思ったアボラスは、次は当然のように本来の敵であるバニラと、バニラと戦うドドンゴに矛先を向けた。組み合っている二匹に向けて突進し、ドドンゴを殴り倒すとバニラを押し倒そうと体当たりをかける。むろん、負けじとバニラもアボラスを跳ね除けると、すかさず火焔で反撃を図る。この二匹には、敵の敵は味方などという思考はない。目に映るものはすべてが敵でしかないのだ。

 アボラスに殴られたドドンゴは、荒い息を吐きながらも起き上がった。ドドンゴの防御力はあまり高くはなく、科特隊の携帯武器であるスパイダーショットでたやすくダメージを受け、スペシウム光線の一発で絶命してしまっている。この戦いでも、バニラに与えたダメージの少なさに比して、ドドンゴの受けた傷は浅くはない。それでも、彼らは立ち上がっていく。

”まだ、戦えるか?”

”……”

”そうか……ありがとう”

 ミイラとドドンゴは、テレパシーを使い、彼らにしかわからない言葉で短く語り合った。彼らは、これが自分たちに課せられた最後の使命だと知っていた。六千年という長きに渡って眠ることで生命を維持してきたが、この世に永遠のものなどはありえない。延命の限界は、もう遠くはない。

”すまない……私に付き合って、お前にまで過酷な運命を強いてしまって”

”……”

”そうだな。最後まで共に行こう……そして、あの人たちのところへゆこう”

 この身に代えても二匹の悪魔は止める。過去のあやまちの清算を、未来に先送りにしてしまった自分たちの、それがせめてものつぐないなのだ。ミイラ人間とドドンゴ、人間から見れば恐怖を抱く異形の存在であっても、心は外見の形に左右されることはない。

 命を力に変えて燃やし尽くそうとしているかのように、ドドンゴは空高く雄叫びをあげて二大怪獣に立ち向かっていく。

「あの金色の怪獣、まだ戦おうというのか!?」

 戦いを見守っていたド・ゼッサールたちも、傷だらけになりながら立ち向かうドドンゴを見て顔をしかめさせた。炎、爪、打撃でこれでもかというほどに痛めつけられ、あれが人間ならばとうに意識を失っていても不思議ではないだろう。それに、二匹の怪獣はお互い戦うのに夢中でほかに意識が向いていない。今ならば逃げ去ることも容易であるのに、なぜそこまでして戦うのか? 彼らは、ドドンゴとミイラがこの時代の人々を守るために、過去から遣わされた使者であることを知らない。

 再び街を破壊しながら終わりのない戦いをはじめたアボラスとバニラに、ドドンゴは勢いをつけて突進攻撃をかけた。バニラに背中から激突し、吹っ飛ばされたバニラはアボラスを押し倒して転げまわる。

「やったか!」

 経験の浅い魔法衛士隊員の何人かはそう叫んだが、そううまくいくはずはなかった。むしろ、またも戦いの邪魔をされたことで怒りのボルテージが増し、二匹ともが同時にドドンゴへと敵意を向けてしまった。

 目からの怪光線で先制するドドンゴ、しかし胴に直撃を受けたはずのアボラスはまったくダメージを負っていない。それもそのはずで、アボラスの皮膚はスペシウム光線の直撃にも二度まで耐える頑強さを誇っている。

 切り札もまるで通用せず、ドドンゴは一方的に痛めつけられていった。アボラスとバニラに噛み付かれ、殴られ、火焔を受けて皮膚を焼け焦げさせて倒れる。溶解泡だけはなんとかかわしたものの、今度こそとどめを刺そうと二大怪獣の魔の手が迫る。

「ヘヤァッ!」

 間一髪、息の根を止められる寸前のドドンゴを救ったのはウルトラマンAの必死の体当たりであった。バニラの横腹に打撃を加え、虚を突かれたアボラスの首根っこを掴んで上手に投げ飛ばす。

 地響きの二重奏が鳴り響き、エースの戦線復帰にアンリエッタや魔法衛士隊の一部に喜色が浮かぶ。

 しかし、これはエースにとってほんの一欠けらの余力を振り絞った、燃え尽きる前のろうそくの炎に過ぎなかった。奇襲は成功させたものの、エースはそこまでが精一杯で立つのがやっとの有様だった。そこへ、余力たっぷりのアボラスとバニラが逆襲を加え、エースを再び地に横たえさせるまでにかかった時間は、ものの五秒足らずでしかなかった。

 ウルトラマンAは倒れ、ドドンゴも断末魔の荒い息を吐いている。ミイラもドドンゴが倒されたときに地面に投げ出され、即死はまぬがれたものの、すでに動く力は残っていなかった。

 対して、アボラスとバニラは戦闘開始前とほとんど変わらぬ様子で、トリスタニアの街に君臨している。

「もう、トリスタニアは終わりか……」

 絶望の声が、魔法衛士隊の中に流れる。ウルトラマンをも一蹴し、ひたすら破壊と戦いにのみ明け暮れるその姿は、まさに悪魔そのものだった。二大怪獣を止められるものはもうすでになく、トリスタニアが灰燼と帰すまで一日もあれば充分だろう。

 ウルトラマンAは変身が解除されるギリギリの体で、それでもなんとか戦おうとしていた。

(せめて……せめて、太陽があれば)

 ウルトラマンは光の戦士、太陽の子。太陽エネルギーがあればと、エースは空を見上げる。

 しかし、空は雨の名残で厚い雲に覆われていて、太陽の姿は見ることさえできなかった。かといって、宇宙まで飛行してエネルギーを補給する余力すら、今のエースには残されていない。

 万事休すか……もはやどうするべきことも思いつかず、才人とルイズも心の中で歯軋りした。

 変身解除まで、あと十数秒。それを過ぎればまた戦えるまで数日はいる。しかし、その間にトリスタニアは完全に破壊されてしまう。

 だがそのとき、終わりのときを待つばかりのエースを見上げていたミイラが、最後のテレパシーをドドンゴに送っていた。

”頼む……ウルトラマンに、光をあげてくれ”

 その声がドドンゴに最後の力を与えた。もはや死を待つばかりであった頭がゆっくりと動き、空を見上げて見開かれた目から、怪光線が空に向かって放たれたのだ。その光は暗雲を貫き、太陽を覆い隠していた分厚い水蒸気の塊を拡散させ、直径数百メートル規模の巨大な風穴を開いたのだ。

(これは……太陽の光)

 開かれた風穴から、まばゆい陽光がウルトラマンAへと降り注いだ。全身にさんさんと浴びせられる、金色の輝きを受けて、エースの閉じかけていた目に光が戻る。

「ヘヤッ!」

 エースは腕を胸の前でクロスさせると、降り注ぐ太陽の光を頭部の穴、ウルトラホールへと集中させていった。エネルギー収束の機能を持つウルトラホールに集められた太陽光線は、エネルギーへと変換されてエースの全身へと送り込まれていく。

 力は満ちた! 太陽からもらった力を最後の一撃に必要なまでチャージしたエースは起き上がり、二大怪獣の前へと立ちふさがる。

「シュワッ!」

 雄雄しく立ち上がったエースの勇姿に、見守っていた人々から歓声があがり、アボラスとバニラは一瞬気おされて後ずさる。

 しかし、カラータイマーの点滅は限界を示したまま回復してはいない。頑強な体と無限に近い体力を誇る二大怪獣を撃破するには、限界ギリギリまで力を注ぎ込んだ一撃を持った、捨て身の一撃しかないことにエースは気づいたのだ。

「ヌゥン!」

 エースは全エネルギーを振り絞り、腕を下向きにクロスさせた。一瞬放たれたすさまじい気迫が、本能の奥に眠っていたアボラスとバニラの恐怖心を呼び起こす。あの攻撃、あの攻撃を放たせてはだめだと、声なき声がアボラスとバニラの闘争心に訴えかける。

 その瞬間、永劫の過去から現代に渡って殺し合いを続けてきた二匹の悪魔は、生涯初めて同じ行動に出た。

 互いへの憎しみを忘れてエースへと飛び掛っていく。アボラスとバニラの共闘……誰もがありえないこととして、考えられもしなかった幻の最強怪獣のタッグがここに誕生したのだ。

 だが、完成すればまさに最強と呼ぶにふさわしかったかもしれないそのタッグも、すでに遅すぎた。

 全力で襲い掛かってくる二大怪獣を恐れず見据えたエースは、両腕を斜めに高く掲げた。ウルトラホールに集中させた全エネルギーが、両手の間で白い三日月形の光に変わる。

(これが最後だ!)

 裂帛の気合が二大怪獣だけでなく、彼と同化している才人とルイズさえもおののかせる。

 この技を使ったのは過去たった一度だけ。あまりの破壊力ゆえに、下手をすればエース自身の命をも削りかねない最大最強の必殺技。両手を頭上で閉じ、全エネルギーが手のひらの間で一枚の光の手裏剣に変えられる。

 見よ! ウルトラマンAの切り札を! 

 

『ギロチンショット!』

 

 超エネルギーをたった一枚にまで凝縮したギロチンが投げつけられ、アボラスの胴体を直撃した。不死身に近い悪魔性を誇った分厚い皮膚も、なんの役にも立たない。腹から背中までをギロチンショットは薄紙のようにぶち抜く。さらに、アボラスを貫通したギロチンショットはブーメランのように軌道を変え、愕然とするバニラの胸をも撃ち抜いた。

 驚愕と憎悪、そして恐怖の光がアボラスとバニラの目に宿って、唐突に掻き消える。

 敵の体を引き裂こうと、憎らしげに伸ばされていた腕が力を失って垂れ下がり、二大怪獣の体が前のめりに崩れ落ちた。

 そして、命を絶たれたアボラスとバニラの体は魂の後を追うように、巨大な火柱をあげて砕け散ったのである。

 

(やっ……た!)

(悪魔の、最期だ)

 

 ルイズと才人は、煙の柱と化した二大怪獣を力を失った目で見てつぶやいた。

 本当に、本当に恐ろしい敵だった。蘇った時代が時代なら、本当にこの二匹によってハルケギニアの人類は滅ぼされていたかもしれない。古代の人々がついに殺すことができず、封印するしかできなかったのもうなづける。一説によれば、アボラスとバニラはともに宇宙から来た怪獣だと言われている。食物連鎖でも縄張り争いでもなく、ただひたすら争うだけの関係など、地球の生態系では考えられないからそれも考えられる。

 いまだ、人類の乏しい知識では氷山の一角すら解明できていない宇宙の生態系。もしかしたら、アボラスとバニラの種族は今でも宇宙のどこかで、人間には知りようもない理由で戦い続けているのかもしれない。

 魔法衛士隊の隊員たちが歓声をあげながら手を振ってくる。彼らも、必死の防戦がトリスタニアを守ったことを喜んでいる。もしもここで敗れていたら、彼らの命も今日までだったかもしれない。アンリエッタもまた、彼女らしく優雅に手を振ってくる。

 しかし、今日の戦いはエースひとりで勝てたわけではない。エースは、ゆっくりとした足取りで横たわっているドドンゴに歩み寄ると、その傍らに片膝をついてかがみこんだ。

(すでに、事切れている……)

 ドドンゴの両眼は閉じられ、息は絶えていた。けれど、その顔には苦痛のあとはなく、むしろ穏やかに眠っているように見える。きっと、アボラスとバニラの最期を見届けたことで、自分の使命は終わったと安心したのであろう。彼のなきがらから少し離れた場所では、あおむけに横たわるミイラがエースとドドンゴを見上げている。

(ありがとう。この戦い、君たちがいなければ勝てなかった)

 言葉が通じたわけではないが、ミイラが小さくうなづくのがエースには見えた。彼も大きく傷つき、あといくらも持たないだろう。ウルトラマンAは、すがるようなミイラの眼から彼の最期の願いを読み取ると、横たわるドドンゴの遺体を渾身の力を込めて持ち上げた。

「ジュワァッ!」

 遺体を頭上に掲げたエースを、ミイラは満足そうに見上げてうなづいた。周りでは、魔法衛士隊の隊員たちがエースはなにをする気だと困惑しているが、ド・ゼッサールだけはエースの意思がわかった。

「全員静まれ! 敬礼しろ。戦友の、見送りだ」

 どよめく部下を一喝して、ド・ゼッサールは見事な衛士隊式の敬礼を見せた。長年、多くの上司や部下や戦友の死を間近で見てきた彼が、そのたびに戦場で感じていたこと。戦友のなきがらが、野ざらしにされて心無い者たちに辱められるのは耐えられないという思い。

 ド・ゼッサールたちはドドンゴがなぜ命を懸けて戦ったのかという理由は知らない。けれど、知らなくても命と引き換えにしてエースを助けた献身は、彼らの心に確かに響いていたのだ。勇者への称えを贈られて、今ドドンゴは誰の手にも渡らない世界へと送られていく。

「シュワッチ!」

 ウルトラマンAによって、ドドンゴは宇宙葬によって送られた。この世界に、ウルトラゾーン・怪獣墓場がないのは残念であるけれども、もはや二度と彼の眠りがさまたげられることはないに違いない。

 戦いの役目を終えたウルトラマンAは星に帰り、もうひとりの勇者の最期を見とどける。

 戦場跡、魔法衛士隊も引き上げて、完全に無人となったトリスタニアの一角で、才人とルイズはミイラを看取ろうとしていた。

「あなたが何者だったのか、わたしたちは知らない。けれど、あなたたちのおかげでトリスタニアが救われたのは紛れもない事実……それなのに、わたしたちはあなたを救う手立てはない。こうして、見届けることしかできない。許して……」

 頭を垂れて、ルイズはミイラに詫びた。彼は苦しそうに荒い息を吐いているが、それもしだいにか細くなっていき、生命力が急速に失われていっているのがわかる。もう、どんな治療も手遅れだろう。なにより、彼がそれを望むまい。

 才人は、今まさに消えようとしている命を目の当たりにして、決してそれから目を逸らすまいとしながら思った。

「六千年ものあいだ、アボラスとバニラを見張るために眠ってたなんて……すまねえ、おれたち未来の人間がアホだったばっかしに、こんなことになっちまって。言葉が通じるなら詫びてえよ……おれには、とてもできねえ」

 ミイラとドドンゴがいなければ、自分たちも今こうして生きていたかどうかすら疑わしい。かつて地球で、彼らと同種族のミイラとドドンゴが現れたとき、彼らはあまりの力と意思の疎通ができないゆえに、危険なモンスターとして抹殺され、記録にもそう残されている。だが、自らをミイラと化してまで延命するなど並の覚悟でできることではない。今となっては知る術もないが、地球のミイラたちももしかしたらなんらかの使命を持って眠っていたのかもしれない。

 結局、悪いのは昔も今も、不用意に彼らの眠りを妨げてしまった自分たち現代の人間である。

 ミイラは、すまなそうにうなだれている二人をじっと見上げていた。青黒い皮膚からはさらに生気が消え、まもなく本物のミイラとなるだろう。しかしその前に、彼はか細い息の中で片腕を上げると、ルイズの懐から覗いていた始祖の祈祷書を指差した。

「えっ? こ、これ?」

 ルイズは驚きながらも、恐る恐る祈祷書を差し出した。彼は、枯れ木のような手を祈祷書に伸ばし、指先を祈祷書に触れさせた。指先と触れ合った部分が鈍く輝き、祈祷書を通じてルイズの心にミイラの記憶が流れ込んできた。

「あっ、うっ! こ、これは……!?」

 例えるなら、グラスの中のワインを別のグラスに移し変えたように、流れ込んできた記憶がルイズの中を駆け回る。それらは他人の記憶らしく漠然とぼけていたものの、彼の歩んできた道をルイズに伝えてくれた。

 六千年前の最終戦争、彼はそこでドドンゴとともに戦っていた。そして、旅をしていた始祖ブリミルの一行と出会い、紆余曲折の末に彼らとともに戦う道を選んだ。

 行く先々で彼らを待っていた戦いの日々。当時、世界中を覆っていた戦乱の中を、ブリミルの一行は力を合わせて生き抜いた。特に、リーダーであったブリミルの操った魔法の威力はすさまじく、彼らは何度もその威力で窮地を脱した。仲間を増やし、時には逃げ、絶望的な戦乱の中を、彼らはある目的を果たすために戦い抜いた。

 けれども、最終戦争の巨大さの中にあってはブリミルの力とて小さなものに過ぎなかった。

 多くの仲間が傷つき倒れ、絶望的な旅路は永遠に続くかに思われた。だが、どんな絶望の中にあってもブリミルは明るく、笑顔を絶やさずに仲間をはげまし続けた。もっとも、ときたま彼の使い魔の少女……祈祷書のビジョンで見た、ガンダールヴのルーンを持つエルフの少女を、新しい魔法の実験台にしようとするなどの暴挙に出ることもあった。ただし、その度に彼女の怒りを買って、彼女の友達のリドリアスにおしおきとして空高くつまみ上げられたりしたが、そんな光景も笑いとともに仲間の心を和ませた。

 そんな彼らだったからこそ、仲間たちは希望をたくしてついていった。

 しかし、突如空から現れた悪魔の虹によって、わずかな希望も打ち砕かれた。

 世界はあらゆる生き物に憑り付いて狂わせる悪魔の虹によって混沌に変えられ、ブリミルの仲間たちも次々犠牲となった。

 そして、追い詰められたブリミルは禁じ手とされていた、ある方法をとることを選択する。

 彼の記憶は、ここでいったん途切れた。

”そうか、あなたも憑り付かれてしまって記憶が残ってないのね。でも、あなたは今こうしてここにいる。いったいどうやって、あなたは悪魔の虹から解放されたの? 始祖ブリミルが選んだ禁じ手ってなんなの?”

 ルイズは、肝心なところで途切れた記憶の答えを問いただした。しかし答えは返ってこずに、再開された記憶のビジョンが代わってルイズに語りかける。

”この景色は、ラグドリアン……これは、わたしたちが祈祷書に見せられた戦いね”

 見覚えのあるビジョンに、ルイズはすぐに合点した。空を舞うリドリアスと、三体のカオス怪獣にアボラスとバニラを含めた怪獣軍団、それを迎え撃つブリミルたち。見たところ、彼らに以前と特に変わったところはない。それなのに、彼らの表情は追い詰められて絶望に染まっていたときと一変し、悪魔の虹に憑り付かれていたはずのミイラやブリミルの仲間たちも元に戻っている。

 いったい、彼の記憶が途切れていたあいだになにが起こったのだろう? 今度こそ、この戦いの結末をとルイズは身構えた。けれど、残りの記憶を渡す余裕はミイラには残っていなかった。指が祈祷書からこぼれ落ち、ルイズの見ていたビジョンも途切れる。

 ルイズは、あと少しで謎が解けるのにと、歯がゆさからミイラに叫ぼうとして思いとどまった。彼の、なにかをやりとげた満足げな目。そして、安心した表情から、ミイラが自分になにを伝えたかったのか、それを悟ったから。

「わかったわ。始祖ブリミルは、あなたの大切な仲間は、最後まであなたたちを守るために戦ったのね。虚無の力を正義のためになるように……残りの謎は、わたしたちの手で解いていくわ。そして誓うわ、わたしもこの力を決して悪に用いたりしない。だから、安心して」

 ルイズはミイラの手をとり、次いで才人ももう片方の手をとった。

 冷え切っていたミイラの手のひらに二人のぬくもりが伝わり、苦しげだったミイラの呼吸が一度、気持ちよさそうなため息に変わった。

 そして最後に、ミイラは二人を見上げてわずかに口元を動かすと、まぶたを閉じて永遠の眠りについていった。

「逝ってしまったな」

「ええ、六千年もの時間守り続けてきた使命から、やっと解放されたのよ。きっと今ごろ、昔の仲間たちに迎えられてるわ」

「だといいな。ところでルイズ、さっき祈祷書から何かを見せられてたみたいだけど、なんだったんだ?」

「後で話すわ。それよりも、彼の最後の言葉、あなたも聞いた?」

 ルイズの問いに、才人は一度目を閉じた。そうして、空を見上げると、霊魂に誓うように答えた。

「ああ、聞こえたよ……『この時代を、頼む』ってな」

 

 戦いは終わり、またひと時の平和がこの世界に戻った。

 しかし、根本たる脅威が残っている以上、次なる敵が遠からずやってくるのは間違いない。

 その日に備えて、人々は足を進める。

 エレオノールたちは、古代遺跡に残っていた碑文の残りを解読しようとやっきになっている。

 アンリエッタは、破壊された街の再建をすぐに準備させ、被災した住人の仮の住居を定めるように命じた。

 数日後にまで迫ったウェールズとの結婚式典を、彼女はなにがあってもやりとげるつもりでいた。

 自分のためだけではなく、人々にトリステインは決して怪獣などに屈しないと示し、希望を与えるために。

 かつて、宇宙科学警備隊ZATがウルトラ警備隊以来の伝統であった秘密基地をやめ、都心に巨大な基地を構えたのも、ZATはいつでもここにありということを人々に示し、長く続く怪獣頻出期の中の希望であるためだったという。

 人間は、そう簡単に絶望なんかに屈したりはしない。

 

 才人はミイラの遺体を背負い、トリスタニア郊外の小さな丘に埋葬した。

 そこは、以前ワイルド星人を埋葬した場所で、見晴らしはよく、街道から離れているので人はめったにこない。

「ここなら、もう誰もあなたの眠りをさまたげはしない。安心して眠ってください」

「そして、できることならわたしたちを見守っていてください。わたしたちが、六千年前と同じあやまちを犯さないために」

 二人の祈りが、小さな丘に流れる。悠久のときを戦い抜いた勇者たちへの鎮魂歌、それは虚空を越えてやがて空のかなたへと吸い込まれていく。夕暮れを迎えた空に、ひとつの星と、それに寄り添う小さな星がまたたいていた。

 

 

 続く



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第38話  シルフィだって怪獣は退治できるのね! (前編)

 第38話

 シルフィだって怪獣は退治できるのね! (前編)

 

 バリヤー怪獣 ガギ 登場!

 

 

 アボラス・バニラの二大怪獣との激闘の翌日、ルイズたちはようやく魔法学院で朝を迎えていた。

「ふわぁーっ、なんだもう朝か」

「なんか、このベッドもずいぶん久しぶりな気がするわね」

 カーテンを開けると、太陽はすっかり高く昇っていた。あくびをかみ殺して互いの姿を見ると、昨日の着の身着のままで、顔や頭もぐちゃぐちゃで思わず笑ってしまった。そういえば、昨日、おとといと大変なことが続いて、昨日この部屋に帰ってきてからの記憶がない。二人とも疲れ果てていたから十時間くらいは寝ただろう。普段はめったにしない早寝遅起きに、かえって寝疲れたようにさえ思える。

 ともかく、このままではみっともないことこの上ないので二人とも着替えると、髪をといて顔を拭いた。すると、それを見計らったかのように部屋の扉がノックされ、開けると見慣れた赤い髪と青い髪がいっしょになってやってきていた。

「はぁいルイズにサイト、よく寝てたみたいね。おはよう、昨日は大変だったみたいね」

 まずはキュルケが軽い様子で入ってきた。衣装も昨日までの式典用のものではなく、学院の制服に戻っていてなんとなくほっとした気がする。でも、人の苦労を笑い飛ばすような言動にはルイズが少しカチンときた。

「ほんと、こっちは死にそうな目にあったってのにあんたはお気楽でいいことね。肝心なときに役に立たないんだから」

「ごめんごめん、緊張を解いてあげようかと思ったんだけど、どうもこういうのは苦手ね。男の子だったら簡単に落とせるんだけど」

「さりげにツェルプストーの自慢してるんじゃないわよ。ケンカ売りに来たの?」

「あら、またまた失言。悪気はなかったの、これは本心だから許して。でも、わたしたちも知らせを聞いて慌てて飛んできたんだから、ほんとに心配してたのよ。ねっ」

 両手を合わせて、キュルケは拝むようなポーズでウィンクしてみせた。その、色っぽくもどこか子供っぽい仕草に、ルイズも毒気を抜かれて「わかったわよ」と、怒る気がうせてしまった。それに、キュルケの後ろで神妙そうにしているタバサを見ると、それ以上怒るに怒れなくなってしまう。

「やっぱり、無理しても残ればよかった。ごめん」

「……いいわよ、もう。あんなことが起こるなんて予測、もしできてたら神様以外の何者でもないわ。むしろ、わたしのほうこそあなたにいっぱい借りがあるんだから」

 こちらはこちらで闘争心をまるごと削ぐオーラを出していたので、ルイズのかんしゃくは完全に行き場を失って空中分解してしまった。

 まあともかく、二人とも学院にいてくれているということは、式典を放り出しても自分たちのためにやってきてくれたのは間違いない。いくら口であれこれ言おうとも、そのくらいのことを察せないほどルイズも馬鹿ではない。苦笑すると、今度はキュルケに向かって先制攻撃をかけた。のだが。

「ったく、こっちは虚無の謎がこんがらがって猫の手も借りたいのよ。これから忙しくなるから。キュルケ、秘密を知っちゃった以上、あんたは特に馬車馬のようにこき使ってあげるからね」

「あーら、ヴァリエールのおねんねさんに可愛がられるほど、このキュルケさまは落ちてはいないわよ。虚無に『胸を大きくする魔法』とか、『ファッションセンスが身につく魔法』とかがあれば、ちょうど対等になれるから探すの手伝ってあげてもいいけどね」

「な……な、ん、で、すってぇ」

 あっさりと、ルイズの攻撃はキュルケの見事な切り返しにあった。相手の弱点を的確に突く舌鋒に、ルイズの顔がみるみる赤くなる。才人はあーあと思いながらも、とばっちりを受けるのが怖いので口を出さない。そして、ルイズが反撃の台詞を探しているうちに、キュルケはとどめの一言をぶっつけてきた。

「うんうん、あと、『目じりに縦じわがよらなくなる魔法』なんてのも必要ね。いやあ伝説の虚無だもの、きっと見つかるからがんばりましょうね」

「あるわけないでしょうが! オスマン学院長じゃあるまいし、そんな魔法始祖ブリミルがなにに使うっていうの!」

 おほほほと、勝ち誇って笑うキュルケにルイズは怒鳴ったけれども、勝敗は誰の目から見ても明らかだった。

 そもそも、キュルケ相手にルイズが口で勝とうとすること自体が無謀なのである。学院で出会ってからこのかた、ルイズがキュルケに勝てたことは皆無。しかしまあ、才人もよく思うのだけども、『胸が小さい』とか毎度同じネタでよく怒れるものだ。

”小さい胸も悪くないんだけどなあ。レモンとメロンじゃおいしさが違うし、女の子はどうしてそれがわかんないんだろう”

 と、ルイズに聞かれたら張り倒されそうなことを真面目に考える才人も、思考レベルは実際のところルイズと大差はなかった。

 低次元な言い争いを続けるルイズとキュルケ、傍観する才人。それを見てタバサは「いつもどおり」と、小さくつぶやいた。

 本人たちはまだ気づいていないけれど、虚無など関係なく、彼らの仲に変わったところは一つもなかった。所詮、伝説の力などは口げんかのタネくらいにしかならないらしい。

 延々と続くかと思われたルイズとキュルケの口論は、ルイズのおなかが前触れなくかわいい音を立てたことで、キュルケの優勢勝ちで幕を閉じた。赤面したルイズに、タバサはタオルを投げるようにつぶやく。

「もうすぐお昼。食堂へ行こう」

 タバサの助け舟に全員が乗ったのは、それから二秒後のことである。

 

 食堂は、生徒たちがいなくなって閑散としていたが、コックたちは居残っていた。いやむしろ、式典に興味のないリュリュが、授業がないこの時期に修行にはげんでいたおかげで、ルイズたちは思いもかけない豪華なメニューにありつくことができた。

「どうぞ! 今日は皆さんの貸し切りです。よく存じませんが、お勤め大変だったみたいですね。厨房のみなさんとアイデアを出し合って作った新メニューです。腕によりをかけたので、いっぱい食べてください」

 自信たっぷりに宣言したリュリュの前には、テーブルせましと見たこともない料理が積まれている。普通の昼食を想像していたルイズは、「晩餐会じゃあるまいし、こんなに食べられないわよ」と、下げさせようと思ったけれど、鼻腔を料理の芳醇な香りがくすぐり、一瞬にして誘惑に堕ちた。

「ま、まあ食べ物を粗末にはできないから仕方ないわよね。じゃあ、偉大なる始祖ブリミルと……」

 祈りの言葉もそこそこに、一同はすいた腹に料理を送り始めた。さすが、リュリュの自信作というだけあって、どれもうまくて手が止まらない。特にタバサなどは、どこにそれだけ入るかと思うペースで食べる食べる。

 ルイズは、食べながら虚無のことを話し合おうと思ってはいた。だけど、昨日からなにも食べてないのも重なって、ナイフとフォークを動かすのに精一杯でしゃべる余裕がない。当然、才人も似たようなもの。

 結局、食べるだけ食べたらあとは眠くなってしまって、虚無のことはまた後回しになってしまった。

 部屋に帰るのも面倒なので、みんな食堂の椅子を並べた即席ベッドに横たわって寝息を立て始める。ルイズははしたない光景と自分でも思うけれど、食堂の中はあったかいし、なにか自分が学院で一番偉くなったみたいで気持ちよく、そのまままぶたを閉じていった。

 

 しかし、そんな和やかなムードも、昼過ぎて学院に駆け込んできた馬車によって粉々に打ち砕かれた。

「ルイズーっ! ちびルイズーっ! いるんでしょ、出てきなさーい!!」

「ひぃぃっ!」

 ルイズが多分、一生かかっても勝てそうもない怒鳴り声の主は、顔を確認するまでもなく全員が一発で理解した。

 いや、来るのはアンリエッタから話を聞いていたときからとっくにわかっていた。けれど、脳が考えるのを本能的に回避しようと自己防衛機能を働かせていたのだ。

「ルイズ! この私がわざわざ来てあげたってのに、出てこないとはいい度胸ね。いいわ、かくれんぼしたいならお姉さんらしく付き合ってあげようじゃない」

 生徒がいなくなって、婿探しのための猫をかむる必要がなくなったエレオノールは存分に地声を張り上げてルイズを呼ぶ。ルイズは、エレオノールの声が、なぜか普段にも増してすごく不機嫌そうな響きを帯びているので、怖くて出るに出られない。才人はいうに及ばず、キュルケもヴァリエールに背を向けることになるというのに傍観モードに切り替えた。死は恐れない、けれど死ぬより怖いものは人生意外といっぱいあるものである。

 ともあれ、狭い学院のこと、逃げ切れるわけもなくルイズは捕まった。

「ちびルイズ、話は全部姫さまから聞きました。あなたって子は、困ったことが起きたらまず姉を頼るのが筋ってものでしょ!」

 その後、ルイズは機嫌最悪のエレオノールの前で、正座させられてお説教を受けるはめになる。その中で、自分の境遇を顧みて、「虚無なんかいらないわよ」と、ルイズが内心で始祖ブリミルを呪ったのは無理からぬところだろう。

 もっとも、エレオノールの来訪はルイズにとってマイナスばかりではなかった。

「まあいいわ。私も不測の事態の連続で気が立ってたから少し落ち着いたし……しかし、怪我の功名というべきかしらね……まさか、あのカプセルの碑文の続きにあんなものがあったとは……このタイミングで……これも始祖ブリミルのお導きかもね」

「エレオノール姉さま?」

「ま、いいわ。ともかくこれからルイズ、あなたは私が直接管理することにします。考えてみたら、伝説の魔法なんて、研究材料としてはまたとない素材ですからね」

「ひぃぃぃ」

 実験ネズミとまではいかなくても、充分に手のひらの中の小動物を見る目のエレオノールであった。

 ルイズたちが、これから始まるエレオノールとの共同生活に、あらためてルイズに虚無を授けた始祖ブリミルを呪ったのはいうまでもない。

 

 

 さて、そんな騒動を傍からのんきそうに見ていたのが一人、いや正確には一匹いたりした。

「人間は大変なのね。虚無だかなんだか知らないけど、生き物はみんな大いなる意思の中で生きてるんだから、逆らわずになるようにまかせたらいいのにね」

 学院の尖塔の上にちょこんと座って、あくびまじりにつぶやいたのはシルフィードであった。彼女は見下ろしたところでおこなわれているルイズたちの騒動を、興味なさそうに一瞥すると学院の中庭のほうへと下りていく。そこには、シルフィードの友達が待っていた。

”よお、青いの”

 一番に声をかけてきたのは、尻尾の先に炎を灯した火トカゲ。キュルケの使い魔のサラマンダーのフレイムであった。シルフィードは、人間には低いうなり声にしか聞こえない発音で、行儀よくあいさつを返す。

”こんにちはなのね。やっぱりみんなここにいたのね。しばらくぶりなのね”

”ご丁寧にありがとう。君はご主人が忙しいからいつも大変だね。ま、ゆっくりしていきたまえ”

 やや老成した口調で、シルフィードに柔らかい草の上をすすめたのはジャイアントモールのヴェルダンデ。ギーシュの使い魔の大モグラである。

 すすめられるままに草の上に座ったシルフィードは、周りを見渡してほっとため息をついた。そこにはフレイムやヴェルダンデのほかにも、いろんな種類の使い魔が日向ぼっこをしたり、談笑したりして楽しそうに過ごしている。ここ、ヴェストリの広場は日当たりがよく、学院の城壁が北風をさえぎってくれるので、最近使い魔たちの溜まり場になっていた。

 談笑の輪に加わったシルフィードは、使い魔たちにしかわからない言語でおしゃべりを楽しんだ。話題はもっぱら彼らの主人のことや、最近の使い魔生活のことである。

”ふー、いまごろギーシュさまはラ・ロシェールとやらで大役を果たされてるんだろうなあ。この目で見届けたかったよ”

”モグラよ。あんたなんかけっこういいほうだぜ。土を掘る速さは馬並みだから、いざとなったらすぐにご主人のとこへ駆けつけられるだろ。ぼくはこのとおり、動きが鈍くて体の大きさが中途半端だから、キュルケさまが出かけるときもほとんどが留守番さ。青いの、お前さんはいいよな。立派な身なりで空も飛べるから、どこでもご主人とともに行ける。まさに君は、ぼくたち使い魔のホープだよ”

”えへへ、それほどでもあるのね”

 褒められたシルフィードは前足で頭をかいて照れた。彼ら使い魔のほとんどは、シルフィードのような一部の例外を除いて学院に居残りを強いられている。理由は、使い魔はサラマンダーやスキュラのような幻獣や、大グモや大ムカデなど昆虫型のものもいるために、群集に恐怖心を与えてしまうからである。

 しかし、見た目はどうあれ、ここにいる使い魔たちに人間への悪意はない。シルフィードは、両手を人間のようにひらひらと広げて見せながら、久しぶりの仲間たちとの会話を楽しんでいた。

”わたしも、竜の巣にいたころは絶対外に出るなって言われてたから、召喚してもらったことは感謝してるわ。でも、うちのお姉さまは竜つかいが荒いから大変なのね”

”それだけ、君を信頼してくれているということだろう。でもまあ、動きが鈍いのも考えようだね。どこにもいけないおかげで、ぼくはこの学院でずっとのんびりできる。ドラゴンたちがえばってる火竜山脈に比べたらここは天国さ。頼まれたってやめる気はないね”

 フレイムの言葉は、ほとんどの使い魔たちの意見の代弁だった。それは多少の自由は制限されるけれど、食料には不自由しないし、なにより安全である。厳しい大自然の中で毎日を命がけで生きるのにくらべたら、貴族の使い魔というのは悪いものではなかった。

 もっとも、どんな集団にも異端児はいるもので、自然に戻りたいと考えているものもいないではないようだ。

”お前らはすっかり飼われた犬になっちまってるな。俺は使い魔なんて、退屈でしょうがねえぜ”

 そう言ったのは、全長二メイルはありそうな巨大なカマキリであった。全身は毒々しいオレンジ色に染まっていて、森の中で鉢合わせしたとしたら誰でも悲鳴をあげそうな恐ろしい容姿をしている。もちろん使い魔の契約をされているので、人間に危害を加えるようなことはしないが、彼は刺激に飢えているというふうにぶつぶつとつぶやいた。

”まったく、ここは寒いし人間は多いしろくなものじゃねえ。召喚なんざされるんじゃなかったぜ。はぁ、帰りてえな”

”そうか、君は南の離れ小島からここに召喚されてしまったんだったね。体が合わなくて大変だろう”

”それもあるけど故郷が心配なのさ。俺は三匹の兄弟と暮らしてたんだけど、島にいきなり来た人間たちが島のあちこちに変な塔を建てはじめてな。脅しにいったら銃で撃たれて、その帰り道に変な鏡に突っ込んだらこのありさまだよ”

 帰れるものならすぐに帰りたいのに違いない。彼の故郷が今どうなっているのかわからないけど、シルフィードやヴェルダンデは彼の境遇に同情して、うんうんとうなづいた。いつもどこでも、人間は彼らのいるところに勝手にやってきては荒らしていくのである。

”まあ、君たちはそんな立派な武器を持ってるんだし大丈夫だろ。いつか帰る方法も見つかるさ”

”ありがとよサラマンダーのだんな。ああ、でもあんたを見てたら島で楽しみにとっといたごちそうを思い出すよ”

”おいおい、ぼくはおいしくないよ”

”わかってるさ。あんたのご主人に黒焦げにされたくないしな。それにしても惜しかったな。もうすぐ掘り出してみんなで食おうって約束してたのに。谷間のボスさえいなけりゃ、あの島は天国だったのになあ”

 大カマキリは、学院に来たばかりの才人のように肩を落とした様子で去っていった。彼の自慢の右腕の鋭い槍も、左腕の鋭利な鎌もここでは活かす機会がほとんどなく、まるでさびてしまったように思える。

 彼を見送ると、シルフィードたちはまた元の雑談を再開した。特にシルフィードがタバサとくぐってきた北花壇騎士の任務の話は盛況で、活躍譚はヴェルダンデとフレイムばかりでなく、娯楽に飢えていた他の使い魔たちも聞き入った。

”いやはや、君の話はいつ聞いてもおもしろいね。どんな危機でも、主従力を合わせて乗り越える。二心同体とはまさに君たちのようなものたちをいうのだろうね”

”えへへ、そんなに褒められると照れるのね。でも、最近ちょっと不安なことがあるのね”

”ん? なんだいそれは”

 はあと息を吐いてシルフィードは困った仕草を見せた。その見るからに悩みを聞いて欲しいという態度に、ヴェルダンデが気を利かせて、さりげなく話すようにうながすと、シルフィードはよくぞ聞いてくれたと悩みを吐露した。

”実は、シルフィが本当に役に立ってるのかどうか確信が持てないのね。いつも、怪物をやっつけたり問題を解決するのはお姉さまで、シルフィはお姉さまを背に乗せて飛ぶだけ。お姉さまはシルフィが来る前からそんなことはやってたのよ”

”なるほど、君のご主人様は特別に強いからなあ。韻竜の眷属でもかすんでしまうところもあろうなあ。でも、使い魔を召喚する魔法とやらは、その人間にもっともふさわしいものを呼び出すのは知っているだろう? 君が君の主人の使い魔としてふさわしいのは、君のご主人がちゃんと証明しているではないか”

 ヴェルダンデの言うことはもっともだった。シルフィード自身も、タバサ以外の人間に自分を呼ぶ資格などあるはずないという自負はある。だからこそ、ただの風竜にでもできるような運び屋ばかりしか役に立てないのは、彼女の自尊心を大きく傷つけるものとなっていた。

”シルフィもそこまで子供じゃないから、シルフィに戦う力や知恵が足りないのはわかってるのね。でも、いつもギリギリまでがんばってるお姉さまの、なんでもいいからほかに役に立ちたいと思うのはいけないのかね? お姉さまに、なにかやることはないかねって聞いても、「ない」のつぶてしか帰ってこないし。ねえ、モグラ”

”むずかしい問題だね。赤いの、なにかいい考えはないかい?”

”ふうむ、今日明日で強くなれれば誰も苦労はしないからねえ……そうだ! 食べ物を差し入れてみるってのはどうだい? ちょっと失礼なことを言わせてもらえば、君のご主人様は大食だからね。食べ物は喜ばれると思うよ”

 フレイムがぽっぽと炎を吐き出しながら言うと、ヴェルダンデも鼻をふごふごとさせて賛同した。

”それはいい考えだ。特に甘いものなんかは頭がさえて疲れがとれるというからね。いや、君のご主人は苦めのが好みだったかな?”

”そうなのね。ハシバミ草とかムラサキヨモギとか、みんなが嫌がるものばかり好物なのね。あ、でも好き嫌いはないのね”

”なら、試してみることをお勧めするよ。主人の健康に気を遣うのは、使い魔の立派な仕事だろう”

 自身ありげに推薦するヴェルダンデに、シルフィードは彼らの提案を考えてみた。確かに言われてみたら、タバサの大食はあの小さな体に似合わず相当なものだ。読書と並んでタバサの数少ない趣味と呼んでいい。始終無表情なので喜んだ顔は想像できないが、差し入れたものを残さず食べてくれるのは違いあるまい。

”うーん……ようし、やってみるのね!”

 一大決心したシルフィードは、ぽんとひざを叩くと勇ましく立ち上がった。善は急げ、ちょうど今ならタバサたちはエレオノールに捕まっているので急ぐことはないだろう。それに、最近は北花壇騎士の任務もあまりないので、呼ばれる心配はまずあるまい。

 しかし、いったいどんなものを差し入れればいいだろうか? タバサの好物のハシバミ草やムラサキヨモギは旬を過ぎてしまっているし、野草や野生の果実類の知識などはシルフィードにはない。が、そこは仲間たちが大勢いるのだから、よい情報を持っているやつは見つかった。フクロウの使い魔が、耳寄りなことを教えてくれたのである。

”この学院から少し離れた山の奥に、ちょっとした原っぱがあるんだけどね。一週間くらい前かな。その上を飛んだときに、蛙苺っていう野いちごが群生してるのを見かけたんだよ。そのときはまだ青かったから、今ごろは食べごろに熟してるんじゃないかな”

”ありがとなのね! よーし、じゃあさっそくでかけてくるのねーっ!”

 大空高く舞い上がり、あっという間にシルフィードは教えられた山の方角へと飛んでいった。

 残った使い魔たちは、「気をつけなよ」と見送って、またひなたぼっこと雑談に興じ始める。

 

 

 目的の原っぱは、フクロウに教えられたとおりの場所にすぐに見つかった。人里から少し離れた山中の、日当たりのいいゆるやかな斜面に、青々とした緑の草原が見えてきたのだ。

「おっ! きっとあそこに間違いないのね。よーし、着陸なのね」

 翼を羽ばたかせてホバリングしながら、シルフィードは嬉々として草原に着陸した。

 降り立つと、そこは聞いたとおりの一面の野いちご畑だった。緑色のつるに数え切れないほどの蛙苺が、熟した証拠にあざやかに色づいて、見渡す限りに続いている。

「すごいのね! これだけあったらお姉さまが百人いたって食べきれないのね!」

 タバサの喜ぶ顔……といっても、見たことはなかったのですぐ想像をあきらめて、シルフィードは野いちご摘みをさっそく始めた。

 なにせヴェストリの広場のおおよそ三倍はありそうな草原であるから、ほぼ無尽蔵に採り放題といっていい。持ち帰るために、途中の山小屋から拝借してきた籠は、スイカだったら十個くらい入りそうな大きさがあったので、使い魔仲間たちにおすそわけしても足りなくなることはないはずだ。

 しかし、野いちご摘みを始めて数分後、シルフィードは思ってもみなかった困難にぶちあたってしまった。

「う、うーん……困ったのね。このままじゃ、うまく掴めないのね」

 まいったことに、野いちごは数が多いけど粒が小さいので、ドラゴンであるシルフィードの前足では手づかみできなかった。器用さには自信があったのだけれど、つるから実を外そうとするとほとんど力の加減を間違えてつぶしてしまう。それでなくとも鍵爪はものを掴むようにはできていないので、シルフィードの手のひらは、いつの間にかつぶした実の果汁でおかしな色に染まってしまっていた。

「まずいのね。意気込んで出てきた手前、手ぶらで帰ったら赤っ恥なのね……こ、こうなったら、奥の手なのね!」

 進退窮まったシルフィードは、普段はタバサから禁じられている韻竜の秘術を使うことにした。きょろきょろとあたりを見渡して、誰も近くにいないことを確認すると、こほんと咳払いして呪文を唱え始める。

「我をまとう風よ。我の姿を変えよ」

 風がシルフィードにまとわりつき、青い渦となる。やがて渦は光り輝いたかと思うと、唐突に消滅した。

 後にはシルフィードの姿はなく、その代わりに二十歳くらいの青い髪の女性がそこに立っていた。

「きゅい! よっし、成功なのね!」

 青髪の女性は、自分の手足と体を確認するとうれしそうに飛び跳ねた。まあそれよりも、彼女がシルフィードの変身した姿であるということは、一連を見ていたら誰にでもすぐにわかるだろう。これが、風韻竜のような特別な種族にしか使えない高等な先住魔法『変化』の威力であった。

「うーん、やっぱり人間の体っていまいち動きにくいのね。おっとっと、しばらく化けてなかったから、ちょっとふらつくのね」

 生まれたての小鹿のようにふらふらしながら、シルフィードは竜の姿とはまったく違う人間の体にとまどっていた。いつもは羽根や尻尾でバランスをとるものだけど、人間にはそんなものは当然ない。また、彼女自身は言ったとおりに、人間の姿になるのはあまり好きではないために、タバサにいわれたとき以外はめったに『変化』は使わないから勘が鈍っていた。

 ただ、そうして行動は不自然なものの変身そのものは完璧だった。青い髪や顔つきはタバサをモデルにしたのか、大人びているところを除けば形がよく似ている。体つきはどちらかといえばキュルケに似ているけど、タバサがあと五年もすればこうなるのでは? という生きた見本がそこにあった。

「よしよし。だんだん慣れてきたのね。お姉さまはよくこんな扱いにくい体で飛んだり跳ねたりできるものね。でも、これなら野いちご摘みもらっくらくなのね」

 人間の体に変わったシルフィードは、手をわきわきさせながら蛙苺に突貫していった。大きな鍵爪と違って、人間の手ならつるから野いちごを外すのもわけはない。楽しくなってきたシルフィードは、るんるんと鼻歌を唱えながら籠に野いちごを放り込んでいった。

「ふんふんふーん。はっはー! 苺のつるなんか今のシルフィにはあってなきがごとしなのね」

 籠の底が苺の色で染まったのを見たシルフィードは、仇の首をあげたように苺のつるを頭上高く掲げた。

 ぶつくさ文句を言っていたわりには、人間の体になったのは大正解だったようで収穫は面白いように進んでいく。妙齢の女性がはしゃぎながら苺摘みをしている風景は、少々異様であったものの本人は気にしていない。

 しかし、苺摘みにすっかり夢中になっていたシルフィードは、いつの間にか自分のそばにやってきた人影に気づかなかった。

「おねえちゃん、苺摘みしてるの?」

「わひゃあっ!?」

 突然声をかけられたシルフィードは、仰天して思わず飛び上がった。いつもならそのまま羽ばたいて空の上まで逃げるのだけれど、変化してることをすっかり忘れていた彼女は当然おっこちてしりもちをついた。

「あいててて、なのね」

「だ、大丈夫! おねえちゃん」

「このくらい。シルフィは大人だからがまんできるのね」

 やせがまんをしながらシルフィードが振り向くと、そこには五歳くらいの小さな女の子が立っていた。

 身なりから、近所の村の子供らしく、手には小さな籠を持っている。彼女はきょとんとしてるシルフィードをじっと見て、その手に握られていた苺のつるを指差した。

「イチゴ泥棒だー!」

「えーっ!? ち、ちちち違うのね! シ、シルフィはそんな、泥棒なんかじゃないのね!」

 ズバッと指摘されたシルフィードは目を白黒させて、不正を教師に見つかった学生のように慌てた。もちろん、盗みなどを働いているつもりは毛頭ないのだけど、泥棒という直球そのものの宣告の前に、誇り高き風韻竜のプライドもどこかに飛んでいた。必死に弁明しようとするのだけれど、少女の「じゃあその籠はなーんだ。やっぱり泥棒だ」という指摘に、返す言葉がなくなってしまう。

”ああどうしよう。シルフィは罪人になっちゃったのね。こんな不名誉、お姉さまにあわせる顔がないのね。お父さま、お母さま、シルフィはいったいどうしたらいいのね”

 このときのシルフィードには、自分の半分の背丈もない少女が地獄の閻魔のように見えたに違いない。

 ところが、小さな閻魔大王は地獄行きの判決の代わりに、半泣きになっているシルフィードに一転して笑顔を見せた。

「ばー、うっそだよ! あはは、山は誰のものでもないからなにを採っても自由なのよ」

「へ……?」

「むふふ、でもニナの秘密のイチゴ畑を荒らした罰なの。おねえちゃんよその人でしょ。ひっかかったひっかかった、わーい」

「は、はー、なのね」

 小さな体を飛び上がらせて喜ぶ少女に、シルフィードは全身の力を抜かせてへたり込んでしまった。

 なんとまあ、見事にだまされてしまったものである。いや、少し考えたらこんな山の中の、しかも野いちごなどにいちいち所有者がいるはずもない。そこらの川原に生えているつくしを採って帰って食べても、誰も文句を言ったりしないだろう。

 シルフィードはだまされたことに気づくと、この生意気な子供をとっちめてやろうと一瞬思った。でも、少女はシルフィードが怒声をあげるより早く、自分の持っている籠を前に出して言ったのである。

「おねえちゃん、蛙苺好き?」

「えっ? す、好きなのね」

「そうなんだ。ニナも好きだよ。じゃ、特別にニナの秘密のイチゴ畑の仲間に入れてあげる。いい、おねえちゃんとわたしだけの秘密だよ」

「秘密?」

「そう、秘密」

 怒る隙を与えずに、一気にまくしたてた少女に、シルフィードは面食らって毒気を抜かれてしまった。小指を出して、指きりげんまんよという少女に、なんとなく自分も小指を出してしまう。しかし、怒りをおさめてみると無邪気な少女と、ささやかな秘密を共有するということに、冒険じみたワクワクがわいてきた。

”ちょっと変わった子だけど、悪い子じゃないみたい”

 それからシルフィードは少女からいろいろと話を聞いた。名前は自分で何度も言ったとおりニナといって、この近隣の村の子らしい。といっても、その村からここまでは人間の足で一時間はゆうにかかる。一人でやってくるとは、健脚もさることながら奔放な子だとシルフィードは感心した。

 ニナはひととおり自分のことをしゃべると、今度はシルフィードにどこから来たのとかを尋ねた。もちろん、自分の正体やらなんやらを正直に話すわけにはいかないので、そのへんはタバサと任務を果たしているときに、いざというときにごまかすための文句として教えられている単語をならべた。

「へー、おねえちゃんって、ガリア王国の騎士の従者なんだ。かっこいい!」

 五歳のニナには当然意味はわからないのだけれど、無邪気に喜ばれるとシルフィードも気分がよかった。それからもペラペラと、元々おしゃべり好きのシルフィードは、話したらまずいことまでを調子に乗って語った。

 しかし、それまで素直に話を聞いていたニナが、ちょっと待ってと手を上げた。そして、彼女からなぜか恐る恐るといった様子である質問をぶつけられた。

「あの、最初から気になってたんだけど、おねえちゃん……どうして、裸なの?」

「きゅい?」

 一瞬、質問の意味がわからなくてとぼけた声を出したシルフィードだったが、自分の体をあらためて見直してはっとした。

 シルフィードは全裸であった。頭のてっぺんからつま先まで、それこそ乳房から秘部まで惜しげもなくさらして、一糸まとわぬという表現がそのままのあられもない格好である。

「あっ、しまった! 服を着るの忘れてたのね!」

 やっと気がついたシルフィードは慌てたけれど、とっくに後の祭りだった。

 先住の大魔法『変化』は、唱えたものを完全に望んだものに変身させられるが服までは再現できない。その上で、シルフィードはドラゴンなので、普段から服を着る習慣などないためにうっかりとそのことを忘れていた。さらにいえば、羞恥心もないために人に見られているというのに、体を隠すこともせずにあたふたとしている。

 これにはさすがに五歳のニナも、「普通、服を着るのを忘れるかなあ? ちょっと変な人」と、奇異の目で見てしまった。

 さて、やっと人間では裸はまずいと気づいたシルフィードだったが、着替えの持ち合わせなどあるはずもない。だが幸いなことに、森の中に差し渡し三メイルほどの大きな葉っぱをつけた草があったので、それの真ん中に穴を開けて、ポンチョのようにしてかぶり、つたで腰をしばって服の代わりにできた。

「ようし、これで大丈夫なのね」

「わあ! おねえちゃん、森の妖精さんみたい」

 普通、全然大丈夫でない格好だったが、ニナには気に入られたようであった。

 

 大人にはとても見せられないような珍事も、子供にとっては些事である。それから二人、正確には一匹と一人は何事もなかったように、仲良くイチゴ摘みを楽しんだ。

 時間があっというまに過ぎ、シルフィードの籠の三分の一ほどが苺で埋まる。しかし、まだいっぱいにはほど遠い。

「弱ったのね。これっぽっちじゃ、みんなに分けたらお姉さまのぶんはたいして残らないのね」

 野いちごは小さいので思ったように量が集まらない。甘く見積もっていたと、シルフィードは後悔したもののどうしようもなかった。

 けれど、困った様子のシルフィードを見て、ニナは含み笑いをしながら驚くべきことを語った。

「ふふふ、お困りのようだねおねえちゃん。しょーがないなあ。じゃ、とっておきのとっておき、秘密の秘密の場所に案内してあげる」

 そう言うとニナは、「こっちこっち」とシルフィードをうながして駆け出した。

「あっ! まっ、待ってなのね」

 ぴょんぴょんと、ニナはウサギのように野いちごのつたの隙間を駆けていく。人間の姿で走りなれてないシルフィードは、三倍くらい体格が違うというのに、置いていかれないようにするのでやっとだった。

 そうして、二人は森の中の獣道に入って、森のさらに奥へと進んでいく。どこへ向かっているのかとシルフィードが尋ねると、ニナは待ってましたとばかりに教えてくれた。

「んふふ、実はね。さっきのとこよりすごいイチゴ畑があるんだ。びっくりした?」

「あのイチゴ畑より!? そ、それはほんとにすごいのね」

 飛び上がらんばかりに驚いたシルフィードに、ニナは胸をそらせて誇らしげに語った。

「すごいでしょ。前に探検してて見つけたんだ。ほんとは、おかあさんが行っちゃいけませんってところにある場所だから、村の誰も知らない、ニナだけの秘密なんだよ」

「それはすごいことなのね。でも、行っちゃいけませんって、どういうことなのね?」

 シルフィードが怪訝な表情を見せると、ニナは物知りなふうに人差し指を空に向けた。

「この山を越えた先はね。オーク鬼っていう怖い怪物のすみかなんだってさ」

「オ、オーク鬼!? そ、それはまずいのね! すぐ引き返すのね!」

 仰天したシルフィードは、ずんずんと進んでいくニナの肩を慌てて掴んだ。彼女が恐れるのも無理はない。オーク鬼は、ハルケギニアに生息する凶暴な亜人の一種で、二メイル以上の体格と強靭な力を持ち、猿以上の知能も併せ持つ豚の怪物である。人間の子供が大好物というやっかいな嗜好もあり、鼻が利くために自分たちなんか絶好の獲物にされてしまうだろう。

 なのにニナは臆した様子もなく、前に進もうとする。

「大丈夫だよ。おとうさんが言ってたんだ。「オーク鬼が繁殖の時期に入って、人里にエサを求めてやってくるかもしれないから警戒してたのに、今年は一匹も現れない。やつら、どこか別の土地に移住しちまったのかな」って。だから心配ないよ」

「ふーん。確かにオーク鬼は子育ての時期にはなりふりかまわずエサを探し回るのに、変なものなのね。だったら、大丈夫かもね」

 あまり深く考えるようにはできていないシルフィードは、なんとなくニナの説明に納得した。オーク鬼がいないのなら、ニナの言うもっとすごいイチゴ畑はすごく魅力がある。万一のことがあっても、ニナをつれて飛んで逃げればいいやと軽く考えた。

 だが、五歳のニナと人間でいえば十歳くらいしかないシルフィードは、問題の根幹の不自然さには気づいていなかった。繁殖期という大事な時期を迎えたオークたちが、群れごと大移動するという暴挙に出るのだろうかということに。

 

「わぁ、これはほんとにすごいのね!」

 山を越えて、たどりついた先にあったのはシルフィードの想像を超えた光景だった。日当たりのいい広い草原と、豊かな土壌に育まれた蛙苺の原っぱ。どの実も普通の倍近い大きさがあり、どれも宝石のように熟している。

「すっごいでしょ。これ全部採り放題なんだよ!」

「感謝するのね。これでお姉さまもみんなも大喜びなのね!」

 宝の山を目にした二人は、おおはしゃぎで籠を蛙苺で埋めていった。我慢できずにいくつかついばんでみると、熟し方が最高で、口の中にほどよいすっぱさと、後から来る甘みがじわっと広がってくる。

「おいしー!」

「でしょでしょ。このすっぱさが、ニナも大好きなの」

 夢中になって、二人は蛙苺を集めた。

 しかし、二人が時間を忘れているそのとき、地中から先の尖った柱のようなものが現れて、その先端から空に向かって光が放たれた。

 光は上空数百メイルで拡散すると、シルフィードたちのいる草原を中心にドーム状に形をなし、空気に溶け込むように消えた。

 やがて、シルフィードとニナは籠に蛙苺をいっぱいに入れて帰途につこうとした。

「すごいのね。あっというまに籠がいっぱいになっちゃったのね」

「よかったねおねえちゃん。でも、他の人に教えちゃだめだよ」

「わかってるのね。シルフィとニナのだけの秘密なのよね。騎士は、約束は必ず守るのね」

 胸を張って誓ったシルフィードに、ニナは「騎士さまかっこいいー」と手を叩いて喜んだ。

「さ、じゃあ暗くならないうちに帰るのね。お父さんやお母さんが心配するといけないのね」

「うん!」

 元気よく答えたニナの手を引きながら、おねえさんぶってシルフィードは意気揚々と歩き始めた。

 しかし、山を越えるための獣道に差し掛かろうとしたときだった。ドンっと、二人は行く手をさえぎるようにして現れた、目に見えない壁に当たってはじかれてしまったのだ。

「あいてて、なんなのね。鼻をうっちゃったのね」

「これ……壁? 透明な、ガラスみたいな壁が道を塞いじゃってるよ!」

「え!? ほ、ほんとなのね。なんで? 来るときはこんなのなかったのね!」

「これじゃ帰れないよ! おねえちゃん、どうしよう!?」

 焦った二人は、パントマイムのようにしながら見えない壁に切れ目がないかどうかを探した。しかし、壁はまるで果てがなく、石を投げてみても簡単に跳ね返されるだけで割れる気配はない。

 いったいどうして……? わけのわからない事態に、二人は本格的に焦り始めた。明らかにただごとではなく、いくらまだ子供のシルフィードにしても、これが危険な兆候だということは今までの経験から推測することができた。

 そして、シルフィードの予感は完全な的中を見せた。

 森の一角から土煙が上がり、地響きとともに地底から現れる巨大怪獣。

「あ、あの怪獣は……あのときの!」

 シルフィードは、その怪獣に見覚えがあった。鋭い鍵爪と鞭のような触手を持つ凶悪なシルエット。

 以前、エギンハイム村でムザン星人の手先として現れ、後に魔法学院での決戦で、ヤプールが呼び出した怪獣軍団の中の一匹。

 ウルトラマンヒカリにへし折られたはずの角の跡も記憶と合致する。間違いなく、バリヤー怪獣ガギがシルフィードの前に三度目となる姿を見せていた。

「あ、あいつ。まだ生きてたのね」

 乱戦の最中に逃亡し、受けたダメージから恐らくはもう死んでいると思っていたシルフィードは愕然とした。

 だが、驚いている暇はない。タバサがいない今、自分に戦う力はないのだ。シルフィードはニナの手を引いて駆け出した。

「ニナちゃん、逃げるのね!」

 あいつは自分たちを狙っている。シルフィードはニナが痛がるのもかまわずに必死で走った。しかし、ガギの腕から伸びる触手がニナの体に絡み付いて、彼女をシルフィードの手から奪い取ってしまった。

「ニナちゃん!」

「おねえちゃん!」

 ヒカリによって切断されていたはずの触手は完全に再生を果たしていた。ガギは、ニナを捕らえるとそのまま地底へと潜っていく。触手に捕まったまま、ニナはガギの巣へと続く穴の中へと引きづりこまれていった。

「おねえちゃん! 助けて! 助けてーっ!」

「ニナちゃーん!」

 必死に伸ばした手もむなしく、地底へと続く穴はニナを飲み込むと土が盛り上がって閉じた。

 後に残されたシルフィードは、狂ったように土をかくものの、当然ながらなにも掘り当てることはできない。

 そのとき、ニナの持っていた籠が空っぽになってシルフィードの前に転がってきた。

「ニナちゃん……きゅーい! きゅーいぃーーっ!」

 シルフィードの悲痛な叫びが、空気を切り、バリヤーもすり抜けてはるかな空へと消えていった。

 

 

 続く



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第39話  シルフィだって怪獣は退治できるのね! (後編)

 第39話

 シルフィだって怪獣は退治できるのね! (後編)

 

 バリヤー怪獣 ガギ 登場!

 

 

「きゅーい! きゅゅーい!」

 ニナがさらわれてから、シルフィードはただひたすら空に向かって叫び続けていた。

 ここは、バリヤー怪獣ガギの作り出した円形ドームの中。ガギのバリヤーは目で見ることはできず、並みの衝撃は跳ね返し、レーザーさえも光の屈折を利用してはじいてしまう。そんな中に閉じ込められて、シルフィードはずっと狂ったように叫んでいた。

 だが、シルフィードは無為に叫び続けていたわけではなかった。

「お願い、誰か……この声に気づいて!」

 声を飛ばして、仲間に助けを求めようとシルフィードは試みていた。これは、犬や狼などが遠吠えで遠方の仲間とコミュニケーションをとるのと同じようなものである。しかし、状況からそれは非常に困難なものだといわざるを得なかった。

 この場所から魔法学院までは、山を越えてさらに数十キロもの距離を飛ばなければならない。当然、風向きや気象によって音の届く距離は大きく左右され、途中に混ざる雑音も加われば学院まで声が届く確率はかなり低いと思われた。おまけに、ハルケギニアの先住言語を使った呼びかけは、普通の動物では聞き取れず、韻竜のような古代種か知能を発達させた使い魔しか受け取ることができない。

 それでも、バリヤーに阻まれて逃げることも、タバサに救いを求めることもできないシルフィードにやれることはこれしかなかった。

「ニナちゃん、けほっ……きゅゅーい!」

 もう、ゆうに一時間は叫び続けている。すでに、喉は枯れて唾液も乾き、血を吐きそうな痛みを感じて、シルフィードは倒れた。

 しばらく咳き込んだ後で、激しい喉の渇きに襲われ、ニナといっしょに摘んだ蛙苺を口に運ぶ。じわっとした酸味が口内に広がって、果汁が喉に流れ込んでくると、痛みが和らいでほっと息をついた。

「ほんとなら、これをいっぱい持って帰って、ニナちゃんもおうちで家族と楽しくしてるはずだったのに……」

 寝そべったまま、シルフィードは蛙苺の粒を太陽にすかした。口に運ぶと、また同じ味とともに渇きと飢えが癒されていくのを感じる。でも、ニナとイチゴ狩りをしながら食べたときとは何かが足りない感じがして、青く澄んだ大きな瞳から自然に涙が漏れてきた。

 このまま、ニナが帰ってこなかったら彼女の両親は心配するだろう。明日、あさって、それでも帰ってこなかったら深く悲しむに違いない。そういえば、自分も竜の巣を強引に出てきてから両親とも一度も会っていない。心配しているだろうか、もしここで自分が怪獣の餌食になってしまったら、悲しんでくれるのだろうか。

「こんなとき、おねえさまならどうするのね? いいえ、おねえさまなら最後まであきらめずに、知恵と勇気を振り絞って最後には勝つのね! それに引き換え、お前はなんなのねシルフィード! それでも誇り高き風韻竜なのね? それでもおねえさまの使い魔なのかね!?」

 気力を取り戻したシルフィードは、立ち上がると再び仲間を呼び始めた。

 やがて、さらに小一時間ほどが過ぎた頃。叫ぶのにも疲れ果てて、草の上に横たわっていたシルフィードの前の地面がもこもこと盛り上がり、中から大きなモグラが顔を出した。

”やあ、青いの待たせたね。無事だったかい?”

”モグラ! 来てくれたのね!”

”ぼくだけじゃないよ。ほら”

”やれやれ、君の土を掘るスピードは並じゃないんだから、ついていくこっちの身にもなってほしいな”

”赤いの、おまえも来てくれたのかね!”

 穴からは、ぜいぜいと息を切らせたサラマンダーも現れて、意気消沈していたシルフィードは歓声をあげた。

 ジャイアントモールのヴェルダンデ、サラマンダーのフレイム。いずれもシルフィードの使い魔仲間たちが駆けつけてくれたのだ。

”あなたたち、よく来てくれたのね”

”なに、礼には及ばないさ。でも、君は運がよかったよ。たまたま学院の上でツバメと速さ比べをしていたフクロウが、君の声を聞きつけてくれてね。「誰か助けて」って、何回も聞こえたそうだから、驚いてみんなに伝えてくれたんだ”

 フレイムから、自分の声が学院にまで届いていたことを教えられたシルフィードは、必死の努力が報われたことを知った。

 だがそれは、まさに奇跡としか呼べないような確率が起こした結果であった。

 

 偶然、風向きが魔法学院のほうに向いていなかったら?

 偶然、耳のよいフクロウが学院の上を飛んでいなかったら?

 

 いずれにしても、シルフィードの叫びは誰にも感知されることはなかったに違いない。

”それで、仲間の危機を見捨てるわけにはいかないから、動きやすいものから駆けつけることにしたのさ。しかし、どういうわけかこのへん一帯に見えない壁みたいなものがあって、鳥やコウモリでも入れなくてね。だから、もしかしたら地中からならというわけで、自分たちが急いで来たのだよ”

”みんな……シルフィはいい友達を持ってうれしいのね”

 シルフィードは、こみあげてくる感情を抑えきれずに、何度も目じりをぬぐって手の甲を濡らした。

 一方で、ヴェルダンデたちも、シルフィードが無事だったことを喜んだ。けれど、のっぴきならない状況はシルフィードの様子を見るだけですぐにわかる。二匹は、ぐすぐすと鼻をならすシルフィードが落ち着くまで待つと、改めて問いかけた。

”それにしても、蛙苺を採りに行くだけのはずが、なんともひどいかっこうじゃないか。いったいなにがあったんだい?”

”あっ! そうだったのね! 聞いてよね。大変なのよね!”

 我に返ったシルフィードは、二匹に自分が遭った出来事について話した。ニナという少女に出会い、この場所を紹介してもらったこと。でも、ここには以前タバサと戦って逃亡した怪獣が隠れていて、自分たちは逃げることもできずにニナが捕らえられてしまったこと。

 一切をシルフィードから聞いた二匹は、想像以上に重大であった事態に戦慄した。彼らとて、主人といっしょに何度も怪獣と戦ったこともあるし、物好きな宇宙人によってコレクションにされかかったこともある。しかし、まさかこんな近くに怪獣が巣を張っていたとは想像もしていなかった。

”それは大変だったね……ぼくが軽い気持ちで野いちごなんか薦めたばかりに、ごめんよ”

”あなたは悪くないのね。ほんとうに、来てくれて感謝してるのね”

”うん。さあ、こんなところに長居は無用さ。その怪獣がまた現れる前に、急いでおさらばすることにしようよ”

 フレイムは、さあ早く行こうとシルフィードに穴に入るよううながした。竜の姿ならとても無理だが、人間に変化している今なら問題なく穴をくぐれるだろう。

 しかしシルフィードは穴に入ろうとはせず、二匹に向かって信じられないことを言ったのだ。

”お願いするのね。ニナちゃんを助け出すの、手伝ってほしいのね!”

”な、なんだって!?”

 仰天した二匹は、思わずひっくり返りそうになった。まともに考えたら冗談ではない。

”君、正気かい? 相手は怪獣だよ。しかも、君のご主人たちが二度に渡って戦いながら、それでも倒せなかった相手だというではないか”

”そうだよ。確かにぼくらサラマンダーはほかの使い魔たちよりかは、多少は強いよ。でも、ぼくらの何十倍かという体躯を誇る怪獣相手には、分が悪いなんてものじゃない”

 ヴェルダンデとフレイムの言い分はもっともである。それでも、シルフィードは本気だとなおも言う。

”戦って勝とうと言っているわけではないのね。捕まったニナちゃんを助ける。それだけできればいいのね。そのためには、残念だけどシルフィの力だけでは無理なのね”

”ううむ、だがしかし。いくらなんでも危険が大きすぎる。怪獣の巣に飛び込もうというのだろう? ぼくは恐ろしくて、とてもそんな冒険はできないよ”

”ぼくも同感だね。ミイラ取りがミイラになりたくはない。第一、ご主人でもない人間のために、そこまでしてやる義理はないね”

 シルフィードの必死の頼みにも、二匹はがんとして首を縦には振らなかった。

 彼らは今は使い魔として人間に従っているけれど、元々は野生の動物であり、人間はそもそも敵だった。主従の契約を結んだメイジを命がけで守っても、関係ない人間とは極力関わらない。シルフィードも、タバサに召喚されてしばらくは人間を下等に思っていた時期があったから、冷たいようだが気持ちはわかった。

”さ、ともかく帰ろう。その人間のことが気にかかるなら、君のご主人に相談するといい。君のご主人はいい人だそうだし、ぼくらよりずっと力になってくれるよ”

”それじゃ遅いのね!”

 激しく怒鳴ったシルフィードの剣幕に、ヴェルダンデとフレイムは一瞬気おされた。

”こうしてるあいだにも、ニナちゃんは怖い思いをしてるに違いないのね。少しでも早く助けてあげなきゃ、あの子の心に一生残る傷がつくかもしれないのね”

”し、しかし……生きているという保証もないし”

”生きてるのね! あの子は強い子だもの、今でもきっと助けがくるって信じて待ってるに違いないのね!”

 半泣きになりながら、必死にシルフィードは訴えた。ヴェルダンデとフレイムも、彼女の本気に軽い気持ちではぶつかれないと、言葉に真剣味を添えて尋ね返す。

”青いの、どうして君はそこまで本気になれるんだい? 君が、人間もぼくらも分け隔てしない優しいやつだってことは、ぼくらもわかってるつもりだ。しかし、今日会ったばかりの子供一人のために命までも張ろうというのか? なぜだ?”

”それは……あの子はシルフィのために大切なイチゴ畑のことを教えてくれたのね。騎士は借りを作らないものだって、おねえさまが言ってたのね”

”青いの、ごまかそうとしてもダメだぜ。これでも、人を見る目は多少はあるつもりだ。そんな建前じゃない……君の本音を聞かせたまえよ”

 実年齢はどうあれ、大人と子供というのであれば、ヴェルダンデのほうがずっと大人であった。嘘を言ったところで軽く見抜かれる。そして本音を言わなければ、認めてもらえないと知ったシルフィードは、息を一度大きく吸い込んで、覚悟を決めた。

”今日一日だけでも、ニナちゃんはいっしょに遊んだ友達なのね。ちょっと変わった子だけど、シルフィはあの子のことが好きになっちゃったのね! でも、シルフィの力じゃとても足りないのね……だから、このとおりなのね!”

 思いのすべてを一気に吐き出したシルフィードは、ぐっと頭を地面にこすり付けた。青くて美しい髪や、白磁のような肌の顔が泥に汚れる。しかしそれ以上に、ヴェルダンデとフレイムは驚いていた。

”青いの、君がそこまで……”

 二匹とも、シルフィードが古代の絶滅種と呼ばれる韻竜であることはよく知っている。だからこそ、そのことを誇りに思っている彼女が、ただの動物である自分たちに頭を下げるなど想像もしていなかった。

”青いの、君の覚悟はわかった。しかしそれでも、ぼくたちに死地に飛び込めというのかい?”

”正直にいうと、そのとおりなのね。でも! シルフィにできることならなんでもするのね! 芸でも使い走りでも、なんでも”

”誇りを捨てるというのか? 風韻竜である君が、人間ひとりのために。そんな堕ちた君を見て、ご両親はなんと思うかな?”

”逃げても誇りはなくなるのね。友達ひとりも救えない風韻竜なんて、誰に向かって誇ればいいのね? おねえさまは、おねえさまはどんなに恥辱を受けても、誇りを踏みにじられても戦って未来を勝ち取ってきた。シルフィは、そんなおねえさまに恥じない使い魔でいたい。おねえさまの使い魔であるという誇りをこそ守りたいのね!”

 ヴェルダンデは、シルフィードの包み隠さない本音を聞いた。そして思った。初めて会ったときは外の世界のことを何も知らない幼竜だと思っていたけど、いつの間にかこんな一人前の考えができるようになっていたんだな。

”もし、ぼくらが断ると言ったら?”

”お姉さまに、今度召喚する使い魔は強いのがいいねって、伝えてほしいのね”

 それだけ言うと、シルフィードは立ち上がって二匹に背を向けた。同情を引くためではない。本気で一人で戦いに望むつもりなのだ。

 立ち去ろうとしているシルフィードを、ヴェルダンデとフレイムは意を決して呼び止めた。

”待ちたまえ、死地に赴こうとする勇者を見送るのは名誉だが、塔から飛び降りようとする友人を見送るのは不名誉の極みだよ。君は我々に薄情者の汚名をかぶせるつもりかい?”

”君の死ぬところを、その少女に見せることになったら、その少女はそれこそ一生救われないよ。そうなったら君はどう責任をとるつもりだい? 仕方ないね、友人のそんな愚行を見過ごすわけにはいかない。一肌脱ぐとするか”

”あなたたち……それじゃ”

 助けてくれるのかね? と、恐る恐る尋ねたシルフィードに、二匹は喉をくっくと鳴らしながら首を縦に振った。

”婦女子のために生命を賭けるのは男子の本懐、ギーシュさまの使い魔ならギーシュさまの誇りを守らなければね”

”君はキュルケさまの友人の使い魔だものね。それに、風韻竜に土下座までさせて知らんふりしては、とんでもない極悪人みたいじゃないか。やれやれ、せっかくのんびりと平和な使い魔生活を謳歌できてたのに、また火竜山脈にいたころみたいな危険を冒すことになるとは。でもま、あのころは一匹だったが、仲間といっしょなら危険も悪くない”

”あなたたち……ありがとう! ほんとにありがとうなのね! このお礼は、きっとするのね!”

 涙で顔をめちゃくちゃにしながら、シルフィードは表現できる限りの感謝を二匹に送った。よくも悪くも、シルフィードは嘘のつける性格ではない。裸の謝意をおもうさまにぶつけられて、二匹は照れて、それを隠そうとわざとシルフィードをせかした。

”おほん。青いの、礼を言うのは後にしよう。君の言うように、救出は時間との勝負だ。急ぐに超したことはない”

”あっ、そうなのね! じ、じゃあモグラ。いや、ヴェルダンデ、お願いするのね”

 ヴェルダンデは、名前で呼ばれたことにちょっとした快感を覚えた。使い魔たちは人間につけられた名前をあまりよしとせず、相手の体色や特徴で呼び名をつけることが多い。でも、名前はその持ち主一人だけのものである。それで呼ばれたということは、どこか自分が特別な存在になったように思えた。

”うむ、では急ぐことにしようか青いの……いや、ぼくも今後君をシルフィードと呼ぶことにしようか。そうだ、フレイム、外の仲間たちには助力をあおいだほうがいいだろうか?”

”むっ? い、いいややめておくべきだろう。頭数が増えれば、それだけ危険性も増す。なによりも時間が惜しいんだろう”

 フレイムも、名前を呼ばれたことに少々とまどいながらもまんざらでもない様子だった。

 

 だが、ともかくも時間が惜しいのは事実だ。

 

 シルフィードに言われた方角に向かって、ヴェルダンデはさっそくトンネルを掘り始めた。このあたりの土は黒土が主で、やわらかいのでジャイアントモールにとっては朝飯前である。ただ、あまり高速で掘っては、音で怪獣に気づかれるかもしれず、巣に勢いよく飛び込んだらそれこそ自殺行為なので、慎重に人が歩くくらいの速度で手探りに進む。

”この先に空洞があるね。いよいよだ、気をつけよ”

 ヴェルダンデの触覚が、ガギの巣が近いことを察知していた。トンネルの後ろから続くシルフィードとフレイムも、自然につばを飲み込んで、そのときに供える。

”出たぞ!”

 爪の先が手ごたえを失い、前から生暖かい空気が流れ込んでくる。

 入り口を広げて、ヴェルダンデの背中越しにシルフィードとフレイムも覗き込むと、そこは想像を絶する世界であった。

”ひゃああ”

”こ、これが、怪獣の巣か……”

 ガギの巣は、半径二十メートル、深さ八十メートルほどの巨大な円筒形の穴の形をしていた。ガギは、その中央でひざを抱くようにして眠っていたのだが、彼らを驚かせたのはガギの威容ばかりではなかった。巣の壁に、繭のような物質で貼り付けられている、無数の物体が彼らの目を引いたのだ。

”シルフィード、あの壁に縛り付けられているものたちは、まだ生きてるぞ”

”ええ。でも、あれは……”

”オーク鬼だね”

 ごくりと息を呑んで、三匹は巣の全域を見渡した。

 広大な巣の壁一面に、オーク鬼が繭でがんじがらめにされて貼り付けられていた。数は見たところ、ざっと百匹は下るまい。シルフィードはニナから聞かされていた話を思い出した。

”そういえば、ニナちゃんが今年はオーク鬼が里に一匹も現れないって言ってたのね……なるほど、こういうことだったのね……”

 群れごと根こそぎ怪獣に捕まっていたとは、さすがに想像の埒外であった。恐らくバリヤーで逃げられなくされ、一匹残らず仕留められるか捕らえられるかしたに違いない。普段は恐怖の対象である凶暴な人食い鬼も、さすがに怪獣にはかなわなかった。

 それにしても、この光景はなんなのだろうかと思う。オーク鬼を生きたまま捕らえて、保存食にでもするつもりなのだろうか?

”おい君たち、見とれている場合じゃないだろう。幸い、怪獣は眠っているようだ。その女の子が生きていたら、多分この中のどれかの繭に捕まっているはずだ。急いで探そう”

”あっ、そ、そうなのね”

 危うく目的を見失うところであった。怪獣の習性の推測などは後でいい。ここに来た目的はあくまでひとつ、ニナの救出以外にない。

 暗がりなのでシルフィードとフレイムの目はあまり利かず、もっぱらヴェルダンデが暗闇の中でこそよく見える目で、きょろきょろと巣の中を見渡す。そして、彼らから高さにして十メイルほど下、右下三十メイルの壁にニナが繭に捕まっているのが発見できた。

”いた! ようし、今行くのね!”

”待ちたまえ。いくら君でも、この巣の中を飛ぶには狭すぎる。それに、羽音で怪獣を起こしたらどうする? 焦らなくとも、あの子のところまで穴を掘り進めるから、慌てずついてきたまえ”

”う、わかったのね”

 竜の姿に戻って飛び出そうとしたシルフィードは、はやる気持ちを抑えるとヴェルダンデに従った。彼の言うとおり、ここで怪獣の目を覚まさせたらニナだけでなく、自分たち全員の死に直結する。フレイムも、焦るシルフィードを落ち着かせようと忠告した。

”シルフィード、ぼくも火竜山脈にいたころはそれなりにサラマンダーの仲間がいた。だけど、落ち着きのないやつは次々と火竜の餌食になって死んでいった。慎重っていうのは臆病じゃない。生き延びるための立派な知恵だ。間抜けになりたくなかったら、焦ってはいけないよ”

 人生の先輩二匹からの助言は、今のシルフィードにとってなによりもありがたかった。と同時に、二匹がこの図体の大きい子供をいかに気に入っているかという証拠でもある。だめな子ほど可愛いとはよくいうけれど、それ以上にひたむきに頑張っている子供というのは可愛いではないか。

 ヴェルダンデは、掘削の音を高くしないように慎重に土を掘る。シルフィードとフレイムは息を殺して後に続く。

 

 そのころ……ニナはガギの巣の壁面に頭以外の全身を、繭状の白い物質で縛られて貼り付けにされたままで泣いていた。

「うっ……ぐすっ……おかあさん、おとうさん……」

 捕まってから、すでに二時間以上、そのあいだずっとニナはすすり泣き続けていた。泣いているしか、幼いニナに自分を保っている方法はなかった。天井のわずかな隙間から光が差し込むだけの巣の中は薄暗く、それだけで恐怖心を呼び覚ます。目の前には、恐ろしげな姿をした怪獣が鋭い牙をむき出しにして鎮座し、周り中には人食いのオーク鬼たちが無数にいる。それらの生きたまま貼り付けにされたオーク鬼たちの放つ体臭が鼻をつき、苦しげな、あるいは怒りに満ちた叫びやうめき声が、耳を塞ぐことのできないニナの耳に容赦なく響いてくる。

 大の大人でも、一秒もいたくないような場所に、たった五歳の子供が幽閉されている苦痛は拷問にも等しいものであった。

「もうやだあ。やめて、静かにしてよお」

 すでに、ニナの心はこの環境に耐えるには限界にきていた。せめて、大声で泣き叫べたなら気も紛らわせるだろうが、目の前の怪獣の目を覚まさせたらと思うと、恐怖で喉も凍り付いてしまう。もし、このまま日没を迎えて、巣の中が闇に閉ざされてしまったら、ニナの心はとても耐えられないに違いない。

 だがそんな絶望的な状況にあっても、ニナは小さな体の、小さな心の中で必死に戦っていた。

「誰か、助けて……おねえちゃん……」

 自分の心の中の、恐怖という魔物とニナは全力で戦っていた。この地獄の中で、彼女の心をわずかに希望の中につなぎとめていたのは、捕らえられる直前まで自分を守ろうとしてくれていた、温かい手の記憶だった。たった五歳のニナでも、こんな山の奥地まで両親が助けに来てくれるとは思っていない。ただ一つの望みは、青い髪の奇妙な女の人。山の中で素っ裸でいる変な人だけど、村の大人たちみたいに怖くなくて、楽しくて優しくて……すぐに大好きになってしまったあの人。

「おねえちゃん……」

 鼻水をすすりながら、ニナはもう一度つぶやいた。

 

 そのときだった。

 ニナの捕まっている壁の、すぐ横の土がモコモコと盛り上がった。

「はぇ?」

 何事かと不思議がるニナの見ている前で、土が崩れて中から白い爪が伸びてくる。それが土をほじくって穴を空けると、中から茶色くて毛むくじゃらの顔が飛び出てきた。

「モグラ?」

 ジャイアントモールを初めて見るニナは、怪訝に目をしぱたたかせた。しかし、大きなモグラが開けた穴の中から、大きな火トカゲに押し出されるようにして、顔中泥だらけの青髪の女性が出てきたことで、暗く沈んでいたニナの顔は満面の笑みに満たされた。

「よっと。ニナちゃん、助けに来たのね」

「おねえちゃん!」

 シルフィードは、穴の端を少々危なかしげに伝って、ニナの元に近づいていった。すぐにシルフィードとニナの顔が、おでこがくっつくほど近くなる。すぐ目の前で、白い歯を見せて愉快げに笑うシルフィードの顔を見たとたん、ニナの不安はどこかに飛んでしまっていた。

「おねえちゃん、やっぱり助けに来てくれたんだ」

「もちろんなのね。騎士は友達を絶対に見捨てたりしないのね。さっ、この邪魔ッけなものとっちゃうから、動かないでなの」

 うれしそうに笑うニナに、シルフィードはウィンクして応えると、彼女の体を拘束している繭を取り去りにかかった。しかし、繭の糸はべとべとしていてとっかかりがなく、うまく取り除くことができなかった。

「うっ、くそっこの! しぶといのね」

 意外な伏兵に苦戦するシルフィード。すると、仲間のピンチを見て取ったフレイムが助けてくれた。

”シルフィード、繭の糸は乾燥してれば引きちぎれるけど、湿気てると柔軟して手じゃちぎれないよ。ぼくが代わろう”

 フレイムはそう言うと、口から加減した炎をバーナーのように吐いて糸を焼ききっていった。一分も経たず、ニナを捕まえていた繭は焼き切られて、中から助け出したニナをシルフィードはぐっと抱きしめた。

「おねえちゃん、ニナ怖かった。とっても怖かった」

「よしよし、よくがんばったのね。ニナちゃんは強い子なのね。さっ、いっしょに帰ろうなのね」

 シルフィードは、タバサにしてもらったようにニナの頭をなでてあげた。そして、足元に気をつけてと言いながら、横穴の中にニナを押し入れる。そこで待っていたヴェルダンデとフレイムの姿を間近で見て、ニナはあらためて目を丸くした。

「うわあ、おっきなモグラさんと、このトカゲさん尻尾が燃えてる。この子たち、おねえちゃんのお友達なの?」

「そうよ。シルフィの、大切な友達なの。ニナちゃんを助けるために、力を貸してくれたのよ」

「そうなんだ。モグラさん、火トカゲさん、ありがとう」

 ぺこりと可愛らしくおじぎをしたニナに、ヴェルダンデとフレイムも照れくさそうに頭をかいた。互いに顔を見合わせて、困った様子をしているしぐさには、たかが人間の子供一人と冷たく見捨てようとしていた面影はない。シルフィードがそれを見てくすくすと笑っているのに気づいたフレイムは、ごまかすようにシルフィードに言った。

”おっとと、こんなことしている場合じゃなかった。怪獣が目覚める前に、急いでこんな場所からはおさらばしようじゃないか”

「あっ、そうだよね……ニナちゃん、さっ急ごうなのね」

 目的は果たした。もうこんな地獄のような場所に用はないと、一同は先頭にヴェルダンデ、その後ろにニナとシルフィードが続いて、フレイムが殿をつとめる形で穴の中を逆にたどって逃げていった。

 

 だが、このまま逃げ切れれば万々歳のところが、最後の最後になってガギの目がここで覚めてしまった。

 ヴェルダンデの掘った横穴から吹き込んでくる空気を感じ、横穴と破られた繭を見てガギは怒る。

 

”いけない! 見つかった”

 

 土を伝わってくる振動から、怪獣が追ってくることをヴェルダンデはいち早く察知した。反射的に、方向を転換して地上へと続く穴を急いで作る。馬と同等の地底移動速度を誇るヴェルダンデだけならともかく、シルフィードたちはとても逃げ切れないからだ。

 地上に飛び出て、穴からニナを引っ張り上げたシルフィードは周りを見渡した。

「ここは……よかった。もう見えない壁の外なのね!」

 閉じ込められていた蛙苺の畑の外の風景が目に飛び込んでくる。また、空にはヴェルダンデたちと同じく、自分たちを心配して探しに来てくれたであろう、バグベアーやグリフォンなどの使い魔仲間たちの姿も見える。シルフィードは彼らに向かって、大声で警告した。

「みんなーっ! 怪獣が出てくるのね! 急いで逃げてなのねーっ!」

 言い終わるや否や、シルフィードたちのすぐ後ろの地面が土煙を吹き上げる。地底から出現したガギを見て、使い魔たちは大慌てで逃げ出した。

 むろん、一番に狙われているシルフィードたちも逃げ出す。正確には地上に飛び出たシルフィードとニナとフレイムの、一人と二匹。彼女たちにとって頼れるのは、あとは自分の足だけだった。

「ニナちゃん、走れる?」

「うん!」

”急げ、来るぞ!”

 駆け出す彼女たちを、ガギも追ってくる。大きな足でのしのしと進む様は、見た目からしたら遅そうに見えるけれど、歩幅が桁違いなので実際にはかなり速いのだ。

”まずい、こりゃとても逃げ切れないぞ。君、変化を解いて飛んで逃げられないか!?”

”風に乗る前に撃ち落されちゃうのね。あいつの鞭にかすられでもしたら、ひ、ひとたまりもないのね”

 二度、ガギと戦ったことのあるシルフィードはガギの怖さも知り尽くしていた。角は以前ウルトラマンヒカリに破壊されたままなので、破壊光線による攻撃はないものの、それでも触手が鞭のように襲い掛かってくる。人間の姿では的が小さいから、どうにかかわせているけれど、風竜に戻ったら当てやすい的もいいところだ。

 何度も自分たちの横を、まるで巨木のような鞭が叩きつけていく。跳ね上げられる土を頭からかぶりながら、ニナはあまりの衝撃に泣き出しそうに叫んだ。

「おねえちゃん! お、おねえちゃん!」

「大丈夫! ニナちゃんはシルフィが絶対に守るから!」

 もう二度とこの手は離さないと、シルフィードはがっちりとニナの手を引いて走る。今、この子を守れるのは自分しかいないのだ。

 方法は? どうやって逃げ切る? そんなことは関係ない。一度決めたことは断じてやりとげる。タバサの使い魔として、それが今自分にできる、誇りを守る唯一の道だった。

 だが、ガギの魔手は確実にすぐそこまで迫ってくる。幼いニナの足がついに限界に達し、もつれて地面に転がり込んだ。

「きゃっ!」

「ニナちゃん!」

 転んだニナの上に、シルフィードはかばうように覆いかぶさった。別にそうすれば守れると思ったわけではない。無意識に、母親が子供を守ろうとするように、とっさにそうしてしまったのだ。しかし、シルフィードの意図はどうであれ、行く足の止まってしまった二人に、容赦なくガギの攻撃が襲い掛かってくる。

”シルフィード!”

 フレイムの悲鳴が響き、空の上の仲間たちの見守る前で、無防備な背中をさらすシルフィードの上にガギの影が覆いかぶさっていく。

 もうだめか。シルフィードは固く目をつぶって観念した。

 

”おねえさまごめんなさい。シルフィは、おねえさまに勝手に出かけて死んでしまう悪い子でした。でも、シルフィは最後までおねえさまの使い魔としての誇りだけは守りました。友達を守って死ぬんだから、墓前で褒めてくださいよね”

 

 自分がつぶされても、代わりにニナだけは守りきる。悲壮な覚悟を決めたシルフィードは、最期の時が来るのを覚悟して待った。

 しかし、シルフィードの耳に飛び込んできたのは、自分の骨の砕ける音ではなく、フレイムの思いもかけない声だった。

”危ない! そのまま動くな!”

 逃げろ、ではなく動くな? どういう意味かと恐怖も忘れて不思議にシルフィードは思った。

 薄目を開けて、周りの様子を確認してみる。目が見えるということはまだ生きているようだ。

 そして、なんとなく首を横に向けたときだった。視界の上からガギの頭が入ってきて……轟音と砂煙ですべてが闇に包まれた。

「うっ、ごほごほっ! な、なにが起きたのね?」

”おーいシルフィード、無事かい?”

 砂煙が晴れ、激しく咳き込んでいるシルフィードの元へフレイムが駆け寄ってきた。目に入った砂をこすり落とすと、ヴェルダンデも土の中から出てきている。また、ニナもシルフィードのおなかの下から這い出てきた。

「みんな、無事だったのね」

 仲間たちの無傷な姿を見て、シルフィードはほっと息をついた。仲間たちも同じように、シルフィードの無事を喜んでいる。

 だが、気持ちが落ち着くと、目の前の光景の異様さが彼らに息を呑ませた。彼らの目の前には、巨体が横たわっていた。怪獣ガギが、自分たちを散々に苦しめたあの怪獣が、ほんの一瞬前には考えられもしなかった姿でそこにあったのだ。

「し……死んでるのね」

 シルフィードが見返したとき、地面に崩れ落ちたガギはすでに息絶えていた。恐ろしげな遠吠えを放った口も、大蛇のように襲い掛かってきた鞭も、今では彫像と化したようにぴくりとも動かない。

「どうして……? たった今まで、あんなに元気だったのに」

”恐らく、この怪獣はもう寿命だったんだろう”

 目を閉じて、眠るように息を引き取っているガギを見て、ヴェルダンデはシルフィードの疑問にそう答えた。

 怪獣の寿命は、短いものは生まれて一日も持たず、長いものは何万年も生きるけれど、ガギの寿命は偶然にも今日に重なっていたのかもしれない。

 いや、そうでなくともガギの体はサイクロメトラの寄生や、ウルトラマンヒカリとの激闘などのダメージで限界に来ていたのだろう。見た目ではわかりづらいけれど、人間と同じようにそうした傷や、老化が徐々にガギの体に蓄積されていた。それが今日、激しく暴れたせいで一気に噴出し、命を絶ったのかもしれない。

「怪獣さん。かわいそう……」

 ニナがぽつりとつぶやいた言葉を、誰も頭ごなしに叱りつけられはしなかった。あれだけひどい目にあわされ、殺されかけた憎い相手だというのに、今では冷たくなりゆく死体に過ぎない。もし、自分たちが来なかったらこの怪獣は眠ったままで、穏やかに息を引き取れていたかと思うと、無為に命を奪ったような、そんな気さえした。

「ニナちゃんは優しいのね。じゃ、怪獣さんのために祈ろうか。やすらかに、天国にいけるように」

 死ねば誰であろうと皆同じである。シルフィードは、人間たちの神は信じていなかったけれど、ニナの祈りが届くようにと、大いなる意思に向けて祈った。

 そして……

 

「さっ! それじゃあ帰ろう! なのね」

「なのね!」

 

 帰り道は、ニナにとって大変な驚きと興奮の連続となった。

「うわあっ! 飛んでる! 飛んでるぅ!」

 山を、森をずっと下に見下ろしながら、ニナは大興奮ではしゃいでいた。

「ねっ、早いでしょ。すごいでしょ。ほら、あそこ、あそこがシルフィとニナちゃんが初めて会った苺畑よ。あんなに小さいのねー」

 シルフィードもはしゃぐニナに合わせて楽しそうに応える。けれど、元に戻ったシルフィードにニナが乗っているわけではない。二人が乗っているのは、使い魔仲間のグリフォンの上だった。

”やれやれ、まさか伝説の風韻竜を背に乗せて飛ぶとは夢にも思わなかったよ。こりゃあ末代までの自慢にできるかねえ”

”やめてよね、こっ恥ずかしい。でも、みんな来てくれてうれしいのね。ほんとにありがとうなのね”

 ニナにはわからない言葉で、シルフィードはグリフォンに礼を言った。彼女たちの周りには、ほかの使い魔の仲間たちもいっしょになって飛んでいる。カナリアやフクロウ、カラスのような普通の鳥のほか、空飛ぶ蛇のバシリスク、ワイバーンの幼生体、一つ目のバグベアーなどの幻獣もいて、物珍しそうにニナに寄ってくる。

「わぁ! 見たこともない動物さんがいっぱい。ね、ね、こっちにおいでよ」

 普通は大人でも腰がひけてしまうような猛獣たちに囲まれているというのに、ニナは楽しそうにじゃれついていく。使い魔たちも、いつもは怖がられるばかりだというのに反対に懐かれてしまって、びっくりしながらもうれしそうに口ばしを摺り寄せたりしていた。

 そんな光景を地上から見上げて、ヴェルダンデとフレイムも面白そうに話している。

”世の中には、珍しい人間もいるものだね。あんなにぼくらを怖がらない人間は初めてだ”

”ああ、シルフィードが命をかけようとしたのもわかる気がするよ。なにかな、ぼくも彼女と苺を摘んでみたくなってきたよ”

 顔を見合わせて二匹は笑い、学園への帰途についていった。

 

 グリフォンの速度はさすがに速く、あっという間にニナの村の付近まで飛んできた。

 ところが、シルフィードが地上を見下ろしていたところだった。街道で馬に乗ったタバサが、こちらに向かって手を振っているのが見えて、慌てて下りるとタバサに杖で頭をこつんとこづかれた。

「いったぁーい! お、おねえさま、どうしてここに?」

「使い魔と主人は視界を共有できる。あなたのしてきたことは、見てた」

 あっ、と、シルフィードははっとした。メイジと使い魔の契約の魔法『コントラクト・サーヴァント』は、感覚の共有という効果も両者に付け加える効果もあるのだった。ただ、これは両者にとってあまり愉快なものはない上に、最近全然使っていなかったからすっかりと使えることを忘れていた。

「ご、ごめんなさいなのね……」

 しょんぼりとして、シルフィードは謝った。まだ叱られたわけではないが、きっと無茶して怒られると思ったからだ。

 だが、その前にニナがタバサの前に立ちふさがって叫んだ。

「おねえちゃんをいじめないで!」

「ニナちゃん……!」

 シルフィードは驚き、ニナはシルフィードを守るように両手を広げて、無表情のままで見下ろしてくるタバサを睨みつけている。しかし、タバサはニナの顔の高さまでかがむと、口元を緩めて語りかけた。

「大丈夫。おねえちゃんをいじめたりしない。ぶったのは、一人で勝手に出かけたおしおきだけ……」

「ほんと? ほんとにおねえちゃんを、もうぶたない?」

「約束する。それよりも、よくがんばったと思っている。仲間を集め、力を合わせてあなたを救い、わたしの誇りも守ってくれた。シルフィード、今日のあなたは……そう、勇者だった」

 その瞬間、シルフィードは大粒の涙を流してわんわんと泣き始めた。悔しさや悲しさからではなく、あこがれのタバサから認めてもらえたうれしさからの涙だった。

「お、お姉さま……シルフィは、シルフィは……」

「わかってる……あなたは、わたしの誇りだから」

 シルフィードはタバサの胸に顔をうずめて、おもいっきり泣いた。周り中では、使い魔仲間たちが何事かと呆然と見守っている。ニナも、「泣き虫なおねえちゃん」と、おかしそうに笑っていた。

 

 そうして一時後、タバサとシルフィードは村はずれのところでニナを見送った。

「じゃあニナちゃん、さよならなのね」

「ばいばい、おねえちゃん」

 手を振りながら、シルフィードは村の入り口へ駆けていくニナを名残惜しそうに見つめていた。村の中まで送らなかったのは、貴族と関わり合いになったのが知れると、彼女と彼女の家族が村の中で風当たりが悪くなりかねないからだ。シルフィードには理解しがたいことだけれど、人間の社会にはそうした理不尽が数多くあるらしい。

 ということは、貴族の使い魔である自分も、もうニナとは会わないほうがいいのかもしれない。第一、自分はタバサといっしょに、いつ死んでもおかしくないような任務に、いつ行かなければならないとも限らない。ニナは、自分が風韻竜だということは知らないのだから、変化しなければ偶然どこかで会っても、自分と気づくことはないはずだ。

 でも、それってとても寂しい。せっかくできた友達なのに、これっきりなんて。

 ところが、村の入り口で夕焼けを背にしながら振り返ったニナが、大きな声で呼びかけてきた。

「おねえちゃーん!」

「は、はーいなのね!」

「今日はありがとー! とっても楽しかったよ! 明日も、あのイチゴ畑で待ってるから、きっと来てねーっ!」

「え、えっ!?」

 驚いたシルフィードは、とっさにタバサの顔色をうかがった。行ってもいいのか、すがるようなシルフィードの視線にもタバサは眉一つ動かさない。やっぱりだめなのか? がっくりと肩を落とすシルフィードに、タバサは一瞥も与えないまま背を向けると、一言。

「蛙苺、籠いっぱい分。期待してる」

 それがタバサの答えだった。

 シルフィードは飛び上がらんばかりに喜ぶと、肺から空気を思いっきり吐き出して叫び返す。

「うん! 必ず行くから待っててねーっ! 明日は、友達もいっぱい連れて行くからーっ!」

「きっとだよーっ! 待ってるからねーっ!」

 村の中へと消えていくニナを、シルフィードはいつまでも見送っていた。

 夕日は赤々と山すそに映え、明日も空は晴れるだろう。

 そうしたら、今度はヴェルダンデやフレイム、ほかのみんなも連れていっしょに遊ぼう。

 大人は知らない、心優しい使い魔たちとの夢のパーティ。

 きっと明日は最高に素敵な一日になると、きゅいきゅいという声が、一番星の見えた空に吸い込まれていった。

 

 

 続く



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第40話  ふたつめの虚無

 第40話

 ふたつめの虚無

 

 寄生怪獣 マグニア 登場!

 

 

 怪獣ゾンバイユのラ・ロシェール襲撃から一週間後、ウェールズ新国王とアンリエッタ王女との結婚式が、トリスタニアで盛大に開催されていた。

「アルビオン王国万歳! ウェールズ陛下万歳!」

「トリステイン万歳! アンリエッタ姫万歳!」

 高らかな歓声が鳴り響き、軽快なファンファーレがそれに彩りを与える。人々は手に手に両国の旗を振り、シャンパンをかけあってこのめでたい日を喜び合った。

 先日のアボラス・バニラとの戦闘はトリスタニア外縁部の区画でおこなわれたために式典に影響はない。いやむしろ、人々はそのときの苦難を笑って乗り越えようとしているように、楽しもうとしていた。

 ウェールズ王を護衛してきた魔法学院の生徒たちも、パレードの列に加わって誇らしげに行進していく。

 学院の教師たちは、小高い丘の上に立つトリスタニア王宮の正門の前に整列して彼らを待っていた。遠目からでも、トリスタニアの大通りを悠然と行進してくる行列と、それに加わって一世一代の役割を果たしている生徒たちが見える。

「おお、来おった来おった。若い連中、張り切っておるのう」

「ウェールズ陛下にいいかっこ見せようとして、醜態をさらす子がいないか心配してましたが、杞憂だったようですわね。皆、自分の役割をきちんと果たしてくれたみたいですわ」

 オスマンとロングビルが満足げに話し合っている。彼らの少し離れた場所では、コルベールも教え子達の晴れ舞台に目じりを熱くして、彼らがやってくるのを今か今かと待ちわびていた。

 だが、そんな中にあってただ一人だけ、カリーヌは生徒たちの中にルイズがいないのを気にかけていた。

”ルイズ、どうしたというの? こんな国の大事に留守にするなんて、あなたになにがあったというの”

 カリーヌはルイズの身の上に何かが起きたのだと確信していた。親だから、ルイズがどんなときにどういう行動をとるのかはすべて把握している。あのルイズが、親友でもあるアンリエッタの婚礼を蹴るなどありえない。

 カリーヌや教師たちは、ゾンバイユとの戦いのときにはトリスタニアに向かっていたために虚無の炸裂を知らない。

 また、ラ・ロシェールからトリスタニアまでは馬車で向かっていたために、空を飛ぶシルフィードには追い越されてしまった。そのため、彼らがトリスタニアに着いたのはアボラス・バニラとの戦いが終結した翌日だった。

”さらにいえば、調べようとしたとたんの姫殿下からの通知。あれも、どういう意味か……”

 

『しばらくルイズの身の上を学院から外します。理由等については、式典が終了した後にお呼びしてお話いたします。ご息女のことにつき、ご納得いただきがたいものと存じますが、わたくしを信じて少しのあいだお待ちいただきたく願います』

 

 一時は強引にアンリエッタに問いただしに行こうと思ったけれども、公爵夫人としての立場をかんがみて思いとどまった。それに、ルイズも今では自分の庇護が必要な子供ではない。自分で考えて、自分で行動することができる。なによりも、今のルイズには自分などよりずっと頼りになる仲間たちがいる。

”ルイズ、あなたが今どこでなにをしているかは知りません。しかし、あなたにあなたにしかできない役目があるというのでしたら、それを全力で果たしなさい。母は、いつでもあなたの無事を祈ってますよ”

 カリーヌはそれでルイズのことを考えるのを打ち切った。今の自分は教師である。肌に合わない仕事かもしれないけれど、世界はのんびりと隠居を許してくれるような状況ではない。それこそ『烈風』が十人でも百人でも欲しいような火急のときなのだ。しかし国の将来を担う少年少女たちには、まだまだ教え導くものが必要なのである。本当の苦難と脅威に立ち向かえる強さを教えられる人間は、残念ながらそう多くはない。

 王宮へと続く坂を上ってくるアルビオンの一行と、それに付いてやってくる生徒たちを見下ろして、カリーヌはあらためて自分の役目を自分に言い聞かせた。

 式典はこれからアンリエッタとウェールズの顔合わせを経て最高潮にいたる。人々は、今日だけは世界の危機も忘れて、祭りの楽しさに酔いしれた。

 

 

 一方、先日は大変なにぎわいを見せたラ・ロシェールは、現在は観光客もすっかり出て行って、やや閑散としていた。

 出店もほとんどが閉まり、道を歩く人間もまばらとなっている。ウェールズ新国王のご一行を目当ての観光客と、彼らを目当ての商人たちがほとんどだったのだから、当然といえば当然だが、元々の住人たちは少し寂しい気分を感じていた。

 もっとも、トリスタニアでの式典が終了し、新婚夫婦が今度はアルビオンに上がる番になれば、またにぎわうことになるのはほぼ間違いないことである。そのため、居残った商人たちは次の出店のための準備に余念がなく、街には警備のために銃士隊がまだ数個小隊残っている。

 そんな、やや寂れた印象を与える港町に、ルイズと才人たちはやってきていた。

『アルビオン王国、スカボロー港ゆき、旅客船【ウィンド・オブ・ウィンディア】号、第十七番ポートより間もなく出航します。ご乗船の方はお急ぎください。お見送りの方は速やかに退船願います』

 ラ・ロシェールの象徴である巨大な世界樹の一本の枝から、鐘の音に送られて一隻の空中帆船が飛び立った。

 空は快晴、風は暖か南風。絶好の条件に後押しされてアルビオン王国を目指す船の甲板に、才人、ルイズ、キュルケ、タバサの四人が揃って、まだ見えない天空の白の国を見据えている。

「ふぅ、うまいこと条件のいい船が見つかってよかったな。時期が時期だから、一般の船は欠航かと思ってたけど杞憂だったな」

「なにせ、急いでアルビオンに渡ろうと思ったところで、シルフィードがなぜかくたくたでラ・ロシェールまでしか飛べないっていうんだものね。タバサ、シルフィードはどうしてるの?」

「船倉で寝てる」

「そう。でも、今回のアルビオン行きは正直言って気が進まないわね。必要とはいえ、友達の知られたくない秘密を暴きに行くようなものなんだから……」

 甲板で話し合う四人の顔色は、この日の陽光とはまるで反比例して暗く重い。

 彼らが再びアルビオン王国を目指している理由は、決して快いものではない。それは、エレオノールが魔法学院にやってきて、虚無の研究調査を進めたうえで判明した、一つの可能性。ルイズやデルフリンガーへの聴取から、虚無に関するわずかばかりの伝承をもほじくり返した末、浮かんだ虚無の特徴。

「すべての物質は小さな粒からなり、虚無を含めた系統魔法はこの粒に影響して効果を表す。ただ、虚無の系統は、四系統魔法が操れるよりもさらに極小の粒を操れるために、より高度な効果を生み出すことができる。と、なれば虚無の系統の担い手を探す方法はさして難しくないわ。通常の系統魔法は使えない代わりに、ルイズの爆発のように異常な効果を発揮する魔法を使う人間を探せばいい。あなたたち、そんな人物に心当たりはない?」

 エレオノールにそう問いかけられて、ルイズたちが記憶を漁った結果、一人だけそれに該当する人物がいた。

「ティファニア……あの子が使った『忘却』の魔法は、系統魔法とは明らかに違った」

 一度だけ見た、ティファニアの正体不明の魔法のことが、今となっては嫌に鮮明に思い出せる。

 聞いたこともない呪文に、他人の記憶を奪うという信じられない効果の魔法。四系統魔法では明らかになく、かといってエルフが使えるという先住魔法は、杖やスペルの詠唱を必要としない。そのときはすぐにブラック星人とスノーゴンとの戦いになり、すっかりと忘れていたけれど、ロングビルも系統がわからないと言っていたあの魔法は確かに普通ではなかった。

「でも、まさか……まさかよねえ」

 可能性よりも、ルイズたちはティファニアが虚無の担い手だということを信じたくなかった。

 エレオノールに、「思い当たる人間がいるなら、すぐに確認していらっしゃい!」と言われて飛び出してきたものの、人の家に土足で入り込んでいくような後ろめたさはぬぐえない。いや、それ以上に、あのおっとりと、優しく明るく、子供たちに囲まれて、ただ平和に過ごすことのみを願っていたティファニアが、世界の運命をも左右しかねない大魔法使いの片割れかもしれないという、馬鹿げた可能性がそもそも気に入らない。

「万が一、テファが虚無だったら彼女は世界を巻き込む戦いに巻き込まれる運命にあるのかもしれない。なんで、よりにもよってあんな虫も殺せないような子が担い手かもしれないのよ。悪い冗談だわ!」

 ルイズはここに来る途中、不愉快そうにそう吐き捨てていた。

 しかし、感情で否定しても証拠は揃っている。血統にしても、ティファニアの父はアルビオンのモード大公、始祖の力を受け継ぐ者は王家の血筋に現れるという条件とも合致している。だからこそ、なお気に入らなかった。

「なあルイズ、やっぱりロングビルさんに伝えないで来てよかったのかな?」

「こんな妄言めいたこと、どう話せっていうのよ。第一、ハズレであってくれたほうがうれしいんだから、余計な心配かけてもしょうがないでしょ」

 才人の気遣いをルイズは一蹴した。ロングビルはティファニアにとって育ての親、子を思う親の気持ちは才人よりも女性である自分のほうが、まがりなりにも理解できる。

「唯一の救いは、エレオノールお姉さまが直接来なかったということくらいね。資料の検分が忙しいって、まあありがたいといったらありがたいんだけど」

 エレオノールは虚無の研究と並行して、例の古代遺跡の発掘調査もまだおこなっていた。いまのところ、虚無に関連する一番有力な手がかりが眠っていそうなところがそこだからだ。ただ、アボラスがアカデミーを破壊し、ドドンゴが復活するときに遺跡を崩落させてしまったので、残った古代の碑文もほとんど破壊されていて調査は難航している。

「ただ、本気で虚無だけ調べてるかは怪しいのよね。口実つけて発掘を楽しんでるようにも見えるし、ただめんどうくさいだけじゃないかしら?」

「そのほうがいいだろ。あの姉ちゃんに、ティファニアがハーフエルフだなんて知られたらどうなることか」

 考えるだけで身震いがすると、二人は演技ではなく本当に身震いした。

 ともかく、目的のためには手段を選ばずという人間の典型なので怖い。さすがに生体解剖するなどと残酷な行為には及ばないだろうけど、新作のポーションの人体実験くらいは平然とおこなうらしいので、誇張ではなく恐ろしいのだ。

 キュルケも、まったく同感だとばかりにつぶやく。

「まあ、あのお姉さんの前にハーフエルフなんて出すのは、飢えたドラゴンの前に生肉を見せるようなものだしねえ」

 きわどい比喩に、才人とルイズは苦笑するしかなかった。ただ、その表現には表に出ている以上に、ツェルプストーからヴァリエールに対する隠喩が含まれている。すなわち、臨時教師に身をやつして男子生徒まで対象に婿候補を探しているエレオノールを、飢えたドラゴンと暗示しているのだ。

 もっとも、文学的センスには乏しい才人とルイズにはそこまで読まれなかったようである。額面どおりにだけ受け取っている二人の反応に、キュルケは多少物足りなさを感じたが、教えてやる必要もないので方向を変えることにした。

「ああそれから、あのお姉さんじゃハーフエルフなんかじゃなくても、ティファニアを見たら激昂するかもね」

「は?」

「あらルイズ、なにキョトンとしてるの? あなたにも関係あることじゃない。もっかいティファニアに会うの、覚悟はできてるの?」

「覚悟? なんのことよ?」

 突然意味のわからないことを言い出したキュルケに、ルイズはやや苛立ちげに問い返す。すると、キュルケはここぞとばかりに満面の笑みを浮かべると、ルイズの胸部を人差し指の先でツンと突いた。

「ほらここ。あなたたち『絶壁』の姉妹には、あの子の『山脈』はまさに世界の屋根じゃない。転落防止の準備はいいの?」

 ルイズはその瞬間、久々に自分の血管が切れる音を聞いた。ティファニアの持つ二つの巨峰……それは自分のささやかな丘などでは、比べることさえはばかられる神の聖域。才人がそれを思い出して、「バ、バストレボリューション……」と、鼻を押さえながらほざいていたので、とりあえず先に股間を蹴り上げておいた。

 そして、自分以上に、いや未満になだらかなエレオノールのレベルでは、女として屈辱を通り越して、絶望のふちに沈まなければならないだろう。それが嫌だから、まして友達に嫉妬するなんてみっともないから考えないようにしていたというのに、この女は。

「キ、キュルケ……いえツェルプストー。最近ちょっと、馴れ合いが過ぎたみたいね。忘れるところだったわ、わたしはヴァリエールで、あなたはツェルプストーだったってこと」

「あら、わたしは忘れたことはなかったわよ。でも、ティファニアほどじゃないけど、出会ったときからわたしの勝ちは決まってたじゃない。ただ、勝者が敗者をなぶるなんて、そんな下卑た真似を誇り高いツェルプストーのわたしができるわけないじゃないの」

「どこの勝ち負けを問題にしてるのよ! そんなもの、ただの脂肪じゃない。いいわ、この際あんたとわたしは、不倶戴天の仇同士だってこと、はっきりさせときましょう」

 勝ち誇るキュルケと、憤怒の大魔神のごとく煮えたぎるルイズの舌戦がこれまた久しぶりに開幕した。

 甲板を狭しと、先祖の因縁がどうのとか、授業中あのときはどうだったかとか大声で言い合いが続く。

 タバサはそんな二人の光景を何気なしに眺めている。

「ちょうどいい気晴らし」

 短くつぶやくと、見ていても飽きると、彼女は船内に戻ろうときびすを返した。

 昔ならいざ知らず、今のルイズとキュルケが本気で憎み合うなどあるはずがない。互いの腹の中のものを出し尽くしたら自然に収まるか、キュルケがルイズをなだめて終わるだろう。気が沈んでいた今なら、向こうにつくまでに気分転換をしておくのも構わないだろう。

 股間を押さえてもだえている才人の横をすり抜けると、タバサは船内の階段を下りて、最下層の船倉に向かった。

 

 騎乗用の動物などを休ませておく厩舎で、シルフィードはぐっすりと眠っていた。

 今日は朝から飛ばせたし、疲れているのだろうとタバサは起こすのをやめて、そっとシルフィードの顔を眺めるだけにしておいた。

「むにゃむにゃ……ニナちゃん……シルフィ、もうおさかなもイチゴも食べ切れないのね」

 寝言から、楽しい夢を見ているのだなとタバサは思った。あの日、仲間たちとともにニナをガギの巣から救い出して以来、シルフィードは暇ができるたびに、ニナのところに遊びに行くようになっている。むろん、タバサはそれを知っているし、止めるつもりもない。正体がバレる危険を犯さない限り、いくら主人とてシルフィードの日常に介入する権利があるなどと思ってはいない。自分だって、読書の邪魔をされれば不愉快なのだ。

 まして、幸せな夢を見る邪魔をする権利など誰にもない。タバサは、シルフィードを起こさないように、そっと船倉を立ち去ろうとした。

 だがそのとき、誰もいないはずの船倉の暗がりから、若い女の声が唐突に響いた。

「こんにちは、かわいいメイジさん」

「っ! 誰!?」

 反射的に杖を振りぬき、その場を飛びのいて身構える。タバサの体に数々の戦いを経てしみこんだ戦士としての感覚が、彼女の意思よりも早く、臨戦態勢を整えさせていた。

「ふふふ、あなたが一人になるのをずっと待っていたわよ。私の声を、聞き忘れたかしら?」

「お前は……」

 暗がりの中から、闇が固形化したような黒いローブの人影が浮かび上がってきた。深くローブをかぶっているため顔は見えないが、長身で元々小柄なタバサより頭一つ高い。しかし、姿は見えなくともその声には確かな聞き覚えがあった。

「シェフィールド……」

「当たり……ふふふ……」

 敵意に満ちたタバサの言葉にも、まるで動じる気配もなくシェフィールドは笑った。いや、以前にも蝶型のガーゴイルを向けてきたことから、この人型もガーゴイルの可能性が高い。これを粉砕したところで、本人は痛くもかゆくもないだろう。上にいるルイズたちを呼んだとしても、すぐに消えて証拠は残すまい。ならば……

「わたしに、何の用?」

 杖を下ろして、話を聞く姿勢を見せたタバサに、シェフィールドは肩をゆすってみせた。

「うふふ、賢いわね。話が早くて助かるわ」

「わたしたちを、はってたのね」

「そう、あなたたちを泳がせれば、必ずほかの虚無の担い手を探そうとするはずだからね」

 タバサの奥歯で、ぎりりと噛み締める音が鳴った。こんな簡単な可能性に思い至らなかった自分を責めるのと同時に、冷静な部分がシェフィールドの目的を推測しようとする。なぜそんなことを自分に明かすのか? 尾行は相手に知られたら意味がないのに。するとシェフィールドは含み笑いの声を漏らすと、意外なことをタバサに言った。

「でもね。尾行用の小型ガーゴイルでは、声を集めるのにも限界があってね。それで、教えてほしいのよ。新たな虚無の担い手の、住んでいる場所を」

「わたしが、それを教えるとでも?」

 杖を構えなおし、タバサは神経を研ぎ澄ませてシェフィールドのガーゴイルと向かい合った。こんな場所で接触してきたのは、やはり虚無の情報をしゃべらせるためだった。恐らく、なんらかのマジックアイテムを利用して吐かせるつもりなのだろうが、そうはいかない。

 タバサは呪文を高速で詠唱し、シェフィールドがなにかをする前にガーゴイルを粉砕しようと狙った。

 しかし、タバサの呪文の詠唱よりも早く、シェフィールドの放った言葉の刃が彼女の胸をえぐった。

「まあそういきり立たないで、北花壇騎士タバサ殿」

 その瞬間、タバサの舌は凍りついた。杖を持つ手が力なく下がり、急激に体温を下げていくタバサに、シェフィールドは子猫をあやすような声で語りかける。

「いい子ね。そしてとても聡明だわ。まさに、あの方のおっしゃるとおりね。今日はあなたに特別な任務を与えるために来てあげたの。これに成功したら、大きな報酬があるわ。あなたの母親……毒をあおって心を病んだのよね。その、心を取り戻せる薬よ」

 

 

 中型旅客船【ウィンド・オブ・ウィンディア】は一日かけてスカボロー港に到着した。

 旅の疲れを癒すために、一行は港町で一夜の宿をとり、翌日にあらためてシルフィードで飛び立つ。彼女が疲れない程度の速度で飛ぶことにしたから、サウスゴータ到着は数時間後となるはずだった。

「もうすぐウェストウッド村か、テファたち元気かな」

 景色を眺めていた才人が、待ちわびてつぶやいた。夏休みからおよそ三ヶ月弱、言ってしまえば一言だけれど、彼女たちと過ごした夏休みの日々は本当に楽しかった。虚無がどうのは別で、また会えるのは皆楽しみにしていた。

「アイちゃんも、元気だといいわね」

「元気に決まってるわよ。もしかしたら、子供たちのボスに収まってるかもね」

 ルイズとキュルケも、ティファニアに預けたアイや、奔放な子供たちのことで思い出話に花を咲かせている。昨日のいざこざも、一晩ぐっすりと眠ったらすっかりと忘れていた。

 そういえば、ベロクロンの攻撃で孤児となったアイを育てていたミラクル星人と、彼を狙ったテロリスト星人との戦い。あれももう、かなり前のことになるかと、二人は空のかなたに去っていったミラクル星人に思いをはせた。アイを託して宇宙に帰還していった彼も、持ち帰った資料を母星の役に立てているだろう。才人の来た宇宙とは別次元にあるこの宇宙、しかし地球をはじめ、いくつかパラレルワールド的な歴史をたどった同じ星もあるということなので、この宇宙のミラクル星はいつまでも平和でいてほしい。

 シルフィードも、到着を楽しみにしているようで、自然と飛ぶ速さが上がってきている。どうやらシルフィードには、別の楽しみがあるようであった。

”むふふ。この時期だったら、もう桃リンゴが一番熟れごろなのね。楽しみなのね”

 ウェストウッド周辺の名物の果実の甘さを思い出して、まだまだ食い気が一番に来るシルフィードはよだれを垂らした。

 景色はどんどんと流れていき、ウェストウッド村はもうすぐに近づいてくる。それにつれて、一行の顔もしだいにゆるんだものへとなっていき、着いたらなにをしようかなど、すっかり虚無のことなど忘れた話ばかり盛り上がっている。

 そんな中にあって、タバサは雑談には加わらず、いつもと変わらない風に本を読んでいた。

 しかしこのとき、タバサの様子が不自然であることに、うかれるルイズたちは気づけなかった。

 彼女が読んでいる本にろくに目を通さず、もう五回も最初から読み直していることに。

 

 ルイズたちの明るい展望を乗せて、シルフィードはサウスゴータ地方の上空に到達した。

 かつてのアルビオン王統軍とレコン・キスタの戦場跡を横切り、ウェストウッド村のある森林地帯へと差し掛かる。

 ところが、もうすぐ空から村が見えてくるであろうと思われるところで、奇妙な光景が一行の前に現れたのだ。

「なにこれ……霧?」

 高度およそ五十メートルから見下ろすシルフィードの背で、ルイズが怪訝そうにつぶやいた。

 ウェストウッド村の周辺は、一面が真っ白な霧に覆われていて、村の様子はまったく見えなかった。わずかに、背の高い樹木が霧の中から頭を出しているくらいで、これではどこにティファニアの家があるのかすらわからない。

 シルフィードは霧の上を何度も旋回して、裂け目がないかを探した。だが、周囲数百メートルは濃い霧に覆われている。その霧の濃さに、ルイズはなにか嫌なものを感じた。

「おかしいわね。霧なんかが発生する天気じゃないのに」

 授業を真面目に受けていたルイズは、気象の基礎知識という普通なら忘れられそうな知識もきちんと覚えていた。霧はおもに寒い日に、水辺で気温と水源の急激な温度差によって生じるもののはずだ。しかし、今日は真冬とはいえ気温は比較的高く、天気のいい日中である。第一、ウェストウッド村の近くに霧を出すほどの水源はなかったはずだ。

 一方で、才人やキュルケは到着間近で足止めを受けたことで不平を漏らしている。

「なんだよこれ、せっかく着いたら遊んでこうと思ってたのについてねえなあ」

「ほんとね。これはもしかして、虚無のたたりじゃないかしら? あらルイズ、そんなに怖い顔で睨まないでよ」

「じゃあことあるごとに人をおちょくらないでよね……ともかく、これじゃ危なくて下りられないわ。タバサ、霧の外にシルフィードを下ろして。あとは歩いていくしかないわ」

 タバサは無言でシルフィードを霧の外の街道に下ろした。ウェストウッド村の周辺は元々訪れる人も少ないので、今日も静かなものであった。巨体が邪魔なシルフィードを残して、一行の前に霧の壁が立ちふさがっている。

「行くわよ」

 白煙も同然の霧の中に一行は踏み込んだ。視界はせいぜい五メートル、隣にある木がようやく見える程度でしかない。人間は視力に頼る生き物だけに、それが封じられると本能的に不安がわいてくる。以前に迷い込んだトドラとゴルドラスのいた異次元空間を思い出して、才人はぽつりとつぶやいた。

「嫌な予感がするな」

 あのときは時空間の歪みによって、危うく別の世界に迷い込んで帰ってこれないところになりかけた。

 幸い、高山我夢、ウルトラマンガイアに助けられて帰ってくることができたが、考えてみたら最悪のピンチであった。次元を超えてしまったら、いくらウルトラマンAとはいえ自力での帰還は不可能であるから、永遠に次元の迷子になる可能性のほうが高かった。時空移動マシーンを独力で作ってしまうとは、我夢は本当にすごい天才だと才人は思う。

「ウルトラマンガイアか、すっげえかっこよかったな。もう一度会いたいな」

 異世界だろうとなんだろうと、ウルトラマンのかっこよさに差はなかった。あの世界は根源的破滅招来体という敵に狙われていると聞いたが、ガイアはその戦いに打ち勝つことができたであろうか。叶うことなら、あのときのお礼も含めてもう一度会って話がしたい。

 少し、思い出の世界を才人は楽しみ、現実に意識を戻した。ここはウェストウッド村、やってきた目的は別にある。

 しかし、霧は深くて少しでも離れたらはぐれてしまいそうだ。一行は白一色の世界で一番目立つ才人の黒髪を目印にして、固まって移動することにした。だが、そんなチャンスを悪い意味で逃さないのが赤い髪の小悪魔少女である。

「はぐれたら、ちょっと合流するのは難しそうね。でもサイトの髪って黒くてきれいね。もっと近くでみていいかしら」

「ちょっとキュルケ! サイトに勝手に近づくんじゃないわよ」

「あら、はぐれないように仕方なくよ。いいじゃない。どうせテファの家はすぐそこなんだし」

 やれやれ、と、才人はこんなときでもルイズをからかうことを忘れないキュルケに、なかば感心すらしていた。確かに自分は黒髪だけど、くせっ毛が強くて跳ね上がりがひどく、おせじにもきれいとはいえない。それに毎回乗るルイズもルイズだが、唯一救いがあるとしたら、キュルケを向いているおかげで、にやけかけた自分の顔を見られずにすんだことか。

 しばらく進むと、ようやく懐かしいティファニアの家が見えてきた。ドアの前に立つと、ノックをしてさっそく才人は皆を呼んでみた。

「おーいテファ! みんな! おれだ、平賀才人だ! また来たぜ。みんないるか!」

 霧の中を声が数度こだまし、また静寂が戻ってきた。

「おかしいな。声が小さかったかな……おーい! テファ、ジム!」

「アイちゃん、エマちゃん! いないの?」

 名前を次々に呼んで求めても、返事は一切返ってこない。

「変ね。もしかして、わたしたちを驚かせようと、わざと黙ってるのかしら」

 あのいたずら小僧たちならありうると、ルイズやキュルケは顔を見合わせた。しかし、家からは灯りがもれてくるし、ついさっきまで料理をしていたであろう香りが漂ってくる。居留守を使っても意味はないはずだ。

 いっそ、無礼は承知でドアを開けてみようかと才人はルイズたちに聞いてみた。ルイズもキュルケも、なんとなく不穏な気配を感じたのか、開けてみろと言って来る。ならばと、ノブに手をかけたそのときだった。じゃりっ、という靴音がして才人たちはとっさに音のしたほうへと身構えた。

「誰だっ……って、なんだエマちゃんか」

 ほっとして、デルフリンガーを抜きかけていた手を才人は下ろした。そこには、ティファニアといっしょに過ごしている小さな女の子が、こちらを向いてちょこんと立っていた。

「よかった。勝手に入って、後で怒られたらどうしようかと思った。なあ、テファたちはどこにいるんだ? 誰かの家に行ってるのかい?」

 才人はかがみこんで、エマの視線まで顔を下げて尋ねた。しかし、エマは答えずに首を横に傾けた妙な姿勢でこちらを見返している。目つきは虚ろで、なにかが妙だ。と、エマが無言のままポケットをまさぐり、果物ナイフを取り出した。

「危ねえっ!」

「サイトっ!」

 反射的に後ろに飛びのいた才人の上着が、ななめに切られてぱっくりと裂ける。今のは危なかった。喉元を狙われていたから、避けるのが遅れていたら頚動脈を切られていたかもしれない。駆け寄ってきたルイズたちも、才人が無事なことを真っ先に確認した。

「サイト、大丈夫なの?」

「ああ、それよりもどうも……ヤバい雰囲気みたいだぜ」

「えっ……あっ!」

「村中総出でお出迎えみたいよ。でも、最近のアルビオンは刃物を持って出迎えるのが流行なのかしらねえ……」

 気づいたときには、才人たちは霧の中から現れたウェストウッドの子供たちにすっかり囲まれてしまっていた。エマのほかにも、ジムやアイたち、見知った顔はすべている。そして子供たちの手にはすべて、ナイフやのこぎり、なたなどの凶器が握られていた。

 明らかに子供のいたずらのレベルではない。才人たちは背を向け合って四人で死角をかばいあい、それぞれの武器をかまえる。

「ちょっとこれ、いったいどうなってるのよ!?」

「おれが聞きたいよ。みんな! おれたちがわからないのか!」

 大声で怒鳴っても、子供たちの様子は変わらなかった。じりじりと包囲を狭めてくる子供たちに、才人たちも身構えるものの、子供相手に剣や魔法を使うわけにもいかない。

「こりゃ、今まで戦った中で一番の強敵かもね。タバサ、どうすればいいと思う?」

 キュルケに問われたタバサは迷わず、「一時撤退」と告げた。それを聞き、才人は「こいつらをほっていく気かよ」と抗議するが、「今は助ける術がない」と宣告されてしまった。悔しいけれど、本当に打つ手がまったくない。だがそれに勘付いたように、子供たちはいっせいに襲い掛かってきた。

「くそっ! みんな目を覚ましてくれ」

 ナイフや包丁をデルフリンガーではじき落としながら才人は叫んだ。しょせん子供の力なので、才人の力でも充分あしらうことができている。しかし、子供たちを倒してしまうわけにはいかないので、彼らはすぐにまた向かってきてきりがない。

「走るのよ! いったん村の外まで出ましょう」

 キュルケが先頭に立って、一行は村の外へと全力で走り出した。そうなると、子供の足では追いつくのは不可能になる。だがその前に、アイが小さな体に似合わない大きな草刈がまを持って立ちふさがってきたので、やむなく才人は鎌をはじき落として、この子だけはとアイの体を抱えて走り去った。

「はぁ、はぁ……もう、ここまで来れば」

 なんとか安全かと思われるところまで逃げ延びて、才人たちはやっと一息をついた。

 しかし、つれてきたアイは才人の腕の中で、まだ奇声をあげて暴れている。落ち着かせようと話しかけても、まるで聞く耳を持たない。やむを得ず、タバサの催眠の魔法で眠らせようと思ったときだった。ルイズがアイの首筋に、なにやら不気味に鼓動する風船のようなものがへばりついているのに気がついた。

「なにこれ? 生き物なの」

 例えるなら、泥水のあぶくを大きくしたような気味の悪い軟体だ。それがアイの首筋から血を吸っているかのようにうごめいている。まるで虫の体を栄養にして育つ冬虫夏草を連想する不気味さに、才人はすぐさまそれを引き剥がそうとしたが、タバサに止められた。

「待って、食いついているものを無理にはがすと危ない。見てて」

 タバサは呪文を唱えると、軟体に向かって杖を振った。すると、軟体は一瞬で凍り付いて剥がれ落ち、アイの目の色が元に戻った。

「あ、あれ? あたし……あっ! おにいちゃん、おねえちゃんたち!」

「よかった。正気に戻ったのね。ねえ、ここでなにがあったの? 落ち着いて話して」

 キュルケにうながされて、最初は動揺していたアイも、やがてみんながいることで安心して話し始めた。

「ええっと、お昼前だったかな……テファおねえちゃんたちと、お昼の準備をしてたときにね。森の向こうに空からおっきな石が降ってきたの。それでね、みんなで落ちたところを見に行ったんだ。でも、急に石から白い煙が出てきてそれから……」

 あとは覚えていないとアイは言い、才人たちは顔を見合わせた。

 空からの石、つまり隕石。ということは、そいつに乗ってきた何者かがこの霧を発生させ、あの気味の悪い軟体で子供たちを操っているのか。

「人間に寄生する宇宙生物ってわけか、なんてこった」

 まるで、以前に戦った円盤生物ブラックテリナのようだと才人たちは思った。あのときも、テリナQのおかげでアルビオン軍とレコン・キスタ軍がまとめて操られ、キュルケたちも一時取り付かれて大変なことになるところだった。この軟体がテリナQと同じ能力を持っているとすると、今の子供たちは操り人形ということになる。

 憤慨した才人は、氷付けになった軟体を踏み砕いた。その剣幕にアイはおびえて、ルイズにぎゅっとしがみついた。

「ねえおねえちゃん、みんなは? エマやサマンサたちはどこにいるの? みんなに何かあったの?」

 家族を戦火の中で失ったアイにとって、やっとたどりつけた新しい家族を失うことは、なによりの恐怖に違いない。震えるアイを、ルイズは昔カトレアにしてもらったように優しく抱きしめた。

「大丈夫、みんな無事よ。おねえちゃんたちが、きっとみんなも助けてあげるから……サイト、あんたは子供の前だってことわきまえなさいよね」

「う、わ、悪い」

 ルイズに母親にされるように叱られて、才人は恐縮するしかなかった。子供を守ろうとするときの女は、男よりも数段強い。これは才人とルイズが結婚したら、夫婦生活がどうなるかは見えているなと、キュルケはわかりきったことながらも苦笑した。

「ルイズ、そんな怖い顔したら淑女が台無しよ。ともかく、その石がくせものね。子供たちやテファも、きっとそこよ」

 キュルケの意見に、皆はうなづいた。相手の正体はまだわからなくても、元凶がわかっているなら対処のしようがある。

 隕石が宇宙生命体の母体ならば、破壊するまでだ。

 だがそのとき、タバサが突然杖を振りぬいて『ウェンディ・アイシクル』を唱えた。

「敵襲!」

 いつの間にか、アイに取り付いていたものと同じ寄生体が空中を浮遊しながら無数に迫ってきていた。タバサの放った氷の矢に射抜かれて、いくつかは撃ち落せたものの、まだ数は多い。

『ファイヤー・ボール』

『エクスプロージョン!』

 キュルケの火炎と、ルイズの詠唱省略の小型エスプロージョンがさらに撃ち落し、残ったものは才人が切り落とす。しかし、全滅させたと思ったのもつかの間、霧の中から次々に新しい寄生体が飛んでくるではないか。

「ちっ、こいつらこうやって人間に取り付くわけか」

 まさにテリナQそのものだ。数で人間を襲って取り付いていく。これでは、今は持ってもすぐにこちらの力が尽きる。しかもこの視界の利かない霧の中で、さらにアイをかばいながらでは逃げることもろくにできない。才人の剣は目の前の敵しか切れないし、キュルケの炎は一度に四~五匹程度が限界、ルイズの虚無は詠唱が長すぎる。この中で、この状況を打開できる能力を持っているのは、一人しかいなかった。

「タバサ、あなたの出番よ。やっちゃって!」

 キュルケは親友の力に、迷わず賭けることに決めたのだった。広範囲攻撃に長けた風の系統のトライアングルであるタバサなら、取り囲まれたこの状況でも打てる手はある。ところが、キュルケの呼びかけにもタバサは聞こえてないのか答えようとしなかった。

「どうしたのタバサ、ぼっとするなんてあなたらしくもない!」

「伏せてて」

 今度は明確な答えが来た。同時にタバサが呪文を詠唱しはじめるのを聞くと、キュルケは服が汚れるのもかまわずに地面に伏せて、才人とルイズもアイを抱いたままで続く。タバサが本気で魔法を使ったときの威力に巻き込まれたら、汚れるどころではすまないからだ。

「ラグース・ウォータル・イス・イーサ……」

 これは現在タバサが使える中では、最大・最強のものだ。彼女を中心に魔力が渦を巻いていき、魔力は周辺の大気に干渉して周辺の水蒸気を凝結させ、鋭い氷の刃を数百・数千と生み出す。むろん、その間にも寄生体の群れはようしゃなく迫ってくるが、タバサは微動だにせず詠唱を続け、大気そのものを動かして猛烈な勢いの竜巻を作り出した。

『氷嵐』

 タバサを中心に発生した氷の竜巻は、その中を渦巻く氷片がまばゆく輝き、芸術的とさえ呼べる美しさを持っていた。しかし、その実体は、すべてを切り裂き、凍りつかせて粉砕する、恐るべき『アイス・ストーム』である。完成した魔法を肌で確かめると、タバサはそれを自らを中心に、全方向へと解き放った。

 台風の中心にいるような、すさまじい風の音が吹き荒れる。伏せていても吹き飛ばされそうな風圧に、才人たちは目を閉じてじっとこらえるしかなかった。

 しかし、直撃を食らわされたほうはその比ではない。極低温の氷竜巻に飲み込まれた寄生体の群れは、一瞬にして凍結し、次の瞬間には粉々に打ち砕かれた。しかも、タバサの魔法の威力はそれにとどまらず、彼らを囲んでいた霧もまとめて吹き飛ばした。

「タバサ、すげぇな……」

「はぁ……やった、全滅よ!」

「タバサ、また腕を上げたみたいね」

 一瞬で状況を一変させたタバサの力に、才人もルイズもキュルケも惜しみのない賞賛を送った。アイも「おねえちゃん、すごーい」と拍手を送っている。本人は魔法を放つ前と同じように無表情を貫いているけれど、もう学院はおろか、魔法衛士隊にだってタバサに匹敵するメイジはそういないのではあるまいか?

 ただ、今日のタバサはいつもと同じように見えて、どこか違うような感じがするとキュルケは思った。どことはっきり言えないが、付き合いの長い自分だからか、かすかな違和感があるように思えた。

「タバサ……」

「……なに?」

「……いえ、なんでもないわ」

 キュルケは問いかけようとしてタバサに話しかけたけれど、彼女の青い瞳で見つめ返されると聞く気がなくなってしまった。

 やっぱり気のせいか。キュルケはタバサの魔法の成長に、心の奥で嫉妬していたのかもしれないなと、違和感を振り払った。

 周辺からは寄生体は一掃され、霧も吹き飛ばされて見慣れたウェストウッド周辺の景色があらわになっている。新手が来る様子も今のところはない。どうやらあの寄生体は霧の中でしか生きられないか、霧からあまり離れることはできないようだ。となると、残る問題はやはりこの霧か……はじめから不自然と思っていたが、敵の本体はこの霧を隠れ蓑にした奥か。

「でも、タバサがいれば霧なんか吹き飛ばしながら進めるから安心よね」

 ルイズはすっかりとタバサをあてにしてしまっているようだ。でも、タバサがそれを聞いてため息をついたように、魔法を使うための精神力には限りがあるから、あまり強い風はそうそう使えないのである。しかし、霧さえなくせれば見通しは利いて、こちらが圧倒的に優位に立てる。

 そう、思ったときだった。

「なんだっ! 霧が集まっていく」

 突然、森に充満していた霧が生き物のように動き出して一箇所に集まり始めた。すると、気体であった霧が密度を増して固体のように凝縮していき、さらには明確な形を形成して、巨大怪獣となって実体化した。

「あれが、霧の正体だったのか!」

 才人が、とうとう本性を現した怪獣を見上げて叫んだ。怪獣はさきほど襲ってきた寄生体と同じように、大小様々なボール状球体が無数にくっついて、いびつな恐竜型を形成したような姿をしている。いやな表現方法を使えば、目玉が寄り集まってできた怪獣とでもいうべき醜悪な異形。

 見たこともない怪獣に、才人はGUYSメモリーディスプレイでスキャンしてみたが、該当するものはなかった。

 やはりこいつも自分の世界にはいない、異世界の宇宙怪獣か。

 タバサはシルフィードを口笛で呼び、キュルケとアイを乗せて飛び立った。

 そして、才人とルイズは残って怪獣を見据える。これまでにないおぞましい容貌をした怪獣は、森の木々を蹴散らして向かってくる。

 

 彼らの知らない敵の名は、マグニア。

 ウェストウッドの子供たちを虜にし、襲い掛かってくるこの未見の怪獣がどんな能力を持っているのか、彼らはまだ知らない。

 

 

 続く



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第41話  奪われた虚無

 第41話

 奪われた虚無

 

 寄生怪獣 マグニア 登場!

 

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 才人とルイズのリングが輝き、二人の手のひらが合わさるとき、二つの光が一つに輝く。

 心と体が一つに交わり、開放された太陽エネルギーに包まれて、光の戦士に姿を変える。

 合体変身! ウルトラ五番目の弟、ウルトラマンA参上!

〔いくぞ怪獣!〕

 二人の心の中から姿を現したエースが、恐るべき巨大怪獣を前に構えをとる。

 対する敵は、白い霧から本性を現した異形の怪獣。全身は大小のボール状の表皮で覆われていて、頭には顔がなく、口と思われる部分からは細い触手が無数に生えている。地球のような惑星の生物では、まずありえない進化をとげた姿の宇宙怪獣。

 寄生怪獣マグニア。こいつは才人の来た地球でも、このハルケギニアにもいるはずのない異世界の怪獣であった。

 生態は、自らを霧に変えて正体を隠す擬態能力。さらに自分自身である霧の中に踏み込んだ生物に、分身体である寄生体を差し向けて取り付かせる。そして取り付かれたものは、意識を消されてマグニアの思うがままに操られるようになってしまうのだ。

 すでにマグニアはウェストウッド村の子供たちを襲い、尋ねてきたルイズたちを襲わせた。

 しかし、寄生体を全滅させられた奴は、とうとう自ら実力行使に出てきた。

 子供たちの遊び場の森を踏み荒らし、実りかけていた果実をつぶしてマグニアはエースに迫る。

 その暴虐を空の上のシルフィードが見下ろして、アイは叫んだ。平穏な生活を崩され、友達を奪われた少女の怒りの叫びが森にこだまする。

「エース! そんな怪獣、やっつけてーっ!」

「シュワッ!」

 彼女の怒りを力に変えて、エースは強くこぶしを握り締める。

 ウェストウッド村の子供たちは、皆家族を戦争などで奪われた孤児たちだ。普段は明るく振舞っていても、その心には消すことのできない深い傷が刻まれている。もう誰の心にも、そんな傷を新たにつけてはいけないのだ。

 村の平和は必ず取り戻してみせると、エースの中で才人とルイズも決意を固める。

 しかし、熱く燃える闘志とは裏腹に、才人は心の中で見たこともない怪獣を興味深げに見ていた。

”怪獣には時々プリズ魔みたいに変なやつがいるけど、こいつはシュガロンを百倍気色悪くしたような感じだな。しかし……まるで地球で見たこともないような、こんな怪獣もいるのか。おもしろいな”

 こんな状況にも関わらず、怪獣の観察に余念がないのはなかば本能のようなものであろうか。とはいえ、才人の根っからのウルトラマンと怪獣好きの知識が、これまでに何度もピンチを救ってきたのも事実だ。才人はたまに、もしもウルトラマンも怪獣もいない世界に生まれたときの自分を想像するけど、今の自分を悪いとは思わない。数多くの異世界があることがわかったのだ。その中には、まったく違う地球で、まったく違う人生を送っている平賀才人もいるかもしれない。でも、この平賀才人は自分だけなのである。第一、この知識があるからCREW GUYSの特別隊員と認められたのだ。地球とハルケギニアを自由に往復できるかもしれない資格に近づける知識、あって悪いわけはない。

 そして、じっと怪獣を観察した才人は、自分の知識と照らし合わせて、こいつが非常に危険な怪獣であると結論づけた。

〔強いて言えば、見た目とか分身を飛ばして人間を襲うところが、こぶ怪獣オコリンボールに似てるな。血を吸うんじゃなくて、人間に寄生して操るところは違うが、どっちにしろこいつをほっておくと大変なことになるぜ〕

 才人とルイズは、この怪獣が人里に下りたときの惨事を想像して背筋を寒くした。単に暴れるだけの怪獣なら逃げればいい。本当に恐ろしいのは、人間を直接のターゲットにしてくる怪獣たちだ。

 今言ったオコリンボールは大群で人間を襲って吸血し、多数の犠牲者を出した。また、サドラがボガールに誘い出されて群れで山から下りてきたときには、市街地で何人もが捕食されてしまっている。吸血怪獣や、人間を食料と考えている怪獣は絶対に人里に下ろしてはいけないのだ。

〔子供たちをひどいめにあわせた落とし前は、つけさせてもらうぜ!〕

 少々かっこうをつけた言い回しで、才人は叫んだ。辺境で、ただ平和に暮らしていただけのティファニアと子供たちを、こんな醜悪な怪物のエサになどされてたまるものか。

「シャッ!」

 突進してくるマグニアの頭上へと、エースは跳んだ。エースの跳躍能力は一足九百メートル、太陽を背にして急降下しながらスピンキックを放った。

「ヘヤッ!」

 マグニアの頭部を削り、ダイヤモンドよりも固いエースのかかとが体にめり込む。エース先制の十八番攻撃の炸裂に、巨体が揺らいで前のめりにふらつく。が、奴の体を形成している球体は、サッカーボールのような頑強さと柔軟さを併せ持ち、スピンキックの威力を吸収してしまった。

〔やっぱ、この程度の攻撃で怪獣を倒せはしないよな〕

 すぐに姿勢を立て直し、反転してくるマグニアにエースは対峙する。エースキックが腹を打って突進を押しとどめ、水平チョップで首筋を打ちのめす。

「ヘッ!」「テヤァ!」

 怒涛の連続技の炸裂。キックやチョップにとどまらず、攻撃の激しさならば兄弟の中でもエースはトップクラスだ。

 しかし、マグニアは強固な体格でエースの攻撃を耐え切ると、思いも寄らぬ反撃に出た。エースのキックを両腕で受け止めると、すくい上げるようにして投げ飛ばし、姿勢が崩れたところにパンチや体当たりを素早く浴びせてくる。

〔この怪獣、速いわ。エース、気をつけて!〕

 ルイズは、思いも寄らない怪獣の素早さに、まるでトロル鬼がコボルドの素早さを身につけたようだと思った。前傾姿勢と長い尾を持つ恐竜・ドラゴン型の体格をしているくせに、動きはまるで武道家のようだ。ルイズの表現はいささか過大に過ぎても、標準からすれば充分に速い。

「デヤッ!?」

 攻撃を受け損なったエースの肩にマグニアの腕が激しく当たった。エースに匹敵するほどでないにしても、見た目からの先入観で実際の速さを錯覚してしまったのである。たとえるなら相撲取りが空手家のように攻めてきたようなものだ。ウルトラマンといえども、心の中の常識という敵にはしばしばやられてしまうのだ。

〔手ごわいな、あなどれない怪獣だ〕

〔宇宙怪獣は奇怪な能力持ったやつが多いですからね。こいつは肉弾戦が得意ってわけか〕

 才人は頭の中で、格闘戦に秀でた怪獣のことを思い出していた。何百という怪獣の中には、人間のような俊敏な動作のできるものもいる。ウルトラマンレオの戦った蠍怪獣アンタレスは宇宙拳法を会得していたし、ウルトラマン80と戦ったマグマ怪獣ゴラは宇宙戦士の異名を持ち、兄弟随一の身軽さを持つ80と互角の格闘戦を演じている。

 人は見かけによらないというが、怪獣にも見かけによらないやつがいる。

 だが、このくらいの敵ならば過去の戦いにいくらでもあった。また、光の国で兄弟たちと何百回と繰り返した組み手の激しさは、下手な実戦を軽く超えるほどである。なかでも、セブンとの訓練は特に容赦がなく、何度ウルトラ念力で投げ飛ばされ、アイスラッガーで切られかけたか知れない。

「我々宇宙警備隊員は広大な宇宙の平和を守るため、ほとんどの場合を一人で戦い続けなければならん。だが、その孤独に耐えるのは大変なことだ。ならば、いかなる敵にも屈せぬように自らを鍛えて鍛えて鍛えぬくのだ!」

 自他共に厳しいセブンの叱咤は、今でも耳の奥に深く根付いている。それを思い出せば、警戒しても恐れる理由にはならない。

「デヤッ!」

 さあこい、勝負はこれからだ。エースはマグニアと、さらに激しい攻防を繰り広げる。

 

 一方、戦いを空の上からずっと見守っていたキュルケとタバサも、動き始めようとしていた。

「怪獣はエースにまかせておいて大丈夫そうね。じゃあわたしたちは、あいつが現れたっていう空から落ちてきた石を調べましょう」

「……アイ、案内お願い」

「うん、あっちだよ!」

 シルフィードは翼を翻し、エースの戦いを後ろに飛び去っていく。

 目的の隕石は、ウェストウッド村からわずか一リーグほどしか離れていない森の中に落ちていた。

「あれね」

「うん、間違いない」

 森の木々をなぎ倒してできた、直径三十メイルほどのクレーターに隕石は半分埋まっていた。大きさは、目測で二十メイル強。しかし表面は岩ではなく、マグニアと同じ白色の球体が寄せ集まってできた気味の悪い外見をしている。キュルケとタバサは、これが怪獣の卵あるいは乗り物であろうと判断した。

 高度を落としてみると、隕石の周りにはあの寄生体がうじゃうじゃ飛び回っている。霧がなくなったことではっきりわかるが、数は百を下るまい。あまり高くまでは飛べないようでシルフィードを襲ってはこないけれど、これではうかつに近寄れない。

「あの気色悪いのをほっとくと後々面倒ね。タバサ、今度はわたしもやるから、一気にふっとばしましょう」

 無言でうなずいたタバサとともに、キュルケは呪文を唱え始めた。タバサが唱えているのは先程と同じ『アイス・ストーム』、これに彼女に匹敵するトライアングルメイジであるキュルケの魔法が加われば、その威力は先の比ではなく増大するだろう。だが、魔法を放とうとした瞬間、固唾を呑んで見守っていたアイが地上を指差して叫んだ。

「おねえちゃんたち待って! あそこ、エマやサマンサたち、みんながいる!」

「えっ!?」

 驚いた二人は、振り下ろしかけていた杖をぎりぎりのところで引き戻した。よく見ると、クレーターのふちにウェストウッド村の子供たちが集められているではないか。

「なんてこと! これじゃ攻撃できないじゃないのよ」

 もしさっき魔法を放っていたら、間違いなく彼らも巻き添えにしてしまっていた。そうなっていたときのことを思うとぞっとするのを抑え、様子を見ると、全員さっき見たとおりに操られたままで立ち尽くしている。しかし、うかつに近寄ったら返り討ちにされてしまう危険が大きいために、簡単に助けにはいけなかった。

「おねえちゃん、みんなを助けて!」

「うーん、そうは言ってもね。タバサ、なんかいい手はない?」

「人質にとられてるも同然だから、下手に手を出さないほうがいい。もう少し、様子を……」

「おねえちゃん、みんなが!」

「どうしたの……なにあれ!?」

 タバサとキュルケは子供たちを見て愕然とした。寄生体に取り付かれた子供たちから、白いもやのようなものが抜け出して隕石に吸い込まれていくではないか。しかも、その奇怪なもやが抜け出された子供たちは、糸の切れたマリオネットのように次々と倒れていく。

「もしかして……命を吸い取ってるの?」

 先日、ゾンバイユによって仮死状態にされた人々を見てきたキュルケは、この寄生体もあの怪獣と似た特質を持っているのではないかと推測して、それは見事に的中していた。寄生体は取り付いた子供たちから生命エネルギーを吸収し、それを隕石へと次々と供給していたのだ。

 さらに、隕石から吸収した生命エネルギーがどこかへ向けて放出されはじめたのを見て、タバサはシルフィードの高度を上げさせた。見通しのよくなったところで、その行く先を確認すると、生命エネルギーは案の定怪獣に向かっていくではないか。

 

 そのころ、ウルトラマンAはマグニアを相手に優勢に戦いを進めていた。だが、隕石から放出された生命エネルギーがマグニアの体に吸い込まれると、追い込まれていたマグニアは一転して反撃に出てきた。

「ヌワアッ!」

 エースは、マグニアの放ったパンチの一発を受けてのけぞった。

(なんだこいつ、急にパワーアップしやがったぞ!?)

 才人は、いきなり攻撃力を上げたマグニアの一撃に驚愕の叫びをあげた。さっきまで、この怪獣はエースの攻撃を受けてフラフラになっていたというのに、まるでそんなふうを感じさせない反撃をしてきた。おかしい、手ごたえはあったから確実にダメージは与えられていたはずだ。にもかかわらず、まるでそれをリセットしたかのようにやつは反撃してきた。死に際の一撃とかいうのではない証拠に、やつはさらに腕を振り上げて襲ってくる。

(ぬっ! どうなっているんだ)

 振り下ろされてきた腕を受け止め、蹴り上げてきた足をさばきながらエースは思った。やはり、攻撃の威力がまったく違う。

 エースも、突然元気になった怪獣に違和感を覚えていた。もう少しでとどめを刺しきれる状態だったのに、この不自然な回復ぶりはなんだ? 一瞬、アボラスやバニラのように無限の体力を持っているのではと思ったけれど、途中まで弱らせられていたのだからその線は薄い。いや、こんな状況の戦いを、前にもしたことがあるような気がする。

 激しく攻めてくる怪獣の攻撃をさばきつつ、エースは既視感の正体をさぐった。そして、怪獣の体にどこからか飛んできたエネルギーが流れ込んでいくのを見ると、かつてのヤプールとの戦いのひとつを思い出した。

(あれは……そうか、そういうことだったのか!)

(えっ? 北斗さん、いったいどういうことですか)

(やつは外部からエネルギー補給を受けているんだ。君も聞いたことがないか? 超獣ブラックサタンと同じだ)

(あっ! そ、そうか)

 才人も、その超獣の名前を聞くことで、マグニアの突然の回復の理由に思い当たった。

 暗黒超獣ブラックサタン……かつて異次元人ヤプールが、配下である宇宙仮面を通じて送り込んできた超獣である。

 その実力は高く、両手からのミサイル弾に単眼からの破壊光線、尻尾の先からの大型ミサイルなどの多彩な武器によってエースを苦しめた。

 しかし、本当に脅威だったのはブラックサタン本体ではなく操っている宇宙仮面であった。奴は一度エースに倒されたブラックサタンにエネルギーを与えて回復させ、消耗したエースを再度襲わせたのだ。

 今の状況はそのときとよく似ている。もし、やつが外部からエネルギーを与えられ続けているとしたら、いくら攻めても倒せないということになってしまう。

(なんてことよ! それじゃ時間制限があるこっちが圧倒的に不利じゃない。サイト、どうしたらいいのよ)

(やつにエネルギーを与えてる、なにかを破壊できればいいんだけど)

 苦渋を噛みながら才人が言った解決方法は、実際には怪獣の猛攻を食い止めながらではかなり難しそうである。

 そのとき、空の上からキュルケの声が響いてきた。

「エース! そいつは空から落ちてきた岩から、子供たちの命を吸い取ってるのよ!」

(なんだって、やはりそうだったか!)

 予想は当たっていた。このままではやつには勝てない。しかし、怪獣と戦うので手一杯のエースはテレパシーを使ってキュルケとタバサに要請した。

(なんとかして、その岩を破壊してくれ。そうしなければ、こいつは倒せない)

「えっ、今の声って……」

「ウルトラマンが、わたしたちの心に呼びかけてきた」

「す、すごいわね。そんなこともできるんだ……と、ともかくわかったわ。まかせて!」

 キュルケとタバサは、心に直接呼びかけてきたエースの声に困惑しつつも、再び隕石へと向かった。

 隕石では、マグニアに供給するために、とめどなくエネルギーが放出されている。子供たちも、それに合わせて生命エネルギーを吸われ続けており、未熟な子供の生命力の限度などはたかが知れている。さっき見たときよりはるかに衰弱している様子に、さしものタバサも焦った声をだした。

「いけない! このまま命を吸われ続けたら、みんなすぐに死んでしまう」

「なんですって! ええもう、なりふりをかまってる場合じゃないみたいね!」

 事態が最悪になりかけていることを悟った二人は、寄生体の群れに飛び込むことを覚悟で子供たちを助けに向かった。

 高度を下げると、当たり前に寄生体はいっせいに襲い掛かってくる。こいつらに食いつかれたら、意識を消されて怪獣のエサへと直行させられる。二人は魔法で弾幕をはって、全力で振り払う。

「このこの! もてるのはけっこうだけど、こういうのは勘弁してもらいたいものね」

「邪魔……するな」 

 妨害を蹴散らして、二人は子供たちの元に降り立った。シルフィードは取り付かれないように、頭を翼で覆ってうずくまる。

 しかし、彼らを助け出そうとしたとたん、子供たちはまたキュルケとタバサに襲い掛かってきた。

「しまった。まだ動けるだけの力があったの」

 子供たちは、すでに身動きする力は残っていないだろうと思っていたキュルケとタバサは完全にふいをつかれた。

 いくら子供とはいえ、数人がかりで飛び掛れば大人を押さえつけることもできる。魔法を使えなくてはタバサもキュルケも普通の女の子に過ぎない。力ずくで振りほどくことはできず、かといって弱っている子供たちに魔法をぶっつけては、それだけで殺してしまうかもしれない。

「やめて、離しなさい! タバサ、魔法でこの子たちの動きを止められない?」

「だめ! この子たちは人質として価値があるから生かされてるようなもの。使えなくなったら、即座に残った生命力も吸い尽くされる」

「なんですって!? 卑怯な……でもだったら、どうすればいいの!?」

 子供たちを助けるどころか、このままでは逆に子供たちにやられてしまう。そして身動きを封じられたが最後、頭の上でチャンスが来るのをいまかいまかと待っている寄生体に取り付かれて、枯れはてるまで命を吸われてしまうだろう。

 だめだ、やっぱり子供たちを傷つけることはできない。絶体絶命のピンチに、タバサは危険を承知で『蜘蛛の糸』で子供たちを縛り上げようとした、そのときだった。シルフィードの影に隠れていたアイが飛び出して、キュルケを襲っていたエマたちに飛び掛ったのだ。

「みんなやめてよ! 目を覚まして」

「アイちゃん!? だめよ逃げなさい! みんなは操られてるの、あなたもやられるわ」

「や! エマもサマンサも、みんなみんなアイの家族だもの! 今度は絶対わたしが助けるんだもの」

「アイちゃん……」

 キュルケは、必死な様相のアイに、以前にミラクル星人を助けてくれと裸足で駆け込んできたときの彼女を思い出した。あのときも、今も彼女は目の前で大切な人を失おうとしている。失う悲しみを知っているからこそ、自分を受け入れて愛してくれたこの村の皆を同じように愛しているからこそ、無茶と知りつつ黙ってはいられないのだ。

 アイはキュルケの右腕に取り付いていたサマンサを押し倒すと、必死に呼びかける。

「ねえサマンサ! わたしがわかんないの! ねえ」

 血を吐くような叫びも、首筋から脳を完全に支配している寄生体のコントロールを解くことはできなかった。サマンサは、胸の上にのしかかって叫び続けているアイの首に手を伸ばして、加減なく締め上げた。

「か、や、やめ、て」

「アイちゃん!」

 子供の握力というものは実はかなり強い。やせっぽちの子供でも、鉄棒で自分の体重を支えるくらいのことは大抵ができる。ましてや自然児のウェストウッドの子供たちとなればなおさらで、首の骨をへし折るくらいのことはできてしまう。

 キュルケとタバサはアイを助けたくても、自分たちが寄生体に取り付かれないようにするだけでやっとだ。窒息させられるのが早いか、首の骨を折られるのが早いか、だがどうすることもできない。

 しかし、苦しみと悲しみの中でアイが流した一滴の涙が寄生体にこぼれ落ちた瞬間だった。ブクブクと不気味にうごめいていた寄生体が涙の触れた部分から急速にしぼみ、サマンサの首筋から剥がれ落ちると、針を刺された風船のように小さくつぶれてしまったのだ。

「あ、あれ。あたし?」

「サマンサ! 気がついたのね!」

 寄生体がはがれたサマンサは正気を取り戻した。慌ててアイの首から手を離し、訳がわからないまま抱きついてきたアイに目を白黒させる。そして、今の光景を見逃していなかったキュルケとタバサは、寄生体の弱点を見抜いた。

「タバサ、水よ! こいつらは水に弱いんだわ!」

 すでに呪文を唱え始めていたタバサの頭上に、大きな水の塊ができていく。空気中の水分を水に戻すのは水系統の基本中の基本である。タバサの一番の得意は風の系統だけれど、氷の矢を加工するのに比べれば、水を集めるだけなど簡単なものだ。作り出した水球を頭上で破裂させたタバサとキュルケ、それと彼女たちに張り付いていた子供たちにどっと水が振りそそぐ。すると思ったとおり、子供たちに取り付いていた寄生体はすべて塩をかけられたナメクジ同然に溶けてつぶれ、全員が正気に戻った。

「あれ? おれたち」

「はっくしょん! へぅ……タバサおねえちゃん?」

 子供たちはずぶ濡れで、なにが起こったのかさっぱりわからないという様子だが、幸いにして命に別状ある者はいないようだ。タバサはシルフィードを呼んで子供たちを守らせる。キュルケはこの最大の功労者の頭を、少々乱暴になであげた。

「アイちゃんやったわね! 大手柄じゃないの」

「あわわ! いたた、痛いよおねえちゃん」

 力を入れすぎて髪がぐしゃぐしゃになっているけど、アイはそんなことはかまわずに泣きながら笑っていた。偶然とはいえ、アイの行動がなければ寄生体の弱点を知ることはできなかった。いや、絶対に家族を失いたくないというアイの強い思いが、奇跡を呼び起こしたのに違いない。その奇跡を、無駄にしてはならなかった。

「よっし、あとは周りの雑魚とでかいのだけね。タバサ、そろそろ精神力全部使い切るつもりで派手にいきましょうか!」

 タバサがこくりとうなづくと、二人は背をつき合わせて呪文を唱え始めた。同時に子供たちに、シルフィードの翼の下に隠れて動かないようにとも言い含める。

 残る寄生体はざっと五十体、それらがいっせいに襲い掛かってくるのは身の毛もよだつ光景だ。

 しかし、すでに勝利を確信している二人には恐れはない。戦乙女の歌声のように呪文のデュエットをかなで、掲げた杖を指揮棒のように振って、無粋な観客のアンコールに応える。

 タバサが生み出した水の球は、今度は直径十メートルほどもある巨大なものだ。それを空中高く打ち上げると、次にキュルケが水球に向かって小さな火の玉を投げつけた。

「まさかわたしがルイズの真似をすることになるとは夢にも思わなかったわ。でも、どうせやるならきらびやかなほうがいいものね。さっ、はじけなさい。ボンッ!」

 キュルケが優美に手を上げて、指を鳴らした瞬間、水球が爆発した。一トン以上はある水量がぶちまけられ、寄生体は一匹残らず水を浴びせられてつぶれて落ちる。醜い風船の群れが全滅した後に残ったのは、優雅にポーズを決める二人の女神だけだった。

「さっすがタバサ、言わなくてもちょうどいい大きさの水球を作ってくれたわね」

「キュルケこそ、炎を操る腕前が上がってる。火球を水球の中心に打ち込んで、水蒸気爆発で吹き飛ばせる加減ができるのはあなたくらいのもの。下手な使い手では、水球を蒸発させて台無しにしてしまう」

「あらあら、タバサにほめられるとその気になっちゃうわね。じゃ、時間もないことだし最後の仕上げをしちゃおうか」 

 二人はうなづきあうと、杖をクレーターに埋まっている隕石に向けた。だが、相手はマグニアと同じ外見をした巨大な隕石である。もろい寄生体と違って簡単にはいかないはずだ。さっきキュルケが言ったように、精神力全部を使い切る覚悟が必要だろう。数万トンはある巨岩を、二人の力だけで破壊するにはどうすればよいか。

「危ないものは、燃やしてしまうのが一番ってことよね」

 タバサは風の魔法で周辺の木を切り倒してくると、それを隕石の上に乗せた。さらに、その木に『錬金』の魔法をかけて油に変えてしまう。土系統のメイジではない二人は、『錬金』はさほど強力ではないけれど、樹木には元々油が大量に含まれているため変質させることは比較的簡単だ。

 やがて、『錬金』を使うための精神力もなくなり、クレーターの中の隕石がひたるほどに油がたまった。

 そして、子供たちを安全な場所まで避難させたのを確認すると、キュルケは軽く杖を振って『発火』の呪文を唱えた。

「ひゅう……」

 軽く口笛を吹いたキュルケと、手で顔を覆ったタバサの前で恐るべき光景が広がった。巨大なクレーターは一瞬にして活火山の噴火口と化し、天まで届く業火を巻き上げる。炎系統の使い手であるキュルケでさえ、ここまでの炎は生まれてから一度も見たことはなかった。

 恐らく内部は数千度の超高温に達していることだろう。炎は燃えることによって自らの熱量をさらに高め、許される限りの限界をめざして急上昇していく。隕石は、頑強な表皮でその高温に耐えようとしていたが、最後には耐性の限界を超えて、内部に詰まっていたエネルギーごと自爆した。

「やった! 木っ端微塵よ」

「これで、もう怪獣は力を回復することはできない」

 キュルケとタバサは、降りかかってくる火の粉を払いながら手を組んだ。

 そう、もはや無限のエネルギーを誇っていたマグニアの補給は完全に絶たれた。

 いくら攻撃を受けてもこたえなかったマグニアが急にぐったりとなり、攻撃に耐え続けてきたウルトラマンAは反撃に打って出る。

(やってくれたか二人とも。ようし、今がチャンスだ!)

 このときのためにエネルギーを節約して戦っていたエースには、まだ余力が充分にあった。懐に飛び込んでのストレートパンチがマグニアの腹にめり込み、思わず身を縮めたマグニアの頭にひざ打ちを当てる。いずれも手ごたえ充分、頑強だったマグニアの体表も打って変わってやわらかく感じられるようになり、面白いように攻撃が効きだした。

「ヘヤッ!」

 水平チョップがきれいにきまり、続いて腹の下からかちあげるように放ったアッパーがマグニアの首を打つ。

 むろん、マグニアも危機を感じて防戦につとめてくる。しかし、その動きは油の切れた歯車のように鈍く、エースの動体視力と反射神経をもってすればかわすのは容易だった。そうなると、これまでずっと受身で痛みに耐え続けてきた分、ルイズや才人も調子に乗ってきた。

(いけるわよ! よーっし、さっきまでのお礼は存分にしてあげるわよ。覚悟なさいダンゴ虫のお化け!)

(おーこわ、ルイズを怒らせると怪獣でも容赦ないな)

 昔から怖いもの知らずではあるけれど、ルイズの無鉄砲さは悪いことばかりではない。ちょっとやそっとのことでは心が折れないので、はるかに強力な敵が相手でも戦意を保ち、周りを鼓舞できる。仲間がうまくサポートすれば、ムードメーカーとして中核になれる素質を持っている。そこはさすが『烈風』に育てられたというべきか。

 ルイズの有り余る戦意に後押しされて、エースもさらに攻勢を強める。マグニアの肩を掴むと、後ろに倒れこみながら、その勢いで巴投げに似た大技を打ち込んだ。

「テェーイ!」

 宙を舞い、引力に引き戻されて地面に叩きつけられたマグニアが高々と土煙をあげる。

 本来、奴は霧で姿を隠して周辺の生き物を寄生体で操り、必要な生命力を集めて隕石に蓄積する。そしていざ外敵がやってきたときは、溜め込んだ生命力を使って敵を倒すのが戦術だったのだろう。だが、生命力の補給を絶たれると、それに頼り切っている分もろかった。

 フラフラになりながらも起き上がり、金切り声を上げて、口から白煙とともに雷状の光線を撃ってくる。それも、今となっては見切るのはたやすい。エースは体の前で両腕をクロスさせて光線を迎え撃った。

『エースバリヤー!』

 マグニアの光線は、すべてエースのバリヤーにはじき返されてエースにダメージはない。反面、マグニアは今の光線で残っていたエネルギーをほとんど使い切ってしまったらしく、続いて攻撃をしてくる気配はない。

 決めるならば今だ! 才人とルイズが、舞い戻ってきたキュルケとタバサが、駆けつけてきた子供たちがいっせいに叫ぶ。

「いっけぇぇーっ!」

 願いはひとつ、勝利のみ。期待に応え、エースは「ムゥン!」と気合を溜めると両腕を胸の前で交差させ、続いて突き出した両手のあいだから星型のエネルギー手裏剣を連続発射した。

『スター光線!』

 星型手裏剣に命中されたマグニアの体がフラッシュのようにきらめき、感電したように震えて動きが止まる。この光線は威力は小さいけれども、敵の体にショックを与えて動きを封じる、いわばつなぎ技だ。そして今度こそ、完全に動きの止まったマグニアにエースの大技が炸裂する。

 両腕をクロスさせてエネルギーを溜め、一気に上下に開いたエースの両手のあいだから、巨大な三日月のカッターが放たれた!

 

『バーチカルギロチン!』

 

 宇宙のあらゆる刃より鋭い白刃がマグニアをすり抜けたとき、次の瞬間巨体は左右に切り分けられて崩れ落ちた。

 いくら生命エネルギーを吸収する限り、無敵に近い力を発揮できる怪獣といえども、こうなってしまってはどうにもならない。切り裂かれた半身は、わずかに抵抗しようとするように腕を上げようとして力尽きた。

「エースが勝った! ばんざーい、ばんざーい!」

 子供たちから、勝利を祝福するシンプルだが温かいエールが送られる。

 人間の生命エネルギーを狙ってやってきた宇宙怪獣は、その目的を果たすことなくあえない最期をとげたのであった。 

 マグニアが完全に絶命したことを確認したエースは、ゆっくりとうなづくと空を見上げる。マグニアの張った霧が消滅し、本来の気候に戻ったウェストウッド村の空は美しく、エースは子供たちの声援を背に受けて飛び立った。

「ショワッチ!」

 あっというまに雲のかなたにエースは見えなくなっていく。子供たちはその後姿に向けて、ずっと手を振っていた。

 

 

 平和が戻ったウェストウッド村、幸い建物の損壊はなく、子供たちの健康状態も心配したほどではなかった。

 だが、戦闘の興奮と勝利の美酒に酔いしれて、彼らは重大なことを忘れていた。それを思い出させたのは、少年の一人のジムがふと尋ねた一言。疲労がひどかった子供たちを休ませて、ようやく人心地つこうとしたときになってからだった。

「ねえ、テファおねえちゃんはどこにいるの?」

 はっとして、一同はティファニアがどこにもいないことにようやく気がついた。そういえば、戦っている最中も一切見かけていない。まさか、すでにあの怪獣の餌食になってしまったのではと、才人が不吉なことを口にしてルイズに殴られた。

「バカ! 縁起でもないこと言うんじゃないわよ。あの子がそう簡単にやられるわけないじゃないの」

「あいてて、悪い口がすべった」

「ともかく捜しましょう。日が暮れたらやっかいよ、タバサ、あなたたちは空からお願い!」

 ティファニアも、おそらくはあの寄生体にやられたであろうから、霧の張っていた範囲のどこかにいるはずだ。怪獣は倒れ、きっと寄生体からは解放されているだろうけど、衰弱していて動けないなら助けにいかなくては。ところが、ルイズが人一倍よく通る声で言ったというのに、タバサはじっとうつむいたままで答えようとしなかった。

「……」

「タバサ? どうかしたの」

「……なんでもない、シルフィードで捜してくる」

 なぜか妙に元気のない様子のタバサに、ルイズは怪訝な顔をした。疲れているのか? まあ元々表情からあまり心中をうかがえない子だし、あんな大魔法を使った後だから仕方ないかもしれない。

 タバサはキュルケとともに、シルフィードに乗って森の空に飛び立っていった。残ったものたちは、空からは見えない場所を手分けして捜し始める。才人とルイズはもちろん、子供たちも動ける気力があるものはほうぼうに散っていった。

「ティファニアー!」

「テファねえちゃーん」

 もしかしたら、どこかに倒れているのではないか? 近場は畑のみぞから、クレーターのはしまであらゆる場所を捜し尽くした。しかし、日が暮れるまで探し回ってもティファニアの姿はどこにもなかった。結局、すべて無駄骨に終わった一行がティファニアの家に戻ってきたとき、怪獣と戦った後よりも憔悴していた。

「これだけ探しても見つからないなんて……」

 疲れ果てた様子で才人が壁に背を預けてつぶやいた。ほかの面々も多かれ少なかれそんな顔をしている。だが、ティファニアがいなくなったことで一番ショックを受けているのは子供たちだ。実の母親にも等しい彼女がいなくなった彼らのことを考えれば、無責任なことを言うわけにはいかなかった。

「ねえおにいちゃん、テファおねえちゃんは?」

「心配するな、おれたちが必ず見つけてきてやる。ちょっと休んだら、また捜しに行ってくるからお前たちは休んでろ」

 才人も小さいころ、両親の帰りがたまたま遅かったときに、一人で家にいて不安な思いをしたことがあるから子供たちの気持ちはよくわかる。才人もまだ大人の庇護が必要な年齢だけど、より年長のものは年下に対して責任を負わなければいけないことに変わりはない。

 しかし、村の近隣は草の根わけて捜しつくしたのに、手がかり一つつかめなかったことに、ルイズはすでに楽観できなくなっていた。

「ここまで捜したのに見つからないなんて、もうテファは村の外にいると考えるしかないんじゃない?」

「外って……でも、あの気色悪い風船に取り付かれてるあいだは霧から離れられないし、テファはこのへんの地理には精通してるから外に出ることはないだろう」

 才人たちは、ティファニアが世間から身を隠さなければならない立場だということを知っている。ティファニア自身も、おっとりとしているように見えて聡明な子であるから、間違っても一人で村の外に出て行ったりはしないはずだ。しかし、ルイズの頭の中には最悪としか言いようのない答えが、もはや確立しつつあった。

「ええ、テファは村から出たりはしないでしょう。でも、誰かに連れ出されたりしたら別よ」

「誰かって、このへんは元々人通りが少ないし、近頃は野盗もほとんど出なくなったってスカボローで聞いたろ……って、おいまさか!」

 才人の顔から血の気が引き、ルイズはそれを肯定するかのようにうなづく。

「そのまさかよ。考えてみたら、わたしたちが来るのに合わせたような怪獣の出現。しかも霧でまわりを隠したり、子供たちを操ったりと、まるで時間を稼いでいたみたいじゃない。こんな真似ができるのは……」

「ってことは、まさかあの怪獣は最初から囮だったっていうのか!」

 愕然とする才人。キュルケも口元を押さえて、まさかとつぶやく。

 だが、彼らがその答えにたどり着くのを見計らっていたように、森の闇の奥から愉快そうな女の声が響いてきたのだ。

「あっはっはっはっ! 今ごろ気がついてももう遅いよ」

「シェフィールド!」

 抜刀し、杖を抜いた先に黒いローブの人影が現れた。全身を覆い、顔は見えなくても声には確かな聞き覚えがある。間違いなく、あのときの蝶のガーゴイルから聞こえてきた、シェフィールドの声だ。

「シェフィールド、てめえがテファをさらったのか!?」

「ふふふ、お馬鹿なぼうやだねえ。ほかに誰がいるというのさ。そうよ、あなたたちの大事なお友達は、わたしが預かってるわ。二人目の虚無の担い手……随分とかわいいお嬢ちゃんだったのね」

 その瞬間、才人たちの血液が煮えたぎったように熱くなった。

「てめえ! テファを返しやがれ!」

「やれやれ、本当にお馬鹿な子ねえ。せっかくさらったものを、わかりましたと返すやつがどこにいるの? 少しは考えてものを言いなさい」

 怒りを軽くあしらわれ、才人の顔がさらに赤くなる。

 けれど、純粋に怒る才人と違って、ルイズはよりいっそうの危険をシェフィールドの言葉から察していた。

”こいつ、わたしたちがテファに会いに来るってことも、テファが虚無の担い手だってことも知っている。でもいったいどうやって?”

 完全に先を越され、こうしておそらくは分身で勝利宣言までしてくるということは、こっちの情報が漏れていたということになる。しかし、虚無に関することは盗み聞きされないよう注意していたし、ティファニアがウェストウッド村に住んでいるということを知らなくては先回りはできないはずなのに。

「サイト待って、わざわざさらったってことはテファを殺す気はないってことよ。あんた、いったいどうやってテファのことを知ったのよ?」

「ふふ、我が主はすべてを見通しているだけのことよ」

「しゃべる気はないってことね。なら、テファをさらってどうする気?」

「それは前にも言ったとおり、我が主に虚無の力を献上するの。記憶を操れる魔法、使い道はいくらでもあるわ。ただ、素直に言うことを聞いてくれなかったら、お友達になってもらうために、ちょっと素直になれるお薬を飲んでもらったりするかもね」

 その瞬間、才人の怒りは限界を超えた。

「こんのクソ野郎!」

 渾身の力で、才人はデルフリンガーを投げた。

 しかし、回転しながら飛んだデルフリンガーはシェフィールドをそのまま突きぬけ、後ろの木に虚しくめり込んだ。

「幻影か……」

「おっほっほっほ、怖い怖い。それじゃあそろそろお別れさせてもらうことにしましょうか。次に会うときには、かわいいかわいいお人形さんをお土産にしてあげるわ。ハーフエルフのお人形なんて、珍しいからきっと気に入ってくれるわよねえ」

「てめえ!」

 シェフィールドの笑い声はだんだん細くなり、黒いローブの幻影も消えていく。

 才人たちは歯噛みをし、見送ることしかできない。

 闇に閉ざされた森に、子供たちの「おねえちゃんを返せ」という泣き声が、悲しく響き続けていた。

 

 

 続く



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第42話  囚われのティファニア

 第42話

 囚われのティファニア

 

 深海怪獣 ピーター 登場

 

 

「虚無の担い手が、さらわれたですってえ!」

 ウェストウッド村での事件から三日後、魔法学院に帰ってきたルイズたちを待っていたのは、ルイズの部屋にけたたましく響き渡るエレオノールの怒声であった。

 虚無の担い手であるかもしれないティファニアにもう一度会うために、アルビオンへと向かったルイズたちを待っていたのは思いもよらなかった罠であった。怪獣マグニアの出現と、怪獣に操られたウェストウッド村の子供たち、それらすべてがティファニアをさらったシェフィールドがルイズたちの目を逸らし、時間稼ぎをするための陽動でしかなかったのだ。

 そのため、気がついたときにはティファニアははるか遠くに運び去られた後で、すでに手の出しようがなくなっていた。

 しかも、勝ち誇ってあざ笑うシェフィールドの幻影からは、ティファニアの心を操って、虚無の魔法を使う人形にするという恐るべき企みが伝えられた。

 ルイズたちはそのことを、ティファニアが虚無の担い手だったことも含めてエレオノールには秘密にするべきか悩んだが、結局は正直に伝えることにした。なぜなら、すでにティファニアも虚無に関わる争いに巻き込まれてしまったからで、今更存在を隠したところでいずれ知れる。それに、正直自分たちの手に余る事態になってしまい、エレオノールの知恵がどうしても必要になったからだ。

 ただし、そのためにはまず怒れる女神の鉄槌を、甘んじて受ける必要があった。

「それであなたたちは、なにも果たせないままおめおめと帰ってきたというの?」

「も、もうしわけありません、おねえさま」

 エレオノールの鬼でも睨み殺せそうな弾劾に、ルイズたちはただ縮こまることしかできなかった。むざむざ敵の策略にはまったのは事実であるし、なによりティファニアをさらわれてしまったというのは、言い訳のしようがない。ルイズと才人だけでなく、今回ばかりはキュルケやタバサも、エレオノールの怒りの雷鳴を間近で聞き続けた。

「まったくあなたは、目的を忘れて敵の罠を見抜けないなんて洞察力が足りない証拠よ、恥を知りなさい! それにツェルプストーのあなた。ヴァリエールの宿敵のくせにまんまとルイズと同じ罠に落ちるなんて、ご先祖さまが泣くわよ。もう、どいつもこいつも最近の若いのはふがいないんだから。いい、まずは先代のヴァリエール侯爵と……」

 話がどうやらそれてきているようだけど、注意する勇気はキュルケにもなかった。それにしても、思い切り地が出ている今の姿、花婿募集中とはとても思えない。学院の生徒たちは式典でもうしばらく戻ってこれないけど、戻ってきたときに淑女を演じることができなくなっていたらどうなることか。

 お説教はそれから三十分ほども続き、エレオノールが喉をかれさせてようやく終わった。

「はぁ、まあ過ぎてしまったことはもういいわ。それで、その子は虚無の担い手で間違いないのね」

「一度だけ見ましたけど、あの記憶を奪う魔法の力のありえなさを考えたら……それに、シェフィールドの勝ち誇った様子からして、まず間違いないかと思います」

「そう……ともかく、これで虚無の担い手は二人まで判明したことになるわね。あとの二人が誰かはまだ不明だけど、記憶を操れるなんて能力、ルイズの『爆発』よりも敵にまわすと怖いわね。なんとか奪回したいものだけど」

 無理よね、とエレオノールはため息をついた。そんな簡単に後を追わせてくれるほど、シェフィールドは馬鹿ではあるまい。

 それに、エレオノールの言うとおりにティファニアの魔法が悪用されたときの脅威は『爆発』よりも恐ろしい。人間の人格は過去の記憶の積み重ねでできている以上、それを動かせばどんな変化が起きるか想像もできない。さらに、使い方によっては恐るべき洗脳手段としても使える。たとえば火を熱いという記憶を消せば、火中の栗を拾わせることもできるし、悪いことをしてはいけないという記憶を消せば、罪悪感のない人間を生み出すというおぞましいことも可能だ。

 むろん、ティファニアは優しい子だからそんなことは間違ってもしないだろう。しかし、系統魔法にも高等なものになれば洗脳を可能とできるものがある。シェフィールドが言い捨てていったように、ティファニアを単なる魔法道具としてやつらは使うだろう。

「ルイズ、あなたのほうはなにか進展はないの? なにかしら、役に立つ魔法が使えるようになるとか」

「いいえ……できることが増えてないかと、確認は怠ってないのですが、始祖の祈祷書にはいまだにエクスプロージョン以外の魔法は現れていません」

「残念ね。こんなときにこそ、伝説の力にすがりたいものだけど」

 エレオノールはまたため息をついたけれど、こればかりはどうにもならない。虚無の魔法は強力すぎるため、その教本である始祖の祈祷書には幾重もの制限がついている。デルフリンガーによれば、必要なときになれば自然と見れるようになるというが、今のところそれはひとつもない。ルイズは、せっかくアンリエッタから水のルビーまでも貸してもらったのに、いまだになんの進展もないことに焦りを感じ始めていた。

 ただ、才人は場合によっては命をも削るという虚無の力に、ルイズが目覚めてほしくはないと思っていた。前にアンリエッタに言われたことでもあるけれど、人間は慣れやすい生き物である。強大な力を持てばそれに頼る。そして力におぼれたものには相応の報いが待っている。歴代のウルトラマンたちが人類から正体を隠し、人間が全力を尽くしたときにだけ現れるようにしていたのにも、そのあたりに大きな理由がある。

 才人は、力というものの危うさを思って、虚しげにつぶやいた。

「始祖ブリミルって人は、いつか来るかもしれない厄災に備えるために祈祷書を残したって書いてた。つまり、虚無の力は本来はみんなのため、正義のために使うべきものなんだ。でも、いつの世でも馬鹿野郎はいるってことか」

 ブリミルの善意を、その子孫たちが踏みにじる。天国のブリミルには本当にすまないことだ。

 でも、ルイズなら虚無の魔法を正しい方向に使ってくれるだろうと才人は思う。いろいろと今でも問題は多いけれど、奪う・騙す・殺すという三つだけは絶対にやらない。それはルイズの貴族としての誇りでもあり、人間として正しく生きれているという誇りでもある。だからルイズを、虚無を悪用しようとするものたちから絶対に守ろうと才人は決意している。

 もちろんティファニアも、彼女だけでなく、彼女の姉代わりとして育ててきたロングビルや、彼女をしたう子供たちのためにも絶対に助け出さねばならない。

 

 ウェストウッド村の子供たちは、あのまま村に置いておくことはできないので、やむを得ずトリステインまで連れてきた。アルビオンはだいぶ平和で安全になってきているとはいえ、まだ野盗や人攫いがいなくなったわけではなく、子供たちだけでは万一のときにどうしようもない。

 トリスタニアにある、修道院を改修した孤児院に彼らを預けたとき、才人たちは院長の神父さまに念を押して頼んだ。

「子供たちを、くれぐれもよろしくお願いします」

「神に誓って、お引き受けいたしましょう。ここにいる子供たちは、みな不幸な災いで親を失い、絆の尊さを知っている子ばかり、きっとあの子たちも温かく受け入れてくれるでしょう。あなた方がお迎えにきてくれる日まで、彼らを飢えさせることはしません」

 落ち着いた様子の壮齢の神父の答えに、才人たちはほっとした。この孤児院はトリステインが、ベロクロン戦で大量に出た孤児たちを受け入れるために拡張したもので、今では国中から身寄りをなくした子供を引き受けて、引き取り手を探したりする活動をおこなっている。

 しかし、ずっと辺境の村で閉鎖された暮らしをしていた子供たちが、まったく環境の異なる場所で暮らしていけるかは心配だった。それでも、彼らは気丈に胸を張って、一番年長のジムが皆を代表して才人たちに言ったのだ。

「ぼくたちなら心配いらないよ。テファおねえちゃんは、ぼくたちよりもっと大変なんだ。だから、おねえちゃんが帰ってくるときまで、ぼくたちもがんばるから、おねえちゃんをお願いします」

 才人たちの半分、やっと生きてきただけの年齢しかない彼らの言葉は深く心に染み入った。必ずティファニアは探し出してくる。それまで待っていてくれと、涙ながらに彼らと別れた。

 

「みんな、大丈夫かな」

「心配要らないわよ。あの子たちは、みな強い芯を持っている。このくらいのことで負けはしないわ。それに、あそこは国の直轄の孤児育英施設、人攫いとか悪党のつけいる隙はないわよ」

 不安そうな才人を、キュルケが肩を叩いてはげました。以前は人身売買組織などが根を張っていたトリスタニアも、現在ではその手の組織は大元締めだったリッシュモン興の死亡以来、ほぼ壊滅状態になっている。子供が安心して育つことのできない国に未来などないというアンリエッタと、人身売買を心から憎むミシェル以下銃士隊の徹底した掃討の成果だった。

「子供たちのことは心配しないで、今はティファニアを助け出すことだけ考えましょう」

「ああ、でもまったく手がかりがないんだ。どうしたもんかな……」

 居場所さえわかれば、すぐにでも飛び出していけるのにと才人はデルフリンガーで壁を叩いた。「いてえよ、やつあたりすんなよ」とデルフリンガーが文句をつけてくるけど、相手をする気にはならない。なにせハルケギニアは広いのだ。トリステイン、ゲルマニア、ガリア、ロマリア、国の数は少なくても領土は広大であり、日本中を探すのにも匹敵する。

「まさか、怪しそうなところを片っ端から調べるわけにもいかないしねえ」

 キュルケがつぶやいた方法は、もちろん論外。そんなことをするには何千人も必要になり、まったく現実的ではない。

 考えに詰まった彼らは、エレオノールの提案で別のことから考えてみることにした。ティファニアがさらわれたことはもちろん重大だけれど、シェフィールドはどうやってルイズたちの先を越したのか。

「聞いた話では、そのティファニアって子が虚無かもしれないってことは、そのときはあなたたちしか知らないってことになるのよね。じゃあ、シェフィールドはなぜその子の存在を知れたのかしら?」

「それは、わたしも尋ねてみました、けど、しらばっくれられてしまって」

「ふん、肝心なところはきっちり隠しておくとはかわいげがないことね。しかし、タイミングから考えて、やつらが自力で見つけ出したとは考えにくいわ。こちらの情報が漏れた、としか考えられないわね」

「でも、虚無に関することは他人に聞かれないように注意していたのに、そこまで詳しいことがわかるなんて」

 虚無に関して重要なことを話すとき、誰かに『サイレント』の魔法を使ってもらって声が漏れないようにした。また、『ディテクト・マジック』で盗聴される危険も排除してきた。仮にどこかからガーゴイルないしを使って監視していたとしても、遠巻きからでは得られる情報はたかが知れているはずだ。

 ところが、答えに窮しているルイズに対して、エレオノールは想像もしていなかったことを言った。

「内通者でもいるんじゃないの?」

「え……」

 一瞬、言葉の意味がわからなかったルイズは絶句した。しかし、エレオノールは容赦なく続ける。

「秘密の漏れ方からして、私たちの近くに敵と通じてる人間でもいなきゃ説明がつかないわ。だいたいツェルプストーの人間なんて、最初から信用がおけないし、そっちの陰気な小娘だってなに考えてるんだか」

「いいかげんにしてください! それ以上はいくらお姉さまでも許しませんわよ!」

 ルイズは激昂して叫んだ。それでもエレオノールは、ルイズの反応くらいは予測していたように冷断に言う。

「へえ、許さないってどういうふうに? まさかこのわたしに魔法を使うとでも」

「そ、それは……」

 口ごもったルイズをエレオノールは尊大に見下ろす。怒りも、長年かけてつちかわれた姉への恐怖に押しつぶされそうになった。だがそこで、才人がルイズの肩を叩いて指の関節を鳴らしたのである。

「ルイズ、かまわないから吹っ飛ばしてやれよ。その後でおれもぶん殴るから」

「サイト……」

「へぇ、平民がずいぶん生意気なことを言うじゃないの。この私に対してその無礼、相応の覚悟があってのことでしょうね?」

 エレオノールは杖を取り出して才人に向ける。高位の土のメイジにとって、たかが平民の剣士ひとり、生き埋めにするもゴーレムで踏み潰させるもたやすい。しかし、才人はまったく臆することなくエレオノールを正面から睨み付けた。

「黙れよ」

「なんですって?」

 平民が貴族、メイジに対して侘びを入れるどころか命令してきたことにエレオノールは驚いた。

「いくらルイズの姉さんでも、言っていいことと悪いことがある。おれの友達を侮辱されて、生意気もクソもあるか! 覚悟すんのはあんたのほうだ」

「くっ!」

 このときエレオノールははじめて平民に気おされた。カトレアに勝ったことがあっても、まだ才人をただの平民だとあなどっていたのが、甘かったと思い知る。確かに、昔の才人ならエレオノールの威圧感にはなにを言われても対抗できなかっただろう。しかし、数々の冒険や戦いを経て才人の心は強く鍛えられていた。

 いや、それは才人だけではない。本来誰の心にでもある強さなのである。親が子を守り、兄が弟を守り、そして友を守る強さは特別なものではなく、誰にでも宿ることができる。そして、強さはひとりだけのものよりも、束ねていけば無限に大きくなる。才人の怒りが引火して、ルイズの心にも再び炎がついた。

「おねえさま、ルイズはずっとおねえさまの言うことには従ってまいりましたが、わたしにも譲れないものはあります。たとえ旧怨あるツェルプストーのものとはいえ、学友の名誉を踏みにじられてはわたしの誇りが許しません」

「ルイズ、あなた」

「謝ってください。キュルケとタバサに、でなければいくらおねえさまとて、虚無の威力をご披露することになりますわ」

 まっすぐに杖を向けてくるルイズに、エレオノールも虚無の威力を想像してあとづさる。

 だがそこで、姉妹の争いを静観していたキュルケが割って入ってきた。

「待ちなさいよルイズ、実の姉妹同士で争ってどうなるっていうの。そのへんでやめときなさい」

「ちょっとキュルケ! わたしたちは誰のために怒ってると思ってるの」

「だからこそよ。わたしたちのために姉妹で血が流れたら、それこそ後味が悪いわ。まあ、任せときなさいって」

 キュルケは、いきりたつルイズを平然とした様子でなだめると、エレオノールにわずかな微笑を浮かべて向かい合った。

「さて、ミス・エレオノール。内通者がいるかもというあなたの説、現状を客観的に見れば間違ってはおりませんわ。ですけれど、確たる証拠もなしに疑いの眼を向けられるのははなはだ不本意というもの。もしも、いわれなき侮辱を一時の気の迷いとなさらぬのでしたら、ヴァリエールからツェルプストーへの挑戦状とみなして、傷つけられた誇りを回復するために全力を行使させていただきますが、そのお覚悟はありますか?」

「ぐっ……」

 誇りを守るために全力を行使する。それはツェルプストーとヴァリエール、二大貴族による戦争を意味する。エレオノールはキュルケの目に、顔は笑っていても激しい怒りが内蔵されているのを感じて、本気だと悟った。たかが口げんかから戦争とはおおげさに思えるかもしれないが、この二つの家は何百年も前から争い続けてきた宿敵同士であるから、きっかけはわずかでも本気の激突になりかねない。そこまではいかなくても、たとえばキュルケがエレオノールに決闘を申し込んだりすれば、貴族同士の決闘は固く禁じられていることもあって、きっかけを作ったエレオノールは断罪され、母カリーヌの激怒を招くだろう。

 この小娘がと、エレオノールはキュルケを睨んだ。だが、いわれなき疑いを向けて侮辱した事実は変わらないので、分は圧倒的にエレオノールのほうが悪い。なによりも、ほんの軽口のつもりだったエレオノールには、キュルケの本気に対抗する覚悟がなかった。

「わ、わかったわよ。私が軽率だったわ。あなたたちの名誉を傷つけるような発言をしたことは謝罪するわ」

「ならけっこう。先の発言はこれ限りで水に流すことを誓約しますわ。それでいいわね、ルイズ、サイト、タバサ」

「ええ、いいわよ」

「おれもだ。さすがキュルケ」

 最後にタバサが無言でうなづき、キュルケはいつもと変わらない笑顔を見せた。

 ルイズも才人も、見事にしてやってくれたキュルケに、おおいに溜飲がさがったようだ。賞賛のこもった視線を受けて、生来の目立ちたがりであるキュルケも、充分な達成感を得れたようだった。

「ま、わたしたちがシェフィールドの一味と通じてるなんて、馬鹿馬鹿しいこと言うからよね。ねえ、タバ……あれ?」

 見ると、ついさっきまでキュルケのそばにいたはずのタバサが消えていた。

 はて? と思って見回してみると、いつの間にかタバサはシルフィードに乗って窓の外に飛んでいくところだった。

「どうしたのかしら? 突然出てくなんて」

「シルフィードのメシの時間かなんかだろ。タバサは真面目だからな」

 才人がなにげなく言ったことで、キュルケもうーんと考えてうなずいた。

 反面、エレオノールは少々気が抜けた様子で、気持ちを切り替えようとしているかのように眼鏡を拭いていた。

”まさか、この私がこんな小娘にやりこめられるなんてね。さすが、ツェルプストーの眷属というべきか……そういえば、コルベールも何かにつけて生徒の自慢をするけど……ふぅ”

 汚れを拭いた眼鏡を灯りに透かしてみて、エレオノールは落ち着いた心で自分のやったことを考え直してみた。

 虚無を奪われたということで、機嫌が悪くなっていたとはいえ、確かに言いすぎたかもしれない。かりそめとはいえ、教師として受け持った生徒を疑うとは醜い限りだ。怒ると物事が見えなくなる、ルイズにも共通する悪い癖だ。ただし、自己嫌悪する中でエレオノールは自分に歯向かってきたルイズや、平民のくせに噛み付いてきた才人に、ある種の敬意を覚え始めていた。

”私に、なんの躊躇もなく歯向かってくるとは、無謀なのか勇敢なのか。しかし、この無茶さ加減でこれまで数々の戦いを生き延びてきたのね……以前の地下書庫でも、彼らのクラスメイトたちは年齢に見合わぬほどの活躍を見せていた。普段はろくに授業を聞いていないくせに、私の目が曇っているのだろうか……?”

 答えを見出せないままで、彼女は眼鏡をかけなおした。レンズが陽光を反射し、彼女の知的な感じを強調する。

 そうして、一回咳払いをして場を仕切りなおしたエレオノールは、一同を見渡して話を再開した。

「あなたたち、シェフィールドの一味がどんな魔法なり薬なりを使って、虚無の担い手を洗脳しようとしているかはわからないけど、一週間くらいの猶予はまだあるはず、そのあいだに奪還するわよ」

「どうしてそんなことがいえるんですか?」

「洗脳といってもピンからキリまであるのよ。一時的に思い通りに動かすくらいなら、高等なメイジであればできるし、ご禁制の惚れ薬とかを使えば人格まで大幅に変えることができるわ。でもね、心を操るっていうのはそんな簡単なことではないのよ。ほんの数時間操れればいいとかいうならともかく、効果が薄れたり切れたりするときは必ずやってくる。そして、同じ魔法をかけ続ければ本人への負担も増していくのよ」

 簡単なところでは、酒を飲み続けてストレスをごまかし続ければ、次第に心にダメージが蓄積されておかしくなっていくようなものだ。魔法は使い手の精神状態に大きく威力を左右されるから、完全に心を壊してしまっては意味がない。ましてティファニアは換えの利かない虚無の担い手なのだ。

「なるほど、奴らにとってはティファニアはいわばジョーカーってわけか」

 才人がそう例えたように、失ったら二度と手に入らない切り札を、そう危険な手に使うとは思えない。ティファニアの心をある程度維持して、なおかつ自分たちの意のままに動かせるようにするためには、時間と手間が大量に必要になるだろう。魔法を使うならスクウェアクラスの上級メイジ、薬にしても希少な材料を精密に配合して熟成させなくてはならない。

 だが、それは裏を返すと、奴らはそれだけの準備をすることができるということに他ならない。そこに思い至ったルイズは、背筋にぞっとするものを感じた。

「シェフィールドの一味は、それほどの組織力と資金力を持っているっていうの?」

「もしかしたら、敵はわたしたちが思ってるよりはるかに大きな勢力なのかもしれないわね。また、レコン・キスタみたいなのが生まれようとしているのかも」

 キュルケの一言で、ルイズはアルビオンを二分した戦いを思い出した。そういえば、アルビオンでウェールズとアンリエッタの前にヤプールが姿を現したとき、奴はレコン・キスタを操っていたものは別にいて、それをさらに利用したに過ぎないと言っていたそうだ。世界の影に隠れて暗躍する謎の組織、目的はやはりハルケギニアの征服か? 国を動かすような相手に狙われているかもしれないと、息を呑むルイズ。しかし才人は、それがなんだといわんばかりに軽く言ってのけた。

「んなことはどうでもいいんだよ。どこのバカだか知らねえけど、テファをさらうなんて真似したやつらを許しておけるか。シェフィールドめ、テファになにかしたらただじゃすまさねえぞ」

「サイト、あんな不安はないの? 相手はレコン・キスタよりも強大な組織なのかもしれないのよ」

「だからなんだよ。テファをあきらめろってのか? 第一どんなご大層な目的があったとしても、女の子さらって言うこと聞かせようなんて考えるようなやつにビビれるか。どこの誰がボスでも、いつか必ずしばきたおしに行ってやる!」

 はぁ、とルイズは呆れた。まるで恐れてないどころか、敵をただの少女誘拐犯と言い切ってしまった。才人らしい無鉄砲な、青臭い正義感。それに考えてみたら、近いうちにヤプールとの決戦に臨まなければならないというのに、悪の秘密組織ごときにやられてはいられない。すると、ルイズもなんだか腰が引けていたことが馬鹿らしく思えてきた。

「そうね。わたしたちはもっと大きな目的のために働かなきゃいけない。エレオノールおねえさま、そういうわけなので、ティファニアを取り戻すためにお知恵をお貸しください」

「言わずもがなよ。さて、どこから調べたものかしらね」

 意気があがるルイズたちとは裏腹に、エレオノールは頼られても仕方がないのにと考え込んだ。元気がよいだけで勝てれば苦労はしない。だが、虚無の力が世界を揺るがすほど強大である限り、ルイズは今後も虚無にまつわる戦いに、否応なく巻き込まれていくということになる。そうなったとき、彼らのその無謀すぎるくらいの元気が困難を吹き飛ばす原動力になるかもしれない。

 エレオノールは意気あがるルイズたちに、なんとか力になってやりたいと思った。わらにもすがるような思いだけれど、望みはかすかに存在する。あの古代遺跡から発掘された碑文の残り、始祖ブリミルの時代の戦いの歴史を記録していたあの遺跡ならば、虚無に関するなんらかの手がかりが存在しているかもしれない。ちょうど、今ごろは壊れた碑文の復元と解読も終わっているころだろう。終わり次第、すぐに伝えに来てくれることになっていることになっているそれに、なんらかの希望があればよいのだが……

 

 

 一方、ウェストウッド村から連れ去られたティファニアが、そのころどこにいたのか。

 シェフィールドによって拉致されて、睡眠の魔法薬で深く眠らされたティファニアはそのままアルビオンから連れ出された。そしてそのまま飛行ガーゴイルによって輸送された彼女は、ガリアに運ばれてジョゼフに眠ったまま引き合わされた。

「これが次なる虚無の担い手か……ハーフエルフとは、始祖の血もなかなかおもしろい演出をしてくれるものよ。よい仕事であったぞ、余のミューズよ。これで余にはすばらしい手駒ができた」

 グラン・トロワの最奥の一室で、ジョゼフは床に転がされたティファニアを見下ろして高らかに笑った。シェフィールドは、賞賛の言葉を受けて極上の達成感を味わい、満面の笑みを浮かべた。

「お褒めいただき、感激にたえません。それでこの娘、いかがいたしましょう? 目を覚まさせて、お話になりますか」

「いや、無益であろう。無垢な乙女の顔を絶望に染めるのも一興かもしれんが、さすがに下品にすぎる。そうだな……おお! よいことを思いついたぞ。やはりエルフの処理はエルフにまかせるとしようではないか」

「はっ、ではビダーシャル興にお預けすると……しかし、彼奴らが蛮人と忌み嫌う人間との混血児が、彼奴らがもっとも恐れる虚無の担い手であったと知ったら、この娘を始末しようとするのではありませぬか?」

「ふふふ、できるならばそうしたいに違いない。しかしな、奴らにはそうしたくてもできぬ理由があるのだ。まして、奴は余との契約を反故にすることはできぬ。どうしても心配なら、見張りをつけても構わぬぞ。そんなことより、ビダーシャルがこの娘を見て、憎悪するか同情するかは知らぬが、どちらにせよ見ものであろう」

 蟻の巣を掘り返して楽しむ子供のように、無邪気だが残酷な笑顔がジョゼフの顔に現れる。シェフィールドはうやうやしく頭を垂れ、主人の楽しみに無条件で賛同するかのように微笑んでいた。

「では、さっそくビダーシャル興を呼んでご命令なさいますか?」

「まあ待て、ここでは人が多くてやつも仕事がしにくかろう。僻地で落ち着いて仕事ができるようにしてやれ。そうだな、この娘も自分の母親の故郷を一度は望んでから心を失いたいだろう。同胞としての、余のせめてもの慈悲だ」

 最後に、ジョゼフはティファニアの髪を優しくなで、「美しいものよ」と、つぶやくとシェフィールドに運び出させた。そうして、シェフィールドも扉の外に去ると、ジョゼフは先程とは違う、喉を鳴らすような含み笑いを浮かべた。

「さて、これで虚無の担い手は我が手に入ったも同然……と、誰でも思うであろうな。しかし、伝説の虚無ともあろうものが、そう簡単に一角を崩されるものかな? ふふふ……チェックメイトを目前に、どう運命のシナリオを描く。余を楽しませてみよ。始祖ブリミル?」

 まるで、自分を含めた世界のすべてがゲーム盤の上の出来事だとでもいわんばかりの笑い。ジョゼフはテーブルの上のチェス盤から、駒をひとつ掴み取ると、部屋にすえつけてある国宝の始祖の像に向かって投げつけた。

 

 グラン・トロワから連れ出されたティファニアは、再び空路をガリアの奥深くへと運ばれていった。

 そうして、さらわれた日から三日経ったとき、ティファニアは幼い日に戻ったような光景の中で目を覚ました。

「ここは……どこ?」

 はじめに目に入ってきた天蓋つきのベッドから身を起こし、部屋を見渡したティファニアの目に飛び込んできたのは、まるで夢の国だった。

 ベッドを中心に置いた広い部屋は白く清潔な壁紙と豪奢な調度品で彩られ、毎日寝起きしていた村の家とはまるで違う。自分の身なりを確認すると、やはり豪華な寝巻きを着せられていて、ティファニアははるか昔に母親といっしょに過ごしていた日々のことを思い出した。

「おかあさま、どこ……?」

 ウェストウッド村に住む前、アルビオンの大公だった父のもとで、なに不自由なく暮らしていた子供のころにティファニアは帰っていた。これは夢の中だと思い、床に素足をつき、夢うつつな眼で室内を歩き回り、母親を探し回る。

 しかし、窓際に立って外の風景を眺めた瞬間にティファニアは我に返った。

「これって……砂漠!?」

 そこに広がっていたのは、地平線の先まで広がり渡る黄色い世界であった。文献で聞きかじり、母の昔語りにのみ登場してきたものが、今目の前に現実として現れている。自分は、その砂漠の中にある丘に立てられた城の中にいるとわかったとき、ティファニアははっとして自分の身になにが起こったのかを思い出した。

「そうだ! わたし、森に落ちた燃える岩を見に行って、そうして霧に包まれて……ここはどこなの? みんなは? わたしどうしちゃったの!?」

 自分が理解不能な状況に立たされていると知ると、ティファニアはパニックに陥った。

 そのとき、部屋の扉が開く音がして振り向くと、そこには幅広の帽子を被った長身の男性が立っていた。

「目が覚めたようだな」

「あなた、誰ですか?」

 突然現れた見知らぬ男に、ティファニアは当然ながら警戒心を向けた。すると男は一瞬困ったような表情を見せ、部屋の中まで歩いてくると、おもむろに帽子を脱いだ。

「私は”ネフテス”のビダーシャルだ。出会いに感謝を、と普段なら言うところだが、今回に限っては難しいな」

「エルフ……!」

 あいさつをしたビダーシャルの耳が、自分と同じエルフの尖った形のものであってティファニアは驚いた。しかし、ビダーシャルは表面は平静とした様子で、慌てているティファニアに言った。

「驚くことはあるまい。君もエルフなのだろう……もっとも、君の場合は半分だけのようだが」

「えっ! 私のことを知ってるんですか?」

「ああ、おおまかなことはな。少なくとも、今君をどうこうしようというつもりはない」

 敵意はないと、ビダーシャルは部屋の隅のクローゼットに歩み寄った。その中から、ティファニアがさらわれたときにかぶっていた帽子を取り出してきて渡すと、受け取った彼女は帽子をぎゅっと抱きしめた。

「あなたが、わたしをここに連れてきたんですか……?」

 初めて見る母以外のエルフに、ティファニアはおびえながら問いかけた。

「その質問に対する答えなら、否だ。ここは、ガリア王国の東端の国境上にあるアーハンブラ城というところだ。我はただ、ここに来てお前の相手をしろと命じられたにすぎん」

「アーハンブラ……確か、何度もエルフと人間が争った場所ですね」

「そうだ。よく知っているな」

「母から、聞かされたことがありますから……教えてください。ウェストウッド村は、村の子供たちはどうなったんです? いったい誰が、こんなことをさせてるんですか?」

「質問には順に答えよう。最初のほうは、我は聞いていない。次のほうは、依頼人の名はガリア王ジョゼフという。その男が部下に命じて、お前をここに連れてきた」

「ガリアの……王様!?」

 想像もしていなかった答えに、ティファニアの目が丸くなった。それと同時に、ジョゼフのことを言うビダーシャルの口調に、露骨な嫌悪の色が浮かんでいたことに気がついて、彼女の困惑はより深くなる。

「どうしてガリアの王様が、私をさらうんですか。それに、どうしてエルフが人間に従ってるんですか?」

「質問は一つずつにしたまえ。我らの名誉のため、あえて後の質問から答えるが、我らにも事情というものがある。ハルケギニアで起きていることと同様のことが、サハラでも起きている。我はネフテスの代表として、異変の根源を突き止めなければならない。蛮人の王と契約をかわすのも、その一端だ。そしてもう一つ、この地で目覚めようとしている悪魔の力の復活を阻止しなければならない」

「悪魔の力?」

「人間たちは虚無の系統と呼んでいる魔法のことだ……世界を滅ぼすほどの力を誇り、かつてエルフの半分を死滅させたといわれている。その力は蛮人たちの聖者の血筋から現れ、いずれまた大厄災を引き起こすと我々は恐れてきた……しかし、まさか我らの同胞の血筋から、その担い手が現れようとは想像もしていなかった」

 ティファニアは、突然ビダーシャルの自分を見る目が鋭くなったのにびくりと怯えた。そして、彼の言った言葉の意味を吟味すると、その意味の持つ恐ろしさに身を震わせた。

「まさか……その悪魔の力の担い手って」

「そう、君のことだよ」

 ビダーシャルはそこで、ティファニアにすべてを明かした。記憶を奪う魔法が虚無であること、そのためにジョゼフが自分を欲していること、思い通りに操れるように心を奪わせようとしていることなど、一切を包み隠さず教えた。

「心を奪うって、そんなっ!」

「それが、我がジョゼフの協力を得るために必要なことなのだ。それに、悪魔の力が見つかったのなら制御する必要がある。本来なら、殺害するべきなのであろうが、そうすれば別の誰かが悪魔の力に目覚める。そういうふうにできているのだ。我としても、この条件は呑まざるを得なかった」

 淡々と告げるビダーシャルに、ティファニアはしだいに怒りが胸に湧いてくるのを抑えられなかった。

「わたし、ずっと思ってた。エルフは母のように優しい人たちばかりだって! なのになんで、そんなひどいことをしようとするんですか。わたしが、わたしが混じり物だからですか?」

「優しさ、というがそれにはいろいろな種類がある。我は、サハラの同胞たちの安全を第一に考える義務がある。ただし、個人的には君に対して深く同情している。生まれをどうするかを、選んで生まれてこれるものはいないからな」

 ビダーシャルの言葉はやはり淡々としていて、本心を告げているのかどうかティファニアにはわからなかった。

 ただ、どうしようもないということだけは嫌というほどわかった。ここは見も知らぬ異郷の地、逃げ出すところはない。また、当然ながら杖も取り上げられていて、唯一の頼りである『忘却』の魔法を使うこともできなかった。

 絶望して、カーペットの床にへたりこんでしまったティファニアに、ビダーシャルは少しのあいだ目を閉じてじっとすると、やがて踵を返した。

「水の精霊の力で、心を操る薬が完成するまで十日ほどかかる。それまでは城の中に限るが、自由にふるまうといい。望みがあれば使用人に告げれば、たいていはかなうようにしてある」

 それが、ビダーシャルのティファニアに対するせめてもの侘びだったのであろうか。ティファニアにはわからないし、意味のあることでもなかった。

 だがせめて、せめてエルフと会えたのなら言っておきたいこともあった。

「待ってください」

 扉を閉めていこうとするビダーシャルをティファニアは呼び止め、彼は扉を半開きのまま振り返った。

「なにかな?」

「ここは、人間とエルフの国境線だとおっしゃいましたよね。ということは、この砂漠の先に、エルフの住む場所……わたしの母の故郷があるのでしょうか?」

「そうだ。その砂漠を超えて、さらにその先に我らの故郷サハラがある。それがどうしたのだ?」

「お願いがあるんです。わたしの母は、最後までわたしに人間の世界に危険を冒してまでやってきた理由を教えてはくれませんでした。母がなぜアルビオンにやってこなければいけなかったのか、母はどういう人だったのかを知りたいんです!」

 必死に訴えるティファニアの言葉を、ビダーシャルは黙って聞いていた。だがやがて、わずかに憂えげな表情を覗かせると、扉を閉めなおしてティファニアに向かい合った。

「母君の名前は、なんというのだ?」

「普段は、世を忍ぶためにティリーという偽名を使っていましたが、父だけは母のことを”シャジャル”と呼んでいました」

 するとビダーシャルは、ふむと考え込む仕草を見せた。

「我らの言葉で、”真珠”を意味する名前だな。よろしい、調べてみよう。人の世界に出て行ったエルフはまずおらぬから、何かしらの記録が本国に残っておるかもしれぬ」

「本当ですか?」

 ティファニアの顔がわずかに明るくなると、ビダーシャルは視線をそらして背を向けた。

「保障はできかねるが誠意は尽くそう。しかし、結果がどうであれ、我はそのことを変化なく君に伝えることになる。その覚悟だけはしておきたまえ。そして、結果がどうであれ、十日後には我は君の心を奪うことになる」

 あとは何も言わずに、ビダーシャルは立ち去っていった。

 残されたティファニアは、ただ一人残された孤独感からしばらくの間すすり泣いた。

 それから何時間か経ったのだろうか、泣くことにも疲れたティファニアはなにげなく城の中を歩き回った。

 城内はきれいに整えられていて、砂漠の小城だというのに宮廷のような趣があった。しかし、人影はほとんど見えなく、生活観のなさが冷たくも感じられる。たかが少女ひとりを幽閉するのに兵士は必要ないということであろうか、城門までまったく邪魔されずに着いたティファニアは、分厚い鉄の壁にさえぎられた。

「やっぱり、逃げられっこないわよね」

 自分が籠の鳥だと思い知らされたティファニアは、なにをすることもなく城の中を散策した。途中、黒いローブをまとった男と会い、生活の世話は任されていると告げられた。ローブで深く顔を隠しているので容姿はわからないものの、きっと彼がビダーシャルが言っていた使用人なのだろう。

 その後は、ビダーシャルが薬の精製をしているらしい塔にだけは立ち入れなかったものの、ほかの場所にはすべて立ち入ることができた。

「ほんとうに、ここは夢の国ね」

 自嘲を込めて、ティファニアは城の中庭にある池のほとりに腰掛けてつぶやいた。ここでは、自分はお姫様だ。普通の女の子が望むような豪華な生活はすべてかなう。だが、自分がほしいものは何一つここにはない。夢の国の形をした悪夢の牢獄でしかないのだ。

「ジム、エマ、アイ、みんな大丈夫かな……」

 できることは、子供たちの無事を祈ることだけだった。

 そのとき、池の中から小さなトカゲのような生き物が浮いてきて、ティファニアがすくいあげると瞬時に子馬ほどの大きさに変わった。

「あなた、わたしを慰めてくれるの?」

 長い間、森の中で動物たちと過ごしてきたティファニアは、恐れることもなく、その大きなトカゲのような生き物をなでた。すると、その生き物は嫌がらずに気持ちよさげに鳴いて、ティファニアの手に顔を擦り付けた。

「あなた、不思議なにおいがするわね……そうか、この池は地面の中で外の世界とつながっているのね。うらやましいわ、わたしに水の中で息ができる力があったら、ここから逃げ出せるのに」

 自分が自分でいられるのは、あと十日。けれど、それが今すぐであったとしても別に変わりはないだろう。自分の人生は、こんなところで終わってしまうのか。ティファニアは運命の残酷を呪い、まぶしく照りつける砂漠の太陽を仰いで思った。

 

 塔の頂上の部屋から、ビダーシャルはたそがれるティファニアを見下ろしていた。

「すまないな」

 口をついて出た言葉は、ビダーシャルの本心であった。先に、ティファニアに言ったことのすべてにも嘘はない。

 人間とエルフの混血であるハーフエルフ。それは誇り高いエルフにとって忌むべき象徴であるが、ビダーシャルは無抵抗な00ものをいたぶる趣味は持ち合わせていない。

 しかし、感情と使命とは別個である。同情はしても、それで使命感までは曲がらない。

 ビダーシャルは部屋の隅に立てかけてある鏡に向かって、なにやら呪文を唱えた。すると、鏡がぼんやりと光って、部屋の

光景ではない別のものを映し出しはじめた。

「聞こえているか? お前の協力が必要になった。すぐにこちらに来てもらいたい」

「あら叔父様、なにかおもしろそうなことが起きたんですの? ふふっ、こちらに来てから毎日が刺激の連続ね」

 鏡の向こうから、まるでトラブルを楽しんでいるような若い女性の声が部屋に響いた。

 

 続く



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第43話  ハルケギニアの果てへ

 第43話

 ハルケギニアの果てへ

 

 宇宙有翼怪獣 アリゲラ 登場!

 

 

 アーハンブラ城は、人間の住む世界ハルケギニアと、エルフの住む砂漠の地サハラの境界に位置する古城である。

 はじめは砂漠の小高い丘にエルフが作った城砦のひとつだったここを、一躍歴史の表舞台に立たせることになったのは、千年近く前に人間の聖地回復連合軍がここを奪取したことに始まる。以後、人間がサハラに侵攻するための拠点となるアーハンブラはエルフの攻撃を受けて奪い返され、人間がまた奪還し、またそれを奪還しようとするエルフとのあいだで、幾度となく争いが繰り返された。

 最後となったのは数百年前、聖地回復連合軍が所有者となったときである。しかし、長引く戦いで疲弊しつくした人間側にはサハラに攻め込む余裕はもはやなく、エルフの持つ力を思い知らされていた聖地回復連合軍はこれを持って終了することとなった。

 現代はすでに戦略上の拠点からは外され、城砦は役目を失って放棄された。ただ、そのおかげで平和が訪れ、ふもとの町だけはオアシスがあることで交易地として繁栄してきた。

 しかし現在、アーハンブラはほぼ無人と化している。ある日突然やってきたガリア軍によって民衆は追い出され、そのガリア軍も廃城であったアーハンブラ城を改築した後に撤収したからだ。それは、ジョゼフがこのアーハンブラをビダーシャルのための、誰の目にも止まらない技術提供の場とすることと、捕らえてきた虚無の担い手が逃げ出せない天然の牢獄として使用するためであった。

 城内は美しく清掃され、エルフが建造した当時の見事な彫刻を浮き出させている。もしここが博物館であれば、連日数え切れないほどの人々でにぎわうであろう。だけれども、この城にたった一人で幽閉され、心を奪われる日を待つのみの身となったティファニアには、芸術はなんの慰めにもならない無機質なものでしかない。また、彼女の事実上の死刑執行人とされたビダーシャルも、先祖の残した造形美を観察する余裕はなく、尖塔の最上階の部屋に設けられた作業室に閉じこもっていた。

 陽光による薬品の変質を防ぐために、窓にはカーテンがかけられて、薄暗い室内には様々な薬品を入れたガラスの器具が所狭しとならべられている。このビダーシャル専用の作業室は、彼が魔法薬の精製をおこなうために必要な道具がすべて揃えられており、城の中で唯一異色を放っている。そこで彼はティファニアに使うための心身喪失薬を作っていたが、同時に一人ですべてを手がけることの限界も感じ始めていた。

 

 ジョゼフに用意させた魔法の製薬器具から離れたところに、ビダーシャルがサハラから持って来たいくつかの魔道具が並べられている。今、ビダーシャルはその中の一つである、遠方の仲間と交信できる魔鏡を使っていた。交信しようとしてる相手は、自分についてハルケギニアへやってきたもう一人のエルフである。ジョゼフの部下になった自分とは別行動をとり、独自にこの世界の異変を調査していたその者を、ビダーシャルは呼び戻そうとしていた。

「聞こえているか? お前の協力が必要になった。すぐにこちらに来てもらいたい」

「あら叔父様、なにかおもしろそうなことが起きたんですの? ふふっ、こちらに来てから毎日が刺激の連続ね」

 魔鏡から返って来た若い女性の声に、ビダーシャルはため息まじりで応えた。相手の声は明瞭で快活であり、子供を思わせるような無邪気さも感じられる。つい先程まで暗く沈んだティファニアの相手をして、これからまた気乗りのしない仕事を始めなければならない彼には、相手の元気さが少々憎らしくもあった。

「君は蛮人の世界に来ても何も変わらないな。前々から、蛮人の道具を買い集めたりと奇行が目立っていたが、蛮人の世界の実物を見て、少しは幻滅したのではないか?」

「まさか? 幻滅どころか、楽しい日々を送っていますわ。蛮人たちは彼らなりに独自の魔法理論を構築してますし、なによりもここにはサハラにはないものが山ほどあります。見るもの聞くもの触れるもの、すべて私にとっては宝物ですわよ」

 人間よりもはるかに高度な文明を有するエルフは、人間を蛮人と呼んで見下しているものが多い。ビダーシャルもその例外ではなく、人間世界で暮らしていることには少なからぬ疲れを感じている。ところが、相手のエルフの女性はビダーシャルとはまったく対照的に、人間を蛮人と呼んでも、そこに悪意はなく、人間社会を楽しんでいる様子だった。

「それにしても、しばらくぶりですわね叔父さま。ここのところ連絡がありませんでしたけど、お元気でしたか?」

「最悪と呼んで差し支えない気分だ。お前は相変わらずどころか、以前よりも元気になったように思えるな」

「それはもう、こちらに来てからは未知の発見と興奮の毎日ですもの。こちらの一日が、あちらの一年にも匹敵する密度ですから、退屈などしてられないです」

「研究者である君にとっては、蛮人の世界も夢の国になるか。うらやましい限りだが、正体がばれるようなことはなっていまいな?」

「それはもちろん。精霊の力での『変化』を、蛮人の魔法では見抜くことはできないことは叔父さまもご承知のはず。ちゃんと耳、隠れているでしょう?」

 そう言って、相手の女性は首をかしげるようなしぐさをして見せた。しかし、あいにくビダーシャルはその問いに答えることができなかった。

「あいにく、映像が乱れていて細かいことはわからん。この道具、もう少し感度はよくならないのか?」

 鏡面には、薄ぼんやりとした様子で相手の姿が映っているが、ときおり映像が乱れて途切れそうになる不安定なものだった。この道具は、ガリアに交渉に行くことになった際に、相手の女性がどこかしらか持って来たものである。けれども、その通信感度は日によって大きくばらついて、つながらないことも多々あるという頼りなげな道具だった。エルフの技術を持ってしても、遠方との通信はたやすいものではないのだった。

「あら、それは残念ですわね。古代の秘術を研究して作った魔鏡だったのですが、まだまだ改良の余地があるようですね」

「それはいずれ、サハラに帰ってからゆっくりとやってくれ。しかしこんなもの、ここで使うよりも、君の婚約者に渡したほうがよかったのではないのか?」

「あら、それは絶対だめですわよ。こんなものを渡したら、アリィーのことだからそれこそ四五日中話しかけてくるに決まってますわ。私が静かに研究に集中する時間を削られるなんてまっぴらごめんです」

 一切躊躇なく答えた彼女に、ビダーシャルは苦笑するしかなかった。

「君も罪な女だな」

「はい?」

「いや、なんでもない。ところで、君のほうは異変や悪魔の力に関して調査は進んでいるのか?」

 話を変えて尋ねると、相手の女性はその質問を待っていたとばかりに話し出した。

「それはもちろん。収穫がありすぎて、どこから話していいかわからないくらいですわよ。ええと、私がここに来てからすぐのことなんですけれど」

「いや、説明はいい。君に話させると、サハラの日が沈んで昇るまで聞かされることになるからな。それに関しては、こちらで直接聞かせてもらうことにするよ」

「こちら? ああそういえば、最初にそんなことをおっしゃってましたわね」

「ああ、少々やっかいごとが起きてな。君の助力が必要になった。私の言うところまで来てもらいたい」

「いいですけど、おもしろいことですわよね?」

 そこでビダーシャルはすべてを明かした。ジョゼフからの命令のこと、アーハンブラ城にいること、そして虚無の担い手……彼らにとっては悪魔の力を受け継ぐものがここにいることを、無感情に話しきった。

「そういうわけだ。我らがここに来た第一の目的である悪魔の力を受け継ぐものが見つかったために、その脅威に抑制を持たせなければならない。しかし、本来薬学などは私の専門外だからな。君の知識と技術が必要なのだ」

 ビダーシャルは自分の能力の限界を理解していた。心身喪失薬はその気になれば独力でも充分に作れる。しかし、単に心を消し去ればよいのならまだしも、心を操るレベルに調整するとなったら絶対に失敗の許されない緻密さが要求される。それに、薬が完成するまでのあいだ、女性の相手をするにはやはり女性のほうがよいだろう。そういう気遣いをこめていたのだが、相手は彼とは別個の考えがあるようだった。

「ちょっと待ってください叔父さま。そのやり方は少し性急すぎはしませんか? 聞くところ、その担い手の子はハーフエルフであるとか! 私個人としても学術的に大いに興味があります……と、それはおいておいても悪魔の力の正体もあばかないうちに、下手に手を出すのは危険ではありませんか?」

「本音と建前がずれているぞ。君の職務は理解しているつもりだし、私としてもあまり気は進まない。しかし、我々の使命は一刻も早く悪魔の力の脅威から一族を解放すること。ジョゼフが悪魔の力を得たとて、せいぜい蛮人同士のくだらぬ争いに用いる程度だ。一族の安全こそが急務であり、それが第一であることを忘れてはいけない。違うかね?」

 強行に反対されても、ビダーシャルはにべもなく首をふった。相手の女性は、まだなにか言いたげにうめいていたけれど、反論しても正論を楯に断固拒否されることがわかっていたので、仕方なげに了解した。

「わかりましたわ。では、そちらのほうへ向かわせていただきます。アーハンブラ城でよろしかったですね」

「うむ。できる限り早く頼む。五日以内に来てくれればありがたいが、やってもらいたいのは心身喪失薬の最終調整だから多少遅れてもかまわない。ただし、十日以内にやってこなかった場合は到着を待たずに薬を与える。待っているぞ」

 事務的にそう告げると、ビダーシャルは魔鏡の操作を終了した。鏡面が元通りの、何の変哲もない鏡に戻って、ビダーシャル自身の姿がそこに映し出される。鏡に映った自分の顔を見て、ビダーシャルは我ながらいやな顔をしているなと少し思い、やがて何事もなかったように薬の精製作業に戻っていった。

 

 一方、ビダーシャルと話していた相手側のエルフも、薄暗い部屋で、効果が切れてただの鏡になった魔鏡に映った自分の顔を見ていた。

「叔父さまのバカ! 世にも貴重なハーフエルフを、あまつさえシャイターンの力を持つなんて、二度と手に入らないような貴重な研究資料を使い物にならなくしようなんて! 絶対に許せないわ」

 ビダーシャルに言ったこととは裏腹に、やはり納得できていなかった彼女はおおいに荒れていた。

 彼女のなめらかな金髪が、怒りのあまり頭をかきむしったことで大きく乱れて、食いしばった歯からぎりぎりといやな音が漏れる。足元で怒りのとばっちりを受けた椅子が壁に叩きつけられて、テーブルの上に積んであった本が崩れても彼女は意にも介さない。人ならば妖精にたとえるであろう美しい顔立ちも、このときばかりは鏡が映すのを嫌がりそうなくらいになっていた。

「そりゃあ、私だって使命が第一だってことはわかるわよ。でもそれにしたってやりようがあるじゃない。ほんとに、叔父さまは真面目すぎるんだから、もう」

 部屋が半壊したところでやっと落ち着いた彼女は、ため息をついて魔鏡に映った自分の顔を眺めてみた。不愉快そうで、おせじにも美しいとはいいがたい顔に、自分のものながらおかしさがわいてくる。古今の東西を問わずに、鏡には不思議な力が宿るという伝承が数え切れないほど伝わっているのは、自分の姿という普通では絶対に見れないものを見せてくれる神秘性から生まれたものかもしれない。

 鏡に醜い顔を映すのをやめた彼女は、冷静に考え直してみた。

 やはり、何度考えても悪魔の末裔に強行に手を加えるのは無謀にすぎる。個人的感情が混ざっているのは否定しないし、やはりとてつもなくもったいないと思うけれど、なんの裏づけもなく短慮で行動していいものか。第一、ジョゼフが悪魔の力を蛮人同士の争いに使うのならばエルフに被害は来ない、などと虫のいい計算ではないか。

 彼女は、手持ちの魔道具の中から通信用とは別の魔鏡を取り出した。それは、以前ビダーシャルがサハラの情景をジョゼフに見せたものと同じ、映像を記録するタイプのマジックアイテムである。自分と、ビダーシャルにも届いているに違いないそれに記録されていた映像を見つめて、彼女はつぶやいた。

「サハラがこんなになっていたら、叔父さまが焦りたくなる気持ちもわかるけどね……それでも、この異変とシャイターンの復活とが関連性があるという確固たる証拠はまだないのよ、やっぱり軽率な行動だわ。けれど、叔父さまは蛮人の王の要求をこばめないし、私の説得なんか耳を貸してくれないし、どうしようかしら……」

 彼女はしばらく考え込んだ後、よしと指を鳴らすと顔をあげた。

「私がだめなんだったら、別の誰かに叔父さまを止めてもらいましょう。となると、悪魔の力に対抗するにはこちらも悪魔の力を持っていくしかないでしょうね」

 考えを決めた彼女は、さっそく身の回りのものをまとめると部屋を出た。

 外に出ると、晴れ渡った空からの陽光に目がくらみ、続いて周りの景色が見えてくる。崩れ落ちた瓦礫の塔と、その周りで作業をおこなう工夫や、学者風の男女の数々。ここは少し前にアボラスによって破壊されたトリステイン王立魔法アカデミーの跡地。彼女が出てきたのは、再建がかなうまでの仮の宿舎。その自室に鍵をかけると、彼女は近くにいた学者の一人から声をかけられた。

「お出かけですか? ちょうどよかった。遺跡から発掘された碑文の解読が終了したので、写し書きを魔法学院のエレオノール女史に届けていただきたいそうです」

「そう。それはこちらとしても都合がよかったわ。じゃ、これは確かに私から先輩に届けておくから。それと、しばらく留守にするからって、ヴァレリー教授に伝えておいて。ああ、戻ってきたときにはまた使うから、私の部屋ちゃんととっておいてよ」

 資料を受け取った彼女は、そのまま魔法学院へと旅立った。

 

 ティファニアの心が奪われるまで、あと十日。それを過ぎてしまえば、人間の力では彼女を助けることはできなくなる。

 才人たちは学院に戻ってからも、ティファニアを救出しようと八方手を尽くしていた。しかし、ティファニアの置かれている状況はおろか、居場所の手ががりすらつかめていない。ルイズの部屋に顔を揃えた才人とルイズ、キュルケとタバサにエレオノールは、希望がまったくなくて困り果てていた。

「ここまで探して手がかりゼロってことは、ティファニアがさらわれたのはトリステイン以外のどこかの国ってことになるわね」

 キュルケがつぶやいた結論に、才人たちはお手上げだといわんばかりにため息をついた。

「やっぱりそういうことになるか。でも、それだといくらなんでも探しようがないぜ」

 トリステインの中であるならば、アンリエッタや銃士隊などの協力をあおぐことはできる。しかし、国外ともなればまったくもって後ろ盾はないので、なにを調べるにしても時間も手間もかかりすぎる。そんな悠長なことをやっている暇はない。

 山を張るにしてもガリア、ゲルマニア、ロマリアと国は多く、国土は広い。このハルケギニアでたった一人の人間を探し出すことが、いかに不可能に近いか嫌というほど思い知らされた。

 エレオノールも、なんとかなるかもといった甘い見通しは完全に捨てていた。

「あなたたち、最初の威勢はどうしたの?」

「そういわれても……」

 生返事しか返ってこず、初日に見せていた元気は見る影もない。

 彼女自身も、この先どう捜索すればいいのかわからない。正直に言えば、人探しなどは専門外なのだからできなくても当然である。だが、虚無に関することにこれ以上知っている人間を増やすわけにもいかない。かといって時間をかければ、ティファニアは敵となって自分たちの前に現れるだろう。

 現在できるもう一つのことは、虚無の魔法の秘密自体を暴いていくことだが、こちらも進んでいない。エレオノールは、遺跡の碑文の解読はまだ終わらないのかといらだっていた。ヴァレリーほど優秀な学者が、こなせない仕事だとは思えない。

 虚無に対抗するにはこちらも虚無を使いこなすことが望ましい。『エクスプロージョン』は強烈だけども、それだけでは心もとない。ルイズが新しい虚無の呪文を覚えるか、もしくは虚無の魔法を自在に使えるようになることができればいいのだけれど……

”ヴァレリー、まだなの?”

 溺れる者になった気で、エレオノールは解読文が届くことをひたすらに待った。

 そのときである。部屋の扉がノックされ、開けてみるとアカデミーの研究員の身なりをした少女が立っていた。

「先輩、こちらにいらっしゃいましたか」

「ルクシャナ、あなたが来たの」

 やってきたのがアカデミーの後輩であったことで、エレオノールは待ち望んでいたものが来たことを知った。

「お姉さま、その方は?」

「ああ、あなたたちと会うのは初めてだったわね。先日、アカデミーに入った優秀な新人よ」

「ルクシャナというの、よろしくね。あなたが先輩の妹さん? ふーん、あなたがねえ」

「は、はい?」

 あいさつをしたルクシャナに、まじまじと見つめられてルイズは困惑した。エレオノールの後輩だからか、遠慮のない態度はまあわかるとして、その好奇心にあふれた眼差しはなんであろうか。

「ルクシャナ、ルイズなんか見ても別におもしろくもないわよ。それより、用があって来たんじゃないの?」

「ええまあ。こちら、ヴァレリー先輩からの届け物です」

 ヴァレリーから預かってきたという書簡を受け取ると、間違いなく彼女のサインがされているのを確認する。厚い封筒に入ったそれは厳重に蝋で封印され、言ってあったとおりに人の目に触れないようにしてくれていたようだ。

「ご苦労様、じゃあもう帰っていいわよ」

「ええーっ、せっかくここまで来たのにそれはないですよ。その碑文の解読、なぜかヴァレリー先輩だけがまかされてほかの研究員は締め出されるし。読めるのを楽しみにしてたのに」

 入室から二分も経たずに追い出されかけて、当然のようにルクシャナは不満の声をあげた。

「あのねえ、ほかの研究員を締め出すってことは、秘密にしておきたいからに決まってるじゃないの」

「虚無に関わるからですか?」

「そう、虚無に……えっ!」

 ルクシャナの口から飛び出した、あってはならない単語にエレオノールの顔がこわばる。

 今、彼女はなんといった。聞き間違いでなければ、確かに『虚無』といった。この文書が、なぜ秘密扱いでヴァレリーに解読を頼まれたのかはヴァレリー本人ですら知らない。彼女は借りが大きくなることを承知で、訳を聞かずに引き受けてくれと懇願するエレオノールの頼みを聞いただけだ。

「ルクシャナ、どうしてあなたがそのことを……?」

 胸の動揺を抑えながら、つとめて冷静を装ってエレオノールは問いかけた。同時に、才人はルクシャナの背後に立ち、キュルケは部屋の扉にロックの魔法をかける。それなのに、ルクシャナは別に悪びれるでもなく、エレオノールの胸についているアカデミーのバッジを指差した。

「すみませんが、先輩が最近なにか隠しごとをしてるようなので、バッジに少し細工をね。受信機はほらこっち」

 ルクシャナが自分のバッジを外して見せると、そこからは確かに今エレオノールに言ったとおりの言葉が聞こえてきた。

「盗聴器!?」

「正解! といっても受信感度はいいとこ一リーグくらいなんですけど、先輩独り言が多いからバッチリ。でも、先輩の妹さんが虚無の担い手だって知ったのは、つい最近なんですが」

「嘘! だって盗聴の危険は常にディテクトマジックで排除してきた。今日だって、魔法の反応なんてどこにもなかったのに!」

 外したバッジを握り締めて詰め寄るエレオノールにも、ルクシャナは涼しい顔だった。すでにルイズやタバサも攻撃態勢に加わっている。虚無の秘密を知られた上に、盗聴までされていたとなれば当たり前だ。話によってはただで帰すわけにはいかない。

 だが、殺気立ったメイジ四人に取り囲まれているというのにルクシャナは相変わらず少しも動じずに、笑いながら答えた。

「そりゃそうですよ。私たちの魔法は蛮人の魔法では察知できません」

「え……今、あなたなんて……?」

「だから、蛮人の魔法と精霊の力を行使した私たちの魔法は根本から違うから、そちらのディテクトマジックでは探知できないんですよ。落ち着いてくださいって、先輩ならこのくらいのこと説明しなくてもおわかりになるでしょう?」

 違う、驚いているのはそういうことではない。人間の魔法では探知できない魔法。精霊の力を行使した、その答えは一つしかない。さらに、我々のことを蛮人と侮蔑を込めた物言いで呼ぶ、そんな相手はやはり一つ。エレオノールだけでなく、ルイズもキュルケも、才人を除いた全員がルクシャナの正体に察しがついて戦慄した。

「あなた、まさか……」

「お気づきになられたみたいですね。じゃあま、もったいぶっても仕方がないし、単刀直入に話すとしましょうか」

 勝ち誇ったような笑いを浮かべると、ルクシャナは短く「我を纏う風よ。我の姿を変えよ」と、呪文を唱えた。淡い光がルクシャナを包んだかと思うと、すぐに光は消えてルクシャナの姿が現れる。そのルクシャナの容姿は、元と顔つきも体つきもほとんど変わってはいなかったが、一箇所だけ大きく変化している。耳が、長く鋭く伸びていたのだ。

「エルフ!?」

「ご名答。って、見ればわかるわよね」

 正体を現したルクシャナは、うーんと背伸びをすると元に戻った耳をなでた。その仕草だけを見るならば、年頃の女の子の別に珍しくもない行動ととれるだろう。しかし、彼女がエルフであるということが、ルイズたちの……ハルケギニアの人間の無意識に刷り込まれた恐怖心を呼び覚ましていた。

「エ、エルフ!」

「な、なんで!」

「くっ……」

 めったなことではうろたえないルイズやキュルケ、大抵のことでは無表情を貫いているタバサまでもがぐっと息を呑んで後づさる。平然としているのは才人だけだ。

「お、おいおいお前らなんだよビビッちまって。エルフって、相手はたった一人だろ」

 才人にとって、知っているエルフはティファニア以外にはいない。いや、ルイズたちにとってもそうなのだけど、ハルケギニアの人間にとってエルフとは、地球で言う鬼や悪魔のように恐ろしいものの代名詞として、幼い頃から教えられるものだ。頭では大丈夫だと思っても、深く植えつけられた恐怖心まではそうはいかない。

 だけれど、もっともショックが大きかったのはエレオノールであるのはいうまでもない。

「ルクシャナ……あなた、あなたがエルフだったなんて。これまでずっと、私たちをだましてきたっていうの!?」

「結果からいえば、そういうことになるわね。でも、エルフの姿のままじゃアカデミーに入れっこないし、そのへんは目をつぶってくださいね」

「そういう意味じゃないわよ。エルフが人間に化けてまで、なんでこんなところにいるのかってことよ!」

「うーん、それにはけっこうややこしい理由があるんで長くなるけど、一言で言えば蛮人の世界を探るためかな?」

 ルクシャナは、人間の姿のときに使っていた敬語を省いてエレオノールに答えた。といっても、エルフの寿命は人間よりもずっと長いために、一見ではやや瞳が鋭いくらいの少女にしか見えないルクシャナも、さしてエレオノールと歳の差はない。それでも、これまでずっと後輩と見てきたルクシャナの正体を知ったことで、エレオノールの心には深い屈辱感が生まれていた。

「これで、あなたが歳の割には異常なほど優秀だった理由もわかったわ。エルフは優秀な頭脳の持ち主だっていうから、さぞかし私たち人間のことがバカに見えたでしょうね」

「落ち着きなさいよ。いや、落ち着いてくださいよ。どうも偏見があるみたいなんで修正しておくけど、私たちはあなたたちと比べて寿命が長い分成人も遅いの。だから教育を受ける期間も長くて、それがあなたたちから見れば英知を持ってるように見えるんでしょうね。基本的な記憶力なんかは、実際ほとんど変わらないわ」

「本当でしょうね」

「少なからぬ時間、いっしょに過ごして体験したことだからね。私も学者よ、自分の検証は偽らないわ。それと、エレオノール先輩やヴァレリー先輩を尊敬してるのも事実です。正直、あなた方ほどの学者はエルフにもそうはいないわ。おかげで、いろいろと勉強させてもらったわ。ありがとう」

 中途半端に敬語が混じった言い方だが、どうやら嘘だけはついていないようだ。エレオノールは、同じ学者としてそれを信じることにすると、一回深呼吸をして気を落ち着かせた。

「わかったわ。じゃあ、あなたの言うとおり単刀直入に話を進めましょう。あなたの目的はなに? どうしてエルフだってことをばらして、虚無に興味を持つわけ?」

「簡単よ。あなたたち、さらわれたハーフエルフの虚無の担い手を探してるんでしょう? 居場所を教えてあげに来たのよ」

「なっ!?」

 想像もしていなかった答えに、全員が例外なく絶句した。しかし一瞬の間を置き、我に返ったとたんに才人は反射的に叫んでいた。

「ティファニアの居場所を知ってるっていうのか!?」

「だからそう言ってるじゃない。物分りが悪い子たちねえ」

 叫んだ才人に、ルクシャナはめんどうくさそうに答えた。が、才人の驚いているのはそういうことではない。

「すっとぼけるなよ! なんでお前にティファニアの居所がわかるかっていってんだよ。まさかお前もシェフィールドの一味なのか?」

「はあ? あんたこそなにを訳のわからないこと言ってるの。私は別に誰にも従ってるわけじゃないわ……いえ、もしかしたら叔父さまと契約したっていうあの男なら」

「おい、どうしたんだよ?」

 突然考え込んでしまったルクシャナに、才人は問いかけるけれど彼女は答えない。

「なーるほど、そういうふうにつながってたんだ。ふむふむ、これはまた興味深い考察課題ができたわね」

「おいこら! 聞いてんのか!」

「うるっさいわねえ。これだから男ってのは野蛮で嫌いよ、しぱらく黙らせてあげましょうか」

 いら立った気配を見せたルクシャナに、ルイズたちはいっせいに身構えた。エルフの使う先住魔法、この中でその威力を直接見たものはいないが、伝承ではスクウェアクラスの魔法をもしのぐ威力を持っているという。

「なんだよ、やるっていうのか?」

「サイトやめなさい! エルフを怒らせちゃだめ」

 ルイズがエルフの脅威を知らない才人を引きずり倒した。才人は「なにすんだ」と抗議するが、背中からあばらがきしむほど踏みつけられた。その一撃で肺の空気を全部吐き出さされて、酸素欠乏症に陥らされた才人は金魚のように口をパクパクさせる。久々に見せるルイズのおしおきの前に、才人はテンカウントを待つことすらなく黙らされた。

「あなた、ずいぶんとまあ生物の常識を無視した沈静方法を使うわね……私が言うのもなんだけど、彼大丈夫なの?」

「こいつはこんなものじゃ死にはしないわよ。まったく、少しは会話の流れってものを読みなさいよね」

 多分聞こえてないだろうが、ルイズは足の下でもだえている才人に言った。しかし、さしものエルフでもルイズの折檻は引くものがあったらしい。才人への敵意はすっかり消えて、一転して同情のまなざしになっている。それほどまで才人の惨状は、見慣れているはずのキュルケなどからしてみても、これなら一思いに息の根を止められたほうが、まだ幸せかもしれないというふうに見えた。

 とはいえ、ティファニアの身が気になって冷静さを失っている才人では話にならなかったのも事実だ。呼吸困難で悶絶している才人を置いておいて、代わりにルイズがルクシャナに向かい合った。

「うるさいのは黙らせたわよ。だから話を続けてちょうだい」

「はぁ、すっかり話がそれちゃったけど、まあいいわ。えーっと、どこまで話したかしら?」

「いえ、本気でわたしたちに協力する気があるなら最初から全部話してちょうだい。ティファニアの命がかかってる以上、不確かな情報で動くわけにはいかないわ」

 鋭い目で睨み付けるルイズに、すでに毒気を抜かれていたルクシャナは含み笑いをしてうなづいた。

「あなた賢いわね。それにおもしろい。いいわ、観察対象として合格。話してあげるわ」

 ルクシャナは、ルイズのベッドに腰をおろすと、ことのあらましを語り始めた。

 自分は、エルフの世界で起きている異変を抑えるためにハルケギニアに派遣されてきた叔父にくっついてきたこと。そのためにガリア王ジョゼフと交渉し、叔父が彼の配下にならざるを得なくなったこと。自分は下働きなどおもしろくもないので、話に聞いたトリステインの魔法アカデミーに行ってみることにして今日まで来たことを、あっさりと全部話した。

「おおまかなことは言ったとおり、それで今あなたたちのお探しの虚無の担い手は、私の叔父さまといっしょにガリアのアーハンブラ城にいるわ」

「ガリアの王……まさか、それほどの相手だったなんて」

 シェフィールドがあれだけ自信を持つわけだとルイズは思った。組織どころか、国が背後についているのだから当然である。

「でも、なんでまたガリアの王様が虚無を狙うわけよ?」

「さあ。ジョゼフとの交渉は主に伯父さまがしてて、私はしばらく会ってもいないからね。けど、蛮人の考えることなんてだいたい同じじゃない?」

 人間を見下す様子を隠すでもないルクシャナに、ルイズは不快感を抱いたが否定もできなかった。ガリア王ジョゼフが『無能王』と内外で言われているのは、トリステイン人である自分も知っている。その汚名を晴らすために虚無を使って、ハルケギニアを統一しようなどという、ゆがんだ野心でも抱いているのだろうか?

 また、キュルケはガリアの名を聞き、タバサの境遇を思い出して、彼女に視線を向けていた。しかし、キュルケの無言のうったえにタバサはなにも答えずに、無表情と沈黙を貫いている。

「ガリア王ジョゼフね……エルフを部下にするなんて、とんでもない男のようね。でも、誇り高いエルフが交換条件とはいえ人間にひざを折るなんて、サハラで起きている異変ってどういうものなの?」

 ルイズに質問されたルクシャナは、ふたつの答えを示した。ひとつはあなたたち虚無の担い手に関係するシャイターンの門の活動に関すること、もう一つは直接見たほうが早いと、ルイズに鏡のマジックアイテムを手渡した。覗き込んだルイズたちの瞳に、記録されていたサハラの情景が映し出される。

 まず見えてきたのは、一面の砂の世界の中に、宝石のように輝くエメラルドグリーンのオアシスだった。湖畔には緑があふれ、砂漠の中だというのにみずみずしい生命の息吹にあふれている。その周辺には取り巻くように美しい街並みが作られていた。

「きれいな街……」

 エルフのものだということを忘れて、ルイズたちはその街の美しさに見入った。建物はハルケギニアのどの国のものよりも規模が大きいだけでなく、精巧で機能的なデザインで組まれていて、どちらかといえば地球のビル街に近い。しかしコンクリート製の地球のビルや、ハルケギニアの石材やレンガ造りのものと違って、白磁に輝く見たこともない美しい石でできていた。

 ルクシャナはそれが、サハラの中で南海という場所に近いところにある地方都市だと語った。地方都市でこれとは、首都はどれほど雄大なのだろうとルイズたちはエルフとの技術差に心が寒くなる。

 だが、都市に見とれていられたのもわずかなあいだだった。空のかなたから突如現れた無数の影、それが翼を翻して都市の上空に接近してきたとき、都市の数十箇所で火の手があがったのである。

「あれは、竜!?」

「いえ、竜なんかよりはるかに大きい。怪獣の群れよ」

 現れたのは、赤い翼と鎧のような体を持つワイバーンのような怪獣の群れだった。才人はまだ痛む体の中で鏡を見上げてつぶやいた。

「アリゲラ……」

 それは、かつてウルトラマンメビウスが戦ったこともある宇宙有翼怪獣アリゲラの群れであった。数は画面から算定できるだけで最低七匹、それらが肩口や尻尾から放つ破壊光弾で街を攻撃している。

「ひどい……」

 エルフたちは逃げ惑い、美しかった街並みはみるみる破壊されていく。突然これだけの数の怪獣に襲われたのでは、いかにエルフの街とてひとたまりもなかった。

 これが、エルフの世界を襲っている異変……怪獣の出現はハルケギニアだけではなかったことに、ルイズたちはあらためて世界の危機を実感して息を呑んだ。

「ヤプールの影響が、エルフの世界にも波及してたのね」

 ルイズの言葉に、ルクシャナは「そう」とうなづいた。才人も同感で、アリゲラの大群の出現はヤプールが原因とみて間違いない。この世界でも、アリゲラは三十年前にオスマンを襲ってウルトラマンダイナに倒されているので、存在は確認されている。群れで現れたのは、かつて現れた個体はおそらくはぐれで、本来の生態は宇宙渡り鳥バルやディノゾールのように群れで渡りをする性質を持っているからなのだろう。

 そして、その性質ゆえに、渡り鳥が電磁波で目的地を見失ってしまうように、ヤプールの時空波に敏感に影響を受けてしまったのだ。

 画像は暴れるアリゲラの群れにエルフの空中艦隊が迎撃に向かったところで終わり、ルクシャナは再び口を開いた。

「今のところは私たちの軍隊が抑えているけど、それもいつまで持つか。だから叔父さまも焦ってるのね。だけれど、叔父さまはシャイターンの力が制御可能な形に落ち着けばそれでいいみたいだけど、私に言わせれば貴重な研究資料を台無しにするなんて冗談じゃないわ! で、私が直接叔父さまを説得するのは無理だから、同じシャイターンの末裔であるあなたたちに救出してほしいわけ」

「それがあなたがわたしたちに協力する理由ね。でも、ティファニアを助け出したとたんに手のひらを返してってことはないでしょうね? もし、あの子に痛みを与えるようなことをすれば、あなたたちが悪魔と呼ぶとおりにわたしはなってあげるわよ」

 脅しと呼ぶには壮烈すぎる殺気をぶつけるルイズに、ルクシャナはやれやれと首を振った。

「あなた、わたしのことを血も涙もない狂学者みたいに思ってない? 心配しなくても、体も心も手を加えるつもりはないわよ。私がしたいのはあくまで観察、自然な姿こそが重要なの」

 ルクシャナは断言し、ルイズは「ならいいわ。あなたを信用しましょう」と答えた。そんなルイズに、そのころようやく回復してきた才人が噛み付いた。

「ルイズいいのか? こんなやつを信用して」

「信用するわよ。この人は私たちに悪意を持ってるわけじゃないわ」

「ご理解ありがとう。やっぱりあなたは賢いわね」

 少しも遠慮せずに、ルクシャナはルイズを好成績を出した生徒のようにほめた。

「ふんっ。善意で協力しようとしてるわけでもないんでしょ。ようはあなたはあなたの研究欲を満たしたいだけ。でもそれでいいわ、今日はじめて会った相手をいきなり信頼できるわけもない……ただ、それがティファニアを助け出す唯一の道ならわたしは迷わない」

 ルイズの決意を聞き、才人も確かに今は誰の力を借りてもティファニアを救出することが先決だと思い直した。するとルクシャナは、「協定成立ね」と手を差し出してきた。しかしルイズは自分も手を出そうとはせず、ルクシャナに問いかけた。

「協定の前に一つだけ聞かせて。あなた、短い期間でもハルケギニアで暮らして、ここの人たちをどう思ったの? ただ蛮人の世界はおもしろいと思っただけ? エルフの人に比べて、人間は蛮人というとおりに本当に劣る存在だった?」

「それはないわ。確かに技術の差は格段だけど、エルフもここも、住んでる人にたいして違いはなかったわね。私があっさりここの生活に溶け込めたのがその証拠。実際、あんまり変化がないもので拍子抜けしちゃったわ」

「じゃあなんで、私たち人間のことを蛮人なんて見下した呼び方をするの?」

「あら、そんなこと気にしてたんだ。そうね……特に理由はないわ、物心ついたときからそう呼んでたし。それをいうなら、あなたたちだってエルフのことを化け物よばわりしてるでしょ」

 指摘されて、ルイズたちははっとした。相手のことばかり考えていたけど、今自分たちは彼女に対して明らかな敵意を向けている。彼女は最初から話し合いに来たと言っているのに、場を複雑にしているのは自分たちだ。先入観から初対面の相手を蔑視し、差別するのはおろかなことだとわかりきっているのに無意識にやってしまった。

「悪かったわね。エルフだからって殺気立っちゃって」

「気にしてないわよ。あなたたちはだいたいそんなものでしょ、気にしてたらきりがないわ」

 なんでもないように言うルクシャナは、人間の蔑視など歯牙にもかけていないようだった。ただ、そうして人間を見下してはいなくても、なめた様子のルクシャナにルイズの対抗意識がかきたてられてきた。

「そうね……じゃ、ほんとうのエルフがどういうものなのか、私もあなたを観察させてもらうわ。失望させないでよね!」

 力強く言い放つと、ルイズはがっちりとルクシャナの手を握った。ルクシャナはしばし呆然としていたけれど、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

「私を観察しようっていうの? やっぱりあなたおもしろいわね」

「よろしくね。わたしの名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。百や二百の論文で、わたしを語りつくせると思わないでよね」

「望むところよ、一生かけてもあなたと虚無の秘密、暴きつくしてあげるわ!」

 二人は互いに力を込めて手を握り返す。ここに、両者の協定は完全に成立した。

 むろん、まだ才人たちは納得しきれていない様子だった。だがルイズはそんな才人に楽観的に語り掛ける。

「まあなんとかなるでしょ。考えてみたら、人間じゃない相手なんてこれまで腐るほど相手してきたんだし。それに、忘れたのサイト? 始祖ブリミルはエルフを使い魔にしてたのよ」

「あっ!」

 そうだったと、才人はアボラス・バニラとの戦いのときに祈祷書に見せられた六千年前のビジョンを思い出した。あのときのガンダールヴの女性は間違いなくエルフだった。主人と使い魔という関係だったとはいえ、彼らはともに助け合って生きていた。ならば、現代に生きる自分たちがエルフとわかりあえないはずはないではないか。

「なになに? なんの話、もっとよく聞かせてよ!」

 その一言を聞きつけたルクシャナが、好奇心で顔をいっぱいに輝かせて詰め寄ってくる。ルイズは才人に目配せで、「ねっ」と言ってやって才人も理解した。なるほど、つまりこの人はコルベール先生と同じタイプの人間で、先生にとってのゼロ戦が彼女の場合はティファニアだというわけか。しかし、いくらエルフとはいえこういう人ばかりというのは少し考えがたい。

「もしかしてあんた、けっこう変わってるって言われない?」

「あら、よくわかったわね。私ね、ずっと前から蛮人の文化を研究してきたの。あなたたちの商人からいろんなものを買ったりしてね。だっておもしろいじゃないの、こうゴテゴテしてて。なのにみんな私の家をガラクタ屋敷よばわりよ。失礼しちゃうわ」

 憤然とするルクシャナを見て、全員が『コルベール先生の女性エルフ版がいる』と本気で思ってげっそりした。

 なにか、警戒していたのがアホらしくなってくる。

「ねえ、それよりもさ。今の話よく聞かせてよ」

「長くなるんであとにしてくれ! ようし、テファの居場所さえわかれば善は急げだ。すぐに出発しようぜ」

 

 勇躍して、才人たちは魔法学院を旅立った。

 エルフのルクシャナを仲間に加え、目指す地はガリア王国の辺境アーハンブラ。

 ティファニアが心を奪われる日まで、あと十日。

 

 

 続く



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第44話  大切なもののために

 第44話

 大切なもののために

 

 深海怪獣 ピーター 登場

 

 

 エルフの少女ルクシャナの協力を得て、才人たちはティファニアの捕らえられているガリアに向かって旅立った。

 目的地はガリアの、そしてハルケギニアの最辺境の地アーハンブラ。

 そこにガリア王ジョゼフの命を受けたビダーシャルとともにティファニアはいる。

 再び人間に『変化』したルクシャナに案内されて、才人たちは急ぐ。

 ビダーシャルが精製している心身喪失薬によってティファニアの心が奪われるまで、あと十日。

 

「アーハンブラ城ってのは、そんなに遠いのか?」

 学院から旅立って、最初の馬車駅で才人は聞いた。アルビオンにまで旅をしたことはあるけれど、ガリアに行ったことはまだ一度もない。それはルイズも同じだったので、ガリア出身のタバサが答えた。

「遠い。わたしも行ったことはないけど、ラグドリアン湖とは正反対の位置にあるから簡単にはつけない。馬でいくなら、ざっと見込んで最低一週間……悪くすれば、九日はかかる」

「それはまずいな。下手をしたら間に合わなくなるぞ」

 思った以上に時間がかかることに、才人はいらだたしげに固いパンを食いちぎった。ガリア国内はトリステインと違い、ルイズや才人の持っている特権は通用しないので、あまり無理に急ぐことはできそうもない。ルクシャナ一人だけならば、ジョゼフから発行された通行証ですぐにどこでも行けるけど、ご丁寧に一人分しか有効性がなかった。

 なお、シルフィードで飛んでいこうという考えはキュルケがはじめに言って、タバサに即座に却下された。

「シルフィードはまだ幼体、この人数を乗せたら一時間も飛べない。それに、これから行くのは敵地だということを忘れないで」

 その警告は、ルクシャナを除く全員の胸に深く突き刺さった。

 そう、ガリア王ジョゼフがこの一件の黒幕であるならば、ガリア王国全土が敵地であるということになる。いつどこで、敵襲を受けるか想像もできない上に、ガリアの官憲も実質敵であると言える。そんなところで、飛び疲れて動けなくなったシルフィードを抱えて立ち往生するのは自殺行為でしかない。シルフィードの翼は、万一の際に備えて温存しておくべきだった。

「結局、馬を乗り継いで行くしかないってことか」

 楽はできないらしいということに、才人はため息をついた。馬で旅をするのはこれで何度目かになるけれど、地球育ちの才人にとって馬はいまだに尻が痛くなるので、どうも好きになれないのである。

 しかし、ぜいたくは言ってはいられない。こうしているうちにも、ティファニアは刻一刻と最後のときへと近づいている。それに、ただ一人で見知らぬ土地で囚われの身となっている彼女のことを思えば、尻の痛みなどは些細な問題だった。

「さて、じゃあそろそろ出発しようぜ。ルイズ、準備はいいのか?」

「問題ないわ。ここの馬を見てきたけど、どれも十分に旅に耐えられそうよ。今から行けば、明日には国境を越えられると思うわ」

「ようし、ならみんな行こうぜ!」

 一行は借り入れた馬に分乗して出発した。ここからは馬車駅を経由しつつ、馬を乗り換えながらアーハンブラを目指すことになる。

 街道をガリアに向かって走り、山を越えて、途中の宿場町で一泊して夜を明かした。

 

 翌日、宿場町を出発した一行はガリアとの国境を目指して街道を南下した。

 馬を疲れさせない程度に走らせ、道草を食ませて休み、途中で会った農家の親父からりんごを買って腹を満たしながら進む。

 そうして国境の関所にまでやってきたときだった。関所の門の前で、一行を思いもかけない人が待っていた。

「ようやく来たね。あんまり遅いもんだから、もう置いていこうかと思ってたところだったよ」

「ミ、ミス・ロングビル! どうしてここに」

 なんと、一行の前に立ちはだかるように、今はオスマン学院長の秘書としてトリスタニアでアンリエッタ姫の結婚式典に参加しているはずのロングビルがいたのだ。彼女は驚くルイズたちを馬から下ろすと、すぐさま激しい剣幕で怒鳴りつけてきた。

「この大馬鹿トンマのガキども! ティファニアが得体のしれない連中にさらわれたっていうのに、なんで私に教えないんだい!」

「す、すみませんミス・ロングビル! あなたに心配をかけてはいけないと思ったんです!」

 ロングビルはルイズの胸倉をつかんで、足が宙に浮くほど強く引き上げていた。才人が慌てて止めようとしても、「邪魔だよ!」と、一喝されて相手にもならない。いつもオスマンのそばで地道に事務をしているときの、温厚で知的な雰囲気は微塵も残ってはいなかった。

 しかし、なぜロングビルがティファニアがさらわれたことを知っているのだろうか? そのことを恐る恐るたずねると、彼女はルイズを放り出して吐き捨てるように答えた。

「お前たちがトリステインに連れてきた、ウェストウッドの子供たちが伝えにきてくれたのさ。衛士隊に捕まりそうになりながら、私がトリスタニアに来てるってことだけを手がかりにして、右も左もわからない土地で泣きながら私の居場所をつきとめて、「おねえちゃんがさらわれた」って言ってきたときの、あの子たちの顔があんたたちにわかるかい!」

「あ、あの子たちが……」

 ルイズたちは、修道院に預けてきた子供たちがそんなことをしていたのかと愕然とした。まさか、子供たちだけでそこまで無茶をするなどと考えてもしなかった。いや、子供たちは子供たちなりにティファニアを助けようと必死だったに違いない。

 ロングビルは子供たちから知らせを受けて、大急ぎで学院に向かった。しかしそのときにはすでに一行は出発してしまった後で、まずは学院の馬の世話係からトリスタニアに向かったことを聞き出した。ついでトリスタニアの馬車駅で、それらしい一行がガリアに向かったということを聞いて先回りしてきたのだと語った。

「簡単に足取りがつかめた上、先回りしたとはいえ何時間も待たされたあんたらの間抜けさには感謝さえするよ。けどね、あなたらのうかつのせいでテファに万一のことがあったら、あたしはあんたたちを許さないからね。あまつさえ、自分たちだけで敵地に乗り込もうなんて身の程知らずにもほどがある。まとめて一網打尽にしてくださいって言ってるようなもんじゃない。どこまでも、自分たちだけで片付けようなんて、うぬぼれるんじゃないよ!」

 雷鳴すら子守唄に聞こえるようなロングビルの怒声に、才人、ルイズはおろかキュルケすら縮み上がった。

 返す言葉は一つたりとてない。ティファニアがさらわれてしまった原因は、すべて自分たちのうかつさにある。ウェストウッド村に向かっていたときにもっと警戒していたら、少なくともマグニアに襲われたときに真っ先に事態の異常さを疑っていたら、ティファニアがさらわれるのを防げた可能性はあったのである。

「ともかく、過ぎてしまったことはもういいわ。ここから先は、私も同行します。問題はないわね」

「そ、それはもう……あなたに協力していただけるのでしたら助かります」

 少し落ち着きを取り戻したロングビルに、ルイズはほっとしながら了承の意を伝えた。実際、ロングビルが協力してくれるとなったら非常に心強い。元盗賊、土くれのフーケとして裏社会で生きてきた経験は、これからの旅で未知の土地を渡っていく大きな助けになるだろう。ほかの面々も異存はなく、一行はロングビルを仲間に加えて国境を越えた。

 

 これより先はガリア王国。ルイズの虚無を狙うジョゼフ国王のお膝元。

 

 いよいよ旅はこれからが本番だと、身構える才人たち。一人ずつ別の馬に乗り、どこから襲われてもいいように間隔をとって進む。特に誰かが言い出したわけではないが、敵地侵入という緊張感が自然とそうさせていた。とはいえ、まだ旅は長いというのに、これでは気が持たないだろうから、しばらくすればやめるだろう。

 才人はその中で、なにげなく一行の最後尾を歩いていた。そこへ、さきほどの騒ぎをじっと見ていたルクシャナが声をかけてきた。

「あなたたちって、見てておもしろいわね。あなたたちの世界でもハーフエルフは嫌われてるはずなのに、あんなにまで必死になって助け出そうとする人が、まだいたとは思わなかったわ」

「あんたたちエルフは、肉親や友人がさらわれても平気なのかよ?」

 ロングビルや自分たちの必死さを、まるでどうでもいいことのように言うルクシャナに、才人はやや口調を荒げた。

「そんなことはないと思うわよ。あなたたちは、エルフのことを特殊な生き物と思っているようだけど、実際にはほとんど差はないってことが体験してみてわかったわ。生物的にもハーフエルフなんてものができるとおりに、両者はかなり近い。精神文化にしたって、形は違っても理解しあえないってことはない。こっちではほとんど知られてないようだけど、サハラでは人間とエルフの商人での取引が普通におこなわれてるのよ」

 あくまで論理的にルクシャナは答えた。しかし才人は、そんな理屈がほしいわけではない。

「そんな建前はどうでもいいんだよ。あんたはたとえば、母親や恋人が敵に連れ去られて平気な顔してられるのか?」

「怒るかもね。私だって、国に母もいるし恋人も待たせてる。恋人のほうはアリィーっていうの、ちょっと怒りっぽくて私の研究に理解を示してくれない頭の固い男だけど、愛してるわ……ああ、あなたそれで不機嫌そうなのね。でもね、私はどうも情より先に理屈や研究欲が出てくるタイプなのよね……」

 よくないことだと友人にはよく忠告される。それはわかってるんだけどねと、ルクシャナは苦笑してみせた。

 才人はそんな態度をとるルクシャナがますます不愉快に思えて、目じりにしわをよせて横目で彼女をにらんだ。

「もう一回言っとくけど、ティファニアやルイズに手を出したらただじゃおかねえからな」

「そんな怖い目をしなくたって大丈夫よ。私にだって、良識ってものはあるから。でも、どうしても私を信用できないっていうなら、あなたも私を観察してみたらどう?」

「おれが、あんたを観察する?」

 思いもかけないことを言われた才人は、うっかり面食らった間抜けな顔をさらしてしまった。

「ふふ、さっきより今の顔のほうがおもしろいわよ。話を戻すけど、あなたと私の間には大きな価値観の差があるのは疑いようもないわね。けれど、私は学者だから自分で見て確認してものしか信用しない。あなたも私が敵か味方か、そのことは言葉よりもあなたの目で確かめて結論を出してみるのがなによりじゃないかしら?」

「いいのかよ? おれがあんたをどう見てるかは、あんたももうわかってるだろ」

「エルフも蛮人も、ひとつ絶対に共通してると断言できることがあるわ。それは、どんな人間であろうと物事を見るときには、必ずその人なりの善悪の色をつけた色眼鏡を通して判断してる。黄色い眼鏡をかけたら黄色いものは見えなくて、赤い眼鏡をかけたら赤いものは見えない。あなたの眼鏡の色では私の色は見えないようだけど、眼鏡の色が塗り変わることはよくあるわ」

 それだけ言うと、ルクシャナは自分の乗った馬の横腹を蹴って才人の馬から離れていった。

 残った才人は馬の背で揺られながら、じっとルクシャナが言ったことを考えていた。

 自分が色眼鏡でものを見ているなど、いままで考えたこともなかった。自分の見ている世界に、ルクシャナは映っていない。その理由はわかる。ルイズやティファニアを人ではなく、研究対象というモノとしか興味をしめしていないあの女が許せないのだ。

 今でも正直にいえばルクシャナは嫌いだ。しかし、自分の見る正義が本当にルクシャナの本質を示しているものなのだろうか?

 あの女は、そう思うのであれば自分を観察してみろと言った。ならば見てやろうじゃないか。最初に思ったとおり、自分の研究欲のためであれば人を人とも思わない文字通りの人でなしか、それとも別のなにかであるのか。

 才人はルクシャナの挑戦を受けてたつことを心に決めた。

 

 ガリアに無事に入国を果たした一行は、それぞれの思いを胸に旅を続ける。

「ここがガリア王国か。ようしシェフィールドめ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだ!」

 今でもどこかでこちらを見張っているかもしれないシェフィールドに向かって、才人は思いっきり叫んでやった。ガリアに自分たちが入ったことを知れば、ティファニアを救出しにきたということは子供でもわかるだろう。でなくとも、ルイズの虚無の力を狙っているのだ。有形無形、どんな方法で妨害してくるか知れない。

 しかし、ここまで来たら、もう引き返すことはできない。一行は勇躍してガリアの領内奥深くへと足を踏み入れていった。

 ところが、懸念していたジョゼフからの攻撃もなく、拍子抜けするほど平穏に旅は続いた。わずかにひやっとしたことといえば、パトロール中のガリアの官憲に呼び止められることくらいである。それも、ロングビルやキュルケの機転で切り抜けて、怪しまれることもなく一行は町や村を通り過ぎることができた。

「何も起きないな。もしかして、奴らティファニアをさらったことで満足して、おれたちがガリアに入ったことに気づいてないんじゃないか?」

「それは十中八九ないと思うわよ。わたしたちに一切感づかれずに見張ってて、ここぞというときに先んじてティファニアをさらったほど抜け目ないやつらが、私たちをノーマークなんて間抜けすぎる」

 なんの妨害もない旅路に、思わず口からでた楽観を、才人はルイズにぴしゃりと否定されてしまった。相手は虚無の担い手を探すために、怪獣を使って街ひとつつぶそうとした相手、せっかく見つけたルイズという担い手をそうそうあきらめるはずはない。

「ジョゼフとかいう野郎、いったいなにを企んでるんだろう。それにしても、いったいどうやって人間が怪獣を操ってるんだろうな?」

 実際、それこそが現在才人たちを悩ませている最大の謎だった。ラ・ロシェールを襲ったやつに、ウェストウッド村に現れたやつ。ジョゼフは間違いなく怪獣を使役する術を持っていて、しかも一匹や二匹の単位ではない。普通の人間にはそんなことは絶対に不可能、現代の地球の科学力をもってしても無理だ。

 ルイズも首をかしげて、「さあ、見当もつかないわ……」と言うしかない。相手が人間であるというのに、謎だらけであるということが、ヤプールとは違った形での不気味さを彼らに覚えさせていた。

 だが、今はなによりもティファニアの救出こそが第一である。ジョゼフがなにを企んでいるにしろ、襲ってくるなら迎え撃つのみ。謎もそのたびにしだいに解けていくだろう。

 

 いつ襲われてもよいように、最低限の警戒だけは忘れずに一行は進む。

 

 途中のいくつかの関所や検問を通る際も、やはり手配などはされていないらしく容易に通り抜けることができた。中にははしこく、旅人に難癖をつけて金をせびり取ろうとする小役人のいる場所もあったけれど、適当な賄賂を渡すとあっさりと通してくれた。どうやら、ガリアもそんなに国政がしっかりしているわけではないようである。

 また、先を急ぐ上で、思ったとおりにロングビルの昔の経験が一行の助けとなった。

 一日目から二日目は街道の宿場町で宿をとり、三日目からはロングビルの誘いで街道を外れて山道に入った。

「このさびしい道が、近道だっていうんですか?」

「ええ、地元の人間くらいしか知らない裏道だけど、表街道を行くより半日は早くなるはずよ」

 地図にない道を知っているロングビルのおかげで、当初予定していたよりもかなりショートカットすることができた。むろん、これは彼女が昔ガリアで『お勤め』をしていたころに身に着けた知識である。貴族に恨みを持っていたとはいえ、ティファニアと子供たちを養うために誇りを捨てて得た経験が、こうしてティファニアを救うためにまた役立つとは、ロングビルは運命の皮肉を感じずにはいられなかった。

 しかし、ガリアに入ってから五日が過ぎたころには、裏道を通ったことで距離と時間がかなり稼げていた。

 懸念していたジョゼフからの攻撃も相変わらずなく、ロングビルによると明日にはアーハンブラの地方にたどり着けるという。

 ただ、砂漠に近づくにつれて宿場町なども少なくなり、人間の気配も目に見えてなくなっていった。

 これより先は人間の侵入をこばむエルフの世界。そこに近づいているという実感が、一行の心臓の鼓動を高鳴らせる。

 

 そして、五日目の夜。もうアーハンブラ城まではひとつも町や村はないという山中で日暮れを迎えた一行は、森の中にテントを張って夜営を行っていた。

「おい、焚き木を拾ってきたぞ。こんなもんでいいか?」

「ごくろうさま。そのへんに積んでおいて、もうすぐ夕食ができるってさ」

 高さ三十メートルはあろうかという、杉によく似た木が天を突く森の中に、小枝を燃やす焚き火の灯りが揺れていた。火の番をしているキュルケの隣に集めてきた木の束を置くと、才人は椅子の代わりの丸太に腰を下ろした。長旅の疲れからか、キュルケは特に話しかけてこずに、ひざを抱いて座ったままぼんやりと焚き火の炎を眺めている。

”きれいだな”

 焚き火の灯りに照らされたキュルケの横顔を見て、才人はふとそう感じた。彼女の燃えるような赤い髪と合わさって、一枚の絵画のようによく映える。ルイズの魅力をかわいいと表現すれば、彼女の場合は美しいという言葉こそがふさわしい。

 少しの間だけ見とれると、才人はざっと周りを見渡した。少し離れたところでは、ロングビルがナイフを使って簡単な夜食を作ってくれている。もともとティファニアに料理を教えたのは彼女だけはあるので、手際は見事なものだ。

 目を遠くにやれば、タバサが見張りをしてくれている。ルイズは二件建っているテントの隣で、三つ目のテントと悪戦苦闘している。おれが建てるから休んでろと言ったら、それくらいわたしにだってできるんだからと取り上げられてしまった。才人はそういう負けず嫌いなところがかわいいんだがなと思ったが、このままだと寝床がゴミにされてしまいかねない。

「あいつは少しは自分の不器用さを自覚したほうがいいんだがな」

 頭のよさと手先の器用さは比例しない。つい最近、ルイズが編み物が趣味であることを部屋の中で毛糸をいじっているのを見かけて知った。とはいえ、意外と女の子らしいところもあるなと感心したのもつかの間、編み物針の中でこんがらがっているつぶれたクラゲのような物体が目に入ると、声をかけないのが優しさだなと思ってそのまま立ち去った。

 ルクシャナの姿は見えない。代わりにテントのひとつからランプの明かりが漏れてくるところから、旅のあいだに見聞きしたものを日記にまとめているのかもしれない。

 夕食ができるまでには、もう少し間がありそうだ。才人は焚き火の番はキュルケにまかせて、ルイズを手伝おうかと立ち上がった。ところが、ルイズに声をかけようとしたとき、急にきつく呼び止められた。

「ちょっと平民、待ちなさい」

「う……ルイズの、お姉さん」

 思春期の少年なら、女性に声をかけられるのは歓迎ものであるが例外もある。いやな感じを半分顔に出して振り向くと、そこには眼鏡を鈍く輝かせて、やや乱れた金髪を顔にかけた女性が、口元を鋭く結んで立っていた。

「ずいぶん迷惑そうな顔をしてくれるわね。私に声をかけられたことが、そんなに不愉快だったのかしら?」

「あっいえ! そんなことはないです。これはちょっと、立ちくらみしちゃっただけで」

 エレオノールの、ねずみを前にした猫のような視線に、才人は慌てて弁解をいれた。

 今回の旅で、一番意外であったのはエレオノールが同行を申し出てきたことだろう。ガリアに向かうことが決まったとき、アルビオンのときと同じくエレオノールはトリステインに残るものとみな思った。なにせ、見知らぬ土地で身分を隠してのつらい旅となることは明白である。ところが、彼女はいやがるどころか当たり前のように旅に同行してきたのである。

 ただ、ルイズたちと違い『貴族は平民の上に立つもの』という意識が強固なエレオノールを才人は敬遠し、旅の途中もほとんど話すことはなかった。むろん、エレオノールのほうも才人を意識的に無視してきたところがある。なのに今になって何の用かと怪訝な表情をする才人に、エレオノールは人差し指を立てて、自分のほうへ招くしぐさをしてみせた。

「ちょっと顔を貸しなさい」

「拒否権は……ないですよね」

 なにせ、あのルイズのお姉さんなのだ。逆らうだけいらない生傷が増えるだけだと黙って従った。

 招かれるまま行くと、エレオノールはキャンプからやや離れた森の中で、『サイレント』の魔法を使って周辺の音を消した。

「これでいいわね。さて、平民、少し話があるからよく聞きなさい」

 やはり面倒なことだなと、才人はいやな予感が当たったことに内心でげっそりした。大方、ルイズと付き合うことに関してあれこれと言ってくるのだろう。そう考えた才人は、これまでの不満もあって声を荒げた。

「その前に、平民ってぽんと呼ぶのはやめてもらえますか?」

「あら、生意気なことを言うわね。平民を平民と呼んで、なにか悪いの?」

「腹が立つんだよ。おれにだって、親父がつけてくれた名前があるんだ。あんたは自分の名前が人に勝手に変えられても平気なのかよ?」

 まっこうから睨み付けてくる才人に、エレオノールは一瞬杖を取り出すしぐさをした。しかし、才人が動じないのを確認すると、手の甲で眼鏡を押し上げて苦笑した。

「なよなよした見てくれの割には、度胸があるようね」

「ルイズと付き合ってれば、いやでもそうなっていきますって」

「なるほど、言われてみればそのとおりかもね。サイト・ヒラガだっけ? その度胸に免じて、無礼は見なかったことにするわ」

 相変わらず居丈高だが、とりあえず自分の名前を覚えていてくれたことには感謝して、才人も肩の力を抜いた。

「それで、わざわざみんなから離れて、なんのお話ですか?」

「その前に、前提として尋ねておくけど、今現在ヴァリエールの家系以外で、ルイズともっとも親しい人間はあなたと思っていいのね?」

「は?」

 突然の斜め上からの質問に、意表を突かれた才人は目をしばたたかせた。しかし、エレオノールはまじめな顔で問い詰めてくる。よくわからないけれど、一応自分とルイズは恋人宣言もしてしまっている。そのことで文句をつけてくるにしても、いいえといえばそれを口実に攻めてくるだろう。才人は「はい」と答えた。

「そう……ただの平民のくせして……いえ、そのことはまた別の機会で話しましょう。もう一つ聞くけど、旅に出る前にルクシャナが私にアカデミーの研究資料を持ってきたのを覚えてる?」

「はい、それがなに……あっ!」

「思い出したようね。そう、あのとき彼女が持ってきたものは虚無に関連するもの。ルクシャナがエルフだったどさくさで、すっかりみんな忘れてるようだけど、この資料にはアカデミーが虚無に関して調べた情報の詳細が記されてるわ」

 エレオノールは懐から、羊皮紙五枚ほどのレポート用紙を取り出した。才人から見える裏側には、王立アカデミー発行であることを証明する印がついている。彼女はそれを手の中で扇のようにあおぐと、才人に差し出した。しかし、才人がトリステインの文字を読めないために断ると、ため息をついて仕方無げに説明した。

「本当はアカデミーの機密事項なんだけどね。トリスタニアの近郊で、先日古代の遺跡が発掘されたの」

「はい」

 古代遺跡と聞いて、才人は先日のアボラス・バニラの事件のことを思い出した。心の中で、なるほどミイラ人間やドドンゴが眠っていたあそこなら、その可能性はあると思っていた。ただし、コルベールから存在自体は聞いていたものの、さすがにアカデミーに口を出すのは怖かったのでそのままにしていた。

 エレオノールは遺跡の発見にいたる経緯や、発掘された遺物について簡単に説明し、その遺跡が始祖ブリミルの生きた六千年前に建造されたもので間違いないと告げた。なぜなら、遺跡に残されていた碑文を解読した結果、そこにはまぎれもなく始祖ブリミルの名が刻まれており、彼がそこで戦った記録、すなわち虚無のことも残されていたのだ。

 だが、エレオノールはそこでいったん説明を切った。そして、ごくりとつばを飲み、神妙な顔になった才人に、レポートを片手に問いかけた。

「このことはまだルイズには言ってないわ。どういう意味だか、わかる?」

「なにか、危険なことが記されていたとか……?」

 才人の心音が少しずつ高くなっていく。エレオノールは才人の答えにはっきりとうなづくと、自分自身にも言い聞かせるようにレポートの一枚目をめくった。

「実を言うと、あまりにも非常識な内容なんで、私自身も信じきっているわけじゃないわ。けれど、虚無の担い手になってしまったルイズにはいつか伝えなければいけないし、知ることになるかもしれない。そのときに大きく傷ついて、とまどうかもしれないあの子を支えてあげられるのは、ルイズとつねにいっしょにいるあなたしかいないのよ」

 だから、ルイズよりも先にあなたに虚無の秘密を伝える。心の準備を整えていてもらうためにね。

 エレオノールは才人の決意をうながすと、ヴァレリーが解読した遺跡の碑文を読み上げ始めた。

 それは、六千年前の戦争のこと。ハルケギニアからサハラにいたるまで、世界のすべてとそこに住む生き物を巻き込んだ戦いの記録。

 かつて始祖の祈祷書から見せられたビジョンのとおりの歴史が、エレオノールの口から語られた。

 

 そして、悪魔の光の出現によって混迷と化していく世界。あのビジョンや、ミイラに見せられた記憶では語られなかった部分に話が及んできた。

「ここから先が本題よ。覚悟して聞きなさい」

「はいっ」

 やはり、見せられなかった空白の場所にこそ重要な何かが起きたのだ。才人は無意識に左胸に手のひらをあて、鼓動の高鳴りを抑えようと試みた。ミイラ人間に見せられた記憶によれば、追い詰められたブリミルはそこで禁じ手とされていた、ある方法をとることを選んだはずだ。エレオノールの読むレポートも、すでに最後の一枚になっている。彼女は、そこに記された未知の歴史、すなわち始祖ブリミルと虚無の秘密に迫る記録を、自らも一度呼吸を整えてから一気に読み上げた。

 刹那……最大まで高鳴っていた才人の鼓動は、心停止の一歩手前まで下降させられた。

「そんな……バカな!」

 吐き気を抑え、ようやく搾り出した言葉は、今聞いたことを全否定する悲鳴であった。エレオノールもあえてそれを止めようとはしない。それほどまでに、エレオノールが語った空白の時間の記録は、才人にとってもエレオノールにとっても衝撃的かつ、信じがたいものであった。ブリミルが選んだ禁断の虚無の最終魔法と、それが招いた破局の運命。

「こんなのでたらめだ! ありっこない。きっと解読が間違ってるんだ」

「それは絶対にないわよ。これを解読したヴァレリーは、アカデミーでも三本の指に入る才女。彼女の優秀さは、私が誇りにかけて保障する。これは、間違いなく碑文の真実そのものよ」

 才人の否定をエレオノールは否定した。アカデミーには選りすぐりの優秀な学者が揃っているが、ヴァレリーほど才覚のあるものは自分も含めてほとんどいない。本業はポーション開発であっても、古代の書物を読み解く必要から語学の知識にも精通している。

 ただ、そんな説明をされなくても才人にも碑文の正しさはわかっていた。空白の期間にいたるまでの内容は、自分たちが見たビジョンのものと完全に一致する。空白の期間だけが間違っているなど、そんな都合のいいことはありえない。しかし、そうして一種の現実逃避に向かっても仕方がないだけの衝撃さが、碑文の内容にはあった。

「記録はここまでで、あとは遺跡の崩落で完全に破壊されて再生は不可能だったそうよ。もし、世界に再び危機が迫っているならこの歴史が再現される可能性もあるわ。いえ、むしろ再現させるために虚無が目覚め始めたと考えるほうが理にかなっているわ」

「ありえねえよ。ブリミルが、そんなとんでもねえことをしようとしたなんて……それで、ガンダールヴと……」

 才人は最後の部分を言葉にしようとしたが、それが音に変わることはなかった。

 始祖ブリミル……ビジョンで見たのは、小柄などこにでもいそうな青年だった。ガンダールヴ……名前は知らないけれど、エルフの美しい女性であったことを覚えている。凶暴な怪獣軍団を相手に力を合わせて戦っていた。それこそ、現代の自分とルイズのように。なのに、碑文はビジョンからはまったく想像もできないような記録を残していた。

「まさか、その禁じ手の魔法が、そこまで恐ろしいものだったなんて……いや、まてよ!」

 才人はそこで、碑文の内容と自分たちの見たビジョンの内容の矛盾に気がついた。

「どうしたの?」

「あっ、いえなんでも」

 祈祷書やミイラのビジョンのことはエレオノールには伝えていないので、才人はごまかした。

 だが、心中では気づいてしまった大きすぎる矛盾のことが離れない。碑文の内容が正しいとすれば、この時点で始祖ブリミルたちの歴史は終わってしまっているはずだ。なのに、ミイラ人間はブリミルとガンダールヴが、”その後”も仲間として戦っている場所に居合わせている。これはいったいどういうことだ?

 決定的に矛盾する二つの出来事が、ともに真実だとすれば、両者をつなぐ間にはさらに何があったのだ? 空白の歴史の、さらに空白の期間に、すべてを解き明かす答えがあるような気がする。才人は考えてみたものの、それこそカラスを孔雀に変えるような突拍子もない話である。とても想像の及ぶ領域ではなかった。

「あなた、なにか心当たりがあるなら言いなさいよ」

「違いますよ。あんまりのことでパニくってて、頭の中が整理つかないだけです。でも、ひとつだけ確信を持てることはあります」

「聞くわ」

「お姉さんは、歴史が再現されるかもって言ったけど、それは違うと思う。わざわざいろんな形で未来に記録を残したってことは、自分たちと同じ道を子孫に歩んでほしくなかったからじゃないですか」

 歴史が再現されるかもと聞かされたときから、才人は絶対にそうはさせるかと決意していた。世界の危機が訪れたとき、ルイズが担い手になったのが虚無に選ばれた運命だったとしても、そんなものに黙って従ってやる義理はない。それに、ブリミルだって、子孫に悲しい思いをさせたくないから、始祖の祈祷書にあれだけ念入りな封印をしていたのだろう。

「直接会ったことはないけど、ブリミルって人はいい人だったと思いますよ。ルイズが読んだ祈祷書の前文じゃ、子孫に使命をたくさなきゃならないすまなさがにじみ出てきてました。それに、過去がどうあれ、おれはなにがあってもルイズを傷つけるようなことはしない。それだけは間違いねえ」

 エレオノールは、才人の決意を聞き届けると、自分も不安を吐き出すようにため息をついた。そして、レポートを懐にしまうと、才人に告げたのだ。

「わかったわ。あなた、ほんとにルイズのことが好きなのね」

「はい」

「即答したわね。由緒あるヴァリエールの娘にたかが平民の男が……ルイズにしたって、こんなのの……まあいいわ。私がどうこう言おうと考えを変える気はないんでしょう。その頑固さだけは認めてあげるわ。死ぬ気でルイズを守りなさいよ」

「はいっ!」

 再び即答した才人に、エレオノールは苦笑した。口の中で、才人に聞こえないように「どうしてこの程度の男が社交界にはいないのよ」とつぶやく。と、そのとき木の陰ごしに、ルイズがまわりになにやら叫びながら歩いてくるのが見えた。どうやら、長話がすぎて探しに来たらしい。エレオノールは今日はここまでねと、才人の額を指先で鋭く指すと宣告した。

「ただ、勘違いするんじゃないわよ。ものには優先順位というものがあって、今回はルイズの安全が最優先されただけ。私はそこらの平民がラ・ヴァリエールの娘をたぶらかしたなんて、天地がひっくり返っても許すつもりはありませんからね」

 サイレントが解除され、ルイズの自分たちの呼ぶ声が耳に入ってくる。エレオノールはきびすを返し、才人はごくりとつばを飲み、エレオノールの剣幕の恐ろしさに戦慄しながら後を追った。

 

 キャンプに戻り、夕食が過ぎ、夜はふけていく。

「明日はいよいよアーハンブラよ。交代で見張りを立てて、今日は早く寝ましょう」

 ロングビルの提言で、腹を満たした一行は睡魔に従って床に入った。キュルケとルクシャナのテントから灯りが消え、ロングビルにタバサが眠るテントも暗くなる。そして、ルイズと才人の崩れかけのテントから灯が消えると、あたりは獣避けの焚き火の音を残して静寂に包まれた。

 

 見張りは二時間交代で、まずはエレオノールが預かって、次に才人が代わった。

 何事もなく時間は過ぎて、森の中は時間が停止したかのように変わらない。

 才人はやがて、焚き火に薪をくべるだけの単純作業にも飽きてまどろんでくる。肩を叩かれて、交代の時間を告げられたときには半分眠ってしまっていた。

「交代」

「わっ! タバサか……いけねえ居眠りしてたぜ」

「疲れてる……もう寝たほうがいい」

「そうするか……じゃあ悪いが頼む……ふわぁぁ……」

 大きなあくびをすると、才人はテントの中へと帰っていった。

 残ったタバサは、焚き火にまきをくべると、さっきまで才人が座っていた丸太の上に腰を下ろした。

 それからしばらく、タバサは人形のようにじっと動かず、揺れる炎を見つめていた。

 だが、一時間ほど過ぎたころ、タバサは突然立ち上がるとキャンプを後にした。

 森の奥へと足を踏み入れ、油断なく周りを警戒する。

 すると……森の闇の中から、枯れ葉を踏みつける乾いた音が少しずつ近づいてきた。

「こんばんわ、お嬢さん。こんな夜更けに女の子が一人で出歩くなんて、無用心じゃない」

 現れた人影は、言葉の内容とは裏腹に、せせら笑うような口調でタバサに言った。

 夜の森の中で、口元だけが浮かんでいるような黒いローブをまとった女は、いまや見慣れた姿になってしまった。

 シェフィールドは、タバサの敵意に満ちた視線をなんでもないことのように近づいてくると、フードをずらしてタバサに目元までを見せた。

「さすが、北花壇騎士髄一の使い手と呼ばれるだけのことはあるね。私の気配に気づくなんて」

「……最初から、ずっと見張ってたくせに」

「あら、やっぱり気がついていたの。それは失礼したわね。ふふふ……」

 シェフィールドは、タバサの指摘にもまるで動じた様子を見せない。

「いつでも襲撃してこれたのに、どうして放置しておいたの?」

「ふふ、あのお方はお優しいお方だからね。すぐに希望を絶ってはかわいそうだと思われたのよ。あなたのことも、ちゃんと褒めておいでだったわよ。見張っているのには気づいているはずなのに、それを誰にも言わずに黙ってたんだから」

 優しげな声で、まるで珍しい虫を見つけてきた幼児を褒めるように言うシェフィールドを、タバサは眼鏡の奥の瞳を怒りで燃え上がらせて睨み上げる。しかし、シェフィールドはタバサから決して手を出されないと確信しているように、薄ら笑いをやめない。

「でもね。そろそろ近づけるのも限界、あきらめてもらわなきゃいけないのよ。けど、下手に武力を使って虚無を損なっては大変だわ。そこで、あなたにもうひと働きしてもらうことにしたってわけ」

 シェフィールドは、タバサに赤と青の液体の入った二つの小瓶を手渡した。

「明日の朝食に、虚無の娘とエルフの食べるぶんに赤い薬を混ぜなさい。ほかの連中には青い薬よ。あなたの腕前なら、気づかれずにそれくらいできるでしょう?」

「なんの薬?」

「赤い薬は、単なる睡眠薬よ。ぐっすりと眠らせて、あとは簡単に主のもとにご招待できるってわけ」

「青い薬は……?」

 尋ねられたシェフィールドの瞳が、死に掛けた小動物を見つけた肉食獣のような光を宿した。

「虚無と先住の力以外を、あのお方は所望しておられないわ。不要な駒など、ゲームを楽しむうえで邪魔にしかならないでしょう」

 タバサの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。体中の血液が沸騰し、歯が自らをも砕くのではないかと思うくらいに強く噛み締められる。

 あらかじめ聞く覚悟をしていなかったら、間違いなく激発して魔法を放っていただろう。シェフィールドは、そんなタバサの反応を楽しむように、彼女の耳元でゆっくりと最後の宣告をした。

「まさか、天下の北花壇騎士さまが、知り合いだからって私情をはさんだりしないわよね? わかってるわよね。この任務に成功すれば、母親の心を取り戻せるのよ……でも、もし飼い犬が主人に逆らうようなことがあれば……オルレアン公邸でふせってる母君の身に、なにが起こっても知らないわよ?」

 シェフィールドの姿は闇に溶け込むように消えていき、あとには身動き一つできずに立ち尽くしているタバサ一人が残された。

 まるで、すべてが夢であったかのような現実感のない時間だった……しかし、手のひらの中に残っている二つの小瓶の冷たさが、確かに現実のものであると主張してくる。タバサは、それを思い切り地面に叩きつけたい欲求に駆られたが、どうしても腕を振り下ろすことができずに、一人でうずくまって泣いた。

 

 時間は平等に流れ、星空はハルケギニアのすべてを見下ろしている。住民が消え、沈黙の街と化したアーハンブラもそれは例外ではない。

 かつて、人間とエルフの血みどろの死闘の場となった古城には、砂漠の物悲しい風が吹きつける。エルフの寿命すら遠く及ばないほど、この地の歴史を見守ってきた城は、生き物たちの果てしない愚行をあざ笑うかのように、千年この地にあり続けてきた。

 しかし、この夜だけはアーハンブラは愚かしい歴史を忘れた、安らいだ眠りに身を任せていた。

 

”神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾”

 

”神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛”

 

”神の頭脳はミョズニトニルン。知恵の塊、神の本”

 

”そして、最後にもうひとり……記すことさえはばかれる……”

 

”四人のしもべを従えて、我はこの地にやってきた……”

 

 優しげなハープの音色とともに、人間とエルフの両方の血を引く娘の歌声が星空に吸い込まれていく。

 城の中庭にある池のほとりに腰を下ろしたティファニアは、うっすらと涙を流しながらハープを奏でていた。

 母の故郷、エルフの地は目の前だというのに、その距離はアルビオンよりも遠い。

 幼い日、忘却の魔法とともに知ったこの歌は、意味はわからなくても、ティファニアを懐かしい感じのする世界へといざなってくれた。

 しかし今は、懐かしさよりも同族に心を奪われようとしている悲しさが心を満たしてくる。

 ビダーシャルは、明日には私の連れが来る。薬の完成が早まるかもしれんが、悪く思わないでくれと言っていた。

 あと何回、この星空を見上げることができるのだろうか……

 

 悲しくも美しい音色を聞きながら、今の彼女の唯一の友達は池の中から顔だけを覗かせて見守っていた。

 

 

 続く



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第45話  母のために、娘のために

 第45話

 母のために、娘のために

 

 宇宙魔人 チャリジャ 登場

 

 

 シェフィールドが去った後、タバサの心に残されていたのは深い絶望だけだった。

 あの日……ティファニアに会うために、アルビオンに向かう船の中ですべてが始まった。船倉で一人でいるところを見計らって現れたシェフィールド。やつは、自分から虚無の担い手の情報を聞き出そうとしてきた。

 だが、当然そんな要求を呑むわけもなく杖を向けたとき、シェフィールドの放った言葉のナイフが、どんな魔法よりも鋭くタバサの心をえぐった。

 

「まあそういきり立たないで、北花壇騎士タバサ殿」

 

 自分と、自分にごく近しい人間しか知らないはずの肩書きを軽く口にしたシェフィールドは、愕然とするタバサにすべてを語った。

「まずは、あらためて名乗っておきましょうか。私はあなたの叔父、ガリア王ジョゼフさまにお仕えする者。ただし、あなたたち北花壇騎士よりもさらに影の存在にして、ただ一人の直属の配下。あのお方のご意思をそのまま実行する手足が、この私」

「そんな、北花壇騎士のほかに、まだガリアにそんなものが……」

「うふふ、あなたが知らないのも無理はないわ。私は常に、ジョゼフさまのためにのみ働く。命令はジョゼフさまからのみ受けるため、北花壇騎士団長のイザベラも私のことは知らない……あなたの武勇伝は、前々から拝見させてもらっていたわ。エギンハイム村での戦い、それに少し前のリュティスでは、できの悪いお姫様がお世話になったわね」

 シェフィールドはその後も、ジョゼフとタバサの父シャルルの因縁や、タバサの母がタバサをかばって心を病んだことも知っていると告げた。いずれもガリアの中枢に精通していなければ出てくるはずのない知識……タバサも、もはやシェフィールドの言うことが、本当であると認めざるを得なくなっていた。

「どう? これで、私の言っていることが真実だと理解してくれた? 足りなければ、キメラドラゴン退治をはじめとする、あなたがこれまでの任務であげた代表的な戦果も挙げてみせましょうか」

「もう、いい……」

 抵抗する気力を失った声で、ようやくタバサは答えた。まさか、まさかと思ったが、虚無の担い手……すなわちルイズを狙っているのが、自分にとって父の仇であるガリア王ジョゼフに他ならなかったとはと、その事実は大きくタバサを打ちのめした。

 それでも、数々の苦境を乗り越えてきたタバサの屈強な精神の支柱は、彼女に失神することを許さずにシェフィールドに向かい合わせた。

「なぜ、虚無を狙うの?」

「あら? ずいぶんと反抗的な態度をとるのね。そんなこと、聞ける立場だと思ってるの?」

 内心を悟らせまいとする意識が、強気な対応をタバサにとらせた。もし、通常の任務であるならば、どんなに困難で危険であってもタバサは表情を変えない。だが、今まで決して他人を巻き込むまいと思ってきたガリアの暗部に、よりにもよって友人であるルイズたちを巻き込んでしまったという罪悪感が、タバサをより残酷に傷つけていたのだ。

「ふふ、まあいいわ。吼えることもできないような愛玩犬は、ジョゼフさまには必要ないものね。あのお方は、世界に四匹しかいない竜を戦わせてみたいと思ってる。でも、どうしていいかわからないからとりあえず捕まえることにしたわけ」

「なぜ、そんなことを」

「なぜって? 楽しそうだからに決まってるでしょう。あなただって、小さいころはお母上にイーヴァルディの勇者とか英雄譚を聞かせてもらったりして、わくわくしなかった? そして、そんな戦いを小説や歌劇とかじゃなくて現実に見てみたいと思ったことはない?」

 タバサの返答は、無言の眼光だけだった。もはや、言葉に表すことができないほどの、憤怒と憎悪が青い瞳の中で荒れ狂っている。

「うふふ、そう怖い顔しないで。もちろん、あなたの気持ちもジョゼフさまはちゃんと汲んでくださっているわ。いつも大変な仕事を引き受けてもらって悪いと思っていらっしゃる」

 そらぞらしい台詞に、タバサはなんの感銘も受けはしなかった。ただ、シェフィールドがわざわざ自分に正体を明かしたのは、第二の虚無の担い手の場所を聞き出すためだけではないことは読めていた。ジョゼフは、そんな甘い男ではない。

「わたしに、なにをしろと?」

「いい子ね。そしてとても聡明だわ。まさに、ジョゼフさまのおっしゃるとおりね。今日はあなたに特別な任務を与えるために来てあげたの。これに成功したら、大きな報酬があるわ。あなたの母親……毒をあおって心を病んだのよね。その、心を取り戻せる薬よ」

 

 そして与えられた任務は、虚無の担い手を手に入れるための企てに協力すること。まずは、第二の虚無の担い手の可能性の強いティファニアの情報を居場所も含めて詳しく教えること、次に現在の虚無の担い手と行動を共にし、動向を逐一報告することだった。

 むろん、タバサに選択の余地はなかった。

 ウェストウッド村の場所を教え、シェフィールドがティファニアをさらったときから、タバサは引き返せない道に足を踏み入れた。

 ルイズもキュルケも、みなタバサには全幅の信頼を寄せていたので、疑われることは一切なかった。

 後ろめたさは、もちろんある。けれど、自分は最初から母の心を取り戻し、ジョゼフに復讐するために生きてきたのだ。そのために積み上げてきたこれまでの努力を、ここで失うわけにはいかないと自分に言い聞かせてきた。

 だが、エレオノールが内通者がいるのではないかと疑ったときには、本気で怒ってくれている皆を見て、思わず逃げ出して一人で泣いた。

 それでも、母の心を取り戻すにはこれしかないと、必死で心を抑えてここまで来たのに……

 手のひらの中の赤と青の小瓶が、これが悪夢ではなく悪夢のような現実であることを主張してくる。シェフィールドが渡した二つの小瓶は、睡眠薬と毒薬……やつらはタバサにそれをみなの食事に盛れと命じてきた。虚無を捕らえるのと同時に、ほかの邪魔者をこの場でまとめて始末するつもりなのだ。

 しかも、その手をくだすのを自分にやれとは! ジョゼフは、どこまで自分の運命をもてあそべば気がすむのか。立っていることすらできない絶望の中で、タバサは常に手放さない杖さえ捨てて、雷におびえる子供のようにうずくまって涙を流した。

 才人やキュルケを自分の手で殺す。こんな自分を平然と受け入れて、ともに歩んでくれたかけがえのない親友を。

 ルイズだって同じだ。彼女から思い人と姉を奪うなんてできるわけがない。

 ……しかし、やらなければ人質同然にされている母の命が危ない。

 いったいどうすればいいの……親友か母か、片方を生かすためには片方を犠牲にしなければならない。けれど、どちらかを選ぶなどそんな資格が自分にあるはずがない。

 タバサは憎しみを込めて、手のひらの中の毒薬を睨み付けた。こんなものと、叩きつけて砕けたらどんなに楽だろう。しかしそれは自分のために毒を飲んで心を病んだ母親の命を砕くのに等しい。かといって……何度も、何十回もタバサは自らの中で自問自答を繰り返した。

 しかし、自分を納得させられる答えを出すには、あまりにもタバサが背負わされた選択は大きくて重すぎた。押しつぶされそうな重圧の中で苦しむタバサの目に、もう一度二つの小瓶が映りこむ……

 

 その瞬間、タバサは考えるのをやめた。

 

「……」

 涙を拭いて立ち上がったとき、もうそこにいたのはタバサではなかった。

 美しく澄んでいた青い瞳は黒く濁り、唇にも潤いが消えて生気がない。どちらを選ぶこともできず、誰を切る決断もできなかったタバサは、自らの心を殺すことで、その重圧から逃れようとしたのだった。今のタバサには、記憶はあっても感情はない。悲しむことも、いとおしむことも捨て去って、ただ与えられた使命を果たすだけの機械になりさがった。

 それは皮肉にも、これまでいくらそうなじられようとも、決してそれそのものにはなるまいと誓ってきた『人形』に、自らを貶めるという悲しすぎる選択だった。

 タバサの姿をした『人形』は、落とした杖を拾うと、毒薬の小瓶を懐にしまって踵を返した。

 ところが、キャンプへ戻ろうとしたタバサの前に、木の陰から立ちふさがるように人影が現れた。

「こんな時間に、子供の一人歩きにしては長すぎるんじゃないかい?」

 現れた人影は、タバサに向かって歩み寄りながら言った。近づいてくるにつれて、タバサのものとは違う形のふちなし眼鏡と、つやのある緑色の髪が月光に揺れて現れる。

「ミス・ロングビル……」

 現れた人物の名前を、タバサは感情の消えた声でつぶやいた。感情がこもっていないのではない。文字通り存在していないのだ。その声をキュルケなど、普段の彼女をよく知る誰かが聞いたら、あまりの無機質さに戦慄さえ覚えるだろう。

 だが、ロングビルは臆した様子もなくタバサに近づいてくる。その、あまりにも傲然とした態度に、タバサのほうから口を開いた。

「なぜ、ここに?」

「闇の世界に精通してるのは、あんただけじゃないんだよ。わたしたちを監視してるような、なんともいやらしい気配……あんたも、それを感じてここに来たんだろ。ここで、なにを見たんだい?」

「別に、なにも」

 それしか言葉を知らないというふうにタバサは答えた。しかし、ロングビルのタバサを見る目は、すでに学院の秘書としてのものからはほど遠く、視線の先はタバサの杖と口元から動かない。

「ねえあなた、つまらない腹の探りあいはやめにしない? その懐のもの、それを誰に飲ませる気」

 刹那、タバサの杖が振られた。ロングビルに向かって無数の氷の矢が放たれる。だが、それらはすべてロングビルの後ろに立っていた木に突き刺さり、本人はそのそばに平然と立っていた。

「ウィンディ・アイシクル。あなたぐらいの歳で、瞬時に詠唱を終えてこれを放てるとはたいしたものね」

 木に突き刺さった氷の矢を、指で軽く触れて検分しながらロングビルは言った。タバサが魔法を完成させて杖を振り下ろす瞬間、彼女はすばやく身をひねってこれをかわしていたのだ。

 第一撃をなんなくかわされたことをタバサは別に驚くこともなく、第二撃のウィンディ・アイシクルを放った。ロングビルは、これも飛びのいてかわす。

「ふん、本気で殺しにかかってきてるみたいだね。でも、この程度で私を殺せると思わないでほしいわね」

「わかってる。土くれのフーケの実力、甘く見てはいない」

 心を失っても、タバサの中に蓄積された戦いの知識と経験は生きていた。かつて、卓越した錬金の魔法や巨大ゴーレムを使ってトリステインを震撼させた盗賊・土くれのフーケ。ただし、その悪名が単に魔法の強力さだけに支えられていたわけではないことを、タバサは洞察している。警護の強力な衛士を突破し、多くの追っ手の追撃をかわすのには魔法だけは到底足りず、幅広い知識と、豊富な経験に裏付けられたフーケ自身の人間の強さが必要であったはずだ。

 また、ロングビルもタバサを侮ってはいない。連発されるウィンディ・アイシクルをかわしつつも、少しでも隙を見せたら即座に蜂の巣にされることは承知している。

「これが噂にだけは聞いたことがある、ガリア北花壇騎士の力かい。ここまでの使い手は裏社会でも早々みつかりゃしないよ。あんたの素質もあるだろうけど、相当な修羅場をくぐってきたようだね。違うかい?」

「あなたに答える義務はない」

「はっ、まあそりゃそうだね。けど、あんたの腕がなにより雄弁に語ってくれるよ。その若さで苦労したんだね。同情はしないけどさ!」

 しゃべりながら、タバサの魔法の照準がしだいに正確になってきたことを悟ったロングビルは反撃に打って出た。袖口から取り出したナイフをダーツのようにタバサに投げつける。魔法の矢に比べれば威力は格段に劣るものの、当たり所によっては一本でも致命傷になりうる。

「無駄」

 しかしタバサはナイフの弾道を見切ると、余裕を持ってかわした。闇の中での戦いは、裏社会の人間にとって基本の基だ。タバサの青い瞳は月明かりの中でも常人以上の動体視力を発揮して、迫る脅威を感知していた。

「青い鳥に、フクロウの目までついているとは知らなかったね。だが、これならどうだい!」

 余裕の態度を崩さず、ロングビルはさらに取り出したナイフを投げつける。今度は三本を同時に、それぞれ高さと左右の間隔をずらして、簡単には回避できないように弾道を計算してある。並の相手なら避けられないし、杖ではじこうとすれば隙ができる。しかしそれは並の相手の場合で、タバサは三本のナイフを見切って最小の動作で回避した。

「無駄と……!」

 反撃に出ようとしたタバサは、視界のはしでわずかに感じた違和感に反射的に反応して身をよじった。半瞬後、黒い矢がタバサの上着をかすめて、わずかな切り傷をつけて通り過ぎていく。

「ちっ、今のをかわすとは、勘のほうもなかなかいいようだね」

 舌打ちしたロングビルの手には、普通のナイフと並んで真っ黒に塗られたナイフが握られていた。木を隠すなら森の中というふうに、闇の中にもっとも溶け込む色は黒だ。最初に投げた三本のナイフは囮で、本命の黒塗りしたナイフを時間差で投げていた。けれど、ロングビルのつぶやいたとおり、タバサの強みは視力だけではなかったのだ。

「今くらいの小細工をする相手なら、これまでも何度も戦ってきた」

「そりゃ恐れ入ったね。私が現役なら、相棒に誘ってもいいくらいだ。ほめてやるよ」

「わたしの邪魔をするな」

 ロングビルの軽口になんの反応も示さず、冷たくタバサは言い放った。いつものタバサならば、たとえ任務のときでも絶対に口にしないような威圧感を込めた、相手を力と恐怖で屈服させようとする声だ。が、ロングビルはそんな脅しに心を動かされたりはしなかった。

「それは聞けない相談だね。あんた、ミス・ヴァリエール以外の人間を皆殺しにするつもりだろう。私も含めてね」

「そう、わたしの任務の邪魔をするものはすべて殺す」

 それもまた、”タバサ”ならば絶対に言うはずがない言葉だった。ロングビルは、タバサと同じ姿をした『人形』を敵意を込めて睨み返す。

「あの小娘の心は、どうやら完全に死んでしまったようだね。なら、もう容赦はしないよ!」

 覚悟を決めたロングビルは、フーケだったころの冷酷な顔に戻って投げナイフを取り出す。しかし、タバサはそんなロングビルにひるむ様子もなく、冷徹に言い放った。

「無駄な抵抗はよしたほうがいい。所詮、魔法の使えないあなたでは勝ち目はない」

「ちっ!」

 やはりそこを突かれたかと、ロングビルの顔が曇った。そうだ、ロングビルはかつてはトリステインを震撼させたほどのメイジだったというのに、この戦いでは一度も魔法を使っていない。彼女の魔法の力は、以前彼女の心の闇を狙ったヤプールが取り付かせたガディバに奪われて以来、回復していなかった。

 魔法が使える者と使えない者では、戦闘において大幅なアドバンテージの差がある。メイジの側の実力が低いか、使えない側にガンダールヴ並の力があれば話は別であろうが、タバサは一級のメイジであり、正面から戦えばロングビルにまず勝ち目はない。それでも、ロングビルはあきらめるわけにはいかなかった。

「だが、ここで殺されるわけにはいかないんだ。私の肩にはテファやウェストウッドの子供たちの未来がかかってるんだよ!」

 そのとき、タバサの眉がわずかに震えた。『エア・ニードル』が放たれて、数本の木に貫通した風穴が開けられる。

 むろん、ロングビルも唯一の武器である投げナイフで対抗する。が、一度タネが割れてしまえば奇策は二度と通用しなかった。通常のナイフはもちろん、黒塗りのナイフもどんなに変化をつけて投げようとすべて回避されてしまう。

 どちらも、相手の攻撃をかわすだけのすばやさを持っているがゆえに、戦いは長引く様相を見せてきた。

「さすがだね。闇の中でこれだけ戦えるやつなんて、私も会ったことないよ」

「黙って、死ね」

「あいにくと、こちとら仕事は派手にやるのがモットーなんでね。あんたこそ、女の子はちょっとはしゃべらないと男も寄ってこないよ」

 夜目の利くタバサ相手に声を殺してもあまり意味はないので、ロングビルはつねにしゃべり続けた。そうしているうちにも、ロングビルの放ったナイフとタバサの放った魔法が、地面や樹木に命中して乾いた音が立つ。ただ、タバサは最初から『氷嵐』のような大きな魔法は使わずに、『ウィンディ・アイシクル』か、『エア・ニードル』のような威力の小さい魔法しか使っていない。それは、威力の大きい魔法は詠唱に時間がかかり、その間無防備になるというのがひとつだが、もうひとつどうしても使えない理由があった。

「じれてきてるようだね。まともにやりあったら、私はあんたの魔法で逃げ場もなくズタズタにされる。でも、そんなことをしたら寝てる連中もさすがに気がつくからね」

 ロングビルにとって、ほぼ唯一といっていいアドバンテージがそれだった。強力な魔法を使えば轟音が鳴り、眠っている皆の目を覚まさせてしまうことになる。そうでなくとも、木を切り倒したりしたりすれば大きな音が出るために、広域破壊の魔法は使えない。

「なら、なぜ仲間を呼ばない? おまえ一人で、わたしに勝てると思っているの」

「バカ言ってんじゃないよ。あいつらはエルフからテファを奪い返すための大事な戦力だ。あんたごときを相手に消耗させるわけにはいかないんだよ」

 森の中という地形もロングビルにとって数少ない救いとなっていた。開けた場所ならとてもかなわないだろうけど、入り組んだ場所の戦いなら、遮蔽物の陰で休憩しながら戦える。しかしそれでも、ドットクラスの魔法ならば何十発も放てる精神力の容量を持つタバサに対して、投げナイフの数が限られているロングビルのほうが不利なことに変わりはなかった。

「あと、七本か……さて、これであれを相手にどうしのぐか」

 木の陰に隠れて、息をつきながらロングビルは吐き捨てた。衣の中に隠せるほど小さく、数十本を用意してきたナイフも、タバサほどの使い手を相手にしては消耗は早かった。対して、向こうは見たところたいした消耗はしておらず、精神力には余裕がありそうだ。

 そのとき、ロングビルの隠れていた木の中から、巨大な氷の槍が生えてきて彼女の肩をえぐった。

「あぐっ!? こ、これはジャベリン! いえ、違う!?」

 打ち抜かれた肩を押さえ、ロングビルは振り向いた先の木が樹氷のように変わっているのを見て愕然とした。しかも一本や二本ではない。周辺の木がすべて凍結し、鋭い氷の刃を八方に生やしている。

「樹木の中の水を凍結させて吹き出させることで、木そのものを凶器に変えたっていうの!? なんて子なのよ!」

 隠れている自分を追い出すためだけにそんなことをするとは! ロングビルはタバサの底知れない戦闘センスに恐怖すら感じた。いや、これまでにも何度か彼女の戦いを目の当たりにし、相当な強さを持っていると思っていたが、これはそれらとは違う。

 恐らく、タバサは普通に戦うときでも相手や仲間に配慮して、無意識に手を緩めている部分があったのだろう。いくら外面を冷たく固めようとも、内側に存在する年頃の女の子らしい暖かさが無益な血を流すことを抑えていた。その抑制されていた戦士としての冷酷な強さが、優しさという制御を失ったときにここまでになるとは。

「見つけた」

「ちっ、目ざとい小娘だねえ」

「そろそろ観念する。利き腕の肩をつぶした。あなたはもう戦えない」

「それはどうかねえ。土くれのフーケさまの底力、まだ見くびってんじゃないか」

 強がってはみても、自分が戦闘を継続するうえで致命的な傷を受けたことをロングビルは理解していた。利き腕をやられてはもう満足にナイフを投げることはできない。そればかりか、腕を使えなくてはタバサの攻撃を避け続けるのももう無理だ。人間は激しく動く際に腕でバランスをとる。走るときに腕を前後に振ったり、平均台を渡るときに腕を大きく広げるのがそれだ。

 タバサが放ったエア・ニードルを避けきれずに、ロングビルの脇腹に切り傷がつけられる。知り合いに対する躊躇や、獲物をなぶるつもりなどはまったくない。一撃で息の根を止めるために迷わず心臓を狙ってきた。

 冗談じゃない! こいつは本物の化け物か! ロングビルはあらためて目の前にいるのが、あのタバサかと目を疑った。

 どこまでも冷酷で無機質。冷たさの中に穏やかさと気高さを併せ持つ『雪風』は消えうせて、すべての生物を零下の地獄に封滅する『氷嵐』の化身がそこにいた。

「今度こそ、死ね」

 放たれたエア・ニードルが、ロングビルの左脇腹をかすめて地面に突き刺さる。なんとか直撃だけはかわしたものの、重い痛みが受けた傷の深さを物語る。苦し紛れで投げた四本のナイフもすべてかわされた。

「無駄なあがきはやめたほうがいい。せめて、苦しまずに死なせてあげる」

「そうはいかないよ……あとちょっとのところで、テファが待ってるんだ。私が、助けにいってやらなきゃならないんだよ!」

 叫び返したロングビルの声に、タバサのほおがぴくりと触れた。

「むだなことを、お前はここで死ぬ……」

「それこそ冗談じゃないね。私はね、お前なんかとは背負ってるものの重さが違うんだ。母親のおっぱい恋しがって、仲間を裏切るようなガキがナマ言うんじゃないよ!」

 その瞬間、タバサの目が見開かれて、口元が大きく歪んだ。

「あなたになにがわかる!」

 エア・ハンマーがロングビルの体を吹き飛ばした。背後の木に背中を打ち据えられて、背骨とあばらが悲鳴をあげる。しかし、激痛の中で、ロングビルは今の瞬間タバサに現れた変化に気がついていた。

「ぐぅぅ……おやおや、本当のことを言われて怒ったのかい……?」

「だまれ……」

 とどめを刺そうと近づいてくるタバサを、ロングビルは挑戦的な目で見返した。その目の先で、タバサはそれまでの貼り付けたような無表情の仮面がはがれ、目じりににらみ殺されそうなほどの怒りが浮き出ている。だがその顔が、逆にロングビルにわずかな希望を持たせていた。

「ふ……どうやら、さっきの一言があんたのトラウマをひっかいちまったみたいだねえ……けど、どうやらあんたの心は完全に死んでしまったってわけじゃあなさそうだ」

 そうだ、人形は感情を持ったりしない、怒ったりしない。ならば、タバサにはまだ心が残っている。

 ロングビルは、学院長秘書としていろいろな生徒の心の機微を見てきた経験からタバサを見てみた。元々、子供というのは感受性が強く、いろいろなものに影響されやすい。しかし、その感受性の強さゆえにいじめや虐待などの外部からのストレスにも深刻な影響を受けやすく、自らを守るためにあえて外からの刺激を一切遮断してしまうことがある。魔法学院にも、そうして自分の部屋に閉じこもって授業に出なくなった生徒がおり、話し相手になってやってくれと学院長に頼まれたときのことを思い出した。

「あんたも、まだそんな顔ができるだけの感情があったんだ? いやあ、理性が麻痺したことで感情の抑制もなくなったのね。ふふふ……それが、あんたの本来の心の姿ってわけだ」

「うるさい!」

 小ばかにするように笑うロングビルに、タバサは再度エア・ハンマーを放った。しかし、冷静さを失った攻撃なら今のロングビルでもかわすことはできる。そして、さらにロングビルは確信を深めた。

「どうやら、母親のことはあんたにとって相当なタブーだったようだね。失ったはずの心をここまで呼び覚ますとは。しかしまあ、みっともなくとりみだしちゃって、よっぽど甘やかされて育ったんだね」

「だまれっ!」

「あらまあ、顔真っ赤にしちゃって。そんなにお母さんが恋しいの? かわいい我が子って抱きしめてほしいの?」

「だ、黙れと言っているのに!」

「図星指されたようだね。あっははは、これはけっさくだ! 闇社会に名高いガリア北花壇騎士が、母恋しさに戦ってたなんてね」

「貴様ぁ!」

 逆上して見境のない攻撃をかけてくるタバサから身を避けながらも、ロングビルはタバサへの呼びかけをやめなかった。

 『母親』がタバサにとってなによりも重要なキーワードであることを知ってから、執拗にタバサを言葉でなぶる。しかし、ロングビルは決してやけになったわけでも、タバサへの憎しみで我を忘れてしまったわけでもない。むしろ、ロングビルの心は先ほどよりもずっと冷めていて、タバサの『人形』を倒すことのできる唯一の『武器』を磨いていた。

「私はあんたの過去なんて詳しく知らないし、はなから興味もない。でも、そんなにまでなるってことはよほどのことがあったようだね。で、お母さまの心とやらを取り返すためにシェフィールドの手先にまで成り下がったわけだ」

「違う! わたしはあんな奴らに忠誠を誓ったことなんてない。本当は、私が殺されるはずだったのをお母さまが身代わりになってくれたのよ。だから、わたしは命に代えてもお母さまを救い出すの」

「そりゃ健気でけっこう。でも、そのあげくがこのありさまとはね。あなたのお母さまも教育に失敗したね。いいや、もともとまともな子育てができるような人間じゃなかったんだろ。身代わりに毒をあおったって、子供を守って戦う度胸もなかっただけなんじゃないか?」

「母を、お母さまを侮辱するなぁ!」

 怒りの臨界点を超えたタバサは、フライでロングビルに体当たりして押し倒すと、喉元にブレイドをかけた杖をあてがった。

「取り消せ! さもないと殺す」

「やなこったね。誰があんたらみたいなバカ親子のために頭を下げてやるもんか、あんたに比べたらウェストウッドの子供たちのほうがまだ立派さ。あの子たちはあんたよりずっと幼いのに、親兄弟をすべて奪われた。それでも明るく前を見て生きてるんだ。それに引き換えそんだけの強さがあって、母親もまだ生きてるっていうのにあんたはなんだい!」

 ロングビルの怒声に、タバサは気おされたようにびくりとなった。

「う、うるさいっ! なにも知らないくせに、お母さまは毒をあおられてからすっかり変わってしまった。わたしを娘だともわからなくなって、おもちゃの人形をわたしだと思い込んで、わたしには罵声を浴びせてものを投げてくるようになった。でも、そうまでなってもお母さまはわたしの人形を心から愛して、誰にも渡すまいとしてくれる。そんなお母さまをどうして見捨てられるっていうの!」

「じゃあどうして母を苦しませるようなことをするんだい!」

 その瞬間、ロングビルの首を切り落とそうとしていたタバサの動きが止まった。怒りで震えていた顔が一瞬で蒼白となり、杖にかかっていたブレイドも解除される。ロングビルは、その隙にタバサを押しのけて立ち上がるも、タバサはそれを静止しようとはしなかった。

 仮にこのとき、ロングビルが最後の投げナイフで刺すなりすれば、決着はついていただろう。だが、彼女は立ち上がる以上はせずに、愕然としているタバサにもう一度正面から向かい合った。

「もしもあんたがこのまま私を殺して、命令どおりに皆を毒殺して虚無とやらを奪って、それで解毒薬を手に入れたとして、それであんたは目が覚めた母親のところに喜んで帰るのかい?」

「う、うっ」

「帰れはしないだろうさ。いくら取り繕ったって、あんたは仲間殺しの重さから逃げられるような人間じゃない。あんたの母親だって、隠したとしても娘の様子がおかしいことくらいすぐに気づく。そうなったとき、娘が虐殺者に堕ちたことを知った母親が、死ぬよりも苦しむってことがなんでわからないんだ!?」

「うっ、ぐぅぅ!」

 心の底からえぐるようなロングビルの言葉に、タバサは杖を放り出し、両手で頭を抱えて苦しみだした。今ならば、武器を使わなくても素手でタバサを無力化することができるだろう。だが、やはりロングビルは手を出さない。なぜなら、今がタバサに成り代わっている人形を破壊できる唯一の機会だからだ。そのために必要なものは、暴力ではない。

 言葉、今のタバサに一番効き目がある武器は言葉なのだ。いつもならば、厚い理性の殻に守られて届かない呼びかけも、裸の心がむきだしになっている今ならば、直接心に届く。強靭な精神力で押さえつけている戦いの恐怖心や、忘れようとしていた罪悪感もまとめて表に出てきている今ならば、作り物ではない本物のタバサと向かい合うことができる。

「あんたは強がっちゃいるけど、ほんとは臆病で卑怯者さ。ほんとは誰かに助けてもらいたいくせに、関わり方がわからないからもったいつけた理由で人を遠ざけようとする。そのくせ、心の中じゃ自分を特別扱いしてる。自分を悲劇のお姫様よばわりして、なんて自分はかわいそうなんだって自分を甘やかしてる」

「違う、わたしはそんなことは」

「違わないさ、あんたくらいの年頃の娘はそんなものよ。自分を物語の世界のヒロインに重ねて、幻想に逃げようとする。誰でもあることさ。あんたは強くなったつもりかもしれないけど、心の成長ってのは一足飛びにはいかないんだよ。でも、自分の弱さから目をそらしても、本当に追い詰められたときには耐えられない。あんたは戦士としては比肩するものがいないほど強いけど、心は他人に踏み入れられるのを恐れてるただの子供さ」

「違う……わたしは、わたしは」

「耳を閉じるな! あんたがどう否定しようと、あんたみたいなガキの性根くらいお見通しなんだよ。なんでだか、わかるかい?」

 ロングビルは、最後の質問の部分を声色を穏やかにして問いかけた。

 タバサは、その答えがわからずに沈黙で答える。すると、ロングビルはティファニアにするときのように優しくタバサに語りかけていった。

「それはね。あんたは子供で、私は大人だからさ。十年近い歳の差を甘く見るんじゃないよ。あんたがしてきたようなことは、私もとっくにやってきた。だから、隠したって無駄なんだよ」

 タバサの肩に手を置き、ロングビルは微笑む。彼女は、タバサの瞳から少しずつ狂気の色が引いていくのが見えたような気がした。

「あんたが、死ぬほど苦しい思いをしてきたってのはわかるよ。私も元は貴族で、ある日突然なにもかも失った口だ。それで貴族を憎んで、唯一残ったテファを守ろうとした……なんだ、私とあんたは似たもの同士だったんだねえ。だけど、その行き着く先はなんの救いもない地獄だよ。あんたも、見たろう?」

 タバサは少しずつ冷めて、我を取り戻しながら記憶を蘇らせた。

 ティファニアのため、復讐のためと自らに言い訳しながら悪事を重ねていたかつてのロングビル。しかし、ねじまがっていく心と蓄積されていく心の闇は、本物の悪魔にとってかっこうの餌食だった。ヤプールに利用され、侵略の道具とされ、すんでのところで命まで失うところであった。

 あのときのロングビルと、今の自分のどこが違うとタバサは思った。自ら深い闇の中に入っていったあげく、その闇にがんじがらめにされて、本当に失ってはいけないものを失おうとしている。

「わたしのやってきたことは……間違っていたというの?」

「ようやく、正気に戻ったみたいだね。そんなこと、誰にもわかりゃしないよ。どんな道を選んだって、自分の歩んだ道を振り返ることは必ずいつかくる。あんたは、あんたの大事なもののためにがむしゃらだっただけだろう。ただ、それでも超えちゃいけない一線はある。どんな理由があろうとも、今あんたがやろうとしたことは許されることじゃあない」

 タバサは無言でうなづいた。正気を失っていたとはいえ、その間にやっていたことの記憶は残っている。過去のどんな任務でもなかったほど、タバサの中には罪の意識があふれていた。

「でも、だったらわたしはどうすればよかったというの。お母さまもみんなも、どっちも選ぶことなんてできない。あなただったらどうしたの? あなただって、わたしと同じだったんでしょう」

「私だったら、もしテファの命と仲間の命を天秤にかけなきゃいけなくなったら、テファをとるね。そして、すべて終わった後であの子の前から姿を消す。それは盗賊であの子たちを食わせてたときから決めてた。でも、あんたは違う。あんたは別の答えを出さなきゃいけなかった」

「なぜ?」

 母を見捨てることが正しかったというのかと、タバサは低い身長からいっぱいにロングビルを見上げた。

「あんたの母親が、そう望むからさ」

「えっ……」

「あんたの母親は、自分の心を捨ててまであんたを救おうとしたんだろ。だったら、娘の手が自分のために血に染まるくらいなら死んだほうがいいと思うさ。きっと、心を失ったときも自分のことなんか忘れて、あんたには自由に生きてほしいと思ったはずだよ」

 ロングビルの言葉に、タバサは母との最後の時間のときを思い出した。

 父が暗殺され、ジョゼフが自分も抹殺しようと呼び出してきた晩餐会。行けば必ず死が待っているそこにおもむく直前、母が言い残した言葉。

”シャルロット。明日を迎えることができたら……父さんと母さんのことは忘れなさい。決して、敵を討とうなどと考えてはいけませんよ”

 忘れるはずもないあの日の最後の言葉と、ロングビルの言葉が完全に重なる。

「どうして、私がそんなことがわかるんだって顔してるね。簡単さ……私も、母親だからだよ」

「え……」

「そりゃ、お腹を痛めて生んだことはないさ。でも、テファや村の子供たちはずっと小さいころから面倒みてきたんだ。姉さんって呼ばれてるけど、実際のところは私にとってテファは娘に近い。もしもあの子が私のために罪を負おうとすることがあれば、私はその前に自分の命を絶つ。だからこそ、わたしはあなたの前に立ちふさがったんだ」

 タバサの口からは、いつの間にか嗚咽が漏れていた。

 負けた、わたしはこの人に負けた。力なんかじゃない、誰かのために戦う人間として負けた。この人は、より未来を遠くまで見える目で見て行動している。それに引き換え、自分は目的を重視するあまり、それがどんな結果を引き起こすのか考えてもみなかった。

 お母さま、ごめんなさい。キュルケ、みんな、ごめん。

 もう自分はここにはいられない。そう思ったとき、タバサは杖を拾い、森の奥へと駆け出していった。

「あっ、ま、待ちなっ……うっ!」

 とっさに追いかけようとしたロングビルだったが、タバサとの戦いで受けた傷がそれを許さなかった。タバサの小さい姿はすぐに夜の闇にまぎれて見えなくなり、あたりには何事もなかったかのような静寂が戻る。

 呆然と見送ったロングビルは、やがて戦いの疲労から草の上に座り込んだ。

 あの子……いったいどうするつもりかしら。

 ロングビルは、去っていったタバサを思って息を吐いた。おそらく、タバサはもう二度と自分たちの前に姿を見せる気はないだろう。ならば、自ら命を絶つか、自暴自棄になってジョゼフに戦いを挑むか……そのどちらも、彼女の母は絶対に望まないことだろうに。

 そのとき、ロングビルの後ろから足音がし、振り返るとそこには赤毛の少女が立っていた。

「お疲れ様です。ミス・ロングビル」

「ミス・ツェルプストーかい、見てたなら手伝ってくれたらよかったのに。いつからそこにいたんだい?」

「十分くらい前ですわ。見張りの交代の時間になってもタバサがいないので探しにきたら、あなたと戦ってるんですもの。驚いたわ。でも、あの子の尋常じゃない様子と、必死に呼びかけるあなたを見てたら、横槍を入れる気にはならなかったので。大丈夫ですの?」

「ふん、元土くれのフーケをなめないでよ。このくらい、なんてことないわ」

 ロングビルは、強がった様子で腕を振って見せた。

「無理なさらないほうがよくてよ。タバサを相手に、無事でいられるわけがありませんわ……でも、感謝します。タバサを、殺さないでいてくれて」

「ふん、あんな小娘どうなろうと知ったことじゃないさ。私はあくまでテファのために戦っただけ。あんなのでも、死んだらテファが悲しむだろうからね」

 くだらなそうに吐き捨てるロングビルの横顔は、キュルケはどこか照れくさそうにしているように見えた。

「それにしても、やっぱりあの子ガリアからそんな命令を受けていたのね。絶対に、人に悩みを打ち明けたりしない子だから……だけど、もうあなただけを苦しめたりしないからね」

 髪をかきあげて、空を見上げたキュルケが、ロングビルはまぶしく輝いたように思えた。

「行くのね」

「ええ、閉じたタバサの心を開くのは、あの子と同じ闇を歩いてきたあなたにしかできなかった。そして、傷ついたタバサのそばに行ってはげましてあげるのは、親友であるわたしの役目……シルフィード、いるんでしょう! タバサのところに連れて行って」

 空の上から、きゅーいきゅーいと悲しげに鳴くシルフィードが下りてくると、キュルケはその背に飛び乗った。

 シルフィードは飛び上がり、双月の星空へと消えていく。

 

 そして、場所を遠く離れたガリア王都リュティス。グラン・トロワでも、すでにタバサの敗北は知られていた。

「我が姪は失敗したか。やつらにもなかなかできるやつがいるな」

「申し訳ありませんジョゼフさま。すべて、私の不手際です」

「なに、かまわぬ。おもしろいものも見れたし、よしとしようではないか」

 満足げに笑うジョゼフは、シェフィールドに扱わせていた遠見の鏡を切らせると、豪華な椅子にたくましい体を深く沈めた。

 シェフィールドはジョゼフの前にかしこまると、主に向かって進言する。

「それで、シャルロットさまのほうはいかが処理いたしましょう。約束どおり、オルレアン夫人を始末いたしましょうか?」

「まあ待てミューズよ。あせることはない。半死人を処理するのはいつでもできる。我が姪がこれからどう出るか知れぬが、慌てて先の楽しみをつぶすことはない。それより、明日はいよいよ彼奴らもアーハンブラに着く、そのことのほうが今はなによりも楽しみなのだ」

「はっ、ビダーシャル卿は虚無の力を恐れています。それがもう一人現れて、虚無を奪還せんとするなら、まず戦いになるかと」

「伝説の虚無対エルフの先住の力……想像しただけで震えが走る。それに、お前のことだ。まだなにかあるのだろう?」

 ジョゼフが下目使いで笑いかけると、シェフィールドはうやうやしく頭を垂れた。

 そして、シェフィールドが退室していくと、しばらくして部屋に別の客人が現れた。顔を白塗りにした小太りで黒のスーツを着たその男は、ジョゼフの前にやってくると、芝居がかったお辞儀をした。しかし、顔をあげたときにはその姿は茶色い姿の宇宙人、チャリジャのものへと変わっていた。

「久しぶりだな。どうだ、近頃の景気は?」

「王様のおかげで、こちらでの営業も順調です。この星では、私どもの世界にはいない怪獣が豊富に見つかりますもので、大いに助かっております。わたくしの商品のほうも、お気にめしていただけていますか」

「ああ、どれも大いに役立て、楽しませてもらっている。だが、お前はそんなことを言いに来たわけではあるまい」

「ええまあ。こちらの世界もそろそろ雲行きが怪しくなってまいりましたので、ぼちぼち撤退を考えておりまして。でも、その前にお得意様に閉店セールのご案内に来たしだいであります」

 

 

 続く



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第46話  揺るがぬ意志との戦い

 第46話

 揺るがぬ意志との戦い

 

 深海怪獣 ピーター 登場

 

 

 照りつける日差しはトリステインでの真夏が小春に思えるほど暑く、全身から吹き出す汗は常時水筒の水を喉に欲しさせる。

 道なき道は、一歩ごとに足を飲み込もうとし、歩くだけでも相当な体力を必要とする。

 話に聞き、頭で想像していたよりもはるかに厳しい砂漠の旅が、弱音を吐く気力さえ一行から失わさせた。

 だが、気力を振り絞ってひとつ、またひとつと砂丘を越え、ひときわ大きな砂の長城を一行は制した。その瞬間、先頭を歩いていた才人の眼前に、ついに待ち望んでいた目的地が姿を現した。

 

「見えたぜ! あれがアーハンブラ城か、砂漠に浮かぶ島ってとこだな」

 

 一週間の旅路を経て、ルイズたち一行はついに目的地であるアーハンブラへ到着した。

 それまでの緑にあふれた世界から一転して、砂にあふれた乾いた世界。初めて見る砂漠を踏破して、とうとうティファニアが囚われている古代の要塞へと、一行はやってきた。

「ここがガリアの最東端……人間の世界の終わりってわけね」

 砂漠に孤高に立つ古びた小城を間近まで来て仰ぎ見て、ルイズは感慨深げにつぶやいた。

 昔話や学校の歴史の授業で、過去幾百回と繰り返し聞かされた人間とエルフとの戦い。それが、ここでおこなわれてきたかと思うと、散っていった幾万もの霊魂がさまよっているような、薄ら寒い錯覚すら覚える。

 しかし、それとは別の悪寒を、ルイズたちはふもとの町から城へ上がる道を歩きながら感じた。

「誰もいなかったわね。やっぱり、町全体が無人になってるのね」

 どこまで行っても子供ひとり出てこないほど静まりかえった町が、これからティファニアを助けに行くのだという一行の心中に水を差した。しかも、どの家も元々人がいないのではなく、きちんと戸締りされていた。つまり、少し前まで人間がいたという生活観が残っていることが、よりいっそうの不気味さをかもし出している。

 彼らは、ジョゼフの命によってアーハンブラから住人が強制退去させられたことを直前の宿場町で聞いてはいた。しかし、いざ沈黙で覆われた町に迎えられてみると、嵐の前の静けさのような、待ち構えられているかのような圧迫感が伝わってくる。

 そんな暗い雰囲気を敏感に察して、ルクシャナがやれやれと首を振った。

「あなたたち、そんなんじゃあ叔父さまに会ってもぜったいかなわないわよ。もっとシャキッとしてもらわないと、せっかく連れてきた貴重な研究材料があっさり死んじゃったら、私の苦労が台無しになるんだからね」

 自分が連れてきたくせに、まるで他人事のように言うルクシャナにさすがに才人たちもカチンとくる。しかし、一週間の旅路で彼女が研究第一で、その他は自分も含めて優先度ががくんと落ちることを知っていたたため、顔に出しても口には出さない。その代わりに、エレオノールが別のことを尋ねた。

「ねえあなた、今日までもう何度も聞いたけど、あなたの叔父、ビダーシャルってエルフはそんなに強いの?」

「強いわよ。私たちエルフの行使手の中でも叔父さまほどの人はそういないわ。人間のメイジだったら、スクウェアクラスでも素手で勝てるくらい。魔法を使えない兵士なら、四~五百人は軽く片付けられるでしょうね」

 平然と話すルクシャナに、エレオノールは知っていたとはいえ、おもわずつばを飲み込んだ。

 旅の途中で、一行はルクシャナから先住魔法を見せてもらっていた。彼女はたいした用もないのに精霊の力を行使するのは冒涜だと言ったけれど、知識では知っていても、実際に見たことがあるものはいなかったから当然の備えである。が、いざ目の当たりにしてみると、その威力は想像をはるかに超えていた。

 ルクシャナが命じるとおりに森の木々が動き、鋭い槍や鞭に変形した。「風よ」と簡単に命じるだけで、タバサやエレオノールの唱えた攻撃魔法が軽くはじきかえされてしまった。土も岩も水も、同様にルクシャナの言うとおりに動いて武器となった。実際、学院のルイズの部屋で正体を明かしたとき、もしも交渉が決裂して戦闘になっていたら、石の精霊に塔を自壊させて全員を生き埋めにするつもりだったらしく、一同はぞっとしたものである。しかも、ルクシャナ自身は戦士ではなく、行使手としては弱いというのである。

 そんな相手とこれから戦わねばならないのかと、才人はうんざりした。

「なんとか、話し合いでティファニアを返してもらえないかなあ……?」

「叔父さまの性格からして、まあ無理でしょうね」

「そんなに気難しい人なのかよ?」

「よく言えば真面目、悪く言えば頑固者ってところかしらね。でも、保身しか考えてない評議会のおじいさんたちや、決まりきったことしか研究してない学者たちよりはずっと物分りがいいほうよ。そこのところは、蛮人の世界とたいした違いはないと思うわ」

 ちらりと視線を向けられたエレオノールは、思い当たる節が多々あるので閉口した。

「ともかく、人格的には尊敬できる人よ。ただ、使命を果たすためなら自分の筋を曲げることもいとわない責任感の強い人だから、正直言って説得は難しいと思うわ」

「やっぱりなあ……せめて、タバサとキュルケがいてくれたら心強かったんだけど。お母さんが急病じゃ仕方ねえもんな」

 才人は、ため息をひとつついて西の空を望んだ。

 タバサとキュルケが昨晩に一行から離脱したことは、ロングビルの口からタバサの母親が急病で倒れたという知らせが伝書フクロウで来て、二人はそのためにシルフィードで帰ったというふうに説明されていた。これに、才人やルイズは土壇場で貴重な戦力が離れることをもちろん惜しんだけれど、すぐにお母さんの命には代えられないなとあきらめたのだった。

 こちらに残った戦力は、才人とルイズ、エレオノールとロングビル。なお、ロングビルの昨夜の負傷は自力で手当てをして、後は代えの服で傷口を隠してごまかしている。ルクシャナは叔父と戦うわけにはいかないだろうから、実質のところは素人に毛が生えた程度の剣士と、爆発しか使えない虚無の担い手、戦闘は専門外のメイジと、魔法の使えなくなった盗賊……他人が見たら、これでエルフに勝負を挑もうとするなど狂気のさた以外の何者でもないだろう。

 だが、才人たちに引き返そうとする気持ちはさらさらない。自分たちの目的はエルフを倒しに来たのではなく、ティファニアを救出しに来たのだ。その意味を履き違えるなと、才人とルイズは自らに言い聞かせる。

 

 やがて丘の上の城門に一行はたどりついた。巨大な鉄製の門は固く閉ざされていて、まるで動く気配もなかったが、ルクシャナが前に立っただけで開門した。どうやら、ルクシャナが到着したら開くようにビダーシャルが門の精霊と契約していたらしい。

 城門をくぐると、突然それまでの砂漠の熱気が消えて、秋口のような涼しげな空気が一行を包んだ。

「うわっ? なんだ、急に涼しくなったぞ」

「ああ、叔父様がこの周辺の大気の精霊と契約して、気温を下げてるんでしょう。わたしも自分の家の周りにこれをやってるけど、城ひとつを覆わせるなんてさすが叔父様ね」

 軽く言うルクシャナに、一行は例外なくぞっとした。いくら小さいとはいえ、城ひとつを覆う大気を自在に操るとは。同じことを人間の風のメイジで再現しようとしたら、いったいどれだけの人数が必要になるか想像もつかない。

「たいしたものね……」

「あら、このくらいで驚いてたらとても叔父様の相手はできないわよ。それに、契約がなされてるってことは、ここに間違いなく叔父様がいるってこと。覚悟しておくことね」

 ごくりとつばを飲み込む音が誰からともなく流れた。

 城内はルイズたちが想像したものを裏切り、古城とは思えないほど美しく整えられていた。だがやはり、人の気配は皆無で、その生活感のない無機質さが才人たちをいっそう警戒させた。

 兵士たちの詰め所を素通りし、廊下をしばらく進むと中庭に出た。そこは、砂漠の中だとは思えないような、水をたたえたオアシスになっていて、乾燥した世界に慣れていた才人たちの目を癒した。しかし、彼らの目を本当にひきつけたのはそこではなかった。池のほとりの芝生の上で、憂えげに空を見上げている金色の妖精……その姿が蜃気楼でないとわかったとき、誰よりも早くロングビルがその名を叫んでいた。

「テファ!」

「えっ? えっ!? あ、マ、マチルダ姉さん!?」

 戸惑いながらもティファニアがロングビルの本名を答えたとき、真っ先にロングビルが駆け出し、一歩遅れて才人たちも続いた。

 駆け寄ってきたロングビルとティファニアは熱い抱擁を交わしあい、互いに本物であることを確認しあう。ほんの数秒しか経っていないというのに、ロングビルの顔はすでに涙でぐっしょりと濡れていた。

「本当に、本物のマチルダ姉さんなのね。いったい、どうやってここまで来たの?」

「まあいろいろあってね。話せば長くなるけど、みんなで助けにきたんだよ」

 ティファニアはロングビルの肩越しに、才人とルイズの顔を見つけて表情を輝かせた。

「サイト、ルイズさんも、あなたたちも来てくれたんですね!」

「ああ、もちろんさ。用があって今はいないけど、キュルケとタバサも来てたぜ」

「ウェストウッドの子供たちも無事よ。今はトリステインで預かってもらってて、元気で待ってるわ」

 子供たちの安否が知れたことで、ティファニアに心からの安堵の笑みが浮かんだ。こんな状況にあっても、一番に子供たちのことを考え続けているとは、やはりティファニアは優しいなと才人は思う。それに、一番ティファニアの心配をしていたはずのロングビルも、外聞など眼中になく彼女の無事を確かめていた。

「ともかくテファ、怪我とかしてない? なにもされてない?」

「うん。大丈夫、ここではなにも不自由しない暮らしができてたから元気よ」

「でも、ひとりで寂しかったでしょ。いじめられたりしてない?」

「平気、最初は一人だったけど、ここでもお友達ができたから」

 そう言ってティファニアが手を数回叩くと、池の中から小さなトカゲのような生き物が顔を出した。だがそれは、水面から地上にあがってきたとたんに子馬ほどの大きさの、カメレオンに似た生き物に変わって皆を驚かせた。

「うわっ! な、なんだいこいつは!?」

「やめてマチルダ姉さん! この子は暴れたりしないから」

 驚いてナイフを取り出したロングビルを、ティファニアは慌てて止めた。確かにその生き物は暴れるでもなく、むしろぼぉっとした様子でティファニアの後ろで四つんばいで止まっている。しかしルクシャナは珍しい生き物ねと興味深げに眺めているが、カエルが苦手なルイズは、爬虫類系の容姿をしているそれにおびえて才人の後ろに隠れてしまって、エレオノールも気味悪がっている。

 ただ、才人は常時肌身離さないGUYSメモリーディスプレイを取り出して、その生き物の正体を探っていた。

「アウト・オブ・ドキュメントに記録が一件。やっぱり、深海怪獣ピーターの仲間か」

 エレオノールとかに見つかると後々うるさいので、スイッチを切ってさっさとしまった才人はルイズにこいつは危険はないと告げた。

 深海怪獣ピーター……正確には怪獣ではなく、学名をアリゲトータスという太平洋の深海に生息する普通の生物である。水陸両性で、性質はおとなしく、他者に危害を加えるようなことはない。だが、本来の体長はわずか二十センチくらいと普通のトカゲ程度の大きさしかないのだが、体内にある特殊なリンパ液の作用によって、周辺の温度変化に反応して一瞬にして大きさを変える能力を持っているのだ。

 まれに漁師や釣り人に釣り上げられることがあり、現在はそのまま海中に帰すことが義務付けられている。凶暴性はないのだが、あまりに高熱にさらされると最大体長三十メートルにも巨大化してしまうことがあり、過去にペットとされていたものが、山火事の影響で巨大化してしまった例が重く見られているのだ。

 才人はピーターの下あごあたりを軽くなでてみた。すると、気持ちよがっているのかは不明だが、喉を鳴らすように鳴いたので才人はおかしそうに笑った。

「これがテファの新しい友達か。ふーん、よく見るとけっこうかわいい顔してるじゃん」

「サ、サイトよしなさいよ。噛み付かれるわよ」

「だいじょぶだって。ティファニアのお墨付きだよ。それに、おれもこれを見るのははじめてなんでな。興味あるんだ」

 実は才人もピーター……アリゲトータスのことはよく知らないのだ。その性質ゆえに、動物園でもこれを飼うことは厳禁で、一般人が実物を見ることはほとんどない。しかし、普通海中深くにいるはずのこいつがなんでこんなところに? 首をかしげると、池の水が底からとめどなく湧き出ているのが見えて、はたと思いついた。

「そっか、地下の水脈がどこかで海までつながってるのか。それで、迷い込んだこいつがここまで来たってことか」

 知ってしまえばたいしたことではなかった。砂漠は表面は乾燥しきっていても、その地下には地底の海ともいうべき巨大な水源を抱えている。それが場所によっては地上に吹き出してオアシスとなり、砂漠に生きる人々の生命の源となっている。もしこれがなければ、いくらエルフとて砂漠に住むことは不可能だっただろう。

 しかし、ひとときピーターをなでる平穏な時間が流れたのも、危険の中のほんのわずかな休息時間にしか過ぎない。そのことを、ティファニアと会えて喜びに沸いていた彼らは忘れていた。

 

「お前たち、そこでなにをしている」

 

 突然響いてきた、高く、澄んだ男性の声が一行に現状を思い出させた。一部をのぞいていっせいに身構える。

 しくじった。ティファニアを見つけた時点でさっさと連れて逃げればよかったと思っても、後の祭りは変えられない。

 いや、仮にそんなことをしていたとしても、すぐに捕まって同じことだっただろう。姑息な手など通じないだけの、穏やかな声色の中に隠された巨大な威圧感を感じて、才人は無意識に乾いた唇をなめた。

 対して、相手……近づいてくるにつれてエルフだとわかった男は、まるで戦うそぶりなど見せずに無防備に歩いてくる。

 が、彼……ビダーシャルは、ティファニアを囲んでいる人間たちの中に見知った顔を見つけると、深くため息をついた。

「私はエルフのビダーシャル。招かざる客たちよ。お前たちに告ぐ……と、言おうと思ったのだが、ルクシャナ……お前の仕業か。これはどういうことか説明してもらおうか?」

「あら、説明させてくださるんですの? そりゃあもう、私も蛮人世界でけっこう苦労したんですよ。何度か命の危機にも会いましたし、でもそのおかげで、ラッキーな発見もありましたの」

 厳しい口調で問いかけてくるビダーシャルにも、少しも悪びれた様子もなくルクシャナはこれまでのことをこまごまと説明した。

 やはり、虚無の担い手を薬にかけるのは絶対反対で、しょうがないので力づくでやめさせようと思った。でも自分だけではどうしようもないので、たまたま彼女の知り合いを見つけたのでけしかけたと平然と言う。これは弁明というよりも、自慢の論文を壇上で聴衆に発表しているに近い。そのふてぶてしさを超えた不遜さに、才人たちさえ呆れたが、当然ビダーシャルは怒った。

「ルクシャナ! 研究熱心なのはけっこうだが、度を超して人に迷惑をかけるなと言ってあるだろう。第一、蛮人の戦士を幾人か連れてきたところで、私に勝てると思っているのか?」

「ええ、ですから悪魔の末裔を連れてきたんですの」

「なに?」

 ビダーシャルの顔から怒りが消えて、困惑の色が浮かんだ。そしてルクシャナはルイズに対して、「出番よ」とでもいう風にうながす。

 ルイズはルクシャナの一歩前まで歩み出し、貴族の流儀を守った礼をして名乗った。

「わたしはトリステイン王国の貴族、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。エルフの国の使者、ビダーシャル卿、あなた方の探している虚無の担い手の一人は、このわたしです」

 毅然と名乗りきったルイズには、エルフに対しての恐れはない。覚悟ならとっくにすませていたし、なによりも後ろに才人がいて守ってくれているという安心感が、強く彼女を支えていた。

 一方のビダーシャルは、さすがに一瞬動揺した様子を見せたが、すぐさま鋭い目つきに戻るとルイズに問いかけた。

「お前が、悪魔の力の担い手だと?」

「ええ、始祖ブリミルが残した失われた系統……わたしもつい先日まで幻だと思っていましたが、始祖の残した秘宝のひとつ、始祖の祈祷書がわたしにすべてを教えてくれました」

 ルイズはビダーシャルの問いに、明白に、堂々と答えた。それはルイズの中に眠る血の力か、それともルイズ自身が持つ強い意思のなせる業か。このときだけは、人並みより小柄なルイズが長身のビダーシャルを見下ろしているような錯覚を才人たちは感じた。

「信じる信じないはあなたの自由です。ですが、ひとつだけ誓って、わたしたちはあなたと戦いに来たわけではありません。わたしたちは理不尽にさらわれた友を救うためだけに来たんです。願わくば、話し合いに応じられたく思います」

 ビダーシャルは瞑目した。即答を避けたのは、ルイズの言葉を否定したからではなく、事の唐突さと重大さが彼の判断力の処理限界をすら軽く上回っていたからだ。ティファニアなどは、「えっえっ? ルイズさんが、えっ?」と、困惑しきって、「ごめんテファ、話はあとでするから」と、才人になだめられている。彼はそれよりははるかにましなほうではあったけれど、それでも彼自身が一番論理的かと認めえる答えをはじき出すまでには数秒をようした。

「いいだろう。ルクシャナが連れてきたのだ、ただの蛮人ではあるまい。我々エルフも戦いは好まない。話を聞こう」

「感謝します」

 ビダーシャルが紳士的な対応を見せたことで、ルイズたちも肩の力を半分は抜くことができた。一応の覚悟はしてきてあったとはいっても、やはりエルフといきなり戦わずにすんだというのはほっとする。だがその喜びにも、すぐに冷水がかけられた。

「ただし、まず断っておくが、私はシャイターンの末裔を逃がすつもりはない。お前も、悪魔の力を宿しているというのであれば同じだ。この城から帰すわけにはいかない」

 冷たい目で断言したビダーシャルに、才人はデルフリンガーを向け、ロングビルはナイフを取り出す。しかし彼らの前に、意外にもエレオノールが立ちはだかった。

「やめておきなさいよ。まともに戦ったところでどうせ勝ち目なんかないし、せっかく向こうがまずは話を聞こうって言ってるんだから、ぶち壊しにしないでよ」

「でも、この野郎はおれたちを帰さないって言ってるんだぜ!?」

「それはまた後で考えましょう。どのみち、最初からそうなることは覚悟のうえだったんだし。それよりも、人間とエルフ、どっちが野蛮な生き物なんだかあんたたちが証明してみる?」

 その一言が、今にも攻撃をかけようとしていた二人の気持ちを落ち着かせた。

 様子を見ていたルクシャナも、いきなり戦闘に突入しなかったことでほっとした様子を見せている。

「ま、結論がどうなるにせよ、議論を尽くすのは無駄じゃないからね。さすが先輩、うまくまとめてくれました」

 目配せしあった二人には同じ目論見があった。すなわち、ルイズとビダーシャルに会話させることで、謎のベールに覆い隠されている虚無の実情を探ることである。なにしろ六千年も前のことであるので、人間とエルフのどちらにも断片的な記録しか残っていない。ルイズたちはすでにルクシャナから、聞けることは根掘り葉掘り聞き出しているものの、虚無に関してはエルフの間でも重要な機密らしく、ルクシャナもほとんど知らなかった。そのためにビダーシャルとどうしても話す必要があったのだ。

 そうして、まずルイズは前置きとして、ルクシャナからなぜビダーシャルたちがこの地にやってきたのかなどは聞いていると告げた。

「あなた方の土地でも、すでに怪獣の出現や、異常な現象が起こっているそうですね」

「そうだ、それを確かめ、変調をきたしているこの地の精霊を鎮める。そうしてサハラへの影響を事前に食い止めるのが一つ目の任務。もうひとつが、お前たちシャイターンの末裔が揃うのを阻止することにある」

 ここまではお互いに確認のようなものだった。本題は、ここからである。 

「そのシャイターン……あなた方は悪魔と呼ぶ虚無の力、かつて大厄災とやらをもたらしたそうですが、それはいったいなんだったのですか?」

 ルイズの質問に、ビダーシャルはジョゼフやティファニアに語ったとおりのことを説明した。エルフの半数が死滅したというほどの恐るべき大災厄……ただし、その実情はビダーシャルすら知らないということが、少なからずエレオノールたちを落胆させた。

「お前たちの期待に添えなくてすまないな。だが、それではこちらからも質問させてもらおうか。お前が、本当にシャイターンの末裔というのならば、悪魔の力に目覚めたいきさつを聞かせてくれ」

「ええ、数週間前のことよ……」

 了承したルイズは、ビダーシャルにはじめて虚無の魔法を使ったあの日のことを話した。怪獣ゾンバイユの襲来、始祖の祈祷書と風のルビーの共鳴、現れた古代文字、そこから発現した魔法『エクスプロージョン』の威力など。そして、自分が虚無に目覚めたその事件が、すべてガリア王ジョゼフが虚無の担い手を探し出すために起こした事実も、包み隠さず語った。

「なんだと!? あの男が、自ら悪魔の力を……」

 この事実はビダーシャルにとってもショックに違いなかった。嘘でない証拠に、トリステインで起きたことはすべて事実だとルクシャナも証言している。彼としては、虚無の発現を防ぐために、わざわざ大きなリスクを背負って交渉を成立させた男が、陰では虚無の目覚めを早めていたと知って穏やかでいられるはずもない。

 が、ルイズたちとしては、まだビダーシャルに聞きたいことはある。その機を逃してはならないと、ルイズは矢継ぎ早に質問をぶつけた。

「もうひとつ聞きたいことがあります。ジョゼフは、わたしを虚無と見極めるときと、ウェストウッド村でティファニアをさらうときのどちらも怪獣を囮として使いました。人間が怪獣を使うなんて、普通じゃ絶対不可能なのに、ジョゼフはいったいどうやって怪獣を使役する術を手に入れたかご存知ですか?」

「いや……それも初耳だ。しかし、奴には奇怪な様相の側近が何人か存在していた。なかでも、一人は明らかに人間ではない、感じたこともない不気味な気配を放っていたのを覚えている」

「一人は間違いなくシェフィールドね。つまり、ジョゼフが怪獣を操っているんじゃなくて、ジョゼフの側近の何者かが怪獣を操る方法を持っているということになるわけね」

 ルイズは才人と目を合わせて意見を交換した。その、明らかに人間ではないというやつ。確証はないけれど、人間の能力をはるかに超えた相手、宇宙人だと考えれば可能性は高い。しかし、エルフに加えて宇宙人まで配下に加えているとすれば、ジョゼフとはいったい何者であるのか? その疑問に、ビダーシャルは苦々しく答えた。

「わからぬ。私が言うのもなんだが、ジョゼフ……あの男は蛮人の中でも別格といっていい。やつなら、なにをしでかしたとしても、私は驚きこそしても疑問には思わないだろう」

「無能王と呼ばれている。そんな男が、ですか?」

「無能王か……それは相当な偏見と誤解の産物だな。やつの頭の中身は、私からしても底が見えない。それは状況証拠だけを見ても、お前たちにも充分わかるはずだが?」

「ええ……」

 言われなくとも、それは十分に承知している。これまでのシェフィールドの手口の大掛かりさと合わせた狡猾さ、それをまったく外部に知られずにおこなうなど凡人のなせる業ではない。

「我も当初は蛮人どもの評を参考に、やつに接触を試みた。しかしそれが大変な誤りだと気づいたときには遅かった。こちらの弱みに付け込んで、あらかじめ用意していた交換条件の何倍もを提供させられるはめになってしまったのだ」

「まあ叔父様、そこまでなめられておいでなのに、よく生真面目に家来をやっていられるわね」

 ルクシャナが呆れたように言うと、ビダーシャルはやや疲れた笑みをこぼした。だが、それはあくまで表面的なものだ。ビダーシャルはジョゼフに対して知性以外の脅威を感じていたことを語った。

「確かにな。私もそう思う……が、どうにも抗えぬ妙な迫力を持った男でな。ともかく、直接会った者でなければ、奴の魔物じみた得体の知れなさはわかるまい」

 ティファニアを預けてきたときも、今思えば疑ってしかりだったとビダーシャルは思うが、そうはできなかっただろうなとも思うのだ。確かに虚無について調べてくれと頼みはしたけれど、その本人を見つけてくるとは想像していなかった。いったいどうやって見つけてきたのかと尋ねても、ジョゼフはロマリアの研究資料を拝借してなどと適当にはぐらかしてしまった。本当なら、もっと食い下がって疑うべきだったのに。

「叔父様、もうこの際ジョゼフとは縁を切ったほうがいいんじゃありませんの?」

「しかし、そうすると我らがこの地に干渉する糸口を失ってしまう。それはできない」

 危険な匂いを感じ取ったルクシャナが警告しても、使命を重んじるビダーシャルは受け入れようとはしなかった。しかし、ルクシャナはやれやれと呆れたしぐさを大仰にとり、あらためて叔父に忠告した。

「叔父様、それでしたらもうこの場でほとんど解決できるんじゃありませんの? ここにはこのとおり、悪魔の末裔が二人もいるんですよ。私たちが恐れているのは揃った悪魔の力がシャイターンの門に到達することでしょう。そのうち半分をこっちに取り込めば安心なんじゃありませんか?」

「なっ!?」

 ルクシャナの言葉は乱暴ながら確信をついていた。人間よりはるかに強大な武力を誇るエルフにとって、警戒すべきは虚無の力ただひとつと極論してしまってもいい。ただの人間の軍勢が攻め込んできても、撃退することが可能なのはこれまでの歴史が証明している。

 だが、そのためには彼らが悪魔と呼ぶものたちと正面から向かい合わねばならない。ルイズは、今こそビダーシャルに自身の本心を伝えた。

「ビダーシャル卿。わたしや、このティファニアはエルフの世界に攻め込もうなどとは微塵も思ってはおりません。伝説がどうあれ、それがわたしの意志です。それに、もしも残りの二人の虚無の担い手が悪意を抱くようであれば、わたしたちが全力をもって阻止します。ですから、どうかわたしたちを信じて彼女を返してはくれないでしょうか」

 ルイズの言葉には、うそ偽りのない熱意のみが込められていた。これで、なおルイズを疑うとすれば、それは人間の良心を最初から信じていないものだけだろう。ビダーシャルは直立姿勢のまま瞑目し……やがて、ゆっくりと目を開いてルイズを見た。

「残念だが、それはできない。今はその気がなくとも、人間というものは心変わりするものだ。未来の危険を放置するわけにはいかない」

「くっ……未来の危険などを問題にするのであれば、それこそきりがないではないですか! 虚無といってもしょせん人が使う力、六千年前と同じ結果が出るとは限らないではないですか」

「そんな危険な賭けに一族をさらすことはできない。我らにとって、シャイターンの門を守るということは、もはや伝統という生易しいものではなく、”義務”なのだ」

 かたくななビダーシャルの態度に、ルイズはこのわからずやめと顔をしかめさせた。ここまで話ができて、ジョゼフへの信頼が薄らいでいる今なら説得できるのではないかという淡い期待は裏切られた。ルクシャナの言ったとおり、これはまた大変な頑固者らしい。使命感が強すぎて、まったくとりつくしまがない。

「ミス・ヴァリエール、残念だけど交渉は決裂のようね。こうなったら、もう力にうったえるしかないわ」

 ロングビルが落胆するルイズを慰め、戦うようにと促す。見ると才人も戦闘態勢に入っており、ビダーシャルも迎え撃つ気配を示している。

「来るがいい、悪魔の末裔よ。お前が完全に力に目覚める前に、ここで食い止める」

 戦うしかないのか……ティファニアを救い、ここから皆で帰るにはもうそれしかないのか。

 だが、杖を握りながらもルイズは納得できなかった。以前、始祖の祈祷書が見せてくれたビジョンの中では、人間とエルフはともに手を携えていた。なのに、その子孫である自分たちは血を流そうとしている。これでいいはずはない。なにか、なにかまだ方法はないのか? ビダーシャルを納得させ、無益な戦いを避ける方法が!

 

 そのときだった。ルイズの指にはめられた水のルビーが輝きだし、同時にルイズが肌身離さず持ち歩いている始祖の祈祷書が光を発しだしたのだ。

 

「こ、これはいったい!?」

 突如あふれ出した神秘的な光に、才人だけでなく、エレオノールやロングビルも目を覆って立ち尽くす。

 ビダーシャルとルクシャナも、目が見えなくては精霊に命ずることはできず、ティファニアもわけもわからずうずくまる。

 その中で、ルイズだけは妙に落ち着いた様子で祈祷書を開いていた。

「始祖ブリミル……そう、あなたもこんな戦いは望んでいないんですね」

 祈祷書を自分の体の一部であるように開き、ルイズは物言わぬ本に残されたブリミルの声を聞いていた。

 これまで、どんなに新しいページを開こうとしても応えることのなかった祈祷書が応えた。まるで、ルイズが真に必要とするときまでじっと待っていたように……ルイズが心から欲しているものを与えようとするように。

 

 虚無の魔法……『記録(リコード)』……それを使って始祖の祈祷書に残されたブリミルの記憶を皆に伝えるのだ!

 

「お願い、始祖の祈祷書! わたしたちをもう一度、あの時代に連れて行って!」

 

 光が爆発し、人間もエルフも関係なくすべてを飲み込む。

 そして、光が消え去って祈祷書がただの古ぼけた本に戻ったとき、ルイズの望んだすべては終わっていた。

「まさか……あれが、六千年前のハルケギニア……」

 力を失い、芝生の上にへたり込んだエレオノールの声が短く流れた。ルイズの声に応えた始祖の祈祷書は、以前二人に見せた六千年前のビジョンを、この場にいた全員の脳に叩き込んだのだった。

 想像を絶する、破滅と殺戮の戦争の歴史……かろうじて立っているのはルイズと才人だけだ。ロングビルやティファニアも、白昼夢を見ていたように呆然としている。

 だが、もっとも衝撃が大きかったのはエルフの二人であった。これまで漠然とした伝承でしか知ることのできなかった、大厄災の光景。それを直接目の当たりにしたこと、そしてなによりも、エルフのあいだでは悪魔として伝えられているブリミルが、エルフとともに戦っていたということが、彼らの信じてきた"常識"に大きな揺さぶりをかけたのだ。

「あれが……大厄災」

 いつも人をバカにしたような態度をとっているルクシャナも、許容量を超える衝撃に腰を抜かしていた。人間とエルフの小競り合いなど比較にもならない、全世界規模の最終戦争。かつてエルフの半分を死滅させたという伝承をすら超える、世界を焼き尽くした大戦。そして、その戦火の中を戦い続けたブリミルと、その仲間たち。

 やがて、ショックからいち早く立ち直ったルクシャナは、隠し切れない興奮とともにビダーシャルに詰め寄った。

「叔父様、見ましたよね! あれ、あれって!」

「あ、ああ……」

「あれが悪魔、シャイターン本人なんですね! それに、いっしょにいたあのエルフ、光る左手を持ってましたよね! もしかしてあれが大厄災のときに私たちを救ったという、聖者アヌビスなのでは!? もしそうなら、学会がひっくり返るほどの大発見になりますよ!」

 好奇心の塊のようなルクシャナにとっては、たとえ自分の常識を根本から打ち砕くような出来事でも喜びの対象となるようであった。

 しかし、ひたすら愚直にエルフとして生きてきたビダーシャルにとっては、それは受け入れるにはあまりにも異質で大きすぎた。あのビジョンの歴史が真実であるならば、エルフと人間という、過去幾たびとなく争い続けてきた二つの種族のいがみ合う理由はなくなる。

 そのとき、迷うビダーシャルにルイズが呼びかけた。

「ビダーシャル卿、信じられない気持ちはわかります。わたしもはじめ見たときはそうでした。でも、人間とエルフは手を取り合うこともできていたんです。それだけじゃありません。翼人に、獣人、今は他の種族と交流を絶っている多くの種族が共に生きることができていたことがあったんです。過去にできていたことが、今はできないなんてことはないはずです。その可能性を信じてくれませんか?」

「しかし……あの映像が真実であったという証拠はない」

「いえ、あなたほどの使い手なら、あれが作り物であるのか違うのかわかるはずです」

 断言するルイズにビダーシャルは口ごもった。自然と口をついて出てしまった否定の言葉だったが、ビジョンはぬぐいきれない現実感を彼に突きつけていた。あの質感や熱は幻覚で再現できるものではない。ならば、やはり……

「残念だが、認めざるを得ないようだな。あの光景は太古の現実……そして、お前が悪魔の末裔であることも」

「あなたがわたしをどう呼ぼうと自由です。でも、悪魔だろうと心はあります。意志はあります。何度でも言います。わたしたちは誰一人としてあなたと、エルフと争うつもりはありません。だから、ティファニアを返してください。お願いします!」

 ぐっとルイズは小さな頭を体の半分まで下げた。その姿に、エレオノールはあのプライドの高いルイズがエルフに頭を下げるなどと驚き、ビダーシャルも、ここまでの魔法を見せながらなお戦おうとしないルイズに心を揺さぶられた。だがそれでも、ビダーシャルの答えは苦渋に満ちながらも変わらなかった。

「……何度言われようと、私の答えは変わらない。シャイターンの復活を……」

「いいかげんにしなさいよ!」

 ビダーシャルの言葉が終わらないうちに、猛烈な怒声でそれをさえぎったのはエレオノールだった。彼女はとまどうルイズを押しのけると、ビダーシャルを指差して怒鳴った。

「さっきから黙って聞いてたらなんなのよあなたは! これだけの証拠を突きつけられて、あまつさえ自分の半分も生きてないような子供に頭を下げさせておきながらその態度。あんたのその澄んだ目や長い耳は飾りなの? あんたは自分の目で見て、自分の耳で聞いたことすら信じられないわけ!?」

「貴様になにがわかるというのだ! 過去いくたびの蛮人との戦乱で同胞を失ってきたのは我らも同じだ。シャイターンの門を守るために散っていった大勢の先人たちの意志を、私が裏切るわけにはいかぬ」

 ビダーシャルは、譲れないものがあるのはお前たちだけではないとはじめて怒鳴り返した。

 しかしエレオノールは、そんな彼を見据えるとはっきりと言い放った。

「違うわ。あなたはただ、楽な道を選ぼうとしているだけよ」

「なに……っ!?」

「先祖から代々受け継いできたしきたり。そりゃ確かに大事でしょうよ。でもね、”従う”なんてこと誰にだってできるのよ。自分じゃなにも考える必要はないからね。本当に難しいのは、自分で考えて決めるってこと。それが”生きる”ってことじゃないの?」

 エレオノールは心の中で、ほんの少し前までは私もあんたと同じだったんだけどねとつぶやいた。ヴァリエールとツェルプストー、対立して当たり前だとずっと思っていた自分の中の常識に、正面きってひびを入れてくれた妹と、生意気な赤毛の小娘がいなければ。

 彼女は整った顔をゆがめて立ち尽くしているビダーシャルに、最後の一言をたたきつけた。

「ここにいる者は、誰一人として強制されてきた者はいないわ。皆、自分の意志でここに立ってる。虚無だとか世界だとか関係なく、この子たちは友達を助けるために、私は妹を守るために覚悟を決めてね。なのに、その相手がこんな優柔不断男だとはがっかりだわ」

 過去何十人もの婚約者候補の男の心をへし折ってきたエレオノールの暴言が、容赦なくビダーシャルの心に突き刺さった。

 ルイズはもう一度争うつもりはないと告げ、才人もルイズの心意気に打たれてティファニアを帰してくれと頼む。

 使命と、歴史の真実のはざまでビダーシャルは迷った。一族の義務を守るか、それともあくまで戦うつもりはないとする目の前の少女を信じるか。そのとき、葛藤する彼にルクシャナが言った。

「叔父さま、結論を容易に出せるものではないのはわかります。でしたら、私が彼らのそばについて常時監視するということでどうでしょうか? もし、彼らが私たちに害あるものでなければそれでよし。もし不穏な行動があれば即伝えますし、私が害されればそれでもう結論となるでしょう。どうです?」

「いや、しかしそれでは君が」

「研究のためにこの身が滅ぶなら、むしろ本望ですわ。それに、どっちみちジョゼフとは手を切るんでしょ。こっちのほうが手がかからなくて確実ですって」

 それで使命にもある程度報いることもできるでしょうと、言外にルクシャナは言っていた。確かに……妥協案としてはかなり乱暴ではあるけれど、ビダーシャルとて虚無の担い手相手に確実に勝てるという自信があるわけではない。なにより、人の心を薬で奪うということに、彼の良心も痛んでいた。

 迷った末、彼はついに決断した。

「わかった。ルクシャナ、君にまかせよう」

 その瞬間、緊迫感に包まれていた場が、一転して歓喜の渦に変化した。

「やった! テファ、これで帰れるぜ」

「サイトさん……よかった。誰も傷つかないで、本当によかった……あ」

「ちょ、テファ! しっかりして」

 安堵して倒れ掛かるティファニアを、才人とルイズが支えた。

「信じられない。ほんとに、エルフと和解できるなんて」

 ロングビルも、最悪のときには刺し違えてもティファニアを逃がそうと覚悟していただけに、気が抜けてどっと疲れがきた。

 が、誰よりも解放された思いを味わっていたのはビダーシャルであった。悪魔の末裔を相手にしていたつもりだったのに、その相手は目の前で、今は小さな子供のようにはしゃいでいる。あれが本当に悪魔なのか? むしろ悪魔なのは……

 物思いにふけるビダーシャル、そこへいつの間にやってきたのかルイズが現れて言った。

「ありがとうございます。ビダーシャル卿」

「礼を言われる筋はない。それに、勘違いするな。我らとお前たちが敵であることに変わりはない」

「でも、人間の世界にはこんな言葉もありますよ。昨日の敵は今日の友って」

 なにげなく、ルイズは右手を差し出した。ビダーシャルは一瞬意味をはかりかねたが、すぐにルイズがなにを求めているのかを悟った。

 もしも、これが成立したらエルフと人間の両方にとって浅からぬ意味を持つ出来事となるだろう。彼はその引き金を自らの意思で引くべきかを考えた。

 

 だが、そのとき。

 

「見たぞ、裏切りものめ」

 突如、不気味な声がして一行はいっせいに振り返った。そこには、全身を黒いローブで包んだ男が立っていて、その姿を見たビダーシャルは忌々しげに言った。

「貴様は、あの女がよこしてきた使用人の……ただの使用人ではないと思っていたが、やはり監視だったか」

「ふふふ……協定は破棄なのだろう。ならば、この城から全員生きて帰すわけにはいかぬ。覚悟するがいい、もはやこの城は私の体の一部も同然だ。見よ! そして今度こそ、サヨナラ・人類……」

 男はローブを脱ぎ捨て、不気味な怪人の正体を現す。その瞬間、アーハンブラ城全体が激しく揺れ動きだし、地下から巨大な柱のような物体が無数に空を目指して生え出した。

 

 

 続く



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第47話  進化の道筋

 第47話

 進化の道筋

 

 深海怪獣 ピーター

 菌糸怪獣 フォーガス 登場!

 

 

「消え去れ、愚か者たちがしがみつく虚栄の城よ。そして、この私の新たな進化の苗床となるがいい」

 激震に見舞われ、幼児の手の中でもてあそばれる積み木の城のように揺さぶられるアーハンブラ城。古来よりこの城の歴史を見守ってきた、美しい装飾の施された壁石が崩れ去り、絢爛なステンドグラスが粉々の破片に変わって舞い散る。

 瓦礫と化していく城に代わって台頭してくるのは、敷石を突き破って伸びていく巨大な柱のような物体だ。一本が直径五メートルはあるそれは、城のありとあらゆる場所から、さらに城の立つ丘やふもとの町からも空を目指して伸びていく。

 未知の物体に侵食され、別のものへと変貌しようとしているアーハンブラ城。かろうじて原型を保ち続けているのは城の中庭だけだ。そこで、才人たち一行と、ビダーシャルとルクシャナを不気味な怪人が見下ろして笑っていた。その顔は人間とも、この星に住むあらゆる亜人とも違い、目や口は昆虫的だが、頭部全体はオレンジ色のこぶで形成されており、まるでキノコが寄り集まってできたような不気味な形状をしている。

 使用人として送り込まれ、顔を隠してずっと自分を監視してきたこの怪人はなんなのか。ビダーシャルは本性を現した黒衣の怪人に向かって叫んだ。

「お前は、いったい何者だ!」

「ファハハハ……フォーガス、別の世界では私はそう呼ばれていた」

「フォーガス……?」

 その名が、地球では英語で『毒キノコ』を意味する単語であることを彼らは当然知らない。しかし、エレオノールやロングビルにとっては名などはどうでもよかった。ともかくこいつは自分たちを排除しようとしている上に、ビダーシャルと違って話が通じる雰囲気は微塵もない。ならば、先制攻撃あるのみだ。

「くらえ化け物!」

 話をさえぎって、ロングビルの投げナイフとエレオノールの『土弾(ブレッド)』の魔法が怪人を襲う。よけるまもなく頭部をナイフで打ち抜かれ、硬化した土の弾丸を無数に浴びせられた怪人は全身をボロボロにされてひとたまりもなく倒れこむ。しかし、ルクシャナがまだ聞きたいことがあったのにと抗議しようとした瞬間、信じられないことが起こった。なんと地面からキノコが生えるように、まったく同じ怪人の姿のフォーガスが出現したのだ。

「やれやれ、まだ自己紹介もすんでないというのに、低脳な生き物はこれだから困る」

「そんなっ!? どういうことなの」

 倒したはずの相手が何事もなかったかのように復活するさまを見て、攻撃をかけた二人は愕然とした。フォーガスはそんな二人をあざ笑うかのように笑い、城全体を覆った謎の柱を、いまや数百本に相当するまで増えて、数百メートルの高さでひとつに絡み合おうとしてる謎の物体を指差した。

「この姿は、お前たちと会話するために作り出した私の分身にすぎん。お前たちでいうなら髪の毛の一本というところになろう。私の本体は、それ、君たちが見ている光景そのものだよ」

「光景って……まさか!」

 ありえない答えに、一行は例外なく空を見上げた。巨大な柱状の物体がからみあったものは、アーハンブラ城の上空で木が枝を広げるように四方へと拡大していき、やがて城がすっぽりと影に覆いつくされるほど巨大な傘に変わる。そして、その傘の裏側にあたる部分のひだのような放射状の独特の模様が、彼らにある生物の名前を連想させた。

「こいつはもしかして、とんでもなくでかいキノコの化け物かよ」

 才人のつぶやいた、普通なら正気を疑われるような言葉を否定する者はいなかった。彼らは傘の半径が数百メートルにも及ぶ超巨大キノコの真下にいる。一同は常識を超えた光景を目の当たりにして絶句したが、特に頭の回転の速いエレオノールやルクシャナは、キノコならばといち早く我に返った。

「わかったわ。信じられないけど、あんたは知性を持ったキノコの怪物ってわけなのね」

「本体は地面の底に潜って、分身だけを地上に上げて叔父さまを監視してたのね。道理で、叔父さまでも正体がつかめなかったはずだわ」

「ほう、お前たちはほかの連中と違って多少は知恵がありそうだ。そのとおり、私はいまやこの城を完全に支配した巨大な知性だ。お前たちの見ているものすべてが私の脳だ。たかだか数キログラムしかないお前たちの脳など比較にもならぬ、全宇宙最高の頭脳を持つのがこの私だ!」

 高らかにフォーガスは宣言し、アーハンブラ城は中庭を残して完全に巨大キノコに取り込まれた。一行は、自らの視界を埋め尽くすものを見て、これがすべて脳なのかとさらに戦慄した。こんな、山ほどもある脳など聞いたこともない。

 ただ、進化の可能性としてはありえなくもない。ルクシャナは、専門からは離れるが、かつて学んだ生物学の知識から、そのことを生命の危機から意識をそらそうとするように分析した。

「キノコは植物に似てるけど、実は菌糸という細い糸のようなものが寄り集まってできてる。確かに、動物の脳の構造と似ているといえばそうかもしれないわね。でも、どんな進化を遂げてもあなたみたいな生物が突然生まれるはずがない。あなた、いったいどこから来たの?」

「ほお、おもしろい。未開の惑星だと聞いていたが、そこまでの知性を持つものもいたのだな。よかろう、理解できるかは知らぬが、教えてやろう。私がいた、こことは違う別の世界のことを」

 別の世界という聞き捨てならない単語に動揺する一行に、フォーガスはさらに語った。

「かつて私は、ここよりもはるかに進んだ文明を持つ世界に存在していた。そこにもお前たちのような人間がいて、独自の文明を築いていたが、その文明の進化は行き詰っていた。そんな人間たちを見た私は、無用な人間を滅ぼして、この頭脳をさらに進化させる苗床にしようと考えたのだ。菌糸を伸ばし、無限に巨大化することのできる私はいわば無限の進化を可能とする究極の頭脳だからな。街をひとつ飲み込み、私は全世界に影響力を発揮できるまで進化した。しかし、残念なことにあと一歩のところで私の進化は阻まれ、私は滅ぼされてしまった」

「ふん、でかくなるしか能のないキノコが無限の進化とは笑わせるわ。身の程を超えた野望は失敗して当然よ」

 見下すようなエレオノールの言葉に、フォーガスは怒るかと思われたが、むしろせせら笑うように返した。

「ファハハハ! 貴様らこそ進化を語るには身の程を知らん。文明の発祥から六千年のときを経過しながら、なんの進化もなく停滞し続ける貴様らなど、最初から知的生命としての価値などありはしないのだ!」

「なん……ですって! だけどあんただって、無謀な進化を試みたあげくに滅ぼされたって言ったじゃない」

「フッ、あれは私も油断した。もっと巨大に成長してから行動を起こせばよかったのが、焦ったのが失敗だった。しかし、運命は私に味方した! 完全に焼き尽くされたかと思われた私の本体から、菌糸一つが奇跡的に生き残って回収されたのだ。この世界に連れてこられた私は地下で増殖し、今日ついに完全な復活を遂げた。今度はこの世界を覆いつくし、進化の究極を達成してみせるぞ!」

「なんですって!? あなた、ジョゼフに従ってるんじゃないの?」

「人間なぞに私は従わん。私の再生が完了するまで利用させてもらっただけだ。奴は私をくだらぬ見張り役などに使うつもりだったようだが、まずはガリアを呑みつくしてその思い上がりを正してやる。次はハルケギニア全体、そして貴様らエルフどもの土地、最後にはこの惑星全体が私と一体化するのだ!」

 恐るべき計画をあらわにしたフォーガスを、一同は憎憎しげににらみつけた。しかし、攻撃をかけようにもいまやアーハンブラ城すべてがフォーガスと化してしまったようなものなのでどうにもならない。そうしているうちにもフォーガスの菌糸は中庭にも侵食してきて、通路はひとつ残らず塞がれてしまった。

 寄ってくる菌糸を才人が切り裂き、ほかの面々は魔法で食い止めるが、文字通りきりがない。強力な先住魔法を使えるビダーシャルやルクシャナも、かろうじて自分の周りを守るだけで精一杯だ。

「叔父さま! 叔父さまはこの城全体の精霊と契約してるんでしょ。なんとかできないの?」

「無理だ! 石も風の精霊も、完全に奴に呑み込まれてしまった。もうこの地で、我に従う精霊はない」

 自然の精霊の力を借りるという先住魔法の弱点が現れていた。借りるべき精霊を封じられたら文字通りなにもできない。

 フォーガスは円陣を組んで、必死に防戦している一同を見て愉快そうに笑った。

「ファハハハ、貴様らの力など所詮その程度よ。今日から貴様らに代わって、私がこの星の支配者になってくれる。手始めに、貴様らはこのガラクタの城とともに消え去るがいい!」

 その瞬間、フォーガスの菌糸の侵食についに耐えられなくなったアーハンブラ城が轟音を立てて崩壊し始めた。城砦も、尖塔も、すべてバラバラの岩石に分解されて崩れていく。逃げ場はない、このままでは全員数千トンもある城の成れの果てに生き埋めにされてしまうだろう。

 だがそのとき、ビダーシャルが意を決したように叫んだ。

「全員! 私に掴まれ!」

「えっ!? どうい」

「説明している時間はない! 死にたくなければ言うとおりにしろ」

 ルクシャナも見たことないほど鬼気迫ったビダーシャルの表情に、一同は反射的にその言葉に従った。わけもわからないまま、とにかくビダーシャルにしがみつき、間に合わなかった者はしがみついている者に掴まる。

「ようし、全員掴まったな。いくぞ!」

 ビダーシャルは左手で右手を握り締めた。それを合図に、彼の指にはめられている指輪に仕込まれていた風石が力を解き放った。一気に重力が逆になったような感覚が全員を襲い、次の瞬間彼らは空へと飛び上がった。

 

「うわぁぁぁぁーっ!」

 

 降り注いでくる瓦礫を潜り抜け、巨大キノコの傘スレスレのところを彼らは固まって飛んだ。

 天地が逆転し、自分がどこにいるのかすらわからない。ただ、手を離せば終わりという恐怖だけが、必死にしがみつく手に力を込めさせて、失神することを許さなかった。

 そんな感覚が数十秒ほど続いただろうか。気がついたときは、彼らは砂漠の中に砂まみれになって放り出されていた。

「げほっ、げほっ、こ、ここは……?」

 吸い込んでしまった砂を咳き込んで吐き出しながら、ルイズは周りを見渡した。自分たちのいるのは砂丘の中腹で、みんななかば埋もれるようにして散らばっている。むろんその中には才人もおり、ルイズはまず安心するとともにさらに遠くまでを見渡した。アーハンブラ城を飲み込んだフォーガスの巨大キノコは、自分たちのいる場所から、ほんの数リーグしかない場所に聳え立っており、あまり遠くまで来たわけではないようだ。

 やがて、皆が砂の中から這い出してきて集まってきた。

「あいてて、下が砂でも腰を打っちゃったわ。あなた、いったいなにをしたのよ?」

 緑髪を砂まみれにしたロングビルが尋ねると、同じように砂まみれになっていたビダーシャルが頭を払いながら答えた。

「万一のための脱出用の風石の指輪を使ったのだ。一度限りだが、効力はみてのとおりだ」

「はぁ、たしかに指輪が台座だけになってるわね。そういえば、テファもお母様から治癒の効力を持った指輪をもらってたっけ。あれと同じようなものか、エルフの技術ってのはほんとすごいわね」

 ロングビルや才人たちは、以前タルブ村で聞かされた昔話を思い出した。三十年前にタルブ村を襲った吸血怪獣ギマイラとの戦いで命尽きた佐々木隊員を蘇生させたのも、ティファニアの母が持参していた水の力を秘めた魔法の指輪だったという。

 エレオノールたちはあらためて、エルフの持つ高度な魔法技術に恐れ入った。先住魔法の威力だけでなく、こうした魔法道具の利便性に関しても、エルフは人間を大きく上回っている。しかし、そのおかげで命拾いしたのはまぎれもない事実だった。

「感謝するわ。まさか、エルフに命を救われるなんて夢にも思わなかった」

「勘違いするな。置き去りにしてもよかったが、選んでいる時間がなかっただけだ。それよりも、本来は数十リーグを飛べるのだが、さすがにこの人数を抱えては城の外まで飛ぶのが精一杯だったようだ」

 エルフ、人間合わせて総勢七人は定員オーバーもいいところだったようだ。まともに飛ぶこともできず、途中で失速してしまった結果がこれだったらしい。下が砂丘でなかったら命も危なかった。

 いや、実のところの原因は別にあるようだ。一同は、ティファニアが大事そうに抱えている生き物に目をやり、ロングビルが呆れたように言った。

「テファ、あなたそいつまで連れてきてたの。道理で重過ぎるわけだわ」

「だって、あのままあんなところに置いておくわけにはいかないじゃない」

 なんと、ティファニアはピーターまで連れてきてしまっていた。こいつは巨大化するに従って体重も増加するので、砂漠の外気にさらされればそれは重くなる。実際、ティファニアが暑さよけに外套をかぶせてやっているものの、もう体格は三メートルを超えていた。最大時には一万五千トンにもなるので、もう三トンくらいにはなっているかもしれない。むしろアーハンブラの街中に墜落しなかったのが奇跡的だ。

 ロングビルはティファニアの優しさを否定するわけにもいかず、ピーターは助けられたことがわかるのかティファニアに鼻を摺り寄せている。連れて帰ってもどうしようかと思ったが、まあ変な虫がつかないためのボディガードにはいいかもしれない。

 

 しかし、命が助かったことにほっとしていられたのもそこまでだった。

「見ろ! フォーガスの野郎、まだ巨大化するつもりかよ」

 才人の指差した先で、フォーガスの巨大キノコは目に見えて成長を続けていた。すでにアーハンブラ城は完全に飲み込まれて跡形もなく、ふもとの町もキノコの幹に取り込まれかけている。さらに菌糸は砂漠にも侵食を始めているではないか。

「なんてことなの! このまま奴が砂漠を越えたら本当にガリアどころか、ハルケギニア全体がフォーガスに飲み込まれるわよ!」

 エレオノールがフォーガスの成長スピードの速さに悲鳴のように叫んだ。奴の言ったことは誇張でもなんでもなく、本気で全世界を取り込んでしまうつもりなのだ。最終的には星そのものと同化した、超巨大な生命体と化す。それこそが奴のいう究極の知性、惑星大の脳というわけだ。

 着実に自分たちにも近づいてくるフォーガスに、危険を覚えたロングビルはティファニアをかばいながらエレオノールに叫んだ。

「ど、どうすんのよ! このままじゃ私たちもあの化け物キノコに飲み込まれるわよ。あなた学者でしょ、なんとかならないの!」

「む、無茶言うんじゃないわよ。ルクシャナ、あなたたちの先住魔法でどうにかできないの?」

「無理よ! だって大きすぎるんだもの。こりゃもう……やることはひとつしかないんじゃないの」

 ルクシャナがさすがに引きつった表情でいう方法を、エレオノールもロングビルも聞かなくても理解した。これはもう、人間でもエルフでも、個人の力でどうにかできる範囲を超えている。軍隊でも連れてこなくては太刀打ちできない。だが、ビダーシャルの風石の指輪はもうなく、できることはエルフでも人間でもひとつしか残っていない。

 

「走れっ!」

 

 大貴族も元盗賊もエルフも完全に意見が一致した。プライドや種族の差など、本当に追い詰められたときは何の価値も持たない。

 死ねばすべてが終わってしまう。たとえ多少の無様をさらしても、生き延びたい。生きなくてはなにも成し遂げることはできない。

 まだまだやりたい研究がある。ティファニアを子供たちのところに帰したい。手のかかる姪が嫁に行くまでは見守ってやりたい。

 思いは人それぞれなれど、このときは誰もが巨大キノコに押しつぶされて死ぬより、無様でも逃げて生き延びたいと願った。

 

 だが、逃げようとする一同に、頭の上からかぶさってくるようにフォーガスの声が響いてきた。

「逃げられると思ったか! 私の菌糸はすでに四方数十キロに広がっているのだ。もはや、この一帯の砂漠は私と一体となった。見よ!」

 その瞬間、彼らの目の前の砂丘が爆発したかと思うと、地底からキノコの塊がいびつに人型をとったような怪獣が現れて行く手を阻んできた。

 怪獣は全長五十六メートル、口の中に赤く光る単眼を持ち、両腕の鞭状になった菌糸を振りかざして襲ってくる。

「なんなのよこれは!?」

「ファハハ、驚いたか。ここまで巨大に成長した私なら、体の一部を変形させて分身を作るなどたやすい。つぶれて死ね、無力な生命よ」

 フォーガス・怪獣体は、両腕の触手を彼らに向かって容赦なく叩きつけてきた。

 ティファニアの頭上に迫った触手から、ロングビルが間一髪で彼女を助け出し、あおりを受けてエレオノールが吹き飛ばされる。

 先住の防御魔法『カウンター』でルクシャナと自分の身を守ろうとするビダーシャルも、重量だけで数千トンはある触手は防ぎきれない。

 その光景は、まるで蟻をつぶそうと追い回す幼児にも似て、無慈悲でかつ圧倒的であった。

 

 だが、いかに優れた頭脳を持った生命であろうと、暴力をもっての侵略は決して許されない。

 

「サイト、やるわよ」

「ああ、あいつは許さねえ」

 フォーガスの攻撃で、砂漠の砂が巻き上げられて周囲に立ち込め、視界を急速に奪っていく。

 どこからか、「ルイズ、どこなの!」というエレオノールの叫びが聞こえてくるけれど、今は見えないことこそ望ましい。

 才人とルイズは右手のリングをかざし、互いの意思がひとつであることを認め合った。

 そうだ、ハルケギニアもサハラも、あんな奴に渡してはいけない。この星は、この星に住むすべての生命のものなのだ。

 二つのリングがまばゆく輝き、二人はその光を手のひらとともにひとつに重ねた。

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 乾いた砂塵を吹き飛ばし、銀の巨人がここに立つ。

 エレオノールたちにとどめを刺そうとしていたフォーガスは大きく弾き飛ばされ、彼女たちは醜い怪物に代わって、雄雄しく砂漠に立つ光の戦士の背中を見た。

「ウルトラマン……エース!」

 風に消えていく砂埃のように、絶望が希望に変わりゆく。これまで幾たびとなく、ハルケギニアの危機を救ってくれた光の巨人。

 エレオノールとロングビルは自然と手を取り合い、ティファニアはスノーゴンとの戦いのときを思い出して、ピーターの腹にぐっと体をよせて息を呑む。

 そしてルクシャナとビダーシャルは、噂に聞き、はじめて目の当たりにする世界の救世主の勇姿に、生まれて目にしてきたあらゆるものと違う圧倒的な存在感を感じていた。

「あれが……ウルトラマン。すごい! それに、叔父さま、この感覚は」

「ああ、あれが現れたとたんに、怒りに狂っていた周辺の精霊たちが静まった……いったい、これは」

 人間には感知できない自然の"声"とでも言うべきものを感じ取ったエルフの二人は、その自然の意思の化身『精霊』がウルトラマンを祝福しているのを感じた。

 それは、ウルトラマンが純粋な光の化身であるからだ。かつて、人間と同じ姿をしていた光の国の住人は、自らの星の太陽が消滅したことにより、人工太陽プラズマスパークを作って、その光に含まれるディファレーター因子により超人としての力を得た。しかし彼らはその圧倒的な力におぼれることなく、全宇宙を破壊と暴力による支配から守るために命をかけてきた。

 その気高い魂によって救われてきた数多くの星の命の息吹がエースに宿り、時空を超えてもエースを守り続けている。

 だからこそ、かけがえのない命の息吹を、自らの欲のために犠牲にしようとしているものは許さない!

 

「シュワッ!」

 

 こぶしを握り、エースは吹き飛ばしたフォーガス・怪獣体を見据えた。奴はキノコの菌糸の変異体なので、動きは鈍重ですぐに反撃してくる様子はない。そして、怪獣体から怒りに震えたフォーガスの声が漏れてきた。

「おのれぇ。貴様がウルトラマンAか、余計なまねをしてくれて。貴様も、私の進化の邪魔をするつもりか」

「フォーガス、お前がいかに優れた生命であったとて、命を踏みにじる権利などは誰にもない! この星から出て行け」

「こざかしい。ならば貴様から倒すまでのことだ!」

 フォーガスは両腕の触手を伸ばしてエースを攻撃してきた。しかしエースはたじろぐことなく、体を大きく左にひねり、返す勢いを加えてフォーガスに向かって腕をL字に組んだ!

 

『メタリウム光線!』

 

 エース必殺の光線は、迫りきていた触手を爆砕し、そのまま威力を衰えさせずにフォーガスに直撃する。

 一瞬の硬直の後、フォーガスは木っ端微塵に吹き飛んで砂漠に破片を散らせた。

「やった!」

「あの巨体を一撃で。なんという力なんだ」

 エースの勝利に、エレオノールたちからは歓声が、ビダーシャルたちからは驚嘆の声が漏れる。

 しかし、あまりにもあっけなさすぎはしないか? 無限の進化を語っていたにしては、こうも簡単に倒されるとは……?

 勝利の美酒は、その当たり前の疑問を彼らの思考からわずかなあいだだけ消去させた。

「っ!? エース、後ろよ!」

 ロングビルの叫びがエースの耳に届き、振り向こうとしたときにはフォーガスの攻撃は成功していた。太い触手が首にからみつき、強力な力で締め上げてくる。

「ヌッ! ウォォッ!?」

 苦しみながら体ごと振り向いたとき、そこには倒したはずのフォーガスがいた。

 バカな! と思うまでもなく、その疑問の答えは示される。砂漠から、まるで枯れ木にキノコが増殖するようにフォーガスが二体目、三体目と出現してくるではないか。

「馬鹿め、私は数十キロ四方に広がる巨大な知性体だと言っただろう。お前は私の体の、ほんの一部分を破壊したにすぎんのだ」

 勝ち誇ったフォーガスの声が響き、触手に加わる力が強くなってくる。

 しまった。怪獣の派手な姿に幻惑されて、あれが奴の本体ではないということを忘れていた。あの怪獣体は、いわばタケノコのようなものだ。一本一本は独立しているように見えても、実際は地面の下の地下茎というものでつながっていて、地上のタケノコをいくら掘り返しても後から後から生えてくる。

 フォーガスは自らの力の強大さを誇示するかのように、さらに三体の怪獣体を増やしてエースを包囲してくる。これで敵の数は六体にまで増えた。そのあまりの展開力に、エレオノールは愕然として叫ぶ。

「なんてことよ! これじゃ、あいつは無尽蔵に怪獣を生み出せるってことじゃない」

「違うわよ。私たち全員が、もうあいつの体内に呑まれた獲物みたいなもの。これじゃ、いくらウルトラマンでも勝てっこないわ!」

 無限の敵を相手に勝つ手段などはない。生物の体内に入り込んだ異物が抗体に袋叩きにされるのにも似て、怪獣体は鈍重な動きを苦にせずに、腐肉に群がっていくハイエナのようにエースに向かっていく。

 このまま六体もの怪獣体に集中攻撃を受けたらエースとてひとたまりもない。脱出するなら今しかない、才人は叫んだ。

「エース、上だ! 地上で戦っても勝ち目はねえ!」

「ああ!」

 才人の声を受けて、エースは唯一フォーガスに侵食されていない空を見上げた。そして、首を拘束している触手を外すため、瞬間的に全身から高熱を放射した。

 

『ボディスパーク!』

 

 エースの全身が発光し、熱放射と同時に触手を引きちぎる。自由になったエースは砂漠の砂を蹴って飛び立った。

「ショワッチ!」

 飛翔したエースに向かって、怪獣体は触手を伸ばして追いかけてくる。しかし、兄弟最速の飛行能力を持つエースは触手の追撃を悠々とふりきると、安全な高度に達して空中に静止した。

 目の前にはアーハンブラの丘を完全に呑み込み、さらに巨大化を続けている巨大キノコが威容を誇っている。すでに、傘の半径はキロ単位に及び、エレオノールのいるあたりにも夜のような影が近づきつつある。

 少しも収まる気配のないフォーガスの成長速度は、この調子で奴の拡大を許せば一ヶ月も経たずに惑星すべてが呑まれてしまうだろうと予測するのは容易であった。奴を、今止めなければもうどんなことをしても止めることはできなくなる。

 エースだけでなく、才人とルイズも、この地上最大の怪獣……超巨大キノコへ向けて、全力の一撃を心をひとつにしてはなった。

『メタリウム光線!』

 並の怪獣なら跡形も残さず粉砕できるほどの破壊光線の奔流が、巨大キノコの幹の部分に突き刺さっていく。しかし、光線は表面をやや削り取ることはできたが、内部まで貫くことはできなかった。しかも傷つけた部分もすぐに新しい表皮に埋められてしまい、むだにエネルギーを消費させられたことに才人は歯噛みした。

「なんていう頑丈さなんだよ!」

「いや、攻撃の破壊速度よりも奴の成長速度が上回っているんだ。これでは、文字通り焼け石に水だ!」

 エースも打つ手が見つからず、点滅をはじめたカラータイマーに焦燥を覚え始めていた。不死身に近い生命力を持つ怪獣ならば、ウルトラ兄弟が戦ってきた相手の中にも数多くいたし、このハルケギニアに来てからも、前回戦ったマグニアのような相手もいた。しかしこいつはこれまでの敵にはいなかったタイプだ。巨大化という、もっともシンプルだがそれゆえに強力な方法で攻めてくる。

 そのとき、またもフォーガスの声が今度は砂漠全体に広がるほどに響いた。

「さすがの貴様も策に窮したようだな。ウルトラマンA、ここがもっと文明の発達した惑星であったならば、じっくりと菌糸を伸ばしてネットワークから乗っ取っていくところだが、そんなものはないこの星であれば、自己増殖のみに集中することができた。私はすでにこの惑星上において最大の生命体となった。いまや、貴様は象に挑む蟻にも劣る。まだ抵抗するつもりか?」

「ぬぅ……」

「ふははは。だが、私はこの宇宙で比類なき進化を遂げた君たち種族に大いに興味がある。どうだ? 進化の可能性の尽きたこんな星の生命など見限って、私につかないか?」

「なんだと!」

「この星の生命に、もはや進化の見込みなどないことは彼らの歴史が証明している。六千年もの時間を要しながら、なんらの文明の進歩もなく、宇宙へ出て行くすべすら持たない連中なぞ、存在する価値などない。さあ、お前は"奴"よりは利口だと思うが、返答はどうする?」

 自らを上位者だと信じて疑わない傲慢な要求だった。エレオノールたち人間も、ビダーシャルたちエルフも、身分や種族、または成績や才能の差で差別されることはあっても、生命としてここまで見下されたことはない。しかも、フォーガスの言っていることは一面では真実だと認めざるを得ない。

 六千年間、なんらの進歩のない世界。いくたびとなく襲来する、想像を絶した技術を誇る侵略者たちの残したものを見れば、おのずと自分たちが取り残されているということを痛感させられる。エレオノールやルクシャナは、かつてトリスタニアを襲撃し、回収されたロボット怪獣メカギラスやナースの残骸を検分するたびに、次元を超えた超テクノロジーの存在に震えを感じ、自らのいかなる技術を持ってしても作り出すことのかなわないそれに、劣等感を覚えさせられるのだ。

 そんな自分たちを、なぜウルトラマンは守ってくれるのだ。彼女たちは息を呑んで、エースの言葉を待った。

「断る」

「愚かな。貴様たちは、この宇宙でも比類なき進化を遂げた種族であるのに、なぜその力を無益なことに使おうとする? さらなる進化を追及し続けるのが生命の本能。その本能すらも忘れた生命になんの守る価値があるというのだ?」

「フォーガス、ただひたすら進歩を目指すだけが進化ではない。お前のやろうとしていることは宇宙の調和を乱し、最後には自らをも食い尽くして自滅へと突き進む、歪んだ進化だ。そんな過ちに、手を貸すわけにはいかない」

 それはエースが、地球人北斗星司として生きてきたときに学んだことであった。

 エースが地球に滞在していた西暦一九七十年代は、日本は高度経済成長の中でひたすらに進歩を求めてきた。

 山を切り開き、海を埋め立て、高度な技術で作り上げられた製品は人々の生活を格段に豊かにした。

 しかし、その代償に人間たちは心の豊かさを失い、自然を破壊し、公害で自らをも蝕んだ。

 ザンボラー、テロチルス、ムルチ、サウンドギラー、カイテイガガン、グロブスク。自然破壊が呼び、公害が育んだ怪獣は数多い。

 後年、ようやく見境のない発展が地球を破滅へ追いやることを知った人類は、自然保護に努めたが、それまでに奪われた命は数知れない。

「宇宙は、この星は、お前だけのためにあるわけではない。まして、人間でもエルフだけのものでもない。この星の生命すべてに平等に生きる権利があるんだ。もう一度言う。どんな理由があろうと、お前にこの星を自由にする権利などはない!」

「ならば、なぜ人間やエルフなどに味方する? この星にいるだけで、知的生命としてはなんらの存在価値もないではないか!」

 フォーガスの問いに、エースはすぐに答えようとはせずに、一度地上にいる人間とエルフ、ふたつの種族を見つめた。

 

「彼らは決して進化を放棄しているわけではない。確かにお前の言うとおり、彼らの文明は未成熟かもしれない。しかし、彼らはそんな世界においても、毎日を悩み、苦しみながら、それでも明日を生きようと懸命に努力している。誰かを守るために戦い、自らを投げ打っても愛するものを救おうとする美しい心を育てている。そして今、憎むべき敵であったはずのふたつの種族は同じ大地に立っている。彼らは、エルフと人間は決して相容れないものではないことを証明した……憎しみや恐れを捨てて、異種族との共存の可能性を見せてくれた。それもまた進化だ。進化とは、心の成長、精神を美しくしていくことでもあるんだ!」

 

 ウルトラマンAは、フォーガスの求める進化とはまったく別の形での進化の姿を提示した。

 それは、形のある進化ではなく内面の変化。そう、生命はそれ単独で存在しているわけではないのだ。

 生きるために戦うことはある。しかし、生きるために助け合うこともある。他者を傷つけ、排除するのではなく、ともに生きること。

 人と動物はなにが違うのか。それは自らと異なるものを仲間として受け入れられること。心とは、そのためにある。

 宇宙には、高度な文明を発達させたが、超兵器開発のやりすぎで自らの星を滅ぼしてしまったメシエ星雲人や、怠惰な生活を続けたせいで使役していたロボットに反乱を起こされて滅ぼされたファンタス星人など、心の進化を置き去りにして自滅した星がいくつもある。

「進化とは、ただやみくもに文明を高度にしていくことではない。文明とはしょせん道具にすぎず、しかも諸刃の剣でもある。扱うものに心がなければ、たやすく持ち主に牙をむく。この星の人々には、お前にはない他者を慈しむ優しい心がある。それがなによりも大事なんだ!」

 エースのその言葉に、才人とルイズ、ロングビル、ティファニア、エレオノール、そしてビダーシャルとルクシャナは、ウルトラマンが見せかけだけの進化を人々にもとめていないことをおぼろげに悟った。

 いくら文明を発達させようと、花を美しいと思えなかったり、道端で泣いている子供の前を通り過ぎられるような人間は人間といえるのか。

 しかし、あくまで物質的な進化を求めるフォーガスはエースの願いを一蹴する。

「くだらん! 生命は常に弱肉強食。より進化したものが遅れたものを滅ぼし繁栄する。それが宇宙の真理だ」

「それは違う! 心を持つものが持たないものと異なる理由は、互いを理解し共存するためだ。私は信じる。この星に生きるものたちの心に宿る光を、明日を切り開いていく無限の可能性を!」

「なにを言ったところで、虫けらのように這い回って空を見上げるだけのそいつらには何もできん。死ね!」

 巨大キノコから触手が伸び、エースを串刺しにしようと襲ってくる。だが、そんなものにやられはしないと、エースは高速で回避する。

「シュワッ!」

 砂漠から、または巨大キノコから次々に触手が槍のように襲ってくる。エースは、かつて神戸で戦った究極超獣Uキラーザウルス・ネオとの戦いを思い出した。あのときも、無数の触手を伸ばして襲ってくるUキラーザウルスに対して、兄弟は壮絶な空中戦を演じて、エースもウルトラギロチンで数本の触手を切断している。

〔変幻自在のUキラーザウルスの攻撃に比べれば、このぐらいはなんということはない〕

〔でもエース、避けてばかりいても、なんとかしないとすぐにやられちゃうわよ〕

 ルイズの危惧ももっともだった。エースのエネルギー残量はメタリウム光線を二発撃ったためにかなり減少している。なにか、フォーガス攻略の決定的な糸口を早期に見つけなければ、エースの力はあっというまになくなる。

 だがエースは悲観してはいなかった。彼は一人で戦っているわけではないからだ。

 

 そのころ、地上ではエレオノールやルクシャナが必死に状況を打開する手段を模索していた。

「あいつめ、私たちをとことんバカにしてくれちゃって。見てなさいよ、人間の知恵がキノコに負けてなるものですか」

 フォーガスの意識がウルトラマンAへと向かっているため、幸運にもエレオノールたちは攻撃を受けることもなく安全でいられていた。しかしそれも一時だ。エースがやられれば、自分たちも一瞬で始末される。そうならないためには、なんとかしてフォーガスの弱点をエースに伝えなければならない。

 が、しかし。もはや数十キロの巨大さにも拡大した化け物に弱点などあるのだろうか? いや、この世に完璧などはない。奴にだってなにか弱みがあるはずだ。キノコの弱点……そうはいっても、キノコのことなんていくら優れた学者であるエレオノールやルクシャナでも専門外だ。

 ところが、ヒントは意外なところからやってきた。それまでずっと無言で戦いを見守ってきたティファニアが、おずおずとながら話しかけてきたのだ。

「あの、ちょっとよろしいですか? 変に思うことがあるんです」

「なに? もうこの際なんでもいいわ、言ってみなさい」

「えぅ、じ、実はわたしずっと森の中で過ごしてきて、よく森でキノコを採ったりするんですけど、それで」

「なに!? 時間がないんだから手短に言いなさい!」

 いらだったエレオノールに、ティファニアは「ひぅっ」とおびえながらも勇気を振り絞った。

「だ、だからおかしいんです。キノコは暗くて湿気の多いじめじめしたところに生えるのに、こんな明るくて乾いたところに生えるなんて」

 言い切ったティファニアは、怒鳴りつけられると思って、とっさに頭を抱えて目をつぶった。ところが、彼女の頭上にかかってきたのは、それとはまったく真逆の言葉だった。

「そうか! それよ。ルクシャナ、あなたも気づいたわね?」

「当然。だからあいつは無制限に巨大化できたのね。テファちゃんだっけ、お手柄よあなた」

「えっ? へっ、へぅぅ」

 二人は、手放しにほめられて唖然としているティファニアの頭をやや乱暴になでると、彼女の後ろにいるピーターを見た。

「キノコだけじゃなくて、植物が生育するには大量の水が必要。まして、あのサイズになるためには何百万トンという水量が必要となるはず」

「それを、この砂漠の真ん中で補給する方法はひとつしかないわ」

 正確にはキノコは植物ではなく菌類だが基本は同じだ。そう、もともと海洋生物であったピーターがここまで来られるくらいに長大かつ広大に伸びた地下の水脈、アーハンブラ城はそこと直結していた。奴はその無尽蔵の水源まで菌糸を伸ばして水分を得ているのだ。でなければ、この砂漠の乾燥と高温にはとても耐えられず、あっというまに干からびてしまうだろう。

 奴の成長を止めるには、水分の補給を絶つ以外に方法はない。二人はそう結論づけた。むろん、ビダーシャルは、どうやってそんなことができるのだと、机上の空論をとがめてくる。だが二人ともそんなことは百も承知だ。たとえ、人間やエルフにできなくとも、あるいは彼ならば。

 

「ウルトラマンA! そいつは地下の水脈まで根を張ってるのよ! 地上の部分をいくら攻撃しても無駄だわ。地底の水源から断ち切れば、そいつは自分を支えきれなくなって枯れてしまうわ!」

 

 ルクシャナの風魔法で増幅されたエレオノールの声が、上空のエースの耳に届く。

「そうか!」

 エースもすぐに合点した。かつてタロウが戦ったきのこ怪獣マシュラも、成長のために大量の水を欲したという。多湿の日本でさえそれなのだから、奴はただ立っているだけでも膨大な水分を蒸発により失っていくはずだ。

 狙うは地底。地上の巨大キノコはあくまで奴の一部に過ぎない。

 エースは地上のエレオノールたちに向かってうなずき、了解したことを伝えると、空中に静止した。

「ヘヤッ!」

 直立姿勢で止まり、腕を胸の前で交差させたエースはそのまま体をコマのように急速に回転させ始めた。そこへ、フォーガスはかっこうの標的とばかりに触手を突き出してくる。しかし高速回転に入ったエースはそれを弾き飛ばし、急速に落下すると、砂漠に突き刺さって砂中へと潜っていくではないか!

『エースドリル!』

 自らを巨大な掘削用ドリルに変えたエースは、地上に大量の砂塵を残すとさらに沈降していく。

 あっというまに柔らかい砂の層を突破し、礫層、岩盤層へと突入する。硬く侵入を拒むそこを貫通すると、突然抵抗がなくなって温度が急激に低下した。

 

「これは……地底湖か」

 

 見渡す限り、とてつもない広さの地底の湖がそこに広がっていた。

 高さは推定二百メートル以上、はては見えずに、どこまでも澄んだ水のみが広がっている。砂漠に染み込んだ水を、気の遠くなるような時間をかけて溜め込んできたであろうその水量は、何兆トンに達するのか想像もできない。天井からはフォーガスの根が無数に垂れ下がって、とめどなく水分を吸収しているけれど、これから見れば涙の一滴に過ぎないだろう。

「自然ってのは、とんでもないものを作り出すもんだな」

「ええ……」

 才人とルイズも、地底湖のあまりの雄大さには恐れ入るしかない。そうだ、人間の知っている自然の姿などは氷山の一角に過ぎないのだ。幼稚な人知を超越した大自然の驚異。フォーガスも、しょせんその恩恵にすがり付いているに過ぎない。この地底湖と奴を切り離せば地上のフォーガスは勝手に自滅する。だが、無数に伸びている根を切っていったところで、奴はすぐに再生させるだけだ。

 

 ならば、この地底湖の水を、奴が吸収できないものに変えてやる!

 

「いくぞフォーガス、お前と私、どちらが我慢強いか勝負だ!」

 

 その瞬間、エースは全身のエネルギーをすべて熱に変換し、地底湖の水に向けて放射した。

『ボディスパーク・最大出力!!』

 一瞬にしてエースの周辺の水が沸騰し、周りの水も熱湯へと変わっていく。

 そのあまりの熱量に、フォーガスの根もしおれ始めた。

「どうだ! 摂氏百度以上の高温水。吸えるものなら吸ってみろ!」

「おのれぇっ! やめろ、やめろぉ!」

 フォーガスの悲鳴が響き、エースは地底湖を焼き尽くさんばかりにエネルギーを放射する。

 果たして、エースのエネルギーが尽きるのが先か、それともフォーガスが耐え切れなくなるのが先か。

 今、互いの命と惑星の存亡をかけて、史上最大の持久レースがスタートした。

 

 

 続く



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第48話  さらば、古の古戦場よ

 第48話

 さらば、古の古戦場よ

 

 深海怪獣 ピーター

 菌糸怪獣 フォーガス 登場!

 

 

 アーハンブラ城を跡形もなく呑み込み、巨大キノコはとうとう全高一千メートルにまで成長を果たした。

 その威容は文字通り天に届き、人類が作り上げたいかなる構造物よりも高く、巨大であることを誇る。

 砂漠に浮かぶ、生きた要塞。そこに近づく愚か者は、何万何十万の大軍であろうと、ひとひねりに死の制裁を与えられるに違いない。

 だがまだ勝負はついていない。この星には、まだ我らのウルトラマンAが残っている!

 大地に深く根を張り、一都市をも飲み込めるほどに巨大化したフォーガスに対し、エースは捨て身の作戦に打って出た。

 

「フォーガス、これ以上この星をお前の身勝手な進化のための道具にはさせない。お前が菌類から進化した生命体だというのなら、大量の水がなくては生きていけないだろう。この地底湖から追い出してやる!」

 

 熱エネルギー放出の必殺技・『ボディスパーク』で、エースはフォーガスが根を張る地底湖に高熱を叩きこんだ。

 外部からの攻撃が一切通じないほど強大化したフォーガスを倒すためには、エネルギー源となる水源から切り離すのみだ。莫大な水量を誇る地底湖から奴を追い出すには、湖の水そのものをフォーガスが吸収できないように変えるしかない。だがそれは、エース自身の命をも削りかねない捨て身の賭けでもある。

「おのれぇ、地底湖の水を自らのエネルギーで沸騰させるとは恐ろしい奴。しかし、それほどの熱量を放出し続けては貴様のエネルギーも長くは持つまい」

「確かに、私のパワーは残り少ない。だが! 私は絶対にお前には負けない。私の肩には、この星の何億という生き物たちの命がかかっているんだ!」

 ボディスパークは、かつて雪男超獣フブギララに冷凍にされかけたとき、一瞬で凍結を解除したほどの熱量を発生させられる。しかし、地底湖の水量は膨大で、フォーガスが根を張っている近辺だけでも何十万トンとある。それでも、光の戦士としての使命と、この美しい星と人々への愛を力に変えてエースは燃える。体を燃やし、心を燃やし、ルイズや才人もエースを支えてともに燃える。

「わたしの生まれ育った国を、あんたなんかのエサにさせてたまるもんですか!」

「おれだって、この世界は好きになったんだ。ルイズに負けてられっか! エース、おれの力も使ってくれ!」

 二人も、自分たちの双肩に世界の命運がかかっていることを知っている。自分の生命力がエースの力になるなら安い代償だ。

 あとでめちゃくちゃ疲れるかもしれないが、そんなものぐっすり眠ればすむことだ。

 ボディスパークの超高熱で地底湖の水を沸きあがらせようとするエースの攻撃で、地底湖へ血を吸うように延びてきていたフォーガスの根がしおれはじめてくる。だが、フォーガスもその高熱に耐えようと根の密度を増して、なお地底湖の水分を吸い上げようと試みる。

 世界の救済か破滅か、更なる進化か枯死か、互いはそれぞれの存在をかけて戦った。

 

 そして、地下深くでの死闘は地上にも影響を与え始めていた。

「きゃっ! な、なに地震!?」

「違う。地下でウルトラマンとフォーガスが戦ってるんだ。ルクシャナ、近くだったら精霊の力も少しは効く。蛮人たちを捕まえていろ、崩れる砂丘に飲まれたら終わりだぞ!」

「わ、わかったわ!」

 ビダーシャルとルクシャナは、まだ大半がフォーガスの支配下に置かれている地から、なんとか力を引き出して、自分たちの周りの砂が流されないように固定した。

 砂漠は地の底からの振動によって激しくうねっている。砂は流れて脈動し、流砂が波打つ砂漠はまるで海のようだ。

「わぁぁーっ! ちょ、ルクシャナこれ大丈夫なの?」

 暴れ馬の背に乗っているような感覚に、ルクシャナにしがみついているエレオノールは思わず彼女の耳元で悲鳴をあげた。

「うるさーいっ! 私だって必死なのよ。二人も抱えて流砂の上でバランスをとるなんてはじめてなんだから」

「恐れ入ります。だから、絶対に離さないでくださいね!」

 ロングビルも、ルクシャナから離されれば永遠に死体すらあがらないことを理解しているので必死にしがみつく。エレオノールにしても、自分の『フライ』だけでは一人分も重量を支えられないから、恥を放り出してルクシャナに頼るしかない。

 なお、ティファニアはビダーシャルに守られている。ティファニアは、つい先ほどまで自分の心を奪おうとしていた相手に、複雑な思いがないわけではない。それでも、あまり愉快な思い出はないとはいえ、しばらくともに過ごして、彼が無愛想であっても誠実な人であると思っている。

「しっかり掴まっていろ。手を離したら命の保障はしない」

「は、はいぃ」

 目をつぶって恐怖に耐えながら、ティファニアは「この人は信じられる」「この人は守ってくれる」と自分に言い聞かせ続けた。エルフに対して揺らいだ自分の憧れと信頼。でも、才人やルイズたちはエルフと人間とだってわかりあえるということを教えてくれた。なら、わたしももう一度エルフを信じてみよう。

 

 だが、砂漠の激震はさらに大きくなり、まるで台風の海の上のように悪化していく。精霊の力のコントロールもしだいに利かなくなっていき、二人のエルフの力をもってしてもついに限界が訪れた。

「叔父さま。も、もうだめっ!」

「ルクシャナ! くそっ、こんなところで」

 先住魔法が解除され、ルクシャナたちは流砂の中に放り出された。

 悲鳴をあげるまもなく、液体同様となった砂はあっというまに五人を飲み込んで沈めていく。もがいても、もがくだけ早く沈んでいくだけで役に立たない。

 あっというまに首まで砂に埋まり、口元、目元まで砂が押し寄せてくる。

「死ぬっ!」

 もはやこれまでかっ! 誰もが絶望したそのときだった。

 突然、無重力感を味わっていた足に重さの感覚が戻り、そのまま押し上げられるような圧迫感を感じた。

 錯覚ではない証拠に、視界のはしまで来ていた砂がだんだん下のほうに離れていき、体や手足が砂の上に出てくる。

「なに? どうなってるの……」

 砂海の中にいきなり地面が現れたような出来事に、ロングビルは呆然と言葉を漏らした。

 見ると、引いていく砂の中からエレオノールやビダーシャルたちも現れる。彼らも多少砂を吸い込んでむせているだけで、命に別状はなさそうだ。

 そして、完全に引いた砂の中から現れたゴツゴツとした地面。いや、うろこで覆われた皮膚を持ち、その大きな背中に自分たちを乗せている生き物が姿を見せたとき、ティファニアは満面の笑みに顔を染めて、才人から教えられた名を呼んでいた。

「ピーター! あなたが助けてくれたのね」

 なんと、砂の中から現れたのは、ティファニアがかわいがっていた、あのピーターだった。流砂がはじまったときに離れ離れになってしまって、もうだめかと思っていたが、砂の中を泳いで無事だったのか。しかも砂漠の直射日光を浴びたせいで全長が二十メートルを超えるくらいにまで巨大化している。

 一同を乗せたピーターは、アーハンブラ城、すなわちフォーガスから離れるように泳ぎだした。その体格によって増大した浮力で、流砂の上をたくみに泳ぐさまはまるで船のようである。ルクシャナは、砂を全身からこぼしながらピーターの上で小躍りした。

「すっごいわ。砂の中を泳げるなんて。こんなことアリィーのシャッラールだって無理よ。世の中には、まだまだいろんな生き物がいるのね」

 好奇心の塊のような彼女には、こんな状況でも楽しく映るらしい。しかし、事象におびえて調べることをしなければ、発展も進歩もありはしない。ルクシャナは、たとえ人からなんと言われようとも、思うままに一直線に突き進んでここまできた。そうして、誰もたどりつくことのできなかった数多くの発見と、未知の知識を得る喜びを得つつある。可能性とは勇気を持って自分の道を切り開くこと、よりよき未来、すなわち進化はそこにある。

 このピーターだってそうだ。本来海洋生物であったピーターは、砂漠に住める体はしていない。にもかかわらず、流砂に巻き込まれて、生命の危機に瀕したことで砂中を泳ぐ術を身につけてしまった。こういった例は、低地の草地を食物としていた動物が、干ばつなどで草地がなくなってしまったとき、それまで一切できなかった木登りをし始めることなどいくつも実例がある。生き物には元々、生き延びるために自らを変えていく機能が備わっているのだ。

 生物はこうして、何度も訪れた大絶滅の危機を乗り越えてきた。困難に直面したとき、自らを鍛え上げて乗り越えていくこと。これもまた進化だ。進化とは、こうして一歩ずつゆっくりと、あるときは痛みに耐えながらおこなわれていくものだ。

 急ぐ必要はない。急がなくとも、自然は必要なときになったら進化を促してくれるし、生き物にはそれに対応する力がある。

 しかし、自然に従わない人為的な急激な進化はひずみを呼び、多くの命を危険にさらす。自然を征服せんものとして破壊を繰り返し、地球を滅ぼしかけた、うぬぼれたかつての人類のように。まして、自分ひとりのために多くの命を生贄にしようと企むフォーガスの進化は絶対に認めるわけにはいかない。

 砂漠の揺れはさらに激しくなり、地中から柱のようにフォーガスの菌糸が飛び出してくる。一本でも軽くピーターを串刺しにできそうなくらい巨大さだ。エレオノールはひやりとしながら、眼鏡についた砂を拭き取っているロングビルに言った。

「フォーガスが苦しんでるのね。地底で、ウルトラマンがフォーガスの水源を攻撃しているに違いないわ」

「でしょうね。でなかったら、ここまで巨大化したやつが苦しむ理由がないわ」

「ええ、直接見るのはこれで何度目かになるけど、すさまじい力の持ち主よね……お願い、勝って。ウルトラマンA」

 エースは何度だって奇跡を起こしてきた。今度だって、きっと彼は勝ってくれる。始祖ブリミル、どうかウルトラマンAに加護を。

 エレオノールは、心の中でかつてハルケギニアを救うために命をかけた、ひとりの”人間”に対して心から祈った。

 そして同時に、はぐれてしまったルイズの無事も願った。本来ならば、この状況で生きているとはとても思えないけれど、虚無の力の継承者に選ばれた運命を持つあの子が、こんな簡単に命運が尽きるとは思えない。必ず帰ってきてよ。あなたの干からびた体をお母さまやカトレアのもとに持って帰るなど冗談ではない。

 ただ、もう片方のほうはどうでもいい。むしろサソリのエサになれとエレオノールはけっこうひどいことを思った。

 祈りが人知を超えたものに届くかどうか、確かめる術はない。けれど、人事を尽くしたあとの人間にできることは祈ることしかない。

「彼は必ず勝つわよ。私たちの未来が、こんなところで途切れてたまるものですか」

 眼鏡をかけなおし、ロングビルはピーターの頭にしがみついているティファニアを見てつぶやいた。

 こんな生き物を友達にしてしまうとは驚いた子だ。でも、彼女がピーターと仲良くなってなければ、今ごろは全員砂の底でミイラになっているだろう。助けに来たつもりが逆に助けられてしまうとはふがいない。私はいつもそうだ。

 彼女の胸中には、以前ホタルンガから助けられたときの記憶が蘇っている。あのときも、死に瀕した私はウルトラマンAやおせっかいな連中に助けられている。一人で生きて、なんでもできると思っても、肝心なときにはいつも誰かに助けられてばかりだ。

 でも、それでいいのかもしれないとも思うようになってきた。人間ひとりの力なぞ、しょせんそんなものだ。誰かに頼るのは恥ずべきことではない。私は私にできることを精一杯やりつくした。だから、私たちの未来はあなたに託す、ウルトラマンA!

 

 未来を望む人間たちの思いを受けて、エースは限界を超えて戦い続ける。

「なぜだ! なぜそこまでエネルギーを放射して力尽きないのだ!?」

「言ったはずだ。私にはこの星の命運がかかっている。そして私には、お前にはない仲間の支えがある。それがある限り限界なんてありはしない!」

 地底湖の水が水蒸気爆発を起こしそうなくらいに煮えたぎる。地底の巨大な圧力に封印されて、気体に変わることのできない高温の水が対流を起こして、地底湖は火にかけられた卵の中身のように荒れ狂った。

 天井の岩がはがれてどこか遠くへ流されていき、フォーガスの根も次々と千切れ飛ぶ。

 もはや、フォーガスが地底湖から水を吸い上げることは不可能になっていた。そして、水源を絶たれたことによって地上のフォーガスにも影響が出始めた。

「見て、お化けキノコが枯れていくわ!」

 ピーターの頭からティファニアが叫んだ。全長一キロにも達していた巨大キノコの傘がしぼんでいき、しおれてどんどん低くなっていく。明らかに、水分の欠乏を起こしている症状だ。砂漠では、何もしなくても空気中に水分は蒸発し続けていき、人間でも水分補給をしなければほんの数時間で脱水症状を起こして死に至る。まして、ここまで巨大化したフォーガスは表面積も広大であるから奪われていく水分も膨大だ。

 そして、フォーガスがこうなったということは原因は一つしかない。真っ先に合点したエレオノールが興奮して叫んだ。

「ウルトラマンAが、フォーガスの水源を破壊したに違いないわ。見なさいよあいつのざま、まるで塩をかけられたナメクジじゃないの」

「ミス・エレオノール、その発言は淑女としてどうかと思いますけれど?」

 平気でナメクジとか言う淑女は社交界にはいないだろう。ロングビルは忠告したけれど、内心は彼女にほぼ同意していた。ものには時と場合があり、始終礼儀正しくしていても仕方がない。もっとも、ルクシャナのように公も私もまったく態度を改める気のないのも困ったものなのであるが。

「完全に吸い上げる水と、失われていく水のバランスが崩れてるわ。これならいける、いけるわよ!」

 すでに勝利を確信してはしゃぐ彼女は、まるで子供のようだ。ビダーシャルは平静を装っているように見えるが、ティファニアがちらりと横顔を見たところ、なにやら悩んでいるように見えなくもなかった。たぶん姪の将来を心配しているのだろう。

 

 気がつけば、砂漠の揺れも収まってピーターも砂の上に上がっている。どうやら、地底に広がっていたフォーガスの菌糸も力を失ったようだ。ならば、残るはあのデカブツのみ!

 しかし、大きくしおれたといっても巨大キノコはまだその巨体の威容を残している。巨体を活かして内部に水分を溜め込んで持久戦に持ち込まれたら、いわば種が残るようなものなのでいずれ奴は復活できるだろう。

 あと一発、駄目押しの一撃がほしい。

 その瞬間、砂漠が爆発して銀色の影が地中から飛び出した。

「ウルトラマンA!」

 地底から姿を現したエースの無事な姿を目の当たりにしたとき、歓声に近い声が一同の間から響いた。

 すでにカラータイマーは高速で点滅し、エース自身も大きく消耗しているのがわかる。だが、エースは疲労を感じさせないくらい力強く飛び、フォーガスの頭上に静止すると右手を高く上げた。

「ヘヤッ!」

 エースは右手の人差し指と中指を立てた。その指の間に白い閃光がきらめき、強烈無比な熱光線が放たれる。

『ドライスパーク!』

 砂漠の日光さえ陽気に感じられるような熱射が巨大キノコを照らし出す。かつて河童超獣キングカッパーの頭上の皿を干上がらせた乾燥光線が、フォーガスに残った最後の水分をも絞り出していく。

 巨大キノコは見る見る小さくなり、とうとう傘が砂漠に崩れ落ちて砂煙をあげた。

「やったわ!」

 もうフォーガスには水分は残っていまい。ここまで完全に乾燥させられたら、細胞が破壊されてしまうから再度水分を得たとしても再生は不可能だ。この星を取り込もうと画策したフォーガスの野望は、この星自身の自然によって打ち砕かれた。

 だがそのとき、朽ち果てようとしている巨大キノコの内部から十数メートルの大きさのクラゲ状の物体が飛び出した。そいつは悲鳴のような音をあげながら、一直線に空の上へと飛んでいく。

 もしかして、あれは。目の前を通り過ぎていったものの正体に思い当たったルイズは、とっさに叫んだ。

〔追って! 今のがフォーガスの本体よ!〕

〔よし!〕

 逃げていくフォーガスを追ってエースは飛んだ。あっという間に成層圏を突破して、空の色が青から黒に変わっていく。

 奴め、宇宙まで逃げていくつもりか。エースは追いすがるが、すでに大量のエネルギーを消費しているために徐々に離されていく。

 追いつけない。そう思ったとき、エースにフォーガスがテレパシーで語りかけてきた。

〔ウルトラマンA、今回は私の負けだ。だが、私はまだあきらめたわけではない。宇宙のどこかで今度こそ惑星を、いや星系ごと同化するほどの進化を成し遂げて、いつの日かこの星も吸収するために戻ってきてやる!〕

 その瞬間、力が失われかけていたエースの全身にかっと炎が宿った。

 

「ふざけるな!」

 

 まだ宇宙のどこかの星を自分の欲のための犠牲にするつもりか。これで、わずかでも見逃してやろうと思っていたのも消えた。どこの星に行こうとも、破壊と不幸を撒き散らすこいつを逃すわけにはいかない。

 エース、才人、ルイズの心が一つとなる。

 高空に達したことで太陽光が強くなり、瞬間的にエネルギーを吸収したエースの体が強く発光した。

 

”太陽よ、ありがとう……お前が与えてくれたこの力で、お前の子供であるこの星は守ってみせる”

 

 意識を集中したエースは、エネルギーを解放して空間を歪めた。光速を超え、一瞬のうちにフォーガスの前へとテレポートする!

『瞬間移動能力!』

 かつて危機に瀕したGUYSを救うために、地球から月まで移動したこの技ならば、わずかな距離のテレポートなど造作もない。

 逃げ場を失ったフォーガスの前に立ちふさがったエースは、一切の容赦を捨てて宣告した。

「フォーガス、私はこの宇宙に生きるすべての生命の自由と幸福を守る。この宇宙から去れ!」

「まっ、待て!」

 今さら命乞いをしても遅い。改心するのならばいくらでもチャンスはあった。それを放棄して、あくまでも侵略をあきらめないのであれば、もはや是非もない。

 エースは心を鬼にして、最後のエネルギーを怒りとともに撃ち出した。

『メタリウム光線!』

 至近距離からの一撃が寸分の狂いもなく命中し、フォーガスの細胞を破壊していく。宇宙空間では炎は燃えないが、代わりに余剰のエネルギーが膨れ上がってフォーガスを包み込んで逃がさない。

 そして、もう二度とフォーガスが蘇らないように、どこの星も歪んだ進化の犠牲とならないように、フォーガスはその細胞のすべてを完全に焼き尽くされて爆発した。

「やったわ!」

「思い知ったか!」

 燃え上がる炎に照らされて、エースの中でルイズと才人はともに歓声をあげた。

 フォーガスの最期、もはや細胞片の一つも残らずに燃え尽きたフォーガスが復活することはないだろう。

 ただ、戦いが終わってみればフォーガスも哀れな奴だったとも思う。

 進化、より自分を高めていこうとすることは生命にとって重要なことだ。人間のみならず、生き物はみなそうやって過酷な自然と戦って強くなってきたし、そうしなければ滅びていた。奴は、その本能に誰よりも忠実であっただけ、奴にとってはこの星の生き物は、孤島や深海で何万年も同じ姿で生き続ける生きた化石のように見えたのかもしれない。

 しかし、やはりフォーガスのやり方は性急で自己中心的すぎていた。勝利に湧く二人に、エースは静かに告げた。

「二人とも、フォーガスは確かに悪だった。しかしこれから人間が……いや、人々の心の奥にはそれぞれ自分のために、他人を犠牲にしようとするフォーガスが住んでいる。それを覚えておいてほしい」

「え……?」

 才人とルイズは、思いがけないことを語るエースに言葉をすぐに返せなかった。

「金持ちになるために人を騙す。名誉、名声、地位、権力……ただがむしゃらにそれを目指して、あげく悪を働く人間も数多くいる。しかし、他者を省みずに、ただ欲望を満たすためだけにそれを手に入れたといても決して幸せはこない。それは人間を見下して、歪んだ進化を妄信したフォーガスとなんら変わらない」

「……」

 炎が消えうせ、フォーガスの灰が宇宙塵となって舞い散っていく。塵は、奴が我が物にしようとした星の周りを回り続けて、いずれは引力に引かれて地表に落ち、ただの土へと返るだろう。星と一体化しようとした奴にとっては皮肉だが、願いがかなったことになる。

 だが、人類も心を失って愚かな進化をたどれば、やがて滅びの道を歩み、宇宙に漂う塵として終わるだろう。

 未来は常に不確定。当然、不確定であることは滅びの未来の可能性もある。しかし、可能性はひとつではないことを、これまでに数多く学んでいたルイズは力強く言った。

「でも、わたしたちがいる限り、ここを絶対にそんなふうにはさせない。フォーガスがバカにしたハルケギニアのみんなだって、何度も絶対無理な戦いを乗り越えてきてる。それが進歩じゃないなんて、絶対に言わせないわ!」

 子が親を慕うように、生まれ故郷に誇りを持つ、ルイズが昔から持っていた気高さだ。ただ、昔と違うことは誇る対象がトリステインという漠然とした"国"から、人間、大地、空、そこにあるすべてのものに変わっていることだろう。

 振り返ると、眼下には青く輝く美しい惑星が広がっている。

 ルイズの故郷……いまだ名もなき惑星。地球によく似た、生命にあふれた水の惑星。

「この星空の向こうに、どんな優れた文明を持つ星があっても、一番きれいなのはわたしたちの星だわ。わたしたちは、ここに生まれた幸運に甘えないで、ここを守っていく努力をしなければいけない。そうでしょう?」

「そうだな。私も、君たちやこの星の人々の持つ心の光を信じていこう。ただし、これから先、もっと強い敵が現れてくるだろうけど、どんなに強くなりたいと望んでも、心あってこその力だということを決して忘れてはいけないよ」

 エースの言葉に、才人とルイズはそれぞれの言葉でうなずいた。

 この星の人々は、まだ自分たちが住んでいる星の名すら知らない。けれど、いずれはこの星にもこの星の誰かがふさわしい名前をつけるだろう。

「何回見ても、きれいな星だな」

 才人は、久しぶりに見る星の姿に、宝石の美しさなどはわからないけれど、心からその美しさに見とれてつぶやいた。

 惑星は以前と少しも変わらない姿でそこにあり、地上の騒乱などが嘘のように輝いている。

 だが、人の体の中で悪魔のがん細胞が静かに増殖するように、美しさの陰で星を滅ぼそうとする闇は確実に胎動しているのだ。

「帰ろう。みんなが待ってる」

「ええ」

 戦いは終わった。ウルトラマンAは再びハルケギニアの地に帰る。そこに待つ、次なる戦いに備えるために。

 

 

 フォーガスが引き起こした砂漠の異変はすでに収まり、流砂も消えた砂漠は平穏を取り戻していた。

「おーい、みんなー!」

「あっ! あの子たち。テファ、ちょっと止めて!」

 ピーターに乗って砂漠を後にしようとしていた一行と、才人とルイズは合流した。例によって、よく助かったわねと問われたり、たまたま流砂の外まで流されたのだとごまかしたりしたが、ともかく全員無事だったことが彼らを喜ばせた。砂まみれで顔や服がひどいことになっていても、ひどい怪我をしている者はひとりもいない。

 そして、戦いが終わった今、なにより喜ばしい現実が彼らの前に待っていた。

「まあ、なにはともあれ生きていてよかったわ。ルイズは」

「はいはい、どうせおれはお呼びじゃありませんよ」

「そ、そんなことないですよ。サイトさん、助けに来てくれてすごくうれしかったです」

 エレオノールの露骨な態度も、ティファニアのおかげで差し引きはプラスになった。

 そう、おれたちはティファニアを助け出せたのだ。その充実感が疲れを消し飛ばし、はるかに勝る満足を彼らに与えていた。

 アルビオンからここまでは数百リーグを超え、ハルケギニアを端から端まで来たに等しい大冒険だった。しかも、ガリア王国の王様を敵に回して、この世界最強の種族であるエルフを相手にして、さらわれたたった一人の人間を救い出すなど、普通は誰が考えても不可能だと思うだろう。

 その不可能を成し遂げた。喜ばないほうがどうかしている。

 ただし、少々問題も出てきたようである。才人は、ちらりとティファニアをじろじろと観察しているルクシャナを見た。

「あの、ルクシャナさん? あまりそんなにまじまじと見ないでください」

「そうはいかないのよ。ハーフエルフなんて希少なもの、これを逃したらまたいつお目にかかれるかわからないじゃない! 私はあなたに会いたくて、もういろいろと苦労してきたんだから。だからもっと調べさせてよ!」

「きゃっ! ちょっ、寄らないで、さわらないで!」

「だいじょーぶ、怖くないから、すぐ終わるから。ふーん、耳はエルフと同じだけど瞳の形は蛮人と同じなのね。それに……ここ! あなたすっごく大きいのね。これも混血のせい? ね? ね?」

「ひゃう! も、もまないで! いゃああぁ!」

 ティファニアの嬌声が後ろ頭に響いて、なにやらとんでもないことがおこなわれているようだが才人は見れない。振り向こうとしたならば、目の前のピンク色の鬼からなにをされるか知れたものではないからだ。

 代わりの止め役のはずのロングビルはといえば、疲れがどっと出たのか横たわってぐったりしている。エレオノールは、その方面に関しては驚くべきことにルイズ以下なので、表情からして声をかけられたものではない。殺される。

 ビダーシャルは、姪っ子の暴虐を押しとどめるべきなのだろうが静観している。いや、あれは止めても無駄だと思っているのに違いない。

 結論として、ティファニアにはしばらくルクシャナのおもちゃになってもらうより仕方ないようだ。しかしまあ、後ろからは相変わらず「どうしたらこんなに大きくなるの? ね? 作り物じゃないよね?」と、ティファニアのあそこの部分にこだわっているルクシャナの声が聞こえてくる。

「ハーフエルフの研究じゃなかったのかよ?」

 才人は、あぐらをかいて面杖をつきながら、ぽつりとつぶやいた。もちろん、ルクシャナに聞こえていないのは承知のうえ。というより、研究欲の塊に見えたルクシャナにも、そんなところにこだわる女の子らしい面があったのかと感心しているのだ。

 この旅のはじまりに、ルクシャナは才人に、自分のことが気に入らないなら私を観察してみろ、そう言った。だから観察してみたら、なんともこんなかわいいところもあったとは。いつの間にか、才人の中のルクシャナへの嫌悪は消えていた。

 

 やがて、砂漠をのしのしと歩くピーターの後ろへと、アーハンブラ城は小さくなっていく。城を覆っていた巨大キノコは風化して塵となっていき、呑み込まれていた丘の風景が戻ってくる。

 その破壊された惨状に、才人は街の人は大変だろうなとつぶやいた。けれどルイズは首を横に振る。

「大丈夫よ。城はあとかたもないし、町もひどく壊れてるけど、人間はそんなにやわじゃないわ。人が戻ってくれば、今度は町の再建のためにいろんな人が集まってくる。壊れた城だって、資材は高級なものだし見事な彫刻が施されたものもある。持って行って売り払おうとする商人はわんさかいるでしょうし、城の跡地にはまた誰かが家を建てる。そんなものよ」

「人間って、たくましいな」

 ここが交易地として価値があるなら、いつかアーハンブラはもっと栄える都市となって蘇るだろう。そして、もしも人間とエルフがはばかることなく手を取り合える日が来たとしたら、アーハンブラは軍事要塞ではなく、平和の象徴として歴史に名を残すだろう。ぜひそうあってほしいと願いつつ、才人たちは砂漠に蜃気楼のように消え行くアーハンブラに別れを告げた。

 

 

「では、私はここで行く。ルクシャナ、そのものたちの監視は任せたぞ」

「わかってますって。常時目を離したりしませんよ」

 砂漠の切れ目となっている森の端で、才人たちはビダーシャルと別れることにした。ジョゼフが虚無を悪用しようとしている以上、もはや奴の下には戻らない。彼はこのまま海へ向かい、隠している船を使って海路でいったんサハラに戻ることになる。帰還後は、ジョゼフとの契約が破談したことなどを報告することになっていた。

「シャイターンの末裔よ。今日はこれで引き上げる。しかし、もう一度警告するが、もしお前たちがシャイターンの門に近づこうとすれば、我々は全力でお前たちを打ち滅ぼすだろう」

「くどいわねあなたも。頼まれてもそんなものに興味なんかないわよ。それよりも、あなたこそ」

 釘を刺してくるビダーシャルに、ルイズはこっちから釘を刺し返した。ルイズとティファニア、二人の虚無の担い手のことがサハラに知られれば、大規模な刺客が送られてくる危険がある。特にティファニアはハーフエルフであるがゆえに、余計な憎悪の対象となりうる可能性が大きい。

「その心配はいらん。お前たちについては『依然不明』とだけ報告しておく。我々の中にも、やや過激な思想を持つ者もいるのでな。うかつに悪魔の末裔を見つけて放ってきた、などと報告したら私もどうなるかわからん。それは避けたいのでな」

「わかったわ。じゃ、道中気をつけてね」

「ん? あ、ああ」

 拍子抜けするほどあっさりと納得したルイズに、身構えていたビダーシャルのほうが虚を突かれてしまった。しかし、別にルイズに悪気があったり無用心だったりするわけではない。

「なに人を変なもの見るように眺めてるのよ。わたしはね、自分の言い出したことに責任持とうとしてるだけ。人間とエルフが敵同士じゃないって主張したのはわたし、だからわたしはあなたを信じる。それだけよ」

 ルイズの率直だが自信に満ちた言葉に、ビダーシャルはわずかに目を伏せるとゆっくりと答えた。

「自分の言うことに責任を持つ、か。簡単そうに見えて、なかなか実践できるものはいない。蛮人にしておくのが惜しい娘だな」

「ほめてもなにも出ないわよ。それと、あんたにはもうひとつ約束があるんでしょう? それも忘れないでよ」

「ああ、シャジャルのことは調べておく」

 ビダーシャルはそう言うとティファニアを見た。彼女は、相変わらず隙あらば観察してこようとしているルクシャナから隠れて、ロングビルの陰で様子を伺っていた。

 なお、ピーターは森に入ると外気温の低下で牛くらいの大きさまで小さくなって、さらにルクシャナの魔法で冷却されて、彼女の頭にちょいと乗っている。ティファニアは、母の名を聞くと恐る恐るビダーシャルの前に出てきて、ぺこりと頭を下げた。

「ビ、ビダーシャルさん。母のこと、どうかよろしくお願いします」

「約束は守る。どうも気になる名前でもあるしな。君こそ、私が言うのもなんだがルクシャナをよろしく頼む」

「あっはい! どうも、お世話になりました」

「……」

 どうもこの連中を相手には調子が狂うとビダーシャルは思う。薬をもろうとしていた相手に、お世話になりましたとは普通は言わない。それも嫌味ではなく本気で言っているのだから、なおさらである。だからこそ、ルクシャナとはよく合うわけかもしれない。

 適材適所というべきかと、ビダーシャルは内心嘆息した。

「やれやれ、これらのめぐり合わせも大いなる意思のたまものだとすれば、我もやっかいな運命を背負わされたものだな」

「こっちじゃ、そういうのを苦労性というんですよ」

「余計なお世話だ」

 はじめてビダーシャルがいらだたしげに言ったので、人間一同とプラスエルフ一人は揃って爆笑した。

「さあ、帰ろうぜ。行きより帰りが問題だ」

 才人が言って、一行はやってきたガリア王国の方角を見返した。

 残るは帰路、先に帰ったタバサやキュルケ、待ちわびているであろうウェストウッドの子供たちにも早くティファニアの無事を知らせてやりたい。

 しかし、帰路はジョゼフも軍勢を使って妨害してくるかもしれない。果たして突破がかなうか? それでも、帰るためにはやるしかない。

 

 だが、才人たちとビダーシャルが別れようとしたときだった。ふと、砂漠のほうを見たルイズが、空に奇妙なものを見つけた。

「ねぇみんな。あれ、なにかしら?」

「えっ?」

 ルイズの指した先を、一同は目を凝らして見た。なにか、空中に点のようなものが浮かんでいる。鳥……いや、近づいてくるにつれて、それが鳥よりもずっと大きいことがわかってきた。

「あれは、竜……空軍の竜騎兵だわ!」

 シルエットを確認したルクシャナが叫んで、才人たちは身構えた。さらにティファニアに上着をかぶせて、正体がばれないようにする。

 なぜエルフの軍隊がこんなところに? 理由はわからないが、ともかく虚無やティファニアのことを知られるのだけはまずい。

 ところが、さらに近づいてくるにつれて、その竜騎兵が尋常ではない様子なのが見えてきた。

「なんだ? えらくよたよた飛んでるぞ」

「よく見たら、背中のエルフもぐったりしてるし、あれ落ちるんじゃない?」

 はたして、才人とルイズの危惧したとおりになった。竜騎兵は砂漠を越えたことで力尽きたように森の上に落ちていく。このままでは、下手をすれば森の木に串刺しになってしまう。ビダーシャルは森の木の精霊に命じて、枝を伸ばして竜騎兵を受け止めさせ、一行は急いで不時着した竜騎兵に駆け寄った。

「おい、大丈夫か!? おい!」

 墜落した竜とエルフはまだ息があった。両方とも、ひどく消耗しているが傷はないところから、原因は疲労らしい。この砂漠を、休憩なしで真昼間に横断するとは無茶なやつだ。

 彼は若い男性の兵士で、人間に囲まれていることでいったん狂乱しかかったが、同族のエルフがいると知ってようやく落ち着いた。

「君は本国艦隊の、その所属標は第一艦隊のものだな。私は評議会議員のビダーシャルだ。どうして空軍のものが、こんな場所にいる?」

「おお……ビダーシャル殿……こ、こんな場所で会えるとはまさに奇跡。大いなる意思よ、感謝します」

 彼はかすれた声をようやく絞り出した。水筒の水を飲ませてやると、むせながら飲み込む。エルフの魔法は傷は癒せるが、疲労までは回復することはできない。ビダーシャルと才人たちは、彼が落ち着くまで待つと、あらためて問い直した。

「どうやら、私に用件があるようだが、なぜ空軍の竜騎兵が危険を冒してやってくるのだ? 定時報告ならば、伝書のガーゴイルですませられるだろう」

「はっ! そ、そうでした。た、大変なのですビダーシャルさま。すぐにサハラにお戻りください。テュリューク統領閣下からの伝言です……竜の巣が……いえ、シャイターンの門が……奪われました」

「な……なんだと!」

 ビダーシャルはいったん我が耳を疑うように硬直し、すぐに声を荒げて兵士に詰め寄った。

「シャイターンの門が、奪われただと!? いったいどういうことだ!」

 兵士の胸倉を掴んで怒鳴りつけるビダーシャルに、常の冷静な姿はない。あまりの剣幕に、才人たちが止めようとしても治まる様子はなかった。だが、ビダーシャルだけでなく、エルフなら大抵がこうなっただろう。ルクシャナも、取り乱しこそしないが顔を青ざめさせている。

「竜の巣は、常に水軍の一個艦隊が監視していたはずだ。それを突破されたというのか!? いったい誰に、誰に奪われたというのだ!」

「あ……悪魔、悪魔です」

「なに……?」

 悪魔……それは、いったいどういう意味だ? あっけにとられているビダーシャルたちに、彼は震えながら語り始めた。

「数日前のことです。いつものように、水軍が竜の巣の周辺を哨戒していたところ。突然、鯨竜が暴れだし……」

 

 竜の巣とは、エルフの地サハラの洋上にある群島である。

 普段はエルフたちもほとんど見返すことはなく、水軍の関係者でもなければ忘れているであろうこの場所で悪夢は始まった。

 エルフの水軍は、鯨竜というクジラに似た生き物を改造した軍艦を使っているのだが、その鯨竜が竜の巣に近づいたとたんに暴れだしたのだ。

「これは、どうしたことだ! なんとかおとなしくさせろ!」

 艦長が怒鳴っても無駄だった。兵士たちが長年の経験からどうしようとしても、鯨竜たちは暴れ続けて舵が利かない。まるで、なにかにおびえているようだという報告があがってくるのみだった。

 そして……

「なにかにおびえているだと? この海洋で、この鯨竜艦よりも強いものなど……」

「あるさ、私だよ」

 突然艦橋に響いた声に、艦長や艦橋のクルーが振り返ると、そこには黒いマントを羽織り、黒服と黒い帽子をかぶった異様な風体の初老の男が立っていた。

 いつの間に!? 艦長たちは戦慄した。この鯨竜艦の艦橋に、こんな奴が現れるのをなぜ誰も気づけなかったのだ。

「貴様、何者だ!? どうやってここに忍び込んだ?」

 クルーたちは銃を男に向け、魔法もいつでも撃てるように身構える。しかし男は、十人近い武装したエルフに囲まれているというのに動じた様子もなく、群島を望んでニヤリと笑った。

「竜の巣……お前たちは、ここをそう呼んでいるな? だが、お前たちはここの本当の価値を知らないようだ。くくくく……」

「な、なにをわけのわからんことを言っている! 貴様蛮人だな。撃て、かまわんから撃ち殺せ!」

 男に得体の知れない恐怖を感じた艦長は射殺を命じた。しかし、放たれた弾丸は一発もその効力を発揮することはなく、男の直前で壁に当たったようにはじき返されてしまったのだ。

「なっ! これはカウンター!? い、いや……精霊の力は感じない。それどころか、な、なんだこのどす黒い気配は!」

「ふふふ……そんなもので私は殺せないよ。さて、諸君には我が復活の祝いと、世界滅亡の序曲を聞く栄誉を与えよう。さあ、開幕だ!」

 男が高らかに宣言し、手を空に掲げた瞬間異変は起こった。

 突如、空に暗雲が立ち込め、周囲が昼間だというのにどんどん暗くなっていく。さらに、海は荒れて鯨竜たちは狂ったように叫び始めた。

「あ、雨が……そんな、さっきまで晴れていたのに」

「まさか、天候を操っているというのか! そんなバカな……い、いったい貴様は何者だ!」

 艦長も、クルーたちも恐怖に青ざめて、震えながら男に叫ぶ。そして、男は振り返ると、この世のものとは思えないほど邪悪な笑みを浮かべて、空に向かって手をかざした。

「我が復活のときは来た! さあ、降り注ぐがいい死の雨よ! いでよ我が怨念の化身! 復讐の使者、超獣よ!」

 空が割れ、真っ赤な裂け目の中に巨大な影が現れる。史上最悪の侵略者が、再びこの惑星に降り立った。

 

 

 続く



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第49話  堕ちた聖地

 第49話

 堕ちた聖地

 

 殺し屋超獣 バラバ

 地帝大怪獣 ミズノエノリュウ

 灼熱怪獣 ザンボラー

 台風怪獣 バリケーン 登場!

 

 

「怨念がある限り、幾度でも蘇る」

 その言葉のとおり、悪魔は幾度となく人類を恐怖に陥れてきた。

 何度倒されようと、滅ぼされようと、封印されようと消えはしない。

 悪魔は死なない。なぜなら、その命の源は生き物の発する怒り、憎しみ、欲望といった邪悪な心。マイナスエネルギー。

 人が人であり続ける限り、悪魔もまた不滅なのだ。

 それは、時空を超えた世界でも例外ではない。

 ウルトラマンAによって、溜め込んだすべてのマイナスエネルギーを昇華させられた悪魔は、復讐を誓って姿を消した。

 以来、闇に潜んでじっと機会をうかがってきた悪魔は、三ヶ月の月日を経てついに地上に再び現れた。

 

 エルフの住まう地サハラ。その洋上の群島『竜の巣』から、新たな悪夢が幕を開ける。

「お前は、いったいなんなんだ……?」

 恐怖に支配された鯨竜艦の艦長が、人の形をした闇に問いかける。

 黒衣の男は不敵に笑い、マントを翻して天を仰いだ。

 まだ、エルフたちはその悪魔の名を知らない。ならば、二度と忘れずに恐怖で震えるよう教えてくれる。

 

 黒雲がたちこめて、血のような真っ赤な雨が降り始める。

 それこそが我ら復活のしるし。復讐のときは来たれり!

 

「我らは、異次元人ヤプール。今度こそ、ウルトラ一族を葬り去り、全宇宙を暗黒に染めてやる。さあ、我らの怨念を受けし復讐の使者よ。この地に降り立て! 現れろ! 超獣バラバ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 空が割れ、真っ赤な裂け目から凶悪なシルエットがひとつの島の上に降り立つ。

 鋭い牙の生えた口、右腕に棘つき鉄球、左腕に鎌、頭部に剣を装着した容姿は、まさに全身凶器。

 ヤプールによってアゲハ蝶の幼虫と宇宙怪獣が合成されて誕生した、その名も殺し屋超獣バラバ。

 

 地上に足を下ろしたバラバは、裂けた口を開くと金属音のような遠吠えをあげた。それはまるで、ヤプールの復活の喜びを代弁するかのようで、エルフたちは背筋を凍らせ、ヤプールは楽しげに笑う。

「ふっはっはは、頼もしいやつよ。遠慮はいらん、お前の思うとおりに破壊しつくせ。まずは、この艦隊から始末しろ!」

「なっ、なんだと!」

 艦長の驚愕する声を喜ばしく耳に焼付け、ヤプールはきびすを返した。艦橋の空間に亀裂が生じ、人一人通れるくらいの次元の裂け目が現れる。

「では、死にたくなければせいぜいあがいてみることだ。ふっ、ふっはっはははっ! あーっはっはは!」

 呆然と、夢を見ているように立ち尽くすクルーの耳に哄笑を響かせ、ヤプールは異次元の裂け目へと消えていった。

 だが、悪魔が去ったことは悪夢の始まりでしかない。見張り員の絶叫が艦橋に響いたとき、自失していた艦長たちは最悪の現実の中に引き戻された。

「艦長! 怪物がこちらに向かってきます! は、はやく、はやく指示を!」

「はっ! あ、わ……せ、全艦戦闘配置! 砲撃用意、全砲門を怪物に向けろ!」

 やっと我に返った艦長の命令で、遅まきながら鯨竜艦に搭載されているすべての砲の照準がバラバに向けられた。

 鯨竜艦の装備は、回転式の大口径連装主砲塔が艦橋をはさんで前後に一基ずつ、あとは近接戦用の副砲として、小口径砲が複数装備されている。その、一隻につき四門の主砲、艦隊は四隻だから十六門の砲が旋回して仰角を上げていく様は壮観でもあった。

「艦長、全艦射撃準備完了であります」

「うむ」

 砲術長からあがってきた報告に、艦長は落ち着きを取り戻した声で答えた。鯨竜艦に積まれている砲の総数はたった四門と少ないけれど、進んだ技術力を持つエルフによって作られたため、人間の戦艦の持つ大砲の何倍もの威力を誇る。それが全艦で一斉砲撃をおこなったとき、着弾点で無事でいられる建造物も、生きていられる生物もこの世界には存在しない。彼はずっとそれを信じて、誇りに思って水軍に籍を置いてきた。

 だが、相手がこの世界のものではないとしたらどうだろうか? 艦長の「撃て!」という命令により、鯨竜艦隊は砲撃の火蓋を切った。閃光、衝撃波に続いて砲弾が砲身を飛び出していき、硝煙がなごりとして風に舞う。

 放たれた砲弾は、敵が巨大だったこともあって半分が命中した。バラバの巨体の各所で爆発が起こり、外れた弾も至近で炸裂して、岩を猛烈な勢いで周辺に撒き散らす。相手が船であったなら、これだけでもう跡形もなく破壊しつくしていたであろう。艦長や、艦隊のクルーたちは勝利を待ち望んで、炸裂した砲煙が晴れて、怪物が倒れ伏した姿が現れるのを待った。

 しかし、煙が晴れたとき、そこには何事も無かったかのように平然と咆哮するバラバの姿があったのだ。

「ば、ばかな!?」

 あれだけの砲撃を受けてまったく無傷だというのか。いや、そんなはずはない。これはたまたま当たり所が悪かっただけだ。現実を受け入れられない者たちは、次弾装填を狂ったように叫び、準備完了と報告があがると同時に発射を命じた。

 そして、結果も完全に再現された。二回目の砲撃は、最初より距離が近づいていただけに七割が命中したものの、一発たりともバラバの皮膚を傷つけられたものはなかった。絶対の自信を持っていた力が、おもちゃ同然だと思い知らされる恐怖。それはかつて地球人が幾度となく味わい、ベロクロンを前にしたトリステイン軍が感じた絶対的な力の差、それが今度はエルフたちに襲いかかろうとしている。

「艦長! 怪物がこっちを、う、うわぁぁ!」

 一隻の鯨竜艦の見張り員が絶叫したとき、バラバの口から真っ赤な火炎が放射された。回避運動をとる暇もなく、海面を這って進んできた炎に鯨竜が丸ごと包み込まれる。それが、この船の最期となった。石造りの艦橋構造物は火炎にある程度の抵抗を見せたが、生き物である鯨竜は高熱に到底耐えられず一瞬で焼き殺され、エルフたちが魔法を使う暇もなく、全乗員を道連れに海中に没したのである。

「二番艦、ご、轟沈……」

 艦隊旗艦の艦橋に流れた絶望的な報告に、顔を青ざめさせなかったものはいなかった。水軍の主力艦をものの一撃で、そんなことが起きるなど、誰一人夢にも思ったことはない。

 しかし、現実を拒否しても破滅しか待っていない。かろうじて冷静さを保っていた一人の将校が、自失して動けないでいる艦長に怒鳴るようにして目を覚まさせた。

「艦長! 敵が迫っています。ご指示を!」

「ぁ……う。て、撤退だ! 全艦取り舵一杯! この海域を離脱しろ!」

 艦長の悲鳴そのものの命令が、かろうじて艦隊を全滅から救うこととなった。バラバの火炎はさらに一隻の鯨竜艦を撃沈し、続いて彼の艦の後尾を進んでいた船に襲い掛かった。その船の鯨竜は即死は免れたものの、熱さに耐えられなくなって、勝手に海中へ潜って逃げていってしまった。エルフには水中呼吸の魔法もあるが、間に合ったかどうかは祈るしかない。

 やっとのことで火炎の射程外に逃れたとき、艦隊は旗艦を残して全滅状態。母港に向かってよろよろと進む艦で、艦長にできることは、ことの有様を本国の司令部に通達することだけだった。

 

『竜の巣にて、正体不明の敵と遭遇。敵は身長五十メイルを超える怪物を召喚し、我が艦隊は壊滅。敵は竜の巣を占領せんものとする模様。至急、対策を乞う』

 

 その報告が、本国の水軍司令部、さらにエルフの最高意思決定機関である評議会に届いたとき、彼らの反応は素早かった。

 

『あらゆる手段を尽くしても、竜の巣を敵の手から奪還せよ』

 

 ただちに、水軍のみならず空軍にも、稼動全軍による竜の巣への出撃が命じられた。

 鯨竜艦十隻、空中戦艦二十隻、空中巡洋艦十隻。これだけでもハルケギニアのすべての国の戦力を合計したに等しい強大な軍事力だ。しかも、これはこのとき即時出撃可能な戦力だけであり、本国にはこの何倍もの戦力がまだ温存されている。

 しかし、艦隊の将兵にはこの出撃に疑問を抱く者も少なくなかった。

”なぜ、竜の巣などを奪還するのに、これだけの兵力を動かす必要があるのだ?”

 敵に奪われた地を取り戻すのはわかる。ただ、竜の巣はそれほどの戦力を傾ける価値があるとは思えない。

 蛮人どもの侵攻ルートからも外れた洋上にあり、むろん基地などが建設されているわけでもなく、資源などもとれない。

 住んでいるものもなく、むしろ周辺海域には海竜や巨大鮫などが生息していて危険ですらある。

 一部のエルフのうちには、ここに古代の韻竜の生き残りが生息していることが知られているが、それが理由とは到底思えない。

 あとは海上に突き出た岩山が奇怪な形の群島を形成する、利用価値のない不毛の土地だけ。

 そんな場所を取り戻すためだけに、水軍と空軍が全力出動とは評議会はなにを考えている? 

 軍艦とはただで動くわけではない。水軍ならば鯨竜の餌、空軍ならば風石が大量に必要になり、その費用も膨大だ。

 しかも、今はどの軍隊にも余力はほとんどない。連日、いつ出現するかわからない怪獣に備えて、警戒態勢を崩せないために、将兵のほとんどが疲労し、修理中の艦も少なくない。

 これは、魔法の鏡を使ってビダーシャルにも伝えられたディノゾールやアリゲラの襲撃も当然含まれる。このときも、あるだけの戦力を投じてディノゾールリバースを撃破、アリゲラの群れを追い返すことに成功している。しかし、その代償としてそれぞれ五隻以上の艦が撃沈破され、死傷者も多数に上っている。

 普段やたらと偉そうにしている評議会の連中も、その程度のことは承知しているはず。なのに、全力出動をためらいもなく命じるとは、竜の巣にはもしかして何か秘密があるのか? 水軍の哨戒海域にも、ほとんど必要がないのになぜか常に盛り込まれているし、なによりもそこを占領したという敵はなにを目的としているのか?

 将兵たちはこみ上げる疑問を仲間たちと話し合い、竜の巣で待ち構えているという敵のことを考えた。水軍の一個艦隊が壊滅させられたというが、今度はこちらは空中戦力を持っている。巨大な怪物が待ち構えていたとしても、必ず撃破できるはず。彼らは、今までにも何度も怪獣と戦ってきた経験と自信から自らを奮い立たせた。

 

 しかし、竜の巣において相対することとなった敵は、これまで彼らが戦ってきた『怪獣』とは一線を隔する『超獣』であった。

「五番艦、六番艦、ともに撃沈! 巡洋艦隊も半数が大破しました。司令、このままでは」

 戦いがはじまってほんの十分足らずで、空軍の戦力は半壊していた。彼らは、たった一匹の怪物を倒すために水軍と歩調を合わせてはおれんと、空軍の艦隊のみで攻撃をはじめ、完全な返り討ちにあったのだ。

 竜の巣に到着し、バラバの姿を確認した司令は、水軍艦を焼き払ったという火炎の射程に入らないように、その外からの攻撃で一方的に勝負を決めようとした。しかし、彼らが自信を持って発射した艦隊全艦をもっての一斉砲撃は、水軍が直面したのと同じ結末に終わった。

「あれだけの砲撃が、まるで役にたたんとは……」

 彼らは知らないことであったが、バラバの皮膚はタックスペースのロケット弾やミサイル攻撃はおろか、超兵器ウルトラレーザーの破壊力を持ってしてもかすり傷もつけられないほどの強度を誇る。人間のものより勝るとはいえ、たかが大砲で傷つけられるような代物ではなかったのだ。

 それでも、艦隊司令は任務を遂行しようとさらなる砲撃を命じた。一発や二発ではだめでも、何百発も撃ち込めば効果があるかもしれないというのが彼の目論見だった。幸い、敵は空は飛べないようであり、火炎の届かないところからなら安全に攻撃が続けられる。

 が、そうした甘い計算はバラバには通用しなかった。バラバの右腕の鉄球の先についている鍵爪が鞭のように伸びると、あっというまに一隻の戦艦を絡めとってしまったのだ。

「振りほどけっ!」

「無理です! わぁぁっ!」

 一度バラバ鞭に捕まってしまうと、タックアローの推力ですら脱出は不可能であり、まして風石船の力では効しきれるはずがなかった。怪力で引きずり落とされ、海面に叩きつけられた戦艦は大破して戦闘続行不能になる。艦長にできるのは、沈みゆく船から一人でも多くの乗員を脱出させることだけだった。

 思いもよらぬ手段でたやすく戦艦を沈められ、愕然とした司令の命で艦隊は再度砲撃をバラバに浴びせかける。だが、やはりバラバには通用せずに、逆に艦隊の攻撃が自分になんの痛痒も与えないと確信したバラバは、砲撃をシャワーでも浴びているかのように平然と体で受け止め、あざ笑うかのように遠吠えをあげる。

 また一隻バラバ鞭に捕らえられた戦艦が、今度はバラバの手元まで引き寄せられて、左腕の巨大な鎌で一撃の下に真っ二つにされた。鋼鉄で装甲を張った艦が、なんの抵抗もなく切り裂かれるとは信じられないと艦隊将兵たちは愕然とするが、バラバの鎌は地球上の物質で切れないものはないとされているほどの切れ味を誇る。

 破壊した戦艦を踏み潰し、バラバの攻撃は容赦なく艦隊を襲う。

 今度は巡洋艦二隻が一度に破壊された。バラバ鞭に捕まった一隻が、そのまま別の船にぶつけられたのだ。バラバは、まるでゲームのコツを掴んできた子供のように、鞭で艦隊を翻弄しながら沈めていく。破壊と殺戮を思うままにするバラバの暴れように、空から悪魔の声が響いた。

 

「そうだ破壊しろ。徹底的に破壊するのだ。我々がお前に与えた力はまだまだそんなものではない。暴れろ、暴れろバラバぁ!」

 

 空を覆い尽くす黒雲がそれであるように、ヤプールのおぞましい声が将兵たちの背筋を凍らせる。

 まるで、ヤプールの悪意が乗り移ったようにバラバは吼え、対抗するすべのなくなった艦隊へ破壊を撒き散らす。

 一隻ずつでは面倒と思ったのか、鞭を縦横に振り回し、叩きつけることで次々と戦艦が破壊されていく。

 威容を誇った艦隊が、その様を失っていくのにかかった時間はあまりにも短かった。必勝を確信していたのに、なにを間違えたのか?

 彼らにとっての誤算は、この敵がそれまで戦ってきた、本能だけで動き回る『怪獣』ではなかったことだ。

 『超獣』とは、単に強化された怪獣ではない。侵略・破壊を目的として頭脳・肉体を徹底的に改造された生物兵器なのである。

 戦艦が兵器であるなら、超獣も兵器。兵器と兵器の戦いであれば、より強力なほうが勝ってしまう。

 そしてもうひとつ、エルフたちにとって想像もしていなかった誤算があった。エルフの武力は、人間よりも優れた技術力だけにあるのではない。むしろ、人間たちが恐れているのはエルフの個々人が持っている、人間の系統魔法よりもはるかに強力な先住魔法の数々で、ディノゾール戦では魔法攻撃のみで一度はこれを倒すほどの力を見せている。

 だが、その強大な力も、この戦場ではまだ一度も発揮されていない。それだけではなく、不可解な事態が次々と彼らを襲いつつあった。

 

「竜騎兵隊はなんとかできないのか? あるいは、至近距離からの魔法攻撃であれば」

「それが、帰還しました兵の報告によりますと、精霊がこちらからの呼びかけに答えないそうなのです。魔法はすべて不発に終わりました。まるで、赤い雨が精霊の力をかき乱されてしまっているようなのです」

「なんだと!? 精霊が呼びかけに答えないなど、そんなバカな!」

「本当です。すでにこの艦からも、防御用の風魔法も使えなくなっていると先ほど報告が。それに、竜たちの様子もおかしいのです。まるで、雨の中へ出て行くことを恐れているような。おびえて、言うことを聞かなくなってきています」

「どういうことなんだ!? 普段あれだけ従順な竜たちまで……この赤い雨がいったいなんだというんだ」

 

 艦長は、甲板を流れ落ちていく赤い雨に地獄の風景を見たような恐怖を覚えた。

 精霊の力を封じ、竜をもおびえさせる赤い雨。まるで、空が血を流しているような真紅の豪雨。

 雨を浴びた鳥はぽとりと落ち、雨粒を注がれた海からは次々に魚が浮かんでくる。

 赤い雨など、自然界では絶対に降るはずはない。この雨こそ、ヤプールがエルフと戦うために用意した秘策であったのだ。

 

「ふははは。お前たちが頼りにする精霊の力とやらも、この中では役に立たんだろう。これは、かつてのバラバを守ったときの雨に、我らヤプールの怨念を溶かし込んだ死の雨だ。生きとし生けるものをすべて拒む、赤い雨の中では貴様らの力も無力だ。バラバよ、その小うるさい蚊トンボどもを蹴散らしてしまえ!」

 

 バラバの口からの高熱火炎が、接近しようと試みた竜騎兵を焼き払う。

 最大の武器である魔法を封じられたエルフたち。もしも魔法を全力で使える状況であれば、彼らはまだ善戦でき、勝機を見つけることもできたかもしれない。しかし、赤い雨の中での戦いを選んでしまった時点で、すでに勝機は失われていた。

 ウルトラ兄弟や人間たちを、幾度となく欺いてきたヤプールの狡猾で卑劣な罠。それにエルフたちもまんまとはめられてしまった。

 

 なすすべもなく撃沈されていく空軍の艦隊。水軍の艦隊も、そのころようやく到着しつつあったが、ときすでに遅いことは誰の目から見ても明らかであった。

 

 しかし、彼らはまだ戦いをあきらめてはいなかった。最初の慢心を捨てて、かなわないとわかっている相手に立ち向かおうとする。

「五番艦、六番艦、ともに撃沈! 巡洋艦隊も半数が大破しました。司令、このままでは」

「うろたえるな! まだ、我々は負けたわけではない。艦隊全艦、怪物の頭部を狙って集中攻撃。竜騎兵は攻撃準備が整うまで、なんとしても時間を稼ぐのだ。いいな!」

「はっ! 我ら一同、たとえ相手が悪魔であろうと、一歩も引くつもりはございません」

「よく言った。それでこそ、誇り高き砂漠の民よ。大いなる意志よ、どうか我らに悪魔を打ち倒す力を与えたまえ!」

 蛮勇かもしれない。命を軽んじる愚かな行為かもしれない。だが、侵略者に屈するまいとする誇りが彼らを支えていた。

 艦長は、自分が軍人としては失格かもしれないと思う。冷静に考えれば、ここは撤退すべきであろう。それでも、まだ戦う力が残っているのに逃げ出したくない。たとえ逃げるにしても、一矢を報いて、エルフは決してあなどれる相手ではないと思い知らせなくては、敵はいくらでも侵略の手を拡大させてくるだろう。

 

 我が身を捨てて、守るべきものを守ろうとする勇敢で気高い魂は、エルフも人間も関係なく受け継ぐ者がいた。

 

 そして、その魂に共鳴したかのように、竜の巣が鳴動し、裂けた地の中から巨大な影が現れる。

「あっ、あれは!」

 エルフたちは、地の底から出現した巨大な龍を見た。その体格はバラバをもはるかにしのぎ、全身は黒光りする鋼鉄のような鱗で覆われている。全高はざっと見積もっても六十メイル。頭部から尾までの体長は百メイルをゆうに超えるだろう。がっしりと地を踏みつける足は、数千年を生きた巨木のようだ。

 だがなによりも、たくましい顎を持つ頭は、それだけで普通の竜の何倍もの大きさと威圧感を備えていた。しかも、その龍の頭部は一つだけではなく、八つある尾のひとつひとつの先が小型の龍の頭部となっているではないか。

「なんて、でかいドラゴンなんだ……」

 ひとりの水兵が、龍のあまりの存在感に思わずつぶやいた。大きさだけなら鯨竜でも百メイルはある。しかし、地上の生物でこの巨大さは類を見ないどころか、あの龍からは赤い雨の中ではほぼ封じられていた精霊の力も、かつて感じたことがないほどに強く感じられる。

 地底から姿を現した巨大龍は、暴れまわるバラバへ向けて大きく吼えた。大気を揺さぶり、その声に込められた怒りの波動が、エルフたちをも身ぶるわせる。残存艦隊の艦橋で、今まさに死を懸けた最後の戦いに望もうとしていた艦長は、息を呑んで龍を見つめた。

「あれは、まさか……あの言い伝えは本当だったのか」

「艦長、なにかご存知なのですか?」

「私の祖父から聞いた話だ。竜の巣の底には、韻竜たちよりもさらに古い龍の王が眠っている。もしも、竜の巣を汚すことがあるならば、龍の王は必ず蘇ると……おとぎ話だと思っていたのだが、まさか本当だったとは」

「龍の……王」

 副官も戦慄した面持ちで、生まれてから見てきた、いかなる竜よりも巨大な龍の威容に見入った。

 地を汚したときに現れる龍の王。実は、異世界にもこれと同じ怪獣が出現した例がある。

 

 それが、地帝大怪獣ミズノエノリュウだ。

 

 東京を中心とする関東一帯の地脈、すなわち大地のエネルギーをつかさどる怪獣……いや、超自然的存在と呼んだほうがいいだろう。

 都心の地下開発により地脈が切断されたことにより出現し、食い止めようとしたウルトラマンガイアをも圧倒する力を見せている。

 はたして悠久の過去より人の手が入らずに、自然のままに守られてきたこの地にも、守護神がいたとしてもおかしくはない。

 大気を汚し、水を濁らせ、地を腐らせ、生命を殺す死の雨に怒り、大地の守護龍はついに目覚め、怒りの咆哮をバラバに叩きつける。

「戦うというのか……!」

 大地を踏みしめ、ゆっくりとミズノエノリュウは前進していく。

 対して、バラバもひるむどころかミズノエノリュウに猛然と向かっていった。左腕の巨大な鎌を振り上げ、猛然とミズノエノリュウの首を狙っていく。

「危ない!」

 誰かが叫んだ。バラバの鎌は戦艦をも一撃で真っ二つにする切れ味を持っている。そんなもので切りつけられたら、いくら鋼鉄のような鱗を持つとはいえただではすまないだろう。

 しかし、ミズノエノリュウはバラバが目の前にまで迫ってきた瞬間、八本ある尾を高く上げた。そして、その先端の龍の頭の口が開き、白い稲妻のような光線がいっせいに放たれた。直進していたバラバは避けられず、光線の乱打を浴びて大きくよろめく。

 ミズノエノリュウはその隙を見逃さなかった。光線の小爆発に押されて体勢が崩れたバラバに向かって、大きく顎を開くと肩口に深々と牙を突き立てた。たまらず、悲鳴のような声がバラバの口から漏れる。

「やった!」

 はじめて怪物があげた苦悶の声に、艦隊将兵たちから歓喜の叫びがあがった。

 皮膚を食い破られてダメージを受けたバラバは、逃れようと右腕の鉄球でミズノエノリュウを打ち据えようとする。しかし、ミズノエノリュウの尾は光線を放てるだけではなかった。バラバのあがきを見咎めるや、すぐさま右腕に食いついて動きを封じたのである。むろん、左腕の鎌も同様だ。

 あっという間に最大の武器である両腕を封じられたバラバに、ミズノエノリュウの牙がさらに深く食い込む。

 皮膚どころか肩の骨をも丸ごと噛み砕こうとせんとする顎の力に、さしものバラバも苦しんだ。首を振りながら金切り声のような鳴き声をあげ、なんとか食らいついている敵を振りほどこうとするが、半身を押さえつけられる状態ではかなわない。

 このままでは体を食いちぎられると思ったバラバは捨て身の攻撃に出た。至近距離からミズリエノリュウに向かって火炎を放射したのだ。体を焼かれ、反射的にミズノエノリュウは牙を離してしまう。

「惜しいっ!」

 あと一息で怪物の体を真っ二つにできたのにと、将兵たちは舌打ちをする。

 が、まんまと脱出したと思ったバラバも無事ではなかった。密着するほど近かったので、熱の逆流でバラバも少なからぬ熱傷を負わされたのだ。

 それでも、顔を焦げさせたバラバは、大きく傷つけられた体を震わせると怒りの声をあげた。ひどいダメージを受けてしまったが、まだ戦うには充分な余力がある。接近戦では手数の差が大きいだけ不利、ならば距離をとって飛び道具で勝負しようと、バラバ鞭をミズノエノリュウの首に向かって投げつける。

 バラバの意思で自由に動く鞭は、ミズノエノリュウの首に巻きついた。バラバはそのまま首を締め上げようと力を込め、鞭はじわじわとミズノエノリュウの首に食い込んでいく。

「危ない! 絞め殺されてしまうぞ」

「どうして振りほどかないんだよ!?」

 エルフたちの焦った声が戦艦の甲板に響き渡る。すでに甲板や舷窓は、二大怪獣の対決をひと目見ようとする者たちでいっぱいだ。

 艦長や副官も、それを止めようとはしない。水軍も同様に、鯨竜を止めて戦いに見入っている。

 あの名も知らぬ龍が勝たない限り、この戦いに望みはない。しかし、どうしてあの龍は振りほどこうともしないのだ!?

 そのときだった。ミズノエノリュウが大きく吼えると首を振った。その勢いだけで、バラバのほうが振り回されて転倒する。

 さらに、ミズノエノリュウは鞭に噛み付くと、まるで蜘蛛の糸のように一息に引きちぎってしまったではないか。

「すげえ」

 将兵たちは悟った。あの龍がすぐに抵抗しなかったのは、あんなものはいつでも振りほどけたからだ。それを、わざと敵に攻撃させてつぶしたということは……

「怒っている……地を汚されたことに、怒ってるんだ」

 ただ叩き潰すだけでなく、すべての攻撃を正面から跳ね返して自分のやったことを思い知らせる。龍の怒りの壮烈さに、エルフたちは自らが崇敬している大自然の意思へ弓引くことが、いかに恐ろしい報いとなって跳ね返ってくるのかと戦慄した。

「大いなる意思よ。どうか我らを守り、悪魔を打ち払いたまえ」

 エルフたちは祈りを捧げ、人知を超えた悪魔と守護神の戦いをただ見守り続けた。

 

 鞭を失い、よろめきながら起き上がってきたバラバに、ミズノエノリュウの容赦ない攻撃が再開される。

 本体と八本の尾、合計して九つの頭から放たれる破壊光線がバラバを襲い、灰色の巨体が爆発の赤い火炎に染められる。

 バラバが反撃する隙などはどこにもない。もはや、手数が違うどころの話ではないのだ。バラバが全身凶器でできているとしてもしょせんは一匹、ミズノエノリュウの頭部は九つであるから、バラバは九匹の怪獣をいっぺんに相手にしているのに等しいのである。

 九つの頭、すなわち九匹の龍は破壊光線の乱打をバラバに浴びせ続ける。圧倒的な火力の差。古代日本神話の英雄スサノオノミコトは、八つの頭を持つ大蛇・ヤマタノオロチを酒に酔わせて倒したが、はたして正面から戦ったとしてオロチを倒せるものがいたであろうか?

 しかし、バラバもその身に渦巻くヤプールの果てしなき怨念が、安易に倒れることを許さなかった。

 左手の鎌を盾代わりにして攻撃をしのぐ。たちまち鎌は何本もの光線を浴びて砕け散り、バラバは左手の武器も失った。

 だが、その代償にわずかな時間を稼いだバラバは、頭部の剣から閃光のようなショック光線を発射した。これは、回避が非常に困難であるうえに、ウルトラマンAを一発でダウンさせたほどの威力を持つ。が、バラバの目論見は外された。ショック光線はミズノエノリュウの周囲に張り巡らされた透明な障壁によって、まるで水面に投げつけられた石のように無効化されてしまったのだ。

「あれは、カウンターか!?」

 高位の行使手のエルフがそう叫んだ。精霊の力で外部からの攻撃をはじく先住魔法に、今の龍の防御法は同じでなくとも非常によく似ていた。精霊の力に守られているとは、やはりあの龍は大地の化身なのか……

 バラバの決死の反撃を軽くあしらい、ミズノエノリュウは再び大きく吼える。その瞬間、遠吠えの振動で地面の裂け目から水が噴き出し、ミズノエノリュウの周りをカーテンのように包み込む。水に守られ、大地を踏みしめる巨躯は、まさに龍の王と呼ぶのにふさわしかった。

 対して、バラバは両腕の武器を失い、すでに満身創痍のありさまである。それでも往生際悪く、最後の武器である頭部の大剣を発射するが、ミズノエノリュウの巨大な顎に受け止められたあげく、強大な力で粉々に噛み砕かれてしまった。

 すべての武器を失ったバラバに、もう勝機も戦う術も残されてはいない。

 

 だが、空と地を汚された守護龍の怒りはそんなことで収まるものではなかった。

 

 ミズノエノリュウの額に納められた、龍玉という宝玉が青色に輝くと、バラバの体が宙に浮き出した。

「念動力……あの何億リーブルって重さの怪物を、なんて力だ」

 手足をばたつかせ、もがくバラバがマリオネットのように宙に吊り上げられていく。能力の格が違いすぎると、エルフの行使手たちは一様に戦慄した。同じことを人間でやろうとしたら、何百万人、エルフでも何万人が必要となるかわからない。

 人間の魔法は己の精神力で自然の理を曲げ、エルフの魔法は自然の理に呼びかけることで力を行使する。そのためエルフの魔法は人間のそれを大きく凌駕するのだが、しょせん自然の力の借り物に過ぎない。自然の力、それそのものの発現は天災にも相当する、絶対的な抗えなさを心に植えつける。

 空中に磔にされ、防御も回避もできなくされたバラバに対してミズノエノリュウはとどめの攻撃を加えた。

 九つの龍の顎から放たれる雷が集中して、無数の爆発がバラバを包み込む。牙が折れ、角が吹き飛んでも攻め手が緩むことはなく、断末魔の遠吠えとともにバラバの目から光が消えたとき、すでにバラバは黒焦げも同然の状態であった。

 ふいに、バラバが糸の切れた風鈴のように落下した。ミズノエノリュウが念動力を切ったのだ。海面に大きく水柱が立ち、大量の気泡とともに巨体が沈んでいく……そして、完全にバラバの姿が消えてなくなり、海面が戻ったとき、ミズノエノリュウは空に向かって勝利の雄叫びをあげた。

「勝った、勝ったんだぁーっ!」

 地の守護龍の勝利に、エルフたちからも万歳の叫びが万雷のようにあがった。

 空軍の艦隊を半壊させた怪物は海の藻屑となり、もう二度と浮かんでくることはないだろう。決死を覚悟していた彼らは、想像もしていなかった大勝利に心の底から凱歌をあげた。

 

 しかし、赤い雨はなおも止むことはなかった。バラバが倒された後も振り続け、空からヤプールのおどろおどろしい声が響く。

「くっくっくっ……それで、勝ったつもりかな諸君」

 まるで、袋小路に追い詰めたネズミに語りかける猫のような、嫌悪感を誘う声に、勝利に沸いていた将兵たちは押し黙った。同時に、勝ったはずなのに、言い知れぬ恐怖と不安感が湧き上がってくる。いったい、やつのこの余裕はなんなのだ? あの怪物は確かに死んだはず、なら負け惜しみか? それとも。

「なにを言う! お前の手下は大いなる意思の使いが始末した。この戦いは我々の勝ちだ!」

 艦長は、おびえる部下と自分への叱咤も込めてヤプールへ怒鳴りつけた。大いなる意思の前では、貴様の手下の怪物の力などは取るに足りないことはわかったはずだ。さあ、さっさとこの雨を消して立ち去るがよいと。

 だが、ヤプールの返答は侮蔑と嘲笑の高笑いであった。

「フフフフ……ファハハハハ!」

「な、なにがおかしい!」

「ハハハ! お前たちエルフはどんなときに笑う?」

「なに!?」

 とまどう艦長とエルフたち。それがおかしいように、ヤプールの笑いはさらに高くなる。

「はははは! そうだな、どんなときに笑うかな。悲しいとき? 悔しいとき? いいや違う? うれしいときにこそ笑うだろう? そう、例えば……敵が罠にまんまとはまったときなどにな!」

「なっ!」

 絶句し、声なき悲鳴が彼らの喉から漏れたとき、暗雲に雷鳴が轟き、風が渦巻いて艦隊を揺らした。

 それが、ヤプールの本当の罠の始動の合図だった。

 それまでただ降り注ぐだけであった雨が風雨となり、暴風へと変わっていく。

 海は荒れ、巨山のような波頭が鯨竜を翻弄し、叩きつけられる波は頑丈に固定されているはずの砲台をももぎ取っていく。

 そして、龍の巣の大地は不気味な振動をはじめた。

「なんだ! 今度はいったいなにが起こるというんだ!?」

 怪物は倒したはずなのに、死の雨は嵐となってエルフたちを襲う。

 ミズノエノリュウも、空に潜む悪の元凶へと吼える。怒りのままに、怒りのままに吼える。

 なにが起こっているのか、なにが起ころうとしているのかわかるものはいなかった。ただ、生まれてからずっと精霊とともに生きてきたエルフたちは、汚しつくされた大気の、地の精霊たちがはてしのない怒りの叫びをあげていることだけは聞き取れた。

 こんなに憎悪にあふれた精霊の叫びは聞いたことがない。奴はいったいなにをしようとしているのだ!

 エルフたちがそう思ったとき、竜の巣のすべてに悪魔の宣告が響き渡った。

 

「フハハハ! 今の戦いで、大気に、大地に、怒りと憎しみのマイナスエネルギーが満ち溢れた。精霊よ、わしが憎いか? 破壊したいか? ならば願いを叶えてやる。さあ、実体となって現れるがいい! いでよ、台風怪獣バリケーン! 灼熱怪獣ザンボラー!」

 

 巨大な雷光が空中で交差し、大地に矢のように吸い込まれていく。

 すると、黒雲から降りてきた竜巻が渦巻き、裂けた大地からマグマが噴出しはじめた。

 そして、竜巻の大気が凝縮して形を成していき、マグマの中から小山のようななにかが浮き上がってきた。

「あっ、あれはーっ!」

 エルフたちは見た。竜巻が青白い巨大なクラゲのような怪物に変わり、マグマの中から背中を火山のように灼熱化させた怪獣が現れるのを。

 それが、台風怪獣バリケーンと灼熱怪獣ザンボラー。かつてウルトラマンジャックと初代ウルトラマンを苦しめた怪獣を、ヤプールがマイナスエネルギーを凝縮させることによって再生させたのだ。

 二大怪獣の出現と、それがもたらす災厄はすぐに始まった。

 バリケーンの頭部のクラゲのような傘が回転し始めると、猛烈な暴風雨が生み出され、ザンボラーの背中の棘が発光すると、超高温の熱波が周辺の岩を溶かし、遠く離れているはずの艦隊にも火災が発生し始めた。

「うわぁぁーっ!」

 圧倒的な暴風と、火山の爆発にも匹敵する熱波の中ではエルフの艦隊といえどもなすすべはなかった。竜は騎兵ごと吹き飛ばされ、舷側の装甲が引きちぎられて飛んでいく。もはや、戦うなどとは夢にも思えず、彼らに残されたできることはただ祈ることだけだった。

「大いなる意思よ! 我らをどうか、どうか悪魔の魔手より救いたまえ!」

 天災の前に、人知の抗うすべなどはない。将校も兵も関係なく、彼らは必死に祈った。唯一すがれることができる、強大なる力を持つ地の守護神に、心からの祈りを捧げた。

「龍の王よ、今一度その力を見せてください。再び怒って、どうか悪魔を倒してください!」

 しかし、彼らがいくら祈ってもミズノエノリュウは動かなかった。バリケーンとザンボラーがいくら暴れ、竜の巣が破壊され、自らが傷つけられていっても抵抗せずに、じっと耐えているだけだった。

「なぜ……なぜ戦わないんだ?」

 龍の王の力を持ってすれば、たとえ二大怪獣が相手でも戦えるはずだ。なのに、なぜ無抵抗なのだ? そのとき、エルフたちの困惑をあざ笑うように、ヤプールの声が響いた。

「いくら祈ろうと無駄だ。精霊は自らを汚す異物に対しては抵抗することができても、同じ精霊同士で争うことはできまい!」

「なっ、なんだと! ま、まさかあの怪物どもは」

 エルフたちは、まさかそんなことがあるはずはないと自らの考えを否定した。しかし、ヤプールの突きつける現実は、彼らにとってもっとも残酷な形で現れた。

「この星の自然に宿るエネルギーに意思があるならば、当然怒りや憎しみもある。死の雨で大気と地を汚し、戦いで怒りを駆り立ててれば、憎悪に支配された意思を操るなど我らにとってはたやすいこと。貴様らの信ずる精霊は、いまや我々の忠実なるしもべとなったのだ!」

 それこそが、ヤプールの真の狙いであった。マイナスエネルギーの集合体であるヤプールは、生物の負の心を操ることに長けている。かつても食用にされていった牛たちの怨念を操って、牛神超獣カウラや、水質汚染で死んでいったカブトガニの怨念を利用して大蟹超獣キングクラブを生み出している。

 すべては、精霊を掌中に収めるための罠だった。バラバははじめから囮で、ミズノエノリュウさえ利用されていたことに、エルフたちはようやく気づいたが、もはやなにもかも手遅れだった。

「まさか、精霊が悪魔のしもべと化すなんて。そんな、そんなバカなーっ!」

「悪魔だ。おれたちは本物の悪魔を相手にしてしまったんだ」

 空中艦隊は暴風に翻弄されて次々に墜落していく。水軍も、必死で海域を離脱しようと試みるが、海は鯨竜でも泳ぐことが困難なほど荒れ狂う。

 そして、竜の巣の大地が裂け、巨大な亀裂が口を開けて、すべてを飲み込みだした。

「ああっ! 龍の王が!」

 ミズノエノリュウが、悲しげな遠吠えとともに亀裂の中へと沈んでいく。それが、絶望への最終楽章であった。

 守護龍でさえも敗れ去った。頼るべきものをすべて失ったエルフたちは、あるものは無抵抗に艦と運命をともにし、あるものは現実を拒否したまま暗黒のふちへと消えた。

 だがそれでも、生への一片の可能性にかけて、執念を燃やしたものたちの操るわずかな艦が、海域から離脱しようとよろめきながら進んでいく。

 ヤプールは、それらの艦を打ち沈めようとはしなかった。慈悲の心があったわけではない、そんなものは奴にはない。さらに残酷なことを企んでいたからだ。

「フハハハ! せいぜい生きて帰るがいい。そして、貴様らの口から絶望と憎悪の声を広げるがいい。それこそが、我々の新たなる力となるのだ!」

 

【挿絵表示】

 

 勝ち誇り、高らかに笑い続けるヤプールの声が、死の大地と化した竜の巣を覆いつくしていった。

 

 

 続く



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第50話  退場者と入場者

 第50話

 退場者と入場者

 

 宇宙魔人 チャリジャ 登場

 

 

 晴天の夜空に満天の星々が輝き、青い半月が地上を柔らかく照らし出している。

 耳をすませば、どこからか虫の鳴く声が細く聞こえてきて、夜が決して無音の死の時間ではないということを教えてくれる。

「この空の果てで、悪魔が蘇ってるなんてとても信じられねえよな」

 才人はぽつりと、宿屋の窓から空を見上げてつぶやいた。

 アーハンブラ城からティファニアを助け出し、ビダーシャルと別れてから二日ほど。彼らはへき地の小さな宿場町で宿を借りていた。

 振り向いて部屋の中を見ると、ルイズが薄汚れた毛布をかぶってすやすやと眠っているのが目に映る。両隣の部屋では、エレオノールとルクシャナ、ロングビルとティファニアがそれぞれ同じように寝息を立てているだろう。

 思い返せば、この旅が始まったときには、エレオノールが仮にも貴族のわたしがこんなダニやノミの巣みたいな汚いところで眠れないわと、さんざん文句を言っていて、なだめるのに苦労した。だが、わからなくもない。ルイズもあちこち泊まり歩き始めたころは似たようなものだったし、自分だってハルケギニアに来るまでは、よそに泊まるといえば修学旅行の旅館くらいしか経験がなかった。

 自分で言うのもなんだが、適応力は人よりかなりあるほうだと思っている。ルイズの使い魔になってすぐのとき、寝床がないからといってあてがわれたわら束に、数日で愛着まで持てるようになったのは我ながらすごいと思う。誰にも自慢できることではないけれど……

 とはいえ、もう旅慣れてしまった自分たちに比べたらエレオノールもよくがんばったほうだろう。ごねはしたけれど、連日の疲れが数日で抵抗の意思すら削ぐ中で、それでも帰らずに最後は野宿までできるようになった。

 そして、最後はそれぞれの力を合わせてティファニアを救い出し、ジョゼフの用意した刺客も倒すことができた。

 

 これが子供向けのおとぎ話か何かであれば、めでたしめでたしとなっているころだろう。

 きっと、今ごろはつらかったけどいい思い出になったなと、夢に見て楽しむことができたかもしれない。

 しかし、そうはならずに、才人たちの心境は旅立つ前よりも、はるかに危機感に満ちていた。

 

「ヤプールが、とうとう復活しやがった。しかも、おれたちが手を出しようのないエルフの土地で」

 美しい星空を見ているというのに、才人は奥歯をぎりりと噛み締めた。

 

 二日前、エルフの竜騎兵が命がけで伝えてくれた知らせは、ティファニアの救出成功に沸いていた才人たちに冷水を浴びせた。

 異次元人ヤプールの復活。その攻撃を受けて、エルフの本国艦隊の一個艦隊が壊滅。水軍も大損害を受けて、大敗したという。

 青天の霹靂というには凶事に過ぎる知らせに、ビダーシャルやルクシャナが驚愕したのはいうまでもない。

 一方で、才人たちにとっては恐れていたことがついにやってきたという感じで、ショックは受けたが驚きはさほどではなかった。

 しかし、ヤプールの復活自体は、ほぼ確定事項だったが、その場所が才人たちの予想を超えており、さらに大きな問題があった。

 占領されたのは、サハラの洋上の群島『竜の巣』。ほとんどのエルフにとって、そこは地図上の地名のひとつに過ぎない忘れられた土地だった。だが、エルフの最高意思決定機関『評議会』の議長から命を受けてきた竜騎兵は、その土地のことを『シャイターンの門』と呼んで、ビダーシャルのみならずルクシャナをも驚かせた。

「叔父さま、シャイターンの門って! まさか」

「そのまさかだ。なんということだ……これは、大変なことになったぞ」

 二人のエルフは深刻な様相を見せ、それをルイズやエレオノールは見逃さなかった。

「あなたたち、今『シャイターンの門』って言ったわね。そこって、わたしたちがいう『聖地』でしょ。そこにヤプールが現れたっていうの!」

「ぬっ。それは、お前たちには知る必要がないことだ」

「関係おおありよ。ヤプールは私たちの世界の侵略を企んでるのよ。いずれ、間違いなくやつはハルケギニアも攻撃してくるわ」

「ルイズの言うとおりね。それにしても、まさか先にエルフの国に現れるとは思ってもみなかったわ。それに、これまで、『聖地』がエルフの国のどこにあるのかは謎だったけど、まさか海の上だったとは盲点だったわね」

 してやったりと睨むエレオノールに、ビダーシャルは苦虫をかんだような不快感を覚えたが、顔には出さなかった。

 だが、ルイズやエレオノールは無言で逃げるのは許さないとばかりに睨んでくる。彼は、蛮人にこのことを明かすのは本来大罪であるのだが、もうほぼ推測されているだろうとして、あきらめることにした。

「……仕方がないな。確かに、お前たちのいう『聖地』、われらにとっての『シャイターンの門』は海上にある。ただし、このことは我らのなかでも最重要機密事項に指定されているので、一般の者には『竜の巣』とだけ教えてある。しかし……わざわざタブーを犯してまでその名を伝言させるとは、テュリューク統領も相当あせっているらしいな」

 ただシャイターンの門に異変があったと伝えるなら、竜の巣の正体を知っているビダーシャルならば「竜の巣で異変が起きた」だけですむはずだ。それを秘密が漏洩することを承知で伝言に入れるとは、危機の重大さを強調したかったからか。それとも、なにか別にもくろみがあったのか……ビダーシャルは、旧知の仲であるエルフの最高指導者の人を食った顔を思い浮かべた。

 

 使者のエルフは、ビダーシャルに伝言を語り終えると、そこで気力が尽きたのか沈むように気を失ってしまっている。

 彼は、ヤプールの呼び出した二大怪獣によって壊滅した第一艦隊の生き残りだという。ときおりうわ言を言いつつうなされているのは、あの戦いのことを夢に見ているからなのか。しかし、生きて帰れただけ、彼は相当に幸運だったといえるだろう。

 もっとも、彼と彼の愛竜ともに奇跡的に無傷で生還したおかげで、テュリューク統領の執務室に呼ばれたのは不運であったかもしれない。そして、労をねぎらうのもそこそこに、老エルフは彼に彼を呼んだ理由を説明した。

「よく来てくれたのう。さっそくじゃが、評議会の連中が大慌てで、わしもすぐに行かねばならんので手短に話そうかい。君は先日の、『竜の巣』での会戦の生存者じゃのう? おおまかなことは報告書を読んだが、どうじゃった? 実際に体験してみた敵の感想は」

「はっ、我らの力がまったく通じず。悪夢としか、いいようがないものでした……」

「そうか、ヤプール……と、そやつは名乗ったそうじゃな。わしも調べてみたが、そやつはここ最近、蛮人世界を荒らしている正体不明の侵略者だという。それがついにサハラにも手を伸ばしてきたということのようじゃ。それにしても、我らの力も通じず、精霊すら陥れるとは恐ろしい……だが、ほとんどの者は知らぬが、ヤプールはただ『竜の巣』を占領しただけではなく、もっと恐ろしいことをもくろんでいるのに違いない」

「もっと、恐ろしいことですか?」

「うむ、君を呼んだのはそのことで特別な任務を与えたいためじゃ。ただし、これからわしが語る秘密を他言しないと誓約し、なおかつ大変な危険もともなう。そのため君に拒否権を与える。これはわしの個人的な要望じゃ。拒否しても、君の軍歴に支障は残らんし、逆に成功しても功績にはならん。どちらかといえば命令というよりは頼みじゃ、どうかな?」

「いえ! 統領ご自身のたっての頼みがくだらないことのはずはありません。私もサハラを守る戦士の一員、喜んで誓約し、任務を請け負わせていただきます」

 そうして、テュリュークは彼にエルフの秘密を教えた。すなわち、『竜の巣』にこそ『シャイターンの門』はあり、敵がそこを占領したのはそれを狙っているからとして間違いないこと。そのために、蛮人世界に調査におもむいているビダーシャルを、すぐに連れ戻してほしいということを。

 

「了解いたしました。しかし、なぜわたくしのようなものにそんな任務を? 呼び戻すだけならば、ガーゴイルによる通信でもなんでもあるではないですか」

「いいや、敵の力をじかに体験した君の話だからこそ信憑性があるのじゃよ。それに、シャイターンの門を襲った敵は、我々が懸念していたシャイターンの末裔ではない、まったく別の敵じゃ。我々は正直、この敵に関してなにも知らんが、蛮人世界を見て回った彼ならば、なにかを掴んでいるかもしれぬ。間接的な方法では、間に合わないかもしれないんじゃ」

 

 そうして、彼は危険を承知で砂漠を横断する道を選んだ。しかし、統領直々の極秘任務ということではやりたち、若さと竜の力にまかせての強硬な横断は無謀にすぎた。砂漠を越えられただけでも奇跡、さらに力尽きたところにビダーシャルがいたとは、奇跡を超えて超越的な意思の存在を信じたくなったとしても無理はない。

「まったく無茶をする。しかし、おかげでサハラの危機をいち早く知ることができた。礼をいうぞ」

 ビダーシャルは、木の根元で濡れタオルで頭を冷やしながら眠っている彼に、ねぎらいの言葉をかけた。

 竜のほうは、砂漠の熱気から解放されるとたくましく息を吹き返した。これから、ビダーシャルは彼とともにこの竜に乗り、船のある場所へと急ぐことになる。しかし、その前にルイズやエレオノールは、ビダーシャルからシャイターンの門について可能な限り聞き出そうとした。

 だが当然のことながら、シャイターンの門に関してはいくら直接手を下すのを諦めたとはいえ、人間に教えることを彼は拒否した。

「まだ、お前たちを完全に信用しきったわけではない。この中の一人からでも、シャイターンの門の秘密が漏れたならば、それ幸いにサハラへの侵攻をもくろむ人間が出てこないとも限らんからな」

「う……」

 それを言われるとぐぅのねも出なかった。どんな世界にも馬鹿者はいるものだ。世界が危機にあることもわきまえず、己の独善でエルフに戦端を開こうとする愚か者にそんなことが知れ渡れば、せっかくかかりだした二つの種族の架け橋が崩されてしまうことは間違いない。かといって、ルイズたちは、ほぼ一方的にビダーシャルから情報を得ようとしていたわけだから、強く言う材料を持ち合わせていなかった。

 けれど、ヤプールがそのシャイターンの門に、なんらかの理由を持って現れたのならば、どうしてもある程度のことは知っておきたい。しかし彼を説得する方法が見つからないまま、立ち去ろうとする彼を見送りかけていたとき、才人が彼を呼び止めた。

「ちょっと待てよ。じゃあ交換条件ならどうだ? あんた、ヤプールのことを知りたいんだろう。教えてやるから、代わりにルイズたちにシャイターンの門とかいうやつのことを教えてくれよ」

「なに!? なぜ、お前がそんなことを知っているのだ?」

 ビダーシャルは、竜に乗ろうとしていた手を下ろして振り返った。彼としては、サハラを襲った敵の情報は本国に帰る上でぜひともほしいものであったから当然だ。しかし、ヤプールに関してはビダーシャル自身も滞在中に調べはしたものの、超獣と呼ばれる巨大生物をどこからともなく送り込んでくること以外、ほとんどなにもわからなかった。それを、教えてやると言われて、関心を持たないわけはない。

 才人は、ビダーシャルが食いついたことにほっとすると、彼の質問に答えた。

「おれはルイズの召喚魔法で異世界から来たんだ。ヤプールってやつは、元々はおれたちの世界で暴れていた侵略者なのさ」

 そう言うと、才人は信用を得るためにビダーシャルにGUYSメモリーディスプレイを手渡した。その精巧なメカニックに、ビダーシャルは息を呑んで見入り、ルクシャナやエレオノールが関心を持って触りたがるが、後でと言って抑えた。

 ただ、ルイズは才人の耳元で「秘密をそんな簡単にばらしちゃっていいの?」と、ささやいてくる。しかし才人は「もう、なりふりを構っているようなときじゃないだろ」と、リスクを負うことは覚悟だと返した。秘密を聞き出すためには、こちらもある程度の見返りは必要だ。

 ビダーシャルは才人にメモリーディスプレイを返すと、数秒悩んだ後に言った。

「わかった。ただし、話すのはお前が先だ。それで、信憑性を量る」

「疑り深い人だな。まあいいや、かいつまんで話すと……」

 才人は、かっこうをつけて咳払いをすると、自分の知っているヤプールについてのすべてを語った。

 異次元人ヤプール、その正体は、生物の邪悪な心の集合体である。やつは、優れた技術で怪獣と他の生物を合成して、生物兵器である超獣を作り出して、地球を攻撃してきた。

 人間側もこれを迎え撃ち、エースをはじめとするウルトラ兄弟の力も借りて、ついにヤプールを撃破することに成功する。

 しかし、ヤプールはマイナスエネルギーの集合体という性質上、完全に滅ぼすことはできなかった。

 パワーアップして何度も復活を続けるヤプールと、地球人やウルトラ一族との戦いは延々と続いた。

 その長さは、ウルトラマンAからメビウスの時代にいたるまでの、実に三十年以上にも及ぶ。

 むろん、常に現れ続けたわけではなく、なりを潜めていた期間はある。しかし、人間の知らないところでもヤプールの暗躍は続いていた。タロウに倒されてから力を溜め続けたヤプールは、二十年ほど前に究極超獣Uキラーザウルスとして復活を果たし、以来ウルトラ四兄弟の手で封印されてきたから、実質ヤプールは二十年近く生き続けていたことになる。

 その間にも、ひたすら人間とウルトラ兄弟への恨みを積み重ねてきたヤプールの怨念の深さは計り知れない。

「少し待て、それではヤプールが恨みを抱いているのはお前たちの世界ではないか。なぜ我々が狙われねばならない?」

「ヤプールは悪のエネルギーの集合体だって言っただろ。奴にとっては、自分以外のすべての生命体が侵略の対象に過ぎないのさ」

 才人はビダーシャルに、侵略そのものを目的としているという、生き物の常識を真逆にしたような存在こそがヤプールだと説明した。サイモン星人など、地球以外にもヤプールに滅ぼされた惑星が存在することはTACの時代から確認されている。

 奴らは自らを、暗黒より生まれすべてを闇に返すものと名乗る。命あるものを光とするならば、ヤプールは闇の存在、すなわち反生命と呼んでも過言ではないのだ。

 だからこそ、ヤプールを捨てておくことは全宇宙の破滅をも意味する。そのため、蘇るたびにウルトラマンたちは全力でヤプールを倒してきた。それでもヤプールはあきらめずに蘇り、今度は別世界からの侵略をもくろんだのだ。

 それらのことをメモリーディスプレイも使いながら説明し終えると、彼はようやく納得したようにうなずいてくれた。

「にわかには信じがたい話だが、言っていることには筋が通っている。その話が本当だとすると、我々は、恐ろしい相手に目を付けられてしまったようだな。このことは、すぐにでも本国に報告する必要がありそうだ。もし、逆上して総攻撃でもかけたならば大変なことになってしまう」

 才人はほっとした。この世界の人間からしたならば、信憑性どころか正気を疑われても仕方ない話だったが、ビダーシャルは信用してくれた。やはり、話の前に直接ウルトラマンAの戦いを見ていたのが大きいだろう。論より証拠、百聞は一見にしかずというのは、世界を問わずに通用する真理らしい。

 それからビダーシャルは、ルクシャナから一冊のノートを受け取った。それは、アカデミーに回収されたメカギラスやホタルンガなどの怪獣・超獣の調査結果を彼女がまとめたもので、これも評議会を説得する重要な材料になるだろう。ただ、一部の阿呆どもはそうもいかないかもしれないが、犠牲を少しでも減らせるにこしたことはない。

「がんばって説得してくれよ。ヤプールはいずれ、エルフや人間どころか世界中のあらゆる生き物を滅ぼす気だぜ。じゃあ、今度はあんたが約束を守る番だ」

「ああ、約束は守ろう。しかし、蛮人にこれを教えたことが知れれば、私も立派な民族反逆者だな」

 どことなく達観した様子ながら、ビダーシャルは約束を守ってくれた。ただし、どこに耳があるのかはわからないので、ティファニアやロングビルには明かさずに、ルイズと才人とエレオノールに限定され、メモをとることも禁じられた。もっとも、才人やルイズが聞いても大方はちんぷんかんぷんなので、詳しいことはエレオノールが後でまとめて教えてくれることになった。

 けれど、漠然とだがヤプールがシャイターンの門を狙った理由かもしれない情報を得ることができた。

 

”大厄災のあらゆる惨劇はシャイターンの門の向こう側からやってきたという。悪魔どもは、その門からありとあらゆる害悪を呼び出して世界を汚し、最後は自らも滅んだと、我々のなかでもごく一部のものには言い伝えられてきた。現在でも、シャイターンの門の周辺では用途不明な道具が発見されることが多々ある。それらは、現在でもわずかながら活動を続けているシャイターンの門から吐き出されたものらしい”

  

 災厄を呼び出す門。それだけでもヤプールが狙う理由は十分に思えるが、自らが作り出す超獣に絶対の自信を持っているヤプールから考えると、それだけでは納得できない。門というからには、どこかにつながっているのだろうが、そのどこかとはどこか? 虚無の担い手の召喚術は、次元をも超えて人間を呼び寄せる効果を持っている。となると、その門にはそれ以上の効果があると推測するべきだろう。

 『異次元人』が、『門』を手に入れる。単語のつながりだけでも、悪寒がひしひしとする。

 そのほかの情報は、トリステインに帰ったあとでエレオノールがまとめるのを待たねばならないが、少なくともいい予感はしない。

 話を終えると、ビダーシャルは竜で急いで帰還していった。

 

 あれから二日。彼はもうサハラに到着しただろうか? エルフたちが無茶な行動に出ないように抑えてくれているだろうか。

「まったく。ろくでもない遺産を残すと子孫が苦労するんだぜ」

 才人は、自分がこの星の人間でもないくせに、天国のブリミルにむかって悪態をついた。

 よい親は子供の成長のために良い田畑を残さないというが、いらない遺産を子孫に押し付ける先祖はなんだろうか。

 地球でも、東西冷戦時代に作られた星の数ほどの原水爆が、平和の障害として残っている。まともな使い道など皆無で、解体するにも莫大な労力と費用が必要な、最悪のゴミを押し付けられた子孫はいい迷惑である。

 そのとき、いつのまに起きたのかルイズが後ろから話しかけてきた。

「ずいぶんと始祖ブリミルに言いたい放題言ってくれるわね。異端審問にかけるわよ」

「ルイズ、起きてたのか?」

「あんたが深刻な声でぶつぶつ言ってるから目が覚めてね。まあ気持ちはわかるけど……なんか、一気に大変なことになってきたものね」

 ルイズも憂鬱な表情で、才人の隣から夜空を見上げた。青い月の光がルイズの桃色の髪に当たって、不思議な光沢となって輝いている。才人は少しのあいだ、その神秘的な美しさに見とれた。

「きれいだな」

 そう口にできればいいなと才人は思った。好きな女の子への褒め言葉も軽く出てこないとは、まったくいくじなしというか。でも、頭の中では言えるのだが、どうしても口にできない言葉というものはあるものだ。本当に、よくこんな自分を好きになってくれる女の子がいてくれたものだとつくづく思う。

 ただ、言えば言ったで照れて怒るだろう。才人は柄にもない考えはやめて、真面目な話をすることにした。

「また、戦いが始まるな」

「わかりきってることを言わなくてもいいわよ。こうなることは、とっくの昔に覚悟してたでしょ。いまさらおじけづいた?」

 毅然として言うルイズに、才人は「ああ……」と、ややあいまいに答えた。むろん、中途半端な態度はルイズに嫌悪され、彼女の才人を見る目が厳しくなる。

 だが、才人はむしろルイズがうらやましかった。いつでも肝が据わっていて、男の自分以上にたのもしく見える。やっぱり、地球で安全に育ったおれとはできが違うと、自分がずっと小さく思える。

 けれど、ルイズもけして才人を見下しているわけではない。ため息をつくと、ぽつりとつぶやいた。

「世界の心配するのもいいけど、少しはわたしのことも気にかけなさいよ……なんて、どうしてわたしって、世界が大変だってときに自分のことしか考えられないのかしらね」

「ん? なにか言ったか?」

「なにも! あんたはいつまでもかっこ悪いままねって愚痴ってただけよ」

 結局、どちらもどちらなのだった。自分にないものを相手に見て、なくていい劣等感を覚えてしまう。長所と短所、美点と汚点というのは、実は似たようなものなのである。

 しかし、そうしたことをすべて悟るには十六・七歳は若すぎる。世界というものがとても複雑で、数え切れないほどの矛盾を抱えていることを理解するには、もっと遠くまで歩き続けなくてはいけないだろう。そして、男と女が本当の意味で互いのことを理解しあうには、それこそ二人とも白髪になるくらいまで必要かもしれない。

 でも、それでいいのだ。自分の子供の考えていることがわからなくて悩む親があたりまえにいるのだから、赤の他人の考えていることなどわからなくて当然。むしろ、相手のことがわからないからこそ、気遣いや心配も生まれてくるというものだ。

 まだまだ大人と呼ぶには程遠い二人は、形容しがたいもどかしさをごまかすように話を続けた。

「まあ、エルフのことは別としても、意気揚々と帰るはずが、むしろ行きより気が重いぜ」 

「そうね。帰ってから、ティファニアの住む場所も探さなきゃいけないし、姫さまにはお祝いの席に凶報を届けなきゃいけないし。お母さまには怒られるだろうし……はぁ」

「心配事と考えなきゃいけないことが多すぎて、気がめいってくるな」

 そのほかにも帰ってからやることが山のようにあると、二人はそろってため息をついた。その中でも、とりあえずの課題はティファニアの帰ってからの処遇だ。ただ、これが相当に難題であった。

「ともかく、テファはしばらくトリステインに残ってもらうしかないよな。ウェストウッドに帰して、またさらわれたじゃシャレにもならねえ」

「それに、子供たちやあの子も、いつまでも森に隠れてるわけにはいかないでしょう。この際、人のいるところで暮らすことに慣れ始めたほうがいいわ」

「でも、ハーフエルフだってことを人に知られたら危険なんだろう。ロングビルさんはいつまでも仕事を休めないし、その点をどうする?」

 才人が尋ねると、ルイズは指をあごに当てて首を傾ける仕草をとった。

「姫さまに相談するしかないわね。ヴァリエール家が後ろ盾になってもいいけど、いくらわたしの家でも、トリステインでは一貴族にすぎないから……お話を聞いてくださるといいけど」

「あの姫さまは優しい人だから大丈夫だと思うぜ。でも、正直、助け出した後のことをろくに考えてなかったなあ」

 善は急げで行動したものの、終わったら終わったで頭が痛くなる。しかも、今度は単純ではなく、世の中というものが相手であるから、まだ世間知らずなルイズや異世界人の才人は正直手も足も出ない。しかし、連れ帰るからにはティファニアの将来に責任を持たなければならない。

「こんなとき、タバサがいてくれたらなあ」

 才人がおもわずそう愚痴ると、ルイズもすぐにうなずいた。

「そうね。こんなときはタバサの知恵に頼りたいわね」

 自分たちの中で一番の知恵袋のことを思い出して、二人ともほおを緩ませた。

 思えば、ずいぶん前からタバサには助けてもらった思い出がある。いっしょに行動したときは、必ずどこかでタバサの力に頼っているし、才人が地球に帰るかどうかで二人が迷っていたとき、舌鋒鋭く後押ししてくれたこともある。口数は少ないが、頭はいいし気はいいし、素性については知らないことが多いが、それはまあどうでもいい。ともかく、早く会いたい。

「おれたちが帰り着くころには、タバサとキュルケも学院に帰ってるかな。お母さん、病気だっていうけど大丈夫かな?」

「きっと大丈夫よ。でも、あまり頼りすぎるわけにもいかないし、わたしたちもがんばらないとね。先行きは……あんまり明るくないけど」

 確実に苦労が待っていると知って気が重くならない人間は少ない。しかし、それも無事に帰りつけたらという前提が実ってからのことである。今のところは大丈夫だが、いつ来るかわからないジョゼフからの攻撃に身構えておく必要がある。それで無事帰れたとしたら、虚無の残りの謎を探したり、並行してヤプールのハルケギニアへの攻撃へ備えなければいけない。まさに、体も頭もいくつあっても足りないことになりそうだ。

 しかし、決して悲観的なことばかりではない。才人には、大きく期待していることがあるのだ。

「異次元ゲートが閉じて、三ヶ月が過ぎた。もうすぐ、GUYSが第二の異次元ゲートを開けるはずだ。そうしたら、ウルトラ兄弟と力を合わせて、一気にヤプールをやっつけてやる」

 そう、地球でも来るべきヤプールとの決戦に備えて準備を整えているはずだ。同時に、M78星雲でも宇宙警備隊が出動態勢を整えているに違いない。ヤプールがパワーアップして復活したとしても、蘇ったばかりの今ならば不完全な部分が必ずあるはずだ。

 その期を逃さず、全力で叩き潰して、やつをこの世界から追い出してやる。そうすれば、またいつか蘇るとしても、かつてヤプールの復活に何度も関わったというエンペラ星人がすでにいない今なら、長い平和な時間を手に入れることができるだろう。

 メビウスは地球でがんばっているだろうか。あのときに託したガンクルセイダーやガッツブラスターはどうなっただろうか。

 またGUYSの人たちと会えるのが楽しみだ。それに、今度ゲートが開いたときにはいったん地球に帰って、GUYSクルーの入隊試験を受けさせてもらうことになっている。平和になったあとで、地球とハルケギニアの関係がどうなるかはわからないが、ふたつの世界を行き来することができるのは地球防衛隊員でなければ禁止されるだろう、地球に帰ってかつルイズたちと別れないために、GUYSライセンスの受験勉強をしてきたのだから、絶対に落ちるわけにはいかない。

 様々なことを脳裏に浮かべているうちにも、月は天頂から沈み始め、夜はさらにふけていく。

 才人とルイズは、明日にそなえて早く寝なければと思いつつも、今日に限ってやってこない睡魔を待ち焦がれて空を望み続けた。

 

 

 しかし、美しい夜空の下で、邪悪な陰謀をめぐらせているものたちは確実に存在する。

 才人たちのいる辺境から遠く、ガリア王国の首都リュティス。夜更かしな者たちが酒で天国を味わうとき、この国の王はグラン・トロワのバルコニーで、ひとりワイングラスをもてあそんでいた。

「美しい夜空よ。余が詩人であれば、ここで歌でもかなでるところであるが、余にとっては自然のおりなす芸術も、贅を尽くした宮殿の造形美も等しく空虚だ。この美酒も、余を酔わすにはいたらん」

 ジョゼフはそうつぶやくと、グラスに満ちた、庶民からすれば金が注がれているにも等しい液体をバルコニーからぶちまけた。

 一陣の風が舞い、飛び散った液体が赤い霧になって消えていく。しかし、数千のルビーが舞い散っていくようなその輝きも、ジョゼフの表情に変化をもたらすことはなかった。

「ふむ、確かブリミル歴六一八十年の逸品ものであったかな。父上がご健在であられたころは、シャルルが新しい魔法に目覚めるたびに、これで祝杯をあげていたっけなあ……しかし、父上の遺品を粗末に扱えば、少しは罪悪感が浮かんでくるかもと思ったのだが、別になにも感じんなあ。いや、料理を粗末にすることならば、王なら別にめずらしくもないな。ふむ」

 ジョゼフは空のワイングラスを手の中で回しながら、自分のした悪戯のできばえを確認する子供のように、しばらく独り言にいそしんだ。

「まったくもって、城暮らしというものは最高に退屈だ。これならば、酒場でうさばらしをしている庶人のほうがよほどに幸福といえようなあ。世の者たちは、なにゆえにこんなつまらない暮らしをすることにあこがれるのだろうか?」

 本当に不思議そうにジョゼフはつぶやいた。王の座というものは、余人たちは骨肉の争いの末に手に入れるのが当たり前のことだと信じているようだが、なってみるとこんなにつまらない身分はほかにない。すべての欲望がかなうとか幻想にすぎず、制限される自由と強制される政のなんと多いことよ。

 おかげで、毎回の暇つぶしにもいろいろと手間をかけなければならないと、ジョゼフは自分に同情したように苦笑した。苦笑したとはいっても、彼はガリア王家の血統である群青の髪と端正な美貌を持ち、引き締まった肉体を持つ長身の美丈夫であるために、そんなしぐさでも絵になった。だが、彼の心は美しさとは異種のものでしめられていた。

「政か……余にとっては庶人の暮らしなどはどうでもよいが、シャルル……もしお前が王であったならば、ガリアをよりよき国にするために奔走したのであろうな。ああ、もしそうなっていたならば誰にとっても幸せであったろうに、なぜ父上はお前を跡継ぎに指名しなかったのだろうな?」

 空をあおぎ、ジョゼフは三年前の先王の崩御のときのことを思い出した。あのとき、ジョゼフよりもあらゆる面で優れていた弟シャルルが次王になるものと、ジョゼフでさえも確信していたし、そのほうがよいと思っていた。しかし、先王が死に際にジョゼフを指名したことからすべてが狂った。

「父上、天国とやらから聞いておられますか? あなたの望みどおり、私は王になりましたよ。もちろん、王らしいこともちゃんとしております。弟を自らの手にかけ、その妻や娘も痛めつけるなど、まさに王の所業そのものでしょう?」

 死人が返事をすることなどないのはわかっている。が、それでもジョゼフは言わなくては我慢できなかった。あの日、父は病気でぼけていたのだろう。しかし、その一言がどんな結果をまねいたのかの感想を、父に聞けるものならぜひ聞きたい。落胆しているか、激怒しているか、後悔しているのか、少なくとも喜んではいるまい。父の顔を想像すると、ジョゼフはぞくぞくするものを感じた。

「でもね父上、それもあなたの責任なのですよ。ですから、私はあなたの軽はずみな言葉のとおりに王をやってきました。おおそうだ! よい知らせがあるのですよ。シャルロット、あなたの可愛がっていた孫娘が私の与えた任務をしくじりましてね。なんとも、仲間に毒をもれという簡単な仕事だったのですが。それで、心が痛むのですが王としては家臣の信賞必罰には厳しくないといけませんからね。少々おしおきを加えることにしたのです。もしかしたら、父上のもとにゆくことになるかもしれませんが、そのときには昔のようにかわいがってあげてください」

 ジョゼフが、ガリアから脱出しようとする才人たちを放置していたのはそれが理由だった。ジョゼフにとって、刹那の楽しみが終われば、それに対する興味は即座に失われてしまう。そして今、ジョゼフの関心は虚無にはなかった。

 答えぬ存在に向かって独語し、ジョゼフは髪をかきあげた。前髪の下から現れた瞳には、深い憎しみの光が宿っている。

「では父上、今日はこのへんで失礼いたします。王というものは激務でして、夜も昼も関係ありません。ですが、父上が私に与えてくれた。”王の責務”を、きちんと果たさないといけませんからね」

 過去の幻影に別れを告げると、ジョゼフは自らの寝室に帰った。

 寝室には明かりはなく、窓から差し込んでくる月光が唯一の照明となっている。しかし、晴天の月は人工の明かりを必要としないだけの光量を与えてくれている。そうして、ジョゼフは代々の王が腰掛けてきた年代ものの椅子に腰を下ろす。彼の前には細身の女性が頭を垂れて待っていた。

「ご気分がすぐれませぬか、ジョゼフさま」

「うむ、酒で気を紛らわせようとしたが駄目だな。年は人並みにとっているのだが、どうも酒に酔う楽しみというものはいまいち理解できぬ。酔えれたなら、少しは退屈もまぎれたろうにな」

「いえ、ジョゼフさまが酔う姿はあまり様になりませぬわ。それよりも、お楽しみの時間がそろそろ始まるようでございます」

 シェフィールドのその言葉に、それまで気の抜けた様子であったジョゼフの顔に、ぱっと生気が蘇った。

「ほう! ようやくやってきたか。待ちかねたぞ」

「はい、まもなく到着するもようです。すでに、仕掛けは完了し、あとはジョゼフさまにご観覧あらせられるのみにございます」

 そうしてシェフィールドは、ジョゼフの前に特別製の遠見の鏡を用意した。これは通常のものよりも映し出せる距離が長く、最大数百リーグもの遠方のものを映し出すことができる。ただし、映し出したいところにあらかじめ準備しなくてはいけない上に、扱いが非常に難しいので、シェフィールドにしか使えない代物であった。

「ふむ、まだ映っていないではないか?」

「申し訳ありません。なにぶん、リュティスの魔法アカデミーで失敗作とされたものを引き取ったものですから。もうしばらくお待ちください。調整に、あと少々かかりますので」

「不便なものだな。しかし、お前のおかげで余はこれまでいろいろと楽しませてもらってきた。これも、お前がいなくてはガラクタに等しい代物だ。頼りにしておるぞ、余のミューズよ」

「そんな、もったいないお言葉を」

 鏡を操作しているシェフィールドの手が震えるのを、ジョゼフはやや苦笑しながら見守った。

「ところで、例の仕掛けの取り付けには手を焼いたのではないか?」

 準備ができるまでの暇つぶしにと、ジョゼフが尋ねた。

「はっ、なにせ異世界の技術でできたものですし、下手をすれば私まで虜にされてしまいかねない危険な代物でしたので、細心の注意をはらいました。本来なら、私が直接映像を送りたかったのですが……しかし、着実に発芽し、成長しているのは確認しました」

「ならばよい。チャリジャ……あの男はなかなか楽しませてくれたが、もういないからな。残った駒は大切に使わねばならん」

 ジョゼフの手元には、ワープロのようなもので印刷された薄い冊子が握られていた。その表紙には、『怪獣カタログ』と、ガリア語で記されており、チャリジャのサインも書かれている。

 数日前、タバサとロングビルの戦いのあった夜。それが、チャリジャがジョゼフの前に姿を現した最後となった。

 いつものとおりの軽い口調と営業スマイルで現れた白塗りの似非紳士は、宇宙人の姿を現すとうやうやしく礼をした。そして、いつもどおりに二人の会話ははじまった。

 

「久しぶりだな。どうだ、近頃の景気は?」

「王様のおかげで、こちらでの営業も順調です。この星では、私どもの世界にはいない怪獣が豊富に見つかりますもので、大いに助かっております。私どもの商品のほうも、お気にめしていただけていますか?」

「ああ、どれも大いに役立て、楽しませてもらっている。だが、お前はそんなことを言いに来たわけではあるまい」

「ええまあ。こちらの世界もそろそろ雲行きが怪しくなってまいりましたので、そろそろ撤退を考えておりまして。でも、その前にお得意様に閉店セールのご案内に来たしだいであります」

 

 要するに、自分と手を切ると言いに来たチャリジャに、ジョゼフは怒ったりしなかった。むしろ、労苦をねぎらうように声を返した。

「ほお、そろそろ帰るということか。お前にはいろいろ役立ってもらっていたから惜しいものだな」

「申し訳ございません。私としてもこの世界には未練がありますが、物事にはなにごとも引き際というものがありまして。これをわきまえない商人は、よくて大損、悪くて破産するのです」

「ほほお、道理だな」

 怪獣バイヤーの処世術を、ジョゼフはうなずきながら聞いた。チャリジャが、怪獣バイヤーという危険な仕事をしながら今まで無事で来られたのは、危険が迫れば即座に身を引くあきらめのよさにあるという。たとえ、苦労をかさねて手に入れた怪獣でも、倒されてしまったらさっさと逃げるのが、生き残る秘訣なのだそうだ。

「私もこの世界でいろいろと仕入れさせていただき、王様には私どもの商品の実用試験をしていただきまして、本当に助かっておりました。ですが、そろそろ私の存在に気がつくものも現れ始めた様子。ここらが潮時ということですなあ」

「ははは、言いたいことをずけずけと言うやつよ。だがまあ、お前は言いたいことがあけすけだから話しておもしろいし、なによりも信用できる。にしても、やりたいだけやられて、気がついたときには元凶のお前はとうに逃げられていたと知ったら、お前の怪獣で痛めつけられたものたちは怒るであろうな。まあ余も、お前の怪獣は虚無をいぶりだすのに大いに役立たせてもらった。これ以上を望むのは、ちと欲深いであろうな」

「王様は無欲でいらっしゃいます。しかし私も商人のはしくれ、ひいきのお客様にはサービスさせていただきます。いくつか新商品のサンプルを持参いたしましたので、お納めください。では」

 そうしてチャリジャは一冊の冊子を残すと、すうっと消えていった。ジョゼフは冊子を手に取ると、ざっと流し読みした。

「ほほお、なかなかいいものが揃っているではないか……ま、道中気をつけていくことだ」

「ありがとうございます。それでは、ご縁がありましたら、また」

 こうして、ハルケギニアで暗躍した怪獣バイヤー・チャリジャは、あっけなくいずこかへ去っていった。

 しかし、ジョゼフの手元にはチャリジャの数々の置き土産が残っている。彼はそれらを、新しいおもちゃを手に入れた子供のように目を輝かせて検分し、一つの項目に目をつけたのであった。

「これだ。これがちょうどよい! はっはっはは! これならば、シャルロットよ。お前との最後のゲームにはまさにうってつけだ」

 そうして彼はシェフィールドに命じて、”最後のゲーム”のための準備を始めさせた。

 

 それが数日前のこと、そしてゲームの準備が整うのを心待ちにしていたジョゼフは、期待に胸を膨らませて遠見の鏡を調整しているシェフィールドを見守っている。

 けれども、人間はこれからがというところで邪魔が入るのが常であるらしい。突然、寝室のドアがノックされると侍従の声が室内に響いた。

「夜分失礼いたします。ロマリアの特命大使と名乗る者が、至急お会いしたいと申しております」

「こんな時間になんだ! 追い返せ!」

 当然のようにジョゼフは怒鳴り返した。が、侍従のおびえたような声が一瞬響いた後に、続けて彼が言った言葉がジョゼフの眉を動かした。

「そ、それが……ジョゼフさまの、ゲームに彩りを与えるお手伝いができると、そう言えば必ずお会いになられるなどと、そう言っておられますが」

「なに……」

 苛立ちが一瞬で消えて、続いて疑問が湧いてくる。なぜ、ロマリアがそんなことを知っている? もしや、ビダーシャルの頼みでロマリアの動きを探っていたのを気づいたのか。だが、どうしてこのタイミングで、なにが目的だ。

「おもしろい、会おう。どんな奴だ?」

「それが、恐ろしいほど美々しい少年でして。謁見の間で、待たせておりますが」

「ふふ、ロマリアめ。なにを企んでいるかは知らぬが、余のゲームに加えてもらいたいというか。ミューズよ、すまぬが少し席を外す。すぐに戻るが、あとを頼むぞ」

「ご心配めされずとも、始まるまでにはまだしばらく時間がございますわ。それよりも、ロマリアがなにを企んでいますか得体がしれません。お気をつけください」

 シェフィールドが頭を垂れて見送る前で、ジョゼフは肩をいからせながら大股に寝室の扉をくぐっていった。

 

 一方で、動き始めた遠見の鏡には、森の中にたたずむ大きな屋敷と、空のかなたから近づく一頭の青い竜が映り始めていた……

 

 

 続く



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第51話  タバサの最後の冒険・ジョゼフからの挑戦状

 第51話

 タバサの最後の冒険・ジョゼフからの挑戦状

 

 超古代植物 ギジェラ 登場!

 

 

 深夜……ガリア王国の象徴である壮麗なヴェルサルテイル宮殿も、すべての公務が終了した今は、警護の兵士以外の気配がない。

 だがその謁見の間において、国王ジョゼフは思いがけない客人をもてなしていた。

「で、ロマリアの特命大使どのが、このガリアの無能王にどんなご用件かね?」

 ジョゼフは尊大さを貼り付けた笑みを浮かべて、段下にひざまずいているロマリアの使者を見下ろした。

 ここにいるのは玉座にどっかりと腰を下ろしたジョゼフと、時刻の無礼を無視してやってきた特命大使の二人のみで、人払いした室内は兵士の一人もいない。大使を迎えるにはあまりにもふさわしくない態度だが、ジョゼフは気にも止めていなかった。本来ならばこんな時間、いかに特命大使であろうと叩き出すところだ。それで受ける不名誉や悪評などは、もともと無能王と呼ばれている自分にとっては痛くも痒くもない。

 ただ、今回やってきたこの男に対しては、それに加えてせっかくの楽しみに水を差されたことも合わせても、例外とするに値するだけの興味をジョゼフは抱いていた。

 床に片膝をついた姿勢のまま、特命大使は答える。

「無能王とは、謙遜が過ぎるというもの」

「謙遜などではない。事実国民も、議会も、役人も、貴族も、この私を"無能"と呼んでさげすんでいる。内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を売り渡すと唾棄している。城の奥でひとり遊びをさせておけばよいのだと、みなで口裏を合わせたように言い合っている」

「ですが、あなた様はご立派に王を務められていらっしゃる。幼少のみぎりから、その知力は天賦のものと噂されてきたジョゼフ一世陛下。ハルケギニア最大の王国の頂点を、凡人が勤め上げられるはずはありますまい」

 非常に特命大使はジョゼフを持ち上げた。もしも、ジョゼフが本当に愚王であったなら、ここでいい気になっておだてに乗ったであろう。しかし、ジョゼフは眉をわずかに動かしもせずに言う。

「それは、余の体に流れる血のためにすぎん。始祖の作った王国を受け継ぐものは、始祖の血を受け継ぐ王家のものでなければならんと、馬鹿正直に代々受け継がれてきた伝統がな。余は、たまたまその血を受け継いで生まれてきて、そして最終的にたまたま余しか後継者がいなくなったというだけのことだ」

 言葉は自嘲的に、表情はせせら笑うようにジョゼフは言う。気の弱い者であれば、そのアンバランスさから発せられる不気味さに身震いしたであろう。しかし彼は、先程ジョゼフが自分のおだてになんの反応も見せなかったのを仕返すように、端正な顔立ちに一切の変化を見せなかった。

「それは、始祖の血が陛下を選んだということでありましょう。始祖ブリミルの偉大なる意思は、六千年を経た現在も連綿と生き続けております。陛下が陛下でいらっしゃるのも、すべては神と始祖のご意思によるもの。何人にそれを否定する資格がありましょうか」

 こいつ……と、ジョゼフは内心で苦笑した。トリステインやゲルマニアがたまに送ってくるでくの棒であったら、つまらない世辞で機嫌をとり、少しおどしをかけてやれば愛想笑いを引きつらせるものだが、どうやらものが違うようだ。

 若いくせに、かなりの場数を踏んでいると読んで間違いあるまいと、ジョゼフは特命大使を吟味するように見下ろす。

 ともかく、第一印象は”美しい”と、ほぼ万民が口をそろえるような美少年である。見事な金髪と、絵画から抜け出てきたような整った顔立ち。それだけではなく、シャンデリアの明かりを受けて、それ以上に輝く彼の瞳は、左側はとび色だが、右は逆にサファイアを削りだしたような碧眼であった。左右で瞳の色が違う、月目と呼ばれる特異な眼色が印象を強くする。

 しかし、年恰好は成熟してはおらずに、およそ十七か八、もっと若いかもしれない。その残った幼さが、逆に飛びぬけた美少年の度合いをさらに増させている。

 だが、見てくれなどは些細な問題である。男の顔で虜になるのは小娘だけで充分で、ジョゼフが知りたいのは白磁器のような皮膚の向こう側にある、黒いものだった。

「ほほお、つまり余は神に選ばれてこの世に生を受けてきたというのか。それは身に余る光栄だな。しかしまた、そんなことを伝えにこんな時間にわざわざご足労くれたのかな? あいにくと、もう寝ようと思っていたから頭がぼんやりしてなあ。ありがたいお話もいまいち頭に入りそうもない。そろそろ目の覚めるような話をいただきたい」

「これはご失礼をば、では少し古いお話をお聞かせしましょう。ご存知のとおり、ハルケギニアの三つの王家の開祖は始祖ブリミルの三人の子からなり、あとひとり始祖の弟子がロマリアを作り、それが六千年間連綿と受け継がれて、現代までいたります。そして、始祖は三人の子と弟子に四つの秘宝と、四つの指輪を遺産として残しました」

「それがどうした? 各王家に伝わる四つの秘宝と四系統の指輪、そんなものハルケギニアの民なら誰でも知っている。我がガリアには、始祖の香炉と土のルビーが伝わっているな。なんなら、見せてくれようか?」

 そう言うと、ジョゼフは指にはめた指輪を手のひらを振って見せてやった。

「はい、それぞまさしく土のルビー。この世に二つとない宝です」

「だからどうした? さらに眠くなってきたぞ」

「申し訳ございません。ですが、前置きは必要ですのでお許しください……それら秘宝には、始祖の血と意志が込められているとロマリアでは言われておりました。そして、最近になって……とある予言が発掘されたのです」

「ほう、言ってみろ」

 ジョゼフは興味を持ったふうを装った。

「始祖の力は強大でありました。彼はその力を四つに分け、四つの秘宝と指輪に託しました。また、力を受け継ぐものもそれぞれの血筋に四人としたのであります。その上で、始祖はこう告げました。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手、四つの四が揃いしとき、我の虚無は目覚めん』と」

 それは、才人たちが虚無の祈祷書やデルフリンガーから聞いたものと、ほぼ同じ内容のものであった。

 ジョゼフは、内心は平静ではあるが表情には関心を持ち始めたような動きを、意識的に筋肉に命じた。虚無に関する大まかな知識はとうに持っている。彼はしばらく、特命大使に合わせて虚無の講義を受けたが次第に飽きてきた。

「なるほど、さすが数千年来始祖の研究をしてきたロマリアの方だ。始祖のしもべのひとりとして、大いに勉強になる。だが、そなたは余の信仰心を試すために来たのかな?」

 これ以上もったいぶるなら帰れと、言外に言っていた。事実、シェフィールドに用意させたゲームの時間がせまっているし、さっさと切り上げたい。おもしろい話が聞けるかもと思ったが、ジョゼフは子供のころから坊主の説教は嫌いであった。

 すると、ジョゼフの不機嫌を悟ったように、特命大使は一礼すると表情を改めた。

「教皇陛下のお考えはこうです。虚無の力は、四分の一に分かれていてもなお強大であり、野放しにしておくわけにはまいりません。そこで、虚無の担い手を見つけ出し次第、我が国に伝えていただきたいのです」

「ほう。さすがは平和と愛を象徴するロマリアの教皇陛下、ご懸命でいらっしゃるな。しかし、それを知っていかがなさるおつもりであるのかな?」

「ご安心ください。我が国には野心のかけらもございません。ただ、真の意味で始祖の御心に添いたい……その一心のみにございます」

「始祖の御心か。すまぬが、この無知な子羊にわかりやすく伝授していただけるかな」

「我らロマリアは、聖地を回復する。それ以外になにも考えてはおりませぬ」

 ジョゼフは目を細めて特命大使を見た。聖地を回復する以外に何も考えていないということは、民の平和や生命のこともか? そう尋ねたい思いでむずがゆくなってくる。と同時に、彼は特命大使に自分に似たなにかと、自分とはまったく違うなにかを感じ取った。

 例えるなら、人間という枠組みから踏み出してしまった者の発する生理的な違和感。ジョゼフは自分自身もまともではないと思っているが、こいつもどこか正気のまま狂っているようなそんな感じがする。ただ、単なる狂信者というには何かが違っている。その何かはわからないが……

「ふむ、始祖のしもべとしては協力せざるを得ないであろうな。しかし、余も民草の血税をもって政を為す立場。始祖の御心に添うために政をないがしろにしては始祖も悲しまれることだろう。教皇陛下にはおわかりいただけるものと思うが」

「おっしゃるとおりでございます。そこで、ロマリアからは見返りとして陛下の欲するものをご提供いたそうと考えております」

「ほお……それはなにかな?」

 瞳に本物の興味の光を宿してジョゼフは尋ねた。

「陛下の御心の空白をお埋めするお楽しみのための、ゲームのイベントを提供しようかと考えております」

「ほう? 余のゲーム、それはなんのことかな?」

「おとぼけにならずとも、教皇陛下はすべてをご存知でいらっしゃいます。かの、レコン・キスタの成立に何者の後ろ盾があったのかも、当初よりつかんでおりました。そして、陛下が今なにを求めているのかも、その上で我らは陛下のお味方になろうとしているのです」

「ふ、そこまで知っているのならば、そろそろつまらぬ腹の探り合いはやめるとするか。確かに、余にとってはガリアはおろかハルケギニアがどうなろうと知ったことではない。世界なぞ、せいぜい暇つぶしのためのおもちゃ箱くらいにしか思っておらん。そんな余に、聖なる神のしもべが手を差し伸べてくれるというのかね?」

「はい、それだからこそ我らは陛下を友としたいのです」

 王としては言ってはいけない言葉を平然と口にするジョゼフに、大使は動じたふうもない。さらに、試すようなジョゼフの視線に、彼は形のよい口元にわずかな歪みを作って見せた。

「我らロマリアは数千年間じっと待っていたのです。聖地を取り戻すために必要となる、真の神の使徒を。陛下こそ、我らの願い続けてきたその人、代わりはおりませぬ」

「解せんな。余の欲を刺激して懐柔しようにも、なぜ余でなければならん? 始祖の御心とやらに従うのならば、トリステインの小娘やアルビオンの小僧のほうが操りやすかろう。奴らは信仰心の一言においても余とは比較にならんだろう。おそらく、使命感に燃えて虚無を探すに違いあるまい。言ってみよ」

「彼のものたちはいけません。聖戦においては、エルフと我らのあいだに多くの血が流れるでしょうが、彼らはそれに耐えられますまい。おじけづき、虚無を隠そうとするやもしれません。その点、陛下ならば聖戦のための些細な犠牲などお気になさらないでしょう」

「まあな」

 なるほど、こいつは狂っているなとジョゼフは思った。目的のためなら手段を選ばず、というやからか。かつてエルフに大敗したときの記憶から、あきらめられかけてきた聖地奪還を再開しようとする身の程知らずはかつてからいたが、こいつらは虚無というおもちゃを見つけてはしゃぎたくなったというわけか。

「そういうことならば、余も協力を惜しむつもりはない。虚無でこの世界がよりおもしろいゲーム盤になるというならば、断る理由はなにもないからな」

「感謝いたします。教皇陛下もきっとお喜びいただくことでしょう」

 深々と頭を下げる大使を、ジョゼフは余もすばらしい友を持ててよかったとねぎらった。しかし、声色や表情とは裏腹に、視線は大使を冷ややかに見下ろしている。

 

 なにかがひっかかる……ジョゼフはそう感じていた。

 

 単に聖地奪回に狂奔する、愚かな狂信者ならばこちらが利用して楽しむ方法もあるだろう。聖戦に加担することになるのも別にかまわない。ビダーシャルとはすでに手が切れてしまっているし、奴からほしいものはだいたい手に入れた。

 ただ、本当に単純に聖地奪回だけが目的なのか? こいつの顔は、いわゆる人たらしの顔だ。人間とは浅はかな生き物であるから、毒草でも花を見れば美しいという。金髪に月目、象牙細工のような顔立ち、花に例えるにしても適当な花が見つからないほど美しい容姿を持つこの少年は、それでまだなにかとてつもない毒を隠しているのではないか?

 また、こいつの後ろのロマリアも、本当に重要なことはまだ隠しているだろう。

 物的証拠はない。ただ、話が自分に都合がよすぎるのも事実だ。奴らが破滅するのを眺めて退屈しのぎをするのも一興だが、パートナーのヘマで自分までゲームオーバーになっては様にならない。

 ジョゼフは一計を案じた。

「教皇陛下には、私が喜んでいたと伝えてもらいたい」

「必ずや。それで、まずは陛下にお願いしたきことがあるのですが」

「おっと待たれよ。ことはそう焦るものではない。余としても、友の頼みは聞いてやりたいとは思っているだが、いかんせん不信心であった余は神への奉仕の仕方にうとい。そこでだ、聖なる神の戦士であるそなたらに、神の威光を余に教えてもらいたいのだ」

「それは、具体的にはどのように?」

「なに、余は単純な男だからな。説教などを聴いても眠くなるだけで頭に入らん。見せて欲しいのだ、"奇跡"を」

「奇跡、でございますか?」

「そうだ。坊主どもは常日頃から神の奇跡を高らかに歌い上げておる。まして、ロマリアはブリミル教の総本山。さぞや人知を超えた奇跡の御業を持っているに違いない。そのような奇跡を目の当たりにすれば、きっと余にも不動の信仰心が芽生えるに違いない!」

 大仰に身振りを交えて言い放ったジョゼフは、内心で人が悪い笑みを浮かべた。

 さて、漠然と奇跡と申し付けてやったが、こいつはどうする? 無理難題を押し付けることなら自慢ではないが慣れている。くだらないことだが、こういうことは娘に受け継がれていると自覚もしている。もっとも、イザベラが押し付ける無理難題は一つ残らずシャルロットにつぶされてしまっているが、こいつにシャルロットほどの器量があるか? ないならば、自分のゲームの相手としては不適当、ただ覗きが得意なだけのネズミに過ぎない。

「わかりました。それでは、陛下に我々の持つ奇跡の一つをご覧にいれることにしましょう」

「ほお、それは光栄だ。して、どのような奇跡なのかな?」

「それは秘密です。あらかじめ教えては驚きが半減いたしますからね。それに、ここは狭いので少々準備させていただきたいのですが」

「奇跡に準備が必要なのか? それは初耳だな」

「いじわるを申されます。虚無の呪文も、その強力さと引き換えに長い詠唱時間を必要とするといいます。ましてや奇跡ともなれば、些少の時間はいただきませんと」

「まあよかろう。それで、いかほど必要としたいのかな?」

「なにせ、神の気まぐれもありますので未知数と。それでもさしてお待たせはしませんので、陛下は現在のゲームの続きをなさっていてください。終わる頃に、こちらからお知らせいたします」

 そう言うと彼は立ち上がり、一礼して退出しようとした。その背中へ向かって、ジョゼフは呼び止めた。

「待ちたまえ」

「ご心配めされずとも、私は逃げませんよ。なんなら、ご自慢の花壇騎士の方々を見張りにつけられてもけっこうです」

「いやいや、余はそんなに疑り深くはないよ。それよりも、肝心なことを聞き忘れていたことに気づいてな」

「はて、私はなにか語り忘れたことがありましたかな?」

 首をかしげる大使に、ジョゼフはそうではないというように手のひらを振り、口元に笑みを浮かべた。

「名前だよ。聞いたかもしれんが、寝不足ぎみだったおかげで覚えてなくてね。すまぬが、もう一度聞かせてくれぬか?」

 すると大使は人懐っこい笑みを浮かべると、歌うように答えた。

「ジュリオ・チェザーレ……そうお呼びください」

 それを最後に、彼はかろやかな足取りで去っていった。

 残ったジョゼフは、こみあげる笑いをこらえながら独語した。

「くっくく……ジュリオ・チェザーレか。偽名にしても、もう少しひかえめなほうがよいと思うがね。いや、古代のロマリアの大王の名を拝借するとは、なかなか大胆不敵。少しは期待してもいいかな」

 ユーモアと度胸のあるやつは嫌いではない。ジョゼフは笑いをかみ殺すと、シェフィールドを待たせてある寝室へと向かった。

 時計を見ると、話していた時間は十分ほどか。長話をしていたように思われたが、意外と短かったのはふざけた名前の大使の話術が長けていたからか。いずれにしても、寝室へ急ぐ足は自然と速くなる。

 

「待たせたな。どうだ? 具合のほうは」

「お待ちしておりました。ちょうど、今が一番よい時期でございます」

 シェフィールドが王の椅子の前に遠見の鏡をすえると、ジョゼフはどっかと椅子に腰掛けて足を組んだ。

 鏡には、美しい森林の中にたたずむ立派な屋敷が鮮明に映し出されている。それは過去、王位継承にもっとも近しいと言われたオルレアン公・シャルルの邸宅であった場所。三年前までは、彼を慕う大勢の貴族で賑わい、彼の家族が庭で遊んで、ジョゼフも少なからぬ数訪問した思い出のある風景だ。

 しかし現在は、王家の紋章には不名誉印が刻まれ、訪れるものもほぼ絶えた、時代の忘れ物のような寂しい場所である。

「懐かしい風景だな。この庭で、シャルルと乗馬の腕を競ったのも遠い思い出のようだ」

 感傷に浸るように、ジョゼフは目を閉じてつぶやいた。けれど、次に目を開いたときには、その瞳は残忍な光であふれていた。

 両手を広げて、ジョゼフは抱き寄せるようなしぐさをとる。まるでいとおしいものにするように、しかし心の内では抱きしめたものが締め上げられて苦しむ声を聞きたいと狂奔しながら。

「ふははは! ようやくやってきたかお前の家へ。シャルロットよ、待ちかねたぞ!」

 屋敷の庭に降り立った一頭の青い竜、その背から下りてきた青い髪の少女に、ジョゼフの視線は釘付けとなる。

 あの日、任務に失敗したときからジョゼフはタバサがもはや二度と自分のもとへは戻るまいと思ってきた。当然だ、飼い主の命令に反した犬がどういう目に合うかは子供でもわかる。そして、仲間を手にかけろと命じた自分に、シャルロットがもはや従うはずがないとジョゼフも理解している。

 だからこそ、首輪が外れてしまった犬は早めに処分しなければならない。しかも、ただ始末するだけではもったいない。一思いにするのではなく、じっくりと楽しまなくてはかいがない。

「よくぞ来たな。余からのゲームの招待、受け取ってくれたようでうれしいぞ。くくっ、といっても来さざるをえんだろうな。なにせ、勝利の報酬はお前の母親の命だ」

 鏡に映るタバサに話しかけるようにジョゼフは独語した。

 タバサが才人たちの元から去って少し後、ジョゼフはタバサにゲームへの招待状を送っていた。そこに記されていた内容は。

 

『シャルロット・エレーヌ・シュヴァリエ・ド・パルテル。右の者のシュヴァリエの称号と身分を剥奪する。追って書き。上記の者の生母、旧オルレアン公爵夫人の身柄を王権により拘束する。保釈金交渉の権利を認めるゆえ、上記の者は、一週間以内に旧オルレアン公邸に出頭せよ』

 

 これを代筆したのはシェフィールドだが、読んだとたんジョゼフも失笑してしまった。体裁は整えているものの、かいつまめば『母の命が惜しかったら、お前の家に来い』の一言で済む内容の薄さだ。当然、タバサもそんなことは百も承知で、罠があるのを覚悟してやってくるだろう。

 ただ、ジョゼフは本心でうれしかった。自分とは逆に、外面は凍りつかせていても、人としての心を強く持ち続けているあの娘が、仲間を失った衝撃から自決もせずによく来てくれた。よく見れば、シャルロットと並んで赤毛の娘の姿も見える。シャルロットが仲間の元から姿を消してからは、チャリジャの相手と奴の置き土産に夢中になっていて目を離していたが、恐らくその間にあの娘がシャルロットになにかしたのだろう。

「よい仲間を持ったようだな。誰からも嫌われる余と違い、その人望はシャルル譲りかな……まあ、死出の道連れが多いほうが、お前も寂しくなくていいだろう」

 ゲームに不確定要素は大歓迎だと、ジョゼフはキュルケの存在を意にも介さない。

 それにしても、母親を餌に娘をおびき出すという容赦のない仕打ちを実行するには、シェフィールドでもなければ到底従いようもない。

 彼らには良心が欠落しているのだろうか? いや、善悪以前のところ、人間としてなくてはならない何かが彼らにはないに違いない。

 庭を歩き、旧オルレアン公邸の門に向かうタバサとキュルケを、ジョゼフとシェフィールドは楽しそうに眺める。

「ジョゼフさま、いよいよゲームのはじまりでございますわね」

「ああ、シャルロットよ。お前の武勇談が今日で終わってしまうのは残念だが、まあ、仕方がないことだ。しかし、感謝してもらいたいな。本来ならば即座に処分するところ、これまで存分に働いてくれた恩がある。もしもこのゲームにお前が勝てば、母とお前は自由にしてやろう」

「ジョゼフさま、しかしそれでは飢えた竜を庭に放すようなもの。よろしいのですか?」

「かまわぬ。なにも叔父らしいことをしてこなかった余からの、せめてもの侘びだ。希望の一つも持たせてやるのが筋というものだろう。なにより、リスクのないゲームほどつまらないものはない。それでは余が楽しめないではないか」

「なるほど……御意に」

 納得したシェフィールドは、ジョゼフのかたわらに控えて、テーブルの上のグラスにワインを注ぐ。ジョゼフはそのワインを手に取り、高らかに掲げ上げた。

「シャルロットよ。お前の無事を祈って乾杯しようではないか。これがお前と余の最後のゲームだ。楽しませてくれよ!」

 ぐっと赤色の液体を喉に流し込むのと同時に、屋敷の門が開かれた。

 

 

 旧オルレアン公邸、タバサの家はしんと静まり返り、屋敷には一部屋たりとも灯の気配はない。

 ぎいと、年代を重ねた扉が開く音がし、屋敷の入り口が地獄の門のように口を開ける。

「真っ暗ね」

 邸内に一歩足を踏み入れたキュルケが、月光も届かない廊下の先を見てつぶやいた。

 以前来たときは、老執事のペルスランに迎えられた屋敷が、今では何十年も人を寄せ付けなかった幽霊屋敷のように変わり果てている。

 ペルスランや、ほかの使用人たちはどこへ行ったのだろうか。まさか、ジョゼフの使者がここに来たときにもろともに?

 不吉な予感に、老執事の誠実で温厚な人柄を覚えていたキュルケは、ぎゅっと手に持った杖を握り締めた。

 しかし、一瞬ためらいを見せたキュルケとは違い、タバサは邸内へと静かに足を進めていく。

「タバサ! 待って、罠があるかもしれないわよ」

 けれども、タバサは振り返りもせずに進んでいく。その恐れを知らない足取りに、キュルケは自身のおびえを笑い飛ばすようにつぶやいた。

「そうね。戦うって、決めたんですものね。待ってよ、わたしを置いていかないで!」

 走ってタバサと並んだキュルケは、頭一つ以上小さいタバサの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回してもてあそんだ。

 だが、タバサに嫌がるそぶりはまったく見せずに、むしろ自分からキュルケの手に合わせて頭を動かしているようにも見える。なによりも、その瞳はまっすぐと前を見据えて揺るがずに、才人たちの元から逃げたときの弱弱しさは微塵も残っていない。

 あの視線の鋭さは……目を離したわずかな時間になにがあった? 邸内に仕掛けられたマジックアイテムを通して覗き見、ジョゼフやシェフィールドがいぶかしんでいるのをタバサは知るよしもない。しかし、生半可な覚悟でここに来ているわけではないのは確かだ。生家といえど、今やここは敵地、なにが待ちうけているかわからず、しかも今度は本気で殺しにきているのが明白な罠の中に飛び込んでくるのは、自殺志願者か大バカか、でなければ罠など眼中にない鬼しかない。

 そのどれに値するのかをジョゼフが確信したのは、屋敷の中央の吹き抜けのホールに踏み入れたときだった。

 ホールに面した扉が一斉に開き、一階と二階のすべての扉と通路の奥から矢が射掛けられてきた。矢玉の数は少なく見積もっても二百を超え、ホールの中央に立つ二人の四方から隙間無く撃ちかけられてくるそれを回避する術はない。

 しかしタバサの反応は、沈着かつ冷静だった。軽く杖を振るだけで、彼女の周囲の空気に含まれる水分が凝結し、ガラスの壁のような氷の防御壁が築かれる。矢は薄く張られた氷の壁を射抜くも貫通しきれず、氷を串刺しにし尽くすと、役目を終えた氷の壁ごとホールのカーペットに舞い散った。

「やるぅ」

「次、鉄くずが五十ほど」

 口笛を吹きながら賞賛するキュルケに、タバサはじっと前を見据えながら言った。

 矢が飛んできた扉や通路から、今度は剣や槍を持ち、全身を鎧で固めた騎士が飛び出してきた。しかし、目には眼球の代わりに不気味に明滅する光が宿っており、それが人間でないのがわかる。

「ガーゴイルね」

 キュルケがつまらなそうに言う。意思を吹き込まれた魔法人形・ガーゴイル。人間以上の身体能力と、傷ついてもひるまずに、死を恐れないそれは、ときにメイジ以上の強さを発揮する。特に金属製のガーゴイルは、よほどの高熱を浴びせなければ倒せないので、火のメイジにとっては厄介な相手だ。

 しかしタバサが代わろうかとするのを制して、キュルケは優雅に杖を振った。

「わたしだって、あなたたちといっしょに色々冒険してきたのよ。まあ、あなたは精神力を温存してなさいって」

 軽口を叩いて呪文を唱えたキュルケは、タバサを小脇に抱えると『フライ』を唱えた。ふわりと二人の体が宙に浮き上がり、四方から襲ってきていたガーゴイルたちは、彼女たちの足の下で団子状態になる。ガーゴイルは自動で動くが、人間のような細やかな動きや、なにより他者に配慮して動くことができないので、互いの武器がからまりあって身動きがとれなくなってしまった。

 離れたところに飛びのいたキュルケは、彼らの頭上に向けて『ファイヤーボール』を放つ。ただし、直接ガーゴイルを狙うのではなく、その頭上の豪奢なシャンデリアの鎖を根元から焼き切る。

 するとどうなるか、落下してきた五百キロはあるシャンデリアの下敷きになり、ガーゴイルの軍団はあっさりと生き埋めになってしまった。

「いっちょあがりね。どうタバサ? わたしの手並みのほどは」

「邪道。火の本質は破壊と情熱じゃなかったの?」

「そうよ。でも、不調法な出迎えに本気出してやったら悔しいじゃない。あ、シャンデリア壊しちゃってごめんね」

 思い出したように謝るキュルケに、タバサはやれやれと視線をずらした。ガーゴイルたちは、シャンデリアの下敷きになったくらいでは壊れはせずにうごめいているが、間接部にガラスの破片でも混ざったのか立ち上がってくるものはない。

 タバサは、シャンデリアは別に惜しくないものの、キュルケらしくもないからめ手に、自分の影響を自覚せざるを得なかった。朱に交われば赤くなるというが、まあやりかたは彼女らしい豪快さではある。

「キュルケも……変わった」

「ん? まあね。ちょっと悔しいけど、タバサはわたしより強いじゃない。真正面から挑んで勝てなくても、知恵を使えば案外あっさりいけるって。なんか、肩はってたのがつまらなくなってきてね」

 からからと笑うキュルケは、タバサの肩をぽんと叩いて、「んじゃ、あのガラクタが起きてくる前にちゃっちゃと先行きましょうか」とうながした。タバサもうなずいて、二人はガーゴイルたちに背を向けると、屋敷の奥へと続く廊下を歩き始めた。

 もはやガーゴイルなど眼中にもない。豪胆というよりも、不敵と呼んでいい二人の少女の戦いぶりに、ジョゼフは鏡の向こうから拍手を送っていた。

「いやいや見事、あのガーゴイル軍団をあんなにあっさりといなしてのけるとは、我が姪ながらなんとも痛快よ。ミューズよ、あのガーゴイルは確かメイジ殺しと呼ばれた戦士たちの動きを写し取った特製であったそうだが、あいさつ代わりにもならなかったな」

「面目次第もありません。数の多さがかえってあだになってしまいましたようです。しかし、弁解をお許しいただけるならシャルロットさまの詠唱の素早さと防御魔法の威力を見るに、すでにクラスはスクウェアに相当するものに上がっているものと思われます」

 恐縮して、シェフィールドは頭を垂れた。しかし、ジョゼフはガーゴイルの敗退などは意にも介していない。

「まったく、シャルルのやつもあの世で鼻が高かろう。それに、ガーゴイルを仕留めた赤毛の娘も、あの状況でよくも平然と策をろうせたものだ」

「わたくしが調べましたところ、ゲルマニアのフォン・ツェルプストー家の令嬢にあるようです。クラスは火系統のトライアングルとのことですが」

「ふふ、場合が場合なら花壇騎士の隊長にでも招きたいところだな。東や西のぼんくらどもより、よほどものになるだろう。これはまた、予想に反しておもしろくなってきた……しかし、この先はメイジのクラスなどは役に立たんぞ。さあて、シャルロットよ、その先だ。その先に母はいるぞ、ふふふ……はーっはっはっは!」

 含み笑いから高笑いに変わるなか、鏡の中でタバサが母の居室の前に立ち、ドアノブに手をかけた。

 

「行く」

 ドアノブをひねったタバサの前で、扉はあっさりと二人を中へと招き入れた。

 明かりのない室内には、大窓から月光が差し込んでおり、見渡すのに不便はなかった。

 中の風景は以前と何も変わっていなかった。見慣れたベッドと小机が、そのままの形で置かれている。

 室内に人影はなく、タバサの母はベッドの上に変わらぬ形で寝かされていた。

「母さま」

 ベッドに駆け寄ったタバサは、すぐに母の様子を確かめた。呼びかけても返事はなく、静かに寝息を立て続けているところを見ると、薬かなにかで深く眠らされているらしい。念のためにディテクトマジックで調べてみるが、特に魔法をかけられているわけでもなさそうだ。

「タバサ、お母さんの様子は?」

「大丈夫、眠らされているだけみたい……よかった」

 ほっとした様子のタバサに、キュルケもほおの筋肉を緩ませた。しかし眼光は鋭いままで、部屋の中を油断なく見渡している。

 しかし、あっけなさすぎると、キュルケは内心でいぶかしんでいた。ここに来るまでは、腕利きの傭兵メイジでも大勢で待ち構えているかもと用心していたのだが、待ち構えていたのはガーゴイルだけとは少なすぎないか?

 仮にもタバサは北花壇騎士の一員、しかも三年ものあいだ、特に実行が困難と思われる任務ばかりを選んで押し付けられていたために、その実力のほどは敵も重々承知しているはずだ。もし自分がジョゼフの立場なら、可能な限りの戦力を結集して襲わせるだろう。

 もしかして、あのガーゴイルの攻撃だけで勝てると思っていたのか? 確かに、あれだけの数のガーゴイルに一斉に襲い掛かられたら、並の使い手では反応もできずに惨殺されてしまうだろう。以前の自分でも、パニックに陥ったあげくに血まみれの死体にされるのが関の山だ。

 だが、相手はタバサなのだ。仮に自分がいなくても確実にガーゴイルを退けることはできたに違いない。

 ならば、こんなに防備が薄いのはなぜか? タバサの母にこれといって仕掛けが施されている様子もない。考えられる策は、病気の母親という足手まといをあえて渡し、戦力を削ぐことにあるのかもしれない。

 だったら、ともかく長居は無用だ。窓の外を見ると、待機していたシルフィードがうれしそうに旋回しているのが見える。罠が待っているならば、敵が次の手を打つ前に引き上げるに限る。屋敷内を危険を冒して戻らなくても、窓を破ってシルフィードに乗り、速度を活かしてトリステインまで逃げ込めば敵も派手な手は打てまい。

「タバサ、ジョゼフがなにを企んでるか知らないけど、ここはお母さんを連れて逃げましょう」

 タバサは無言でうなづき、シルフィードを呼ぶと同時に母の体に『レビテーション』をかけて浮かせた。

 窓わくを破って、シルフィードが室内に飛び込んでくる。ガラスの破片が飛び散って、少々乱暴だがこの際言っていられない。

 

 ただ、ジョゼフと直接会ったことのないキュルケは想像できず、母の無事を確認して感情が高ぶっていたタバサは失念していた。ジョゼフには、"常識"というものが通用しないことを。

 そして、彼女たちは知らなかった。簡単すぎるほどに目的を達成できた今の状況が、先日にアーハンブラ城でティファニアを見つけたときのルイズたちと非常に似ているということに。

 

「タバサ、急いで」

「うん」

 タバサは母をシルフィードの背に乗せると、自分も飛び乗った。キュルケはその隙に奇襲を受けないか、注意深くあたりを警戒して、二人が乗ったのを確認すると、よしとうなずいた。

「いいわね。じゃあわたしも乗るわよ」

「待って、ベッドの隅の、あの人形をとって」

 キュルケはタバサの指差した先に、シンプルな形の女の子の人形が置いてあるのを見つけた。タバサの母が、運命が狂い出す前に我が娘に買い与えた人形だ。その人形に、娘は”タバサ”と名づけた。しかし、心身喪失薬を飲まされて心が狂った今では、母はその人形をシャルロットだと思い込み、シャルロットはタバサと名乗っている。

 ある意味では、母と娘をつなぐかぼそい糸ともいえる人形を、キュルケは駆け寄って半瞬だけ見つめると手を伸ばした。

「ボロボロね。きっと、三年間ずっとこれを誰にも触れさせずに守り通したのね」

 正気を奪われてなお、母の愛のなんと強いことだろうか。キュルケは、その壮絶なまでの意志の強さに畏怖さえ覚えた。

 人形を抱え込み、もう必要なものはないかと確認する。と、そのときであった。枕元の小机の花瓶に生けられている花がキュルケの目に止まった。

”見慣れない花ね。こんな種類、あったかしら?”

 黄色い大きな花弁を持つその花に、キュルケの目は釘付けになった。生けられている一輪の花、ただそれだけのはずなのに、個性の薄い室内で、その花だけが月光を浴びて強烈な印象を見るものの脳に送り込んでくる。

「キュルケ、どうしたの?」

「あ、うん。ちょっとね」

 呼びかけてくるタバサの声に、キュルケははっと我に返った。

 そうだ、今は花に見とれているときではなかった。しかし、なぜか気になってしまう。キュルケも女性である。花の種類に関しては並々ならぬ知識があり、ボーイフレンドから贈られてくる花の花言葉を当てるときなどに役立ててきたが、頭の中のどんな図鑑にもその花の名前はなかった。

 無意識に、手が花に伸びる。花瓶から引き抜いて間近で見る花は、大きな花弁の中央が不思議なオレンジ色に染まっており、覗き込みたくなる欲求が湧いてくる。

「キュルケ、急いで」

 タバサが呼んでいる。早く行かないと……でも、ちょっとくらいなら。

 意識の底にうったえかけてくる何かに誘われるように、キュルケは花に顔を寄せた。刹那、世界が黄色く染まる。

「キュルケ……? キュルケ!」

 どさり、と鈍い音がして床に倒れこんだキュルケに、タバサの悲鳴が重なる。

 慌てて駆け寄り、助け起こす。まさか、なにか毒でも盛られたのではあるまいか。

 しかし、抱き起こしたキュルケの表情は、毒を盛られたのとはまるで正反対に、心地よい形で歪んでいた。

「あははは、もーう、アランもクリックも慌てちゃだめよ。みんなまとめて相手してあ・げ・るから」

「キ、キュルケ?」

 目をつぶったまま、男を誘うような猫なで声をあげているキュルケに、タバサはとまどった。

 揺すっても、顔を叩いてもキュルケは目覚めない。これは尋常ではないとタバサは焦り始める。何かしらの魔法をかけられるか、強力な幻覚剤を投与でもされない限り、こんなことにはならないはずだ。

 だが、いったいいつ薬を盛られた? 見ていた限り、キュルケに何者かが近づいた気配はなかった。キュルケの周りにあったものといえば……

「この……花」

 タバサはキュルケのかたわらに落ちている、変わった品種の花を睨み付けた。この花が毒草で、キュルケはこれの毒花粉にやられてしまったに違いない。

 憎しみを込めて花を見下ろし、『発火』の魔法で焼いてしまおうと杖を向ける。

 それが、引き金であった。突然屋敷が激しい揺れに見舞われ、残った窓ガラスが細かく砕けて降りかかってくる。

「きゃっ! おねえさま!」

「シルフィード! お母さまを守って」

 刃物の雨と同じガラスの驟雨から、タバサはキュルケと自分を『エア・シールド』で、シルフィードはタバサの母を翼で隠して守りきった。

 しかし、ジョゼフの用意した本当の罠が始動するのはここからであった。

 窓の外に見える庭から、大木のような芽が飛び出して、みるみるうちに膨れ上がっていった。そしてそれが、葉を生やし、とげのついた触手のようなつるを伸ばし、とてつもなく巨大なつぼみを生やしたとき、タバサは月光をさえぎって立つそれを見て、思わずつぶやいていた。

「巨大な……植物!?」

 全高、目測で五十メイル超。ラ・ロシェールの世界樹とはさすがに比較にならないが、屋敷を軽く見下ろしてくる威容は普通の樹木のそれではない。植物なのに、まるで動物のように触手状のつるを揺らめかせているさまは、なんという禍々しい姿なのか。

 タバサは、これは明らかに自然のものではなく、何者かが意図的に庭の地中に仕掛けたものだと悟った。

「いけない! シルフィード、飛んで! 早く」

 罠にはまった。そう気づいて叫んだときには、すでに遅かった。

 メキメキと音を立てて巨大植物のつぼみが開く。五枚の黄色く毒々しい花弁があらわになり、その中央から、くちばしのような口が突き出してくる。その先端が自分たちを向いたとき、タバサは防御の魔法を唱えようとした。しかし、夢遊状態のキュルケの手が当たって杖を取り落としてしまう。慌てて杖に手を伸ばすが、そのとき巨大植物の口から黄色い花粉が、霞のように吹きかけられてきた。

「しまっ……」

 黄色い雲の中に飛び込んでしまったように、タバサたちは花粉の中に飲み込まれてしまう。口と鼻を押さえるも間に合わずに、体内に侵入してきた花粉が急速にタバサから意識を刈り取っていった。

 

 じゅうたんの上に倒れこむタバサ。シルフィードもよろめいて昏倒し、気持ちよさそうに寝息を立て始める。

 その様子を眺めていたジョゼフは、愉快そうに笑いながら、チャリジャが去り際に残していったカタログの説明文を思い返していた。

 

『これは、かつて地球という星に生息していたギジェラという植物を、遺伝情報からクローニング再生したものです。これの花粉が生物に与える効能は、強力な幻覚作用で心地よい夢の世界にいざなって、二度と帰ってきたくないほどの快楽におぼれさせます。ただし、あくまでもデッドコピーですので、オリジナルの持っていたような惑星すべてに影響を及ぼすことはできずに、せいぜい自身の半径数キロに幼体の花を咲かせることができるくらいです。けれど、オリジナルは夜間は活動が鈍りましたが、これは夜間でも能力は変わりません。きれいな花を咲かせますので、大切な人への贈り物にでもどうぞ』

 

 まったく、なにが贈り物にどうぞだ。説明の内容の半分は意味不明だったが、花束にするにしても、眠られては見られないではないか。

「さてシャルロットよ。余からの夢の世界の贈り物を存分に楽しむといい。どんな夢を見るかは知らぬが、果たして、帰ってこれるかな?」

 

 

 続く



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第52話  優しすぎる悪夢

 第52話

 優しすぎる悪夢

 

 超古代植物 ギジェラ 登場!

 

 

 タバサは快いまどろみの中で、夢を見始めていた。

「ここは……」

 目の前に、暖かな春の日差しとともに懐かしい景色が蘇ってくる。

 あれは、わたしの家……ラグドリアンの湖畔のオルレアン屋敷。でも、あれは今のものではない。

 何十回、何百回と歩いた家への道を、タバサは吸い寄せられるように歩いていく。

 あれは、わたしの家の門。でも、ジョゼフに汚されて、不名誉印を刻まれる前の、王家の紋章を誇らしく飾った美しい門。

 その下をくぐった先には、父が大勢の友人と毎日を談笑していたころの、美しく、華やかな雰囲気に満ちた屋敷が見えてくる。

 中庭にはテーブルが用意され、広げられた料理を前にして誰かが楽しそうに語り合っている。

「あれは、父さま、母さま!」

 眼に映った相手が、自分にとって誰よりもかけがえのない人たちだと知ったとき、タバサは迷わずにその腕の中に飛び込んでいった。

「おおシャルロット。どうしたんだい? 今日はそんなに甘えて。よしよし、いい子だ」

 優しく我が娘を抱きとめた父は、胸に顔を押し付けてくる娘の背中をなでて歓迎した。

 父さまの声だ……父さまのにおいだ……

 タバサは、遠い記憶のかなたに薄れていた懐かしい感触を存分に味わった。

 顔を離して見上げてみれば、父が優しい表情で自分を見下ろしていた。母は、そんな自分たちを眺めて明るく微笑んでいる。

「あらあら、シャルロットは本当にお父さまが大好きなのね。あなた、あまりシャルロットを甘やかさないでくださいね」

「いいじゃないか。今日はめでたい日だ、シャルロットも祝福してくれているんだろう。なあ」

 ゆっくりと、自分の長い髪の毛をなでてくれる父の手は心地いい……あれ? わたしの髪、こんなに長かったっけ? それに、父さま、とてもうれしそうだけど何がおめでたいのかな?

「ねえ父さま、なにがそんなにうれしいの?」

「ん? おやおやシャルロット。父さんをからかっているのかい? 今日は父さんがガリアの新しい王様に任じられた記念すべき日じゃないか。だから父さんは、母さんとシャルロットに真っ先に知らせに帰ってきたんだよ」

「そうよシャルロット。ほんとうなら、おめでとうを言いに来る国中の貴族のお相手をしなきゃいけないところ、お父さまは全部断っていらしたのよ。それに、今日はシャルロットの十二歳のお誕生日じゃないの」

 満面の笑みを浮かべて語る両親の言葉に、タバサはああそうだったと思い出した。

 今日は、楽しみにしていた十二歳の誕生日の日だった。この日を父と母に祝ってもらおうと、ずっと待っていた。

 テーブルの上には大好物のドラゴンケーキが乗り、ほかにも色とりどりの料理がところせましと置かれている。

 どれも、自分が好きなものばかりだ。父さまと母さまは、自分の好きなものをよく覚えていてくれたのだ。

 うれしさとおいしそうな匂いに、自然と笑みがこぼれてくる。

 ふと、母が手鏡を差し出してきて、タバサはそれを覗き込んだ。

「まあまあシャルロット、お行儀が悪いですよ。ほら、乱れたお召し物をしゃんとなさい」

 そこには、長い青い髪をした、小さな女の子が映っていた。それは、十二歳のときのタバサの姿。まだ、なにも恐れを知らずに、幸せに満ちていたころの自分自身の姿。

 いつの間にか、幼いころの自分に戻っていたタバサは、今度は母のひざの上に抱かれた。

 母は朗らかな声で、歌うように本を読んでくれる。小さいころに一番好きだった『イーヴァルディの勇者』の物語だ。本当に幼いころは、ぐずるたびにこれを読んでくれたのをうっすらと覚えている。大きくなるにつれて、ほかのものにも興味を持ち、しだいに離れていったけれど、本を読む楽しさを教えてくれたのは確かにこの物語だ。

 内容は、勇敢な少年イーヴァルディが、槍や剣を手に様々な怪物や悪人に戦いを挑み、最後には美しいお姫さまと結婚して幸せになる。という、単純明快な勧善懲悪ものが基本である。基本というのは、ハルケギニアでもっともポピュラーな英雄譚であるために、人から人へ伝わる過程で改装され、主人公が女性だったり天使だったりと、数々のバリエーションが存在するからである。

 神話や民話が伝えられる人や土地柄によって改変されていくのはよくある。ある土地では悪魔の使いが、別の土地では神の化身といわれたり、アフターストーリーが追加されたり削られたりすることも多い。

 この、『イーヴァルディの勇者』も、原典が不明なほど昔からあるために、本来のストーリーはもう誰にもわからない。

 ただ、主人公イーヴァルディの名前と、爽快痛快な話し運びは共通しているために、世代を超えて愛されているロングセラー小説である。

 

”海原へこきだしたイーヴァルディと仲間たちでしたが、そこに試練が待っていました。

 突如として海が荒れ、巨大なドラゴンが水中から現れたのです。

 小山のように大きく、長い首を持つドラゴンの起こす波に、イーヴァルディたちの小さな船は木の葉のように翻弄されてしまいます。

 『おお、あれは伝説の海の悪魔、海竜ではないか! 我々をこの先には進めないつもりだな。逃げよう! イーヴァルディ』

 トビリが慌ててイーヴァルディに引き返すよう叫びました。けれどイーヴァルディは叫びます。

 『いいや、ぼくは逃げない。この海の先に行かなくては、病で苦しむみなを救える薬草は手に入らない。たとえ悪魔が立ちふさがったって、薬を待っているみなの前に手ぶらで戻るわけにはいかないんだ!』”

 

 このストーリーも、原典にあるかどうかはわからない。ただ、そんなことは関係なく、幼いころのタバサやハルケギニアの子供たちは、どんな凶悪な怪物にも勇敢に立ち向かっていくイーヴァルディの勇姿を思い浮かべて、胸を熱くしたのだ。

 

”イーヴァルディへ向かって、海竜は長い首を伸ばし、ナイフのような牙を振りかざして襲い掛かります。でも、彼の新しい仲間である、人魚のエミリアはイーヴァルディを背中に乗せて、すいすいと海竜の攻撃をかわしました。

 ですが、海竜の硬いうろこは彼の剣も槍もまったく通しません。

 『勝てっこない。逃げよう』

 彼の仲間たちは叫びますが、イーヴァルディはがんとして聞きません。そのとき、エミリアが思い出したように言いました。

 『そうだわ。ひげよ、海竜はひげがなくなると戦う力がなくなってしまうのよ!』

 そうです。海竜は深い海の底で暮らしますから、あまり目がよくありません。まして、こんなにも大きく、歳をとったものでしたらなおさらです。その代わりに、彼らはひげで空気や水の動きを読み取って生きているのです。

 『ひげだな。ようし、わかった!』

 勝機を見つけたイーヴァルディは、両手でぐっと剣を握ってかまえました。けれど、大きな竜の頭はイーヴァルディのはるかに上にあります。

 そのときでした。イーヴァルディの握った剣が、太陽のようにまぶしく輝いたのです。その神々しい輝きは、目が見えないはずの海竜をもうろたえさせました。

 『いまだ!』

 エミリアの背から飛び上がったイーヴァルディは、剣をふるって海竜のひげを二本とも切り落としました。

 すずんと水しぶきをあげて、海竜は逃げていきました。ひげをなくして、イーヴァルディが見えなくなってしまったのです。

 海は、何事もなかったように穏やかさを取り戻しました。

 船に戻ったイーヴァルディは、水平線のかなたを指差して笑いました。

 『さあ行こう。どこまでだって、ぼくたちは行けるよ!』”

 

 この一小節も、何度も何度も読み聞かせてもらった。イーヴァルディの物語はこのほかにも幅広く、山であったり洞窟であったり、はたまたあの世で悪魔と戦う話さえある。それを聞くたびに、タバサはあるときはイーヴァルディ自身に、あるときは彼に救われる囚われの姫に自分を重ねて、夢の世界の大冒険に出かけていったものだ。

 優しい両親に守られて、タバサはここも夢の世界だと知った。あんなふうに優しく微笑んでくれる両親は、今はもういない。でも、こんなに懐かしくて気持ちのいい夢ならば、いつまでも見ていたい……

 執事のペルスランがやってきて、「お祝いにお客様がたがおいでになられました」と告げた。母が、お通ししてと答えると、見知った人たちが軽快な足取りで姿を見せた。

 才人とルイズが現れた。ティファニアもついてきて、手には大きな花束を持っている。

 キュルケも来た。ルイズたちを追い抜いて駆けてくると、がばっと抱きしめてくる。苦しい、と思うかと思ったけどそんなことはなかった。強くもなく弱くもなく、温もりが伝わってくる抱き方に、タバサは親友の優しさに感動し、キュルケはタバサの耳元でそっとささやいた。

「お誕生日おめでとう。シャルロット」

「……ありがとう」

 親友に祝福してもらえている喜びに、タバサはうっすらと涙をこぼし、心の底まで暖められていくような思いを味わった。

 客はまだやってくる。ジルが大きな獣を担いで来る。ロングビルや学院の仲間たち、任務の途中で出会った人々がいる。

 イザベラも、ちょっと照れくさそうな顔でいた。シルフィードが人間の姿でやってきて、手に持っていた大量の野の花をシャワーのようにタバサに浴びせて、タバサを花まみれにさせた。

 そして彼らは親子を囲むように並ぶと、声を合わせていっせいに唱和した。

「新ガリア王国国王シャルル一世様、即位おめでとうございます!」

 次いで万雷の拍手が鳴り響き、父は立ち上がると皆に向かって手を振って応える。

 いつしか、場所はヴェルサルテイル宮殿の壮麗な玉座の間に変わり、父は豪奢な王の衣装と王冠をいただいて立っている。

 母もその隣に慎ましやかに立っており、自分も可憐な衣装に身を包んで母の傍らにいた。

「シャルル一世陛下、万歳!」

「万歳!」

 居並ぶ観衆からは新国王をたたえる歓声がとどろき、父のその誇らしい姿を、タバサは母の優しい腕の中で見つめ続けた。

 ああ、幸せだ……誰もが父を、そして自分たちを祝福してくれている。

 いつしか、タバサはこれが夢の世界であることを忘れていた……

 

 幸福な寝顔を浮かべ、すやすやと眠り続ける現実のタバサ。

 しかし、その寝顔を冷ややかなまなざしで見守る男がいた。

 

「恐ろしいまでの効力だな。意志の強さでは、恐らくハルケギニアでも五人と並ぶものはいないであろう、あのシャルロットをまるで子猫のようにしてしまうとは」

 遠見の鏡に映ったタバサの寝顔に、それを覗き込むジョゼフの歪んだ笑みが重なって不気味な陰影を作り出した。

 オルレアン公邸の庭に突如として出現した巨大な花。その花粉を浴びせられたとたんに、タバサはまるで魂をとろけさせられたように眠りこけてしまった。

 いや、眠らされているという表現は生ぬるい。この植物の吐き出す花粉に含まれる作用は、催眠効果などという生易しいものではなく、文字通り魂を溶かしてしまうような恐ろしい効力を持っているのだ。

「超古代植物ギジェラか。デッドコピーのこいつはせいぜい屋敷を覆うくらいしか花粉を出せんが、オリジナルはかつて別の世界を一度滅ぼしたと、チャリジャのやつは誇らしげに説明書に書いてあったな」

「ですが、その話もうなずける威力ですわね。私が知るところ、これまでシャルロットさまはいかなる任務で、どのような強敵と会っても、いかに傷を負っても取り乱さない強い精神力の持ち主でした。それが、いくら強力な薬とはいえこうもあっさりと通用するとは」

 戦慄を隠しきれていないシェフィールドに、ジョゼフは含み笑いをすると説明してやった。

「それは当然のことだ。苦痛というものは、実は耐えることはそんなに難しくないのだよ。むろん、修練や素質にもよるが、戦いなれた者は、『痛い』ということを意識して無視できるようになる。戦闘の最中にいちいち痛がっていては、命までもとられてしまうからな。よく罪人を自白させるために拷問を使うが、悪党になるほどどんなに痛めつけても口を割らん」

「口を割れば、死罪になることがわかるからですね」

「そうだ。死ぬことに比べれば、多少の痛みなどなんでもない。だが、痛みなど与えなくとも簡単に人を思うままに操る方法がある。レコン・キスタの阿呆どもを見てきたお前なら、わかるだろう?」

「はっ、欲を満たしてやること。脅迫や洗脳などよりも、金貨をちらつかせ、王党派から奪った城や領地をばらまいてやれば、簡単に貴族どもは動いてくれました」

 シェフィールドの答えに、ジョゼフは満足げにうなずいた。

「そのとおり。人間は総じて欲深い生き物だ。たまに例外がいるようだが、大抵は一皮むけば似たようなもの。ざっとあげれば金と女と権力というところか。これを目の前にちらつかせれば、脅迫などするより簡単に人は言うことを聞くし、忠義とか正義とかを裏切る。楽すぎてあくびが出るくらいだ」

 当たり前のように言うジョゼフの言葉には、一片の疑いもありはしなかった。ガリア王家の濁りきった王位継承後の権力争いの図式や、花壇騎士の非合法な働きぶりをじかに見てきたジョゼフにとって、人間の心に巣食う欲望という悪魔の巨大さは、もはや驚くことでもなんでもなかったのである。

「ですがジョゼフさま、世の中には金や女、権力に見向きもしない人間もおりますが?」

「それは欲望の指針がそれらにないだけだ。例えば、宮廷のすみでコソコソとはいずっているオルレアン派の残党の騎士どもなどは、一見忠義心の塊に見えるが、見方を変えれば『簒奪者ジョゼフの排除とシャルロットの王位継承』という執念と言い換えた欲につかれたやからに過ぎん。もしも奴らに『ジョゼフの暗殺計画』でもちらつかせてやれば、それこそ火竜山脈のドラゴンどもを退治して来いと言っても、喜んで炭になってくるだろうよ」

「ジョゼフさま、ご冗談にしても少々……」

「心配するな。やつらは余を無能となめきっている上に、オーク鬼よりも芸のないでく人形だ。攻めてくるにしても正々堂々乗り込んできて、首をもらうと丁寧に宣言してくれるだろう。正直、狙ってくれていると言ってくれなければすぐにでも忘れそうだ……さて、話がそれたが、シャルロットほど意志の強いものがどうしてやすやすと夢に堕ちたか。簡単な話だ……あの花粉は、シャルロットが一番望んでいる夢がかなった夢を見せているのだ」

 不敵に笑ったジョゼフの目には、ゲームを優勢に進めているものが持つ独特の光があった。

 ギジェラの花粉が持つ幻覚作用の恐るべき点は、この『あらゆる夢がかなった世界』を見せてくれることにある。どんな人間でも、心の中には秘めた願望が根付いている。ギジェラは、そんな人が普段心の奥に”理性”や”良識”などで押さえ込んでいる願望を、ダイレクトに脳に送り込んでくるのだ。

 その威力はすさまじい。人間の欲望を夢の中でとはいえ無制限に叶えられるということは、現実へと戻る意欲を人間から奪ってしまうということになる。

 当然のことだ。あらゆる夢が叶う世界と叶わない世界、どちらに行きたいですかと聞かれれば答えは聞かずともわかる。

 極論すれば、天国にいる者に「地獄に行きたいですか?」と尋ねるのにも等しい。実際、かつてギジェラはこのとおりの威力を発揮して、ウルトラマンティガの守っていた地球の三千万年前の文明のほとんどの人間を虜にし、安らかな滅びへと導いている。

 苦痛にも増して、人を操るものは快楽。ジョゼフは、タバサにどんなに過酷な試練を与えたところで無駄だと判断し、その真逆である快楽のふちに追い込み、破滅させることを狙ったのだった。

「ふふふ……シャルロットよ。いくらお前でも、その夢の世界から脱出することはできまい。そこには、父と母、お前が欲してきたすべてがある。それを捨てて、すべてがなくなった現実に戻れるかな? そうやってそのまま、ミイラになるまで眠り続けるか? 最後には、本物の父と母が迎えてくれる。これ以上ないほどの幸せな死に方であろうな。そうして、干からびていくお前の顔を見続ければ、今度こそ余の心は痛むであろうか? お前の父を手にかけて、余の心に空いた大きな穴を埋められるほどの痛みを味わえるだろうか!」

 見えない存在に向かって独語し、狂気とさえ一線も二線も隔絶したところで吼えるジョゼフの心の内は、恐らく誰にも理解することはできないであろう。それは、シェフィールドとて例外ではなく、唯一の腹心を自認する彼女でも、ジョゼフの心がこの世のどこにあるのかを確認したことはなかった。

「ジョゼフさま、シャルロットさまが無事に屋敷を出られるかどうかという勝負は、どうやらジョゼフさまの勝ちのようですわね」

「うむ、今回ばかりはシャルロットも相手が悪すぎたということか。しかしこれから冬の寒気が直撃するな。ミイラといわずに今夜中にも氷付けになるかもしれん。ふむ、氷詰めの人形として、永遠にその美しさを保たせてやるのも一興だな。なんなら、シャルルの墓の墓石の代わりにするのもよいかもしれぬ。ミューズよ、永遠に溶けない氷の製法、お前なら知っているだろうな?」

「はっ……存じておりますが……」

 返答しながらも、ジョゼフの恐ろしい思いつきに、今回ばかりはシェフィールドも少々動揺していた。顔の知らない他人なら、百人だろうが千人だろうが、国一つであろうが虫けら同然であるから煮るも焼くもためらいはない。しかし、血を分けた肉親を、こうまでむごたらしく痛めつける感情は、なんなのかまったく理解できない。知をもってジョゼフに奉仕してきた彼女にとって、理解できないということは、それだけで恐怖を感じることだった。

「どうしたミューズ? はは、心配するな。お前をあのようにしたりはせぬよ。余の心には、この退屈な世界への苛立ちと、シャルルを失ったときに味わった痛みをもう一度という思いしかない。そうだな、シャルロットを手にかけてもなお、余の心に変化が現れなければ、今度は世界を地獄に変えてみるのも悪くはないか。レコン・キスタでアルビオンを荒らし、人々を苦しめたときの何百倍の血を流せば、余にも罪悪感が戻ってくるかもしれん」

 つらつらと、まるで幼い子供が親につぶした蟻の数を自慢げに報告するようなジョゼフの語り草には、本当に罪悪感のかけらもない。

 かつて、あまりにも大きなものを、自らの手で失ってしまったがゆえの、罪を感じる意識の欠如。シェフィールドがジョゼフのことを理解しきれない最大の理由がここにある。人は、自分が持っているものを持っていない人間のことを理解するのは難しい。飽食の人間が空腹の苦しさを知らず、健康な人間が病人の苦しさをわからないように。

 そして、一度持っていたものを失った人間は、それを取り戻そうとする。ときには、より以上の代償を払ってでさえ……

 しかし、人にはそうした矛盾や恐怖を見てもなお、貫きたい思いもある。

「世界が消えてなくなり、無人の荒野を眺めたときに、余は後悔できるかもしれん。涙を流して打ちひしがれるかもしれん。そのときに、見届け人となってくれる者が一人くらいいなくてはな。ミューズよ、ともに地獄を見てくれるか?」

「はい! 喜んでどこままででも」

 晴れ晴れとした声で答えたシェフィールドの心に、迷いは消えてなくなっていた。例え、地獄であろうとどこであろうと、そばにあることを、それだけで満たされる。人が評価すれば、愚かとしかいいようがない。けれども、人間にはときにそうして、ことの正否とは関係なく、一人の誰かのために尽くしたくなることがある。シェフィールドが今抱いた感情も、そうしたもののひとつであった。

 だが、闇に身を任せる魂もあれば、光に踏みとどまらさせようとする魂もある。

 さすがにこの快楽の夢の罠からは逃れる術はあるまいと、勝利を確信したジョゼフとシェフィールドが、再び遠見の鏡を覗き込んだときだった。完全に夢の世界に堕ちたタバサのかたわらで、死んだように眠りこけていたキュルケがうめき声をあげて、ゆっくりと起き上がってきたのだ。

〔う、ううん……あれ? サミー? クリック……?〕

「ほぉ……これはこれは……まさか、自力で夢のふちから回復するとはな」

「いえ、おそらく最初に吸い込んだ花粉の量が少なかったために、効き目が切れるのが早かったのでしょう」

「なるほど、最初の不注意さがかえって身を助けたか。悪運の強い娘だ……ふふふ、どうやらまだゲームセットには早いようだなシャルロットよ」

 ジョゼフは愉快そうに笑うと、姪たちの健闘を祈るべく高々とワイングラスを掲げて乾杯した。

 

 しかし、敵からのそんな激励があるとはつゆとも知らず、キュルケが目覚めて、辺りを確認して得た現実は最悪のものだった。

「タバサ! しっかりして! タバサ!」

「お母さま、お父さま、ドラゴンケーキももう食べられませんわ。次は、みんなとお庭で遊んできたいのですけれどいいですか?」

 いくら揺り起こして怒鳴っても、業を煮やして張り手を食わせても、タバサは目の前で父と母と話しているように、笑顔の形をまったく変えようとしない。痛みを一切感じていない……ギジェラがタバサに花粉を浴びせるところを目撃していないキュルケは、これは、なんらかの魔法の効力なのかといぶかしみ、ディテクトマジックをかけてみたものの、当然反応があるはずもない。

「いったいわたしが眠ってるあいだになにが!? シルフィード! あんたもいつまで踊ってるのよ!」

「きゃははは! わーいわーい! お肉がいっぱい飛び回ってるのねー。食べ放題なのねー」

 どんな光景が見えているのか、想像するまでもなくわかるところがシルフィードらしい。キュルケはそう思ったが、そうものんきなことを言っている場合ではない。竜の姿で部屋の中をどたばたと暴れまわるシルフィードはそれだけで危険なのだ。

 キュルケは、とりあえずタバサとタバサの母を部屋の隅に移動させると、息を整えて胸に手を当てた。

「さて、落ち着きなさいキュルケ・フォン・ツェルプトー……落ち着いて、よく考えるのよ。今の状況を」

 理解できない異常事態に、キュルケはパニックに逃げ込みそうな自分の心を叱咤して落ち着かせた。

 明らかに幻覚を見せられているタバサたちに、庭に出現している不気味な巨大植物。そして、黄色い粉が付着した室内とタバサの体。

「これは……毒花粉」

 冷静さを取り戻せば、タバサたちの症状の原因をつきとめることは難しくなかった。しかしこの時点でキュルケはすでに相当に運がよかったともいえる。オリジナルのギジェラの花粉であれば、防毒マスクごしでも人間を簡単に催眠状態にするほどの威力を持っており、微量でも絶対に目覚めることはなかっただろう。

 だがその代償としてか、オリジナルが持っていた、夜に活動が弱まるという弱点もなくなっている。それがクローニングによる突然変異なのかは不明だが、いずれにせよ夜に活動がにぶるという植物の弱点が克服されたのは、失った能力を補おうとする一種の進化なのかもしれない。

 キュルケは、花粉の毒性に気づくとすぐにハンカチで鼻と口を覆ってマスク代わりにすると、暴れるタバサを無理矢理担ぎ上げた。

「ともかく、ここから離れないと……でも、シルフィードがこの調子じゃあ」

「きゃはは! お肉の次はお魚なのね。すごいのね、いくら食べてもおなかいっぱいにならないのねーっ!」

 自分が背負って、レビテーションを使うとしても連れて行けるのはタバサと彼女の母だけで精一杯だ。しかし、室内でシルフィードが暴れまわるものだから、危なくてとてもじゃないがドアまでたどりつけそうもない。むろん、ギジェラが根を張っている庭を突っ切るなどは論外、どうすればいいのかとキュルケは考え、本来短気な彼女は呪文を詠唱して杖を振った。

「しょうがないわね。タバサだったら水をぶっかけたりするんでしょうけど、あいにくわたしは水系統は苦手だし……シルフィード、ちょっと荒療治だけど我慢しなさい!」

 キュルケの杖の先から火炎がほとばしり、シルフィードの全身を包み込む。しかし、一瞬風竜ではなく火竜に見えてしまうほどの燃えっぷりに、キュルケはちょっとやりすぎたかなとほおを引きつらせた。

「しまった。手加減はしたつもりだったんだけど」

 自分も相当に魔法のランクが上がっていたことが、手加減の度合いを狂わせてしまっていた。しかしそれでも、シルフィードはドラゴン特有の頑強な皮膚で炎そのものには耐えている。問題は、顔のまわりを覆った炎で、これが周辺の酸素を奪ってしまうために、さしものシルフィードも呼吸困難になって、床を転げまわって苦しんだ。

 だが、これが予想外の幸運を招くことになった。

「がぼっ、ごほごほっ! あ、あれ? お肉は? お魚は? シルフィー、どうしてこんなところにいるのね」

「シルフィード! 正気に戻ったのね!」

 なんと、息を止められて炎を吸い込んだことで、呼吸器系から神経を犯す作用を持つ花粉も同時に焼き払われていた。

 意識を取り戻したシルフィードは、戸惑うもののすぐにキュルケに怒鳴られて我に返った。

「シルフィード、話は後でするわ。とにかくわたしたちを連れてここから離れて!」

「へっ! あ、わ、わかったのね!」

 シルフィードも、とりあえず考えるより早く体を動かして飛び立とうとする。しかし、そうしたことをジョゼフが見逃すはずはなかった。

「ここでゲームを降りるのは反則だろう。ミューズよ」

「はっ」

 シェフィールドが遠見の鏡ごしに操作を加えると、その指令は即座に寝室に仕掛けられた魔法の罠に伝わった。

 一瞬のうちに窓ガラスのあった場所が鉄格子に覆われ、入って来たドアも鉄の錠で閉鎖された。

「ちっ! やっぱりそのくらいの対策は打ってあるわね。これは、わたしひとりの力では壊せないか」

 キュルケは鉄格子を触ってみて、並の鉄でないことを感じると腹いせに蹴りこんだ。ガリアは列国でも魔法道具の開発に優れており、これもおそらくその類のトラップだろう。残念だが、今の自分の火力では鋼鉄を焼き切ることはできない。

「ドアも閉鎖されちゃったし、壁や天井にも恐らく細工が施されてるでしょうね。こうなったら、タバサを起こして二人の力を合わせるしかないわ。けど……」

「はっ、そういえばおねえさま!? おねえさま、こんなときになにぐっすり寝てるのね!」

「無駄よ。わたしたちよりずっと多く薬をかがされてしまってる。ともかく、説明してあげるわ」

 シルフィードはキュルケから事情を聞き、「おねえさま!」と呼びかけるも、やはり反応はなかった。

「無理ね。今のタバサは誰が呼びかけても、ううん……例え体を切り刻まれても、死ぬまで気がつきはしないでしょう。わたしも味わったからわかるわ。あの快楽のふちにいたら、誰の言葉も届かない」

「そ、そうよね。シルフィも……うう、まだあの花粉がほしいと思ってる。ああんっぐっ!」

 自分の腕を噛んでこらえるシルフィードも、許されるならすぐにでも花粉に飛びつきたいに違いない。ただタバサのために必死で我慢している気持ちはキュルケにもわかる。自分だって同じなのだ。

「シルフィード、あなたも強いわね……けど、わたしたちは吸い込んだ量が少なかったのと、本心からの願望がたいしたものじゃなかったから、かろうじて我慢できてるけど、タバサは三年ものあいだ欲望も願望も抑えに抑え、心の中に封じ込めてきたから、それが一気に満たされたことは半端じゃないわ。しょうがないわね。危険だけど、直接タバサの体の中から花粉を抜き出すしかないわ」

「花粉を抜くって? いったいどうするつもりなのね?」

 体内に深く浸透してしまった薬を抜くのは医者でも難しい。シルフィードができたのは、肉体が人間よりはるかに強靭な竜だからだ。人間にやれば肺や気管が焼けて死んでしまう。

「水筒をとって、それからわたしのバッグも……よし、これなら」

 キュルケはバッグの中から、澄んだ紫色の小瓶を取り出した。

「それって、香水?」

「ええ、前にモンモランシーからもらったオリジナルの香水。ラベンダーといくつかのハーブが原料だそうだけど、この際は関係ないわ。とりあえずこれなら、人体にそこまで害はないでしょ!」

 そう言うとキュルケは、水筒からコップに出した水に香水を全部混ぜ込むと口に含んだ。そして、なにをするつもりかとシルフィードが問いかける暇もなく、タバサの鼻をつまむと、口移しで液体を一気にタバサの喉に流し込んだのだ。

「! んーっ!」

 呼吸を止められ、喉に強烈な刺激性を持つ液体を流し込まれたことでタバサの体が反射的にはねた。キュルケはもがこうとするタバサを押さえつけて、液体を吐き出さないように口を押さえ続ける。

「タバサ! 苦しいだろうけど我慢して」

 息をしようと気管を開いたところに液体が入り込む。本来ならば、これは大変危険な行為である。人間の肺に水などが入り込めば、当然呼吸ができなくなって死にいたり、免れたとしても肺炎を引き起こすことにもなりかねない。しかし、今回はそれ以上の非常事態だ。肺にたまった花粉を、より強い刺激を持つ液体で押し流して上書きするくらいの無茶をしなくては、この効力を断ち切ることはできない。

 心地よい夢を見続けていたタバサは、突然の苦しさと消えていく父と母の姿を追い求めて暴れに暴れた。

「がぼっ! ごぼっ、ごほごほっ! あ、あ? お、お母さま、お父さま、どこ? どこなの!?」

「タバサ、目が覚めたのね。しっかりして、それは夢よ! この花が幻覚を見せてただけなの! 悪い夢を見てただけなのよ」

 意識を取り戻したタバサを、キュルケはゆさぶり起こした。しかし、タバサは今までのことがすべて夢だったと知ると、かえってパニックを起こしてしまった。

「いやあ! あれは夢なんかじゃない! 悪い夢はこっちよ。花、あの花粉をもう一度かげば!」

「なに言ってるの! やめなさい。今度幻覚に落ちたら、二度と帰れなくなるわ!」

「離して! 帰るの! お父さまとお母さまのところに帰るの!」

 まるで幼児に戻ったかのように暴れ、床にたまった花粉を求めようとするタバサをキュルケは必死で抑えた。

 目を覚まさせたらなんとかなるかと思ったが、甘かった。花粉の量に関係なく、中毒の度合いが自分たちよりはるかにひどい。あの強いタバサが見る影もなく狂わされている。キュルケは、なぜジョゼフが最後の罠にこの植物を選んだのかを明確に理解した。

「おねえさま、お願い正気に戻って!」

「ジョゼフめ。最初からタバサの心の傷を利用する気だったのね。なんて卑劣なやつなの!」

 キュルケは宮廷闘争の血で血を洗う貪欲さを知らないほど子供ではない。彼女の母国のゲルマニアにしろ、現国王のアルブレヒト一世は、政敵を女子供にいたるまで幽閉して王座を得たことを誰でも知っている。

 が、そうしたことをふまえても、たった一人の女の子をこうまでむごたらしく痛めつける必要がどこにあるのか。

 ジョゼフへの怒りを手のひらに込めて、キュルケは思いきりタバサのほおをめがけて振り下ろした。

「しっかりなさい! あなたの見ていたのは、あなた自身が作り出した妄想と欲望の産物なの。あなたのお父さまはもう死んで、お母さまはこれからあなたが助けるのよ」

「違う! 違うわ! お父さまは生きてるのよ。ガリアの王様になって、シャルロットとずっといっしょに暮らすのよ!」

「聞き分けのない子ね。じゃあ、これが現実だってこと教えてあげる!」

 キュルケは、暴れるタバサの目の前で叫んだ。タバサは、また殴られると思い身をかがめようとする。しかし、今度は張り手はこずに、キュルケはタバサの背中に手を回すと、小さい体を力いっぱい抱きしめた。

「なに!? んっ!」

 タバサの顔が、息もつまるほどキュルケの体に押し付けられる。

 苦しい! と、タバサはもがこうと試みたが、ふとこの感触をどこかで感じたように思えてきた。

 どこでだろう? なにか、温かくてすごく気持ちがいい。わたしは、この感触を知っている気がする。

 気づいたときには、タバサは暴れるのをやめ、体の力を抜いてキュルケに身を任せていた。

「どう? 伝わるかしら、わたしの体温と心臓の鼓動が……これは決して夢なんかじゃないわ」

「うん……なんだろう、なにか懐かしい感じがする……そうだ……」

「思い出してくれたのね。そう、わたしが前にこの屋敷にやってきたとき、あなたとこうして眠ったわね。あのときもあなたは悪夢にうなされてた……でも、あなたは自分の心で悪夢を打ち破ったのよ」

 タバサは、あのスコーピスとの戦いの前日の思い出を記憶に蘇らせた。あのとき、悪夢にうなされる自分を朝まで抱いて守ってくれていたのはキュルケだった。目覚める前のうつろなとき、その感触を記憶していたんだった。

「あなたは、自分の力で未来を切り開いてここまで来た。でも、最後の最後ですべてを投げ出すつもり? そんなことをしたら、これまでのわたしたちとの思い出も全部否定してしまうのと同じ。なにより、あなたの本物のお母さんも助けられない」

「……」

 タバサは無言で自分を恥じた。キュルケの言っていることはすべて本当だ。けれど、それを肯定して夢の世界を捨て去る気にもなれない。それほどに、あの夢の世界の甘美さと、父に再び会えたという感激は大きかった。

 たとえ幻想の世界でも、もう一度あの世界に行きたい。父と母に、思い切り甘えてみたいという欲求が強くわいてくる。もしキュルケが抱いていてくれなければ、すぐにでも花粉に飛びついてしまいそうだ。

 キュルケは、現実と幻想のはざまで葛藤するタバサが、現実から剥離しないように強く捕まえると、耳元で静かに語りかけはじめた。

「幻想なんかに逃げなくても、あなたにはもっとすばらしい未来を手に入れられる力があるわ。思い出して、ここに来る前にあなたとわたしでかわした誓いを……」

 

 

 続く



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第53話  悪夢を越えたその先に……

 第53話

 悪夢を越えたその先に……

 

 超古代植物 ギジェラ 登場!

 

 

 ルイズたち一行がアーハンブラ城にたどり着く前の夜、タバサとロングビルは互いの存在理由を賭けて戦った。

 そして、敗れたタバサは仲間たちのもとから去った。いや、逃げ出した……

 飛び出した後、どこをどう進んだのかは覚えていない。走ったのか、魔法で飛んだのか、あるいはどこかから転げ落ちたのか。

 気がついたときには、タバサは見知らぬ原っぱの中で、土のベッドに雑草をシーツにして夜空をあおいでいた。

「ここは、どこだろう……」

 全身疲れきり、鉛のように重くなってしまった体を投げ出してタバサはつぶやいた。

 見慣れぬ風景、嗅ぎなれぬ風、北花壇騎士として方々を旅してきたけれど、初めて感じる空気。

 いったい、みんなのいた場所からどれだけ離れてしまったんだろうか……体の疲れ具合と、魔力の消耗具合から推測するに、元いた森から半径十リーグ前後のどこかというところか。シルフィードに乗ればひとっとびの距離だが、人の足だけに限ると世界はとたんに狭くなる。

 気がつけば、月は天頂から主役を星々に譲り、山間にその姿を没しようとしていた。一人で戦ってきたときから、シルフィードの背に揺られているときまで、何十回、何百回と見上げた夜空、見慣れた星座。けれど今は、生まれ育ったガリアのどこかだというだけで、まるで違う世界に来てしまったように思える。いや、ほんとうに違う世界に来てしまったのと同じだろうと、タバサは顔をおおった。

「わたしは、みんなを裏切った……」

 心が落ち着くと、続いてやってきたのは逃れようのない罪悪感の波だった。

 シェフィールドからの残酷な命令と、それに従ってみんなを手にかけようとした自分。

 止めようとしたロングビルを殺す寸前まで追い詰め、あげくその相手に心の弱さを指摘され、無様に逃げ出した自分。

 走っているあいだは忘れられていた。けれども、どんなに遠くまで逃げても、心に刻み込まれた痛みから逃れることはできなかった。

 わたしは結局、なにをしていたんだろうかとタバサは思った。

 はじまりは、忘れることもできない三年前の誕生日のあの日から。すべてを失い、体のいい処刑として送り込まれたキメラドラゴン退治を乗り越え、シュヴァリエになってから、ひたすらに戦いにあけくれてきた。

 ジョゼフとイザベラの気まぐれで与えられる過酷な任務。狡猾冷酷な悪党や、残虐凶暴な怪物退治。

 そのすべてをやり遂げてきたのは、奪われた母の心を取り戻し、父の仇のジョゼフに復讐するためだけのはずだった。

 なのに、自分にはいつの間にか、目的以外にも大切なものができてしまっていた。

「友達なんて、わたしには一番似合わないものなのに」

 誰かとつながりを持とうなんて、今まで考えたこともなかった。でも、入学してすぐになれなれしく声をかけてきたキュルケから始まって、次々と面倒ごとに首を突っ込む学友たちをほっておけずに関わりあってたら、いつの間にか仲間の一員みたいになっていた。

 なんだ、ほんとうはお前は一人でいるのに耐えられなくなっていたんだなと、タバサは自分を笑った。

 どんなに無視しても、平然と話しかけてくるキュルケの声が心地よくて、いつしか逃れようとするのをやめていた。

 フーケのときからそうだ。命に関わるような危険なとき、関わり合いになるまいとすれば、いくらでも逃げることはできたのに、自分からみんなと行動をともにするようになっていた。

 皆が危険なことをする。自分の力がないとみんなが危ないというのは口実で、ほんとうは皆とともにいたかっただけだ。

 結局、お前は孤独に住んでいるつもりで、人にすがっていた弱い人間なんだと、心の中から別の自分が冷笑してくる。

 そのとおりだ……わたしは、魔法の力ではずっと強くなったけど、本質的なところでは、父と母に甘えていたころからなにも変わってはいない。今回だって、ティファニアを救うというのも、シェフィールドの命令だからというのも名目で、本音はまたみんなと旅がしたかっただけだ。

 なのに、わたしはそのみんなを自ら裏切った。裏切って、殺そうとした。もう、取り返しはつかない。

 涙があふれ、喉から嗚咽が漏れてくる。なにもかも夢だったらよかったらいい。もう一度、過去に戻ってやり直したい。けれど、そんなことはできない。過ちは消しようもない。

 タバサの心に、昔暗記するほど母に読んでもらった『イーヴァルディの勇者』の一小節が浮かんでくる。

 

”それは、とある地方のお話。

 ひどい領主が村人を苦しめていたところにイーヴァルディがやってきました。

 重い税と、役人の横暴に苦しめられる人々を見て、彼は心を痛めました。

 そんなとき、彼はふとしたことから、領主の娘のルーと知り合いになったのです。

 心優しい娘のルーは、イーヴァルディに頼んで父の圧政から村人たちを助けてもらおうとしました。

 ところが、村人たちとともに領主の屋敷に乗り込んだイーヴァルディはルーの案内ではいった部屋で罠にはまり、捕らえられてしまいました。

 ひどい拷問がくわえられる中で、イーヴァルディたちはルーが裏切ったことを知ります。

『なぜだ! どうしてぼくたちを裏切ったんだ』

 悲しみに満ちた叫びを、ルーは泣きながら聞いていました。彼女は、残酷な父の命令で、イーヴァルディを罠にかけなければ軍隊を呼んで村人を皆殺しにするとおどされていたのでした。

 ところが、横暴な領主の最期は突然やってきました。山を越えた竜の洞窟に潜むという伝説のドラゴンが、領主の屋敷を襲ったのです。

 屋敷はつぶされ、領主はドラゴンの炎で焼き殺されました。そしてルーは、邪悪な神への生贄としてさらわれてしまったのです。

 ドラゴンは、真っ暗な小部屋にルーを閉じ込めると、お前の命はあと三日だと言い残して去っていきました”

 

 最後に読んだのは、もうずいぶん昔のことなのに、概要がすらすらと浮かんでくる。

 そして、幼いときにはなにげなく読み飛ばしていた、閉じ込められたルーの心を表した一節が、タバサの心にありありと蘇ってきた。

 

”ルーはじっと考えました。でも、ただ友を裏切り、ひどいめにあわせたという事実だけが残りました。

 だから、わたしがこんな目に合うのは当然の報い……

 ルーの最後の望みは、裏切った友に許してもらうこと。でもそれは、かなわない望みなのでした……”

 

「決して許されることは、ないのだから」

 あのころは漠然と、かわいそうな囚われのお姫様だと思っていた。イーヴァルディという勇者に助けに来てもらえるルーのことを、うらやましいと思って、自分に重ねて楽しんだりもした。

 けれど、今ならばイーヴァルディを裏切ったルーのほんとうの気持ちがわかる。

 悪気はなかった。そんなことはなんの言い訳にもならない。ただ、みんなの信頼を裏切って、あげく残ったのは深い絶望だけ。今更あやまちに気づいたところで、どうして許してくれと言えるだろうか。

 ルーは最後にイーヴァルディに救われて、この物語はハッピーエンドを迎える。しかし、自分には助けに来てくれる勇者はいない。それどころか、逃げ出してきた自分になんの救いを求める資格があるだろうか。

「もう、わたしには何も残っていない。からっぽ……はは、ほんとうに中身はからっぽの、人形の……タバサ」

 例えようもない虚無感がタバサを包んだ。もう、終わりだ何もかも……仲間たちには見捨てられ、任務に失敗した以上、母も処刑されてしまうだろう。もう、何一つ自分には残ってはいない。

 これからどうしよう? いっそのこと、グラン・トロワに切り込んで討ち果てて最期を迎えようか。どうせもう帰るところはない。みじめな人形の末路には、それがふさわしいかもしれないな。あは、あはははは……

 絶望の果てに、自己破壊の願望にとりつかれたタバサは、壊れたように乾いた笑いをあげ続けた。

 

 だが、ひびの入ったタバサの心が砕け散る直前に、突然吹いた突風がタバサのほおを打ち、聞きなれた翼の音がタバサの正気を蘇らせた。

「いたーっ! 見つけたのね、おねえさまーっ!」

 大きく翼をはためかせ、流れ星のようにシルフィードが空から落ちてきた。着陸の衝撃と風圧が激しすぎて、小さなタバサの体は巻き上げられて、何度も草の上を転げまわった。

 しかし、痛いと思う暇はなかった。しりもちをついて、半身だけ起こしたタバサの目の前には、シルフィードの背からさっそうと降り立って、星空を背に女神のように立つ赤毛の親友の姿があったからである。

「キュルケ……」

 ぽつりと友の名を呼ぶと、タバサはそれ以上なにも言えずに押し黙った。

 どうしてここにという疑問はない。シルフィードは自分の使い魔なのだから、自分の居場所はすぐにわかる。

 それよりも、どうしてキュルケがいっしょにいるの? もしかして、ロングビルから全部聞いたのでは? いや、絶対に聞いている。だったら、裏切り者の自分を始末しに来たのか? キュルケは誇り高い武門の家の出身だ。たとえ身内といえども、裏切り者は決して許さないだろう。

 最期は、一番の親友と思っていた友に引導を渡されるのか……まあ、裏切り者にはちょうどいい末路だろう。キュルケの炎でだったら、苦しまずに一瞬で死ねる。

 覚悟を決めたタバサは、目を閉じると魔法が来るのを待った。

 でも、やってきたのは身を焼く炎の熱さではなかった。ほおをなでる、柔らかくて優しい絹糸の感触。

「あらまあ、こんなにもう汚しちゃって。シルフィードが慌てて下りるものだから、せっかくのかわいい顔が台無しよ」

 目を開けたとき、キュルケの顔に怒りはなかった。呆れた様子でタバサの顔についた泥をぬぐい、乱れた衣服を整えてくれている。

 タバサは虚を突かれた目で、まるで何も知らないままでここに来たような友の顔を見た。しかし、タバサがキュルケに呼びかけようと口を開きかけたとき、小さな唇はルージュをひいた人差し指でふさがれた。

「なにも言わないで……少し、お話しましょうか」

「キュルケ……!」

「はいはい、深刻ぶってる女の子は不細工よ。はい、涙と鼻水を拭いて……時間は、あるんだしね」

 キュルケはタバサの隣に座ると、ぽんと背中を叩いて空をあおいだ。

 夜空はいまだ満天の銀河を瞬かせ、人里を遠く離れた山奥の自然は二人と一匹を、虫の音で穏やかに包んでくれている。

 邪魔するものもなく、なににせかされることもなく、キュルケはタバサにすべてを知っていることと、それでなお迎えに来たことを告げた。

「まったくあなたは、人がちょっと目を離すと危ないことばっかりして心配かけるんだから。わたしたちが来なかったら、どうせまた危ない橋に突撃しに行ってたんでしょ?」

 完全に図星を指されて、タバサは返す言葉がなかった。けれど、自分は命をとろうとしていたのだ、これまでとはわけが違う。なのになぜキュルケはこうもあっけらかんとしているのか? 自分の知る限り、キュルケは憎い相手には憎いとはっきりと言う性格だ。追い詰めた敵を笑顔で弄ぶようなことはしない。

 キュルケの心がわからず、タバサは問いかけようとした。しかし、今度もその直前でキュルケの指がタバサの口を塞いで、キュルケは微笑を浮かべたまま告げた。

「なぜって聞く必要はないわよ。聞かなくても、今のあなたの思いつめた顔を見たら、なにを考えてるのかは一目瞭然。ツェルプストーのキュルケさまの読心術をなめるんじゃないわよ。まったく、あなたは昔から物事を悪いほうにばっかり考える悪いくせがあるんだから。そんなことくらいで、わたしが怒るとでも思った?」

「そんなことって! わたしはキュルケたちを……」

「殺そうとした。わかってるって言ったでしょ。でもね、わたしは全然怒ってはいないのよ。むしろ、すまないと思ってるくらい。親友のあなたが、それほど思いつめてたときに、気づいてもあげられずにのほほんとしていた自分が情けないわ」

 キュルケは、自分の衣服の胸元の部分を、引きちぎりそうな強さで握り締めた。

「あなたが自分を責めてるのはわかるわ。でも、悪いのはあなたじゃない。憎むべきなのは、あなたの弱みにつけこんで裏で笑ってる卑劣な奴らのほう。違う?」

「でも、実際にわたしは」

「ああもうっ! ほんとにあなたは生真面目なんだから。そういうときはね、「悪いのはジョゼフだ。わたしは全然悪くない」って、思いっきり責任押し付けてふんぞりかえってればいいのよ。わたしならそうするわ」

 からからと陽気に笑い、キュルケは今度は少し強めにタバサの背中を叩いた。

「きっとシェフィールドも、あなたのお母さんの心を治す薬なんて最初から渡すつもりはないわ。まったく、世の中、だますやつよりだまされるやつのほうが悪いなんて、ひどいこと言うものがいるけど、だますやつのほうが悪いに決まってるじゃない。だから、タバサは全然悪くないの。わかる?」

「う、でもキュルケはいつも」

「ん? ああ、わたしに言い寄って燃えてく男の子たちのこと? あれはいいのよ。男ってのは、女にだまされるために存在するものなんだから。でも女をだます男は最低だけどね、タバサも将来ためになるから、よーく覚えておきなさいよ」

 けっこうひどいことをしれっと言いながら、キュルケはにこやかな笑顔をタバサに向けた。その笑顔を見ているうちに、タバサの中で渦巻いていたどろどろしたものも、少しずつ消えていく。

「ほんとうに、わたしを憎んでいないの?」

「疑り深いわね。ま、タバサらしいけど、わたしがタバサに嘘をついたことがこれまであった? それにね、仲間を裏切らなきゃいけないほど追い詰められて、苦しめられた人をどうしてそれ以上憎めるっていうの? タバサ、あなたで二人目だけど、どんな過ちも、つぐなおうという気持ちがあれば必ずやり直せるのよ」

 二人目……その言葉で、タバサは以前アルビオンでレコン・キスタの間諜だったというミシェルのことを思い出した。

 ミシェルがアルビオンで才人たちと再会したとき、タバサはティファニアたちを送っていていなかった。しかし、後に皆と合流したあとや、その後にトリステインで会ったときには、とても罪を背負った人間とは思えないほど、強く、明るい笑みのできる人間になっていた。

「サイトが、命をかけてミシェルを救おうとしたとき、人はそれぞれ重いものを背負ってるんだって知ったわ。それを知らずに怒ったり、ましてや憎むなんてとんでもなく傲慢なこと。だからタバサ、あなたの背負っているものをわたしに分けて。ただの友達じゃなくて、同じものを分け合った親友としてあなたを助けたいの!」

「そんな! だめよ、これはわたしたちガリア王家の問題。無関係なあなたを巻き込む」

「はいはい、それはもう聞いた聞いた。そういう面倒ごと一切合財承知で首を突っ込みたいって言ってるのよ。わたしの親友に手を出した以上、ガリアの王様だろうがゴキブリだろうが消し炭にしてやるわ。タバサ、もう付き合いも長いんだし、わたしがどういう女か、わかってるんでしょ?」

 キュルケにとっては、一国の王もゴキブリも同格らしい。タバサは、キュルケの乱暴な優しさが心に染みて、自然と涙を流していた。

 しかし、それでもなおタバサの心には大きな罪を犯したという意識がぬぐえない。理由はどうあれ、うやむやにするにはあまりにも重過ぎる罪だ。なんの罰も受けずに済んでいいはずがない。

「キュルケ、ありがとう。でも、わたしはこのまま免罪されていいとは思えない。わたしは……」

「許すわ」

「えっ……?」

 タバサの言葉をさえぎり、キュルケの放った一言がタバサの心を捕らえた。

「タバサがどれだけ自分を責めても、たとえ世界中の人間全部がタバサを弾劾しても、わたしは許すわ。たとえ世界中の人間すべてがタバサの敵になっても、わたしはタバサの味方でいる。だってわたしは、タバサのことが大好きなの。優しくて、気高くて、賢くて、わたしにないものをいっぱい持ってる……けど、小鳥のように危なっかしくて、心配ばかりかける。この世に二人といない大事な親友。タバサがほんとは弱虫で甘えん坊だってこと、ちゃんと知ってるんだからね。だから、遠慮しないで頼って甘えて……タバサの力になれることが、わたしの喜びなんだからね」

 優しく頭をなでてくるキュルケに、タバサは失われる前の母の面影を見た。

 いつしか、タバサはキュルケの胸に抱かれて、心の中に溜め込んだものを全部吐き出そうとするように、声をはばからずに泣きに泣いた。

「キュルケっ、ごめん。ごめんなさいっ……」

「ばか、許すって言ってるでしょ……でも、今日はじめてわたしとあなたは本当にわかりあえたのかもね。もう、お互いに仲間はずれはなしよ。シャルロット」

 友の絆は、邪悪な策略などに負けたりはしない。罪が人を苦しめても、許す心が人を救う。

 タバサはキュルケの優しさに、本当に人を信じるということを知った。それは、妄念でもなければ願望でもなく、相手の心の光が闇に勝つことを信じ、その肩を抱いてともに歩くということ。そして、頼り頼られるだけではなく、ましてや傷をなめあうのでもなく、互いの苦しみも受け止め、いっしょに背負って歩くということ。

 はじめは命じられたからやってきただけだったトリステイン魔法学院。でも、そこにはキュルケがいて仲間たちがいた。凍て付いた雪風の心の中に平然と入り込み、なんでもないことのように溶かしてくれる人たちがいた。もし彼らがいなければ、今の自分は昔となんら変わらずに、孤独な灰色の道を歩いていたかもしれない。

 その出会いは運命だったのだろうかとタバサは思う。いや、考えるだけせんないことだ。出会いがどうであれ、声をかけたのも、それを受け止めたのも自分たちの意思だ。その選択は、運命などとは関係ない。

 タバサは思いのすべてを涙と声に変えて吐き出し、涙を拭くと同時に決意した。

「ガリア花壇騎士のタバサはもういない。これからは、トリステイン魔法学院の二年生、キュルケたちのクラスメイトのタバサとして生きていく」

 それが、タバサのジョゼフとの決別の証であった。復讐よりも友とあることを強く願い、くびきを解き放って飛び立つ時がきた。

 もう、何があっても仲間に杖は向けない。もう、何者にも束縛されたりはしない。

 強い光を目に宿して蘇ったタバサの姿に、キュルケは、シルフィードは青い小さな妖精が生まれたような感動を覚えた。

「キュルケ、シルフィード、こんなわたしだけど、これからもよろしく」

「もちろんよ! シャルロット」

「ううん、タバサでいい。その名前も、キュルケたちといっしょにすごしたわたしの大事なものだから」

「おねえさま! 元気になってよかったのね。色ボケ女もたまには役に立つのね」

 一言多いシルフィードの頭を軽くこづくと、タバサとキュルケは顔を見合わせて笑った。

 

 しかし、タバサが完全に自由になるためにはもうひとつだけ、どうしても挑まなければならない戦いがある。

 

「行くのね?」

 そうキュルケに問われると、タバサは黙ってうなづいた。

 囚われている母の元へ行き、その安否を確認する。シェフィールドは、裏切ったら母の命をとると明言していたから、無事でいてくれる可能性は低いものとタバサは考えていた。けれど、たとえ死体と対面することになっても、自分を生み育て、心と引き換えにして守ってくれた母を切り捨てることは絶対にできない。

 だが、悲壮な覚悟で死地に赴こうとするタバサへキュルケは笑ってみせた。

「大丈夫。十中八九、お母さんは無事でいるわ」

「えっ?」

「ジョゼフが冷酷で残忍な男だってのはよくわかったわ。きっと奴はタバサがお母さんを奪いにくることを読んで、待ち伏せさせてるに違いないわ。けれど、お母さんが死んでいたらあなたの必死の反撃を呼ぶことになる。わたしはガリアの花壇騎士のレベルには詳しくないけど、今のタバサの実力はそこらの傭兵メイジなんかじゃ相手にならないくらいに強くなってる」

 キュルケはそこで一度言葉を切り、タバサはうなづいた。確かに、ありとあらゆる無理難題をこなしてきたタバサの実力は、北花壇騎士でも最強クラスだろう。早々対抗できる相手がいるとは思えないし、メイジの力は感情で引き上げられる。母を殺されて怒るタバサの実力は、軽くスクウェアクラスに匹敵するのはジョゼフならわかる。

「まともに激突すれば返り討ちにあう可能性が高い作戦を、タバサの力を知ってるジョゼフやシェフィールドがとるとは思えない。けど、なによりも殺すならあなたの目の前でむごたらしくなんて考えるでしょう。きっと、人質として使うはず、うまくすれば救出の可能性は十分にあるわ」

「わかった」

 短く答えたタバサの言葉の続きに、「来るな」とも「来てくれ」という単語も接続されることはなかった。もう、一蓮托生なのはわかりあえている。あとは、行動に移すだけなのだ。

 二人を乗せるために、シルフィードは背を向けて翼を広げる。その広い背中を仰ぎ見て、キュルケはタバサに言った。

「ねえタバサ、お母さんを助けたら、いっしょにゲルマニアに来なさいよ。二人や三人の居候、わたしの屋敷ならどうとでもなるわ。しばらく身を隠して、家族で仲良く過ごしてみたら?」

「え? でも」

「お母さんに盛られた薬のことを気にしてるのね。それなら、ルクシャナに頼んで解毒薬を調合してもらえばいいじゃない。エルフが作った薬なら、エルフが元に戻せるでしょ」

 あっ! と、タバサはキュルケの言葉に雷に打たれたような衝撃を覚えた。なんでこんな簡単なことに、これまで思い至らなかったのか。もともと学者であり、ビダーシャルがわざわざ手助けを求めるほどの知識の持ち主である彼女ならば解毒薬も製造可能だろう。なのに、ルクシャナのエルフにしては軽すぎる性格や、アルビオンから張り詰めた気持ちが続いていたせいもあるだろうけど、気づこうとすれば簡単にわかったはずだ。

 しかし、愕然としたのはほんの数秒だった。すぐに自らのうかつさなど、記憶の地平に追放してしまうほどの希望が胸にわいてくる。

「お母様が……帰ってくる!」

 それはここ数年味わったなかで最大の喜びだった。人は新たなものを得たときと同様か、それ以上に失ったものを取り戻したときに幸せを味わう。子供のころになくしたおもちゃを大人になってから見つけたときに、自然と顔がほころびるというような経験は大勢の人が経験したことがあるだろう。

 魔王の城へ向かう勇者が、洞窟に眠る財宝を探しに行く冒険者に変わり、キュルケとタバサは強く手を握り合った。

 これがジョゼフとの長きにわたる因縁に決着をつけられる千載一遇のチャンスだ。泣いて耐えていた自分と決別して、運命を自分のもとへとひきずりよせる。

 そのとき、二人のもとへ一羽のフクロウが飛んできて、足に抱えていた書簡をタバサの元へと落とした。

 それは、確かめるまでもなくガリア北花壇騎士への伝書フクロウであり、差出人は中身を見るまでもなかった。

「ジョゼフからの挑戦状ってわけね。しかし、さっきの会話も聞かれちゃったかしらね?」

「大丈夫、これはわたしの持っているシュヴァリエの任命状の魔法の印を察知して飛んでくるだけだから。もしも誰かが盗み聞きしてたら気配でわかる」

「そ、まあ女の子の会話を盗み聞きしてたら変態以外の何者でもないしね。それじゃ、向こうさんもやる気らしいし、お相手してあげましょうか。場所はタバサの実家か、いつごろ到着できる?」

「ガリアの反対側だし、ワイバーンの生息地やシルフィードが休憩できない山岳や森林地帯を避けていくことになるから、

ざっと二日は必要だと思う」

「二日ね。それじゃ、到着するまではのんびり旅行でもしゃれこみましょうか。行きましょ、タバサ」

「うん」

 こうして、タバサとキュルケは旅立った。その間、才人たちがアーハンブラ城で戦い、ティファニアを奪還するのに成功したことを彼女たちは知る由もないが、彼女たちは彼らなら必ず成功させてくれるだろうと確信していた。

 

 そして今、最後の戦いに望み、ジョゼフの罠にタバサとキュルケははまってしまった。

 二度と抜け出したくなくなるほどの快楽を味わわせる、甘美な夢の世界を与える古代植物ギジェラの花粉。けれども、どんなに誘惑にあふれていようと、眠って見る夢は所詮過去の焼きなおしや妄想の産物に過ぎない。未来に続き、本当にすばらしい世界を築くための夢は、目を覚ましているときしか見ることはできないのである。

 キュルケと誓った母を救うという目的を思い出し、タバサは悪夢の残滓を振り払って立ち上がった。

「ごめんキュルケ。わたしはまた、同じ過ちを繰り返すところだった」

「いいわよ。元はといえば、わたしの不注意が原因だったんだし。でも、あの快楽の泉から、よく帰ってきてくれたわ」

「うん、正直迷った。けど、決めたの……どんなに苦しいことが待ってても、逃げないし、黙って耐えたりもしない。未来をつかみとるために、前を向いて立ち向かっていくって。だって、わたしには痛みを分かち合ってくれる友達がいるから!」

 その言葉に、キュルケの顔に最高の笑みがあふれた。

「もー! なんてかわいいこと言ってくれるのかしら。感激しちゃったじゃないわたし! んじゃ、ちゃっちゃとこの趣味の悪い罠をぶっつぶしちゃいましょうか」

「うん!」

 顔を見合わせて、杖を交差させた二人は同時に魔法を放った。

『ウェンディ・アイシクル!』

『フレイム・ボール!』

 極低温の冷気と、高熱火球が同時に部屋を封じ込めていた鉄檻に炸裂する。ガリア製の鋼鉄でできた檻は、そのどちらかだけであれば耐えられたであろうが、正反対の熱攻撃による熱膨張と収縮による、分子の過剰運動には耐えられなかった。

「シルフィード!」

「ええーいなのね!」

 シルフィードの体当たりでもろくなっていた檻は叩き壊され、空へと続く道ができた。

 さあ、もはや地を這いずる時は過ぎた。シルフィードは自らの主人の親子と、その友を乗せて大空に飛び立つ。

 だが、高空へ逃げようとしたシルフィードへ向けて、ギジェラは体から生えた触手を伸ばして襲い掛かってくる。速さはたいしたことはなく、シルフィードの機動性ならかわすのにはさして苦労しないが、なおも花粉を花弁の中央から撒き散らし続けるギジェラに、タバサはシルフィードに命じた。

「シルフィード、止まって」

「きゅい」

「タバサ?」

「あれをこのままにしておくわけにはいかない。キュルケ、お願い」

「タバサ……」

 ギジェラを杖で指して頼むタバサに、キュルケはその意図をすぐに察知した。しかし、それはこの場所とは赤の他人であるキュルケにとっても、ためらわざるを得ない意味合いを持っていた。

「いいの? あれを焼き払えば、あなたの屋敷も無事じゃすまない。ここは、あなたとご家族の大事な場所なんでしょう?」

「かまわない。あれがこのまま育ち続ければ、この周囲一帯が危険にさらされる。ジョゼフはそんなことを考慮してはいない。それに……ここには悲しい思い出のほうが、多い」

 目を伏せたタバサの胸中には、空虚だった三年間、自分の家なのに悪夢にうなされ続けた暮らしが消えずに残っているのだろう。

 話にだけは聞いているが、狂った肉親と暮らし続けるというのはどんなに苦痛か。わずかに想像するだけで、震えが走る。

 しかし、いくらつらい思い出があるとはいえ、それを消し去りたいというのは……いや、それは邪推だなとキュルケは考え直した。タバサの味わってきた苦痛を、安易に否定する権利はない。それに、あれをほってはおけないし、タバサが選択したことならば、わたしもそれを尊重しよう。

「わかったわ。けど、あのどでかいのを焼き尽くすのはわたしの炎でも少々骨ね」

「大丈夫、わたしが合図したら火を放って」

 そう言うと、タバサはシルフィードをギジェラの真上あたりに向けて飛ばせた。ギジェラの触手は動きが大味なので当たる心配は少なく、シルフィードは三人を乗せたままでも余裕を持ってかわす。

 そうか、タバサが待っているのはあれね、とキュルケは理解した。この巨大植物を人間の力で焼き尽くすには普通の方法では無理だ。本人は決して好いてはいないが、北花壇騎士として数々の戦いを潜り抜けてきた経験は確かにタバサの中に息づいている。

 触手の攻撃がいくらやっても当たらないことに業を煮やしたギジェラは、花弁の奥からくちばしを伸ばしてきた。獲物を狙う怪鳥にも似たそれがシルフィードを狙い、開いた口内から黄色い花粉が毒ガスのように噴射される。

 だが、それこそがタバサの勝利への賭けだった。確かに、水と風を得意とするタバサの力では、植物であるギジェラに対して決定打となりうる攻撃魔法は打てない。ただし、魔法は攻撃だけではなく、その中には応用しだいで直接攻撃以上に効果を発揮しえるものも数多く存在する。

 その中でも、やはりタバサの得意系統とはずれるものの、魔法難易度としては低く、この状況を逆用できるものがあった。

『錬金!』

 タバサの杖が光り、花粉にかかった魔力の光が花粉を引火性の強い油に変える。むろん、全部は変えきれず、花粉と油の混合した気体がシルフィードに向かって襲い掛かってくるが、タバサはそれに向かって残りの全精神力を使った魔法をぶっつけた。

『ウィンド・ブレイク!』

 突風が花粉と油の霧を押し返し、それはギジェラに向かって降り注ぐ。この瞬間に、得意ではない錬金と、花粉を押し返すだけの風を作り出したタバサの精神力は尽きた。しかし、同時にタバサが待ち望んだ勝利への条件は整った。

「キュルケ、今!」

「わかったわ。『フレイム・ボール!』」

 キュルケの放った全力の火炎弾がギジェラに命中する。それは、通常ならば、直撃したところでギジェラの巨体にはたいしたダメージは与えられなかったであろうが今回は違った。花粉と油、ともに可燃性の物質が細かい粒子状になり、それが空気と混合したものがギジェラを包んでいたために、引火点を超える熱を与えられたそれにたやすく燃え移ったのだ。

 一瞬、太陽が出現したのかと錯覚するほどの火炎がギジェラを包み、高熱が一気に全体を覆う。その閃光と衝撃波が通り過ぎていき、恐る恐る目を開けたとき、そこには自らの持つ油分に引火し、轟音を立てて燃え上がるギジェラの姿があった。

「や……やった!」

 キュルケはタバサに抱きつき、喜びを全身で表現した。タバサは疲れた様子ながら、口元だけはほころばせて心の内が親友と同じことを示している。

 

 一方そのころ、そこを遠く離れたグラン・トロワでは、ゲームの開催者であり対戦相手が、自らの敗北を悟っていた。

「どうやらシャルロットの勝ちのようだな。やれやれ、途中までは順調だったのだが……敗因は赤毛の小娘のことを計算に入れていなかったことか」

「ジョゼフさま、それはいたしかたありません。まさか、あの幻想世界から連れ戻すことが可能だとは」

「いや、あやつらの底力を過少評価した余の落ち度だ。余と対局できる相手もいなくなって久しいから、少々かんが鈍っていたか……いや、本当の敗因は、余がどうあがいても手に入れることができないものを持っている、シャルルがシャルロットに残した遺産のせいかな」

 ジョゼフは苦笑すると目を閉じて、常に誰からも慕われて囲まれていた弟のことを思い出した。思えば、幼少のころから自分たち兄弟はくっきりと分かれていた。魔法の才がなく、母からも無能と呼ばれて孤独だった自分と、対照的に天才的な魔法の才に恵まれて、なおかつ人望の厚さでもてはやされていた弟。

 生まれついての差は変えがたく、神はまったく人間を不公平に作る。シャルロットにしてもそうだ。国内のオルレアン派の貴族はすべて抑え、シャルロットに味方は一人もいないはずなのに、どこからかあの子を助ける者が現れてくる。自分がいくら孤独であっても、助けようなどという者は現れなかったのに……

 その考えは、タバサが聞いたらきっぱりと否定するであろう。キュルケや仲間たちとの友情に、魔法の有無などは関係ないと。だが、ジョゼフにとっては真実だった。持てる者と持たざる者の価値観の差は、時に残酷なまでに人の心に壁を作り、運命を狂わせる。

「余は、生涯通じてシャルルには勝てなかった。いや、余が勝手にあいつを勝ち逃げさせてしまった。そして、その娘にも、これだけ有利な条件を揃えても勝てぬか。ははははは」

 敗北を認めたジョゼフの哄笑が寝室に響いた。彼の顔には憎しみや怒り、屈辱感などはなく、単純な愉快さだけが浮かんでいる。

 実は意外にも、ジョゼフの心には敗北感はなかった。いや、それ以前にジョゼフにはそもそも「勝ちたい」という意欲が欠落しているといったほうがいいかもしれない。なぜなら、彼が心の底から勝ちたいと思っていた相手は、もうこの世にいないのだから。

 ただ、勝利の高揚感も敗北の屈辱感もない代わりに、ゲームが終了したことでジョゼフの心には例えようもない空虚さが生まれてきていた。

「ふぅむ……シャルロットとのゲームも今回でお終いか。しかし困ったな、シャルロットがいなくなった後の暇つぶしを考えていなかった。やることが特にないというのは退屈だな。虚無での遊びのほうもなかなか進展せんし、面倒だからエルフとの戦争でも起こすかなあ」

 まるで子供が鬼ごっことかくれんぼのどちらをするかを迷うように気楽に、しかし冗談は一切なく本気でジョゼフはつぶやいた。

 この世での目標を当に喪失し、それを取り返すことは絶対に不可能だとわかっている彼にとって、この世は退屈な暇つぶしの場でしかなかった。残った関心は、このくだらない世界をいかにしてもてあそんでやるか、その果てに自分がどうなれるのかということだけ、そのためならばこの世のあらゆる美徳や理想も踏みにじってくれよう。

 

 だが、ジョゼフが破滅的な夢想に心を任せようとした瞬間、遠見の鏡から聞き覚えのある声が響いてきた。

「陛下、エルフと開戦なさるのは結構ですが、まだ時期尚早であるとお止めいたします。それよりも、陛下には新たなゲームのステージをわたくしどもといっしょに構築していただきたいものです」

 突然、タバサたちを映していた遠見の鏡の画像が乱れ、別の人物の姿が映し出された。それは、端正な美貌の月目が目を引く美少年で、不敵と呼んでさえいい笑顔で鏡の向こうからジョゼフを見つめている。

 しかし、突然の乱入者に声をあげたのはジョゼフではなく、鏡を操作していたシェフィールドだった。

「お前! どうやってこの映像に割りこんだ!? これには、傍受を防ぐ仕掛けが何重にも施されていたのだぞ」

「ふふ、ご無礼をお許しください。まあ種明かしをいたしますと、我がロマリアには世界各国が研究した魔法技術の成果が蓄積されていますので。この程度のことは、わけはないですね」

 悪びれもせずに、彼、ジュリオはシェフィールドに向かってポーズをとってみせた。そのふてぶてしさに、シェフィールドは歯軋りをして、なにかを怒鳴りつけようとしたがジョゼフに静止された。

「くくく、まあよいミューズよ。貴様、ジュリオとか言ったな。このアイテムの機能に割り込んできたことは驚いたが、そんなことを自慢したいわけではあるまい。神の奇跡を見せてくれるはずだが、準備ができたのかな?」

「さすが、お話が早くて助かります。まずは、こちらをご覧ください」

 ジュリオはそう言うと、体をどかして鏡の映像に彼の背後の風景を映した。するとそこには……

「なっ!?」

「ほぅ」

 シェフィールドは絶句し、ジョゼフは口元を歪めた。なんと、ジュリオの後ろに映っていたのは燃え盛るギジェラの姿と、その周辺を旋回するシルフィードの姿。彼のいる場所は、オルレアン邸の正門近くの街道だったのだ。

 しかし、それはありえるはずがなかった。リュティスからオルレアン邸までは、風竜で全力で飛んでも数時間かかる。なのに、さきほどジュリオが立ち去ってからまだ一時間も経っていない。

 ならば、ここか向こうにいるどちらかがスキルニルなどを使った擬態か? もしくは映像を加工しているのかとシェフィールドは思ったが、ジュリオはそのどちらも違うというふうに首を振った。

「これが、まずは奇跡の前座といったところですか。わたしにとって、あの程度の距離はたいした意味を持ちません」

「ほお、瞬間移動でもしたというのかな。だが、そんなものではたいして驚けんな」

 チャリジャという、人間を超越した存在と手を組んでいたジョゼフにとって、この程度は驚くに値しない。だが、ここまでくるとジュリオもそんなことは承知していると、軽く笑うと空を見上げてから返答した。

「はい、わたしもこんなもので陛下のおめがねにかなうとは思っておりませぬ。さて……ころあいもそろそろよろしいようですし、お目にかけましょう。我らの奇跡、力の一端を……そのあかつきには、我らの神の使途に名を連ねること、ご考慮いただけたら幸いです」

 ジュリオはそれだけ言うと姿を消し、映像は元のタバサたちを屋敷から見上げたものに戻った。

 

 ギジェラは噴火する火山のように燃え上がり、一時もがくように激しく動いていた触手も力尽きた。

 燃え続ける巨体から葉がもげ、花びらがちぎれて燃えながらオルレアン邸に降り注ぐ。火の雨を受けた屋敷は燃えあがりはじめ、タバサとキュルケはそれを少し離れた空からじっと見つめていた。

「タバサ……」

「……」

 タバサはなにも言わずに、ただギジェラと屋敷の最期を見守っている。やがてギジェラの巨体が燃えながら崩れ落ちていくと、タバサが幼少のころからすごした屋敷は、炎の海の中に沈んでいく。

 だが、炎によって明るさを増していた風景が、突如として暗さを増し始めたのだ。

「な、なに!?」

 ずっと屋敷を見下ろしていた二人はとっさに空を見上げた。そして、信じられない光景が二人の目に飛び込んできた。

「あれは、月が……欠けていく」

「月食……!?」

 なんと、空を煌々と照らしていた青い月の半月が、虫食いをされたように欠けていく。しかし馬鹿な、今は月食などが起きる時期ではないはずだ。

 そのとき、呆然とする二人の頭の中に、悪意に満ちた恐ろしげな声が響いてきた。

 

〔君たちの存在は、我々の計画の妨げになる恐れがある。この世界から、消去させてもらうよ〕

 

 その言葉が終わると同時に、反応する時間さえ与えられずに異変は起こった。

 何が起きはじめたのかすらわからない二人の目の前で、森の中から白い光の塊が立ち上った。それは、見る見るうちに小山のように大きくなると、次第に人の形を取り始める。そして、光の塊は黒々とした体を持つ異形の怪物として実体化した。

「あれは! 新しい怪獣!?」

 骨格が全身に浮き出たような不気味な容姿に、顔のない頭には頭頂部から首に至るまで黄色く点滅する筋が通っている。

 新たな敵は、キュルケの絶叫を合図としたかのように肩を震わせて迫りくる。

 悪夢は終わった。しかし、悪夢よりも残酷な現実が迫りつつある……

 

 

 続く



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第54話  共鳴する悪の波動

 第54話

 共鳴する悪の波動

 

 精神寄生獣 ビゾーム

 宇宙大怪獣 改造ベムスター

 円盤生物 アブソーバ 登場!

 

 

 タバサとキュルケの力を合わせた戦いで、ジョゼフの送り込んだ最後の罠、ギジェラは倒された。

 しかし、勝利の余韻もつかの間、突如として現れた新たな怪獣が二人に新たな脅威を告げる。

 黒々した肉体に、黄色く発光する顔と胸の器官。才人が見たとしたら、かのゼットンを連想しそうな容姿を持つ人型の怪獣は、まるで人間の持つ恐怖という感情を形にしたかのようなおどろおどろしさを振りまいている。

 キュルケはぞっとしたものを感じ、タバサも背筋になめられたような不快感を覚えた。

 そして、ジョゼフすらも予期していなかった第三者は、明らかな敵意をタバサたちに示す。

 果たして、その目的はなんなのであろうか……

 

 シルフィードの背から、タバサとキュルケは愕然として異形の怪獣を見つめていた。だが、この自失していた数秒がいかに貴重であり、自分たちがどれほど危険な状況にいるのかを、皮肉にもその敵によって気づかされた。

 新たに出現した怪獣は、まるで喉がひっかかったまま笑っているような、薄気味の悪い声をあげながらこちらに向かってきたのである。

「いけない。シルフィード、逃げて」

 タバサは怪獣の接近に、ためらわずに逃げを選択した。敵の能力が未知数なうえに、二人とも精神力を使いすぎてすでに魔法を打つ余力がない。とても、もう一匹怪獣を相手にするような余裕などはなかった。

 シルフィードはぐんぐん上昇していき、怪獣の姿はどんどん小さくなっていく。

 しかし、タバサたちは知らなかった。その怪獣……かつて別世界にも現れたことのある、精神寄生獣ビゾームを操っていた存在が、地球攻撃のために得意としていた戦術を。

 高度何千メートルという高さに上昇していくシルフィードを、ビゾームはなぜか光線で打ち落とそうともせずに見上げている。

 そして、天高く上がったシルフィードのシルエットが月と完全に重なり、月食が完成したときにビゾームは高笑いするかのように両腕を掲げた。

「ここまで来れば……っ? シルフィード、どうしたの? スピードが速すぎっ」

「ち、違うのね! な、なにかに吸い寄せられてるのねっ!」

 上昇をやめようとしたシルフィードを、まるで重力が逆転したかのような強力な力がひきつけていく。これはいったい!? と、引き寄せられていく方向を目の当たりにした二人は、信じられない光景に驚愕した。

「あれはっ!? 月に。月食に引き寄せられていってるの!」

 だがそれは事実だった。月食の月が、まるで空に開いた穴のようにシルフィードを吸い寄せている。

 タバサとキュルケは、空に開いた穴の姿に、アルビオンで日食が起きた折、そこからGUYSガンフェニックスが現れた光景を思い出して戦慄した。

「まさかっ! あれは別の世界へつながってる扉! タバサ、逃げるのよ」

「わかってる……シルフィード」

「だ、だめ、少しずつ引き寄せられてるのね!」

 空の穴、ワームホールに向かってシルフィードはじわじわと引き寄せられていった。このままでは、みんな揃ってどこかわからない世界に飛ばされてしまうかもしれない。しかし、ワームホールの吸引力にシルフィードの力はわずかに負けており、タバサとキュルケにも魔法で後押しする余力はなかった。

 ワームホールまであと何百メートルもなく、引き裂かれるような引力の中で、タバサは自らを、キュルケは自らとタバサの母が飛ばされないように必死で守った。しかし、人一倍小柄で、かつギジェラの幻覚と魔法の大規模使用で疲労の極に達していたタバサには、すでに肉体的な余裕も残されてはいなかったのだ。 

 ワームホールの引力に抗って、全力で翼を羽ばたかせるシルフィード。と、急に体がぐらりと揺れ、吸い込まれる力が弱まったような違和感を覚えた。そして、ふと背中を振り向いたシルフィードの心は零下の海中へと放り込まれた。

 そこに……いつも同じ場所に座っているはずの主人の姿が、忽然と消えていたのである。

「おねえさまーっ!」

「タバサー!」

 シルフィードとキュルケの絶叫が虚空を裂いた。タバサの小さな体が、シルフィードから引き剥がされてワームホールへと吸い込まれていく。もはや、後先を考えている余裕はなかった。シルフィードはすぐさま反転し、全力でワームホールに翼を向けた。

「タバサーっ!」

「キュルケ……」

 タバサが必死で伸ばした杖をキュルケが捕まえようと手を伸ばす。だが、それが限界だった。タバサは大きく開いたワームホールの中に、黒い水に落ちたように吸い込まれて消え、その瞬間、ワームホールはそれまでの吸引力がうそであったかのように、強烈な反発力でシルフィードを吹き飛ばしたのだ。

「タバサぁー!」

 悲鳴とともに、シルフィードはきりもみしながら墜落していった。意識を失う前にキュルケの目に映ったのは、終わろうとしている月食と、愉快そうに肩を震わせている怪獣の姿だった。

 

 

 しかし、この異常な月食がもたらした影響はここだけではなかった。

 ガリアの反対側で、眠れず空を見上げていた才人とルイズの見ている前でも、ありえるはずのない月食は見えていた。

「そんな馬鹿な……この時期に月食なんて」

 呆然と不気味な姿をさらす月を見る二人は、はるかかなたのタバサたちとビゾームの戦いを知るよしもない。だが、この不吉の象徴のような月がもたらす異変は、二人の元へも別の形で現れた。

 突然、才人が肌身離さず持っているGUYSメモリーディスプレイの呼び出し音が鳴った。慌てて懐から取り出し、スイッチを押した才人の耳に、ノイズ交じりの声が流れてくる。

〔こち……ちき……聞こえるか? ハルケ……才人!〕

「この声は、リュウ隊長! おれです。聞こえますか!」

 向こうの世界で、再びこの世界とを連結させる作戦が成功したのかと才人は喜色を浮かべた。しかし、通信の向こうから聞こえてきたリュウの声は、再会を喜ぶものではなく、急いでなにかを伝えようとする怒鳴り声だった。

〔おう! 才人か、いや……り、時間が……〕

「なんです! よく聞こえない!」

 相手の声色から、容易ならざる事態なだけはわかったが、音割れがひどくてうまく聞き取れない。地球で何があったのだ? 焦って聞き返す才人へ、メモリーディスプレイからもリュウの焦った声が途切れ途切れに響く。

〔よく聞け! お…………ディゾルバー……次元移動……作戦…………ヤプール〕

「ヤプールですって! なにがあったんですか! もしもし!」

 叫べど、激しくノイズの混ざる通信はいっこうに要領を得ない。

 地球とハルケギニアを結ぶはずの次元トンネルになにがあったのだ? まさか、ヤプールがすでに地球にも。

 

 才人は、自分の知らないところで事態が大きく動いていたことを知った。しかしそれは、単純にヤプールによる攻撃が再開されたのみならず、ジョゼフをはじめとするハルケギニアを狙う勢力の活動が混ざり合い、まったく予想できない形で生み出された結果によるものだったのだ。

 そう、この世界は常に狙われている。かつて、地球が宇宙を漂う幾千の星から、侵略の魔手を伸ばされたように。

 さらにその中には、ヤプールのように時空を超えて陰謀をめぐらすものも存在する。それらの悪の勢力が互いのことを意図しあわなくとも同時に活動すれば、それがもたらす事態と被害は計り知れない。

 平和を守ろうとする者たちと、平和を乱し混沌と破滅を愛するものたち。

 水面下で着々と力を蓄え、悪意をみなぎらせて蠢動してきた敵たちが、ついに表に出て侵略を開始しはじめた。

 そして、その次なる標的となったのは才人が帰還を心待ちにしていた故郷だったのだ。

 

 次元を超え、時系列は数時間巻き戻る。

 地球……エースたち、M78星雲のウルトラマンたちの故郷のある世界の地球において、それまでの平穏さが嘘のような異常事態が起きていた。

 

「GUYSアンタクルティカより連絡! 南極にて冷凍怪獣ペギラの群れを確認、北上しつつあり。南太平洋でGUYSオーシャンが迎撃態勢をとるもようです」

「GUYSスペーシーから緊急連絡! 月面上にて月怪獣ペテロを確認。さらに火星基地にナメゴン二体が出現、木星ステーションからも、羽根怪獣ギコギラーが地球に接近中との報です。現在全力出撃中」

「ヨーロッパ方面からもザルドン、アメリカでもゴキネズラが出現したそうです。各国GUYSが迎撃中ですが、苦戦しているようです」

 

 フェニックスネストのディレクションルームに、ひっきりなしに各地に怪獣出現の連絡が飛び込み、オペレーターたちが対応に苦慮している。

 世界各地で同時多発的に起きた怪獣の異常発生。怪獣頻出期の歴史上においても、最大級の非常事態が、この日地球を襲ったのだ。地底から現れるもの、宇宙から飛来するものなど、出現パターンは様々であるが、そのいずれも大都市や基地などを標的に定め、その防衛のために世界各国のGUYSは総力戦を余儀なくされている。

 むろん、これが単なる偶然の自然現象などではなく、ヤプールかそれに匹敵する侵略者による仕業であることは、当初から誰もが認めていた。

 一週間ほど前から、地球の各地で観測された微量のマイナスエネルギーの検出。次元の変動と、それにともなうヤプールエネルギーの観測。さらには、GUYSの厳重な警戒網を破っての、地球各地での未確認飛行物体、いわゆるUFOの目撃証言。その場所はおよそとりとめがなく、日本だけでも瀬戸内海上空、静岡の下田港、愛知県の伊良湖岬。国外では台湾、フィリピンの海上で漁船が不振な飛行物体を目撃し、南太平洋、北大西洋、地中海でも飛行中の旅客機が怪しい光を目撃したとの報告があがっている。恐らくこれらは、本格的な攻撃の準備のための偵察であったのだろう。

 当然、攻撃の対象は日本にも向けられ、GUYS JAPANも出動している。このころになると、ハルザキ・カナタら新人隊員たちも、ジョージやテッペイら前GUYSのOBらの指導で、すでに一人前と呼べる技量に成長していた。彼らは今では、さらに新たに入ってきた新人隊員たちとともにガンフェニックスで出撃している。

 ただし、各地の怪獣の数はかつてのアーマードダークネス事件のときよりも多く、ガンフェニックスだけではとても対処し切れなかった。そのため、GUYS JAPANはガンクルセイダーや、補用機の旧MATのマットアローの改修機であるGUYSアローまでも投入して、必死に各地の被害を抑えている。

 しかし、各地から悲鳴のようにあがってくる救援要請を受けながらも、GUYS JAPANにはリュウ隊長、ミライことウルトラマンメビウスら主戦力をフル投入できない訳があった。

「隊長! 札幌にアーストロンが出現しました。これで、世界各地に出現した怪獣の数は二十体を超えます。このままでは、市民の避難が完了するまでに食い止めきれません!」

 

 

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「ちっ! いったい何匹出現すりゃ気が済むんだ」

「リュウさん! やっぱり僕が行きます」

 ディレクションルームで、各地のGUYSクルーに指示を出していたリュウは、待機しているのにいてもたってもいられなくなったミライから出動要請を受けて、一瞬逡巡した。確かに、メビウスが参戦してくれれば戦況は一気に楽になる。しかし、現状をかんがみるとリュウは首を横に振るしかなかった。

「だめだ。ミライ、やつらはお前を引っ張り出すことが目的なんだ。ここを手薄にしたら、せっかく完成したディメンショナル・ディゾルバー・Rを誰が守るんだ!」

 そう、それこそがリュウを苦悩させている元凶だった。地球と次元を超えた異世界ハルケギニアとの行き来を可能とする、時空間安定化装置ディメンショナル・ディゾルバー・R(リバース)。かつてヤプールの次元ゲートを半永久的に封印したディメンショナル・ディゾルバーの極性を反転させたこの装置は、前回のときは未完成であったためにわずか三日でゲートが閉じてしまったが、フジサワ博士らの努力で完成にこぎつけられていた。ただし、ゲートを開くためには理由は不明であるが日食が必要であり、あのときの皆既日食には及ばないにしても、部分日食が発生する今日しかチャンスはなかった。

「ヤプールは、俺たちが向こうに乗り込んでいくのを恐れてるに違いねえ。いいかミライ、俺たちの仕事はこいつを防衛して、もう一度向こうの世界へのゲートを作り出す。そして、お前の兄さんたちとも力を合わせてヤプールをぶっ倒す。だから、見え透いた誘いに乗るんじゃねえぞ」

「わかりました。すみませんでした」

 ミライは素直に謝罪したが、リュウの心は複雑だった。ミライにこうして偉そうに言ったものの、隊員時代のリュウであったら、真っ先に飛び出していったのは間違いないし、今でもリュウはどちらかといえば司令室より現場を好むタイプだ。

 しかし、一隊員だったころと隊長に就任した今では責任の重さがまるで違う。上に立つものは、自らの自我を抑えて、全体を、目的を最小限の犠牲と労力で成し遂げさせるために牽引しなければならない。それは、リュウの気質からしたらかなりの負担になることは、隊員時代の彼を知るものからしたら容易に想像ができた上に、今回は新生GUYS JAPANに本当の意味で経験を積ませるため、ジョージ、マリナ、テッペイ、コノミら前GUYS JAPANは参加していないから、負担は一気にリュウにのしかかってくる。

 ただし、現在のリュウを知る者の中に、彼がその義務から逃げたことは一度もないことを否定する者もいなかった。

「GUYSを頼む」

 かつてディノゾール戦で、セリザワ前々隊長が散り際に残した言葉をリュウは忘れたことはなく、それは今も続いている。ウルトラ5つの誓い、地球は地球人自らの手で守り抜くという信念を受け継ぎ、そして敬愛する二人の隊長に追いつくために、リュウは全力で隊長の責務と向き合っている。

 

 地球側の必死の努力をあざ笑うように続く、怪獣軍団の猛攻。けれども世界各国のGUYSは、日本に比べれば経験が浅いにもかかわらず、じわじわと怪獣軍団を押し返し始めた。

 だが、地球側がこれくらいの健闘を見せることくらいはヤプールも想定していた。次元を超えて地球の戦いを見守るヤプールは、怪獣軍団による無差別攻撃では不十分だと判断した。

「地球人の科学力もなかなかのものだ。やはり、マイナスエネルギーに惹かれてやって来たゴミどもだけでは不十分だな。ならば、作戦の第二段階へ移る。ゆけ! 超獣どもよ!」

 次元の裂け目を通り、ヤプールの第二陣の攻撃が送り込まれる。今度は無差別ではなく、ピンポイントに地球の重要拠点を狙った攻撃は、即座にGUYSの知るところとなった。汗をぬぐう暇もないフェニックスネストのディレクションルームに、新たな敵出現の報が飛び込んでくる。

「隊長! マレーシアの天然ガスステーションにガス超獣ガスゲゴンが出現。続いてインドのニューデリーにさぼてん超獣サボテンダーが現れました」

「ちっ! ヤプールめ。業を煮やしてついに超獣も出してきやがったな」

 舌打ちしたリュウは、事態が深刻さを増していることを自覚した。このまま戦いが長引けば、物量差で負ける。世界各国への攻撃も、耐えられなくなった国をGUYS JAPANが助けに行かなければいけない状況になるのを計算しているからなのだろう。実際、戦力の低い地方のGUYSは悲鳴のように周辺国に救援を求め、特に精鋭の日本には救援要請が山積みされている。これは直接日本だけが標的にされるより性質が悪い。

 ヤプールの相変わらずの卑劣なやり口に、以前ヤプールに憑依されたことのあるリュウは胸がむかむかしてくるのを隊員服のはしをつかんで抑えた。あのときのことは記憶にないが、自分の体を操ってGUYSの皆をだまし、ミライを陥れようとしたヤプールに、リュウは好意的な感情を抱いたことは一度もない。

 絶対にヤプールだけは許さねえ。リュウは決断した。

「メテオールの使用を許可する。ただし、無理に撃破しようとしなくてもいい。怪獣たちはヤプールエネルギーの影響を受けてるだけだ。ぶっ叩いて追い返せ!」

「G・I・G!」

 隊員たちもリュウの荒っぽい命令にすぐに答える。セリザワ隊長時代とも、サコミズ隊長がいたころとも違う形の、リュウが指揮する新しい形のGUYSの姿がここにあった。

 そして、GUYSマシンの必殺装備、超絶科学メテオールが発動し、GUYS JAPANは決戦に打って出た。

 

「パーミッショントゥーシフト・マニューバ!」

 

 ガンフェニックスから分離した、ガンウィンガー、ガンローダー、ガンブースターの機体が金色に輝き、それぞれの機体の超兵器が放たれる。

「スペシウム弾頭弾、ファイア!」

「ブリンガーファン・ターンオン!」

「ガトリングデトネイター、発射!」

 ガンウィンガーから放たれた大型ミサイルが、静岡の浜名湖で暴れていたシェルターの周囲に巨大な水柱を立ち上げ、驚かせて追い返した。

 ガンローダーの荷電粒子竜巻が、愛媛県の霊峰石鎚山の上空で、参拝客を狙っていたテロチルスを巻き上げて山腹に激突させる。

 ガンブースターも負けてはおらず、光線砲の全弾命中で福岡県の山間部から北九州市方面に向かっていたインセクタスを吹き飛ばした。

 さらに、その他の機で出撃した部隊も負けてはいない。ガンクルセイダーの改良型ガンクルセイダーMXにはメテオール、スペシウム弾頭弾が備え付けられており、函館に出現したアーストロンを撃破、千葉県九十九里浜に上陸をもくろんでいたツインテールを海に叩き返した。

 残るGUYSアローは元々四十年も昔の機体なので、改修を重ねたとはいえ性能的に苦戦は免れない。しかし、これらの機体も整備班長のアライソの下でエンジン出力他、可能な限りのパワーアップがなされていた。さらに今回は細胞破壊ミサイルや大型レーザー砲・ゴールデンホーク、対怪獣用強力ミサイル・X弾改など、旧防衛チームが開発・使用した兵器を実験的に再現して搭載してあり、それらを駆使して怪獣たちを退けていった。

 

 新生GUYSの隊員たちは、必死の努力で怪獣軍団の猛攻から人々を守っていく。

 怪獣たちが倒され、あるいは逃げ帰っていく姿に人々は歓声をあげ、飛び去っていく戦闘機を手を振って見送る。

 しかし、弾薬、エネルギーが尽き果てて、隊員も疲労困憊したGUYS JAPANはしばらく戦えない。彼らが必死に作ってくれたチャンスを、無駄にするわけにはいかない。

「リュウ隊長、フジサワ博士からディメンショナル・ディゾルバー・Rの発動準備完了と連絡です」

「日食の開始まで、あと五分です」

「ようし、フェニックスネスト、フライトモード起動だ!」

 リュウはついに作戦開始を指令した。GUYSの基地、フェニックスネストはただの基地ではなく、その地上の建物部分は飛行可能な大型航空機として機能する能力を持っている。

 最上部のディレクションルームのあるコクピット部分が鳥の頭のように前に倒れこみ、その背部に主砲である大型砲・フェニックスキャノンがせり出してくる。さらに主翼が展開し、後部リフレクターブレードが垂直尾翼のように後方で固定され、フライトモード起動用意が整った。

 このモードはGUYS最大の切り札であり、本来はミサキ総監代行以上の許可が下りなければ起動不可能だが、今回はサコミズ総監からリュウに権限が委任されている。

 時空ゲートを開く場所は、フェニックスネスト上空五百メートルの空中。今回は空間座標固定の技術が確定しているために、ある程度自由な場所にゲートを開くことができる。ただし、地上に開けば両世界を渡ってはいけない者が通ってしまう危険性が強く、上空高く作りすぎては行き来が不便となるために、監視に適したフェニックスネスト上空に作ることとなったのだ。

 メインエンジンが起動し、すさまじいエネルギーがエンジンノズルに集中していく。

 

 しかしヤプールも、GUYSの作戦は読んでいた。フェニックスネスト上空の次元に歪みが生じ、強力なヤプールエネルギーが空を黒く染めながら、邪悪な意思とともに漏れ出してくる。

 

「おのれ地球人どもめ! 今一度時空を超えさせはせぬぞ。今こそ我らヤプールの真なる力を見せてくれる! ゆけ! 我等が同志、最強の宇宙怪獣ベムスターよ。さらにパワーアップしたその威力で、人間どもをふみつぶしてしまうのだぁー!」

 

 空間がガラスのように割れて真っ赤な裂け目が生じ、その中から巨大な影が姿を見せる。そしてそこから地球の大地に降り立つ、濃緑色の体を持つ異形の鳥型怪獣。引き裂くような甲高い鳴き声をあげ、今にも飛翔しようとしていたフェニックスネスト前面の滑走路上で、鋭い一本爪を生やした腕を高々と掲げたそいつを見て、リュウは悲鳴のように叫んだ。

「あいつは! ベムスターじゃねえか!」

 リュウたちGUYSは以前ベムスターとの戦闘経験がある。オオシマ彗星のダストテールを追って地球へ飛来したそのときの個体は、GUYSやメビウスの攻撃をことごとく吸収して大苦戦させられた。かろうじてメビウスがヒカリからたくされたナイトブレスを使った、メビウスブレイブの初披露で撃破したものの、それがなければさらなる被害をこうむったのは間違いない。GUYSにとっては忘れられない因縁の敵だ。

「野郎! 超獣じゃなくてベムスターとは人をなめた真似してくれるぜ。基地の防衛機構を作動させろ。地上兵器で食い止めているうちに離陸する」

 フェニックスネスト周辺には、オオシマ彗星の破片の隕石を撃墜した大型ビーム砲シルバーシャークGをはじめ、千二百ミリシンクロトロン砲や無人戦車大隊も配備されており、これをフルに活用することで無双鉄神インペライザーの一体を撃破したことがある。

 だが現れたベムスターはただのベムスターではなかった。その特徴の変化から、オペレーターがリュウを止めた。

「隊長待ってください! あれはGUYSが以前交戦したベムスターではありません。ドキュメントZATに記録を確認しました。レジストコード、宇宙大怪獣改造ベムスターです!」

「改造だと!?」

 

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 そう、それは普通のベムスターではなく、体格も一回りほど大きく、以前リュウがどことなくかわいいと表現した顔つきも、赤目が目立つ凶悪なものになっていた。こいつはかつて、ウルトラマンAによって倒されたヤプールがタロウが地球防衛をしていた時代に復活した折に、ウルトラマンジャックが倒したベムスターを超獣と同様に強化再生させた新たなベムスターだった。その実力はジャックが戦ったときのものをはるかに超え、一度はタロウを完封するほどの脅威を見せ付けている。

 今度現れたものは、ハルケギニアの月でウルトマンジャスティスによって倒された個体を強化再生したもので、ベムスターはヤプールの自信を体言するかのように、地上兵器の猛攻をほとんど無視しながら、大またでのしのしとフェニックスネストに迫ってくる。

「防衛ライン、突破されます! フライトモード離陸、間に合いません!」

「畜生!」

 離陸直前の無防備な状態を狙われたら、いくらフェニックスネストでもひとたまりもない。主砲のフェニックスキャノンはディメンショナル・ディゾルバー・Rの発射のために使えず、防衛ラインを抜かれたら打つ手はなかった。

 しかし、ベムスターがフェニックスネストまであと百メートルにまで迫ったときだった。滑走路上でベムスターの前に立ちふさがったミライが、メビウスブレスを装着した左腕を空に掲げた。 

 

「メビウース!」

 

 金色の光に包まれて、メビウスの輪の中から銀色の巨人が現れる。ミライが変身したウルトラマンメビウスが、フェニックスネストを守るためにベムスターの眼前に立ち上がったのだ。

「ヘヤッ!」

 登場したメビウスは、ベムスターに肩から突っ込んでフェニックスネストへの突進を阻んだ。しかし重い! 以前のベムスターよりもさらにパワーのあるベムスターに、メビウスの足元のコンクリートが耐えられずにはじけるようにして飛び散っていく。

「ミライ!」

「リュウさん。こいつは僕が食い止めます。その隙に早く!」

「くっ、すまんミライ。だが気をつけろ! そいつは以前のベムスターよりはるかにパワーアップしてるはずだ。負けるんじゃねえぞ!」

「G・I・G!」

 力強く答えたメビウスは、さらに渾身の力を込めてベムスターを押さえつける。だがベムスターはタロウをも軽々と吹っ飛ばした怪力でメビウスを振り払い、目から発射する破壊光線でメビウスごとフェニックスネストを狙う。

「フェニックスネストはやらせない!」

 間一髪、立ちふさがったメビウスがメビウスディフェンサークルを作って光線を防いだ。しかしベムスターは近接戦を得意としていたオリジナルの能力に、ヤプールによって目や腹の口からも光線を放てるような改造が施されている。距離を詰めようとしたメビウスに、今度は目から針状の光線を連射して痛めつけた。

「ウワァッ!」

「ミライ!」

「僕は大丈夫です。それより早くっ!」

 メビウスは苦しみながらも、フェニックスネストを守る盾としてベムスターの前に立ちふさがった。その隙に、ミライが作ってくれたチャンスを無駄にしてはならないとフェニックスネストは白煙を上げて、その名に冠した不死鳥のように、炎をたなびかせて雄雄しく空へと飛び上がった。

 圧倒的な威容に、はじめてその姿を目の当たりにする新人隊員たちは揃って歓声をあげた。長い防衛隊の歴史上でも、フェニックスネスト・フライトモードに匹敵するメカは、UGMの大型宇宙艇スペースマミーなどわずかしか存在しない。そして、いまやコクピットとなったディレクションルームでは、キャプテンシートにリュウが座り、矢継ぎ早にディメンショナル・ディゾルバー・R発射の指示を飛ばす。

「メテオール解禁。ディメンショナル・ディゾルバー・R発射用意!」

「高度五百メートル。発射位置固定、フェニックスキャノン安全装置解除」

 チャンスは一度、ベムスターを抑えているメビウスも単独では長くは持たない。発射準備完了を待つ一秒が一時間にも感じられる中で、リュウの額から流れた汗が顔を伝ってあごから床へと滴り落ちていく。

 だが、カウントダウンが開始されようかという直前、レーダーを監視していたオペレーターが叫んだ。

「隊長! 後方百メートルに怪獣の反応が!」

「なんだと!? そんな近くに来るまでなんで気づかなかったんだ!」

「わかりません。突然、突然現れたんです。うわぁっ、間に合わない。衝突します!」

 直下型地震のような激震が襲い、オペレーターの何人かが床に放り出された。かろうじて席にしがみついていたリュウは船外監視カメラを操作し、フェニックスネストに食らいついた怪獣の映像をスクリーンに映し出すと、そこにはフェニックスネストに無数の触手で絡みつく、緑と赤の不気味な生物が現れた。

「な、なんだこいつは!? まるで、クラゲとタコの合いの子みたいな」

「ア、アウト・オブ・ドキュメントに記録を見つけました。こいつは、円盤生物アブソーバだと思われます」

「円盤生物!? そうか、そういうわけだったのか!」

 リュウは円盤生物と聞いて、以前怪獣博士のテッペイから余暇時間に講義を受けたことを思い出した。防衛チームMAC壊滅後に現れた円盤生物と呼ばれる宇宙怪獣たちは、そのほとんどが自分の体を石ころ大の大きさに縮小できる能力を持っている。恐らく、小型円盤形態でレーダーを避けて接近してきたために発見できなかったのだろう。

 しかし悔しがる暇もなく、オペレーターからさらに悪い報告が入る。

「隊長、フェニックスネストのエネルギーが急速に減少しています。このままではフェニックスキャノンの発射が不可能になり、最悪墜落してしまいます」

「なにっ! くそっ、やつがエネルギーを吸い取っているのか」

 アブソーバという名前は、”吸収”という意味を持つ。あらゆるエネルギーを吸い尽くすといわれるアブソーバの触手が、蛭のようにフェニックスネストのエンジンに張り付いて、エネルギーを吸い取っていたのだ。

「まずい。なんとか振り払えないか!」

「だめです! がっちり捕らえられていて、とても振り払えません」

「畜生、なんてこった……」

 今やフェニックスネストは、電気クラゲに捕らえられた小魚も同然であった。メビウスはベムスターとの戦いに拘束されて援護できず、GUYSの地上武器ではフェニックスネストを巻き込んでしまうために狙えず、頼みの戦闘機も全機エネルギー切れで動けない。

 これまでか……さしものリュウもあきらめかけた。しかしそのとき、ディレクションルームに懐かしい声が響いてきた。

 

〔リュウ、あきらめるな。最後まであきらめない者だけが、不可能を可能にできるんだ。それはお前が、一番よく知っているだろう?〕

 

「この声は、まさか!」

 顔をあげたリュウの前で、アブソーバに複数のミサイルが着弾して火花を上げるのが見えた。

 突然の攻撃に驚き、アブソーバの拘束とエネルギー吸収が緩む。そしてアブソーバの醜い姿の後ろに、丸みをおびた銀色の戦闘機が旋回するのを目の当たりにして、リュウは誰が助けに来てくれたのかを確信した。

「ジェットビートル……サコミズ総監!」

 それこそ、最初の防衛チーム科学特捜隊の主力戦闘機ジェットビートルの雄姿。さらに、そのコクピットに座っている人は、CREW GUYSの総監にして前GUYS JAPANでミライやリュウたちを教え導いてくれたサコミズ・シンゴ隊長に間違いなかった。

 ジェットビートルは旋回してくると、主翼の両端に装備されているロケット弾でアブソーバを攻撃していく。ただし、フェニックスネストへの誤爆は一発もなく、アブソーバの強固な皮膚を避けて目などの急所に攻撃を集中させる腕前は並みのものではない。リュウは、アブソーバの拘束が緩んだこの隙しかないと叫んだ。

「いまだ! エンジン全開で振り切れ!」

 轟然とメインノズルから炎を吹き出し、フェニックスネストはアブソーバを振り払った。もちろん、一度捕まえた獲物を逃してなるものかとアブソーバは再度触手を伸ばしてくるが、そこへ急速旋回してきたビートルがロケット弾の雨を食らわせて食い止める。

 ビートルの動きにはまったく無駄がなく、とても四十年以上も昔の機体だとは思えないキレを見せて、フェニックスネストの後ろを通り過ぎていった。銀地に赤いラインをあしらったボディは美しく、古臭さはまったく感じさせない。そしてなにより、主翼と垂直尾翼に描かれた流星マークが、その存在を誇らしげに表している。

 ビートルはフェニックスネストにアブゾーバを近づけまいと攻撃を続け、ディレクションルームにサコミズからの通信が再び入ってきた。

〔リュウ、この怪獣は私が引き受ける。その間に、お前たちは作戦を成功させるんだ〕

「サコミズ隊長! いや総監、総監は確かニューヨークの本部にいるはずじゃあ!? それに、そのビートルは!」

〔実は今朝日本に帰ってきていてな。お前たちが苦戦していると聞いて、いてもたってもいられなくなって、アライソさんに私の昔の機体を出してきてもらったんだ〕

 それでリュウは隊長就任後にサコミズ総監から聞かされた昔話を思い出した。サコミズ隊長は、昔は科学特捜隊の亜光速実験船イザナミのキャプテンをしており、冥王星までも航海していたことがあったという。ただし、光速に迫ることによる時間の遅れ『ウラシマ効果』によってサコミズ隊長は四十年前の人間なのに、現在でも三十代そこそこの若さでいる。そしてそのとき、イザナミに搭載されていたのがジェットビートルの改造機イガヅチ。そのサコミズ隊長の昔の愛機が、宇宙航行用の装備を取り外して、ここに蘇ったのだ。

〔さすがアライソさんだ。骨董品同然のこいつを、新品同様に保っていてくれた。さあ、いけリュウ!〕

「無茶です! メテオールの装備もないそんな機体じゃ持ちません。総監にもしものことがあったら、GUYSはどうなるんですか〕

 リュウは、セリザワ隊長に続いて敬愛するサコミズ隊長が、むざむざ怪獣の餌食になるのは耐えられなかった。しかしサコミズは、強い決意のこもった声でリュウを諭した。

〔リュウ、君がやるべきことは、みんなが思いを込めて飛ばしたフェニックスネストをゴールまで導くことじゃないのかな? それに、私が今ここにいるのはGUYSの総監としてじゃない。私個人としての意志だ。私はお前たち次の世代を担うものたちが、存分に力を尽くせるように働いてきた。しかし、机の上でできる仕事がなくなったら、もう一度君たちとともに戦いたくなってしまった〕

「総監……」

〔いわばこれは、私のわがままだ。君たちや、ウルトラマンとともに戦いたいという、その一念だけのね。私もまた、君たちの道を切り開くためにここに来た。だからリュウ、君はみなのその思いをつなげる道を作るんだ!〕

「っ……G・I・G!」

 サコミズ隊長も安全な場所を捨てて、命をかけて道を切り開いてくれた。この思いは、絶対に無駄にするわけにはいかない。

「ディメンショナル・ディゾルバー・Rは、まだいけるか?」

「時間、エネルギー残量ともにあと一回だけ可能です。再発射可能まで、およそ二百秒」

 これが本当に最後のチャンスだと、リュウは気を引き締めなおした。新人隊員たち、各国のGUYS、メビウス、サコミズ隊長、多くの人が背中を支えてくれてフェニックスネストは飛んでいる。こいつを絶対に落とすわけにはいかない。

 

 だが、GUYSの強い意志を持ってさえヤプールによって強化再生された二大怪獣は強かった。

 ベムスターは肉弾戦で完全にメビウスを圧倒し、元々光線技が通用しないというアドバンテージも持ってメビウスを追い詰めていく。

「フワアッ!」

 体当たりで弾き飛ばされ、倒れこんだところに蹴りこまれてメビウスは苦悶の声をあげた。こいつは以前に戦ったベムスターが、多少なりとて持っていたかわいげも消え去り、凶暴性が非常に上がっている。もはや完全に超獣と呼んで差し支えはないだろう。

 すでにカラータイマーは赤く点滅をはじめて、食い止めるだけのつもりではかなわないと考えたメビウスは一気にけりをつける覚悟を固めた。左手のメビウスブレスから光の剣・メビュームブレードを発生させて、けさがけにベムスターに切りかかっていく。

「テヤァァッ!」

 グドンやアリゲラの体でも両断するほどの切れ味を持つ、メビウス必殺の一刀がベムスターに一直線に向かう。ベムスターはメビウスの動きについてこれないのか、真正面から受け止めるかまえになっている。やった! と、メビウスはもはや避けようがない距離にまで迫ったベムスターの姿に確信した。

 しかし、メビウスの確信は打ち砕かれた。メビュームブレードはベムスターの体に当たりはしたが、石を切りつけたペーパーナイフも同然にはじき返されてしまったのだ。

「ヘアッ?」

「なんだと!」

 狼狽の声を上げたのはメビウスよりも、むしろリュウのほうだった。数々の怪獣を倒してきたメビウスの剣がまったく通用しないとは信じられない。だがそれも道理だった。ベムスターはかつてウルトラマンジャックのウルトラスパークで二度に渡って、体をバラバラにされて倒されている。その轍を踏むまいと、ヤプールはベムスターの表皮を特に強化し、ウルトラスパークと同等の切れ味を誇るZATの回転ノコギリをはじき返すほどの頑丈さを与えていたのだ。

 そして一瞬の狼狽はベムスターに味方した。メビウスを抱えあげて投げ飛ばし、鋭い爪の生えた腕で殴りつける。すでに持つ武器のほとんどが封じられたに等しいメビウスに、満足に反撃する術は残されていなかった。

「ウワアッ!」

「ミライ!」

 ベムスターは腹の口から毒ガスを噴射してメビウスを攻め立てる。ディレクションルームのスクリーンに映るメビウスの苦戦の様子に、リュウは戦友の名を叫んでやるしかできなかった。

 

 たったの二百秒足らずが永遠にも思えるほど長く感じられる。コンソールに表れるエネルギー充填完了のカウントダウンは恐ろしくゆっくりと流れていき、敵の攻撃はひと時も休むことなく続く。そして、運命のときがやってきた。

「部分日食が始まったようです。次元の変動が観測されはじめました」

 ついに、地球とハルケギニアを結ぶトンネルを開くことができる時間が来た。前回の皆既日食に比べればわずか七分の一しか削れず、本来ならたいしたニュースにもならないような些細な自然現象だが、今はこれに地球はおろか全宇宙の命運がかかっていると言ってよい。

 遮光フィルターを通した太陽の姿が徐々に欠けていき、センサーにも次元の歪みが大きくなってきているのが観測できる。エネルギー充填完了まで、あと百六十秒。早く、早く、と焦る気持ちばかりが強くなる。

 そこへ隙が生じてしまったことを責められる者はいないだろう。リュウはおろか、操縦士までもカウントダウンに集中してしまったフェニックスネストに向けて、アブソーバの触手の先端が伸びる。

〔リュウ!〕

「しまった!」

 サコミズ機からの警告が響いたときには遅かった。アブソーバの触手から、真っ赤に燃える高熱火炎が放射されてフェニックスネストに襲い掛かる。四千度にも達する高熱火炎に焼かれたらフェニックスネストでも無事ではすまない。避ける間はとてもなく、リュウが大破を覚悟したときだった。ジェットビートルがアブソーバの触手に体当たりし、火炎の方向を変えたのだ。

「サコミズ総監!」

 フェニックスネストは救われたが、サコミズ機は左主翼の大半を失って墜落していく。垂直離着陸能力も損傷したのか、姿勢制御する様子もない。このままでは地面と激突してしまう。

「脱出してください。早く!」

〔だめだ、脱出装置も故障したらしい〕

「そんな、総監!」

〔リュウ、うろたえるな。お前には、まだやるべきことが残っている。GUYSを、頼んだぞ〕

「総か……隊長ーっ!」

 通信が切れ、燃え盛る炎とともにジェットビートルは落ちていく。メビウスはベムスターに組み伏せられ、動くことはできない。リュウの心にセリザワ隊長が戦死したときの記憶がフラッシュバックする。

 だが、そのときだった。

「隊長! GUYSスペーシーから緊急連絡です。地球に向かってとてつもない速さで飛ぶ、無数の飛行体を確認したそうです」

「なんだと! 新しい敵か!」

「いえ……これは、この反応は!」

 オペレーターは答えを言い切る必要はなかった。なぜなら、太陽系外から光速をも超える速さでやってきた無数の飛行体は、怪獣に襲われる各惑星や地球の各都市へと飛び込んでいったのだ。

 そして、リュウたちの眼前にもそのひとつは現れた。空のかなたから飛び込んできた、太陽のような赤い光の球。それはフェニックスネストを再度襲おうとしていたアブソーバに体当たりして吹き飛ばし、墜落寸前のジェットビートルを、まるで抱きかかえるようにして包み込んだ。

 

 死を覚悟して、操縦桿を握ったまま瞑目していたサコミズの耳に、懐かしい声が響いてくる。

 

「サコミズ……サコミズ……」

「……君は」

「君は、ここで死ぬべき人間ではない……ともにゆこう、今一度、君の力が必要だ」

 

 ジェットビートルは砕け散り、機体は紅蓮の炎に包まれる。

 だがその炎の中から、炎よりもさらに熱い光がほとばしり、光は人の未来がまだ尽きていないことを世界に告げて立ち上がった。

 

 

 続く



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第55話  撃滅! 怪獣軍団

 第55話

 撃滅! 怪獣軍団

 

 宇宙大怪獣 改造ベムスター

 円盤生物 アブソーバ

 月の輪怪獣 クレッセント

 火山怪鳥 バードン

 食葉怪獣 ケムジラ

 古代怪獣 ゴモラⅡ

 火星怪獣 ナメゴン

 円盤生物 ブラックドーム

 ウルトラ兄弟 登場!

 

 

 ヤプールの送り込んだ無数の怪獣軍団によって、全世界が窮地に陥った地球。

 異世界ハルケギニアへのゲートを開こうとしたGUYS JAPANも、メビウスの力をはるかに上回る改造ベムスター、さらにフェニックスネストのエネルギーを吸い取ろうとする円盤生物アブソーバによって、絶体絶命の大ピンチに追いやられてしまった。

 だが、この世も終わりの絶望のさなか、サコミズ総監の危機に現れた赤い光の球。そして、同時に太陽系へと現れた無数の飛行物体。それらは光速をもはるかに超えるスピードで、怪獣軍団の猛威にさらされる各地へと飛んでいく。

 新たなる敵か? いや、それは人類にとっての希望の光だったのだ。

 

 地球に舞い降りた最初の光は、アメリカ合衆国のニューヨークに向かった。

 ここでは摩天楼を突き崩し、ウォールストリートを踏み荒らして、黒い体と赤い目を持つ怪獣が破壊を好きにしていた。

 世界有数の大都市を襲ったのは、月の輪怪獣クレッセント。市街地に突如実体化して出現した奴の正体は、かつて防衛チームUGMが戦った、マイナスエネルギーが結集して誕生した怪獣の最初の一匹目だ。

 ヤプールの手助けを得つつ、この大都市に渦巻く欲望のエネルギーを吸収して復活したクレッセントは、その邪悪な衝動を持ち主に返そうとでもするかのように人々を襲う。肉食恐竜型の黒い体に、喉元に名前の由来となった三日月型の白い模様をあしらって、太い腕や尻尾を振り回してビルを破壊するさまは悪魔そのものだ。

「うわぁっ! 逃げろ」

 パニックに陥った人々は、地下鉄の構内など少しでも安全な場所を探して駆け込もうとするが、かえってせまい場所にすし詰めになってしまって犠牲者が増すばかりだ。GUYS USAは高すぎるビル群や、逃げ遅れた人々を巻き込む恐れがあるために攻撃することができないでいる。

 それでも、彼らは人々が逃げる時間をなんとか稼ごうと、勇敢にも戦闘機をクレッセントの目の前ギリギリを飛ばして気を引こうとする。平和と正義を愛し、己の身をかえりみずに戦いに挑む魂は国を問わずに息づいていた。

 そして、彼らの誇り高いスピリットは天に届いて奇跡を呼んだ。空から赤い光の球が舞い降りて、進行を続けるクレッセントの眼前に立ちふさがる。その光の中から閃光とともに現れた、赤い光の巨人の勇姿!

「ウルトラマンタロウだ!」

 GUYS USAや逃げ遅れていた人々、TV中継を見ていた人々から一斉に歓声があがった。たとえ海を渡っても、ウルトラマンの名を知らない者はいない。数年前の地球の命運を懸けたエンペラ星人との戦いは全世界に実況中継されていて、そのときはGUYS JAPANのサコミズ隊長の呼びかけにニューヨーク市民も一丸となってウルトラマンを応援していたのだ。

 登場したタロウは、逃げ遅れた人々を守ってかまえ、真正面からクレッセントに挑みかかる。むろん、自分の進撃を邪魔されたクレッセントは怒り、鋭い爪を振りかざして迎え撃つが、タロウは俊敏な動きでかわして、逆に隙をついてクレッセントの首を締め付けて、思いっきり投げ飛ばした。

「トァァッ!」

 ウルトラ兄弟最強のパワーを誇るタロウからすれば、体重四万トンのクレッセントも軽々と宙に持ち上げられて、アスファルトの道路に叩きつけられる。クレッセントは激怒して立ち上がり、目から最大の武器である赤い破壊熱線を打ち出してタロウを狙う。だが、タロウはジャンプして熱線をかわし、そのまま地上六百メートルできりもみ回転をしてスピードを増大させ、超高速のキックを真上からお見舞いした。

『スワローキック!』

 あまたの怪獣をなぎ倒してきたタロウ最大の得意技に、クレッセントは街灯や信号機をへし折りながら吹っ飛ばされる。

 いいぞタロウ! 怪獣をやっつけろ! 人々の応援を受けて、タロウは獰猛なうなり声をあげて起き上がってくるクレッセントへ、恐れずに立ち向かっていく。その勇猛さを見て、GUYS USAも闘志を呼び起こされた。

「ウルトラマンにばかり目立たせるな! ニューヨークを守るのは、俺たちGUYS USAだ!」

「G・I・G!」

 自由の女神に見守られる中で、タロウとクレッセントの戦いはGUYS USAも加えて激闘の色を濃くしていく。

  

 

 地球に舞い降りた光のうち、別の二つはヨーロッパへ向かい、イタリアの首都ローマを目指した。そこでは、極彩色の巨大な怪鳥と、緑色の芋虫が二足歩行したような怪獣が暴れまわっていた。

「逃げろぉっ! 食われるぞ」

「きゃああっ! 助けてぇ」

 美しい市街地を破壊して人々を襲っているのは、火山怪鳥バードンと、そのエサとなる芋虫が巨大化した食葉怪獣ケムジラ。太古の地球で天敵関係にあり、同族が絶滅するなかを地底で生き延びていた二匹は、突如噴火したヴェスヴィオ火山から出現した。ふもとのナポリ市外は最初に現れたケムジラによって破壊され、ケムジラはGUYS ITALYの攻撃を受けてローマ方面へ北上。さらにバードンも火口から出現し、ケムジラを追い、エサとなる人間を求めてローマ市内へと侵攻してきたのだ。

 バードンから逃げようとするケムジラと、ケムジラを餌食にし、さらに人間の肉をついばもうとするバードンによって紀元前から栄えたローマ市街は破壊され、世界遺産コロッセオも崩れ落ちる。

 このまま人類の宝の都市は、バードンの餌場となってしまうのか。

 しかし、虐殺の宴は一瞬で幕を閉じた。バードンがこうるさく攻撃してくるGUYS ITALYの戦闘機を撃ち落そうと、くちばしを空に向けて火炎を放とうとしたときに、視界の外から飛び込んできた二つの赤い流星。それは光の球から炎をまとった獅子の一撃となって、二大怪獣に襲い掛かったのだ。

『レオ・キック!』

『アストラ・キック!』

 燃えるようにエネルギーを一点集中させた必殺キックが直撃し、二大怪獣が軽石のように吹き飛ばされる。さらに宙で一回転し、華麗に着地した二人の巨人は、古代ローマの剣闘士を思わせる勇ましき構えで現れた。

「エイヤァッ!」

 赤い体に銀のマスク。しし座L77星出身のウルトラマンレオとアストラの兄弟は、血肉をむさぼる野獣たちに敢然と立ち向かっていく。獅子兄弟の絆が勝つか、地球最強怪獣のパワーが勝つか。

 

 

 一方、日本以外の国で実質上最大の危機を迎えていたのが東ヨーロッパであった。

 都市圏を離れた人家も少なく、ひたすら荒野が続く大地。ただし、この場所にはロシアからヨーロッパへと向かって伸びる文明の大動脈、石油パイプラインがあった。

 ここに地震とともに地底から出現した、鋭い角と長い尻尾を備えた古代恐竜のような姿の怪獣。やつは地上に現れると、荒野の中で唯一金属の光沢を放っているパイプラインに興味を抱いたのか、一直線に突き進んできた。

 石油は燃料だけでなく、プラスチックから化学繊維まで、現代社会を根底から支えるもっとも重要な資源だ。パイプラインを破壊されてはヨーロッパはエネルギー供給を絶たれて枯死してしまう。地底レーダーの観測から、地底怪獣の出現を予期していた東ヨーロッパ、およびロシア地方のGUYSは総力をあげて、パイプラインをめがけて進撃してくる怪獣を食い止めようと試みた。

「アーカイブドキュメントの検索にヒット。古代怪獣ゴモラ、恐竜ゴモラザウルスの生き残りといわれているやつで、過去に日本において三件の出現が記録されています」

「了解、GUYS Russiaより各国戦闘機隊へ、我々が第一次攻撃隊として突っ込むので後に続け。国際合同演習の成果を見せるときが来たぞ」

「G・I・G!」

 GUYS Russiaを先頭に、数カ国の連合部隊はいっせいに爆撃を開始した。空に向かって吼えるゴモラに対して、ビームやミサイルがゴモラの土色の体に命中して、火花や爆煙が次々にあがる。各国とも、このパイプラインを破壊されるわけにはいかないから、上空を乱舞する戦闘機はゆうに三十機を超える大部隊となっている。万一パイプラインに誤射して誘爆させるわけにはいかないので、ゴモラの進行方向、すなわち真正面からしか攻撃できない点を除いたら圧倒的な戦力といえた。

「ウラー! たかが恐竜がこのツンドラの大地ででかい面すんじゃねえぞ。大昔から、ロシアを攻めてきた奴はナポレオンもヒットラーもみんな返り討ちになってるんだぜ!」

 ビームのトリガーをひきしぼるGUYS Russiaの隊員が豪快に叫んだ。俺たちの土地をよそ者の好きにはさせない。それは現在なお数々の紛争が絶えない理由でもあるのだが、自分の家に入り込んだ泥棒を叩き出すこともできないようでは、どうして幸福や自由を守ることができるだろうか。

 だが、彼らはゴモラを単に恐竜の生き残りだと考えてなめていた。確かに、ジョンスン島に出現したことがあり、大阪を舞台に初代ウルトラマンと激闘を繰り広げた、もっとも有名な初代ゴモラであればそれでよかっただろう。いくらすごいパワーを持っているとはいえ、腕や尻尾の届く範囲のはるか遠くから一方的に攻撃を仕掛けることができる。

 しかしゴモラにはもう一種類、あまり知られていないが隠された能力を持つタイプがいる。

 再び正面攻撃を加えようとする連合部隊の戦闘機隊、だが今度ゴモラは突っ込んでくる戦闘機隊へ向けて両腕を向けた。その手の甲からランチャーのように多数のミサイル弾が放たれる。

「なに!?」

 加速度のついていた戦闘機隊は避けられず、一気に五機ほどが撃墜される。ゴモラはそれにとどまらず、上空の戦闘機隊へも手からミサイルを放って攻撃した。

「馬鹿な! なんで恐竜がミサイルを撃てるんだよぉ!」

 油断していた戦闘機隊は次々撃墜されていく。これが、このゴモラの持つ能力だった。生物には進化といい、住む場所の環境に合わせて自分の体を変えていく機能が備わっている。元がまったく同じ生き物でも、進化によってまるで違う生物に変化していくことなどざらで、たとえば有翼怪獣チャンドラーと冷凍怪獣ペギラは、南国と南極という対極的な環境に住んでいながら兄弟といえるほど似通った姿をしている。これはチャンドラーの先祖はペギラと同類の怪獣だったが、ペギラ特有の渡りをおこなっているうちに高温多湿の環境に次第に慣れて、飛行能力などを捨てて、より住みよい南国に合わせて進化していったのだろうというのが一説である。

 このゴモラも、元はジョンスン島のゴモラと同類の恐竜ながら、地底の高圧や地熱の影響で体質変化を起こして、弱点であった遠距離攻撃能力を補うためにミサイルなどを撃てるよう、より攻撃的に進化していったものと考えられる。その証拠に、初代ゴモラでは一対だった三日月形の角が二対になり、一見角が四本あるように見える。これはドキュメントUGMに記録されているゴモラの亜種、便宜上ゴモラⅡと呼称されるタイプだったのだ。 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「くっ! 高度をとれ、ミサイルが弾切れになるまで耐えるんだ」

 ある隊のリーダーの叫びに、ほかの部隊もそれに習った。だがゴモラⅡの武器はミサイルだけではなく、戦闘能力はもはや恐竜の域を超えてパワーアップしている。ミサイルの有効範囲外へ退避する戦闘機隊へ向けて、ゴモラは今度は頭部の角から稲妻状の光線を発射した。

「うわぁぁっ!」

 回避しきれなかった機のパラシュートが、空に幾重もの白いしみとなって落ちていく。ゴモラⅡの圧倒的な火力は、かつて福山やトリスタニアで猛威を振るったベロクロンにも匹敵する勢いを見せる。

 大部隊をようした戦闘機隊は数機を残すのみとなり、パイプラインは目の前に迫っている。生き残った者たちは最悪の状況を覚悟した。だが、絶望はなにももたらしはせず、希望を与えるために彼らはやってくる。

「あっ! あれはなんだ」

 空のかなたからものすごいスピードで飛んでくる巨大ななにか。それはパイプラインへ迫るゴモラの真上で姿勢を変えると、無防備な頭部へ向かって矢のようなキックをおみまいした。

『流星キック!』

 かつて、古代怪獣キングザウルス三世の角をへし折った破壊力を受けてはさしものゴモラもただではすまない。ぐらりと巨体をよろめかせて横転し、長い尻尾が蛇のようにのたうった。

 そして、この必殺技の生みの親であり、今ここに駆けつけた者こそ、ウルトラ兄弟四番目の戦士。

「新ウルトラマン、ウルトラマン二世……あれが」

 ジャックは地球で本名を明らかにしていないので、今でもそうした異名で呼ぶ者は多い。だが、名がどうであろうと彼がそこにいる事実には変わりなく、またその意志が揺らぐこともない。

「ヘヤァ!」

 起き上がってくるゴモラを迎え撃つべく、ジャックは身構える。人類の自由と平和をおびやかすあらゆる敵と戦う、それがウルトラマンジャックの使命なのだ。

 

 

 さらに戦いの場は地球にとどまらず、地球の兄弟星にも広がっている。

 地球からもっとも近く、もっとも地球に近い環境だといわれる星、火星。ここには火星特産の鉱物、スペシウムを採掘する基地が建設され、民間の宇宙船も発着して多くの貴重な物資を地球に送っている。

 しかし、火星には昔から宇宙移民を悩ませるやっかいな原住生物が生息していた。

 岩の陰から転がり落ちた、ピンポン球ほど大きさの小さな金色の玉。それは火星の強烈な日光を浴びると見る見るうちに山のように巨大化し、ひび割れた内部からヌメヌメした外皮と、上にギョロりとした目玉が飛び出たナメクジのお化けが生まれ出た。

 こいつはその名も火星怪獣ナメゴンといい、かつては金色の卵の状態で地球にもやってきたことがある。火星に無数に生息しており、基地設営は幾度なくこいつに邪魔されてきた。なにせ、卵がとても小さいために発見しずらく、熱でほんの数分もせずに巨大化し孵化するので事前の対処が難しい。

 それでも、怪獣としてはさして強くないので開拓者たちは日々の努力を重ねて火星に地歩を築いてきた。ナメゴンがその外見からわかるとおり、塩分に非常に弱いという特徴を持っていることから塩化ナトリウムを充填した特殊弾丸が開発され、決定打となったことも大きい。

 そのため、近年ではナメゴンの犠牲になる人も少なくなり、基地は安定してスペシウムを地球に供給してきた。

 だが、今回基地を襲ってきたナメゴンの数は尋常ではない。火星の地平線を埋め尽くすほどの大群が砂煙をあげながら砂漠を進撃してくる。基地の防衛隊員たちは、基地の防衛能力を数で圧倒するナメゴンの群れを必死で足止めしながら、非戦闘員の退避を急いでいる。

「急げ! 貨物船でも戦闘艇でもいい。人を詰め込んだものからとにかく発進させろ」

 この基地には物資運搬用の貨物宇宙船が何隻も係留されている。それらが、基地の職員を乗せて次々に飛び立っていく。せっかく長年かけて築いた基地は惜しいが、人命に代えることはできない。

 しかし、あと一隻がというところでトラブルが発生した。

「隊長、東ブロックに子供たちが取り残されています! 隔壁の電路が故障で救助に向かうことができません」

「なんだと! くそっ、東ブロックは一番ナメゴンどもに向かって張り出してるんだぞ」

 それは火星生まれの子供たち、この基地で生まれ育った子供たちだった。以前にウルトラゾーンで事故に合い、ウルトラマンメビウスがヒビノ・ミライという人間名を持つきっかけとなったバン・ヒロトという青年も、彼らと同じように宇宙生まれの地球人だった。

 逃げ遅れた子供たちのいるブロックへ、ナメゴンの群れが地響きをあげて迫ってくる。基地の防衛砲台は必死に弾幕を張るものの、ナメゴンの目から放たれる怪光線で次々と破壊されていく。

 大人たちはどうしようもなく、ナメゴンの群れが東ブロックに迫る。そのとき、空から降り注いできた白色の光線が群れの先頭をなぎはらい、群れの進撃をさえぎった。一体何が!? 驚き慌てる基地隊員たちに、上空から巨大な生命反応が近づいてきていると報告が入る。

 そして空を見上げた彼らの目に希望が映った。赤い大地に銀色のたくましき巨人が降り立って、子供たちはその頼もしい後姿に、何度も聞かされてきた伝説のヒーローの名前を唱和した。

「ウルトラマンだ!」

 地球を守り抜いてきた、栄光のウルトラ兄弟。その最初に地球へやってきたのが初代ウルトラマンだ。数々の怪獣や宇宙侵略者を倒し、彼らのまだ見ぬ故郷の平和を守り抜いてきた栄光の歴史は、たとえ星を越えようとも父母たちから子供たちへと連綿と受け継がれている。

「シュワッ」

 窓に駆け寄り、手を振る子供たちにウルトラマンはゆっくりと振り返り、もう大丈夫だと言う様にうなずいてみせた。

 しかし、ナメゴンの大群はなおも迫ってくる。餌場へ向かう邪魔者を排除しようと、数十匹が目玉を上げて怪光線を放ってきた。

「危ない! ウルトラマン」

 だがウルトラマンは避けない。避けたら後ろにいる子供たちに当たることを知っているからだ。だから、素早く両手を高く上げ、四角い壁を描くようにして本物の光の壁を作り出した。

『ウルトラバリアー!』

 怪光線はすべてバリアーにはじき返され、ウルトラマンはびくともしていない。

 すごいぞ、ウルトラマン!

 子供たちの声援を受けて、ウルトラマンはナメゴンの群れへ向けて腕を十字に組んだ。

『スペシウム光線!」

 その手から放たれる光の奔流が、飢えた怪物どもを蹴散らしていく。

 いくらでも来い怪獣どもよ。ここから先には一歩も進ませない! 

 怪獣退治の専門家、正義のヒーロー・ウルトラマンは、守るべきものがいる限り決して負けはしないのだ。

 

 

 地球を離れること、およそ六億二千キロのかなたにある惑星、それが木星だ。この星の衛星軌道には、宇宙科学警備隊ZATの時代から宇宙ステーションが建設され、外宇宙の観測や様々な研究がおこなわれてきた。

 そこを襲ったのが円盤生物ブラックドーム。過去に地球侵略をもくろんだ悪魔の惑星ブラックスターによって、宇宙ガニが改造されたという怪獣兵器で、カブトガニのような体から巨大なハサミを伸ばしてステーションを襲う。ステーションにも自衛用の武装は施されているものの、ブラックドームはミサイルやレーザーをまるでものともしない。艇長は涙を呑んでステーションを捨てる決断をした。だが……

「脱出だ! 急げ」

「だめです。脱出艇が破壊されました」

「なんだと! くそっ……」

 脱出艇が失われたら、この広大な宇宙空間で助かる道はない。GUYSスペーシーに救助を求めようにも、ここは地球から離れすぎていて、救援が来るのに何日もかかってしまう。生きる望みを完全に絶たれたクルーたちは、わずかに酸素が残されたブロックに閉じ込められ、窓外に迫ってくるブラックドームを憎憎しげに睨んだ。

 やがて彼らのいるブロックにも、ビルをも溶かすペプシン泡を吐き散らしながらブラックドームが近づいてくる。だが巨大なハサミが彼らの最後の砦へとかかろうとしたそのとき、光の槍が流星のようにブラックドームの体を貫いた。

『ウルトラレイランス!』

 強固な殻ごと田楽刺しにされ、苦しみながらブラックドームがステーションから離れる。

 あの攻撃は……救援が来たのか? だが、いくらなんでも早すぎる。ならばいったい……あっ、あれは!

 クルーの一人が指差した先から、両手を広げて飛んでくるウルトラマン。

 あのウルトラマンはもしかして……やっぱりそうだと、あるクルーが大きく叫ぶ。

「ウルトラマン80だ!」

 およそ三十年前の怪獣頻出期の最後の時代、ちょうど彼らが子供のときに地球を守っていたのがウルトラマン80だ。小学生や中学生のころ、TVで頻繁に報道されるウルトラマン80と怪獣の戦いを見て防衛軍に入隊を決めた、この年頃の少年少女は数多い。特に、怪獣頻出期の最後に出現した冷凍怪獣マーゴドンは、ウルトラマン80の力を一切借りずに人間の手のみで倒しているために、そのころに入隊したものは特に多い。

 もっとも、その後に怪獣頻出期の終了が確認され、UGMも解体されて地球防衛軍は規模縮小されたのだが、それでも防衛軍に居続けた志の強い者たちは、少年時代の熱い記憶を忘れてはいなかった。

「俺たちのウルトラマンが、帰ってきた。がんばれーっ! ウルトラマン80!」

 音など届くはずのない宙空を挟んでも、ウルトラマンを応援する声は必ず届く。80はしぶとく襲い掛かってくるブラックドームのハサミを手刀で受け止めた。

「シュワッ!」

 防御から攻撃への転じも素早く切れる。目にも止まらぬ速さのキックを放ってブラックドームをのけぞらせ、カニそっくりの頭にエネルギーを込めたウルトラ拳を叩き込んだ。

『ウルトラチョップ!』

 一瞬隕石が正面衝突したような閃光が走り、ブラックドームの強固なはずの殻がひしゃげた姿が現れる。

 まだまだ、80の力はこんなものではないぞ? フラフラになったブラックドームへ向けて、80は宇宙空間の無重力をまるで感じさせないアクロバティックな動きで連続攻撃を決めていく。

 

 

 そしてここ、現在地球においてもっとも重要といえるGUYS JAPAN基地において、ひとつの再会がなされていた。

「まさか、こうしてまた君に出会えるとは思わなかったよ」

「サコミズ、それを可能にしたのは君の勇敢な魂だ。君の、未来に向かって飛び続けようとする強い意志が再び君と私を巡り合わせたのだ。さあ、もう一度平和な世界のために、共に戦おう」

 光の中で二つの魂がひとつになり、光は実体となって具現化し、銀色の勇者が今一度この地に帰ってきた。

 

「ゾフィー兄さん!」

 

 ジェットビートルの燃える炎の中から、神々しい輝きとともに現れたウルトラ兄弟の長兄の勇姿!

 メビウスが、リュウが、GUYSクルーたちがいっせいに歓声をあげた。四十年間に渡って人知れず地球人を見守って、その成長を信じ続けてきた宇宙の友。肩のウルトラブレスターと胸のスターマークも勇ましく、宇宙の各地で戦うウルトラ戦士たちにとっても、ゾフィーがいつでもいるからこそ、どこの宇宙でも安心して自らの力を発揮できる心の支えのような、宇宙警備隊の隊長。

 ゾフィーはベムスターに苦戦するメビウスを見据えると一喝した。

「立て! メビウス。お前の力はそんなものではないはずだ。銀河の平和を守る、宇宙警備隊員としての誇りを思い出せ!」

「はい! ……でやぁぁっ!」

 ゾフィーの叱咤に、メビウスは全身の力を込めてのしかかってくるベムスターを跳ね飛ばした。ずんぐりした巨体が背中からコンクリートに落下して、白い煙が吹き上がる。その隙にメビウスは起き上がって体勢を整えようとするが、気力は取り戻したものの、すでに大きくエネルギーを消耗しているメビウスのカラータイマーは激しく点滅している。

 ゾフィーは、肩で息をしているメビウスに、右手にはめていた大型のブレスレットを投げ渡した。

「受け取れ、メビウス!」

「はっ! これは、ウルトラコンバーター!」

「そうだ。これでしばらくはエネルギーの心配はない。ゆくぞメビウス! 我々兄弟の絆で、ヤプールの陰謀を打ち砕くのだ!」

「はい! ゾフィー兄さん」

 ウルトラコンバーターを装備したメビウスのカラータイマーが青く回復した。依然ベムスターは強力であり、アブソーバも虎視眈々と隙を狙っているが、これで二対二! 一人では勝てない強敵でも、兄弟が団結したときの力は何倍にも強くなる。

 メビウスが飛び、ゾフィーが駆ける。フェニックスネストを狙おうとするアブソーバにメビュームブレードを振りかざしたメビウスが切りかかり、触手をかすめて追い払う。

「リュウさん、こいつは僕に任せて。急いでハルケギニアへのゲートを! エース兄さんと才人くんたちを助けに行かないと!」

「ああ、頼んだぞ」

 アブソーバと空中戦を繰り広げるメビウスに応え、リュウはディメンショナル・ディゾルバーRの発射準備を急がせる。だが、ただでさえ連戦で疲労のピークにきていたオペレーターたちは、リュウの勢いについていけずに空回り気味で操作がおぼついていない。

 そこへ、ベムスターに格闘戦を挑んだゾフィーからテレパシーが、よく知った声で穏やかにリュウの脳裏に響いた。

〔リュウ、焦るな〕

「この声は……サコミズ総監! 総監がゾフィーと」

〔そうだ。私は今、ゾフィーと一心同体でいる。リュウ、焦るな。焦れば焦るほど冷静さは失われ、かえって人は力を出せなくなってしまう。怪獣たちは私たちがなんとしても抑える。リュウ、君は君が隊長として鍛え上げた隊員たちを信頼するんだ〕

「……G・I・G!」

 深呼吸して気持ちを落ち着かせたリュウは、それまでとは打って変わってキャプテン席に腰を深く沈めて、余計なことを言わずに隊員たちに視線を送るだけにした。こうなると、普通でも威圧感のある容貌をしているリュウに不思議と貫禄が備わってきているように見えて、隊員たちも落ち着きを取り戻してきた。

 俺も隊長なんて呼ばれるようになったけど、まだまだサコミズ隊長やセリザワ隊長には追いつけねえな。リュウは顔に出さないよう自嘲しつつ、これからも自らを鍛えていこうと誓うのだった。

 

 正義と悪とで綱の両端を持ち、負ければ奈落へ転落する綱引き。メビウスとゾフィーの兄弟タッグと、改造ベムスターとアブソーバの生物兵器タッグ。メビウスは隙あらばフェニックスネストを狙おうと、ふらふらとつかみどころのない動きで飛ぶアブソーバを食い止める。

 一方、過去ヤプールが送り込んできた中でもトップクラスの実力を誇る改造ベムスターに、ゾフィーは真っ向から立ち向かっていった。

「ヘヤァッ!」

 頑強なベムスターにも、生物である以上強いところと弱いところは必ずある。ベムスターの喉元へ水平に放った鋭い手刀、ゾフィーチョップが炸裂し、のけぞったところにゾフィーキックが五角形の腹の下腹部あたりにめり込む。

 むろんベムスターも最強の宇宙怪獣の異名に恥じずに、この程度の打撃では致命打は受けない。初代よりも甲高さが強まった鳴き声を上げて、鋼鉄でも噛み砕くくちばしを振りかざしてゾフィーに襲い掛かってくる。だがゾフィーはベムスターの突進を側面跳びで回避すると、勢いあまったその背中に肩から突っ込んだ。

「ジュワァ!」

 うつぶせに倒れこんだベムスターの背中にのしかかり、背中に向かって連続チョップを叩き込む。正面からの攻撃に対しては圧倒的に強いベムスターも、背面からの攻撃にはめっぽう弱い。起き上がる隙を与えずに、一気呵成にゾフィーは攻める。

 だが突如ゾフィーの背中に白色の光線が当たって、ゾフィーがよろめいた隙にベムスターの脱出を許してしまった。上空のアブソーバが、メビウスがフェニックスネストを守っている隙をついて援護射撃を繰り出したのだ。

「ゾフィー兄さん!」

「メビウス、隙を見せるな!」

 ゾフィーの被弾にうろたえるメビウスを、ゾフィーはきっと叱咤した。この程度のダメージで私はやられない。ゾフィーは健在を示すように、体勢を崩したメビウスに触手を向けているアブソーバに対して、腕をL字に組んで赤色の光線を発射した。

『M87光線Bタイプ!』

 ゾフィー最大の必殺技を、速射性を重視して変形させた光線がアブソーバに命中して爆発を起こす。威力を調節してあるとはいえ、これだけでも並の怪獣ならば吹き飛ばせる威力の一撃に、アブソーバはよろめきながら高度を落としていく。

 だが背中を見せたゾフィーに対して、ベムスターはさきほどの仕返しとばかりに飛行して体当たりを仕掛けてくる。そうはさせじと、メビウスは上空から急降下パンチをお見舞いした。

『メビウスパンチ!』

 炎をまとったエネルギーパンチでベムスターの突進を押し返したメビウスは、空中で姿勢を整えるとゾフィーのたもとに着地した。

「ゾフィー兄さん」

「メビウス、ベムスターはお前にまかせたぞ」

 そう告げると、ゾフィーは撃墜したアブソーバにとどめを刺すために飛んでいった。それは、一見するとメビウスに冷たいようにも、また戦術的には空中戦に長けたメビウスがアブソーバと戦ったほうがいいように見えるが、そうではない。自他共にウルトラ兄弟の一角に数えられるようになったメビウスだが、若さゆえにまだまだ甘さが目立つところがある。かつてはエースやタロウにもそうしたように、あえて強敵とぶつけることで彼らの成長をうながそうという、ゾフィーの長兄ゆえの厳しさの発露であった。

 残されたメビウスに、ベムスターは赤い瞳に残忍な感情を浮かべて威嚇の声をあげてくる。エネルギーを回復したとはいえ、お前ごときになにほどのことができるものかとなめているのだ。かつては兄弟最強と言われるウルトラマンタロウを完封した大怪獣、倒すにはかつてのタロウ以上の強さを発揮するしかない。

「負けられない。僕の肩には、リュウさんやGUYSのみんな、ふたつの世界の命運がかかっているんだ!」

 意を決したメビウスは、全身のエネルギーをメビウスブレスに集中させた。ブレスの中心の赤い神秘のクリスタルサークルから炎のような灼熱のエネルギーがあふれ出し、巨大なメビウスの輪となってメビウスの体を覆っていく。そして、炎が爆発して現れたメビウスの体には、GUYS JAPANの友情の印である、燃える炎のファイヤーシンボルが刻まれていた。

 

『ウルトラマンメビウス・バーニングブレイブ!』

 

 これこそ、かつてタロウですら倒せなかった無双鉄神インペライザーとの戦いで瀕死に陥ったとき、メビウスが仲間たち全員の友情を受けて転身した燃える勇者の姿。ウルトラ兄弟の中で唯一メビウスのみが可能とした、自らの姿を変えることによって能力を爆発的に高めるタイプチェンジの能力。

「ヘヤッ!」

 バーニングブレイブへ変身したメビウスの逆襲が始まった。メビウスパンチがベムスターの胸を打ち、メビウスキックが頭部をかすめて火花を散らす! ノーマルよりもはるかに強化された肉体から繰り出される打撃が、メビウスの攻撃を受け付けなかったベムスターの防御力を打ち抜いていく。

 だがベムスターも腹からの毒ガス噴射で反撃をかけてきた。

「フゥワァ!?」

 その毒性と、ガス自体が煙幕となったことによってメビウスの動きが止まる。その隙をつき、ベムスターは腹の口、吸引アトラクター・スパウトを開いてメビウスを狙ってきた。この口はかつて別個体がMATステーションやZATステーションを丸ごと飲み込んでしまい、メビウスやヒカリも捕食されかけたほど強力な吸引力と消化力を誇るのだ。ウルトラマンでも食べてしまう宇宙一の悪食家の口が迫る。

 そこへ、数十のエネルギー弾が地上からベムスターの背中に向けて発射された。

「食らえ! バスターブレット!」

 爆発が多数ベムスターの背中で起こり、メビウスに集中していたベムスターは驚いて、メビウスを捕食するチャンスを失ってしまった。そして、毒ガスから脱出したメビウスに、地上からエールを送る十数人のGUYSクルーたち。

「メビウスがんばれ! 俺たちだってついてるんだ」

 それはハルザキ・カナタら、新GUYS JAPANの隊員たちだった。各地の怪獣を迎撃して、ガンフェニックスほか戦闘機すべての燃料弾薬を使い果たし、再出撃できないながらも、いてもたってもいられずに自分の足で飛び出してきたのだ。トライガーショットを応援旗代わりに振り、応援するカナタたち。メビウスはその声にさらにパワーをもらい、ベムスターへ反撃に出る。

「セヤッ!」

 回し蹴りがベムスターをふっとばし、ベムスターの爪の攻撃にカウンターで放ったチョップが爪を破壊する。

 鋭い角での攻撃も、受け止めたメビウスはその力を利用して背負い投げを食らわせる。さらに、細長い尻尾をつかんで、ハンマー投げのように豪快に振り回して放り投げた。

 仲間との絆がメビウスを強くし、バーニングブレイブは彼の無限の成長を象徴するかのように圧倒的な力でベムスターを追い詰めていく。

 

 さらにゾフィーも弟の成長を喜びながらも、自分も負けていない。

〔ミライ、いやメビウスはもう立派にウルトラ兄弟の一員だな〕

〔ああ、よくここまで成長した。しかし、メビウスはまだまだ強くなれる。君たち地球人と同じように〕

〔ありがとう、ゾフィー。地球人も守られるだけではなく、君たちのように他の星々の人を救えるように強くなっていくと、彼らを見ていたら信じられる〕

〔私もそう思う。しかしサコミズ、我々の役目もまだ終わったわけではない〕

〔わかっている。宇宙の平和のために、命ある限り戦おう!〕

 ゾフィーとサコミズの心もまたひとつとなり、正義のために力をふるう。

 浮き上がろうとするアブソーバをチョップで叩き落し、強引に地上戦に引きずり込んだゾフィーは攻撃を続ける。強力なパンチを頭部に打ち込み、クラゲのように伸びた触手の一本を引きちぎる。アブソーバは触手の先から火炎を吹き付けて反撃してくるが、それをゾフィーは付き合わせた手の先からの冷凍光線で迎え撃った。

『ウルトラフロスト』

 ガス状の冷凍光線が火炎を相殺し、爆発の炎がそれぞれを赤く染める。だが火焔にまぎれて距離をとろうとするアブソーバをゾフィーは逃さず、爆発をジャンプで飛び越えて頭部にキックを叩き込んだ。

「ぬ、さすがに硬いな」

 ゾフィーキックの直撃を受けてなお、まだ余力を残しているように見えるアブソーバにゾフィーは少し悔しげにつぶやいた。アブソーバはフラフラした見た目に反して、ウルトラマンレオ必殺のレオキックにも耐える防御力を備えている。円盤生物は直接戦闘よりも隠密行動での破壊工作や奇襲を得意としているが、いざ戦わねばならない状況になった場合でも充分な実力はもたされているのだ。

 だがそれでも、百戦錬磨の猛者であるゾフィーの闘志はそげない。

「一発ならだめでも、連打攻撃ならばどうだ!」

 触手を無視するかのように距離を詰めたゾフィーは、からみついてくる触手を強引に振りほどいて猛攻をかけた。パンチやチョップがアブソーバの頭部に雨のようにヒットしていく。一発や二発ならば余裕を持って耐えられたであろうボディも、押しつぶすような連打には次第に悲鳴を上げだした。微細な亀裂からひびが全体にいきわたり、割れる寸前の卵のような状態になっていく。

 

 ゾフィーとメビウスのパワーに、ヤプールの切り札の二大怪獣ももはや満身創痍だ。いくら強い怪獣だろうと、協力しあうことを知らないものでは、絆の力でいくらでも成長できるウルトラマンに必ず抜かれていく。指揮をとりながらリュウは、戦友と恩師の活躍ぶりを胸を熱くして見守っていた。

「いいぜ! ミライ、サコミズ総監」

 そのとき、ディレクションルームの扉が開いて、GUYSクルーではない男が一人入ってきた。

「取り込み中のところすまないが、ちょっと失礼するよ」

「ん! 誰だあんた!?」

 突然入ってきた見覚えのない壮齢の男に、リュウは当然怒鳴りつけた。GUYSの関係者でないことは明白で、かなりラフな格好をしている。警戒厳重なここにどうやって? もしかして宇宙人かと、見えないようにトライガーショットを取り出す。しかし、彼は少ししわのまじった顔に温厚そうな笑みをリュウに向かって浮かべた。

「うん、この姿で君と会うのは初めてだったね。以前に一度、君たちの仲間とは顔を合わせているのだが、今日は彼女はいないのか」

「なに!? あんた、何者だ?」

「説明している時間はないから手短に話そう。私も一度は君と同じ立場に立ったことがあるから、名前くらいは聞いたことがあるだろう。私は……」

 ディメンショナル・ディゾルバーRの発動まで、あと一分。そのほんのわずかな時間に起こった、この出来事がその後にどういう影響を与えるのか、まだ知る者はいない。

 

 そして、ウルトラ兄弟と怪獣軍団の戦いも、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 ベムスターを格闘技の連続で追い詰めるメビウスと、アブソーバを徹底的に叩きのめすゾフィー。

 強烈なパンチでベムスターの顔面を殴りつけ、爪の一撃をかわしたところにカウンターキックを打ち込むメビウス。さらにメビウスは背中から持ち上げると、その巨体を軽々と放り投げた。

「デャァッ!」

 ベムスターの八十メートルの巨体がわらたばのように転がり、滑走路のコンクリートを引っぺがす、さらにゾフィーはアブソーバの触手をつかむと、大きく振り回してベムスターに向けて投げつけた。

「トァァッ!」

 起き上がろうとしていたベムスターにアブソーバがぶつかり、両者はもつれ合いながら転がる。

 ゾフィーはメビウスの傍らに跳んでくると、腕をあげてうながした。

「メビウス、とどめだ!」

「はい!」

 メビウスは一歩踏み出すと、きっと二匹の怪獣を見据えた。そしてバーニングブレイブのパワーを、胸のファイヤーシンボルへと集中し、真っ赤な炎のエネルギーが天空の太陽のように形作られていく。

「ハァァァッ!」

 メビュームシュートをはるかに超える超エネルギー。正義の炎が燃え滾り、そのパワーを最大限に圧縮した火球を生み出したメビウスは、ベムスターとアブソーバに向けて打ち出した。

 

『メビュームバースト!』

 

 火球は二匹の怪獣に命中すると、その全身を覆って一気に燃え上がった。かつてはウルトラダイナマイトでさえ倒しきれなかったインペライザーをさえ、跡形もなく燃やし尽くしたのがこの技だ。

 しかしベムスターはメビウス最強の必殺技を受けてさえ、そのエネルギーを吸い取ろうと腹の口を開けてあがく。

 だが、ベムスターの悪あがきは実らなかった。ゾフィーは胸のカラータイマーに水平に両腕を沿え、右腕を大きく反らして身構える。その手のひらに青く輝くエネルギーが集中していき、眼光は鋭くベムスターを見据える。先ほどのBタイプとは違い、手加減なしの最大出力。光の国の公式記録において、奇跡の八十七万度の超高熱を達成した、これがゾフィーの代名詞だ。

 見よ! ウルトラ兄弟最強光線を!

 

『M87光線!』

 

 伸ばした手の先から放たれた超絶威力の光線がアブソーバを貫き、ベムスターに吸い込まれていく。あらゆるエネルギーを吸収するベムスターは、M87光線さえも吸収するつもりなのだ。しかし、メビュームバーストとM87光線、ふたつの超必殺技の融合によって生じる超エネルギーは、底なしの貪欲さを誇るベムストマックさえ食いきれない。

 ベムスターの弱点は、体内からの攻撃にはもろい点だ。タロウを倒した個体も、ZATが生態を研究して作り上げたエネルギー爆弾を食わされて体内から爆破されている。ベムスターが消化しきれない餌に食いついてしまったと気づいたときには遅かった。

 メビウスの炎とゾフィーの手から放たれる光芒が、ヤプールの邪悪な意思ごとベムスターの細胞を焼き尽くしていく。

 これが最後だ! ゾフィーは渾身の力を込めて光のエネルギーを注ぎ込んだ。そして、ベムスターの吸収力の許容量が超えた瞬間、ベムスターは体内から爆裂し、アブソーバごと細胞の一欠けらも残さずに消し飛んだ!

「やった……ゾフィー兄さん」

「見事だったぞ、メビウス」

 戦いを終えた弟を、ゾフィーは自らの功は一切語らずに賞賛した。

 二大怪獣は灰となって舞い散っていき、二人のウルトラ戦士は空を見上げた。

 そこには、人類の英知が生み出した鋼鉄の不死鳥が、新たなる道を彼らのために切り開くべく飛んでいた。

 

 

 続く



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第56話  打ち砕かれた架け橋

 第56話

 打ち砕かれた架け橋

 

 ガス超獣 ガスゲゴン 登場!

 

 

 突如地球を襲った、大怪獣軍団の侵攻。その力は人類の防衛戦力を上回り、世界中の地球防衛軍は危機に瀕した。

 しかしそのとき、宇宙のかなたM78星雲からウルトラ兄弟が駆けつけ、怪獣軍団に立ち向かっていった。

 その活躍により、怪獣軍団は壊滅。GUYS JAPAN本部を襲ったベムスターとアブソーバも、ゾフィーとメビウスによって撃破された。

 

 そして、ヤプールがその力を蓄えている異世界ハルケギニアへと向かうゲートを作り出すため、フェニックスネストは改良型メテオール、ディメンショナル・ディゾルバーRの発射態勢を整える。これに成功すれば、ウルトラ兄弟の手の届かないところでぬくぬくと力を蓄えるというヤプールの姑息な目論見は崩れ去る。

 世界各国や各惑星で暴れまわっていた怪獣たちも、ウルトラ兄弟とGUYSをはじめとする地球防衛軍の総力で完全に鎮圧されたという報告が入ってきた。怪獣軍団を倒したウルトラ兄弟も、順次ここに向かいつつあるらしい。空は先ほどまでの激戦が嘘であったかのように晴れ渡り、作戦の成功を祝福してくれているようである。

 

 だが……

 

「ディメンショナル・ディゾルバーR、照準誤差修正。発射位置固定」

「フェニックスキャノン、砲口部異常なし。全システムオールクリア」

 ディレクションルームに快い緊張感が流れ、リュウはキャプテン席で準備が整うのをじっと待っていた。胸中では、みんなはできる限りのことをしてくれた、今度は俺たちがなにがなんでも道を切り開く番だと、強い決意が赤々と燃え滾っている。

「隊長、ディメンショナル・ディゾルバーR、発射可能まであと三十秒!」

「ようし、カウント開始。総員衝撃に備えろ。とんでもねえショックがくるぞ!」

 主砲、フェニックスキャノンに装填されたメテオールカートリッジに次元を歪めるだけのエネルギーがチャージされ、砲口部に青白い余剰エネルギーが見え始めた。視認するのは無理だが、部分日食も現在最大値に到達していると報告も入っている。このときにだけ生まれるわずかな次元の歪み、ハルケギニアへの道をメテオールで一気にこじあけてやる。

 カウントがひとつずつゆっくりと流れていき、誰もが固唾を呑んでその瞬間を待ち望んだ。

 

 しかしこの瞬間、フェニックスキャノン発射に意識を集中しすぎて、リュウたちGUYSクルーも、見守っていたメビウスとゾフィーも注意力が薄れていたのはいなめなかった。

 怪獣軍団を撃退され、切り札のベムスターもメビウスとゾフィーの活躍で失ったヤプール。けれども、世界各国を襲った怪獣軍団はあくまで『撃退』されたのであって『殲滅』されたわけではなかった。中には生息地へ追い返されたり、不利を悟って逃げ出したものも存在する。

 そして、倒されなかったものの一部には、ヤプール自身が撤退させたものも存在する。怪獣軍団の中にあってわずかに投入されていた超獣、それは地球攻撃と同時に、ある目的をもって投入され、それらを果たしたがゆえに異次元に回収された。

 その超獣とは……

 

「うぬぬ、地球人め、ウルトラ兄弟め。どこまでもわしの邪魔をするつもりだな。だが亜空間ゲートだけはなんとしても開かせん。かくなるうえは切り札を見せてやる。超獣ガスゲゴンよ、ゆけぇー!」

 

 ヤプールの波動とともに、地上に一体の超獣が送り込まれた。細身の体に、食べ物をいっぱいに詰め込んだリスのような膨れ上がった頬を持った不気味な顔。両腕は太く長い鞭になっている。

 出現した超獣は、メビウスとゾフィーに向かって動き出した。その様子はフェニックスネストでも観測されている。

「ドキュメントTACに記録を確認。ガス超獣ガスゲゴンです。マレーシアの天然ガスステーションを襲って姿を消した個体と思われます」

「ちっ! この期に及んでまだ超獣を繰り出してきやがるか。しつっこい野郎だ」

「隊長、ディメンショナル・ディゾルバーR発射まであと十五秒です。どうします!?」

「無視しろ! 今はメビウスとゾフィーにまかせるんだ」

 リュウは焦燥を抑えて、カウントダウンに意識を戻した。どんな超獣かは気になるが、今のフェニックスネストにできることはなにもない。それに、発射まであとたった十秒だ、いくら超獣でも間に合うものか。

 最終カウントが刻まれる中、ゾフィーとメビウスはガスゲゴンを食い止めに向かった。

「タアッ!」

「テェイ!」

 大蛇のような鞭を振り回してくるガスゲゴンの攻撃を潜り抜けて、二人は左右からガスゲゴンを挟み打った。そして奴がどちらに対処しようか迷った一瞬の隙をついて、腕の鞭を掴まえて地面の上へとねじ伏せる。

「いいぞメビウス、そのまま動かすな」

「はい!」

 相手がどういう敵か分析している時間がない以上、二人は攻撃するより動きを封じるほうが得策だと判断した。怪力を誇るガスゲゴンも、ウルトラ戦士二人に拘束されてしまったのでは身動きすることができない。足をばたつかせ、口からガスを吐いて振りほどこうとしてくるが、二人はそれに耐えてガスゲゴンの動きを封じる。

「リュウさん、早く!」

 ただの数秒が恐ろしく長い。ガスゲゴンの吐き出す毒ガスに耐えながら、メビウスの目に上空のフェニックスネストが太陽を反射してまばゆく映る。その突き出した砲門に光が収束し、メビウスとゾフィーの耳にリュウの叫びが飛び込んできた。

「ディメンショナル・ディゾルバーR、ファイヤー!」

 フェニックスキャノンから放たれた光束が空間の一点に吸い込まれていき、空間が渦巻くように捻じ曲がっていく。空間の歪みを矯正して封じるディメンショナル・ディゾルバーの極性を反転させたRが、わずかに発生していた別次元へ通じるトンネルを見つけてこじあけたのだ。

「やった! ワームホールが開いたぜ」

 以前にハルケギニアへ通じるゲートを開いたときと同じ形の時空の穴。最初はしみのような小さなものだったのが、次第に大きくなっていき、やがて黒雲と見まごうような大きさへと成長していく。皆既日食に比べたら微小すぎるほどに小さな空間の歪みだったので不安だったが、天才フジサワ博士の設計は正しかったようだ。

 リュウはワームホールが安定に向かっているのを目視すると、オペレーターに確認を命じた。

「どうだ? 向こうとつながったと確認できたか」

「空間座標の固定は間違いないはずです……しかし、実際につながっているかはやはりくぐってみないことには断言できません」

 当たり前の答えが返ってきたことにリュウは落胆はしなかった。すでに宇宙に手を伸ばしている地球人類にとっても、異次元に関する研究はまだまだ未知数の部分が多すぎる。第一、自由に次元に手を加えられるならば、とっくの昔にヤプールに攻撃をかけているだろう。ならば、確実にハルケギニアに通じたかどうかを手っ取り早く確認する方法は一つ。

「よし、向こうにいるセリザワ隊長と、平賀才人のメモリーディスプレイに通信を送ってみろ」

「G・I・G、しかしゲートが安定するまでにあと数分かかりますので、少し待ってください」

 二人ともメモリーディスプレイは肌身離さずに持っているはずだから、応答があればハルケギニアに通じていると考えて間違いはない。そうすれば、ヤプールに対してはじめて攻勢に出られる態勢が整う。向こうの世界でヤプールが強大化しているのは今回の攻撃の規模を見ても明白だが、いくらヤプールでも本拠地を直撃されればたまったものでないはずだ。

 ともかく、ゲートを開くことには成功した。ヤプールの大攻勢を跳ね返して、俺たちの勝ちだとリュウは思った。ヤプールも最後に悪あがきに超獣を送り込んできたが、たった一匹でどうなるものでもなかった。ガスゲゴンは今になってようやく二人の拘束から逃れて、鞭をふるって反撃に出ようとしているが、二人のウルトラ戦士は余裕を持ってかわしている。

 リュウはメビウスとゾフィーを援護するぞと、フェニックスキャノンを通常モードに切り替えろと命令した。

 だが、砲手がG・I・Gと答える前に、ガスゲゴンのデータを検索していたオペレーターが悲鳴のように叫んだ。

「隊長だめです! ガスゲゴンを撃ってはいけません。奴の体の中には、可燃性のガスが充満しています。もしガスに引火することになれば、基地が丸ごと吹っ飛んでしまいますよ」

「なんだって! まずい、ミライ、サコミズ総監!」

 リュウの必死の叫びが、光線技で攻撃をかけようとしていたメビウスとゾフィーをすんでのところで止めた。ガスゲゴンはかつて超獣攻撃隊TACの大気観測用人工衛星ジュピター二号を乗っ取り、自分の卵にして地球に侵入してきたことがある。ジュピター二号の外装をガスタンクに見せかけ、ガスコンビナートでまんまと好物のガスを大量に吸収したガスゲゴンは、いわば動く爆弾状態で孵化した。これにはTACやウルトラマンAもうかつな手を打てず、かろうじて宇宙空間に運んで爆破することで勝利している。

 今回ガスゲゴンはマレーシアのガスステーションを襲って、大量の天然ガスを吸収しているため条件は昔と同じだ。下手に火花の出る武器で攻撃をかけたら半径数キロは焼け野原になってしまう。リュウはヤプールのもくろみは基地全体の破壊かとあたりをつけ、地上の隊員全員に地下への退避を警報するのと同時に、ガスゲゴンへの対策を練らせた。

「ガスゲゴンへはガス中和剤および冷凍弾での攻撃が有効と思われます。効果時間は短いですが、一時的にでも動きを止められます」

 リュウは「よしそれでいこう」と思った。ほんのわずかでも動きが止まれば、メビウスとゾフィーに宇宙に運んでもらえる。怪獣を宇宙に移送できるGUYSの装備は重力偏向板があるが、これは準備に大量の時間がかかるために今は使えない。

 しかし、GUYSが対策を打つより早くヤプールは次の手を打ってきた。

「これは! ガスゲゴンの直上に次元の変動と強力なヤプールエネルギーが発生しています」

「また新しい超獣が出てくるってのか!?」

「いえ、この反応は超獣ではなく……隊長!」

「なんだと!」

 オペレーターが示したデータを見せられたリュウは愕然とした。そこには、超獣出現のための大型亜空間ゲートではなく、もっと小型で超獣が通れるようなものではないが、その奥に強力な破壊エネルギーが渦巻いている。まさかヤプールは、リュウはヤプールの目論見に思い至って愕然とした。まさか、いくらヤプールでもそこまで残忍なことは。

 だが、ヤプールは悪の結晶体。あらゆる善の逆がヤプールなのだ。それは自らが生み出した子ともいうべき存在に対しても変わらない。ヤプールは空間を通した目でガスゲゴンを見下ろし、邪悪な笑いを浮かべた。

 

「人間ども、そしてウルトラ兄弟。貴様らの思い通りには絶対にさせんぞ! 最後に笑うのはこのわしだ! ガスゲゴンよ、我々の勝利の糧となるがいい。やれ!」

 

 わずかに開いた次元の裂け目の奥の目が光り、強力な破壊光線が放たれた。しかし光線が狙ったのはメビウスたちではなかった。ガスゲゴンを直撃し、不意を打たれた形となったガスゲゴンは断末魔の声をあげて倒れこむ。

「しまった。メビウス、ゾフィー逃げろ! 爆発するぞぉ!」

 リュウの悲鳴が届いた瞬間、ガスゲゴンの死体から青白い火が漏れた。光線の熱エネルギーが皮膚を透過して内部のガスに引火したのだ。炎は瞬間的に全体に燃え広がり、さらに周辺の空気中の酸素を奪って燃え上がる。コンマ数秒後には、ガスゲゴンの体内に圧縮されて溜め込まれていた何千トンというガスはすべて気化し、ありとあらゆるものを焼き尽くすだろう。

 上空のフェニックスネストにも炎は迫り、回避する余裕はすでにない。

 まさか、勝利のために超獣を犠牲にするとは。人間をはるかに超える動体視力を持つメビウスとゾフィーはガスゲゴンが炎と化すのをはっきりと見ながら、やつの悪魔性をまだ甘く見ていたことを悔やんだ。だが、このままではいけない。

「メビウス、飛べ!」

 ゾフィーはメビウスに命じると同時に、自らも脚力の限界を超えて駆けた。サコミズの心も持つゾフィーには、GUYS基地のどこが弱いのかわかっている。フェニックスネストが飛び立った跡、そこはシャッターで閉鎖されているといっても構造的にもろい。そこから炎が入り込めば、地下のクルーは蒸し焼きか窒息死を免れない。ゾフィーは自らの体をもって地下への炎の侵入を全力でふせいだ。

 そしてメビウスも全力でフェニックスネストを守るバリヤーを張り巡らせた。

『メビウスディフェンスドーム!』

 球形のバリヤーがフェニックスネストを覆い、爆発の炎から守った。しかし本来自分自身しか覆えないバリヤーを大きく拡大させてしまったために、ウルトラコンバーターから供給されるエネルギーをプラスしてもまかないきれない。

「ウァァァッ!」

 二人のウルトラマンのカラータイマーが一気に赤に変わり、爆発の衝撃波はなおも続いていく。

 フェニックスネストも自身の安定を保持するだけで精一杯だ。だが、そんなことなど問題にもならないような凶報がリュウの耳に飛び込んできた。

「大変です。亜空間ゲートが爆発のショックで安定が乱れて、縮小しはじめています!」

「畜生!」

 爆発の衝撃波は、まだ不安定だった亜空間ゲートにも大きなダメージを与えていた。ようやくウルトラ戦士や戦闘機が通れるほどに大きくなっていたワームホールが、センサー上でみるみる小さくなっていく。ヤプールの真の狙いはこれだったのか、歯軋りするもののどうすることもできない。

 火焔に包まれる赤一色の世界の中で、邪悪な思念に変わってヤプールの勝ち誇った哄笑が響く。

 

「ファハハハ! 見たか愚かな人間どもめ、これで貴様らは我らの世界に攻め入ってくることはできまい。このままとどめを刺してやりたいところだが、ほかのウルトラ兄弟も近づいてきているようだ。今回は見逃してやるが、次は今回とは比べ物にならない戦力で一気に滅ぼしてくれる。ウワッハッハハハ!」

 

 暗黒の笑いが遠ざかっていき、ディレクションルームには落胆の声が流れる。しかし、指揮官には絶望する権利はない。リュウは酷は承知でオペレーターたちに叫んだ。

「まだだ、まだ終わってねえ! まだ希望はある。セリザワ隊長か、才人の野郎のところへ通信をつなげ! こっちの世界でなにがあったのか伝えるんだ。急げ、ゲートが閉じちまう前に」

「じ、G・I・G!」

 はじかれたようにオペレーターたちは動き出した。まだやれることがあるということが、絶望的な状況でも彼らに働く意欲を取り戻させたのだ。ウルトラマンヒカリ、セリザワ・カズヤが向こうにはいる。それに平賀才人、事故で偶然ハルケギニアに転移させられてしまった普通の高校生、けれど日本とはまったく違った社会環境で生き抜き、なじみも薄い世界のために命を懸けてウルトラマンAに選ばれた彼ならば、なんとかできるかもしれない。

 爆発の影響もようやく薄らぎ、空が普通の青さを取り戻す。しかしゾフィーは体力を使い切ってひざを突き、メビウスはエネルギーを使い切って浮いているのがやっとだ。

「ミライ、大丈夫か!」

「僕は……大丈夫です。それより、ゲートが」

「心配するな。望みは残ってる。それよりお前は自分の心配をしていろ」

 メビウスは消耗した体ながら、フェニックスネストが墜落しないように支えて着陸させてくれた。そのまま倒れこみ、消滅するようにしてミライの姿に戻る。ゾフィーも大きく消耗した様子で、立ち上がったもののカラータイマーの点滅は激しい。

 そのとき、ゾフィーは両手をつき合わせて小さなリング状の光線を放った。その光のリングは地上に降りてくると、多数の光輪を放って、その中からサコミズの姿が現れた。どうやら、サコミズのほうは不調は少ないようで、メモリーディスプレイでこちらの無事を確認すると、気を失って倒れているミライのもとへと走っていった。今頃はカナタたちも担架を持って駆けつけているだろう。

 もしこの二人がいなかったら、フェニックスネストごと自分たちは灰になっていたかもしれない。ヤプールの執念、恐るべし。

 しかし、このままヤプールの勝ちにさせてしまうわけにはいかない。この絶望的な状況から、逆転を可能にする一手は、希望は残っている。それをハルケギニアの才人のところへ届けなくてはいけない。リュウは閉じようとしている亜空間ゲートをじっと見上げているゾフィーとともに、今できる唯一のことを成し遂げるべくマイクをとった。

「こちら地球だ。おい聞こえるか! ハルケギニアに届いてるか? 才人! 聞こえたら応答しろ」

 

 地球からハルケギニアへ行く望みは、ヤプールの執念によって砕かれた。しかし、ほんのわずかに開いた道を通じて、希望は地球からハルケギニアへと向かっていく。

 

 場所をハルケギニアのガリアにいる才人たちに戻し、電波に乗ったリュウの声は才人のメモリーディスプレイまでたどり着いていた。だが、不完全な亜空間ゲートを通過するうちに電波も劣化し、激しいノイズは聞き取ることを極めて困難とした。

〔こち……ちき……聞こえるか? ハルケ……才人!〕

「この声は、リュウ隊長! おれです。聞こえますか!」

 才人からの応答は地球に届き、リュウは笑みを浮かべていた。フェニックスネストの大コンピュータで処理をおこなう地球側の感度は、才人の側より格段にいい。リュウは早口で地球で何があったのかを伝えていった。地球での怪獣軍団との戦い、しかし亜空間ゲートを開くことには失敗したこと。

 だが残念なことに、それらの情報の半分はノイズにかき消されて才人には届かなかった。それでも彼は声色と、わずかに聞き取れる単語の組み合わせから、地球で危機的状況が起こって、GUYSがこちらに来れなくなったことだけは理解した。

「リュウさん! ヤプールはこっちでも本格的に暴れ始めたんです。すでに、エルフの国の一部がやつに占領されました。やつは以前よりもはるかにパワーアップして、なにか恐ろしいことを企んでます」

〔な……れ……そっちでも……俺たちは、もう一度亜空間ゲートを……かかる。そ……大変……〕

 ノイズはどんどんひどくなり、音声も小さくなって聞き取れなくなっていく。ゲートが閉じかけているのだ。才人は焦る頭の中でルイズといっしょに思いつく限りのことを地球に届けようと叫ぶ。どこまで届いているかは未知数だが、地球を守り抜いてきたGUYSならば、どんな小さな情報でも希望につなげてくれるはずだ。

 しかし現実は残酷に、二つの世界をつなぐ糸を細くしていく。恐らく聞き取れるのもあと数秒、話せるのもあと一回。才人はリュウの最後の言葉を聞き取ろうと耳にすべての意識を集中させた。

〔いいか……そちら……ん……向かっ……お前の銃……協力し……着くまで……がんばれ!〕

 そこまでで、受信不可能と判断したメモリーディスプレイは自動的に通信を切った。空に現れていた不可思議な月食も、ワームホールと連動していたと見えて、元の青い月に戻っている。つまり、地球とハルケギニアを結ぶ糸は、ウルトラ兄弟の支援を望む希望も、才人が地球に戻る期待もすべて、水の泡となってしまったことになる。

「なんてこった……」

 電源を切ったメモリーディスプレイを下げて、才人は落胆を隠しえない様子で、窓枠に手を置いてうなだれた。そんな才人の様子に、ルイズは「大変なことになったわね」「そんな落ち込まれたら、こっちまで暗くなるからやめなさいよね」「あんたから元気をとったらなにが残るの?」など、声をかけようとして、喉まで出掛かったところで押しとどめた。

 ここ三ヶ月、才人がGUYSへの正式入隊を果たすためにどれだけ努力を重ねてきたか、ずっとそばにいたルイズはよく知っている。ガンダールヴでなくなった今、腕っ節は本職の戦士に及ぶべくもなく、知力もよく言って並といえる程度の才人にとって、GUYSへの入隊は夢であると同時に大きな目標だったのだ。ルイズも、死ぬほど努力して報われない気持ちは痛いほど知っているから、下手な慰めが逆効果になってしまうことがわかる。

 GUYSの皆やウルトラ兄弟の援軍が期待できなくなったのも極めて痛い。果たして、彼らが再度地球からこちらまでのゲートを開くまで、自分たちと数人のウルトラマンで食い止めきれるのだろうか? 大きすぎる重荷を一気に背負わされてしまったことに気づいたとき、才人と同じプレッシャーがルイズの心にものしかかってきた。

 けれども、押しつぶされてしまうわけにはいかない。背負っている荷物は、誇りや期待だけではない、文字通りの『全て』なのである。負ければその先はなく、やり直しも道の切り替えも許されない。子供のころに魔法ができなくて逃げ出していたようにするわけにはいかない。

 ルイズは、今の才人に自分がかけるべき言葉はなんなのかを必死で考えた。ここで黙っていて、どうしてパートナーを名乗る資格があるだろうか。才人を愛しく思う気持ちが、才人の心の根幹をなす言葉をルイズに思い出させた。

 

「サイト、しっかりしなさいよ! あなたが勉強してるとき、よくつぶやいている言葉があるでしょう?

ひとつ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと。

ひとつ、天気のいい日にふとんを干すこと。

ひとつ、道を歩くときは車に気をつけること。

ひとつ、腹ペコのまま学校に行かぬこと。

ひとつ!」

 

 ルイズはそこで言葉を切った。彼女が暗唱したのは、ウルトラ5つの誓い。ウルトラマンジャックが地球に残していった言葉で、GUYS JAPANでも未熟な隊員たちの支えとして語られ続けてきたと聞いている。そのひとつひとつは、なんでもない日常の心得を教えたものだが、それぞれに人間として正しく生きるための願いが込められている。

 そして最後のひとつ。才人は大きく息を吸って吐き、息を整えると目の光を取り戻して答えた。

「ひとつ、他人の力を頼りにしないこと!」

「やっと思い出したわね。まったく、日ごろ口にしてることもろくに思い出せないなんて記憶力悪いんだから。そんなので試験なんか受けても落ちてたんじゃない? よかったわね、延期になって」

「ちぇっ、相変わらず人をバカよばわりしてくれて」

「犬扱いに比べたら進歩したと思いなさいよ。ぜいたく言えるような人間の出来だと思ってるの?」

「悔しいが、ごもっとも」

 嫌味を飛ばすルイズに、才人は苦笑で答えるしかなかった。頭のよさでも勤勉さでも、ルイズと自分は比べようもない。何度かルイズの授業には立ち会ったが、すぐに居眠りする自分と違って彼女はいつでも真面目に受けていた。考えてみたらあの母と姉に育てられたのだ、『怠惰』という言葉はルイズの辞書にはないだろう。もしもルイズが日本の高校に通っていたとしたら、成績では天地の差をつけられたことは火を見るより明らかだ。

 けれど、昔と違って今ではそうしたきつい言葉にも愛情がこもっている。最後の誓いをあえてルイズが言わなかったのは、この言葉は人から忠告されるよりも、自分で思い出して内面から変えていくべきものだからだ。

「リュウ隊長たちは、必ずもう一度ゲートを開くはずだ。そのときまで、なにがなんでもヤプールを食い止めないとな」

「そうよ。やるやらないじゃなくて、もうやるしかないんだから。けど、他人に頼らなくてもわたしには頼ってもいいのよ。わたしとあなたは、も、た……他人じゃないんだから」

 最後の部分を顔を腫らして言うルイズに、才人は気づかないふりをして、やるべきことを確認するようにつぶやいた。

「急いでトリステインに帰らないとな」

「ええ、もう人間同士で争っている場合じゃない。ガリアは無理でも、国同士がいがみ合いをやめるようにならないと、とてもエルフでも負けたヤプールには対抗できない。そのためには、姫さまになんとしても会わないと」

 巨大な悪に対抗するには、いくら強い志を持っていても個々の人間がバラバラでは意味がない。ヤプールはいずれ、かつてのUキラーザウルスのような、ウルトラマンの力をも圧倒的に超える超獣を生み出してくるだろう。それに太刀打ちするためには、ヤプールの力の源である絶望を塗り替えるような希望を人々が生み出さなくてはならない。

 トリステインに一日でも早く帰る。その単純だが、明確な目標を得たことが二人の不安を薄めた。明日には必ず日は昇る。ようやくやってきた睡魔に身を任せて、二人はベッドの中に体をゆだねた。

 

 

 しかし、希望を見つけようとする世界の中で、邪悪な陰謀はその根を広げつつある。

 再びガリア首都リュティス。グラン・トロワの一室において、ジョゼフは舞い戻ってきたジュリオを拍手で歓待していた。

「いや、見事見事。余以外にもあのようなことができる者がいようとはな。月に穴が開き、シャルロットを吸い込んでしまうとは余の浅い想像を超えていた。まさに奇跡! すばらしい」

「お褒めに預かり、光栄に存じます。それよりも、これで我々のことを信用していただけたでしょうか?」

「ふははは、信用か。あのような奇跡を見せられては、余も忠実なる神の僕になるしかないではないか」

 しかし笑いながらジョゼフは、ただし信頼はしていないがな、と内心で冷たい目でジュリオを見ていた。こいつはどうせ、最後にはその奇跡の力で背信者である自分を始末しようとするだろう。なら、どちらが可能な限り相手を利用しつくし、絶妙のタイミングで裏切るか……なかなか面白いゲームだと、ジョゼフは久しぶりに心地いい高揚感を感じ始めていた。

「ともかく、疑って悪かったなチェザーレ殿。だがしかし、せっかく自由になりかけたシャルロットを再び母親から引き離してやるとは、そなたも人が悪い。仲間の手を必死に握ろうとするシャルロットの顔を見たときは、余もぞくぞくしたのだぞ。ところで、シャルロットは死んだのかな?」

 自らの姪が消滅してしまったというのに、まるでそれとは逆の表情でジョゼフは尋ねた。

「さあ、不安定な時空の歪みに吸い込まれた以上、行き先は見当もつきませぬ。生き物のいない不毛の荒野に飛ばされるか、空気すらない真空の宇宙に放り出されるか。いずれにしても生きている可能性は低いかと。しかし、仮に生き残ることのできる世界にたどりつこうと、この世界に戻る方法はありません。永遠に、どこかの時空をさまよい続けるでしょう」

「ふっ、むしろ一思いに死なせてやったほうが幸せな仕打ちだな。しかしそこまでしても、余の心が痛むことはなかったな。まったくいつになったら余は、昔のような心を取り戻せるのだろうか」

 一瞬悲しげな表情を見せたように見えたのは、この世界への深い絶望か、それともジュリオの錯覚か。自らは望まず、天の気まぐれで与えられる才能の違いだけで運命を狂わされた兄弟の悲哀は、他人のジュリオには推し量りようもない。

 ジュリオはそれは残念でしたねと事務的に答え、続いても歌うように澄んではいるが人間味のない声で言った。

「シャルロット様の使い魔とお母上、ご友人は我々が捕らえてあります。お会いになりますか?」

「いいや、らちもあるまい。だがゲームの駒としてはまだ使い道もあるかもしれないから、幽閉だけはしておけ。これからの対戦相手には、シャルロットの友人たちも多くなるだろうからな」

「では、そのように」

 再びうやうやしくジュリオは頭を垂れた。そうしてジョゼフは、もうタバサのことなどは忘れたように楽しげな笑みを浮かべた。

「さて、それではこれからはじめるゲームの設定でも決めていくか。そなたらと余の手駒を合わせれば、世にもおもしろい遊びをハルケギニアで繰り広げられよう。いや、そなたらのものはあくまで『奇跡』であったな。あの黒い怪物も、教皇陛下の与えたもうた奇跡によって生み出されたものなのか?」

「正確には少し違いますが、まあ奇跡の産物と思っていただけてけっこうです。人間の力によって起こしえぬ出来事を、奇跡と総称するのでしたらば」

「まあ深く追求するのはやめておこう。さて、ジュリオ・チェザーレ殿、さっそくで済まないが余は貴公らのどんな期待に応えればいいのかな? 虚無に関することはうけたまわるが、教皇どのは余にさらなることを求めていると思うのだ。おっと、これは自意識過剰だったかな?」

「いいえ、ご慧眼のとおりです。我々は陛下に最高のゲームの舞台を提供しようとするにあたり、プレイヤーに退屈な思いをさせようとは思っておりませぬ。ですがとりあえずは、我々は陛下に力をお見せしましたが我々のプレイヤーとしての力量はまだお見せしておりませぬ。陛下を失望させぬためにも、まずは我々が軽くデモンストレーションを起こしましょう」

「ほう、それはまことに念のいったことだな」

「陛下はスリルを楽しむタイプでありましょうが、我々には聖地という確固たる目標がありますため、慎重に駒を進めるのが基本です。ただ、ゲームは様々な個性のプレイヤーがいたほうがおもしろいでしょう。それにあたって、ひとつ陛下からお譲りいただきたいものがございます」

「ほう……?」

 ジョゼフはジュリオの申し出に、興味深そうに目を細めた。そして、ジュリオがジョゼフから譲り受けたいというものを聞くと、惜しげもなく提供すると答えた。

「あんなものでよければ持っていくがいい。しかし、もっと破壊力のあるおもちゃはあるのに、そんなものでいいのか?」

「ご冗談を、あなた様はこれがすでにどういうものなのか、使ってご存知のはずです」

「ふっ、確かに実験はしたが、中途半端な効果で兵器としては欠陥品だ。肉体強化こそできるが、理性を失ってしかもすぐに絶命してしまうのではものの役に立たん。量だけはあるが、頑強な鉄の筒に包まれていて取り出すのも面倒だしな」

「兵器としては欠陥品でも、使いようによってはおもしろい結果を生みましょう。ナイフが人を刺し殺すだけでなく、りんごの皮をむくこともできるように」

「なるほど、しかし思考が単純な余には見当もつかんな。よろしければ、ご教授願えないものかな」

 そう言いながら、ジョゼフはジュリオの企みを半分は看破していた。確かにこれをそういう使い方をすれば、一国を滅ぼすことも可能だろう。だが、それではあまりにも簡単すぎてつまらないのでやらなかったのだ。だがそれをこいつらは、余を楽しませることも含めてできるというのか?

「それはお楽しみということに。手始めに、我らのゲームの相手となる方々に宣戦布告をいたしてきます」

「では、お手並みを拝見させてもらおうか。楽しい見世物を期待しているぞ」

「ご期待に添えるよう。そして我らの悲願の地への第一歩となるよう、微力を尽くしてまいります」

 ジュリオは最後に、絵画の天使も見惚れるような美しい会釈をして立ち去っていった。

 謁見の間に一人になったジョゼフはしばし、彼が立ち去っていった扉を見つめていたが、やがて視線を天井のシャンデリアに移した。奴らが、あの悪魔の薬を手に入れたことでどういう行動に出るか、非常に興味深い。ジョゼフは、チャリジャのやつは拾い物だと言っていたそれのことを思い出していた。奴は確か、自分の世界に近い亜空間をさまよっていたところを発見し、内容物が自分の商売に役立つかもしれないと思ったから回収したと言っていた。なんでも、元は地球とかいうところで作られたものらしく、これが入っていた大きな筒のようなものはロケットというらしいが、聞いてもわからなかったのでそのへんにしておいた。

 肝心の中身のほうも、チャリジャが薬品として生成したものがほんのわずか。それを試しにリッシュモンに反乱を起こさせようとしたときに道具として与えたが、結局決定的に状況を動かす役には立たなかった。チャリジャのほうも、信用性に欠けるので商品化はあきらめたらしい。名前は確か……そろそろ夜も遅いせいか、眠くなってきて思い出せない。

 ジョゼフは寝室へ向かい、控えていたシェフィールドに下がるように命じると、がっちりした巨体をシーツの上にゆだねた。目をつぶる前に、閉めるのを忘れたカーテンから沈みゆく月が見えた。

「シャルロット……いまごろ、お前はどんな空の下にいるのだろうかな?」

 ぽつりと、思い出したようにつぶやいたジョゼフは、そのまま心地よさそうに高いびきをかき始めた。シャルロットの死に様を見れないのは残念だが、生きていたとしてもどこか異郷の地で老いさらばえて、故郷を思いながら絶望して野垂れ死ぬのもいいだろう。いくらお前でも、異世界から戻ってくることは不可能だろうからな。

 

 

 ガリアとロマリアが水面下で手を結び、世界はさらに混沌への道を歩みつつある。

 しかし、ジョゼフやジュリオの思惑とは異なり、タバサはまだ生きていた。

 

 

「ここは、いったいどこなの……?」

 目が覚めたとき、タバサがいたのは不毛の惑星でも真空の宇宙でもなかった。そこはハルケギニアと同様に、人間が生きていくのに必要なだけの空気や重力を持った星だった。水もあった、緑もあった、そして人もいて街もあった。しかし……

「あの……」

「? ? ! ?」

「……」

 街をゆく人に話しかけてみても、言葉が通じない。道に落ちていた新聞らしい紙を拾ってみても、文字がわからない。見たこともない、大きくて四角い石の塔のような建物が見渡す限りに続いており、道幅もトリスタニアの何倍も広い。驚いたことに、道路はすべて白や黒の石のようなもので固められていて、土や石畳のハルケギニアの道よりはるかに滑らかだった。そこをいろんな色や形をした鉄の車が何百、何千両も人を乗せて行き来している。こんな大きくて人の大勢いる街は、ハルケギニアで一番大きな国であるガリアにもない。

 

 いったい……どれほど遠いところまで飛ばされてしまったんだろう……?

 

 タバサは、恐らく公園と思える噴水のある広場でベンチに腰をかけてとほうに暮れた。

 見慣れぬ街、見慣れぬ格好の人々。少し考えただけでも、自分がハルケギニアから絶望的なまでに遠い国に送り込まれてしまったんだということがわかる。これからどこへ行き、どうすれば帰れるかまったく見当もつかない。

 歩いている人間にしても、ハルケギニアではほとんど見かけない黒髪の人ばかりだ。タバサは、彼らの容姿が才人と酷似していることから、彼の国に来てしまったのかと思ったが、だからといってどうなるものでもなかった。

 しかも、唯一の頼みであった魔法の杖も、こちらの世界で、公園の芝生の上で気がついたときにはどこかに消えてなくなってしまっていた。杖が無くては、比類なき戦士のタバサも非力な少女に変わりない。

 幸い、タバサの身につけていた学生服はこちらの世界でもそう不自然なものではないようで、道行く人も特に気に留めた様子もなく歩き去り、怪しまれることだけはなかった。とはいえ、頼るべきものもなく、見知らぬ異国の地に一人放り出されたタバサは孤独で、あまりにも無力だった。

 やがて不安を紛らわせるためにタバサは歩きだした。目的地も無く、人の波に乗ってさまよった。

 ここでは人と車の通る道がはっきり分かれているらしく、そこを横切るときは白い縞模様の書かれているところを通らないとだめらしい。

 何か大きな建物のある場所で、大勢の人が四角くて大きな車に乗ったり降りたりしているところから、ここは乗り合い馬車の駅のようなところなのだろうとあたりをつけた。異世界とはいえ、人間の生活するところでは似たようなルールが適用されていくものらしい。

 街はとても大きく広大で、タバサの足で行けども行けども終わりはなかった。

「お腹、すいたな」

 なにかの食品を売っている店からの甘い香りがタバサの鼻腔をくすぐる。しかし注文の仕方はわからないし、金はない。第一間違っても盗みなどはしたくない。

 

 空腹にふらつき始めながら、それでもタバサは歩き続けた。そうして、太陽が傾き始め、夕方に入り始めるころ、タバサの目の前にひときわ大きな建物が現れた。

「ここは……学校?」

 確信があったわけではない。ただ、十八前後と見える若い男女が大勢行き来していて、広い庭と立派な建物が、なんとなく母校の魔法学院の雰囲気を思い起こさせたのだ。

 どうやら時間帯から講義はすでに終わって放課後らしく、和やかな雰囲気で場は包まれている。タバサは、どうせゆくところもないのだからと、校門から構内に足を踏み入れた。中では、まだ居残っている生徒がタバサの青い髪に目をとめて何人も振り返ってきた。こっちでも若者が好奇心旺盛なのは変わらないようだが、タバサには話している意味はわからない。

 構内を適当にさまよううちに、キャンパスらしい場所に出た。そこでは、男女がおしゃべりしていたり、学食で買ったのかもしれない菓子をつまんだりしていた。

 タバサはそこもなんとなく通り過ぎるつもりだったが、ベンチに座っている一人の青年に目が留まった。

「あれ、サイトの持ってたのに似てる」

 その青年がひざの上に乗せて、なにか指先で操作しているような機械にタバサは見覚えがあった。確か、才人が故郷から持ってきたもので、ノートパソコンとかいっていたような気がする。タバサは興味のままに、その青年のそばに駆けて行って、ずいと覗き込んだ。

「わわっ! なんだ」

 タバサには意味はわからなかったが、彼はそう言って驚いていた。無理も無い話だが、覗き込んだタバサも驚いていた。なにか、とてつもなく精巧な図形や文字が映し出されて、しかも動いている。パソコンを間近にはじめて見るタバサは、それが以前見たガンクルセイダーのモニターと重なって見え、思わず見入っていた。

 そのとき、画面に飛行機を擬人化したようなキャラクターが現れて、青年に話しかけた。

「おや? 新しいお友達ですか」

「違うよ。この子が勝手に……ねえ君、どこのクラスの子? もしかして、留学生」

 青年はそうタバサに話しかけるが、当然タバサにはわからない。彼は言葉が通じないことを知り、さらに何ヶ国語を使って話しかけたが、やはり通じるはずはなかった。けれど、熱心に話しかけてくる様子が人との交流に飢えていたタバサの気を引き、タバサもなんとか応えようと身振り手振りをふる。

「困ったな。これでも通じないとなると、どこの国の人だろう?」

 彼はまさか異世界の人間だとは知らずに、本気で困ったようだった。それでもごまかして逃げ出そうとはせずに、真摯に相手を続ける姿勢から、彼の人柄がわかるだろう。と、そこへ彼の友人と思われる数人の青年たちがやってきた。

「おーい、なんだここにいたのか」

「トオル」

「探したぜ。お前がいないと量子物理の研究レポートが完成しないんだからな」

「ごめん。僕も卒論のまとめがおしてて。すぐに行くから」

「頼むぜ。ん? その子は……ははあ、お前いまだにどこの女子にも手を出さないところから、そういう趣味だったのか」

「なっ! 違うよ、この子がいきなり僕のところに来たんだ。僕はけっしてそんな趣味はない」

 友人のたちの悪いジョークに、彼は怒ってみせた。もっとも、友人たちのほうもジョークの域を超えようとはせずに、軽く謝罪すると彼に事情を聞き、誰かの心当たりはないと応えた。

「迷子かな。教授たちに知らせるか?」

「警察のほうがよくないか? にしても、青い髪なんて珍しいな。染めてるわけでもなさそうだし、どこの国の子だろう」

「言葉も通じないって? それじゃ連れてくのも難しいな」

 彼の友人たちは、それぞれ話し合って考えたけれども、彼の窮地を救う方法は思いつかなかった。そして最終的に。

「よし、じゃあとりあえずお前が引き取って帰り先を探してやれ」

「ええ! なんで僕が」

「だって、こういう不可思議なことを担当するのが仕事だろ? 頼むぞ、我夢」

 

 この出会いが、その後の未来にどんな影響をもたらすのか、想定できている者は全宇宙にただ一人としていない。

 

 

 続く



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第57話  闇に打ち勝つ選択

 第57話

 闇に打ち勝つ選択

 

 異形進化兵 ゾンボーグ兵 登場!

 

 

 地球とよく似た自然環境を持つ世界ハルケギニア。そこには、多くの生命が息づき、人々が様々な生活を営んでいる。

 アルビオン王国の内乱が終結して以降、世界は散発的に現れる怪獣の出現はあれど、平和と平穏を取り戻しつつあるように見えた。

 しかし、この世界を手に入れようともくろむ邪悪は決して滅んだわけではない。平和の光の足元にできる影の中で、邪悪はその力を蓄え、人々を陥れるために卑劣な策謀を練り続けていたのだ。

 

 世間がアンリエッタ王女の婚姻の祭りで賑わう中、伝説の虚無の力をめぐる争いに巻き込まれてしまったルイズたち。世界の命運をも左右するという大魔法の存在にとまどいつつも、虚無の力を狙う謎の敵の脅威は否応なしにルイズたちを望まない戦いの渦中へと引きずり込んでいく。

 運命か必然か、次第に姿を現していく虚無の真実と、かつてのハルケギニアに起きた災厄の歴史。

 そして事件の黒幕である、ガリア王ジョゼフによるティファニアの誘拐ではじまった冒険。エルフの少女ルクシャナとの出会いから、困難な旅路を経てたどり着いたアーハンブラ城。そこで待っていたビダーシャルとの存在をかけた意志の激突と、恐るべき敵フォーガスの戦い。想像を絶する苦難の旅は、ティファニアの奪還成功によってハッピーエンドで幕を閉じたと思われた。

 しかし、才人たちがこの世界が自ら生み出した闇と戦うあいだに、ハルケギニアを狙う最大の侵略者は目覚めていた。

 湧き上がる喜びの中で届いた最悪の凶報。

 長い沈黙を破って復活した異次元人ヤプール。怨念と、この世界に満ちるマイナスエネルギーを吸収して蘇ったその力はかつてを大きく上回り、強大な武力を誇るエルフの軍隊をも踏みにじり、彼らが守り続けてきた聖地を苦も無く占領してしまった。

 

 永遠に続いてほしいと思い続けてきた、休息の期間の終わりの鐘。

 

 さらに、ヤプールとの決戦に対するために準備されていた亜空間ゲートも、ヤプールの妨害によって閉じられた。

 最大の援軍を失い、意気消沈する才人だったが、ルイズのはげましで勇気を取り戻し、あらためてこの世界を守るために戦うことを決意した。

 急ぎ、トリステインへの帰路を目指す才人たち。

 だがそのころ、才人たちの知らぬはるかかなたで、ヤプールとも違う勢力が行動を開始していた。

 ガリア王ジョゼフと接触したロマリアの使者。彼はジョゼフと手を組むために、母親を救出しに来たタバサたち一行を強襲し、空に開いたワームホールにタバサを追放した上、キュルケたちを捕らえてしまった。

 ジョゼフから盟友と認められた彼らは、ジョゼフから”ある物”を譲り受け、なにかを企んでいる。

 新たなる脅威の誕生を知らぬまま、才人たちはトリステインへと急ぐ。

 

 しかし、この世界を狙って暗躍する勢力のひとつは、すでに陰謀を始めつつあった。

 

 トリステインを遠く離れた、ハルケギニア最南端の大都市ロマリア。ここは始祖ブリミルの弟子フォルサテが開いたと言われる、ロマリア都市王国の後身であるロマリア連合皇国の首都であり、ハルケギニアの人間たちが信仰するブリミル教の総本山である。

『光溢れる地』

 ロマリアは自らを神格化してそう呼び、聖地に次ぐ神聖なる場所と誇る。事実、過去には数多くの高僧や聖人がこの地で修行を積んで、迷える人々を救っていったと伝えられている。今でも、そうした伝説を信じる敬虔なブリミル教徒たちに巡礼地としてあがめられ、毎年何万という人間が訪れて繁栄している。

 ただし、過去の崇高なる理想は時代ごとに錆び付いていった。神官たちは救世よりも荘園の経営に腐心するようになり、現在ではお布施という名の莫大な収益で贅沢な生活を謳歌する修道士たちのそばを、各国から流れてきた貧民たちが一杯のスープを求めて炊き出しに並ぶ歪んだ姿となっていた。

 人間の持つ矛盾をそのまま具現化したようなバラックの都市。そこには、聖人たちの影に隠れるように多くの素性の知れない者たちも隠れ住んでいる。そしてその、日の当たらない貧民街のさらに奥……難民からすらつまはじきにされるような、犯罪者たちの巣窟で、一人の男が追われていた。

「くっ……まだ追ってくるか」

 男は人の気配の無い路地を、追手をまこうと右に左にと駆け回っていたが、背後からの気配は消えることはなかった。男の衣服は平民が着るようなみすぼらしいもので、しかもかなりくたびれてぼろぼろになっている。一見すると、そのへんの物乞いに紛れていてもわからないだろう。ただ、背格好は痩せてはいるものの筋肉質でがっしりとしており、元々はかなりよい生活をしていたのが察せられる。しかし、左腕のそでの中身はからっぽで、隻腕がただならぬ過去があったことをも語っている。

 彼はやや広い路地に出ると、行く手にも殺気を含んだ気配が待ち構えているのに気づいて立ち止まった。

「袋のネズミというわけか……ぐっ! ま、また発作がっ!」

 突然胸の痛みに襲われた男は、額から脂汗を噴出してうずくまった。

 そこへ、路地の陰から数人の人影が現れる。男は、長く手入れをしておらずぼさぼさになった長い髪のすきまから、その追跡者たちの姿を睨み付けた。

「人間ではないな……ガーゴイル、いや……人造人間の類か」

 男は荒い息の中で、銃を構えながら現れた敵の正体を吟味していた。敵は、人間と変わらぬ背格好で、鉄兜のような頭部に赤く光る目を持っている。男は長い間戦場に身をおいたこともある経験によって、そいつらから人間特有の殺気を感じず、かといってガーゴイルのような無機質さも感じなかったことから、生きている操り人形と判断した。

「確か、諜報の中にガリアが数年前、複数の生き物を掛け合わせる研究をしているという報告があったな。中には生き物の特性を持つガーゴイルの実験もあったそうだが、研究施設で起きた事故で凍結されたはず。何者かが再生させたのか……?」

 彼は仕事柄目にして記憶していた資料を思い出し、痛みを紛らわせるように内容をつぶやいた。

 そうしているうちにも、正体不明の兵士たちは銃口を向けながら規則正しい足取りで迫ってくる。銃そのものはハルケギニアの軍隊で一般的な、威力と命中精度に乏しいマスケット銃だが、前後からいっせいに撃たれたら避けるまもなく即死させられてしまうだろう。

「私を殺す気か……? ふっ、そのようだな」

 彼は胸の痛みを意識的に無視して、前後からの襲撃者に対して身構えた。敵との距離はおよそ六メイル強、道幅は三メイルほどで、この距離と狭さなら子供でも目標をはずすことはないだろう。

 対して男のほうは武器らしい武器は携帯しておらず、服装も銃弾を受け止められるようなものではない。なのに男は苦痛による発汗と呼吸の乱れはあるものの、腕をだらんとさせ、不敵さをさえ感じさせる態度で襲撃者たちを待ち構えた。

「どうした? こんな死にぞこないを殺すのになにを用心している。まさか、心臓の位置を知らないわけではあるまい」

 男は右手の親指で、ツンと突くように左胸を刺してみせた。そのあからさまな挑発の様子に、心を持たないはずの人造人間たちがいっせいに銃口を心臓へと向けて引き金に指をかけた。だが、彼らの指よりも早く男の右手が懐へと伸びて引き抜かれ、その手に握られていたみすぼらしい木の杖から雷光がほとばしった。

『ライトニング・クラウド!』

 強力なトライアングルクラスの電撃魔法が男を中心に雷撃を振りまき、銃弾が放たれる前に銃の火薬を爆発させ、襲撃者たちの体を高圧電流が貫く。男はメイジだったのだ。数秒後、襲撃者たちはすべて地面に倒れ伏し、仮面や服の隙間からブクブクと白い泡を吹き出しながらしぼんでいった。

「やはり、人間ではなかったか……ふぅ、それにしても、この閃光がこんなみすぼらしい杖を使わなくてはならんとは、我ながら落ちたものだ。まあ、元の杖では捕まえてくださいと言っているようなものだから仕方ないが……」

 男は自嘲げにつぶやくと、杖をしまって一息をついた。いつの間にか胸の痛みの発作もおさまっており、汗を拭いた袖が黒く染まる。

「しかし、こいつらは何者だ? いったい誰が、こんなものを使って俺の命を狙う?」

 男はこの汚れた町の住人たち同様、人目を避けて隠れ住む生活を続けていた人間だった。それが今日、食料品を買出しに出かけたところ、突然銃を突きつけられて、慌てて撒こうとしたあげくがこのざまだ。男は自分のことが母国の追っ手に知られたのかと考えたが、すぐにその可能性を否定した。あの連中はこんなものは使えないし、第一知ったら直接捕縛に来るだろう。なにせ現在の自分は第一級の国家反逆者、情状酌量の余地無く死刑台直行の身分だ。

 ならば、こんな人形たちを使って自分を襲わせる奴はと考えたが、心当たりは見つからなかった。

 そこへ、襲撃者たちのやってきた路地の奥から今度は生きた人間の声がした。

「申し訳ありません。少々、あなたの実力を試させていただきました」

「だれだ!」

 もう一度杖を引き抜き、油断無く声のしたほうへ構える。やがて路地の暗がりから、神官服を着た美々しい金髪の少年が姿を現した。

「杖をお下ろしになってください。私はあなたの敵ではありません。ロマリア法王庁より、あなたを迎えに参上した使者です」

「敵ではないだと? こんな得体の知れない人形を使って、人の命を狙っておいてか」

「それに関しては平に謝罪いたします。ただ、あなたの腕がなまっていないか早急に調べる必要がありましたので、やむを得ず強硬な手段をとらせていただきました。それにしてもすごいですね。この人造人間、ゾンボーグ兵というのですが、ガリア王ジョゼフ様からいただいた珍品なのにあっさりと撃破なさるとは」

「ガリア王だと?」

 ジョゼフの名に、男の眉がぴくりと動いた。

「おもしろい。ロマリア法王庁とガリア王が通じているとは知らなかった。どちらも、黒い噂には事欠かない連中だが、貴様らなにを企んでいる?」

「別に悪いことなどは考えていません。我らは忠実なる神の僕、その行動は常に善なるうちにあります。ただ、悪なるものたちに神の威光を知らしめるためには、時に力も必要なのです」

「ふん、貴様ららしい詭弁だな。しかし、貴様らに協力して俺になんのメリットがある?」

 少なくとも衣食住くらいは保障されようが、それ以上に危険な仕事をさせられることになったら割に合わない。ただでさえ社会的な立場から体調にいたるまで最悪なのだ。それならば、この掃き溜めの中で貧しくても安全に生きたほうが、まだ長生きできるというものだろう。

 ところが、使者の少年はその問いを待っていたとばかりに左右で色の違う瞳を光らせた。

「むろん、あなたにふさわしい報酬は用意させていただきます。ですがそれにも増して、この仕事はあなたに打ってつけでもあるのです。本来高貴な身分であるあなたを貶めた者たちへの復仇もなり、なによりあなたが望む、聖地へと近づくための助けとなることでしょう」

「聖地だと!」

 男は少年の言葉に強く反応し、少年は得たりとばかりに彼に頼みたい仕事の概要を伝えた。すると、懐疑的だった男の表情がみるみるうちに暗い喜びに満ちてくる。

「なるほど、それはいい。成功すれば一石二鳥が三鳥にも四鳥にもなる。しかし、こんなとんでもない陰謀をあのお方が企んでいようとは、世の人間たちは想像もしていまい」

「あのお方は、常にハルケギニア全体の幸福を考えていらっしゃるのです。そのためならば、涙を呑んで異端者や少数の者たちの犠牲を甘受なさります。さて、お返事のほうはいかに?」

「承ろう。まだ俺にもツキは残っているようだ。ふっふふふ、アンリエッタと手下の小娘どもめ、いまにみているがいいわ」

「感謝します。ではさっそく、あのお方がお待ちです。ご同行願いますか? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド殿」

 それは、私欲のために信頼につばを吐いてすべてを失った男と、博愛と信仰を世に広めることを使命とする神官の小さな出会いであった。だが、神の威光と博愛を説く優しい言葉と笑顔が、本当に光溢れる未来を人々にもたらすのか証明できる者はいない。いたとしたら、それは異端者の烙印を押されて迫害される。それがこのロマリアという街の現在の真実……神は人を愛し、平和を望む。しかし、人間は神ではなく、この世には人間しかいない。

 

 

 才人たちが地球との交信をおこなったあの夜から五日後、彼らの姿はトリステインの港町ラ・ロシェールにあった。

「うわぁ! こりゃまた、トリスタニアがそのままこっちに来たみたいなにぎわいようだな」

 才人は以前来たときよりもさらに多くの人でごった返すラ・ロシェールの街を見て、感嘆したようにつぶやいた。

 ヤプールの復活と、新たに明らかになった虚無の真実、エルフの国の事情などをアンリエッタ王女に報告するために才人たちは学院にいったん帰ると、そのまますぐに出かけた。同行するのはルクシャナとティファニアの二人。エレオノールは調べたい資料があると、その足でアカデミーに直行した。ロングビルは、ウェストウッド村の子供たちにティファニアの無事を知らせるために別れた。本来なら、一番来てほしい人なのだが、いつまでも私が保護しているわけにはいかないからと預けられる形になった。ピーターは連れ歩けないから水槽に入れてメイドに世話を頼んできた。

 そうして、学院でアンリエッタがすでにトリスタニアを出発していると聞き、一路ラ・ロシェールを一行は目指した。しかし、前のように簡単にアンリエッタに会える環境では、どうやらなくなってしまっているようだ。

 今この小さな港町は、才人たちがガリアに行っていた間にトリスタニアでの行事をすべて終わらせて、これからアルビオンへと向かうアンリエッタ王女とウェールズ王。いや、今や夫婦となった二人の若き王族の姿をひと目見ようと望む人々によって、その歴史がはじまって以来の人口を達成していたのだ。

「弱ったな。これじゃいくらなんでも、姫様と会うのは無理っぽくないか?」

 才人が人の壁に圧倒されるようにぼやくと、ルイズもさすがに額に汗を浮かばせた。

「うーん……これはちょっと、簡単に考えすぎてたわね。いくらわたしでも、予約なしで姫さまと会うのは難しいわ。姫さまにお話ししなきゃいけないことはいっぱいあるのに……それよりもテファ、大丈夫?」

「は、はいなんとか……でも、こんなにたくさんの人を見たのははじめてなので、ちょっとフラフラします……」

 エルフであることを隠すための帽子をぎゅっと押さえながら、ティファニアは慣れない人ごみに押しつぶされそうな自分をなんとか奮い立たせた。今回の目的は、ティファニアをアンリエッタ王女に紹介して、人間の世界で生きていけるように慣れさせることもある。とはいえ、辺境の森の中からいきなり都会に放り込まれたらストレスは大変なものだろう。まあ、そのために同じエルフでも性格が正反対な前例についてもらっているのだが。

「うう、わたし本当にこんなところでやっていけるのでしょうか……?」

「気にすることないわよ。いくら人が多くたって、付き合うことになるのはせいぜい十人かそこら、あとはカカシが歩いてるとでも思えばいいの。気楽にいきなさいって」

 ルクシャナが、さっそく美貌に目がくらんで言い寄ってきた男たちを盛大に無視しながらティファニアの肩を叩いた。ティファニアは、「うう……自信ありません」と弱気に答えるのを、才人やルイズは苦笑しながら見守る。まったくもって、ルクシャナの環境適応力には驚かされる。いまさらだが、地球との行き来が可能になっていたとしたら、彼女は是が非でも来たがったことだろう。それどころか、ウルトラマンにひっついて光の国にまで行くことまで本気でやりかねない。亜空間ゲートのことは、彼女にだけはなんとしても秘密にしておこうと才人は思う。

 

 そうして一行は人ごみを避けつつアンリエッタ夫婦が宿泊している高級宿へと向かった。むろん、いくらルイズがヴァリエール家の一員で、姫の知人であってもおいそれと対面は認められなかった。現在夫妻は各種行事から式典の客の相手まで、一分の猶予もないだろう。こちらもそれに増した重大事なのだが、それを言うわけにもいかない。ルイズは怖いのを承知で、奥の手を使うことにした。

 

 やがて日も暮れて、街が夜の顔をのぞき始める頃、一行は宿の一室でアンリエッタと対面していた。

「そうですか……あの悪魔がエルフの国で……いつか来ると覚悟していましたが、まさかそんな方法を使ってくるとは考えてもおりませんでしたわ。ともかくルイズ、大冒険でしたわね。よくぞ無事で帰ってきてくれました」

 ねぎらいの言葉をかけるアンリエッタに、ルイズはひざをついて頭を垂れた。

 アンリエッタは式典用から部屋着の簡素なドレスを身にまとい、連日の祭典の疲れを少々見せながらも幸せのためであろうか元気な様子である。地球でいえば午後七時半あたりのこの時間、本来なら晩餐会の予定が入っているところ、わざわざ自分たちのために予定を裂いてくれた。理由は詳しく聞いていないものの、当然かなりの無理をしてくれたことは想像にかたくない。

 それでもウェールズは、「アンリエッタもそろそろ疲れたころだろう。友人と思い出話をして、休憩していてごらん。僕はそのあいだに出席できない領主や町長からの手紙をさばいているよ」と、怒った様子も無く席を外してくれたから、足を向けて眠れないというか、ありがたいというほかはない。

 だが、王族にこれだけ無理をさせたからには代償もともなった。ルイズが事のあらましを説明しきるのと同時に、気難しい顔でルイズの前に立ったブロンドの女性騎士。

「ルイズ、顔をお上げなさい」

「は、はい……」

 ルイズにとって、この世のなによりも恐れている存在がそこにいた。『烈風』カリン、現在はアンリエッタたちの身辺警護の総責任者を預かっているルイズの母親である。こうも早くアンリエッタとの対面がかなったのは、才人から警護役の銃士隊を通してカリーヌにルイズの伝言を伝えたからであった。

 ただ、覚悟はしていたことだが王族の予定に割り込んでもらうという無茶は、規律を重んじるカリーヌの気に触らないわけはなかった。それに、虚無のことをはじめ、これまで隠していたことが一気に露見してしまったことで、ルイズの心音は十六年の生涯中最大に上がっていた。

「まず、こまごました前置きは避けましょう。あなたがガリアへ行っている間に、おおまかなことは姫さまよりお聞きしました。虚無……かつて始祖が使ったという伝説の系統。信じがたくはありましたが、数々の証拠から私も信ずることにしました。秘密にしていたことは、事の重大さから目をつぶることにします。ですが……なぜ独断でガリアに乗り込んだりしたのですか?」

「それは……時間がなかったことと、トリステインに迷惑をかけたくなかったからで」

 圧殺するようなカリーヌの問いかけに、ルイズは勇気を振り絞って答えた。むろん、言い訳で許されるとは思っていないが、答えなければもっと早く殺される。

「ルイズ、あなたはまだ思慮が足りません。いくらあなたがトリステインと関係ない一個人として行動したつもりでも、相手はガリアの王なのです。その気になればヴァリエール家の人間がガリアに入ったということだけで、諜報活動の疑いでもなんでも疑惑のかけようはいくらでもあります。それはつまり、戦争の火種にもつながることになり、あなたの友達だけでなく、何万という人間を不幸にする結果になるのですよ」

「はっ、はいっ!」

 恐縮するルイズは生きた心地がしなかった。正直、あのときはそこまで考えていなかったが、ジョゼフがその気ならもっと恐ろしい結果になっていても不思議ではなかったのだ。この後はエア・ハンマーかウィンドブレイクで制裁か、ルイズが覚悟しかかったとき、止めてくれたのはアンリエッタだった。

「まあまあカリーヌどの、親としてお気持ちはお察ししますが、ここはもうそのあたりでおやめくださいまし」

「殿下、しかし国の大事にあるものが無断で国境を越えたるは重大な罪。これを容赦しては、国法のなんたるかの示しがつきませぬ」

「でしたらそれは、さらわれた要人を救助したことの功と相殺とすればいいではありませんか。それに、もしもルイズがガリア入りを躊躇して手遅れになっていたら、それはそれで貴女はお怒りになるでしょう? 不公平ですわ」

「う、それは……」

 的確なところを突かれて、さしものカリーヌも言葉につまった。確かに、行っても行かなくても怒るならば不公平だ。アンリエッタは、救いの神を見たように目を輝かせているルイズをちらりと見ると、駄目押しの一言を加えた。

「もちろん、国法を重んじる思いはわたしも王女として変わりませんわ。でも、今日はめでたい祝いの日、罪人にも恩赦があって当然ですことよ。年明けにはわたしの女王の戴冠も予定されていることですし、恩赦も二倍で手を打ちませんこと?」

「……そこまで言われるのでしたら、私は臣下として従わざるを得ません」

 カリーヌは根負けしたように杖をしまった。ルイズは助かったと知り、全身の力が抜けて倒れこみそうになるのをあやうく才人が支える。にわかに信じられないが、あの母が許してくれたらしい。いつもなら、よくて魔法で半殺しの目にあうのにこんなことは初めてだ。

「ただしルイズ、あなたはもう自分の一挙一足に大きな責任がともなう立場なのです。仕置きを恐れていられるうちはまだ幸せだということを、ゆめゆめ忘れてはなりませんよ」

「ひっ! あ、はいっ!」

 ルイズは再び緊張してひざまずいた。本当にこんな幸運は二度とあるまい、重ね重ね姫さまには頭が上がらない。このご恩は一生かけて返していこうと、ルイズはあらためて忠誠を誓うのであった。

 そうして一礼したカリーヌは再び部屋の隅で、直立不動の構えの姿勢に戻った。表情にはさきほどまでの怒りの色は微塵も無く、女神像が鎮座しているように一瞬才人は思った。見事な変わり身の早さというべきか、ルイズもいずれ成長したらこうなるのであろうか? 才人はルイズにはいつまでも変わらないままでいてほしいと、少々わがままな理由で思った。

 親子の問題が収まると、アンリエッタはルイズに視線でうながした。ルイズはこくりとうなずくと、後ろに控えていたティファニアに前に出るよううながした。

「わたし、ティファニアと申します。お、王女殿下にはお初にお目にかかります」

「ようこそ、トリステインへ。あなたのことは先ほどルイズから聞きました。ハーフエルフとのことですが、わたくしはそういったことを問題にするつもりはありませんのでご安心くださいな」

 アンリエッタは緊張しているティファニアに優しく声をかけると、手をとって彼女を立たせた。

「あなたも虚無の力を受け継ぐ使い手とのこと。そのために、ずいぶん大変な思いをなさったようですね」

「はい……わたしも正直、この力をどうやって使ったらいいかわかりません。エルフの血を引くわたしに、虚無だなんて」

 まだ自分のことに整理がついてない様子のティファニアに、アンリエッタは手を握ってゆっくりと話した。

「あなたも望まぬ運命を背負わされた者なのですね。わたくしもそうでした、王家の血筋をうとんじたことは数え切れません。でもいろんな人を見ているうちに、誰もが自分の運命の中でそれぞれの悩みや戦いを繰り広げていることを知りました。考えが落ち着くまで、焦ることはありません。あなたの周りの友が力になってくれるでしょう。わたくしも、せめてこのトリステインではあなたの引受人として力になりましょう」

「姫さま、わたしなんかのためにそんな」

「いいのですよ。命令しかできないわたくしが人助けをできる数少ない機会なのですから、むしろわたくしのほうがお礼を言いたい気分です。ガリアからまた狙われるかもしれず、心細いかもしれませんが、今はとりあえず自分の力が悪に働かないようにだけ心がけていてください。虚無は、エルフの国では世界を滅ぼす恐怖として伝わっているとのことですけれど、わたくしはルイズやあなたを見ている限りはそう思いません。いいですね?」

「ほんとうになにもかも……ありがとうございます!」

 ここに来るまでは、ジョゼフと同じ人間たちのボスだと警戒していたティファニアも、アンリエッタが信頼するに値する人間だと思ってくれたようだ。才人とルイズはほっとして顔を見合わせた。

 これでとりあえずはティファニアは身分的にはトリステインに住むことができる。エルフということさえばれなければ、つつましやかな生活くらいは保障されるだろう。第一関門を潜り抜けられたことで、二人は肩の荷の半分くらいは軽くなった気がした。

 のだが……

「よかったわねあなた! これでもう住まいに苦労することはないんでしょ。いやあ蛮人の世界はいろいろとめんどうくさくて大変ね。なんだったらアカデミーの私の部屋に来る? そしたら毎日楽しく研究できるしね!」

 より大きな頭痛の種が芽を出して、二人は肩の荷が三倍になったような気がした。

 ティファニアは素直でおとなしいからいいのだが、動く爆弾娘の処置に関してははっきり言って自信が無い。自分たちの倍くらいは生きているくせに、奔放さは子供のようだ。悪い娘ではないのだが、自分の興味最優先で、そのためには対人関係など薬にもしない。

 天然で他人に心労をかけるタイプのルクシャナは、才人たちのそんな心配には一切気づいた様子も見せずにアンリエッタと向かい合った。

「あなたが、エルフの国からやってこられたという方ですね。わたくしのお友達が大変お世話になったようで、まずはお礼申し上げますわ」

「はじめましてお姫さま、ルクシャナと申しますわ。貴女のことはお噂もかねがね、なかなかの名君の卵だとアカデミーのほうでも評判でしたわ」

 種族が違うとはいえ、一国の最高位にほとんど対等な態度で接せられるルクシャナの姿勢は無神経と呼ぶか豪胆と呼ぶかは判断に苦労する。おかげでルイズなどは冷や汗ものだが、アンリエッタは気にした様子はないようであった。

「ふふっ、あなたのことはわたしも前から少々は存じております。先日のトリスタニアの二大怪獣についての事後報告のレポートを、エレオノールさんが提出しに来たときにあなたのことを期待の新人だとほめていらしたわ。その何ページかはあなたが執筆したものでしょう。情報分析と考察のわかりやすさは、素人のわたしには助かりました」

「あら、先輩がそんなところで。これは今度、サハラのやしの木のジュースでも差し入れましょうかね。そうだ、よろしければ姫さまにもいくらかおすそ分けしますわよ。国の私の婚約者に頼めば、ラブレターがおまけについて送ってきてくれますから」

「それは楽しみにさせていただきましょう。それにしても、あなたの国にはハルケギニアでは見たことも無いような珍しいものがたくさんあるのでしょうね。いつか行ってみたいものですわ……」

 アンリエッタの瞳は、おてんばだった幼女時代の光をいまだ消すことなく宿していた。遠くを夢見るようなアンリエッタの表情と、ルクシャナの好奇心にあふれた顔はどことなく似ている。けれど、決定的に違うところもある。

「あなたたちエルフの社会は、王を持たずに入れ札でその時々の統領を選出するのでしたね。始祖の血統を重んじるわたしたちの世界では考えられないことですけど、王になるべき人がなれるという社会はすばらしいものと思います。わたくしも、そんな世界に生まれていたら……」

 それは、王の責任を放棄する気は無くとも自由にあこがれている気持ちの裏返しの発露だった。よりよい王でありたいとは思う、思っても自分より王にふさわしい人間はいるのではないのかという気持ちも常にある。自分で自由に飛びまわることはかなわないアンリエッタに宿ったさみしさに、ルクシャナは同類の情を感じた。

「姫さま、わたしの知る限りであなたより熱心なエルフの指導者は、そんな何人もいませんわ。テュリューク統領は立派な方だけど、ほかの議員の人たちは頭の固いおじいちゃんばっかり。入れ札で議員を選べるっていっても、候補者がバカばっかりだったら同じことなんだから……わたしも、蛮人の研究なんかやめろって何回邪魔されたことか」

「そ、そうなんですか? でも、エルフは人間よりずっと頭がよくて進んだ文明を持っていると聞きますが?」

「だからそれは過大評価ですって。もう、めんどくさいなあ……」

 ルクシャナは少々うんざりした様子ながら、以前才人やエレオノールにも語ったことを説明した。人間とエルフが遠い存在ではなく、同類に等しいほど精神的には近しい存在であること。それらを分けるものが、ほんの少しの力の差と、つまらない誤解があるだけだということを。

「お姫さま、あなたさっきティファニアにハーフエルフだということを気にしないって言ったわよね。でもそれって、まだエルフと人間が別のものだって思ってるってことでしょ? まあ生物的にはそうなんだし、私も本音はエルフと蛮人が同等ってのはしゃくにさわるところがあるんだけど、それってどこかおかしいわよね」

 アンリエッタはすぐに返す言葉が無かった。もっともルクシャナも自分で言っておきながら、柄にも無いことを言ってしまったなあという後味の悪さがある。ほんの一月くらい前の自分なら考えられもしなかったことだ。サハラを出て、自分の知識がまったく役に立たないほど大きな存在があり、広い世界があるのだと気づかされた。何度も命の危機にさらされたが、旅に出てよかったと思う。

 それからアンリエッタとルクシャナは、互いの好奇心を満たしあうかのように貪欲に会話をぶつけあった。人は砂漠に行かなければ砂の熱さはわからず、海に行かなければ海水のしょっぱさはわからないけれど、言葉からそれらを想像し、頭の中に作った擬似世界で体験することはできる。そしてその世界のリアルさは、より多くの情報を与えられることによって育っていく。

 エルフの国の人々、自然、制度、情景、さまざまなものが二人の心の中で形をなし、色づけされていく。そうした触れ合いの中で、アンリエッタはひとつの確信を抱くようになっていった。

「ルクシャナさん、これは思いついたばかりの私見なのですが、聞いていただけますか?」

「ええ、どうぞ」

「あなたとティファニアさんで、エルフと人間のあいだの架け橋になってもらえないでしょうか?」

「えっ……?」

 一瞬空気が凍りつき、ルクシャナも才人たちもアンリエッタの言葉の意味がわからずに絶句した。けれど、アンリエッタの目は真剣そのものだった。

「ルイズたちとあなたの叔父上との和解、虚無が見せたという太古のハルケギニアの争い。そして今のあなたとの話でわたしは確信しました。エルフと人間はけっして相容れないものではないことを。ですから、ふたつの種族の歪んだ関係をかつてのあった姿に戻し、エルフと人間の国がただの隣同士として行き来できるようにするために、力を貸していただけないでしょうか?」

「待って、話が飛躍しすぎるわ! どうして急にそこまで進むのよ」

 突拍子も無い依頼に、さすがのルクシャナも顔色を変えていた。エルフと人間の共存を考えた才人とルイズですら、いきなりそこまでは考えていなかった。段階でいえば、五つも六つも飛び越している。今日はじめて会った相手に対して言うことではないはずだ。だが、アンリエッタは考えなしで言ったわけではなかった。

「驚かせてしまったのは謝ります。ですがルクシャナさん、ティファニアさん、わたしは本気です。エルフの国と友好を結びたい……いいえ、敵対しあうのだけでもやめたいとわたしは切に願っています。あなたも、このままふたつの種族が戦い続けても、なにも得るものはないとわかっているでしょう」

「そりゃあまあ……考えてみたら、よくもまあ何千年も同じ事を繰り返したものよね」

「そう、過去幾年、ふたつの種族は聖地というたったひとつの場所をめぐって不毛な争いを繰り広げてきました。譲れないもののために必死になるのは大切なことですが、果てを見失った愚かさが、侵略者につけいられてしまったのです。悪賢いヤプールは、ふたつの種族のいさかいに目をつけたのでしょう。たとえエルフが攻撃されても、人間は手助けをすることはできませんからね」

 ルクシャナはアンリエッタの言いたいことがわかった。この世界がいくつもの勢力に分かれている以上、全体をいっぺんに攻め落とすよりも、ひとつずつつぶしていったほうが確実だ。ましてエルフはヤプールとの戦いに慣れておらず、すでに大損害をこうむっている。なによりも、サハラにはウルトラマンがいない。

「ですが、それは逆をいえばヤプールはエルフと人間が和合するのを恐れているという証です。わたしはヤプールがはじめて現れたときからずっと考えてきました。ヤプールは、なぜあれほどに強大なのか? ルイズ、あなたたちもヤプールの力の源を知っているのでしょう」

「はい、奴は人間の絶望や恐怖、憎悪といった暗い心から生まれる、マイナスエネルギーといったものを力とするそうです。で、いいわよねサイト?」

 才人がうなづくと、アンリエッタは言葉を続けた。

「そう、ヤプールが最初に現れたときもそう言っていました。そしてハルケギニアの人間にとって、潜在的に恐怖や憎悪の対象となるのは、聖地を支配し続けているエルフへのそれです。エルフにとっても、何度も攻めてくる人間への憎悪は強く蓄積されているでしょう。つまりエルフと人間が憎しみ合い続けるということは、ヤプールに無限に力を与え続けるということなのです」

 一同は、アンリエッタの性急さの理由を理解した。ウルトラマンAに一度倒されて、たった三ヶ月でエルフを圧倒するほど強大に復活したヤプールのエネルギー源は、この世界の生き物たちが延々と溜め続けてきた憎悪にあったのだ。

「もちろんそれだけではなく、貴族、平民問わずに個々人の問題はあるでしょう。しかし、今のわたしたちが見るべきなのはハルケギニアでもサハラでも、まして聖地でもなく全世界なのです」

 アンリエッタはそこでいったん言葉を切った。ルクシャナは、思いもよらぬ重大な話に戸惑っており、ティファニアはあまりのスケールの話についていけていない。才人とルイズにしても、今後のことを相談しにきたとはいえ、まさかアンリエッタからそのような話を聞くことになるとは思ってもおらず、圧倒されていた。

 しかし言うはやすしだが、課題は多い。いや、多すぎる。ハルケギニアの人間が一般に信仰しているブリミル教はエルフを敵だと教えているし、エルフにしても人間を蛮人と呼んでさげすんでいる。何千年にも渡って蓄積されてきた二つの種族を分ける壁の厚さは果てしない。

 そんなことが果たして可能なのか……一同の肩に、ティファニアを救い出そうとしたときすら軽く思えるほどの、とてつもない重圧がのしかかってくる。

 ルイズはアンリエッタに、どこまでを考えているのか問いかけようとした。ところが、その前にドアがノックされて、秘書官が次の行事の時間が迫っていると告げてきた。

「あらまあ、もうそんな時間ですか……皆さん、今日は貴重な情報をありがとうございました。そして、突然に無理を申し上げてしまってすみません。ただ、わたくしは本気でエルフとの終戦を考えています。そうでなければ、この世界はかつてのトリスタニアのように滅びてしまいます。どうか、馬鹿げたことと思わずに真剣に考えてみてくださいませ」

 会釈したアンリエッタの顔には、一点の淀みも無かった。エルフと人間の和解……恐らくアンリエッタ個人の考えではなく、カリーヌやウェールズの意見も入っているだろう。この三人はアルビオンでヤプールの人間体とじかに会っている。奴の持つ絶対的な邪悪さを身に染みて知っているからこその決断に違いない。

「では、失礼ですが今日はここまでで……わたくしたちはあと二日、この街に逗留いたしますので、次に会える時間がとれましたらこちらからお伝えします。それまでは、祭りをお楽しみください。魔法学院のみなさんも、夜を楽しんでいらっしゃるそうですよ。それと……ふふっ」

 そう言い残すと、アンリエッタは秘書官にせかされて、カリーヌをともなって立ち去っていった。最後の含み笑いが気になるのは、また真面目な顔の裏でいたずらを企んでいるような予感がするからだ。だがそれはともかくとして、ルイズたちはこの街が祭りの真っ最中だったことを思い出した。まだ夜は長い、これまで苦労の連続だったのだから今晩くらい遊んでもいいんじゃないか。

「よっし! ルイズ、遊びにいこうぜ」

「そうね。この際パーっと気晴らししましょう。テファ、トリステインの遊びを教えてあげるわ。ついてきなさい」

「あっ、はい! よろしくお願いします」

「あーっ! 私をのけものにする気!? 蛮人の祭りなんて珍しいもの、この私が見逃すと思ったの!」

 こうして四人は連れ立って、夜の街へと乗り出していった。ラ・ロシェールの街は、ゾンバイユの襲撃の陰も残さぬ賑わいで、平和の喜びを万人に提供している。

 

 

 その賑わいの中で、四方に目を光らせつつ、一般人を装って歩く四人ほどの女性たちがいた。

「だから、規制事実が大事なんですってば。がんばって一番に越えるところを越えてしまえば、あとは「責任とってね」の一言だけで、恋人だろうと婚約者だろうと、圧倒的に有利に立てますよ」

「だから、私はそういうやり方は嫌なんだって言っているだろうが。振り向かせるなら、力づくじゃなくて、正々堂々と勝負したい。汚いやり方じゃ心は手に入らないよ」

「もう、副長はそういう方面には潔癖なんですから。結婚はともかく慣れですって。それにそれくらいのことをしなけりゃ、貴族相手には太刀打ちできませんってば」

 会話の内容は年頃の女性らしく軽いが、視線だけは鋭く辺りに張り巡らせる彼女たちはむろんただの観光客などではない。銃士隊の副長ミシェルと部下たちが正体である。彼女らは以前と同じく、ラ・ロシェールの警備についていたが、今回は銃士隊の制服が威圧感があるということで、私服で一般客にまじって警備をしていたのだ。

 ともかく、こういう場所ではすりや置き引き、万引きは多い。彼女たちはそうした不心得者が祭りに水を刺さないように、怪しい者を探して祭りの中を練り歩き、女性と思って油断したすりを何人か捕縛した。また、祭りの混雑で困っている人がいないかと巡回していると、ある店の前でぐっと考え込んでいる初老の男性が目に付いた。

「もし、そこのあなた。なにかお困りごとですか?」

 ミシェルが話しかけると、男は振り向いて微笑を浮かべた。

「うん? あ、いや、帽子を買おうと思っているんだが、どうもいまいち迷ってしまってね。よかったら、君たちも選んでくれないかな?」

 男は五十代ほどで、厚手のジャケットを羽織ったたくましい肉体の持ち主だった。けれど顔つきは温厚で、ミシェルは牧場主のような人だなと思った。露天にはいくつかの帽子が飾られているが、この人の雰囲気に似合いそうなものとなると……ミシェルは考えた末に山高でつばの広い帽子を選び、男はそれを買うと、すぐにかぶって見せてくれた。

「どうかな? 似合うだろうか」

「ええ、とてもよく似合っていますよ」

 おせじではなく、男の雰囲気とあいまって見事にフィットしていた。これで馬に乗れば、そこらの多少顔がいい若者よりずっと絵になるだろう。男はまんざらでもない様子で微笑んだ。

「ありがとう。おかげでいい買い物ができたよ」

「それはよかった。ところで、どちらからおいでなのですか? 見たところ、珍しいお召し物ですけれど」

「なに、ごらんのとおりの風来坊さ。では、失礼」

 男は礼儀正しく礼を述べると、雑踏の中に消えていった。

 

 

 続く



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第58話  ぬくもりは、あの人のそばに

 第58話

 ぬくもりは、あの人のそばに

 

 密輸怪獣 バデータ 登場

 

 

 才人とルイズが、ティファニアとルクシャナをともなってアンリエッタと会談してから一晩が過ぎた。

 朝日がラ・ロシェールの象徴である世界樹を照らし出し、天気は雨雲の影もない晴天。

 年末が押し迫り、放射冷却の刺すような寒気が空気に満ちる中で始まった朝。けれど、ラ・ロシェールの街はそんな寒さなどは涼しいとでも言わんばかりに、早朝から昨日といささかも衰えぬ賑わいを見せていた。

 露店は夜に繁盛していた顔をしまい、太陽の下で輝くものへと模様替えする。見世物小屋も、新しい出し物の看板を大きく立てて、順番待ちをする客は長蛇の列だ。

 

 才人たちはそんな中、銃士隊が仮宿舎としている宿で目を覚ました。いつもならみんな寝ている時間でも、軍人の朝は早い。「起床」の合図で強制的に叩き起こされて、有無を言わさず布団をあげさせられて、屋上での体操に参加させられる。

「うー、まだ眠いのに……」

 そう言いながらも、サボるとアニエスにどやされるので才人やルイズは見よう見まねで体を動かした。

 才人やルイズは寝ぼけ顔、ウェストウッドで子供たちの朝食を作っていたティファニアは平気なようだが、ルクシャナもさすがに眠そうだ。いくら街中の宿が埋まっているからって、ここを頼ったのは失敗だったかもしれない。なお魔法学院のとっている宿に戻らなかったのは、まだルクシャナやティファニアを衆目にさらすのは早いと判断したからである。昨日遊び歩いているうちに、ギーシュたちとも再会したが、ヴァリエール家の親戚筋とで忙しいとかごまかした。

「あーっ、疲れた」

「お母さまに連れられていった、深山の教会への巡礼以来ね。はぁー、暑いわ」

 真冬だというのに、終われば汗びっしょりである。けれどひととおり体を動かしたら朝食の時間が待っていた。食堂に集合して、セルフサービス方式でメニューをとり、長テーブルに座る。こういうところは地球の安ホテルとあまり変わりなく、才人には慣れ親しみやかった。

 逆にそわそわして落ち着かないのがルクシャナだった。女だけの軍隊である銃士隊に興味を持って、近場の隊員たちにあれこれと質問をしたりしている。才人たちは最初止めようと思ったが、ふとした思い付きから、おのぼりさんということにすれば多少の奇行も問題ないので今はほってある。

 やがて全員が席につくと、アニエスが音頭をとって祈りの言葉が唱和された。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝も我らにささやかな糧を与えたことを感謝いたします」

 そうしてようやく穏やかな時間が訪れ、才人たちも食事をほうばりはじめた。魔法学院の食堂と違い、ほんとうにささやかな糧ではあったものの、体操で体を目覚めさせていたから驚くほどすいすい食べられる。才人は夏休みのラジオ体操の後の朝食が、妙にうまかったときのことを思い出した。

 と、そこへアニエスとミシェルが才人の隣の席の隊員をどけて座ってきた。

「おはよう。よく眠れたかサイト?」

「おはようございます。おかげさまで、健康的な目覚めをさせてもらいました」

 くたびれた様子を見て、皮肉げにあいさつをしてくるアニエスに、才人は無難なレベルで返事をした。それから、昨晩は急に押しかけて泊めてくれてありがとうございますと、ルイズたちといっしょに礼を述べ、そのまま食事に戻った。

「昨日は大変だったようだな。私はちょうど出張っていたが、夜間巡回中の隊員が、夜風にさらされてるお前たちを見つけたときは仰天したと言っていたぞ」

「あははは……いやあ、ほんと助かったぜ。調子に乗って夜店めぐってたら、いつの間にか開いてる宿が全滅だもんな。たまたま気づいてもらえなかったら、最悪寒空の下で野宿するはめになるとこだった」

 才人はばつが悪そうに頭をかいた。ティファニアに人間の街を案内するつもりではりきっていたら、あっというまにとんでもない時間になってしまっていた。ルイズのおかげで金にだけは不自由しなくても、泊まるところがなくてはしょうがない。もっとも調子に乗っていたのはルイズとルクシャナも同じで、才人を笑えない。

 行儀よく食事をとっているティファニア以外は、まともにアニエスの顔を見れない。アニエスはそんな彼らを見て、やれやれと笑うとバターを塗りつけたパンをかじった。

「それにしても、しばらく学院からも離れていたらしいが、どこへ行っていたのだ?」

「えっ? あ、それは」

「サイト!」

 答えようとした才人は、横からルイズにフォークでつつかれた。旅の内容は、まだアンリエッタ以外には秘密なのだ。そのことを思い出さされた才人は口ごもり、顔色が面白いように変化する。が、アニエスにはそれだけで充分だった。

「まあお前たちのことだから、大方私たちには想像もつかないような大冒険でもしてきたんだろう。またぞろ、世界でも救ってきたんじゃないか?」

 当たってる……と、才人とルイズは心の中で拍手した。さすがは銃士隊の隊長だけはあり、たいした洞察力だ。というよりも、アニエスも日常に怪事件が起きる環境に慣れてきている証拠か。それだけこの世界が、頻繁に危機に見舞われるように変わってしまったんだろう。

 アニエスは才人たちの顔色からほしいだけの情報を得ると、貝とじゃがいものスープをスプーンですくった。

「まあいいさ。お前たちのやることにいちいち首を突っ込んでいたら、驚きすぎてこちらの神経が持たん。ところで、そちらのお二人は初見だが」

 視線を向けられたティファニアは赤面し、ルクシャナはなにげなげに見返した。

「あっ、は、はじめまして。ティファニアと申します。サイトさんとルイズさんとは、その、お友達で」

「ルクシャナよ。魔法アカデミーで、客員研究員をしてるわ」

 対照的な自己紹介で、アニエスはとりあえず二人の人となりをだいたい理解した。魔法学院の生徒や自分たちも含めて、才人の交友関係は相当に広いが、また個性的な友人を増やしたなと思う。この様子では、ミス・ヴァリエールも安穏とはしていられないのではないか。まあ、心配してやる義理はないが。

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランだ。二人ともトリステインの人間ではないようだが、少なくともこの国では我々がお前たちの安全の保証はする。ただし、ろくでもない騒ぎは起こすなよ」

「は、はい!」

「はーい」

 ティファニアはアニエスの睨みに恐縮し、ルクシャナは右から左に聞き流した。アニエスはその態度で、もしもトラブルを起こすとしたら、十中八九ルクシャナのほうだと確信した。初見でなめられてはなるまいと、睨みつけてみるものの、やはりルクシャナは涼しい顔。むしろルクシャナとアニエスの中間にいるティファニアがおびえてしまっている。見かねてアニエスの反対隣から声がかけられた。

「姉さん、もうそのくらいにしておいてあげましょう。ティファニアさん、もらわれてきた子犬みたいになってますよ」

「ん? そうか、すまなかった。どうも私は周りへの配慮がいまいち欠けるな。悪いな、ミシェル」

 ティファニアの表情にようやく気づいたアニエスは、まずティファニアに謝罪して、それからミシェルにわびた。ミシェルは、そんな自分の厳しさをもてあましているよう姉を穏やかに見つめる。

「いいですよ。そのくらいの迫力がないと、銃士隊の隊長なんかはつとまりません。すみませんティファニアさん、これも職務柄の勤めですので」

「い、いえお気になさらずに……ありがとうございました。あの、あなたは?」

「ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン、銃士隊の副隊長です。アニエス隊長とは、義理の姉妹になります。よろしくお願いしますね、ティファニアさん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ティファニアはミシェルに頭を下げて、穏やかで優しそうな人だとほっとした。けれど、ほんの数ヶ月前ならばその評価は百八十度違っていたのは疑いない。ミシェルも自分と同じように、狂わされた運命から立ち直った一人だとティファニアはまだ知らないが、人間の世界で生きていくことに、また少し希望を強くした。

「お二人は義姉妹なんですか。そういえば、どことなく雰囲気が似てらっしゃいますね」

「ありがとう。でも、私たちも初めて会ったときはまったく違った方向を向いてました。けど、今では姉さんをはじめ、仲間たちとは強い絆を感じられています。銃士隊は私にとって、家であり家族のようなものなんですよ」

「すばらしいことですね。私も戦争で孤児になった子供たちを引き取っていますが、本当に救われてるのはむしろわたしのほうです。彼らがいなかったら、わたしは生きていられたかどうか。だからなんとなくわかります、ミシェルさん、とても幸せなんですね」

 するとミシェルは、心からうれしそうな笑みを浮かべた。

「ああ、幸せだ。だから、私を救ってくれたみんなに少しでも恩返ししようとがんばっている。姉さんからもらったミランという名前も、私の誇りだ。ちなみに、サイトのフルネームは、サイト・ヒラガ・ミランというのだが、知っていたか?」

 は? と、ティファニアはきょとんとした顔をした。が、脳が再稼動をはじめて、言葉の内容が吟味されると、とたんにすっとんきょうな声をあげた。

「ええっ! もしかしてお二人ってサイトさんのお姉さんなんですか!」

 ご名答とばかりにアニエスとミシェルは首をふった。才人は照れくさそうに頭をかく。

「よしてくれよ、ね、姉さん。恥ずかしいから黙ってたのに、ったく」

「照れるな。わたしたちとしても、お前と名前を共有できているのはうれしいんだ。ティファニアさん、よかったら私たちとサイトのなれそめでも語ろうか」

「だから、こっ恥ずかしいからやめてくれって!」

 才人は顔を真っ赤にして叫び、アニエスとミシェルはおもしろそうに笑った。でも、会ってすぐのころは二人ともとても堅苦しくて、めったにこんな笑顔は見せてくれなかった。才人は、多少からかわれても、この二人と消えない絆がつながっていることを誇らしく思っているのだった。

「ところでサイト、お前たちは今日はなにか予定は立ってるのか?」

 唐突にミシェルに尋ねられ、才人はそういえばとルイズと顔を見合わせた。

「ルイズ、今日はどうする?」

「そうね。姫さ……いえ、呼び出しが来るまではこれといってすることもないし……暇といったら暇ね」

 アンリエッタがいつ時間をとってくれるかは、まったく不明だと言わざるを得ない。というよりも、どう予定をいじったとしても昼間のうちは絶対に無理だろう。すると、最低でも日暮れまでは完全に時間が浮いてしまうことになる。アニエスとミシェルはそれを聞くと、ぶらぶらするくらいならとひとつの提案をしてきた。

「だったらサイト、よかったらまた銃士隊の仕事を手伝ってくれないか?」

「え? でもおれは……」

 世間に不慣れなティファニアのそばにいてやらなければならないし、ルイズをほっておくこともできない。まして以前に共に戦ったときと違い、ガンダールヴの力を失った現在はほとんど力になれないと才人は思った。けれどアニエスは大丈夫だというように手を振った。

「心配するな。そんな難しいことじゃなくて、一般客に混じってすりや置き引きを監視するだけだ。見つけたら捕縛は我々がやる。私は指揮のためにここを動けんが、ミシェルの部隊はなにせこの人の山だ、手よりも目のほうが欲しくてな。間食くらいは出してやるぞ」

 見ると、アニエスはいつもの軽装姿だが、ミシェルは中流の平民がよそ行きに着るような、白いワンピースに似たドレスを着ている。才人は平民にまじっての捜査だと聞かされて納得すると同時に、服装が変わるだけでけっこう変わるものだと感心した。

「へえ、よく似合ってますよ」

「そ、そうかな? あまり目立たないように、地味めのを選んだんだけど」

「いや、下手にけばけばしい服なんかよりも、なにかなあ……清楚さがただよってきて、きれいですよ」

「サ、サイト! そんな……その、ありがとう」

 才人は単純な性格だが、それゆえに嘘が下手だ。おせじがまったく混じっていない言葉でほめられて、ミシェルは不器用だがうれしそうに笑い、アニエスは幸せそうな妹のために一肌脱いでやろうと思った。

「そういうわけだ。お前は銃士隊全員と面識があるから、助っ人にはちょうどいい。斬りあいばかりが任務じゃないぞ、お前も経験を積む上でもいい機会だと思うが?」

「そういうことでしたら……いいかな? ルイズ」

「ふーん、まあ時間を無為にするのもなんだし、宿の借りもあるしねえ。わたしはテファと別のところをめぐってるわ。じゃあアニエス、遠慮はいらないから存分にこきつかってやって」

「あっ! こいつ!」

 ニヤリと笑って許可を出したルイズの目を見て、才人は自分たちだけ楽しむ気かと腹を立てたが、すでに手伝うと言ってしまった手前取り消すわけにはいかなかった。そういえばこいつは可憐な見た目に反して、完全に男を尻に敷くタイプだった。しかしその一言でルイズ以上に、なぜかアニエスがしたり顔をした。

「そうか、サイトを一日貸してくれるのか。ミス・ヴァリエール、感謝するが、まさか貴族に二言はあるまいな?」

「は? ヴァリエール家の人間が一度した約束を取り違えるようなことはないわ。始祖の名に誓ってもいいわよ」

 ルイズは胸を張ってきっぱりと宣言した。その風格たるや堂々たるものだが、次の瞬間凍りついた。

「いや、始祖ブリミルの名に誓っていただけるなら安心だ。これで遠慮なくサイトを借りられる。そういうわけだ、ミシェル、日暮れまでサイトとペアを組んで任務に当たれ、なんなら日が暮れても帰ってこなくてもいいぞ」

「んなっ!?」

 ルイズは青くなり、ミシェルは正反対に赤くなった。その光景を見て、ルクシャナは目を細めて「ふーん」と、これまでとは違う意味で興味深そうな表情を浮かべた。彼女も初心ではない、母国に恋人を待たせている身なので、そこのところの事情はよくわかる。

「なーるほど、あの金髪のお姉さんなかなかやり手ね」

「えっえっ!? なにがどういうことなんですか?」

「まあ見てなさいって、下手に見聞を広げるより、将来きっと役に立つわよ」

 とまどっているティファニアに小声で言うと、ルクシャナはワインをくいっと飲んで笑みを浮かべた。そうしているうちに、ルイズは椅子が倒れるほど激しく席を立って、アニエスに抗議している。内容は言うに及ばず、サイトとミシェルのデート……ではなく、任務に文句をつけているのだが、形勢は圧倒的にアニエスが有利だった。

「ミス・ヴァリエール、言いがかりをつけてもらっては困るな。サイトを貸してくれると明言したのはあなただろう? ならば、彼をどう使おうと指揮官たる私の自由ではないか」

「ぐっ! で、でもその……なんでその女とペアなのよ。ほかにいくらでも隊員はいるじゃない!」

「サイトはあくまで臨時の隊員だからな。一番腕が立つものをパートナーにするのは当然。それに最近、お前が連れまわしてばかりでミシェルはサイトと会う機会がなかったからな。妹のために、多少姉なりの気遣いをしてみた」

「それって職権濫用じゃない! 許されると思ってるの!?」

「そうかな? 隊員の精神面の配慮をするのも隊長の職務ではないか。嫌か? ミシェル」

「い、いえそんな……私としてはその……でも、私が一日開けると、隊の運営に支障が出るのでは」

「ふむ。では、こうしよう。おーいみんな! サイトとミシェルで今日の見回りに行ってもらおうと思うのだが、反対の者はいるか?」

 アニエスが食堂にいる隊員全員に向かって呼びかけると、即座に全員から反応が来た。内容は満場一致で一言。

「ありませーん!」

 銃士隊全員が、白い歯を見せてにこやかに笑っていた。銃士隊の仲間意識は強い、増して敬愛する副長の幸せのためなら団結力もひとしおだ。ルイズは完全に返す言葉を失って四面楚歌。才人はどっちの味方をしていいかわからない。

 こうしてルイズは自分で言った台詞で自縄自縛となり、才人を貸し出さざるを得なくなってしまった。

 その後、ほとんど強制的に隊員たちに引き出された才人は、いつものパーカー姿から平民の服に着替えさせられた。この格好でミシェルと並ぶと、本当に恋人同士に見える。アニエスはそんな二人を送り出すにあたって、ルイズとの間に隊員たちでバリケードを作らせて、気兼ねなく出かけられるようにした。

「うむ、二人ともよく似合っているぞ。サイト、ミシェルをよろしくな。西口に、新しい劇団のテントができてるそうだから行ってみるといい」

「あのー……おれは仕事を手伝うんじゃなかったんでしょうか?」

「こらこら、ここまで来て無粋なことを言うな。せっかくみんなが気を使ってるんだから、たまには姉孝行でもしてこい。この娘の気持ちは知ってるだろう? いまさら朴念仁のふりしてごまかそうとしても、そうはいかないから覚えておけ」

「は、はい」

 無駄だろうと思って意見具申してみたら、やっぱり無駄だった。それにしても、こういう女子グループっているよなと、才人は地球で学校に通っていたころを思い出した。小中高と一貫して、クラスの異性をくっつけようとおせっかいを働く女子グループは必ずいたものだ。そのときは、自分はクラスの中でもてる男子ではなかったから、蚊帳の外から眺めているだけだったが、まさか巻き込まれることになるとは夢にも思わなかった。

 弱ったなあ、おれはルイズ一途だと誓ったのにと、才人は悩んだ。あれよあれよという間に状況に流されてしまったけれども、ルイズに好きと告白したときの気持ちは忘れていない。ルイズを裏切るつもりはないと、ミシェルにもきちんと言ったけれど、周りがはやしたてる今の状況じゃどうしたものか。第一こんな強引なやり方ではミシェルも困るだろう。才人がそう思ったとき、ミシェルが顔を伏せたままで手を伸ばしてきた。

「ミシェルさ……姉さん?」

「サイト……て、てて……手をつないでくれないか」

「え?」

「し、仕事の話だ! 賊を油断させるなら、こ、恋人同士のほうがいいだろう。だから、ほら!」

 無理矢理任務とこじつけて、ミシェルは才人の手を握ってきた。すると、二人の距離が否が応でも近くなり、互いの顔がそばになる。才人の目に、自分と背丈がほとんど同じで、三、四ばかり年上の義姉の横顔が入る。うつむき加減で唇を強くつむいでおり、藍色の瞳はうるんで頬は赤く染まって、とても小さく儚げに見えた。

”か、かわいいっ!”

 心臓がありえないリズムを奏でて、過剰な血流が体温を一気に上昇させた。なんだ、この理性を超えて本能に直接訴えかけてくる感じは? うるんだ瞳など、まるで捨てられた子犬がダンボール箱の中から見上げてくるような抵抗しがたさを感じる。そうだ、ルイズを部屋の中を縦横に飛び回る子猫としたら、ミシェルのそれは甘えさせてほしいとすりよってくる子犬の魅力だ。

 これは応えなくては男じゃない。つかルイズごめん。今回だけはぶっとばされても文句は言いません。

 心の中で決意と謝罪と覚悟を述べて、才人はミシェルの手を握り返した。

「じ、じゃあとりあえず巡回に出かけましょうか」

「う、うん……」

 手をつなぎあったまま、仮称恋人同士の二人は街の雑踏に向かって歩き出した。

 アニエスと銃士隊の一同は、手を振って二人を見送る。隊内にはすでに既婚者や婚約者がいるものもいるために、娘がもらわれていくのを見送る母親のような心境の隊員もいた。もちろんアニエスもうまくいくように祈っている。そのとき、ようやく人の壁を突破したルイズが飛び出てきた。

「ぷはぁっ! はあ、はぁ、サ、サイトは!?」

「ん? 一足遅かったな。二人とも、もうとっくに出かけたぞ」

「な、なんですってぇ! ア、アニエス、あなたたちよくもやってくれたわねぇ! 人の使い魔に手を出して、ただですむと思ってるんじゃないでしょうねえ!」

 怒髪天を突くといった描写がぴったりの、鬼神ルイズの杖が魔力のスパークを帯びる。今のルイズの精神状態でエクスプロージョンを放てば、この宿くらい跡形も無く消し飛んでしまうだろう。

 だがアニエスは平然たるものだった。自らに恋愛経験はなくとも、人心を透かし見る洞察力はミシェルのような悲劇が二度と起きないように鍛えてきた。才人がかっさらわれたこの期に及んでも、恋人とは呼ばずに、照れて使い魔と表現してしまうようでは、惰眠のソファーから蹴落とされても仕方が無い。

「いいのかな、こんなところで時間を無駄にしてしまっていて? ラ・ロシェールは意外と広いぞ。こうしているうちにもふたりはどんどん遠くに行ってしまう。連れ込み宿も何百件とあるから、見失ったら探せまい」

「ぐ、ぐっ……お、覚えてなさいよぉー!!」

 個性の無い捨て台詞を残し、ルイズは全速力で雑踏に飛び込んでいった。

 アニエスたちは、土地勘のない者がどこまで探せるかなと、内心でかなり意地の悪い笑みを浮かべて見送る。そして、騒がしいのがいなくなると、アニエスは心の衣装を銃士隊隊長のものへと戻した。

「さて、それでは我々は通常の任務に戻るぞ。一番隊から三番隊は王家の宿泊する宿の警護。四番隊と五番隊は交通整理だ」

 矢継ぎ早に命令を出し、隊員たちは指示を受けると敬礼して受け入れていく。そしてあらかたの命令を出したところで、少しだけ相貌を崩した。

「八番隊は昨日の続きで私服警戒に当たれ。ただし、言わなくてもわかってるな?」

「わかってますよ。サイトたちに先回りして、邪魔になりそうなものを排除しておくんですね。それと、ミス・ヴァリエールの足止めをしておくと」

 もはや隊内全員公私混同もいいところだが、これで公務に支障が出ないところが彼女たちのすごいところだろう。

 ただ、解散を言いつけようとしたとき、アニエスに言いづらそうな感じで一人の隊員が進言してきた。

「あの隊長、今日はあのお方がやってくるために、私たちにも警護に参加するように命令が下っておりましたが、いかがいたしましょうか?」

「そうか……そうだったな。間が悪いが、こればかりは手を抜くわけにもいかんしな。仕方ない、待機予定の隊は予定を変更して、出迎えの式典に参加することにする。私も出よう、後の指揮はアメリーにまかせる。以上、解散!」

「はっ!」

 隊員たちは一糸乱れぬ敬礼をとると、次の瞬間にはいっせいに自分の任務に向かって駆けていった。

 一方で、そんな一連の流れを理解できずに、目を白黒させていたティファニアはルクシャナに尋ねた。

「あの、わたしずっと森の中にいたから世間のことにうとくて、ルイズさんはなんで怒っていたんですか?」

「ん? それはあれよ。肉をくわえて喜んでた犬が、いつまでも食べないままでいたから横取りされかかって焦ってるの。どっちも若いわよねえ。それにしても、貴族の娘が従者の平民を義理の姉とめぐって争うか……うふふ、これはまた願っても無い観察対象ができたわ。わたしたちも行くわよ。こんなおもしろそうなもの、見逃してなるものですか!」

 観察の意味が学者のそれとかなりずれているようではあるものの、ルクシャナも女性であったということか。エルフの二人組は、人間の女性とまったく変わらない好奇心を胸にして、後を追っていった。

 

 それからのサイトとミシェルの行動は、見るものが見れば呆れ、またはじれったく思ったか、もしかしたら爆笑したかもしれないような事柄の連続であった。

 まずは、渓谷地帯を下りたところにある開けた台地。そこではアンリエッタとウェールズのロマンスをテーマにした舞台劇(ほとんどが推測にもとずく創作である)が、大勢の観客を入れて上演されていた。もっとも、二人とも恋愛歌劇などまったく趣味でないのだが、出発前に狙いのスポットを仲間から吹き込まれていたミシェルが勇気を振り絞ったのだ。

「サ、サイト……ここ、今すごく人気があるんだってさ。よ、よかったら」

「う、うん。じゃ……」

 二人とも、人生でこれ以上なかったほどに緊張していた。ミシェルは男性と二人連れ立って出かけるなんて初めてだったし、才人はルイズと出かけた経験はあるものの、他に用事があったりとなんたりでデートという雰囲気ではなかった。今回は明白に自分に好意を向けてくれている女性であり、それも飛びぬきの美人だ。地球でのほほんと高校生をしているときにこんなシチュエーションを考えたら、「平賀、頭を冷やして鏡を見てみろ」と、クラスメイトに同情じみた目で諭されることは疑いない。

 劇団のテントの中は真っ暗で、わずかなランプが幻想的な雰囲気をかもしだしていた。

 手をつなぎあったまま並んで座り、歌劇が始まる。

「おおアンリエッタ、君はなんと美しい! まるで水の精霊が僕の前に姿を現したようだよ」

「愛しのウェールズさま、あなたさまの軍神のごとき勇敢な戦いぶりに、わたくしはいつも胸を熱くしておりました。ウェールズさまが声をあげれば兵は震え、正義の杖を振るえば凶悪なるレコン・キスタは逃げ散りましょう。どうかそのたくましい腕でわたくしを抱きしめ、お守りくださいまし」

 歌劇独特の大げさな台詞が飛び交い、ウェールズに扮した男優とアンリエッタに扮した女優が演技をかわす。彼らの一挙手一投足のたびに観客の女性から黄色い歓声が飛び、男女が愛をかわす言葉があちこちから聞こえる。よく見れば、どこもかしこもカップルばかりだ。

 なんか、とんでもない場所に入っちまったと、才人は軽率な行動を後悔したがもう遅い。あきらめて、歯の浮くような台詞と、見ているほうが恥ずかしくなる演技に集中する。いつもなら眠くなるところだが、今回はそうはいかない。

「い、いやあ、なんかひどいシナリオだよな。あんなの全然姫さまたちと似てねえよ」

「そ、そうだよな。でも、サイトはあんなふうに誰かと、その……愛し合ってみたいと、お、思わないのか?」

 姉さんそれは反則だ! と、才人は思った。そんなことを言われたら、男優と女優の姿に自分たちを重ねて見てしまって、彼らが言葉をかわし、体を触れ合わせるごとに強く意識してしまう。

”どうしよう……こんなとき、いったいどうすればいいんだ?”

 才人は召喚される前に、興味本位で登録していた出会い系サイトで使おうと思っていた男性向け雑誌の項目を必死で思い出そうとした。とにかく何もしないでいるのだけはまずい。ルイズにまずいのはすでにあきらめているが、男として情けない。

 こんなとき、GUYS JAPAN一の色男であるイカルガ・ジョージならば適切なアドバイスもしてくれるのだろうけど、あいにく才人のテレパシーは地球までは届かない。思い余った才人は、ままよ! と、直接的な行動に出た。体を横に傾けて手を伸ばし、ミシェルの肩を抱いたのだった。

「……っ」

「ん……」

 一瞬自分のやったことを後悔した才人は、ミシェルがそのまま自分に寄りかかってきたことで脳を沸騰させた。夢なら覚めてくれ、いや覚めないでくれ……すぐ後ろの席でルクシャナが必死で笑いをかみ殺しているのを、二人とも知る由も無い。

 そして劇は流れていよいよクライマックス。レコン・キスタとの戦争が終わり、二人がラグドリアンの湖畔で愛をかわすシーン。二人が平和の歌を歌い、抱きしめあい、そして顔を寄せ合って……

 歌劇が終わってしばらく……二人は席から立つことができなかった。

 劇団のテントを後に、ふらついた足取りで二人はまた街に出る。

「こ、今度はもう少し気楽なとこに行きましょうか……」

「う、うん、そうだな」

 常ならば何も感じないものの、今の二人にとっては刺激が強すぎた。

 男と女はあんなふうに愛し合うのか……他人事のときは笑うなり、またはじれったく思うなりしていたが、自分のこととなるとこんなに大変だとは思わなかった。こんななら、まだ一日中剣を振り回しているほうが楽だ。楽だけれども……なぜか早く終わってくれとは思わない自分がいる。

 

 いろんなことを考えたくないのに考えつつ、次に二人が向かったのは飲食店街だった。

「そろそろ腹減ったし、どっか入りましょうか」

「そうだな。さて、どこかすいてるところはと……」

 歌劇がけっこう長かったので、いつの間にか時間は昼になっていた。食べ物屋はすでに満席の店も多く、ガリアやゲルマニア風の料理を出す店もちらほら見える。空腹のおかげで心の動揺もいくぶんか収まった二人は、適当な店を探し歩いて、一件のこしゃれたカフェらしき店に入った。

 と、思ったら……

「いらっしゃぁーい! あらん、これはどこかで見た殿方とお嬢さまぁん」

「ぎゃあああっ! ス、スカロン店長ぉぉっ!?」

 あまり脳内に記憶容量を持たせたくない、よく知ったオカマが現れて才人は絶叫した。

 なに? なんでこんなところに店長が? よく見たら店内にはジェシカや魅惑の妖精亭の女の子たちの顔も見える。あまりの衝撃に頭が白紙に近くなっている二人に、スカロンは例によってくねくねしながら説明した。

「うふん。なによりもめでたい姫殿下のご婚礼に、王家ゆかりの魅惑の妖精亭が不参加なんていけないでしょ? でもね、抽選で残念ながらお昼のお店の場所しかとれなかったの。だから思い切って、この機会に流行のカッフェなるものを、うちでも試してみようってことになってね」

「はぁ、なるほど……そういえばジェシカたちもいつもと違って地味な衣装っすね」

「地味とはなによ。まぁ、いつもに比べたら露出は少ないけど、真昼間からアレはできないしね。でも、料理の味はいつもと変わらないわよ。さっ、こんなとこで会ったのもなにかの縁だから入った入った」

 二人が深く考える前に、ジェシカは二人をテーブルに案内した。むろん、知らん顔をしているが、スカロンたちはことの事情を知っている。先回りをしていた八番隊の隊員が事情を説明して、お膳立てしてくれるように頼んだのだ。スカロンたちの答えは二つ返事でYes、元々こういうことは大好きな連中な上に、お得意様の頼みとあっては断る道理が無い。

 通された席で、才人たちはさっそくジェシカから注文を受けされられた。

「んじゃ、何にする? 今日はめでたいし、私がおごっちゃうよ」

「じゃあ適当に見繕ってくれよ。とにかく腹減ったから肉が食いたい」

 やけくそ気味に才人は頼んだ。こんなところまで来て知り合いに出会うとは、案外世の中は狭いものだが、とにかく空腹は耐えがたい。ところが、注文を受けたジェシカは困ったようにうなった。

「んー、悪いけど肉は今のとこ切らしててね。ちょーっと、買出しに出たバイトがヘマやっちゃって」

 ジェシカはフォークで奥の厨房を指した。するとそこで繰り広げられていた世にも珍妙な光景に、才人とミシェルは目を丸くすることになった。拾われバイトの例の三人、カマ、ウド、ドルが、なにやら大きなトカゲのような生き物とドタバタと格闘していたのである。

「あいてていてて! いやん、あたしの髪が、ヘアーが台無しよ!」

「こらこの、おとなしくしろ!」

「おのれトカゲの分際で生意気な! わーっ! 尻に、尻に噛み付いたぁーっ!」

 なんだありゃと、呆然としてバカ騒ぎを見守っていた二人に、ジェシカが苦笑いしながら説明してくれた。

「肉の買出しを頼んだら、なにをどうだまされたのか、あんな生き物買わされてきてね。返品に行ったらもういないし、かといって見た目的に食えたもんじゃないし、捨てたらよそさまに迷惑がかかるし。こらあんたたち! こうなったらてなづけられるまでそいつの食費は給料からさっぴくから、しっかり面倒みなさいよ!」

「はいぃ!」

 三バカはいまでも三バカのようだ。はてさて、低賃のバイトがペットなど飼えるのだろうか?

「さて、バカ騒ぎは置いておいて、注文はどうする? 特にないんだったら私で見繕うよ」

「じゃあそれで、もう腹減った」

「まいど! それじゃオーダーはいりまーす! 本日一番のスペシャルメニューね」

「スペシャル?」

 なにやら意味ありげなオーダーとともにジェシカが去っていくと、才人とミシェルは何か嫌な予感がして顔を見合わせた。

 そうして数分後、悪い予感は見事なまでに的中した。

「おまちどぉさまー、ごゆっくりねー」

「ジェシカ……お前ら絶対確信犯だろ」

 並べられた料理を見て、才人はこの店に入ったことを後悔した。もっとも、二人がこの店に入ることも八番隊が周囲の人波を操作したのが原因なのだが、今の二人にそこまで考える余裕はない。あるメニューを指差して、ミシェルがやや引きつりながら言った。

「サイト、これって……」

「確かに、前に男女の連れ合いを呼び込むようなメニューがないかって聞かれたけどさ。よりによってこれはねえだろ……」

 かつての自分の軽率さを、才人は大いに反省した。酒の勢いもあったとはいえ、あんなことを言うんじゃなかった。日本で男女のペアがデートのときの定番といって、才人が連想したもの。メニューとしてはどこにでもある、ただのグラスに入ったワインである。しかし、ストローが一本だけ伸びており、それが二股に分かれている。要するに、両側からカップルで同時に吸わないと飲めない、あの飲料である。

 才人はいったいどこのバカップルだよ、と、顔から火が出そうな恥ずかしさを覚えた。しかし、料理を蹴って店を出ることもできない。才人はルイズの使い魔時代に粗末なものばかり食べさせられてきた習慣、ミシェルは囚われの身であったときの経験で、食べ物を残すことができないよう体に染み付いてしまっていた。

「と、とにかくいただこうか」

「そうですね。もったいないから、もったいないから……」

 二人とも涙目になりかかっている。怨念のこもった視線を犯人たちに投げかけてやりたいが、スカロンやジェシカがどんな顔をしてこっちを見ているかと思うと、それもできない。なお、店の窓の外ではティファニアが赤面し、ルクシャナが腹を抱えて爆笑していた。

 結局、どうにか残さずに料理を完食して店を出たとき、スカロンとジェシカの「また来てねー」という送り文句に、二人は「この恨み、いつか晴らす」と、空腹のときよりげっそりした様子で思っていた。

 

 そうして三番目に二人がやってきたのは、様々な露店が軒を並べている商店街であった。

 ガリア、アルビオン、ゲルマニアにロマリア、その他の地方や東方からの珍しい品物を売っている店もある。見渡せば、街道の左右のすきまというすきまは商人たちで占拠され、行き来する人々に声をかけている。

 よかった、ここでなら恥ずかしいこともなさそうだ。才人はやっと安心して胸をなでおろした。

 気を楽にした二人は、店店の商品をチラチラと見ながら、のんびりと歩いた。そろそろ慣れてきたので自然と腕組をしながらゆく二人は、あれこれと談笑しながら楽しそうにゆく。

「やれやれ、あの二人、ようやくいっぱしの恋人同士に見えるようになってきたわね」

 陰から見守るルクシャナや八番隊の隊員たちは、苦笑しながらも成果が上がってきていることに満足してうなづいた。ここでもあらかじめすりや痴漢の類は縛り上げて、縄張り争いする商店や不法操業の商人は叩き出しておいてあるから邪魔になる奴はいないはずだ。ルイズは別働隊が反対方向におびき出してある。気の毒な気もするが、これもサイトと副長の幸せのため、あの世間知らずのお嬢様より副長のほうが絶対いいお嫁さんになれる。

 外野がそんな身勝手なことを祈ってるうちに、二人はとあるアクセサリー屋の前で止まった。

「あっ、宝石も売ってるんだ。見てきませんか?」

「え? うん……」

 意外にも最初に目をつけたのは才人のほうだった。ミシェルは才人が宝石なんかに興味があるとはと、ちょっと驚きながらいっしょに覗き込む。けれど、才人は宝石そのものに興味があったわけではなかった。

「ダイヤにルビーに真珠……まあ露天商だからイミテーションだろうけど、こんだけあったら、みるもんが見たらよだれを垂らして襲ってくるだろうなあ」

 露天商が首をかしげている才人の台詞には意味がある。実は宝石は怪獣のエサとなることが多いのである。一九六四年に出現した宇宙怪獣はダイヤを捕食していたというし、真珠養殖を全滅させたガマクジラや、エサの宝石を追ってはるばるエジプトからきたジレンマなどがいるのだ。

 と、そうして才人が場違いな空想にふけっていると、露天商が才人に声をかけた。

「おやお兄さん、若い男が宝石に見とれるだけだなんてもったいない。せっかくこんなおきれいな彼女がいらっしゃるんだ。プレゼントのひとつもするのが男の甲斐性ってもんですぜ」

 商人の一言に、才人はどきりとし、ミシェルはそれ以上に赤面した。

「い、いやいやいや、いいって! 私みたいな無骨な女にアクセサリーなんてもったいない!」

「いや、そんなことはないですって! 自虐なんかしなくても、えっと、その……親父、ここにあるやついくらだ!?」

「はいはい、お安くしておきますよ。ここにあるやつなら、どれでも一個四十五スゥでございます」

 宝石にしてはずいぶん安い。やっぱりニセモノじゃねえかと内心で悪態をつきつつ、才人はポケットをまさぐった。めったに買い物をしたりはしないが、もしものための予備銭としていくらかは持ち歩いている。取り出した銀貨と銅貨を数えてみると、ギリギリ足りそうであった。

「じゃあ親父、これでひとつ選ばせてもらうけどいいかな?」

「はいはい、毎度ありがとうございます。どれでもお好きなものをどうぞ、どれもよそでは手に入らない掘り出し物でございますよ」

 愛想笑いする店主に銭を渡すと、才人は視線を商品に切り替えた。ミシェルはそんな才人に、「私なんかのために、そんな大金を使うことないのに」と、困惑したように言うが、才人は気楽そうに返す。

「いいですって、おれなんかが金を持っててもろくな使い道はないんだから、有意義な使い道のチャンスを活かさせてください」

「まったく……いいと言ってるのに」

 とはいえ、すねたようなしぐさとは裏腹にミシェルもまんざらでもなさそうだ。才人がどれをプレゼントしてくれるのか、気になって仕方ないように横目でのぞいて来る。

 さて、どれにしたものだろう? あまりけばけばしいのはミシェルの雰囲気に合わないし、例の宝石たちはあまり縁起がよくない。ないと思うが万一怪獣がらみのトラブルに巻き込んだらシャレにもならない。ならば……陳列してある商品の中から、才人はひとつのペンダントを取り上げた。

「どうぞ、似合うと思いますよ」

 ミシェルは才人からペンダントを受け取った。それは銀のロケットに銀の鎖がついた簡素なアクセサリーだった。宝石はひとつもついておらず、ほかの宝石がごてごてついたアクセサリーに比べればかなり地味だ。

 それでも、ミシェルはそのペンダントが気に入った。確かに派手さはないが、よく磨かれた銀が鏡のように光ってきれいであり、なにより才人が自分のために選んでくれたというのがうれしい。首にかけて才人に感想を聞くと、「あははっ。いや、おれの見立てもけっこう捨てたもんじゃないな」など、照れ隠しに遠まわしな言葉が返ってきて、ミシェルは微笑んだ。

「ありがとう。ずっと大事にするよ」

「あっと……ど、どういたしまして」

 ミシェルの胸元で、ペンダントのロケットの部分が才人の間抜け面を映し出している。その中身は今は空っぽだ。けれどいつかはミシェルはそこに誰かの肖像画を入れるのだろうか? それはおれ? それとも別の誰かか? 才人がミシェルの幸せを願う気持ちに嘘はない。ただ、いつかは自分のことを忘れられるときが来るかもと思うと、物悲しい気持ちがしないでもないのだった。

 

 

 続く



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第59話  聖者と死神のはざまに

 第59話

 聖者と死神のはざまに

 

 サイボーグ獣人 ウルフファイヤー 登場!

 

 

 買い物をしたサイトとミシェルは、特に目的地も定めずに気の向くままに散策を楽しんでいた。

「サイト、次は東町のほうに行かないか。ゲルマニアの武器屋が来てるっていうからさ、いい剣が見つかるかもよ」

「姉さん、祭りの日にまで武器見に行かなくてもいいんじゃない?」

「いいじゃないか、どうせ服とか買ったって着る機会なんてほとんどないんだ。今度も似合う剣、選んでくれないか?」

「似合う剣って、どんな剣ですか? 待ってくださいよ。そんな急がなくても、ちゃんと着いていきますってば」

 ミシェルが手を振って才人を呼び、呼ばれた才人は笑いながら、早く早くとせかすミシェルを、楽しそうに追いかける。

 ペンダントを才人からプレゼントされてから、ミシェルの様子は大きく変わった。胸に輝かせたペンダントを大事そうに片手で握り締め、もう片方の手で追いついてきた才人の手を握る様子は、もうどこにでもいる普通の女の子と変わりない。彼女にとっては男性から贈り物をされるなど初めてのことで、新鮮で純粋な喜びに身を任せていた。やや悪意を持って見れば、単に舞い上がっているだけといえないこともないけれど、好きな男性との触れ合いをなにも考えずに楽しむことになんの罪があるだろうか。

 身分や出自には関係なく、ただの男と女としてサイトとミシェルは街を行き、言葉をかわして笑いあう。このころになると、ハラハラしながら見守っていた銃士隊の隊員たちも、ひと段落ついたとほっと胸をなでおろし、反対に面白がっていたルクシャナは退屈そうになっていた。

「普通ね。なにかハプニングでも起きるかと思ったけど、これじゃ観察しても時間の無駄だわ。もういいわ、テファ、私たちも自分たちで遊んできましょ」

 悪意がないぶん余計に性質の悪い覗きは去って、才人とミシェルは子供のように祭りの中をはしゃぎまわった。

 忘れられているルイズにはやや気の毒かもしれないが、油断大敵と思えばいい薬かもしれない。恋路は厳しい上に、ウルトラマンに選ばれる男性には純粋な性格の持ち主が多いから、別世界も合わせれば女性同士で取り合いが生じた例はある。

 はてさて、これからどうなるかは誰にもわからないが、一部始終を才人の背から見守っていたデルフリンガーは、昔を懐かしみながら思っていた。

「やれやれ、ブリミルのやつも不器用だったけど、相棒も負けずに女の扱いはヘタクソだねえ。ま、上っ面だけと違って、本気で好きになったら気持ちは抑えようもねえからな。せいぜいがんばりなよお嬢さん、誰が誰を好きになるなんてもんに、運命なんてねえんだ。本気で幸せをつかみたけりゃ、ありのままでドーンとぶつかるこったぜ」

 それはルイズとミシェル、どちらへのエールだったのか。デルフリンガーは長い生涯の中で、自分を握った者と人生を共有し、同じ数の死別とも向き合ってきた。もう覚えている数も少ないが、その中でどんな形であるにせよ、満足して幸せに人生を閉じた者は、みんな自分の思いと向き合って、やりきるだけやりきった者ばかりだった気がする。

 人に決められた未来などはない。どんな結末を迎えるかは、その人間ひとりひとりしだいなのだ。

 才人とミシェルは、少なくとも今、後悔しないように素の自分でこの時間を楽しんでいる。祭りで賑わうこの街は、どこへ行っても、世界のどこかからはるばる持ってこられた珍しいものが目を楽しませてくれる。今、ラ・ロシェールには世界中のあらゆるものと人が集まっているといってよかった。

 

 ところが突然、街中に鐘の音が鳴り響いたと思ったとき、人の流れが一気に一方向に変わった。みんななにかに追われるように、全速力で走っていく。

「え? なんだ、どうしたんだ?」

「ああそういえば……うっかり忘れていた。サイト、今日は王家の婚礼を祝福しに、ロマリアからヴィットーリオ教皇陛下がいらっしゃるんだよ」

「ヴィットーリオ? 教皇?」

 ハルケギニアの宗教のことまでは、まだ詳しくない才人は怪訝な顔をした。ハルケギニアにも神様がいて、食事のときに毎回ルイズたちが祈りを捧げているから、漠然とそういうものがあることぐらいしか知らない。才人が理解に苦しんでいるのを見たミシェルは、ならばと簡単に説明してくれた。

「まあ、お前はそんな信心深いタイプには見えないな。ブリミル教の教義自体、最近は実践教義が強くなってきていることもあるし、あまり関心なくてもしょうがないか。正式には聖エイジス三十二世といい、始祖ブリミルの弟子フォルサテが開いたロマリア連合皇国の聖下と呼ばれている人物だよ」

「つまりはブリミル教で一番偉い人ってことか」

「ざっといえばそうだ。今でも教皇の権威は、ブリミル教徒たちの間では絶大だからな。これはみんな、祝福のおこぼれに預かろうって連中さ」

 辛辣な言葉を吐くミシェルは、あまり人々の行動に共感してはいないようだった。幼いときから自分だけを頼りに生きてきた彼女には、神頼みをする意識は薄いらしい。もっとも、初詣とお盆とクリスマスを全部する典型的な日本人である才人にも、そうした意識は少なかった。

 もっとも、才人の場合は本物のブリミルを見たことがあるので、敬う気持ちがなくて当然ではある。過去のビジョンで見たブリミルは、どこにでもいる普通の男といった感じで、間違っても信仰の対象となる神々しさとは無縁の人物だった。

「あのさえないお兄さんがねぇ……ま、キリストも釈迦も元々は普通の人間だったんだし、伝説には尾ひれがつくもんか」

 雑踏の騒音にかき消される程度の声で、才人はつぶやいた。宗教にはあまり詳しくないけれど、信じている人にとっては、それは貴重なものだということは理解できる。本物のブリミルのイメージは頭の中に片付けた。

 人々の流れは産卵地を求める鮭にも似て、一方向にとめどない。二人は祝福にも恩恵にも興味はなかったが、どうせ露店の商人もいないので、もののついでに見に行くことにした。広く開けられた街道は左右を人が取り巻いており、人をかきわけるだけでも一苦労だった。

「ふう、まるでワールドカップのパレードだな」

 汗を拭きつつ前に出たとき、ちょうど教皇の行列が前を通るところだった。

 豪奢なオープントップの馬車に乗った、きらめく聖衣を着た二十歳くらいの若い男が手を振っている。あれがヴィットーリオ教皇なのだろうなと才人は思った。端正な要望に、慈愛に満ちた笑顔、なるほど、これならばこの人気もうなづける。

「だが……なんか気にくわねえな」

 誰にも聞こえない声で才人はつぶやいた。確かに見た目の第一印象は最高だ。しかしあの男を見ていると、傲慢に高いところから人間を見下しているような不快感を覚える。美男子に対する嫉妬といってしまえば、それまでかもしれないが……

 ヴィットーリオの背中を見送った才人は、続いてやってくる司祭や司教に目をやった。教皇の華々しさからは数段劣るが、人々に祝福を与えながら歩いてくる。その後ろには彼らの護衛である聖堂騎士団が、全身を鎧兜に覆って、物々しく杖を構えて着いて来た。

「サイト、もう行こう」

「そうですね」

 ミシェルがせかすのに才人も同意した。信じてもいない神の祝福など欲しくもない。そうして、列に背を向けかけたときだった。目の前に来た聖堂騎士の鉄兜の中の顔が、偶然才人の視界に入ってきたのだ。

「っ! あいつは」

「サイト? どうしたんだ」

 尋常じゃない才人の様子に、ミシェルも足を止めて振り返る。誰か知った顔でもいたのか? しかし通り過ぎた聖堂騎士の背中を見つめる才人の口から出たのは、信じられない名前だった。

「ワルド……」

「まさか! そんな」

 ミシェルにも信じられなかった。ワルド……あのトリステインを売って行方をくらましていた卑劣漢が、どうして聖堂騎士などに混ざっているのだ。錯覚か、それとも他人の空似か。いずれにしても、あるはずがない。

「見間違えだろう……聖堂騎士は神にすべてをささげて、長年訓練を重ねたものだけがなれる選ばれた精鋭だ。あの下種がどう間違っても入れる代物じゃない。行こう、なにかここは気分が悪い」

 才人の手を強引に引きつつ、ミシェルは街道を離れた。

 だがその心の内は激しく荒れ狂い始めている。ワルド、かつての自分をさらに黒く塗りこめたような男。己の欲のために人の心を売り飛ばして恥じず、自分とアニエスに深い傷を負わせた宿敵。もしも本当に奴ならば、今度こそ逃がしはしない。

 言い知れぬ不安をぬぐいきれぬまま、才人とミシェルは行列を離れていく。

 

 ヴィットーリオの一行は、そのまま街道で市民に祝福を与えながらゆっくりと進んでいった。

 教皇の行幸というのは、単にその場所に行って祝福の言葉を述べるだけではない。ハルケギニアのほとんどが敬虔なブリミル教徒であるために、彼らと触れ合いを持ち、信仰を広め、強化していくことも重要な目的なのだ。

 ラ・ロシェール中の人間が集まっているのではないのかと思われる人波を、ヴィットーリオは嫌な顔ひとつせずにひとりずつ祈りを捧げて歩き去っていく。あまりの行く足の遅さに、聖堂騎士団が市民たちをどかそうとしたときも、ヴィットーリオは穏やかだが、きっぱりとした声で彼らをいさめた。

「およしなさい。あなた方は神への信仰を示そうとしている人たちの思いを無にするおつもりですか? 我々聖職にある者はすべて、彼らに奉仕するためにいるのです。さあ、彼らをお通ししてあげなさい」

 歓声があがり、人々はひざまずいて教皇聖下の慈悲に感謝を捧げた。これでまた、神のためには命を惜しまぬ聖なる戦士が幾人も生まれたことだろう。そうしたことを何度も繰り返しつつ、ヴィットーリオの一行がアンリエッタとウェールズの待つ聖堂にたどり着いたのは、当初の予定を何時間も上回った夕暮れに近くなったときであった。

「お待ち申しておりました。教皇陛下、わたくしども夫妻のささやかな門出においでいただき、心より感謝いたします」

「はじめまして、アンリエッタ殿。お久しぶりですね、ウェールズ殿」

 出迎えた新婚夫妻に、ヴィットーリオは微笑を浮かべたままであいさつした。

 アンリエッタにとって、聖エイジス三十二世と会うのはこれが初めてであった。彼が教皇に即位したのは、今から三年ほど前。即位式にはハルケギニアの王族が揃って参列するのが慣わしであり、ウェールズはそのときに会っている。けれども運の悪いことに、アンリエッタはその当時流行の風邪を患っていて参列できなかったのだ。

 かつて即位式に出られなかったことをわびるアンリエッタに、ヴィットーリオは表情を変えぬままで手をかざした。

「かまいませぬ。即位式など、ただの儀式です。あなたが、神と始祖の敬虔なしもべであることに変わりはありません。私にはそれで充分なのです」

「ありがたいお言葉、教皇聖下の寛大なるお心に、わたくしは感動を禁じえません」

「頭をお上げください。私は堅苦しいだけのあいさつを好みません。このような場でなければ、ヴィットーリオと簡潔に呼んでもらってもよいくらいです。まあ、そのおかげで本国の神官にはよく叱られていますけれどね」

 まるでいたずら坊主が茶目っ気を出したように、ヴィットーリオは軽く声を出して笑った。アンリエッタは初見ながら、この若い教皇が絶大な支持を受けている理由が、この寛大な包容力にあるのかと思った。まるで慈悲深い神のように、暖かい言葉と誠実そうな輪郭は見るものの心を溶かしてしまう。

 次にヴィットーリオはウェールズに向き合った。

「三年ぶりですねウェールズ殿下。失礼、今は陛下でいらっしゃいましたね」

「はい、聖下におかれましてもお変わりなく。ですが、本来ならトリスタニアにおいでいただくべきところを、このような僻地に行幸をいただいたことには、感謝とともに恥ずかしさを禁じえません」

 トリスタニアにある大聖堂は、アボラス・バニラの二大怪獣が出現した折の嵐による落雷で火災を起こし、半焼していた。もちろんすぐに修復工事が始まったのだが、その途中で経年劣化による柱の腐食も発見され、修復には少なくとも半年はかかるという見積もりが出ていたのだ。

 しかしヴィットーリオはすまなそうにするウェールズに、むしろ自分のほうが悪いように語り掛けた。

「いいえ、わたくしのほうこそ、行幸の途中で村々に寄ったために、何度もそちらの予定を狂わせて申し訳ありませんでした。聖堂の有無などは関係ありません、神の威光の降り注ぐ場所に差別などありませんからね。それよりも、内乱の折は大変でしたでしょうが、よくぞ始祖の血筋と王国を守り通してくださいました。ご結婚、おめでとうございます。神もあなたの献身と努力には祝福を惜しまぬことでしょう」

「いえ、すべては始祖のお導きがあったからこそ、私のような非才の身が若輩ながら王と呼ばれるようになれたのです。本来ならば、この王冠は我が父ジェームズ一世がまだかぶっているべきものです。父を叛徒どもの魔手より救えなかったことは、いまだに後悔に耐えません」

「そのお言葉に、きっと天のお父上も喜んでいることでしょう。しかしながら、人の生き死には神のお決めになることです。その中でどう生きるかで人の価値というものは変わってくるのでしょう。ジェームズ一世殿は、この世での天命を充分に果たされたので天に招かれたのでしょう。あなたのお気持ちは尊いことですが、あまり思いつめてはお父上の人生が無価値なものだったと否定することになりますよ」

 教皇の慈愛に満ちた言葉は、ウェールズの心にも染み入った。隣で聞き入っていたアンリエッタも思わず目じりを押さえて、観衆からも教皇聖下万歳と声があがる。

「さあ、今日はあらゆる凶事も脇にどく、めでたい祭日となるべき日。祝福の儀をはじめましょうかお二方、この日はアルビオンとトリステインの新たな旅立ちとなるだけでなく、ここにいる誰にとっても忘れられないよき日となることでしょう!」

 高らかに宣言したヴィッートリオに続いて、天も震えんばかりの大歓声があがった。ここにいるすべての人間が、清廉なる教皇聖エイジス三十二世の威光をたたえ、歴史の一ページとなる場所に立ち会えることを誇りとしていた。

 

 盛大な婚礼の祝福はそれから数時間に及んだ。日が暮れて後は聖歌に合わせて盛大な花火が打ち上がり、人々はペガサスに乗って飛ぶ新婚夫妻の美しい姿に手を振り、壇上から祝福の言葉を述べる教皇の言葉を一言も聞き逃すまいと聞き入る。

 

 そうして時間は流れて、日付もひとつ進んだ深夜。さすがに夜更かしな人々も、一部を除いて疲れ果てて寝床に入る頃、祝福を受けて正式な夫婦と認められたアンリエッタとウェールズ夫妻は、宿の一室に教皇を招いて、ささやかな感謝の席をもうけていた。

「本日は、御身を我ら夫婦のためにお疲れいただき、ありがとうございました。心ばかりながら歓待のしるしを用意いたしましたので、どうぞごゆるりとおくつろぎください」

「これはお心づくし、感謝いたします。遠慮なく甘えさせていただきましょう」

 華麗な装飾をほどこした応接室に、王族二人と教皇が小さなテーブルを囲んで座った。テーブルの上には簡素な食事と、度数を抑えたワインが並べられている。ブリミル教の教義上、ぜいたくな料理はかえって不敬に値するし、この席は食事よりも会談が目的だからである。

 アンリエッタは、今日は結局ルイズたちを呼ぶ時間を作れなかったわね、と、残念に思いつつも口火をきった。簡単なあいさつと今日の出来事を思い返し、当たり障りの無い世間話で唇を濡らしつつ、式典で疲れた体に少な目のアルコールが心地よくめぐってくる。

 と、そこで半分ほど残ったワイングラスをテーブルに置き、ヴットーリオが真面目な顔に変わった。

「ところでウェールズ殿、アンリエッタ殿、あなた方は昨今のハルケギニアの情勢をどう思われますか?」

「どう……とは?」

 教皇が振った話題に、ウェールズはその真意を探るように即答を避けた。アンリエッタも新婚の妻から、国政を背負う王族の目に立ち代って、教皇の言葉を待つ。

「別に問答をしようと言っているわけではありません。あなた方もご存知でしょう? 今、この世界は始祖の開闢以来最大の危機にさらされています。この式典に集まった人たちの顔は明るく、一見なにも変わらないように見えますが、世界に目を向ければ、異常な事件、崩れゆく自然、暴れまわる未知の怪物たち、そしてその脅威におびえて荒んでいく人々の心……私はそれに心を痛めているのです」

「聖下、聖下もこの世界の異変についてご存知だったのですか?」

「私は先任の教皇方とは違い、この生涯を民のために捧げようと心に決めているつもりです。我がロマリアは世界中のブリミル教徒たちと通じていますから、自然と情報も集まってくるのです」

 ヴィットーリオはそこでいったん言葉を切り、ウェールズとアンリエッタの反応をうかがっているようだった。だが二人は沈黙し、自分からは話そうとしない。ヴィットーリオがどこまで知っているのか? それを確認しなくては、とても話せないような事実を二人とも余るほど抱えていた。

 沈黙の時間が数秒か数十秒続き、ヴィットーリオは立ち上がった。

「私はこう思っています。治める国の大小に関わらず、為政者にとって最大の罪悪は無知と怠惰であると。ですから私は非力な身ながら、信者たちの目や耳を通して情報を集めてきました。アンリエッタ殿、あなたのお国で起きている危機は、この世界で最大のものといえるでしょう。しかしよくぞ、それらの危機にひるむことなく立ち向かってらっしゃいます」

 ヤプールによるトリスタニアの壊滅から今日まで、トリステインで起きている事件のほとんどすべての概要を把握してることをヴィットーリオは示唆してみせた。また、ウェールズに対しては。

「アルビオンでの内乱も、数多くの血が流れました。すでに終わったことですが、ウェールズ殿はあの戦役についてどのような思いを持っていらっしゃいますか?」

「得るもの無く、失うものばかり多い無益な戦でした。我が祖国はようやくと平和を回復しましたが、その傷跡がなくなるためにはとほうもない年月が必要でしょう。愚かなことをしたものです」

「ええ、私もそう思います。しかし、無益な戦とは考えてみると不思議な表現です。この世に益のある戦など、はたして存在するのでしょうか?」

 ヴィットーリオの放った問いに、アンリエッタとウェールズはともに「そんなものは存在しない」と答えた。

「どうやらあなたたちは、私とはお友達のようだ。益のある戦など、あるわけがない。しかし我々は、そんなことはとうに承知しているはずなのに、何百年と争い続けてきました。今度の内乱にしてもそうです」

「それは、あのような無様な事態が起きたのも、我ら王家が安穏としていたためです。権威のなんたるかを貴族たちが忘れてしまっていたために、クロムウェルという扇動者がたやすくもぐりこむ隙を与えてしまいました。始祖の血統を途絶えかけさせてしまったこと、まことに申し開きもありません」

 恐縮して頭を垂れるウェールズに、ヴィットーリオは穏やかな声で頭を上げるようにうながした。

「ウェールズ殿、私はあなたを断罪したいわけではありません。むしろ逆です。お二人の真意が確かめられるまでは隠していましたが、私もあなたがたの同志なのですよ」

 それはどういう……と、言いかけたウェールズの言葉を、ヴィットーリオは手をかざしてしばし止めた。

「さきほども言いましたが、この世界は……もっと言えばハルケギニアの歴史は無益な争いに満ちています。人間はこの世界でもっとも栄えている生き物ですが、野蛮なオーク鬼や動物たちも同族同士で争うことはないのに、なぜ無益とわかっていて、争いをやめられないのでしょう?」

「聖下、わたしは政治家としては未熟ですが、人に欲がある限り争いはなくならないものと考えております」

 答えたのはアンリエッタだった。彼女の胸中には、野心を持たずとも充分に満たされた立場だったのに、果てない欲望に身を任せて悲劇と騒乱を撒き散らした奸臣リッシュモンの名があったに違いない。

「そう、人は他の種族に比べて非常に複雑かつ、深い欲を持った生き物です。亜人であれば、せいぜい食欲と破壊欲を満たせれば満足しますが、人の欲は数限りない。始祖ブリミルも欲の存在は肯定し、だからこそ我ら神官は自制を忘れぬために、妻帯に対する制約を設けたり、週に一度の精進を欠かさぬようにしているのです」

 ヴィットーリオは語り、その言葉に夫婦は感銘を受けていった。この方は、本気でハルケギニアの将来を憂いてどうにかしようと考えていると。

 それからもヴィトーリオは夫妻にゲルマニアやロマリアでの現状を事細かに伝え、世界各地での異変が全体を見ればすでに危機的状況にあることを強調した。そして、現在の世界の混沌、それまでの常識がまったく通用しない未知の敵が暴れまわっていることが、なにに根本の原因があるのかも、夫妻に問いかけた。

「それは、やはり我々人間と人知を超えた侵略者たちの間にある、絶望的なまでの力の差ではないでしょうか? 我々は敵のほとんどがどこからやってくるのかすら、突き止めることもできません。それに対して、敵は我々のどこへでも自由に攻撃を仕掛けてくることができます」

 アンリエッタは、ヤプールの攻撃に対してほとんどの人間が感じているもどかしさをそのまま口にした。相手の居所がわかるなら反撃もできる。しかし、ヤプールやその配下は突然どこからともなく現れてくる。そのため受け身で待ち構えるしかなく、やり場のない怒りは多くの者のなかに蓄積していた。

「そうです。悔しいですが、我々は非力です。それも、同じ人間同士で無益な争いばかり重ね、真の理想を見失っていたから……これでは何べん同盟を組んでも、我らの先祖はエルフに勝てなかったのも道理です。しかし、おわかりでしょう。平和を維持するためには力が必要です。それも、襲ってくる敵を撃退するだけの力では不十分です。中においては争う勢力を仲裁し、外においては侵略する意思を砕くだけの強大な力が」

「どこに、そのような力が……」

 言いかけてアンリエッタは口をつぐんだ。気づいたからだ、彼女の聡明な知能は、ロマリアの教皇というキーワードから、あの恐るべき力を。

「アンリエッタ殿もウェールズ殿もご存知でしょう。始祖の系統を……」

「虚無、ですわ……」

 ぽつりと答えたアンリエッタに、ヴィットーリオはにこりと笑った。

「神は我らに力をくださった。始祖はその強大な力を、四つに分けて後世にたくした。それらはすでに目覚め始めています」

 予測が当たったことに、アンリエッタは喜ぶ気にはならなかった。虚無の系統、すなわちそれはルイズの力。教皇はルイズをあらゆる危険の矢面に立たせると、そう言っているのだ。しかもそれは、単純にルイズだけの問題にとどまらない。顔を意識せずに青ざめさせ始めるアンリエッタと、まだ何のことだがわからずにとまどっているウェールズ。

「ウェールズ殿はまだ事情をよくご存知無い様子、順を追ってお話しいたしましょう」

 それからヴィットーリオは、始祖の四つの秘宝と指輪、始祖の伝説についてを細かに説明し、そして以前ラ・ロシェールで放たれた光こそが虚無の魔法の目覚めに違いないと語った。それはここ半月ほどでアンリエッタが探し回った知識を誤りなく、さらに上回るものであった。これを聞かされては、ヴィットーリオの言うことが嘘ではなく、本気であることを信じざるを得なくなった。

 が、今日はじめて虚無のことを知ったばかりのウェールズとは違い、アンリエッタはそのまま受け入れるわけにはいかなかった。四人の虚無の担い手のうちの一人は自分の無二の親友で、もう一人はその友人であり、争いごとにはまったく向かない穏やかな性格の持ち主だ。

「聖下……聖下の言うその力が虚無だとして、目覚めたばかりで四分の一にしか過ぎないのに、我らの持つあらゆる魔法や兵器を上回るそれを、果たして扱いきれるのですか?」

「力とは、色のついていない水のようなものです。白にするも黒にするも、人の心しだいです」

「過ぎたる力は人を狂わせます。わたくしは母からそう教わり、少ないながらも実例を見てきました。ましてや虚無の力が黒く染まった場合に、それを止められるのですか? できることならば、そっとしておきたいのです」

 恐れることを悪いことだと彼女は思わなかった。ルイズが虚無に目覚めてからというもの、まるでそうなるようにあらかじめ仕掛けられていたかのごとく、次々に恐ろしい事件がルイズとその周りを襲っている。今のルイズは火事の中の爆弾のようなものだ。

 しかしヴィットーリオは、アンリエッタのそんな恐れも見越していたかのように言う。

「その状態で、いったい何年我々は無益な争いを繰り返してきたのですか?」

「それは……」

「アンリエッタ殿の言うことは正しい。ですが、黒く染まることを恐れていたのでは平和を築くことはできませんよ」

「そうかもしれません……ですが、我々は非力でも平和を取り戻すために努力し、幾度とない試練を克服してきました。いまでも大勢の者が必死に力を磨き、この国は変わりつつあります。それでも不足なのですか?」

「試練を克服? 人頼みでようやく持ちこたえられているあなた方に、そのような言葉を使う資格があるのですか?」

 はじめて出た教皇の冷たい言葉に、アンリエッタは声を失った。

 人頼み……それは、アンリエッタにとって非常な屈辱を強いる一言だった。確かに、ヤプールがこの世界に現れて以来、対抗するための努力を怠ってきたことは無い。しかし、怪獣や超獣の力はほとんどの場合に自分たちの努力を上回って、倒してくれたのはウルトラマンばかりだった。

「お恥ずかしながら、聖下の言うとおりですわ。わたしたちはいまだに自力で脅威を跳ね除けられるだけの力を持ち合わせていません。だからこそ、聖下は虚無を目覚めさせようというのですね」

「そうです。なにより虚無は元々始祖が子孫である私たちのために残した、私たちの力です。私たちはその力を目覚めさせ、正しく使うことこそ使命。そうすれば、侵略者や怪物の脅威に怯えることもなく、ましてウルトラマンなどという不条理な存在に媚を売ることはありません」

 その言葉に、アンリエッタとウェールズは少なからず不快感を覚えた。

「お言葉ですが、私たちは何度もウルトラマンに救われています。しかし、同時に助けをあてにしたこともありません。私たちは常に全力を尽くし、その過程で彼は助力してくれるだけです」

「ですがそもそも、ウルトラマンが何者であるのかは誰も知りません。そんなものに世界の運命をゆだねるなど、正気のさたとは思えません」

「それは……」

 アンリエッタは答えあぐねた。エースとヤプールが敵対関係にあることは、アルビオンでヤプールが直に話している。だがそこまで言ってもいいものか? そのときウェールズがアンリエッタの肩に手を置いた。

「私たちはアルビオンでの最後の戦いにおいて、絶体絶命のところを彼に救われています。彼は私たちと言葉こそかわしませんが、私たちの味方に間違いありません。私は彼をこの世界の救世主だと思っています」

「それはまた、たいした信頼の深さですね。ではなぜ、ウルトラマンは最初から現れて戦ってはくれないのです? なぜ負けそうなときになって、ようやくやってくるのですか?」

「それは、私にもわかりません。けれど、考え続けたうえでひとつだけ思うことがあります。今の世界の危機が神の与えた試練だとしたら、人はその中で最大限の努力をすべきなのだと思います。悪魔の侵略に対して、人は漫然と救いを求めるだけではいけない。彼は人がそれを見せたとき、助けに来てくれるのではないかと」

「そうでしょうか? むしろ劇的な登場を印象づけることによって人々の信頼をえて、自分をこそ神と思わせる。そうしておいて土壇場で軍の解散や王国の支配権を要求してきたらどうします? もしかしたら、ウルトラマンこそもっとも悪質な侵略者なのかもしれませんよ」

 ウェールズとアンリエッタは、ぐっと言葉に詰まった。まさか、教皇聖下からそんなうがった見方を聞かされるとは思っていなかった。しかし、自分たちもウルトラマンの真意は推測するしかない以上、恩人を汚されるような思いがしても、二人とも不快感が強くなっていくのを我慢するしかない。

 だがそれ以上に、特にアンリエッタはヴィットーリオに最初感じた清廉さ以外のものを感じ始めていた。彼のウルトラマンに対する、この奇妙な悪意のようなものはなんだろうか? 確かに彼の言うこともわかるし、為政者に現実的な見方が必要なのもわかる。しかし、まるでウルトラマンへの不信感を植え付けようとでもしているような。慈愛に満ちた美しい顔の下にある形容しがたいなにか……そのなにかに、アンリエッタはわずかな身震いをした。

「まあそれはよいでしょう。不確定なことをいくら論じても、納得いく結論が出るとは思えません。現実的なことを話し合うといたしましょう」

 アンリエッタとウェールズは納得してはいないものの、これ以上の水掛け論の愚を悟ってうなづいた。

 ヴィットーリオもうなづくと、口調を穏やかに戻して語り始める。

「まずは、この分裂した世界を正しい形に統一すること、我らハルケギニアの民が心のよりどころとする土地を回復し、人々の心を集めてこそ無益な争いも消えるでしょう。元々始祖はそのために虚無の力を残されたのです」

「それは、聖地のことですか?」

 エルフが守る、始祖ブリミルが光臨した地。ハルケギニア中の王国が結束し、何度も奪還しようとしながら、その影すら見れなかった土地。

「聖地は我々にとって、ただの土地ではありません。心の拠り所、いうなれば故郷なのです。故郷が異教の掌中にありながら、真の平和などはありません」

「ですがエルフは人間の武力をはるかに超えた先住魔法や、脅威の技術を持っています。たとえ始祖の虚無を完全に手に入れたとしても、その完全な力を持っていた始祖ブリミルでさえなしえなかったことではないですか」

「私もアンリエッタに賛成です。聖下、不敬を承知で申し上げますが、エルフは人間との戦いにおいて一度も本気を出したことがないと言っても過言ではないでしょう。仮に勝てたとして、我らの側にも膨大すぎるほどの犠牲が出るのは必定。民を死に絶えさせて勝ったとしても、それこそ無益な戦の極ではありませんか」

 ウェールズもアンリエッタに同調した。アルビオンにおいて、敵味方の死を嫌というほど見てきた彼にとっても、かつての内乱の非ではない聖地奪還など、呑めたものではない。けれどもヴィットーリオの用意していた答えは、二人の予想を超えるものであった。

「そうです。あなた方がそうして怯えるように、エルフたちも生じる犠牲の量には怯えるでしょう。そうして、互いが争いあうことの愚に気づけば、戦いは未然に防げます。強い力は使うためのものではありません。見せるためのものなのです」

「見せる……ため」

「互いが絶滅するまで戦うなど、神の御心にもっとも背くものです。しかしエルフが我らを蛮人と呼び、見下している限りは交渉の余地がありません。平和的に、彼らと交渉するためにはぜひとも始祖の虚無が必要なのです」

 教皇の熱弁に、二人は反論する言葉が浮かんでこなかった。平和的に相手と交渉し、無血で聖地を返してもらう。それは確かに理想的だ。だが、平和のために武力を強化するというのは本末転倒ではあるまいか? むろん、非武装無抵抗の完全平和主義者のような極端さは除外するとして、ある程度の武力が必要悪なのがわからないほど子供ではないつもりだ。が、まかり間違えば自らを絶滅させうるほどの力が、本当に平和のために必要なのだろうか?

 もしも交渉が失敗したとき、互いが全面衝突することになったとしたら……

 悲劇は悲劇ですむ域を超える。いや、それ以前にアンリエッタだけが知っている事実として、現在の聖地はエルフの手中にすらない。以前よりはるかに強力かつ凶悪になり、エルフをも退けたあの悪魔とどう戦う? まして、その前面に立たされるのはルイズなのだ。

「聖下のお話は壮大すぎて、人の身であるわたしには容易に判断がつきかねません。いま少し、時間をお与えいただけないでしょうか?」

「私も……考える時間をいただきたく存じます」

「そうですね。私も、今日明日に答えがいただけるほど簡単な問題とは思っておりません。それに、めでたきこの日々にこれ以上水を差すのも無粋というもの、後日ゆっくりとお話いたしましょう」

 ヴィットーリオはそう言うと、退室しようとドアに足を向けた。アンリエッタは彼の背に話しかける。

「聖下、わたくしどもたちも聖地を回復しようとする意思に変わりはありません。ですが……」

「わかっていますよ。意思だけが先行し、無計画に進軍する愚行は多くの先例が証明しています。兵士たちにもそれぞれ人生があり、家族がある。あなたの立場はよく存じているつもりです。始祖も、おほめになることでしょう」

 ドアが閉まる音が短く切れ、夫妻は夢を見ていたかのように放心してソファーに身を沈めた。

 

 

 夜は更け、ラ・ロシェールは眠りにつく。翌日は夫妻がいったんトリステインを離れるための最後の祝賀会が開かれ、いよいよアルビオンに向けて出港する。寝ぼけ眼をさらさないために、特に用事がない者以外は早めの眠りについていった。

 だが、盗人とそれを追う者だけが動き回っている時間、不穏な企みの声がこの街の中でかわされていた。

「ご苦労様でした。仕掛けのほうは、きちんと取り付けられましたか?」

「重々完了していますよ。街の人間たちの目は、ほとんど教皇聖下のご威光に目がくらんでいましたから、街のどこも手薄もいいところでした。子爵も用意万端で合図を待っています。それよりそちらのほうはどうです? 両陛下は我々のご友人としてふさわしい方々でしたか?」

「むずかしいところですね。お二方とも信仰の深さは疑いありませんが、いかんせん若すぎますね。躍らせるのはさして問題ないでしょうが、すぐにおじけずいてしまいそうです」

「では、手はずどおりに?」

「はい、彼らには神の忠実なる僕となるよう、新たな洗礼を受けていただくことにいたしましょう。この世界がどの神のものであるのか、遅まきながらすべての者たちに知らしめるためにも……」

「まずは第一歩、途中参加の挨拶代わりということで……まあ、ジョゼフ殿に笑われない程度にはいけましょう」

 陰気さは無く、内容を聞かなくては、まるで友人と明日の天気についてでも話しているように思える口調だ。けれども、会話の中に混ざる単語をひとつずつ拾っていけば、全体は把握できなくとも、これが市井の平民や貴族のするような会話でないことは容易に判断がつくだろう。

 この街でなにが始まろうとしているのか? 人々が世界の危機を一時でも忘れ、祭りの享楽に心を癒し、体の疲れを静かな闇にゆだねて眠るこのとき、優しい闇の眠りに忍び寄る新たな闇の勢力は動き出していた。

 

 夜間巡回中の銃士隊員、彼女たちの耳に飛び込んできた悲鳴が、長い夜のはじまりであった。

「うわぁーっ! ば、化け物ぉーっ!」

「なんだ! おい、いくぞ!」

 鍛え上げた雌鹿のような足で駆け、二人の銃士隊員は悲鳴のした現場に急行した。

 走ること、およそ十数秒、駆けつけた両名のランプの明かりに照らし出されたのは、盗人と思われる黒尽くめの怪しい男。そして彼に襲い掛かる、全身を炎のようなたてがみで覆った巨大な狼人の姿だった。

「な、なんだこいつは!? コボルド、いや大きすぎる!」

「くそっ! くるぞ、抜刀しろ!」

 男を怪力でねじ伏せていた獣人は、二人の姿を認めるやターゲットを即座に変えて襲い掛かってきた。ランプを放り出し、長刀を抜いて身構える二人の銃士隊員。闇夜の遭遇戦では発射炎で目がくらんでしまう銃よりも剣のほうがいい。訓練で体に叩き込んだ動作が二人に頭で考えるより速く全身を機能させる。

 鋭い爪と牙を振りかざした獣人が迫り、爪の一撃を一人が剣で受け止める。

「ぐっ! 重いっ」

 並の男よりも鍛え上げた全身のばねが軋みを上げる。耐えられないパワーではないが、はじき返した腕がしびれて、反撃を繰り出す余裕がない。だが、彼女のかせいだ一瞬の隙に、もう一人が俊敏に動いていた。剣を腰だめに構えての突進攻撃、通常の戦闘では突きは相手に刺さった剣が抜けなくなるので禁じ手だが、獣人の筋肉の鎧は斬撃では致命傷を与えられないだろうと彼女は読んだのだ。

「うぉぉっ!」

 横合いからの一撃は、見事に獣人のわき腹を貫通した。手ごたえ、あり! 急所を貫いたことを彼女は確信した。しかし傷口から血は漏れ出さず、獣人は断末魔のうめきを残すと、泥水のようになって一瞬で溶けて消滅してしまったのだ。

「き、消えた……? なんだったんだ、こいつは」

 呆然と立ち尽くす二人の隊員は、獣人が消えた石畳の道をしばし見つめていた。

 しかし、またも街のどこかから聞こえてきた悲鳴が彼女たちの意識を呼び戻し、続いて響いてきた複数の狼の遠吠えのような声が、二人にこの事件がまだ始まったばかりなのだということを告げた。

「まさか、街中にあの怪物が!」

「まずい、これは私たちだけでは手に負えないぞ。隊長に連絡だ」

 隊員のうちひとりが、常用しているフリントロックの銃を取り出し、その先端に特殊な筒を取り付けた。これは銃の発射のガス圧で打ち出される信号弾で、平たく言えば打ち上げ花火だ。垂直に発射された弾は、数十メイルの高さで炸裂し、乾いた音と一瞬白い閃光を放つ。

「ようし、これで、宿で待機している味方には伝わったはずだ」

「喜ぶのは早いよ。教皇聖下の護衛に借り出された部隊を除いても、まだ五個小隊は動けるはずでも、敵の正体はわからないじゃない」

「ああ、まだ街の人間は気づいてないが、長引けば街中がパニックになる恐れもある。ちっ! 聖下がおいでのこんなときに、何者か知らんが余計なまねを」

 一人が舌打ちをする間にも、狼の声は前後左右から間断なく聞こえてくる。どうやら現れたのは五匹や六匹といった生易しい数ではないらしい。

「ともかく、少しでも多く片付けておこう。いいか?」

「ええ。やれやれ、酒場に出る狼の退治ならお手の物なんだけどね」

 苦笑しつつ、二人の銃士隊員は泡を吹いて気絶している盗人を放り出して駆け出していった。

 

 街中に散らばった獣人と、銃士隊をはじめとする人間たちの戦いははじまった。

 一方そのころ、戦いの場を離れた路地を、聖堂騎士の鎧をまとった男がよろめきながら歩いていた。

「ぐっ……また発作がはじまったか……これは、俺ももう長くないな。だがその前に、なんとしても聖地に足を……そのためなら、もう手段は選ばん」

 痛む心臓に電撃の魔法を与えて発作を抑えつつ、ワルドはある場所へと通じている道を進んだ。顔の肉はトリステインにいたころより剥げ落ち、皮膚も乾いているが、目の光だけはギラギラと油を塗ったように輝いている。今のワルドを動かしているのは、ただ執念の二文字のみ。すでに死期が近いことを悟っている彼の狂気にも近い一念は、未来を失った者の絶望が道連れを求めるかのように黒く燃え滾る。

 だがその背後から、真新しいテンガロンハットをかぶった男がつけてきていることを、彼は気づいていない。

 

 

 続く



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第60話  決着の必殺剣

 第60話

 決着の必殺剣

 

 サイボーグ獣人 ウルフファイヤー

 異形進化怪獣 エボリュウ

 超異形進化怪獣 ゾンボーグ 登場!

 

 

 日付が変わり、なおも続く夜の帳に包まれたラ・ロシェールの街。

 すみきった空気の冬の寒空に、わずかばかりの雲と銀河が映える晴天の日。見上げれば、三日月となった青い月がどんな画家でも再現できない美しい星空をかざり、無数の星座がまたたいて、数万光年先からはるばるやってきた光を、旅路の終点となった星の大地に降り注がせている。

 宇宙は生きている……あの何億何兆という星々には数え切れないほどの生命が息づき、このハルケギニアという世界にも劣らない様々なドラマをつむぎたてているのだろう。

 しかし、そうした生命のドラマの中には喜劇もあれば悲劇もある。今、この星の運命は悲劇に向かって見えない坂を転がり落ちつつあった。

 

 夜明けまでにはまだ遠く、人々は深く眠りについて目覚めない時間。家の中で幸せな夢の世界に身を落とす人々の眠る、そのわずか壁ひとつはさんだ路上で、月光を怪しく反射した剣が幾重ものきらめきを見せていた。

「せゃぁぁぁっ!」

 気合とともに上段から振り下ろされた鋼鉄の剣が、夜の街を徘徊して人を襲っていた狼人の体に深い傷を入れ、ついで背後から突き出された剣が胸を刺し貫いてとどめを刺す。燃える炎のようなたてがみを振り乱した狼人は、そのいかつい体躯からは不似合いな子犬みたいな悲鳴をあげて、そのまま溶けて消滅した。

「はぁ、はぁ……これで四体目か、てこずらせてくれて」

 肩で息をしながら、一人の銃士隊員が剣を杖にしてつぶやいた。数十分前に突如ラ・ロシェールの各地に出現した、正体不明の獣人たち。それを討伐するために、非常時に備えて待機していた銃士隊は出動した。

「四番隊から八番隊まではただちに全員出動! 一番隊、二番隊、三番隊は王族と教皇聖下の宿泊する施設のまわりを固めろ、急げ!」

 敵出現の報を聞いたときのアニエスの反応は早かった。歴戦の戦士の血が働き、その場でもっとも有益と思われる命令を自然と口からつむぎださせる。即座に敵の排除を考えながら、陽動作戦の可能性も考慮して最重要防衛対象の守りも緩めない。

 仮本部の宿にアニエスと予備兵力の一隊だけを残し、即座に街中に散った隊員たちは、二人一組、技量の足りない者は三人一組になって捜索を開始した。敵の詳しい戦力が不明な以上、単独での行動は危険きわまる。その点、二人以上なら互いをサポートし合えるし、万一の場合に助けを呼んだり逃げ延びたりする場合でも生存率が高まる。

「私の隊から、もう一人たりとて犬死は出させん」

 以前ツルク星人戦で、銃士隊はなすすべなく殉職者を出してしまった。あれ以来、隊は戦力の向上はもちろん生還率の向上に大きく力を入れてきた。相手が人間だけならともかく、常識が通用しない怪物との遭遇戦がこれからも続くならば、どんな状況にも対応できるようにしておかなくては、なにもできないまま殺されてしまうことになる。あのとき、星人の刃にかかって惨殺された仲間の無念の死に顔は、アニエスの心に消えずに残っていた。

 出動した隊員たちと、炎のような体を持つ狼、ウルフファイヤーと名づけられた獣人との戦闘は同時発生的に複数個所で始まった。街の各所に出現したウルフファイヤーは、身長およそ二メイル。全身は筋肉質で、頭部や鳴き声は狼に非常に酷似している。ハルケギニア固有の亜人であるコボルドに似ているが、体躯や死亡時の消滅の仕方から別種から判断された。

「そっちに行ったぞ! 逃がすな」

「リムル! 左から回り込め!」

「ひっ! こ、ここから先にはいかせないわよ」

 新人は先輩に支えられて、勇気を振り絞って敵に挑みかかっていく。銃を使えば眠っている街の人間を起こしてしまうので、剣だけの勝負だ。黄緑色の髪の小柄な隊員の振り下ろした剣と、腕力にものをいわせてつかみかかってくるウルフファイヤーが真っ向からぶつかる。しかし新人はウルフファイヤーの力に負けて剣を取り落としてしまった。すかさず掴みかかってくるウルフファイヤー、そこに先輩の激が飛んだ。

「ひるむな! 投げ飛ばせ」

「は、はぃっ!」

 考えるより先に体が動き、体を縮めて攻撃をかわすと、相手の体の下にもぐりこんで首筋の毛をつかんだ。そのまま相手の突進する力を利用して、一気に投げをうつ。

「てぃやぁーっ!」

 相手もまさか自分の半分の体格もない相手に投げられるとは思ってなかったのか、背中から受け身もとれずに石畳に叩きつけられる。そこへ別の隊員が剣を突き立ててとどめを刺した。

「よくやったぞリムル、初陣にしては上出来だ」

「は、はい。ありがとうございます」

「腰を抜かしてる暇はないぞ。次だ、立て」

 個々の力が劣るのをチームプレーでカバーしつつ、銃士隊はウルフファイヤーを駆逐するために走る。

 

 市民に知れてパニックが起きる前に事態を収拾するため、出動しているのは銃士隊だけではない。上空からは魔法衛士隊もグリフォンやドラゴンで監視しつつ地上の部隊に指示を送る。

 また、正規の部隊とは別個に戦っている者たちもいた。才人たち一行である。彼らは今夜も銃士隊の宿に泊まっていたが、事件が起きたことを知るやすぐに参戦することをアニエスに告げ、ミシェルがサポートとしてつけられた。

 なお、ルクシャナは戦力としては惜しいものの、街中で先住魔法を使われたら大変なので、宿でティファニアを守ってもらっている。

 けれども、意気込みとは裏腹に、正規の銃士隊員より力の劣る才人は苦戦を余儀なくされていた。

「くっそ、この野郎! ガンダールヴじゃなくなったって、なめんな!」

「相棒、右だ! 飛んでかわせ。次は後ろに跳べ、顔をひっかかれてえか!」

 獰猛なうなり声とともに攻撃してくるウルフファイヤーの攻撃を、デルフリンガーのサポートを受けながら才人はどうにかさばいていた。こういうとき、普段一言多くても六千年間剣だったデルフリンガーの経験は非常に頼りになる。

「落ち着け相棒。こいつは見かけはいかついが、そこまで強いってわけじゃねえ。自分の力を信じろ、敵を観察するんだ」

「ああっ!」

 自信のあるデルフリンガーの言葉に気持ちを落ち着かせた才人は、徐々に体に染み付いた動きを思い出していった。ルーンのあったころに比べたら天と地の差だけれども、自分の力で戦えているということは才人に純粋な自信を与えていく。それに、デルフリンガーの言うとおり、ウルフファイヤーは怪力だけども、パワーもスピードも人間の力で抗しきれないというレベルではなかった。

 思い返してみたら、ズタボロにされたアニエスとの決闘に比べたら何ほどのことも無い。

「相棒、身をかがめろ! やつは図体がでかいんだ、足元を狙え!」

 デルフリンガーの指示を受けた才人が、ウルフファイヤーのすねを切りつけて動きを鈍らせた。ウルフファイヤーは悲鳴を上げて才人を捕まえようとしたが、すでに才人はすばしっこく逃げ出していた。

「バーカ、捕まってたまるかよ」

 一撃離脱、本職の剣士に腕力も技量もかなわない才人のとりえはすばしっこさだ。だてにルイズの世話で日夜学院を駆け回っていない。そして、動きの止まったそこへ、ルイズの魔法が炸裂する。

「エクスプロージョン!」

 ダイナマイトを投げつけたような爆発で、ウルフファイヤーは煙の晴れたときには跡形もなく消えてしまっていた。

「やった!」

 一匹を撃破し、才人が指を鳴らして喜ぶ。ルイズは威力の調節が実戦でも役立ちはじめていることに、まんざらでもないようだ。そこへ、剣ではなく杖を持ったミシェルが口笛を吹きながら来た。

「以前にも増して、すごい威力だな。任せておけと豪語するだけのことはあるか」

「あら、おほめにあずかり光栄ですわ。まあ、この程度の怪物なんか、一発で充分よ」

「確かに、単純な破壊力だけだったら、並のメイジ三、四人ぶんくらいには匹敵するかもしれんな。失敗魔法にしておくのが惜しいくらいだ」

 ミシェルはルイズの魔法が虚無だということは知らない。ルイズが詠唱するときも、サイレントの魔法で音が外に漏れないようにしてくれていたために、呪文は聞いていないのだ。虚無に関われば余計なトラブルに巻き込まれかねないのは、もう嫌というほど味わった。いつか話すときが来るかもしれなくても、それを一分一秒でも長くしたいというのが才人の本音だった。

 ただ、才人の考えとルイズの思惑は違う。場合が場合だが、ウルフファイヤーを一撃で仕留めたエクスプロージョンの威力にミシェルは舌を巻いている。気分がよくなったのも合わさって、ルイズは、ライバルに差をつける絶好の機会を最大限に活かそうと、得意げに髪をかきあげた。

「ふふん、このわたしを誰だと思ってるの? 天下のラ・ヴァリエール家の三女、ルイズさまよ。そんじょそこらのメイジといっしょにしないでもらいたいわ」

 尊大というにはかわいすぎる顔で、ない胸を精一杯そらしてルイズは偉ぶった。才人は、ああまたルイズのすぐ調子に乗る悪いくせが出たと思うが、口には出さない。昨日帰ってきてから最悪だったルイズの機嫌がようやく直ったのに、わざわざ鎮火した山火事にタバコを投げることはなかった。

”しっかし、我ながらよくもまあ殺されずにすんだもんだ”

 実際、ミシェルとデートを決意したときは、よくて半殺しを覚悟していただけに、こうして両の足で立っている自分がいまいち信じられなかった。それが機嫌が悪い程度で済んでいるのは、才人とミシェルが教皇のパレード中に見た、あの男の影が皮肉にも幸いしていた。

”ワルド……あいつがこんなところにいるわけがない。だが、万一やつだったとしたら、いったいなにを企んでいるんだ?”

 見間違いの可能性をどうしても捨てきれず、思い切って帰ってアニエスと、それからルイズにも相談した。もちろん、当初ルイズは烈火のごとく怒ったが、ワルドがこの街に来ている可能性を聞くといくぶんか冷静さを取り戻した。

「ワルドが? そう……」

 それ以上は言わなかったものの、ルイズもまだワルドに対して複雑な思いが残っているのは確かなようだ。それもルイズがもっとも敬愛するアンリエッタの花の舞台に現れるとは、見過ごしておけるわけもないだろう。おかげで才人は飛び蹴りからの逆エビ固めだけで、奇跡的に無事にすんでいた。

 もっとも、何事も無くデートが継続していたらどうなっていたか。それを思うと、少々惜しい気持ちもしなくはない。

 アニエスもワルドの目撃情報に、表情をひきしめて警戒態勢を強めるように命じた。トリステインにいたら処刑が疑いようも無いワルドが危険を冒して、わざわざこの街に今来るとしたら、自分たちへの復讐にほかあるまい。今回、銃士隊が異例の速度で鎮圧に乗り出せたのも、こういう事態を想定していたからであった。

 しかし、まだ楽観視することはできない。狼の声はなおも街中から響いてきている上に、襲撃の目的がはっきりしない。

「なあ二人とも、やっぱりこの騒動はワルドの仕業だと思うか?」

 回想を打ち切る才人の言葉に、ふんぞり返っていたルイズと、いいかげんうんざりし始めていたミシェルはともに考え込んだ。

「そうね。あなたたちが見たっていうのがワルドだったら、関わってる可能性は充分あると思うわ。でも、仮にも魔法衛士隊の隊長をつとめた人間にしては、怪物を放つだけなんて大雑把にすぎる気もするわ」

「私もミス・ヴァリエールに同意見だ。それに、ワルドが一人でこんな真似をしでかしたとも考えがたい。聖堂騎士に潜り込んでいたとして、レコン・キスタやリッシュモンのように、奴を利用している黒幕がいるのかもしれん」

 二人とも説得力は充分だった。ワルドのやり口は、有力な権力者の後ろ盾を得ることで、その力を利用して事をすすめるのが常套だった。今回もそのパターンとすれば、ワルドに手を貸している者は誰か? トリステインとアルビオンの結束が妨害されて得をする者がいるのか……? いくつか候補者が頭をよぎるが、確証を持てる者は存在せず、響いてくる狼の遠吠えが長考を許さなかった。

「ちっ! ともかく敵の出方がわからん以上は、場当たり的だがこいつらを駆逐していくしかないか……二人とも、私から離れるなよ」

 ミシェルも昨日の昼間に見せた弱弱しい表情は消え、才人とルイズを戦士として見る冷徹な目になっている。

 敵はいったいこの街で何を企んでいるのか、わからなくても街の人を傷つけるわけにはいかない。

 それにしても、なぜ夜中のこの時間を選んだのか……? 昼間だったらパニックが起こり、軍が総動員されても収集のつけられない事態になっていたものを……読めない敵の目論見が、いつまでも頭に染み付いて離れない。

 

 銃士隊と各魔法衛士隊の活躍で、犠牲者が出る前に、出現したウルフファイヤーは次々と撃退されていった。

 しかしどこからともなく出現してくるウルフファイヤーに対抗するために、現れる度に彼らは大急ぎで移動を余儀なくされていく。

 そんな、血眼で街中を駆けまわる騎士たちを見下ろして、冷ややかな笑いを浮かべている目があった。

「ふふふ……そうです。そうしてがんばって走り回りなさい。始祖も、献身と努力は尊いことだとおっしゃられています。きっとあなた方には祝福が与えられることでしょう」

「くっくく、その祝福の内容を知ったら、彼らは恐れおののくでしょうに。怖いお人だ」

「そういうあなたも、昔とは大きく変わっているでしょうに。それより、彼は準備のほうはよろしいのですか?」

「ええ、もう用意が完了する頃でしょう。そしてこれが成功すれば、我々は精強なる神の兵団を十万人は揃えることができます、楽しみですね……」

 薄ら笑いを浮かべる二人の人間が誰であるのか、この時点でそれに気づいている者は誰もいない。

 

 そして、死闘が続く街の様子を見下ろしている目がもう一対あった。

 ラ・ロシェールの街のシンボルである、世界樹の枯れ木。その超高層ビルにも匹敵する威容のたもとで、眼下に見える街の、時折ちらつく魔法のものと思われる光を見下ろす冷たい瞳。長身の、痩せてはいるが歴戦の戦士のものと主張する雰囲気を残す……しかし、同時に壊れかけのマリオネットのような、そんな疲れた空気を漂わせる男、ワルドがそこにいた。

「やっているな、ご苦労なことだ。俺一人を自由に動かすために、ここまでお膳立てしてくれるとは、さすが懐が広い」

 せせら笑うワルドの顔には、その言葉の十分の一ほども感謝の意思はのぞいていなかった。彼にこの仕事を依頼した人間は、貧民街でこじき同然の生活をしていたワルドに、普通なら考えられないような厚待遇を与えてくれた。金も女も望むだけ用意され、今回にいたっては非公式ながら聖堂騎士団の一員としての権限まで与えられた。しかしそのどれも、ワルドの信用を得るにはいたらなかった。

「欲で人間を虜にして思うままに動く僕に変える。人間の闇の部分に精通してきた奴ららしいやり口だ。どうせ俺も、用済みになったら始末されるのが関の山だろう。だがもはや俺に残された道はない。聖地に近づくためならば、死神の笛の音だろうと、あわせて下手なダンスでもなんでもしてくれる」

 自分がもはや道化に過ぎないことをワルドは理解していた。しかし、たとえ道化だろうとこのまま何もできずに朽ち果てていくよりはいい。

 暗い笑みを浮かべたワルドは、そのまま世界樹の中に足を踏み入れた。この時間はとうに職員もおらず、警備のためのわずかな兵士がいるだけである。しかも街の騒ぎが拡大しないように、こちらには様子が伝えられていなかったので警戒も薄かった。

 眠そうな顔をしている兵士はおよそ十数人、世界樹の内部空洞の各階に陣取っているが、ワルドが聖堂騎士のかっこうをしているために警戒する様子が無い。そんな彼らを一瞥したワルドは、無表情のままで呪文を唱えた。

『スリープ・クラウド』

 半密閉空間の世界樹の内部は催眠ガスが充満するには好都合だった。異変に気づくまもなく彼らはバタバタと倒れていき、ワルドは寝息しか聞こえなくなった空間でゆうゆうと階段を上っていき、一隻の船が係留された桟橋に出た。

「この船か」

 中型の、なんの変哲も無い貨物船にワルドは乗船した。出迎えの人間はおらず、船内に足を踏み入れると、あらかじめ聞いていたとおり、この船の外見がカモフラージュであることがわかった。船内には人影はなく、それどころか人間がここにいたという生活臭すらない幽霊船状態。ただし風石だけは満載され、メイジが一人いれば動かせるようにセットされていた。

 そして船倉に爆薬とともに配置されていた巨大な金属製の筒を発見すると、ワルドは不敵に笑ってブリッジに向かった。

『エボリュウ細胞』

 かつて異世界で異形進化怪獣を生み出した宇宙細胞の一種で、他の生物の細胞と容易に結合して、その肉体を格段に強化させる性質がある。ただし、変質した細胞は電気エネルギーを吸収し続けないと死滅してしまい、末期には元の生物の影も形も無いモンスターと化させてしまう。

 ワルドが発見したのは、このエボリュウ細胞が満載されたロケットだったのだ。かつて異世界で悪用されかけ、その危険性から異次元に処分されたそれが、内容物はそのままにここにあった理由……これからやろうとしているそれを思い返すと、さしものワルドも身震いした。

「俺を怪物に変えたこの薬品を、船に乗せて街の上からばらまくとは、あのお方はえげつないことを考える。銃士隊の小娘どもも魔法衛士隊も、街の騒ぎに気をとられて港にはまったく目が向いていない。とてもじゃないが、俺なんかの及びのつくところじゃあない」

 そう、すべてはこの恐るべき計画のための伏線だったのだ。現在ラ・ロシェールは、前回のゾンバイユ事件の反省から上空をあらゆる船舶の飛行が禁止されている。もしも今、どんな小型船であっても強引に所定航路を逸脱するものがあったら、有無をいわさず即座に撃沈させられるだろう。街を襲ったウルフファイヤーの群れは、すべて港から警戒の目をそらせるための囮であった。

「大方陽動であることは気づいていようが、守っているのはアンリエッタばかりだろう。しかし、狙われるならば王族というその思い込みが貴様らの命取りだ。俺と同じ苦しみを味わえ、ふっははは!」

 失った左腕がうずくたびに憎悪が湧き出し、暗い衝動から来る笑いがワルドを突き動かした。無人の船内にけたたましい声がこだまし、ワルドは風のメイジの操作で動かすことが可能なブリッジへと向かっていく。

 その背後で、いるはずのない人影がきびすを返し、船を飛び降りていくことがあったのに彼は気がついていない。

 

 一方で、街中でのウルフファイヤーの掃討作戦は順調に進んでいた。

 商店街に出現した一体が、幕をかけて道に置かれていた屋台を蹴倒して逃げていく。その後方からは銃士隊二人が追跡するが、狼らしい俊敏さのおかげで追いつけない。ところが、正面から別の銃士隊員が回りこんで逃げ道をふさいだ。

「ここから先は行き止まりだ。観念するがいい!」

 追いついてきた隊員も加えて、四人の銃士隊員に包囲されてはどうしようもなかった。反撃する間も無く、あっというまに四方から切り裂かれて消滅する。しかし、この入り組んだ街中でどうして完璧に先回りができたのか? それは彼女たちの頭上に答えがあった。

「お見事でした。さすが高名な銃士隊の皆さんです。思わず見とれてしまいました!」

「そちらこそ、うまい誘導だったぞ。タイミングが絶妙だった。よく見ていたな」

 十メイルほどでホバリングするドラゴンに乗った、やや少年のおもむきを残す金髪の若い竜騎士と一人の銃士隊員が笑みを交し合った。街中で下手に強力な魔法やドラゴンのブレスを使うわけにはいかない以上、戦闘の主役は銃士隊がならざるを得なかった。ただし、飛行可能な幻獣が偵察に非常に有効なのは誰でも思いつくことだ。彼らが見つけて彼女たちが叩く、その連携でもはやウルフファイヤーはほとんど敵ではなくなっていた。

「さあ次だ。朝になる前にさっさと殲滅してしまうぞ!」

「はい! それじゃあの……この戦いが終わったら、いっしょにお茶していただく約束……」

「心配するな! 忘れちゃいないさ。ほら気合入れなよ、男なら言葉より仕事っぷりで口説いてみな」

 軽口を叩く余裕もすでにある。はて、この若い少年騎士は彼女の眼鏡にかなうことができるのだろうか? 勇名を上げていく銃士隊は門地を重んじる貴族たちの間でも人気を上げつつあるが、当然生半可な男は身の程を思い知らされるのが常だった。

 

 だが、勝利へと近づいている余裕の影で、彼ら全員の注意が地上に集中してしまっていた。本来竜騎士隊が警戒しなくてはいけない上空はおざなりにされ、港の異変に気づいている者は一切いない。

 それは当然サイトたち三人についても同様だった。ウルフファイヤーの撃退に夢中になって、陽動の可能性を忘れかけている。いかに彼らといえども全能ではなく、千里眼を持っているわけでもない。発見できる敵をほぼ撃破し、いったん宿に帰ると、アニエスが伝令になにやらを伝えて送り出しているところだった。

「ミシェル、戻ったか。お前たちのほうはどうだった?」

「はっ、西の住宅街に出現した敵は発見したものはすべて撃破しました。現在グリフォン隊の半個小隊が予備警戒に当たっていますが、完全に殲滅したものと考えて間違いは無いかと」

「そうかご苦労、小休止して待機しておけ」

 二人ともこの時点では上官と部下以外の何者でもなかった。変わり身の早さ……いいや、必要なときにはこうして公私をきちんと使い分けられるのが大人というものなのだろう。ルイズは母の厳格な態度が、こうした職務の中で磨き上げられていったのだろうと、うっすらと感じていた。

 耳を澄ますと、最初はどの方向からも聞こえていた狼の遠吠えがほとんど消えていた。恐らくはほかの部隊も戦いをほぼ終えているのだろう。急増トリオの自分たちでさえほとんど無傷なのだから、銃士隊の皆もきっとみんな無事でいるはずだ。

 宿のロビーは仮本部となっていて、才人、ルイズ、ミシェルは眠気覚ましにもらった濃い茶のコップをそれぞれ手にしていた。

「サイト、これでもう終わりなのかしら? なにか、あんまりにもあっけなさすぎる気がするんだけど」

「そーいわれてもな、あんな趣味の悪いヒゲ男の考えなんておれにわかるわけねーだろ。おれはもうこれで終わってほしいよ」

 休息をとって冷静さを取り戻したルイズと違って、昨日のことで疲れている才人の答えは投げやりだった。それでカチンときたルイズは、ブーツの上から思いっきり才人の足を踏みつけた。

「いでーっ! なっ、なにすんだよルイズ!」

「あんたはやる気を出すタイミングを間違ってるのよ。お母さまだったら、朝が来るまで絶対安心しないわよ」

 才人は「くっ」と思ったが、ルイズのほうが正論なので文句もいえない。ミシェルに助け舟を求めても、ルイズがもっともだと逆に叱られてしまった。昨日と違って仕事モードのミシェルは甘くない、才人は観念してコップの茶を飲み干すと、頬を張って大きな音を立てた。

「目が覚めたか、本当にお前は気合が入っているときとないときの差が大きいな。もっと鍛えたほうがいいぞ」

「ほんのちょっと前までそこらの平民Aだった人間に無茶言わないでくださいよ……あ、アニエスねえさ、いやアニエスさん」

「うむ、疲れているところすまんな。だが、各部隊から入った報告によると、もううろついている奴は見当たらないそうだ。人家が襲われた形跡もないし、夫妻の宿も無事だ。どうやら、敵も在庫切れらしいな」

 すると、街にはほとんど被害なしでウルフファイヤーは全滅させられたようだ。続いて増援が送られてくる気配も無いし、今夜の騒動はこれで終わりなのだろうか? ルイズの言うとおりに、どうもあっさりとしすぎている気もするが、もしかして王族夫妻を狙うつもりが、警戒厳重すぎて断念したとか? ワルドは逃げ上手だからその可能性もありえる。だとしたら、いいかげんゆっくり寝られるか……才人は再び睡魔に身を任せようとした、そのときだった。

 

「だまされるな、敵はまだなにもあきらめていない」

 

 突然ロビーに男性の声が響いた。

「誰だ!」

 瞬時にアニエスら銃士隊は剣に手をかけて臨戦態勢をとり、才人とルイズも背を向け合って剣と杖を構える。

 しかしロビーには彼女たち以外の気配は感じられず、アニエスは先手をとって叫んだ。

「何者だ! 姿を現せ」

「すまないが、こちらにも事情があってね。今君たちの前に姿を現すわけにはいかないんだ。そんなことよりも、敵は今すぐにでも行動を起こすつもりだぞ」

「敵だと!? くそっ! もっとわかるように言え」

 アニエスの感覚をもってしても、相手がどこからしゃべっているのかはわからなかった。しかし、敵にしろ味方にしろ、言っていることの意味がわからなくては文字通り話にならない。

「この街に出現した怪物はすべて囮だ。敵が狙っているのは、この街の人間すべてだ。恐るべきやつらだ、空を見てみろ、答えはそこにある」

「待て! お前は何者だ。どうして正体を明かさない!」

「俺は単なる風来坊さ。訳あって、まだ君たちに姿を明かすことはできない。だがいずれどこかで、出会うときも来るだろう」

「待て!」

 それ以上は、呼べど叫べど返事はなかった。銃士隊のほとんどは呆然としており、才人とルイズもどうしたらいいのかと混乱して動けない。なにせ急に姿も見せずに話しかけてきて、ほぼ一方的に用件だけ告げて消えたのだ、怪しさは百二十パーセントであり、当然誰もまともに信じようとはしていない。

 ところがそのとき、才人とルイズの魂の中にいるもう一人の声が二人の心に話しかけてきた。

〔才人くん、ルイズくん、すぐに外を見るんだ〕

〔北斗さん! いやでも、あれも敵の策略だったら〕

〔それはない。説明している時間はない! とにかく言うとおりにするんだ!〕

〔っ? はい!〕

 わけがわからなかったが、北斗星司・ウルトラマンAの言葉に偽りがあるわけがない。

「サイト、外よ!」

「ああ!」

 はじかれるように二人は宿の外に飛び出した。その後ろからアニエスの「待て」という声が追いかけてくるが、二人はかまわずドアの蝶番に悲鳴を上げさせて、街路から夜空を見上げる。目に飛び込んできたのは、何頭かのドラゴンやグリフォンの飛ぶ姿。そして、その上空に星々を背にして無音で飛ぶ一隻の空中船の不気味な船影。

「アニエスさん、あれを見てください!」

「なに? 馬鹿な、現在この街の上空は飛行禁止命令が出ているはず……そうかしまった! あれが敵の本命か」

「まずいな。あと数分もせずに街の中心部に到達するぞ。空中の魔法騎士は全部低空に降りている。もしあれに爆薬でも満載されていたら!」

 ミシェルの推測は当たりではないが、ほぼ核心をついていた。敵のこれみよがしな攻撃は、陽動だと思っていたが、まさかこんな方法で狙ってくるとは計算外だった。しかし今からでは魔法衛士隊に連絡を取っていては遅すぎる。それにほとんどの住民が就寝しているこの時間では避難させることもできない。

「くそっ! こっちの対策の裏をかかれた。どうする! どうすればいい」

 地上の敵ならメイジだろうが亜人だろうがなんとかする自信はあるが、相手が空の上ではどうしようもない。

 なにか方法はないか? アニエスは考え付く可能性を高速で検証した。竜騎士を呼ぶ時間はなく、港まで走るのは論外、あそこまで届く武器はない。せめてあと五分猶予があれば対策も打てたものを……自らの視野の狭さを悔いたが時間を逆行させることはできない。

 空中を悠然と飛ぶ船が街の中央部にまで到達するまでには、せいぜいあと一分。

 才人とルイズも顔を見合わせる。だめだ、変身しようにもここにはアニエスたちがいる。それにあの船に積まれているのが仮に爆薬か毒薬の類だったとしたら、うかつにメタリウム光線で打ち落とすわけにもいかない。

 そのときだった。ルイズは突然胸を突く衝動にさらされて、肌身離さず持ち続けている始祖の祈祷書を取り出した。見ると手の中の水のルビーも淡く輝き始めている。その衝動に突き動かされるまま、ページをめくっていくと、あるページが白紙から光るルーン文字の浮き出た一節に変わっていた。

「この呪文は……始祖ブリミル、わかったわ!」

 祈祷書とルビーがその呪文の効力を教えてくれる。ルイズは杖を取り出し、迷わずに呪文を詠唱し始めた。

「ルイズ!? その呪文は」

 才人やアニエスたちが怪訝な表情をしているが、説明している時間もない。今このピンチを切り抜けるには、この魔法の効力を発動させるしかないのだ。

 はじめて唱えるはずなのに、まるで喉の奥から呼吸するように自然に呪文が湧き出してくる。そして呪文が完成したとき、ルイズは空を見上げて大きく叫んだ。

「いくわよ。わたしたちをあの船まで運んで、虚無の魔法……『瞬間移動(テレポート)』!」

 刹那、ルイズたち四人の姿は宿の前から掻き消えていた。

 

 そのころ、ワルドは貨物船の船倉で今まさに作戦の最終段階にかかろうとしていた。

「さて、あとはこの導火線に着火すれば、十数秒後にはこの船は木っ端微塵。人間を怪物化させる薬が、ラ・ロシェールの町全体に降り注ぐことになる」

 その前に、あらかじめ渡されていた風石の仕込まれた指輪で自分は船から脱出すればいい。元はエルフの作ったものだというアイテムは、瞬時に安全なところにまで運んでくれるはずだ。

 ほくそ笑みながら、ワルドは導火線に『着火』の魔法で火をつけようとした。だが、そのときだった。

「わーっ!?」

 突然、何の前触れも無く船倉内に才人、ルイズ、アニエス、ミシェルの四人が出現してきたのだ。

「お、お前たち!」

「ワ、ワルド!」

 どちら側も出会い頭のことでまともに反応することができずに固まった。それはそうだ、こんな事態は想定できているほうが常識的にどうかしている。だが、中でも一番早く事態の原因を悟った才人が、その張本人に向かって言った。

「ルイズ、お前の魔法か!?」

「ええ、虚無の魔法『瞬間移動』、時間を要さずに任意の場所に転移できる呪文よ……」

 精神力を浪費した後遺症からか、疲れた様子でルイズは答えた。また、アニエスらもその言葉である程度現状を理解し、ワルドも驚愕したように叫んだ。

「き、虚無の魔法だと?」

「ええ、ただ今のわたしの力じゃそう遠くまでは跳べないし、さすがにこの人数を同時に跳ばすのはきつかったわ。というわけで、あなたたち後はよろしくね」

 ため息をついて、ルイズは役目を果たした祈祷書を懐にしまいこんだ。そして、今度こそ完全に状況を飲み込んだ才人たちは、遠慮なく剣を鞘から引き抜いた。

「さすが伝説は伊達じゃねえな。ようし、後はまかせてゆっくり休んでろ」

「虚無、伝説、よくわからんがすごい魔法が発動したのだけは確かなようだな。後でいろいろ聞きたいが、とりあえず今はやるべきことがある」

「ええ、ワルド……今日こそ決着をつけてやる!」

 才人、アニエス、ミシェルの三人の剣が船倉の薄暗い明かりのなかで鈍い銀色の輝きを放つ。

 三重の殺気を食らわされて、ワルドもようやく正気に返った。

「おのれ、まさかもうそこまで虚無を自在に操れるようになっていたとは。仕方ない、一足先にここを貴様らの墓場にしてくれるわ!」

 逃げられないことを悟って開き直ったワルドが叫ぶ。腐ってもスクウェアクラスのメイジ、その自信は根拠が無いわけではない。先んじて呪文の詠唱を始めた。

「ユビキタス・デル……」

「させるか!」

 偏在の呪文を唱えようとしたワルドに高速でアニエスが突進した。自らの分身を作り出す風のスクウェアスペル『偏在』は、成功させれば一気に戦力が数倍に跳ね上がる。なんとしても使わせるわけにはいかない。アニエスの剣はとっさに身をかわしたワルドの前に空を切ったが、連続攻撃で詠唱を続ける呼吸を許さない。

「ちっ、こざかしい真似を!」

「我ら銃士隊がメイジ殺しと呼ばれている訳を忘れるな。『偏在』は上級スペルらしく詠唱が長めだから、完成する前に切り込めばつぶせる」

「それに、私たちは一人じゃあない!」

 横合いから突っ込んだミシェルの攻撃が、ワルドの衣のすそを切り裂いて布の切れ端を舞わせる。ワルドの見切りがコンマ一秒でも遅れていたらわき腹を切り裂かれていただろう。冷や汗を流しつつ、ワルドは自分に向けられている強烈な執念を感じた。

「き、貴様ら、二対一とは卑怯だぞ」

「どの口がそんなことを言うんだ。人にものを言う前に我が身を振り返れ!」

 偏在は自分自身だから百歩譲って正々堂々といえる。しかし、積み重ねてきた悪行を棚に上げていっぱしの騎士を気取るのは許せない。返す言葉を失ったワルドは、偏在を使うのをあきらめて通常攻撃に切り替えた。

「この、平民の騎士ごっこが!」

 怒りとともに詠唱を邪魔することもできないくらい短い『エア・ハンマー』の魔法が唱えられる。空気の弾丸の目標はミシェルだ。剣だけでなく、魔法を使えるミシェルを先に狙うのはワルドの中に残った戦士の本能と呼べるものだった。しかし、それを見越していた才人が空気の弾丸の前に立ちふさがって、デルフリンガーで魔法を吸収してしまった。

「無駄だ。下手な魔法はこいつにゃ通用しねえぜ」

「うひょー相棒! 俺の真の使い道を覚えててくれてありがとよ。なに、今日はラッキーデイってやつか」

「き、貴様ガンダールヴ!」

「あいにく今はちげえよ。だが、言ったろ。おれたちは一人じゃねえってな」

 才人の身には大いなる自信が宿っていた。確かに一対一では誰もワルドには勝てないが、弱い力も束ねれば悪に対抗することができる。アニエスは二人の戦友に、決着をつけるときが来たと告げた。

「やるぞ、ミシェル、サイト」

 うなづいた二人はアニエスの前に立って身構えた。見守っていたルイズは、この構えは、と、記憶の片隅を掘り返す。ワルドはただならぬ気配を悟って、背筋に冷たいものを覚えた。

 バカな、この俺がこんな女子供を恐れているというのか!

 理性では否定するが、本能が激しく危険を警告してくる。ワルドは知らないのだ、この構えはアニエス、ミシェル、才人の三人が命をかけて完成させた奥義であり、かつてトリスタニアを覆ったツルク星人の恐怖を払った、三人の絆のはじまりともなった必殺技。

「うぉぉーっ!」

 才人を先頭に、三人の突進がはじまった。なんとか迎え撃とうとするワルドは必死で対抗手段を模索する。通常の魔法ではデルフリンガーに吸収される。手持ちの魔法、それもすぐに使えるものでなんとかなるものはないか? まばたきする間ほどに考えたワルドは杖に魔力を込めて鋭い剣に変えた。

『ブレイド』

 魔力を放出せずに杖に込めるこれならば、あの剣に吸収されて無効化されることはない。それに相手は素人に毛が生えた程度のアマチュアだ。

 渾身の力を込めてデルフリンガーを振り下ろしてくる才人の斬撃を、ワルドは手馴れた動作ではじき返した。しかし、才人の後ろからすぐさまミシェルの第二撃が襲ってくる。避けられない! ワルドはこれもはじこうと試みたが、デルフリンガーとの激突でわずかなりとて魔力を吸われて切れ味が鈍っていた『ブレイド』ではミシェルの剣を受け止めきれない。

「なぁっ!?」

 杖がワルドの手から弾き飛ばされて宙を舞う。そして、完全に無防備になったワルドの心臓へと、アニエスの剣が一直線に吸い込まれていった。

「ぐぁぁぁーっ!」

 絶叫と共に、串刺しにされたワルドの体がアニエスの突進の勢いのままに背後のロケットに叩きつけられる。ワルドの体を貫通した鉄剣はロケットの外装をも打ち抜いて、磔にするとようやく止まった。アニエスは、深くロケットに食い込んだ剣を手放して、後ろによろめくとミシェルに受け止められた。

「姉さん」

「大丈夫だ。それよりも、二人とも見事な先導だったぞ」

 今の一撃は、まぎれもなく全身全霊の一撃だったのだろう。その緊張感が解けたことによる、一時的な疲労感だ。しかしこれで、長きに渡ったワルドとの因縁も、終わるときが来た。

「ば、かな……この俺が、こんな連中に」

 吐血し、苦しげなつぶやきがワルドの口から漏れた。アニエスは、ふっと息を吐くと死に体のワルドに向かって吐き捨てる。

「三段戦法……今の攻撃は文字通り、我ら三人の三位一体の切り札だ。いくら強くても、貴様のように誰も信じずに利用することしか思いつかない男には、決して破れはしない」

「知ったふうなことを……ぐっ、ぐぁぁっ!」

 そのとき、苦しんでいたワルドの体が強烈なスパークに包まれ始めた。とっさに飛びのいたアニエスたちは、前回戦った忌まわしい記憶を蘇らせた。

「これは、あのときの!」

 ワルドの肉体と同化したエボリュウ細胞が暴走を始めていた。たちまちのうちに、ワルドの姿が人間の形を失って、異形進化怪獣エボリュウへと変わっていく。しかもそれだけではない。ロケットに開いた亀裂から緑色の光が漏れ出して、ワルドの体に吸い込まれていっている。

「ワルド! まずい、脱出するぞ」

 過剰なエボリュウ細胞の流入で、ワルドの肉体には想定不能な変貌が現れていた。エボリュウは肉体変化を起こしながら巨大化していき、コントロールを失った空中船は墜落していく。アニエスは船からの脱出を試みようとしたが、船倉は崩れ、大量の瓦礫が降り注いできた。

 つぶされる! アニエスとミシェルは思わず目を瞑った。しかし死を目前にした二人を包み込むように、まばゆい光が闇を押し上げて現れる。

「ウルトラ・タッチ!」

 闇夜に生まれる太陽がひとつ、冥府の門を砕いて飛び上がる。アニエスとミシェルはその暖かな輝きの中で守られていると感じた。こんなにまばゆく力強いのに、少しも熱くもまぶしくもないのはなぜだろう? いや、この光の暖かさは覚えがある。アニエスの心に遠い日に父に抱かれていた子供の日が蘇り、ミシェルはあの雨の日に冷え切った体に人としてのぬくもりを取り戻させてくれた、思い人の優しさに満ちた体温を思い出した。

「サイト……お前、なのか……?」

 根拠などいらない。ただ心に感じたままをミシェルは口にした。そして、目を開いたとき、そこには夜空を背に浮かび、手のひらに優しく自分たちを乗せた銀の巨人の姿があったのだ。

「ウルトラマンA……」

 ラ・ロシェールの郊外に降り立ったエースは、地面に二人を降ろした。

 そのとき、空中船も街からやや離れた無人の荒野に墜落した。満載されていた爆薬に引火し、紅蓮の炎が高く天を突いて伸び上がる。その地獄の門のような火焔から現れたのは、エボリュウよりもさらに巨大かつ凶悪に変貌した、超異形進化怪獣のおぞましい姿であった。

「ワルド……とうとう、そこまで」

 アニエスは憐憫さえ混じった声でつぶやいた。エボリュウ細胞の取り込みすぎで、もはや完全に理性を失った怪獣となってしまったワルドは、雄たけびを上げながら街に向かってくる。憎悪に燃えているように見える様は、人間だったころに持っていた復讐心のなごりか。

 だが、罪無き人々を犠牲にするわけにはいかない。

「ヘヤァッ!」

 ウルトラマンAは、街の前に守護神のように立ち、最悪の超異形進化怪獣ゾンボーグと成り果ててしまったワルドを迎え撃った。

 

 

 続く



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第61話  未知なる世界の空を目指して

 第61話

 未知なる世界の空を目指して

 

 サイボーグ獣人 ウルフファイヤー

 超異形進化怪獣 ゾンボーグ 登場!

 

 

 人は心を持つがゆえに人であり、心は愛を知ったときに魂となる。

 ならば愛を捨て、心を失ったときに人はなにになる……

 

 まだ夜明けには遠く、星の淡い光に照らされたラ・ロシェールの街。しかしこの街は今、血の様に赤い光にも照らされていた。

 エボリュウ細胞を充填したロケット。それを搭載していた空中船に満載されていた大量の爆薬。本来であれば、この街に眠る幾万という人々を怪物化するために用意されていた悪魔の種は、皮肉にもそれをばらまこうとしていた張本人を宿主に選んだ。

 天に唾した者のむくいか、すべてのエボリュウ細胞に体を乗っ取られたワルドは、エボリュウ以上の超異形進化怪獣ゾンボーグと化して街を襲う。

 死人のような茶色い皮膚に、肥大化した上半身。鎧のように胸元から伸びる六本の突起物。

 彼の醜い姿は歪んだワルドの心の映し鏡か。道を踏み外し、引き返すこともできなくなった果ての末路。

 

 暴走するゾンボーグを食い止めようと、ウルトラマンAは単身立ち向かっていく。

 人間の未来を信じる光の戦士と、間違った進化を遂げてしまった怪物。両極に位置する正邪の対決がはじまった。

「シュワッ!」

 街へこれ以上の接近を許すまいと、エースは正面からゾンボーグに挑みかかった。

 腕をぶつけあってよっつに組み合い、力と力の試しあいとなる。乾いた地面に足が食い込んで砂埃をあげ、互いの筋肉がきしんで拮抗状態が生まれた。だがそれも一瞬のこと、十四万トンのタンカーを持ち上げることのできるエースのパワーはゾンボーグを押し返し、勢いを緩めずに上手投げが炸裂する。

「ヘヤァッ!」

 地響きが鳴り、背中から地面に叩きつけられたゾンボーグを粉塵が覆う。最初の一手はエースの勝利だ。しかし、これで怒りに火がついたゾンボーグは起き上がる前に口から稲妻状の光線を吐き出してきた。

「フッ! ウォォッ!」

 エースの胸元で火花が散り、のけぞってひざをついた隙にゾンボーグは起き上がってくる。裂けた口を大きく広げて、第二撃を食らわすつもりだ。そうはいかないと、エースは体の前で腕を回し、円形の光の壁を作り出した。

『サークルバリヤー!』

 光線は方向を強制的に変更させられて、逆にゾンボーグの回りに複数の爆発を引き起こさせる。

 同じ手は二度通用しない。そのことを知ったゾンボーグはエースに接近し、格闘戦に持ち込んできた。太い腕を振り上げて殴りかかり、胸元から伸びた鋭い突起物がエースを狙う。

 しかし格闘センスはエースもさるもの、ゾンボーグに足払いをかけて転ばせると、背中にのしかかってパンチの連打をお見舞いする。上半身が大きくて重心のバランスの悪いゾンボーグはなかなか起き上がれない、そこを突いてエースの連続攻撃が続く。

 

 だが、一見エースの優位で進行しているように見える戦いを、アニエスとミシェルは予断を許さない目で見守っていた。

「油断するな。そいつの実力はそんなものではないはずだ」

 直接、不完全とはいえ異形進化怪獣エボリュウと戦ったことのある二人には、あの怪獣の実力がこの程度だとは思えなかった。

 地下道で、人間大の怪獣と化してしまったワルドの力は、少し思い出すだけでもすさまじかった。腕力、防御力、さらに光線を発射する能力。あのときも特殊な条件でなければ勝てたかどうかわからない。変貌し、巨大化したやつはそれらを強化して身につけているはず、他にもどんな能力を隠し持っているかも未知数だ。

「あっ、危ない!」

 エースがゾンボーグの背中から振り落とされた。ゾンボーグはさしたるダメージを受けたようには見えず、真っ赤な目を光らせてエースをにらみつけて、口を大きく開いた。

「雷撃が来るぞ! 避けろ!」

 光線という単語になじみの薄いミシェルは、光線の外見のとおりに雷撃と呼んだ。一瞬ののちに、言葉のとおりに緑色の電撃型光線がゾンボーグの口から放たれる。しかしさらに一瞬早くミシェルの声が届いていたエースは、大ジャンプして光線を飛び越える。

「トオォーッ!」

「よしっ!」

 エースの掛け声とミシェルの歓声が同時に響く。山をも跳び越すエースの跳躍力なら、この程度の攻撃をかわすなど造作もないことだ。そして今度は奴の頭上から一撃を食らわされられる! そう思ったときだった。

「なにっ! 跳んだっ!?」

 ゾンボーグはエースに合わせるようにして、蛇腹状になった足を大きくしねらせてジャンプした。今まさに急降下態勢に移ろうとしていたエースは避けきれず、頭から体当たりされて空中から叩き落された。

「ウワァァッ!」

 背中から荒野に墜落し、今度はエースが大量の砂塵を巻き上げる。ゾンボーグはゆうゆうと着地して、溜飲が下がったようにうなり声をあげた。その憎らしい声に、アニエスとミシェルも奥歯を噛む。

「くそっ、前は鈍重だったくせに、なんて跳躍力だ」

「ウルトラマンに届くほど跳べるとは、やはり肉体は相当に強化されているな。いかん! また来るぞ」

 ゾンボーグの口から放たれた光線がエースを襲い、エースはとっさに地面を転がって避ける。あの光線もエボリュウのときに比べたら格段に強化されているはずだ、まともに食らったら危ない。しかし接近するにしても、うかつに近づけば的にされてしまう。

 ならば! エースは攻撃のあいまをついて立ち上がり、再度空中へ飛び上がった。

「馬鹿な! 空中戦では五分なんだぞ、どうする気だ」

 アニエスが、勝機は半分でしかないエースの行為に叫んだ。いちかばちかの賭けに出たのか? いや、エースはそんな自棄な戦法をとる戦士ではない。追って跳んだゾンボーグとあわや空中衝突かと思われたそのとき、空中で一回転したエースはゾンボーグとそのまま組み合って落下した。

「うまいぞ、捕まえた」

 わざと狙われるようにしたのは逆におびき寄せて捕まえるためだったのか。やはりエースはすごいと二人に笑みが戻る。

 組み合った状態から戻った両者は、そのまま格闘戦に移行した。こうなると、チョップ技、キック技に長けたエースは得意の間合いから連続攻撃を決め、体の下からすくい投げをかけて転がせる。

「ようし、いいぞそのまま逃がすな!」

「一気にとどめを刺してしまえ。今度こそ逃がすな!」

 まだまだ、油断のできる相手ではないが戦いには勢いというものがある。よく訓練された精鋭の騎士が、ふいを突かれるだけで、雑兵に反撃もままならずに討ち取られてしまうなどよくあることだ。アニエスとミシェルは数々の経験からそのことをよく学び、ゾンボーグがひるんでいるこの隙に、撃破してしまえと声を張り上げる。

 

 しかしそのころ、戦いの流れを大きく揺るがす出来事が起ころうとしていた。

 ラ・ロシェールの街を襲ったウルフファイヤーの群れ、その大半は銃士隊と魔法衛士隊によって撃破されたが、一匹残らず掃討されたというわけではなかった。最後に残った一匹が、追撃してくる銃士隊から逃げて街の外へと飛び出してくる。

「逃すな! 追え!」

 部隊の小隊長を先頭に、小隊全員が馬に乗って街道にまで出て追いかける。女ばかりの部隊とはいえ、くぐってきた戦場の数と質ではいまやハルケギニアでも有数だ。男どころか鬼神も退く激烈な闘志で、絶対に逃してはなるかと馬に拍車を入れる。

 ところがそのとき、山陰にでも隠れていたのか緑色の閃光を放って空飛ぶ円盤が現れた。

「し、小隊長!」

「いけない。全員止まれ!」

 以前アブドラールスのUFOがトリスタニアを攻撃したことを覚えていた隊員たちは馬を止めた。今回の円盤も、あのときのように空襲をかけてくるのか!? 警戒する隊員たちの前で、円盤は高速で飛んでくると、ウルフファイヤーの頭上で静止して、光線をウルフファイヤーに照射した。

 するとどうか、人間大であったウルフファイヤーが瞬時に身長五十三メートルに巨大化したのだ。

「なっ!」

 巨大な遠吠えをあげるウルフファイヤーを見上げて、隊員たちは絶句した。さらに肩越しに自分たちを振り向かれると、狩るものと狩られるものの立場が逆転してしまったことを悟った。

「いかん……さ、散開しろ!」

 小隊長の叫びとともに、部隊はクモの子を散らすように逃げ出した。しかし、ウルフファイヤーの口が大きく開かれると、口腔の奥から灼熱の火炎が放射された。

「うわぁぁーっ!」

 直撃は免れたが、火炎が岩に当たって蒸発する際の爆風で数人が吹き飛ばされた。しかも、爆音で馬が怯えていうことを聞かなくなってしまった。巨大ウルフファイヤーは、追い回されたことを恨んでいるかのように迫ってくる。

 踏み潰される! 頭上に迫ってくる巨大な足に、引き裂くような少女の悲鳴がこだまする。そのときだった。

「テェーイッ!」

 間一髪で、ウルトラマンAがウルフファイヤーを羽交い絞めにして引き離した。

 助かった。ほっとする間もなく、圧死を免れた隊員は早く逃げろというエースのしぐさに従って、仲間たちに支えられて必死で逃れていく。

 しかし、銃士隊員たちを救うことと引き換えに、大ダメージを与える寸前でゾンボーグを解放してきたことがエースにとってあだとなった。ウルフファイヤーから銃士隊員たちを逃すために必死で押さえつけるエースの背後から、ゾンボーグはその腕を巨大な触手のように伸ばしてエースの首を締め上げてきたのだ。

「グッ、フォォッ!」

 エースから苦悶の声が漏れる。怪力で首を絞められたら、さしものウルトラ戦士でも危ない。首を押さえ、なんとか振りほどこうとエースはもだえる。そこへ、羽交い絞めから解放されたウルフファイヤーが攻撃をかけてきた。怪力のパンチが胸を打ち、キックが腹に食い込む。

「グッ、ウォォッ!」

 防御の姿勢をとることもできず、ウルフファイヤーの攻撃がおもしろいようにエースに決まっていく。さらに、後方から触手で引き倒されたエースを、二匹は引きづり回しながら踏みつけ、いいように痛めつけていった。

「くそっ! これじゃなぶり殺しじゃないか」

 アニエスがあまりの惨状に思わず叫んだ。これではまるで、首にロープをくくりつけて馬で引く拷問と同じだ。首が絞まろうとするのを抑えれば体が痛めつけられ、体を守ろうとすれば首が絞まる。

 残酷な奴らめ、特にワルドは本当に意識が消えているのか? もしかしたら、ワルドの狡猾で卑劣な頭脳だけが、そっくりそのままゾンボーグに残ったのではあるまいか。アニエスたちの周りには、窮地を逃れた銃士隊員たちも集まってきて、深刻げに戦いを見守っている。

「隊長、すみません。私たちが深追いしたばかりに」

「もういい。それよりも、これからのことを考えろ」

 実際、部下の不手際を責めている時間などなかった。ウルトラマンAのカラータイマーは明滅をはじめ、残り時間がわずかであることを示している。こんなとき、自分たちの非力が恨めしい。いや、いままで何回ウルトラマンAの戦いを見てきたのだ、彼はいつでも絶対的不利をくつがえしてきたではないか。

「エースくじけるな! そんなもの振り払ってしまえ」

「ヌッ、フォォッ!」

 アニエスの怒声がエースの気合を呼び起こした。首が絞まるのを覚悟で両手を離し、その両手を合わせてエネルギーをらせん状に集中させる。

『ドリル光線!』

 近接専用の特殊な光線で、大蟹超獣キングクラブの尾をバラバラにしたこともあるこの技ならば、ゾンボーグの触手も吹き飛ばせるはずだ。しかし、その危険性を察知したのか、ウルフファイヤーの火炎がエースを吹き飛ばして、光線の型が崩れてしまった。

「おのれっ!」

 動物的勘というやつか、同じ手は二度と通用するまい。ゾンボーグとウルフファイヤー、二匹の怪獣はエースにまだ戦う力が残っていることを知ると、さらに攻撃を強めてくる。

 エースを拘束したままで、ゾンボーグはエースを引きずりまわして逃れる隙を与えない。ウルフファイヤーは踏みつけ攻撃を続け、エースは象の足元の蟻のようにつぶされ続ける。

 アニエス、ミシェル、銃士隊はその凄惨な光景をただ見つめているしかなかった。自分たちの力ではなんの助けにもならない。それでも、なにかできることはないのか? 考えろ、圧倒的な力を誇る怪獣たちに対して、人間の武器は最後まであきらめない勇気と、そして知恵しかない。

 かつて何度も救われたように、今ウルトラマンAを救えるのは自分たちしかいない。そのとき、ミシェルの胸中にひとつの記憶が蘇った。才人に救われたあの日、襲ってきたノースサタン星人を倒したエースの力。ミシェルは決意すると、腰に刺した剣を引き抜いて走り出した。

「ミシェル! なにをする!」

 剣一本で二大怪獣に挑むつもりか、無茶すぎる。やめろとアニエスと銃士隊員たちの声が響くが、ミシェルの足は止まらない。

 二大怪獣が歩くたびに飛ばされてきた石や岩が、何個もすぐそばを通り過ぎていく。どれも、当たればよくて大怪我、悪ければ即死する大変な凶器だ。それでもミシェルの足は止まらずに、エースの近くまで来ると、手に持った剣をエースの手元に向かって精一杯の力で投げた。

「エース! そいつを使えぇーっ!」

 エースの目に、手元近くの地面に針のように突き刺さった剣が見える。そうか! これしかない! エースは剣を掴み取ろうと手を伸ばす。むろん、なにをするかはわからなくても本能的に危険を察知したウルフファイヤーが飛び掛ってくる。だが、一瞬早く剣を掴み取ったエースは、渾身の力で指先でやっと掴めるほどしかない大きさの剣を振り上げた。

「デェェーイ!」

 銀色の閃光がひらめき、猛烈な風圧と真空波がウルフファイヤーを吹き飛ばす。

 ありがとう、これでまだ戦える! エースは手のひらに伝わってくる確かな感触に闘志を取り戻した。今のエースは素手ではない。高く掲げた手の中には、鈍く鉄色の輝きを放つ一振りの大剣が握られていた。

『物質巨大化能力!』

 あらゆる物体の伸縮を自在とするエースの超能力により、ミシェルの剣はエースが使うにふさわしい大きさの大剣となったのだ。

 息苦しさを必死でこらえながら、エースは首を絞め続けているゾンボーグへ向き直る。いつまでも調子に乗っていられると思うな!

「デャッ!」

 一撃で触手を叩き切り、振りほどいたエースが立ち上がった。対して触手、すなわち腕を失ったゾンボーグは錯乱して、もだえ苦しんでいる。今がチャンスだ。

 しかしエースは一気呵成に攻めにはいけなかった。なぜなら、エースは剣術にはそこまで詳しくはない。念力剣・エースブレードを使ったり、超獣バラバの剣を奪い取って戦ったことはあるが、メビウスやヒカリを例外として、あとはウルトラの父がエンペラ星人と一騎打ちをした際にウルティメイトブレードを用いたそうだが、一般的に宇宙警備隊で剣を使って戦うウルトラ戦士はほとんどいない。

 けれどエースはこの剣を捨てる気にはならなかった。この一振りの剣には、命を賭けて託してくれたミシェルの勝利への願いが込められている。だからこそ、エースは決断した。

〔才人くん、君がやるんだ。君が私になって二大怪獣を倒すんだ〕

〔ええっ! お、おれが? そんな、無理だよ〕

 精神は共有しているとはいえ、これまでエースの肉体の主導権はすべてエース自身が扱ってきた。その大役を自分に任せられると聞かされて才人は驚いた。けれどもエースは自信を持って才人を諭す。

〔自分を信じろ、私の戦い方はすでに君の体に染み付いているはずだ。剣の腕では君に一日の長がある。それに、その剣には君を思う人の意思が込められている。扱うのは君しかいない〕

 その言葉で、才人はこれがミシェルの剣だということを強く意識した。怪獣に踏み潰されるかもしれない危険を冒して届けてくれた起死回生の一振り、これはただの武器ではない。

〔おれが戦う……おれが、ウルトラマンに〕

 変身するだけじゃない、そのものと化して戦う。その責任の重大さは押しつぶされそうという表現では表しきれない。しかし躊躇する才人に、ルイズは厳しく言い放った。

〔サイト! あんた男のくせになにおじけづいてんのよ。あんた今頼られてんのよ、あんたしかできないって! それをなんなのその煮え切らない態度。一度でもあんたみたいなのに好きだって言った自分が恥ずかしくなるわ〕

〔っ! ……わかった。おれ、やってみる。北斗さん、お願いします!〕

 ルイズの叱咤に才人はついに決心した。エースはうなずき、才人の体の感覚がウルトラマンAと同調した。

 視界が大きく広くなり、ダメージを受けた体の痛みも、剣を握る感触も自分のものとなる。

〔これが、エースの見ている世界〕

 間接的に体験するのとは大きく違った。いつも見ている世界がミニチュアのようであり、現実感が麻痺してくる。

 体は動くはずなのだが、金縛りにあったように動けない。だがこれは現実なのだ、吹き飛ばされていたウルフファイヤーが疾走して飛び掛ってくる。

 どうする? どうすればいい? 舞台に初めて上がった素人役者のように固まる才人の耳に、エースの声が鋭く響いた。

〔恐れるな! 君の心の赴くままに斬れ!〕

 その瞬間、才人の中で何かが切れた。頭の中をぐるぐるしていたものがいっぺんに消え、体に染み付いたガンダールヴだったころの記憶がウルトラマンAの体を動かす。

「イャァーッ!」

 気合とともに剣が振り下ろされ、ウルフファイヤーの体を斜めに切り裂く。

 手ごたえ、あり。ウルフファイヤーは子犬のように絶叫してのけぞった。

〔やった、おれが……〕

 間合いが甘かったようで、両断するまではいかなかったものの、それは紛れもなく才人の剣が見せた戦果だった。

 そして同時に、ウルトラマンAと一体化した才人の体に限りない自信が湧いてくる。

 やれる。今なら、おれは持っている力をすべて使いこなせるはずだ!

 ただの一撃が、才人の中に不定形な様でただよっていた『剣士』としての自分を現実の形にしていた。剣の重さが自分の体のように感じ、どうすれば剣が動いてくれるのか手に取るようにわかる。才人は剣の柄から伝わってくる感触をしっかと確かめると、アニエスたちに助けられて離れた場所から見守っているミシェルへとうなずいてみせた。

〔ありがとう姉さん、この剣は絶対に無駄にはしないぜ!〕

 強く誓い、完全に自分自身を掌握した才人の大逆襲の幕が切って落とされた。

「トァーッ!」

 大剣を振るい、エースとウルフファイヤーが再び激突する。しかしウルフファイヤーも手傷を負ったとはいえ、動物は多少の傷では憶さずに逆に凶暴化してしまうものだ。上段から切り込んだエースの攻撃を、すばやい動きでかわしつつ、さらなる攻撃もさばきながら隙をついてパンチやキックをあびせようとしてくる。

 やるな! そうか、銃士隊との戦いで剣に対する対処法を学習したんだなと才人は感付いた。賢い狼は絶対に銃を持った人間に近寄ることはないように、動物は一度傷つけられると、二度とそのリスクを冒すことはない。ならば、こちらも持っているすべての力で相手の力を上回るしか勝つ方法はない。

 上段から中段、突進からフェイントを使った切り込みと、才人は知っている限りの剣技をエースの体を使って披露する。才人本来の肉体では負担が大きすぎて不可能なガンダールヴの技も、ウルトラマンの強靭な肉体でなら可能だ。

 そしてその壮絶な剣と肉体の激突は、戦いを見守るミシェルにおぼろげな思いを抱かせはじめていた。エースの振るう剣の太刀筋、体の運びや独特なくせなどに、剣士としての自分が呼びかけてくる。

「サイト、お前なのか……お前が」

 だが勝負はそのまま一対一とはいかなかった。ウルフファイヤーが苦戦していることを見て取った円盤が、エースの後方から怪光線で援護射撃を食らわせたのだ。

「ヌワァッ!」

 不意打ちを受け、よろめいたエースにウルフファイヤーの蹴りが炸裂して、さらにエースはなぎ倒された。

 しまった、敵は怪獣だけではなかったんだと空を見上げるエースに、円盤はさらに怪光線を発射してくる。しかもウルフファイヤーもその攻撃に呼応するように、口からの火炎攻撃に切り替えてきた。

〔くそっ! はさみうちか〕

 剣は近づかないと使えない。このままではやられる! 光線技はまだ撃ち方がよくわからないし、狙っても当たるかどうかはわからない。だが、エースにはできなくとも自分にはできるかもしれない戦い方がある。才人はガンダールヴだったころの感覚を思い出して、力の限りを尽くしてジャンプした。

「トオーッ!」

 ウルトラマンAの跳躍力は地上九百メートルにも及び、ウルトラマンレオに続いて二位を誇る。一瞬で円盤の頭上まで舞い上がると、そのまま渾身の力で剣を振り下ろし、円盤を真っ二つに切り裂いた。

「やった!」

 地上の銃士隊から歓声があがる。円盤も、これが下や横方向からの攻撃だったら回避の用意もしていたのであろうけど、才人の判断は完全に意表をついた。まさか上から襲われるとはまったくもって想定していなかったに違いない。

 両断された円盤は、片方は即座に墜落したが、もう片方はエンジン部は切られなかったと見えて少しの間浮いていた。しかしやがてフラフラとよろめいて、街から離れた場所に墜落していった。

 さあ、あとは二大怪獣だけだ。ウルフファイヤーは頼りの円盤が破壊されたことですっかり怖気ずき、ゾンボーグは両腕を失ったショックからようやく立ち直っているようだが、まだ攻撃態勢にはない。カラータイマーの点滅も限界に近づき、これが勝負を決める最後のチャンスだと悟った才人は、剣を左手の逆手に握りなおして、ウルフファイヤーに向かって突進した。

「イヤーッ!」

 すれ違いざまの一撃。ウルトラかすみ斬りの応用で繰り出した斬撃は、見事にウルフファイヤーの胴体を切り裂いた。

 仰向けに倒れ、爆発四散するウルフファイヤー。さあ、残るは一匹。

 しかし、ゾンボーグは最後のあがきか電撃光線を吐き出して抵抗してきた。ショックが全身を貫き、エースを通して才人にも苦痛が伝わる。だが、光線を吐くゾンボーグの姿が才人の脳裏でライトニング・クラウドを放つワルドと重なると、才人は大剣を全力でゾンボーグに向けて投げつけた。

「デャァッ!」

 銀の矢となって、ミシェルの剣はゾンボーグの胸の中央を貫いた。たまらずもだえ、苦しげな咆哮が夜闇に響き渡る。

 決まった……才人、エース、ルイズ、そしてアニエスとミシェル、銃士隊は決着がついたことを知った。

 完全に致命傷だ。いくら怪獣と化したとはいえ、胴体をぶち抜かれて生きていられるわけがない。抜こうともがくも、すでに腕はなく、助かるすべはなかった。

 これ以上はもう、苦しみを長引かせるだけだ。断末魔のあえぎを漏らすゾンボーグを見ているうちに、才人たちはあれだけあったワルドへの敵意が薄れていくのを感じていた。憎んでもあまりある悪党だったが、もう十分だ。

〔北斗さん……〕

〔わかった。あとは、まかせろ〕

 才人から肉体の主導権を返されたウルトラマンAは、苦しむゾンボーグを一瞬だけ見据えた。

 さらばだ。体を左に反らせ、エースは腕をL字に組んでとどめの一撃を放つ。

『メタリウム光線!』

 三色の光線はゾンボーグに吸い込まれていき、巨体は瞬時に炎に包まれる。それがゾンボーグの最期の姿だった。巨体が硬直したと思った瞬間、ゾンボーグは頭部から上半身が爆発を起こし、次いで下半身も誘爆すると、一気に大爆発の火焔を吹き上げて消し飛んだ。

「やった!」

 銃士隊から惜しみのない歓声がとどろいた。ゾンボーグは木っ端微塵となって飛び散り、虚空に跡形もなく消えていく。ウルトラマンAの勝利、そしてこれでトリステインにまとわり続けていたワルドの影も完全に消え去った。

 元は魔法衛士隊の隊長でありながら、レコン・キスタと通じて国を売り、さらにはリッシュモンの手下になってトリステインを滅ぼそうとした悪の末路は、自らが撒き散らそうとした毒に自らが食い尽くされることで終わった。しかし、何者がワルドを利用してラ・ロシェールの人々を狙ったのかはわからずじまいであったが、最後の最後まで他人の思うままに舞い続け、糸が切れたように燃え尽きていったさまはもはや哀れですらある。

 二大怪獣は消滅し、敵の気配が完全に途絶えたことを確認したエースは、天に瞬く銀河を見上げた。

「ショワッチ!」

 ハルケギニアの大地を離れ、ウルトラマンAは遠く天空を目指して飛んで行く。その後姿を見上げてミシェルは思った。

”ありがとう、これでまた私は一歩前に進める”

 ミシェルの中に残っていた、わずかな心の傷の痕。ワルドと同類であったかつての自分の姿。すでに許され、自分も自分を許したつもりでいたが、その事実は消せずに彼女の胸のうちにひっかかり続けていた。ワルドは本当にどうしようもない悪党だったが、もしかしたら、今日ここで灰になっていたのは自分だったかもしれない。

 ならば、ワルドと自分の運命を違えたものはなんであったのかと問われれば、ミシェルは迷わずこう答えるだろう。

「大切な仲間と、私を信じてくれた家族、そして私を救ってくれた愛する人」

 そう、ミシェルには闇の中に光を照らし、手を差し伸べてくれる人がいたがワルドにはいなかった。ワルドもひょっとしたら最初は愛や夢を持つ普通の人間だったのかもしれないが、いつの間にか誰との絆も持たない孤独な人間に成り下がってしまった。人とのつながりがないのなら、心などなんの意味も持たない。それでは、どんな高尚な理想を持っていようとも独善と狂信にしかならないのである。

 しかし、自分の選んだ道は間違いではなかった。

 今、過去の幻影はもう一人の自分とともに、完全にミシェルのうちから消え去ったのだ。

「私の居場所は、ここにある……」

 胸に手を当て、ミシェルは今ある自分を確かめるようにつぶやいた。

 隣を見ると、アニエスが肩を叩き、なくした剣の経費は出るのかと聞いてくる。仲間たちも、戦いのときに見せていた剣呑な表情をおさめて笑いかけてくる。ここにいる限り、もう二度と自分は道を誤ることはないに違いない。

 ラ・ロシェールは邪魔されかかった眠りに再びつき、人々はなにもなかったかのように朝を待って眠り続ける。

 街に帰ろうと荒野を歩くアニエスたち。その彼女たちに向けて、才人とルイズも駆けてきた。どこにいっていたんだと問いかけるアニエスに、才人は頭をかきながら答えた。

「いやあ船が落ちる瞬間、おれたちはルイズの魔法で脱出したんだけど、こいつがとんでもない場所に飛ばしやがるもんだから」

「あんたが暴れるからイメージが崩れちゃったんじゃないの。おかげでアニエスたちを拾い損ねちゃったじゃない」

「すいません。でも、姉さんたちもウルトラマンAに助けてもらえてたんですね。ほっとしました」

 どことなく白々しいが、アニエスたちは才人たちも無事だったことを喜んだ。ただ、ミシェルは才人の顔を少し複雑そうな表情で眺めていた。

「なあサイト」

「はい、なんですか?」

「お前、もしかして……いや、なんでもない」

 それきり、ミシェルは向こうを向いて歩き出してしまった。才人は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら後を追う。二人を含めて一行はラ・ロシェールへと歩を進める。

 そんな平和な談笑をする一行を、少し離れた丘の上から見守っている男がいた。土色のジャケットをはおり、真新しいテンガロンハットをかむった壮齢の姿は、熟達したカウボーイを思わせるだろう。彼はしわが刻まれながらも、若々しさを根強く残す顔に笑みを浮かべた。

「よい仲間を持ち、そして深い絆を育んでいるな。その仲間たちがいる限り、どんな強敵にも立ち向かっていけるだろう。忘れるなよ、それが、光の戦士の本当の強さなんだ」

 わずかに感傷にひたる感じで、男はつぶやいた。そのとき、ミシェルはふと気配を感じて丘の上を見上げたが、丘の上には誰もおらずに、冬の冷たい風が流れているだけだった。

 

 だが、平和の静けさの中に戻ったかのように見えるラ・ロシェールにおいて、なお冷たい目を輝かせる者たちもいた。

「やれやれ、ワルド子爵は失敗しましたか。あれだけお膳立てをしてあげたというのに、使えない人でしたねえ」

「ええ、彼の執念を見込んで復仇の機会をあげたというのに、口ほどにもなかったですね。でも、目的の半分は達成できたのですから、僕たちが骨を折ったかいはあったのではないですか?」

「そうですね。虚無のさらなる覚醒は、万の雑兵を捨てるにも勝る成果であったと言えますね。その意味ではワルド子爵はよくやってくれました。神の力の目覚めに貢献できたとなれば、彼の魂はきっと天国に導かれるでしょう」

「はい……それに、子爵の一身に彼らの憎悪が集中してくれたおかげで、我等のことが表に露見することはないですしね。まったく、よい当て馬でした。もう聖地のことも考えずにすむようになって、彼もさぞ本望でしょう」

 慰霊の意思など少しも感じられない口調で、ふたつの声はそれぞれにしか聞こえない言葉でささやいた。ワルドが生前に洞察していたように、彼らは最初からワルドを捨て駒として捉えていた。それが思っていたとおりになったからとて、惜しむ気持ちは少しも湧くはずはない。

「ともあれ、これで彼らの現在の力はわかりました。ですが、四の四の四の大望を成就するには、まだ不十分ですね」

「では、もう一押しをかけてみますか?」

「それには及ばないでしょう。我らが助長しなくとも、虚無の成長が続いていることは確認できました。しばらくは見です。慌てずとも、目覚めるものは時が来れば自然に目を覚まします。我等はその間に、干ばつが来てから井戸を掘る愚を犯さぬように努めることとしましょう」

 何を目的としているのか、不気味に陰謀をめぐらす者たちの薄笑いが夜闇に溶けていく。

 

 ひとつの事件がこの夜に起こり、終わった。けれども、この事件がより巨大な計画のための下地に過ぎないことを知る者はいない。

 悪の根は一本ではなく複雑に絡み合い、ハルケギニアという土壌を食い尽くそうとする。けれども人は荒らされた土地を耕して、また花を植えようとする。たとえその畑に、何度雑草が生えようとしても。

 

 長かった夜が明けて、朝はまた来た。この日はいよいよアンリエッタとウェールズが、アルビオンに旅立つ記念すべき日となって街中が湧きに湧いている。

 むろん、新婚夫妻も復興なったアルビオンへの帰還を心待ちにしている。しかしその出航前に、アンリエッタはなかば強引に時間をねじ込んで才人たちを呼んでいた。目的はもちろん、昨晩の事件のあらましを問いただすこと、そしてもうひとつ、ハルケギニア全体の運命を左右するかもしれない、ある腹案を実行に移すためであった。

「そうですか、あのワルド子爵がとうとう……彼も昔は優秀な騎士だったのですが、どこで道を誤ってしまったのでしょうね。せめて魂だけは救われるよう、冥福を祈りましょう。それでアニエス、昨晩の事件はやはりワルド単独の仕業とは思えないのですか?」

「はい、あれだけの獣人の兵団や、人間を怪物化させる薬の存在を見ても、とうてい彼一人で調達できるものとは思えません。サイトとミシェルが目撃したという、聖堂騎士姿のワルドにしても、聖堂騎士団に問い合わせたところ、そのような者はいないの一点張りでした。この件には、なにか我々の想像を超えた強大な何者かが糸を引いていたように思えます」

 アニエスの見解にアンリエッタは無言でうなずいた。目の前には、アニエスとミシェル、そして才人とルイズにティファニアとルクシャナがそれぞれ控えている。彼らの活躍はアンリエッタの胸をいくぶんか熱くしたが、自分のお膝元でも平然と事件が起きる現状を笑ってはいられない。

「それでアニエス、その黒幕とは何者だとあなたは読みますか?」

 問いかけながらアンリエッタも酷な問いだと思った。今回証拠は残っていない。ワルドは死体も残さず消滅したし、証拠品となりうる船も炭と化したし、船籍一切の記録も偽装されたものだった。こんな真似をするやつは、何者だ? 最初に思いついたのはもちろんヤプールだったが、徹底した証拠隠滅はヤプールらしくない。ならば何度も虚無を狙ったガリアのジョゼフの仕業か? これの可能性がもっとも強いが、やはり証拠がないのが痛い。

「私にも今回の事件の裏は読めません。しかし姫さま、原因も重要ですが、これだけ用意周到に襲ってくる敵ならば尻尾は容易に掴まさせますまい。それよりも、いずれまた襲ってくることは確実でありましょうから、そのときにこそ備えて万全を施すことこそ急務かと」

 アニエスの進言に、アンリエッタは深く考えた。政治的な問題であれば、マザリーニ枢機卿に相談すれば有益な助言はいただけるが、この問題は前例がないから自分で判断しなければいけない。部屋の片隅で護衛についているカリーヌに視線を送ったが、彼女は相変わらず微動だにせず直立不動を保っている。

”大事な決断を人頼みにするなということですか”

 相変わらず厳しい。でも、それに見合うだけの実績をこの人は上げてきたのだ。考えて、アンリエッタはルイズたちに向けて息を大きく吸ってから発言した。

「ルイズ、ティファニアさん、単刀直入に申しましょう。エルフの国に行ってみるつもりはありませんか?」

「は……?」

 一瞬世界が風景画と化した。言葉の意味を飲み込めず、耳の奥にひっかかった言葉が脳に吸収されずに漂っている。それでも何度も言葉の意味を反芻し、頭の回転の特に速いルイズとルクシャナが同時に声をあげた。

「ひ、姫さま! わたしたちに東の果てへ行けというんですか」

「こ、この蛮人たちをサハラに案内しろというの!」

 どう考えてもそれ以外の答えがあるようには思えなかった。後になって才人たちも驚き始めたが、特にルイズの驚きが大きかった。アンリエッタが突拍子もないことを言い出すのはいつもだが、今回はとっておきだ。先日ティファニアとルクシャナにエルフと人間の架け橋になってくれと言ったことすら非常に常識的に思えてくる。

 だが何よりも、想像の斜め上どころか、天頂を刺し貫いているアンリエッタの真意がまったく読めない。単刀直入とは言ったものの、直入過ぎて消化できない。それにアニエスとミシェルについては、さらに意味がわからずに呆然としている。

 説明を求める一同に、アンリエッタは順を追って話を再開した。

「どうも結論を急いでしまって申し訳ありません。ですが、事は場合によっては一日の遅れが世界の破滅へつながるかもしれません。アニエス、もうあなたたちにも隠しておく必要はないでしょう。サイトさんは不本意かもしれませんが、もはやわずかばかりのかばいあいに意味があるとは思えません」

 そうしてアンリエッタは、まずアニエスとミシェルに虚無をはじめとする事のあらましを、才人とルイズも交えて説明した。むろん両者にとっては晴天の霹靂に等しいが、ティファニアとルクシャナがエルフだという確かな証を見せられると、納得する以外になかった。

「すみません、今まで黙ってて……お二人や、銃士隊のみんなを巻き込みたくなかったから」

 頭を下げて陳謝する才人に、アニエスはため息をひとつすると応えた。

「やれやれ、だがお前らしいな。過ぎてしまったことをいまさらどうこう言うつもりはない。エルフも、どちらかといえば新教徒に近い私にはどうでもいいことだ。しかし、お前たちの配慮はありがたく思うが、姫さまの言うとおりに、もはや些細な配慮が役に立つとは思えないようだな。ミシェル、お前もそう思うだろう?」

「ええ、世界が滅んでしまえばどのみちゼロですからね。サイト、配慮はありがたいが、銃士隊は全員お前らにまだまだ返しきれないほどの借りを抱えてるんだ。なんでも遠慮なく頼れ。第一、家族の危機を黙って見ているやつがいるか?」

 アニエスとミシェルはのけものにされて多少怒った様子だったが、快くすべてを受け入れてくれた。才人はただ一言、「ありがとうございます」と、涙で詰まった声で返した。

 そしてアンリエッタは、前置きが済んだことを確認すると、いよいよ本題に乗り出した。

「皆さん、今のお話であらためて認識できたかと思いますが、もはやハルケギニアの平和を乱そうとしているのはヤプールだけではありません。ガリア王ジョゼフは私欲のために虚無を狙い、ほかにもどんな勢力が水面下で胎動しているか想像もつきません。そしてこれらはほっておいても増えることはあっても減ることはないのです。今回のことで、もはや私の近くでも安全などないことも実証されました。これを解決するためには、もはやこちらも過去のいきさつにこだわって躊躇しているときではありません。わたしはここに、数千年に渡ったエルフとの抗争に終止符を打ち、同盟を結ぶための一歩を踏み出すことを決意しました」

 熱意に満ちたアンリエッタの言葉に、一同は圧倒された。エルフとの終戦、同盟の締結、それはハルケギニアでも人間たちがずっと考えてきたが、宗教、種族、強硬派の妨害と様々な要因によって果たしえなかった究極の理想だ。しかしアンリエッタは夢想を語っているわけではないことを強調する。

「皆さんのおっしゃりたいことはわかります。本来なら、何十年とかけて、段を重ねながら交渉していくしかない事柄でしょう。しかし、我らには一年先の保障もないのです。エルフとの和解は、ヤプールに勝つための絶対条件、ならば今動かないでいつ動くというのです?」

「ですが姫さま、申し上げにくいですが、エルフとの接触はそれだけでロマリアに異端と認識されます。そのようなことになれば、このトリステインの命運が」

「それにお姫さま、エルフのみんなはほとんどが人間を蛮人と呼んであざけってるわ。とても対等の同盟なんて結びようがないと思うわよ」

 アニエスとルクシャナの反論ももっともだった。しかしアンリエッタは歯牙にもかけない。

「言ったはずです。もはや小さなことを気にかけていられるときではないのです。むろん、ロマリアの妨害を避けるため、当初は秘密裏にことを運びます。エルフの統領テュリューク氏は懸命なお方と聞きました。それに、エルフも今ならばヤプールの恐ろしさが身に染みているはずです。逆に言えば、チャンスは今しかないのですよ」

 アンリエッタの訴えは次第に一同の心を動かした。確かに、細かないさかいなど滅亡してしまえば意味はない。このままだらだらと時間を費やしても、ヤプールは強大化しエルフは衰亡していくだけだ。ならば、一か八かにかけるしかないのではないか? ルイズはわかりましたと答え、ティファニアにあなたはわたしたちが守るからと告げた。

 だがそう思っても、現実的な、しかも物理的な問題が残っている。それをルクシャナは口にした。

「けれど姫さま、サハラに到達するためには広大な砂漠地帯を越えるか海上を迂回しなくてはいけませんわ。言っては悪いですが、人間の空中船では越えるだけで精一杯。しかも国境を監視する空軍も水軍も蛮人の海賊を相手にしてきて、根っからの蛮人嫌いと聞きます。和平の使者など、問答無用で撃沈されてしまいますよ」

「わかっています。妨害を突破し、ある程度こちらの実力と本気を示す必要があります。そのために、極秘に用意していたものがあります。入ってきてください!」

 アンリエッタが呼びかけると、扉が開いて二人の男女が入室してきた。しかも二人ともよく見慣れた人で、ルイズと才人は驚愕して相手の名を叫んだ。

「エレオノールお姉さま!」

「それに、コルベール先生も!」

「ルイズ、先んじて話は聞いたわ。本当なら、あなたをエルフの国にやれなんて命令、断固反対だけど、エルフの虚無への誤解を解くにはあなたしか適役はいないのよね」

「でも、かわいい生徒の君たちを無駄死にさせるわけにはいかない。だからとっておきを用意した。行かせてあげるよ君たちを、私たちの作った新型高速探検船『東方号』でね!」

 

 

 続く



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第62話  新造探検船オストラント号

 第62話

 新造探検船オストラント号

 

 すくらっぷ幽霊船 バラックシップ 登場!

 

 

 六千年の間、国家間のいさかいやエルフへの遠征はあれど、平和と秩序を保ち続けてきた世界・ハルケギニア。

 だがその平和は、突如この世界に襲来した異次元人ヤプールの侵略によって、無残にも砕け散った。

 才人とルイズは、ウルトラマンAの力を借り、ヤプールの侵略を食い止め続けてきたが、時が経つにつれて予想もしなかった事態が起きてきた。ヤプールの侵略による混乱につけいるかのように、この世界の人間たちの中にも不穏な動きを見せ始める者も現れたのだ。

 虚無の力を狙い、何度も卑劣な攻撃を仕掛けてきたガリアの王ジョゼフ。かつて地球で、怪獣頻出期の混乱につけいって多くの宇宙人が侵略をかけてきたように、彼の存在を皮切りにロマリアも動き出した。

 ワルドを傀儡とした何者かの陰謀は撃破したものの、同時に多くの謎も残した。

 誰が、何の目的を持って人間の怪物化をはかったのか? すべては闇の中に消えた。

 代わりに残ったのはルイズの新たなる虚無の魔法の覚醒。瞬時に別空間への転移を可能にする呪文・テレポート。

 完全に成功すると思われたワルドの計画を頓挫させたこの魔法は、さすがに伝説の系統にふさわしい驚異的な効果を発揮した。だがその反面、連続する虚無の覚醒はこの世界に迫り来る暗雲の厚さをも想像させた。

 

 地下に潜んで強大化の一途をたどる数々の悪の勢力、もはや躊躇している時ではないとアンリエッタは決断した。

 

 ジョゼフや、まだ影もつかめない謎の勢力も確かに脅威だ。しかし彼らの暗躍する土壌となり、この世界を狙う最大の敵はヤプールにほかならない。生物の邪悪な思念・マイナスエネルギーを糧とするヤプールのパワーアップを止めるには、この世界で六千年間続いてきたエルフとの不毛な争いに終止符を打つしかないのだ。

 アンリエッタは、現在唯一エルフとのつながりを持ち、なおかつエルフが潜在的に恐れている虚無への敵対心を消し去れる可能性を持つルイズに白羽の矢を立てた。

 しかし前途は険しい。エルフの大多数は人間を蛮人と呼んでさげすんでおり、その強力な武力を持って、ためらうことなく攻撃を仕掛けてくるだろう。しかもエルフの国、いまだ人間が到達したことのないはるか東の果てに向かうためには、通常の手段では不可能だ。

 だがその不可能を可能にするため、現れたエレオノールとコルベールは希望の名を告げた。

「行かせてあげるよ君たちを、私たちの作った新型高速探検船『東方(オストラント)号』でね!」

 エレオノールとコルベールの語る『東方号』とは何か? 

 ハルケギニアを狙う、飽くなき邪悪の増長に反旗を掲げるために、人間側の逆襲が始まろうとしていた。

 

 

 戦いの夜が明けて、ラ・ロシェールの街は最大最後の熱狂の渦の中にあった。この一ヶ月、トリステインで盛大かつ華麗な婚礼の儀をあげてきたアンリエッタとウェールズ夫妻が、今日いよいよもうひとつの母国であるアルビオンへと旅立つのだ。

 昨夜のウルフファイヤーとの戦闘はかん口令が敷かれ、一般大衆はほとんど知らない。豪奢に飾られたお召し艦が桟橋を離れ、夫妻はその脇をカリーヌとアニエスに護衛されながら、見送りの人々へと感謝の手を振る。

「みなさまありがとう。アルビオンとトリステインの変わらぬ友好を築き上げるため、わたしたちは行ってまいります」

 陽光を受けてきらびやかな輝きを放っているかのような夫妻の門出だった。見送る人々もそれを受けて、喉も枯れんばかりの大歓声とともに見送る。桟橋の上には国に残る重臣や各国の大使、世界樹のほかの枝にも一目見ようと多くの人々があふれ、世界樹の根元やラ・ロシェールの建物の屋上などにも手を振る人は尽きない。

 

 しかし、その中にルイズたちの姿はなかった。そのころ才人、ルイズ、ティファニア、ルクシャナの四人はすでに街を離れて、銃士隊の一個小隊とともに南へ向かっていたのである。目的地はラグドリアン湖の東方にある分湖の対岸にある造船所街。ラグドリアン湖そのものは、ガリアとトリステインの関係を良好に保つためと、水の精霊への敬意を込めて軍事施設等の建設は条約で禁止されているが、その奥にある河川や小さな湖は両国共に存分に利用していた。

「着いたぞ、降りろ」

 街の入り口のある馬車駅で、四人は乗ってきた馬車から降ろされた。ここでは軍備増強中のトリステイン空軍の軍艦が続々と建造されているので、木材や鉄鋼を搬送する荷車や人夫でとてもにぎやかだ。最近では、先日の観艦式でお披露目された巡洋艦なども、ここで建造されたものが数隻混じっている。

 才人は、船台上でマストを立てられている軍艦や、道を荷車に載せていかれる大砲を見て感嘆の吐息を漏らした。軍備は理想的な平和主義者からしたら悪の象徴と言われる。確かにそれは一端の真実であるのだが、この世には他者のものを奪い取って恥じず、むしろそれを誇るような人間や国がいるのも事実だ。人間という生物の目を逸らしてはいけない愚かしい一面だが、この世が完璧な理想世界とは程遠い以上、一定以上の軍事力は国家にとって必要とされる。

 もちろん、戦力の拡充のしすぎは財政の悪化を呼び、守るべき国を戦争に駆り立てるという本末転倒な事態を招く。なにせ軍隊とは一粒の米も、一滴の酒も生み出さない、いるだけで金食い虫となる存在なのだ。それを防ぐためには、為政者の拡大の限界を見極めて手を引く冷静な判断力が必要となる。来年早々に女王となるアンリエッタの重要な課題となるだろう。

「やあ諸君、よく来たね。歓迎するよ」

「全員無事到着した。案内を頼む」

 才人たちの降り立った馬車駅には、コルベールとエレオノールが先に来て待っていた。二人はラ・ロシェールで才人たちにおおまかな説明をした後に、出迎える準備をすると言って竜籠で一足早く帰っていたのだ。

 こちらの人員は、才人たち四人のほかは「ルイズたちの手助けをしてやってください」と、アンリエッタ直々に命令を受けた銃士隊の一個小隊三十名で、指揮官にはミシェル。本来ならば近衛部隊である銃士隊の副長が残るなどは考えられなかったが、アニエスとアンリエッタの二人の同時指名で決定されたのである。

 なお、この人事を後で耳にしたとき、当初ルイズが渋い顔をしていたが、主君からの命令とあっては言いだてもできなかった。そんな娘の様子を見て、母カリーヌは無表情の仮面の下で嘆息していたが、娘はむろん知る由もない。

 

 コルベールとエレオノールの出迎えを受けた一行は、そのまま二人の案内で造船所内を進んでいった。ここはトリステイン軍の直轄の施設なので、許可のない者は立ち入りできないために、さすがに奥に行くほど物々しくなっていく。

 ここで、例の『東方号』という船を建造しているのだろうか? 才人は立ち並ぶ数々の軍艦や輸送船を眺めながら思った。王宮ではコルベールは「ここではどこで誰が聞き耳を立ててるかわからないからね」と、才人たちは『東方号』についてほとんど具体的な説明を受けていなかった。わかっていることは船名と、それが高速探検船という聞きなれない別名を持つということだけ。

 ルイズも、コルベール先生とエレオノール姉さまとは、なんとも珍妙な組み合わせだと不思議に思った。二人に接点があるとすれば教鞭をとっていることと、アカデミーのつながりが思いつくけれど、二人が揃って仕事をしているとは知らなかった。まさか、この二人できてるってことは……ないわねと、ルイズは姉に向かってけっこうひどいことを思うのだった。

 さらに疑問を深めているのがルクシャナである。知識の虫である彼女は、サハラを越える能力があるという新型船とやらに大いに興味をよせていたが、ここに来て尋ねても、コルベールは後のお楽しみだと教えてくれない。コルベールは自信満々な様子だが、ルクシャナも人間への蔑視を完全に捨てたわけではない。これまで何百回、思いつく限りの方法を使って攻めてきたくせに、一度もサハラを踏めなかった蛮人が作った船に、何十という障害と妨害を突破してサハラを越えるという、前人未到の偉業をおこなえる力があるのか? 

 自然に才人やルクシャナは、表情に疑問の色が浮かんでくるのを抑えらなくなっていった。すると、教師としての面目躍如か、敏感に彼らの不満を感じ取ったコルベールはようやく口を開いた。

「いや、もったいぶってしまってすまないね。どうも物事にいらない前置きをつけてしまうのは私の悪い癖だ。そのせいで授業がつまらないと常々言われるのにねえ。サイトくん、私がいろいろな未知なるものを見たいと思っているということを前に言ったね。だから私は手当たりしだい、あらゆる手段を使って未知を求め、さらなる未知へ挑戦しようと試みてきた。その答えのひとつが、君の見せてくれた、あの”ひこうき”だ。あれほどのものは、我々の技術では到底つくれない。しかし、私はあきらめたくなかった。そのとき、興味を示してくださったのがミス・エレオノールだった」

「ええ、私も正直あんなものは見たこともなかったわ。でも、一時は興奮したけど私はすぐにあれは再現不可能だと結論を出したわ。それをこのハゲ頭ったら本気で自分でも作ろうなんて考えて……バカとしか言いようがないじゃない」

「はは、でもあなたが協力してくれなければ、私の夢はおもちゃで終わっていたでしょう。学者の本能というですかな?」

「勘違いしないで。婚約がふいになって、たまたま式の費用が浮いてただけよ」

 エレオノールは、ぷいっと横を向いてしまった。こういうところはさすがルイズの姉だけあって、よく似ている。しかし、まだ疑問の核心にコルベールは答えていない。東方号とは結局なんなのか? 知りたいのはそれだ。じらされていらだつ才人たちに、コルベールははげ頭にわずかに残った髪をばつが悪そうにかいた。

「いやいやすまん。またまた悪い癖が出てしまった。しかし、もう一言だけ言わせてもらうとしたら、私はサイトくんのおかげでハルケギニアの外の世界をどうしても見てみたくなったのだ。そして、もう待ってもらう必要はないよ。なぜなら、ここが目的地だからね!」

 コルベールは足を止め、手を高く掲げて見せた。そこには、才人たちがまるで小人に見えるような巨大な建物が、威圧するようにそびえていた。

 しかし、それは単に大きな建物ではない。船を建造するための、造船施設の見せる氷山の一角に過ぎないのだ。

 この中に『東方号』が……才人たちはごくりとつばを飲み込むと、コルベールに続いて施設に足を踏み入れていった。

 

 天幕で覆われた、全長二百メイルほどの船台。他の軍艦や商船が建造されている船台とは明らかに様相が異なり、外からは内部が一切うかがい知れないようになっている。しかも入り口にはラ・ヴァリエールのものと思われる私兵が、入場者を厳しくチェックしており、軍艦並みの警戒厳重さを見せていた。

 入り口で誰かが化けていないか、魔法で催眠にかけられていないかを検査されると、ようやく分厚い鉄ごしらえの門が開いて一同を受け入れた。内部はまるで東京ドームのように広大で、一同はここでなにが作られているのだと息を呑む。しかし内部は天幕のおかげで薄暗く、なにやら巨大なものが鎮座しているのはわかるけれど、全体像を把握することはできなかった。

 コルベールは一同にそこで待つように言い残すと、エレオノールとともに壁に取り付けられたなにかの装置の前に立った。

「待たせてすまなかったね。すでに艤装は九割五分完了している。本来ならば、百パーセントパーフェクトになってから動かしたかったが、現在でも航行・戦闘ともに支障はないはずだ。さあ見てくれ、これが私の夢の第一歩であり、君たちを運ぶハルケギニア最速の船、『東方号』だ!」

 スイッチとともに天幕の中に白い明かりが満ち満ちる。一般に使われている魔法のランプの仕組みを大規模にしたものであるらしいが、悪いけれどエレオノールのそんな説明は耳に入らない。才人たちの目の前には、想像を一歩も二歩も超えた異形の船が鎮座していたからだ。

「こ、これは……船、なの?」

 全容を眺めたルクシャナが思わずつぶやいた。彼女の知識層には、専門外の事例ながらエルフの艦船についておおまかに記録されており、人間たちが使う船についても文献で見てきたが、このような形式の船は初めて見る。

 いや、正確に言えば船の形はしている。船首から船尾までの設計様式はハルケギニアでポピュラーな形式の帆走木造船で、それだけ見ればなんの変哲もない。しかし異彩を放っているのは、舷側から大きく側面に張り出した翼にあった。

 通常、風石で浮力を得るハルケギニアの空中船は、地球の木造帆船に似た船体に鳥のような翼を取り付ける。そのため地球育ちの才人などからすれば船と白鳥が合わさったような印象が持て、さすがファンタジーだと妙な感想が出る優美な姿をしている。

 だが、この船に取り付けられている翼は優美さとは無縁なものだった。地球の航空機のような直線と曲線でできた、強いて言うならジャンボジェット機のそれに似た金属製の翼が取り付けられていた。差し渡しは百三十メイルはあろうか、エルフの世界にも鋼鉄軍艦は存在するけれど、こんな形の翼はどこにもない。

 それだけではなく、その翼には後ろむきに明らかにプロペラとわかる巨大な装置が取り付けられていた。この翼に、あのプロペラの形……才人の中にあった予想が、一瞬で確信に変わって口からこぼれ出る。

「先生! こいつは、おれのゼロ戦を!」

「ああ、そのとおりだ。この船は君が持ってきてくれた”ひこうき”を研究して、私なりに再現したものだ。従来の船では風任せで、翼は姿勢制御くらいの役目しか果たせていなかったが、この船は違う。風石で浮遊するところは同じだが、あの翼が巨大な浮力を発生させて風石の消費を抑えてくれる。そして、なによりの目玉があの両翼に一基ずつ配置された”えんじん”だ。あれから突き出た風車が、この船に圧倒的な加速を与えてくれるはずだよ」

「すげえ……先生、すごすぎるぜ!」

 才人はまさしく天才を見る目でコルベールに熱い視線を送った。あのゼロ戦一機から、こんな巨大な船を作り上げてしまうとは常人のなせる業ではない。

「いやあ、そうしてほめられるとむずがゆいというか……はは」

 得意そうに笑うコルベール、そこへのけ者にされていたエレオノールが不満そうに割り込んできた。

「ちょっと、あなただけの功績みたいに言わないでちょうだい。この船の建造費に私がいくら出したと思ってるの? それに、この船の翼を支えるための百メイル以上の鋼材の製作、私をはじめアカデミーのトライアングル以上のメイジが何人がかり必要になったとおもってるの?」

「もちろん感謝しているさ。私はえんじんは作れても、船にはてんで無知だからね。設計図の製作から実際の建造まで、下げる頭が万あっても足りない思いだ」

「ふん、あんたの頭を見てありがたがる人間がいたらお目にかかってみたいわ。まあ、アカデミーが全壊して、施設が再建できるまで研究員たちを遊ばせておくこともないし、メカギラスやナースの装甲を研究した成果も試したかったから、いい機会ではあったけどね」

 なるほどと、ルクシャナは納得した。トリステインの冶金技術では、百メイルを超えて、なおかつ強度のある鋼棒の製作はメイジの技術を持ってしても不可能だが、宇宙人のロボット兵器に使われていた超金属を研究して、それに対抗できる金属の作成を前々から図っていたのか。

 しかし、研究者であるルクシャナは二人の説明と東方号の外観から、すでにいくつかの疑問点を抱いていた。

「ところで、えんじんだっけ? あのでかぶつをどうやって動かすの? 見るところ、羽根の直径だけでも十メイルはゆうにあるわ。あんなものを、推力を生み出せるほど回すには相当な力が必要なはずよ」

 するとコルベールは、よくぞ聞いてくれたとばかりに満面の笑みを浮かべた。

「よい質問です。あのえんじんの中には、石炭を燃やす炉と、その熱量を使って水を沸かし、発生する水蒸気を閉じ込めて強力な圧力を生み出す釜が入っています。羽根を動かす動力は、その圧力を利用します」

「水蒸気……そんなものを利用するの!?」

「なめたものではありませんよ。水を入れてふたをがっちりした鍋を火にかけると、やがて鍋をバラバラにするくらいの爆発を起こす力が出るのです。本当は、ひこうきのえんじんに使われていた、油をえんじんの中で爆発させて圧力を得る仕掛けのほうが小さくて済むのですが、機構が複雑で精密すぎて現在の私の技術では再現は無理でした。しかし、この水蒸気式のえんじんでも、相当な力は発揮できるはずです。私はこれを、水蒸気機関と名づけました」

 自信満面でコルベールは言った。しかし、ルクシャナはまだこの船には、どうしても聞かねばならない難点があることを見抜いていた。

「たいした自信ですね。でも、さっきから聞いていれば、あなたの説明はすべて”はずだ”ばかり。もしかして、この船はまだ一度も飛んだことがないんではないですか?」

「見抜かれたか、さすがアカデミーの逸材と言われるだけの方だ。ご明察どおり、この『東方号』はまだ飛行テストもおこなっていない未完成品です。いや、本来ならば『東方号』と名づけるのは、この後の船になるはずだったのだ」

「つまりこれは、本来は新型機関を試すための実験船だった?」

「そのとおりです。私たちはこの船を使って、あらゆる実験をおこない、そのデータを元にして完成品の東方号を建造する予定だったのです」

 自信から一転して、苦渋を顔に浮かべてコルベールは言った。するとエレオノールも気難しそうな顔で東方号を見上げる。

「軍から先の内戦で姫さまをアルビオンにまで運んだ、高速戦艦エクレールの実戦データももらってるけど、それでもこの船からすれば旧式に入るわ。なによりこの船は、建造期間の短縮をはかるために、船体は建造中だった高速商船のものを流用してあるから、高速飛行をしたときに船体がもつかは未知数よ。それに、エルフの艦隊に迎撃を受けたとしたら、当たり所によっては一発で沈没する危険もはらんでるわ」

 ぞっとすることを言うエレオノールに、才人たちは思わず顔を見合わせた。しかしそれでもコルベールは言う。

「しかし現在、エルフの国に到達できる可能性が少しでもあるのはこの船しかない。姫さまは、その可能性を信じて我々に指名をくださった。研究者としては失格かもしれんが、私も万全を待っていては手遅れになると思う。だから私は、暖めていた『東方号』の名をこの船につけたのだ!」

 断固として言い放ったコルベールの迫力に、才人たちはのまれた。研究者として、不完全な代物に教え子たちを乗せるには相当な苦渋があったはずだ。恐らく、出撃を命じたアンリエッタとの間にも激論があったことだろう。それでも動かすことを決めたからには、尋常な覚悟ではない。

「僭越ながら、私は船長としてこの船に乗り込む。その大役ゆえに、船が沈むときは運命を共にする覚悟で望むつもりだ。ん? サイトくん、そんな顔をするな。それくらいの覚悟で望むということだよ」

 からからとコルベールは笑って見せた。才人やルイズはほっとしたものの、いざとなったら殴り飛ばしてでもコルベールを船から降ろす必要があるなと、別の覚悟を決めた。

 新造探検船オストラント号……それはコルベールがハルケギニアの外にある、あらゆる未知への好奇心を形にした鋼鉄のうぶ鳥。早産を余儀なくされたこの鳥が、見かけだけ派手で飛べない孔雀で終わるか、それとも大空を支配するフェニックスとなるかは誰にもわからない。

 それにまだ、この船には飛び立つためにもっとも重要なものが欠けている。それをミシェルは指摘した。

「ミスタ・コルベール、あなたの決意のほどはわかった。しかし、これほど大規模な仕掛けを施された船を誰が動かすのだ? 機密保持のために空軍の水兵や一般の水夫は借りられない。ただ動かすだけなら、我ら銃士隊一個小隊三十名いれば可能だろうが、未完成な船で戦闘航行しながら進むのはさすがに不可能だぞ」

 強靭な心臓があって類まれな翼を持つ鳥も、体の中を流れる血液がなくては羽ばたくことはできない。そう言うミシェルに、コルベールはそのとおりだとうなづいた。船は巨大で精密な機械だ。帆を操り、舵をとり、周囲を見張り、風を読み、この船の場合は機関制御の複雑な工程も加わるので、三十人ではどうやりくりしてもギリギリだ。それだけではなく、厨房で働く者もいるし、戦闘を不可避とすれば兵装を操り、魔法をぶっ放す戦闘要員がいる。しかもまだ終わらない、負傷者を治療する者や損傷箇所を応急修理する要員も大勢必要だし、それらの人員が負傷したときに交代する要員もいる。

 つまり、戦闘艦とはまともに運用しようと思ったら膨大な人間を必要とするのだ。たとえば百メートルをわずかに超える程度の駆逐艦でも、乗員は二百名を軽く超える。この東方号はどう見積もっても、六十名から七十名の船員が必須となる。銃士隊と才人たちでは半分しかいない。むろん、片道だけで生還を帰さないのなら別だが、これは特攻ではなく無事到達して帰ってくることが絶対条件の作戦だ。

 ところがそれをコルベールに問いかけようと思ったとき、コルベールはにんまりと笑った。そして、船に向かって手を上げると叫んだ。

 

「おーいみんな! もういいだろう、そろそろ出てきたまえ!」

「あっ! 先生、もう少しじらしてから出ようと思ってたのに。しょうがない……やあサイト、待っていたよ!」

「あっ、お、お前!」

 聞きなれた声と、タラップからきざったらしくポーズをとって降りてきた金髪の少年を見て、才人は叫んだ。

「ギーシュ! それに、お前らも」

 薔薇の杖をかざして現れた三枚目に続いて、船内から続々と現れた面々を見て才人やルイズは目を疑った。

 レイナールにギムリ、水精霊騎士隊のメンバーたち。それだけではなく、モンモランシーや少年たちと懇意の少女たちもいる。

 これはどういうことかと仰天する才人たち。ギーシュはその顔がよほど見たかったのだろう、得意満面で説明をはじめた。

「なぁに、簡単なことだよサイト。ぼくらも、姫さまから密命をいただいてここに参上していたのさ。事情はすでに聞いているよ。ぼくら水精霊騎士隊の総力をあげて、君たちに協力しようじゃないか」

「姫さまが……てことはお前ら、この船がどこに行くのかも知ってるのかよ?」

「むろんさ。目指すははるかな東方、エルフの国。そちらの麗しいお嬢さん方がエルフだということも聞いているさ。それにしても、エルフとはもっと恐ろしげなものだと聞いていたが、これはなんと美しい! お嬢さん、昨日は話す時間もなかったが、よろしければお名前など……」

「教えてもいいけど、あなた死ぬわよ」

「へ?」

 ルクシャナの視線の先を追ったギーシュは、そこに大きな水の球を作り上げて、引きつった笑いを浮かべているモンモランシーを見た。

「ギーシュ、さっそくバラの務めとはご苦労なことね。し、しかも相手がエルフでもなんて、節操なしにもほどがあるわよ!」

「ま、待っ!」

 言い訳は言葉にならなかった。魔法の水の球に頭を呑みこまれ、ギーシュはおぼれてがぼがぼともがいている。

 いったいなにがしたかったんだあいつはと、彼の仲間たちはおろか、才人とルイズや銃士隊も呆れて助ける気も起きない。しかしこのままでは話が進まないので、隊の参謀役のレイナールがあとを継いだ。

「やれやれ、隊長がお見苦しいところをお見せしてすいません。ま、サイトももうだいたい見当がついていると思うけど、見てのとおり東方号にはぼくらがクルーとして乗船するよ。そのために、姫さまはぼくらに正式に水精霊騎士隊の称号を与えてくれた。つまりぼくらは今やトリステインの正式な騎士だ。これで頭数は銃士隊の皆さんと合わせて七十人を超える。定数は十分満たすはずだ」

「お前ら、だが!」

 これは今までとは危険の度合いが違う。それがわかっているのかと才人は叫びかけた。だがレイナールは才人の言葉を手をかざして防ぎ、ギムリとともに言った。

「おっとサイト、やぼは言わないでくれよ。世界が消えるって瀬戸際だ。それにぼくらは元々貴族、いざというときの覚悟はできている。それに第一、もしも君がぼくらの立場でも同じ事をしたはずさ。友達だものね」

「危ない橋だったら、もういっしょに何度もわたってきたじゃんか。二度も三度でもピンチには杖を持って参上するのが、貴族の責務であり名誉だぜ。な、戦友」

「っ! お前ら」

 才人は騎士隊のみんなの友情に、感動のあまり目じりをぬぐった。困ったときに助けに来てくれる奴らこそ、真の友だというけれど、こいつらはまさに真の友だ。

 涙を流す才人に、三途の川を渡りかけているギーシュ以外は誇らしげな笑みを送った。

 が、ここまでであれば美しい友情物語でしめられたものを、ギムリが余計な口をすべらせた。

「うむ、サイトにだけいい思いをさせ続けるのは不公平だし、それに我々水精霊騎士隊にはギーシュ隊長のほかはまだまだ独り身が多い。この機会を逃すわけにはいかないからな」

「は?」

 涙が一瞬で枯れて、後悔が怒涛のようにやってきた。なるほど、騎士隊の男たちの視線を注意深く追っていくと、かっこつけている端で銃士隊のうら若い肢体に向いている。熱血展開で忘れていたが、青春とは思春期のことでもあった。

「なるほどな。お前らの本音がよーくわかった。人をだしに使いやがって、なーにが友情だ、この野郎ども」

「うっ! し、しまった。つい口が!」

「ギムリ! ご、誤解しないでくれよサイト。姫さまから命令があってぼくたちが参上したのは本当さ。それに、君たちの助けになりたいのも嘘じゃない。ぼくらが何度も肩を並べて戦った、あの思い出を忘れたかい?」

 必死に弁明するレイナールや、その後ろでかっこよさを失っている騎士隊の連中を、才人たちは白い目で見つめた。銃士隊の子女たちはさっそく身の危険を感じて敵意のこもった視線を返しているし、特にルイズはゴミを見る目つきで、睨まれている男たちのプレッシャーはハンパなものではない。

「まったくもう、あなたたちの頭の中身は全員ギーシュと同レベルね。それでここまで来るとは恐れいるわ。でもわかってるの? 銃士隊は平民の部隊なのよ。あなたたち貴族の自覚あるの?」

「なにを言ってるんだい、サイトは平民だけどルイズやおれたちとずっと前から対等だったろう。君はいまさら昔の事をむしかえすつもりかい?」

「そうそう、美しい婦女子に身分の差など……もとい、それに姫さまはぼくらに対して、貴族と平民のかきねを壊してくれとお命じになられたのだ。魔法衛士隊の中にはすでに彼女たちと交際を持ち始めている者もいるそうだ。よってぼくらが銃士隊と対等に肩を並べても、なんら問題はない」

「視線が泳いでるわよ、お題目は立派だけどごまかそうとしてるのが見え見えじゃないの」

 女の勘はごまかせなかった。少年たちを見る目がさらに冷たくなり、射殺されそうなくらい痛くなる。

 それでもレイナールやギムリはまだましなほうだったかもしれない。さらに不幸なのは、ギーシュのほか数名いる彼女を連れてきた少年たちだ。彼氏と危険を共にするロマンチックな夢を抱いていた彼女たちは、殺意すらこもった目つきで、震える手で杖を握っている。

 まさに四面楚歌、このままほっておけば水精霊騎士隊の少年たちは視線の圧力で押しつぶされて消えたかもしれない。

 そこへ、ミシェルがため息混じりに告げた。

「ふぅ……だが猫の手も借りたい今、貴重な頭数であることに違いはないか。お前たち、半端な覚悟ではつとまらんぞ。いいか!」

「は、はい!」

 よどんだ空気を吹き払う一喝に、少年たちは本能的に従った。この威圧感はさすがアニエスの右腕を勤めるだけのことはある。ミシェルはさらに部下たちに、「せいぜい小間使いができたと思ってしごいてやれ」と、命じた。そのとき彼女たちが「了解」という一言と共に浮かべた冷徹な笑みに、浮ついた気持ちでいたギムリたちは背筋が凍りついた。

 それを見て才人は、こいつらこれから大変だなと、同情的な視線を送った。銃士隊はそこらの女性とわけが違う。なめてかかれば並の男など食い殺してしまう強さを持っている。きれいな花にはとげがあるぞ、まあ自分たちで選んだ道だから、誰を恨みようもないことだが。

 ただ、才人はそう思いながらも、ギーシュたちを悪く思ってはいなかった。

”お前らはほんと昔から少しも変わってないな。そういえば、トリスタニアの王宮で寄せ合い騎士ごっこの水精霊騎士隊ができて戦ったときも、銃士隊といっしょだったっけ。あんときも中途半端にかっこつけて、けっきょく決まらなかったんだよなあ”

 戦友たちとの思い出は、才人にとってもかけがえのないものだった。

 王宮でバム星人と戦ったとき、ラグドリアン湖でスコーピスと戦ったとき、学院がヒマラとスチール星人に盗まれてしまったとき。

 どれも今思い返せば懐かしい。死闘だったこともあれば、バカバカしかったこともある。けれど、どのときもギーシュたちは自分を身分の違いなど関係なく、仲間として向き合ってくれた。そして今回も、動機の半分は不純ながらも危険を顧みずに駆けつけてきてくれた。

 こいつらとなら、またおもしろい冒険ができるかもしれない。そう思った才人は、笑いをこらえながらギムリたちに言った。

「よかったなお前ら、トリステイン有数の騎士のみなさんにしごいてもらえる機会なんてそうはねえぞ」

「サイト! 君せっかく来てやったのにそれはないんじゃないか」

「むしろおれがついでのくせによく言うよ……けどま、考えてみりゃずいぶん久しぶりじゃねえか? 水精霊騎士隊が全員集合するなんてよ」

 不敵に笑った才人に、ギムリやレイナールははっとしたように思い返した。

「そうか、言われてみればおれたちが全員そろってなんて随分なかったな」

「おいおい、それもこれもサイトが自分ばっかりで冒険に行ってるからだろ。おかげでこっちは平和でいいが、退屈で仕方がなかったんだぜ。でも、今回はおいてけぼりはなしだよ」

「わかってるって、しかも今回は世界の命運がかかった大仕事だ。頼りにしてるぜ、戦友たち!」

 ぐっと、握りこぶしから親指を突き出すポーズをしてみせた才人に、ギムリとレイナール、それに水精霊騎士隊の仲間たちはそれぞれ同じポーズをとった。

「おう! まかせとけって」

 死線をさまよっているギーシュ以外の全員が、才人に応えて叫んだ。

 その熱血な光景に、ルイズやモンモランシーはこれだから男ってのは暑苦しくていやねと思い、ティファニアは男の子ってみんなこうなのかなと、間違った認識を持ち始めていた。

 でも彼らは真剣だ。真剣におちゃらけて、ふざけて、世界を救いに行くつもりなのだ。

 そんな規格外のむちゃくちゃな騎士隊がほかにあるだろうか? 銃士隊の隊員たちは、自分たちも常識外れの軍隊だけど、それ以上がいるとは思わなかったと呆れた。だが同時に、トリステイン王宮以来となる彼らとの共同戦線がなかなか面白いものになりそうだと、悲壮な決意の中に楽しさの予感を覚え始めていた。

 とてもこれから、一パーセントの生還率も認められない死地に赴こうとしている者たちには見えない。ルイズたちは呆れるが、男同士の友情は暑苦しさがあってなんぼなのだ。その熱気は伝染し、コルベールやエレオノールも苦笑を浮かべ、ミシェルはこれも才人の人を変える力なのかなと思った。

「サイトには関わった人間をよい方向に変えていく力があるのかもしれないな。お前の前では、貴族だとかなんとか、いろんなかきねがどんどんどいていく」

 どこの国の人とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ……ウルトラマンAの残した精神が才人の中で息づいているのを彼女は知らない。けれど、その優しさがあるからこそミシェルは才人のことが好きであり、そのおかげで自分以外の人を救い、愛することを思い出すことができた。

 そして今、自分はそれらを与えてくれた人を助けるために共に旅立とうとしている。本来ならば許されないことのはずだが、それを命じたときにアニエスとアンリエッタはこう言ったのだ。

「ミシェル、これはトリステインはおろかハルケギニアの命運を左右する重要な任務だ。私や烈風どのが姫さまから離れるわけにはいかん以上、指揮官の適任はお前しかいない……というのは建前だが、いいかげんサイトといっしょに冒険する特権をミス・ヴァリエールだけに独占させておくことはあるまい。お前はもう充分すぎるほど働いた。そろそろ自分の幸せに貪欲になっても誰も文句は言わんころだ。対等な立場で、思いっきり勝負して来い!」

「そうですわよ。ルイズがわたしの親友だからって遠慮することはありません。誰が誰を好きになろうと、それは自由ですもの。いってらっしゃいなさいな、でないと一生悔いが残りますわよ」

 はてさて、世界の危機も利用する姉バカと、小悪魔根性を発揮するアンリエッタにも困ったものである。けれども、こうでもしなければ才人の気持ちを思うあまり、ルイズに遠慮して一歩引いてしまうミシェルはいつまでたっても幸せをつかめないだろう。不謹慎にも思えるアニエスとアンリエッタの胸中には、それぞれ妹を思うが故と、自分と同じ愛に生きる者への激励が込められていた。

 だが、それでもミシェルは逡巡した。

「でも、サイトはミス・ヴァリエールのことが好きです。私の思いはもう伝えました、今さらあの二人の間に余計な亀裂を入れたら、恩を仇で返すことになってしまいます。私は今のままで、十分幸福ですから……」

 恋に臆病というよりも、愛してしまった人の幸せを思うがゆえの苦渋、しかしアンリエッタは言う。

「ミシェルさん、サイトさんの幸せを第一に思うあなたの心は、とても純粋で尊いものですわ。でも、待ってるだけでは恋は実りませんわ。サイトさんがルイズのことを好きなら、あなたはサイトさんの”大好き”をもぎとってみなさい。明日の幸せは、自分の力で勝ち取るものですよ」

 ウェールズとの、障害に埋め尽くされた恋路を一心不乱に駆け抜けてきたアンリエッタの言葉は虚言ではなく重かった。

 それに、これはルイズのためでもある。恋人はゴールではなく通過点に過ぎない。恋が恋のままで終わるか、愛に昇華するかはこれからの二人次第。それに気づかないままでは、いつか取り返しのつかない破局を招くだろう。だからこそ、悔いを残さぬように思い切りぶつかってこい……誰がなんと言おうと、人生は一度きりしかないのだから。

 けれどミシェルは、命令は受諾したものの、最後まで二人の応援に「はい」とは言わなかった。しかし彼女の胸中には、アンリエッタの言葉によって、新しい胸のうずきも生まれ始めていた。

”サイトはミス・ヴァリエールが好き……でも、わたしがもっと好きになってもらう。そんなこと、考えたこともなかった”

 できるのか? そんなこと、怖くて今は考えることはできない。けれど、才人が好きだという自分のこの気持ちは消せない。だったら、才人とともに旅することでその答えを見つけに行こう。

 ミシェルは、自分についてきてくれた三十人の仲間を振り返った。自分は彼女たちの命も預かっている。けれど同時に彼女たちも自分の思いは知っている。きっと、困ったら手助けするようにとアニエスから密命もくだっていることであろう。まったく、おせっかいな姉や仲間を持ったものだとつくづく思う……でもそれが心地よい。

 およそ二十年の人生の中で、半分の十年は暗闇のふちにいた。そこから光の中に引き上げてくれたあの人にわたしは恋をして、ずっとそばにいたいと願っている……偽らざる思いを胸にして、ミシェルは才人から送られたペンダントのロケットをぐっと握り締めた。

”サイト、お前と歩む未来をわたしも欲しい。もしも、これに肖像画を入れることがあるとしたら、それはわたしとお前、そして……”

 目をつぶり、未来にミシェルは夢をはせる。からっぽのロケットを満たす絵に描かれているであろう、幸福に満ちた笑みを浮かべた自分と才人と、顔も知らないもうひとり。へその上から腹をなで、ミシェルはこの旅に必ず生きて帰ろうと誓った。

 

 若者たちの思いはつながり、彼らを乗せてはばたく翼はついに全容を現した。

 新造探検船オストラント号……その翼はいまだ未熟であり、乗り込むクルーたちも未経験の若者ばかりだ。

 しかし彼らの士気は旺盛で、死を覚悟しても生還をあきらめている者はひとりもいない。むしろお祭り気分でちょっと行ってくるかという気軽さの者たちが半分だ。

 エルフとの和解、それがどんなに困難でもヤプールの邪念からハルケギニアを救う方法はほかにないのだ。

 

 だが、ヤプールの先を超して行動しようとする彼らの思惑に反して、ヤプールは次段の作戦を着々と進めていた。

 時空を超えて位置するもうひとつの宇宙。才人の故郷、地球。

 このころ怪獣軍団による全世界同時攻撃による混乱も収まって、世界は一応の平穏を取り戻していた。けれどいつまた襲ってくるかわからない敵に対し、各国GUYSは油断なく警戒を続けていた。

 そして、場所は中部太平洋ビキニ環礁。その海底深くにおいて、世界の海を守るGUYSオーシャンは、数日に渡って捜し求めていた獲物をとうとう追い詰めていた。

「隊長、ソナーに感あり。でかい……ターゲットに間違いありません。現在北東に向かって速力十二ノットで移動中」

「ついに姿を現しやがったか。ここのところ世界中の海で船舶消失事件を起こした犯人が」

 GUYSオーシャンの移動司令部である、大型潜水艦ブルーウェイルのブリッジで、隊長の勇魚洋は獲物を見つけたサメのように笑みを浮かべた。

 怪獣軍団の攻撃が終わって間もなく、大西洋、地中海、インド洋、太平洋を問わずに大型船舶が突如SOSとともに消息を絶つという事件をGUYSオーシャンは調査していた。事故現場の位置と時間から規則性を割り出し、次はこのビキニ環礁に現れるだろうと網を張り、見事補足に成功したのだ。

「隊長、攻撃しましょう!」

「待て、まだ敵の正体がわからん。全センサーを使って敵の正体の解明につとめろ、アーカイブドキュメントへの検索も忘れるなよ」

 深海は地上よりもはるかに過酷な世界だ。慎重に慎重を重ねて悪いことはない。勇魚の指示で、海のフェニックスネストともいうべきブルーウェイルの機能が働き、結論が勇魚のもとに示された。

「敵からMK合金のものと思われる磁場が放出されています。同時に数百万トン規模の金属反応も、これはドキュメントUGMに記録にあるバラックシップと同じものと思われます」

「バラックシップ……あの強力な磁力で船を引き付けるやつか。ならシーウィンガーでの接近戦は危険すぎるな。ならば、魚雷発射用意だ!」

 ブルーウェイルの魚雷発射管が開き、対怪獣用の大型魚雷が放たれる。敵は強力な磁力を発する怪物だ。その特性上、金属でできた魚雷は絶対に当たる。魚雷は一直線にバラックシップへ向けて吸い込まれていく。

 全弾命中! 勇魚たちがそう確信した瞬間だった。

「これは! て、敵の反応消失……魚雷、すべて通過しました」

「なに! どういうことだ?」

「わかりません。突然、突然ソナーから消えたんです」

 GUYSオーシャンの戸惑いをよそに、海底は何事もなかったかのような穏やかさを取り戻した。

 しかし、この事件がやがてもうひとつの世界に大変な災厄をもたらすことを、このときは誰も知らない。

 

 

 続く



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第63話  鋼鉄の亡霊

 第63話

 鋼鉄の亡霊

 

 すくらっぷ幽霊船 バラックシップ 登場!

 

 

 数千年に渡ったエルフとの無意味な戦乱に終止符を打つため、アンリエッタからの命を受けた才人たち。

 だが、エルフの住まう土地であるサハラは、これまで人間の侵入を許さなかった未知の世界だ。

 巨大な障害を前にした才人たちに、コルベールは新造探検船オストラント号を彼らに託した。

 それはコルベールの長年の夢を形にした、無限の可能性を秘めた未完の不死鳥。

 さらに驚くべきことに、ギーシュたち水精霊騎士隊も援軍として駆けつけた。

 

 夢にも見なかった新兵器と、集結した仲間たち。

 意気上がる少年たちは、声をそろえて大きく叫んだ。

 

 しかし、人間たちが抵抗を始めようとするときも容赦なく、敵は第二第三の作戦を展開させつつあった。

 そして……前途に洋々としたものを感じて浮かれている少年たちにも、運命の女神は微笑み続けるとは限らない。

 

 久しぶりの水精霊騎士隊全員集合に沸き返る少年たち。

 彼らは才人との再会を喜ぶと、次にティファニアやルクシャナから自己紹介を受けた。

「テ、ティファニアです。みなさんどうぞ、よ、よろしくお願いします」

「ルクシャナよ。言っとくけど私は予約済みだから、誘われてもお答えできないから。あ、食事の誘いくらいなら受けてもいいけど」

 内容的には先日銃士隊にしたものと大差ないが、今回は自分たちがエルフだということを知られている前提なので、ルクシャナはともかくティファニアはひどく緊張していた。エルフだということで疎んじられるのではないか、人間はエルフをひどく憎んでいるという恐怖によって、少年たちを直視できない。

 ところが、少年たちの反応は斜め上の意味でティファニアの予想を裏切った。

「こちらこそよろしくお願いします! おれ、ギムリっていいます。まずはお友達からはじめましょう!」

「この、てめ! ティファニアさん、こんなやつよりまずおれとお友達になりましょう」

「邪魔だマニカン! ティファニアさん、こいつらといるとバカが移ります。美の女神の化身のようなあなたには、このシャルロがお相手をつかまつりましょう」

「お前も邪魔だ! わたしは今日までエルフとは恐ろしいものだとうかがってまいりましたが、今日それが大間違いだと確信しました。我ら一同、命に代えてもあなたをお守りいたしましょう」

「あ、ど、どうもありがとうございます」

「ルクシャナさん。恋人がいてもかまいません。ぼ、ぼくとお友達からはじめてくれませんか?」

「いいわよ、百年後からでよければね」

 すでにアンリエッタから一応の説明を受けていたからか、少年たちにエルフへの恐れはなかった。それどころか、妖精がこの世に顕現したかのような二人の美しさに目がくらんでしまって、皆が皆ギーシュが分裂したみたいに舞い上がってしまっている。

 若さゆえの向こう見ずさを発揮して言い寄ってくる少年たち。ルクシャナは平然とした様子であしらっているが、ティファニアはわけもわからずにうろたえるばかりだ。

「あの、本当にみなさんはわたしが怖くないんですか?」

「ぜんぜん!」

 けれどティファニアは、第三者から見たら見苦しいことこの上ない少年たちの態度に、自分の中の不安が取り除かれていくのを感じていた。彼らが人間のすべてではないにしても、これだけの人がエルフを受け入れてくれているのだと。

 少年たちの熱狂は続き、ルイズたちや銃士隊はよくまあそれだけ熱くなれるなと、呆れて見ている。

 

 そのとき、才人たちの後ろから聞きなれない少女の声が響いた。

 

「これでクルーは揃ったのかしら? ミスタ・コルベール」

 振り返ると、そこには金髪をツインテールにまとめた小柄な少女が立っていた。ただ、その表情は高慢ちきそのもので、出会った頃のルイズのような尊大な自信にあふれている。後ろには取り巻きのような、緑と栗色と金色の髪の、やや目つきの悪い少女も控えていた。

「ああ、これはこれは。はい、ご覧のとおりこれで全員です。みな、王女殿下から直々に指名を受けた優秀な者ばかりですよ」

「ふーん、あまりそうは見えないけど。ま、いいわ。即席じゃこんなものかもね」

 誰だこいつ? 才人は突然現れた少女に不審げな視線を見せた。コルベール先生にこの態度で、先生もなにやら卑屈になっている。だがこいつ、どこかで見たような気がする……どこだっただろうか?

 そのとき、ようやく意識を回復したギーシュが、その少女の顔を見るやおびえたように直立不動の姿勢をとった。

「あら? これはお久しぶりですわね。ミスタ・グラモン」

「こ、これはクルデンホルフ姫殿下……」

 ん? クルデンホルフ、その名前も、どっかで聞き覚えがある。よく見れば、顔を青ざめさせているのはギーシュだけでなく、騎士隊の仲間たちや、モンモランシーたち女子生徒にも及んでいる。なんだ? エルフの国に行こうって正気を疑われるような任務に平然と乗り込んでくるこのバカたちが、なんで明らかに年下の少女一人に怯えるんだ?

 そのとき、ルイズが才人の肩を叩いて耳元でささやいた。

「思い出したわ。あの子、クルデンホルフ大公国の当主の娘よ」

「なんだそりゃ?」

「ああ、あんたは知らないかもね。トリステインは名義上ひとつの国ってことになってるけど、貴族の中には領地の経営だけじゃなくて、実質ひとつの国として独立を許されてるものもあるのよ。で、あの子のクルデンホルフ大公国はその中でも有名な成金でね。貧乏貴族は借金してて、爵位が上でも頭が上がらないのが多いんですって」

 ルイズは、伝統や権威ももろいものね、まあヴァリエール家は違うけどと、やや自慢げにつぶやいた。

 なるほど、要するにギーシュたちの実家はあの子の家に金の首輪をされてるわけか。地獄のさたも金次第というが、金の問題ではギーシュたちのバカさ加減も役に立たないか。才人は他人事で少女ひとりに圧倒されているギーシュたちを眺めていたが、ルイズはそんな才人に呆れたように言った。

「あんた、ほんとに思い出せないの? あの子、学院に来たことがあったじゃない。ほら、フリッグの舞踏会のときよ」

「あっ! あの怪獣連れてきて大騒ぎになったやつ!」

 才人の中でほとんど消去されかけていた記憶が蘇った。もうかなり前になるか、あの子が学院に来たことが確かに一度あった。学院へ名を売り込むために、フリッグの舞踏会でデモンストレーションをしようと子供怪獣のチンペを連れてきて、そのせいで取り返しにやってきたパンドラやオルフィのおかげで大変なことになったっけ。名前は確か……

 が、そこまで考えたところで、才人に冷たい声がかけられた。

「ちょっとそこの平民、クルデンホルフ姫殿下にずいぶんと無礼なことを言ってくれるじゃないの」

「へ?」

 気がつくと、彼女の取り巻きの女子が怒って自分を睨んでおり、ギーシュたちもおたおたしながらこちらを見ている。

「あ、もしかして全部口に出てた?」

 ゆっくりと一同が首を縦に振り、才人は自分がとんでもないポカをやらかしてしまったことを知った。

 まずい、これはまずい。ルイズは「はぁ」とため息をつき、才人の口からは引きつった笑いが漏れてくる。

「あ、あはは……」

「さて、このお方がベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ姫殿下と知って、今の台詞をおっしゃったんでしょうね?」

「いや、今思い出した」

 そういやそんな名前だったなと、今となってはどうでもいいことを思い出しつつ才人は冷や汗をかいた。

 しかしまずい。これはどう見たって自分が悪い。ベアトリスという子も、ものすごく怖い目でこちらを睨んでいる。そりゃそうだ、人の目がいっぱいあるところで過去の恥部をさらされたら誰だって怒る。ここはひとまず……

「も、申し訳ありませんでした」

「それだけ? 天下のクルデンホルフ姫殿下に恥をかかせておいて、謝るだけで済ますおつもり」

「いや、そう言われても……」

 貴族の礼儀作法などには無知な才人は焦った。かといって、ルイズやミシェルに助け舟を求めるのは才人の男としてのプライドが許さない。どうなる? もしかして無礼打ちとか? どうすればいいんだ。せっかく大役を果たそうって決めたばっかりのときに。

 だがそのとき、ギーシュが全速力で駆け込んでくると、才人を引き倒して土下座させ、自分も頭を下げた。

「すみませんでした! クルデンホルフ姫殿下、この者はわたしどもの友人でして、田舎者ゆえに世間の常識にはうといところがありまして。ここはわたしどもに免じて、どうかご厚情をお願いします! ほら、君ももう一度謝って!」

「す、すいませんでした姫殿下。おれが悪かったです。ごめんなさい」

 頭を砂に擦り付けながら、二人の男は必死にわびた。すると、ベアトリスは見下す視線を外すと、高慢な口調で言った。

「いいわ、平民に寛大さを示すのも貴族の責務ですもの、今回は忘れてあげましょう。では、ミスタ・コルベール、詳しい予定等は後で聞きます。いきますわよ、おほほほ!」

 高笑いを残すと、ベアトリスは取り巻きの女の子たちを連れて船台を去っていった。

 才人とギーシュは、心臓をドキドキさせながら彼女の足音が遠くなっていくのを待つ。ところが、取り巻きの女子の一人の、緑色の髪の子が戻ってきて、土下座したままの二人に向けて怒鳴った。

「いいこと! 今回は殿下のご厚情がたまわられましたけど、次は許しませんわよ。たとえ殿下が許しても、このわたしが必ず制裁を加えます。覚えてらっしゃい!」

「わかりましたぁ!」

 悲鳴のような才人とギーシュの叫びを聞くと、少女はきびすを返して、ベアトリスを追って駆けていった。

 やがて足音も聞こえなくなって、ベアトリスが完全に行ってしまったことを確認すると、二人はようやく頭を上げた。

「ふぅ、どうにか事なきを得たようだな。サイト、あまり冷や冷やさせてくれるなよ。相手は貴族であり、トリステイン有数の大金持ちのご令嬢だぜ。トラブルを起こしてたら、この国じゃ生きてけなくなるよ」

「悪い、今回は百パーセントおれが悪かった。考えてみりゃ、前にお前から説明受けてたな。恩に着るよ」

 頭をぽりぽりとかいて、少しすりむいたおでこをなでながら才人は今度はギーシュに頭を下げた。その率直な態度に、水精霊騎士隊も銃士隊も、才人に批判的な視線を向けていた者たちも表情を緩め、モンモランシーが才人の傷に水の治癒魔法をかけてくれた。ルイズはその光景を微笑みながら見て、口を出すかどうか迷ったが出さなくてよかったと思い、次いでコルベールとエレオノールに声をかけた。

「ところで先生、あのクルデンホルフの成り上がり者がなんでここに?」

「ん? ああ、それはなんだ。東方号の建造資金はミス・エレオノールに出資してもらってたんだが、その、実は」

「平たく言えば資金が底をついちゃったのよ。最初はアカデミーに予算を出してもらってたんだけど、施設が全壊して当たり前だけど予算カット。いくら私でも、船を一隻オーダーメイドするだけの大金を動かせるほど懐は太くないわ。そこで、スポンサーを募ったところで名乗りをあげたのが、あのクルデンホルフだったってわけ」

 なるほどとルイズは思った。この東方号はコルベールの案を元に、エレオノールが推薦することで、各種新技術の実験もかねて建造が認められた船だ。アカデミーが降りたら、海のものとも山のものともしれない船に金を出すところなどそうはあるまい。

「もしも彼女の家が私の案に目をとめて出資してくれなければ、東方号は部品だけで頓挫していただろう。だがまあ、その代償に、実験が成功したら完成品の実験データとともに、設計図をクルデンホルフに提供させられることになったがね」

「先生よくそんな条件を呑みましたね! あのクルデンホルフのことですから、設計図なんか渡したらそれを元に何百隻も複製してきますよ。先生の努力が全部横取りされてもいいんですか!」

「かまわんさ、私なんぞが技術を独占しても世の人たちの役には立たん。多少ゆがんだ形でも、私の研究が世間に新しい風を吹かせられるなら満足だ。それに、模倣されたなら、私はより優れたものを作る努力をするだけさ」

「先生……」

 名誉欲など一切ないコルベールのすがすがしいまでの態度に、ルイズは目からうろこが落ちたような思いで、このさえないはげ頭の教師を見つめた。

 そうこうしているうちに才人の傷口はふさがり、心配そうに見ていたミシェルはほっとしたように才人の肩を叩いた。

「どうやら傷口も残らずにすみそうだな。しかし、噛み付くかと思ったが、よく謝ったな。たいしたものだ」

 自分の非を認められずに暴れるのは愚か者のやることだ。そのことを褒められて、才人は照れてまた頭をかいた。

「いや、おれのせいで恥かかせちゃったのは事実ですし、せっかく集まってくれたみんなに迷惑かけるわけにはいかねえしな。でも、あの取り巻きの女子どもはいけすかねえな。おもいっきり虎の意を狩る狐じゃねえか、むかつくぜ」

 才人は少なくともルイズの貴族としての威光に頼ったことは一度もない。それを誇りにしているだけに、他人のすそにしがみつく輩は嫌いだった。

 ところが、賛同してくれるかと思ったギーシュたちは、以外にも首を横に振った。

「いや、サイト。あの三人はベアトリス嬢の単なる取り巻きじゃないよ。腹心というべきなのかな、とにかく別格の存在なのさ」

「別格? あのヨイショたちがか?」

「ああ、まあ見た目はアレだが、元はけっこう裕福な家柄の生まれらしい。けど実家が没落して、十人いた姉妹も今ではあちこちに散らばってしまってるそうだ。あの三人はトリステインに残って家の再建を目指してたそうだが、とうとう文無しになってしまったところをベアトリス嬢にひろわれたらしいぜ」

「そうだったのか、だからあのときベアトリスがバカにされたと思ってあんなに怒ったのか。悪いことしちまったな……」

 才人は第一印象だけで人を判断した自分を恥じた。そして、同時に高慢ちきに見えたけど、けっこういいところもあるんだなとベアトリスのことを見直した。どこか、出会ったばかりの自分とルイズ、それにアニエスとミシェルの関係と似ている気もする。

「あの子も東方号に乗り込むのかな?」

「いや、彼女はあくまでスポンサーだからね。彼女にとっては、将来クルデンホルフの資産を受け継ぐための社会勉強の一貫なんだろう。ただ、秘密を守ってくれるのは約束してある」

 おいしいところはとっていくというわけか、それもまた金持ちらしいといえばらしい。

 しかし、積もる話はまだまだあるが、それにも増して時間が惜しい。コルベールは皆を見渡して大きく告げた。

「さあみんな、我々にはこれからしなければならない仕事が山のようにあるぞ。物資の搬入から試験航海まで、ヤプールは待ってはくれないから、これから全員死ぬ気で働いてもらうぞ!」

「はい!」

 はじかれたように、少年少女たちと銃士隊は活動を開始した。

 コルベールの指導で、用途を秘匿して準備されていた資材を船に積み込んでいく。それだけではなく、船内の構造に習熟するために、数人のグループに分かれて船内旅行をおこなっていき、所要タイム内に迷わずまわって帰れるようになるまでなんべんも繰り返した。

 

 まだ鋼鉄の器でしかない東方号。それに息吹を与えるために、水精霊騎士隊も銃士隊も上下の差はなくがんばった。

 船内旅行をクリアした者から順に、コルベールとミシェルが相談して水精霊騎士隊と銃士隊の隊員たちの各部署への配属を決めていく。ギーシュやギムリは機関室へ、ティファニアや料理の得意な者は厨房へ、モンモランシーのような水魔法の使い手や銃士隊の衛生兵は医務室へといった具合である。

 なおコルベールは船長、エレオノールは副長であり、ミシェルは戦闘時の指揮官を務める。自分の配属先を命じられた両隊員たちは、いさんでそれぞれの持ち場へ飛んでいった。

「やあギーシュ、君は機関室勤務だって? さすが隊長、船の心臓をまかせられるとはすごいね」

「まあ、ぼくの冷静な判断力と手際のよさが評価されたんだろうね。レイナール、君はどこだい?」

「ぼくは操舵士を命ぜられた。まさかと思ってびっくりしたよ」

「ブリッジ勤務か! それはうらやましいな。いやいや、船の仕事に優劣はない、ぼくは自分の職務に誇りを持とう。おや、マリコルヌじゃないか、君も任地が決まったのかい?」

「ぼくが一番ビリっけつだったみたい。場所は船底の……第三艦橋ってとこみたいだ」

「ほぅ、なんの仕事かは知らないががんばりたまえよ。じゃ、また後で会おう」

 そうして時間はあっという間に過ぎて、日は暮れて夜になり、やがてほかの船の職人たちも仕事を終えて帰宅していく深夜になっていった。

 コルベールは機関室でボイラーの気密チェックをしていたが、ふと時計の針を見て、手伝っていたギーシュたちに言った。

「おっともうこんな時間か。君たち、これ以上は明日に響くからそろそろ終わることにしよう」

「はい、わかりました」

 機械の補修にギーシュたち土のメイジはうってつけだった。錬金が、細かいところではどうしても精度が荒くなるという弱点も、コルベールはあらかじめ見越して部品は大型化を覚悟で、可能な限りシンプルにまとめてある。こういう配慮も、彼が天才であるひとつの証明だろう。けれどコルベールはそうしたおごりはまるで見せずに、教師として生徒に接していた。

「ご苦労様、君たちのおかげでだいぶはかどった。これなら、飛ぶのもまず大丈夫だろう。手を洗って、夜食でもいただいてきなさい」

「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。でも先生、やっぱり思ったんですが、なぜぼくらや銃士隊の方々が操船しなければいけないんです? ちょっと機密が危なくても空軍から優秀な水兵を引き抜いたほうがよかったのではないかと思いますが」

「この船はこれまでの風石船とはまるで違う。下手に従来の船に慣れた船員よりも、むしろ船のことを何も知らない素人のほうが先入観を持たなくていいんだ。さあ、明日一番で公試運転をして、問題がなければ完熟訓練に入る。時間がないから一週間でものにしろという命令だ。それからはいよいよサハラに向かって出航するぞ。君たちも早く寝ておきたまえ」

「了解であります!」

 少年たちは早くも熟練の水兵になった気分で、てんでバラバラの敬礼をして見せた。

 

 一方、甲板上ではミシェルが銃士隊を指揮して、積み込み物資の点検作業をおこなっていた。

 秘密厳守のために人足も最低限しか使えず、隊員たちは滑車で引き上げられたり、荷車で運び込まれてきた物資を汗をかきながら甲板に積み上げていく。ミシェルはそれらの物資を台帳と照らし合わせて、合格したものを船内に運び込ませながら、軽くため息をついた。

「やれやれ、隊内に続いてこんなところでも経理をすることになるとは。人生、どこでなんの技が役に立つかわからんな」

 はじめはリッシュモンに拾われたとき、がむしゃらに勉強したことで数字に強くなっただけだった。それが間諜として銃士隊に入ると、一番学があるからとアニエスに事務一切を請け負わされ、剣の腕と並んで後に副長に任命される原動力となってしまった。

「それで、こんなところでエルフの国に行く手伝いをすることになるとは、一年前だったら考えもしなかっただろうな。それもこれも、みんなサイトと出会ったことがきっかけか……」

 手と頭を休めることなく、指示を出しながらミシェルは苦笑した。自分の人生が大きな転換点を迎えたことは、これまでに二回。父がリッシュモンにはめられて天涯孤独となったときと、アニエスや才人と出会って人間らしい心を取り戻したとき。思えば、数奇な運命と人は言うだろう。でも、今は自分で自分を不幸だとは思わない。失ったものは取り返しがつかなく、果てしなく大きい。けれど、今持っているものも負けないくらい尊くて大きい。

 帆布で覆われた空は星は見えないけど、町の隅っこで一人ぼっちで星を見上げていたころよりはずっといい。

 

 それぞれの思いが交差しつつも夜は更け、東方号は夜明けの処女飛行を目指して眠り続ける。

 だが、巣立ちのための最後の眠りを送る若鳥を、忌々しげな目で空から見下ろす目があった。

 

「報告します。あの者たちは、新しく建造した空中船で東に向かうつもりです。目的は、人間とエルフの世界の和解。それによってマイナスエネルギーの発生を抑えると」

「うぬぬ……人間どもめ、こしゃくなことをはじめよって! 人間とエルフの和解など、絶対にさせてやるわけにはいかん。その前にきさまらの希望など粉砕してくれる! バラックシップを浮上させろ! そしてすべてを焼き払うのだ!」

 

 邪悪な思念が天にほとばしり、造船所から三十リーグ離れたラグドリアン湖の湖面に巨大な水泡があふれ出しはじめた。

 湖水を裂いて、島のように巨大な何かが浮かび上がってくる。大きさは二百メートル、三百、四百、いや、最低でも六百メートルはあるとてつもない巨体だ。

 だがそれは島などではない。全身はさびた鉄色で覆われ、まるで要塞のように人造の構造物で覆い尽くされている。

 湖水はその怪物が作り出した大波によって嵐のように荒れ狂う。

 その中を、一艘の漁船がもまれていた。漁師は必死で船が転覆しないように操るものの、湖水は生き物のように一人乗りの小さな漁船をもてあそぶ。

 そして怪物はか細い抵抗を続ける小船を見つけると、全身から油の切れた機械のような甲高い音をあげて動き出した。全身に装備された砲塔の一基が漁船に向けて照準を定める。漁師はそれを見て、とっさに湖に飛び込もうとしたが遅かった。

「ふ、船のお化け……」

 それが漁師の最後の言葉だった。次の瞬間、四連装の巨大な砲塔から放たれた四発の砲弾は、漁船を包み込むようにして着弾。数十メートルはある水柱が漁船を覆って、木片一つ残さず漁船は粉砕された。

 怪物は続いて、全身に数百門はある砲塔を、一方向に向けて仰角をあげた。

 照準は、東方号の眠る造船所街。朝日が昇り始める中、恐るべき脅威が迫りつつあった。

 

 早朝からの造船業務をはじめようと、職人たちが起きはじめる造船所街。いつもであれば食堂から煙が上がり始め、日の出を知らせるラッパが鳴るころ。はじめに異変に気づいたのは、一人の壮齢の将校だった。ある巡洋艦の擬装委員を勤める彼は、その艦の完成後には艦長として就任することが決まっていたので、毎朝一番にいずれ自分のものになる艦を眺めに行くのが日課だった。が、その日の朝はいつもとどこか違っていた。

「ん? 今日の朝はやけに静かだな」

 まだ薄暗い道を散歩しながら、彼はふとつぶやいた。いつもであれば道を歩きながら、スズメやカラスの鳴き声が嫌というほど耳に入ってくるというのに、この日は一羽の鳴き声もしない。

 雨でも降るのかなと、彼は空を見上げた。しかし雲は少なく、降りだすような兆候は見えない。わしの気のせいかなと、彼は特に気にせずにぼんやりとしながら歩いていくと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。

「なんだ、ちゃんといるじゃないか」

 歩きながら、彼は今日も変わらない一日が来たと思った。それにしても、これはなんという鳥だったかな。スズメやカラスと違い、なんとも甲高く空気を切り裂くような鳴き声だ。しかも何十羽も群れをなしているらしく、幾重にも重なってどんどん多くなっていく。

 そのとき、彼は突然立ち止まった。同時に全身の血液が一瞬で消滅してしまったかのように顔色が消え、筋肉がこわばって指一本動かせなくなった。思い出したのだ、軍人である自分の耳に染みこんだ、この鳥の名を。

 目的地だった彼の船が目の前で紅蓮の炎を吹き上げた。船体が真っ二つに折れ、昨日取り付けたばかりのマストが木切れのように回転しながら飛んでいく。

「わ、わしの船が……」

 炭と化した船体の残骸や火の粉を浴びながら、彼は呆然として立ち尽くした。

 元は全長百メイル弱の船体は跡形もなく、数ヶ月間職人たちが努力を重ねた結晶は無残な残骸となって燃え盛る。

 同様の惨劇は十数か所で同時に起きていた。船台上で劣化した船体の補修工事をおこなっていた貨物船が、船首を丸ごと吹き飛ばされて横転した。艦尾を粉砕されたコルベット艦が艦首を天に向けて倒立しながら燃えている。

 もちろん被害は船舶だけにとどまらない。食料倉庫が一瞬で炎に包まれ、牧舎が吹き飛ばされて数十頭の馬がひき肉にされたうえで焼き払われる。道路に起きた爆発は巨大なクレーターをうがち、根元からへし折られた高さ五メイルの給水塔が逃げ惑おうとしていた人を押しつぶす。

 宿舎や事務所も被害の例外ではない。直撃を受けたものは痕跡もなく消滅し、爆発から数十メイル離れていても爆風に建物が耐えられずに倒壊する。むろん、そこにいた人間はすべからく巻き添えとされた。

 最初の巡洋艦の爆沈から一分足らず。いつもと変わらぬ朝を迎えるはずだった造船所街は、人もモノも一切差別しない火炎と熱風と飛び散る凶器と化した鉄片の支配する阿鼻叫喚の巷となった。

 

 だが、幸運にも東方号の治められた船台はまだ被害を免れていた。

 目覚まし時計の音が子守唄に聞こえる爆音の中で、船内の小部屋で眠っていた少年たちや銃士隊は全員目を覚ました。甲板上に集合して何事かと騒ぐ彼らは、船から降りようとするところをミシェルに止められた。

「騒ぐな! 今ミスタ・コルベールが確認しに行っている。各員はそれぞれ持ち場に戻って待機しろ!」

 帆布で覆われた船台上からは外が見えない。ひたすら轟音と爆発音が連続する中で、ミシェルが一喝してまとめなければ少年たちはパニックに陥っていただろう。

 一方、建物の外に様子を見に行ったコルベールとエレオノールは、大火災に見舞われている造船所街を見て愕然としていた。

「な、なによこれ! なんで街中から火の手が上がってるの。まさか、何者かの攻撃! 誰かが忍び込んで火をつけたとか!?」

「いや違う。これは砲撃によるものだ」

 素人のエレオノールと違って、若い頃に従軍経験もあるコルベールは、爆音に混ざる風を切る飛翔音から砲撃だと悟った。しかしいったい何者が? この短時間でのこの被害、一門や二門の火力ではない。少なくとも数十門が一斉発射しなければ街全体を炎に包むなど不可能だ。

 そのとき、東方号の船台から五百メイル離れた船台で建造されていた巡洋艦が直撃を受けて吹き飛んだ。百メイルあった船体は木っ端微塵となり、数秒遅れてやってきた衝撃波がコルベールとエレオノールの顔をひっぱたく。

「巡洋艦をただの一撃で! とんでもない大口径砲だぞ!」

「ど、どうするのよ! このままじゃここが攻撃を受けるのも時間の問題よ!」

「くっ……仕方がないか。来たまえ!」

 一瞬だけ苦渋をにじませた顔を浮かべたコルベールは、意を決するとエレオノールを連れて船台に戻った。東方号の上甲板に続くタラップを駆け上がり、甲板で碇や帆の準備をしていた少年たちのなにが起こってるんですかという質問を無視してブリッジに登ると、彼は船全体に風魔法の応用で声を伝える伝声管に向けて叫んだ。

「諸君! 船長のコルベールだ。まずこれは演習ではないことを断っておく。落ち着いて聞いてくれ。現在この街は何者かによって、砲撃による攻撃を受けている」

 たちまち全艦に緊張と動揺が走った。砲撃? どういうことだ。なんでここが砲撃されなくちゃいけないんだ? まさか、ガリアが戦争を仕掛けてきたのか? 様々な憶測が飛び交い、それらはパニック寸前で銃士隊員たちによる「黙れ!」の一喝で止められた。

「敵の正体は不明だが、すでに町全体が攻撃の被害を受け、退艦は不可能な状況となっている。助かる道は緊急発進しかない! 即刻水蒸気機関を始動させる」

「待って! まだ水蒸気機関はテストもしてないのよ」

 エレオノールが調整もしていないエンジンで飛ぶのは危険すぎると抗議した。だが、コルベールは一顧だにしない。

「そんな猶予はない! 短い時間で始動まで一気にやってしまわなければならない。絶対に失敗は許されないぞ。ギーシュくん、窯室に火を入れたまえ。水蒸気の充填を始めるんだ。錨鎖庫、錨を上げろ! 甲板要員は帆を上げる準備。船首及び両舷の砲手は砲撃の準備をして待機、機関始動と同時に天幕を吹き飛ばして飛び上がるぞ。総員、オストラント号発進準備だ!」

「おおーっ!」

 全艦で怒号のような声が鳴り響き、東方号のありとあらゆる箇所で人間が動き始めた。

 ギーシュがギムリや仲間の火のメイジに命じて窯に火を入れさせ、自らはワルキューレを操って窯に石炭をくべていく。

 錨鎖庫では力自慢の銃士隊員が重いハンドルを回して、鎖につながれた錨を巻き取っていく。

 甲板上は混乱していた。慣れない動きで帆を張ろうとして焦って失敗し、何度もやり直してようやく形らしくなっていった。

 一番張り切っていたのは砲列甲板に配備された少年たちだったろう。東方号には自衛用に、コルベールオリジナルのいくらかの道具のほかに船首両舷に二門、左右舷側に各二門、全部で六門の大砲が装備されている。それに火薬を込めて弾を詰め、窓を開いて砲身を船外に突き出して合図を待つ。

 むろん暇な箇所などない。医務室ではいつ負傷者が運ばれてきてもいいように、包帯や水の秘薬が準備される。厨房ではパンにソーセージとチーズを挟んだだけの簡素な朝食をティファニアたちが急ピッチで用意し、手すきの要員たちが各部署に大車輪で運んでいった。

 そして才人とルイズはルクシャナとともに船尾の格納庫に向かった。そこにはコルベールが用意していた秘密兵器があり、発進とともに使えるように、数人の仲間たちとともにスタンバイした。

 爆発音はさらに近くなり、船台を覆っている帆布もびりびりと震える。もういつここが直撃を受けてもおかしくはない。

「ギーシュくん! 蒸気は溜まったかね?」

「ゲージを振り切りました! いつでもいけるはずです!」

 ゼロ戦の燃料計を参考にして作った蒸気圧計が、ギーシュの目の前で赤を指して震えている。アカデミーのスクウェアとトライアングルメイジが作った蒸気釜は、火の魔法による急激な加熱にも耐えてくれた。

「タラップ上げろ! 船体固定金具外せ!」

 船を船台に固定していた金具が取り払われ、東方号は船台の上に乗っているだけの状態になる。

 続いて船に乗り込むためのタラップが船体に収納されようとしたとき、船台の上に数人の少女が駆け込んできた。

「ちょっとあなたたち! これはいったいどうなってるの? ミスタ・コルベール、説明しなさい!」

「クルデンホルフ姫殿下! 避難していらっしゃらなかったんですか! くっ、早く乗り込んでください。オストラント号は発進します」

「なんですって! わたしに無断でそんな勝手なこと」

「いいから早くしてください! 街といっしょに焼け死にたいんですか!」

 甲板にいた少年たちは、しぶるベアトリスを取り巻きの少女たちとなかば無理矢理に船に引き上げた。

 手動式のタラップが船体に収納され、不要な出入り口も固定される。これで後顧の憂いはなくなった。コルベールは船底の風石の貯蔵庫に向けて命じた。

「風石を起動させてくれ。船体に浮力を与えるんだ!」

「了解です!」

 風のメイジが魔法を加えると、貯蔵庫に蓄えられた透明な結晶体が輝き始めた。ハルケギニア特産の鉱物である『風石』は、一定の刺激によって風船のように浮力を持ち始める不思議な特性を持っている。地球風にいえば反重力を発生させるとでもいうべきか、精霊の力の結晶らしいが詳しいことは人間の手ではまだ解明されていない。

 ヘリウムを充填された飛行船のように東方号は少しずつ浮揚をはじめ、クルーたちは船が水の上に浮かんだような錯覚を覚えた。あと一歩だ。コルベールは満を辞して叫んだ。

「左右水蒸気機関、主機へ動力接続。プロペラ回転開始!」

 ギーシュたちが蒸気伝道管のコックをゆっくりとひねり、蒸気釜に充填された高圧蒸気が水蒸気エンジンに流れ込んでいく。その膨大な圧力でピストンを動かし、回転力を得るのが水蒸気機関の仕組みだ。しかしどんなエンジンも始動のときが一番危険なのだ。蒸気圧計を睨みながらコックをひねるギーシュたちに、伝声管ごしにエレオノールの声が響く。

「あなたたち、焦るんじゃないわよ。一気に蒸気を流し込んだら過負荷でえんじんは破裂するわ。昨日教えたとおり、一呼吸ずつ確実に回すのよ」

 自分たちの一動作に東方号全員の生命がかかっていると、ギーシュたちは汗で顔をびっしょりと濡らしてコックをひねり、動力を得たプロペラが重々しく回転を始める。そしてついにゲージは全開を指し示した。

「やりました! 蒸気いっぱい、いつでもいけるはずです!」

「よくやったわ! ミスタ・コルベール、発進準備完了よ」

 エレオノールの声に、コルベールは満足そうにうなづいた。彼の生徒たちも銃士隊もぶっつけ本番にも関わらずに、自らの技量を超えてよく働いてくれた。点数をつけるなら百点満点を惜しみなく全員に与えるだろう。彼らのがんばりを無駄にしてはいけない。

「ようしいくぞ! 全砲台、撃ち方五秒前。四、三、二、一、撃てーっ!」

 待ってましたと六門の大砲が放たれて、船台を覆っていた帆布が吹き飛ばされる。その薄布を隔てた先から現れた周辺の町並みはすでにのきなみ破壊しつくされ、無事である艦船は一隻も残っていない。

 しかし敵の砲撃は形あるものをすべて破壊しつくそうとしているかのように、不気味な飛翔音をまだ続かせている。最後の標的は間違いなくここだ。コルベールは舵を握るレイナールに最後の命令を下した。

「レイナールくん、上げ舵十五度。エンジン出力全開! オストラント号、発進!」

 プロペラが可能な限りの全力で空気をかき、風石で浮力を与えられた船体を押し上げていく。

 浮いた! コルベールやエレオノール、レイナールは歓喜の声を上げた。だがそのとき、マストの上で見張りに立っていた銃士隊員から悲鳴のような叫びが響いた。

「敵弾接近! 本船への直撃コースです!」

 聞いた人間全員から血の気が引いた。飛んでくる砲弾は動体視力のよい者なら視ることができる。それが砲弾の形に細長ければ、それは自分に向かっているものではないので安心できるが、もしそれが丸っこく見えたら自分に向かって飛んでくる最悪の砲弾だ。そして今、彼女の目に映っていたのは、その丸く見える砲弾だった。

”神様っ!”

 このときばかりは、普段の信心深さの大小に関わらず誰もが心から祈った。命中までほんの数秒、もはやなにをしても手遅れだ。すがれるものは神でも悪魔の加護でも、奇跡の二文字しか存在しない。その熱心な祈りが届いたのか、命中直前で砲弾の形がわずかな楕円形に変わった。

「伏せろっ!」

 砲弾は東方号の船尾をかすめ、東方号が建造されていた船台の中に一直線に吸い込まれていった。

 刹那、大爆発が起こり、東方号は直下型地震にも勝る激震に襲われる。

 だが、いっぱいに広げた帆は爆風のエネルギーを掴み、東方号を一気に上空まで押し上げたのだ。

「ここは……私たちは、生きてるの?」

 伏せた床から顔を上げたエレオノールがつぶやいた。口の中には転げまわったときに切ったのか、わずかな鉄の味が染みている。しかしそれも、ブリッジの外に広がる群青の空を目の当たりにしたときには感動の味に塗り替えられていた。

「飛んでる……オストラント号が、飛んでるんだわ!」

 その瞬間、船内のあらゆる箇所で感激の涙が乱れ飛び、万歳三唱がこだました。

 振り返れば、地獄の釜と化した造船街が燃えている。あの中にいたら、いまごろ全員命はなかったに違いない。皮肉なことに、敵の砲弾の炸裂が刹那の差で東方号を一気に高度五百メイルにまで押し上げ、安全圏に到達させたのだった。

 轟々と水蒸気を吐き出し、プロペラを回転させて東方号は飛ぶ。その従来の風石船とは段違いの速力に、水精霊騎士隊も銃士隊も感嘆し、作ったコルベールやエレオノールも満足げに微笑んだ。

 だがしかし、敵の砲撃はなおも街へ向かって間断なく続いている。この執拗さ、コルベールは敵の狙いはこの東方号だったのだと確信した。

”私たちがここにいたばかりに……すまん”

 業火に包まれた街を見返して、コルベールは街の住人たちに心の底からわびた。硬く食いしばった口内では歯がはじけ、握り締めたこぶしからは血が垂れている。

 けれども嘆いてばかりはいられない。敵の目的が東方号ならば、この船は処女航海とともに初陣も経験しなければならないのだ。コルベールは船尾の格納庫に通じる伝声管に向かって叫んだ。

「コルベールだ。サイトくん、そちらの準備はいいか?」

「大丈夫です。いつでも飛べます!

「わかった。敵の砲撃はラグドリアン湖の方面から続いている。先行して敵の正体を偵察してきてくれ」

「了解! ゼロ戦、出撃します!」

 航空眼鏡をかぶり、ひざの上にルイズを乗せて才人はゼロ戦の操縦桿を握った。東方号には東方号のモデルとなったゼロ戦がそのまま格納されていた。すでにエンジンの暖気運転はすませてある。むろん、飛行甲板やカタパルトなどといった便利なものはないが、そこはルクシャナの先住魔法の出番だ。

 大気の精霊の加護を受けた風に乗り、ゼロ戦は高速で射出されて宙を舞う。

「うぉぉぉっ!」

 ガンダールヴだったときよりはるかに重い操縦桿と格闘しながら、才人は必死に機体を安定させようとした。素の自分で飛ばすことの恐怖も、ひざの上でしがみついてくるルイズを守らなくてはという思いが、体に染みこんでいたパイロットとしての記憶を呼び起こしてねじ伏せる。

「よしっ! なんとかコツは思い出した。ラグドリアン湖か……いくぜルイズ!」

「ええっ!」

 あっという間に東方号を追い抜き、最高時速五百八十キロのゼロ戦はぐんぐんとラグドリアン湖めざして飛んでいく。

 

 だが……ラグドリアン湖を見下ろせる位置に差し掛かったとき、才人とルイズの眼前に現れたのは想像をはるかに超える怪物であった。

「なんだありゃ!? 島? いや、動いてる!」

「あれは島なんかじゃないわ! 鉄でできた、まるで動く要塞だわ!」

 二人の見下ろす前で、正体不明の巨大物体は全身から火花を吹いているように、間断なく砲炎をほとばしらせている。

 そして、しだいに距離が縮み、物体の詳細が見えるようになってくると二人はもう一度息を呑んだ。

 トリステイン王宮よりはるかに巨大な鉄の塊が浮いている。それは規則性があるわけではなく、城郭やビルのような構造物に、アンテナや鉄塔などの雑多なパーツが乱雑に組み合わさった訳のわからない集合物。まるでコンビナートを丸めてしまったようないびつな巨影。

 だがそのとき、才人は鉄の塊の中に見覚えのある船が合体していることに気づいた。仏塔に似ていることからパゴダマストとも呼ばれた、造形美ともいうべき太く天高く伸びた艦橋構造物に、艦首と艦尾に二基ずつ配置された連装砲塔。それが過去に作ったプラモデルと完全に一致する。

「戦艦……長門!」

 間違いなかった。連合艦隊旗艦を務め、終戦後にビキニ環礁の水爆実験で沈んだ栄光の戦艦がそこにいた。

 それだけではない。目を凝らせば、他にも戦艦ペンシルヴァニア、高速戦艦比叡、巡洋戦艦レパルスなどの名だたる艦船が揃っている。それらが砲身を天に向けて、次々に主砲を放っているのだが、全体からしたらそれらすら氷山の一角でしかない。

「うそだろ、ビスマルクまでいやがる。信じられねえ、こいつは地球最強の連合艦隊だぜ……」

 呆然とつぶやいた才人の眼前で、超巨大要塞戦艦は数百門の主砲の照準を接近してくる船影に変更した。

 ターゲットは、東方号。この巨大・強大な敵を迎え、未完の東方号に打つ手はあるのだろうか……

 

 

 続く



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第64話  激突! 東方号vs戦艦大和 (前編)

 第64話

 激突! 東方号vs戦艦大和 (前編)

 

 すくらっぷ幽霊船 バラックシップ

 軍艦ロボット アイアンロックス 登場!

 

 

 超々ジュラルミンの翼に、真っ赤な日の丸を輝かせて飛ぶ零式艦上戦闘機。その昔、ゼロ戦という略称でありながらも勇ましい二つ名を冠するこの戦闘機は、無敵の称号と共に太平洋の空の王者として君臨した。

 それは半世紀以上前の過去の栄光。だが、数奇な運命はゼロ戦を再び戦いの空へと蘇らせた。

 才人の手によってハルケギニアの平和を守る翼となったゼロ戦。

 しかし、運命の女神……いや、悪魔はさらにとてつもない亡霊を過去から蘇らせた。

「戦艦……長門! それに、扶桑に比叡! うそだろ、ビスマルクまでいやがる」

 才人は、まるで自らが過去にタイムスリップしてしまったかのような感覚に襲われた。

 かつて、第二次世界大戦で沈没した軍艦を集合、合成した超巨大戦艦。いや、動く要塞島というべきそれは、鈍い金属音を死神の歌声のように響かせ、湖面を這うように進みながら火焔とともに巨弾を吐き出し続けている。

 才人は震える手でGUYSメモリーディスプレイを操作した。該当は一件、ドキュメントUGMにあるすくらっぷ幽霊船バラックシップ。ある国が作ったコンピューター制御の無人貨物船クィーンズ号が事故にあって沈没し、そのショックで自我を持ってしまったコンピューターが、積荷であったMK合金の磁力で沈没船や航行中の船舶を吸収して船体を再生させたロボット怪獣の一種。

 もちろん以前のバラックシップとは形も全然違い、大きさもかつての五倍はゆうにある。

 才人は年頃の少年らしく、小さな頃からアニメのロボットのおもちゃなどと並んで戦艦のプラモデルをよく作ってきた。なかには壊れたり作り損ねたりしたプラモを合体させて、自分のオリジナルの船を製作して遊んだりしたが、眼下のそれは子供の遊びをはるかに巨大かつ凶悪にしたような禍々しい存在感を持って、美しい湖水の上に聳え立っている。

 一隻ずつ、知っている軍艦の名前をつぶやく才人。それを聞きつけたルイズも、才人から眼下の鉄の城の正体を聞き及ぶと愕然として叫んだ。

「ええっ! あれ全部、あんたの世界の船だっていうの」

「ああ、おれの世界で昔起こった戦争で沈んだ戦艦……いや、巡洋艦や空母もいやがるか。そんなのが何十隻も合体してやがる」

 風防ごしに見える怪物の容姿は、朝日が高く昇っていくにつれて詳細になっていった。

 全長は水面に浮いている分だけでも六百メートル。内部のほうは圧力でつぶれているのか元の形状を判別することはできないが、外殻に無数に張り付いている艦船はどれも巨大な砲塔を振りたてた戦艦や巡洋艦ばかりで、盾にするように数隻の空母の姿もある。大小合わせて、砲門の総数は三百門は下るまい。

 すでに確認したもののほかにも、物見やぐらのような長大な艦橋を持つ戦艦は『霧島』と『山城』。三連装砲塔を三基備えた無骨な外観を持つドイツ戦艦『シャルンホルスト』。巡洋艦は日本の『妙高』級と『利根』型くらいしかわからないけど、左舷に小さな艦橋を持つ巨大空母は日本の『赤城』、その反対側にある巨大な艦橋と煙突を持つ空母は同艦と並び称されたアメリカの『サラトガ』に間違いない。

「しっかし、『ビスマルク』が、『フッド』と『プリンス・オブ・ウェールズ』に仲良く並んでるのは、ある意味壮観な眺めだな」

「は? ウェールズ陛下がどうしたっての」

「いや、そういう名前の戦艦があったんだよ。だが、ヤプールめ、よりによってなんて怪物を作り上げやがったんだ!」

 これに比べたら超獣などかわいく見える。戦艦とは、航空機には手も足も出ないでくのぼうのように言われることもあるが、実際には核兵器が登場するまでは地上最強の破壊力を有していた兵器なのである。主砲は数十キロのかなたから厚さ数メートルの鋼鉄をぶち抜く威力を秘め、自分はその破壊力に耐えられる装甲を持っている。それが数十隻集まったら、小さな国くらい灰にすることも可能なのだ。

 そのとき、それまで造船所街への艦砲射撃を継続していたバラックシップの砲火がやんだ。そして船体がゆっくりと旋回し、砲塔が回転して照準が別方向へ向く。才人とルイズは、その方向になにがあるかを見て慄然とした。

「いけない! オストラント号が狙われてるわよ!」

 遠目にも、ゼロ戦からはラグドリアン湖へと接近してきている東方号の姿が見えている。向こうからもこちらの姿は見えているはずだが、増速や回避運動をとる気配は無い。いや、見えていてもコルベールやエレオノールにはまだバラックシップは黒い塊か島のようにしか見えず、あれが戦艦だということはわからないのだろう。

「やべえぞ! あんな砲撃をまともに受けたらオストラント号は木っ端微塵だ!」

「ど、どうするのよ! このひこうきでどうにかできないの?」

「馬鹿言え! こいつは爆撃機でも雷撃機でもねえんだ。お前こそ、自慢の虚無呪文で止めてみろ!」

「無理に決まってるでしょうが!」

 二人が無益な言い合いをしているうちにもバラックシップは照準の調整を済ませていく。戦艦で砲の照準をする測距儀という装置は、遠距離の敵艦を撃つ必要性から艦橋の頂上にある場合が多く、それは三十から四十メートルもの高さに備え付けられている。当然接近してくる大きな船など丸見えだ。

 街ひとつをほんの十数分で灰燼に帰した破壊力が、たった一隻の木造船に向けられる。結果など、どれほど楽観的な阿呆が想像したところでひとつしかない。かといって、連絡しようにも無線機などはない。ゼロ戦を捨てて、ルイズのテレポートで飛ぶにしたって詠唱の時間が……そのとき、才人の頭に出発前にコルベールから言い渡されたことが思い起こされた。

「そうだ! ルイズ、おれの足元に黒板とチョークがあるだろ。それをとってくれ!」

「えっ! そうか、その手があったわね」

 ルイズもすぐに了解して言われたものを取り出す。これはゼロ戦に元々搭載してあった装備で、日本軍は航空機搭載型の無線機の性能が悪かったために、これを使って近距離での意思の疎通をおこなっていた。もっとも、慣れたパイロットだと手信号や機体の動作だけで以心伝心できたというから、当時の日本のパイロットがいかに化け物じみていたかがわかるだろう。

 才人はハルケギニアの字はまだ書けないし、第一操縦桿を握っているからルイズが黒板に文字を書く。しかし、東方号との距離はまだ十五リーグはある。黒板の文字など見えても到底読めない。だがルイズは東方号に向けて黒板を向け、才人は頼むから気づいてくれと祈りを込めて、搭載機銃のトリガーを引き絞った。

 

 一方そのころ、ラグドリアン湖方面へと急行しつつあった東方号。こちらでも才人たちの思ったとおり、湖の異変は捉えても、それが具体的になんであるかはわかっていなかった。ただ、猛烈な火力を持つ何者かがそこにいることだけは理解していたので、その上空で旋回しているゼロ戦を目当てに進んでいる。

 と、そのとき舵を握りながら前方を睨んでいたレイナールが、ゼロ戦の機銃が放たれているのに気づいた。

「コルベール先生、サイトのひこうきの翼が光ってます!」

「そうか、合図だな。ミス・エレオノール、用意のあれを頼む」

 コルベールが要請すると、エレオノールはブリッジにすえつけられていた大きな鏡に向き合った。

「さて、アカデミー特性の目標追尾機能付きの遠見の鏡、早くも本番で実験ね」

 杖を軽く振ると、鏡にこちらに向かって横腹を見せているゼロ戦がくっきりと浮かび上がった。倍率を上げれば、才人とルイズの表情も見分けられる。けれどなによりも、これだけ高速で動き回っているゼロ戦を逃すことなく映し続けている新型のマジックアイテムの威力は、アカデミーのレベルが着実に上がっていることを証明するものだろう。

 一瞬だけ感慨に浸ったエレオノールは、ルイズがこちらに向かって黒板を向けているのに気づいた。

「うん? なにか書いてあるわね。『ネラワレテイル、ハヤクヨケロ』。なんですって!」

「レイナールくん! 面舵いっぱい、全速回避!」

「り、了解!」

 はじかれたようにレイナールは蛇輪をいっぱいに回し、東方号は右に進路を急変していく。

 その瞬間、ラグドリアン湖に浮かんでいる不気味な黒い島が一瞬真っ赤に染まった。続いて前方の空に、カラスの大群のような黒点が無数に出現する。砲弾の速さを平均秒速七百メイルとして、着弾まで二十秒。避けられるか!? 船体を大きく傾け、東方号はプロペラをいっぱいに回して旋回する。船内ではバランスをくずした者が転げ周り、備品が散乱する。

 網をかけるように砲弾の雨が降り注いでくる。その一発一発が冥府への案内人となる地獄の火車だ。

 二発の砲弾が東方号を挟んですり抜けていった。一瞬遅れて、音速を超える砲弾が生む衝撃波が船体や帆を震わし、気の弱い者であればこれだけで気絶するような光景だが、さらに何百発もの黒い塊が空間を突き抜けていく。

「耐えろっ!」

 戦場経験があるコルベールや銃士隊の皆も、こんなすさまじい弾雨は味わったことはなかった。

 だが、弾雨の中を東方号はついに一発の命中も経験せずに乗り切った。船体にはかすり傷ひとつなく、エンジンにも異常はなく回り続けている。けれどコルベールたちはほっとする間もなく、外れた砲弾が森林地帯に着弾して巻き起こった惨劇を目の当たりにして絶句した。

 森が一瞬にして炎に包まれたかと思うと、木々の姿は幻のように掻き消え、業火とともに周辺の森ごと宙に舞い上げられていく。

 それはあたかも、星の表面が見えざる手によって引き剥がされているようでもあった。破壊などという表現では生易しい、ついさっきまで森のあった場所には、直径数十メイルのクレーターが無数にこしらえられて、数リーグ四方に渡って生物の存在し得ない煮えたぎる荒野となっていた。

「なんて破壊力だ……」

 コルベールはそうつぶやくのが精一杯だった。エレオノールは顔を青ざめさせて身じろぎもできず、レイナールは蛇輪を握ったまま歯をカチカチと震わせている。ブリッジに上がってきて、コルベールに指揮権を渡すように言いに来たベアトリスも、腰を抜かせて立つこともできない。

 戦艦一隻の火力は陸兵三個師団に匹敵するという説がある。陸上兵器の重砲の最大口径が一二七ミリから一五五ミリがせいぜいなのに、戦艦は三十六センチ以上の巨砲を八門から十二門も搭載しているからケタが違う。その説に従えば、推定四十個師団にも及ぶ火力が東方号一隻に集中したことになる。街に向いていた砲撃は、距離があったことと街全体を標的にするために照準が散乱していたが、一点に集中した場合に破壊できないものなどこの世にないだろう。

 まったく、回避に成功したのは運がよかったからだと言うしかあるまい。しかし呆然としている余裕はなかった。ゼロ戦からはまだ狙われているとルイズが必死に訴えてくる。コルベールはレイナールに叫ぶように命じた。

「レイナールくん! 高度を上げるんだ。低空ではいい的になる!」

「あっ、は、はぃぃっ!」

 任務に忠実であろうとすることだけが、レイナールの正気を保たせていた。東方号は速力を維持しながらじわじわと上昇していき、やがてバラックシップをはるか下方に見下ろせるようになった。

「高度二千メイル……こ、ここまで来れば」

 これだけ高空に来れば、東方号も向こうからは豆粒くらいにしか見えまい。砲弾そのものは届くだろうけど、照準を正確に合わせるのは無理だろう。極度の緊張から解放された安堵感から、レイナールはへなへなと床に腰を下ろし、コルベールもあえてそれをとがめなかった。

「やれやれ、危なかったな。しかし、あんな怪物がラグドリアン湖に侵入していたとは」

「ラグドリアン湖は深いからね。水の精霊もそうだけど……実際、なにが潜んでいてもおかしくはないところよ」

 エレオノールがハンカチで汗を拭きながら答えた。ラグドリアン湖の水深は正確に計測されたことはない。風魔法で空気の球を作って潜っても、いずれ水圧に押しつぶされてしまうために計る方法がないのだ。一説には水深一千メイルを超え、湖底には水の精霊の都市があるとも言われている。それが正しいかどうかはともかく、それだけの広さと深さを誇る湖なのだ。隠して隠せないものなどないだろう。

「しかしミスタ・コルベール、ラグドリアン湖に住む水の精霊は、湖を汚す異物を許さないと聞きますが?」

 ベアトリスが先ほどの失態をごまかそうとするように尋ねた。

「水の精霊は心を操る力では比類ないが、相手が心を持たない鉄の塊では通用しないだろう。直接的な攻撃力には水の精霊は乏しいからね。実質、やりたい放題というわけだろう」

「そんな、水の精霊でもかなわないなんて」

 人間にとっては恐ろしい水の精霊も、非生物に対してはまったくの無力。ベアトリスは、水の精霊の聖域と聞かされてきたラグドリアン湖までが、こんなに簡単に敵の跳梁を許すとはと驚いた。

「この世に無敵の存在なんて存在しないよ。我ら人間だってエルフはおろか、オーク鬼や吸血鬼、狼や毒蛇にだって毎年のように食い殺される人が後を立たない。っと、これは失言だったか」

 コルベールは、この船にはエルフが二人乗っていることを思い出して咳払いをした。意識しないつもりでいたが、やはり無意識に刷り込まれたエルフへの敵愾心はそうやすやすと消せないらしい。コルベールはどうやら危機意識が足りなかったようだと感じ始めていた。自分でこれなのだから、生徒たちや銃士隊の中からティファニアやルクシャナに不用意な発言から重大な問題が発生する可能性も多分にある。そうなれば、エルフ世界との和解という目標にも障害となる。船長として、早めに解決しておかねばならない課題だろう。

 そのとき、東方号と並ぶようにして才人のゼロ戦が近づいてきた。彼らも東方号が安全圏内に入ったことで安心したに違いない。黒板でしきりに無事かを尋ねてくる彼らに、コルベールは一番わかりやすい方法で答えた。すなわち、笑顔で手を振ってやったのである。

 ゼロ戦では才人とルイズにそれが見えたようでほっとしている。コルベールは次に、敵艦について近づいてみてなにかわかったかと尋ねた。声は当然届かないから、こちらもブリッジに黒板を持ち込んで大きく字を書いて見せるという方式だ。

「まどろっこしいわね、この方法」

「そうかね? 私は気に入ってるがね」

 このあたり、コルベールは腐っても教師ということだろう。

 返事はすぐに来た。敵が才人の世界の沈没船の集合体であること、その規模が数十隻の規模であることなど、事実は彼らを大きく驚かせた。

「ううむ、異世界の戦艦とは。道理で、ハルケギニアの常識では計り知れない破壊力を持っているはずだ」

「ミスタ・コルベール、感心している場合ではありませんわよ。相手がそんな怪物なら、商船改造のこんな船じゃ到底太刀打ちできっこないですわよ。どうしますの?」

「そうだな、ここは逃げるとするほかあるまい」

 コルベールの決断は早かった。しかし、それを弱気と受け取ったのかベアトリスが噛み付いてくる。

「ミスタ・コルベール! 逃げるとは聞き捨てなりませんわね。この船にはわたしどもも多額の出資をしたのですわよ。戦歴にいきなりそんな不名誉な記録を残して、クルデンホルフの名に泥を塗る気ですの?」

「ミス・クルデンホルフ、この船は軍艦ではないのだ。戦うすべはあるが、自衛の域を超えるものではない。目的はあくまでアンリエッタ姫殿下の命令を遂行することにある。文句なら姫殿下に言いたまえ」

「うっ……」

 王族の名を出されては、大公国の姫とはいえトリステインの臣下であるベアトリスとしては従うほかはなかった。コルベールとしては、このような虎の威を借る論法は好きではないのだが、長々議論して危険空域に居座ると何が起こるかわからない。幸い才人の世界の戦艦は飛べないらしいから、逃げるならば楽だろう。

 だが、地球の戦艦は飛べない代わりに飛ぶ敵への対処法を持っていた。ここまでは攻撃が届くまいと思っていた東方号の周りに、砲弾が炸裂する黒煙がいくつも出現して、破片や爆風が船体を揺さぶる。

「なんと! こんな高度まで正確に狙える砲があるのか!」

 確かに高度二千メイルに浮かぶ標的を主砲では狙えないが、その代わりに対空用の高角砲や両用砲がうなっていた。こちらはほとんどが口径12.7センチと小ぶりだが、その代わり連射が利いて、さらに砲弾は空中で炸裂するから直撃させる必要はない。

「まずいっ! レイナールくん、取り舵一杯。全速力で逃げろ」

 今度は反対者は出なかった。まだ照準が甘いようだが、早くも船体のあちこちに損傷が出始めている。万一エンジンに被弾するようなことになれば、それこそ銃口の前の七面鳥も同然だろう。

 しかし弾幕はどんどん濃密になり、船体には醜い破口が次々開いていく。しかも、全速力で遁走を計ろうとした東方号の行く足が急に鈍くなり、高度もどんどん落ち始めた。

「どうしたっ! 高度が落ちているぞ」

「わかりません。エンジンはフル回転してるのに? まるであの船に引き寄せられるみたいだ」

「引き寄せられて……そうか、しまった!」

 コルベールはすべてを理解したが遅かった。この船には通常の帆船とは違って金属部分が非常に多い。バラックシップは無数の戦艦を合体させている磁力を使って、今度は東方号を引き付けようとしているのだ。全力で抵抗を試みる東方号だが、バラックシップを形成しているMK合金の磁力はジェット戦闘機でも逃げられないほど強力なのだ。どんどん引きづられ、このままでは至近距離で集中砲火を受けてバラバラにされてしまう。

 そのとき、才人のゼロ戦がバラックシップに向かって急降下していくのが遠見の鏡に映った。

「ルイズ、あの子どういうつもりなの!」

「違う! あのひこうきも吸い寄せられてるんだ。サイトくん!」

 コルベールは叫んだが、その声が届くはずもない。

 しかし才人のゼロ戦は、ただ漫然と引き寄せられていたわけではなかった。

 加速度がついて今にも空中分解しそうな機体を操り、才人はゼロ戦を背面飛行の状態にして風防を開いた。

「サイト、いいわよ!」

「いくぜっ! 脱出!」

 シートベルトを外すと、ルイズを抱きかかえたままで才人はコクピットから飛び出した。

 次の瞬間、対空砲弾の直撃を浴びたゼロ戦は粉々に吹き飛ぶ。

”コルベール先生、せっかく直してくれたゼロ戦、いきなり壊しちゃってすいません”

 内心で謝りつつ、才人はルイズとともに重力に身を任す。眼下には、今まさに東方号へととどめの一撃を加えんとするバラックシップが迫ってくる。

 あれを止められるのは、もうおれたちしかいない! 二人が決意したとき、ウルトラリングが光を放った。

 

「フライング・ターッチ!」

 

 数百数千の砲弾の光が凶悪にきらめく中で、唯一違った光が膨れ上がる。

 その瞬間、東方号へ向かおうとしていた砲弾の雨は吹き飛ばされ、逆方向からの美々しい光線がバラックシップに突き刺さる。

『メタリウム光線!』

 大威力の破壊光線の直撃で、バラックシップに巨大な火柱が立つ。吹き上げられた残骸の中には数隻の戦艦の変わり果てた姿もあり、一撃の威力のすさまじさを物語る。

 そして、一撃を放った張本人は、バラックシップと東方号の中間の空域に、東方号を背中に守るように浮いている。

〔どうやら間に合ったか〕

 ウルトラマンAは小破に等しい損傷を負った東方号を、肩越しに見やって思った。東方号は船体のあちこちから煙を吹いているものの、エンジンなどの主要区画には命中しなかったようでどうにか浮いている。磁力もメタリウム光線の一撃で消滅したらしく、舵の自由も取り戻したようで、ブリッジを見ればコルベールやレイナールたちも無事でいた。

 対して、バラックシップは戦艦二隻ほどを船体から脱落させたものの、まだ健在な姿で浮いていた。さすが重量に換算したら百万トンは下るまいという地上最大の不沈要塞だ。かつてウルトラマン80に撃沈されたバラックシップが、全長一二〇メートル、四万トンだったというからケタが違う。

〔メタリウム光線にも耐えるとは、すげえやつだ〕

 才人は黒煙を吹き上げながらも、無数の主砲を旋回させつつあるバラックシップを見て思った。これはかつて東京湾を目前に沈んだバラックシップをヤプールが強化復元したものか、あるいは……

〔まてよ、沈没船を再生させたやつといえば……〕

〔サイト! 来るわよ!〕

 なにかを思い出しかけていた才人の思考はルイズの一声で中断させられた。バラックシップの主砲はすべて仰角を上げてウルトラマンAを指向している。高角砲のような豆鉄砲ではエースに通用するはずがないから当然の選択だ。だが、そうはさせじとエースはバラックシップへ挑みかかる。

「ショワッチ!」

 飛行するエースの傍らを、何発もの砲弾がすり抜けていくが命中はない。もとよりエースの体はベロクロンのミサイルが直撃してもびくともしないのだから、当たったとしても実害があるとは思えない。それでもいまだ危険空域から逃げ出せずにいる東方号にとっては大変な脅威だ。

〔お前の相手はこっちだ!〕

 心を持たない機械の相手に呼びかけても感じるはずはないが、東方号を守り抜こうという三人の決意の表れであった。主砲ではエースを追いきれないと感じたバラックシップは、副砲や機銃などまで持ち出してエースを撃墜しようと撃ってくる。対してエースは照準を狂わせようと、高速でバラックシップの周りを旋回した。敵の対空砲は追いかけようとするが、砲塔の旋回速度よりエースの飛行速度が勝っているために砲弾はあさっての方向へ飛んでいき、流れ弾は数十リーグを飛んで、ラグドリアンの湖面に巨大な水柱を幾本も立てた。

 むろん、逃げ回るばかりではなくエースからの攻撃も加えられる。

『メタリウム光線!』

 第二波攻撃が炸裂し、直撃された戦艦ニューヨークが戦艦扶桑を巻き込んで湖に沈んでいく。だがそれでも、隣接していた戦艦金剛や巡洋戦艦レパルスは何事もなかったかのように砲撃を続行してきた。

〔きりがないな〕

 メタリウム光線二発でも、まるで弱った兆しを見せない敵に才人は舌を巻いた。いや、一撃で何万トンという巨大戦艦を何隻も吹き飛ばしてはいるのだが、敵が巨大すぎてその打撃が全体のダメージになっていないのだ。

 しかし無闇にメタリウム光線を乱射するわけにはいかない。光線技はただでさえエネルギーの消費が著しいうえに、今のエースは実は万全ではない。

〔エース、大丈夫?〕

〔昨日の今日だからな。仕方がないが、まだ大丈夫だ〕

 ゾンボーグとの戦いから一日しか経っていないことが、エースの体力の完全回復を妨げていた。光線技は、あと何発も撃ったらいつもよりも早くカラータイマーが点滅を始めるだろう。

 ひとつの手としては、東方号が離脱したらいったん退却することもできる。いくら強力とはいっても船なのだから、陸の上までは追ってくることはできないはずだ。ただそうした場合、ヤプールが腹立ちまぎれに沿岸部の街へ無差別攻撃をかける可能性も捨てきれない。

 才人とルイズの胸中に、焼き尽くされた造船所街が蘇る。東方号一隻を沈めるためだけに、街ひとつを消し去るほどのヤプールだ、こいつがこのままおとなしくしているはずがない。多少の無理はしても、バラックシップを沈めなくては数千数万の犠牲者が出てしまう。

〔こいつはここで破壊しておくしかない! 二人とも、少し痛いことになるかもしれないがいいな?〕

〔おう!〕 

〔もちろんよ。いつでも来なさい!〕

 意を決したエースはバラックシップに攻撃を再開した。高速で敵の周りを旋回しながら、砲撃の切れ目を狙って光線を撃ちおろす。

『ハンディシュート!』

 指先から断続的に放たれる矢のような光線がバラックシップに突き刺さり、合体している戦艦の砲塔や艦橋にダメージを与えていく。メタリウム光線に比べれば威力は低いが、エネルギーを節約しながら武装を削るにはこのほうがいい。大砲を撃てなくなった戦艦などは、ピストルのないガンマンのようなものだ。

 もちろんバラックシップも黙っているわけはなく、全砲塔から三十六センチ、三十八センチ、四十センチの砲弾が雨アラレと撃ち上げられてくる。エースにとって実害はなくても、流れ弾がどこに飛んでいくかわからないから早くけりをつけてしまわなくてはならない。

『ブルーレーザー!』

 同じく手先から、今度はやや威力の高い光線が発射された。それは戦艦長門と、その隣にいた戦艦ローマに命中したのだが、長門が煙突や後部艦橋を吹き飛ばされたのにも関わらず耐えたのに引き換え、ローマは船体中央から真っ二つに千切れ飛んでしまった。

〔恐ろしくもろい船だな〕

 才人はローマのやわさ加減に呆れてしまった。兵器の中でも特に船は作る国によって特色が分かれ、同じような大きさや武装でもまったく性能の違ったものができるというが、これはわかりやすい例だった。日本艦やドイツ艦はけっこう頑丈なのだが、アメリカ、イギリス艦と行くに従って壊れやすくなっていく。

 これは艦隊決戦思想や建艦技術の差など、いろいろと要素があるために、一概に弱いのが悪いとはいえない。だが攻める決定打を探していた才人やエースは好機と捉えた。

〔見えたぜ! あそこが弱点か〕

〔ああ、いくら巨大でもアキレス腱は必ずあるものだな〕

 わざわざ頑強な作りをした戦艦を狙う必要はないとわかったエースは、光線の照準を耐久力の低い艦艇にしぼって発射していった。防御力の低い巡洋戦艦レパルスが吹っ飛び、空母ヨークタウンが弾薬庫に引火して飛行甲板がめくれ上がる。

 シューティングビームの命中で巡洋艦インディアナポリスが爆発した。その影響で、巡洋艦酒匂も本体から脱落して湖に落ちていく。過去、原子爆弾を運んだ船と水素爆弾で沈んだ船が同時に沈むのは、ある意味皮肉な光景だが、合体している軍艦が外れるごとにバラックシップのエネルギーも減少していくようで、砲撃の密度も散発的になっていく。

〔サイト、くっついてる船が離れていくわ〕

〔磁力も弱まってるみたいだな。あと一息でバラバラになるぜ!〕

 戦艦比叡が勝手に外れて、下にあった空母イーグルを押しつぶした。戦艦ビスマルクと空母瑞鶴が外れて流されていく。そしてその脱落した箇所の下から、見るからに真新しい船体を持った大型タンカーが現れた。あれは、沈没船ではなく航行中に吸収された船に違いない。甲板上には天然ガスと英語で書かれた大きなドームが並んでいる。

〔北斗さん! あれだ〕

〔よし、とどめだ!〕

 三発目のメタリウム光線がタンカーに吸い込まれ、何十万度という超高熱によってタンク内部に充填されていた膨大な液化天然ガスは一瞬で気化し大爆発を起こした。炎が、十万トンはあったかというタンカーを卵の殻を割るように噴出し、火焔が六百メートルの巨体を見る見るうちに飲み込んでいく。

 さながら、噴火した火山の山肌がマグマと火砕流に塗り替えられていくようなすさまじい光景。屈強を誇った戦艦群も、火焔の中でマストや機銃座が溶けて折れ曲がっていき、弾薬庫に引火したものから次々に自爆していく。

〔すげえ……〕

 攻撃を頼んだ才人も、燃え盛る炎と化した六百メートルの鉄塊の威容には圧倒された。すでにバラックシップからの反撃はまったくなく、弾薬庫や燃料庫に引火した戦艦があげる爆発の衝撃波は空気を震わせて、ラグドリアンの湖畔の森の木々を揺さぶり、じっと宙に浮いて見守るウルトラマンAの体を震わせる。

〔これが、サイトの世界の戦争……〕

 ぽつりと、恐ろしげにつぶやいたルイズの言葉には、言葉以上の恐怖が詰まっていた。これまで才人の世界から来る物は、いろいろな好奇心をかきたてて、才人が住んでいた世界に行ってみたいという気持ちをかきたててくれた。

 しかし、発達した技術力はひとたび戦争に転用されたら途方もない破壊と惨劇を呼ぶことがわかってしまった。それは特に、ゼロ戦の機能に興奮したコルベールが強く、彼は自らの目指すものの行く先のひとつがこれだと、東方号のブリッジで強く唇をかみ締めていた。

 東方号でも、帆柱が震え、傷ついた船体から木材の破片が落ちていく。火山の噴火するときの衝撃波は、数百キロの距離をへだててもガラスを割る威力を持つというが、バラックシップの数十隻に及ぶ軍艦や、燃料を満載したタンカーの起こす爆発の威力は、本物の火山以上の迫力を持っていた。

 逃げる必要がなくなり、滞空する東方号の船上に少年たちや銃士隊が集まってきていた。

 ギーシュは震えるモンモランシーの肩を抱きながらひざを震わせ、レイナールは曇ったメガネを拭くことも忘れ、ギムリも豪胆そうな顔を引きつらせている。

 エレオノールも息を呑み、毒舌のひとつもない。ベアトリスは虚勢を張ろうとしてたところで、一隻の戦艦の砲塔が紙細工のように、炎に巻き上げられていく光景に腰を抜かして取り巻きに支えられた。

 戦い慣れている銃士隊も、これほどの光景は見たことがなかった。以前トリステイン王宮が炎上したときすら、これにくらべたら子供の火遊びのようなものだ。

「恐ろしい敵だった……」

 ミシェルは額の汗を拭きながらつぶやいた。わずか十数分でひとつの街を焼き尽くした、こんなやつが本格的に動き出していたら、ラグドリアンの沿岸部は文字通り灰燼に帰していただろう。超獣のパワーアップも恐ろしいが、ヤプールはそれにとどまらずにどんどん新しい手を打ってくる。あらためて、これから自分たちが立ち向かおうとしている相手が容易でないことを肝に銘じた。

 バラックシップは燃え盛りながら、沈没船を合体させていた磁力も消滅したと見えて、くっついていた船が離れていく。黒焦げになった戦艦山城が、その名のとおりに艦橋からまっさかさまに湖に落ち、赤い船腹をさらした後に沈んでいく。空母蒼龍は下敷きにしていた空母レキシントンとともに横転したまま流され、浅瀬に座礁した。

 

 燃えながら少しずつ小さくなっていくバラックシップ。ウルトラマンAと東方号は、その最期を見守り続ける。

 だが、原型をとどめないほど崩れ、ついに全体が崩壊しはじめたときだった。

〔あれは、なに?〕

 ルイズが、崩れ落ちていく文字通りのバラックの炎の中に、黒い影のようなものを見つけた。

〔本当だ。なんだ? ありゃ〕

 才人も、その影に気づいて目を凝らす。見間違いではなく、瓦礫と炎の中にそれは確かに存在している。しかし、煙と炎と熱で湾曲した空気が光を邪魔して全容を詳しく知ることができない。ウルトラマンAは飛び去ろうとしたのを一時抑えて、その奇妙な影を見つめた。

”あれもバラックシップに吸収された船の一隻か? しかし、ほかの船が崩壊していく中で、なぜあれだけ燃えもしていない?”

 ウルトラマンAの見下ろす先で、バラックシップが沈んでいくごとに黒い影はだんだんと大きくなっていく。

 あれは間違いなく船だ。しかも、かなり大きい。

 そのときだった。燃える炎の音しかしていなかったバラックシップから、突然古い工場のような甲高い機械音が鳴り始めた。

〔なんだっ!?〕

 あの状態のバラックシップがまだ動けるというのか! いや違う。音はあの黒い影のような船から出ている。

 一気に残骸が沈んでいき、黒い船が水に浮く。瓦礫を押しのけて動き出した黒い船から、一発の砲声が響き渡った。

〔あれはっ!〕

 砲撃の風圧で、一気に炎と煙が払われて黒い船の全容が明らかになった瞬間、才人は絶叫した。

 そうだ、バラックシップにはあれだけの数の戦艦が合体していたのに、どうしてこいつがいなかったのに思い至らなかったのか!

 次の瞬間、飛翔してきた三発の砲弾がエースの眼前で炸裂した。それは、破片や爆風はエースにダメージをもたらすような威力はなかったものの、大量の焼夷弾子が含まれていたらしい。目の前で燃え上がった、さながら巨大な花火ともいうべき炎の閃光がエースの視界を奪う。

「ヌッ! オォッ!?」

 世界が白く染まり、目を押さえてエースは視力を回復しようと試みた。だが、そうしてエースが完全に無防備になる瞬間こそ敵が狙っていたものだった。

 どこからともなく金属製の手かせと足かせが飛んでくると、生き物のようにエースの四肢を拘束してしまった。

〔なんだっ! これは〕

 がっちりとはめられた手かせと足かせは、共に太い鎖でつながれていてウルトラマンAのパワーでも引きちぎれない。しかもそのかせの鎖は湖の中へと続いており、バランスを崩したエースはラグドリアン湖に真っ逆さまに引きずりこまれていく。

「ウルトラマンA!」

 湖に高々と水柱が立ち上り、東方号から悲鳴があがった。水没点から激しく気泡が登り、誰もが船べりにしがみついて湖を見下ろす。だが、やがて落下したエースが水面に浮上してくると、ほっとため息が漏れる。

 けれども、安心するには早すぎた。エースは四肢を拘束されて思うように動けず、沈まないようにするだけで精一杯だ。

 そして、再び響いた砲声とともにエースの周辺に立ち上る水柱の林。それはいままでのどの戦艦の放った砲弾のものよりも高く大きく、エースが覆い尽くされてしまったかのようにさえ思えた。

〔この破壊力、間違いない!〕

 直撃されず、至近弾だったというのに衝撃が激しく来る。それまでの攻撃が豆鉄砲に感じられる巨弾、才人は確信した。こんな化け物じみた火力を持った船は、たった二隻しかない!

 バラックシップの残骸の炎の中から、ついに敵艦はその全容を現した。

 雄雄しく波を蹴立て、城郭のように聳え立つ優美さと重厚さを併せ持つ主艦橋。その後ろにそびえる、斜めに傾斜した巨大な煙突と三本のマスト。それらをハリネズミのように取り巻く、無数の高角砲と対空機銃。

 なによりも、一基が駆逐艦一隻に匹敵する重量を持つという、要塞のような装甲でできた主砲塔から伸びる三本の砲身。

 そのシルエットに、才人はおろか北斗も目を奪われて離すことができなかった。まさか、このハルケギニアでこれを見ることになろうとは。日本人であるなら、老若男女問わずにこの船の姿と名を知らない者は絶無と言って過言ではない、伝説中の伝説。

 軍艦ロボット・アイアンロックス、沈没した戦艦を改造して作り上げられた侵略兵器ロボット。その原型となった地上最大最強の戦艦。

 

「大和……」

 

 巨砲がうなりを立て、ウルトラマンAを、東方号を狙う。

 カラータイマーが赤になった。ウルトラマンAがんばれ、残された時間はもうわずかなのだ。

 

 

 続く



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第65話  激突! 東方号vs戦艦大和 (後編)

 第65話

 激突! 東方号vs戦艦大和 (後編)

 

 宇宙海底人 ミミー星人

 軍艦ロボット アイアンロックス 登場!

 

 

「海の女王」

 かつて、そう称されて全世界から畏怖とあこがれの眼差しを向けられた艦種がある。

『戦艦』

 圧倒的な火力と鉄壁の防御力を備え、比類ない巨体から生み出される威圧感は他の追随を許さない、動く鋼鉄の城。

 水の惑星と呼ばれ、海洋が表面の七十パーセントを占める星・地球。その覇権を争うためには、強大な海軍力を持つことが絶対条件であり、人間同士が植民地というせせこましい土地をめぐって争っていた頃、列強は海軍力の増強に狂奔した。

 そして、海軍力とはすなわちより優れた艦を揃えられるかということで決定する。

 より大きく、より強力な大砲を装備した艦をと、今からおよそ百年ほど昔、各国の技術者たちは寝食を忘れて新造艦の開発に没頭した。その結果、はじめは全長百メートル強がせいぜいで、装甲巡洋艦などとの区別もあいまいであった主力艦は見る見るうちに巨大化し、『戦艦』という誰が聞いてもその役割を間違えることのない、絶対的な海の支配者が君臨することになる。

 強力な戦艦をそろえた国は国際的にも重く見られ、逆に揃えられなかった国は国民が身銭を切った募金を持ってしても建艦費用を集めようとした。

 まさしく、二十世紀前期の世界において、戦艦は国家の実力を示すバロメーターであった。

 

 しかし……戦艦の世紀は第二次世界大戦を契機に最後を迎える。

 それまで海洋の女王として、いかなる敵からも冒されることのなかった彼女たちを、その地位から引き落としたのは、空飛ぶ荒鷲・航空機と空母の出現であった。

 強力な爆弾を抱え、戦艦の大砲よりもはるか遠くの目標を攻撃できる航空機。その利便性において戦艦にはるかに勝り、なによりも一方的な攻撃を可能とする機動性は戦争の形態を一変させた。

 対して戦艦は維持費と使いどころが限定され、瞬く間に主力兵器の座から転落。威容を誇った不沈艦たちも、航空機の前に次々と撃沈され、戦艦の時代は白昼夢のように終わった。

 それから七十年。現在、戦艦を配備している国はない。海軍の主力は護衛艦、空母、潜水艦に移り、無機質で機械的なものに変わってしまった。

 

 だが、戦艦はその終焉において数々の伝説を人々の心に残していった。ミサイルの発射台に成り下がった護衛艦や、航空機を入れる箱にすぎない空母などには絶対に出せない、戦う艦の勇ましさを表現した迫力は、今なお数多くの少年たちの心に息づいている。

 そして、時代はその終焉において、奇跡ともいうべき最高傑作を生み出していた。

 

 日本海軍が威信に懸けて建造したその艦は、全長二百六十三メートル、排水量六万七千トンの巨体。

 主砲口径は四十六センチ三連装三基九門。艦載砲としては地上最大の大きさであり、そこから放たれる重さ一四六十キロの砲弾は、四十一キロメートルもの射程を誇る。

 むろん、ただ巨砲を積んだだけではない。戦艦の目的は敵戦艦をその主砲で持って撃沈し、艦隊決戦に勝利をもたらすことなのだ。そのためには破壊力を存分に活かすために、船自体にも敵の戦艦の砲撃に耐えられる防御力が要求されるのはもちろん、敵艦を正確に狙える高性能な照準機や多数の僚艦を指揮できる通信機能をはじめとして、必要な機能はいくらでもある。

 それらをクリアするために、この艦には当時の日本の最先端技術が惜しげもなく投入された結果、その容姿はそれまでの日本戦艦とは明らかに次元を異にするものとなった。

 艦首からなだらかに傾斜し、曲線美を表す前甲板。その上にそびえる二基の主砲塔と一基の副砲。

 艦中央部には、艦の頭脳というべき前艦橋が立ち、頂上部から左右に伸びる主砲測距儀は兜の角を思わせる。

 一本にまとめられ、霊峰富士のような絶妙な傾斜角度を持つ煙突。スピード感を増させる傾斜した三本マスト。

 後艦橋に続いて、後部副砲、さらに第三主砲が無駄のない壇上として続き、それら艦上構造物を守るために、二十四門の高角砲と一五二丁もの三連装対空機銃が空を睨む。

 まさに贅肉などどこを探しても見当たらない、戦国の豪傑にも似た、鍛え抜かれた破壊の化身。

 だが、そうした鬼神のごとき戦闘力を秘めていながら、この艦はそれら全てが絶妙の均整を持って一つに調和し、これが兵器だというのに芸術品とも呼べる造形美をかもしだしていた。

 鬼神の強さと女神の美しさを併せ持つ戦艦。最後の奇跡は、この艦に与えられた名にあるだろう。世界最大最強、そして最後の戦舟に与えられた名は、破壊を象徴する戦艦という艦種からかけ離れた『大いなる和』という名。

 永遠不滅の伝説とともに、人はその船をこう呼ぶ。戦艦『大和』と。

 

 太平洋戦争末期、大和は沖縄を救援するための途上で無念にも撃沈され、東シナ海に眠りに着いた。

 しかし、それから二十三年後に、大和の眠りを無粋にも妨げる輩が現れた。

 宇宙海底人ミミー星人、地球侵略を企む彼らは地球の海の底に眠る地球人が利用していない資源、すなわち沈没した戦艦などを改造し、侵略兵器に作り変えた。

 それが軍艦ロボット・アイアンロックス。戦艦の絶対的な破壊力に、ミミー星人によって潜行能力を付加された、潜水戦艦ともいうべき恐るべき怪物は、神出鬼没に船舶を襲い、世界中の地球防衛軍を大いに翻弄した。

 日本には大和を改造したものが出現し、ウルトラ警備隊の攻撃をものともせず下田港を蹂躙した。

 だが、駆けつけたウルトラセブンはアイアンロックスの大和譲りの砲火に苦しめられながらも、かろうじてエメリウム光線で撃破に成功する。こうして、大和は場所は変われど再び安らかな眠りについたはずであった。

 

 そのアイアンロックスが今、次元を超えてラグドリアン湖に巨体を浮かべて、ウルトラマンAと対峙することになろうとは誰が想像したであろうか。才人は、宇宙人の手にかかりながらもなお優美さを失わない大和の偉容を前にして、まるで妖精に微笑まれたかのように本能的に見惚れてしまった。世界中を通して、軍艦はその勇ましい姿に反して女性格で表されるのが通例となっている。姉妹艦と呼んでも、兄弟艦とは決して呼ばないのがその証左だ。

 また、船にはそれ自体に魂が宿るとも船乗りたちには言い伝えられている。あらゆる自然物に魂が宿るという八百万の神々の信仰を持つ日本人は、船に宿るという魂魄をさらに神聖に船魂と称し神格化して敬った。そして軍艦が女性格を持つ以上、その魂は絶世の美貌を持つ女神と形容して否定する者はおるまい。今この場において才人を、さらに七十年の長きに渡って日本人を虜にし続けている鋼鉄のフェロモン。

 だが、美の女神の祝福を受けた戦神はいまや悪魔に操られる巨竜でもあるのだ。禍々しいオーラを発するアイアンロックスに、戦う意思を奮い起こす才人。さらにルイズも、大和の名も知らないものの、才人の戦慄から相手がこれまでのくず鉄とはわけが違う、正真正銘の最強戦艦であると悟った。

 

 艦首に一基、両舷に移設された二基の四十六センチ三連装砲塔が砲身を上下させてエースに照準を定める。対するエースは先のバラックシップとの戦いで、光線技の連射によってエネルギーの残量が乏しい。カラータイマーは赤く点滅し、さらに両手両足を錠で拘束されているために身動きがきかない。

〔くそっ! この鎖さえ切れれば〕

 エースの体の自由を奪った鎖は、アイアンロックスの艦体と直結していて逃げることができない。しかも、宇宙金属製であるために、単純な力ではビクともしない。

 再び放たれた九発の砲弾がウルトラマンAの周囲に水柱を上げた。上がった本数は六本、すなわち三発がエースに命中したということになる。

「ウオォッ!」

 エースの体を直撃した三発の四十六センチ砲弾は、皮膚を貫通することはできなかったが槍で突かれたような痛みをもたらした。宇宙人の手によって改造されていた上に、大和の砲撃能力が元々懸絶していたことが相乗した当然の結果であった。

 アイアンロックス……いや、大和の砲弾の威力はベロクロンのミサイルをしのぐ!

 撃たれた箇所を手で押さえながらエースは思った。さすが、ウルトラセブンを苦しめただけのことはある。

 アイアンロックスの主砲が仰角を下げ、おじぎをするように垂れ下がった。砲撃をやめたのではない。大和級戦艦の主砲はその構造上、次弾装填には砲身を俯角三度にまで落とす必要があるのだ。装填時間はおよそ四十秒、改造によって短縮されているとして二十秒というところか。あんな砲撃を二十秒ごとに受けたら、実体のないヘビーパンチャーに殴られ続けるようなものだ。

 しかもアイアンロックスには、確かさらに恐るべき機能があった。万一、その機能までもが受け継がれていたとしたら……

 そのときだった。アイアンロックスの艦橋中央部に赤いランプが点り、宇宙人の声が大音響で流れてきた。

 

「ウワッハッハッハ! 罠にはまったな、ウルトラマンA!」

「貴様は、ミミー星人か!」

「そのとおり、貴様とは初にお目にかかるな。とはいっても、私はこの場所にはおらんがな。よくも我々が心血をそそいで、地球の海底の資源を総ざらいして作り上げたバラックシップを沈めてくれたな。しかし貴様も、切り札として隠しておいたこのアイアンロックスの存在までは見抜けなかったようだなあ」

 勝ち誇った声でミミー星人は高らかに笑った。悔しいが、奴のいうとおりにまんまと罠にはめられてしまったようだ。バラックシップの巨大さに幻惑されて、その中にまだ奥の手を隠してたとはうかつだった。恐らく大和のスピーカーを利用しているのだろう、音割れの混じったミミー星人の声は音量以上に耳障りに響き、エースはたまらず怒鳴り返した。

「貴様の目的はなんだ! ミミー星人」

「知れたこと、地球とこの星のあらゆる資源をいただくのよ。そのために目障りなこの星の人間には消えてもらわねばならんが、この星の人間たちが不穏な動きをし始めているのをキャッチしたのでな。小ざかしい真似は始める前につぶさせてもらうことにしたのだ」

「くっ! やはり目的はオストラント号か」

 悪い想像はものの見事に的中していたことに、エースだけでなく才人とルイズも舌打ちをした。しかし、ミミー星人と、恐らくは奴の背後で糸を引いているヤプールはどうやって東方号のことを掴んだのだ?

「どうやってオストラント号の出航目的を知った?」

「ふふ、私はヤプールから情報を受けただけだ。しかし、貴様が助けにやってくることを予測して網をはっていたかいはあったぞ。この機会を利用して、ウルトラセブンに倒された同胞の恨みを晴らしてくれる!」

「くっ!」

「おっと、メタリウム光線はやめておいたほうがいいぞ。このアイアンロックスには自爆装置が仕込まれているのだ」

「っ!」

 光線技の発射態勢に入ろうとしていたエースは、とっさのところで踏みとどまった。

 やはり、自爆機能もそのまま受け継がれていたか。かつてのアイアンロックスにも、強力な時限自爆装置が組み込まれており、ミミー星人はそれを利用して地球防衛軍基地の破壊をもくろんだ。

「以前の起爆装置は甘かったが、今度このアイアンロックスに光線を浴びせてみるがいい。その瞬間、水爆の何十倍という爆発が引き起こるのだ!」

「水爆の何十倍だと! そんなものが炸裂したら、ラグドリアン湖だけでなく……」

 恐らく、トリステインとガリアの大半も消し飛んでしまうことだろう。死者は数千万は下らず、広大な土地が草も生えない荒野に変わってしまう。いや、ハルケギニアの資源の強奪を目的とするミミー星人にはそのほうが都合がいいのだろう。

「フハハハ! ヤプールはマイナスエネルギーの収集ができなくなるだろうが、貴様を巻き添えにできるのであれば文句は言うまい。その宇宙金属製の鎖は以前のように簡単には切れんぞ。今、時限装置のタイマーが入った。起爆まであと十五分だ。それまでせいぜい恐怖を味わうがいい!」

 哄笑の余韻を残してミミー星人の声は消えていった。アイアンロックスからは、カチカチと時計のような音が聞こえ始める。ミミー星人の言ったことは本当だ。このままでは、十五分後にはアイアンロックスは水爆の何十倍という爆発を起こす。そうなったらハルケギニアはおしまいだ。

 エースはなんとか鎖を切ろうともがいた。しかし、鎖はビクともしない上に水中ではさらに身動きがとれない。エースは地上や宇宙、異次元空間での戦いには長けているが、唯一水中での戦いは不得手なのだ。それを見越して、罠を張られていたとしたら脱出の可能性はかなり低い。才人とルイズも、焦りを隠せずにエースに言う。

〔北斗さん! なんとか脱出できないんですか〕

〔そうよ! 力が足りないっていうなら、わたしの命を削ってもいいから〕

〔だめだ、この鎖は少しくらいエネルギーを加算した程度では切れない〕

 そんな簡単に切れるようなら、ミミー星人はあそこまで自信たっぷりにはするまい。鎖がつながっているアイアンロックスのほうをどうにかしようにも、下手に手を出したら爆発するようセットされているだろう。

〔止められるとしたら、起爆装置をコントロールしているミミー星人を倒すしかないが、だからこそ奴はこの錠を用意していたんだ〕

 捕まったままでは飛べない。まして、変身を解除して再変身するにはエネルギーが足りない。第一、現状では変身していられる時間はせいぜいあと数十秒。才人とルイズの体力をエネルギーに変換するとしても、ウルトラマンの状態でいる時間を延長するだけで精一杯だ。

 つまり、ウルトラマンAはどうあがいてもアイアンロックスの自爆を止められないということになる。時間はあと十四分と三十秒……それまでに、大和の船体の奥深くに仕掛けられた起爆装置を解体するか、恐らくこの湖のどこかに潜んでいるであろうミミー星人を見つけて倒す。どちらもとても間に合わない!

 さしものウルトマンAも時間という絶対的な力には敵わず、あきらめかけたときだった。湖に影をかけながら、東方号がエースに向けて降下してきたのだ。

「ウルトラマンA! 今助けるからなーっ!」

 ギーシュの叫ぶ声に見上げると、甲板上には彼をはじめ土のメイジが集まっていた。

〔もしかして、錬金でこの鎖を切るつもりなの!〕

〔むちゃくちゃだ! よせ、来るな!〕

 エースは「来るな、離れろ」と、身振りで伝えようとするが東方号は降下をやめない。そこへ、アイアンロックスが主砲の照準を東方号に変えてきた。まずい、二隻の距離は千メートルもない。この至近距離では絶対に外れない。

 しかし、アイアンロックスの主砲が放たれようとした瞬間、ブリッジのコルベールはニヤリと笑った。

「私の作品をそんな簡単に落とせると思ってくれるなよ。秘密兵器その一、緊急加速用ヘビくん一号、点火!」

 なにやら怪しげなレバーをコルベールがぐいと引くと、船尾にタル状の物体が四つほどせり出してきた。すると、それから一気にジェット噴射のように炎が吹き上がり、噴射の反動で東方号は瞬間的に信じられない加速をした。

〔んなっ! ロケットブースターかよ!?〕

 アイアンロックスの砲弾は船尾を掠めて外れ、東方号は呆然としているウルトラマンAの前で窮地を脱してしまった。

「わっははは! 私は自分の才能が怖い。こんなこともあろうかと、メカギラスの”みさいる”を参考にして作った緊急脱出装置、見たかねエレオノールくん!」

「み、見たかねじゃないわよ。こんなアホな加速するなんて聞いてないわよ! おかげで背中打っちゃったじゃない」

 得意満面のコルベールに、加速の衝撃に備える間もなく吹っ飛ばされて転んだエレオノールが抗議の声を上げた。ほかにも甲板上ではギーシュたちが折り重なって倒れているし、船内のあちこちもめちゃくちゃで、厨房ではティファニアが転がってきた缶からミルクを浴びせられて半泣きになっている。コルベール特製の加速装置は、事前の連絡がなかったので乗員に多大な被害を出していた。

 いや、それだけならまだいい。両舷の機関室からエレオノールの顔色をなくさせるような報告が入ってきた。

「ブリッジ! 左主翼の接合部に亀裂が入っています。さっきの急加速の影響だと思われます」

「右翼もです。鋲も半分以上はじけ飛んでます! いつへしおれてもおかしくないですよ」

「なんですって! くっ、やっぱり改造した船体じゃ強度が足りなかったようね。ミスタ・コルベール、どうするの?」

「もう加速装置は使えないようだね。だが、通常航行するならばしばらくは問題はあるまい……我々に、友人を見捨てて逃げ延びるという選択肢は最初からないのだからね」

 冷静に戻ったコルベールの横顔に、エレオノールもうなづいた。誇り高いトリステインの貴族は、敵に背を向けることはしない。それは昔ルイズが誤解していた蛮勇ではなく、戦うべきときと戦わないときを見極め、戦うべきときには臆さないことをいう。今この東方号を失うわけにはいかないのは事実だが、トリステインの大恩人に背を向けたら人間としての誇りが死ぬ。第一、これから敵地のど真ん中に乗り込もうというのに、初手から逃げていてどうなるか。

 ウルトラマンAを救出し、ヤプールの野望も砕く。後のことはそれから考えればいい。

 アイアンロックスは船体を旋回させ、全砲門を再び東方号に向けてきた。緊急加速装置はもう使えない。だが、コルベールの奥の手はまだあった。

「まだまだ、秘密兵器その二! 空飛ぶヘビくん発射!」

 別のレバーを押し下げると、今度は翼の下から小型の円筒状の物体が連続して投下された。それは尾部から先ほどのものと同じように炎を吹き上げると、数十の火の矢となってアイアンロックスに突進して爆発した。一瞬にしてアイアンロックスの船体は炎に包まれて燃え上がる。

「はっはっは、今度も大成功だな。先端に『ディテクトマジック』を発信する魔法装置を取り付け、火薬で推進する鉄の火矢だ。名づけて『空飛ぶヘビくん』! 発射されると半径一リーグ以内にある中でもっとも大きい目標に向かって飛ぶ、対怪獣用兵器なのさ」

 再び調子に乗るコルベール。しかしエレオノールやベアトリスは驚嘆していた。こそこそ隠れて東方号に妙な仕掛けをしていたのは知っていたが、こんなものを取り付けていたとは。自衛のために装備した大砲などより、よっぽどすごいではないか。

 アイアンロックスは炎上し、照準できなくなったらしく砲撃してくる気配はない。ウルトラマンAは起爆装置が作動しないかと冷やりとしたが、さすがにこの程度のダメージでは起爆しないようでほっとした。

 しかしそれよりも、アイアンロックスを相手に二度も窮地を切り抜けた東方号の隠された実力には驚いていた。あんなとんでもない切り札を隠していたとは、コルベールの頭脳は天才的だ。もしかしたらあの船なら……東方号は再び鎖を切ろうと接近してくるが、どうせ自分は自由になれたところでやれることはない。ならば、可能性は彼らに託す。

「デュワッ!」

 エースは腕を胸の前でクロスさせると一気に振り下ろした。とたんに、エースの体が発光して収縮し、消えてしまった。

 東方号の甲板では、突然消えてしまったエースに、ギーシュたちがオロオロとしている。コルベールも、進路上から突然エースがいなくなってしまって、レイナールにどう舵をとらせていいのかうろたえていた。

 そこへ、ブリッジのドアを蹴破るようにして才人とルイズが駆け込んできたのだ。

「コルベール先生!」

「えっ! サイトくん? ミス・ヴァリエール? ど、どうしてここに!」

 ゼロ戦とともに墜落したと思っていたコルベールはあっけにとられた。だが才人はそんなことには構わずに言う。

「危ないところでルイズの瞬間移動で助かったんです。それよりも、時間がありませんよ!」

 才人は焦りながらも、アイアンロックスがあと十三分程度で自爆することを訴えた。もちろん東方号でもエースとミミー星人の会話は聞こえていたのだが、彼らには水爆がどういったものなのかがわからなかった。コルベールたちは才人から、水爆が国ひとつ消滅させ得る超破壊兵器で、起爆を許したらトリステインが丸ごと消えてなくなってしまうと聞かされて血の気を失った。

「トリステインが消滅する……? そんな、馬鹿な」

「残念ながらマジなんですよ。奴らはそれくらい平気でやりかねないんです。それよりも、多分宇宙人はこの湖のどこかに潜んで様子をうかがってるに違いありません。時間が来る前に見つけてやっつければ、自爆は止められるかもしれません。それができるのは、今このオストラント号しかないんですよ」

「ううむ……わかった、やろう! しかし、ウチュウジンを見つけ出すといっても、この広い湖でどうやって?」

「手はあります。ルイズ、そっちはまかせたぜ!」

「わかってるわよ。モンモランシー! すぐに甲板まで来て、あなたの協力が必要なの」

 ルイズは伝声管に怒鳴るとブリッジを駆け出して行った。コルベールたちは半信半疑ながらも、とにかくアイアンロックスから距離だけはとろうと沖に舵をとる。アイアンロックスは艦橋がまだ炎上しており、測距儀やレーダーが使えないようだ。艦尾方向から距離をとれば砲門の死角になる。

 だが、安全だと思って安心しかけたとき、アイアンロックスの周辺に大量の気泡が湧いた。アイアンロックスは甲板から上だけを水面に浮かべ、船体のほとんどは水中に沈んでいるのだが、その船体が浮かび上がってくる。

「なっ!?」

 浮上してきたアイアンロックスの全容を目の当たりにしたとき、才人は目を疑った。アイアンロックスは大和の第一、第三主砲を艦橋を挟んだ両舷に、上から見たら第二主砲を頂部にしたピラミッド形になるよう設置している。なのに、前甲板にはないはずの第一主砲があり、後部甲板には第三主砲どころか、本来の大和にすらないもう一基の主砲が艦首と同じように存在しているではないか。しかも、延長された後部甲板は大和の元々のものではなく、滑走路のラインが書かれた飛行甲板になっており、航空戦艦のようになっている。

 倍加された主砲の数と、大和に匹敵する広大さを持つ空母の船体。才人は悪夢とさえ言えるアイアンロックスの偉容に、大和の妹たちの名を思い起こした。

「そうか、武蔵と信濃のパーツを使って強化復元しやがったのか!」

 大和級戦艦には二隻の姉妹艦が存在する。一隻は大和とほぼ同じ姿をした戦艦武蔵。もう一隻は、大和級三番艦となる予定であったが、ミッドウェー海戦の大敗北によって空母が失われたために急遽超大型空母に改造された信濃。現在、武蔵はフィリピンの海に、信濃は紀伊半島の沖にそれぞれ沈んでいるが、考えてみれば大和を修復するのにこれほど適した素材はほかにあるまい。

 十八門の主砲を振りたてて、超合体戦艦が東方号に迫る。

「敵戦艦の後部砲塔、本船を指向!」

「レイナールくん! 取り舵いっぱい!」

 見張り員の絶叫を受けてコルベールも叫ぶ。大きく左に旋回した東方号はかろうじて砲弾を避けきった。

 しかし、現在のアイアンロックスに死角はない。速力では東方号が当然ながら勝っているものの、四十六センチ砲の射程は最大四十一キロメートル、必中をきせる有効射程だけでも二十五キロメートルもある。つまり、安全な距離はラグドリアン湖の上のどこにもない。

 右に左に、レイナールは眼鏡に汗が垂れても必死で蛇輪を操る。一発撃ったら再装填に四十秒かかるという四十六センチ砲の弱点も、十八門もあれば間断なく撃ち続けることができた。機関室では、蒸気機関が止まったら終わりなので、ギーシュたちが音と振動だけを頼りに釜をなだめている。

 一方、甲板ではルイズとモンモランシーが、この戦いの行方を左右する手を打とうとしていた。

「やってもらいたいことは今言ったとおり、前にやってもらったのと同じことよ、できる?」

「そりゃ、できることはできるでしょうけど、こんな砲弾がぼんぼん落ちてるところにやったら、わたしのロビンがどうなるか。ああもうっ! やればいいんでしょ、やれば!」

 モンモランシーは、ルイズからの頼みごとに最初は渋ったが結局は折れた。外れた砲弾が上げる水柱が東方号の周りに立ち並び、湖水がシャワーのように降り注いでくる。半信半疑だが、この地獄から抜け出せるならこの際なんでもいい。

 モンモランシーは、肌身離さず身につけている小さな皮袋から黄色いカエルを取り出した。彼女の使い魔のカエルのロビンだ。カエルが嫌いなルイズは思わず目を背けるが、勇気を振り絞って指先を傷つけた血をモンモランシーといっしょにロビンに一滴振りかけた。

「うう、わたしの血がカエルに……夢に見そう」

「あんたね、それが人にものを頼んでる人間の態度なの? 大概にしておかないとあなたも湖に沈めるわよ。まったく、いいロビン? 水の精霊にあなたたちの聖域を荒らすものの居場所を、わたしたちにわかる方法で教えてと伝えて。いいわね?」

 ロビンはうなずいたような仕草をすると、モンモランシーの手から跳んで湖の中に落ちていった。これで、ラグドリアン湖をつかさどる水の精霊への使いは出した。あとはロビンが精霊の元へとたどり着くまでに、砲撃がロビンに命中しないことを祈るしかない。

 ところが、使いに出されたロビンは探すまでもなく、湖に飛び込んだとたんに水の精霊に守られていた。

「よくぞ来たな、単なる者、そして光の戦士の使いよ。我を芯となす水の中にいれば、そなたの身は安全だ」

 ロビンを弾力性のある水のバリアで保護して、水の精霊は空を飛ぶ東方号を目ならぬ目で見上げた。もとより、ウルトラマンAがラグドリアン湖の水に触れたときから、この戦いの様子は感知していた。手を出さなかったのは、出す手段がなかったからなのだが、要請を受けると精霊は喜ぶようにゼリー状の体を水中で揺らした。

「頼みは聞き届けたぞ光の戦士たちよ。月が四回交差する前に、そなたたちから受けた恩を返すときが来たようだな」

 精霊は、自らの体の一部ともいえる湖水を使って東方号にメッセージを送るよう試みた。

 方法は至極単純。東方号の甲板から、水の精霊からの返答を待っていたルイズとモンモランシーの前に、湖面上を這うように進む白い航跡が現れたのだ。

「ルイズ見て! きっとあれよ」

「水の精霊、ありがとう! サイト聞いてる!? あの白い航跡を追って!」

「わかった! 白い航跡だな」

 伝声管でルイズから伝えられた才人からコルベールへと、指示は伝わりレイナールは白い航跡を追って舵を切る。

 しかし、その間にも追撃してくるアイアンロックスからの砲撃は続く。白い航跡を追いながら回避運動をし、疲れきったレイナールの手から才人に操舵が渡され、才人は当たってなるものかと蛇輪を回し続けた。

 だがとうとう、回避し切れなかった砲弾が、東方号の甲板中央へと直撃を許してしまった。

「やられたっ!」

 船体に激震が走り、才人たちはもはやこれまでかと目を瞑った。

 けれども、待てども船体が砕ける感触や空に放り出される感触はない。

 不発弾だったのか……? ブリッジから大穴が開いてしまっている甲板を見て才人やコルベールは思った。が、実はもっと驚くべきことが起きていたことが、船底部からの伝声管で伝えられた。女子生徒の声で、船底から伝えられてきた報告はこうだった。

「こ、こちら船底です。い、今、な、なにかが突き抜けていきましたぁ!」

「なんだって! それで、損害の程度は? 負傷者はいないか」

「て、天井から船底まで大穴が開きました。積み込んであった食料と、あとブタが一匹転げ落ちていきましたが、人間は全員無事です」

 なんと、砲弾は東方号の甲板から船底までをぶち抜き、起爆しないでそのまま素通りしてしまっていたのだ。

 これは、過去にも実例がある。大和はその生涯でただ一度だけ、アメリカ艦隊と砲戦をおこなった事があるのだが、このとき大和から砲撃を受けた米空母は、なんと十三発もの四十六センチ砲弾を受けながらも沈まなかった。実は大和の砲弾は戦艦の分厚い装甲を貫通するよう設計されていたので、装甲など無きに等しい空母の船体は信管が作動せずに爆発しなかったのである。まして、木製の東方号の船体など空気も同然、大和が強すぎ、東方号はもろすぎたがゆえの皮肉な結果だった。

 これ幸いと、東方号は全速力で航跡を追う。距離をとればとっただけ命中率も落ちる。東方号に集中していた水柱が広範囲に散乱するようになり、ジグザグ飛行から次第に直線飛行に変えていく。それでも、数発の砲弾が東方号の錨鎖庫を貫いて錨を水中に落とし、トイレのあった場所が空洞になり、船長室が吹きさらしになる。

 だが、蜂の巣にされようと、穴が開くだけでは東方号の機能にはなんの問題もない。極論すれば、ブリッジと機関部、それから風石庫さえ無事ならば東方号は浮いていられる。また、水精霊騎士隊、銃士隊どちらにも戦死者はいない。クルーがいる限り船は動き続ける。

 そして、永遠に続くかに思われた時間の末、ついに水の精霊の航跡は湖の一点で止まった。

「コルベール先生、あそこです!」

「ようし……秘密兵器その三、と言いたいところだがこれが最後だ。頼むぞ、うまく作動してくれよ」

 祈るような気持ちで、コルベールは三本目のレバーを握り締めた。すでに満身創痍の東方号、頼みの切り札も故障している可能性は十分にある。それでもコルベールは、自分の子供とも言うべき船を信じて、才人の合図とともにレバーを思いっきり引き下げた。

「先生! 今です」

「わかった!」

 東方号の船底の扉が観音開きになり、そこから火薬の詰まった樽がゴロゴロと転がり落ちていく。

 一見、なにもないように見える水面に立ち上る小さな水柱。東方号は二十個搭載していた火薬樽をすべて投下すると、その湖面を通り過ぎていく。火薬樽は、なにか硬いものに当たると爆発するように作られており、目標を求めて沈んでいく。もしも、この下に敵が隠れていたならば爆発するはずだ……しかし、もしいなかったら、もはや東方号に打つ手はない。

 息を呑み、通り過ぎてきた湖面を見つめる才人たち。湖面は何事もなく、アイアンロックスのあげる水柱の波がかき乱しているだけだ。

 失敗かっ! そう思った瞬間だった。湖面が盛り上がり、爆発を起こし、黒い煙が湖の中から立ち上った。さらにその煙の中から、白と黒のヒトデのような円盤が浮き出てきた。

「あれだっ! ミミー星人の宇宙船だっ!」

 間違いはなかった。形状が才人の記憶にあるGUYS試験用の再現図と完全に一致する。内部では、ミミー星人が「なぜだっ! なぜ私のいる場所がわかったのだ」とうろたえている。ずっと宇宙船の中にいた星人は、水の精霊によって位置を暴露されたなどとは計算の範囲外だった。絶対ばれることはないと思い込んでいた過信が仇となり、思わぬ攻撃を受けたことで浮き上がってきてしまった円盤は東方号の射程内にいる。コルベールはためらわずに叫んだ。

「進路反転一八十度! 全砲、浮かんできた敵を撃て!」

 軋み声をあげながら東方号は旋回する。大砲も、とっくに火薬と弾を込めて準備は完了していた。

 狙いすました上で砲弾が放たれ、円盤に命中して爆発する。だが、円盤には傷ひとつない。すかさず、コルベールは残っていた空飛ぶヘビくんを全て放ったが、円盤は燃えたように見えても実際にはかすり傷ひとつなかった。

「だめかっ! やはりあれも、ハルケギニアにはない金属でできているのだな」

 コルベールの無念の声が流れた。超高温と極低温が混在する宇宙空間を進む宇宙船は、当然それなりの強度を身につけている。ハイドランジャーのミサイルならまだしも、残念ながら、東方号の武装では威力が足りない。

「ミスタ・コルベール! アイアンロックスの自爆まで、あと二分を切ったわよ!」

 エレオノールが時計が告げる残酷な現実を伝えると、才人とコルベールは歯軋りした。

 目の前のこの円盤さえ破壊すればアイアンロックスは止められる。だが、そのための手段がない。

 ウルトラマンAには再変身するだけのエネルギーが残されていないし、東方号の武装は通用しない。いや、ひとつだけあるにはあるが、それをやればこの東方号は……苦渋を浮かべるコルベール。さらにそのときだった。アイアンロックスの斉射が東方号の頭上から降り注いできたのだが、それはこれまでの当たっても爆発しなかった徹甲弾ではなかった。東方号の頭上で炸裂した砲弾は、光の傘とでもいうべき巨大な炎の塊になって降り注いできたのだ。

「しまった! この攻撃は最初の!」

「いかん! みんな伏せろぉ!」

 才人が絶叫し、コルベールはとっさにエレオノールと才人を押し倒して、レイナールとともに自分のマントで覆った。

 このときアイアンロックスが放ったのは、対空迎撃用の主砲弾で、三式弾と呼ばれる焼夷弾の一種だ。弾体の中に一千個近い焼夷弾子が仕込まれており、それを花火のように空中で散布することによって、直径五百メートル弱の範囲内にあるものを焼き尽くす。高速で飛ぶ航空機にはツボにはめるのが難しい兵器だが、破壊力は抜群で重爆撃機B24を一発で撃墜したほどの威力がある。

 膨大な熱波が東方号を襲い、コルベールたちは息を止めて喉が焼かれそうな高温の空気が通り過ぎるのを待った。そして顔を上げたとき、東方号はその全体が炎上していた。

 マストの帆はあっという間に真紅に包まれ、見張り台にいた銃士隊員が火達磨になって落ちてくる。間一髪、甲板の物陰に隠れていたモンモランシーが『レビテーション』で掬い、水魔法で消火して治癒をかけ始めたようだが、瀕死の重傷を負ったのは間違いない。甲板上には水魔法の使い手や、バケツを持った者が上がってくるが、とても消火できるような火勢ではない。コルベールは、東方号の命運が尽きたことを悟った。

「コルベール先生、消火の人手をもっとよこしてください!」

「無駄だ、犠牲者が増えるだけだろう」

 消火活動の先頭に立っていた生徒の哀願にも、コルベールは動じなかった。すでに東方号は全体が燃え上がり、船内にもすぐに火が回る。万一消火できたとしても、敵は次々にあの火を吹く砲弾を送り込んでくるだろうから無意味だ。

 残された道はひとつ。覚悟を決めたコルベールは、全船に告げた。

「全クルーに告げる。本船は炎上し、もはや消火は不可能となった。皆よくやってくれた、ただちに全員退艦してくれ。これより私はオストラント号を敵船にぶっつける! もうそれしか手はないのだ。さあ、諸君らは急いで湖に飛び込め! 泳げない者も水の精霊が掬い上げてくれるだろう。そして、新たな船を手に入れて今度こそ東方に向かうんだ!」

 それがコルベールの東方号への決別の証だった。甲板からは、少年たちや銃士隊が次々に湖に飛び込んでいきはじめた。コルベールは舵をミミー円盤へと向ける。そして、ベアトリスたちも含めて全員が離艦したとミシェルから伝えられ、ブリッジに最後に残った才人とエレオノールにコルベールは言った。

「さあ、君たちも早く船から降りたまえ」

「コルベール先生は、どうするんですか?」

「私は仮にも船長だ。船長は最後に船から降りるものと相場が決まっている。心配するな、舵を固定したらすぐに飛び降りる。さあ、早く行きたまえ!」

「……ミスタ・コルベール、死に急ぐんじゃないわよ」

 後ろ髪を引かれる思いで、才人たちは甲板で待っていたミシェルとルイズとともに飛び降りた。

 ざぶんと、プールに飛び込んだときの感触が蘇ってくる。当然すぐに浮かぼうともがくが、意外なほどすんなりと浮かび上がることができた。見ると、全員が水面に顔を出していて、溺れている者はいない。水の精霊が溺れないように浮力をくれたらしい。

 見上げたら、炎の塊のようになった東方号がミミー円盤に突っ込んでいくのが見えた。すでにマストは火柱となり、船体は木材が見える箇所はほとんどない。それでも、水蒸気機関だけは奇跡的に動いて東方号を突っ走らせていく。

「爆発まで、あと三十秒。さて、私も脱出するか」

 舵を固定しようと、コルベールは縄を取り出した。しかし、そのとき宙に静止していたミミー円盤が動き出した。ミミー星人が我に返り、爆発に巻き込まれてはなるまいと退避しようと試みたのだ。

 これでは、東方号は円盤に当たらない。コルベールは縄を放り捨てると、軽く息を吐いて蛇輪とレバーを握った。

「仕方ない……か。まだまだ、やりたいことはあったのだがなあ。だがまあ、世界を守って散るなら、私などにはもったいない死に様だな。サイトくん、すまないな、あとは頼んだぞ!」

 レバーを引くと同時に、東方号の船尾から緊急加速用ヘビくんのジェット噴射がほとばしる。

 急加速を得た東方号は、湖面上からはまるで火の鳥のように見えた。強度の限界に来た翼が根元から折れて舞い散り、それでも止まらない東方号はミミー円盤に正面から激突した。

 刹那……砲弾の火薬に引火して、東方号はミミー円盤を巻き添えにして大爆発を起こした。

「コルベール先生ーっ!」

 彼の教え子たち、そして才人の絶叫が湖上に響き渡った。

 東方号の爆発に巻き込まれたミミー円盤はさすがに耐え切れず、煙を吹きながら湖に墜落して水没した。

 それと同時に、アイアンロックスもネジが切れたように動きを止める。大爆発は、わずか五秒前を持って阻止されたのだった。

 

 ハルケギニアは救われた。だが、その代償はあまりにも大きかった……

 

 

 続く



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第66話  東方号再建計画発動

 第66話

 東方号再建計画発動

 

 軍艦ロボット アイアンロックス 登場!

 

 

 地球の十二月に当たる、ハルケギニアのウィンの月。そろそろ寒風が本格的になるこの季節、いわし雲が流れていき、陽光がその隙間から雲の影をラグドリアン湖に投げかける。

 三日前、この湖を舞台にしてハルケギニアの消滅を賭けた激戦が繰り広げられたとは信じられない平穏な空気。

 その静かな湖面の上を、十数隻の小さな風石船の船団が低空で航行していた。

「速力二ノットを維持、五分後に船団全船面舵十度変進」

「アイ・サー。ヨーソロー」

 船団先頭を進む、全長五十メイルの司令船からの手旗信号が後続の船団に伝えられて、船団からは「了解」を意味する旗が全船ほぼ同時に上がった。船団を構成しているのは、二十メイル前後の小型船が多数で、どれもトリステインの旗を掲げている。先日焼き払われた造船所とは別の造船所街からやってきた船団で、乗員はすべてトリステイン空軍の軍属だ。

 けれど船団は軍艦ではなく、一切の武装は存在しない。普段の任務は自力では小回りの利かない大型船の前後左右に綱をつけて、狭い港湾の中でぶつからずに桟橋につけるように牽引することで、地球で言えば種別はいわゆるタグボートというやつだ。それぞれ帆は持たない代わりに風石を目一杯積んでおり、小ささに比して強い力を持っている。

 風石船のタグボート船団は、司令船の統率のもとで一糸乱れぬ陣形を組み、ゆっくりとラグドリアン湖の上を飛んでいる。タグボートといってなめてはいけない。彼らの動きがひとつ間違えば、大型船同士が港内で衝突して大事故に発展するから、操縦に要求される繊細さは正規の軍艦にも勝るところがあるのだ。

 軍艦ではないといえ、その隊列は見事の一言で、彼らの並々ならぬ錬度の高さが伺える。

 だが、世界中のどこに出しても恥ずかしくない整然とした船団運動も、彼らが牽引する一隻の戦艦の威圧感に抗することができるものではなかった。

 全長およそ四百二十メイルの巨体は、かつてアルビオン最大最強であったレキシントン号の、ゆうに倍以上の偉容を誇り、推定排水量十五万トンはあろうかという重量により、十数隻のタグボートが全力を出しても、たったの二ノットしか出すことはできない。

 船体の外観は延焼によるすすがこびりついて、黒く変色しているが、そんなことぐらいでこの船の優美さは少しも損なわれてはいなかった。小山のごとき主砲塔も、城郭のごとき艦橋もすべて健在な姿を保っている。

 木製の広大な甲板だけは、さすがにあちこちでめくれあがって無残な様相を成していたが、それ以外はほぼ無傷と呼んでいい。三隻の超弩級艦をひとつにした偉容は、死してなおケタ違いの存在感をラグドリアンに浮かべている。

 軍艦ロボット・アイアンロックス……大和の船体をベースに、かつてウルトラセブンに破壊されたそれを、同型艦武蔵と信濃のパーツで強化復元した鋼鉄の合成獣。ミミー星人の目論見により、トリステインとガリアの大半を道連れに自爆するはずであった爆弾戦艦は、操っていたミミー星人の死と同時に、自らも屍に戻ったかのように沈黙した。

 だが、動くことのない鉄塊となっても、アイアンロックスが忘れられることはなかった。ハルケギニアの人間にとって、まったく未知であった異世界のテクノロジー。その巨大なサンプルが無傷で手に入ったことに、トリステインのあらゆる人間が反応しないはずはなかった。

 曳航されていくアイアンロックスの船上には、軍人や王立魔法アカデミーの人間が群がって、あらゆるものを物珍しそうにメモしたりスケッチをとっている。先日のアカデミー崩壊で、多くの資料やサンプルが焼失した彼らにとっては、この船は宝の山と呼んで差し支えなかった。

 また一方で、それら大人に混じってギーシュたち水精霊騎士隊の少年たちの姿もちらほらある。機銃や高角砲に触って興奮したり、フライで主砲の砲身の上に登ってまたがっている様は無邪気なものだ。

 そして才人は、そんな彼らを高いところから見下ろして苦笑していた。

「まったく、ついこないだこいつに殺されかかったってのに、楽しそうにしちゃって」

 寒風を浴びながら、その冷たさを感じさせない陽気さで才人は言った。

 今、彼のいるところは前艦橋頂上部にある防空指揮所。いわばビルの屋上のような場所で、艦で一番高いところにあるところだ。ここからなら、艦の全体を見渡せるためにギーシュたちのバカ騒ぎも、砲身の上でポーズをとってアカデミーの研究者に怒られている様もよく見える。

 昔はここで艦長が迫り来る敵機を見上げて、回避運動を指示していたというが、才人の視線はむしろ下に向いていた。

「でっけーよなあ」

 なにせ、艦橋だけでも十三階建てのビルに匹敵する高さなのだから見晴らしのよさが違う。前方下に目をやれば、陸上競技場のような広大な前甲板にそびえる三連装の主砲と副砲。両側面を見れば、増設された主砲と、それを守るように存在する高角砲と機銃群。最後に後方を見れば、煙突とマスト、後部艦橋に続く副砲と主砲。どれも、何個もプラモデルを作って夢想した姿以上で、いくら眺めても飽きることはなかった。

 ただ、後部主砲のさらに後方は元の大和の原型を保ってはいなかった。本来ならカタパルトとクレーンがあるはずのそこには、広大な鋼鉄の飛行甲板が広がっている。空母信濃のそれだ。空母の船体は攻撃力の増加にはつながらないが、セブンにひどく破壊された大和の船体を復元して、さらに武蔵の武装を搭載するためには信濃の船体をドッキングさせることが不可欠だったのかもしれない。

「三分の二が戦艦で、三分の一が空母。いわゆる航空戦艦ってやつになっちまったのか、ミミー星人は意識してなかっただろうけどな」

 才人は、八十年代の防衛チームUGMの大型宇宙艇スペースマミーを連想した。あれも船体内にシルバーガルを搭載していたから、広義的には航空戦艦と呼んでもいいだろう。とはいえ、アイアンロックスは航空機を運用することは考えられておらず、航空戦艦というよりは飛行甲板があるだけの戦艦と呼ぶべきか。

 才人は、防空指揮所のへりに腕を乗せて寄りかかりながら考えた。

 今頃は、艦内でもエレオノールらが調査を進めているころだろう。助手を言い渡されたルイズは人使いの荒いエレオノールのお供で、大変な思いをしているのが容易に想像できる。自分も雑用を言い付かっておきながら途中で抜け出してきたのは悪く思うが、どうしてもここに来たかった。

「悪いなほんと、だけど大和に乗ることは日本人の夢なんだ」

 恥ずかしいが、最初に大和の甲板を踏んだとき、涙が出てくるのを止められなかった。

 巨大な主砲を見上げ、艦橋の作り出す影を踏んだとき、自分が紛れもなく日本人なのだということを思い知った。

 外国暮らしの長い日本人は、米の飯など日本食が恋しくなるという。むろんハルケギニアの暮らしの長い自分にも覚えはあるが、これはそんなものとは比較にもならない、魂に呼びかけてくる声だった。

 超々弩級戦艦大和。それはかつて日本人が世界を相手に戦い抜いたという誇りと、死しても侵略者には屈しないという意志を体現した存在だからだ。

 それがこの、ハルケギニアという世界に蘇ったのはなんという運命のいたずらだろう。かなうならば、彼女をあの坊の岬沖の海底で静かに眠らせてやりたいが、今のハルケギニアには大和が必要なのだ。

 そのとき、鉄の床を踏みつける乾いた音を響かせて、防空指揮所にひとりの男性がやってきた。

「やあ、ここにいたのか。さっきミス・ヴァリエールと廊下で会ったが、サイトはどこだってカンカンに怒ってたよ」

「そりゃやべーな、あとで早めに殴られときます。ところで、体の具合はどうですか? ミスター・ミイラ男」

 才人は冷や汗を流しながら、相手の体の様子を見た。全身はローブで覆っているものの、手足は包帯で巻かれて真っ白で、左に松葉杖をついているのが痛々しい。顔面も半分は巻かれて、左目は見えずに口元をあまり動かせないようでもどかしそうだ。

 ただ、それでも頭頂部のつるっぱげだけは無傷なのはこの人のアイデンティティか? 才人の親しみを込めた憎まれ口に、ミイラ男コルベールは短く笑った。

「もうだいぶんよくなったよ。痛みだけならたいしてない、元々火のメイジだから火傷には強いからね。それでも、喉がまだ焼けてて、普通に食事をとれるようになるまでにはしばらくかかりそうだ」

「それはお察しします。でも、ほんとにそれだけですんでよかったですよ。オストラント号で特攻したときは、完全にダメだって思いましたもの」

 才人が悲しそうな目をすると、コルベールはすまなそうに顔を伏せた。

 

 そう、すべてはあの戦いの最後から始まった。

 

 あのとき、逃走しようとするミミー円盤を逃すまいと、コルベールは炎上する東方号ごとミミー円盤に体当たりをかけた。

 結果、円盤の撃墜には成功したものの東方号は大破。円盤を道連れにバラバラになって湖に墜落、ブリッジにいたコルベールも炎に撒かれながら水中に引きづりこまれ、一度は死を覚悟した。

 しかし、確実な死に向かっていたコルベールを救うものがいた。ラグドリアン湖の主、水の精霊であった。

 精霊は、船と共に水没していくコルベールの体を引き上げると、体内の水の流れを操って呼吸を取り戻させるとともに、秘薬の原料ともなる自らの体の一部を使って、全身火傷の致命傷を負っていた彼に応急処置を施した。

 そして湖上で漂流していた才人たちを手近な岸辺に移動させると、かろうじて息を吹き返したコルベールを渡したのだ。

 そのときの才人たちの驚きと喜びようはなかった。

「水の精霊さん、なんてお礼を言ったらいいか」

「かまわぬ。これで、お前たちからの借りの一端でも返せれば安いものだ。それよりも、その個体は早く処置したほうがよかろう。我の力では、命をつなぎとめるのがせいぜいだ」

「ああ、ありがとう!」

 こうして、コルベールはモンモランシーたち水のメイジや、銃士隊の衛生兵に手当てされながら、ほかの負傷者といっしょに近くの町まで搬送されていって、手術の末に一命をとりとめた。しかし、精霊はせいぜいと言っていたが、ほぼ完全に死んでいた人間を救うとは、やはり先住の力はとてつもないものだと一同は思い知った。怒らすと心を奪われるという水の精霊、間違っても敵にはしたくない。

 

 そして、近隣の町でコルベールを救った才人たちは、その後全員糸が切れたように倒れ、丸一日眠り続けた。

 無理もない。先日ろくに寝てなかった上に、不完全な東方号を自らの力量以上の力で操り続けたのだから。

 けれども、翌日に宿屋で目を覚ましたとき、彼らを待っていたのはさわやかな目覚めではなかった。集計された被害をまとめた結果、それは戦勝の喜びを打ち消すのに十分で、頼みもしないおまけまで連れてきたからだ。

「まず、先日の戦闘の犠牲者だが、造船所はほぼ全壊。死傷者は調査中だが、千を下ることはないだろう。早朝で、工員が少なかったのがせめてもの慰めだが、施設は数年は使い物にならんだろうな」

 ミシェルが被害調査の魔法衛士隊から聞いた情報は、東方号の母港が消滅してしまったことを意味していた。死傷者の数も痛ましく、遺族の方々にはかける言葉も見当たらない。

「それに、我々のほうも無傷ではなかった。ミスタ・コルベールをはじめ、重軽傷者は合わせて二十名。これは、あの燃える砲弾を食らったときに出たものが多数で、全員が完治するまでには三週間。造船所の救護活動に水の秘薬が大量に必要とされているから、こちらに回ってこないのだ」

「それは仕方がないわね。人の命には換えられないもの……むしろ、こちらには死者が出なかったことを喜ぶべきね」

 ルイズがため息をつきながらうなづくと、ギーシュたちも同意した。ベッドで寝ている重傷者のほかにも、レイナールは脱出の際に腕を傷つけて包帯で吊っており、軽傷者に入らない者たちもかすり傷や切り傷をいくつも作っている。ギーシュは顔にいくつも絆創膏を張っていて色男が台無しだし、モンモランシーは自慢の巻き髪が数箇所焼け焦げている。

 しかし、死者を悼んで感傷に浸っている余裕はない。彼らがもっとも気になっていた、現実的な問題が残っていた。

「それから、もう覚悟していると思うがオストラント号は完全喪失だ。確認に飛んだマンティコア隊の報告によると、墜落した水面にはおびただしい木片が浮かんでいたそうだ。剥離した翼だけがエンジン部とともに岸辺に打ち上げられていたそうだが、船体はバラバラになって沈んだと考えるしかない」

「つまり、わたしたちがエルフの国に行く手段がなくなってしまったということね……」

 反論の余地もない結論が、一同の意気を消沈させた。全員が五体満足に生還できたことはうれしいけれど、船がなくては「サハラにおもむき、エルフとの間に和解の席をもうける」というアンリエッタからの命を成し遂げることはできない。ギーシュやギムリなどは、「姫さまのご命令なんだ。たとえ歩いてでも行こうじゃないか!」と意気込んでいるが、話をじっと聞いていたルクシャナに呆れられた。

「あなたたち、無知にもほどがあるわね。サハラと蛮人たちの世界のあいだには、ガリア方面からなら長大な砂漠地帯、ゲルマニア方面からなら、人間たちが『未開の地』と呼ぶ広大な森林地帯が横たわっているのよ。こんなメンバーで歩いていったら、砂漠で日干しになるか、未開の地に巣食う大量のオークやトロルに襲われてエサになるか。どうしてもっていうなら止めないけど、その覚悟はあるの?」

「うっ……」

 日干しかエサかと言われたら、能天気なギーシュたちも黙るしかなかった。考えてみたら、数千年の間人間の軍隊の攻撃を跳ね除け続けてきたのは、エルフの強大な戦力だけでなく、過酷な自然環境も大きな要因だったに違いない。

 そこを突破するための唯一の手段である東方号は失われた。乗員が無事でも船がなくては意味がない。ヤプールは、ミミー星人とバラックシップは失ったものの、東方号の出撃を妨害するという目的は果たせたということになる。

 つまり、勝負に勝って試合に負けたということか。ハルケギニアを壊滅から救うには、ああするしかなかったとはいえ、悔しい。

 ミシェルが損害調査報告書を置くと、室内はしんと静まり返った。彼女も、なめらかだった青い髪がすすけて乱れ、顔や衣服にはまだ黒いすすが付着している。銃士隊も、水精霊騎士隊も、きれいななりをしている者は一人もいない。それだけ、前回の戦いがすさまじかった上に、誰にも明るい話題を提供することはできなかった。

 そのときだった。沈黙を破って、ベッドで眠っているはずのコルベールが入ってきたのだ。

「みんな、まだ絶望する必要はないぞ!」

「コルベール先生! 意識が戻ったんですか。いや、それにしても、一週間は絶対安静のはずでは!」

「こんなときにおとなしく寝てなんかいられないよ。こう見えても、若い頃は鍛えていたんだ。それよりも、よくぞ全員無事でいてくれた。東方号は壊れてしまったが、こんなうれしいことはないよ!」

 壁に寄りかかり、腕の包帯を涙で濡らしながらコルベールは泣いた。しかしすぐによろめいて倒れそうになり、驚いて駆けよったギムリがその体を支え、ティファニアがハンカチで額の脂汗をぬぐった。

「ううむ、すまないね。若い頃はこのくらい耐えられたのだが、年はとりたくないものだ」

「先生、無茶しないでくださいよ」

 ギムリが言い、コルベールは自分の教え子たちを見渡した。ギーシュやルイズ、皆心配そうに自分を見ている。彼は自分が生徒たちから大切に思われていることに別の涙を流した。けれど、自分は感動の再会をしに来たわけではない。

「ごほん。さて諸君、残念ながら東方号は壊れてしまった。サハラへおもむくという、我々の使命は頓挫してしまったわけだ。しかし、手立てが無くなってしまったわけではない。時間はかかるが、東方号を蘇らせる方法はある」

 コルベールの驚くべき発言に、一同は絶句した。

「本当ですか! いや、しかし! 時間がかかってはダメですよ。エルフとの和解は、今しか時期がないってことで命じられたんです。二隻目を建造してる余裕なんてとてもないですって!」

 改造船であるあの東方号でさえ、建造には数ヶ月を要したのだ。今から新しい船を見繕っていてはとても間に合わない。

 だが、コルベールの目の輝きは少しも曇ってはいなかった。

「大丈夫だ。ベッドの上で策はすべて考えた。まったくとは言わないが、時間をかなり短縮する方法があるんだ」

「はあ……先生、熱があるわけじゃ、ないですよね?」

「むろんだ。私にとって、頭は見た目はもうダメだが、中身までは抜けておらん。実は明日にも、今回の件の調査委員会が開かれるのだが、それに出席する。ここまで大事になっては、もう東方号の存在を隠し続けることはできないからな。当然、目的については隠しておくが、その席で私は東方号の再建を提案するつもりだ」

「つまり、軍の助力を得て再建を進めると? でも、そんな都合よく軍が動いてくれますか?」

 生徒たちも、銃士隊も揃って顔を見合わせた。軍は現在戦力拡充の真っ最中、一隻でも多く軍艦を揃えたいところに、目的もわからない特殊な船の建造に協力してくれるとは思えない。

「もちろん承知している。おそらく軍のお偉いさんたちは、耳も貸す気はないだろう。東方号は、建造費も莫大だからな。だが、秘策があると言ったろう? 軍を満足させて、建造費も捻出できて、かつ早期に東方号を再建できる方法があるのだよ」

 まったくもって、夢物語としか思えなかった。どうすればそんな都合のいいことができるのか。頭の回転の速いルイズやルクシャナもわからずに首をひねっている。

 ところがそこに、さらに思いも寄らない珍客が現れた。三人の取り巻きを従えて、とっくに帰ったと思っていたベアトリスが、不機嫌そうな面持ちで入ってきたのだ。

「ふん、不景気そうな顔が揃っているわね。まったく、よくもクルデンホルフ姫殿下たるこのわたしを散々な目に合わせてくれたものよ。しかも、うちが出資した船を早々に沈めてくれて、あなたたち弁償できるんでしょうね?」

 ツリ目で睨まれると、クルデンホルフに借金のある家の少年たちはぞっと肩をすくめた。だが彼女たちも、炎上する東方号から脱出して、ろくにシャワーも浴びていないらしくて、服は新調していたが顔や髪には黒ずみが目立つ。

「あ、あの姫殿下? どうしてまた、こんなところに」

「ふん! わたしもこんな殺風景な場所なんか一秒もいたくないわよ。でも、大損をさせられてそのまま引き下がっては、お父様になんと言われるか知れたものではないわ。ミスタ・コルベールとあなたたちには、元を取るまで徹底的に働いてもらいますからね!」

「ひっ!」

 年齢にしたら二、三才年下の少女に数十人の少年が気圧されるのは情けないものだ。金の力は恐ろしいものである。にしても、ベアトリスは彼らになにをさせるつもりなのだろうか? どうやらコルベールと関係があるようである。

「まあまあ、彼らは来年には君の先輩となる方々だよ。さて、お察しの者もすでにいるようだが、私の秘策が成功した暁には彼女の協力も必要となるのだ。もちろん、君たちのもな」

 そこでコルベールはおもむろに、自分の秘策の一部を語り始めた。そして語り終えたとき、彼らの顔には驚愕と、コルベールを人ならぬ存在に見る目が揃っていた。

 

 翌日、コルベールはエレオノールとともにラ・ロシェールで開かれた、軍主導の調査委員会に出席した。

「さて、そうそうたる方々がおいでになって、まことに壮観な光景ですな。数名、場違いな方々もおられるようですが、退屈な前置きは省略いたしまして本題に入りましょう。参謀長、進行を頼むぞ」

「承りました、ド・ポワチエ将軍閣下。参謀総長ウィンプフェンです。それでは、さっそく議題をあげましょう。皆様もすでにご存知のことと思いますが、先日我が軍の造船所がひとつ壊滅いたしました。被害総額は数億エキューに相当するかと……そしてそこで、軍にはなんの連絡もなく、私設で武装船を作っていたやからがいたそうです。違いありませんな? トリステイン魔法学院のコルベール教諭と、アカデミーのヴァリエール女史?」

「はい」

「間違いありませんわ」

 尊大さを隠そうともしない将軍と、その威光がなくては気づくことさえ難しそうな小男がこの場の代表らしい。

 ここに集まっているのは、トリステイン空軍と陸軍の主要な将軍たちと、その代理でやってきた者たち。軍服が当たり前に見える中で、コルベールとエレオノールの姿は特に目立つ。

 将軍たちは一様に、面倒ごとを起こしてくれたアカデミーの二人に対して嫌悪感を向けていた。この場も、彼らに対する査問会のように思っている者が大多数だろう。

 しかし、コルベールは無駄話で時間を浪費するつもりはなかった。発言を求められるとおもむろに将軍たちを見渡し、堂々と直球で切り出したのだ。

「お集まりの皆様方、本日はご多忙の中でありがとうございます。さて、なにはともあれ我がほうは現在不幸なことになってしまいました。あの造船所で建造していた新造艦の喪失、軍の皆様の失望いたくいたみいります。さらに我々も、威信を込めて建造しておりましたオストラント号を失いました。ですが、燃えた森を嘆くよりも、その灰から生える若木のことを考えることが有益でしょう。私どもはここに、オストラント号の再建開始を宣言いたします!」

「なっ!」

 ド・ポワチエだけでなく、将軍たちもいっせいに驚きの声をあげた。

 場の空気を完全に無視するようなコルベールの態度は将軍たちを圧倒した。さらに、その隙を逃さずにエレオノールも口を開く。

「アカデミーの意向は、実験船東方号のすみやかな再建を望んでいます。これには、軍に提供するべき新兵器の技術も投入されていましたから、我々もこのまま引き下がるわけにはいかないのです」

 これはエレオノールの口からでまかせである。アカデミーの所長は保守的な臆病者なので、トラブルが起きればさっさと身を引こうとするだろう。しかし、エレオノールの態度があまりにも堂々としていたので、将軍たちに気づいた者はいなかった。

 だが、将軍たちは意表を突かれたものの、納得している者も一人もいなかった。

「なにを言い出すのですか! これほどの失態をしておきながら。まだ目が覚めないのですか」

「しかも今度は軍の顔に泥を塗る気でいる。皆様方、これは由々しき問題ですぞ」

「うむ、軍事のことは軍人に任せてもらいたいものだ。素人が珍しいおもちゃを見せびらかして入ってこれるほど、戦場は甘い世界ではない」

 喧々囂々、軍人たちはいっせいに二人を責めてくる。まさしく四面楚歌だった。

 けれども、こうなることくらいは簡単に想定できていた。高級軍人は気位が高いために、他人から命令されることを嫌うものだ。

 が、普通なら、ここでじっくりと会話を重ねて相手の緊張を解いていくところ、コルベールにもエレオノールにもそんなことで貴重な時間を無駄にする気はなかった。ヤプールの再侵攻が遠からぬ未来に待ち受けている以上、頑迷な軍人の機嫌をとっている暇は一秒たりとてない。

 コルベールは、できれば穏便に済ませたかったが、やはりそうはいかなかったなと内心で嘆息した。あまり好ましいやり方ではないが、若い頃に軍に籍を置いたこともあるコルベールは軍人の弱点も熟知していた。軍人は、入隊したときから上官には絶対服従することを求められる。そして、彼ら高級軍人にとっての上官とは……

 コルベールはエレオノールに目配せすると、彼女は持参したかばんから一通の書簡を取り出した。そこにサインしてある人間の名前と印を見て、一同の顔色が変わった。

「そ、それはアンリエッタ姫殿下のサイン! ま、まさか……」

「か、花押も本物だ! そ、それに見ろ」

「なっ! ウェールズ一世陛下のサインも! こ、これはいったい」

 一同を愕然とさせた書簡には、確かに現在アルビオンに赴いているはずの、アンリエッタ、ウェールズ夫妻の名と花押が存在していた。内容はかいつまめば、軍は東方号の再建に全力を持って応じること、この件に関してのみコルベールとエレオノール両名を私の代理人として扱うように、ということが記されていた。

 そう、コルベールは、こうなることを予期して先日のうちに伝書梟を使い、アンリエッタに事の次第を報告し、切り札としての書簡を要請していたのだ。トリステインの軍人は、さらには貴族は王家のためにその身を捧げるべしというのが鉄則だ。勅命を断るという選択肢は彼らには与えられていない。しかも、アンリエッタは万全を期すために、夫であるウェールズにも真相の一部を話して一筆頼み込んでいた。二国の王の直々の命、拒否すれば反逆とみなされて改易されてもおかしくはない。

 エレオノールは、わざわざ書簡の内容をゆっくりした口調で朗読すると、あらためて書簡を一同の目にさらした。

「以上です。東方号の建造は王家の意思、これより我ら両名の言葉は姫殿下の言葉と思っていただきます。よろしいですね」

「く、いたしかたあるまい」

 ド・ポワチエの表情に、もはや覇気はなかった。ただ、彼も数々の戦火をかいくぐって出世してきた将軍である。犬のように服従することはせずに、言うべきことは言ってきた。

「ただし、先んじてご両名に申し上げておくことがある。我らとて、現実にできることとできないことがあるのは理解してもらいたい。軍は現在、戦力をやっと他国の水準まで引き上げられるまで努力してきたために、正直に言うと余裕はほとんどない。施設は、まあなんとかできるかもしれんが、予算を削られるとトリステイン軍全体に亀裂が入るかもしれない」

 これは決してケチで言ってるわけではない。小国のトリステインにとって、軍事費を捻出するのは容易なことではないのだ。しかも、軍と一口に言っても空軍、陸軍、さらにそれは何百という部署や部隊に細分化されるから、予算を各所で分割しなくてはいけない。裏を返せば、予算の奪い合いとなるために、莫大な予算を食うであろう新造艦の建造に予算を取られたら、軍は悲鳴をあげるどころではすまないだろう。

 ほかの将軍たちもド・ポワチエに同調して、ない袖は振れないと口々に言う。けれども、それも二人は最初から想定していた。まったくうろたえた様子もなく、コルベールは軍人たちに向かって口を開いた。

「皆様方、どうかお静かにお願いいたします。予算の件でしたら、皆様方の懐をわずらわすつもりはございません。元より、これは私どもの独断に等しいものですので、出資者はすでに見つけてあります。ミス、どうぞご入室を」

「ずいぶん待たせてくれたわね。ごきげんよう、我がトリステインの勇猛なる志士の皆様。お久しぶりですわね」

「なっ! これは、クルデンホルフ姫殿下!」

 会議室に入ってきたベアトリスの姿に、将軍たちはまたも愕然とした。先ほどまでの喧騒が一瞬でやみ、ベアトリスが吊り目の視線を流すだけで室内は水を打ったように静まり返る。理由は簡単、この中の将軍たちもクルデンホルフに何らかの形で借財がある者は大勢いたからだ。

 さらに借財がない貴族も、もとよりトリステインは国土だけ見てもガリアやゲルマニアの半分もない小国である。領地の実入りも裕福と言えるところは少なく、そんな中で辛い領地経営をしている貴族も、クルデンホルフに睨まれたら身の破滅につながりかねない。例外なのはヴァリエール家くらいだ。

 偉ぶっていたド・ポワチエも、戦場はともかく金貨の戦いではクルデンホルフにはかなわない。将軍たちの中にはギーシュの父親のグラモン退役元帥もオブザーバーとしていたが、息子に遺伝した派手さが災いして特に大きな借金があり、ベアトリスの視線が自分に向いただけで顔を冷や汗で濡らしている。

「さて、わたしのような若輩の小娘には難しいことはわかりませんので用件だけ述べますわ。東方号には、わたくしどもも将来性を見込んで多額の出資をいたしておりました。ですが、やはり民用の建造方式では不完全だと思い知りました。よって、建造費用はクルデンホルフが持ちますから、軍にはよい船を作れるように施設と人材一切をお貸し願いたく思いますの。もちろん、最高のものをね」

「そ、そんな一方的な!」

「あら? それは残念ですわ。ではあきらめますが、わたしどももお友達が減るのは大変寂しいですわ。つれない方々には、お預けしてあるわたくしどもの善意を、すぐにそっくり返していただいて縁を切らせていただきます」

「えっ! そ、待ってください!」

 貧乏底なし。大の大人が少女に泣きつくのは情けないものだが、クルデンホルフに金を借りなくてはそれこそ首が回らなくなるのだ。

 これも、コルベールとエレオノールの秘策だった。クルデンホルフに金の首輪をかけられているトリステインの貴族たちの内情を利用したのである。もっとも、ふてぶてしい態度と口調で隠しているが、ベアトリスにはトリステインの貴族たちの借金を即座にどうこうする権限まではない。これはあくまでこちらをなめさせないためのおどし。多少、脅迫のようで気分のいいものではないが、交渉はきれいごとではすまない。

 

 さて、多少強引ながら了解をえたところで、続いては東方号の実質的な再建計画についてであった。

 現在、東方号は設計図こそ残っているものの、実質ゼロから作り上げることになる。しかし、のんびり竜骨をひいて組み立てていたのでは到底時間が足りない。

「建造期間は一ヶ月をめどにお願いしようと思っています。それ以上は待てません」

「バカを言わないでもらいたい! たった一ヶ月で船が作れるか。一般的な中型船でも、年単位の期間がいるのだ。突貫工事でやったとしても、四ヶ月は絶対にみてもらいたい」

 会議に参加していた造船士官が当然のように怒った。コルベールの要求は常識を度外視している。ハルケギニアの造船は、魔法での補助が利くので地球で同じように作るよりは早くできる。先だってのアルビオンの内戦に参加したり、観艦式に出た新造艦もそうやってメイジを大量動員して、なんとか間に合わせたものだが、一ヶ月は短すぎる。

 しかし、コルベールは話を続けた。

「ゼロから作り上げる必要はありません。我々が欲している船の要目は、水蒸気機関を搭載できるだけの容量があるかということ、つまりは新造するのは推進機関を備えた翼だけで、その他の設備は後から搬入するだけでいいのです」

「なるほど、つまり最初の東方号のように中央船体は他から流用して、改造を施すというのですか。それで、軍から軍艦の提供を受けたいとおっしゃるのですか?」

「いえ、先日の戦闘によって、並の船の構造では東方号の最大加速には船体が耐えられないことが判明しました」

 緊急加速用ヘビくん、才人のいうロケットブースターの急加速には木造の船体はもろすぎた。それに、もうひとつ並の船ではいけない理由がある。

「東方号は、実験船である以上、あらゆる衝撃やアクシデントにも耐えなければなりません。そのためには、大きな容量と頑丈な船殻を持ち、なおかつ今度敵の攻撃を受けても撃退できるだけの戦力を有した船が望ましいです」

「そんな船がどこにあるというのですか? アルビオンからロイヤル・サブリン級の同型艦でももらってこいと? いくらなんでも、そこまでの妥協はできませんよ」

 造船士官は悲鳴をあげた。コルベールの要求に合致するものといえば装甲艦しかないが、それは空軍の虎の子だ。血のにじむような思いをして揃えた、宝石より貴重な戦力を、いくらなんでも渡すことはできない。

 だが、コルベールは軽く咳払いをすると、その場にいた全員が仰天するようなことを言った。

 

「適当な船ならあるではありませんか、ラグドリアン湖に一隻」

 

 その言葉がすべての流れを一気に変えた。

 ただ一隻でさえ、ハルケギニアのそれをはるかに超える威力を持つ異世界の巨大戦艦。それを自分たちの力として蘇らせようというのか? すぐさま「できるのか!?」という質問が乱れ飛び、それについてエレオノールは自信たっぷりに言ってのけた。

「アカデミーはこれまで異世界の技術については研究を重ねてきました。やれと言われれば、どのようなことでもやる自信がありますし、その実力も蓄積してまいりました」

 将軍たちの尊大さにも勝るエレオノールの自信。しかも、エレオノールは心中では冷静に将軍たちを見ていた。これまでは、必要とはいってもおどしをかけていたが、将軍たちから恨みまでを買っておく必要はない。彼らも不器用ではあっても、トリステインのために必死に働いて、戦場で命をかけている勇者たちなのだ。そのため、ふたりは彼らに対してひとつの提案を用意してきていた。

「皆さん、これはクルデンホルフへの提案でもあるのですが、皆さんにとってもこの話は耳寄りな部分があるのです。ご存知のとおり、現在ラグドリアン湖には数十隻の異世界の艦船が沈んでいます。トリステイン軍は、それらに興味はございませんこと?」

「どういう意味です?」

「簡単ですわ。我々アカデミーも、トリステインの前途を思うあなた方の同志に変わりありません。東方号をテストケースとして、いずれなんでしたら、ラグドリアンに沈んだほかの船も改造して、軍にお渡ししてもいいですわよ」

「なっ! なんですと」

 ポワチエ将軍以下、全員が目を見張った。そうすれば、トリステイン空軍は弱小の汚名を一気に返上できる。もっとも、そんなことができるようになるとしても数年後だろうが、興奮している将軍たちは気づかない。

「ぜひお願いしたい。軍は全力をあげてサポートいたしましょう!」

 

 こうして、あれよあれよで軍の協力を取り付けたコルベールたちはさっそく行動を開始した。

 タグボートをチャーターして、アカデミーの研究者たちを呼び寄せ、その日のうちに曳航作業を始めてしまった。

 もちろん、呼び寄せられた才人たちが飛び上がるほど驚いたのはいうまでもない。東方号を沈めたアイアンロックスを、東方号二世にしようというのだから、驚かないほうがどうかしている。

 しかし、いったん決まってしまえば、これほどの大戦艦に乗り組めるということが、少年たちの冒険心をくすぐらないはずはなかった。才人・ギーシュ以下、大はしゃぎして女子に呆れられた。

 また、なににも増してこの船ならば、エルフの艦隊が妨害しに来たとしても突破は夢ではない。

 飛行戦艦となった大和の姿を夢見て、才人は心を躍らせる。

 だが、才人は喜びながらもアイアンロックスの再生を提唱したコルベールの心情に、いまひとつ疑問に思うことがあった。

「でも、先生が戦艦を作るために、軍に技術の提供をしてまで協力を取り付けるとは思いませんでした。先生は、争いがおきらいなものだと思ってましたが」

「嫌いだよ。人が無益に死んでいく戦争は大嫌いだ。でも、東方号の代わりになれる船はハルケギニア中探してもこの船しかない。ならば、この船をまた戦争に利用しようと誰かがする前に、私がもらってしまったほうがいい」

「確かに……もしこの大和をこの世界の戦争に使えば、誰も敵わない絶対兵器になる」

 現在、大和の四十六センチ砲に匹敵する兵器はハルケギニアにない。軍人というものは、武力をいつでも行使したがっていることをコルベールは才人に諭し、才人は重くうなづいた。

「たとえヤプールを倒すことができても、その後にまた人間が戦争を始めたら元も子もない。そういうことですね?」

「そうだ。だから、軍人たちがこの船の本当の価値に気づく前に、所有権を確たるものにしたのだ。王族直轄の部隊の専用艦になってしまえば、軍人たちはこの船に手を出せなくなる」

「なるほど、ようやく先生の本意がわかりました。でも、この船やラグドリアンに沈んだたくさんの船の技術はいずれ軍に渡ります。それはいいんですか?」

 地球の武器で武装した軍隊がハルケギニアで戦争する。才人からして見ても、悪夢としかいえない光景だ。けれど意外なことに、その問いに対するコルベールの声色は陽気だった。

「実はその件については、私はあまり心配していないんだよ、サイトくん」

「は? なんで!」

「今こうしてアカデミーの連中が必死になって調べているこの船の技術や武器、それらはすべてハルケギニアの金属加工技術をはるかに超えるレベルの工程で作られている。簡単なものは、それを応用して役立てることもできるだろうが、大多数の設備は機構を理解することができても再現することはできない。あまりにも細かくて複雑すぎるんだ。事実、私はきみのひこうきの連発銃の弾を作ろうとしたが、ひとつのものををまったく同じに数百作らなくてはいけないことで、錬金ではとても不可能だと結論づけた」

「へえ、錬金って、おれはなんでも作れるものだとばかり思ってました」

「基本はね。しかし、錬金は極論すれば粘土を練って像を作ることを魔法で代用しているようなものだ。スクウェアの、よっぽど熟練した土メイジならあるいは可能かもしれんが、そんな人間は世界中に五人とおるまい。この船で一番小さな武器の、あの……二十五ミリ機関砲だっけかな。あれすら復元は不可能、ましてやこの船の主砲など、百年かかっても作り出せまいよ」

 確かに、四十六センチ主砲は日本海軍の最高秘密兵器だったのだ。魔法だろうがなんだろうが、そんなホイホイとコピーされたら地球の沽券に関わる。もちろん、ほかの戦艦も同様だ。

 モノはあっても、どうやってできているのかわからない。その構造を理解できても、作る工場がない。確かにそれならば安全だ。地球人も、異星人の科学力を反映した超絶科学兵器メテオールを配備してはいても、グロテスセルのように制御できずに廃棄せざるを得なかったりするものも多数ある。使用時間が一分間に限定されているのも、地球人にとってメテオールは諸刃の剣、火縄銃しか知らない侍にいきなりマシンガンを持たせるような危険さと隣り合わせだということを、常に忘れないようにするためだ。

「軍の皆さんもお気の毒ですね。超兵器を得れたと喜んだら、それはほとんど使い物にならないくず鉄の山なんですから」

 ものになるのはミミー星人に強化修復された大和のみで、ビスマルクや長門をサルベージしたとしても使い物にならないだろう。軍人たちは、すべてが終わった後で気がついても、後の祭りというわけだ。

「人が悪いと思うかね? まあ、私にしてもこの船を改造することはできても、修理することはできない。この船が、ほとんど無傷で残留してくれたのは、本当に運がよかった」

「ミミー星人も、あの世でじだんだ踏んでることでしょう。けど先生、この船の空きスペースいっぱいに風石を詰め込んだとしても、とても浮くものじゃありませんよ。どうやって飛ばすんですか?」

「ふふ、改造計画の一切はすでに私の頭脳の中にあるさ。その点もぬかりはない。ま、大船に乗ったつもりで待っていてくれたまえ」

「これよりでかい船がどこにあるんですか?」

「ははは! 確かにそのとおりだな」

 才人とコルベールは腹を抱えて、思う様に笑い続けた。

 

 曳航されていく超巨大戦艦大和。異世界の波を蹴立ててゆく先に、どのような運命が待ち受けているのかを知る者はいない。

 武蔵と信濃の魂魄を受け継ぐ船は、伝説を受け継いだルイズと才人、コルベールとエレオノールら学者たち、ギーシュたち水精霊騎士隊にミシェルたち銃士隊、ベアトリスら利権を画策する者、ほかにも数多くの人間をその上に乗せて、ラグドリアンの上に確かに存在している。

 しかし、戦艦としての宿命を背負って生まれた船に、平坦な運命はない。

 必ずや訪れるであろう戦いのとき、それが栄光に輝くか、再び志半ばに没するか。

 

 ラグドリアン湖に輝く太陽は、人間たちの運命を、あまねく照らし出していた。

 

 

 続く



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第67話  眠れる大戦艦

 第67話

 眠れる大戦艦

 

 甲冑星人 ボーグ星人 登場!

 

 

「杉材が足りねえぞ! 追加発注急げ」

「砂鉄と鉄鉱石の搬入、第五工房がしびれを切らしてるぞ。一分一秒も無駄にするな!」

「鋲だ! 熱いうちに早く打ち込め!」

 

 職人たちの喧騒が飛び交い、槌の音が響いたり、荷車の車輪の音がひっきりなしに行きかう。

 ここは、ラグドリアン湖の東岸にあるトリステイン最大の造船港。一週間前に焼失した造船所から、二十リーグほど北上したところから海に向かって流れ出す大河の中流に存在している。

 収容艦艇数は大小合わせて五百隻の巨大港で、トリステイン空軍の主力艦のほとんどは現在ここで作られていた。

 船台上には、ガリアのシャルル・オルレアン級に対抗するために建造中の、トリステイン初の本格的二百メイル級重装甲戦列艦ガスコーニュ号が艤装を受けており、傷ひとつないピカピカの大砲がドラゴンに引き上げられて船体に載せられていく。

 また、整備用ドッグにはラ・ロシェールの観艦式に姿を見せた新鋭艦ブルターニュ号が横たわって、怪獣ゾンバイユを相手にまったく通用しなかった武装の強化工事を施されている。

 働いている人間は官民合わせて二万人をゆうに超える。これはラ・ロシェールはおろか、首都トリスタニアに次ぐ人口の多さである。

 まさにここは、小国であったトリステインが大国ガリアやゲルマニアと肩を並べるための努力を象徴する場所なのだ。

 

 だが、様々な船を作り、ガスコーニュ号の完成にトリステインの未来がかかっていると信じて昼夜兼行の工事をしてきた熟練の造船工たちも、五日前にラグドリアン湖から曳航されてきた船を目の当たりにしたときは、まさしく次元の違いを思い知らされた。

 運河としても使えるように、狭い場所でも幅五百メイルもある大河を圧して進んでくるとてつもない偉容。あまりの巨体ゆえに、操業している漁船は、その船の作り出す大波で転覆させられないよう出漁禁止が発令され、対岸の小さな桟橋などはまるごと水中に沈められた。

 近隣の人々は、微速で進むその船を噂で知って呼び集め合い、今まで見たこともない鋼鉄の巨大戦艦をひと目見ようと、数百数千の眼が堤防の上に集まる。

「なんなんだあれは……あんなでかい船がこの世にあるのか!」

 上空を護衛しているメルカトール型の旧式戦列艦プロヴァンスなど、まるで水雷艇のようにしか見えない。

 人々は驚き、噂は噂を呼んでさらに人を集めたが、軍はそれを静止しなかった。その戦艦のあまりの巨体ゆえに、到底秘密の保持などは不可能だとあきらめざるを得なかったのだ。

 結果、丸一日かけて港にその戦艦がやってきたとき、戦艦大和こと新・東方号を目撃した人間は万を軽く超えていた。その中には、当然ガリアやゲルマニアの間諜もいるだろうけれど、もはや報告したければすればいいと開き直るしかない。

 

 そして、到着した新・東方号は岸壁に係留された。あまりの巨体ゆえに、収容できるドックがなかったためである。

 ここで東方号は、艦内設備の調査の続行をするのと並行して、改装工事が始められることとなった。

 表向きの総責任者はエレオノール。彼女は、アカデミーの所長を、なかば恫喝にも近い方法で説き伏せて権限を得た。無名のコルベールでは、技術力はあっても統率力はないために、ここはどうしてもヴァリエールの高名が上に必要だったからである。

 その意気込みに恥じず、彼女は持ち前の度胸と威圧感を持って、見事に多数の個性が入り混じる部下たちを統率していた。

 アカデミーからエレオノールが連れてきた学者だけでなく、軍民問わずに優秀な技術者たちが昼夜を問わずに大和の甲板を闊歩している。そのせいで、ほかの艦の建造や修理に遅れが生じているものがあるものの、誰もがどの艦を優先するべきかをよく心得ていた。

 

 さて、岸壁に固定されて、工事開始を待つばかりとなった新・東方号だが、曳航中の調査によってエレオノールとコルベールは、これが大工事になることを覚悟していた。

 船体は、ミミー星人によってほぼ完全に修復されていたものの、船内は三隻の船が合体したためと、戦闘に必要のない部分は沈没時のままで放置されていたので、超巨大な立体迷路と化していた。そのため、曳航中に見取り図を作ろうと船内に入っていって迷子になる調査員が続出、エレオノールとルイズも才人とコルベールが談笑している最中に機関室を目指して出られなくなり、テレポートでようやく脱出する始末をさらした。

 結局、行方不明になった全員を救出するために一時作業は完全に麻痺した。

 それでもなんとか船内見取り図を完成させると、アカデミーの学者たちはそれを元に作業計画を作成した。なにせ、全長四百五十メイルの超巨艦であるから、全体を改装していては間に合わない。優先順位をつける必要上、調査で判明したアイアンロックスの艦内構造が、大きく分けて二つに区分できることを利用することとなった。

 

 ひとつはミミー星人に改造され、遠隔操作で稼動する機関部と兵装部。

 元は乗組員の居住区だったらしく、沈没時と変わらずに廃墟のままで放置されている区画。

 

 このうち、戦闘区画は危険が見込まれたので、さらに一週間の調査期間が置かれることになった。

 危険を承知で未知の機材で囲まれた区画に調査員が入っていき、入れない場所にはメイジが猫やネズミの使い魔を送り込んで、視覚の共有でスケッチをとったりしていく。こういう方法は地球ではとることができないもので、もしも地球で知られたらあらゆるところから引く手あまたに違いない。災害時の危険区域での生存者の捜索など、何百万円もする小型ロボットがなければできないようなことばかり、数えれば役立つ用途が限りない。

 もっとも、そんな俗な役立ち方は誇り高い貴族は嫌がるだろうが、貴族ではないメイジたちが、いつかそうした方法で人々の役に立つことができるのだとわかったら、世の中に少し笑顔が多くなるかもしれない。

 

 戦闘区画が実質立ち入り禁止なために、工事は先んじて放置区画で始まった。完全に幽霊船状態の中を、魔法のランプを壁に取り付けて明かりを確保し、形を保っていた道具や設備を運び出していく。それらはほとんどは劣化して使い物にならなかったけれど、頑丈で原型を保っていた軍靴は靴屋が引き取り、拳銃や小銃は鍛冶屋に渡され、意外にも鉛筆が発見されたときはその便利さにエレオノールが驚嘆して、すぐに複製が命じられた。

 ただ、そうして残骸をあさる中で、たまに眼鏡や金歯、ベルトなどが現れると、彼らは自分たちが墓荒らしをしているのだという気分の悪さを味わわざるを得なかった。戦死者の遺骨こそ、海底で長年のうちに消滅してしまったけれども、ここには確かに何百何千という人間がいたのだ。

 そうした遺品の数々は、才人の頼みを受けたコルベールの指示で、街の郊外に埋葬されることとなった。異世界の人間をブリミル教では弔えないが、そうすることでせめてもの慰霊だけでなく、罪悪感や呪いを恐れる調査員たちの心情を慰めることもできたのだ。

 だが、呪いとは関係ないが苦痛の叫びはあがっていたことを付け加えておこう。調査が終わった居住区画では、いずれ新乗組員が住まうことになるのだから清掃作業がおこなわれていた。ただ、その担当を任された水精霊騎士隊は不満たらたらであった。

「あーっ! どうしてぼくらがこんな平民の雑用がするようなことをしなきゃいけないんだ!」

「ギーシュ、その文句は十回くらい聞いたぜ。でも、ほんと臭いし暗いし汚いし、いったいどれだけ掃除したら終わるんだよ!」

「ギーシュ、ギムリ、文句を言ってる暇があったら手を動かせよ。しょうがないだろ、ぼくたちだって船ができるまで遊んでるわけにはいかないし、乗り組んだときに迷わないようにも清掃がてら船内構造を頭に叩き込んでおけって命令は正しいよ」

「はぁ……まったく、いつになったらぼくらは華々しい戦果をあげられる日が来るんだろう……」

 バケツとほうきとブラシとゴミ袋を手に、少年たちはその日を目指して地道な下積みを重ねていく。

 

 その一方で、才人は別件で船に乗ってはいなかった。彼はルクシャナやアカデミーの風や地のメイジといっしょに、街からやや離れた草原にいたのである。そこは、将来港を拡充するときに備えて、新しい街道を作るための舗装作業がおこなわれていたのだが、その平坦な地形を利用して彼らはある実験をおこなっていた。

「ようし、じゃあ始めるか……風を送ってください!」

 メイジの送ってくれた風を受けて、彼らの実験はスタートした。結果的に、この日の彼らの実験は失敗に終わるのだが、翌日も彼らは失敗した箇所を改良して同じ実験を繰り返した。

 それは、遠目からしたら変な形の鉄の塊を、大勢のメイジが真剣な顔で弄り回しているという奇妙な光景だった。実際、通り過ぎていく人は首をかしげたり失笑していく人もいたけれど、彼らは気にも止めなかった。

 これが成功したら、東方号には大きな力になる。才人はそれを信じ、未完成のそれに描かれた真っ赤な日の丸を見上げた。

 

 そして、東方号の完成へ向けての生徒たちの努力は、連絡を受けたコルベールの胸も熱くした。

「そうか、彼らも立派にやっているのか。ならば、私も負けてはおられんな」

 船舶の部品を作る工場で働いていたコルベールは、火花をあげて作り上げられていく東方号の部品を前に決意を新たにした。

 コルベールの顔はすすで汚れて、いつもは輝いている頭頂部も今日は黒ずんでしまっている。実際、現在もっとも多忙であるのは彼であったことは疑いない。東方号の設計者であって、改造計画の調整から部品の設計、あらゆる方面の補助をしなければならない彼にはそれこそ風呂にはいる暇もなかった。休息は短い睡眠と食事の間だけ、その他の時間は必ずどこかで仕事をしている。

 しかし、普通の人間であったら倒れるような激務の中でも、コルベールの顔には疲労の色はなかった。むろん、肉体には過酷さによって刻まれた疲れはあるけれど、頭がそれを感じてはいなかった。

 一世一代、ハルケギニアを救う船を自分が作るんだという使命感がコルベールにはある。彼はこのとき、技術者として心から仕事を楽しんでいた。楽しいことに疲れを感じるはずがない。自分の力を思う存分発揮して、長年の夢であった魔法に寄らない機械を……それもハルケギニアの誰一人として見たことも聞いたこともないものを作るのだ。

「みんな頑張ってくれ! 東方号にはトリステインの命運と、姫殿下の期待がかかっているんだ。君たち職人の技術はもうガリアやゲルマニアの者たちにも劣らないと聞いている。その力を、存分に発揮して最高の仕事をして見せてくれよ!」

 コルベールの激励に、工場の職人たちは「おおーっ!」と、建物を揺るがしそうな大声で答えた。

 ここで働いている職人たちは皆平民である。錬金を使って即座に優れた製品を作り出せるメイジに、いつも下に見られていた彼らは、敬愛するアンリエッタ王女の期待の仕事が自分たちに回ってきたことに、かつてないやる気を自分たちの中に見出していた。

 すでに何隻もの軍艦の部品を作り上げて、腕に自信を持っていた彼らは、コルベールの図面に詳しく記された部品を現実のものにしようと、炉の火を限りなく熱くし、赤熱化した鋼鉄に槌を入れて鍛え上げていく。

 

  

 誰もが忙しく行き来し、巨大な港は過去最高の繁栄をしているかに見えた。

 だが、そんな大量の人間の往来の中にあって、作業現場をまるで他人事のように優雅に見守っている少女たちの一団があった。作業現場から少し離れた空間を占拠し、数人の女騎士に護衛されて、四人の少女たちがひとつの卓を囲んで座っている。その中でも特に高慢そうな金髪でツインテールの小柄な少女は、汗だくになって働いている工員たちを横目でちらりと見た後で、退屈そうにつぶやいた。

「作業は順調なのかしら? 日程では二十五日で完成するとあったけど、五日経ってもあまり変化がないように思えるのだけれども?」

「ご安心くださいませ殿下、工期はとどこおりなく消化しております。外見上の変化が少ないのは、元々の船体を傷つけないで運用するためで、本格的な工事はまだ先でございます」

「そう、ならいいわ。ノルマが一日遅れれば、何十万エキューの損失につながるわ。見込みのない人間はすぐに取り除きなさい。代わりはいくらでもいるわ」

 そう何気なしに命じると、ベアトリスは卓上のティーカップに手を伸ばして、紅茶を優雅にすすった。

「それにしても、自分の出資先を見届けるのは最低限の務めとはいえ、このようなところはほこりっぽくて嫌ですわね」

 紅茶に浮かんだ微細な粒を見下ろして、ベアトリスはふぅとため息をついた。すぐさま、取り巻きの一人が淹れなおした新しい紅茶で、少しだけ表情に笑みを戻す。しかし、優雅な姿は工員たちの敵意は刺激しても、敬意を持たれることは決してないことに彼女は気づこうともしていない。

「うん、やはり東方からの直輸入のものは香りが違うわね。それにシーコ、腕を上げたわね。温度がちょうどいいわ」

「はいっ! ありがとうございます! わたし、努力したかいがありました」

「そ、そこまで感激しなくてもいいけれど……」

 緑色の短髪をした子の大げさな喜びように、ベアトリスは気おされてちょっと引いた。彼女は先日、才人の無礼に対して最後まで怒っていた子で、一番年少ではあるけれど活発で子供っぽいところがベアトリスは気に入っていた。ただし、時々こうして行き過ぎたところはあるのだが。

 ともあれ、気を取り直したベアトリスはもう一口紅茶を飲んで口の中を潤すと、アイアンロックスの巨体を見上げた。

「まったく、ヤプールもとんだ贈り物をしてくれたものね。ミスタ・コルベールたちは、異世界の技術だとか浮かれていますけど、わたくしにとってそんなことはどうでもいいわ。重要なのは、今わたくしたちの手元にこれがあるということ。お馬鹿な人たちは、これが将来どれほどの価値を生むのか、まったくわかっていないようで、なんとも滑稽なこと」

「ええ、まったくですわ。それにしても姫殿下、わたくしにはこのような鉄の塊が、どのようにして富をもたらすのか、いまひとつぴんとこないのですが」

 取り巻きの一人の、金髪を後ろでやや乱雑なポニーテールにまとめた少女が尋ねた。傍目からは、わざと持ち上げているとしか思えないそぶりだが、そうされることが当然に育ってきたベアトリスは気づいていない。

「しょうがない子ね。じゃあ、簡単に説明してあげるわ。この船……オストラント号二世、まあ新旧の区別が難しいし、まだ完成してもいないから、この船の元々の名前……なんといったかしら?」

「ヤマト、ですわ」

「そう、そのヤマトですけれど、率直に聞いて、ビーコはこの船を見てどう感じます? 難しく考えずに、ただ見たままを答えていいわよ」

「はぁ、わたしは軍艦のことはさっぱりわかりませんが……ええっと、大きくてとても強そうだと思いました」

「いいことよ、”大きくて強そう”それでいいの。おそらく、ここでこうして働いている人間は皆そう思っていることでしょう。重要なのはそこなの」

 ベアトリスは、怪訝そうな表情を浮かべている少女たちに向かって、得意そうに語りだした。

「言うに及ばず、兵器とは戦うためにあるわ。でも、軍艦はほかの兵器とは違って、むしろ戦争以外のときにこそ役割が多いの。砲艦外交という言葉を知っているわね? 文字通り、艦隊を持って武力を誇示し、他国との外交を有利に働かせようとする、アルビオンやガリアがよくやるやつよ。特に、レコン・キスタが力の象徴とした、かつての『レキシントン』号はとみに有名ね」

「はい、あの巨艦はレコン・キスタが反乱を起こす前には、『ロイヤル・ソブリン』号として、当時ハルケギニア最大最強だったのは、よく宣伝してくれたものですね」

「よく覚えてるわね。おかげで、わたしもお父様のデスクの上に並んだ、【アルビオンには、ロイヤル・ソブリンあり】って新聞記事をよく目にしたわね。軍人たちも、どうやってロイヤル・ソブリンに対抗しようかって頭を悩ませてたわ。だからこそ、どんな素人が見ても絶対的に強そうに見えるヤマトをトリステインが手にしたら、平民だってトリステインが強くなったんだって思うでしょう? そのときに、鋼鉄艦の建造のノウハウをクルデンホルフが独占してたらどうする?」

「なるほど! 理解できました。そうなれば、トリステインだけでなく、世界中から建艦の依頼が来るというわけですわね」

「そういうことよ。だから今のうちに、優秀な工員はいくら出してもいいから引き抜いておくのよ」

 若いながらもクルデンホルフの血を引く者として、したたかな一面を見せるベアトリス。彼女は拍手をして持ち上げる三人の少女たちに手をかざして応えると、改めて報告の続きを求めた。

「さて、前置きはこのくらいにしてと。それでエーコ、現在の各部署の進行状況はどうなってるの?」

「はい、現在総責任者のエレオノール女史の下で、それぞれの部署ともにスケジュールの遅れなく作業を進めております。まず船体のほうは、あと五日をめどに徹底的に調査をした後で、翼を取り付けるための準備工事を開始いたします。次に……」

 冊子にまとめられた各所からの作業報告書を手に、エーコと呼ばれた褐色の髪の少女は、主であるベアトリスに東方号再建計画の現状を説明していった。

 

 しかし、ベアトリスへの報告とは裏腹に、実際には調査も工事も早くも難航していた。確かにコルベールや才人たちの努力によって、目覚しい成果を上げている部署もある。が、地球最大の戦艦大和こと、軍艦ロボットアイアンロックスを人間の手で扱える船に改造しようという計画は、当然ながら容易なものではないことは予想されてはいたものの、いざ開始してみるとさらに思わぬ障害や問題に次々ぶち当たった。

 先に述べられた戦闘区画と放置区画。このうち放置区画は物品の搬出と清掃、あとは居住できるように少々の修理をすればよいだけであるので問題は少なかった。

 問題が発生したのは、当然というか戦闘区画である。

 このうち、兵装については意外にも早期に調査が終わった。砲兵器については、その規模が巨大であるだけで、原理としてはハルケギニアの人間でも理解できた。人間が操作する部分こそ、自動装置が組み込まれていたものの、基本は大和型戦艦の四十六センチ砲のままだったのである。

 しかし、その兵装を動かすための動力が最大の問題であった。機関部については手動で稼動させる方法がないかを調査中であるが難航している。大和に元々あった重油燃焼式タービン機関は撤去されて、ミミー星のエンジンが搭載されていたが、これがどうすれば動くのかはコルベールにも才人もわからなかった。

 幸い、水蒸気機関が装備されるのは翼になるので、最悪船体はあるだけでも飛べるけれど、主砲を含む全兵装は現在使用できるめどは立っていない。しかし、ベアトリスや軍の目当てはあくまで異世界の技術で作られた強力な兵装なのである。それが動かせないとなると、せっかく乗り気になっている彼らが一気にやる気をなくす恐れがある。そのために、それらの内容は報告書からはぶかれていた。

 そうとも知らず、ベアトリスは高級な茶葉の香りを楽しみつつ、クルデンホルフの明るい未来を運んでくるであろう鋼鉄の宝船をうっとりと見上げた。

 

 しかも……ベアトリスはまだ気づいていないが、彼女の持つビジョンには極めて危険な要素が秘められていた。

 

 彼女の想定するとおり、ガリアやゲルマニアが、この超巨大戦艦の存在を知ったらどうするか? 彼女の考えるとおり、少なくとも危機感を持つことは間違いないだろう。対抗策を講じようにも、異世界の技術で建造された大和に相当する兵器はハルケギニアの技術では作ることができない。

 かといって、戦争を仕掛けるなどは論外。現在トリステインはアルビオンと同盟関係にある。いくら大国と呼ばれる両国とて、単独では動けないし、現在のトリステインにはアルビオン内戦でその復活が確認された『烈風』が抑止力となっている。また、ただでさえ、世界中に怪獣の出現が群発している中で軍は動かせない。

 結果、それを唯一成しうる技術を持つクルデンホルフに注目が集まるまではいい。大金がクルデンホルフに流れ込み、いずれクルデンホルフが母国であるトリステイン以上の国力を持つことも、あながち夢ではない。実際地球でも、軍艦や戦車などの兵器産業をもちいる企業は国に対して強い影響力を今なお持っている。

 しかし、将来的に禍根が残ることは間違いないだろう。小国はあなどられるが、大国になると恐れられて警戒される。軍拡というものの難しいところだが、まだ若輩のベアトリスは戦場のきらびやかなイメージにのみとらわれて、強大な力を持つものが多くのものから恐怖と憎悪の対象となられることなど考えてもいない。

 暗殺、謀殺……将来ベアトリスがクルデンホルフの力を受け継いで、クルデンホルフが偏った力を持ちすぎたとき、それらがあらゆる方向から襲い掛かってくるかもしれない。そのとき、この小さな女の子が数千数万という悪意と憎悪に耐えられるのだろうか。

 

 富と権力の生み出す金のプールの中で、足を引っ張られて溺れ死んだ人間は数限りない。

 ベアトリスは若さゆえの、ある意味では無邪気さゆえに、金のプールの底に潜む魔物には気づかず、ただそのきらびやかな中に飛び込もうとしている。

 

 それからベアトリスは、取り巻きの三人と護衛の銃士隊を連れて造船所の各所を視察した。

 銃士隊が護衛についているのには少々理由がある。元々クルデンホルフは、空中装甲騎士団という精強な私設騎士団を持っているのだが、二つの理由により現在ベアトリスの指揮下にはない。

 そのひとつは、今やハルケギニアのどこであろうと他人事ではなくなった怪獣災害に備えるためである。特にクルデンホルフ領内にはパンドラ親子やオルフィなどの、多数の怪獣が住みかとしている山があるために備えがないと領民が安心できない。悪いことに、魔法学院で大騒動を起こしたせいで、怪獣の生息が領内に広く知れ渡ってしまったのである。

 もうひとつは、ベアトリス自身が護衛されることを辞退したのである。いくら人手が足りないとはいえ、娘一人を護衛する程度の余裕は当然ある。けれども、空中装甲騎士団つきで失態を見せた彼女は、今度はどうしても自分の力でなにか大事を成したいと固持した。

 それに当時、ある没落貴族の家から三人の少女を自分の秘書として引き抜いたこともある。彼女たちは、結局は成しえなかったものの、自力で家を建て直そうと試みていただけに、金の動かし方にもいささかの知識がある。また、メイジとしてのランクはエーコのみラインで、あとの二人はドットだったものの、メイジ三人となったら平民の傭兵程度であれば十数人を相手取れる力がある。

 心配する父に対して、ベアトリスは若さゆえの反抗心から、三人の少女だけを共にして家を出た。

 そうして、なにか以前の失態を帳消しにするような成果を探し続け、見つけたのが予算不足で頓挫しかけていた東方号計画だったのである。

 しかし、彼女のそうした事情は、貴重な人手を割かされるはめになった銃士隊には関係ないものであった。しかも、ベアトリスが空中装甲騎士団の護衛を断った経緯からしたら、銃士隊の護衛すら本来必要ないはずである。なのに銃士隊が護衛させられているのは、近年急速に勇名を上げている銃士隊を自らの護衛とすることで、それを見る平民や下級貴族たちの心象に影響させようというベアトリスの魂胆であったから、なお性質が悪い。

 銃士隊は断れるものなら断りたかったが、大スポンサーであるクルデンホルフの威光はここでも大きかった。アニエスがいない今では、ミシェルにできることは少しでも多くの隊員を東方号の仕事に回すために、人寄せの役目を自ら買って出ることだけだった。

「高名な銃士隊の二本の剣の一振りとうたわれる、副長ミシェル殿自ら護衛についてくださるとは感謝に耐えませんわ。これでわたしも安心して巡回することができます。期待しておりますわよ」

「はっ、光栄のいたりであります!」

 五歳は年上の相手にも、高慢さを隠そうともしないベアトリスの態度に、ミシェルは形だけは完璧な敬礼をとってみせた。

 が、内心ははらわたが煮えくり返る思いである。この大事なときに、この小娘は人を無くてもいい用事に駆り立ててくれた。本当なら、仲間たちといっしょにやらねばならない仕事は山のようにある。なのに、やらされていることは高慢な小娘の虚栄心を満たすための道化にすぎない。

「私はいったい、なにをしているのやら……」

 口の中から漏れない声で、表情は動かさずにミシェルはつぶやいた。ベアトリスは、四方を固めて護衛する銃士隊を露払いにするように、駆け回る平民たちのあいだを轟然と歩いていく。その行動そのものが、作業の妨害となることを考えないのだろうか? それに、確かに平民たちの目はベアトリスに集中しているようだが、それが好意的なものであるとは到底思えなかった。ミシェルたちの目に悪意のこもったフィルターがかかっていたとしても、平民たちはベアトリスたちを得体の知れない邪魔者、あるいはさわらぬ神にたたりなしといった無関心な感情しかなかった。

 だが、ミシェルたちは漫然とベアトリスたちの護衛の形だけをしていればいいというわけではなかった。むしろ、まともに仕事をしていたほうが楽という難事が待ち構えていたのである。

 

 それは、ベアトリスがある材木せん断工場に入ったときのことである。入るなり、彼女は作業はほとんど見ずに、工場責任者に食って掛かったのである。

「ちょっとあなた、ここの甲板用材木の納期が予定の三パーセント遅れているわよ。どうなってるの?」

「はぁ、なにぶん今年の木材は長雨が続きましたので質が安定するまでにかかりまして……工員全員、全力を尽くしておるのですが」

「言い訳は聞きたくないわ。いいわ、あなたはクビよ。さっさと出て行きなさい」

「なっ! そ、そんなご無体な。お許しください、私には妻やまだ七つの息子もいるんです」

「知らないわよそんなこと! たかが木を切って板にするような、誰でもできるような仕事もこなせない無能者に用はないわ。目障りよ!」

 哀願する工場長にベアトリスは一眼だにしなかった。しかし、無能とはひどすぎる。木材は乾燥率や節の多さで切ったときの反り具合や収縮率が変わってくる。それを計算して加工するのは立派な職人芸なのに、誰でもできることと侮辱されて、百人近い工員たちもベアトリスに敵意のこもった視線を向けてきた。

 このままでは、暴動が起こりかねない。そう感じたミシェルは、工場長とベアトリスの間に立って仲裁し、なんとか首を取り下げて減給にとどめることに妥協させることができた。だが、工員たちの怒りは収まらなかった。

 しかも、事はそれだけで収まりはしなかった。ベアトリスはその後も、様々な工場や工事現場を視察したのだが、その度に素人考えから高慢に文句をつけて、ミシェルたちはベアトリスの機嫌をとることと、工員たちの怒りを鎮めることの二つをやらされるはめになったのだ。

 おまけに、ベアトリスの取り巻きたちも静止するどころかベアトリスに同調したものだから、一度ならずミシェルたちは剣を抜かざるを得なくなることを覚悟した。

 

 そうして、激務だが極めて無意味な一日はあっという間に過ぎていった。

 

 夕刻、日は早く傾いていき、港には本日の業務の終了と、勤務時間の交代を告げるサイレンが鳴り響く。

「あら? もうこんな時間なのね。今日のところはこれまでにして、続きは明日にいたしましょうか」

 港中を回り、言いたい放題を言い尽くしてきたベアトリスも、さすがに少々疲れを見せた声で告げた。

 その終了宣言に、ミシェルたちが一番ほっとしたのは言うまでもない。ようやくこれで、こんなくだらない仕事も終われると、不満を顔に出さないように努めて言った。

「ではお帰りになられますか殿下? お住まいまで、我らがお送りいたしましょう」

「そうね、では帰りましょうか。おなかもすいてきたことですし、三人ともいいわね?」

 ベアトリスが確認すると、まずシーコがうなづいた。しかし、エーコは即答せずにベアトリスの様子を見ると、明かりがつき始めている造船所内の飲食街の一角を指差した。

「姫殿下、せっかくですから夕食はこちらで食べていきませんか?」

「は? エーコあなたなにを言うの? クルデンホルフの姫ともあろうわたくしが、下々民に混ざって食事しろなんて、冗談ではないわ」

「いえ冗談ではありません。こういう場所の店は、意外とよい味を出しているものですよ。どうせ宿に帰っても、ここの宿は食事も軍人向けでろくなものが出ないのですから」

「ふむ、それもそうね……」

 金にまかせて宿を借りたものの、質素なものしか出ない宿のディナーに飽き飽きしていたベアトリスは一考した。

「ではエーコの言うとおりにしましょう。適当な店を選んで頂戴。ただし、できるだけ高級なものを出す店をね。ミシェル副長、今日はご苦労でした。わたくしがおごりますから、同席を許可しますわ」

「はぁ、ではご相伴に預かることにします」

 好意はうれしいが、正直言ってありがた迷惑だとミシェルは思った。騎士四人の腹を満たすだけの懐具合はベアトリスは当然あるだろうが、こちらは護衛の関連上、酒は飲めないし満腹になるわけにはいかない。

 しかし断ることもできないために、しぶしぶミシェルたちは同席を承諾した。

 エーコがベアトリスのために選んだ店は、中くらいの大きさを持つ酒場であった。ミシェルの見るところ、普段は佐官クラスの中級将校が使用するような店らしい。魅惑の妖精亭を少し大きくしたようなものと思えばいいだろう。ベアトリスはひとまず気に入った様子を見せた。

「ふむ、悪くないわね。では、入りましょうか」

「あっ、姫殿下! 申し訳ありませんが、わたくしはここで失礼させていただきたいのですが」

「どうしたのビーコ?」

「いえ、今日見聞した出来事を早めに資料にまとめておきたいと思いまして。それに、姫殿下の帰りが遅くなっては騒ぎになってしまいますので、わたしが伝言しておきます」

「そうね。じゃあすまないけど、お願いするわ」

「はい」

 こうして、ビーコと別れた一同は酒場に入った。

 中は、店の外観のきれいさとは裏腹に工場で働く平民たちが多かった。ベアトリスは、酒とタバコの匂いがつんと鼻をついたものの、今さら出るのも恥ずかしかったので、一同はミシェルがとった奥の席に腰掛けた。

「この店で、一番いいワインと料理を持ってきなさい」

 ウェイトレスに開口一番でベアトリスは要求した。ウェイトレスは、思いも寄らない高級貴族の来店に驚きつつも、この上ない上客なので慌ててオーダーを持って飛んでいった。

 店内の平民たちはベアトリスに気づいてはいるものの、とりあえず追い出される様子はないので黙っていた。中には、すでに酒がまわったのか、バカ騒ぎを続けている豪胆な者もいる。けれども、招かれざる客を意図して無視しようとしてる意識はミシェルたちを不快にした。

”よく見たら、今日まわった工場の人間もいるではないか。面倒なことにならなければよいが”

 だが、ベアトリスは平民たちが自分をどう思っているかなどは興味のかけらもないらしい。運ばれてきた酒と料理に舌鼓を打ち、取り巻きの二人を相手に雑談をして楽しんでいる。

 しかし、最初のころは他愛も無い昔話をしているくらいでよかったのだが、酒が入ってくるに従って饒舌さが増していき、とうとうミシェルたちが恐れていたことを口にしてしまった。

 

「それにしても、この街の職人たちのレベルは思ってたより低いわね。いっそのことまとめて解雇して、ゲルマニアから雇ってきましょうか」

 

 その一言が、じっと我慢していた職人たちの怒りに火をつけてしまった。むろん、いくら大金を出しているとはいえ、軍属の職人たちをいっせいに入れ替えるなど軍が了承するはずはないが、酒が入った彼らには冷静な判断力が失われていた。

「おい嬢ちゃん、黙って聞いてりゃずいぶん言いたい放題言ってくれてるじゃねえか」

「誰が誰をクビにするって? ガキがなめくさったこと言ってるんじゃねえぞ」

「立てよ、お貴族さまだからってなにを言っても許されると思ってんじゃねえぜ」

 いつの間にか、ベアトリスたちの席の周りはいきり立った男たちに囲まれてしまっていた。

「な、なによあなたたち! 平民が無礼な」

「下がりなさい下郎! この方がクルデンホルフ姫殿下だと知っての狼藉?」

 シーコはベアトリスを守って一喝した。普通なら平民はこれだけで逃げ出すか平身低頭して許しを請う。だが、誇り高いのは職人も同じだ。シマウマだって怒ればライオンを蹴り殺すこともある。散々侮辱された彼らにはクルデンホルフの名は、もはやなんの意味も無かった。

「それがなんだってんだ? どこのお姫さまだろうが、この街はおれたちの城だ。勝手に入ってきて好き放題してくれた落とし前はつけさせてもらうぜ」

「そうだそうだ! どうせクビにされるんなら怖いもんはねえ! やっちまえ!」

 集団心理が興奮を増させ、理性を完全にぬぐいさらせていた。ここまでくると、ミシェルたちが一喝しても無駄だ。威嚇射撃も怒りを増させるだけだろう。

「副長!」

「くそっ! 姫殿下を守れっ!」

 やむを得ずミシェルは迎え撃った。相手は店中の男たち、ざっと見回して五十人はいる。対してこちらは銃士隊四人とメイジ二人、ベアトリスは狙われているから戦力には含められない。これだけの戦力で、八倍以上の人数と渡り合えるのか? だが、迷っている時間はなかった。

「貴様ら、骨の二、三本は覚悟しろ!」

 民間人相手に武器を使うわけにはいかないので、体術のみで銃士隊は応戦した。素手とはいえ、本格的な訓練を積んできた彼女たちは、相手が鍛え上げた男たちといえども負けはしない。

 また、エーコとシーコもそれぞれ魔法で応戦した。平民にとって、自在に火や風を起こせるメイジは子供でも脅威になる。

 しかし、銃士隊と違ってエーコとシーコには実戦経験が大幅に欠けていた。どこからか投げつけられたコップがシーコの額に当たって、ガラスの破片を撒き散らせる。

「きゃあっ!」

「シーコッ!」

 額を押さえてうずくまりかけるシーコへ、ベアトリスは駆け寄ろうとした。顔に当てた彼女の手のひらの端からは鮮血がどくどくと流れ出している。しかし、ベアトリスがそうして動いた一瞬の隙だった。カウンターの影に隠れていた男がベアトリスを後ろから羽交い絞めにして、喉元にナイフを突きつけたのだ。

「てめえら動くな! さもねえと、こいつの命はねえぜ!」

「ひっ、ひぅ……」

 白い喉に冷たい銀色が押し当てられ、ベアトリスは恐怖のあまり泣きそうな声を出した。

 人質をとられては、ミシェルたちもなすすべがない。「卑怯な……」と、つぶやくものの、抵抗をやめて手を上げるしかなかった。

 男たちは、敵意と悪意のこもった眼差しを怒りの対象であるベアトリスに向けてくる。しかし、もはや頼るものさえなくなったベアトリスには、その視線を跳ね返す覇気は残っていなかった。これから、自分がどうされるのか……ベアトリスの心を生まれて始めての死の恐怖とともに絶望が覆っていった。

「ひっ、えぅぅ」

「動くな、妙な真似したら刺すぜ」

 なにかをしゃべろうとしても喉が震えて声にならない、しかも男はおどしではないことを示すように、ナイフの腹で喉をなでてくる。その冷たい感触に、まぎれもない殺意を感じてベアトリスは震えた。

 殺される! 男があと少し力を込めれば、細い喉は引き裂かれて一瞬のうちに死んでしまうのは明らかだった。

 これまで自分が権力と金と力にまかせてやってきた恫喝が、さらなる恐喝に姿を変えて戻ってきたのだということを、精神の未熟な彼女は気づくことはできなかったが、運命の神は取り立てに非情であった。

 助けを求めようにも、人質をとられていてはエーコもシーコも、銃士隊四人も身動きができない。

 このままこうして、なすすべも無いまま怒りに燃えた男たちのいいようにされるのか。どんな辱めや暴力がふるわれるのか、さらにそのはてにどんな苦しい方法で命を取られるのか。それを想像するだけで、恐怖のあまりに涙が浮かんでくる。

”誰か、誰か誰か! なんでもするから、お願いだから助けて!”

 声にならない心の叫びは、当然誰の耳にも届かない。

 そして、勝ち誇る男はベアトリスを抑えたままで、笑いながら要求を突きつけようとした。

「ひゃはは! こいつ泣いてるのか、いい気味だ。だが、おれたちの恨みはこんなものじゃ晴れないぜ。さあ、まずはそっちの姉ちゃんたちもいっしょにっ! うぎゃあっ!?」

 そのときだった。突然男が悲鳴を上げたかと思うと、ベアトリスの体が腕の中から解放されて床に崩れ落ちた。

 いったいなにが? わけもわからず自由になったベアトリスは振り返ると、そこにはたった今まで自分を捕まえていたナイフを持った男と、その後ろにいつの間に現れたのか、ナイフを持った腕を掴んで締め上げている壮齢の男がいたのだ。

「よさないか、いい大人が子供にむかってみっともない」

 歳を重ねた、落ち着いた重々しい声だった。酒場の薄暗い明かりに照らされて、白髪の混ざった頭が見え、首の後ろにはあごひもでつるされたテンガロンハットがぶらさがっている。ベアトリスは命が助かったことも忘れて、なんとも伊達な風体だなと、妙に安心した気持ちで男を見上げていた。

 

 

 一方で、東方号にも新たな脅威の前兆が迫りつつあった。

 夜間、倉庫街……軍艦の資材を保管しておく倉庫は、現在は東方号の資材も保管されているために、銃士隊や衛士隊も含めて厳重な警備が敷かれている。関係ない者は、誰であろうと立ち入ることはできないだろう。

 が、倉庫街の中でも比較的警備の薄い場所もあった。空の倉庫が連立する区画、そこで警備についていた一人の銃士隊員に、ふと声をかけて連れ出した者がいた。

「こちらですわ。早く早く、お願いします」

「お待ちください貴族さま、こんな場所でいったい何があるというのです!?」

 その銃士隊員は、大変なものを見つけたと言ってきた一人の貴族の少女の後を追って、倉庫街のはずれの倉庫のひとつに足を踏み入れた。ここらは普段からもあまり使われておず、周囲に人気はほとんどない。

 中に踏み込んだ隊員は、先に入っていった少女の姿を捜し求めた。中は暗くて広い、おまけに窓も無い仕様だったので月明かりもほとんど入ってこなかった。その中を、彼女は少女が目立つ金髪をしていたことを頼りに目を凝らして歩き、そして。

「貴族さまーっ! どこですかぁ!」

「ここですわよ……ふふ、まんまと罠にかかりましたわね」

「なにっ!?」

 叫んだ瞬間、倉庫の明かりがいっせいについた。

「うっ! こ、これは!」

 まぶしさに目がくらみ、目を開けた瞬間、彼女は自分がガラスのような透明なカプセルに閉じ込められているのに気づいた。貴族の少女はすぐ近くで笑っており、その隣には全身を銀色の甲冑で覆っているような怪人が立っていたのだ。

「貴様何者だ! 私をどうするつもりだ!」

「くっくっく、貴様は銃士隊員という立場を利用して、この街をオストラント号ごと爆破するための尖兵として働いてもらう。そのために、貴様の体は改造されてサイボーグとなり、我らボーグ星人の忠実なしもべになるのだ」

「なっ、なに!?」

 その瞬間、カプセルの中に白いガスが充満しはじめた。これを吸ってはいけないと思い、剣を振るい、銃を撃つがカプセルはびくともしない。やがて、体がしびれていき、視界も真っ白になって彼女はカプセルの中に崩れ落ちた。

「ふ、ふくちょ……」

 すがるように上げた手が落ちたとき、彼女の意識は闇の中に閉ざされた。

 

 

 続く



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第68話  不思議な風来坊

 第68話

 不思議な風来坊

 

 甲冑星人 ボーグ星人 登場!

 

 

 酒場での軽口から平民たちの怒りを買い、暴漢と化した男たちに捕らえられてしまったベアトリスを助けたのは、テンガロンハットを首にかけた壮齢の男だった。憎悪に燃える平民たちの中にあって、風のように前触れもなく現れた彼は、ナイフを少女に突きたてようとしていた男を取り押さえたのだった。

「て、てめえ放しやがれ! いだだだ!」

「じゃあ、この物騒なものは預からせてもらうよ」

 そう言うと、テンガロンハットの男はナイフを奪い取って手を放した。放してもらった男は、痛む腕を押さえながらひいひい言って逃げていった。

 ベアトリスは、慌てて駆け寄ってきたミシェルたちやエーコに「ご無事でしたか!?」と、問いかけられながら、呆然として自分を助けてくれた男を見上げていた。そして彼は、いきりたつ男たちの中にあってただ一人冷静さを保ち、堂々と臆することなく彼らに向かい合ったのだ。

 だが、酒場に集っていた男たちは黙っていなかった。いまだ侮辱された怒りが収まらない様子で、いいところで邪魔をしてくれた男に矛先を変えて怒鳴ってくる。

「てめえ、よくも余計なまねをしてくれやがったな。おれたちの邪魔をしてくれたからには、てめえも覚悟はできてんだろうな!」

 真っ黒に日焼けした、顔に大きなななめ傷のある男だった。声もどすがきいており、気の弱い男ならばそれだけで足がすくんで動けなくなるだろう。しかし、テンガロンハットの男はまったく臆した様子もなく、落ち着いた声で返した。

「邪魔をしたとは、自分の娘くらいの子供を、よってたかってなぶりものにしようとしていたことかな?」

「うっ! ぬ」

 確信を直球で射抜かれて、さすがに動揺が男たちに走った。別の形での怒りも湧いてくるが、その言葉に反論の余地はない。いっせいに襲い掛かろうとしていた男たちのあいだに冷や水を打ったような空気が流れ、幾人かの男は正気に戻って列の後ろへと下がっていった。

 しかし、まだ大半は良心の呵責を思い出し始めつつも興奮が冷めていない。

「貴様、俺たちと同じ平民のくせに貴族に味方しやがるのかよ! ああ!」

「彼女が貴族だということと、君たちが数にまかせて暴力をふるおうとしていることは、まったく別の問題だ。違うかね?」

「いや! 元はといえばその貴族の娘が、おれたちのことをバカにしやがったのがいけねえんだ。身分が上だからって、どんなことを言ったって許される道理があるかよ!」

「それは確かに彼女も悪い。しかし、今君たちがやろうとしていたことは明らかにそれ以上に卑劣な行為だ。相手も悪いからといって、それが自分の悪行の免罪符にはならない。君たちは、汗水たらして働く自分の仕事に誇りを持っている。ならばその大事な手を、血で汚すような真似をしてはいかんよ」

 とつとつと諭すテンガロンハットの男の声色は穏やかで、じっくりと興奮していた男たちの胸に染み入っていった。はじめは怒気に支配されていた職人たちの顔に、理性の色が戻っていって、ひとり、またひとりと下がっていく。

 まるで、父親に子供が諭されていっているようだとミシェルたちは思った。これは単なる人柄ではなく、相応の人生を歩んできた者にしか出せない深みだ。

 けれども、幾人かは説得に応じずに残った。理性や誇りよりも、一度乗り出したからには引けないという意地だけで残っているような連中だ。店内にあった棒切れやワイン瓶などを武器にして、一触即発の気を振りまいている。こういう輩には道理を説いても無駄で、叩き伏せるしかないとミシェルは部下たちに合図しようとした。

 だが、テンガロンハットの男は実力行使に出ようとしているミシェルたちを手で制すと、男たちに再度呼びかけた。

「君たちも、もう帰りたまえ。さもないと、取り返しのつかないことになるぞ」

「ふざけるな! ここまで来て引き下がれるか」

「こんな場所で長々と騒いでいたら、衛士隊が大挙して押し寄せてくるぞ。逮捕されたらどうなるか、君たちにもわかるだろう?」

 その一声で男たちの顔から血の気が引いた。騒乱だけならまだしも、貴族への暴行未遂である。いや、相手が平民であっても子女への暴力は許されざる大罪であることは変わりない。即刻死罪ならまだ救いがあるほうで、処刑目的の拷問という身の毛もよだつような末路もありうる。

 さすがに向こう見ずな男たちも言葉を失い、意地と恐怖のはざまで立ち尽くしている。テンガロンハットの男は、そんな彼らを見渡すと、つとめて優しく語りかけた。

「今日のことは、酒に酔ったあげくの少しの過ちだ。本当の君たちはそんなことをする人間じゃあない。そうだろう?」

「あ、ああ……」

「なら、悪い酒は抜いて、明日に備えて早く寝ることだ。今日のことは、ちょっと悪い夢を見ていただけ、それでいいだろう」

 夢ならば、眠って目を覚ませば露と消える。夢だったのなら、意地を張る必要も無い。男たちは、全部を酒と夢のせいにすることで、ようやく自分の中に妥協点を見つけられた。

 すっかりしらふに戻った男たちは、床板に悲鳴を上げさせながら店外に駆け出していく。あれで恐らくはこりただろう。

 店内は急に静かになり、あれだけ騒がしかったのにまるで別の場所になってしまったかのようにさえ思えた。なにか、自分たちのほうこそ悪い夢を見ていたような気がする。

「さて、君たちも怪我はないかい?」

「あ、ああ」

 と、気が抜けかけたところでミシェルは、ふと男の顔に見覚えがあるような気がした。そういえば、そのテンガロンハットは確か。

「あなたは、あのときの風来坊!」

「おや、君たちは先日この帽子を買ったときに選んでくれた人たちか。そうか、その制服を見るとあのときは私服でパトロール中かなにかだったのかな。その節はお世話になったね」

 男は、屈託の無い笑顔を浮かべてミシェルたちに応えた。暴漢たちに向けていたのとは違う、温厚そのものの声色に、忘れかけていた祭りの日の一瞬の記憶が蘇ってくる。

「いや、今回は我々こそ危ないところを助けられた。しかし、なぜこのような場所に?」

「はは、見てのとおりの根無し草なものでね。今はこの街で働かせてもらっている。それよりも、そちらのお嬢さんたちは大丈夫かな?」

「はっ! クルデンホルフ姫殿下、お怪我はあられませんか?」

「え、ええ、大丈夫よ」

 ベアトリスはふらふらと立ち上がると、風来坊に顔を向けて目すじを引き締めた。

「平民、よく危ないところを助けてくれたわね。ほめてつかわすわ」

 感謝してはいるものの、目線を上からにした高慢な言葉だった。しかし、それは彼女のせいではない。クルデンホルフ大公国の姫として育ってきたベアトリスは、平民に頭を下げたりするような教育や経験は一切受けてこなかった。だからこれでも、彼女にとっては最大限の謝辞なのである。

 だけれども、風来坊は気分を悪くした様子も無く、ベアトリスに普通に話しかけた。

「私に礼を言うよりも、君にはほかに気にかけるべき人がいるんじゃないのかな?」

「えっ? あっ、シーコ!」

 言われて、ベアトリスは隅でうずくまって苦しい息を吐いているシーコに駆け寄った。

「シーコ、あなた怪我をしてたじゃない。大丈夫なの!?」

「あっ、姫殿下……姫殿下こそ、よくご無事で。申し訳ありません、役に立たない護衛で」

「バカ! いいのよそんなことは。ああ、どうしよう、こんなに血が……」

 額の傷口を抑えたシーコの手のひらは血に塗れて、そでの一部も赤く染まっている。ベアトリスは、どうしていいのかわからずにおたおたするしかできなかった。

 だがそこへ、風来坊が店から借りてきたと見える救急箱と濡れたタオルを持ってきて、ベアトリスに差し出した。

「心配しなくても傷は浅い、額はほかよりも血が出やすいだけで出血はもう止まっている。君の友達なのだろう、これを使いなさい」

「あ、はい」

 タオルを受け取ったベアトリスは、傷口を抑えているシーコの手をどけさせると、濡れタオルで血の汚れをぬぐい始めた。

「あっ、ひ、姫殿下! そんな、お手が汚れます。およしください」

「いいから、怪我人は黙ってじっとしてなさい。ほら、痛くない?」

 ベアトリスは、うろたえるシーコの顔をできるだけ優しくぬぐっていった。

 やがて、血のりがとれてシーコの少年ぽさのある顔立ちがきれいに戻った。しかし、額にはグラスをぶつけられたときに負った傷口が赤黒く残っている。あとは薬を塗ればいいのだが、ベアトリスには救急箱のどの薬を使っていいのかはわからない。そこへ、エーコが救急箱の中から一本のビンを取り出した。

「姫殿下、お手をわずらわせて申し訳ありませんでした。あとは、わたくしがやりますので」

「えっ、でも」

「もうこれだけしてくださったら結構ですわ。元はといえば、わたしがこのような場所に寄ろうと言ったのが原因。それで妹に怪我を負わせてしまった以上、わたしが手当てするのが義務です」

 そう言うと、エーコは薬のビンから綿に薬を染みこませて、シーコの傷口に塗っていった。彼女の、その有無を言わせぬ強い口ぶりに、ベアトリスは彼女たちの絆の深さを垣間見たような気がした。

 エーコ、ビーコ、シーコの三人は姉妹である。ある貴族の家系につらなる十人姉妹の最後に三つ子として生まれた彼女たちは、容姿は異なるものの同じ年齢であるということで、いつでもいっしょにすごしてきたのだという。それこそ、実家が没落して姉妹が離散してからも、三人助け合って……

 エーコは手際よく、シーコの手当てをすませていく。こんな店の救急箱には、水の秘薬のようなよい薬はないから応急処置も原始的な手法に頼らざるを得ない。

 あとは、包帯を巻いて傷口を覆うだけとなった。エーコは巻かれた白い包帯を箱から取り出そうと手を伸ばした。

 だが、包帯はその前にベアトリスが手に取り、彼女は唖然とするエーコに向かって言ったのだ。

「最後、包帯を巻くのはわたしにやらせて」

「姫殿下、ですが」

「いいの、シーコが怪我をしたのはわたしを守るために戦ってくれたから。だったら、主君として報いるものがなければいけないけど、わたしには治癒の魔法は使えない。だからせめて」

 祈るようなベアトリスの言葉に、エーコは無下に断れなかった。シーコを見ると、わたしはいいよとうなづいていた。

「わかりました。では、お願いします」

 許可をもらったベアトリスは、恐る恐る包帯を解いてシーコの額に巻いていった。その手つきは不器用で危なかしく、体の震えがツインテールのはしにも伝わっているのが見て取れる。

 しかし、同時に真剣で非常に丁寧に治療しようとしているのもわかった。ミシェルや銃士隊の隊員たちは、ベアトリスのそんな真摯な態度を、驚きを持って見つめていた。

”本当にこれが、あの高慢なお姫さまなのか?”

 もしもここに、先ほどまでの酔っ払いの男たちがいたとしても、同じように感じたに違いない。本当に、ここにいるこの娘は平民たちに残忍ともいえる仕打ちを与えた、あの非道な貴族と同一人物なのかと?

 だがそれは、平民から貴族を見た偏見が混ざっていると言わざるを得ない。ベアトリスが、本当に血も涙も無い鬼ならば、そもそも取り巻きなどはつけずに金銭で雇った用心棒に護衛させ、エーコたちも奴隷商人に売り飛ばしていた。東方号も、人のいいコルベールをだまして奪い取っていたに違いない。

 最初から善人として生まれる人間などいない。それは貴族も平民も変わりなく、誰もがまっさらな赤ん坊としてこの世に生を受けてくる。優しさ、思いやりというものは物心つくにつれて、人から受けることで教わっていくものだ。

 もちろんベアトリスもその例外ではなく、彼女も幼いころは両親の愛情に包まれて、愛されるということがどういうものかを学んできた。受けた愛情のぶんだけ、父母を愛することを知り、その愛情を草花や小鳥を愛でるように他者に与えることもできるようになった。ミシェルたちが見てきたのは、ベアトリスの一面だけにすぎない。

 だが、ベアトリスの周りにいた平民は、すべて使用人として命令には絶対服従するか、領民として地にひれ伏す者しか存在しなかったことが、少女の人格形成に大きな影をもたらしていた。もとより、これは彼女だけの特別なことではない。貴族と呼ばれる者たちの多くに共通されることで、ギーシュたちのような者こそ少数なのである。

 地球でもこれを笑えない。高度に近代化した現代でも、探せばそうした差別意識は強く残っている。優しさの向け方を正しい形で学ばなかった者たちが、なんの悪意も無く他者を傷つける。人間の心とは、組み方ひとつで簡単にいびつになる、不完全なパズルのようなものなのだ。

 しかし、ベアトリスの心の中には確かに優しい心もある。包帯を多少歪んだ形ながらも巻き終えた彼女は、恐る恐るシーコに尋ねた。

「ええと、これでいいのかしら? わたし、がんばったんだけどへたくそで」

「いいえ、ありがとうございました。もう、痛くないです」

 シーコは笑顔を浮かべて立ち上がり、ベアトリスはほっと息をついた。シーコは手についた血の汚れをぬぐい、汚れたタオルを返すと、風来坊は救急箱といっしょにそれを受け取った。

「帰ったら、明日にもちゃんとした医者に診せるといい。傷口が荒れていなかったから、丁寧に治療していけば跡も残らないだろう」

「あ、ありがとう……えと、おじさん」

「礼ならば、君のお姉さんと友達に言えばいい。私はなにもしていないよ」

 風来坊は軽く笑うと、ベアトリスのほうも向いた。

「君も、初めてにしてはよくやった。なかなかいい手際だったぞ」

 それは、まったくの他意のない褒め言葉で、普通だったら素直に喜ぶべきものだったろう。しかし、平民に頭からものを言われたようなことは、彼女の逆鱗に触れてしまった。

「無礼者! 平民が、このわたしに向かってなんという横柄な口の利き方! 分をわきまえなさい」

 歪んだプライドが、一気に彼女を元に戻してしまっていた。

 だが、風来坊はこれまでにベアトリスが会ってきた平民ならば、顔色を失って許しをこうところ、まるで恐れを抱いていない表情で言ったのである。

「悪いが、私は君の臣下ではない。仕えるべきと決めた相手でもない人間に、無条件で頭を下げるわけにはいかないな」

「なっ、なんですって!」

 ベアトリスは愕然とした。貴族を相手に、顔色ひとつ変えない平民などこれまでに会ったことはなかった。貴族は平民を統治すべき絶対の存在と、少なくとも信じ込まされてきた彼女は、ゆえに想像もしていなかった相手の反応に即座にどう言うべきかを選択することができなかった。

 しかも、しかもである。自分の目算が外されたら、普通は相手に対しての怒気が次に来る。ベアトリスはその人間心理の基本に従って、感情のままに罵声をあげようとしたのだが、風来坊はそれよりも一瞬早く、ベアトリスの頭に手を置いて、なんとなでてきたのだ。

「こらこら、女の子がそんなに大声を出すものじゃない。人の見ている前だろう」

「なっ、ななななっ!?」

 怒声をあげようとしていたベアトリスはおろか、エーコとシーコ、ミシェルたちも仰天してしまった。貴族を恐れないどころか、まるでベアトリスを子供……いや、孫のように扱うこの気さくさはなんなのだ。

 完全に怒気を抜かれて唖然とするベアトリス。すると、風来坊はすっかり閑散としてしまった店内を見渡して言った。

「やれやれ、すっかり寂しくなってしまったなあ。すまないねマスター、客を追い出すことになってしまって」

「いやいや、店内を荒らされるよりましだよ。こういうところじゃ、よくある話さ。気にしないでくれ」

 なれっこだというふうに酒場のマスターは首をふった。もっとも、この風来坊ではあるまいに、大貴族のいるところで怒ってみせるだけの度胸、あるいは非常識さが彼にはなかっただけとも言える。

 とはいえ、店内ががらんどうになってしまったのも事実だ。ここで彼らが退店したら、店内は無人と化してしまう。それを不憫に思ったのか、風来坊はある提案を持ちかけてきた。

「なあ君たち、よかったら食事をやり直すのにつきあってもらえるかな?」

「なんですって? てっ、なんでクルデンホルフ姫殿下ともあろうわたくしが、平民とディナーをともにしなきゃいけないのよ!」

「そりゃ、食事をするのは腹が減ったからに他ならないさ。さっきの騒ぎで、食べ始めたところで中断させられてしまったからね。それに、私は昔あちこちをまわって地図を作る仕事をしていたことがあってね、人の話を聞くのは好きなんだ。お姫様と話す機会など、そうそうないから大事にしたいんだよ」

 怒っても完全にのれんに腕押しでしかなかった。ベアトリスはいっそのこと、魔法で無礼打ちにしてやろうかと思ったが、仮にも命の恩人に対してそんなことをすれば自分の器の浅さを露呈してしまうようで嫌だった。けれど、かといってこの無礼な平民をなんとか思い知らせてやりたいという思いはある。それに第一……。

”おなかすいた……”

 さっきは中途半端なところで食事が中断されたために、実はまだほとんど食べていない。そこに緊張からどっと解放された安堵感が重なって、体に意思を裏切られたベアトリスであった。

「し、仕方ないわね。恩を受けたら返すのが貴族として正しい道。どうせあなたなんか、たいしたもの食べてなかったんでしょうから、わたしの財布で好きなだけ食べていっていいわよ」

 これで逆転だ、とベアトリスは思った。無礼を許す器量を見せ、なおかつ太っ腹なところを見せれば見直されるだろうと。

 が、今度もまた彼女の思惑は方向を変えて裏切られた。

「そうか、ならばご好意に甘えるとしようか。さあ、そちらの君たちも席に着きたまえ、立ったままでは食事にならないだろう」

「え? いやしかし、我々銃士隊は姫殿下の護衛をせねばならない身ですので」

「我々以外誰もいないのに、何から護衛する必要があるんだね? 食事は大勢でしたほうがうまいに決まっている。酒が入らなければ問題なかろう。そうでしょう、お姫様?」

「う、あ、まあ、そうね」

 またも、機先を制されて、ベアトリスは気づいたときには後追いの承認を与えてしまっていた。

 こうして、思いも寄らない形で銃士隊の四人も席を同じくすることになった。計八人の男女は、先ほどの騒動でテーブル席がめちゃくちゃになってしまったので、カウンター席に着いた。ベアトリスを中心に、右側にエーコとシーコが座って、左側にもしもに備えてミシェルが、その左に風来坊と銃士隊の三名が腰を下ろす。

 

 ベアトリスにとって、人生で一番奇妙なディナータイムはこうして始まった。

 

「マスター、さっきと同じメニューをよろしく。早くね」

 さて、なにはともあれ食事は食べなければ始まらないので、ベアトリスはエーコとシーコの分も合わせて、食べ損なったぶんをさっそく注文した。店のマスターは、一番高いメニューを選んでもらったことと、大貴族の覚えをよくしてもらおうという魂胆から二つ返事でオーダーを厨房に伝える。

 一方の銃士隊四人は、酒抜きの軽めのメニューを選んだ。いざというときに満腹で動けなくては話にならないからだ。

 そして風来坊は、なにを注文するのかとベアトリスが横目で注目する前で、当たり前のように口を開いた。

「マスターのおすすめで一式出してくれ。その前に、ミルクを一杯たのむよ」

 は? と、一同は斜め上の答えにあっけにとられた。てっきり、雰囲気に従って古酒でも頼むのかと思ったら、ミルクとはまた意表を突かれた。エーコなどは、こらえきれずにくすくすと笑っている。が、ベアトリスはなんだかばかにされたような気がして不愉快になった。

「ちょっとあなた、このわたしがおごると言ってるのよ。なんなのよミルクって」

「しらふでいたい夜もあるさ。それに、私の古い友人の実家が牧場をしててね。行ったことはないが、わざわざ仕事場まで息子のために足を運んでくれる、いいお母さんがいた。そのときのことを思い出すんだ」

 少しだけ遠い目をした風来坊の前に、ミルクを入れたコップがコトンと置かれた。酒場で頼むと笑われるのに、なぜか必ず出てくるのが、これの不思議なところである。

 ほとんど貸切状態の中で、おごそかにディナーは始まった。

 ベアトリスやエーコたちは、ナイフとフォークを上品に使い、さすが上流階級らしい優雅な食事風景を見せる。

 ミシェルたち銃士隊も、王族の親衛隊にふさわしい訓練は受けているので、マナーに問題はなかった。

 またも意外だったのは風来坊である。食器を扱う手つきが非常に様になっていて、無作法さとはまったく縁がない。どこかでレストランでも経営していたとでも言われたら、迷わず信じてしまいそうな行儀のよさだった。

”この風来坊、本当に何者だ?”

 それがその場にいた全員の疑問であった。とてもじゃないが、放浪しているいっかいの平民とは思えない。だが、貴族であるようでもない。それほどに、不思議な男だった。

「あなた、いったいどこの生まれなの? ガリア、もしかしてロマリア?」

「どちらでもないが、遠いところさ。遠すぎて、たぶん君たちに言っても知ってはいないだろう。この国には最近来たんだが、人々にも活気があっていいところだ」

 うまくはぐらかされてしまったようにベアトリスは思った。しかし、身寄りがなくて物心ついたときから放浪している生国不詳の人間などいくらでもいるから、突き詰めても満足いく答えが返ってくるとは思えなかった。

 でも、そうしたミステリアスなところがベアトリスの好奇心を刺激した。もとより、裕福な貴族はたいていの願いはかなうだけの権力と魔法という実力も持っているので、退屈して刺激を求めている。彼女は、いままで会ったことのない、この不思議な男の秘密をあばいてやろうという気になった。

「トリステインを気に入ってもらえて、杖のもとに集う貴族としてうれしく思いますわ。そして、そのトリステインの中でも一、二を争う名家、クルデンホルフの姫であるわたくしが歓迎すること、これに勝る名誉はそうありませんわよ」

「それはすごいな、感謝しますよ」

「む、そんな落ち着いた顔で言わないでもらいたいわね。ちっともうれしそうに見えないわ」

 またも権勢をちらつかせて反応の薄かったベアトリスは、むっとして風来坊をにらみつけた。でも、まだ大人と子供の割合が、子供のほうに七割ほど傾くベアトリスが不機嫌そうにしても、すねているようにしか見えなくて、風来坊は微笑するとすまなそうに言った。

「そんなことはないさ、兄弟たちにいい土産話ができる。うれしく思ってるよ」

「あら? あなた兄弟がいらしたの」

「ああ、上に二人、下に八人いるよ。私はそのうちの三男なのさ」

 はじめて風来坊が自分の身の上らしいことを明らかにした。しかし、兄弟がいることは珍しくないが、数が驚いた。

「じゃあ十一人兄弟というわけなのね。へえ、エーコたちの十人姉妹も多いほうだと思ってたけど、上には上がいるものね」

「いや、私たちのほとんどは血のつながりはない。ただ、兄弟のように仲がよいということで、周りの人がいつのまにか兄弟と呼び始めただけさ」

「なんだ、そうですの。それで、ご兄弟はそれぞれなにをしてらっしゃいますの?」

「いろいろさ。長男は国にずっといるが、ほかの皆はあちこちを飛び回って、なにをしているかは彼らしだいだ。そうだ、弟が二人こっちに来ているが、もしかしたら君たちと会っているかもしれないな。お嬢ちゃんは、一人っ子かい?」

 また、「お嬢ちゃん」と勘に触ることを。ベアトリスはむっとしたが、いまさらなので抑えた。

「ええそうよ! クルデンホルフの正当後継者は、このわたしベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフだけ。将来、クルデンホルフの莫大な資産を継承するさだめを持った選ばれた者。どう、わかった?」

「そうか、君もなかなかに大変な宿命を背負っているようだな。しかし、君は幸せだな、体を張って君のために尽くしてくれようとしている友がいる」

 風来坊は、そう言うとベアトリスの向こう側に座っているエーコとシーコを見た。

「わ、わたしたちですか? そんな恐れ多い! われらはしょせん、姫殿下のいやしいしもべにすぎません」

「そうかな? 主君と家臣というものは、大人同士でやるものだ。お嬢さんには、そういうことはまだ荷が重いように思えるがね」

「な、なんですって!」

「人はひとりでは何事を成し遂げることもできない。だからこそ、色々な形で人の力を借りて生きていく。そちらの銃士隊の彼女たちが力を合わせて戦っているようにね」

 風来坊に、まるで見ていられたように確信げに言われて、ミシェルたちは驚いてつばを呑みこんだ。

「……しかし、絆がなくては、どんなつながりでももろい。君は、君がさっきのような窮地に陥ったとき、命を顧みずに助けてくれる”臣下”を、何人持っているのかい?」

「う……」

 ベアトリスの言葉が詰まった。言われて初めて、そんな臣下などひとりもいないのだと気づかされたのだ。

 使用人や召使はいる、だがそれらはすべて雇われているだけだ。空中装甲騎士団にしたって、忠誠を尽くしているのはあくまでクルデンホルフで父の臣下でしかなく、真の意味での臣下などひとりもいない。

「臣下というものは、主君となる人間の志や人望に応じて集まってくるものだ。金や権力にこびて集まってくるような輩なら、すぐにでも揃うだろうが、君はそれでいいのかい?」

「そ、そんな下卑た部下なんか断じてお断りよ」

「だが、今の君には命をかけて忠誠を尽くす人間を集める器はないだろう。なぜなら、君は子供だからだ」

「……」

「しかし、子供であることは悪いことじゃない。大人と違って、子供には自由がある、なにものにも拘束されない、心の自由がな」

「心の、自由?」

 いつの間にか、ベアトリスは風来坊の話をじっと聞き入っていた。

「そうだ、つまらないしがらみに囚われずに生き方を決められるのは、大人になってから一番ほしいと思うものだ。君はもう、自分の将来について決めてしまっているようだが、だからといって焦る必要はない。世の中というものは、一面から見ただけでは到底理解しきれないほど複雑にできている。ときには寄り道をして、遊んでいったことが後から大事になることもある」

「無駄なことをするのが、役に立つって言うの?」

「ああ……昔、私は未知の土地をめぐって地図を作る仕事をしていたと言ったね。もう四十年以上昔になるか、ある土地に立ち寄ったときのことだ。そこは、未開だったがとてもうつくしく、すばらしい人たちが住むところだった。だが、それを狙って多くの卑劣な侵略者もいることを知った私は、とどまることを決意した」

「……」

「戦いは、つらく厳しかった。あるときは、捕らえられて十字架に磔にされて処刑されかけたこともある。でも、その土地で出会った仲間たちは、何度も私を救ってくれた。それに、愛する人もいた……そして、戦いの疲れからとうとうその土地を離れなければいけなくなったとき、仲間たちは死にかけの私を全力でかばってくれた。あの日のことは、一生忘れないだろう」

「それで、その後その土地は……?」

「私の意志を受け継いだ仲間たちが、その後もしっかりと守ってくれたそうだ。私も、その後何度か立ち寄って、彼らとともに戦った。それが、後の私の兄弟たちだ……」

 そこまで話されたとき、ベアトリスは風来坊の顔に、酔っているわけでもないのに赤みが差しているのを見た気がした。

「しかし、人生とは不思議なものだ。ちょっとした寄り道のようなものだったはずなのに、いつのまにかそれが人生のすべてになってしまっていた。任務を放棄して滞在を選んだのは、そのときは過ちだったかもしれないが、今はそうしてよかったと心から思っている。一度は多くのものを捨てた、しかしその代わりに、それ以上のかけがえないものを得ることができた。友と、愛する人と、兄弟たちと、そして第二のふるさとと呼べるところを」

 正道から外れ、多くを失ったからこそ得た大切なもの。ミシェルはそんな彼に、共感するものを覚えた。

「なんとなくわかります。私も、一度すべてを失いましたけれど、今では失う前にも劣らない多くのものに囲まれています。昔のままでいたらと思ったこともありますが、戻りたいとは思いません」

「そうか、それはたぶん君にとって今度こそ失ってはいけないものになっているのだろうな。大切にしたまえ、そうすればきっと君の大切な人たちは君に応えてくれるはずだ」

 ベアトリスはミシェルの過去は知らない。けれども、彼女の言葉が多くのものを積み重ねてきたからこそ持つ、大人の重みのようなものを感じ取ることはできた。

 悔しいが、こうして話せば話すほど、自分がこの中の誰よりも子供なのだということを思い知らされた。人生経験の差、それは虚勢や権勢などでは決して埋められない。

 だが、それでも譲りたくないものはベアトリスにもあった。

「あなたのおっしゃりたいことは、わたくしにもおぼろげですが見えた気がします。でも、わたしは生まれたそのときからクルデンホルフの名と宿命を背負ってるんです。あなたのように、投げ出していくことは断じてできません」

「我々のまねをしろと言っているわけじゃないさ。私の人生と、君の人生はまったく違ったものになって当たり前だ。ただ、その中でも少し立ち止まって道端の花をつむくらいの余裕はあっていいはずだ。君がお父さんから家名を受け継ぐには、まだ十数年はかかるだろうからな」

「わたしはクルデンホルフの姫として、弱みを見せるわけにはいかないのよ! たったひとりの跡継ぎが遊び歩いてるなんて、そんな噂が立ったらどうしてくれますの?」

「子供が変な心配をするものじゃない。子供というものは、親や大人に散々迷惑をかけて育っていくものだ。気にやむことはない、子供に甘えられるのは親の醍醐味みたいなものだ。そして、親に甘えられるのも子供のうちだけの特権だよ」

「……」

 気負いを簡単にへし折られて、ベアトリスは唖然とした。年頃の子供は、親の受けをよくしようと必要以上に気負ったりすることがよくあるが、そんなことは大人からしてみたらお見通しだった。

「ところで、君には夢はあるのかい?」

「夢、ですの?」

「そうだ、君の言うことは君の一族の義務であって、君の意思とは別個だろう。将来、なにかしたいことなどはないのかな?」

 自分が試されているようにベアトリスは思った。だが、将来の展望ならばちゃんとある。彼女は大きく息を吸い込むと、今度こそぎゃふんと言わせてやろうと、言葉を吐き出した。

「それはもちろん、クルデンホルフを世界一の大貴族に成長させることよ。今のクルデンホルフは大公国なんていっても、しょせんトリステインの一貴族。でも、いつかゲルマニアの都市国家群すら従えさせる名に育て上げて、わたしの名前を歴史に刻み込ませるの!」

 エーコとシーコが、その壮大な野望に拍手を送る。今度こそやったと彼女は思った。世界を目指す、これ以上大きな夢はあるまい。文句をつけられるならつけてみろ。

 だが、風来坊は微笑すると、ふんぞりかえるベアトリスに静かに言った。

「立派な心意気だ。しかし、君がその世界の女王になったとき、いったい何をしたいんだい?」

「え……?」

「頂点を目指す、それは立派なことだ。しかし競技ならともかく、王というものは到達点じゃない。そこでなにをしたかで、歴史に刻まれる名は大きく変わるんだ。君はもしかして、世界一になったらそれで終わりだと思ってたんじゃないのかい?」

「……」

「それに、君の選ぼうとしているのは茨の道だ。とてもひとりで登りつめられるものじゃない。つらいこと、どうしても我慢ができないこともたくさんあるだろう。そんなときには、助けてもらいたい人、慰めてもらいたい人が必要だ。そして最後に、その道を踏破して頂点に立ったとき、君は誰に「おめでとう」と言ってほしいのかな?」

「そ、それは……」

 口ごもったベアトリスは、無意識にちらりとエーコとシーコを見た。すると、風来坊はにこりと笑った。

「ならば、その人たちを大切にすることだ。大切な人を失うのは、我が身を切られるよりも痛い。そんな悲しい思いは、君にはさせたくない」

 風来坊はそう言うと、グラスに残っていたミルクを飲み干してカウンターに置いて立ち上がった。

「ごちそうさま。では、私はそろそろ失礼させてもらうことにするよ」

 テンガロンハットをかぶりなおし、風来坊はゆっくりと出口のドアに向かって歩き出した。

 だが、彼が扉を開ける前に、ベアトリスは彼を呼びとめた。

「待って! じゃあわたしはどうすればいいの? 悔しいけど、わたしはこれからどうすればいいのかわからない。子供にはなにもできない、夢もむなしいだけ、じゃあどうすればいいのよ!」

 信じていたものの虚構を打ち砕かれた、魂からの叫びだった。

 すると、風来坊は半分だけ振り返ると、視線だけはしっかりとベアトリスに向けて語ったのだ。

「言ったろう、子供には大人にない自由があると。迷ったときには、思い切って迷えばいい。君には友達がいる、気負わずに頼って、回りの大人に助けを求めればいい。世の中は、君が思っているよりも優しさのあるものだ」

「優しさ……?」

「そう、心を開いていろんな人と向き合っていくことだ。そうしているうちに、友達も増えていく。目に付いたことをひとつずつやっていって、世の中を知るといい。そのうちに、君にとって本当に大事なもの、かなえたい夢も見えてくる。ただ私としては、どうせ夢を見るならば、みんなのハートがあったかくなる、誰もがいっしょにハッピーになれる、そんな夢を見たいものだと思うね」

「まっ! あなたの名前は!?」

 きいと扉の音が鳴って、風来坊は消えていった。

 あとには、静まり返った店内と、夢を見ていたように呆けているベアトリスたちが残された。

 あの風来坊は、本当に現実だったのだろうか? 全員そろって同じ夢を見ていたと言われても、信じてしまいそうな気がした。

 

 夜の繁華街は、昼間に働いた造船所の人々でごったがえして、明日への活力を彼らに与えんと賑わい続ける。

 そのどこかでは、力仕事で腹を減らしきったギーシュたちが、かわいい女の子のいる店をはしごして悪酔いしていたり、モンモランシーたち女性陣が、帰ってきたらこらしめてやろうとタバスコ入りのワインを造ってほくそ笑んだりしている。

 

 だが、人間たちの幸福をねたましく感じ、その不幸を喜ぶ者たちの邪悪な計画は、人知れず始まりつつあった。

 倉庫街の一角に設けられたボーグ星人のアジト。星人はそこに一人の銃士隊員を誘い込んで捕らえ、破壊工作のための兵士として改造を施してしまった。

 透明なカプセルの中に、機械的な椅子に拘束されて意識を失わされている銃士隊員。見た目はなにも変わらないが、すでに体の内部にはボーグ星人によって機械が埋め込まれて、サイボーグへと改造されてしまっていた。

 その傍らに立つ全身銀色の金属質の体を持つボーグ星人は、改造が終了するとカプセルを解放し、拘束を解くと、彼女の意識を覚醒させた。

「目覚めたな。娘、私はボーグ星人、今からお前は私の忠実なしもべとなって動くのだ。わかっているな?」

「はい……」

 隊員はうつろな表情でうなづいた。

「よろしい。お前は一見では人間のままのようだが、心は完全にボーグ星人のものになってしまったのだ。お前はこれから、銃士隊隊員としての立場を最大限に利用して、この街ごと人間どもの作っている船を破壊してしまうのだ」

 再び隊員はうなずくと、椅子から立ち上がって、星人から工具箱のような小さなケースを受け取った。

「その中には、強力なプレート爆弾が八つ入っている。爆破時間は、明日の夕刻に作業員が入れ替わるそのときだ。さあ命令だ、タイムリミットまでにそのプレート爆弾を要所に仕掛けろ。ゆけ!」

「はい……」

 命令を受けた隊員は、プレート爆弾を仕込んだケースを持って、アジトである倉庫から出て行った。

 見送ったボーグ星人は、笑っているのか肩をゆすってくぐもった声を出している。

 そこへ、歳若い少女の声が星人に話しかけた。

「星人さま、それではわたしも失礼させていただきます」

「ぬ? まだいたのか、さっさと消えるがいい。くれぐれも、作戦が露呈するようなボロはだすなよ」

 それは、この作戦の要である銃士隊員を拉致するための囮として使うようにと、ヤプールから使うように命じられたスパイであった。ボーグ星人は人間への変身能力を持っているが、人間らしさを表現する演技力には乏しかったので、怪しまれないための代理が必要であったのだ。

 少女は星人に一礼すると、アジトから出て行った。その見た目やしぐさは完全に人間のものであり、身につけている高級感のある衣服や、メイジのあかしであるマントもあいまって、知らない者が見たら完全に彼女を貴族と思い込んでしまうだろう。

 実際、あの銃士隊員も人間としか思わず、まんまとだまされて連れてこられてしまったのだった。超獣か、それともヤプール配下の星人が変身した姿なのか、素性を教えられなくて不愉快ではあるものの、役には立った。

 少女が出て行くと、入れ替わりに今度はひとりの老人が入ってきた。顔を仮面で覆って、素顔はわからないものの、身なりの優雅さからかなりの高級貴族であることだけはわかった。

「首尾はどうだ? ボーグ星人」

「上々、と言っておこう。明日にもこの街は、住人ごと吹っ飛んでしまっていることだろう」

「ふふ、奴らもまさか、仲間の手によって爆弾が仕掛けられるとは思ってもいまい。ウルトラマンAも、今度ばかりは防ぎようがないであろうな。ふっふふふ」

「うれしそうですな」

「うれしいとも、奴に傷つけられた我が身の再生も成り、やつへの怨念ははちきれんばかりに渦巻いている。復讐の日は近い……だが、その前に人間どもの希望も摘み取っておかなくてはな」

「成功は保障されております。ご安心を」

 ボーグ星人は気のない声で言った。この男は、ヤプールの使者として遣わされた、自分にとっては上司にあたるが、ボーグ星人にも侵略星人としてのプライドがあるので、ヤプールから頭ごなしに命令されるのは気に食わなかった。

 だが、男はボーグ星人の不満を感じ取ったのか、どすぐろい声で星人に告げた。

「ボーグ星人、裏切るなよ。ウルトラセブンに敗れ、怪獣墓場を魂だけでさまよっていたお前を蘇らせたのは誰だったのか、忘れてはいるまいな?」

「……もちろんですとも」

「ならばよい。くっくっく……それにしても人間というものはつくづく愚かよ。子供と見ればそれだけで油断してしまう。無邪気な顔の下に、どんな素顔が隠されているのもわからずにな」

 ボーグ星人でもぞっとするほどの邪悪な笑い声が、アジトの闇の中に流れた。

 

 

 続く



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第69話  東方号爆破指令

 第69話

 東方号爆破指令

 

 甲冑星人 ボーグ星人 登場!

 

 

 幻のような夜が明けて、その日も太陽は当たり前のように東の空から現れた。

「朝……ね」

 造船所にある、艦長のような高級士官が宿泊する宿。その一室で、ベアトリスは窓から差し込む光で目を覚ました。

 シングルのベッドルームで、自分の手でカーテンを開けると、刺すような陽光が全身を照らして眠気を覚ましていく。続いて呼び鈴を鳴らすと、メイドがやってきて着替えを手伝わせてダイニングルームにやっていくと、エーコたちがすでに起きて待っていた。

「おはようございます。姫殿下」

「ええ、おはよう」

 テーブルの上にはすでに朝食が用意されていて、四人はそれぞれの席に着いた。

 それはいつものとおりの、当たり前の風景。

 だが、今日の風景はいつもとは違っていた。祈りの言葉を唱える前に、ベアトリスの目に入ってきたのは、額を白い包帯で痛々しく巻いたシーコの顔だった。

「シーコ、怪我の具合はいいの?」

「えっ? はい、昨晩寝る前に宿の医者に診せましたら、水の秘薬に頼るよりも自然に治るのを待ったほうが傷口が小さくなるそうです。もう痛みもありませんし、大丈夫です」

「そう、よかったわね」

 そう言ったものの、ベアトリスは複雑な思いだった。目が覚めたときは夢かと思ったものの、昨日のことはやはり現実だった。

 気まぐれで立ち寄った酒場での平民たちとのいさかい、その窮地を救ってくれた不思議な風来坊。

 そして……彼との話の中で聞いた、自分の中の価値観が崩れていく音。

 疲労と心労から、ベッドに崩れ落ちて睡魔に身をゆだねる直前、一晩ぐっすり眠れば忘れているかもと思ったが、やはりそうはいかなかったようだ。

「姫殿下? 具合でもお悪いのですか」

「いえ、なんでもないわ」

 知らないうちに顔に出ていたらしい。ベアトリスは、ごまかすように首を振って朝食をはじめた。

 とはいっても、本来ならば軍官僚が滞在する宿なので、昨晩の酒場に比べたら味気ないおかずしかない。軍人は質実剛健をむねとせよ……が、一応は建前であり、最近は軍費捻出のために建前が厳しく守らされているために、外から持ち込むことも示しがつかないからと断られた。

 ところが、今日は少しだけベアトリスの気分を明るくさせる材料があった。

「姫殿下、気分が乗らないときは少しだけ飲むのが一番ですよ。ビーコ、昨日のあれ出してよ」

「え? あ、わかったわ」

 シーコがビーコに言って出させたのは、一本のワインの瓶だった。それは、昨晩に寄った酒場で出されたもののひとつである。開けられずに飲み残されたそれを、ベアトリスが一人だけいっしょに飲めなかったビーコに「おみやげよ」と言って手渡したのだ。

 そのとき、ビーコは一瞬あっけにとられ、次いで目をむいて驚いた。

「えっ! わ、わたくしのためにわざわざ? ええっ!」

「なによ、せっかく人がプレゼント持って帰ったのにその態度。いらないならいいわよ」

「いっ、いえそんなことはありません。ありがたく、ちょうだいいたします」

 驚いたのも無理はない。いろいろとまかせてくれる腹心という自負はあっても、厳然たる身分の差は変わらない。せいぜい、お気に入りの部下という認識がせいぜいだろうと思っていた彼女にとって、それは大きな衝撃であった。

 だが実は、内心でベアトリスも大きく驚いていた。本当のことを言えば、ベアトリスにビーコのために手土産を用意するつもりなどはなかった。このワインは、ミシェルがこっそりと用意していて、別れ際にベアトリスにビーコに渡すように言って手渡していたのだ。

 当初はベアトリスは乗り気ではなかったが、確かにビーコの労をねぎらうのに無駄になるまいと言うとおりにした。それが、たかがワイン一本でここまで大きな反応を呼ぶとは思わなかった。ものはささやかでも、細かな相手への気配りが喜ばれることを、ベアトリスは学んだのだった。

 小さなワイン瓶の中身は、四人で分け合うとからっぽになった。しかし一杯ずつとはいえ、黒パンと、栄養価は高いが調味料のたいして使われていないスープという、年頃の少女の口にはどうしたって合わない食卓にいろどりを与えてくれた。

 

 食事を終えてしばらくし、身なりを整えた四人は宿の外に出た。そこには、昨日と同じようにミシェルが銃士隊員たちと待っていた。

「おはようございます。ミス・クルデンホルフ」

「ええ、おはよう」

 規則正しく敬礼するミシェルは、ベアトリスに覇気がないなと思った。やはり昨日のことがまだ響いているらしい。あれだけのショックをいっぺんに与えられれば当然といえば当然だ。自尊心と高慢さが美麗な人形に宿ったかのような彼女が、視線を足元に下げて考え込んでいる様は、ともすれば肩を叩いてはげましてやりたい欲求にかられる。

「ミス・ミラン、わたくしの顔になにかついているのかしら?」

「いいえ、それでは本日も我らが護衛つかまつります。よろしくお願いいたします」

 内心でどう思っても、それを顔に出さない経験は積んでいる。人から見たらお堅い騎士のイメージを崩さずに、ミシェルは部下たちを連れて、昨日と同じようにベアトリスの護衛について出発した。

 

 造船所は、昨日と同じように賑わっていた。人々の波は昨日見たときと変わらず、新・東方号こと戦艦大和も、城郭のごとき偉容を変わらずにそびえ立たせていた。

 だが、そこを歩くベアトリスたちの足取りは違っていた。昨日は道行く人を押しのけて、邪魔だとばかりに轟然と進んでいたのと一転して、道のすみを遠慮しているようにゆっくりと歩んでいた。

 それに、各所を視察するときの態度も昨日とは豹変していた。どことなく落ち着かず、スケジュールと遅れている箇所があっても、せいぜい急いでねと言うくらいで居丈高に急がせていた昨日とは打って変わっている。そのため、昨日彼女からクビを宣告された工場長などはミシェルに小声で「姫殿下には双子の妹がおられたのですか?」などと、本気で問いかけてきたほどであった。

 存在しない別人の出現を、ある者には本気で信じさせたほどのベアトリスの変貌。昨日までは、少女が虚勢と恫喝を駆使して精一杯背伸びをしようとしていたのが、今日はそれがなくなったことで、元々幼い容姿をしていることもあいまって、幼児のようにさえ小さく見えた。

 むろん、それは理由がないものではない。視察中の、常にまわりを気にするような態度、それにミシェルへの頻繁な問いかけが、それを物語っていた。

「ミ、ミス・ミラン、ここは……?」

「大丈夫です。昨日の酒場の客はいませんよ」

 必死で強がってはいるものの、おびえを隠せない様子のベアトリスにミシェルは言った。昨晩の、殺気立った平民たちに襲われたときの記憶が、外に出て平民たちに囲まれたとたんに一気に噴出してきたのだ。

 恐れを知らなかった彼女にとって、死の恐怖に直面した体験は大きかった。以前にも、パンドラ親子の事件の際に責任を問いかける生徒たちに囲まれているが、このときは相手も貴族であったし、大事にもいたらなかった。まったく未知の体験、特に恐怖は人間の記憶に強く残る。自転車に自在に乗れるようになった子供は、よく坂道で遊ぶけれども、一度こけてひざこぞうをすりむけばぴたりとやめる。

 現在でもベアトリスは別に平民をさげすむ姿勢は変えていない。しかし、平民が貴族の前では必ずしもおびえる羊ではないということを知った今では、彼らの隠した牙がいつ自分に突き立てられるかとどうしても考えてしまう。

 もしも、街中の平民が自分に敵対したら……それに、昨日酒場にいた平民の口から昨晩のことが知れ渡っていたら? 

 隠れて誰かが笑っているような、どこかで誰かが仕返しをしようと狙っているような……考えるまいとするほど気にしてしまう。

 そんな様子がさすがに見て置けなくなったのだろう。シーコが心配そうに彼女に言った。

「姫殿下、顔色がよくないですよ。宿に戻って大事をとられますか?」

「い、いえ大丈夫よ。心配しないで」

 プレッシャーに負けて引き下がるのは嫌だというプライドだけが、かろうじて今のベアトリスを支えていた。しかしそれでも、心労からか冷や汗がすごいのは傍目でわかる。すると今度は、ビーコが少し迷った様子を見せた後にベアトリスに進言した。

「そうだ殿下! でしたら、公務が終わった後に街の外に出かけませんか? この川を下ったところに絶景地があるそうですよ」

「え?」

「ちょっとビーコ! あなた急になにを言い出すのよ?」

 唐突なビーコの進言に、ベアトリスより先にエーコが口を挟んだ。しかしビーコは構わずに言う。

「きっと人の多いところにずっといて疲れてしまったんですわ。馬乗りをして、人のいないところで気晴らしすれば治りますよ。

夕方になる前に出かけましょう。ねっ! そういたしましょう」

「え、ええ。それもいいかもしれないわね」

「ビーコ、あなた……」

 街から離れれば、確かに気分も少しは晴れるかもしれないと、ベアトリスはビーコの進言を受け入れた。

 シーコが収まりの悪い緑髪を揺らして、では出発は工員の勤務の交代時間が来てごったがえす前に出かけましょうと、妙にうれしそうに予定を決めた。しかし、ビーコはなぜか厳しい目つきで睨んでくるエーコから、垂れ目を伏せて逃げるように視線を反らしている。その三人の奇妙な態度の違いに、平静でないベアトリスは気づくことができなかった。

 

 視察は続き、新・東方号の建造は多少の遅れはあれども、許容範囲であることがわかってきた。

 だが相変わらず、ベアトリスの元気はない。まるで抜け殻のような、そんな印象さえある。

 そんなときであった。ある工場で、昨日酒場でベアトリスを襲った男とよく似た工員がいた。その顔を見たとたんに、なんとか気力で抑えていたベアトリスの心のたがが一気に外れてしまったのだ。

「ひ、ひぅぅっ」

 殺されかけたときの恐怖がフラッシュバックし、気を失いかけたところをビーコとシーコにかろうじて支えられた。

 あとは、ほとんど形式的な挨拶しかできずに、逃げるように外に出てくるしかできなかった。

 そのとき、ミシェルが彼女の肩を叩いて、穏やかな声色で言ったのだ。

「姫君、少し静かなところで休憩いたしましょうか」

 ミシェルはそう言い、工場の休憩室にベアトリスを誘った。業務時間中なので人はほとんどおらず、ひっそりとしている。

 ベアトリスはそこで、普段なら毛嫌いする粗末な椅子とテーブルにつき、使い込まれたコップに注がれた、ただの水をもらって飲んだ。

「ふぅ……」

「落ち着かれましたか?」

「ええ、少しは」

 人のいないところに来たおかげで、張り裂けそうだった胸の動悸も少し収まっていた。

 まったく、情けない……ただの平民を恐れてのこの有様、昨日までの自分ならば考えられもしなかった。

 ベアトリスは、自分で自分のふがいなさ、無様さを呪った。相手はたかが平民、頭ではわかっていても心が言うことを聞いてくれない。

 こんな有様では、父と母に顔向けもできない。社交界に噂が流れれば、それこそ身の破滅だ。

 どうすればいいのよ! どうすれば……

 自分の心の傷をどう癒したらいいのかわからずに、ベアトリスは頭を抱えて苦悩した。

 そこへ、じっと見守っていたミシェルが静かに声をかけた。

「姫君、平民が怖くなりましたか?」

「なっ! なにを無礼な。わたくしを誰だと」

「私は没落貴族の出身でしてね。姫君より、五歳ばかり幼いときに天涯孤独の身になりました。突然豪華な邸宅から、路上に放り出されたときの、平民たちの目つきは忘れません。ですから、姫君の気持ちはわかるつもりです」

「……」

 ベアトリスはまさかと沈黙し、エーコたちも驚いた様子で息を呑んだ。

「たぶん、今の姫君には平民たちが得体の知れない怪物に見えているんでしょうね。いつ恐ろしい武器を持って、襲い掛かってくるかもしれない怖い相手だと……でもね、それは平民たちも同じなんですよ。彼らには、貴族はいつ恐ろしい魔法を使って襲ってくるかわからない怖い相手なんです」

「それは、貴族は平民を統治するものだから……」

「平民たちはそうは思いませんよ。熊や狼に襲われて、黙って身を差し出す羊がいますか? それと同じことです。弱い平民にとって、強い貴族は畏怖と敬意だけでなく、恐怖と憎しみの象徴なんです。姫君は、昨日はじめて強者から弱者の立場に立たされた。だから、その感情をどう扱ったらいいのか、わからないんですよ」

 確かにそうかも知れないと、ベアトリスは思った。平民の立場、弱者の立場、考えたことも無かったが、強制的にそこに立たされた今ならばわかる気がする。

 ちらりと顔を上げてエーコたちを見る。彼女たちも、こんな恐怖を味わったのだろうか?

 記憶を掘り返してみる……自分が魔法学院でさらしものにした怪獣の子供にも、こんな恐怖を味わわせてしまったのか?

 しかし、あの怪獣の子はそんな自分を許してくれた。もし自分ならば……

 ベアトリスは、自分の器のせまさが情けなくなった。こんな簡単なことにも気づかずにいた自分が、呆れるほど間抜けにしか思えない。

 自己嫌悪の泥沼の中で、ベアトリスは足をとられて立ち尽くしていた。なんとなしに記憶の底にしまいこんできたことが、時間が過ぎてから思い出して恥ずかしくなることはよくある。しかしそれは、当人が成長して視野が広くなったから起こることなのだ。それは当人にとって、悪いことではない。

 ミシェルは、ベアトリスが自分と向き合っていることに、この子もちゃんとした大人になろうとしているのだなと思った。

「なにかほかにも思うこともあるようですね。でも、それは聞かないでおきましょう。たぶん、言いたくないことでしょうから」

「……ねえ、ミス・ミラン」

「なんですか?」

「あの風来坊は言ったわ、君は子供だって。悔しいけど、今はそのとおりだと思う。じゃあいったい、どうすれば大人になれるの?」

 それは冗談でもなんでもなく、彼女なりの真剣な問いかけだった。十代の中ごろは、大人と子供の境目で、それぞれが自分がどちらに位置するのか悩んで右往左往する。しかし、大人びるやつはたいてい子供なのだ。それがわかったベアトリスに、ミシェルは答えた。

「さあ、それには明確な境界線というものはありませんから、一概には言えません。というよりも、そんな方法なんかないと言ってしまっていいと思いますよ。ただ、強いて言えば方法はひとつです」

「それは?」

「いろんな人間を見て、聞いて、感じることです。姫君はまだ、あなたを姫殿下としてしか見ない人間としか触れ合ったことがありませんから、姫としての自分しかない。けれど、いつかあなたが父君から独り立ちするときにはそれでは足りません。男でも女でも、大人でも子供でも、貴族でも平民でもいいから、人間を見ることです」

「人間を……見る?」

「ええ、この世に同じ人間はふたりといません。そうして、悪い人間ならばそうならないように、良い人間ならば見習って、少しずつあなた自身を組み上げていけばいい。特に、あなたが付き合ってこなかった人間たち、つまり平民とね」

「なっ! このわたくしに、平民と付き合えとおっしゃるの」

「そうしなければ、いつまで経ってもあなたは背中から迫る恐怖に悩まされ続けますよ。恐怖は忘れたつもりでも、記憶の底から消えることはありません。打ち消すには、根源と戦って勝つしかないんです」

 厳しいミシェルの言葉に、ベアトリスは気圧された。精神的外傷、いわゆるトラウマは忘れようと思うほど強く表れる。平民を見るたびに恐怖を蘇らせていたのでは、とても生きてはいけないだろう。

 しかし、怖いものは怖いのだ。勇気が出せずに苦悩する彼女に、ミシェルは今度は優しげに言った。

「ひとりで立ち向かえないなら、助けを求めればいいんですよ。私も以前は、ひとりで全部背負い込むつもりでしたが、人一人でできることなんてたかが知れてるんです。あの風来坊も言っていたでしょう? 人を頼ってみろと。あなたは、ひとりじゃない。すでに助けてくれる人がそばにいるじゃないですか」

 その言葉に、ベアトリスはエーコたちを見返した。彼女たちは、どことなく照れくさそうに視線を反らしたりしている。彼女たちも、年齢的にいえばベアトリスと差はない。話に参加してこなかったのも、彼女たちも自分が大人か子供か、はっきりとした自信が持てなかったからだ。

 主従ではない対等な存在……彼女たちはそれになってくれるのだろうか。

 だがそれでも、トラウマと向き合うのは並大抵の勇気では無理だ。他者から見れば、呼吸するように簡単なことも、それが人生の大壁であることもあるのである。

「でも、貴族と平民が対等に付き合うなんて、そんな常識はずれなことできるのかしら……」

「できますよ。どちらも同じ人間なんですから……でしたら、まず私があなたの四番目の友人になりましょうか?」

「あなたが? でも、あなたは銃士隊の副長でしょう」

「友人に立場の違いなんてありませんよ。それに私は、貴族の称号は持っていますが、心は平民のそれに近いです。仲間たちは皆平民、気心は知れてますからあなたに危害を加えるようなことはしません。ただし、友人として付き合うなら、命令をしても聞きませんけどね」

「……なぜ、あなたはわたくしにそうまでしてくださるのです?」

「昔の私を見ているようで、ほっておけなくなったからですよ。暗闇の中で行く先を見失い、さまよっているところが」

 言ってみて、ミシェルは自分が才人と同じことをしているんだなと気がついた。立場は違えど、人生で迷子になった者同士。暗闇の中での光、道しるべ、自分が誰かにとってのそれになれていることが、不思議な暖かさを胸の奥にともらせる。

 優しさとは、誰かから与えられるだけでなく、誰かに与えることでも暖かくなれる。与えられる者から、与える者へ、ミシェルは自分で言っておきながら、これが大人になるということなのかなと思った。

「まあ、私たちとあなたでは友人というよりも、歳の離れた姉妹のように見えるかもしれませんね。ふふふ」

「な! わたしが人より小さいって言いたいの! 黙って聞いてれば成り上がりのにわか貴族が、分をわきまえなさい」

「身分で言えば、私は王家の近衛の副隊長ですよ。まあ、そんなことはこの際どうでもいいです。単純な世の習い、年下は年上の言うことを聞くべきと教わりませんでしたか? ここはおとなしく、人生の先輩の言うことを聞いてなさい」

 未熟な恫喝などまったく通用しなかった。ミシェルの部下の隊員たちも、副長の妹ということは私たちの妹なのしらと、おもしろそうに笑いかけてくる。

 恐れるどころかかわいがられてしまい、ベアトリスはミシェルや銃士隊を平民あがりの騎士ごっことなめていたと気がついた。くぐってきた修羅場の数がそもそも違う、熊を噛み殺す狼が狐に吠え掛かられたところで、子犬にじゃれられているくらいにしか感じないだろう。

 クルデンホルフの権勢が通用しない相手が、この世にこんなにいるとは思わなかった。家を出てくるとき、彼女の父であるクルデンホルフ公爵は、この国には三つだけ喧嘩を売ってはいけない相手がいると厳命したのだ。

 ひとつはトリステイン王家、次に宰相マザリーニ、最後に伝統と格式に右に出るもののないラ・ヴァリエール公爵家。

 しかし現実はどうか? 平民たちの中にさえ、恐れない者、逆襲してくる者がいる。追い詰められたネズミは猫を噛む、そしてネズミの牙の毒は猫を殺すことさえある、さらにネズミの中には猫などひと噛みで殺す狼さえいると、体験からようやくベアトリスは悟ったのだった。

 だが、逆に考えれば、味方につければこんなに頼もしい存在はない。自分が世間知らずの弱者に過ぎないというのなら、必ず見返してやると、ベアトリスは負けん気を振り起こして決意した。

「ミ、ミス・ミラン……えっと」

「友達になりましょう」

「と、友達に、な、なりましょう」

「ええ、喜んで」

 ミシェルは笑い返すと、ベアトリスの手を取って握手をかわした。ベアトリスのほうは、緊張しているのか愛想笑いが引きつっている。

 まあ無理もない、彼女にとって身分を超えた対等の付き合いなど、今の今まで想像の範囲外だったのだ。

 それに、彼女はまだ友情というものを半分も理解してはいまい……だがそれでいい、はじめから百点満点を生徒に期待する教師は、自らこそが教師として零点だということに気づいていない真性の馬鹿者だ。

 ミシェルたちはそれから、エーコたちとも握手をかわして親交を深めていこうと願いあった。こちらは平民に近い生活をしていたから、決まってしまえばエーコやビーコは渋った顔をしていたものの、貴賎は少なかった。

 これからミシェルにとってもベアトリスにとっても、手探りで互いのことを探っていくことになる。

 ミシェルは才人にしてもらったように、ベアトリスが道を踏み外していかないよう道しるべとなりながら、そしてベアトリスは自分の知らない世界を勉強していくために。

 

 そうして、不器用な友情の第一歩を刻んだ大人と子供たちは、元気を取り戻して構内の視察巡回に戻った。

 しかし、東方号の水蒸気機関に使われる、特性の金属シャフトを試作中のある工場に立ち寄ったときのことである。そこでミシェルは、ここにいるはずのない人間を見つけて、思わず声をかけた。

「ん? おい、お前サリュアじゃないか! どうした? なぜここにいる」

 彼女はミシェルの部下の銃士隊員で、別のところで警備任務についているはずであった。ここは、彼女の担当区とは正反対の場所にある。持ち場を守ることが基本である軍人が、用もなく別の場所にいることなどありえない。

「副長……」

 ミシェルに呼び止められたサリュアという隊員は、工場から出ようとしていたところで立ち止まった。だが、振り返った彼女は、病人のように目つきのくぼんだ生気のない表情をしていて、驚いたミシェルは厳しく言いとがめた。

「持ち場はどうした? 異常が起きたら報告に来るのが規則だろう」

「たいしたことではありません……向こうが工事に入りましたので、その間ほかのところを見回っておこうと思っただけです。では……」

「おっ、おい!」

 サリュアはきびすを返すと足早に立ち去っていった。そのあまりにもそっけなく、無感情な態度に、見ていたベアトリスは呆れたように言った。

「ずいぶんと陰気な人ですわね。わたしへのあいさつもありませんでしたし、部下の教育がいきとどいていないんじゃありませんの?」

「いや、サリュアは隊内でも陽気な性格なのに……まるで別人だ」

 記憶にあるサリュアは、剣の腕は隊内では並のほうではあるが、明るくお人よしな性格の持ち主であった。困難な任務の途中で皆がくじけそうになっても、楽天的にはげましてまわり、誰からも好かれる陽気な子のはずなのに。

「あの目、まるで死人のそれだ……姫君、すいませんが予定を変えさせていただきます!」

「えっ! 突然、どこに行くっていうの」

「サリュアを追います。なにか、嫌な予感がする!」

 確証があったわけではないが、それは騎士として幾多の戦場を生き抜いて身につけた直感とでもいうべきものだった。ミシェルは走り出し、三人の部下も彼女を追う。ベアトリスは置いていかれそうになり、慌てて後を追って走り出した。

「まっ! 待って! わたしを置いていくんじゃないわよ」

「ひ、姫殿下! ま、待ってください」

 ベアトリスは小柄なぶん、人ごみの中では足が速い、エーコたちも必死で追うけれど、着いていくのだけで精一杯だった。

 そうして、ミシェルたちに追いついたベアトリスは、尾行に無理矢理同行することにした。むろんミシェルたちは、目立つベアトリスたちを連れて行きたくはなかったし、エーコたちもやめるように説得した。だが、ここでミシェルたちとはぐれることをベアトリスは絶対避けたかったので、がんとして了承しなかった。

 そうしているうちにも、サリュアはどんどん先へと行ってしまう。やむを得ず、ミシェルはベアトリスたちを連れたままで後を追ったが、やはり様子が変なことに隊員たちも気づいてきた。

「副長、あれは本当にサリュアなんでしょうか? 確かにあいつは腕の立つほうじゃありませんが、あまりに無警戒すぎますよ」

「ああ、こんな目立つ尾行に気づいた様子もない。それに、あいつどこへ行くつもりだ? この先は使われていない倉庫街しかないぞ」

 次第に疑惑が大きく膨らんでいく。普段と様子がまるで違う仲間、サリュアの身になにかが起きたのか?

 後を追いながら考えたのは、魔法で操られるか摩り替わられている点だ。水魔法には、ほぼ完全な洗脳を可能にする『ギアス』という禁術もあることだし、見た目だけなら『フェイスチェンジ』で真似できる。だが、どちらも考えてみたら可能性は低いといわざるを得ない。

 ギアスをかけられた人間は、親しい間柄ですら変異を見抜けないほど洗脳が完璧だというし、フェイスチェンジで成り代わるのならば元の性格に似せる努力はするものだ。

 あれでは、どちらにせよすぐに怪しまれてしまう。それでも構わないとしたら、なにが目的なのだ?

 サリュアはどんどんと人通りの少ない道に入っていき、ついにはほぼ無人の倉庫街にやってきた。

「こんな場所で、あいつなにを?」

「しっ、止まったぞ」

 なんの変哲もない、朽ち始めた材木が目立つ倉庫の前でサリュアは止まった。鉄製のさびた扉は、彼女の前に錠を下ろしたままで聳え立っている。

 鍵を開けるのか? 一行は物陰から息をひそめて様子をうかがった。

 だが、彼女たちの予想はまったく思いもかけない形で裏切られた。施錠されたままの鉄の扉に、何気なく歩み寄ったサリュアの姿が、扉の中に溶け込むように消えてしまったのだ。

「なっ! 消えた」

「馬鹿な! 人間が消えるなんて」

 目を疑ったが、全員が同じものを見ていた以上は錯覚ではなかった。

 しかしこれで、サリュアが正常でないことははっきりした。ミシェルは指揮官として、怒りを覚えるとともに、これからの判断を迫られた。すなわち、このまま突入するか、万全をきして応援を呼ぶかである。

「副長、ご指示を」

 二者択一、どちらかを選ぶならば足手まといもいることだし、ここは見張りをつけて引き返し、全部隊を持って突入するのが正解に思える。

 だがミシェルはあえてリスクを承知で打って出ることを選択した。こういう場合、時間をロスして機を逃すことがなによりも恐ろしい。もうすぐ工員の勤務交代の時間が来て構内がごったがえす中、部隊を集結させて動かすだけで大きく時間を食ってしまう。その間に逃げられてしまっては意味がない。

「突入する」

「了解!」

 戦闘配備の命令を受けて、三人の隊員たちも手持ちの銃をいつでも撃てるように準備する。危険な賭けだが、さいを振ったからには彼女たちは迷わなかった。

「姫殿下たちは、ここでお待ちください。いいと言うまで、決して動いてはいけませんよ」

「わ、わかったわ」

 ベアトリスたちを物陰に残して、ミシェルたち四人はサリュアの消えた倉庫の前に立った。

 扉を閉ざしている錠をミシェルの錬金で壊し、二人の隊員が扉に手をかける。

「いくぞ……開けろ!」

 さびた鉄がこすれる嫌な音を立てて扉が開く。口を開けた闇の中に、ミシェルは先頭を切って飛び込んでいった。

 

「サリュア! どこにいる」

 

 銃を油断なく構えて、広い倉庫の中を見渡す。入り口から差し込んでくる光が、中の闇を打ち消してゆく。

 サリュアはその中で、こちらをぼおっと見ながら立っていた。

「サリュア、こんなところでなにをしている? 説明してもらおうか」

「副長……」

 銃を突きつけられているというのに、まるで動じた様子がない。もう間違いはない、ミシェルはこのとき、相手がたとえ部下であろうと射殺する覚悟を決めた。しかしそれはあくまで最終手段だ。その前に、サリュアの後ろになにがいるのかを白状させなければならない。

「答えろ! お前はここになにをしに来た? 五秒以内に答えなければ撃つ」

「副長、よくぞ気づかれましたね。さすがです……ですが手遅れでしたね。あと十数分もすれば、この造船所は私の仕掛けた八つのプレート爆弾によって跡形もなく吹き飛んでしまうでしょう」

「なっ! なんだと!?」

 愕然とするミシェルたち。あと十数分で街が吹き飛ぶ? とてもじゃないが、知らせる時間も爆弾を探す暇もありはしない。

 しかも、血の気を失ったミシェルたちに、サリュアは剣を抜き放つと愉快そうな笑い声をあげた。

「ご心配なく、この場所にいれば爆発の被害からは免れられます。ですが、あなたがたは爆発を待たずにここで始末をつけてあげましょう」

 高速の斬撃がミシェルの首筋を狙った。

 速いっ! 反射的に身を引いてかわすものの、返す刀で銃が切り落とされてしまった。予備の銃や魔法を唱える余裕はない。

 抜剣して迎え撃つミシェル、銃士隊正規装備の鉄剣同士がぶつかって火花をあげた。

「ぐっ! 重い」

 一太刀ですさまじい剣圧だった。まるでオーク鬼のこんぼうを正面から受けたような衝撃、腕力では自分のほうが勝っているはずなのにはじきとばされてしまう。衝撃が強すぎたあまり、鋼鉄でできているはずの剣が二人とも大きく歯こぼれしてしまった。

 連続攻撃を仕掛けてくるサリュアを、ミシェルは持ちこたえるだけで精一杯だった。隊員たちは、ミシェルに当たる危険があるので銃での援護射撃はできない。しかし、ほっておくこともできないと剣を抜いた。

「副長、今助けます!」

「よせっ! お前たちじゃ無理だ」

 止める間もなかった。ミシェルを弾き飛ばしたサリュアは、一対三の状況にも関わらず、目にも止まらない剣技で瞬く間に三人を倒してしまったのだ。

「お前たちっ!」

 切り結ぶ余裕さえなかった。三人とも、はじかれた剣が床に落ちるよりも早く崩れ落ちた。

「うっ、ああぁっ!」

 恐らく三人は自分の身になにが起こったのかすら、まともに把握できなかったに違いない。制服を切り裂かれ、苦痛に耐えているものの、とても動ける傷ではない。いや、サリュアの剣がミシェルと切り結んで痛んでいなかったら、全員苦痛を感じる間もなく絶命していたに違いない。

「これで残るは、あなただけ」

「きさまぁっ!」

 激怒したミシェルは全霊の力で剣を振り下ろした。下段からサリュアの振り上げた剣が激突し、疲労が重なっていた二人の剣は双方とも柄から乾いた音を立ててへし折れた。

 武器を失った二人は徒手空拳での戦いに即座に切り替えた。銃を取り出す一瞬の隙が命取りになるからだ。

 力では負けても、技ではミシェルに一日の長がある。先手をとったミシェルの拳が、サリュアのみぞおちに深く食い込んだ。だが、人体の急所に深く当たったはずなのにサリュアはびくともせずに、逆にミシェルの首筋を捕まえると、片手で持ち上げて締め上げてきた。

「そ、そんな馬鹿な。サリュア、お前いったい。ぐぁぁっ!」

 人間の力じゃないとミシェルは思った。宙吊りにされ、サリュアの指が首に食い込んでくる。最後の力で、隠し持っていた銃を取り出そうとしたが、それも払い飛ばされた。

「や、やめろサリュア……」

 呼びかけてもサリュアは眉ひとつ動かさない。

 そこへくぐもった女の笑い声が響いた。そして、倉庫の闇の中から銀色の鎧人間、ボーグ星人が現れてくる。

「くくく、いくら呼びかけても無駄だよ」

「き、貴様は何者だ」

「私はボーグ星人、よくぞこの場所を突き止めたとほめてやりたいが、遅かったな。お前の仲間は、すでに私の忠実なサイボーグへと改造してある。お前の命令など聞かんよ」

「サ、サイボーグ?」

「体の中に機械を埋め込んで、我々の思うように動くようにしたのだよ。身体能力も極限まで引き出し、痛みも感じない。人間ごときの力では太刀打ちできまい」

 あざ笑いながら説明するボーグ星人に、ミシェルは全身の血液が沸騰する感じを覚えた。

「貴様! よくも人間の体をおもちゃのように!」

「どのみちお前たち人間は皆死ぬんだ、気にすることはない。一足早く、仲間の手に掛かって死ぬなら本望だろう?」

 サリュアの締め上げる力が強まった。絞め殺すどころか、首の骨まで折れそうな強さだ。

 だめだ、意識が持たない。そう思いかけたときだった。

「ミス・ミラン! いったいなにが起きてっ! きゃぁぁっ!」

 なんと、絶対動くなと言い含めていたはずのベアトリスが、無謀にも様子を見に来てしまっていたのだ。

 逃げろ、と喉元まで声が出るが、それは口から放たれることはない。ベアトリスたちはとっさに杖を取り出したが、星人がそれを見逃すはずはなかった。

「まだネズミがいたか、蹴散らせ」

 サリュアはミシェルを無造作に投げ捨てると、ベアトリスたちが魔法を使う前になぎ倒していった。

 エーコもビーコもシーコも、戦士ではないので一発で動けなくなって悶絶する。

 ベアトリスも顔面をしたたかに殴りつけられ、転がって鼻と口から血を流した。

「痛い、痛い……あぅっ!?」

 うつぶせに倒れたベアトリスの背中を、ボーグ星人は足蹴にした。

「ほぅ、これはこれは……なにがどうなっているのかは知らないが、妙な客だ」

 そのときボーグ星人は、侵入者たちを見回して妙に怪訝な声を出した。しかしすぐに興味を失ったようで、隔靴のベアトリスを見下ろすと冷酷に言い放ったのだ。

「まだ子供か、おとなしく隠れていれば助かる可能性もあったかもしれないのに。自分の浅はかさを恨むがいい」

「やめ、助けてぇ」

「死ね、人間」

 哀願するベアトリスを一顧だにせず、ボーグ星人は体重をかけていった。等身大時でも一八十キログラムの体重を持つボーグ星人に踏みつけられては、ベアトリスの華奢な骨格はとても耐えられない。

 やめろというミシェルたちの叫びと、ベアトリスの断末魔の悲痛な声がこだまする。

 そのときだった。

 

「そこまでだ、ボーグ星人」

 

 突然男の声が響き、ボーグ星人とミシェルたちはその方向へ振り返った。

 乾いた靴音を立てて、一人の男が倉庫の入り口から悠然と入ってきた。床に伏しているミシェルからは、逆光になってよく見えないが、特徴のあるつば広の帽子をかぶっているのだけはわかった。

”あの帽子は……まさか”

 足を止めた男が、すっと帽子を脱いだ。

「久しぶりだな、ボーグ星人。相変わらず姑息な作戦が好みのようだな」

 そのつばの下から現れた顔は、まさしくミシェルやベアトリスのよく知ったものであった。

「ふ、風来坊……」

 信じられなかった。なぜ、彼がこんなところにいるのか。

 しかし、驚愕の声は彼女たちからではなく、ボーグ星人から発せられた。

「バカな! なぜだ、なぜ貴様がこの時空にいるのだ!」

「お前に答える義理はない。それよりも、お前の気になっているものはこれだろう?」

 そう言うと、風来坊はポケットからジャラジャラという音を立てて、小さな円盤状の装置を複数つかみ出した。

「そ、それは!」

「悪いが、お前の仕掛けたプレート爆弾はすべて回収させてもらった。これでもう、この街が危険にさらされることはない」

「お、おのれぇ」

 ボーグ星人はうろたえ狼狽した。と同時に恐怖も湧いてくる、ヤプールが作戦失敗者を生かしておくとは思えない。かつてUキラーザウルス復活のために貢献したナックル星人も用済みになれば抹殺し、サイモン星のように滅ぼされてしまった惑星文明もある。

 このままでは確実にヤプールに殺される。恐慌したボーグ星人は、唯一生き延びられるかもしれない道を選ぶしかなかった。

「やれ、殺せ!」

 ボーグ星人の命令に従い、サリュアが風来坊に襲い掛かっていく。ミシェルは思わず「逃げろ!」と叫んだ。

 ところがどうか! 風来坊は年齢を感じさせる容姿からは思いもつかない身軽さで、容易にサリュアの攻撃をさばいていくではないか。

 サリュアのパンチもキックも、空を切るばかりでまるでかすりもしない。掴みかかろうとしたら、逆に腕をとられて投げ飛ばされた。

 あれはとても素人の動きではない。正式な訓練を受けた、拳法を習得しているれっきとした戦士の呼吸だ。

 業を煮やしたサリュアは、拳銃を取り出そうと腰に手をやった。しかし、それよりも早く風来坊の取り出した青い銃がサリュアに向いていた。

”あの銃、サイトの持っていたやつに似ている”

 ミシェルがそう思った次の瞬間、風来坊の青い銃から光弾が放たれ、サリュアの胸を貫いた。

「ぐぁっ」

「サリュア!」

「心配するな。エネルギーをしぼって、しびれさせただけだ。さて、次はどうする? ボーグ星人」

 たいして息も切らしていない風来坊が呼びかけると、いよいよ進退きわまったボーグ星人と風来坊の戦いが始まった。

「こうなったらかつての恨み、ここで晴らしてくれる!」

「そう思うなら、かかってくるがいい」

 ボーグ星人は、肉弾戦を得意とする宇宙人の中でもストロング系に入る星人だ。全身が鎧に包まれているような外観に恥じずに、パワーはサイボーグ戦士のサリュアをも大きくしのぎ、パンチは太い樫の材木を砕き、キックは石材を粉々に打ち砕いた。

 が、それだけであった。ボーグ星人の攻撃は、打てど放てど風来坊にかすりもしない。

「くっ、なぜだ! なぜ当たらない!?」

「私が貴様が死んで四十年ものあいだ、とどまっていると思ったのか? 昨日の私しか知らんお前は、今日の私には勝てん!」

 その瞬間、合気術にも似た投げ技が炸裂し、ボーグ星人は猛烈な勢いで床に叩きつけられた。

「ぐわぁ!」

 いくら全身を鎧で固めているボーグ星人といえども、これではたまらない。大きなダメージを受けて、よろよろと立ち上がってくる。奴は悪あがきのように、頭部から放つ破壊光線・ボーグレーザー光線を放ってきたが、軽くかわした風来坊から逆に銃撃を受けて倒れこんだ。

「もう終わりだな、ボーグ星人」

「ま、まだだ……まだ死ぬわけにはいかない!」

 そう言うと、ボーグ星人は最後の力を振り絞った。等身大の姿から、身長四十メートルの本来の姿へと巨大化したのだ。

 踏み潰してくれると、ボーグ星人は大きな足を振り上げる。

 ミシェルとベアトリスたちは、倉庫の屋根が破れ、吹きさらしとなった倉庫の中でほこりを浴びながら、もうだめだと覚悟した。

 しかし、風来坊は慌てた様子もなくボーグ星人を見上げているだけだ。

 そして彼は、手元の時計をちらりと見ると星人に背を向けた。

 その瞬間、ボーグ星人の背中で大爆発が起こった。紅蓮の炎が吹き上がり、星人の背後にあった倉庫が爆風でつぶされて、ドミノ倒しのように崩れていく。

 むろん星人も無事ではいられなかった。背中に風穴を開けられて、ボーグ星人は事態を理解することすらできないまま、振り上げた足の行く先を冥府の門へと切り替えて、地響きをあげて崩れ落ちたのだった。

「投げられたときに、自分の体にプレート弾をつけられていたことに気づくべきだったな。平静ならば気づいたろうが、怒りに我を忘れていたことがお前の敗因だ。ともあれ、これでかつての借りは返したぞ」

 振り返った風来坊の視線の先で、倒れたボーグ星人は背中から煙を噴き上げて、もう動くことはなかった。

 

 あまりにもあっけないボーグ星人の最期。それをたった一人でやってのけた風来坊は、倒れているミシェルやベアトリスたちを介抱し、ひととおりの応急手当をすると、ミシェルに言った。

「幸い、命に別状のある者はいない。ここに来る前に、衛士隊に通報しておいたから、じきに助けが来るだろう。それから、サイボーグにされた君の仲間は腕のいい医者に診せるといい。頭の中に小さな機械が埋め込まれている、それを取り出せば元に戻るはずだ。では、私は行くところがあるので失礼するよ」

「ま、待て……お前はいったい何者なんだ? 私たちの、味方なのか?」

「すまないが、まだ君たちに名乗るわけにはいかない。しかし、君たちが勇気を持って悪に立ち向かう心を持ち続ける限り、私は君たちの友であり続けるだろう」

 テンガロンハットをかぶりなおし、風来坊は文字通り風のように消えていった……

 

 

 続く



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第70話  プライド・オブ・レディース (前編) 

 第70話

 プライド・オブ・レディース (前編) 

 

 悪質宇宙人 メフィラス星人 登場!

 

 

 倉庫街で巨大化し、自爆して果てたボーグ星人。

 その遺体は自然と街の人々の関心を集め、衛士隊が周辺を立ち入り禁止にするまで黒山が続いた。

 しかし興味本位で見物にやってきている人間たちとは裏腹に、空の上から冷たい視線をボーグ星人に注いでいる者たちがいた。

 

「ボーグ星人め、口ほどにもないやつだ。自分の爆弾で自分が死ぬとは、その無様な姿が貴様にはお似合いだ。今度は永遠に怪獣墓場の闇の中をさまよっているがいい」

 作戦失敗に対して、ヤプールの態度は冷断そのものだった。もとより、いくらでも替えが効く捨て駒として蘇らせたので死んでも惜しくもなんともない。ましてや期待を裏切ったやつなどは、始末する手間がはぶけたとさえ思っていた。

「しかし、いったい何者がボーグ星人を倒したのか。やつめ、それぐらい知らせてから死ねばよかったものを……つくづく使えんやつだった」

 唯一気がかりだったのは、ボーグ星人が何者にやられたのかがわからずじまいだったことだ。恐らくは失態を最期まで隠しておきたかったのだろうが、おかげで不確定要素が残ってしまった。

 だが、ボーグ星人が倒されたからとて、打つ手がなくなってしまったわけではなかった。

 正面きって超獣で襲うことは簡単だが、それではウルトラマンAと人間たちに阻まれる。ならば破壊工作員を送って、内部から落としてやるまでのこと。そしてそれは、姦計を好むヤプールにとって、まさに願ったりな方法であった。

 ただし、まだ直接動く必要はない。自分の代わりになって動く、しもべの宇宙人はすでに用意していた。

 

「ウッハッハッハ! ようやくオレの出番か。待ちくたびれたぞ!」

 

 尊大な態度で、さらに大声で笑いながら現れた宇宙人を、ヤプールはつまらなさげに見返した。もっとも、異次元空間にたゆとうヤプールの実体は明確な形を持たず、赤紫色をしたとんがり頭ののっぺらぼうが揺らめいているようにしか見えないのだが、それでも肩をすくめて見せるくらいのことはできた。

「たいした自信だが、貴様もウルトラ兄弟に敗れて一度は死んだ身だということを忘れてはいるまいな。ボーグ星人は自らの死で失敗をあがなったが、貴様も失敗したら怪獣墓場に送り返してやるからな」

「フン! オレをあんなセコいやつといっしょにするな! 人間なんぞを改造したところでたいした役に立つはずはない。まったく、ボーグ星人などにまかさず、最初からこのオレにやらせておけばよかったのだ」

 無駄に自信にあふれた、黒い体をした宇宙人に対して、ヤプールはその半分も信頼を置いてはいなかった。

 この宇宙人は、数いる星人の中では五本の指に入る強豪の一族で、ヤプール自身もかつてはその同族と並んでウルトラ兄弟と戦ったことがある。その名はメフィラス星人、かつて同族が初代ウルトラマンとの戦いで引き分けて、宇宙大皇帝エンペラ星人の配下の四天王の一人であったこともある文句なしの強豪宇宙人だ。

 だが、強さに関しては文句をつける者はいない反面、性格に難がある者が多いために、力は認めても内心では毛嫌いしている星人もまた数多く、ヤプールもその例にもれてはいなかった。

「よかろう、超獣軍団を率いてこの世界を一気に攻め落とす日も近い。そのために、不安要素は徹底してつぶしておくのだ」

「むろんだ。そのときはオレも存分に暴れさせてもらおう。が、手始めに頭脳指数一万を誇るオレの作戦を見せてやる。せいぜい参考にするがいいさ。ウハハハハ!」

 品性などまったく感じさせない笑い声を残して、メフィラス星人はヤプールの前から消えていった。

「フン、せいぜいお手並みを拝見させてもらおう……今回はちゃんと見張りもつけていることだしな」

 作戦は事前に聞かされていたから問題はない。成功したら、ボーグ星人のやり方とは別な意味で東方号は飛べなくなるであろう。ただ、失敗したときに、その失態を隠されたら面倒なので、協力者兼監視役として、配下を数人奴の下に送り込んでおいた。

「あの者たちは、奴の立てた作戦には絶好の素材になる。奴はそれを使わざるを得まい……フフ、だが人間たちも、まさかこんな手段で自分たちが陥れられるとは思うまいて……クハハハ」

 ヤプールは、その作戦が発動したとき、人間たちがどれだけ狼狽し、そして絶望していくのかを想像して、暗夜の沼地から響いてくるような、暗く湿った笑い声を立てた。

 

 

 時は一週間ほどを経過し、再び造船所へ返る。

 

 この頃になると、ボーグ星人のせいで起きた騒ぎもだいぶ収まり、造船所は元通りの活気をせいしていた。

 コルベール指導の元で水蒸気機関搭載の翼も骨組みまでができ、新・東方号のほうでも取り付けのための事前工事が始まっている。

 特に、新・東方号に搭載する水蒸気機関は大きさを旧型の倍のスケールにパワーアップし、発数も双発から四発に増強されるために、各工場はそれぞれ腕を競い合っている。

 これは決してありえないことではない。旧・東方号は元となる船体が小さかったために、エンジンもそれに見合った大きさにする必要があったのだが、今回ベースとなる船体は大和である。事実上大きさの制限はないに等しいどころか、十五万トンの超重量を推進させるためには、旧型の馬力ではとても間に合わない。

 幸い、大きいものを小さくコンパクトにするのは難しいが、逆に小さなものを大きくするのは比較的容易である。出力もエンジン数を倍に増やせば単純に倍になる計算だ。コルベールが旧型の設計図を元に、一週間不眠不休で書き上げた新エンジンの設計図、それは文字通り彼の血と汗と涙の結晶と呼んでよい。ほおをこけさせて、設計図を書き上げたときのコルベールの姿に、才人は仕事に打ち込む人間の本当の姿を見たような気がした。

「コルベール先生、英雄って言葉はあんたのためにあるぜ……」

 かつて地球に、巨大な妖星ゴランが接近して地球滅亡の危機が訪れたときも、TACは兵器開発部の梶隊員を筆頭に、惑星間弾道ミサイル『マリア二号』をわずか一週間で組み立てるために死力を尽くしたと伝えられている。そのとき梶隊員は、メトロン星人Jrによって焼却された設計図を、自らの記憶のみを頼りに補填したそうだ。まさに、天才の頭脳と地球を守る強い意志が合わさったからこそ生まれた奇跡、コルベールの新・東方号のエンジンは妖星ゴランを見事粉砕したマリア二号の再来となるのだろうか。

 

 新・東方号本体のほうの作業も、外に負けずに頑張られている。

 船内の清掃作業もこの頃になるとだいぶんめどがついた。元々が三千人が乗り組む巨艦といえども、今度乗り込むのはせいぜい数百人だ。清潔に片付いた船内に、今度は大工や家具師が入って、人が住める環境に作り変えていった。

 

 一方で、掃除から解放されたギーシュたちは、来るべき日に備えて毎日を鍛錬にいそしんでいた。木造帆船であった旧・東方号でも、帆の上げ下げなどで大変な体力がいることを身を持って学んだので、その十倍以上ある巨大戦艦を動かすためには、今のままではすぐにへばってしまう。

 全長四百二十メイルの新・東方号の甲板を使って、水精霊騎士隊の少年たちは指導役の銃士隊員に怒鳴られながら走っていた。

「ほらそこ、足を下げるな! なんだお前ら、たった甲板十周駆け足でもうへばったのか」

「はい! 了解です!」

「声が小さい! 遅れた奴は容赦なく舷側から河中に叩き込むぞ!」

 苛烈さで知られる銃士隊の指導は、ともすれば自分を甘やかしがちな少年たちにはちょうどいい厳しさで、彼らの頭上に怒声を響かせていた。旧日本軍で、「月月火水木金金」といい、休日なしで猛訓練を続けたという殺人的な激しさにはさすがに及ぶべくもなかったが、半月ほどの猶予では基礎体力をつけるくらいしかできないだろうので、ひたすら筋力トレーニングにはげむだけで十分ではあった。

 日中みっちり体をいじめた少年たちは、若さゆえの元気さで、翌日には元に戻って日々体力作りを繰り返した。

 その熱心な訓練風景に、最初は教官役をしぶしぶ請け負っていた銃士隊員たちも、しだいに見方を変えるようになっていった。

「ふぅん、あの小僧ども、戦士としてはまるで役には立たんが、もうしばらくすれば船乗りの卵くらいにはなれるかもしれんな」

 強い目的があれば、人はそれに向かって全力で突っ走る。ギーシュたちにとっては、まずは敬愛するアンリエッタ姫の命令であることがくる。が、現在はそれと同じかそれ以上に、将来夢見ている将軍や元帥たちですら乗ったことのない超巨大戦艦のクルーになれるという、この上ない名誉が目の前にあったからだ。

「水精霊騎士隊、声出せーっ!」

「おおーっ!」

「ファイト! オーッ! ファイト! オーッ!」

 努力がむくわれる日を目指して、少年たちはカレンダーを指折りしながら毎日をひたすら耐えていった。

 しかし、彼らはよくも悪くも精気あふれる若者たちであり、若さが自分にとって仇になることがあろうとは夢にも思っていなかった。

 

 そんなある日のことである。彼らにとって、生涯忘れられないであろう、あの事件が幕を上げたのは……

 

 その日も、表面上は何事もない平穏な日常であったように思えた。

 朝起きて、銃士隊にしごかれて、昼飯を食って、また銃士隊にしごかれて、やがて日が西の空に沈んでいく。

 大和の甲板も朱に染まり、艦橋が作り出す影が数百メートル先にまで届くようになると、きつかった訓練もようやく終わりを告げられた。

「ようし、今日の鍛錬はここまでだ。全員整列!」

「教官方に礼! ありがとうございました」

 ギーシュたちは、日暮れと同時に解放されると、疲れを知らないかのように飛び出していった。あっという間に大和の甲板には水精霊騎士隊は一人もいなくなり、指導に当たっていた隊員は呆れたようにつぶやいた。

「やれやれ、さっきまで死にそうな顔をしていたくせに、あのバカどもめ……いったいどこにあれだけの元気が残っていたのやら」

 一応、素人に合わせて手加減してやっていたのだが甘かっただろうか? いや、鍛えていない人間ならば、へたばるギリギリの線にしておいたのだが、なんなんだあの連中は? まあ、貴族なのに平民の自分たち銃士隊におとなしく従ってくれて、訓練も熱心なのはいいのだけれど……

「よくわからないが、変わった連中だな」

 その隊員は、なにか晴れ晴れとしない思いを抱いたあとで、まあ子供が元気なことに悪いことはないかと、背伸びをして気分を入れ替えた。

 さて、子供のお守りもすんだことだし帰るとしようか、今日のディナーは川魚のソテーだっただろうか? 贅沢さはなくとも、空腹という最高の調味料がある以上、味に対する期待はいやがうえにも膨らんでいった。

 

 日は落ちて、代わりに月と星が優しく大地を照らす時間がやってきた。

 昼間を働く時間とすれば、夜は遊ぶためにあると言って否定する者は少ないだろう。特に、無駄に体力だけは有り余っている特定の連中からすれば、夜こそ本領を発揮できる時間だと言ってよい。

 さて、その特定の一味のリーダーである金髪で、薔薇の花がトレードマークの少年は、悪友たちを引き連れて夜の街を闊歩していた。

「よーし諸君! 今日もまたこのときがやってきたあーっ! こんな辺鄙な場所の男くさい街なんかには、ろくな娯楽もないものと最初は半ばあきらめていたが、探してみればこんな街だからこそ充実してるところもあるものだ。というわけで、突撃隊長のギムリくん!」

「はいよ! ギーシュ隊長、本日はこのおれに担当を任せたことを心から感謝することになるぜ。街の男たちの噂話を集めて、工場長のおっさんにわいろを贈ってまで得たこの情報、値千金の価値があるとおれは信じる。さあ、こよいも諸君と繰り出そう、男のオアシス、うるわしきご婦人方との愛の巣へ!」

 少年たちの、魂から響いてくるような掛け声がギーシュとギムリに応えた。

 彼らが向かっているのは、酒と食べ物を提供する歓楽街よりさらに奥にある風俗街だった。このような男ばかりが集まるような職場では、自然と色気が不足する。ならばそれを提供する店が集まってくるのは自然な流れである。

 ピンク色の、いかにも怪しげな看板の店が並び立ち、他の場所とは一味違った雰囲気の空気が街に充満している。店舗の内容は、あの魅惑の妖精亭を基準にして、金額で上げ下げしたようなものばかり。まさしく、男の世界に夜の彩りを与える花畑と呼んでよく、男としては十分すぎるほど目覚めているギーシュたちがこれに食いつかないはずはなかったのだ。

 もっとも、彼らの懐具合では一番のサービスをしてくくれる店には入れず(無理すれば可能だが、抜け駆けをすると多数の恨みを買ってしまう)、逆に安すぎる店はなにかと危険なので、モンモランシーたちが案ずるようなことにはまだなっていなかった。

 それでも、彼らの思考からすれば美人の女性と思う存分たわむれられるだけで、興奮のピークは満足させられていた。

「あら、これはお坊ちゃま方、今日もいらしてくれましたのね。毎日大変だとおうかがいしてましたから、今日はもう来てくれないんじゃと身を震わしておりましたのよ」

「はっはっは! いや、ぼくたちはいつ何時国のために命を散らせてもいい覚悟、あの程度の訓練はなんでもありませぬ!」

 妖絶に誘惑する店の女と、いい気分で誇張した武勇伝を語るギーシュたち。もしこの場にジェシカがいたら、これほどのカモはめったにいないわねと呆れたことだろう。

 この日も、数件の店をはしごして、すっかり酔いもまわった彼らは数組のグループに分かれて街をぶらついていた。

 とはいって、よく言って”ぶらついていた”のであって、実態は相当にヤバくなっていた。

「カロリーニちゃーん! 君と会うためだったらたとえ火の中水の中! じゃーんじゃん酒持ってきてちょーだい!」

「こーなったら財布の中身ぜーんぶあげちゃう。店のねーちゃんみんな呼んできてーっ! あーっはっはっ!」

 やや酔いがまわりすぎ、危険なレベルにまで達しているが酔っ払いはそれがわからない。しかもまともな大人ならともかく女性に免疫のない十代半ばの健康な男子に、たとえば美人でおっぱいがでかくて露出度の高いドレスを着たおねえさんが色っぽくアプローチをかけたとしたら……

 答えは簡単、道を歩いてると母親が子供に「見ちゃいけません」と諭すような顔面が崩壊した、いわゆるバカができあがるのだ。

 加速度的に軽くなっていく財布の中身のことなんかは、彼らにとってはまったく知ったことではない。貧乏貴族が大半といえども、貴族である以上はそれなりに手持ちはあるが、それは『あった』と過去形になりかけていた。

 

 そんなときである。ギーシュの率いる五人ばかりのグループに、路地の影から扇情的な声で呼びかけてきた女性がいた。

「ねえん、そこのお兄さま方……こっちに来て、いっしょにいいことしない?」

「ぬぉーっ! これはなんと美人のおねえさま! これは前世から定まっていた運命に違いないっ! いくいく、行きますよ!」

「おいギーシュよせよ、そろそろマジで手持ちもヤバくなってるんだしさ」

「お金なんていらないわ……さっ、みんなそろってど・う・ぞ」

「うぉーっ! 喜んでぇーっ!」

 金髪ロングヘアの誘惑に、ギーシュが抗うことは不可能だった。わずかに冷静さがあった仲間の言うことも、まるで耳に入らない。

 衛士隊に見つかったら、「ちょっと詰め所まで来い」と、怖い顔で声をかけられてもしょうがない連中は、怪しい美人の誘惑にあっさりとかかって、路地の暗がりの中に足を踏み入れていった。

 それが、自らの命取りになるとも知らずに……

 

「あびゃーっ!」

 

 悲痛だが間抜けな悲鳴が五つ、夜の街にこだました。

 

 翌日……水精霊騎士隊の泊まっている宿に、ギーシュたち五人が病院に担ぎ込まれた知らせが届いた。

 なんでも、路地で倒れているところをゴミ清掃の平民に発見されたそうだが、最初はどうせ酔いつぶれてぶっ倒れたんだろうと誰も相手にしなかった。しかし、どうもただごとではないらしく、銃士隊には遅れますと伝言を頼んで全員で病院に駆けつけた。

「ギーシュ! 無事か」

「おっ? おおサイトにギムリ! いやはや、心配かけてしまったみたいだね」

 病室に飛び込むと、意外に平然とした様子でベッドに寝ているギーシュたちがいて、才人たちは気が抜けた思いをした。

「なんだよ、元気そうじゃねえか。ったく、心配かけやがって、なんか大変だって聞いてきたのに」

「あはは、どうやら医師がおおげさに言ってしまったようだね。まあ、ごらんのとおりピンピンしてるさ」

 ベッドに寝たままで、ギーシュは上半身で腕を上げ下げして見せた。

「うるせえよ、後で銃士隊に叱られるのはおれたちなんだぜ。それに、モンモンなんか半泣きだったんだぞ」

「ギーシュ! あんたが倒れたって聞いて、人がどれだけ心配したと思ってるのよ! バカバカバカ!」

「おおっ! す、すまないモンモランシー、君に心配かけるつもりはなかったんだ」

 モンモランシーが叫びながらギーシュのベッドに飛び込んでいくと、さしものギーシュもふざけるのをやめて、彼女の肩を抱いて慰めた。目を見詰め合って、きざな言葉が連呼される。才人からしてみれば、聞いているほう、見ているほうが恥ずかしくなる光景であったが、この二人はこれで幸せなようだった。

 だが、水をさして悪いが、ばら色……桃色空間を持続されてはこちらの精神衛生上よくない。

「ごほん! 二人とも続きは退院してからでもいいだろう。それよりギーシュ、お前仮にもメイジだろ? 何者かに襲われたようだとか聞いたけど、いったい何があったんだよ?」

「ううむ……実は、あまりよく覚えてないんだよ。何軒かの飲み屋をまわって、かなり酔っていたからなあ……気づいたときには路地の中で腰から下が動かなくなって倒れてて……あっ! でも最後にすっごくきれいなおねえさまに手招きされた、それは間違いない!」

 記憶にかたよりがあって、それが女性に傾くあたりはさすがにギーシュだ。ここまで行くと、もはや感心する以外にどうしろというのだろうか。もしかしたら、ギーシュは出会ったことのある女性すべてを記憶しているのではなかろうか?

 しかし、ギーシュは自分で見事に地雷を踏み抜いたことにまだ気づいていなかった。モンモランシーから桃色のオーラが消え去り、代わって近づくだけで花が枯れ、草木は砂と変わりそうな凶悪な殺気が全身を包み込んでいる。

「ギーシュ……美人の誘いに乗って暗がりに入って、腰が動かない状態で倒れてたって、あなたまさか……」

「へ? モ、モンモランシー! 違う、ぼくはそんなことしていない!」

 何が”違う”で、”していない”なのか明言されていないけれど、暗示されている内容ははっきりしていた。状況とギーシュの証言からして、それを連想してしまったとしても無理はない。そしてギーシュに好意を抱いているモンモランシーからして、それは到底容認できる事態ではなかった。

「ギーシュ、あなたの性格や趣味はよく知ってるわ。だから、夜遊びで店の女と金で飲むくらいは見逃してあげてた……でも、将来あなたのためにと、わたしはわたしを大事にしてきたのに……さ・い・て・い・ね……」

 一瞬でギーシュのベッドの周りが無人になる。ほかの寝台の患者は看護婦が素早く室外に連れ出して、才人たちもドアの外へと逃げ出した。すさまじい早業に拍手を送ってもよさそうなものだが、たった一人で怒れる大魔神の前に残されてしまったギーシュはほめるどころではない。

 ガクガクと全身を恐怖で震わせ、ギーシュは目の前ですさまじい魔力をほとばしらせている魔女を見上げた。

 金髪ロールが悪魔の角のように震え、目が据わって見下げてくる様は怖いなんてものじゃない。すでに彼女得意の水魔法は空気中の水分を集めてスタンバイ完了であり、あとはウォーターカッターで首を跳ね飛ばすなり、巨大水球で溺れ死にさせるのも自由。

 そして逃げようにも足が動かないので、まな板の上の鯉同然のギーシュにできることはもはやなかった。

「お、おいみんな待ってくれ! た、助けてくれよ、友達だろ!」

「ギーシュ、お前が悪い。罪滅ぼしにおとなしく殺されろ」

 残念ながら擁護してくれる仲間はゼロだった。才人も南無阿弥陀仏と祈って、あとは二人でゆっくり話し合ってくれとドアが閉じられる。

 以後、その病室は現世から隔絶された煉獄となって、厳重に封印されることとなった。

 

 さて、勇敢だった隊長の冥福を祈りつつ、一同は部屋を変えた。ギーシュといっしょに被害にあった四人を別室のベッドに寝かせると、レイナールが中心になって彼らと話を再会した。

「真面目な話だけど、君たち足の具合はどうなんだい? たちの悪い商売女に、質の悪い薬を盛られたとかいうんじゃないのか」

「レイナール、君までそんなことを言うなよ。いくら酔っても、ぼくたちだって最低限の境界は心得てるよ。一夜のあやまちで全部だいなしにはしたくないからね。まあ、情けなくもこのとおりだが、ここはいい水メイジもいるし、すぐに治るだろう」

 言われて、ズボンのすそをまくった彼の足を見ると、虫にでも刺されたような赤黒いあとがついていた。おそらくは針のようなもので毒を注入されたようだが、貴族目当ての物取りだったのだろうか、その女とやらは。

 そうして、他愛もない話をしばらく続けていると、唐突に医師から室外に出るように言われた。レイナールたちは怪訝に思ったが、とりあえず言うとおりにすると、医師に別室に来るように誘われて、そのまま彼らは医師から信じられない話を聞くことになった。

「ギーシュたちの足が、治らないですって! 先生、それはどういうことなんですか!」

 ギムリが血相を変えて、掴みかからんばかりの勢いで問い詰めると、医師は額から汗を流しながらつらそうに答えた。

「彼ら五人に投与されたのは、私も見たこともない極めて強力な毒物なんだ。どういう作用かわからないが、完全に下半身の水の流れを狂わされている。こんなものはまったく前例がない」

「解毒は!? ここには水の精霊の涙をはじめ、あらゆる秘薬と最高位の治癒を使えるメイジがそろっていると聞きますが!」

「残念ながら、成分さえ不明で解毒薬は作れない。彼らが眠っているうちに、すでに可能な限りの魔法も試したのだが、効果はなかった……」

「そんな……」

 医師の顔に浮かぶ、どうしようもないという苦悩の色は嘘とはとても思えなかった。

 ギーシュたちは、もう一生歩けないかもしれない。彼らはまだ何も知らずに、のんきに寝転がっているけれど、知ったら……

 

 それから、彼らは人間の知識では無理でもエルフならばと、ルクシャナを呼んで彼らの足を見せた。しかし、返ってきた答えは期待からは程遠いものだった。

「残念だけど、こんな毒物症状はわたしもはじめてよ。精霊の力すらはじかれる、まるで呪いみたいな強力さを持っているわ」

「の、呪いですか!」

「勘違いしないで、比喩表現で言っただけで、呪いなんて代物じゃないわよ。けど、明らかに魔法に対する耐性を持たせた毒物でしょうね。専用の解毒剤以外では、治癒は不可能と断言してもいいくらい」

 エルフの力でも無理だとしたら、レイナールたちに治療法を見つけることは無理だった。

 いや、可能性がなくはない。レイナールは浮き足立つギムリたちを見渡して、思いついた可能性を披露した。

「みんな聞いてくれ! これだけ強烈な毒なら、犯人は万一のために必ず解毒剤も持っているはずだ。ギーシュたちの仇を討つためにも、ぼくらで今夜その女を探し出しそうじゃないか」

 レイナールの提案に、才人や水精霊騎士隊の少年たちは病院中に轟くほどの叫びをあげた。特に、ギーシュと気性が合っているギムリなどは、怒りもあらわにして杖を天井に向けて誓いを立てた。

「おお! やってやるぜ、見てろよ、ギーシュの弔い合戦だ!」

「いや、まだギーシュは死んでないと思うぞ……多分」

 やる気が出てきているのはけっこうだが、首尾よく解毒剤を手に入れてきても、そのとき生きている保障がないのが気がかりといえば気がかりであった。

 結局その後、彼らは病院関係者に「病院内では静かに!」と全員追い出されて、「遅すぎるぞ! いい度胸だ貴様ら!」と、大和の艦橋を駆け足で上り下り百周させられたのだった。

 

 

 さてその晩、銃士隊にしこたまいじめ抜かれた水精霊騎士隊と才人は、例の歓楽街の入り口に集合していた。

 全員、休む間もなく倍の訓練をさせられたためにボロボロだが、ギーシュたちの仇を打とうとする目の光だけは失っていない。隊長代理のレイナールの指示で、残りのメンバーによる囮作戦が開始された。

「いいかみんな! 今日は楽しむためにここに入るんじゃない。酒は飲む振りだけ、食べ物は食べるふりだけ! たとえなじみの彼女と会っても今日は断るんだ。行動は五人一組が原則、絶対に単独で動くな。いつでも杖を抜けるように警戒を怠らずにな!」

「おう!」

「連日しごかれた苦悩を思い出せ! その成果を今日試すんだ。ギーシュたちの前に現れたのは『長い金髪で背の高い女』だったそうだ。忘れるなよ!」

「おう!」

「よーし! ここは昔からの合図で気合入れようか、いくぞ……WEKC出動!」

「おおーっ!」

 掛け声をあげて、少年たちはいっせいに街の中へと散っていった。彼らの胸中には、厳しい訓練の日々の中でのささやかな娯楽につけこんで、五人の仲間を傷つけた犯人への怒りが燃えている。どこのどいつだか知らないが、その女を見つけてふんじばってやる。衛士隊にも銃士隊にも力は借りない、おれたちの不名誉はおれたちで晴らす!

 才人も荷物にカモフラージュしたデルフリンガーを確かめて、レイナールたちと街に入っていった。

「覚悟してろよ金髪の女め。必ず解毒剤は手に入れて見せるからな!」

 普段からルイズに他の女に近づかないよう教育されてきたおれだ、色仕掛けなんかにゃひっかからんと才人は意気込む。

 その光景を、ルイズや仲間の女生徒たちは頼もしい目で見ていた。彼らは、「この囮作戦は女には無理だ。まあぼくらの初手柄を祝う準備だけしていてくれ」と言って、ルイズたちが参加するのを拒んだ。その男らしい姿に、彼女たちは心臓をどきりとさせて、思わず「はい」と答えたのである。

 闘志に燃える彼らは、散り散りになったそれぞれの場所で、聞き込み調査を始めていった。

 目的は、どこかで目を光らせているはずの金髪の女ひとりだけ、今日の水精霊騎士隊は一味違うのだ!

 

 そして翌日……

 ルイズは、深く腕組みをして、昨夜一晩熱心に犯人を探し回った水精霊騎士隊を見渡していた。

「で……よりにもよって、出かけた全員が同じ目に会って帰ってくるってのはどういう了見なのよ、あんたらはぁーっ!」

「すいませんでしたぁーっ!」

 ルイズの、親の仇を見るような威圧感満点の怒声に、少年たちの平謝りの合唱が病院にこだました。

 病室を埋め尽くす水精霊騎士隊の顔、顔、顔……地下の暗くて寒い特別室に移された隊長を除く全員が、下半身マヒでベッドに横たわり、上半身だけで土下座している様は哀れとかこっけいとかいうものを通り越しているように見える。

 まったく、意気揚々と出かけていった男たちは、呆れと怒りがまぜこぜになって、ゴミ同然に見下げてくるルイズや女生徒の視線に対抗できずに、冷や汗をかきながら頭を下げ続けるしかない。

「レイナール! あなたが指揮してながら、なんなのよこの醜態は!」

「ご、ごめん! 完全に油断してた。まさか、あんなことになるなるなんて」

「隊長代理は悪くないんです。おれたちが、あそこで誘いに乗ってしまったばかりに」

「黙りなさい! ほんとにもう……これだから男ってのは」

 ルイズは今日ほど男という生き物が汚く見えた日はなかった。こいつらは、あれだけ用心して出かけたにも関わらずに、全員路地や暗がりに誘い込まれてやられてしまったという。しかも、原因は一人残らず女に誘われたから。情けないにもほどがある。

 しかし、ルイズの怒りを極大化させたのはそんなことではなかった。

「ったく、どいつもこいつも……だけどサイト! なんでこんなときまでこのバカたちと仲良く病院送りになってるのよ!」

「ごめんなさいルイズさまぁ! 面目しだいもありませぇぇぇぇん!」

 毛布に頭を沈み込ませて土下座している才人の上から、ルイズは思いっきり踏みつけた。もちろん、カエルのつぶれたようなうめき声が漏れてくるが、そんなことでルイズの怒りはおさまりはしない。

「サ、サ、サイト……わたしはどうやらあなたを買いかぶっていたみたいね。最近は節操もついて、少しは立派な男になったと頼もしく思い始めてたのに……しかもこんなときに色仕掛けにはまってしまうなんて、あんたどこまでバカなのよ!」

「い、いや違うんだルイズ! おれは色仕掛けなんかにはまったんじゃない。ただちょっと、道端で苦しそうにしているお姉さんがいたから、どうしたんですかって声をかけたら」

「結局女じゃないのよ! 女を探しに行って女にやられるって、あんたの頭には頭蓋骨しか詰まってないの!?」

 才人の仲間たちは、なんか昔のサイトとルイズに戻ったみたいだなあと思いながら、とばっちりを受けないように毛布をかぶって身を潜めている。助け舟は怖くて誰も出せないために、才人は自力で危地を脱するためにルイズを説得しなくてはならなかった。

「は、話は最後まで聞いてくれ! おれたちは、ギーシュたちがやられたっていう金髪の女を捜してたんだ。でも、おれがやられたのは銀髪の小柄な女だったんだよ!」

「は?」

 ルイズの動きが止まった。そのわずかな隙を逃すまいと、才人たちは猛烈な勢いで抗弁をはじめた。

 昨晩、彼らはギーシュたちの証言に従って、『金髪で背の高い女』を捜していたのだが、全員がそれとは別の女に誘いをかけられたために油断して被害に会ってしまったのだという。

 才人をやった銀髪の女のほかにも、朱色や淡い青色の髪の女もいたというし、背が高かったり低かったり、巨乳だったりスレンダーだったりと統一性がない。証言はほかにも、おれは三つ編みの女だったとか、ぼくが見たのはショートヘアの気の強そうな子だったりとか、いろいろあった。

「なによそれ、つまり犯人の女は金髪のだけじゃなくて、ほかにも複数いたってこと?」

 さすがルイズは頭の回転が速かった。確かにそれだったら、単一目的に意識が集中している分、虚をついて仕留めやすくなる。

 しかし、その先を考えると問題も出てくる。

 つまり、犯人は水精霊騎士隊が捜索に出てくることも予測して、二日にかけての罠を用意していたということになる。

 いや、冷静になって考えるとさらに妙だ。昨日と今日で、毒を打たれて半身麻痺にされた患者は全員が水精霊騎士隊のメンバーである。歓楽街の規模からして、被害者が偶然彼らだけに集中するなどはありえない。

 ならば、犯人は明確に水精霊騎士隊”のみ”を狙ってきたということに他ならない。このメンバーに狙われるような重要な点があるとすれば、ただひとつ。

「新・東方号の次期乗組員ということ……」

 口の中だけでルイズはつぶやいた。それ以外に、こんなバカたちがわざわざ狙われる理由など一欠けらたりとも見つからない。

 ならば、仕掛けてきた相手は……ルイズはその相手を思い浮かべて、短慮は禁物ねと思い直した。東方号の完成を妨害しようとするガリアやゲルマニアの陰謀の可能性もある。

 だが、犯人の正体や手段がどうであれ、こうなった以上ルイズの考えはひとつだった。

「どこの誰だか知らないけれど、なめたまねしてくれるじゃない。東方号を直接狙えないからって、こんな卑劣で姑息な手段に訴えかけてくるとは許せないわ!」

 怒声をあげたルイズの前に、少年たちはびくりと体を震わせた。

「ル、ルイズお前まさか……」

「あんたたちはそこでしばらく反省してなさい。犯人は、わたしたちが代わりに締め上げてきてあげるからね! 行くわよあなたたち」

「なっ! ま、待てルイズ」

 そう言うと、ルイズはほかの女子生徒たちを引き連れて出て行ってしまった。才人たちは止めようとしたが、足が動かないのでどうしようもなかった。

 

 一方、バカ男たちを放り出して出てきたルイズは、そのまま廊下を女王のように歩いていた。

「まったく、うちの男どもは肝心なときにヘマするんだから……サイトも女と見ると、いまだに見境なく手を出すし、まったく」

「あ、あのルイズ」

「なにっ!」

「ひっ! い、いいえ」

 機嫌の悪いときのルイズに口出しできるものはいなかった。昔ルイズのことを『ゼロのルイズ』とからかっていた子も、現在の虚栄心からではなく本当の自信から来るルイズの迫力にはかなわない。

 そのまま廊下を誰も避けずに避けさせて進撃したルイズは、地下にいるモンモランシーを誘いに向かった。

 病院の地下深く、常に気温が低くたもたれていて静かな部屋の番人のように彼女はいた。

「なにルイズ……わたしね、ギーシュがもう一生動けないんだったら、わたしがずっといっしょにいてあげようって思ってるの。誰も邪魔しにこない冷たくて暗い場所で、ずっといっしょにね……うふふ、うふふふ」

 部屋に入れずに出迎えてきたモンモランシーの様相に、ルイズ以外の女生徒は一様に顔を青ざめさせて冷や汗を流した。なにか……すでに人間をやめているような感がひしひしとする。まあ、浮気の多さに定評のあるギーシュのこと、最近もリュリュとか銃士隊のお姉さま方とかにアプローチをかかさなかったので、モンモランシーも相当にストレスが溜まっていたのだろう。

 逃げられずに丸一日幽閉されていたギーシュが今どうなっているのかは考えたくもない。まだ魂が現世にいるのかどうかは不明だが、よくて生きた屍というところではないだろうか? 女心のわからない男のたどる自業自得なので同情はしないが。

 しかしルイズは、メイジというよりは魔女という雰囲気をかもし出すモンモランシーに臆することなく告げた。

「こんなところで遊んでる場合じゃないわよモンモランシー。あんたのところのバカもだけど、男たちにいらないことをしてくれた犯人をとっ捕まえに行くから手伝いなさい」

「はぁ? なんでわたしがやらなきゃいけないのよ」

「いくら自分の思い通りにいかないからって、人形遊びみたいなことで満足できないでしょう? 仮にも好きになった男、わたしはまだいっしょにお買い物とか……いっしょに、二人だけで、暮らしたりとか……ともかく、そういうことしてみたいの! あなただって、このまま幽閉しておいたところで長く続けられるわけないことくらいわかってるでしょう! だったら、あんたの足を治してやったのはわたしよって、一生押し付けられる恩を売ってやればいいじゃない!」

「ルイズ、あなた……」

 モンモランシーは、数ヶ月前とは別人を見るようにルイズを見返した。彼女の知っているルイズは、一見外側には強く見えるようにふるまうけれども、大事なことは決して外には表さずに内側に隠してしまう、だだをこねる子供のような子だった。いうなれば激しく威嚇して自分の弱さを隠そうとする子猫のようなもの、なのに今のルイズは自分の目的のために、自分の知られたくないような願望もさらしている。いやそれよりも、ルイズはここまで物事を力づくでもいい方向に向けようとするほどに、迷いなく前向きな人間だったろうか。

 成長したのねルイズ、とモンモランシーは思った。休む間もない冒険と激闘の日々は、ルイズの肉体と精神を削っていたが、それに見合うだけの成長を彼女に与えていた。困難を乗り越えたとき、人はより大きい困難と戦える力を得るのだ。

「わかったわ、ギーシュへのおしおきもそろそろ飽きてきたころだし、手を貸してあげる」

「そうこなくっちゃ」

 互いを必要としあう女同士の同盟がここに成立した。

 二人はその後、きちんと部屋に鍵をかけて戸締りを確かめると、女生徒たちと入り口のロビーに戻った。

 するとそこで……

「あら、あなたたちは……?」

 出入り口で、彼女たちは青髪の女騎士と金髪ツインテールの小柄な少女と鉢合わせした。

「ミシェル、あなたがここに来たということは今朝の被害者たちにご用事かしら?」

「ああ、被害者がこれだけ増えた以上は、もう我々銃士隊も傍観しておくわけにはいかんのでな。腑抜けた連中に活を入れるついでに、事情の聞き込みをしておこうと思ってな」

「ふぅん、バカどもの尻拭いも大変ね。そういえば、クルデンホルフの護衛も請け負ってるそうだけど、今日はその子ひとりだけしか見えないわね。ミス・ベアトリスでしたかしら? いつもついて回ってる三人組はどうしたの?」

「あ、こんにちはヴァリエール先輩。エーコたちは、今日は世界中に散らばっていた姉妹たちが、久しぶりに帰ってくるというので休暇をあげて迎えにいってるんです」

 ヴァリエール家を引き合いにしては、さすがにクルデンホルフもまだかなわないのでベアトリスも下手に出た対応を返した。

 つまり、今日はミシェルがベアトリスの護衛をしているというよりは、ベアトリスがミシェルの仕事に着いて回っているようだ。

 ルイズはふむと考えた。水精霊騎士隊が全滅してしまった今、騒ぎを拡大しないために水面下とはいえ衛士隊や銃士隊も動いている。捜査力は当たり前ながら本職が上、しかし犯人は是が非でも自分たちで捕らえたい。そういえば、彼女たちは公にはされていないが、先日の倉庫街での星人出現に際してなんらかの活躍があったらしい。

「ふむ……手ごろね」

「は?」

「ミシェル、サイトたちは二階にいるわ。わたしたちはさっき話してきましたからごゆっくりどうぞ。その間、ミス・クルデンホルフはわたしたちとお話ししてましょうよ」

 ルイズの提案に、ミシェルとベアトリスは怪訝な表情を見せたものの、とりあえずうなずいた。ベアトリスにとって、事情聴取につき合わされても退屈なだけだし、ヴァリエールの機嫌を損ねることは得策ではないと考えたからだ。

 ところが、ミシェルが上部階に登って行ってしまうと、とたんにルイズはベアトリスの手を取って走り出した。

「えっ!? あの、ミス・ヴァリエール! どこへ行かれるんですの」

「決まってるじゃない! この事件の犯人をわたしたちであげるのよ、あんたも手伝いなさい!」

「えっ! ええーっ!?」

 とんでもない答えにベアトリスは当たり前だが絶叫した。が、逃げようにもルイズは小柄な見た目に反してひきずるようにグイグイとベアトリスを引っ張っていく。あっというまに病院から出てしまい、市中引き回しの状態にされてしまったベアトリスは必死で叫んだ。

「無理ですミス・ヴァリエール! わたしたちで犯人を捕まえるなんてできっこないです! 第一どうやって犯人を見つけるんですか? お願いだからやめて、放してくださーい!」

「無茶じゃないわ、ちゃんと作戦は考えてあるの。ともかく今回は、絶対に男たちの力は借りないで解決したいのよ。キュルケやタバサはまだしも、いつもわたしたちを足手まといみたいに置いていって、守ったつもりでいる男たちの鼻をあかしてやる絶好の機会! そう、これは女の誇りをかけた戦いなの」

 ルイズの言葉に、モンモランシーたちもそのとおりだという風にうなづいた。

 そして、ルイズは振り返ると、仲間の女生徒たちを見渡して宣言した。

 

「いい! これはわたしたち全員が、男たちと対等以上になるかどうかの真剣勝負。作戦名はすなわち、プライド・オブ・レディース!」

 

 

 続く



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第71話  プライド・オブ・レディース (後編)

 第71話

 プライド・オブ・レディース (後編)

 

 悪質宇宙人 メフィラス星人

 怪草 マンダリン草 登場!

 

 

 肩を文字通りに怒らせて街を行くルイズたち一行。

 何者かの陰謀によって、全員が病院送りにされて事実上全滅状態にされてしまった水精霊騎士隊の仇を討ち、犯人の持つ解毒剤を手に入れるために彼女たちは出動した。

 作戦名『プライド・オブ・レディース』、それは淑女の誇りという意味を持つ。いつも女性だからと後ろにいることを強いられて、まるで役立たずのような扱いを悪意はなくともしてくる男たちを見返すための、それは決意を込めた命名だ。

 リーダーはルイズ、サブリーダーはモンモランシー、その他ルイズの級友たちで水精霊騎士隊に恋人がいる女子で構成されたメンバーは総勢十三名。その中に、たまたま鉢合わせしただけのベアトリスを加えて、彼女たちは目を光らせて街を闊歩する。

 しかし、街をただひたすら歩き回るだけで、特に変わった行動をとろうとしないルイズに、モンモランシーはどうしたのかと尋ねた。

「ところでルイズ、意気込んで出てきたけど、どうやって犯人を見つける気なの? なんかかっこいい作戦名をつけたのはいいけれど、いい加減作戦を説明してちょうだいよ」

「あ、別にないわよ」

「はぁっ!?」

 あんまりにも意外なルイズの答えに、モンモランシーは外れた声を出してしまった。てっきり、なにか犯人を突き止める思いもかけないアイデアを持っているものかと思ったら、完全に無策で歩き回っていたというのか? いやしかし、病院を出る前にルイズはちゃんと作戦はあると言っていたではないか?

 女生徒たちも信じられないように歩を止めてルイズを見る。だがルイズは平然と彼女たちを見返した。

「早合点しないで、正確に言えば策を弄する必要は特にないということよ。今まで犯人は、東方号の乗組員候補ばかりを狙ってきてる。だったらわたしたちも該当するってこと。ほっとけば向こうからやってくるわよ」

「なるほど……でも、水精霊騎士隊が全滅してしまった今、わたしたちなんかに目をつけるかしら?」

「大丈夫、犯人は東方号の出航を妨害したいのは明白。けど直接的に狙うには警備が厳重だから、一番重要だけど簡単に始末できる連中から狙ってきたんでしょ。あんなバカたちでも、人が乗ってない船はただの浮かぶ鉄の箱ですもの。そんな陰湿で卑劣で姑息な手を使ってくるやつなら、よりか弱い女ならなおさら嬉々として襲ってくるでしょう。それでいて、残りのメンバーに加えて『東方号の改造工事に多額の出費をしていて、いなくなったら完成に大きく響く重要人物』が同行してるんですもの」

「え? それってもしかして」

 ルイズが暗喩した、なにやら聞き捨てならない不穏な言葉に、なし崩し的に同行させられているベアトリスが悪い予感を口から漏らした。するとなにか、この人は犯人をおびきだすために、クルデンホルフ大公国の姫であるわたしを……

「あの、ヴァリエールさん? もしかして、わたしって……エサ?」

「ご名答、考えてみたらギーシュたちを全員つぶすよりも、あんたひとりを始末したほうが都合がいいんだから絶対かかってくれるでしょうよ。真っ先に狙われると思うから、がんばってね」

 それは、鞭を持って才人に迫るときのルイズの笑顔だった。一瞬で顔から血の気を失わされたベアトリスは、全速力で逃げ出そうとするが、襟首をルイズに掴まれてしまった。

「いやーっ! 帰る! 帰らせてくださいぃ!」

 当たり前だがベアトリスは撒き餌になるのはイヤだった。このヴァリエールの人は、かわいい顔をしているくせにとんでもなく非道なことを思いつく。しかも華奢そうな体つきのくせにすごい力だ、周りの誰かに助けを求めようにも、ヴァリエールの権勢がこの中では一番なので命令を出すこともできない。

「ヴ、ヴァリエールさん! わたしに万一のことがあったら東方号の工事はどうなるんですの!」

「あのバカたちが復帰しないと、どっちみち意味ないわよそんなの。わたし、サイトが乗ってない船なんて絶対乗る気ないし。大丈夫だって、あんたが刺されてもちゃんと解毒剤は手に入れてあげるから」

「解毒剤持ってなかったらどうするんですか! どこの誰とも知らない怪しい奴に毒針打たれるなんて絶対やです! お願いですから許してください、ヴァリエールさん!」

「ヴァリエールさんなんて他人行儀な言い方しないで、ルイズでいいわよ。心配しないで、わたしたちだってかわいい後輩になる子に怪我なんかさせたくないわ。でも、今一番確実な方法はあなたが囮になってくれることなのよ。後でクックベリーパイおごるから、協力してよね」

「ぜんぜんリスクと対価が吊り合ってないじゃないですか! わたしになにかあったら、ヴァリエールとクルデンホルフで戦になるかもしれないんですよ!」

 ベアトリスはついに最後のカードを切った。戦争になるぞとおどせば、さすがに少しは引くだろう。そうなればその隙に……と、思ったのだがルイズは平然と言い放った。

「そうなったときはクルデンホルフごとひねりつぶしてあげるから心配無用よ。大丈夫だって、わたしなんてもっと危険な冒険を何十回も繰り返してきてるんだけど、いまだに生きてるんだし」

「いゃーっ!」

 モンモランシーたちは、この日はじめてベアトリスに同情した。家がクルデンホルフに大量の借財を抱えていて、頭の上がらない生意気な年下だと思っていたが、ルイズが強すぎて哀れな子羊にしか見えない。

 まったくもって、とんでもない先輩を持ってしまったベアトリスの不幸。しかも今のルイズは機嫌が最悪だから、みんなかわいそうだと思っても手を出すことができない。

”彼女が入学してきたら、できるだけ優しくしてあげましょう”

 女子たちのあいだに、先輩意識のような不思議な連帯感が生まれつつあった。

 

 ほとんど見世物のように泣き叫ぶベアトリスを連れて、轟然と街をゆくルイズたち一行。

 目立つといえば、振り返らずにはいられないであろうその光景は、当然ながら事件の黒幕の目にも入っていた。

 

「なんだあいつらは? ほお、なにかと思ったら次のターゲットどもではないか。ふふ、どうやら昨日の連中と同じように我々を捜しに来たようだな。まったく飛んで火にいる夏の虫とはやつらのことだ! 手間が省けていい、まとめて一網打尽にしてくれるわ! ウワッハッハハ!」

 モニターごしに眺めながら、メフィラス星人は妙に地球のことわざに詳しいところを見せつつ笑った。

 そう、もはや隠す必要もないことだが、この事件の黒幕はメフィラス星人であったのだ。

 メフィラスは、ハルケギニアを侵略するのに邪魔になる人間たちの抵抗運動、その中でもマイナスエネルギーの発生を著しく低下させるかもしれない、東方号のエルフとの講和計画を妨害することをヤプールから命じられた。その手段としてメフィラスが考えたのが、乗組員となる少年少女たちを襲うことであった。

「フハハハ、こいつの毒の威力は相変わらずすごい。あいつらも、俺のマンダリン草の餌食にしてくれるわ!」

 手に持った赤い実を持ち、ヘビのように不気味にうごめくつるを生やした植物を見つめてメフィラスは笑った。

 これは地球にも古代に生息していた、怪奇植物の一種であるマンダリン草である。ジュランなどの古代植物と同じく、成長すると全長数十メートルにまで大型化する性質を持ち、自身で移動することはできないものの、外敵にはスフランのように自在に動かせる触手のようなつるの先についている毒針で攻撃する性質を持っている。この毒針に刺されると、人間は小児麻痺のような下半身不随に陥り、立ち上がることすらできなくなってしまうのだ。

 メフィラスは、この恐るべき毒草に、さらに魔法による解毒も不能なような改良も加えて、東方号に乗る少年少女たちを一人残らず虚弱児童にしてしまおうと企んだのである。

 触手をうごめかせるマンダリン草を愉快そうになでるメフィラス……そこへ、この場には不釣合いな若い女性の声が響いた。

「おや、あれはクルデンホルフの小娘じゃあないか?」

 発したのは、金髪の背の高い女だった。先日ギーシュたちの前に現れて、言葉巧みに誘い込んだ女だ。見た目は人間そのもので、メフィラス星人も等身大でいるために人間にしか見えない。

 彼女は、モニターに映し出されたベアトリスを指差した。すると、彼女の後ろからも複数の女性の声が響いてきた。

「あら、本当ですわね」

「あのガキっぽいツインテールは間違いないな」

「なんでこんなところにいるのかしら? 確かあれは、銃士隊の副長に護衛されてるはずではなかったかしら」

「なにか、嫌々ひきずられているようにも見えるわね」

「ははっ! あのクソ生意気なガキがわんわん騒いでるぜ。いい気味だ」

「そんなことはどうでもいいでしょー、ベアトリスといえば絶好のカモだよー。んー、いやちょっと違うかなー、ともかくいい機会だから殺しちゃおうよ!」

 響いた声は六人分、大人っぽいものや子供っぽいもの、優雅さを漂わせた声や男っぽいものもある。

 見た目も同様で、六人とも容姿が似ている者はほとんどいない。髪の色も黄色から銀髪、ロングヘアや三つ編みにした子から、眼鏡をかけた子や少年のような顔つきをした子もいる。一見、まったくの別人たちのように思えたが、金髪の女が彼女たちに向けて言った。

「あわててはいけないわよ、あなたたち。確かにベアトリスとなれば願ってもない獲物だけど、だったらなおさら慎重にならないといけないわ。殺すなんてもってのほか、足どころか泣くこともできないくらいに全身動けないようにしてやりましょうよ」

「はい、姉さん」

 どうやら彼女たちは姉妹のようである。たまに血はつながっていても、まったく容姿の違う姉妹もいるものだが、彼女たちはそうした分類に入るらしい。そう、昨日レイナールたちをだまし討ちにした女たちである。

 ただし、六人に加えて金髪の女も共通していることがあった。姉妹全員が、ベアトリスを憎憎しげな目で睨みつけていたのだ。

 憎悪の視線をモニターの一点に向ける七人の女。その剣呑さに、メフィラスは興味深そうに尋ねた。

「どうした? あの小娘に因縁でもあるのか。今お前たちから立ち上る怨念のマイナスパワーは、相当なものだぞ」

「あなたは知る必要のないことよ。わたしたちはヤプールの命令で、あなたの計画の助けをしているだけ。余計な詮索は無用に願いましょうか」

「ふっ、人間の分際でオレより格上のつもりか。まあいい……ターゲットを誘い込むために、お前たちは十分に役に立っている。まったく人間の男というものは愚かよ。女がちょっと下手に出て誘うだけで簡単に罠にかかりおる」

「まあね、でもあそこまでたやすい連中はそうそういないわよ。かわいそうなくらい初心で耐性がなかったわ、わたしがその道の商売女だったら血の一滴までしぼりとってやるところ、惜しいことをしたわね」

 長女らしい金髪の女は、メフィラスに臆することなく会話をしていた。が、それもそのはず彼女たちはメフィラスに対する見張りの役目も担っていたからである。もしもメフィラスがヤプールに不都合な暴走をしかけたときは、報告する任務をおびている。むろんメフィラスはそのことは知らない。

「ふん、お前たちの因縁などはどうでもいいが、これは好機に違いないな。あいつらを始末すれば、もはや人間たちに空中戦艦を飛ばすための人材はいなくなる。有象無象の大人たちを集めてきたとしても、なおつけいる隙がある」

「使命感という点ね。こんなくだらない世の中、守る価値なんてありはしないのに……」

 彼女は目に暗い輝きを灯し、口元を醜く歪めて笑った。その瞬間、メフィラスはひとりの人間が発するものとしては大きすぎるのではないかというマイナスエネルギーを感知した。この女、どんな因縁が過去にあったというのか? だが、マイナスエネルギーの発生はむしろ望むところなので、口出しはしなかった。

「まあいい、オレが再生させたマンダリン草は想定どおりの効果を発揮している。いずれはこの星の全部の子供を虚弱児童にして、絶望の中で侵略をさせてもらうわ。さあ、早くやつらを誘い込んで来い、ウワッハッハッハ!」

「お前の悪趣味な計画などはどうでもいいけど、これも仕事だからね。しかし相手が女となると……そうね、ユウリ、あなたの出番よ」

 金髪の女は、妹たちの中から黒ずんだ赤髪を持つ、切れ長な目をした少女を指名した。

「けっ、あたしを指名ってことは、あの作戦でいくのかよ。気がすすまねえな」

「そう言わないの、女を女が誘ってもうまくいく確率は低いわ。それに、連中もそろそろ私たちの顔ぶれに気づき始める頃。あなたが男装してやつらを油断させて引き込むのよ」

「はいはい、ったくあたしが男に化けて盗みをやってたことがあるからって、これあんまり好きじゃねえんだぜ。さらしで胸締め付けると苦しいしよ、めんどくせえなあ」

 ユウリと呼ばれた少女は、ため息をつくと、人並みには大きさのある胸を窮屈そうに持ち上げた。具体例をあげると、だいたいアンリエッタくらいの大きさであろうか。ちなみに彼女の姉や妹の中で、ルイズやモンモランシー並の子が恨めしそうにユウリを睨んでいるが、本人はさっぱり気づいていない。

 メフィラスは人間の悩みなどはまったく興味ないという風に、モニターのほうを見て振り向きもしない。

 奇妙な姉妹は、ユウリの着替えを手伝いながら誘い込む算段を話し合っている。

 と、そのときであった。薄暗いメフィラスの基地の中に、別の人影が三人分入ってきたのだ。

「失礼します! 姉さんたち、もう来てる?」

「あっ! みんな、三人が来たよ! 来て来て!」

「おお! やっと来たかお前たち、出迎えてくれるっていうから期待してたのに遅いぞ」

「ごめん、朝はなかなか抜けられなくって。ぷっ、それよりユウリ、なによそのかっこ」

「うるせぇ、これも作戦なんだよ! ったく。ん? お前ケガしてるのか、どうしたんだよその額?」

「ああ、これはちょっとしたことでね。もうふさがりかかってるから気にしないで」

「やっぱりあのクソガキの世話なんてろくなことねえんだな。畜生、やっぱりあたしが代わればよかったぜ」

「落ち着いてユウリ、本当に大丈夫。これはわたしのミスなんだから……それに、仕事もそんなに悪くないんだよ。お給料はいいし、おいしいものも食べられるし……それに……も、よくしてくださるし」

「ん? なんだって? まあいいか。それよりも、久しぶりだな。こうしてあたしたち姉妹が全員揃うのは」

「ええ、お帰りみんな!」

 やってきた三人を、姉妹は歓迎した。そしてこの三人も姉妹の一員らしく、計すると彼女たちは十人姉妹らしい。

 しかし金髪の女は、すでにメフィラスには関心を持たず、かといって再会を喜ぶ妹たちも無視して、冷たい声で言い放った。

「あなたたち、気を抜くんじゃないわよ。今度の獲物は昨日までのバカな男たちじゃない。八つ裂きにしても飽き足らないクルデンホルフの小娘……わたしたちが平民以下の暮らしを強いられることになった恨み、骨の髄まで思い知らせてやるのよ」

「わかってるわよ、セトラ姉さん……」

 人の姉妹の、地の底からねめあげるような憎悪の視線が、モニターのベアトリスを射殺すように注がれ続けた。

 だが、その中で一人だけ、憎しみではない、悲しみに似た感情を向けている娘がいたことを、姉妹たちは気づいてはいなかった。

「殿下……」

 

 

 一方、自分たちを狙う者が動き始めているとはまだ知らず、ルイズたち一行は街のパトロールがてら歩き回っていた。

 街はにぎやかで活気に溢れており、事件が起きていることを知らない平民たちはいつもどおりに仕事をしている。

 

 そうしたことを歩きながら見聞きし、また語り合いながらルイズたちは街を不規則に闊歩していった。

 そして数時間が経過し、人通りが少ない一角に差し掛かったときである。ルイズたちに、横合いから急に話しかけて来た男がいた。

「ちょっとすみません。そちらのお嬢様方、少々よろしいでしょうか?」

 それは、黒ずんだ赤髪を背中のほうで無造作にまとめた凛々しい男性であった。この作業場でよく使われている作業着をまとっているが、整った顔立ちの中にも野生的な雰囲気をまとっており、女子たちの何人かはぽおっと見とれてしまっている。

 だが、ルイズは「きたな!」と心中で不敵な笑いを浮かべていた。しかしそれは表情には表さずに、つとめて平静を装って、笑顔で相手に対応する。

「あら、わたくしたちになにかご用事ですか? 困りごとでしたら、ご遠慮なくおっしゃってくださいませ」

 モンモランシーを含めて同級生たちはごくりとつばを飲んだ。今のルイズの優雅な返答ぶりは、一瞬そこにルイズがいるのだということを忘却させられてしまった。さすが、普段どれだけおてんばな振る舞いをしているとしてもヴァリエール家の一員だけはある。その気になったときの気品は、まさに大貴族の令嬢以外にはとれない上品さを兼ね備えていた。

 相手も、ルイズのその対応から警戒感を緩めたのであろうか、やや表情を緩めて話してきた。

「ああよかった。実は、あなた様方を格の高い貴族の方々と見込んで、お頼み申したいことがあるのです」

「どんなご用事ですの?」

「実は、向こうでわたくしどもの仕事に難癖をつけて邪魔しようとするメイジがいるのです。どうやら下級貴族くずれの者たちのようなのですが、どうかお助けいただけないでしょうか」

「わかりました。貴族の不正は王家から杖を預かりし我らの恥辱。すぐにまいって、その者たちを説いてさしあげます。案内をお願いできますか?」

「ありがとうございます。では、急がなければ同僚がどうなるか心配ですので、近道を通らせていただきます。どうぞ」

 彼に案内されて、ルイズたちは騒動が起きているという現場に向かい始めた。

 途中、彼が近道だというはずれの路地に入っていく。幅はあまり広くなく、二人くらいが通るのでやっとの道である。いよいよもって怪しくなってきたところで、モンモランシーがルイズに小声で尋ねた。

「ルイズ、どう思う?」

「十中八九、黒ね。サイトたちを襲ったやつの仲間と見て間違いないわ」

「どうしてそう思うの? 見たところ、ありふれた工員としか思えないけど」

「よく見なさい、工員のくせに手によごれがほとんどついてないわ。服装も、前半分はそれらしく汚してあるけど後ろはまるで新品みたい。不自然すぎるわよ」

 モンモランシーはルイズの指摘に、なるほどとうなづいた。様々な危機を潜り抜けてきた経験が、ルイズの観察眼も知らず知らずのうちに鍛え上げていたようだ。だが、モンモランシーは次にルイズがささやいた言葉には驚きを隠せなかった。

「それにあいつ……おそらく女よ」

「えっ! ど、どうしてそんな?」

「声が大きいわよ。もう一度、よく手を見てみなさい。あれが力仕事をする男の手? それにさっき、えり口を見たけどのどぼとけがなかったわ。声色を変える訓練はしてるみたいだけど、注意してみればすぐにわかるわ」

 ルイズの口元に自信に満ちた笑みが浮かんだ。ここまで証拠がそろえば、もはや疑う余地はないに等しい。

 だとしたら、自分たちがこの路地を無事に抜けられる可能性もゼロに等しい。ルイズはそでの中に杖を隠し持ち、ひじでつついて合図をしてモンモランシーや女生徒たちも、用心から戦闘配置に自分を切り替える。ベアトリスも逃げたいけれども、やむを得ずに震える手で杖を握り締めた。

 モンモランシーは、あとはいつ相手が仕掛けてくるかが勝負ねと考えた。相手が馬脚を表して、攻撃をかけてきたときこそがチャンス! そのときにいっせいに反撃して、黒幕を捕縛する。その機会は恐らくルイズが作ってくれるだろう、これだけ場数を踏んでいるところを見せてくれてるんだから、きっと信頼できるはず!

 大通りと大通りをつなぐ路地はところどころで折れ曲がり、もうすぐ中間点にやってくる。周辺には自分たち以外誰もおらずに、奇襲をかけるには絶好の環境だ。あとはいつ仕掛けてくるか? 手に汗を握らせて彼女たちは一瞬のチャンスを逃すまいと身構える。

 だがそう思ったのもつかの間、モンモランシーたちは信じられないものを見た。

 

「ねえ、ちょっとあなた」

「はい、なんでしょうか?」

「エクスプロージョン」

「へ?」

 

 閃光と爆発、モンモランシーたちはおろか相手も何が起こったかわからなかった。ただ、ルイズが呼びかけたと思った次の瞬間には爆発が起こり、相手は黒焦げになって道の真ん中で伸びていたのだ。

「ちっ、意外ともろいわね」

「ルゥイズゥーッ! あんたいきなりなんてことしてくれてんのよぉーっ!」

 正気を取り戻したモンモランシーが怒鳴った。せっかくの手がかりになんてことするんだ、しかももしただの一般人だったらどうしてくれるんだと。だがルイズは平然と、すわった目をして言う。

「先手必勝よ、うだうだ待つなんて性に合わないわ。どうせほとんどクロなんだし、茶番に付き合ってやるのも面倒でしょう?」

「あ、あなたねえ……」

「それにね……いい加減待ちくたびれてイライラしてたのよね……ははっ、そういえばなんでこんなことしてるんだろうわたし? 元はといえば、サイトがだらしないのが原因なのに、ねえ!」

「ひっ!」

 その瞬間、モンモランシーたちは明白な恐怖にとらわれた。やばい、このルイズはやばい。さっきまで猫をかむっていたが、やはりルイズはルイズだった。前にも何度か見たことがあるが、まるで噴火寸前の火山のように怒りのマグマが溜まりきっている。すなわち、才人という発散先がなくなったから、今のルイズは歩く爆弾に等しいということになる。

「さぁて、どうせコソコソ隠れてチャンスをうかがっていたんでしょうが、さっさと姿を現しなさい!」

 ルイズ得意の爆発の連続が、路地の左右の建物の壁を破壊する。れんがやしっくいが飛び散って、大きな穴が黒い口を開けた。

 すると、粉塵の中からさらに信じられないものが現れた。まるで大蛇のように太く、先端に大きな赤い針のついた植物のつるが何本も飛び出して、ルイズたちに襲い掛かってきたのだ。

「きゃああぁーっ! な、なによあれぇーっ!?」

 何人かの女生徒が、あまりのグロテスクさに悲鳴をあげた。しかし、ルイズは臆することなくパニックに陥りかけている級友たちに叫んだ。

「やっぱり人間の仕業じゃなかったわね。みんな、こいつがギーシュたちを刺した犯人よ! あの針に気をつけて撃ち落すの!」

「ひぃ! 無理、わたしたちにそんなことできっこないよぉ!」

「泣き言を言う弱虫を守ってあげるほどわたしは暇じゃないわよ。未来の後輩にかっこ悪いところを見せたいなら、さっさと逃げ出すがいいわ!」

 それだけ叫ぶとルイズは爆発を連打して、触手のようなつるを次々に粉砕していった。

 級友たちはその光景をすごいと思うと同時に、少しだけ落ち着いた頭で考えた。

『未来の後輩にかっこ悪いところを……』

 彼女たちの視線の先には、杖を握り締めたままで震えているベアトリスがいた。あまりの出来事に脳がついていけずに、涙目になったままで逃げることすら忘れてしまっている。

 そうだ……わたしたちには、わたしたちにもできること、やらねばならないことがあった。ルイズのような勇気はなくても、わたしたちだってやれることをやるために来たんだった!

 ルイズはエクスプロージョンではない、おなじみのほとんど詠唱を必要としない失敗魔法の爆発でつるを撃破していた。しかし、つるは一本や二本を切っても即座に次が来るために、モンモランシーや数人の女生徒が援護してくれているが、次第にさばききれなくなっていった。

「くっ、数が……抑えきれないっ!」

 彼女たちの手数よりも、つるの数と再生速度が勝っていた。そしてついに撃墜しきれなかったつるがルイズたちをすり抜けて、後ろで無防備でいたベアトリスに襲い掛かった。

「しまった!」

 毒針が一直線にベアトリスの胸を狙う、足でさえ半身不随に陥ってしまったというのに、心臓に近い場所に当たったらどうなるかわからない。

「ひっ!」

 ベアトリスは、もう何度目になるかわからない死の恐怖に直面していた。しかし、死という絶対的な存在に慣れるには彼女の心は幼すぎ、また恐怖に対してもろすぎた。

 ナイフを突きつけられたときのように、体が凍って動かなくなる。魔法を使えばいいはずなのに、喉から呪文が出てこず、頭もなぜか呪文を思い出せない。目の前に真っ赤な毒針が迫ってくる、けれども目を閉じることさえできない!

『ウィンド・ブレイク!』

『ファイヤー・ボール!』

 だが、ベアトリスの視界に映っていた恐怖は、一陣の風と炎によって消え去った。突風で叩きつけられたつるが、炎で焼かれて毒針を失い、肩を叩かれたベアトリスが振り向くと、そこには杖を指して優しい顔で自分を見ている女生徒たちがいたのだ。

「ごめんね、怖い思いをさせちゃって。でも大丈夫、わたしたちが守ってあげるから」

「ま、ドットメイジの集まりだけど、大切な次期後輩にケガさせるわけにはいかないしね」

「ゼロのルイズにだけいいかっこさせたら、これまでのあたしたちがバカみたいじゃん。負債を返すときかね」

「しょうがないよ、これも先輩のつとめ。もう心配しなくていいよ、ミス・クルデンホルフ」

 言葉も表情もそれぞれ違えど、誰もがベアトリスのそばに立ち、彼女を守るように陣形を組んだ。しかし、ギーシュたちと違って戦闘経験などほとんどない素人たちだ、一撃を食らえば確実に終わる敵を前にして、歯を鳴らしたり足を震わせたりしている者が大半だ。それでも彼女たちは、自分よりもさらに非力な者を守るために勇気を奮い起こして踏みとどまっていた。

 ルイズたちの迎撃網を突破したつるが、なおもベアトリスたちを狙ってくる。

『エア・ハンマー!』

 空気の塊がつるの勢いを殺し、建物の壁に叩きつける。タバサのそれに比べたら威力は数段劣るものの、その分は別の誰かが補って、真空波が切り刻んだ後で燃やし尽くす。

 そんな彼女たちの姿を、ベアトリスは信じられないように見ていた。

 なぜ? この人たちに、こうまでして自分を助ける理由なんてあるはずないのに?

 理解不能な状況が、ベアトリスの頭の中でめまぐるしくループする。敵の攻撃は執拗に続き、逃げようとすれば背中からやられてしまうだろう。切り抜けるには、正面からこの攻撃を打ち破るしかない。だが、初めての命を懸けての真剣勝負は、少女たちの精神に容赦なく食い込んでいく。

「ははっ、早くも精神力が切れかけてきたわ。こりゃ、死ぬかもね」

「あなた方、なんで、なんで逃げないんですの?」

「あら? ミス・クルデンホルフが心配してくれるとは意外でしたわね。そりゃ、今すぐにでも逃げ出したいですわ。でも、ここで逃げ出したら、どう言うんでしょうね……心にぽっかり穴が空いてしまうような、そんな気がするの」

「そんな、わけがわからないことで!」

「そうよね。でも不思議なのよ、正直あなたのことはいけすかないと思ってた。見捨てて、いい気味だと思うべきなのかもしれないけど、優しくしてあげようと思ったら、なぜかあなたのことがかわいく思えてきたのよ」

「え……?」

 少しだけ自分を見て微笑み、また戦いに戻ったひとりの先輩の言葉が奇妙にベアトリスの心に刺さった。

 優しく……わたしに?

 これまでベアトリスは、他人にそうした行為を要求したことはなかった。他人はすべて敵か味方で、信頼できるのは身内だけ。生き馬の目を抜く世の中で、クルデンホルフの人間が生き残っていくにはそれしかないと信じてきた。

 しかし、この人たちは自分の理解を超えている。

 そのときベアトリスの脳裏に、不思議な風来坊が言い残した言葉が浮かんできた。

”世の中は、君が思っているよりも優しさのあるものだ”

 あの言葉は、こういう意味だったのか……? 呆然として見るベアトリスは、まだ心の中で目の前の現実を整理しきれていない。自分の理解を超えたことが次々と起こり、どう対応していいのかさっぱりわからない。こんなふうに人から接せられることがあるなんて思ったことはなかったし、どうしたらいいのかなんて誰も教えてくれなかった。

 でも、このなんともいえない幸福感はなんだろう……まったく理解できないのに、悪くは感じない。いや、自分はこれを知っている……無意識の中から、遠くに忘れた過去の自分が語りかけてきて、杖を握る手にぎゅっと力が入る。

 その瞬間、女生徒たちが必死に迎撃していたつるが一本、魔法をかわして先頭で戦っていた子の喉元に迫ってきた。

「きゃっ!」

 弾丸のように迫る毒針、避けるには彼女には動体視力も瞬発力も不足していた。毒針はただ相手の気配を察知して狙ってくるに違いないが、この勢いでは喉笛を貫かれてしまう。だが!

『アース・ハンド!』

 地面から伸びた土の手がつるをがっちと掴み、つるはすんでのところで止まっていた。

 すぐさま風の誰かが動きの止まったつるを切り裂き、誰が魔法を使ったのかと振り返る。

「ありがとう助けてくれて……えっ! ミス・クルデンホルフ?」

 なんと、杖を振りかざしていたのはベアトリスだった。彼女は杖を持った手を震わせて、自分でも信じられないというふうな表情で魔法を使ったようだった。しかし、杖を持ったまま立ち尽くしているベアトリスに、助けられた銀髪の少女はにっこりと笑いかけた。

「ありがとうミス・クルデンホルフ、あなたのおかげで助かったわ」

「えっ! あっ、はい。な、なにか夢中でカーッとなって、その」

「ぷっ、あなたもそんなかわいい表情することがあるのね。でもごめんなさい、元はといえばわたしたちが原因で危険な目に合わせちゃったのに、あなたに助けられてちゃ先輩失格ね。さあ下がってて、そして機会を見て逃げて」

 少女の暖かい言葉がベアトリスの胸に沁みていった。

 逃げろ? 確かにそのとおりだ、そうしたほうがいいに決まっている。しかし、本当にそれでいいのか?

「せ、先輩……わたしも、わたしもいっしょに戦わせてくださいっ!」

「ミス・クルデンホルフ! なにを」

「わたしには、今なにが正しくて間違ってるのかすらわかりません! けど、せめて最後までいっしょに見届けるくらいのことはさせてください」

「死ぬかもしれないのよ、いいの?」

「こ、怖いです! けどっ、先輩たちだって逃げるわけにはいかないって!」

 震えながら杖を握るベアトリスに少女たちは嘆息した。確かにベアトリスもメイジのはしくれだし、さっきは曲がりなりにも助けられたが、全体的に見たら足手まとい以外のなにものでもない。いや、逃げたら逃げたで足がもつれて転ばれても困るか……

「しょうがないわね。けど、戦うとなったらあなたも戦力として数えるから、泣き言を言ったら承知しないわよ」

「が、頑張ります先輩!」

「ラシーナよ、よろしくね後輩さん」

 ベアトリスを戦力に加えた少女たちは、再び襲ってくるつるを迎え撃っていった。金髪のベアトリスと並んで、銀髪を短く刈りそろえて銀色の目をしたラシーナのタッグは、ラシーナに合わせてベアトリスが同じ魔法を放つことで威力を倍加させて、毒のつるを撃ち落していく。

 

 一方、作戦が大きく狂ったメフィラス星人たちは、さらに想定外の防戦を見せる少女たちに困惑していた。

「おのれどういうことだ! なぜあんな小娘たちがこれだけの力を持っている!? これでは、先に倒したガキどものほうがおまけだったみたいではないか。これはどういうことだ、きさまら!」

「わたしたちに当てられても困りますわ。あなたの作戦の想定が甘かったということでしょう」

「それより姉さま、これじゃベアトリスのやつを捕まえられないよ!」

「なんであんなやつにあんなに味方がついてるのよ! こんなの聞いてない! なんであいつばっかり!」

「待って! それより先にユウリをなんとかしないと」

「イーリヤの言うとおりね。みんな、今のうちにユウリを回収するのよ」

「あっ! おいきさまら待てっ! おのれ、どいつもこいつも!」

 人徳のなさを露見してしまったメフィラスはじだんだを踏むが、今さらどうしようもない。宇宙において指折りの強豪として名をとどろかすメフィラス星人といえども、人の心をいいように自分のものにすることはできなかった。

 

 建物の中に潜む、十数メートルの本来の大きさを取り戻したマンダリン草。メフィラス星人によって改良が施されたそれは、持ち前の高い生命力で、切り落とされたつるを次々に再生させては送り込んでいる。古代にマンモスによって食い尽くされて絶滅したとされているが、進化の最終期にはマンモス以外の動物はまず寄せ付けないほど強力になっていたのだ。

 だが、手数の多さで圧倒したマンダリン草も、少女たち全員が戦闘に参加したことで余裕がなくなっていた。

 そして、そのわずかな隙を逃すほど、現在のルイズは甘くもなければ機嫌よくもなかった。

「ありがとみんな、これだけ詠唱できる時間があれば十分よ。根こそぎ吹っ飛ばしてあげる! 『エクスプロージョン!』」

 第二波の大型爆発がマンダリン草のつるを文字通り消滅させ、光芒は建物の奥に潜んだ本体にもダメージを与えた。並の攻撃魔法などは及びもつかない虚無の魔法の威力は、後ろで見守っていたモンモランシーたちも唖然とさせた。

「す、すごい……」

「これが、ルイズの『虚無』」

 マンダリン草は再生速度を上回る勢いで、一気につるを全部失って動かなくなった。そしてルイズは虚空に向かって高らかに叫んだ。

「さあ、これで前座は片付けたわよ。出てきなさいヤプールの手下! でないとここら一帯ごと消し飛ばすわよ!」

 ルイズの宣戦布告、それが脅しではないことは、今のエクスプロージョンの威力を見れば明白だった。

 地響きが鳴り、ルイズたちは急いで路地から大通りに避難する。そして、建物を崩して内部から巨大化して現れる身長六十メートルの黒々とした宇宙人の姿。

「うぉのれぇ! 人間ごときが調子に乗りおってえ」

「やっぱり宇宙人の仕業だったのね。その毒草を使って、サイトたちを襲ったのはあなたね?」

 ルイズがメフィラス星人が手に持っているマンダリン草を指差して叫ぶと、メフィラスは得意げに笑いながら答えた。

「そのとおりよ! オレはメフィラス星人、オレのマンダリン草の毒にかかれば、ガキどもは一生歩けない体よ! ウワッハッハ! そして動きたくても歩くことさえできないことへの負の感情が、マイナスエネルギーに変わるという寸法さ」

「っ、一思いに殺せば簡単なのに、よくもまあこんな卑劣で陰湿な作戦を思いついたものね。いいわ、あなたはわたしが倒してあげる! 覚悟しなさい」

「ウワッハッハッ! 笑わせるな、お前ごときちびすけが、このメフィラス星人を倒すだと? やれるものならやってみろ。冥土の土産に教えてやる、このマンダリン草の実から出る放射線を当てれば毒に侵されたガキどもは治るのだ」

「へえ、それはいいことを聞いたわ。じゃあ、あなたには早急に冥土に旅立ってもらわないとね」

「奪えるものならやってみろ! 踏み潰してくれるわ」

 一歩も引かないルイズとメフィラス星人との舌戦の末、戦いは始まった。建物を破壊しながらメフィラス星人はルイズを踏み潰そうと迫ってくる。だが、対して今のルイズは才人がいないためにウルトラマンAになることができない。

 それなのに、ルイズは不敵な表情を崩すことはなかった。メフィラスの巨体を前にして、さすがにかなわないと思ったモンモランシーたちがルイズに逃げようと言ってくるのに、彼女は微笑みながら答えた。

「みんな、協力ありがとう。あとはわたしがあいつを倒すから」

「倒すって!? いくら虚無でもあんなの無理よ。逃げましょう、もうわたしたちは十分にやったって」

「いいえ、虚無には頼らない。今回の事件の概要を聞いたときから、宇宙人が出てくることは予想してた。勝機はあるわ、見ててちょうだい、人間には知恵と勇気があることを!」

 つながれていた馬の手綱をとり、ルイズはさっそうとまたがって鞭を入れて走り始めた。モンモランシーやベアトリスは、ルイズの後ろ姿を呆然として見送ったが、すぐにルイズを追っていくメフィラス星人から逃れるために、逆方向に走らざるを得なかった。

「ルイズ、死なないで……」

 ここでルイズに死なれたら、彼女はまるで自分たちのために囮になったようなものだ。ルイズの考えなどはさっぱりわからないものの、せめて無事に帰ってきてくれることを祈るしかない。

 しかし、ルイズにさんざんコケにされたメフィラス星人は、ほかのものなど目に入らないというふうに足元にあるものを無差別に踏み潰しながら、馬で逃げていくルイズを追い続けた。

「待て小娘! でかい口を叩いた割には逃げ腰か? ウワッハハ!」

「ふん、案の定追ってきたわね。単細胞め、こっちよ! ついてきなさい」

 ルイズは慣れた手つきで手綱を操り、道の人や障害物を乗馬競技のようにかわしながら駆けていく。

 追うメフィラスと逃げるルイズ、両者の距離は縮まるようで縮まらず、じれたメフィラスは目から青白い光線を放ってルイズを攻撃してきた。

「わっと! 危ないわねえ」

 メフィラスの光線は、間一髪でルイズを逸れて脇の倉庫を粉々にした。降り注ぐ瓦礫を浴びながら、それでも走るルイズを見て、メフィラスはさらに調子に乗って笑った。

「ハハハハハ! 無様だな、そうしていつまで逃げられるかな? 俺を倒すんじゃなかったか? この俺を甘く見たむくいを受けるがいい」

「あと少し……このまま着いてきなさいよ」

 どうやらルイズはメフィラスをどこかに誘導しようとしているようだった。メフィラスの攻撃を黙って受け流しながら、じっと耐えて手綱を握り、やがて軍の弾薬などを貯蔵している立ち入り禁止区域に入っていった。

 星人の出現でパニックに陥っている警備兵を無視してゲートをくぐり、ルイズは弾薬庫を物色するように見渡した。

「普通の爆薬じゃあ、宇宙人に致命傷を与えるのは難しい……アレは、あった!」

 ルイズは弾薬庫から望んでいたものが貯蔵されているひとつを見つけると、その前でいかにも追い詰められたという風に立ち止まった。

「ウワッハッハッ! とうとう逃げ道がなくなったな、覚悟しろ」

「チェック・メイト」

 つかみ掛かってくるメフィラス、だがルイズは寸前のところで馬の身をかわさせて避けた。

 勢い余って弾薬庫の中に倒れこむメフィラス、もしここが普通の弾薬を充填した倉庫であったら、衝撃によって誘爆しても耐えられただろう。スカイホエールのミサイル攻撃にも耐えたくらいの皮膚は持っているのだ。

 だが、ルイズが誘導したこの倉庫に貯蔵されていたのは爆薬ではなかった。

「ぬぬ、小娘め。こしゃくなまねを……ぬ? なんだこれは! 体が、凍り付いていく」

「かかったわね。そこは水魔法で作られた凍結弾の貯蔵されてる倉庫。大型の幻獣も一撃で凍りつかせるそれを一気につぶしたら、そりゃそうなるわよねえ」

 凍結弾、それは凍結魔法を結晶の形で安定させたものを弾頭にした兵器だ。広義的には三年前にタバサの師匠のジルが使用した凍矢もこれに該当する。単価が高く、量産は難しいものの強力な兵器である。

「う、うぬぬ! こんなものでやられる、メフィラス星人ではないわ!」

「いいえ、終わりよ。知ってた? 凍った物質って、すごくもろくなるのよ」

 それはルイズの死刑宣告であった。彼女の口から、「エオルー・スール」という呪文が歌うように流れる。エクスプロージョン、しかも今度は最大出力だ。メフィラスは、罠にはまったことを悟ってもがこうとするが、凍りついた体は自由が利かない。

「や、やめろ! やめるんだぁーっ!」

「さよなら……ベオークン・イル!」

 その瞬間、白い光芒が一帯を包み込んだ。

 光が消え去った後、凍結弾の弾薬庫は跡形もなく消し飛んでいた。メフィラスの姿はどこにもなく、マンダリン草のみが赤い実をさらして残っていた。

「冥土の土産に教えてあげる。女を怒らせると怖いのよ」

 

 

 続く



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第72話  東方号完成、三日前

 第72話

 東方号完成、三日前

 

 くの一超獣 ユニタング 登場!

 

 

 メフィラス星人の陰謀は、ルイズの体を張った『星人凍結作戦』によって阻止された。

 被害に会った水精霊騎士隊の少年たちも、ルイズの手に入れたマンダリン草の実で回復し、元の元気を取り戻した。

「うお! 動く、足が動く! やった、やったぜ! ルイズ、君は一生の恩人だよ」

「わたしはむしゃくしゃしたから暴れたかっただけよ。礼なら、初陣なのに恐れずに戦った彼女たちに言いなさい」

 回復した少年たちは口々にルイズにお礼を言った。けれどもルイズは、彼らの謝辞にはそっけない態度をとって、才人に向かい合った。

「どうサイト? わたしたちもなかなかやるでしょう」

「ああ、まさかお前たちだけで、あのメフィラス星人を倒しちまうなんて思わなかったぜ。すげえな、今回はマジで見直したぜ」

「ふふん、当たり前のことよ。あんなへなちょこ宇宙人、ルイズさまの手に掛かったらちょちょいのちょいだわ」

 才人からの褒め言葉に、ルイズは上機嫌で胸を張った。もっとも才人は内心で、張る胸がもうちょっとあったらいいのになと恩知らずもはなはだしいことを思ったのだが、口にだけはしなかったのでベッドに逆戻りは避けられた。

 ほかにも、この場にはいないがモンモランシーも今頃は地下からギーシュを引っ張り出しているころだろう。別の意味で足腰が立たなくなっているかもしれないが、助けてやる義理のある人間はこの中に一人もいない。第一自業自得なのだし、あの目をしたモンモランシーに物申す勇気は誰にもなかった。

 ともかく、ルイズをはじめとする少女たちは一躍英雄として水精霊騎士隊に祭り上げられた。

「ありがとう、本当にありがとう。実は、もう二度と歩けないのかもって不安でしょうがなかったんだ。ラシーナ、おれは自分で自分が情けない。君に危険な思いをさせて、寝ているしかできなかったなんて」

「いいのよ、なにも言わないで。わたしたちは、ただやりたいことを思う様にやっただけ。でも、やっぱり実戦になると、とても怖かったわ。ルイズやみんながいなかったら、間違いなく逃げ出していた。それでも、待っているだけの寂しさに比べたら、あなたの元気な姿が見られてよかったと思う。できれば、今度からは少しずつわたしも連れて行ってほしいな」

「ああ、おれは君を守っていたつもりで、実はうぬぼれていたのかもしれない。ぼくらの進む先はいばらの道だけど、着いて来てくれるかい?」

「ええ、あなたの隣だったら、どこまでだって」

 ラシーナは、恋する少年と手を取り合って頬を染めあった。

 

 この事件を期に、少年たちと少女たちの距離はぐっと縮まったようだった。メフィラス星人は、ある意味で彼女たちの恋のキューピッドをしてくれたようだ。当人が聞いたらさぞかし悔しがるだろうが、こんなバカたちを歩けないようにしたところで、夜遊びができないことを悔しがるくらいで、むしろ看護婦に世話してもらえることを喜んだかもしれない。

 なんだ、よく考えたらこいつらはバカじゃなくて大バカだったのかとルイズは思った。だったら才人と気が合うのも、貴族らしさが足りないのも、こんなことに喜んで首を突っ込んでくるのも、ついでにどんなときでも楽しそうなのも納得いく。見習いたくはないが、なんともうらやましい人生を送っているものだ。

 

 しかし、回復した水精霊騎士隊にはヘマをした分のペナルティが待っていた。足腰が治ったのだから、当然翌日から訓練がはじまったのだが、事情をすべて知った上で待ち構えていた教官役の銃士隊員は烈火のごとく怒っていた。

「お前たち! せっかく毎日我々が時間を割いて鍛えてやっていたというのに、よくもたった二日で全滅などという失態をさらしてくれたな。子供だからと甘くしてやっていたのが間違いだったようだ。今日からは殺してくれと懇願するようなくらいに痛めつけてやるから覚悟しろ!」

「ひっ! き、教官どの、あれは我々ちょっとばかり油断していただけで、決して……」

「だまれ! あげくに非戦闘員に助けられたというのに恥じもせずにヘラヘラと、お前たちに必要なのは武力よりもまずは精神力だった。そのたるんだ根性を芯から叩きなおしてやる。今後一切、夜間の外出は禁止する!」

「えっ! そ、そんな」

 居酒屋のなじみのお姉さんに会えなくなると、幾人かの少年は思わず不満の声を口にした。が、それが悪かった。限界ギリギリのところで抑えていた教官の怒りの火に油を注いでしまったのだ。

「馬鹿者! あれだけあってまだこりてないのか。ようし、お前たちは自分がどれだけ罪深い存在なのか思い知る必要があるようだな。全員パンツ一丁で艦内一周だ!」

「えっ! そ、そんな。ぼくらは貴族なの……」

「さっさと行け! 遅れた奴はぶった斬るぞ!」

「り、了解しましたぁ!」

 白刃を抜いて怒鳴る銃士隊員に追い立てられるようにして、水精霊騎士隊は慌てて服を脱ぎ散らかすと下着一つで全力疾走していった。貴族の誇りもなにもあったものではない、胆力の点で完全に彼ら全員よりも教官一人のほうが勝っていた。

 しかし、新・東方号こと大和の艦内は広い。いくつもの階層に分かれていて、ひとつの都市くらいの規模の広大さを誇るから、一周といっても十数キロものとんでもない長さになる。もちろん、工事中だから無人ということはなく、行くところごとに作業をしている平民に「なにやってるんだあいつら?」と好機の目で見られて、パンツ一丁のギーシュたちは恥ずかしくて死にそうな思いをしながら、ひたすら走り続けたという。

 

 教官役の隊員が言ったことは脅しではなく、それからの訓練は激烈を極めた。さすがに剣だけで成り上がってきた銃士隊式の訓練は並ではなく、公務のときには女を捨てているという噂もうなづける。たるんだ根性を叩きなおす、鉄は熱いうちに打て、冷めたら思いっきり強くぶっ叩け、つまりバカが根まで染みこんだ連中をなんとかするには、徹底的に痛めつけてやる必要があるということだ。

 どっちみち、エルフの国に乗り込もうという無茶の三乗をしようとしているのだ。このくらいでへばられてはこっちが困る。若いうちの苦労は買ってでもしろ、なぜなら若いんだから。

 

 事件のその後については、ルイズから事情を聞いた銃士隊が事後処理をおこなった。物理的な被害は少なかったものの、軍の秘蔵品である凍結弾を全部使用してしまったことについては空軍から物言いが来た。しかし、星人を造船所に大きな被害が出る前に撃破できたということで、なんとか合い合いにすることができた。

 だが、女子生徒たちだけで星人に立ち向かったことについては、当然のごとくミシェルやエレオノールからきついお説教があった。

「あなたたちだけで危険なことをして、もしものことがあったらどうするつもりだったんですか!」

「で、でもお姉さま、解毒剤は手に入れたし、悪巧みをしていたヤプールの手下もやっつけたんだからいいじゃないですか」

「そんなことは別の手段でも解決できたわ! いい? あなたたちに触発されて、成果さえあげたら勝手な行動をとってもいいという人たちが増えたらどうなると思うの!」

「そ、それは……」

 エレオノールの怒声に、ルイズは自分の不見識を恥じるしかなかった。

 結局、ルイズたちについての処分は、首謀者のルイズは謹慎三日間と反省の作文三十枚、その他の者たちについては共犯ということで一日の謹慎と作文十枚が言い渡された。

 なお一般には、事件のあらましは公開されなかった。貴族の子弟が遊び歩いたあげくに色仕掛けにかかってやられたなど、世間に恥を振りまくようなものだからである。メフィラスの出現は、破壊活動をしようとしたためと説明され、倒したのは軍だと公表された。

 

 しかし、ルイズたちにとって世間の評判などはどうでもよかった。なぜなら、一番認めてほしいと思う人がずっとそばにいてくれるようになったからである。

「ただいま、ルイズ」

「あ、あらお帰りサイト、早かったのね」

「お前がさっさと帰って来いって言ったからだろうが。ったく、おれたち以上に無茶するからなお前は。心配で、おちおち寄り道もできなくなったこっちの身にもなれ。さ、メシにしようぜ」

 ルームサービスを頼んできた才人といっしょに、ルイズはその夜二人きりのディナーを楽しんだ。もちろん才人も、照れ隠ししながらも、久しぶりのルイズと二人きりを楽しんだのは言うまでもない。

 それに、モンモランシーたち、共にメフィラスと戦った女生徒たちも似たふうにボーイフレンドと仲良くできていた。気の多い男子たちにも、自分のために命がけで戦った少女たちの思いはちゃんと届いていたのだ。遅くまで語り合ったり、早い者では婚約を言い出したカップルまでいた。

 要するに、淑女の誇りを懸けた作戦『プライド・オブ・レディース』は見事に成功したのであった。

 

 ちなみに、蛇足ながら付け加えておくと、彼女のいない水精霊騎士隊の隊員たちは、涙を呑んで同僚をうらやみつつ毎夜を疲れにまかせて眠る日々を送った。また、性懲りのしの字もなく宿の女性従業員に声をかけていたギーシュが、その後三日間訓練を欠席して、四日後に骸骨かと見まごう姿でやってきたときには全員が誰だかわからなかったという。

 

 さらにもう一つ、忘れてはいけない事柄があったのを付け加えておこう。

「先輩方、おはようございます!」

「おはようミス・クルデンホルフ、今日も元気そうね。それじゃ、今日はわたしたちがあなたといっしょに街を見て回るわね。護衛としては頼りないかもしれないけど、我慢してね」

「そんなことはありませんわ、よろしくお願いします先輩方!」

 あれ以来、ベアトリスとラシーナたち少女たちはすっかり打ち解けていた。先輩と後輩という、ベアトリスにとっては新鮮な間柄に入ることで、クルデンホルフの名を一切出すことなく人と付き合えるようにもなった。ラシーナたちも、先輩と呼んでくれるかわいい子ができることはまんざらでもない。喜んで、小さな後輩の面倒を見ようとしていた。

「ふふっ、先輩なんて照れるわね。でも、やるからには真剣にやらなくちゃね。わたしたちは、東方号の工事が可能な限り能率的にいくようにお手伝いすること、気の抜けない重要な仕事よ」

「はい、でもすみません。エーコたちにあげた休暇のあいまに、思ったよりも仕事が溜まってしまったばかりに」

「いいのよそれくらい。なんでもエーコさんたちって、ずいぶん久しぶりにご姉妹と会われるそうじゃない。家族水入らずを邪魔したら野暮よ、わたしたちだってお手伝いくらいできるわ」

 少女たちは、まかせてよとばかりに胸を張った。その優しくも頼もしい様子に、ベアトリスは大きく安心感を覚えるのだった。

「申し訳ありません、このお礼は必ずいたしますわ」

「そんなにかしこらなくてもいいわよ。ああもうっ! かわいいんだからっ!」

「きゃっ! ちょっ、先輩」

 ひとりの少女がベアトリスを抱きしめて、思いっきり胸にうずめた。ベアトリスはつんけんしていたら憎たらしいけれど、おとなしくしていたら小柄でツインテールなところが幼さを引き立てて小動物的な魅力がある。下手に出て頼ってくる容姿は、母性本能というか庇護欲を思いっきり刺激するものがあった。

 連れだって、あれこれと話をしながら歩いていくさまは、すでに仲のよい学友たちと呼んでも何差し支えない和やかさをかもし出している。たまに道ですれ違う、ベアトリスと何度も会ったことのある工員などは、最初の彼女のイメージと今の彼女を合わせるのに苦労したようだ。

 ベアトリスと女生徒たちは、それぞれ命を懸けた戦いの中で隠しようのない素の姿を見せあったことで、信頼のおける相手だと確信することができたのだ。

 また、副産物的に銃士隊がベアトリスの護衛から解放されたのも大きい。せっかく仲良くなりかけたのにと残念なところもあるが、同じ街にいていつでも会えるのだからと、ミシェルは隊員たちを直接指揮して職務に精励していった。

 

 

 東方号の工事のほうも、関係性がある部署は動員数を増やされた衛士隊に厳重に警備され、作業が急がれていた。

 しかし、その作業は必ずしも順調ではない。すでに露呈していた機関部の再始動ができないという難題に加え、あまりにも巨大な翼を作る作業ゆえに、従来の空中船の要領で組み立てをしようとして失敗や事故が続発、至急新しい方式を考案しなければいけない事態に陥って、組立部門の責任者たちが頭をひねっている。

 このほかにも、翼の骨組みとなる巨大鋼鉄パイプ、表面に張られる薄い鋼板などはいずれもトリステインの鍛冶師たちの想像を絶する代物であったために、苦悩していない部署はないと言っていい。

 が、それらは彼らにとって不可能に限りなく近くても、決して不可能なレベルではなかった。

 確かに地球の工業レベルはハルケギニアを圧倒的にしのぐ。だが、それらの最初はこうして単純な棒や板をよりよく作るところからスタートしたのだ。成功は星の数ほどの失敗と汗の上にこそあるのである。

 それに、最近は工員たちの働く環境も、多少なりとて改善していた。いつもは、魔法で平民の何倍もの仕事をこなせるメイジたちが、平民の工夫たちを見下して、事あるごとに馬鹿にしにくるのがなくなっていた。

 これは、ベアトリスが見回りの際に平民の工員とメイジが言い合っていたのに遭遇し、平民とメイジの確執が大きくなることを恐れて手を打ったからである。もちろん、ただメイジに平民にちょっかいを出すなと言い渡しても、それが守られる見込みは少ない。そこで、ミシェルや銃士隊の皆に知恵を借りたところ、出された答えがメイジと平民を競わせることであった。

 内容はしごく単純で、現在製作中の東方号のパーツを、納期内により高精度に作れたほうにほうびを出すというものだ。速さや量ではなく質を競うならば、手作業の平民にも十分勝ち目がある。平民たちが奮闘するのはもちろん、メイジたちも平民に負けたら大恥だと、遊んでいる暇はなくなった。

「平民もメイジも、仕事のやり方が別なだけで本質に違いはありませんよ。職人としての誇り、それを目覚めさせてやれば、あとは余計な口出しをしなくても勝手に働いてくれますよ」

 実家が町工場をしていたという隊員から、ベアトリスが聞いたことがそれだった。上からあれこれ指図するのではなく、彼らが存分に働ける環境を作ってやって、あとは見守る。それはベアトリスにとって、発想を根本から入れ替えただけでなく、まったくの門外漢と思っていた人間からも学べることはあるということを知れる、大事な体験となった。

 

 

 霧中において大山の全容を知ろうとしているにも等しい難事業を、人々はそれぞれ自分たちなりの仕事とやり方で進めていった。

 彼らの誰もが、この新・東方号がトリステインの命運を握っていることを承知している。その真の目的を知っていても知らなくても、この異世界から来た巨大戦艦以上に強力な戦力などはないことくらいわかる。この船ならば、トリステインのいかなる兵器をもってしても進撃を食い止めることさえかなわなかった大怪獣たちと戦うことができると信じて、彼らは汗を流す。

 かつて広島県呉市のドックで、大和の建造にあたった人々もこんな気持ちだったのだろうか。日本国のすべてを懸けて建造された超戦艦大和、残念ながら価値を発揮する機会を与えられずに最期を迎える運命を辿ってしまったが、大和が希望の象徴であったことには変わりない。

 大和のたどった悲劇を繰り返してはならない。太平洋戦争でも、大和一隻を投入していれば勝てた戦いはいくつもあった。世界最強の戦艦を持ちながら、出し惜しんで戦争そのものを逃してしまった旧日本軍の愚行を繰り返してはならない。ましてや空中戦艦と改造されようとしている今、その価値は計り知れない。それ以上に、送られた希望の願いを無にしては絶対にいけないのだ。

 

 

 メフィラス星人の事件以後、造船所はさらに厳戒態勢を強いて工事が続けられた。これだけの大戦艦の建造、軍も最初からヤプールがどこかで妨害を仕掛けてくるのではないのかと警戒していたのだが、船ではなく人間を狙ってくるやり方もあるとわかるとさらに警戒を強められた。

 ヤプールは人間を見下しているが、同時に過小評価もしていない。西暦一九七二年にウルトラマンAと戦っていたときも、超獣攻撃隊TACが開発した超光速ロケットエンジンや超獣攻撃用ミサイルV7を破壊するために超獣を送り込んできている。油断したら、どこからどんな手段で襲ってくるかわからない卑怯な敵、それがヤプールなのだ。

 

 警戒態勢の強化が幸いしたのか、それから十日ほど何事も起きずに平和な日々が続いた。

 コルベールは寝食を忘れて、ハルケギニア初にして人生最大の作品に没頭し、水精霊騎士隊はボロボロになるまでしごかれる。

 

 そして、そんなある日、皆の士気を大いに高めるビッグニュースが、文字通り街の空を駆け抜けた。

 

「よーし準備いいぜ! プロペラ回せ! 風送ってくれーっ!」

 街から離れた草原でおこなわれていた才人とルクシャナが主導になっておこなわれていた実験。それが今日、ついに実を結ぼうとしていた。

 才人の合図をきっかけにバリバリというエンジン音が高らかに鳴り響き、三枚羽根のプロペラがうなりをあげて空気をかき乱していく。それは旧日本軍が開発した、最高の一千馬力エンジンとうたわれた栄の放つ目覚めのうなりであった。

 そして、この音を放つのは旧日本軍に二機種ある。ひとつは陸軍で『隼』の愛称で慕われた一式戦闘機。もうひとつは言うに及ばず、日本海軍の空の象徴である銀翼の戦士、零式艦上戦闘機・通称ゼロ戦。この両機種は極めてよく似ているが、才人の乗っている機体には海軍機の象徴である着艦フックがあった。

「やった! 動いたぜ」

 コクピットでガッツポーズをとる才人の顔が、けんか別れをした友達と十年ぶりに再会したように輝いている。

 手の中にある操縦桿、そして目の前の計器類もたった数週間ぶりだというのに嫌に懐かしい。才人は、またこのコクピットに戻ってこれたことを心から喜んでいた。

「この音、この振動……帰ってきたんだな。久しぶりだな、ゼロ戦。またお前といっしょに飛べる日が来るなんてな!」

 ラグドリアン湖での戦いで、才人が異空間から持ち帰って愛機にしていたゼロ戦はアイアンロックスの砲火を浴びて失われた。

 しかし、もう二度と乗れないと思っていたゼロ戦との再会は、思いも寄らないほど早く才人の元へやってきた。

 それは、バラックシップに吸収されて一部とされていた多数の空母。沈没せずにラグドリアン湖の上を漂流したり、岸に座礁していたりしたその格納庫の中に、多数の艦載機が残存していたのである。

 むろん、それらは海底で腐食していたが、調べてみたところ腐食の度合いは意外なほど少なかった。金属製品とは腐食に弱いものと思われがちだが、実は結構頑丈なのである。実際に大戦から六十年以上経った今でも、墜落した航空機の残骸が飛行場跡などに現存しているし、放棄されていた機体を再生させた例もある。

 それらの機体があることを知ったとき、真っ先にコルベールが飛びついたのは言うまでもない。彼は早速竜騎士やグリフォン、マンティコアなどをあるだけチャーターして残骸を運ばせた。

 残存していた空母は、才人が確認したところでは『赤城』『蒼龍』『瑞鶴』『飛鷹』の四隻。ほかにアメリカの『サラトガ』と『レキシントン』、イギリスの『ハーミス』もいたが、サラトガは水爆実験で沈んでいたために搭載機がなく、レキシントンは搭載機が旧式低性能だったので戦力外とされ、ハーミスは沈没していた上に、搭載機もゼロ戦はおろかアメリカ機に比べても格段に性能が劣るものしか積んでなかったので、サルベージは見送られた。

 結果、手に入ったものはゼロ戦十機、その他の雷爆撃機が二十機弱。ほかにもあったが、沈没時に大破していたり、腐食が激しすぎたものは放棄された。空母四隻で計三十機、まずまずの収穫といえるだろう。

 運ばれてきたそれらの残骸を使って、コルベールはさっそく復元作業を開始した。もっとも、彼には東方号の再建という大仕事があるために、代役の責任者としてルクシャナが指名された。彼女は最初、こんなガラクタをいじるなんてとしぶったけれども、「不器用なのか?」という一言に、「蛮人にできたことが、この私にできないなんてあるわけないでしょ!」と、買い言葉で引き受けることとなった。負けず嫌いな性格をうまく利用された形になる。

 そして復元対象に選ばれたのがゼロ戦だった。これならば、コルベールが一度隅から隅まで観察していたので詳細な図面が残っている。また、ガソリンや潤滑油などのサンプルもあったので、それらは容易に複製できた。それを頼りに、ルクシャナと十数人の研究員たちは、比較的状態のよかった一機をベースにして、ほかの残骸からパーツを取り出して復元を進めて、ついに一機を稼動可能なまでに修復したのだった。

「やったわ! けどすごい……本当になんの魔法も精霊の力も使わずに、鉄の組み合わせだけでこんなパワーを生み出せるなんて信じられない……異世界ね、そこにはもっとすごいものがいっぱいあるのかしら?」

 油まみれになったルクシャナの顔にも会心の笑みが浮かんでいた。

 一度本当に飛ぶゼロ戦を見ていたとはいえ、こんな鉄の塊が動くとは半信半疑だった。しかし、自分の手で一から組み上げたことにより、疑問は霧消となっていた。

 これから、完成したゼロ戦は飛行テストなどを繰り返した後で、良好であれば次の機体の修復に入る。うまくいけば、五機くらいの飛行隊を組めるようになるかもしれない。それに誰が乗ることになるかは未定だけれど、わずかでも東方号に空の守りができることになるだろう。

 かつての戦艦、大和と武蔵は護衛機のないところを一方的な空襲で撃沈されたが、東方号はそうさせない。才人は、ゼロ戦の操縦桿を握り締め、力強い爆音を聞きながら誓った。

「ゼロ戦、今度こそお前を無駄に死なせはしない。だから、もう一度おれといっしょに飛んでくれ!」

 スロットルを上げるに従って、ゼロ戦は才人の意気に答えるように轟音を上げていく。

 

 

 だが、ゴールを目指して順調に進んでいるような日々は、あと三日で工事が完了するというときに裏切られた。

 街中に響き渡るサイレンの音、そして慌てふためいて逃げていく人々の悲鳴、空から流れる竜騎士の叫び。

 

「超獣出現! 全工員は作業を中断して避難せよ! 繰り返す、超獣出現! 超獣出現!」

 

 前触れなどは一切なかった。造船所の一角に突如として出現した超獣は、そのまま周辺の建物を破壊し始めた。

 崩れ落ちていくレンガ造りの建物に、へし折られていく給水塔。超獣の巨体を前にしては、ただの建物などはひとたまりもなく次々と破壊されていく。破壊された建物からは火災も発生しだし、青空に黒煙がたなびきだした。

 しかし、超獣の暴虐が黙って見過ごされるはずはない。勇敢な騎士の乗ったドラゴンやグリフォンがすぐに駆けつけて、魔法や魔法武器での攻撃をはじめる。さらに、ゼロ戦のテスト飛行中であった才人も、そのまま機首を翻して現場に急行した。

「あいつか! 白昼堂々現れるとはいい度胸だ。ここから先に進めると思うなよ」

 コクピットからガラスごしに超獣を眺めて才人は気合を入れた。ゼロ戦は連日の調整のかいがあって、エンジンは快調そのものだ。

 旋回しながら才人は超獣の特徴を確認した。前に向かって大きく突き出た一本角と鋭い牙を持つ口、大きなハサミになっている手、緑色の胴体には女性の乳房に似た突起物が八つついている。

「くの一超獣ユニタング……ヤプールめ、とうとうハルケギニアにも超獣を投入してきやがったか」

 アルビオンでのバキシムとブロッケンを最後として、ハルケギニアに超獣が出現した事例がない記録はこれで破られた。それはすなわち、ヤプールがハルケギニアを攻撃するのに現地調達の怪獣を使わなくてもよいくらいに戦力が回復したことを意味する。今後ヤプールの攻撃はどんどん激しくなっていくだろう。この超獣はその先兵ということか。

「狙いは当然東方号だろうけど、近づけさせやしないぜ!」

 才人はパイロット用ゴーグルを下げると、乾いた唇をぺろりとなめた。操縦桿にぐっと力を込めてから力を抜き、計器をすばやくチェックする。油温、油圧、残燃料にフラップ、どれも問題はない。

 いくぞと覚悟を決めると、才人は機首をユニタングに向けた。このゼロ戦には機銃は装備されていないが、その代わりに魔法アカデミーやコルベールが作ったいくつかの新兵器が搭載されている、実戦テストにはもってこいだ。

 操縦桿についたトリガーに指をかけ、才人は照準機のど真ん中にユニタングを入れた。ユニタングは魔法騎士隊が足止めしており、動きが止まっている今が絶好のチャンスだ。

 だが、トリガーに力を込めようとした、まさにその瞬間だった。ユニタングの姿が陽炎のように揺らめくと、半透明になって実体感を失ってそのまま……

「消えたっ!?」

 時間にしたらざっと二秒とその前後であっただろう。才人が攻撃をかけようとしていた超獣は、まるで空気に溶け込むようにして消えてなくなってしまったのだ。

 思わず才人はゴーグルを外して目をこすった。しかし、自分の目がおかしいわけではない証拠に、魔法騎士隊も標的を失って右往左往している。前後左右、下とついでに上も見渡したが、超獣の姿はどこにもない。ただ、破壊された建物の残骸だけが、ここに超獣がいたという現実を物語っていた。

「逃げたのか……?」

 ぽつりと才人は自信なげにつぶやいた。

 いったいなんだったんだ、あの超獣は? どうやらヤプール得意の異次元転送でこの空間から引き上げさせたようだが、なぜあのタイミングで回収したのだろうか。形勢が不利になったとかいうのならばわかるけれど、形勢はむしろユニタングに有利であった。あのまま暴れさせたほうが、どう考えたっていいはずなのに。

「威力偵察だったのか……? なんか、とてつもなく悪い予感がするぜ」

 あの陰湿で目的を果たすための執念深さでは右に出る者のいないヤプールにしては、出るのも引くのもあっさりとしすぎている。なにか作戦があるというのか? それも、あのヤプールのことだから、最高に卑劣で悪辣な作戦を……

 目的を失って、火災を起こしている街の上空を旋回し続けるゼロ戦。やがてルイズや水精霊騎士隊も馬で駆けつけてきたが、彼らも肩透かしを食らったことを悟ると、不吉な予感に表情を暗く染めたのだった。

 

 結局、その日は逃げた超獣に備えるために厳戒態勢が続いた。数時間後に作業は再開されたものの、万が一にも工員たちに被害を出したら、あと一歩まできているスケジュールが台無しになってしまう。

 そうして、あっという間に昼から夕方になって、やがて闇の帳が街を包んだ。

 夜襲を警戒していた才人や水精霊騎士隊も、疲れには勝てずに兵士に見張りを任せて宿に帰っていき、銃士隊も交代で睡眠をとった。

 どこから襲ってくるのかわからない超獣、兵士たちは精神をすり減らしながら夜の闇に立ち続ける。

 ルイズたちは、ユニタングが現れたらすぐに才人たちを起こせるように、彼らが眠っている間中見張りに立った。モンモランシーやティファニアなど些少の料理ができる者は、具をはさんだパンや砂糖を濃く溶かした茶を用意して待った。

 ピリピリとした、落ち着かない雰囲気に街全体が包まれていた。超獣がいつ襲ってくるかわからないという緊張感は、普通の人間からはいちじるしく安眠を奪う。熊や狼のいる山で、テントを張って安眠できるほど神経の太い人間はそういない。

 

 時間だけが過ぎていく中で、造船所には夜間作業の音が、今日はやけに無機質に響き渡っていた。

 

 一方、街全体がそんなふうになっている中で、遅くまでランプの明かりが消えずに、ペンの紙をこする音が鳴り続けている部屋があった。

 ある高級宿の特別室、とはいっても軍人が泊まる用だから質素な作りのそこを借り切っているベアトリスたち一行。すでに夜もふけて日付も変わる時間を過ぎ、ルームサービスもやっていないこの時間、普通の客ならばとっくに寝静まっているころなのに、ベアトリスは机について一心不乱に本やノートと向き合っていた。

「トリステインのワインの産地は、北部にタルブ、南部に……ゲルマニアとの貿易の統計、六千二百四十年は……」

 彼女が読んで要点を書き写しているのは、トリステインの経済に関する資料やクルデンホルフが過去におこなった交易の記録であった。それらを一通りすませると、今度はトリステイン魔法学院の教本を取り出して、座学の問題に取り組み始める。

 来年度には魔法学院に入学するベアトリス、成績を最初から取りに行くための予習だった。こうした隠れた努力も、彼女がクルデンホルフ大公国の娘として生まれたがゆえの責務……人には他人に見せない姿の一つや二つはあるものだ。

 街の状況とは関係なく、時間はただ過ぎていく。ベアトリスにさぼっている余裕はない。じっと机に座ったままペンを動かすのを、時計の針が動く音だけが見守っていたが、やがて日付が変わってからさらに数時間が経過した時刻になったとき、部屋のドアがノックされた。

「誰?」

「エーコですわ。よろしいですか?」

「ええ、入りなさい」

 ドアの開く音がして、室内にエーコが入ってきた。振り向いたベアトリスの目に、ランプの明かりに照らされたエーコの茶色い髪と気の強そうな瞳が映ってくる。夜も遅いせいか、いつもは結んでいる髪が解かれて首の後ろまで垂れ下がっている。

 なにか用かしらと問いかけるベアトリスに、エーコは逆に質問を返した。

「まだお勉強ですか? 姫殿下」

「ええ、クルデンホルフの人間が劣等生になるわけにはいかないものね。ビーコとシーコは?」

「もう寝ました。二人も今日は疲れたのでしょう」

 そう言うエーコも、どことなく眠そうな瞳をしているのにベアトリスは気がついた。

「ああ、今日、いえ昨日はまたあなたたち姉妹が全員集まったんでしたね。皆さん、お元気でした?」

「はい、皆変わりなく。今はこの街でそれぞれ仕事を見つけて働いています」

「それはいいことね。なんでしたら、紹介しにくればよろしいのに。あなたのお姉さんたちならわたしも会ってみたいわ」

 ベアトリスは残念そうな表情を浮かべた。ここ最近、何度かエーコたちには休暇を与えて姉妹たちに会いに行かせているけれど、ベアトリス自身はエーコたちの七人の姉妹とは、まだ一度も会ったことはなかった。

「すみません、皆しばらくトリステインを離れておりましたので、こちらに落ち着くまではしばらくゆっくりしたいと」

「仕方ないわね、そういえばお姉さんたちは他国ではどんなお仕事をなさっていたの? 差し支えない範囲でいいから教えてくれたら、そのうち会うときの参考になるのだけど」

 ベアトリスが尋ねると、エーコは軽くうなづいた。

「あちこちで、それこそいろいろとしていたようです。店に雇われて売り子をしていたり、少々前のアルビオンは内戦で人を集めていたそうですから、王党派にもレコン・キスタにも入ってメイドをしていたりもしたそうです」

「大変だったのね」

「ええ、ですがこうして姉妹全員で同じ街に住んで働けるようになりました。これも、姫殿下がこの街での雇用を増やしてくれたおかげです」

「そ、そんな礼を言われるようなことじゃないわ。あなたたちのことは、あくまで副次的なことなんだから……でも、はぁ……」

「どうなさいました?」

 唐突にベアトリスがため息をついたので、エーコは歩み寄ると彼女の顔を覗き込んだ。

「いえ、たいしたことじゃないわ。わたしは兄も姉もいない一人っ子だから、なんとなくあなたたちがうらやましくってね。父様は男子が欲しかったそうだけど、どういうわけか生まれたのは女子のわたしが一人だけ。おかげでねぇ……」

 口を閉ざしたベアトリスの言葉の先はエーコにもなんとなくわかった。本来男子が担うべき役割を押し付けられて、かなり息苦しい思いをしたに違いない。将来ベアトリスに婿をとらせてクルデンホルフを継がせるにしても、クルデンホルフほど大きな貴族では容易に他者を信用はできまい。それで、自然とベアトリスに女子としては過大な期待がかかることになる。

「ふぅ、どうでもいいことを言っちゃったわね、忘れてちょうだい」

「そうおっしゃられるのであれば、わたくしはそうするのみです。ところで姫殿下、そろそろ夜も遅いです。お休みになられるべきかと」

「そうね……じゃあ後数分、今やってるところを切り上げたら寝かせてもらうわ」

 そう言うと、ベアトリスはエーコに背を向けて机に再び向かった。

 エーコが覗き込むと、机の上には彼女の歳ではかなり難しめと思われる教本と、びっしり書き込まれたノートが置かれていた。きっと幼い頃から家庭教師に厳しく仕込まれてきたのだろう。集中して勉強に取り組んでいるベアトリスに、エーコはそのまま立ち去るべきかと思ったが、ふと彼女の背中から話しかけた。

「毎晩、勉強熱心でいらっしゃいますね」

「一応はね、本当はわたしも夜遊びとかしてみたいと思わないわけじゃないけど、わたしにはお父様とお母様の期待がかかってるから。お父様が一代でのし上げたクルデンホルフの将来はわたしにかかってる。いつか受け継ぐ日のために、魔法学院の主席卒業くらいは当然……そういうことよ」

「大変ですね……」

「そうでもないわよ。わたしはクルデンホルフに生まれたことを嘆いたことは一度もないわ。むしろ、なによりも誇りに思ってる。でも、まだまだクルデンホルフは金だけで伝統のない成り上がりと馬鹿にする連中も多いわ。だからね、そんなクルデンホルフを認めようとしない頑迷な古臭いだけの貴族は、将来わたしが思い知らすの。お父さまが築いたクルデンホルフは、わたしが世界一の貴族にしてみせる」

 強い決意が言葉に込められていた。人は目標を果たすための努力ならば苦痛にならない。少なくとも、ベアトリスにとっては、この程度の努力は苦痛とならずに、快い刺激と感じられているのだろう。

 しかし、熱意をペンに向けているベアトリスの背中に送られるエーコの視線には、好意以外の冷たい色が含まれていた。

「そうして、クルデンホルフが大きくなるために、いくつの貴族が犠牲にされてきたかご存知ですか……?」

「え? エーコ、なにか言った? ちょっと、悪いけど聞き取れなかったわ」

「いえ、なんでもありません。おやすみなさいませ……」

 ベアトリスの耳に、規則正しい足音の次にドアの閉まる音が響いて、また部屋は時計の音のみが鳴る空間に戻った。

「変なエーコ……ふわぁぁーっ……わたしもそろそろ寝ましょうか」

 大きなあくびをしたベアトリスは、教本とノートを閉じると机のランプを消した。

 部屋のベッドは丁寧にベッドメイクがされており、疲れた体を暖かく包んでいく。

「わたしが、ハルケギニアの女王になったら……大臣には、えー……参謀には、びー……くぅ」

 寝言ともつかないかわいらしい声が流れ、後の寝室には小さな寝息だけが残った。

 

 

 人それぞれの人生、夜はそのすべてを平等に包み込んでゆく。

 だが、夜よりもはるかにどす黒い闇の化身、ヤプールは人々の不安を栄養源として、さらなる邪悪な策謀をめぐらせていた。

 街の一角のとある二階建ての建物。どこにでもある安家賃だけがとりえのアパルトマン、地球で言えばアパートに該当するであろう、この街で働く平民や、その家族が住んでいる、なんの特徴も持たない古ぼけた建物。そんな何百軒もあるただの集合住宅の一室において、人々の希望や多くの命を踏みにじろうとする陰謀が企まれていたとしたら、シュールだと人は笑うだろうか?

 けれども、世の人々を震撼させる数多くの凶悪な犯罪や事件は、そのほとんどが何の変哲もない普通の街の中で起きているのだ。

 人は自分の日常が、ある日突然壊されるとは思わない。いや、思いたがらない。だから、壁ひとつだけ隔てた隣室の住人が自分を刺し殺すための包丁を研いでいて、その音が漏れていたとしても、大方の人は事件が起きた後でしかそのことを思い出さない。

 その心の隙間こそに、悪意が誰にも気づかれずに入り込む隙があるのだ。

 アパルトマンの、それなりに広く家族連れなどが入る部屋。そこでヤプールの使者は、先兵たちに指令を与えていた。

「まずは、作戦第一段階成功というところだな。よくやった、あれでこの街の人間どもには超獣の姿が強くすりこまれたことだろう。おかげで、眠ることすらままならない人間たちのあいだには不安がつのっている。いいざまだ」

「相変わらず趣味が悪いわね。あなたの嗜好などに興味はないわ、さっさと明日からの計画を話しなさい」

 ヤプールの使者、顔を仮面で隠した男と相対していたのは金髪をした長身の女だった。彼女の周りには、年頃や見た目も様々な少女が立ったり、椅子に腰掛けたり、床に座り込んだりしながら一様にこちらを見ている。その数は六人、全員が先日にメフィラス星人の元で暗躍していた女たちだ。

 彼女たちは、射殺すような視線を送ってヤプールの手下を牽制する。その視線の圧力は、並の男ならば冷や汗をかいて口調をどもらせてしまうだろう。しかし、ヤプールの手下はむしろ楽しそうに笑った。

「くくく、全員いい目をしている。猜疑心に満ちた、その冷たい目こそ我らヤプールの同志としてふさわしい」

 悪意の塊であるヤプールに、悪意を向けても効果はないに等しかった。女は軽く舌打ちすると、この相手がメフィラスとは違うことを認識せざるを得なかった。

「余計なお世話よ。無駄話をしていないで、さっさと用件を言いなさい」

「嫌われたものだな。いや、それともまだためらいがあるのかな? なにせ、お前たちは元々人間、この街の人間どもを皆殺しにする手助けをするのは、怖くなったか?」

 仮面の裏から、小ばかにするような笑いが響いて少女たちは歯噛みした。赤毛の少女が、「この野郎」とつぶやき、ナイフを持って立ち上がる。しかし金髪の女は赤毛の少女を制し、ヤプールの使いに厳然として言った。

「あなたたちと契約して、人間をやめたときから躊躇などはないわ。いずれ人間は滅びる、けれど私たち姉妹はあなたたちの配下となる代わりに生き残らせてもらう。そういう約束だったわね」

「ふ、そこまで言えるのならば問題はなかろう」

「代わりに、私たちの条件も忘れないでね。ヤプールの作戦は手伝う、ただしクルデンホルフの小娘だけは私たちが始末するわ。あの苦労知らずの小娘に、地獄の苦しみを与えてやるために」

 憎悪の炎が煮えたぎる女の目。ヤプールの使いは、それこそが見たかったとばかりに笑った。

「ふははは、そんな純粋な怨念を妨げる理由などはない。好きにするといい……復讐、これほど甘美な響きもあるまい」

「余計なことを言わないで」

「ふふ、いや……お前たちの気持ちはわかるさ。私も、今は人の姿を模しているが、内には復讐の炎が燃え滾っている。ウルトラマンAから、この身に受けた痛みと屈辱は忘れはしない。アルビオンでの借りを何十倍にして、今度こそ奴を八つ裂きにしてくれる!」

「勝手にするといいわ……」

「フッ、間もなく私も出る。お前たちも、せいぜい働いてもらうぞ……フフフ、ファハハハ!」

 部屋の明かりにヤプールの使者の影が照らし出され、巨大な角と鋭いとげを生やした腕を持つ本来の姿があらわとなる。

 悪魔の化身と、悪魔に魂を売った少女たち、その怨念が解き放たれるときは近い。

 

 

 続く



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第73話  悪魔に魅入られた姉妹

 第73話

 悪魔に魅入られた姉妹

 

 くのいち超獣 ユニタング 登場!

 

 

 人には歴史があり、歴史とは過去の積み重ねに他ならない。

 生きるうえで、人間は他者と関わりを持たずに過ごすことはできない。それは友人関係だったり、買い物で店員と話すなど大小さまざまで、いちいち数えていたらきりがない。

 しかし、人と人との関わりは、必ずしも直接会ったことによるものだけとは限らないのだ……

 

 クルデンホルフ大公国の一人娘、ベアトリスに仕えるエーコ、ビーコ、シーコの三姉妹。彼女たちはトリステインのある貴族の出身で、実家が没落していたところをたまたま側近になりうる人材を求めていたベアトリスに拾われた。

 それ以来、彼女たちは貧しい生活から救ってくれたベアトリスへの恩を返すため、彼女の手足となって働いている。その献身ぶりは恩義を受けているからとしても非常に熱心で、ベアトリス自身も歳が近いこともあって彼女たちを非常に信頼していた。

 が、ベアトリスは彼女たちを”偶然”見つけただけだと思い込んでいるが、本当にベアトリスとエーコたちが偶然出会ったという証拠はどこにもない。世界は複雑にからんでつながっている。初対面だと思っていた相手が、過去にどこかで関わっていたことなどはざらにある。

 だが、普通ならば「奇遇だね」の一言で、笑い話ですむものが、時として思いもかけない因縁を秘めていることもある。

 

 少し時間をさかのぼり、小さな昔話を語らねばならない。

 それは、決して特別な人間ではなく、ごく平凡なある貴族の姉妹の物語。

 

 ……昔、といってもほんの半年ばかり前のこと、トリステインにとても仲のよい十人の姉妹がいたという。

 トリスタニアに建てられた、大きくてきれいな屋敷。

 庭には花が咲き乱れ、白亜の大理石でできた邸内はきれいなクリスタルのシャンデリアに照らされて夜でも明るい。

 そんな屋敷に、その姉妹は父や母といっしょに住んでいた。

 

 責任感が強く、妹たちのことをいつも思っている長女セトラ。

 働き者で、姉妹の世話を一手に引き受けている次女エフィ。

 頭がよく、姉を支えることを生きがいにしている三女キュメイラ。

 姉にあこがれて、勉強にいそしんでいる四女ディアンナ。

 堅苦しいことを嫌い、貴族である自覚もなく遊び歩いている赤毛の五女ユウリ。

 おしとやかで、一つ上の姉のことをいつも心配している六女イーリヤ。

 自由奔放で、思ったことをすぐ口にする七女ティーナ。

 そして、姉たちの愛に包まれて育った三つ子の八女、九女、末娘。

 

 彼女たちは、裕福な家庭で何不自由なく暮らしていた。

 父は国の仕事で忙しく、めったに帰ってこないものの、その分の愛情は母から与えられ、彼女たちは仲良く健やかに育っていった。

 

 そんなある日、久しぶりに家に帰ってきた父が、母と話しているのを姉妹は立ち聞きした。

「まああなた! そんな大役をおおせつかるなんてすごいわ。本当なんですの?」

「もちろん本当さ。今度、トリステイン軍の大幅な改編増強がおこなわれることになる。それで、私にその施設の一式を築き上げる任務が与えられたのさ。わかるかい、そうなれば私は数千人を指揮する大監督さ」

「わかります、わかりますとも……こんな名誉……いいえ、ついにあなたがトリステインに認められたのですね」

 涙ぐむ妻の肩を、夫は優しく抱いた。

「泣かないでくれ、まだ始まったわけでもないのだからね。でも、長年トリステインのために努めてきたのが、ようやく認められたのは私も大変うれしいのだ。姫殿下には感謝しなければならん」

「ええ、あなたの献身ぶりに私心がないのは誰が見てもわかりますもの」

「ありがとう。しかし、そのせいでお前や娘たちにはずいぶん寂しい思いをさせてしまった。だが、この仕事が片付けば位も上がり、収益も増えて家に帰れる時間も増えるだろう」

 

 そこまで言ったとき、部屋のドアが開いて彼の娘たちが部屋になだれ込んできた。

 

「父さま、今のお話ほんと!?」

「これからずっと家に帰ってきてくれるの!」

「こらあなたたち、お父様になんて失礼な態度なの。ちゃんと淑女としてふるまいなさい」

「そういうエフィ姉が一番ドアにかじりついて覗いてたくせに、よく言うぜまったく」

「はーい! ティーナもユウリといっしょに見てました。まちがいありませーん!」

「ちょ、あなたたちそれは」

「もう、姉さまたちはいつもそうなんだから。ほら、みんなしゃんとしなさい」

「まったく、どちらが姉か妹かわからないわね。イーリヤは六番目なのに、わたしたちの中で一番しっかりしてるんじゃないかしら? さあみんな、お父さまにご挨拶よ」

 長女がつややかな金髪をなびかせながら諭すと、姉妹は一列に並んで父の帰宅を祝った。

「お父さま、お帰りなさい!」

「ああ、ただいま。みんな、元気にしていたようでなによりだ」

 娘たちに祝福されて、父は心から満足げに微笑んだ。

 と、しかしそこに三人ばかりが足りないことに気がついた。

「おや、エーコたちがいないようだな?」

「まったくあの子たちったら、せっかくお父さまが帰ってきたというのに、照れてるのね。エーコ! ビーコ! シーコ! 早くいらっしゃーい!」

「は、はーいっ!」

 三人の声が唱和され、どてどてと慌てた足音がしてドアから三人の少女が飛び込んできた。三人とも部屋着が乱れて息も切らし、茶色と金色と緑の髪も飛んでしまっているけど、久しぶりに会う父を目にすると表情を輝かせた。

「お、お父さま! お帰りなさいませ」

「ただいま、また少し大きくなったかな? さあおいで、再会の接吻をしてくれるかな?」

 三人の娘は、それぞれ父の両ほほと額に軽くキスをした。姉たちは、その様子をなんとなくうらやましそうに見ていたが、ぐっと我慢して見守っていた。この中で、もう半年近く帰ってきていなかった父とずっと会いたがっていたのは、ほかならぬ末っ子の三人だということは、みんなよく知っていたからだ。

 でも、父はそんなことはお見通しだった。

「ははっ、セトラ、エフィ、お前たちも遠慮することはないんだぞ。家族なんだ、みんなこっちに来なさい」

 そうして、父と娘たちは久方ぶりの再会を喜び合った。さすがにすでに大人の仲間入りをしている長女から四女までは恥ずかしがって、五女のユウリはつーんとそっけない態度をとったものの、結局はみんな父のことが好きで、わいわいと騒いで幸せな時間をすごした。

「ところでお父さま、これからはずっと屋敷に戻ってきてくださるってほんと?」

「ああ、本当だとも。この計画はすでにマザリーニ枢機卿が裁可され、アンリエッタ姫殿下の認可も下りている。あとは私が開始の合図をするだけさ。これまではたまにお土産をもってきてやるくらいしかできなかったけど、終わったらみんな揃って旅行にでも行こう」

「わーい! じゃあティーナは海に行きたいな」

「でしたら、わたしは火竜山脈で温泉などとお望みしたいのですけど」

「ああ、どこでもいいさ。みんな行こう!」

 旅行の行く先を考える声が途切れずに流れ、家族の楽しそうな笑い声がいつまでも続いた。

 

 しかし、家族の幸せは長くは続かなかった。

 

 姉妹の父は、有能で、かつ誠実な人柄で部下を取りまとめ、与えられた仕事を着々とこなしていた。トリステインへの忠義心に溢れる彼は、真面目に一心不乱に働き、スケジュールは常に前倒しで上層部も彼に大きく期待するようになっていた。

 ところがある日を境に、姉妹の父をとりまく環境は一転する。

「建設資材が届かないだって? なぜだ、今日には確実に運ばれてくるはずだろう」

「それが、契約した材木商と今朝から連絡がとれません。商店の者たちも姿を消しました、もしかしてペテンにあったのでは……」

「そんなバカな! 絶対に信頼できる相手だったはずだぞ。私も何度も店主とは会った、急に魔が差したとでもいうのか!」

「どうします。すでに費用は振り込んであります、これを逃せば大損害に……」

 それが始まりであり、二度と栄光の戻ることのない悪夢の序の口だった。

 

「大変です! 先日雇ったばかりの平民たちが現場の道具を盗んで逃亡しました!」

「駄馬の小屋が野犬に襲われて、馬が多数死傷しました。これでは資材を運べません」

「火薬庫から火の秘薬が消えています。軍が責任は誰がとるんだと、押しかけてきておりますが」

 

 これはほんの氷山の一角である。連日連夜、それまでの快調が嘘であったかのようにトラブルが続き、仕事の能率は見る見るうちに下がっていった。

 むろん、彼は全力を持ってトラブルが起こるたびに解決に努めてきた。しかし、彼の努力をあざ笑うかのように次々に新たなトラブルが生まれ、しかも信じられないことにそれらのトラブルのほとんどが原因に身に覚えがなかったり、原因不明で起こったことばかりだったのである。

「主任、これはもう、誰かが我々の妨害をしているとしか思えません」

「誰かとは、誰だ? このトリステインの将来のかかった大任を、誰が邪魔しようというんだ? 人を疑うものではない、私たちは私たちにできることをやればいい……」

「主任……」

 彼にとっての不幸は、皮肉にも彼自身が善人であったことだろう。もう少しひねくれた人間ならば、現状を別の方向から眺めて方向転換するくらいはできただろうが、彼はまっすぐすぎた。

 だが、彼の努力もむなしく、事態は悪化の一途を辿っていった。上層部も当初は彼の前歴と人柄から大目に見てきたが、次第に冷断な態度に変わっていき、さらに予算を大きく上回る支出を食い止めるために、彼は私財を食い詰めていった結果、財産は底をつき領地も借金のかたに消えた。

 彼の顔は疲労でこけ落ち、生気は消え去った。

 ある夜、変わり果てた姿で彼は唯一残った財産である屋敷に帰ってきた。そして、そのとき沈みきった声で話し合う彼と妻の会話を立ち聞きしたのが、姉妹が聞いた最後の父の声になった。

「あなた大丈夫ですか? そんなにお痩せになってしまって、お願いですからもっとご自愛なさってください」

「なあに、まだ大丈夫さ。倒れてなんかいられない……私には、トリステインの将来がかかっている」

「いいえ、お願いですからお休みになってくださいませ。我が家の財産もほとんど使ってしまって、もうこの屋敷には使用人すらおりません。それはよいとしても、あなたにもしものことがあれば、私はともかく娘たちはどうなるのです!」

「心配するな、金の工面ならばクルデンホルフが融資してくれることになった……このときさえなんとかすれば、きっとまたうまくいくようになるさ。そうすれば、みんなで……」

 翌朝早く父は出て行き、姉妹は父と話す機会さえなかった。

 それから姉妹が伝え聞いた父の話が、目を覆わんばかりであったことはいうまでもない。

 そして、運命の日はやってくる。ある日、姉妹たちは全員で金の工面のために出かけていた。その途中で父が帰ってきていると聞き、姉妹は急いで屋敷に戻った。

 しかし、そこで待っていたのは姉妹を絶望のどん底に叩き込む光景だったのだ。

「ねえお姉さま……なんでおうちが燃えてるの……ねえ、なんで?」

「お父さま、お母さま……?」

 呆然と立ち尽くす姉妹の前で、彼女たちの屋敷は業火に包まれていた。

 それからの記憶は、全員があいまいでまともに覚えているものはいなかった。しかし、焼け跡から父と母のものと思われる結婚指輪をした焼死体が発見されたとき、少女たちは自分たちがすべてを失ってしまったことを悟った。

 父と母は、仕事の行き詰まりと借金を苦にしての心中だと世間に判断され、両親も家もなにもかもなくしてしまった少女たちの地獄がはじまった。

 貴族の屋敷から路上に放り出された姉妹は、慣れない手でその日の銭をやっと稼ぐだけで精一杯だった。破産した貴族への国からの援助も、国の事情に悪影響を与えた者の一族だからないと言われ、親戚や父の友人だった者たちも、あいつの一族など疫病神だと、助けてくれるところはなかった。

「トリステインも親戚連中も親父のダチだって言ってた奴らも、みんな手のひらを返しやがって! 畜生、親父がてめえらのためにどれだけ命を削ってがんばったと思ってるんだ、裏切り者どもめ!」

 ユウリの怒声が姉妹全員の思いを代弁していた。

 そんなとき、姉妹の耳に父が生前取り組んでいた事業の噂が入ってきた。あの事業は父の死後、成り上がりで有名なクルデンホルフが後を継ぎ、危なげなく進めてすでに一部の施設の稼動が始まっているという。もちろん、父のときにあった理不尽なまでのトラブルは一切なく、恐らくクルデンホルフが前任者を陥れて主任の座を奪うために画策していたのだろうと、まことしやかに語られていた。

「クルデンホルフ……そいつが、お父さまを死なせた本当の敵なのね」

「許さない、絶対に……」

「それに、そんなやつをのさばらせて平然としてるトリステインも、誰も手を差し伸べてくれなかったこの世界も、なにもかも大嫌い!」

「殺してやる、皆殺しにしてやる。親父の敵も、こんな国も、世界も」

「もうあたしたちには、みんなしかいないもの」

 セトラからティーナまでの七人に、ほんの少し前まで平和に暮らしていたときの明るさは微塵も残っていなかった。ただ、受け入れたくない現実に耐えるために今を呪い、最後に残った姉妹の絆だけを頼りにする限界の儚さ……

 また、エーコ、ビーコ、シーコの三人も疲れきっていた。

「ビーコ、シーコ、大丈夫? つらいけど、もう少しがんばって」

「うん、わたしは大丈夫……でも」

「おうちに、帰りたいね」

 自分より下の子を守らなければという、使命感からの精一杯の空元気。怒る元気すらなくなって、幸せだったころを思い返すしかない虚無感。

 小さな、しかしとてつもなく深くて黒い絶望の闇。煮えたぎる憎悪の渦……しかし力を持たない彼女たちにできることはなく、怨念の炎は十姉妹の中で日増しに巨大になっていった。

 そんな、ある雨の日だった。橋の下で雨宿りをしていた姉妹のもとに、地獄から這い出てきたような気配を漂わせる、あの男が現れたのは。

「この世界が憎いか? 父の仇に復讐したいか? ならば我々が力を与えてやろうではないか」

「だ、誰! あなたは!」

「クロムウェルと、空の上の国では私のことをそう呼んでいるな。だが、そんなことよりもお前たちが欲しいのは、復讐を果たすための力だろう? 与えてやろう、お前たちのすべてを奪ったものを壊せる悪魔の力を」

 この当時トリステインで話題にされていたレコン・キスタの首領と名乗った男の言葉を、姉妹は寒さとは違う震えの中で聞いていた。

 常識で考えれば、アルビオンでレコン・キスタを指揮しているはずのクロムウェルがこんな場所に現れるはずはない。それなのに、男の声は心臓を凍えさせるような冷たさで、耳をふさぐことすら許さずに心に忍び込んでくる。信じられないと理性は思っても、本能が恐怖という形で体を震わせるのはなぜか。それは、このときすでに人間のクロムウェルがこの世に存在しないということで説明がつくのである。

 そして、クロムウェルの姿を借りた悪魔の化身の言葉は、負の感情に塗り込められていた姉妹の心を支配していった。

 姉妹の誰の目にも色濃く映る、疲労と絶望の暗黒。長女セトラは覚悟を決めた。

「本当に、あのクルデンホルフを地獄に落とせる力が、手に入るというのね」

「ああ、だがその代わりに……」

「わかったわ、どうせこんな世界に未練などない。けど、こちらもひとつ条件がある……」

「よかろう、契約は成立だな」

 その日、トリステインから十人の人間が姿を消した。しかし、それに気づいた者はいなかった。

 

 嘘のような、本当の話。悲劇の女神に氷の吐息をかけられた、ただの姉妹の物語……

 

 しかし、現実という物語はつむぎつむがれ絡まりあって、はてしなくめまぐるしく変わりゆく。

 世界が侵略者の魔手にさらされ、人々の生活が脅かされ続ける中に、十姉妹はどこからか帰ってきた。

 彼女たちはそれぞれ一人、もしくは数人のグループに分かれて世界中に散っていった。そこで彼女たちがなにをしていたのか、知る者はない。

 そして今、姉妹は新・東方号の建造されている造船街に集まってきた。

 はたして、彼女たちが授かった悪魔の力とはなんなのか。それを授けた悪魔の思惑も重なり、破滅の門の入り口は誰かを飲み込むべく、すぐそばまで迫ってきている。

 

 ひとつの夜が明けて、朝が来た。しかし、太陽の光は必ずしも人の心にまで差し込むとは限らない。

「超獣だぁーっ!」

 家を壊し、店を踏み潰す異形の獣。再度の襲撃におびえていた人々は逃げ惑い、広くない道を川のように流れる。

 昨日に引き続き、再び現れた超獣ユニタングはハサミ状になった手で頑丈な石造りの建物も容易に破壊し、街の一角から艦船の建造がおこなわれているエリアに進撃していく。

 目的は当然、東方号であろう。というよりも他に考えられるものはない。工事も最終段階に入り、明日には出港して飛行テストもおこなわれようかという、まさにこのタイミングにおいて、なにがなんでも発進を阻止しようというヤプールの思惑は阿呆でもわかる。

 しかし、そうはさせじと待ち構えていた軍の竜騎兵や緊急発進してきた才人のゼロ戦が迎え撃った。

「やっぱりきやがったか! 今日こそ逃がしはしねえぜ。ルイズの姉ちゃん発明の新兵器、今度こそおみまいしてやる!」

 必ずもう一度襲ってくるものと信じて、才人はいつでも飛び立てるようにゼロ戦のコクピットの中で寝て待っていた。硬い座席に毛布を引いて耐えていたかいがあり、待ちに待ったチャンスの到来に意気はすでに最高潮だ。

 ユニタングについての情報はすでにGUYSメモリーディスプレイから引き出して、対策となる秘密兵器も用意した。

 ゼロ戦を旋回させて、才人は操縦桿のトリガーに指をかけた。すでにユニタングには竜騎士が魔法で炎や電撃を浴びせている。効果は薄いようだが、気を引くには十分だ。才人はユニタングの正面から軟降下をかけると、五十メートルほどまで近づいたところでトリガーボタンを押し込んだ。すると、ゼロ戦の翼の下に取り付けられていたフットボールのような物体が四つ外れてユニタングの足元に落ちた。

 外れたのか? ゼロ戦の攻撃を見ていた竜騎士のひとりはそう思った。もっとも、あれが爆弾でも、あんなに小さければたとえ直撃したとしてもダメージにはならなかっただろうと、彼は次に考えた。

 しかし、外れたフットボール状の物体は地面に落ちると、陶器製の本体が割れて中からゲル状の液体が流れ出してきた。すると時間差で内部に仕込まれた少量の火薬が発火して、高い可燃性を持っていたと思われるゲル状の液体は一気に高さ数十メートルにも及ぶ火柱を吹き上げた。

「やったぜ! 魔法アカデミーも伊達じゃねえな。よく燃えてるぜ」

 才人はコクピットの中で快哉をあげた。ユニタングは突然目の前に起こった火炎地獄に驚いて、さらに体の一部にゲル状の液体がかかったところが燃え上がってひるんでいる。

 これがゼロ戦に搭載されていた新兵器、火炎爆弾であった。王立魔法アカデミーは以前、怪獣ザラガスを倒すことができた火石の爆弾に相当するものがなんとか作れないかと苦心したあげく、一つの結論として爆発的に燃える性質を持った油の一種を散布して命中範囲を焼き尽くす爆弾を作り上げた。地球で言えばナパーム弾に相当し、内部に詰める特殊な油の錬金がアカデミーの数人のメイジにしかできないことを除けば、火薬の爆弾とは比較にならない威力を発揮することが証明された。

「さすがはルイズの姉ちゃん、恐ろしいもの作ってくれるぜ。けど、ユニタングには通常の攻撃は効かないからこいつはいいぜ!」

 ユニタングは火炎爆弾で作られた炎で足止めされ、さらには右腕が激しく燃え上がって苦しんでいる。ユニタングはある理由によって、体をバラバラにされても再生できる能力があるために、物理的な攻撃では効果が薄いと判断したのは正解だったようだ。ユニタングは胸から腹に並んでついている乳房状の突起から白い消火剤を噴出して消しとめようとしているが、高位の錬金で作られた油の炎はそう簡単には消えない。むしろ、爆発の影響が強すぎて、周辺を飛んでいた竜騎士があおられているほどである。

「ようし、あとはルイズたちが来たらエクスプロージョンで一気に大ダメージを……なにっ!?」

 今度こそは倒してやると意気込んでいた才人はその瞬間絶句した。ユニタングは、才人や竜騎士たちがいっせいに攻撃態勢に入ったと見るや、またしても反撃せずに発光して消滅してしまったのだ。

「くそっ! また逃げられたか」

 思わず風防のガラスをこぶしで叩いたが、もうユニタングはどこにもいなかった。後には破壊された町並みと、火炎爆弾の炎がまだ消えずに燃え続けており、その周囲を竜騎士隊がやはり呆然とした様子でうろうろと飛び回っていた。

 肩透かしを食わされた人間たちは、やっと駆けつけてきた軍の主力部隊や、この時のために精神力を温存してきたルイズも含めて、一様に悔しがらずにはいられなかった。

 

 再び姿を消した超獣ユニタングに対して、人間たちは怒りを胸にして次に来るときに備えるしかできなかった。

 いかに相手が超獣とはいえ、万全の態勢で迎え撃つことができれば、現有の兵器だけでも有利に戦うことができる。そう信じて武器を調えて、訓練を積んで戦いに望もうとしていた戦士たちにとって、二度に渡って戦うことすらできずに撤退された相手に対する憤りは噴火寸前の火山も同様に煮えたぎっていた。

 しかし、いくら腹を立てても才人やルイズも含めて人間たちにはなす術がなかった。ヤプールが潜んでいる異次元空間への進入は容易なことではなく、ウルトラマンAでさえ一回しか成功したことはない。そのときでさえ、TACの科学力のサポートを受けて、なおかつエースに変身できる北斗星冶だったからこそ成功したのだ。

 現在、ヤプールに直接攻撃できる方法は皆無。ルイズの虚無魔法を持ってしても次元の壁を越えることはできない。あるいは、高位の虚無魔法ならば可能かもしれないが、始祖の祈祷書はルイズのそうした願いにいまだに答えない。

「ああもう腹が立つわ! せっかくこんなときのために、ずっと魔法を使わずに溜めてきたっていうのにぃ! あの超獣、わたしに恐れをなしてるんじゃないかしら。もう!」

「まあメフィラス星人を倒したくらいだし、警戒されても仕方ないかもな。しっかし、あの目的のためには粘着質なくらいしつっこいヤプールにしては引き際がよすぎる気もするな。なにかまた企んでるのか、やれやれ今日もまたコクピットの中で寝るしかねえか」

 しばらく風呂に入っていないので、ぼろぼろとふけを落としながら才人は後頭部をかいた。ルイズはその不潔な様子が気に入らず、かといって入浴を勧められるような状況でもないので、不機嫌そうな声で言った。

「あんた、よくあんな狭苦しいところで寝られるわね。わたしも何度か入ったけど、あれならあんたが昔寝床に使っていたわらのほうがまだ寝心地がいいじゃないのよ」

「そりゃ、狭苦しさじゃ日本の飛行機は世界一だからな。でも人間我慢する気になればなんとかなるもんさ。それよりも、おれのカンじゃ明日が勝負だな。ヤプールも、東方号の発進までも見逃してくれるはずはねえ。必ず全力で妨害しにくるはずだ」

「不愉快だけどあんたと同感よ。多分、ウルトラマンAになることにもなるでしょうね……けど、やっぱりもどかしいわ。好きなように攻められて、まんまと逃げられてしまって追いかけることもできないなんて」

「ヤプールの陰湿な性格をそのまんま表す戦法だよな。おれも悔しいんだよ……でも、ついか必ず住処ごとヤプールの野望もぶっつぶしてやるぜ」

 才人の決意にルイズもうなづき、二人は決戦となりうるであろう明日を思った。

 

 超獣の脅威は晴れず、またしても不快な緊張感の中に取り残されてしまった街。あとほんの数日で苦労が報われるというところになっての、この重圧はかなり厳しい。先人が『千里を行く者は九百九十九里をなかばとせよ』と教えているとおりに、何事も一番危険なのは終わるその直前なのだ。

 それでも職人たちは、せっかく完成間近まで来た仕事をつぶしてなるかと意地にかけて、自らにかせられた役割を果たそうと工場や工事現場で働き続けた。

 そして、東方号の工事も明日には、最後であり一番難しいところに入る。コルベールはこの日のために、自らの生命をも削る思いで戦艦大和を改造してきた。その飛翔のために、風石や水蒸気機関以上に重要な部品が魔法アカデミーから納入されてくる。それの組み付けを成功させたとき、ようやくコルベールは安眠に沈めるだろう。

 誰にとっても長い一日になるであろう日は、すぐそこまで迫っていた。

 

 一方で、ほとんどの役目を終わったベアトリスは、早ければ明日にもおこなわれるであろう竣工式に主賓として出席するために、宿でドレスの試着をメイドに手伝わせていた。

「外が騒がしいわね。厳戒態勢はまだ解除されないのかしら……」

「今朝現れた超獣は、また逃げられたそうです。これからというところで消えてしまったそうで、街中には殺気だった兵隊がうろうろしています。とてもではないですが、出歩ける雰囲気ではないですよ」

「そう……こんなことで、無事に竣工式を迎えられるのかしら」

 メイドに着付けしてもらった自分のドレス姿を姿見に映しながらベアトリスはつぶやいた。鏡には、豪奢なドレスとは裏腹に憂鬱そうな自分の顔が映っている。メイドはよくお似合いですよと言っているが、これではクルデンホルフの本家からわざわざ取り寄せたドレスも台無しだろう。

 にこりと愛想笑いをしてみても、いまいち様にならない。式のときにはいつものツインテールも下ろして、令嬢らしい姿に戻すけれども、どうも納得がいく顔になれなかった。

 理由はわかっている、不安なのだ。父の力を借りずにはじめておこなう大仕事、しかもトリステインはおろか世界の命運がかかっているとなったら、失敗したときにはその反動は一気に自分に返ってくる。それで不安にならないほうが、人間としてどうかしているといえよう。

「はぁ……この街に来てから、もう何度もひどいめにあったおかげですっかりわたしも臆病になってしまったわね。少し前のわたしなら考えられもしなかったわ……ところで、エーコたちはまだ戻らないのかしら? 式典にはあの子たちも出席させるから、打ち合わせは早くしたいのだけど」

「はい、いまだお戻りには……あっ、今帰られたそうです。すぐにこちらに来られるとのことで」

「わかったわ、それじゃこちらに通してちょうだい」

 ドレス姿を見せて、少し気晴らししようとベアトリスは思った。本家からはほかにも何着かドレスが届いているので、彼女たちに着せるぶんも十分ある。あの子たちにはどんなドレスが似合うだろうかと、着せ替えする様子を想像してベアトリスはくすりと笑った。年頃の女の子らしく、ベアトリスもおしゃれにけっこう興味があった。

 やがて衣裳部屋にエーコたちがやってきた。三人とも、今日はかなり冷え込んでいたので長袖のコートを着込んでいたが、見せるのを楽しみに待っていたベアトリスは、そのまま自分のドレス姿をお披露目した。

「どう、このドレス? お父さまがわたしの晴れ舞台のためにって、トリスタニアで一番のお店にオーダーメイドしてくれたんですって」

「とてもおきれいです。さすが姫殿下、アンリエッタ姫のウェディングドレスにも匹敵するかと思いましたよ!」

「んもう、そんなに褒めてもなにも出ないわよ。でも、これで今度着ていくドレスは決まったわね」

 シーコの褒め言葉に、ベアトリスは照れながら微笑んだ。彼女もおせじや追従がわからないほど愚かではないが、やっぱり褒められると悪い気はしない。さっきまでの憂鬱はどこへやらで、くるりとダンスを踊るようにステップを踏むと、スカートがなびき、金髪が舞い上がって一瞬妖精のようなきらびやかさを見せた。

 さて、これで自分の着ていくドレスは決まったと思ったベアトリスは、メイドに命じて隣室から別の衣装ケースを持ってこさせた。エーコたちは、たぶん予備のドレスの着付けも見せられるのだろうなと思ったが、ベアトリスは待ってましたとばかりに彼女たちに言った。

「それじゃ、今度はあなたたちのドレスを選びましょうか」

「えっ! わた? 姫殿下のドレスじゃないんですか?」

「なにを驚いてるのよ。あなたたちはわたしの片腕も同然なんだから、式典には当然出てもらうわよ。まさかそんな格好で出席するわけにもいかないしね。心配しなくても、普段よく働いてもらってるんだからこれくらい当然よ」

「姫殿下……!」

 にこやかに、かついたずらっぽく笑いかけてくるベアトリスにエーコたちは正直意表を突かれた。三人顔を見合わせて、予想もしていなかった出来事にどう答えたらいいのかうろたえている。

「え、えーと姫殿下、我々はもう家名もない身ですし、姫殿下の晴れ舞台のお目汚しにしかならないと思いますが」

「なによ、その嫌そうな顔は。せっかくのわたしの好意が受け取れないって言うの? ははあ、見たこともないような高級品だから遠慮しちゃってるのね。大丈夫よ、破こうが汚そうが、ドレスなんかよりあなたたちのほうが大事なんだから」

「えっ、その……これ一着一万エキューはしますよね。それを」

「ああもうっ! ビーコ、あなたも疑りぶかいわねえ。一万エキューとあなたたちを天秤にかけて、一万エキューに傾かせるほどわたしはケチじゃないわよ。ほぉーら、いいかげん覚悟してそんな暑苦しい服脱いじゃいなさい!」

 じれたベアトリスは、にやにやしながらエーコたちに近づいていった。それがまた非常に楽しそうで、いたずら大好きな森の妖精のようである。

 が、妖精にいたずらされるほうではたまったものではない。主人の好意ゆえにむげにすることもできずに、じりじりと後ずさりする。しかしすぐに壁に行き詰ってしまい、ベアトリスに詰め寄られてしまった。

「ひ、姫殿下、おたわむれもそのへんに……」

「ふっふっふ、このわたしから逃げられるわけがないじゃない。さぁて、覚悟を決めて脱い……?」

 と、エーコたちに近寄ったときにベアトリスは、妙な匂いを感じて立ち止まった。

「なに? 焦げ臭いわね。あなたたち、焚き火にでもあたってきたの?」

「えっ! それは、その」

 口ごもったエーコたちに、ベアトリスは顔を寄せて匂いをかいでみた。厨房で料理がこげたときのような、あの独特の匂いがつんと鼻をついてくる。そういえば、かすかだがマッチをすったときのような匂いも混じっている。これはよほど火に近い場所で長時間いなければつかない匂いだ。

 と、そのときベアトリスはシーコの右腕の袖口にうっすらとすすがついているのを見つけた。いやそれだけではなく、よく見たらシーコは右腕をかばうように左手で抑えている。

「ちょっとシーコ、あなたの右手見せなさい」

「えっ!? 殿下、な、なにを」

「いいから見せなさいっ! なにこれ、ひどい火傷!」

 袖をまくると、シーコの手首から二の腕までがひどく焼け爛れていた。皮膚がめくれて、赤黒く変色し、なんでもないような顔をしているのが信じられないような重傷だ。

「なんでこんな傷を黙ってたのよ! 早く医者を! ほかに怪我してないの? はっきり言いなさい」

「あっ、そのっ! だ、大丈夫です。これはちょっとその、見た目ほど痛くないんで」

「バカ言いなさい! まるで腕が燃やされたみたいな、こんなひどい傷見たことないわ。エーコにビーコ、あなたたちもなんでこんなことになってるのに黙って来たの!?」

「そ、それは……」

 ベアトリスの怒声に、エーコとビーコは口ごもった。いつもはベアトリスの命令ならば、すぐに反応する彼女たちにしては歯切れが悪い。ベアトリスはもどかしさを覚えたが、それどころではないとメイドを叱咤した。

「なにぼやっとしてるの! 早く宿の医者を呼んできなさい。でなくても、軍の街なんだから医者なんていくらでもいるでしょう。それに泊り客の中に水のメイジがいないか探す! 早くしなさい」

「は、はいっ!」

 メイドたちははじかれたように部屋を飛び出していった。それを見送るとベアトリスは、杖を取り出すと治癒の魔法を使おうと試みた。

「わたしの治癒なんて、ないようなものだけど。じっとしてなさい」

「ひ、姫殿下、そんなおやめください! もったいない」

「お黙り! 主人の命令が聞けないというの。わたしの勝手でやってるんだから、あなたたちに遠慮される筋合いはないわ。それよりも……まあいいわ。治癒の魔法なら、ビーコのほうがずっと上手なのに、なんでやらなかったのかとか聞きたいことはあるけど、どうせ聞いても言わないでしょうしね」

「……」

 それから、ベアトリスたちは医者がやってくるまでの間、ずっと無言で過ごした。

 やがてやってきた医者は、教科書どおりの火傷の治療をすると帰っていった。メイドたちも下がらせ、ベアトリスもドレスは脱いでいる。

 沈黙が支配する室内に、不機嫌そうな顔で立つベアトリスと、じっと主人の言葉を待つエーコたちがたたずんでいる。シーコの火傷は包帯が巻かれていて、今は三角巾で首から吊るされている状態だ。

 もうすでにドレスがどうとかいう雰囲気はない。ベアトリスは、軽く息を吸って吐くとエーコたちに言った。

「水の秘薬を使ったら、なんとか痕は残さずに治せるそうだけど、一歩遅れてたら化膿して命に関わるかもしれなかったそうね。なにがあったの? 怒らないから言ってみなさい」

「……」

「黙秘ね。そういえば、最近のあなたたちはどこか妙だったわよね。やたら休みをほしがるし、ちょっと目を離したらいなくなってることもしばしばあるし、隠れてなにをしているの?」

「……」

「そう、どうしても言いたくないのね。まったく、わたしにも言えない秘密があるなんて、主人として見くびられたものね」

「い、いえわたしたちは」

 なんとか言いつくろおうとするビーコに、ベアトリスは目を伏せたままで手を振った。

「言い逃れなんて聞きたくないわ。どうせ無理に聞いたところで、嘘か本当か見分けられるわけでもないもの。今日はもう下がっていいわ」

 冷たく言い放つベアトリスに、エーコたちは一礼するとドアに向かった。しかし、扉を開けて退室しようとしたとき、彼女たちの背中にベアトリスの声がかかった。

「ああ、そうそう言い忘れるところだったわ。今度の式典、わたしは欠席するからそう伝えておいて」

「えっ! ど、どういうことです? 今度の式典は、クルデンホルフの名誉だと、前々から準備なされていたではないですか!」

 銃口の前の孔雀を見逃すようなベアトリスの言葉に、当然ながらエーコたちは驚いた声をあげた。しかしベアトリスははぁとため息をつくと、つまらなさそうに答えた。

「やっと大きな声を出したわね。答えは簡単よ、シーコがそんな状態じゃ従用として出すわけにはいかないでしょう。ひとりでぽつんと大きな顔をしに行ったところでつまらないわ」

「ですが、そんなものはすぐに揃えられるでしょう。なにせクルデンホ……」

「安い日銭で集まってくるような人間に背中を任せるほど、わたしは自分を安売りするつもりはないわ。同時に、部下も安く扱うつもりもない。あなたたちがどう思っているかは知らないけど、わたしは自分で選んだあなたたちを雇い入れたときから、片腕として扱うつもりでいるのよ。増して人に働かせて栄光は自分のものなんて、わたしの誇りが許さない!」

 きっと視線を鋭く尖らせたベアトリスの瞳の強さに、エーコたちは一瞬圧倒された。こんな目は、彼女たちがベアトリスに雇われたときから一度も見たことがない。あのころは、虚栄を胸にいっぱいに膨らませているだけの凡庸な小娘に過ぎないと評価していたのに、今はまるで正反対ではないか。

「わかったなら行きなさい。あなたたちに働いてもらう場面は、これからいくらでもあるわ」

「はい……」

 瞳の中に、若者らしく自分を強く信じる心と、同時に虚栄を嫌う信念を強く息づかせているベアトリスの変わりよう。それが何に基点を持つものなのか、三人の少女はずっと彼女をそばで見てきたにも関わらず、確信を持てる答えを導き出すことができなかった。

 いや、実を言えばその答えは最初から漠然とではあるが三人の胸中に存在していた。傲岸な世間知らずに違いなかったほんの一月前のベアトリスを大きく変えたもの……平民との触れ合いで彼らも自分も同じ人間だと知ったこと、銃士隊から人と人とが肩を並べて生きることを教わったこと、魔法学院の女生徒らと親しくなって、他人同士が頼り頼られることを学んだこと……そして、その最初のきっかけとなった不思議な風来坊……それらの積み重ねが、ベアトリスの中に元々あった優しさを引き出し、人間として欠けていた部分をおぎなっていったのだと。

 しかし、うっすらとそれを理解していても、彼女たちはそれを認めるわけにはいかない理由があった。認めてしまえば、これまで自分たちが積み上げてきたことがすべて否定されてしまうかもしれないから……

 ドアの外に出て、見送るベアトリスにもう一度一礼してエーコたちは扉を閉めようとした。

 だが、閉じかけたドアの向こうからベアトリスの声が響いた。

「エーコ、ビーコ、シーコ、そのままで聞きなさい。この仕事が終わったら、いっしょにクルデンホルフ公国に帰りましょう。もちろん、あなたたちのおねえさんたちもいっしょにね。そこで……ううん、今はやめましょう。ともかく、怪我だけはしちゃだめよ。あなたたちは、わたしにとって……と、特別なんだからねっ!」

 穏やかな口調の後に、突然怒鳴り声に変わり、その後ベアトリスが走って別室に入っていった音で静かになった。

 

 宿の中は超獣騒ぎのせいで他の客の影もなく、たまに通り過ぎるボーイやメイドの姿しかない。そんな廊下をエーコたちは、うつむいた様子で歩いていたが、ふとシーコは立ち止まると、つぶやくように言った。

「ねえ、エーコ、ビーコ、わたしたち……これでいいのかしら」

「シーコっ! あなた、なにを言い出す気」

「ううん、わたしだってみんなと気持ちは同じつもりだよ。でも、今の姫殿下はもうわたしたちの見てきた昔の姫殿下じゃない。ビーコ、あなただってわかってるでしょう?」

「う……そりゃ、だけどね」

 シーコに問いかけられて、ビーコは答えに窮して言葉を詰まらせた。

 わかっている……シーコに言われるまでもなく、そんなことはわかっている。本当なら、それを認めてしまいたい気持ちでいっぱいなのだが、もうすでに遅すぎるのだ。

 そのとき、エーコが迷う二人に向かって、感情を押し殺した声で告げた。

「二人とも、ちょっと優しくされたくらいで心を乱されていちゃだめよ。思い出して、この数ヶ月わたしたちがどんな思いであいつの下働きをしていたのか……それにもう、わたしたちはこの世界では生きられないんだから……」

 最後を自嘲げにつぶやいたエーコの言葉に、ビーコとシーコも力なくうなづいた。

 

 様々な人間の思いを乗せて、運命のレールは分岐点まであと一息のところまで達しようとしている。

 飛翔のときを待つ、新・東方号に希望を寄せる人々と、それを阻止しようと企む悪魔たち。

 そんな中で、人は見えない運命のレールに乗せられたまま、終着駅まで運ばれるしかないのだろうか。

 

「どうしたのシーコ? 眠れないの?」

「ビーコも? うん、どうしてもあのことが気になって。エーコは?」

「ぐっすり寝てるよ。ねえシーコさ」

「なに?」

「ふふ、少し夜の街を散歩しようか」

 

 

 続く



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第74話  あの星空に願いよとどけ

 第74話

 あの星空に願いよとどけ

 

 軍艦ロボット アイアンロックス 登場!

 

 

 コツコツと、靴底が石畳の道で歩みを刻む音がふたつ、夜の街角に小さくこだましている。

 誰もいない通りを、特に目的地も定めずに歩くふたりの少女。その足音のひとつは大股でやや強く、もうひとつは小股で軽くおとなしい。月明かりと街灯の明かりに別々の場所から照らされて、ふたりの金糸と緑糸の髪がそれぞれトパーズとエメラルドの光のように輝いていた。

「今日はお月様がきれいだね」

「ええ、そういえば今日は今年最後の双月の満月だったわね……あっというまの一年だったような気がするわ」

 空を見上げて言ったシーコの言葉に、ビーコも歩を止めて答えた。

 眠れずに、なにげなくビーコの誘いで散歩に出たシーコたちふたりを出迎えたのは、漆黒に広がる無限の大銀河だった。

 今日は雲も少なく、晴れ渡った空に青と赤の双月がよく映えて、深夜だというのに優しい光が街中を包み込んでいる。

 いつもであったら、夜通し鳴り続ける工場の音も時間を問わずにたなびいている排煙も、その役割を果たし終えたために小休止をとっているようだ。

 それに、昼間の騒ぎのこともあってか、いつもなら酔っ払いが千鳥足が歩いているような光景もない。ひたすら静かで、冬の風の吹き抜けていくときにだけ、寝巻きにオーバーを羽織って、一応身分を示すマントだけはつけて出てきたふたりの耳に音を鳴らし、ほおを冷やして吐く息を白く変えていた。

「まるで、世界中でわたしたちしか人間がいないみたいだね」

 シーコが、道端のゴミをあさる犬さえ見当たらなくなった街路を見渡して、ふとつぶやいた。足を止めると、本当に周囲は無音の世界になってしまい、街を自分たちで借り切ってしまったかのように思えた。

 となると、自分たちはこの世界に君臨する女王様か。ビーコは、シーコの言葉からそんなことを連想して口元に笑みを浮かべた。

 しかし、その美しすぎる夜空と無音の街並みの組み合わせは、見慣れてくるとよくできた風景画がそこにあって、自分たちは美術館の一室に閉じ込められてしまっているかのような寒々しい虚無感をも抱かせて、ビーコの心を冷ましていった。

「わたしたち以外には誰もいない、静かできれいな世界……わたしたちが行くのは、こんなところなのかもしれないわね」

「ビーコ……」

 憂えげにつぶやいたビーコはシーコに向かってゆっくり首を振り、もう一度空を見上げた。

「わかってるわよ。あのときから、わたしたち姉妹にとって、この世界は生きていけないところになっちゃったんだから……でも、わたしは後悔はしてないつもり。あなたや、姉さんたちといっしょなら、どこでだって寂しくないもの」

「ビーコは強いね」

「そうじゃないよ。わたしはただ、姉さんたちに甘えたいだけ……シーコは、後悔してるの?」

 ビーコの問いかけに、シーコは即答しなかった。数秒、喉の奥にものが詰まったように唇を震わせ、顔をあげた。

「後悔は……してないつもり。あのときは、姉さんたちが決断してくれなかったら、わたしたちは今頃野垂れ死んでたかもしれない。どっちかを選べって言われたら、今でもこうなってでも生きるほうを選択したと思う」

 シーコはそう言うと、そでをまくって熱傷を負った自分の腕を見た。包帯に隠れて見えないけど、普通ならば数日に渡って激痛にさいなまされるであろう重傷の傷口はもう痛まずに、それどころか壊死した組織の下からはすでに皮膚の再生が始まっていた。もしも昼間彼女を診察した医師が同じように診たとしたら、ありえない速度での治癒に愕然としただろう。酒場で受けた額の傷だって、本当は数日後には完全にふさがっていたが、かっこうをつけるためにしばらく包帯を巻き続けていただけだ。

 しかし、傷口から下がったところにある手のひらは寒風にさらされて白くかじかみ、普通の少女のものである。

 ならば、なにものが彼女の異常なまでの治癒を助けているのだろうか。だが、ビーコもシーコも、それだけは忌み語であるかのように決して口にしようとはしなかった。

「ふふ、便利なものだよね。わたしたちみんな、見た目は前となにも変わらないのにね」

「シーコ、あなたやっぱり……」

「ううん、後悔してないのはほんとう。それでも、わたしはわたしが怖い……朝起きて、鏡を見たときに自分の顔が変わってるんじゃないかって、いつもビクビクしてるの」

 シーコの手の震えは、寒さによるものだけではなかった。するとビーコは空に向かって、はぁと白く大きな息を吐き出して言った。

「……それは、わたしも、ううん、たぶんエフィ姉さんも、ユウリだってみんな思ってることだよ。わたしたちは、十人でひとり、十人がひとり、そういうふうになっちゃったんだから」

「セトラ姉さんや、エーコはどう思ってるのかな?」

「エーコはわたしたちよりちょっとだけ上だから、なんか気を張ってるように見えるけど、本心はわたしたちと同じように不安なんじゃないかな。でも、セトラ姉さんは……」

「うん、久しぶりに会ったときのセトラ姉さん……すごく怖かったね」

 ふたりは、このあいだ再会したばかりの一番上の姉のことを思い出した。ビーコと同じ金色の美しい髪を持つ長女セトラは、昔はとても優しくて暖かい人だったのに、まるで別人のように冷たく恐ろしい雰囲気を持つようになっていた。まるで体といっしょに心までも作り変えられてしまったかのように……

 大切な人が、自分の知らないところで歪んでいってしまっていた。それを知ったとき、心を痛ませない人間はいない。が、すでに事態は止めようのないところまで進んでしまっていた。シーコは草色の眼を悲しげに伏せた。

「みんなは、明日やるつもりなんだろうね」

「うん、絶対にやるだろうね。みんなは、わたしたちと違って遠くからずっとクルデンホルフを憎んでたから、きっと……けれど、そうなったらわたしたちはもう二度と……」

 ビーコは最後まで言い切ることなく、言葉をとぎらせた。

 そうなったら、今度こそ二度と自分たちに帰る場所はなくなる。姉妹だけで、どこまでもずっと生きていく以外に道はない。

 そして、その過程で必ずひとりの人間を……ふたりにとってもよく知った人間の命を奪うことになる。

 最初はそれでいいと思っていた。しかし、今は迷いが胸中に生じてきているのをふたりは認めざるを得なくなっていた。

「なんとか、やらないですむ方法はないのかな……」

「シーコ!」

「ビーコだってわかっているでしょう? 今のあの方は、わたしたちが会ったばかりのときとは違う……わたしはもう、あの方を憎むことができない……」

 嗚咽が混じった声で声を絞り出したシーコの背中を、ビーコは優しくなでた。

「しっかりして、あなたはちょっとだけあいつのお気に入りだったから、勘違いしちゃってるだけよ。あなたは昔から、誰にでもすぐ心を許すところがあるから……」

「ごまかさないで! だったらなんで、ビーコの手もそんなに震えてるのよ」

「え……!」

 言われて思わず自分の手を見ると、確かに小刻みに震えていた。言葉でいくら修飾しても、体は心の変動を顕著に表してしまっていた。

 寒空の下、かける言葉を失ったビーコは、ただシーコが落ち着くまで見守ってあげることしかできなかった。

 しかし、感情を吐き出しても、ふたりにはそれ以上どうしようもなかった。無言で立ち尽くすふたりの中で、ほんの数ヶ月のあいだの思い出が次々に蘇ってくる。自分たちが仕えてきたあの人の、怒るところも、嘲るところも、ふてぶてしいところも、憎たらしいところも、愚かなところも、そして優しいところも……

「わたしたち、もしも別の出会い方をしていたらどうなっていたのかな?」

「そうだね……普通に魔法学院に入学して、同級生になって……たぶんシーコが人懐っこくすりよっていって、結局わたしやエーコも含めて子分になってたかもね」

「なんだ、結局ビーコだってあの方といっしょにいるのが楽しいんじゃない」

「まあね、なんだかんだいっても退屈させてくれない人だから。でも、だからこそ姉さんたちはあの方を許さないだろうね」

 すぐそばで見てきた自分たちだからこそ、こうして悩むこともできるけれども、遠いところから外面しか見てこなかった姉たちにとっては、長い時間によって憎悪ばかりが増幅された仇敵に他ならない。その時間が作った認識のズレのクレバスは大きく、たとえ自分たちが説得しても誰も聞く耳は持たないだろう。

「もしも、わたしたちがやめるように言ったとしても、みんなは「あいつに騙されているんだよ」って怒るだけだろうね」

「ええ……いっそ、わたしたちもこれまでのことを何もかも忘れてしまえたら気が楽なのにね、ははっ」

 乾いた笑い声を交えてビーコは言った。しかし、あきらめてしまったようなビーコのその言葉を、シーコははっきりと否定した。

「ビーコ、それは違うよ」

「えっ」

「たとえわたしたちにとって不都合なことでも、わたしはあの方と過ごした時間を大事な思い出だと思ってる。たとえ今すぐその記憶を消すことができたとしても、それで知らん顔してあの人を傷つける、そんなのはもうわたしじゃない別のなにかだよ」

「っ! わかってるよそんなこと! わかってるからこそ苦しいんじゃないか!」

 ビーコがはじめて本音をそのまま吐き出した。そのまま激しく息をつき、やりきれなさを我慢しているかのように全身を小刻みに震わせている。

「ごめんビーコ、あなただって苦しいのはわかってたのに無神経なこと言っちゃって」

「ううん、いいのよ。自分に嘘をついてたのはわたしのほうだもの。シーコは、自分の気持ちに素直になれてうらやましいよ。だからきっと、あの人もあなたに一番に心を許したんだろうね」

「そんな、わたしなんて思ったことをそのまま言うしかできない、ただの馬鹿だよ」

「それは馬鹿じゃない。わたしもエーコも持ってない、人の心を開かせられる立派な力だとわたしは思う。だから、わたしなんかより本当に強いのはシーコなんだよ」

 人間にとって、一番つらいのは人に自分の心が届かないことだ。その願いが強ければ強いほど、あげる声が大きければ大きいほど、それが相手の耳に届かない空しさはなによりも大きく自らの心を傷つける。だからこそ、ビーコには人の心にためらいなく踏み込めるシーコがうらやましかった。

 しかし、人間として苦しめるということは、今のふたりにとってはとてつもなくつらかった。互いの心は理解しあえても、その心を届けるべき人たちに届ける方法がない。

 

 夜の街は相変わらず静まり返り、強くなり始めた寒風がビーコとシーコの身を切り、心もさらに凍りつかせる。

 少しでも気晴らしになればと外に出てきたのに、結局は置かれた立場を再確認しただけで、四面楚歌であることを思い知っただけだった。

 どうにかしたいと本心では思う。このままで明日を迎えたら、自分たち姉妹は今度こそ引き返せない河を渡ってしまう。この世界のすべてが敵になり、永遠に光を見れない闇の住人としての生が待っている。しかし、ついに悲願が叶おうという今、無理にでも止めようものなら、姉たちは決して自分たちを許さないだろう。

 

 もう何回目になろうかという思考の堂々巡り、無為に時間だけが過ぎていった。

 

 絵画のような美しさに包まれた、静寂と零下の無間地獄。しかし、その果てしないループは唐突で陽気な声によってあっけなく壊された。

 

 

「おやぁ、こんな夜中に妖精さんがおとぎの国から迷い出てきたのかと思ったら、そこのお貴族さまたち夜更かしはいけませんよぉ」

 

 

 思考の迷宮をさまよっていたビーコとシーコは、後ろからかけられた遠慮会釈のない軽口に思わずどきりとして振り向いた。

 歩いてきたのは、ランタンを片手に、体に着込んだ軽装の甲冑に小気味よい音を鳴らせながら手を振ってくる女性の騎士だった。ひと目でわかる銃士隊の戦衣に、一般隊員を表す黄土色のマントが、彼女が市街地を巡回中だということを教えてくれる。

 が、近くによってきた銃士隊員は、意外にも道端で友達に会ったときのように気楽な口調で話しかけてきた。

「いけないわね、こんな時間まで子供が出歩いていちゃ。悪い大人にがおーって襲われちゃうわよ」

「あっ、は、はい、すみません」

 叱り付けられると思っていたふたりは、怒気のカケラもないその銃士隊員の態度に、思わず拍子抜けして反射的に謝ってしまっていた。本来こんな時間に歩き回っている子供、しかもこちらは仮にもメイジなのだから緊張感を持ってもいいはずだが、この人にはおよそそうした警戒感というものがなかった。

「こんばんわ。おやおや、こりゃこりゃ、思った以上にかわいらしいお嬢ちゃんたちじゃないの。危ない人に捕まる前に、あたしに見つけてもらえてよかったわね。感謝してくださいよ、貴族さま」

「あ、はぁ」

「な、なんなのこの人」

 これまで何人も銃士隊員とは会ってるものの、それらの人たちにはなかった無遠慮さとお気楽なしゃべりぶりである。こんな人、銃士隊にいただろうか? この街に来ている銃士隊員とは、ミシェルをはじめほとんど知り合っているはずなのだが。

 やがて目の前にまでやってこられると、遠目ではランタンの明かりでぼんやりしていた顔立ちも見えてきた。

 短く刈りそろえられた紫色の髪に、かどのない卵型の顔立ち。大きな瞳はぱちりと開いていて、元気よく明るい印象が浮かんでいる。一言で言えば童顔と表現すればいいのだろうか。銃士隊よりも花屋の売り子をしていたほうが絶対に似合いそうだ。とかく苛烈さが噂される銃士隊にしては珍しい雰囲気を持つその隊員に、シーコは年上だというのに同年輩かそれ以下の印象を受けた。

 しかし、ビーコはその隊員の顔を見るなり、びくりとして外套のフードを深くかぶって顔をそらした。シーコはビーコのそのうろたえ様を怪訝に思って、あらためて相手の顔をじっくりと見ると、少し前のある記憶と合致した。

「あっ! あなたは確か、サリュア、さん」

「ん? あたしの名前を知ってるの。こりゃまた、あたしも上流階級に名が売れたものかしらねえ。いかにもあたしの名前はサリュア、シュヴァリエではまだないヒラのしたっぱ銃士隊員です!」

 なにが自慢になるのか、どやっと胸を張った彼女は確かにサリュアと名乗った。そしてあらためてよく見れば、ビーコとシーコはこの人に確かに見覚えがあった。現在とはまったく印象が違うが、会ったことがある。

 そう、彼女はボーグ星人によってサイボーグに人体改造されて、ミシェルたちと戦わされたあの銃士隊員だった。あのときは洗脳されていたために、それこそ死人のように無感情で目が死んでいた。そのおかげで気づくのが遅れたが、そういえばボーグ星人が倒された後に手術を受けて、そのまま入院したとミシェルが言っていたとシーコは思い出した。

「もう退院なさっていたんですか。前とぜんぜんイメージが変わってたから気づかなかった」

「あれ? あなたたち、前にどっかで会ってたかな? んー……あ、その緑色のくせっ毛、あなたもしかしてシーコちゃん?」

「は、はいそうですが」

「やっぱり! いやあ入院中に、見舞いに来てくれた副長や仲間たちがよく話してくれてたのよ。妹みたいな子たちができたって、想像してたよりずっとかわいいじゃない。お姉さん気に入っちゃった」

「は、はぁ」

 なにか、洗脳されていたときとは別人のようだ。いや、洗脳されていたんだから別人になっていたんだろうけど、元がこんな陽気な人だとは思わなかった。ミシェルもサリュアは隊内でも明るい子だとは言っていたけど、少々斜め上を行く明るさである。

「と、ところで見たところ、巡回の途中みたいですが、お体のほうはもう大丈夫なんですか?」

「そりゃもう、このとおりピンピンしてるよ。手術も完璧に成功して、元通りの体になれたんですって」

「それはよかったですね。銃士隊の皆さんも、さぞ喜ばれたでしょう」

「うん、でもね……頭の中に埋め込まれていた機械を取り出すために、一度髪の毛を全部剃っちゃったのよ。せっかく伸ばしてたのに、もう台無しでとても人前に出れなくって。それで、やっと最近みっともなくないくらいには生えそろったから復帰させてもらったの」

「そ、それは大変でしたね」

 シーコは、女としてそれは重大だよなあと深く同情した。いくら戦いのために女を捨ててるとは名目で言っても、丸坊主のままで若い娘が人前に出るのは残酷すぎる。ミシェルもそのへんを汲んで、復帰を待っていたのだろう。

 と同時に、シーコはビーコがサリュアに顔を見せたがらない理由も察しがついた。ビーコだけは、彼女とシーコたちより一日前に一度会っている。しかも、最悪の形でである。それが知られたら、いくら温厚そうな彼女でもただではおかないだろう。シーコはビーコのために、そのへんを探ってみることにした。

「いくらなんでもこの歳でカツラなんてのは恥ずかしいしね。ま、手術のためにはしょうがないから納得してるんだけど」

「ショートヘアでもじゅうぶんおきれいですよ。ところで、操られてたときのことは覚えてるんですか?」

「いいえ、病院のベッドで目が覚めたときには、なーんにも覚えてなかったわ。あの日、見張りをしてたのは記憶にあるけど、それから先にどうして捕まったのかとかはさっぱり。かーんぜんに、記憶が飛んでるのよ」

「そうですか……」

 短く言うと、シーコはビーコの脇を軽くひじでついた。大丈夫だという合図に、ビーコも恐る恐るながらフードをとって顔を見せる。

「こんばんわ」

「はいこんばんわ。あなたがビーコちゃんね、んー……アニエス隊長といっしょのきれいな髪ね。うらやましいな」

「あ、ありがとうございます」

「でもお手入れ悪いわよ。ほーら枝毛みっけ、だめよ若いんだからってお手入れ欠かしちゃ、髪は女の子の命なんだからね。銃士隊でみんなが使ってるシャンプー教えたげよっか? 安物のせっけんとか使ってたら、あとでひどいことになるよ」

「は、はぁ……」

 ビーコは遠慮なく自分の髪の毛をつまんで、いろいろと検分してきたサリュアにあっけにとられた。

 なにか、銃士隊にも中にはこんな人もいたんだとしみじみ思えてくる。どうやら、年下にはけっこうおせっかいを焼きたがるタイプというか、よく言えば人懐っこく、悪く言えば少々うっとおしいタイプらしい。人間を第一印象だけで判断してはいけないというか、まあともかくビーコのことを覚えていないのは確かなようだ。

「んー、ふたりとも将来美人になるわね。みんな中々目が高いじゃない。そういえば、エーコちゃんはいないの?」

「エーコは宿で寝ています。わたしたちは、ちょっと眠れなくて……」

「そう、なにせ明日は大事な日だものね、緊張しても仕方ないか。それとも、眠れないほどの悩み事でもあるのかな?」

「っ!?」

 一瞬、ビーコとシーコは心の中を覗き込まれたような錯覚を覚えた。すると、サリュアはくすりと笑うと、ひざをかがめてふたりの顔を下から覗き込んだ。

「やっぱりね。なーんか、くらーい顔をしてたからもしかしてと思ったら。よかったら話してみなさい。銃士隊の相談箱と呼ばれるこのサリュアさんが、ばーんと解決してあげちゃうよ!」

 彼女は胸を叩いて、ふたりに向かって笑いかけた。

 ビーコとシーコは顔を見合わせる。それは、誰かに相談できるものならそうしたいが、相談できるようなことではないのだ。むしろ相談したらいっそう事情が悪くなってしまう。ふたりはしばらく困った顔をしていたが、ビーコが思い切って口を開いた。

「ご親切はありがたく思いますが、お話しするわけにはいきません」

「んー? おねえさんじゃ信頼できないかな。秘密は剣にかけて守るよ、それでもだめ?」

「申し訳ありませんが……」

 ビーコがすまなそうに首を振ると、サリュアはうなづいて立ち直した。

「わかった、人に話せないことなら無理強いはできないわね。ごめんね、力になってあげられなくて」

「いえ、そのお気持ちだけでじゅうぶんです」

 本当は、そんな親切心を向けてもらう資格など自分にはないのだとビーコは思う。こんな気持ちのいい人に、自分はあの日ひどいことをしてしまった。

 それに、この人といると迷いがさらに大きくなってくる。今いる世界への未練がどんどん大きくなってくる。

 居心地の悪さに耐えられなくなってきたふたりは、そのままきびすを返してサリュアと別れようとした。

「じゃ、じゃあサリュアさん、わたしたちはそろそろ帰ります」

「そうね、そうしたほうがいいわ。子供はもう寝る時間よ……でも、あとちょっとだけお話してもいいかしら?」

「な、なんでしょうか?」

「そんな肩を張らなくてもいいわ。これから言うことは、ただのわたしの勝手な想像だから、間違ってたら笑ってくれていいわ」

 サリュアはそう言うと、ビーコとシーコの肩に手を置いて、穏やかな声で話し始めた。

「わたしもね、こう見えていろんな戦場で命を張っていたから、なんとなくわかるの。あなたたち、初陣を前にした新人と同じような顔をしてる。戦うべきか、それともやっぱり私にはできませんって逃げ出そうかと迷ってる子とね。なにかわからないけど、あなたたちも、すっごく大きな選択肢に当たって、どうしたらいいのかわからなくなってるのね」

「……」

 沈黙を肯定ととったのか、サリュアはそのまま続ける。

「多いわよね、どっちが正解なのかわからない選択肢って。今言った新人のことにしてもね、初陣を見事に決めて正式な隊員になった子もいるし、大怪我をしてそのままやめた子もいる。逃げた子も、そのままどこに行ったかわからない子もいれば、実家に戻って幸せな結婚をした子もいるわ。難しいよね、やってみないとわからないことって」

「はい……」

「でもね、ひとつだけ確かなことがあるの。あなたたち、お姉さんがいっぱいいるんですって。その人たちのことが好き?」

「そ、それはもちろん! かけがえのない、大切な家族だと思ってます!」

 ビーコとシーコは声をそろえて言った。すると、サリュアはふたりの手を取って手のひら同士を結び合わせた。

「……これはね、わたしじゃなくて副長がよく言ってることなんだけど、今のあなたたちにはぴったりだと思うから、わたしから贈らせてもらうわ。人生にはね、どっちをとっても苦しいことになる選択肢を選ばなくてはいけないことがあるけど、ひとつだけ忘れないでいてほしいのはね、『大切な人が悲しんだり不幸になることがわかってる選択肢は、どんな大義名分があろうと絶対に間違っている』ってね」

 ビーコとシーコは、頭を氷のハンマーで殴打されたような衝撃を感じた。

「ミシェルさんが、そんなことを……?」

「ええ、説明はできないけど、副長は幼い頃から数え切れないほどの苦しみと悲しみを味わってきたの。そのせいで、道を踏み外しそうになったこともある。だからこそ、自分と同じ悲しみが増えないように、言葉でもわたしたちを守ろうとしてくれてるの。どう、少しは参考になった?」

「は、はいっ」

「それはよかった。じゃあエーコちゃんによろしくね。気をつけて帰るのよ」

 サリュアは軽く手を振ってふたりを見送ってくれた。ふたりは、その笑顔を見たらなお決意が鈍りそうなので、振り返らずに早足で立ち去ろうとする。

 しかし、彼女たちは自分の双眼から熱いものがとめどなく溢れ出しているのを止めることができなかった。

 走り去ってゆくふたりを、サリュアは見えなくなるまで見送った。

「おやすみなさい。いい夢は見れないかもしれないけど、せめて朝まではわたしたちが守ってあげるからね」

 それは人々の幸福を守ることを誇りとする防人の、心からの笑顔だった。

 さっと脚甲に乾いた音を立てさせて、サリュアは本来の任務に戻っていく。彼女はビーコとシーコの心の内は当然知らない。しかし、彼女が自然な善意を込めて放った言葉は、ふたりの心に大きく深く突き刺さっていた。それがこれからどういう結果をもたらすことになるのか、サリュア本人にも想像の埒外でしかない。

 

 そして、サリュアもその場を立ち去っていったのを確認してから、物陰から静かに現れる壮齢の男がひとり。

「どうやら、私の出る幕はなかったようだな。部外者が余計なおせっかいをしなくとも、この星の人間の心にも、あれだけ強く気高い光が宿っていたか」

 テンガロンハットをかぶりなおし、男は口元に誇らしげな笑みを浮かべた。しかしすぐに表情を引き締めなおすと、空をあおいで月を睨み、決然と言うのだった。

「やがて夜が明ける……そうすれば、ヤプールは今度こそ本気で攻撃を仕掛けてくるだろう……奴のことだ、長い一日になりそうだな」

 強い決意が宿った瞳をテンガロンハットの影に隠し、風来坊もまた夜の街へと消えていく。

 

 過酷な運命の前に、せめて一時でも長い休息を。

 街はあらゆる光と闇を混在させて、苦しみも悲しみも、なにもかもを飲み込んでなお世界は変わらず回り続ける。

 

 そしてついに、運命の日のはじまりを告げるべく、夜のヴェールを太陽が消し去るときがやってきた。

 

 

 その日を、どれだけの人間が待ち望んだであろうか、あるいはどれだけの労苦がこの日のために費やされたであろうか。

 眠りを知らず、夜なお煌々と明かりを輝かせて働き続ける街。それはトリステインが、ヤプールの侵略から祖国を守るために、決して豊かとはいえない国庫から、民の血税をしぼって作り上げた一大軍事工場にして、巨大造船港である。

 ここは、本来ならばトリステイン空軍に世界有数の空中艦隊を与えるために、持てる力の全てを込められるはずであった。

 だが、この一ヶ月間この造船所はただ一隻のコルベット艦さえも生み出してはいない。一個艦隊分に匹敵する予算がつぎ込まれ、数十隻の大艦隊を建造することのできる大造船所の機能が、ただ一隻の戦艦を蘇らせるためだけにしぼりこまれていた。

 その名は『新・東方号』。 旧日本軍が生み出した超々弩級戦艦大和を前身に持ち、ミミー星人の宇宙科学によって、軍艦ロボットアイアンロックスとなって蘇らせられた悲劇の船。それが、奇しき運命に導かれ、かつてトリステインの人間が経験したことのない大改装工事を経て、今度こそ希望の象徴となるために新たな命を与えられた。

 産声をあげるときを待ち、最後の眠りを謳歌する新・東方号。その巨体は月と星の光に照らされ、夜が明けるまで蜃気楼の彫像のように、幻想的な風景をゆるやかに流れる水面に映し続けた。

 

 やがて日は天高く昇り、天気晴朗にして、風は穏やか、厳しさを増していた冬の寒気も一休みした暖かい気候が街を包んだ。

 

 来る日に賑わう街の対岸を流れる大河の岸辺に、とうとう新たな姿に生まれ変わった戦艦大和こと新・東方号が浮かんでいた。

「処女航海には絶好の日和だな。我々の旅立ちを、神も祝福してくれているのか、それとも単なる嵐の前の静けさか……いや、最初から神の加護を期待しているようではダメだな。どんな苦難も乗り越えてゆくために、私はこの船を作り上げたのだから」

 空をあおぎながら、コルベールがぽつりと感慨深げにつぶやいた。

 彼の立つ東方号最上層の、前艦橋トップからは改装された東方号の全容を見渡すことができた。

 太陽を浴びて、新・東方号は鋼鉄の船体をにび色に輝かせて、自らの存在を誇示している。

 全長四百二十メイルの巨体にそびえる大和譲りの重厚無比な艦上構造物、そのマストの先端にはトリステインの旗が翻り、武蔵からも受け継がれた十八門もの四十六センチ砲は天を睨んでいる。さらに、後部甲板には、装甲空母信濃から受けついだ鋼鉄の飛行甲板が張り巡らされ、そこにはスクラップから再生された四機の零式艦上戦闘機がガソリンとオイルの匂いを漂わせて鎮座していた。

 が、コルベールの見ていたのはそれらではない。彼の見下ろす先には、大和の船体の中央部から左右に向かって大きく張り出した、翼長三百メイルにも及ぶ超巨大な鋭角三角形の翼があり、そこに取り付けられた片翼二基ずつの巨大なプロペラ付きエンジンが、真新しい鉄の輝きを放っていたのだ。

「新造の大型水蒸気機関四連……これは間違いなく、私のこれまでの生涯の中で最高の傑作だ。あの四基の羽根から生み出される風が、この船に強力な推力を与えてくれる……そうすれば」

 彼はそこで言葉を切った。コルベールは、この水蒸気機関が将来ハルケギニアの多くの船に採用されて、世界の空の様相が一変することを夢見ているが、彼は大人であるから、この夢の機関が平和利用のためだけに広まるとは思っていない。

 どんな便利な道具も、人間は必ず兵器に利用しようとしてきた。事実、この船は戦艦であり、東方号を見た各国の軍隊は将来必ず軍艦に真似してくるに違いない。

「人間とは愚かな生き物だ。平和を望むくせに、平和とは縁遠い方向でこそ進歩が加速されてしまう……だが、それで恐れていてはなにも始まらない。しかし、そう思うからこそ戦争の技術の進歩も止まらない」

 コルベールは戦争が嫌いであり、そのことを常に公言している。だからこそ、世の中が少しでもよくなるようと思って、研究に打ち込む人生を送ってきたのだが、最近はそんな自分のやってきたことに疑問を感じるようにもなってきていた。

「私が平和のために作った技術も、いずれは人殺しのために使われるかもしれん。私はひょっとしたら、とんでもない過ちを犯しているのでないだろうか?」

 それは科学者と呼ばれる人種の、逃れがたい宿命だろう。地球で平和や文化貢献した人間に贈られるノーベル賞も、元はダイナマイトを発明したノーベルが、炭鉱の作業をはかどらせるために作ったはずの高性能爆薬が戦争に使われたことで心を痛め、自らの遺産を使って死後に作らせたことが始まりだ。

 しかし、コルベールは悩みを抱えながらも、一度はじめたことを途中で放り投げることはできない。そこへ、大和の艦橋をルクシャナが軽業のように軽快に跳ねて登ってきた。

「こんなところにいたの? これから最後の仕上げだっていうのに、一番の責任者が油を売ってちゃだめじゃないの」

「やあ、君は相変わらずどこにでもやってくるね。なに、ちょっと考え事をしていてね。すぐに行くよ」

「ならいいわ、ヴァレリー先輩は、例のものを無事に輸送中で、あと三十分もあれば到着するそうよ。じゃあわたしは先に行くわね」

 ルクシャナは、すっかり板についたアカデミーの研究服を翻して、手すりの上から飛び降りようときびすを返した。風の精霊に加護をもらっている彼女からしたら、高層ビルに匹敵する大和の艦橋もなんでもない。

 が、いざルクシャナが飛び降りようとひざを曲げたとき、コルベールが後ろから声をかけた。

「ルクシャナくん、この仕事が終わったら、君に聞いてもらいたい話があるんだが、いいかな?」

「あら、愛の告白? 残念だけど、わたしはもう先約ずみなのよ」

「いや、研究家としての話さ」

「あらそう? いいわよ、わたしも研究者としてあなたと一度ゆっくり話してみたいと思ってたところだから。じゃ、また後でね」

 話を長引かせることもなく、ルクシャナは艦橋から飛び降りると、そのままひらりと甲板に降り立った。

 コルベールは彼女の着地を見届けると、甲板に続くタラップへと向かった。

 自らの信念が正しかったのか否か、そんなことは今考えるべきことではない。タラップを下りながらコルベールは自分を奮い立たせる。確かにこの世界は、常に争いの種を内包している危険な火薬庫だが、ヤプールなどに滅ぼされていいほど価値がないとは思えない。未来のことは、自分は教師なのだから、この戦いが終わった後でやれることがあると。

 

 

 未来への希望を託されながら、同時に未来における危険性もはらんだ新・東方号。その係留されている反対岸に小高くそびえる高台には、一般人が東方号を見ることの出来る舞台が据え付けられ、すでに数多くの人が集まって見物している。

 と、そこへ河の上流から二隻の大型船が下ってくるのが彼らの目に映ってきた。

「なんだ、あの船は?」

「あの旗は……王立魔法アカデミーの紋章だな。しかし、あの運んでいるものは何だ? とんでもなくでかい、パンケーキの化け物か」

 ある見物客がそう表現した、大型船に乗せられている直径五十メイルはあろうかという巨大な金属製の円盤。それが二枚、一隻に一枚ずつ積み込まれて、ゆっくりと河を下ってやってくる。

 しかし、この巨大な円盤こそが東方号を完成させるために絶対必要な最後のパーツであった。先頭の船のブリッジには、エレオノールの同僚のヴァレリーが乗り込んでいて、ほかにもアカデミーの優秀な学者が多数、円盤のあちこちで資料を片手にして休まず作業をおこなっていた。

 そして二隻の貨物船は東方号のそばに着岸し、下りてきたヴァレリーは出迎えたコルベールとルクシャナに相対した。

「出迎えありがとう、ミスタ・コルベール、ずいぶんやせたわねえ。それに引き換えルクシャナ、あなたは相変わらず元気そうね」

「ええそりゃもう、毎日がこれほど刺激的で楽しかったことなんて、生まれてこの方なかったから当然」

「ご苦労さまです。ミス・ヴァレリー、間に合わせてくれてよかった。さすが、アカデミーの双璧と呼ばれるお方ですな」

「実際、かなりギリギリだったけどね。でも、アカデミーの威信と世界の命運がかかってるっていうんなら頑張るしかないじゃない。それはともかくとして、魔法アカデミー特製の『半重力場発生装置』、確かにもってきたわよ」

 ヴァレリーは疲労を化粧で隠した顔を不敵に笑わせて、コルベールとルクシャナに「あとはまかせた」と肩を叩いた。

 

 『半重力場発生装置』、これがヴァレリーの運んできた巨大円盤の正体であり、東方号を飛翔させるための切り札だった。

 なにせ、新・東方号の総重量は十万トンを軽く超え、余剰スペースに風石をいっぱいに積み込んだとて浮かぶものではない。よしんば浮かんだとしても、あっという間に消費しつくして落ちてしまうであろう。水蒸気機関はあくまで推進装置であって、浮遊の助けにはならないのだ。

 そこで、この絶対的な物理条件をクリアするために、コルベールはあるものに目をつけた。それは、先日のラ・ロシェール近郊の戦いにおいてウルフファイヤーを操っていて、ウルトラマンAに撃墜された宇宙円盤と、ラグドリアン湖の戦いで初代東方号の特攻によって撃沈されたミミー星人の円盤である。

 これらはどちらも惑星の重力を無視した飛行をおこなっており、特に後者を刺し違えるつもりで間近で見ていたコルベールは、不謹慎にも助かった瞬間からこれを分解して調べてみたいと熱烈に考えていた。そしてその考えの延長線として、この二機の円盤を改修して東方号の浮力の補助として使おうというものであった。

 幸い、ラ・ロシェール近郊の円盤については爆破されたわけではなく、両断されて墜落したためにすでに軍によって完全な形で捕獲されており、アカデミーに研究の名目で引き渡されていた。ラグドリアン湖に沈んだミミー円盤も、水生の使い魔を有するメイジによって沈没点はすぐに特定され、五隻の風石船によってサルベージがおこなわれた。

 こうして、魔法アカデミーはナース以来、久しぶりに完全な形で宇宙人の機械を、しかも二機も同時に手に入れることとなった。彼らは東方号にかかりきりで参加できないコルベールが悔しがるのを尻目に、円盤を徹底的に調べ上げて、役に立つ技術はすべて吸収しようと試みた。

 これは地球において、怪獣頻出期におこなわれたことと同じである。

 地球に出現した侵略宇宙人の円盤や宇宙船は、そのほとんどが防衛チームやウルトラマンによって爆破されたが、地球人はそのわずかな破片を回収して復元したり、あるいはごく稀に破壊されずに残った宇宙船を分析して、宇宙船の重力制御技術などのオーバーテクノロジーを研究していった。

 防衛チームZATやMACの戦闘機が、航空力学を完全に無視した形ながら高機動力を発揮できる要因は、この研究から得られた半重力システムの恩恵によるところが大きい。残念なことに、防衛チームMACが本部基地ごと全滅してしまい、UGMの時代にはオーソドックスな戦闘機タイプに戻ってしまった時期もあるが、現在のGUYS基地フェニックスネストのフライトモードなどには過去以上の先端技術が取り入れられている。

 しかし、当然のことながら科学技術の基礎すらまだ存在しないトリステインにおいて、円盤の調査は難航した。おまけに時間もないこともあって、彼らはやむを得ずに円盤の解析はあきらめて、円盤の操縦方法の習得にのみ全力を注いだ。

 結果からすると、これは大英断であった。なぜなら、教官もマニュアルもなしに三輪車に乗れるようになったばかりの幼児に自動車を運転しろ、と言わんばかりの暴挙であるから時間はいくらあっても足りない。円盤は二機とも、搭乗していた宇宙人が墜落や衝突でショック死していたために動くことは動いたのだが、未知の操縦システムの前に手のつけられない暴走に陥りかけたことも一度や二度ではなかった。

「じゃじゃ馬のドラゴンを飼いならすほうがよっぽど楽に思えた」

 ヴァレリーの助手の一人は、疲れきった様相でそう語った。彼らの苦労が忍ばれる。

 とはいえ、アカデミーの学者たちの必死の努力は、なんとか形のあるもので報われた。二機の円盤は、元のように空中をふわりふわりと自由自在に飛び回ることは無理にしても、上昇、下降、前進、後退、左折に右折くらいまではどうにか操れるようになったのだ。

 

「ともあれ、よくぞ間に合わせてくれました。これで東方号は最後の仕上げにかかれます」

「そう? じゃあ私は寝かせてもらうから、宿代の払いはアカデミーにツケといてね」

 ヴァレリーは疲れた声でそう告げると、大きなあくびをして去っていった。

 桟橋では、すでに運ばれてきた円盤の一基が陸揚げ作業に入っている。これも数百トンはあるために、小型とはいえ空中船に吊られて動かされている様は壮観そのものだ。

 コルベールは、全体に指示を出すために竜籠に乗りこんで現場を見下ろした。

 地上五十メイルから眺める作業現場で、まずは一基、元はミミー星人の円盤がゆっくりと東方号の舷側に向かっていく。灰色に塗装しなおして、ヒトデ状の突起物を取り去った上で、完全なフリスビー型になった三分の一をカットしたそれは、大和の第一・第二砲塔側面の船体に合体した。

「ようし、右舷の合体は完了! ただちに接合作業に入ってくれ。続いて左舷、ドッキング用意だ」

 

 コルベールの指示の元、作業は細心の注意を払いつつも圧巻の様相を見せて進んでいく。

 現場の周辺には軍が厳戒態勢を敷き、ネズミ一匹たりとて東方号には近寄らせない構えをとっている。

 

 そして、この街にその物語を演じる最後の役者がやってきた。

 エレオノールの元に現れた、白髪のあまり風体の上がらない貴族の男。普通なら、この忙しい時期の来訪などは即刻門前払いを食らわせるところだが、その貴族はエレオノールにも無視できない地位と権限を持った男だった。

「突然のご来訪、まずは道中のご苦労をお察しいたしますわ。ですが、今はなにぶん時間のない身、至急ご用件をお伺いいたしたく存じますわ。アカデミー評議会議長、ゴンドラン卿」

「いや、時間を割かせてしまってすまないね。なに、研究熱心な君たちのために私も一肌脱ごうと思っただけさ。君たちの活躍を私から直接上に報告すれば、研究費用も増額されるかもしれない。悪い話ではないだろう? フフフフ……」

 

 

 続く



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第75話  人の闇 ヤプールの哄笑

 第75話

 人の闇 ヤプールの哄笑

 

 くの一超獣 ユニタング 登場!

 

 

 窓からはさんさんとした日差しが差し込み、祭りのようなにぎわいがガラスを通して室内にも届いてくる。

 港で最後の仕上げに取り掛かられている東方号の工事の音は、遠く離れているベアトリスの宿にも届いていた。

「まったく、式典には出ないって言ってるのに。大人たちときたら融通がきかないんだから」

「仕方ありませんわよ。トリステインの軍予算を大きく超える新造戦艦の建造の出資者を招かないときたら、軍は面目がないことくらいは平民のわたくしにでもわかります」

 ベアトリスの借りている宿の一室では、メイドたちに囲まれたベアトリスがドレスの着付けを急いでいた。

「あの連中は将来の出世のためにわたしとコネを作りたいだけよ。昔に比べたらだいぶん入れ替わったようだけど、あんなのがまだ軍の高官に残っているようじゃアンリエッタ姫殿下も大変ね。ま、主賓はどうしても嫌だから客賓としての参加だけど、やる気がないときのドレスほどわずらわしいものはないわ」

 ドレスとは人に見せるためにあるものだ、見せる気がないときには動きづらいし着るのも面倒でしかない。

 ぶつぶつと文句を言いながら、それでも一応の義務と礼儀としてベアトリスは不機嫌な顔でドレスにそでを通す。

 そうしてやがて、白磁の人形のようなかわいらしいドレス姿ができあがる。

 ドレスを身にまとったベアトリスは、いつものツインテールを背中に下ろして、窓からの陽光を浴びて金色の髪と純白のドレスを輝かせていた。目つきがきついことを除いたら、詩人に表現させればためらいなく妖精と呼ばれるであろう汚れなきその容姿は、クルデンホルフ大公国の姫君としての、彼女の洋々たる未来を暗示しているようでもあった。

 

 が、未来を常に見据え、光から目を離さず歩み続ける者たちがいれば、光の挿さない暗い道をさまよい続ける者たちもいる。

 そして、明るいところから暗いところは見えにくいが、暗いところから明るいところはよく見える。

 その闇の中から、日なたにいる者をうらやみ憎み、ひきずり落とそうと虎視眈々と狙う目があることを、少女はまだ知らない。

 

 気乗りしないながらも、ドレス姿に変わったベアトリス。その室内にエーコたち三人が入ってきた。

「失礼します。姫殿下、準備はできられましたか?」

「こら、すっぴんを覗きに来るものじゃないわよ。女同士でもデリカシーってものをわきまえなさい」

 化粧をはじめたばかりだったベアトリスは、三人の間の悪さに苦言を呈したが、言葉に悪意は込められていなかった。

 素のかわいらしさに加えて、これからメイドたちによって紅などの薄化粧が施されたら、一流画家でも再現することが困難なほどの美令嬢が誕生することだろう。惜しむらくは、この晴れ衣装を披露する舞台に本人が乗り気ではないことか。

 エーコたちはベアトリスに失礼をわびると、「何の用?」と尋ねる彼女に気を張った様子で答えた。

「はっ、姫殿下の出立に当たりまして、わたしたちが先に行って話を合わせておこうと思いまして」

「それは助かるわ。でも、シーコは大丈夫なの?」

「あっ、はい傷はもうなんともないです。むしろ、ひとりだけで留守番なんてことになるほうが寂しいです」

 怪我している腕を、よせばいいのにぶんぶん振り回すシーコにベアトリスは苦笑した。

「そうね。あなたたちはいつでも三人いっしょだものね。それじゃあ頼むわ、今日は人が多いだろうから気をつけてね」

「はい、それでは行ってまいります……あ」

「ん? まだなにか言うことがあるの?」

「いえ、なんでもないです……」

 エーコたちは、ドアをくぐる前になにやら言いたげな表情を見せたが、結局はそのまま退室していった。ベアトリスは怪訝に思ったものの、言わないならまあたいしたことでもないだろうと、メイドに化粧をさせることに意識を戻した。

 ところが、それから三分ほどが過ぎたころであろうか。突然ドアが開くと、シーコひとりだけが戻ってきたのである。

「姫殿下……」

「ん? どうしたのシーコ、エーコたちが待ってるでしょ。早く行きなさいよ」

 ベアトリスは、うつむいた様子で搾り出すような声で話しかけてきたシーコに、また怪訝な表情で応えた。とにかくこれから忙しいのだ、時間がないから長々と話をしている暇はない。

 言うことがあるなら早く話しなさいと、ベアトリスは手を腰に当ててシーコを急かした。しかしシーコは顔をあげないままで、独り言のように告げた。

「殿下……もしも、今日式典でなにかがあったら、避難経路とは逆の方向に逃げてください。敵は、民衆の避難経路を熟知した上で襲ってきます。だから、見つからなくてすみます。それに、そのドレスも目立ちますから必ず脱いで……」

「えっ、それはどういうこと!? 敵って、待ってシーコ!」

 語り終えるとシーコは脱兎のように駆け出していった。ベアトリスは追おうとしたが、動きにくいドレスを着込んでいるのではいかんともしがたい。それに、メイドたちも急ぐようにとせかしてくる。

「姫殿下、お早くなさいませんと開会の時間に間に合いませんよ」

「うっ……わ、わかってるわよ!」

 クルデンホルフの姫が遅刻なんてことになったら家名に泥を塗ることになる。シーコの言葉は気になるけれども、今は港に向かうしかないとベアトリスはあきらめるしかなかった。

「シーコ、どうしたっていうの……? もう! 帰ってきたら、必ずとっちめてあげるんだからね!」

 奥歯にものが挟まったようなもどかしい思いを抱えたまま、ベアトリスを乗せた馬車は式典の会場へ向けてわだちを刻んでいく。

 

 新・東方号の完成式典会場は、東方号の着岸している桟橋からたっぷり一リーグも離れた場所にある広場にもうけられていた。

 本来ならば東方号の甲板上か、桟橋のすぐ近くで執り行われるべきなのだろうが、これから先へは関係者以外はどんなに身分の高い者でも入れないようになっている。むろん間諜……スパイが入り込まないようにするためで、持ち主の体内の水の流れを記録した特別な身分証明書はどんなにうまく化けたとしても、本人以外が持てば赤く変色するようになっていたし、出入りのたびに薬物チェックや匂いを覚えた使い魔による判別がおこなわれるという徹底振りである。

「たとえ人間に化けたヤプールの手下がやってきたとしても、絶対に見つける」

 過去幾度の教訓から、ヤプール相手には用心深くしてしすぎることはないというエレオノールの言葉である。

 実際、どんなに近代設備の粋を極めた大要塞であっても内側に入られたら極めてもろい。

 むろん、軍事の専門家ではないエレオノールはそんなことは知らない。しかし、何度も何度も同じ手でやられるほど間抜けなことはないので、今度ばかりは完璧な警備態勢を敷こうと神経を尖らせている。才人やルイズも東方号に行くたびに何度も身体検査を受けたけれど、身内にも徹底したあの態度はたいしたものだと感心している。

 

 

 来客に、トリステイン軍の高官や、大事をまかされる貴族を招いて完成式典は大々的に開かれた。

「お集まりの皆様、本日はこの記念すべき日を迎えられましたことを、心より喜びましょう。今日この日は、トリステインの、いや世界の歴史に華々しい一ページを飾ることでしょう!」

 軍代表のド・ポワチエ将軍からの、熱意はあれども個性に乏しい開会宣言が始まりになった。それからは来客紹介やあいさつなど、型どおりのプログラムが粛々と進んでいき、本当に型どおりに進んでいく式を、ベアトリスは招待客の一席で憮然として聞いていた。

(思っていた以上につまらないわね。大人ってどうしてこう、偉くなればなるほど退屈なことしか言えなくなるのかしら。あなたたちが野蛮って呼ぶゲルマニアの軍人のほうが、よほどユーモアのある演説をするわよ)

 トリステイン貴族は伝統を重んじる。それは良くも悪くも決められたことを遵守するという性質を、この国の軍人たちにも植えつけていたのだが、若く変化を求めるベアトリスにとっては退屈でしかなかったようだ。

 それに、この式典は参加してみてわかったことだが、東方号にとって重要な役割を担う人物がほとんどいない。

 コルベールは現場指揮をとっているし、水精霊騎士隊や銃士隊は全員東方号に乗り込んでいる。よってこの場にはベアトリスの見知らぬ人間ばかりで、居心地が悪いときたらない。

「さて皆さん! ここからでもかなたにあるというのに、まるで城郭のように巨大なあの船の勇姿は見えるでしょう。弱小国と呼ばれていたトリステインが、一躍世界をリードする時代がこれよりやってきます。それもこれも、その献身と忠誠を惜しみなく捧げる皆様方がいればこそ! 私は皆様とともにこの誇りを分かち合えることを至上の喜びとするものです!」

 またも形式どおりに拍手が壇上の将軍に贈られ、ベアトリスはうんざりした様子でため息をついた。

 それに、その連中、つまりド・ポワチエたちが、これまでコルベールやこの街の職人たちが汗水垂らしてやり遂げてきた成果を、まるで自分の手柄のように得意げに演説しているのがなんとも癇に障る。

(あんたたちはこの一ヶ月間、この街に来たことすらなかったでしょうが。まったく、よくもまあそんなに誇らしげな顔ができるものね……将来は、こんな連中とも付き合わなくてはいけないのかしら、憂鬱だわ。まったく、こんなところで格好をつけようとしていた昨日までの自分をエア・ハンマーで吹っ飛ばしてやりたくなる。土系統のわたしには使えないんだけど、いまならこの腹の憤りが可能にしてくれるような気がするわ)

 考えてみたら、いつ敵襲があるかもしれないこんな時期を選んで式典を開くこと自体馬鹿げている。それがあえて強行されたのは、自らの功をこの機に乗じて高らかに喧伝したいのだろう。ただでさえ、アルビオンにアンリエッタ姫の護衛として着いて行った『烈風』やド・ゼッサールなどに比べたら留守番の二線級部隊と言われているのだ。目に付くものはそれこそハイエナのように出世の材料に利用したり、それに便乗しようと打算してるからに他あるまい。

 馬鹿馬鹿しいというよりは呆れかえってしまう。世界の滅亡か否かという事で皆が一致団結しているときに、よくもまあ低次元な権力ゲームに狂奔できるものだ。ここにコルベールやエレオノールがいないのも納得がいく。彼らは恐らくこんな式典ははじめから眼中にないのだ。

 大人の世界のくだらないところを垣間見たベアトリスは、もう数えるのもばかばかしい多さになるため息をそれでもつかざるを得なかった。なにが楽しいのか、周りの大人たちは飽きずにあらかじめ用意していたような台詞を得意げに繰り返している。

 退席できるものなら今すぐにでもしたい。これなら東方号の工事に立ち会っているほうが何倍もよかった。

 第一、最初から不満だったのは先に来ているはずのエーコたちが、どこにも見当たらなかったことだ。

(エーコ、ビーコ、シーコ、いったいどこに行ったのよ……まさかいい歳して迷子ってわけでもないでしょう! そういえば最近どこかよそよそしかったし、いったいなにを隠してるのか帰ったら必ず聞き出すからね)

 いつもそばにいて当たり前だった三人がいないことが、苛立ちをさらに加速させていた。

 無為な孤独が心をささくれ立たせる。今すぐにでも席を蹴って出て行きたくてたまらない。時間が無限に感じられた。

 そのときであった。隣の席から、しわがれた低い男の声がかかってきた。

「失礼、お嬢さん。先ほどからどうも落ち着かない様子だが、どうかなさったのかね?」

「えっ? あっ、ど、どうもすみません」

 ベアトリスは慌てて隣の席に向けてわびを入れた。

 見ると、座っていたのは銀髪をした老紳士だった。丁寧に刈り込まれたひげが品のよさを感じさせるが、顔つきにはけんがなくて、貴族の威厳よりも商家の主でもしていたほうが似合いそうな印象を受けた。

「ふむ、若いうちはこうした行事は退屈であろうな。いや、わからなくもないよ。私も席を用意してもらったはいいが、ずっと座っているだけで、退屈していたところさ」

「はぁ、それはまた」

 親しげに話しかけてきた老紳士にベアトリスはあいまいに受け答えした。正直、意表を突かれてびっくりした。しかし、落ち着いてみると、この人はどこの誰なのだろう? トリステインの有力な貴族や役人、軍人はおおかた頭に入れてあるが、どうも該当する人物がいない。

「失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「これは失敬、私は王立魔法アカデミーで評議会議長を務めておりますゴンドランと申します。お見知りおきを、ミス・クルデンホルフ」

「それはそれは、アカデミーの議長殿とは存じませんで、こちらこそ失敬いたしました。よろしくお願いいたしますわゴンドラン卿」

 気を取り直して、ベアトリスは礼に従ってあいさつをした。アカデミーの議長なら、あまり表舞台に出てくることもないから顔を知らなくても不思議ではない。記憶にある限りでは、これといった功績があるわけではなく、学者としての実力よりもアカデミー内での権力バランスから議長の席に『置いてもらっている』ような人間だが、よい面識を作っておいて後々悪いことはないだろうとベアトリスは話しかけた。

「アカデミーといいますと、ミス・エレオノールにはいろいろと勉強させていただいております。ほかにも、アカデミーの開発する新魔法技術の数々は、クルデンホルフも強く関心を持っておりますわ」

「それは光栄ですな。もしも、名だたるクルデンホルフに後押ししてもらえたらアカデミーはさらに栄達することでしょう。どうですか? ひとつお父上にお口添え願えませんかな」

「考えておきましょう」

 おもしろいほど簡単に乗ってきて、ベアトリスは内心でほくそ笑んだ。魔法アカデミーの最高権力者を掌中にしてしまえば、アカデミーの持つ優れた魔法技術や人材をクルデンホルフが得ることがたやすくなる。欲深い人間ほど御しやすいものはない。ベアトリスは冷断な策謀家としての一面も持って、ゴンドラン卿に作り笑顔を向けた。

「ところでゴンドラン卿、卿も東方号の完成を祝うためにやってこられたのでしょうが、もう東方号は見られましたか?」

「いやいや、すでにミス・ヴァリエールには見学を申し込んだのだが、いかなる身分の方であろうと部外者の立ち入りは厳禁すると突っぱねられてしまってね。いやはや、なんとも頼もしい女傑だよ」

「それはまた、大変でしたわね。融通の利かないところはさすがミス・ヴァリエールと言えるかもしれませんがね」

 自分の上司すら例外に含めないとはたいした肝の太さだとベアトリスは感心した。ここにいる連中にも、エレオノールの半分でもいいから厳格さが備わっていたら、恐らくこんな式典は書類上でくずかご行きとなっていたに違いない。しかし、それはそれとして、ベアトリスはゴンドラン卿が将来のクルデンホルフにとって有益な人間となるように働きかけようと試みた。

 ところが、本当になにげなくベアトリスが手を振ったときである。止め具の固定が甘かったのか、手首にはめていた金のブレスレットが外れて床に転がってしまった。

「あっ、ブレスレットが……」

「よいですよ、私が拾ってしんぜましょう」

 偶然ゴンドラン卿の足元に転がったブレスレットは、親切に拾い上げてくれた卿の手に握られた。差し出されるそれを、ベアトリスはむろん何気なしに受け取ろうとしたのだが……

「ありがとうございま……ひっ!?」

 ブレスレットを受け取ったとき、ベアトリスの喉から引きつった声が漏れた。それは、受け取った瞬間に触れたゴンドラン卿の手から伝わってきた、異様なまでの冷たさ……寒気で手のひらが冷えているなどとはまったく違い、こちらの体温を根こそぎ奪われてしまう、氷塊のような冷たさを感じたためであった。

「どうなさいました? ミス・クルデンホルフ」

「い、いえなんでもありませんわ。ほ、ほほほ」

 思わず笑ってごまかしたが、手に残ったおぞましいとさえいえる感覚は消しようもなかった。いったい今のはなんなのだ? 錯覚などでは絶対にない。例えて言うならば、幼い頃に空中装甲騎士団が仕留めてきた人食いドラゴンの死骸を目の当たりにしたときのような、体の芯から湧いてくるような恐怖心。

「も、申し訳ありません。少し気分が」

「おや、それはよくない。寒気に当てられたのかもしれませんな、お大事に」

 演技ではなく、本当に吐き気を覚えたベアトリスは逃げるようにその場を立ち去った。

 ゴンドラン卿は、人のよさそうな顔に笑みを浮かべたままで、招待客たちの席の間を抜けていくベアトリスを見送っていたが、彼女が見えなくなると、口元を手で覆い、その下の口を大きくゆがめた。

「お大事に……もっとも、すぐに体の心配などはしなくてすむようになるだろうがな」

 彼は口元から手をどけると、懐から懐中時計を取り出した。

「さて、そろそろか。せいぜいうまくやってくれよ、お前たちの憎しみの炎でこの世界を焼き尽くすほどにな」

 式典の壇上では、いまだにド・ポワチエたちが場違いな一人演技に狂奔していた。

 

 時間はそれを意味あるものとする者も、無価値に浪費する者も平等に流れていく。

 盛大な式典は、当事者たちの熱気に包まれて続き、そこだけ一種異様な空気に包まれていた。

 

 一方で、そうした俗世間の低級な事情などはすでに振り切った人間たちは、ただ己の中に流れる熱き血潮に従って生きていた。

「ミスタ・コルベール! 左舷、東方号船体と円盤のドッキング完了しました!」

「ようし、土メイジたちはすぐに船体との接合作業に入ってくれ! 再度注意するが、錬金の加減には十分注意してくれ! すきまなく船体と円盤を接合させないと浸水や空中分解の危険があるからな!」

「了解です!」

 快い熱気に包まれて、作業現場はあと一息を頑張っていた。

 コルベールとエレオノールの手によって、最後の仕上げを施されている新・東方号。人々は、その飛翔のときこそがヤプールの恐怖が打ち払われる第一歩だと信じて、真の目的を知る者も知らぬ者も、ただ『完成』の一言が放たれるただ一瞬のみを待ちわび、見守り続ける。

 

 しかし、誰もがそうならないでいてくれと望み、絶対にそうはならないであろうと思っていたことがついに現実となった。

 

「超獣だぁーっ!」

 

 街全体に警報が鳴り響き、待機していたトリステイン軍が、銃士隊が、水精霊騎士隊が、そして才人とルイズも動き出す。

 見れば、街の一角から煙が立ち上り、建物よりもはるかに大きな影が黒煙と炎の中で暴れまわっている。

 間違いない、またあの超獣が現れたのだ。超獣ユニタング出現の報を受けて、待機していた戦闘部隊は引き伸ばされたゴムのように機敏に動き始めた。

 駐騎場からドラゴンやグリフォンが次々に飛び立っていき、東方号のある桟橋の近辺には、全長五メイルはある巨大な亀の背中に戦列艦用の大型大砲を乗せた砲亀兵と呼ばれる部隊が配置されて待ち構える。

 続いて地上で動き始めたのは銃士隊である。

「作業を終えた工員からカッターに乗せて下流に避難させろ! 残りの部隊は警戒態勢を維持、混乱に乗じて入ってこようとする輩がいたら斬り捨ててかまわん!」

「はっ!」

 ギーシュたち、水精霊騎士隊も黙っているわけではない。乗組員として訓練を受けてきた彼らは、自らの船を守るべく東方号の武装に取り付いていった。

「ギ、ギムリ大丈夫かな? や、やっぱりこんな大きな銃を動かすなんて無茶なんじゃ」

「バカヤローッ! 今さらなんだ、男なら気合を入れろ。大丈夫、撃ちまくればたぶんなんとかなる!」

「き、緊張するな。訓練じゃ何度も動かしたけど、こんなもの扱うのはやっぱり生まれて初めてだから」

「訓練でうまくいってれば実戦でもなんとかなるって、ぼくのおじいちゃんが言ってたよ。心配ないって、主砲に比べたら小さいんだからさ」

 彼らが準備しているのは、大和の武装の中で唯一使用可能となった武器、二五ミリ単装機関砲であった。対空用の機関砲として大和にハリネズミのように装備されていたこれは、電力を必要としなかったために分解整備の末に今日までに数十丁が稼動状態になって甲板上に配備されていた。

 彼らの任務は、敵が東方号に近づいてきたらこれで弾幕を張ることにある。魔法で戦えないことは彼らにとって屈辱であったが、キュルケやタバサほどの実力がなければ魔法を撃ってもそもそも届かないのでしようがなかった。この機関砲の射程は五千メートル以上あり、下手な鉄砲も数打てば当たる方式でいけばなんとかなる。幸い弾はラグドリアンの日本艦艇から山ほど回収済みで、何万発であろうと撃ち放題だ。

 息を呑んで、ギーシュたちは街を破壊しながら近づいてくるユニタングを睨みつける。まだ有効射程には遠い、攻撃命令は対空指揮所で双眼鏡を覗いているレイナールが出すことになっている。が、このままでは耐えられなくなった誰かが勝手に引き金を引いてしまいそうだ。

 だが、緊張して機関砲を握ったまま動けなくなっていた彼らに、最高の緩和剤はちゃんと用意されていた。モンモランシーやティファニアたちがサンドイッチをケースにたっぷりと入れて持ってくると、全員まとめて頬を緩めてがっつきはじめたのである。ちょっと前にあんなことがあったばかりだというのに性懲りもない、けれどもこれから死ぬかもしれないときに能天気に笑えるならば、彼らは意外と大物の素質があるのかもしれない。

 そして、東方号の後部飛行甲板では、才人とルイズを乗せたゼロ戦が発進しようとしていた。

「スロットルいっぱい、油温油圧すべて問題なし。ルイズ、かっとばすぞ!」

「ええ! いつでも来なさい!」

 プロペラを全開に回したゼロ戦の背中を、風のメイジがいっぱいの突風を持って押し出す。

 いわゆる魔法カタパルト。はじかれたようにゼロ戦は甲板から空中に躍り出て、一気に垂直上昇で地上一千メートルの高度に達した。

「機体の調子はばっちしだ。ようし、急降下から一気にいくぞ、準備はいいか!」

「わたしを誰だと思ってるの! 烈風の娘にこんなスピードは止まってるようなものよ、全速で行きなさい」

「そうこなくちゃな! んじゃまあ、少々無理させるけど耐えてくれよゼロ戦!」

 銀翼にまばゆく太陽の紋章を輝かせ、ふたりを乗せたゼロ戦は猛スピードでユニタングへと突撃を開始した。

 

 平和だった市街地を朱と黒煙に染めて、超獣ユニタングへ人間たちの攻撃がはじまる。

「全部隊一斉攻撃! これから先には絶対に進まさせるな!」

 この時のために訓練を積んできた魔法騎士たちの魔法が、あらゆる方向からユニタングに突き刺さる。

 さらに、侵攻を食い止めるために進行方向に配置された大砲が放たれて、周囲の建物ごとユニタングを爆発で包んだ。

「市民の避難はすんでいる、周りの被害は気にするな! あと少しなんだ、絶対にここは通すな」

 街中にある砲弾を使い果たしてもいいという勢いの砲撃に、さすがのユニタングの動きも鈍くなる。

 その隙を突き、空中からは魔法騎士の魔法攻撃やゼロ戦の攻撃も加えられた。

「食らえ! コルベール先生特製、空飛ぶヘビくんゼロ戦搭載型だ!」

 ゼロ戦の翼下から放たれたマジックミサイルがユニタングに命中し、激しい爆発の連鎖で巨体を覆いつくした。

「やったか!」

「な、わけないでしょうね」

 しかし、ルイズの言ったとおりこの程度では超獣を相手に決め手にはなっていなかった。爆発の煙の中からユニタングの一本角が突き出してくると、全身で煙を吹き飛ばして、咆哮と共にほぼ無傷のユニタングが現れた。

「くそっ! 全軍攻撃を続行せよ!」

 部隊指揮官は悲鳴に近い声でそう命じた。はじめから簡単に勝てる相手ではないということは覚悟していたつもりだったが、こうもビクともしないところを見せられてはやはりショックだった。

 だが、攻撃は通じなくとも進撃を邪魔されたことにユニタングは怒っていた。大きく裂けた口から甲高い鳴き声をあげると、鋭いハサミになっている両手から白い糸を噴出して、空を飛ぶゼロ戦やドラゴンをからめ落とそうと狙ってきた。

「危ねえっ!」

 才人は間一髪のところで急旋回して糸をかわした。だが、かわしきれなかったドラゴンとグリフォンの何騎かが糸にからめ取られて、そのまま街中に叩き落されてしまった。

「やりやがったな! くそっ、くのいち超獣って別名は伊達じゃねえってことか」

 コクピットの中で毒づきながら、才人は映画などで忍者が手のひらからクモの糸を出して敵をからめ取る忍術のことを思い出した。超獣には、ほかにも忍者超獣という異名を持つ二次元超獣ガマスもいるけれど、こいつの能力も立派に忍者じみている。

 ユニタングは手のほかにも口からも糸を吹き出して、空飛ぶ騎士たちを次々に落とし始めた。街中のいたるところの家々の屋根には、ドラゴンやグリフォンが墜落して開いた穴からのほこりが吹き上がっている。地球と違って薄い板でしか出来ていないからあっさりと破れてしまうのだ。屋内に落ちた騎士たちの消息は、今は確かめている暇はない。残酷なようだがこの程度は想定の範囲内だ。

 勝利のために、心を鬼にしなくては勝てる戦いも勝てなくなる。かつて防衛チームMACは墜落戦闘機六機、死傷者十九名という大損害を受けながらなお戦闘を継続したことがあるのだ。

 軍隊は未完成の戦列艦から陸揚げした大砲や、停泊中の戦列艦からの遠距離砲撃など周囲への被害も無視できない攻撃まで使って足止めを計る。また、ゼロ戦や生き残った魔法騎士たちも、砲撃のあいまを塗って、先日使用された火炎爆弾やその他大小、テストもしていない新兵器も使って総攻撃をかけた。

 だが、人間たちの猛攻にも関わらずユニタングの前進は止まらなかった。攻撃がまったく通用しなかったわけではない。後先を考えない人間たちの攻撃は、少しずつだが超獣の肉体にもダメージを与えていっていた。すでに全身に焦げ目ができて、鋭く伸びた牙の何本かは折れて、自慢のハサミにも亀裂が入り始めている。

 それなのに、ユニタングの前進は止まらない。本当に昨日までは攻撃を受けたらさっさと逃げていた奴と同一の個体なのかと疑ってしまうまでだ。

 

「なんて奴だ! 人間だったらのた打ち回るような傷だぞ。痛みを感じてないとでもいうのか!」

 

 人間側にも相応の被害を出しながら、ユニタングの前進は止まらない。そして、ユニタングは東方号をもう間近に見られる、完成式典の会場にまでやってきた。

 そこでは、たった今まで世界が自分のものになったように得意げに演説していた貴族や役人たちが、算を乱して逃げ惑っていた。

「超獣だぁーっ! 助けてくれぇーっ!」

「わしの馬を引け! おい従者、どこへ行った」

「竜籠、竜籠にはどうしたら乗れるのだ! どけ、どかんか」

 彼らとて、この場所が超獣に襲われると想定していなかったわけではないが、その見通しははなはだしく甘かった。大挙して駅に停められた馬車は突然動き出すには密集しすぎていたし、そこにたどり着くまでの道は当の貴族達が押し合いへし合いしていてまともに人が流れない。自分のことしか考えずに都合のいい見積もりをした人間の滑稽な図がそこに映し出されていた。

 パニックという言葉は今ここにいる人間たちのためにあると言って過言ではない光景。さっきまであれだけ偉そうにしていたド・ポワチエも、超獣出現で部下が我が身大事と一番に逃げ出してしまって、ぽつんと佇む哀れな姿をさらしている。

 彼らは自らの虚栄心の代償を自らの命で支払わされようとしていた。銃士隊や衛士隊も、街の人間を逃がすので精一杯で彼らに構う余裕はない。

 まさにそんな渦中のことであった、悪魔の策謀が動いたのは。

 悲鳴と怒号が支配する数百の人間たちの間に、ただ一言だけ不自然なまでに明瞭な声が響き渡ったのだ。

「そうだ、東方号だ! あの船に逃げ込めば助かるぞ!」

 その一言は、恐怖で白紙に近くなっていた貴族達の頭の中をほぼ一瞬で支配した。

 東方号に行けば助かる、あの船の中なら安全だという考えが、なんの抵抗もなく数百の人間たちを怒涛の波に変えた。

 桟橋への道への検問を強引に魔法で破壊し、止めようとする人間たちを「どけ」の一言で押しのけていく。

 貴族達の顔は完全に恐慌に染まり、誰も止められない流れとなって東方号へ向かう。その流れの中に、悪魔が紛れ込んでいることも知らずに。

「ふふふ、いくらこんなクズどもでも人間相手に武器を使って止めることはできまい。私が東方号に近づいたときには、ユニタングに気をとられているお前達にはもう防ぎようがあるまい? お前達人間の希望は、同じ人間たちのせいで潰え去るのだよ。ははははは!」

 悪魔に寄生されているとも知らず、恐怖にとらわれた人間たちの怒涛は東方号まであと五百メートルまで迫りつつあった。

 

 一方、ベアトリスはそのころ気分の不調を訴えて、手洗いに駆け込んだおかげでパニックには巻き込まれずにすんでいたが、超獣が迫る会場近辺に取り残されて焦っていた。

「ど、どうしよう……と、とにかく逃げないと……み、みんなはあっちの方向に逃げたのよね」

 震える足をなんとか叱咤しながら、ベアトリスは自分も早く逃げ出そうと建物の影から出ようとした。すでに超獣の姿は見上げられるほどまで近くなっており、対抗するための砲爆撃の炸裂もすぐそこまで来ている。このまま同じところにいたのでは超獣はやり過ごせても、流れ弾で殺されてしまう。

 逃げないと、その一心でベアトリスは走り出した。が、動きずらいドレス姿である、すそを踏んづけて盛大に転んでしまい、高級糸で作られたドレスが土ぼこりにまみれる。

「痛っ……もう、なんなのよ……あっ」

 しかし、痛みに耐えて立ち上がろうとしたとき、ベアトリスの脳裏にシーコの言った言葉が蘇ってきた。

”殿下……もしも、今日式典でなにかがあったら、避難経路とは逆の方向に逃げてください。敵は、民衆の避難経路を熟知した上で襲ってきます。だから、見つからなくてすみます。それに、そのドレスも目立ちますから必ず脱いで……”

 まさか、シーコはこうなることを予期していたの? ベアトリスは困惑したが、ほんの数十メイル先に砲弾が落ちて派手な土煙をあげると、もう考えている余裕はなくなった。

「みんなとは、反対の方向……ええい、こんな動きにくいもの!」

 ベアトリスは優雅だったドレスのすそを思いっきり引きちぎると、必死で裏路地のほうへ走り始めた。

 あとには、数十の砲弾が炸裂し、ベアトリスのいた場所を粉々に破壊しつくしてしまった。

 

 弱い怪獣ならばバラバラにしてしまいかねないくらいの弾薬を投射されながら、なお止まらないユニタングの進撃。それが桟橋まで一リーグしかない式典会場まで到達すると、さすがに才人やルイズも焦りが見え始めた。

「しぶといやつだな! くそっ、コルベール先生の秘密兵器ももうねえぞ。これじゃ食い止めきれねえ!」

「まずいわね、地上じゃ逃げ遅れた人たちがパニックを起こしてるわ。っとに、時と場合をわきまえずにバカ騒ぎをやりたがるからこんなことになるのよ。サイト! こうなったら変身して」

「ああ! ん? 待て、超獣の様子がおかしいぞ」

 ゼロ戦を着陸させようと、手ごろな場所を探そうとした才人は、ふとユニタングが妙な動きをしているのに気がついた。

 ルイズも言われてよく見ると、ユニタングは式典の会場付近で立ち止まっている。それだけではなく、攻撃に反撃することもなく、斜め下を向いてウロウロしているように思えた。

「あの超獣、なにかを探してるように見えるわね」

「ああ……なにっ、おいどういうことだ!」

 呆然と観察し続けていた才人は愕然とした。なんと、ユニタングはしばらく何かを探すような動作を続けた後で、唐突にその場でくるりと方向転換すると、桟橋とはまったく違う方向に進み始めたのだ。

「ここまで来て引き返すってのか!?」

「あっちは……このあいだの事で閉鎖された倉庫街じゃない。今はもう何もない……どういうことよ」

 見当違いの方向へ進んでいく超獣に困惑したのか、軍も攻撃の手を止めて呆然として見送るばかりであった。

 

”奴はいったい、どこへ行こうとしているのだ?”

 

 作戦を指揮していた司令官から一平卒、東方号で危険を顧みずに作業を続けていたコルベールや作業員たち。機銃の引き金を今にも引こうとしていたギーシュたち、才人とルイズもユニタングの意図がわからずに、遠ざかりつつある後姿を見送るしかなかった。

「目的は東方号じゃなかったのか……? じゃあいったい、あの超獣はなんのために出てきたっていうんだ?」

 いくら考えても出ない問題に頭を悩ませつつ、完全に東方号に背を向けて去りつつあるユニタングを人間たちは見つめた。奴の足元では、進む邪魔となる建物がつぶされてまだ火焔をあげているが、攻撃による炎はない。部隊長の中には追撃攻撃を主張する者もいたが、逃げる敵を追い詰めてはかえって逆襲を招くとして却下された。

 逃げてくれるなら、それに越したことはない。そのほうが無駄な犠牲が少なくてすむ……

 やがて、ユニタングの姿が旧倉庫街を一望できるような場所で、ふっと煙のように消失すると、全軍から歓声があがった。

 だが、一番超獣が消えたことを喜んだのは桟橋へと恐慌していた貴族達の群れであっただろう。検問を破りつつ、東方号まであとわずか二百メイルにまで近づいていた彼らは、背後から迫ってきていた死の化身が遠ざかっていくのを知ると狂喜した。

「見ろ! 超獣が引き返していくぞ」

「た、助かったぁ」

 必死に逃げていた彼らは、もう逃げる必要がなくなったのだとわかると、糸が切れたようにその場にへたり込んだり、胸をなでおろしたりした。中には慌てて乱れた服装や頭髪を整える者もいたが、それらはすべてを見ていた人たちから冷笑と侮蔑の眼差しを向けられただけにとどまった。

 だが、無様でもなお生命の危機の脱出に心からの安堵を覚える人間たちの中で、悪魔の意思を宿した男は煮えるような憤怒に己の身を焦がしていた。

”おのれ馬鹿者が! なぜあと一歩、あとほんのわずかで人間たちの船に到達できるというところだったのに、なぜ引き返す! 肝心なところで役立たずがぁ!”

 恐慌に支配されていた貴族たちは、東方号には近づいてはいけないと押し返してくる銃士隊に背を向けて、次々と元来た道を引き返しはじめている。これではもう、誰も東方号に近づくことはできないだろう。

 男は、貴族たちの恐慌を利用して東方号に近づこうとする作戦が、完全に失敗したことを認めざるを得なかった。

”だがこのままではすまさんぞ人間ども! 我らヤプールの本当の恐ろしさを思い知らせてやる! だがその前に、やらねばならんことがあるようだな”

 恥の上塗りを避けるために、早足で引き返していくド・ポワチエをはじめとした貴族たち。その中から、いつの間にかひとりの老紳士が消えていることに、気がついた者はいなかった。

 

 一方、シーコの言葉に従って必死で逃げていたベアトリスは、気がつくといつの間にか人気のない倉庫街に迷い込んでいた。

「ここは……いつかの倉庫街ね。道なりに走ってたら、またここにやってきちゃうなんて」

 自分にとっていい思い出のない場所に、ベアトリスは嫌悪感を覚えて立ち去ろうかと思った。気がつくと、激しかった戦闘の音もなくなって、超獣の鳴き声も聞こえなくなっていた。夢中で走っているうちに状況が変わってしまったのかと思ったが、ここからでは街全体のことはわからない。

 帰らなければ……ベアトリスは超獣の気配がなくなったことで、来た道を引き返そうと振り返った。しかし、ドレスに合わせて走りにくい靴で全力で走り続けたために、体はだるくなるほど疲れが溜まっており、また靴擦れも起こして痛み始めていたので、彼女は少しここで休んでいこうと思った。

「少しくらいなら大丈夫よね。ここなら、たぶん安全だろうし」

 ヤプールも同じ場所を二度アジトにするほど愚かではないだろうと、ベアトリスは扉の開いていた一軒の倉庫の中に入った。

 中は、使える物資はすべて持ち出された後で、多少のガラクタを除いてはなにもなかった。それでも椅子の代わりに使えるものはないかとベアトリスは倉庫の奥へと足を踏み入れていき……唐突に倉庫の扉が閉じられた。

「えっ?」

 誰もいないはずなのにと、振り返ったベアトリスは、閉じられた鉄の扉を見た。

 そこには、扉を背にして三人の人影が立っており、天井付近に設けられた明り取りの窓からの日差しが、ベアトリスに人影の正体を知らしめた。

「エーコ! ビーコ、シーコ!」

 見間違えるはずはなかった。見慣れた顔、朝見たときと同じ服装、しかし彼女たちの体はところどころすすけたり、傷を負って血がにじんでいたりしていて、ベアトリスを驚かせた。

「どうしたのあなたたち! こんな傷だらけになって……そうか、あの超獣にやられたのね。それで、あなたたちもここに逃げ込んできたんでしょう?」

「気になさらないでください……それよりも、姫殿下……会ってもらいたい人たちがいるんです」

「えっ?」

 感情のこもらないエーコの声に、ベアトリスは思わず後ずさった。と、同時に無人だと思っていた倉庫の中にいくつもの足音が鳴り響いた。柱の影や暗がりの中から、幾人もの若い女性が歩み出てくる。彼女たちはほぼ全員無表情で、エーコたちと合わせてベアトリスを取り囲んでしまった。

「だ、誰っ! 誰なのこの人たちは」

「怖がらないでくださいよ。別に怪しいものじゃありません、あなたにもよく話して聞かせているじゃありませんか」

「えっ! じゃあ、もしかしてこの人たちが……エーコたちの、お姉さん方?」

 エーコは無言でうなづいて、ベアトリスはもう一度彼女たちを見渡した。四人、五人、六人、七人……確かに、エーコたちを入れれば十人になる。それに、思い出してみたらエーコたちから聞いた姉妹の特徴とも合致した。

「な、なんだ脅かさないでよ。そっか、エーコたちがいなかったのってお姉さんたちと会ってたからなのね。それで、みんなでわたしをここまで捜しに来てくれたんでしょ? ね」

「……」

「ど、どうしたのよ。なにか言いなさいよ」

「姫殿下、実はわたしたちはあなたに折り入ってお願いしたいことがありまして、あなたがここに来てくださったのは幸いでした」

「な、なんだ、そんなことなの……」

 ベアトリスはほっとして胸をなでおろした。なにやら尋常ではない様子だったので冷や汗が出たけれど、考えてみたらエーコたちが自分になにかするはずがなかった。こんな場所なのも、人に聞かれたくない内々の話というのもあるだろう。ベアトリスは、街が大変なこんなときにと、いろいろ言いたいことはあったけれど、自らの度量を見せることにした。

「わかったわ、ほかならないエーコたちの頼みだもの、なんでも言ってみなさい。なんなら、みんな揃ってクルデンホルフに来てもいいのよ。大歓迎しちゃうから!」

「っ!」

 そのとき、姉妹のほぼ全員が同時に歯軋りをしたのにベアトリスは気づけなかった。

「いえ、姫殿下……もっと手短に、この場ですむことです。そのために、わたしたちは今日までずっと待っていたんです」

「なによ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。じれったいわ……きゃあっ!?」

 激しい音がして、埃とともにベアトリスは倉庫の床に叩きつけられた。それがエーコに突き飛ばされたことを悟るのに、ほとんど時間はかからなかった。

「エ、エーコなにするのよ! いくらあなたでも、こんな無礼な」

 怒りをあらわにしてベアトリスはエーコを見上げた。しかし、それに応えたのは冷断に見下してくる無数の眼差しと、隠しようもない憎悪を込められた声だった。

「姫殿下……いえ、父の仇ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ、あなたの首、貰い受けます」

 

 

 続く



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第76話  アシタにサヨナラ

 第76話

 アシタにサヨナラ

 

 くの一超獣 ユニタング 登場!

 

 

 この世には数万数億の人間が存在し、それらの人々は様々な形で支えあって生きている。

 ただし、人が人の信頼を得るのは難しく、多くの努力と時間がいる。だがそれゆえに、一度結ばれた絆は強く互いを結びつける。

 けれども……もしもその絆が最初から偽りであったとしたらどうだろう?

 両方が互いに欺いていたというなら、これはいい。ただハイエナ同士が互いの腐肉を食らいあっていたというだけだ。

 が、一方からのみが偽りを持って絆を作り、それが明らかになったときに傷つけられるもう一方の心の痛みは計り知れない。

 

 超獣騒ぎでいまだ混乱の治まらない街。人間たちは慌てて行きかい、事後処理に駆け回って静まるところを知らない。

 そんな中で、たったひとりの少女がいなくなっていることに気がつく余裕のある者などいなかった。

 野良犬すら寄り付かない閉鎖された倉庫街。そこに佇む、古びた倉庫に閉じ込められたベアトリス。

 突き飛ばされて、尻もちをついたまま見あげる彼女を取り囲む十姉妹が正体を現したとき、ベアトリスにその人生の最期になるかもしれない瞬間が訪れようとしていた。

 

「え……エーコ、あ、あなた、なにを言ってるの? 父の仇? なんのことよ!」

「わかりませんか? それはそうでしょう、わからないように努めてわたしたちはあなたに仕えてきたのですし、あなたにはとっくに滅んだ、たいして大きくもない家のことなど知識にすらないでしょう。ですが、教えてあげますよ……あなたの誇りとする、クルデンホルフが成り上がる過程で、どれだけ汚いことをして、どれほどの怨念を振りまいてきたのかを」

 エーコは沈痛な面持ちで、ほんの半年ほどのあいだに自分たちの身の上に起きたことを話していった。

 父の受けた仕事に起きた理不尽なまでの障害の数々、それらが仕事の横取りを狙うクルデンホルフの策謀であり、父は心を病んだあげくに自ら命を絶ったことを。

 ベアトリスは、呆然とした様子でそれを聞いていたが、エーコが語り終わったとたんに怒鳴りあげた。

「うそよ! わたしのお父さまが、そんな卑劣なことをするはずないわ! お父さまは人には厳しい方だけど、人の道を外れた行為に手を染めるような方ではないわ」

「信じられないならそれでいいです。わたしたちはあなたと議論をするために来たわけではありませんから。ですが代償はいただきます。お父上のもとに送り届けてあげますよ、あなたの血と肉を」

 その瞬間、ベアトリスの顔から血の気が引いた。

「ひ……い、今なんて」

「聞こえませんでしたか? 姫さまの体の血と肉をいただきたいと、そう申したんです」

「血と、そ、そんなことしたら……し、死んじゃうじゃないの」

「ええ、死んでください。わたしたちは、あなたを殺しにきたんですから……」

 

 暗い倉庫の中に、ベアトリスと十姉妹の視線が交錯する。

「殺す」

 そう言われた意味を、ベアトリスは理解できなかった。いや、理解できようはずがなかった。

 エーコたちが、わたしを”殺す”……いったい、この子たちはなにを言っているの?

 しかし、理性では理解できなくとも、本能は激しく警鐘を鳴らしていた。逃げろ、今すぐに逃げ出せと。

 小さい頃、庭の片隅で見た、アリの群れの中に落ちたセミをなぜか思い出した。あっというまに大群に群がられたセミは、わずかにもがくものの、すぐに身動きすら封じられて、最後には……

 いやだ! あんなふうになりたくない! 

 だが、ベアトリスの困惑を無視して、エーコたちの姉たちは口々に名乗りをあげていった。

 

「はじめましてお姫さま、妹たちが大変お世話になりましたようで。私、次女のエフィと申します。お見知りおきを」

「へぇー、これがあのクルデンホルフのお姫様ねえ。ひひ、あたしは七女のティーナだよ。よろしくね」

「思ってた以上にガキだな。あたしはユウリだ、一応覚えておきな。まあすぐに忘れさせてやるが」

「ユウリ姉さん、勝手に解体を始めないでね。わたしはイーリヤ、あなたに会えるのを楽しみにしていたわ」

「こいつが……こんなガキの家のせいで、私たちは」

「落ち着きなさい、我慢してるのはあなただけじゃないのよ。どうも失礼、わたしは三女のキュメイラ、そちらは四女のディアンナ」

 

 次女から七女までの六人の名乗りを、ベアトリスは身じろぎもできずに聞いていた。

 上品な声、粗雑な声、幼く聞こえる声やそのままの怒りを込めた声。しかし、全員に共通する、頭の上から押さえつけられるような圧迫感がベアトリスに立ち上がることすら許してくれない。

 そして、姉妹の最後に長身で金髪のまぶしい女性が、ベアトリスに杖を突きつけた。

「我が名は十姉妹の長女セトラ、父の仇、クルデンホルフの娘ベアトリス、この場でお命貰い受ける」

 それは貴族の礼式に沿った、完璧な宣戦布告の合図であった。地球の方式で言えば手袋を投げたに相当するこれは、冗談でやれば貴族の地位を剥奪されても文句は言えず、受けなければ貴族にあるまじき卑怯者との烙印を押される。つまり、彼女たちはまぎれもなく本気、本気で自分を殺そうとしてきている。

 ベアトリスは愕然と歯を震わせて、動くことさえできない。しかしセトラは彼女に杖先を向けたままで、冷ややかに言い放った。

「立たれよ、貴族としてせめてもの礼、杖をとることを認める」

 戦えという意味の言葉に、ベアトリスは懐に忍ばせてある杖を衣の上から握り締めた。

 しかし、ベアトリスも貴族である以上は戦いの作法くらいは知っていた。杖を抜いたが最後、それは決闘を受諾したと見なされて、彼女たちは容赦なく自分を殺しに来るだろう。

 いや、それ以前にエーコたちに杖を向けるなんてできるわけがない。ベアトリスは、エーコに殺すと言われても、なお彼女たちの裏切りを信じることができないでいた。エーコはじっとこちらを睨んだままで、ビーコとシーコはうつむいて目を伏せている。彼女たちが、こんなことをするはずがないと思いたかった。

「悪い冗談はやめなさいよ! あなたたち、今なら許してあげるから」

「姫さま、まだ理解できないのですか? わたしたちは」

「待てよエーコ、あたしがこのガキにわかりやすく教えてやるからさ」

 そう言って前に出たのは、赤い髪をざんばらに伸ばした少女だった。

 彼女は、ベアトリスの前までゆくと、口元を大きくゆがめた。ベアトリスはなにをされるのかわからずに、唖然とした表情を浮かべたままで見上げている。彼女はおもむろに足を上げると、そのままベアトリスの腹に向かって蹴り下ろした。

「おらぁっ!」

「が、ふっ!?」

 薄いドレスごしに、泥で汚れた靴が深々とベアトリスの腹に食い込んだ。瞬間、ベアトリスの口から悲鳴にもならない声が漏れ、唾液に続いて肺と胃から熱いものが逆流してくる感じがする。

「がはっ! ごほっ!」

「あーん、ちっとは加減したつもりだったんだがなあ。おら、いい加減てめえの立場がわかったかよ!」

 赤毛の少女、ユウリははげしく咳き込んでいるベアトリスを見下して怒鳴りつけた。

 怖い……ベアトリスが、姉妹から受けた印象はその一言に凝縮できた。今までこんなに怖い目を見たことがない。侮蔑や中傷を込めた見下し方などではなく、殺意というものを込められた眼差し……しかも、以前酒場で平民たちから向けられたものよりも、もっとずっと冷たい、腐り果てた沼地の泥のような底知れないおどろおどろしさ。

「なぜ、なぜなの……エーコ、なぜ、あなたたちは」

 涙声になりつつありながら、ベアトリスはやっと声を絞り出した。だが、それへの返答はあまりにも冷たいものだった。

「簡単なことですよ。わたしたちにとっての最大の仇はあなたの父、しかし直接なぶり殺しにしたとしても、わたしたちの父の受けた恥辱と苦しみの万分の一にも満たない。一番苦しめてやる方法は、一人娘であるあなたの死。だけど、実力行使はクルデンホルフ本家をつぶすときまで温存したかった。だから、わたしたち三人は部下という形であなたに近づいたんです」

「わたしを、だましてたの……?」

「ええ」

 聞き間違えようのない返答が、ベアトリスの胸を貫いた。

「く、くぅぅっ!」

「悔しいんですか? でも、それは仕方ないことです。あなたが、わたしたちの背信を気づくこともできないほど未熟だから、こんな目に会うんです。部下の裏切りを察知することは、人の上に立つ者として当然の資質であるべきなのに」

「違うわ……悲しいのよ」

「は?」

 うめくようなベアトリスの言葉に、エーコは思わず聞き返した。すると、ベアトリスは大粒の涙を浮かべた顔をあげて、叫ぶように言ったのだ。

「あなたたちの様子がおかしいなら前から気づいてた! でも信じたくはなかった! 信じたら、今まであなたたちがわたしに見せてくれた笑顔も優しさもみんなニセモノだって認めることになるもの! 従者しかいなかったわたしにとって、あなたたちといる時間はなぜかとても楽しかった。それが友達なんだって知ったときはうれしかった。わたしは、あなたたちのことが本当に好きだったのよ! それなのに!」

「くぅっ! な、なんと言ってもあなたがわたしたちの両親の仇の娘だということに変わりはありません!」

「ほんとうに? ほんとうにそうなの! 答えてよ、ビーコにシーコも」

「うるさいっ! もう話すことはありません。わたしたちのことを少しでも思ってるなら、さっさと死んでわたしたちの復讐の肥やしになって!」

「エーコぉっ!」

「だまれっ!」

 返答は魔法の一撃だった。エア・ハンマーの直撃がベアトリスの華奢な体を吹き飛ばし、柱に思い切り叩きつける。

「あぅっ!」

 鉄の柱にぶつけられたベアトリスは、一瞬呼吸もできなくなって転がりもだえた。それでも彼女はエーコたちを問いただそうと、ひざを突いて立ち上がろうとする。

 だが、彼女の前には怒りを抑えきれなくなってきていた姉妹が立ちふさがった。

「待ちなさい。これ以上、わたしの妹たちを惑わせるようなことを言うのは許しませんよ」

「エフィ姉さん、もうわたし我慢できないよ。お父さまの仇を討つために、わたしたちは今日まで生きてきたんでしょう」

「っ! どいて!」

「ええ、わたしも詭弁をろうしてエーコたちをたらしこもうとするクルデンホルフには腹が据えかねてたところよ。ディアンナ、まずは死なない程度にね」

 温和な雰囲気を持つ妙齢の女性と、片眼鏡をかけた女の凄惨な笑みがこぼれた瞬間、ベアトリスは氷雪の嵐に呑まれた。

「きゃあああああっ!」

 ウェンディアイシクルを撃たれたのだということは、土系統のベアトリスにもすぐにわかった。風と水系統を合わせた強力な攻撃魔法、身にまとっていたドレスが無残に切り刻まれて、ぼろきれ同然になる。

 さらに、今度は吹き飛ばされるだけでなく、全身を氷の刃物で切りさぎまれて激しく痛んだ。

 が、もだえようと体をよじった瞬間、ひとりの少女がベアトリスの背中に飛び乗ってきた。

「どーん! 死んじゃえーっ!」

「うあっ! あぁっ!」

 肋骨がきしみ、内臓がつぶされる。背中を硬い靴底を踏みつけてきた、銀髪をした小柄な少女は子供がソファーの上でするように、何度も跳ねてくる。

「それそれっ! 思い知れっ! クルデンホルフのバカヤロー! いひひゃー!」

 肺から空気が全部押し出され、それだけではなく胃から酸味のある液体が逆流してくる。ベアトリスはなんとか身をよじって銀髪の少女、おぼろげにティーナという名だと記憶している彼女を振り払うと、少しでも逃げようとよろめきながら立とうとした。

 だが、起き上がったベアトリスを待っていたのは後ろから頭をわしづかみにしてくるユウリの手だった。

「あたしはな、傭兵としてレコン・キスタにいたこともあったんだ。握力には自信があるんだぜ」

「あっ、あああああああ!」

「貴族が魔法しかないと思ったら大間違いだぜ。このまま頭を握りつぶしてやろうか?」

 それは誇張でも脅しでもなかった。本当に、ユウリが力を込めればベアトリスの頭蓋骨は握りつぶされてしまうだろう。しかし、それでは姉妹の復讐は遂げられないと、朱色の髪を背中で編んだ次女エフィが止めた。

「まちなさいユウリ、一思いに息の根を止めてやるなんて幸せな死なせ方をしてはいけないわ」

「わかってるって。エフィ姉さん、ほら、やったげなよ」

 ユウリは喉を軽く鳴らすと、ベアトリスの頭を掴んだままでエフィの前に突き出した。

「な、なにを……」

「フフッ……」

 握力が弱まったことで、かろうじてしゃべれるようになったベアトリスは弱弱しくつぶやいた。

 もう、体中が痛くて、少し体に力を込めるだけでも激痛が走る。動きたくても体が言うことを聞いてくれない。

 エフィが魔法の呪文を唱える声が聞こえる。今度は何をされるんだと、怖さのあまり目をつぶって震えた。

 けれど、おびえながら待っても痛みも熱さも冷たさもやってこなかった。

 どうしたんだろう? 抵抗をあきらめたために、妙に明晰になった頭でベアトリスは思った。

 しかしそのとき、バチバチとなにかがはじけるような異音が耳に飛び込んできた。続いて、激しく鼻をつく異臭もベアトリスの鼻口に飛び込んできて、思わず目を開いた。

「なにっ!? ひぃっ! いやぁ! わたしの、わたしの髪がぁ!」

 なんと、腰まで伸ばしていたベアトリスの髪が先端から燃やされていっていた。金糸のようなきめの細かい髪が、エフィの杖の先からの炎にあぶられて、溶けるように燃え落ちていく。

「うふふ、クルデンホルフの娘の髪はよく燃えるわね。ほぉら、もう半分になっちゃった」

「いゃぁ! やめてやめてやめてやめて! 燃やさないでぇ!」

「あら、命の危険なときに髪の心配なんて、さすが大貴族のお嬢様は違いますね。私たち下賎の民にはわかりませんわ」

 女の命ともいうべき髪への、あまりにも残酷な仕打ちだった。エフィは、おっとりと温厚そうな素顔にどうしたらそうできるのか、ネズミをいたぶる猫のような非情な笑みを浮かべて、ベアトリスの髪を半分以上焼き払ってしまった。

「や、やらぁ……わたしの、髪が」

「あっはっはっは! これでもう社交界に顔を出すなんて無理ね。なんて無様な姿、あなた鏡を見てみなさいよ」

「ひぅ、ひ、ひどい……」

 非情な哄笑にさらされて、ベアトリスは顔を覆って泣いた。

 しかし、このとき鏡を見るべきだったのはエフィのほうであったろう。人の苦しんでいる姿を見て笑っている人間の顔ほど醜いものはない。確かに彼女には、それをする正当な理由があったかもしれないが、理由によって正当化された暴力ほど人を狂気に駆り立てるものはないのだ。

 すすり泣くベアトリスをユウリは無造作に投げ捨てた。硬くて冷たい床に体をぶつけて、もう痛くない場所を探すほうが難しい。

「痛い、痛い……誰か、助けて」

 心も体も傷だらけにされて、自由になったのに逃げることもできずにベアトリスは泣くしかできなかった。虚空に向かって伸ばした手を掴んでくれるものはなく、究極の孤独の中にいた。

 と、唐突に体の痛みが和らいだ。うっすらと目を開けてみると、自分の体を治癒の魔法の光が包んでいるのが見えた。

 杖を振っていたのは、姉妹の三女キュメイラだった。水色の髪をした知的そうな美女で、微笑みながら水の魔法を使っている。

 だが、淡い期待を持ちかけたベアトリスの考えは即座に裏切られた。

「せっかく復讐の機会なのに、そうすぐに壊れられたらつまらないでしょう?」

 わき腹にキュメイラの靴先が突き刺さり、急所を強打されたベアトリスは悲鳴すらあげられずに吐しゃした。

 同時に、恐怖と絶望が最悪の形で心を占めてくる。なんということだ、彼女たちはよりによってもっとも残忍な形での拷問をおこなおうとしている。

 すなわち、傷つくごとに治し、気絶すら許してくれない無限ループ。これをされたら、死にこそしないが、どんな屈強な人間でも最後には発狂してしまうという、身の毛もよだつような生き地獄。

「あ、あ、あ……」

「さて、時間はたっぷりとあります。パーティを続けましょうか、お姫さま」

「や、やめて、こないで! 助けて、助けて! エーコ! ビーコ! シーコぉ!」

「うるさいわねぇ!」

 硬いものが肉を打つ音がして、悲鳴が倉庫に響き渡る。

 それに答えるものはなく、むしろ彼女に恨みを持つ者たちの嗜虐心を刺激しただけだった。

「あーあ、キュメ姉ったらひとりだけ楽しそう。ティーナももう一度遊びたいよ」

「ティーナ、あなたがやったらすぐに治せなくなるほど壊すから注意しなさい。では、そろそろ私も参加させてもらおうかしら。いいわよね? セトラ姉さん」

「ええイーリヤ、存分にやってきなさい。でも、喉をつぶしちゃだめよ。殺してくれと哀願させないと意味がないからね」

 悪夢はまだプロローグに差し掛かったばかりだという、絶望そのものの宣告。

「いやあ、許してぇ!」

 七人の復讐鬼に囲まれて、ベアトリスの悲鳴がいつ終るとも知れずにこだまする。

 そんな中で、エーコたち三人は扉を背にしたままで、じっとうつむいていた。三人とも、こぶしを強く握り締めて、目を固く閉じている。しかし、耳からはベアトリスの悲鳴と助けを求める声が絶え間なく聞こえ続けていた。

「やめて! なんでもするから許して、もう痛いのはいやなの! 助けて! 助けてぇ!」

「……姫殿下」

「も、もうこれ以上は」

 ビーコとシーコは、耐え切れなくなったというふうに顔を上げかけた。だが、ふたりのその手をエーコが掴んで止めた。

「だめよ、みんなこの時のために今まで耐えてきたのよ。あなたたちだって、このためにやってきたじゃない」

「でも、わたしは」

「だめ! わからないの? みんなはもうこれで、この世のすべてを終らせるつもりでいるのよ。だから、その障害になるんなら、たとえあなたたちでもきっと……だからお願い」

「エーコ……」

 ビーコとシーコは、エーコも悲壮な決意を決めていたことを知った。憎しみは人を狂わせる。それがある一線を越えたら、もはや理性では歯止めが利かなくなり、本来守るべき者さえ牙にかけてしまうこともあることをエーコは知って、そのために自分が憎まれ役を買って出たのだということを。

 だが、ビーコとシーコの胸中には昨日の晩にサリュアに言われた言葉が渦巻いていた。姉たちとベアトリス、どちらも大事でどちらも失いたくない。そのために決断すべきは今ではないのか?

 

 そのとき、嵐のように続いていた暴虐の渦がやんだ。ベアトリスはすでに泣き叫ぶことにも疲れたように横たわっている。ユウリやティーナが蹴飛ばしても悲鳴をあげなくなった。

「ありゃりゃ? もう壊れちゃったの」

「違うな、抵抗しても無駄だと悟って死んだふりをしてやりすごそうって腹さ。さすが小ざかしい手を思いつくぜ。ま、暴れる気力もそろそろ尽きかけてるだろうが」

 ユウリの推測は半分当たっていた。確かにベアトリスはもう抵抗することをあきらめていたが、それは体力と気力の磨耗が大きな原因だった。姉妹による復讐劇がはじまって、まだ数十分しか経っていないだろうが、元々身分以外は普通の少女となんら変わるところのない彼女が長時間の暴力に耐えることなど無理だったのだ。

「やれやれ、お姫様はしょせんお姫様だったというわけね。でも、一時間も持たずに力尽きられたんじゃあ、到底気は晴れないね。どうしましょうか」

 キュメイラが困ったように言った。彼女たちの復讐心を満たすには、相手が抵抗してくれないとおもしろくない。悲鳴もあげない人形をなぶったところで、かえって不満が増すばかりだ。

 どのみち最後は殺すつもりだが、それは盛大な断末魔を聞けてこそ意味がある。でないと、父の墓前に供える首としてふさわしくない。

 どうするか? 姉妹の視線は自然と長女セトラに注がれた。

「イーリヤ、ディアンナ、ベアトリスを起こして手足を押さえつけておきなさい」

「はい」

 言われた二人は、怪訝な表情を浮かべながらも姉に従った。二人が杖をふるって『レビテーション』と『念力』を唱えると、見えない十字架に磔にされたようにベアトリスの体が宙に浮き上がる。

「あ……?」

 ベアトリスは目をうっすらと開けて、短くうめき声をもらした。すでに全身は泥とほこりにまみれて、髪もボロボロで顔にはまったく生気がない。

 そんな彼女を見て、七姉妹は薄ら笑いを浮かべていた。

「うふふ、いい眺めね。これまで多くの貴族をこびへつらいさせて、浅ましく富を稼ぎ続けてきたクルデンホルフの最期の姿にはお似合い」

「痛いでしょう? 苦しいでしょう? でもね、私たちはもっと苦しくてみじめな思いをしてきたのよ」

「あなたに道端の草をはんで飢えを満たす気持ちがわかる? 野良犬と寝床を争って、人に見下されながら眠る気持ちがわかる?」

「簡単に死に逃げさせてなんかあげない。狂って壊れて生きた屍になるまで、体だけは生かし続けてあげる」

「さて、それじゃあどうするセトラ姉さん。そろそろ腕の一本でももぐかい?」

「ひひ、それとも目玉でもえぐりだす?」

 狂気が、姉妹のすべてを支配していた。もしここに、彼女たちについて一切の予備知識を持たない人間が一部始終を見ていたとしたら、常軌を逸した悪鬼の集団と見たに違いない。恨みと憎しみが、本来の彼女たちを見る影もなく変えてしまっていた。

 屠殺を待つ牛や豚のように、絶望に染まった虚ろな目をわずかに開けるだけのベアトリスに、セトラは歩み寄った。両親が生きていた頃であれば、妹たちを聖母像のように見守っていた優しい顔も、今では亡国の拷問係も同然に歪んでしまっている。彼女はベアトリスの襟首を掴むと、かろうじて残っていたドレスの残骸を足元まで一気に引き裂いた。

「ひ……」

 絹が裂ける音とともに、わずかな悲鳴がベアトリスの口からもれる。破られた布切れが飛散すると、下着を除いては生まれたままの姿になった肢体がさらされ、セトラは笑った。

「貧相な体ね、ちゃんと栄養をとってるの? でもこのきめ細やかな肌……いったいどれだけの人間からしぼりとった金でできてるの? うらやましい……ねえ、教えてくれない?」

 セトラの指先がベアトリスの体をゆっくりとなぞっていった。それがまるで、水蛇が這っているようで冷たく気持ち悪い。

 手足を魔法で拘束されて暴れることもできず、ベアトリスはこれからどうされてしまうのだろうと考えた。

 ユウリやティーナの言ったとおり、手足をもがれ、目をえぐられるのだろうか。

 それとも生きたまま焼かれるのか、氷付けにされるのか。

 指先から徐々に切り刻まれていくのか……恐ろしい拷問の光景が次々に目に浮かぶ。

 しかし、セトラが用意していたのは、ベアトリスの考えた子供じみた単純な拷問などではなかった。

 セトラの指先がベアトリスの胸元からへそを過ぎて下腹部で止まる。

 そして彼女は、ベアトリスの耳元に口を寄せて、甘い声色でささやいた。

 

「決めたわ、まずはあなたを……子供の産めない体にしてあげる」

 

 その瞬間、わずかに残っていた血の気が全身から引いた。と、同時に消えかけていた理性が圧倒的な恐怖に呼び起こされてくる。

「ひ、い、今なんて?」

「あら? 聞きそこなった? あなたを一生、自分の赤ちゃんを見れない体にしてあげようというの。こうしてね」

 見開いた目に、セトラのかざした杖が魔法の光に包まれているのが映る。杖を剣とする『ブレイド』の魔法だ。彼女はその切っ先を、迷うことなくベアトリスの子宮の上に突きつけた。

「いやあ! それだけは、それだけはだめえ! お願いだからやめてぇ!」

 女として一番大切なものを奪われる、それは理屈ではなく純然たる恐怖であった。いつの日か会うかもしれない大切な人、彼の愛を受けて腹を痛めて産み出すふたりの愛の結晶、その成長を見届ける日々。そうした誰にでもある幸せな夢が、未来がすべて壊されてしまう。

 殺される恐怖にも勝る絶望。死に掛けていた魂に火がついて、幼児のようにベアトリスは泣き喚いた。

「お願い! なんでもするから! わたしの持ってるものならなんでもあげるから、それだけは許して!」

「ふふ、いい声で鳴くわね。そうでなくちゃいけないわ。馬鹿な子、せめて杖をとって戦っていれば、貴族として葬ってあげていたのに。でももうだめよ、あなたは私たちに償わなくちゃいけないの。まずはあなたの未来を奪ってから、ゆっくりとあなたをバラバラにしていってあげる」

 腕を引き、セトラは刃物と化した杖を振りかぶった。彼女の妹たちは拍手し、哄笑しながら鮮血のときを待っている。

 狂気の宴は最高潮を迎えようとしていた。

「やめて、こないで、助けて、許して!」

「そうよ、もっともっと泣き叫びなさい。天国にいる私たちのお父さまに届くくらいに! さあ、約束どおりにあなたの血肉をいただくわ。真っ赤な花火を盛大な悲鳴で彩りなさい!」

「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて! いやぁーっ!」

 大きく振りかぶられた杖がまっすぐに突き立てられ、次の瞬間血しぶきが吹き上がった。

 しかし……えぐられるべきだったベアトリスの肌に刃は届いていなかった。代わりにベアトリスを包んでいたのは、暖かくて優しい小さな体。目の前にたなびく緑色の見慣れた髪と、懐かしい匂いが鼻腔をくすぐって恐怖を拭い去っていく。

「姫さま、よかった、間に合って」

「シ、シーコ……」

 ベアトリスが見たのは、自分を抱きしめて優しく微笑むシーコの顔だった。刃は、シーコの背中から腹までを貫通して止まっている。

 あの瞬間、ふたりのあいだに割り込んだシーコの身を盾にして、ベアトリスは守られたのだった。

 だが、シーコの口から赤い筋がつうと伸びる。

「シーコ? シーコぉぉっ!」

 ベアトリスと、姉妹たち全員の絶叫がこだました。ベアトリスを拘束していた魔法が解かれ、自由になったベアトリスにシーコがのしかかるようにしてふたりは床に崩れ落ちた。

「シーコ! シーコぉ! ああ、わ、私はなんてことを……」

「いいの……ねえさん、気にしないで」

 血に染まった杖と自分の手を見て、愕然として叫んだセトラに、シーコは消えそうな声で言った。すぐさま姉妹の中で治癒の魔法が使える全員が集まって、傷口を癒し始めているが、傷は運悪く急所を貫いていて魔法の効果がうまく表れない。シーコの口から漏れる吐血は、漏れるから溢れるような流れに変わって、下にいるベアトリスの顔に赤いまだらを作った。

「姫さ、ま、ごめんなさい。ごめんなさい」

「シーコ、ああ……血が、こんなに」

「姫さま、ごめんなさい……うまく逃げてもらえたらと思って、逆に逃げろなんて言ったばかりに、かえってこんなことになってしまって」

「そんな、そんな……ああ、ああ、早く、早く誰かシーコを助けてよ!」

 ベアトリスはシーコの真意を知って、自分が殺されかけていたことも忘れて、必死でシーコを助けてくれるように頼んだ。むろん、姉妹の誰もそのつもりであるし、ベアトリスに頼まれるまでもない。けれど、ユウリやディアンナがシーコをベアトリスから引き剥がそうとしても、シーコはけっしてベアトリスを離そうとしなかった。

「みんな、やめて……この人を、もう傷つけないで」

「シーコ、お前、なんで、なんでだよ!」

「ごめんなさい……でも、わたしはもう耐えられないよ。大切な人が傷つくのも、変わっていくのを見るのも……」

 苦しげな息に涙声を混ざらせたシーコのうったえに、いきりたっていたユウリやディアンナもぐっと歯軋りして言葉を詰まらせた。

 しかし、一度ついた狂気のはずみは、血を持ってしても容易に治まるものではなかった。エフィは目を血走らせてベアトリスに杖を向ける。

「おのれ汚らわしいクルデンホルフめ! 私の妹になにをした、薬か? ギアスか? その首叩き斬ってやる!」

 シーコが洗脳されたものと決め付けて、エフィはブレイドをまとわせた杖を振りかぶった。だが、その手は振り下ろされることなく取り押さえられた。

「姉さん、もうやめて! わたしたちは洗脳なんかされてないよ」

「ビーコ、あなた!」

「ごめんなさい。でも、わたしもシーコと同じ気持ち。ベアトリスさまといっしょに過ごしてきてわかったの、この人は悪い人じゃない。だからお願い、杖をおさめて! 一生のお願いだよ」

 ビーコの必死の呼びかけは、エフィの動きをわずかながら止めた。しかし、蓄積された怨念は姉妹の情愛をも黒く塗りつぶした。

「この、裏切り者ぉ! 邪魔するなら、あなたもともどもに!」

 切っ先がビーコの頭上から振り下ろされた。無防備なビーコはそれを避ける術はなく、ただ呆然と実の姉からの殺意を見上げていたが、エフィの杖は同じくブレイドをまとった杖で受け止められた。

「エ、エーコ!」

「ばか、だから言ったでしょうに……」

「エーコ、あなたも裏切るというの!」

「違うよ、エフィ姉さん。わたしはいつでも、みんなとともにいる。変わったのは姉さんたちのほうよ」

「なんですって」

「わたしたちは確かに、悪魔と取引をした。けど、今は姉さんたちのほうが悪魔のよう……わたしも、もう我慢できない! わたしは、わたしは姉さんたちが心まで化け物になっていくのを見てられない!」

 渾身の力でエフィを跳ね飛ばしたエーコは、ビーコとともにシーコとベアトリスを守るように立ちふさがった。

 エーコ、ビーコ、シーコの離反に、姉妹たちは驚きうろたえる。だが、それでもなおクルデンホルフへの憎しみが治まらない姉妹は、治癒の魔法にかかりきりのイーリヤとキュメイラを除いて杖を向ける。

「エーコ、ビーコ、どいて。あなたたちはクルデンホルフにだまされてるんだよ」

「それは違うわ、わたしたちはわたしたち自身の意志でこうしてる。確かにお父さまとお母さまを死に追いやったクルデンホルフは憎いよ。でも、だからってこれはもう許されることじゃない」

「わたしもエーコと同じです。わたしは、姉さんたちをとるか、姫さまをとるか迷ってた。けど、ある人が教えてくれたんです。大切な人が不幸になることがわかってる道を選ぶことは、どんな理由があっても間違ってるって。この一線を越えたら、もう本当に人間ではいられなくなる。そうなったら、幸せな未来なんか絶対に来ないから」

 エーコもビーコも、まともに姉たちと戦えばかなわないことは承知している。それでなお選んだ道であるからには決意は固かった。

 そしてシーコも、苦しみながら声をしぼりだした。

「みんな、お願い……そんな、怖い顔をするのはやめて……昔の、優しかったころの姉さんたちに戻ってよ」

 文字通り血を吐くような末娘の言葉は、ひたすら復讐の生け贄を求める姉たちの心にも少しずつ響いていった。

 エフィ、ティーナは言葉を失い、目をつぶって力なく杖をおろした。ユウリは杖を床に叩きつけて「くそっ!」と叫んだ。

 しかし、誰よりも復讐を誓い、そのために生きてきたセトラとディアンナは聞き入れなかった。

「そこをどきなさい、エーコ、ビーコ。さもないと、あなたたちも容赦しないわよ」

「クルデンホルフの首をとり、父さまの霊を安んじるのが私たちの目的だったはず。さあ、そいつをよこしなさい」

 狂っている、とはさすがに姉に向かって言うことはできなかった。姉たちが、今日の日のためにどれほどの苦労をしてきたのかはよく知っている。復讐をあきらめるのは、そのすべてを無にすることに同じ、目的が鎖となり、ふたりの意思を封じ込めていた。

 もう言葉も涙もふたりの姉には届かない。もう、実の姉妹同士で相打つしか方法は残っていないのか。

 杖を向け合ったまま、じりじりとにらみ合いが続く。セトラはトライアングル、ディアンナはラインクラスのメイジで、ラインのエーコとドットのビーコでは勝負にならないが、相打ちに持ち込むことならできる。ほかの姉妹はどちらに味方することもできず、ベアトリスもどうすればいいのかわからずに見守るしかできない。

 だが、緊張は両者の激突ではなく、外から破られた。

 

「殿下ーっ! クルデンホルフ姫殿下ーっ! こちらにいるのですか! いたら返事をしてください!」

 

 建物の外から、鉄製の扉を強く叩く音が響き渡る。呼ぶ声は、ベアトリスにもよく聞きなれた若い女性の声で、彼女は自然とその名前をつぶやいていた。

「ミシェル……さん?」

 間違いはなかった。その証拠に、次々に呼びかけられる声のどれも聞き覚えのある銃士隊員のものである。

 助けが……来た。もうあきらめきっていた希望に、ベアトリスの顔がほころび、反対に姉妹の表情は驚愕に染められる。

「なんで! どうしてここがわかったの!?」

 ティーナの叫びは全員を代弁していた。ここは立ち入り禁止区域、しかも銃士隊が出動してくるとは、ベアトリスがここにいることを最初から知っていたからとしか思えない。

 なぜ……? その答えは微笑を漏らしたビーコが握っていた。

「どうやら、ギリギリのところで間に合ったようね」

「ビーコ!? そうか、あなたが!」

「ええ、あらかじめ銃士隊に入れ知恵しておいたの。シーコの進言だけでは不十分だと思って、一か八かの他力本願だったけど、なんとか役に立ったみたいね」

「このっ! 裏切り者ぉ!」

 ティーナの罵倒を、ビーコは甘んじて受け入れた。裏切り者でいい、誰よりも好きな姉たちが、これ以上罪に手を染めないでくれるのならば。

 ビーコのわずかな希望にかけた布石は、悔しがる姉たちを尻目に復讐劇に打ち切りを告げようとしていた。

「開けろ! 開けないなら、この扉を破壊する!」

 次の瞬間、扉の鍵が吹き飛び、続いて扉そのものが轟音をあげて崩れ落ちた。『アンロック』と『錬金』を使ったのは明らかで、相変わらず荒っぽい人たちだと思った後に、見慣れた軽鎧とマント姿の銃士隊員たちが駆け込んでくる。

「全員動くな! 少しでも動いたら射殺する!」

 姉妹が杖を構えるよりも早い速度でマスケット銃を構えた銃士隊員の数は二十名。ミシェルに与えられている兵力が一個小隊なところからすると、これは可能な限りの全力と考えるべきだろう。

 メイジ殺しの訓練を積んでいるプロの兵隊二十人に正面から当たられては、戦いにおいては素人同然の姉妹に打つ手はなかった。

 憮然としたまま手を上げる姉妹の前に、ミシェルが油断なく歩み寄ってゆく。

「貴様ら、姫殿下によくも手を上げてくれたな。いや、それでなくともたった一人によってたかって嬲るとは、それでも人間か!」

 容赦のない一喝は、しかし姉妹を揺るがせはしなかった。銃口を向けられているために動きこそしないが、目だけは鋭く銃士隊を見返している。

「姫殿下とお連れの方々をお助けしろ!」

 ミシェルの命で、数人の隊員が倒れているベアトリスに駆け寄ると、イーリヤとキュメイラは無言で後ろに引いた。

 ベアトリスは、地獄から救い出してくれようとする手に安心し、微笑しながらそれを待った。

 だが、最悪の展開は回避できたと見るのは早計であった。エーコたちはベアトリスは救えたが、どのみち姉妹には戻るべき場所はもうないのだ。

 シーコはベアトリスの耳元で彼女にだけ聞こえるように言った。

「姫さま、お別れです」

「えっ」

「やっぱりわたしたちは、姉さんたちを見捨てることはできません。わたしたちは、姉さんたちとともに行きます」

「まっ、待って! あなたたちの家族のことならわたしはいいから! クルデンホルフに非があるなら、わたしが必ず正してみせるから」

「ありがとうございます。あなたとは、別な形で出会いたかった……でも、もう遅いんです。わたしたちは、もう人間の世界では生きられないんです。復讐のために、わたしたちは自分の体を悪魔に売ったから……」

 そう言うと、シーコは腕をまくって昨日の火傷の痕を見せた。そこには、あれだけひどかった火傷がほとんど痕跡もなく治癒している様があって、ベアトリスを驚愕させた。

「そ、そんな……あれだけの傷が一晩で? ま、まさかあなたたち!」

「さようなら、姫さま」

 エーコはビーコにシーコをまかせると、まだ立つ力のないベアトリスを抱きかかえて銃士隊に引き渡した。相手は、くしくも彼女のふたりの妹に決意をうながしたサリュアだった。

「殿下を、よろしくお願いします」

「う、うんわかったけど、シーコちゃんは大丈夫なの? すぐに病院に運んだほうが」

「大丈夫です。あとは、わたしたちがやりますから……」

 サリュアの背中から、ベアトリスが自分たちの名前を呼びかけてくるが、エーコは黙って背を向けた。

「姉さんたち、ごめんなさい」

 エーコたち三人を、姉たちは無言で受け入れた。ミシェルたち銃士隊は事態がどうなっているのか飲み込むことができず、ただ立ち尽くしているしかできない。

 そして十人の姉妹は互いに顔を見合わせると、輪を組んで手を取った。

 すると、十姉妹の体が光に包まれだした。

「なんだっ!?」

 ミシェルが、突然の出来事に思わず叫んだ。姉妹を包んだ光は、明るくもなければ熱もなく、人魂のように不気味な輝きをもって姉妹の姿をやがて完全に包み隠してしまった。数人の隊員はとっさに銃の引き金を引いたが、弾丸は光に吸い込まれるようにして消えていってしまう。

「ミシェルさん……今すぐ、ここから逃げてください」

「この声は……まさか! 全員退避、急げ!」

 かすかに聞こえたシーコの声に、ミシェルはすぐさま退避命令を出した。

 反射的に命令に従って全員が倉庫から飛び出す。それだけではなく、ミシェルはできるだけ遠くへと逃げろと叫び、自らも走る。

「くそっ! まさかこんなことが!」

「副長、どういうことなんですか!?」

「最悪の事態だ。ヤプールめ、悪辣だと思っていたが、ここまで卑劣な手段を使ってくるとは!」

 ミシェルは叫びながら走り、やがて安全だと思うくらいに離れると振り返った。隣を走っていたサリュアの背中ではベアトリスが顔をマントにうずめて泣いており、涙で溢れた顔を上げたとき、倉庫の屋根を貫いて絶望と悲しみの化身が現れた。

 

「超獣だーっ!」

 

 四度、凶悪な姿を現す超獣ユニタング。

 荒々しく叫び声をあげ、全身をふるって近場にあるものを手当たり次第に破壊しだす。まるで、怒りを世界そのものにぶつけようとしているかのように……

 

 そして、暴れまわる超獣を食い止めようと、ヤプールの宿敵もまた姿を現す。

「ウルトラ・ターッチ!」

 空を切り、マッハの速度で天から舞い降りた銀の巨人が超獣の前に立ちふさがった。

「ウルトラマンA!」

 土煙をあげて大地に降り立ったエースの勇姿に、銃士隊から歓声があがった。

 必ずユニタングはまた現れると、じっと待ち続けていた才人とルイズは、ユニタングの叫び声ひとつで迷わず変身を選んだのだ。

〔とうとう追い詰めたぞユニタング、今度こそは逃がさねえ!〕

〔東方号は必ず飛び立たせる。そのためにも、あんたはここで仕留めさせてもらうわ!〕

 闘志を燃やす才人とルイズの魂を胸に、ウルトラマンAは暴れ狂うユニタングに戦いを挑んでいく。

 ユニタングもまた、エースの姿を見るや、そう定められていたかのようにエースへと襲い掛かっていった。

 

”ありがとう姫さま……あなたのおかげで、わたしたちはせめて人間の心だけは持ってお父さまやお母さまのもとに行けます。短いあいだだったけど、とても幸せでした。もしも、どこかで生まれ変わったら、また……友達になってくださいね”

「エーコ、ビーコ、シーコぉっ! うぁぁっ! こんな、こんなのってない、あんまりじゃないのよぉーっ! ああーっ!」

 それはテレパシーだったのか、それとも幻覚だったのかはわからない。けれど、シーコの最後の声が頭の中に響いたとき、ベアトリスは幼子に戻ったように泣きつくした。

 

 

 続く



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第77話  ウルトラマンの背負うもの

 第77話

 ウルトラマンの背負うもの

 

 くの一超獣 ユニタング 登場!

 

 

「ねえ、神さまっているのかな?」

「なあに、シーコったら突然?」

「えへへ、ちょっと昔を思い出しちゃったの。お父さまたちが生きてたころは、降臨祭のときにみんなそろってお祈りしてたじゃない……」

「ええ、あのころはみんな幸せだったね……」

「うん、戻れるものなら戻りたいね。そういえばさ、シーコは去年はなんてお祈りしたの?」

「みんなとずーっと、いつまでもいっしょにいられるようにって。だってさ、神さまって正しい人の味方なんでしょ? 姉さんたちはみんなすごく優しいから、不幸になることなんて絶対ないって。だからみんないっしょにいれたら、それが一番幸せなんだと思って……へへ……お願い、かなっちゃったね」

「そうね……でも、かなえてくれたのは神さまじゃないわよね。わたしたちみんな、悪い子になっちゃったんだもの……」

「なにがいけなかったんだろうね。神さまは、わたしたちのことが嫌いなのかな……」

「ほんと、シーコみたいにいい子のこと忘れちゃうなんて、ひどいやつだよ。けどもういいじゃない……いろいろあったけど、こうしてもう一度セトラ姉さんもエフィ姉さんも、キュメイラ姉さんもディアンナ姉さんもイーリヤ姉さんともいっしょにいれるようになったんだし」

「こらビーコ、ユウリにティーナのこともちゃんと数に入れてあげなさいよ」

「エーコこそ、そのふたりに限って姉さんとつけないんだからいっしょだよ……ふわぁ……どうしたんだろ、急に眠くなってきちゃった」

「わたしも、なんか眠いよ」

「しょうがない子たちね。わかったわ、あとで起こしてあげるからしばらくお眠りなさい」

「もう、エーコは相変わらずシーコには甘いんだから。けど、目が覚めたらお父さまとお母さまにまた会えるような気がするよ……」

「ええ、わたしも……」

「おやすみ、みんな……」

 

「いつまでも、いっしょだよ……」

 

 闇に食われた魂たちが眠りに落ちるとき、悲劇の凶獣はその本性を表す。

 鋭い牙の生えそろった口で空高く吼え、人間の作り出した建物を踏み壊して暴れまわる様はまさしく悪魔の使いにふさわしい。

 悪魔の誘惑に乗って、魂を売り渡した人間の末路……それは自らもまた悪魔となること。

 そして、身も心も闇に染まった魂が救われることは、もはやない。

 

 東方号の完成まで、あと数時間と迫った造船所。この世界を覆う暗雲を晴らすべく、人間たちが心血を注ぎ込んで作り上げた希望の飛翔を妨害せんものと、ヤプールはくの一超獣ユニタングを送り込んできた。

 倉庫街に四度出現し、再び暴れ始める超獣を迎え撃たんと、ウルトラマンAも姿を現した。

 しかしこの戦いが、光の戦士とともに戦う才人とルイズにとって大きな試練になろうとは、このときの彼らはしるよしもない。

「ヘヤァ!」

 戦闘態勢をとり、油断なく敵を見据えるエースに一寸の隙もない。鋭い眼差しは戦闘開始の咆哮をあげるユニタングの一挙一投足を余さず睨み、燃える闘志は三人分が全開でたぎる。

〔サイト、東方号が飛び立てるようになるまで、あとどれくらい必要?〕

〔あと少なくとも二時間はいるってさ。できたばっかりの水蒸気機関をあっためるにも時間はいるし、実際はさらに時間かかるだろってコルベール先生は言ってたぜ〕

〔はぁん、機械ってのはいろいろめんどうなのね。てことは、時間稼ぎじゃ生ぬるいわね。散々引っ張りまわされた分、利子つけてお返ししてあげましょうか!〕

〔ああ、十倍返しでいこうぜ!〕

〔ふたりとも燃えているな。ようし、ならば私も負けてはいられないな。いくぞ! 勝負だ!〕

 ユニタングが倉庫の残骸を蹴り倒したのを合図として、戦いの火蓋は切って落とされた。

 ウルトラ兄弟の中でも、常に前に進むタイプの戦い方を得意とするエースの戦法は先手必勝あるのみだ。両者の間合いが一気に詰まると、すれ違いざまにエースの手刀がユニタングの胸に火花を散らせる。

「トァッ!」

 第一撃の手ごたえ、あり。手刀が肉に食い込んで、エネルギーがほとばしる感触は確かに得た。

 だが、この程度で倒せるような相手ではないことはわかっている。実際、ユニタングはたいしたダメージを受けたようには見えず、今度は向こうからユニコーンのような一本角を振りかざして襲ってくる。だが、真っ向きって受け止めるのは馬鹿のやることだ。

〔なんのっ!〕

 寸前まで引きつけてかわしたエースは、ユニタングの背中を思い切り蹴っ飛ばした。たまらず、勢い余ったのも含めて別の廃倉庫に頭から突っ込んでいく。たちまち三件ほどの廃倉庫が崩れ落ち、近場に合った給水塔跡や見張り小屋などもあおりを食って、ガラガラと音を立てて崩れていった。

〔しまった、少しやりすぎたか〕

 エース・北斗が、百メートル四方が一気に壊滅してしまった様を見てまずそうに言った。怪獣との戦いで、街にある程度の被害が出てしまうのはやむを得ないが、町への被害は最低限に抑えるのが基本である。メビウスは最初、ディノゾールとの戦いでこれを知らなかったために街の一角を壊滅状態にしてしまい、当時隊員だったアイハラ・リュウに怒鳴られてしまったことがある。

 けれども、ここでの戦いなら問題ないとルイズは言った。

〔気にしなくていいわ。どうせこのあたりはいずれ取り壊す予定だって聞いたから、むしろ手間がはぶけるってものよ。だから遠慮なく、あいつをぶっ飛ばしちゃってちょうだい!〕

〔そうか、そういうことなら本気を出していいな!〕

 エースは、血気盛んなTAC隊員北斗星司だったころに戻ったように言った。好戦的、といえば少し違うだろうが、ウルトラ兄弟の中で誰が一番血の気が多いかと問われれば、まずエースが選ばれるのは間違いない。

 ゾフィー・マン・セブンは生真面目な理性派だし、若い頃は無謀さが目立ったタロウやレオも現在では教官を務めるほどに落ち着いており、教職にあった80は言うに及ばず、ジャックも自らの心の隙を突かれた経験を多く持つせいか猪突はしなくなっている。

 が、中で例外的に若い頃とたいして変わっていないのがエースである。考えるよりも先に手が動き、感情が隠れず表に出る。タロウが地球で戦っていたころも、メビウスのころも弟がピンチになると真っ先に飛び出したがったのはエースだった。恐らくは、エースと同化した北斗の元々の性格が強く影響したのだろうが、それであるがゆえに才人やルイズとの相性はよく、シンクロの度合いは人間とウルトラマンが同化した中ではトップクラスだろう。

 

「トォーッ!」

 

 ユニタングの角からの緑色破壊閃光をかわしてエースが跳んだ。跳躍五百メートル、太陽を背にして空中できりもみ回転しながら落ちてきたエースは、ほとんど直角からユニタングの後頭部に急降下キックをお見舞いする。

〔どうだっ!〕

 重量物が超高速で激突したときに起こる爆発音にも似た衝撃波が空気を揺るがし、超獣にそのぶんの打撃を与えた。

 前のめりにのけぞって苦しむユニタング。が、超獣の強靭な生命力は人間であれば頚椎粉砕するほどの衝撃にも耐えて、なおも十分以上の余力を持って反撃に出てくる。

 刃物になった腕に鋭い牙に角、肉体そのものが武器である超獣をエースは素手で迎え撃つ。

「テヤァァッ!」

 パワーにまかせたユニタングの攻撃をさばき技で威力を殺して受け流し、中段キック、頭部へのチョップ打ち下ろし、すばやく腰を落としての下段キックの三連コンボが炸裂する。だがユニタングはそれにも耐えて、エースへと執念じみた執拗な攻撃を仕掛けてくる。

〔ヤプールの怨念のなせるわざということか、しかし私も負けるわけにはいかない!〕

 生き物という枠に入る『怪獣』ならば、まだ生きるために暴れていると認められる点もあるが、悪意によって動いている『超獣」はなにがあっても絶対に認めるわけにはいかない。エースとユニタングの、息もつかせぬ攻防は続く。

 しかし、戦いの流れは目に見えてエースに傾いていった。ユニタングも弱い超獣ではなく、この個体も対エース用に先代の個体よりも攻撃力が引き上げられているのに、なぜかというと。

〔お前の攻撃方法はみんな予習済みなんだよ!〕

 才人が得意げに言ったのには訳がある。昨日、それにおとといと続いたユニタングの出現に、才人は戦うことになったらなにがなんでも逃がすまいと、GUYSメモリーディスプレイを使ってユニタングのデータを徹底的に暗記してきた。さっきの破壊閃光をエースが簡単に避けられたのも、実は直前に才人がアドバイスしたからなのだ。

 今では以前に直接戦ったエース本人よりもユニタングに詳しいだろう。まったく、地球にいたころにその勉強熱心さの半分でもあれば優等生になれたに違いないが、そのおかげで得た才人の自信と情報アドバンテージは確かだ。ウルトラマンを倒そうと狙う宇宙人も、強豪と呼ばれる一団の大半は事前にウルトラマンの戦法や能力を徹底的にリサーチしたものばかり、ならば、その理屈がウルトラマンにも適用されないはずはない。

 攻撃を一方的に受け続けて、かつ自分の攻撃はことごとく外されたユニタングは怒って、めちゃめちゃに手足を振り回しながら向かってくるが、そうなればかえってエースの思う壺なのはいうまでもない。エースも足場が壊れることを気にする必要がないので、好きなように身をかわすことができ、むろんユニタングの得意技に対しても構えはできている。

 業を煮やしたユニタングの、鋭いハサミになった手からの白い糸攻撃。忍者漫画で言うのならば、忍法蜘蛛の巣とでも名づけられるべきかもしれないそれがエースをからめとろうとしてくる。

「セヤアッ!」

 掛け声とともにエースは側転して糸攻撃をかわした。しかし、外れた糸が当たった廃倉庫は、糸の強烈な粘着質とユニタングの怪力によって持ち上げられ、分銅のようにエースに襲い掛かってくる。

〔エース、危ない〕

〔大丈夫だ!〕

 才人の叫びに応えて、エースは飛んでくる倉庫をパンチで破壊すると、ユニタングの糸を逆に掴み取った。そしてそのまま深く足をふんばり、漁師が地引網を引くときのように力を込めた。

〔いくぞ、力比べだ!〕

 ユニタングもエースの意図を悟って、雄たけびをあげて糸を引っ張り返す。ここに、超獣とウルトラマンの巨大な綱引きがスタートし、両者は相手を力の限りを尽くして引っ張り合った。

「ヌオォォッ!」

 マンモスタンカーを軽々持ち上げるエースの筋肉が猛り、ユニタングもパワーを全開にして張り合う。

 ギリギリと、糸の張力を限界まで使った綱引きは、互いに譲らず互角の様相を見せている。そんな力と力の純粋な勝負に、両者の足元の石畳の道は砕け散り、空からは駆けつけてきた竜騎士たちが歓声を送った。

「がんばれウルトラマン」

「腰を入れろ! 引き倒せぇ!」

 その応援が、拮抗していた両者のバランスを突き崩した。

「トァァッ!」

 一瞬、大きくパワーを増したエースの引き倒しが見事に炸裂した。ユニタングは正面から倒されて廃倉庫を押しつぶし、連鎖して崩れてきた瓦礫を全身に受けてもだえている。

 やった! すごいぞと歓声があがった。ウルトラマンは光の使者、その力の源は太陽の光のみならず、人々の心の光によるところが極めて大なのである。

 そう、闇は常に孤独だけれども、光あるところには人は自分以外の誰かを見出すことができる。応援してくれる人々の声のひとつひとつは小さなものであっても、重なり共鳴すればそれは大きなパワーとなって大歓声へと進化するのだ。

 攻めるのはいまだ! エースは起き上がろうとしているユニタングに駆け寄って蹴り飛ばすと、うつぶせに倒れたユニタングの背中に馬乗りになり、頭をつかむと地面に何度もぶっつけてやった。

「テヤァッ! トアッ!」

 組み合った状態からの連続攻撃もエースの得意技のうちだ。特に頭への攻撃はどんな相手にも有効な打撃となりえる。

 ユニタングは額から何度も石畳にぶつけられてふらふらだ。やっとエースを振り払って起き上がったかと思ったが、自慢の一本角はふらふらと揺らめいていてたよりない。

 そこへエースは間髪いれずに追撃の光線を叩き込んだ!

『パンチレーザー・断続光線タイプ!』

 額のウルトラスターから放たれる青色光線パンチレーザー。そのエネルギーを機関砲のような弾丸に変えた光線がユニタングに命中して爆発、巨体を弾き飛ばす。

〔ようし、効いてるぞ!〕

 通常はけん制程度の威力しか持たない光線でも、相手の弱点をついたり状態を見極めて使えば威力以上の効果を発揮することもできる。かつて初代ベロクロンの口を狙って放ったパンチレーザーが、口内のミサイル発射機を爆発させて、さらに体内の高圧電気袋にも大ダメージを与えて戦闘の決定打になったときがそれに当たる。

 今回も、ユニタングは万全ならば平気で耐えられただろうが、すでにダメージを負って防御力が弱っていたのが痛手になった。人間も気力が充実しているときと意気消沈しているときとでは、同じように殴られても痛さが違うのと理屈はいっしょだ。

〔今がチャンスだ、たたみかけるぞ!〕

〔おう!〕

〔ええ!〕

 エースの合図に従って、才人とルイズも気合を入れる。三人分の闘志が最大限に共鳴したウルトラマンAはまさに、天下無敵の力を発揮した。

「トァァッ!」

 走り寄ってのジャンプキックがよろめかせ、ミドルキックが超獣の胴を打ち、無理やり引き起こしたところで投げ飛ばす!

 至近距離での格闘戦では、ひじうち、膝蹴り、正拳突き!

 ダメージは一方的にユニタングに蓄積し、対してエースのカラータイマーはまだ青のまま。

 これまでのハルケギニアの戦いで、ここまで圧倒的な戦いに持ち込めたことはなかった。事前の情報とそれに対する備えの万全さが最高のコンディションを生み、本来互角であるべき戦いのてんびんを大きく傾けている。

 この好機を逃してはならない! エースは一気に決着をつけるべく、体を大きくひねって必殺光線の態勢に入った。

 

〔くらえ! メタリウム!〕

 

 だが、まさにそのときだった。

 

「待って! その超獣はエーコたちなの! 殺さないで!」

 

 突然響いた悲痛な声に、メタリウム光線をまさに発射しようとしていたエースは感電したかのように動きを止めた。

〔な、なんだって!?〕

〔今の声は……あの子〕

 声のした方向をエースの視線を借りて見たルイズは、ボロボロのなりをしたベアトリスが祈るようにエースを見上げているのを見た。

 彼女の顔は泥で汚れ、ルイズから見ても美しかった髪は黒く焼け焦げている。それにミシェルのマントを外套のように体に巻いており、一見してただごとではないことはわかった。

 エースはユニタングへの攻撃をやめて、じっとベアトリスを見下ろした。ベアトリスはエースの視線が自分を向いていることにびくりとしたが、おびえる彼女をミシェルがはげました。

「大丈夫、思い切って全部話して。ウルトラマンは、きっと聞き届けてくれるでしょう」

「うん……お願い、聞いてウルトラマン! その、その超獣はエーコにビーコにシーコ、わたしの友達たちなの! みんな、元々はただの人間なのに、あんな、あんな姿に……わたし、もうどうしていいのかわからなくて、お願い、彼女たちを殺さないで! 助けて、あげて……」

 それ以上はもう言葉にならなかった。ただでさえ折れそうな心を必死に奮い立たせて叫んだのだろう。大粒の涙を流してミシェルの胸に顔をうずめてしまい、後は糸が切れたように泣き続けた。

 しかし、勇気と気力を振り絞ったベアトリスの叫びは、確かにエースの心に響いていた。詳しい事情は今の話だけではわからないが、あの涙を信じられないようではウルトラマンとして失格だ。才人とルイズも、さして関わりが深いというわけではなくとも、ベアトリスが涙をだしにした嘘をつくような下劣な人間ではないと信じている。

 心を落ち着けて立ったウルトラマンAの目が光る。彼女の言葉を信じ、とどめを刺す機会を自然と棒に振って透視能力を使い、ユニタングの体内を見通した。

 すると、どうか!

〔くっ、なんてことだ! あの超獣の体内には、大勢の人間の魂が閉じ込められている〕

 エースは、目に映った光景のあまりの凄惨さに抑えきれない憤りを交えた声で言った。ユニタングの体内には、まるで幽閉か人質のような形で魂が封じ込められている。もしも、さっきあのままメタリウム光線を放っていたら、あの魂たちも巻き込んで粉々にしていたところだった。

 もちろん、驚いたのは才人とルイズも同じである。

〔な、ふざけんなよ! おれたちは危うく人間を殺しちまうとこだったのか!〕

〔エーコたちって、確かベアトリスの側近の三人のことよね。でもまさか、人間が超獣になるなんて、そんなことがありえるの?〕

〔少数だが、ある。くそっ、ひでえことをしやがるっ!〕

 人間が超獣化した例は、牛の怨霊に取り付かれた男が変貌した牛神超獣カウラや、地球人ではないが乙女座の精が異次元エネルギーで変異させられた天女超獣アプラサール、なりかけらされた例としてはマザロン人の差し金で妖女に変貌していた妊婦のことがあげられる。

 今回のことはそれらの例の中ではカウラに近いが、変貌させられたのが複数で合体変身していることと、超獣化の後は魂が気球船超獣バッドバアロンに捕食された魂のように体内に閉じ込められている点で違う。しかも、魂の様子を観察すると、単に体内に閉じ込められているどころではないことが才人とルイズにもわかってきた。

〔これは、魂がマイナスエネルギーの鎖でがんじがらめにされてやがる〕

〔ヤプールがいかに人間を信用してないかって、いい証明ね。この子たち……エレオノール姉さまやちぃ姉さまくらいの人もいる。みんな無理矢理眠らされて、ひどい〕

〔どんな理由があってヤプールと取引したかは知らないが、これじゃあんまりだ〕

 くもの巣にかかった羽虫も同然に拘束されている魂の姿に、才人とルイズは心の底から憤った。が、今の才人たちは悪の所業を他人事として見て傍観してすますような無責任な子供ではない。

〔なるほどな。ユニタングは、十人の人間に分離変身できる超獣だったはず。けど、今回は十人の人間が融合合体してるってことか〕

 ある意味では才人とルイズが合体変身するエースと同じということかと才人は思った。つまり、かつてのユニタングとは性質を正反対にしてきたということになる。

 しかし、大事なのはそんなことではない。ユニタングが体内に人間の魂を宿しているということはすなわち、エースが絶対不利に陥ってしまったことを意味していた。

 態勢を立て直し、逆襲に転じてきたユニタングの攻撃がエースを襲う。なぎなたのようにふるわれるユニタングの腕、だがエースは避ける事は出来ても反撃することはできない。そして追い込まれたエースに、ついにユニタングの攻撃がヒットしてしまった。

「グッヌォォッ!」

 顔面を強打され、よろめいたエースをユニタングは押し倒して乱打する。マウントポジションをとられ、防御もままならないエースに、容赦ないユニタングの攻撃は続く。そのあまりに野蛮で暴力的な攻撃ぶりに、ミシェルやサリュアは〔ほんとうにこいつは、元は人間なの!?〕と思い、苦悶の声を漏らすエースにベアトリスも思わず叫んだ。

「やめて! やめてエーコ、ビーコ! あなたたちはそんなことをする人間じゃないでしょ。止まって! わたしの話を聞いて!」

 いくら超獣に変えられてしまったとはいえ、元がエーコたちならとベアトリスは呼びかけた。

 だが、必死の叫びにも関わらず、ユニタングはぴくりとも反応しなかった。

「どうして! なんで答えてくれないの。わたしを憎んでたんでしょう! どうして」

「恐らく、ウルトラマンの姿を見たら人間の魂は封印されるように仕掛けられてたんだろう。卑劣なヤプールのことだ、人間を信用せずにそれくらいの仕掛けをしていてもおかしくはない!」

 悲嘆にくれるベアトリスの肩を抱きながらミシェルは吐き捨てた。かつて二度に渡ってヤプールと直接対峙したときの、あの人間を見下しきった気配は忘れようとしても忘れられるものではない。エーコたちにも、利用する目的で近づいたのだろうが、やはりただで人間に力を貸すわけがなかったか。

「それじゃあ、もうどんなに呼んでもエーコたちにはとどかないってことなの?」

「ええ、それに奴は侵略よりもウルトラマンAへの復讐を主眼にして行動しているふしがある。十人もの人間を改造したのも、侵略作戦よりもいざというときにエースへの人質として使えると思ったからだろうな」

 ミシェルの推測はほぼ当たっていた。ヤプールは、姉妹の復讐のためと銘打って彼女たちに超獣の力を与えて、その代わりに侵略の尖兵として動くことを強いていたが、ウルトラマンAが現れたときだけは人間の意識を消し去って凶暴な戦闘獣になるようにとセットしていたのだ。

 理由は、むろんヤプールのエースへの恨みの深さが第一である。ヤプールは人類以上の高等知的生命体であるが、マイナスエネルギーの集合体であるがゆえに感情の激するところは人間の何倍も大きい。知性と野心では侵略を望んでも、それ以上に深いのが復讐心だ。

 だが当然、悪辣なヤプールの考えはそれだけではない。知性を奪ったのは、元が人間であるがゆえにウルトラマンAと対峙することになったらおじけずくかもしれないことと、万一にも寝返ることを避けるためだ。そして、最大の利点は人間であれば人質として使えるからに他ならない。

〔うかつに攻撃したら、中の魂までもが巻き添えになる。しかも、肉体ごと変わっているから魂だけ取り出すこともできないっ!〕

 エースはユニタングの攻撃を耐えながら苦悶していた。かつて、超獣バッドバアロンやギーゴンに閉じ込められた魂を解放したときには、元の肉体が存在していたから魂は帰ることができた。しかし今回は人間そのものが超獣に変えられてしまっているために倒すわけにはいかない。

「ヘヤアッ!」

 なんとかユニタングを押しのけてエースは立ち上がった。しかし、受けたダメージは思いのほか大きく肩で息をしている。

 しかも、カラータイマーも点滅をはじめて、悩んでいる時間もないことを示している。

 どうすればいい? どうすれば!

 雄たけびをあげるユニタングと泣きじゃくるベアトリス。勝とうと思えばすぐにでも勝てるが、両者がエースに必殺技を撃たせることをためらわせている。

 そのとき、悩むエースと才人にルイズが毅然とした声で言った。

〔迷うことはないわ、とどめを刺しましょう〕

〔ルイズくん?〕

〔ルイズ! お前、何を言い出すんだよ!〕

 思いもかけないことを言い出したルイズに、エースはもとより才人は大きく反発した。相手は元々人間だぞ、言うまでもないことが口に出掛かるが、それは冷静を超えて冷酷とさえ言えるルイズの言葉にさえぎられた。

〔落ち着いて考えなさい。今この状況で超獣にされてしまった人間を元に戻す手段があるっていうの? ヤプールがそんなに甘い相手じゃないってことはよくわかってるじゃない。ここでわたしたちが敗れたら、東方号は確実に破壊されるわ。そうしたら、サハラに行くことも不可能になって、ハルケギニアの滅亡につながるのがわからないの〕

〔うっ、でも相手は人間だぞ!〕

〔今はもう悪魔の手先よ。わたしだって、エーコたちのことは少しは知ってる。ベアトリスの様子を見れば、あの子がどれだけ彼女たちを大切に思っていたかもわかる。だからこそ、これ以上苦しまないようにしてあげるべきじゃないの〕

〔うっ、けどな……〕

 ルイズの言うことが正論だということは才人にもわかった。しかし、それでも納得できずにいる才人にルイズは怒鳴った。

〔いいかげんにしなさい! わたしたちがどれだけ重いものを背負ってるか忘れたの? わたしだって、できるものなら助けてあげたいわ。けど、あの子たちのために世界を滅ぼすわけにはいかない。誰かがやらなきゃいけないなら、その苦しみを受けるのはわたしたちであるべき。悪魔と戦うっていうのは、そういうものじゃないの!〕

 ルイズの気迫に才人は圧倒された。同時にルイズが大きな苦渋に耐えていることも伝わってきた。

 なにかを守るためには、ほかのなにかを犠牲にしなければいけないこともある。ベアトリスをこれ以上苦しめないためにも、エーコたちがこれ以上罪を重ねないためにも、死なせて解放させてやろう。そのための苦しみを受ける覚悟、才人はルイズに強い正義の信念を見た。

 だが。

〔だめだ、おれには殺せねえ〕

〔サイト! あなたまだ強情をはるの! それでも〕

〔ふざけんじゃねえ!〕

〔なっ!?〕

 それまで耐えてきた才人の放った突然の怒号は、決意を固めていたルイズをも圧倒した。

〔ああ、お前の言ってることは正論だろうよ。だがな、『悲しいけど覚悟して死なせて、仕方がなかったんだごめんなさい』なんて、そんなのきれいにまとまってるだけでただの尻尾切りじゃねえか! 切られたほうは何も救われねえだろうが〕

〔っく! 理想論を語ってるんじゃないわよ。それができればどれほどいいか! でも、可能性は限りなくゼロ、現実を見なさいよ〕

〔現実か、そんなもの言われなくても誰にだって見えるさ。ウルトラマンは神じゃない、届かない願いもあれば救えない命もある。確かにそのとおりだと思うし、ましてやおれみたいなバカにゃ方法は思いつかねえ……だけどな〕

 才人はそこで一度言葉を切り、そして魂の全力を込めたような叫びを放った。

 

〔たとえ可能性がゼロでも! 百人が百人とも見放しても! それでも助けを求める人がいるなら手を差し伸べるのがヒーローだ! ヒーローってのは悪人を倒すやつのことじゃねえ、悪人から弱い人を守るやつのことを言うんだ! ヤプールに騙されてたってなら、張り倒してでも目を覚まさせて連れ帰す。それができなきゃ、ただの殺し屋となにが違うってんだよ!〕

 

 才人の気迫はルイズに震えすら感じさせるものだった。才人にも、ルイズの正義の信念と真っ向からぶつかっても譲れない思いがある。

 ルイズは、なにを夢みたいなことをと怒鳴ろうとしたが、それをエースに止められた。

〔そうだな、才人くんの言うとおりだ。人を救うことを、あきらめちゃいけない〕

〔エース! あなたまでなにを〕

〔ルイズくん、君の言うことは正しい。しかし、人の命はそれ以上にかけがえのないものだ。思い出させられたよ、力は誰かを助けるために使ってこそ意味がある。ウルトラマンの本分は、助けを求める人を決して見捨てないことにあるんだ!〕

 エース・北斗の胸中には、故郷M78星雲光の国のウルトラ兄弟の姿が浮かんでいた。

 何千、何百年の時を超えて宇宙の平和のために戦い続けてきた宇宙警備隊。彼らを支えていたのは守るべき人々の幸福な笑顔。背中に子供が花を摘んで遊んでいられる世界があったからこそ、ウルトラマンたちはどんな苦しい戦いにも望んでいけたのだ。

 それをあきらめて妥協したりしたら、ウルトラの父に雷を落とされてしまうだろう。

〔でも! 実際に元に戻す手段はないのよ。どうするのよ?〕

〔いや、才人くんの言葉で気がついた。ひとつだけ可能性がある〕

〔えっ!〕

 エースは暴れるユニタングの、その体内に幽閉されている魂を指して言った。

〔あの超獣が、人間が変身してしまったというなら、肉体は変わってしまっても彼女たちのもののはずだ。だったら、彼女たちの意識を目覚めさせたら、肉体の主導権が戻るかもしれない〕

〔なるほど! テレパシーで呼びかけるってわけですね〕

〔そうだ、外側から助けることはできなくとも、内側からならあるいは。だが、この方法は大きな危険もともなう。くっ!〕

 身をかわしたエースのそばをユニタングの放った糸の束が通り過ぎていく。それだけではなく、接近打撃戦を挑んできたユニタングを受け止めて、防戦をはじめながらエースは告げた。

〔超獣め、心はなくとも本能で向かってくる。これの相手をしながらテレパシーを使うのは骨だぞ〕

〔ええっ! じゃ、どうすれば〕

〔なにを驚いてるんだ、人を助けるっていうのは簡単じゃあないってことは君もよくわかっているだろう? 悪いが、テレパシーに意識を向ける余裕は私にはない。代わりに、君たちが使うんだ〕

〔おれたちが、ですか?〕

〔そうだ、使い方は私の記憶を通じてすぐにでも知ることが出来る。ただし、集中を欠いたら通じない上に精神力を一気に削られてしまうから気をつけろ。超獣は俺がなんとしてでも抑え込んでおく! 頼んだぞ!〕

 エースはそう告げると、本能のままに襲い掛かってくるユニタングを迎え撃ちに意識を集中させていった。一人称が俺に変わっているのは北斗星司の意識が強くなっているからか。下手に傷つけるわけにはいかないので、力を加減して、かつ自分のエネルギーを少しでも節約しながら戦うのは相当に集中力をようする。これからエースに才人とルイズを支援する余裕はないといっていい。

 しかし、意気はあっても考えは追いつかない才人がとまどっていると、ルイズが一喝した。

〔しっかりしなさいサイト! あの子たちを助けるって言ったのはあんたでしょう。もたついている時間なんて一秒だってないはずよ! わたしもやるから、ぼやっとしてないでしゃんとしなさい!〕

〔ルイズ、お前反対してたんじゃ……?〕

〔あんた、わたしを血も涙もない鬼みたいに思ってるんじゃないでしょうね。わたしだって、誰かの泣き顔を見るのはだいっ嫌いなのよ! 人の命にかえられるものはないんでしょう。なら、ぐずぐずしない!〕

〔ルイズ……ああ!〕

 才人はルイズの迷いのない言葉に目が覚めたように思えた。さっきは怒鳴ったのが恥ずかしい。ルイズにも人を助けられるなら迷わず危地に飛び込む熱い魂が宿っていた。

 ウルトラマンAは突進を繰り返してくるユニタングを抑え、牽制しながら時間を稼いでいる。しかし、カラータイマーが鳴り出した以上は長くは持たないのは明白であった。

 エースが必死につなげてくれているチャンスを無駄にするわけにはいかない。テレパシーを使ってエーコたちの意識を呼び戻し、ユニタングを自分自身の意思で人間体に戻らせる。だが、ヤプールによって人間の盾となるべくユニタングの中に幽閉されている魂は、簡単に目覚めさせられるものではないだろう。

〔ルイズ、やるか?〕

〔待って、このまま呼びかけても、あの闇の力の封印力は強すぎるわ。赤の他人のわたしたちの声じゃあ、心の底までは届かないかも〕

〔……だったら〕

〔ええ、方法はひとつしかないわ〕

 才人とルイズは自分たちの力でできる唯一の道に、すべてを懸ける決意をした。それは、ふたりの精神エネルギーを一気にすり減らしかねない危険なものであったが、迷いはなかった。

 ふたりが思いついた、いちかばちかの唯一の可能性。それを明かしたとき、ふたりを激励したエースでさえ一瞬動揺を見せたものの、それしかとるべき道はないことはすぐに理解した。

〔わかった。しかし、テレパシー能力をそんな使い方をした前例はほとんどない。ましてや、君たちは私の代役で能力を制御するのだから結果はどうなるか完全に未知数だ。下手をすれば、三人とも致命的なダメージを受けることにもなるぞ〕

〔かまわないわ、後でああしておけばよかったって一生後悔し続けるよりは万倍もましよ。決めたからには、なにがなんでもあの子たちを助ける。ラ・ヴァリエールに二言はないわ!〕

 自らが傷つくことなどはまったく念頭にないルイズの叫びに、エースは感心し、才人は頼もしさを覚えた。

 突進してくるユニタングを弾き飛ばし、エースは両腕を素早く回転させてから体の前でクロスし、腕全体から強烈な発光を放った。

『ストップフラッシュ!』

 閃光状の活動停止光線を受けて、ユニタングの動きが凍りついたように止まる。これで、わずかな時間ではあるがユニタングの動きは封じられた。そしてそれを維持するため、エースは気合を振り絞って念を飛ばした。

『ウルトラ念力!』

 敵の体を念力で縛って行動を封じるこの力、これならば力の続く限りユニタングの動きを封じ続けることができる。ただし、膨大な集中力をようするウルトラ念力を使い続けるためには、ウルトラマンAはその間まったく身動きすることさえできなくなる。残り少ないエネルギーを使っての足止め、チャンスは今しかない。

 意識を集中し、才人とルイズは脳波のベクトルを自分たちを中心にしたものから、自分たちを中継地点にしてテレパシーを別の場所へと飛ばす。その流れに乗って、エースは自らの思念をルイズたちの示した相手へと送った……

〔ベアトリス……ベアトリスくん……〕

「えっ! だ、誰? 今わたしを呼んだのは」

「姫殿下? 誰と話しているのです」

〔すまないが、説明している時間がない。君の友達を助けるのに君の力が必要だ、目をつぶって気持ちを落ち着けてくれ〕

「エーコたちを!……わかったわ」

 半信半疑ながら、わらにもすがりたい思いのベアトリスは言うとおりにした。手を組んで目をつぶり、ちょうどお祈りをするときと同じ姿勢で、意識を静まり返らせる。すると、ベアトリスの脳裏に直接イメージが転送されてきたではないか。

 光に満ちた世界に佇む、銀色の巨人。ベアトリスはその手のひらの上にいた。

 

〔よく来てくれた。私の声が、聞こえているか?〕

〔ウルトラマンA!? あ、あなたがわたしを呼んだの?〕

〔そうだ、よく聞いてくれ。今、君の友達はあの超獣の体内に魂を封印された状態になっている。助けたいが、私だけの力ではヤプールの呪縛を打ち破ることは出来ない。彼女たちを目覚めさせ、人間に戻すためには君の呼びかけが不可欠なんだ。協力してほしい〕

〔わたしの、呼びかけが……〕

〔そうだ、魂に呼びかけるには魂を持ってするほかはない。そして、それができるのは世界でたったひとり、君だけなんだ。彼女たちへの愛がこもった君の声以外に、闇の底に沈んだ彼女たちの心に届くものはないだろう。私は彼女たちを死なせたくはない。頼む、時間がないんだ〕

 ウルトラマンAの要請に、ベアトリスがたじろがなかったとしたらうそになる。普通の人間にとって、ウルトラマンが自分に語りかけてくるというそれだけでさえ、大いなる驚きであろうに、ベアトリスの精神力はすでに磨耗の極にあった。

 だが、それでも彼女は自己喪失には陥らなかった。全身を覆う疲労感も痛みも、のた打ち回りたいほどの吐き気もなにもかも忘れて、ただ大きな叫びをあげた。

〔やるっ、やるわ! あの子たちを助けられるならなんでもする。まだ言ってあげたいことも、してあげたいこともいっぱいあるんだもの。死に逃げなんて絶対に許さない! クルデンホルフの姫に手を上げたことだって忘れない! 誰一人だって、天国になんて行かせてあげない。それがわたしの復讐なの! お願い、力を貸してウルトラマン!」

 言っていることは滅茶苦茶だが、言葉の奥に込められた熱い思いは嫌というほど伝わってきた。

 人は憎しみで道を誤ることはある。しかし、誤った道から誰かが手を差し伸べれば戻ってくることもできる。

 ウルトラマンAはベアトリスの思いを受け取り、才人とルイズは意識を集中して、ベアトリスの心をユニタングの中へと続く道を作った。

 暗い暗い闇の沼の中へと、ベアトリスの魂は落ちていく。やがて、その闇の底へと沈んだ魂に、小さな声が届き始めていった。

 

〔エーコ……ビーコ……シーコ……起きて……〕

 

 暗い闇の中で、誰かの声がする。

〔起きて……わたしの声を聞いて、お願い〕

 女の子? 誰だろう……?

〔起きなさい! この、わたしの命令が聞けないの?〕

 うるさいな、人がせっかく静かに眠っているというのに、この蓮っ葉で、無遠慮さはどうだろう。

〔エーコ、起きなさいよ。あなたはいつでもわたしより先に起きて待ってたでしょ。寝坊なんて許さないわよ、エーコ、エーコ〕

 今度は、誰かの名前を呼び始めたようだ。エーコ、どこかで聞いたことがあるような……ああ、そうだ。

 『エーコ』……そういえば、それがわたしの名前だった。

 少しずつ、思い出してきた。

 そう、わたしの名前はエーコ。元トリステイン貴族の十四歳、ビーコとシーコはわたしの妹の名前。上には姉が七人いる。

 栗色の髪の丸顔、中途半端に髪を束ねるのは子供っぽいと言われるけど、気に入ってるんだからしかたがない。

 これが私、エーコという人間。

 そして、この憎たらしくも愛おしい声が誰なのかも、少々不本意ながらも思い出した。

「まったく、やっと楽になれると思ったのに。どうして邪魔をしにくるんですか?」

「あなたたちに、死んでほしくないからよ!」

 目を開けると、寝起きだというのに大声でがなりたててくる女の子がいた。

 やれやれ……どうしたんですか、その顔は? まるで以前にハチに刺されたときみたい、あんまりうるさいものだからビーコとシーコも起きちゃったみたい。

 

 まったく、あなたはいつでもわたしたちを困らせますね。今度は『死ぬな』と、きましたか。

 

 『死ぬ』……『死ぬ』ということがどういうことなのか……ふと考えて、夜眠れなくなった思い出があった気がします。

 人は死んだらどこに行くのか、神さまの使いという人が書いた本には天国というのがあると記してあったけど、尋ねて教えてくれる人はいなかった。

 当然だよね。死んだ先を見て、帰ってきた人なんていないんだもの。

 なのに……神さまって不公平だよね。まだ死んでもいないのに、なにも悪いことはしていないのに、地獄だけは見せてくれるんだもの。

 だからわたしたちは悪い子になっちゃって……そしたら、天罰だけはしっかりくれるんだもの、嫌になる……

 

 でも、犯した罪の取り返しのつかなさはわかる。わたしたちは、なんの罪もない人にひどいことをしてしまった。

 償いは、しないといけない。

 

 銃士隊に追い詰められて、周到に用意してきた復讐劇のシナリオが破れさったと思い知らされたとき、姉さんたちは実力行使に出ようとした。

 超獣ユニタング……それが、わたしたち姉妹が自らの肉体の代償として手に入れた力。

 けど、悪魔からもらった体には、わたしたちも知らされていなかった毒が含まれていたらしい。

 目の前に現れたウルトラマンAを見たとたんに、体の自由が利かなくなった。それだけではなく、全員の意思を統率していたセトラ姉さんが突然なにも答えてくれなくなって、ほかのみんなも次々に意識を失っていった。

 どうやら、ヤプールはわたしたちの体を、ウルトラマンを見たら超獣の本能が目覚めるように仕組んでいたらしい。

 気づいてみたら、馬鹿な話だ。人間を滅ぼそうとするヤプールが、ほんとうに人間に手を貸すと信じていたわたしたちが……

 けれど、これでよかったのかもしれない。どのみちわたしたちには、明るい未来なんてありえるはずはないってわかっていたし。

 みんなが堕ちていき、最後に残ったのはわたしとビーコとシーコだけ。

 でも、あの子たちは少しも取り乱すこともなく、ただ疲れただけのように眠っていった。

 そして、わたしも……

 まるで、ぬるま湯の浴槽に浸かっているような、けだるくて心地よい感覚……それが激しい眠気を誘って、意識が黒く染められていく。

 もう動きたくない、なにも考えたくない。暗くて気持ちのいい世界……そう、ここでこうしていたら、そのうちお父さまとお母さまのいる世界にも行けるだろうから、もう何もいらない、やっと安らかに眠ることができる。

 

 それなのに、あなたはどうしてもわたしたちを楽にしてはしてくださらないのですね……

 

 

 悪を倒すことは誰にでもできる。なぜならそれは暴力だから。

 しかし、正義を貫くことは難しい。なぜなら、人を救うためには優しさが必要であり、人を救わない正義はすなわち悪なのだから。

 戦えば楽に勝てる。しかし、かけがえのない命を闇から救うために、ウルトラマンAの力に頼らない困難な闘いが始まった。

 

 

 続く



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第78話  涙は愛の言葉

 第78話

 涙は愛の言葉

 

 くの一超獣 ユニタング

 一角超獣 バキシム 登場!

 

 

「エーコ、ビーコ、シーコ……」

 

 まるで濁った水の中のような世界。超獣ユニタングの体内にあるマイナスエネルギー空間の中で、ベアトリスはエーコたちの魂と会っていた。

 魂の形は、持ち主が己自身だと認識する形で固定されるらしく、ベアトリスもエーコたちも実体と変わらない姿で、服も身にまとって浮いている。

 見詰め合う、かつての主人と家来……しかし、明らかに歓迎していない様子のエーコたちは、怪訝な様子でベアトリスに尋ねかけた。

 

「姫殿下、どうしてここに?」

「あ、ウルトラマンAに助けてもらって、わたしの心を超獣の中に送ってもらったの」

「そう、ですか……」

 特に感嘆を受けた様子もなくエーコはつぶやいた。ビーコとシーコも、無言のままで視線だけを向けてきている。

 ベアトリスは、さすがに「よく来てくれた」と歓迎されることは期待していなかったものの、想像以上に冷たい対応に戸惑った。だがそれでも、勇気を振り絞って彼女はエーコたちに来訪の目的を告げようと試みた。

「あ、あのわたし、たすけに」

「帰ってください」

「えっ……」

 開口するまでもなくエーコから放たれた拒絶の言葉はベアトリスをたじろがせた。エーコはゆっくりと首を振ると、自分たちを拘束している闇の鎖を視線で指し示した。

「これが見えるでしょう。わたしたちが勝手なことができないようにと、ヤプールが用意していたこの鎖が。ここは魂の牢獄です。これがある限りわたしたちは、身動きすることさえ許されません」

「なっ、こんなものがなによ! こんな細いものわたしの力でも!? うぁぁぁっ!」

「で、殿下!」

 闇の鎖に触れたベアトリスは、雷に打たれたようなショックを受けて手を放した。シーコが悲鳴をあげるが、彼女は身動きできずにベアトリスはひとりではじきとばされてしまった。

「くぅぅ……」

「だから言ったんです。肉体から切り離された魂といっても、擬似的に具現化している以上痛みはあるんですよ」

 エーコの言葉が、苦しんでいるベアトリスの意識をかろうじて保たせた。エーコも、かなうことならば駆け寄って抱き起こしてあげたいが、それはできない。邪悪な思念が具現化した鎖は、良い心を持った魂にとっては真っ赤に灼熱した鎖と同等である。とても触れられるものではなく、無理に断ち切ろうとしたときの苦痛は想像を絶する。

 ビーコもシーコも、不安げなまなざしを向けるしかできない。けれど、昔とは違って嘘偽りのない思いやりのある彼女たちの瞳が、ベアトリスにほんの少しの勇気を与えた。

「うっ、うう……なにか、あなたたちを助ける方法はないの?」

「無理ですよ。わたしたちの体は、もう完全にわたしたちのものではなくなってしまっています。体のない魂がどうなると思います?」

「っ! でも、ウルトラマンAは助けられるって! あなたたちが自分の体を取り返せれば、元の姿にも戻れるって言ってたもの!」

「だめよ。この鎖は、ただの闇の力の結晶じゃないの。わたしたち姉妹の、クルデンホルフや世界への憎しみが凝り固まって作られているのです……皮肉なものよね、自分の心で縛られてるなんて」

「エーコたちの、憎しみ」

「そう、もしこの鎖が切れるとしたら、わたしたち姉妹がこれまでに抱えてきた恨みを捨て去らなければいけない。でも、そんなことはできっこないのよ」

「そんな、そんな……」

 エーコは、もうどうしようもないのだというふうに首を振った。いくらベアトリスを憎めなくても、クルデンホルフや父を見殺しにした世界への憎しみは消しようもない。ましてや、姉たちとなればなおさらだ。

 愕然とするベアトリスに、エーコたちはすでに覚悟を決めた笑顔を向けた。そして精一杯の優しさをこめて、帰るように告げようとした。

 しかし……

「さあ、もう帰ってください。あなたが来てくれただけで、とてもうれしかったです。ここにいたら、あなたの魂も危ないですから、さあ……」

「やだ……」

「殿下! わがままをお言いにならないでください」

 うつむいたまま拒否の言葉を言おうとしたベアトリスに、エーコは業を煮やして叱り付けようとした。

 ところが、顔をあげたベアトリスは眼に大粒の涙を浮かべると、そのまま糸が切れたように、あるいは幼児のように……

「やだやだやだやだぁ! エーコたちを置いていくなんてやだぁ! 死んじゃうなんてやだぁーっ! うわぁーっ! うぇーん!」

「で、殿下……」

 もはやエーコたちを説得しようとする言葉でも、自分を奮い立たせる決意の台詞でもなんでもなかった。自分の非力にどうしようもなく、それでもエーコたちをあきらめられないという気持ちが、ただただ涙と叫びとなって吐き出されるのみの声。

「エーコ、ビーコ、シーコ、お願いだから帰ってきてよぉ! あなたたちがいないと寂しいよぉ、もうわがまま言わないし、なんでも言うこと聞くからさぁ! 行っちゃだめぇ! ひかないでひょぉ! あぁーっ! あ~ん!」

 もう最後は声にさえなっていなかった。本当に、幼い子供のように泣きじゃくるだけ、それしかできることがないかのように。

「わーっ! うわ~っ! あ~~っ!」

「ひ、姫さま」

「ど、どうしようビーコ?」

「え、ええと……」

 涙と鼻水で顔をいっぱいにして泣くベアトリスに、エーコもビーコもシーコもどう対処したらいいのかわからなくなってしまった。なにか理屈をつけて「あきらめるな」などと言ってくるのであったら、はっきりと拒否して帰るよう説得することもできるのだが、だだっこのように泣き喚く相手にはなにを言えばいいのか、さっぱり見当がつかなかった。

「エーコぉ! ビーコぉ、帰ってきてよお! シーコぉ! ほかになんにもいらないからさぁ! うぇ~~ん! ぁぁーっ!」

 エーコたちを呼びながら、大声で泣き続けるベアトリス。泣くしかない、大好きな人がいなくなるのに、それを止められないのなら、もう残った道は悲しみのままに泣くしかなかった。

 そして、悲痛な悲しみの叫びは、押し殺してきたエーコたちの感情も呼び起こしていった。

「姫、殿下……わたしたちだって、死にたくなんてない。まだ、やりたいことはいっぱいあるのよ!」

「帰りたい……みんなでいっしょに、天国なんてほんとは嫌なのよ」

「うわーん! わたしも、わたしだって姫さまと別れたくなんてない。くぅぅ! 離してよ、もう超獣の力なんていらないのにぃ!」

 叫び声と泣き声の大合唱が魂の世界の中にこだました。

 そうだ、いくら包み隠して自分をごまかしていても、ほんとうの気持ちを捻じ曲げることはできない。悲しいものは悲しい、嫌なものは嫌なのだ。運命という大きな流れに人は抵抗しようとするが、その波濤があまりに大きすぎたときに、打ちのめされた人間にできることは思いっきり泣くしかないではないか。

 ベアトリスも、エーコもビーコもシーコも、ただ感情のおもむくままに泣き、叫んだ。そこに修飾された美や、理屈付けられた体裁などは一切なく、お互いに別れたくないという悲しさと寂しさ、愛する者への素直な心の吐露のみがあった。

 そして、いくばくかの時間が流れただろうか。心の涙も枯れ果てた彼女たちは、絶望と虚無の入り混じった眼で互いを見つめていた。もっとも、この魂の世界に時間という概念はあるようでないようなもので、一瞬か永劫かの区別など無意味に等しい。

 いっそこのまま、無限の虚無の中で消えてしまいたい。疲れ果て、がんばることもあきらめることもできなくなってしまった彼女たちは、せめて救いがあるならとそう思った。

 しかし、四人しかいなかったはずの魂の空間の中に、彼女たちのものではない穏やかな優しい声が響いた。

「もういい……あなたたち、もう充分よ」

「っ! エフィ姉さん」

 それは、十姉妹の次女エフィの言葉だった。

 驚いて振り向くと、エフィだけでなく、セトラやイーリヤたち姉妹全員が目を覚ましていた。皆、悲しそうな瞳でエーコたちを、そしてベアトリスを見つめていた。

「姉さんたち、気がついていたの!」

「ええ、途中からだけどね。たぶん、エーコたちの感情が強くなったから、私たちを縛る力が弱くなったんだと思う。あなたたちの話は聞いていたわ……ミス・クルデンホルフ」

「は、はい……」

 エフィに話しかけられ、ベアトリスはびくりとこわばりながらこたえた。十姉妹の中でも、特に自分をひどく恨んで痛めつけられた次女エフィ。しかし、覚悟して待った彼女の言葉は静かだった。

「帰りなさい……」

「えっ」

「あなたを見ていて、あなたがどれだけエーコたちを大切に思ってくれていたかがわかったわ。この世界では心がむき出しになるから嘘はつけない……さっきはひどいことをしてしまって、ごめんなさい」

「そんな、元はといえばわたしの家のせいなのに」

 すまなそうに言ったベアトリスに、エフィは首を振り、セトラが代わって答えた。

「いいえ、きっかけはなんであっても、それに負けてしまって闇に心を売ってしまったのは私たち……どうしたって、生き延びる努力をするべきだったのに、甘い言葉にだまされて、こうして生きながら死んでいるような体にされて、ようやく間違いに気づいたわ」

 自分自身をも失いかけて己を見返し、ようやく誤りに気がつけた。続いてキュメイラ、イーリヤ、ティーナも言う。

「バカだったわ、本当に。あげく、唯一正気だったエーコたちの言葉に耳を貸さずに、この有様。エーコたちがいなかったら、人間の心まで完全に失った獣に落ちるところだった。ふっ、こんなになって気づいても手遅れなのにね」

「敵討ちなんて、私たちに合うはずはなかったのに、恥ずかしいまねをしちゃったわ。ごめんなさいね、許してくれとは言えないけれど、あなたを殺さなくてよかった」

「ひひ、あんなにぎゃんぎゃん泣いてるのを見て怒る気もうせたよ。もういいって、やめやめにして、あたしたちも失せるからあんたもとっとと帰りなよ。巻き添えなんかにしたら、あの世で面倒見るのが面倒だよ。ひひ」

 彼女たちの顔から、ベアトリスを痛めつけていたときの狂気の色は消えていた。

 誰もが、ベアトリスに帰れと言っていた。しかし、ベアトリスはそれでよいことはない。姉妹が復讐をあきらめてくれても、それで彼女たちが生きることまでもあきらめてしまったとしては救いに来た意味がないのだ。

 

”君は彼女たちを助けることはできなかったけど、少なくとも心は救えていたはずだよ”

 

 そんな使い古された慰めの言葉などがかけられる結末なんて、所詮自己満足しかない最悪のエンドでしかない!

 なすべき道は、エーコたちだけでなく、誰一人欠けることなく救い出すこと。ほかになにがあるというのだ。

「待って! あなたたちを置いていくことはできないわ。あなたたち全員が力を合わせれば、肉体を取り返すこともできるはず、だったら人間の姿に戻すこともできるはずよ」

「無理よ、闇の拘束はまだ十分すぎるほど力を残している。エーコが言ったでしょう、これは私たちの憎しみの結晶……あなたひとりを許すことはできても、それですべてが消えてしまったわけじゃない」

「そ、そんな……でも!」

 なおもあきらめまいとベアトリスは食い下がった。けれど、そんな彼女をユウリとディアンナが一喝した。

「うるせぇ! 帰れったら帰れ、てめえはまだいいとして、てめえの親父はまだ許したわけじゃねえんだからな!」

「そうよ! 元はといえば、クルデンホルフがお父さまの仕事の邪魔さえしなければこんなことにはならなかったわ! そんなの、許そうったってできるわけないじゃない!」

「そ、そんな……」

 ベアトリスは愕然とした。そればかりは、今自分がどうこうできる問題ではない。しかし、それが彼女たちの憎しみの原点になっているのならば、無理でもどうにかしなくては解決することは出来ない。

「お、お父さまのことは心からお詫びするわ。だから、どうか」

「やかましい! もうごたくは聞きたくねえ」

「そ、それでもどうか! あと少し、あと少しでみんな助かるのよ。だから、なんとか怒りをおさめて」

「ご好意はうれしく思いますわ。でも、私たちはすでに覚悟を決めているのです。生き恥をさらさぬため、我らに貴族としての死に場所をくださいませ」

 セトラの、切腹を前にした武士のような生を拒絶する言葉はベアトリスを絶句させた。

 確かに、敵に利用されたあげくにおめおめと生きながらえるなど、誇りを重んじるトリステイン貴族からしたらできるはずがない。

 けれど、けれどそれでも……

 迷うベアトリスを前に、姉妹はそれぞれ帰れと言ってくる。エーコたちでさえ、姉さんたちが正気に戻ったからもう十分だと、死を受け入れたようになってきた。

 でも、それではだめだ、だめなのだ! なにか方法はないのか、なにか!

 苦しむベアトリスと、姉妹たち。

 

 そのときだった。この場所に、絶対にありえるはずのない人間がベアトリスの眼前に現れて、その桃色の髪を振り乱して雷のような猛声を放ったのだ。

 

「黙って聞いてればあなたたち、寝とぼけたことをガタガタとふざけんじゃないわよ! それで栄光と伝統あるトリステインの貴族だなんて笑わせるわ! 十人もいるくせにいつまでもうじうじぐだぐだと、傷の舐めあいを続けるのも大概にしなさいよね!」

「なっ!?」

 

 突如、空気を読まないどころかぶち壊して響いたルイズの怒声は姉妹たち全員の度肝を抜いた。いきり立っていたセトラやユウリだけでなく、エーコたちやベアトリスもとんでもない乱入者に仰天している。

 が、驚愕の波がある程度引いていくと、彼女たちの中で一番ルイズと面識があったベアトリスが恐る恐る声をかけた。

「あ、あのヴァリエール先輩」

「なによ」

「なんで先輩が、こんなところにいるんですか?」

「……あ」

 ルイズは固まり空気が死んだ。自分のやったことを後悔してももう遅い。

 せっかくの悲壮な雰囲気もなにもかも台無しにして、一同に平等に注目されたままで、ルイズは凍り付いて動けない。

 そんな様子を離れて見ていた才人は、呆れ返ってつぶやいていた。

「あんの、バカ……」

 人一倍頭は回るくせに、頭に血が上ったときにはその万分の一も思慮が働かない。人間は右脳で感情を、左脳で理性をつかさどっているというが、ルイズの場合頭蓋骨の中の八割くらいは右脳でできているのではないかと、才人は自分のことは棚にあげてけっこうひどいことを考えた。

 とはいえ、フォローしてやらなければルイズがウルトラマンAだということがベアトリスに知られてしまう。どうやらヤプールは才人とルイズがウルトラマンAに変身することは伝えていなかったらしいが、秘密を守る努力は最大限にしなくてはいけない。才人はテレパシーでルイズにひそひそ声を送った。

〔ルイズ、いいか……〕

〔サイト? わ、わかったわ〕

 才人からアドバイスされたルイズは、精一杯ごまかそうとふんぞり返って言った。

「じ、実は近くを通りかかったらたまたまあなたたちを見かけてね。それでウルトラマンに君はベアトリスくんの友達だろうから、手助けしてやってくれって頼まれたのよ」

「そ、そうなんですか」

「そ、そうなのよ! あはは、あはははは」

 じっくり考えたらすぐに不自然なことに気づきそうなものだが、ルイズは勢いで笑ってごまかした。

 むろん、影で見ていた才人も同じくらいほっとしたことはいうまでもない。

〔ルイズの暴走を止めるのは相変わらず寿命が縮むぜ。だが……こいつは意外と災い転じて福と成すかもな〕

 ルイズの先走りを見て、才人はひとつ妙案と呼べるかはわからないが、彼女たちの心の堤防を打ち崩す手を思いついていた。が、それは才人にも相当な危険がともなう手だった。下手をすれば命に関わるほどの。

「だが、おれの命の危険で、確実に消える十人もの命が救われるならば安いもんだぜ!」

 才人はウルトラマンAにそのことを頼むと、残りの全精神力をテレパシーに変換して解き放った。

 複数個所へと送られた、そのテレパシーの相手とは……

 

 一方、なし崩し的に説得に加わったルイズは、甘えを許さない厳しい言葉で姉妹を責めていたが、やはり難航していた。

「あなたたち、そろいもそろっていくじなしの集まりなの? 自分が不幸だからって、それで人間としての誇りまで失っていいと思ってるの。ましてやその憂さ晴らしが弱い者いじめなんて、情けなくて涙が出てくるわ」

「聞いたふうな口を利くな! お前なんかになにがわかる。お前が、貴族からこじきに落ちたことがあるとでもいうのか!」

「不幸自慢なんて聞く気はないわ! 人より不幸なら偉いとでも思ってるの、はっきり言うけどね。そんなものただのひがみよ。ましてや更生しかけてる妹の足をそろって引っ張る姉なんて馬鹿者以外のなんでもないわ、恥を知りなさい!」

「ふざけるな! 貴様にお父さまを殺された我らの、クルデンホルフへの恨みの深さが理解できるかぁ!」

 ルイズと、主にセトラ、ユウリ、ディアンナとの口論はののしりあいにも近くなっていた。

 ルイズの長所であり欠点は、誰を相手にしても物怖じせずにずけずけと言いたいことをぶっつけられることだが、今回はそれが悪いほうへ傾いていた。相手を論破するならよいが、心を閉じている相手に言葉を届けるには力づくではいけない。犯罪者の説得にあたるネゴシエーターが決して犯人を威圧することは言わないように、むしろ論理より感情に訴えかける言葉が必要とされるのである。

 しかし、彼女たちの抑圧された感情をすべて表に引きずり出すことにだけは成功していた。

 会話に入っていけないベアトリスは、おろおろとした様子でエーコたちとともに経過を見守っている。

 そこへ、ベアトリスの肩に手のひらを乗せ、ルイズと姉妹たちを仲裁するように穏やかな声色を流した人がいた。

「ミス・ヴァリエール、もうそのくらいでいいだろう。人間、理屈では納得できないことのひとつやふたつはあるものだよ」

「っ! ミシェル、あなたも来たの」

「まあな。あなたと同様、助けてやってくれと頼まれた。事情はおおかた飲み込めた。わたしたちにも話させてくれ」

 わたしたちと複数形で言ったのは、やってきたのはミシェルだけではなく、サリュアや彼女たちとそばにいた数人の銃士隊員もいたからだった。才人が考えた手とは、現在ではベアトリスと浅からぬ関係のあるミシェルや銃士隊にも説得に協力してもらおうというものであった。

 ただし、この手は大きなリスクをともなう。ベアトリスひとりでさえ、才人とルイズが協力して意識を送り込んだのに、これだけの人数を才人ひとりのテレパシーで送るのは過度の負担がかかる。最悪、精神力を擦り切れさせて廃人になってしまう可能性もあるが、それすら覚悟で送った希望は確かに姉妹の前に立ち、そして驚くべきことを告げた。

「ミス・クルデンホルフ、あなたたちにこんな因縁があったとはな。しかし、単刀直入に言おう。お前たちがクルデンホルフ公爵を恨むのは大きな誤りだ。公爵はお前たちの思っているような人物ではない。お前たちの父を陥れたのは別の誰かだ」

「なっ! なにを言い出す! わたしたちの父は、クルデンホルフに陥れられて」

 ミシェルの言葉に、エフィは思わず反論した。しかしミシェルは構わずに続ける。

「そういう噂がまことしやかに流れていたのも知っている。だが、その事件が起きた当時、わたしは今は亡きリッシュモン高等法院長の近くで密偵をしていた。あの事件はよく覚えている。リッシュモンは金に貪欲な男で、常に国営行事の金の流れは目を光らせていたからな。そのリッシュモンが漏らしていたよ、あの金食い虫の事業の後を継ごうとするなど、クルデンホルフも酔狂だと。わかるか? クルデンホルフはお前たちの父から受け継いだ事業で一ドニエももうけを出してはいないのだ」

「で、でたらめだ! なんの証拠があると」

「そうか? ならお前たちのほうこそ、なんの証拠があってクルデンホルフ公爵が仇だと決め付けていた?」

「そ、それは……」

 ミシェルが告げた事実に、姉妹たちは急激に青ざめていった。

 証拠? そういえば、そんなものはなかった。ただ、どんぞこであえいでいたときに聞いた噂で、かっと熱くなってそのまま……

 ということは……だが、向こうも証拠があるわけではと姉妹は思ったが、ミシェルの声色は一部の嘘も感じさせないほど明朗で、でたらめなどではないことは直感的に誰でもわかった。なにより、この特殊な精神空間では嘘はつけないのは、先ほどエフィが言ったとおりだ。もっとも、言葉の中にわずかなトリックとして、当時はリッシュモン”の”密偵をしていたことを、リッシュモン”を”密偵していたように錯覚させているが、それは今は関係はない。

 さらにミシェルは愕然としている姉妹に向かって続ける。

「それに、お前たちの父の生前にクルデンホルフ公爵はゲルマニアの銀鉱山のひとつを売り払っている。その額は、そっくりそのままお前たちの父の銀行口座に振り込まれるはずだったのは調査済みだ」

「そ、そういえばお父さまは、クルデンホルフから融資の約束があると」

「それじゃあ、まさか……」

「そうだ、クルデンホルフ公爵は陥れようとしていたんじゃない。逆に、救おうと尽力してくれていたんだ!」

 何の前触れもなく始まった当事者の証言は、研ぎ澄ませたナイフのように姉妹の心に深く突き刺さってえぐっていった。それまで信じてきた事実が音を立てて崩れていく……そして、それが決壊したときに姉妹たちの心は砕け散った。

 

「い、いやぁぁーっ!」

 

 その悲鳴は、姉妹たちの魂からの絶叫であると同時に、姉妹たちの心に巣食っていた復讐という悪魔の断末魔の叫びでもあった。

 しかし、復讐という悪魔が去った後の姉妹の心を、今度は代わって虚無感という悪魔が支配していった。

「そ、それじゃあわたしたちはいったいなんのために今まで……」

 たとえ復讐という暗い目的でも、それはどん底に沈んでいた姉妹の心をかろうじて支えていた柱には違いなかった。それがへしおれてしまった今、彼女たちの心はぽっかりと大きな穴が空いたように虚ろになっている。

 エーコたちはおろか、年長者のセトラやエフィまで魂が抜けたようになっており、ベアトリスは彼女たちのあまりの惨状に慰めの言葉をかけようとした。が、ミシェルに制された。

「お前たちが復讐に狂ったのは、環境が生み出した自己催眠のようなものだ。体験したこともない貧困の中で、なんとか自らを保とうという本能が信憑性のない噂を真実だと自分に思い込ませたんだ。そこをヤプールにつけこまれて、さらに復讐心を増大させられるようにされてしまったんだろう」

 感傷にふけるように言ったミシェルの言葉は、そのままかつての自分をなぞっていた。どん底であえいでいる人間に甘い言葉で近づいて、都合のいい嘘を吹き込んで思うがままに操る。リッシュモンも使った、詐欺師の常套手段だ。

「しかし、それはもうすんだことだ。これからは生きることを考えろ」

「生きる? 今さらわたしたちに、どんな人生があるというのです。もう、最後の誇りを守るために、いさぎよくこのまま死なせてください」

 抜け殻のようになってしまった姉妹を代表してセトラが言った。ほかの姉妹たちも、あれだけ覇気のあったユウリやティーナでさえ別人のように死んだ眼をしている。

 これでは、助けに来たのに逆効果ではないかとベアトリスはミシェルに怒鳴ろうとした。しかし、ミシェルは慌てた様子もなくベアトリスを抑えると、姉妹に向かって呆れた様子で言ったのだ。

「やれやれ、世話のかかる子どもたちだ。おいお前たち、死ぬ覚悟をしてるのは結構なことだが、はっきり言って犬死にもいいところだぞ」

「なっ!」

 侮蔑を隠す気もなく言ってのけたミシェルの言葉に、姉妹たち……特にセトラやエフィは愕然とした。

 当然、口々に我らにはまだ貴族としての誇りがあると反論するが、ミシェルは微動だにしない。短く刈りそろえた青い髪を指先で適当にいじると、つまらなさそうに言った。

「たわけ、そういうかっこうつけた台詞を吐くのは十年早い。お前らが誇るにふさわしい何かをこの世に残したか? むしろ害悪を残しているだろうが。そういうのは無駄死に以下の死に逃げというんだ。くたばるならせめて、子供のひとりくらい作ってからにしろ」

「こっ、子供って!」

 怒声ではなく、むしろのんびりとした口調で言ったことで姉妹には響いていた。薄っぺらな誇りなど、世間の苦難を何十倍も多く体験してきたミシェルや銃士隊の面々には糸くずほどの重みも感じさせていない。

 だがそれでも、ディアンナは沈痛な面持ちでエーコたちが感じていたのと同じ苦悩を口にした。

「でも、たとえ人間の姿に戻れたとしても、わたしたちの体は人間以外のものへと改造されてしまったんです。そんな体で、どうして普通の生活に戻れって言うんです? ましてや恋なんて、子供なんてそんな……」

「余計な心配だ。じゃあ聞くが、もしお前たち姉妹の中の誰か一人だけ超獣に改造されてしまったとして、お前たちはそいつを、お前はもう人間じゃないから出て行けと言うのか?」

「うっ!? う……」

 反論はなかった。エーコたちがずっと抱えていた悩みも、人生の先輩からしてみればたった一言で一刀両断できてしまう程度のものでしかなかったのだ。

「人間じゃないとかガタガタ抜かす奴など最初から相手にするな。千人のクズに嫌われたところでなんの痛痒がある? それどころか、お前たちにはそうであると知って、なお受け入れようとしている人がいるじゃないか。贅沢な悩みだぞ、お前たち」

 そう言うと、ミシェルはベアトリスの背中を押して前に出した。

「エーコ、ビーコ、シーコ、それにお姉さま方、どうか戻ってきてくださいお願いします! あなたたちの身柄は、わたしが全力でお守りいたします。人間に戻る方法も、きっと探し出してみせますから! だからどうか」

 ベアトリスの心からの叫びが、姉妹たちをつないでいた闇の鎖をほころびさせていく。

 さらに、サリュアたち銃士隊の仲間たちも口々に姉妹に力強い言葉をかけていった。

「気にすることなんかないよ! 銃士隊にはあなたたちと同じような境遇の仲間もいるし、悩みを相談したかったらいつでも受けてあげる。このサリュアさんの胸にどーんと飛び込んできなさいって!」

「このバカの言うことは気にしないでいいけど、銃士隊の懐の深さは甘く見ないでね」

「そうですわよ。あなたたちをいじめるような不埒な方がいたら、わたくしたちが始末いたしますから心配しないで!」

 数多くの暖かいはげましが、姉妹の心を溶かしていく。

 ああ、わたしたちはなんて愚かだったんだろう……なんの罪もないどころか、むしろ恩人を逆恨みした上に、世界中に迷惑をかけて。

 でも、でもそれでもこの人たちは生きていいと言ってくれるのか?

 もう涙を流していない子はひとりもいなかった。

 そして、エーコは涙にぐずる声で、搾り出すようにミシェルに尋ねた。

「ほんとうに、わたしたちを、許してくださるというのですか?」

「ふっ、許すも許さないも、子供のヘマにいちいち目くじらを立てていては大人は務まらないんだよ。さあ、悪魔のお膳立てした茶番劇も、もうそろそろ終わりにしてもいいだろう。決断しろ!」

「……はい!」

 この瞬間、姉妹を縛っていた闇の鎖は粉々に砕け散った。

 迷いは消えた、復讐の糸は断ち切られた。暗闇の中をさまよっていた姉妹は、友や同じ苦しみを知る人の導きで、ようやく正しい道に帰る方角を知ることができた。

 今こそ、しがらみを断ち切る時! 才人はテレパシーを解除して、ベアトリスやミシェルたちの魂は元の肉体へ戻っていく。

 

 

 舞台を現実の世界に戻して、ウルトラマンAとユニタングはその内なる戦いを終えて最後の仕上げにかかろうとしていた。

〔ウルトラマンA、あとはまかせたわ〕

 ルイズの言葉を受けて、エースはウルトラ念力を解除してユニタングを解放した。

 しかし、ユニタングは暴れることはなく、じっと立ち尽くしたままでエースを見つめている。そして、両手を広げるとなにかを求めるようにゆっくりとうなり声をあげた。

〔わかった〕

 エースはユニタングに人の心が戻ったことを確信した。だが、超獣の姿から人間の姿に分離するには、いまだマイナスエネルギーの呪縛が邪魔しているに違いない。ならば、それを浄化するまでだ。

 カラータイマーが激しく点滅する中で、エースは体を大きくひねると、破壊エネルギーではなく光の浄化光線として必殺技を放った。

 

『メタリウム光線!』

 

 L字に組んだ腕から放たれる三色の光線がユニタングに突き刺さって強烈な閃光を放った。

 ユニタングはひざを突くと、ゆっくりと前のめりに倒れた。戦いを見守っていた竜騎士たちは、エースがユニタングを倒したものと思ったがそうではない。かつて、獅子超獣シシゴランに取り込まれた子供を助けたときのように、外側を覆う邪悪なエネルギーの部分だけを破壊したのである。

 むろん、そのままでは不可能だが、心が正しい者に取り戻されたことで明確に邪悪のみを撃つことができるようになった。

 倒れこんだユニタングは発光して消滅し、ウルトラマンAはがくりとひざをついた。

〔やったのか……〕

 エースは地面に手を突いてかろうじて体を支え、ユニタングの消滅地点を見た。

 すでにその場所にはミシェルやベアトリスたちが駆けつけており、彼女たちはそこで倒れているエーコたちを見つけて駆け寄った。

「エーコ! ビーコ! シーコ!」

 倒れている彼女たちを抱え起こして、ベアトリスは何度も呼びかけた。ほかの姉妹たちにも銃士隊が駆けつけて助け起こしており、どうやら全員気絶しているだけだということがわかった。

 そして、うっすらとシーコが目を開ける。

「あ……ひめ、さま?」

「シーコ、シーコなの? ほんとうにシーコなの!?」

「はい……ただいまです、姫さま」

「シーコ……よがっ、よがっだぁー! わあぁぁーっ!」

 ベアトリスはシーコを思いっきり抱きしめて泣き出した。シーコも強くベアトリスを抱きしめ返す。

 やがて、エーコとビーコも目を覚ますと、ベアトリスは感極まったというふうに、まだどこにそんなに涙が残っていたくらいに泣きに泣いた。

「エーコ、ビーコ、よかった、ほんとうによかった……ひぐっ、もう、勝手にどこかに行ったりしないよね」

「はい、まったくあなたみたいな泣き虫で甘えん坊な主君に仕えられるなんて、わたしたちくらいのものですよ」

「これからも、末永くよろしくお願いします」

 エーコたち三人の服は、ベアトリスの涙でまだらに濡れている。でも三人とも、ベアトリスに自分はここにいると教えるように手を取って、決して離れようとはしなかった。

 その様子をミシェルや銃士隊は、やや苦笑しながら見つめ、目を覚ましたセトラたち姉妹はうらやましそうに……しかし暖かく見守っていた。

 ウルトラマンA、才人とルイズもほっとした様子で再会を果たしたベアトリスたちを見ていた。

〔よかった。どうやら、うまくいったらしいな〕

〔ああ、仇討ちからはじまる友情ってのも、けっこういいものだなって……うぅっ〕

〔ちょっ! サイト大丈夫?〕

〔いや、今回はさすがにしんどかった。とんでもなくだりぃ……クラクラする〕

 無理もなかった。才人は超人でも人外でもなく、普通の人間に他ならない。むしろこの程度で済んだことが奇跡的といってよいだろう。

 

 暖かい眼差しの数々に囲まれて、再会を喜び合うベアトリスたち。

 だが、乾いた拍手の音とともに、咲きかけた奇跡と希望の花を摘み取ろうとする悪魔が現れた。

「ふっふふふ……いやいや、なかなかおもしろい見世物を拝見させてもらった。まさか、完全に支配したと思っていた超獣を人間に戻してしまうとは、正直君たちには感服したよ」

「誰だっ!」

 あざ笑うような口調のしわがれた男の声に、一同ははじかれたようにその方向を見た。

 そこには、銀髪の老人が軽く手のひらを叩き合せながら愉快そうに笑っており、銃士隊は即座に銃口をその男に向ける。しかし老人は物怖じする様子もなく笑い続け、一人ずつ順に一同を見回していく。

 そしてベアトリスに視線が向けられたとき、彼女はその老人が誰だったのかを明確に思い出した。

「ゴンドラン卿……?」

「ふふ、ご記憶いただけて光栄だね。しかし、それは世を忍ぶ仮の名……ふふ」

「姫さま、お下がりください。こいつは、この男はっ!」

 笑いかける老人からかばうように、エーコたちはベアトリスを背にして杖を抜き出していく。

 また、セトラたち姉妹も例外なく杖を抜き、こわばった表情で老人を睨みつけている。

 これは、もしや……直感的に悟ったミシェルは、老人を取り押さえようと近づきかけた部下を下がらせた。

 老人は、「賢明な選択だね」と、あざけるように言うと、不気味な笑いをセトラたちに向けた。

「さて、お前たちはよくも我々を裏切ってくれたな。その力を授けてやった恩を忘れおってからに」

「ふざけるな! 利用していただけのくせに!」

「フフ、まあ確かにそのとおりだよ。しかし、アカデミーの評議会議長に化けて紛れ込み、お前たちが起こしたパニックに紛れて東方号に潜入する手はずだったのに、その小娘に気をとられてくれたおかげで失敗してしまったときは焦ったよ……が、それと引き換えにウルトラマンAをそこまで消耗させてくれるとはうれしい誤算だった。ファハハハ」

 やはり、こいつは! 銃士隊、ベアトリス、そしてウルトラマンAの中で最悪のシナリオが組み立てられる。

「さあて、ウルトラマンAよ、アルビオンでの借りを今こそ返させてもらおうか!」

「そうか、貴様は!」

「そうさ! 私のことを忘れたわけではあるまい! ファハハ、フハハハハハ!」

 笑い声とともにゴンドラン卿の姿が赤い光に包まれて、みるみるうちに巨大化していく。

 そして、その光の中から姿を現した、青い巨体とオレンジ色の頭部を持つ超獣。青い眼をらんらんと光らせ、鋭いスパイクが生えた腕を振りかざして甲高い鳴き声をあげた凶悪な姿は、ウルトラマンAにとって忘れようもない。

「バキシム! やはり貴様だったのか!」

 そう、あのアルビオンの内乱をクロムウェルに化けて陰から操っていたヤプールの使者。ブロッケンと組んでエースをあと一歩で倒すところまで追い詰めたが、ウルトラマンメビウスとCREW GUYSの救援によって異次元に逃げ帰って、そのまま行方をくらませていたこいつが、とうとう戻ってきたのだ。

「ヌハハハ! ウルトラマンAよ、我々の計画をまたもや破ってくれたことをほめてやろう! しかしもうエネルギーは残っているまい。ここで死ねぇ!」

 バキシムの腕からミサイルが放たれてエースを襲った。いつものエースなら避けられただろうが、爆発が連続し、エースの体が力なく崩れ落ちた。

「グッオォォ……」

「ハッハハハ! 作戦は失敗しても、貴様を倒せるのならば安い取引だ。なぶり殺しにしてくれるわ!」

 勝ち誇るバキシムの怨念の笑い。エースは立ち上がろうとするが、すでにエース本人はおろか才人が半死状態なので、しぼりだす余力はほとんど残されてはいなかった。

〔く、くそ……バキシムめ〕

〔サイト! なんとかできないの。根性見せなさいよ!〕

〔だ、だめだ。力が、はいらねぇ……〕

 カラータイマーはすでに限界で、消える寸前なのは誰が見ても一目瞭然であった。

 起き上がることすらできないでいるエースに、バキシムは嬉々としてミサイルを浴びせかける。

「ファハハ! 苦しめ、苦しむがいい。我らヤプールの恨みを知れ!」

「おのれ、卑怯な……」

「フフフ、この程度で我々の怨念は晴れはしないぞ。お前は最大限に苦しめた上で倒してくれる! そのために、まずは……」

 せせら笑いを流し、バキシムは攻撃の手をやめると、くるりと振り返った。その見下ろした先には。

「ひっ!」

「フッフッフ、エースの前にいろいろと働いてくれたお前たちに、まず礼をしなくてはな」

「貴様! やめろ!」

 バキシムのレーダーアイが冷たい眼差しでエーコたち姉妹を見下ろす。ミシェルたち銃士隊は逃げずに、彼女たちを守ろうと壁を組もうとしたが、バキシムはそんなものは蟷螂の斧だというふうにミサイルの照準をあわせた。

「クク、どんな理由があろうと我らを裏切った罪は許されんぞ。さあて、どいつから殺してくれようか? おっと、逃げようとしたらそいつから吹き飛ばすからな」

「おのれ、悪魔め!」

 ミシェルがベアトリスとエーコたちを背にしてかばいながら吐き捨てた。バキシムは一説にはヤプール人の一人が自ら超獣化したと言われ、その性質の狡猾さと卑劣さでは超獣の中でも比類ない。

 バキシムの放った鼻ミサイルが彼女たちの至近で爆発し、数人が爆発で吹き飛ばされた。

「きゃぁぁーっ!」

「イーリヤ! ティーナ!」

 セトラが妹たちの惨状に悲鳴をあげた。二人とも、爆風をもろに受けて、死にはしなかったものの立ち上がれないほどの痛みを受けていた。

「ふふ、すぐには殺さん。全員じわじわと痛めつけてくれる」

「貴様! よくも妹たちを!」

「安心しろ、すぐに貴様も同じ目に合わせてやる。まったく馬鹿なやつらよ、黙って騙され続けていれば長生きできたものを。だが、お前たちの復讐の念は同じ人間数百人分のマイナスエネルギーとなってくれた。わざわざ手間をかけて怨念を育て上げたかいがあったものよ」

「ど、どういうことよ!」

 とまどいの声をあげたセトラを、バキシムは頭部を小刻みに上下させて愉快そうに見下ろしていた。

 しかし、洞察力に優れたミシェルはそのわずかな一言で十分に真実を知りうることができていた。

「そうか、これですべて合点がいったぞ。彼女たちの父の仕事を妨害して心を病ませた上に、自殺に見せかけて殺したのは、貴様らの仕業だったんだなヤプール!」

「なっ!」

 姉妹たち全員から驚愕の声が漏れた。バキシムは、「違うか!」と指差してくるミシェルの視線に、愉快そうに笑い声を発した。

「ふははは、特に訂正してやるところは見当たらないな。強いて言えば、クルデンホルフが犯人だという噂を流したのも私だよ。よくぞ見抜いた、ほめてやる」

「貴様……なんのためにそんなことを!」

「ふっ、よかろう教えてやる。当時、まだこの世界に完全に地歩を築いてなかった我々は、人間のスパイがほしかった。しかし、使い物になるような人間はそうそういなくてな、ならば考えたのさ。いないのなら、そうなるように作ってしまえばいいとな」

「なんだと……」

 バキシムの口から語られた事実に、ミシェルは歯軋りした。

 だが、それ以上に許せないのはむろんエーコたちである。

「あなたが、お父さまとお母さまを殺したの。どうして、どうしてわたしたちでなくちゃいけなかったのよ!」

「たまたまさ、たまたま我らの目に入った中で、お前たちが人数も多く、容易に絶望に染まりそうだったから選んだまでのこと。手間と時間はかかったが、お前たちはよく計画通りに働いてくれた。マイナスエネルギーも得られたし、実に効率的だろう?」

「そんな、そんなことのためにわたしたちはぁ!」

「さあ、話はこれまでだ。最後は絶望して死んでいけ! その断末魔もまた、マイナスエネルギーとなって我らの糧となる!」

 バキシムの攻撃が再開された。ミサイルの爆風が、銃士隊を、姉妹たちを死なない程度に吹き飛ばしていく。

 ウルトラマンAはその惨状をずっと見ていたが、助ける力は残っていなかった。

 そしてついに、バキシムは自らの足元に倒れこんだベアトリスに向けて、巨大な足を振り上げた。

「まずはお前からだ。踏み潰してくれる!」

「姫さまーっ!」

 エーコ、ビーコ、シーコの絶叫がこだまする。エースは手を伸ばすが、その手は虚空を切るだけだった。

 

「くそぉっ! ここまできて救えないのかぁぁぁっ!」

 

 だが、そのときであった。

 

「エースよ、弟よ。あきらめてはいけない」

 

 戦場にひづめの音が高らかに鳴り響き、一人の男を乗せた馬が駆け込んでくる。

 希望は、決して潰えてはいない。

 

 

 続く



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第79話  絶望交響詩・最終曲『ウルトラセブンの歌』

 第79話

 絶望交響詩・最終曲『ウルトラセブンの歌』

 

 ウルトラセブン

 一角超獣 バキシム 登場!

 

 

 ひとつ問おう、君は困っている人、苦しんでいる人を見たらどうするだろう?

 たとえば、道端で倒れているお年寄りを見たとして、君はその人を助けるか、それとも無視するか?

 いや、君ならきっとその人に駆け寄って、「大丈夫ですか?」と話しかけるに違いない。

 それが、人間。優しさという、かけがえのない魂を持つ存在なのだ。そしてそれは、ウルトラマンも変わりない。

 だからこそ! そんな人々の助けを求める声がある限り、光の戦士はどんな世界でも必ず応えてくれる。

 

 ヤプールの化身・超獣バキシムの卑劣な作戦によって最大の危機に陥ったウルトラマンA。

 バキシムは、エネルギー切れに陥ったエースの前で、公開処刑も同然にベアトリスたちを攻撃してきた。

 ミサイルの炎と爆風に叩かれ、打ちのめされる彼女たち。さらにバキシムは非道にも、ベアトリスを虫けらのように踏みにじろうとする。

 だが、絶望も悲劇も、もう彼女たちには必要ない。

 誇るべき弟と、その愛する人々のために、彼はついにやってきた!

 

「エースよ、弟よ。あきらめてはいけない」

 

 ウルトラマンAの耳に飛び込んできた懐かしい声。

 それはかつて誰よりも多く人類のために血と汗と涙を流し、戦い抜いた真の勇者のもの。

〔ええ、希望は決して失われることはないんですよね!〕

 忘れもしない、エースが困難な戦いの中でくじけそうになったときも、厳しくも力強い言葉で励ましを送ってくれたその人のことを。

〔北斗さん! どうしたんですか? 誰が来たっていうんです!〕

〔そうよ! もうなにがなんだかわからない! いいかげんにしてっ!〕

 才人とルイズが戸惑った声をあげる。

 しかし、エースにはわかっていた。以前、ワルドがエボリュウ細胞を撒こうとしたときに教えてくれたときから、どんな方法かはわからないが、あの人がこの世界に来ていることを。

〔心配はいらない。それよりも、才人くんを休ませてやらなくては危険だ。大丈夫、私たちの役割は果たし終えた〕

 変身を解き、ウルトラマンAは空気に溶け込むように消えていく。

 そして、突如戦場に踊りこんできた一頭の馬と、その背にまたがるテンガロンハットをかぶった男。彼はたずなをさばき、猛烈なスピードでベアトリスの元に駆けつけていく。

 

「ハイヤーっ!」

 

 走る馬は、傷ついた体で呆然と見守っているミシェルやエーコたちの目の前で、恐れる気配など微塵もなくバキシムの足元へと飛び込んでいく。すでにバキシムの足は無慈悲なプレス機となって目の前だ!

 だが、馬上で駆る男は体を乗り出すと、ベアトリスに向かって手を伸ばした。

「つかまれ!」

 次の瞬間、バキシムの足が地面を叩き、砂埃が舞い上がる。バキシムの体重は七万八千トンであり、踏まれれば人間など形も残りはしない。ミシェルたち、エーコたちは瞬きする暇すら惜しんで粉塵を凝視した。

 まさか……最悪の予感が彼女たちのあいだを駆け巡る。しかし、もうもうと立ち上る砂煙の中から飛び出してくる馬の背には、男の腕にしっかりと抱きしめられたベアトリスの姿があったのだ。

「姫さま!」

 エーコたちのもとに馬は駆け寄り、男とベアトリスはその背から降りた。すぐさまエーコたちが走りよってきて、男はベアトリスを地面に下ろすと、まだ腰が抜けた様子の彼女に優しげに言った。

「立てるかい?」

「は、はい……あ、あなたは!」

 下ろされたベアトリスは、その男の顔を見てはっとした。同時に、エーコたちやミシェルも驚きを隠せないように、男の顔を見る。

「ふ、風来坊……」

 そう、彼はこれまで何度もベアトリスの前に現れては、そのつど助けてくれたあの謎の風来坊だったのだ。

 ミシェルが選んで買い求めたテンガロンハットをかぶり、皮のジャケットに身を包んだ彼は、前と少しも変わらない温厚そうな笑みを浮かべてそこにいる。まるで、超獣がいることなど忘れてしまいそうな、その落ち着いて穏やかな空気は、真の仇にいきり立っていたセトラたち姉妹の理性をも取り戻させた。

 そうして、彼は驚いているベアトリスの頭を優しくなでると、穏やかに微笑んで言った。

「よくがんばったな。さあ、あとは私にまかせるといい」

「あ、あなたはいったい……?」

 ベアトリスは前々から気になっていたことを尋ねた。この風来坊は、どこにでもいるような風体のくせに、絶対現れるはずもないときにばかり現れてくる。その度に見せる常人離れした雰囲気と、ヤプールの手下とさえ戦える力……

 あなたはいったい何者なのだ? ベアトリスだけでなく、ミシェルやエーコたちも風来坊に視線を向けると、彼はいたずらっぽげな笑みを浮かべて、いつものように陽気な口調で答えた。

「僕はモロボシ・ダン、ご覧のとおりの……ただの風来坊さ」

「ダン……さん」

 ベアトリスはぽつりと、はじめて知った風来坊の名前をつぶやいた。

 風来坊……ダンは、うれしそうにもう一度微笑んだ。そうして、くるりと振り返るとバキシムに向かってゆっくりと歩き出した。

 危ない! なにをするんだとミシェルたちから怒声が飛んだ。けれど彼は少しも動揺することなく、事態を飲み込めずに立ち尽くしているバキシムの前まで行った。

 そして、テンガロンハットをおもむろに脱ぐと、バキシムを強い視線で見上げたのである。

「久しぶりだな、ヤプール」

「き、貴様は! なぜだ、なぜ貴様がこの世界にいるのだ!」

 風来坊の顔を見たとき、バキシムから大きな動揺の声が響いた。ヤプールは個であって群の生命体、バキシムは単一の超獣であると同時に、その意識や記憶はヤプール全体と共用されているのだ。

 だが、なぜヤプールがただひとりの男に、ここまで恐れた様子を見せるのか。呆然として見守るベアトリスたちの視線を背中に受けながら、風来坊はバキシムを睨みつけて、奴の問いかけを跳ね返した。

「そんなことはどうでもいい。しかし、貴様の悪巧みもここまでだ」

「そうか、これまで頻発した不可解な妨害の数々は、貴様がやっていたのだな!」

「それは違う。私はただ、彼女たちの心に宿る勇気を信じて、ほんの少し後押ししただけさ」

 そう言うと、ダンは振り返ってベアトリスたちを見つめた。

 バキシムの氷のような冷たさとはまったく違う、温和で穏やかなまなざしがベアトリスからミシェルやエーコ、姉妹たち全員を一人ずつ見つめては離れていく。彼は誰の顔にも、もう絶望や憎悪の影はないことを確かめると満足げにうなずき、バキシムを見上げて決然と言い放った。

「彼女たちは、貴様が与えた絶望を乗り越えた。貴様の負けだ、引くがいいヤプール。それでもなお悪あがきをするというのであれば、私が相手になろう」

「うぬぬぬ、おのれぇ……貴様さえいなければ、なにもかもうまくいったものを! 許さん、こうなれば貴様もここで始末してくれるわ!」

 ダンの忠告に逆にいきりたち、バキシムは雄たけびをあげて迫ってきた。

 やはりヤプールは話の通じる相手ではなかったか……ダンはテンガロンハットを胸元に持つと、一瞬祈るような姿勢を見せた。

 ミサイルの照準をすべてあわせるバキシム。本気の一斉射撃が当たれば人間など一瞬で蒸発してしまうに違いない。ミシェルやベアトリスたちの必死の叫びが響き渡る。

「危ない! 逃げてぇぇっ!」

 だが、風来坊は微笑を浮かべるとテンガロンハットをベアトリスに向かって、フリスビーのように放った。

「心配はいらない。君たちに呪いを与え続けた悪魔は、私が倒す」

 風に乗ってテンガロンハットがベアトリスの手の中に飛び込んで受け止められる。

 何度も見た、いつもと変わらない風来坊の優しい笑顔。だが次の瞬間、彼の顔は戦いを決意した戦士の表情に変わり、その手にはテンガロンハットに代わって、赤いゴーグル・ウルトラアイが握られていた。

 バキシムから放たれる十数発のミサイルの雨! だが、ダンはウルトラアイを眼前にかざすと、掛け声とともに着眼した!

 

「デュワッ!」

 

 その瞬間、ウルトラアイから火花のような閃光がほとばしり、ダンの姿が変わっていく。

 銀の兜のような頭部には鋭く輝くオレンジ色の眼、肉体も瞬時に太陽のように赤く染まった精悍なボディへと生まれ変わる。

 そして、ミサイルの炎などをものともせずに跳ね飛ばし、彼は一瞬のうちに身長四十メートルもの巨人へと変身を果たしたのだ!

 

「ジュワッ!」

 

 左腕を縮め、右腕を伸ばしたファイティングポーズをとり、赤い巨人はバキシムを睨みつける。

 ベアトリスやミシェルたちは、目の前で起こった信じられない奇跡に言葉もない。だが、ひとつだけわかることがあった。

「ダンさんが……ウルトラマン」

 姿形は違えども、赤い巨人はウルトラマンAと同じ澄んだ力強いオーラを感じた。彼は自分たちをかばうように背を向けて、一部の隙もなくバキシムと対峙している。その構えと闘志は、ボーグ星人と対峙したときのダンとまったく同じもの。

 ウルトラマンは人間? いや、人間がウルトラマン? 戸惑いを隠せないベアトリスたち。

 しかし、彼はその真意を言葉で与えてはくれない。

 光は闇を照らしてこそ存在を語る! 対して、闇も光を飲み込もうと牙をむいて、憎き敵の名を呼んで襲い掛かってくる!

 

「おのれぇ! とうとう現れたなウルトラセブン!」

「ゆくぞ! ヤプール」

 

 逆上するバキシム、すなわち邪悪なる闇の化身を前にウルトラセブンは勇敢に立ち向かう。

 そう、彼の名はセブン。モロボシ・ダンの名を借りて、数々の侵略者の魔手から地球を守り抜いてきた最強のヒーローだ!

 互いに引かれあうように激突するセブンとバキシム、バキシムの鋭いスパイクのついた腕の攻撃をかいくぐり、セブンのパンチが炸裂する!

「ダアァッ!」

 首元にめりこんだセブンの拳が、バキシムの芋虫だったころの面影を色濃く残す胴体に、クレーターのようなへこみを一瞬にして生み出して跳ね飛ばす。俊敏さとパワフルさを併せ持つセブンのウルトラパワーの前には、七万八千トンの重量すらものの数ではない。

「デァッ!」

 たまらず苦悶の叫びをあげて後退するバキシムに、セブンの眼が隙を見逃すことはない。

 組み付いてボディに膝蹴りを与え、後頭部に鋭い一撃を加える。

 速い! そして重い! たった数発の攻撃だというのに、バキシムは大きな悲鳴をあげてのけぞった。

「いいぞ! がんばれセブン!」

 離れたところから戦いを見守っていた才人が、握りこぶしを大きく掲げて歓声をあげた。テレパシーの使いすぎで消耗しきり、ルイズにひざまくらしてもらってやっと体を起こしているが、そんなうらやましい状況すらまったく無視して、子供に戻ったように叫びまくる。

 そうだ、ウルトラマンAの言っていた希望とはセブンのことだったのだ。もはや、恐れるものなどあるはずがない!

 鋭い切れ味のウルトラチョップがバキシムの喉元に水平に当たり、そのままボクサーのように連続パンチの応酬だ!

「デヤァッ!」

 一撃ならまだしも、数え切れないほどの攻撃を一度に叩き込まれては超獣の頑強なボディもたまったものではないはずだ。

 まさに、青い悪魔に立ち向かう正義の赤い暴風。

 が、バキシムもまだまだ負けたわけではない。緑色の眼はらんらんと輝き、反撃の機会をうかがっていた。

 なめるな! セブン!

 そう言わんばかりに金切り声にも似た咆哮をあげ、バキシムは巨大な鳥のくちばしのような口を大きく開いてセブンに食らいついてきた。

「グワァァッ!」

 バキシムの牙はセブンの左腕に食いつき、全身の力でセブンは大きく振り回された。

 そしてそのまま振り回した勢いで放り投げ、セブンは廃倉庫のひとつに背中から投げつけられて粉塵があがった。

 さすが……ヤプールの怨念を一身に背負って出てきただけのことはある。ウルトラ戦士に対する反抗心は並ではない。

 バキシムの背部の結晶状の突起物が赤く輝き、両腕の間に赤黒く輝く火炎球が形成され始めた。

「あれはっ!」

 才人は懐からGUYSメモリーディスプレイを取り出してレンズをバキシムに向けた。あれは、エースと戦った初代バキシムにはなく、メビウスと戦った二代目バキシムが備えていた新兵器。

「バキシクラッシャーだ!」

 高圧の破壊熱線が放たれ、セブンに襲い掛かる。

 危ない! セブン!

 だが、セブンはバキシクラッシャーのエネルギーチャージの一瞬の隙に体勢を立て直し、命中直前に前転で熱線を回避した。

 危機一髪……しかし熱線の威力はすさまじく、廃倉庫は大爆発を起こして吹き飛んだ。

 やはり火力はあなどれない。セブンは用心深く構えを取り、バキシムを見据えるが、バキシムは距離をとればこちらのものだと両腕のミサイル発射口から無尽蔵に放たれるバルカン連打で攻撃をかけてきた。

「ダアッ!」

 セブンはすばやく身をよじってミサイルをかわす。一発一発の威力はたいしたことなくても、動きを止めれば蜂の巣にされてしまうだろう。

 身軽なセブンを相手に、バキシムのミサイルは目標を捕らえきれず、外れたミサイルで周辺は火の海に変わっていく。ここが無人の廃棄区画でなければ大惨事になっていたことは必至だ。

 しかし、セブンを捕らえられないことに業を煮やしたバキシムは、卑怯者の常套手段とばかりに照準をベアトリスたちに向けてミサイルを放ってきた。

「ひっ!」

 先ほどまでの嬲る目的とは違い、殺す目的で放たれたミサイルは火の尾を吹いてベアトリスやエーコたちを襲った。むろん、彼女たちを狙えばセブンが助けに入るのを読んでの仕業だが、駆け込んできたセブンはさらに早くバリヤーを張り巡らせた。

『ウルトラバリヤー!』

 胸の前でクロスさせた腕を左右に開いて作り出す光のカーテン状のバリヤーは、向かってきたミサイルをすべて受け止めて跳ね返した。

 貴様のような奴の考えなど、最初からお見通しだ! 数々の凶悪宇宙人と戦ってきたセブンは、バキシムの卑怯な戦法などは想定の範囲内だったのだ。

 セブンはバリヤーを張ったまま振り返り、ベアトリスたちを見下ろした。彼女たちは、エーコたちがベアトリスをかばい、姉妹たちはセトラやエフィがキュメイラやディアンナをかばい、彼女たちはより年下の子をかばいあっている。その様子は、復讐に狂っていたころの残忍な気配はすでにない。

 獣から人間に戻った彼女たちの姿を見て、セブンは確信する。

「見たかヤプールよ。お前がどんなに絶望と憎悪を与えようとも、人間の心から光が消え去ることはないのだ!」

「ほざけセブン! まだ終ってはいないぞ。貴様さえいなくなれば、それですべて終わりだ」

「まだわかっていないようだな。人の光があり続ける限り、私は決して負けはしない!」

 バキシムの弾幕をものともせずにバリヤーで跳ね返しつつ、セブンの反撃が始まる。

「デヤッ!」

 セブンが精神を集中させて念を放つと、セブンに向かっていたミサイルが空中で静止した。

 さらに、念波はミサイルをくるりと反転させると、その方向をバキシムに向けて撃ち返した。

『ウルトラサイコキネシス!』

 押し返したミサイルの雨が放ったバキシムに次々と命中し、バキシムは自ら作り出したミサイルによって打ちのめされる。

 兄弟最強を誇るセブンのウルトラ念力。過去にも幾度となくセブンの窮地を救ってきたこの力も日々進歩しているのだ。

 ミサイルを撃つ手を止めたバキシムに、セブンはすかさず間合いを詰めて攻撃をかける。ダッシュからのキックがバキシムを吹っ飛ばした。

「ダーッ!」

 台風に負けた巨木のように地響きをあげて倒れるバキシム。セブンはボディに飛び乗って、パンチの連打、連打、連打!

 圧巻の連続攻撃がバキシムに吸い込まれ、さらにもがいて起き上がってきたバキシムに、もうミサイルを撃たせる隙は与えまいと打撃を加える。

 しかしバキシムは接近戦も決して弱くない。巨体はそれだけでも強力な武器となり、巨大な槍のような硬質の尻尾がセブンを大きく張り飛ばし、巨体そのものを武器としてのしかかり攻撃を仕掛けてきた。

「ヘアッ!」

 寸前、セブンは転がってバキシムののしかかりを回避した。もしこの直撃を受けていたとしたら、いかなセブンでも大ダメージは免れなかっただろう。

 しかし、バキシムのレーダーアイはセブンが体勢を立て直すために一瞬だけ背中を見せたタイミングを見逃さなかった。セブンの背中に向けて、バキシムの最大の武器である頭部の角ミサイルが放たれる。完全にふいを打った発射であるために、セブンはまだこれに気づいていない。

 そのときだった。

「後ろよ! 危なーい!」

 セブンの耳に響いた十数人の声が危機を知らせた。反射的に身をよじり、角ミサイルは刹那の僅差でセブンを掠めて飛び去っていき、外れて方向転換をしようとしてるところへセブンは右腕を引き、左腕を水平に胸に当てたポーズで、もっとも得意とする光線を額のビームランプから放った!

『エメリウム光線!』

 緑色の反磁力線に撃墜され、大爆発を起こす角ミサイル。ほかのミサイルと違って、このミサイルは単発で次はない。

 そしてセブンは自らの危機を救ってくれた、ベアトリスたちを見下ろしてうなずくしぐさを見せた。

「え……あ、もしかして」

 彼女たちは、言葉にこそされなかったが、セブンが自分たちに礼を言ったのだということがわかった。すると、胸のうちに不思議な自信と暖かさが生まれてくる。そうだ、自分たちはちっぽけでも、ウルトラマンの大きな助けになることもできる。そう理解したとき、彼女たちはそろって大きな声で叫んでいた。

「がんばれーっ! ウルトラセブーン!」

「負けないで、必ず勝って!」

「あたしたちがついてるぞぉ!」

「セブーン!」

 声を張り上げ、笑顔で手を振って応援する。それは地球で幾度となくウルトラ兄弟を支え続けた地球人類と同じ光景だった。

 これで負けるわけが、負けられるわけがない。

 切り札を失ったバキシムに、セブンの怒涛の攻撃が再開された。

 

 ウルトラパンチ、ウルトラチョップ、回し蹴りにウルトラスィング。レオを鍛えたセブンの宇宙格闘術がバキシムを追い詰めていく。

 

 が、卑怯なヤプールは形勢が不利で覆しがたいと見るや、空を割って亜空間ゲートを作り上げた。

「セブンめぇぇぇ! やむをえんバキシム、ここはいったん引け! 体勢を立て直して出直すのだぁ!」

 アルビオンのときと同じく、ヤプールはバキシムを逃がす気だった。亜空間ゲートに向けてバキシムは後退していく。

 けれども、今さらになって逃げ出すなどと虫のいいことを許すわけにはいかない。ここで取り逃せば、いずれ奴の手によってエーコたち同様の犠牲者が生み出されるのに違いないからだ。

 セブンは逃げようとしているバキシムに対して、左手の先から緑色の光線を放った。

『ラインビーム!』

 光線は光のロープとなってバキシムの首に巻きつき、引き戻す。以前神戸でモロボシ・ダンとして牧場を経営していたときにとった杵柄、ロープの扱いはお手の物だ。

 セブンの渾身の力でバキシムは逃げ込もうしていた亜空間ゲートから離されていく。

「放せ! おのれ放さないかぁ!」

「逃がしはしない。お前が、人々を不幸にしようと考え続ける限り、決してこの手は放さんぞ!」

 未来を守ろうというセブンの強い意志がバキシムを縛って逃さない。ウルトラパワーでなぎ倒し、倒れたバキシムの巨体をそれ以上のパワーで持ち上げて、ウルトラリフターで頭上高くへ抱えあげた。

「デュワァァァッ!」

 十万トンの腕力を誇るセブンのパワーを持ってすれば、超獣有数の大重量を持つバキシムも紙の丸太のようだ。

 圧巻の光景に、ベアトリスたちは手に汗を握って見上げている。

「す、すごい……!」

 飛行能力を持たないバキシムはセブンを見下ろしながらも何もできない。

 お前のために傷つけられた、大勢の人間の痛みを知れ! セブンは怒りを込めてバキシムを放り投げた!

『岩石落とし!』

 頭の上の高さから地面に叩きつけられ、バキシムは自らの重量が敵になって大きなダメージを受けた。

 強い、本当に強い! セブンの猛攻に、ベアトリスやエーコたち姉妹は胸のすく思いを味わっていた。自分たちの大切なものを散々もてあそんでくれたヤプールの手先が手も足も出ずに叩きのめされている。

 そう、正義は絶対に悪には負けない。なぜならば、真の正義は決して悪に屈せずに、あきらめることはない。だからこそ、不可能を可能にする道も見えるし、負けることはないのだ。そのことを学び、心に思いやりの光を取り戻した姉妹たちには、希望の輝きがまぶしいくらいに見えている。

 

 セトラが、エフィが、キュメイラとディアンナが、イーリヤが笑顔を浮かべ、ユウリとティーナもこぶしを高く掲げて叫んでいた。

 エーコ、ビーコ、シーコもベアトリスと手を取り合い、彼女たちを見守るミシェルたちも瞳に強い輝きを宿している。

 

 もはや、ヤプールの卑劣な企みは完全に破れさった。二度と彼女たちの顔が憎悪と絶望に染まることはないだろう。

 バキシムよ、ヤプールよ、人間をなめるな。

 

 よろめきながら、それでも起き上がってきたバキシムは、最後のあがきとばかりにミサイルの全発射口をセブンに向けた。

 レーダーアイを通してセブンを睨むバキシムに宿るものは、セブンとは真逆の怨念と執念。負の方向へと極めた感情の力。

 だからこそ、ウルトラ戦士は負けるわけにはいかないのだ。

 今まさにミサイルを放とうとするバキシムに対し、セブンは腰を落として奴を見据えると、頭上に持つ宇宙最強の剣を投げ放った!

 

『アイスラッガー!』

 

 兄弟の中でもセブンだけが持つ宇宙ブーメラン。数々の凶悪宇宙人たちの野望を断ち切ってきたセブン必殺の刃が、白熱化しつつバキシムへと迫る。

 受けてみろ! ウルトラセブンの正義の一刀を。

 アイスラッガーはバキシムのミサイルを正面から爆砕しつつ突進し、愕然とするバキシムの、その首を一撃の下に切り飛ばした!

「ば、馬鹿な……ちくしょぉぉ……っ!」

 胴体から欠落し、ありうべからざる光景を最期に転がり落ちていくバキシムの首。

 しかし、それは自業自得というものだ。アルビオンからここまで、貴様が撒き散らしてきた悲しみの数々はつぐなわねばならない。

 首が落ちてなお、執念深く腕を下ろさないバキシムの胴体へと、セブンは腕をL字に組んでとどめの光線を叩きつけた。

 

『ワイドショット!』

 

 白色に輝くウルトラセブン最強の光線がバキシムの胴体を木っ端微塵に打ち砕き、首も炎の中へと飲み込み去る。

 終わった……ヤプールの手先として暗躍し続け、ハルケギニアを混乱させてきた悪魔は、ついに滅び去ったのだ。

「い、やったぁーっ!!」

 大勝利に、ベアトリスと姉妹たちのうちから大きな歓声があがった。

 ベアトリスとエーコたちは輪になって抱き合い、ユウリやティーナはガッツポーズをきめ、セトラやエフィたち年長組でさえも子供のように喜んでいる。

 ようやくこれで、彼女たちにまとわりついていたヤプールの影は一掃された。もはや誰も、彼女たちをしばることはない。

 ありがとうウルトラセブン! ほんとうにありがとう。

 手を振る彼女たちの熱いまなざしに満足し、セブンは彼女たちを見下ろしてゆっくりとうなずいた。

 空は晴れ、バキシムの絶命によってヤプールも異次元に逃げ帰って、青空は冬雲をちりばめせて美しく広がっている。

 セブンは大空を見上げ、大地を蹴って飛び立った。

「デュワッ!」

 空を舞い、赤い勇姿はどんどん小さくなっていく。

 ベアトリスたちはその背へ向けて叫ぶ。

「待ってセブン! いえダンさん、わたしたちまだちゃんとお礼もしてないのに!」

 風来坊から受けた恩、それは計り知れなく、返しても返しきれる大きさではない。

 でもセブン、ダンはそんなものは求めていなかった。彼女たちに笑顔が戻れば、幸せになるべき者が幸せになれば、それ以上のものは必要ない。

 手を振る人たちに見送られ、ウルトラセブンは去っていった。

 

 

 そしてしばらく……戦い終わった瓦礫の倉庫街の一角で、才人とルイズは馬に乗った風来坊ことモロボシ・ダンと会っていた。

「ウルトラセブン、危ないところをありがとうございました」

「私はたいしたことはしていない。重要だったのは君たちのがんばりのほうさ。それと、この姿のときは私はセブンじゃない。モロボシ・ダンと呼んでくれ」

「はい! ダンさん、お、俺、ずっとあなたにあこがれてました。どうして、あなたがこの世界に来てるんですか?」

 才人は興奮に震える声で尋ねた。ともかくも、それが一番知りたい。ハルケギニアと向こうの宇宙のあいだには、容易には越える事の出来ない空間の壁が横たわっているというのに、セブンはどうやってヤプールにも気取られずに来れたのか?

 すると、ダンは当然それを尋ねられると思っていたらしく、微笑を浮かべると明朗に答えた。

「なに、種も仕掛けもない単純な話さ。私は昨日今日来たんじゃなくて、行き来できる機会があったときに普通に来ていたんだよ」

 それは、今からおよそ一ヶ月ほど前にさかのぼる。

 当時、地球ではGUYSの手によりハルケギニアへの次元通路を作ろうとしていたのを覚えているだろうか。

 その計画を察知したヤプールが送り込んできた大怪獣軍団を迎え撃った、我らのウルトラ兄弟。

 しかしそれだけの激戦にあって、ただひとりだけ姿を見せなかったのがセブンだった。それは、彼は戦いが始まる前に、ウルトラ兄弟のリーダーであるゾフィーから、ある密命を受けていたからだったのだ。

「セブン、これから我々は地球を襲う怪獣軍団と戦い、しかる後に別宇宙へと旅立つ。しかしヤプールがまだどんな隠し球を持っているかわからん以上、ゲートを開けても全員が無事に渡りきれるとは限らない。そこで、お前は我々に先立って少しでもゲートが開いたら潜り抜け、万一のことがあったら向こうの世界でエースを助けてやってくれ」

 結果として、ゾフィーの危惧は現実のものとなった。

「私はゾフィーの指示に従い、怪獣軍団との戦いには加わらずに、わずかに空いたゲートをミクロ化して潜り抜けてきた。それから先は、君たちも知ってのとおりだよ」

「じゃあなんで、おれたちに名乗り出てくれなかったんですか?」

「敵をあざむくにはまず味方からという。私がいきなり君たちと行動をともにすれば、ヤプールは警戒して隙を見せないだろう。それに、私もまずは一人の人間としてこの世界がどんなものか見てみたかった。想像していたとおり、すばらしい世界だった」

 ダンは満面の笑みを浮かべ、ルイズも「ありがとう」と笑顔に応えた。

 ハルケギニアも地球となんら変わりない。心を持った人々が泣き、笑い、憎み、愛し合いながら懸命に生きている。それらはいびつで不恰好で矛盾に満ちているかもしれないが、宇宙のどこよりも可能性にあふれた美しくてかけがえのない世界だと信じているのだ。

 この世界は、守るべき価値がある。そう語るダンに、才人とルイズはうれしそうに笑顔を返した。

「それじゃあ、これからはおれたちといっしょに戦ってもらえるんですね!」

「いや、残念だがそれはまだできない」

「えっ! ど、どうしてですか!?」

 思いもかけないダンの言葉に、才人とルイズは驚いた。セブンがともに戦ってくれるなら、これほど頼もしい味方はいないが、どうしてだというのだろうか。

「君たちも知っての通り、我々M78星雲のウルトラ戦士はこの星の太陽の放つ光線の波長には適応できない。メビウスやヒカリのような特殊なアイテムがあれば別だが、おいそれと用意できるものでもないのでな」

「そうか! エースはだからおれたちと合体したんだった」

「そのとおり、この世界でウルトラマンとして戦うには、我々はどうしてもこの世界の人間の力を借りなくてはならない。さっきは非常用に光の国から持ち込んだ予備のプラズマエネルギーを使ったのだが、それはもうなくなってしまった」

 ダンはそう言うと袖をめくり、手首にはめたブレスレットを見せた。

「それは、ウルトラブレスレット……?」

 形状は似ていた。しかし、そこにひとつはめられているひし形の宝石は黒く濁っていて、一目で使い物にならなくなっているのはわかった。

「これはウルトラコンバーターの改良品で、変身に必要なエネルギーを一度分だけ蓄えておくことができる。しかし、まだまだ開発中の未完成品でな。将来的には三回分ほどまでプラズマエネルギーを充填するのを目指しているが、用意が間に合ったのは試作品のこの一つ分だけだった」

 才人とルイズは、ダンがセブンとして活動しなかったのはそれも理由だと思い当たった。たった一度しか変身できないのでは、おおっぴらに姿を現して動けるはずもない。

「その大切な一回を、わたしたちのために……」

 変身できるかどうかの大切さを身を持って知っているルイズは、惜しげもなくその一回を使って平然と笑っているダンに大きなものを感じて胸が熱くなった。

「気にすることはない。君たちの熱い思いで生まれた奇跡の重さに比べたら、このくらい比べるにも値しないさ」

 変身できないことには慣れていると、ダンは気落ちした様子など欠片も感じさせずに笑った。そしてダンは懐から一丁の銃を取り出すと、才人に投げてよこした。

「これは君のものだろう。返しておこう」

「よっ! こ、こいつはガッツブラスターじゃないか!」

 才人は目を見張った。それは以前、地球に帰る機会があったときに持ち帰ってもらっていたエネルギー切れのガッツブラスターだった。けれど、前に使い込んで汚れていたのはピカピカになり、まるで新品のようになって才人の手の中に納まっている。

「GUYSのリュウ隊長からの預かり物だ。君専用にと、エネルギーパッケージをトライガーショットと共用できるように改造したらしいぞ」

 ダンはさらに、GUYSのマークの印刷された小箱を才人に投げ渡した。中身は予備のエネルギーパッケージと、見たことのないパーツがいくつか入っている。説明書きも同封されていて、才人はなんとなく面白そうな予感がして、それを大切にしまいこんだ。

「ありがとうございます。大切に使います!」

 プレゼントから伝わってくる無言の期待感に、才人はこころよい緊張感を覚えていた。向こうも暇ではないだろうに、わざわざ愛銃を使えるようにして送り返してくれた。このガッツブラスターを使って、守るべき人を守りぬけというリュウ隊長の叫びが聞こえてくるようだ。それに、こいつをこの世界に残していってくれたアスカ・シンにいつか会って、返すためにも絶対に無駄にすることはできない。

 才人への贈り物をすませたダンは満足そうに微笑んだ。手綱を引くと、馬の背を才人たちに向けていく。

「さて、それではそろそろ私は失礼することにするよ」

「えっ! も、もう行っちゃうんですか!?」

「ここでの私の役割はもうない。それに、私はまだメビウスのように振舞うのは気恥ずかしいのでね。彼女たちにはよろしく言っておいてくれないか?」

 見ると、遠くからミシェルたち銃士隊や、エーコたち姉妹が駆けてくるのが見えた。ベアトリスはサリュアに背負われていて、聞こえないけれどなにかを叫んでいるようだ。探しているものは、いうまでもないだろう。

「では、エースによろしく頼むよ」

「ま、待ってください。どこへ行かれるんですか!」

「さてね、俺は風来坊だ。どこに行くかは風次第……だが、恐らく遠からざる未来にまた会うことになるだろう。私が命を託すにふさわしい誰かとめぐり合えたとき、そのときこそ共に戦おう!」

「はいっ!」

 二人は力強く答えた。ダンの力を求めている人は、この世界のどこかに必ずいるだろう。その旅立ちをさまたげてはいけない。

「はっ!」

 馬の腹に蹴りを入れて、ダンは駆けて去っていく。

 あっというまに小さくなっていき、その精悍な姿に才人は心からのあこがれと尊敬を込めて手を振り続けた。

 やがてベアトリスたちが追いついてくると、才人たちの背中に焦った声が響いてきた。

「ちょ、ちょっとあなたたち! あの方は!」

「……行っちまったよ。もう追いかけても遅いぜ」

 才人は遠くを見る眼を動かさずに答えた。馬の姿はもう豆粒のように小さくなっており、すぐに見えなくなるだろう。

「なんてこと! せめて一言くらい直接お礼したかったのに! なんで止めてくれなかったのよ」

「止められねえよ。あの人には、まだまだやることがあるんだ」

「そうね、戦士の旅立ちを邪魔しちゃいけないわ……見なさいよ、あの後姿を。最高にかっこういいじゃない」

 ルイズも才人に全面的に同意してつぶやいた。悔しいが、己の仕事を成し遂げて威風堂々と去っていく、あの背中ほど大きく偉大なものをかつて自分は知らない。この遠さのように、まだ全然追いつけないけれど、大人になるからにはああいう背中のできる人間になりたいものだ。

 才人とルイズの横に足を止めて、ベアトリスたちも去り行くダンを見送った。

 さようなら風来坊、いえモロボシ・ダン、あなたのことは決して忘れない。

 いつしか、ベアトリスやエーコたち姉妹の目には涙が浮かび、千切れんばかりに手を振って叫んでいた。

「ありがとうダンさん! わたし、エーコたちと本当の友達になれたよーっ!」

「あなたから教えられたことは一生忘れない! 本当にありがとう!」

「わたし、またこんな幸せな気持ちになれるなんて……ううん!」

「わたしたち、きっともっとずーっと幸せになってみせるから、がんばるからねーっ!」

 彼女たちだけでなく、セトラからティーナまでの姉妹も泣き笑いながら手を振っている。

 ありがとう、ウルトラセブン、わたしたちにまた生きる希望を与えてくれて。

 金色の髪や水色の髪が風にゆれ、片眼鏡が陽光にきらめき、怒鳴り声やはしゃぎ声がこだまする。

 彼女たちはもう悪魔ではない。ひとりひとりが立派な人間だ。そして、その自信はあの偉大で大きな目標となる背中を覚えている限り揺らぐことはないだろう。そう、太陽がある限り地上が光を失うことはないように。

 そのとき、一陣の風が吹き、ベアトリスの持っていたテンガロンハットを吹き飛ばした。帽子は風に乗り、見る見る空のかなたへと飛んでいく。

 だけども、不思議と誰もそれを追おうとはしなかった。きっと、この風はあの人のもとへと吹いていくのだろうから。

 悪魔の奏でる交響詩をハッピーエンドに変えて、降りる幕とともに消え行く飛び入り役者を、悲劇のヒロインとなるはずだった主演俳優たちは見送る。

 その幸せそうな姿を優しい笑顔で見て、ミシェルは才人の横顔にダンと同じものを感じていた。

「サイト……あの心の中の世界で、わたしたちを導いてくれて、ずっと守っていてくれた、あの優しい気配は……いや」

 それ以上は言うまいと、ミシェルは首を振った。真実がどうあれ、それは今言うべきことではない、むしろ秘すべきことだ。

 でも、才人もいつかダンのように大きな背中を持つ男になるなら、自分もその隣に立てるような立派な人間になりたいと思うのだった。

 

 

 風だけを友に、モロボシ・ダンは去っていく。

 馬のひずめの音が高く鳴り、街はもう遠く小さい。

 そこへ、風に乗って吸い込まれるように飛んできたテンガロンハットを受け止めて、ダンは馬を止めると振り返って言った。

「行くがいい若者たちよ。まだ誰も行ったことのないはるかな地平まで、君たちならどんな困難でも乗り越えていけるだろう」

 たとえ遠く離れても、風はベアトリスたちの希望に満ちた声を届けてくれた。もう心配はいらない、悪魔がどんな魔手を伸ばしてきても、彼女たちはそれを跳ね返せるくらいに強く成長した。

 そしてダンは、地球と同じくらいにこの星の人間が好きになった自分を感じていた。

「俺が命を託すに値する人間か……フフッ、案外本当に早く君たちとは再会することになるかもしれないな」

 思わせぶりな笑みを浮かべ、ダンは風を切る。

 あとは、エースが命を託したあの少年たちにまかせよう。再び馬を駆り、モロボシ・ダンはいずこへかと続く道を走り去った。

 

 

 明日、東方号は発進する。

 

 

 続く



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第80話  さらばハルケギニア! 東方より愛をこめて!

 第80話

 さらばハルケギニア! 東方より愛をこめて!

 

 高速怪獣 デキサドル

 念力種族 ゼネキンダール人 登場!

 

 

 「とうとうこの日が来たか、長いような短かったような……ま、ともかくあっという間の一ヶ月だったな」

 真冬の熱のない陽光に照らされて、鉄色を輝かせる広大な滑走路。そこに鎮座して翼を休める銀翼の戦鳥のパイロットシートに深く身を沈めて、太陽をあおぎながら才人はつぶやいた。

 ここは、新・東方号の後部に広がる信濃の飛行甲板。全長およそ二百メートル、百ミリ近い分厚い甲鉄で出来た、頑強そのものの装甲甲板の上には、才人を乗せたゼロ戦のほかにも、三機の再生ゼロ戦が待機して整備を受けている。エンジンカウリングが開けられ、オイルパイプをチェックしているのは、造船所で手先の器用さを見込まれて雇われてきた職人たちだ。彼らはゼロ戦が回収された空母から同時に回収された整備器具を、まだ慣れない手つきながらコルベール製のマニュアル本に従って調整をおこなっていた。

 才人はシートから身を起こすと、風防を開いてコクピットのふちに腰掛けた。彼の見渡す先には、新造同様に磨き上げられ、鋼鉄の輝きを放つ新・東方号の第五、第六主砲に続いて、後部艦橋から前艦橋にいたるまでの圧倒的な存在感を示す艦上構造物の連なりが、天を突かんとするほどに聳え立っていた。

 そこに、一ヶ月前の焼け焦げて幽霊船同然だったみじめな姿はどこにもない。

「昔、映画の撮影で原寸大の大和の模型を作ったことがあるけど、そんな比じゃねえな。あったりまえか、こいつは正真正銘本物の戦艦大和なんだからな!」

 もう何度目になるかわからないくらい見上げたが、いまだに見飽きることも慣れることもない大和の威容は、この船が兵器という枠を超えた芸術品という域にまで達しているからだろう。世界最強、その一言のみを達成するために極限まで無駄を省かれた戦闘能力の塊、機能美の頂点を極めているとしてこれ以上のものはないだろう。

 往年の姿に比べたら、その容姿は大きく変わってしまっているものの、轟き叫ぶ鋼鉄の魂の咆哮はこの耳に聞こえてくるようだ。

 見よ、この世の大過を晴らすために生まれ変わった船のマストに翻る旗は、東方よりの風に吹かれて輝き唸っているではないか。

「地球とハルケギニアの魂の融合。これを希望と呼ばずしてなんて言うかい! ったく、この世界はしょっちゅうとんでもねえ空からの贈り物がくるが、こいつばかりは神様に感謝するぜ。へっ、朝日を浴びて東方号が赤く燃えてやがる」

 才人は飛行手袋で鼻をこすって、まさしく王者……いや、太陽という冠を頂いた女王のように君臨する新・東方号をうるんだ瞳でもう一度見上げた。詩文の才能などは小学校の頃から見限っている才人の言葉には、独創性は微塵も宿ってはいないものの、文章にできない感慨さは十分に込められていた。

 そう、この新・東方号という異形の超戦艦は、ハルケギニアという世界でなければ絶対に生まれることはなかったはずだ。

 

 

 いや、新・東方号だけではない。このハルケギニアという世界は、単なる一惑星としては異様なほど特殊な事例が満ち満ちている。

 

 

 晴れた夜空を見上げてみれば、そこには数億数兆の星星がきらめき、それらにはたくさんの生命が息づいているだろう。

 それは宇宙も同じで、我々の住む世界はひとつの宇宙に属し、ほかに無限に存在する別の宇宙と並行して存在しているのだ。

 つまり宇宙は閉鎖されたひとつの空間であり、その外には別の宇宙が水の中に浮かぶ泡のように無限に存在している。

 そして、それらの宇宙には、人類の発明した数の単位を砂粒ほどに笑うほどの生命が息づいているであろう。

 二十世紀、地球人類はこの可能性を提唱したが、人類の科学力では実証することは不可能だった。しかし、数々の宇宙侵略者や怪獣との戦いを経て、異次元世界の存在が証明され、二十一世紀初頭においてひとつの定説としてまとめた。それが多次元宇宙論、マルチバースである。

 

 しかし、無限にあるそれらの世界でも、悪は常にはびこっている。

 

 時に時空をもたやすく超えて攻撃を仕掛けてくる侵略者と、人類はウルトラ戦士と力を合わせて戦い抜いた。

 その中でも最大の敵となったのが、異次元人ヤプールである。

 何度倒されようとも怨念を強めて戻ってくるヤプールとの戦い。そして地球に対して、なおも執念を燃やすヤプールは、直接地球を攻めることは不利として、別世界を前進基地とすることを思いつき、不幸にもハルケギニアがその標的となってしまったことに、才人やウルトラマンAは憤りを覚えながら戦ってきた。

 しかし、この世界の人々は、次元を超えてやってきたウルトラマンAに助けられながらも、少ない力を結集して侵略に立ち向かっていった。ルイズや多くの人々の勇敢な姿に、才人もエースもどれだけ感激したかわからない。

 

 さらに、このハルケギニアという、一種特殊な環境の惑星にある世界は、数多くの別次元からもウルトラマンたちを呼び寄せた。

 ティガ、ダイナ、ジャスティス……彼らもまた、居場所は違えど人々を守るために怪獣たちと戦った。

 

 だが、ハルケギニアを覆う邪悪の影はしだいにウルトラマンたちの手にも負えないほど強大になっていった。

 ヤプールの出現をきっかけにしての、ハルケギニア原住の怪獣たちの復活、宇宙からの怪獣の来襲の開始、さらにはヤプール以外の他の惑星、異次元からの侵略者の攻撃。それらが世界を混乱させる中で、ヤプールはどんどんと戦力を拡大し、もはやいつハルケギニアに総攻撃を仕掛けてきてもおかしくないほどに強くなっている。

 もはやヤプールの攻撃を迎え撃つだけでは平和を守ることはできない。なぜならば、ヤプールの力の根源は生物の怒りや憎しみといった負の感情であるために、この世界に満ち満ちる憎悪の連鎖が存在し続ける限り、ヤプールの力は実質無尽蔵ということになる。

 新・東方号はその憎しみの連鎖を断ち切るために生まれ変わったことは、すでに仲間たちの誰もが知っている。

 しかし、それにしてもハルケギニアに来てからのヤプールの勢力の強大化は異常だと、このところ才人の中に共存する北斗星司ことウルトラマンAは思うようになってきた。

〔やはり、この惑星はおかしい。普通、次元を超えるためにはよほど特殊な事例を別としたら、特化した超能力を持っているか、莫大なエネルギーを消費しなければならないはずなのに、偶然にしてはありえないほど別次元とつながることが多いようだ。自然現象とはとても思えない。ならばやはりきっかけは古代にあったという戦いか……その謎を解くためにも、聖地を……エルフたちと接触する必要はあるだろうな〕

 

 すでに明日の戦いを見据えて、才人やエースは強い決意を胸にして太陽へと向かい合う。

 それは銃士隊や水精霊騎士隊、この街の多くの人間たちも同様で、彼らの目指す先にはヤプールの脅威を打ち破り平和を取り戻したハルケギニアの姿が浮かんでいる。前をのみ見据えて進むその先には、希望の光が強く瞬いていた。

 そして未来を手に入れるための、『現在』が彼らの前に待っている。

 

「東方号発進、三十分前! 総員配置、全作業員はただちに退艦せよ。繰り返す、全作業員はただちに退艦せよ!」

「水蒸気機関、吸気はじめ。反重力場発生装置、テスト開始!」

 

 静謐を保っていた東方号から機械音が鳴り出し、眠れる獅子が目覚めのときを迎えた。

 さらに外でも、トリステイン軍の軍楽隊による演奏がおこなわれ、処女航海に出港しようとしている新・東方号を大勢の人間が見守っている。

 運河の両岸は一目見ようという人々であふれ、その数は数万にのぼるだろう。なにせ、これはトリステイン軍が強大な空軍力を掌中に収めたということを世間に喧伝するための、いわばデモンストレーションもかねているから当然だ。つい昨日あんなことがあったばかりというのに、平然と桟橋の見物席にふんぞりかえっているド・ポワチエらの面の皮の厚さには感心さえ覚えられる。

 しかし残念ながら、我々は見物人たちの期待にも軍のお偉いさんたちの希望にも答えてやることはできない。公にはまだできないが、この船にははるかに大きな使命が課せられているのだ。

 艦橋トップの防空指揮所につくエレオノールと、その下の東方号の中枢となるべき昼戦艦橋で、コルベールが緊張した面持ちで指示を出している。彼らは名目上はクルデンホルフの指揮下で、東方号のクルーとなっているが、これからやることは国家反逆罪にも値する大それたことなのだ。

「一応次期女王陛下の密命があるといえど、こりゃ下手をしたらラ・ヴァリエールも断絶ものね。ま、家名が残っても世界が滅んだら同じことだからしょうがないけどさ。ふぅ……」

 エレオノールは、短いあいだに自分もけっこう淑女から遠いところに来てしまったなとため息をついた。

 今頃艦内ではミシェルたち銃士隊が出港作業と並行して、別の意味での準備をしているはずだ。それだけでも、立派に重罪に問われるはずだ。もっとも、行って生きて帰れたらの話だが。

 

 しかし、愚痴を言うのはここまでだ! 全員とっくの昔に覚悟は決めている!

 

「出港用意! 錨をあげよ!」

 艦首から水中に下ろされた巨大な錨が鎖の音とともに引き上げられていき、新・東方号が桟橋から離れていく。

「第一、第二エンジン回転開始」

「微速前進、ようそろう!」

 コルベールの指示でレイナールが蛇輪を操り、東方号はゆっくりと水面を前進し始めた。

「おおっ! 動いたぞ」

 前進をはじめた東方号の姿に、観客からいっせいに歓声が上がった。

 プロペラを回すコルベール製の水蒸気エンジン。その回転が徐々に速くなっていき、東方号ははじめて自らの力で水を掻き分けていく。

「第三、第四エンジンに接続。第一戦速から第二戦速へ!」

 軍艦の方式で東方号は速力を上げていく。さらに、蒸気を溜めていた二基のエンジンも回転し出すと、眼に見えて加速度がつき始めた。

 艦首は河水を裂いて波を生んで対岸に叩き付け、四基の巨大なプロペラから与えられるパワーは莫大な風力を生み出し、後方に台風のような暴風を巻き起こしながら、この巨大な艦を対岸を馬で走って追いかける人をも置いていくほどの速さまで高めていった。

 すでに艦橋は四基のエンジンの轟音で満たされて、普通にしゃべることができないほどだ。

”まさか、ここまでの力を発揮できるとは!”

 コルベールは自ら作り上げたものながら、その出力の高さに驚嘆していた。この超巨艦を動かせるだけのパワーを出せるかだけでも正直不安だったのに、予想をはるかに超えた速さを発揮している。しかも自分たちハルケギニアの人間だけで組み上げたものでだ。

 誇らしさを顔に浮かべるコルベールの前で、東方号は誰の予測をも超えた速さで波を切る。

 だが、水の上を走るだけでは足りないのだ。東方号が、その真価を試されるのはここから。コルベールは伝声管に向かって、船体中央部の宇宙円盤に指令を送った。

「ようし飛ぶぞ! 重力制御開始だ!」

 その瞬間、東方号の周囲の水が空へと吹き上がった。それはまるで滝が空に向かって落ちていくかのようで、見ていた人間のすべてが息を呑み、この世の光景かと眼を疑う。

 宇宙人の技術で上から下へではなく、下から上へと変えられた重力によって巻き上げられていく水。その中で東方号は水蒸気機関を全開にし、艦首を浮き上がらせていく。

 今こそ、若鳥の巣立ちのときは来た!

「新・東方号……発進!」

 艦首を天に向けて、東方号は飛び上がっていった。

 上昇角二十度、全速前進。にび色の船体に赤銅色の翼を太陽に輝かせて、巨大冒険船東方号はぐんぐん高度を増し続ける。

「飛んだ! 飛んだぞ!」

 地上で発進を見守っていた人々からいっせいに歓声があがった。東方号は、その圧巻そのものの巨体を持って、伝説の不死鳥も道を譲るであろう存在感で宙を舞い、一ヶ月のあいだ自らを育んでくれた街に巨大な影を投げかけて縦横に飛び回る。

 まさに、天空を征く鋼鉄の城。その舷窓には才人やギーシュたちが群がり、興奮を隠せずにはしゃぎまわっている。

 そして、新・東方号の生みの親である二人もまた、満足げな笑みを浮かべていた。

「成功したわね、ミスタ・コルベール」

「ありがとう、ミス・エレオノール」

 艦橋に下りてきたエレオノールの祝辞に、コルベールは照れくさそうに答えた。元々女っけのない男やもめの人生、作業中は仕事に専念していて意識しなくても、こうして顔を合わせて話すとやはりまだ照れてしまう。

 しかし、二人とも成功の喜びに浮かれたのは一瞬で、すぐに顔を引き締めなおすと、伝声管の先にいるミシェルに問いかけた。

「こちらブリッジだ。ミシェルくん、準備はよいかね?」

「こちら格納庫だ。準備はできてる。連中、油断してたから全員制圧するのに五分とかからなかった。いつでもいいぞ」

 疲れた様子もないミシェルの声に、コルベールは来るべきときが来たと覚悟した。

 ここから先は後戻りはできない。東方号を軍のものにせず、アンリエッタ姫から与えられた使命を果たすために、彼は決断した。

 

「進路を東に取れ! これより東方号はサハラにある、エルフの国ネフテスの首都アディールを目指して出港する!」

 

 全艦から咆哮にも似た歓声が上がり、街の上空を旋回していた東方号は艦首を東に向けて速度を上げていった。

 むろん、驚いたのはド・ポワチエをはじめとする軍の高官たちである。勝手に飛んでいく東方号を見て慌て、どうしたんだと騒ぎ立てる。

 そこへ、東方号から十艘ばかりの風石で浮かぶボートが流されてきたと報告があって、彼らはコルベールたちの意図を知った。それらのボートには、東方号に乗り込んでいた軍の士官や兵が満載されており、現在東方号には魔法学院の教員生徒と銃士隊しか乗っていないということになる。

「反乱だっ! これは重大な反乱行為だぞ!」

 東方号の真の目的を知らない彼らはいきり立ち、東方号を奪い返せと叫ぶが、それが不可能だということは明らかだった。東方号に追いつける船はこの世界に一隻たりとてなく、風竜では追いつけたとしても止める手段がない。

 ド・ポワチエらの苦し紛れの罵倒は虚しく宙に消え、地団太を踏む軍の高官や貴族たちの姿が周囲の冷笑と軽蔑を呼んだ。

 けれど、彼らを愚かだと笑うのはいいが、見下してはいけない。いかな虚栄心の塊のような人間でも、彼らにも愛する家族がいるだろう……公人・軍人としては二流のド・ポワチエにしても、家庭においてはよき父、よき夫であるかもしれない。一辺において醜くても、それを彼の人のすべてだと決め付けるのは傲慢以外のなにものでもないのである。

 すべての人々の未来と可能性のために、東方号はかなたの空へと去っていく。

 

 さらばトリステインよ、たとえ祝福されぬ旅立ちであろうとも、我らの歩みにためらいはない。

 けれども、その背中に手を振る仲間はここにいる。

 街外れの小高い丘に立つベアトリスとエーコたち十姉妹。彼女たちは、消えゆく東方号を涙さえ浮かべながら、口々に見送りの言葉を叫んでいた。

「ヴァリエール先輩! いろいろありがとうございました! ラシーナ先輩、先輩方もご無事で!」

「ミシェルさーん! お元気でーっ!」

「サリュアさーん! 必ず帰ってきてくださいね!」

「お世話になりましたーっ! ご武運をお祈りしてまーすっ! わたしたち、ずっと待ってますからーっ!」

 ベアトリスと、エーコ、ビーコ、シーコの声が遠く離れた東方号を追いかけていく。

 彼女たちにとって、この一ヶ月ほど人生において重要だった期間はなかった。ルイズたち魔法学院の上級生たちや、ミシェルたち銃士隊など、それまでの狭い世界では決して出会うことのなかったであろう人間たちとの対等の交流が、世の中には様々な人間がいるのだということを教えてくれた。

 そして、あの風来坊……モロボシ・ダン。彼がいてくれたからこそ、底なしの泥沼に沈もうとしていた自分たちはすんでのところで岸に手をかけて、救いの手を伸ばしてくれる人の手をとることができた。その思いに応えるためにも、かけがえのない家族と友を今度こそなくさないために、恩人たちが喜んで安心してくれるように、立派な人間になり……幸せにならなくてはいけない。

 セトラ、エフィ、キュメイラ、ディアンナ、ユウリ、イーリヤ、ティーナも妹たちを暖かく見守り、自分たちの運命を正しい方向に導いてくれた恩人たちの乗る船に手を振っている。

「お父さま、お母さま……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。でも、わたしたちはもう大丈夫です。これからなにがあっても、姉妹みんなで力を合わせて生きていきます。だから、見守っていてくださいませ……」

 セトラの祈りが、姉妹の決意を表していた。

 確かに、いまだ肉体は改造されたままの彼女たちの前途には、想像もできない困難が待ち受けていることだろう。けれども、怨念という自らの内の悪魔の消えた彼女たちが二度と超獣になることはない。そして、完全な人間に戻る方法もきっとどこかにあるに違いない。

 そう、生きてさえいれば希望は消えない。決して、自ら死を選びはしない。

 とりあえずは、間もなく見えなくなる東方号……彼らが使命を果たして帰ってくるときのために、留守のこの国を守り抜き、落胆されないよう出迎える。それが目標だ。

 旅立つ者がいれば残る者もいる。残った者にも役割と戦いがある。ベアトリスと十姉妹にとっても、真の戦いはこれからなのだ。

 

 手を振る人に笑顔で応え、東方号は東へ向かう。

 山を越え、河をまたぎ、町や村を飛び越えて、ひたすら東へと突き進む。

 目指すはサハラ、かつて人間を拒絶し続けたエルフの住まう砂漠の世界。

 しかし、サハラに向かうためには、まずハルケギニアでクリアしなくてはいけない問題があった。

 巡航速度で飛ぶ東方号の艦内の、作戦会議室に指定された大部屋にコルベールとエレオノールのほか、ミシェル、才人やルイズにギーシュ、それにルクシャナにティファニアなどの主要メンバーが集まって大テーブルを囲んでいた。

 卓上には、ハルケギニア全土の地図が広げられており、コルベールはトリステインの場所を指差して議題を切り出した。

「さて、時間がないので手短に話そう。現在本船は、トリステイン領空を高度六千メイルで東方へ航行している。このままの進路を辿れば、おおよそ一時間で国境にたどり着けるだろう。しかし、トリステインから直接サハラに侵入するルートはないために、我々は三つの選択肢の中からひとつを選ばなくてはならない」

 全員を見渡し、コルベールは眼鏡の奥の眼を教師ではなく、戦場を知る人間のものにして続けた。

「まず一つ目は、いったん北方に出て、ゲルマニア北方の海上を迂回していくルート。二つ目は、東に直進してゲルマニアの領空を横断するルート、そして三つ目はやや南下してガリア領空からアーハンブラを経由してサハラに入るルートだ」

 それは、トリステインとサハラのあいだに二つの大国が横たわっているがゆえの避けられない道であった。

 サハラに到達するには、まずこの人間世界を通り抜けて行く必要がどうしてもある。しかし、どれもが大きな危険に満ちていることは誰しもが理解していた。ならばあとは消去法でいくしかなく、エレオノールが切り出す。

「まず、北方のルートは論外ね。ただでさえ地図もない北方の海上を、錬度不足の船で乗り出せば迷子になるのが落ちよ。第一距離がありすぎるわ」

 迂回ルートはあっさりと『沈没』した。ちなみに、ルクシャナやビダーシャルがガリアに来たときには、海上を道筋を知っているイルカに案内してもらえる船を使っていたそうなので、ルクシャナは海上の道は知らない。第一、その船はビダーシャルがサハラに帰ったときに使ってしまったので、ルクシャナに道案内してもらうためにはどうしても陸上を通る必要があった。

「残るルートはゲルマニアかガリアだな。距離的にはゲルマニアが一番近いし、トリステインの同盟国だからちょうどいいんじゃないかね?」

 ギーシュが第二のルートを選び、地図上を一直線にサハラまで指し示した。

 だが、ミシェルがかぶりをふる。

「いや、ゲルマニアは危険だな」

「どうしてだね? 万一妨害してきても、この船を落とせる武器なんて世界中にないじゃないか」

「東方号はそれでいいだろう。しかし、あの国が力を持った都市国家の集合体である連合王国だということを忘れるな。アルブレヒト三世が力で抑え込んではいても、あの国の軍人や商人の自尊心の強さは下手な貴族よりはるかに上だ。そんなところを縦断していってみろ、連中はトリステインからの挑戦と受け取るに違いない。しかもゲルマニアは人口密度が高いから、相当な人目についてしまう」

 将来的に戦争の火種になるとミシェルは警告していた。

 才人やルイズは、なるほどあのキュルケの国ならありえるなと妙な納得をしていた。キュルケか……そういえば、タバサといっしょにしばらく会っていないが、いまごろどこでなにをしているだろうか?

 が、感傷に浸る時間はなかった。残るルートは、ある意味ではもっとも危険がともなうルートであったからだ。

「じゃあ最後は、ガリアを横断するルートか。ちょうど、ティファニアを助けに行った道を空から辿ることになるわけだな」

「けど、それじゃ虚無を狙ってるジョゼフ王の手の中に飛び込んでいくことになるわよ。あそこの貴族は無能王に尻尾を振るか、恨んでるかのふたつでまとまりがないけれど、ジョゼフがどんな手を打ってくるか想像もつかないわ」

 ひょっとしたらいきなりガリア全軍でトリステインに侵攻してくるかもしれない。それならば、ゲルマニアからのほうがまだいいのではないかとルイズは言った。

 一同に、決断をしかねる重い空気が流れた。ゲルマニアかガリアか、それはいうなればアルブレヒト三世かジョゼフかどちらかを選ぶということになる。この場合、アルブレヒト三世はある程度常識の範囲内で思考が読めるが、ジョゼフにいたってはこれまでの経緯からして、どんな反応を見せてくるか、ルイズの言うとおりまったく予測がつかないのが問題だった。

 それに、ジョゼフには方法はまだ不明だが怪獣を操る手段がある。軍艦なら楽々振り切ることはできるが、たとえばテロチルスやバードンのようなやつに襲われたら逃げ切れない。

 だが悩んでいる時間はない。全体の最高責任者として、コルベールは決断した。

「ここはいちかばちかの賭けになるが、ガリア経由のルートを選択しようと私は思う」

「理由は? ミスタ・コルベール」

「うむ、最大の理由はやはりガリアは国内の統一が不安定なことが理由にあげられる。本艦が領空を通過したら、国内の不平派がその不手際を理由にジョゼフを弾劾しはじめるかもしれん。ジョゼフ王がいくら暴君的な前歴を持つといえど、中と戦いながら戦争をすることは不可能だ」

「けど、下手をすれば外敵を接着剤にしてジョゼフ派と不平派が手を組む可能性もあるわよ」

「いや、それはまずない。無能王という称号がまかり通っていることからも、ジョゼフ王に本気で忠誠を尽くす臣下はごくごく少数、あとは利権目当てのごますりだろう。そんなやつらが攻め滅ぼしたところで、たいして取る土地もないようなトリステイン攻略など乗り気になるわけがない。不平派にしたって、トリステインに続いて確実にアルビオンと交戦になることはわかるから、ガリアは疲弊しきってしまうことくらいはわかるはずだ」

「なるほど……」

 たぶんに希望的観測が混じっているだろうが、分析はある程度的を射ていた。組織が人を動かすのに基本となるのは、まず利益であり次に恐怖が来る。ジョゼフがどう言いくるめたところで、トリステインにガリアが攻め込んでも、損害だけ大きくて得るものは少ない。第一、疲弊したところへ漁夫の利を狙ってゲルマニアが侵攻してくるのは明らかだ。

 ガリア王国は敵となりがたい、問題なのはジョゼフ個人……ならば、どうせリスクを背負わねばならないのだし、決断は早いほうがいい。コルベールは艦橋に通じる伝声管に向かって、決定を知らせた。

「レイナールくん! 進路を東南に向けてくれ! 本艦はこれより、ガリア王国を経由してサハラへと向かう!」

「アイ・サー! 面舵いっぱぁーい! ようそろぉ!」

 艦首を東南へ、進路をガリア王国へと向けて東方号は運命の舵を切った。

 これが吉と出るか凶と出るかは誰にもわからないが、決断しなくてはなにもはじまらない。

 ガリア国境まではおよそ二時間、それまで各員休息をとっておけと解散となり、一同は会議室から退室していく。

 けれど、才人が退出しようとしたところで、ティファニアにそでを掴んで止められた。

「あ、あのサイトさん……ちょっと、いいですか?」

「なんだい? おれにできることだったら、どんと言ってくれよ」

 不安げなティファニアの表情に、才人はできるだけ明るさを心がけて答えた。とはいえ、ティファニアの言いたい事はおおよそ想像がついている。そして才人の想像通り、ティファニアの口から苦しげな声が漏れ出した。

「わたし、怖いんです……確かにわたし、母の故郷の国に行ってみたいと思ってましたが、ずっと森の中でしか暮らしてこなかったわたしが、いきなりハルケギニアの代表だなんて……それに、ハーフエルフはエルフのあいだでも嫌われていると聞きました。だから……」

 覚悟はしていたつもりだったが、いざそのときになると一気に怖くなってしまったとティファニアは心中を吐露した。

 無理もない、なんといってもティファニアはまだ十七歳そこそこの少女なのだ。ましてルイズのように貴族として教育を受けてきたわけでも、死線をくぐってきたわけでもない。それが世界の運命すら左右する交渉の、最重要人物のひとりと位置されているのだから、不安にならないほうがおかしい。

「気にするなよテファ、もともとこの旅自体が苦し紛れのぶっつけ本番なんだ。勝算なんてないし、計算なんて最初からされてない。ただ、世界を救うのにほかにいい方法が浮かばなかったから、みんなで体当たりしようってんだ……だからさ、うまくいかなくてもテファの責任なんかじゃない。その後のことはおれたちでなんとかするから、テファは観光のつもりでエルフの国を見て回ってればいいよ」

「でも、わたし人と話すの苦手だし……わたしのせいで、エルフとの交渉が失敗しちゃったら」

「問題ねえよ、ケンカをやめて友達になろうって言いに来られて、グダグダダラダラくっちゃべってるほうが腹が立つさ。でもそうだな、テファにぜひやってもらいたい必殺技がひとつあるぜ」

「えっ! な、なんなんですかそれは?」

 興味津々とばかりにティファニアは才人に詰め寄った。そのおかげで、才人からは洋服に収まりきれていない胸元の谷間が嫌でも眼に入ってきてしまって、脳内麻薬の分泌がやばいことになりかけた。が、才人はルイズ相手では一生涯見ることの出来ないであろうありがたい巨峰から理性を総動員して眼を逸らし、ティファニアに向けてにこりと笑いかけた。

「なにも考えずに、思いっきり笑いかけてあげればいいよ。テファほどの美少女ににっこりやられたら、たいていの野郎はころっといっちゃうって」

「そ、そんな、サイトったら、もうっ! あ、でも相手が女の人だったらどうすればいいのかな?」

「そんときは、ルイズやみんなにやったみたいに体当たりでどーんとぶつかってけばいいのさ。心配すんな、頭の固いバカ野郎がいたとしても、おれがきっちり守ってやるからさ」

「うん! ありがとっ!」

 才人の自信に満ちたはげましに、ティファニアはほんのりとほおを染めて答えた。

 なんとなくだが、胸のつかえがおりたような気がする。まだ見ぬ母の故郷の国……そこになにが待っているとしても、自分には森の中にいた頃にはいなかったすばらしい友達がいるのだから。

 

 雲を切り裂き、鳥を追い抜いて東方号はひた走る。

 やがて見慣れたトリステインの景色から、ガリア王国の風景に眼下は変わっていった。

「コルベール船長! 今、国境を越えました」

「ようし、これからは砂漠に入るまで二十四時間の警戒態勢を続ける。皆、つらいだろうががんばってくれよ!」

 ガリア側の発見を少しでも遅らせるためと、人々を驚かせないように東方号は山地や未開の森林地帯などの上空を選んで飛行した。

 その間、才人やギーシュたちは寒風吹きすさぶ指揮所や後部艦橋に立って、どこから敵襲があってもいいように見張り続けた。

 進路を何度も変えるために、ガリア横断には一日かかる。アーハンブラ到着は、明日の昼前後。

 日が沈んで夜になり、灯火管制をしながら東方号は東進する。幸い、ガリア空軍の姿どころか、竜騎士一騎も見えることはなかった。

「案外このまま、見つからずにいけるんじゃないか? ガリアの防空もけっこうザルじゃないかい」

 ギーシュやギムリが平穏な船旅に、楽観的な希望を語り合う。

 だが、ジョゼフはそんなに甘くなかった。夜が明けて、アーハンブラまであと一時間という、以前の旅で野営をした森の上空まで到達したときのことである。見張りのギーシュに熱いミルクを差し入れようと甲板を歩いていたモンモランシーの目に、後方から飛んでくる黒い影が映ったのだ。

「なに? 鳥……いえ、ドラゴン!? グリフォン!? ち、違う、大きすぎるわ! か、怪獣よぉーっ!」

 モンモランシーの叫びが、奇襲を間一髪のところで回避させた。

「全艦戦闘配備! 取り舵いっぱい、全速前進!」

 艦内すべてに警報が鳴らされ、交代して眠っていたメンバーもそれぞれの持ち場に急行した。

 コルベールは、修復した日本製の双眼鏡を覗いて、接近中の怪獣を見た。

 全長は目測で五十メイル前後、ワシのような容姿をしているが、ドラゴンのように筋骨たくましい手足を持っている。

 あんな生物はハルケギニアにはいない。間違いなく、ジョゼフの送り込んできた怪獣だ!

「一気に襲ってこないところを見ると、こちらの様子をうかがっていたのか……危なかった、黎明で皆の緊張が緩んでいるこのときに奇襲を受けたら立て直せなくなるかもしれなかった」

 コルベールは冷や汗をぬぐい、伝声管で全艦に指示を出している。そんな彼の姿を、寝ぼけ眼で艦橋に駆けつけてきたエレオノールは、怪獣を眼前にしてこれだけ冷静に指揮をとれるとは、この男はいったい若い頃になにをしていたんだと、いぶかしげに見ていた。

 しかし、東方号が速度を上げたのを見て怪獣はついに襲ってきた。東方号はあっという間に追いつかれ、追い抜きざまに怪獣は目から青色の怪光線を東方号に放ってきた。

「うわあっ!」

 攻撃を受けたことによる爆発の衝撃が、船体を大きく揺さぶった。

「被害報告! どこをやられた!?」

「右舷甲板に被弾! 火災は起きていますが、損傷そのものは軽微です!」

 伝声管からあがってきた報告は、航行に支障がないことをとりあえずは示していた。

 だが、危険なことに変わりはない。現在、東方号は母体となったアイアンロックスの武装はほとんど使えない状態のままなのだ。そのおかげで水精霊騎士隊や銃士隊の少数人数で動かすことも可能なのだが、水蒸気機関や重力制御ユニットに攻撃を受けたら一巻の終わり、こちらの使える武装は機銃しかない。

「くそっ! この船の能力さえフルに使えていたらなあ……」

 主砲の一斉射撃を食らわせれば、怪獣を叩き落すこともできたろう。この一ヶ月、研究に研究を重ねたが、ミミー星人製の機械の動かし方はついにわからずじまいだった。自分に、あれを解析する能力さえあったならと、コルベールは自らの非力を嘆いた。

 甲板上では、ギーシュたちが単装機銃に取り付いて撃ちまくっているが、怪獣は音速を超えて飛んでいるらしく曳光弾は怪獣のはるか後方を虚しく流れてしまっている。

 マッハで体当たりでもされたらたまらないと、皆の心にぞっとした予感が走る。それなのに仕掛けてこないのは、こちらを警戒しているからか? いや違う、カラスがツバメをなぶり殺しにしようとしているようなものなのだろう。

 才人とルイズは、東方号後部のゼロ戦の格納庫で顔を見合わせていた。

「仕方ねえな、ルイズやるか?」

「ええ、向こうでなにかあったときのために力は温存しておきたかったけど、やむを得ないわね」

 ウルトラマンAになって東方号を守る。後のことを考えれば、不安は残るがやむを得ない。

 怪獣は対空射撃をあざ笑いながら、大胆にも真正面から突っ込んできた。艦橋にビームを当てる気だ、危ない!

 才人とルイズはウルトラリングを輝かせ、変身しようと手を振りかざした。

 

 だが、そのときだった!

 

「シュワァッチ!」

 

 突如、天空高くから舞い降りてきた赤い流星。それは一直線に東方号に迫りつつあった飛行怪獣に急降下キックを浴びせ、猛烈な火花を撒き散らしながら吹き飛ばした。

「なんだっ!? あっ! あれは!」

 艦橋の窓枠にしがみついてコルベールとエレオノールは叫んだ。飛行怪獣はきりもみしながら落ちていき、東方号の前には空中に静止して怪獣を見下ろす赤い巨人が浮いていた。

 あれはセブン? いや、似ているがあのシルエットはあのときの! 才人とルイズの脳裏にアルビオンでの記憶が蘇る。

 

「ウルトラマンジャスティス!」

 

 そう、あのアルビオンでの戦いで出会った、エースら異邦人のウルトラマンとは違う、この世界のウルトラマン。

 彼が、いや彼女が助けてくれたのか。甲板に駆け上がった才人とルイズ、そして窮地を救われた東方号のクルーたちは手を振った。

 だけども、どうしてジャスティスがここに? 一瞬その疑問が才人とルイズの脳裏をよぎったが、悠長な思考をできたのはそこまでであった。撃墜したと思った怪獣が、急上昇して戻ってきたのだ。

「シュゥワッ!」

 羽根の生えたロケットのように突進してきた怪獣を、ジャスティスは飛行状態に入って回避した。

 しかし怪獣も、自分の羽は伊達じゃないと言わんばかりに驚くほど速く旋回して再突入してくる。もはや完全に標的はジャスティスに変わっている。自らの狩りの邪魔をした相手を、許すつもりはないようだ。

 壮烈な空中戦がスタートした。超高速飛行で迫る怪獣に対して、ウルトラマンジャスティスも飛行速度はマッハ十三を誇る。東方号を中心としての、まさに目にも止まらぬ戦いは、動体視力の低い者には理解することさえ許されない。

 だが、一見互角の勝負に見えた両者の戦いにおいて、ジャスティスは苦戦を強いられていた。

 怪獣の突進をかわし、その背後に向けて破壊光弾ジャスティススマッシュを放つが、怪獣はゆうゆうと避けて目からの光線で逆襲をかけてくる。

〔ぬぅ、やはり機動力では向こうの方が一枚上手か〕

 怪獣には翼があり、ジャスティスにはなかった。速度が同じならば、次に空中戦の優位を決めるのはいかに小回りが利くかということだ。才人が愛用するゼロ戦は、かつて圧倒的な身軽さを武器にして太平洋の空の覇者となった。

 姿勢移動に時間がかかるジャスティスに対して、怪獣は無駄のない動きで攻撃と防御を繰り返している。

 怪獣の目からの光線がジャスティスを襲い、ジャスティスは金色に輝くジャスティスバリアでこれをしのぐ。

 だがその一瞬の隙を怪獣は見逃さなかった。怪獣の口から放たれた光輪がジャスティスの体を拘束してしまった。

「ヌッ! フォォォッ!」

「まずい! あれじゃ戦えない」

 体を縛られた状態では、いかなジャスティスとて戦いようがない。怪獣はそれで調子に乗ったのか、猛然と体当たり攻撃を連続してかけてくる。ジャスティスは避けるだけで精一杯だ。

 危うし! ウルトラマンジャスティス。このままではやられてしまうと、東方号のクルーたちは震えながら見守る。そしてティファニアは大恩あるジャスティスのために、思わず祈っていた。

「神さまっ!」

 エルフの神か人間の神か、どちらでもいいから助けて欲しい。怪獣は避け続けて疲労したジャスティスに向けて一直線に突進してくる。まるで、翼の生えた隕石だ。

 しかし、そのときであった。錯覚か? 怪獣の動きを目で追っていた才人たちは、それまで驀進というにふさわしい飛行を続けていた怪獣のスピードが、急に鈍ったように思えたのだ。

〔いまだっ!〕

 緩急のあいまでできた隙を見逃さず、ジャスティスは体をひねって怪獣の突進をかわした。そして、渾身の力で体を縛っている光のリングを引きちぎった。

「デュオォォッ!」

 光輪はバラバラになって砕け散り、ジャスティスの身が自由になる。

 今、怪獣はジャスティスに対して背中を向けている。急旋回してくる気配はまだない。

 チャンスは今だ! ジャスティスはエネルギーを眼前に集中し、一気に前方へ向かって押し出した!

 

『ビクトリューム光線!』

 

 金色の光線は怪獣の背中に命中し、次の瞬間に怪獣は大爆発を起こして吹き飛んだ。

「やったぜ!」

 才人やギーシュたちの内から歓声があがった。怪獣はわずかな残骸と、羽くずを残して風の中に消えていく。

 ジャスティスは東の空を指差し、さあゆけと言っていた。

 ありがとう、ウルトラマン……だけど、どうしてあのとき怪獣の動きが突然鈍ったんだろうか?

 いぶかしげに思われるその答えは、戦場を離れた森の中にあった。

 倒れて消滅していく茶色い肌をした三人の怪人と、腕を十字に組んだ青いウルトラマン。

「行って、存分に働いてこい。エース、こちらのことは心配するな」

 等身大のウルトラマンヒカリは、東の空に向かってそうつぶやいた。あの怪獣を操っていた三人の怪人を、ヒカリが撃破したために、怪獣はコントロールを失って弱体化したのであった。

 

 一方、戦いの様子を遠見の鏡で見守っていたジョゼフは、シェフィールドとともに薄笑いを浮かべて朝食をとっていた。

「やれやれ、チャリジャの置き土産から作ったクローンどもめ、存外口ほどにもありませんでしたわね。あんな船一隻落とせないとはだらしない」

「そうでもないぞ、あの程度の障害を取り除けないような者では、とうていエルフ相手に太刀打ちはかなうまい。それに、デザートの時間までのよい見世物にはなった。おかげで、今朝は久々にうまい食事をとれたわ。余は十分に満足だ」

「ジョゼフさまがお喜びならば、わたくしはそれで満足です。しかし、連中をこのまま行かせてよろしいのですか?」

「かまわぬ。六千年に及んだエルフと人間の禍根を、本気で断ち切れると思っているやつらだぞ。必死になって止める必要がどこにある? 成功しても失敗しても、実におもしろそうなことになるとは思わんか? はっはっはっは!」

「そうですわね。むしろ、ここで打ち落とされていたほうが、彼らにとっては幸せだったかもしれませんわ。うふふふふ」

 ワイングラスを傾けて、楽しげに笑うジョゼフと、彼の横顔をうっとりと見つめるシェフィールド。暇つぶしにぶつけた怪獣の代わりなど、まだまだたくさんいる。次にどんな楽しみを見つけようかと、ジョゼフの興味はすでに東方号から移っていた。

 

 東へ、東へ……二人のウルトラマンに見送られて、東方号はひた走る。

「行くがいい、ティファニア……その先にどんな苦難が待っていたとしても、いずれは通らなければならない道なのだ」

「平賀才人、君が真のGUYS隊員にふさわしいかどうか、この旅で試されることになる。気を抜くなよ」

 ジャスティスとヒカリ、二人のウルトラマンはそれぞれ次世代を担う若者たちに期待をかけて見送った。

 

 エルフの国、そこに何が待っているにしても、平穏な道はありえない。

 そしてついに、東方号は人間の領域の最後を見下ろす空に到達した。

「砂漠だーっ! アーハンブラが見えたぞーっ!」

 ここから先は人間を寄せ付けぬ謎の世界。東方号の旅は、いよいよ本番を迎える。

 

 

 続く



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第81話  全速前進! 包囲網を突破せよ!!

 第81話

 全速前進! 包囲網を突破せよ!!

 

 怪魚超獣 ガラン 登場!

 

 

 それを最初に見つけたのは、サハラ上空をパトロール中であったエルフの空中哨戒艦の一隻であった。

「艦長! 西方より、所属不明の船が接近してきます!」

 報告を受けた、艦長である空軍士官が望遠鏡を覗いて見ると、確かに西の空にぽつんと船らしき影が浮かんでいる。

「空賊船か?」

「まだ識別できません。しかし、こちらに向かってきているのは確実なようです!」

 見張り員からの報告で、その艦長は即座に戦闘態勢を命令した。

 この哨戒艦の主な目的は、国境付近に出没する人間の空賊を撃退することだった。人間は個人個人ではエルフの敵ではないが、空賊はひそかに国境の内側に入り込み、ふいをついて大多数で商船や村を襲って略奪をおこなうために、こうして侵入を防止する目的で、全長百メイル程度の小型ながら多数の哨戒艦が日夜警戒を続けているのだ。

 しかし今回は、艦長はいつもと違うものを感じていた。空賊であれば、哨戒艦の姿を見たら一目散に遁走を開始するくせに、逆に接近してくるとはどういうわけだろう。しかも見つかりやすい真昼間に入ってくるとは、向こうの船長は哨戒艦に勝てると思っている素人かと、彼は愚かな蛮人たちを討伐する自分の姿を想像してほくそ笑んだ。

 だが、彼の夢想はわずか数分後に日の目を見ることなく流産することとなった。

「な、なんだ? あ、あれは船なのか!?」

 望遠鏡の中で大きくなってくる船影に、艦長は我が目を疑った。今まで見てきたありとあらゆる国の船のどれとも似ていない。帆もなければ竜に牽引されているわけでもない、船体はすべてが鉄でできているように黒々と輝いている。

 そして、全身の血の気が一気に引いていくのを感じていた彼らの眼前に、未確認艦はその恐るべき全容を現した。

「せ、戦艦……? か、艦長」

「信じられん……な、なんという巨大な」

 艦長の言語能力では、それ以上の表現をこの場ですることはできなかった。

 まるで島のように巨大な船体の上には、城のような塔が高々とそびえ、その周囲をすさまじい数の大砲が固めている。しかも、艦首から艦尾にかけて備え付けられた、あの三連装砲塔の巨大さはどうか。

「ば、化け物め……」

 艦長は、自らの船があの巨大戦艦の前ではブリキの玩具も同然だと思い知らされた。先ほどの自信も雲散霧消して、狩る側から狩られる側に回る恐怖感が全身を包む。だがそれでも、彼は軍人としての責務で自らを奮い立たせ、彼に出来る唯一の合理的な命令を叫んでいた。

「警報! 周辺空域にいる味方艦すべてに警報を出せ! これは蛮人どもの挑戦だ! やつらいつの間に、あんな怪物を作り出せるようになったんだ!」

 とてもかなう相手ではない。だがそれでも、エルフとして蛮人に背を向けるわけにはいかないという矜持が艦長を支えていた。

 味方が駆けつけてくるまでは、後退してつかず離れずをとりながら奴を見失わないようにするしかない。あの巨砲が一発でも放たれたら、こんなちっぽけな哨戒艦は一瞬でバラバラだ。

 畜生! なんでよりにもよって、俺のところにこんな化け物が来るんだ。せっかく危険の少ない砂漠の国境警備につけたのに、あと少しで配置交代で国に帰って妻や息子と会えたっていうのに……

 艦長の運命を呪うつぶやきは、誰にも聞こえることはなかった。軍人としての本能が、自分はここで死ぬのだろうと言ってくる。

 しかし彼が、運命の性質の悪いいたずらと、そんな心配が杞憂であったと知るには、あと少し時間がいったのである。

 

 

 そしてむろん、接近中の哨戒艦の姿は、未確認艦、すなわち東方号でも捉えていた。

「コルベール船長! 前方に艦影が見えます。エルフの哨戒艦です!」

 防空指揮所に陣取るギムリの声が、昼戦艦橋にいるコルベールの下へと届いて響いた。

 黄色い大地と青い空、見事に二つの原色に分けられた世界の上半分に、黒いしみのような点が浮かび、少しずつ大きくなってきている。

 倍率を上げた双眼鏡の中に映る、ドラゴンに牽引されて飛んでいる黒い亀のような鉄でできた船。木造で風力を頼りにして飛んでいるハルケギニアの空中船とは、一段階違う次元にあることが明白なあれこそ、噂に聞くエルフの空軍に違いない。

「ついに警戒線に引っかかったな。まあ、別に戦争に来たわけではないのだから、ずっと見つけてもらえなかったらそれはそれで困るのだが」

「哨戒網の場所は、ルクシャナの言っていたとおりだったわね。まったくあの子も、自分の国の情報をよくもペラペラとしゃべれるものよねえ」

 艦橋で、船長のコルベールと副長役のエレオノールが緊張感を交えつつ、とうとう来るべきときがやってきたなと話し合っていた。

 国境であるアーハンブラを越えて、さらに東へと進路をとった東方号。ルクシャナからの情報で、この先に哨戒網が引かれていることを知っていたコルベールたちは、そのもっとも分厚い部分へと向けてやってきた。我々は逃げも隠れもしない、真正面からぶつかっていくという、それは彼らの決意の表明だったのだ。

 すでに東方号の船内では戦闘態勢が敷かれ、水精霊騎士隊と銃士隊はそれぞれの持ち場で構え、才人もゼロ戦をスタンバイさせている。

 ティファニアなど、一部の非戦闘員は艦橋直下の司令塔に集められて待っている。ここは最大五百ミリもの分厚い鋼鉄で覆われており、いかなる砲弾でも貫通することはできない上に、ルクシャナが精霊魔法で守っているために破片が内部に入ってくることも完全にシャットアウトされていた。

 しかし、自分たちが招かざる客であるということを自覚しているコルベールは、相手がちっぽけな哨戒艦であるとて見くびってはいなかった。

「速力を落とせ、向こうに敵対の意思がないことを伝えるんだ」

 火蓋を切ってしまっては、交渉の余地が激減してしまうことは全員が承知している。コルベールは、どんなことがあっても自分から武力を行使するつもりはなかった。

 プロペラの回転が弱まり、東方号の行く足が弱まると、哨戒艦も同じ速度をとって距離を一定に保った。それを見て、コルベールは船体は小型ながらよく訓練されたいい船だと褒めた。この場合の船とは、艦長から兵卒までの乗組員全般も含めて指す。船とは一種、人体の縮図とも呼んでもよい存在で、頭脳である艦長と手足となる兵卒のどちらが不健康でもうまく動きはしないのだ。

「諸君、よく見ておきたまえ。あれがエルフだ、あれだけのことができるものが我々の相手となることを、よく覚えておきたまえ」

 コルベールは船体各所に向けて、そう伝えた。それは、いまだにエルフとは先住魔法だけが怖い野蛮な種族だという認識を残している生徒たちや、銃士隊員へ向けてのいましめであった。エルフは決して先住魔法だけの相手ではない。自分たちと同じように訓練を積んでやってくるからこそ強いのだと。

 しかし、コルベールは敵愾心を駆り立てることまでは望んでいない。息を呑む艦内に向けて、もう一言付け加えて伝えた。

 

「よって、彼らが永遠の敵となるか、それとも我々の友となるかは諸君の双肩にかかっている。全員、使命を胸に努力せよ!」

 

 艦内から、いっせいに歓声が上がった。水精霊騎士隊の少年たちも、銃士隊の彼女たちも気合を入れなおした。

 そうだ、自分たちは戦いに来たわけではない。ともすれば戦いに傾きがちな心に歯止めを利かせて、もう二度と二つの種族が争わずにすむようにするために命を懸けに来たんだった。

 

 だが、東方号の機運とは別個に、この船の絶大な存在感はエルフに無視されない以上の効果をすぐにもたらした。

「せんせ、いえ船長! 二時と十時の方向から、新たな艦影が見えます」

「あの哨戒艦が仲間を呼び寄せたんだな。さあて、彼らに道案内を頼めればいいんだが」

 コルベールは禿げ上がった頭をハンカチでなでて脂汗をぬぐった。ここから、東方号の一挙一投足、すなわちコルベールの指示が死命を決することになる。彼は魔法学院の授業で見せるときのような、陽気な先生というイメージは捨てて、接近してくる哨戒艦隊を見据えながら次の指示をくだした。

「速度さらに半分! 鐘楼に白旗を掲げよ! 哨戒艦隊に旗艦はどれかと訪ねてくれ」

 指示は、コルベールを信頼する生徒たちによって違えることなく遂行された。彼らも本職には劣るとはいえ、この一ヶ月みっちりと訓練に励んで腕は上げている。手旗信号はエルフの艦隊の方式どおりに間違えられずに振られて、中央の哨戒艦から手旗信号で返信があった。

 が、喜ぶには早い。哨戒艦隊はさすが空賊を相手にしてきただけあって、勇猛さとなにより蛮人嫌いを持ち合わせており、こちらが出した交渉を求めるという求めかけにはなかなか応じようとはしてくれない。『我に交戦の意思はなし』と、何度も信号を送るがエルフの警備艦隊は砲門を全開にし、真っ向きって東方号の進路をふさぐ構えを見せている。

 向こうから送ってくる信号は、『停船せよ』の一点張り。

「ミスタ・コルベール、ここはいったん止まって向こうの司令官に従ってみてはどう?」

「そうだな、力づくで突破しても彼らの敵愾心をあおるだけだろう。どちらにせよ、我々から手を出すべきではないだろうな」

 向けられた砲門の数に、虚勢を張りつつもおびえた様子が垣間見えるエレオノールの言葉にコルベールは従った。彼とて、船長になったつもりはあっても艦長になった覚えはない。東方号は戦艦としての形はしていても、彼の中ではあくまで探検船なのである。

「両舷停止! 手旗信号でそちらの指示に従うと伝えてくれ。ただし、本船周辺一千メイル以内への接近は禁ずると厳命するんだ」

 コルベールの指示は的確に実行され、信号台にいる銃士隊から旗艦とおぼしき船へと信号は送られた。

 エルフの艦隊は、東方号との距離およそ二千メイルで停止した。おそらくそれが彼らの大砲の有効距離であり、かつ彼らの勇気の限界点といってもよかった。ハリネズミのように大小すさまじい数の大砲を装備した巨大戦艦に、好んで肉薄しようと考えるくらい蛮勇を備えた艦長は人間もエルフも問わずにそんなに多くはない。

 ただ、冷や汗をぬぐったのはむしろコルベールのほうであった。東方号は圧倒的な威圧感に比して、使える武装は本来の一パーセントもない無防備状態だ。戦闘に突入したところで、応戦できる兵器はほとんどなく、さらに搭乗しているのも水精霊騎士隊と銃士隊ほか百名にも満たない少人数……接舷されて乗り込まれたら、強力な先住魔法に太刀打ちする術はない。

 唯一、ルイズの虚無魔法、あのエクスプロージョンでもフルパワーで撃てば勝てるかもしれないが、それでは虚無を悪魔と恐れている彼らエルフを逆上させてしまうかもしれない。

 虚無は使えない……そのことはルイズも承知しており、決して使わないと自らに誓約をかけていた。

 

 艦砲戦、白兵戦において両手を縛られているも同然の状況では、戦えば手もなく捕獲されてしまうのは火を見るよりも明らか。全長四百二十メイルの超巨大戦艦がほぼ非武装で、数えて足りるような人数でやってくるというような非常識に気がつくような変人がエルフにいなかったのが幸いだった。

 

 東方号から、エルフの最高責任者との会談を求めていると伝えると、問い合わせてみると返信があった。

「どうやら、無下にはしないでいてくれるみたいね」

「無言の威圧が効いたらしいな……従来のハルケギニアの船だったら、戦列艦でも即座に追い払われていたろうな。しかし本音を言えば、こんな力を背景にした砲艦外交の真似事はしたくなかったのだが……」

「ミスタ・コルベール……」

 うまくいきつつあるというのに憂鬱そうなコルベールの横顔を、エレオノールは怪訝そうな目で見つめた。学者として、付き合いをはじめてしばらく経つが、この男の内面はどうにも理解に苦しむ。ハルケギニアの普通の貴族であれば、勇敢さや、戦って勝つことが至上の名誉であろうというのに、彼は何にしても誰かに『勝とう』という意思がまったくと言っていいほど感じられず、だからといって無気力というわけではない。

 強いて言うなら滅私奉仕の強烈な平和主義者……いったい、なにが彼をそこまで駆り立てるのだろうか? 疑問は尽きないが、彼は自分の過去については語りたがらず、貴族としての家や土地といった財産はすべて処分していたので、過去の履歴を追うこともできなかった。

 わずかな手がかりは若い頃に軍にいたということだけ……他人の過去を詮索することは無粋であるとエレオノールも思うのであるが、なんとなく彼の自分に強要しているような優しさが、コルベール自身をいつか泥沼に追い込んでいくのではないかと一抹の不安も覚えるのであった。

 

 空中に静止する東方号と、それを包囲するエルフの艦隊。

 どちらも相手が仕掛けてこないかと、止めることができない冷や汗と心音の高鳴りと戦う時間が続いた。

 そうして何時間かが過ぎたころである。東の空に、新たな艦影が多数見受けられた。

「見張り所から報告! 前方に、新たな艦影が多数! 先生、あれは戦艦です!」

「なにっ!」

 確かに、東の空に新しい艦影が複数現れていた。相当に速力を出しているらしく、みるみるうちに近づいてくる。哨戒艦の何倍もある無骨な船体の上には、連装の砲塔が複数ついており、一見しても主力艦だということがわかった。しかも並の数ではない、大型の戦列艦の後方からは巡洋艦や駆逐艦艇が続いており、上空を防護する竜騎士も百騎はかたくない。

「ありゃあ……あれは、空軍の主力機動部隊じゃないの。全滅したって聞いてたけど、まだこれだけ残ってたのねぇ……」

 司令塔の装甲の隙間からわずかに見える外を眺めていたルクシャナが、これはまずいわねとつぶやいた。

 これは本国の第二戦隊に属する艦隊で、聖地でのバラバとの戦闘には不参加だったために、幸運にも難を逃れていた。そのせいもあって、現状エルフの艦隊の中では最強のものである。彼らは、激減してしまった戦力の再編に全力を尽くしていたが、蛮人の戦艦が接近中であるという報を訓練中に受けると、はじかれたように飛び出てきたのだ。

 艦上で見張りについているギムリたちや、蛇輪を握っているレイナール、それにエレオノールは無意識につばを飲み込んだ。大きさは東方号より数段劣るとはいえ、数十隻の戦艦の威圧感は半端なものではない。向こうは哨戒艦隊を下がらせて、東方号を包囲するように左右に陣形を組んできた。

 コルベールは双眼鏡を睨んだまま微動だにせず、エレオノールは逆にそわそわと落ち着かない。

「これは、お出迎えにしてはずいぶんと派手ね。パ、パーティのお誘いにしては少々にぎやかすぎる気が……」

「いや、砲門をすべてこちらに向けている。どうやら破壊する気のようだ」

「へぇ……ええっ!」

 エレオノールが絶叫したと同時に、エルフの艦隊は砲撃を開始した。たちまち、砲煙が巻き上がって多数の砲弾が東方号の周囲を通り過ぎていく。

 東方号の巨体にも関わらずに命中弾はない。しかしこれは相手の腕が悪かったからではない。いきなり全砲門を発射したのでは、どの弾を自分が撃ったのかわからなくなってしまい、どう撃てば当たるのか照準が定まらない。そのため最初はあえて少数の砲を順繰りに撃ち、敵との距離を正確に測るのが効率的な射撃方法なのだ。

 つまりは、この後に本格的な攻撃が始まる。コルベールは、うろたえるエレオノールに「落ち着きたまえ」と告げると、「仕方がないな……だが、あまりなめられないように、ある程度のデモンストレーションは必要か……」と、残念そうにつぶやいた。

 うかない顔は消えない。しかし、自分たちも相手も聖人君子ではありえない以上、少々の荒事は必要かと、コルベールは伝声管の先の機関室に向けて、彼らが待ちに待っていた命令を伝えるために叫んだ。

 

 一方で、コルベールとは対極の思考と感情を持つ者が、エルフの第二艦隊旗艦のブリッジにいた。

「汚らわしい蛮人どもめ! 貴様らなぞにサハラの地は一歩も踏ませんぞ。どんなに大きかろうと、所詮はただの一隻。我が艦隊の集中砲火を持って、空の藻屑になるがいい!」

 いきり立つエルフの艦隊司令は、なかば正気を失いかけた顔で叫んでいた。第一艦隊の全滅で、本国艦隊の総司令官になった栄誉とプレッシャー、人間への偏見と自分の種族の優越感などが混ざり合い、手柄を上げなければと焦っていたところに飛び込んできた敵が、彼に本来持っていたはずの冷静な判断力も失わさせていた。

「撃て! 木っ端微塵にしろ!」

 一隻当たり、大小合わせて十五門の大砲がいっせいに放たれる。ハルケギニアの軍艦に比して、エルフの軍艦の砲は、数は少ないものの、口径が大きい上に砲身にライフリングが刻まれていて命中率や射程も段違いに高く、一門でハルケギニアの大砲の十数倍の価値を持つと言って過言ではないのだ。

 それが数百発、静止目標のために命中率を二十パーセントとしても、山一つ崩すほどの火薬と鉄量が降り注ぐことになる。

 放たれた砲弾は射手の腕のよさを証明するように、司令官の期待以上の命中率を記録した。敵艦は炸裂した砲弾の起こした煙で、巨大な黒雲と化したように見えなくなった。弾着は、少なく見積もっても百発はくだらないだろう。

「思い知ったか蛮人どもめ! バラバラだ、わっはっはっはは!」

 司令官は、蛮人の最新鋭艦を撃沈した功績で勲章をいただく自分の栄光を思い浮かべて悦にいった。

 だが、風に流された爆煙の中から現れたのは、何事もなかったかのように浮き続けている敵艦の姿だったのだ。

「馬鹿な! あれだけの砲弾を受けてもビクともせんというのかぁ!?」

 司令官は、幻でも見せられているのではないかと自分の目を疑った。しかし当然、東方号はいかなる魔法によっても守られてはいない。東方号を守ったのは、大和から受け継いだ強靭な防御力のみである。

 戦艦には、どの国が定めたわけでもないが自分の主砲と同等の攻撃にまで耐えられるように装甲を張るというのが、第二次世界大戦までの国際常識になっていた。すなわち、大和型戦艦の船体を持つ東方号の装甲を打ち抜くには、大和型の持つ四十六センチ砲以上の破壊力を持ってしなければ不可能ということになる。

 むろん、全体に装甲が張られているわけではないので、急所へのラッキーヒットもあるし、よほどの至近距離からなら口径の劣る大砲でも撃ち抜ける可能性はある。が、そのどちらをおこなうにもエルフ艦隊の攻撃力は及んでいなかった。いくらエルフたちの技術がハルケギニアよりは優れているとはいえ、大和型の四十六センチ砲の持つ、三十キロメートルも離れた距離から、厚さ四百ミリもの鋼鉄をぶち抜く破壊力は想像を大きく超えている。

 砲弾は頑強な装甲に阻まれて、一発残らず塀に投げつけられた卵も同然に砕け散り、東方号の格納庫内で砲弾が跳ね返っていく音を聞いていた才人は思わずガッツポーズをとって叫んでいた。

 

「メイドイン・ジャパンをなめるなよ! そんな豆鉄砲で大和の装甲を撃ち抜けると思ってるのかあ! はっはっはっはっ!」

 

 元来ミリタリーマニアの気がある才人は高らかに笑って、ゼロ戦の上で胸を張っていた。

 そんな才人を見て、ルイズは冷めた態度でため息をつく。しかしこれは女にはわからない男のロマンの領域、日本の一般的な男子であれば、誰しも戦車や戦闘機のプラモデル、またはロボットやヒーローのおもちゃで時間を忘れて遊んだ思い出があるだろう。まして、戦艦大和といえばどんなおもちゃ屋にも絶対ある永遠の男の船なのである。

 

 圧倒的な防御力でエルフたちの度肝を抜いた大和こと、東方号。

 だが、コルベールは自分の船を過信してはいなかった。敵弾の百発中九十九発を跳ね返すことができたとしても、むき出しの水蒸気機関や艦橋に命中したらどうなるかわからない。

 この艦隊の司令官は聞く耳を持ってくれないか……ならば、エルフの本拠地まで一気に行くまで!

 そのとき、コルベールが機関室に指示した命令が動き出した。四基ある水蒸気機関が轟音を上げて動き出し、東方号はぐんぐんと速度を上げ始めた。

「レイナールくん、全速前進! この包囲網を一気に突破して、そのままアディールを目指すぞ!」

「アイ・サー! 今なら、アディールはがら空きですね。ようし、かっ飛ばすぞぉっ!」

 コルベールの放った、これまでのうっぷんを晴らすような爽快な命令に、普段は大人しめな印象を表しているレイナールも意気を上げて叫んだ。武器は使えないとはいえ、ようやくこの東方号の真価をエルフたちにお披露目することができる。

 四基あるエンジンから轟音と、石炭を燃やす黒煙をいっぱいに吹き上げて加速していく東方号。その轟々たる容姿に、第二戦隊のクルーたちはさきほど砲弾をすべてはじき返されてしまったこともあって、この世ならざるものを見ているような本能的な恐怖感を覚えた者も少なくない。

 加速度を増していく東方号は、第二戦隊の次斉射をかわして包囲網からの脱出を図り始めた。しかし、第二戦隊に属するエルフたちも鍛え上げた船乗りであることは変わりない。一時狼狽した艦隊司令も、副官にとりなされて落ち着きを取り戻し、陣形を再編成して包囲網を再構築しようとしてきた。

「こちらの加速に追いつけなくなる前に頭を押さえようという魂胆か、優秀だな彼らも」

 エルフの軍人の錬度はやはりかなり高い。コルベールだけでなく、ミシェルたち銃士隊も感心して、水精霊騎士隊の少年たちに、「あれが軍人というものだ。少しでも早く一人前になりたいと思うなら、あの光景を忘れないことだ」と、諭していた。

 前面に展開し、艦の壁を持って行く手を阻もうとする第二戦隊に対して、東方号は速度を緩めずに突き進む。その加速力の速さは完全にエルフたちの想定を超えていた。艦隊の大半は的の巨大さにも関わらずに砲の照準が追いつかず、進行方向にある数隻のみが散発的に撃っているが、まるで通じずに敵艦はどんどん近づいてくる。

「うわぁっ! ぶ、ぶつかるぅ!」

 すでに包囲艦隊との距離は一千メイルを切った。エルフたちの目には、東方号の艦首に輝く黄金の紋章もはっきりと見えている。

 このままでは激突する! 避けようがない!

 だがそのとき、コルベールは待っていたタイミングが来たと叫んだ。

「今だ! 上げ舵二十、最大戦速!」

 東方号の艦首が天を向き、エルフたちの目に東方号の赤く塗られた船底がいっぱいに映ってきた。そのまま東方号は、大波を飛び越える大鯨のようにエルフ艦を乗り越えて、名前の示す東方へと全速力で駆け抜ける。

「包囲網突破! ようし、このまま振り切るぞ!」

「まだだ! 奴ら竜騎士を出してきたぞ!」

 歓声をあげたレイナールをコルベールが制した。エルフ艦隊は後方に置き去りにし、ほとんど無視して構わないが竜騎士は別だ。一個艦隊に収容されている分だから数もすさまじく、さしもの東方号の速力でも振り切れない。甲板や見張り所からはギーシュやギムリが応戦してもよいですかと尋ねてくるが、コルベールの答えは当然否だった。下手に刺激して乗り込んでこられたらかなわない。

 かといって、このままズルズルと彼らを引き連れたままアディールにまで行くわけにもいかなかった。時間が経てば、彼らはまったく攻撃してこない東方号を不審に思って乗り込んでくるかもしれない。そうなったら終わりだ。

 しかし、運は東方号に味方した。望遠鏡で前方を監視し続けていた銃士隊員が、前の空に広がる黄色い壁を発見したのだ。

「艦橋! 前方になにか、黄色い大きな雲が広がってます。このままだと、あれに突っ込んでしまいますよ!」

「黄色い雲? いや違う! それは砂嵐というやつだ。ようし都合がいいぞ、あれに飛び込んで追っ手を撒いてしまおう」

「ミスタ・コルベール! それは危険じゃないの!」

「このまま竜騎士に追われ続けているほうが危険だよ。私も文献でしか聞いたことはないが、あの中は相当過酷な環境のはず。いくら精霊の力に守られているエルフといえども追ってはこれないだろう」

 選択の余地はなかった。コルベールの決定は即座に全艦に通達され、艦上に出ていた人間はすべて艦内に飛び込み、扉や舷窓もひとつ残らず厳重に封鎖された。さらに、水蒸気機関も吸気から砂を吸い込んでは損傷してしまうので、緊急停止の後に吸気口が閉鎖されて、推進は重力制御に切り替えられた。

「全員覚悟しろ、突っ込むぞーっ!」

 進路を変えることなく、東方号は砂嵐の中へと突入していった。エルフの竜騎士たちは、巨大な砂嵐を前にしてうろたえている隙に敵艦に飛び込まれてしまって、なすすべなく引き返していくしかなかった。

 だが、砂嵐に突入した東方号を待っていたのは想像を絶する世界だった。たちまち、窓ガラスは太陽光が消えて真っ暗になり、数億という砂粒が激しくぶつかってきて、視界はほとんどゼロになった。

 もはや、磁石の示す方位以外になにも頼れるものはない。目も耳も塞がれてしまった東方号は、ただひたすら東へとゆっくりと進み続け、やがて一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、不安にかられる皆をよそに、外の景色は少しも変わりなく続いた。

 

 けれど、終わりはあっけないほど簡単に訪れた。前ぶれなく視界が晴れ、また青い空と黄色い大地の二原色の世界が戻ってきた。

「抜けた……砂嵐を抜けたぞぉーっ!」

 黄色い地獄に耐え続けていた少年少女たちは、それだけで大きな声をあげて喜び合った。

 周りを見ると、エルフの艦隊や竜騎士の姿はない。さすがの彼らも、あの規模の砂嵐に突入するのはためらったようで、迂回して追って来るとしたら東方号との速力差を考えて、追いつかれる心配はまずないだろう。

 

 あとはエルフの首都アディールまで一直線だ。主力艦隊が後方に置き去りになっている今、脅威になるものはない。

 

 ところが、砂漠の先にまたも艦影が現れたので、艦内は再度緊張に包まれた。

 なのだが……接近してくるにつれて、それが単艦で、しかも客船らしいことがわかってきた。船体はそこそこ大型ではあるが、装甲は張られておらずに、牽引する竜の数も少ない。さらに近づいてくると、マストには白旗が掲げられている。

「戦わない……のか?」

 先に袋叩きに近い形で撃たれているので、警戒を解かずに東方号は接近を続けた。

 が、緊張する艦橋に、伝声管で直下の司令塔からルクシャナの慌てた声が飛び込んできたことで、すべての疑問が解消することとなった。

「ミスタ・コルベール! あれちょっと、大変なものが来ちゃったわ! あの船、ネフテスの紋章を掲げてるわ。あれが許されるのは、ネフテスの統領の座上する船だけよ」

「なんだって! ということは、あれに乗っているのは……」

 エルフの王様!? と、言いかけてコルベールとエレオノールはとっさに口をつぐんだ。

 サハラに行くに当たって、ルクシャナから注意されていたいくつかの事柄のひとつに、エルフの統領を王と呼んではいけないということがあった。血統での王位継承を神聖なものとしているハルケギニアと違って、エルフは入れ札、いわゆる選挙で指導者を選出する方法をとっている。権力の世襲を愚策としているところでも、人間とエルフの間の価値観の違い、すなわち分かり合えない一端があった。

 が、驚いている時間はなかった。ルクシャナの言うとおりだとしたら、これは大変な事態である。

 すぐさま、全艦にそのことが伝達され、手旗信号によってこちらの来訪目的が向こうに伝えられると、接舷許可が求められて了承した。

 どうやら、本当に戦う意思はないらしい。コルベールはルクシャナからの注意事項をあらためて全員に徹底するように指示した。

「全員、戦闘服から礼装に着替えておくように。我々が、人間社会の代表だということをくれぐれも心に止めておいてくれ」

 だまし討ち、という考慮は最初からない。危険かもしれないが、エルフが自分たちの旗を使っての罠という下劣な手段を使う種族ではないだろうという、これは一種の賭けだった。外れた場合は……エルフはしょせん、そんな器しかない連中だったというしかない。

 だが、そんな心配は無用のものであった。空中に静止した東方号とエルフの船は舷側を接して、互いの船がロープで固定されると、二隻の間に橋が渡された。互いの船のクルーが緊張した面持ちで整列する前で、その橋を渡ってまずやってきたのは、才人やルイズ、特にルクシャナにとってはよく見知った顔だったのだ。

「叔父さま!」

「久しぶりだな。ルクシャナ」

 長い金髪とすらりと整った目鼻立ち、エルフの中でも別格の存在感を持つ彼は、かつてアーハンブラ城で対峙した、あのビダーシャル卿その人であった。彼は場もわきまえずに飛びついてきたルクシャナをなだめて離すと、彼にとっては一番の重要人物であろうルイズを見た。

「さて、お前も久しぶりだな、シャイターンの末裔よ」

「ええ、ご無沙汰ね。一応心配してたんだけど、どうやら無事に帰りつけていたらしいわね」

 いきなりの憎まれ口の応酬戦をはじめたルイズに、周りは冷やりとなるがビダーシャルは知れたものだったらしい。気にした様子もまるで見せずに、一同をざっと見渡すと、再びルイズに向かい合った。

「とりあえずは、我が姪が世話になったことに礼を述べておこう。こんなものでも、心配はしていたものでな」

「どういたしまして、生活費を請求する気はないから安心していいわ。それにしても、彼女ってあなたたちの前でもあれなのねえ……」

 やや呆れがちなルイズとビダーシャルの視線の先では、久しぶりの故郷のものに触れてはしゃいでいるルクシャナの姿があった。久しぶりに里帰りできてうれしいのはわかるが、この中で唯一緊張感がない様子でよく目立つ。見ていたら、ひとりの青年エルフがたまりかねたように駆けてきて、なにやら怒鳴っているようだがルクシャナはこたえた様子は微塵もないようだ。

 会話の内容は、「あらアリィー、あなたも来てたの」「ルクシャナ! 君がひとりで蛮人の世界に残ったって聞いて、ぼくがどれだけ」「あーそういうのはいいから、迎えに来てくれてありがと、シャッラールは元気?」「ごまかさないでくれ! まったく君は昔から……」ざっとこんな具合である。

 ギーシュたち水精霊騎士隊の少年たちは、”ああ、あれがミス・ルクシャナの婚約者だな。お気の毒に……”と、合点して、切ない気分になった。男という枠にはまりきらない女に惚れた男は大変だ。しかも互いに美男美女だから、言い争っているのが非常にこっけいに映る。ビダーシャルも、さぞ胃を痛めたことだろうて……

 しかし、思いもかけない雑劇はそこまでだった。ルイズに代わって、代表者としてコルベールとエレオノールが前に出て、コルベールは名乗りを、エレオノールは再会のあいさつをして、ビダーシャルはうなづいた。

「了解した。ようこそサハラに、とは言えないが、わざわざの訪問ご苦労だった。諸君に戦意がなければ、我々も手を出さないことを誓約しよう」

「感謝します。ところで、代表者はビダーシャル卿、あなたということでよいのですかな?」

「いいや、私はただの護衛役……安全確認のために、先に来ただけのことだ。話は、それにふさわしい人とするがいい」

 表情を変えることなく言い、ビダーシャルが一歩退くと、数人の騎士に護衛されて、ひとりの老エルフが東方号に渡ってきた。とたんに、緩みかけていた空気が引き締まる。よほどに鈍い愚か者でなければ、雰囲気で察することができるだろう。

 名乗りは通過儀式でしかなかった。ネフテスの統領、テュリュークの登場である。

「まずは、遠路はるばるよく来なさったな。人間諸君、長旅わざわざご苦労じゃった」

「恐縮です。しかし、統領閣下自らがお出迎えしてくださるとは意外……いいえ、光栄のいたりです」

「なんのなんの、招かざる客とはいえ、単独で敵地に乗り込んでくるような勇気ある者たちへの敬意を忘れんほど、我らは礼を失してはおらんつもりじゃ。まあ、血気にはやった若い衆がやんちゃをしでかしたようじゃが、それはお互い様ということで水に流そうではないか」

 かっかっと、快活に笑ったテュリュークに、人間一同は釣られて頬の筋肉を緩めた。

「わかりました。我々こそ、突然押しかけた無礼をお詫びいたします」

「なんのなんの、諸君らのことはビダーシャル殿からおおかた聞いてある。君たちもすでに知ってのことと思うが、ネフテスは一枚岩ではない。しかし、わし個人としては諸君らを歓迎する。この出会いを、大いなる意思に感謝しよう」

 テュリュークは、人間社会の慣習に従って握手を求めてきて、コルベールはそれに応じた。すると、人間側から誰がはじめたわけでもなく拍手が起こり、場はある程度の和やかさに包まれた。テュリュークも人懐っこそうな笑顔を浮かべて、緊迫した空気に包まれていたエルフ側も、やや緊張を解いたように思える。

 それにしても、エルフの指導者ということで、マザリーニ枢機卿のような厳格そうな人柄を想像していたのに、どちらかといえばオスマン学院長に雰囲気が近い。が、それでもこちらのことをきちんと人間と呼び、対応の仕方も予習してきた前準備の適切さ、場の空気をいつのまにか自分のものにしてしまったところには老獪さ、上に立つものの資質を感じさせられる。

 最初があれだったので交渉に持ち込むことすら困難かと思っていたが、もしかしたらこれならば……

「テュリューク統領閣下、我々はトリステイン王国のアンリエッタ次期女王陛下よりの使者としてまいりました。願わくば、対談の席を設けていただきたく存じます」

「うむ、我らとしてもなんらかの形で君たちの世界との窓口はほしいと思っていた。もはや、サハラにも迫り来ている危機は、我らだけで解決しえるものではないからのう」

「それでは……!」

 コルベールは喜色を浮かべた。しかしテュリュークは、事はそれほど楽ではないと首を振った。

「待ちたまえ、話すべきことはそれこそ山のようにあるだろうが、我々にはなにも準備らしい準備はないのじゃ。わしは君たちの世界の『王』とは違って、絶対的な支配者というわけではない。議員たちの総意によっては命令の拒否もされるし罷免もある。ここに来ておること自体も、ひとつの賭けなのじゃよ」

「では……」

「ははっ、そう慌てなさるな。わしとて、なんの勝算もなく賭けに出るほど無謀ではない。さっき言ったとおり、おおまかなそちらの事情はビダーシャル殿から聞いておる。どうやら、シャイターンの末裔たちも来ておるようじゃな。ふむ、思っていたよりも若いのお……」

 テュリュークはあごに手を当てて、ルイズと、次にティファニアを見た。若い、と言ったのは本音だったようで、視線は普通に意外そうな眼差しになっている。ほかのエルフたちも、彼らのイメージしていた『悪魔』のイメージとはかけ離れていたのか、半信半疑といった様子で二人を交互に見ていた。

「……」

 ルイズは毅然とした態度で視線を跳ね返し、ティファニアはおびえた様子で才人の影に身を寄せている。

 特にティファニアはハーフエルフということで、見られる視線の冷たさに必死に耐えているようであった。テュリュークの手前、事前に説明もあって自重しているのだろうが、なにもなければどうなることか……しかし、その誤解を解くことも、今回の旅の目的のひとつなのだ。でなければ、ティファニアはいつまでも誰かの陰でおびえて生きつづけなくてはならないだろう。

 問題は山積し、どれから片付けていいか、正直誰にもわからない。

 だが、テュリュークは無為にここに来たわけではなかった。

「諸君、そこで私から提案があるのじゃが、これから私について、ある場所に来て欲しいのじゃ」

「ある場所? アディールではないのですか?」

「これこれ、こんなすごい船でいきなり乗り込んだらパニックになってしまうわい。エルフのほとんどは、蛮人を……特にその中から生まれるというシャイターンの末裔を恐れ、憎んでいるということを知っていてほしい」

「テュリューク統領、その言い方は少し……」

 コルベールは、横目でティファニアを見ながらテュリュークにわずかに抗議した。ティファニアは、今の言葉に強いショックを受けてしまったようで、才人の背中に顔をうずめて震えてしまっていた。ギーシュやモンモランシーたちがなだめようとしているが、すぐに立ち直るのは無理だろう。

「すまんのおお嬢さん、じゃが現実を受け止めるのが遅くなればなるほど、お前さんにはより酷なことになるじゃろう。まさか、我らの血筋からシャイターンの一端が蘇ろうとは誰が予測しえたものか。我らにしても、想像力の限界とはなんと浅いことなのよ……じゃがお嬢さん、お主に流れる血と力が、我らの恐れる悪魔のものであるのかそうでないのか、確かめようとは思わんかね?」

「それって……どういう?」

「ここより南東……一切のオアシスなく、渇きの大地と呼ばれて近づく者のない砂漠の奥地に、大厄災の時代に作られたと、極一部の者にだけ言い伝えられてきた遺跡がある。そこに行けば、謎に包まれているシャイターンの正体のなにかもわかるかもしれん」

 それこそが、自分がやってきた本当の目的だとテュリュークは語った。

 ルイズたちにしても、シャイターン……つまり虚無については見逃せない問題である。六千年前に起きた、とてつもない戦争のカギを握っていたのは、始祖ブリミルと彼の使っていた虚無にあったのは間違いない。それが現在の世界にすでに大きな影響を与えている以上、虚無の秘密に迫れる機会は無駄にすべきではない。

 

 わずかな希望に賭けて、東方号は南東に舵を切った。

 目指すは、エルフでさえ生存を拒絶される乾燥と灼熱の大地。そこに何が待つか、今はなにもわからない。

 無人の地を目指す東方号を見送る者は天にも地にもなく、さえぎるものの一切ない空を東方号は飛び続ける。

 

 しかし、天でも地でもない場所に、東方号を狙いつける影がひとつあった。

 

 砂の大地の地下深く、広大な砂漠を縦横に走る巨大な地下水脈。そこには意外にも無数の生命が息づいていた。

 甲冑魚に海サソリ、このハルケギニアの海においても何億年も前に絶滅したはずの生き物が、タイムカプセルのように生きたまま保存されていたのだ。

 その古代の海の中をとてつもない速さで泳ぐ異形の影。

 全身をうろこで覆い、鋭い鼻先で水を掻き分けて泳ぐ全長八十五メートルの怪魚。その泳ぐ速度はなんと時速三百ノットだ。

 東方号を追うように舵を切る、その正体は怪魚超獣ガラン。この地下水脈に生存していた古代魚を使って、ヤプールが生み出した新たなる刺客である。

 いったい奴らはどこへ行ってなにをするつもりなのか? それを突き止めるべく、ガランはほかの魚を蹴散らして泳ぐ。

 まさかの地底からの追跡者に、東方号で気づいた者はいなかった。

 

 

 続く



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第82話  バラーダの神殿

 第82話

 バラーダの神殿

 

 怪魚超獣 ガラン 登場!

 

 

 テュリューク統領の船と会って丸一日。

 南東へと飛び続けた東方号は、テュリューク統領から聞かされたシャイターンの伝説の残る遺跡の上空へとたどり着いていた。

 

「コルベール船長、テュリューク統領艦より、着陸せよとの指示がきてます」

「ようし、重力制御室、船を下ろしてくれ。ゆっくりとな」

 

 遺跡から百メートルほど離れた場所に着陸した東方号と、テュリューク統領の専用艦。砂漠の中でもひときわ目立つ黒金の船体を砂の上に横たえた巨艦に、留守番としてミシェルら銃士隊を残して、一行は上陸を果たした。

 

「これが入り口か……で、でけえ」

 目の前に広がる巨大な石造りの神殿の持つ存在感に、才人たち一行は圧倒された。入り口の形は地球でいえばギリシャのパルテノン神殿にどことなく似ており、高さ三十メートルはある石の天井をいくつもの柱が支えていた。

 特に、門のところには巨大なワシのような鳥人の彫像が守護するように鎮座していて一行を見下ろし、そこから地下に向かって、緩やかな傾斜の坂道が洞窟のように続いていく構造になっていた。

 しかし神殿の大半はほぼ埋没しており、かろうじて入り口部分のみが砂漠に口を開けているに過ぎない。これでは、上空からでも隠れてしまって見逃してしまい、地上からなら蜃気楼と見える。場所を知っていなければ絶対に発見することは無理だろう。

 見ると、遺跡の柱も相当にボロボロになっており、それをさわった才人は手のひらに残った破片に貝殻が混じっているのを見つけた。

「貝の化石か……こいつが、このあたりでとれた石で作られているとしたら、ここいらは昔は海だったのかもしれないな」

「おいおい、なに言ってるんだいサイト、ここは砂漠のド真ん中じゃないか。海なんて、どこにあるっていうんだい?」

 突拍子もないことを言い出した才人に、ギーシュが暑さで頭がやられたのかと尋ねかけた。けど、もちろん才人は正気である。

「昔ったって、千年や二千年のことじゃないさ。何万年か、何十万年か、ひょっとしたら何億年もかけたら、海だって砂漠に変わるかもしれねえだろ?」

「な、何億年、ねぇ」

 ギーシュは才人の返答に出た数字の大きさに言葉を失ったようだった。無理もない、六千年前の始祖降臨から歴史が始まって、それ以前は神話のレベルのハルケギニアの感覚では、想像を超えているだろう。もっとも、地球人もごく最近まで恐竜の化石をドラゴンの骨と思っていたのだから、彼らを笑う資格はない。

 ただ、才人の話に意外なところから興味深そうな声をかけてきた人がいた。なんと、テュリューク統領である。

「ほぉ、おもしろいことを言うのお、ばん……いや、人間の少年よ。この渇きの大地が、海だったと申すか」

「信じなくてもいいよ、別に確かな証拠があって言ったわけじゃねえし」

「いやはや、そんなつもりではないから悪く思わんでくれ。ふむ、なるほどわしらの尺度では何万年前などという考えには及ばん。君たちに興味を持ったルクシャナ君の気持ちもわかるのう、ほっほっほっ」

 褒められてるのかけなされてるのか、才人にはよくわからなかった。一言で言えばつかみどころのないじいさんと表現すべきか、敵か味方かまだどうも判別しずらい。もっとも、そう簡単に腹の内を読まれたら政治家なんて務まらないのだろうが。

 ちらりと横目でビダーシャルを見ると、我関せずといった様子で立っている。ルクシャナを見ると、目を輝かせて遺跡を観察して回っている。護衛の騎士たちは、感情のない目でこちらを見ている者もいれば、ギーシュたちと似た目でティファニアの伝説的な双丘から目を離せなくなっている者もいる。エルフというのもいろいろだと、あらためて思わされる体験であった。

「さて、見せたいものは中じゃ。さっそく行こうではないか」

 相当な老人に見えるテュリュークは、むしろ才人よりも軽やかに歩き始めた。エルフの寿命が人間の三倍とすれば、ざっと二百五十歳はあるだろうに達者なものだ。

 

 一行は、テュリュークに続いて遺跡内部へと足を踏み入れた。

 

 内部は外の暑さとは裏腹にひんやりとしており、汗さえ一瞬で乾く砂漠から来た一同のなかには、おもわずくしゃみをしてしまう者もいた。

 しかし、荒廃した入り口付近から数百メートル進むと、遺跡は遺跡らしい姿を見せてきた。石造りの壁面にびっしりと描き込まれた古代の壁画、それを見たときエレオノールは、まだ新しいあの記憶を蘇らせていた。

「これは……あの、悪魔の神殿にあったのと同じ壁画だわ」

 あの、アボラスとバニラが封印されていた遺跡にあったものと、ここの壁画はそっくりであった。明らかに戦争によるものとしか思えない炎に包まれた世界、その中で暴れまわっている無数の怪獣……ここのものは保存状態もかなりよく、その鮮明な絵の迫力は、まさに世界最終戦争を思わせて見る者を圧倒した。

「テュリューク統領、これは」

「見ての通り、ここには大厄災の記録が残されておる。我らエルフを含め、生きとし生けるもののほとんどが死に絶えたと伝えられる大厄災……我らの一般的な知識では、それはシャイターンの門の向こうからやってきた者たち……お前さんたちの聖者が引き金になったと言われておるな」

「……」

 エレオノールやルイズは不機嫌になったが、それはただの事実の追認だったので発言は控えた。ここで無駄口を叩いても何の益にもならない、目的はこの先……なにを言うにしても、答えを見てからで遅くはない。

 そんな彼女たちの雰囲気を察したのか、テュリュークは説明を続けた。

「ここは、口伝では『バラーダの神殿』と呼ばれている。大厄災が起きた後で、生き残りのエルフたちが伝承を残すために建設し、代々一部のエルフにのみ存在を伝えられ続けてきたのじゃ」

「バラーダの、神殿……」

 才人はその名前を聞いて、ピンとくるものを感じた。

 地球にも、バラージという失われた古代都市の伝説がある。はたしてこれは偶然であろうか? かつて、バラージに唯一足を踏み入れたという科学特捜隊の記録は、その名前以外について完全に沈黙している。ただ一説によるとそこにはノアの神という存在が祭られていて、五千年前にバラージが危機に陥ったときに救ったと、わずかな文献から一部の学者は唱えている。

 意外なところから見えてきた、地球とのつながり。これがなにを意味するのか、その答えもこの先にあるのだろうか。

 テュリュークはその後も、コルベールやエレオノールが質問をすると、そのたびに答えてくれた。ときたまルクシャナが口をはさむことはあったが、それでもまたとない機会は彼らの探究心を満足させた。

 と、質問が一段落したところで、テュリュークは無言でついてきていたティファニアに声をかけた。

「さて、お嬢さん」

「は、はいっ!」

「ほほっ、そう硬くならなくともとって食ったりはせんよ。さて、昨日はあわただしくてゆっくり話す暇もなかったが、ええと……」

「ティファニアです。母が、そうつけてくれました」

 テュリュークは、温厚そうな笑みを浮かべてティファニアを見た。

「よい名じゃな。母君の愛情が込められておるようじゃ……じゃが、その母君のことだがの、ビダーシャル君から頼まれて調べてみたが……正直、言うべきかどうか迷っておる」

「……」

 ティファニアは、覚悟していたとはいえ、やはり明るからざる母の素性に、「聞かせてください」とすぐに言うことができなかった。

「まだ心の準備が整っておらんようじゃな。聞かずにすませるならそれもよい。知ることだけがすべてではない……母君が生きておっても、無理強いはせんじゃろ」

 真実は、必ずしも有益な結果をもたらすとは限らない。テュリュークは、あきらめるのも勇気じゃとだけ言うと、それ以上は言わずにティファニアから離れた。

 ティファニアはうつむいて考え込んでいて、心中は押して察すべきだろう。

「あの子も大変じゃのう。悪魔の復活というからには、なんというかこう……なのを想像していたのじゃが、あんな儚げな子が現れるとは、そなたらの神もいい加減な運命の割り振りをするのう」

「返す言葉もありませんね。代われるものなら代わってあげたいです……ですが、あなたにとっても我々は大いなる危険要素のはず。なぜ、そんなにいろいろと教えてくれるんですか?」

「なあに、わしは臆病なだけじゃよ。大厄災が再び起これば、どうなるにせよ未曾有の血が流れる。わしはこれでも、まだまだ長生きしたいんでのう」

 壁画に描かれた物語を追いつつ、一行は遺跡の奥へと足を進める。

 

 

 しかし、そんな一行を……正確に言えば、人間たちを憎憎しげに睨み続ける数人のエルフが、護衛に混ざってついてきていた。

「おのれ蛮人どもめ、悪魔の末裔などを連れてきて、いったいなにを企んでいるのだ」

「決まっている! シャイターンの門を開き、今度こそ我らを根絶やしにするつもりなのだ。恐ろしい」

「そのとおり! 我らの地に土足で踏み入れるだけでも許しがたいのに、統領閣下はなにを考えておられる。話し合うなどまったくの悠長、やはりあの方では生ぬるすぎる」

 彼らは、エルフの中でも特に過激派に当たる、ある一派に属する者たちであった。テュリューク統領は、非常時において専用艦を動かす権限は持っていても、そのクルーまでは選別する権限まではなかったために、こういう輩も混ざっていたのだ。

 口々に思いのたけを吐き出す彼らの周りには、人間の魔法で言うサイレントに近いものが張られていて、ほかの誰かに聞かれる心配はない。だが、単なる不平の言い合いの内を超えなかったそれに、ひときわ冷断な声で参加してきた者がいた。

「同志諸君、貴君らのご不満ももっともである。しかし、我らに必要なことは議論よりもまず、行動を起こすことなのではないか?」

「これは! 同志、ファーティマ・ハッダード上校殿!」

 兵卒のエルフたちは慌てて雑談をやめ、彼らの直属の上官に敬礼をとった。それを受けて、士官のエルフはやや垂れ目がちな碧眼を鋭く研ぎ澄ませて見渡す。驚いたことに、その士官はまだ若い少女だった。

「貴君らの気持ちはよくわかる。私もまったく同じだ。我らの神聖な地に蛮人どもが押し入ってくる、その一言だけでもまさに断腸の思いである。私にもっと大きな権限があれば、奴らを一歩たりとてサハラに踏み込ませはしまいに、実に残念だ」

 憎憎しげに語る口調に、少女らしさはどこにもなかった。年のころは人間ですれば十七歳前後、美しく伸びた金髪に、エルフらしく整った顔立ちは、そのまま立っていれば誰しもがほおを緩める美少女と映るだろう。しかし、彼女の目つきは触れれば切れそうな視線というのがそのままで、ティファニアやルクシャナのような温かみのあるものではない。一部の隙もなく着込んだ士官服とあいまって、氷のような雰囲気は完璧というよりはむしろ異様さの領域に踏み込んでいた。

 ファーティマは、兵たちが神妙に聞く態度をとっていることを確認すると、演説するように口を開いた。

「我ら砂漠の民は、奴ら蛮人よりもあらゆる面で優れている。精霊の声を聞き、奴らでは半日も生きられない砂漠に都市を築き、奴らにできて我らにできないことはなにもない! まさに選ばれた者である我らが、どうして蛮人などと対等になることができようか? 可能であるなら、今すぐ攻め入って彼奴らを根絶やしにしてやりたい。貴君らもそう思っているだろう?」

「そのとおりであります! ですが、残念ながら、現在のネフテス水軍や空軍に、それほどの戦力は……」

 兵の言葉に、ファーティマは悔しげにうなづいた。

 先日、竜の巣に出撃した空軍と水軍の主力が怪獣のために全滅したおかげで、精強を誇ったネフテス軍もすっかりかつての精彩を失ってしまっていた。彼らも元は水軍の将兵だったのだが、水軍の主力となる鯨竜艦は竜に引かせるだけでよい空軍艦に比べて再編が難しいため、余っている分の将兵が空軍に回された結果、こうしてここにいるのであった。

「だがしかし、だからといって我らの土地に蛮人どもがのさばるのを座視していい理由にはならないはずだ。奴らは西方で好きなように地を這いずっていればいい! 生ぬるいやり方ではサハラは守れんということを、私の手で証明しよう!」

「っ! まさか、統領閣下も?」

「いいや、統領閣下はどうあろうと我らが選び出した指導者、それを力で排除してはネフテスのありようが失われる。けれども、悪魔の首をとっていけば、我らにとってもっともふさわしい方が統領となる大きな助けとなるだろう。私は光栄にも、その名誉ある密命を、あのお方よりいただいたのだ」

 誇らしげに言い放ったファーティマに、兵たちも感嘆したようにどよめいた。

 それは、ファーティマが空軍の統領専用艦に配属されることが決まったときである。彼女の属する組織の長は、彼女にある特命をして空軍に送り込んだのだ。

 

「同志ハッダード少校、君を空軍に派遣することが正式に決まったよ。私としては、君のように才能ある若者を手放したくはないのだが、兵を遊ばせるは兵家の愚、わかってもらえるかな」

「はっ! どこへ行こうとも、ネフテスと党への忠誠が揺らぐことはありません。ご安心ください、同志議員殿」

「うむ、よい返事だ。君のような部下を持てたことは、私の誇りだよ。残念ながら、君の忠誠にいまだに疑問を抱く者もいるがね」

「叔母は我が一族の恥であります! わたしは叔母とはまったく違います。わたしは……」

「わかっているよ、落ち着きたまえ。君の党への忠誠の厚さは、私が誰よりも理解している。そこでだ、君に特別な任務を授けようと思うのだ。知っての通り、空軍にはまだ我が党の崇高なる精神に理解のない者も多い。もう、わかるだろう?」

「はっ! 我が党の精神を浸透させるさきがけとなり、あらゆる努力を尽くすことを誓います!」

「よろしい、それでこそ私の見込んだ若者だ。君を上校に昇進させよう。大いなる意思の御心にそうために、”あらゆる努力”を尽くしたまえ」

 

 それがファーティマの受けた使命であり、彼女の誇りと存在のすべてであった。

 あくまで忠実な護衛兵を演じつつ、ファーティマは人間たちを睨んで配下の兵たちに命じた。

「いいか、作戦を説明する。この人数でも、やりようによっては蛮人ごときは敵ではない。特に、エルフの血に悪魔の宿ったあの娘は絶対に許してはおけん。これは聖なる使命と心得よ。我ら、『鉄血団結党』の党是……我ら砂漠の民、鉄の如し血の団結でもって、西夷を殲滅せんとす。大いなる意思よ、我らを導きたまえ」

「悪魔には死を」

 それは、己の信じる理想のためであれば、ほかのすべてが灰と化してもためらわないという狂信者たちの眼差しであった。

 

 

 遺跡は一直線ではあるが、悠久の月日を越えてきただけはあって、ところどころ落盤や地割れが一行の行く手を阻んだ。

 高い天井と、石の壁がつらなる風景は距離と時間の感覚を麻痺させて、何百メイル、何リーグ歩いたのか目星がつかない。

 

 だが、とうとう一行は遺跡の最奥部へと到達した。

 そこにあったのは、ここを作ったエルフたちが畏敬を込めて作ったのが伝わってくる、おごそかな光を放つ石の祭壇。

 そしてそこに立つ、高さ二メイルほどの石像を見たとき、才人たちは思わず駆け寄って叫んでいた。

「これは……ウルトラマン!」

 間違いはなかった。右腕を高く掲げ、静かに立つその姿は見慣れたウルトラマンの姿にほかならなかった。

 いや、正確に言うのであれば、初代ウルトラマンとよく似た姿をしているけれども、頭部の形状が少し違い、全体的に柔和で優しい表情をしているような印象を受けた。また、立体的に掘られた体のラインも異なっていて、力強さよりも穏やかさを感じられた。

 が、胸に存在するカラータイマーは、石像が確かにウルトラマンであることをなにより明確に示していた。

「いったい、どうしてこんな場所にウルトラマンが!?」

「わ、わからないよ」

 エルフの神殿にウルトラマンが奉られているという、想像を絶する出来事にコルベールやギーシュたちも近くによって見上げているが、やはり呆然としたまま動けない。

 そこへ、テュリュークがやってきて、唖然としたままの人間たちに言った。

「やはり、驚いたか。わしも、ビダーシャル君から、君たちの世界の話を詳しく聞いたときには驚いた。そして、悩んだ末に、もしも君たちがサハラにやってくることがあったならば、ここに案内しようと決めていたのだよ」

「テュリューク統領! この像はいったい? どうして六千年も昔の遺跡にウルトラマンの像があるんですか!?」

「君らの世界ではウルトラマンと呼ぶのじゃな……ネフテスではこれを……いや、この方を聖者アヌビスと呼んでおる。もっとも、姿までは知られておらぬが、大厄災を引き起こした悪魔を倒したとあがめられておるのじゃよ」

「聖者アヌビス……」

 才人たちはその名に聞き覚えがあった。確か、アーハンブラで過去のヴィジョンを見たときにルクシャナがちらりと叫んでいた名前だ。そのときには気にしている余裕もなかったが、ルクシャナもやはりそのときのことを思い出したと見え、慄然としながらも説明してくれた。

「聖者アヌビス、わたしたち砂漠の民のあいだで言い伝えられている古い伝承、あなたたちの概念でいえば神話の類に入るわね。細かいところははしょるけど、大厄災を引き起こした悪魔、すなわちシャイターンと戦ってエルフの絶滅を防いだ英雄なの。光る手を持って、あるときは青き月の光のごとき優しさで悪魔に憑りつかれたものを鎮め、あるときは燃える太陽のごとき勇敢なる戦いで悪魔のしもべを粉砕したという……砂漠の民なら、誰でも聞かされるお話よ」

 その話は、人間の世界で言えば『イーヴァルディの勇者』くらいにポピュラーだという。確かに、内容としてはよくあるおとぎ話と大差はないが、おとぎ話と言い切るには、目の前のものはあまりにも……

 そして才人とルイズも……

「ルイズ、これはやっぱり……」

「ええ、水の精霊に聞いてからずっと気になっていた。もう、間違いないわね」

 今まで、ぼんやりとした仮説でしかなかったものが、はっきりとした形となって現れてくる。

(六千年の昔、この地を未曾有の大災厄が襲った。無数の怪物が大地を焼き尽くし、水を腐らせ、空を濁らせ、世界を滅ぼしかけたとき、その者は光のように天空より現れ、怪物達の怒りを鎮め、邪悪な者達を滅ぼして世界を救った)

 水の精霊の言ったこと、そして始祖の祈祷書で見せられた過去のビジョン。足りなかったパズルのピースがまたひとつ埋められていく。まだ完全ではないが、今度のピースで絵が見えてきた。

 

「六千年前、ウルトラマンの誰かがこの星にやってきた。そして、そのときも人々を守るために戦っていたんだ」

 

 胸が熱くなった。どんな危機の中でも、助けを求めればやってきてくれるウルトラマンの意思は、形は違えど、この世界でも昔からあったのだ。

 だが、まだ謎は残る。このウルトラマン像は、自分の知っているどのウルトラマンとも違う。この世界出身が確かなウルトラマンにはジャスティスがいるが、ほかにもこの世界にはウルトラマンがいるのだろうか。

 また、エルフの伝承では聖者アヌビスは悪魔と戦っていたということになっているが、悪魔がイコール始祖ブリミルだとすれば矛盾が生じる。祈祷書の見せてくれたヴィジョンでは、始祖ブリミルは悪魔どころか、世界を守るために戦っていた。

 このあたりに何か、大厄災の真実に関する最大の鍵が隠されているように才人たちは感じた。先人たちも、それを後世に伝えるために遺跡や伝承など、様々な形をとって残そうとしていたのだろう。二度と同じ惨劇が繰り返されないために。残念ながら、六千年という月日のうちに記憶は薄れ、遺物は風化していったが、まだ謎を解く手がかりはあるはずだ。

 ウルトラマン像は静かにたたずみ、なにも答えてはくれないが、その視線は在りし日に多くの人々を見守っていたのだろう。

 と……ふとティファニアは、ウルトラマン像の胸、カラータイマー部に青いきらめきを見つけてつぶやいた。

「あれ……? ねえ、あの光……なにかな?」

「えっ? あ、ほんとだ……」

 指差された先を見て、才人やギーシュたちも気がついた。注視してみると、像のカラータイマーは石ではなくて、静かな青色を放つ宝石が埋め込まれているようだった。しかし、不思議なことにティファニアに言われるまでは、誰一人として存在に気づいた様子がなかった。白い石の像の真ん中に、くっきりと埋め込まれているにも関わらずである。

 すると、テュリュークは感心したようなしぐさをして、ティファニアに笑いかけた。

「ほお、あれに気がつきおったか……やはり、ただものではないようじゃのお、お前さんは」

「えっ? いえ、わたしは別になにも」

「いや……やはり、お前さんがここに来たのは運命だったのかもしれんな。あの輝石が、お前さんを呼んだのかもしれん。ほいっ」

 テュリュークは魔法を使い、像の胸の輝石をティファニアに向かって落とした。手のひらで受け取ったティファニアは、小鳥の卵ほどの大きさの輝石をじっと見つめた。輝石は手のひらの上で、穏やかな青い光を放っている。

「きれいな石ね」

「うん、ブルーダイヤでもサファイヤでもない。見たこともない、不思議な石だな」

「そんなこと、どうだっていいじゃない。海の結晶みたいな青さ……きれい」

「わたしは宝石なんて興味ないけど……でも確かに、月の光みたいな優しい輝きね。見てると、落ち着いてくる気がする」

 輝石を見て、ギーシュやモンモランシーや、ルクシャナもが口々につぶやいた。誰もが、穏やかな笑みを浮かべている。

 この輝石はなんなんですかと問うと、テュリュークはウルトラマン像を見上げて言った。

「その輝石は、聖者アヌビスがこの地を去るときに残していったものだと伝えられておる。不思議なものでのう、どういうわけか、確かにそこにあるはずなのに、見えたり見えなかったりすることがあるんじゃ。まるで石が、見る者を選んでおるかのようにな」

「石が? ただの石に、そんな意思があるようなことがあるんですか?」

「わからん。ただ、精霊の力でもお前さんたちの魔法でもない、不思議な力としか言いようがない。しかし、伝承では再びこの世界に大厄災が訪れようとするとき、その石は新たな聖者に受け継がれて、大きな力となるだろうとはあるのう」

 テュリュークが、細い目でティファニアを見ると、才人は驚いたように言った。

「まさか、ティファニアがその聖者の再来だってのか!」

「まだそこまでは言うておらん。けれど、めぐり合わせというものは不思議なものでな。壁ひとつ隔ててすれ違う身内もおれば、十数年会ってない友人と辺境でばったり出くわすこともある。その子が、ここにやってきた以上、ここでのめぐりあわせにも、なにか意味があるのかもしれん」

 運命という、言葉にすれば一秒で足りる単語が人生を支配していると思いたくはない。しかし、ティファニアが虚無の担い手という大任を受けて生まれた者だとしたら、なにかしらの意思と力が働いている可能性もまた、否定できなかった。

 なにも知らぬまま、無邪気に輝石の光と遊ぶティファニア。こうして見ると、あの輝石がそんなすごいいわれを持つものだとは思えないし、ティファニアにしても普通の女の子以外に見ることはできない。

 もしも、ティファニアがそれほど重要な役目に選ばれた理由があるとすればなんだろう? 才人もルイズも考えるが、思いつかない。彼女も確かに虚無の担い手で、ルイズのように強力な虚無魔法を使おうと思えば使えるのかもしれないが、エクスプロージョンを撃てばショックで自分がひっくり返ってしまいそうだし、テレポートで飛び回る姿も想像しずらい。元々使えるという『忘却』の魔法にしても、すごいといえばすごいだろうが効果が局地的過ぎて、ましてよいことより確実に悪用方法のほうが多そうだ。

 ティファニアにだけある、なにかの素質。恐らくそれは、ティファニア自身もまだ気がついていないのだろう。

 手のひらの上で、蛍のように光り続ける輝石。ティファニアはそれを、飽きることなく見続けていた。

「ふしぎ……なんでか、とってもあったかい……あっ?」

 気のせいだろうか……そのとき、ティファニアは輝石が一瞬またたいたように見えた。けれど、その場にいた誰も気づいた様子はない。

「どうしたんだい?」

「い、いえなんでもないわ……錯覚だったのかな?」

 でも、一瞬だけども見えたあの光は、まるで自分になにかを呼びかけていたように思えた。ほんとうに一瞬すぎて、意味はわからなかったけれども、そんな気がしてならない。とても大切ななにかを……

 

 輝石はあくまで石であり、デルフリンガーのようにしゃべってはくれない。

 テュリュークはティファニアに輝石を握らせたまま、大厄災に関する話を再開させた。資料として残っている、あらゆる事柄と学者が研究した様々な説についてを惜しげもなく。

 一方、人間たちもテュリュークやビダーシャル、ときには護衛のエルフから質問があると包み隠さず答えていった。

 ヤプールとウルトラマンの関係、なぜこの世界が狙われているのか、そしてどうして自分たちがここに来たのか。

 隠し事をしたままでは、互いに信頼は作れない。偏見や差別は、その大部分が相手への無理解、無知によって生じる。たとえ相手が自分と反発する主義主張を持っていたとしても、押し付けていたら永遠に戦争などはなくならない。

 才人たちは、エルフたちが蛮人のくせにと言ってきても、怒鳴り返したいのをぐっと我慢して話し合いを続けた。

  

 

 だが、別の種族への蔑視を悪意で固定してしまっている者ほど度し難いものはない。特定の民族、国家への蔑視、そうする彼らの主張の一端は真実を掴んでいるかもしれないが、それらを構成しているのはひとりひとりの違った人間であり、民族やら国家やらというのは単なる社会性集合体の一形態にすぎない。

 端的に言えば、アリとハチが自分たちの巣こそ優れているのだと主張しあうようなものだ。地面の下と木の上の勝負、決着がつくはずもない馬鹿げた議論だというのは誰にでもわかるだろうに。

 それにも関わらず、そんな極めて狭い分類で世界を分けて、自らを他の集団よりも優越していると考えるお山の大将はどこでも後を絶たない。エルフも同様であり、人間などは話すのも汚らわしい劣等種だと本気で信じている一団は、彼らの正義に従って行動を起こそうとしていた。

「ようし、このあたりでいいな。爆弾の準備はいいか?」

「いつでも。見ている者もいないようだ……あとは同志ハッダード上校がうまくやってくれるだろう」

 遺跡の中ほどの柱の影で、数人のエルフが小型の爆弾を仕掛けてほくそ笑んでいた。彼らは、先にファーティマから命令を受けた一団の兵卒で、この場所で爆発を起こすことによって護衛の兵たちをおびき出し、人間たちが孤立したところでファーティマ率いる本隊が奇襲を仕掛けるという陽動作戦を決行しようとしていたのだ。

「導火線は大丈夫だ。離れろ」

 この手の兵器は人間もエルフも大差はなかった。道具には日々進歩していくものと、発明されたときからほとんど変わらずに何百年と使われていくものがあるが、これはその後者に値する。ダイナマイトがいつまでたっても葉巻型なのと同じようなものだ。

 導火線を伸ばして、彼らは目を合わせた。着火は道具に頼らず魔法でおこなうから確実につけられる。

「やるぞ……悪魔どもめ、思い知るがいい」

 導火線の先から、小さな火がちろちろと燃えながら爆弾のほうへと動いていく。十秒もすれば、火は爆弾に到達して爆発が起きるだろう。遺跡を崩すような威力はもちろんないが、爆音は石壁に反響して奥までしっかり届くはずだ。

 

 だが、彼らが作戦成功を確信してほくそ笑んだときだった。突如、遺跡全体が轟音をあげて揺れ動き始めたのだ。

 

「うわっ! な、地震か!?」

 立っていられないほどの激震が彼らを襲った。砂漠の民である彼らも地震は知っているが、これはいまだかつて体験したことのないほどの揺れで、嵐の中の船のように自由を許してくれない。

「まずい! 爆弾が、うわあっ!」

 ひとりが、床の上で跳ね回っている爆弾を止めようと手を伸ばした。しかしそのとき、彼らのいた遺跡の床がぱっくりと口を開いた。精霊に命ずる暇もなく、エルフたちは地割れに飲み込まれていく。ひとりがかろうじて、裂け目のふちに手をかけて掴まったが、そこに彼らの仕掛けた爆弾が、まるで主をいとおしむかのように転がってきた。

「よせ、くるなっ! な、なぜ我々がぁぁぁーっ!?」

 爆風とともに、最後のひとりの姿も地割れに消えた。彼らの命を飲み込んだ地割れは、その裂け目から間欠泉のように水を噴出し始めた。大量の水は波となり、みるみる遺跡の中を浸透していく。

 

 一方、さらなる激変は遺跡の外でも起きていた。

「なんだっ! 地震!?」

「落ち着け! この程度の揺れで東方号はビクともせん。全員持ち場を離れるな!」

 艦長代理のミシェルの命令で、銃士隊は東方号をキープしようと必死になった。東方号自体はなんともなくても、横転して水蒸気機関が損傷でもしたら大変なことだ。今頃はテュリューク統領の船のほうでも、居残りの船員たちが必死になって船を守ろうとしているだろう。

 だが、これが普通の地震ではないことを、経験からミシェルたちはすでに勘付いていた。

「副長、これはもしや!」

「ああ、あんまりにいいタイミング……やつだ、来るぞ!」

 乾ききった砂漠から、噴水のように幾本もの水柱が立ち上がる。五本、六本、あっという間に二十本から三十本へと増えた水柱は、高さ百メイルには及ぶしぶきをあげて、灼熱化した東方号の船体に蒸気を立ち上らせる。

 が、一見涼しげな光景はそれまでだった。

 砂漠に立ち上がる、ひときわ大きな水柱……その中から、巨大な魚のシルエットを持つ超獣、ガランが姿を現した。

「超獣です!」

「やはり来たか、総員戦闘配備! 奴は東方号を狙ってくるぞ、迎え撃つ!」

 ヤプールがおとなしく見ているだけはないと思っていたが、やっぱり妨害に出てきたかとミシェルは歯軋りした。しかも、乗組員の大半が留守のこんなときにである。指揮官として、最悪だという怒鳴り声こそ発しなかったが、軍靴のかかとを鉄の床に叩きつけるくらいの自由は行使した。

「機関室! 水蒸気機関に蒸気は溜めてあるか?」

「大丈夫です。いつでも最大圧力まであげられます……って、副長まさか、私たちだけでこの船を飛ばすつもりですか!?」

 機関室から伝声管を通って返ってきた元気な声はサリュアのものだった。今頃は、彼女たちの一隊は蒸気罐の前で石炭まみれになって働いているだろう。あとは数人が重力制御室に、残り五名ぐらいは機銃にとりついているはずだ。だが、それで銃士隊の人数は尽きる。正確に言えば、艦橋に予備要員としてミシェルのほかに三人だけいるが、わずか三十名足らずの人数で、この巨大戦艦を飛ばせるのだろうか?

 だが、ミシェルは断固として叫び返した。

「わからんのか! 今の我々は瀕死のタヌキも同然だ。サイトたちが戻るまで東方号を死守するには、無理でも無茶でも動かすしかない。わかったか! わかったなら、持ち上げてでもこいつを飛ばすぞ!」

 なんとも、昔のミシェルを知っている者からしたら信じられないような命令口調だった。作っていた生真面目さや、落ち着きの内側に、解放された心がいつのまにか熱い魂を生み出していたのだ。

 そしてもちろん、ミシェルをそんなふうに変えたのはあいつの影響にほかならない。サリュアや、機関室にいた者たちはびっくりはしたものの、すぐに笑顔になって艦橋に向かって叫び返した。

「わかりました! 副長の旦那が帰って来るまで、東方号を守り抜けばいいんですね!」

「んなっ! ば、バカお前ら!」

 怒鳴り返しはしたものの、すでに艦内中で大爆笑となっていた。これもまた、以前の厳格な銃士隊では考えられなかったことだろう。銃士隊の隊員たちは、それぞれ訳ありで剣の道に入ってきた、国に我が身を捧げた剣鬼ばかりだが、なによりも恋する乙女の味方なのだ。

 顔を真っ赤にして、「どいつもこいつも……」と、ぶつぶつ言いながら指揮を取るミシェルと、まだ笑いながら手だけは正確に動かす隊員たち。銃士隊をここまで人間味のある組織に変えたのは、たったひとりの恋心……それをこんなところで悲恋にしてたまるかと、ただそれだけの理由で三十人の隊員たちは団結する。

 

 しかし、ミルク色の砂漠に、黒い沁みのような点がひとつ。砂丘の上に立つ、真っ黒なコートを着込んでいるというのに汗ひとつかいていない不気味な男が、東方号とガランを見つめて笑っていた。

「破壊せよガラン! 人間どもの希望なぞ、踏み潰してしまえ!」

 

 さらに、また遺跡の最深部に舞台を戻し、同時進行で物語は進行していく。

「で、でかい地震だったな。な、なんだこりゃ!」

 まだ、超獣出現を知らない彼らは、揺れから頭と体についたほこりを払い、立ち直るときょろきょろと辺りを見渡して愕然とした。

 地震が起きたとき、彼らはとっさに出口に向かって全員で走り出した。しかし、古い遺跡であるのでやはり強度に限界が来ていたようだ。広々していた部屋は天井から落下してきた無数の岩石が山を作り出し、入り口付近から完全にふたつに分断されてしまっていた。

「なんてこった。もう数歩逃げ遅れてたら、完全に生き埋めにされてたところだぜ」

「皆、無事か? 誰か、向こう側に取り残されてる者はいないか!」

 コルベールが点呼をとり、水精霊騎士隊は互いの安否を確認しあった。ギーシュ、モンモランシー、ギムリにレイナールも自分の名前をあげて無事を報告し、その度に全員に安堵の色が流れていく。エルフたちも、テュリューク統領はビダーシャルが守って、護衛兵たちも頭数があまり減った様子はない。

 だが、幸い全員無事かと思われたそのとき、モンモランシーが慌てたように叫んだ。

「大変よ! ティファニアがいないわ!」

「なんだって!」

 一大事であった。まさか、落盤の向こう側に取り残されたのか、それとも押しつぶされてしまったのかと全員に冷や汗が流れる。

 さらに、エレオノールもひとり見えない顔がいるのに気づいた。

「そういえば、ルクシャナもいないわ」

「なんだと! しまった、私がついていながら」

「ルクシャナ! そんな、畜生!」

 ビダーシャルも、テュリュークの護衛に専念するあまりに、姪のことを失念していたことに端正な顔に小さなゆがみを作った。婚約者のアリィーも、無闇に近づいたらうっとうしがられると、仕事に専念しようとしていたことを悔しがるがどうにもならない。

「まさか、あの子たち……くっ」

 土のメイジであるエレオノールの直感が、この土砂の山は簡単にどうこうなるものではないことを告げていた。

 落盤した岩の山は、半端な魔法などは受け付けないふうに、無情に聳え立っていた。

 

 何百トンという土砂は、エルフのカウンターの魔法を持ってしても到底耐えられるものではなく、たとえ地球から重機を運んできたとしても容易に取り除けるものではないだろう。もしも飲み込まれていたとしたら死体が残るかどうかさえ怪しい。

 が、落盤の向こう側ではルクシャナとティファニアは奇跡的にも生き残っていた。

「だ、大丈夫? あなた」

「は、はいっ、ルクシャナさん。あなたが守ってくれたんですか?」

「いいえ、とても間に合うようなタイミングじゃなかったわ。ほら、わたしたちは運がよかったのよ……」

 魔法の明かりの中で、ルクシャナに促されて上を見ると、そこにはあのウルトラマン像が自分たちにかぶさるようにして倒れこんできていた。ティファニアは、像が傘になってくれたおかげで、自分たちは土砂の下敷きにならずにすんだことを知った。

「ウルトラマンが……助けてくれたの」

「でも、閉じ込められちゃったわ。これは、精霊の力を借りるにしても契約がないと難しいわね。どこかに、通れるすきまがあるといいんだけど」

 先住魔法も万能ではないと、ルクシャナは困った顔をした。また同じ規模の地震が来たら、今度こそ助からないかもしれない。

 だが、死神は落盤よりも早く彼女たちに迫っていた。

「安心しろ、出口など探さなくてもお前たちはここで死ぬ」

 よく通る声が響き、ふたりはその方向に振り返った。

 見ると、髪の長い士官服を着た女が立っていた。額からは、落盤のときに負ったのか血が流れている。しかし、その手には銃が握られていて、銃口はまっすぐにふたりを向いていた。

「会えてうれしいよ、民族の裏切り者と悪魔の末裔。ようやく、一番殺したいやつらと三人きりになれたな」

「あなた……っ!? その腕章は!」

 ルクシャナは、その女性士官の破れた制服の下から現れた腕章を見て絶句した。

 鉄血団結党……民族の敵はすべて抹殺せよという教義を妄信する、エリート主義に凝り固まった狂信者たち。まさか、統領の護衛部隊の中にも紛れ込んでいたとは。

 だが、とっさに魔法をぶつけようと思ったルクシャナは、相手の銃が震えているのに気づいた。よく見ると、顔色も悪いし息も荒い。

「あなた、まさか今の落盤で怪我を」

 苦しそうなファーティマの姿に、ティファニアは思わず話しかけた。だが、その心配げな声が誇りを傷つけたらしく、ファーティマは語気荒く怒鳴った。

「黙れ! 悪魔に心配されるいわれはない。悪魔……はは、まさしく貴様らは悪魔だ。部下に陽動を任せて襲おうと思っていたのだが、いったいどんな悪魔の業を使った? おかげで部下は全滅だ。ふははは! あーっはっはは!」

「あ、あなた……」

 様子がおかしい。もしや負傷の痛みと出血のせいで錯乱しかかっているのか! なら、下手に刺激すると危険だと、ルクシャナはティファニアに忠告しようとしたが。

「待って! 早く手当てをしないとあなたも危ないわ!」

「黙れぇぇっ!」

「きゃああっ!」

 銃声と悲鳴がこだました。ティファニアが右肩を押さえてうずくまり、弾丸が岩に当たって跳ね返る音がする。照準がぶれたおかげで、銃弾はティファニアの肩をかすめただけですんだのだ。

 だが、ほっとする暇はなかった。失血で理性を失いかけていたファーティマは、今のショックで完全にたがが外れてしまった。予備の銃を取り出して、狂乱しながらティファニアに今度こそはと銃口を向けた。

「死ねぇ! 悪魔めぇぇっ!」

 自らの顔をこそ悪魔のように変えて、両手に持った二丁の銃がティファニアの胸を狙う。ルクシャナはとっさに防御の魔法を使おうとしたが。

「だめっ、間に合わない!」

 銃の速度にはかなわない。エルフの銃は火薬ではなく、風石の力で弾丸を押し出しているために初速が速く、殺傷力が強い。

 ティファニアは、銃口の黒い穴を見ながら、ああ……わたしはここで死ぬのかなと思った。

 せっかく念願だった東の国まで来たのに、まだなにもしてないのに。やっぱり、ハーフエルフはいちゃいけない存在なのかな?

 

 弾丸が放たれ、一直線にティファニアに向かう。

 だが、そのときだった。

 

「キャプチャーキューブ!」

 

 青い光弾がふたりに向かったと思うと、次の瞬間ティファニアとルクシャナの周りを光の壁が取り囲んだ。弾丸はその壁にはじかれて、土砂に弾痕を作って虚しく止まった。

「なにぃっ!?」

「こ、これは?」

 愕然とするファーティマと、呆然とするルクシャナ。そしてティファニアが顔を上げると、そこにはガッツブラスターを構えて瓦礫の山の上に立つ才人の姿があった。

 

「サイト!」

「言っただろ、おれが守ってやるってな!」

 

 

 続く



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第83話  ネフテスの青い石

 第83話

 ネフテスの青い石

 

 怪魚超獣 ガラン

 高原竜 ヒドラ

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

「サイト!」

「言っただろ、おれが守ってやるってな!」

 

 ティファニアの危機にさっそうと駆けつけた才人は、ガッツブラスターを構えながら不敵に笑ってかっこうをつけた。

 もっとも、才人も落盤のときに大量の粉塵を浴びたと見えて、顔からパーカーまで真っ黒にすすけている。せっかくのところで悪いけれども、これでは炭鉱の工夫みたいでルクシャナは失笑したが、それでも撃たれた傷を押さえながら、ティファニアは表情を輝かせた。

 それに、瓦礫ごしにルイズも現れて、ポーズをとっている才人の頭を杖で軽くこづいた。

「なあに、似合いもしないヒーローぶってるのよ。閉じ込められたときに、『やべえよ真っ暗だよ』とかうろたえてた奴のセリフ?」

「ちぇっ、お前がつまづいたおかげで逃げ遅れたくせによく言うぜ。けど、そっちが魔法の明かりを照らしてくれたおかげで助かった。まさしく怪我の”光明”ってやつだな。おい! そこの金髪の長耳野郎! もうテファたちに手出しはできねえぞ。降参して武器を捨てろ!」

「おのれ、悪魔のかたわれがまだ残っていたか! いったい、なんの悪魔の術を使った!?」

「術じゃねえよ、こいつは科学っつうんだ。それに、こいつは人を救うための力だ、悪魔なんかじゃねえよ」

 怒鳴るファーティマに向けて、才人は誇りを込めて断固として言い放った。

 才人の手にあるガッツブラスターの先端には、青い色をしたアタッチメントパーツが取り付けられていた。一度リュウ隊長の手に渡されて地球に送られたこの銃は、モロボシ・ダンによって再び才人の手に返された。その際、CREW GUYS仕様にいくつかの改造が施されていて、アタッチメントパーツを付け替えることによって、トライガーショットと同じように超絶科学兵器メテオールを使用することができるようになっていたのだ。

 そのひとつが、今ティファニアたちを助けたメテオール・キャプチャーキューブである。メテオールの代表かつ基本といえる装備で、照射部に一分間限定の簡易バリアーを発生させて、外部からの衝撃から身を守ったり、逆に内部に敵を閉じ込めたりすることもできる。

「黙れ、悪魔の戯言など聞く耳はもたん」

 才人の言葉に激昂したファーティマは、銃口を才人たちに向けた。しかし、一瞬前に才人は二発目の引き金を引いていて、今度はファーティマがバリヤーに閉じ込められてしまった。

「おのれっ! 出せっ! 出さないかっ!」

「無駄だよ。そのバリヤーはちょっとやそっとじゃ破れねえ。少しその中で頭を冷やしやがれ」

 キャプチャーキューブは簡易ながら、その強度は見た目よりはるかに強い。並の怪獣の攻撃が通じないのはもちろんのこと、暗黒四天王のひとりデスレムの火炎弾『デスレムインフェルノ』も軽く跳ね返してしまった。これを内側から破るなら、無双鉄神インペライザー級の大火力が必要とされる。

 才人は、ファーティマが無害化すると瓦礫を駆け下りてティファニアとルクシャナのもとに向かった。ちょうど、そちらのキャプチャーキューブは時間が過ぎてバリヤーが消え、二人も中から出てきて駆け寄ってきた。

「テファ、大丈夫か? 怪我してんだろ」

「大丈夫、かすっただけだから。それよりもありがとう、助けに来てくれたんだね」

「え? へへ、まあなっ! おれは約束は破らない。特にテファとのだったらなおさらさ!」

 天使の笑顔で擦り寄ってくるティファニアに、才人は照れながら胸を張った。もっとも、その後すぐにルイズに耳を引っ張られてしまったが。

「あんた、そのにやけた顔は何? わたしと閉じ込められたときは気にも留めずにひとりで慌ててたくせに、説明してもらえるかしら」

「あいててて! こ、これは、ルイズの顔はもう見慣れているがゆえの新鮮な反応というかなんというか。と、ともかく二人とも無事でよかったよかった! いてててっ!」

 才人は無理矢理ごまかした。だって、ルイズは力強すぎて心配なんてできないんだもの。それに、「自分以外の女を見るな!」というのは女が惚れた男に対する自然な反応だとしても、ルイズの嫉妬ぶかさは相変わらずひどい。少しは自覚してほしいと才人は思った。

「くすっ、サイトとルイズって、ほんとに仲がいいのね」

「お、おいっ! これが仲よさそうに見えるのかテファ!?」

「うん、だって心配する必要がないほど信頼しあってるってことなんでしょ。いいなあ、わたしもそんなふうに思われてみたいよ」

 まったく疑うことをしない天使の笑顔が才人に向けられた。才人からしたら、よくまあそこまで人をよい方向に見られると思う。純真というか、人間のよいところを素直に見られているというか、ティファニアほど人を澄んだ目で見られる子はそういないだろう。人は成長していくにつれて疑り深く、心が濁っていくものだから、ティファニアの純真さはとても貴重に思えた。

 と、そこで無視されていたルクシャナがルイズの手を放させた。

「はいはい、そこまでにしときなさいあなたたち」

「いてて……わり、助かったぜ」

「どうでもいいわよそんなこと。ま、助けてもらえたっていうならわたしのほうこそだから、今のうちに一応礼は言っておくわ。それよりも、どうやってここから出るかを考えましょう」

「あら? それなら心配いらないわよ」

 こともなげに言ってのけたルイズに、才人とルクシャナは怪訝な顔を向けた。

「はあ、あなたたちわたしが虚無の担い手だってこと忘れてんじゃないでしょうね。さすがに外に出るのは無理だけど、この程度の岩壁ならどってことないわ」

「そうか! テレポートがあったな」

 合点がいった才人はぽんと手を叩いてうなづいた。ルクシャナも、話には聞いていた瞬間移動魔法の名前を思い出して、なるほど虚無が悪魔の業と恐れられるのも道理ねと、口には出さずに納得し、ティファニアは両手を叩いてうれしがった。

「すごい! ルイズさんって、そんな魔法も使えるんですか」

「ふふん、そのとーり。レビテーションとかフライとかなんて比べ物にならないわ、なんたって一瞬であっちからこっちまで行けるんだもの。ま、こんなことができるのも、この超絶天才美少女メイジ、ルイズさまだからこそよね。そうでしょサイト?」

「はいっ、そのとおりでありますっ!」

「ほーっほーっほっほ!」

 今わめいたカラスがもうカナリアになったと才人は思った。ほめられればすぐ頭に乗るというか、感情の起伏が大きくてノリがいい。人によっては疲れる性格だと思うかもしれないが、才人はそうでないルイズはルイズでないとも思うのであった。

「それじゃ、善は急げでさっさと脱出しましょうよ」

「待って、あの人を置いていくわけにはいかないわ」

 すぐに脱出しようと急かすルクシャナを、ティファニアが止めた。彼女は、ファーティマをここに残しておくわけにはいかないと言う。見ると、キャプチャーキューブの時間が切れ、ファーティマは床に倒れこんでいた。どうやら、見た目以上に深い傷を負っていたらしい。

 しかし、それでも一丁だけ残った銃を手放さず、ファーティマはティファニアを撃とうと腕を震わせている。そんな彼女の鬼気迫る姿に、自分も殺されかけていたルクシャナは憤然として言い放った。

「いいわよそんな奴置いていきましょう。どうせ死んだって自業自得よ」

「そんな! それは、いくらなんでもかわいそうですよ」

「あなた、自分が殺されかけたってのにお人よしがすぎるわよ。見なさい、助けたって、そいつはまたわたしたちを殺しに来るわ。あなたは知らないだろうけど、鉄血団結党っていって蛮人嫌いの狂信者集団の仲間なのよそいつは。ここで始末しておかないと、あなたの仲間も命を狙われるわ。苦しませるのが嫌だっていうなら、一思いにここで撃ち殺してあげなさい」

 話の通じる相手ではないと、ルクシャナは才人にとどめをうながした。

 才人は、ガッツブラスターを睨んで考える。確かに、この女は命を助けても、その恩をあだで返しに来るだろう。そのせいで、自分はともかくティファニアやギーシュたちに危害が及んだら取り返しがつかない。

 しかし、正しい道理が正しい答えにつながるとは限らないことを、才人も多くの経験から学んでいた。

 血の気を失って蒼白になり、それでも取り憑かれたように銃口を上げようとするファーティマは、まさに狂信者と呼ぶにふさわしい。

 が、命は命……それに、すがるようなティファニアのまなざしが才人を決断させた。

「連れて帰ろう。敵とはいえ、こいつにも死んで悲しむ奴がいるかもしれねえ」

「……甘いわね、あなたはまだ狂信者というものがわかってないわ」

「だろうな……だが、おれはこの銃で人殺しはしたくない。まあ、なるようになるさ。ルイズ、デルフを頼む」

 悪いほうに考えてもしょうがないと、才人は楽天的に言ってのけた。背中に背負っていたデルフリンガーをルイズに渡し、ファーティマの持っていた銃を蹴り飛ばして、彼女を背中に背負った。

「はな、せ……汚らしい、ばん、じんめ……」

「はいはい、蛮人でもゴリラでも好きなように呼べ。おれも本当はてめえなんか助けたくはねえが、テファがどうしてもっていうから仕方なく助けるんだ。ありがたく思ったほうがいいぜ」

「誰が……貴様らのような、サハラを汚すゴミは……われ、らが」

「勝手に来たのは悪いと思ってる。けどな、だからといってゴキブリみたいに片付けられるほど悪いことしたとは思えねえぜ。てめえが自分らをどれだけ偉い種族だと思ってるか知らねえけど、ちっとは自分の背中を見つめてみやがれ。それでなんにも思わないとしたら、てめえは見てくれがいいだけのただのバカ野郎だ」

 肩越しにファーティマの顔を見て才人は怒鳴った。そのとき、才人はなぜか自然と言葉を荒げてしまったことに気づいた。ティファニアを殺されかけたことか、差別主義の狂信者への不快感か、そういったものもあるだろうが、なにか別なことでこの女には気に障るものがある。

 見てくれがいいだけの……そういえば、才人はちらりとティファニアを見た。彼女はどんどん衰弱の進んでいくファーティマを心配そうに見つめていた。

「がんばって、船に戻ったらすぐに治療しますから」

「うるさい……」

 才人の視界の中でティファニアとファーティマの輪郭が重なる。違和感の正体がわかった、

”そうか、こいつはテファと似てるんだ”

 偶然だろうかと才人は思う。昔、日本人には外国人の顔が全部同じに見えると聞いたことがあるが、その類がエルフに適応されているのだろうか? いや、でもハルケギニアに来たときにルイズたちの顔はちゃんと見分けられたから、それはないか。

 とすると、もしかしたら……

 そこまで考えたとき、再び大きな地鳴りがして天井からパラパラと石が落ちてきた。

「早く! 次に大きなのが来たら、もう持たないわよ」

「ええ! サイト、テファ、すぐに跳ぶわよ」

 三人を自分のそばに集めて、ルイズは虚無の呪文を唱え始めた。『テレポート』の魔法が完成すると同時に、五人の姿は掻き消えて、次の瞬間残った部屋は瓦礫に埋め尽くされた。

 

 そして、すでに瓦礫にうずもれている山の前にルイズたちが現れると、待っていたエレオノールたちからわっと囲まれた。

「あっ! ルイズ、あなたたち! 無事だったの。そうか、虚無の魔法を使ったのね」

「ええ、運がよかったのか悪かったのか。姉さま、ほかのみんなは無事ですか?」

「うん、我々のほうには幸いながら行方不明はいないわ。水精霊騎士隊の半分はテュリューク殿といっしょに先に帰ったわよ」

 この場に残っていたのは、土魔法で掘削をおこなおうとしていたエレオノールのほか、ギーシュたち十名ほどの水精霊騎士隊とビダーシャルと、ルクシャナの婚約者のアリィーと数名の騎士だけだった。彼らは、目の前にひょっこりとルイズたちが現れたので驚き喜んだ。

 無事でよかった。心配した、この馬鹿ヤロウと、親しみを込めてもみくちゃにされる。アリィーは、ルクシャナに心配かけさせるなと言ってはつれない態度をとられてしょげているが、そんななかでビダーシャルがルイズに無表情のままながら礼を言った。

「わたしの姪がまた世話になったようだな。つくづく、迷惑をかけて申し訳ない……ところで、エルフの騎士たちの何名かがまだ行方不明なのだが、知らないか」

 ルイズは、言ってもいいかと悩んだが、ファーティマたち鉄血団結党に襲われたことを伝えた。もっとも、襲われたときにはファーティマ以外は全滅し、そのファーティマも虫の息なのだが。

「そうか、あの男の走狗が潜り込んでいたとはうかつだった。彼は努力家なのだが、どうにも自己愛が過ぎる男でな。我々も、お前たちを笑えないのが最近よくわかってきた。それにしても、自分たちを殺そうとした相手を、よく救ったな」

「この女の始末は、あとでテュリューク統領にゆだねるわ。あなたたちの犯罪者をわたしたちが勝手に裁く道理はない……あなたたちの同胞の不幸には、つつしんで哀悼の意を表します」

 淡々と告げたルイズに、ビダーシャルは内心でほんとうに蛮人たちを笑えんなと思った。いったい、より優れているとはなんなんだろうか? 話し合いに来た使者を有無を言わさず暴力で排除しようとした同胞と、その相手に報復せずにあくまで紳士的に対応した蛮人……さて、どちらが蛮人と呼ぶにふさわしいものか。

「了解した。その者の処分は、空軍の軍法によって裁かれるだろう」

「寛大な処置をお願いすると、お伝え願いたいわ。それと、あなたたちの魔法で彼女の治療はできないの?」

「重傷だな。できないことはないが、ここは地の底すぎて精霊の加護が期待できんから効果は薄まる。急いで船に戻れ、専用の医療設備がそろっている」

「よし、そうとなったら急ごうぜ!」

 どっちみち、こんな場所で治して暴れられでもしたらなお面倒になる。意識を失っているなら、かえって都合がいい。

 だがそのとき、帰り道を見ていたギムリが愕然とした声で叫んだ。

「大変だ! 水が溢れてきてる。この遺跡、水没しちまうぞ!」

「ちっ! みんな、走れ!」

 この大人数ではテレポートで連れ出すこともできない。となれば、あとは親からもらった二本の足で駆けるしかない!

 

 

 しかし、才人たちが地上に向かって長い道のりを駆けているあいだにも、東方号は大きな危機に瀕していた。

「副長! いえ艦長代理! 一番および三番の水蒸気圧力が上がりません。これでは、エンジンは半分しか動かすことができませんよ!」

「かまわん! 残った二基だけでも飛ぶだけならできる。いいから回せ、超獣はもうすぐそこまで来てるんだぞ」

 超獣ガランの襲撃を受けている東方号では、ミシェルたち銃士隊が必死になって東方号を動かそうと奮闘していた。

 現在、東方号に残っている人数はたったの三十人。最小限度もいいところで、蒸気釜に石炭をくべる人数も、圧力を調整する人数も全然足りず、まるで、クジラに手綱をつけて操ろうとしているにも似た苦闘だった。おまけに、飛ばす要である重力制御機構はエレオノールでないと理解できず、念のため作ってあったマニュアル本を読みながらなのでうまく稼動しない。

「くそっ! やっぱりミス・エレオノールだけでも残っていてもらうんだった。わたしたちだけじゃとても手が足りん! こんなことならスキュラでも隊員にしておけばよかった!」

「おや副長? 酒場で酔ってからんできた男を十人まとめて叩きのめした人とは思えないセリフですね。ちなみに言っておきますけど、スキュラで多いのは手じゃなくて足ですよ」

「そうですよ。それに亜人は絶世の美女が多いって言いますからね。そんなのを入れておいて、サイトが誘惑されたら大変じゃないですか」

「なんだとお前たち! わたしがタコ人魚にも劣るって言いたいのか!」

「あら? 誰も副長のことだなんて言ってませんわよねー?」

「ねー?」

「うぬぬぬぬ……」

 死期が確実に迫っている中でも、冗談が飛び交って笑いが耐えない今の銃士隊は、明らかにまともな軍隊ではなかった。けれども、達者な口が性質の悪いジョークをつむぎだしながらでも、彼女たちの手は最大限の仕事をこなしていたあたり、まともな軍人ではなくとも超一級の戦士である証であるといえよう。

 東方号の左右二基、計四基のエンジンのうち左右一基ずつが回転を始める。出力的には心もとないが、離陸するにはこれでも十分である。

 しかし、慣性の法則に従い、静止している巨大な質量を持つ物体が動き出すためには、それなりの時間をかけて加速度をつける必要があった。重力制御で急加速をかけることも一応は可能だが、銃士隊の予備要員ではそこまで緻密な操作ができないし、下手をすれば船内の人間が急激なGに耐えられずに押しつぶされてしまうだろう。

 あと一分時間があればっ! あと五十メイルにまで超獣が迫ったとき、運は東方号に味方した。

「化け物めっ! 撃てっ、撃てーっ!」

 それまで無視されていたテュリューク統領の乗艦の砲手が、狂乱してガランの背中に向かって大砲を放たせたのだ。

 ガランの背部で爆発が起こり、砲手が万歳の声を上げた。しかし、エルフの大砲の威力は人間のものを大きく上回るとはいえ、ミサイルさえ跳ね返すガランのうろこにとってはペン先でつつかれたようなものであった。砲煙の晴れた後にはかすり傷ひとつなく、攻撃を受けたらただちに報復する凶暴性をただ目覚めさせてしまっただけの結果に終わった。

「まだだ! 続けて撃て、いまのはまぐれに決まってる!」

 この船の砲手は竜の巣での戦いには参戦せず、またディノゾールをはじめとする来襲怪獣たちとの戦闘経験もない召集兵だったことが災いした。経験ある優秀な砲主は、新式の戦艦のほうに取られて実質戦闘艦ではない統領艦には二線級以下の者が回されるのは合理性からして正しいが、彼らはそれをよしとせずに、なおかつ超獣をなめていた。

 攻撃されたことに怒るガランの尻尾が統領艦を打ち据えた。魚の尾びれそっくりな尻尾の羽はダンプカー一千台分のパワーを発揮して、ただの一撃で木造船に装甲を張っただけの船は半壊し、つながれていた竜たちが慌てふためいて逃げていく。

「あ、ひ……」

「馬鹿者! 誰が撃てと命令した。ちっ、早く退艦しろ、この船はもう駄目だ!」

 そこでこの船の指揮官代行の士官が命令しなければ、無知な砲手たちはほかの乗組員たちとともに全滅していたに違いない。彼らの船は超獣の一撃で船としては死んでいたものの、まだ哀れなクルーたちを冥界の門から遠ざける壁としてはわずかに機能していた。横転しかかり、ひしゃげた船体の反対側へと彼らは走る。

 そこへ怒る超獣の第二波攻撃が襲い掛かってきた。超獣ガランは元々は古代魚類が改造されたものであるので、体つきは魚のシルエットを色濃く残している。海中を、時速三百ノットで泳ぐことができる能力を有していることからも、どちらかといえば水中戦のほうが得意で、砂漠の地下水脈を縦横に移動して東方号を人知れず追ってきた。しかし、超獣と化した今では地上でも問題なく戦うことができ、うちわのように異常に大型化した手で統領艦はあっという間に破壊されてしまった。

「ああ、俺たちの船が」

 だが、今は命が助かったことのほうを喜ぶべきであろう。彼らの目の前で、船は子供の手にかかる積み木細工のように原型を失っていくが、とりあえず命だけは助かることができた。そこへ、テュリューク統領らが地下から戻ってきて、彼らは自らの不手際をわびた。

「申し訳ありません統領閣下。貴重な船を、みすみす……」

「いや、かまわぬ。そなたらが無事だっただけでもなによりじゃ。それよりも、彼奴はもう一隻の船をも狙っておる。彼奴の気を引いて、時間を稼ぐのじゃ」

「っ!? 蛮人の船を守れとおっしゃられるのですか?」

 エルフたちは露骨に嫌そうな顔をした。それを見て、同時に地上に上がってきていたコルベールらの顔がやや曇る。しかし、テュリューク統領は年齢を重ねただけはあって、次の一言で彼らの口を封じてしまった。

「あの船なくして、どうやってこの渇きの大地から帰れるというのかね?」

 選択の余地はなかった。鉄血団結党ほどでなくとも、蛮人嫌いの性質をたいていのエルフは持っている。けれども、自分の命よりも主義主張のほうが大切という偏屈はそうそういない。

 再び東方号を狙い始めたガランを、エルフたちは魔法を使って牽制しはじめた。戦闘訓練を積んだエルフの魔法はすさまじく、砂の混じった竜巻が幾重にも重なってガランを襲う。普通ならば、真空波と高速でぶつかる砂がカッターとなってズタズタに切り刻まれてしまうだろう。

 が、その普通を超越しているのが怪獣であり、怪獣を超えるものが超獣なのだ。

「なんてやつだ。あれで動けるというのか!」

 ダメージらしいダメージはほぼゼロであった。ガランはうろこのひとつも落とすことなく、完全に無傷で魔法を耐えている。

 逆に振られた尻尾がエルフたちをなぎ払いにかかってくる。避けるのもこらえるのもとても無理だ。

 だが、彼らに冥界の門は再び扉を閉ざした。命中直前、飛び込んできた水精霊騎士隊が彼らを抱えて飛び上がったのだ。

「ふぅーっ、危ねえ。超獣に突っ込むつもりだったのに、間違っちまったぜ」

「お、お前。もしかして俺を助けるために?」

「ち、違う! お前たちを救うために……わざと飛び込んだわけじゃないんだからなぁーっ!」

 以上、ある水精霊騎士隊員とエルフのやりとりである。なにがやりたかったのか不自然な会話だが、もしかしたら才人からどうでもいい地球の知識でも仕入れていたのかもしれない。

「と、ともかく。避けるのはおれたちがやる、あんたらは攻撃に専念してくれ!」

「ば、蛮人に指図されるいわれはないっ! ええい、ままよ!」

 なかばやけくそぎみながら、人間とエルフはコンビネーションを発揮して超獣ガランに挑んでいった。

 水精霊騎士隊が超獣の攻撃を読んでかわし、エルフのほうは攻撃魔法に集中する。魔法の威力では遠く及ばないにしても、水精霊騎士隊は怪獣との対決経験は豊富だから、だいたい超獣がどう動くかは直感的に予感することができた。大振りな超獣の攻撃をかわし、あくまで安全に、足止めだけを目的にして彼らは相当な善戦を見せていた。

「おお! 彼らもなかなかやるではないか」

 コルベールが生徒たちの活躍に、思わず笑顔を浮かべて快哉をあげた。この砂漠の熱気の中で、あれだけ動けるとは体力がついたものだ。一ヶ月間銃士隊にしごかれたのは無駄ではなかったということか。

 ちょこまかと動き回る小さい者たちを、ガランは執拗に追いかけている。本来の目的は別にあるだろうに、バキシムやブロッケンのように高度な知性を持たされていないガランは、命令がなければ本能に従って暴れるしか出来ない。だがそれも、人間とエルフのがんばりあってこそだ。コルベールとテュリュークは、ふたつの種族が力を合わせて戦ってる姿に、ともに顔の筋肉を緩めていた。

「やるものですな。噂には聞いてましたが、あれが砂漠の民の力ですか」

「いやいや、あの若者たちもなかなかやりおるではないか。これは先行きが楽しみなものじゃな」

「ええ、東方号もこれなら大丈夫でしょう。やはり、人間とエルフは相容れない生き物などではない! 私はそう確信しました」

 小さなことなど吹き飛ばす必死さが、凸凹ながらエルフと人間の共同戦線を生んでいた。

 見よ! その気になったらわだかまりを乗り越えるなど、こんな簡単なのだ。エルフと人間に翻弄されて、ガランはすっかりと東方号を攻撃する気を失ってしまっている。ミシェルたちの必死の努力が実って、水蒸気機関のプロペラも高速回転を始めた。

 あれなら飛べる。飛べさえすれば、どうにかすることもできる。エルフ相手には使わなかったが、新・東方号には初代東方号に装備されていた秘密兵器と、新型兵器もいくつか搭載されている。が、それも飛ばなくては使えないが、飛べればなんとかすることができる。

「いいぞ、その調子だ。私の目は間違っていなかった。彼らならば、エルフと人間のかきねを超えて、ふたつの種族に新しい道を示すことが出来るに違いない」

 コルベールは確信を持って、その言葉を口にした。若者には、大人には想像もつかない可能性がある。急に完璧とはいかなくても、エルフと人間がいがみ合う以外のこともできるんだと見せることが出来れば、六千年に及んだ確執の壁に蟻の一穴を作ることがあるいはできるかもしれない。

 

 だがそのとき、期待に胸を膨らますコルベールの耳に、砂漠の熱気すら一瞬で冷ますような冷たくおどろおどろしい声が響いてきた。

「そんなことはさせんよ。お遊びはここまでだ、人間とエルフよ」

「なにっ!」

 とっさに振り向いたコルベールとテュリュークの目に、砂丘の上に立つ一人の男が映ってきた。黒いコートに黒い帽子、まったく砂漠に似つかわしくない容姿。なにより、世界のすべてを見下げているような不気味な笑い顔が、コルベールにホタルンガが現れたときのことを、テュリュークには竜の巣から逃げ帰ってきた水軍士官からのおびえきった報告が思い出さされる。

「貴様! ヤプールか!?」

「ほう? 私がわかるのかね。どこかで会ったかな? まあいい……人間たちよ、先日はよくもバキシムをやってくれたな。まさか、セブンが邪魔をしに来るとは完全に想定外だったが、それでもお前たち程度の技術力でよくぞここまでやってきたとほめてやろう。しかし、それもここまでだ」

「くそっ! 我々のあとをつけていたのか」

「フフフ、私がお前たちの小ざかしいたくらみを見逃すとでも思ったか? バキシムに探らせて、お前たちの目論見などはとうに知っておったわ。泳がせておいたら、こんなところにやってくるとは意外であったが都合がいい。ここでなら、どこからも助けはこない。くだらない伝説もろとも消し去ってくれる!」

 勝ち誇った笑みを浮かべ、ヤプールはマントを翻してガランに手のひらを向けた。

「さあガランよ! そんな奴らと遊んでいるのではない。お前の敵はあれだ。叩き潰せ、ガラーン!」

 ヤプールの思念がテレパシーとなり、ガランはくるりと向きを変えると東方号に向かって進撃を再開した。水精霊騎士隊とエルフたちは、ガランの気を引こうと攻撃を続けるが、今度はガランは見向きもしなくなっている。ガランは、知性は低い超獣だが、その反面テレパシーによる命令には忠実に従う特性を持っている。

 しかしそのとき、ついに東方号が巨体を蹴って動き始めた。砂を巻き上げ、砂丘を砕いて少しずつだがガランから遠ざかっていく。コルベールは、これでなんとか逃げ切れるかと希望を持った。だが、希望を絶望に変えることこそ、悪魔の最大の楽しみである。

「馬鹿め! 逃げられると思ったか。ガランよ、機能停止光線を放てぇ!」

 ヤプールの命令と同時に、ガランの鋭く尖った鼻が緑色に光った。その光を浴びた東方号は、急にエンジンの回転が鈍って、動きが止まってしまったのだ。

「どうした! 止まってしまったぞ、原因は何だ」

「わかりません! 機械は全部正常に動いているはずなんですが」

 置物のように止まってしまった東方号の中で、ミシェルたちが慌てふためいて駆け回っているが、どの機械もさっきまでとまったく変わらずに動いており、止まってしまった理由がわからない。

「艦長代理! 機関砲も動きません!」

「なんだと! まずい、これでは東方号といえども」

 逃げることも戦うこともできない。あの超獣の仕業なのか!? これでは、比喩ではなく本当に瀕死のタヌキでしかない。

 砂漠に巨大な足跡を残しつつ、ガランはまっしぐらに東方号を目指していく。ヤプールの勝ち誇った笑いはさらに大きくなる。

「フハハハ! やれ、破壊するのだ」

「どうした! なぜ飛ばないのだ! ヤプール、貴様の仕業か?」

「そのとおり! ガラン光線はあらゆる機械を停止させる効果を持つのだ。もはや、貴様ら自慢の船はガラクタも同然だぁ!」

 けたたましく、悪魔そのものの形相でヤプールは笑った。ガランの放つ怪光は一種の精神感応波で、これを受けてしまったらいかなる機械装置といえどもガランの思うがままに操られてしまう。タックファルコンやタックアローを操って不時着に追い込んでしまったことはおろか、タックガンやビッグレーザー50などの携帯火器すら使用不能に陥らせてしまったほどの威力を誇り、しかもテレパシーであるから電波妨害への対策もまったく役に立たない。

 機能そのものには一切異常がないにも関わらず、東方号は完全に行動不能に陥らされてしまった。数少ない武器の機銃も動かない東方号は、本当にどうすることもできない。

 しかし、最初からこの能力を使えばよかったのに、なぜ黙っていたのか? コルベールはそう思ったが、すぐにヤプールの下種としか呼べない嗜好に思い至った。

「貴様、我々のあがきを見て楽しんでいたな!」

「ファハハハ! そのとおり、ざっくりと始末してしまうなら簡単だが、それでは絶望が浅い。善戦させ、希望に満ちたところを落としてこそ絶望が深まる。我らを悪魔と呼ぶか? よろしい、最高の褒め言葉だ!」

 宇宙最悪の生命体、異次元人ヤプールらしい考えであった。純粋悪、しかしこいつは元々は自分たち人間やエルフの歪んだ心から生まれたもの、いわば鏡に映った自分たちの影……それが悪魔と化して自分たちを滅ぼそうしているのだと考えると、ヤプールへの罵倒はそのまま自分たちへの罵倒となる。

 コルベールもテュリュークも、形を持った悪魔を前に、どうすることもできない。護衛の騎士団が魔法をぶっつけても、すべて見えない壁にはじき返されてしまった。襲い掛かる無力感が、コルベールの胸をしめていく。

「ミシェルくん、もういい。東方号はいいから、君たちだけでも逃げるんだ!」

 命には換えられないと、コルベールは叫ぶ。

 しかし、ヤプールが笑い、目の前に超獣が迫りつつあるのに、ミシェルは艦橋から一歩も動こうとはしなかった。

「まだだ、まだわたしはあきらめない。最後まであきらめなければ運命は変えられる。奇跡は起こるんだって、サイトは教えてくれたんだ!」

 この世で唯一愛した男の名を叫んで、ミシェルは踏みとどまった。悪と絶望に立ち向かえるものがあるとしたら、それは愛と希望のほかになにがある。命ある限り、負けはしない! 本当は泣き出したいほど怖いけれど、才人が帰ってくるまで、希望は守り抜く。

 

 そして、その強い思いは、マイナスエネルギーとは真逆の力強い光の力となって集まり始めていた。

 遺跡の地下通路……ガランの引き起こした地下水流出で水没しつつある通路を、才人たちは必死になって走っていた。

「くそっ! あと何キロあるんだよ。この遺跡作った奴、張り切りすぎだぜ」

「ルイズ! 本当に君の虚無魔法で脱出できないのかい?」

「人を便利屋みたいに言わないでよ。飛ぶ人数が多いほど、飛べる距離は縮まるし精神力は削られるの。まったくもう、すごそうに見えて使い勝手が悪いのばっかりなのよね虚無って!」

 テレポートを使えばルイズひとりは外に出れても、そこで精神力はカラ。外でなにが起こっているかわからない状況では、精神力は温存しておかないと、いざというときに困ることになる。

「もう……満足に使えたら、みんなを安全に逃がすことができるのに、こっちには怪我人もいるのよ。こんなのなら、フライのひとつでも使えるようにしてくれなさいよって」

 自分自身の非力さへの怒りも込めて、ルイズは小さくつぶやいた。

 足元は水が流れ、速さや深さはまだ水溜り程度なので足を取られるほどではないが、焦燥感をかきたててくる。しかも、落盤の岩や地割れを超えなくてはいけないので、その度に時間を食われてしまう。

「間に合うか……いや、間に合わせる!」

 あきらめては奇跡は起こせないと、才人は坂道をひた走る。自分だけではない、背中には今にも消えそうな命をひとつ抱えているのだ。

 だが、走りながら才人はいつの間にか自分の喉元に鈍く光る刃が突きつけられているのに気づいた。

「なんだ目が覚めてたのか。よく切れそうなナイフだな、袖口に仕込んでたのか」

「……」

 しゃべる力も残ってないのか、ファーティマからの返答はなかった。走りを止めず、才人は小声でファーティマに呼びかける。

「やめとけよ、おれを殺せば、落ちたショックだけでもてめえ死ぬぜ」

「……」

「たいした執念だな、よくもまあ毛虫みたいに嫌ってくれたもんだって感心さえするぜ。まあ、聞いた話じゃお前たちと人間は戦争ばっかりやってたそうだからな。恨まれる筋なら、それこそ売るほどあるだろうな。てめえも……大方、あんまり人に言いたくない半生を送ってきたんじゃねえのか? どうだ?」

 返答の代わりに、わずかなうめきが聞こえたような気がした。

「ふん、人間もエルフもやっぱり同じか。ったく、まあた復讐者かよ、いい加減飽き飽きだぜ」

「……!」

 ナイフがわずかに動いて才人の喉の皮膚に軽く触れた。お前になにがわかると、そう言いたげな反応だった。だが、才人はつまらなさそうに答えた。

「てめえの事情なんか知ったことじゃねえし、聞いても大方想像と変わらないだろうから聞かねえよ。でもな、世の中を恨んでるのがてめえだけだと思うなよ。家族や大切な人を理不尽に奪われて、悪魔に魂を売りかけた人を大勢見てきた。みんな、てめえみたいな暗い目をしてたよ。てめえの考えてること当ててやろうか? わたしはこの世の誰よりも不幸なんだ、だからわたしにはこの世界を変える権利がある、わたしより幸福なやつはみんな敵だってか。どうだ外れてるか?」

 ファーティマの手は、静かに震えていた。

「わかりやすいな、てめえみたいな奴の考えることはだいたい同じだ。それで憎むべき敵がおれたち人間か。そうか……」

 才人はそこで言葉を切った。ファーティマは、落ちる勢いで才人の首を掻っ切ることくらいはできるだろうに、動こうとはしない。少しだけ沈黙が続き、やがて才人はまた口を開いた。

「けど、ちょっとだけ安心したよ」

「……!?」

「ほんと言うと、おれもエルフがどんな奴らか不安だったんだ。ティファニアはハルケ育ちだし、ルクシャナは変な奴だしビダーシャルは無愛想だし、いまいち納得いかなくてな。でも、あんたを見て思ったよ、人間もエルフも似たようなもんだ。蛮人嫌いなんて馬鹿げてるぜ。あんた、おれたちとそっくりだ」

「……!」

「はいはい、文句があるならあとで好きなだけ聞いてやるから、今はとりあえず助けさせろ。死んだらケンカもできねえぞ。それに、てめえには心外だろうが、てめえはティファニアに命を救ってもらった恩がある。自分を殺そうとした相手をだぞ? あそこまでのお人よしをおれは見たことねえよ」

 ちらりと才人がティファニアを見ると、彼女は走って息が上がりながらも心配そうに尋ねかけてきた。

「あの、サイトさん。その人、大丈夫ですか?」

「ああ、心配するな。こういう奴はちっとやそっとのことじゃくたばらねえよ」

 才人は、自分が命を狙われていることなどはおくびにも出さずにティファニアに笑い返した。

 ファーティマは、心の中でうずまく怒りの正体を自分でもつかむことができず、ただ歯を食いしばって苦痛に耐えている。

 曇りひとつない小さなナイフが水の中に落ち、流れにそって闇の中に消えていった。

 

 そして、憎むべき敵をさえ救おうとしたティファニアの優しい心が、握り締め続けていた輝石に届くとき、輝石は静かに輝いて、眠れる守護者を呼び起こす。

 いままさにガランに破壊されようとする東方号。だが、そのとき新たな地鳴りと共に、砂漠の一角から砂の竜巻を巻き上げながら現れ、甲高い鳴き声をあげながら巨大な翼を羽ばたかせた巨鳥。ワシのような頭部と翼を持ち、恐竜のようなたくましい四肢を持つ威容は、遺跡の入り口にあった像とまったく同じだ。

「ま、また別の怪獣が!」

「いや、あれはまさか伝説の……」

 うろたえるコルベールとは裏腹に、テュリュークは神々しいものを見たかのようにつぶやいた。

 現れた鳥の怪獣は、ガランに向かって前進をはじめた。それに気づいたガランも迎え撃つ姿勢をとる。人間とエルフの攻撃ごときは無視して構わない超獣といえど、さすがに相手が怪獣となれば相応の対処をとらなければならない。

 水精霊騎士隊とエルフたちは、怪獣と超獣の激突などに巻き込まれてはひとたまりもないと避難した。

 二匹の雄たけびが砂漠の空気を震わせる。もはや両者の衝突は必至だ。しかしヤプールは、その怪獣に強い正のエネルギーを感じてガランに叫んだ。

「ぬうう、邪魔する気か! ガランよ、そんなやつに構うな。さっさと人間どもの船を叩き潰してしまえ!」

 ガランはヤプールの命令に忠実に従い、東方号に巨大な腕を振り上げる。甲板から銃士隊員たちの悲鳴が上がり、その腕が振り下ろされようとした、まさにその瞬間。新たな翼が空のかなたから現れた。

「あっ! あれは」

 青い翼を持つ巨鳥。それは急降下してくるとガランに口から光弾を放って攻撃し、ひるんだガランに体当たりを食らわせた。

 そのまま降り立ち、東方号を守るように立ちはだかる怪獣。さらに、先に現れた怪獣もガランに向かって威嚇するように吼える。

「ええい! なんなんだ次から次へと、この怪獣どもは!」

 二匹の怪獣の出現という、まったく予想だにしていなかった事態にヤプールも苛立ちの声を上げた。

 

 誰にも知られない砂漠を舞台にして、怪獣と超獣の三つ巴の戦いが始まろうとしている。

 六千年の昔、この砂漠に封じられた伝説。それは、同じ悲劇が繰り返されようという今、言い伝えから現実になろうとしていた。

 果たして、伝説を残したものの真意はなにか? 虚無との関係は?

 すべてが明かされるときは、目前まで迫っているのかもしれない。

 

 

 続く



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第84話  守護鳥獣VS三億年超獣

 第84話

 守護鳥獣VS三億年超獣

 

 怪魚超獣 ガラン

 高原竜 ヒドラ

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 ヤプールは、らしくもなくうろたえていた。

「うぉのれぇぇ! あと一息でつぶせたというものを、なんだあの怪獣どもは。なぜ人間どもに味方するのだ!」

 マイナスエネルギーの波動を振りまきながら、ヤプールの怒号が響き渡る。

 東方号を破壊せんものと、その眼前にまで迫っていたガランを跳ね飛ばし、挟み撃ちにして吼える二匹の怪獣。

 一匹は、ワシのような頭部と屈強な四肢を持つ、鳥人にも似た容姿を持つ土色の大鳥。

 もう一匹は赤いとさかと骨翼のような細長い翼を持つ、青い鳥の怪獣。

 その二匹が東方号と、人間たちとエルフたちを守るように現われ、今、超獣へと立ち向かおうとしている。

 

”これはいったいどういうことなのだ?”

 

 さしものヤプールの想定も大きく超える出来事に、同じことを人間たちもエルフたちも思った。

 あの二匹の怪獣は、自分たちを守ってくれるというのか? なぜ? いったい何ものなのだと?

 しかし、テュリュークは現れた二匹の怪獣を見て、感動にふけるように目を潤ませていた。

「おお……あれこそ、古に聖者アヌビスとともにあったという……大いなる意志よ。やはり、伝説は本当だったのですな」

 代々、ネフテスの統領しか閲覧することを許されない古文書。それに記された絵に出てくるうちの一匹の怪獣と、遺跡の入り口にあった石像、そして砂漠から現れた怪獣の姿が一致する。

 古文書にはこうある。再び、世界に大厄災の兆しが現れるとき、地に眠れる守護者たちは目覚めて、心ある者たちを助けると。

 

 そしてそのころ、ようやく遺跡から地上に上がってきた才人たちも、眼前に広がる壮絶な光景に息を呑んでいた。

「ええっ! か、怪獣が、三体!?」

「あれは、ヤプールの怪魚超獣ガラン! それに、あっちのは確か……高原竜・ヒドラ!」

 頭の中に叩き込んであった怪獣と超獣のデータを引き出して、才人は叫んだ。

 超獣がいるということは、やっぱりヤプールは東方号をつけていたのか。しかし、どうしてヒドラがここに……?

 高原竜ヒドラ、科学特捜隊の時代に伊豆の大室山火口から出現した怪獣で、テロチルスやバードンなどと同じく日本に有史以前に生息していた古代翼竜の生き残りとも言われている怪獣だ。だが、その生態には謎が多く、はっきりとした正体はわかっておらず、初代ウルトラマンとの交戦中に逃亡後消息不明となり、現在なお幻だったのではという説さえある。

 さらに、もう一匹の怪獣……GUYSアーカイブドキュメントにもデータのない、名も知らない怪獣だが、才人とルイズはその怪獣に確かに見覚えがあった。

「ルイズ、あの怪獣、覚えてるよな!」

「ええ……祈祷書のビジョンに出てきた、始祖ブリミルたちといっしょに戦っていた怪獣! まさか、生きていたの」

 夢でも幻でもない。その怪獣こそ、エギンハイム村の森の地下に眠っていて、翼人たちに守られていた、友好巨鳥リドリアス。ムザン星人とガギとの戦いの後、どこかに飛び去っていたはずなのに、不思議な力に導かれてここにやってきた。そう、彼らがかつて共に戦った大切な仲間と同じ、かけがえないものを持つ者たちを守るために。

 

 驚くルイズたちの見守る前で、怪獣たちは何も答えず、戦いは待たずに始まった。

 

 ヒドラ&リドリアス対ガラン。

 怪獣と超獣のバトルは、まずはヒドラがくちばしでガランをつつきまわした。鋭いくちばしでの乱打で、ガランの無数に生えているうろこがちぎられて落ちていく。

 苦痛で吠え立てるガラン、さらに怒りを増すヤプールの怒声が響き渡る。

「おのれぇぇっ! あくまで邪魔しようというのか。許さんぞ! ならばガランよ、先に目障りなそいつらから始末してしまえ!」

 命令を受けるまでは棒立ちに近かったガランだが、命令を受けると素早くそれを実行した。異常に発達した腕を振るい、ヒドラを弾き飛ばすと、向かってきたリドリアスに破壊フラッシュを放った。爆発が起こり、ひるまされるリドリアス、しかしその後方から再びヒドラがぶつかってきて、強靭な腕でガランと格闘戦にはいった。

 体長八十五メートルと、ウルトラマンAをさえ大きく上回る巨躯を誇るガランに対してヒドラは六十メートル。鋭い爪でガランをひっかいてウロコを傷つけ、ガランが体躯を活かして上から攻撃をかけてこようとすると、素早く動いて背中についているヒレを引きちぎろうとする。

「なにをしている! そんな怪獣ごとき、超獣のパワーで叩き潰せぇぃ!」

 ヤプールは激昂し、ガランは豪腕をふるうがヒドラはひるまない。くちばしと爪の攻撃で食い下がり、ガランに傷を与え続けている。しかもガランがパワーで圧倒しようとすると、リドリアスが空から体当たりしてガランの姿勢を崩させて援護するではないか。

 超獣は怪獣よりも強いはずなのにとヤプールは怒り、見守っている人間やエルフからは喜びの声があがり始めた。

「あの怪獣たち。強いじゃないか!」

「ああ、いいぞ! やっちまえ!」

 しだいに、ヒドラとリドリアスを応援する声が増え始めた。その中にはギーシュたち水精霊騎士隊や、大勢のエルフも混じっている。わずか数分の間とはいえ、ともに戦ったことが彼らを戦友の間柄へと変えていた。

 一進一退の攻防が続き、体当たりをかけるヒドラ、尻尾でなぎ払うガラン、攻撃の余波から人間たちを守ろうとするリドリアスが大地を踏み鳴らすたびに砂漠が震え、雄たけびが大気に悲鳴をあげさせる。

 ガランが口を大きく開いた。その喉の奥から真っ白い煙が吹き出してヒドラを襲う。

「ガランガスだ!」

 才人が悲鳴のように叫んだ。ガランの吐き出すガスは、別名をデボンエアガスともいい、浴びた物体を分解してガランガスとまったく同じ成分にした上で吸い込んでしまうという恐るべきものなのだ。コンクリートのビルでさえ一瞬で消滅させ、エースも苦しめたそれがヒドラに向かう。

 が、鳥怪獣に対してガス攻撃が効かないのは誰が考えてもわかることだろう。ヒドラは背中の翼を大きく羽ばたかせ、ガランガスをあっさりと吹き飛ばしてしまった。

 さらに、突風でよろめいたところにヒドラは口から火炎を吐いて攻撃する。すると、元々は魚のガランに対しての威力は抜群で、背びれが焼け焦げて苦しげな声を出した。

 

 ほぼ五分の戦い。いや、攻撃の勢いではヒドラが押し始めている。

 

 超獣の強さを知ってるルイズは、善戦するヒドラとリドリアスに感心しながらも才人に尋ねた。

「ねえサイト、あのサカナモドキの超獣って弱いの?」

「いいや……ありゃたぶん、相性の問題だろうぜ」

 才人は確信げに答える。ガランは確かに強豪とまで言える超獣ではないが、それでも豊富な武器を備えていて決してあなどれる相手ではないはずだ。それなのに怪獣に押されているのは、ガランとヒドラの性質の違いが大きいと思われる。

 簡単に言うと、自己の意識が希薄でテレパシーでの命令に従って暴れるガランと、自分自身の意思で戦うヒドラとの差だ。ガランは命令を受けるために、どうしても行動がワンテンポ遅れる上に機械的な行動になってしまう。元が魚だったのだから知性が乏しいのは仕方がないといえば仕方ないが、これは大きな差だ。なにせ、ヒドラはウルトラ兄弟の中でも格闘戦に秀でている初代ウルトラマンを、スペシウム光線を使われるまでほぼ圧倒していたほど猛烈な攻撃をするのだ。

 それに、今見たとおりガランガスは風を起こせるヒドラに対しては極端に相性が悪い。卑怯な手を使って東方号やエルフたちを狙おうとしてもリドリアスに邪魔される。リドリアスは、ガランの攻撃が人間やエルフに向かおうとする度に、身を挺して彼らを守っていた。

「やっぱりあの怪獣は、六千年前に始祖ブリミルと……その当時のガンダールヴといっしょに戦っていた、あの怪獣なのね」

 ルイズが、人々を守りながら戦うリドリアスの姿に始祖の祈祷書のビジョンで見た、怪獣たちすら傷つけまいとしながら戦うブリミルと仲間たちの記憶を呼び起こしながらつぶやいた。すると、才人がファーティマを背負っているためにルイズに預けられていたデルフリンガーが言った。

「懐かしいな……リドリアス、またお前に会えるとは夢みたいだぜ。お前さん、もう目覚めてたのかい」

「リドリアス? あの怪獣はリドリアスっていうの?」

「そうさ、六千年ぶりだぜ。ガンダールヴの翼として、大空を駆けたあいつの勇姿をもう一度見れるたぁな。変わってねえな、俺も生まれてすぐにあいつの背で振られるようになったが、あんときは楽しかったな。ま、おれはだいたい敵の攻撃を受けるのに使われてばっかしだったんだが」

 しみじみと語るデルフの言葉を、才人とルイズは黙って聞いていた。またどうせ、今になって思い出したというのだろうから突き詰めて聞くだけ無駄だということはわかっているし、デルフにはデルフの心情があったのだろう。しかし、あの太古のビジョンの当人がまだ生きていたとは本当に驚きだ。

「怪獣って、長生きなのね」

「いいや……やっこさんでも、さすがに六千年も生きられやしないよ。思い出したぜ……あの戦いが終わった後、リドリアスはほかの生き残った仲間たちといっしょに深い眠りについた。ブリミルたちが一命を賭してさえ、解決し切れなかった危機が未来に蘇ったときのために」

「自らを、封印? そこまでして備えるって、解決し切れなかった危機ってなんなのよ?」

「……思い出せねえ」

 やっぱりね、ルイズと才人はため息をついた。デルフは魔法で作られた精神体が剣に寄生している、いわば岩石宇宙人アンノンのようなものらしいので、記憶構造も人間とは異なっているらしい。もしかしたら、特定のタイミングで記憶が蘇るか、特定のタイミングが来なければ記憶が再生しないようになっているのかもしれないが、確証はない。

 ガランとヒドラは激闘を続け、ときたまリドリアスが援護をかけている。

「けど、だったらどうしてあの二匹は今現れたの? わたしたちのピンチを、どう知ったっていうの?」

「野生の勘……いや、ハーフエルフの嬢ちゃん、あの子が呼んだんだろうな」

「ティファニアが? どういうこと?」

「……自覚はまだねえだろうけど、あの子はよく似てるんだよ……俺をふるって、救えないものまで救いたがった、不器用で危なっかしいくらい優しい、あの娘とな」

 デルフの心にぼんやりと、ティファニアのシルエットが槍を握って勇敢に戦うエルフの少女と重なる。

 そのとき、リドリアスがティファニアのほうを向いて鳴いた。それは、巨体でありながら小鳥や子犬のように優しい声で、歌うようなその音色は、殺伐としかかっていた人間とエルフたちの心に落ち着きを取り戻させた。

「えっ! なに、わたしを呼んでるの?」

 リドリアスの視線を感じて、ティファニアは手にずっと握り締めていた輝石を見つめた。輝石は静かにまたたき続けており、まるで生きているような感じを受けた。

 けど、ぼっと見つめてる時間はなかった。リドリアスのなにかを訴えるような視線から、ティファニアは今自分がすべきことを思い出した。

「そうだ! サイト、はやくその人を手当しないと!」

「あっ! そうだった。今なら東方号に乗り込めるぞ、急ごう」

 東方号にはクルデンホルフの用意した最新の医療設備が搭載されている。後に数千人単位での搭乗も想定されているので、現在は満載ではないものの医薬品や水の秘薬の備蓄も多い。エルフの魔法で傷だけは治せても、失血や体力の消耗などは治療が必要だ。

 ウルトラマンAになってヒドラとリドリアスを援護しようかと思いかけていた才人とルイズは、東方号へと急いだ。大丈夫、あの二匹は強い! そもそも鳥が魚に負けるものか、魔法で足を貸してもらいながら彼らは急ぐ。

 

 守るために自ら蘇った伝説と、壊すために無理矢理太古の時代から引きずり出されてきた化石の戦いは佳境に入っていた。

 激闘で疲労し、羽根を舞い散らせながらも果敢に戦うヒドラ。ガランは破壊フラッシュでヒドラを苦しめながらも、ヒドラも負けずに突風と火炎攻撃で渡り合い、リドリアスも破壊光弾を放ってガランを追い詰めていく。

 そしてついに、ガランが弱って砂漠に倒れこんだ。ここぞとばかりに、ヒドラはガランの上を取ってくちばしでつついていく。

「どうしたガランよ! 立て、立ってひねりつぶせ!」

 怒りを最大限に燃え上がらせたヤプールの叫びがガランを叱咤する。しかし、もはやガランには命令を実行するだけの余力は残っていなかった。冷静さを取り戻したコルベールが、ヤプールに冷たく言い放つ。

「無駄だヤプール、あの超獣はもう戦えまい」

「なんだとぉ!」

「いくら改造を施したとはいえ、砂漠の熱気の中でいつまでも魚が平然としていられるとでも思っていたのか? 我々でさえ、エルフたちの大気の精霊の加護がなければ一時間と持たない酷暑だ。貴様もそれを承知していて、砂漠の地下水を出現と同時に噴出させて冷やさせていたんだろうが、戦いが長引きすぎたな」

「うぬぬぬぬ……」

 遊ばずに、さっさと東方号を破壊しておけばよかったとヤプールは後悔した。まさか、見下していた人間にこうまで冷静に指摘されるとは、ヤプールにとっては憤怒以外の何物でもない。

 ガランも、環境が整えば強かったのだろうが、今回はあまりにもガランにとって不利な条件が過ぎていた。抵抗力の衰えたガランを、ヒドラとリドリアスが後ろ足で掴んで空へと飛び上がる。翼を大きく羽ばたかせ、クリーム色の竜巻を巻き起こしながらの急速上昇、みるみるうちに高度数千、数万メートルの高高度へと達していく。

「すげぇ……」

 恐るべき上昇力、風竜を見慣れたエルフたちも飛翔力のあまりの速さに舌を巻いた。もし彼らが地球人であれば、ロケットのようだと評したに違いないが、あいにくとこの世界には匹敵するほどのものがなかった。

 そして……成層圏。彼らは掴んでいたガランを放した。

 後は重力の赴くまま、飛行能力を有しないガランは対抗できない星の力によって奈落の淵へと落ちていく。

 落下加速度、毎秒9.8mとすれば、落下のエネルギーは速度と質量に比例するから、六万トン×落下の終末速度となる。わざわざ計算などしなくとも、誰にでも莫大なエネルギーが墜落と同時に放出されることがわかるだろう。そしてこの場合、その事実がわかるだけで十分であった。

 星の引力という強大なパワーによって、隕石と化しつつあるガラン。ヤプールは、怒りに燃えながら空に手をかざした。

 青空が割れて、異次元ゲートが不気味な口を開く。

「やむを得ん。今回は敗北を認めてやるわ。だが覚えていろ! 次はさらにパワーアップしたガランを持って、貴様らを必ず叩き潰してくれるわ!」

 落下中にガランをゲートで受け止めて撤退させようというのか。ヤプールは自らの作戦の不備を認めて、後日の報復を宣言した。

 だが、異次元へと通じる地獄の門へ向けて、東方号の甲板から青い矢のような閃光がほとばしった。

 

「リージョン・リストラクター!」

 

 閃光は異次元ゲートに突き刺さり、次の瞬間ゲートは水溜りが蒸発するように縮んで消滅してしまったではないか。

「なにいっ!?」

 ヤプールの絶叫がこだまし、ガランはなにもない空間を素通りして落ちていく。

 異次元ゲートを消滅させた光。東方号の甲板では、ガッツブラスターを構えた才人が不敵に笑っていた。

「ざまあみろヤプール。お前の思うとおりにさせるかってんだ!」

 ガッツブラスターの先端には、キャプチャーキューブとは違った緑色のアタッチメントパーツが取り付けられていた。

 これこそ、対異次元人ヤプール用のメテオール、リージョン・リストラクター。異次元空間封印用メテオール、ディメンショナル・ディゾルバーのプロトタイプといえる兵器で、同じようにヤプールの異次元ゲートを強制的に閉鎖させることができる。効果は短時間であるのが欠点だが、携帯できるくらいの大きさなのが大きな利点だ。

 背負っていたファーティマを銃士隊に渡して、甲板にルイズとともに残った才人は、ガッツブラスターの引き金のリングに指を入れてくるくると回して、この改造ガッツブラスターを誇らしげに握り締めた。

 才人のガッツブラスターが特別なのは、このアタッチメントパーツで自由にメテオールを使い分けられることにある。一般隊員のトライガーショットがGUYSメモリーディスプレイを使い、隊長の許可で一分間だけ使えるのに対し、才人は別世界で単独行動が主になることから、特例中の特例ということで携帯武器に関してのみメテオールの自由使用が認められていたのだ。

 むろん、これはメテオールの使用実績が増えて、運用の安全性が増したということも関わっている。だが、それを考慮しても、入隊試験も受けていない高校生にメテオールの全面使用許可を出すというのは前代未聞。それだけ、リュウ隊長やサコミズ総監の才人への期待が大きいしるしであろう。

 逃げ道を塞がれ、ガランは背中から真っ逆さまに砂漠に墜落した。これだけの高速と質量では、いかに砂で出来た砂漠でも衝撃緩和の役にはまったく立たない。皮膚を思い切り叩かれるような衝撃が空気を伝わって才人たちの体をしびれさせる。エースリフターで投げ飛ばされるよりも強烈な衝撃を受けて、ガランは体をわずかにけいれんさせた後で、両腕を上げようとした。しかし、そこで力尽きて断末魔の鳴き声とともに、内部から大爆発を起こして消滅した。

「いよっしゃあ!」

「ガ、ガラーン! お、おのれぇぇぇーっ!」

 才人のガッツポーズと、苦悶の表情で叫ぶヤプールの姿が対極的に砂漠という無地のキャンパスに映えた。

 木っ端微塵に吹き飛んだガランの破片は砂漠に舞い散り、砂に埋もれて消えていく。古代魚から作られた、破壊することのみを生存の目的とする操り人形は、その上空を飛ぶ、己の意思で生きる者たちにはかなわずに敗れさったのだった。

 

 東方号は無事で、水精霊騎士隊、銃士隊は全員無傷。エルフたちもテュリューク統領以下、ビダーシャルをはじめほとんどが傷つかずに残ることが出来た。しかも、ウルトラマンの助力を借りずにである。

 それを成し遂げた、ヒドラとリドリアスは東方号の上を旋回しつつ、まるで再会を喜び合っているように鳴いている。

 勝利……砂漠から立ち上るガランの残骸からの煙もしだいに薄れていき、大気に満ちていたマイナスエネルギーの不快な波動も消えていく。

 しかし、世界が元に戻ろうとする中で、決して消えない黒い一点が砂漠に残っていた。

「……」

「ヤプール! 超獣は倒された。お前の負けだ! 我々は、お前の暴力に決して屈したりはしないぞ!」

 背中を向けたまま立ち尽くすヤプールの人間体へ向かって、コルベールは叫んだ。隣ではテュリューク統領が、少し離れた場所では水精霊騎士隊やエルフの騎士たちが遠巻きにヤプールを睨みつけている。いっせいに攻撃を仕掛ける好機ではあるのだが、いまなおヤプールの放つ絶大な負のエネルギーが彼らが近づくことを拒ませていた。

「ガラン……おのれ、バキシムに続いて今回もまた……きさまら、よくもこの私をコケにしてくれたな」

 太陽の光を斜めに受けて、砂丘に伸びるヤプールの影が巨大な悪魔の姿に変わる。とげとげしく、まさに悪魔と呼ぶにふさわしい、ヤプールの真の姿のシルエットに、見つめていた人間とエルフを問わずに背筋に冷たいものが走り去っていた。

 この広大な砂漠からしたら、ほんの一点のしみにしか過ぎないというのに、ヤプールの周りだけ寒波が襲っているかのように異様な空間と化してしまっている。

 はるか離れた東方号の甲板からも、ヤプールの絶大な怒りのマイナスエネルギーは感じられる。しかも、今までにない規模の、噴火寸前のマグマのようにドロドロと煮えたぎるすさまじいパワーが膨れ上がりつつあり、戦慄しながらもルイズはヤプールに向けて叫んだ。

「ま、負け惜しみはよしなさい! あなたの姑息な策は破れたわ。人間とエルフは相容れないものなんかじゃない、それが今証明されたわ。もう、これ以上ふたつの種族が憎みあうこともなくしてみせる。わたしたちの勝ちよ!」

「なにを……人間ごときが、きさまらごとき下等生命体が、我らを見下すか! 許さん、きさまら絶対に許さんぞぉ!」

 触れるものすべてが腐りはて溶けてしまうのではないかという、憎悪のマイナスエネルギーの波動がほとばしる。

 悪意、邪念、憎悪。ハルケギニアとサハラの人間とエルフの負の心を吸収し続けてきたヤプールから、人間の姿には収まりきれないほどの悪のパワーが吹き出し、ヤプールのそばの空間が割れて異次元ゲートが発生した。

「なにっ!? リージョンリストラクターで封じたから、しばらくはゲートを開けないはずじゃあ!」

「我らヤプールをなめるなよ! この世界で得たマイナスエネルギーの量はすでにじゅうぶん過ぎるほどに溜まっている。見るがいい! 我ら異次元人の悪魔の力を!」

 異次元ゲートの奥から、暗黒の中で揺らめく複数の異形の影が覗き見え、すさまじい音量の超獣の声が響き渡る。それはまさしく悪魔の軍勢のうなり声、戦慄と恐怖の中でルイズはつぶやいた。

「ち、超獣!? あ、あんなにたくさん……うそでしょう」

「ククク……なにを驚く? これらはみなお前たちの生み出したマイナスエネルギーによって育ったもの、いわばお前たちの子供のようなものだ。本来ならば、お前たち人間とエルフが殺しあうだけ殺しあった後に、一挙に殲滅してやるつもりであったが、きさまらが和解などをするようであれば話は別だ……手始めに、まずはエルフども、貴様らから滅ぼしてくれる!」

「な、なんだと!」

 ヤプールの恐るべき宣戦布告に、テュリュークらエルフたちの顔色が変わった。ヤプールはそれを愉快そうに眺め、高らかに笑いながら恐怖の計画を語り始める。

 

「クッハハハ! ここに我は予言しよう。今から三時間後、ネフテスの首都アディールは十体以上の超獣と怪獣の軍団に蹂躙されて、ひとりの生き残りもなく地上より姿を消すであろう!」

 

 今度は、怒りも驚愕の声も即座には流れなかった。それだけ、今のヤプールの宣言は悪夢じみたものであり、一切の否定の余地なく、それを実行可能な戦力があると誰の目にも思い知らされるだけのものが、そこに存在していたからだ。

 テュリュークだけでなく、無表情が常のビダーシャルも顔を引きつらせ、邪気に当てられて倒れかけたルクシャナはアリィーに支えられてかろうじて意識を保っている。ほかのエルフたちも、目の前にある否定のしようのない絶大な悪のパワーに、あるものは失神し、あるものは吐き気を覚えてうずくまる。

 さらにヤプールは、異次元ゲートを背にし、才人とルイズのほうを向いて言った。

「ふっふっふ、今度という今度は我々の勝ちだ。これこそ、宇宙警備隊との決戦のために、用意していた超獣軍団よ。まだ完全ではないが、それでもこのちっぽけな国を消し去るには十分な戦力だ。さらには、この地に眠っている怪獣たちをマイナスエネルギーで支配して我らの手駒と化させば、この世界にいるすべてのウルトラマンが集まったとしても太刀打ちできまい!」

「なんだと! ヤプール、てめえ!」

「くぁはっははは! いまさら後悔しても遅い。恐怖の中で自ら滅ぼしあっていれば、まだしも長生きできたものをな! マイナスエネルギーの供給源とならないなら用済みだ。死を目の前にした絶望の中で、断末魔をあげる数万の声となって最後の役に立ってもらおう」

最後の役に立ってもらおう」

「やめろ! 相手にならおれたちがなってやる。関係ない人たちに手を出すな」

「そうはいかん。ここで貴様らを屠ったところで我らの怒りは治まらん! 貴様らが、守ろうと志していたものが灰になっていくのを見て悔しがる様を見ない限りはなあ! 貴様らはせいぜい歯軋りしておけ。急いで追ってくるなら好きにするがいい、ネフテスの滅びる様をその目で見てから死ぬだけだがなぁ!」

 ヤプールは次元の裂け目に歩み去り、黒衣の人間体に代わって、異次元空間に揺らめく不明瞭な紫色の人型が多数現れた。

 あれが、ヤプール本来の姿……異次元空間に集まった悪意……生き物の負の心、誰もがなくてよいと思い、忌み嫌う感情が凝り固まった形である。見れば心には恐怖が芽生え、声を聞けば怖気が走る。

「さらばだ、人間にエルフども。お前たちは運がいい、この国のほかの連中よりも少しだけ長生きできるぞ。わしの情け深さに感謝しろ。ふはははは!」

「待て! 待ちやがれヤプール!」

 才人の叫びも虚しく、異次元ゲートは消滅し、ヤプールの哄笑の余韻だけが残った。

 

 砂漠には灼熱の太陽が戻り、陽炎がゆらめく自然の風景が戻る。

 しかし、茫然自失とする暇も、現実逃避する権利も彼らには与えられていなかった。

「あと三時間で、アディールは十匹以上の怪獣と超獣に襲われる……そうなったら、アディールは終わりだ!」

 あのヤプールの言葉がはったりだとはとても思えなかった。ベロクロン一体でさえ、かつてトリスタニアを焼け野原にし、トリステイン軍を壊滅させているのだ。いかなエルフといえどもかなうわけがない。増して、現在エルフの守りの要である空軍艦隊は半壊状態……とてもではないが、時間稼ぎすらできるかどうか。

 ならば、行くしかない。そこでなにができるかなど考える必要はない、行かないという選択肢はそもそも存在しない。

 東方号に人間たちはすべて乗り込み、乗艦を失ったエルフたちも全員同乗した。中にはまだ蛮人の船に嫌悪感を示す者も少なからずいたが、彼らも自分の嗜好を表現する場をわきまえていた。

 重力制御と水蒸気機関を全開にして、東方号は緊急発進する。さすが、本職のコルベールが指揮をとり、頭数が揃うと仕事が早いもので、銃士隊だけでやっていたときの半分程度の時間で砂を蹴立てて巨体が宙に舞い上がっていく。

 東方号のブリッジ、旧大和の昼戦艦橋にはコルベールとエレオノールのほかに、テュリュークとビダーシャルが招かれて進路を指示していた。

「北北西の方向へ、それでいいのですね?」

「そうだ。大気の精霊が方向を示してくれるから、万にひとつも間違いはない。それよりも、もっと速く飛べないのか? この船は」

「残念ながら、これが全速です……」

 焦った様子のテュリュークと、表情こそ変えずにいるが手足の動作に落ち着きがなくなっているビダーシャルに、コルベールはすまなそうに答えた。

 現在、東方号は可能な限りの速力を出している。蒸気釜の圧力は限界で、プロペラは千切れんばかりに回っている。恐らくはこの世界に存在するどんな乗り物はおろか、並の竜すら追いつくことは不可能な速度であろうが、それでも彼らの求める速さにはまったく足りていなかった。

「いくらヤプールでも、あの数の超獣を一度に動かすにはそれなりの時間が必要なはず。アディールが襲われる前に、市民に逃げるように勧告を出さなくては取り返しがつかないことになってしまう。すべてが終わってからついても……」

 ビダーシャルが、地平線しか見えない風景を睨みながらつぶやいた。彼も必死に冷静さを保とうとしているのだろう、いつもは立ったまま不動を保つ姿勢が何度も手足を組み替えて落ち着きがない。しかしそれも仕方がない、自分の故郷がこれから滅ぼされようとしているというのに、無感情でいられるような性格のものはそうそう多くはないものだ。

 けれど、もし風竜の一頭でも残っていたとしても無駄であったろう。風竜を休ませずに全速で飛んだとしても、渇きの大地からアディールまでは半日はかかる。前にアーハンブラ城から脱出に使った風石の装置は、携帯はしているもののごく短距離しか飛べない。あとあった非常用の魔法装置のほとんどは船といっしょにガランに壊されてしまった。

 いくら急いでも無駄……ヤプールの勝ち誇った笑みが浮かぶようだ。時間があるだけに、ヤプールの陰湿さがこの上なく憎らしく感じられてたまらない。

 だがそのとき、東方号の両翼にヒドラとリドリアスが現れた。

「うわっ! い、いつのまに」

 エレオノールが、窓外に現れた巨大な姿にびっくりして飛び上がった。だが、二匹の怪獣は襲ってくるわけでもなく、東方号と並行して飛んでいる。

 いったい、どういうつもりだ? 疑問の眼差しを向ける人間とエルフに見下ろされて、ヒドラとリドリアス、二匹の怪獣は東方号の左右について飛んでいる。その行動に、なにかの意味があるのだろうか……? 二匹は語ることはなく、しかし確かな意志を持ったその翼は、声なき言葉を語りかけながら風を切っている。

 

 

 その一方で、医務室に運び込まれたファーティマは、かろうじてその一命を取り留めていた。

 ファーティマの凶行は、すでにテュリューク統領も知るところとなっていた。本来であれば、重大な軍規違反で、そのまま処刑になってもおかしくはなかったが、被害者側からの助命嘆願で彼女は治療を受けられることとなった。

 死に掛けていたファーティマに施された、あらゆる手立ては幸か不幸か一応の成功を見た。容態は安定し、治療終了後に、ティファニアは病室に残されたファーティマを看病すると残ろうとした。だが、鉄血団結党のファーティマのそばにティファニアを残すことについてはほかが大反対した。それを彼女は。

「いいえ、だからわたしは残ります。この人がどれだけわたしのことが嫌いでも、わたしの中に流れる人の血は消せません。でも、どうせ嫌われるならわたしという人間を知ってもらえた上で嫌われたいんです」

 自分が理解されないのはなによりも悲しい。知った上で憎しみをぶつけられるなら、それと向き合っていくこともできるが、知られずにただ嫌われるだけというのはどうしようもなく虚しい。ハーフエルフのティファニアの感情の吐露を聞いた皆は、あくまで無理はしないでと言い残して、別の仕事に移っていった。

 しかし、やがて意識を取り戻したファーティマは、やはりティファニアを見て怒りをぶつけてきた。

「き、貴様、悪魔の末裔のひとり。ということはここは蛮人の船の中か。私を人質に、いいや悪魔の生け贄にでも使うつもりか!」

 とりつくしまもなく、ファーティマはわめきちらした。麻酔がまだ効いているおかげでベッドに寝かせられたまま動けず、暴れられこそしなかったものの、人と話すことがまだまだ苦手なティファニアでは落ち着かせることもできなかった。

 そこへ、助け舟に現れたのがルイズだった。ルイズは暴れるファーティマにめんどうくさげに近寄ると、壁にかけてあった鏡を外して、枕に頭を預けてあるファーティマの顔の前にかざした。

「なんだ悪魔め! 私に呪術でもかけるつもりか!」

「そんなご大層なものわたしは使えないわよ。はーい、ここで質問です。あなたの目の前にあるものはなんでしょうか?」

「……鏡だろう。それがどうした?」

「はい正解、その鏡に映ってる、青筋浮かべて目を血走らせたぶっさいくな顔した女は誰でしょうか?」

 ファーティマからの怒声はなかった。ルイズが鏡をどけると、彼女は怒りとは別の感情で顔を赤く染めている。

 ルイズは、ふぅと息を吐いた。人は悪事をする自分の姿を自分で見ることは出来ない、だから自分のおこないの醜愚を知らないままに他者を傷つけてしまう。ルイズは、妄信で己を見失っていたファーティマに、己自身を直接ぶつけたのだった。

 感情のままに醜く歪めていた自分の顔にショックを受けているファーティマを、ルイズはじっと見つめる。どうやら、まだ羞恥心は残っていたらしい。ほっとする、これでなおわめき続けるほど狂っていたとしたら、それこそ鎮静剤を叩き込むしかなかったところだった。

「大丈夫テファ、危ないことされなかった?」

「はい、ありがとうございますルイズさん。でも、ファーティマさんが……」

「ふぅ……あなた、甘いにも限度ってものがあるわよ。ミス・ファーティマ、わたしを悪魔と呼ぶのは勝手だけど、この子にぐらいはまともに対応しなさい。命の恩人なのよ」

「な、なに? それに、どうして私の名前を」

「そんなもの聞けばわかるわよ。一応言っておくけど、ぶっそうなものは全部預からせてもらってるわ。あと、わたしはテファほど優しくないから、魔法を使って悪いことをすればすぐに空のもくずにしてあげる。まあ、そんなことはどうでもいいわね。頭部裂傷、全身骨折箇所五箇所、内臓破裂、打撲箇所多数、その他もろもろで心肺停止状態。あんたがここに運び込まれてきたときの状態よ。正直、エルフの医者もさじを投げるような、ほぼ死人だったわ。そんなあんたがどうして助かったと思う?」

 ルイズの言葉に、ファーティマは感覚をたよりに自分の体を確かめた。麻酔で動かないけれど、全身の感覚は確かにある。思い出してみれば、かなり楽になったような気がした。普通では考えられないほどの治りの早さに怪訝とするファーティマは、ふとティファニアの指にはまった指輪を見て叫んだ。

「きさまっ! その指輪は」

「は、はいっ! えっと、これはわたしの母が故郷から持ってきたものだそうです。失われかけた命を呼び戻す力があるそうで。でも、傷まではふさげなかったので、すいません」

 うろたえながらティファニアは頭を下げた。その指輪は、三十年前にタルブ村で、吸血怪獣ギマイラとの戦いで命を落とした佐々木隊員を救った魔法の道具だった。母からこれを受け継いでいたティファニアは、あのときと同じように、これを使って絶命しかけていたファーティマを重傷の状態まで回復させていたのだ。

 しかし、指輪の力の源であった宝石はこれで力を使いきって消滅し、今ティファニアの指にはまっているのは台座だけにすぎない。それでもファーティマは、傷が開きかねない勢いでティファニアに怒鳴った。

「そんなことを言ってるんじゃない。お前がそれを持っているということはそうなんだな! シャジャルの指輪を」

「えっ! どうしてわたしの母の名前を……まさかあなた……母の一族」

 愕然とした様子でティファニアが言うと、ファーティマはそうだと怒鳴った。

 なるほど……ルイズは才人と同じく、ファーティマに感じていた違和感に気がついた。そう、この二人は他人の空似というには似すぎている……目つきこそファーティマのほうがやや幼げだが、それ以外の顔立ちはそっくりだ。

 ファーティマは、愕然としたままのティファニアに向かって怒りをそのままぶつけた。お前の母のシャジャルがハルケギニアに逃亡したせいで一族は裏切り者扱いされ、その日の食べ物にさえ事欠く日を送ってきたことを。

 しかし、怒りのたけをぶつけるファーティマとティファニアのあいだに、ルイズが突然割り込んできた。

「そこまで、もうそれぐらいにしておきなさい」

「貴様には関係ない、邪魔をするな!」

「わたしはテファの友人よ、理由ならそれでじゅうぶん。あなたこそ、不幸自慢大会はそろそろ見苦しいわよ」

「なんだと! 他人のくせに知ったような口をきくな!」

「不幸な目にあってきたのがあんただけだと思ってるの? あんた程度の労苦なんて別にめずらしいものでもないわ。テファだって、決して恵まれた育ち方をしてきたわけじゃない。天涯孤独で人目を避けて隠れ住む日々、むしろ苦難を分かち合う一族がいただけあんたのほうが恵まれてるわ。わたしはね、あんたみたいに自分の不幸を売り物にする奴がだいっ嫌いなのよ。なあにが選ばれた砂漠の民よ、あんたは誰かにかまってもらいたくてぐずる子供よ、いいざまだわ」

 容赦なく、見下しきった目のルイズの言葉がファーティマを叩いた。

 実際、ルイズはこういった輩が嫌いである。自分だって、ほかの貴族の子弟に比べたら、いい子供時代ではなかった。それでも、一度たりとてそれを他人のせいにしたことはないのだ。

 ファーティマは、ルイズの言葉に才人に言われたことも思い出した。あいつも同じことを言っていた。

 人間としての器の違いが、ファーティマにルイズに対抗する意思を奪っていた。ただ怒鳴り返すだけならできるが、それではルイズの見下した冷たい目を消し去ることはできない。

 そこへ、ティファニアがおずおずとながら、しかし強い決意を込めた目で入ってきた。

「ルイズさん、わたしにファーティマさんと話させてください」

「好きになさい。わたしはもう行くわ」

 ルイズは憮然として立ち去り、病室にはふたりだけが残された。

「……ファーティマさん」

「なんだ」

「母のこと、教えていただけませんか?」

「知ってどうする? お前にとって、不快になるだけだぞ」

「かまいません。わたしにとって、母の思い出は幼いときのわずかなものでしかありませんが、母はとても優しい人でした。その母が、そこまでのことを承知でハルケギニアまで来た訳……それを知らないと、わたしはずっと子供のままな気がするんです。それに、あなたの中の怒りや憎しみ、それがわたしを相手に吐き出せるなら、あなたを少しは楽にしてあげることができるかもしれません……ですから、わたしを憎んで怒ってください……それがあなたの生きる糧になるなら、わたしは受け入れます」

「……」

 悪魔と呼んでいた相手に、完膚なきまでに負けている。その屈辱が、ファーティマの心を焼いていた。

 

 人それぞれの人生と戦い……誰しもが、そのドラマの中では主役であり、脇役に下がることは許されない。

 

 すでに遺跡を飛び立ってから二時間が経ち、景色はまだ変わり映えを見せない。

 東方号の後部艦載機格納庫。才人はそこで、ゼロ戦をいつでも発進可能なようにエンジンを温めている。

「なにも起らねえはずはないと思ってたけど、悪い予感ってのはたいてい頼みもしないおまけを引き連れてやってくるよな。十匹以上の怪獣軍団か……さて、勝てるかな?」

 才人は、これから起きるであろう戦いが、間違いなくヤプールとの最大の激戦になるであろうことを予測していた。

 果たして、ウルトラマンAと未完の東方号でどこまで戦えるか。

 しかし、不思議と負けるとは思っていない。それは絶望を糧とするヤプールへの無意識の反抗か、才人にはわからない。

 

 だが決して、あきらめではない。

 死闘が待つアディールへ向けて、東方号はひた走る。

 

 

 続く



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第85話  ヤプール総攻撃! ネフテス首都アディール炎上!

 第85話

 ヤプール総攻撃! ネフテス首都アディール炎上!

 

 貝獣 ゴーガ

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー

 高原竜 ヒドラ

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 その日は、いつもと変わらないように始まった。

 

 人間の住まう地ハルケギニアからはるか東方、広大な砂漠地帯サハラに存在するエルフの国、ネフテスの首都アディール。

 およそ、生命の存在を拒み続ける熱と乾燥の大地に、エルフたちは優れた魔法と技術によって高い文明社会を築いてきた。

 ひとつひとつのオアシスを拠点にし、精霊の加護によって太陽の熱波から身を守ることで、砂漠の中にまるで島のように都市や村を築き上げる。それらを空中船や幻獣を巧みに使って有機的に結合することにより、彼らは高度なネットワーク社会を形成し、閉鎖的なハルケギニアの貴族社会をはるかに超える合理的な社会体制を育ててきた。投票により統領を選出することを代表として、彼らの体制はむしろ地球に近いといえるだろう。

 

 アディールは、まさにその象徴というべき大都市であった。

 

 砂漠と海が交わり、青とクリーム色の二原色の風景の中間に、同心円状の広大な埋立地がいくつも作られている。それらが集合して、海上に蓮の葉の群れのような直径数リーグにも及ぶ巨大な人工島を形成しているのが、アディールであった。

 その上にそびえるのは、高さ数十メイルから数百メイルの石造建築群。全体が日光を反射する白色の不思議な石材で出来ていて、むしろ地球の高層ビルに相当すると呼んで過言ではないだろう。ニューヨークのマンハッタン島のビルディングを、白色化したようなものと呼べば近いか。ともあれ、中世の様相を色濃く映すハルケギニアを圧倒的にしのぐエルフの力をなによりも表す、エルフの誇りと自信をそのまま形にした大都市なのである。

 数万人のエルフがここに居住し、水路でつながれた区画はそれぞれ人間の街では考えられないほど整然と整えられて、絵画の理想郷のような美しさが常に保たれていた。

 むろん、アディールには大都市たるべき理由と役割が備わっている。国境という概念を持たないエルフたちは、多くの部族に分かれて砂漠の都市や集落に分散しているが、そこから代表となる議員を選出してアディールの最高評議会に送り込み、話し合いによって政治運営をおこなっている。そのため、軍事・経済いずれにおいても中心となるアディールには多数の人口が自然と集中して、ここを事実上世界最大の巨大都市へと成長させたのだ。

 

 ただ、いくら人とエルフの違いはあっても、そこに生きる普通の人々の営みにはなんらの変わるところはない。

 砂漠の各地から集められてきた様々な食物を売る市場、公園や街路には花壇が作られて、行きかう人々の目を楽しませる。役所や騎士の詰め所、子供の通う学校から若者の集う大学まで、それらの中で様々な生活や商業がいとなまれていた。

 

 繁栄とはまさに、アディールのためにあると言っても過言ではないだろう。

 サハラのあちこちの都市が怪獣に襲われ、竜の巣で水軍と空軍が甚大な被害をこうむったことも、この街の住人からすればよその国の出来事のようなものだった。海には水軍の艦隊が停泊し、空軍の主力艦隊が呼べばいつでも来援してくれる。エルフの最大の軍事力、すなわち世界最強の軍事力に守られたアディールにはまだ一度も怪獣が襲来したことはなく、住人も、エルフの最高意思決定機関たる評議会議員たちでさえも、アディールを神聖不可侵と信じて疑っていなかった。

 

 

 だが……そんな美と力と繁栄の女神に愛されているようなこの都市に、悪夢のような一日が訪れようとは誰が想像したであろうか。

 

 

 いつもどおりの日……朝起きて、仕事や学校に出て、昼休みに昼食をとって歓談する、そんな特別とは縁遠い時間帯。

 日常という、ささやかな幸福を送るエルフたちを見下ろす高い建物の屋上の空間が歪み、人ひとり通れるくらいの異次元ゲートが開いた。その中から姿を現す二体の宇宙人、一体は緑色の複眼と鋭いハサミになった手を持ち、もう一体は金色のマスクに真っ赤な目を持っており、その手にはリング状の刃物を掴んでいた。

 

「ここがアディールとやらか……ククク、いるいる。うじゃうじゃとエサどもがな」

「へっへっへっへ。おいおい、なんだこの小汚ねえ街は? こんなもんをつぶすのにヤプールは俺さまの手を借りたいってのか? 宇宙の海賊と恐れられる俺さまも、ずいぶんと安く見られたもんだなあ、おい」

 

 現れた星人のうち、緑色の複眼を持ったほうは街を行く人々を舌なめずりするように見下ろし、赤い目を持つ金顔のほうは荒々しく乱暴な口調で街を見渡している。二体とも、かつて人類やウルトラ兄弟を苦しめた宇宙人の同族で、緑眼のほうはヤプール直属のエージェント、赤眼のほうはヤプールに雇われてきた傭兵の宇宙人だった。

「ふぅむ、総攻撃の予定がこんなに早まるとは驚いたが、ここはなかなかいいエサ場だ。牧場にするには悪くない」

「おい、無視ぶっこいてんじゃねえぞ。俺はてめえと違ってヤプールのしもべじゃねえんだ。つまらねえ仕事だってなら帰らせてもらうぜ」

「クク、まあそう慌てるな。武を誇るお前たち一族からしたら、暴れたくてしょうがないのだろうが、目的はただ破壊することだけではない。それよりも、まずはこの街のエルフどもののんきな顔を拝んでおいたらどうだ? 恐怖に震える顔も、そう変わる前を知っていると知らないとでは味も変わってこようて」

「へーへ、相変わらずてめえらの趣味の悪さは宇宙一だな。俺は暴れられれば楽しいんだが、まあ確かにこののんきにしてる連中をぶっ潰すと思うとわくわくしてくるぜ。ヒヒッ」

 異次元空間を通って、白昼堂々と街中に侵入を果たした二体の宇宙人。彼らは、しばらく安穏と過ごすエルフたちを冷たい眼差しで見下ろしていたが、やがて飽きたのか赤眼のほうが投げやりな口調で言った。

「へっ、今や世界中で怪獣が暴れてるってのにいい気なもんだな。よっぽど守りに自信があるんだろうが、異次元空間を使えばそんなものなんの役にも立ちゃしねえ。んで、どうするよ? てめえらご自慢の超獣軍団を出さなくとも、こんな街くらい俺さまだけでぶっ潰せるぜ」

「フ、焦るな。一気につぶさずに、じわじわと痛めつけてやれという命令なのだ。そうでなくてはマイナスエネルギーの収集効率が悪いのでな。それに、楽しみはできるだけ長いほうがいいだろう?」

「まあそりゃそうだが、んじゃどうすんだ?」

「まずは挨拶としよう。ちょうど、この街には先人がおもしろいものを残してあるようだ」

 緑眼のほうはそう言うと、ハサミになっている手の先で、ある壮麗な建物を指して見せた。

「なんだい? あの四角い建物は」

「古美術館だ。エルフどもは芸術に優れていることを誇りにして、ああも大げさな建物を作って見せびらかしている。我々の感性からしたら、形が奇妙なだけで役にも立たんガラクタをありがたがる気持ちは理解できんが、さらにこっけいなのは、その中身が災いの種だということも知らずに、すばらしいとかぬかして拝むことだな」

「ふーん、だいたい読めてきたぜ。さっさとやれよ、俺は待つのは嫌いなんだ」

 赤い眼の星人は、緑色の複眼のヤプールのしもべをせかすように、手に持った武器を振り回した。

 この星人は言動の荒々しさからもわかるとおり、知略をめぐらせるよりは実力行使を好むタイプである。だが、かといって武人タイプというわけではなく、不意打ちや弱い者への攻撃も平然とおこなう。要は性質が凶暴なのであって、それゆえに他の宇宙人からは『無軌道』『無目的』『無計画』と三拍子揃ってありがたくない称号をたまわっている。が、反面そうした単純な凶悪さこそが、ヤプールの気に入ったとも言えなくない。むろん、ほかにもこの星人を利用しようと思った理由はあるが、現在はまだそれを必要とはしていない。

 おもちゃをもらうのを待ちわびた子供のようにせかす星人に、緑眼のヤプールのしもべはなだめるように手を振ると、手のハサミを開いて口先を古美術館に向けた。

 

「今、眠れるお前に力を与えてやろう。六千年の眠りから覚めて、大暴れするがいい! ハアッ!」

 

 ハサミの先から、目には見えない特殊なエネルギー放射線が放たれる。その放射線は美術館の壁をすり抜けて、ある一室に安置されていた古い木彫りの像に吸い込まれていった。

「フフ、これでいい。さあ、目覚めて動きだせ!」

 台座の上に置かれた像、それは一見なんの変哲もない古い木像であったが、背中の部分にはエルフの古代文字でこう書かれていた。『我らの子孫に継ぐ、ゴーガの眠りを決して覚ますことなかれ。我らの呪いの一端をこの身に封ず。災厄を忘れおごるとき、六千年の呪いは蘇って、地はまた炎に包まれてゴーガとともに没すであろう』

 それは現在では古代人の迷信の類として、像はただの古美術品のひとつとして展示されていた。

 

 だが、伝説は本当であった。

 

 地震でもないのに、木像がコトコトと動いて、台座から落ちて真っ二つに割れた。その破片の中から這い出てくる、人の拳ほどの大きさの奇妙な生き物。サザエのような殻を持ち、軟体の体の先には二本の角と、その先端に鈍く光る目がついている。

 床をうごめく不気味なカタツムリ……平日の昼間なので、人の気配もほとんどない美術館の中をそいつは無音のまま動き回る。このままだったら、この気味の悪いカタツムリはすぐにやってくる誰かに見つかって、捕獲なり処分なりされただろうが、ヤプールのエネルギーの込められた放射線を浴びせられたことで急激な体質変化が起きていた。

 ほんの数分後、その展示室に訪れた警備のエルフは、いつもとは違う部屋の様子に首をかしげた。

「おかしいな? こんなところに壁があったか、な……?」

 部屋をふさいでいるおかしな壁を見回して、最後に上を見上げた彼は絶句した。そこには、部屋を埋め尽くすほどに巨大なカタツムリが粘液で覆われた首を持ち上げて、二つの目でこちらを見下ろしていたのだ。

 ありえない光景への茫然自失、そのとき巨大カタツムリの目から白色の溶解液が光線のように放たれた。カウンターで身を守る暇もなく、短い悲鳴を最期に不運なエルフは一瞬で服だけを残して消滅してしまった。

 さらに、巨大カタツムリは全長五メートルほどの姿からさらに膨れ上がっていく。それに増して重量も増えていって、美術館の天井は突き破られ、床は抜け落ちて石造りの壮麗な建物が轟音を立てて崩れ落ちていく。

「なんだ!? あ……なんだあれは!」

 突如として崩落した美術館の惨状に、近くにいたエルフたちは足を止めて美術館をみやった。

 厳選された真珠石でできた美しい建物は無残に崩れ去り、瓦礫の山へと変わってしまっている。

 だが、生き埋めにされた人を助けようとか、役所に飛んでいこうとかいう思考は一秒で消滅した。瓦礫の山を押し分けて街路に這いずり出てくる、山のように巨大なカタツムリ。その不気味でおぞましい光景に、人々は悲鳴をあげて逃げ惑い始め、悲鳴を聞きつけて窓に駆け寄った近隣の建物のエルフたちも、ガラスの向こうに見えるこの世のものとも思えない生き物に驚愕して、ある者は同じように悲鳴を上げ、ある者は腰を抜かし、ある者は目を疑い、ある者は一目散に逃げ出した。

 この中で、もっとも懸命だったのは即座に逃げ出した者であったのはいうまでもないだろう。ごく一部の者の中には魔法を使って攻撃を試みた、腕に自信のあるエルフもいたが、二十メートルもの巨体を持つカタツムリの強固な殻はもとより、粘液で覆われた軟体の体は攻撃をまるで受け付けずに、目から放たれる強酸溶解液でさらに数名が消滅させられてしまった。

 なにげない日常に突如乱入した異形の怪物は、邪魔になるものをその巨体と溶解液でつぶしながら突き進んでいく。

 

「きゃああーっ! なにあれっ!」

「逃げろ! うわぁぁっ!」

「軍はなにやってんだ! こ、こっちに来るなぁっ!!」

 

 エルフといえど、一般人の戦闘力はそう高くはない。増して街中には女子供や老人も多くいる。急いで逃げようとする者、空を飛んで逃げようとする者、反撃を試みようとする無謀な者、逃げ遅れてほかの邪魔になる者がごっちゃになって、とても統制の取れた避難行動はとれていなかった。

 無理もない……アディールの歴史開闢以来、この都市が敵襲を受けたことなどは一度たりとてなかったがために、避難訓練はおろか、その意識さえも一切なかった。混乱が混乱を呼び、パニックの中で出なくていい怪我人が増えていく。

 好きなように暴れまわる巨大カタツムリ、その前進とエルフたちの狼狽ぶりを二人の宇宙人は愉快そうに眺めていた。

「あっひゃっはっはは! こりゃなかなかおもしろい見世物じゃねえか。なんだい、あの怪獣はよ?」

「貝獣ゴーガ、かつて地球でも暴れたことのある怪獣だよ。いずれこの街を攻め滅ぼすための内偵中に、偶然同種族が封じられている像があるのを見つけてな。小型の怪獣だが、なかなかおもしろいだろう?」

 緑の複眼のほうが得意げに説明した。

 

【挿絵表示】

 

 貝獣ゴーガ、それは緑眼のほうが言ったとおり、地球にも出現したことのある怪獣である。

 アウト・オブ・ドキュメント、すなわちウルトラマンが地球に来る以前の事例に記録があり、少なくとも二体の存在が確認されている。一体目は六千年前に栄えた古代アランカ帝国を一夜にして滅ぼし、二体目はその別個体がアランカ帝国の遺物である『ゴーガの像』の中に封じ込められていたものが復活し、東京に多大な被害を与えている。

 性質は凶暴で、進路上の邪魔になるものは容赦なく破壊して進む。しかし本来の伝説では、『街に悪がはびこり、人々が心を失うときゴーガは蘇る』と伝えられるとおり、ゴーガが復活するのはもっと未来であったかもしれないのだが、悪魔に利用されて蘇ったゴーガに容赦はない。首を振り回し、巨大なドリルにもなる殻で建物を破壊しながら、ゴーガは我が物顔でアディールを暴れまわった。

 が、街中に突如怪獣が出現するという非常事態に不意を打たれたものの、首都防衛の使命を受けた軍は動き出した。

「おうおう、ようやくとおでましのようだな。お手並み拝見といきますかい」

 建物の屋上のへりに腰掛けて、赤い眼の星人は頭の上を飛んでいくエルフの竜騎士を見送った。彼らはゴーガに気をとられているようで、白昼隠れてもいない星人に気がついた様子はない。

 

 首都防衛部隊に属する二十騎ほどのエルフの竜騎士たちは、愛騎の風竜たちにまたがって、暴れまわるゴーガを見下ろした。

「あれだな、化け物め。いったいどこからやってきたか知らんが、俺たちが来たからにはもう好きにはさせんぞ」

「隊長、相手はノロマです。全員の一斉攻撃でやっちゃいましょう!」

「待て! 街中で下手にでかい武器は使えん。私の合図とともに集中攻撃をおこなう。殻に攻撃は無駄だ、首を狙え!」

 壮齢に近づいた、歴戦の隊長の指示で竜騎士の部隊は散開した。

 空中でダンスを踊るような見事な隊列を組んでの編隊飛行。彼らはゴーガが街路の比較的広い場所に出るまでチャンスを待ち、チャンスが到来した瞬間に迷わず攻撃に移った。

「今だ、全騎突撃!」

 一列縦隊を組んでの急降下攻撃、それは首都防衛を背負った彼らの使命感の強さと錬度の高さを如実に表すものであった。

 様々な魔法が威力を集約してゴーガの首に連続して叩き込まれる。いかに粘液質と軟体で打撃を吸収してしまうゴーガの皮膚もその限界を超えて、千切れ飛んで体液が零れ落ちた。

「第二次攻撃、用意」

 苦しむゴーガへ向けて、彼らは快哉のひとつもなく再度攻撃に移った。敵を完全に倒すまでは決して気を許すことなかれ、その一点においてのみを見ても、彼らが軍人として非凡であることがうかがえるであろう。

 だが、ゴーガもやられっぱなしなわけがなかった。ほこりをかぶった電球のように不気味に光るふたつの目の先から、小型時よりも強化された溶解液を放射して竜騎士隊を狙い打ってきた。ジェット戦闘機すらピンポイントで狙える溶解液が竜騎士を襲い、一瞬で次々に消滅させていく。

「ぬわーっ!」

「編隊を崩すな! 攻撃を続けろ」

 ゴーガの攻撃に仲間を失いつつも、エルフたちはゴーガを狙い続けた。攻撃を受けるごとにゴーガは怒り、巨体をのたうたせて周辺の建物をなぎ倒していく。ゴーガは全長二十メートルと、ほかの怪獣に比べたら半分程度の大きさしかないが、それでも街を破壊するには十分なパワーと二万トンの重量を持ち合わせている。

 攻撃を加え続け、しだいにダメージが蓄積していったゴーガは殻の中に首を引っ込めて、転がって移動をはじめた。鉄筋コンクリートのビルでさえ一撃で粉々にする体当たりがアディールの市街を荒らしていく。エルフたちは止めようと魔法を浴びせるが、水爆でも破壊不可能といわれるゴーガの殻はびくともしない。

「くそっ! このままじゃアディールが全滅してしまうぞ」

「空軍の艦隊が応援に来るまでにはまだ時間がかかるし、隊長!」

「ぬぅぅぅ」

 ゴーガは転がりながら、狭い水路くらいは乗り越えて区画から区画へと破壊の手を伸ばしていく。今のところは、誰にもそれを止めることは不可能であった。

 だが、彼らは転がり続けるゴーガを観察するうちに、あることに気がついた。ゴーガは一見、無秩序に転がりまわっているように見えるけれども、つぶされた家屋から火の手があがったところに戻ってこようとすると、例外なく方向転換して元来た方向に転がったりしていることに。

「あいつまさか、火が怖いのか? ならば、打つ手はある!」

 隊長は意を決して作戦を作成した。残余の部隊の中で、火の扱いの得意なものでゴーガの進行方向に火を放って行く先を強制的に変更させ、すでに破壊されつくした地区に本隊が大規模な火炎の罠を組んで待ち伏せる。

 彼らはこれに賭けて実行に移した。むろん、すでに壊された場所とはいえ、エルフの建築技術が人間をはるかに凌駕するといっても、自らの街に火を放つのは心苦しい。しかし、時には心を鬼にして取捨選択しなければいけないこともある。日本の江戸時代の火消しは、火災の延焼を防ぐためにまだ燃えてない家屋を壊して大火災になるのを防いだ。

 住民は避難している。建物はまた作り直せばいい。

 街の被害を覚悟の上で、エルフたちはゴーガを罠の張ってある地点へと誘導した。

「ようし今だ! 着火しろ!」

 ゴーガのポイント到達と同時に、仕掛けられていた油にいっせいに火が放たれた。同時にゴーガにも空中から油が散布され、ゴーガはまるで焚き火にくべられた紙くずも同然に燃え上がった。

 全身に火が回ったゴーガはもだえ苦しみ、なんとか炎の圏内から逃げ出そうと転がるが、そこは風を操ることを得意とする者が炎をあおって押しとどめ、ドリル状の殻で地底に潜ろうとすれば土を操れる者が食い止める。

 ゴーガの伝説にいわく、『アランカは罪と共に没す。ゴーガは火と共に消える』とある。ゴーガの弱点は高熱、かつてのゴーガも自衛隊の火炎放射攻撃の前に敗れ去っていた。ゴーガの殻は頑強そのものだが、それ自体燃えてしまうのである。

 エルフとゴーガの必死の攻防は、ほんの一分にも満たなかっただろうが、彼らにとっては数時間にも匹敵した。

 ついに熱さに耐えられなくなったゴーガは殻から出て全身を焼け爛れさせて崩れ落ち、殻も激しく燃え上がった後に爆発四散した。

「や、やった……」

 ゴーガの最期に、エルフたちは気が抜けたように竜の上にへたり込んだ。

 まさに悪魔のような相手だった。少なからぬ仲間を失って、街にも甚大な被害を出してしまった。幸いこうして撃滅できたからよかったようなものの、一匹でこの脅威……これが怪獣か、正直二度と戦いたい相手ではない。

 

 しかし、ゴーガなどは真の悪魔たちが動き出す前の、ほんのデモンストレーションに過ぎなかったのを彼らは知らない。

 

 ゴーガの爆発を見て、逆に快哉を叫んでいた者たちがいた。

「はっははは! やっと倒しやがったかよ。ずいぶんと待たせてくれたなあ、んでどうするよ? あの怪獣倒されたぜ」

「あんなもの、いてもいなくてもなんの変わりもない。それに、あの程度の怪獣すらどうこうできないようでは、あまりにも張り合いがなさすぎるというものだ。赤子の手をひねるにしても、抵抗もしないのではむしろこちらが苦痛でしかない」

 赤子の手をひねることが楽しみと、緑眼の星人は平然と言い、赤眼のほうもそのとおりだとうなずいた。

 確かに、ゴーガはそんなに強い怪獣ではない。弱点さえつけば非常にもろく、もしウルトラマンと戦ったとしたらスペシウム光線で簡単に焼却されただろうし、現在のCREW GUYSならば通常攻撃で問題なく勝てるレベルだ。

 単に、いたから使っただけ。強いて言うならば、エルフの軍事力のレベルを知りたかったからとでも言うべきか。もっとも、すでに竜の巣で必要なデータはとれているから、余剰といえばそうでしかないのだが、とりあえずは無駄なあがきをして楽しませてくれるだけの力は持っているらしくて助かった。

「さて、ではそろそろエルフどもを終わらない悪夢に招待しようか。あんな古代の残りかすとは違う、本物の悪魔をお目にかけよう」

「やっとかい。おい、俺も暴れていいのか?」

「もう少し待て、お前には後でやってもらうことがある。それまではまあ、私の手並みでも見物しているがいい」

 またお預けかよと舌打ちし、面杖をついて座り込んでしまった赤眼の星人を尻目に、緑色の複眼が冷たい光を放った。

 

「破壊と殺戮のショーの開幕だ。ヤプールが手塩にかけて生み出した悪魔の軍団、今こそ白昼のもとにお披露目しよう。まずは先兵として、現れろ! 超獣サボテンダー! さらに、超獣スフィンクスよ!」

 

 天に稲妻が鳴り、アディールの市街に巨大な異形がふたつ姿を現した。

 ひとつは緑色の全身に鋭いとげを無数に生やした超獣、さぼてん超獣サボテンダー。

 しかしこれはただのサボテンダーではない。以前ウルトラマンジャスティスに粉砕されたサボテンダーの残留エネルギーを元に強化再生させた、改造サボテンダーだ。地球攻撃に使用されたときは囮としての役割を担い、ウルトラ兄弟と戦うこともなく回収されていたが、今回は本気である。

 そしてもう一体は、エジプトのピラミッドを守る人面獣身の魔物を模した怪物、古代超獣スフィンクス。

 ツタンカーメン王のマスクに似た顔と、頭部に生えたコブラのような触角に、黄金に彩られた全身は数千年の眠りについたファラオが悪霊と化して蘇ったかのようだ。かつて地球に出現した個体は古代星人オリオン星人に操られていたが、今回はそのときのスフィンクスのデータを元にして再現した、一種のコピーである。ヤプールは以前にも、自身とは直接関係のない満月超獣ルナチクスを再現してGUYSと戦わせている。

 むろん、再生体とコピー品とはいえ、その破壊力にいささかの手抜きも入ってはいない。

 

「ここからが本番だ。やれ! 存分に破壊せよ」

 市街地に出現した二体の超獣は、住民が驚く時間も与えずに破壊活動を開始した。

 サボテンダーのとげだらけの腕がビルのような建物を粉砕し、スフィンクスの頭部のコブラから高熱火炎が放たれて街を焼く。

 ゴーガの脅威からやっと解放されて、浮かれたりほっとしていたエルフたちの顔が再び引きつる。口からは怒号と悲鳴だけが吐き出されて、街の壊れる音とシェイクされてパニックという名の不味いカクテルがぶちまけられた。

「なんなんだありゃあ! た、助けてくれぇ!」

「いゃあ熱い! 水、水はどこ!」

「精霊の、わぁぁっ!」

 それはハルケギニアの街々で繰り返された惨劇と、一切の変わりのないものだった。エルフといえど、本格的に戦闘の訓練を受けたものはわずかである。延々と人間世界と戦争をしてきたとはいえ、生まれて今まで人間を見たことすらない者などざらであり、ただの商人や職人、学者などがいくら精霊の力を使えても戦えるかどうかは別のことだ。

 サボテンダーのとげがミサイルのように放たれて高層建築物を爆破し、スフィンクスの蛇になっている二本の尻尾の先端が瓦礫を銜えて無差別に投げ捨てる。

 なにか目的があっての破壊ではなく、破壊のための破壊。生物兵器として作られた超獣の本領、それが存分に発揮されている。ゴーガを倒したばかりで消耗している軍隊もおっとりがたなで駆けつけてきて戦うが、ゴーガより数段強い二匹の超獣にはまるで歯が立たない。

 人々の悲鳴を聞き、さらに力を増す超獣と、喜びの声をあげる宇宙人たち。

 しかし、絶望のさなかにあってなお、ヤプールを不快にさせる要素は残っていた。

「火中に取り残された人たちを助け出せ!」

 彼らは軍隊ではなかった。人間世界で言えば、衛士隊や自警団。地球風にもっと噛み砕いて言えば、警察や消防、町内会や消防団に当たるような小規模な組織の人々だった。

 彼らは、軍隊が必死に超獣の気を引いている隙に、逃げ道を失って右往左往している市民を救おうと動き出していた。

「石に宿る精霊の力よ。我の命によりて動き、道を開けたまえ」

「我が契約せし水の精霊よ、水面より舞い上がりて雨となり、たける炎を鎮めたまえ」

「お前たち! 慌てずに水路まで行ったら水竜が待ってるから乗せてもらえ! ただし下手に飛んで逃げるな。狙い撃ちにされるぞ!」

 我が身を省みず、危急存亡のときに勇気を出した人たちによって、パニックの拡大は防がれて、エルフたちは超獣から逃げ延びていった。

 だが彼らは決して、特別なエルフではなく、人間社会にもどこにでもいる普通の町人たちだった。違うところといえば、彼らは精霊魔法を使って瓦礫を動かし、火災を消火し、怪我人を治療したりしていたくらいである。どんな災害のときでも、無様にうろたえるだけの者もいれば、普段目立たないのに勇者のようにふるまう者もいる。たとえその数は少なくとも、彼らに救われた者たちは決してその恩を忘れない。

 暴れまわる超獣に対しての、ささやかな抵抗。が、それは確かに悪魔たちの愉快をそいでいた。

「ちっ、予定よりマイナスエネルギーの収集率が悪い。くだらんかばいあいなどをしおって」

 緑眼が、つまらなさそうに足元の石材を踏み潰した。組織的な行動ならば、その組織を乱せば抵抗も止まるが、自発的な行動であるならその全員を始末しなくては止まらない。平和ボケした連中しかいない街と見て、あっさりと絶望に染まるものと見たのはいくらなんでも虫が良すぎたか。

 それに、緒戦は奇襲で一方的な戦いを演じられたが、エルフの軍も増援を得て組織的な抵抗を復活させつつある。人間よりもはるかに竜の扱いに長け、強力な魔法武器を多数持つエルフの軍事力は人間のそれの数倍から、十数倍に匹敵する。なによりも、アディールを守ろうとする彼らの使命感は平和ボケとは裏腹の位置にあった。

 しかし、それらの勇気ある行動は確かに悪魔どもの不興を買いはしたが、それ以上を得る力は持ち合わせなかった。

 

「所詮は、時間の問題だ」

 

 複眼の奥で冷酷な光が瞬く。

 暴れまわる超獣二体に対して、エルフどもの抵抗は意外にも粘り強かったのは認めてもいいだろう。けれども、いくら水をやっても枯れる花をまた咲かすことはできない。狼を前に羊の群れがいくらわめいても、うるさい以上に狼は感じない。

 鋭い風の槍もスフィンクスの皮膚を通すことはできず、スフィンクスファイヤーが空をなぎはらって竜騎士たちを焼き払う。

 十数人の手だれの行使手が五十メートルほどもある、コンクリートビルそっくりな建物を宙に持ち上げてサボテンダーに投げつけた。が、サボテンダーはすぐさま球形サボテンの形態に変形して転がりかわしてしまう。全体がとげに覆われた、重量五万トンの球体が転がる破壊力はゴーガの比ではなく、固定化に近い魔法で補強された建物もひとたまりもなく粉砕されてしまう。もちろん、中に逃げ遅れた人がいるかどうかなどは関係ない。

 

 我が身を省みないエルフたちの英雄的行動は超獣の進撃を遅らせ、多くの非力な市民を逃がすことに成功した。

 水路からは満載の船がどんどんと出て行き、逆に水軍に飼われている水竜たちが海中から集結してくる。

 

 それらは一見すると、ドラマチックなシーンに見えて、詩人や劇作家からしたら筆が進むといえよう。しかし、これはそのままハッピーエンドにつながるクライマックスではなく、単なるつなぎのシーン。主演俳優たちが舞台に上がってさえいない序章なのである。

 そして、この劇に脚本化がつけた題名は『絶望』。

 誰一人希望を得ることなく、暗黒のふちに消え行く悲劇。

 英雄もなく、救世主もなく、悪魔が主役で始まって悪魔が主役で幕を閉じるように書かれたシナリオ。

 この劇の閉幕を飾るのは歓声と拍手ではなく、街が焼け落ちる音と断末魔の悲鳴。

 その変更は脇役ごときのアドリブで揺るぐことはない。

 

 ゴーガの出現で平和を破り、スフィンクスとサボテンダーの出現で安息の消滅を告げた序幕は、ようやくアディール上空に駆けつけてきたネフテス空軍艦隊の出現によって、次のステージへの移動を決めた。

 

「さて、向こうの役者も揃ってきたな……そろそろ連中のささやかな希望もつみとってやるとするか。お前たちがわずかにすがって待っていたボロ船がいかに頼りないかを見て、せいぜい絶望するがいい。この地に眠れる古代の怪物どもよ、今こそ力を与えてやる!」

 

 ヤプールの邪悪な思念が、砂の中に潜んでいた巨大な生命を呼び起こす。

 はるかな地底から浮上してきて、砂中からアディールに急行する空軍艦隊を狙う何者か。砂は流砂となって水のように渦巻きを作り出し、その中心から黒々とした甲殻が姿を現す。

 

 さらに、緑眼は空軍艦隊から目を離し、その複眼をアディールの別箇所に映した。

 空間を隔てて地上を見ることの出来る複眼が、ゴーガにも二大超獣にもまだ被害を受けていない場所にある、エルフたちの学校を見下ろした。そこはトリステイン魔法学院などと同じく、幼年のエルフたちが集まって指導を受ける学び舎である。

 生徒たちは戦場からは遠いここに集まって、迎えの船が来るのをじっと待っていた。

 しかし、安全なように見えたこの場所に集うエルフたちの足元に、新たな悪魔が忍び寄っている。

「くくっ、いるいる。良質なエサどもがたくさんいる」

 実年齢もルイズや才人たちとさして変わらないエルフの少年少女たち。その中の少女たちを、品定めをするように見渡す冷酷な眼が空にあることを、彼女たちは知らない。

 

 壊滅への一本道を驀進しつつあるアディール。エルフたちの大半は、まだ事態がそこまで深刻だとは気づいていない。

 だが、唯一その破滅のシナリオに黒インキをぶちまけてやれるかもしれない船が、南から急速にアディールに近づきつつあった。

 

 渇きの大地から、一路アディールに向けて北進する東方号。大気を貫き、雲を引き裂いて飛ぶ鋼鉄の女王が、砂漠に巨影をほんの一瞬だけかけては、音のような速さで通り過ぎていく。

 すさまじい速さ、現在の東方号の速度はゼロ戦をも超えて、ハルケギニアの乗り物で最速と呼んで間違いない。

 が、確かに東方号の機関はフル稼働し、プロペラは限界の回転を搾り出しているが、この加速は東方号の出力によって生み出されたものではなかった。

「ミスタ・コルベール! 翼がミシミシ言い出してるわよ。この船、耐えられるの?」

「君もこの船を作った一人だろう、ミス・エレオノール? 作者が自分の作品を信頼しないでどうするね? それに、これでも遅いくらいなのだ。あの二匹が力を貸してくれなくては、とうてい間に合わないところなのだからな……」

 コルベールはため息をつくと、艦橋の窓から艦首方向を見た。そこには、普通の生物では不可能な速度で飛ぶ二匹の鳥怪獣の姿があった。

 ヒドラとリドリアス、ガランを倒したこの二頭は、一度はアディール方向へ向けて飛び去ったが、東方号がアディール方面へ向けて飛び立つと、しばらくして戻ってきた。そのころ、東方号は全速力で飛行しても、アディールが攻撃されるまでには絶対に間に合わないことに総勢焦っていたのだけれど、そこで彼らはまたしても奇跡を見ることになった。

 

 窓外に現れた、二匹の怪獣の巨大な姿。その威容に、エレオノールは「きゃっ!」と、少女のように飛び上がったが、二匹は襲ってくる様子はなかった。

 そのまま二匹は東方号と並走して飛び、くちばしで東方号の艦首付近をしきりに指し示しているようなしぐさを見せてくる。

「なにかを、我々に伝えようとしてるのか?」

「まさか、相手は怪獣よ」

 二匹の訴えるようなしぐさをいぶかしむエレオノール。しかしビダーシャルは、そんな彼女の姿勢をとがめるようにかぶりをふった。

「待て、お前たちの狭い知識で結論を急ぐな」

「な、なんですって! よ、よりにもよってこの私に向かって、この私をバカにする気!」

「落ち着け、蛮人の学者。お前たちが蛮人とあざけられる訳のひとつが、その大いなる意志への理解の低さだ。言葉が話せなければ知恵なきものだとでも思っているのか? お前たちのうちでも、知恵ある獣・韻獣の知識くらいあろう。まして相手は神話の時代の生き残りだぞ」

 ビダーシャルの言いようが筋が通っていたので、エレオノールは歯軋りしながらも納得せざるを得なかった。

「やれやれ、ルクシャナを相手に先輩ぶりたいならば、もう少し柔軟な考え方をできるように心がけることだな。うかうかしていると、あの子のことだ、あっという間に抜かれるぞ」

「う、うるさいわね! その涼しげな顔がなんとも憎らしいわ……で! あの二匹はなんて言ってるのよ」

「さあな、私には怪獣の言葉はわからん」

「なによ! 人にさんざん偉そうに言っておいて」

「お前、それでも学者か? わからなければ想像力を働かせてみろ。蛮人の学者とは、書物の丸暗記しか能がない歩く紙切れか? 少なくとも、私の姪はそうするぞ」

 ビダーシャルの、試しているような目がエレオノールを直視した。学者とはいかなるものなのか、それを暗記した知識ではなく実力で示してみろという眼差しが、エレオノールのプライドを刺激する。

 考えろ……考えろとエレオノールは自分を叱咤する。あの二匹の怪獣の考えていることを考える。怪獣としてではなく、自分たち人間と同じだけの知能を有しているものとして……あの二匹がこの船にこだわる訳は? くちばしの指し示す先にはなにがある? ぐずぐずしていたら、ルクシャナに先を越されるぞ。

「もしかして……伝声管を借りるわね! 誰か、錨鎖庫に行って!」

 自分の思い付き、いいやひらめきを信じてエレオノールは叫んだ。錨鎖庫、つまり船の錨の上げ下げをコントロールする部屋へ行くように伝えられて、ただでさえ人手が足りない艦内は困惑した。しかし、エレオノール女史こと先生の言うことを聞かなくては後が怖いので、比較的余裕がある中から数人が抽出されて錨鎖庫に向かった。

 だがいったいなにを? 少年数人が息を切らして艦首の錨鎖庫にたどり着いたとき、エレオノールの声が響いた。

「錨を降ろして、長さ五十メイルで急いで!」

 奇妙奇天烈な命令だった。高速で飛んでいるときに錨を出せば、振り回されて危険なことになるのは目に見えているのにだ。だが、エレオノールの眼鏡の奥の切れ長の瞳が、負けず嫌いと自信を適量にカクテルにした光を放っている。彼女は正気だ。

 東方号の艦首両方から、太い鎖でつながった錨が轟音をあげて降りていく。

「私の考えが正しければ……これで!」

 伸びていく錨の先を凝視する。すると、風に流されてたなびいていた錨をヒドラとリドリアスがくわえ上げた。

 さらにそのまま二匹は錨を引っ張って速度を上げた。すると、鎖でつながっている東方号も引っ張られて、しだいに速度を増していくではないか。

「うおぉっ! は、速い。これはすごいな」

「やっぱり! あの二匹が私たちの味方なら、私たちをアディールに連れて行ってくれる。非現実的だけど、間違ってなかった」

 自分の中の固定観念をこそ疑え。すなわち、怪獣は未知のもの、未知のものは危険という固定観念。しかし、怪獣が敵だと辞書にでも書いてあるならともかく、自分の頭の中に殴り書いたメモの記述などあてになるものではない。

 怪獣も味方になりうる。ドラゴンやグリフォンと家族同然になる人間だっているのだ。ならば、人間と共存できる怪獣がいても不思議なわけはない。第一、自分たちは絶対に仲良くできるわけがないと言われてきたエルフと和睦しに来たのだ。怪獣と和睦するなど、それに比べたらなにほどのことがあるか。

 どうだ、見たかと言わんばかりに胸を張るエレオノールを、コルベールは感心して、ビダーシャルは無感動ながらもうなづいて答えた。

「蛮人、いや人間も少しはやるな。どうだ? 声なき声に耳を傾けた感想は」

「別に、竜騎士なんかはみんなやってることじゃない。けど……学者が学ぶべきことはどこにだってある。それはわかったわ、ありがとう」

「礼を言われる筋ではない。しかし、これで間に合うだろうかな……?」

「今は祈るしかないわ。ヤプールが先か、私たちが先か……祈るしか、ないじゃない」

 遠い空のかなたには、まだなんの変化も現れない。それでも行くしか道はないのだ、苦悩も後悔も今は何の役にも立たない。ただ、当たって砕けるのみである。コルベールとテュリュークも、息を呑んで前をのみ見つめる。

 ヒドラとリドリアスに引かれて、東方号は猛烈な勢いで風を切って進む。

 艦内では、銃士隊と水精霊騎士隊が忙しく駆け回り、エルフたちも客人に甘んじているわけにはいかないと、屈辱を押し殺して彼らを手伝っていた。

 ギーシュがワルキューレで石炭をくべ、足りない石炭をギムリや手伝いのエルフたちが石炭庫から運んでくる。

 女子たちも、モンモランシーやラシーナが食事を作り運んでいく。

 ルクシャナはひとり、遺跡で得た情報の解析にあたっていた。

「船が加速したわ。どうやら、うまくいったみたいね。意見具申しようと思ったけど、エレオノール先輩に先を越されちゃったわ。さて、得た情報は私の頭の中にしっかり叩き込んであるけど……この仮説が本当だとすれば……ね」

 自室にひとり閉じこもり、婚約者のアリィーもうるさいからと締め出して、ルクシャナは持ち込んだ資料の山に埋もれて考えた。これまでのことから想像するに、大厄災の再現はもう目前にまで迫っているといえる。しかし、六千年のあいだに伝承が歪められて伝えられたところを修正していくと……

「もしかしたら、私たちはとんでもなく愚かなことをしてたのかも、しれないわね」

 天井をあおいでつぶやいたルクシャナの表情には、落胆と希望へのまなざしが等価で交じり合っていた。

 

 そして、ゼロ戦とともに一人で戦いの支度をしていた才人の下へも、彼を思うひとりの娘がやってきていた。

「姉さん……どうしたんですか? 用事があるなら、呼んでくれたらおれのほうから出向いたのに」

「いや、わたしの個人的な用事さ。サイト、これから戦いが始まるな。その前に、お前と少し話がしたいんだけど、いいかな?」

 切なげに尋ねてきたミシェルに、才人は思わずどきりとした。言葉で答えはせず、コクピットから降りてゼロ戦の翼の前にミシェルといっしょに立った。機械油に汚れた才人の男くさい臭いと、戦塵にまみれながらもほのかな花のような香りの残るミシェルの匂いが、それぞれの鼻腔をくすぐる。

 広大な格納庫にふたりだけ……戦いに望む前の短い時間に、言葉と思いが交差する。

 

 北へ、北へ、ひたすら北へ。

 アディールは、まだ見えない。

 

 

 続く



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第86話  超獣軍団陸海空! アディール完全包囲網完成

 第86話

 超獣軍団陸海空! アディール完全包囲網完成

 

 磁力怪獣 アントラー

 海獣 サメクジラ

 宇宙海人 バルキー星人

 オイル超獣 オイルドリンカー

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー 登場!

 

 

 怪獣は、一体で現れるとは限らない……

 

 怪獣は、一体で現れるとは限らない。怪獣とは、自然の摂理から外れた特異な生命体であり、その大半はひとつの事例につき一体の出現で終わることがほとんどである……だが、時には同時多発的に複数体の怪獣が現れることもあり、その際の脅威と被害は単体で出現したときを大きく凌駕する。

 記録を紐解けば、大怪獣軍団を結成しての総攻撃をもくろんだジェロニモンの討伐をはじめ、東京を壊滅の危機に追い込んだグドンとツインテールの同時出現、MACを崩壊寸前まで追い込んだ兄弟怪獣の襲撃と枚挙に暇がなく、そのいずれも特筆すべき決戦として人々の記憶に残されている。

 数はそのまま力となる。怪獣たちはウルトラ戦士のように助け合うことは知らなくても、ただ群れるだけでそのパワーは何倍にも跳ね上がり、それはしばしば人類とウルトラ戦士たちに苦杯を味わわせてきた。

 もっともシンプルにして、もっとも強力な攻撃手段。ついに怒りの臨界点を超えたヤプールの悪意の奔流は、ゴーガの復活にはじまってアディールを、罪のない大勢のエルフたちを飲み込もうとしている。エルフたちは、これまで確かにディノゾールをはじめとする怪獣たちの襲来を跳ね除けてきた。しかし、ヤプールが自分たちに対してまるで本気を出していなかったことを、彼らはその誇り高さゆえに気づくことはできていなかった。

 自分たちに迫り来る危機の重大さに対する自覚はなく、エルフたちは人間と同じ過ちを犯そうとしていた……

 

  

『ネフテス空軍、第二戦隊に緊急要請。突如アディール市内に正体不明の貝獣が出現し、現在市街を破壊中。至急、来援を請う』

 その報が、東方に逃走して消息を絶った蛮人の巨大戦艦を捜索中の第二戦隊にもたらされたとき、彼らの受けたショックは小さいものではなかった。

「警備部隊ののろまどもめが、いったいどこに目をつけていたのだ。我らの神聖な首都に敵の侵入を許すとは、信じがたい怠惰だ。だがまあいい、安全なところでのうのうとしている連中にはいい薬だ。貸しを作ってやれば、およそ連中の態度も改まるだろうて。全艦隊に集結命令を出せ、蛮人どもは後回しだ。アディールに急行するぞ!」

 駐留部隊に毒を吐きながらも、艦隊司令は分散していた全艦隊に集結命令を出した。サハラの各地へ飛び去っていた索敵部隊の艦艇や竜騎士が司令艦隊に向けて転進し、艦隊は堂々たる陣形を組んで首都アディールへと向かう。

 その陣容は、戦艦十二隻、巡洋艦二十隻、駆逐艦、水雷艇他小型艦艇四十隻、総勢七十二隻の大艦隊である。竜の巣で第一戦隊が壊滅して以来、旧式艦から試験航海すらおこなっていない新型艦、はては練習艦に武装強化をおこなっただけの仮装巡洋艦まで加えて再建した努力が実った結果であった。

 だが、半数が寄せ集めに近くても、その戦闘力は疑いようもない。乗組員は猛訓練を積んだ精鋭ぞろいだし、兵装はあるだけの最新兵器が惜しげもなくつぎ込まれている。もし、ハルケギニアの五カ国の全艦隊を合わせたとしても、これに勝つのは困難を極めるに違いない。

 現に、彼らの大半は先日の東方号との接触で、まんまと取り逃してしまったことに屈辱を覚えてはいたが、まだまともに勝負すれば負けなかったであろうと自信を保っていた。その不満を、アディールを襲ったという怪獣を倒すことで晴らそうと、乗組員たちの士気は高く、さらにその後に二匹の超獣が現れて、首都警備部隊が壊滅的な損害を受け、一刻も早い来援を請うとの悲鳴のような報を受けるにいたって頂点に達した。

「おのれ、我ら砂漠の民の象徴たるアディールをよくも……我らの力、土足で踏み込んだ愚か者どもに思い知らせてやるぞ。総員、日ごろの訓練の成果を見せよ。敵を殲滅するぞ!」

 火山の噴火にも似た乗組員たちの声がサハラの空を揺るがせた。

 誰一人、負けることなどは考えていない。水軍から流布し始めていた鉄血団結党の精神、これまでにディノゾールなどサハラに出現してきたいくつもの怪獣を撃退してきた実績による自信、大いなる意志は我らを守りたもうという信仰、砂漠の民は蛮人との戦いには一度も負けたことがないという歴史による自尊心、その他根拠薄弱な自負。

 もろもろあれど、彼らには必勝の信念があったことだけは間違いない。

 ただし、自信も過ぎれば過信、うぬぼれという次元に上り詰めれば害悪としかならないことを彼らは忘れていた。

「司令! 前方に黒い雲……いえ、煤煙が見えます。アディールが、アディールが燃えている」

「やってくれたな、絶対に生かしては帰さんぞ。全艦戦闘配備、我らの真の力を侵略者どもに見せてくれる」

 第二戦隊の各艦は、戦闘隊形に陣形を変更して、砂漠の果てに海と共に見えてきたアディールに可能な限りの全速で急行する。

 

 しかし、怒りに我を忘れた第二戦隊のエルフたちは、アディールのみに目が向かってしまい、自分たちの足元に危機が迫っていることに気づいていなかった。

 堂々たる隊列を組んで飛ぶ鋼鉄の艦隊の後ろから、砂漠に海でクジラが海面のすぐ下を泳いでいるときのような波が生まれて追っていく。それは信じられない速度で艦隊を追い抜き、ある一点で止まると、そこを中心にして蟻地獄のような流砂を作り出し始めた。

 直径は十メートル、二十メートル、五十メートル、百メートルとどんどん大きくなり、蟻地獄は島をも飲み込めるのではないかという巨大さにまで達した。もしも、第二戦隊の乗組員たちが冷静であったなら、見張り員でなくとも誰かが気づいたかもしれない。だが、彼らは首都を攻撃されたということで余裕を失い、戦士として大切な冷静さを完全に欠いていた。

 一心不乱、猪突猛進とばかりにアディールに向けて突き進んでくる第二戦隊を正面から見て、アディールの建物の屋上で待つ緑の複眼の宇宙人は、愉快そうにつぶやいた。

「ファッハッハッ、ようやく来たか、身の程を知らない愚か者どもよ。わざわざ殺されに駆けつけてくるとは、我らの怖さがまだわかってないようだな」

 ヤプール譲りの意地の悪さを内包したいやらしい声。奴の目には、エルフの艦隊などはなんの脅威にも映っていない。スフィンクスとサボテンダー、二大超獣に目がくらみ、己の分もわきまえない愚か者たちへの対策などはとうに打ってある。だがもう少し待とう。ただつぶしてしまうだけなら簡単だが、奴らには自らの雄大で精強なだけの姿をこの街のエルフどもに見せてもらわなければならない。

「おおっ! あれを見ろ、空軍の艦隊だ」

「わたしたち、助かったのね」

「やった! これで勝てるぞ。我ら砂漠の民の力、蛮族どもに思い知らせてくれ!」

「おい、高いところに行って見ようぜ」

 艦隊の姿が街からも見えるようになると、逃げ惑っていた市民たちの中に喜びと安堵が流れ始めた。追い詰められたとき、人の思考は極めて単純化する。そうすることによって肉体の操作をスムーズにし、脳にかかるストレスを軽減するのだが、世界を白と黒、生と死、勝利と敗北とに単純に二元論化して行動するときが一番危ない。詐欺師は、そのどちらからも見えない灰色の狭間に潜んでいるものなのだから。

 味方の艦隊の到来を、喧嘩に負けそうな弱虫が親が助けに来たときのような感覚で人々は迎えた。建物の屋上や高台に昇り、手を振って歓迎の意を表する。水竜を操って助けに来た水兵たちが、早く乗れと言っても聞く耳を持っていない。

「がんばれよ! やっつけてくれ」

 常勝不敗のネフテス空軍の不敗神話が、アディールを襲う災厄を一瞬のうちに粉砕すると信じて、エルフたちは声援を送る。それは一般市民だけでなく、ネフテスを管理する評議会の議員たちも同様であった。

「おお、とうとうやってきてくれたか。我が無敵艦隊が! 皆の方々、ほれご覧なされや」

「ううむ、壮観かな壮観かな。あれぞ、我ら砂漠の民が選ばれたる民である証。あれほどの艦隊、蛮人どもがあと千年かかっても築けはするまいよ」

「どうやら皆様、これで一安心のようですな。どれ、あとは高みの見物とまいりましょうか。誰か、前祝いの杯を用意せい」

 冗談が飛び出るほど、彼らには余裕が生まれていた。いや、むしろアディールが襲われているというのに、彼らの態度と口調には緊張感がいやに欠けていた。共和制に近い政体をとるエルフたちの代表者たち、様々な部族から選び抜かれてきた者たちといえば聞こえはいいが、彼ら議員の大半はこれまでの在任中にこれといった成果をあげたこともなく、ただ毎日を前例に従って定例の業務を遂行してきたのみに過ぎない。

 もしも任期中になにか不手際を起こせば、それはその議員を送ってきた部族全体の恥となるために、彼らは自らの責任で行動を起こすことを嫌う。そのため、この非常時にあっても議員たちのほとんどは議場から動かず、無難以上の指示は出されていない。ハルケギニアと同様に大きな変革がなく数千年を経過してきたネフテスの社会形態もまた、いつの間にか気力を失っていたのだ。

 これが、テュリューク統領が東方号をすぐに迎え入れなかった理由のひとつである。彼ら議員たちには、急な変革を受け入れる余裕や意思がない。テュリューク統領の不在になすところがなく、誰も率先して代役を勤めようとはせず、誰かが代わりに始めてくれるのを待つばかりの連中には、話し合いを持ちかける価値すらない。

 このアディールの中で、もっとも高く美しい白亜の塔の一室から、窓越しに見下ろす風景は絵画のようであり、下には炎、上には雄大なる大艦隊と、まるで歌劇を見ているような非現実的な輝きを彼らの瞳に焼き付けている。地上をはるか数百メイルのこの場所には、街の壊れる音も、人々の逃げ惑う声も聞こえはしない。

「さて皆さま、勝利の瞬間には杯を掲げるのをお忘れなく。不肖わたくしめが、乾杯の音頭をいたしましょう」

 期待するのと、責任を丸投げするのはまるで違う。彼らはそれに気づかず、また気づこうともしていない。

 当然、艦隊側でも言われるまでもなく、火砲のすべてを発射態勢にして、精鋭の竜騎士たちも愛用の魔法武器を持って全騎飛び立っている。

 人間の使う兵器を大きく上回るエルフの武器、それがありったけ火を吹けば島でも吹き飛ばせる。先日の竜の巣の大敗は、罠が待っているところで十分に力を発揮できなかったがゆえのものだ。今度は、地理的条件も問題はなにもない。相手はたったの二匹、こちらは世界最強のネフテス空軍だ。

 負ける要素などどこにもない、新兵すら恐怖心なく闘志を燃やす。

 

 が、もうなにも怖くはないと思うほどの高揚感は、彼らに油断という最強最悪の敵となって張り付いていた。

 

 勝ったも同然と、大砲に手をかけて浮かれる彼らの側には、すでに逃れようもないところに敵が迫っている。砂漠に巨大な蟻地獄を作り上げ、その中から鋭い牙のようなあごを開いて空を見上げる巨大な甲虫。その大あごの中から、虹色に輝く光のカーテンが空に向かって放たれたとき、ネフテス空軍の崩壊が始まった。

「し、司令! 右舷二時の方向に光の壁が!」

「なにっ! なんだそれは。うん!? どうした操舵士!」

 がくんと船が揺れ、司令は操舵士を怒鳴りつけた。しかし、操舵士は自分のミスではないと蒼白になりながら叫んだ。

「た、大変です。舵が効きません!」

「なんだと! そんな馬鹿な。ぬわっ!」

 船がまた揺れ、今度は舵取りのミスではない証拠に船は異常な機動を取り始めた。牽引している竜を逆に引きずるように横滑りをしていき、さらに僚艦も次々に操舵不能と信号を出してくるではないか。

「艦隊は、光の壁に吸い寄せられています」

「なんだというのだ!? くそっ、なんとか振り切れ!」

「無理です。すごい力です!」

 鍛え上げた竜の力がまるで役に立たずに、艦隊は磁石に吸い寄せられる砂鉄のように光の壁に吸い寄せられていった。あの光の壁はなんだというのだ? 司令の疑問は、ふと下を見下ろした見張り員の絶叫で回答を得た。

「し、司令! 光の壁の根元を見てください」

「な!? な、なんだあれはぁ!」

 司令と、彼に準じたエルフたちの目が驚愕に見開かれた。砂漠にできた巨大な流砂の渦巻き、その中心から、まるで死神の大鎌をふたつ合わせたようなあごを持つ、五十メイルには及ぶのではないかという甲虫が上半身を出している。光の壁は、その甲虫のあごのあいだから放出されていたのだ。

 

【挿絵表示】

 

「なんだあの化け物は! 参謀長」

「は、あんな生物がサハラにいるとは聞いたことがありません! おそらく、あれも敵の用意した怪獣かと。見てください! ど、どうやらあの光の壁は我が艦隊の鉄を磁石のように吸い寄せているようです」

 参謀長の悲鳴と同時に、船体の装甲版が千切れ飛んで光の壁に吸い込まれていった。ほかにも銃や剣など、手持ちの武器のほかにもありとあらゆる鉄でできたものが吸い寄せられていく。竜騎士たちも自らやドラゴンに身につけさせている鎧が引き付けられているらしく、ズルズルと引っ張られていっている。

 もう間違いはなく、どういう理屈かはわからないが、あの甲虫の出す光の壁は鉄を吸い付ける性質を有しているらしい。しかしどうしようもない、戦艦は鉄の装甲版で全体を覆っているし、大砲をはじめとする兵器はみんな鉄で出来ている。

 このままでは引きずり込まれる! そうなったら……司令はためらわずに怒鳴った。

「攻撃だっ! ありったけの砲撃をあいつに叩き込め!」

 すでに発射準備が整っていた大砲がいっせいに放たれる。正確に狙いをつける暇もあろうかな、大小合わせて数百の門数ならば、そのすべてが外れることなどはありえない。

 蟻地獄の中が火の海になり、甲虫にも数十発の砲弾が着弾したのが見て取れた。蟻地獄の中は、舞い上がった砂と硝煙で黒く染め上がり、一寸先さえも見えないほど熱と混沌が渦巻く世界となった。これならば、少なくともただではすまないと司令から砲手まで含み笑いを浮かべた。

 しかし、一陣の風が運んできたのは勝利ではなく愕然とした敗北の光景であった。

「なっ! 馬鹿な……無傷だと!?」

 甲虫の黒光りする外皮には傷どころかわずかなへこみすらなく、まるで磨き上げた鏡のように光沢すら放っているではないか。

 信じられない、あの怪獣の体は鉄でできているとでもいうのか? いや、仮に鋼鉄で全身を覆っているとしても耐えられる破壊力ではないはずだ。固い、などという次元を通り越している……勝てない。

 攻撃されたわけではない。怪獣は、ただ砲撃を受け止めただけなのに、高揚の極致にあった空軍将兵の士気はもろくも破壊された。

 

 第二撃、第三撃も結果は変わらない。その光景を、緑の複眼の宇宙人は次元を通して眺めてせせら笑っていた。

「無駄だ無駄無駄。そいつの外骨格の強度は怪獣界の中でも一二を争う。ヤプールの技術をもってしても再現のかなわないアントラーの鎧殻を前にして、そんな旧式兵器で歯が立つものか」

 空軍の攻撃はかすり傷ひとつつけられず、力の弱い船から光の壁に飲み込まれていく。

 圧倒的な防御力と、恐るべき磁力を放つ光の壁。それこそが、この磁力怪獣アントラーの能力である。

 地球では、初代ウルトラマンが活躍していた時期に中近東の砂漠に現れたという報告があり、そのときも同様の能力で科学特捜隊とウルトラマンを苦しめていた。鎧殻はスーパーガンやスパイダーショットはおろかスペシウム光線もまったく受け付けず、光の壁と形容される虹色磁力光線はジェットビートルの推力でさえ抗えない吸引力を誇っていた。

 蟻地獄の中に潜むアリジゴクそのままに、アントラーは引きずり込んだ船を自分の下まで引き寄せると、その船を大アゴでがっちりとくわえ込んだ。すると、鋼鉄でできているはずの船が紙細工のようにひしゃげさせられて、真っ二つに食いちぎられてしまったではないか。

「戦艦が、あんなにもろく」

 破壊された船はバラバラになって流砂に巻き込まれ、蟻地獄の中に飲み込まれて消えていく。乗員は、生身の何人かは飛んで逃げたようだが、船内に閉じ込められたままの者や、体に鎧や金属製品を身につけていた者は逃げられずに、もろともに引きずり込まれて砂中に消えた。

 その瞬間、艦隊に残っていた最後の士気は雲散霧消した。

「あ、あ……に、逃げろぉぉっ!」

 ここにいては助からないという現実が、彼らの行動を決した。我先にと武器を捨てて船から飛び降りていく。士官の中には何人か止めようとする者もいたが、彼らも自分の船が光の壁の直前まで来ると前言を翻して逃げ出した。

 もはや空軍の誇りもなにもなく、軍艦からごまを振るように乗組員たちが逃げ出していく。忠誠心も美しさもあったものか、死を恐れずに戦うという言葉が崇高な響きを持つのは、万に一つも、一パーセントでも勝算があってこそだ。虫の餌食になって生き埋めにされる未来しかないとわかっていて、誰が船と運命をともにしようと思うか。それでなお残りたがるのは、状況が見えていない馬鹿者か、敗北を死と考えている大馬鹿者しかいない。

「無様だな」

「あーあ、ありゃ全滅だなぁ。も少し早く気づいて艦隊を分散させれば、ちっとは残ったかもしれないのに」

 せせら笑う二人の宇宙人。偉容を誇ったネフテス空軍艦隊はもはや見る影もなく、枯れ葉が雨水とともに排水溝に流れ込むのにも似た惨状で磁力光線に吸い込まれては、下で待ち受けるアントラーの餌食となっていく。

「全滅だっ」

 同様の言葉がアディールのあらゆる箇所で流れた。たった今の今まで期待と希望のすべてを込めていた艦隊が、なんの役にも立たないオモチャ同然の代物だと思い知らされた絶望。それは彼らエルフのなんでもない市民たちがはじめて味わう無力感……かつて、地球でもハルケギニアでも何度も繰り返されてきた、侵略者たちの黒いプレゼントの洗礼が、負けを経験したことのないエルフたちの心を急速に蝕んでいった。

「もうだめだぁ! 逃げろぉぉっ!」

 自分たちの力ではどうしようもないことへの純粋な恐怖、それを前にしたとき人もエルフも心は限りなくもろくなる。市民たちは他者を押しのけて逃げ惑い、魔法で空を飛ぼうとしたら同じような他人とぶつかって道に落ちる悲惨な光景が続出した。勝利の美酒の前祝いをしていた議員たちは茫然自失とし、我先にと議場から飛び出していった。それは臆病ではなく、目の前に土砂崩れや竜巻が迫ってきているというのに逃げない人間がどこにいるだろうか? ライオンに追われて逃げ惑うシマウマを臆病と誰が言うであろう? 彼らはまさにそれであった。

 パニックはさらに助長され、街の被害を住人自らの手で作っていく。

 軽い好奇心や怖いもの見たさで逃げずに残っていた者が、気づいたときには手遅れになっていて超獣に襲われる。

 スフィンクスの火炎が街を焼き、球形サボテンの形で転がりまわるサボテンダーが街を蹂躙する。それらはまるで、抗いようもない天災のようで、美しい街が見るも無残な瓦礫の山へと変えられていく。

「破壊だ、破壊しつくせぇぇ!」

 猛攻はとどまるところはなく、スフィンクスの触角が光り、破壊閃光が建物を爆砕した。さらに、サボテンダーの押し倒した建物がドミノ倒しのように崩れて他の建物を連鎖的に破壊していく。街の壊れる音に、スフィンクスの吼えるような声とサボテンダーの笑うような声がいっしょになって、エルフたちの狂騒はさらに増していった。

 しかもそれだけでは当然すまない。空軍を全滅させたアントラーは街に侵入して破壊活動を開始した。かつてアントラーに蹂躙されたバラージの街のように、家々が無慈悲につぶされてゆく。首都警備部隊の竜騎士たちは、それでも勇敢にアントラーを食い止めようとするが、空軍の砲撃さえ通用しなかった相手に竜騎士の軽微な武器でかなうはずもなく、強力な先住魔法も大アゴを振るうだけで涼風のように払い飛ばされてしまった。

 

 圧倒的な破壊を続ける超獣と怪獣、一体でも手に負えないというのに、それがいまや三体。しかも、奴らと戦うはずだった空軍艦隊は戦う前に全滅してしまった。

 怖いものなしで、好きなように街を破壊する怪獣と超獣に対してエルフたちは無力だった。自棄に近く向かってくる抵抗などは無に等しく、強固な皮膚を通すにあたわず、逆に圧倒的なパワーは精霊の守りを薄紙のように通過した。

 スフィンクスの火炎が焼き、サボテンダーのとげが貫き、アントラーの力が崩す。すでにアディールの四分の一が壊滅し、死傷者の数も天井知らずに増え続けている。

 絶望の声が流れては怪獣の声と炎に飲み込まれて消えていく。だが、絶望の中だからこそあきらめない者たちもそんな中にはいた。

 幼い子を抱えた母親が。

「お母さん、怖いよぉっ」

「大丈夫よ、大いなる意志が、お母さんがきっと守ってあげるからね」

 恋人の手をつないだ若い男が。

「も、もう逃げられないわ! 私たち、ここで死ぬのよ!」

「あきらめちゃだめだキエナ! 君には僕がついている、この手は決して離したりしないぞ!」

 絶望の淵にあっても、いいや絶望の淵にあればこそ、守るべき誰かを持つ者たちはあきらめてはいなかった。我が身を捨てても守り抜きたい誰かのためなら、絶望になど構っている暇はない。その、無償の愛が彼らにひとりでいるときには持つことのできない”強さ”を与えていたのだ。

 アディールの一方はスフィンクスとサボテンダーが暴れまわり、反対側はゴーガに破壊されて道がめちゃめちゃになっている。さらに別方向からはアントラーが迫ってきており、陸からアディールを脱出する道は閉ざされた。もちろん、先住魔法を使えるエルフたちはメイジたちのように空を飛んで逃げることもできるが、空に飛び上がればスフィンクスの一万三千度の火炎熱線とサボテンダーのトゲミサイルで打ち落とされるか、サボテンの花弁に似た口から伸びる真っ赤な舌にからめとられて捕食されてしまった。

 陸と空を塞がれて、残った逃げ道はただひとつだった。

「水路だ、海に逃げろ!」

 アディールは半水上都市であるために、その半分を海にせり出している。陸路をふさがれ、空軍が全滅してしまった以上、残る海路へ向けて市民は殺到した。精霊の力を用いて水中で呼吸ができるようにするくらいはエルフであれば誰でもできるので、溺れる心配はなく水路に飛び込んで船にたどり着く者、水竜やイルカのような慣れた動物にしがみつく者など、水路はまるで渋滞する道路のようになって、海へ向かってエルフたちが流れていっている。

 

 そしてその海には、ネフテス最後の軍事力といえる水軍が集結しつつあった。

「エスマーイル同志議員殿、アディール駐留艦隊の全艦出港完了いたしました」

「よろしい。二番艦から五番艦までは本艦に続いて戦闘態勢をとれ。悪魔どもめ、目にもの見せてくれる」

 艦隊旗艦たる鯨竜艦の艦橋で、ひとりの男が憮然として腕を組んでいた。

 彼は名をエスマーイルといい、軍人ではなくネフテスの評議会議員のひとりである。役職は水軍の総司令官に近く、ほとんどの議員が非常時にあっても議場から動かなかったのに対して、数少ない自分の足で行動を起こしたひとりだった。

「同志議員殿、やはりご自身で指揮をとられるのは危険では? 駐留艦隊でまともに戦闘可能な船は、本艦を合わせてもわずか七隻です。現在、近隣海域の艦隊にも集合命令が出ております。それを待ってから戦端を開かれても」

「君はアディールが灰燼に帰してから戦い始めることに意義があると思っているのかね? それまで逃げ隠れして、すべてが終わった後にのこのこ出かけていって、君は誰に勇を見せるというのかね?」

「はっ! 自分が臆病でありました。どうぞ、お見捨てなきようお願いいたします」

 兵に確かな決意を込めた視線を向けると、エスマーイルは怒りに紅潮し、臆病とはほど遠い顔で炎上するアディールと、そこで暴れる超獣たちを睨む。

 が、彼は勇者と呼ぶには眼の色は暗い色で染まっていた。

「歴史開闢以来、何人にも犯されたことのない砂漠の民の聖なる都が……許さんぞ、異敵どもめ。我ら砂漠の民こそ、この世の頂点に立つ選ばれし種族なのだ。大いなる意志の恩寵も知らない野蛮人どもめ、絶対に生かしては帰さん」

 平和を守る意志や使命感よりも、傷つけられたプライドに憤る自己中心的な怒りが彼の胸中の大半を占めていた。

 ギラギラとした瞳は眼前の敵しか見えておらず、エルフらしく彫刻のように整った顔は頬がこけて幽鬼のような恐ろしさが漂っている。彼の率いる水軍艦隊は、先日の竜の巣の戦いで壊滅し、今や主力はこの少数艦隊が残るのみ。再建は思うように進んでおらず、力こそが誇りの源泉であると信ずる彼のような人種にとって耐え難い恥辱であったのだ。

 その敵が目の前に現れた以上、勝ち目があるなしは関係ない。賭け事に負けた浅はかな男が、今度こそ今度こそと安い意地で挑んでは身包みをはがされていくように、エスマーイルの目に見えている世界は狭かった。

「砲撃用意、長距離砲戦を挑む。街を飛び越えて直接怪獣を狙うのだ」

「ど、同志議員、それは危険です。もし砲弾がそれればアディールにも甚大な被害が出ます」

「奴らが海沿いまでやってくるまで待っていては何もかも遅い。それに、日々鍛錬を積んだ諸君らならば、狙いを外すようなことはあるまい、違うかね?」

「は、はあ……それと、街から避難してきた市民たちの乗る船から救いを求める声が多数届いております。見捨てるわけには……」

「この忙しいときに……砂漠の民の誇りよりも我が身の安全をはかるとは恥知らずな連中だ。ええい、輸送船と修理中の船があっただろう! 私はそんなことに関わっている暇はない」

 もはや彼は『軍事力』がなんのために存在するのかすら見失っていた。いや、彼からすればこれが正しい軍のありかたなのであろう。水軍は砂漠の民の力の象徴であり、その存在そのものが神聖で犯すべからざるものとなっている。その進撃を邪魔するのならば、同じ砂漠の民であろうと反逆者にしか見えない。

 彼は自らを疑わない、自らを種族の誇りを守る正義の使徒だと。

「我ら砂漠の民、鉄のごとき血の団結を持って、異敵を殲滅せん。大いなる意志よ、我らを導きたまえ」

 独善の怪物、鉄血団結党の党首であるエスマーイルは、己の正義に従って、まだ多くの同胞が取り残されている街への砲撃を指令した。

 

 長射程の大口径砲弾が鯨竜艦から放たれ、山なりの軌道をとって超獣と怪獣に向かった。

「うん? なんだ、まだ身の程をわかってねえやつがいたか」

 砲弾の飛ぶ甲高い音を聞いて、暇をもてあましていた赤い目の星人がおもしろそうに言った。これだけ力の差を見せ付けられながら、よくもまあ無駄な抵抗をする気になるものだ、バカにせずしてどうしろというのか。

 案の定、砲弾は当たって爆発はしたが、三匹のどれにもかすり傷も与えることはできなかった。むしろ、外れた砲弾で広がった被害のほうがでかいくらいで、星人は腹を抱えて笑った。

「あっひゃっはっはは! ざまあねえ、てめえでてめえの街を壊してたら世話ねえぜ。無駄な努力ってやつは、ほんと笑えるぜ。ああいうことすっから、下等生物っていうんだろうなあ。あっひゃっひゃっひゃっ」

 赤眼の星人は心底おかしそうであった。それは、星の海を自在に飛ぶことのできる多くの宇宙人が地球人を見たときと、共通の感覚であっただろう。地球人の使う程度の兵器を、大半の宇宙人は歯牙にもかけない。それだけ、彼らと人間とのあいだには覆しがたいテクノロジーの差というものがある。

 だが、抵抗をしてくれるということは、それをひねりつぶす楽しみが残っているということだ。せっかく呼ばれてきたというのに、退屈で腐っていた赤眼の星人は、同じく愉快そうに肩を震わせていた雇い主に顔を向けた。

「おい、ヤプールの代理人さんよ」

「フフ、わかっている。そろそろ頃合だろう。海に逃げて安心しているバカどもと、まだ勝てるつもりでいる大バカども……宇宙の海賊と異名をとる貴様の実力、見せてやるがいい」

「けっ、ようやく出番か、待ちくたびれたぜ。おい、この仕事が成功したら、この星の海の支配権を俺に譲るって約束、破りゃしねえだろうな?」

「心配するな、お前が海の支配権で満足するというならくれてやろう。我々の目的は、あくまでマイナスエネルギーなのだからな。それよりも、言うだけの仕事はしてもらえるのだろうな? バルキー星人」

 答えは、口元に浮かんだ不敵な笑みだった。アディール全体を見渡せる建物の屋上から、エルフたちでごったがえしている海を見下ろして、右手を高く掲げて叫ぶ。

 

「こぉい! サメクジラァァッ!」

 

 指をパチンと軽快に鳴らし、赤眼の宇宙人・バルキー星人は高らかに叫んだ。

 その瞬間、アディールの洋上の海面に怪しい波がざわざわと浮かんだ。黒々とした影が海面下を高速で走り、真っ赤に光る怪しい目がアディール洋上の艦隊と船団を睨んで、生き物としては考えられない速度で迫っていく。

 その脅威に、最初に気づいたのは動物たちだった。イルカが主人たちの命令に背いて暴れだし、続いて鯨竜たちが威嚇するようにうなり声をあげはじめる。エルフたちは、そのおびえるようなイルカや鯨竜の反応に、おとなしくさせようとするものの、砲撃の轟音が自分たちに近づく本当の危機に気づくことを許さず、それが最悪の結果につながってしまった。

 突然暴れだした一頭の鯨竜が舵取りのエルフの命令を無視してあらぬ方向に泳ぎだした。しかし、すさまじい速度で海面下から飛び込んできた影が鯨竜の下を通過したとき、海は赤く染まって鯨竜の悲鳴がこだました。

「な、なんだ!? なにがいったい!」

 致命傷を受けて海没していく鯨竜の上で、脱出しようと慌てるエルフたちが絶叫する。惨劇はそれにとどまらず、二匹目、三匹目の鯨竜が同じ目に遭う。生き残った鯨竜たちはそれぞれ勝手な方向に逃げ出した。もはや鯨竜艦隊は艦隊としての体をなしておらず、悠然たる鯨から一瞬にして逃げ惑う鰯の群れへと転落した。

「なんだ! いったいなにが起きている。敵はまだ攻撃してきていないぞ!」

「ど、同志議員殿、海です。左舷海中になにかがいます、すさまじいスピードです!」

「海中だと!? ええい、副砲群撃て、そいつをしとめろ!」

 主砲はすべてアディールを向いている。鯨竜艦の小口径砲が手照準で次々とうなり、海面に水柱をあげる。そして、その水柱の群れの中から海面を割り、海上に飛び出してきた凶暴なシルエットにエルフたちは戦慄した。

 

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「なんだあれは!? サメ? いやクジラなのか?」

 クジラの巨体にノコギリザメのような鼻と鋭い角、しかしただのクジラではない証拠に、その泳ぐ速さは二百ノットを軽く超え、大砲の照準が追いつかない。

「うわあ! 突っ込んでくるぞ!」

「回避ぃ! だめだ、間に合わないぃっ!」

 抵抗する暇すらなく、槍のような怪獣の鼻先が一匹の鯨竜艦の腹を貫いた。分厚い皮膚も皮下脂肪も何の役にもたたず、串刺しにされた鯨竜は悲痛な断末魔をあげて沈んでいく。

 あの巨大な鯨竜をただの一刺しで殺してしまうとは。エルフたちは眼前の怪獣の凶暴さに驚愕した。鯨竜は全長百メイルに及ぶ巨体を持ち、この世界の生物としては最大級の大きさを誇る。それゆえに、皮膚も装甲を張るまでもなく頑強で、たとえ大砲の撃ちあいをしたとしても簡単に傷つくことはないのにも関わらず、なんなんだあのバケモノは!?

 あっというまに半数の鯨竜艦を失った水軍艦隊は、怪獣におびえる鯨竜たちを押さえることもできずに算を乱していく。

 この世界の常識を超えた遊泳速度と攻撃力を持つ怪魚。その正体こそ、宇宙海人バルキー星人のペット、バルキー星の海の生態系の頂点に君臨する海獣・サメクジラであった。

 ドキュメントZATの末尾に記載があり、地球の海の支配を企んだバルキー星人のしもべとして船を次々に沈めまくった。水中移動速度は二百ノットを超え、鋼鉄を軽く切り裂くヒレと三メートルの鉄板も貫通する鋭さの鼻の前にはマンモスタンカーすら一瞬で海のもくずと化してしまう。

 鈍重な鯨竜では逃げ切るすべはなく、サメクジラはイルカが小魚の群れを追い込むときのように周辺を高速で旋回して、なぶり殺すように弄んでいる。

 だが、本当に悲惨な目に会っていたのは鯨竜やその乗組員ではなく、助けを求めて近寄っていたアディールの市民たちだった。

「うわぁっ! こ、こっちに来るな」

「お、おれたちは味方だぞぉ!」

 逃げ回ろうと暴れる鯨竜が、小船やイルカで漂っていたエルフたちを巻き込んでいく。全長百メイルの鯨竜の巨体や、それが巻き起こす波は単純に凶器になる。魔法を使うのが間に合わずに巻き込まれていく者、逃げようとして別の誰かにぶつかって海に投げ出されてしまう者が続出した。

 水中さえももはや安全ではない。二百ノットという超高速で泳ぎ回るサメクジラの作り出した乱海流がイルカでも乗り切れないほどの流れになって無秩序に暴れ狂い、潜って逃げようとしていた者たちはもみくちゃにされていく。

 それでも、もう海しか逃げ道はない彼らは必死に沖合いに出ようと争った。外洋にさえ出れば、飼いならされている水竜などが放牧されている場所があるので安全なところまで行ける。それだけが彼らに残った唯一の希望であった。

 しかし、その希望を打ち砕こうと、バルキー星人はテレポートでアディールから消え、巨大化してサメクジラの暴れまわる海上に出現した。

 

「ウワッハッハハ! 逃がしゃしねえよぉ、今日からこの海はこのバルキー星人が支配する。てめえらはサメクジラのエサになれえ!」

 

 高笑いしながら現れた巨大星人に、逃げ道を塞がれたエルフたちは悲鳴をあげて右往左往した。

 バルキー星人はそれを愉快そうに見下ろし、まるで幼児が水溜りに落ちた蟻をつついて喜ぶように、頭部のランプから発射される断続光線『バルキービーム』で狙い撃っては沈めていく。エルフたちの中には星人に対して反撃を試みようと魔法を使おうとする者もいるが、台風並みに荒れ狂う海の上では思うにまかせず、海を安定させようとすればバルキー星人が襲ってくる。

 サメクジラのいる海は完全にバルキー星人の遊び場となっていた。かつて同族が太平洋で船舶を無差別に沈めまくった残忍さは、この個体においても変わっていない。

 だが、エルフたちもまだ戦意は失っていない。

「使用可能な砲門はすべて巨人を狙え! 悪魔ども、きさまらなどになにも渡しはせん」

 エスマーイルは血走った目で叫んだ。プライドの高い者は自らの敗北を決して認めようとしない、さらに自己に陶酔する者や差別主義者にとっては、他者に敗北することは自身の否定そのものにつながるから徹底的に現実を否定する。

 が、彼のヒステリックな叫びは戦意を喪失しかけていた水軍を瓦解の一歩手前で食い止める効果はあった。

「う、撃て! 撃てーっ!」

 生き残っていた鯨竜艦の砲がうなり、砲弾がバルキー星人に集中する。

「おわぁっ!?」

 思いもかけない反撃はバルキー星人の意表をついた。水軍艦隊は全滅寸前になりながらも、訓練を積んだ練度を発揮してバルキー星人に砲弾を浴びせかけ、それで残数少ない竜騎兵たちも生き返って魔法をぶつけはじめた。

「効いてるぞ、ようし今だ、ありったけを叩き込め!」

「こ、この虫けらどもが!」

 四方八方からの攻撃にはバルキー星人もたまらなかった。手でハエを追い払おうとするように暴れるが、攻守が逆転したらエルフたちもやられっぱなしでいられるかと攻撃を強め、水竜がバルキー星人の足に噛み付いたりもしはじめる。星人は逆上して、サメクジラに助けを求めることも忘れていた。

 

 悪あがきが思った以上の効果を生み、バルキー星人を押しているエルフたち。一度は逃げるのをあきらめかけた市民たちも、わずかに落ち着きを取り戻して沖合いへの避難を再開した。バルキー星人の命令を失ったサメクジラはそれを止められず、バルキー星人はエルフたちの集中攻撃を受けてじだんだを踏むばかりだ。

 だが、そんな無様な光景をもうひとりのヤプールの手下は見逃していなかった。

「バルキー星人め、口ほどにもない。調子に乗って冷静さを欠くからこうなるのだ……仕方ない、手を貸してやる」

 緑の複眼が怪しく光り、アディール洋上の空がガラスのように割れる。そして、開いた異次元ゲートの真っ赤な裂け目の奥から、青い体をうろこで覆い、鋭い鼻先を持つ超獣が海に降り立った。

「やれ! オイルドリンカー、存分に暴れるがいい!」

 

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 三匹目の超獣、オイル超獣オイルドリンカーがその姿を現した。名前どおり石油を好物とするオイルドリンカーは、口から体内のオイルを利用して作り出した高熱火炎を吐いて、逃げようとしていたエルフたちを攻撃し始める。

「ま、また出たあ! 引き返せ!」

「もうどこに逃げろっていうのよ。ああ、もう終わりよ。みんな死ぬんだわ」

 逃げ道は完全に塞がれた。オイルドリンカーの出現は、きわどいところで持ちこたえていたエルフたちの最後の士気さえも打ち砕き、バルキー星人も解放されて、怒りのままの攻撃が降り注ぐ。

 陸も空も海も、怪獣と超獣と宇宙人にふさがれて、アディールは牢獄の囚人も同然であった。

 包囲網は徐々に縮まり、エルフたちは海からやっと逃げ出してきたばかりの街に押し戻されていった。

 もはや、誰の目にもヤプールがアディールの陥落や破壊などといった生易しいことを考えているわけではないことは明白だった。奴はアディールに市民全員を閉じ込めて、一人残らず抹殺しようとしている。そして、自分たちにはすでに包囲網を抜けるだけの力は残されていないことも。

 アントラーの大アゴが高層建築物をはさんで噛み潰し、スフィンクスとサボテンダーが美しい街を自分たちにふさわしい砂漠に戻していく。バルキー星人は再び調子に乗って、サメクジラとオイルドリンカーを率いて水竜をなぎ倒し、水軍の残存戦力をすりつぶしていく。

「ハッハッハハ! 壊せ、もっともっと壊せ。だが、まだこんなものではないぞ……最後の一人になるまで恐怖させ、絶望のうちに滅亡させてくれる。もっともっとあがくがいい、そうすればするほどお前たちは我らの力を思い知ることになるのだ!」

 ヤプールは強大な力を思う存分に振るうことに酔い、ひたすら破壊の快楽を追及することをやめない。

 まさに、現世にある悪魔そのもの。ただし、ヤプールはただの悪魔ではなく、生きとし生ける者すべての映し鏡であることを忘れてはいけない。ヤプールと同等に残忍で卑劣な人間などいくらでもいる。我々が自らの醜部を認めずに隠そうとする限り、ヤプールは永遠に不滅なのだ。

 エルフたちの抵抗はしだいに微弱になり、生き残った空軍もアディール防衛部隊も生身でけなげにも防戦を続けているが、それがなくなったときにすべてが終わってしまうと、生き残ったエルフたちは肩を寄せ合って、大いなる意志にひたすら救いがあることを祈り続けた。

 

 だが、いくら祈っても神は現世に救いは寄こさない。大いなる意志といえど、奇跡の安売りはしないだろう。なぜなら、奇跡とはこの世に生きる者たちによってもじゅうぶんに起こし得るからである。

 危機に瀕したアディールを救援に訪れるものは、空軍主力が壊滅した今となってはあるはずがない。けれども、あるはずがない南の空から、あるはずのない速度で現れた巨影。

「見えた! アディールだ!」

 東方号はついに念願のアディールをその眼中におさめることに成功した。だが、圧倒的多数の戦力を誇り、なおかつまだどんな隠し玉を用意しているかわからないヤプールに対して、東方号が逆転の兆しになりうる可能性は、はなはだ低いといわざるを得ない。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第87話  六千年の溝

 第87話

 六千年の溝

 

 大蟻超獣 アリブンタ

 友好巨鳥 リドリアス

 高原竜 ヒドラ

 磁力怪獣 アントラー

 海獣 サメクジラ

 宇宙海人 バルキー星人

 オイル超獣 オイルドリンカー

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー 登場!

 

 

「見えた、アディールだ!」

 東方号の艦橋の窓から望む北の空。その地平線のかなたから顔を出してきた白亜の街の姿に、この船に乗り込んできていたエルフたちの間から快哉があがった。

 ヤプールのアディール完全破壊宣言を阻止せんと、ヒドラとリドリアスの力を借りて、限界を超えた速度で北上してきた東方号。甲板の木材は風圧ではじけ飛び、船体各所は無理な力がかかり続けていたので悲鳴をあげているが、ついに東方号は旅の最終目的地であるアディールを見れたのだ。

「おれたち、とうとうここまで来たんだな……」

 窓越しに大きくなってくるアディールを見ながら、ギーシュたち水精霊騎士隊や銃士隊の面々はつぶやいた。

 恐らく、ハルケギニアの歴史が始まって以来、この光景を見るのは自分たちがはじめてに違いない。それにしても、彼らは誇らしく思いながらも薄ら寒く感じた。あの、大都市という表現すら過少に思える巨大建築物の群れはどうだろう、トリスタニアなどあれからすれば田舎町もいいところだ。あんなものを砂漠に建設してしまうエルフというのはやはりとてつもない連中だ。自分たちの先祖が何十回攻め込んでも勝てなかったわけである。

 しかしそれにも増して、そんなことも知らずに単にエルフは怖いものとだけしか思ってこなかった自分たちのなんと無知なことか。人間を蛮人を呼ぶ資格はエルフよりもむしろ自分たち人間にこそふさわしかったと、自嘲の笑みが誰からともなく流れる。

 

 だが、くっきりと空に向かって伸びていく黒い煙の柱は、そこがすでに平和な街ではないことをも色濃く示すものであった。平時であれば、畏敬と尊敬を持って訪問したに違いない異国の都はいまや戦場と化していたのだ。

「すでに攻撃を受けているわ。間に合わなかったの!」

 エレオノールの悲鳴が、まだ記憶に新しいトリスタニアの炎上の光景を思い出させた。ただ一体の超獣によって、数千年かかって積み上げられてきた伝統と歴史もろとも、より以上に尊い人命を多数失って灰燼に帰したかつてのトリスタニア。トリステイン人ならば忘れようもない苦い記憶が、天を焦がす黒煙とともにまぶたの裏に鮮明に蘇ってくる。

「超獣です! いち、にい、さん……三匹! 見えるだけで三匹が暴れてます。アディールはもう、火の海ですよ!」

 艦橋トップで双眼鏡を覗いていたギムリの、喉の許す限りの声が伝声管から響いてきた。

 コルベールたちも、日本製の双眼鏡や、エルフの魔法の望遠鏡を覗きこむ。スフィンクス、サボテンダー、アントラーの三匹によって破壊されていくアディールの光景が網膜に映り込み、悔しさのあまり目じりが熱くなってくる。

 けれども、悲嘆に暮れている余裕はない。破壊活動がまだ行われているということは、まだアディールは完全に破壊されつくしてはいないということだ。やれることはある、コルベールは自分の命令が多くの若者たちを死地に追いやるかもしれない責任の重さを感じながらも、逃げるわけにはいかないと決断した。

「テュリューク統領、本船はこれよりアディール市民の救助活動を開始します。領空立ち入りの許可を、いただけないでしょうか?」

「ふふ、なにをいまさらという気もするがのう。やれやれ、とするとわしは歴史上はじめて蛮人をアディールに入れた議長と、名を残すことになるかいな。大多数のエルフたちからしたら、りっぱな反逆者になるかい。ほっほっほほ」

 テュリュークは、自分がネフテスの歴史上最大の犯罪者になるかもという選択の間際だというのに楽しそうに笑った。

「よろしい、許可しよう。なあに、議会の許可がどうとかは、わしが首をくくればすむ話じゃわい。はっははは」

「すみません……」

 人間社会でいえば、ブリミル教の教義を冒涜するも同然の大罪に違いないのにこの陽気さ。コルベールは、責任を背負うということがどういうことなのか、にわか船長ながらその重圧を自分では支えきれるのかと、心からすまなく思うのだった。

 

 だが、ヤプールは接近してくる東方号の姿をとうに認めていた。

「フハハハ……やはりやってきたか愚か者どもめ。うまくわしを出し抜いたつもりだろうが、貴様らがなんらかの方法で数時間内にやってくることは想定のうちだ。フフフ、そんなに死に急ぎたいならば、ここを貴様らの墓場にしてくれる! 見ろ! 世界が地獄に変わっていく姿を!」

 その瞬間、アディールの上空に紫色に鈍く光る不気味な雲が現れた。あれはなんだと思う間もなく、雲はアメーバのようにうごめきながら、アディールの空全体を覆うように拡大していく。その光景に、東方号の窓から外を眺めていた才人は思わず艦橋への伝声管へ向けて叫んでいた。

「コルベール先生、まずいです。ヤプールはアディールを完全に封鎖してしまうつもりだ!」

「なんだって? どういうことだい!」

「おれの世界でもあったんです! 封印されてたヤプールが蘇るとき、街ひとつがああして闇の壁の中に閉じ込められちまったことが」

 才人は、まだ中学生だったころにTVニュースで見た光景をそのまま思い出していた。

 あれは、ボガールが倒されてしばらく経ったころだったか。神戸港に突如テンペラー星人、ザラブ星人が出現したのに続き、神戸の街全体が未知のエネルギー障壁に覆われて外界と完全に遮断されてしまったことがあった。

 それは、神戸沖にウルトラ兄弟によって封印されていた究極超獣Uキラーザウルスを復活させようともくろむ宇宙人連合がウルトラ兄弟をいぶりだすためと、外からのGUYSの妨害を防ぐためのものだった。その強度は高く、ちょうど近海まで来ていたガンローダーとガンブースターは神戸に入ることができずに立ち往生を余儀なくされた。しかも、宇宙人連合が全滅した後も消えなかったことを考えると、障壁の発生には宇宙人連合を影で操っていたヤプールが関与していた可能性も高いのだ。

「ヤプールは、本気でアディールのエルフたちを皆殺しにするつもりだ! 先生急いでくれ、こいつが完全に閉じちまったら侵入するのは不可能になっちまう!」

 闇の障壁はドームのようにアディールを覆いつくしつつあり、どんどん太陽光がさえぎられ、アディール全域が薄暗くなっていく。これを破るにはウルトラマンタロウやゾフィーのような超パワーが必要になる。ウルトラマンAひとりなら突破はできるだろうが、そうなれば入ったところで最初からエネルギーをロスした状態で戦い始めなくてはならなくなる。

「了解した! ならば、こんなこともあろうかと思って用意してきた秘密兵器がある。しっかり掴まっていたまえ、飛ばすぞ」

「期待してるぜ先生! ようしルイズ、こっちも中に入ったらすぐにゼロ戦を飛ばすぞ!」

「ちょ、サイト!? 新・東方号からの空中発進はまだ一度も試したことないんでしょ。テストは?」

「そんな暇あるか!」

 全速前進、あらん限りの力で東方号は飛び、それを引くヒドラとリドリアスも全力を出す。

 そして、コルベールは東方号に装備してきた秘密兵器集のうちから、ひとつのレバーを選ぶと、おもいっきり引き上げた。

「いくぞ、緊急用加速用ヘビくん改良型。その名も燃え上がるヘビくん、みんな覚悟してくれよ!」

 聞くからにぶっそうな名前が唱えられると、異議申し立てがおこなわれるよりも早く東方号の船尾から猛烈な火焔が噴出した。と、同時に十万トンを軽く越える東方号の船体が背中を押されるように加速しはじめたではないか?

「ははっ! 火薬の噴射装置に風石を組み合わせて、燃え方を何倍にもなるように工夫したのだよ。しかし、ちょっと軍の倉庫から火薬を拝借しすぎたかなぁ? わははーっ!」

「あんた真面目に働いてるように見えてそんなことしてたの!? てか、本当に空中分解するわよぉーっ!」

 無茶の二乗であった。宇宙金属で強化されている船体はいいとして、水蒸気機関が取り付けられた翼部分はただでさえ過負荷をかけられているというのに、固定化の限界を超えてビスがはじけ飛ぶ。しかし、その代償に一時的に音速に近い速度を与えられた東方号は、閉じかけていた闇の傘の内側にすべりこむことに成功した。

「やった! 間に合ったようだぞ」

「加速装置を切り離せ! 全速制動、バラバラになってしまうぞ」

 全力で減速をかけて、空中分解寸前だった東方号はすんでのところで安定を取り戻した。それと同時に、ヒドラとリドリアスがくわえて引っ張っていた錨が放されて、東方号は自由になる。

 だが、喜ぶのは早すぎる。ヤプールのエネルギー障壁は東方号の背後で完全に閉じてしまい、これでアディールを中心にした半径数十キロは闇のドームによって完全に外界と遮断されてしまった。もう、勝利する以外にここを出る手段はない。

 通常動力に移行した東方号を、不気味な闇が包み込む。ついさっきまで砂漠の熱射にさらされていたというのに、今は冬の曇り空より冷たい光しか甲板を照らしていない。まるでこの世のものとは思えない光景に、コルベールやエレオノールはもちろんのこと、テュリュークやビダーシャルも息を呑んだ。

「蛮人の教義にある『地獄』とは、このようなものなのかもしれぬな」

「残念ながら、まだこの世ですよ。しかし、悪魔の所業なのには違いありません……そして、これは全世界の未来の姿かもしれないのです……」

 すでにヤプールはその気になれば全世界を滅ぼせるほどにまで強くなっている。目の前の光景は、それをなによりも強く証明するものであった。やらないのは、地球のある時空に侵攻するときのために、少しでも多くマイナスエネルギーを溜めておこうと考えているに過ぎない。

 アディール上空に差し掛かってきた東方号を、ヤプールは憎憎しげに見て叫んだ。

「馬鹿なやつらめ、飛んで火にいる夏の虫とは貴様らのことだ。やれぇ!」

 空を向いたスフィンクスの火炎熱線と、サボテンダーのトゲミサイルが狙い撃ってくる。東方号はとっさに取り舵をとってこれをかわしたが、ほっとする間もなく、ここがただの地獄ではなく戦場であることを思い知らされた。

「くっ、相手が三匹じゃ分が悪すぎる。レイナールくん、高度を下げて奴らと距離をとるんだ」

「了解!」

「コルベール先生、才人です! おれがゼロ戦で出て奴らの気を引きます。その隙に体勢を立て直してください」

「サイトくん……無茶はするなよ」

「心配なく、おれは死にませんよ」

 才人は心配げなコルベールにそう答えると、伝声管から離れてルイズとともにゼロ戦に乗り込んだ。

「ふふ、あんたといっしょにこうして飛ぶのも久しぶりね」

 前と同じように才人のひざの上に小柄な体を腰掛けさせて、ルイズは小幸せそうにつぶやいた。けど、才人はそんなルイズに、やや心ここにあらずといった様子で答えた。

「ああ……そうだな」

「どうしたの? なんか、うかない様子だけど」

「いや、大丈夫だ。それよりルイズ、この戦いが終わったら、お前と一度落ち着いて話してみたいことがあるんだ」

 ルイズの答えは聞かず、才人はルイズの頭に特製の飛行帽を押し付けた。そのまま風防を閉じ、魔法で稼動するように改造してあったエレベーターでゼロ戦を格納庫から飛行甲板に上げると、エンジンを全開にして飛び立った。

「うぉぉっ! やっぱ、空中発進には無理があっかな?」

 滑走というより甲板から滑り落ちるような無茶な発進は、ガンダールヴだったころの感覚を残しているはずの才人も肝を冷やすような感じで、失敬ながら目をつぶって抱きついてくるルイズの感触を味わったまま昇天したいと思ったくらいだった。

 だが、体に染み付いた感覚はゼロ戦を落下中に見事に立て直させた。そんな才人のゼロ戦を見届けたように、ヒドラとリドリアスは翼を翻してスフィンクスとアントラーに向かっていく。

「どうやら、二匹は引き受けてくれるみたいだな。ようし、ならいくぞ、サボテンダー!」

 急降下から一転して、戦いの幕は切って落とされた。無人の野を行くがごとく、破壊を思うままにしていた超獣と怪獣に、怪獣と戦闘機が立ち向かっていく。

 空中からヒドラがスフィンクスに体当たりを食らわせた。起き上がってきたスフィンクスはほとんどダメージを受けたようには見えず、火炎熱線を浴びせかけてくるが、ヒドラも火炎を吐いて空中で相殺してしまう。

 争いを好まないリドリアスは、攻撃をおこなうよりも攻撃の盾となってアントラーの前に立ちふさがっていった。ウルトラマンと正面から渡り合えるだけの怪力と、なによりも頑強で切れ味にすぐれた大アゴが襲い繰るが、それでもリドリアスは逃げ遅れていたエルフたちの盾となって、強力なアントラーの前に立ちふさがる。

 そして、そんなリドリアスの献身は、才人たちにやるべきことを教えてくれた。

「どうせゼロ戦の武装じゃたいしたことはできねんだ。なら、囮にでもなんでもなってやろうじゃねえか! こっちだ、サボテン野郎!」

 サボテンダーの眼前をすれ違う瞬間に、ルイズがエクスプロージョンを顔面に浴びせかけてダメージを与えた。むろん、それだけでは決定打になるはずもないが、逃げ遅れたエルフを舌を伸ばして捕食しようとしていたサボテンダーは照準をゼロ戦に変えて襲ってくる。

「サイト、後ろ後ろ!」

「当たるかよっ!」

 サボテンダーの放ってきたトゲミサイルを、才人はゼロ戦を高速旋回させて回避する。ジェット戦闘機を百発百中で撃墜するほど精度の高いサボテンダーのトゲミサイルが相手でも、ゼロ戦は戦闘機同士の格闘戦・ドッグファイトでは世界最強とうたわれた身の軽さを活かして避けきった。

「いいぞ、このままこっちだけを狙ってきやがれ」

「単純な奴よね、大きな力を持ってもそれに振り回されてちゃ、力のないものにも勝てなくなる。昔のわたしなら、考えもしなかったでしょうけどね」

 ルイズは、独白の後に「それに、昔のわたしなら、なにを置いても相手に勝つことだけを優先してたでしょうね」と、心中で自嘲した。

 時間を稼ぐことしかできないなら、時間を稼げばいい。力を持って、それを振るうことの意味と責任を、今のルイズは心得ている。その証拠に、逃げ遅れていた市民たちは超獣の魔手から逃れて安全な場所に逃れつつある。もしここで強力なエクスプロージョンを放ってサボテンダーを怒らせていたら、多くの犠牲者が出ていただろう。

 市民たちは、「あれはなんだ?」「また悪魔の新手か?」と、指差していぶかしんでいるが、とにかく命あっての物だねだと多くの者は逃げていった。それでいい、なにをおいても命より大事なものはないのだから。

 

 しかし、才人たちはこれから自らの決意の固さを試されることになるのを知らない。ここはエルフの国ネフテスの首都、本来であれば人間世界にとって永劫の敵地であったはずの場所なのだから。

 

 市街地で才人たちが超獣を食い止めているのと時を同じくして、東方号はアディールの反対側へと回り込んでいた。

 そちら側はバルキー星人に率いられたサメクジラとオイルドリンカーが暴れていたが、接近してくる東方号に気がつくと、バルキー星人は水軍にとどめを刺すのを中止して、東方号に向かってバルキービームを放ってきた。速射されるビームが、外しようもないほどの東方号の巨体に命中し、連続する爆発が床を揺さぶる。

「艦橋! 左翼に被弾。水蒸気機関停止、速度が落ちます! わぁっ!」

 機関室から飛び込んできた報告は、東方号の船としての命運が尽きつつあることを示していた。コルベールは、機関室で消火に当たっているであろう水精霊騎士隊や銃士隊に避難するように命じると、必死に蛇輪を回していたレイナールに指示した。

「もうこれ以上の回避は不可能だ。レイナールくん、着水だ」

「しかし先生、海にも敵がっ! うわっ、またこっちを狙ってる」

「かまわない、もう水蒸気機関も限界なんだ。東方号ごとぶっつけてやれ!」

「先生……ええい、もうどうにでもなれぇーっ!」

 開き直ったレイナールは、最後の舵をバルキー星人に向けた。炎と煙を翼から吐き出しながら、墜落にも似た降下速度でバルキー星人に突進する。星人はこっちにくるなと手のひらを向けて慌てるが、今さら避けることなど不可能だ。覚悟を決めた東方号の決死の体当たりが炸裂し、轟音とともに東方号は星人と正面から激突した。

「ぬわぁーっ!」

 激突のショックで、東方号の全員が床からはじき出されて壁や天井に叩きつけられた。むろん、ぶつけられたバルキー星人も十四万トンの鉄塊に激突されて無事ですむはずがなく、象の突進に立ち向かったライオンのように数百メートルもの距離を吹き飛ばされて海中に沈んでいった。

「着水だっ!」

 コルベールが、眼前に広がる青い海原をさして叫んだ。口内に広がる鉄の味はそのまずさで生きているという実感を彼らに取り戻させてくれる。艦首をひしゃげさせながらも、東方号は海上に滑り込んだ。

「着水……か、完了」

 船が止まると同時に、緊張の糸が切れたようにレイナールは蛇輪にすがりつくようにして床にへたり込んだ。彼の眼鏡には額から垂れてきた汗が乾いて白い筋がいくつもついている。それだけ、神経をすり減らす操舵だったのだろう。

 しかし、本番はこれから。悪いが、休んでいる時間などはない。

 海上に飛び込んだ東方号を、イルカや水竜にまたがったエルフたちは呆然とした目で見上げていた。彼らは全員、頭までずぶぬれになって顔をぬぐったりしていた。東方号が着水するときの大波によるもので、昔戦艦武蔵が進水したときも、そのあまりの巨体によって港の水位が急上昇して、多くの家屋が浸水被害を受けてしまったという記録が残っている。

 この船はいったいなんなんだ……? ネフテスの旗をマストに掲げているが、その下の旗は見覚えがない。

 東方号を見上げるエルフたちは、その島のような巨体に、バルキー星人の手から逃れられたことも一瞬忘れて見入ってしまった。

 けれども、バルキー星人を跳ね飛ばして沈めたとはいえ、まだこの海には怪獣と超獣が二体もいるのだ。鯨竜艦を血祭りにあげたときのように、サメクジラが沖合いから迫ってくる。

「右舷、海中から怪獣が来ます!」

 見張りのギムリの声が響いた。見ると、海面のすぐ下を巨大な航跡を作りながら、ものすごいスピードで怪獣が迫ってくる。

 危ない! いくら東方号の元が戦艦大和だとはいえ、艦底部の装甲はそんなに厚くないのである。かといって、東方号には武装はなく、相手が海中では魔法の効力も薄い。

 

「だが! 多分こんなこともあろうかと!」

 

 発明品を連続で使う機会に恵まれて、無駄に調子に乗っているコルベールが別のレバーを引き上げた。

 東方号装備の、コルベールの秘密兵器その二が発動する。東方号の舷側にブイのように数珠繋ぎにワイヤーで貼り付けられていた、直径一メートルほどの無数の楕円形のカプセルが割れて中から黄色い液体が漏れ出してきた。その液体は舷側を伝って海に流れ出し、東方号の周囲は黄色いペンキを流したように原色に染まる。

「ミスタ・コルベール、今度はなんなの?」

「しっ、黙って見ていたまえ」

 いぷかしむエレオノールにそう言うと、コルベールは黄色く染まった海面を見つめた。

 なんなんだ、あの液体は? あんなもので怪獣を止められるというのか? 息を呑んで突進してくるサメクジラを見るエレオノールやビダーシャルは、激突も覚悟して足を踏ん張った。

 ところが、東方号まで一直線に進んでいたサメクジラは、突然方向を転換すると嫌がるように逃げ出してしまったではないか。

「ええっ!? 怪獣が、逃げた。あの黄色い液体のせい?」

「貴様、まさか、毒を流したのではあるまいな?」

「いいえ、あれはトリステインの海岸部に自生している植物の実から抽出したエキスです。毒性はありませんが、海水と混ざると強い刺激臭を発するので海生動物は嫌がるんです。沿岸の漁民のあいだでは、これを使ってサメや海獣から身を守る習慣があることを思い出して、用意していたのが役に立ちました」

 そんなものが……艦橋にいた者たちはコルベールの先見の明さえ超えたなにかに驚嘆さえ覚えた。一応、本来ならばこれは溺者の救助中にサメが寄ってくるのを防ぐために装備されたそうだが、地球においても一部の島の原住民のあいだでは、これと同じような絞り汁を海に撒くことによって航海の安全を守る習慣があるそうだ。

 サメクジラは黄色い汁がよほど苦手なようで、潜ってしまったまま顔を出さない。しかし、オイルドリンカーは別で、海面をざぶざぶと掻き分けながら東方号に迫ってくる。東方号に残っていた重油の匂いに誘われているのか? だが、何回もコルベールの発明に助けられてばかりはいられないと、今度は甲板にギーシュたち水精霊騎士隊と銃士隊が集結した。

「よいか諸君、あの一ヶ月の地獄の特訓は今日この日のためにあった。ぼくら水精霊騎士団の武勇、地の果てまでとどろかすチャンスであるぞ!」

「戦いのときに無駄口をきいていると死ぬぞ。半人前は仕事をこなすことだけを考えろ」

 ギーシュとミシェル、アマチュアとプロの温度差の激しい会話は、むろん超獣にはなんらの効果ももたらさない。

 常識的に考えて、ただの剣士と半人前のメイジがいくら頭数をそろえたところで超獣に太刀打ちできる見込みは少ない。けれども、彼らもこれまでの経験から生身で怪獣と戦わねばならないようなときが来ることは予測していた。そのために、彼らは知恵を絞りあって、自分たちの力でできることを考えて、そのための特訓も積んできた。

「さて、準備はいいか? チャンスは一度、外すなよボンクラども」

「ちぇっ、かわいい教え子にもう少し優しい言葉はないものですかね。ま、どうせ実力で見返せというのでしょ? じゃあやりますか、人間の力ってやつを見せるためにね!」

 意を決したギーシュは、友と共に甲板に上げてきた太い鎖を『レビテーション』で持ち上げた。これは元々大和のクレーンに使われていたもので、水観を吊り下げる目的で作られているから強度は十分、さらに固定化もかけてある。先端は鋭いカギ爪になっており、これを彼らは全力の魔法でオイルドリンカーに向かって投げつけた。

「当たれっ!」

 飛ばされた鎖はオイルドリンカーの首に当たった。もちろん、超獣の強固な皮膚にはじかれて傷ひとつつけられなかったものの、それは最初から計算済み。代わりにカギ爪がひっかかって、ふた巻きほどして絡みついた。

「やった!」

「上等、さあ次だ」

 短く褒めて、ミシェルは待機していた少年たちに合図した。風のラインメイジが、渾身の力を込めて電撃呪文を鎖に叩き込む。電撃を飛ばす『ライトニングクラウド』は高位のメイジにしか使いこなせないが、単に電撃を発生させるだけなら彼らの技量でも可能で、伝導体があれば電撃は空中を飛ばすより確実に敵に伝わる!

 鎖を伝わってきた電撃を食らって、オイルドリンカーは感電して悲鳴をあげた。

「どうだっ! おれたちのしびれるようなパワーを受けた感想は!」

「油断するな、火炎が来るぞっ! 銃士隊、撃て!」

 電撃だけでは怒らせるだけだ。そのくらいはわかっている、かといって銃士隊の軽微な火器ではかすり傷もつかない。

 ただの弾丸であればだ……今、彼女たちの持っている火器はマスケット銃ではなく、ロープを利用した原始的な投石器で、そこから先ほど東方号の舷側から撒かれたものと同じカプセルがオイルドリンカーの顔に向かって投げつけられた。それらは半分は外れて海に落ちたが、残り半分は当たって割れたカプセルから強烈な刺激の液体が顔面にぶちまけられ、しかもいくつかは目や口に入ったらしく、視覚を奪われ、口内に強い打撃を受けてオイルドリンカーは東方号を襲うどころではなく苦しんだ。

「ふん、やはり薬は飲むのが一番効くようだな」

「野蛮人の素朴な発想に恐れ入ったか! 人間の知恵をなめるなよ」

 怪獣を相手に真っ向から力でぶつかっては勝てなくとも、知恵をしぼって勇気を出せば道を開けることを彼らは知っていた。地球でも、ウルトラマンをものともしない超強豪怪獣を人間が撃破したり、撃破するきっかけになった例は数多く記録されている。

 電撃と目潰しと口封じ、ダメージとしては大きくなくとも戦意を失わせるにはこれで十分だった。鎖が外れると、オイルドリンカーはその反動で海に倒れこんで、暴れながら逃げていく。あの様子であれば、しばらくは大丈夫であろう。

 一時的にとはいえ、星人と怪獣超獣を撃退して、海は平和を取り戻した。

「だが、またいつ出てくるか……けれどチャンスは今しかない」

 コルベールはアディールの方角を見てつぶやいた。アントラー、サボテンダー、スフィンクスの暴れまわる陸上はすでに炎が広く回っていて、とても逃げ戻れるようなところではない。大同小異の危険度だが、今ネフテスの市民たちを安全に避難させられる場所は、この東方号しかない。

 艦外への放送用に用意されたマイクが取り出される。もちろん、これも電気ではなく魔法で使えるように改造されているが、スピーカーから発生する音量はオリジナルと大差ない。マイクを手渡され、テュリュークは彼が保護しなければならない多くの市民たちに向かって呼びかけた。

 

「ネフテス市民の諸君、私は最高評議会議長のテュリュークじゃ。驚かれていることと思うが説明している暇はない。そのまま海にい続けるのは危険だ。この船に避難したまえ」

 

 常に表している飄々とした雰囲気からは想像できないような、はっきりとした力強い声がスピーカーから海上に響き渡った。

 海上を漂っていたエルフたちは、テュリュークの声に救いの神がやってきたように感じて、次々に東方号から下ろされたタラップやはしごなどに群がってくる。

 

 しかし、彼らはこれが人間の乗ってきた船だと知るや態度を豹変させた。甲板で出迎えた水精霊騎士隊や銃士隊を見て、彼らは口々に叫んだのだ。

「シャイターン!?」

 水精霊騎士隊や銃士隊はエルフ語をまだ詳しく理解できないので、聞き取れたらしい言葉はそれだけだったが、彼らの態度や表情がすべてを語っていた。おおむね、こちらを指差したり後ずさったり、表情も困惑や怒りが大きく前面に出ている。

 ギーシュたちは、覚悟していたつもりであったが、こうして目の当たりにすると嫌がうえでも思い知らされた。彼らの中には危険だとわかっているのに海に引き返していったり、中には短剣を抜いてあからさまな敵意を向けてくる者もいる。

「蛮人」「悪魔だ」「殺してしまえ」

 少しずつ、聞き取れた単語の中に、どう考えても友好的でないものが混ざっているのがわかってきた。どうやら、彼らは人間すなわち『蛮人』を『悪魔』と同一視しているらしい。

 冷や汗が湧いた。ギーシュたちも、もう何度も生きるか死ぬかの経験をしてきたことにより、エルフたちの敵意が本気だと悟ってしまう。正直、ルクシャナやビダーシャルを相手にして、気が緩んでいた。こちらは何もしていないのに、この殺気の強さはどうか? 

 これが、エルフが人間を見る目……ほんの少し前まで、自分たちがエルフを見ていた目の裏返し。

 甲板の狭い空間を挟んで、人間とエルフは睨みあう。それはそのまま、ハルケギニアとネフテスの縮図そのものだった。

「助けに来ました」

 わずかに記憶しているエルフの言葉でそう言いたいが、喉が凍って言葉が出てこない。相手の言葉はわからなくとも、唾を吐き捨てがなりたてる姿から、ひどい罵声を浴びせられていることはわかる。

 そしてついに、何人かのエルフがギーシュたちに向かって攻撃の魔法を使おうとしてきた。

「な、なにをするんだ?」

「よせっ! 手を出すな」

 とっさに魔法を打ち返そうとしたギーシュたちをミシェルが制した。ここで火蓋を切ってしまっては絶対に取り返しがつかなくなってしまう。それはすなわち、ネフテスとハルケギニアをはじめとして全世界の滅亡に直結するのだ。例え殺されたとしても、戦うわけにはいかない。

(サイト……)

 心の中でミシェルは名を呼んで祈った。左手は胸元をつかみ、その下には彼から贈られた銀のロケットが守っている。

 人間の系統魔法よりもはるかに強力なエルフの魔法を受けたら、人間などはひとたまりもない。そのとき、ビダーシャルが現れて彼らを一喝しなければ、水精霊騎士隊と銃士隊は全滅していたかもしれない。

「待て! お前たち」

 両者のあいだに割って入ったビダーシャルとエルフの騎士団に、いきり立っていたアディールの市民たちは意表を突かれた。

 評議会議員であるビダーシャルの顔は、一般の市民たちでも知っている者は多く、彼らは魔法を解いて彼に質問を浴びせかけた。

「議員殿! これはどういうことなのですか? なぜ蛮人の乗った船がアディールに? わけがわかりません、説明してください!」

「すまないが、詳しく説明している時間的余裕はない。しかし、彼らは敵ではないことは私が保証する。詳しいことは後だ、この船ならばアディールの市民全員を収容する容量がある。乗れ!」

 有無を言わせないビダーシャルの命令に、市民たちは戸惑いながらもうなづいた。戦艦大和の基本乗員数は五千人以上であり、武蔵と信濃が合体して超巨大航空戦艦となった今であるならば、乗せるだけならば万単位の動員にも耐えられる。重量はいくらかさばろうとも重力制御機構を使えば問題はない。

 だが、市民たちがしぶしぶながら従って乗り込もうとしたとき、生き残っていた鯨竜艦から大音量で声が響いた。

「待たれよ、アディールの同志市民諸君! 悪魔の甘言に乗ってはならない」

「ちっ! エスマーイルか」

 ビダーシャルは口元にわずかな歪みを作って、この世界の中でも一二を争うほど嫌っている男の名を吐き捨てた。恐らく、特殊な集音装置か口元の動きから読唇術を使って会話を盗み聞きしていたのだろう。しかし、よりにもよってこんなときに。

「ビダーシャル殿、これはどういうことかな? よりにもよって蛮人をこのアディールに迎え入れるなど、ネフテスに対する重大な反逆行為であるでしょう?」

「貴方に説明している暇はない。簡潔に述べれば、彼らは蛮人の国家からの友好の使者である。私たちは礼に従い、賓客として彼らを迎え入れただけのこと」

「友好の!? それは驚きだ、幾千年にも渡ってサハラを侵略し続けてきた蛮人どもが友好とは笑止のきわみですな。そうか、少し前に報告がありましたが、空軍の包囲を振り切ってサハラに侵入した蛮人の巨大船とはそれのことですな。市民の皆さん、甘言に乗ってはなりませんぞ! 蛮人の船になど乗せられてはどこに連れて行かれるか。蛮人世界で奴隷として売りさばかれるかもしれませんぞ」

 市民たちのあいだに動揺が走った。ビダーシャルは奥歯を強くこすれさせて、愚かな男の名を口内でつぶやいた。

 馬鹿者め、お前はこの期に及んでも状況が見えていないのか? 三体の星人と怪獣超獣は倒したわけではない、奇策を使って一時的に撃退しただけだ。またいつ襲われるか、今度襲われたときに撃退できるかはわからない。にも関わらず、市民たちを危険な洋上に残しておけというのか。

「市民の皆さん、砂漠の民の誇りを失ってはなりませんぞ。シャイターンをあおぐ蛮人どもは永遠の敵、それと組する者はすべてネフテスへの反逆者となりましょう!」

 いいや、お前はこれを機会と見て、目障りな私と統領閣下を蛮人と手を組んだ裏切り者として処分するつもりなのか。馬鹿が……ビダーシャルは何度目かになるかわからない罵倒を心中でぶつけた。今この場で滅亡に瀕している国の権力の座を争うことに、何の価値があるのか。

 それとも、お前は蛮人に助けられるくらいならば、アディールの同胞全員を道連れにするつもりなのか? 美々しき滅亡の美学のために、女子供まで深海に沈めて毒酒に酔うつもりなのか? 名誉ある鉄血団結党の党首どのよ?

 

 さらに、エルフの敵意は怪獣超獣に続いて、彼らのために戦おうとしている者たちに立ちはだかっていた。

 サボテンダーを相手に足止めを続けている才人のゼロ戦を、生き残っていたエルフの竜騎兵たちが狙い撃ってくる。

「くそっ、やめろよ! おれたちは敵じゃねえ」

「ビダーシャルから聞いた、『我交戦の意思なし』の信号は出してるっていうのに。こいつら、見えてないの!」

 そうではない、見えていて無視しているのだと才人とルイズは理解していた。エルフに、特に軍人には染みこんだ人間への敵意がゼロ戦も怪獣と同じに見せているのだ。

 これでは、かえって戦場を混乱させているだけだ。確かに、こんなところに突然人間がおかしな機械に乗って現れたら、それは驚くだろうが、こちらが超獣を攻撃していることは見えるはずだ。彼らも完全に頭に血が上ってしまっている。一時はゼロ戦に気をとられたサボテンダーも、こちらが同士討ちをしだしたのを見て体勢を立て直してきた。

「サイト! 危ない」

 ルイズがとっさに操縦桿に体をかけて倒した。急降下にうつったゼロ戦のいた場所をトゲミサイルが突き抜けていく。ルイズが反応してくれなかったら、ふたりとも座席ごと串刺しになっていただろう。

「サ、サンキュールイズ」

「バカ! 油断するんじゃないわよ。あっ! しまった!」

 一瞬、才人に気をとられた瞬間、ルイズの目に真上から迫ってくる竜騎兵が見えた。炎の弾がまっすぐにコクピットに向かって飛んでくる。

「畜生!」

 才人は出来る限りの回避運動をとった。ゼロ戦の運動性能はそれに応え、機体はねじ切れるように旋回する。しかし、至近距離から放たれた火球は完全にかわしようがなく、コクピットは免れたものの機体後尾に命中を許してしまった。

「きゃあっ! サイト!」

「にゃろうっ! 尾翼をやられたっ!」

 ゼロ戦の欠点は、その運動性能と引き換えに機体強度が脆弱に過ぎるという点だ。いわば、鷹の爪を持ったツバメとでもいうべきアンバランスさであるが、攻撃力と引き換えに背負った防御力の低さの代償は、墜落こそ逃れたがゼロ戦から右の尾翼を奪い取ってしまった。もう、機動性は望むべくもない。

「サイト、また来るわよ!」

「くそっ、逃げるしかねえか。舌をかむなよ!」

 追いすがってくる竜騎兵とトゲミサイルを飛ばしてくるサボテンダーから逃れるには退却するしかなかった。急降下をかけてはダメージを受けたゼロ戦では風圧だけでバラバラになってしまう。軟降下で機体をなだめつつ、ゼロ戦はたまたま向いていた方向を目指して煙を吐きつつ飛んでいく。

「追ってはこねえか、超獣のほうが問題だろうけど、できれば追ってきてくれたほうがよかった」

「そうすれば、とりあえずあの人は超獣から逃がせたっていうのね。確かにそうだけど、あんたはもう少し自分を大切にしなさいよ……あら? あれは、学校かしら」

 ふと、ルイズの視界に魔法学院と似たような施設が映った。ここらはまだ被害を受けていないようで、きれいなままの建物がいくつも並んで、こちらを見上げているエルフの姿も見える。どうやら、避難所として使われているらしく、校庭には子供のエルフが大勢集められているのが見て取れた。

 だが、近づくにつれてそこが尋常な雰囲気ではないことが見えてきた。

「なに? エルフたちが逃げ回って……なっ! なにあれは」

「蟻地獄!? まさか、あれは!」

 才人は愕然として叫んだ。校庭に、直径十数メートルはあろうかという蟻地獄が渦を巻き、生徒たちを引きづり込もうとしていた。エルフの子たちの何人かは飛んで逃げ出しているようだが、エルフといえど子供ではまだ魔法が不得手な者も多く、崩れる砂の勢いのままに飲まれていく。

 そしてその底には、鋭い牙をむき出しにして獲物を待ち受ける巨大な蟻がいる。

 危ないっ! 才人とルイズは迷わず風防を開き、蟻地獄を目指して飛び降りた。

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 ふたりのリングが輝き重なり、ふたつの命がひとつの光に昇華する。

 虹の光芒の中から現れ出でる、銀の光の戦士。

 

 蟻地獄は柔らかい砂を蜘蛛の糸のように張り巡らし、落ちた獲物を深淵の底へと飲み込んでいく。突然、校庭に開いた蟻地獄はそこにいた子供たちのうちから少女たちのみを飲み込んだ。

「きゃあぁぁーっ、助けてぇーっ!」

 年の頃が十にも達しないようなエルフの少女が、砂の地獄の底へと落ちていっていた。もがけどもがけど無駄で、飛ぶ魔法をまだ習得していない最下級生の彼女たちには蟻地獄から脱出するすべはなく、奈落の底で待つ化け物は鋭い牙を振りかざして待っている。

 底に沈めばどうなるか? そんなことは考えるまでもない。あの牙で生きたまま腹を破られ、体を食いちぎられて、血の一滴までも吸い尽くされてしまうだろう。

「いゃあぁぁーっ! 誰かーっ!」

 手を伸ばせど地上はすでに遠く、助けの魔法ももはや届かない。死にたくないと涙を流し、声の限りに叫んでも光は遠ざかる。

 だがそのとき、天から飛び込んできた銀色の輝きが彼女たちを掬い出し、地上に立ち上がると校庭で待つ仲間たちの下に手のひらを開いて降ろした。

 見上げた先で彼女たちを見下ろす銀の巨人、ウルトラマンA。そして、その後ろで立ち上る砂煙の中から地上に飛び出てくる、エサを奪われて怒る巨大な大蟻超獣アリブンタ。

 

【挿絵表示】

 

「ヘヤァッ!」

 振り返り、超獣に対してかまえをとるエース。対して、アリブンタも強靭なあごと鋭いハサミになった腕を振りかざす。

 そんな両者を見て、助けられたエルフの少女は喉も裂けんと声を張り上げた。

 

「いゃぁーっ! バケモノが、また”二匹”ぃーっ!」

 

 エースの肩がびくりと震えた。突進してくるアリブンタを迎え撃つエースの後ろで、エルフの子供たちは恐怖におびえながら逃げていく。

「わぁあーっ! 逃げろ、バケモノたちに殺されるーっ!」

「なんでわたしたちの街にあんなバケモノが出るのよ。もう出てってよぉーっ!」

 バケモノ、バケモノとエルフたちはエースの背に叫びかける。その声に、才人とルイズは胸に刺すような痛みを覚えていた。

 なぜ、どうしてあんなことを言われねばならない。おれたちは、ただみんな仲良くなれればいいと、それだけが望みで助けにきたというのに。

 だが、そんなふたりにエース……北斗は静かに呼びかけた。

〔ふたりとも、心を乱すな。俺たちがここで退けば、彼らを超獣の前に無防備でさらすことになる〕

〔エース、でも!〕

〔善意が受け入れられないこともある。必死の呼びかけが、相手にとってはわずらわしいだけのこともある……けれど、人の心に心を伝えるには、そんなことは当たり前なんだ。怒ってはいけない、力づくで心の中に立ち入っていこうとすれば、そこには必ず歪みと憎しみを生む……彼らはまだ、知らないだけなんだ〕

 エースは語る。差し伸べた手を払われようと、かけた言葉を罵倒で返されようと、ほんとうにその人のことを思っているのならばあきらめてはいけないのだと。たとえそれが、何十回、何百回繰り返されることになろうとも……

 

 そして、人間とエルフの対立の渦中にある東方号でも、ひとりの少女が自らの中に流れるふたつの血の種族のために勇気を振り絞ろうとしていた。

 

「わたしにできること……おかあさん、わたし……がんばってみるよ」

 

 ティファニアの手の中で、青い輝石が彼女を勇気付けるように、静かに優しく瞬いていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第88話  わたしが生まれてきた意味

 第88話

 わたしが生まれてきた意味

 

 タコ怪獣 ダロン

 宇宙同化獣 ガディバ

 大蟻超獣 アリブンタ

 友好巨鳥 リドリアス

 高原竜 ヒドラ

 磁力怪獣 アントラー

 海獣 サメクジラ

 宇宙海人 バルキー星人

 オイル超獣 オイルドリンカー

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー 登場!

 

 

 ウルトラマンAは、その生涯において五指に入るような激戦を、いままさに始めようとしていた。

 

 エルフの都、アディールを襲うヤプールの超獣軍団。かつてエースやウルトラ兄弟を苦しめた多くの強豪の蘇ったものたちは、ヤプールの強烈なマイナスエネルギーの波動に当てられて、圧倒的な凶暴さでこの地のエルフを根絶やしにしようとしている。

 

 それに対して、立ち向かうのはエースひとり。

 

 一体でさえ、ウルトラ戦士と互角以上のパワーを持つ悪魔たちに対して、今のエースにはこれまで支えてくれた人間たちもなく、まさに孤立無援の四面楚歌。だが、それでもエースは完全なる闇の中の太陽となるために戦いに望む。

 まずは、肉食の蟻と宇宙怪獣が合成して誕生させられた大蟻超獣アリブンタが相手だ。エルフの少女の血をすすろうとして妨害され、怒るアリブンタにエースは立ち向かう。

 

「ヘヤァッ!」

 

 アリブンタと組み合ったエースは、渾身の力でその突進を食い止めた。身長五十七メートル、重量六万二千トンのアリブンタの突進を止めたことにより、エースの全身のウルトラ筋肉が張りあがり、エースの立つ学校の校庭の土が跳ね上がった。

〔さすが、パワーアップさせられているな!〕

 かつて戦ったアリブンタよりも数段上の力に、エースは前のままのつもりで挑んでは危険だと気を引き締めなおした。これも、強大化したヤプールのマイナスエネルギーゆえか、力負けするほどではないが空腹でこのパワー、絶対に倒さなくてはいけない。だがその前に、餓えたアリブンタがエサとして狙うエルフたちを守らなければと、エースはまだ大勢のエルフの子供たちの残っている学校を見下ろして決意した。

「ジュワァァッ!」

 組み合った姿勢から、渾身のウルトラパワーでアリブンタを頭上高く持ち上げる。

〔とにかく、こいつを学校から遠ざけなくては!〕

 ウルトラリフターでアリブンタを担ぎ上げたエースは、戦場を移すべくアリブンタを放り投げた。巨体が宙を舞い、学校から数百メートル離れた無人の通りに地響きをあげて背中から落ちる。その衝撃たるや、アディールの基礎となる埋め立てた大地が沈没するのではないかと思われたくらいだ。

 見事に舗装された、コンクリート敷きのような道路を駆け、エースはアリブンタに突進する。

「トォーッ!」

 助走をいっぱいにとったジャンプキックが炸裂し、起き上がってきたアリブンタが再度吹き飛ばされる。タケノコが二本背中に生えているような巨体がビルディングに似た建物に突っ込んで粉塵を巻き上げ、起き上がってきたときの逆襲に備えるべくエースは身構える。

 だが、エースの出現にヤプールは敏感に反応していた。街の一角が崩れて、灰色の砂煙が土中から噴煙のように吹き上がる。

〔こいつはっ!〕

 エースの眼前で、地中から巨大なハサミのアゴを持つ甲虫が浮上してくる。才人は叫んだ。

〔アントラーだ! くそっ、いきなり二対一かよ〕

 リドリアスに押さえられていたはずのアントラーの出現に才人は唇を噛んだ。地底を通って、いきなりエースの目前に来たのは偶然ではあるまい。恐らくヤプールは、どの超獣のところにエースが現れても複数で対処できるよう狙っていたに違いない。

〔落ち着け、どっちみち多勢に無勢は覚悟の上だ。ほかの超獣もやってくる前に、勝負をかけるぞ!〕

〔おうっ!〕

〔ええっ!〕

 どっちみち、ウルトラ戦士に長期戦は不可能なのだ。この街にいる超獣怪獣は、現在のところだけで七体。そのうちスフィンクスとサボテンダーはヒドラとリドリアスが押さえてくれているが、同時に相手どれるのはせいぜい二体までが限界だ。それも、一体はあのアントラーとあってはこの時点ですでに余裕はまったくないと言っていい。

〔いくぞ! お前たちの好きには絶対にさせん〕

 アリブンタとアントラー、二匹の蟻地獄怪獣を相手にエースはひとりで立ち向かっていく。

「ヤアァッ!」

 大アゴで噛み付いてきたアントラーの攻撃を大ジャンプで避け、降下してきて背中にキックを叩き込む。

 次いでアリブンタは口から白色の霧を吹き出してきた。それを浴びた建物が一瞬のうちにボロボロになって溶けていく。蟻が体内に持ち、外敵などに対して使用する蟻酸という酸の仕業である。ただの蟻なら噛まれたら腫れる程度で済むこの酸も、アリブンタのものは鉄でも一瞬で溶かし、人間ならばあっというまにガイコツに変えてしまうほどの強烈さを持っているのだ。

〔だが、当たらなければ危険はない!〕

 自分に向かってきた蟻酸の霧を、エースは両手を合わせた先に吸い込んでいく。

『エースバキューム!』

 いかなる毒ガスをも無効化できるエースの技に、一度見せた攻撃は通用しない。

 さらに、エースは蟻酸を吐き切ったアリブンタの顔を目掛けて、伸ばした右手の先から三日月型のエネルギー光弾を発射した。

『ムーン光線!』

 連続発射された三日月の弾丸はアリブンタの顔面に次々と当たり、牙や複眼に少なからぬダメージを与えた。

 一時的に感覚を失ってもだえるアリブンタ。普通ならここで追撃をかけるところなのだが、その隙を埋めるようにアントラーが大アゴを振りかざして迫ってくる。エースはその牙を受け止めて、真っ向から食い止めた。

〔パワーの勝負なら負けはしないぞ!〕

 挟み切ろうと力を込めるアントラーと、逆に押し返そうとするウルトラマンA。ウルトラマンの骨の強さは人間の五千倍、間接は三重に強化されているといわれ、超筋肉が生み出すウルトラパワーを十全に引き出して、どんな巨体の怪獣を相手にしても壊れることはないという。

「ヘアァッ!」

 アゴを受け止めた状態からのキックがアントラーの腹を打った。のけぞるアントラーだが、やられるときにその反動でエースも反対方向に吹っ飛ばした。

 エースとアントラー、それぞれが背中から石造りの建物に倒れこんで、子供が積み木を組んだもののように崩壊させる。

 だが、街の崩れる様を見て、エルフたちはエースに非難の声を浴びせた。

「ばっかやろーっ! 私たちの街を壊すな。暴れるならよそでやれバケモノども!」

「そうだそうだ! 死んじまえ、この悪魔どもめ!」

 エースは心の中ですまないと詫びた。怪獣を食い止めるためには仕方がないとはいえ、彼らにとっては自分たちの街が破壊されていることには違いないのだ。気をつけてはいても、狭い街路だけで戦うのは無理がある。無人とはいえ、ウルトラマンと二匹もの怪獣超獣の対決は、すでに街の一区画を瓦礫の山に変えていた。

 けれど、守るべき人たちから非難を浴びせられることには、特に才人とルイズには堪えた。人のためにやっているのに、それが通じないむなしさは若い二人にはつらい……けれど、エースはそんなふたりに諭す。

 

”ふたりとも、この世の中には誰にも褒められなくても、大勢の人のために毎日を一生懸命働いている人が大勢いるんだ。そんな人たちは、名誉や見返りを求めているわけじゃあない。ただ毎日の、普通で平和な日々をみんなが送れるようにと願って、ときには嫌われたりしながらもがんばっている。そんな人たちを、君たちは見たことがないかい?”

 

 才人は考えた……思い出すのは、父と昔遊園地に車で遊びに行ったときに、その途中父が一時停止違反で白バイに捕まって違反キップを切られたことがあった。そのおかげで、遊園地に着くのが遅れてしまって、そのときは子供心に警察を恨んだのをよく覚えている……けれど、今になって思えば、あのときキップを切られて嫌な思いをしたおかげで、父は交通法規に気を使うようになり、今日まで無事に過ごしてきた。

 もしもあのとき、白バイに会わずに、父がその後も安全を軽視する運転を続けていたらどうなっただろうか。

 ルイズも思う。小さい頃、メイドや執事にさんざん小言を言われて彼らをうとましく思い続けてきたが、それは自分のためを思ってのことではなかったか。ただ報酬が目当てであれば、貴族の子供のかんしゃくにさわるようなことはしなかっただろう。

 使命感や善意を、無知ゆえに反感を持って迎えてしまったことは自分たちにもあった。まさしく無知の怒り……そして、彼らエルフのほとんどはウルトラマンの存在そのものを知らないのだ。それを思えば、罵声の百や二百がなんだろう。けなされたくらいで、別に身が削れるわけではないだろう。

「テヤッ!」

 学校に向かおうとするアリブンタの前に、エースは正面から立ちふさがる。

 今は理解してもらえなくてもいい。けれど、かけがえのない命だけは絶対に守りぬかなくてはならない。それが、ウルトラ戦士の誇りなのだ。

 

 

 だが、志だけでは人は救えない。

 海に追い出されて漂うエルフたちを救おうと着水した東方号。しかし、エルフたちは人間の船に乗ることを拒絶し、怒りと憎しみの矛先をそのまま人間たちにぶつけてきた。

「この、汚らわしい蛮人どもめ! アディールの美しい海を汚しおってからに」

「西の地だけでは飽き足らず、とうとうサハラまで侵略に来たか。お前たちの蛮行の数々、忘れると思うか!」

「私の父はお前たちが侵略してきたときに死んだのよ。よくも、シャイターンの信奉者どもめ」

 東方号の甲板で、ビダーシャルたちわずかな穏健派を挟んで、アディールの市民たちの悪罵の数々が人間たちに降り注ぐ。そのいずれもが、戦士でもないただの市民たちから発せられ、エルフの一般層に自分たち人間がどう思われているのか知らしめさせられて、人間たちは心を傷つけられた。

(バカ野郎たちめ、せっかく助けに来てやったのに。この船に乗らなきゃお前ら助からないんだぞ)

 心の中でそう叫びたい欲求が強くなっていく。特に、貴族の子弟として誇り高く育ち、この任務にも強い使命感を持って望んできていた水精霊騎士隊は強い屈辱感を味わっていた。

「こいつら……ぼくらは世界の平和を守るために命がけで戦ってるんだぞ。それなのに、この言い草はどうだ!」

 罵声にかき消されて聞こえないが、誰かがつぶやいた言葉が水精霊騎士隊の胸中を包み隠さず表現していた。

 ギーシュが歯軋りしながら薔薇の杖を握り締め、ギムリが靴のかかとで甲板を蹴った。

 ほかにも、つばを吐き捨てようとして思いとどまる者、杖に『ブレイド』の魔法をかけようとして、その手を自分で押さえる者など彼らの我慢は限界に近づいていた。

「ちくしょう」

 甲板に立つエルフの誰かが投げた物が人間たちの頭上に落ちる。水精霊騎士隊はわずらわしそうにそれを払いのけ、銃士隊は身じろぎもせずに無表情のままで体で受け止める。

(あなたたちは何故怒らないんだ?)

 水精霊騎士隊の少年たちは、水筒やペンのインキをぶちまけられても顔色ひとつ変えないミシェルたちを見て思った。そして、師匠筋に当たる彼女たちとの差を思い知る。いくら普段は大人気ない態度をとっていても、戦場となったときの悠然さはどうか。感情を押し殺すのが精一杯の自分たちには、とてもできない。

 なにを言われようと、絶対に手を出してはならない。それを自分たちに言い聞かせ、ギーシュたちは我慢する。

 だが、人間たちの無抵抗を、エルフたちは好意的には見なかった。さすがに評議会議員や騎士団のいる前で魔法を撃つような無謀な者はいなくとも、表だって言い返すことのできない人間たちへの暴言はエスカレートしていく。そして、人間たちの意向を知って、なんとか彼らを受け入れさせようと説得を続けるビダーシャルやテュリュークの言葉も、人間を無条件で敵とみなすエスマーイルに邪魔されてしまう。

「市民の皆さん! 悪魔の言葉にだまされてはなりませぬぞ、奴らが我ら砂漠の民にしてきた暴挙と侮辱の数々を思い出すのです。我らの正義は、シャイターンの信奉者どもをこの世から抹殺し、真の平和をもたらすことにあるのです」

「エスマーイル……貴様の頭には、それ以外の言葉が詰まっておらぬのか。馬鹿が」

 もはや説得する気もうせたとばかりに、ビダーシャルは嘆息とともに吐き捨てた。

 口を開けば、オウムのように蛮人憎しの罵声しか出てこないあの男とは話すだけで気がめいってくる。確かに、言っていることの一部は正鵠を射ているかもしれない。この数千年の人間とエルフの戦いのほとんどは人間側から仕掛けてきて、エルフは防衛戦をおこなったのみで、勝者であっても被害者意識のほうが強い。その繰り返しで、エルフ全体に人間への敵意が熟成されてきて、人間がいなければという考え方が主流になってきたのも事実だ。

 いわば、エスマーイルは数千年にわたるエルフの無意識下に沈殿してきた負の遺産の代弁者なのだ。よって、彼の指揮する鉄血団結党が大きな支持を受けるのも当然といえば当然、溜め込まれたものは吐き出される先を求めるのが道理なのだから。

「私が、もう三十ばかり若ければお前の言葉に酔えたかもしれんがな……しかし、何も考えずに怒りと憎しみに身をゆだねるお前のやり方のどこに、選ばれたる者の資格がある? それでは、蛮人はおろか獣の思考ではないか」

 そもそも、平和のために戦争しようということ自体が矛盾しているではないか。お前は勝てばいい、我々は勝てると主張するに違いないが、仮に人間を皆殺しにした後で、本当に平和と幸福が来ると思うのか? 得た土地の分配や、功績の大小をめぐる争いが起きないと言えるか? 戦死者の遺族への保障や、大量の人員を失った商業・工業が立ち直るのにどれだけかかると思う?

 それらすべてを、お前はまかなえるのかエスマーイル? きっとお前はためらうことなく「できる」と答えるのであろうな。

 

 ビダーシャルがあいだにいるおかげで、ギリギリ破局だけは迎えずにいるエルフと人間たち。

 だが、貴重な時間を無駄にした取立てを、運命の女神は冷酷に命じてきた。

「超獣だぁーっ!」

 奇策で撃退しただけの超獣たちが、いつまでもおとなしくしているはずはなかった。オイルドリンカーが海中から巨大な頭を浮き上がらせ、サメクジラの立てる航跡が沖合いを高速で旋回する。

 そして、バルキー星人も東方号に激突された胸を左手で押さえながらも、怒りをあらわに海中から起き上がってきた。

「てめぇらぁぁ! よくも俺さまをコケにしてくれやがったなあ。ぶっ殺してやる!」

 宇宙剣、バルキーリングを振りかざしてバルキー星人が迫り来る。東方号の甲板に上がっていたエルフたちは、悲鳴をあげて危険な海に飛び込んでいき、水精霊騎士隊と銃士隊は迎え撃つ体勢をとった。

「くそっ! やっぱりくたばってなかったか。エルフたちがおとなしく従ってくれたら、船を動かすくらいはできたのに」

「たわけ! うぬぼれるな。貴様らいつからそんなに偉くなった? 助けに来て、”やっている”つもりになるなど百年早い。身の程をわきまえろ、使命の重さを勘違いするな」

 ミシェルに怒鳴られて、ギーシュはひっと肩をすくめた。そして、頭を冷やして敬礼した。

「申し訳ありませんでしたぁっ! っと、じゃあ親愛なる水精霊騎士隊の諸君、そのぶんの怒りはあっちにぶつけるとしようか。なあに、奇策はもうないけれど、人間死ぬ気になればなんとかなるものさ」

「だといいけどねえ。隊長、真っ先に戦死なんてしないでくださいよ。そんなになったら、ぼくら生き残ってもミス・モンモランシに殺されますからね」

「その点については心配いらないさ。薔薇を散らせる権利があるのは美しい乙女と昔から決まっている。それに、ぼくは嫉妬深いからね、親友とはいえ女の子を人に譲るなんて我慢できないのさ」

「隊長、あんまり欲深いと天罰が下りますよ」

「それは問題だな。死神が美人だったら交際を申し込むが、もし男だったら殴り飛ばしてしまいそうだ。そうだ君たち、じいさんの神さまの加護はみんなにくれてやるから、代わりに美人の悪魔と美少女の死神はぼくがもらうよ。いいね?」

 やれやれと、水精霊騎士隊から呆れた声が流れた。この期に及んでもギーシュの根っこはギーシュでしかないらしい。

 けれど、下手に勇ましい文句を聞くよりは安心できる。つまらないジョークの言えるうちは、まだ生きている実感があるというものだ。

 わずかな魔法や飛び道具を使って迎え撃つ水精霊騎士隊と銃士隊。だが、そんな抵抗をあざ笑うように、怒れるオイルドリンカーの火炎が東方号の甲板をあぶり、バルキーリングが東方号の翼を打ち砕いた。

「う、右舷四番エンジン損傷! せ、先生、このままじゃあ!」

「反撃だっ! 東方号がやられたら全部終わりだぞ! ミス・エレオノール、ここは頼む。私も出る」

「ミスタ・コルベール!? 待ちなさい! あなたなんかが出て行ってなにになるっていうの!」

 迫り来るバルキー星人とオイルドリンカーに対して、コルベールは愛用の杖と身ひとつで飛び出していった。艦橋からフライの魔法を使って飛び降り、高角砲の丸い防盾の上にひらりと降り立つ。そして、目を細めて、超獣と星人を相手に必死に防戦を続けるギーシュたちを見つめた。

「ミスタ・グラモン、それにみんな。見事な戦いぶりだ、私は君たちのような勇敢な生徒を持ったことを誇りに思うよ」

 コルベールは戦争が嫌いだ。無益に無意味に人が死んでいき、死んでいった者たちはすぐに忘れ去られてしまう。貴族はそこに誇りを見出し、美しく死ぬことを美徳としているが、コルベールに言わせれば残される者たちの悲しみを無視した自分勝手な言い分でしかない。

 けれど、たとえば家に侵入した強盗から我が子を守らなければならないときのように、あえて戦わねばならないことがあることもコルベールは知っている。しかし、自分の半分も生きていない子供たちが大義のためとはいえ、死んでいくのはあまりにも惜しすぎる。

「教師が生徒を差し置いて生き残るわけにはいくまい。船長としては責任放棄だが……ま、元々私の柄ではなかったということか……やれやれ、何歳になっても主体性を持てないな、私は」

 自嘲して、コルベールは杖を上げた。軍人だった頃に磨いた攻撃の魔法、もう二度と人間に対しては使うまいと封印してきたこの力だが、今は自分にこの力が残っていることを感謝する。

 そのとき、オイルドリンカーの吐いた高熱火炎がギーシュたちを真っ向から襲った。石油化学コンビナートを一瞬で大火災に包み込んだ真っ赤な悪魔の舌が、少年たちをからめとろうと迫り来る。

 だが、覚悟を決める暇もなく呆然と立ち尽くしたギーシュたちの後ろから、同じくらいすさまじい火炎が飛び、オイルドリンカーの火炎を押し返した。

「無事かい、君たち?」

「コ、コルベール先生!」

 少年たちは度肝を抜かれた。彼らがいまだかつて見たことがないほどのすさまじい火炎は、コルベールの杖から発せられていた。呆然と見守る生徒たちの前で、コルベールの火炎はオイルドリンカーの火炎を押し返し、さらに口内にまで逆流して爆発した。

「やった!」

 口の中で爆発を起こされて、オイルドリンカーはよろめいて倒れこんだ。いかに超獣とて体内への攻撃にはもろい。初代のベロクロンはエースのパンチレーザーを口内に喰らい、体内の高圧電気胃袋を破壊されて大ダメージを受けたのが敗因となっている。オイルドリンカーは吸収した石油や石炭などの燃料に着火して吐き出すことで火炎放射をおこなっているから、恐らく体内の石油袋に火炎が到達したに違いない。人間で言えば胃に穴が空いたようなものだ。その痛みは想像を絶する。

 コルベールは次いで、バルキー星人を見上げて杖を振った。バルキーリングを振りかざし、東方号ごと叩き潰してしまおうとする星人に対して、コルベールの杖の先で巨大な火球ができあがる。

「あ、あれは『フレイム・ボール』!? し、しかし」

 ギーシュは我が目を疑った。それは、火の系統の一般的な攻撃魔法のフレイム・ボールに違いないが、火球の大きさがまるでそのレベルの代物ではない。前にトライアングルメイジのキュルケの使ったものを見て、その大きさと炎のうねりの激しさに驚嘆したことがあるが、コルベールのそれはキュルケのものの二倍はゆうにある。

 無言のままで、コルベールは火球をバルキー星人に向かって投げつけた。星人は一直線に向かって飛んでくる火球を軽く避けようとしたが、フレイムボールには使い手の意思である程度のホーミングをできる特性がある。外れると思った瞬間を狙った方向転換は星人の意表を突き、顔の左半分を炎で包み込んだ。

「グオォォォォッ!」

 効果は絶大であった。バルキー星人の金色に輝くマスクは激しく燃え上がり、海水を浴びせて消した後も黒いこげ痕になって、火炎の温度が通常のものを大きく超える高温だったのが読み取れた。

”先生、すげえ……”

 水精霊騎士隊はもちろん、銃士隊や、怪我の治療に当たっていたモンモランシーたち女生徒もコルベールの魔法の威力に呆然として舌を巻いた。あの、普段変な研究ばかりしていて、そうでなくても抜けているあの先生が、こんなに強かったなんて。

「さあ来い、ヤプールの使い走りども! お前たちなどに、私の生徒は指一本触れさせはせん!」

「うがぁーっ! 許さねえ、ぶっ潰してやる!」

 怒り狂ったバルキー星人の手が伸びるのを、コルベールは小さな火炎弾を連続で飛ばしてしのいだ。さらに、東方号の甲板から海面に飛び降りると、そのまま海面をフライの魔法で飛びながら『ファイヤーボール』などで攻撃をし始めた。高位のメイジでも難しいと言われるふたつ以上の魔法の併用をおこなった戦法に、生徒たちはすでに尊敬の念さえコルベールに抱いていた。

 しかし、見た目の華麗さとは裏腹に、コルベールに余裕の色はなかった。

「追ってきたな、単細胞め。やれやれ、また柄にもなく大見得をきらされたが……まあ、最期くらいはかっこうをつけてもいいか」

 平然としたふうにつくろってはいるが、すでにコルベールは自分の持てる魔法を使うための精神力の半分以上を消費していた。無理もない。超獣の火炎を押し返し、星人に打撃を与えるなどといったこと自体がすでに人間技を超えている。あれはすごいように見た目だけは見えるが、熟達の技で精神力を過剰に消費して作り出した……いわば、リミッターを意識的に外した力技にすぎない。

 それに、なによりもここは海の上。火の力を強める媒体は一切存在せず、火の存在を許さない水が大量にあふれている、火のメイジであるコルベールにとっては地理的に最悪の環境である。むろん、フライを常に使い続けなくては海に沈んでしまうことも絶対的に不利と言わざるを得ない。

「もってあと数分か……地獄へのキップは切ってやれんが、しばらくは私の下手な舞踏につきあってもらうよ」

 願うことは、少しでも星人が東方号から遠ざかること。そうすれば、あの聡明なミス・エレオノールや、機転に優れた生徒たちのこと、なにかよい方法を見つけ出してくれるかもしれない。なんだかんだ言っておいて押し付けることになるが、ダメ教師のわがままが悪口でも生徒たちに語り継がれて残るなら、それもよいと思った。

 バルキー星人の額のランプから放たれるバルキービームが海面で爆風を起こし、コルベールに水の砲弾が叩きつけられた。左腕が、意思に反してだらりと垂れ下がる。

「折れたか……まあいい、杖を振るうには右腕一本あれば上等だ」

 すでに捨てる覚悟を決めた命、痛みなどどうでもよく感じる。コルベールは、バルキー星人を東方号からも海上に漂うエルフたちからも離れた場所へと誘導していった。途中、まばらに漂っていたエルフの何人かと目が合う。皆、嫌悪や恐怖、よくても好奇心といった感じの視線で、コルベールを助けようとする者はいない。

 が、それでもいいと思う。命はなににも増してかけがえがない。矛盾するようだが、その信念だけは守って死ねるのだから。

 

「コルベールせんせーい!」

 生徒たちは遠ざかっていくコルベールを見て、彼の悲壮な覚悟を理解していた。あんな足場さえ定めない無茶な戦いを続けていたら、スクウェアクラスのメイジでさえあっというまに精神力を使い尽くしてしまうことは自明の理だ。先生は船を守るために自ら囮になろうとしている。

 しかし、叫ぶ以上にできることはなかった。火炎を吐く能力こそ失ったものの、オイルドリンカーが巨体そのものを武器にして体当たりをかけてくる。また、サメクジラも一頭の鯨竜艦を血祭りにあげ、邪魔な黄色い汁を押し流してしまおうと渦を作り出す。激しく波打つ海と、オイルドリンカーの攻撃に、東方号は立っていられないほどの激震に襲われた。

「うわぁぁっ!」

「おのれっ! 貴様らの好きにさせてたまるか」

 水精霊騎士隊、銃士隊、さらにビダーシャルたちエルフの騎士団も反撃を試みる。だが、やはり外からの攻撃ではミサイルにも耐えられる超獣の皮膚は貫けない。それどころか、激しく動揺し、甲板を洗う波から自分を守るために手すりや銃座に掴まるだけで精一杯なありさまだ。

 超獣オイルドリンカー。ドキュメントZATではヤプール撃滅後に最後に残った超獣であり、宇宙大怪獣アストロモンスに捕食されて倒された弱い超獣のように言われているが、その破壊力は超獣の名に恥じずにすさまじい。

  

 エルフたちは、攻撃を受ける東方号を「ざまあみろ」とばかりに眺めている。エスマーイルも、最後に残った鯨竜艦の艦橋で、狂ったような高笑いをあげていた。

 しかし、ヤプールは常に絶望を与えることを忘れていない。お前たちにも悲嘆の声をあげてもらおうと、異次元のすきまから魔手を放ってきた。

「ククク……いけ、ガディバ」

 海中に進入した黒いもやのような宇宙生命体は、海底をはって一匹の現住生物と同化した。遺伝情報を書き換え、一気に巨大化させると、海上に閃光と白い波を立ち上げて現れる。全身に数十本の触手を生やし、らんらんと輝く赤い目を不気味に光らせた、緑色のグロテスクなタコの怪獣が!

〔あいつは……タコ怪獣ダロン!〕

 遠目でその出現を確認した才人はうめいた。

 ダロン、ドキュメントUGMに記録される怪獣の一体である。海に住むタコが突然変異で怪獣化したものと言われ、あの吸血怪獣ギマイラに操られて80と戦ったことがある。しかし、タコ怪獣というものの、タコの特徴である足の数は八本どころではなく、少なく見積もっても二十本以上あり、同じタコ怪獣である大ダコ怪獣タガールと比べても原型を残さない変質はただの突然変異とは考えがたい。これは、はっきりとした証拠はないが、人間怪獣ラブラスと同じくギマイラの力で強制的に変異させられたのだとする説が有力である。

 その説が正しいのだとすれば、ヤプールは同じことをガディバを使って再現したのだということになる。超獣を次々と生み出せるヤプールのこと、ガディバの数さえ揃うのであればたやすいであろう。

〔まずいっ! これじゃ、海は陸より危険じゃないか〕

 陸と海でそれぞれ三体ずつ、それでも海は東方号がいる分、わずかなりとて逃げ場があると思っていたのに、海に四体とはいくらなんでも多すぎる。これでは、逃げ場がどこにもないばかりではなく、街から逃れてきたエルフたちがひしめいているだけ危険すぎる。

 やむをえない、ここはアリブンタとアントラーを放置することになっても、海へ向かうべきか。海に漂うエルフたちを狙って暴れ始めたダロンと、撃沈されそうな東方号を見てエースは苦渋の決断を下した。

 

 だが、飛び立とうとしたエースを、そうはさせじとアントラーが首を上げて虹色磁力光線を放ってきた。

 

「ヌオォォッ!?」

 磁力光線はウルトラマンをも引き寄せ、エースは飛び立つことさえできずに地面に叩きつけられた。

 これでは、この二体をどうにかしない限りこの場から動くことさえできない。まさしく蟻地獄のように、一度捕らえた獲物は決して逃がすまいと、アントラーは巨大なあごをギチギチと鳴らし、アリブンタは口から蟻酸の混じった唾液を垂らして石畳の道から白煙をあげさせる。

 そして、それだけならば戦場の常として覚悟の決めようもあったろうが、現実はさらに才人とルイズの心を折ろうとしてくる。空に残ったエルフの竜騎兵の残存と陸上部隊が狂ったように魔法をぶつけてきた。超獣と怪獣と、ウルトラマンに。

「アディールを、守るんだぁーっ!」

「悪魔どもめ、死ねぇーっ!」

 炎や風の刃が、無差別に降りかかってくる。それはエースに痛痒を与えるようなものではなかったが、彼らの憎しみに満ちた敵意の視線が、若者たちの心を削った。

”おれたちは敵じゃない”

 そう叫びたかった。しかし叫んでも無駄だということもわかっていた。

 攻撃はがむしゃらに続き、スフィンクスとサボテンダー、さらに二体をおさえているヒドラとリドリアスにも攻撃が加えられる。生物兵器である二大超獣は攻撃の打撃にも平然と耐えた。しかし、怪獣であるヒドラとリドリアスにはそこまでの防御力はない。

 魔法の炸裂によってヒドラの体から赤い血が滲み出し、リドリアスが悲痛な声をあげる。しかも、エルフたちは彼らにとっては当然に、しかし自らにとっては最悪の選択をこの場においてくだした。

「あっちの二匹が弱ってるぞ! 先に仕留めてしまえ!」

 馬鹿な! その二匹はお前たちを助けようとしているんだぞと、才人とルイズは悲鳴をあげた。

 確かに、彼らにとっては同じ怪獣に見えるだろう。しかし、少し、ほんの少しでいいから冷静な目で客観的に見れば、ヒドラとリドリアスは街を守りながら戦っていることに気づけるだろう。それすらも、戦闘で興奮した彼らには贅沢な注文かもしれないが、彼らは目に見える世界を仲間を落とされ続けたショックで単色に塗り固め、異物をすべて排除しようとしていた。そう、異物をすべて。

「死ねぇ、仲間たちの仇だぁぁっ!」

〔やめろ、おれたちは敵じゃない!〕

 ウルトラマンAに向けても、少なからぬ攻撃が降り注ぐ。憎しみは彼らを戦士から獣に変えてしまった。

 アントラーとアリブンタ、さらにはエルフたちからも攻撃され、ウルトラマンAは四面楚歌の中で苦しめられる。

 彼らには、悪気はない。けれども、愚行とは決して悪意からのみ発せられるものではなく、正義感や信念、勇気や愛からどうしようもない過ちが生み出されることもあってしまう。助けに来たはずのウルトラマンAや人間たちを逆に攻撃し、自らの破滅を加速させているエルフたちの姿を見て、ヤプールは高笑いを続けた。

 

「フハッハッハハ! どこまでも愚かな連中よ。塵あくたに等しい下等生物のくせに、この世の頂点などとうぬぼれたむくいがこのざまよ。貴様らが、我々の家畜として生かされてきたことにまだ気づかないとはな。ウルトラマンAよ、貴様が救おうとした者どもに殺されるならば本望だろう。今日が貴様の命日だ、フハッハハハハ!」

 

 悲劇こそ最高の喜劇、絶望こそ至高の味と、ヤプールは異次元空間の中で多数の仲間たちと狂気の笑いのフルコーラスをあげる。

 超獣以上に、エルフたちに攻められて苦しむエース。そして、オイルドリンカーとサメクジラによって木の葉のようにもまれる東方号と、ダロンの触手によって小魚のように逃げ惑うアディールの市民たち。

 絶対的な大兵力を背景に、人間とエルフの不和につけこんで全滅をはかるヤプール。悲鳴と断末魔がいくつもこだまし、無限の未来をもっていたはずの命が次々と奪われていく。

 

 だが、それでもかけがえのない命をひとつでも救おうと、戦士たちはあきらめない。

 

 ウルトラマンAがアントラーに押さえ込まれているのを見たアリブンタが、逃げ遅れていたエルフたちを餌食にしようと動き出した。アリブンタは女性の血液、それもO型の血液のみを好んで吸血する。先ほど目に付けていてエースに邪魔された少女を再び食おうと、建物を押しつぶし、街路樹を踏み潰して、逃げる少女をアリブンタは追い詰めた。

「た、助け、誰か……」

 腰を抜かし、仲間たちからも置いていかれてしまった少女を、アリブンタはよだれを垂らして見下ろした。

 餓えている……ギラギラ光る複眼はそう言っていた。生き物にとって、飢えを満たしたいという欲求はなによりも強い。

 絶対に助からない。少女は本能的にそう悟った。牙をむき出し、超獣が迫る……だが、その瞬間。

「デャアアッ!」

 寸前で、飛び込んできたエースが割り込んだ。両腕を伏して盾となって覆いかぶさり、アリブンタの攻撃を受け止めた。

「グッ! ヌォォッ!」

 だがその代わりに背中にアリブンタの攻撃をもろに受けてしまった。アントラーを振り払い、駆けつけてくるにはこれしかなかったといえ、防御することもできない直撃の痛みはやはり並ではない。

 手を突いてかばったエルフの少女は、ちょうどエースの胸元の下あたりで腰を抜かしたままでいる。彼女は恐怖に染まりきった顔で、「バケモノ、バケモノ」と唱え続けているが、エースは彼女に一言だけ語りかけた。

「逃げろ」

「えっ……?」

「逃げろ、早く」

 少女は、耳に響いてきた声が、目の前の巨人が放ったものだとわからず、一瞬困惑した。当然であろう、見たことも聞いたこともない相手から自分たちと同じ言葉で話しかけられる……想像してみるといい、イエティやサイクロプスに日本語で流暢に「こんにちは」とあいさつされたら、大抵の人間は驚くであろう。

 少女は、声が巨人の発したものだということは理解した。が、幼い脳の許容量を超える出来事の連続にまともに動くことができず、そのままへたり込んでいると、巨人は苦しむ声といっしょに優しげな声を彼女に送った。

「……立てるかい? 立てたら、走って早く行きなさい。振り返らず、さあ!」

 少女ははじかれたように立ち上がると、一心不乱に駆け出した。命が助かったことを喜ぶ間もなく、泣きながら走る。

 だが、彼女はひとつだけ禁を犯した。振り返るなと言われていたのに、どうしてか振り返って後ろを見た。そこでは、銀色の巨人が怪物の前に立ちふさがって、懸命に押しとどめていた。

「ありがとう……」

 

 そして、東方号でも若者たちは絶望の中で必死に希望にしがみついていた。

 オイルドリンカーの怪力で右の翼をもぎとられ、今にも横転転覆させられそうな東方号の上で、人間とエルフはそれでも戦っている。

「うわぁっ! 落ちるぅぅぅ!」

「バカめ! 掴まれ!」

 甲板から転落しそうになった少年を、ひとりのエルフの騎士が受け止めて引き上げた。

「す、すまない」

「フン、勘違いするな。蛮人なんぞどうなってもかまわんが、犬猫でもいっしょにいると多少は情がうつるだろう」

 下手な言い分であったが、助けられたほうも助けたほうも、それ以上の言葉は無用だというふうに共に戦いに戻った。

 オイルドリンカーに攻撃魔法を放ち、サメクジラの接近を少しでも抑えようと周辺の海を凍結させる。焼け石に水でしかないことは誰もがわかっているが、かといって絶望してどうなるというのか?

 絶望すれば、万に一つの可能性もない。泥まみれになっても生き延びて、喉笛に喰らいついてでも敵を倒せ。はいつくばって神に助けを請ういくじなしは、この船には誰一人としておらず、彼らの中には自らの身が危険だというのに機銃にしがみついてダロンを攻撃し、触手に捕まったエルフを助けようとしている者もいる。

 

 けれども、それらはまさに象に立ち向かう蟷螂の斧……けなげに見えて、まったくの無益……それでも、若者たちには、戦い続けることをあきらめさせないたったひとつの”武器”があった。

 武器とは、なにも直接敵を傷つけるものだけとは限らない。それは心の中にあるもので、人はそれを勇気と呼ぶ。

 そして、勇気がただの武器と違うのは、それが自分以外の誰かの勇気につながることなのだ。

 

 いまにも撃沈されてもおかしくない東方号。そこで、この激戦の渦中にあって、敵からも味方からも存在をほぼ忘れられていた少女が、戦う力などまったくなさそうな細腕を震わせながら、東方号最頂部の防空指揮所に立っていた。

「これが、アディール……お母さんの、生まれた街」

 街を、戦場を、戦う仲間たちを見下ろすティファニアの眼には大粒の涙が浮いていた。いつか、訪れられたらと夢見ていたが、まさかこんな形で訪れることになるとは、運命とはなんと残酷なのだろうかと思う。

「あなた、大丈夫? やっぱり……」

「ありがとうルクシャナさん。わたしは、だいじょうぶ。だいじょうぶ、だから」

 浮遊の魔法で艦の動揺から守り、ここに連れてきてくれたルクシャナが心配そうに声をかけてくるのに、ティファニアは気力を振り絞って強く答えた。

 そう、ティファニアはもう、戦う覚悟を決めていた。その手には、母の形見の杖と、ルイズが残していってくれた始祖の祈祷書が握られ、指には水のルビーが輝いている。

「ティファニア、ほんとうにできるの?」

「ルイズさんは、もしわたしに戦う決意があるなら祈祷書は応えてくれると言いました。ほんとうはすごく怖いです……でも、みんなも怖いはずなのに戦ってるんです。ですからわたしも……わたしだってもう、お母さんがいなくなったときみたいに、クローゼットの中で震えているだけの自分ではいたくないんです!」

 人はいつまでもゆりかごの中にはいられない。ティファニアは、森の中に隠れ潜んで、おびえ暮らしていただけの自分に決別を誓った。

「お願い、始祖ブリミル。わたしに、ほんとうに世界を動かすほどの大魔法使いの血が流れているなら、今こそ力を貸して。ご先祖さま!」

 ティファニアは、以前ルイズがそうしたように祈祷書を開き、空白のページに目を光らせる。

 すると、水のルビーに呼応するように白紙に光のルーン文字が現れた。

『序文。これより、我が知りし真理をここに記す……』 

 ルイズが受けたものと同じブリミルの遺言と虚無の啓示、続いて祈祷書に今ティファニアがもっとも必要としている魔法の呪文が浮き上がる。

 だが、祈祷書は呪文を授けるのと同時に、意思あるもののように、ひとつの警告をティファニアに与えた。

 

『使い手に警告する。虚無のうちにも、いくつかの系統がある。しかして、この呪文は、君の系統には本来合わないものなり。使えば、君の蓄えた力は失われ、二度と放つことはできなくなるかもしれない。その覚悟をもちて、選択せよ』

 

 この魔法は生涯一度限り。そう警告する祈祷書の言葉に、ティファニアが見せたのは迷いない笑顔だった。

「ありがとうご先祖さま。でも、惜しくはないよ。だって、今のわたしにはもっと大事なものが、守らなきゃいけないものがあるから。わたしはきっと、このときのために生まれてきたんだと思うから!」

 浮かんだ魔法の呪文を唱えながら、ティファニアは杖を振り上げた。

 ルーン文字の言葉が躍るごとに、彼女が生まれてから今日まで蓄えてきた魔法力が法則に従って解放され、巨大な渦になっていく。

 最初から、加減などするつもりはない。はじめてできた友を、母の故郷を、これから友達になれるかもしれない人たちを救えるならば、この命を擦り切れさせてもかまわない。

 いまやティファニアは魔力の太陽にも等しい。その、ひとりの人間が持つには不相応すぎる、まさしく神か悪魔に相当するような莫大な力の波動にルクシャナは震えた。

「これがシャイターンの……力!」

 あるものは神と呼び、あるものは悪魔と呼ぶ力。伝説にうたわれる最強の魔法が今、無限の光芒とともに解き放たれた。

 

『エクスプロージョン!』

 

 

 続く



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第89話  たったそれだけのこと

 第89話

 たったそれだけのこと

 

 大蟻超獣 アリブンタ

 友好巨鳥 リドリアス

 高原竜 ヒドラ

 磁力怪獣 アントラー

 海獣 サメクジラ

 宇宙海人 バルキー星人

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー 登場!

 

 

 最初は、なにもできないと思っていた。

 

 わたしは、エルフの母とアルビオン大公だった父の元に生まれ、幼くして両親をなくすと、人目を避けて森の中で暮らしてきた。

 そう、わたしはハーフエルフ。人間とエルフのあいだに生まれた半端者……人からは恐れられ、エルフからは蔑まれる存在。

 だから、わたしが誰なのかは誰にも知られてはいけなかった。そうしなければ、この世界では生きていく保障すらないと、両親に代わってわたしの面倒を見てくれたマチルダ姉さんはきつくわたしに言いつけた。

 

 でも、たったひとりで暗い森の中で隠れ潜んでいられるほど、わたしは強くはなかった。

 いつからか、わたしは戦争や災害で親を失った子たちを引き取って育てるようになった。

 たまたま森の中をさまよっていた子や、マチルダ姉さんが拾ってきた子。森の中の道を通った人買いの馬車から、姉さんといっしょに助け出した子たちなど、ひとりひとりのことをよく覚えている。

 彼らはみな、わたしのことを本当の親のように深く慕ってくれた。

 けれど、みんながわたしを慕ってくれるのはなにも知らない子供だから。彼らもいつかは大人になり、知らなかったことを知るようになる。

 そのとき、みんなは変わらず自分のことを慕ってくれるのか……わたしはみんなを愛しながらも、いつか訪れるそのときに怯え続けていた。

 わたしは実はとても虚しいことをしているのではないのか? こうして森の中に隠れ続けて、逆に子供たちを森の中に閉じ込めているだけではないのだろうか? マチルダ姉さんも、わたしのために人生を無駄に使ってしまっているのではないのか? わたしはいったい、この世界の中でなんのために存在しているのだろうか?

 眠るとき、答えの出ない自問の繰り返しに何度も枕を濡らした。

 

 でも、世界はわたしの思っていたよりも大きく、この世に隠れ場所なんかないように、運命はわたしの周りで動き出した。

 最初は、ふらりとやってきた旅の人、ジュリさんとの出会いだった。

 わたしたちの住むウェストウッド村を襲った、巨大な怪物・怪獣と超獣。そして、ウルトラマンの戦い。

 それは、外の世界に漠然とした憧れしか抱いてこなかったわたしに、とてつもなく大きな衝撃になった。

 外の世界は、わたしなんかの想像をはるかに超えて大きくて広い。サイトさんやルイズさんたち、マチルダ姉さんが連れてきてくれた新しいお友達との触れ合いを経るうちに、わたしの外の世界へのあこがれは大きくなっていった。

 でも、そのときはまさか自分が世界の命運を左右するほどの運命を背負っていることなどは、夢にも思わなかった。

 わたしにはエルフがもっとも恐れるシャイターンの力、『虚無』の系統が宿っている。それが、わたしの持って生まれた宿命。

 突然持たされた、この大きすぎる力……きっと、わたしだけだったら重圧に押しつぶされるか、理解さえできずに呆けているしかできなかっただろう。

 だけど、ルイズさんたちが教えてくれた。この力は、滅亡に向かって走っている世界を救うために必要なんだって。

 

 だからわたしは来た。母の生まれたこの国へ……わたしが誰なのかを知るために、わたしのなすべきことを知るために。

 そして、みんなは凄惨な戦いにおびえていたわたしになすべきことを教えてくれた。

 みんなを助けたい。わたしをなんの抵抗もなく受け入れてくれた友達を。それに、トリステインでわたしを待っていてくれるみんなの下へ、一人前になった姿で帰るためにも。

 サイトさんは、いざとなったらおれが守ると言ってくれたけど、あの人にはわたしなんかよりずっと守るべき人がいる。

 テュリュークさんがくれた、ふしぎな青い石が手の中で光っている。大昔のエルフの英雄が残していったという、きれいな石。始祖ブリミル……わたしの遠いご先祖さまが残した本といっしょに、もしも本当にふしぎな力があるなら、わたしに勇気を貸して。

 わたしにみんなの言うようなすごい力があるなら、それを使うのは今!

 

 振り返った過去との決別を誓い、ティファニアは流れるような呪文とともに杖を振った。

 光芒……彼女がこの世に生を受けてから、その身に蓄積してきた膨大な魔力が一気に解放される。

 虚無の初歩の初歩の初歩。しかし、心優しく人を傷つけることを嫌うティファニアにその魔法は相性が悪く、本来ならば使いこなすことはできないとされてきた。

 しかし、戦う決意をしたティファニアはあえてその呪文を唱える。決意と覚悟は力となり、ティファニアの生涯一度限りの超魔法がアディールを襲う悪魔たちを照らし出した。

 

 

『エクスプロージョン!』

 

 

 光が世界を包み、闇の結界に包まれていたはずのアディールが一瞬昼間のように明るくなった。

 虚無の光は杖を振ったティファニアを中心に、あまねくすべてを貫いた。神々しさとも違う、不思議だが生きているような優しい輝きは、それを見たすべての人々に一生忘れ得ない記憶を植えつけた。

〔テファ、とうとう虚無の魔法を使ったのね……〕

 かつて自分が使ったものと同じ輝きを見て、ルイズはティファニアの覚悟を知った。始祖の祈祷書を用いて、自らの力を開放することは、ただの少女としてひっそりと生きていける道を完全に捨てるということになる。それでも、彼女は小さな肩に背負うには大きすぎる力を振るうことを選んだ。ならば、もう他人がその選択に口を差し挟む権利はない。

 

 閃光は、まさしくティファニアの心の火ともいうべき太陽となり、ほんの数秒の短い寿命の中で奇跡を起こして消えていった。

 鏡のような海の上に、島のごとき不動の姿を鎮座させる東方号。甲板で戦っていたギーシュやミシェルたちが、目を覆うような光芒が去った後に目の当たりにしたのは、ほんの十数秒前と同じ場所にいるとは信じがたい光景であった。

「ち、超獣は? いったい、どこにいったんだ?」

 首をちぎれんばかりに振っても、今の今まで東方号を沈めようと怪力を振るっていた超獣オイルドリンカーの姿は霞のように消え去っていた。

 いや、そればかりではない。エルフたちを無数の触手で襲っていたタコ怪獣ダロンも影も形もなくいなくなり、その海面には同じように呆然としたエルフたちが何十人も浮いている。

「お、おれたち、助かったのか?」

 サメクジラのいた海面にはわずかな気泡のみが残り、バルキー星人に追われていたコルベールも魔力切れを起こして、わけがわからないといわんばかりに自分の杖を浮き輪代わりにして立ち泳ぎをしていた。

 

 不可解なことはそれだけではない。大火災に見舞われ、焼け野原と化そうとしていたアディール市街の炎は息を吹いたろうそくのように白煙を残して消え去り、崩れた瓦礫に阻まれて焼け死にかけていたエルフは、目をしぱたたかせながら道の真ん中に大の字に寝転んだ。

 

 だが、なによりも驚くべきこと。そして数々の謎の答えは、ウルトラマンAとその周辺にあった。

 アントラーとアリブンタ、二匹の強豪怪獣と超獣を相手取り、苦戦を余儀なくされていたエース。受けたダメージも軽微でなくなり、時間も経過してカラータイマーが赤く点滅を始めていたころに虚無の光は彼らを貫いた。

 かつてルイズが使ったときは、幽霊船怪獣ゾンバイユに風穴を空けて致命的なダメージを与えたエクスプロージョン。そのときのものは収束して炸裂したようだったが、ティファニアの使ったものは自らを中心にしての拡散型の爆発だった。この光はヤプールによって封じられた闇の結界の中のすべてを貫き、彼女の願った奇跡を現出した。

 アントラーとアリブンタは人形のように崩れ落ち、全身を痙攣させて口から泡を吹いている。それだけではなく、スフィンクスとサボテンダーもまた、大きなダメージを受けたらしく地面に倒れこんで起き上がる気配がない。しかも驚くべきことに、ヒドラとリドリアスには一切の影響はなかったようで、むしろきょとんとしている様子がかわいらしくもあった。

〔こいつが、テファの虚無魔法かよ。なんて威力だ〕

〔すごい……わたしが使ったエクスプロージョンの何倍……始祖ブリミルの使ってたオリジナルに匹敵するか、それ以上かも〕

〔しかも、街や人には一切の被害を与えずに超獣のみを倒すとは。これは、私でも到底できん〕

 才人、ルイズ、それにエースは打たれた体を押さえながら、倒された超獣たちを見下ろして驚嘆した。

 だが、ティファニアの最初で最後のエクスプロージョンの炸裂は、ヤプールの超獣軍団を一撃のもとに無力化したのみならず、さらなる奇跡をもおまけとして残していった。

〔ん? そういえば北斗さん、なんか体が楽になったような〕

〔なに? こ、これは! エネルギーが回復している〕

 なんと、危険レベルまで減少していたエースのエネルギーが一気に全快まで跳ね上がっていた。カラータイマーは青に戻り、受けたダメージもほとんどなくなっている。

 

”これも、テファの魔法の力なの? だけど、エクスプロージョンは攻撃の魔法のはず!? いえ、テファならばもしかして”

 

 エクスプロージョンの効果としてはありえない力に、ルイズはとまどった。しかし、同じ虚無の担い手ゆえにひとつの仮説が頭の中に浮かんでくる。エクスプロージョンは使い手の狙った対象物のみを破壊できるという、奇跡的な効力を有する魔法なのだが、それが実は狙った対象物を破壊ではなく『変質』させる効果だったとしたら? もしくは、巨大すぎる魔力の暴発が、魔法の力は心の震えに左右されるという法則に従って、エクスプロージョン自体にイレギュラーを発生させたとしたら?

 答えはわからない。しかし、眼前の現実はまさしく奇跡としかいいようのないものであった。

 ヤプールの超獣軍団は無力化され、火災は鎮火され、エースの体にはエネルギーが満ちている。それを実現させたのは、ティファニアのアディールにいるすべての人たちを助けたいという願い。そのシンプルで、それであるがゆえに強い祈りは膨大な魔力の衝撃波となって、アディールに災いをなすもの、すなわち超獣はおろか火災などすべてに対して襲い掛かった。

 その結果、街で暴れていた超獣は大きなダメージを受け、街の炎はかき消されてしまった。そして、エクスプロージョンの直撃を至近で浴びてしまったオイルドリンカーとダロンは、文字通り消滅させられてしまったのだ。

〔さらに、私の体に満ちる力は、彼女のこの街を守りたいという意思がプラスに影響したがゆえか。とてつもないものだ。これほどの超能力を有する種族は、宇宙全体を見渡してもそうはいないだろう……だが〕

 ウルトラマンAは感嘆したが、手放しに喜ぶことはしなかった。振り返り、東方号のある方向を見つめる。

 恐らく、これほどの力の解放を人の身でして、本人が無事であるということはないだろう。しかも、これが終わりではなく始まりにすぎないことをエースは知っていた。

 だが、助けることはできない。きっと、ティファニアにとってこれから訪れる難題は、彼女の人生最大の壁になるだろう。それを乗り越えるには、彼女自身の本当の決意と勇気以外に頼れるものはない。エースの金色に光る眼は白煙を貫いて、この奇跡を起こし、これからさらなる奇跡を呼び込まなくてはならない使命を背負った少女を見守った。

 

 アディールの海に傷ついた体を横たえる東方号。その頂上部で、エクスプロージョンにすべての精神力を使い果たし、魔力の抜け殻のようになったティファニアが力なく崩れ落ちた。

「ティファニア! だいじょうぶ? しっかりして」

「あ……ル、ルクシャナさん。だいじょうぶ、ちょっと疲れただけだから」

 ティファニアは、倒れこもうとしたところを受け止めたルクシャナの腕の中で弱弱しく笑った。ルクシャナは、慌ててエルフの治癒の魔法をかけるが、ティファニアの顔には大粒の汗が浮き出し、息は肺病にかかっているかのように激しく荒れている。

「やっぱり無茶だったのよ。使い方もわかってない魔法を、無制限に発動させるなんて、悪くしたら死んでいたかもよ!」

 始祖の祈祷書の序文には、虚無の魔法はときには命を削ることもあるゆえに使い方に注意せよと、わざわざ警告があるという。それを、自分の系統に沿うこともない呪文を無制限に解放した日にはどうなっていたか。普通の魔法でさえ、反動で体調を崩したり、耐え切れずに死亡する例もあるというのに!

「っとに、蛮人ってやつはどいつもこいつもバカばっかりなんだから! ほら、水薬よ、飲める? しっかりしなさい!」

「……ありがとう。やっぱり、ルクシャナさんは優しい人ですね」

「っ! バ、バカ、こんなときになに言ってんのよ。いいから早く飲みなさい。少しだけど、体内の水の流れを整えてくれるわ。あとはもういいから、あなたは休んでなさい」

 ルクシャナの診るところ、ティファニアは今すぐにでも入院が必要な危険度だった。とにかく精神力はおろか、生命力までもが著しく失われていて、まるで虚無魔法に命を食われた残骸のようだ。少なくとも数日は絶対安静にしなくては、彼女は自らの生命の鼓動すら保てるかどうか。

 だがティファニアは、普通の人間なら意識が混濁してまともにしゃべることすらできなくなってきているはずなのに、はっきりとした強い意志をその瞳に宿らせ、毅然とした口調でルクシャナに言った。

「ルクシャナさん、お願いがあるんです。わたしのやるべきことは、まだ終わってないんです」

「あなた、まさか……死んでもいいの!?」

「大丈夫です。まだ、あとちょっとだけならがんばれるから……お願い、これはわたしにしかできないことなんです」

 ティファニアはルクシャナの腕に抱かれながら、片手で彼女の襟首を信じられないほどの強さで掴んで頼んだ。

 もう、どこにもそんな力は残されてはいないはずなのに……ルクシャナは意を決すると、ティファニアの体を抱え上げた。

 役割を失った始祖の祈祷書と杖は、鉄の床の上におもちゃのように転がっている。しかし、なんの魔力も持っていないはずのバラーダの輝石だけは、まるでティファニアをはげますように、強く握り締めた彼女のもう片方の手の中で光り続けていた。

 

 超獣軍団の無力化により、非現実的なまでの静けさに包まれているアディールとその洋上。そこに、少女の年幼く聞こえる声が響いたとき、市民たちの視線はあますところなく、声の源泉たる鋼の巨城の頂点に注がれた。

 

「アディール市民の皆さん。いいえ、サハラに住むネフテスのエルフの皆さん、わたしの声が聞こえていますか」

 

 風魔法で増幅された澄んだ声。それは、呆然自失としていた人々に自我を取り戻させ、同時に彼らのすべては鋼鉄の塔の上に女神のように金糸の髪をなびかせて立つひとりの少女を見た。

 

「みなさん……えっと、わ、わたしはティファニアといいます。だ、大事なお話があるので、どうか聞いてください」

 

 ここで、聞いていた市民たちの陶酔感もしくは緊張感はある程度の低下をした。塔の上に立つ女神のような、造物主の贔屓を一身に受けているような美少女の口から流れたのは、戦乙女の鼓舞のような美々しき旋律ではなく、厳しい教師に答案を手渡しするときの女学生にも似た弱弱しい声だったからだ。

 しかし、少女は逆に数万というエルフたちの視線を一身に浴びるという緊張の極で身を固めながらも、手を貸そうとするもうひとりの少女の手を断って自分の足で立ち、言葉を続けた。

「わたしたちは、サハラの西にある人間たちの世界、ハルケギニアにあるトリステイン王国から平和のための使者として来ました」

 ざわめきが海上、陸上を問わずに起こった。彼らの誰一人として想像もしていなかった言葉……いや、過去幾千年にも渡って武力を持っての侵攻のみを繰り返してきた人間に対するエルフたちの認識には、平和を求めてというもの自体が欠落してしまっていたのだ。認識のないものになど、気づけるわけがない。

 想像の埒外からの呼びかけに、エルフたちの注目はいやがうえにも上がる。東方号の仲間たちは、そんなテファの姿に、もう止めようがないと無言のままで見守っていた。

「今、ハルケギニアとネフテスを含む、この世界は滅ぼされようとしています。その敵は、異次元人ヤプール。この世界の外から来たという、自らを悪魔と呼ぶ恐ろしい力を持った侵略者です。すでに、ハルケギニアではヤプールの操る巨大な怪物の群れ、超獣が暴れまわり、このネフテスでもヤプールの侵攻はもはや隠れようもありません」

 どよめきが大きくなり、市民たちは口々にティファニアの言ったことを反芻した。

 実は、ネフテスの市民たちのかなりの割合は、このとき初めてヤプールや超獣の名を聞いたのである。ヤプールは、竜の巣での戦いなどを通して、自らの正体と目的を何度もエルフたちに語っていたが、評議会は市民にパニックが起こるのを防ぐために、その事実を軍内部にのみとどめて、市民には断片的な情報しか与えてこなかった。

「ヤプールは、ハルケギニアとネフテスの両方をいっしょに滅ぼせるだけの力を持っています。対抗するには、どちらか一方だけの力ではとても足りません。そこで、トリステインのアンリエッタ姫さまはわたしたちに命じて、長年続いたハルケギニアとネフテスの争いを終わらせようとしているのです」

 一気に、ティファニアは目的の要点をしゃべりきった。そこまでで、ティファニアはさらに大きく疲労して、後ろに倒れこみかけてルクシャナに背中を支えられた。

 やはり、立っているだけでも相当つらいはずなのに。しかも、元々引っ込み思案で人前に出ることすら苦手なくせに……

 だが、ティファニアの消耗など度外視して、エルフたちの動揺は大きかった。

 初めて聞く敵の存在と、世界全体の危機という彼らの尺度を大きく超えた敵の存在が、人間を相手には無敵を誇ってきたことと、何者にも侵されずに今日まで繁栄を誇ってきて安穏に慣れきっていた彼らの頭上に、まさしく雷鳴となって降り注いだのだ。

「まさか、そんな……」

「信じられない……」

 それぞれがつぶやいた言葉は百人百色あれど、内容はほぼその二言に集約されていた。

 証拠はまさしく眼前にある。アディール防衛の部隊は戦力の大半をすでに失い、空軍の主力艦隊は一隻残らず撃沈。水軍もほとんどの鯨竜艦を沈められ、残っているのは旗艦以下数隻のみ。エルフたちが信じてきた無敵神話は完全に崩壊して、目の前には残酷な真実のみが転がっている。

 が、それでもエルフたちは人間たちと手を組もうというつもりにはなれなかった。

「ふざけるなよ! 自分たちが危なくなったからって、我々に泣きついてくるとは図々しい。お前たちの世界がどうなろうと知ったことか、さっさと滅ぼされるがいい! 蛮人ども」

 そうだそうだと、多くのエルフたちが共感して叫んだ。数万の罵声の嵐にさらされるティファニアの姿に、見守っていたギーシュやエレオノールらは怒りを覚えたが、ビダーシャルやテュリュークはわかっていた。これが、エルフと人間とのあいだにある溝、こうなることは最初からわかっていた。

 だが、ティファニアはあきめなかった。

「みなさん! みなさんが、人間を憎む気持ちはわかります。ですが、その憎しみこそがヤプールの思惑通りなんです。なぜなら、ヤプールは人間やエルフ、この世界に生きるすべての種族の怒りや憎しみ、そんな暗い心を糧にして強大になる悪魔なんです。ですから、わたしたちが憎しみ合う限り、ヤプールには絶対に勝つことはできないんです!」

「な、なにを馬鹿な!」

 それこそ信じられないと、市民たちはティファニアの言葉を受け入れなかった。ヤプールの本質は、まさに悪魔と呼んで差し支えないものだが、それを理解するのは常識では難しい。だが、そこへテュリュークとビダーシャルが助け舟を出してきた。

「市民諸君、テュリュークじゃ。そのお嬢さんの言ったことは、すべて正しい。わしはかねてより、この世界で起きている異変の兆候を知るために、蛮人の世界へ使いを送っていた。そのビダーシャルくんが、かの地で見聞きしてきたことは、まさしく伝承にある大厄災にも匹敵する凶事だったのじゃ」

「ハルケギニアでも、蛮人の軍隊がヤプールを迎え撃っているが、その劣勢は抑えようもない。聞くところ、ヤプールがハルケギニアにはじめて姿を現したころは、一回につき一体の超獣を出して攻めてくるのがせいぜいだったそうだが、今はこうして平然と数十体の軍勢を繰り出してくるようになっている。ヤプールは今でも際限なく強くなり続けている。それは、精神力が魔法の力に変わるのと同じく、ヤプールは世界中に満ち満ちる憎悪を無限に食い続けているからだ」

 評議会議長と議員の言葉に対しては、さすがに疑う者はいなかった。が、憎悪を喰らって強大化し続ける、それは比喩ではなく悪魔そのものでしかない。そんなものに対してどうしろというのか、どよめく市民にティファニアはもう一度言った。

「みなさん、ヤプールはこの世界の歪みそのものなんです。何千年にも渡って、西と東に分かれて争い続けてきたよどんだ世界の空気が、ヤプールという悪魔に住みよい場所を作り上げてしまっていたんです。人間を憎む理由は、みなさんにあるでしょう。それでも、どうかやり直してみてはもらえませんか!」

 血を吐くような必死の訴えに、今度は罵声の嵐は起こらなかった。だが、人間を憎むエルフの蒸留生成物のような男、エスマーイルは一歩の妥協もなく叫んだ。

「黙れ! さんざんサハラを侵しておいて、今さら和睦などと虫が良すぎる。だいたい、その理屈で行けば蛮人がこの世から消滅したほうがよいではないか。第一、貴様は何者だ? なぜエルフが蛮人の味方をする!」

 その質問に対して、ティファニアは一拍の間をおいた。ある意味では、それは市民たちすべてのエルフが最初から疑問に思っていたこと。テュリュークやビダーシャルは知っているが、ティファニアのことは誰も知らない。だが、ティファニアの正体を明かすことがどうなるのかは、先のファーティマの件からも容易に知れている。

 それでも、ティファニアの目から覚悟は消えなかった。

「わたしは、ハルケギニアでエルフの母と人間の父のあいだに生まれました。わたしの体には、ふたつの種族の血が半分ずつ流れています。わたしは、ハーフエルフです!」

 躊躇もどもりも一切ない。真っ向から、エルフのもっとも忌み嫌う存在の正体を明かしたティファニアの気迫が、このとき確かにアディール全体の空気を支配した。エスマーイルすらも、罵声を喉が通るまでに一呼吸の休憩を必要とした。

「ば、なんと! 蛮人の汚い血が混じった、この世でもっとも恥ずべきハーフエル!」

「それは違います!」

 エスマーイルの罵声をさえぎったティファニアの鋭い声が、彼女に発せられようとしていた無数の罵声をも消滅させた。

「わたしは確かに、エルフと人間、どちらにも属さない異端な存在です。そのために、ハルケギニアではわたしは長い間を人間から隠れ潜んで生きてきました。けれど、外の世界に出たとき、多くの人がわたしを受け入れてくれました。そして、ハーフエルフだからこそ、わたしは人間とエルフのふたつの種族を見て考えてきました。エルフと人間、そのどちらも心を持つ存在としては価値に差などありません!」

「なんとおぞましいことを! 大いなる意志の恩恵すら知らぬ蛮族が、我ら砂漠の民と同等とは侮辱もはなはだしい」

「それは思い上がりです! 兄弟でも兄と弟はまったく違う存在であって当たり前なように、違うということに優劣をつけて自分を偉く見せようとするのは誤りです!」

 言葉を剣と盾にしてのエスマーイルとティファニアの激闘は、その威圧で割って入ろうとするすべてを封じ込めた。

 あれが、ほんとうにあのテファなのかと水精霊騎士隊や銃士隊、普段の彼女を知る者は例外なく思った。いつもの、温和で天然な少女の顔はなく、苛烈で気迫に満ちた戦う人間としての強さが溢れている。まるで、彼女の両親がこの世ならざる時空から見えない力を与えているような、そんな馬鹿げた空想さえ信じたくなる光景は、まだ終わらない。

「あなたにひとつ尋ねます、あなたの言うように仮にこの世から人間がいなくなって、エルフだけの世界になったとして、そこにあるのは理想郷ですか?」

「むろんだ! 我ら砂漠の民は、大いなる意志の加護のもとで世界に敢然たる光を満ち満ちさせるであろう!」

 それは、ビダーシャルやテュリュークが何度説得しようとしても変わらなかったエスマーイルの狂信、そのものであった。

 だが、ティファニアは呆然と見守るエルフたちの前で、狂信の波動を真っ向から受け止め、跳ね返した。

「いいえ、あなたの妄想は決して誰も幸福にすることはないでしょう」

「なんだと!」

「エルフによって統一された世界、そこには確かに人間との争いはありません。ですが、戦うべき相手がいなくなったとき、あなたたちの憎しみは消えてしまうのですか? パンをこねたこともないあなたが敵を失ったとき、あなたは何ができると? そして、戦うことしか教えられなかった人たちに、戦いが終わった後であなたはなにをしてあげられるというのですか?」

 エスマーイルの顔から血色が引いた。戦って勝つ、それは当然のことだ。だが、戦いが終わった後のことを考えるのは勝つことよりも実はずっと難しいのだ。なぜなら、人は戦いが終わった後は戦い以外の方法で生きていかなくてはならない。戦争が終わった後で、多くの兵士が戦場での心の傷から平和に適応できずに苦しみ続けていることから、権力者は目を逸らす。

 そして、憎しみによって束ねられた結束はそれがなくなったときに、人のあいだに何も残さない。外に向かっていた攻撃の衝動はたやすく昨日までの友に向かい、残されたものを奪い合う泥沼の争いがまた起こる。さらに、エスマーイルのような力の信奉者は上意下達を万人に求め、従わない者は力で押さえつけるしか方法を知らない。地球でも、幾多の英雄や革命家が勝利の後に味方に見捨てられたり裏切られたりして、みじめな末路を遂げているのだ。

「あなたは、ハルケギニアを手に入れられればそれでみんな満足すると思っているのかもしれませんが、それではただの強盗と同じことです。盗賊を褒め称えることが、エルフの正義なのですか!?」

「いいや、我らには蛮人を許すことなどできない大義がある。シャイターンの門を開け、我らを滅ぼそうとする悪魔が蛮人たちの中にいる限りはな!」

 ついにエスマーイルは切り札を切った。エルフと人間の戦乱の根本原因である聖地を巡る問題。これが解決しないがために、ふたつの種族は血みどろの争いを果てなく続けてきた。

 シャイターンの脅威がある限り、エルフに安息はない。エスマーイルは、これで虚飾と露呈してしまった自らの大義名文を回復できると確信した。

 しかし、ティファニアは一呼吸を置くと、穏やかに口を開いた。

「あなた方の言う虚無……シャイターンの力が、あなた方を滅ぼすことはありません」

「なに! なんの根拠があってそんなことを!」

「それは、わたしが虚無の担い手。シャイターンの末裔だからです」

「なっ!?」

 絶句、エスマーイルだけでなく、ほかのエルフたちはおろか、経過を見守っていた仲間たちも同じように言葉を失った。まさか、エルフにとって最大の禁忌である虚無の事実までも明かしてしまうとは……けれど、ティファニアに後悔はなかった。それは、たった今言ったことだけではなく、未来に対しても。

「先ほど見せた光の魔法、あれが虚無の魔法のひとつ、エクスプロージョンです。ですが、わたしはこの力を人間とエルフの戦いに使うつもりはありません」

「く、口約束ではなんとでも言える! その言葉が真実だという保障はあるか!? 百歩譲って真実だとして、我々は知っているのだぞ。悪魔は同時に四人現れると! 貴様ひとりが黙ったとして、ほかが同じだということがあるのか!」

 エスマーイルの怒声は当然のことであった。エクスプロージョンの威力を見れば、彼女が虚無の担い手であると信じざるを得ない。そこに潜在的な恐怖心と敵意が生まれて発露する……しかし、ティファニアはかんしゃくを起こした子供をなだめるように、怒りを受け止めて受け流そうと穏やかさを保って語った。

「もしも、他の虚無の担い手があなた方を攻めようとするのであれば、わたしは命にかえてもそれを阻止します。わたしの友人に、もうひとり虚無の担い手がいますけれど、彼女も同じ思いです。わたしたちはこの力を望まずして手に入れましたけれど、たとえ過去になにがあったとしても、わたしたちは争いを大きくするためにはこの力は使いません」

「だまされるものか! 蛮人は卑怯で、嘘つきだからな。その約束を、保障できるというのか!」

「……あなたは、どうしても、わたしたちを信用できないというのですね」

「当然だ!」

 ティファニアは悲しげに目を伏せた。それは森に住んでいたころ、親を失って引き取ってきた幼い子供を夜寝かすときにぐずるのをあやしたときにも似ているが、ずっと悲しそうに見えた。

 子供は多少ひねくれてもぐずってもいい。そうしながら世の中がどうなっているのかを身を持って体験し、できることとできないことを覚えて、人に譲ることや異なる意見を受け入れることができるようになっていく。だが、若いうちにそうした世の中の複雑さと矛盾の構造を受け入れられないまま成熟した大人は、世界に自分を合わせるのではなく、自分の論理に無理矢理周りを合わせようとして他者との軋轢を生んでいく。それは、個人的なレベルでいうなら頑固者や偏屈で通るが、そこに権力や思想が混じるととたんに他者を正義の名の下に無理矢理併合して、逆らう者は悪にしか見えない狭隘な狂信集団を生んでいく。

 エスマーイルの昔になにがあったのかはわからない。しかし、多感さを覚えられず、未成熟なまま人格が固定されるような極端な安逸さか逆境に満ちた淡色な育ち方をしたのは想像にかたくない。そうして自我が肥大化し、人格を傲慢にしたところへ、選ばれた砂漠の民というプライドと、それを汚す蛮人を滅ぼせというエルフの中に蓄積していた不満が亡霊のように取り付いた結果、誕生したのが鉄血団結党党首という狂信者の王なのであろう。

 不満をもてあましていた若いエルフや、社会から拒絶されていたファーティマには、シンプルで感情的なエスマーイルの思想は受け入れやすく魅力的に見えたのも仕方がない。しかし、理性を麻痺させて感情に走るのは気持ちいいことだろうが、それは絶対にいけないのだ。

 

 誰もが、ティファニアとエスマーイルの議論を見守っている。それはそのまま、エルフと人間の代表のぶつかりあいに見えた。

 しかし、ティファニアは気づいた。エスマーイルは、いわば実体を持たない怨霊。いくら戦っても、言葉の剣はすり抜けるだけで相手には届かない。怨霊を消せるものは、ただひとつだけだということに。

 

 深く息を吐き、ティファニアは言葉の向く先を個から全へと変えた。

「アディールのみなさん、みなさんにとってシャイターンの力、虚無が怖いものだということは、それを振るったわたしもわかりました。こんな力が、もし間違ったことに使われたらと思うと、すごく怖いです。それに、大きな力が手を取り合うことに邪魔になるのであれば、かえって無いほうがいいですよね……ですから、わたしも捨てる覚悟をします。聞いてください、虚無の魔法を担い手が受け取るには、この始祖ブリミルの残した祈祷書が必要なんです。それを、みなさんに預けます」

 

 どよめきが海の上に流れた。と、同時にティファニアたちのいる防空指揮所にテュリュークとビダーシャルが上がってきて、始祖の祈祷書を拾い上げて、掲げて言った。

「これが、主の言うシャイターンの秘宝じゃな。むう、確かにこの世ならざる力をこれからは感じる。これを預かれば、シャイターンの力の覚醒はこれ以上は確実におさえられるじゃろうな。だが、おぬしは本当によいのか? それほどの力、使いこなせば、この世にかなわぬ願いはないかもしれないのだぞ?」

「かまいません。もしも、わたしたちが危険だと判断されたら、遠慮なく焼き捨てていただいてもかまいません。その代わりに……」

 虚無の力の源泉、そのものを代償に出すというティファニアの決意に、仲間たちは強く打たれた。ティファニアは、ルイズに勝手なことをしてしまってすまないと思うけれど、ルイズならきっと許してくれるだろうと、なぜか安心できていた。

 虚無の祈祷書はエルフの手に渡り、これで今後新しい虚無の呪文を担い手が覚えることはない。しかし、虚無の魔法などより、もっと必要なものがあるのだ。

「よかろう、これはわしが預かる。諸君! シャイターンの末裔は、我らにひざを屈したも同然になった。それでもまだ、不満が残るのならば言うがよい!」

 テュリュークの声が流れ、エルフたちの中にこれまでで最大のどよめきが流れた。

 エルフにとって最大の恐怖要素である虚無がなくなる。それはエルフにとっての悲願であったと言っていい。だが、それで解決するほど両種族の問題はたやすくはない。エスマーイルはもちろんのこと、大勢のエルフたちが、いままで蛮人たちが我々になにをしてきたのかと怒鳴りかけてくる。

 

 しかも、エスマーイルを相手に時間をかけすぎたために、敵が次々と復活してきたのだ。

「きさまらきさまらきさまらぁ! よくもやってくれやがったな、もうゆるさねえ。今すぐ皆殺しだぁ!」

 海中からバルキー星人が現れ、東方号に向かってバルキーリングを振り回しながら迫ってくる。さらに、サメクジラも浮上してきて、ゆっくりながら東方号に向かい始めた。海中に逃れたおかげで、エクスプロージョンの一撃が軽減してしまっていたのだ。

 再び悲鳴が海上に響き渡る。それのみならず、地上でもアントラーやアリブンタ、ダウンしていた超獣たちがしぶとくもまた起き上がってきはじめたではないか。

〔まだ死んでなかったの!? こいつら、せっかくあとちょっとってとこだったのに!〕

〔超獣が空気を読むわけもないよな。仕方ねえ、第二ラウンド開始だ!〕

 敵も弱体化しているとはいえ、まだこちらの倍の数がいることに変わりない。ウルトラマンAは超獣どもが海へ向かわないよう、ヒドラとリドリアスとともに、その身を挺して立ち向かっていく。

 しかし、陸上の敵にエースが向かうということは、海上のバルキー星人とサメクジラがノーマークにされてしまうということでもある。東方号に、もはや手加減するつもりのない怒り狂ったバルキー星人が迫る。

 けれども、エースは信じていた。人間とエルフの持つ底力を!

「きゃああーっ!」

「死ねぇーっ!」

 バルキーリングの金色の一閃が、焼け焦げた星人の邪悪な容貌のままにティファニアのいる東方号頂上部に襲いかかる。ビダーシャルやルクシャナがカウンターを唱えようとするが、とても食い止めきれる重量ではない。だが、邪悪な一撃の前に、若者たちが傷ついた身を挺して立ちふさがった。

「水精霊騎士隊、命振りしぼれぇ!」

「分散してはダメージは通らない。みんな、頭を狙うんだ!」

「我らのティファニア嬢のピンチ! くたばれこの野郎ぉーっ!」

 ギーシュを先頭に、ギムリの掛け声で水精霊騎士隊は残った精神力を振り絞って魔法を放った。後先考えない全力全開の炎や雷、氷やかまいたちなどごちゃまぜだが、どうせどう逆立ちしたところでコルベールのような大魔法は使えない未熟者ぞろいのヘタクソばかり、なら後先など考えるだけ無駄というものだ。

 レイナールの指示のもとでの集中砲火がバルキー星人の頭を爆破し、コルベールによって大きく傷つけられた様がより醜く焼け爛れて、星人は意識が遠のき始めたのかよろよろと後退した。しかし、バルキーリングだけは手放さずに、なおも逆襲を図ろうとする。だが、そこへ思いもよらぬ追撃が襲い掛かった。

「ぐわっ!? なんだこれは! 竜巻? ぐぉぉぉっ!」

「砂漠の民のことも、忘れてもらっては困るな」

「エルフどもか! この程度のものぉ。なんだっ! か、体が凍っていくぅぅ!」

 竜巻でずぶぬれにされたバルキー星人の全身に凍結魔法がかけられ、巨体がまるで氷の彫像のように変わっていく。彼らも自分たちの半分も生きていない子供が、信じられないほど勇敢に戦う姿を目の当たりにして、己の全力をこの数分で燃やし尽くす覚悟を決めたのだ。

 ろうそくは燃え尽きる前にきらめきを増す。今は嫌な意味合いの言葉だが、それで戦えるなら戦えないよりはるかにいい!

「ティファニア! このバカどもの相手はおれたちにまかせろ! 君は、君のやりたいことを残らずやってしまいたまえ!」

 少年たちの、明るすぎるくらい輝いた笑みの数々がティファニアを奮い立たせた。

 バルキー星人は氷付けにされ、サメクジラは再び主人の命令を失って目標を見失った。が、そんな状況が何分続くものか、人間もエルフも精神力は一気に削りつくし、どうあがいてもすぐに底をつく。そうなれば……いや、馬鹿馬鹿しいことだ。水精霊騎士隊は勝手に自称していた昔から、馬鹿の馬鹿による馬鹿の集まりだったのだ。

 

 命そのものを盾にした彼らの奮闘によって、ほんのわずかな安全が保障されたティファニアは、息を整えて自身の使命と向かい合う。すでに戦う力は無くとも、もっと大きな力が言葉に宿ると信じて。

「みなさん、見てください! エルフと人間が力を合わせることは、こんなにもたやすいのです。生き物に優劣なんて、ほんとうはあるはずはありません。恐れないでください、わたしたちも最初はそうでした」

 必死に呼びかけるティファニアの叫びと、協力して星人に挑む人間とエルフの姿は次第に市民たちの心に染み渡っていった。

 しかし、それでもエルフたちの心を覆う疑念の壁は厚い。お前たちはよくても、ほかの蛮人どもが同じだといえるのか。安心させたところで裏切るつもりではないのか。あれだけ狂ったように聖地を攻めてきたお前たちが、そう簡単にあきらめられるのか。当たり前の質問が次々と浴びせかけられる。

 詭弁では回避できない魂の叫び、それに対してティファニアも心からの答えを返した。

 

「みなさん、みなさんの言うことはもっともです。確かに、人間とエルフのあいだにある溝は、この一日で埋めきれるほど小さくはありません。きっとこれからも、多くの問題が立ちふさがり、皆さんを怒らせてしまうような人間が次々と来ることもあるでしょう。ですが、人間たちもみんな一生懸命なんです。みなさんにとってのシャイターンの門が、人間たちにとっての聖地であること、それが皆さんは許せないんでしょう。けれど、思い出してみてください……」

 

 ティファニアは、そこでいったん言葉を切って皆を見渡した。その目には、エルフと人間の過去と、そして未来がおぼろに映っていた。

 

「自分にとって当たり前なことが、人には全然当たり前じゃなかったりしたこと。自分にとってとても大切なものが、人にはまったくつまらないものだったりしたこと……そんなこと、これまで一度もありませんでしたか?」

 

 

 続く



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第90話  目を開いて見る世界

 第90話

 目を開いて見る世界

 

 大蟻超獣 アリブンタ

 友好巨鳥 リドリアス

 古代暴獣 ゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 磁力怪獣 アントラー

 海獣 サメクジラ

 宇宙海人 バルキー星人

 古代超獣 スフィンクス

 さぼてん超獣 改造サボテンダー

 地獄超獣 マザリュース 登場!

 

 

 宇宙は、様々な次元の世界に分かれている。そしてそのいずれも、無限ともいえる数の生命によって満ち満ちている。

 だが、そのいずれにも絶えない争いが息づいて、昨日も今日も戦火をほとばしらせている。

 それはウルトラマンのいる世界、いない世界を問わない。生き物たちはその中で、生存のため、大義のため、侵略のためと、理由を問わずに戦いを始めては終わり、また始まっては終わりを永遠に繰り返してきた。

 なぜ、いずれの宇宙でもほぼ例外なく、戦いというものは続くのだろう? さらに滑稽なのは、そのほとんどで強く平和を願う人々がいるのに、争いは絶えない事である。

 中には、そんな生き物たちに見切りをつけたロボットたちが造物主の生物を滅ぼし、とって代わった星もあった。

 だが、そんなロボットの完璧なはずの星もまた、争いを捨て去れずに滅んでいった。

 全宇宙を統べる絶対の法則は争いなのだろうか? 元を辿って行き着けば、生物が原始の単細胞として海を漂っていた頃から、他者を喰らって生存をはかるという機構はすでに完成されていた。

 口さがないものは、弱肉強食こそが宇宙の真理だと豪語してはばからないが、しかしそれでは生命が何億年もの時間を費やして身につけてきた知性や、その知性を多くの犠牲を払って進歩させて築いてきた文明は、ただの暴力装置でしかないではないか。

 

 この星でも、西のハルケギニアでは人間が、東のサハラではエルフが、それぞれ他の惑星では見られない独自の文明社会を築いてきた。が、そのいずれも争いの宿命からは逃れられず、無意味に命をすり減らす戦争を繰り返した末、その隙をヤプールに付け込まれて、こうして滅亡の危機に瀕している。

 アディールを襲う超獣軍団を迎え撃つウルトラマンA。

「テェーイ!」

 アリブンタとアントラーを相手取るエースのチョップが空を裂き、キックが大太鼓のような大気の激震を生み出す。

 東方号を破壊せんものとするバルキー星人とサメクジラを相手に、少年少女、若者たちは懸命に蟷螂の斧を振り上げる。

「水精霊騎士隊全員、根性だせ! いいかみんな、命に代えてもティファニア嬢を守れ。でも、彼女の差し入れてくれる手作り弁当をまた食べたかったら死ぬんじゃないぞ!」

「一度捨てると決めて、姉さんとサイトに救われたこの命、もうわたしは地獄に戻るつもりはない。お前ごときに、殺せるものなら殺してみろ」

「やれやれ、僕はどうしてこんなところで蛮人を助けて戦ってるんだろう。聞いた話じゃ元はといえば、ルクシャナがあのハーフエルフに肩入れしたのがそもそもの元凶だとか。婚約者の僕を無視して、ほんとにやりたい放題の数々……いままでは大目に見てきたが、今度という今度はガツンと言わせてもらうからな!」

 軽口を叩いたり決意を固めたり、なかばやけくそになってはいても彼らは皆負けることなどは考えてはいない。勝ち目などは誰が見てもなくとも、彼らはみな勇壮で、かつ悲壮なる勇者たちだった。

 

 しかし、元凶を辿ればエルフと人間がどこかでいがみあいをやめていれば、彼らが若い命を武器にして戦う必要などはなかったはずだ。先人たちが解決を先送りにしてきた問題が、積もり積もって子孫たちを苦しめている。

 人間は動物と違い、知恵あることを誇りとしてきた。だが、その誇るべき知恵を正しく活用してきたかには、大いに疑問符がつく。

 ハルケギニアの六千年の争いを、地球人類は笑えない。

 古来より人は、より優れた剣を、銃を、大砲を、軍艦を、大陸間弾道弾を作り出せる国を先進国として当たり前に思ってきた。だがそれは、より優れた人殺しの技術を自慢してきたに過ぎない。まして、核兵器を用いて数百万の人間を一度に殺傷し、地球すら滅ぼしうる力を得意げに誇示する国を、はたして文明国と呼ぶのだろうか? そんな国は、いくらでも存在する。

 地球人類は、いまだに文明という道具に遊ばれる、物覚えの悪い猿にすぎないのかもしれない。

 その点においては、六千年に渡って進歩のなかったハルケギニアの文明も、地球となんらの優劣の差はない。

 

 けれども、どんなに長く昼寝を続けても、いつか目が覚めるときは必ず来る。無我夢中にトンボを追いかけ続けた子供も、腹が減って日が落ちれば家に帰って来る。

 ならば、田舎劇場の三流脚本家が手がけた演劇のように、延々と猿芝居を続けてきた人間とエルフの戦争も、そろそろ飽きて仕舞いにしてもいいではないか。あらゆる宇宙の、星の数ほどの賢者が考え、砂漠の砂粒ほどの戦士が散っても見出せない恒久平和にはなれなくとも、たったひとつのくだらない戦争くらいは終わらせられるはずだ。

 

「きっとそれが、ハーフエルフとして生まれてきたわたしの役目なんだと思う」

 

 ティファニアは、自分を始祖ブリミルの意志を継ぐ大魔法使いだとも、この世界の命運を左右する選ばれた者だとも、そんな自惚れた考えは持っていなくとも、この多くの人を不幸にしかしない馬鹿馬鹿しい戦争だけは止めようと覚悟していた。

 振り返れば六千年の歴史の中でも、人間とエルフの和議を考えた者はふたつの種族にあったろう。けれど、そのいずれもが失敗したのは、人間の貴族や、人間を蛮人と見くびるエルフを見ればわかる。きっと彼らは平和をお題目に、相手に自らの要求を突きつけ、相手のことを考えない傲慢な天子さまであったからなのだろう。

 

 解決すべきは、ふたつの種族が屍山血河を築いてもなお奪い合いをやめない聖地にある。片方にとっては尊きもの、片方にとっては忌むべきものであるという相反する価値が、この問題を複雑化させてきた。

 

 けれどティファニアには、どちらの種族も満足させる答えなど思いつかない。だがティファニアは自分の非力さを知っている。知っているし認めているから、エスマーイルのように自分の考えで無理矢理すべてを動かそうなどとは思わない。ましてや多くの賢者が行き詰った、知恵という道具が生物に与えられた意味、文明というものが持つ意味を解き明かす英知はないこともわかっている。

 ティファニアにあるのは、人間の英知が生み出した高度な哲学書の知識でも、エルフの誇る大いなる意志の恵みによって知りえたこの世の理の真実ではない。彼女にあるのは、さびしがりやでわがままな子供たちといっしょに、苦楽をともにして森の中で一生懸命生きてきた思い出だけ。

 だけど、だからティファニアには人間とエルフの戦争という大問題も、かんしゃくを起こして意地を張り合っている子供のけんかくらいに見ることができた。その、無知さとは違うある種の純朴さが、彼女にもっとも率直に核心を突いた言葉を、母親が我が子に諭し聞かせるような優しさを交えて口にさせた。

 

 

「自分にとって当たり前なことが、人には全然当たり前じゃなかったりしたこと。自分にとってとても大切なものが、人にはまったくつまらないものだったりしたこと……そんなこと、これまで一度もありませんでしたか?」

 

”思い出してみてください……誰でもない、あなた自身に問いかけてみてください”

 

 他人を見るのではなく、自分の人生を振り返ってみてくれと頼むティファニアの言葉に、エルフの人々は心の片隅にしまってきた若い頃や幼い頃の記憶を掘り起こしてきた。

 

”そういえば、あのときに……”

 

 いまだ超獣と怪獣の吼えたける声のやまぬ中で、エルフたちは心の中で短い過去への旅に出た。

 

 自分にとって当たり前なこと……ある若者は、ネフテスのために騎士になり軍隊に入ることが男として当然のことだと思っていたのに、恋人はそんな危険なことはやめてと、どうしても理解してくれなかった。

 

 自分にとってとても大切なこと……ある母親は、種から熱心に育てた花を子供に見せたが、子供は少しも興味を持ってくれなかったことを思い出した。

 

 それは当人にとっては不愉快な記憶だろう。しかし、それを逆の立場から見てみたらどうだろうか?

 恋人がそばにいることだけで幸せな女にとって、若者の使命感はどう映るか? 遊びたい盛りの子供にとって、花を見せられることがうれしいことと限るだろうか?

 なぜ理解してくれないんだと怒ることは簡単だ。しかし、それは同時に相手も思っていることだろう。

 聖地の奪い合いも、それと同じことだと、ティファニアは穏やかにゆっくりと、ほんとうに子供にするように語った。人間もエルフも、自分の主張をのみ押し通そうとしては争う以外にどうしようもない。だが、相手も同じように苦しんでいるのだとわかれば、そこには話し合いの余地があるではないか。

 これまで人間もエルフも、相手を異種の生き物と見なすがために、相手の立場と気持ちになって考えようとはしなかった。突き詰めれば、それが戦争をはじめとする多くの問題の元凶なのだろう。欲望にまみれた権力者はともかく、多くの市民たちにとってすれば、こんな戦争で得るものなどなにひとつないのだ。

 

「なにか、偉そうなことを言っちゃったみたいで、すみません。ですが、みなさんにそうした思い出がひとつでもあれば、それはエルフと人間がわかりあえる何よりの証拠だと思います。わたしたちは、本来西と東に住むだけの兄弟なのですから」

 

 ティファニアはつたない言葉ながらも懸命に説得を続けた。

 何度反論されようと、何度怒鳴りつけられようと、何度罵倒されようと、その度に真剣に、心からの言葉を尽くして。

 彼女には話術はない。理論立てて相手を論破する知識も無い。あるのは、熱意とあきらめない心のみ。けれども、うわべをとりつくろうことなく虚心に、いっしょうけんめいに話すティファニアの態度は、かたくなだったエルフたちの心を少しずつ溶かし始めていた。

 

”もしかしたらこの子は、なんの裏もなく蛮人と砂漠の民をひとつにしようとしているのか? そんな馬鹿な……だが”

 

 人にものをわからせるためには、教える側にわかってもらおうという誠意がなにより必要だ。ただ漫然と黒板に公式を書き連ねていくだけの教師の授業で成績を上げていく生徒がいるだろうか? 熱意の無い言葉は朝の鳥のさえずりと同じで、耳の中には入っていかずに反対側に素通りしていくだけだ。

 しかし、ようやくとわずかばかりの融氷を成し遂げ始めていたティファニアの説得も、力づくでそれを破壊しようとする悪魔たちの猛攻の前には風前の灯であった。海上でバルキー星人が氷付けにされて封じられている間にも、陸上から海上へと攻撃の手を伸ばそうとする超獣軍団は動く。

〔ここから先へは絶対に通さん!〕

 ウルトラマンAと、彼に味方する二匹の怪獣、ヒドラとリドリアスは全力で超獣軍団を食い止めていた。

 アントラー、アリブンタ、スフィンクス、サボテンダー。いずれも屈強で凶暴な猛者ばかり、ヤプールが、このアディールを完全に地上から消してしまおうと送り込んできた、マイナスエネルギーの申し子たちである。

「ははは! ウルトラマンAよ、先ほどの不可思議な光には驚いたが、どうやらあれは連続しては使えないようだな。一匹や二匹がやられたぐらいではわしは痛くもかゆくも無いぞ! 下等生物どものあがきに期待した愚かさを後悔しながらなぶり殺しにしてくれるわ」

 異次元の闇の中でヤプールは残忍な笑いを高らかにあげた。奴にとっては、我が子のように作り上げた超獣といえど、どこまでいこうと捨て駒でしかない。徹底的な利己主義もまた、ヤプールがヤプールである所以である。

 邪悪な意志のおもむくままに、海に向かって動く超獣たち。今いるものたちは水中適応の特性はなく、先に失われたガランの存在が惜しまれるが、それでもミサイルや火炎の射程に海上をただようエルフたちが入ったら惨劇となってしまう。そうなったら、もう説得どころではない。蹂躙されて、全滅する末路しか待っていない。

 それだけは、なんとしても避けなくてはならない。ヤプールの言うところの、下等生物のあがきにかける光の戦士はそのために命をかける。

「テャァッ!」

 アントラーとアリブンタの二匹を相手にして、エースも全力を振り絞る。突進してきたアリブンタの首をわきの下に掴んでねじあげて、大アゴを振りかざして攻めてきたアントラーを蹴り飛ばして建物に衝突させた。

 二対一でもエースはひるまない。また、太古の時代から長い眠りを経て蘇ってきたヒドラとリドリアスも、サボテンダーとスフィンクスを相手に血を流しながら戦い続け、彼らの壮絶な戦いはおのずと追われることから解放されていた人々の注目を集めることとなった。

 

”あの巨人はいったいなんなんだ? 怪物どもと戦っている。はじめは焦っていて気づかなかったが、自然の法則に背を向けているような怪物どもの邪悪な雰囲気とは裏腹に、純粋な光のように清浄な気に満ちているぞ”

”いいやそれどころか、この街に宿る種種の精霊たちが、まるで応援するかのように取り巻いているじゃないか”

 

 人間と違い、大いなる意志、精霊という超自然的な存在を感知することがエルフにはできる。それは森の中で小鳥のさえずりに耳を澄ますようなもので、殺気立つ耳には聞こえない。しかし、ティファニアの呼びかけで心に落ち着きを取り戻した彼らの耳には、彼我に漂う気配の正邪の違いとともに精霊たちの呼びかけが聞こえていた。

 だが、精霊たちの声があっても、まったく未知のものへの不安はぬぐい得ない。迷うエルフたちに、ティファニアは信頼を込めて告げた。

 

「皆さん、あの巨人は敵ではありません。彼は、ヤプールと戦うために外の世界からやってきた平和の使者、わたしたちは彼のことをウルトラマンと呼んでいます」

 

 ウルトラマン、その名はエルフたちの心にひとつの記号として染み入っていった。

 実際には、まだハルケギニアにはウルトラマンの正体を知る者はいない。しかし、エースをはじめとするウルトラマンたちは、今では正義の味方として、人間たちのあいだに強い信頼感を勝ち得ている。それはなぜか、ティファニアは寡黙なる巨人たちが、どうして人間たちの友人となっていけたのかを訴えていった。

「彼らウルトラマンさんたちは、ヤプールの送り込んでくる超獣からいつもわたしたちを守ってくれました。戦うだけではなく、命を奪われそうなときにかばってくれたり、燃える街の火を消してくれたこともあったそうです。彼は、間違いなくわたしたちの味方です!」

 ティファニアは、はじめてジャスティスに会ったときにサボテンダーから助けてもらったことを思い出しながら言った。思えば、幾百の言葉よりもあのときに助けてもらった感動がジャスティスを信じるなによりの原動力となった。エースも同じく、最初に存在を疑っていた人も、超獣と戦うのみならず、命の危機に瀕した人々を助けた姿が少しずつ人々の信頼となって積み上げられていったのだ。

 言葉には嘘が含まれるかもしれない。行動にも嘘が含まれるかもしれない。けれども、言葉は万や億を揃えても流れていくだけだが、行動の積み重ねは信頼を生む。三顧の礼で孔明を迎えた劉備の例を紐解くまでも無く、毎朝「おはよう」とあいさつをしてくれる隣人に、好意を抱かない人はまずいないだろう。

 

「真実がどうであるか、みなさんの目で見て確かめてください。それでもわからなければ、何度も何度でも見てください。わたしたちはそうやって答えを出しました。みなさんも、誰かに教えられるのではなく、みなさんが自分の目で見た事実で、ほんとうに納得がいく答えを見つけてください」

 

 一回で答えが出なければ、何度でもやり直せばいい。一度の説得で聞き入れてもらえなければ、何度でも繰り返すしか方法はない。一度で絶望しては駄目だ……何百回の失敗にも立ち向かう勇気があってこそ、はじめて不可能が可能になるんだと、それがウルトラマンから人間たちが学び、今エルフたちに伝えたいことだった。

 

 エルフたちの目は、真実を知るためにエースへ向かう。

「ヘヤァッ!」

 担ぎ上げたアリブンタを激しく地面に叩き付け、地中に潜ろうとするアントラーを引きづり出してチョップをお見舞いする。

〔絶対にここから逃がすかよ! テファたちの邪魔はさせねえ〕

〔わたしたちの努力を、こんなことで無にさせてたまるものですか。トリステインで待ってる姫さまに、朗報を持って帰るまでわたしたちは絶対に負けられないんだから!〕

 才人とルイズも、ティファニアと仲間たちの頑張りを見て気を奮い立たせていた。二匹の攻撃をかわしながら、確実に攻撃をヒットさせてダメージを蓄積させていく。

 だが、アリブンタはかつてメタリウム光線の直撃にも耐え、アントラーはスペシウム光線にかすり傷も負わなかった強豪なのに、これはどうしたことだろう? 実は、ティファニアの渾身のエクスプロージョンは、二匹に体力的のみならず肉体的にも深刻なダメージを加え、防御力も大幅にダウンさせていたのだ。

『アロー光線!』

 リング状のショック光線がアントラーに当たって、全身に感電したような衝撃を与えて倒れこませた。戦いは、期待に応えようとするエースに報いるかのように、徐々にエースに優位に傾きつつあった。

『シューティングビーム!』

 付き合わせた手の先から放たれた青色光線がアリブンタに当たって吹き飛ばす。その後ろから、アントラーが虹色磁力光線を放ってエースを吸い寄せようとしてくるのをスライディングでかわすと、腹の下にもぐりこんで掬い投げの要領で投げ飛ばした。

「トアァーッ!」

 背中から叩きつけられて、アントラーが寿命を迎えたセミのようにもがく。だがそれでも巨大なアゴをハンマーのようにふるい、エースを打ち据えて苦しめてくるのはさすがだ。アリブンタも、ハサミのあいだから火炎を放って攻撃を加えてくる。

 激しい攻防戦が続き、その息を呑む超重量のぶつかりあいにエルフたちは我を忘れて見入った。しかし、まだ彼らの目には未知の強大な力を持つ相手への恐れとおびえがある。そんなとき、サボテンダーと戦って抑えていたリドリアスが力量差から押し切られて、球形サボテンの体当たりをまともに食らってしまった。

〔あいつ! くっ!〕

 そのとき、ちょうどエースは二匹にとどめを刺せるかどうかというところにまで来ていた。あと一発、メタリウム光線を撃ち込めば倒せるかもしれない。だが、そうしているうちに……その選択に彼らは迷わなかった。

〔お前たち、邪魔だぁぁーっ!〕

〔道を、開けなさいっ!〕

 アリブンタとアントラーに強烈なパンチをお見舞いし、エースは空高くジャンプした。才人とルイズの心に応え、エースの心も彼らに等しい。空から見下ろせば、白石の建物の瓦礫に埋もれ、悲痛な鳴き声をあげるリドリアスが見える。対して、サボテンダーは超獣の姿に戻り、花弁のような口を開き、体を左右にゆすりながら独特の声で笑い声をあげている。

 とどめを刺す気だ。エースはトゲミサイルを発射する直前のサボテンダーとリドリアスのあいだに割って着地した。直後、鋭いトゲがそのまま弾丸として発射されるトゲミサイルが発射されてエースを襲う。バリヤーを張る暇はない。エースはその身でトゲミサイルを全弾受け止めた。

「ウッグォォッ!」

 エースの左腕と左わき腹にトゲミサイルが刺さり、苦悶の声がエースから漏れる。人間でいえばナイフを突き立てられたような傷に、鋭い痛みがセーブしきれずに才人とルイズにも伝わるが、今さらこのくらいの痛みで弱音を吐く二人ではない。体に刺さったトゲミサイルを引き抜くと、サボテンダーに向かって投げ返した。

「トアッ!」

 持ち主に返されたトゲミサイルは鋭利な切っ先の役割をそのまま果たし、緑色の体に深々と刺さった。その威力はサボテンダーも自分で味わうのは初めてだったらしく、サボテンの枝そのままの腕では抜くこともできずに奇声をあげて苦しんだ。

 だが、ダメージというならば左腕を打ち抜かれたエースのほうが大きい。まだ痺れが残り、腕の力は半減しているままだ。サボテンダーはそこを狙って全身のトゲミサイルをいっせいに撃ちかけて復讐をはたそうとしたが、その前にエースの上下縦に伸ばした手から三日月形の光のカッターが放たれていた。

『バーチカル・ギロチン!』

 研ぎ澄まされた光の刃が、燕のように一瞬でサボテンダーのシルエットと重なって通り過ぎていく。

 一瞬の静寂と、凍りついたかのように身動きを止める超獣。だが次の瞬間、サボテンダーは包丁を入れられた野菜のように左右真っ二つに両断され、崩れ落ちた。

 やった! 観戦していたエルフたちの何人かは歓声をあげた。はじめて、目に見える形で超獣が倒されたのである。

 しかし、深い傷を負った体で強力な技を放ったエースは、その無理がたたってがくりとひざを突いた。

「フウゥゥ……」

 左腕の感覚が無い。骨にまでは達していないが、少しの間左腕は使い物にならないだろう。

 苦痛にじっと耐えるエース。すると、その背の方向から、リドリアスがゆっくりとした声で鳴きながら、傷ついたエースの腕に顔をすりよせてきた。

〔お前、心配してくれるのか……〕

 エースは、子犬のようにけなげな姿に胸の奥が熱くなってくるのを感じた。お前も傷を負っているだろうに……エースは、リドリアスの頭を優しくなでて、自分は大丈夫だというふうにうなづいて見せた。

 そして、彼らの互いをかばいあう姿は、エルフたちにも深い共感を呼んでいった。あの巨人や巨鳥たちは確かにすさまじい力を持っているが、ああして互いを思いあう心を持っている。決して、理解できないものではない。

 だがそのとき、エースの背後で突然土中から砂煙が噴き上がった。その中から這い出てくる巨大なハサミを持った頭、アントラーが土中を高速移動して奇襲をかけてきたのだ。危ない! エースは今完全に無防備だ。そこへ!

「後ろよーっ!」

 ひとつの叫びがエースを動かした。頭で考えるより早く、体に染み付いた戦士の感覚が手足を動かし、下から突き上げたキックがアントラーの首元に当たって吹っ飛ばした。よろけて、木から落ちたカブトムシのように仰向けに倒れこむアントラー。しかしエースはアントラーに追撃を仕掛ける絶好のチャンスなのに、それをせずにゆっくりと立ち上がると、くるりと振り返り避難している人々に目を向けた。

「あ……」

 その視線の先にいたのはひとりの少女だった。さあっと、波が引くように彼女の周囲のエルフたちがどいていく。

 ウルトラマンAとエルフの少女が目と目を合わせ、互いを見詰め合った。彼女のエルフの学校の制服はすすけて汚れ、表情にも憔悴の色が濃いが、瞳はじっとエースを見上げている、あのときのように。彼女は少し前にエースにアリブンタから救われた、あの子だった。

 

「ありがとう」

 

「えっ! 今……」

 たった一言だが、少女はまたウルトラマンの声を聞いたような気がした。しかし、その真偽を確かめる間もなくウルトラマンは戦いに戻っていった。

「あ……」

 周りのエルフ、彼女の級友たちが見守る中で、少女は無言のままでウルトラマンの背中を見上げていた。周りからは、今ウルトラマンと話してたのかと問いかけてくるが、それは彼女自身にもわからなかった。正直、どうしてウルトラマンの危機にとっさに叫んだのかもわからない。やっと命が助かって、もうこのまま気を失ってしまいたいくらい疲れていたのに、なんであんなことをしたのか……ふと目に入っただけで、あんな、わけのわからない蛮人の味方なんかのために……

”……立てるかい? 立てたら、走って早く行きなさい。振り返らず、さあ!”

 心の中に、あのときに耳に響いてきた言葉が返ってきて、彼女は頭を振った。砂漠の民はこの世でもっとも尊い存在、なのに……でも、胸が熱い。あれは、悪いものじゃない! 彼女はまだ始まって間もない人生で、最初に自分で考えて大事な決断をした。

「が、がんばってーっ! ウルトラマーン!」

 言ったとたん、彼女は顔を真っ赤にしてうずくまってしまった。我ながら、なんてことを言ってしまったものだと後悔する。あんなことを言ったら、皆や親になんて言われるか。エルフがあんなものにすがるなどはしたないと叱られる。でも、でも、わたしは……!

 しかし、羞恥心に染まり、耳を覆った彼女の鼓膜に手のひらを通して伝わってきた大声は、叱り声でも罵声でもなかった。

「そうだーっ! いけーっ!」

「がんばってウルトラマン! 精霊たちは、あなたを加護しているわ!」

「それだけじゃねえぞ、俺たちが応援してやるからなーっ!」

「だから負けるな! 私たちは、あなたを信じるから!」

 ひとつの声がふたつに、ふたつがよっつに、よっつがやっつに、十八、三十六、七十二、百四十四と倍々していく声の連鎖は瞬く間に天を揺るがすような歓声となって街の一角を支配した。

 少女が顔を上げたとき、そこはウルトラマンを応援するエルフたちで埋め尽くされていた。

 そう、エルフたちも皆、自分で見た真実を肯定したかった。だが、染み付いた因習を振り払う勇気と、ほんの一欠けらのきっかけがほしかったのだ。その口火を、ひとりの少女のたった一声が切り、吐き出された心の声は火山のようにとどまるところなく響き渡る。

「が、がんばってーっ! 勝って、アディールを守って、わたし、応援してるからーっ!」

 気づいたときには少女も大声で叫んでいた。その顔には、もうおびえの色はひとかけらもない。満面の笑顔と、希望と未来と、ウルトラマンたちへの信頼の光が輝いていた。

 

〔そうだ! 信じてくれる人がいる限り、光の戦士に限界はない!〕

 エースは傷ついたリドリアスをかばいながらアントラーへ怒涛の攻撃を絶やさない。

 パンチ、パンチ、チョップ、キック! 担ぎ上げてのエースリフターが反撃させる隙なく炸裂する。さしものアントラーもスタミナが尽きてすでにフラフラだ。が、地中から奇襲をかけられるのはアントラーだけではない。アントラーに追撃をかけようとしていたエースの背後で砂煙が上がり、土中からアリブンタがエースを引きずり込もうと狙ってきた。

 土中から、真下からの攻撃ではエースも対応しきれない。エースの足にアリブンタの毒牙が食い込もうとした。

 だが、アリブンタが必勝と復讐に歓喜した瞬間だった。突然、アリブンタのさらに下の地中から太い腕が現れて、アリブンタを羽交い絞めにすると、怪力で持ち上げて地上まで引きずり出したのだ。

〔あれは……あの怪獣は!?〕

 アリブンタを担ぎ上げて地底から現れた新しい怪獣に、エースはヤプールの新手かと一瞬戸惑った。土色をした二足恐竜型の怪獣は才人の記憶にもなく、アリブンタを放り投げると勝ち誇るかのように吼えた。

 が、困惑するのは一瞬ですんだ。その怪獣は、弱ってじっとしているリドリアスに向かって低くうなると、リドリアスもくるると喉を鳴らして答えたではないか。まるで、大丈夫か? よく来てくれたと言い合っているようだ。

〔知り合いってことか〕

 びっくりしたが、どうやら敵ではないらしい。新しい援軍、リドリアスとともに目覚めた古代暴獣ゴルメデが、地底を通って遅ればせながら到着した。雄たけびを上げ、リドリアスに代わって戦うべくエースと並ぶ。

〔ようし! これで形成は逆転ね〕

 この怪獣にはマイナスパワーは感じなかったことが、エースにとっても安心材料となった。むろんそれだけではないが、この星を守るために怪獣たちまでもが立ち上がろうとしているのが、生きようとする星の息吹のように感じられてうれしかった。

 アントラーとアリブンタはゴルメデにまかせて大丈夫だろう。エースはそう考え、スフィンクスに苦しめられているヒドラの援護にまわるためにジャンプした。

 

 

 いったん大声で放たれたときの声は、やまびこが山から山へと伝わるように見えない波でとどろいていく。

 それはまずここで。東方号で必死にエルフたちへの呼びかけを続けるティファニアと、彼女を守る仲間たちの奮闘で、ギリギリ抑えられていたバルキー星人の体を覆っていた氷が砕け、死に物狂いの星人が精神力を使い果たした彼らに襲い掛かってきたのだ。

「かはぁーっ! ぶっ、潰してやるぅぅーっ!」

「しぶとい奴め、我々もまあよくやったほうだと思うが、このあたりが潮時か」

 ふうと息を吐き、ビダーシャルは悟ったようにつぶやいた。もう撃てる魔法はエルフも人間もひとつも残っていない。あとできることといえば殴りつけてやることくらいだが、ちと手が届きそうにないのが残念だ。

 バルキーリングの一閃が迫り来る。今度という今度は防ぐ手立てはひとつも残されていない。あれを喰らえば、とりあえず何十人死ぬことか……東方号が沈められるまで何分かかるか、やるだけやったので悔いはないが、残念だ。

 だがそのとき、バルキー星人は海中から立ち上った巨大な水柱に飲み込まれた。

「こっ、これは!?」

 人間とエルフたちは目を見張った。直径五十メイルに及ぶのではという巨大な水柱はバルキー星人を取り込むと、そのまま高さ百メイルにはなるのではという大きさの中心に星人を取り込んだまま固定された。星人は必死でもがいているようだが脱出できないようだ。しかし、誰も魔法は使っていないはずだ。ならば……

 そこに、大勢のエルフたちの声が響いた。

 

「アディールをこれ以上好きにさせるか! わたしたちだって戦えるんだ」

「統領閣下! 我々もともに戦います。よそ者が命をかけて戦っているのに、我々だってまだ戦う力はあります!」

「ウルトラマンと同じく、その蛮人たちも私たちのために命をかけてくれている。そんな子供たちが戦えているのに、私たちにできないはずはないと気づきました!」

 

 そこには、海に小船やイルカに乗って浮かびながら魔法を使っている何百何千というエルフたちがいた。彼らもまた、ウルトラマンを応援した仲間たちの歓声を聞いて、同じようにがんばっている人間たちを信じる決意をしたのだった。

 首都防衛部隊や水軍空軍の生き残りの将兵たちを筆頭に、アディールの大勢の市民たちがひとつになっている。

「こ、これは、なんという!」

 東方号の艦橋から見下ろしたテュリュークは言葉を失った。合体魔法、その概念はエルフにもあるし、軍の中ではひとつの戦法として確立しているが、彼の長い人生の中においてもこれほどのものは見たことがなかった。男女、職業や身分、老人も子供までがいっしょになって、精霊への祈りを束ねて強大無比な力に変えている。

 水柱の中に閉じ込められたバルキー星人とサメクジラは、水中適応も精霊の力に封じ込められているらしく、もがけどもがけど脱出できない。ラグドリアン湖に住む水の精霊と同じように、この海に宿る大いなる意志も、海を荒らす邪悪な者たちに対して怒っていた。それが、恐れることや、憎悪に身を任せることをやめて、前を向いて戦うことを選んだエルフたちの力で具現化し、侵略者を封じ込めた。自然の怒りに、彼らは触れたのだ。

「とどめだぁぁ!」

 精神力を振り絞りきったエルフたちの意志は、天変地異や宇宙人の科学力をも超えた力を発揮した。何千人というエルフたちの力で生み出された水柱は一瞬にして凍結し、巨大な氷柱……いや、氷山へと姿を変えたのだ。

「なんと……」

 テュリュークやビダーシャル、人間たちは完全に絶句した。恐らく、エルフの歴史上、これほどのものは例を見るまい。普段はエルフは精霊と契約し、命じて魔法を発動させるが、精霊とエルフの意志がひとつになったとき、ここまでの奇跡が起きるとは。その中に閉じ込められた星人と怪獣は、琥珀の中の虫のように、今度こそ身動きひとつできない。

 そして、ふたつの氷山に細かな亀裂が無数に入った。刹那、氷山は数兆、数京の破片に変わって粉々に砕け散ったのだ!

「やったぁーっ!」

「わぁぁーっ!」

 大歓声が響き渡り、バルキー星人とサメクジラは残骸すらわからないくらいに木っ端微塵になって砕け散った。宇宙の海賊と恐れられる無法者は、恐れを捨てて決起したエルフたちと自ら荒らした海の怒りによって、この遠い星に散ったのであった。

 東方号の甲板では、エルフたちと人間たちが手を取り合って喜んでいる。海の上ではその数百倍の歓声があがり、自分たちの力で悪魔の軍勢を打ち破ったと喜んでいる。そして、彼らは誰からともなく東方号の人間たちに、さらには彼らにとってもっとも忌むべき存在であるハーフエルフの少女へ向けて手を振りはじめた。

「あ、えっと……」

 ティファニアは困った。彼女の見る先には、数万のエルフたちが手を振ってくる姿がある。でも、それにどう答えたらいいのかわからずに戸惑っていると、ルクシャナがぽんと彼女の肩を叩いた。

「なにしてんのよ、さっさと手を振ってやんなさいよ。みんな、あんたを待ってるのよ」

 軽くウィンクして、この英雄と、茶目っ気を見せてくるルクシャナのおかげで、ティファニアは胸が軽くなった気がした。そういえば、サイトが言っていた……やってみてほしいって必殺技、あれをやってみよう。思いっきりの笑顔に、みんなと仲良くなりたいって真心を込めて!

「み、皆さん! えと、ど、どうもすごかったです!」

 天使のような笑顔と、どもってどこかずれた一言が流れた瞬間、エルフたちは爆笑した。ティファニアはそれで、また顔を真っ赤にしてしまったが、ルクシャナはそれでよかったのよと妹にするようにほめて、倒れそうなティファニアの体を支えてやった。

「ほら、見てみなさいよ。みんな、あなたに笑顔を向けてるのよ。ハーフエルフとか関係なく、あんたを受け入れてくれたの。あんたの努力が実ったの、もっと誇りなさい!」

「はい……でも、それはわたしだけじゃなくて、みんながいてくれたおかげです」

 疲れとともに、心地よい充足感が体を満たしてくるのをティファニアは感じていた。今確かに、エルフたちと自分たちの心は通じ合っている。人間だから、ハーフエルフだからなどというこだわりを、皆の努力する姿が乗り越えてくれた。エスマーイルと彼の一党だけがまだわめいているが、もう彼らの言に耳を貸す者は誰もいない。なぜなら、人々は見たからだ、人間たちが命をかけて戦う姿を。その勇姿の輝きにくらべれば、空虚な言葉のがなり声が誰に届くだろうか。

 ティファニアたちのがんばりがエルフたちに勇気を与え、エルフたちは持ちうる以上の力を発揮して星人と怪獣を倒した。団結の力……たとえ戦士でなくとも、ひとりひとりの力は小さくとも、集まれば巨大な悪魔に対抗することもできる! まぎれもない奇跡を成し遂げたティファニアの手の中で、青い輝石が祝福するように力強く輝いていた。

 

 超獣軍団の闇を打ち消すように人間とエルフたちの輝きは増していき、その光を受けてウルトラマンAは力を増していく。

『メタリウム光線!』

 エース必殺の光線が超獣スフィンクスに炸裂し、スフィンクスは仰向けに倒れると大爆発を起こした。スフィンクスは首を跳ね飛ばしても胴体だけで向かってくるほど生命力の強い超獣だが、木っ端微塵にされてはどうしようもない。

 エースはスフィンクスの最期を見届けると、弱っているヒドラを助け起こした。体中傷だらけで、スフィンクスの放った高熱火炎にやられた火傷が痛々しい。ほんとうによくやってくれた……リドリアスとともに、ガランと戦い、東方号を牽引し、今ここでスフィンクスと戦い続けてくれた。疲労でいえばエースより上だろう。

 ヒドラを、あとはまかせて休めと横たえると、エースは立ち上がって振り返った。その先には、ゴルメデとリドリアスがアントラーとアリブンタと戦っている姿があった。

〔あいつらを倒せば、ヤプールの超獣軍団は全滅だ! あと一息だぞ、ふたりとも!」

〔おう!〕

〔ええ!〕

 圧倒的破壊を好きにした超獣軍団も、そのほとんどが撃破され、勝利は目前に迫っている。

 あと一息、あと一息で勝てる! 人間も、エルフも、最後の勝利を確信して、天をも震わすのではないかという大歓声をあげた。

 

 

 だが、ヤプールの闇の力はまだわずかな衰えも見せてはいなかった。むしろ、超獣軍団の壊滅を喜ぶかのように、邪悪な笑い声を高らかにあげていた。

「フッハハハハ! それで勝ったつもりか愚かものどもめ。貴様らがなんらかのイレギュラーを起こして逆襲してくることくらい、わしは最初から計算していたわ。そいつらは最初から貴様らの隠し玉を使わせるための捨て駒よ! バルキー星人よ、貴様はよく役立ってくれたぞ。そして、貴様らにはもう同じことのできる力は残っていまい。我らヤプールの力、その本当の威力を見せてやる。悪魔どもよ、我が闇の力を受け取るがいい!」

 空間の裂け目が出現し、そこから膨大なマイナスエネルギーがあふれ出してきた。

〔こ、これは!?〕

 エースは驚愕した。ハルケギニアに来て以来、感じたことのないほどのケタ違いのマイナスエネルギーの波動、これはまさか、ヤプールはいままで遊んでいただけだったというのか。しかし驚いている暇もなく、それは黒い稲妻のように収束し、アントラーとアリブンタに降り注ぎ、リドリアスとゴルメデも巻き込んで巨大な闇の竜巻を生み出していった。

「フハハハ! 驚いたかエースよ。だがこれだけではないぞ! 無念のうちに散った屍よ、闇の力を受けて新たな姿となって蘇るがいい。転生せよ、超獣マザリュース!」

 闇の稲妻は、今度はエースに倒されたサボテンダーの亡骸に降り注いだ。すると、両断された体が接合し、腕に鋭い爪が生え、邪教の仮面のような不気味な頭部を持つ超獣に再生してしまったのだ。

「うわぁっ! し、死んだ超獣が生き返ったぁ!」

 エルフたちの間から悲鳴があがった。あれだけ苦労してようやく倒したというのに蘇ってくるとは。これがヤプールの力だというのか。落胆と、絶望が再び彼らの心を侵食しはじめる。

 しかし、エースはあきらめていなかった。

「ヘヤアッ!」

 構えを取り、息を整えて力を込める。その目は、次元の裂け目を通してヤプールを見据えていた。

〔超獣を再生させてくるというなら、何度でも倒してやるまでだ。このくらいで、希望を折れると思うなよヤプール!〕

「フフフ……さすがだなウルトラマンA、この状況で動揺せぬとはな。だが、貴様らがそうして奇跡をなしとげてきたのも事実。ならば、貴様はこの地に眠っていた最強の力で葬ってくれる!」

〔最強の力だと!?〕

「そうだ! 見るがいい!」

 アディールの中心に、最大の闇の稲妻が降り注いだ。無数の建物が吹き飛ばされ、評議会の象徴たる白亜の巨塔が轟音をあげて崩れ落ちていく。そして、瓦礫の山と化したそこが揺れ動くと、瓦礫を吹き飛ばして地中から巨大な影が這い出してきた。

「フハハハ! いかに貴様でも、そいつに勝つことができるかな? かつての貴様の兄のように、無様に地を這いずるがいいわ!」

〔なに!? あ、あの怪獣は!〕

 才人は思わず叫んでいた。あのシルエットは、小さい頃から何百枚とスケッチブックや自由張に落書きした怪獣の中の怪獣。

 土色の肌に、戦国武者の兜のような角を持つ頭部と、果てしない力を秘めた太い腕を持つ、たくましさに満ち溢れた肉体。鼻先の鋭い角は、どんなに固い岩をも砕き、そして大蛇のように長く強靭な尻尾の一撃はあらゆる敵を粉砕するという。

 地球最強の怪獣の一角と言われ、かつて初代ウルトラマンを初めて倒した大怪獣が、凶暴な雄たけびをあげて動き出した。

 

【挿絵表示】

 

 

 続く



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第91話  不屈の希望

 第91話

 不屈の希望

 

 古代怪獣 ゴモラ

 地底エージェント ギロン人

 カオスリドリアス

 カオスゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 大蟻超獣 アリブンタ

 磁力怪獣 アントラー

 地獄超獣 マザリュース 登場!

 

 

 ようやく生まれた人間とエルフの間の希望の光を、再び絶望の闇が覆い尽くそうとしていた。

 勝利まで、あと一息だったときに降り注いだヤプールのマイナスエネルギーの波動。その絶大なる威力は自然の摂理すら歪めて、全滅寸前だった超獣軍団に新たな悪魔のパワーを与えた。

 瀕死だったアリブンタとアントラーの目に紅い狂気の光が宿って蘇る。

 死んだはずのサボテンダーの死骸が悪霊に操られるかのように再生し、新たな超獣マザリュースとなって蘇生した。

 死の淵から帰ってきた超獣どもは、ヤプールの代行者として破壊活動を再開する。ティファニアのエクスプロージョンで鎮火していた火がまた立ち上がり、エルフたちの誇りであった街が無に帰していく。

「わああっ! もう、だめだぁ!」

 エルフたちは、死さえも武器として操るヤプールの悪魔的能力に絶望を感じて逃げ惑い始めた。彼らエルフの技術でも死人を蘇生させることはできると言われているが、それはあくまでも治療の範囲内の話であって、蘇生可能なのは精々仮死状態までが限界、体を両断された完全な死体を復活させることはできない。

 アディールを闇に閉ざし、精強を誇った軍を壊滅させ、死んだ僕を再生させる。そのすべてが彼らに絶望しろと言っていた。

 

 そしてもう一体、超獣ではないがヤプールが絶対の自信を持って地底から呼び起こしてきた怪獣がいる。

「ヌワァァッ!」

 エースの巨体が軽々と弾き飛ばされて宙を舞い、建物を巻き込んで墜落した。

〔くそっ! なんてパワーだ〕

 体がしびれ、受けた衝撃の大きさにショックを受けながらエースはつぶやいた。ただまっすぐに突っ込んできただけの突進攻撃だったというのに、この計り知れないパワーは並の怪獣に出せるものではない。

 瓦礫に手を突き、立ち上がろうとするエースの眼差しの先には、空に向かって遠吠えをあげる太古の恐竜。いや、大地の怒りの化身ともいえる大怪獣の恐るべき姿があった。

〔古代怪獣……ゴモラ〕

 才人は畏敬の念を込めてその名を呼んだ。

 ゴモラ……ウルトラマンの歴史を聞きかじったことがある者ならば、その名を知らない者はいないと言っても過言ではあるまい。

 その記録は、ドキュメントSSSP、初代ウルトラマンと科学特捜隊が活躍していた頃に遡る。ゴモラはその正式な学名をゴモラザウルスといい、一億八千万年前から一億五千万年前の地球上に生息していたといわれる恐竜の一種である。太平洋地域を中心にかなり広い範囲にわたって分布していたと思われ、同種族の存在が南太平洋のジョンスン島をはじめとして、日本や北米でも確認されている。

〔ハルケギニアの古代にも、ゴモラが生息してやがったとはな〕

 才人は、エースのダメージの反動で痛みを感じ始めてきたのをごまかすように言った。前々から、ハルケギニアと地球はよく似た星だと思ってきたが、以前にも火山怪鳥バードンが現れたことから考えても、何万年も前まではハルケギニアは地球とほとんど同じ生態系を持つ惑星だったのだろう。

〔サイト、あいつはそんなに強い怪獣なの?〕

〔ああ、超獣じゃないのにヤプールが自信たっぷりに呼び出してきたのも理解できるぜ。ちくしょう、こいつが敵になるのは勘弁して欲しかったぜ!〕

 尋ねるルイズに、才人は舌打ちとともに答えた。ゴモラが強いかと問われたら、その答えはひとつ……強い!

〔くるぞっ!〕

〔くそっ! 待ったなしかよ!〕

 雄雄しい叫び声とともに、ゴモラは突進攻撃を仕掛けてきた。トリケラトプスに似た、三日月形の角を振り立てて、地響きと砂煙とともに突撃している様は小山が飛び込んでくるようだ。あれをまた食らったら危険だ! エースは受け止めるのをあきらめて、空高くジャンプした。

「トァーッ!」

 空振りに終わったゴモラの突撃が、その勢いのままで市街地に突っ込んだ。するとどうか、強固な石で、しかもエルフの魔法で固定化に近い補強を受けているはずの住宅群が、砂糖菓子を潰すようにもろくも叩き壊されていくではないか。

〔な、なんて破壊力なの!〕

 百聞は一見にしかずというが、実際目の当たりにすると、そのケタ外れの破壊力には戦慄するしかない。超高層ビルでもこれを食らったら一発でコナゴナだろう。アントラーの破壊力もすごかったが、ゴモラの攻撃力はその上を確実にいっている。

 これが、古代怪獣ゴモラの力。恐竜の一種でありながら、怪獣と同格といわれるわけは、非常に強靭な肉体を持ち、恐竜の枠組みからはみ出してさえいるため。古代において広大な生息範囲を成し得た理由も、天敵となる恐竜がいなかったからだとも言われるくらいなのだ。

 単純なパワーで捉えれば、ウルトラ戦士が戦ってきた数百の怪獣たちの中でもトップクラス。

 ただし、いかつい外見に反して本来の性質はおとなしく、普段の行動は鈍くて他者に危害を加えるようなことはまずない。

 だが、一度怒らせて凶暴性を目覚めさせてしまうと抑えようがなく、手当たり次第に破壊を繰り返す凶悪怪獣となってしまう。

 このゴモラが昭和四十二年に生きたままの状態でジョンスン島で発見され、日本に空輸された。しかし、途中で逃げ出し、怒ったゴモラは大阪市街で大暴れし、こともあろうに迎え撃ったウルトラマンをも撃退してしまった。このとき、ウルトラマンは得意の格闘技でゴモラに挑んだのだが、ゴモラはウルトラマンを圧倒的にしのぐパワーで完膚なきまでに叩きのめし、悠々と土中に逃げ去ってしまった。ウルトラマンがここまで手も足も出ずにパワーのみで一方的に敗れたのは、才人の知る限り他に例はない。

 そのゴモラが、今こうして敵となっている。しかも、ヤプールのマイナスエネルギーを注ぎ込まれたことで暴走している。

〔ただ眠っていただけなのに、無理矢理起こされて戦わされるなんて……ヤプールめ、ひどいことを。だが、戦うしかない!〕

 やりきれない思いはしたが、ウルトラマンAはゴモラを倒すために構えをとった。

 だが、エースの敵はゴモラだけではなかった。いや、より以上の危機はエルフたちにこそ迫っていた。

「きゃぁぁーっ!」

〔くっ! アリブンタか!〕

 少女の悲鳴を聞きつけて振り返ったとき、そこには街を叩き壊しながらエルフたちに迫っていくアリブンタの姿があった。狙っているのは一つしかない、少女たちの生き血だ。たとえマイナスエネルギーを得ても飢えは満たせていない。

 このままでは、多くの少女たちがアリブンタのエサにされてしまう。エースは、いったんゴモラを置いてでもアリブンタを止めようとジャンプしようとした。しかし、エースの背後から砂煙が吹き付けられ、視界を封じられて動きを止められてしまったエースを、巨大なハサミがくわえ込んで投げ飛ばした。

〔くそっ! 今度はアントラーか〕

 不意を打たれた。マイナスエネルギーで完全に蘇ったアントラーは、鈍重そうな外見からは想定できないほどの足の速さでエースに迫り、そのアゴのハサミで首を刈ろうと狙ってくる。

 むろん、エースはそれには乗らず、アントラーの突進の勢いを利用して投げ技をきめてやるが、頭から地面に叩きつけられたにも関わらずアントラーにはほとんどダメージが見えない。それどころか、逆方向からはゴモラが建物を壊しながら迫ってきて、エースは前後から完全に挟撃されてしまった。

〔挟み撃ち……か〕

 ヤプールは、この二体でエースを葬るつもりらしい。しかも、アントラーの磁力光線がある限り、飛んで逃げることもできない。エースの体には長引く戦いで疲労とダメージが蓄積し、才人たちにもダメージが伝わるくらいに万全とはほど遠い。果たして、この二匹の凶獣を相手に勝つことが出来るだろうか。いや、勝てなくとも、このままではエルフや人間たちを助けることができない。

 

「ハッハッハッハッ! ようやく最初から貴様たちに勝ち目などなかったことに気づいたか!」

 

 そのとき、勝ち誇った声がアディールに響き渡った。

 何者だ!? ヤプールか? いや、この声は確か!

 エースが、耳の奥にしまいこんでいた過去の戦いの記憶を呼び起こしたとき、街の中に緑色の複眼を持つ星人が巨大な姿で現れた。

「フハハハハ! 久しぶりだな、ウルトラマンA!」

「ギロン人、やはり貴様だったか!」

「ハッハッハッ、貴様に復讐したがっている宇宙人はごまんといることを忘れるな。さあて、今度もまんまと罠にはまったな。貴様らはバルキー星人どもが我々の主力だと思っていたようだが、奴らはただの露払いにすぎん。連中を相手に手の内を見せすぎたな。おかげで、俺は無傷であの光もやりすごすことができたぞ。残念だったなあ」

「くっ!」

 ティファニアの渾身のエクスプロージョンも、無駄な努力だったとあざ笑うギロン人に対してエースたちは歯噛みしたが、ヤプールの非情な姦計に一杯食わされたことを認めざるを得なかった。

「貴様、仲間がやられていくのを黙って見ていたのか」

「仲間? 笑わせるな、あんなゴミどもなどいくらでも替えが利くわ。死ねば死んだで、利用の方法はいくらでもあるしな。そんなことにこだわっているから、貴様は余計なエネルギーを使ってしまったのだ。そんなことを言うならば、ほれ、貴様の仲間どもを見てみるがいい」

「なに! なっ!?」

 ギロン人の指差した先を見てエースは驚愕した。なんと、エースとともに超獣軍団と戦っていたゴルメデとリドリアスがマイナスエネルギーの黒い波動に侵されて苦しんでいる。それどころか、ゴルメデの頭部に赤い結晶体のようなものが生えてきて、リドリアスも腕に長い爪が生え、角が生えた凶悪な顔つきに変貌していくではないか。

「貴様、彼らになにをした!?」

「別になにも? だが、アリブンタとアントラーにエネルギーを与えたとき、奴らが近くにいて影響を受けてしまったようだな。しかしこれは我々にとってうれしい誤算だったようだ。マイナスエネルギーの波動が、奴らの遺伝子に眠っていた記憶を呼び起こしてしまったようだな」

 眠っていた記憶、その言葉で才人とルイズははっとした。リドリアスたちの、あの変異した姿は、始祖の祈祷書のビジョンでブリミルたちが戦っていた変異怪獣たちと同じ。あの謎の光に取り付かれて暴れていた頃に戻ってしまったというのか!

 変異してしまったリドリアスとゴルメデ、カオスリドリアスとカオスゴルメデは破壊衝動に突き動かされるように暴れ始める。

「やめろ! 正気に戻るんだ」

「ムダだ、ヤプールのマイナスパワーを甘く見るな。さあ、新たなヤプールの僕どもよ、存分に破壊を楽しむがいい」

 凶暴化してしまったリドリアスとゴルメデは、目を狂気に染まった赤色に変えて暴れまわる。すでに理性は失われているようで、あれだけ献身的に守ろうとしていた街を手当たり次第に破壊している。

「こっちに来るぞ、逃げろ!」

 向かってくるカオス怪獣たちから、街に残っていたエルフたちは一目散に逃げ始めた。あの二匹はもう味方ではない。悪霊に取り付かれて狂わされてしまった。そのことも彼らの絶望を助長し、道は我先に逃れようとするエルフたちであふれ、無理して飛んで逃げようとした者たちが空中で衝突して群集の上に墜落する惨事が多発した。

 このままでは、あの二匹のために大勢の犠牲者が出てしまう。狂ってしまった二匹の前に、唯一正気で残っていたヒドラが立ち向かっていくが、カオスゴルメデが口から火炎熱線を吐いて襲い掛かってくる。ヒドラも口から高熱火炎で応戦するが、空中でぶつかって相殺しあった爆風は一方的にヒドラに向かい、ヒドラは吹き飛ばされて建物に衝突してしまった。だが、それでもヒドラは翼を羽ばたかせて立ち上がり、戦おうとする。

〔やめろ! もういい、無理をするな〕

 テレパシーを使ったエースの呼びかけにもヒドラは答えず戦おうとする。カオス怪獣とアリブンタの行く先には子供たちがいる、それは子供の守り神であるという地球の伝説にある幻の鳥のような、気高くも痛々しい光景であった。

 しかし、ヒドラの力ではカオスゴルメデを足止めするだけで精一杯だった。アリブンタとカオスリドリアスは悠然と進撃を続けて、カオスリドリアスは翼を広げて飛び上がった。その先には、海が、そして東方号がある。まずい! だが止めようがない。破壊されゆく街をギロン人は高笑いしながら眺めて言った。

「アディールを壊滅させれば、残ったエルフどもも絶望してたやすく御すことができるだろう。超獣どものエサにするもよし、奴隷を欲しがっている宇宙人どもにくれてやるもよし。だがまずは、貴様はそこでなぶりものになりながら、守ろうとしていたエルフと人間どもがアリブンタのエサになっていくのを見ているがいい」

「待て! そうはさせんぞ!」

 ギロン人を止めようとするエースだったが、その前にゴモラが立ちふさがる。ヤプールに操られたゴモラは、大蛇のような尻尾を振り回してエースを吹き飛ばし、さらに背後からアントラーが大アゴでエースをはがいじめにして締め上げてきた。

「ウッ、グァァッ!」

「その二匹の包囲からの脱出は不可能だ。慌てずとも、貴様はあとでじっくりと始末してくれるさ。今度はゾフィーは助けに来ないぞ。フハハハ!」

 アントラーの怪力で締め上げられるエースの全身を激しい痛みが貫く。こんなところで立ち往生している場合ではないのに!

 焦る気持ちとは裏腹に、身動きのとれないエースにじりじりとゴモラが迫ってくる。このままでは……絶対の危機に陥ったエースを、悪魔たちの冷たい眼差しがせせら笑いながら見つめていた。

 

 初代ウルトラマンが、いずれも単独では勝てなかった強敵を相手に絶望的な戦いを強いられているエース。

 仲間との非情な戦いを強いられているヒドラ。ヤプールは、彼らが絶命するときを心待ちにしながら、次元の闇から愉快げに見物している。

 が、今はそれらよりもヤプールは楽しみに観戦しているものがあった。

「くっはっはは! エルフと人間の和睦だと? そんなものがなんになる。ゴミどもが結託したところでゴミのままよ。貴様らにこれからほんとうの恐怖というものを見せてやる! 貴様らすべて、暗い水の底に沈むがいい!」

 アディールから追い出され、海の上を漂う大勢のエルフたち。陸からはアリブンタが迫りつつあり、空からはカオスリドリアスが滑空してきている。精霊の力を得ている彼らといえども、すでに先ほどのバルキー星人を葬った魔法で精神力を完全に使いきり、浮くだけでもやっとになってきている。

 空から狙われる恐怖と、溺れる恐怖がエルフたちを襲う。かといって、超獣の迫り来ている陸には戻れない。そのとき、海上に東方号から魔法で増幅された声が響いた。

「アディール市民の皆さん! この船に避難してください。この船はちょっとやそっとじゃ沈みません! 早く!」

 はっとして、エルフたちは洋上に停泊している巨大船を見た。あの島のような巨艦なら、確かに海に漂っているよりは安全に違いない。宇宙人や超獣の攻撃にさらされ、傷ついてはいるが喫水線が下がった様子は欠片もなく、船体が並外れて丈夫なのもわかる。それに、最悪の場合でも浅瀬に各坐してしまえば沈むことだけは絶対にない。

 我先にと、エルフたちは東方号に殺到した。飛ぶだけの魔法も使えなくなっている者のために、舷側からタラップだけでなく、縄梯子やロープなどがありったけ下ろされる。そして這い上がってきた人たちを、モンモランシーたち女子生徒が船内に誘導していった。

「慌てないで、ひとりずつゆっくり奥に進んでいってください! 大丈夫です。何万人でも、入る余裕はたっぷりありますから!」

 新・東方号の元は世界最大の戦艦と空母であったのだから、余剰スペースは売るほどあった。大和型戦艦の乗員数は通常二千五百名、しかし航空機格納庫等を合わせればその何倍も乗せられる上に、全体が強固な装甲で覆われている。無理をすればアディール市民全員を収容することはなんとか可能だろう。実際、太平洋戦争末期に日本海軍は戦艦を輸送船代わりにして、主砲の周りから航空機格納庫まで物資で詰め込みきった作戦をおこなっている。

 しかし、いかに世界最大の巨艦といえども怪獣の攻撃の前には無力だ。海中からの攻撃こそなくなったものの、今度は空からの攻撃が襲い掛かってきた。空中を高速で飛ぶカオスリドリアスは、東方号にエルフたちが避難してきているのを見ると、口から光線を吐いて攻撃してきた。

「きゃあっ! ど、どこをやられたの! はやく報告しなさい!」

「ミス・エレオノール、落ち着いてください! 艦首甲板に損傷、火災が発生しています。早く消し止めろぉ!」

 東方号艦首の木製の甲板がめくりあがり、火と煙を吹いている。大和型戦艦といえども重量の節約から、装甲には薄い部分もあり、特に長い艦首は弱点ともなっている。

 悲鳴をあげるエルフたちをなだめながら、水精霊騎士隊と銃士隊は消火と迎撃に当たっていった。

「あちちっ! 誰か水の使い手って、もう誰も魔法使えないんだっけか」

「しょうがない。みんな! ありったけのバケツを持ってくるんだ。それを飛べる使い魔を持ってる人に渡して、海水を汲み上げてこさせよう。あとは全員でバケツリレーだ!」

「あーっ、あんな下らない訓練を実戦でやることになるとはな。つくづく、ぼくらは体を動かす仕事に縁があるらしい」

 ぶつくさ言いながらも、ギーシュたちは延焼がこれ以上広がらないようにするための努力を始めた。

 また、再度接近をしようとするカオスリドリアスに対しては、銃士隊が生き残っていた機銃を総動員して弾幕を張る。当たっても効きはしないだろうが接近を阻めさえすれば御の字だ。ミシェルは、一部の人数をそれに割くと十人ばかりを集めて別命を下した。

「ようし、ここは連中にまかせてボートを出せ! 格納庫にあったぶんをありったけだ、急げ!」

 まだ洋上には多くの市民が取り残されている。中には精神力が切れて、立ち泳ぎだけで必死に耐えている者もいて、放っておいては溺死者が大量に出てしまうだろう。元は大和と武蔵の格納庫に残されていた、大型のカッターと呼ばれるボートが次々に海上に投下される。

「これで全部か! よし、泳ぎに自信がある者は私に続け」

「副長!? 危険です。ここは私たちが!」

「馬鹿者! 我々が一番の危険を買って出ないでどうする! ボートを操るには一人でも人手がいるんだろう」

 自分だけ安全な場所で指揮をとろうなどと彼女は考えていなかった。それに、もう指揮がどうとか言ってられるほど落ち着いた状況ではない。銃士隊がこの百倍いても足りないであろう今、各人がそれぞれの判断で行動するしかないのだ。

「飛び込め!」

 東方号の甲板から海中へ、ちょっとしたビルほどの高さから彼女たちは飛び降りた。海面に上がると、手近なボートに這い上がって、モーターの代わりにつけられている推進用の魔法装置のスイッチを入れる。

 一人でも多くを助けるんだ! 人間もエルフも、命の重さに違いはない。どちらも、ヤプールなぞにむざむざ踏みにじらせてなるものかと、ミシェルたちは目を皿のようにして洋上に漂うエルフたちを見つけてはボートに引き上げていった。しかし、懸命な救助活動にもまた、ヤプールは水溜りに落ちてもがく蟻に石を投げつけて喜ぶ子供のように、無慈悲な攻撃を仕掛けてきた。

「フフフフ、こざかしい水澄ましどもめ。お前たちがいくらあがいても無意味だということを教えてやる。超獣マザリュースよ! 幻想と現実の境界から、愚か者どもに死をくれてやるがいい!」

 その瞬間、アディールにまるで赤ん坊の泣き声のようなけたたましい鳴き声が響き渡った。さらに、覆う闇の結界が揺らめいて、洋上の闇の中から蜃気楼のように巨大な超獣が浮かび上がってきた。死んだサボテンダーがマイナスエネルギーで再生された超獣マザリュースだ。

「ひっ、あっ!? 空に、超獣が浮いてる!」

 水面を漂うエルフたちの真上に、糸で釣られているかのように超獣が無音で不気味に浮きながら、ぎょろりと輝く黄色い目でこちらを見下ろしている。その気味の悪すぎる光景に、エルフや銃士隊は背筋を凍らせた。だがむろん、ただ驚かせるためだけにヤプールが超獣を出現させるはずはない。マザリュースは、その不気味な容姿からは不釣合いに、おぎゃあおぎゃあと赤ん坊のような声をあげながら、豚のように大きく広がった鼻から白い毒ガスを噴射してきた。

「うわぁぁっ!」

「ぎゃぁぁーっ!」

「く、くそぉ、なめるなぁっ!」

 逃げ場のない海上に無数の悲鳴があがり、流れてきたガスから逃れようとさらに多くが必死に泳ぎまわる。

 一方で、数人わずかに精神力を残していたエルフが海水で水の矢を作って反撃を試みた。しかし、エルフたちの攻撃はマザリュースの蜃気楼のような体に当たりはするものの、すべてすり抜けてしまって効果がまったくなかった。

 

【挿絵表示】

 

「あいつ、実体がないのか!」

 エルフたちは愕然とした。実体がない幻のような相手なら、どんな魔法も効きようがない。しかし、超獣のほうは確かに存在するといわんばかりに、毒ガスだけでなく、口から火炎弾まで吐いて、確かに実体のある攻撃を仕掛けてくるではないか。

 これが、今回出現したマザリュースの特性であった。かつてのマザリュースは異次元エネルギーを固定化している最中の出来かけの状態で、毒ガスや火炎を撃つことはできたが幻にすぎなかったのに対し、今回サボテンダーという肉体をベースにして生まれたこいつは、実体を限りなく”ない”状態に近づけて存在することができる。いわば、幽霊とゾンビの中間体のようなものであった。

「ハッハッハッ! 逃げろ逃げ惑え、それができるのも今のうちだぞぉ!」

 闇を背にして、赤ん坊の声を撒き散らしながら浮遊して襲ってくるマザリュースはまさに悪夢そのものであった。

 ガスから逃げ惑い、火炎弾から逃れるために水中に潜って顔を出さなくなったエルフも少なくない。銃士隊のボートも、一艘、また一艘と転覆させられてはせっかく助けたエルフたちが海中に投げ出されていく。

 東方号も無事ではない。対空機関砲は牽制の役割しか果たせず、何の害にもならないことがわかったカオスリドリアスは再接近して光線を食らわせてきた。

「ぎゃああっ! あちぃっ! 水っ、水ーっ!」

「暴れるな! よせっ、海に飛び込もうとするんじゃない」

 鎮火しかけた火災が再度発生し、まともにあおりを受けた水精霊騎士隊の少年が服とマントに燃え移った火を消そうと暴れ狂い、ギーシュたちがバケツの水をぶっかけてやっと消し止めた。しかし火傷はかなりひどく、何人かが担架を持ってきて、モンモランシーたち女生徒の救護班が水の秘薬を使いながら運んでいく。

「おぇ……だ、だめよ。これくらいで気をやったら、わたしたちだってこんなときのために訓練してきたんじゃない!」

「モンモランシー、頼む。なんとか助けてやってくれ!」

「わかってるわよ。わたしはあんたたちを殺してやりたいとは常々思ってるけど、葬式をあげてやりたいと思ったことは一度もないんだからね」

 遠まわしに皮肉をぶつけながらも、負傷者は彼女たちの手によって運ばれていった。が、負傷者がそれで終わりですむはずがない。水精霊騎士隊、銃士隊、エルフの騎士団と次々にやられて運ばれていき、交代の人員はいないために甲板で戦う人数はどんどん減っていく。

 しかし、消し止めては火をつけられるいたちごっこでもやめるわけにはいかないのだ。いまや、この東方号の船内のみが唯一残された避難場所なのである。実際、カオスリドリアスの光線は甲板をえぐり、火災を引き起こしてはいるが、装甲を貫通して船内にダメージを及ぼしてはいない。さすが、元は世界最大の戦艦であり宇宙人の侵略兵器であったといえるが、火災を放置しては船内の換気がうまくいかずに酸欠状態を引き起こしてしまう。

「必ず、必ずウルトラマンがなんとかしてくれる。だから、それまでぼくらはなんとしてでもここを守りきるんだ!」

 他力本願ではない。人にはそれぞれ分と役割というものがある。ならば、そこで全力を尽くしてできることをやりきらねば。次々と仲間が倒れていく中で、ギーシュはすすだらけで消火作業を続けているギムリたちに叫んだ。

 だが、カオスリドリアスの攻撃は止まらない。口から吐かれる破壊光線は絶対的な威力を持ってこそはいなかったが、それゆえにじわじわとなぶりものにするような破壊をもたらしてくる。東方号は今はなんとか持ちこたえているが、それもいつまで持つかわからない。

 カオスリドリアスは変わり果てた姿で、人間とエルフたちに牙を向けてくる。その凶悪な様を見つめ、ティファニアは悲しげな目に涙を浮かべていた。

「やめて、あなたたちはそんなことをするのを望んではいないでしょう。目を覚まして、正しい心を取り戻して、お願い」

 しかしティファニアの願いも虚しく、ヤプールに洗脳されたリドリアスは破壊光線で東方号をじわじわと削っていく。同じようにゴルメデは懸命に食い止めようとするヒドラをもついに、口から発する破壊光線『強力怪光』で倒してしまった。

〔ヒドラ! くそぉっ!〕

 横目でヒドラが倒されるのを見ていた才人は、助けに行けなかったことを歯噛みした。ヒドラは胸に強力怪光をまともに受けてしまい、白煙をあげながら体を痙攣させている。あれでは、もう……

 ヒドラを倒したカオスゴルメデは、今度は強力怪光を街に向けて放ちはじめた。かろうじて戦火を逃れていた街並みが爆発の渦に飲まれて粉々にされていく。さらに、その石くれや粉塵は逃げようとしているエルフたちの頭上に降り注いで、さらなる恐怖とパニックをまねいた。

 それでも、エースは彼らを助けにはゆけなかった。エースを襲う二大怪獣、ゴモラとアントラーの脅威はそれほどだったのだ。

「ジュワァァッ!」

 アントラーの牙を掴んだまま、力づくで持ち上げて投げ飛ばした。だが、間髪いれずに突進してきたゴモラの頭がエースの腹の下に潜り込み、鼻先の角が鋭く食い込んでくる。

「ヌッ、ウォォッ!」

 必死に抵抗しようとするエースだが、ゴモラはそのままエースの体を頭で持ち上げて、かちあげるようにして放り投げてしまった。

 背中から地面に叩きつけられて、舗装された道路に大きなひび割れが走る。人間であれば、あばらの何本かは確実にへしおれていたであろうほどの衝撃を受けてもエースは立ち上がるが、その足は震えてすでに力は少ない。

〔くそっ、首だけの力なのに、なんてパワーだ!〕

 エースの体重だって決して軽くはないのに、それをまるで感じさせない圧倒感こそ、ゴモラのゴモラたるゆえんのようなものであった。

 力強く響き渡る雄たけびをあげ、疲れを知らないように飛び掛ってきて、その度に隕石のような突進力がエースを襲う。すさまじすぎる野生のパワーは、超能力などに頼らなくても充分すぎるほどにエースを圧倒していた。初代ウルトラマンも、ゴモラを倒せたのは、すでに科特隊の攻撃によって角や尻尾を失って弱りきった後から挑んだからで、ゴモラが万全だったら一度目同様負けていた可能性も大きい。接近戦では、とてもではないがゴモラには勝てない。

 かといって、距離をとっての光線技での戦いに移行するのはアントラーが妨害してきた。緒戦でエースがゴモラのリーチの外からメタリウム光線を放とうとしたときである。アントラーが虹色磁力を放ってくると、メタリウム光線のエネルギーが拡散して消滅してしまったのだ。

〔そんな! 磁力光線にこんな使い道があったなんて!?〕

 才人は初代ウルトラマンが戦ったアントラーは使用しなかった磁力光線の能力に驚愕していた。これでは、どんな光線も発射前にすべて打ち消されて無効とされてしまう。唯一、ゴモラの弱点である飛び道具がないという攻めどころも役に立たなくなった今、ゴモラはなんのためらいもなく突撃してくる。

「フゥワァッ!」

 受け止めようとすれば弾き飛ばされ、避けるにもスピードがあっておもうにまかせない。おまけに、勢いを殺すために接近戦を仕掛けようとすれば、鋭い爪に牙と角だけでなく、ひじの鋭いとげを活かした技『ゴモラ肘鉄』が襲ってくる。ただ単なる怪力ならば、どくろ怪獣レッドキングや用心棒怪獣ブラックキングのほうが上だと言われるが、ゴモラは全体的にバランスがよくて、どのリーチでも隙がない。

 さらに、ゴモラにはそれ以上の恐るべき武器があった。

〔このっ! 尻尾がっ!!〕

 距離をとろうとするエースを、くるりと背を向けたゴモラの長くて太い尻尾がすごい速さで飛んできて打ち据える。それは鞭というよりも竜巻で巻き上げられた大木が叩きつけてくるといった感じで、とてもではないが受け止めるなどといったことができるレベルではなかった。

〔これが、初代ウルトラマンを倒したゴモラの……ルイズのお仕置きが優しく感じるぜ〕

 才人は擬似的ながらも全身を貫く痛みにのたうちたいのを、毒ずくことでなんとか我慢していた。苦痛の大半をエースがカットしてくれているというのにこの痛み、生身だったら全身内出血で青黒くなっていることだろう。

〔ちょっとサイト、あんた……こんなときに昔を蒸し返すんじゃないわよ。最近はこっちも我慢してあげてるのに、まだ根に持ってるわけ……?〕

〔うっせ……最近は鞭をやめて平手に変わっただけだろうが。お前、絶妙に痛いポイントわかってるからな〕

〔ふん、あんたはわたしだけを見てればいいの。モンモランシーは甘いけど、わたしは厳しい……んですからね!〕

 ルイズも強がっているが、ダメージは隠し切れなくなってきていた。それでも、エースがかばいきれなかった分のかなりを才人が請け負い、ルイズにはそのまた溢れた部分しかいってないのだが、それだけゴモラのパワーが度を越している。それに、ルイズは女の子だ。

 カラータイマーが激しく鳴る中で、ゴモラはよろめくエースを容赦なく攻めていく。エースもパンチやキックで反撃するが、ゴモラはまるで疲れることを知らないようだ。仕方ない、ゴモラは地底怪獣としての性質も持っており、陸上と同じくらいに地底での行動も得意であり、かつては大阪の地底を自分の巣のように自在に動き回って科特隊を翻弄した。

 ゴモラの尻尾攻撃がエースの顔面に炸裂し、目の前が真っ白に染まったような衝撃が襲ってくる。なんとか朦朧とする意識を奮い起こすものの、左目の視力が失われていた。遠近感が失われて、ぼやける視界でゴモラの位置がつかめなくなったエースはとっさに距離をとろうと後ろに下がった。

 だが、下がったそこには罠が待ち構えていた。

〔し、しまった! アントラーが、いつの間に!?〕

 気づかぬ間に忍び寄っていたアントラーが、背後からエースをその大アゴでがっちりとくわえこんでしまった。暴れるが、万全の状態であるならば力づくで脱出できるものの、カラータイマーが点滅して大きなダメージも受けている今ではふりほどく余裕があるはずもない。身動きのとれなくなったエースの前にゴモラが足で砂煙をあげながら助走をつけ始め、ギロン人の勝ち誇った高笑いが響いた。

「ウルトラマンA! 今度こそ貴様の最期だな。そこで死ね!」

 ギロン人の振り下ろした手を合図としたかのように、ゴモラは角を振りかざし、地響きをあげて突進してきた。猛牛、犀、いいや動物に例えられるレベルではなく、火山弾が天空から大地に降り注いできて焼き尽くそうとするかのように、数百メートルの距離をないも同然の速さで突進してきたゴモラは、エースの胴に頭から激突した。

「フッ! グォォォーッ!」

 受け身をとることもできず、直撃を許したエースの体にとてつもない衝撃と痛みが襲い掛かった。骨がきしみ、内臓が悲鳴をあげる。わずかに残っていた体の力が抜けるように消えていき、エースの目の光が点滅して消えかける。

 だが、ゴモラの一撃はこれで終わりではなかった。ウルトラ筋肉を突き破って、エースの腹に深々と突き刺さったゴモラの角……ゴモラは地底を掘り進むとき、頭部の角から振動波を放って掘削をおこなっているのだが、そのゴモラの三日月形の頭部が赤くスパークすると、突き刺さった鼻先の角から強烈なエネルギー振動波がエースの体内に叩き込まれたのだ。

「グアァァァーッ!」

 地底の、高圧で固められた岩石をもたやすく粉砕する振動波が直接体内に叩き込まれる衝撃は言語を絶するものであった。苦痛というレベルを通り越した感覚が神経を伝わって脳をも破壊しようとしていく。才人とルイズはそれぞれ、悲鳴をあげることすらできないままのたうち、もしエースが痛みの遮断をおこなっていなかったらふたりとも精神が壊れていたかもしれない。

 が、ふたりを守ったことでエース自身も失神は免れたが、ダメージは覆いようもなかった。

「ウ……オォォォ……ッ」

 アントラーの拘束から放たれたエースががっくりとひざを突き、前のめりに崩れ落ちた。

 静寂……刹那の静寂が場を支配する……だが、非現実に逃避したいと思われるそれも、ゴモラの勝利の雄たけびが打ち砕いた。

「ウ、ウルトラマンが……負けた」

 わずかなうめき声だけのみで、地に伏したウルトラマンAはぴくりとも動かない。消えそうなカラータイマーの点滅と、目の輝きだけが、エースが生きているのだということを示し……そして、もう立ち上がる力が残っていないことを伝えていた。

 絶望……もはや、超獣軍団にとって恐ろしいものはなく、ギロン人は追い討ちをかけるように宣言した。

「見ろ! ウルトラマンAは我々が倒した。もう、お前たちを守るものはない。お前たちに残された道は、絶望して滅び去ることだけだ。さあ、苦しみぬいて逝くがいい。ハッハハッハハァ!」

 高笑いし、ギロン人も手のハサミからの光線『ギロン光線』で街を破壊し始め、ゴモラとアントラーも破壊に加わっていく。エルフたちの阿鼻叫喚、それはヤプールに滅ぼされた星の断末魔がまたひとつ再現されていくことである。しかし、エースにはすでにそれを止める力は残されてはいなかった。

「ま、待て……」

「ファハハハ、ウルトラマンA。貴様はそこで、この街のものどもが皆殺しになっていくさまを見ているがいい。簡単に殺しはするなとのことだ。己の無力を悔やみながら、最後に八つ裂きにされるのを楽しみに待っていろ!」

 ギロン人はエースを足蹴にして笑いながら、超獣軍団に攻勢を強めるように命じた。

 すでにさえぎるものはなく、ゴモラ、アントラー、アリブンタ、カオスゴルメデが街を壊す。海に逃れる人々にも、空からマザリュースとカオスリドリアスが襲い掛かる。それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙であり虐殺であった。

 

 しかし、一方的な戦況にも関わらず、ヤプールは異次元のすきまから不愉快な眼差しで地上を見下ろしていた。

「おかしい……これだけ追い詰めているのに、マイナスエネルギーの発生が少ない。おのれ、あの連中のせいか!」

 ヤプールの視線の先……そこには、傷だらけになりながらも、なおあきらめずに戦っている人間たちの姿があった。

 

 ボロボロになった東方号の甲板で。

「ふむ……ギムリ。残ったのは、あと何人だね?」

「おれを含めて、五人。ずいぶん寂しくなっちまったなあ……いや、医務室に運ばれてった連中が今頃女子に手厚く看護されてると思うと、なんかうらやましい。はやめに怪我しとけばよかったな」

「なるほど、それも一理ある。しかし諸君、ここでいいところを見せておけば、あとでエルフのご婦人方にモテモテになるのはうけあいだ。ここに残った諸君は、そのチャンスが濃厚にあるのだぞ!」

「なるほど! さすがギーシュ隊長。一生ついていきますぜ!」

 

 荒れ狂う海原で。

「副長! これで三人目です。引き上げてください!」

「よし、海底にはあと何人残ってる?」

「五人です。今、アンナとマリが引き上げに行ってます」

「よし、さすがエルフだ。先住の力で、これだけの時間水中にいたのにまだ息がある。しかし急げ、この海ではあと何分も持たないぞ!」

「はっ!」

「最後の最後まで、命を救うことをあきらめない。そうだろう……だから、わたしたちも絶望はしないよ」

 

 絶望しかないと思われる地獄で、時に笑顔さえ見せながら戦い続ける人間たちの姿が、エルフたちの心を闇に食われる寸前から守っていた。彼ら、彼女らはその行動だけを見れば狂気とさえ見えたろうが、戦いの目的は敵を倒すことではなく命を救うことだった。

 生きたいと望む心は、人間もエルフも変わりない。そして、同じ命の危機の中でこそ人間の本性というものが隠さずに露呈される。そんななかで人間臭さを失わずに、海中から溺者を掬い上げ、少しでも安全な避難場所に誘導しようとする人間たちの姿を見て、演技だと思うような腐り方をアディールの市民たちはしていなかった。

「さあ早く、急いで!」

「すまん、感謝する……」

 少しずつ、少しずつエルフたちは東方号の船内に避難していった。パニックに陥らずに、希望を保って。

 ウルトラマンがいないことなど関係ない。なぜなら、それが彼らの使命なのだから。

 

 しかしヤプールはそれらの努力を続ける人間たちよりも、東方号の頂上で声を張り上げ続けるひとりの少女を忌々しげに見ていた。

「皆さん、あきらめないでください! お子さんや怪我をした人を助けながら、慌てずに避難してくださーい!」

 同じことを何回叫んだかはわからない。しかし、途切れずに続くその声が、恐怖に負けそうになるエルフたちを支え続けたのは間違いない。

 ほとんど意思の力だけで体を支え、ティファニアはこれが自分の使命だと魂を奮い立たせる。何度も、何度も……体力の限界などはとうに超えているはずなのに、ティファニアは叫び続けた。

 だが、正直ティファニア本人にも、どうして自分にこれだけの力が残っているのかはわからない。いや、ティファニアは過去にも一度、こんなふうに疲れを忘れて走り続けたことがあったのを思い出した。それは、森の中で過ごしていた頃、ひとりの子が帰ってこずに、一晩中森の中を捜しつづけた時、あのときも不思議な力が何度も倒れそうになる自分を奮い立たせてくれた。

 それが、大切なもののために困難に立ち向かおうとする心、勇気だということをティファニアはまだ知らない。けれど、その手の中には、彼女の勇気に反応するかのように、輝石が静かな輝きと暖かさを放ち続けていた。

 エルフの伝説に残る、奇跡の勇者の残していったという青い石。それは、まるでティファニアの心を試しているかのようにじっと沈黙し、同時になにかを待ち望んでいるように、常に彼女のそばから離れずに見守り続けている。

 

 しかし、希望を捨てずに立ち続けているティファニアにヤプールは狙いをつけた。超獣を動かし、目障りなものはすべて葬り去ろうと、悪意の炎を燃え上がらせる。エースが倒れ、アディールを守る人々の最後の希望の灯火も、無残に吹き消されてしまうのだろうか。

 空を闇に閉ざされたアディール。だが、闇をも小さなものと見下ろす大空の、太陽と月のあいだにひとつの星が輝き始めていた。

 果てに広がる無限の大宇宙……そこに生きる者にとっては、数千年のときも一時の瞬きにすぎない。六千年の時を超え、彗星が夜空に幾度も輝くように、この星に向けて再会を約束した青い光が向かいつつあることを、まだ誰も知らない。

 

 

 続く



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第92話  光の再来

 第92話

 光の再来

 

 ウルトラマンコスモス

 古代怪獣 ゴモラ

 地底エージェント ギロン人

 カオスリドリアス

 カオスゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 大蟻超獣 アリブンタ

 磁力怪獣 アントラー

 地獄超獣 マザリュース 登場!

 

 

 ヤプールの超獣軍団に襲われて、滅亡の危機に瀕しているエルフの国ネフテス。

 しかし、はるか六千年の昔と記録されるはるかな過去にも一度、この世界は滅亡の危機に瀕したことがあったという。

 それが忌まわしい名として語り継がれる『大厄災』。エルフの半数が死に絶え、全世界が焼き尽くされたという未曾有の戦争と、わずかな資料は語り継いでいる。

 それが、いかなる理由で始まり、いかなる経緯を持って終息したのかを知る者はすでにない。だが、わずかな遺産は確かに大厄災の過去を語り、人間の世界でもそれは始祖ブリミルの虚無の遺産の中に記憶が残されていた。その圧倒的な破壊の光景をビジョンで見たとき、才人とルイズは戦慄し、決してこれを起こしてはいけないと誓った。

 それでも、歴史は繰り返す。人間とエルフのあいだに積もり積もった歪みが、今度はヤプールを引き金にして破滅の大厄災をこの世界に繰り返させようとしている。

 だが、かつての大厄災が何故全世界の滅亡を目前にして回避できたのか。そこに、エルフたちはひとりの聖者の存在を提唱している。その名は聖者アヌビス、素性は不明で男性か女性かすらもわからず、アヌビスという呼び名も本名か通称であるのか、もしくは後世の者がつけた名なのかもさだかではない謎の人物であるが、彼の活躍によって悪魔は倒されて、この世界はすんでのところで破滅を免れたという。

 ただ、わずかな確かな記録では、聖なる手を持って、心よき者を救い、悪しき心に堕ちた者をも救ったという。

 そんな、大厄災を生き延びたエルフたちによって、彼の記憶は地下深く残されて語り継がれてきた。石像に姿を写した姿は、異世界でいう光の巨人とうりふたつ。彼がいずこから来た、何者であるかはいぜん不明でも、そのときの人々を守るために戦ってくれていたのは間違いない。

 そして、すべてが終わった後で彼はどこに去ったのか? それは、あらゆる資料が沈黙している。しかし、そこには同時に、彼が戦死したという記録は一切存在していない。もしも、戦いが終わった後で彼が宇宙へと帰ったのならば、もしかすれば……光の国の戦士たちに限っても、一万五千歳のウルトラマンAでさえまだ若者の部類に入り、十六万歳のウルトラの父でようやく壮齢に入るというところである。

 ならば、六千年前の大昔だとしても、もしかしたら。この世界が再び危機に瀕している今、闇だけではなく光もまた蘇ってきたら。

 都合のいい望みとわかっていても、光の戦士に大いなる希望を与えられてきた才人たちは、一縷の望みを胸のうちに灯す。

 

 

 しかし、その淡い希望も、圧倒的なヤプールの攻勢の前には潰え去ろうとしていた。

 

 

 ウルトラマンAが倒れ、人間とエルフたちの懸命の努力にも関わらず、次々に卑劣な手段を繰り出してくるヤプール。配下を捨て駒にし、怪獣たちの命はおろか心までももてあそぶ悪魔の手口の前には、折れそうな心を必死に奮い立たせて戦う人々の意志も、折れないままに力で潰されようとしている。

 

 マイナスエネルギーを得てパワーアップしたアリブンタとアントラー、マイナスエネルギーの影響で凶暴化してしまったリドリアスとゴルメデ。半亡霊のゾンビとして不死身に近い存在となったマザリュース。超獣軍団を指揮する、狡猾なギロン人。

 そして、怪獣界でもトップクラスのパワーを誇り、マイナスエネルギーの侵食で暴走するゴモラ。

 総勢、七体もの強力な怪獣超獣宇宙人の大軍団。しかも、アディール周辺はエネルギーフィールドで封印され、ウルトラ戦士にとって必要な太陽エネルギーを完全に遮断してしまっている。

 まさに、ここはヤプールの用意したウルトラマンAの処刑場であった。エルフたちは、極論すればエースをおびきよせるためのエサに過ぎず、その目論見どおりエースは全エネルギーを使い果たし、倒れてしまった。懸命に戦っていた人間とエルフたちも、すでに武器も魔法も使い尽くして、超獣軍団になすすべはない。

 絶体絶命、ほかに表現のしようがない絶望的な状況。エルフも人間も、あとはなぶり殺しにされるだけの哀れな獲物でしかない。

 

 それなのに……にも関わらず、ヤプールはいまだ勝者の笑いをあげることができずにいた。

 それは、これほどまでに追い詰めているのに、絶望から生まれるマイナスエネルギーが少なすぎることであった。ヤプールにとってしてみれば、アディールのような街ひとつを壊滅させることなど造作もない。はじめからいるだけの超獣を投入すれば、戦いはこれだけ長引くこともなく、東方号が到着する前にものの十数分で終わっていたに違いない。

 だが、それではだめなのだ。ただの力押しで侵略しては、ヤプールにとって最大の戦利品であるマイナスエネルギーが得られない。マイナスエネルギーの集合体であるヤプールにとって、それは妥協できない勝利条件なのであった。

 

 もっとも憎むべきウルトラマンAは倒した。ならば、なにが人間とエルフどもを支えている?

 それを探し、ヤプールは人々に途切れることなく呼びかけ続ける少女に目をつけた。

「皆さん、まだ十分に乗れるスペースはあります。慌てずに、周りの人を助けながら乗り込んでください。がんばって、あきらめないでください」

 立ち止まるなと呼びかけ続けるティファニアの声が、常にエルフたちの上にあることが彼らの心に希望の灯火を燃やし続けていた。

 人の心とは、本人が思っているよりもずっともろい。どんなに普段悠然と構えていても、たとえば不時着して炎上しつつある旅客機の中で、我先にと出口に殺到せずに整然と行動できる人間などほとんどいないだろう。

 けれども、人は闇の中では己を失い、簡単に絶望に落ちてしまうが、わずかでも光があれば、それを信じて前に進むことができる。

 昔、とある客船が沈没したときに、乗客を勇気付けようと沈み行く船上に残って演奏を続けた楽団があったという。

 不時着した旅客機の話にしても、客室乗務員が冷静に乗客に避難するよう呼びかけた機は、ひとりの犠牲者も出さなかった実例がある。

 人はひとりでは弱い。しかし、はげましてくれる誰か、希望になってくれる誰かがいれば、絶望などにたやすく負けはしない。

 しかし、希望の中心、それを見つけたヤプールの目が冷酷に輝く。希望を何よりも憎む闇の存在、ヤプールは目障りな光の残照を消すために配下に命じた。

「やはり、貴様が人間どもの要だったか! ええい、ゴミのような存在のくせに生意気な。マザリュースよ、雑魚どもの相手はもういい。あの小娘を殺してしまえ!」

 その瞬間、空を覆う闇がうごめいた。そして東方号の真上に、不気味な姿の超獣の怨霊マザリュースが姿を現した。とたんに響き渡る赤ん坊のようなけたたましい鳴き声。さらに、至近距離に現れたマザリュースの笑っているようなおぞましい姿が、見る者の背筋を凍らせる。

 そして、マザリュースは立ち尽くすギーシュたちには目もくれず、そのぎょろりと丸い目でティファニアを睨むと、火炎弾を放ってきた。

「え……?」

「テファーッ!」

 わずか百メートルほどの距離で放たれた火炎弾は、狙いを違えることなく東方号の頂上に命中した。赤い炎に包まれた艦橋を見て、ギーシュたちの顔が蒼白となる。

 だが、炎が引いた後で、ティファニアは無事な姿を見せた。ルクシャナがあの瞬間、ありったけの力を使ったカウンターで彼女を守ったのだった。しかし、それも一度限り、精霊に呼びかける力を失ったエルフは、ただの人間と変わりない。

「まったく、わたしはひ弱な学者ふぜいなのに、無茶させてくれちゃって。ほんと、あんたは手間のかかる研究素材よねえ……はは、もう精神力がカラだわ」

「ル、ルクシャナさん!」

「バカ、さっさと逃げなさい! あいつはあんたを狙ってる。あんたが死んだら、もうエルフにも人間にも希望はないのよ! ハルケギニアにも、私の故郷にも!」

 ルクシャナはティファニアをひきづるようにして艦橋から連れ出そうとした。だが、入り口の鉄の扉は火炎で焼けていて、とても触れるようなものではなかった。逃げ場を失った二人に向かって、マザリュースはさらに火炎弾を放とうとしてくる。

今度は防ぐ手立てはない。

 マントを広げて、ルクシャナはティファニアをかばおうとした。砂漠の民の衣服はある程度の耐熱性はあるが、そんなものは焼け石に水でしかない。それでも、万に一つの可能性に賭けていた。生まれ育った故郷を守るために。

「ルクシャナさん!」

「いい、火が行っちゃうまで息をするんじゃないわよ。のどが焼けて呼吸できなくなるからね。それと、アリィーには悪いけどよろしく言っておいて。やっとわたしなんかと別れられてよかったね、早くいい子を見つけられるといいわねって」

 切れ長の瞳に優しい笑顔が、ティファニアにルクシャナの覚悟を教えてくれた。止めようとする言葉が、のどまで出掛かってそれ以上上がってこない。ここまでの覚悟を決めた相手を、どう言って止められるというのか。超獣は、今度こそ火炎弾を外すまいと放ってきて、視界が赤く染まっていく。

 もう誰が急いで飛んできても間に合わない。ルクシャナの悲しい背中を見て、ティファニアは無駄だと知りつつ、願いを託すように輝石を握り締めて祈った。

”誰か、誰でもいいからルクシャナさんを助けて、お願い!”

 自分にはやるべきことがある、けれどそのために誰かが傷つくのは嫌だ。その、矛盾して、都合のいいとさえいえる願いは神も呆れてかなえるのをためらうかもしれない。しかし、どんなに崇高な理由があろうとも、犠牲になった命と、その人生が返ってくることはないのだ。

 ただひたすら、純粋に願う心にあるのは優しさのみ。その心が届いたのか、冥界への門をくぐろうとしていたふたりは今一度救われた。だが、それとても、重い代償を運命の女神は支払わせた。至近距離まで迫っていた火炎弾とティファニアとのあいだに、突如カオスリドリアスが割り込んできたのだ。

「あ、ああっ!」

 ティファニアの眼前で火炎弾を背中に受けたカオスリドリアスは、煙をあげながら東方号の甲板に墜落した。主砲の上に這い蹲るようにして倒れこみ、苦しげに首をあげて弱弱しく鳴く。その目は、元の優しかったリドリアスのものだった。

「最後の力で、正気を取り戻して助けてくれたんだね……そんなになってまで、わたしなんかのために、ごめんね、ごめんね」

 ぽろぽろと、ティファニアの瞳から涙が零れ落ちていった。すまなさと悲しさと、情けなさが心に満ちていく。自分たちとなんの関係もない怪獣までが、必死にヤプールの呪縛にあらがって助けてくれたのに、自分はなにも返してやることができない。

 苦しむリドリアスは、懸命に我が身を蝕むマイナスエネルギーと戦っていた。自分の心は自分だけのものだと主張するように、悪の力そのものであるマイナスエネルギーを追い払おうと、翼を羽ばたかせて体をよじる。しかし、ヤプールの強烈な負のパワーはリドリアスの肉体の奥底まで食い込んで、無駄な抵抗だとあざ笑うようにその瞳を狂気の赤に染めていく。

「愚かな奴め、怪獣は怪獣らしく破壊衝動にだけ身を任せていればいいものを。人間どもなぞの味方をするからこの様だ」

 ヤプールは、死に掛けのリドリアスを見下ろして冷酷に告げた。しかし、ティファニアは涙を流しながらも、空からあざ笑う悪魔に向かって叫び返した。

「ヤプール! あなたに、あなたに生き物の価値を決める権利なんてない! 人間だって、エルフだって、怪獣だって、みんな一生懸命に生きているだけなのに、みんな平和に生きたいだけなのに、あなたにみんなの幸せを奪う資格なんてないわ!」

「フハハハハ、弱い者は常にそうやってほざく。この宇宙は、より強いものが弱いものを支配する。星をひとつ滅ぼすたびに、お前のような力を持たない負け犬が吼えるが、絶対的な力の前には何も変わりはしないのだ!」

 あざけるヤプールの笑い声が、歯を食いしばるティファニアを冷たく包み込む。彼女も、ずっと森の中で暮らしてきたとはいえ、まったくの世間知らずというわけではない。襲ってくる野盗から子供たちを守るために杖をとったことも何度もある。しかし、改心を信じて見逃してきた野盗と違い、絶対悪であるヤプールには雪山のような抗いがたい冷たさしか感じなかった。

「さあて、無駄話で時間稼ぎをするのもそのへんにしてもらおうか。役立たずのその鳥はあとで始末するとして、貴様は先に死んでもらおうか」

「ヤプール……あなたは、あなたは……っ!」

 悪魔、と言いかけた言葉をティファニアは飲み込んだ。ののしる言葉を吐いてしまったら、それでこの悪魔に負けてしまうような気がしてならない。悪魔が悪魔たるゆえんは、なんでもない人々を悪の道に引きずりこんでしまうことだ。欲望、妄想、怒り、悲しみ、憎悪、誰の心にでもある闇を増幅させ、ヤプールは己の手駒として利用してきた。

 そして、利用できないと見たものに対しては、悪魔は限りなく冷酷になる。マザリュースは怨念そのままの邪悪さで、今度こそとどめを刺すべく焦点の合わない目を向けてきた。今度こそ、もう助からない。助かりようもない……それなのに、誰もあきらめていない光景がティファニアの目に映ってくる。

 死が間近に迫る、静止画のような世界。無駄だと知りつつかばおうとしてくれるルクシャナ、間に合わないと知りつつ駆けつけてこようとしている仲間たち……皆、自分のために……ティファニアは彼らの心の叫びを聞き、戦う姿を見て、心の底から願った。

 

 

”もう誰にも、わたしのために傷ついてほしくない。わたしにも、わたしにも……みんなを守れる本当の強さがほしい!”

 

 

 その瞬間、ティファニアの思いに呼応するかのように、彼女の握り締めていた輝石がまばゆい輝きを放った。

「えっ? なっ、なに!」

 光は驚くティファニアとルクシャナの前で、矢のように天に立ち上った。そして、闇に染まった天空の一角が破られて、太陽の光とともに青く輝く光の玉が舞い降りてきた。

 あの色は、輝石の輝きと同じ!? 呆然と見守るティファニアの前で、青い光の玉は超獣マザリュースにぶつかると、その輝きでマザリュースを包み込んだ。光の中で超獣の悪霊は断末魔をあげ、溶ける様に崩れていく。そして、破られた闇の結界から降り注いできた太陽の光が差した瞬間、マザリュースは光の中に消滅した。

 

 

”あきらめるな、君たちにはまだ、守らなければならない未来がある”

 

 

 そのとき、ティファニアは心に呼びかけるような力強い声を聞いた。

 

”あなたは誰? わたしに話しかけてくる、あなたは?”

 

”私は、君の未来を信じる強い思いに導かれてやってきた。種族のかきねを超えて、すべての命をいつくしむ君の優しさと、困難に立ち向かう強い意志が、私にこの星に迫る危機を教えてくれた。

 

”あなたは誰……? 神さま……?”

 

”私は神ではない。しかし、私は君を通して、今のこの星の人々の持つ大いなる可能性を知った。私も、今一度この星を守りたい”

 

”もしかしてあなたは……大昔にエルフたちを守ってくれた、聖者……”

 

 ティファニアが、あのバラーダの神殿で聞いた名を呼ぶと、光は彼女の心に映る光景に自分の姿を形にして投影して見せた。

 光の中にたたずむ、銀色の勇姿。それはまさしく、ティファニアが心に夢描いてきた希望そのものだった。

 

”あなたは……やっぱり!”

 

 心と心の会話は時を必要とせず、光の化身はティファニアの心と幻のように語り合って去っていった。

 後には、天空に輝く光が現実として残り、その輝きは闇に呑まれようとしていた街を新しい輝きで照らし出していった。

 

「マザリュース! な、なんだいったい!?」

 ヤプールも、突然の事態に驚き戸惑っていた。アディールを完全に封印していたはずのエネルギーフィールドを貫き、舞い降りてきた光の玉はマザリュースを消し去り、東方号とティファニアの頭上に輝いている。その輝きはヤプールのマイナスパワーのそれとはまったく違い、夜空の満月のように優しく穏やかな色をはなっている。

 そして、夜の終わりを月が示すように、光の玉が開けたエネルギーフィールドの裂け目から、闇の結界は雲が晴れるように消滅していった。それに次いで現れる青空、太陽の輝きを見て人々は喜びの声を上げた。

「太陽が……太陽だわ!」

 闇の結界は崩れていき、アディールを再び白い太陽が照らし出していく。人間とエルフたちは、その美しい輝きに見惚れて空をあおぎ、ヤプールと超獣たちは闇の結界の崩壊にうろたえる。

 そして、青い光は彗星のようにティファニアの真上を飛び去ると、光の雨をリドリアスに降らせていった。白くまばゆく輝く美しい光のシャワーを浴びると、苦しんでいたリドリアスの表情が穏やかになり、その体から黒いもやのようなものが抜け出していった。すると、変異していたリドリアスの肉体が逆再生を見るように元に戻ったではないか。

 治ったの! と、歓呼の声をあげるティファニアたち。そして、リドリアスが光の玉を見上げて懐かしそうな声で鳴くと、光の玉は応えるように数回瞬き、まっすぐにアディールを目指して飛びたった。その目指す先にいるのは超獣軍団! 光の砲弾のように青い光はアディールで暴れる怪獣、超獣のあいだをすり抜けていき、強烈な光を放ってエースを囲んでいたアントラーやアリブンタをふっとばした。

「この……光は」

 エースも、倒れながらも空をあおぎ、その光に初めて見るとは思えない不思議な近親感を感じていた。

 この光の暖かさと穏やかさ、そして内から感じられる力強さは、まるで光の国の正義の炎と同じ。

 そして青い光の玉はゆっくりと倒れ伏しているヒドラのもとに舞い降りた。

 その光芒の中から具現化し、大地に降り立つのは新たな光の巨人。

 

「青い巨人……あの、ウルトラマンは!」

 

 彼らは、その巨人を見たことがあった。いや、忘れようもないほどすぐ前に、彼の姿は東方号の人間たちとエルフの脳裏に刻み込まれていた。

 初代ウルトラマンを彷彿とさせる銀色を基調としたスマートな肉体と、柔和さを感じさせる穏やかな眼差しを持つ顔は、まさにあの神殿に奉られていた古代のウルトラマンとうりふたつ! そして、その身の銀色を包むのは、大海、大空、月光のごとき深い青。

 青い、ウルトラマン。あれが、かつて滅亡の危機に瀕したエルフたちを救ったという、伝説の巨人。あの伝説は、本当だったのか!

 真実を知る者も、知らない者も息を呑んで見守る中で、青いウルトラマンは虫の息で横たわっているヒドラのたもとにひざをつくと、体の上に手のひらをかざした。すると、その手から輝く光の粒子がシャワーのようにヒドラに降りかかっていった。

『コスモフォース』

 光の粒子はヒドラの体に吸い込まれ、ヒドラの体中にあった傷がふさがっていき、苦しんでいた息も整ってきた。

 エネルギーを与え、傷を癒す蘇生の力。あれが、あのウルトラマンの力なのか……

 

 ヒドラの体を優しく横たえた青いウルトラマンは、手のひらを掲げる構えをとって立ち上がった。

「ムゥゥン、ヘヤァッ!」

 戦うというのか。しかし、相手はまだ五体以上もの大軍団。新しいウルトラマンがどれほどの力を持っているかは未知数だが、いくらなんでも無謀だと誰もが思った。

 だが、想定外の事態にうろたえていたのはヤプールも同じだった。ウルトラ兄弟ではなく、今までこの世界で確認されたどのウルトラマンとも違う、ヤプールも見たこともない未知のウルトラマン。確かに戦力差では、まだ圧倒的に超獣軍団が有利だ。しかしヤプールは直感によって、青いウルトラマンが非常に危険な存在だと感じ取った。

「おのれぇ、だが雑魚がいまさらひとり増えたところでなにができる! ひねりつぶしてくれるわぁ!」

 ヤプールの敵意の命令を受けて、ギロン人が超獣軍団に攻撃を命じた。

 ゴモラ、アントラー、アリブンタ、カオスゴルメデ。マザリュースを欠いたとはいえ、四体もの怪獣・超獣が四方から青いウルトラマンに襲い掛かっていく。

 はじめに対決することになったのはゴモラだった。突進力にものを言わせ、エースを追い詰めたときと同じように角を振り立てての真正面からの突撃の威力は、いまさら語るまでもない。

 どうする? 同じ疑問を抱いてのまなざしが、善悪を問わずに青いウルトラマンに注がれる。避けるか、受け止めるか? だが、青いウルトラマンは突進してくるゴモラの勢いに逆らうことなく、まるでダンスのステップを踏むように身をかわして、ゴモラをそのまますり抜けさせてしまった。

「かわした!」

 目標を見失ったゴモラは、何もない空間にパワーを浪費させて止まるしかなかった。青いウルトラマンにはかすり傷ひとつない。

 だがむろん、ゴモラがそれでおさまるはずはなく、再度突進を仕掛けてくる。また、ほかの怪獣、超獣たちも続々と迫ってくる。

 今度はどうする!? だが青いウルトラマンは臆することなく、そのすべての攻撃を俊敏な動作でさばいていった。

「シュワッ! ハッ、フッ! ヘヤァッ!」

 ゴモラの突進を闘牛士のように受け流し、アントラーのはさみこみの勢いを利用して回転投げをかけ、アリブンタが気づいたときには後ろに回りこんで押し倒していた。怪獣たちはその間、青いウルトラマンに指一本触れられていない。まるで、宙に舞う木の葉のように、いくら棒切れを振り回してもするりするりとかわしてしまう。

 なんという無駄のない身のこなしなのか、怪獣たちのパワーが完全に翻弄されている。体術に覚えのある人間やエルフは、青いウルトラマンの見たこともない技法、地球で言えば合気道のような、相手の力を逆に利用する方法で怪獣たちをいなす姿に美しささえ覚えて嘆息した。

 が、避けるだけでは勝てない。怪獣たちはいなされても勢いを衰えさせず、最後に遅れてきたカオスゴルメデがゆっくりとした足取りでつかみかかってくる。こいつは勢いを利用していなすことはできない。なら!? 青いウルトラマンは構えをとり、掌底を胴に当てて押し返した。

「ハァッ!」

 押し返されたカオスゴルメデは後ずさり、青いウルトラマンは構えを取り直す。カオスゴルメデは怒って再度攻撃を狙ってくるが、青いウルトラマンは腕や手のひらでその攻撃を受け止め、あるいは受け流してしまう。カオスゴルメデはさらに怒り、噛み付き、尻尾攻撃などを次々と繰り出してくるが、そのすべてはかわされる。

「あの身のこなし、まるで踊っているようだ……」

 あるエルフの戦士はそうつぶやいた。怪獣がいくら攻撃をかけても、その攻撃はさばかれて、あらぬ方向へと力を空費させられてしまう。

 そう、まさに力が空回りさせられている。カオスゴルメデだけではない、ゴモラやアリブンタがいくら攻撃をかけようとしても、青いウルトラマンは攻撃のすきまを縫い、力をいなし、相手の力を逆用し、気づいたときには死角から押されて、味方の怪獣と衝突させられてしまったりしてフラフラだ。

「シゥワッ!」

 無駄がない動き、どころの話ではない。怪獣たちのむきになっての四方からの攻撃も、まるで風の妖精が捕まえようとする人間の手のひらからすり抜けていくように、エネルギーを無駄にするだけでまるで当たらない。これではウルトラマンと怪獣との戦いではなくて、怪獣たちが同士討ちをしているようなものにさえ見えた。

 だが、人々は戦いを見守りつつも、青いウルトラマンの戦い方にひとつの特徴があるのに気がついた。それは、彼は戦いの中でどんなに攻撃に有利な状況になっても、決して押し倒したり投げたりする以上の攻撃をかけないことだった。

 今だ、パンチだ! と思っても、掌底の一撃で押し返し、相手の腹ががらあきの状態でもキックをかけずに、わざと体の強固な部分を選んで軽い蹴りを放ち、打撃を跳ね返すだけにとどめている。それは、相手の消耗を待って、自分の力を温存して戦っているのかと最初は思われたが、そうする必要のない絶好の機会でも決して彼は怪獣たちを殴らない。いや、戦いが始まってからこれまで、彼は掌底か手刀のみで戦い、一度たりとて拳を握ってはいない……彼はまさか、人々がそう思い始めたとき、カオスゴルメデがヒドラを倒した必殺光線『強力怪光』を吐いて攻撃してきた。

 危ない! だが、青いウルトラマンは手をかざして青いバリアーを作り上げた。

『リバースパイク!』

 バリアーにさえぎられて、強力怪光はウルトラマンには当たらない。それでもカオスゴルメデは力づくでバリアーを突破しようと強力怪光を吐き続けるが、青いウルトラマンはバリアーを張ったままカオスゴルメデに向かって飛ばしてぶつけた。

「フゥワッ!」

 強力怪光を押しのけながら飛んできたバリアーはカオスゴルメデに当たり、カオスゴルメデは全身がしびれたように体を震わせた。バリアーの威力はショックを与える程度でダメージを与えるにはいたっていないが、それでも一時的に動きを止めるだけの働きはあった。そして、青いウルトラマンは他の怪獣たちが自分と一定の距離を持っているのを確かめると、両の手のひらを胸元で上に掲げた。その手にきらめく光の粒子が集まっていき、彼は手のひらを空に向かって上げた。

 あれは光線技の構えか。今なら確実に当てられるだろう、だがそうしたら操られているゴルメデもろとも……しかし、彼の手に集う光はどこまでも優しく美しく、彼は集まった光をゆっくりと押し出すようにして右手のひらから放った。

 

『フルムーンレクト』

 

 光の粒子はカオスゴルメデの全身を包み込むように降り注いでいき、すると暴れ狂っていたカオスゴルメデの動きが静まった。目の輝きに溢れていた狂気の色が消えていき、体から黒いもやのようなものが抜け出ていく。あれは、ヤプールの与えたマイナスエネルギーの塊か……ゴルメデを蝕んでいた邪悪なパワーが消え去ったことで、カオス化していたゴルメデの肉体が元に戻っていく。

 邪悪な力を消し去る浄化の力……あれが、あのウルトラマンの力なのか。相手の力を受け流す戦い方を続けていたのも、怪獣たちを傷つけないようにするためだったのか。人々は、腑に落ちない戦い方を続けていたウルトラマンの目的が、怪獣の撃破ではなく救命にあったことを知った。

 ゴルメデに宿ったマイナスエネルギーが完全に浄化されたことを見た青いウルトラマンは、よかったというふうに静かにうなずいた。解放されたゴルメデはゆっくりと倒れこんだが、目を閉じて安らかな息を吐いている。その光景を見て、東方号の甲板で火傷を負ったギーシュの腕を治療していたモンモランシーは微笑みながらつぶやいた。

「優しいのね……あのウルトラマン」

「ああ……あんな戦い方も、敵を守るための戦い方なんてものもあるんだな。すごいな……ほんとうにすごいよ」

 きざったらしい顔に真剣な眼差しでギーシュも感動していた。今まで自分は、戦いでは味方を守り、敵を傷つけるのが当然だと思っていた。恐らく、ほかの大勢の人たちもそうだろう。そして、ヤプールに操られたあの怪獣たち、もしも自分ならば、苦渋はしても最後は倒すことを選択していただろう。仮に浄化の手段を持っていたとしても、そのためにはかなりの割合でゴルメデを傷つけてしまったに違いない。しかし、あのウルトラマンは徹底して相手にダメージを与えない戦法を貫いて、ほとんど無傷のままでゴルメデを救ってしまった。

 すごいと思い、同時にまだまだ世の中には学ばなければならないことがあるのだと思う。

 敵を傷つけずに無力化し、救う戦い方。より敵を傷つける戦い方をばかり追及してきた自分たちには思いもよらなかった。

 

 だが、ゴルメデを救うために精神を集中した隙に、怪獣たちは次の行動をとっていた。

 突然、青いウルトラマンの足元の地面が崩れ、地中から出現したアントラーが背後から襲い掛かった!

「フワッ!? クォォッ!」

 間一髪、大アゴで挟み込まれるのだけは回避したものの、ふいを打たれたのでは攻撃をさばく暇もなかった。大アゴを両腕でがっちりと掴んで押し返そうとするが、足場が崩されていては力が出せるわけがない。そして、彼に向かって、今度こそといわんばかりにゴモラが助走をつけて、砂煙を巻き上げながら突撃してくる。

 危ない! エースに大ダメージを与えたあの攻撃。しかも、助走距離はさらに長いから威力も当然のごとく倍増している。さらには振動波の破壊力も加われば、万全の状態からでも一撃で致命傷になりかねない。ゴモラはアントラーも巻き添えにしてもいいといわんばかりの勢いで突撃してくる。アントラーは青いウルトラマンが少しでも力を緩めたら、そのままはさみ切ってしまいそうなパワーを緩めない。

 やられるっ! 誰もがそう思ったとき、アントラーに銀色の弾丸が叩き込まれた。

 

「トォーッ!」

 

 誰も想定していなかった。傷ついて、今にも息絶えようとしていたかに見えていたウルトラマンAが駆け込んできて、横合いからアントラーにジャンプキックをお見舞いしたのだ。

 力のベクトルを崩され、横殴りに吹っ飛ばされるアントラー。

 今だ! 青いウルトラマンはアントラーから解放され、蟻地獄から脱出を図ろうとする。すぐ後ろにはゴモラ、だが、アントラーに一撃を決めたエースがそこで力尽き、蟻地獄に沈もうとしているのを見た彼はエースを抱えて飛び上がった。

「ショワッチッ!」

 間一髪! 飛翔した青いウルトラマンのすぐ下をゴモラが猛烈な勢いで通り過ぎていった。空振りし、勢いがつきすぎたままでゴモラはあさっての方向に街を破壊しながら突き進んでいく。アントラーは踏みつけにされ、アリブンタは地上での行動力の鈍さからすぐには近づいてきそうにはない。

 青いウルトラマンは離れた場所に降り立ち、エースを降ろした。

 ほっとする人々。よかった、ウルトラマンはふたりとも無事だった。しかし、エースのカラータイマーは今にも消えそうで、肩は苦しそうに上下している。さっきの一撃は、気力で体を無理矢理動かしての最後の力。それを使い切ってしまった今、命の灯火が尽きかかっているのは誰の目にも明らかだった。

 その最後の力を使って、絶体絶命の危機を救ってくれた。青いウルトラマンは深くうなずくと、額に指を当てて精神を集中した。

「ハァァッ……」

 青いウルトラマンの額が光り、緑色の光が線のようにエースの額のウルトラスターに吸い込まれていった。

 

『ラミーサプレー』

 

 高エネルギーに満ちた回復光線がエースの全身を駆け巡り、尽きかけていたパワーがみるみる回復していった。カラータイマーが危険信号を鳴らすのをやめ、再び美しい青色に返っていく。エースは、体を駆け巡る正しいエネルギーの脈動に、彼の真実を知った。

〔ありがとう、おかげで助かった〕

 どちらからともなく、ふたりのウルトラマンは互いに礼を言い合った。立ち上がり、差し伸べた手をとり握手をし合う。ウルトラマンAと、人々はまだ名も知らない青いウルトラマン……彼らのその姿は、心を通わし相手を認め合うのには難しいことはなにもいらないと、そう教えているようだった。

 そして、人々は青いウルトラマンの、ゴルメデを救った輝きにひとつの言い伝えをおぼろげに重ね合わせ始めていた。

【光る手を持って、あるときは青き月の光のごとき優しさで悪魔に憑りつかれたものを鎮めた……勇者】

 確証はない。口に出す者もいない。しかし、現実は今この瞬間に目の前にある。

 瞬きしている間にも、戦いは次なるステージへとその幕を進める。わずかな休息の時は去り、再び超獣と怪獣の凶暴な叫びが街にこだました。

〔いこう〕

〔ああ!〕

 目を合わせて短くうなずきあい、ふたりのウルトラマンは構えを取る。互いのことを何も知り合っていなくても、ふたりともその目で見た相手の姿で意思を決めていた。

 そしてその心は最初からひとつ、ならばこれ以上の言葉はいらない。

 

「シュゥワッ!」

「ヘヤァッ」

 

 アディールに太陽が蘇り、ふたりの光の戦士が立ち上がった。だが、まだヤプールの軍団は強力で油断は出来ない。

「おぉのれぇぇ! いい気になるなあ! まだ勝負はこれからだ。ひねりつぶし、叩き潰し、皆殺しにしてくれる!」

 ギロン人、アリブンタ、アントラー、ゴモラ。いずれも強力無比な強敵たち、彼らのパワーにはいささかの衰えもなく、戦いはまさにこれからが本番だ。

 激突の時は避けようもなく、刹那の未来に始まるだろう。ウルトラマンAと青いウルトラマンに、アディールの未来は託された。

 

 そんな中で、ティファニアは一心に祈りながら、ひとつの名前をつぶやいていた。

「お願い、みんなの未来を守って……コスモス」

「コスモス? それってもしかして、あのウルトラマンの……」

 尋ねるルクシャナに、ティファニアはうなずいた。

 あのとき、最後に彼が言ったことが心の中に蘇ってくる。

 

”私は、君たちが生まれるよりずっと遠い昔から、宇宙に生きる者たちを見守ってきた。その中には残念ながら、滅んでしまった星や生き物たちも数多くある。だが、苦難に負けずに新しい未来を掴むことができた者たちは、皆どんなときでもあきらめずに、希望を信じ続ける心を持っていた。君にもきっと、同じ強さがあるはずだ”

 

”わたしなんかに、そんな強さが……教えて! わたしにできることがあるなら、わたしは命にかえても果たしたいの”

 

”残念だが、その答えは君自身が見つけ出さなければ意味がない。だが、命あるものには必ずその可能性があることを、私は以前にひとりの人間の友から教わった。時間はかかるかもしれないが、それまでは私が君たちの未来を守るために戦おう”

 

”わたしたちのために、戦ってくれるの? ウルトラマン”

 

”いいや、君たちだけではない。この星に生きる、すべての生命のために私も命をかけよう。だが君たちが正しい未来へたどり着けるかは、君たち自身ががんばらなければならないことを忘れてはいけない。そうでなければ、何度でも同じことが繰り返される。いいね……”

 

”ま、待って! わたしはまだ、あなたに聞きたいことが! まだ名前も聞いてないのに”

 

”私はコスモス、ウルトラマンコスモス……あきらめるな、君の思いは、決して無駄ではないのだ”

 

 光との出会い、それはティファニアの心に強く刻み込まれた。

 人間もエルフも、やれることはやりつくした。あとは、あとは頼むぞウルトラマン!

 

「わたしは、わたしはあきらめてなんかない! でも、わたしには戦う力はないの! お願い、あなたがこの世界を愛しているなら、力を貸して! ウルトラマンコスモス!」

 

 叫びはこだまとなり、力となって光の戦士に届く。

 光が勝つか、闇が勝つか。数多くの願いと祈りを受けて、戦いは決戦へとその幕を進める。

 

 

 続く



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第93話  地上の太陽

 第93話

 地上の太陽

 

 友好巨鳥 リドリアス

 古代暴獣 ゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 古代怪獣 ゴモラ

 地底エージェント ギロン人

 宇宙同化獣 ガディバ

 大蟻超獣 アリブンタ

 磁力怪獣 アントラー 登場!

 

 

 人間とエルフ、対立するふたつの種族の融和の願って出発した新・東方号の旅は、その目的を果たせないまま終わろうとしていた。

 ふたつの種族の和睦を嫌い、ヤプールの起こしたアディール壊滅作戦。それは、手段を選ばないヤプールの勝利に終わるかと思われた。

 

 だが、あきらめない心は、はるか数百万光年の距離を超えて奇跡を起こし、光の巨人を呼び寄せた。

 マイナスエネルギーに囚われたリドリアスとゴルメデを救い、エースを復活させた、月の光のごとき慈愛の青き輝き。

 

 ヤプールの軍団は、ギロン人、アリブンタ、アントラー、そしてゴモラ。すでに送り込んだ怪獣・超獣・星人のうち、ゴーガ、バルキー星人、サメクジラ、オイルドリンカー、ダロン、マザリュースは倒され、洗脳したリドリアスとゴルメデは解放されて、その戦力は三分の一にまで減少してしまっている。本来ならば、残った四体でじゅうぶんにエースを倒せる算段だったのだが、新たなウルトラマンの参戦はヤプールにとっても完全に想定外であった。

「この世界に、まだウルトラマンがいおったとは! おのれ、どの世界でもわしの邪魔ばかりしおって……ならば、仕方がない。宇宙警備隊との決戦に備えて温存しておきたかったが、超獣どもよ、新たなパワーを受けとれぇ!」

 この世界で溜め込んできたマイナスエネルギーの、さらなる波動が闇の雷のように超獣たちに降り注ぐ。ギロン人の目にどす黒い光が宿り、アリブンタとアントラーはダメージが完全に回復してさらなるオーラに包まれている。

 そして、ゴモラは本来茶褐色の肉体が有り余りすぎるエネルギーのためか、赤く変色してしまっている。天をも震わすような凶暴な叫び声をあげて、鋭い牙を鳴らしている。完全に理性は消滅し、破壊衝動のみに支配されてしまっているようだ。ただでさえ強いゴモラが、さらに……

 だが、それにしても、あれだけの超獣軍団を繰り出して、あれだけのパワーを使ってなおこれだけの余力があったとはと、才人やルイズはそら恐ろしいものを感じた。この世界は、確かに多くのゆがみを抱えた苦行の世界だが、それほどまでに人々の心の底には巨大な闇が眠っていたのか。

〔わたしたちのやってきたことは、本当に正しかったの!? これほどの闇を内包してる世界……本当に救う価値がある、の?〕

 光を信じていても、この圧倒的な闇の力を目の当たりにしてはそう思ってしまう。特に、ルイズは小さい頃から魔法を使えないことでいじめられてきた経験を持つので、なおのこと闇の力の強大さに恐れを抱いてしまった。

 だが、迷うルイズにエースは優しく諭した。

〔ルイズくん、君が疑うのは正しい。人は、その心の内に大きな闇も持ち合わせている生き物だ。悪の力は強大で、底知れない。しかし、だからこそ人の心に宿る光は、この宇宙のなにより強く輝くことができるのだと私は思う。思い出してみるんだ。君も、最初から今ここにいる君だったわけじゃない。私は見てきた。君は、君自身の中に宿る怒りや憎しみ、悲しみや葛藤をひとつずつ乗り越えて、自分を強く鍛え上げてきた。悪と戦い、勝利することで人はより強い光になれるんだ!〕

〔わかったわ……アレは単なる敵じゃなくて、わたしたちが乗り越えるべき壁だってことね。いいわ、逆境上等じゃない! わたしがこれまで耐えてきた逆境に比べたら、闇の力ごとき束になってかかってきてもお釣りがくるわ!〕

 立ち直ったルイズは気合を入れなおすように叫んだ。その後姿に才人は、ルイズほどではなくとも同じ疑問を抱いていた自分と、今のルイズを比べて、正直にルイズはたいしたやつだと思った。どんな障害に足元をすくわれても必ず立ち上がり、前が見えなくともしゃにむに突き進んで道を切り開いてしまう。貴族としての気高さと、泥臭いしぶとさを併せ持っている。

〔人間は、いくらだって強くなれる。か〕

 人間、頭ではわかっていたつもりでも、それを心から理解するのは難しいらしい。ルイズの姿に、また教えられた気がした。本当に、ルイズは少しのあいだにどんどん成長していく。成長することを恐れず、ひたむきなまでの前向きさがルイズの何よりの強さの秘密なのだろう。毎日を漫然と学校の行き帰りに費やしていただけの才人には、それがとほうもなく大きく見えて、そしてうらやましかった。

 だが、このまま置いていかれて黙っていられるほど才人はおとなしい性格ではなかった。

〔ようし! じゃあもう一丁いってやるか。ヤプールをこの街から叩き出してやろうぜ!〕

〔気合を入れなさいよサイト! わたしより先に倒れたら一週間食事抜きだからね〕

 ルイズが前へ進み続けるなら、俺も走って追いかけよう。あいつはお姫様だっこされて男についていくような魂ではない。二人三脚のひもが切れるほどに自分の足で走り続けていないと気がすまない暴れ馬だ。だが、だからこそ毛並みは美しく、気高く大地を踏みしめる優美さに満ちている。

 才人は思う、ルイズとならいつまでだって走っていける。

 若者たちにとっては、生きることそのものが試練だ。しかし、その試練がときに重くなりすぎるとき、大人は道を指し示して守ってやらなくてはならない。

 

 希望を失わない人々から希望を奪おうと、悪魔は怒声をあげる。

「叩き潰せ超獣どもよ! 街も人もウルトラマンどもも、形あるものはすべて破壊しつくしてしまえ!」

 これを迎え撃つは、我らのウルトラマンAと、新たな戦士ウルトラマンコスモス!

「これ以上、誰ひとりたりも傷つけさせない。ヤプール、お前の悪事もここまでだ!」

「平和を壊し、命をもてあそぶ権利は誰にもありはしない。戦いは望まないが、ここより先へは一歩も進ませない」

 今、決戦の幕は切って落とされた!

 

「シュワッ!」

「トォォッ!」

 

 二対四の圧倒的に不利な状況にも関わらず、ふたりのウルトラマンは憶さずに飛び込んでいった。

 ウルトラマンひとりに対して敵は二体ずつで迎え撃ってくる。エースにはゴモラとアントラー、コスモスにはギロン人とアリブンタがそれぞれ相対し、激闘の火蓋は切って落とされる。

「がんばれ、ウルトラマン!」

「まけるなーっ! ウルトラマーン!」

 今ではエルフの人々も、大きな信頼をウルトラマンに寄せるようになっていた。それはほかでもない、彼らの命をかけた戦いが認められたということだ。整然と組み立てられた百の言葉よりも、目の前で起こされる一の行動のほうが大きく心を動かすのは、大昔から変わらない不変の原理のひとつだ。

「テェェーイッ!」

 エースの水平チョップがゴモラの首筋に叩き込まれ、続いてジャンプし胴体にキックをお見舞いする。

 もちろんゴモラもこんなものではまいらず、自慢の尻尾をふるって反撃してくるが、今のエースはエネルギーに満たされて元気百倍! それに、二度も三度も同じ攻撃でやられるエースではない。尻尾を掴んで、逆にジャイアントスィングのように思いっきり振り回してやった。

「トァァッ!」

 五回、六回、七回と、やんちゃが過ぎた子供へのおしおきのように振り回し、最後は遠心力のまかせるままに投げ捨てた。落下地点にいるのは当然アントラー、磁力光線を使ってもこれはかわしようがなく、押し倒されて二匹は仲良くサンドイッチになった。

「いいぞーっ! その調子だぁーっ!」

 むろん、東方号でもティファニアやギーシュたちをはじめ、いるだけのメンバーが集まって声を張り上げている。彼らもうれしいのだ。自分たちはできるだけの努力をした。その努力に、ウルトラマンは応えてくれた! 自分たちがあきらめずに戦い抜いたからこそ、ウルトラマンは来てくれた!

 甲板で戦っていた者たちだけではない。負傷して運ばれ、手当てを受けてまた上がってきた者たちも加わって手を振っている。それだけではない。東方号の甲板や舷窓などには避難してきたエルフたちが詰めかけ、外の戦いを歓声をあげて応援していた。

「頑張れ! 負けるな!」

 絶望の中で希望を捨てずにいたからこそ、奇跡は起きた。ならば、その奇跡を絶対に逃すわけにはいかない。戦いはまだこれから! 自らが戦うことができないならば、そめて心だけでも共にあろう。

 ウルトラマンは人を守るために戦う。だが、決してひとりではない。人々がウルトラマンを信じて応援する限り、その心はウルトラマンと常にあり、人々の応援を背にしたウルトラマンは何倍ものパワーを発揮することができるのだ。

「デャァァッ!」

 ゴモラとがっぷり四つに組んだまま、エースはゴモラの巨体を持ち上げた。本来なら、赤く変色した暴走ゴモラはエースが手に負えないほどのパワーを発揮するのだろうが、今のエースには正しい心のエネルギーを与えてくれる人々が大勢いる。何万というエルフの人々の思いを力に変えて、エースはウルトラリフターでゴモラを地面に叩きつけた。

「ヘヤッ!」

 よしっ! ゴモラは頭から地面に激突して、脳震盪を起こしたらしくふらついている。いくらパワーを上げたとて、脳までも強化することはできなかったようだ。

 だが、アントラーがまたエースの背後から不意打ちをかけてきた。エースは反射的に振り向いてキックで押し返す。アントラーもマイナスエネルギーでパワーアップし、自慢の大アゴの切れ味もぐんと増している。ギチギチと不快な音を鳴らすあれに今度挟まれたら体を真っ二つにされてしまうかもしれない。

 それなのに、エースは真っ向から立ち向かっていった。武器は向こうのほうが強力で、光線技も通じない。だが、エースには戦う手段はいくらでもある。彼と魂を共有する才人の得意とした剣のように、エネルギーをまとわせた手刀を振り上げた。

『フラッシュハンド!』

 一撃! 乾いた音を立てて、アントラーの右の大アゴが途中から叩き折られて宙を舞った。

 これでもう、大アゴは役に立たない。最大の武器を失ってうろたえるアントラーに、エースの攻撃がさらに続く。

 悪の力が強大でも、光はそれを乗り越えて先へ行く。それを証明するためエースは戦う!

 

 

 さらに、コスモスもギロン人とアリブンタを相手に立ち向かっていく。

「侵略者よ、この星から去れ。どんな理由があろうと、他者を傷つけ奪う権利は何者にもありはしないのだ」

「黙れぇ! 貴様さえ現れなければ、われらの勝利は完璧だったものを。生かして返しはせんぞ」

「わかっていないようだな。私がやってきたのは偶然ではない。お前たちが虐げた者たちの、生きようとする意志が私をこの星に導いたのだ。お前たちはすでに、この星の生命に負けていたのだ」

「戯言を、その口永遠に閉じさせてくれる!」

 ギロン人の命令で、アリブンタが目を爛々と光らせながら向かってくる。コスモスは、可能な限り戦いは避けたいと思っていたが、どうしても侵略をあきらめないというのであれば、邪悪な野望を通させるわけにはいかない。

 この地にお前たちはいるべきではない! 善なる者の盾となるよう、邪悪を食い止めるために身構えて相手取り、コスモスは二匹の攻撃をさばき、間隙を縫って攻撃を当てていく。

「ハァッ!」

 パワーアップしたアリブンタの両腕のハサミ攻撃を、コスモスは手刀ではじき、掌底で押し返してさばいていく。

 力を受け流し、いなすコスモスの前には力任せの攻撃は無駄にエネルギーを浪費するだけで、いきり立てば立つほど当たらない。

 対してコスモスは蹴り技ルナ・キックで相手のバランスを崩させ、背負い投げに似たルナ・ホイッパーで転ばせてダメージを与えた。体の重心の高いアリブンタは一度転ばされると容易には起き上がれずにもがいている。そして、コスモスは胸元から手を上げて光を集め、浄化の光を手のひらから放った。

『フルムーンレクト』

 ゴルメデを浄化して沈静化させた光のシャワーがアリブンタに降り注いでいく。コスモスは、たとえ怪獣とはいえ侵略者によって操られているだけの存在であるなら、殺す必要はないと思っていた。

 光の粒子に包まれて、アリブンタの動きが止まる。やったのか、と……ゴルメデのときのようにおとなしくさせられたのかと、人々は、コスモスは思った。

 だが、彼らはまだ超獣の恐ろしさをわかっていなかった。

 コスモスが歩み寄っていったとたんのことだった。突然、おとなしくなっていたと思われたアリブンタが頭を上げて、その口から白煙のような蟻酸を吹きかけてきたのだ。

「イアァァーッ!」

 鉄でも一瞬で溶かす強酸の霧をまともに浴びせられてはコスモスでもたまらない。皮膚を溶かされることはなかったものの、大きなダメージを受けてのけぞり苦しんだ。そこを狙ってアリブンタは体当たりを仕掛けてきた。

「ウワォォッ!」

 重量六万二千トンの激突を受けてコスモスが吹っ飛ばされる。蟻酸で受けたダメージは簡単にはぬぐえず、体をしびれさせているコスモスをアリブンタは蹴り飛ばし、そこを狙ってギロン人が足蹴にしてきた。

「バカめ! アリブンタにそんなものが効くか。さんざん我らをコケにしてくれたぶん、その身で味わわせてくれるわ!」

「ウォォッ!」

 いままでほとんど戦闘に参加してこなかったぶん、ギロン人には余裕が大きくあった。アリブンタと組んで、マウントポジションから連続でコスモスを殴打する。動けないところを二体がかりで殴られてはかなわない。

 そのとき、コスモスにエースからテレパシーでメッセージが届いた。

〔無理だ。そいつらに浄化は効かない! その怪獣は超獣、侵略のために合成されて作り出された生物兵器だ!〕

「ッ!?」

 その瞬間、コスモスの心に怒りが湧いた。破壊や侵略など、利己的な目的で命をもてあそぶ権利は誰にもない。それは家畜にも劣る最低の奴隷ではないか! コスモスは渾身の力でギロン人とアリブンタを跳ね飛ばし、立ち上がって敵を見据えた。

〔邪悪な意思によって、間違った目的で生み出された命……本来、生けるものにはすべて生き続ける権利があるが……〕

 コスモスは意思を決めた。生命を、自らの生存目的を超えて奪う権利は誰にもない。しかし、その存在そのものが他者に害を与え続けるようなものであったならば……

 立ち尽くすコスモスに向けて、アリブンタが両手の爪から火炎を放ってきた。ギロン人も、両手のハサミから黄色の破壊光線・ギロン光線を放って攻撃してくる。爆発が巻き起こり、蟻酸に引火してコスモスの周囲を炎が包み込む。

 ああっ! 人々から悲鳴があがり、ヤプールとギロン人は哄笑する。だが、コスモスは微動だにしない。

 本来、命はいたずらに奪ってよいものではない。しかし、例えば人間の味を覚えてしまった熊が人里に入り込んだり、生態系を一方的に破壊する外来生物が侵入してきた場合、これをそのままにしては壊滅的な被害が出てしまう場合がある。そんなときは、誰かが駆除しなくてはならない。まして、侵略という絶対許されない行為を前にして、迷いはすでにない!

「ムウンッ!」

 炎の中でコスモスは左腕を引き、右腕を高く掲げた。その瞬間、コスモスの全身が太陽のコロナのような新円の赤い炎のリングに包まれて真っ赤に輝いた。コスモスの体を包んでいた青いラインが、燃える炎のような赤に変わっていき、柔和な表情を漂わせていた頭部も、鋭角で勇ましさをかもし出す兜のような猛々しい形に変化した。

「あっ! あれは!」

 炎を吹き飛ばし、コスモスの新たな姿が現れる。太陽が人の形に化身したような、勇ましい戦いの赤き巨人、ここに降臨!

 

『ウルトラマンコスモス・コロナモード!』

 

 強く拳を握り、前に突き出すファイティングポーズをとり、コスモスは威圧するような強い声と共にギロン人とアリブンタを見据えた。

「ハアッ!」

 先ほどまでの青い姿とは打って変わった闘志をみなぎらせた威圧感が、ギロン人を圧迫した。あれはまさに、戦いに望む戦士の姿。邪悪な者たちだけでなく、戦いを見守っている人々も息を呑んでコスモスを見つめた。

 しかし、ひるみはしたものの、ギロン人は引き下がることなく攻撃をアリブンタに命じる。あんなものはこけおどしだ、やってしまえと。コスモスも前に出て迎え撃ち、必殺の一撃をアリブンタに見舞った!

「フゥアッ!」

 強烈な鉄拳、コロナ・パンチがアリブンタの胴を打ち、大きくのけぞらせた。さらに、次の瞬間垂直ジャンプしたコスモスの猛スピードで放たれた回転コロナ・キックがアリブンタの頭を打って見事に吹っ飛ばした。

 轟音と地響き、動体視力の弱い者はなにが起こったのかすらわからないであろう早技を決めたコスモス。さらに、ギロン人がはっと気づいたときにはコスモスはその眼前に現れていた。

「ハッ! イヤァ!」

 防御をとる暇さえない、至近距離の正拳打からのアッパーカットを受けてギロン人の視界が一瞬真っ白になる。

 馬鹿な! 速過ぎる! 全方位への視野を可能としているギロン人の複眼でも、コスモスの動きはまったく把握できなかった。反撃の態勢をとろうとしたのもつかの間、側面に回りこんだコスモスによって片腕を掴まれて投げ飛ばされてしまった。

「そ、そんな……!?」

 さっきまでの青い奴とはまるで違う。ギロン人は、ウルトラ戦士の中にはメビウスのように姿を変化させることによってパワーアップする者もいるというデータを持ってはいたが、このウルトラマンは変身前と後では戦闘スタイルからして違う。

「くそぉっ! アリブンタ、やれぇ!」

 一対一ではかなわないと見たギロン人は、アリブンタに援護を求めた。爪先からの高熱火炎が放たれ、コスモスを焼き尽くそうと迫る。さらに自身も倒れこみながらもギロン光線を放つが、コスモスは金色に輝く光の盾を作り出してこれを防いだ!

『サンライト・バリア!』

 火炎も光線も跳ね返されて、向こう側のコスモスはノーダメージだ。二体はそれでも、バリアのエネルギーが切れるまで攻撃を続行しようとしたが、コスモスはバリアーを張ったまま飛ばしてアリブンタにぶっつけた!

「ファァーッ!」

 自分とギロン人の光線も加算されたバリアーをぶつけられ、アリブンタは全身から火花を散らして倒れた。

 愕然とするギロン人。だが、コスモスはギロン人に次の命令を与える暇さえ与えなかった。砂煙をあげながら猛烈な勢いで突進し、アリブンタの肩から生えている大きな突起を掴むと、コスモスは超パワーで持ち上げて振り回した。

『コロナ・スゥィング!』

 アリブンタの巨体が軽々と宙を舞い、見ている誰もが度肝を抜かれた。そして、コスモスが手を放した瞬間、アリブンタは遠心力のおもむくままに空を舞い、体重とスピードによって生まれた衝突エネルギーのままに地面に叩きつけられた。

「ダアッ!」

 二対一というハンデをコスモスはものともしない。見守っている人々からは、なんて強さなんだと驚嘆の声が数多くあがった。スピード、パワー、すべてにおいて青かったときを大きく上回っている。

 これが、コスモスのもうひとつの姿、コロナモードの力。コスモスは通常はルナモードと呼ばれる青い姿で、その持てる戦闘能力の大半を封印しているが、ルナモードではどうしようもないくらい強力な怪獣と戦わねばならないときや、邪悪で説得に応じない侵略者と対峙するときは、この姿に変身して敵を粉砕する。

 ルナモードを命を救い慈しむ、月の光のごとき優しき慈愛の巨人としたら、コロナモードは邪悪を焼き尽くす戦いの赤き巨人。一線を越えてしまった侵略者に対して、コスモスは怒涛のごとき攻めを繰り出す。パンチ、キック、チョップ、動きの鈍重なアリブンタは手も足も出ない。その強さは、コスモスの背中に守る人々を絶対に守り抜かんとする決意が表れているようであった。

 そして、コスモスの戦う姿に、人々は心に浮かんだ伝説の続きを思い返していた。

「あるときは慈愛の姿、またあるときは、燃える太陽のごとき勇敢なる戦いで悪魔のしもべを粉砕した……あの巨人こそ、六千年前に大厄災から我々を救ったという、伝説の!」

 遠い昔の、語り継がれてきた記憶の名を彼らは唱えた。しかし、それは彼の本当の名ではない。そのとき、戦う巨人へと向かって、洋上の巨大戦艦から放たれた少女の声が大気の精霊を通じてエルフたちの耳へと届いた。

 

「がんばってーっ! ウルトラマンコスモスーっ!」

 

 コスモス、コスモス、それがあの巨人の名前なのか。エルフたちは口々につぶやき、そして自らも、眼前の優しさと強さを併せ持つ、奇跡の巨人の名前を叫んだ。

「がんばれーっ! ウルトラマンコスモスーっ!」

 幾千、幾万の応援がコスモスの背を押す。そうだ、戦っているのはウルトラマンだけではない。声を限りに叫び、心の光を輝かせ続ける限り、ウルトラマンの力は無限大! 誰もが皆戦っている。この街にいるエルフたちみんなが力を貸してくれる。負けるはずが、ない!

「テヤァァーッ!」

 コスモスの強力なチョップがギロン人の頭を打ち、緑色の複眼が不自然に点滅した。頭が重心を失ったようにフラフラと揺らめいて、目の前にいるコスモスに反撃する様子もない。頭部への激しい打撃によって意識を失いかけている。コスモスはギロン人の真正面から、両手の拳を合わせて叩き込んだ。

「ムアァァッ!」

 無防備なところへ大打撃を受けて、ギロン人は吹っ飛ばされて失神した。

 だが、コスモスはギロン人にとどめをさすことはせずに、もう一度アリブンタに挑んでいった。理由はひとつ、自然にあってはいけない歪んだ生命であることと、人の血をのみ食料とする凶悪な性質ゆえ。こいつだけはなんとしても逃がすわけにはいかない!

 コスモスの猛攻が再びアリブンタに炸裂する。またこの街で人々が平和に暮らせるように、命が正しい形で星に息づいていくために、邪悪な侵略者の陰謀は、断固として打ち砕く。

 

 そのころ、エースもまた二大怪獣を相手に勝利を収めようとしていた。

「ヘヤァァッ!」

 アントラーを抱え上げたまま空中へ飛び上がり、垂直にエースは大回転した。天地がひっくり返り、重力が消滅してどちらが上か下かわからない感覚がアントラーを襲う。平衡感覚もなにもかも麻痺して、完全に無抵抗となったところでエースはアントラーを放り投げた。

『空中回転落とし!』

 地上に激突し、大ダメージを受けるアントラー。いかに外皮を頑強に覆おうとも、感覚器官までは強靭にしようがなかった。いくら怪獣といえども、地上で生きる生物である以上は頭が上で足が下という生まれ持った感覚からは逃れようがない。それを狂わされてはまともに立って歩くこともままならず、自慢の虹色磁力光線も狙いが定まらない。

 しかし、エースもまたアントラーへのとどめをこの場で刺そうとはしなかった。理由はコスモスとは真逆で、いまだに暴走を続けているゴモラを止めるためであった。

〔エース、お願いだ。ゴモラを、なんとか助けてやってくれ〕

 才人はエースに懇願した。ゴモラには悪意はなく、ただ眠っていただけのところをヤプールに無理矢理起こされて利用されているにすぎないのだ。このまま倒してしまってはあまりにも不憫……それに、才人はかつての初代ゴモラの最期をよく知っていた。

 昭和四十二年初頭……万国博覧会への展示を目的に南太平洋ジョンスン島から連れてこられたゴモラは、その途中で逃げ出して大阪の街で大暴れし、大阪城をも破壊するほど猛威を振るった。しかしそれはゴモラにとっては見知らぬ土地に無理矢理連れてこられたがために、自分を守ろうとして暴れたに過ぎない。すべての非は人間にあって、ゴモラにはなんの落ち度もありはしない。本来、ゴモラは危険な怪獣ではないのだ。

〔わかった。やってみよう!〕

 エースも了承した。ウルトラ戦士の使命は怪獣を殺すことではない、宇宙の平和を守ることなのだ。怪獣とて命には変わりない、悪意あって破壊を好むものであるならば容赦はしないが、殺さずに済ませられるなら迷わずにその方法を選ぶ。

 手段はひとつ、ゴモラを暴走させているヤプールのマイナスエネルギーを除去することだ。それさえなくなれば、ゴモラは正気を取り戻してくれるはず。なら、多少荒療治だが、戦ってエネルギーを浪費させることで減らしていく。

〔今、楽にしてやるぞ。もう少しだけ我慢してくれ〕

 エースはゴモラを傷つけないように気をつけながら戦った。戦いが長引いたおかげで、ゴモラの攻撃パターンのだいたいは見切ることに成功している。これが知性の高い怪獣だったら、こちらの回避にあわせて攻撃パターンを変えてくるなりするだろうが、正気を失って暴走している今はがむしゃらな攻撃をしてくるしかできない。

 冷静に、ゴモラの気迫に惑わされずに、行動を先読みしてかわす!

 散々苦しめられた突進や尻尾連打も、動きに慣れてしまえば大振りで単調な攻撃に過ぎない。エースはゴモラの攻撃にあわせてチョップやキックを組み合わせて打撃を与えつつ、いわゆるヒットアンドウェイで戦い、じわじわと削っていった。いかに強大なマイナスエネルギーといえども無尽蔵ではない。後先を考えずにフルパワーで発揮し続ければ、どれだけ豊富にあろうとも短時間で底をつく。

 案の定、暴走を続けたゴモラのパワーはみるみる減少していき、赤色変化していた体色も元の土色に返った。

 ようし、あと一息だ。ゴモラには、もうエネルギーはたいして残っていない。

〔でもサイト、わかってるんでしょう? わたしたちの力じゃこれ以上は〕

 経過を見守っていたルイズが言った。彼女も、大きく口に出しこそはしないが才人と同じく救える命は救いたいと思っている。しかし、頭の回転も人一倍速いルイズはじっと見守りながら確信していた。ウルトラマンAの力では、ゴモラに食いついたマイナスエネルギーを弱めることはできても完全に除去することはできない。

 このままでは、ゴモラを救うことはできない。だが、才人にはルイズとは違う強さがある。それは、自分の弱さを知って認めていることだ。自分には、そのための力はない。なら、それができる人に頼ればいいと、つまらないこだわりなどは持たず、できないことはできないと、人を頼れる素直さだ。

〔ウルトラマンコスモス! 頼む、ゴモラを助けてやってくれ〕

 才人はエースのテレパシーを借りてコスモスに頼んだ。それを聞き届けたコスモスは、追い詰めていたアリブンタを投げ飛ばして昏倒させると、エースとゴモラの戦いを振り返ってうなずいた。

 コスモスは意識を集中させ、浄化光線の構えをとる。しかし、弱ったとはいえゴモラはまだなお激しく暴れていた。このままでは光線を当てることができない。ウルトラマンAは、暴れるゴモラを抑えるために、その後ろに向けてジャンプした。

「タァーッ!」

 空中一回転、太陽を背にして降りてきたエースは、見上げて目をくらませていたゴモラの背後に着地すると、背中からゴモラを羽交い絞めにした。もちろん、ゴモラは抜け出そうと激しくもがく。さすがは怪獣界でも屈指のパワーファイターとして知られるゴモラ、エースの力でも完全には押さえ切れずにあおりを受けて周囲の建物が倒壊する。

 

〔注射を嫌がる子供を押さえつける母親の気分だな〕

 こんな状況ながら、才人は妙なことで内心苦笑した。小学校低学年の学年予防接種のとき、嫌がる生徒を女先生がなだめるのにずいぶん苦労していたのが、うっすらと記憶に残っている。将来はルイズも似たようなことになるのだろうか? ルイズのことだから、まあなだめるというよりは男のくせにだらしないわねと叱り飛ばす気がする。もっとも、ハルケギニアに注射があったかは知らないが。

 戦いの最中にこんなことを考えるとは、自分も戦いに慣れてきたということであろうかと才人は思った。もっとも、ミシェル……姉さんに言わせれば、たるんでるだけだと叱られるだろう。まったく、姫さまが無茶な戸籍を設定してくれたおかげで、なにかと気を使ってしまって苦労する。もっと、あの人とはなにもなく付き合いたいのだが、戦いが終わったら、ゆっくりと話してみたい……今もこの街のどこかで戦っているだろうが、無事でいてくれと才人は強く願った。

 

 戦いの中のつかの間の感慨。今は夢に過ぎないが、平和の中で、愛する人と過ごすこと以上の幸せがあるだろうか。

 しかし、世界の幸福なくては自分たちの幸せもない。救うべきものを救うため、才人は意識を戦いに戻した。

 

 エースに押さえつけられて動けないゴモラに向けて、コスモスは手のひらを掲げてカラータイマーにエネルギーを集中させた。輝く光が集まっていき、コスモスは光を手のひらで押し出すようしてゴモラに向けて照射した。

『コロナ・エキストラクト』

 ルナモードのときよりも強化された浄化光線がゴモラの体内に浸透していく。そのパワーは、取り付かれていたゴモラにも少なからぬ負担を強いるほど強力なものであったが、ゴモラの生命力ならば耐えられた。細胞のひとつひとつにまで染み渡っていたマイナスエネルギーは除去されていき、マイナスエネルギーの媒体として寄生していたガディバはついに体外へと追い出された。

〔やった!〕

 ゴモラの体から黒いもやが吹き出るようにはじき出されたガディバを見て、才人は歓声をあげた。

 ガディバの寄生から解放されたゴモラは、ため息をつくように弱く鳴くと倒れこんで目を閉じた。やはり、いかなゴモラとはいえ相当な疲労が蓄積していたのだろう。

 ようやく悪の手から解き放たれて、元の姿に戻ったゴモラをエースはそっと横たえた。ガディバに寄生されて早いうちだったから、なんとか助け出すことができた。長引けば、ゴモラはひたすら傷ついた体で暴走を繰り返す、生きた屍のようになっていたかもしれない。

 やはり、倒すべきはヤプール! 命をもてあそび、人々の悲しみを喜ぶ悪魔だけは絶対に許せない。

 エースはコスモスと目を合わせ、その意思を互いに確認した。この世界の人々の幸せを守るために、この悪魔たちの野望は打ち砕く!

 

 二大ウルトラマンは、復活してきたアントラーとアリブンタに最後の戦いを挑んでいった。

 

「フッ!」

「ヘヤァッ!」

 

 エースのチョップがアントラーの首を打ち、コスモスのキックがアリブンタの牙をへし折る。ゴモラを浄化して、ふたりとも少なからず消耗しているとは思えない強さだ。負けるわけにはいかないという使命感、なによりも背中に守る大勢の人たちが彼らに力を与えてくれている。

 東方号で勝利を祈るティファニア、ルクシャナ、水精霊騎士隊の少年たち。エレオノールも平静を装っているが頬は興奮で紅潮しており、海から引き上げられたコルベールも医務室のベッドで勝利を願っている。

 海では、ミシェルたち銃士隊が溺れていたエルフたちをボートに引き上げて介抱しながら、ときおり横目でウルトラマンの戦いを見ていた。任務に没頭する彼女たちの働きで、多くのエルフたちが命を救われている。声を発することはなくとも、彼女たちも心の中では同じところに立って戦っていた。

 そして、いまやアディールのエルフたちは、その目で見た真実を受け入れて声をあげていた。

「ウルトラマン、がんばれ!」

 子供から大人まで、彼らの叫ぶ声は同じ。その濁りのない声のひとつひとつが、エースとコスモスに力を与えてくれる。

 

 さあ、とどめだ! エースは体を大きくひねり、アントラーに向けて腕をL字に組んだ。

 コスモスも、その両手に赤く光る宇宙エネルギーを集中させ、円を描いて増幅させる。狙うのはアリブンタ、悪しき命と魂を持って生まれたものに、今度は正しい命として生まれ変わってくれることを願い、同じく腕をL字に組んで同時に必殺光線を放った。

 

『メタリウム光線!』

『ネイバスター光線!』

 

 三原色の光芒と赤色の光撃がアントラーとアリブンタを貫いた。そして、二匹はゆっくりと全身を発光させながら倒れこむと、次の瞬間大爆発がその身を包み込み、紅蓮の炎と火花を残して吹き飛んだのである。

「やっ、たぁーっ!」

 街を、人間とエルフの割れんばかりの大歓声が包み込んだ。アディールを襲っていた二匹の凶悪な怪獣は、二大ウルトラマンの前に敗れ去り、ここにヤプールの超獣軍団は壊滅した。

 エースとコスモスはともにうなずきあい、互いの勝利を祝福する。見れば、東方号や海、街のいたるところでも手を振っている人間やエルフの人々が見える。ふたりは彼らに、心の中でありがとうと感謝した。

 

 しかし、戦いはまだ終わっていない。超獣軍団は壊滅させたが、まだ指揮官が残っている。

 コスモスの一撃で気を失わされていたギロン人。そいつが意識を取り戻したときに見た光景は、敗北の二文字以外では表現できないものであった。

「な、なんだとぉ……!?」

 緑色の複眼が動揺を隠し切れないというふうに不規則に点滅する。だが、いくら現実を否定しようとしたところで、超獣軍団の全滅は変えようのない事実として目の前に存在していた。

 ふたりのウルトラマンを前に、二言目を発することのできないギロン人にコスモスが語りかける。

「この星から去れ。ここに、お前はいるべきではない」

 それは、コスモスからの最後通告であった。命まではとらないから去れ、さもなくば今度こそ容赦はしないという断固とした意思表示である。エースも、戦意を喪失した相手に追い討ちはしないと、コスモスに同調して見守っている。

「くっ、くぅぅ……」

 しかし、ギロン人は退却はできなかった。逃げれば、役立たずとしてヤプールに粛清されるのは間違いない。かといって、ふたりのウルトラマンを相手にしては万に一つも勝ち目はなく、玉砕にもならない自滅しか待っていない。

 引くも攻めるもならず、進退窮まったギロン人。残された道は特攻しかないかと、投げやりになりかけたそのときだった。空に暗雲と雷鳴が轟き、ヤプールの怨念がこもった声がアディールに響き渡った。

 

「おのれウルトラマンどもめ。よくも、よくもわしの超獣軍団を全滅させてくれたな! 忌々しい、まったく忌々しいぞ!」

 

 空にヤプールの赤黒いのっぺらぼうの幻影が浮かび上がり、そのおぞましい姿に人々は震え上がった。しかし、エースは怨念を跳ね返すように叫び返した。

「ヤプール、お前がいくら人々に絶望を与えようとも、彼らにはそれを乗り越えていける力がある。超獣どもは全滅した。お前の負けだ、消えるがいい!」

「おのれウルトラマンA! もう勝ったつもりかぁぁ……よかろう、こうなったら最後の手段を見せてやる。我らヤプールの生み出した暗黒の魂よ、ここに集まれ! 今一度、悪魔の力をこの世に示すのだ!」

 暗雲が渦巻き、膨大なマイナスエネルギーがあふれ出す。ヤプールの怨念の深さを示す、触れるものをすべて腐らせる絶対的な暗黒のパワーが異次元世界からこの世界にやってこようとしていた。

「こ、これは!?」

 まだ、あれだけのエネルギーを隠し持っていたのかとエースは思わずたじろいだ。超獣軍団を相手に、あれほどのエネルギーを使っておきながら、以前にも勝るとも劣らないこの膨大なエネルギー量は、かつての究極超獣にも匹敵する。

 この世界で集めたものではなく、ヤプール自身の怨念と復讐心から生まれたマイナスエネルギー。ウルトラ戦士と人間たちに対する恨みが、連敗を重ねたことでついに臨界を超えた。ウルトラ戦士の光とは対極の、底なし沼のようなドロドロしたどす黒い闇の感情エネルギー。

 これがヤプールの本当の力……これまでのものは前座に過ぎなかったとでもいうのか。戦慄するふたりのウルトラマンと、何万もの人々の見守る前で、ヤプールは呪いの言葉をつむいでいった。

 

「戦場に散った暗黒の同胞よ! その怨念を晴らすべく再び蘇れ。ひとつとなって、新たなる命となるがいい!」

 

 怨念によって生まれた闇の引力が、戦場に散った悪魔の怨霊を呼び集めていく。

 廃墟からゴーガが、海底からダロンが、サメクジラが、オイルドリンカーが、バルキー星人が亡霊となって現れる。

 闇の中からはマザリュースが出現して、アディールの上空を不気味な声をあげながら旋回した。

 そして、超獣たちの怨霊は結集すると、次々とギロン人の体へと飛び込んでいった。

「な、なんだお前たち! う、うがぁぁぁーっ!」

 ギロン人の口から苦悶の声が轟き、その体がどす黒い闇のオーラで覆われていく。

 なんだ! いったいなにが起ころうとしているのだ!? 愕然と見守るエースとコスモスの前で、ヤプールの闇の儀式は最高潮を迎えつつあった。

「ハッハッハッハ! ギロン人よ。お前もそいつらが憎かろう。だからお前に、復讐を果たすための究極の力をくれてやる。超獣軍団のすべてのエネルギーを結集して、我が最強のしもべとなって生まれ変われぇ!」

「グォォォ! 力が、力がみなぎってクルぞ。信じられないヨウな、すさまじい力だダダダダダダ!」

 常軌を逸した怨念の力がギロン人に人知を超えた変化をもたらしつつあった。無数の怨念のエネルギーが、パワーアップなどというものとは次元の違う何かを起こそうとしている。

 闇の渦の中で、人型をしていたギロン人の肉体が溶ける様に輪郭を失っていく。有り余りすぎるマイナスパワーに、生身がついていけなくなっているのだ。このままでは、エネルギーの過負荷で自己崩壊するか爆発する! ヤプールはいったいなにを考えているのだ!? エースはこのままではまずいと、ギロン人に向けて光線を放った。

『メタリウム光線!』

 エース必殺の一撃がギロン人を襲う。だが、ギロン人を覆う闇の渦はメタリウム光線を軽々とはじき返してしまった。

〔効かない!〕

 なんてパワーだ。エースの妨害がまったく通じないとは!

 さらに、闇の渦はアントラーとアリブンタの怨霊も取り込んで増大する。すでにエネルギー量は計測可能な値を超えていた。だが、いくらエネルギーが余ろうとも、それを制御できなくてはなんの意味もない。ギロン人では到底無理だ。ヤプールも、逆上して失敗したのかと思われた、そのときであった。

〔あれはガディバ! そうか、そういうことだったのか!〕

 ギロン人に、マイナスエネルギーとともにガディバが憑依したことで謎が解けた。ガディバには取り付いた怪獣の遺伝情報を書き換えて、まったく別の怪獣に変えてしまう能力がある。それを利用すれば、ギロン人の肉体を作り変えることも可能。そういえば、あのガディバはゴモラの遺伝情報を記憶していたはず……まさか!

 闇の中で、一度分解されたギロン人の肉体が再構築されていく。人型が、恐竜型の前傾姿勢になり、特徴的な三日月形の角を持つ頭部が生まれ、鋭い爪が生えた太い腕と足が現れ、長大な尻尾が生えた。

 あのシルエットは! 才人は、最悪の予感が当たったことに戦慄した。だが、その最悪はまだ真の最悪ではなかった。

 闇の竜巻を振り払い、ギロン人から完全変貌したゴモラが現れる。しかし、その容姿は……

〔やっぱりゴモラ……いや! な、なんだよあれは!〕

 それは、才人の知っているゴモラではなかった。全身はまるで金属の鎧をまとっているかのように刺々しくなり、手に生えた爪も大きく長く伸びている。頭部も同様で、瞳のない白目は悪鬼のように鈍く輝いていた。

 もはやゴモラとは思えないそいつは、単なるフェイク体とはとても思えなかった。いうなれば、『ゴモラにあってゴモラにあらず』。まさしく魔獣……すでにギロン人の意識は消え去ったのか、凶暴な叫び声をあげて、アディールのすべての人々に恐怖を植え付けた。

 

 遺伝子の奥に隠されていた、ゴモラ自身さえも知らなかった未知の姿。

 最強怪獣の降臨。ここに、アディールをめぐる二大ウルトラマンとヤプールの戦いは、ついに最終ラウンドを迎える。

 

 

 続く



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第94話  アディール最終決戦! 最強怪獣を倒せ!! (前編)

 第94話

 アディール最終決戦! 最強怪獣を倒せ!! (前編)

 

 友好巨鳥 リドリアス

 古代暴獣 ゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 古代怪獣 ゴモラ

 古代怪獣 EXゴモラ 登場!

 

 

 誰が、こうなることを予想しただろうか。

 

「ウワァァッ!」

 

 誰が、あれほどまでに輝いた希望の光が、また闇に塗りつぶされると思っただろうか。

 

「ヌワァァァーッ!」

 

 二人のウルトラマン、エースとコスモスは今、絶対絶命のピンチの中にいた。

 壊滅させたはずの超獣軍団。しかし、ヤプールは超獣軍団よりもはるかに強い、一匹の怪獣をこの世に誕生させた。

 圧倒的なパワーは二人がかりで挑んだエースとコスモスを上回り、軽く体をよじっただけで跳ね飛ばされてしまう。

 鎧のような体は攻撃を一切受け付けず、渾身の力を込めて放ったパンチやキックもかすり傷すらつけられない。

 

〔なんという強さだ。まるで歯が立たない!〕

〔これはもう、ゴモラのレベルを超えている。ヤプールめ、なんというものを生み出してしまったんだ!〕

 

 コスモスのコロナモード、そしてエースの全力をも軽くいなしてしまう眼前の強敵。それは、ヤプールが膨大な怨念のパワーを使い、ゴモラの遺伝子を元にして生み出した超怪獣。

 ゴモラの面影を強く残しつつも、全身が凶器であるかのような刺々しい様相。はるかに攻撃的に伸びた牙と爪、なによりも瞳のない白目から発せられる眼光は、あまねく生物に狼を前にした子牛のような本能的な恐怖を植えつける。まさしく、戦うためにのみ存在し、それ以外のものはすべて切り捨てた完全な戦闘生命の姿。そこから放たれる威圧感は、この怪獣が身長四十メートル強と、ゴモラと変わらぬ標準的なサイズの怪獣であるにも関わらずに、これまでエースが戦ってきたいかなる超獣をもしのぐ圧倒的な巨大さを誇っていた。

 腕の一振りで、石造りの建物が豆腐のように崩れる。体を動かすのに、抵抗などというものが存在しないかのような絶対的な存在感。破壊を生み出すのではなく、それそのものが破壊である天災にも似た暴虐の行進。食い止めようとしたエースとコスモスをたやすく弾き飛ばし、軽く蹴り飛ばしただけなのに数百メートルを吹っ飛ばされる。

 いったいこれをゴモラと呼べるだろうか。生み出したヤプールでさえ、その圧倒的な威力に興奮していた。

 

「ファハハハ! これはすごい。まさか、ゴモラの遺伝子からこんな化け物を作り出せるとはな。さあて、これまでの恨みをたっぷりと晴らさせてもらおうか。やれ! 最強のゴモラよ」

 

 有頂天となったヤプールの命ずるままに、異形のゴモラはエースとコスモスを痛めつける。ウルトラマンたちに倒された怪獣や超獣の怨念は、再び実体と復讐の機会を与えられて荒れ狂い、どす黒い思念は破壊と暴力と恐怖の渦を作り出していった。

”死ね” ”壊せ” ”焼き尽くせ” ”滅ぼせ” ”復讐せよ!”

 憎悪の念はヤプールの邪念と共鳴しあい、晴れ渡っていた空をも再び暗雲に染め上げていった。

「そ、空が……」

 自然界にはありえない、黒一色の闇雲がアディールの空を覆いつくしていく。太陽はさえぎられ、熱は遮断されて砂漠の都市を寒波が襲い始めた。

 寒い、単なる冷気ではなく、熱を奪っていくような凍える寒さ。砂漠の夜の寒さに慣れたエルフたちでも経験したことのない、生命の存在を拒絶する、極地の永遠の冬が訪れようとしていた。さらに、大気温の急激な変化は乱気流を生み、アディールの各所に落雷と竜巻を発生させていったのである。

「この世の、終わりだ……」

 誰かがそうつぶやいたとおり、それは終末の光景そのものだった。荒れ狂う雷と竜巻は容赦なく無事をかろうじて保っていた街並みを破壊していき、海上にも襲い掛かる。もはや、エルフたちの守り神であった精霊たちでさえも、完全に暗黒の力に飲み込まれて、美しかったアディールの風景は砂漠の一部へと同化しようとしていた。

 崩れ行く街と、荒れる海の中で人々は逃げ惑い、少しでも安全な場所を探して駆け回った。しかし、もうどこに安全な場所があるというのか。東方号でさえも、すでに落雷でマストや銃座を破壊されて火を吹いている。人々は鋼鉄の壁の中で身を寄せ合い、最後の時が来るのをおびえて待っていた。

 

 絶望を乗り越えて得る希望こそ強く輝く、だがその希望をすら打ち砕く絶望が襲ってきたとき、人の心はより深い闇に堕ちる。

 ヤプールの執念が生み出した暗黒の舞台劇は、今まさに完成されようとしていた。

 闇の劇場の主役たる漆黒の魔獣、その目に映るのは敵、その胸に宿るのは闘争のみ。 

 目障りな光の戦士を葬ることで完成する絶望の戯曲のエンドへ向けて、超ゴモラの暴走は続く。

 鋭い三日月角でコスモスをかち上げて投げ飛ばし、フラッシュハンドで殴りつけてきたエースの攻撃をものともせずに腕を軽く振るだけでなぎ倒してしまう。地面に叩きつけられたコスモスを巨大な足で踏みつけ、助けようとしたエースの首を片手でわしづかみにして吊り上げてしまった。

「ヌォォォーッ!」

「グォォォ……!」

 振りほどけないっ! 二人のウルトラマンの全力を持ってしてもゴモラの体はビクともしない。踏み潰され、締め上げられて苦しむコスモスとエースの苦悶の声が、つい先ほどまで歓喜に沸いていた人々の心に霜を降らせ、ウルトラマンの強さをよく知っているはずの水精霊騎士隊ですら激しく動揺させ、ギーシュはレイナールにうろたえるあまりかみついていた。

「ウ、ウルトラマンがふたりがかりで手も足も出ないなんて。いったいどうなってるんだい!」

「ぼ、ぼくに言われても。あの、あの怪獣がウルトラマンより強いってことだろ!」

「そんなバカな! 十匹近い超獣たちをみんな倒したのに、そいつらより強い怪獣が出てくるなんて。こんなのってないだろ!」

 理不尽だと叫んでも、現実は変わらずに残酷であった。あれだけの努力が、皆が流した血や涙はなんだったのか? 全力の全力を出し切って、ようやく奇跡を起こしたのに、それすらもあざ笑うように悪魔は次々と手を打ってくる。いくら努力をしたところで、強大な力の前には結局無力なのか……

 絶望感が、精も根も使い果たした少年たちを覆い始め、黒い感情の波が人々に急速に拡大していく。

 このままではまずい! このままでは、ヤプールの思う壺だ。それだけはなんとしても防がなければと、ふたりのウルトラマンは渾身の力を振り絞った。

「デヤァァーッ!」

 一瞬に、力を爆発させてふたりは脱出に成功した。ゴモラの爪が食い込んでいた箇所がひどく痛み、脱出にエネルギーを大きく消耗してしまったが、とにもかくにも窮地は脱した。しかし、とどめの一歩手前でまんまと逃げられてしまったというのにゴモラは特に動揺した様子はなく、平然と喉を鳴らしている。

〔余裕……いや、こちらを嬲り殺す気か〕

 エースは、まるでヤプールが化身したかのように恐怖を撒き散らしながらゆっくりと歩いてくるゴモラを睨んでつぶやいた。

 

 ウルトラマン二人を同時に相手にして、この圧倒感……声だけはオリジナルと変わらないが、その強さは完全に別物と呼んでよかった。これは単なる強化ゴモラや、改造ゴモラなどと呼んでいいレベルではあるまい。超獣化ゴモラ、もしくは暗黒化ゴモラ……いや、それも違う。こいつは、ヤプールがゴモラの遺伝子から再現したゴモラのフェイクであるが、それゆえにゴモラの真の姿の一形態ともいえる。

 ヤプールは最強のゴモラと呼んでいたが、これがゴモラの中に眠っていた潜在的な戦闘能力が解放された姿なら、それは『ゴモラにあってゴモラにあらず』。ゴモラを超えた特別なゴモラ、英単語では特別なものを意味することを《extra(エクストラ)》と呼ぶが、ゴモラextra、extraゴモラ……略して、EXゴモラとでも言うべきか。

 

 EXゴモラ……自分でひらめいておきながら、才人はその名前に不思議な神秘性を感じた。英字がたったふたつ加えられただけなのだが、どこかに魔力のような魅力がある。昔から、言葉には言霊といい、特別な言葉には人の感情に訴えかける魔力が宿るとされているが、科学的に実証できなくともなるほどと思わされた。

〔最強の超怪獣、EXゴモラか。へー、なかなかかっこいいじゃねえか!〕

 才人の心の中に幼稚園の頃から根付いてきた少年の心が、本能的に始めて見る怪獣に喜びの声をあげていた。またも、状況をわきまえずに不謹慎だといってしまえばそれまでなのだが、これは本能なのだからしょうがない。ましてや、相手はフェイクといってもあのゴモラなのだ。才人といっしょにスケッチブックに落書きをしたり、ソフビ人形で遊んだ幼稚園や小学生時代の友達は多くいた。矛盾するようだが、ヒーローと並んで怪獣という存在は子供たちの心をがっちりと掴んでいるものだ。

 そして、目の前のゴモラはそんな中でも、元々のゴモラを書き写すだけでは飽き足らずに、「ゴモラがこんなふうだったら最強じゃないか?」と、角を付け足したりトゲをつけたりして友達とわいわい言いながら落書きした、心の中の「スーパーゴモラ」そのものではないか。このうれしさは、そんな子供の日の夢が形はともかく実現したからかもしれない。

 

 だが、そんな感慨とは別に、このEXゴモラの正体はヤプールがゴモラに似せて作った邪悪なフェイクなのだ。本来のゴモラは当人の意思はともかくとして、才人をはじめとする子供たちの胸に、ワクワクした思い出とともにある。その思い出を汚させないためにも、こいつはなんとしても倒さなければならない。

〔こい! ニセモノめ!〕

 才人は、思い出を心にしまってエースとともに叫んだ。EXゴモラ、こいつは確かに子供のころの夢を思い出させてくれた。しかし、ゴモラの未来の可能性を無理矢理形にしただけのモノであるならば、どれだけ強く取り繕ったところで所詮ニセモノでしかない。

 EXゴモラの本物を見られる機会は、才人の生きている時代にはやってこないかもしれない。それでも、ニセウルトラマンを許せないのと同様に、このゴモラは許せない。

 一方のルイズにとっては、EXゴモラはただの怪獣だ。しかし、ヤプールに対する怒りは同じくらい深い。貴族は国や王家のために命がけで戦うことを名誉とする。人間は、愛する人や故郷のために命を懸けることを誇りとできる。守るべきものを守って死ねれば、その魂は死後の英雄の楽園に導かれると信じているからこそ、戦いという矛盾そのものである行為に我が身を送り出すことができるし、なによりも、目的は違えども戦って散った敵に対しても敬意を持つことが出来る。

 それが、戦う人間の誇りというものだ。しかし、怨霊を集めて作り出されたこの怪獣は、たとえ存在は悪であったとしても、死力を尽くして戦い抜いた怪獣たちの存在を汚すものではないか。眠りにつくことさえ許さずに、なおも道具として利用しようとは、あまりにも怪獣たちがかわいそうだ。

〔生きるためでも、なにかのためでもなく、ただ破壊するためだけに生き返らせられるなんて……そんなやり方絶対に認めない!〕

 ヤプールの卑劣で残酷なやり口は、他者の命を奪うことを生業とする戦士としての最低限のルールすら踏み越えている。戦士の誇りなど、それそのものが偽善であるかもしれないが、偽善さえも踏みにじる残酷さ。何度も見たヤプールの卑劣な手口だが、今度という今度は堪忍袋の緒が切れた。死んでいった超獣たちを、もう誰にも利用されない安らかな眠りにつかせてやるためにも、こいつには絶対勝たなくてはならない。

 才人とルイズの燃えるような闘志を受けて、エースは立ち上がり、コスモスも一歩遅れて両の足で大地を踏みしめる。

「シュワッチ!」

 ウルトラマンはまだあきらめていない。ウルトラマンは、まだ戦える。彼らの立つ姿が、再び絶望に侵食されかけていた人々の心に希望の灯火を残した。

 

 見ていてくれ、俺たちはこの命がある限り戦う! だから、君たちも最後まであきらめないでくれ!

 

 エースの無言の言葉が、確かに人々の胸に届いた。そう、戦って倒すべきはヤプールや超獣だけではない。むしろ、誰の心にでも巣食い、隙あらば心を闇に染めようとする”絶望”という魔物こそが一番怖いのだ。

 あきらめなければ、命ある限り戦える。あきらめなければ、ほんの少しでも希望を見ることができる。しかし、あきらめて絶望に心をゆだねてしまっては、そのすべては消えてなくなる。エースからのメッセージを受け取ったギーシュたちは、弱気になっていた自分たちを叱咤し、ティファニアはエルフの人々に呼びかける。

 

「皆さん! あきらめないでください! ウルトラマンは、これまでにも何度も大変なピンチの中で負けそうになりました。でも、彼らはどんなピンチでも最後まで立ち続けて、どんな強い怪獣にも勝ってきたんです。今度もきっと、あいつをやっつけてくれます! だから、わたしたちが先にあきらめちゃだめなんです」

 

 この戦いは、単にウルトラマンとヤプールの戦いではない。人間とエルフたちの持つ、希望と絶望の戦いでもあるのだ。何度追い払ってもやって来る心の闇に負けないために、終わらない心の戦いがここでも繰り広げられている。ティファニアは、何度も何度も同じはげましを、絶望に立ち向かう言葉の剣として振り続けた。

 しかし、悪の威力は強大で残酷だ。まだ揺るがない二人のウルトラマンの闘志に呼応したように、猛烈な勢いで突進してくるEXゴモラ。それをエースとコスモスは二人がかりで受け止めた!

「ヌォォォォッ!」

「ファァァッ!」

 小惑星を受け止めるにも匹敵する衝撃が二人のウルトラマンを襲う。足元の石畳の道が紙ふぶきのようにはがれて舞い散り、それでもEXゴモラは止まらない。今まで二人のウルトラマンが戦った、いかなる怪獣とも違うケタ違いのパワーは、やはりどうあがいても止められないのか!?

 抵抗むなしく、EXゴモラの頭の一振りでエースとコスモスは軽く吹っ飛ばされてしまった。数件の建物を巻き添えにして地面に叩きつけられて粉塵が舞う。やはり、とてつもなく強い……だが、遠く弾き飛ばされてしまったことは幸いとも言えた。ゴモラには飛び道具はない! 今なら攻撃を受ける恐れはない。

 今だ! 真っ向からの肉弾戦ではかなわないなら、光線技で一気に勝負を決める。エネルギーの出し惜しみなどをしていてどうこうなる相手ではない。エースとコスモスは、最大出力の必殺光線を同時に放った!

 

『メタリウム光線!』

『ネイバスター光線!』

 

 アントラーとアリブンタにとどめを刺した光の矢がEXゴモラに炸裂した。進化してもバリアーを張る能力などはなかったようで、二人の光線はまともに直撃し、並の怪獣なら破片も残さず木っ端微塵にしてしまうほどのパワーが飲み込まれていく。

 だが、光の奔流は、そのエネルギーを求められた対象に届けることはできていなかった。加減などはまったくなしで、全力で放たれたはずの光線は、まるで雨が傘ではじかれているかのようにゴモラの皮膚で拡散し、撃ち切ったときにも傷ひとつない無事な姿を保っていたのだ。

〔俺たちの合体光線でも無傷だっていうのか! バケモノめっ!〕

 恐ろしいまでの耐久力にエースは舌を巻いた。まるで、以前戦った強化ドラコの生体反射外骨格のようだ。いや、あれもすごかったが、EXゴモラのそれはドラコのそれを確実に上回っている。しかも、あのときは才人の捨て身の攻撃で装甲に亀裂を作ってやったから突破口が見つかったが、EXゴモラには死角はない。

 大量のエネルギーを消費し、がくりとエースとコスモスはひざをついた。カラータイマーの点滅も始まり、体から力が抜けていく。まずい、今の一撃に、勝負を賭けるつもりであっただけに、余剰エネルギーの大半を使い尽くしてしまった。もう、光線技は撃てて数発が限界、それもウルトラギロチンのような大技は使えない。

 EXゴモラは完全に無傷で、痛くもかゆくもないといわんばかりに余裕で喉を鳴らしている。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。何度失敗しても、どれだけ無様でも立って戦う。それが、ウルトラマンの義務なのだ。

 勝負は、まだこれからだ! 希望をつなごうと、エースとコスモスは気力を奮い立たせた。

 そういえば……この戦いが始まってから、もう何回倒されて立ち上がっただろうか。五回か六回か、もう正確に思い返せないほど繰り返してきたが、あと何回でも起き上がってやろう! 俺たちは、ウルトラマンなのだから。

 だが、暴風雨が数年をかけてやっと高く伸びた若木を無情にへし折ってしまうように、力の差はさらに残酷に敗北への一本道を指し示してきた。

 

「ウワァァーッ!?」

 

 突然、なんの前触れもなくエースが垂直に跳ね飛ばされた。一瞬にして百メートル近くを打ち上げられ、そのまま受け身をとることもできずに地面に叩きつけられる。

 なんだ! 今のは? ゴモラの攻撃なのか!? しかし、攻撃の形跡なんかなかったぞ。

 事態を飲み込めずに立ち尽くすコスモスに、今度は明確な形で攻撃が襲い掛かった。コスモスの足元の地面が突如はじけたかと思うと、地中から槍のようなものが飛び出してきてコスモスの胸を打ち、その身を大きく跳ね飛ばしたのだ。

〔なんだっ! 今のは〕

 地中からの突然の奇襲は、コスモスといえども避ける暇もなかった。エースと同じく地面に叩きつけられ、苦しそうな声が漏れ聞こえる。だが今はそれよりも、あの攻撃がなんだったのかを突き止めることが先だ。EXゴモラとの距離は、たっぷりと三百メートルはあり、光線でも使わなければとても攻撃が届く距離ではない。

〔まさか、もう一体怪獣が!?〕

 ルイズは、地底に別の怪獣がいて、そいつが不意打ちを仕掛けてきたのではと推測した。確かに客観的に見れば、それが一番率直で確実性の高い答えだ。だが、正解は違っていた。目に見えない地中から、三回目の奇襲をかけてこようとする謎の敵の存在を、わずかな振動で察知したコスモスは、狙われているのがエースだと知るととっさに突き飛ばした。

「フアッ!」

 間一髪、エースはコスモスの機転のおかげで串刺しにされるのを免れた。そして、空振りして空に向かって伸び、すぐさま土中に引っ込んでいったそれの形を、確かに見た。

〔今のは、ゴモラの尻尾!?〕

 信じられないが間違いはなかった。慌てて振り返ってみると、EXゴモラはこちらを凝視しながらもその場から動かずにいた。そして、さらによく観察してみると、EXゴモラの尻尾が土中に潜り込んでいた。本当に信じられないが、EXゴモラはこの距離から土中から尻尾を伸ばして攻撃してきたらしい。尻尾を伸ばして!?

〔まずい、動くんだ!〕

 コスモスの声にエースもはっとして飛びのいた。エースのいた場所の土中から、槍のような尻尾が飛び出して襲ってくる。コスモスも同様で、EXゴモラの尻尾は一瞬で出現と退避を繰り返して、神出鬼没に地中からの攻撃を続けてくる。これではまるでモグラ叩きの逆だ。

 いけない、このままでは一方的に攻撃を受け続けてしまう。EXゴモラ相手には距離をとって戦う作戦は通じないのか!

 危険なことに変わりはないが、一方的に叩かれ続けるよりはましだと判断したエースとコスモスは、距離を詰めようとEXゴモラへ向けて走り出した。するとEXゴモラも土中からの攻撃をやめて、尻尾を引き上げると、今度はサソリが毒針で威嚇体制をとるときのように持ち上げてきた。

 来るか! その瞬間、EXゴモラはゴモラから受け継いだ必殺武器をついに白昼にさらした。鋼鉄の槍のように太く鋭い尾の先がウルトラマンAを狙ったかと思ったとき、尾全体がまるでゴムで出来ているかのように伸びて襲いかかってきた。

「ヘヤァ!」

 間一髪、かわしたエースのすぐ後ろで道路がえぐられて、地割れのような巨大な裂け目ができた。

 危なかった。ゴモラの尾が伸びるかもと事前にかんぐっていなかったら直撃を食らっていた。いや、この破壊力……まともに食らっていたら、土中を進んできたときとは違う勢いに、一気に胴を貫かれてもずのはやにえのようにされていたかもしれないと思うと、血が凍りつくような思いさえした。

 だが、これで間違いない。EX化したゴモラは、最大の武器である尻尾を振り回すだけでなく、自在に長さを操って伸縮自在の槍のように使うことができる。しかも、必殺の威力をもかねそなえた強力無比なテールスピアーとして!

 槍衾のように繰り出されてくるテールスピアーの連撃を、エースとコスモスは紙一重でかわしながらEXゴモラに接近し、全力の一撃をそれぞれ放った。超獣ドラゴリーの胴体を貫いたエースパンチと、巨大ロボット兵器のボディすら揺るがすコスモスのサンメラリーパンチが同時に放たれて、EXゴモラのボディがぐらりと揺れた。

”効いたのか!?”

 が、淡い希望は一瞬で消え去った。EXゴモラの鎧のような皮膚は二人のウルトラマンの同時攻撃をものともせず、白目がむかれたと同時に尻尾がなぎ払うように振られ、エースとコスモスはまとめて吹っ飛ばされてしまった。

「ウワァァッ!」

 だめか……打撃でも光線でも、戦いが始まってから一度もダメージらしいダメージを与えられていない。攻撃力、防御力ともにケタ違いでつけいる隙がどこにもない。どうすればいい……どうすれば。時間と共にエネルギーは減っていき、打つ手も確実に減っていく。このまま打開策がなければ、確実に負けてしまう。

 エースも、才人やルイズもEXゴモラを倒す手段が思いつかず、絶望はしなくとも無力感が心に漂い始めた。こいつは、かつて戦ったどんな怪獣や超獣とも違う。本当に無敵で、倒す手段などないのではないか……そんな後ろ向きな考えが頭をかすめかけたときだった。コスモスがエースに手を差し伸べて語りかけたのだ。

 

「さあ、立とう。私たちはまだ負けたわけではない。あの怪獣を止める方法は必ずあるはずだ。それを見つけよう」

「ウルトラマン……コスモス」

「ウルトラマン……エース。君も、よい仲間を持っているのだな。私もかつて、魂を共有した友がいた。その友が教えてくれた。敵と戦って勝つことに固執することは、より大きな争いの呼び水になってしまう。敵と戦わねばならなくとも、その目的は人々の平和を守り、失われようとする命を守るためであるべきだ」

 コスモスの言葉に、エースは心の霧が晴れたような気がした。確かにそうだ、どうしても勝てそうにない敵を相手にしたら、つい勝つための方法ばかりを模索してしまいがちだが、勝利は目標であって目的ではない。倒すのではなく守ること、ウルトラ戦士の心得をうっかり失念するところだったと、エースは自らを戒めて礼を述べた。

「すまない、私たちは大事なことを見失ってしまうところだった。ここで勝利に目を奪われて倒されてしまえば、見守ってくれている大勢の人たちの期待を裏切ってしまうところだった。ありがとう」

 差し伸べられた手をとってエースは立ち上がった。その眼差しの先には、ゴモラとコスモスのほかにも、アディールを襲う天変地異にも負けずに応援してくれている人々の姿がある。彼らがいる限り、みっともない姿は見せられないと、エースは才人とルイズとともに気合を入れなおした。

 

 EXゴモラは確かに強い。しかし、ただ強いだけではウルトラマンを倒すことはできない。

「俺たちを倒したいのなら、この銀河系ごと消滅させてみろ!」

 自分に負けない限り、敵に負けることもないと、エースは健在な姿を見せつける。相変わらず勝機はなきに等しいが、最後まで希望であり続けること、人々の光であり続けること、それがウルトラ戦士の使命なのだ。人間やエルフたちも、立ち上がって勇敢に構えをとる二人のウルトラマンに勇気を分け与えられて、仲間同士で励ましあって声を出す。

 

 だが、邪悪の化身にとって、どうやっても絶望に染まらない者ほど忌々しいものはない。思うとおりにならないのならば死んでしまえ! 幼児のわがままじみた、わめきちらす悪辣な暴君。気に入らない対象への理不尽な怒りをつのらせたヤプールは、EXゴモラの精神と同調して、超エネルギーを集め始めた。

「いつまでも希望などというくだらないものにすがる愚か者どもよ。そんなに現実から目を背けたいのなら、今すぐ抗いようのない力の差というものを見せてやる。受けてみるがいい、我らの怨念を込めた破滅の業火を! そして知るがいい、この世界には希望などないのだということを!」

 マイナスエネルギーが膨大な破壊エネルギーに変換されてEXゴモラに充填されていき、巨体が赤く染め上げられていく。そのケタ違いのエネルギー量は到底計測などは不可能。エースとコスモスは戦慄した。ヤプールめ! どうあっても力ですべてを決しようというのか。

 超エネルギーがEXゴモラの体に収束していき、周辺の建物がその余波だけで吹き飛ばされていく。

 あれは、あんな能力がゴモラにあったのか!? いや、ゴモラには地底掘削用に超振動波を放つ能力がある。元になったゴモラは振動波をそのまま相手に叩きつけるくらいまでしかできなかったが、もし超振動波をさらに増幅したら光線のように放つことができるとしたら、それをEX化したことにより極大化したとしたら!

 まずい! 今あんなものを食らったら。しかし、避けようにも、背後にはまだ避難できていない大勢の市民がいる。

 避けられない! 来る!

 その瞬間、超極大化された超振動波、『EX超振動波』がエースとコスモスを目掛けて放たれた!

 

「くっ! コスモス!」

「ああ、我々の全エネルギーをこれに込めるんだ!」

 

 この一撃をまともに食らったら、たとえウルトラマンといえどもあとかたもなく消滅する。かといって、避けたら後ろにいる数千のエルフたちが代わりに殺されてしまう。選択は、するまでもない! エースとコスモスは体に残った全エネルギーを使って、渾身のバリアーを作って迎え撃った。

 

『サークルバリヤー!』

『サンライト・バリア!』

 

 光の鏡と金色の光の壁がEX超振動波を受け止めて、激しく火花を散らした。しかし、圧倒的勢いを誇るEX超振動波の圧迫力は、ふたり同時に張ったバリアの防御力をも超えて押し切ろうと迫ってきた。

〔とんでもない威力だ! 抑え切れんっ! くそっ〕

 ダブルバリアの壁を超えて、超振動波のエネルギーが押してくる。バリアにもろくもひびが入り、漏れ出てきたエネルギーがエースとコスモスの体を焼き始めた。だめだ、あと数秒も持たない! だがそのときルイズと才人が、己の生命エネルギーをエースに託した。

〔サイト、いいわね!〕

〔ああ、おれたちの命、ここで使ってくれ!〕

 ふたりとも迷いはなかった。二人の精神体から一気に力が抜けていき、実体だったら立ち上がることさえできないほどの疲労感と鈍痛が二人を包む。それは二人にとって、本当に命を失うかどうかというギリギリでの付与だった。エースが事前に二人がやろうとしていることを知ったら、なにを置いても止めたであろうほど危険な賭けであったが、二人ともそれでもいいと思っていた。

 エースが、みんなが命を賭けて戦っている。なのに、自分たちだけリスクを避けようとは思わない。

 二人ともバカだ。年相応のこともできない大バカ者だ。しかし、二人の命そのものといえる生命エネルギーを得たエースは、寸前のところで力を盛り返した。

〔エース、あとは、頼んだ、ぜ〕

〔二人とも、この戦いが終わったら説教だぞ! くっ、うぉぉぉーっ!〕

 バリアに全身全霊のパワーを注ぎ込み、エースは持ち直した。コスモスのぶんも合わせ、EX超振動波がはじき返されていく。

 そして、カラータイマーの点滅も限界に達し、もうこれまでかと思った瞬間、ついにEXゴモラも力尽きて超振動波の波がやんだ。

「やった、か……」

 バリアを解除し、エースとコスモスはひざをついた。恐ろしいパワーだった。もしエースかコスモスかどちらかひとり、さらに才人とルイズの暴挙がなければ、この世に一辺の痕跡すら残さずに消し去られていたところだった。

 どこまでも恐ろしい怪獣、恐るべしはヤプールと暗黒の底力。EXゴモラはいまだかすり傷ひとつなく、白目に怒りを込めて吼え猛っている。

 

 しかし、あきらめることだけはできない。あきらめたら、それですべてが終わる。

「コスモス、立てるか?」

「もちろんだ。さあ、勝負はこれからだ」

 励ましあい、エースとコスモスは再び立ち上がった。

 まだ、戦える。まだ、負けたわけではない。しかし、その意志を込めた勇姿に、勝ち誇るヤプールは冷笑を送った。

「フハハハ、これだけの実力差を見せ付けられて、まだ立ち向かおうというのか。より絶望が深くなるだけだというのに、まったくお前たちのあきらめの悪さは見苦しいことこの上ない。何度立ち上がろうと無駄だ。このゴモラには、絶対に勝てん!」

 破壊と殺戮の喜びに狂奔するヤプールの声は、明らかに勝利を確信していた。それだけではない、その負の感情を込めた声によって、人々の恐怖心をあおろうとしているのは明白であった。ヤプールらしい、陰湿で陰険なやり口は昔から少しも変わるところはない。

 凶暴な雄たけびをあげる無傷のEXゴモラと、満身創痍のウルトラマン。誰がどう見ても、どちらが勝者かというのは一目瞭然の光景であろう。奇跡を望むにしても、超獣軍団を倒し、いまやこの超怪獣を相手にほとんどのエネルギーを使い切ってしまった今となっては、どんな奇跡が起こせるというのだろう。

 だが、勝ち誇るヤプールに対して、エースは毅然として言い放った。

「ヤプール、絶対に勝てないとは大した自信家ぶりだが、あまり調子に乗ったことばかり言っていると、後で後悔することになるぞ」

「フッハハハ! とうとう負け惜しみか。ウルトラマンAも堕ちたものだなぁ!」

「負け惜しみか、貴様にはそう聞こえるのだろうな。だが、戦いの決着とは終わってみないとわからないものだ。貴様はまだ勝者ではない。知っているか? 地球人の童話では、油断したウサギが努力し続けたカメに負けるんだ」

「貴様ぁ! このわしを侮辱するか! 死にぞこないの分際で、あと一発殴られた程度で死ぬほど弱りきった貴様らにいったいなにができるというのだ! おとなしく絶望しろ! そうすればせめて楽にあの世に送ってやる!」

 ヤプールの恫喝に、しかしエースはコスモスとともに首を振った。

「それは聞けないな。俺たちは、どんなことがあっても邪悪な暴力には屈しない。俺たちを信じて、力を託してくれた仲間たちのためにも、決してあきらめはしない」

「そう、それに我々は負けはしない。お前のように、破壊にのみしか価値を見出せない者には、我々を支える大きな力の意味はわからないだろう。それがある限り、我々に敗北はない」

 エースとコスモス、光の戦士の揺るがぬ意志の前にはヤプールの狂声などは無価値だった。

 激怒したヤプールは、もはや嬲り殺すのはかなぐり捨ててEXゴモラにとどめを命じた。

 

「やれぇ! もはやウルトラマンどもに抵抗するだけのエネルギーは残っていない。そいつらを叩き潰し、すべての愚か者どもに絶望を思い知らせるのだぁぁーっ!」

 

 雄たけびをあげ、EXゴモラはエースとコスモスに向かった。

 もはや、二人のウルトラマンにはヤプールの言うとおり、一発の光線を撃つ力も、殴りあう体力も残されてはいない。

 ただ、立つだけで精一杯。抵抗する力などはほぼ皆無、殴られればカカシのように叩きつけられる運命しかない。

 逃れる力もなく、立って待ち構えるウルトラマン。もうだめなのか、希望は絶望に塗りつぶされてしまうのか。

 人間たち、エルフたちの眼前に、破滅の未来が刻々と迫る。

 

 だが、彼らはその光景を目にすることなく、奇跡をまぶたに焼き付けた。

 突進するEXゴモラの横合いから割り込んで激突し、猛烈なパワーで吹っ飛ばした土色の弾丸。

 吹っ飛ばされて、体勢を立て直そうともがいているEXゴモラを太い尻尾の一撃で再度跳ね飛ばす、荒々しい巨竜。

 そして、天空から舞い降りて、起き上がろうとするEXゴモラを蹴り飛ばす巨鳥。それに続いて、口から吐く光弾の雨でEXゴモラを爆発の中に包み込む青い鳥。

 

「あっ、あれは!」

「怪獣たち……コスモスに救われた怪獣たちが!」

 

 人々は、口々に指差し歓声をあげた。

 ゴモラ、ゴルメデ、ヒドラ、リドリアスが蘇り、EXゴモラに立ち向かっていっていた。

 咆哮をあげ、突撃していくゴモラとゴルメデ。それを空から援護するヒドラとリドリアス。EXゴモラは思わぬ乱入者にとっさに対応できず、ヤプールは目障りな奴らめと怒り狂う。

「なぜだ、なぜあと一歩のところで邪魔が入る! ええい、どけぇぇ! どかんかぁーっ!」

 ヤプールは、憎みても余りあるウルトラマンの最期を邪魔されたことで怒りの極致であった。それでも、邪悪な頭脳をフル回転させて、誤算の原因を探ろうとする。なぜ、どうして完璧にエースを葬り去れるはずだった計画がこうも狂う? 本来ならば、超獣軍団だけでエースは十分抹殺できるはずだったのに、なぜこうも想定外のことが連発するのだ?

 考えても考えても、ヤプールの思考は教科書の文字列を反復するだけの三流教師の思考のように、ゴールのない環状路線を走り続けた。わからない……奇跡などというものはあるはずが、なにがウルトラマンどもに味方しているのだ。

 しかし、ヤプールには永遠にわからないことだとしても、エースたちにはわかっていた。

 

”ヤプールよ。お前にとって取るに足りない者でも、捨て駒として切り捨てた者たちにも、皆にこの星を守ろうとする強い意志があるのだ。お前の眼中には我々しか映っていなくとも、お前が戦っているのは、この星の生命全てだ。お前の思う通りには決してならない。怪獣たちも、この星を愛する仲間なのだから!”

 

 

 続く



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第95話  アディール最終決戦! 最強怪獣を倒せ!! (後編)

 第95話

 アディール最終決戦! 最強怪獣を倒せ!! (後編)

 

 友好巨鳥 リドリアス

 古代暴獣 ゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 古代怪獣 ゴモラ

 古代怪獣 EXゴモラ 登場!

 

 

 新たな奇跡が、ここに展開されていた。

 人間とエルフのすべての武器も魔法も尽き、ウルトラマンも満身創痍の窮地。絶体絶命の大ピンチ。

 もはや、戦える者が誰もいなくなったと思われ、ヤプールが勝利を確信したときに、立ち上がっていった者たちがいた。

 しかし、彼らはこの星の一員であったが、人間でもエルフでも、ましてやウルトラマンでもなかった。

 

 雄雄しい遠吠えをあげながら団結し、立ち向かっていくのは怪獣たち。

 ゴモラ、ヒドラ、リドリアス、ゴルメデ……この星で生まれ育った怪獣たちが、故郷を守るために怒り狂う漆黒の魔獣に挑んでいく。

 その、ありえないような新たな敵の出現に、ヤプールは怒りの臨界点を超えて叫び狂った。

 

「おのれぇ、おのれぇ! あと一歩でウルトラマンどもにとどめを刺せるというところだったというのに、なんだこの怪獣どもは! なぜわしの邪魔をする。人間どもといい、エルフどもといい、どいつもこいつも不愉快極まりない。かまわん! 一匹残らず叩き潰せ! 動くものはすべて屍に変えてしまうのだぁーっ!」

 

 怒りに燃え上がり、ひたすら破壊にすべての解決をヤプールは求めた。その思考と、限りなく湧いてくる憎悪の力は、まさしくヤプールが本物の悪魔であることの証だといえるだろう。だが、ヤプールはその悪そのものの思考のために気づいていなかった。すべてを暗黒に染め上げ、破壊しつくそうとするヤプールに抗おうとするのは、生き物ならば皆が持つ生きようとする強い意志。誰だって、自分を殺しに来る相手を無抵抗で迎えたりはしない、猫に追い詰められた鼠しかり、シマウマだって追い詰められればライオンを蹴り殺そうとする。

 それが生きとし生けるものの本能であり、その点では怪獣もなんらも変わりない。善悪を超えた、それが生命の摂理。ヤプールは、この星の生命すべてを敵にまわしてしまったのだ。

 

 人間とエルフの見守る前で、怪獣たちとEXゴモラの戦いが始まった。

「おお! まずはあの巨竜がゆくぞ!」

 先陣を切って突進し、角をかち合わせるゴモラ。オリジナルとフェイクとはいえ、ゴモラvsゴモラの夢の構図が生まれた。

 EXゴモラの巨大化した爪の一撃をかわし、くるりと回転して得意技の尻尾の殴打をおみまいするゴモラ。相手は自分の遺伝子からコピーされた、ある意味自分自身といえる存在だから、その攻撃パターンも当然お見通しなのだ。

 ウルトラマンをも一方的にノックアウトした尻尾連打を受けて、さしものEXゴモラも足元がふらつく。しかし、強靭な皮膚は打撃をまったく受け付けず、EXゴモラも尻尾を振って反撃してきた。尻尾と尻尾が空中で激突しあい、その衝撃で周囲に雷鳴のような轟音が鳴り響いた。

 しかし、純粋なパワー勝負となったらコピー体とはいえEXゴモラに大きく分があった。オリジナルのほうが吹っ飛ばされて転倒し、EXゴモラは追い討ちをかけようと足を振り上げる。

 そのときだった。今度はゴルメデがEXゴモラに組み付いて押し返してゴモラを助けた。もちろん、ゴモラでさえまったくかなわなかったEXゴモラを相手にゴルメデの力では歯が立たずに軽くなぎ倒される。が、ゴルメデへの報復もまた成功しなかった。後頭部に飛んできたヒドラが飛び蹴りを食らわせ、不意打ちでバランスを崩されたEXゴモラは無様にすっ転ばされてしまった。

 よくもやったな! 怒ったEXゴモラは空に向かって尻尾の先を向けた。対空用の武器を持っていないのがゴモラの弱点のひとつでもあるのだが、EXゴモラには伸縮自在のテールスピアーがある。串刺しにしてやるぞと、空を睨んでヒドラに狙いを定める。

 しかし、またしても妨害が入った。テールスピアーを放とうとした瞬間、高空からリドリアスが放ってきた光弾が周辺で炸裂して、炎と煙がEXゴモラを包んだ。その威力自体はEXゴモラにダメージを与えられるものではなかったが、爆煙で視界がふさがれたためにヒドラの位置を正確に把握することができなくなり、放たれたテールスピアーは空振りして虚しく宙を切った。

 その隙を突き、二匹同時に突進してEXゴモラを吹っ飛ばすゴモラとゴルメデ。空中から援護態勢を整えるヒドラとリドリアス。彼らの四身一体の攻撃によってEXゴモラは翻弄され、持ち前のパワーを炸裂させられずに踊っているようだ。

〔やるな、あいつら……〕

 エースの視界を借りて見ながら、才人は内心で怪獣たちの戦いに感心していた。もう生命エネルギーのほとんどをエースに譲ってしまって、ルイズともども見るくらいしかできないのだが、それでも怪獣たちが連携して自分たちよりはるかに強力な敵と互角にやり合っているのはすごいと思った。

 それはルイズも同じで、実家で過ごしていた頃に数回父や母と狩りに出かけたときのことを思い出していた。あのとき父はこう言った。「いいかルイズ、野生の動物は人間が想像するよりずっと賢いものだ。彼らは過酷な自然の中で生き抜き、数年で戦いのプロに成長する。むしろ自然の中で人間ほど無知で弱い生き物はないと言っていい。お前も大人になれば思い出す日も来るだろう。我ら人間、万物の頂点などとうぬぼれても、しょせんできないことのほうがはるかに多いのだ」

 結局その日は一頭の鹿も獲ることができず、腹を立てたルイズは無理矢理その日のことを忘れてしまった。しかし、きちんと思い出してみれば、鹿一頭にすら勝てなかった自分と、EXゴモラは似たようなものだと思った。ただ力まかせに考えもなしに突っ込んで、せっかくのパワーを無駄遣いしてしまっている。

〔あの子たちの戦い方……むしろ、わたしたちよりうまいくらいじゃないの〕

 効率よく剣を振ったり、隙なく魔法を使う訓練ならばみんなしてきた。しかし、怪獣たちはそんなものはなくとも互いを補い合って、常にどれか一匹が支援に回れるように立ち回っている。彼らの無駄のない動き……いや、むしろ逆だろうとルイズは思った。人間はなにかと余計なことを考えてしまうから無駄ができる。しかし、怪獣たちは常に自然体だ。その戦い方が、パワーにまかせて暴れるだけのEXゴモラには捉えられないのだ。

〔お父さま、今ならあのときおっしゃられたことの意味が、少しわかるような気がします〕

 どんなにすごいパワーを手にしようとも、それはしょせん大いなる自然という手のひらの中の子ネズミに過ぎない。自然を無視して力だけ求めても、世界そのものである自然にはかなわない。わたしたちは、みんなちっぽけな存在なのだから。

〔サイト……やっぱり、ヤプールは間違ってる。あの怪獣は、とんでもなく強いけど……わたしたちは、負けない!〕

〔おれもそう思うぜ。ゴモラたちが教えてくれた……いくら力だけ最強でも、心がともなわなっちゃ不完全だ。あんなやつに、負けてる場合じゃねえよな。寝てる、場合じゃなかった!〕

 ゴモラたち怪獣の勇姿が、途切れかけていた才人とルイズの闘志も蘇らせた。ただ強いだけの化け物に屈するなんて、そんなのは負け犬の、弱虫の泣き言だ。力ではるかに負けていても、戦う手段はいくらでもある。怪獣たちが、それを教えてくれた。

 だが、今は互角に渡り合っても、怪獣たちにはEXゴモラの固すぎる防御を破る手段がない。このままでは遠からず、疲れた怪獣たちはテールスピアーで打ち落とされ、叩きのめされてしまうだろう。やるならば今しかない! 怪獣たちだって頑張っているのに、おれたちが悠長におねんねしている場合じゃない!

「シュワッ!」

「エイヤッ!」

 ふたりの闘志に呼応して、エースとコスモスも心の底から新たな力を生み出した。この命燃え尽きるまで戦うのが、平和の守護神であるウルトラ戦士の義務! 二大ウルトラマンの復活と参戦に、エルフと人間たちは希望を見出し、ついに戦いは最終ラウンドを迎えた。

 

 二大ウルトラマン&怪獣軍団vsEXゴモラ

 

 歴史上二度とないかもしれない幻の対戦カードがここに切られ、最強怪獣に皆は団結の力で挑んでいく。

 ひとりひとりの力では不足でも、力を合わせて連携すれば巨大な力となる。

 ゴモラとゴルメデの体当たりで揺らいだところに、コスモスが渾身の力を込めてパンチを放つ。すると、これまでどんな攻撃にもびくともしなかったEXゴモラがふらついた。効いているのか? そういえば、メビウスが地球に来る前に、ウルトラマンタロウはメビウスから「攻撃の効かない敵と戦うときにはどうすればいいのか」と質問され、こう返したという。

「私なら、とにかくいろいろやって相手に隙を作る。普段は強くとも、隙を突かれた相手はもろいものだ」

 確かに、完全無欠の防御力を持ったEXゴモラといっても、受ける姿勢が悪ければ衝撃を余計にもらってしまうだろう。実際にはほとんど効いていないも同然のダメージだろうが、それでも鉄壁の牙城にわずかなひびがはいった。

 EXゴモラは、ほんのわずかでも痛みを与えられたことに怒り狂い、テールスピアーを連射してきた。一撃でダイヤモンドだろうが風穴を空けるであろう無双の槍の穂先が秒単位で飛んできて、コスモスたちは後退を余儀なくされた。

 しかし、その後方から死角を突いてエースが急降下キックの態勢に入り、リドリアスとヒドラも続く。ただし、EXゴモラも二度も三度も同じようにやられたらさすがに学習する。空に向かってテールスピアーの穂先を変え、対空攻撃を仕掛けてきた。鋭い尻尾の先がまっすぐにエースや怪獣たちに向かう。

”危ない!”

 人々は悲鳴をあげた。ビダーシャルやアリィーのような戦士も、あれは避けられないと最悪の結果を想像して背筋を寒くした。

 けれど、かつてウルトラマンレオはメビウスにタロウにしたのと同じ質問をされたときに、こう答えたことがあった。

「いい方法は見つからなくてもとにかく粘る。ピンチのときこそ、逆にチャンスだと考えるんだ」

 ウルトラ兄弟の中で、もっとも多くの苦難を乗り越えてきたレオだからこその重い一言だった。ピンチこそチャンス、その言葉を実践するために、エースはテールスピアーに臆することなく急降下し、空中で回転して紙一重でこれをかわしきってしまった。

”なんと!”

 今の攻撃は絶対にかわしようがなかったはずだ。しかし、空中で重心を微妙に変えることで軌道を変更し、直撃コースからほんのわずかだが身を逸らしてしまった。

〔タロウのスワローキックを真似してみたが、即興にしては上出来かな?〕

 エースはひとつ下の弟の十八番を少々拝借してみたのだった。もちろんタロウのオリジナルには到底及ばないし、本人が採点したら精々二十点くらいだと辛い評価をされるだろう。だが付け焼刃でも、今この状況を脱することができれば上等だ。

 EXゴモラの背中に急降下キックをお見舞いするエース。その一発だけではびくともしないだろうが、続いてエースが開いた活路からヒドラが突撃し、EXゴモラを顔面から地面に叩きつけた。さらに離脱のときはリドリアスがかく乱し、EXゴモラは反撃もままならない。

 それでも、瓦礫と炎の中から鋭い牙と爪を振りかざしてEXゴモラは起き上がってくる。腹立ちまぎれに振り回した尻尾は街の一区画を瞬時に瓦礫の山に変え、石造りの家が砂のように握りつぶされてしまう。

”奴は、不死身か……”

 恐るべきパワーと耐久力、EXゴモラはまだ少しも弱っていない。対して、戦いの主導権を握っているとはいっても、ウルトラ・怪獣連合軍はギリギリのところで力を振り絞っているのに変わりない。一人一体でも攻撃を食らえば、そこから連携は崩れて一気にやられてしまうだろう。

 しかし、それでも”負け”はしない。何度でも、何百回確かめてもよいが、もう我々が倒されることはないのだ。

 EXゴモラが不死身なら、俺たちもまた不死身! 揺るがない使命感と意志を秘めて、ウルトラマンたちは立つ。

 

 

 だが、どんな攻撃を加えても立ち上がってくるウルトラマンたちの奇跡の力を、もっとも恐れているのはほかならぬヤプールだった。光の力の根源を、闇の存在である自身は理解できなくとも、どんなに計算高く作戦を立てても、それを乗り越えていく力を彼らが持っていることだけは理解していた。

 そして、光の力の根源とはなにか。それを潰さない限りウルトラマンには勝てない。ヤプールはついに勝利のために打算を捨てて叫んだ。

「そうか、貴様らの不条理な力の源がようやくわかったぞ。こざかしい虫けらどもを守るために力を出せるのが、貴様らであったなあ……だったら、フフフフ……決めたぞ、貴様らの力の源となるものすべてを奪いつくしてやるわ!」

 天空を黒い雷光が貫き、何十本もの漆黒の竜巻が黒雲から地上に向かって伸びた。

 これはもはや自然現象ではない。ヤプールの憎悪がそのまま形となった、殺戮の終末現象である。雷は地上をえぐり、竜巻は進路上のものすべてを巻き上げて粉砕しながら、エルフたちを無差別に抹殺しにかかった。阿鼻叫喚の中で逃げ惑う人々、それを見てヤプールは狂気の声をあげる。

「フハハハ! ハーハッハッハ! 守るべきものどもがいなくなれば、貴様らももはや力を出すことはできまい。このまま、この街の住人すべてを殺しつくしてくれるわ!」

「ヤプール! 貴様、なんてことを!」

「ウワッハッハハ、悔しがるがいい、焦るがいい。もうマイナスエネルギーの採取も、絶望の叫びもどうでもいい。どうせこの星の生命すべてがいずれ滅ぶのだ。今は貴様らを始末できさえすれば、ほかはどうでもいいわあ!」

 エースの叫びに、ヤプールは破滅の雷をさらに激しく降らせた。容赦なく破壊されていく街並みと、飲み込まれていく人々。だがそれは裏を返せば、ヤプールも追い詰められている証といえた。これで、アディールの住人からのマイナスエネルギーの回収ができなくては、消費したぶんと差し合わせて元が取れなくなり、ハルケギニア制圧から地球への侵攻に大きな遅れが出ることになる。これまでは採算を考えて、エルフたちを嬲り殺そうとしてきたヤプールだったが、とうとう採算をかなぐり捨ててまで勝ちにきた。

 卑怯者め! 抵抗する術を持たない人々を殺して、それでなお勝ちたいというのか。

 だが、これが有効な手段であることだけは認めざるを得ない。人々を狙えば、人々を守るために戦うウルトラマンは落ち着いて戦うことが出来ない。雷で打たれて吹き飛ばされる人々を見てエースは動揺し、あわやテールスピアーの餌食になりかけた。

 EXゴモラは絶対に自分たちを逃さないつもりだ。釘付けにしてるうちに、ヤプールがアディールの市民を皆殺しにして、しかるのちに邪魔者をまとめて叩き潰す気だ。だが、今でさえやっと抑えているEXゴモラへの包囲を崩すことはできない。

 けれど、そのときだった。エースたちの苦境に気づいて、東方号の甲板から声がした。

 

「ウルトラマーン! こっちはまかせろーっ! 街の人たちは、ぼくたちが助けるさーっ!」

 

 そこでは、ギーシュたち水精霊騎士隊の少年たちが包帯まみれになりながらも、人々を東方号に救い上げている姿があった。東方号は、多数の雷に打たれて炎上しながらも、いまだその城郭のごとき威容を保ち続けており、いくら打たれても揺るがない巨体を洋上に保ち続けている。

 それはまさしく、不沈の大要塞。人々を頑強な鋼鉄の壁で守り続け、我が身を削ることをいとわずに浮き続ける威容で希望を与え続ける。かつて「大和が沈むときは日本が沈むとき」と呼ばれたそうだが、まさに「東方号が沈むときは世界が沈むとき」と呼んでもよかった。しかし東方号が大和と違うのは、国境線で囲われた国などというものではなく、生きとし生けるものをあまねく守る、『平和の不沈艦』であることに他ならない。

 人間にもエルフにも命の重みに差などない。生物としてのわずかな差異など、世界全体、宇宙全体のレベルからしたらないも同然の些細な差なのだ。それに無理に違いをつけたがるのは、地球でも肌の色や生まれた区域、血統や身分の差で語るのもおぞましい醜悪を繰り返したこととまったく同じ。ほんのわずかでも他人と差をつけて偉くなった気になりたい卑小なプライドから来る、お山の大将どもの思考に過ぎない。

 それに気づいた人間たちは今や、この地にやってきた目的よりも、目の前の人々を救うために力を尽くす。水精霊騎士隊は気力を振り絞って自力以上の力を発揮し、その中には、アディールの一般市民と見えるエルフたちの姿もあった。人間とエルフが力を合わせてひとつの目的に邁進する。絶対に不可能だと思われていたことも、こんなに簡単なんだった。

 手を貸してくれるエルフたちと助け合い、水精霊騎士隊は東方号を守り、その中に逃げ遅れていた人たちを収容していく。彼らを代表して、ギーシュはすっかり薔薇の花びらがなくなり、ただの棒っきれになった杖を振りながら、下手くそに巻かれた包帯をたなびかせながらもう一回叫んだ。

 

「ぼくたちは大丈夫さ! こんな程度でやられるほどやわな鍛え方はしてないってね。銃士隊の特訓を耐え抜いたぼくらの根性をなめないでくれたまえ。さあ諸君、もうひと頑張り声出していくぞ!」

 

 ギーシュも、すっかりリーダーとして板についてきたなと才人は思った。あいつは元々人目を恐れないタイプだが、それと集団をまとめられるのとは別のことだ。しかし、バカでスケベであっても陽の気質の持ち主であるために、仲間たちは信用はしなくても信頼を置いて、足りないところを補い合っていける。

 まったく、人間は変わるときには信じられないほど変わる。ギーシュを入学時から知っているルイズも、あのバカも少しは見直してもいいかもと認めざるを得なかった。もちろん、がんばっているのはギーシュだけではなく、ギムリやレイナールたち見知った連中や、艦橋頂上ではまだティファニアとルクシャナが頑張っている。

「コスモス、わたしたちも最後まであきらめない。あなたが、みんなが安心していられるように、わたしも戦いが終わるまでここに立ち続けます。わたしにはそれくらいしかできないけど、それくらいならできるからがんばるから!」

 コスモスは、ティファニアのほうを一瞬だけ見てうなづいた。本当に、若者の成長の速さというものは大人が思っている以上に早い……正しく伸びるその先にこそ、希望の未来はあるのだと信じられる。

 エースとコスモスは、街の人々は彼らにまかせて大丈夫だと託した。今、自分たちがやらねばならないことは、ヤプールの最後の切り札であるEXゴモラを止めることだ。役割を見失ってはならない!

「いくぞ!」

 覚悟とともに、エースとコスモスは怪獣たちとともにEXゴモラに最後の戦いを挑んでいった。

 正義と悪、使命感と執念、勇気と怨念、そして死力と死力がぶつかり合う。

 テールスピアーをかいくぐってエースのキックが炸裂し、コスモスのチョップが角を打つ。

 ヒドラとゴルメデの火炎が同時に命中するが、EXゴモラの表皮には傷ひとつついていない。さらにリドリアスが空中から攻撃をかけようとするが、EXゴモラも今度は直接落とそうとはせずに、いったん地中に尻尾を潜らせてから地表に飛び出させて攻撃する奇襲技『テールアッパー』で撃墜を図ってきた。

 避けきれず、胴を打たれて悲痛な声をあげつつ墜落するリドリアス。ふいを打たれた仲間を助けようと、ゴモラがEXゴモラに密着して、超振動波のゼロ距離攻撃を加えて吹き飛ばした。しかし、並の怪獣相手ならば確実に致命傷となるであろうこの攻撃を受けても、EXゴモラにはほとんどダメージは見当たらなかった。

 やはり強すぎる……なんとか、こいつの不死身を破る方法を見つけなくては。いくら強くても、この世に完全無欠なんてものはありえないはずだ。必ず弱点はある、それさえ見つけることができれば!

 だが、業を煮やしたEXゴモラは再びあの大技を狙ってきた。EXゴモラの体に赤く輝く超エネルギーが集まり、EX超振動波が放たれた。エネルギー規模にしたら、ウルトラマンの必殺光線の数百倍はあるのではないかというそれが、彗星のようにすべてを粉砕しながら進み、ウルトラマンと怪獣たちを跳ね飛ばしていった。

「ウワァァッ!」

 どうやら、速射性を重視してエネルギー充填をしぼったらしい。避けられなかったが、本来なら殺されたところを、それでも大ダメージは受けたが吹き飛ばされただけですんだ。だが、なお勢いを衰えさせない超振動波は街を粉砕しつつ海に飛び込み、巨大な水柱を立ち上げて海上の人々を飲み込んだ。

〔し、しまった!〕

 海には、まだ避難し切れていない人々が、さらには救助にあたっていた銃士隊がいた。もうかなりの住民は東方号に乗り込んでいるとはいえ、少なからぬ人数が残っていたはずである。みんなが……才人の心に冷たい霜がまといつく。

 台風の海のように荒れ狂ったアディールの洋上で、いくつもの船が転覆して船腹をさらしていた。飲み込まれた人たちは……おぞましい予感に、目を凝らして海面を才人はなでた。やがて、エルフや銃士隊が何人も海面に顔を出してくる。そして、一艘の奇跡的に転覆を免れたボートに、ふたりの銃士隊員に肩を貸される形でミシェルが引き上げられてきたとき、才人は心臓をわしづかみにされたような悪寒を覚えた。

「副長、しっかりしてください!」

 ふたりの銃士隊員の必死の人工呼吸などの蘇生術が、呼吸の止まったミシェルにかけられた。戦闘のプロである彼女たち銃士隊は、当然ながら救命技術にも習熟している。慣れた手つきでの蘇生処置で、数秒後にはミシェルは口から海水を咳き込みながら吐き出して息を吹き返した。

 だが、気を取り戻して開口一番、ミシェルは「よかった、副長」と話しかけてくる部下たちを一喝した。

「お前たち、何してる。まだ、我々の仕事は終わっていないんだぞ、任務に戻れ! わたしのことは、ほっておけ!」

 有無を言わせぬ強い口調に、部下の騎士たちは一瞬だけ敬礼をとると海に飛び込んでいった。海中にはまだ沈んだままのエルフたちが残されている。イルカや水竜が背中に乗せて浮き上がらせているが、いかんせん彼らでは引き上げることはできても蘇生処置はできないし、なにより数が足りない。

 しかし、自分も死に掛けておいて、なおかつまたいつ転覆するかもしれないボートの上にひとりで残るとは、なんて強い人だと才人は息を呑んだ。しかも、まだ体も自由に動かずに、溺れる恐怖も強く残っているだろうに……

 けれど、ミシェルはやせ我慢や単なる軍人精神で言ったのではなかった。部下たちが行ってしまうと、彼女はふうと息をつき、ボートのふちに寄りかかりながら、ウルトラマンAのほうを望んでつぶやいた。

 

「ふ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。わたしはもう、昔のひとりぼっちだったころのわたしじゃない。離れていても、今のわたしにはたくさんの仲間たちがいるさ。この胸の中に、かけがえのないみんなの魂がいっしょにな。だから、心配するな……この想いがある限り、わたしは負けない。見えているさ、今でも空のかなたにウルトラの星が」

 

 にこりと、濡れた青い髪を手で払って微笑んだミシェルの輝いた顔に、才人は思わずどきりとした。

”まさか……もしかして、あなたはおれのことを……”

 あの雨の日の記憶が、鮮明に蘇ってくる。けれど、いったいどこで?

 しかし、それとは別にミシェルの言葉から才人は重大なヒントを預かっていた。

〔胸の中に、みんなの魂が……そうか! その手があったんだ!〕

〔ちょ、サイト、いったい急にどうしたの?〕

 突然叫んだ才人に、ルイズがいぶかしげに問いかけてくる。すると才人は、ウルトラマンコスモスにも聞こえるように、エースの念波を借りて早口で説明した。

〔あのゴモラは、実体はひとつだけど、たくさんの超獣や怪獣の怨霊が合体したものなんだ! 外からの攻撃をいくら受け付けなくても、融合している怨霊に働きかけることができれば……コスモス!〕

〔なるほど、霊魂を邪悪な力で無理矢理結合させているのであれば。やってみる価値はあるな!〕

 コスモスは、才人の意見に強くうなづいた。攻防ともに無敵を誇るEXゴモラを止めるには、もうその方法しかあるまい。暴力に暴力で対抗するのではなく、心に訴えかける力。それができるのはコスモスしかいない。

 エースは、そして怪獣たちは最後の力を振り絞ってEXゴモラに挑んでいった。ほんのわずか、ほんのわずかな時間でいいから、EXゴモラの動きを止め、コスモスから意識を反らせられればそれでいい。ボロボロになり、何度も叩き伏せられながら、それでも宝石の一瞬を求めて挑みかかっていく。

 そして、ついにその時はやってきた。EXゴモラの動きが止まり、視線がコスモスから外れている。

 今だ、これが正真正銘最後のチャンス……皆の期待を一身に背負ったコスモスは、心を落ち着かせてコロナモードの変身を解いた。

 

『ウルトラマンコスモス・ルナモード』

 

 強さから優しさの元の姿へ、青い姿へと返ったコスモスはEXゴモラをじっと見つめると、こいつを生み出すために犠牲となった怪獣たちへの哀れみと慈しみを込めて、光の力を集めていった。胸を抱くように合わせた手をゆっくりと回して光を蓄え、泡のような光の波動に変えて解き放った。

 

『フィールウォーマー』

 

 感情に訴えかける光の力がEXゴモラの中に染み込んでいき、体内で渦巻いていた超獣や怪獣たちの意識に呼びかけていく。マイナスエネルギーで固定され、怨念の力を吸収され続けていた魂を光の力が覆い、彼らの自我を蘇らせていった。

 アリブンタ、アントラー、スフィンクス、オイルドリンカー、ゴーガ、マザリュース、サメクジラ、ダロン、ギロン人。ガディバによってエネルギー源として利用されてきた怪獣たちの自我の目覚めにより、EXゴモラに異変が生じ始めた。

「ヘアッ?」

 無差別に暴れ続けていたEXゴモラの動きが止まった。それだけではなく、体から黒いオーラのような漏れ出し始めている。

 あれは、怪獣たちの魂か? 見ている間に、黒いオーラは強くなっていき、逆にEXゴモラは苦しみだしているように見えた。

〔怪獣たちの魂が、反抗し始めてるのね!〕

 そうだ、そうとしか考えられなかった。ヤプールに力で支配された無数の魂が、その思念をひとつに統合できなくなって争い始めているのだ。アリブンタやスフィンクスなどの、最初からヤプールの手駒として生み出された超獣たちはよい。しかし、ヤプールのしもべでもなく、ただ暴れたいだけ暴れていたゴーガやアントラーはヤプールに支配され続けることをよしとせず、統合から逃れようともがきだしたのだ。

 さらにそれだけではない。魂を融合させているガディバと、肉体の元々の持ち主であるギロン人が主導権をめぐって争い始めた。これは俺の体だ、返せ! 復讐心や忠誠心とは別に、自分の肉体を別の存在に支配されているのは耐え難いものだ。むろんガディバも主導権を奪われまいと抵抗し、統一した意思行動は不可能になっていた。

 やるならいまだ、いましかない! EXゴモラが自由に動けない今しか、あいつを倒すチャンスはないだろう。コスモスがルナモードに戻り、再度コロナに変身するだけの力も残っていない今、戦えるのはエースしかいない。そしてそれは、怪獣たちの魂も解放してやることになるだろう。

〔才人くん、ルイズくん、悪いが、もうひと頑張り頼むぞ!〕

 三位一体のウルトラマン、エースは本当に最後の力を振り絞ってEXゴモラへ挑んでいった。怪獣たちも、唯一立ち上がれる力が残っていたゴモラが続いてくる。ゴモラも、どうあっても自分のニセモノは許せないようだ。全身ボロボロになりながらも雄たけびをあげて大地を踏みしめる様は、まさに古代の王者そのものだ。

〔ようし、いこうぜゴモラ!〕

 才人は思い切って言ってみた。ここにきて、最後の相棒がゴモラとはなんという運命の皮肉だろうか。しかし、才人は心のどこかで自分が喜んでいるのを感じていた。怪獣にあこがれて、落書きを繰り返した子供時代を持つ者だけにわかる不思議なうれしさ。ウルトラマンと怪獣が力を合わせて戦うという、夢の舞台に今自分はいる。

 キック攻撃を浴びせるエースに続き、ゴモラも前転の体勢から尻尾を激しく叩きつける荒業、『大回転打』をおみまいする。先ほどまでと違い、今度は確実に命中しているという手ごたえがあり、EXゴモラの巨体が激しく揺らいだ。やはり、奴はエネルギー源としていた怨霊とのつながりを断ち切られて、大幅に弱体化している。

 しかし、EXゴモラも、まだガディバの支配下にある超獣たちからエネルギーを受けて、まともに狙いもつかない状況からながらもテールスピアーを連続で放ち、むやみやたらに暴れてエースとゴモラを迎え撃ってくる。その、暴走そのものの反撃に苦しめられながらも、エースとゴモラは確実にEXゴモラを追い詰めていった。

”あと一息だ。もう少し、もう少しふんばれば!”

 怨霊の再統合は不可能になったEXゴモラは、攻撃力も防御力も激減し、ただ破壊衝動にのみ従って暴れるしかできない。それでも、ウルトラマンAとゴモラを相手に、互角の戦いを演じていたが、時間が経つにつれて怨霊の分裂化は進み、劣勢は覆いがたくなっていった。

 もはや、勝利は望みがたく、敗北は逃れ得ない。ヤプールは、計画の崩壊と自らの負けを悟った。しかし、このまま引き下がってウルトラマンたちやエルフや人間どもに勝利の美酒をくれてやることだけは、なんとしてでも許せなかった。

 ヤプールの目が、敗北寸前のEXゴモラに向けられる。役立たずの負け犬となった捨て駒だが、最後にひとつだけ役に立たせる方法があった。

 

「ウルトラマンA! ウルトラマンコスモス! そしてエルフに人間ども、よくぞこのわしの二重三重の構えを破ってくれたものよ。残念だが、もはやわしの負けを認めるしかあるまい。だが、貴様らだけは生かしておかん! 我がしもべの全エネルギーを使って、この街ごと貴様らをこの世から消し去ってくれるわぁーっ!」

 

 ヤプールの怒りと憎悪を込めた声がアディールに響き渡り、EXゴモラの周囲に膨大なエネルギーが収束し始めた。

 赤くたぎる超エネルギーに、エースとゴモラは弾き飛ばされる。あれは、EX超振動波の体勢か? いや、収束しているエネルギーは治まるところを知らず、あんな量のエネルギーを溜め込んだらEXゴモラ自身も無事ではすむまい。

 ならば、考えられる答えはたったひとつ。

〔奴め、自爆させるつもりか!〕

 エースは、ヤプールがEXゴモラを爆発させて、その破壊力で一気にすべてを消し去るつもりなのだと気づいた。

 まずい。怪獣、超獣、十体近いエネルギー量を持つEXゴモラが爆発したら、アディールはもとより最低でも周辺の半径数十キロ以内は跡形もなく蒸発してしまう。だが、止めようにもエースにもコスモスにも、もう光線技を撃つエネルギーさえも残っておらず、ヤプールは高らかに笑った。

「フハハハ! わしの屈辱の代償に、貴様らも道連れにしてくれる。さらばだウルトラマンAよ! 爆発まで、あと十秒足らず、もはやどうすることもできまい!」

 勝ち誇るヤプールの哄笑に、エースは本当になす術を失ってひざをついた。ここまで来て、最後に笑うのはヤプールだというのか……才人もルイズも、戦いを見守っていたすべての人々が悔し涙を流す。しかし、あと五秒では、どうすることもできるわけがない。

 

 だがそのとき、爆発寸前だったEXゴモラのエネルギー収束が突然止まり、聞き覚えのある声が響いてきた。

「ウルトラマン……ウルトラマンども、俺の声が聞こえるか?」

「この声は……バルキー星人! バルキー星人か!」

 なんと、死亡して魂がEXゴモラに吸収されたはずのバルキー星人が語りかけてきたのだ。エースは驚きながらも、苦しい口調で話すバルキー星人の声に耳を傾けた。

「てめえらが、こいつを弱らせてくれたおかげで、俺もやっと気がついたぜ。状況はわかってる……俺が、中からこいつの自爆を抑えててやるから、今のうちにこいつをぶっ飛ばせ!」

「なに! お前、どういう」

「勘違いすんな。俺はてめえらウルトラマンどもは大嫌いだ。だが、俺をコケにして利用してくれたヤプールにいい思いをさせるのだけは、我慢がならねえんだよ! 宇宙の海賊バルキー星人が道化のままで終わったら、俺の星は宇宙中の笑い者だ!」

「お前……」

「さあ撃て! もう何秒も持たねえぞ。俺を、俺を負け犬のままで終わらせんじゃねぇぇーっ!」

 それを境に、バルキー星人の声は途絶えた。EXゴモラは荒れ狂い、溜め込んだエネルギーを解放しようともがいている。

 

”すまない……そして、こんなことを言えば、お前は怒るだろうが……ありがとう”

 

 エースは、才人は、そしてルイズは、悪党であっても己の誇りに殉じた男の意地に、深い敬意を抱いた。その意地に応えるためにも、彼の作ってくれたこの十数秒の奇跡の時間は、無駄にはできない。

 自爆寸前のEXゴモラを止める方法はたったひとつ、それ以上のエネルギーを持って一瞬のうちに消滅させてしまうことだけだ。

 しかし、今のエースにはそんな力はない。けれども、EXゴモラが超獣、怪獣たちのエネルギーを集めて膨大なパワーを得ているというなら、こちらも同じ方法をとればいいだけのことだ。

 

 

 見せてやろう、ウルトラマンAの最後の切り札を!

 

 

「この星に散った、志を同じくするウルトラの戦士たち……今、この星の未来を守るために、力を貸してくれ!」

 

 エースの声がテレパシーとなって、世界の各地に散ったウルトラマンたちに飛んでいく。

 この星の命を、そこに住まう人々の平和を、心清き者たちの未来を、善悪を超えて戦った勇者たちの闘志に報いるため、そして……愛する人を守るために、皆の力を貸してほしい。

 

 トリステインの荒野を馬で行くモロボシ・ダン、ウルトラセブンが東の空を見つめる。

「エース、ついにやったのだな。あの少年たちとともに……私の魂の力を持っていけ! そして、お前たちの導いた未来を見せてみろ!」

 ダンの手から光が東の空へと飛んでいき、星のように輝いて消えていく。

 

 ガリアの寒村で、村の子供に見送られて街道に出たセリザワ・カズヤ、ウルトラマンヒカリがつぶやき、空に手をかざした。

「この星の未来に、新しいページを刻んだな。それに私の後輩、GUYSに入りたければ、もうひと頑張りだぞ!」

 

 トリステインの国境付近で、盗賊どもを叩き伏せていたジュリ、ウルトラマンジャスティスが、微笑して空を見上げた。

「コスモス、とうとうお前もこの星にやってきたか。この星でも、人間という生き物は矛盾した存在であるらしい……だが、お前はそれでも彼らの持つ『希望』を信じるのだろう? だから私も、この星の人間たちの善も悪も等しく見ていられる。そして、違う世界から来た友人よ……ヤプールに真の宇宙正義のなんたるかを示してみろ!」

 

 セブン、ヒカリ、ジャスティスの想いが込められた光が、三本の流星となってハルケギニアからサハラへと飛んでいく。

 たとえ遠く離れていても、その意志は距離を越えてつながっていた。今、エースが力を欲している……短い間でもこの世界で過ごし、この世界の人々と触れ合った彼らは、この世界が守るに値するものだと信じていた。地球と同じように、いい者も悪い者もいる。だけど、だからこそ人々は一生懸命生きていて、それが美しい。

 この宇宙に、これほどまでの多様性を持った惑星はそうはないだろう。それが、百年後、千年後に宇宙にもたらすものは創造か破壊か……確実な未来などは誰にもわからないが、少なくともこの世界で出会った人たちとの絆はうそではない。

 一瞬のうちにサハラを越え、光はウルトラマンAに届けられた。三つの輝きが、エースの頭頂部のウルトラホールに集中して、虹色に輝く光の玉となっていく。

 そして、コスモスもまた、残されたわずかな力をエースに託した。

「ウルトラマンA、この世界を守ってくれ!」

 コスモスの光も受けて、虹色の光球はさらに輝きを増した。四人のウルトラマンとエースの力がひとつとなり、限りない威力を生み出す一撃となる。いや、この一撃には戦いをともに乗り越えてきた東方号やアディールの人々の願いが込められている。その重さが、独りよがりなヤプールの怨念などに負けるわけがない。

 これまで出会い、絆を深めてきた人々の顔が才人とルイズの脳裏に思い浮かぶ。

 

 東方号で共にやってきた、ギーシュたち水精霊騎士隊の悪友たち。バカで陽気な連中がいたから、戦いという殺伐とした空気の中でも、笑いを忘れずに、後ろをまかせて戦えた。

 コルベールやエレオノールたちも、指導する大人として、いろんな背中を見せてくれた。

 出来の悪い子供の面倒を最後まで見て、付き合ってくれた銃士隊のみんな。彼女たち鬼教官がいなければ、この過酷な戦いに耐えられたかどうかわからない。

 また、才人は思う。こんな自分に好意を寄せてくれた、鈍いおれでもわかるくらいに純粋な愛を見せてくれたあの人を。

 ティファニアは、自分の苛烈な運命に立ち向かって、ついにエルフたちの心を開かせてしまった。それにルクシャナも、初対面から図々しいくらいにまとわりついてくるあの爆弾娘がいなければ、エルフが人間となんら変わらないということを知りえずに、ティファニアのふたつの種族の架け橋となるという願いも、叶わなかったかもしれない。

 ビダーシャルやテュリューク、自らが罪に問われることも覚悟でネフテスの門戸を開いてくれた理解者たちもだ。

 

 この場にいない人々も同じだ。

 ルイズは、母や姉、家族のことを思った。皆が教え、導いてくれたからわたしはここにいる。

 トリステインで、普通ならば思いつきもしないであろうエルフとの和解を考え、英断をくだしたアンリエッタ次期女王。

 深い悲しみを乗り越えて、この地へ来る翼を与えてくれたベアトリスとエーコたち姉妹。

 いろんなときに助けてくれたキュルケやタバサ、彼女たちにはいつも頼りっぱなしだった。

 トリステインに帰ったら、魅惑の妖精亭でみんなで一杯やりたい。スカロン店長やジェシカには、いろんな形で元気をもらった。

 そうそう、世話になったといえばアニエスやほかの銃士隊のみんなも忘れるわけにいかない。厳しさと優しさ、それらを両立した、あんな大人になりたいと思う。

 

 誰が欠けてもだめだった。誰がいなくても、今ここにいる自分はない。

 変わらず思う、人はひとりでは生きていけない。それだけではなく、ひとりでは人間になることさえできない。

 数多くの絆、そして愛。

 最後に才人とルイズは互いのことを思った。魔法で出会った、本来会うはずのないふたり、けれどそれを偶然だとか運命だとか安っぽい言葉で片付けたくはない。今は互いの意思で、共に戦うことを選んだかけがえのないパートナーだ。

 

 だが、流れ行く時の中で、いつまでも同じままではいられない。

 この先ふたりがどうなろうとも、未来に新しいステップを求めなくてはならないのだ。

 それが今! 積み重ねてきた過去を踏み越え、今に感謝して、未知なる未来を手に入れるとき!

 

 これが正真正銘、最後の一撃だ。五人のウルトラマンの力を結集させた、ウルトラマンAの最大最強の一撃で、この長い戦いに終止符を打ってやる。

〔いくぞ!〕

 エースは掛け声とともに、その手を空に掲げた。エースの手から虹色の雷光が光の玉を中心にほとばしり、エネルギーを最高潮に上げていく。そのパワーはメタリウムの比ではなく、エースのいかなる必殺技のレベルも軽く超えている。

 額から両手のひらに光球を移し、エースは構えた。

 受けてみろヤプール、これがおれたちのこれまでの全て、皆の絆の結晶だ。

 消え去れ闇よ! 開け、未来への扉! エースは全力で、光の玉をEXゴモラに向けて投げつけた!

 

 

 続く



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第96話  あの青空を守るため

 第96話

 あの青空を守るため

 

 友好巨鳥 リドリアス

 古代暴獣 ゴルメデ

 高原竜 ヒドラ

 古代怪獣 ゴモラ

 古代怪獣 EXゴモラ 登場!

 

 

〔ヤプール! これがおれたちがこの世界でつむいできた絆のすべてだ。受け止められるもんなら、受け止めてみやがれ!〕

 

 長きに渡ったアディールを巡る光と闇の戦いも、ついに終局の時を迎えようとしていた。

 この世界を守るウルトラマンたち、人間、エルフ、怪獣たち。生きとし生ける者たちすべての未来への希望を込めた究極の光の一撃が飛ぶ。その形は、様々な色を抱いて宇宙に浮かぶ惑星のように丸く、その輝きは、様々な色が混在してなお美しい虹のようにきらめいている。

 

『スペースQ!』

 

 それが、この必殺技の名前だった。エースがこれを過去に使ったのはたったの一度きり。ヤプールとの最初の戦いも中間点に入った、時に昭和四十七年七月七日。ヤプールの姦計でゴルゴダ星に閉じ込められたウルトラ兄弟を救い出すための戦いで、ゾフィー、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャックの力を借りて、この超必殺技は放たれた。

 この戦いは、地球からは観測できないマイナス宇宙で繰り広げられたために、その存在は才人も知らない。しかし、エースとともに体験しながら、才人やルイズはこの技の圧倒的な威力だけでなく、技を放つために集められたエネルギーに、ウルトラマンたちのみではなく、数多くの人々の願いが込められていることを知った。

〔みんなの願いが光になって、わたしたちに力を与えてくれたのね〕

 邪悪なマイナスパワーに打ち勝てるのは、同じく人間の持つ正しい心しかない。ヤプールは、この世界にマイナスエネルギーが溢れていると言っていたが、闇があれば光が照らすように、ハルケギニアの人々にも、正義の魂は脈々と息づいていた。

 虹色に輝く光の玉が、断末魔のEXゴモラに炸裂し、その蓄えられた光のパワーで邪悪なマイナスエネルギーを浄化していった。闇の魔獣を包み込むように虹色の輝きが広がり、闇の帳に包み込まれていたアディールの風景をまばゆく照らし出していく。

 

「きれい……」

 

 誰かがふとつぶやいた。光の中でEXゴモラは溶けるように崩壊していく。しかし、その様は決して残酷なものではなく、例えていうのであれば、春の陽気の中で雪だるまが頭のバケツだけを残して消えていくような、理に沿う正しい終わり方である。闇に染まり、間違った生まれ方と生き方を強要されてきた生き物が、マイナスエネルギーを消し去られて、あるべき自然の姿へと戻って消えていく。

 崩れていくEXゴモラの中から、焚き火から立ち上る煙のように黒いもやとなって怪獣たちの魂が昇天していくのが見えた。アントラー、ゴーガ、サメクジラが肉体の呪縛から解放されて、一瞬半透明の姿を見せたかと思うと消えていった。ダロンは、ややユニークなことに、ガディバに寄生される前のただのタコに戻って消えていき、そのシュールさにやや失笑を呼んだものの、やっと自然の姿に戻って誰にも利用されない世界に旅立つ彼らに、祈りの言葉がつむがれた。

「安らかに……」

 死ねば善も悪も関係ない。望まぬ生き方と死に方を強いられたという点では、彼らもまた被害者なのだ。怪獣たちによって友人や肉親を失った者たちからすれば、憎みても余りある敵であろうが、屍を打つほど醜悪なことはほかにない。彼らは怒りをぐっと押し殺し、せめて関係ない者は安らかな眠りを、もしくは来世は平和な生を送れるようにと願うべきだ。

 アリブンタ、マザリュースなどの超獣たちや、ギロン人も精神体が粒子に分解して消えていく。生まれついての悪として宿命づけられた彼らは、最後まで怨念を呑んで消えていくのだろうが、せめて無に帰ることで次の生では正しくあってほしい。

 そして、最後にEXゴモラを内部から抑えていたバルキー星人も解放された。

 

”覚えてろよウルトラマンA。いつか蘇ったら、必ずてめえに借りを返しにいってやるからな”

”いつでもこい、そのときは正々堂々相手をしてやる”

”けっ、俺はてめえらのその正義面したところが嫌いなんだよ……”

 

 バルキー星人は、つまらなそうに捨て台詞を残して消えていった。しかし、まさかあいつに助けられることになるとは夢にも思わなかった。敵の敵は味方と言うが、奴もよほどヤプールには腹を立てていたのだろう。ただ、それはともかくとして、大嫌いなウルトラ戦士に味方してまで、自分の存在を貫こうとした意地には素直に敬服する。くだらない意地にこだわるのと、くだらない意地に命をかけるのは同じようでまったく違う。それについては説明するのは事実上不可能なのだが、エースはもしもそんな機会が来たなら、真っ向から打ち破ってやろうと、改めて心に決めた。

 

 しかし、策謀の果てに自らが捨て駒とした者に逆らわれて勝利を逃したヤプールには、軽蔑の眼差ししか向けることはできない。

 スペースQのエネルギーの中で、ガディバも焼き尽くされて消滅し、抜け殻となったEXゴモラは崩れていく。恐ろしい敵だった、もしもこいつが真にゴモラが進化したものであったならば、勝てたかはまったく自信がない。けれど、これだけの超怪獣を繰り出しながら、勝利することができなかったヤプールの敗因は、まさにヤプールのその卑劣さ、邪悪さにあると言わざるを得ない。

 絆を否定し、すべてを自分本位に考え、他者を蹴落とすための敵か利用するための駒としか思わない。だから、自らの分身ともいえる超獣はまだしも、心を持った相手にはかつての宇宙人連合などのように洗脳をおこなったり、今回のように相手の欲につけこんだりするのだが、それがなんらかの理由で破られた場合は、誰もヤプールに協力する義理などはない。

 まさに、人形遣いがからんだマリオネットの糸に指をからめとられる図なのだが、口に出して人間はヤプールを笑えはしない。そんなヤプールを生み出したのは、ほかでもない人間たちの心なのだから。

 使いきれるだけのマイナスエネルギーをEXゴモラに使い切り、敗れたヤプールの暗黒空間も共に崩壊していった。黒雲が晴れていき、太陽がアディールを今度こそ明るく照らし出していく。そして、光の化身たる太陽の輝きが、ヤプールの異次元空間への亀裂をも照らしたとき、ヤプールの断末魔にも似た叫びが響き渡った。

 

「くぁぁーっ! おのれ、おのれぇぇぇ! このわしが、この軍団がぁぁーっ! よくも、よくもやってくれたなぁぁーっ!」

 

 膨大な怒りと憎しみの込められた邪声が人々の背筋を震わせた。もはや、溜め込んだエネルギーを消費しつくし、現実に悪意をもたらすことは不可能になっているのだが、本能的な恐怖に訴えかけてくる冷たい声に、誰もが喉を凍らせてしまって動けない。

 エースは、次元の裂け目の向こうで怒りに身を焦がしているヤプールに対して告げた。

 

「ヤプール、お前の負けだ。お前は確かに、力では我々よりも数段上回っていた。しかし、お前は人間やエルフたちの底力を見くびった。彼らの心に宿る光の強さを理解できなかったお前は、戦う前から己の可能性をつぶしてしまっていたのだ」

「黙れ黙れぇ! わしは絶対認めないぞ。下等生物どもに、このわしが負けるなどと、貴様らさえいなければ」

「ならばお前には永遠に理解できまい。小さな者たちこそ、大きな心と可能性を秘めていることを。その力は、時に我々ウルトラマンをもしのぐ強さを発揮することを。その力がある限り、お前に永遠に勝利は訪れはしないだろう」

「そうはいかん。暗黒の力は無限だ、永久に絶えることはない。人間どもにエルフども、貴様たちも覚えておくがいい。今日、お前たちは勝者となった。だが、勝った者は負けた者の怒りと憎しみを背負って生きていかねばならんということを。勝った者は負けた者のことは忘れても、負けた者は恨みを永遠に忘れることはない。その恨みがある限り、ヤプールは何度も蘇る。そして必ず、貴様らを一人残らず根絶やしにしてくれるわ、ウワッハッハッハッ!」

 負け惜しみというには、あまりにも確信に満ちたヤプールの言葉に、人々は笑うことはできなかった。初めて地球に現れたときから変わらないヤプールの邪悪な意志は、聞く者に不安と恐怖を植えつける。

 そして、ヤプールは最後に消えかける次元の裂け目から言い残した。

 

「これで終わったと思うなよ。我々にはまだ切り札が残っているのだ。この星の者どもが奪い合ってきた究極の宝は、すでに我が手の内にあるのだからなぁ!」

「っ! 聖地か」

「そのとおり! その周辺は永遠に晴れない荒れ狂う嵐の海と化し、もはや誰も近づけん。フハハハ、この星の者どもは気づいていないようだが、この地に秘められた力が解放されたときこそ、この星の最期となるだろう。そして、これだけは忘れるな! この世界には、まだまだ溢れんばかりのマイナスエネルギーが渦巻いている。我々はすぐにも蘇って、復讐の業火をあげてやる。フハハハハ! 人間を滅ぼすのは人間、エルフを滅ぼすのはエルフなのだ。お前たちがいる限り、我らは滅びることはない。フハハハハ! グッ、グワォォーーーッ!」

 

 呪詛の言葉を残すと、ヤプールはもだえ苦しみながら次元のかなたへと消えていった。

 エースは、ヤプールの言葉がハッタリではないことを知りつつ、心に誓った。

”来るならば来い……そのときこそ、二度とこの世界に手を出せなくなるように、決着をつけてやる”

 きっとその時は、今日すら比較にならない想像を絶する激戦となるだろう。さらに、ヤプールが復活してくるのは、そんなに遠い未来のことではないことも確かだ。かつての究極超獣にも匹敵するなにか、ウルトラ兄弟を抹殺するための恐るべきなにかを用意して、きっとヤプールはやってくる。

 

 だが、避けようのない戦いが未来にあるとしても、今日のこの日は我々の勝利だ。

 黒雲が一欠けらもなく消え去り、太陽の下にアディールは蘇った。空も、砂漠も、海も、自然のありし姿を取り戻した。

 ヤプールの悪夢の世界は終わり、光はさんさんと降り注ぐ。その中で、闇の魔獣も最期のときを迎えた。

 スペースQの輝きの中で、EXゴモラはマイナスエネルギーを浄化され、その身に宿ったすべての怨霊を昇天された。あとの肉体に魂はなくとも、蓄えられた膨大なエネルギーだけは残っている。それが、これ以上この街に災厄を与えぬようにと、光の力はEXゴモラの残存エネルギーとともに対消滅を起こし、余剰エネルギーだけを放出して爆発した。

 

「さらばだ……」

 

 立ち上る赤い炎は、まるで怪獣たちをあの世へと送る道しるべのように輝き、エースは心から彼らの冥福を祈った。

 そして、轟音が通り過ぎて、風が煙を流していったとき、長く続いた戦いは、人々の歓声を持って本当の終了を告げた。

 

「やったぁーっ!」

「勝ったぁーっ! ばんざーい! ばんざーいっ!」

「うわぉーっ!」

 

 割れんばかりの声、声、声。歓喜の大合唱がアディールの隅から隅までを埋め尽くした。

 女も、男も、老人も子供も、皆が喜びの中にいた。何度もこの悪夢は終わらないものと思った。何度も、押しつぶされそうな絶望を味わわされてきた。どう考えても助かりそうもない悪魔との戦いを生き抜けたことは、まさに奇跡としか思えない。

 エルフたちは東方号の甲板に飛び出し、中には青さと穏やかさを取り戻した海に飛び込む者もいた。もう波にさらわれる心配はなく、愉快そうにイルカとたわむれている。闇の力に封じ込められていた精霊たちも解放されて、自然を元に戻していった。

 そして特筆すべきは喜びをわかちあう者たちの中で、エルフと人間がまったく同じ舞台で笑い合っていたことだ。

 水精霊騎士隊の皆が、エルフたちに胴上げされている。疲れ果てて気を失い、ルクシャナに背負われて艦橋を降りていくティファニアに、エルフたちが口々にねぎらいの言葉をかけてくれる。そのふたりを、階下で迎えたのはあのファーティマだった。彼女は無表情で睨みつけてくるルクシャナの視線を少し受け止めると、自分もまだ動くにはきつい体を折って頭を垂れたのである。

「わたしの負けだ、完敗だよ。すごい奴だな、お前は……いや、お前たちは」

 顔を上げたとき、もうファーティマの顔に、人間やハーフエルフを憎んで生まれた影や醜いしわはすっかり消えていた。

 ルクシャナは苦笑し、ティファニアを寝かすから、ほらどいてと歩み去ろうとした。だが、両者がすれ違おうとしたとき、気を失っていたと思っていたティファニアがファーティマのそでを掴んで引き止めた。

「ありがとうファーティマさん……ねえ、わたしたち、これからお友達になれるかな?」

 すぐに返事はなかったが、肩越しにルクシャナはファーティマの赤面した照れくさそうな顔を見ていたのだった。

 微笑ましい光景はそれだけではなかった。銃士隊に救われたエルフたちが、疲労困憊した彼女たちに、残りわずかな精神力を使って回復の魔法をかけてくれた。人間に精霊の力を使うことは、エルフたちにとっては大変な屈辱のはずだったが、ここでは誰もそんなことは忘れていた。

「起きたな、めいっぱい最高の奇跡が。サイト……お前に会ってから、世界が本当に美しいな」

 空を見上げ、疲れきった頬を緩ませてミシェルはつぶやいた。人間の運命なんて、簡単に変わるというが、ほんの一年前まで姑息な小悪党に過ぎなかった自分が、まさか世界の運命を変える仕事をすることになるとは。こんな光景を見るなんて、レコン・キスタの下っ端だった頃の自分なら夢にも思わなかったことだろう。

「次はいったい、どこに連れて行ってくれるのかな? いや、できれば……いつか、お前の故郷に行きたいな」

 それは、彼女以外にもひとりの少女の願いでもあったのだが、ミシェルは自分の体を覆う快いぬくもりに身を任せて眠りについた。

 海原は透き通り、風は優しく肌をなでていく。そこに居る人々の顔は明るく、泣いている人もそれを誰かが慰めている。

 平和……それの重さと尊さを、これほど誰もが痛感した日はこれまでになかっただろう。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 そこでかけられた声のやりとりの大部分は、突き詰めればこの二言に集約された。しかし、短くはあるけれど、この二言ほど人の心の美しさを表す言葉はないだろう。自分のことしか考えない者に、謝意の気持ちなどは決して芽生えない。互いに、相手のことを認めているからこそ、口からは自然とこの言葉が出るし、言われたほうもうれしいのだ。

 まあ中には、早々に女性を口説いて好感度を下げる某隊長どのみたいな例もあるが、そうしたものも笑いを誘って皆をなごませた。

 

 それに、功労者はエルフや人間たちだけではない。ゴモラとゴルメデは勝利の雄たけびをあげて、リドリアスとヒドラもうれしそうな声で喉を鳴らした。人々は、ヤプールのいなくなった今、怪獣たちが暴れだすのではと冷やりとしたが、彼らは疲れたように地面に横たわり、特にゴモラなどは大きなあくびをあげると、そのまま高いびきをあげて眠りだして人々をびっくりさせた。

 そう、怪獣とて危険なものとは限らない。人間が余計な手出しをしなければ、無害な怪獣だって数多くいる。見た目で相手を判断し、決め付けてしまうのは愚かなことだ。色は単色でも美しいが、それは同時に無機質で退屈なのだともいえる。しかし多色となれば、それを美しくするのは難しいが、無限の可能性と面白さがある。

 グヴグウと気持ちよさそうに眠っているゴモラののんきそうな姿に、人々はさっきまでの屈強な大怪獣はどこへやらと笑うしかなかった。その微笑ましい様を見下ろして、エースとコスモスは満足げにうなずきあった。

 

「終わったな。これで、ヤプールも当分は表立っては動けまい……ありがとう、ウルトラマンコスモス。君がいなければ、この戦いに勝つことは出来なかった」

「礼ならば、私からも言わせてほしい。私は昔、この星を襲った災厄から、人々を守りきることができなかった。君たちのおかげで、私は償いの機会を得ることができた。ありがとう」

 

 エースとコスモスは歩み寄ると、どちらからともなく手を差し伸べあった。望んでいることは確認するまでもない。ふたりは、互いの手を取り合うと、がっちりと握り締めて握手をかわした。

 これで、この世界に来て出会った異世界のウルトラマンは、ジャスティスに次いで二人目。いまだ消息の知れないダイナや、未確認だがガリアに現れたという巨人は、聞いた特徴がダイナに酷似していたようだ。会ったことはまだないが、彼らも理由はどうあれこの世界のために戦ってくれていた。

 それに、異空間で出会ったガイア……我夢も、その世界の平和を守るために戦っていた。ウルトラマンは平和の守護神、心正しい者の味方であり、人々が希望を失わない限り、前に進むことをあきらめない限り、無限の力でどんな敵にも負けはしない。

 言い換えれば、人々は自分たちの希望の力で未来を勝ち取ったのだ。ウルトラマンなくては超獣軍団に勝てなかった。しかし、人々が応援してくれなければウルトラマンは負けていた。どんなにすごくても完璧な存在などはない。助け合ってこそ、本当に強い力が生まれる。

 曇天が晴れて青空が見えたときと、さらに虹が見えたときでは美しさが違うだろう。色は多く集まってこそ、お互いを高めあって、単色の限界を超えた美しさを世界に示すことができるのだ。

 

 悪いのは、自分以外の色を認めず、黒をぶちまけてしまうことだ。そんな狭量な輩は、残念ながらどんな世界のどんな時代にも絶えずにいた。手を取り合うウルトラマンの姿に、人々が澄んだ視線を向けている中で、わずかにでも、濁った目をした者は残っていた。

 アディール対岸の、岸壁付近に半ば乗り上げた形で失神している鯨竜艦。その、大破した船体の崩れたマストや艦橋構造物のあいまを抜けて、一門だけ無傷で残った砲塔で、ひとりの男が砲弾を込めていた。

「くはははは、俺は騙されないぞ。蛮人どもめ、悪魔どもめ、清浄なるサハラの地を土足で汚す汚物どもめ。サハラは我々のものだ。今、思い知らせてやるからな」

 そこで引きつった笑いを浮かべて、すすだらけになった体をひきずっているのは、あのエスマーイルであった。戦いが終わってもなお、その身の狂気のおさまらない彼はボロボロの体にも関わらずに、まだ無益な戦いを続けようとしていた。砲門の狙う先にいるのはふたりのウルトラマン。エルフの純血を神聖視する彼にとっては、なにをおいても自身の信仰こそが絶対であり、それに合致しないものはすべて敵であった。

 世界の中に自分がいると思わずに、自分の世界こそが世界のすべてだと思い込む歪んだ思想。その思想をおびやかす異物を排除するためならば、その結果がどうなるかなど考えない。

 しかし、砲弾を込めて、いままさに引き金に手をかけようとしたときだった。エスマーイルの背後から、冷たい口調で声が響いた。

「待ちたまえ、砂漠の民の誇り高き紳士、エスマーイル殿」

「うぬ!? お前、いやっ! と、統領閣下っ!」

 いつの間にか、エスマーイルの後ろにテュリュークが立って、疲れた視線で彼を見上げていた。その後ろにはビダーシャルもいる。ふたりとも、衣類はエスマーイルと同じようにくたびれきっているが、視線だけは鋭く研ぎ澄ませて睨んでいた。

 短い沈黙ののちに、口火を切ったのはテュリュークだった。

「さて、つまらん前置きはなしにしようか。今、なにをしようとしていたのかね? ようやく平和が戻って安堵しておる市民たちを、また混乱のちまたに引き戻そうというのか」

「お言葉ですが、平和とは誰のものでしょうか? 戦いはまだ終わってなどおりません。この地が蛮人どもの汚らしい足で汚され続けているこの時に、なぜ安穏としていられるでしょう」

「君は今の今までなにを見てきたのだね。アディールを救ったのは、まさにその蛮人たちがいたからではないか。我々だけでは、あの悪魔に太刀打ちどころか、今頃一人残らずこの世にはおらんだろうよ。君だってとっくの昔に船と運命をともにしていたかもしれんだろう。彼らは我々の恩人だよ」

「なんとおぞましい! 統領閣下ともあろう方が、これまで蛮人どもが我々になにをしてきたのかを忘れたとは言わせませんぞ!」

 つらつらと、エスマーイルはエルフと人間の戦いの歴史を語り始めた。その中で、蛮人たちが何度サハラに踏み込んできたか、どれだけ汚い手段を使ってきたか、捕虜になった同胞がどういう目に会ってきたのか、この数千年で何万人の犠牲者が出たのか、何度も和平がおこなわれようとしたが、その度に人間たちはだまし討ちにしてきたことなどを、まるで自分が体験してきたかのように饒舌に止まらずに話す彼に、テュリュークとビダーシャルはひどいだるさを感じた。

「それは誰もが知っている歴史じゃの。しかし、そんなことは彼らも当然承知じゃろう。わしは、彼らと直接会って思うたが、彼らはこれまでやってきた馬鹿者共とは違ったよ。彼らは聖地など求めておらんし、サハラを切り取ろうとも思っておらん。小ざかしい条約を結ぼうともしておらんし、もっと言うなら外交の正式な手順すら踏んどらん。彼らは、ただわしらにメッセージを伝えに来ただけじゃった。過去の行き掛かりを捨てて戦をやめようと、それだけをな」

「蛮人が、何度我らを騙したかお忘れではありますまい!」

「そんなことは承知しておる。しかし、今度は彼らも本気じゃと思う。でなければ、敵中にあれだけの人数で乗り込んでくるはずがあるまいて。蛮人のすべてがとは言わんが、わずかなりとも信用できる者たちが現れ始めてきたとわしは信じたい」

「エスマーイル殿、私が蛮人の世界を見聞してきたことは知っているだろう。確かに蛮人どもは我らに比べればほとんどの面で劣っているが、貴公の考えているほど愚かではない。貴公は知識とごく浅い部分でしか彼らを知らない。まずは試しと、彼らに会って、それから答えを出してみてはどうかな」

 テュリュークとビダーシャルは、蛮人への偏見に凝り固まっているエスマーイルへ、つとめて理知的に説得を試みようとした。しかし、ふたりがいかに論理的に説得しても、どんなに妥協案を出してもエスマーイルは聞く耳を持たず、むしろ逆上して大いなる意志とエルフの優勢さを盾にして、逆にふたりを弾劾してきた。

「砂漠の民の誇りを失って、あなた方は恥ずかしいとは思わないのですかな! 我らサハラに生きる者が大いなる意志より与えられた使命は、蛮人の脅威を永遠に排除し、大いなる意志の庇護を知らない蛮人の手にある土地を解放し、エルフの繁栄をもたらすことです。民と国の繁栄を考えずして、なんの指導者ですか!」

 いきりたつエスマーイルに対して、テュリュークとビダーシャルはもはや閉口した。完全に自衛の域を超えた侵略戦争の肯定である。それが彼の鉄血団結党の理念だということは重々承知していたが、狂信とはこういうものだと心底恐ろしく思う。いまや部下もいなくなり、孤立無援でありながらも自らの妄念にしがみつく、その目には自分の見たくないものは見えず、聞きたくない声は怒鳴りつけてかき消してしまう。

 よくぞ、こんな奴がエルフの最高意思決定機関たる評議会にいたものだ。聞くに堪えない罵声を繰り返すエスマーイルに対して、ビダーシャルはふつふつと怒りが湧いてきた。

「エスマーイル殿、いやエスマーイル。私はお前を見てようやく得心がいったよ、エルフと人間に差などない。むしろ、優れているとうぬぼれている分、劣っているかもしれないな」

「なにっ! 貴様、その発言は十分に民族反逆罪に値するぞ!」

「なんとでも言え! 本当の蛮人は貴様だ!」

 その言葉を最後に、ビダーシャルは駆け寄るとエスマーイルの顔面に渾身のパンチを叩き込んだ。魔法を使う精神力などとうの昔に尽きているから、腕力にまかせた盛大な一発だ。まさか、殴られることになるとは想像もしていなかったのであろう奴は、呆然としたまま一撃を食らうと、ふらふらとよろめいて舷側から足をすべらして海に転落していった。

「うわーぁ……」

 間の抜けた声の後で水しぶきの音が聞こえてきた。どうやら奴も、自分が助かるのに魔法を使いきってしまっていたらしい。水軍司令官だから、まあ溺れはしないと思うが、ビダーシャルは憑き物が落ちたような表情を見せて息をついた。

「ふぅ……どうも、失敬いたしました統領閣下、お見苦しいところをお見せしてしまいました」

「かまわんよ、わしもいい加減殴ろうとおもっとったところじゃ。今より三十ほど若かったら、先にあやつの鼻っ柱に一発おみまいしてやったのじゃがのう。残念じゃわい、ほっほっほっほ」

 老体で正拳突きの素振りをしてみせたテュリュークのしぐさに、ビダーシャルも声を出して笑った。

「はっはっはっは、それは申し訳ありませんでした。ところで統領閣下、私は人間たちの社会で、ひとつなるほどと思わされる言葉を聞いてきましたが、知りたくはありませんか?」

「ほう? おぬしほどの者がうならされるほどの名言が人間たちにあったのか。それはぜひとも、ご教授願いたいのう」

 するとビダーシャルは、常に冷静沈着さを保っている彼としては珍しく、口元にいたずらっぽげな笑みを浮かべて言った。

「『バカは殴らないと治らない』のだそうですよ」

「ぷっ、はっははははは! それは確かに道理じゃな。奴にはこの上のない薬じゃろうて」

 テュリュークは、何十年ぶりになろうかというくらいに腹を抱えて大笑いした。

 どうやら、船べりの下からイルカの鳴き声が聞こえてきたところから、エスマーイルの奴もイルカに拾われたらしい。悪運の強いやつだが、万一溺死でもされたら夢見が悪いのでほっとした。

「エスマーイルは、これからどうするのでしょうね?」

 ビダーシャルが聞くと、テュリュークはあごに手を当てて考え込むしぐさをした。

「もう鉄血団結党はほぼ壊滅じゃろうし、評議会にも戻れまい。自分の親派の残党を集めて活動くらいはできるじゃろうが、これからネフテスも変わっていく。奴の居場所は少なくなっていくじゃろうな」

「彼は優秀な男です。できうるならば、目を覚ましてもらいたいものですが……」

「そうじゃの、だが狂信者に狂信を捨てろということは、すべてを捨てろということと同じなのじゃよ。恐ろしいものじゃ狂信とは、人を思想の奴隷に変えてしまう……わしらも、一歩間違えればどうなっていたことか」

 テュリュークは、エスマーイルは憎むべき狂信者であったが、その一面においては犠牲者であったのだと、わずかに彼に同情して、ビダーシャルも同意した。

「奴も生まれる時期が違えば、英雄として名を残したかもしれませんな。私は、統領閣下と働けることを誇りに思いますよ」

「なんの、歴史の流れが見えないほどもうろくしてはおらんつもりじゃよ。思えば、わしらと彼らが何千年もくだらないいさかいを続けてさえいなければ、あんな悪魔どもにつけこまれはしなかったかもしれん」

「ええ……人間とエルフ、その祖は同じであったかもしれないのに、恐らくはいさかいが長引くうちに、いつかいつかと解決を先送りにしてきたのが今日を招いてしまったのでしょう。そのツケは、清算しなくてはなりません」

 ビダーシャルとテュリュークは同じ意味の笑いを浮かべた。ハルケギニアが狙われているのも、ネフテスが危機に瀕しているのも、元を辿れば自分たちの愚かさが原因と言わざるを得ない。確かに、この世界を破壊しようとしているのはヤプールだが、そのヤプールに居座られるほど居心地のよさを感じさせ、あまつさえ力を与え続けてきたのは人間とエルフの生み出してきた歪んだ心にほかならない。

 その腐った鎖を断ち切る、そうしなければどんなに軍事力を高めようが、ヤプールには絶対に勝てない。

 互いを拒否し合ってきたハルケギニアとネフテスは、実はとてもよく似た世界であった。わずかなりとて相手に触れ合った東方号の人間たちはそれを実感し、逆に人間世界を長く見てきたルクシャナや、ここにいるビダーシャルも、人間への偏見を完全に捨てきれなくとも、それしか道はないことを理解していた。

「私も、偉そうなことを言わせてもらえば、我ら全員が子供だったのかもしれませんな。大人ならば、感情ではなく理性で相手を見なければならないというのに……統領閣下、もしものときは私もお供いたしましょう」

「なにを言う、ビダーシャル君。犠牲がいるとしたら、老い先短いわしだけでじゅうぶんじゃ。君はまだ若い、なにより蛮人世界に誰よりも通じている君がいなくては、誰が何も知らない同胞たちを導けるというのかね?」

 人にはそれぞれ役割というものがある。ほとんどのエルフは人間世界のことはなにも知らない、それを矯正するには肌で経験してきた者が不可欠、そのためにもビダーシャルは死んではいけない。そしてそれは人間世界にしても同様で、ブリミル教の教義によって歪められて伝わってきたエルフの印象を変えていくには、東方号の少年少女たちの生の体験が必要不可欠となるだろう。

 この戦いは、どんなに勝ち目がなくとも逃げるわけにはいかない。未来を放り投げることになるから、エルフだけの力でも、ましてや人間だけの力では到底ヤプールに勝てるはずはないのだから……

 決して楽ではない未来を見据え、決意を固めるテュリュークとビダーシャル。ふたりの見上げる前で、希望の象徴たるウルトラマンたちは陽光を浴びて力強く輝いていた。

 

 ヤプールの気配が完全に消え、安全を取り戻したアディールを見渡したエースとコスモスは、そこで手を振る人々に、自分たちは役割を果たしたことを確信した。しかし、エースには去る前にどうしてもコスモスに聞いておかねばならないことがあった。

 

「コスモス、この星をかつて襲った災厄とはいったい? 私たちは、その答えを知りたくてこれまで戦ってきたんだ」

「それは……」

 

 コスモスの口から、才人たちが知りたかった謎の一端が明かされていった。それは、事実の完全な形ではなかったが、これまで不明瞭なものであったパズルのピースの多くを埋めることが出来た。六千年前にこの世界で起こった争いと、そこに襲い掛かった恐るべき勢力のことを。

「そうか……そのときの戦いの記録が、伝説となって残っていたんだな。しかし、伝承が不完全だったのは、それだけその戦いがすさまじかったということか」

「そうだな。私が、この星にたどりついたときにはすでに手遅れに近い状態になっていた。私は、この星に残った者たちと力を合わせて戦ったが、勝ちはしたものの星の生態系はもはや手がつけられなかった。私は、守りきることができなかった……」

「いや、君のせいではない。この星は、長い年月をかけたが立派に再生を果たした。君のおかげだよ!」

「ありがとう。だが、この星はまた滅亡の危機に瀕している。私は、あの悲劇を二度と繰り返させはしない」

「ああ、ともに戦おう!」

 エースとコスモスは視線を合わせ、互いの意思を確認しあった。

 だが、コスモスにはまだエースの誘いを受けるわけにはいかない理由があった。

「君の誘いはうれしいが、私はまだこの星で自由に戦うことはできない」

「そうか……君もウルトラマンだったな。わかった、そのときが来るまでは私たちがこの星を守っていよう」

 エースはコスモスからの頼みを受けた。コスモスが、この星を守るために戦うことができるようになるためのある条件がそろったときにこそ、本当に共に戦おう。そしてそのときは、決して遠くはないことだろう。

 

 カラータイマーの点滅が高鳴り、活動限界が近づく中でエースとコスモスはもう一度アディールを見渡した。

 街は無残に破壊されているが、そこにいる人々の顔は決して暗くはない。街は失ったが、代わりに大きなものを手に入れた。壊れた建物は直せばいい。エルフの建築技術を用いれば、前よりも美しい街をきっと作れるだろう。しかし、失われた命は返らない……生き残れた喜びをかみ締める人々は、本当に大切なものを確かに胸のうちに刻んだ。

 そして、コスモスは最後に東方号でやすらかな寝息を立てているティファニアに思いを寄せた。あの輝石は、コスモスがこの星にまた災厄が訪れたときのため、万一に備えて残していったものだった。しかし、あの輝石は心の清い者が持たなくては役割を果たすことができない。彼女が強い思いでみんなのために祈ってくれたからこそ、コスモスは銀河のかなたからこの星の危機を知り、駆けつけてくることができた。

「この星の未来を信じて、それを残していったのは間違いではなかった。君ならば、あるいは……」

 思いを残し、コスモスは空を見上げた。

 アディールの空は澄み渡り、そこに流れる雲は綿菓子のように白くやわらかそうに見える。この空こそ、自分たちが命をかけて守るべきもの! エースとコスモス、ふたりのウルトラマンは、大勢の人々の見送りを受けて飛び立った。

 

「シュワッ!」

「ショワッチ!」

 

 あっというまに銀色と青色の光が空のかなたへと消えていった。

 そして、ウルトラマンたちに続いて怪獣たちもアディールに別れを告げていった。

 リドリアスとヒドラが翼を広げて空へと舞い上がっていく。彼らの行く空は東か西か、どこを目指しているのかは誰も知らない。

 ゴルメデは、地底へと砂煙を立てて潜っていき、みるまに穴だけ残して消えてしまった。

 彼らも、戦いが終われば自分たちの存在が邪魔になることは知っている。それは差別ではなく、生き物には住み分けがあるということだ。だから追ってはいけない、彼らには彼らの安住の地があるのだから。

 今度会うのは、またどこかの戦いでか? そのときがやってくることを望みはしないが、恐らくは避けられることはないだろう。しばしの間、君たちも安息をとってくれ。その日は少なくとも、明日や明後日ではないのだから。

 

 ウルトラマンも怪獣たちも去り、アディールにはエルフと人間たちが残った。

 それからのことは、くどくどしく語る必要はない。ただ、エルフたちは自分たちのために命をかけて戦い、多くの仲間の命を救ってくれた人間たちを、ともに力を合わせて悪魔と戦った人間たちを、正当に迎え入れたということだけなのだから。

 

 東方号はその巨体ゆえに港に接岸することはできないために、洋上に錨を降ろして停泊した。

 人々は地上へ戻り、家が残っている者は帰宅し、家がなくなっている者は魔法で仮の住宅を作った。この手際のよさは、さすがに人間の何倍も強力な先住魔法を行使できるエルフならではであった。ほんの数時間の休息で回復した精神力で、並の土のメイジ顔負けの芸当を誰もがあっさりとこなしてしまった。

 そして、人間たちは……テュリュークらに招待され、評議会議場が建っていた場所で、全市民に向けて大々的に紹介がおこなわれた。彼らが平和の使者であり、人間とエルフの無益な争いを終わらせようとしていることなど、すでにティファニアによって語られていたとはいえ、あらためて発表されたそれは歓呼を持って迎え入れられた。

 アンリエッタからの親書が正式にテュリュークに渡され、ハルケギニアでの現状が市民たちに説明される。それによって、市民たちは世界の滅亡が知らないうちに間近にまで迫ってきているという危機感を深くした。

 

 しかし、固い話はそこまでで、以降は人間たちとの交流を深めるためのパーティとなった。幸い、街の災害時の食料庫は地下にあったために無事であり、市民全員に簡素ながら食事が支給された。すでに周辺の街や村には使いが出されており、物資は明日にでも届けられるだろう。

 明日からは、目が回るほど忙しくなる。だが今日くらいは、歴史に残るであろう記念日の今日くらいははめを外してもいいのではないか? もう誰も友なのだから。

 

 水精霊騎士隊、銃士隊は大歓迎され、あちこちで酒の席に呼ばれた。そこで、ギーシュをはじめ猛者たちが残した武勇談の数々は、列挙していたらそれだけで本が一冊できあがるだろう。銃士隊は、男顔負けの勇戦ぶりと、救命を受けた人たちから褒め称えられ、気を抜く暇もないと皆ため息をついていた。

 コルベールやエレオノールは、この機会にエルフの進んだ技術を学んでおきたいと望んだが、せっかく平和の使者として来たのにそんなことをすればスパイのようなものだと、残念ながら自重した。

 ルクシャナは、ハルケギニアでの自分の活躍っぷりを大声で吹聴してまわっている。これまでネフテスでは、自分の研究が認められてこなかったので本当に楽しそうだ。聞くエルフたちも、これまで間接的な伝聞によって、しかも強い偏見を混ぜた内容でしか知らなかったハルケギニアの様子を興味深そうに聞いている。

 ひとり、ティファニアだけは疲れが限界にきたのか東方号でぐっすりと眠っていた。その傍らでは、ファーティマが寝顔を眺めながらひとりで杯を傾けていた。不思議なものだ、あれほど殺してやりたいと思っていた相手なのに、こいつに自分も含めてすべて救われてしまった。

 

 

 そして……喧騒を離れて人気のない瓦礫の山の傍らで、静かに立つふたりの男女。

 この世界の誰もの運命を変えた、原初のふたり。

 

「ようルイズ、どうした? 外交努力は貴族の責務じゃなかったっけ」

「うっさいわね、サイトあんた最近調子に乗りすぎじゃない? わたしにだって、静かに飲みたいときはあるわよ。それに……そろそろ、あんたとも一度ゆっくりと話し合いたいと思ってたしね」

 

 青と赤の二つの月は天頂に輝き、肌寒い砂漠の夜はまだ始まったばかりだった。

 

 

 続く



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第97話  少年時代、少女時代

 第97話

 少年時代、少女時代

 

 古代怪獣 ゴモラ 登場

 

 

「そうか、奇遇だな。おれも、お前とふたりっきりで話したいと思ってたとこなんだ」

 

 戦いが終わって、エルフと人間たちが宴をかわす賑わいを離れ、才人とルイズはふたりだけでワイングラスを傾けていた。

 

「とりあえず乾杯しましょ、パーティの席からいただいてきたわ。エルフの酒で銘柄はわからないけど、どうせあんたに酒の味の良し悪しなんてわからないでしょ」

「人をバカ舌みたいに言うな。ったく、おれの世界じゃほんとは二十歳未満はお酒は飲めないんだぞ。アル中で地球に帰ったら母ちゃんになんて言われることやら」

 

 愚痴りながらも、ルイズの注いでくれる酒をグラスで才人は受けた。それからボトルを受け取ると、今度はルイズのグラスに白ワインに似た名も知らない酒を注いでやった。

 

「じゃあ乾杯ね」

「何に?」

「そうね、こういうときは始祖ブリミルとか女王陛下にとかいろいろあるけど……それじゃ、勝利にってのはどう?」

「殺伐としてないか? おれたちは戦争やってんじゃないんだ。それに、勝利ってんなら一番こだわってんのはヤプールだろ」

 

 才人の突っ込みに、ルイズはむすっとしながらもなるほどと思った。勝利、それ自体は大事だが、勝つことだけに執着するとヤプールのように執念と怨念の化け物になってしまう。なら、ほかになにが……ヤプールになくて、自分たちにある大事なもの。ルイズは考えた末に、最近好きになったひとつの言葉を口にした。

 

「なら、”希望”に乾杯なんてのはどう?」

「大賛成だ。それじゃ、おれたちが信じ続けた希望に」

「信じられないような奇跡を見せてくれた希望に」

 

 ふたりは微笑み合うと、グラスを軽いガラスの音を立てて鳴らして掲げた。

 

「乾杯っ!」

 

 ぐっと、才人とルイズはグラスの中身を飲み干した。冷たいけど熱い液体が舌を焼いて喉をくぐりぬけ、胃の中から一瞬で全身をポカポカと暖めてくれる。

「くーーーっ! こりゃ、けっこうきついな」

「く、くるわね、けっこう。さ、さすがエルフは酒の味も進んでるってことかしら」

 エルフの酒は、いつも飲んでいる度数軽めのワインと違って相当アルコールがきつかった。才人は正月の宴会の席で酔っ払った父から飲まされた焼酎の、ルイズはいつも父がひとりで飲んでいた秘蔵の六一八十年産のワインを盗み飲みしたときのことを思い出し、これが大人の味かと妙な感心を覚えたりした。

「こりゃ、水割りにしたほうがよさそうだ。おれたちにはきつすぎるぜ」

「そ、そうね……五倍くらいなら……うん、これならおいしいわ!」

 てんやわんやの末、ようやくふたりはまともに飲めるようになった酒をあらためて酌み交わした。度数の落とされた酒は、元になった果実のほのかな香りが口内に満ちてきて、トリステインのワインとはまた違った美味を与えてくれた。

 ワイングラスの中に透き通った液体がたゆとい、少しずつ口に運ぶと不思議な心地よさが満ちてくる。

「うまい。こっちに来てよかったと思えることのひとつは、日本よりちょっとだけ早く大人を先取りできることかな」

 向こうだったら不良学生として御用だけども、日本の法律はこっちには通用しないと才人は冗談めかして言った。けれども、軽い気持ちで言ったその言葉に、ルイズは視線をグラスの水面に向けたままでつぶやくように言った。

「ねえサイト……あんた、やっぱり故郷に……チキュウのニッポンに帰りたいと思ってる?」

「なんだよやぶから棒に……ああ、そうか。悪りい、そういうつもりじゃなかったんだが……そりゃ、父さんも母さんも心配してるだろうし、帰らなきゃと思ってる。GUYSに正式に入隊して、地球とこっちを守れるように強くなりたいとも思ってる」

「そうよね、ごめん。わかりきってることを聞いちゃったりして……わたしだって、まだたった数日なのに、もうトリステインに戻りたいって思い始めてる。けど、あんたはずっとその気持ちを押し殺してやってきたんだよね」

 才人は片手で髪の毛をかくと、ばつが悪そうに言った。

「あのなあ、そのことにはずっと前に決着出したはずだろ。おれは今、ここに自分の考えでいるんだ。それに、不満なんてなら一年三百六十五日……いや、こっちじゃちょっと違うんだっけか? ともかく不満なんて年がら年中どっかでくすぶってるさ。我慢するなり忘れるなり、その程度の解消ができないほど、もうガキじゃねえつもりだよ」

 言ってみて才人は、これはちょっと自己を過大評価だったかなと苦笑した。けど、ルイズの八つ当たりに我慢できるようになれたりと、昔よりは我慢強くなれているとは思う。うん。

 ルイズは、才人の背伸びしているような発言に、内心でこのバカと笑ったものの、その気遣いにうれしくも思った。

「そうね、聞いたわたしが野暮だったわ。だったら、代わりにご苦労様と言っておきましょうか。お互い、今回はよく頑張ったわね」

「ああ、お疲れ様。いろいろ回り道もしたけど、これで姫さまからの依頼は完了だな。帰るころには向こうでのことも一段落してるだろうし、久しぶりに学院に帰れるかな」

「学院かあ……そういえば、いろいろあってしばらく戻ってないわねえ。コルベール先生の珍妙な授業も、なんだか懐かしく感じるから不思議ね。わたしの部屋、ほこりまみれになってないかしら……サイト、掃除に手を抜いたら許さないわよ」

「あいあい、どーせわたしは専業主夫ですよっと。三食昼寝つきの居候生活、それくらいは働かせてもらわないとねえ」

 キュッキュッと、片手で雑巾がけをするしぐさをした才人を、ルイズは楽しそうに見て笑った。

 ほんとうに、こんなにのんびりと語り明かすなんていつぶりだろう。エルフの国に行くなんて、とんでもない事態になってから今日まで、ひたすら前に進んできて、立ち止まって気を抜く暇なんてなかった。

 平和って、ほんとうに大切なんだなと、ふたりはグラスの中身を少し飲んで、幸福感を高めて息をついた。けれど才人は、グラスの中身を揺らして、まだ酔いがまわっていないことを確認すると、なかば独り言のようにルイズに言った。

 

「なあルイズ、戦いが始まる前に……お前に、あとで聞いてもらいたいことがあるって言ったの覚えてるか?」

「……もちろん。あんたの話って、やっぱりそのことだったのね。もったいぶらずにさっさと言いなさいよ。酒は口を饒舌にするけど、機会を逃せば心にもないことをしゃべるようになるわよ」

 

 ルイズは、唇を濡らすだけグラスに口をつけると、そのまま才人を見つめた。彼女の目は、おそらくこれから才人が言いにくいことを話そうとしているのだなと見抜いていた。伊達に付き合いが長いわけではない。いらないことでもよくしゃべる才人が、こうしてもったいつけるときは十中八九深刻な話のときだ。

 才人は、話すべきかをまだ悩んでいたようだが、ルイズに視線でうながされると口を開いた。

「なあルイズ……その、怒らないで答えてほしいんだけどさ。まだ、おれのこと……好きか?」

「はぁ!? な、なによ藪から棒に! う、そりゃあ……前にも言ったじゃない。あのときから変わってないわ。す……好きよ」

 ルイズはそっぽを向いて、すねるように言った。以前に恋人宣言をきっちり出したとはいっても、やっぱりそういうことを口に出して言うのは恥ずかしかった。

 それは才人も同じだったようで、すぐにほっとした様子で胸をなでおろした。

「は、ふぅ……よ、よかった」

「なにがよかったよ。まさか、そんなことを尋ねたかっただけなんてことはないよね。さっさと本題に入りなさいよ!」

 じろりととび色の瞳で睨みつけてくるルイズに、才人はほんとこいつは鋭いなと観念した。

「ごめん。そのことなんだけどさ……と、その前にルイズにだけ言わせるのはフェアじゃねえよな。おれもルイズが好きだ! うん、これですっきりしたぜ」

「野外でなに恥ずかしいこと叫んでるのよ! こっちが恥ずかしいでしょ、このバカ!」

「あいてっ!」

 腹を立てたルイズのげんこを食らって、才人はちょっと調子に乗っていたことを反省しつつ頭をかいた。

「またごめん、どうしておれってこう、よかれと思ったことが裏目に出っかな……反省はしてるつもりなんだが」

「しょうがないわね。でもまあ、それがあんたという人間なんでしょ? どんだけ体を鍛えて、勉強しても変わらないヒラガサイトの本質なんでしょ?」

 そう言って指差したルイズに、才人はこいつは今じゃおれのことをおれよりもわかってるんじゃないかと思った。思えば、けんかしたりしながらも、いつでもルイズはおれのことを見ていた。それは、メイジと使い魔という関係が切れても少しも変わることなく今日まで続いてきた。

 でも、だからこそ才人はこれからのことを話しづらい。けれど、そんな才人の迷いを見透かしたのか、ルイズは鋭い目つきになって才人に言った。

「さあて、前置きは今度こそ本当にいいでしょう? 言いたいことがあるならはっきり言いなさい。今度引き伸ばそうとしたら、その口ごと吹っ飛ばすわよ」

 杖の先を才人に向けたルイズの目は本気だった。才人は、やっぱりこいつは厳しいな、ちっとも甘えさせてくれやしないと心の中で苦笑いすると、今度こそ覚悟を決めた。

 

 

「じゃあ言うぞ。おれ……お前以外の人を好きになっちゃったかもしれねえ!」

 

 

 一世一代、才人は思い切って告白とは真逆のかたちで告白した。しかし、それに対するルイズの返事は。

 

「へー……」

 

 という、投げやり極まりない一言だったので、真剣に言ったつもりであった才人は気が抜けてしまった。

「お、お前、へーってなんだよ、へーって! こっちは爆殺されるの覚悟で言ったんだぞ」

「あのね、だからあんたはアホだっていうのよ。わたしが今までどんだけあんたを見てきたかわかってんの? キュルケにはじまって今日この日まで、あんたと関わってきた女の子だけでも何人いると思うの。そのどれにも気をとられずに、わたしだけをあんたが見続けているなんて無条件に思うほど、わたしはお花畑じゃないつもり。人をなめるのもたいがいにしなさいよ」

「う……ごめん」

 ルイズが意外にも冷静だったので、本当に言った瞬間にエクスプロージョンで消し炭にされるのを覚悟していた才人は完全にルイズに頭を押さえられてしまった。が、それにしても解せないと思っていたら、ルイズのほうから才人の頭の中を先取りしてきた。

「なんで平気な顔してるんだって顔してるわね。バーカ、わたしがどれだけあんたの隣にいたのか、もう少し自覚しなさい。少なくともわたしは、ギーシュみたいに誰彼かまわず『好き』をふりまくような軽薄な男を好きになったつもりはないわ。だったら、あんたがそれほどまでに悩むようになるほどあんたの近くにいて、かつあんたの心を動かすほどあんたのことを好きになる人……そんなの、ひとりしかいないじゃないの」

「……」

 グゥの音も出ないとは、まさにこのことであった。同時に、穴があったら入りたいとも心底思う。知らぬは本人ばかりなり、心中に隠してきたつもりであったが、ルイズはとっくの昔にお見通しであったとは、とんだ間抜け野郎だ。才人はこのときほど自分を小さく感じたことはなかった。

「ごめん……」

「バカ、謝る場面じゃないでしょ。それよりも、あんたも本気でこの場で問題を解決したいなら、その好きな人の名前、それをわたしに伝えなさいよ。どうするも、こうするも、それからじゃないと始まらないわ」

 正論だった。まったくどこまでいっても、これ以上ないくらいに正論なのに、才人は自分の器の小ささを自覚するしかなかった。けれども、ルイズに軽蔑されるのだけはどうしても避けたい。それに、ここで引き下がったら、そちらの相手にも失礼だと、才人はずっと自分の胸のうちで隠していた名前を口にした。

「ミシェル……さん」

「やっぱりね」

「……いつから気づいてた?」

 才人が尋ねると、ルイズは少し遠い目をしてから答えた。

「けっこう前からよ。邪魔してやろうかと思ったことも何度かあるわ。でも、止められるわけないじゃない。絶望のどん底で、あんたにだけは「助けて」って手を伸ばしながら泣いてる人を蹴落とすような真似、わたしにできるわけないでしょ」

「悪い、おれはお前にそんな気を使わせてることさえ気づかなかった……」

「バカ、それこそ謝る必要なんかないわ。あんたが彼女の境遇を知って、黙って見ていられないことくらい先刻承知。それに、女の子の涙をぬぐえないようなだらしない男は、このわたしにはふさわしくないからね!」

 フフンと胸をはって言ったルイズの言外には、「だからわたしがサイトのことを嫌いになんてなってないわよ」と、才人へのメッセージが込められていた。しかし、それはそのまま才人に自分のちっぽけさを思い知らせることにもなって、彼は自嘲げに足元にあった石を蹴飛ばした。

「情けねえな、おれって。やっぱりおれなんて……いててっ!」

「はいはい、自己嫌悪タイムはストップ。あんたがうだうだ悩んでもいいことなんてないんだから、自分のバカさだけ理解してればいいの」

「みっ、耳はやめろっ! ってー……ほんと、容赦ってもんを知らないなお前は」

「あんたがあさっての方向に思考をずらすからいけないのよ。そんなことよりも、あんたが話すべきことはほかにあるでしょうに。ほら、聞いてあげるからさっさと続きを言う」

 容赦もなければ気も短かった。才人は、当初の予定と大幅に違うルイズの反応に困惑しつつも、話を続けた。

「最初はさ、姉さんができたみたいな感覚だったんだよ。前にも言ったかもしれないけど、おれは一人っ子だから兄貴や姉貴に昔っからあこがれてたんだ。ほら、アニエスさんや銃士隊のみんなもだけど、けっこう面倒見がいい人ばっかりじゃん」

「それはあんたが、ほっておいたらすぐに戦死しそうなくらい危なっかしいからじゃないの?」

「ははは、手厳しいことで……けど、そのころは特別な感情はなかったんだ。意識し始めるようになったのはアルビオンのときかな。ミシェルさんの過去を聞いて、もう居ても立ってもいられなくなって、あとのことはお前も見てのとおりさ。でも、そのときはまだ単純に”助けてあげたい”って気持ちのほうが強かった……本気で、気持ちに気づき始めたのは……」

「あの、雨の日」

 ご名答、と、才人はもはや苦笑するしかなかった。まったく、お見通しもいいところだ。そりゃああのとき、ルイズもいっしょにいたのだけれども、そこまで見抜かれるほど観察されていたとは、まるで自分はお釈迦様の手のひらの孫悟空だ。ルイズの洞察力と記憶力のよさを、正直見くびっていた。

 いや、そんなことは副次的なことで、ルイズはずっと自分のことを見続けてくれていただけのことなのだろう。だから、そんなルイズの気持ちに背を向けてしまうような、今の自分がとてつもなく腹立たしくて、かつわびしいのだ。

「あの日、リッシュモンとかいう悪党をやっつけに行く前、ミシェルさんはおれを尋ねてきてくれた。そこで、おれは初めてあの人がおれのことを心から頼ってきてくれたのを知った。間抜けな話さ、おれはおれのできることをひたすらやってきたけど、それで周りのみんながどう思うかなんて、ろくに考えちゃいなかった」

「……」

「でも、そのときのおれには、あの人の気持ちに応えてあげられる方法がなかった。だから、飛び出した……世界で誰よりも、おれなんかを信じてくれた。その気持ちだけは裏切ることは、できなかったから」

 才人の心に、あの雨の日の記憶が蘇ってきた。小さな小屋の中にふたりっきりで、誰にも言えないふたりだけの秘密の時。体の傷も、心の傷もさらけだして、子供のように泣いたミシェルの体の冷たさはよく覚えている。

「うぬぼれた言い方をしたら、この人はおれが守ってあげなきゃいけないって、そう思ったんだ」

「へー、じゃあわたしは?」

「お前が男に守ってもらうようなタマか?」

 今度は才人が辛辣になる番だった。もちろん返答はやたらと痛い蹴り一発だったのだが、口で言い返すのがまったくないところを見ると、ルイズのほうもけっこう自覚はしていたようだ。

「ったく、あんたはあんたでわたしのことよく見てるわね。で! 続きを言いなさいよ」

「いててて、お前な、そういうところが問題だって言ってんのに。わかったよ! ……その後は、トリスタニアでの戦いだったな。あのときはひたすら、頭の中は「なんとかしなきゃ」って思いでいっぱいだったよ。後のことなんか、一切考えちゃいなかったな」

「後先考えないのはいつものことでしょうが」

「返す言葉もねえよ。でも、あのときはお前もなにも言わずに力を貸してくれたよな……本当に、ありがたく思ってる」

「人の命より大事なものはない。それがあんたの持論でしょ……わたしだって、目の前で人が死なれていい気はしないわよ。ちょっと我慢することで誰かの泣き顔を笑顔にできるなら、それを選ばない手がどこにあるの」

 ルイズはそこまで言うと、残ったグラスの中身のうちの半分を喉に流し込んだ。顔の赤さは照れくささか、酒精ゆえか。才人は、ルイズの男勝りでわがままな顔の裏に隠れたぶっきらぼうだが深い優しさを感じた。この優しさがあったからこそ、おれはこの異世界で今日まで笑顔でやってこれた。何回ケンカして、何回嫌になってもルイズのことを嫌いにだけはならなかった。

「あとはお前もいっしょに見たから知ってるよな。姫さまの”粋”なはからいがあって、おれにふたりの姉さんができた。そのへんはあたふたしすぎて、記憶があいまいなところもあるんだけど……正直に言うとうれしかった。名前だけだとしても、家族ってものがあんなに安心できるもんなのかって、思ったよ」

 ルイズは答えなかったが、なんとなくわかった。家族がいるという安心感は、離れてみてはじめてよくわかる。自分も、魔法学院に慣れないうちは帰りたくてしかたがなく、寂しくて泣き疲れるまで眠れない日を送ったものだ。けれど、だからこそルイズは才人が気づかないところまで気づいていた。家族というものを取り戻せて、一番うれしかったのは誰なのかを。

「その後は……いろいろあってしばらく会えなかったけど、ラ・ロシェールで久しぶりに会ったときはうれしかった。それからかな、なんでもなくとも意識し始めるようになってきたのは」

「そう……なるほどね」

 ルイズはそこまでで、もういいわというふうに手を振った。

 実際、これ以上を聞かされるのはのろけ話に近いからごめんこうむりたかった。特にデートのところなどは冗談ではなく胃袋に光速で穴が空く自信がある。が、そういうところにまで気が回らないのが才人の才人たるゆえんであろうか……

 才人は実際のところビクビクしていた。彼もこんな話をルイズにして、何事もなく終わると考えるほど愚鈍ではない。むしろ、いつ火山に火が入るかと戦々恐々としていた。詰まる所なく話し続けたのはひとえに、彼の正直さと単純な性格によるところが大きい。

「あの、ルイズ……ほんとに、怒ってない……のですか?」

「怒ってないわよ。このくらいで怒って縁を切るようなら、ギーシュとモンモランシーは何百回離婚すればいいか数えられないじゃないの。もし怒るとしたら、話の中につまらない脚色を入れてごまかそうとした場合だけど、最後まで正直に話したから文句はないわ。今はそれでじゅうぶんよ」

 すると、才人はほっとしたように続けた。

「そうか……でも、おれは最近自分のことがわからなくなってきてるんだ。なんていうか……頭の中がグラグラして、なにが正しいのか正しくないのか……」

「なんだ、普通に正常じゃないのよ」

「えっ?」

 自信無げな才人の弱音を一蹴したルイズの一言、それは才人の意表を確かについてきた。

「自分の道を見失うなんて、人間当たり前のことよ。わたしなんて、何度魔法をあきらめようと思ったことか覚えてないわ。とりあえず聞いておくけど、あんたはわたしのことが嫌いになった? わたしといても、ドキドキもワクワクもしない?」

「いっいや、そんなことはない!」

 才人の一瞬で赤面した顔がなによりの証拠であった。

「ありがと、わたしもサイトのこと、好きよ。でもね、わたしも最近ようやくわかりはじめてきたことなんだけど、人間の心ってとんでもなくめんどうな作りになってるの……今、あんたの中ではわたしへの好きとは別に、もうひとつの好きが生まれてる。それがせめぎあってあんたは苦しんでるのね」

「ルイズ、お前どうしてそんなことを……?」

「わたしも昔のわたしじゃないってことよ。あんただって、わたしがほかの男に心をひかれることがあったとしても、別にわたしを憎んだりはしないでしょ。例えよ、例え……そりゃね、あんたが色香に惑わされてデレデレと浮気に走れば生きて朝日を拝めなくしてやるけど、あんたがこれほど葛藤するほど本気なら、力づくじゃどうにもならない。なによりも、わたしへの想いが変わってないなら、問題ないわ」

 ルイズの穏やかな言葉に、才人はルイズもずいぶん変わったんだなと思った。ただの嫉妬深い怒りんぼうから、どこか達観したような、大人びた感じが漂っていた。

 けれど、やはり才人は罪悪感がぬぐえない。ルイズがこれほど大きくなっているのに、劣化しているような自分が許せなかった。

「おれは、最低だな。お前には、絶交されることもあると思ってたのに」

「ええ、最低ね。けど、どうしてわたしがいつもみたいにキレないのか、本当の理由がわからない?」

「ごめん……」

「ふぅ、昔キュルケに『男に女心を理解してもらおうなんて、レディは最初からそんな無駄なことはしないものよ』なんて言われたけどそのとおりね。教えてあげる、それはあんたが正直にわたしに相談に来たからよ。もしもあんたが隠れてわたしとあの女の両方と付き合うようなことがあれば、半殺しにした上で絶交してたわ。けど、あんたは大バカ極まりないことに浮気を報告に来た。それは、あんたの真剣さの証」

 誠実さが命を救ったと、ルイズは言っていた。やり方を大いに迷っても、ルイズを裏切れなかった思いの強さが、一見愚行に見える告白をさせて、結果危うかった絆をつないだ。

「サイト、これだけは聞かせなさい。あんたにとってわたしは何? あの女はあんたにとってどんな存在?」

 ルイズの目は、その答えによってこれからのふたりの関係そのものも大きく変わるかもしれないということを表していた。下手な答えは絶対にできない。才人は考えたが、結局は自分の正直な気持ちを話した。

 

「おれにとって……ルイズは『いっしょに歩んでいきたい人』。ミシェルさんは『そばにいて守ってあげたい人』かな」

「ふっ、見事に両極端になったわね。そーね、わたしは守るに値なんかしないわよねえ。どうも強い女で悪かったわね」

「い、いやその」

 じろりと睨んできたルイズに、才人は冷や汗を流してあたふたした。けれど、そんな才人にルイズは表情を緩めて言った。

「わかってるわよ。ギーシュみたいにかっこつけて、『ふたりとも同じくらい愛してるんだ』とか言わなかっただけマシ。あんたに愛人なんて百万年早いわ……そうね。サイト、前にわたしたちは恋人になったって宣言したわよね。でもね……恋っていうのはしょせん誰に対してもできるわ。わたしたちは、まだ互いに相手を深く理解するほど”愛”しあえてはいなかったってことでしょう」

「お、おい! おれはお前のことをそんな簡単には」

「知った風な口を利かないの。わたしたちの歳で、愛だの恋だのを全部知ったつもりになってるほうがおこがましいと思わない? 素直に認めましょうよ。わたしたちは一応互いに両思いになれたつもりだったけど、それは子供の恋愛ごっこのレベルでしかなかったってことを」

「ルイズ……そうかもしれねえな。でも、信じてくれよ、おれはルイズのことをいいかげんに考えたことなんてねえからな!」

 それは才人の魂の叫びだった。ルイズに対しての思いに嘘偽りなんてひとかけらもない。でなければ、かつてのグリッターの奇跡も嘘になってしまう。

 ルイズは、もちろんそんなことはわかっているわよと、優しく微笑んだ。

「そうね。あんたのそのまっすぐさ、それに混じり物があったなんて思わないわ。その強い想いが奇跡を起こしたのは間違いないけど、それは同時に未熟で幼稚でもあったってこと。もういいかしら……サイト、しばらくひとりにしてちょうだい」

「えっ」

「勘違いしないで、わたしも自分で自分を見つめてみる時間がほしいってことよ。それに、あんたは自分の気持ちをわたしに隠し続けてるのが後ろめたくて話したんでしょ。なら大丈夫、決めたのよ、なにがあろうとあんたを信じぬこうって。だからあんたも、わたしに気を使って守るべきものを守るのに躊躇するなんてことはやめなさい。弱っちくてバカですけべで、けど天下一のお人よし……わたしが好きになったヒラガサイトはそんな男なんだから!」

「ルイズ……ありがとう! おれもお前のこと大好きだ」

「っ! と、とーぜんのことじゃない。さ、さっさと遊んできなさいよ。明日から、そんな暇ないんだからね」

「ああ、じゃあまた後でな!」

 なにかが吹っ切れた感じの才人は、瓦礫のあいだを走っていった。ルイズはその背中をじっと見つめていたが、突然呼び止めると、才人に向かって叫んだ。

 

「サイト! 今日のことのわたしの答えは保留にしておくわ。ただし、ひとつだけよーく覚えておきなさい。あんたは、わたしとあの女のどちらかを選ぶつもりかもしれないけど、頭に乗るんじゃないわよ。むしろわたしと彼女が、どっちにあんたを譲るかで争うの! 景品はせいぜい、両方から愛想をつかされないよう気をつけなさい!」

 

 なんともルイズらしい、視点を豪快にひっくりかえした宣戦布告の言葉に才人はぶるっと身を震わせた。

 やっぱり、ルイズにはかなわない。とてもじゃないが、天秤なんぞにかけて計れるような器じゃなかった。

 才人は、迷ったけどルイズに打ち明けてよかったと思った。ルイズも今では、人間として昔とは比べ物にならないほど大きくなっている。恋人であると同時に最高のパートナー、走りながら才人は胸を熱くしていた。

 

 そしてルイズは、才人が見えなくなるまで見送ると、そばにある大きな瓦礫の山に向かって話しかけた。

「さて、そこにいるんでしょ。そろそろ出てきなさいよ」

「……驚いたな。気配はだいたい消していたつもりだったんだが」

 瓦礫の影から、短く刈り上げた青い色の髪の女性が現れた。

「覗き見とはいい趣味をしてるわね。あなたもサイトが目当て? あいつなら悪いけど行っちゃったわよ」

「人聞きの悪いことを言うな。サイトと話したかったのは当たりだが、取り込み中らしかったからやめたのさ。空気を読んだぶんだけ感謝されてもいいと思うんだが……なぜわたしが隠れているのに気づいた? サイトはまったく気づいてなかったのに……?」

 ミシェルが、ほぼ素人のルイズがなぜプロの自分が隠れていたのに気づいたのかと問うと、ルイズはふっと息をついて答えた。

「匂いよ、さっきから風に乗ってかすかだけど香水の匂いが漂ってきてた。香水なんかに興味のない才人は覚えてないでしょうけど、あんたの部下にその種類の香水を使ってる人がいたのを思い出してね」

「なるほど、さっきサイトとふたりで会うなら身なりを整えて行けと、部下たちに無理矢理髪を切らされたときにつけられたんだな。わたしとしたことがうかつだった。まったくうちの連中は善意でろくなことをせん」

 苦笑して、ミシェルは短くきれいに整えられた髪の毛を軽くいじった。月の光が青い髪の色に反射して、なんともいえない幻想的な輝きを放つ。ルイズの桃色の髪に映える赤い月と、ミシェルを輝かせる青い月……その二色の輝きの中に立つふたりの美少女の姿は、誰かが見たなら月の女神がふたり揃ったかのように思ったことだろう。

「どこあたりから聞いてたの?」

「最初からだ」

「そう、なら話は早いわ。そういえば、あなたとはまだふたりだけで話し合ったことはなかったわね。ちょうどいい機会かしら。とりあえず、飲む?」

「遠慮はしないよ」

 才人が残していったグラスを差し出すといろいろと問題なので、ルイズはボトルごと酒をミシェルに手渡した。そのまま、ルイズのグラスに残っていた半分をつぐと、ボトルの口とグラスを合わせて乾杯をし、ふたりいっしょに口をつけた。

「ふぅ、うまいな」

「これを割らずに飲めるとは、さすが大人は違うものね」

「大人か、その言葉をあまり自覚したことはないな。わたしの時間は十年前に止まって、動き出したのはごく最近さ。わたしの人生の半分は空白で、体だけは大きくなったが大人になったと思うようなことはなにもしていない。かといって子供のままでもありはしない。中途半端な存在だよ」

 独白して、空になったボトルをもてあそぶミシェルの横顔はどこか寂しそうだった。ルイズには、身寄りもなくひとりぼっちでさすらい暮らしたり、自由を奪われて鞭の下で生き続けることを強いられる苦しさはわからない。けれど、軽く想像するだけでも身の毛もよだつような絶望と、そこに手を差し伸べてくれた才人への強い思いは理解できた。

「あなたが大人でないなら、いったい大人ってどういうものなのかしらね……?」

「さあな、成人すれば大人とか、そんな簡単なものじゃないと思うが……しかし、子供はいつか大人になっている。その境界がどこなのか、それがわかったときがそうなんじゃないかな」

「だったら、わたしたちはまだ子供ね。酒の味はわかっても、それは外面だけの話だし。恋はできても愛することの意味はわからない」

 空になったワイングラスの内側に、自嘲するルイズの顔が映って揺れていた。ミシェルも答えず、じっと目を伏せて手だけを動かしている。

 恋と愛、その違いはなんなのだろうかとふたりは思う。わたしは才人に恋をした……けれど、それはいったいどういう意味を持つのか。辞書を引けば、単語としてふたつの文字の意味は載っている。しかしそんなお題目としてではなく、人生の意味として知りたい。

 

 ルイズは思う……サイトは、わたしが魔法で召喚した使い魔だった。だが才人は使い魔という枠から飛び出して、わたしがどんなときにもいっしょにいてくれた。また、時にはひとりで飛び出して、貴族という枠に挟まっていたわたしに見たこともない世界と生き様を見せてくれた。そして、いつの日かわたしはサイトがいっしょにいることが、たまらなくうれしくなっていた。

 

 ミシェルも思う……地獄そのものだった人生。薄汚れて、救いがたい悪党に身を落とし、もはや死ぬことでしか救いを願えない闇の中で、冷え切った手を握って引き上げてくれた暖かい手。この世界に、温もりと優しさがあることを思い出させてくれた。いままで見てきたどんな大人とも違う、欲のない無邪気な笑顔と、不条理に立ち向かう強さを持った彼……彼のことを思うだけで、胸が張り裂けそうなくらい痛くなる。

 

 けれどふたりは、同時に自分が才人に強く依存してしまっていることも自覚しはじめていた。

「サイトはこれまで、多くのものをわたしにくれた。あいつにそのつもりはなくても、わたしはあいつのおかげで変わることができた。なのにわたしは、あいつに頼るばかりで、あいつのためになにかしてやれたのかしら」

「わたしだってそうさ。サイトに助けてもらわなかったら、わたしなんて生きてる価値すらなかった。なのにわたしは、サイトに受けた恩のひとかけらさえ返せてない……こんなわたしに、あいつを好きになる資格なんてあるのか……」

 才人が聞いたら、過大評価もはなはだしいと怒り出すような持ち上げようであるが、ルイズとミシェルは本気であった。つまりは、人を好きになるということは、それだけその人に自分がふさわしいのかどうかということを気にするようになるということなのである。

 ただ単純に、惚れたからその人のためになにかしたい。その人に自分のすべてを捧げたいと願うのも、それはそれで愛だ。しかしそれは盲目の愛、相手に自分を押し付ける愛で、極論すれば自分の欲を満たすための愛だ。それは無償のように見えて、実のところは自己のための未熟で危険な愛なのである。

 本当に人のための愛とは、相手のために自分の思いを殺して捧げる。好きだという想いを相手に押し付けて、その対価を相手に求めたり、一方的に送りつけて自己満足するのではなく、自分が傷つくことを承知で相手に想いだけを届ける。その上で、相手が想いを送り返してくれた場合にはじめてふたりの想いを重ねて幸せになる。

 愛とは、自分と相手、両方ともが幸せになれてこそはじめて価値がある。一方だけしか幸せになれない愛など、そんなものはまやかしでしかない。

 だからこそ、ミシェルはルイズにひとつの問いかけをして、ルイズは平常心のままでそれに答えた。

「なあ、ミス・ヴァリエール。わたしのことを憎むか……わたしがいなければ、お前はサイトを独占できたのに」

「バカ、あんたもそういうことを言うのね。確かにあんたが出てきたことで、サイトの気持ちが揺らいでるのは事実よ。でもね、あんたがいなければわたしはサイトを独り占めしてハッピーエンド、なんて考えるほど楽天家じゃないわ。ヴァリエールのご先祖様たちは、ツェルプストーに男を取られまくってさんざん恨みつらみを書き残してるけど、そんな後ろ向きな考え方じゃあ愛想もつかされて当然だってようやくわかってきたわ」

「ほお、それはどういうふうにかな?」

「結局、どのご先祖さまも男を自分のものにしたいと願うばかりで、本当に相手のことを思ってなんかいなかったってこと。そんな失敗談を延々と何百年も……子は親に嫌なところばっかり似るってほんとよね。まあそんなわけだから、自分の魅力不足をライバルに責任転嫁しても無駄だってことよ……ま、色香で迫ればあのアホのことだからデレデレするでしょうから張り倒してやるけど、あんたはそんな姑息な手は使わないでしょう」

「強いて言えば、使う必要がないからともいえるがな。互いに、ほしいのはサイトの心だからか……確かにそれなら、誰がライバルになろうと、結局は自分自身の問題だからな。しかし、世の女のほとんどはそうは思わんだろうな。わたしたちは、けっこうな変わり者かもしれん」

 ミシェルが苦笑しながら言うと、ルイズも笑いながらうなづいた。

「確かにね。あと、一応言っとくと、先に惚れたからわたしのほうがサイトを好きになる権利があるなんて、しょうもないことは考えてないわよ。そんなルール、魅力に自信のないやつの言い訳でしかないもの」

「立派だな。しかし、無理はしてないだろうな?」

「誰が? 正論を他人に押し付けて、自分は詭弁に逃げることのほうがよほど虫唾が走るわよ……はぁ、それにしてもわたしたちも難儀な男を好きになっちゃったものねえ。あいつのバカが移っちゃったかしら」

「かもしれん。が、わたしは今とても幸せな気持ちだよ」

「ええ、人を好きになることに罪なんてないはず。それだけは真実だと断言できるわ……けど、いつまでも恋するだけの子供のままじゃいられない」

「そう、子供はいつか大人にならなければいけないものだ……わたしたちも、それにサイトもそうやって悩んでいる。あいつは優しすぎるから、わたしたちのどちらも傷つけたくないと思ってるんだろうな。でも、それはたぶん無理なことだ」

 ミシェルが言うと、ルイズもこくりとうなづいた。

「人間、どこかで痛みを味わわなければ前へ進めないことがある。お母さまの受け売りだけど、人間って不便にできてるものね。あんなふうに、のんびりと生きれればどんなにいいでしょうかね……」

 ルイズの指差した先には、瓦礫の中にごろ寝して高いびきをかいているゴモラの姿があった。

 

 リドリアスら怪獣たちが去っていった後も、ゴモラだけは寝たままで動かなかった。当初は、起こしてどかそうかと意見もあったが、うかつに怒らせて暴れさせては大変だとはばかられた。それに、まるで昼寝する子供か、日光浴する年寄りのように、あまりにも気持ちよさそうなゴモラに、エルフたちも警戒心が緩んでしまった。それに、ゴモラには周辺の精霊たちも穏やかな気で覆っていた。精霊が許すのなら、それ以上はない。

 この夜になっても、ゴモラはときおり寝返りを打つ程度でちっとも起きる様子がない。基本的にゴモラザウルスはおとなしい性質の恐竜で、ジョンスン島に現れた初代ゴモラも地上に出てきてからはほとんど眠ってばかりいた。いかつい見た目と常識外れのパワーとは裏腹に、普段の姿は無邪気そのまま……そのかわいらしい寝顔に、ルイズとミシェルは顔の筋肉を緩めざるを得なかった。

 

「ねえ、ミス・ミシェル」

「ミシェルだけでいい。ここまで腹を割って話して、まだ他人行儀にされたらむずがゆい」

「なら、ミシェル……ひとつ、わたしと誓いを立てない?」

「誓い?」

 ルイズは空になったグラスを掲げると、自分とミシェルの顔を交互に映しながら言った。

「これから先、どんな苦難や辛いことがあっても、どちらかがどちらかのために犠牲になろうなんてことはしない。どちらも必ず生き残って、どんな形であろうと幸せになる。不幸になったら負け、そういう誓い」

「なるほど、おもしろそうだな」

 ミシェルは同意すると、自分も空になったボトルをあらためて握った。

 ふたりだけの誓いの儀式。だが、誓う対象を何にしようかということで迷ったところで、ミシェルが空を指してルイズに提案した。

「ウルトラの星?」

「ああ、サイトが教えてくれたことさ。空を見上げたとき、消えずに瞬き続けている不思議な星が見えることがある。それは、どんなときでもあきらめずに「負けるもんか」と頑張ってる奴にだけ見える、『ウルトラの星』なんだそうだ」

「サイトらしいわね……けど、悪くない。じゃあ、ウルトラの星が見えなくなったときが、そいつが誓いを破ったときってことね」

 ふたりはグラスとボトルを掲げて、空に向かって唱和した。

 

 

「我ら、ここにひとつの誓いを立てる!」

 

「我らふたり、その魂の形は違えども、その想いの先はひとつ」

 

「この魂にかけて、胸の奥に宿る熱い想いを真実だと宣言し、さらに命をかけて貫き通すものとする」

 

「しかして、この想いの成就のために、いかなるものをも犠牲にすることを認めない」

 

「ひとりの幸福のためにひとりの不幸はあってはならず、また自己の犠牲によって他方に悲しみを残すことをよしとせず」

 

「我らの望むはただひとつ、サイト・ヒラガとの魂の……か、重なり合い」

 

「そのために、我らはいかなる苦難も努力もいとわない。いざ!」

 

「我が人生唯一にして最大のライバル、ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミランに」

 

「我が友人にして究極の宿敵、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに」

 

「そして、空に輝くウルトラの星よ。我らの誓約が永遠のものであることを照覧あれ!」

 

 

 ガラスが触れ合う軽い音がして、グラスとボトルが空に掲げられた。

 双月はふたりの想いを象徴するかのように重なり合い、幻想的な光を地上に降らせ続けている。

 グラスとボトルに、月と星の光がきらめき、宝石のように輝く。

 しかし、ルイズとミシェルの瞳には、それらのどれとも違う美しくて力強い輝きが確かに息づき、瞬き続けていた。

 

 

 続く



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第98話  日常、それは大切な日々

 第98話

 日常、それは大切な日々

 

 古代怪獣 ゴモラ 登場!

 

 

 才人たち、東方号の一行がエルフの国ネフテスへとやってきて、早くも一週間の時が流れた。

 

 瓦礫の山だったアディールには、一日目から道が引かれ、二日目には区画整理がなされ、三日目には仮設住宅が建てられ始めた。

 そして、七日が過ぎた今日には、洋上に停泊する東方号から望むアディールの光景は一週間前と激変していた。元には及ばないにしても、すでに立派な街並みが並び始め、街は街としての機能を完全に取り戻している。その復興のスピードとエルフの驚異的な土木技術には、見学していたコルベールやエレオノールもただただ驚嘆するばかりであった。

 

「はぁー、たった一週間でこれだけの街を作り上げるとは、エルフの力とは、ほとほととてつもないものですねえ。このレベルでいけば、トリスタニア程度の街ならば、半月もあれば完全にコピーしてしまうでしょうね」

「あまり自信をなくすようなこと言わないでよね、ミスタ・コルベール……まあ、何百回も戦争やっても勝てないのも当然よねえ。軍事力うんぬん以前に、基礎技術力が違いすぎるわ」

 

 トリステイン屈指の奇想科学者と、魔法アカデミーの英才が揃ってため息をつかねばならないほど、現実に見るエルフの力は人間のそれと隔絶していた。百聞は一見にしかず、井の中の蛙大海を知らずとはよく言ったもので、たとえばかつてのレコン・キスタの「エルフ討つべし」と気勢をあげていた貴族などがこれを見たら、一瞬で信念が折れるのは間違いないであろう。

  

 が、そうした差を見せ付けられながらも、洋上の東方号はさすが別格の存在感を持って、巨体を悠然と浮かべていた。

 

「そういえばミスタ・コルベール、船体の修復工事のほうはどうなったの?」

「ああ、もうほとんど終了している。あとは両翼の水蒸気機関のテスト運転しだいだが、それが終われば飛びたてるだろう」

 コルベールは自信たっぷりに、現在ではほぼ修復が完了し、外見からでは見分けがつかないくらいに直された東方号を見渡して笑った。

 超獣軍団との激戦で損傷した東方号。船体の半分が黒焦げになるくらいに火災を起こし、ハルケギニアの船の常識ではもうだめかと思われたこの船の修復が、これほど短期間で完了した訳は、東方号の元となった船の絶大な頑丈さによるものであった。

 戦闘後の調査の結果、コルベールたちは見た目の損傷の激しさとは裏腹に、東方号そのもののダメージが極めて軽微であったことに驚いた。

 戦闘中、落雷などによって激しい火災を起こしはしたものの、燃えたのは木製甲板やトリステインの工房で塗られた塗料によるものが大半で、船体を覆う分厚い鉄の鎧は大部分が健在だった。

 壊れたのも、主翼をはじめとするトリステインでの工事で取り付けられた部分が大半。それも、トリステインの最高の冶金技術がつぎ込まれ、さらに固定化の魔法で保護されていたのにである。城郭のような主砲塔は完全に無傷。船底も調べたが、浸水箇所は皆無であった。元々の装備で壊れたのは、機関砲やマストなどのもろい部分ばかりだったという始末である。

「サイトくんの世界には、空を飛ぶ船はないというが、東方号のベースになったヤマトという船はとてつもない技術の結晶だ。ああ、できることなら作った人に会ってみたい! 教えを乞いたい! この世にはまだまだ勉強することが山のようにあるんだなあ」

 東方号の修理の際、コルベールは興奮してそう叫んだ。彼にとっては、未知に触れて知れるという『勉強』がなによりも楽しいものなのだろう。

「修理にはエルフの船舶技師たちも手伝ってくれたが、彼らの技術もすごいものだ。水蒸気機関はともかく、大破した主翼の修繕は彼らの手がなければ無理だったろう。まったく、学びたいことが多すぎる。決めたぞ、わたしはいつかネフテスにも留学する! そしてこのすばらしい技術をハルケギニアに広めるのだ」

 子供のように夢をはせるコルベールを、エレオノールは呆れながら見ていた。

 しかし実際、正しい目的で使用すれば技術はすばらしいものだ。物は分ければ少なくなるが、技術はいくら分けても減ることはない。ある意味では技術や知識は無限の資源なのである。何度でも繰り返すが、要はその使い道次第、活用するか悪用するかの違いだけなのだ。

 

 東方号の甲板では、今日も多くのエルフたちが散策している。超獣軍団との戦いの後、東方号の船室は負傷者や地上に仮設住居を作れない人々のために解放された。そして今日まで、東方号は修復工事を妨害しない範囲でエルフたちが制限なく出入りしていた。

 砲塔の上は子供たちのいい遊び場になっていて、現在では排煙の用がなくなっている煙突の上では物好きなカップルが地獄の穴のような底を物珍しげに見下ろしている。その後方の大和型戦艦特有の三本マストは戦闘中に倒壊したが、これは単純に折れただけだったので『錬金』の魔法を使って溶接のようにすぐに立て直された。

 そのてっぺんにはトリステインとネフテスの旗が仲良く揺らめいている。

 大和ホテル、武蔵旅館、この船がかつてそんな蔑称をつけられていたことをむろん知る者はいない。しかし今は、その名前がよい意味に働いていた。住めばこれほど安心できる客船はほかにないだろう。

 

 ただし、それも今日までである。コルベールとエレオノールのいる艦橋に、息せき切って飛び込んできたギムリの言葉がそれを決定した。

「コルベール先生、第一から第四までの水蒸気機関。すべて動作正常です。テストは至極良好に完了しました!」

「ご苦労様、よくやってくれたね。さて、これで帰れるね……我々の故郷、トリステインに」

 

 

 東方号の発進準備完了、それは彼らがこのエルフの国に別れを告げる時がやってきたのだということを示すものであった。

 

 ようやく慣れ始めてきたアディールの生活も、今日で終わり。名残は惜しいが、彼らはいつまでもここにいるわけにはいかない。東方号のネフテスに来た目的である『エルフとの停戦』は、当初の予想をはるかに超えたレベルで成功した。最悪、ルクシャナに親書を渡して逃げ帰るくらいになるのが現実的だと考えていたのに比べたら、現在のこの状況は奇跡に近い。ならば、機を逃すことなくトリステインへ戻り、人間世界側を変えていくことに尽力しなくてはならない。

 ヤプールの戦力は、超獣軍団が全滅したことで大幅にダウンしているはずだ。今ならば、現状を維持するだけでハルケギニアやネフテスへ侵攻する余裕はないはず。回復を図るにしても、一朝一夕にというわけにはいかない……まして、地球側でもこの次元への救援をあきらめてはいないだろうから、今無闇に行動を起こす余裕はないと断言していい。

 が、ヤプールは姦計をなによりも得意としている。またどんな汚い手を仕掛けてくるか想像はするが、奴はいつもその上をいってきた。しかも奴は人間側が聖地、エルフ側がシャイターンの門と呼ぶ龍の巣を占領している。それがどういう意味を持つのか、研究中ではあるが、ヤプールが無意味なことをするとは考えられないので、その対策を練る必要もある。

 まったく、考えれば考えるほど難題が次々と際限なく湧いてくる。だが、ヤプールが体勢を立て直す前に、人間とエルフが過去のしがらみを捨てて共同戦線を張れれば、この世界に充満する異種族への憎悪を食い物にしてきたヤプールにとって大きな痛手となる。

 そうなれば、あと一回、あと一回の決戦でヤプールの脅威をこの世界から拭い去ることができるかもしれない。そうすれば、この世界の人々が数千年のあいだ願い続けてきた真の平和が訪れる。人間もエルフも、ほかのどんな種族も、支配したり支配されたりすることもなく、互いを恐れあったり奪い合ったりしなくてもすむ、そんな世界を作るための一歩を踏み出せる。

 

 そのために、時間を無駄にするわけにはいかないのだ。トリステインに帰ってからも難題は山積みだが、帰らなければ難題に取り組むこともできない。自分たちが行っているあいだに向こうがどうなっているかもわからないのだし、後のことは、帰ってから考えればそれでいい。

 

「出港準備! 関係者以外は全員を退船させたまえ。さて、この景色ももうすぐ見納めだね」

 感慨深くコルベールは指示を出した後につぶやいた。出港準備、とは言っても各種の準備があるために、始めてから実際に発進することができるようになるまでには数時間が必要になる。増して、東方号は空中戦艦なのだから、飛び上がってから異常が発生しても、停船して修理と簡単にはいかない。トラブルの元を徹底的に排除するために、飛びたてるのはまだ何時間も必要なのはわかっていた。

「さて、ミス・エレオノール、ここは私が預かろう。埠頭にテュリューク統領が見送りに来ているそうだ。皆をまとめて最後のあいさつをしてきてもらえるかな」

「当然のことね。あなたでは一国を預かる大使というには風格がなさすぎるもの、窓から外交大使というもののありさまを見学してなさいな。ヴァリエール家長女の名が伊達ではないこと、見せてあげるわ」

 胸を張って艦橋を出て行ったエレオノールを、コルベールは微笑しながら見送った。相変わらずの高飛車加減だが、怒ってはいない。自分の容貌が人並み以下というのはいまさら変えようがないし、人柄は自画自賛して誠実なほうだと思いたいものの、外交手腕などというものがあるとはどう自分を過大評価しても出てきはしない。いいところ研究費用を捻出させるのに口八丁をめぐらせる貧乏教授がせいぜいであろう。

 そこへいくと、エレオノールは申し分はなかった。彼女の美貌に文句をつけられる者はそうはいないだろうし、ヴァリエール家の長女としてふさわしい教育を受けてきたので、振舞い方も知っている。ルイズがそうであったように、公私の切り替え方もきちんとわきまえているので、ドレスに身を包めば別人のように変わるだろう。

 コルベールは、魔法学院に講師としてやってきた当初のエレオノールを思い出した。あのときの彼女は、あまりにも縁談が運ばないことに業を煮やした母親の命令によって、通常の性格とは百八十度変わった猫をかむらされていた。結局、性格を変えることはできなかったけれど、あのままだったらほんとうに生徒か教師の誰かと交際をはじめられていたかもしれない。

 ともかく、東方号に彼女が乗り込んでいたことは僥倖だったというしかない。この計画自体、軍にも王政府にも秘密の極秘指令だったのだから専門家を乗せる余裕などなかった。ともかく、来ることだけでさえ精一杯で、交渉の席が成立する確率さえも極めて低かった。

「さて、私は水蒸気機関の調整にはいるか。しかし、せめて私にもう少し髪の毛が残っていればなあ……若い頃は気にもしなかったが、失ってわかる長い友よ、か」

 コルベールは、私に嫁が来るのはいつの日かと深々とため息をついた。

 

 その頃、エレオノールは艦橋のラッタルをタンタンと鉄の足音を響かせながら降りていた。見渡せば、東方号の巨大で雄大な姿と、復興途上のアディールが見える。街のあちこちで立ち上っている煙は炊飯のものか、廃材を焚き火で焼いているのかわからないけれど、ほんの一週間前に街の燃え尽きる光景を目に焼き付けた者としては、エルフの国にもこんな牧歌的な光景もあるのだなと、不思議な感心を覚えたりした。

「こんな光景、どんな書物を読んでも知ることはできないでしょう。図書館にこもるのではなくて、実際に目の当たりにしないとわからない知識もある。この光景ひとつだけでも、ルイズには感謝するべきかもしれないわね」

 もちろん本人に向かっては絶対に言わないが、エレオノールは自身がハルケギニアで一番恵まれた環境にいる学者なのではないかと思った。

 今なら、危険を承知でハルケギニアにやってきたルクシャナの気持ちもよくわかる。つかみどころがなく、手に余る行動力の持ち主ではあるけれど、彼女は象牙の塔にこもりきりの自分たちにはない、研究者としての非常な貪欲さを持っていた。後輩から先輩が学ぶこともある。たいしたものだ、いまでは正直にすごいと認めている。

 

 思えば、この一週間もあっという間だったが、いろいろなことがあった。エレオノールはラッタルを下りながら、その記憶をひとつひとつ思い出していった。

 

 

 超獣軍団との死闘ののち、一夜を明かしてからの人間たちの日々は多忙を極めた。

 一躍、蛮人扱いから英雄になってしまった東方号のクルーたち。彼らはアディール中から引く手あまたとなり、ハルケギニアのことを知りたいというエルフたちのあいだを駆け回って、親善に全力を尽くすことになった。

 中心人物であるティファニアはもちろんのこと、奮闘した水精霊騎士隊を称えたいと申し込んできたり、海中から救出してくれた銃士隊に礼をしたいと述べてくる人たちなど、一部の例をあげるだけでも人間たちと直接話したいというエルフは絶えることはなかった。

「私、蛮人ってちっさいオーク鬼みたいなのと思ってたけど、ほんとはすっごくかっこよかったのね。お願い、蛮人の世界って……ごめんなさい。ハルケギニアってどんなとこ? 教えておしえて!」

 とあるエルフの少女の言葉の抜粋である。なにせ、国境付近で空賊と戦う軍属や、その近辺で交易する商人を除けば内陸地のエルフには一生人間と会わずに過ごす者も少なくはない。当然、伝えられる情報も曲解されたものが多く、彼女の偏見に満ちた言葉も無理からぬところであった。

 それが一気に逆転した。逆転するだけのことをしてしまった。案ずるより生むがやすしということわざがあるが、その百倍くらいが実現した。

 三日後にはアディール外からも話を聞きつけた、外部の街や村からのエルフも集まってきて、お祭り騒ぎとなっていった。そうなると最初はいい気分だったギーシュなども、休む間もない過密スケジュールに悲鳴をあげていったのは当然であろう。

「おれたちは動物園のパンダかよ」

 才人がぼやいた台詞である。ブームが到来して動物園に見物客が押し寄せすぎると、あまりのストレスに動物も体調を崩すというが、それがよく実感できた。

 ただ、要望の多かった、人間たちがネフテスのほかの町や村に行くという案は、安全が確保しきれないということで却下された。まだ鉄血団結党の残党がいないとも限らないし、そうでなくとも人間への恨みや偏見を根強く持っているエルフもまだ多い。のこのこと出かけていって袋のネズミとされることだけは絶対避けるべきであった。

 その後、さすがに四日後にはテュリューク統領が規制をかけてくれたので人心地つけたのだが、一堂は親善訪問も楽じゃないと心底思った。

 

 

 しかし、大変だった中にも心からよかったと思える出来事もいくつかあった。

 

 才人たち数人が、アディール市内でかろうじて戦火を逃れていた学校を訪れたときのことである。まだ舗装が元通りになりきっていない道路を通り、トリステイン魔法学院よりも壮麗なつくりの校舎に一行は息を呑んだ。

 講堂に集められた生徒たちは数百名、しかしエルフの例に漏れずに全員が美少年・美少女だったために、才人たちはのっけから圧倒されて萎縮してしまっていた。もとより、人前で演説や講演などできる性質ではなく、才人といっしょに来た数人の少年たちも、来たはいいがなにを言っていいかわからず、別の場所に行ったギーシュたちを恨んでいた。

 緊張しすぎて凍り付いてしまう才人たち、仕方なく才人についてきたルイズが代わりに口を開こうとしたときである。ひとりのエルフの少女が思いもかけないことを尋ねてきたのだ。

 

「トリステインの皆さん、えっと……ウルトラマンさんに会えませんか!」

 

 えっ? と、才人とルイズを含む全員が固まった。数秒たち、思考が再稼動してきた才人が動悸を抑えながら恐る恐る尋ね返すと、彼女ははじめて話す人間にやはり緊張しながらも目を輝かせて答えた。

「わたし、このあいだの戦いで危ないところをウルトラマンさんに助けていただいて……それで、ぜひお礼を言いたいんですけど、お願いできませんか?」

 才人はやっと合点がいった。そして思い出した、彼女は超獣軍団との戦いのときにアリブンタに捕食されかけていた、あの少女だった。

 そういえば、ガチガチに緊張していて気づかなかったが、ここはゼロ戦で空から見たあの学校だ。あのとき、校庭に蟻地獄を作って生徒たちを狙ったアリブンタを、とっさにウルトラマンAに変身して助けたのはよく覚えている。しかし貪欲なアリブンタに追い立てられ、逃げ遅れた彼女を救い出した後で、その行方は混戦に紛れてわからなかった。

 

”そうか、無事でいてくれたのか”

 

 もちろん自分たちがそのウルトラマンだと明かすことはできないが、才人とルイズは自分たちがひとつの命を確かに守り通すことができていたのだと実感できて、胸を熱くした。

 しかし、ウルトラマンに会いたいとは大胆な……いや、人間と違って大いなる意志を解してエルフは他の種族とも差別なく交流することができる。同種族としか交流を持たない人間のほうが異常で、エルフたちにとっては、人間を除く他の種族とのコンタクトなどなんでもないことなのかもしれない。

 が、とはいってもこれは少々無理難題である。

「えーっと、残念だけどそれは無理なんだ」

「なんで? ウルトラマンさんはあなたたちが呼んだんじゃないの?」

「いや、ウルトラマンがどこから来た何者なのかは誰も知らないんだ。ただ、彼らは怪獣が現れて平和が乱されたとき、どこからともなくやってきて助けてくれる不思議な存在なんだ」

「へえ、そうなんだ。それって、あなたたちの世界で言う神様みたいなものなの?」

 エルフの少女は首をかしげながら問いかけてきた。しかし才人は首を横に振り。

「いいや、ウルトラマンは神様じゃないよ。ハルケギニアにもこれまでいろんな怪獣や超獣が現れたけど、その全部にウルトラマンがやってきたわけじゃない。ウルトラマンは、おれたちが全力で戦って、それでもどうしようもなかったときにはじめて手を貸してくれるんだ」

「なんか……気難しいんですね。ウルトラマンさんって」

 才人は、見た目では十歳くらいの少女の大人びた口調に少々気圧されながらも答えようとした。

「うーん、そう見えるかもしれないな。けど、ウルトラマンは自分がいるからみんなが努力しなくならないように気を使ってるんだよ。だから、気難しいようにも思えるけど、ほんとうに危ないときには必ず来てくれるんだ!」

「厳しいけど……優しいんですねウルトラマンさんって!」

 少女の脳裏には、アリブンタから身を張って助けてくれたエースの姿がありありと蘇っていた。その、理解してくれた笑顔が、才人にうれしさと勇気を与えてくれた。

「ああ! 本当にすげえさ。誰よりも強いのに、自分のためには戦わない。自分を必要としてもらうんじゃなくて、逆に誰にも自分を必要とされないようにするために戦う……だからこそ、おれたちはウルトラマンを……ヒーローって呼ぶのさ!」

「ヒーロー……」

 少女だけでなく、講堂にいたエルフたち全員に才人の大声が行き渡った。

 ヒーロー、それはエルフたちにとっては未知の概念であり、新鮮な衝撃であった。

 自然そのものである大いなる意志を至高の存在とするエルフたちにとっては、世界は完成されたものであって、自分たちはその中の一部でしかないという意識が強い。そのため、エルフたちの書物は記録が中心であり、人間のフィクションを中心にした英雄譚などの娯楽ものはない。

 が、ウルトラマンはまさに現実を超えた現実の英雄譚であった。それは自分たちの想像をはるかに超えた次元の存在であるが、決して理解不能な神ではない。なぜならウルトラマンは完全無欠ではなく、傷つき苦しみ、負けそうになる。しかしそれでもなお立ち上がる姿が人々の心を打つ。

 言葉を語りかけてくることは少なくとも、命をかけて戦う様がすべてを語る。ウルトラマンを見た者は、ウルトラマンが内面は自分たちにとても近いことを感じる。なによりも、とほうもなく強いが、それを私利には使わずに弱きを助け強きをくじく! その勇姿に人はあこがれを抱き、英雄を超えた存在……ヒーローと呼ぶのだ。

「ヒーロー……なんかそれって、すっごくかっこいい響き……ねえ! 教えてよ。あなたたちの国で、ウルトラマンがどんな活躍をしたのかを!」

 かつて地球でも、ウルトラマンがはじめて姿を現したときには大人たちは驚き、子供たちはそのかっこよさに夢中になったという。実際、ウルトラマンの活躍をテレビで見て将来の仕事を決めた人も数多い、むろん才人もそのひとりである。メビウスの活躍を目の当たりにした中学生の頃、彼の人生は大きな転換点を迎えた。

”ウルトラマンみたいに、どんなときにも、どんな敵にも負けない強い男になりたい!”

 その憧れが、ハルケギニアに来ても強く才人を支えていた。ウルトラマンたちが身を持って教えてくれた、勇気、優しさ、あきらめないことで生まれる希望……それはどんな超科学よりも強く、どんな魔法よりもすばらしい。

 そして、そのすばらしさを誰かに伝えたいという願いも切にあった。

「よおっし! じゃあお前らにハルケギニアでのウルトラマンたちの活躍を、たっぷり聞かせてやるぜ! 止まらないからよおっく聞いておけよ!」

 才人の叫び声が講堂にこだまし、続いて生徒たちの喜びに満ちた大合唱がこだました。

 新鮮な刺激に飢えているのはどこの子供たちも同じだった。誰でも、幼い頃に布団の中で父親や母親に聞かされた昔話に胸をときめかせたことがあるだろう。ましてテレビもインターネットもないこの世界。昭和の昔には、紙芝居の親父がやってくるたびに子供たちが我先にと集まった。

 ウルトラマンから才人へ、次に才人からエルフの少年少女たちへと、物語は受け継がれていき、魂のリレーがつながっていく。バトンは夢とロマンと愛と勇気。人が人としてあるための大切なものを込めて、ウルトラマンの戦いはこうして語り継がれていくのだ。

 

 

 エルフの知らなかったものを人間が教える。それは互いに憎しみあっていてはできないことだ。

 もちろん、その逆もしかりである。時間を見て、人間たちはエルフからこれだけは知っていてほしいということを教わった。

 その最たるものは、大いなる意志とはなんたるかである。

「お前たちが我らと対等に付き合いたいというのはわかった。しかし、我らは大いなる意志をないがしろにする者たちを認めることはできない。これは我々の譲れない条件だ」

 エルフを含め、亜人種(これも人間側から見た蔑称であるが)が人間を蛮人と呼ぶ理由の大なるものは、彼らが信奉する大いなる意志と表現される自然界の力を感じられないことにある。オークなどの知能薄弱なモンスターを除き、彼ら亜人種はこの意志を尊重し、自然界の精霊と語り合うことによって自然と調和し、時に精霊の力を借りることによって、人間が先住魔法と呼ぶ超常的な力をも行使する。

 そのため、亜人たちの多くは自分たちが当たり前に聞くことの出来る精霊の声を無視して、自分勝手にふるまう人間をよく思わずに見下している。

 だが、人間たちからすれば聞こえないものは聞こえない。そのように生まれつきできているのだからしょうがない。例えば、元より色盲で目ができている牛に色を理解させようとしてもできないのと同じようなものだ。

 ただ、人間は動物と違って、自分の知覚を超えたものを感じることはできなくとも『想像』することはできる。時間を見ての、ビダーシャルなどによる人間たちへの大いなる意志、精霊の講義はみっちりとおこなわれた。その結果、基本の基本というレベルでの話であるが、コルベールとエレオノールを中心に、人間たちはある程度の知識を得ることができた。特に、エルフの前でしてはいけないこと……精霊への禁忌については徹底的に学ばされた。

 その最後の講義の後で、ビダーシャルは彼らに言った。

「これで、おおまかなことは終わりだ。本来なら、説明して理解できることではないのだが、お前たちが精霊の声を聞けない以上はやむをえん」

「いえ、ハルケギニアではこうした講義すら聴くことができないでしょうから、それだけでも十分価値はありました。これで少なくとも、なにが精霊への侮辱行為となるのかはわかりました。それだけでも、じゅうぶんすぎるほどの成果です」

 コルベールの返答に、ビダーシャルは表情を変えないままうなづいた。

 異種族間で対立が生じるとき、その原因には大きく無知がからんでくる。片方にとっての常識が片方にとっての非常識、それを意識しないで交流しようとすると当たり前のように軋轢が生まれる。日本の小学校でも、ヒンズー教徒は牛を食べてはいけないなどを早期に学ばせるのはそのためだ。

 むろん、エルフにもそうしたタブーはある。こうしたことを知っているのは、平時ではサハラ境界部で取引をおこなう商人たちなど少数に限られて、一般の人間はほとんど知ることはない。それを知っているだけでも、無用な誤解を避けることができるので、交流はずっと穏やかなものになるだろう。

 

 

 その他にも、東方号のクルーたちは軍事などエルフたちの神経に触れない範囲で、学べるだけの知識を詰め込んだ。

「まさか、こんなところにまで来て勉強する羽目になるとは……せっかく国に残った奴らより楽できると思ったのに……」

 水精霊騎士隊の少年のひとりの愚痴である。もとより、こんなことに首を進んで突っ込んでくる彼らのことだから、頭よりも体を動かすほうが性分に合っているという者が多い。コルベールの頭の痛いところであるが、子供というものは大抵が勉強が嫌いである。

 ちなみに、銃士隊は王族親衛隊であるために平民出身ばかりの印象に反して学がある。ここでも水精霊騎士隊は一人前の騎士になるためには様々な苦労が必要なんだなと、ため息を吐きつつサボれない授業にいそしんだ。

 だが、一見すると地味に見えるこの積み重ねが、後々に大きな意味を持ってくるのである。

 ハルケギニアの多くの民にとって、まったく未知であるネフテスの姿。たとえたわいもないものでも、それは謎という恐怖のカーテンをおろして、エルフは怪物ではないということを人々に教えることが出来る。むしろ、他愛もないもののほうがいい。

 ありったけの時間を利用して、学べるだけのことを学び取る。一週間という時間はあまりにも短く、あっというまに過ぎていった。

 

 

 一方で、物理的な面でも帰り支度はおこなわれている。

 六日目には、東方号の貨物室にはハルケギニアに持ち帰る荷物が山積みになっていた。見渡せば、工芸品、美術品、生活雑貨と、よくもこれだけ手当たり次第に集めたなといわんばかりである。

 まあ、実際には倒壊した建物から掘り起こされた粗大ゴミを、この際だからネフテスの文化を伝えるために有効活用しようという用途の、みやげ物の山である。武器、および書物の類の積み込みは認められなかったが、普通なら希少品のエルフの品々をタダでもらえるのは大いなる得である。

 しかし、積み込まれていく様々な品物を検分していたコルベールやエレオノールは、見れば見るほど、子供用の玩具や部屋の飾りの花瓶ひとつにさえトリステインでは到底不可能なほどの細工を施すエルフの技術力に感服し、彼らを敵としてきた事実に寒気を覚えていた。

「よくも、これほどの力を持っていながら六千年ものあいだハルケギニアに攻め込んできてくれなかったものね。あの鉄血団結党みたいなのがもっと早くできてたら、人間は一年も持たずに全滅してたかもと思うとぞっとするわ」

「結局は、我々は獅子の慈悲によって生かされていただけのことだったのさ。が、それも過去のことにせねばならん。先人たちの負の遺産は、我々の代で帳消しにしなくてはな」

 しみじみと感じ入るようにコルベールは言った。自分たちが、どれだけ狭い世界の中にいたのかということが、ハルケギニアという卵の殻から出てみてやっと実感できた。しかし、コルベールは劣等感を感じたのはもちろんだが、この過ちをハルケギニアの人々にもわかってもらいたいと、漠然とではなく真剣に思い始めていた。

 むろん、難しいというよりは不可能に近いことはわかっている。ハルケギニアに染み付いたエルフへの偏見は簡単に拭い去れるものではないだろうし、自分たち全員が敵として追われる事態のほうがはるかに現実味が高いだろう。が、知ってしまった以上は口を封じて安全を決め込むのは罪だ。

 聞いてもらえるかどうかは関係ない。まずは、固定観念という分厚い氷に覆われたハルケギニアの人々の心にくさびを打ち込む。例えわずかなひびでも、その上から何度も叩けば、湖全体を覆う氷も叩き割ることができるかもしれない。いや、しなければいつの日か、今度こそエルフと人間は破滅的な最終戦争を起こしてしまうだろう。

 

 

 自分たちは、歴史上最大の異端者として悪名を残すかもしれない。いや、そうなればハルケギニアの歴史そのものが終わるだろうからどっちみち同じことだ。

 滅亡か、前進か、この星の歴史が閉じるか開くかは、この星の人々にかかっている。恐竜は環境に安穏としすぎ、変化を忘れたがために運命を閉じた。極端な例と笑うのは勝手だが、歩まずに眠り続けたら先にあるのは化石となることだけだ。

 

 たった一週間であったが、これらの例のほかにもいろいろなことがあった。それらは皆の心に記憶として刻まれ、時が経って必要になったときに思い出されることになるだろう。

 

 

 時間を現代に戻し、東方号からボートの人になったエレオノールは、港で大量の荷物を抱えたルクシャナと鉢合わせした。

「おおー、先輩ご苦労様です」

「あなたはどんなときでもペースが変わらないわねえ。で、その大荷物ってことは、やっぱりあなたもまたトリステインに来るわけね?」

「もちろん! まだまだ研究途上なのに現場を離れるなんてできるわけないでしょ。それに、私ほど蛮人に友好的なエルフがほかにいるでしょうか?」

 どやっと、胸を張らせるルクシャナにエレオノールは含み笑いを見せた。

「私のエルフに対する警戒心というか偏見というか価値観を、ものの見事にぶち壊してくれたものねえ、あなたは……まあ、止めても来るでしょう。せいぜい、忘れ物しないようにね」

「大丈夫! そんなことがないように、うちのものをまとめてかき集めてきましたから。ちょうどアカデミーの研究室も狭いなーと思ってたんですよね。今度はスペースも有り余ってるし……ほらアリィー、ひとつでも落っことしたら婚約解消よ」

 ルクシャナが、後ろでうごめていてる荷物の塊に声をかけると、その中から若い男性の声が響いた。

「ま、待ってくれ。そんなこと言って、今度という今度は逃がさないぞ。蛮人の世界なんかのなにがいいか、君の目を覚まさせてやる」

 息も絶え絶えですれ違っていった荷物の塊を、エレオノールは無表情で見送った。どうやらすでにルクシャナの頭はハルケギニアに飛んでしまってるらしい。あんな性格で、よく男があきらめずついてくるものだ。私も、あれくらい根性のある男がほしいと、エレオノールはため息をつきながら思った。

「それにしても、あの子は東方号を移動研究所にするつもりなのかしら? いや、案外それもいいかもしれないわね。うるっさい古参教授どもはいないで、好きなように研究できてどこにでも行ける……ヴァレリーを誘って本気で考えてみましょうか」

 無意識に、エレオノールもルクシャナに影響されてきているのかもしれない。実際、東方号の中身はからっぽと言っていい状態でスペースは余りに余っているので、やろうと思えばできないものはない。これは意外と妙案かもと、トリステインに戻ってからのことに期待をはせた。

 

 

 そして、数々の未練と置き土産を残して、人間たちとエルフたちの別れのときはやってきた。

「もう行きなさるか、名残惜しいが仕方がないのう。短いあいだじゃったが、君たちとは昔からの友人だったような気がするよ。気をつけて行きなさい。次に来る日を、楽しみにしているよ」

 見送りに来てくれたテュリューク統領と、エレオノールは握手をかわした。

 見渡せば、テュリュークの後ろには見えるだけでも数千人のエルフが埠頭を埋め尽くしていた。別れを告げに来たエレオノールと、水精霊騎士隊、銃士隊の面々はその中に、見覚えのある顔が気づけば数え切れないほどあるのに気づいた。

 皆、自分たちとの別れを惜しんでくれている。見世物の動物や、安いアイドルのコンサートなどとは違う、直に語り合って触れ合ったからこそ生まれる魂の結びつきがそこにあった。

「この光景を、今回限りのものにしちゃいけないな」

 整列した水精霊騎士隊の中で、レイナールがぽつりとつぶやいた言葉に、聞いていた数人の仲間がうなづいた。

 見送りの式典は、華美さや仰々しさをはぶいた簡素な形で進み、代表者数人によるあいさつを中心にしたほかは目立ったイベントなどもなかった。テュリュークとエレオノールの元で、式典は儀礼に完璧に乗っ取った形で進行し、最後にビダーシャルがいつもどおりの真面目一辺倒な顔で、人間たちの前に立った。

「この一週間、ご苦労だった。言うべきことは、すでに皆によって言い尽くされているから私からは特にない。強いて言うとすれば、努力を怠るな。我々の今いる状況は安定したものではなく、非常にもろいガラス細工だということを忘れるな。本来ならば、使者として私も同行したいが、ネフテスの再建と安定も楽ではないからな」

 そこで口を閉じたビダーシャルの言いたい事はわかった。

 壊滅したアディールの街の形だけは直ったが、内部組織はテュリュークの手でかろうじて支えられている状態だ。超獣軍団の猛攻で軍が壊滅し、勝利は収めたものの人心はどんな小さなきっかけでも崩壊するかわからない。評議会はその象徴であった塔もろとも威厳を崩れ落ちさせ、役立たずを露呈した議員たちの代わりはまだ見つかっていない。

 それに、鉄血団結党の残党や、まだ人間に憎しみを燃やすエルフを抑えるために、その他の些事も含めるとビダーシャルがネフテスを離れるわけにはいかなかった。

「ただ、ひとつだけ願っておこう。我が姪と、勇敢な馬鹿者たちを頼む」

「わかりました。こちらこそ彼らには世話になるでしょうしね」

 東方号にはルクシャナのほか、数名のエルフが乗り込むことになっていた。ネフテスのことを、直接トリステインに伝えるための使者としてと、留学生としてである。また、反対に、こちらからも銃士隊員数名が残ることになっている。王家親衛隊である彼女たちならば、その資格はじゅうぶんにあるといえた。

 もっとも去り際に、「副長、今度来るときには花嫁衣裳見せてくださいよ」とか、「私たちもこっちで頑張りますから、いっしょに砂漠で合同結婚式なんてどうですか?」などと公私混同もはなはだしいことを平気で言っていたから先が思いやられる。トリステインの男にはろくなのがいないとかねてから言っていたが、ハーフエルフを量産するつもりなのだろうか?

 

 まだお互いに名残は尽きない。しかし、終わりは迎えなくてはいけない。

 

 最後に、ルイズとティファニアが前に出てテュリュークと向かい合った。

「お世話になりました。統領閣下、わたしたち人間を……そして虚無の担い手を、友として認めてくれてありがとうございました」

「わたしも、最初は怖かったですけど、ここに来て本当によかったです。ハーフエルフは中途半端なものじゃなくて、ふたつの種族の架け橋になれる大切なもの。今なら、自信を持ってそう言うことができます!」

 ルイズと、特にティファニアは見違えるほどたくましくなっていた。この地に来てから、彼女が自分の母についてなにを聞いたのか、それは誰にも語らないし、誰も聞こうとはしていないが、明らかに彼女のなにかが変わった。そんな雰囲気を漂わせていた。

 集まったエルフたちの視線は、ルイズと、多くはティファニアに集中していた。彼らも皆、ふたりがシャイターンの末裔だということを知っているが、そのまなざしは優しい。伝説などではなく、身を張って自分たちを救ってくれたティファニアの姿が、彼らの理解を得たというなによりの証拠であった。

 だが、使い手のうちふたりがエルフに敵対する意思がなくとも、シャイターンがエルフにとって潜在的な脅威であり恐怖であるのは変えようがない。そこで交わされたひとつの約束を、テュリュークは皆に聞こえるようにして言った。

「では、そなたたちの始祖の祈祷書はわしが確かに預かっておく。しかと見届けよ、よいな?」

 あの日の約束どおり、虚無の秘宝はエルフの手に渡った。これで、ほかの虚無の担い手が悪意を持ったとしても虚無魔法が完成することはない。代わりにルイズたちも新たな虚無魔法を得ることはできなくなったが、安い代償だとふたりとも思っていた。

「よろしくお願いします。もし、わたしたちを疑うようならば約束どおりに処分していただいてかまいません。けど、正直そんなもので友情のあかしになるなら、いくらでも持っていってくださいという気分ですよ」

 それは偽らざる本心だった。虚無魔法は惜しくないと言えば嘘になるが、それでエルフとの和解がかなうというのであれば答えは最初から決まっている。それに、始祖ブリミルが虚無魔法を残したのは、聖地を『取り戻すため』であり、『奪い返すため』ではない。虚無魔法と引き換えに平和が手に入るなら、それで役割は十分に果たせる。その点、誰にも一辺の後悔もなかった。

「シャイターンの……いや、もう小難しい感想を述べてもなにも変わらんの。そなたらのような者が、この時代に生まれておったことを大いなる意志の導きに感謝しよう。そして、またの出会いがあることを、ネフテスすべてを代表して願わせてもらおう。さらばじゃ、遠い国から来た友人たちよ!」

「皆さんも、お元気で」

 友人としてのあいさつを経て、別れの式は終わった。

 

 

 今こそ、旅立ちの時。涙ではなく笑顔で別れ、必ずここにまた来ると、誓いを込めて船は飛び立つ。

 

 

「反重力装置、動作正常。船体重量軽減に問題なし」

「水蒸気機関、一番から四番始動。各プロペラに動力伝達……いくぞ、東方号……発進!」

 轟音とともに水しぶきをあげて、東方号は再び大空にその巨体を浮かび上がらせた。

 全長四百五十メートルの巨体が、四基のプロペラを持った翼に風を受けて舞い上がり、アディールに巨大な影を投げかける。

 見下ろせば、手を振ってくる大勢のエルフたちがいる。東方号は一回アディールの上空をくるりと旋回しながら、眼下に色とりどりの紙ふぶきを降らせた。

 まるで春の桜吹雪にも似た美しい光景が、別れの置き土産。これを最後に、東方号は一転して西へと舵をきった。

 さようならエルフの国、目指すは皆の故郷ハルケギニア。

 

 そのとき、アディールの市内でいまだに眠っていた土色の巨竜が目を開いた。

 立ち上がり、空に向かって吼えるとゆっくりと歩き出す。しかし驚くエルフたちを尻目に、街には一切の破壊をおこなわずに郊外に出ると、西の空を仰いでから、あっというまに地底へと潜って消えた。

 その目の見ていた先は、ハルケギニア? それとも?

 

 ゴモラも立ち去り、アディールは一見すると一週間前と何一つ変わらない、何事もなかったかのような姿になった。

 しかし、街の形は同じでも、そこに生きる人々の心は大きく変わった。

 六千年の因習を超えて、新たな道を歩もうとしているネフテスの未来は光か闇か。大いなる意志さえも、なにも答えてはくれない。

 だが、自らの運命を力強く乗り越えていく船と、それに乗る人間たちの姿は、確かにエルフたちの胸に刻まれていた。

 

 

 続く



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第99話  故郷への帰還! 砂漠に舞う神秘の雪

 第99話

 第二部最終回

 故郷への帰還! 砂漠に舞う神秘の雪

 

 神秘群獣 スノースター 登場

 

 

「全速前進! ヨーソーローヨー!」

「燃やせ燃やせ! おーいもっと罐を焚け。もっと速く、もっと早く飛べ、進め進め! 鳥のように風のように」

「走れ走れ、おれたちの東方号、目指すはハルケギニア。待ってろ、我らのトリステイン王国よ!」

 

 轟音を上げて真っ赤な石炭の炎をうねらせ、巨大な四基のプロペラを回転させるコルベール製水蒸気機関。

 歌うように叫びながら、罐に石炭をくべる少年たちの表情は明るい。

 砂漠の白色の大地に黒い影を投げかけ、東方号は一路西を目指して航行を続けていた。

 

「おーいギーシュ、石炭が足りないぞ! もっとじゃんじゃん持って来いよ」

「ぼくのワルキューレは人夫じゃないぞ。あーあ、せっかくの美しい造形がすすまみれになってしまった。こら! 火のメイジはさぼるんじゃない。火力が落ちてるぞ」

「だからそのために石炭持って来いって言ってるんだよ。さすが、エルフの技術と魔法で作り直された罐は違うぜ。これだけぼんぼん炊いてもちっとも壊れる気配がねえ」

「わかったよ。みんな、力を惜しむなよ。一刻も早くトリステインへ帰って姫さまに……いいや、女王陛下に我々の大殊勲をご報告申し上げるんだ!」

 

 水精霊騎士隊の、割れんばかりの大歓声が東方号の機関室に響き渡った。

 来るときは、何人が生きて戻れるかという悲壮な決意を固めていたからろくに笑う余裕もなかったが、帰りは意気揚々の極みである。ギーシュたちはすっかり舞い上がり、今からすっかり英雄気分であった。

「やれやれ、うちの男どもときたら、女王陛下に拝謁がかなうとなると舞い上がっちゃって。その後が大変だってこと、わかってるのかしら?」

 積荷のチェックをしていたモンモランシーが、広い艦内を通り抜けて響いてきた男子の歓声に呆れた声を出した。

「でも、やっとお国に帰れるんですよ。うれしいのは仕方ないんじゃないですか」

 手伝っているティファニアも、鉄の壁に反響してうっとおしく響いてくる大声に苦笑いしながら答える。

 船舶の仕事は、外からの補充要員が効かないためにひとりで複数個所を兼任するのが普通だ。増して、人手不足の東方号に遊ばせておく頭数なんてあるわけがない。女生徒だろうと誰であろうと、立っている者は親でも使わせられる。今、彼女たちは急いで積み込まれた物品のリストを作成しようと紙とペンを手に、倉庫の中を行ったり来たりしていた。

「まったく、いくらスペースがあるからって積み込みすぎよ。ほんとに、男のやることってのは適当なんだから!」

「まあまあ、またネフテスに行けるのがいつになるかなんてわからないんですし。それに、ルクシャナさんたちエルフの皆さんの、トリステインでの生活道具もあるんですから」

「だからよ! あの女、最近調子に乗りすぎじゃない。正式にネフテス代表に選ばれたからって、我が世の春とばかりにやりたい放題言いたい放題! ほんと腹立つっ!」

「あはは……」

 雑用を押し付けられて、貴族らしからぬ仕事ばかりさせられているストレスもあって、モンモランシーは思いっきり怒鳴った。

 ティファニアは、とても人目にはさらせない友達のそんな姿に乾いた笑いをするしかなかった。が、内心ではまたルクシャナがトリステインにやってきてくれることや、エルフの仲間が増えることがうれしかった。以前は人に対してはどこかよそよそしくて、他人行儀だったところがすっかり変わって、皆に自然と溶け込めるようになっている。

 トリステインに帰ったら、マチルダ姉さんに預けている子供たちに会いに行こう。みんな元気にしているだろうか、大仕事をやり遂げた自分を早く見せてあげたい。そして、いつか隠れることなくハルケギニアでエルフが過ごせる世界を作る。それはもう夢物語ではないのだ。

「コスモス、わたし、がんばるからね」

 ペンダントにして首から下げている輝石を握り締め、ティファニアは誓った。

 期待に胸を膨らませているのは少年たちだけではない。ティファニアも、自信という新しい力を手に入れて力強く前へ足を踏み出そうとしている。皆が、この旅で得たものはそれぞれ形は違えど、誰しも大きかった。

 

 故郷への帰還に沸く人間たち。彼らの無邪気な騒ぎはやむことはない。

 一方で、未知の世界へと足を踏み入れようとしているエルフたちは、一室を与えられながらもうかない表情が続いていた。

「なにをみんな深刻そうな顔をしてるの? 全ネフテスの代表なんて名誉をもらったのに、蛮人の朝食は口に合わなかった?」

「ルクシャナ、君はいいかげん自分が特別なんだって自覚したまえよ。確かに、蛮人の中にもいい奴がいるんだってことはわかってるよ。でも、彼らの国には我らを敵視する者のほうが圧倒的に多いだろう。正直、戦争に行くほうがまだ気楽だよ」

「まったく、あなたたち男はすーぐ深刻に考えるから、物事を悪いほうに持っていくのよ。あなたたちの半分も生きてない子供たちがネフテスに乗り込んできたのに比べたら、楽なものだと思わない? アリィー、そんな意気地なしとは婚約解消して、人間の男でいいの探そうかなあ」

 と、何度目になるか数えるのもめんどくさい挑発をルクシャナがして、それにアリィーが反応してむきになるという、このふたりの間では定番のやり取りがおこなわれ、それを仲間のエルフたちは嘆息しながら見ていた。

「おれたちは人生の選択を誤ったんじゃないだろうか」

「言うなイドリス。どのみち、我らはアリィーの婚約者どのに命をゆだねるしかないんだ。しかし、実際彼女はすごいよ。もしも彼女がいなかったとしたら、我らの歴史はアディールとともに終わっていたかもしれん」

 アリィーの仲間たちは、ルクシャナの型破りな異端さを敬遠しながらも、彼女の実績を否定できない複雑な気分だった。

「それがわかってるなら、ちゃんと責任を自覚しなさいよ!」

「うわっ! ルクシャナ、いつの間に」

 気づくと、怖い顔をしたルクシャナが彼らの後ろに立って睨んでいた。

「ヤプールみたいに世界規模で侵略してくる相手に国だの種族だの言ってられないの。いつまでもウルトラマンが来てくれるとは限らないし、世界が一丸とならなきゃ大厄災の繰り返しなのよ。あなたたちにはほんとに危機感ってものが欠落してるわね。いーい? かっこばかりつけて働かない男なんて最低よ。わかった!」

「わ、わかったわかった!」

 ビダーシャルが来られないので、今回の実質的なリーダーとなっているルクシャナの威勢はすごかった。男たちも、これから行く土地では右も左もわからないので、ルクシャナには頭が上がらない。

 

 

 それぞれの思いを乗せて、東方号はひたはしる。

 そして、その後部航空機格納庫にて、物語の主人公たる少年は愛機ゼロ戦を磨きながら思っていた。

「みんな張り切ってるなあ。よっしゃ、おれも気合いれてやるかっ! これからも頼むぜ、相棒!」

「なあ相棒、その相棒っておれっちのことだよな? そんな鉄の塊じゃねえよな。な、な?」

「女々しいぞデルフ。別に、相棒はひとりじゃないといけないってことはないだろ。こいつは日本人にとっちゃ特別な代物なんだよ。年中背負われてるお前は先輩らしく後輩にゆずりやがれっ」

 と、今回出番らしい出番がなかったデルフをからかいつつ、才人はボロ布でジュラルミンの機体を磨いている。

 だけども、影の薄いことを気にするデルフの心配など、本当は無用なものであった。単に武器の扱いやすさでいえば、デルフよりいいものはいくらでもある。なんだかんだいっても、どちらも短くない付き合いの戦友として互いを信頼している。憎まれ口はいわば愛情の裏返し、些少の悪意はコミュニケーションの手段なのである。

「なあデルフ」

「なんだい、相棒?」

「お前は、簡単に壊れてくれるなよ」

「どうかね。おれっちには寿命はねえが、物はいつか壊れてなくなるもんだ。そういうところは人間といっしょだな。だから、大切にしてくれよね」

「はいはいわかったよ。ところで……刃物って研いでくと少しずつ減ってくよな」

「へっ? おま、何を。あっ、アーーーッ!」

 万事がこんな調子のふたりである。からかって、からかわれて、どちらにとっても気楽な話し相手。

 人間と剣なのだから、それ以上もそれ以下もない。才人にとっては気楽に話せる年上の相手、デルフにとっては長い人生で久しぶりに出会えたおもしろい持ち主。それでいいのだから、無理に変えることはない。

 いつか、この関係が壊れるのだとしても、それはそのときのこと。戦いの中に生きる者にとって、それは無価値な心配だ。

 奇妙なコンビは、今日も変わらず、明日もそうだと願ってのんびりと語り合う。

 

 

 やがて日は沈んで、砂漠にも夜がやってきた。

「ぶるるっ、やっぱり砂漠の夜はいちだんとこたえるな」

 防空艦橋の露天で見張りをしている才人が、防寒の毛布の上からでも響いてくる寒風に身を凍えさせてつぶやいた。

 すでに時刻は地球時間の午前一時をまわり、気温は零下へ達している。昼の灼熱と真逆の極寒を作り出すのが、砂漠という不思議な世界なのである。

 くるりと首を動かせば、下には黒く塗りつぶされた砂漠。地平線を挟んでその上には、名も知らぬ星星が無限の輝きを放つ宇宙がどこまでも続いている。その大自然の芸術とさえいえる光景は、サハラに来てもう何度も見ているものの、いまだに日本育ちの才人を圧倒してあまりあった。

「すげえな自然って、デジカメあったらぴゅーりっつぁ賞ってのも夢じゃ……って、おれの腕じゃ無駄か」

 くだらない独り言を言って、才人はくすくすと笑った。ほんと、写真なんてもので伝えられることはたかが知れている。どんなにうまく撮られたプロの写真でも、こうしてじかで見た感動には到底及ぶものではない。それはつまり、人間の技術なんて、自然の前にはまだまだ遠く及ばないということだろう。

 寒風に耐えながら交代時間を待つ才人。そこへ、ポットを片手にしたルイズがやってきた。

「寒そうね、テファが東方のお茶を淹れてくれたんだけど、飲むかしら?」

「うひょーっ! もちろん! ……熱っちーっ!」

 熱湯で舌を焼いた才人は、ひいひい言いながら手のひらで舌をあおいで冷まし、ルイズは呆れた笑いを返した。

「あんた猫舌だったかしら? 慌てて飲むからそんなことになるのよ」

「だって、お茶なんて久しぶりだからうれしくってさ。ああ、このカフェインの芳醇な香りときたら」

「バカ?」

「うるせ、おれの国じゃ未成年飲酒禁止って言ったろ。おれんちでは飲み物は基本お茶だったんだよ。父さんはコーヒー党だったんだけど、母さんが味噌汁にコーヒーは合わないって譲らなくてな」

「そう」

 故郷の思い出話を始めた才人を、ルイズは暖かい眼差しで、自分も冷ました茶を飲みながら聞いていた。

「親父が紅茶なんて気取ったもの飲めるかなんて言うと、お袋はコーヒーなんて泥水よって、しょっちゅう張り合ってた。おれはどーでもよくて一人でテレビ見ながらオレンジジュース飲んでたな。とにかく、うちの両親は普段はおとなしいくせに飲み物に関しては妥協しなくてなあ。で、中立で緑茶を基本にしてたわけさ」

「あんたのお父さまとお母さまだもんね。愉快そうなご一家だわ」

「そういうこと、ほかにも焼酎とウィスキーはどっちがうまいかとか、酒の好みも全然合わねえの。で、呆れたことにおれに意見を求めてくるんだな。で、おれは言ってやったよ。「そのグラスの中身がバーボンだろうが泥水だろうがおれには関係ない。警察に捕まって罰金取られるか、病院に担ぎ込まれて治療費取られるかの違いしかないんだから」ってな」

「あははは! ほんと、あんたのご両親っておもしろいわね。まるで、魔法学院の日常みたいじゃない」

 言葉の意味の半分以上はわからなくても、情景は簡単に想像できてルイズは笑った。

 堅苦しい貴族の生活とはまったく違う、ささやかでもくだらなくても本音で語り合える家族。ルイズは、そこに優劣が存在するとは思わなくても、そんなふうな触れ合いをおこなえる才人をうらやましいと思った。

「笑うなよ。そういえば魔法学院か、もうけっこう長い間まともに帰ってないけど……みんな、元気でやってるかな」

 才人は、ハルケギニアでの家ともいえる魔法学院の風景と、お世話になった人たちのことを思い出した。

 メイドや使用人の人たちは最初の頃、右も左もわからなかった自分にいろいろ気を使ってくれた。いつもうまい飯を食べさせてくれたマルトー料理長、飛び入りで働き出したリュリュの作ってくれたデザートもどれも絶品だった。

 それに、お茶といえばシエスタの淹れてくれたお茶もしばらく飲んでない。ここのところ、大事件が続いて学院でのんびりする暇なんてまったくなかったから、すっかり疎遠になってしまっていた。元気のよさは人一倍で、少々押しが強すぎるところが玉に瑕ではあるが悪い子ではなかった。

「なあ、トリステインでのいろいろが片付いたら、また学院が始まるんだよな。シエスタにいっぱい土産話もできたし、この自然の美しさも、早く教えてやりたいぜ」

「ねえサイト……あんた、なにかというと自然がどうたらって言うけど、あんたの故郷には自然はないの?」

「ないことはないさ。むしろ、おれの国は自然の豊かなところだって言われてる。ただ、おれの世界は技術はすげえと思うけど、エルフたちほど自然の扱いはうまくなくってな」

 才人はルイズに、地球で起きた環境破壊や公害、それによって起きた問題などを噛み砕いて教えた。要は、人の住むところ、物を作るところを確保するために山を崩し、見境なく毒を撒き散らして多くの人が苦しんだこと。今では多少はましになってきているが、それでも世界には命ない荒野になってしまったところが山ほどあることなどを……

「あんたの世界も、理想郷じゃないのね」

 ルイズは、ハルケギニアよりもずっと優れているであろう才人の世界にも、だからこそハルケギニアにはない問題を抱えていることを認識して表情を曇らせた。

「コルベール先生は、進歩することが世の中をよくすることだって信じてるけど、これを知ったらどう思うかしら」

「だから、無闇に地球を真似してくれないでくれって頼んでる。コルベール先生はいい人だけど、他の人間はどうか知らないしな」

 世界各国で環境保護を叫ばれているが、いまだに決定的なものはない。それどころか、自然保護を金儲けに利用しようとする卑怯者もいる始末だ。ハルケギニアを地球の二の舞にしてはいけない。

 一説では、地球上の人間がいなくなったら東京は百年かそこらでジャングルに戻るという。つまりは、自然保護だのなんだのと偉そうに言ったところで、人間の文明なぞ地球規模の自然と時間の前ではたいしたものではない。人間がいなくなれば適当な生物が取って代わるだけ、地球環境保護というものはあくまで『人間に都合のいい環境の保護』というものだということを勘違いしてはならない。

 美しい風景。しかし、この光景の中で人間は邪魔者でしかないのだろうか。

 ふたりがそんなふうに物思いにふけっていると、そこに三人目の声が響いた。

「どうした? 先客がいたから気を使って帰ろうかと思ったが、ずいぶんと暗い様子じゃないか」

「あらまあお邪魔虫のご登場ね。副長殿、仕事はどうしたの?」

「心配するな、今は休憩時間だ。仮眠をとろうかと思ったが、うちのうるさい連中がサイトの手伝いに行けと騒いで眠れたものじゃなくてね」

 やれやれとルイズは肩をすくめた。同時にミシェルも苦笑してみせる。銃士隊のおせっかい焼きも遠慮がなくなってきた。

 

 実は、一週間前の戦いが終わった日、ルイズとミシェルで誓いを立てた夜からしばらく経って、ある日こんなことがあった。

 アディールのあちこちから呼ばれ、誰もが忙しく駆け回っている頃。ある夕食会のこと。才人がいないときに、その一幕で、ルイズとミシェルはすれ違いざまに視線を合わせた。

「……」

「……」

 互いに視線のみを合わせて、一言も発することはなかった。いまやふたりは戦友であると同時にライバル同士、下手な馴れ合いをするつもりはなかった。日常こそがふたりの戦場、そこは孤独で、何人にも邪魔されない聖戦の場……

 と、思っていたのだが。

「副長! 我ら一同、全力を持って副長をサポートさせていただきます! あんなちんちくりんがどんなもんですか! 大丈夫です。副長のほうが魅力じゃ全然上なんですから絶対勝てますって」

「ルイズ、話は聞いたわよ。いいこと、最近はばをきかせてきてるあの女どもに勝ち誇らせるなんて絶対あっちゃだめよ。わたしたちも全力で応援するから、死んでもサイトをものにしなさいよね」

 と、どこで気配を察したのかミシェルには例によって銃士隊一同。ルイズにはモンモランシーほか女生徒が応援団について、当人たちの意思とはまったく関係なく全面抗争の様相を見せてきてしまった。結局、どの歳になろうと女子の最大の関心事は他人の色恋沙汰ということなのか。

 本人たちより外野が盛り上がるあたり、ありがた迷惑としか言いようがないのだが、もはや止めようがなさそうだった。

 ルイズとミシェルは顔を見合わせあって、今度は仲良くため息をつきあった。

「はぁ……」

 前途多難は覚悟していたが、こんな斜め上の方向から来るとは完全に想定外だった。今からこんな調子では、トリステインに帰った後ではどこまで火の手が広がることやら。頭が痛くなってしょうがない……ただ、どちらが勝つことになろうと結婚式は非常ににぎやかなものになるのだけは確実だろう。喜んでいいのか、悲しんでいいのやら。

 そんな様子を、男子は遠巻きに眺めていたが、ギーシュは親友の多難を予感してせめて祈った。

「サイト、君は幸せなのか不幸なのか。正義の味方といえど、こればかりはウルトラマンもどうしようもしてくれないだろうしな。せいぜいがんばりたまえよ。愚痴くらいは聞いてやるさ」

 もっとも、そのウルトラマンの先人たちも恋や愛に悩んだのを彼らは知る由もない。どんな宇宙のどんな時代でも、男と女がいる限り、惚れた腫れたの問題からは永遠に逃れることはできないようだ。

 

 が、恋に関してはキュルケのようなタイプはともかくとして、大半の者がいざとなったら尻込みしてしまうものだ。ミシェルも自分のそういう方面での臆病さを自覚しているので、尻を蹴っ飛ばしてくれる部下の存在に一面では感謝していた。

「思ったとおり凍えているようだな。これを飲め、あったまるぞ」

「あ、ありがとう」

 ミシェルの持ってきた水筒の中身を注いだカップを、才人はルイズといっしょに受け取った。中身は無色無臭の液体で、ルイズの持ってきたお茶のように熱くなかったことから、ふたりはそのまま口に運んだ。

 ところが、口内に強烈なアルコールの味がしたかと思ったときには遅かった。喉を通った液体はそのまま喉を焼き、吐き出す暇もなく飲み込んだ後で、ふたりは激しく咳き込んだ。

「こ、これ! 酒じゃないの!」

 しかも度数は並でなく高かった。先日飲んだエルフの酒よりも強烈な刺激がして、口の中がしびれて痛い。しかしミシェルは悪びれるでもなく、いたずらっぽく笑って言った。

「火酒というやつだ。アルビオンでは冬季作戦用に常備していて、銃士隊でも冬場はこれを持ち歩く。まずいだろうが、体は焚き火をしたりするよりもずっと温まるぞ」

「やってくれたわね。この、性悪女!」

「で、でも、確かに体はポカポカしてきたな。さすが、現場の知恵ってことか」

 才人はしてやられたと思いながらも、さっきまでの凍える感覚が遠のいて、代わりに熱がこもってくるのを感じていた。

 アルコールは体内の血流を活発にし、体温を上昇させる。それは寒冷地において暖房の代わりとなることは地球でも実証されている。低体温症や凍傷防止にも効果があり、山岳救助犬がブランデーを首輪につけているのもこの一例であるし、ロシア人がウォッカを飲むのも単なる嗜好の問題だけではない。

「飲みすぎるもよくないが、そういう奴のために火酒はわざと無味無臭に作ってある。軍の冬季訓練では、こいつだけで寒さをしのぎながら一晩耐えるというのもある。そのうち、水精霊騎士隊の連中にもやらせてやろうかな」

「やめてあげてくださいよ。ギーシュたちなら、なにも考えずに酔いつぶれて、そのまま凍死コースまっしぐらしか思い浮かばない」

 勇敢さはあっても狡猾さとか思慮ぶかさに欠けるトリステイン軍人の欠点を見事に受け継いでいるギーシュたちに、下手に冬季訓練なんかさせたものなら、有名な八甲田山みたいに悲惨な末路が簡単に想像できてしまう。才人自身だって、寒いのは大の苦手だ。

 とはいえ、一応は火酒は体温を一気に取り戻してくれた。さすがにそのまま飲むのはふたりとも耐えられないので、ルイズのお茶で適当に薄めて口に運ぶと、酔う手前で寒さを忘れることが出来た。

「ところで、ふたりで深刻な顔をしてなにを話していたんだ?」

「たいしたことじゃないですよ」

 才人は、さっきまでのルイズとの会話の内容を簡単に説明した。

「そうか、難しいものだな。しかし、言わせてもらうなら、あまり考えないほうがいいと思うぞ」

「なぜですか?」

 思いもかけないミシェルの一言に、才人は思わず尋ね返した。

「今、それを考えたところでどうなるかってことさ。確かに、お前の言ってることは重要だろうけど、今それが必要なときじゃない。サイト、お前はいい奴だけど、いい奴すぎるところがある。もっと、感情のままに素直に行動したほうがいい。初めて会ったときのお前はうだうだ考え込むような、暗いやつじゃなかったぞ」

 ぱんと肩を叩かれて、才人ははっとしたような気分になった。

 言われてみたら、ここ最近はなにかと考え込むようなことが多かった気がする。世界の危機、それは間違いなく重大なことだけども、才人ひとりで考え込んだってどうにかなるわけがない。ハルケギニアと地球の未来についても同様だ。ひとりの頭で出た考えなどは、ひとつが優れていても次々とやってくる問題にはすぐ対処できなくなる。

 考えてくれる人ならたくさんいる。自分は、必要なときに意見をひとつ言えればそれでいい。サルは一匹のボス猿が群れを支配するが、人間は助け合ってこそ人間たる意義がある。才人は、肩の荷が下りたようなさっぱりした気持ちになった。

「ありがとう。おかげで、気持ちが楽になった気がします」

「なんてことはないさ。姉が悩んでる弟を助けるのは当たり前のことだ……なんて、適当な名目を言えるように作ってくれた姫さまには感謝だが、そろそろ必要ないな。サイト、わたしはお前の元気な顔が好きだ。それだけだよ」

 にこりと笑顔を見せたミシェルに、才人は酒精とは違う意味で顔を赤くした。ルイズは、またこの女にポイント稼がせてやっちゃったかと内心で舌打ったが、こればかりは年の功というやつかで真似できない。地球には、年上の女房はなんとかということわざがあることをルイズは知る由もないが、なかなかに的を射ているといえよう。

 

 星空の下、三人に増えた見張りはそれぞれ空と地上を見下ろした。

 風の音だけがする世界は、地平線のかなたまでなにもなく、ひたすら同じ風景が続いている。このあたりはエルフの生活圏内からもかなり離れていて、すでに村やオアシスの類もなく、国境警備のネフテス空軍の駐屯所が広範囲に点在するにすぎない。

 しかし、見張りは欠かすわけにはいかない。行きのときのように、なんの前触れもなく怪獣の襲撃を受ける可能性は常につきまとっている。東方号はどんな遠方からでも発見は容易なほどの巨大船だ。ほとんどが視力のいいことで共通する鳥型の怪獣にとっては、見逃すわけもない目標と映るだろう。万一、バードンのような化け物クラスの相手に奇襲を受けたら東方号とてひとたまりもない。

 ただ、それは大幅に精神力を削る集中力と、なにより退屈に耐える根気がいる作業であった。寒風に耐えつつ、何もない空間を凝視し続けるのは、時間の経ち方を遅く感じてしょうがない苦行である。才人は、最初のときこそルイズやミシェルとたわいもない会話で気を紛らわせたが、すぐに無言になって虚空に目をやるだけの作業に戻ってしまった。

 時折、火酒や茶で寒さを紛らわせ、目を凝らし続けるだけの時間が無限のように過ぎていく。

 

 そんなとき、才人の目に東方号の前方に低く垂れ込める巨大な雲塊が映りこんできて、彼は伝声管に向けて叫んだ。

「艦橋、進路方向に雷雲を発見! 避けられたし、どうぞ!」

「了解した。高度を上げてやりすごす。今よりさらに冷えるから気をつけたまえ」

 コルベールの声が聞こえてきてから少したって、東方号は上げ舵をとって艦首を空に向けた。

 ぐんぐんと、プロペラ出力にものを言わせて上昇していく東方号。前方に壁のように立ちふさがる黒雲に挑戦するかのごとく、その頭上をとった東方号が水平飛行に戻ったとき、そこには海が広がっていた。

「うわぁ……」

「これは、まるで神の世界だ」

 感嘆し、つぶやきの声が風に流れていく。

 高く飛び上がり、雲の上の世界に出た東方号を待っていたのは、一面の雲に埋め尽くされた光景だった。

 すべての方向を見渡しても、下界に広がるのは雲のみ。その雲が月光を反射して明るく輝き、まるで海のようにうねりながらどこまでも広がっていた。

「空の上の、海……ね」

 それは、まさしく雲海。神話の世界で、神や天使が歩くとされる天上界の風景を、そのままここに再現したような幻想的な世界。東方号は、その海の上をゆっくりと航海している。

「船乗りの間では、幸運の印として語り継がれているそうだが、これほどまでとはな」

 ミシェルも圧倒されたようにつぶやいた。

 この星の赤と青の月光は、それを浴びる雲海にえもいわれぬ彩を加えて、反射光は真昼のように明るく雲上を照らしている。さらに、雲上なので頭の上にはさえぎるものはなにもなく、ふたつの月が輝く大宇宙が広がっていた。

 まさに、ハルケギニアならではの大絶景。地球ではありえない自然の大芸術に、才人だけでなくルイズやミシェル、そのとき起きていた面々すべてが圧倒されて息を呑んだ。

「ミス・エレオノール、すまないが全員を起こしてくれないか」

 艦橋で、眼鏡のくもりをふき取ってかけなおしたコルベールが言った。エレオノールもうなづいて、手すきの者は甲板に上がるようにと艦内に伝える。

 寝ぼけ眼をこすったギーシュたち、なにごとかと身構えた銃士隊が甲板に上がってくる。

 寒風が目を覚まし、次いで眼に入ってきたのは、この世のものとは思えない美しい光景。その絶景には、エルフたちすら目を見張った。

「おい、こりゃあ……」

「きれい、おとぎ話の世界みたい」

 魔法でも、科学でも作り出すことは不可能な光の世界。東方号は、その大いなる海の上を粛々と進んでいく。

「この船に乗った、すべての人たちへ」

 コルベールの声が魔法で増幅されて甲板に響いた。ギーシュたち男子や、ティファニアやモンモランシーら女子たち、ルクシャナたちエルフたちや銃士隊も思わず月明かりに輝く艦橋を見上げた。

 

「この船に乗った、すべての人たちへ。突然呼び出してすまない……しかし、その理由はもうわかってもらえたと思う。諸君、我々のこの世界は美しい。しかし、ヤプールの跳梁を許せば、この美しい世界は汚されて、二度と元には戻らなくなってしまうだろう……諸君、君たちは、それぞれに戦う理由を胸に秘めていることと思う。それでも、君たちは皆、この美しくてかけがえのない世界に守られて生きているのだということを、忘れないでほしい」

 

 コルベールの願いは、人間とエルフたちの胸に刻まれた。

 我々が、なにげなく生きているこの世界は、こんなにも儚く美しい。自分たちは、この世界を守らなくてはならない義務がある。

 名誉とか、意地とか、そんなものと引き換えにはできない、あって当たり前だが大切なもの。これを、ヤプールなどに、絶対に渡してはいけない。

 

 決意を新たにする若者たち。彼らの瞳は、今は曇りなく前を見据えている。

 

 だが、世界を背負っても、その手に掴みたいものも確かにあった。

 コルベールの言葉を聞き、身の引き締まる想いをした才人は、その想いをルイズに伝えようとした。

「先生、いいこと言うぜ。なあルイズ、おれたちはなにがあってもこの世界を……っと!?」

 才人の言葉は、右腕に抱きついてきたルイズにさえぎられた。なんのつもりかと問い返す暇もなく、ルイズは才人をきっと鋭い目つきで見上げて、こう告げた。

「サイト、あんたの志の高さは大切だと思うわ。でもね、それって進んで危険に突っ込んでいくってことよね? たとえ世界が救えても、あんたがいない世界なんてわたしにはなんの意味もないわ。あんたのぶんまで生きてやろうなんて思わない。あんたが天国に行くならわたしも行く。覚えておきなさい」

「ルイズ……」

 説得する余地など欠片もない、命をかけたルイズの意志の固さは才人の言葉を凍らせた。

 するとミシェルも。

「そうだな。わたしも今さらサイトのいない世界で生きたいとは思わないな……なあサイト、お前が自分より世界を大切に思っているように、世界よりお前を愛している女が少なくともふたりいることを、覚えておけ」

 誰よりもなによりも、あなただけを愛する。それは利己的だが、逆に宇宙でもっとも尊い利己心であろう。

 愛とは決して、一言で語りつくせるような単純なものではない。けれど、ひとつだけ確かなことがあるとしたら、愛とは理屈ではないということだろう。

「サイト、今なら何度でも言える。好きだよ、わたしはお前といっしょのときに一番幸せになれる」

 ミシェルはそう言うと、才人の左半身にぴったりと体を寄せて抱きしめた。

「ひ、え!? ミ、ミシェルさ!」

「酒の勢いだ。気にするな」

 そんなことを言われたって、鎧にまとっていてもトップモデルなみにスタイルのいい彼女に密着されたら、健康な男子がなにも感じないわけがない。さらに、甘えた表情を見せられると、大人の魅力と少女の弱弱しさが絶妙な割合で合わさっていて、庇護欲まで感じるようになってしまう。

 目を白黒、顔を赤くしてうろたえる才人。口からは、あわわなどと頼りない言葉しか漏れてこないところから、相変わらず女性に対する免疫はたいして進歩していないことがうかがえる。

「ちょっとサイトぉ!」

 もちろん、ライバルにここまでされてルイズも黙っているはずがない。ただし、可愛いという点では右に出る者はいないルイズでも、女性的魅力という面に関しては同年代の女性たちから圧倒的に引き離されているのは周知のことである。彼女の名誉のために細かいことは避けても、世の中には向き不向きというものがあることを自覚すべきであった。

「おいおい、サイトたち、またやってるよ」

 気配をかぎつけたのか、甲板からギーシュたちが見上げて笑っていた。彼らのあいだでは、もうこの三人のことはなかば名物になってしまってきている。

「あんた! いいかげん離れなさいよ、仕事しなさい!」

「寒いんだ。もう少し、ぬくもっていたい」

 不肖の弟子を見るようなギーシュ、うらやましい奴だなと他人事のように言うギムリやレイナール。仲がよくてうらやましいですと言うティファニアはややずれている。そして、ルクシャナに「いい男ってのは見てくれじゃないのよ」と言われて、困惑するアリィーを情けなさそうに見るエルフの騎士仲間たちと、才人は心ならずも笑いを振りまいていた。

 

 ルイズとミシェルに熱烈に迫られて、うろたえるしかできない才人。全世界の平和を守るという志も、この相手にはまったく形無しだった。

〔もうこうなったら、怪獣でも超獣でも宇宙人でもいいから出てきてくれぇーっ!〕

 しまいには、正義の味方としてあるまじきことまで考えてしまう始末である。

 だが、意地悪な運命の女神様もさすがに勘弁してやろうと思ったのか、才人の願いは少々形を変えて叶えられることになった。

 将来の嫁候補ふたりに挟まれてもだえる才人の視界に、ふと映りこんできた白い小さなもの。

「ん……? お、おぉ! おい、まわりを見てみろよ!」

「なによ? え、わぁ!」

「これは……雪、雪か」

 なんと、いつのまにか東方号のまわりを、純白にきらきらと輝く雪が舞っていた。

 そう、それこそ春の桜の木の下を歩くように、手を伸ばせば届くようなところを無数に舞っているそれは、月光を浴びてダイヤモンドダストのように神秘的な光を東方号に降らせていた。

「きれい……宝石の海みたい」

「なんだこりゃ……すっげえ……」

 女性も男性も、驚き疲れるほどに美しすぎる光景に、目も心も奪われて見とれた。

 しかし、ここは雲の上、普通に考えて雪があるわけはない。おまけに、雪は上から降るのではなく、眼下の雲から空へと舞い上がろうとしている。

 ティファニアは、たまたま近くに寄ってきた雪の欠片をじっと見つめた。

「これ、雪じゃない。生き物だわ」

 なんと、雪に見えたひとつひとつの結晶は、すべてが小さな純白の生物だったのだ。

 蛍のように、光りながら東方号のまわりを舞う小さな不思議な生き物たち。その輝きを見て、ルクシャナははっとしてつぶやいた。

「これ、スノースターだわ」

「なんだい? それは」

「古い文献で読んだことがあるの。見たものに幸運をもたらすって言う、空に向かって降る雪があるって。ほとんど迷信だと思ってたけど、

実在したんだわ。すごい!」

 興奮するルクシャナの前で、スノースターは雲から現れては空に向かってゆっくりと飛んでいく。

 伝説を目の当たりにしているという充足感、そしてなによりも筆舌に尽くせない美しさに、人もエルフも問わずに見とれ続けた。

「伝説の、空に降る雪か。おれたちは、本当についてるのかもしれないな」

「そうかもしれないわね。そういえば、スノースターに願いを託せばかなうって言い伝えがあるそうよ。蛮人の伝承だけど、試してみる?」

 ルクシャナの一言に、少年少女たちはわっと空に向かって手を合わせて祈りのポーズをとった。

 願い事はそれぞれなんなのか、人には誰だって未来への希望があるだろう。一部の考えがあけすけな者たちを除けば、それらの内容を明かすのは無粋であろうけれども、祈りそのものは誰もが無邪気であった。

 

 少年少女、大人たちにエルフたち。誰もが世界に抱かれて、明日への希望を胸に秘めて生きている。

 そして、スノースターの輝きの中で、才人たちも、ひとつずつ願いをかけていた。

「なあ、ふたりとも。どんな願いをかけたんだ?」

「世界平和」

「同じく」

 百パーセント嘘だとわかる答えをミシェルとルイズは返した。

 が、才人もここまできてふたりの考えが読めないほどバカではない。聞いてみたのは一応で、少々うぬぼれかもしれないが少しいたずらっけを出してみようかと思った。

「で、サイトはなにをお願いしたの?」

「ん? かわいいお嫁さん」

 ただ、これは少々悪ノリが過ぎたようだ。ふたりそろって後頭部を、「調子に乗るな!」とこづかれてしまった。

 「あいてて」と、殴られた箇所を押さえて顔を上げる才人。今頃になって自分の発言の失敗を悟り、こういうところが日本で自分がもてなかった原因なのだろうなとあらためて反省する。

「間違えた。おれも世界平和」

「しらじらしい。わたしより可愛い女の子がほかにいるわけないでしょ、冗談にしたって笑えないわ」

 才人は、それは自意識過剰だろと思ったが、さすがに地雷を二回連続で踏んだりはしない。ぐっと口を抑えて、我慢した。

 でも、才人はうそはついていなかった。本当は、願い事はいろいろあって決められなかったから、一番基本に戻ることにした。世界の平和がなければみんなの幸せもない。けど、かわいいお嫁さんがほしいというのも本音ではあるところが、才人の才人らしさであろうか。

 しかし、このままふたりにやられっぱなしで終わるのは、男としてどうにも我慢できない。

 そろそろと、ルイズとミシェルの背中から肩に手を伸ばして。

「よーし……それっ!」

「きゃっ!」

「うわっ!」

 なんと、才人はふたりの首に手を回して自分のところに引き寄せた。すかさず、三人の顔が密着しそうなほど近づいて、ルイズとミシェルの顔がみるみる紅に染まっていく。

「サ、サイ!?」

「お、お前。なんの!」

「あー、さっき飲んだ酒が今になって回ってきたなあ。こりゃ、明日にはなにも覚えてないかもしれねーな。というわけで……言いたいことをズバッと言うぞ」

 ごくりと、ふたりがつばを飲み込む音が聞こえた。

「うんっ! まだ愛してるとは言えないけど、おれはルイズもミシェルも大好きだ! この戦いが終わるときまでには、おれも必ず答えを出す。そのときにもし、まだおれのことが好きだったら……おれと結婚してくれ!」

「なっ!」

「へうっ!?」

 いきなりの、嫁になってくれ宣言は、それまで主導権を握っていたふたりの意表を完全についた。

 そして最後に才人は、酒の勢いだとなかば自分に言い聞かせて、ふたりの頬に一回ずつ唇をつけた。

「ひぅ! サ、サイトトトト」

「あ、あわわわわわわ」

「ははっ、そういえばおれのほうからキスしたのは初めてだったかな。ようしっ、じゃあ後は……さらばっ!」

 この後、照れ隠しと逆ギレしたふたりがどういう行動に出るかが容易に想像できたため、才人はふたりを離すと即座に逃げ出した。

 なお、結論から言えば、このときの才人の読みは完全に当たっていた。

 

「サイトぉぉぉぉぉっ!」

「よーしっ! なにはともあれ一発殴らせろ! 安心しろ、一発ですませてやるから!」

「はーっはっはっは! 今日だけは死ぬ気で逃げ切らせてもらうぜぇーっ!」

 

 不器用で未熟な愛の表現。悩み、苦しみ、それでも若者たちは毎日を明るく楽しく生きようとする。

 艦橋からあっというまに甲板に降り、おっかけっこをする才人たちを見て、ギーシュたちはおかしそうに笑った。

「がんばれサイト! 男の意地を見せろぉ!」

「ルイズがんばれ! バカな男に女の怖さを教えてやるのよ」

「副長ファイト! 気絶させて部屋に連れ込んでしまえば勝利ですよ!」

 陳腐でこっけいな光景。しかし、人から見れば笑われるようなことでも、彼らはいっしょうけんめい前を見て生きている。

 逃げる才人に、追うルイズとミシェル。不器用な三人はなかなか進歩しないが、少なくとも今日、彼らは一歩未来へと進みだした。

 はてさて、将来才人の隣でウェディングドレスを着るのは誰か? 未来は無限の可能性を見せて、誰にも答えようとはしない。

 

 そして、彼らを静かに見守る者がもうひとり。

 ウルトラマンA、北斗星冶は才人とルイズの心の中から、彼らの姿に自分の若いころを重ねていた。

〔そうだ、笑顔を忘れるなよ。子供は元気が一番だ!〕

 北斗は、エースと一体化する前から子供好きだった。TACに入隊した後も、子供と触れ合うことは多かったし、孤児院に顔を出したこともよくあった。

 子供が笑えないことほど悲しいことはない。エースは、北斗はそれぞれ孤児だったから、その悲しみをよく知っていた。

 でも、才人とルイズは悩み、苦しみはしても、最後には笑って終わらせる。笑顔を忘れず、まわりにも笑顔を振りまく。

〔君たちなら、ヤプールにも決して負けまい。そして、いつかきっと必ず、戦いを終わらせられるだろう〕

 すべてに決着がつく日は、恐らく遠くはない。それまで、想像を絶する苦難が何度も立ちふさがってくるだろうが、彼らならばきっとそれらも乗り越えていけるはずだ。

 

 明日の戦いに備え、今日はひとときとはいえ平和を楽しむ。

 笑いながら走っていく才人たち。それを見守る人たちの笑い声が、寒空を暖めていく。

 空のかなたへと去っていくスノースターの輝きに照らされて、東方号は西へ西へと飛んでいく。

 双月に見守られた、宝石のように輝く星。それをもっとも美しく輝かせる光は、確かに今ここにあった。

 

 

 第三部へ……



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第三章
第1話  ロマリアからの招待、新たなる闇の予兆


 ウルトラ5番目の使い魔 第三部

 第1話

 ロマリアからの招待、新たなる闇の予兆

 

 超古代竜 メルバ 登場!

 

 

 流れ出す溶岩、草木も寄せ付けない灼熱の岩石の大地。

 鳥も簡単には近寄れない標高を持つ高山がつらなる大山脈。

 ガリア王国と、ロマリア連合皇国の中間に、人間の非力を笑うように聳え立つ巨峰の群れはある。

 

『火竜山脈』

 

 ハルケギニアの屋根ともいえるそれを、人々は太古より畏れと敬意を持ってその名で呼び、夜空にも赤々と燃え滾る威容を見上げてきた。

 その峰峰の環境はハルケギニアでもっとも苛酷と言われ、頂上付近には火を吹く凶暴な火竜が住み、並の人間は近づくことさえできない。

 

 だが、その過酷な自然の要害の奥地に、不敵な笑みを浮かべて立つ一組の男女の姿があった。

 

「この場所でよいのだな? ミョズニトニルンよ」

「はいジョゼフさま。わたくしの魔道具にも、地底深くで脈動する巨大な生物の影が捉えられています。間違いなく、この場所です」

「そうか、ロマリアの小僧の情報は正しかったわけだな。わざわざ、こんな暑苦しい僻地まで来たかいがあったというものだ」

 

 飛行用ガーゴイルに乗り、ガリア王ジョゼフは暗い笑みを浮かべて、ある山の岩肌を見下ろしていた。

 周辺は、黒々とした岩盤がむき出しになり、周辺には硫黄ガスが立ち込めている。人間が地上に降りたら一分も持たずに窒息死してしまうだろう。

 さらには、常に微細な地震が続く危険な場所であり、火竜たちですらめったに近づくことはない。

 こんな危険地帯になにがあるというのだろう。だがジョゼフは、不敵な笑みを崩さずに杖を持つと、その先端を岸壁に向けて呪文を唱え始めた。

 

”エオヌー・スール・フィル・ヤルンクルサ”

 

”オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド……”

 

 それは、かつてルイズやティファニアが使ったものと同じ呪文だった。しかし、ふたりと違うのは、そこに込められた魔法力に暗い感情が満ち満ちていたことだろう。

 呪文が完成し、ジョゼフの杖の先から光がほとばしる。魔法の光は岸壁全体を照らし出して吸い込まれていき、次の瞬間岸壁は轟音をあげて崩壊をはじめた。

「ふむ、エクスプロージョンか。岩と岩とのつなぎ目を崩してやっただけでたいした威力だ。使いようによっては、いろいろと楽しむこともできそうだな」

「ジョゼフさま、危険ですので少し下がります。ご注意を」

 ダイナマイト数千発分の破壊を瞬時になしたにも関わらず、ジョゼフは興奮した様子のかけらもなく薄笑いを浮かべるのみであった。

 飛行ガーゴイルは、飛んでくる岩の破片を避けつつ岸壁から距離をとった。

 岸壁は轟音をなおもあげ、数万トンの岩塊を撒き散らしつつ崩れていく。

 しかし、崩れ行くその岩壁の奥から、甲高い鳴き声とともに巨大な翼竜のような怪獣が姿を現した!

 

「おお! あれが!」

「間違いございません。あれこそが、伝説の古代竜です!」

 

 山を打ち砕き、降り注いでくる巨大な岩塊をものともせずに怪獣は地上へ這い出してくる。

 赤黒い体に、鎌のような腕と尻尾、背中には皮膜を持つ強靭な翼が生えている。頭部はするどいくちばしがついており、目には凶暴そうなオレンジ色の光がらんらんと輝いて、さらに首から腹にかけてを白地に細かい黒い斑点模様が覆っている。

「ふふふ、なんと恐ろしげな姿よ。太古の昔、異界よりやってきて、その暴虐のあまりに地の底に封じられたという古の古代竜か。頼もしいではないか。この世を再び混沌と灰燼に返す最初の使者として、これほどふさわしいものはあるまい」

「ご覧ください。その咆哮に、尊大な火竜たちも恐れをなして逃げていきます」

 ジョゼフたちは、復活をとげた怪獣を愉快げに見下ろしていた。

 超古代竜メルバ、それがこの怪獣の名前だった。異世界において、空を切り裂く怪獣と呼ばれ、かつての古代文明を滅ぼした一角と言われている。

 だが、なぜジョゼフはその所在を知っていたのか。その裏にどんな意図が隠されているのか。

 そして、それが招く結果を当然認識できるであろうのに。そこには、とほうもない邪悪な意志が脈動していた。

 メルバは背中の翼を広げ、いままさに飛び立とうとしている。ジョゼフは、打ち付けてくる突風に身を震わせながら高らかに叫んだ。

「さあ、飛び立つがいい災厄の翼よ。そして我が同胞たちに祝福をくれてやるのだ! はっはっはっ、虚無の担い手の小娘たちよ。先日のサハラの件は楽しませてもらったぞ。エルフを懐柔するとは、まったく余の予想のはるか上をいってくれるものだ。しかし、余もそろそろもう一度舞台に立ちたいものでな。さあ、休息の時間はもうよかろう。ともに次なる歌劇の第一楽章を奏でようではないか!」

 ジョゼフの哄笑が火竜山脈にこだまし、世界は再び戦乱のちまたへと引きずり戻されようとしていた。

 

【挿絵表示】

 

 しかし、この世界を守る勇者たちは、まだそれを知らない。

 

 

 火竜山脈をはるかに遠く、トリステイン王国。

 アンリエッタ姫とウェールズ新国王の婚礼行事で賑わった国内も、ほとんどの行事がとどこおりなく完遂された今では平穏な日々が戻っていた。

 物語は、そのトリステインの魔法学院。その一角から再開される。

 

「次期CREW GUYS JAPANの優秀なる隊員、平賀才人の訓練生日誌。ハルケギニア暦ハガルの月、ヘイムダルの週、虚無の曜日っと」

 

 冬から春へと変わろうという、陽気さと穏やかな風が通り抜けて行くトリステイン魔法学院。その中庭の木立の影で、幹に背中を預けてノートパソコンを広げた黒髪の少年が、鼻歌まじりにキーを叩いていた。

 

『今日も魔法学院は平穏で平和だ。最近は冬の寒さもだいぶん和らいできて、日課の洗濯もだいぶんと楽になってきた。ルイズは相変わらず、雑用は当たり前のようにおれに押し付ける。まあ、おれもただメシを食わせてもらってる以上、働かざる者なんとやらだと思うんだが、毎度適当に脱ぎ散らかすくせはなんとかならないのだろうか? 毎日男子生徒も通る道を、女物の下着を抱えて歩くのは、もう慣れたけど気持ちいいものじゃないんだぞ』

 

 カタカタと、キーボードを打ち込む小気味いい音が才人の耳に流れていく。

 今日は、ハルケギニアでは休日にあたる虚無の曜日。学院は普段の生徒たちのにぎやかさがうそのように明るい静寂に包まれて、ときおり数名の足音が通り過ぎていき、小鳥や使い魔たちの声が遠くから聞こえる以外に、耳障りな音はなにもなかった。

 

『学院に戻ってきて、もう一月と少々か。そういえば、あのサハラへの大冒険から、早くも数ヶ月が経ったな。今思えば、よくあんなむちゃくちゃなことをやったもんだと思い出すたびに自分に感心するぜ。勢いで始めたことだが、冷静になって思うと冷や汗が出てくる。けれども、こうして元の学院生活に戻ることができた。ルイズには相変わらずこきつかわれるけど、やっぱり平和っていいもんだ。そうだ! 新年が明けて、早くもこっちの二月もなかばに差し掛かってきたことだから、今までのことをざっと振り返っておこうかと思う』

 

 

 才人はそこでいったん手を止めて、ぐっと首をあげて空を見つめた。

 

 

『サハラでの冒険を終えて、おれたちはガリア王国の無人地帯を経由して、無事にトリステインに帰ってきた。途中、懸念していたガリア王ジョゼフの妨害もなく、東方号はラグドリアン湖に着水した』

 

 思い出すようにときおり髪の毛をかきつつ、才人は一行ずつワードソフトの画面に記憶を再現していった。

 

『到着したおれたちを待っていたのは、トリステイン軍による捕獲だった。まあ、東方号を強奪して出てきたのだから当たり前といえばそのとおりなのだが、王女さまが手を回してくれたおかげで、数時間ほどで解放されることができた。なんでも、超極秘の特務にあたっていたとかなんとか。ほかにも、いろいろと書類仕事で偽装したらしいけど、小難しくてルイズはおれに聞かせても理解できないだろうって教えてくれなかった……確かにそうだけど、遠まわしにバカと言われたようで腹立つ』

 

『帰還したおれたちを、姫さま……いや、ちょうどそのとき戴冠式を迎えていたアンリエッタ姫は、女王さまとなって歓迎してくれた。トリステイン女王、アンリエッタ・ド・トリステイン。それが今のあの方だ。国民の前に立ち、神々しい姿で即位を宣言する姿は、この国の人間じゃないおれでもすげえって思った』

 

『でも、旅から帰ってきたおれたちを迎えてくれた女王さまは、おれたちと変わらない年頃の普通の女の子だった。世界のために、覚悟して送り出したんだろうけど、親友のルイズが元気に目の前に帰ってきたとき、涙を流して抱き合っていたのはよく覚えている。稀代の名君の器だとか、始祖が地上につかわした天使だとか、世間のうわさはいろいろと聞くけど、そんなことより優しい人だ。おれには政治なんてものは雲の上のことだけど、この人にならおれたちの行く末をまかせられるとそのとき思った』

 

 才人は、我ながら不敬だとは思ったが、かっこうをつけたところで不自然になるだけだと思って、苦笑しながらキーを進めた。

 

『それから先のことは、おれの頭の上でとんとんびょうしに進んでいった。ルクシャナの連れてきたエルフたちとの会見は、おれも同席したけど正直ちんぷんかんぷんで覚えていない。ただ、ルイズに聞いた話では、しばらくはエルフのことは秘密にして、エルフたちはハルケギニアの文化風習を学習し、それと並行して女王陛下やマザリーニ枢機卿など、秘密を知る者たちもエルフのことを学ぶ。そうした上で、信頼のおける者から順番に秘密を明かしていき、根回しができたところで国民にエルフとの同盟を発表するのだそうだ』

 

『気の長い話だが、ルイズに説明されると、まあ仕方ないんじゃないかと思った。人間とエルフの確執は、アディールでさんざん見てきたから二の舞はごめんだ。時間がないとはいえ、踏み違えればトリステイン滅亡につながるのだから、急いては事を仕損じるの精神でいくしかないってことか。そういえば、リュウ隊長も前に整備途中のガンフェニックスで出撃してひどいめにあったことがあったって言ってたよな』

 

『焦りは禁物。幸いヤプールの勢力にアディールで大打撃を与えられたおかげで、わずかだけど猶予はあるだろう。そうして、時期が来るまではおれたちは誰にもこのことは話すなと厳命された。そのおかげで、猛勉強したギーシュたちは不満そうだったが、しかたないものはしかたがない。けれど、解禁となれば休む間もなくなるだろう。そうなると、おれはシエスタやマルトーのおっちゃんたちに講義することになるのか。なんかけっこう複雑な気持ちだ』

 

 その光景を想像して、才人はまったく柄ではない自分に勤まるのかと苦笑いした。

 気がつくと、日記用のワードのページの上から下までが埋まっていた。才人は、けっこう長文になってしまったと思いつつ、最後の行に指を滑らせた。

 

『あとのことは、エレオノールさんやコルベール先生がいろいろやってくれてる。手伝いたいけど、こればっかりはおれにはなんにもできることはなかった。それに、先生は「学生は学業が本分です。本業に戻れるなら、一時たりとも無駄にしてはいけません」と、水精霊騎士隊は全員魔法学院へ帰らされてしまった。おかげで、東方号とかがどうなってるのかはおれたちにはさっぱりだ。けれど、ルイズたちとの日常が戻ってくれたのはうれしい。願わくば、この日常が少しでも長く続けばいいのに』

 

 

 そうして、才人は文章を読み返して、保存ボタンをクリックして一息をついた。

 木に背中を預けて空を見上げると、澄み切った青空の中をスズメに似た鳥が数羽飛んでいくのが見えた。

「平和だな……」

 とても世界に未曾有の危機が訪れているとは思えない。眠気を誘う暖かい日差しと、緩やかな風には緑の香りが共にやってきて、才人は小さな天国にいるような気分になった。

「おい相棒、こんなとこで寝たら風邪ひくぜ」

 脇から声をかけたのは、彼の愛剣のデルフリンガーだった。才人は、わかってるよと答えると、パソコンをスリープモードにして、たたんで小脇に抱えて立ち上がった。

 休日の魔法学院は、相変わらず人気が少なくて静かだった。

 石畳の道に、スニーカーの足音が小さく響いて消えていく。

 いつもと変わらない、静かで退屈で平穏な一日。時間がゆっくりと流れて、無限にこの時が続くんじゃないかと思えた。

 

 しかし、この世には良くも悪くも無限というものはない。才人の止まった時間は、聞きなれた叫び声で打ち砕かれた。

「サイトーッ! サイトここにいたのねっ!」

「うわっ!? ル、ルイズどうした!」

 突然目の前に飛び出してきた桃色の髪と、ぐっときつい眼差しで見上げてくる愛らしい顔。

 平穏を前触れもなくぶち破って、彼のご主人様のご登場であった。

「どこほっつき歩いてたのよ。さっさと来なさい。出かける準備をするわよ」

「出かけるって、トリスタニアへか? 今から出かけたら帰りは夜になっちまうぜ」

 才人は、出会ったときから変わることなく、こちらの意見を無視して引っ張っていこうとするルイズに呆れたように言った。

 だが、今回に限っては才人のあては外れた。ルイズはやる気なさそうな才人に向かって、平らに近い胸を張って驚くべきことを告げたのだ。

「違うわ、わたしたちはこれから東方号に乗ってロマリアに向かうのよ! 女王陛下の代理人として、教皇陛下に拝謁して祝福をいただいてくるのよ!」

「ロ、ロマリア!? どういうことだよ、おい!」

 才人はわけがわからないぞと叫んだ。ハルケギニアに来てけっこう経つ才人だが、ロマリアはまだなじみのない遠い国で知識もほとんどない。ブリミル教の大切さは、ある程度を肌で感じてはいても、やはりピンとこない。それに、教皇陛下とやらは以前にラ・ロシェールでちらりと見ていたが、祝福ならそのときに受けていたのではないのか?

 するとルイズは、唖然としている才人に言った。

「あんた何も知らないのね。ラ・ロシェールでの式典はあくまで婚礼の行事のため、本当は王位継承からなにからいろいろこなさなければいけない儀式があるの。でも、今は戦時にも匹敵する非常時だから、かなーり簡略化して短くおさめたのよ。教皇陛下だって、ほんっとに特別に来てくださったの。でも信徒たるもの、神と始祖への敬意をおろそかにしては国民へのしめしがつかないわ。けど、今女王陛下はどうしても国を離れられないわ」

「だから、代理として女王陛下のおぼえめでたく、名門であるヴァリエール家ご息女であるお前が選ばれたってわけか」

「珍しく察しがいいじゃない。ほかにも名門の神官や僧正方もいらっしゃるけど、これは大変な名誉よ! ただまあ安心しなさい。わたしとしては不本意だけど、水精霊騎士隊の連中も護衛として同行を命じられたわ。ほかにも銃士隊も今度は大隊規模で同行するって聞いたわよ」

「ほんとかよ! そりゃすげえな」

 才人としてはブリミル教の儀式とかはどうでもよかったが、またみんなといっしょに旅ができるというのがうれしかった。しかし、旅行気分になっている才人にルイズはしっかり釘を刺した。

「こーら、遊びに行くんじゃないわよ。ロマリアはブリミル教徒にとって第二の聖地に等しいとこ、下手な態度とってたら聖堂騎士団につまみだされるわよ。もしわたしに恥をかかせるようなことがあれば、ハシバミ草のしぼり汁を一気飲みさせるわよ」

「うわ、あのクソ苦いやつか、そりゃ断じてかんべんしてほしいぜ。けど、久しぶりに安全な旅になりそうだな。どうせもうすぐ春休みだろ? ヤプールもしばらくおとなしいし、やることすませたら観光してかねえか?」

「あんたの脳みそは二言目には遊ぶことが出てくるわね。まったく、この任務がどれだけ重要だかわかってるの」

 と、くどくどと説教してくるが、微妙にルイズの口元もにやついているのを才人は見逃していない。

 なんやかんや言って、ルイズも本音は自由時間が楽しみで仕方ないタイプということだろう。特にこのところは、授業が遅れていたぶんを取り戻すために猛勉強の日々だったために、娯楽に餓えていたのは実はルイズのほうが強いだろう。

 しかも、今度はトリステイン王国公認の巡礼旅だ。気苦労も多いだろうが、そのぶん前回の旅と違って追われたり、行く先から砲弾が飛んでくる心配はない。銃士隊のみんなも、プライベートではみんな気心の知れた仲なので、会うのが今から楽しみになってきた。

「あれ? でも銃士隊が大挙して国を離れて、女王さまの護衛は大丈夫なのか?」

「あんた忘れたの? 今のトリステインには鬼より怖い守護神がいるじゃない」

「ああなるほど、おっかさんね……」

 非常に納得した。あれには、正直勝てる気がしない。もし暗殺者がいるとしたら、心から同情を禁じえない。

 ともかく、自分たちが留守をしても心配がないのだとわかると、遠足前の子供の心理が湧いてくる。

 善は急げ、学院のほうにはすでに連絡がいっていたようで、休学手続きは問題なくとれた。しかし、あいさつに行ったオスマン学院長には、遊んでばかりいないで向こうでも自習しなさいとぐさりと言われてしまった。さすが腐っても学院長というか、遊び人ゆえに若者の考えなどお見通しのようだ。

 部屋に戻って旅支度を整え、今では慣れたもので準備は進んでいく。

「サイトさーん、どこか行かれるんですかー?」

「あっシエスターっ、ちょっと遠出してくることになったからピーターの世話を頼むなーっ!」

 ティファニアがアーハンブラから連れてきたピーターは、今では学院で世話されていた。なにせ、元々学院では多種多様な生き物が使い魔として生活しているので、大きなトカゲが一匹増えた程度ではどうということはない。

 シエスタはついていきたいとせがんだが、すでに乗船名簿は変えられないからとなだめた。

 そして翌日、マルトーから弁当を作ってもらい、リュリュに菓子をわけてもらった才人とルイズは水精霊騎士隊とともに学院を旅立った。

 

 

「さあ諸君! また我々の出番がやってきた。女王陛下のご期待に応え、我々の名をロマリアへも轟かせるため、いざ行かん!」

 例によって勇ましさだけは一人前のギーシュの掛け声に、ギムリやレイナールなどいつもの面々が答える。

 馬に揺られて街道を行くこと数日、期日までに着けばいい気楽な旅を一行はゆっくりと進み、途中の町や村で食道楽などを楽しんだ。

 そうして、のんびりとした道中を過ごし、一行は目的地であるラグドリアン湖下流の港町に到着した。

 

 

「おお、諸君よく来たね。うん、みんな元気そうでなによりだ。待っていたよ」

 うれしそうに出迎えてくれたコルベールの案内で、一行はさっそく東方号と再会を果たした。

「見てくれたまえ! 整備は万全、燃料糧食の積み込みもすんでいる。さらに内部も、以前よりもきれいに作り直してあるよ」

 今回は正式に船長に任命されたというコルベールの、得意満面な笑みの元、彼の傑作である水に浮かぶ鋼鉄の城郭はあった。天高くそびえる前艦橋、陽光を受けて鉄色に輝く勇姿。東方号はサハラで受けた損傷を完全に修復されていた。

 旧・戦艦大和の威容も蘇り、才人はやっぱり何度見ても惚れ惚れするなあと感心する。

 しかも、乗ってみて驚いたのが、内部がこぎれいにされていて、一瞬客船かと錯覚してしまったことだ。どうやら、トリステイン軍は東方号をいずれ対外政策にも使うことを考えて、外国の客を招いたときのことを考えたらしい。大人の事情だが、しかしそれぐらいを飲んでやらなければ、なかばだまして金と手間を出させたのだから報われないだろう。

 それに、今回は目的柄トリステインの重鎮も乗り込むことになるから、廃墟のような箇所が残されているのはかっこうがつかないと思ったのだろう。なお、木製品などは魔法で難燃化されているので万一戦闘になっても火災が広がる心配は少ない。なんにせよ、乗り心地がよくなるのは大歓迎であった。

 けれども、才人ら一行を喜ばせたのは、なにより見知った面々との再会だった。

「来たなひよっこども、腕はなまってないだろうな?」

 開口一番、厳しい言葉で出迎えてくれたのは、アニエス隊長と銃士隊の面々であった。以前に地獄の特訓でしごかれたことのある水精霊騎士隊のメンバーはそれだけで震え上がる。

「ふっふっふ、相変わらず生きだけはいい連中だ。楽しい旅になりそうだな」

「お、お手柔らかに……」

 今度は、前回は一個小隊しか乗り込まなかったが、ほぼ銃士隊全員が乗り込むことになっていた。すでに平民の女性のみで編成されているにも関わらず、赫々たる戦果をあげている彼女たちの勇名は随所に轟いている。今回の、巡礼団の護衛にはトリステインはそれだけ力を入れているということの、一種のアピールがそこにある。

「今回は、私が巡礼団護衛部隊の団長を命じられた。つまりお前たちは私の部下ということだ。存分にこきつかってやるからありがたく思えよ」

「は、はーい……」

 最後のほうはギーシュたちは蚊の羽音のような声になっていた。アニエスや銃士隊の隊員たちも、ここ最近は忙しくてストレスがたまってるだろうから、想像するだけで冷や汗が出る。この事態は想定していなかったと後悔しても後の祭り。

 なお、今回はそれだけにとどまらずに、新規の船員も相当数乗り込むことになった。このおかげで、飛ばすだけでやっとだった前回と違って、東方号は様々な分野で十全に力を発揮できるだろう。主砲以下の兵装の封印は、現在でも解く手段は見つかっていないが、この船を落とすことはさらに難しくなっていた。 

 

 むろん、銃士隊がいるということは、才人にとっては喜ばしくルイズにとっては闘志を燃やす相手との再会も待っていた。

「サ、サイト、あの、えっと。あわわわ」

「あはは、ミシェルさん、お久しぶり」

「あんたねえ、たった一ヶ月ちょいの再会だってのにどれだけ緊張してるのよ」

「き、緊張なんかしてないぞ。別に、楽しみになんてしてなかったんだからな!」

 顔を真っ赤にしてうろたえる彼女に、才人とルイズは苦笑した。ふたりとも、自他共に認める恋愛初心者だが、彼女もなかなか初々しさが抜けない。このあいだまでは、けっこう大人の魅力がついていたと思ったが、しばらく仕事で会えなかったから気持ちがリセットされてしまったようだ。

 しかし、内に秘めた闘志は別だ。ルイズとミシェルは、この旅で相手に決定的な差をつけてやろうと、心中で宣戦布告を交わしていた。

 

 さて、そういった熱い話はともかく、見知った顔との再会はこれだけではなかった。

「あっ、サイトさんにルイズさんだ。お久しぶりです」

「おーう、なんだ不景気な面をしてるわね。わたしたちがいなくて寂しかったかい?」

 礼儀正しくあいさつをしてきたティファニアと、さっそく冗談交じりの軽口をぶつけてくるルクシャナの姿に才人とルイズはほおの筋肉をゆるませた。今、ティファニアはルクシャナの助手としてアカデミーで働きながら、ハルケギニアのことを勉強している。来年度には魔法学院にも入学予定だ。本来なら、それまで会えないはずだったので、早めの再会にうれしさが湧いてくる。

「アカデミーの研究服も板についてきてるな。テファ、アカデミーの暮らしはどうだ? 誰かにいじめられたりしてないか」

「だ、大丈夫です! みなさん、とてもよくしてくれますし。マチルダ姉さんが子供たちを見てくれてますから、安心してお勉強できてます。ねっ、ルクシャナさん」

「まあね。素直だし働き者だし、よく気も利くし、能率は前より何倍も上がったわ。ま、テファに一目ぼれして言い寄ってくる男どもを追っ払うのには苦労してるけどね。この男殺しが、秘密兵器はコレか? このふたつの爆弾か」

「きゃっ! やめてくださいルクシャナさん。わたしはそんなつもりじゃあ……あっ、誤解しないでくださいね! 助手といっても、少しですがお給金が出るので、今では子供たちの養育費のちょっとだけですけど、わたしが稼いでるんですよ」

 それはすごい、と才人とルイズは感心した。こころなしか、以前よりもティファニアの顔も前よりもたくましくなったように見える。外の世界での豊富な経験が、感受性豊かな彼女の成長をおおいに躍進してくれているようだ。男子三日会わざれば活目して見よ、というのは時代遅れで、今は女子のほうもどんどん男子を追い抜いていく。

 彼女たちには、巡礼とは別件の任務が与えられているそうだが、それは今明かしてはくれなかった。

 ただ、前回と違って見なくなった顔もあった。

「ところで、エレオノール姉さまは? 呼ばれてないの」

「ええ、数週間前から、なにか特別な調査の依頼があったってアカデミーを留守にしてるの。詳しいことは知らないけど、優秀な地のメイジが必要なんだとか。名誉なことだわって、喜んでたからいいけど」

「間が悪いわねえ……ま、気楽だからよしとしましょうか」

 正直に言うと、あの厳しい姉がいなくてほっとしていた。ただ厳しいだけでなく、いまだに婿の候補もできない不満がこっちに来るのだから性質が悪い。黙ってれば、ほんと妹から見ても美人なのにもったいない。

 やがてティファニアとルクシャナも、ほかの知り合いとの雑談に移っていき、ふたりはあらためて甲板を見回した。

「いやしかし、ほんと見知った顔ぶればかりだな」

 どの方向に首を動かしても、水精霊騎士隊に銃士隊、ほとんどの名前と顔を知っていた。お偉いさんたちは自室にこもってしまったようで、気を使わなければいけない相手がいないおかげで、才人たちは自分の庭のように歩き回ることができた。

 どこも、以前と変わらないか、前よりも精悍に磨き上げてある。歩くごとに、この船での冒険を昨日のことに思い出すことができ、こみあげてくる懐かしさは、この船が故郷の日本のものであるからか。それとも、これが船乗りが船を愛する理由なのかは才人にはわからない。

 しかし、ひとつだけ言えることは、この東方号であれば、皆といっしょにどこへでも行ける勇気が湧いてくることだ。

 

 

 再び東方号に揃った、かつて世界を救った勇者たち。

 そして、東方号は全乗客の乗船を確かめると、新たな旅の空へと水面を蹴って飛び上がった。

「オストラント号、発進!」

 ラグドリアン湖を後に、進路は南へ。目的地はブリミル教の総本山、ロマリア連合皇国。

 

 

 航海は順調に進み、東方号は巡航速度でゆっくりとトリステインの空を飛ぶ。

 眼下を見下ろせば、トリステインの美しい風景が山のかなたまで続いている。

 空を圧するように飛ぶ巨大戦艦の威容は、地上にも大きな影を投げかけ、轟音に驚いて見上げた農夫や牧童は腰を抜かした。

 けれども、そのマストに翻るトリステインの旗を見ると、中には面白そうに手を振っている者もおり、才人やギーシュたちは答えて舷側から手を振り返した。

 春の日差しに甲板は暖かく照らし出され、ときおり鳥が甲板に舞い降りて翼を休めていく。もっとも、その横を銃士隊に絶賛しごかれ中の水精霊騎士隊がダッシュで駆け抜けていくと、慌てて雲のかなたへ飛び去っていった。

 何事もなく、まるで遊覧飛行のように気楽でのんびりとした船旅。才人たちの関心は親しい人たちとの交流から、ロマリアについてからの自由時間にまですでに飛んで、その度にルイズやアニエスにたしなめられていた。

 

 トリステインの領空を越え、東方号は南下を続ける。その間、何事も起こることはなく、平和な船旅はこのままずっと続くかと思われた。

 

 しかし、ロマリアへ向かうための最後の通過地点といえる火竜山脈に差し掛かったとき、彼らの甘い期待は微塵に打ち砕かれることとなった。

 マグマを吹く山脈を眼下に航行する東方号。その見張り員が叫んだ報告が始まりであった。

「艦橋へ! 左舷十時の方向に、異常な黒煙が見えます」

「なんだって? 火山の噴煙じゃないのか」

「違います。煙は山のふもと付近から出ています。大元は別の山陰に隠れて見えませんが、明らかに火山のものとは違います」

 艦橋に、さっと緊張が走った。

 すぐさま、付近一帯の地図が広げられ、コルベールとアニエスを含む艦橋にいた主要クルーが覗き込んだ。

「東方号の位置がここ……山をひとつ挟んで、鉱山町がひとつありますね。精錬に石炭を燃やしているのではありませんか?」

「いえ、煤煙にしても多すぎます。あの煙の量はもしや……進路変更を主張いたします」

 アニエスにもコルベールの目にもすでに笑みはなかった。新規に乗り込んだクルーたちは、いきなりなんだと困惑しているが、歴戦を潜り抜けた勘のようなものが両名にはあった。その命ずるものは、即断即決。

 コルベールの進路変更要請に、アニエスはうなずいたが、トリステイン政府から派遣されてきた巡礼団の団長の貴族は難色を示した。彼としては、大事を控えて面倒ごとに関わるのは嫌だったのだろうが、巡礼団長と船長と警護団長の三つの責任者のうちふたつが賛成した以上は多数決の論理が働く。

「進路取り舵、巡航速度から第一戦速へ」

「各員、警戒態勢をとれ!」

 ぐぐっと、東方号は船首を左に向けて速度を上げていった。

 同時に、船内には戦闘班員は部署につけの命令が響き渡る。銃士隊は反射的に反応し、水精霊騎士隊もびっくりしながらもおっとり刀で配属場所に駆けつけた。

 なお、その光景を巡礼団の貴族や神官は当然目の当たりにしていたが、いつもの訓練だと思って気にせずに部屋に篭ってしまった。皮肉なものだが、しごきの副産物で混乱は生じなかった。

 

 だが、山をひとつ越えて、黒煙の下に現れた光景は、一同が想像した最悪のものであった。

「なっ! 街が。なんだ、この惨状は」

 地図に記されていた鉱山町は、原型をとどめないほどに破壊され、すべての建物が激しく炎上していた。山を越えて見えたのは、町が燃える煙だったのだ。

「ひどい……まるで戦争の跡だ」

 並の破壊ぶりではなかった。大艦隊から艦砲射撃でも受けたかのような徹底的なまでの破壊ぶりは、舷窓から覗いていた才人たちだけでなく。戦場に慣れているはずのアニエスたちでさえ口を押さえつけるものだった。

「船を下ろせ! 生存者を救出する」

 沈黙する艦橋で、コルベールが真っ先に叫んだ。その独断ともいえる命令に、巡礼団の団長は「我々にはこんなところで時間を無駄にしている猶予はない」と抗議したが、コルベールは普段の温厚さが嘘のような苛烈さで怒鳴り返した。

「あの惨状を目の当たりにして立ち去って、いったいどんな祝福を神に求めろというのですか!」

 その剣幕と、アニエスら銃士隊の冷たい眼差しが巡礼団長の口を封じた。

 船体降下、救助用ボートを降ろす準備をしろと矢継ぎ早に命令が下される。東方号で直接着陸はできないが、コルベールはバラストとして船体に積み込んである水の放水準備を命じた。後は、あの炎の中で何人の人が生き残っているかわからないが、風石付きの浮遊ボートで下りて確かめるしかない。

「頼む、ひとりでも生きていてくれ」

 額に汗を浮かべながら、窓から燃え盛る町を見下ろすコルベールの後姿は悲痛だった。彼のその姿に、アニエスはなぜか奇妙な既視感を覚えたが、それがなぜなのか思い出せる前に事態は傍観を許さない速度で動き出した。

 炎に紅く照らされながら、ゆっくりと降下していく東方号。誰もが注意を下に向けている中で、ひとり己の任務を続けていた見張り員の声が悲鳴のように轟いた。

「か、艦橋! 右舷三時の方向から、なにかが近づいてきます。信じられないスピードです!」

「なに!?」

 とっさにその方向に視線を向ける一同。青い空に一点、黒い沁みのような物体がひとつ、みるみるうちに大きくなっていく。

「いかん! ぶつかるぞ!」

「面舵一杯! 緊急回避」

 ほとんど停止していた重い船体を、東方号はありったけの力で動かした。物体との距離はもうわずか、だめかと思われたその瞬間、艦橋の目と鼻の先をそいつは本当にスレスレで通り過ぎていった。

「なっ! あれは、ドラゴン!?」

「いや、でかすぎる。それに、あんな形のドラゴンなんて見たことがないぞ」

 間一髪、突進をかわした東方号の艦橋に動揺が走った。あのシルエットはまさしくドラゴンだ。しかし、火竜山脈に生息する火竜たちとは明らかに違う。なにより大きさだ。火竜はどうやったって、全長六十メイル近くになるはずがない。

 巨大竜はUターンすると、まっすぐ東方号を目指して迫ってきた。その目が光り、オレンジ色の光線が船体に当たって激しい爆発が起こる。

「うわあっ!」

「落ち着け! こんなものではこの船はビクともせん。くっ! 犯人はあいつだったのか」

 アニエスは艦橋の窓から憎憎しげに、その巨大なドラゴンの姿をした怪獣を睨みつけた。

 怪獣は、光線で東方号に致命傷を与えられなかったとわかると、光線を機関砲のように連射してきた。断続的に爆発が起こり、さしもの東方号も火炎と黒煙に包まれていく。

「まずい、これ以上はいくら東方号の巨体と装甲でも危ないぞ」

「反撃は!?」

「ムリだ。この船の対空兵装では威嚇くらいにしかならないだろう。いくつか新兵器は積んであるが、今は大勢の乗客を乗せているときだ。無茶はできない」

 交戦を考えるアニエスをコルベールがたしなめた。軍人の性として、真っ先に戦うことを考えてしまうのは仕方ないが、相手が怪獣クラスの相手では通常兵器では歯が立たないのは嫌というほど思い知っている。魔法でも、近づかなければ当たりはしない。

 ならば、悔しいが打てる手はひとつしかない。

「転進! 全速で逃げろ」

 コルベールの命令を、操舵士と機関部員は忠実に遂行した。アニエスは歯噛みしたが、今度は船長と巡礼団長も逃げることに賛同しているので、多数決の論理は向こうに傾く。

 燃え盛る町を背に、「すまない」と後ろ髪を引かれる思いで東方号は船首を翻して逃走に入った。水蒸気機関が全力でプロペラを回し、東方号は巨体からは信じられないほどの速度で飛翔をはじめた。

 だが、通常の火竜程度ならば振り切れるほどの速度を出しても、怪獣は少しも遅れずに追尾してきた。

「なんてスピードだ! うわっ!」

 光線の直撃で、東方号がまた激しく揺れた。

 だめだ、とても振り切れたものではない。奴が、この山脈を縄張りにするドラゴンの一種だとしたら、その範囲外まで逃げたら追撃をやめるかと思ったが、その兆候はまったくない。

 彼らは知る由もなかったが、その怪獣・メルバの飛行最大速度はマッハ六の超音速を誇り、イースター島から日本本土までほんの数時間で到達できるほどの能力を持っている。いくら東方号が速かろうと、プロペラでは音速の壁は超えられない。

 このままでは、山脈地帯から出てしまう。コルベールやアニエスは焦り始めた。人口の少ない山脈地帯ならまだしも、町や村の点在するふもとにまで連れてきては不用意に被害を拡大させてしまう。

「航海士! 現地点から、一番人口密度の薄い方面への進路をすぐに策定してください」

「ええっ!? そんなことをしたら、ロマリアへの到着が」

「構いません! 私たちのために大勢の人を巻き添えにすることはできません」

 コルベールの信念は強固だった。東方号は傷ついた船体を傾かせて旋回し、メルバはまっすぐに後を追ってくる。

 光線での攻撃は続き、東方号の被弾損傷は加速度的に増していく。船内では、ギーシュたちが必死になって消火作業に走り回り、銃士隊が戦闘にうろたえる新規クルーたちを叱咤していた。

 

 ピンチに陥った東方号。怪獣メルバの攻撃は続き、平和な旅行は一転して火祭りへと変わった。

 まだ戦うことのできない東方号。戦闘を想定しておらず、非戦闘員を乗せているために反撃に打って出ることもいかないジレンマに悩まされるコルベールたち。かつて、怪獣軍団を相手に獅子奮迅の活躍を演じた勇士たちも、手の届かない場所から一方的に攻撃してくる相手にはどうすることもできなかった。

 嬲るように、甲高い声をあげながら光線で東方号を火に包んでいくメルバ。奴の種族は、こうやって破壊を好きにし、文明を滅亡へと導き、この世界でもそれを再現しようとしていた。

 だが、いくら圧倒的な力があろうとも、それだけで人の心は闇に負けはしない。

「この程度のアクシデントなんか、ちょっとしたサプライズパーティみたいなものだ。水精霊騎士隊、気合入れろぉ!」

「おおぉーっ!」

 力及ばずとも、戦えずとも戦う方法はあることを彼らは前の旅でしっかりと学んでいた。

 火を消し、負傷者を医務室を運び込む。その地味だが重要な仕事を、彼らはしっかりとこなす。できることをやり抜く、それが苦難を乗り切るために必要なことなんだと信じて。

 

 そう、信じること。それが始まりであり、心の中の光を信じる限り、心は決して折れはしない。

「わたしたちはここで戦う。この船は、決して沈ませはしない。だから、お前の力を貸してくれ!」

 愛する者がいる限り、信じる者がいる限り、人は未来の希望に手を届かせるために走り続けられる。

 

 そして、期待に応えるために、光の戦士は今こそ立とうとしていた。

「さて、それじゃあやるかルイズ」

「ええ、この船にちょっかい出したことを後悔させてやりましょう」

 東方号の後甲板に立ち、メルバを恐れることなく強い視線で睨みつける才人とルイズ。

 メルバの光線がふたりを狙い済ませたかのように襲い掛かり、爆発の中でふたりの身は宙に投げ出される。

 しかし、その虚空の中でふたりは手をつなぎ、戦う意思とともに合わせたリングから光を解き放った。

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 まばゆい光芒が膨れ上がり、天空の暴君がごとく君臨していたメルバを吹き飛ばした。

 光は形を成し、平和の守護神、悪を通さぬ鉄壁の盾、銀色の巨人、ウルトラ兄弟五番目の勇者となって姿を現した。

「ウルトラマンAだぁ!」

 東方号の窓という窓から歓声が轟き、信じた希望が無駄ではなかった喜びを響かせる。

 けれども、体勢を立て直したメルバはエースを敵と見さだえ、凶暴な叫びをあげて向かってくる。

 これは容易な敵ではない。エースは自らの敵を見据え、魂を共有する才人とルイズと共に闘志を燃やした。

〔いくぞ! 用意はいいな、ふたりとも〕

〔おう、もちろんだ〕

〔いつでも、さっさと片付けてロマリアへ行くわよ〕

 ウルトラマンA対超古代竜メルバ、火竜山脈を見下ろす空で、大空中戦の火蓋が切られようとしている。

 

 

 だが、その戦いを、遠くから冷ややかに見守る複数の目があった。

 そのひとつはガリアに。

『ほお、やはり現れたなウルトラマンとやら。さて、あの狂信者どもの言うことがどこまで楽しめるか。まずは前座でお手並み拝見といこう』

 

 もうひとつは、ガリアでもトリステインでもないある国で、壮麗かつ清潔な聖堂の中にいた。

『ふむ、ジョゼフは私の言うとおりに仕組んでくれたようですね。これまでは我々の存在を悟られては面倒ゆえに、直接手を出しはせずに見逃してまいりましたが、我々のこれからの計画にはあなた方は障害になりうることが想像できますからね。ですが、同時にあなた方は利用価値も秘めています。その見極めをさせてもらいましょう。せいぜい、がんばってくださいな』

 

 刹那の平和の期間は終わり、休息の日々は過去に過ぎ去った。

 ハルケギニアの、世界の運命をかけた光と闇のウルトラバトルが今、新しく始まろうとしている。

 

 

 続く



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第2話  闇に包まれたハルケギニア

 第2話

 闇に包まれたハルケギニア

 

 超古代竜 メルバ

 破滅魔虫 ドビシ 登場!

 

 

〔いくぞ、怪獣!〕

 噴煙と溶岩をたぎらせる火竜山脈の上空で、ウルトラマンAと超古代竜メルバが激突して火花が散った。

 空中衝突で大気がはじかれ、衝撃波が噴煙を吹き飛ばし、山肌を揺るがす。その威力にはじかれたのは本人たちも同じで、ウルトラマンAは空中で体勢を立て直すと、きりもみから持ち直して旋回してくるメルバを見据えた。

〔やるな、てごわいぞ〕

 翼竜型の怪獣の例に漏れず、この怪獣は空中戦にはかなりの自信を持っているようだとエースは判断した。翼の皮膜をいっぱいに広げて、巨体からは似つかわしくないほど小さい旋回半径で進路をこちらに向けてくる。

 こいつは、今まで自分たちのいた地球には出現したことのない怪獣だと才人は判断した。ドキュメントSSSPからUGMまでと、アウト・オブ・ドキュメントまですべての怪獣の姿と名前を記憶しているが、一致するものはおろか類似するシルエットを持つものすら一体もいない。

 これが何を意味するかということは、このハルケギニアの特有の生物か、または別の世界からやってきたものだということのいずれであるにせよ、能力を先読みして戦うことが出来ないということだ。戦闘において、果し合いにせよスポーツ競技にあるにせよ、情報の有無によって有利不利は大きく変わる。

 さらに、未知の敵に対する緊張感。敵がどんな武器を持っているかわからないとなると、普通は警戒して本来の力を満足に発揮できなくなるが、彼らは違う。

〔エース頼むぜ! あのふざけた怪獣をぶっとばしてくれ。なにか企んでるようだったら、すぐ教えるからさ〕

〔そうよ。わたしたちの巡礼を邪魔してくれたむくい、始祖に代わって天罰を下してやるわ。平和を乱す奴は、絶対に許さない!〕

 ひとりではなく、共に戦う友がいる。応援してくれる誰かがいる。それが、勇気という力になるからこそ、ウルトラマンはどんな強大な相手にも立ち向かっていけるのだ。

 

〔空中戦なら、こちらも負けはしない。来い!〕

 

 エースは真っ向からメルバの挑戦を受けてたった。重力下での空中戦ならば、エースにも小さくない経験がある。

「ヘヤァッ!」

 向かってくるメルバと、エースの肉体が衝突してその度に雷鳴のような轟音が鳴る。強靭無比なウルトラ戦士のボディは、それだけで強力な武器へと変わる。初代ウルトラマンは空中体当たりでガマクジラとスカイドンを撃破し、ウルトラセブンはアイスラッガーさえ跳ね返すクレージーゴンの装甲を、自らを弾頭と化すステップショット戦法で撃破しているが、これらはウルトラ戦士の有する鋼の肉体があってこそ可能となる芸当だ。つまり、空中でウルトラマンと戦うことは、自在に飛び回る砲弾を相手にするのに等しいのだ。

 が、メルバも翼を持つ怪獣としてプライドがあるのか、エースを相手に一歩も引かずに、強力な武器になっているくちばしと鎌状になっている腕を振りかざして向かってくる。その威力は、まともに受ければエースといえども無事ですむとは思えない。

〔だが、翼があるからといって空中戦で有利だとは限らないことを教えてやる!〕

 エースの空中タックルがメルバに命中し、メルバはその特徴的な模様の腹に強烈な一撃を受けてのけぞった。

 どうだ! だがメルバはこれでもたいしたダメージを受けたようには見えずに、失速から体勢を立て直そうとしている。

 華奢な外見に似合わず、なかなかタフな奴だとエースと才人たちは感心した。実際、メルバの同族は高速飛行中に打ち落とされて、地上に激突させられてもたいしたダメージは受けなかった程度のタフネスさを備えている。かといって、相手も高速で動く空中戦で、うかつに隙の大きくなる光線技は使えない。

 つまりは、どちらかが弱って地上に落ちるか、大技を避けようもないほど動きが鈍るまでは肉弾戦しかないということだ。

「テェーイッ!」

 空中すれ違いざまのウルトラチョップが炸裂し、メルバの反撃のくちばしの突きがエースの首筋をかすめていく。

 

 超音速の、それも超ヘビー級の空中戦は戦闘機や騎竜での空戦などとは比較にならないほどの圧倒感をまわりに振りまく。

 生半可な動体視力ではマッハで飛び回る両者を捉えることすらままならず、なかば呆然とすることしかできない。

 

 だが、この戦いのギャラリーは、のんびりと戦いを見物だけしているわけにはいかなかった。

 炎上、撃墜寸前のところをエースに救われた東方号では、クルー総出で消火復旧作業がおこなわれていた。

「ウルトラマンAが怪獣を引きつけてくれている今のうちだ。みんな、がんばってくれ。ただし、決してムリをするな」

 船内にコルベールの、軍人では絶対に出てこないであろう気遣いのこもった声が響くと、彼の生徒たちは顔を見合わせて笑った。コルベールはつねづね、自分は艦長ではなく船長だと言っている。今ではコルベールの軍人嫌いは誰もが知るところで、生徒たちを部下として扱わねばならなくなる艦長となることを嫌がったからだと、周りの人間は察しをつけていた。

 ただし、コルベールの非凡な才能は誰もが認めている。東方号の建造をはじめ、ゼロ戦や、ヤプールの残した異世界のテクノロジーの理解についてのアカデミーでの研究成果などは彼によるところがあまりにも大きく、直接名を連ねてはいないがアカデミーでも高い評価を得ている。

 今回も、正規の空軍軍人を抑えてコルベールが船長に指名されたのは、いざというときに東方号をどうにかできるのが彼しかいないからであった。むろん、軍人たちは歯噛みしたが、逆にこの超巨大戦艦の艦長が自分に務まるかとなると、大半の者が尻込みするありさまだった。

 しかし、コルベールにとっては、たとえ自身の生涯最高の傑作といえど、生徒たちの生命には代えられないと思っていた。

「無理に火に立ち向かおうとするな! たとえ炎から離れていても、熱風は肌を焼くし煙は息をつまらせる。火の魔法の授業で習ったことを思い出すんだ」

 コルベール自身も火の系統のメイジである。炎の恐ろしさを説く口調には鬼気迫るものがあった。

 また、銃士隊もアニエスの指揮のもとで、船内を所狭しと駆け回っていた。新規のクルーを叱咤し、手が足りないところを手伝って、そのあいまにパニックになっている巡礼の貴族や神官を、有無を言わさずに装甲区画に『避難』と『保護』の名目で叩き込んだ。このあたりの冷徹さは、彼女たちが生粋の軍人ゆえだといえる。

 アニエスを頂点に、各小隊指揮官が連携し、円滑に進むように副長ミシェルがサポートする。その動きは、まるで完成された一個の機械のようで、軍人嫌いのコルベールも、なかなかのものだなと感心していた。

 船内で奮闘するコルベールの教え子とアニエスの部下たち。かつて、日本が最新科学の粋を集めて作り上げた船の中を女子供と魔法が駆け回るとは誰が想像したろうか、まったく運命というものは不可思議に満ちている。けれども、彼らの努力は何者にも否定できないとしても、東方号が受けた物理的なダメージは別のものだった。

「一番と四番のプロペラの動きが悪いな。たぶん、蒸気管のどこかがやられたんだろう」

「速度が半減してきてます。直せませんか?」

「直したいが今は無理だ。せめて、安全な空まで離れることができれば、止めて修理できるのだが」

 コルベールが、今にも止まりそうに息をつく左右のエンジンひとつずつを交互に見つめてつぶやいた。やはり、むき出しの水蒸気機関は東方号にとって最大のウィークポイントになる。宇宙人の円盤から流用した反重力装置だけでも、航行はできなくはないが、速度は大幅に削られてしまっている。

「今の東方号では足手まといにしかならん。一刻も早く、この空域から離脱するんだ」

 火竜山脈のど真ん中では不時着もできない。ウルトラマンAにはすまないが、コルベールは乗員の安全を優先するために苦渋の決断を下した。

 

 だが、かつて古代文明を滅ぼした、邪悪な超古代怪獣は逃げ去ろうとする獲物に対して目ざとかった。エースとの空中戦に集中しているかと思いきや、東方号が遠ざかっていくと、まるで頭の中でスイッチが切り替わったかのように、再度東方号を追撃してきたのだ。

「きゃああっ!」

 再び被弾し、揺らいだ東方号。床に投げ出されたティファニアの悲鳴が轟音にかき消され、やっと消し止めた炎がまた吹き上がってくる。

「テファ、大丈夫!?」

「は、はい……それよりも、今ので怪我をした人がいるかもしれません。みんなのところに行かないと」

 唇から漏れた血をぬぐってティファニアは立ち上がった。傷ついた人がいるなら助けてあげたい。その優しくも強い思いが、彼女に痛みを忘れさせて駆け出させていた。

 しかし、ティファニアの思いよりも、東方号を襲う脅威は救いきれないほどの怪我人を製造しようと迫ってきていた。

 メルバの破壊光線が東方号を襲い、鉄と木片を宙に舞わせ、上空へ向かって黒煙と火炎を吹き上がらせる。

 もちろん、東方号の窮地をウルトラマンAも黙って見てはいない。

 

「シュワァッチッ!」

 

 メルバのマッハ六を上回るマッハ二十の超高速で距離を詰め、背中からメルバに突進して東方号への攻撃を阻止しようとする。

〔これ以上やらせるかっ!〕

 東方号は、トリステインの、いやハルケギニアの将来を背負った大事な船だ。そして、それ以上に大切な仲間たちが乗っている。断じて、こんなところで落としていい船ではない。

 けれど、エースが助けに来ることがメルバの真の狙いだった。翼を使って強引にエースを振りほどくと、鋭くとがったくちばしをエースに向かって弾丸のように突き立ててきたのだ。

「グワアッ!」

 岩をも砕く威力のメルバの一撃をまともに受けてはエースもただではすまなかった。突かれた箇所を神経を焼き切られるような激痛が襲い、一方的にエースはやられる。その光景に、思わず東方号から戦いを見ていた水精霊騎士隊の少年からは「卑怯な奴め!」と、怒りの声があがるが、さらにメルバは追い討ちをかけるように目からの怪光線を至近距離から連打した。

「ウォォォッ!」

 オレンジ色の閃光と爆発が連続して、エースの体が大きく吹っ飛ばされた。かろうじて、数百メートル飛ばされたところで体勢を立て直し、失速墜落だけは避けられたものの、カラータイマーの点滅がはじまってしまった。エネルギーを消費する高速機動を長時間続けたツケが来てしまったようだ。

「フオォ……」

 赤く点滅し、危険を知らせるタイマー音が鳴る。さきほど受けたダメージだけでなく、スタミナが大幅に減少してきているのだ。もうだめだというレベルではないが、少なくとも余裕があるとは言いがたい状況だ。

〔まずいな、奴は東方号を人質同然に使ってる。これから先、自分が不利になったら東方号を盾に使ってくるだろう。やっかいな相手だ〕

 エースは、怪獣がこちらが東方号を守らなければならないことを感づいて、それを利用しにきたことを悟って言った。

 そうしているあいだにも、メルバは疲労とダメージで動きの鈍ったエースに怪光線を放ち、あわよくば体当たりしようと狙ってくる。空中戦において、速度はアドバンテージをとるための重要な要素だ。通常ならば、エースのほうが速いぶん有利に戦えるが、全速を出せばそれだけエネルギー消費は早くなる。

〔地上なら、あんな奴に負けやしないのに〕

 才人が、地に足をつけての肉弾戦ならば、怪獣を圧倒することもできるのにと悔しげにつぶやいた。

 過去にも、飛行怪獣との空中戦ではウルトラ戦士は苦戦を強いられており、ウルトラマンジャックは始祖怪鳥テロチルスとの緒戦において敗北し、ウルトラマンタロウもキングトータス・クイントータス夫婦の空中からの爆撃にやられている。

 光線には光線をと、ためしにブルーレーザーを撃ちこんでみたがあっさりかわされた。奴も、こちらの戦法を学習してきているようである。長引くほど、こちらが不利。

 心が折れはしなくとも、焦燥感は湧いてくる。ただし、困難に直面したときにより粘り強いのは女性のほうだ。

〔焦るんじゃないわよ。相手はちょっと大きいだけのドラゴンじゃない。わたしたち、あんなのなんか目じゃない強敵とこれまでやってきたじゃないの!〕

 ルイズの叱咤が、焦り始めていた才人の心の心臓に蹴りを入れた。

〔必ずチャンスは来るわ。あんたも男なら、あたふたしないでどっしりかまえてなさい」

〔わ、わかったよ〕

 なんか、ルイズの理想の男性像を押し付けられたような気がしたが、確かにルイズの言うとおりだった。なんというか、ルイズにはいろいろな面があるが、いざ覚悟を決めた後の芯の強さはやっぱり及ばない。才人は、自分が男なのにそういう面でルイズにかなわないことに少々の嫉妬と、おじけづいたら蹴り飛ばしてもらえる頼もしさを覚えるのだった。

〔チャンスか……〕

 あの怪獣を確実に仕留めるなら、なんとかして動きを封じなければダメだ。かといって、前にバードンやテロチルスにやったように空気の薄い高空におびき出そうとしても、奴はその前に東方号に照準を変えてしまうだろう。

 しかし、こちらがさっき罠にはめられてしまったのと同じく、奴も完璧ではないはずだ。手ごわい相手には違いないが、決して負ける相手ではない。

 

 そのとき、山脈が突然途切れてうっそうたる森林地帯が見えてきた。

「火竜山脈を抜けたんだ!」

 そう、戦いは長引いたが、そのおかげで広大な火竜山脈の山並みをついに越えていったのだった。

 これより先は、人の手のほとんど入っていない自然林の広がる森林地帯が延々と続く。東方号は、気流の不安定な山脈上空を抜けて、緩やかな降下をとりながら速度を上げて離脱をはかっていった。

 だが、せっかくの獲物と盾が離れていくのを悪賢いメルバが逃すはずはなかった。再び追撃してきて、今度は速度を殺そうとしているように破壊光線だけでなく、体当たりまでをも狙って猛スピードで迫ってきた。

 危ない! 超巨大なミサイルに匹敵するメルバの突進に当てられたら、さしもの東方号もひとたまりもないだろう。

 だがしかし、メルバは東方号に乗る人間たちの知恵と勇気を馬鹿にしていた。彼らは恥を忍んで離脱するつもりだったが、エースのピンチを見て、乾坤一擲の逆襲の機会をうかがっていたのだ。

 後方から急接近してくるメルバに合わせて、東方号前部にある重力制御室でギムリが、あるレバーに手をかけて待っていた。東方号の浮遊動力である宇宙人の円盤の操作方法のほとんどは未解明なものの、わずかに解明できた操作方法もあった。

「ギムリくん、いまだ!」

「はいっ!」

 コルベールの指示でギムリがレバーを操作した瞬間、反重力システムが作動した。東方号は惑星の重力から切り離されて、慣性を無視して垂直に五十メートルほど跳ね上がった。当然、中の人間はたまったものではなく、床や天井に叩きつけられて大勢が痛い目を見たが、東方号が先読みのできない垂直移動をおこなったことでメルバの意表をつけた。

 体当たりするつもりでいたところが、目標が消失してしまったことでメルバは勢いのままに東方号の真下に飛び出した。すかさず、重力制御がカットされたことで、今度は重力に引かれて東方号は落下する。すなわち、メルバの頭上へとだ。

「食らってつぶれろ! 必殺、オストラントハンマーだ!」

 ギーシュが、あまりセンスのよくない必殺技名を叫ぶと同時に東方号の船底がメルバに叩きつけられた。文字通り踏み潰されるような爆音が鳴り、ケタ外れの衝撃がメルバを襲った。メルバの体重も四万八千トンを誇るが、その倍以上の十万トン越えの鉄塊をぶっつけられてはたまらない。

 まさしく、ハンマーを受けたも同然の打撃を受けて、メルバは切りもみしながら墜落していく。東方号はかろうじて再度反重力生成に成功して持ち直したものの、船底部も含めて被害は甚大であった。しかし、その代償にメルバに多大なダメージを与えることに成功し、メルバがようやく墜落寸前で体勢を立て直せたと思ったそのときには、上空でエースが必殺技の体勢にはいっていた。

「いまだーっ!!」

 ここだ、このチャンスを逃したら同じ機会は永遠に巡ってこない。船内でシェイクされ、体の節々を痛めながらもコルベールたちは自分たちの作り出したチャンスに叫んだ。そして、それに応えないウルトラマンAではない。

「フッ!」

 腕を胸元でクロスさせ、エネルギーをチャージする。眼下に見下ろすメルバへ向けて、エースは両腕を縦に開きながら三日月状の光のカッターを生み出して撃ち放った!

 

『バーチカル・ギロチン!』

 

 悪を許さぬ正義の一刀ここにあり! 放たれたギロチンの刃はメルバにかわす猶予を刹那も与えずにその身をすり抜けていき、次の瞬間にはメルバは頭から尻尾の先まで全身を二等分されていた。

「勝った……」

 両断されたメルバは短く断末魔をあげると、地上に真っ逆さまに落ちていった。森林の中に巨体が消えていき、その後爆発が起きて木々が激しく揺さぶられ、次いで立ち上った黒煙の柱が怪獣の最期を証明していた。

 危険な怪獣だった……エースは正直にそう思った。強さとしてはそこまでではなかったが、なにか底の知れない闇のような、救いようのない邪悪さを内包していたように思えた。むろん、エースはその怪獣が別世界では文明の破壊者の一柱だったことを知る由もないが、超古代怪獣の底知れない闇の一端は、M78星雲のウルトラマンをもっても脅威を感じさせるものであった。

 しかし、苦闘ではあったが勝ちは勝ちだ。エースは東方号から聞こえる多くの歓声を聞き、ようやく勝ったという実感が湧いてきた。

〔彼らには助けられた。あの怪獣の敗因は、人間たちの力を見くびっていたことだな〕

 人間の底力は、ウルトラマンでさえ計りがたいものがある。科学レベルや文明の差で見下すなどとんでもないことだ。

 彼らには、まだ未熟だが大きな可能性がある。今回は、そのことをあらためて確かめることができた。

〔私がこの星の人たちに手を貸さねばならないのも、あと少しのあいだかもしれないな〕

〔えっ? エース、今なんて?〕

〔なんでもない。それよりも、君たちもそろそろ帰らねば怪しまれるぞ。さあ〕

 エースは、地球でのメビウスとGUYSの活躍を思い出していたのかもしれない。

「ショワッチ!」

 青空を切り裂き、ウルトラマンAの姿が消えて見えなくなる。

 そしてわずか後で、東方号の船内に才人とルイズは戻っていた。

 

「おいサイト! なにぼおっとしてんだ。まだ燃えてるとこあるんだから手伝えよ!」

「あっ! 悪い、今行く」

「ルイズ、船を下りるって騒いでる連中がいるの。ちょっとガツンと言ってやって」

「しょうがないわねえ。見てなさい、母さま直伝の交渉術を拝見させてあげるわ」

 

 あっという間に船内の喧騒にふたりは紛れていった。メルバから受けたダメージはまだ深く、東方号はよろよろと空中を進む。

「コルベール船長、船内の火災は鎮火のめどが立ちました。いやあ、頑丈ですねえこの船は」

「ああ……いや、乗組員のみんなががんばってくれたからだよ。でなければ、いくらこの船でもタダではすまなかったさ。負傷者がいたら、秘薬を惜しまずに使ってくれと伝えてくれ」

 艦橋のコルベールは、報告を持ってきた新参のクルーにそう言って、ほっとした様子を見せた。艦橋から見える煙も、いささか薄れているようにも見える。

「あの、船長。怪獣もいなくなったことですし、そろそろ進路を戻しませんか?」

「うむ、ここはどのあたりの空域かね?」

「ガリア南部、亜人などが多く住む森林地帯です。そのせいもあり、あまり人口密度は高くありませんが、このまま進むと目撃されてしまう可能性もあります」

「むう、それにあの怪獣に壊された町の救助にも戻りたいが……だがこのまま進路を戻して気流の荒い火竜山脈に戻ると修復作業に支障が出る。水蒸気機関の出力を落として、このままで先に修理をしてしまおう」

 コルベールも政治的な判断をしないでもなかったが、ここはガリア軍も目の届いていない辺境だったのでよしとした。それに、万一誰かに見られて通報されたとしても、それを受けて軍隊がやって来る頃には東方号は修理を終えてロマリアへと入っているだろう。後日問題にされたとしたら、しらばっくれるまでのことだ。

 

 

 だが、戦いの終わって安心する東方号を、ずっと監視している目はまだあった。

 ひとつは言うまでもなくガリア王ジョゼフ。彼はメルバを撃破したウルトラマンAの活躍を見て、なかなかおもしろかったと喜んでいた。

 そしてもうひとつ、それこそが真なる悪意を持って動き出そうとしていたのだ。

「ふふふ、がんばりましたね。まずは及第点をあげましょう。しかし、同時にやはり急いだほうがよいようですね。この世界を我々の使いやすいようにするために、そろそろ改造をはじめるとしましょう」

 そのとき、遠くの空が黒く歪み、異世界へとつながるワームホールが口を開けた。

 

 

 その数十分後……東方号。順調に修理を続けるその中で、外部の見張りを続けていたクルーの目に、異常なものが映りこんできた。

「ん? なんだ、黒雲? 嵐でも来るのかな……いや、なんだ! か、艦橋!」

「どうした! また怪獣か?」

「いえ、雲が! 南から変な雲がすごい速さでこっちに! と、とにかく見てください」

 コルベールたちは、「雲?」と怪訝な表情を浮かべながらも、見張り員の尋常ではない声に窓から南の空を見上げた。そして、絶句した。

「なっ、なんだあれは!」

 それは黒雲、と見えるが明らかにそんなものではない何かだった。

 雷雲とも違う、空を埋め尽くすなにか黒いものが、とてつもない速さでこちらに向かって広がってくる。自然界ではありえないその速度に、コルベールは一瞬、アディールで見たヤプールの闇のエネルギー障壁を思い出したが、それとも違っていた。

 望遠鏡から覗くそれは、近づくにつれて雲ではない正体を見せてきた。

「鳥? いや、なにか小さな物が寄り集まっているのか。いかん、降下だ! この高度のままでは巻き込まれる!」

 だが、その指示は遅かった。黒雲のようなものは、高高度を飛んでいた東方号の真上を埋め尽くして通過していくと、その下部にいた東方号にも影響を及ぼしていった。黒雲を構成する無数の物体が、すさまじい速さで船体に激突してきたのである。

「これはいったい!? どうなっているんだ」

 艦橋の窓は黒く塗りつぶされて何も見えない。耳に響いてくるのは、なにかが東方号の船体に無数にぶつかるガンガンという音ばかりである。まるで鐘の中に入れられて、四方八方からハンマーで殴られているようだ。

 しかし、床がぐらりと揺れる感触とともに伝声管から響いてきた声だけは、確かにコルベールの耳に届いた。

「こちら機関室! 水蒸気機関が、うわあぁぁっ!」

 コルベールには、その悲鳴だけでじゅうぶんわかった。今の船が推進力を失ったような感触は、水蒸気機関がすべて止まったという証にほかならない。この雹の嵐のような中で、どこかが破壊されてしまったのだろう。けれども、凶報はそれにとどまらなかった。

「せ、船長ぉ! フライを作る装置が、ぼ、暴走」

「なんだって!」

 今度はコルベールは鏡を見なくても、自分の顔が青ざめているのを実感できた。

 フライを作る装置、それはすなわち反重力制御装置のことだ。この東方号の巨体を浮かせているそれが制御できなくなったとしたら、辿る道は子供でもすぐに理解できるだろう。

 たちまちのうちに、東方号は船首を下げて急速に高度を下げ始めた。

「まずい! 船首を上げろ。少しでも降下速度を緩めるんだ!」

 一瞬で反重力が消滅しなかったのがせめてもの救いだった。緩やかに減少していく浮遊力に抗わせて、東方号はなんとか墜落だけは免れようと死力を尽くす。しかし、すでに船体は制御不能で、降下速度はみるみる加速して小さな山をひとつ越えふたつ越え、やがてどこだとも知れない森林の上へと突っ込んでいった。

「全乗組員に告ぐ! 本船はこれより不時着を試みる。なにかに掴まれ、とんでもないショックがきますぞ」

 もう再浮上は不可能だ。コルベールは東方号を救うためにいちかばちかの賭けに出た。紙飛行機のように鋭い角度で、しかし確実に東方号は落ちていく。あと、二百メートル、百五十メートル……と、そのとき落下していく進行方向に小さな村が見えてきた。

「まずいっ! あと少しがんばれ、東方号!」

 人家の上にでも墜落したら目も当てられない。東方号は残った力を振り絞って高度を保とうとし、かろうじて村のギリギリ上をかすめて飛び去った。

「落ちるぞぉ!!」

 ここまでが限界だった。東方号は猛烈な速度で森の中へと突っ込んだ。

 巨体になぎ倒され、森の太い木々がようじのようにへし折られ、根っこごと引き抜かれて吹っ飛んでいく。

 同時に船内には激震が走り、這っていても床から弾き飛ばされるほどの衝撃が全員を襲って、好きなようにもてあそんだ。

 

 

 が、東方号はその衝撃に耐え切った。森の一角をたがやした畑のように変え、それでも耐え切ったのである。

 

 

「う、ぐぅ……みんな、大丈夫か」

 東方号は、右に傾く形でやっと止まっていた。コルベールは立ち上がって周りを見回すと、艦橋にいた誰もがなんらかの怪我を負っていた。艦橋に来ていたアニエスも、受け身を取りきれなかったとみえて肩をさすっている。

 この様子では、船内には打撲傷の患者が大量に出ていることだろう。その証拠に、各部署からの報告にも苦悶の声が混じっていた。幸いなのは、悪くても骨折や捻挫程度で、命に関わるような重体患者は出ていないことだろう。

 船内では、散乱した調度品などを踏み越えて、救護活動が始まっていた。といっても救護班員も負傷しているような有様であったから、軽傷の者が率先して手当てに当たっている。才人も、ルイズにおでこにできたたんこぶに湿布を貼って貰い、ルイズの腕に包帯を巻いていた。

「ありがと、だいぶ楽になったわ」

「へたくそで悪いな。やれやれ、こんなことならシエスタに来てもらうんだったかな。万一のことを考えて、連れてこなかったけど……」

 失敗だったかなと才人は思った。こういうとき、シエスタならみんなのあいだを駆け回って、怪我した人たちをはげましてくれたろう。

 それにしても、犠牲者が出なかったのだけは本当に幸いだった。

 それに、東方号も見回した限りでは、怪獣にやられた損傷はともかく、不時着によって大きな被害は出していないらしい。飛び立てなくては意味がないが、その巨体でみんなを守り抜いてくれた。

 しかし、ほっとする間もなく、クルーの恐怖に震えた声がコルベールの目を窓の外の空に向けさせた。

「せ、船長! 見てください。囲まれています!」

 なんと、いつのまにであろうか。東方号の周辺は、背中に翼を生やした亜人たちの集団によってすっかり取り囲まれてしまっていたのである。

 

「これは、翼人たちか!」

 

 コルベールはとっさに叫んだ。翼人、ハルケギニアに様々な種類が住む亜人の一種である。姿かたちは人間の背中に白鳥のような翼が生えていて、それで空を自在に飛び回る。性格はオークやトロルのように好戦的ではなく、むしろ人間と同等以上の知性を持つ理性的な種族であり、人間側から手出ししない限りは危害を加えてくることはない。

 ただし、エルフほどではないが、強力な先住魔法を使いこなすために、一級のメイジでもまともに戦うのは分が悪いと言われるほどの強さを持っていて恐れられている。東方号を取り囲んでいるのは恐らくは戦士階級だろう。身につけているのは簡素な布の服だけだが、鋭い目つきに引き締まった肉体、一見で強そうなのが見て取れる。

「数はざっと四十人前後。いや、姿を現していない者を入れたらもっといるだろう。これは……怒っている、わなあ……」

 人間、どうしようもなく最悪にぶち当たると笑うしかないらしい。はははと乾いた笑い声を漏らし、それでもコルベールは東方号を取り囲んでいる翼人たちを見た。

「蛮人ども! このようなもので我々の森を壊すとはどういう了見か! 出て来い! 罪にふさわしい罰を与えてやる!」

 当然の怒鳴り声が響いてきた。それはそうだ。いきなり自分たちのすみかを壊されたら翼人でなくたって怒る。

 コルベールは、話を聞いてもらえるかの自信はまったくなかったが、とにかく外に出て話しかけた。

「待ってください翼人の皆さん! あなたがたのお怒りはもっともです。ですが、我々もここに落ちてしまったのは事故なのです。賠償はいたします。ですからここは、怒りをお静めください!」

「黙れ! お前たちのおかげで何百本の木々が倒れたと思う。古来より、先祖の守りし我らの宝をここまで荒らしてくれた罪は、もはや貴様らの死によってあがなうしかない!」

 とりつくしまもなかった。悪気はなかったといっても非はこちらにある。自分たちでいうなれば、いきなり魔法学院を壊されてしまったようなものである。怒らないほうがどうかしている。

 アニエスたち銃士隊でもかなう相手ではない。巡礼団の団長殿は泡を吹いて卒倒してしまっている。

 しかし戦いだけは絶対に避けないといけない。コルベールはなんとか全面攻撃だけは避けようと努力した。

「待ってください! 責ならば、船長である私がおびます。私の首でなんとか、この場だけはお納めくださいませんか」

「だめだ。お前たち全員の首でなくてはならない。せめてもの情けで、戦う資格だけはくれてやる。出て来い!」

 本来温厚なはずの翼人がここまで怒るとは、彼らにとって東方号が壊してしまった森がいかに大切だったか。

 

 せっかく墜落からは助かったのに、こんなところで自分たちの旅は潰えてしまうのか。今にも、いっせいに先住魔法を繰り出してきそうな翼人たちを、悲しげにコルベールは見つめた。

 

 だが、奈落に転落しかけていた状況を、この場に似つかわしくない若い女性の声が止めた。

「待ってみんな! 精霊の力を怒りのままに使ってはだめ! この人たちも怪我をしているわ。落ち着いて!」

 それはまったくの火事場の慈雨であった。驚いて声のほうに目をやると、血気にはやる翼人たちを抑えるように、ひとりの若い女性の翼人が飛んでいた。どうやら、翼人たちの中でも地位の高いところにいる方らしく、翼人たちはとまどいながらも包囲陣を解いている。

 ほっとした。これでどうやら、最悪の事態だけは免れられたようである。ただし、コルベールたちにとって命の問題より驚くべきことはこれから待っていた。

「アイーシャ! 危ないよ、下りておいで! ここは戦士のみなさんにまかせよう!」

「ヨシア、ダメよ! なにかあってからでは遅いの。争いあったって悪いことにしかならないって、みんな知ったじゃない」

 なんと、下から声がしたので見下ろすと、森から青年が翼人の女性に向かって叫んでいた。が、コルベールたちがびっくりしたことは、彼は翼人の仲間ではなくて、普通の人間だったということだ。おまけに、彼の周りにもおっかなびっくりで東方号を見上げる人間の村人たちがいた。

「に、人間と翼人が? どういうことですかな、これは?」

 さしものコルベールも見たことがすぐには信じられなかった。生活圏を隔絶しているのが常識の人間と亜人が、当たり前のようにいっしょにいるとはなにがどうなっているのか。

 

 

 混乱する現場が一定の落ち着きを取り戻すまで、それからまだ数時間ほどの猶予を必要とした。

 

 

「エギンハイム村……人間と翼人が共存する場所、そんなところがあるなんて夢にも思いませんでした……」

 不時着から数時間後、案内された村長の家で説明を受けたコルベールたちは、感心したようにため息をついていた。

 そう、ここはガリア王国にあるエギンハイム村。かつて人間と翼人が対立し、さらにはムザン星人をはじめとする怪獣たちによって襲われた。しかし、種族を超えて協力しあった勇敢な人々によって怪獣たちは退けられ、村はふたつの種族が共存できるように変わったのである。

「我々の知らないところで、そんなことがあったとは驚きました。しかも、あなた方は人間と翼人で夫婦とは」

「いや、お恥ずかしい。一時はかなわぬ愛かと思いましたが、ある方々のおかげなんです。先ほどはどうも失礼いたしました」

「ヨシアったら、だから言ったじゃない。まずは、勇気をもって話しかけてみるべきだって。あなた方も大変だったようですね。森が壊れてしまったことは、確かに心が痛いですが、後のことはなんとかできるめどが立ちました」

 コルベールたちを招いたヨシアとアイーシャの夫婦は、極めて温厚な態度で一行をもてなした。

 このふたりも、あのときに仲を認められずに苦悩していたが、紆余曲折の末に村人と翼人たち全員から祝福される結婚式をあげれていた。あれから、ふたりとも仲むつまじい夫婦として、翼人と人間の架け橋となるために頑張ってきたのだ。

 一方、墜落した東方号は翼人たちの協力もあって完全に鎮火に成功し、今ではわずかな白煙をあげるだけになっている。船内は相変わらずひどいものだったので、銃士隊が残ってクルーたちを指揮して片付けをしていた。巡礼団たちは、予想外の事態の連続にまいって、ほとんどが自室に引きこもってしまっていた。

 ここにいるのは、コルベールととりあえず手すきになった水精霊騎士隊などの面々である。彼らも、アディールで異種族との交流には慣れていたつもりであったが、平然と人間と翼人が同じように生活しているのを見ると驚きを隠せなかった。

「世の中は広いものだなあ」

 だいたいの感想はその一言に集約された。翼人たちの先住魔法のおかげで、怪我人はあっという間に回復して、全員が今ではピンピンしている。彼らはこちらでの仕事をしているのだが、ネフテスでの経験に匹敵する大事を目の当たりにして、ハルケギニアでもこんなことがすでにあったのだと、目からうろこが落ちる思いをしていた。

 

 エギンハイム村の人々にも東方号の事情は説明され、彼らは見慣れないトリステイン人にも関わらずにきさくに接してくれている。亜人と共存することに比べたら外国人などたいした問題ではないということなのだろう。彼らに対しては、森を壊した侘びとして、東方号に積まれていた金銭や、ロマリアへの寄贈品の一部を渡すということで交渉が成立していた。

 なお、交渉が難航するものと思われていた翼人とのあいだには、東方号にいたもうひとつの別種族が助け舟となってくれた。

「ちょっと待って、翼人の方々。その人間たちは、なりはさえないけど殺されちゃ困るのよね」

「お前たちは……エルフか! なぜお前たちが人間と行動をともにしている!?」

 ルクシャナをはじめとするエルフたちが正体を明かし、仲裁に入ってくれたことがとにかくも幸いであった。こちらが人間と翼人の組み合わせに驚いたように、向こうにとっても人間とエルフの組み合わせは相当な驚きであったようだ。

 コルベールの言うことには耳を貸さなかった翼人たちも、アイーシャのとりなしと、エルフたちの存在には落ち着きを取り戻してくれた。

「わかった。同じ、大いなる意志の声を聞けるエルフたちの言うことならば信用しよう。我らは侵略には断固として戦うが、悪意のない者には無益な戦いを好むものではない」

 翼人たちは、荒れてしまった森の再生にエルフの助力を得られるということでどうにか納得してくれた。なにせ、砂漠に大都市を築くほどの能力を持つのがエルフたちだ。翼人たちから見ても、その力の魅力は大きかっただろう。

 彼らは、東方号が怪獣に襲われて不時着したことを知ると、自分たちも同じ経験をしただけに温かく迎えてくれた。ヨシアとアイーシャの夫婦をはじめ、いまではすでに数組の翼人と人間のカップルが出来ており、彼らによるもてなしは傷ついた東方号のクルーたちにとって大きななぐさめになったのは特筆しておくべきことだろう。

 

 

 ただし、不時着の騒ぎで一時忘れられていたが、空を埋め尽くし、いまや夜のように太陽を隠してしまった不気味な黒雲のことを思い出すと、ほっとしていた空気もまた暗く塗り替えられていった。

 上空で東方号を襲い、墜落に追い込んだ黒い雲塊。その正体は、水蒸気機関の吸気口から入り込み、中に詰まって死んでいたそれを引きずり出したときに明らかになった。

「ミスタ・コルベール、見てください。こいつが、こいつらがあの黒雲の正体ですよ」

「うむ……これは、虫、虫か? しかし、こんな大きくて、おぞましい虫は聞いた事もない」

 それは、全長六十センチはあろうかという巨大な甲虫であった。こいつが大挙してエンジンに飛び込んできたことで、東方号はすべての機関をつぶされて墜落に追い込まれてしまったのだ。雲に見えたのは、蝗のように大群をなしていたからであった。

「しかし、あの雲がすべてこの虫だとしたら、いったい何億、何兆の数が……そして、これほどの数がいったいどこから? なにか、とてつもなく悪いことが起ころうとしているような気がする」

 コルベールは、視界を埋め尽くす虫の黒雲を見上げて、暗然とつぶやいた。

 

 

 だが、事態はすでに動いていた。虫が来たのと同じ方角から、東方号のあるエギンハイム村へ向けて、一直線に飛ぶ巨大な物体があった。

 銀色に輝き、生き物とも機械ともつかない不可思議な形をしたそれは一体なんなのか。確かなことは、新たな危機が避けようもなく迫り来ているということだけである。

 

 

 続く



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第3話  たどり着いた翼人の里、金属生命体来襲!

 第3話

 たどり着いた翼人の里、金属生命体来襲!

 

 金属生命体 アパテー 登場!

 

 

 ガリア王国、アルデン地方。都市圏を大きく離れ、黒い森と呼ばれるうっそうとした原生林が広がるここに、世界で唯一、人間と翼人が共存するエギンハイム村はあった。

 怪獣メルバとの交戦と、謎の昆虫群の襲撃にあって墜落、不時着を余儀なくされた東方号。騒動には恵まれたものの、心ある人たちのおかげで村人と翼人の助けを受けられて、一行は傷ついた体と疲れた心を癒していた。

 しかし、空を埋め尽くし、太陽光さえもさえぎってしまった黒い昆虫の群れはなおも彼らの頭上にある。不気味に漂い、いっこうに消える様子もない正体不明のそれに不安をかきたれられながら、一行の胸中にはかつてない凶事の予感が渦巻き始めていた。

 

 

 東方号の墜落からおよそ半日後……普段ならば静まり返り、風のほかには鳥や獣の声がまれにしか聞こえないようなライカ欅の森の中。機械を扱って起きる金属の音が不釣合いに軽快に響き渡る。

 墜落した東方号を、なんとか飛ばせられるくらいには修理しようと、コルベール主導での突貫工事が総出で急がれていた。

「エギンハイムの皆さん、どうもお騒がせして申し訳ありません。なんとか数日中にはどかせられるようにしますので」

 許してもらえたとはいえ、他人の土地にいつまでもお邪魔しているわけにはいかない。それに、なんといっても東方号はトリステインの財産であり、一行にとっては移動手段であって家だった。いくら壊れかけていても、打ち捨てるなどということは到底できず、手漉きの人間全員で修復に当たっていた。

「こいつはひどいな、積み込んである予備の部品じゃあ、全部を直すのは到底無理か。どのみち一回はトリステインに戻らないといけないな」

 壊れた四基の水蒸気機関を見て周り、修理の見積もりをしていたレイナールが隣のギムリに独り言のようにつぶやくと、彼も頭をかきながら答えた。

「ああ、右の一番はプロペラが吹っ飛んで、左の四番は水蒸気機関そのものがはじけとんでしまってる。こいつはもう、新しくつけかえるしか方法はねえぜ。しっかし、なんとか右の二番と左の三番は形を保ってるから、あれしだいだろうな」

「全部が壊れてたら、それこそ浮かせられても亀が這うような速度しか出せなかったから不幸中の幸いだね。なにせ、ここはガリアの勢力圏の真っ只中だ。東方号を、ガリア軍に進呈してやるわけにはいかないよ」

「東方号を、無能王に分捕られましたじゃ女王陛下にあわせる顔がないもんな。ロマリア行きは、この調子じゃ中止だろうし、まったくついてねえぜ」

 残念な顔と、ほっとしたようなため息がふたり同時に流れた。

 この状況で救いどころがあるとしたら、ここがガリアの辺境でよかったということくらいだろう。もしも人間の多いところであれば、ガリア軍に通報されて全員揃って一網打尽……笑い話ではすまなかった。

 

 村でも、東方号に積んであった金品で食料品などとの売買が進んでいる。東方号が墜落したとき、厨房もめちゃくちゃになってしまって、まともに食べられるものがほとんどなくなってしまったのだ。

 これに関しては、銃士隊の補給班の受け持ちであったのだが、意外な人物が才覚を発揮した。ティファニアである。

「どうだいお嬢ちゃん、この野菜は今が旬でうまいぜ。安くしとくぜ」

「待ってください。ほら、この裏の模様が濃いのは芯が多くて食べられるところが少ないんですよ。この値段ではまだ高いです」

 こういうふうに、農家と互角以上の知識を発揮して値切り交渉をしている彼女のおかげで、最初の予定よりずっと質も量もよく、仕入れが成功していた。農家のほうも、世間知らずな小娘という印象を受けるティファニアから、的確で譲らない交渉が出てくるので面食らってしまって、交渉の主導権を握られてしまっている。

 気づけば、補給班の想定したよりも安く取引が成立しており、びっくりした補給班の責任者はティファニアに尋ねた。

「すごいな君は。正直に言うと、荷物運びくらいにはなるかと思って連れてきたのだが、その話術はどこで身につけたのだ?」

「あっ、はい! わたし、ずっと食べ盛りの子供たちの面倒を見てきましたから、仕送りの中でどれだけ多く買い入れられるかっていつも考えてたんです。行商の人はやり手なので、最初のころはずいぶん押し付けられましたので、それで……」

「なるほど、生活の知恵だったのか。我々は剣を振り回すことしか能がないから、今回は本当に助かったよ」

 経理にはいつも苦労していたのだろう。補給班の謝意には熱意がこもっていた。

 ティファニアは、自分も買い込んだ野菜や穀物のかごを背負いながら照れて答えた。

「そんな、わたしなんかでお役に立てることがあるならなんでもさせてください。わたし、もっともっと皆さんのために尽くしたいんです!」

「いい気迫だ。だが、そう気張りすぎるな。誰にだって、それなりのとりえと苦手がある。ともかく今回は助かった。我々としても勉強になることも多かったしな。これからもちょくちょく頼むよ」

「は、はい、喜んで!」

 ティファニアにとってはなんでもないことだったので、こんなに喜んでもらえたのはとてもうれしかった。人間は、なにが一番喜びになるかといえば、誰かの役に立っているということが実感できているときだ。彼女は、隠れ住んでいた森から強制的に連れ出されてから、まだ半年足らずしか経っていないために、どうしても周りに迷惑をかけているのではという引け目があったが、その心の重荷は背中の重荷と引き換えにすっかり軽くなった。

「これで、皆さんにはいっぱい元気になるものを作ってあげられます」

「そうか、我々も楽しみにしているよ」

「はい、実は翼人の奥様方から秘伝のレシピもいただいてるんです。アイーシャさん、すごくいい人でお友達になったんですよ」

 うきうきした様子で話すティファニアに、彼女と同行していた銃士隊の皆からも自然な笑顔がこぼれた。

 誰が相手でも、先入観を持つことなく話しかけていける。友達になろうとすることをためらわない。ティファニアの、その純粋で慈愛に満ちた心は、間違いなく彼女のかけがえない財産であった。

 優しさは、人と人とをつなぐ大切な架け橋であり、時にそれは大きな奇跡の原動力ともなる。この宇宙のかなたでも、かつてひとりの青年が避けられない戦いの中でも共存を信じて、憎しみに埋め尽くされた心とも向き合って、その心を救った奇跡があった。そんなことを、この星に住む誰も知るはずはなくても、ティファニアの胸には、ペンダントにされたあの輝石が輝き、その魂を映し出すように美しく輝いていた。

 

 

 しかし、ティファニアのように微笑ましさをのぞかせるエピソードもあったが、多数は近い将来にも希望を見出せずに困り果てていた。

 東方号の損傷の細かいところの詳細が明らかになるにつれ、ギムリとレイナールの顔は曇る一方であった。

「で、どうするんだレイナール。修理の部品、足りるのか?」

「だから、壊れたものから部品を寄せ集めて直すんだとさ。それでなんとか、トリステインに帰るまでは飛べるだろうって、コルベール先生が言ってた」

「そっか、こいつは重すぎて風石や帆なんかじゃ動けないからなあ。いままで、単純にすごいとか便利とか思ってたけど、それだけに一度壊れたらやっかいなもんだと改めて思ったよ」

 東方号の損傷は相当にひどく、レイナールはほこりと油で汚れた眼鏡を布でぬぐい、ギムリは草色の髪の毛をぼりぼりとかきながらため息をついた。本当に、全員が五体満足で不時着できたのだけでも奇跡的なのだが、すでに愛着も湧くようになってきていた船が傷ついている様を見るのはつらかった。

 壊れた水蒸気機関には、コルベールの育てた技師がついて解体作業に当たっている。バラしたふたつのエンジンのパーツで、もうふたつを再生できれば、速力は半減するが飛ぶことはできるため、突貫工事が続いていた。

 しかし、当面の予定はまったく立たない。今は船の修理で気を紛らわせていても、トリステインに戻ってもどうすればいいのか、誰にもいい考えなどはなかった。

「いったい、何が起ころうとしているってんだろうな? まさか、もうヤプールが復活したっていうんじゃ……」

「まさか! アディールであれだけこっぴどくやっつけたってのに、いくらなんでも早過ぎるよ」

「だが、空を虫で埋め尽くすほどのことができるのはヤプールのほかに何がいるってんだよ!」

「よせギムリ、みんな聞いてるんだぞ。余計な不安をあおったらどうする」

 レイナールが口をつぐむように忠告すると、ギムリははっとしたように周りを見回した。何人かの新規クルーが聞き耳を立てて、不安げな表情を浮かべているのが目に入ると、彼も失言に気がついた。

「悪い、感情的になりすぎた」

「わかってくれたならいいさ。でも、みんな突然のことで内心では動揺してるんだ。戦場で貴族が慌てたら平民はパニックになる。ぼくたちはこれでも、彼らにとっては頼るべきものなんだ」

 ギムリは黙ってうなづいた。水精霊騎士隊は少年ばかりでも、平民から見ればもうベテランぞろいの頼りになる存在と見られているのだ。上が頼りないとわかれば、下はおのずと力を発揮できなくなる。脳がなければ、手足はどうすることもできないのと同じことだ。

 

 心から拭い去れない不安を、忙しさで無理矢理押し込んで東方号のクルーたちは働き続けていた。巡礼団の貴族や神官たちは、部屋に閉じこもって寝込んでしまっているが、やはり人間は体を動かしているほうが気が晴れる。

 一刻も早くトリステインに戻らなくては、向こうもどうなっているかわからない。ただし、この船の動揺は、巡りめぐればエギンハイム村の不安へとつながる。村人たちからの恩を仇で返すような行為は、厳につつしむべきであった。

 

 それらを横目で見ながら、才人とルイズも船の修理を手伝っていた。

「みんな不安がってるみたいね。無理もないけど……ねえサイト、わたしたちを襲った怪獣や、あの虫の大群……あれも、ヤプールの仕業だと思う?」

「わかんねえ、メモリーディスプレイにも記録はなかったし。ヤプールが堂々と名乗ってから仕掛けてくるような奴なら、これまで苦労しなかったしな」

 ふたりの表情も晴れなかった。レイナールの言うとおり、前回ヤプールに与えたダメージからして、ヤプールが復活して仕掛けてくるにしても、まだしばらくの余裕があると思っていた。まして、どう見ても世界規模の攻撃を開始するだけの余裕など持てるはずはない。可能だとしたら、サハラにまで行って人間とエルフの確執を和らげようとした努力が無駄だったということになってしまう。

「なにがなんだか、わけがわからねえよ。ったく」

 才人は、怪獣がからむことに関しては知識を期待されているし、本人もそれで役に立ちたいと気張っているだけに、自分の知識がまったく及ばないと思うと無力感が強かった。だがルイズは、そんな才人をはげますように言った。

「そうね。けど、悪いことばかりじゃないわ。このエギンハイム村に降り立てたことは、わたしたちにとっては幸運だったわ。異なる種族同士の共存のひとつの形の実践。これを知らせれば、まだ人間との共存を嫌がってるエルフたちも気が変わるかもしれないし、ほかの亜人たちとの調和への助けになるかもしれないのよ」

「ルイズは相変わらず前向きだな。けど、確かにそのとおりだぜ。災い転じてなんとやら、おれたちの肩には世界の命運がかかってるんだった」

「そうよ、うじうじしてる暇なんてわたしたちにはないんだから。ともかく、トリステインに帰って女王陛下にご相談しましょう。場合によっては、ネフテスに協力を要請することになるかもしれないわ」

 ルイズはこんなときでもちゃんと将来のことを考えていた。その計画性の差に、才人はやっぱり自分とは頭の出来が違うんだなと感心するのと同時に、自分をふがいなく思った。

「あーあ、バカは死ななきゃ治らないっていうけど、バカに生まれついちまったおれはどうすりゃいいのかねえ」

「ああ、それは間違ってるわよ。なんてったって、あんたはバカじゃなくてバカ犬だもん。バカに昇格させてももらえてないのに贅沢な悩みをするんじゃないわよ。てか男なら、もっとしゃきっとしなさい!」

 ルイズは、後ろ向きになりかけていた才人の背中を叱咤するようにバシッと叩いた。ところが、小柄なルイズの手で叩いたにも関わらず、才人はぐらりとよろめいてひざをついてしまった。

「うっ、ぐぅっ」

「サイト!? ちょっ、大丈夫!」

「大丈夫だ。少し、目まいがしただけだよ」

「あんた、やっぱりまだ……」

 ルイズが声をひそめて問いかけると、才人は疲れた声で答えた。

「ああ、ついさっきのことだからダメージが残ってるな。まだ体がだるくて……それよりルイズ、お前も少しやつれて見えるぞ」

「ふん、あんたとは鍛え方が違うのよ。でも、確かに休む間もなかったからね……」

 メルバを苦戦の末に倒して半日、疲れは回復する余裕もなくふたりの体にとどまっていた。ふたりを立たせているのは、ひとえにやせ我慢によるところが強い。エースも、いつもならばふたりに負担がかからないようにしてくれるのだが、消耗が大きかった場合にはこれまでにもふたりに反動が来たことがしばしばあった。

「一晩寝れば大抵は治るんだけどなあ……もうしばらくは休めそうにないな」

「仕方ないわよ。わたしも気張るから、あんたも頑張りなさい。女より早く倒れたら恥ずかしいでしょ」

「きっついなあ……けど、やるっきゃないか。ところでルイズ聞いたか? この村が人間と翼人で戦争になりかけたとき、それをおさめるのに一役買ったっていう……」

「もちろん。さっき聞いたときにはびっくりしたわよ。まさか……」

 

 そのときであった。ふたりのいる東方号の甲板にも聞こえるくらいに大きな音で、エギンハイム村のほうから鐘の音が響いたのだ。

 

「なっ、なんだ! この鐘の音は、火事か地震か!?」

「つまんないこと言ってる場合じゃないでしょ! なにか起きたのよ。行ってみましょう!」

 才人は、日本で言うなら半鐘の音に似たけたたましい音に言い知れない不安を覚えた。

 なにかあったんですかと、事情を知っていそうな村人に尋ねるふたり。すると、その村人は動揺しながら答えた。

「じ、実は翼人たちが、南のほうからなにか邪悪な気配がここに近づいてきてるって言うんだ。だから、村にいちゃ危ないってんで、みんな森に避難しようとしてんさ」

「邪悪な気配!? すみません、その翼人たちにはどっちに行ったら会えますか?」

「ああ、彼らの巣ならあっちのほうさ。空を見上げれば戦士たちが集まってきてるからすぐわかるよ。じゃな!」

 おびえて走っていった村人と別れ、ふたりは教えてもらった方向へ走った。

 情報はすでに伝わっていたらしく、そこには銃士隊や水精霊騎士隊も集まり始めている。

 ふたりはそこで、緊張感に満ちた表情のアイーシャから説明を聞いた。

「森の精霊たちが騒いでいます。南から、これまで感じたことのない邪悪な思念を持った何者かが近づいてきてます。もうすぐ!」

 村人や翼人の女子供たちは、早くも森の奥へと逃がされて、この場には戦士と武器を持った男だけが残っていた。アイーシャの夫のヨシアや彼の兄のサムも、手に手に農機具や狩猟道具そのままの武器をたずさえて構えている。以前に怪獣と戦ったときと衰えない、その度胸の据わった様子には水精霊騎士隊と銃士隊も感心した。

「ぼくらも負けてはいられないぞ。たとえ国は違えども、民を守るのは貴族の責務、全員気合を入れろよ!」

 おう! という掛け声もそろそろ心地よく聞きなれてきた。例によって、薔薇の杖を掲げてきざったらしくかっこうをつけるギーシュの姿は、村人からはあっけにとられるものがあったようだが、緊張を緩める効果はあったようである。

 反面、規律正しく、隙なく迎撃の態勢を整えるのが銃士隊である。

「村と村人に被害を及ぼすわけにはいかん。敵が何者かはわからんが、森の中で決着をつけるぞ。ミシェル、半数はお前が指揮を執れ。腕は落ちていないだろうな」

「了解しました。一連の状況を考えますと、敵は我々を追ってきた怪獣の可能性が大きいかと思えます。隊長も、十分にお気をつけください」

「わかっている。敵はおそらく東方号を狙ってくるだろう。しかし、そのために犠牲者を出しては元も子もないことを忘れるな。できれば敵の正体を見極めたいところだが、被害を防ぐことが第一だ。冷静さを失うなよ、我々には我々の戦い方がある」

「はっ!」

 いまや、本当の姉妹のように息が合っているアニエスとミシェルの打ち合わせはあっというまに終わった。巨大怪獣との対決経験では、彼女たちもこの世界ではトップクラスに多い。真正面から戦っては歯が立たなくても、知恵と工夫しだいでどんな相手にでも隙はできるというのが、今の彼女たちの信条であった。

 もちろん、才人とルイズもそれぞれの武器を持って覚悟を決めている。誰の目にも弱弱しさはない。

 人間には、知恵と勇気がある。力に溺れて自惚れた者には決して持ち得ない、それが人間という弱い生物ゆえの最大の武器なのだ。

 

 幾度となく奇跡を呼んできた心の中の武器を研ぎ澄ませつつ、彼らは南の空を睨んで待ち構えた。

 そしてついに、翼人の見張りの目が南方の空から迫りつつある脅威の実体を捉えた。

 

「あれは……なんだ?」

 

 遠くの山を超えてやってきたもの、それは奇妙としか形容のしようがない物体であった。

 簡単に説明すれば、全長数十メートルの鉄の塊。全体が銀色に輝き、形状は流線型に近い不定形、およそ表現のしようがない。

 船でもなければ、まして生き物のようにはまったく見えない。木に登って待ち受けていた人間たちも、全容が明らかになってくるにつれて、怪獣でも星人でもない、単なる金属の塊をどう捉えていいのかわからずにとまどった。

 しかし、相手を外見だけでなく精霊を通して知れる翼人たちの反応は早かった。人間には感じられないが、普通の生物とは比較にならないほど強烈で異質で邪悪な思念を撒き散らしながら迫ってくるそいつに、森の精霊たちは揃って脅威を感じ、翼人たちに警報を発していたのだ。

 まっすぐに向かってくる謎の金属塊を指し、アイーシャが毅然と命じる。

「皆、大いなる意志の導くままに。あれをこれ以上近寄らせてはいけません! 戦いを!」

 その瞬間、村までおよそ五キロメートルばかりに迫った金属塊に向けて翼人たちが先住魔法を使った。

 森の木々の精霊に命じて、無数の木々から枝が伸ばされてからめとろうとする。同時に、大気の精霊が壁を作って食い止めにかかる。

「すごい重さだっ!」

「弱音を吐いてるんじゃないわよ。わたしたちも手を貸すわ!」

 翼人の手に余る巨体と重量を持つ相手に、ルクシャナたちエルフも加勢した。亜人の中でも最強といわれる精霊魔法の力で、翼人の魔法を強化することによって、金属塊の突進は村の一歩手前で食い止められた。

 失速し、森の中に墜落した金属塊。それに向けて、ギーシュたちや翼人や村人は、一瞬好奇心にかられて観察するような視線を出したが、アニエスの怒声がそれをかなぐり捨てさせた。

「ぼけっとするな! 敵がなにかをする前に、全力で叩き潰せ!」

 それが、彼らを本能的に動かした。相手が無機質な金属の塊に見えるから、つい油断してしまった心の隙。それをプロの軍人であるアニエスは的確に指摘してくれたのだ。

 すぐさま、金属塊に向かってありったけの魔法と武器が叩き込まれていく。

 魔法は系統や先住を問わず、武器は銃士隊の火器から村人たちの弓矢まで大小をまったく考えずに、巨大金属塊の全身へと降り注ぐ。

 その猛攻で、巨大金属塊にひびが入り、そこへルイズのとどめの一撃が加えられた。

「あんたが何者か知らないけど、悪いけど余計なことをする前に片付けさせてもらうわ。食らいなさい……『エクスプロージョン!』」

 虚無の攻撃魔法が直撃し、大爆発が金属塊を完全に包み込んだ。系統魔法とは比べ物にならない高威力の攻撃魔法の炸裂で起きた爆風が一同の体を叩き、吹き飛ばされないように足を踏ん張らせる。

「どう? あれからずっと精神力を溜めに溜めた、とっておきのエクスプロージョンよ。最初のときには及ばないけど、これなら」

 大型のドラゴンでも、跡形もなく吹っ飛ばせるであろう破壊力に、ルイズは自信ありげに言い放った。

 一同も、これほどの攻撃をいっぺんに受けては耐えられまいと勝利の笑みを浮かべる。

 しかし、翼人とエルフたちは、その爆煙の中でなにが起こっているのかを感知していた。

「まだです! あれが発している邪悪な思念は、まだ消えていません!」

 なんだってという驚愕の声とうめきがいっせいに奏でられた。

 そして、そのとき敵は動き出した。エクスプロージョンの爆煙を振り払って、天高く聳え立った銀色の鉄の塔。それはあっけにとられる一同の目の前で、まるで水あめのようにぐにゃぐにゃと形を変えていき、ほんの数秒のうちに全身に鎧をまとった騎士のような姿の巨人となったのだ。

「そんな、わたしのエクスプロージョンが!? サイト、あれは!」

「ただの生き物やロボットの類じゃねえ。サーペント星人みたいな液状生命体……いや、金属生命体か!」

 才人がとっさに推測したことは当たっていた。我々人類を含む大部分の生命体は、一般に炭素分子を基礎とする有機生命体という分野に属するが、中にはこれに属さない無機生命体というものも存在する。

 数は少ないが、一例をあげると光が物質のレベルまで凝縮して作られた体を持つ光怪獣プリズ魔などが該当する。なお、アンノン星人や工作怪獣ガゼラなど、別種の生命体が無機物に乗り移って操っているものは該当しない。

 この怪獣も、そうしたわずかな事例に該当する無機生命体の一種なのだ。微細な金属質生命体の集合体であり、それゆえに全身を水銀のように流動させて、いかなる姿にでも変身することができる。さらに構成物が金属である為に、並の衝撃は通用しない。

「鋼鉄のゴーレムみたいな怪獣ってこと? わたしのエクスプロージョンをはじくなんてやってくれるじゃない!」

 ルイズが悔しさに歯軋りしながら吐き捨てた。さらにいえば、エクスプロージョンは完全に効果がなかったわけではないだろう。しかし、金属の硬さと液体の柔軟さを併せ持った金属細胞は、多少バラバラにされた程度では再集結して復活してしまったのだ。

 この恐るべき金属生命体の名はアパテー。中世の鎧騎士を彷彿させる姿に変化し、足元の小さな者たちへの猛威が始まる。

 ただし、すでに歴戦と呼んでいい彼らは、驚愕はしても醜態をさらすことはなかった。ギーシュは凶暴な笑みを浮かべて、巨大な足を踏み出して迫ってくるアパテーを見上げた。

「う、うろたえるな! いくら巨大な鉄のゴーレムといえども一体だ。って、次の作戦はどうするレイナール?」

「包囲して一斉攻撃、それで通用すれば御の字。少なくとも、いやがらせくらいにはなるんじゃないか」

「上等、実にわかりやすくてぼくら好みだ」

 水精霊騎士隊は散開して、再度魔法攻撃の準備を始める。全員、内心では、「この野郎、図体だけでかけりゃいいってもんじゃねえぞ」と、気合で相手に飲み込まれまいと自分を奮い立たせている。敵に勝る気迫を持ち、かつ恐怖を忘れずに戦えというのが銃士隊が少年たちに教えた、生き残るための鉄則のひとつであった。

 先制攻撃、やるなら今だ。ギーシュたちは、後先考えずに搾り出した魔力で、渾身の攻撃魔法を放った。

「鉄くずになってしまえ!」

 火、水、風、土、可能な限りの打撃が加えられた。さらに、ルイズも意地で再度杖を振るい、才人もガッツブラスターを出力最大にして放った。

「こうなりゃやけよ! 今日は、虚無の大盤振る舞いだわ」

「なんとぉーっ!」

 アパテーに避ける暇も与えずに、虚無魔法と破壊光線も叩きつけられる。それは、例えるならばあのフーケの巨大ゴーレムであっても、土煙になって消え去ってしまうであろうほどの威力であった。

 爆風が、すでに貧弱な武器では手に負えない相手だから村人たちを離れさせようとしていた銃士隊と、村人たちにも吹き付ける。

「やつら、この数ヶ月を無駄にしてはいなかったようだな」

 アニエスが、誰にも聞こえないレベルの小声ながら褒めた通り、ほとんどがメイジとしては最低ランクのドットだったとは思えないほどの破壊力がその一撃にはあった。ドットとしても力量を上げて、何人かは上位ランクのラインに昇格しているのかもしれない。銃士隊にわざわざしごかれなくても、彼らも彼らなりに鍛えて実力を上げていた。

 一気に魔力を使い切り、息を切らせてひざを突く少年たち。ルイズも、疲れがどっと来てよろけたところを才人に支えられた。

「ど、どう……これなら」

 ルイズが、額に玉のような汗を噴出しながら言った。半人前のメイジばかりとはいえ、虚無と現代兵器も加わったのだ。弱い怪獣であれば二、三匹は絶命させていておかしくない破壊力だったはずだ。

 これでダメなら……皆の視線が、爆煙に包まれたアパテーに向けられる。しかし、淡い期待はやはり最悪の形で裏切られた。煙を振り払って無傷のアパテーが兜の下から覗く単眼を光らせて現れる。効いた形跡はほとんど、ない。

「ちっくしょ、ちっとは期待したんだぜ」

「諸君、撤退だ!」

 ギーシュは潔く逃げを選んだ。魔力を使い切った以上、これ以上自分たちがここにいても餌食になるだけだ。全員が、よろよろと頭や腹を押さえながら駆けていく。彼らもまた、メルバとの交戦からほとんど休みのない疲労が肩にかかっていたのだ。速く走れない彼らにアパテーの足が迫り来る。

 つぶされる! ひとりの少年が覚悟したとき、森の木々から枝がいっせいに伸びてアパテーをからめとった。

「私たちが援護します。皆さん、今のうちに逃げてください」

 アイーシャたち翼人の先住魔法であった。数十本の木々から伸びた枝でがんじがらめにされて動けなくなったアパテーから、水精霊騎士隊はほうほうの体で逃げ延びることができた。

 ギシギシと、翼人たちに操られる枝の触手はアパテーを締め上げる。翼人数十人分の力にエルフまでが加わっているのだ。いかな怪力の持ち主でも、これからは脱出できまいと戦士たちはほくそ笑んだ。

「この森の中で、我らにかなうものなどいるものか。このまま締め潰してくれる」

 確かに、鋼鉄並みに強化された枝での拘束はアパテーでも振りほどけないように見えた。が、金属生命体アパテーの右腕が液状化したかと思った次の瞬間、腕は巨大な剣へと姿を変えていた。一振りで、アパテーを拘束していた枝が切り裂かれてしまう。

「バカな! うわぁぁぁっ!」

 アパテーの剣が横なぎに一閃すると、十数本の木々が両断されて雑草のように宙を舞い、その風圧だけで翼人たちも吹っ飛ばされた。

 だめだっ、強い! 今の一撃で死者こそ出なかったものの、嫌というほど力の差を思い知らされてしまった。

 このままでは、皆の命が危ない。そう判断したアイーシャは、ためらうことなく戦士たちに命じた。

「みんな、ここは引いて。いったん態勢を立て直すのです!」

「しかし、奴が暴れては大切な森が」

「この場の森を守るために、我々が全滅してしまっては結局すべての森を滅ぼすことになります。皆、屈辱を耐えてここは引くのです!」

 彼女の顔にも苦渋が浮かんでいた。森と共に生きてきた翼人にとって、森を捨てて逃げることは我が身を切られるほどつらい。

 だが、アイーシャが翼人たちのリーダーだと気づいたアパテーは、単眼で彼女を睨むと剣を振り上げた。

「アイーシャ、逃げろぉ!」

 ヨシアの絶叫が森の空気を振るわせた。翼人の速度を持ってしても逃げられず、いかな魔法を持ってしても食い止められない巨大な殺意の塊が愕然として身動きのできないアイーシャに迫り来る。

 

”あ、私、死ぬんだ”

 

 避けようのない死を目の前にしたとき、彼女はふっと体の力を抜いた。死は怖くない、死ねば自然に帰り、大いなる意志の元で新たな存在になることができる。なにも、怖くはない。

 だが、そのはずなのに目からはなぜか涙が湧いてきた。ヨシアともう話せない、やっといっしょになれたのに、もうごはんを作ってあげることもできない。後から後から未練が湧いてきて、悲しさで胸がいっぱいになっていく。

 ヨシア、せめてあなただけでも無事に逃げて……最期の願いを祈ろうとした、その瞬間。

 光が、爆発した。

 

「セヤアァッ!」

 

 間一髪、ウルトラマンAに変身して割り込んだ才人とルイズによって、アパテーはその衝撃で吹っ飛ばされた。

 しかし、木々を巻き込んで倒されながらもアパテーはすぐに立ち上がってくる。エースは、これが容易な相手ではないことを覚悟して、皆を守るために構えをとった。

「ヘアッ!」

 対峙する銀色の正義と悪の巨人、その光景を見て少年たちは歓声をあげ、銃士隊は息をつく。

 そして、はじめて見るウルトラマンの姿に村人たちは驚き、翼人たちも驚愕する。しかし、エルフたちのときと同様に、正しい気に満ちたウルトラマンの存在を精霊たちは歓迎し、それを聞いたアイーシャは呆然としているヨシアたちに告げた。

「大丈夫、あちらの巨人は味方のようです」

「アイーシャ、無事か! よかった。君がいなくなったら、ぼくは」

「ごめんなさい。あなたを悲しませるつもりはなかったの……ヨシア、怖かった」

 そう言って、彼女は夫の胸に飛び込んだ。ヨシアは、声をひそめて泣く妻の体を優しく抱いて、彼の兄のサムや村人たちもそんな夫婦の姿を温かく見守り、これから起こるであろう戦いから守るように囲んでかばった。

 

 期待のまなざしを一身に受けて、ウルトラマンAはその身に宿るふたつの勇敢な魂とともに戦いに挑む。

〔よかった。あの人たち、無事に助けられたんだな。エース、気をつけろ! この野郎、どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないぞ〕

〔ああ、こいつは、私も見たことがない相手だ。油断できないな〕

〔ふん、そんなの別に今回が初めてじゃないでしょ。どんな相手だろうと、叩き潰してしまえば同じよ!〕

 そうだ、相手が初見だろうがなんだろうが、戦うことになんの違いもありはしない。エースの金色に光るふたつの目と、アパテーのオレンジ色に光るモノアイの視線が交差し、両者は同時に大地を蹴った。

「テエィ!」

 アパテーの剣戟の下をすり抜けて、エースのチョップがアパテーの腹を打った。たまらず奇声をあげて後退するアパテーだが、さしたるダメージにはなっておらず、すかさず剣を振り上げてエースを斬りつけて来る。

 あれをまともに食らえばエースもただではすまない。しかし大振りの攻撃は避けやすく、エースの瞬発力を持ってすれば困難な話ではなかった。身をひねり、アパテーの剣が外れて地面に深々と食い込む。

 どんなに威力があろうと、当たらなければどうということはない。エースはアパテーの剣撃を見切り、至近距離からのチョップの連打を当てていき、アパテーがたまらず距離をとろうとすれば、エース得意の空中回転キックが炸裂する。

「トォーッ!」

 重力の恩恵を受けて威力を増したキックがアパテーを打ち、鎧騎士の体がぐらりと揺れる。

 すかさず、ボディにパンチを連続し、エースの怒涛の攻撃は休まない。避けようとするアパテーの先を読み、反撃に打ってくるアパテーのパンチをかわして、そこへ逆にパンチを送り込む。

 アパテーは見た目に反して機敏なようだが、それでも歴戦のウルトラ戦士であるエースの体術は、単に速いだけの相手に遅れはとらない。速さもパワーも、技があってこそ何倍も引き立つのだ。

 激闘を、東方号に乗ってきた者たちは頼もしく見つめ、村人や翼人たちは額の汗をぬぐいながら見ていた。

「これが、ウルトラマンの戦い。噂には聞いていたが、なんとすさまじい」

 人づての話から想像していたものをはるかに上回る巨人同士の激闘を間近に見る人々は、魂をわしづかみにされたように息を呑んで握り締めた拳から汗をしたたらせるしかなかった。以前に見た、怪獣同士の激闘もすさまじいものだったが、非現実的なまでの光景は一度や二度ではなかなか慣れられるものではない。

 ただ、彼らの恐怖心はさきほどよりもだいぶん和らいでいた。自分たちが直接戦う緊張感から解放されたことや、翼人たちが新しい巨人のほうは味方だと認定してくれたのももちろんある。彼らはうわさでウルトラマンの存在は知っていても、写真など存在しないハルケギニアでは、辺境のここまで正確な情報は届いていなかった。

 けれど、なにより彼らの心に強い説得力となったのはウルトラマンAがつねに人々を守りながら戦っていたことである。

「うわっ、こっちに来る」

 こんな状況が何度か訪れた。しかし、そのたびにエースはアパテーの前に立ちはだかり、方向を誰もいないほうへと誘導していったのだ。

 彼は、自分たちを守ってくれている。そして、東方号の皆から巨人の名を聞き、彼が幾度となく人間たちを守って怪獣と戦った正義の味方だと確かに知らされると、残っていた疑念も昇華した。

「救世主か、この世にほんとうにいたんだな」

 しかし、エースが押してはいるものの、一方的に優勢というわけではなかった。

 敵は金属生命体、いわば個体と液体の両方の性質を併せ持っているといえる相手である。そのため、エースの得意とする切断技があまり効果を望めず、仮にホリゾンタルギロチンで首を跳ね飛ばし、首なし騎士にしてやったとしてもだ。デュラハンよろしくなにくわずにそのまま襲ってくる可能性が高い。

 攻撃は打撃に限定される。衝撃で、奴の金属細胞を破壊していけば奴も不死身ではいられなくなる。エースは、自身よりも十メートルばかりも大きい相手の肩を掴んで、力の限りに投げ飛ばした。

「デエェェーイッ!」

 轟音が森の空気を揺さぶり、アパテーは激しく転がりあおむけになって止まった。

 これは効いているか? しかしアパテーは体中についた泥を振り落としながら、奇声に怒りを交えて起き上がってくる。

〔しぶとい奴だな。迷惑だから、はやくダウンしてくれよ〕

 才人はぼやいたが、そんなに楽に片付いたら宇宙警備隊は苦労しない。

 敵はなおも健在で、倒れる様子はさらさらなく、鎧のあちこちに増加装甲を新造して、重装騎士へとヴァージョンアップした。しかも剣では敏捷なエースは捉えられないと見たのか、右手の変形を解除して通常の腕に戻し、自らの肉体の一部を切り離して槍状に変化させて硬化、手に持つことでリーチはほとんどそのままに、はるかに取り回しが容易なスタイルになって襲ってきたのである。

〔なかなか芸達者な奴だな。なら、こちらも!〕

 槍を振り回してくるアパテーに対し、エースはその場に倒れていた大木の幹を掴むと剣のように振るって迎え撃った。

『流れ斬り戦法!』

 エースは、戦場にあるもので即興の武器を作ることが得意だ。かつてはファイヤー星人との戦いで高圧鉄塔を剣にしたし、ガスタンクや石油タンクを武器にしたこともある。大木を剣にする方法も、タイム超獣ダイダラホーシとの戦いのときに披露したものである。

 巨木で槍を受け止めて押し返し、構えをとって睨みつける。アパテーも、槍を振りかざして隙をうかがっているようだが、なかなか攻めきれないことにいらだつように肩が微動しているようにも見える。

 

 拮抗する戦い、エースとアパテーの斬り合いが続く。

 だが、均衡の崩壊は誰も予想していなかった形で訪れた。アパテーとつばぜり合いをしていたエースのひざが突然がっくりと崩れ、アパテーの槍の切っ先がエースの体をないだのである。

「ウッグォォォッ!」

 斬撃をまともに受け、火花を散らせてエースは倒れこむ。

 愕然とする人々、そして彼らの目の前でエースのカラータイマーが激しく点滅しだし、警報音が背筋を凍えさせた。

「そんな、早過ぎるぞ!」

 戦い始めて経った時間はそんなにない。カラータイマーが鳴り出すにはまだ早いはずだ。

 しかも、タイマーの点滅速度がかなり速い。まるで、長時間全力で戦い続けた後のようだ……

 まさか! 東方号の一行は、気づいてしまった。

〔くそ、やはりさっきの空中戦で消耗したぶんが、響いてきたか〕

 エースの体を、谷を転がり落ちるように襲った不調。そう、メルバとの交戦で受けたダメージと疲労が才人とルイズの体にも残っていたように、エース自身もこの短時間ではエネルギーを回復しきれなかったのだ。

〔体に、力が……〕

 普通なら、まだじゅうぶんに余力があったはずだが、まさかこんな短期間に怪獣と連戦することになるとは思っていなかった。あのドラゴン型怪獣も強かったが、こいつも十分すぎるほどに……

「フオォォッ!」

 よろけたところにアパテーの強烈なキックを食らって、エースが吹っ飛ばされる。あおむけに倒れ、苦しむエースにギーシュたちは歯軋りをして悔しがった。

「いつもだったら、あんな攻撃でやられるわけないのに。くっそぉ、がんばれエース!」

 苦しむエースに皆の声援が届く、水精霊騎士隊だけでなく、銃士隊も叫んでいる。

「立て! 立ち上がれ。お前は、こんなところで倒れていいはずはないだろう!」

「がんばれ。みんなお前を信じてる。あきらめるな、お前の力はこんなものじゃないだろう」

 アニエスは叱咤し、ミシェルは力一杯のはげましを送った。

 直接ともに戦えなくとも、戦う魂は一心同体だと信じている。逃げることは簡単だが、仲間を捨てて誰が逃げられるものだろうか。アニエスは心の中で、私は戦いの中で多くの仲間や部下を失ってきた、決して仲間の苦境から眼を離しはしないと決意し、ミシェルも使えるものなら自分の命を使ってくれとばかりに心臓に手を当てて祈る。

”本来なら、まだ戦える状態じゃないはずなのに。お前ってやつは、どこまでバカでお人よしなんだ。それに、毎回がんばりすぎだ。負けるなよ……それでもダメというなら、死ぬときはわたしもいっしょだ”

 大勢の友情、ある者は愛情。この世界で積み重ねてきた絆は、さまざまな形で息づいていた。

 誰も逃げない、心を折らずに歯を食いしばる。

〔そうだ、ウルトラマンは決して信じてくれる人たちの期待を裏切ってはいけない〕

 心の力は体の限界も超えさせる。ひざを突き、カラータイマーの輝きに危機を示させながらも、なおもエースは立ち上がろうとする。

 一方で、ルイズと才人もあきらめてはいない。

〔あーあ、どうするのよサイト、もう後には引けないじゃない。あんたが後先考えずに変身しようとするからこの始末。みんなの熱視線、どうしてくれるのよ〕

〔すみませんねえ、でもおれの性格はとっくに理解してるだろ。さあて、みんな応援してくれてるし、どうやって逆転したもんか。応援もらって俄然やる気も出てきたし、かっこ悪いところは見せられないもんなあ〕

 強がりのやせ我慢でも、寝ているよりはましだとふたりも気張る。

 自分たちの肩にかけられた期待の重さは、ふたりとも重々承知していた。その信頼、失いたくない友、守りたい愛する人、運命を預けてくれた見知らぬ人々の思い、どれひとつとして裏切るわけにはいかない。

 

 疲れきったエースを串刺しにしてとどめを刺そうとアパテーが迫る。エースに果たして、押し返すだけの力が残されているのか?

 見守る人々、そして東方号でも、船員たちに混じってティファニアが一心に祈っていた。

「わたしにも戦う力があれば……神さま、お願い、みんなを守って」

 握り締めた手のひらの中で、輝石が淡い光を放ち始めていた。

 

 

 続く



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第4話  涙の逃亡 飛べシルフィード!

 第4話

 涙の逃亡 飛べシルフィード!

 

 金属生命体 アパテー

 超古代怪獣 ゴルザ 登場!

 

 

 東方号の不時着したエギンハイム村を襲った邪悪な意思を持つ者、金属生命体アパテー。

 ウルトラマンAは必死に立ち向かうものの、メルバとの戦いの疲れに襲われてついに倒されてしまう。

 エネルギー切れ寸前のエースにとどめを刺さんと、アパテーは巨大な槍を振りかざして迫る。

 

〔この野郎、もう勝ったと思ってやがるな。余裕綽々ってか、ムカつく野郎だぜ〕

 才人がエースの視線を通して、近づいてくるアパテーに対して毒づいた。

 ウルトラマンAのカラータイマーの点滅は二度の戦いによって限界に近づき、活動時間は急激になくなりつつあった。

〔危ない! 来るわよ〕

 ルイズの叫びにエースはとっさに身をひねる。

「ヘヤッ!」

 鋭い槍の穂先が、寸前でエースの体をかすめていった。外れた槍はそのまま地面に深々と食い込み、避け損なっていたらどうなっていたかと見ていた者の心胆を寒からしめる。だが、才人は槍が食い込んで動きが止まったアパテーに好機を見た。

「いまだ!」

 才人の叫びに、渾身の力を振り絞ったエースのキックが炸裂した。その反動でエース自身もよろめくが、アパテーは大きく吹っ飛ばされてひざをついた。

 調子に乗るなよ、まだやられはしない。この命が尽きるまで、あきらめはしない。

「トォーッ!」

 体を気合で動かして、エースはなおも戦う意思があることを見せ付けた。

 おれたちはまだまだやれる。先に心を折りはしない! エースの闘志が折れていないことを見た人々も、心に希望を新たにする。

 

 だが、立てるはずがないのに倒れないエースにいらだったのか、アパテーはさらに戦法を変えてきた。人型を形成していたアパテーの全身が水のように一瞬で崩れ、液状化した肉体が瞬時に八本の槍へと変形してエースに飛んできたのだ。

「ヘヤァッ!?」

 なんだこれは!? そう考える暇もなく、八本の槍はエースを檻となって囲い込むように地面に突き刺さり、そのまま囲い込んだ内部のエースに向けて強烈な電撃攻撃を見舞ってきたのだ。

「グアァァァッ!」

 すさまじいばかりの電光がほとばしり、紫電にさらされたエースのひざががくりと地につく。

「ウォ……アァッ」

 苦悶の声、そして消えかけるカラータイマーの弱弱しい点滅が、ダメージの大きさをなによりも物語っていた。

”なんという、攻撃だ……”

 まだ、これほどの攻撃を隠し持っていたとは。エースは薄れゆく意識の中で、自分の中の太陽エネルギーが底をついたのを感じた。

 もう、立てない……崩れ落ち、起き上がろうとしてかなわないエースの凄惨なありさまに、人間と翼人たちのあいだに悲しみの声が流れた。

「立て! 立ってくれ!」

 悲痛な叫びがこだまするが、もうエースにしぼりだす余力は一片も残されてはいなかった。才人とルイズの力をもらおうにも、今の状態でこれ以上削ればふたりとも生命に関わる。それだけは絶対にできない。

 せめて、せめて太陽エネルギーがあれば……空を見上げるが、太陽は分厚い虫の雲に覆い隠されていて、陽の光はわずかすらも照らしてはくれなかった。

 瀕死のエースにとどめを刺そうと、再び鎧騎士の姿になったアパテーが槍を振り上げて迫ってくる。だがもうエースに回避する余力はまったく残されてはいない。

 これまでか! 悔しさと、悲鳴が混じりあい、絶望の時は目の前まで迫った。

 

 だが、そのときひたすら皆の無事を祈り続けていたティファニアの手の中に握られていた輝石が、一筋の光を空に放った。

”お願い、助けて!”

 一心不乱な願いが光となり、闇を裂いて宇宙へ届く。

 空を覆っていた暗雲が切り裂かれ、一瞬だが青空が見えた。突然の陽光の輝きにアパテーがひるむが、穴はすぐに虫によって塞がれていき、太陽は再び見えなくなっていく。だが、穴がふさがる直前、青い光線が流星のように降り注ぎ、エースの頭部のウルトラホールに吸収されたのだ。

〔これは、体に太陽エネルギーが満ちてくる!〕

 それは、高密度のエネルギー光線だった。エースの減少していたエネルギーが一気に回復し、体に力が戻ってきた。

 カラータイマーが青に戻り、立ち上がるエース。もう大丈夫だ……しかし、この光線の波長には覚えがある。

〔そうか、また君に助けられたか。ありがとう〕

 恐らく彼も、この惑星をずっと見守り続けてくれていたのだろう。直接手を貸してくれないのは、なにか事情があるのだろうが、彼の強い思いは確かに受け取った。このエネルギー、無駄にはしない!

「テエェーイッ!」

 この怪獣は、俺が倒す!

 雄雄しく立ち上がったエースは、強い眼差しでアパテーを睨んだ。そこに秘められた闘志に、アパテーがひるむ。

 死に体だったエースの復活。その奇跡を信じられない、あってはならないことだと言わんばかりにアパテーは余裕の態度をかなぐり捨てて、腕を大剣に変えてエースに斬りかかってくる。

 しかし、もうお前にてんびんが傾くことはない。皆の叫ぶ「いまだ!」という声を受けて、エースはエネルギーを最大限に振り絞り、広げた両手のあいだに稲妻状のエネルギー流を生み出し、それを球状になるまで握り締めて圧縮した。

 これで最後だ! この一撃でケリをつける!

 エースは、迫るアパテーに向けて凝縮したエネルギーを赤色の破壊光線と化させて撃ち出した。

 

『パンチレーザー・スペシャル!』

 

 赤い稲妻がアパテーの胴体を打ち、エネルギーが余すところなく吸い込まれていく。頑強無比な装甲を形成したアパテーの体といえども想定をはるかに超えた力の前には無力。硬い甲羅を持つ亀でも象に踏まれれば一巻の終わり。

 一瞬の硬直。そしてアパテーは剣を振り上げた姿のまま、千の破片となって木っ端微塵に爆裂粉砕した。

「よっしゃあ、ざまあみろーっ!」

 村人たちの歓声が森に響き渡り、アパテーの鉄の残骸が銀色の雪のように舞い散る。いくら金属生命体といえども、ここまで粉々にされてはもはや再生は不可能だろう。

 エースは空を見上げ、力を与えてくれた彼に感謝した。そして、もう一人、彼を呼んでくれたティファニアにも謝意をうなづくことで述べて見せた。

 ありがとう、君が彼を呼んでくれなければ私は負けていた。あのときと同じく、純粋に人のために祈る心が輝石に届いて運命を動かしたのだ。

 戦いが終わり、エースは空へと飛び去る。しかしその空は、いつもの美しい青空ではなかった。

 

 エギンハイム村に平和が戻った。人々は常の生活と、東方号の修理に戻る。

 喧騒に包まれる村。だが人々の顔はまだ暗い。空をなおも覆う虫の雲、狙いすませたように襲ってきた怪獣。もはや、この世界になにか恐ろしい異変が起きてきているということは疑いようもなかったからだ。

 才人とルイズは、南の空を見つめる。虫の大群、そして金属生命体がやってきたのも南の空から。そこは、自分たちが行こうとしていたロマリアがある方角だった。

「ロマリアに、いったいなにが……くっそ、こんなときにあいつらがいてくれたら」

 才人は歯噛みをし、頼もしかった仲間のことを考えた。この村を、かつての怪獣の脅威から救ったふたりのメイジの名前はふたりとも知りすぎるくらいに知っていた。

「タバサ、キュルケ、なんで戻ってきてくれないの。あなたたち、いったいどこに行っちゃったのよ」

 ルイズの問いに、答える者はいなかった。

 

 

 人は、人であるがゆえにすべてのことを知ることはできない。だから、タバサとキュルケの辿った数奇な運命も知る由はなかった。

 ジョゼフの罠にはまり、ギジェラとの戦いに勝利するものの異世界へと飛ばされてしまったタバサ。その行方は誰にも知る術はない。しかし、かろうじて時空を飛ばされることは回避したものの、力尽きてしまったキュルケとシルフィードは囚われの身となっていた。

 

 ガリア王国首都、リュティスの王城グラン・トロワ。その最奥の牢獄に、キュルケとシルフィードは閉じ込められていた。

「ねえ赤いの、空が急に真っ暗になっちゃったのね。なんか、すっごく嫌な感じがしてきたのね。きゅい……」

「見えてるわよ。これは、もうただごとじゃないわね……ジョゼフめ、今度はいったい何を企んでいるのかしら」

 牢獄の窓の鉄格子ごしに、空を望んだシルフィードとキュルケが憮然とつぶやいた。

 ふたりとも、あのときに比べて表情にはやつれた様子が見えた。奥のベッドには、タバサの母が寝かされて寝息を立てている。やはり、あのときから今日まで意識が回復することはなかったが、今は少し吐息が苦しそうにも聞こえた。

「タバサのお母さまも、無意識に悪い気配を感じ取ってるのかもしれないわね。タバサなら、なにかわかったかもしれないけど……」

「人間は、精霊の力を感じることはできないのね。けど、深く眠っているときには夢という形で、普段見れないものを見ることがあるってお姉さまが言ってたのね。お姉さま……」

 シルフィードの竜の顔が寂しそうに変化するのも、キュルケも今ではすぐにわかるようになっていた。

 そう……変化がなく、退屈極まりない牢内の景色に比べたら、互いの存在はこの数ヶ月どれだけ支えになってくれただろう。

 ジョゼフは、捕らえた自分たちを脅迫しようとも洗脳しようともしなかった。ただ、ずっとこの特別製の牢に閉じ込め続けるだけ。室内は、シルフィードが元の姿でいても問題はないくらい広く、調度品も立派なものがしつらえてある。三食すべて貴族が口にするにふさわしいレベルで出され、衣類もそろえられていて凍えることはない。窓と入り口の鉄格子さえなければ、一流のホテルの一室としても通用するに違いない。

 ここは、王宮の牢獄の中でも、特に貴人を幽閉するために作られた特別製の牢であった。いわゆる、自由を奪いたいが殺すわけにはいかない人間のために、政治的な理由から使われるグラン・トロワの暗部。ただし、ジョゼフが国王になってからは、反逆者は即時粛清されるようになったために現在では忘れられかけている。

 しかしそれゆえに、泣けど叫べど誰にも聞こえない。王宮という広大な敷地の中から切り離された空白地帯。陸の孤島とも言うべきそこにあっては、彼女たちも外の様子を知ることはできなかったが、この異様な空の様子がキュルケに決意させた。

「シルフィード、もう一刻の猶予もないわ。脱獄しましょう」

「えっ、ええっ! ちょっ、お前そんな正気なのね! こないだあんな目にあったばっかりなのに!」

 シルフィードはあごが外れるくらいに仰天して、思わず天井に頭をぶっつけてしまった。むろん、そんな程度でビクともするようなレベルの監獄ではないのだが、実は彼女たちが脱獄を試みたのは一度や二度ではなかった。

 捕らえられた直後から、行方不明のタバサを捜そうと、あの手この手を使って脱獄をもくろみ、その度に失敗していた。

 トライアングルメイジのキュルケといえども、今は杖を取り上げられていて魔法は使えない。かといって、彼女の得意な色仕掛けや話術で看守を取り込もうにも、この牢獄の管理は魔法人形ガーゴイル数体によっておこなわれており、人間はひとりもいないという完全無人態勢であったために発揮のしようがなかった。

 食料や必需品もガーゴイルによって運ばれ、武器や道具になりそうなものは一切手に入らない。最初はドラゴンの姿に戻ったシルフィードがガーゴイルを叩き潰して脱出しようとしたのだが、こいつらがめっぽう強く、シルフィードのほうが殴り倒されて牢に投げ込まれてしまった。

 実力での脱出ができないとなると、あとはガーゴイルの目をかいくぐるしか方法は残されていなかった。

 ガーゴイルどもの動きを観察し、行動パターンを把握する。軍人の家系のキュルケは、ガーゴイルと戦うときのためにいくつかの戦術も父母から伝授されていた。それを駆使し、なんとかガーゴイルの死角を探そうとすること数ヶ月、しかしガリアの魔法技術はキュルケの父母の時代より進歩しており、脱出はすぐさま感知されて捕まった。

 感情なく、加減を知らないガーゴイルに殴り倒されては牢に放り帰される。やがて、全員での脱出が不可能だとあきらめると、シルフィードひとりを先住の変化の魔法で小動物に変身させて逃そうともしたが、ガーゴイルはこれすらも探知して捕らえられてしまった。

 完璧だと思って送り出したシルフィードの変身したネズミがつまみ上げられて投げ返されてきたとき、キュルケはここの防護システムの鉄壁さに歯噛みした。そして、度重なる脱獄の失敗に呆れたのか、はたまたあざけっていたのかはわからないが、ジョゼフがガーゴイルの口ごしにメッセージを寄こしてきたのだ。

 

『なかなか楽しいことを続けているようだな。若者らしく、元気が有り余っているようで大変結構なことだ。しかし、あまり無茶はしないほうがいいと思うぞ。そこのガーゴイルはガリアの魔法アカデミーの傑作だそうで、牢内を動き回るものは自分たち以外にはネズミ一匹見逃さないとの触れ込みだった。おまけに、単独でトライアングルメイジやオークと渡り合える一級品だ。なんと、一体で軍艦ひとつ買えるだけの価値がある。すごいだろう? これほど贅沢なもてなしもなかなかないものと我ながら自負している。だから、そう慌てずにゆっくりしていってくれたまえ』

 

 聞きようによっては本気で心配しているようにも聞こえる口調のメッセージに、キュルケとシルフィードが怒りに震えたのは言うまでもない。だが、相手はガーゴイルである。なにを言ったところで無意味であった。

 残念ながら、ジョゼフの言うとおりに番兵のガーゴイルは強い上に優秀であった。人間と違って疲れないし、余計なことを考えずに与えられた任務を墨守し続ける。ふたりにできることは、タバサの母を守りつつ、力を蓄えて機会を待つことだけだった。

 しかし、もはや悠長に機会をうかがっていられる場合ではない。

「シルフィード、覚悟を決めましょう」

「で、でも、ここの守りがすごいのはお前もわかってるのね? またやったところで、痛い思いをするだけよ!」

「そんなこと言ってるときじゃないわ、もう。ジョゼフがわたしたちを生かしてるのは、間違いなくなにか悪さに利用するためよ。タバサにせよ学院のみんなにせよ、そんな迷惑になるくらいなら死んだほうがまし。けど、わたしたちは死ねない、わかるでしょ?」

 シルフィードはうんとうなづいた。タバサが我が身を捨てて守ろうとした母を、なんとしても守り通さねばならない。

「わたしに考えがあるわ。うまくいけば、あなたひとりだけなら逃げられるはず」

「また何かに化けるのね? あのガーゴイルの目ざとさを忘れたのかね!」

「いいえ、思い出してみて。ジョゼフは、この牢内は『ガーゴイルしか動けない』と言ったのよ。なら……」

 キュルケは、シルフィードの頭をなでると、みんなに会えたら早く助けに来てね、と微笑んだ。

 

 それからしばらく……牢内には騒ぎはなく、何事も起こっていないように静まり返っていた。

 聞こえるのは、鉄製のガーゴイルの動き回る無機質な音だけ。

 しかしそんな中で、一体のガーゴイルが牢獄の入り口から出てくると、不自然な走り方でガシャガシャと庭を駆け出したのだ。

「う、うまくいった! うまくいったのね! ほんとに、ガーゴイルどもを出し抜けたのね」

 なんと、そのガーゴイルはシルフィードの変身したものであった。キュルケは、ガーゴイルたちは異物には敏感に反応しても、自分たちと同じガーゴイルには反応しないだろうという、高性能ゆえの死角を見事に見抜いたのであった。

 慌てふためいて外に出られたシルフィードは、興奮のあまりにガーゴイルの姿のままでしばらく庭を走っていたが、やがて我に返ると風竜の姿に戻って飛び立った。

「赤いの……必ず、必ず助けに来るから、それまで無事でいてなのね。きゅい……」

 悲しく誓い、シルフィードは翼を羽ばたかせる。風竜のシルフィードが全速を出せば、王宮警護の竜騎士といえども簡単に追いつくことはできない。

 だが、飛び去っていくシルフィードを、グラン・トロワのバルコニーでジョゼフは薄ら笑いを浮かべて眺めていた。

「ふふ、なかなかやるな、あの小娘。さすが、シャルロットと肩を並べられるだけのことはある」

「ジョゼフさま、あの子ドラゴンは恐らく救援を求めに行ったのでしょう。追っ手をかけましょうか?」

「必要ない。あやつがどこへ向かったかについては、おおかたの目星がついているではないか。慌てて追わずとも、その連中は今どこにいる? むしろ哀れだと思わんか」

 視線を向けて、口元をゆがめたジョゼフに対して、傍らに控えたシェフィールドはうやうやしく頭をたれた。

「自棄になって向かってくるなら、虫けら同然にひねりつぶしてやればよい。だが、奴はあれでもシャルロットとずっと行動を共にしてきたのだ。思いもよらないあがきを見せてくれるかもしれん。見張りだけはつけておけ、もしも希望を持つようなことがあれば……シャルロットへのよい手向けになるであろう?」

「御意に」

 演劇の続きを楽しみにする子供のように、無邪気な様子でジョゼフは笑った。しかし、その瞳の奥には、劇に飽きて終焉の到来を切望する投げやりな感情も芽生え始め、危険な光を放ち始めていた。

 

 悪意の視線に見送られ、シルフィードはひとりで空を駆ける。

 かつてはタバサとともに飛んだガリアの空、どの風景もよく覚えているが、ひとりで見下ろすどんな美しい風景も、今のシルフィードにはむなしいだけだった。

「おねえさま、シルフィは悪い子でした。いつも、わがままばっかり言って……でも、必ず助けに行きますから……今度からはいい子になりますから、きっと無事で待っていてくださいなのね」

 涙をこらえて、シルフィードは飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。目指すは、彼女にとっての家であり、タバサが多くの仲間たちと出会った懐かしい学び舎。そこにさえたどり着ければと、国境をひとっとびに超えて、シルフィードはトリステインに帰ってきた。

 

 しかし、希望を胸にトリステイン魔法学院に降り立ったシルフィードを待っていたのは、耳を疑うような現実であった。

「えっ……みんな、出かけてていないって、どういうことなのね!」

 学院には、タバサの知己にあたる人、助けになってくれそうな人はほとんど残っていなかった。それもそのはず、そうした面々は皆、東方号に乗ってロマリアに旅立ってしまっていたのだ。

 才人やルイズ、何度もタバサといっしょに旅をしたみんななら、なんとか力になってくれるかもという期待は裏切られた。

 疲れている中でなんとか人間の姿に変化し、慌てていたので服を身につけるのを忘れていて、すっ裸で騒ぎになりかける中でどうにか聞き出すことはできた。けれども、いつ戻ってくるかわからない、少なくとも当分は、という変えがたい事実はシルフィードを打ちのめすのにじゅうぶんすぎた。

「そんな、ロマリアなんて場所、全然知らないのね。これじゃ、捜しに行くのもとても無理……」

 ハルケギニアといっても広い。タバサに召喚されてから一年にも満たないシルフィードの土地勘で捜せる範囲を大きく超えていた。

 しかし、なすすべなく学院の庭に座り込んで途方に暮れていたシルフィードに優しく声をかけた人がいた。

「あの、どうなさったんですか? 大丈夫ですか」

「あ、お前はメイド、なのね」

 黒髪のメイドの顔を、シルフィードはよく知っていた。もちろん、その相手、シエスタは人化したシルフィードのことは知らない。ただそれでも、孤独に耐えてきたシルフィードにとって、シエスタの優しさは胸に染みた。

 シエスタは、ただの布切れしか着ていなかったシルフィードを食堂に案内して、まかない食と菓子を出してあげた。

「こんなものしかありませんけど、よろしければ」

「い、いただくのね!」

 ずっと飛んできて腹を減らせていたシルフィードは喜んでかぶりついた。食事のメニュー自体はけっして豪華なものではなかったが、監獄の豪勢ではあるが温かみのない料理ばかり食べさせられていたシルフィードにとっては、久しぶりの誰かのぬくもりを感じられる食事だったので、自然に涙も出てきた。

「おいしいのね、ほんとにほんとにおいしいのね」

 懐かしい学院の味だった。タバサに無理を言って学食をわけてもらった思い出がよみがえっては泣けてくる。

 シエスタは、そんなシルフィードをしばらくじっと見守っていたが、やがて彼女がやや落ち着くと声をかけた。

「どちらの方か存じませんけど、この学院にわざわざいらしたということは何か重い事情がおありなのと察します。よろしければ、お話になってはいかがですか?」

「えっ?」

「いえ、私どもは学院の貴族のみなさまから、酒といっしょに悩みや愚痴をこぼされることも多いのです。もちろん、秘密は堅く守りますのでご安心を。少しでも話せば、楽になるかもしれませんよ」

 初めて直接話すシエスタの言葉は優しくて、シルフィードの心は揺れた。

 たぶん、シエスタはシルフィードのことを学院の生徒の従者がなにかだと思っているのだろう。シルフィードが人間に変化した姿そのものは、タバサを大人びたふうにしたようなもので大変な美女だが、ろくなものも着ずにうろついていたら貴族にいじめられている平民の従者というふうに誤解されてもしかたがない。

 そういえば、このメイドは前からおせっかいなところがあったとシルフィードは思った。才人とギーシュのいざこざ以来、貴族を相手にしても必要以上にへりくだったりせずに、むしろ自分から首を突っ込んでいくようになった。そんな彼女の人の良さをずっと見てきたシルフィードは、シエスタの好意が本物だと思った。

 ただ、それとは別にシルフィードは悩んだ。彼女には悪いが、正直、シエスタに話したころでいい考えが出てくるとはとても思えなかったのが理由だ。彼女は平民としては頭がよいし機転もきくが、タバサのように戦火をくぐってきたわけではない。

 それでも、出口の見えない迷路の中で、孤独と不安に押しつぶされそうになっていた彼女は、思い切ってすべてを吐露した。

「実は、わたしはおねえさまの、いやえっと! タ、タバサお姉さまの妹なのね! それで……」

 自分のことはタバサの妹として、それ以外はたどたどしくながら事実をできる限り口にした。

 シエスタは、それらの話をじっと聞いていたが、しだいに表情を曇らせていった。

「そんな、まさか……いえ、でも」

「やっぱり、信じてはくれないのかね?」

「いいえ、あなたのお話はミス・タバサとミス・ツェルプストーのいなくなった時期を言い当ててますから。ミス・ロングビルは、おふたりとも実家に帰省してるとおっしゃってましたが、確かに帰りが遅すぎますね」

「本当なのね! それで、おねえさまのお友達に助けを呼びに来たんだけど……わたしは、これからどうすればいいのか……きゅい」

 才人たちが帰るまで待つ、というのは論外だった。どう考えても一ヶ月以上はかかる。その間に、シルフィードに脱走を許したジョゼフがキュルケたちをどうするかわからない。

「イルククゥさん……」

 シエスタは、幾人もの貴族や平民と接してきた経験から、この奇妙な女性の言っていることに嘘がないことは見抜いた。なお、イルククゥとはタバサにシルフィードと名づけられる前の韻竜としての彼女の本名である。その悲痛な表情を見ると、シエスタはなんとか助けてあげたいという気になった。

「すみません、イルククゥさんの悩みは、わたしの力を大きく超えた問題のようです。ですが、そういうときは落ち着いて自分にできることをゆっくり思い返してみるといいってお母さんが言ってました。そうですね、この学院以外にもミス・タバサのお力になってくれそうな方はいらっしゃらないんですか?」

「お姉さまはずっとひとりで戦ってきたのね。味方なんて、誰もいなかったのね」

「結論を急がないで、あなたはずっとミス・タバサの行動を見てきたんでしょう。それをゆっくり思い出してみてください」

 そう言われて、シルフィードはわらにもすがる思いで、タバサに召喚されてからの記憶を掘り起こしていった。タバサといっしょに取り組んだ任務のいくつか、どのときでもタバサは現地の人間とは必要以上に関わりを持とうとはせずに、自分の復讐に他人を巻き込むことを避けてきた。

「ほら! 落ち込むと悪いことばっかり思いつくんです。いいことや、うれしかったことを思い出すんです。がんばって!」

「う、うん!」

 おねえさまが助けた翼人の集落の人に助けを求めるというのは……いやダメだ。そんなことをしたらガリアと翼人たちのあいだで戦争になってしまう。人間社会と深入りしない亜人の大部分に共通するルールは、シルフィードもよく理解していた。

 なら、ほかには誰が? 力になってくれそうな、強くて頭のいい人。そんな人がいるか? そんな人がいたら、とっくにおねえさまはその人を頼って……そうだ!

 シルフィードは、そこではっと思い出した。力になってくれるかはわからないが、おねえさまをずっと見守り続けてきたあの人なら。

 はじかれたようにシルフィードは立ち上がると、そのまま食堂の出口に向かって走り出した。

「ありがとなのねメイド! この礼はまた、必ずするのねーっ!」

「あっ、ちょっと! どこへ行かれるんですかーっ!?」

 慌ててシエスタも追いかける。相手はドアを潜り抜けて、そのまま学院の中庭へと飛び出していった。シエスタもまた、ドアを押し開けて、その後を追って飛び出した。

 

 しかし、広い中庭のどこにも相手の姿はなかった。

 代わりに、さっきまで彼女が身につけていた布切れが落ちていて、見上げるとそこには飛び去っていく青い竜の後姿のみがあった。

「お気をつけて……ミス・タバサとあなた方に、始祖のご加護がありますように」

 ひざを突き、シエスタは祈りを捧げた。彼女の脳裏には、再び青空の下で誰一人欠けることなく学院に通う皆の姿がありありと息づいていた。きっとそのときがやってくると信じて、シエスタはみんなが帰ってくるこの場所を守ろうとメイド服に気合を入れて誓う。

 この、小さな親切のアドバイスが、シルフィードとそれに連なる人たちの未来にどんな影響を与えるのか……この時点でそれを知りえる者は誰もいない。しかし、何の力もないただの人間の、たったひとつの言葉が大きな流れの源流になることも、時にはある。

 

 学院から飛び立ったシルフィードは、疲れを感じさせない速さで空を飛んだ。

 トリステインの国境を飛び越えて、再びガリアへと入る。

 しかし、目指すのはキュルケのいるリュティスではない。人の多い都市部を離れ、未開の原生林に包まれる地帯に入る。

「きっと……きっと、あの人なら……きゅい」

 一縷の希望を抱き、シルフィードがやってきた場所の名前はファンガスの森。かつて、無数のキメラが暴れまわった魔境。

 そして、タバサの長い戦いが始まったのが、この森だった。

 記憶を頼りに、切れ目のない森の上を飛ぶシルフィード。やがて彼女の前に、森から立ち上る一筋の煙が見えてきた。

「あそこなのね!」

 急ぎ、降り立つその場所は、森の中に開かれた広場に建てられた一軒家。窓から明かりが漏れ、調理の煙が煙突から立ち上るその家のドアに、シルフィードは下りるなり頭をぶっつけて叫んだ。

「おねえさまのおねえさまーっ! いるんでしょ、ここを開けてほしいのねーっ!」

「うるさいね……静かにしな」

「えっ……ひっ!」

 ドアはシルフィードの体当たりで壊されることはなかった。なぜなら、シルフィードが二度目の体当たりをする前に、二階から体を乗り出した若い女が、シルフィードの首筋を目掛けて弓を引き絞り、鋭い矢の先端を向けていたからである。

「き、気づいてたの、ね?」

「森じゃあ、近づく獣の気配に敏感じゃないと生きていけないんだよ、狩人の勘をなめるな。ん? どこかで聞いた声だと思ったら、お前はシャルロットの使い魔の、風竜の子じゃないの」

「お、お久しぶりなのね……ジル、さん」

 矢が放たれていたら確実に喉笛を貫かれていた。しかも、気配はまったく感じなかった。

 

 タバサに通じる、隠密さと一撃必殺の冷徹な技法。彼女こそ、かつてタバサとともにキメラドラゴンと戦った、タバサの戦いの師匠のジルであった。

 

 ジルは、二階から飛び降りると、猫のようにくるりと回って着地した。同時に、左足の義足がきしむ音がするが、彼女自身はまったく姿勢を崩した様子はない。すごい身体能力だと、シルフィードは目の前の黒髪の女狩人を見た。

「久しぶりだね。ひとりかい?」

「あ、はい!」

 威圧するように睨まれて、思わずシルフィードは緊張して答えた。やっぱり、こんな森で一人暮らしをしているだけあってすごく怖い。しかも、タバサとジルは一年に一度しか会わない約束をしているのだ。招かれざる客である自分は、間違いなく歓迎されていないだろう。

 が、シルフィードは脅えているわけにはいかない。怖いのを押し殺して、思い切って口を開いた。

「あ、あのジルさん。シ、シルフィはその、えと、えと、むきゅい」

「落ち着きなよ……ふん、どうやら遊び半分で来たわけでもなさそうだね。そこは冷えるよ、中に入りな」

 うながされて、シルフィードは急いで人化するとジルに続いて家の中に入った。

 

 通された室内で、シルフィードはジルにすべてを語った。

「なるほどね、それで私に助けを求めに来た。というわけだね」

「そ、そうなのね! お願いなのね。おねえさまのために、力を貸してほしいのね」

 シルフィードは必死に懇願した。彼女にとって、もはや頼ることができるのは目の前のジルしか残っていない。

 ジルは、シルフィードの説明を最後までじっと聞いていたが、冷たく口を開いた。

「だめだね」

「ど、どうしてなのね! あなたは、おねえさまの友達じゃないのかね。見捨てるのかね!」

「確かに、シャルロットは私にとって大切な存在だ。だが、あの子の戦いはあの子の責任だ。だから私は、この三年間シャルロットに一度も手を貸したことはないし、あの子もそれを望まない。一度でも助ければ、その甘えは油断となって死を招くことになるからね」

「で、でも」

「力を求めるってのは、牙を磨くってのは孤独なものなのさ。あの子の目的は父親の敵討ち、甘いままじゃ絶対に成し遂げられるもんじゃない。ためらいなく、生きた獲物の血肉を引き裂いて息の根を止める狩人の心が必要なんだ。第一、シャルロットが空にあいた穴に吸い込まれたって言うけど、生きている保障があるのかい?」

「あるのね! 私はおねえさまの使い魔、もしおねえさまが死んだら、私の使い魔のルーンも消えてなくなるはずなの。おねえさまは生きてる。絶対に!」

「なら、あの子は自分でなんとかするさ。できなければ、それもあの子の選んだ道だ」

 ジルはあくまで冷徹だった。タバサへの愛情は深くても、甘えを許さず突き放す厳しさは、まさにひとりで獣の中で生き抜いてきた狩人のそれであった。

 帰れ、鋭い視線でそう訴えかけてくるジルに、シルフィードは震えた。だが、シルフィードはここで引き下がるわけにはどうしてもいかない。床に頭をこすり付けて、泣きながら必死に訴えた。

「お願いなのね。おねえさまは、おねえさまはきっと帰ってくる。けど、いますぐにというわけにはいかないことになっているに違いないのね。だけど、捕まってるおねえさまのお母さまとお友だちは、今日か明日にもどうなるかわからないのね。シルフィはバカだから、作戦なんて考えられないの……ジルの知恵と腕っ節が、最後の頼みなのね」

「私は一介の狩人だよ。そんなのに、一国の王様にケンカ売れって言うのかい」

「無茶は承知してるの。でも、おねえさまが帰ってきたときにお母さまたちが死んでたら、きっととっても悲しむの! お母さんがいなくなる悲しさは、ジルだってわかっているはずなのね!」

 ぎりっと、歯軋りの音がジルの口から漏れた。彼女の胸中に、キメラドラゴンによって皆殺しにされた家族の記憶が生々しく蘇ってくる。あのときの悲しさと苦しさは、今でも忘れることはできない。

 

 ジルとシルフィード、ふたりのあいだに沈黙が流れた。

 頭を伏したシルフィード、立ち尽くしたジル、ふたりとも微動だにしない。

 

 だが、誰も知らないはずのファンガスの森の隠れ家は、すでにシルフィードを尾行してきたシェフィールドによって暴かれていた。

「ジョゼフ様、あの子竜はどうやら協力者を見つけ出したようです。いかがいたしましょうか?」

「ふふふ、シャルロットも知らないうちに顔が広くなっていたものだ。さあて、このままグラン・トロワにお越し願うのも一興ではあるが、待つだけなのも退屈だな。協力者とやらの力量、試させてもらうか。チャリジャめの置き土産のあれを使ってな」

「かしこまりました、ジョゼフ様」

 ジョゼフのちょっとした気まぐれで、恐るべき仕掛けがシルフィードを目掛けて動き出した。

 

 異変は時をおかずにファンガスの森へと伝わり、シルフィードとジルへと襲い掛かった。

「うっ、なんだ地震か!」

 轟音が鳴り響き、ジルの家が激しく揺さぶられた。

 それに続いて、家の外で爆発音にも似た轟音と、けたたましい吼え声が聞こえてくる。

 これは! ジルは、いつでも使えるように準備しているのであろう弓と矢、武器一式を詰め込んでいるのであろうリュックを手に取ると、外に飛び出した。

「ぐっ! こ、こいつは!」

「か、怪獣なのねーっ!」

 なんと、森の木々を蹴散らし、地底から巨大な怪獣が現れてふたりを見下ろしていた。

 全高はざっと六十メートルを超え、太く強靭そうな手足を持ち、頭部を覆うフードのような部分には黒いまだら模様がついている。

 超古代怪獣ゴルザ。先日、火竜山脈でウルトラマンAが戦ったメルバと同じく、超古代怪獣の一種である。

 性格は好戦的かつ凶暴で、戸惑うジルとシルフィードに考える暇を与えずにふたりに襲い掛かった。

 

【挿絵表示】

 

「きゃああっ!」

「バカっ! 来いっ」

 ジルに手を引かれて飛びのいたシルフィードの真上をゴルザの尻尾が飛び去っていく。太い尻尾はそのまま勢いをまったく衰えさせずに、余ったパワーのままにジルの家に直撃、菓子細工のように粉々に打ち砕いてしまった。

「ちっ、よくも私の家を」

「あわ、あわわわわ」

「こら! あんたもドラゴンだろ。びびってるんじゃない、さっさと飛んで退散するんだよ」

 さすがにジルは切り替えが早かった。うろたえたのは一瞬で、次にはなにをすべきかをちゃんと考えている。

 怒鳴られて、自分の本分を思い出したシルフィードは、即座に風竜の姿へと戻って翼を広げた。

 その背に飛び乗ったジルを乗せ、シルフィードは跳ね上がるように上空へと舞い上がっていった。

「へっへーん、ここまでは来られないだろうなのね!」

 シルフィードは、自慢の翼を羽ばたかせながら得意げに言った。いくらあの怪獣がすごいパワーを持っていても、羽がないなら空の上までは追っかけてくることはできないだろう。

 しかし、冷静に怪獣の動きを観察し続けていたジルは、怪獣の胸部から頭部にかけてが赤く発光し、その光が額に集中していくのを見た。

「まずい、避けろ!」

 ジルの叫びに、シルフィードは反射的に身をよじらせた。その直後、ゴルザの額から赤色の光線が放たれてシルフィードを襲った。

「きゃあっ!」

 直撃は避けた。だが、光線はシルフィードの翼の先端をかすめ、その威力で引きちぎっていってしまった。

 これが、ゴルザの必殺の武器である超音波光線である。直撃していたらシルフィードは断末魔をあげる間もなく粉々、かすめただけに終わったとはいえ、翼を傷つけられたシルフィードは悲鳴をあげながら墜落していった。

「きゃああぁーっ!」

「こらっ、気合を入れな。シャルロットは、このくらいで弱音を吐いたりはしないよ!」

 ジルの叱咤で、シルフィードはギリギリで体勢を立て直して軟着陸した。

 しかし、翼を傷つけられてしまったせいですぐにはまた飛び立てそうもない。しかも、二人に向かってゴルザは地響きを立てながら迫ってくる。

「ふん、狙いは私たちってわけらしいね」

「き、きっと、ジョゼフの差し金なのね。わたしたちを、殺そうとしてるのね」

 悔しげに言うシルフィードに、ジルは呆れたようにため息をついた。

「やれやれ、こちとら一介の狩人だって言ってるのに過大評価もいいところだよ。苦労して作った家も、よくも壊してくれたものね」

「ど、どうするの! あいつ来るのね! 踏み潰されるのね!」

「黙ってな。それと、その図体じゃ邪魔だから、さっさと人間になるんだ。まったく仕方ない、こっちも腹を据えるか」

 ジルは、迫り来るゴルザを不愉快そうに一瞥すると、指笛を吹いた。すると、森の中から一頭の馬が現れた。

「こ、この子は?」

「私が慣らした野生馬さ。乗りな」

 馬はジルとシルフィードを乗せると駆け出した。森林を住みかとするだけあって、根っこや倒木の隙間を器用に避けて走っていく。

 しかし、森を蹴散らして大またで進撃してくるゴルザから逃れるには馬の脚力でも不足だった。

「ダメダメ! 追いつかれちゃうのね」

「黙ってろ、舌を噛むよ」

「このまま逃げてどうするつもりなのね! ああっ、そっちは山なのね。逃げられなくなるのね、曲がるのね! 曲がって!」

「黙ってろって言ったろ! 私に考えがある。ついてきな、バケモノ!」

 ジルは手綱を操り、森の中でたくみに馬を操った。ゴルザの超音波光線を避け、吹っ飛ばされた木々の残骸も気にせずに駆けていく。

 ゴルザを誘導しつつ、ジルの馬はファンガスの森を一気に走破した。しかし、開けた地形の前に現れたのは、まるで壁のように眼前に立ちふさがる巨大な岩壁だったのである。

「あわわわ! 行き止まりなのね。だから言ったのね、もう逃げられないのね!」

 高さ数百メートルはある絶壁は上ることなどできず、身を隠せるような洞穴などもどこにもない。

 後ろからはゴルザがうなり声をあげ、凶悪そうな眼を輝かせてやってくる。

 だが、ジルは岩壁をじっと見回し、崖の一点に赤く記されたバツ印を見つけると、武器サックから火薬入りの矢を取り出してつがえた。

「ど、どこ狙ってるのね? 怪獣はあっちなのね、あっち!」

「まあ見てな。驚くんじゃないよ」

 ジルの弓から矢が放たれて、バツ印に当たって火薬が炸裂した。

 すると、事前に周囲に爆薬が仕掛けられていたのだろう。崖全体で連鎖爆発が起こり、岩壁全体が崩れだした。そして、崩れ行く崖の中から、とんでもないものが姿を現したのだ。

「あ、あれは! なんなのね! まさか」

「私が何年この森に住んでたと思うんだい? キメラドラゴンのほかにも、やばいものがあるんじゃないかと念のために一帯を調べたときに、こいつが山の中で眠っていたのを見つけたのさ。こんなこともあろうかと、仕掛けをしといて正解だったよ」

 

 愕然とするシルフィードの目の前で、崖は轟音をあげて崩れていく。

 そして、爆発の衝撃で目を覚まし、地上に這い出てくる一匹の怪獣。銀白色の蛇腹状の体を持ち、太い手足のたくましさはゴルザにも劣らない。口元には鋭い牙が生え、ゴツゴツとした頭部はまるでドクロのようだ。

 現れた怪獣は眼前のゴルザを見つけると、眠りを妨げられた怒りをぶつけるかのように甲高く凶暴な遠吠えをあげた。

 

「さあ行け! 目には目を、怪獣には怪獣をさ!」

 

 

 続く



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第5話  王者の情

 第5話

 王者の情

 

 超古代怪獣 ゴルザ

 どくろ怪獣 レッドキング 登場!

 

 

 ギジェラとの戦い以降、タバサと離れ離れになってしまったキュルケとシルフィードは、タバサの母と共にジョゼフに捕らえられていた。

 幽閉されること数ヶ月。しかし外の世界の異変を察知した彼女たちは、キュルケの機転でなんとかシルフィードだけは脱出に成功させた。

 シルフィードは、いまだ囚われの身であるキュルケとタバサの母を救うために、タバサの恩師であるジルに助力を求めに向かう。

 だが、ジョゼフはシルフィードのわずかな希望の芽も摘み取らんと怪獣ゴルザを差し向ける。

 追い詰められるジルとシルフィード。しかし、ジルはゴルザを山に誘い込み、切り札を発動させた。

 爆薬で崩れ落ちる山、その中から現れる巨大な影。ジルの切り札とは、山に眠っていた怪獣を蘇らせることだったのだ!

 

「あわわわ! ままま、また怪獣が出てきたのね。ジル! あなた、いったいどうしてくれちゃうのねーっ!」

「落ち着きなよ。あいつの目に、あたしたちなんか映っちゃいないさ。使えるものはなんでも利用するのが、狩人の勝利するための秘訣なんだよ。それが、たとえ怪獣でもね!」

 

 岩を砕き、山を崩して現れた怪獣は、ゴルザを見据えて巨大な叫び声をあげた。

 大きく鋭い牙が並んだ口を広げ、太い腕で胸をドラミングのように叩いて威嚇する。

 それはまさしく臨戦態勢のポーズ。白銀の巨体には、これからお前を倒してやるぞというパワーと闘争本能がみなぎっている。

 

「す、すごい声。シルフィ、あんな凶暴そうな生き物を見るの、初めてかもなのね」

 

 シルフィードが、新しい怪獣の雄たけびに背筋を震わせながら言った。知能を持っても消しようのない野生の本能が、恐怖となって体に訴えかけてくる。怖い、正直に言って怖い、あいつに比べたら、火竜山脈のドラゴンたちでさえ子猫のようにおとなしく感じられるかもしれない。

 突然の敵の出現に、驚いたゴルザが叫び返しても、銀色の怪獣の雄たけびの大きさがかき消してしまうほどだ。

 パワーにあふれた巨躯、ガイコツのようにゴツゴツと角ばった頭部はそれ自体が武器のようだ。混じりっけなく、全身から『強そう』というオーラがあふれているその怪獣は、形容するなら『怪獣の王様』とでも呼んでもいいだろう。

 この怪獣の異世界での名は、どくろ怪獣レッドキング。怪獣無法地帯多々良島の王者として君臨し、数多くの怪獣を血祭りにあげた悪名を轟かせる、危険極まる大怪獣だ。

 

「さあて、冬眠を邪魔された熊は相手をズタズタにするまで暴れるもんだけど、お手並み拝見といこうか。銀色の怪獣、あんたの眠りを覚ましたのはそいつだよ。さあ、思う存分暴れるがいいさ!」

 

 ジルの声がゴングとなったかのように、レッドキングはゴルザに挑みかかっていった。

 猛烈な突進、ゴルザも標的が違うとはいえ襲ってくるなら迎え撃つ以外にはない。

 二匹の怪獣が真っ向から激突し、よっつに組んでのパワーとパワーの勝負となった。

「うわっ!」

 激突の衝撃波だけでシルフィードは吹っ飛ばされた。ファンガスの森の木々も二大怪獣の激突のあおりを食って、まるで雑草のようにたやすくへし折れ、千切れ飛んでいく。

 そして、第一ラウンドの正面対決はまず、レッドキングの勝利となった。組み合いからのレッドキングの力任せの投げ技が炸裂し、パワー負けしたゴルザは背中から地面に叩きつけられた。

「うわぁお! 地震なのねーえ!」

 シルフィードが宙に浮き上がるほどの激震が、森と山を文字通りに震わせる。

 人知を超えた、超重量級の怪獣のパワー。しかし、これはまだ序の口に過ぎない。起き上がりざまに尻尾を鞭のように振り回すゴルザに対し、レッドキングも尻尾を振って対抗し、二匹の尻尾が空中で激突して双方ともはじけとんだ。

「ふん、今度は互角か」

「あわ、あわわわわ」

 二匹同時に吹っ飛んだことで、轟音とともに森の木々が数百本は同時に吹っ飛んだだろう。土煙が舞い上がり、巨木や岩が紙くずのように飛んでいく光景には、ジルも平静を装いながらも手足が細かく震え、シルフィードはジルにしがみついたまま腰を抜かしている。

 ファンガスの森の動物たちも同じだ。熊や狼も慌てふためいて逃げていき、鳥たちもいっせいに飛び立って空が一瞬黒く染まった。

 もちろん、二匹にとってはこんなものはウォーミングアップにもならないのは当然だ。ゴルザ、レッドキングともに相手を全力を出して倒すに値する相手だと認め、それぞれ雄たけびをあげてぶつかっていく。

 ゴルザの爪がレッドキングの蛇腹状の胴体を切り裂き、レッドキングのパンチがゴルザの黒々としたボディに深々と食い込む。交差する拳と爪、はたきこみ、アッパーカット、純粋な野生のパワー同士の激突は情け無用で激しさを増していった。

「ひええええ! ジジジ、ジルジルジル! はは、はやく逃げよう! 逃げようなのね。わたしたちまで死んじゃうのね!」

 シルフィードは目に涙を浮かべながらジルの肩を揺すった。タバサとともに怪獣と何度も戦って、ウルトラマンと怪獣との戦いも幾度も近くで目撃したことはあるが、いつも強い誰かに守られているという安心感があった。しかし、ジルはシルフィードをむしろ突き放すように扱う。

「悪いが逃げ道は連中が暴れてるど真ん中さ。決着がつくまでは、どこにも行けそうにないよ」

「そ、そそそ、そんな。決着がつくまでこんなところにいたら、戦いの巻き添えを食うか、勝ったほうに食べられちゃうのねえ!」

「うるさいよ。どのみちこれしか手段はなかったんだ。あんたも、シャルロットのパートナーなら腹を決めな。あの子は、戦いの中で窮地に陥ったとき、あんたみたいにぎゃあぎゃあ泣き言を言っていたかい?」

「う……」

 シルフィードは返事に窮した。確かに、タバサはどんな戦いや任務のときでも、取り乱したりはしなかった。常に冷静で、自分にできることとやるべきことのみを考えて、確実に実行していたからこそ不可能ごとと思われた数々の難題を乗り越えてこられたのだ。

”やっぱり、この人はおねえさまのお師匠なんだ”

 ジルの背中に、シルフィードはタバサと同じ揺るがない強さのようなものを感じ取った。

 なら、いいかげんわたしも覚悟を決めることにしようとシルフィードは考えた。これからジョゼフに、タバサ抜きで真っ向勝負を挑もうというのに、このくらいで狼狽していては何もなしとげることはできないだろう。

 誰かの背中に隠れて、『お手伝い』をしているだけの子供のままではいられない。タバサを取り戻すためにも、もう二度と失わないようにするためにも、ここで立派な使い魔として、パートナーとしての強さを身につけなければとシルフィードは怖がる自分の心に言い聞かせた。

「が、がんばる、のね」

「ほう、なかなかの根性だ。だが、これからが本番だよ。最後まで、気をしっかり持っていな!」

 ジルも本音を言えば怖かった。しかし、勝負事は弱気になったときに勝利の女神に見放されることを彼女は知っていた。キメラはいなくなっても厳しい森の中での生活を続けてきたジルが、今日まで生きてこられたのは恐怖との付き合い方をうまく知っていたからにほかならない。

 この戦いの行方がどうなるにしても、その次に備えて気力だけは保っておく。戦いは、これからだ。

 

 

 レッドキングとゴルザの激突は、双方が傷つくにつれてさらに激しさを増していった。

 猛進していくゴルザに対して、レッドキングは両腕を広げて「さあ来い!」とばかりに迎え撃つ。

 ゴルザの鋭い爪での攻撃、しかしレッドキングは太い腕を広げて、ゴルザの喉元にラリアットをお見舞いした。

 のけぞるゴルザ。レッドキングはすかさず追撃に両拳を合わせてゴルザの脳天にハンマーパンチを食らわせ、さらに腹蹴りからタックルへと組み合わせて一気に追い込んでいく。その強烈な連打には、さしものゴルザも口から苦悶の声を吐き出して後退を余儀なくされた。

 単純だが圧倒的なパワー。この怪力が、レッドキングの最大の持ち味だ。レッドキングは、光線や超能力といった類の武器は一切持っていないが、代わりに怪獣界でもトップクラスの超怪力を持っているのだ。

「バカ力も極めれば最強ってことか」

 ジルの皮肉もある意味では正しい。レッドキングのプロレス技に似たファイティングスタイルから繰り出される攻撃の数々は強烈の一言につき、日本アルプスに出現した個体は、それだけで自分より多彩な武器を持つ彗星怪獣ドラコや冷凍怪獣ギガスに勝利しているのだ。

 自分の優勢を喜ぶように、喉を鳴らすレッドキング。体をかきむしるようにするしぐさは、まるで「お前の攻撃など効かないぞ」と言っているかのように余裕綽々で、人間臭いポーズにはジルとシルフィードも思わず苦笑してしまった。

 が、ゴルザも力自慢の怪獣の一匹とはいえ、レッドキングと違ってパワーだけの怪獣というわけではない。

 最初は正面対決を挑んできたレッドキングにプライドから真っ向勝負を受けてたったが、相手がパワーでは自分を上回るとわかると戦法を変えてきた。胸部から頭部にかけて赤い光が走り、超音波光線が額から放たれて、油断していたレッドキングに直撃した。

「バカーッ! 調子に乗るからなのね」

 まったくそのとおりだった。超音波光線の威力は絶大で、無防備で直撃を食ってしまったレッドキングはもんどりうってゴロゴロと転がされるはめになってしまった。

 それでも、硬い皮膚のおかげで致命傷だけは避けたレッドキングは怒りの声とともに起き上がってくる。前傾姿勢をとり、重心を前にしての突進攻撃だ。山津波で大岩が流されてくるにも似た猛烈な進撃の破壊力は、すさまじいというレベルではすまないだろう。

 が、どんなすごいパワーも当たらなければ無意味だ。ゴルザは、レッドキングのパワーを十分に学習していたので、これを受け止めるのは無理だと即座に判断、受け止めると見せかけて、体をひねって突進をやり過ごしてしまった。

 空振りして、勢い余って盛大にすっ転ぶレッドキング。

「あれは、顔面打ったな」

「いたそーなのね」

 あまりにも見事な転びっぷりに、ついジルとシルフィードは戦いの緊張感を忘れてつぶやいてしまった。

 土に頭をめり込ませてもがくレッドキングは、やっと頭を引き抜いて泥を振り払うために頭を振った。だが、さらにその隙にゴルザの超音波光線が、今度はレッドキングの臀部に命中して、レッドキングは文字通り尻に火がついた状態で転げまわった。

「マヌケ」

「ぷふっ」

 悲鳴をあげて七転八倒するレッドキングの無様な姿に、ふたりともため息をついて呆れて、ちょっと笑ってしまった。

 あれじゃまるでガキのケンカだ。死闘のはずなのに、どうにもリアクションが人間臭くて笑えてしまう。こっちも命を賭けて観戦しているのだから、もう少しまじめにやってほしい。もっとも、こんな願いごとをしている時点ですでにバカみたいなのだが。

 尻の火をやっと消したレッドキングは、今度こそ怒ったぞと言うふうに威嚇のポーズをとるが、すでにゴルザは少しも恐れた様子はなかった。すでに威厳も貫禄もボロボロである。

 かえって、お前なんぞ怖くはないと言わんばかりにゴルザは喉を鳴らして笑うような声を出した。

 これに逆上したのがレッドキングである。単純にも、挑発にコロリと乗って、山が崩れて転がっていた数十メートルの大岩を持ち上げて、ゴルザにぶっつけようと顔の前まで抱え上げた。

 だがしかし、そんなこれ見よがしな攻撃アクションをゴルザも見逃すわけはなかった。レッドキングの持ち上げた岩に向かって超音波光線が放たれて爆発する。その音と衝撃に驚いて、つい手を放してしまったレッドキングの足に大岩が落下して、ひどいことになった。

 哀れになるくらいの悲鳴が響く。

「あいつ、もしかして頭が悪いのか」

「もしかしなくてもバカなのね」

 シルフィードにまで言われてしまってはおしまいだった。が、それこそがレッドキングの本質を、見事なまでに言い当てているといえる。

 そう、レッドキングはパワーこそすさまじいの一言であるが、大男総身に知恵が回りかねを地でいっており、非常に頭が悪い。戦法は力任せに相手に向かっていくの一点張りで、引くことを知らず、ましてや作戦を立てて戦うなどといった高等なことはまったくと断言してしまっていいほどできない。

 これが、自分よりも格が下の相手ならばそれでもいい。しかし、このゴルザのように実力が伯仲した相手だと猪突猛進は欠点にしかならない。事実、レッドキングはパワーではウルトラマンにも勝るに関わらず、初代ウルトラマンと戦った二体の個体はそれぞれウルトラマンの素早い動きと頭脳プレーに翻弄されて負けている。

 例外としてはウルトラマン80と戦った三代目は芸達者で80を苦戦させたが、これは魔法の力で作られたイミテーションなので厳密にはレッドキングのニセモノである。

「これは、勝負あったか」

 ジルがいまいましげに吐き捨てた。狩人として生きてきた彼女には、野生での戦いで知力がどれだけ大切なものか嫌というほど思い知っていた。武器を持ったとしても、獣よりはるかに肉体的に劣る人間である自分が勝ち残ってこれたのは、獣の弱点を突き、罠を仕掛ける知力があったからにほかならない。

 しかし、まだ戦いは終わっていない。レッドキングが敗北するということは、そのままゴルザがふたりに襲い掛かってくるということで、そうなったら万に一つも生き残れる可能性はない。理不尽だが、どうあってもレッドキングには勝ってもらわなくてはならないのだ。

 運命を預けたジルとシルフィードの見守る前で、勝手に運命を預けられたレッドキングは痛みに完全に頭にきた様子でゴルザに突進していった。

 やはり、奴は引くことを知らない。闘争本能の塊のような怪獣だ。

 パンチを繰り出そうとするレッドキング。怒りのパワーが加わっているので、その破壊力は相当なものになるだろう。

 が、やはり直線的すぎる。見切るのも子供でもできるほどで、ゴルザがちょっと体をひねって尻尾で足払いをかけただけで、あっさりと転倒させられてしまい、もがいているところで尻尾を踏んづけられてしまった。

 起き上がれなくなったレッドキングをゴルザは足蹴にし、腹を蹴り上げて転がした。抵抗できないところへの一方的な攻撃を受けて、さしものタフなレッドキングもダメージが蓄積してよろめいてくる。だがさらに、やっと起き上がろうとしたところへゴルザは超音波光線を放ち、容赦なく追撃をかけてきたのだ。

 超音波光線の命中、レッドキングの胸で爆発が起こり、巨体が大きく揺さぶられた。

 あれは、並のダメージではない。ジルは、これで大勢は決したと、自嘲じみた笑みで認めざるを得なかった。

「ジ、ジル……」

「慌てるな。あたしたちはあいつに運命を託したんだ。なら、せめて最後まで見届けるのが筋ってもんだろう」

 どっちみち逃げ場はない。ならば、けじめだけはつけようとジルは覚悟した。

 だがそれでも、レッドキングはその後も予想外の善戦は見せた。ダメージを受けた体ながら、パンチやキックを繰り出してゴルザを攻めまくる姿は、悲壮感さえ感じさせられてふたりの胸を打った。

 ただし、善戦では勝利にはつながらない。すでに体力差が大きく開いている上に、やはり飛び道具を持つゴルザが優勢に違いなかった。レッドキングはボロボロにされ、ついに倒れこんでしまった。

「あ、ああ……」

 勝敗は決した。レッドキングはまだ戦おうと荒い息をついているが、もう立ち上がる力すらろくに残っていまい。いや、ゴルザがそうはさせてくれないだろう。

 レッドキングは蹴り飛ばされ、超音波光線を容赦なく浴びせかけられる。その凄惨な光景には、目を覆わんばかりだった。

「い、いくらなんでも、これはあんまりなのね!」

 もちろん、そんなことを言っても通じるわけはない。生きるか死ぬかの野性の勝負は、とにかく勝ったものがすべてなのだ。

 息の根を止めてやるとばかりに猛攻を続けるゴルザ。レッドキングは抵抗する術を失い、悲鳴のような叫び声をあげるしかない。

 だが、その悲痛な叫びが山を揺るがしたとき、信じられない異変が起こった。

 

「うわっ! わわわわ! また地震なのね」

「前のよりでかい! これは……な、なんだとぉ!」

 

 レッドキングの現れた山が崩れて、中から大岩の海を泳ぐように巨大な影がせり上がってくる。

 大気を揺るがす聞きなれた声、飛び出てくるドクロのような頭はまさか!

 そして、無数の大岩をまるで火山弾のように打ち上げて地上に姿を現したのは、なんともう一頭のレッドキングだったのだ。

「お、同じ怪獣! もう一匹いたのか」

「けど、今度は真っ赤なやつなのね。あっ! ジル、危ない!」

 出現した二頭目のレッドキング。それは、最初に現れた銀白色のレッドキングと姿かたちは同じだが、背丈が一回り大きく、何よりも全身がその名に示されるとおりに真紅に染まった、正真正銘のレッドキングであった。

 猛烈なパワーで山を吹き飛ばして現れたレッドキングの撒き散らした岩が、周辺に雨のように降り注ぐ。抱えるほどの大きさの岩くれも無数に混じっており、当たれば人間なんかひとたまりもない。シルフィードは、竜の姿に戻って翼を広げ、ジルと馬を覆いかぶさるようにして守った。

「お、お前!」

「シルフィ、これでもドラゴンだから、このくらいはへっちゃらなのねっ! うっ、いっ! だ、だいじょうっ」

 シルフィードの背中に岩が次々と当たる。我慢してはいるが、相当な痛みを味わっているのは、涙目になった彼女の目つきを見ればわかった。しかしこうしなければ、ジルは岩の雨の中で即死だったのは間違いない。

「バカやろう、ガキのくせに無茶なんかして」

「こ、こういうところはおねえさま譲りだと思うのね。そ、それよりも、怪獣がっ! あうっ!」

 そうだ、戦いはまだ終わったわけではなかった。

 視線を向けるジルとシルフィードの前で、新たに現れた赤いレッドキングは一直線にゴルザに挑みかかっていった。

 突進。いや、猛撃、猛進、激震! そう呼んでいい進撃を前にして、ゴルザも超音波光線で迎え撃つが、赤いレッドキングは超音波光線の直撃をまともに受けながらも、それを無視してゴルザに頭から体当たりを食らわせてぶっとばした。

「ぬうわぁっ!?」

 衝突の衝撃波だけでジルは吹き飛ばされそうになった。だが、その衝撃のおかげで周辺の瓦礫も吹っ飛び、ジルは傷だらけになったシルフィードを助け起こした。

「おいお前! くっ、はやく人間になれ。その図体のままじゃ手当てできん」

「わ、我を包む風よ、わ、我の姿を変えよ……へへっ、シルフィも少しは役立てたかのね?」

「こいつ、無茶するところはシャルロットに似やがって。心配するこっちの身にもなれ!」

「ジ、ジルこそ、そういう優しいところはおねえさまと似てるのね。ほら、見て、あの怪獣たちも……」

 見ると、あの赤いレッドキングが、ゴルザにやられていたレッドキングを助け起こしていた。倒れた仲間のたもとに寄り添い、顔を近づけて、身を案じるように穏やかで優しげな声を出している。その声に応えて、死に掛けであった最初のレッドキングもよろよろとながら起き上がって、赤いレッドキングに頭を摺り寄せた。

「あの赤いの、銀色のやつを助けに来たのね」

「ああ、親子か夫婦か……まさか、こんなことがな……」

 恐ろしいキメラや怪物・化け物と戦って生きてきたジルは、目の前で、まさか怪獣たちがこんな光景を見せてくれるとは信じられない思いで見ていた。

 二匹のレッドキングは、互いに再会を喜び合うかのようにしばらく顔をすり合わせて話のようなものをしていたようだったが、やがてゴルザが起き上がってくると、二匹揃って臨戦態勢に移った。

 レッドキングの特徴的な雄たけびが二重になって響き渡り、スタートした最終ラウンドに二匹のレッドキングとゴルザが激突する。

 最初に口火を切ったのはゴルザであった。これまで余裕を保っていられたのだが、さすがに相手が二匹になると話が違う。先制攻撃とばかりに、エネルギーを振り絞った超音波光線を放って、傷ついたほうのレッドキングに先にとどめを刺そうと狙ってくる。いくら二匹に増えても所詮バカはバカ、一体を片付けてしまえばそれで元通りと考えたのだろう。

 だが、レッドキングのタッグは狡猾なゴルザに単純な本能から出た行為で立ち向かった。赤いレッドキングが銀色の前に出て超音波光線の盾になり、銀色がその隙をついてゴルザを殴り飛ばしたのだ。

「かばった!」

 やっぱり、あの二匹は単なる仲間というわけではなく、我が身を挺して互いを守ろうという絆があるようだ。

 レッドキングの渾身の一撃を受けて、さしものゴルザも大きなショックを受けて吹っ飛ばされた。傷ついているのに、いや傷ついているからこそ、怒りのパワーが追加されて威力が増加され、さらに仲間がついているという支えが生まれて倍増しているのだろう。

 ゴルザはあまりのショックに、頭をふらつかせながらも間合いをとろうと後退しはじめた。超音波光線による遠距離攻撃で形勢を立て直そうという考えなのだろう。が、二匹のレッドキングは、本能的にそうはさせじと猛烈に突進してゴルザに無理矢理肉弾戦を挑んでいった。

 銀色のレッドキングの頭突きに、赤いレッドキングのショルダータックルが続いて炸裂する。

 よろけるゴルザ。だが攻撃はやまずに、二匹はさらなる攻撃へと移っていった。

 赤いレッドキングのストレートパンチが炸裂し、吹っ飛んだところへ銀色のレッドキングの尻尾殴打が決まる。

 パワー×パワー、レッドキングの怪力は怪獣界でもトップクラスなのに、二匹ともなれば自乗して四倍ともなるだろう。小細工も、これだけ増大したパワーの前では役に立たずに、ゴルザの爪もレッドキングの皮膚をわずかに切るだけに過ぎない。

 それでも、超音波光線のゼロ距離攻撃が決まり、赤いレッドキングが吹き飛ばされた。

 やられたのか? だがその瞬間、銀色のレッドキングがゴルザを羽交い絞めにし、喉元に鋭い牙で噛み付いた。

「うわっ!」

 あれはと、シルフィードは背筋が凍る思いがした。

 噛みつきとは、多くの肉食動物が必殺の武器として使用するように非常に威力が高い攻撃だ。いやそれ以上に、肉に牙が深く食い込むために、非常に痛いのが何よりの恐ろしさで、人間でも子供が噛み付いた程度で大人が悲鳴をあげるくらいのものが、レッドキングの怪力と牙でされたらもはや想像を絶する。

 ゴルザもその例外ではなく、これまでにはないくらいの悲鳴をあげて苦しんでいた。

 そして、その間に蘇ってきた赤いレッドキングが腕を鳴らしながら力を溜め、羽交い絞めにされたゴルザに全力のラリアットを食らわせた。首筋への直撃に、ゴルザの瞳から焦点が失われ、口元から泡が漏れた。

「決まったか……」

「ひえ、ひぇぇぇ」

 恐ろしいまでに情け無用の攻撃に、元来平和主義者のシルフィードは心底震えていた。

 もし、この場に才人がいたら「まるで悪役レスラーの試合だ」とでも評したかもしれない傍若無人なファイトスタイルこそ、レッドキングの本来の姿であった。

 そう、悪逆非道、天下無双、怪獣一の暴れん坊。血を見るのを何よりも好み、友好珍獣ピグモンをさえ容赦なく殺害したレッドキングは最強の大悪党、泣く子も黙る怪獣の王様なのである。

 

 二対一の戦いもちっとも卑怯ではなく、文句があるならかかってこいとばかりに雄たけびをあげるレッドキング。

 しかし、ゴルザも弱りきっているが、銀色のレッドキングもまた死に体であった。戦いに復帰したものの、全身の傷から赤い血が流れ、息も苦しそうにぜいぜいと乱れている。

 これ以上戦いが長引いては、銀色のレッドキングも持たないだろう。すると、赤いレッドキングは銀色のレッドキングの傷をいたわるように体をすりよせ、なにかを告げるように喉を鳴らした。

「終わるな」

 ジルは、数々の経験から獣が集団で狩りをするときの習性を身に染み込ませていた。

 あれは、追い込んだ獲物の息の根を止める合図だ。やつらは、次の一撃でとどめを刺すつもりなのに違いない。

 突進する二匹のレッドキング。ゴルザは虚ろな意識で危機を察知し、本能的に超音波光線を放とうとしたが、狙いさえつかない状態では当たるはずがない。

 外れた光線で巻き上がる爆発。そして次の瞬間、二匹のレッドキングは左右から挟みこむようにして、ダブルラリアットをお見舞いした!

 

 大気を揺さぶる激震。さらに、ゴルザの短い断末魔の声が流れたとき、戦いの勝敗は決した。

 ゆっくりと、ひざを突いて倒れこむゴルザ。その尻尾がわずかに痙攣し、瞳から光が失われた。

 

 絶命……その瞬間、レッドキングの勝利の雄たけびが森と山々にこだました。

 鋭い牙の生えた口を広げ、万歳をするように雄たけびをあげるレッドキング。それはまさに、「この土地の支配者は俺たちだ、邪魔する奴は皆殺しにしてやるぞ」とでも、生きとし生ける者たちに宣言しているかのようだった。

 まさしく、大悪党、王者の貫禄。大王や暴君は他にいるので、そちらの呼称は使えないが、それでも十分に風格のある偉容であった。

「次はあたしたちか……」

 とんでもない奴らを目覚めさせてしまったと、ジルは観念した。ゴルザは首尾よく倒してくれたものの、逃げ隠れする場もないこんなところにいる自分たちは、絶交の餌食にされてしまうに違いない。

 携行した武器だけでは、一匹なら目くらましもできるが二匹ではどうしようもない。多くの命を狩って生きてきた手前、こういう最期を迎えることはずっと昔から覚悟しているつもりであったが、どうも心残りが多いのが情けない。

「悪いな、お前くらいはなんとか逃がしてやるつもりだったんだが」

「い、いいのね。シルフィだって、誇り高い風韻竜の眷属なのね。な、仲間を置いて、じ、自分だけ逃げるなんてするくらいなら、しん、死んだほうがましなのよよよよよね」

「やせ我慢するな。わたしが食われてる隙に、なんとかドラゴンになって逃げろ。片翼でも、わたしよりは助かる可能性がある。お前には、やることがあるだろう?」

 自分は本来、四年前に死んでいるはずの人間だとジルは自嘲げに言った。キメラドラゴンと刺し違えるはずが、シャルロットに拾われて繋ぎ止めた命、あの子に返すことになるだけだと言い、ジルはシルフィードに告げた。

「ほら、連中こっちに気がついたよ。チャンスは一瞬だ、全力で飛びな。決して後ろを振り向くんじゃないよ」

「で、でも!」

「ぐずぐず言うな! どっちみち、あたしを乗せてあんたは飛べないんだ。なら、これしかないだろう」

 これ以上文句を言うならあんたを先に撃ち殺すと、ジルはシルフィードに矢の先を向けた。

 レッドキングは、その黒々とした瞳の先をジルとシルフィードに向けていた。彼らは、ジルが封印を解いた張本人だと、もちろん知っているはずはないが、手を伸ばせばすぐに届く獲物とは映っているだろう。

 来るか? ジルはシルフィードをかばいつつ、逃げる合図をしようと身構えた。

 

 だが、今にも襲ってくるかと思われたレッドキングたちは動かなかった。いや、赤いレッドキングはジルたちを見つけはしたが、一瞥すると、その後は見向きもせずに、銀色の傷ついたレッドキングに寄り添った。

 荒い息をついている銀色のレッドキングは苦しそうで、勝ちはしたものの重傷なのが見るからに痛々しかった。

 すると、赤いレッドキングはゴルザとの戦いのときの凶暴さとはまるで違う、穏やかな声と、優しい動きで手を差し伸べて助け起こしたのだ。

「あ、あいつ……」

 赤いレッドキングに肩を貸されて、銀色のレッドキングはよろよろと歩いていった。

 銀色が苦しそうな様子を見せれば赤いほうはゆっくりになり、また苦しそうな様子を見せれば、顔を寄せてはげますようにうなっている。

 唖然として見守るジルとシルフィードの見守る前で、赤いレッドキングと銀色のレッドキングはふたりに一瞥もせずに通り過ぎていく。

 そして、赤いレッドキングは自分たちが出てきた山腹の穴の中に銀色のレッドキングを横たえると、自分もそばによって穴に入った。後は、手足と尻尾を使って周囲の岩を崩すと、二匹の体は岩にうずもれてまったく見えなくなってしまった。

 再び眠りについたのだ。傷を癒し、もう互いに二度と離れないために……その、あまりに戦っているときとは印象の違うレッドキングたちの姿に、ジルとシルフィードも毒気を抜かれてやれやれと体の力を抜いた。

「やれやれ……まさかあんなものを奴らが見せてくれるとはな」

「仲のいい夫婦だったのね。きゅいっ」

「ああ……奴らには、悪いことをしちまったな」

 本気で、ジルはそう思った。

 最初は、道具として利用してやるだけのつもりだった。怪獣には、昔からひどいめに会わされてきた。自然の中で生きる上で、情けは無用だと自分に徹底的に教え込んできた。

 なのに、まるで人間みたいに相手を思いやることを、まさか怪獣たちが見せてくれるとは。

 大切なものを守りたいと思う気持ちに、人間も怪獣も変わりはない。ただ、それだけのことだったか……ジルは、そう思うと自分の心の中が不思議と穏やかになっていくのを感じた気がした。そして、なにかを吹っ切ったような晴れ晴れした表情をシルフィードに向けると言った。

「さて、それじゃあたしたちも行くとするか」

「へっ? 行くって、どこへ?」

「あん? シャルロットの友達を助けに行くんだろ。時間がないんじゃないのかい」

 その言葉を聞いて、シルフィードの顔に満面の笑みが浮かんだ。

「ジル、そ、それじゃ! シルフィの力になってくれるのね? いっしょに来てくれるのね!」

「ああ、家もぶっ壊れちまったし、あたしもそろそろ山奥に引きこもってるのも潮時のようだ。あれから三年、そろそろ出てってもあたしの家族も許してくれるだろ」

 ジルの見上げた先には、荒れ果てて原型を失ったファンガスの森の、その先にある世界が浮かんでいた。

 家族が死んだ森、キメラとの苦しい戦いの日々がジルの脳裏に蘇る。だが、死者の魂を慰める日々も、もう終わらせていいはずだ。

 死者への別れを、ジルは心の中ですませた。すると、遠い目をしているジルにシルフィードが尋ねた。

「ジル、けど、あれだけしぶってたジルが、なんで、どうして?」

 そうすると、ジルは鼻の頭を軽くかき、照れくさそうに言った。

「へっ、あたしとしたことが、少し昔を思い出しちまったのさ。父さんや母さんがいる幸せだった頃を……あたしには、もう遠い思い出だけのことだけど、シャルロットにはまだ帰れるところがある。それを守ってやらないとな」

「でも、ジルはそれはおねえさま自身の問題だって」

「そうさ。けど、あの二匹を見てて思ったんだ。本当に苦しいときこそ、仲間の助けが必要なんだって……シャルロットは、立派にお母さんを助けだすために戦い抜いた。なら、力尽きて倒れたときに手を差し伸べてやるのは、あたしの役目だ」

「ジル、ありがとう。ありがとなのね」

 シルフィードは、ジルの胸に顔をうずめて思いっきり泣いた。長い間の緊張が切れて、やっと安心できるからか、涙が後から後から湧いてきて、ジルの皮と木綿の服を濡らした。

「やれやれ、あたしの何倍も生きてるくせに、まだガキだな」

 そんな子供が、シャルロットのためだけにあれだけの冒険を潜り抜けてきたのだ。考えてみれば、シャルロットとてまだ子供のうちに入る。今回の一件は、明らかにシャルロットひとりの身には余る。なら、大人が助けてやらねばなるまい。

「おいおい、そろそろ泣き止め。まだなんにも終わっちゃいないんだ。ガリアの王様は、あたしたちに当に感ずいてる。のこのこと出て行ったところを捕まって、まとめて首を切られる可能性のほうが高いんだよ」

「ぐすっ、大丈夫なの。最後まであきらめずに打ち込めば、きっと大いなる意志は正しい者に味方してくれるの。それに、おねえさまは数え切れないくらい不可能を可能にしてきたの。やる前からあきらめちゃダメってことは、おねえさまが教えてくれたの!」

「まったく、使い魔は主人に似るか。しかしま、あたしも一度決めたことだ。いまさらガタガタ言ったりしやしないよ。さて、今度こそ行こうか。ぐずぐずしてたらシャルロットが帰ってきちまう」

「うんなのね!」

 

 ジルとシルフィードは、馬の背に揺られながら旅立った。目指すはリュティス、ジョゼフの待ち受けるグラン・トロワ。

 

 三年間住み、隅々まで知り尽くした森の風景がジルの眼に入っては通り過ぎていく。

 ファンガスの森、ここで自分とシャルロットのすべてが始まり、また自分はここから始めようとしている。

 父と母と妹を奪ったキメラドラゴンとの戦い、戦士として覚醒し、仇を討ってくれたシャルロット。そして、自分たちを救ってくれた不思議な青い巨人。すべて、みな、懐かしい。

「あばよ、ファンガスの森。さようなら、みんな……あたしはここから出て行く。もう二度と戻ってくることはないだろう。でも、心配しないでくれ。あたしは、これからいろいろ苦労することになると思うけど、前だけを向いて生きていくからさ」

 ジルは振り返らない。過去しかないこの森を離れ、未来に新しく生きるために、過去を捨てて身軽になって歩みだす。

 頼りない竜の子のお守りでも、重苦しさは少しもない。

 行く先に、ジョゼフがどんな罠を張っていようとも、孤独でない者は強いのだから。

 

 

 続く



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第6話  ハルケギニア大陥没! (前編)

 第6話

 ハルケギニア大陥没! (前編)

 

 核怪獣 ギラドラス 登場!

 

 

 舞台をエギンハイム村へと戻して、世界の流れはまたひとつのスタートを迎える。

 アパテーとの戦いがあって数日、東方号の応急修理はひとまずの完了を経て、ロマリア巡礼団は一度本国へ帰還することとなった。

 ただしかし、東方号の帰還には加わらずに、トリステイン帰還を蹴ってロマリアを徒歩で直接目指そうという一団が出来上がっていた。

 

「すまないわね、わがままを聞いてくださって。姫さまには、ルイズは必ずご期待に添えるからってお伝えお願いするわ」

「ああ、だが無茶はするな。巡礼団代理という名目はあるにせよ、ロマリアはトリステインの勝手は通じない場所だ。特に、聖堂騎士団は貴族であろうとも異端審問できる特権もあるという、くれぐれも自重して行動しろ。この異変の原因がロマリアにあるというなら、それを突き止めることを頭に置いて、慎重にな」

 

 発進前の東方号のかたわらで、ルイズとアニエスが別れのあいさつをすませた。

 これから、東方号の一行は、船に乗って帰国する者たちと、ルイズをリーダーとして陸路ロマリアへと向かう一団に分かれることになる。

 目的は、空を覆った虫の黒雲の正体を突き止めること。また、金属生命体を送り込んできた何者かも、ロマリア方面にいる可能性が高いので、その正体と目的を突き止めることもある。もっとも、この両者にはなんらかの関係がある可能性が大であるが。

 向かうメンバーは、才人とルイズはまず当然。ギーシュ率いる水精霊騎士隊からも、特に八人ほどが選ばれて加わった。

 意外だったのは、ティファニアとルクシャナたちも同行することを希望したことである。

「ロマリアはエルフを悪魔と見なしているブリミル教の総本山ですよ。あなた方が行くのは危険すぎませんか?」

 アニエスは当然気遣い、東方号でいっしょに帰還することを薦めた。しかしティファニアは、不安げながら毅然として答えた。

「い、いえ。エルフと人間が仲良くするためには、いつかは行かなくちゃいけないところです。だったら、少しでも早く行って見て聞いて、考える時間を持ちたいと、そう思いました」

 またルクシャナは。

「そうそう、この子の言う通りよ。物事を後回しにしたっていいことなんてないわ。だいたい最初から行くつもりで船に乗ったんだもの。なによりわたしは退屈なのが大っ嫌いなの。行く先に謎が待っているなら、止めたって無駄なんだから」

 考え方は違えども、危険は承知ならばこれ以上止めるのは失礼というものだった。アニエスは納得して、くれぐれもエルフの正体だけはばれないように気をつけてくれと念を押して、彼女たちの同行を認めた。後は、銃士隊からロマリア出身者をつのった十名をミシェルが指揮し、およそ二十人ほどの団体となって南へと向かう。

「頼むぞミシェル、お前にはまた苦労をかけるが、船を動かすためにこれ以上の人数は裂けんのだ。すまん」

「大丈夫ですよ。これ以上の人数がいたところで、やたらと目だって動きにくくなるだけです。それに、騎士ごっこの青二才どもも、今ではそんじょそこらのでくのぼうよりは役に立ちますからね」

 アニエスとミシェルの、水精霊騎士隊への評価も昔とはかなり変わっていた。数々の戦いを潜り抜け、金属生命体との戦いのときに見せた優秀な働きぶりも、それを裏付けていたからだ。

 しかし、アニエスは心配するなと言う義妹に、釘を刺すことを忘れなかった。

「期待しているぞ。だが、本当に気をつけるんだぞ。今回は、本当に最低限の人数しかつけてやれんし、なによりも……これまでとは違う嫌な予感がするのだ。敵はヤプールではないかもしれん。特にお前はサイトがいると気が抜けやすいから、絶対に油断するな」

「はは、肝に銘じておきます。サイトは、わたしたちが危なくなると助けようと無茶するでしょうから、わたしがしっかりしませんと。今回は、前と違ってほんとうに仲間も少ないですからね」

 前の旅では大勢いたが、今回はその半分もつれていけない。特にコルベールなどは、国外の事情などにも詳しいそうなのでぜひにも来て欲しかったが、本人もすまなそうに断られた。

「申し訳ない。肝心なときに役に立てずに……私の生徒たちを、くれぐれも頼む」

「仕方ありません。ミスタ・コルベール以外に東方号の面倒をみられる人はおりませんからね。最善を尽くしてまいります」

 コルベールの、生徒の無事を思う気持ちには自然と頭が下がった。だが、彼には傷ついた東方号を持ち帰って、次に必要になったときのためにしっかり直しておいてもらわないといけない。

 

 

 名残は尽きぬが、旅立ちの時は来た。

 

 アニエスとコルベールの乗った東方号は、傷ついた船体を浮き上がらせ、生き返らせたふたつのエンジンのプロペラを回転させて動き出した。

 虫の黒雲に突っ込むわけにはいかないので、低空でゆっくりと進む東方号の甲板からは、帰国する仲間たちが手を振っていた。

「がんばれよーギーシュ! ロマリアの坊主どもに、トリステイン貴族を見せてやれ」

「ロマリアの美女にたらしこまれるんじゃねえぞーっ! 抜け駆けしやがったら一生恨むからなあ!」

「副長、ご無事で! 我ら一同、みな副長を信頼しておりますから!」

 小さくなっていく声を聞きながら、エギンハイム村に残った者たちは、自分たちがよい仲間に恵まれたと感じた。

 ギーシュや水精霊騎士隊の面々は、悪態をつきながらも邪気のない友人たちに。ミシェルは、一度は裏切りという大罪を犯した自分を今では信頼してくれていると言う部下たちに、心の絆こそ何にも勝る宝だと確信するのだった。

 むろん才人らも、必ず生きて使命を果たし、再会しようと決意する。

 ヤプールでもなんでも、この世界の平和を乱そうという者がロマリアにいるなら待っていろ! そんな野望は必ず砕いてやると。

 やがて東方号も小さくなって見えなくなり、残った者たちも出発の時間となった。

「ようし諸君、水精霊騎士隊ロマリアに向けて出陣だ! 我らが敬愛する女王陛下のため、また働ける時がやってきた。さらにこの機会に、我ら水精霊騎士隊の名を国外にも轟かせるのだ。いざゆかん、まだ見ぬ敵とロマリアのご婦人方が待っているぞ!」

「おおーっ!!」

 さっき抜け駆けするなと言われたのに、さっそく忘れたギーシュの激に少年たちはいっせいに轟くような声で答えた。

 が、浮かれたバカには早速鉄槌が下る。

「お前が仕切るなバカ者! 今回は目立ってはいけない隠密任務だと、もう忘れたか! いいか、今回は行く先に何が待っているかわからない以上、難易度はネフテスへ行ったときより上だとも言えるんだ。それ以前にこれから山越えをしなきゃならん。今から無駄な体力を使って、途中でへばったら山から蹴り落とすからな!」

「はっ、はいいっ!」

 冒険気分になっていたギーシュたちは、ミシェルの一喝で反射的に気をつけの姿勢にされて、いきなり気合を入れなおされる羽目になった。

 まったくほんとに、この連中のすぐ遊び気分になる癖はいつになったら抜けるのか。かっこつけて高く掲げたギーシュの薔薇の杖の花びらが地面を向いてしおれているように見える。そんな様を見て、わずかな女子のルイズやモンモランシーはため息を漏らすのだった。

「こんなんで、先行き大丈夫なのかしら。ルイズ、何度も言うようだけど、わたしは人生の選択を誤ってる気がするんだけど?」

「しょうがないでしょ。あなたは貴重な『治癒』の使い手なんだもの。それに、人生の選択っていうなら、あなたより多分わたしのほうが多く後悔してるから安心しなさい。好きだ、なんて言ってもらえたくらいで安心しちゃだめよー。男なんて、まったく信用できない生き物なんだから」

「心から同意するわ。ほんとに、どうしてわたしはギーシュを見限れないのかしら? きっとあいつ、まだロマリア美女を口説くことで頭がいっぱいよ。わかってるんだから……なのに、ああもう! 将来苦労することなんかわかりきってるのに!」

「わたしたちって、ほんとにバカね」

 ルイズとモンモランシー、共通の悩みを持つふたりは、共に頭をがっくり下げてうなだれた。ふたりの桃色の髪と金髪に白髪が混ざってきたと言っても、この場なら冗談にならないかもしれない。当のギーシュはといえば、叱られていて聞く余裕はなくて、才人はといえば、やっぱりマジになったときのミシェルさんはかっこいいなと見とれていて、やはりルイズの話なんか聞いてなかった。

 

 まだ出発もしてないのにこの有様。エギンハイム村の村人たちは、本当にこの人たちに世界の運命が託されてるんだろうかと不安に思うのだった。

 とはいえ、いい加減進めないときりがない。ヨシアら村人に見送られて、一行は旅立った。

 これから南下し、火竜山脈を越えてロマリアに入る。そこまでの道案内は、アイーシャがしてくれることになった。

「精霊にも認められる心正しき者であるあなた方ならば、これも大いなる意志のお導きでしょう。火竜山脈までの近道を案内します。この世界の暗雲を、晴らしてきてください」

 通常ならば人間の踏破することの不可能な黒い森も、自然と共に暮らす翼人にとっては庭のようなものだった。また、途中に生息する凶暴な獣や亜人も、翼人の気配を感じると襲ってはこなかった。

 しかし、まったく整備などされていない不整地を踏破するのだから楽なはずはない。アイーシャはできる限り歩きやすいルートを選んでくれたが、それでもしばらく経つと音をあげる者が出だした。

 ただし、おかしなことに、それがいずれも危機感を伴わなかったのは笑うべきなのか。

 

 モンモランシーの場合はこうである。

「ああんもう! わたしもう歩けない。足が痛い! 疲れた! こんなジメジメしたところ歩くなんて、もうイヤ!」

「それは大変だモンモランシー。さあ、ぼくの背におぶさりたまえ。君の白樹のような御足が傷ついてしまったら全世界の損失だ。ぼくは喜んできみのための足となるよ」

「も、もうギーシュったら恥ずかしいじゃないの。で、でも……ちょっとだけ、ほんとうに仕方ないからちょっとだけよ」

 なんだかんだ言ってギーシュにおんぶされて喜ぶモンモランシー。ほかの面々は、やってろこのバカタレどもと内心で呆れるばかりだ。これ以上ないくらいにお似合いだよ。お前ら事前に打ち合わせでもやったんじゃないのかと、見ているこっちが恥ずかしくなる。

 

 ティファニアの場合はこうである。

「いてて、サイトさーん。ごめんなさい、わたしちょっと足をくじいちゃったみたいです」

「ありゃりゃ、無理するなテファ。よし! ルイズお前おぶってやれよ」

「ねぇサイト、なんでわたしなのか説明してもらえるかしら……?」

「そりゃ、ルイズがこの中の誰よりも馬力があるのは、おれがよーく知ってるからさ!」

「サイト……あんた、人をコケにするのもたいがいにしないと殺すわよ」

 頭にでかいコブを作らされた才人が、首に縄をかけられて引きずられて行ったのを見て、皆がギーシュとモンモンのときとは別の意味で呆れたのは言うまでもない。才人は、「ほんのジョークなのに」とか言って場をなごませようとしただけなのだが、気絶させられた状態では申し開きができるわけもなく、白目をむいたマヌケ面をしばらくみんなに見られるはめになってしまった。

 なお、ティファニアは足を魔法で治してもらって、元気よく普通に歩いている。ときおり心配そうに、「あの、サイトさんがちょっとかわいそうじゃありませんか?」と言ったが、「バカにはいい薬だ」とみんなに返されてしまった。

 

 こんな様子で、アニエスがいたら百回は怒鳴られるであろうことをこの後も繰り返しながら一行は進んだ。どうやら彼らにとって、使命感とか危機感とかは緊張感の維持にはあまり役立たないようだった。才人とルイズに水精霊騎士隊は、まるで遠足かピクニック気分である。もっとも、彼らは年齢的には地球の高校生程度であるから元気が有り余っているのは仕方ない。

「お前たち、少しは静かにしろ!」

 まったくどこにそんな元気があるんだかと、銃士隊の人たちが怒鳴っても、しばらくすると元の木阿弥であった。

 どうやら子供にとって、遊ぶために使う体力というのは無尽蔵らしい。ミシェルも最初のうちは怒っていたが、やがてはすっかりとさじを投げてしまってこう言った。

「まあいい、元気が有り余ってるなら今のうちに適当に発散させておくのもいいだろう」

「しかし、最初からこんな調子で、連中には自覚というものが足りません」

「奴らがいざとなれば人並み以上の働きができるのは知っているだろう。好奇心の塊のような連中だし、遊び盛りの子犬に首輪をつけるようなものだ。いまのうちは大目にみてやれ……その分は我々がしっかりすればいいだろう、な?」

「まったく、副長は甘いんですから」

 しかしそうは言ったものの、銃士隊の皆は内心で副長も昔とはだいぶん変わったなと、好意を持って思っていた。

 昔のミシェルは、それこそアニエスが二人いるかのように厳格で苛烈で、まるで生き急いでるように隙がなかった。けれども、リッシュモンを倒したあのときからは皆と打ち解けて、明るさや穏やかな面を見せることが多くなっていった。

 ミシェルの取り戻した、そうした穏やかで優しい心は、おそらく軍人としては不適なものだろう。けれども、誰もミシェルを弱くなったとは思っていない。ふざけながらも明るく楽しく先を進む少年たちを、呆れつつも温かく見守るミシェルを見て、ひとりの隊員がふといたずらっぽく言った。

「副長、そうしてるとなんだかお母さんみたいですね」

「んなっ!?」

 この唐突で意表をついた一言は、姿勢よく歩いていたミシェルが前のめりにこけかけるほどの衝撃を与えた。

「なっ! いきなり何を言い出すんだ! わ、わたしが、お、おか?」

「ええ、ダメな息子たちを見守る優しいお母さんって感じで、いやあ中々さまになってましたよ」

「バ、バカ者! わたしはまだそんな歳じゃないぞ。なんだお前たち、その顔は!」

 見回すと、隊員たちはみんな子供を見るような笑いをこっちに向けていた。ミシェル自身は、自分が顔を真っ赤にしていることに気がついているのか。もっとも、隊員たちはこういう方面では子供そのものの副長に、ダメ押しの一言を遠慮なく加えた。

「ええ、お母さんになるためには、まずはお嫁さんにならないといけませんものね」

「お、およっ! お、お前たち! 上官をからかって遊ぶんじゃない!」

 そうは怒っても威厳は台無しである。恋愛に関しては、まったくの素人で初恋街道をやっと進んでいるミシェルでは、どうあがいたところで隊員たちにすら勝てるはずはなかった。

 とはいえ、隊員たちには副長を軽んじるつもりは微塵もなかった。強いて言えば、ちょっとしたスキンシップのようなものである。銃士隊は軍隊ではあるが殺し屋の集団ではない。悪に立ち向かう者が、心に余裕をなくしてしまったら、敵は排除するだけの排他的な独善の集団となってしまう。

 実は地球人も、何度かこの危うい道に入りかけたことがある。地球の平和のためならばと思うあまりに、ほかの星のことを思いやることを忘れてしまったとき、人類は自らをも滅ぼしかねない惑星破壊兵器の配備に手を染めてきた。

 そのこと自体の是非は結果の好悪両面があるのであえて問わない。だが、正義というのはあくまで概念であって、行使するのは人間なのだ。平和はきれいごとだけでは守れない、それは真実ではあるが、同時に獣の論理であることを忘れてはいけない。

「おーいサイト! お前、結婚したら子供は何人ほしいんだ?」

「ばっ! お前なんてことを!」

「あれー? 私はサイトに尋ねたのに、なんで副長が怒るんですか?」

 しらじらしいことこの上ないが、ミシェルは隊員たちのかっこうのおもちゃにされていた。まるで女子校の一風景のようなもので、声をかけられて「はい? なんですか」とやってきた才人は「うるさい! お前は向こうに行ってろ」と、訳のわからぬうちに追い返されてしまったので、いい迷惑としか言いようがない。ただ、思わず怒鳴ったミシェル自身が、サイトになんてことを言ってしまったんだと自己嫌悪に陥ってしまったので、さすがに隊員たちも罪悪感がきて謝った。

「副長、すいませんでした。あんまり副長が初心でかわいかったので、つい」

「いいんだ、どうせわたしなんか剣と魔法しかとりえのない乱暴者さ。普通の女の子らしいことなんて、なにもしてこなかったんだもの」

 いじける副長を慰める隊員たち。銃士隊にも、ずいぶんと家族的な雰囲気が出てきたということなのか? もっとも、悪いことではない。歴代の地球防衛チームでも、真面目一辺なチームよりも、普段穏やかでユーモアのあるチームのほうが実戦成績がいいという統計結果があるのだ。

 まさに、笑う門には福来る。カリカリしていてもなにもいいことはないのである。

 

 こうして、普通の人間ならば心身を削りながら行くような旅路も、一行は愉快に心弾ませながらゆく冒険へと変えた。

 道なき道を、最短ルートを通って一行はガリアとロマリアの国境線である火竜山脈へと向かっていく。

 

 そして数日の行程を経て、一行はついに火竜山脈を遠方に見られるところまで来ることができた。

「皆さんよく頑張られましたね。ここまで来たら、山脈のふもとまではあと半日ほどです」

 普通なら数週間から一ヶ月はかかる距離を、一行は驚異的な速さで踏破していた。火竜山脈の街道に入れば、あとはロマリアまで一直線の道のりである。ふもとの村の駅で、馬なり馬車なりを借りられれば一気にロマリアに到着できるだろう。

 

 

 だが、一行が喜色を浮かべたそのとき、突然の地鳴りとともに信じられないことが起こった。

「うわっ! 地震だ。大きいぞ!」

 誰かが叫ぶと同時に、周辺の大地が蛇のようにうねりながら揺れ動き始めた。空を飛んでいるアイーシャ以外はみんな立っていられないほどで、周りの木々も大きくしなって枝を振り乱し、次々と倒れだした。

「危ない! 草木に宿る精霊たちよ!」

 とっさにアイーシャの張ってくれた植物の防壁が、倒れてくる木々から一行を守ってくれた。

 しかし、身の安全は守れても、まるでシェイカーの中に入れられたようなすさまじい揺れの中では誰も何もできなかった。

 森の木々がメキメキと音を立てて倒れていき、動物たちの悲鳴がこだまする。鳥の群れが飛び立ち、昆虫たちもいっせいに舞い上がって、パニックに包まれた周辺はまるで地獄のようであった。

 ただひたすら、揺れが収まるのを待ち続ける。だが揺れは収まるどころか延々と続き、さらに突然火山が爆発したようなすさまじい轟音が鳴り響き、皆はそちらの方向を見た。

 愕然とした表情が、人数分だけ現出するのに半瞬もかからなかった。

「な、なんだこりゃ!」

 彼らの視界に飛び込んできた光景、それはまさにこの世ならぬ、ありえないものだった。

 才人もルイズも、ギーシュたち水精霊騎士隊、ミシェルたち銃士隊、好奇心の塊のようなルクシャナさえ自分の目を疑った。

 轟音と激震、その中でギーシュたちはその方向を指差して恐怖に顔をひきつらせる。

「お、おいギーシュ。あれは、あれはなんなんだ!」

「ぼ、ぼくに聞かれてもわかるわけないだろ! ぼくの目がおかしくなったんじゃなければ、山が、火竜山脈が……」

「ああ、山が、火竜山脈が……沈んでいく」

 誰がつぶやいた言葉に、寝ぼけているのか? と突っ込む者はいなかった。

 そう、これから一行が向かおうとしていた先、かなたに巨大な峰峰を並べていた火竜山脈が小さくなっていた。いや、正確に言えば火竜山脈がふもとから地底へと沈んでいっているのだ。まるで、泥沼に落ちた車がみるみる沈んでいっているような、不気味で悪夢的な光景、しかし夢かといくら目をこすっても、眼前の光景は消えはしない。

「そういや、昔なんかの映画で日本がまるごと海の底に沈むってのがあったなあ……」

 才人は、これは夢じゃないんだぜと自分のほっぺたをつねりながら独語した。ルイズやティファニアなどは圧倒されきっていて完全に言葉も出ない。アイーシャも恐怖のあまりに飛びながら震えて、精霊に祈り続けていた。

 火竜山脈は彼らの見ている前で、どんどんとその威容を消していっていた。

 はじめは標高数千メートルの、雲を突き抜けて天を突くのでは思われた高さも半分になった。それでも沈降は収まらず、ふもとの辺りから猛烈な粉塵を吹き上げながら、潜水艦の急速潜航を思わせる速さで沈んでいく。そのころになると、噴き上がった粉塵もようやくこちらへ届いてきて、周辺は砂嵐で夜中のように暗くなった。

「どうなってるんだあ、この世の終わりなのか!」

 少年たちの誰かが叫んだ。彼らの周囲はルクシャナの張ってくれた空気のドームで防護されているが、常識外れの光景と暗闇が、破滅的な想像を彼らにさせていた。

 神に祈る者、ただ震える者、虚勢を張ってじっと耐える者。才人やルイズでさえ、どうすることもできない。

 誰にも説明なんかできるわけがなく、地震は続いて唐突に終わった。

 やがて砂嵐も収まって視界が開けると、ほんの数分前と景色は一変していた。

「あ、あそこに、山があったはずだよな?」

 ギーシュの問いに、自信を持って答えることのできる者はいなかった。皆が、悪夢をたった今まで見ていたかのようになかば呆けた顔で立ち尽くしている。むしろ、悪夢であってくれたほうがどれだけよかったか、一行の行く先に壁のように聳え立っていた火竜山脈の峰峰は、まったくの跡形も残さずに消えてなくなってしまっていた。

 なにが起こったのか? それはこの場にいる全員が考えていることであったろうが、やはり誰にも答えを出せるわけもなかった。

 それでも、時間が経って落ち着きを取り戻してくると、彼らの足の先は自然と山脈のあったほうへと向いた。

「行きましょう、ここでぼっとしてても始まらないわ。なにが起こったかはわからないけど、どっちみちあの山は越えなくちゃいけなかったのよ。山登りする手間がはぶけたと思いましょう」

 真っ先にそう宣言したのはルイズだった。すでにショックから立ち直り、前のみをまっすぐに見据えた凛々しい姿は、水精霊騎士隊や銃士隊に残っていたおびえをぬぐいさるのに十分だった。

「ルイズの言うとおりだ。ここで引き返すわけにはいかない。諸君、行こう!」

 ギーシュが全員を代表して言った。一度勇気を取り戻せば彼らはみな強い。すると、モンモランシーやティファニアも気を取り直し、皆に続こうとする。先日までのふざけた雰囲気を一新して、一行は戦士の顔になっていた。

「ミス・アイーシャ、案内ありがとうございました。ここまで来たらもう大丈夫です。あなたはここでお帰りになってください」

 ミシェルが、万一のことを考えてアイーシャに言った。もしも彼女になにかあれば、親身に尽くしてくれたエギンハイム村や翼人の方々に申し訳が立たない。けれどもアイーシャは首を振った。

「いいえ、わたくしにも課せられた責務があります! せめて、すそ野あたりまではご案内を続けましょう」

 責任感の強いアイーシャの態度に、それ以上の配慮はかえって失礼というものであった。

 が、結果としてアイーシャに最後まで案内を頼んだのは正解だった。地震ですっかり地形が変わってしまった森の中を走破するには、森のことを知り尽くし、空から見下ろせるアイーシャの存在が非常に大きく、もし彼女がいなければ一日は余計に森の中をさまよっていたのは疑いようもない。

 そしてそのことは、さらに結果として多くの命を助けることになった。

 

 可能な限り急いで、黒い森を突っ切った一行は火竜山脈のふもとへとたどり着いた。そこには、最初の目的地としていた宿場町があるはずだったが、すでに町の様相は残っていなかった。

「こりゃひでえ、まるで巨人の団体さんが通っていった後みたいだ」

 言われなければ、ここに町があったとは気づけないほどに破壊されつくしていた。陥没した山脈に巻き込まれることだけは避けられていたものの、あの天変地異を間近で受けてしまった影響で、家々はひとつ残らず倒壊し、さらに粉塵が雪のように瓦礫に降り積もっていた。

 が、呆然としている余裕はなかった。倒壊した家々では、かろうじて助かった人たちが、体中をほこりに染めながら瓦礫をどかそうとしている。それを見た一行は、即座に全員駆け出した。

「水精霊騎士隊! 生き埋めになった人たちを助けるんだ」

「銃士隊、全員散って生存者の救助に当たれ」

 約二十名の一行は、蜘蛛の子を散らすようにいっせいに町のあちこちに散らばった。まだ倒壊した家屋の中では、下敷きになった人たちがうめいている。助かるかどうかは一分一秒の勝負だ。

 考えるよりも先に手と足が動き、腕力と魔法で生き埋めになった人たちを助け出していく。救助活動は彼らの基本活動のひとつであり、アディールでも経験済みなので慣れた動作である。

 町人たちも、思いもよらず現れた救助隊に驚きながらも、彼らの真摯な態度に信頼を置いてくれた。

 やがて数時間後、町の広場に作られた仮説救護所には助け出された町人たちが寝かせられていた。

「どうだいモンモランシー? 負傷者たちの様子は」

 仕事を終えて休息をとっていたギーシュが、魔法での治癒を終えてきたモンモランシーに尋ねた。ふたりとも、後先を考えずに動き回った結果ほこりまみれになっている。彼女は、お風呂に入りたいわねと短く愚痴った後で答えた。

「命に関わるような重態患者はルクシャナたちの先住魔法で治してもらったわ。私もやったけど、まあエルフだってことをバレないようにするためにカモフラージュするのが主だったけどね」

「先住魔法か、ほんとすさまじい効力だよなあ。敵にすると恐ろしいけど、味方にするとなんとも頼もしいものだ」

「悔しいけど、わたしの治癒とは比べ物にならないわ。けど、やっぱり精神力には限りがあるから、治療は重傷に限ったわ。ねんざや骨折くらいは自力で治してもらいましょう」

「ご苦労様、向こうでパンと飲み物を配っているからゆっくり休んでくれ」

 ねぎらって、ギーシュはモンモランシーに宿屋のあったほうを指差した。さすがに、いつもは二言目に口説き文句が出るギーシュも疲れて一人になりたかったらしい。モンモランシーは、できれば二人で……と思ったが、こんなときに不謹慎だなと思いなおして、黙ってギーシュに背を向けようとした。

 ところが、立ち去ろうと一歩踏み出したとき、彼女のおでこに軽い痛みが走った。

「痛っ?」

「おや? どうしたんだいモンモランシー」

「いえ、なにかおでこに硬いものが当たったような気がしたんだけど……あら? これは」

 石でも飛んできたのかなと、あたりを見回したモンモランシーの目の前に、キラキラと輝く小さな結晶が浮かんでいた。

「これ、風石のかけらだわ」

 手にとって調べたモンモランシーは、風の魔法授業で教材に出た結晶とそっくりだと思って言った。

 風石とは、飛行船を浮かせるために主に使われているもので、それ自体が浮遊する不思議な特性を持っている鉱物だ。正確には鉱物ではなく、先住の精霊の力の結晶なのだとも言われるが、詳しいことはまだわかっていない。

 ギーシュも言われて手に取り、本当に風石だと感心したようにつぶやいた。さっきのは、浮いている風石に気づかずにモンモランシーが額をぶっつけてしまったらしい。よく見ると、そこかしこに細かな風石のかけらが輝きながら浮いていて、空に向かってゆっくりと昇っていっていた。

「これはなんとも美しいな。いや、もちろんモンランシー、君の美しさには及ばないがね」

「ま、まあ! 急になにを言い出すのよ。っとに、さっきまで半分死んだみたいな顔してたくせに、んもう。それにしても、なんでこんなところに風石がこんなに散らばってるのかしら」

「山脈が崩壊するときに地下から吹き出してきたんじゃないのかい?」

「おかしいわね。確か火竜山脈には、そんなに豊富な産出量の鉱山はなかったはずなんだけど……」

 モンモランシーは授業の内容を思い出して、腑に落ちないというふうに首をひねった。けれども、優等生だというほど勉強熱心であったわけでもない彼女は自信もそんなにあったわけではなく、それ以上考えることはできなかった。

「まあいいわ……ところで、動けない人たちに食べ物を持っていこうと思うんだけど、手伝ってくれる?」

「喜んで。しかし、我々人間だけだったら、こんなに早く救助はできなかったろうな」

 しみじみと、服のほこりを払いつつギーシュも言った。いくらこちらにメイジが複数いたとはいえ、強力な先住魔法の助けがなくては町人に死亡者が出ていたかもしれない。アイーシャに道案内をしてもらわなくて遅れていたら、間違いなく町人の半数以上は死亡していただろう。

 もちろん、人間が無力だということでは決してない。

「要するに、持つべきものは友達ってことか」

 異なる者同士が助け合うことこそが重要なのだ。今回のことは、そのなによりの実証と確認になったのではないだろうか。

 そのアイーシャも、負傷者看護を手伝ってくれている。翼人がいるということに関してはひともんちゃくあったが、ルイズやミシェルが口八丁と強引さで押し通したらしい。まあ、大変なときに細かいことは気にするなだ。

 

 こうして、ひとつの町を救った一行だったが、このままゆっくりと休むというわけにもいかなかった。

 すべての原因である、山が沈むという大災害。これをただの自然現象として流すほど、彼らは常識的な世界に生きてはいない。念のために、間近でそれを見ていた町人たちに、才人たちは聞き取り調査をおこなっていた。

「なにか、異変が起こったときに変わったことはありませんでしたか?」

 町人たちは、怪訝な表情を浮かべながらもそれぞれ答えてくれた。とはいえ、ほとんどの町人たちはショックで記憶があいまいになっていて、異変が起きたときの様子は抜け落ちていたり、覚えている者がいても、仕事中で気がついたら地震が起きていたと言う者ばかりだった。

 ところが、やはりこれは異常だが自然現象なのだろうかと思いかけていたときだった。ひとりの馬飼いが、気になることを言ったのである。

「地震が起きる少し前のことです。山のほうに馬の飼葉を取りにいったとき、なにやら獣の叫び声のような音が聞こえてきたんです。まるで地の底から響いてくるような、聞いたこともない恐ろしい声で、怖くなってすぐ帰ってきたら山崩れが始まって……」

 彼は、それ以上のことは覚えていない、今は思い出したくもないと口をつぐんでしまった。しかし、才人はルイズとともにそれを聞いてすぐさま『怪獣の仕業か?』と疑念を抱いた。ただし、地底怪獣は数が多く、声が聞こえたという程度では何が現れたのかは見当がつけられなかった。

 仮に怪獣の仕業だとして、山をひとつ陥没させてしまうような奴? 地底人キングボックル? 月の輪怪獣クレッセント? だめだ、多すぎてとてもじゃないが絞り込むことができない。

 せめて、なにかあとひとつヒントがないかと才人は悩んだ。誰か、ほかに何かに気づいた人はいませんかと聞いて回り、その間に手伝って欲しいところがあれば駆けつけて、地道に聞き込みを続ける。だが、めぼしい情報がなくてあきらめかけていたとき、ティファニアと遊んでいた町の子供たちが才人に話しかけてきた。

「ねえねえお兄ちゃんたち。お兄ちゃんたちって、悪い怪物をやっつける正義の味方なんでしょ? だったらぼくたち知ってるよ」

「なんだって、君たちそれは本当かい!」

「ほんとだよ。こないだみんなで山に遊びにいったとき、山の奥で、こーんなにでっかいお化けがいたんだよ。そんでね、あっというまに地面に潜っていっちゃったんだ。ねーアルフ?」

「そうだよなあ。大人たちは大モグラを見間違えたんだって信じてくれないけど、あれは絶対モグラなんかじゃねーぜ。四十メイル、いや五十メイルはあったんじゃないかなあ」

 子供たちは、詳しく教えてくれと頼む才人に絵を描いて教えてくれた。もちろん、子供の書いたうろ覚えの稚拙な絵なので中途半端なトカゲのようなドラゴンのようなあいまいなものだったが、ひとつの目立った特徴が才人の知識のひとつと合致した。

「君たち、この頭のまわりの赤いコレは、確かにあったんだね?」

「うん、すっごく目だってたから間違いないよ。真っ赤に光ってる角みたいなのが四つ、絶対だよ」

「だとしたら間違いない。こんな特徴を持ったやつは他にいねえ……核怪獣ギラドラスだ!」

 才人は断定した。核怪獣ギラドラス、惑星の地殻に自由に入り込む能力を持った宇宙怪獣の一種で、ウルトラセブンが活躍していた時代にも、地球の核を構成する物質であるウルトニウムを強奪するために暗躍していたことがあった。

 もしや、このハルケギニアでもウルトニウムを強奪するつもりなのではないのか! 才人はそう思い至ってぞっとした。この惑星にも地球同様にウルトニウムがあるかは断言できないが、もし惑星の核を構成するウルトニウムが奪いつくされたら、星は核を失ってバラバラに砕け散ってしまう。

「やべえ! こりゃ、ロマリアなんかに行ってる場合じゃねえぞ!!」

 愕然とした才人は、すぐに事情を皆に説明した。むろん、星が砕けると言っても理解してもらえるのはルイズくらいなのだが、この近辺に地底怪獣がいて、そいつが地殻変動を引き起こしているということだけでもわかってもらえれば十分であった。

 怪獣がいる。その情報は、休息をとっていた水精霊騎士隊と銃士隊を叩き起こした。

「なんだって! 怪獣? 怪獣が山を沈めたっていうのか。ううむ、信じがたいが……」

「いや、真偽はともかく怪獣がいるらしいということが確実なだけでも一大事だ。サイト、お手柄だぞ」

「やれやれ、副長どのはほんとサイトには甘いんだからなあ。ルイズが怖い顔で睨んでますよ? しかしサイト、怪獣がいるらしいということがわかっても、相手が地の底じゃあこっちには手の出しようがないぞ。まさか、ヴェルダンデに追い出させるなんて考えているわけじゃあるまい?」

 ギーシュとミシェル、ふたりは特に問題なく納得してくれた。しかし、ギーシュの漏らした疑問が才人を困らせた。

「しまった。そこまで考えてなかった」

「おいおい、それじゃあどうしようもあるまい? 第一、怪獣を見つけたって、ぼくらこれっぽっちの戦力で倒すなんてできまい? サイト、君は勇敢だがもっとよく考えてものを言ったほうがいいと思うよ、うん」

 ギーシュ、お前にだけは言われたくないと才人は強く思ったが、無駄にこじれるだけなのでぐっと我慢した。だが、確かに考えが浅かったのは認めざるを得ない。地底に潜んでいる怪獣を倒すには地上に追い出さないといけないが、ウルトラマンAは地底に潜れるとはいっても、地底のどこにいるのかがわからなければ地底をウロウロと探し回っただけで三分が過ぎてしまう。

 見ると、意気込んでいた水精霊騎士隊と銃士隊もやる気を失いかけている。彼らは、ここはロマリアに急いで、怪獣は余計な刺激を与えずにそっとしておこうと主張したが、もちろん才人は内心でかなり焦った。

”まいったな。このままギラドラスをほっておいたら取り返しのつかないことになる。かといって、みんなを説得できる材料もないし。せめて、ギラドラスの居所さえなんとかわかれば……”

 そうすれば、さっさと片付けて先を急げるのにと才人は思った。地球の知識をこちらの世界で披露する難しさがここにあった。

 ルイズも同様で、唯一才人の危機感を正確にわかっていたが、虚無の魔法でもこれはどうにもならなくて困っていた。

「ううん、優秀な土のメイジがいれば捜せるかもしれないけど、そんなのよほど土の扱いに精通したベテランでないと無理よね」

 ただ魔法がうまいだけでなく、土そのものの扱いに慣れたメイジとなると限られていた。ミシェルは土のトライアングルだが、魔法は攻撃に偏っていて繊細な芸当は難しい。ルイズの知る限りでは、そんな器用なことができるのはひとりいたが、残念ながらこの場にはいなかった。

 

 ところが、才人とルイズが困り果てていたそのときだった。ひとりの町人が、深刻な面持ちで話しかけてきたのだ。

「あの、貴族の皆様方。あなた方を見込んでお願いがあるのですが……実は、数日前にひとりの貴族のお方が山へ登られたのですが、わたくしどもではとても捜しにゆけませぬ。もし生きておりましたら難儀しておるでしょう。できることなら、お助けにいかれていただけませんか?」

 才人たちは顔を見合わせた。こんなときに遭難者か、こっちはなにかにつけて時間がないってのにハタ迷惑な……

 しかし心配している町人の善意をむげにするわけにもいかないし、何より人命はかえがたい。ルイズは、とりあえず尋ねてみた。

「お聞きしますが、その貴族はどのような人でしたか? ざっと、特徴を教えていただけるとありがたいんですが」

「おお、引き受けてくださいますか! いえ、なんとも高貴そうなお方でして、しかもなんとも見る目うるわしいご婦人でした。なんでも、トリステインからやってこられた偉い学者さまなのだそうですが、火竜山脈の地質の調査をすると、わたくしどもがお引止めするのも聞かずに行かれてしまったのです」

「トリステインから来た……学者?」

「ご婦人……」

 才人とルイズはもう一度顔を見合わせた。しかし、今回は表情が複雑なものになっており、話を聞いていたギーシュたちも同じことに気がついたのか、表情がこわばりはじめている。

 なんか、嫌な予感がしてきた。頭が、思い出してはいけないことだと警報を出している。ルイズの本能が、ここは何も聞かなかったことにして先を急ごうと叫んでくるが、理性でなんとか押し殺して聞いてみた。

「もしかして、そのご婦人って……金髪のブロンドヘアーで、切れ長の眼差しに眼鏡をかけていませんでしたか?」

「おお! なぜそのことをご存知なのです?」

「やっぱり……」

 ほぼ全員がげっそりとした。その特徴、知り合いによく知った人がいるよ……しかも、できるならあまり関わりあいになりたくない方向で。

 とはいえ、これでは安否を確かめにいかないわけにはいかない。

「まあ、これも運命と思ってあきらめようぜルイズ。それに、地質調査で来てたってことは、もしかしたらギラドラスの居所をつかんでるかもしれねえ」

「帰りたい……」

 

 こうして、一行はなかばしぶしぶ火竜山脈の跡地に踏み込んだ。

「お気をつけて、あなた方に大いなる意思の導きがありますように」

 残るアイーシャやティファニアに見送られ、山脈が沈んだ場所は巨大な岩石地帯になっていたが、ところどころ岩盤の固かった部分は道が残っていた。一行はそれを頼りに水平に山を登っていき、やがて数時間後に元は中腹だったと思わしき場所までやってきたとき、平坦になってしまった山肌の上に建てられたテントと、その脇に立つ金髪の人影を見つけた。

「やっぱりそうだ。ほんとに、この山崩れの中で思ったとおり無事だったのはさすがね。気はあんまり進まないけど……おーい! お姉さまーっ!」

「っ!? だ、誰!」

「なんです、しばらく会わないうちに妹の声を忘れちゃったんですか? ルイズですよ、エレオノールお姉さま!」

「あ、ああ、なんだルイズだったの。こんなところで会うなんて奇遇だけど、会いたかったわよ。元気そうでなによりだわ」

「? エレオノール……お姉さま?」

 こちらに気がついたエレオノールが、ルイズに眼鏡の奥の瞳から優しげな視線を向けて微笑んだ。するとルイズも……数秒の間を置いて同じように微笑み返した。

 姉妹の久しぶりの感動の再会……だがそのころ、彼女たちの足元のはるか下では、ハルケギニアが大地のもくずに変わる瞬間が、刻一刻と迫りつつあった。

 

 

 続く



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第7話  ハルケギニア大陥没! (後編)

 第7話

 ハルケギニア大陥没! (後編)

 

 暗黒星人 シャプレー星人

 核怪獣 ギラドラス 登場!

 

 

 エレオノールのキャンプで、一行はささやかなもてなしを受けていた。

「まさか、こんなところまで私のためなんかに来てくれるとは思わなかったわ。さあさ、なんにもないところだけどくつろいでちょうだい」

「あ、はいどうもです」

 才人やギーシュがなかば唖然とした顔をして、まだ熱い紅茶を音を立ててすする。ほこりっぽい空気の中に芳醇な香りが流れ、一行が、出された茶菓子に口をつけると、甘く気品のある味が口内に広がった。

 それは、まるで昼下がりの貴族の休日のような優雅な雰囲気……だが、一行は誰一人としてそれを楽しむでもなく、拍子抜けしたようにテントを囲んでいた。

 いや、実際かなり拍子抜けしていた。まるごと地面の底に沈んでしまった火竜山脈に登ったという、エレオノールらしき女性の安否を確かめるためにやってきたのだが、ほとんど岩石砂漠になってしまったここにいたのでは、いくら彼女が優秀なメイジでも無事でいるのは難しかろうとある程度覚悟をしていた。

 それなのに、いざ苦労して見つけ出してみると、エレオノールはまったくの無傷であった。しかも、機嫌がいいのか妙に態度が優しくて、いつもの男勝りで厳しい姿を見慣れていたギーシュたちは、小声でヒソヒソと話し合っていた。

「おい、ミス・エレオノールどうしたんだ? やっぱり岩で頭でも打ったのかね」

「うーん、学院に最初にやってきたときはあんなもんだったが、結局素を隠せなかったしなあ。もしかして、ついに婚約が決まったとか」

「いや、百歩譲ってもソレはないと思うが」

 失礼を通り越して叩き殺されても文句を言えないようなことをギーシュたちはささやきあっていたが、ある意味では無理からぬ話である。エレオノールの猫かむり、というか貴族が対外的に態度を使い分けるのは当然のことだとしても、なぜそれを今さら自分たちに見せる必要があるのだろうか? エレオノールと仲がいいルクシャナなどは露骨に不快な顔をしている。からかっているのか? しかし怖くて誰も言い出せなかったところで、妹のルイズが思い切って言い出した。

「お姉さま、もてなしはこれくらいでいいですから教えてくださいませんか? なぜこんなところにいらしていたんですか? お姉さまほどの人物が、単なる地質調査のためなんかに派遣されるわけがないでしょう」

 皆は心中でルイズに礼を言った。この異様な空気から逃れられるのはなによりありがたい。

 エレオノールは、紅茶のカップを置くとおもむろに話し始めた。

「みんな、ここ最近ハルケギニアの各地で起こっている異変を知っているかしら?」

「異変、ですか? まさか、ここ以外でも!」

「そうよ。今、ここだけじゃなくトリステインを含むあちこちで異常な地震や陥没が頻発しているの。最初は辺境の山岳地帯や、無人の森林地帯が一夜にして消えてなくなって、鈍い領主はそれでも気に止めてなかったんだけど、とうとう村や城まで沈み始めて慌ててアカデミーに調査依頼が来たというわけなの」

 そうだったのか……一行は、知らないところですでにそんな大事件が起こっていたのかと、のんきに旅行気分で東方号に乗ってる場合じゃなかったと思った。思い出してみれば、東方号がトリステインを出発する時にエレオノールがいなかったのは、このためであったのか。

 つまり、火竜山脈にやってきたのも偶然ではないのかと尋ねると、エレオノールは首を縦に振った。

「無闇に発表するとパニックが起こるから王政府の意思で伏せられているけど、今、魔法アカデミーの総力をあげて原因究明がおこなわれているわ。国外にも多くの学者やメイジが派遣されて、私は火竜山脈担当だったというわけ。まさか、調査中に自分が被害に会うとは思わなかったけどね」

「それは、大変でございましたね。それで、山が沈む原因は解明できたのですか?」

 核心への質問がおこなわれると、エレオノールは一呼吸をおいて指で足元を指して言った。

「ええ、一応の仮説は立てていたけど、ここに来て確信が持てたわ。原因は、地下深くに埋蔵されている風石が一気に消失したことによる地盤沈下よ」

「風石ですって!? ですが、火竜山脈にはそれほど規模の大きい風石鉱山はないのが常識ではなかったですか?」

「人間が通常に採掘できる鉱脈はごく浅いところだけよ。知られていないけど、さらに地下数百メイル下には膨大な量の鉱脈が眠っているわ。それこそ、ハルケギニアの地面を埋め尽くすくらいにね」

 まさか……と、ルイズは足元を見た。そんなこと、どんな授業でも習わなかったが、それが本当だとすれば、自分たちの住んでいるハルケギニアは巨大な風石の海の上に浮いている浮き島のようなものだということになる。地下水の汲み上げすぎでも、時には地上が歪むほどの地盤沈下をもたらすことがあるんだから、それほどの鉱脈が消失したとしたら。

「つまり、地下の風石がなくなったから、上の岩盤も支えを失って……」

「そう、まずは重量のある山岳地帯が陥没を始めたという事よ」

 一行は呆然として、ふだんなにげなく踏みしめている地面を見つめた。よく見ると、石や砂に混ざって風石の欠片がキラキラと光っている。それこそ説明されるまでもなく、この山脈の地底にあった大量の風石の残骸に違いなかった。

 そして恐ろしい真相は、さらに恐ろしい未来図を連想させた。

「ちょ! その風石の鉱脈はハルケギニア全体に広がっていると言いましたよね。じゃ、いずれは」

「ええ、遠くない将来に……ハルケギニアは丸ごと陥没して、地の底に沈んでしまうでしょうね」

 音のない激震が全員の中を駆け巡った。ハルケギニアが沈む? そんなバカなと否定したいが、今日自分たちがその目で見てきた事実がそれを動かしようもなく肯定していた。火竜山脈が平地と化してしまうような変動が人里を襲ったとしたら、そこにあるのはもはや災害というレベルではすまされない。

 ハルケギニアが沈む。つまり、自分たちの故郷トリステインにあるトリスタニアの街並みも、魔法学院やひとりひとりの家々も何もかも残さず大地に飲み込まれて消滅する。むろん、ガリアやゲルマニアも同じように壊滅し、アルビオンを除いてハルケギニアは人の存在した痕跡すらない岩石ばかりの荒野と化してしまうのだ。

 ルイズはここにティファニアを連れてこないでよかったと思った。こんなとんでもない話を聞かせたら、あの子なら卒倒していたかもしれない。というよりも、こんな事実が公になったらハルケギニアは破滅的なパニックに包まれてしまうに違いない。

 だが、なぜその風石の鉱脈が消失したかと尋ねると、エレオノールは「それは私にもまだわからないのよ」と、言葉を濁した。

 けれども、才人はここで事件のピースが組みあがっていくのを感じた。

「そうか、町の子供たちが見かけたギラ、いや怪獣は地下の風石鉱脈を食べていたんだ」

「なんですって! 今、なんと言ったの」

 才人はエレオノールに、怪獣が地下に潜るのが目撃されていたことを伝えた。すると、エレオノールは明らかに動揺した様子を見せて言った。

「そ、そう、怪獣を見た人がねえ。でも、子供が見た事だっていうし、見間違いじゃないの?」

「何人もが目撃してますし、その後に恐ろしい叫び声を聞いたという話もありました。なにより、こんなとんでもない事件を引き起こせるのは怪獣でもなければ無理だと思います」

 才人はぴしゃりと言ってのけた。ほかの面々も、これまでに何度も怪獣の起こす怪事件と向き合ってきただけに、才人の言うことが妥当だろうとうなづいている。

「そ、そう……」

 なのに、同等の経験を持つはずのエレオノールだけが納得していない様子で、才人ら一部はどことなく違和感を感じた。

 アカデミーでデスクワークをしているうちに勘が鈍ったのか? いや、男性がついていけないくらいに何事にも積極的なエレオノールに限ってそれはない。ならば、なにが……?

 どことなく居心地の悪い沈黙が場を包んだ。喉に魚の骨が刺さったままのような、吐き出したいけどできない不快な感触。

 しかしルイズはそんな悪い空気を吹き払うように陽気な様子で言った。

「もうみんな、なにをそんなに疑った顔をしてるの? エレオノール姉さまはトリステイン一高名な学者でわたしの自慢の姉さまなのよ。変な目で見たりしたら、このわたしが許さないんだから」

「お、おいルイズ?」

 これには才人たち、ほとんどの者が面食らった。エレオノールもだが、ルイズも変になったのか? が、ルイズが凄い目で睨んでくるため言い出すことができないでいると、エレオノールがルイズに話しかけた。

「まあルイズ、あなたはなんて素晴らしい妹なのかしら。私はあなたを誇りに思うわ!」

「妹が姉の誇りを守るのは当然のことですわ。それよりも、わたしたちもお手伝いいたします。これだけの人数がいるのですわ、お姉さまの下で手分けして捜せば、たとえ相手が地の底に潜んでいても兆候は見つけられるでしょう。相手も、いずれは地上に出てこなければいけなくなるでしょうから、正体を見極めて通報すれば軍が討伐隊を出してくれますわ」

「そ、そうね。さすがは私の妹だわ。そうしましょう」

「はい、お姉さま。あら、しゃべったら喉が渇いてしまいました。すみませんが、お茶をもう一杯いただけませんか?」

「ええ、もちろんいいわよ」

 エレオノールがティーポッドを持ち、ルイズのカップに紅茶を注いだ。湯気があがり、カップに口をつけたルイズの顔が白く隠れる。その湯気の影から、薄く開いたとび色の瞳が才人に向けられて、彼ははっとした。

 そうか、なるほどルイズそういうことか。ついていけずに呆然としている一行の中で唯一才人だけがなにかを理解した目で、それを悟られないように伏せていた。他の者は、多かれ少なかれ何かを腹の内に持っていても、はばかってそれを口にすることをためらって、じっとルイズたちの動向を見守っていた。

 

 

 結果、一行は数人ずつに分かれて火竜山脈跡を探索することになった。

「よし、各員散って周辺の探索に当たれ。ただし、三時間後に何もなくてもここに戻っていろ。暗くなる前に山を下りないと危ない」

「なにかを見つけた場合の合図はどうしますか?」

「信号用の煙玉を各自持ってるだろう? 扱いは火をつけるだけの簡単な奴だからこれを使えばいい。では、全員散れ!」

 ミシェルの号令で、一行はそれぞれバラバラの方向へとクモの子を散らすように飛び出していった。

 編成は、基本は銃士隊と水精霊騎士隊がひとりずつ組んで、どの組にも必ずメイジが一人はいるようになっていた。ただし、才人とルイズは例外で、エレオノールと組んで三人で探索に出ることになった。

 散り散りになって岩の荒野の底に潜む怪獣を求めていく戦士たち。先日の金属生命体のときと違い、仲間も武器もない追い詰められた状態ながらも、自分たちの故郷がこの荒野と同じになるかという瀬戸際なのだ。手段が限られていても気合の入りようが違う。

「くっそお、人の足の下でこそこそしてるシロアリ野郎め。頭を出したらぶっ叩いてやる」

 ハルケギニアの屋台骨をこれ以上食い荒らされてはたまったものではない。しかし、相手がそれほど深い地底を自由に動けるというのなら先住魔法でも探知はまず不可能で、砂漠で蟻の巣を探すような無謀な行為でしかないと誰もが思うだろう。しかも、彼らにはそれとは別に心の内に引っかかっていることがあった。

”まさか、まさかだが、あの人はひょっとしたら……? 万一そうだとしたら、自分たちはとんでもないミスを犯したのではないだろうか”

 誰もが胸の奥から鳴り響いてくる警鐘に、多かれ少なかれ悩まされていた。しかし、思ってはいても口に出せない事柄というものは存在する。裸の王様がいい例ではあるが、言い出しそこねたという後悔の念は時間が過ぎていくにつれて強くなっていった。

 火竜山脈跡は平坦になったとはいえ、家ほどもある岩石がゴロゴロしていて、少し離れると別の組の姿はすぐに見えなくなった。岩の間には風が流れて反響しあい、声を出しても遠くに響く前にかき消されてしまう。これでは、もしなにか起きたとしても誰にも気づかれないのではないだろうか? 本能的にそんな不安が胸中をよぎり、ミシェルと同行していたルクシャナがぽつりと言った。

「ねえ、あなた。わたしたち、こんなことしてていいのかしらね?」

「どういう意味だ?」

「とぼけないでよ。あなただって当に感ずいてるんでしょう? わたしだって、言えるものならさっき言い出したかったんだけど、確証もなしにそんなことを言ったら不和と疑心暗鬼を招くことくらいわたしだって承知してるわ。なにより、言い出して外れてたとき、大恥をかくのはわたしなのよ!」

 一気にまくしたてたルクシャナの顔には、不満といらだちが満ち溢れていた。学者の彼女にとって、言いたいことを飲み込まなくてはならない我慢がどれだけ耐え難いものかは、短からず彼女と付き合ってきたミシェルには十分理解できた。

「気持ちはわかる。わたしとて、途中から少なからぬ疑惑を抱いてはいた。しかし、確たる証拠もなしに友人を侮辱するような真似はできない。あるいは、それを計算していたとしたら相当悪質ではあるな」

「わかってる割には落ち着いてるじゃない。もしかしたら、袋のネズミにされてるのはこっちかもしれないのよ? よくまあ平然とした顔でいられるわね。ほんとにわかってるの? 今、一番危ないのは、あんたの惚れた男なのよ」

「恥ずかしいことを大声で言うな。わかっているさ、そしてわたしやお前にわかっていることなら、大方あのふたりもとっくにわかっているはずだ。必ずやってくれるさ、あいつらならな」

 ミシェルはそれで話を打ち切った。ルクシャナは呆れた顔で、「あんなとぼけた顔のぼうやのどこがいいのかしらねえ? まあアリィーもそんなに差があるわけじゃないかな」と、あきらめたようにつぶやいていた。

 彼女たちの胸中を悩ます不安要素。それは放置すれば、ガン細胞のように取り返しのつかないことになるのはわかっていたが、誰にも手術に踏み切る物的証拠がなかった。

 

 ただし、一方でそうは思っていない者たちもいた。エレオノールに着いていった、才人とルイズのふたりがそれである。

 

 三人は、ほかの一行と分かれた後で、特に当てもなく前へ進んでいた。ギラドラスがどこに出現するかは予知できないので、エレオノールの土メイジとしての直感と、目と耳だけが頼りのあてずっぽうである。と、表向きはなっていた。

 歩くこと数十分、もう他の組とは大きく距離を離れ、なにかがあったとしても他の組が駆けつけてくるには十分以上はかかってしまうであろう。そこを、エレオノールを先頭に三人は歩いていたが、ふいにルイズが話し掛けた。

「ねえ、エレオノールおねえさま、どうしてさっきから黙ってらっしゃるんですか? いつもなら、貴族としてのありさまがどうとか、歩きながらでもお説教なさるくせに」

「そ、それは、あなたも立ち振る舞いが優雅になってきたから必要ないと思ったからよ。う、うん! 立派になったわね」

 明らかに動揺していた。ルイズは、口だけは「ありがとうございます。お姉さまにお褒めいただけるなんてうれしいですわ」などと陽気に言っているけども、目だけはまったく笑っていなかった。

「ところで、この間のお手紙に書いてあった、新しいご婚約者の方とはうまくいってますの?」

「え、ええ! それはもちろんよ。待っててね、結婚式には必ず招待するからね」

 にこやかにエレオノールは言い、ルイズと才人は笑い返した。

 しかしこの瞬間、ふたりは最後の決意を固めていた。エレオノールの視線が外れると、ふたりは目配せしあって懐に手を入れた。

 

 やがて、もうしばらく進むと、ひときわ大きな岩が壁のように聳え立っている場所に出た。

「これはまた、でかい岩だな」

 高さはざっと十メートルほど。それが垂直にそびえ立っていて、少しくらい運動ができる程度で乗り越えられるものではなかった。魔法が使えれば楽に飛び越えられるが、虚無一辺倒でコモンマジックも十全に扱えないルイズにはフライも使えないし、テレポートをこんなことのために乱用するのはもったいなさすぎた。

 すると、エレオノールが岩の上にひらりと飛び乗った。

「あなたたちは飛べないのよね。さあ、引っ張り上げてあげるからロープを掴みなさい」

 岩の上から下ろされたロープが才人とルイズの前でゆらゆらと揺れる。その頂上ではエレオノールがにこやかな顔をしながら二人がロープを掴むのを待っていた。

 しかし、ふたりはどちらもロープに手を伸ばすことはせずにエレオノールを見上げると、ルイズが強い口調で言い放った。

 

「そして、引き上げかけたところでロープを離せば、まずは邪魔者ふたりを始末できるというわけかしら? ニセモノさん!」

「なっ、なに!」

 

 エレオノールの顔が驚愕に歪んだ。そしてふたりは追い討ちをかけるように言い放つ。

「バーカ、とっくの昔にバレてるんだよ。まんまと騙せてると思って、演技してるお前の姿はお笑いだったぜ!」

「エレオノールおねえさまに婚約者なんてできるわけないのよ。ボロが出るのを恐れて話を合わせたのが運のつきだったわね」

「おっ、おのれえっ。騙したなあっ!」

 逆上した顔だけは本物にそっくりだなとルイズは笑った。が、猿芝居に付き合ってやるのもここまでだ。

「さあ、とっとと正体を現したらどう? 地下の怪獣を操ってるのもあんたなんでしょう!」

「人間の分際で、バカにしやがって! いいだろう。こんな窮屈な姿はこれまでだ!」

 そう吐き捨てると、エレオノールのニセモノは懐から銀色をした金属製のプレートのようなものを取り出して左胸に当てた。

 瞬間、白煙が足元から吹き上がって姿を隠す。そして煙の中から全身が金と銀色の怪人が現れた。

「俺様は、暗黒星雲の使者、シャプレー星人だ!」

 ついに本性を表したニセエレオノール。その正体は、本物とは似ても似つかない銀のマスクののっぺらぼうであった。

 暗黒星人シャプレー星人。その記録は才人の知るドキュメントUGにもあり、当時は地質学者の助手に化けて暗躍し、地球のウルトニウムを強奪しようとしていた、宇宙の姑息なこそ泥だ。

「やっぱりお前だったかシャプレー星人! ハルケギニア中の風石を奪ってどうするつもりだ!」

 才人が怒鳴ると、シャプレー星人は肩を揺らしながら答えた。

「フハハハハ! 貴様ら人間どもはそんなこともわからんのか。貴様らが風石と呼ぶ、この鉱石は宇宙でも極めて珍しいくらいに、反重力エネルギーを大量に蓄積した代物だ。人間どもはおろかにも、これほどの資源を風船のようにしか使えておらんが、効率よく加工精錬すれば強大なエネルギー資源になりうるのだ。それこそ、兵器利用のために欲しがる宇宙人はいくらでもいるわ!」

「風石を、侵略兵器に悪用しようっていうのか。ゆるさねぇ! それもヤプールの差し金か?」

「フン! ヤプールはいまごろボロボロになった自分の戦力のことで手一杯だろうよ。俺は最初から、あんなやつの下っ端で働くなんてまっぴらだったんだ。風石をいただくだけいただいて残りカスになったら、こーんな最低な星にはなんの未練もないわ」

 なるほど、つまりヤプールの支配力が衰えた隙を狙って動き出した雇われ星人ということかと才人は察した。ヤプールは、独自の配下として複数の宇宙人を従えているものの、それだけでは限りがあるので、直接的に隷属させてはいないがかなりの宇宙人に声をかけ、誘惑して利用しているのは前からわかっていた。

 しかし、いったんヤプールの支配が弱まってしまえば、無法者たちは一気に好き勝手に暴れだす。

「どうりで、前に地球に現れた奴に比べたら頭が悪いと思ったぜ」

「なに!? そうか、お前がヤプールの言っていた地球から来た小僧か。これはちょうどいい、一番の邪魔者がのこのこ自分からやってきてくれるとはな。まずはお前から血祭りにあげてやる」

 開き直ったかと才人は思った。やはり同族の宇宙人といえども、性格はメフィラス星人の例にもあるとおり差はあるようだ。地球に現れた個体は計算高く、偶然が味方してくれなければ正体を突き止めることすら難しかったくらい周到に暗躍していたが、こいつはヤプールの口車に乗るだけあって浅慮で詰めの甘いところが目立った。

 こんなやつがエレオノールお姉さまに化けてたなんて。決して仲がいいとは言える姉ではなくとも、ルイズも忌々しそうに言った。

「ハイエナのくせに偉そうにしてくれるじゃない。よくもエレオノールお姉さまの顔を騙ってくれたわね。本物のお姉さまはどうしたの?」

「別にどうもしないさ。トリステインで、学者どもが飛び回っているといったろう? あれは嘘でもなんでもない。当然、本物も毎日のようにあちらこちらを飛び回ってどこにいるかわからん。つまり、同じ人間がふたりいても、まず気づかれはしないということさ」

「お姉さまの多忙さを利用したってわけね。確かに、それなら本物が忙しく飛び回ってくれてたほうがニセモノも大手を振って歩き回れるわけ。なるほど、本物のエレオノールお姉さまが聞いたら激怒するでしょうけど、そうやって人々の目を欺きながら自由に怪獣を操っていたのね。ハルケギニアから盗み出した風石は返してもらうわよ!」

 するとシャプレー星人は愉快そうに笑った。

「ハハハ! 残念だったなあ。すでに地下の風石の半分以上はこの星の外に運び出しているのだ。いまごろ気づいたところで取り返せやしないんだよ。ざまあみろ!」

「なんですって! それじゃあ、ハルケギニアの地殻は!」

「今のところはかろうじて安定しているが、それも時間の問題だな。あと少し採掘すれば、地殻は一気に崩壊し、少なくとも大陸全土がこの山のように沈んでしまうのは間違いないなあ」

 才人とルイズは戦慄した。ハルケギニアが根こそぎ地の底へと沈んでしまう? 絶対に、これ以上の採掘は阻止しなくてはならない。ルイズは杖をシャプレー星人に向けて言い放った。

「エレオノールお姉さまを侮辱してくれた報いは妹の私がくれてやるわ。悪いけど、優しくしてもらえると思わないでね」

「チィ、まさか妹がやってくるとは想定外だったぜ。しかし、俺の変身は完璧だったはず、どこで気づいた?」

「ふっ、確かに姿だけは完璧だったわ。でもね、あんたは内面のリサーチが足りてないのよ。おしとやかなエレオノールお姉さまなんて菜食主義のドラゴンみたいなものよ。そして、あんたは決定的なミスを犯したわ。それは……」

 そこでルイズは一呼吸起き、思いっきり胸をそらして得意げに言った。

 

「本物のエレオノールお姉さまはねぇ、絶対わたしにお茶なんか出してくれないのよ! あっはっはっはっは! ん? サイト、なんでコケてんのよ?」

「虐待されとることを自慢すな、アホッ!」

 

 まさにあの姉にしてこの妹ありだった。神経の太さは並ではないと、才人はずっコケながらほとほと思うのである。よりにもよってエレオノールに化けたのが本当に運のつき、この規格外れの姉妹にそう簡単に入り込めるはずがない。

 シャプレー星人は唖然とし、次いで激怒して叫んだ。

「貴様ふざけやがって! 覚悟しろ!」

「覚悟するのはあんたのほうよ! あんたを倒して大陥没を止める」

「ここで死ぬ貴様らには無理だ!」

 シャプレー星人は光線銃を取り出して、才人たちも迎え撃つべく武器をとる。

 交差するシャプレーガンとガッツブラスターの光弾。しかし双方とも発射と同時にその場を飛びのき、外れた弾が岩に当たって火花を散らした。

「外れた!?」

「避けおったか、しゃらくさい!」

 どちらも銃撃を連射するが、十メートルもある岩盤の上と下なので当たりずらい。だが、ならば互角かといえば、才人のほうはエネルギーの関係で実弾練習がほとんどできなかっただけ分が悪い。

 しかも、シャプレー星人は光線銃だけでなく、草食昆虫のような口を開いて、そこからも光弾を放ってきたのだ。

「ちくしょう! 手数が違いすぎる」

 雨あられと降り注ぐ光弾に、才人は避けるだけで精一杯だった。シャプレー星人はさらに調子に乗り、池のカエルに石を投げるように銃撃を加えた。

「ウワッハッハッハ、逃げろ逃げろ、虫けらめ! ヌ? ヌワァッ!」

 突如、爆発が起こってシャプレー星人を吹き飛ばした。半身を焦がした星人の目に映ったのは、杖の先をまっすぐに向けて睨みつけてくるルイズだった。

「サイトにばかり気をとられてるからよ。まだエクスプロージョンを撃てるほど回復してないけど、あんたに町や村を壊された人たちの痛みを少しは知りなさい」

 不完全版エクスプロージョンの威力は必殺とはいかなかったが、不意をつくには十分だった。なにせ、なにもないところが突然爆発するのだから回避は大変難しい。シャプレー星人は、この星のメイジが使う魔法は系統はどうあれ、おおむね飛んでくるものとばかり思い込んでいたから、銃を持っている才人を先に狙ってルイズを後回しにと判断したのが見事に裏目に出た。

 才人も体勢を立て直して、ガッツブラスターからエネルギー切れのパックを取り出して新品を装填した。

「ナイスだぜルイズ! よーし、あいつの弱点は目だ。目を狙え」

「目ってどこよ!?」

 とのやり取りがありながらも、星人の鎧を着込んでいるような体はよく打撃に耐えた。しかし、体は耐えられてもダメージを受けたシャプレー星人は逃げられない。

「お、おのれぇ。ならば、また貴様の姉の姿になってやる。これで攻撃できまい」

「あんたバカぁ? むしろ日ごろの恨み!」

 ニセモノだとわかっているから、遠慮会釈のない爆裂の嵐が吹き荒れる。そのときのルイズの気持ちよさそうな顔ときたら、いったいどれだけ恨みつらみが重なってるんだよと才人が心配するほどであった。

 変身を維持できなくなってボロボロのシャプレー星人に、才人は介錯とばかりに銃口を向けた。

「これでとどめだ!」

「まっ、待て。お前の、影を見……」

「その手品は種が割れてんだよ! くたばりやがれ!」

 悪あがきも通じず、銃撃と爆発が同時に叩き込まれた。その複合攻撃の威力には、さしものシャプレー星人の頑丈な体も耐えられず、星人は炎上しながら岸壁を墜落していった。

「くっそぉぉーっ! 俺がこんなやつらに。ギラドラース! 俺の恨みぉぉぉ!」

 地面にぶつかり、シャプレー星人は四散した。

 だが、星人の断末魔と共に大地が激震し、地底から凶暴な叫び声が響いてくる。

「出てきやがるぞ。あとは、こいつさえ倒せばハルケギニアは沈まずに助かる! ルイズ」

「ええ、仕上げにいきましょう」

「ウルトラ・ターッチ!!」

 岩の嵐を吹き飛ばし、ウルトラマンAが大地に降り立った。

 続いて、猛烈な地震を伴いながら、赤く輝く角を振りかざして核怪獣ギラドラスが地底から現れた。

 

【挿絵表示】

 

 来たな! エースは前方百メートルほどに出現したギラドラスへ向かって構えをとった。四足獣型の体格でありながら前足のない独特のスタイル。黒色のヤスリのようなザラザラした肌、背中にも明滅する赤い結晶体。間違いなく奴だ。

 睨みあうエースとギラドラス。両者の巨体とギラドラスの叫び声が、遠方にいる仲間たちも呼んだ。

「ウルトラマンだ! 怪獣と戦ってるぞ」

「あっちはサイトたちが行った方向じゃないか。よし、助けにいこう」

 全員がいっせいに同じ方向へと急いだ。全部のペアにメイジが含まれているので、フライの魔法を使って飛ぶ速さは岩だらけの中を走るより断然速い。

 しかし、彼らが才人たちのもとへ急ごうと飛び立って間もなく、ギラドラスが空に向かって大きく吼えた。次いで角と背中の結晶体が強く発光すると、突如として暴風が吹き荒れて、降るはずのない雪が猛烈な吹雪となって荒れ狂いはじめた。

「うわあっ! なんだ急に天気が!」

「吹き飛ばされる! みんな、下りて岩陰に避難するんだ」

 ブリザードが周囲を覆い、エースとギラドラス以外は身動きがとれない状況になってしまった。

 この異常気象、もちろん自然のものではない。才人はすでに、ギラドラスの仕業に気づいていた。

〔あいつは天候を自由に操る能力があるんだ。くそ、あんなのをほっておいたら沈まなくてもハルケギニアはめちゃめちゃにされてしまうぞ!〕

 聞きしに勝る強烈さ、ギラドラスは地底に潜れば地震に陥没、地上に出てくれば大嵐を引き起こす、災害の塊のような奴なのだ。こんなぶっそうな怪獣をほっておいたら、寒波、豪雪、干ばつ、台風、人間の住める世界ではなくなる。なんとしても、こいつはここで倒さなくてはいけない。

「シュワッ!」

 吹雪の中で、エースはギラドラスに挑みかかっていく。キックがギラドラスのあごを打ち、噛み付いてきたところをかわして脳天にチョップからの連続攻撃を当てていく。

〔こないだのときと違って、体力はいっぱいよ。ぜったい負けやしないんだから〕

〔だけど、この寒さじゃ長くはもたないぞ。それに、下のみんなが凍死しちまう!〕

〔ええ、不利になる前に一気に決めたほうがよさそうね〕

 ウルトラ戦士は強靭な肉体を持つが寒さには弱い。猛吹雪の中、太陽光もさえぎられたここは最悪のフィールドだといえる。過去、エースも雪男超獣フブギララや雪だるま超獣スノギランとの戦いでは寒さに苦しめられている。いくらエネルギー満タンの状態でも、長期戦には耐えられないのはエースも当然承知していた。

〔悪いが、一気に勝負を決めさせてもらうぞ!〕

 苦い経験を何回も繰り返すつもりはない。エースはギラドラスの背中に馬乗りになり、パンチを連打してダメージを蓄積させていった。

 が、ギラドラスも黙ってやられるつもりはむろんない。太く長い尻尾を振るってエースを振り落とし、雄たけびをあげて頭から体当たりを仕掛けてきた。

「ヘヤアッ!」

 エースはギラドラスの突進に対して、とっさに敵の頭の角を掴むと、突進の勢いをそのまま利用して投げを打った。

 巨体が一瞬浮き上がり、次の瞬間ギラドラスは背中から雪をかむった岩の中に叩きつけられる。

〔どうだっ!〕

 こいつは効いたはずだ。才人も混じって受けた水精霊騎士隊の格闘訓練での、銃士隊員のひとりから投げ技を受けたときには、呼吸ができなくなって本当に死ぬかと思った。ルイズも昔、いたずらしたおしおきでカリーヌに竜巻で空に舞い上げられて落とされた痛みが、寒気といっしょに蘇ってきた。

 案の定、ギラドラスは大きなダメージを受けてもだえている。しかし、なおも角を光らせて天候を荒れ狂わせて攻めてきた。吹雪がさらに強烈になり、エースの体が霜に染まって凍りつき始めた。

〔ぐううっ! なんて寒さだ〕

 すでに気温は氷点下数十度と下がっているだろう。それに加えて台風並の強風が、あらゆるものから熱を奪っていく。

 エースはまだ耐えられる。しかし、ろくな防寒装備もない下の人間たちはとても耐えられない。

「ギ、ギーシュ、ま、まぶたが凍って開か、な……」

「レイナール! 目を開けろ。寝たら死ぬぞぉ!」

「ミ、ミス・ルクシャナ、もっと風を防げないのか?」

「無茶言わないでよ副長さん! わたしだって必死にやってるのよ。今、この大気の防壁の外に出たら、あっという間に氷の彫像になっちゃうわよ」

 もうほとんどの者が手足の感覚がなかった。あと数分もすれば凍傷が始まって、やがては低体温症で死にいたる。

 

 もはや、一刻の猶予もない! エースは自身も白く染まっていく身に残った力を振り絞り、ギラドラスへ最後の攻撃を仕掛けていった。

 

「ヌオオオオォォォォッ!!」

 体当たりと噛み付きを仕掛けてくるギラドラスの攻撃をいなし、首元に一撃を加えて動きを止める。

〔いまだ!〕

 チャンスはこの一瞬! エースはギラドラスの腹の下から巨体を持ち上げる。高々と頭上に掲げ、全力で空へと投げ捨てた。

「テヤァァァッ!」

 放り投げられ、空高く昇っていくギラドラス。エースはありったけのエネルギーを光に変えて、L字に組んだ腕から解き放った。

 

『メタリウム光線!』

 

 光芒が直撃し、膨大な熱量はギラドラスの肉体そのものをも蒸発させ、瞬時に千の破片へと爆砕させた。

 閃光と、それに続いて真っ赤な炎が天を焦がす。爆音にギラドラスの断末魔が混じっていたか、それもわからないほどの衝撃波が大地をなでて積雪を吹き飛ばしていくと、次の瞬間、空一面を青い幻想的な輝きが覆った。

「おおっ」

「すごい、きれい……」

 空一面に、星のように小さな無数の光が舞っていた。皆は、寒さに凍えていたことも忘れてその光景に心を奪われた。青と銀色のコントラストはどこまでも美しく透き通っていて、まるでオーロラを砕いて散りばめたようである。

 いったい、この空を覆う星雲のような輝きはなんなのか? エースにもわからないが、邪悪な気は感じないので見つめていると、ルクシャナがはっとしたように叫んだ。

「これ、風石だわ! 風石のかけらなのよ!」

 そう、ギラドラスが体内に蓄えていた大量の風石が、爆発のショックで細かな破片となって飛散したのが、この光景の正体だった。

 風石は精霊の力が形となったといわれているだけあって、いつまでも舞い降りてくることなく空にあり続け、やがて自然界の秩序を守る精霊の意思を受け継いでいるかのように次なる奇跡を起こした。ギラドラスの巻き起こした嵐の雲に、風石の破片雲が接触すると、まるで悪の力を相殺するかのように黒雲を消し去ってしまったのである。

「おお! 嵐がやんでいくぜ」

「あったかくなってきたわ。これで凍死しないですむわよ。やったあ!」

 天候が急速に回復していき、皆から喜びの声があふれた。いまだ空は虫の群れに覆われており、本物の空は見えなくても一応の平穏が戻った。

 風石の見せてくれた神秘の力。しかしこれも、元を辿ればハルケギニアの自然が長い年月をかけて作り出したものなのだ。決して宇宙人のいいようにされていいものではない。資源を欲にまかせて掘り返し続けて、大地を枯らせてしまった後には何も残りはしないのだ。

 シャプレー星人の邪悪な陰謀は打ち砕かれた。エースは空へと飛び立ち、風と共に戦いは終結を告げる。

「ショワッチ!」

 これで、ハルケギニアの土地がこれ以上沈降することはないはずだ。火竜山脈はもう元には戻らないが、ギリギリ被害を最小限に抑えられたと思っていいだろう。

 才人とルイズは皆と合流すると、事の顛末をまとめて報告した。

「なるほど、やっぱりあのミス・エレオノールはニセモノだったのか。しかし、我々も怪しいとは思ったが、あまりにも怪しすぎて手を出せなかった。まんまと罠にはめるとは、さすがだなルイズは」

「うふふ、まあねえ」

 ほめられて、鼻高々なルイズであった。才人は、まあ少し呆れながらも、今回はルイズの功績が大だったので、文句も言わずに見守っている。

「まったく、褒められるとすーぐ頭に乗るんだからなあ。けど、今回はルイズを敵に回すと恐ろしいってのがよくわかったよ。シャプレー星人も化けた相手が悪かったとはいえ、ちょっと同情するぜ」

「聞こえてるわよサイト。でもま、今日は気分がいいから大目にみてあげるわ。でも、ヤプールが眠っていても安心できるわけじゃないってのもわかったわね」

「ああ、これから先もなにが起こるか、油断は禁物だな」

 ヤプールの統率を離れて勝手に動く宇宙人もいる。災いの芽は、どこに隠れているかわからない。

 

 そう、地球に勝るとも劣らない美しいこの星は、常に狙われているのだ。

 いかなる理由があろうとも、侵略は絶対に許されない。しかし、平和は黙っていても守れるものではない。強い意志で、痛みに耐えてでも悪と戦いぬいてやっと維持できる危うく儚いものだということを忘れたとき、人々の幸せは簡単に踏みにじられてしまう。

 今回の事件は、そのことを思い出すいい機会だった。なにせ、誰もあって当たり前と思っていた地面をなくそうとしていた敵まで現れたのだ。侵略者は、人間のありとあらゆる油断をついて攻めてくる。絶対に安全なんてものはないんだということを、みんながあらためて思い知った。

 

 そして、今この世界は何者かの手によって闇に閉ざされ、滅びの道を歩んでいる。ハルケギニアに住む者として、この脅威を見過ごすことは断じてできない。

「さあ、これでこの事件は片付いたわ。町に帰りましょう、きっとテファが心配してるわよ」

「おおーっ!」

 思わぬ足止めを食ったが、もう大丈夫だ。町の人たちも、早く帰って安心させてあげないといけない。

 一行は、意気揚々と町への帰路についた。

 が、彼らの心はすでにここにはない。前途をふさいでいた難題が解消した今、行くべき道はひとつしかないのだ。

「今日はゆっくり休んで、明日には国境を越えましょう。幸い、山越えはしないですむみたいだしね」

 異変の元凶がある南の地。そこになにが待ち受けているとしても、引き返すという選択肢は誰の心にもない。

 目指すロマリアは、もはや目前へと迫っている。

 そこで待つ運命の指針は、まだ正義にも悪にも、振れることを決めかねているようであった。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第8話  聖都ロマリアの夜

 第8話

 聖都ロマリアの夜

 

 キリエル人

 炎魔戦士 キリエロイド 登場!

 

 

 火竜山脈でのシャプレー星人との戦いから数日後。無事を祈るアイーシャの見送りを受けて旅立った一行は、山脈跡を越えて一路南下。いよいよ目的のロマリアへと到着しようとしていた。

 

「ようこそ、聖都ロマリアへ! ここは神のお膝元です。敬虔なるブリミル教徒の方なら誰もが祝福を受けられ、その魂は死後必ず天国へと導かれるでしょう」

 

 きらびやかな衣装をまとった神官の誇らしげな声に迎えられ、壮麗な装飾を施された門をくぐった先に、才人たちはブリミル教徒たちが『光に満ち溢れた土地』と呼び誇る都を見た。

 広い通りに、整然とした建築物の並び立つ街並み。高く伸びる幾本もの尖塔は、そのひとつひとつに異なった美しい彫刻が施され、街全体を持ってひとつの芸術品のように飾り立てている。

 ここが、ロマリア連合皇国の中心都市。ハルケギニアの人間たちが信仰するブリミル教の総本山であり、ルイズたちトリステインの巡礼団が本来訪れるべき場所であった。

「まさか、こんな形でロマリアを訪れることになるとは夢にも思わなかったわね」

 門をくぐり、憮然としてルイズはつぶやいた。本当なら、東方号に乗って、大勢の巡礼団の一員として優雅に訪れるべき場所だった。それなのに、今の自分たちはフードで顔とともに身分を隠して、目立たないようにこそこそと入国しなければならなくなったのは、なんという運命のいたずらだろう。

 もちろん、意味なく正体を隠しているわけでは決してない。

「なあルイズ、やっぱり名乗り出てロマリア宗教庁の協力をあおいだほうがよかったのじゃないか?」

「ギーシュ、そのことはもう散々議論したはずでしょう。いいこと? 敵はエギンハイム村で間違いなく東方号を狙ってきた。つまり私たちはどこで敵にマークされてるかわからないのよ。目立つことは厳禁なのに、宗教庁なんかに顔をだせるわけないでしょう」

 これが大まかな理由であった。敵の正体はいまだわからないが、ヤプールとてスパイを人間社会に送り込んできていたのだ。用心に越したことはない。

「幸い公式には、トリステイン巡礼団は途中トラブルで引き返したことになってるから、私たちは名乗り出ない限り存在しない人間よ。ただの巡礼者のふりをして入国したら、巡礼者なんて何万人といるんだから目だちゃしないわよ」

 実際、やってみるとそのとおりになった。途中の町で古着を買い込み、コートとフードを深くかむったら、まだ寒風の日も続くのでほかの通行人や平民とほとんど見分けがつかなくなった。

「やれやれ、こんな貧相なかっこうをするはめになろうとは。平民というよりこじきじゃないか」

「よく似合ってるぞギーシュ。うっ、くっくくくくっ」

 才人は、馬子にも衣装の逆だなこりゃと笑った。水精霊騎士隊の皆も、マントや貴族の衣装は荷物に隠してある。銃士隊などは、貧乏らしさを強調するために顔に灰を塗るほどの凝りようである。また、ロマリアの都市内には武器や杖などは持ち込み禁止だったので、才人のデルフリンガーなどは途中の宿場町に預けてきた。

 正門から続く大通りを、一行は粛々と歩く。空はまだ闇に包まれているが、神のお膝元であるという安心感からなのか、街に浮ついた様子は見えない。途中、出会ったほかの巡礼者たちとおじぎをし合ったが、誰もこちらを怪しんだ様子はなく、「始祖のご加護があらんことを」とあいさつを交わすと、微笑を浮かべてすれ違っていった。

 どうやら、変装は問題ないらしい。慣れないことに不安を感じていた者たちも、大丈夫だとわかると、少しずつ周りを観察する余裕が生まれてきた。

「さすが、ブリミル教の総本山を名乗るだけの都市なことはあるね。通りも広いし、建物もどれも大きい。自虐的になるわけじゃないが、これに比べたらトリスタニアは田舎と呼ばれても仕方ないだろうね」

 レイナールが、感心と羨望の混じった視線をめぐらせながらつぶやいた。

 確かに、ロマリアの街並みは才人から見ても感心するくらいに立派であった。社会科の教科書で見たヨーロッパの古い都市の写真などと比べても、まったく遜色はなく、歴史と伝統に裏付けられた貫禄は十数年をやっと生きてきた自分ごときでは論評できないだけの重さを持って存在していた。

 一台の馬車が彼らとすれ違っていった。金無垢で、多くの宝石がちりばめられた馬六頭立ての立派な馬車は、トリステインでは王族か、ヴァリエール家くらいの大貴族でしか扱えないものであろう。才人も、ベンツやリムジンがおもちゃに見えると素直に感じ入り、さぞ立派な神官が乗っているのだろうと、思わずギーシュたちといっしょになって拝んでしまった。

 才人ですらそうなのだから、ハルケギニアでは田舎扱いの小国トリステイン出身の皆が圧倒されるのもムリはないといえよう。

 

 しかし、光があれば影もある。街の中心に進むにつれて、一行は自分たちのような巡礼者のほかにも、路肩に座り込んで動かない人たちや、路地からじっとこちらを見つめている人たち、騎士たちが配るパンやスープに長い行列を作っている人たちを見た。いずれも、ぼろに近い貧相な身なりをしてやせ衰え、目は死んだ魚のように生気が感じられなかった。

 それだけではない。一見、壮麗で華麗に見えた街並みも、よく見ればドアや窓が破れて長い間放置されたようなあばら家や、路地の奥に板切れで作られたボロ小屋が見えたり、風に乗ってなにかか腐ったような鼻をつく匂いが感じられたりしてきたのだ。

「なんだこりゃ、まるで貧民窟じゃないか。どうなってんだよいったい?」

 さすがに耐えられなくなったギムリが怒鳴るように言った。

 ここは本当にロマリアなのか? 確かに、目の前には豪華な寺院が建ち、着飾った神官たちが和やかに談笑しているが、街路を挟んだその反対側では、ぼろを着た女が小さな子供の手を引いてうつむきながらよろよろ歩いていく。神官たちは一瞥だにしようとはしない。

 彼らは『光の溢れる土地』と想像してきた様相とはあまりにも異なるロマリア中心街の惨状に、とても平静ではいられなかった。これならば、決して豊かとはいえないトリステインの街や村のほうがよほど満ち足りている。少なくとも、やせこけた人々が大通りに列を成して座り込んでいたりはしない。

 どういうことなのか? すると、戸惑う彼らにロマリア出身だという銃士隊員が忌々しそうに語り始めた。

「変わりませんね。この街は……昔と同じに、本音と建前を隠そうともしていない」

「どういうことです? ぼくらは、ロマリアは教会の説明でしか知らないんです」

「でしょうね。ロマリアは国外には決して本当の姿を語りません。彼らは常に、ロマリアは『街には笑いと豊かさが溢れ、自らを「神のしもべたる民のしもべ」と呼び習わす教皇聖下のもと、神官たちによって敬虔なブリミル教徒たちはあらゆる悩みや苦しみから解き放たれる』と、言い聞かせ続けるんですよ。そんなもの、見てのとおりどこにもありはしないのに」

 炊き出しのスープの列に並ぶ貧民たちを見つめながら語る彼女の横顔は、彼女を入隊からずっと共に戦ってきたミシェルも見たことがないほどに悲しそうだった。

「そういえば、お前たちロマリア出身者は過去のことはほとんど話したがらなかったな。気持ちはわたしもわかるが、こんなときだ。すまないが、皆に説明してやってくれ。なぜ、我々ブリミル教徒の中心であるはずのロマリアがこんな惨状をさらしているのだ?」

「その、ブリミル教の権威のためですよ。ロマリアという、ブリミル教徒が作った『この世の楽園』があると思わせておけば、教会に対する民衆の尊敬を保ち続けることができます。それはつまり、神官たちは、なにも知らない民衆から楽に布施や税金などの形で富を吸い上げることができるようになるというわけです」

 立派にそびえる寺院を細めた目で睨みつけ、感情のこもらない声で語る隊員の表情からは、明らかな憎悪がにじみ出ていた。

「けれども、『この世の楽園』があると広まれば広まるほど、そこを頼って救いを求める貧民たちが世界中から集まることにもなる。しかし、彼らは故郷を捨てて身一つでたどり着いても、それだけの人数に与えられる仕事があるはずもなく、することも居る場所もなく、吹き溜まりのように溜まり続け……今や、街には貧民が溢れんばかりですよ」

「教会は……神官たちは、なにもしなかったのか?」

「大昔は、やっていたかもしれませんね。けれども、ハルケギニア全土から流民が集まってくる以上、際限なんてありませんよ。努力が空回りして、救済に飽きてあきらめるのにたいした時間は必要なかったでしょう。この街の神官たちが熱心に説教するのは、すぐに帰る巡礼者か金持ちしかいません。貧民になど、死体が街に溢れないようにするだけのパンとスープを与えるだけで、頭の中には自分の寺院にどれだけの布施が集まるかと、荘園からどれだけの利益が得られるかのふたつしかないでしょうよ」

 最後は吐き捨てるふうにまでなっていた。この旅に連れてきた銃士隊の隊員は、指揮官のミシェル以外は全員がロマリアの出身者を集めていたが、どの隊員の顔にも怒りと憎しみが浮かんでいた。

「私も、子供の頃はここにいました。私の母は、飢饉で村を捨てざるを得なかった百姓の娘で、村の神父の触れ回ったロマリアの話を信じてやってきましたが、わずかな金子も使い切ってたどり着いたあげくは説明するまでもないでしょう。この街で施しのパンとスープで命をつなぎ、あとは生きているのか死んでいるのか……けど、私の母はあきらめが悪かった。いちかばちか、私を連れて北を目指したんです」

「それで、トリステインにたどり着いたというわけか」

「はい、今思えば本当に奇跡のような旅でした。その年、トリステインはまれに見る豊作に恵まれて、ある村で行き倒れた私たちにも食べきれないほどのパンがふるまわれました。もし時期がずれていたら、私はどこかで野垂れ死にしていたでしょう」

 しみじみと彼女は語る。ほかの隊員たちも、境遇は多かれ少なかれ似たようなものだと、懐かしさではなく忌まわしさを込めた瞳でロマリアの街並みを見回していた。

 しかし、彼女は助かったからいいようなものの、その話を聞けば多くの貧民が安住の地を得ることなく力尽きて死んでいったのだと胸を痛めざるを得ない。ロマリアとは、甘美な匂いで虫を呼び寄せるが、その実はからっぽなウツボカズラのようなものだ。

 才人はふと、ここに来る前にデルフリンガーが言っていたことを思い出した。

「相棒、ロマリアに行くのか……おりゃあ、あんまし気が乗らねえな」

「どうしてだ? お前、なにかロマリアに嫌な思い出でもあるのか」

「多少な。なにせ、あの国を作ったのがブリミルの弟子のフォルサテって野郎だったんだが、こいつがまた嫌なやつでな……相棒、どうしても行かなきゃならねえってならひとつだけ頼みがある。ブリミルを嫌いにならないでくれよ……あいつはいい奴だったんだ。けど、死んじまった奴はなにもできねえんだ」

 思わせぶりに言っていたことは、こういうことだったのかと才人は思った。ハルケギニアの誰もが尊敬する、始祖ブリミルは確かに立派な人物であったのだろうが、後世の欲深な人間がブリミルの威光だけを利用して、なんの罪もない人を苦しめている。

「こんなところも、地球とそっくりでなくてもいいのにな」

 偉大な先駆者の名前だけを傘に着て、なんの才覚も展望もない後継者がのさばるのは世の常だ。どんな巨大国家や大企業も、末路はだいたいそうした愚か者たちがはびこったがために滅びている。才人にはそれ以上の難しいことはわからないけれども、デルフの伝えたかった悲しみや憤りが少しは理解できたような気がした。

「じゃあ、この街の人たちが空の異変に動揺してないのって」

「そう、貧民たちには騒ぐ気力も逃げる場所もないから。神官たちは金のことしか頭になくて、危機意識が欠落してるから」

 語るのも忌まわしいというくらいに、その隊員は吐き捨てた。

 水精霊騎士隊ら少年少女たちは、トリステインで想像していたのとはあまりにひどいロマリアの落差に言葉もない。

 

 思いがけず知ってしまったブリミル教の暗部。トリステインでも、そりゃあひと時はリッシュモンのような腐敗貴族が幅を利かせて、女王陛下が苦慮したものだがここまでひどくはなかった。没落貴族や悪党の集まるトリスタニアの裏町もこれよりはまだきれいだと言えるだろう。

 ブリミル教の中心地として、世界中の尊敬と憧れを集めるはずだったロマリアが、逆に世界中の淀みと矛盾を集めてしまっている。豪華に贅を尽くして建てられた汚れひとつない大寺院と、その周りにほこりまみれでうずくまっている人々……ロマリアはブリミル教徒の楽園だと、のんきに信じていた自分たちの無知さ加減には腹立たしささえ浮かんでくる。

 

 しかし、そうして一行は立ち尽くしていたが、ふと自分たちへ向かう無数の視線を感じた。

「お、おい……」

 いつの間にか、周り中の貧民たちが一行を見ていた。いずれも、無言のうちに視線に敵意や悪意が込められている。さっきまでの会話を聞かれたのか、いやそれでなくとも、一行は服装を変えて平民に成りすましているが、顔つきなどをよく見れば裕福な生活をしているのだということはわかる。

「行こう……」

 追い立てられるように一行はまた歩き出した。けれども、どこへ行っても映る景色は黄金色と灰色の二元の世界……ときおり、別の巡礼団の一行ともすれ違ったが、街の風景に目を背けているならいいほうで、あからさまに貧者を見下している連中や、さらには貧者など道に落ちているゴミも同然と目にも入ってないように、楽しそうに笑いながら歩いていった連中には吐き気さえもよおした。

 ロマリアの入り口で、にこやかに挨拶をしてすれ違った巡礼者たちの笑顔を思い出すと、その裏のどす黒さに薄ら寒くなる。

 だが、そんな彼らにミシェルは告げる。

「他人事だと思うなよ。お前たちにも似たようなことをした経験があるはずだ。ないとは言わさん」

 誰もぐうの音も出なかった。世の中の底辺を見てきた彼女の鋭くえぐるような言葉は、誰もがなにげなくしてきて胸のうちにしまってきた悪行を思い起こさせる。

 貴族として生まれついた者たちは、平民やより格式の低い貴族を見下した。才人だって、クラスで自分より成績が低かったクラスメイトを内心でバカにしたことがある。今でこそ、その卑劣さがわかるものの、以前にはロマリアの人間たちと同じ種類だった自分が間違いなくいたのだ。

 

 人間の汚さを、外からも中からも見せられるロマリアの街。一行の中でも、才人やルイズ、水精霊騎士隊の少年少女たちは特にショックを受けた様子だった。

「まさか、ロマリアがこんなひどい街だったとは思わなかった。正直、こんなところで先行きどうするんです? 正直、気がめいるだけじゃなくて、話をまともに聞いてもらえるかどうか」

「特にやることは変わらないさ。酒場でもなんでも、人の集まりそうな場所を見つけて情報収集。大きな寺院には、それだけ大勢の人間が集まるだろうし、そういう場所の人間は裕福だから余裕があるだろう……とりあえずは、適当な宿を探して拠点にするぞ。動くのは明日からだ」

「はい……」

 返事にも気合がなかった。もとより、言ったミシェルも義務感で無表情につとめているが、内心でははらわたが煮えくり返っている。

 幼い頃に孤児となり、世の中の辛酸をすべてなめてきた。自分をそんなふうにさせた、腐敗したトリステインを恨んできたが、ここに比べたら何百倍もマシに見える……前の自分なら、なにもかもあきらめてこんなところ滅ぼしてしまおうと思っただろう。自分でさえそう思っているのだから、まだ世の中を広く知らない子供たちは気持ちの整理がつかなくてしょうがない。

 がいこつのようにやせさらばえた人間から呪いを込めているような無数の視線が浴びせられ続ける。「この平民め」と怒鳴りつけられれば簡単なのだろうけれど、今の彼らにその台詞は間違っても吐くわけにはいかなかった。

 いっそのこと、入国と同時に聖堂騎士団あたりともめごとでも起こせば、ロマリアの醜い部分を見ないままに騎士ごっこ気分で暴れられたかもしれない。しかしそれではダメなのだ。世の中のいいところも悪いところもきちんと知って、それを自分の中に飲み込めるようになれなくては、いつまでも騎士ごっこのままで、大人の騎士にはなれない。

 

 それぞれの思うところがありながら、それを胸のうちに飲み込んで追い立てられるように一行は歩んだ。

 こんな街だ。探せば巡礼者向けの宿のひとつやふたつは楽に見つかるだろうが、早いうちにロマリアの地理をそれぞれの頭に叩き込んでおかねばならなかったし、なによりこの気分の悪さをまぎらわすためにはもうしばらく歩いていたかった。

 

 ロマリアの街は、その広大さの中に様々な歪みを抱えていた。

 この街の住民たち、その中には見てきたとおりに我が身のほかには何も持たない貧民が多数いた。その中の何人かと話をしてみる機会があったが、誰もが飢饉や盗賊、災害や貧困によって村や町を追われ、最後の希望としてロマリアにたどり着いたのだという。

 きれいな場所も確かにないことはない。けれど、それはよそから来た人のために作られた商店街や宿泊施設で、他とは隔離されていて、貧しそうな者が立ち入ろうとすると、屈強な男たちによって追い返されるのを見た。中で楽しそうに買い物をしているのは金持ちばかり……多分、予定通りに東方号でロマリアに着いていたら、こうしたきれいなところだけを通って汚い場所からは遠ざけられ、子供の遠足も同然に終わっていたかもしれない。

 その一方、街を散策する中で目に付いた奇妙な光景があった。

 

「皆さん、この世界は間もなく終わりを迎えます! 神に祈りましょう。信じる者たちの前に天使とともに天国の門が開かれて、あなたたち選ばれた人々を救い上げ、愚かな者たちに怒りの業火の裁きが下ることでしょう」

 

 そんなふうに叫びながら、一心に空に向かって祈っている集団がいくつもあった。公式のブリミル教による講義ではないことに、神官のように見える者はおらずに、貧民たちが自主的に集まって祈りを捧げている。

 人数は、ひとつの集団で十数人だが、あちこちで頻繁に見かけることから、ロマリア全体では数百から数千人に上るのではと思われた。

「なんなんだ。この気味の悪い集会は?」

「まてよ。そうだ、思い出したよ。噂で聞いたんだけど、ロマリアを中心に最近になって広まってきた新興宗教があるって」

 怪訝に思ってつぶやいたギーシュに、レイナールが説明した。

 簡単に述べると、ある預言者が流布しているもので、おおまかな思想はさっき聞いたとおりに、世の中が乱れたときによく現れる、一種の末法思想らしく、それ自体はそんなに珍しいものでもない。

「でも、ロマリアでそんなことしたら、聖堂騎士団が異端審問に飛んでくるんじゃないのか?」

「おれもそう思った。けど、この街の規模じゃいくら異端審問してもきりがないだろう。それに、貧民たちの不満のはけ口もなんらかで必要だ。金がかからずにそれができるから、黙認されてるんじゃないか?」

 レイナールはそう推測し、それは事実とほとんど差異はなかった。つまりはこの街の貧民たちは、異端審問にかけることも面倒だと、ほぼ見捨てられているのである。

 そのとき、ひとりの貧民の信徒が汚い紙に書かれたビラを差し出してきた。

「あなた方もいかがです? 間違った神を捨てて、私たちと共に真の救済を求めませんか?」

「行こう、ここはわたしたちのいる場所じゃない」

 誘いを断って、一行はその場から離れようと歩き出した。

 そろそろ、太陽は見えないけれども時刻は夕暮れ時に近づいている。そろそろ宿を決めて休まないといけない。

 結局、気分が悪くなっただけで何もこの街から得るものはなかった。都市というものを作るときに、悪い見本とすべきものがあるとすれば、間違いなくこの街を今後の生涯に思い出すことになるだろう。見た目だけ壮麗華美で、中身は見る影もなく腐り果てている。

 とぼとぼと、目をつけておいた一軒の宿を目指して一行は歩いた。

 才人とルイズは、その一番後ろを同じように暗い雰囲気で歩いていたが、ふと才人のそでが引かれた。

「お待ちください。あなた方には是非とも、我らの天使とお目にかかっていただきたいのです。今晩、この場所で天国の扉が開かれます。よろしくお願いいたします」

「悪いけど、おれはそういうの興味ないから」

「そうおっしゃらずに、我らの天使はあなたがたに大変興味をお持ちのようですよ……ウルトラマン」

 はっとして、才人とルイズが振り返ったときには、すでにそこには誰もいなかった。

「い、今、話しかけてきていた人は!?」

「この一瞬で、どこへ……?」

 不気味な感触に囚われた二人の首筋を生暖かい風が通り過ぎていき、気がついたときには才人の手の中につぶれた紙切れが一枚だけ残されていた……

 

 夜になると、ロマリアの街のどす黒さも真の漆黒に塗りつぶされる。街全体が黒い沼に沈んだように、腐臭を放つ貧民街も、華美な輝きを放つ寺院も、わずかな明かりの中では平等に黒い塊のようにしか見えない。

 けれどこの闇の中で、悪意を持つ者が何百とドブネズミのように徘徊しているかはさだかではない。少しでも良識がある者は固く門扉を閉ざし、朝までじっと息を潜めて待ち続ける。聖なる都の夜とは、そんなものであった。

 

 一行は、貧民街からほど近い、中流の巡礼者向けの宿に腰を休めていた。

「聞き込みは明日からだ。今日は早めに休んでおけ」

 粗末な夕食を口に放り込むと、皆はそれぞれの部屋でベッドに沈み込むようにして眠りについた。誰もが、肉体面より精神面での疲れが著しい。理想と現実のギャップ、ブリミル教の腐敗を直視した落胆、何よりも呪いをかけてくるような何百という貧しい人たちのねめあげる視線が若い彼らの精神を削り取っていた。

「この街は、地獄だ……」

 睡魔に救いをゆだねる直前に、水精霊騎士隊の少年がつぶやいた言葉である。この街の貧民たちは平民に限らず、明らかに元は貴族だったと思われる者も数多くいた。没落した貴族が傭兵や悪人に身をやつすのは知っていたが、魔法があるからどうにかなると高をくくっていたところがあった。だが、貴族も落ちるところまでいけば平民と変わらないところまで落ちると知ったら、この街の惨状を他人事とはとても思えなくなってしまっていた。

 一日で、ここまでマイナスを叩き込まれた心を癒せるのは眠りしかないであろう。

 しかし、皆が寝静まった頃も、才人とルイズだけはどうしても寝付くわけにはいかなかった。

「サイト、起きてるわよね」

「当たり前だ。罠かもしれねえけど、やっぱり行くしかねえよな」

 皆に気づかれないように、ふたりは宿を出た。目的はいうまでもなく、誘いにあえて乗ってやるためである。

 才人の手には、あのとき握らされた紙片がある。そこには、街のある場所を示した地図と、時刻が記されていた。

「いったい誰がこんなふざけた真似を。必ず捕まえてとっちめてやる」

 ぐっと拳を握り締めて才人は言った。相手が誰かはわからないが、これは明らかに自分たちへの挑戦だ。自分たちを、ウルトラマンだと知った上で誘ってきている。十中八九、罠の可能性が濃厚だが、逆に考えれば情報を得られる絶好の機会だといえる。避けるわけにはいかない。

 武器はないが、いざというときの逃げ足ならば自信がある。ともあれ、虎穴にいらずんば虎児を得ずだ。

 

 暗い路地を、散らばっているゴミを避けながら才人とルイズは地図の場所へと急いだ。

 時刻は指定されたときまで間もなく、たどり着いた場所はロマリアの街の広場であった。

 けれど、敵の待ち伏せを警戒して広場に出たふたりを待ち受けていたのは、予想を上回る恐ろしい光景であった。

 

「な、なんだこりゃ。こんな時間に、こんなに人が!」

 広場は、見渡す限りに人間で埋め尽くされていた。暗がりの中にわずかなろうそくの灯りが輝き、それに照らされた人たちの数は見渡す限りで数千人はいるだろう。それらの人が空をあおいで一心不乱に祈っていた。

「おおーっ! おおぉーっ!」

 無心、というのはまさにこのことであろう。数千人の人々が、まるで一個の生き物と化しているかのように祈る光景は異様というしかない。ルイズは、こんな不気味な集会が開かれているのに聖堂騎士団はどうしたのかと思ったが、ぼろきれをまとった貧民に混じって、立派な装備をまとった聖堂騎士団員を見つけて唖然とした。

「ようこそ、お待ちしていましたよ」

 突然呼びかけられた声にふたりは反射的に振り返った。

「誰だっ!」

 そこにいたのは、ローブを着込んだ数人の男女だった。皆、頭からフードをかぶっていて顔は口元しか見えないが、薄ら笑いを浮かべているのは見て取れた。

「よくぞ、おいでくださいました。この世界を守っている、ウルトラマンの方々」

「さっそく来たわね。あんたたち、何者? こんな時間に、人を呼びつけるからには、それなりのもてなしがあるんでしょうね」

 得体の知れない相手に対して、ルイズの啖呵きりが炸裂した。たとえ杖を持っていなくても、ケンカを売ってくる相手には真っ向から対峙するルイズの負けん気の強さには少しの揺らぎもない。

 さすがルイズ、才人は頼もしさを覚えるのと同時に、なにかあったらルイズを守らなければと、自分も力を込めてローブの集団を睨みつけた。こいつらは、さっき確かに自分たちをウルトラマンと言った。少しも気を緩めていい相手ではない。すると、相手の中でリーダー格と見える女性が前に出て、ふたりに笑うように語り掛けた。

「ふふ、そう肩に力を入れないで。私たちは、あなたがたと争うつもりはありません……我々は、キリエル人。世界を真に正しく導くことのできる、正統なる統治者」

「キリエル人? 統治者だって?」

 聞いたこともない言葉に、才人とルイズは困惑した。

 こいつらは、一体? するとさらに、ローブの女は得意げに続けた。

「うふふ、私たちキリエルは人類よりもはるか以前より英知を溜め込んできた者。遠き異界より来たりて、下等なる人類にも庇護と導きを与える慈悲の持ち主」

「よく言うぜ、偉そうなことをのたまいやがって。やっぱり、この星を侵略しに来た宇宙人じゃねえか」

「宇宙人? ふふ、確かにこの星の方々からしたらそう見えるかもしれませんね。けれど、我々は侵略などするつもりはありませんわ。キリエルの神は救世主、その証拠に人々はあのように神をあがめているではないですか」

 指差された先で、憑かれたように祈り続けている人々。しかしふたりは当然、女の言うことを鵜呑みにはしない。

「どうせ催眠術でもかけてるんだろ。ケチな侵略者のよくやる手段じゃねえか」

「目的は何? これだけの人を操って、どんな悪事を企んでるのか吐かせてやるわよ」

 武器を持ってはいなくても弱気に出るつもりはない。けれども、女はそんなふたりが実に愉快だというふうに笑った。

「うふふ、あははは。催眠術など使っていませんよ。彼らはみんな、自分からキリエルの神を信じて祈っているのです」

「ふざけないで! ハルケギニアの民はみんな始祖ブリミルを信仰しているわ。あんたたちの偽りの神が入り込めるわけない」

「偽りの神? うふふ、それはどちらのことでしょう? あなたたちの神が、どれほどのことを人間にしてくれるのか、この街の惨状を見れば明らかではないですか。愚かな人間たちは、神を売り物にして私利私欲をむさぼり、彼らの作り出した幻想に惑わされて、より多くの人間が地獄を味わう。実にすばらしい神様ですわね」

 ルイズには返す言葉がなかった。ロマリアの惨状は、まさにフードの女の言ったとおりのありさまで、ブリミル教の暗黒面をこれ以上ないくらいに表している。神の足元にある地獄、これほど笑えるものはないに違いない。

「愚かな人間たちは、救いの名の下に地獄を生み出し続けている。しかし、キリエルの神は虚言が生み出す幻想ではなく実体として存在します。あれをご覧なさい!」

 天を指す女の指先。才人とルイズは、はっとして空を見上げて驚愕した。

「んっ、なんだありゃあ!」

 なんと、夜の闇の中に黒雲のようなもやが浮かんでいる。そして、その中央部には不気味な装飾の刻まれた巨大な門がそびえ立っているではないか! 人々は、その門に向かって祈りの声をあげている。しかし、才人とルイズはその門から、背筋の凍るような恐ろしい気配を感じて戦慄した。

「まるで、地獄の門だ」

「あら、それは失礼な。あれは、我らキリエルの世界へとつながる天国の門。あの門が開かれるとき、信じる者は天使の祝福の下ですべての悩みと苦しみから解放されるのです。これは、嘘ではありませんよ」

「信じられるもんですか! きっと、あの門からあんたたちの仲間が押し寄せてきて、ハルケギニアを侵略するつもりなんでしょう」

 ルイズはキリエルの門を指差して断言した。たとえどんな蜂蜜色の詭弁を耳朶に注ぎ込まれたとて、人間を騙しにくるのは宇宙人の常套手段だ。増して、あの門からは明らかな闇のエネルギーを感じるのだ! さらには、ハルケギニアの民にとっては心のよりどころであるブリミル教を侮辱するおこないは、決して許せるものではない。

「確かに、ブリミル教の腐敗はひどいものよ。けど、あんたたちにとやかく言われる筋合いはないわ! 今すぐハルケギニアから出て行きなさい。でないと、力づくで叩き出すわよ」

 ルイズは毅然と言い放った。百歩譲って、彼らの言うことが真実だとしても、勝手に彼らの宗教を押し付けるのは精神的な侵略だ。

 だが、戦いも必至だと構えていた才人とルイズに向かって、キリエルたちは驚くべきことを言った。

「いいですとも、出て行きましょう?」

「な、なんですって!」

 聞き間違いかと思ったが、キリエルの女はなおも楽しそうに続けた。

「今日、この時を以て我々キリエルの民はこの星より立ち去ります。あなた方を呼んだのは、この星を守っているつもりのあなた方に、せめて一言なりともあいさつをと思った次第のことですよ」

「ふ、ふざけるな!」

「ふざけてなどいませんよ。キリエルの門を開くのは、仲間を迎え入れるためではなく、我々の世界へと帰るため。つまり、あなた方の望みは果たされるのですよ。何の心配もせずにお見送りいただきませんか?」

 薄ら笑いを浮かべ、低い笑い声をあげるキリエル人たち。才人たちはあざ笑われているようで、奥歯に悲鳴をあげさせたが納得できるわけがない。

 さらに、きしむような不気味な音がふたりの視線を空に向けさせた。なんと、地獄の門がじわじわと開き始めている。その中から差し込んでくる不気味な光を見て、キリエルをあがめる人々はよりいっそう声を高めて祈りの声をあげ続けた。

「おーっ、おおーっ! ついに、天国の門が開くぞぉぉ」

 祈りの声の大合唱は広場にこだまし、今が真夜中とは思えない。

「くっ、人を馬鹿にするなよ。だいたい、お前たちの言うことは矛盾してるんだ。お前たちは、人間たちを救いに来たんだろ! だったら、苦しんでる人たちを見捨ててとっとと帰るってのか?」

「うっふっふっ、それはもちろん。だからこうして、真の神の存在を愚かな人間たちにも教え伝えていたんですよ。いずれはすべての人間たちにキリエルの神をあがめてもらうはずでしたが、少々予定を変えざるを得ないことになりましてね。その代わり、キリエルの神に救いを求める人々は、責任を持って我々の天国に招待いたします」

「なっ! この人たちを連れ去っていくつもりか」

 ふたりは愕然とした。そんなこと、絶対に許せない。

「皆さん! 目を覚ましてください。こいつらが言う門の先は天国なんかじゃありません!」

 しかし、ふたりの呼びかける声は人々の歓呼の声にかき消されてしまった。そんなふたりを、キリエル人たちは愉快そうに笑う。

「ムダよ。その人間たちの目には、これから訪れる救済しか見えていないわ。わかっているでしょう? 人間という生き物は自分の都合の悪いことは見ようとはしない。つくづく、哀れなほど愚かしいものよねえ」

「この野郎、偉そうなこと言いやがって。救う人間をえり好みする神様がいるかよ!」

「うふふふ、それこそ笑止。地球の少年、あなたたちの世界で何億という人間に信仰されている神も、神話の中で自分の気に入ったわずかな人間だけを救い、残りのすべてを消し去ったじゃないの。確か、ノアの箱舟といったかしら?」

「ぐっ、ぐぐっ!」

 才人は完全に反論の余地を失った。そうした面から見たら、奴らキリエルのやりかたも立派な神だ。

「あなたたちはそうして見ていなさい。迷える人間たちが、キリエルの神の元で導かれていく様を」

「そうはさせるか!」

 才人とルイズは決意した。こうなったら力尽くしかない。歓呼の声をあげる人たちに割り込んでやめさせようと試みる。だが、人々はふたりの言葉にまったく耳を傾けようとはしなかった。

「邪魔をするな!」

 鍛えているとはいっても一般人と大差ないふたりは数千人の群集にかなうはずがなく、簡単に弾き飛ばされてしまった。

「く、くそぉ」

「あははは。その者たちはみんな、この街で絶望の淵にいるところをキリエルの神の慈悲だけを支えに生きてきた者たち。それを奪おうとすれば当然の報いなのよ。皆さん! その者たちは、天使の祝福を妨げようとする悪魔たちです。さあ、皆さんの力で悪魔を退治しましょう!」

「おおぉーっ!」

 群集が、いっせいに才人とルイズに襲い掛かってきた。

「悪魔! 悪魔! 悪魔! 悪魔! 悪魔!」

 皆、目を血走らせて枯れ木のような手を伸ばしてくる。

「ちょ、やめ、やめてください!」

 声は届かなかった。周囲を取り囲まれ、群衆の手がふたりをもみつぶそうと迫ってくる。

 そのとき!

「ウルトラ・ターッチ!」

 間一髪、ふたりはウルトラマンAへの変身に成功した。

 無人の路地を選び、銀色の巨人が降り立つ。その見上げた先にあるのは、破壊すべき地獄の門。

 しかし、キリエル人たちはそれを許すつもりはなかった。

「やはり現れたわね。でも、邪魔をさせはしない……はぁぁーっ!」

 キリエル人たちの体が不気味なオーラに変わり、合体して膨れ上がっていく。そして、白煙をあげて巨大な姿を立ち上げる異形の巨人。骨格が鎧のように体表に露出し、左胸には心臓のように赤く点滅する光球が瞬き、笑いの表情を掘り込んだ仮面のような顔を持つ姿は恐怖を呼び起こす。

 これが、キリエル人の怒りの姿、炎魔戦士キリエロイド。キリキリという不気味な声をあげ、ウルトラマンAの前に立ちふさがった。

「ヘヤッ!」

 エースは妨害しようとするキリエロイドとの戦いに、否応なく引き込まれていった。

 

 そこをどけ! 残念ながら、そうはいかない。

 当然の帰結を迎え、二体の巨人が激突する。

〔門が開く、急がなくては!〕

 短期決戦をと急ぐエースは猛攻を加える。

 チョップ、キック、近接しての連続パンチ攻撃。その攻撃のすさまじさは、重量級の超獣たちを相手にしてきたエースの名に恥じない華麗で圧巻なものであった。

 しかし、キリエロイドも一目見て屈強だとわかる肉体にものをいわせて倒れない。左右非対称で、頑強な骨格が不規則に体表面に露出しているキリエロイドのボディは剛と柔の両面を併せ持ち、打撃の威力を軽減させて受け止めてしまう。キリキリと漏れ出す声は、まるでエースの焦りをあざ笑っているかのようだ。

 そして、エースの攻撃を見切ったとばかりにキリエロイドは反撃に出た。俊敏な動きで間合いを詰め、エースの顔面に鋭い爪の生えた手を叩きつけた。

「ウワァッ!」

 視界が一瞬きかなくなり、平衡感覚が失われてよろめいてしまう。

 すごいパワーだ! それにこのスピード、生半可なものではない。

〔強いっ!〕

 キリエロイドの反撃は、序盤のエースの猛攻をそっくりお返しするような激烈なものであった。パンチの速さ、キックの切れ味、どれをとっても申し分はなく、エースもさばこうとするが互角に持ち込むのが精一杯のありさまだった。

 重いキックがエースを後退させ、反撃にエースもキックを打ち込むも、キリエロイドは腕をクロスさせてガードを作って受け止める。間違いない、こいつはパワー、スピードだけでなく戦闘技量もウルトラ戦士と互角以上の力を持っている。伊達に神を名乗ってはいないということなのか。

〔だが、勝負はこれから……うっ、なんだ! 力が、入らない〕

 突然、エースの体から力が抜け、エースはがっくりとひざを折ってしまった。

 どういうことだ? まだ、時間は経っていない。エネルギーは、まだあるはずなのにと才人とルイズも焦るが原因がわからず、そこへキリエロイドの声が響いた。

〔効いてきたな。お前たち、光を糧にする者たちにとって、この闇の中は苦しかろう〕

〔闇、だと!〕

〔そう、闇。キリエルの扉の先から溢れ出てくる闇が、すでにこの場を包み込んでいる。フフ、だが安心しろ。お前をここで倒すのは簡単だが、それは我々の目的ではない〕

〔どういうことだ!〕

〔言っただろう。お前たちには、我々の旅立ちを見送ってほしいだけだと。見ろ、キリエルの門が開く瞬間を!〕

 その瞬間、地獄の門が全開となり、暗い光があたりを余さず照らし出した。

 門の先には、キリエロイドの仲間たちであろう影が複数浮かび、群衆の歓呼の声は頂点を迎える。

 

【挿絵表示】

 

「さあ、救われる世界へ旅立ちましょう」

 キリエルの声が響き、祈る群衆たちの姿が人魂のように変わって門の先へと吸い込まれて消えていく。

〔やめろ……〕

 エースは止めようとしたが、黒いもやの様な闇に囚われた中では身動きがまったくとれない。

 悪夢のような時を見守るしかないエースの前で、数千人もいた群衆の姿は煙のように消え去ってしまった。後に残ったのは、エースとキリエロイドのふたりのみ。そして、キリエロイドはキリキリと笑い声をあげると、倒れ伏すエースに最後の言葉をかけた。

〔さて、さらばだ。我々はこれから新たな天地を求めて旅に出る。もう二度と、この星を訪れることはないだろう〕

〔ま、待て! さらった人たちを帰せ〕

〔フフ、ウルトラマンともあろうものが残酷なことを言う。帰したところで、あの人間たちに待つのは餓えて死ぬか腐って死ぬかのふたつしかない。なにより、彼らは自分の意思でキリエルを選んだのだ。きさまがどうこう言う筋はあるまい? その証拠に、人間たちは誰一人としてお前を助ける声もあげなかったではないか〕

 悔しいが、キリエロイドの言うことは間違っていなかった。

〔では、さらばの前にひとつだけいいことを教えてやろう。この世界は、間もなく巨大な闇の力によって滅び去る。我々よりもはるかに強大な闇の力を持つ者たちが、この地にやってくる。キリエルの、確かな予言だ〕

〔そうか、それを知ったからお前たちはこの世界を見限ったのか。この、エセ救世主め〕

〔なにを言う。世界とともに心中してなんの救世主だ。なんの希望もなく、滅び行くだけの世界から我らは数千の迷える魂を解放してやった。光の巨人よ、すべての生命を等しく守ろうなどとおこがましいと思わんかね? 遅かれ早かれ滅亡の決まったこの世界で何ができるか、せいぜいがんばってみるがいい〕

 高笑いを残して、キリエロイドは地獄の門の中へと消えた。

 門は閉まり、闇に包まれて消滅し、元のロマリアの闇夜の光景だけが残った。

 

 キリエルが立ち去り、すべてが終わったロマリアの街には動くものすらなく、生ぬるい風だけが流れていく。

 命の腐った臭いが漂う、墓地のような街路。そこに、力を使い尽くした才人とルイズが倒れていた。

「ちくしょう……ちくしょぉぉぉぉーーっ!!」

 血を吐くような才人の慟哭が、死の街に遠くこだまして、虚しく消えていった。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

ルイズ「次回もわたしに会いたかったら、おとなしく待ってなさい!」



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第9話  ガリア軍動く、戦塵を呼ぶロマリアの影

 第9話

 ガリア軍動く、戦塵を呼ぶロマリアの影

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

「すべての生命を等しく守ろうなどとおこがましいと思わんかね?」

「まっ、待て、待ちやがれ……ちくしょ……ちくしょおぉぉぉっ!」

 

 ぐるぐる、ぐるぐると、同じ瞬間が目の前に何度も流れては、その度に自分の絶叫が響いて、最初からまた繰り返される。

 キリエロイドのせせら笑う声と、その凶行を目の前で止められなかった自分の無力さへの悲嘆。それらが逃れられない無限ループとなって、悪夢の世界で才人を責めさいなんでいる。

 

 そう、才人は今、悪夢の世界にいた。

 ロマリアで体験した、人間の醜いところをかき集めた光景から受けたショック。そして、絶望しきった人々を連れ去っていったキリエルになにもできず、誰一人救うこともできず、初めて何一つとして成し遂げることのできなかった挫折。まだ若い才人の心は千々に乱れ、後悔と無力感の円弧の中で幻想に苦しめられていたのだ。

 無限に思える繰り返し。しかし、悪夢のループは外から割り込んできた、親友の案ずる声によって破られた。

 

「サイト、おいサイト。起きろ、目を覚ませって」

「うっ……はっ! こ、ここは……ギーシュに、ルイズ?」

「サイト! サイト目を覚ましたのね。よかった」

 

 闇から突然光の中へ引きずりあげられた才人は、焦点の定まらない目で辺りを見回した。

 小さな部屋に質素な調度品、自分は小さなベッドの上に寝かされている。

 そして、自分を見下ろす十数人の眼。目をこすって確かめると、それは水精霊騎士隊の親友たちとルイズの心配げな顔であった。

「みんな? おれは、どうしたんだ?」

「まだ頭がはっきりしてないのかい? 君、ルイズといっしょに街の広場に倒れていたんだぞ。朝になったら君たちがいないから、ぼくたちがどんだけ心配したことか」

「ああ、ギーシュ……すまねえ」

「いったいふたりで夜中に宿を抜け出してなにをしてたんだね? 逢引かと言いたいところだが、君に限ってそんな甲斐性があるわけないもんな。ルイズは、サイトはサイトはとうろたえてばかりで話にならないし、君は死ぬほどうなされてるし、いったい何があったんだね? 隊長として、問いたださざるを得ないよ」

 ギーシュの言葉は、仲間を思いやる親しみに満ちていたが、同時に責任者として断固たる答えを求めるものでもあった。

 対して、才人に取りうる返答は沈黙だった。もとより、とっさにうまい嘘をついて場を逃れることができるほどに口がうまくはない。悪い意味で正直者といってしまえばいいが、結局才人ができたのは話を引き伸ばすことくらいだった。

「迷惑をかけちまったみたいだな……ルイズは、もういいのか?」

「あんたほどじゃないからね。わたしにとっては、サイトのほうが心配だから」

「すまねえ。ねえさ……ミシェルさんはいないのか?」

「副長どのは、情報収集に出て行ったよ。サイトには、わたしよりもお前たちのほうがついていて安心するだろうからってさ。本当は自分がついていたいだろうに、ルイズといいあの人といい、女性ってのは強いな」

 まったくなと、才人は心の中で同意した。と同時に、みんなに心配をかけていたことの後ろめたさとみじめさがあらためて湧いてくる。

 情けない……キリエルの誘いに乗ってのこのこ出て行って、あの無様さ。自分はどこかで、エースの力を過信しすぎていた。自分の力でもないのに沈着さを欠き、キリエルがその気であったら確実にやられていただろう。それはエースのせいではない。戦場を最悪のパターンで始めた、自分たちがうかつだったのだ。

 才人は、積み上げてきた自信をいっぺんに崩されたような心理的空白を胸中に感じた。抽象的に表現すれば、鼻っ柱をへし折られたとでもいうのだろう。自意識を急激に上昇させていく若者にはよくあることだが、才人は知らず知らずのうちに増長していたところへ、まさしくその洗礼を受けたのだった。

 ほんと、おれって奴はバカだ。自己嫌悪の海の中で、才人は自分を責めた。気を失って倒れているとき、もしも早期に見つけてもらえなかったら、このロマリアの貧民窟の中でどうなっていたことか。

「けど、よくおれたちを見つけられたな。この宿からあの広場まではけっこう離れてるのに、いい勘してるよ」

 するとギーシュは首を横に振った。

「いいや、君たちを見つけたのはぼくらじゃないよ。たまたま、親切な人が通りかかってくれてね。ちょうどいいから、先にお礼を述べておきたまえ」

 すると、ギーシュは仲間のひとりを部屋の外にやり、人をひとり呼んでこさせた。

 そいつは、才人たちと同じくらいの年頃の少年で、驚くほど整った顔立ちをした金髪の美少年であった。

「やあ、気がついたようだね。元気なようで、なによりだよ」

「あ、ああ……お前。いや、君がおれたちを助けてくれたのか?」

「そうだよ。広場で怪しい集会がおこなわれていると聞いて、行ってみたら広場はもぬけの殻で、君たちふたりが倒れていたんだ。そのままにしておくわけにもいかないから、どこかの寺院に運ぼうとしていたら、君たちを探していたここの人たちと出会ってね」

 才人は、ベッドのそばにやってきたそいつの顔をじっと見上げた。なんというか、目鼻立ちが整いきって逆に非現実的な雰囲気を感じる。水精霊騎士隊のギーシュやギムリもそれなりの美男子といえるだけの容姿をしているけれども、彼とは比べるだけ虚しく感じてしまう。人間の容姿を超越の存在が決めているとしたら、製作者のえこひいきを疑わざるを得ない、少女漫画のキャラクターを現実に持ってきたような奴だなと思った。

「ありがとう。あんたがいてくれなかったら、おれたちはどうなっていたか」

 とりあえず礼を言い、才人は握手の手を差し出した。その際にも相手の顔を観察するが、なにをおいてもとにかく美形なところが目に付いてしまう。いや別に、美形をひがんでいるというわけではないのだけれど、よく見ると相手の瞳の色が左右で異なっていた。

”カラーコンタクトか?”

 月目というものを知らない才人は場違いな感想を抱いた。もちろん、この世界にそんなしゃれた物があるはずがないだろうとすぐに思い至ったが、それをおいても自分とほぼ同じくらいの年齢のくせに妙に落ち着いた雰囲気を貼り付けていて、感情豊かな水精霊騎士隊と長く付き合ってきた才人には面白からざるものがあった。

「どうやら、体のほうもなんともないようだね。ふむ、なかなかいい手をしているね、君」

「はぁ? なんだ気持ち悪い!」

「おっとごめん。ぼくにもそういう趣味はないから安心してくれ。巡礼者だと聞いていたけど、タコだらけで立派な手のひらだね。まるで長い間剣を振るっていたような手だ」

 その瞬間、場に緊張が走った。

「お前、何者だ?」

 すると彼は、両手を広げて敵意のないことを示すと、人を食った笑みを浮かべて言った。

「これは失敬。最初にきちんと名乗っておかなかったぼくの落ち度だね。ではあらためて、ぼくはロマリア宗教庁つきで神官をやらせてもらっている。といってもメイジではないので、扱うのは平民と同じく剣なのさ。だから、同じ剣士の特徴はすぐわかる。これで安心してもらえたかな? 色男くん」

「誰が色男だ。お前みたいな奴に言われると嫌味にしか聞こえねえよ。おれには平賀才人って名前があらぁな」

「これはこれは、こんな愛らしいお嬢さんに慕われている男性には最高の賛辞だと思ったのだけけどね。ぼくの名前はジュリオ・チェザーレ、君とはけっこう仲良くやっていける気がするよ」

 正体を明かした神官の美少年は、人懐っこい笑顔で才人に親交を申し込んだ。

 しかし才人は、内心で「この野郎」と思わざるを得なかった。このジュリオという少年、すでに才人たちを助けたことと物腰やわらかな態度でギーシュたち相手には信頼感を築き始めているようであるが、才人にはその立ち振る舞いが作り物じみて見えてしょうがなかった。

 もちろん、助けられたことへの感謝はあるし、このような考えが恩知らずだということもわかっている。けれども、相手が美形であるということを差し引いても、どこか気に入らないところがあった。

 芝居じみた言動と道化のようなしぐさの裏に、なにか気持ちのよくないものを隠しているのではないか。今のところはそれは根拠のないただの言いがかりに過ぎないことだが、才人は胸の奥でチリチリと燃えている不審の炎の熱さを感じずにはいられなかった。

 

 

 ここで時系列はややさかのぼり、才人たちがロマリアに到着した日の未明に、場所をガリアに移して進行する。

 世界が滅亡へと突き進んでいるとしても、永遠に不動であることを外見上だけは誇示しているかのように堂々とそびえるヴェルサルテイル宮殿。その主は、傍らに黒髪の側近をひかえさせて、ひとりの客を前に唇に暗い笑みを浮かべていた。

「で、お前たちが余にしてもらいたいことというのはつまり、背教者になれということだな? いやいや、余もガリアの王座についてすでに三年、たいていの無茶な要請にも丸投げに応えてきたつもりであったが、これは始祖より王権をいただいた敬虔なブリミル教徒として通してきた余としては戦慄せざるをえないなあ」

「ご冗談を。あなたの御心に信仰心など欠片もないことは、すでに我らは見抜いております。むしろ、胸中を支配するのは不公平で無能な神への怒りと、同じくいつまで経っても破滅をもたらさない無能な悪魔への憎悪のみ。お戯れはおよしくださいませ」

 ジョゼフの乾いたユーモアに、王に対するものとしては非礼極まりない言葉を返したのはロマリアの神官服を着たひとりの若い男であった。

 人払いをし、護衛の兵もいない謁見の間には、その男を含めても三人しかいない。そこで、無能王と民にあざけられる王は、その程度の蔑称など紙くずほどの重さもないような不貞な企てに心を躍らせていた。

「ははは、俺の心を読んだつもりか。まあ別に隠しているつもりはないし、なんと呼ばれようともどうでもいいことだがな。しかし、遊んでやるのは大歓迎ではあるが、他人に遊ばれるのは気に入らん。お前たちの要請は面白いが、それにどういう意味があるのかな? これまで、水面下で動いてきた貴様らが我がガリア軍の力を借りたいとはな」

「それは、これまでどおりにふたを開けてのお楽しみということでいけませんか?」

 もしも、この会話を盗み聞きしている者がいたとしたら、彼らの会話の節々からでも危険な香りを嫌でも感じることになっていただろう。それにしても、ガリア軍を動かすとは尋常な物騒さではない。戦争を引き起こそうというのだろうか? いいや、そんな単純なことを連想するのは、ジョゼフという男を知らない者のいうことだ。

 だがその前に、ジョゼフは自分の問いに不明瞭な返答をした相手をあざけるように告げた。

「ふっはっはは、余を子ども扱いするのはやめてもらおう。確かにガリア軍は余の一存でどうとでも動かせる。そういう阿呆を総司令官に据えつけているからな。だが、それで余はどうなる? 余に反抗する者どもにとっては反乱を起こす絶好の機会だ。あくびの出るくだらん連中の世話を見なければいかんのは面倒極まる。それに、王の座に未練などないが、お前たちの道具として果てるのはごめんだ」

「……」

 試すようにジョゼフは眼前の男を見た。ジョゼフは内面を一見すると、捨て鉢な破滅主義者のように見えるが、行動には冷静に計算され尽くした思慮深さが覗いており、また、彼なりの美学を組み込んでいることがわかる。

 男子にとって、自らの美学に反する行動を強いられるのは大変な不快であるということについてはジョゼフも例外ではない。自身が主導権を握って他人を駒にして遊ぶのは大いにけっこうなことだが、人の作った舞台で踊るのは退屈の極みである。せめて陰謀の共同制作者くらいでなくては妥協してやれないだろう。

「お前たちの企みに乗って、我がガリアの艦隊が出動したら、それはおもしろい光景が見れるだろうな。しかし、どうせならばおもしろい見世物は最後まで見たいものだ。大団円を見る前に劇場から追い出されては未練が残るだろう? 劇の小道具として、ガリア軍ことごとく死に絶えさせることは別にいい。しかし、余のおもちゃでお前たちだけが楽しむのなら、いくら人のいい余でも不愉快は禁じえんものだ」

 ジョゼフは紛れもない悪人ではあるが、決して単純でもなければおだてに乗るような愚鈍な思考の持ち主でもない。陰謀の共同実行者を名乗るならば、自分を納得させられるだけの壮大さと緻密さを見せてみろ。そう言外に要求してくるジョゼフに対し、相手は慌てた様子もなく答えた。

「では、陛下に我々の最終目的を語ることにいたしましょう……ですがその前に……そうですね、陛下は例えば、花壇に雑草がはびこったときにどのような気持ちになられますか?」

「んん? 問答のつもりか。まあ、余も父上から受け継いだ宮殿の花壇の管理が義務ではあるが、さすがにこれだけ広いと面倒なこともしばしばだな。どこそこで雑草が増えた、虫が出たなどとうざったいことこの上ない」

「さようでございましょう。けれども、手入れをしなければ花壇は荒れ果てて滅んでしまいます。始祖ブリミルの使徒たる我々は、世界という名の花壇を管理してまいりました。この世界はまことに美しいものであります。その世界の花々を守るために、これまでは、花についた雑草や虫を丁寧に取り除いてきました。けれども今はどうでしょう? 人々の心は荒れ、始祖の血統たる王権も信仰を持たない者によって辱められています」

 相手の言葉に、ジョゼフは愉快そうに笑った。確かにそのとおり、直接名を出されてはいないものの、始祖ブリミルの末裔である王家の自分に、その祖先を敬う気など欠片もないことは何度確認しても間違いないことだ。

「我々は、数千年の努力の甲斐もなく、始祖の加護を忘れてしまった世人を嘆いております。世界を花壇に例えるならば、今は伸びすぎた雑草が完全に花を覆い尽くしてしまっているようなものです。我々は、もはや花壇とは呼べなくなった荒地を、始祖の愛した花畑に戻すために、ある決断をいたしました」

「ほう、決断とな? なるほど読めてきたぞ。しかしおかしいな、お前たちロマリアの目的は聖地の奪還なのではなかったか?」

「もちろんです。けれども、聖地を信仰心のない者に預けては、何度でも同じあやまちが繰り返されることでしょう。雑草がはびこった花壇は、一度火を放って汚いものを焼き尽くす必要があるのです。これは、その火種とお心得ください」

「はっはっは、なるほどなあ。そして、その火で焼かれるものには当然ながら不信心者の鏡である余も含まれるだろう。どうなんだ?」

「正直に申せばそのとおりです。しかし、わたくしどもは陛下にゲームを提供すると言ったはずです。その途中で脱落するも最後まで勝ち残るも陛下の立ち回り次第ではないですか?」

 今度こそジョゼフは腹の底から声を出し、呵呵大笑を広間に響かせた。

「ふっはははは! 確かにそのとおり。お前たちは協力者であると同時に対戦者なのであったな。これは余としたことがうかつなことであったわ。よかろう、お前たちの企みに乗ってやろうではないか!」

 するとジョゼフは控えていたシェフィールドに命じ、ガリアの誇る両用艦隊の、その総司令官に魔法通話をつながせた。

 

「余だ。いますぐ可能な限りの艦隊を使ってロマリアへ攻め込め。目標は、なんでもかまわん、人でも街でも目についたものは残らず吹き飛ばせ。ん? これはどうした意義のある戦争なのですかだと? あーああ、そうだなあ。高度な政治的意義があることなのだ。詳しいことは追って沙汰するから、とにかく飛ばせ……んん? お前はただ言われたとおりにしておればよいのだ。ああ、ああ、わかったわかった。それなら、成功したらロマリアをお前にくれてやる。領主にでもなんでも自由にしてやろう。よろしい、吉報を待っているぞ」

 

 時間にしたら、おおよそ一分になるかならないかというところだろう。ジョゼフは、まるで近所に子供を使いにやらせるかのような気軽さで、戦争の開始を命じたのであった。

 これでよいのだろう? と、得意げに笑いかけるジョゼフに、満足そうに笑い返すロマリアの男。けれどもジョゼフは、勘違いするなよと言うふうに、意地の悪い笑みに口元を変えて告げた。

「さあて、これでお望みどおりに火種は投げられたぞ。あとは、お前たちのほうで出迎えてもらうことになろうが、退屈だけはさせてくれるなよ? 余は気まぐれで気分屋だからなあ、ゲームなのだから、機会があれば好きなように遊ばせてもらうぞ。当然、異存はあるまいな?」

「もちろんです。我らも、すべてを円滑に運べるなどと甘いことを考えてはおりません。こうして私がここにいるのも、陛下を効率よく利用できるようにするためです。当にお気づきでありましょう?」

 ふてぶてしく言う相手の態度は、逆にジョゼフの対抗意識をかきたてた。

「むろんだ。ロマリアの人間の言葉ほどあてにならないものはない。教皇と神官のために尽くせば天国に行けるなどという大ウソを堂々と吹きまわっているような連中の同類だからな。が、だからこそ背中を預けるのがおもしろい」

「それでこそ、稀代の無能王にふさわしいお方。どうぞ、戦火をさらに広げるなり、我らをロマリアごと焼き払うなりご自由になさいませ。ただし、我らの計画が成就し、聖地を手に入れた暁には、陛下を含めて、この地上にはびこる人類という雑草を根絶やしにさせてもらいます。では、少しでも長いお付き合いを期待しております……」

 それを最後に、ロマリアの使者は部屋の暗がりに溶け込むようにして姿を消した。

 

 

 歪みと、陰鬱さと、狂気に満ちた会談は、参加者たちの一応の満足を得て終わった。

 

 

 謁見の間には、玉座の肘掛に面杖をつくジョゼフと、無言で話し合いを聞き続けていたシェフィールドのみが残った。

「よろしいのですかジョゼフ様。あの男、まだ本音を隠しているように見えましたが?」

「かまわんさ、相手の手札が見えているゲームほどつまらないものはない。まあ、余には別に隠し立てするようなものはなにもないのは嘘ではないのだがな。あの色男、余のすべてを見抜いているつもりでさぞ気分がよかろう。いまごろは、教皇陛下に計画通りにジョゼフを動かせたと報告しているのではないか?」

 生まれが違えばざくろの実ほどの数の女性を虜にしたやもしれない美丈夫の笑みと、今現在それを独占しているひとりの女の間に一般的な男女の色事の気配はない。しかしこの二人は、陰謀や謀略の相談を恋歌としているかのように楽しげな様子で話した。

「ジョゼフ様を手玉にとろうとは、自惚れるにも程がありますわね、ロマリアの連中は」

「仕方あるまい。やつらは、自分たちを神と始祖の次に偉いものと信じ込んでいる。王家とて、奴らから見ればしもべのしもべ、足元にひれ伏させる子羊に過ぎんのだ。かといって、この世に居もしない神や始祖を恐れる必要はないから、実際ロマリアの神官どもはこの世で一番偉いことになる。いわば生き神様さ、人間を見下すのは当然だろうよ」

「わたくしは東方の神官の出ですが、あの連中を見ていると、下品を承知で申し上げますが反吐が出ますね。私はジョゼフ様とともになら地獄へでも参りますが、あんな連中より先に死ぬのは、正直不愉快ですわ」

 普段は常に人をせせら笑う魔女のような態度をしているシェフィールドにしては、感情をあらわにした言葉だった。ジョゼフはシェフィールドの、そんならしからぬ様子をおもしろそうに眺めていたが、特にとがめるでもなく笑い声をあげた。

「ふっふっふっふ、お前が声を荒げるのは初めて見たかもしれんな。付き合いも長いと、意外な顔を見つけることができるものだ」

「も、申し訳ありませんジョゼフ様。私としたことが、はしたないところを……」

「かまわん、お前と余にいまさらなにをはばかるようなものがある。王の中には、臣下の礼の角度をいちいち計るものもおるそうだが、余は美しい礼儀作法などに興味はない。そんなことより、どうだ? このままロマリアの思うとおりにさせておいてよいと思うか?」

「私の心は、常にジョゼフ様のそれと同じく存じます。が、ジョゼフ様を下に見るものを私は許したくありません!」

 これもまた、沈着を常としているシェフィールドには珍しい強硬な態度であった。それだけ、あのロマリアの男が口外にジョゼフを侮辱していたのを感じ取っていたのであろう。むろん、ジョゼフも他人の手のひらで踊るのをよしとするような性格ではない。

「よかろう、余の意もまさにそのとおりだ。ゆくがいい、連中の計画なぞどうなってもかまわん。そしてお前の思うとおりの地獄を作り出してみせよ」

「はっ、おおせのままに。ついては、ヨルムンガントの使用も許可いただけるでしょうか?」

「ぬ? なるほど、あれもようやく完成したのだな」

「はい、技術協力をいただいておりましたビダーシャル卿の離脱で遅れておりましたが、先日に完成し、定数の量産と配備も完了しております。内偵して手に入れましたトリステイン魔法アカデミーの、異世界の技術で補いましたので、エルフの先住を使った本来のものと比較しても見劣りはしないかと」

 シェフィールドはうやうやしく礼をした。どうやらジョゼフには、チャリジャの残したものの他にもまだ切り札があるらしい。楽しむタネはまだまだ豊富にあると、そう聞かされたジョゼフはうれしそうにうなづいた。

「よいよい、なんでもお前の好きにしろ。余のミューズよ、お前が余のために働こうとするのに、なぜ余にしぶる理由があろうか」

「これ以上ないお言葉……必ずやジョゼフ様のご期待に添える光景をご覧に入れましょう」

 願いを聞き届けられたとばかりに、誇らしげに頭を下げたシェフィールドにジョゼフも満足そうに言った。

「楽しみにしているぞ。チャリジャの奴が残していった置き土産も、まだいくらかは残っていよう、好きに使うがいい。両用艦隊の司令はお前に従うよう命じてあるから、必要ならば使ってやれ」

「ありがとうございます。誓って、ジョゼフ様に勝利の報告をいたします。ごゆっくり、ご観覧くださいませ」

 これはジョゼフの使える駒のほとんどをシェフィールドに与えたに等しい。それだけの権限を惜しげもなく与えるジョゼフもたいしたものであるが、それは逆に彼がガリアという国に少しの未練も残っていないという証明でもあった。

 シェフィールドが鋭い瞳に決意を込めて立ち去っていき、ジョゼフは謁見の間にひとり残った。そのまま彼はしばらくじっと無言で考え込んでいたようであったが、ふと顔を上げると天井をあおいでつぶやいた。

「さて、これからが本当の勝負だな。あの連中、余に匹敵する異能の力を持っているとしても、しょせん狂信者の成れの果てに過ぎないのであれば余の敵ではない。が、もしも余が横槍を入れに乗り出すのも計算に入れていたとしたら……くくく、それはそれでおもしろい」

 手のひらの上で踊らされているのはどちらか? 知らずに道化のダンスを踊っているのはどちらなのか? 確かなのは、どちらもが我こそは術者だと信じていることだが、最後に笑うのはどちらか……いや、少なくとも勝とうが負けようが自分が笑うことはないだろうなとジョゼフは思った。

 

「シャルル、俺の弟よ。お前が生きているあいだ、俺は俺がほしいと思っているものをすべて持っているお前のために肩身が狭い想いをしてきた。しかし、お前がいなくなって、俺はこの世のあらゆるもので遊んできたが満たされることはなかった。お前がいない世界はつまらないのだ……そして、唯一、俺の心を満たしてくれるかと思ったシャルロットももういない。ならば俺はどうすればいい? お前が愛したこの世界を燃やし尽くせば、俺は後悔と絶望に打ちひしがれるかなあ……ふふふ、天国とやらで最後まで見ていてくれ。お前の兄は、世界のすべてをもてあそび、世界で最後に死んだ人間となってみせようぞ」

 

 相手が神でも悪魔でも、もはやジョゼフにはこの世界への未練はなかった。彼の本心は、彼を父の仇と狙っていたタバサでさえも知ることはなく、ただひたすらに失ってはいけないものを失った穴が虚無の風を冷たく鳴らしている。今さら他人に悪魔だろうとなんだろうと、どう呼ばれても関係ない。ジョゼフが、自分の存在を認めさせてやりたかった唯一の相手は、すでにこの世にいないのだから。

 

 

 ガリア軍動くの報は、一日の間を空けた明日の正午にロマリアとの国境線にて発せられた。

 国境警備の兵が目の当たりにしたものは、その姿を隠す術などないほどの圧倒的な数を誇る大艦隊。大型戦艦を中心にして中型戦艦が前後に布陣し、その周りを多数の小型艦が周りを固め、上空を守る竜騎士の数は数え切れない。このような威容を誇る艦隊は、ハルケギニア最強とうたわれるガリア両用艦隊をおいてほかにはありえなかった。

「接近中のガリア艦隊に告ぐ! これより先はロマリア連合皇国の領空である。ただちに停止して指示に従え!」

 緊急発進したロマリア艦隊とのあいだで、虚実交えた舌戦が繰り広げられた。

 ガリア側は、我々はガリア王家に反旗を翻した反乱軍であるから亡命を求めると言い、ロマリア領内への侵入を試みた。むろん、ロマリア側も、はいそうですかとすんなり入れてくれるはずがなく、本国に問い合わせてみると、予想通りの回答が返ってきた。

 もし、このまま時間が経過すれば、両軍ともに千日手のようになっていたかもしれない。なぜなら、ガリア艦隊はジョゼフの息のかかった首脳部はともかく、大半の将兵はジョゼフを快く思っておらず、突然命じられたこの出撃も、命令だから仕方なく従ってはいるが戦意など欠片もない。いざ戦闘を命じられた場合には、戦う理由すらないロマリアへの攻撃など承服しかねるという空気が満ち満ちていた。

 だが、ガリア艦隊の将兵たちのサボタージュの構えは実行されることはなかった。

「左舷に被弾、火災発生! ロ、ロマリア艦隊の砲撃です!」

 突如、なんの警告もなくロマリア艦隊から放たれた艦砲の一斉射撃がすべての迷いを吹き飛ばした。ロマリア艦から放たれる砲弾がガリア艦隊を切り裂き、着弾の黒煙と赤炎がほとばしる。そして、艦内には悲鳴と怒号が響き渡った。

 どういうことだ! なんでロマリアが撃ってくるんだ! 数のうえでは半分にも満たないロマリア艦隊がなぜ!

 将兵たちは混乱し、答えを求めて叫び続けた。が、その間にもロマリア艦の砲撃は続いて、ガリア艦の中では被弾の爆音と激震が轟き、パニックが増大していく。しかし、そこへ飛び込んできたひとつの命令が、彼らの思考を一方向へと決定付けた。

「左舷砲撃戦、目標ロマリア艦隊! 全砲門で応戦せよ!」

 その瞬間、将兵たちははじかれたように持ち場に戻って、まるで一個の機械と化したかのようにロマリア艦への反撃の態勢を整えていった。

 そうだ、敵は撃ってくる。撃ってくるなら撃ち返さないといけない。撃ち返さなかったら殺される。殺されたくはない!

 なによりも単純で強い生への欲求に支配されて、ガリア艦隊はロマリア艦隊に全力で牙をむいた。砲弾が空中で交差する激烈な砲撃戦、もはや戦うことにためらいを感じている人間はガリア艦隊にひとりたりとていなかった。

 

 その様子を、シェフィールドは戦闘空域から離れたところに浮いている船で眺めていた。

「なるほどね、こうすれば戦意に乏しい両用艦隊も本気で戦わざるを得ない。そして、一度踏み切ってしまった彼らはもはや後に引くわけにはいかなくなると……さすがロマリア、ここまで計算してお膳立てを整えていたのか。しかし、両用艦隊を相手にロマリア艦隊はほぼ全滅必至。それだけを捨て駒にするとは、連中はほんとうに狂っているようね」

 人類を絶滅させると言った、あの言葉はあながち嘘でもないらしい。恐らく、ロマリア艦隊の将兵たちには、ガリア軍を名乗る異端者たちの越境を命に代えても阻止せよとでも命ぜられているに違いない。自分たちが両用艦隊を捨て駒に考えているように、ロマリアの支配者も艦隊の将兵数千名の命を捨て駒にしようとしているのだ。

「悪辣なものね……」

 薄紫色の口紅をひいた唇を歪めてシェフィールドは毒づいた。これで、ガリアとロマリアの戦争が始まる。大義名分もなく、攻め込んで得たいものもなにもない、そんな無意味極まりない戦争でも、始まったからには戦い続けなくてはならないのだ。シェフィールドは、かつて自分たちもアルビオンで似たようなことをおこなったが、同族嫌悪とでもいうのだろうか、他人がやるのを見るのは不愉快極まりないと思っていた。

「まあ良いわ。元より、ジョゼフ様以外の人間などはどうなっても構わない。ロマリアの狂信者ども、そんなに聖地に行きたくば、そんなに世界を滅ぼしたいのなら、まずはお前たちからこの世から消してあげるわよ。幽霊になれば、世界のどこでも好きに飛んでいけるだろう」

 世界をゲーム盤にして遊ぶ権利を持つものは、我が主をおいて他に必要はない。ロマリアへの敵意も新たに、シェフィールドは自らの乗っている船、両用艦隊の弾薬補給艦に偽装させてある特別輸送船を降下させていった。

 着陸目標点は、崩壊した火竜山脈から続く、虎街道と呼ばれていた峡谷のあった場所。普通なら船の降りられるような場所ではないが、船は最初から使い捨てるつもりのシェフィールドは強引に地上に軟着陸させた。むろん、その強引な着地によって船は木片を撒き散らして大破した。だが、残骸の中から十体の巨大な人影が立ち上がってくるではないか。

 全高はざっと二十メートル、全身に鉄の鎧を着込んだ騎士のかっこうをしている。その洗練されたスタイルは、ハルケギニアのゴーレムの基準からしても極端に大きいということはないこの騎士人形に、不気味な威圧感を与えていた。

「ハルケギニアの魔法技術に、先住の力、それに異世界から来たという不可思議な技術を加えて作られた魔法人形。ジョゼフ様の大望を叶えるために生まれた、我らの忠実なるしもべ『ヨルムンガント』。ロマリア軍の馬鹿どもめ、お前たちはそこで両用艦隊相手に遊んでいるがいいわ。そのあいだに、こんな偽善に満ちた国は残らず焼き尽くしてやる」

 一体のヨルムンガントの肩に乗り、シェフィールドは鋼鉄の軍団に進撃を命じた。シェフィールドは、最初から両用艦隊をロマリア軍の主力から遠ざけるための囮として考えていたのである。

 目指す場所は言うまでもなく、ロマリアの首都。しかし、その途中にある街も村もシェフィールドは容赦するつもりは一切ない。家一軒、猫一匹にいたるまでも、このヨルムンガントで踏み潰し、焼き尽くしてやるつもりであった。

 進撃するヨルムンガントの巨人軍団。しかし、ロマリア軍も完全に無防備というわけではなかった。

「防衛線をひいてるね。砲亀兵の大隊が三つに、砲兵、砲撃魔法部隊、狙撃兵も潜ませているか……これはやはり、あの連中は我々が注文以上に動き出すことを予期していたということに他ならないか……どこまでも気に食わない連中ね」

 ここに来てシェフィールドも、ロマリアの連中が口だけではないことへの確信を強めた。不愉快だが、自分は奴らの挑発に乗せられてしまったようだ。これでは、いくら十体のヨルムンガントとはいえ、途中で戦力を消耗してロマリアまで持たないだろう。

「ロマリアめ、なんという屈辱……だが、いったい何を考えている? 奴らめ、このままガリアと全面戦争になってもいいというのか? いや、狂信者どもの考えなど、まともに読めるはずもないな。しかし、ことゲームであるというのであれば、ジョゼフさまを敗者にするわけにはゆかぬ。ならば、この機会を利用して奴らの手札を可能な限り引き出してくれる」

 シェフィールドはこのとき、ロマリアを明確に敵と見なした。奴らは将来必ずジョゼフさまを脅かす害虫となる、一匹たりとて生かしておくわけにはいかない。

 だが、奴らは得体のしれない力や、自分たちと同じく怪獣を操れることを以前に示している。手の内を知らないままに、力攻めに転じれば悪辣な奴らの思う壺にはまることになりかねない。いや、自分のことはどうでもいいが、ジョゼフさまに恥をかかせられない。

 敵の切り札を切らせるためには、こちらも相応のカードを切る必要がある。ヨルムンガントだけでなく、ロマリアが手の内をさらけ出さざるを得なくなるような強力なカードをとなれば、ひとつ。

「ジョゼフさまのお許しどおりに、チャリジャの置き土産を使わせてもらおう。さあ、とっておきの大怪獣よ、今解放してやるわ」

 シェフィールドの合図で、一体のヨルムンガントが奇妙な円盤状の装置を地面に置く。それはかつて、地球侵略を狙ったドクロ怪人ゴルゴン星人が攻撃用怪獣を細胞単位に分解して持ち運んでいた物と同じ形態の装置。それを時空を股にかける怪獣商人チャリジャが手に入れ、ジョゼフに渡した。

 そして、その中に封じ込められているものも当然。瞬時に細胞が形成され、装置の中からヨルムンガントをも見下ろす身長六十メートルの巨体。土色の肌を持ち、太く強靭な手足にはそれぞれ大きく鋭い爪が生えている。さらに頭部には人間でいうドレッドヘアに似たとさかが七本後ろに向かって伸び、逆に鼻先に向かって細くなっていく顔はスマートだ。

 再生怪獣サラマンドラ。ウルトラマン80とウルトラマンメビウス、ウルトラマンヒカリとも戦い、UGMやCREW GUYSを大いに苦しめた凶暴な奴だ。

「ロマリアめ、お前たちの真意をこちらも試させてもらうわ。我らの行動を読んでいるというのなら、当然これも想定しているはず。さあどう迎え撃つか? 今度はお前たちがカードを切る番よ。ロマリア軍ごときではこの怪獣は止められない。お前たちの手の内を見せるか、そうでなければロマリアを破壊しつくしてくれる。ゆけ、サラマンドラ! 好きなように暴れて、虫けらどもを思う様にふみつぶすのだ」

 遠吠えをあげ、サラマンドラは街道をふさぐように待ち構えているロマリア軍へと歩みだし始めた。

 アスファルトで舗装された道路でも軽くえぐりとる巨大な足が振り下ろされるたびに、激震が生じて地面が水面のように波打った。その無視しようもないほどの揺れは大地を通じて、地に足をついている者すべてに震源の存在を知らしめた。

「ド、ドラゴンの化け物?」

 怪獣の存在にまだなじみの薄いロマリアの兵に、サラマンドラがドラゴンに見えたのもいたしかたない。しかし、相手を大きいドラゴンと認識するか、本能的にでも恐怖を抱いて逃げ出すかで兵たちの運命は決まった。

 サラマンドラに立ちはだかった兵士たちはことごとくなぎ倒された。彼らの持つ大砲などは、いくら撃ったところでかすり傷もつけることはできずに、地球でもかつて何度も繰り返されては火の海に変わった戦車隊の突撃を再現するだけであった。

 防衛線は一匹の怪獣でズタズタに切り裂かれ、崩壊した戦線にヨルムンガントが突入することでとどめが刺された。

 甲冑をきた巨大ゴーレム、ヨルムンガントの持つ大砲で吹き飛ばされ、鉄塔のような剣が振られる度に隠れ潜んだ場所ごと宙に舞い上げられた。

「他愛もない」

 それはもはや、戦争と呼べる代物ですらなかった。サラマンドラを露払いに、ヨルムンガントは十分に戦力を温存した状態で悠然と行進していく。その行く先には、多くの人が暮らす街や村が無数に存在していた。

 

【挿絵表示】

 

 歩む先にある木々を蹴散らし、邪魔な岩を蹴り飛ばして進むヨルムンガントの軍団。シェフィールドは、さらに露払いのようにロマリア軍を粉砕していく土色の怪獣の様を見て、自分が世界の支配者になったような高揚感を覚えた。それは恐らく、地球を襲った多くの侵略宇宙人にも共通する心理であったろう。

 最初はためらっていたガリア艦隊の将兵も、一度戦いが始まれば、戦うことの高揚感に包まれている。

「くそぉ、俺たちは戦う気なんてないんだぞ。無能王に言われて嫌々やってきただけだ。白旗だって揚げてるのに、なんで撃って来るんだロマリア艦隊! お前たちが悪いんだからなあ」

「おのれ、ロマリアのくそ坊主どもめ。撃て撃て、撃ちかえせ! やらなきゃこっちがやられるぞ」

 空ではガリア軍両用艦隊とロマリア艦隊が激烈な砲戦を繰り広げ、一瞬ごとに船が炎に包まれていく。

 地上でも、ヨルムンガントの集団がロマリア軍の砲撃をはじき返し、鋼鉄の軍靴で兵隊を魔神のように文字通り蹴散らして進んでいる。

「なんなんだあのゴーレムは? 大砲の弾が効かないし、まるで人間みたいに素早く動くなんて!」

「逃げるんだあ、勝てるわけがないよ」

 シェフィールドがガリアの魔法技術を中心に、ありとあらゆる知識と技術を組み込んで作ったヨルムンガントは、それまでの戦闘用ゴーレムとは次元を異にする性能を見せていた。スピード、腕力、敏捷性、例えるならば才人が幼い頃に夢中になって見ていた巨大ロボットアニメの存在とでもいうべきか、身長二十五メートルにも及ぶそんな化け物が十体も暴れるのだからたまったものではない。

 そして、ヨルムンガント以上に猛威を振るっている存在……いや、一方的な破壊を欲しいままにしている怪獣。

「焼け! 私とジョゼフ様の前に立ちはだかるものはすべて焼いて踏み潰せ。ふふふ、異世界では怪獣兵器として使われているという、このサラマンドラ。お前たちごときで、止められるものなら止めてごらんなさい」

 シェフィールドの、快進撃というのも余るくらいに驀進するサラマンドラの後姿を眺めての笑いは止らない。

 怪獣商人チャリジャの置き土産の一体。鼻から吹きだす千三百度の火炎は長射程で、空飛ぶものから地に伏せるものまで余さず焼き尽くす。その猛威の前に、ロマリア軍の壊滅はすでに時間の問題と見えた。

「さあロマリアめ、どんな手でも打てるものなら打ってくるがいい。なにをしてこようが、こんな国は草一本にいたるまで根絶やしにしてあげるわ」

 シェフィールドは、自分とジョゼフをコケにしたロマリアへの憎しみを増し、逃げ去る者へも容赦なく破壊の手を差し伸べ続けた。

 

 向かうところ敵なしと、驀進を続けるシェフィールドの軍団。その見上げた空ではロマリアとガリア艦隊との砲戦もいよいよ佳境に入り、両国の全面戦争はもはや避けようもないように見えた。

 しかし、一連の状況を、ロマリアのまさに中心で冷ややかに見守っている目があった。

「おやおや、ジョゼフ殿はずいぶんと張り切っておられるようで。このままでは、国境防備の部隊は全滅ですね」

 薄笑いを浮かべる男の顔には慌てた様子は微塵もない。線の細い、恐ろしいくらいに美しい美貌を持つ若い男だった。

 誰もいない聖堂の一室、そこでゆったりと腰掛ける彼の前にある鏡には、国境でおこなわれている戦いの始終が精密に映し出されている。彼はその様子を、まるで戦争映画でも鑑賞するように眺めていたが、ふと頭の中の声に答えるようにつぶやいた。

「あなたですか。どうですか、そちらのほうは? うまく彼と仲間たちに取り入れられましたか? ふむ、それはよかった。こちらも順調に進んでおりますよ。ジョゼフ殿はさすが、我々の見込んだ方です。ですが、ガリア軍の進撃が少々早いですね。我がほうの軍が弱すぎるようで、なんとも情けのない人たちです。すみませんが、そちらで彼らを焚きつけてくれますか?」

 彼は返事を待つように、しばらくときおりうなづきながら黙っていたが、やがて満足したように大きくうなづいた。

「いいでしょう。あとはあなたの判断におまかせします。さて、これで我がロマリアが世界の平和のために大々的に動き出すための大義名分の、その一歩目はできましたね。そして、こちらの世界でも人類の味方をしている光の巨人、ずっと様子を見続けていましたが、彼らが我々に有害なのか、それとも少しは利用価値があるのか、そろそろ見極めることにいたしましょう」

 

 

 続く

 

 

 

 

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第10話  ひび割れた誇り、才人を待つ地下墓地の槍

 第10話

 ひび割れた誇り、才人を待つ地下墓地の槍

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

 ガリアとロマリアの間で始まった理不尽で身勝手な戦争。ロマリアの陰謀に端を発し、ジョゼフがその企みに乗る形で開始されたこの戦いは、開幕の序章からすでに狂乱と本能の赴くままに暴れる惨状をなしていた。

 

 ロマリアの軍と、越境してくるガリア軍との戦い。それは時をおかずに、立ち上る煙や大気を震わす轟音を持って、何も知らずに今日の日を過ごしていた民人に、戦争が始まったのだという事実を知らしめた。

 最初はときたまある国境でのものごとや、他国への示威行為の景気づけの大砲だと気にも留めていなかった近隣の住人も、轟音がいつまで経っても収まらず、むしろ大きく近づいてくると平静ではいられなくなった。

”これはいつもの遊びではないのか? まさか、本当に戦争が始まったというのか!”

 事情を飲み込めずに、右往左往する人々。彼らに真実を伝えたのは、敗走してきた兵士たち、そして村の中に着弾した流れ弾の炸裂であった。

「戦争だ、本物の戦争が始まったんだ! に、逃げろぉ」

 逃げた者はかろうじて一命をとりとめ、村を捨てるのをためらった者は、追い立てられてきた兵士と同じように、ヨルムンガントの洗礼を受けた。シェフィールドは相手が無防備な一般人でも容赦することはなく、手の届く範囲にいた人間は差別することなく平等に扱われた。

 いくつかの村の名前が、地図から永遠に削除され、まるで蝗軍に襲われた土地が一本の草も残さず食い尽くされていくように荒野と化していく。

 また、上空で継続していた艦隊戦も、最終的には数で圧倒的に勝るガリア両用艦隊の勝利に終わった。

 が、バラバラの木屑となって沈んでいくロマリア艦隊を見るに及んで、ガリア艦隊の将兵たちは自分たちがとんでもないことをしてしまったと後悔した。ロマリア艦隊が全滅する直前、ガリア本国から伝書ガーゴイルで届けられた通信文が、艦隊全将兵の血液を凍結させたのだ。

 

「我が同盟国であるロマリアへ土足で踏み込んだ反乱軍艦隊に告ぐ。貴官らの王家への反乱行為は、始祖の血統に対する侮辱であり、並びに始祖の代理人たる教皇陛下の軍への敵対行為は、神と始祖をも冒涜するに他ならない。よって、ガリア宗教庁の名を持って、貴艦隊の全将兵を異端認定するものなり。すでに、艦隊全将兵の名簿は抑えた。罪を悔い改め、裁きを待つがよい」

 

 この瞬間で、ガリア艦隊の将兵たちは、上は司令官から下は見習い水兵まで、自分たちがはめられてしまったことと、退路が完全に絶たれてしまったことを悟った。通信文の届いたのが、いくらなんでも早すぎたことから考えても、あらかじめこうなることを想定していたとしか思えないが、それにしても艦隊全将兵を異端認定してくるとは誰も予想だにできなかった。たとえロマリアと戦う意思など持っていなくとも、撃ってしまったという事実があれば罪を認定することはたやすい。そして異端認定されるということは、ハルケギニアにおいて最悪の罪人のレッテルを貼られてしまうことだとは子供でも知っている。

「くそっ、あの無能王め。これでもう、俺たちに引き返す道はなくなってしまった!」

 艦隊指令は歯噛みしたが、すでに後の祭りでしかない。

 ガリアに帰れば、始祖ブリミルへの反逆者として有無を言わさず捕らえられて異端審問にかけられる。その後の運命は考えるのも空恐ろしく、一番よかったとして一族郎党牢の中だ。しかも罪は末端の水兵にまで及ぶと明言しているため、士気の低かった兵士たちにも他人事ではない。

「いったい、どうすればいいんだ……」

 そんな気はなかったのに、これで正真正銘の反乱軍に仕立て上げられてしまった。

 くそっ、これというのもロマリアの艦隊が先走って攻撃なんかしてくるからだ。兵士たちは恨んだが、すでに空の藻屑と化したロマリア艦隊に答える術はない。彼らは、まさかロマリアまでもが謀略の実行者だとは夢にも思っていなかった。

 母国に引き返すこともできず、呆然と浮き続けるしかできないガリア両用艦隊。だがそこへ、悪魔のささやきが響いてきた。

「どうしたのあなたたち? さあ早く、ロマリアへ進撃をはじめなさい」

 旗艦のブリッジに突如響いた女の声に、艦隊司令は無様にも体を震わせてしまったが、すぐに声の主に気づいた。ブリッジに据えつけられている何本もの伝声管、その中で壊れて使えないはずのものから声は発せられている。その声の持ち主は、出撃する前に弾薬補給艦を寄こせと命令してきたジョゼフの側近だという妙な女であった。

「貴様、伝声管に魔法装置を仕込んでいたな。貴様らのせいで、俺は世界中に恥さらしだ。よくもはめてくれたな!」

 司令は当たり前に怒りをぶっつけた。しかし、相手の女は動じた様子もない声で彼に背筋も凍るようなことを告げたのだ。

「はめた? うふふ、あなたはまだわかっていないようね。ジョゼフ様は、あなたに期待しているからこそこうしたのがわからない? 見てご覧なさい。あなたの艦隊で、逃げ帰りたがってた兵士たちはすっかり帰る気なんかなくなってるわ。いまなら、彼らはどうすればいいのかわからないからあなたに素直に従うわ。そのまま彼らを扇動して、ロマリアを制圧してしまうのよ。そうすれば約束どおり、ジョゼフ様はロマリアをあなたにくださるでしょう。異端の認定なんか、ロマリアがなくなればジョゼフ様が新しい教皇になったも同然。あなたたちは腐敗したロマリアを倒した英雄としてたたえられるのよ」

 司令はぞっとして、伝声管の先にいるのが本物の悪魔なのではと本気で思った。確かに今なら将兵たちの思考力は鈍化しているから、自分で考えずに命令に従う楽な道を選ぶ者が多いだろう。それに、彼ら全員が目の当たりにしているとおり、先に手を出してきたロマリアへの敵愾心は煮えたぎっている。今なら、やれるのだ。

 それでも、最後の理性で司令は河を越えることをためらっていたが、女はとどめを刺すように言った。

「不安なのなら、下を見てご覧なさい。ほおら、ロマリアの地上部隊はすでに壊走して影も形もないわ。私が操る、ジョゼフ様からいただいた十体のこの騎士人形とドラゴンがあれば、ロマリア軍など敵ではないわ。さあ、進んで栄光を掴むか、立ち尽くしてガリアかロマリアか好きなほうから異端者として処罰されるか、好きなほうを選びなさい」

 司令は腹を決めた。

「全軍進撃! 目指すはロマリア連合皇国の中心である。我らは賄賂をとるばかりの神官の巣を攻め落とし、ハルケギニアに真の信仰を取り戻すために戦う正義の軍である。勝利の暁には、士官には領地を、兵にはすべて貴族籍を与えようぞ!」

 全艦から、轟くような歓声があがり、停止していた艦隊が動き出した。すでに士官も兵も、異端審問への恐怖で正気を失い、甘言にすがってようやく自己をたもつことができているありさまに陥ってしまっている。

 狂気にとり付かれたガリア両用艦隊は、ジョゼフとシェフィールドの思惑どおりにロマリアへの進撃をはじめた。その行く手にはまだ数多くの町や村があり、多くの人々が住んでいた。

 

 

「ガリアの軍隊が攻めてきた! 逃げろお」

 恐怖にとり付かれたガリア軍の侵攻を受けて切り裂かれていくロマリア領。進撃していくガリア軍は、まさに破竹の勢いで、ジョゼフの言葉を免罪符にするかのように、進行方向にある人間の気配のあるものに砲弾を撃ち、火を放って、逃げ惑う人々にはサラマンドラの火炎とヨルムンガントの振るう巨大な鉄剣が無慈悲に襲い掛かっていく。

 一方でロマリア軍は、その侵攻には散発的に応戦するのみで、最初に見せた統率のとれた動きは見られず、各個に粉砕されていた。

 無人の野をゆくがごとく、ロマリアを蹂躙していくガリア軍。それらの街や村の惨状は、人々の口から口へと風のようにロマリアの全土へと広がっていき、やがてその進撃路の先に位置し、才人たちのいる都市ロマリアにも一足早く到達した。

 才人が目を覚ましてから、その部屋で今後について話を続けていた水精霊騎士隊の少年少女たち。そこで、街の異変に最初に気がついたのはレイナールだった。

「なんだか、外が騒がしいな」

 宿にしている建物の窓を開けて、三階になっているそこから街を見下ろすと、街の住人や警らの衛士が落ち着きのない様子で右往左往しており、立ち止まってはなにごとかを話し合っているようでもあった。

「なにかあったらしいな。誰か、それとなく聞いてきてくれないかい」

 ギーシュに言われ、数人の水精霊騎士隊員が外に出て行った。しばらくして部屋のドアが乱暴に開けられて、彼らが息せき切って戻ってくると、一同の心に不吉な予感が走り、次いで告げられた話は彼らを驚愕させるにじゅうぶんすぎた。

「戦争!? ガリアとロマリアが?」

「どういうこった。なんでガリアがロマリアを攻めて来るんだよ」

「知らないよ。ともかく街はもうその噂で持ちきりさ。すでに、十を超える街や村が滅ぼされて、ガリアの艦隊はまっすぐこの街に向かってるって話だ」

 まさに寝耳に水の話に、部屋の中はいっときパニックに陥った。ティファニアは失神しかけてモンモランシーに助け起こされているし、少年たちのほとんどはピエロのように慌てふためいている。

 けれども、一時は動揺しても彼らはもう突然の状況の変化を飲み込むだけの度胸はできている。落ち着きを取り戻したギーシュが説明の続きを促すと、室内の空気も元に戻った。

「なんでも、ガリアの両用艦隊が反乱を起こしてロマリアになだれ込んできたって聞いたぜ。けどそれは見せ掛けで、本当はガリアの侵略部隊らしい」

「ロマリア軍はどうしたんだ? この国にだって、強力な騎士団や艦隊があるだろうに」

「国境近くで大打撃を受けて撤退したそうだ。なんでも、ガリアはばかでかいドラゴンに、おそろしく強いゴーレムを繰り出してきたって」

 ばかでかいドラゴンに、おそろしく強いゴーレム? 一同は、ガリア軍はいったいなにを繰り出してきたんだと思ったけれど、噂話の続きを聞くことで、すぐに少なくとも巨大なドラゴンというのはなんらかの怪獣だろうと察しをつけた。

「逃げてきた人の話だと、背丈は五十メイル以上、鼻から数百メイルに渡って届く火炎を吹いて誰も近づけないらしい。おまけに大砲の弾もまったく通じないってことだ」

「そいつはまた化け物だな。前にサハラに向かったときも、ガリアの領空で怪獣に襲われたし、ハルケギニアの生き物じゃないと考えたほうがいいだろうな」

「ああ。けれども、いっしょについてくるゴーレムっても曲者らしい。こっちは大きさは二十メイルほどと平凡だけど、全身に鎧を着込んだ騎士みたいなかっこうで、まるで人間みたいに動きが軽いそうだ。そんなのが十体もで軍団を作って、砲亀兵も歯が立たないらしい」

 なんだそりゃ? という声が数箇所からあがった。戦闘用ゴーレムはハルケギニアでは珍しい存在でもなんでもなく、もっと大きくなれば三十メイルやそれ以上も可能であるが、大きくなればなるほど操る難易度は上がっていき、二十メイルクラスの巨大ゴーレムともなれば相当に動きがぎこちなくなるのが常識だ。

 しかし、信じられないという顔をする一同の中で、ただ一人だけ目つきを真剣に変えた者がいた。ルクシャナである。

”そのゴーレム、もしかしたら”

 なにかにピンときたように、あごに手を当てて考え込む。一方で少年たちは、もしかして、逃げ帰ってきた兵士が敵のことを誇大に言っているのではと考えた。戦争ではよくある話だが、ルイズはその話に信憑性を持たせる話を次いで聞いた。

「しかも聞いて驚け。そのゴーレムの軍団を指揮してるのは女だそうだ。まさかと思うだろうけど……ど、どうしたルイズ?」

「女って言ったわね。なるほど、これで合点がいったわよ。あんたたち、ラ・ロシェールが幽霊船怪獣に襲われたときのことを覚えてるでしょ。そのとき、わたしたちに得意げに宣戦布告してきた奴がいたんだけど、相当いけすかない声した女だったのよ」

 皆の胸中に、一時的とはいえ死人にされたおぞましい思い出が蘇る。あのときのことは、あまり記憶には残っていないものの、体には体温を一気に奪われていくような、死を実感する感触が残っている。

「おもしろい、それが本当ならラ・ロシェールでの借りを返すいいチャンスだ。みんな、ガリアの騎士人形とやらをやっつけに行こうじゃないか!」

 おおーっ! と、ギーシュの威勢のいい言葉に水精霊騎士隊の半分くらいは同調して意気を上げた。

 が、レイナールなど残り半分と、ルイズは心底あきれたように言った。

「あんたバカ? 相手はロマリア軍も歯が立たなかった化け物だって聞いてなかったの。おまけに今回はろくな武器もない上に、なによりも戦いは極力避けるようにっての忘れたの」

 あっ、そうだった! とでも言うふうな表情で固まってしまったギーシュたちを見て、ルイズはバカは死ななきゃ治らないのは本当だなと、とび色の瞳に憂いを含ませて深くため息をついた。

 ただ、そうと言ってばかりもいられないのも事実と、寝床から才人が声をかけた。

「けど、このままほっといたら、どうせガリア軍はここに来るんだろう。そしたら、情報を集めるどころじゃないぞ」

「サイト、確かにそうだけど、わかってるの? 相手はガリアの正規軍なのよ。たった数十人のわたしたちで阻止できるわけがないわ。それこそ殺してくださいと言いにいくようなものよ」

「そ、そりゃそうだが……でも、それに」

 この場で一番冷静なのは間違いなくルイズであった。おかしなものだが、ルイズは血気盛んな一面に反して、こうして妙に冷めた面を持っている。母親譲りなのであろうか、不完全ながら激情と沈着がひとつの心の中で同居していて、その冷たい眼差しがベッドの上の才人に突き刺さった。

「それ以上言わないで、あんたの言いたい事はだいたいわかるつもり。この街にガリア軍がなだれ込んでくることになれば、当然この街の人たちも無事じゃすまない。ただ、今のあんたにそれを言う資格があるとは思えない。ハッキリ言ってあげるけど、あんた、この街の人たちを助けたいって本気で思ってる?」

 その瞬間、才人の顔が青ざめた。ルイズの一言は、才人の内に刻まれていた新しい傷の痛みを思い出させたのだ。

「お、おれは……」

 昨晩のキリエルとの戦いの記憶が蘇る。静止する言葉に耳を貸さず、誘われるままキリエルの門の先に行った人たち。希望をなくし、この世に絶望した、生きる屍のような人たち。そんな人たちを救うことが、ほんとうにあの人たちのためになるのだろうか? そんな人たちのために、自分は命を張れるのだろうか?

 そして、キリエロイドの捨て台詞が耳の中で響く。

”すべての生命を等しく守ろうなどとおこがましいと思わんかね?”

 自分は自惚れていたのではないか、キリエロイドの言うとおりに無力で愚かなことをしているだけなのではないのかと、才人の中で彼を支えていたなにかがすっぽり抜け落ちてしまったような虚無感が、彼にルイズに言い返す言葉を奪った。

 ルイズと、才人の間で生まれた気まずい沈黙。その理由は、ふたり以外には想像もできないものであったけれど、つぶされそうだった重い空気をなんとか変えようとモンモランシーが言った。

「ま、まあまあルイズ。なにがあったか知らないけど、能天気がとりえのサイトをいじめたら、こっちまで暗くなっちゃうわ。これからどうするかは焦らないで、ミス・ミシェルたちが戻ってきてから決めましょう」

 そのときだった。部屋の扉が開け放たれ、部屋に当のミシェルたち銃士隊が帰ってきたのだった。

「全員支度しろ、すぐにこの街を出るぞ」

 開口一発、ミシェルが放った言葉が一同を困惑させた。銃士隊の隊員たちなら、ここで上官の命令には即座に反応するところだが、あいにく彼らは軍人としては全員まとめて半人前というところなので、理由もわからずに従うということはできずに追加の説明を要した。

「お前たちも事態はすでに知っているだろう。ガリア軍が攻めてくるとして、ロマリア軍は残存戦力を集結させて絶対防衛線を張って迎え撃つ腹らしい。そして、戦力として義勇軍の募集をはじめているらしいので、我々はそれに合流する」

「なぜです? そんなことをしても、ロマリアにわずかばかりの勝機が生まれるはずもない。我々にとっても、危険なだけでメリットがないですよ」

 レイナールやモンモランシーなどは、戦争には介入せずに成り行きを見守ろうと主張した。けれども、彼らはミシェルから事態がそんなに楽観的ではないことを知らされて慄然とした。

「むろんだ。しかし、このまま座視していてどうなる? ガリア軍は眼前にある街や村を見境なく蹂躙して進んでいる。降伏を申し入れても聞き入られずに、返ってくるのは砲弾と魔法の雨ばかりだ。奴らは一切捕虜をとっておらんどころか、このままでは、ロマリア中が火の海にされてしまうぞ」

「なんですって! まさか、そこまで」

 ギーシュたちは、まさか正規軍であるガリア軍がそんなことをしているとは信じられなかったが事実であった。彼らは知らないことであったが、精神的に追い詰められているガリア軍には見境がなくなっていた。脅迫状態に置かれた人間は理性や良心が麻痺し、平常時では絶対やらない蛮行をためらいなくやってしまう。

 恐るべきは、ガリア軍を獣の群れに変えたジョゼフやシェフィールドの悪魔性であるが、ともかくも少年たちはガリア軍の目的がロマリアの占領ではなく、殲滅であることを知って怒りを覚えた。

「連中は北から迫ってきている。ロマリアは縦長の半島だから逃げ場はない。このままでは、半島の先端まで押し込まれて、海まで追い落とされるのを待つだけだ。当然、我々も例外じゃあない」

「それで、先に打って出ようというんですか。無謀ですよ、ぼくたち十数人でガリア軍に勝てますか」

 レイナールの言い分はもっともであった。銃士隊の勇猛さは音に聞こえるし、自分たちも実戦経験には自信があるとはいっても相手が軍隊では話にならない。

 しかし、ミシェルは決して自棄になったのではなかった。

「勘違いするな。誰が戦ってガリア軍を倒すと言った。ガリア軍から逃げてきたロマリアの人たちは、南の港へ避難してきている。しかし避難船が出るまでにはまだ準備が必要だし、逃げ遅れている人もいる。時間を稼ぐ人間が必要なんだ」

「そういうことでしたか。だったら、みんな!」

「おう!」

 ならば異存はない。少年たちは、ミシェルや銃士隊員たちの目に宿っているのが殺気ではなく、優しさを湛えた強い意志で光っているのを見て安堵する。言葉面は厳しくても、彼女たちは冷たいだけの軍人ではない。今では皆が知っていることだが、誰かさんの影響で、奪う戦いと守る戦いの違いを知っている。

 奪う戦いはいうなれば侵略だ。それはどれだけ取り繕おうが悪であり、心をすり減らし、荒廃させていく。しかし守る戦いであれば、どれだけ厳しくても心には常に誇りの灯が灯り続ける。

 ガリア軍を撃退する、というのであれば無謀であるけれども、時間を稼ぐという、勝つための戦いではなく負けないための戦いならば、こちらが非力でも戦いようがある。それならばガリアに一泡吹かせてやれるかもしれないし、ガリア軍の非道なおこないの犠牲を少なくできるならやりがいがある。

「お前たちみたいに、勇敢で逃げ足の速いやつらには打ってつけの仕事だ」

「ひどい言われようですね。けど、そちらこそ逃げ遅れて踏み潰されても知りませんよ」

 銃士隊と水精霊騎士隊の心がひとつになった。この中に、殺しを好いている者はひとりもいない。

 調査はひとまず後回しだ。こんな状況で探し人をしろとしても無理に決まっている。

 いや、ロマリアにいるかもしれない異変の根源が、この事態に反応して動き出す可能性もある。どのみち、目の前の危機に瀕した人々を守ることさえできずに世界を救おうなどと、本末転倒にもほどがある。

 

 しかし、皆が気勢をあげる中で、才人だけは同調することができずにいた。

「どうしたんだサイト? まだ具合が悪いのか」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 頭では、みんなといっしょにガリア軍に立ち向かおうとは思っても、それが本当に正しいのかと、心の中から声がする。

”これでガリアに追われた人たちを助けたからって、それでその人たちのためになるのか? 昨日のときみたいに、おれたちのやっていることは、余計なお世話なんじゃないのか?”

 キリエルの誘いに乗って消えていった人たちには、この世での救いはなんの意味もなかった。これまで才人は、自分のやってきたことは、みんなのために少しでも役立てていると自信を持ってきたのだが、今の才人の心には冷たいすきま風が吹いていた。

”おれのせいでエースも負けた。キリエルの言うとおり、おれのやってることはうぬぼれだったのか? そもそもおれに、ウルトラマンになる資格なんてあったのか……ちくしょう! おれは、いったいどうしちまったんだっ”

 こんなことを考えている場合でも、これからなにをすべきなのかもわかっている。けれども、今までは目的を定めたら自然に湧いてきていた闘志が、今回に限って少しも湧いてこない。自分を叱り飛ばそうとしても、それ以上の自戒と後悔が胸を締め付けて、威勢のいい言葉も、虚勢の一言も出てこずに口を閉ざし、視線を下向かせてしまう。

 皆も、そんな才人の異変に気がついたようで、昨晩才人の身になにか重大なことが起こったのは確実だと察した。

 むろん、もうひとりの当事者であるルイズも同様に、才人のダメージが深刻であることを悟っていた。

”サイト、そうか……あんたも、そうなのね”

 昨晩のことは、ルイズにとっても大きな衝撃ではあったが、その意味は才人とは異なっていた。ルイズは、キリエロイドとの敗北を自らの油断と相手が思いも寄らない封じ手を出してきたからだと戦術的に判断し、二度と同じ過ちはしまいとして、すでに立ち直っていた。

 しかし、才人の受けたショックはそれ以上に精神的なものが大きい。ルイズは、才人がキリエルの詭弁に惑わされて迷っているものと思い、それは確かに当たっていたけれども、それに加えて才人が以前の自分と同じように信念を傷つけられたがゆえに苦しんでいるのだと気づいた。

「みんな、悪いけど先に行っていて。サイトは、わたしが診てるから」

「っ! お、おいルイズ、おれは」

 突然のルイズの言葉に、才人はびくりとおびえたように反応した。だが、ルイズは視線を鋭く尖らせて言い捨てた。

「黙りなさい。今のあんたが出て行って役に立てると思ってるの? みんな、時間がないなら早く行って、こっちはわたしがなんとかするわ。ぐずぐずしてたらガリア軍が来るわよ!」

 追い立てるようにルイズは皆を室外に押し出していった。ギーシュたちは、ルイズの剣幕に押されて次々にドアの外に追いやられていったが、さすがにギーシュは最後にとどまってルイズに言い残した。

「わかったわかった、サイトのことは君にまかせるよルイズ。けど、ここは危ないから急いで離れるといい」

「あなたたちに比べたらたいしたことはないわ。どうせ逃げるなら南しかないんだから」

「そうだね。ぼくらも適当に時間を稼いだら南へ向かうよ。そうだ、モンモランシー、君はティファニアを連れて南の港に一足先に行っていてくれ。ミス・ルクシャナ方もいっしょにどうぞ」

 ギーシュは戦いに望む前に、非力な者たちを先に逃そうと考えた。ルクシャナらも誘ったのは、人間どうしの争いにエルフを巻き込みたくなかったからであるが、ルクシャナは意外にも強く同行の意思を示した。

「待って、私も行くわ。さっきの話に出てきたガリア軍のゴーレムだけど、おじさまがガリアに仕えていた頃に、精霊の技を兵器に転用する研究をさせられてたそうなの。もし、そいつがおじさまの残した技術を使って作られた化け物なら、責任はわたしたちエルフにもあるわ。それに、わたしならそいつの弱点がわかるかもしれない」

「……了解した。ではお願いするよ」

 一度言い出したらてこでも動かないルクシャナを説得しようという無駄な努力をギーシュはしなかった。あとは、才人を一瞥し、「君が君らしい君に戻るのを待っているよ」ときざったらしく言い残し、「諸君、出陣だ!」と、威勢よく皆を鼓舞して宿から駆け出していく。

 そして、黙って見守っていたミシェルもルイズと向かい合う。

「なによ、サイトをかばいだてするつもり?」

 落ち込む才人を見下ろすミシェルの眼差しに、ルイズのライバル心をむき出しにした視線が交差する。

 交わされる二人の言葉と、言葉にできない思い。それらのひとつひとつが才人の心に染み渡る。多くの人の心と向き合って、才人ももう人の心を理解できないような子供ではなかった。

 けれども、答えは結局は自分で見つけるしかない。ミシェルたち銃士隊も立ち去り、残された中で才人はうつむきながらルイズに言った。

「はは、情けねえなおれって。肝心なときにお荷物になっちまってさ」

「そうね、ほんと情けない男。どうしてこんなのに惚れちゃったのかって、自分が嫌になるわ」

「悪りい……」

 ぴしゃりと断言してくれたルイズの厳しさが、今の才人にはありがたかった。

 皆、今頃は街を出て戦場へ急いでいることだろう。本来なら、自分も当然参加するはずだったのだが、それができない。

 耳を澄ませば、街の喧騒が聞こえてくる。街から逃げ出そうとする人々の声と、それとぶつかる人の争う声が才人を迷わせる。こんな街、救う価値があるのだろうか? よしんば戦いに望んだとして、自分は戦えるのだろうか?

 戦う意味と、自分の力への自信の喪失。それが才人から勇気を奪っている。そしてそれがわかっているからこそ、ルイズも才人を無理強いできない。怒鳴って炊きつけて、がむしゃらに戦わせることはできても、勇気がなくてはウルトラリングは光らない。同じ過ちを繰り返すだけなのだ。

 

 だが、自分の心の中の迷路をさまよう才人に、調子のよい声で話しかけた者がいた。

 

「ずいぶんお悩みのようだね。ぼくでよければ、相談に乗ろうか?」

「なんだジュリオか、お前まだいたのかよ」

 視線を泳がせてたどりついた先にいたのは、つい先ほど知り合ったばかりのオッドアイの少年だった。彼、ジュリオは面倒そうに言う才人に特に気分を害したふうもなく、明るい口調で言った。

「そう邪険にしないでくれよ。ぼくはこれでも神官のはしくれだからね。迷える子羊を見るとほっておけないのさ」

「お前に救ってもらうくらいなら頭打って全部なかったことにするわ。お前こそ、ロマリアが大変なのにこんなところで油を売ってていいのかよ」

「ぼくはメイジじゃないし、戦いとなれば聖堂騎士団がきちんと活躍してくれるさ。それより、もうすぐ戦場になるかもしれない場所に、こんな太陽のごとき美しいレディを置いていくなんて心配でできないさ」

 嫌味も通じず、才人はうんざりと嫌な気分になった。おまけに、息を吐くようにきざな台詞でルイズを口説きにかかるものだから好意を持てようはずもない。決して、イケメンはそれだけで気に入らないということではないが。

「そうさ、戦争なんてくだらないね。そんなことよりぼくは、君のような美しい女の子を見ているほうが百倍も人生が潤うよ。君はまさに神の作りし芸術品、生きた宝石とは君のことだ。ぼくはこの歳になるまで、この世に妖精が実在するなんて知らなかったよ」

「ん、まあ。あ、ありがと」

 世辞だとわかっていても反応せざるを得ないのは、ルイズも女の子ということか。しかし才人では似合わないきざな台詞の数々も、ジュリオが言えば恐ろしく様になっていてさらに腹立たしい。一応は恩人でなければ怒鳴りつけてやるところだ。

 ジュリオは才人の胸中など露ほども感せずというふうに、人懐っこそうな笑顔を浮かべてルイズに口説き文句をかけている。才人はロマリアに来る前にギーシュから「ロマリア人は呼吸するように女性を口説く連中だから気をつけろ」と言われて、なかば冗談と忘れていたが、深いため息とともに肯定せざるを得なかった。

 しかし、多少は空気を読んでほしいと思ったときに、ジュリオは突然ルイズから才人に視線を変えて言った。

「サイトくんといったね。君は実にすばらしいパートナーを持っている。少し拝見させてもらっただけだが、ミス・ヴァリエールの気品といい決断力といい、なにより類まれな美しさといい、この世に二人といないすばらしい女性だ。君がうらやましいよ」

「そりゃどうも。ルイズはそんじょそこらの奴とは出来が違うんだ。お前なんかが釣りあう相手じゃねーんだよ」

 不機嫌も手伝って、才人はおもいっきり突き放した言い方で答えた。人から見たら器が小さい物言いだと言われるだろうが知ったことではなかった。このきざ野郎とは絶対に友達になれそうもない。

 が、ジュリオはそんな才人の敵意すらも意に介せず、才人を激怒させることを口にした。

「しかし残念だ。彼女は魅力的なだけじゃなく、凛として勇敢な戦士であるのに、パートナーがこんな臆病者ではねえ」

「なんだと、てめえもう一回言ってみろ」

「ああいいさ。君の国ではどうか知らないけど、ロマリアではレディは男性が命をかけても守るのが常識でね。戦いを怖がるような臆病者は、そもそも男である資格はないよ」

「うるせえ! 仲間たちならともかく、赤の他人のてめえに言われる筋合いはねえ!」

 才人は怒った。こっちだって好きで落ちこんでいるわけではないのに、したり顔で見下されて気分がいいはずはない。

 ルイズもまた、口説かれて多少いい気になっていたのを忘れて、才人への侮辱に怒りを爆発させた。

「あなた失礼じゃない。あなたにサイトのなにがわかるっていうの! 軽い気持ちで悪口を語るなら、いくら恩人でも許さないわよ」

「それは申し訳ない。言葉が過ぎたのは謝罪しよう。しかし、やはり敵が迫っているというのに女性に守られているような男をぼくは尊敬の眼差しでは見れないな。これでは、さっき出て行った君の仲間たちも長くはないだろうね」

 ジュリオのその一言は才人とルイズを愕然とさせた。

「なんだと! それはどういう意味だ」

「ぼくは地獄耳でね。いろんな友人が情報を持ってきてくれるんだ。もちろん、戦場の情報も逐一入ってくるんだけど、君たちの仲間が聞いた情報は古いね。ガリアの怪物はもとより、魔法人形の部隊は、立ちふさがるものはもちろん、逃げ遅れた女子供を好んで狙っているらしい。そんな相手に君の仲間たちのような女性や若者ばかりの部隊が行ってみたまえ、時間稼ぎどころか狙い撃ちにされてほとんど生き残れないだろうよ」

「てめえ、なんでそれをわかっていながら黙っていやがった」

「使命感に燃える人間を引き止めるなんて無粋な真似はできないよ。それに、彼らが行くことで助かる民衆が少しでもできるかもしれないだろう。軍人が民のために命を投げ出すのは当然のことじゃないか」

「ぐぐっ……もういい!」

 才人は殴りかかりたいのをこらえ、ベッドから起き上がると身なりを整えた。

 迷いを振り切ったわけではない。今の才人を動かしているのは怒りと焦りだった。

 すでにルイズも、心は戦場に飛んでいる。こんなところで口だけの軽薄野郎の屁理屈を聞いている時間があるくらいなら、一刻も早く追いかけるしかない。

 だが、部屋を飛び出していこうとするふたりをジュリオが呼び止めた。

「君たちも死ににいくつもりかい? いまさら急いだところで手遅れだと思うけどね」

「うるさい。そんなこと、行ってから考えるまでさ」

「行かなくてもどうなるかを考えるために、神は人間に知恵をお与えになられたのだと思うけどね。これ、たった今フクロウが届けてくれた、ぼくの友人の竜騎士の書いたガリアのドラゴンのスケッチさ。すごいものだね」

 才人はそのスケッチをふんだくるようにして取ると、まじまじと見つめて言った。

「サラマンドラだ……くそっ、こんな奴が相手じゃ軍隊で勝てるわけがねえ。ちくしょう、やっぱりおれたちが行くしか!」

「待ってサイト、あなたの今の気力じゃあ!」

「わかってる! けど、ほかにどうしろってんだ! このままじゃ、ギーシュたちもミシェルさんたちもやられちまう」

 自分が傷つくのも怖いが、仲間を失うことはもっと怖かった。しかし、このまま駆けつけたとしてもウルトラマンAへ変身して戦える自信はない。

 苦悩する才人と、苦しみの理由がわかるだけにどうしてもあげられないルイズ。

 しかし、そのときだった。ジュリオが、してやったりとばかりに楽しそうな笑みを浮かべながらふたりに告げたのだ。

「ようやく戦う気になったようだね。それでこそ男だ。けど、素手じゃあ怪物を相手にどうしようもない。着いてきたまえ、勇敢になった餞別に君にふさわしい武器を進呈してあげるよ」

 

 

 ジュリオに連れてこられた先は、ロマリアの大聖堂の地下だった。ジュリオが神官だというのは本当のことだったようで、警備の兵士も顔パスでどんどん先へと進め、長い螺旋階段を下りた先へと進む。

 人気がなくなった湿った薄暗い通路を、たいまつの灯りを頼りにしばらく歩くと、道をふさぐ大きな鉄の扉にいきあたった。

「おいジュリオ、どこまで行くつもりだ? 聖堂騎士団の武器のお古でも譲ってくれるのかと思って着いてきたが、地下の物置のガラクタをつかませるつもりじゃないだろうな」

「いやいや、待たせてすまないとは思ってるよ。けど、物置はひどいなあ。ここは昔の地下墓地があった神聖な場所なのさ。もっとも、眠っているのは人ではないけれど。とっておきを見せてあげるよ」

 扉が開かれ、その先にあったのは広大な空間であった。魔法のランタンの灯りに照らし出され、高さ二十メートル以上、半径百メートル以上にも及ぶような、巨大なドーム状の空間の全容があらわになる。

 そして、その中に待っていたのは、ジュリオの言っていたとおりの武器たちであった。しかし、それらは才人とルイズが想像していたような剣や槍のような”武器”ではなかった。人の背丈を大きく超える、小山のような鉄の塊の群れ……。

「サ、サイト……これって、みんな、あんたの世界の」

「そんな馬鹿な。けど、これって間違いなく……戦車」

 目を疑っても、それは確かに眼前に存在していた。鋼鉄の車体に、太いキャタピラ、それに支えられた砲塔から伸びる砲身の作り出すシルエットは、才人が何度も作ったプラモや、テレビで見た映画のそれとまったく同じ。ハルケギニアのものでは決してありえない重厚な”兵器”。それも見る限りでも数十台はあるそれらの一機を前にして、才人は愕然と叫んだ。

「こいつは、ドイツのタイガー戦車じゃねえか! ほかのも、世界中のいろんな戦車や、高射砲やロケット砲車。全部地球の兵器だよ。おいジュリオ! これはいったいどういうことだ!」

「驚いたかい? これらはみな、はるか東方の地でぼくらの密偵が発見し、ここまで運んできた物さ。壊れてるものも多いが、見つけてすぐに固定化で保護したから使えるものもあるはずだ。なあ、これらなら、ガリアの怪物どもを相手にしても戦えるかもしれないじゃないか」

「そんなことを聞いてるんじゃない! そんなもんを、なんで当たり前のようにおれに渡すんだ? お前、いったい何者だ!」

「いいとも、詳しく説明してあげるよ。けど、今の君にのんびり話を聞いてる暇はあるのかい? これらはどれでも、好きなものを使わせてあげるよ。話を聞くのは、それからのほうが順序がいいとぼくは思うけどな」

 どこまでも嫌味で腹立たしい野郎だった。しかし正論には違いない。才人は、歯軋りするほど悔しいのを我慢して、ルイズとともに地下墓地の兵器の中で使えそうなものがないかと駆け回った。

「タイガーのほかにも、ソ連のKV1やアメリカのシャーマン。パーシングまでありやがる。まるで、世界中の戦車のバーゲンセールだな」

 実際才人は感心していた。これほどの数の戦車、世界中のどんな軍事博物館に行っても見ることはできないだろう。

 また、戦車が圧倒的な存在感を持っているが、その周りには雑多な小型兵器も置かれている。ピストルやマシンガン、バズーカに混じって刀剣などもあり、なにかをグシャリと踏み潰したと思って見てみたら、ボロボロに朽ちた旧日本軍の三十八式歩兵銃だった。

 入り口付近には二次大戦中の戦車があり、奥に行くほど新しく、戦後の戦車も混じり始めた。

 陸上自衛隊の六十式や七四式戦車。エイブラムスやレオパルドなど、国籍を問わずに鎮座しており、これらは最近のものだけにどれも新品に近い形で、すぐにでも動かせそうに見えた。

 しかし、才人はこれではだめだと感じていた。

「サイト、どうなの? これみんなあなたの世界の兵器なんでしょ。前のゼロ戦のときみたいに使えないの?」

「できないことはないけど、このくらいの戦車じゃ怪獣には通用しねえよ。くそっ、せめて魔法人形だけだったら戦車でもなんとかなったのに」

 戦車は確かに最強の陸戦兵器だが、戦車砲程度の威力では怪獣の皮膚はまず貫けず、動きが遅く光線などのいい的になってしまうために、怪獣頻出期の長い歴史を紐解いてもまともに活躍できた例はほとんどない。仮に、最新の九十式戦車で駆けつけたとしても、サラマンドラの火炎にやられてあっというまに火葬にされてしまうだけだろう。

 地球兵器の無力さに歯噛みし、気ばかりが焦る才人。だが、長大な砲身を振りたてた戦車ばかりが目立つ中で、ルイズはふと隅の方で布をかぶせられている数台の変わった車両を見つけた。

「ねえサイト、あれなにかしら? 大砲がついてないし、戦車ってやつじゃないみたいだけど、けっこう大きいみたいよ」

「え? なんだありゃ……いや、どこかで見たような」

 好奇心にかられて近寄るふたり。その車両は箱型で、全長は十メートルほどとかなり大きい。ただし戦車ではない証拠に、キャタピラではなく大きなタイヤがついている。そして、才人はその箱型の車体の上部に据えつけられているドームから突き出た、あるものを確認して心の底から驚いた。

「こ、こいつは! マジかよ」

 布をかぶせられ、ほこりをかむっているが、その巨大なパラボナを見て確信した。

 国外の兵器であった原子熱線砲を参考に、日本が独自に開発したこの兵器が初めて実戦投入されたのは一九六六年。ある怪獣の迎撃に出撃し、多大な戦果をあげることに成功したが、そのあまりにも強力すぎる威力が専守防衛を範とする日本の方針には過剰であるという批判を受けてしまう。

 そして、最後は同年の脳波怪獣ギャンゴ戦に投入され、結局実戦使用はされないまま退役させられ歴史の表舞台から去らざるを得なかった幻の超兵器。

「いち、に、さん……よ、四両もあるのかよ」

 呆然と見上げる才人の前で、その車両の側面に書き込まれた『陸上自衛隊』の白い文字が、静かにその存在を闇に誇示し続けていた。

 

 

 続く



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第11話  最強の雷! 陸上自衛隊決戦兵器出撃 (前編)

 第11話

 最強の雷! 陸上自衛隊決戦兵器出撃 (前編)

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

 それらは、才人にとって、まさに夢のようなといえる光景であった。

 

 ロマリア大聖堂の地下深くにある広大な空間。かつての地下墓地を利用して作られたという、その場所に収められていたのは、かつて地球で活躍していた鋼鉄の獣たちの、在りし日そのままの勇姿であった。

 ドイツの名戦車タイガー、小山のような巨大重戦車スターリン。時代を上り、現在なお一線にあるチャレンジャーやメルカバまで、古今東西を問わない様々な戦車が所狭しと並べられ、才人の中の少年の血を騒がせる。

 だが、才人の視線を釘付けにしたのはそれら戦車群ではなかった。大砲を構えた無骨な姿ではなく、一見すると兵器には見えない巨大なパラボナを備え、しかしそこから放たれる強烈な閃光はいかなる怪獣にも致命の威力を発揮する、かつて陸上自衛隊がわずかな期間だけ保有していた、必殺の超兵器、その名は。

 

「六六式メーサー殺獣光線車……!」

 

 才人は畏敬の念を込めてその名を呼んだ。同時に、この世界でガンクルセイダーやアイアンロックス……戦艦大和を見つけたときと同様の興奮が蘇ってくる。ルイズはわけもわからずぽかんとしているが、才人はこの車の持つ絶大な価値を知っていた。

「サイト、なんなのこの奇妙な車は? 大砲すらついてないみたいだけど、これでも武器なの?」

「武器だよ、とびっきりのな。はは、まいったぜ、この世界にはいろんな理由で地球のものが紛れ込んできてるのは承知してたつもりだったけど、まさかメーサー車を見れるとは夢にも思わなかった。陸上自衛隊の、幻の超兵器」

 このときだけは、才人は童心そのものになって目の前の銀色の車体を見上げた。感無量とはまさにこのことをいうのであろう。なぜなら才人にとっても、日本人にとっても、この車両は特別な意味を持つからだ。

 時を遡ること怪獣頻出期も始まりな頃の西暦一九五〇年代、日本人は上陸をはじめた数々の怪獣に対して有効な攻撃手段をなにも持っていなかった。特車(当時は戦車とは呼んでいない)や機関銃、ロケット砲での攻撃がせいぜいで、それは威嚇の域を超えることはどうしてもできなかったのだ。

 結局、現れる怪獣一匹一匹に対し、弱点を突いたり、一度限りの超兵器を使ってなんとか対抗していたが、そのたびに被害は甚大で、安定した対怪獣用兵器の開発は急務であった。

 そんなときである。ある怪獣の殲滅のために、日本に貸与された国外の兵器『原子熱線砲』が日本の技術者たちに大きな衝撃を与えた。この兵器は、車載された巨大なパラボナ放射器から熱線を放射し怪獣を焼き尽くすというもので、結果的にその怪獣を倒すことはできなかったが、それまでは空中戦艦クラスの超兵器にしか搭載できなかった光線兵器を車載可能にコンパクト化したという意味では極めて革命的な兵器であった。

 光線兵器を車載化できれば、怪獣がどこに出現しても迅速に駆けつけられる上に、コストも安く済ませることができる。原子熱線砲を参考にして、それでいて原子熱線砲よりも高出力・大威力であれと、技術者たちは奮起した。その結果誕生したのが、メーサー殺獣光線車である。

 原子熱線砲の最大の利点であるコンパクトさはそのままに、熱線を収束マイクロ波に変更、さらにエネルギー伝道系や放射パラボナの形状にも改良を施したその勇姿は、すでに日本独自のものと呼んでよく、当時の可能な限りのテクノロジーが惜しげもなく注がれていたのは一目でわかる。それゆえに、一種の芸術性ともいうべき機能美に溢れており、現在でもこのメーサー車をして防衛戦史上もっとも美しい兵器のひとつと称える声は少なくなく、むろん当時の防衛関係者も存分に満足させた。

 そして、メーサー車がその真価を発揮するときがやってきた。一九六六年、羽田空港を怪獣が襲撃、調査の結果この怪獣は通常兵器で攻撃して殺害することはできても、わずかな細胞片から再生される可能性があったために、怪獣を細胞単位で完全に焼き尽くせる兵器としてメーサー車部隊に出撃が要請された。

 その威力は、まさに日本科学陣の努力の成果を存分に発揮するものとなった。隊列を組んで一斉にメーサーを放射した殺獣光線車部隊は、その強力な光線砲を十二分に活かしてアウトレンジから怪獣を圧倒。とどめを刺す寸前で妨害が入り、殺害にはいたらなかったものの、そのまま続けていれば確実に完全勝利できていたという圧倒的な強さを見せたのである。

 これは、防衛戦史上、それまで恐怖の対象であった怪獣と人間の立場が、はじめて明確に逆転した瞬間であった。巨大で驚異的な生命力を誇る怪獣に対して、人類の知恵が勝利する。その夢を実現するために払ってきた多くの犠牲と努力の結晶が、このメーサー殺獣光線車なのだと才人は語り、ルイズはその瞳に明晰な知性の輝きを宿らせて言った。

「サイトの世界でも、怪獣との戦いは苦難の連続だったのね。確かに、わたしには機械のことはさっぱりわからないけど、このメーサーシャという車がほかの戦車とは明らかに違うのはわかるわ。けど、それほどまでに切望された武器だったのに、どうして幻の超兵器なんて呼んでるの?」

「相変わらず鋭いなあ、お前は……強すぎる力ってのは、得てして恐れられるもんなのさ……」

 才人は、悲しげに息を吐くと語りだした。

 華々しいデビューを飾ったメーサー殺獣光線車、しかし、その栄光は長くは続かなかった。当時、メーサー車を配備していたのは陸上自衛隊だったのだが、そのあまりの破壊力が、専守防衛を基本にする自衛隊が保有するには強すぎるのではと批判を浴びてしまったのだ。

 結果、わずかな期間でメーサー車は一線から追われることとなった。もちろん、惜しむ声も多くあったが、ほとんど時を同じくして、超常現象・巨大生物対策専門の組織である科学特捜隊が自衛隊に代わって怪獣に当たるようになり、さらにコンパクトかつ強力な新兵器の開発が促進されたことがメーサー車の優位性を失わせてしまった。また、怪獣に対して絶対的な切り札ともいえるウルトラマンの登場が、自衛隊を完全に科特隊の支援部隊として安定させてしまった。ある意味では、メーサー車に引導を渡したのはウルトラマンだともいえる。

 メーサー車が、実戦に姿を見せた最後は、初陣から一年も経たない脳波怪獣ギャンゴ戦であった。しかも、出撃だけはさせてもらえたが、前線へは投入されずに待機のまま終わるという、デビューのときとは比べ物にならないほど寂しい幕引きだったと聞いている。

「だから、幻の超兵器なのね。それが、解体される前になにかの理由でハルケギニアに迷い込んで、ここに運び込まれた……」

「だろうな。けど、そんな理由は今はどうでもいい。こいつなら、このメーサー車なら、サラマンドラを相手に戦える!」

 才人はメーサー車の車体にそっと手を触れた。ひんやりとした感触が伝わってくる手の甲には、以前あったあらゆる武器を操れるというガンダールヴのルーンはなくなっているが、才人はこのメーサー車を使える確信があった。伊達にゼロ戦を乗りこなしてきたわけではないし、GUYSクルーの試験勉強で操縦シミュレーションもひととおりこなしてきた。GUYSクルーのジョージ隊員らは仮入隊のぶっつけ本番でグドンと戦ったのだ。先輩方にできたことが自分にできないはずがない。

 しかし、一見やる気を取り戻したかに見える才人のやせ我慢をルイズは見逃していなかった。

「サイト、戦いに行くつもりなのはかまわないわ。けど、この場のノリで今回は戦えても、それは答えを先延ばしにしてるだけよ。いえむしろ、中途半端な心構えで戦いに勝てたとしても、あんたの中の矛盾は消えはしない。そんなので、この先あのキリエルよりもっと卑劣な敵が出てきたとき、あんた耐えられるの?」

「わかってるよ。でも、答えが出てようと出てまいと、おれが今しなきゃいけないことはこれなんだ。おれは、おれのできる限りの人を助けたい。そう思ってたけど……今はみんなを、おれが失いたくない人たちのために戦うことにする!」

 今の才人にとって、その苦しいこじつけが最大限の妥協点だった。才人は、楽天的で忘れっぽい、人から見たら悩みのない幸せな性格だと言われることがよくあるが、彼とて人間に変わりはない。人から見たらたいしたことがないことで悩みもするし、笑われるようなつまらないことで迷いもする。そして今回はつまらないことでも笑われることでもなく、重大なことであった。

「そう……なんにしても、あんたの世界の武器はあんたにしか扱えないんだからいいわ。けどあんたバカなんだから、あまり思いつめるんじゃないわよ」

「ごめん……さて、じゃあやるとするか!」

 今はごまかしでもそれでいい。それより、時間を浪費して失うべきではないものを失うほうがよほどに怖い。仲間たちの屍を前にすることになったら、それこそ後悔と懺悔の中で過ごさなくてはならないだろう。

 才人は、メーサー車の前に連結されている牽引車の運転席によじ登ると、中を探して一冊の冊子を見つけ出した。

「あった、操作マニュアル……これで、なんとかやれるか。だが急がないと、ルイズ! 手伝ってくれ」

 迷いを胸のうちに封印して、才人はふっきるように叫んだ。四両のメーサー車のうちどれだけが使えるか、それを見極めて稼動状態まで持っていく。時間はいくらあっても足りず、才人はルイズに指示を飛ばした。

「ルイズ、牽引車の燃料がどれだけ残ってるかチェックしてくれ。ゼロ戦と同じだ、メーターの針が上を向いてればいい」

「わっ、わかったわ!」

 メーサー車は自走はできず、牽引車を必要とするために燃料は不可欠だ。ルイズは才人と何度もゼロ戦に乗ったおかげで、ある程度は計器がどういう役割を持つのかを記憶している。幸い、ディーゼルエンジンを動かすための軽油はどれも満タンで、エンジンをかけてみたら好調な音を発してかかってくれた。

 問題は、本体の光線車である。これが動かなくてはメーサー車といえどただの箱にすぎない。才人は緊張して、マニュアルに記されたとおりの手順で光線車のコンピュータのチェックをおこなった。ところが、一両でも使えれば上出来だと思っていた才人の期待は逆の意味で裏切られ、なんと四両すべてが健在な状態で使えることがわかった。

「とんでもねえ、こいつらみんな生きてるぞ。全部、新品同然だぜ」

「それはすごいじゃない! あ、でもサイトひとりじゃどっちみち一両しか動かせないわね」

「いや、一両動かせたらほかの車両は遠隔操作できるから大丈夫だ。マニュアル見てわかったけど、こいつは素の六六式じゃねえな。細かいところでいくつか改良が施されてる。これなら、おれでもじゅうぶん動かせそうだ」

 操縦の簡略化とオートリゼーションが進んでいたのは才人にとって驚きであり、ガンダールヴを失っている身としては非常にありがたい。思えば当時、兵器の進歩は日進月歩であり、同時期の科学特捜隊の主力機である小型ビートルは素人のホシノ少年でさえ離陸可能なほど操縦が容易であった。乗り物の操縦が簡単であればあるほど好ましいのはすべての乗り物に共通することであるし、無線操縦が可能なのも人的被害を軽減させるためには重要な機能である。

「昔の人は、わずかな時間でも少しでも性能を上げようと苦心してたんだなあ」

 まったく頭が下がる思いだった。もし、初期型のメーサー車ならば、一両をやっと動かすだけがせいぜいだったろう。先人の偉大なる努力の結晶を、無駄にするわけにはいかない。メーサー車は小型原子炉を積んでおり、エネルギーもじゅうぶんだ。

 才人はルイズと協力して、急ピッチで出撃準備を整えに戻った。時間はない。こうしているあいだにも、仲間たちが危機に近づいているのは間違いないのだ。

 

 

 そして、才人たちの危惧したとおり、水精霊騎士隊と銃士隊は知らぬままに虎の尾を踏もうとしていた。

「あれがガリアの騎士人形か。なんだかぼくたちが、巨大なチェス版の上に迷い込んでしまったような気がするな。さしずめ騎士人形がポーンで、ガリア艦隊がルークやビショップ、向こうで暴れてる怪獣がクイーンというところかな。で、ミス・ルクシャナ、あの化け物たちをご覧になったところではどうですか?」

「悪い予感が大当たりってとこね。あれだけのゴーレム、蛮人の魔法技術じゃ作り出せっこないわ。やっぱり、叔父さまの残したネフテスの技術が悪用されたみたいね。精霊の力をあんなものに……やっかいね」

 戦場を遠目に見る、少し高い丘から身を潜めつつ、ギーシュがルクシャナに意見を聞くと、案の定最悪の答えが返ってきた。敵はエルフの技術を用いて作られた未知のゴーレム、しかしまだこちらに気づいてはいないようだ。戦うか逃げるか、敵を見てから最終判断を出すつもりだったが、これならとギーシュはミシェルと隊員たちを交えつつ作戦を立てはじめた。

「ううむ、自立型ならともかく、術者がコントロールするタイプのゴーレムなら気づかれない限り大丈夫そうだな。とはいっても、はてさてこっちはどうひいき目に見てもポーンばっかりの駒で、どうやってやりますか副長どの?」

「チェスに例えるなら答えは簡単だ。狙うのは敵のキング、騎士人形と怪獣を操ってる奴をなんとかすればいい。おい、『遠見』で、指揮官らしい女は見えるか?」

「あーっ、いました。最後尾の騎士人形の肩に、情報どおりの黒い髪の女です。けど、まわりを別の騎士人形ががっちりと固めていて、とても近づけたものじゃないですよ。あれじゃ、最大のカノン砲を撃ち込んだところではじかれますぜ」

 さすがに術者がターゲットにされることくらい警戒しているようだった。当然のことだが、楽にはいきそうもない。

「敵も馬鹿ではないらしいな。それでミス・ルクシャナ、あれがエルフの技術で作られたものだとしたら、弱点などわかりませんかね?」

「無理ね。あれだけ全身を鎧でかためてたら、なにかあっても隠れてしまうわ。一体だけならわたしがどうにか止められないこともないでしょうけど、十体はちょっと多すぎるわ。ほんと、迷惑な玩具を作ってくれたものよ」

 それにしても、『遠見』の魔法で見るガリアの軍団は、聞きしに勝る勢いの鋼鉄の濁流であった。ロマリア軍がどんなに工夫を凝らし、堅固な陣をひいても、怪獣サラマンドラが圧倒的な力で粉砕し、崩れたところをヨルムンガントの群れが蟻をつぶすように踏み潰していってしまう。さらには、そんな地上の暴虐に心を奪われているかのように、上空のガリア艦隊も地上にある人間の手が加わっていると見えるものには手当たり次第に砲弾をばらまき、焼き払っていく。まさしく地獄絵図であった。

「ガリア軍が怪獣を操っているって、半信半疑だったけど、どうやらマジだったみたいだな。しかしいったいどんな魔術を使っているんだかねえ」

 暴虐を繰り返しながら、徐々に近づいてくる怪獣とヨルムンガントを前に震える声でギムリがつぶやいた。才人たちはともかく、彼らがジョゼフらの操る怪獣と直接対峙するのはこれがはじめてだ。以前ガリア上空でデキサドルと戦ったときは明確にジョゼフの差し向けたものだという物証はなかったが、今度は明確に指揮がとられている。

 人間が怪獣を武器として使う。考えるほど恐ろしい話だ。スマートなシルエットをした怪獣は、土色の体に砂埃を浴び、火山が燃えたきるように炎を吹いて暴れている。しかしガリア軍には手を出すことはなく、ガリア王ジョゼフは悪魔と取引でもしたのではないかと少年たちは身震いするが、ギーシュが虚勢半分で皆に言った。

「みんな、敵は手ごわいが恐れることはないぞ。ぼくたちは、あんなのよりもっと恐ろしい本物の悪魔と戦ってきたじゃないか! エルフの国を救った戦いを思い出せ。今回が、あれよりつらいとは思えないぞ」

「う、うおぉーっ!」

 その一声で、とにもかくにも水精霊騎士隊に限ってはやる気を取り戻した。単純な連中め、と銃士隊員たちは呆れるが、今にはじまったことでもないので黙殺する。それよりも今は目前の敵だ。ミシェルは、悠然と進撃してくるヨルムンガント軍団を見据えて作戦を説明した。

「いいかお前たち、奴らに力で対抗しようとしても無駄だ。とりあえず怪獣は無視してやりすごす。問題は、あの指揮官の女だ。あいつさえこの場に釘付けにできれば、全体も動けなくなるだろう。皆、ロマリア軍からいただいてきた爆薬は持ってるな。そいつを騎士人形の進路に埋めて霍乱する。地雷作戦だ」

 全員が無言でうなづき、火薬の詰まった袋を取り出した。正面きって戦えない相手に対抗するには罠を仕掛けてはめるしかない。こんなやり方、正規の軍であれば卑怯だとか姑息なとか言われて嫌悪するものだが、彼らはフェアプレイをする価値もない相手もいることを理解していた。

 それよりも、今自分たちのいる防衛線のすぐ後ろには、近隣の町村から逃れてきた避難民が街道に残っている。ここで足止めに失敗すれば、徒歩で逃げるしかない大勢の民間人を怪物どもの前にさらすことになってしまう。一年前のトリスタニアでベロクロンが起こした惨劇、あれはもう二度と見たくはない。

「いくぞ、全員見つからないように身を低くして動け」

「了解」

 この無意味な戦争で生まれる犠牲を少しでも少なくする。それを心の支えとして、銃士隊と水精霊騎士隊は動き出した。

 しかし、息を潜めて近づこうとしているはずの彼らを、見えないはずのシェフィールドはとうの昔に補足していたのだ。

「くく、またぞろやってきたな虫けらどもめ。このヨルムンガントを、ただ硬いだけのでく人形と思っているわね。だけども、その油断が命取りなのよ。さあ近寄っていらっしゃい、極上の苦痛と絶望を味わわせてあげるわ」

 破壊と殺戮の快感に酔った目でシェフィールドは言った。彼女のかける片眼鏡には、息を殺して近づくミシェルたちの姿がありありと映し出されている。危ない! これでは闇夜のカラスが白く塗られてしまったようなものだ。

 ヨルムンガントは、あくまで何にも気づいてないという風を装って堂々と行進を続け、罠を仕掛けようともくろむミシェルたちとの距離は徐々に縮まっていっていた。

 

 

 一方で才人たちは、仲間たちがそのような危機的な戦いに誘い込まれようとしていることなど、当然知るはずもない。

「どうサイト? 動かせそう?」

「簡単そうに言うなよ。寝てる馬に鞭入れるのとはわけが違うんだぞ。くそっ、なにせパソコンもない時代のコンピュータだからな。起動にけっこう時間食うし、マニュアル見ても専門用語が多くて……ったく、よくアナログでここまで作ったもんだよ。きっとこれで、動けっ!」

 才人は祈るような思いでメーサー車の起動プログラムをスタートさせた。旧式戦車と違い、メーサー車は超精密機器だからコンピュータが立ち上がらなくては役立たずの箱に過ぎない。

 しかし、その心配は杞憂であったようだ。起動と同時に、メーサー車と牽引車からディーゼル音と電子音が共鳴する快い音が地下墓地に響き渡り、才人はほっと胸をなでおろすとルイズに叫んだ。

「いいぞルイズ! いけるぞ。動かせる!」

「やったじゃない! これでガリアに一泡吹かせられるわね」

 ルイズも喜び勇んで、才人の乗る牽引車の運転席によじ登ってきた。

 牽引車はディーゼルエンジンを吹き鳴らし、力強い振動が伝わってくる。その、ハルケギニアにはありえない機械の強烈な脈動を体に受けて、ルイズはふと牽引車の運転席の高さから、地下墓地に並んだ地球戦車の群れを眺めてつぶやいた。

「こんなものを何十・何百と作り出せるって、ほんとうにサイトの世界の力ってすごいのね。もしトリステインに、ここにあるだけでもサイトの世界の武器があれば、小国と侮られないですむのかしら」

 トリステインはハルケギニアの国々の中では領土は最小で、国力も低い。トリステインの貴族は、自国の小ささを歴史と伝統を誇ることで無視しているが、どんなにごまかしたところで現実の劣等感を完全に消し去ることはできはしない。

 ルイズもその例外ではなく、キュルケと張り合っているときなどはゲルマニアを野蛮とののしりながらも、いざ比べると自国の自慢できるところの少なさにコンプレックスを感じていたのだろう。しかし、自分の国を愛し誇るのは大切なことだが、軍事力を国の誇りにするのは危険で愚かなことだ。才人は、ルイズのそんな危うさを感じて、地下墓地の一隅を指差した。

「戦争ってのは、つまるところ自分か他人がああなるってことさ」

 才人がうながした先には、一台の戦車が砲身を下にして置かれていた。それは、一見すると無傷に見えるが、正面の装甲に真ん丸な穴が開けられていて、よく見ると砲塔が車体からずれて、すきまが黒く焼け焦げている。恐らく、敵戦車との撃ち合いに負けるかなにかして装甲を敵の砲弾に貫通され、内部で自分の弾薬が誘爆してしまったのだろう。

 ルイズは、才人がなにを言いたいかを悟った。戦車がなんであるのかを詳しく理解することはできなくとも、あんな状態になってしまった戦車の中にいた人間がどうなってしまったのかは容易に想像がつく。ルイズは、吐き気をもよおしそうになる想像を頭を振って慌てて振り払った。

「あんなふうに死ぬなんてごめんだけど、あんなふうに人を殺すのも、できれば一生ごめんこうむりたいわね」

「つまるところ、戦争の害悪なんてのはそこなんだろうぜ。普通にベッドの上で孫に看取られて逝けるような人が、家族を残してむごたらしく死んでいく……一号車、マニュアル操縦。二号車から四号車まで自動操縦モード、プログラム同調完了まで五分か」

 古いコンピュータだけにそれだけかかるようだった。才人は、最後の調整を終えるとマニュアルブックを置いて、さっき指差した戦車をもう一度眺めた。大破した戦車はいわば鉄の棺桶、国家にとって軍事力は欠かすことのできないものだが、人の血肉を大量に要求しながらもひとかけらのパンも一滴のワインも作れない使い勝手の悪い道具である。

 しかし、馬鹿な人間ほど軍事力を万能の道具と見なしたがる。才人は、社会科の授業で教師に聞かされた言葉を思い出した。

『心の貧しい人間ほど、黄金の鎧をありがたがるものです』

 その意味、まだよくはわからないけれども、心には強く残っていた。

「おれはトリステインは嫌いじゃねえよ。小さくてもきれいないい国だと思ってる。戦車の似合うところじゃねえ、おれの世界の悪いところまでこの世界に持ち込んじゃいけないと、おれは思う」

 才人の言葉に、ルイズはうなづいたが、完全に納得したわけではなかった。

「そうね。けど、戦争はこっちが仕掛けるんじゃなくて、相手に仕掛けられることもあるのよ。あんた、もしも自分の国が攻められるようなことになれば、どうするつもりなの?」

「そのときは、侵略には断固として立ち向かうさ。けど、今回の戦争は違う。ガリアの軍隊はジョゼフのいいように操られてるだけだ。だからこいつは、怪獣と、せいぜい騎士ゴーレムを相手にだけ使う。戦争には使わねえ」

 断固たる意思を込めて才人は言った。ガリア王ジョゼフには、積もり積もって恨みがある。ルイズの虚無を狙ったこと、ティファニアをさらったこと、あいも変わらず悪さを企んでいるようだがそうはいかない。ただ、そのために無関係なガリアの兵隊を傷つけるわけにはいかない。

 けれども、ルイズは危惧する。

「あんたらしいわね。けど、こいつがすごい威力を持つ兵器だって公になったら、ロマリアの軍隊もほっておかないわよ。奴らの手に渡ったら、すぐには使えなくても、いじってるうちに手探りで使えるようになったらどうするの?」

「それは……」

 才人は考えた。ルイズの言は無視できず、もしメーサー車がこの国のバカな人間の手に渡ってしまったらやっかいなことになる。固定化をかけてあるのでメンテの頻度が少なく、一両だけでも使える状態で残ったらハルケギニアの歴史に決していい影響は残さないだろう。

 なにか、いい手はないか? 才人は戦争を止める行為が戦禍の拡大を招くのだけは避けたいと思案をめぐらせるが、どうにもいい方法は浮かばない。ところが、ふと地下墓地のさらに隅に目をやったときだった。黒山のような、焼け焦げた鉄の塊が目に入ってきたのだ。

「なんだ、あのスクラップの山? まあいいや、なんか使えるものがないかな」

 なかば、気分転換のつもりで才人はそのくず鉄の山に近寄った。もちろん時間がないので、少し見たらすぐに戻るつもりだったが、そばに寄ると、それもなにかの車両の残骸で、しかも見たところ全長二十メートル強とメーサー車よりもさらに巨大であったことがわかって唖然とした。

「もう原型がないが、元は相当な怪物だったんだろうな」

 その車両はかろうじて車底と巨大な車輪、キャタピラが残っているだけで、車体のほとんどは内部から爆発でもしたかのように跡形も残っていなかった。これだけの巨大な車を跡形もなく吹き飛ばすほどの爆発というとどれほどのものだったのか。才人は空恐ろしさを感じたが、のんびり見物してるわけにもいかないと戻ろうとした。

 ところが、足元に転がっていたその車両の残骸の鉄板に残されたアルファベットと、並列して描かれていたエンブレムを見て才人は仰天した。

「TDF……地球防衛軍、ウルトラ警備隊!?」

 冗談かと思った。しかし、赤地の紋様の中に地球が描かれたエンブレムは間違いなく、あのウルトラ警備隊のもので、才人はそこから連想して、この車両が元はなんであったのかを悟った。

「そうか、マグマライザーだったのか」

 そういえば、車輪とキャタピラの特徴的な配列には覚えがある。地底戦車マグマライザー、ウルトラ警備隊が配備していた特殊重戦車で、地底に潜む敵の探査及び攻撃に使用され、対ギラドラス戦、対ガッツ星人戦など、多くの活躍を見せている。

 しかし、このマグマライザーはなぜこんなにも無残な姿になってしまったのだろうか。地底を掘り進むためのマグマライザーの車体は非常に頑丈にできているのにと思ったが、内部から爆発したような跡を見て思い出した。

「もしかしたら、ゴース星人の基地を吹っ飛ばすために自爆したやつか。ひょっとしたら、そのときの爆発で次元の裂け目が生じて……いや、こいつがマグマライザーなら、もしかして!」

 なにかを思いついた才人は、マグマライザーの残骸の山をよじ登った。コクピットのあったあたりの残骸を掻き分けると、その下から銀色の頑丈そうなアタッシュケースが出てきた。

「やっぱり、誤爆を防ぐためのこのケースに入ってたからそのままだったんだ。当時は急いでただろうから、こいつのことは忘れられてたんだろうな」

「サイト! なにやってるの、時間がないのよ」

「あ、ああ、すぐ戻る!」

 才人は慌てて、そのケースの中に入っていたものを取り出すと懐に無理矢理しまいこんだ。

 

 着膨れした姿で牽引車の運転席によじ登ると、ちょうど自動操縦のプログラムが完了したところだった。

「遅いわよ!」

「悪い! ようし、動かすぞ」

 ギアを入れ、牽引車はメーサー車を引いてゆっくりと動き出した。

 調子は良好、これならいけると思ったときだった。突然、才人が首にかけていたペンダントの鎖が切れて、落ちてしまったのだ。

「あっ、ミ、姉さんのペンダントが」

 乾いた音を立てて床に転がった銀のペンダントを、才人は慌てて拾い上げた。

 それは、才人が以前ラ・ロシェールでミシェルにプレゼントしたロケットつきのペンダントであった。才人は、銃士隊が出発する前にミシェルが残していった言葉のひとつひとつを思い出していった。あのとき、戦場へ向かうべく銃士隊を連れて宿を出ようとした彼女が去り際、急ぐ足を止めてまでルイズと語り合った一言一言が忘れられない。

 あのとき……ふたりは消沈した才人の前で睨み合い、こう言ったのだ。

「なによ、サイトをかばいだてするつもり?」

「いいや、今のサイトを無理に連れて行ったところで足手まといになるだけだろう」

 ルイズは、ミシェルが意外にも才人に対して冷たい言葉を発したことに少々驚いた。けれども、自身の目に注がれてくる彼女の強い視線に、ミシェルがあえて自身の感情を言葉に出さずに押し殺しているのを気づいた。それは愛する人を見る女の目ではなく、戦場におもむく軍人としての眼差しであった。

「ずいぶんあっさりしてるわね。腑抜けたこいつを見て、愛想が尽きた?」

「さあな、しかし迷いを抱えたままの奴が戦場に行ってもミスをしでかすだけだ。それで死ぬのが当人だけならかまわんが、巻き添えで死人が出たら目も当てられん。違うか?」

 挑発するようなルイズの台詞にも、ミシェルは淡白な返答で済ませた。完璧な正論で、反論の余地はどこにもない。もちろん、ルイズもミシェルの言うことが正しいのだということはわかっている。

「ええ、今のこいつはものの役には立たない。だからさっさと行きなさい。そして、さっさと帰ってきなさい」

「当然だ。わたしの部下に、死んでかまわん者などひとりもおらん。だから、ミス・ヴァリエール……サイトを、頼んだぞ」

「言われるまでもないわ。さあ、時間がないわよ」

 ルイズとミシェル、二人の視線が交錯する。二人とも、才人とは浅からぬ縁を持つ者同士、ライバル同士であるがゆえに、視線にはお互い単純ならざる意思が込められているが、二人は言葉にしなくてもその大部分を理解した。

 確かに、言いたい事は山のようにある。しかし、言葉は口に出すことで重みを増すものと失うものの二通りがあり、ルイズはこのときミシェルの口に出さないがゆえの優しさと強さを感じ、ミシェルはルイズに自分に確かに応えようとする強い信念を感じた。

 私情に身を任せたいが、今はそんなことを言っている時ではない。それぞれができることをやらなくては、多くの尊い命が失われてしまう。そうなれば、心に残るのは大いなる後悔と罪悪感で、それは一生消えることはない。

 しかし、ミシェルは部下たちと共に立ち去る寸前に、少しだけ才人に言い残した。

「サイト、お前の身になにが起こったかは聞かない。けれども、お前がそこまで悩むほどのことなのだから、ただごとではないのだろう。我々は行くが、言ったとおり今のお前は足手まといになるだけだ……しかし、悩むことは悪いことではない。悩むってことは、自分と向き合うということなのだから、思いっきり悩んで答えを見つけて来い。その時間くらい私たちが作ってやる。自分を追い詰めすぎて自滅しかけた以前の私のことを知っているお前なら、きっと正しい答えを見つけ出せるさ」

 慈しみと信頼が、ミシェルの言葉には溢れていた。

 どうやら、才人に過去の自分を重ねていたのはひとりだけではなかったようだ。ルイズもミシェルも、過去には自分のありようで迷った者同士、その迷いから抜け出るきっかけをくれた才人をほっておくことはできなかった。

 けれども、優しい言葉が必ずしも相手のためになるとは限らない。だからこそ、ああしてあえて助言を与えるだけにとどめたのだろう。自分と向き合い、考えることの大切さを知っているからこそ、今度はそれを才人に与えるために。

「サイト、これを持っていろ」

「これは、前におれがあげた……」

「ああ、だが返すわけじゃない。それは、わたしにとって命の次に大切なものだ。それを預けるということは、わかるな……? サイト、わたしは不器用でうまく言えないが、なにがあろうとお前の味方だ。それだけはずっと変わらないよ」

 ミシェルは、肌身離さず身につけていた、あの銀のペンダントをはずして才人に託した。本当は、乙女のような、甘美な言葉で慰め、ずっと寄り添っていたかったけれどもそれはできない。才人は、ミシェルにとって勇者だが、自分はあくまで戦士であって姫ではない。

”戦乙女がどんなにがんばっても、ニンフやヴィーナスにはなれないさ”

 ミシェルは自分の無骨さを悲しんだが、剣と杖を握り続けて硬くなった自分の手に花を握っても似合うまいとあきらめている。できるのは、己の血と肉を盾にすることくらいだ。でも、それができるだけ昔より幸せだとも思っている。国だとか革命だとか、そんな空虚な目的ではなく、ただ好きな人のために戦える。その喜びを教えてくれた恩を、忘れたことはない。

 そして、恩は返さなければいけない。

「え、と……」

 才人がなにかを言おうとすると、ミシェルは手で制して背中を向けた。迷いがあるときの、中途半端な言葉を返されてもなんの足しにもなりはしない。

 その代わりに、去り際に横顔に微笑を浮かべて少しだけミシェルは才人を振り向いた。それは、心から愛する人を思った優しさに満ちた女神の微笑み……しかし、想いを振り切って死地へと向かう、美しくも、寂しく悲しい微笑であった。

「まるで形見じゃねえか……バカヤロー」

 銃士隊も去り、才人はミシェルに託された銀のペンダントのロケットに映った自分の顔を見て吐き捨てた。

 なんて、自信のないみじめで貧相な面構えだろう。これが自分の顔だとは、なんて情けないことか。才人は、自分はウルトラマンのように強くはないが、たった一度の敗北でここまでダメになってしまうほど弱いとも思っていなかった。

 ついさっきも、どうして去っていくミシェルたちの後を追えなかったのか。彼女から、半身にも等しいものを預けられながら、どうしてひとかけらの勇気さえ出てこなかったのか。後悔の念が抑えようとしてもとめどなく湧いてくる。自分はここまで臆病だったのか? おれはいったいどうしちまったんだ!

 才人は悩みとまどい、心中で自分自身にありとあらゆる罵声を浴びせかけた。立て! 行け! この馬鹿野郎! 心の中で天秤が揺れる。才人は、皆の思いやりを活かせない自分に苛立ち、自分の中の自分でもわからない心を相手にもがき続けた。

 

 それが、ほんの数時間前のこと……才人は、鎖の切れたペンダントを握り締めて、その金属の冷たさを感じながら思った。

”まさか、ミシェルさんの身になにか。くそっ、おれはバカだ。いつも威勢のいいことだけは言うくせに、こんなときに役に立てないんじゃあ、口だけのガキじゃねえか。お前はいったい、いままでハルケギニアでなにを学んできたんだ平賀才人!”

 才人の心に、大きな焦りと不安がかけめぐっている。虫の知らせというのか、馬鹿げたことかもしれないが、才人にも数多くの戦いを繰り返してきたからゆえの勘のようなものが備わっている。それが、仲間たちの危機を敏感に察知していた。

 そのとき、操縦席のパネルに、全車自動操縦ONのランプが点った。これで、才人の乗る一号車に従って残りの三両も動く。だが、ギアに手をかけようとしたところで才人の手が止まった。

”いいのか? そんなことをして、苦労したところでまたやっかいもの扱いされるだけじゃないのか。正義の味方ぶってがんばったところで余計に事態を悪化させるんじゃないか? むしろこんな腐った国、戦争で丸ごと焼け野原にしたほうがすっきりして平和になるんじゃないか。疲れるだけだぞ、無理するなよ”

 心の奥底から、もうひとりの自分がささやきかけてくる。これまでの戦いの時には聞こえなかった、あるいは聞こえても軽く無視していた、反対の自分の声がここまで大きく聞こえてきたことはない。

 しかし、今はそうしている時ではない。迷いがあろうとなかろうと、座視していたらすべて失ってしまうかもしれないのだ。

「ちきしょう、おれのバカヤローが!」

 才人は考えるのをやめることにした。まだ、自分への答えはまったく見えていないが、のんびりしている時間はない。忘却でも棚上げでも、自分を殺し、自分をごまかすことになっても、戦わなくてはすべてを失ってしまう。もしも、仲間たちの死体を目の当たりにするようなことになれば、一生を罪の意識と後悔にさいなまされ、悪夢にうなされ続けることになるだろう。

 迷いを無理矢理心の奥に封印し、才人はギアを入れ、アクセルを吹かせた。

「よぅし! 一号車、出撃するぞ。ジュリオ、道を開けろ!」

「ああ、今、坑道の門を開いたところさ。ロマリアの地下には、地下墓地の跡や地下水道のトンネルが縦横に張り巡らされているんだ。ここをまっすぐ走っていけば、ロマリアの街の郊外に出られる。あとは街道ぞいに行けば、戦場にたどりつけるだろうよ」

「ジュリオ、覚えてろよ。お前には、あとで聞きたいことが山のようにあるんだからな」

「いいとも、ただしその前にロマリアに迫る不届き者たちを成敗してくれたまえ。ぼくはこう見えても義理堅いんだ、恩人には誠意を持って応えてあげるよ」

 どこまでも鼻につく野郎だと思いつつも、才人は無視してメーサー車のハンドルを握り締めた。

 だが発進する直前、ジュリオがルイズに向かって窓からなにかを投げ入れてきた。

「忘れ物だよ。ミス・ヴァリエール!」

「これって、わたしの杖じゃない。途中の宿場町に預けてあったはずなのに」

「今、届けられたんだ。ギリギリだったけど間に合ってよかったよ。それさえあれば、君も心置きなく戦えるだろう」

 ルイズからの礼の言葉はなかった。これではまるで、ロマリアに入ってからずっと、彼に見張られていたようなものだ。才人と同じ得体の知れない胡散臭さをルイズも感じた。ジュリオと、おそらくは彼の背後にいる何者かは油断ならない相手だ。

 敵か味方か、しかし今優先すべきことはそれではない。才人はアクセルを吹かし、メーサー車を地下墓地から続く坑道へ走らせた。

 暗いトンネルの中を、牽引車のライトを頼りに進撃し、残りの三両もぴったりと後をついてくる。

 やがて、上り坂から地上へ出ると、ジュリオの言っていたとおりに、そこはロマリア郊外の一角。街道沿いの丘のふもとであった。

「サイト、見て!」

 ルイズの指し示した北の空。そこには雲とは明らかに違う黒煙がたなびいていて、ときおり砲撃と思われる閃光が輝いていた。

 ガリア軍は、もうすぐそこまで来ている。死と破壊をふりまきながら、この虚栄の都を地上から消すために。

 だが、そうはさせない。

「ロマリアもガリアも知るか! 戦争でも陰謀でも勝手にやってやがれ。だけど、おれの仲間に手を出すのだけは絶対にゆるさねえからな」

 才人は怒りを込めて、戦いがおこなわれている空を望んだ。心は定まらず、誇りも信念もボロボロだが、鬼になってでも戦わねばなにもかも終わってしまう。そんな才人を、隣でルイズは心配そうに見守っている。

”サイト、やっぱり無理してる……けど”

 本来なら、才人は戦いから遠ざけて休養をとらねばならない精神状態だろう。しかし、今はどうしても才人しか使えない異世界の武器の力が必要なのだ。自分の虚無の力は不安定かつ不確定で、おまけに消耗が激しいから単体の敵はまだしも軍団の敵には分が悪い。

 結局、伝説の力も万能とはほど遠いのだ。だがそれでも、ルイズは決意していた。

”今のサイトは自分の身をかえりみる余裕もない。だったら、わたしがサイトを守る! ミシェル、あんたに言われるまでもないわ。サイトに近づくバカは燃えカスも残さず、わたしの魔法で吹き飛ばしてやる”

 勝負はこれからだ。ガリアでもなんでも、ケンカを売りたいというなら買ってやろうじゃないか。

 ちょうど今、こっちは機嫌が最悪なのだ。手加減なんか期待するなと、ルイズと才人は吼える。

「頼むわよ才人。こんなつまらない戦で、わたしたちの仲間は誰も死なせられない」

「ああ、今のおれの仕事は敵に勝つか負けるかだ。いくぜ、ハルケギニアL作戦……開始!」

 轟音をあげ、陸上自衛隊の決戦兵器がハルケギニアの大地を行く。はたして才人の救援は間に合うのだろうか……?

 六六式メーサー殺獣光線車、歴史のかなたに忘れられた旧式兵器がハルケギニアの最新魔法兵器に勝てるのか?

 そして、サラマンドラを相手に通用するのか? 様々な思いを乗せて、決戦の時は迫る。

 

 

 続く



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第12話  最強の雷! 陸上自衛隊決戦兵器出撃 (後編)

 第12話

 最強の雷! 陸上自衛隊決戦兵器出撃 (後編)

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

「くふふ、こんなチャチな武器で、このヨルムンガントに挑もうなんて、とんだ物笑いだったわねぇ。あなたたち?」

「くっくそぉ、離せっ! ぼくはお前みたいな女は好みじゃないぞ」

「おのれっ、わたしとしたことが不覚をとった。やめろっ、わたしはいい、こいつらに手を出すんじゃない!」

 ガリア軍の攻撃によって戦場と化し、煙をたなびかせるロマリアの森に絶叫が響き渡った。

 木々がなぎ倒された森の中に傲然と立ち誇る十体のヨルムンガント。その手には、首だけが動くありさまでギーシュとミシェルが人形のように握られ、周りには、うめき声をあげて倒れ伏す水精霊騎士隊と銃士隊が、死屍累々たる無残な惨状をさらしている。

「ち、ちくしょう……ギーシュ、すまない」

 倒れた木の下敷きにされたレイナールが、首だけをなんとか上に向け、曇ったレンズごしに捕らえられたギーシュを見上げた。

 仲間たちは皆倒され、誰も助けることはできない。かすむ視線の中には、なんのダメージを受けていないガリアの騎士人形が十体ずらりとならび、その頭越しにはロマリアを目指すガリアの大艦隊が悠然と浮かんでいる。

「完敗だ……」

 なにもできなかったと、悔し涙が浮かんできた。水精霊騎士隊、銃士隊ともに、もう戦える人間はひとりも残っていない。

 怪獣にさえ手を出さなければ、その考えは甘かった。ガリアの新兵器、巨大騎士人形ヨルムンガント、ハルケギニアでもっとも魔法技術の進んだガリア王国の技術に、エルフの技術を加えて作られたそれは、浅はかな予測を打ち砕く怪物だった。二十五メイルもの体格を持ちながら、スピード、パワーともに人間のそれと遜色はなく、さらに秘められた特殊な機能はエルフの学者であるルクシャナの予想をも大きく上回り、彼女にすら身を隠すことを余儀なくさせていた。

「ハァ、ハァ……蛮人が、まさかここまでのものを作り上げるなんてね。わたしとしたことが、いつのまにか自惚れていたようね。相手を甘く見て目を曇らせたあげくにこの様なんて、反省しなきゃ、いけないわ、ね」

 ルクシャナもまた、ひどい手傷を負わされていた。彼女は戦士ではないが、それでも並の人間の術者以上の先住魔法を駆使することができるのに勝負にならなかった。今、かろうじてできることは気配を消滅させて、残った力で自分と、どうにか救った数人の仲間の治癒を試みることだけだった。

「こんなことなら、もう少し魔法の練習もしておくんだったわね……悪いわねアリィー、結婚式は来世にお預けになるかもしれないわ」

 口出しがうるさいからと、ルクシャナは無理矢理置いてきた婚約者の顔を思い浮かべた。後悔先に立たず、いや、あとひとりふたりエルフの戦士がいても結果は同じであったろう。生まれつき強い力を持つ自分たちエルフと違う、人間の武器への執着が生み出す破壊力を、計算に入れていなかった。

 そして、勝ち誇る笑みを浮かべてヨルムンガントの肩に立つシェフィールド。彼女は、紫にルージュを塗った口元を歪めて、さらし者も同然にヨルムンガントの手の中でもがくふたりを見下ろして言った。

「うふふ、元気がいいわね。ロマリア軍もあらかた蹴散らして、退屈していたところに手向かってきた馬鹿たちがいたからどんなものかと思ったら、女子供の寄せ集めとはね。あまりに若いのばかりだから驚いてしまったわ」

「ぶ、侮辱は許さないぞ侮辱は! ぼくたちは、誇り高きトリステインの水せ、ぐわぁぁっ!」

「それはご立派なことね。けど、少しは今の身の程をわきまえることをおすすめするわよ。今のあなたたちは、私のきまぐれに命を文字通りに握られているの。このヨルムンガントの力なら、人間ごとき握りつぶすのはたやすいこと。吠え立てるよりも命乞いをするほうが懸命ではなくて?」

「ば、馬鹿にするな。貴族が、そんな簡単に誇りを捨てると……うぉあぁぁっ!」

 ギーシュの虚勢も、ヨルムンガントがほんの少し握る手に力を込めるだけで悲鳴に変わった。全身の関節が無茶な力を加えられたがための不快な音を立て、口からは内臓を圧迫された空気が唾液と共に吹き出していく。その凄惨なありさまに、地面に倒れてまだ意識を保っていた彼の仲間は必死に呼びかけた。

「よせギーシュ、相手を刺激するんじゃないっ!」

 あの女は人の命をなんとも思ってはいない、うかつに勘にさわることを言えば殺される。しかし、骨が折れる寸前のところで加減をさせるシェフィールドは、苦しむさまを楽しむ笑い声をあげて、仲間たちに見せ付けるようにヨルムンガントの手を左右に振ってみせた。

「やめろっ! そいつはまだ半人前なんだ。指揮官はわたしだ、やるならわたしをやれ!」

 見かねたミシェルが身代わりになろうと呼びかけた。だが、シェフィールドはせせら笑って言う。

「だめよ、私はこの国のすべての人とものを消し去るように命じられているの。それに、どうせ殺すなら若い子から順のほうがより全員を苦しめられるでしょう? うふふふ」

 この悪魔めという言葉が喉から出かけて、ミシェルは歯を食いしばって飲み込んだ。この女を相手にそれを言っても逆効果だということがわかっているからだ。

 シェフィールドは、ギーシュを気絶するかしないかギリギリのところで握る力を緩めると、周辺で倒れている水精霊騎士隊や銃士隊にも、「逃げようとしたらこのふたりの命はないよ。いえ、それ以前にぷちりと踏み潰してあげるわよ」と前置きして、焼け焦げたヨルムンガントの周りの地面を見下ろして、さらにせせら笑った。

「くふふふ、しかしさっきは楽しませてもらったわ。このヨルムンガントに、少人数で地雷を仕掛けにくるとは正直意外だったわ。さすがにヨルムンガントとはいえ足の裏に装甲は張っていないからね。馬鹿正直に正面から向かってくるばかりのロマリア軍よりは気が利いていたとほめてあげるわ……けど、少々この私をなめていたようね。うふふふ」

 悔しさ、怒り、絶望感が少年たちと銃士たちのあいだを駆け巡った。

 

 どうして、こうなってしまったのか。決して油断したつもりはない。自分たちの力を過信したつもりもない。

 が、事態は敗北を通り越して最悪の状況となってしまった。

 発端は、そう……自分たちは、ロマリアの民衆を戦火から逃すための時間を稼ぐ目的で、地雷を用意して敵の巨大騎士人形へと忍び寄った。直接戦えるような相手ではないし、森に姿を隠しながら近づいて、地雷を設置したらそのまま逃げれば比較的に安全だと判断したからだ。

「来たな、ガリアの化け物どもめ。ちくしょう、人を虫けらみたいに踏み潰しやがって、今から目にものみせてやるからな」

 ギムリが意気込み、声が大きいぞとレイナールにたしなめられていたときは、まだ余裕があった。銃士隊の訓練で、気配を消して敵に近づく鍛錬は積んでいたし、もしなにかあった場合は後ろで相手を観察しているルクシャナが助けに入ってくれるという安心感もあった。

 だが、その目論見はまったく通用しなかった。

 可能な限り息を潜め、使える者は『サイレント』の魔法を使ってまで、敵に気づかれることがないように努めた。なのに、地雷を設置して逃げようとしたとたん、それまで悠然と前進を続けていた騎士人形が突然機敏に動き出して襲ってきたのだ。気づかれていないと思っていた水精霊騎士隊と銃士隊はとっさの対応が遅れた。

「散開しろ! バラバラになって逃げるんだ」

 眼前まで迫った巨大な敵に対して、なんとかできた対応はそれだけだった。もうあと数秒あればミシェルの経験ならば効率のよい命令を出せたろうが、迫り来る騎士人形の動きはあまりに速過ぎて個々に逃れるのが精一杯であった。が、それも一時の時間稼ぎにしかならず、騎士人形たちは手に持った巨大な剣を振るって森の木々ごと隠れようとしていた皆をなぎはらったのだ。

 響き渡る絶叫、飛び散る木々の破片と木の葉、雨のように降ってくる舞い上げられた土。それは火薬を伴わない砲撃であり、何百台もの重機が暴走したに等しい、人工の暴風雨であった。

 むろん、その渦中にある人間はひとたまりもない。人間の脆弱な肉体は鉄木の散弾には耐えられず、もろくも倒されていく。そんな仲間たちの危機に、ひと呼吸遅れたがルクシャナが助けに入った。

「まったく、誰かヘマしたのかしら。仕方ないわね、木々の枝よ、敵を」

 自然そのものに訴えかけるルクシャナの精霊魔法により、森の木々の枝が伸びてヨルムンガントの前に立ちふさがろうとした。しかし、トライアングルクラスのゴーレムでも数秒は足止めできるはずの強度を持たせてあるはずの枝のバリケードは、なんと騎士人形に触れる直前で、見えない壁にぶつかったかのようにはじかれてしまったのだ。

「あれは、カウンター! しまった、鎧にそんなものを!」

 ルクシャナは眼前の光景から、すぐさま今の現象が、外敵の攻撃から身を守るエルフの魔法・カウンターだと見抜いた。想定が浅かった、あの魔法は一見しただけでは存在がわからないが、相手がエルフの技術を使っているのなら当然考えに入れておくべきだった。そして、あの騎士人形にかかっているカウンターが叔父ビダーシャルの置き土産だとすると、自分の魔法のレベルでは打ち破ることは不可能だ。

「叔父さまのバカっ! ああっ!」

 動揺して、視界の外にいた別の騎士人形がこちらに手持ちの大砲を向けているのに気づくのが遅れた。至近弾となった砲弾の炸裂に巻き込まれて、数十メートルを一気に吹き飛ばされて倒される。彼女自身もカウンターを張って守ったが、受け流すには威力がありすぎて、投げ込まれた茂みの中で意識を失わないのがやっとだった。

 連携などもはとりようがなく、どこに誰がいて、誰がやられたのかもわからないままに逃げ惑い、ひとり、またひとりと倒されていく。それでも、彼らは絶対的に追い詰められながらも、なんとか敵を仕掛けた地雷に誘い込もうと体をひきづった。しかし、騎士人形は地雷のありかを完全に把握しているように地雷を避け、あまつさえ剣を使ってすべてを自爆させてしまったのだ。

「そ、そんなバカな……どうして」

 わけがわからなかった。埋設した地雷はざっと四十個ほど、もちろん事前にバレないように細心の注意を払ったのに、どうしてひとつ残らずありかがわかるのだ? やつらは本物の悪魔なのか? 少年のひとりは、伏せていた地面ごと吹っ飛ばされたあげくに木に叩きつけられて、気を失う寸前にそう思った。

 

 こうして、時間を稼ごうとした銃士隊と水精霊騎士隊の作戦はあっけなく崩壊した。

 ヨルムンガントはすべて無傷で、シェフィールドもかすり傷も負っていない。そのシェフィールドは、目障りな伏兵どもを全滅させたのを確認すると、先行していたサラマンドラを止めさせ、ヨルムンガントの足元を見回してほくそ笑んだ。

「他愛ない。このヨルムンガントに生身で挑む勇気だけは褒めてあげるけど、死に急いだだけだったわね。でもまあ、予定を上回りすぎるくらいに退屈だった進撃のいい気分転換にはなったわ。そのお礼に、少しだけ長生きさせてあげるわ。ロマリアももう目前だし、休憩がてら私の遊び道具としてね」

 そう言うと、シェフィールドは倒れた人間たちの中から指揮をとっていたふたりを正確に見極めて、ヨルムンガントに拾い上げさせた。むろん、そのふたり、ギーシュとミシェルにはもう逃れるだけの力は残されてはいなかった。

 

 それが、彼らを襲った理不尽のすべてだった。

 全滅し、戦闘能力を完全に喪失した銃士隊と水精霊騎士隊。無傷なものはひとりもおらず、それも数分後には全員戦死に変わるかもしれない絶望的な状況。起死回生の策は、なかった……

”こんなところで、終わるのか……”

 魔法力も体力も尽きた。いやそれ以前に、傷ついた体は土に吸いつけられているかのように地面から起き上がれず、かろうじて動かせる視線には公開処刑も同然に痛めつけられる彼らのリーダーの姿が映るばかりだ。

 まさに死を待つ敗残者のみじめさ。それをあざ笑い、シェフィールドは全員に聞こえるように自慢げな様子で語った。

「くふふふ、苦しいでしょう、悔しいでしょうね。けど、このままなにも知らずに死んでいくのは哀れすぎるから、ひとつだけ教えておいてあげるわ。どうして、完璧に隠れ潜んでいたつもりのあなたたちの居場所が私に筒抜けだったのか? あなたたち、この騎士人形、ヨルムンガントを少々できのいいだけのゴーレムだと侮っていたでしょう? 残念ながら、ヨルムンガントは戦いに負けないためにあらゆる技巧をこらしてあるわ。例えば、私のこのモノクル」

 シェフィールドの外してみせた片眼鏡、それは一見なんの変哲もないアクセサリーのように見えたが、よく見るとレンズに複数の映像が同時に映りこんでいるのがかすかに見て取れた。

「このモノクルを通して、ヨルムンガントの視界はすべて私も共有することができるのよ。それも、ただ映し出すだけなんて単純なものじゃなくて、一体ごとに通常の視界から、生き物の体温に反応するもの、動く物だけを映し出すもの、魔法力の反応を投影するものと様々に分かれているわ。これらを駆使すれば、どんなにうまく隠れても無駄というわけ。わかった? あなたたちは最初からエピローグの決まったピエロのダンスを踊っていたというわけ」

「貴様ぁ、人を使って遊んでいたのか。これは戦争なんだぞ、人が死んでいるんだぞ」

 自分たちの命がたとえではなく本当にゲームの駒として弄ばれていたことにギーシュは憤った。

 ここに来るまでにも、重傷を負って運ばれていく兵隊や村人、白い布をかぶせられて動かない人たちを見てきた。彼らにもひとりひとり人生があっただろうに、それを他人の身勝手で奪われて、しかも奪われたものはもう戻らない。

 通り過ぎるときの悲痛な泣き声と怨嗟の声、戦争だから仕方ないとそのときは割り切ったつもりでいたが、この女の残忍さには怒りを抑えることができない。しかし、返ってきたのは嘲笑だった。

「くふふふ、そうよ戦争よ。戦争だから、敵は殺すの、当たり前のことでしょ? けど、それだけじゃつまらないから、少しでも楽しく演出してみようと思ったの。その気なら、あの怪獣にまかせて全員一気に焼き殺すこともできたのよ。わかった? この私の慈悲深さを」

 悔しげに視線を動かすと、距離にして数キロメートル。シェフィールドの視界から離れない範囲で、うなり声をあげて待機しているサラマンドラが見えた。周辺からは黒煙と炎が見え、口に銜えた大砲を無造作に吐き出したところを見ると、待ち伏せしていた別のロマリアの部隊を壊滅させたらしい。

「それなりの精鋭だったらしいけど、相手が悪いことを理解もできない馬鹿だったわ。あんなのはもうつぶし飽きてたから、少しは頭を使ってきたあなたたちは楽しませてもらったわ。それと、ヨルムンガントのテストになってお礼を言いたいくらいだけど、あなたたちが悪いのよ。竜の尾を踏んだら食べられても焼かれてもそれは自業自得というものなの」

「え、偉そうに、汚い侵略者のくせに、ぐあぁぁっ!」

「口の減らない小僧ね。命乞いしたほうがまだ長生きできるチャンスがあるのがわからないのかしら? 頭の悪い子は嫌いなのよっ!」

 ギーシュを握るヨルムンガントの力が上がった。人間の骨格が耐え切れる限界を超えた圧力が加えられて、生命の危機へと迫るレベルへと近づいていき、悲鳴が断末魔と化すにいたって、ついに耐え切れずにミシェルが叫んだ。

「やめろっ! そんなバカを痛めつけてなにが楽しい。この悪趣味な撫女、人形だよりで弱い者にしか手を出せないのか!」

「フン、そうして私を怒らせてこいつを助けようという魂胆なんでしょう。あいにくその手は乗らないわよ。私の受けた命令はこの国の人間を、少しでも苦しめた上で残らず始末すること、それが至上であり大前提なのよ」

「どこまでもクズが。いや、本当のクズはお前の主人のガリア王だ。無能王なんて蔑称なんて生ぬるい、下水の犬畜生にも劣る悪趣味の権化、豚小屋の中では飽き足らずに外の世界にまで意地汚く食い散らかしにきたか!」

 その瞬間、それまで愉快そうに哄笑していたシェフィールドの顔色が変わった。

「なんですって……?」

 蟻を踏み潰して遊ぶ子供のようだった瞳が鋭く尖り、声に重々しさが加わる。

 熱狂が冷め、別の狂気が空気に充満していくのを皆は感じた。シェフィールドの眼差しがギーシュから離れ、同時にヨルムンガントの手が緩んで、彼の体が零れ落ちていく。

「ギーシュ! くっ」

 たまたま近くにいた水精霊騎士隊員のひとりが『レビテーション』をかけ、彼は寸前で大地の女神とのキスを回避した。そのまま、どうにか引き寄せて治癒の魔法をかける。モンモランシーのような専門の使い手と違って、よくて痛みを和らげる程度しかないが、それでもショック死だけは免れることができる。

「大丈夫か?」

「ああ、レディの手にかかって死ぬならそれもと思ったが、どうやらそうもいかないらしい。ぼくはつくづくいいところで運がない」

「それだけ減らず口が叩ければじゅうぶんだ。骨をつぶされる前でよかったよ。今、痛み止めを」

「ま、待て、ぼくはどうでもいい。それより、副長どのが危ない。ぼくでもあの女のすさまじい殺気を感じた。こ、殺されるぞ!」

 ギーシュの引きつった声は、的中率九十九パーセントの予言だった。いまや、シェフィールドの意識の中に遊びは残っておらず、強烈な怒りと憎悪が支配していた。

「よくも言ったわね。ゴミの分際で、よくもジョゼフ様を侮辱してくれたわね。このゴミがぁぁぁっ!」

 シェフィールドの怒号。同時に、彼女の額が不気味に輝き、ヨルムンガントの手がミシェルの体を激しく握り締めた。

「うがあぁぁぁぁっ!!」

「許さない。嬲り殺してやるつもりだったけど、もう容赦はしない! 望みどおり、まずお前から血祭りにあげてやる。ただし簡単には死なさない。生きていることが嫌になるくらいの苦痛を与えて、身も心も壊してから地獄に落としてやる!」

「ぎゃあぁぁっ!」

 いきなり骨が数本一気に砕ける鈍い音が響いた。さらに吐血し、銃士隊の制服が紅く染まる。

 殺される。ギーシュのときのような遊びではない。今、この瞬間に命を奪おうとしている。ヨルムンガントの力で本気で締め上げたら、人間など跡形もない。いやそれどころか、自分の体が壊れていくほどの痛みを直に注ぎ込まれたら、シェフィールドの言うとおり、体より先に心が壊されてしまう。

「ふ、副長ぉぉっ!」

「よ、せ……く、来るな」

「へえ、もう全身の骨がガタガタでしょうに、まだ正気を保っていられるとはやるわね。でも、その精神力の強さがかえってお前を苦しめることになるのよ。さあ、もっと強く締め上げてやるよ」

「が、があぁぁっ!」

 ミシェルを握り締めているヨルムンガントの手から鮮血が滴って地面に落ちる。その凄惨すぎる光景と悲鳴に、少年たちの中には嘔吐を耐え切れない者も現れたが、数人の少年と銃士隊員は勇敢だった。かなわないと知りつつ、肉弾も同然にヨルムンガントに挑んでいったのだ。

「でえぇぇぇぇやぁ!」

「クズどもが、慌てなくてもお前たちも生かしてはおかないわよ」

 足を降るだけで、ヨルムンガントに向かってきた人間たちは全滅した。ものの数秒で動ける者はいなくなり、虐殺は屍山血河へと転落を早める。

 ヨルムンガントに倒されたうめき声、まだ生きてはいるものの、一思いに息の根を止められたほうがまだ幸せかもしれない。生き残れたとしても、仲間たちが虐殺されるのを見ながら、最後は生きたまま踏み潰されるしかない。立ち上がれる者はなく、わずかに力を残していたルクシャナも、身を潜めながら己の無力をかみ締めるしかできない。

「せめて私に、叔父さまのような力があれば。大いなる意志よ、もう人間の神でもなんでもいい。こんな終わり方なんてあんまりよ!」

 はじめて彼女は人間のために祈った。研究欲第一で仲間意識の希薄だった彼女に芽生え始めた、本人もまだ自覚していない変化の発露がここで……だが、それも無意味に終わるかもしれない。屍に変わってしまえば、どんな人間も同じなのだから。どんな可能性も、その人間が死ねば途絶える。それがどういう意味を持つかわからない者だけが、命を奪うことを楽しむ。

 シェフィールドは主人を侮辱された怒りのままに嗜虐の喜びに身をゆだね、ミシェルは自分の世界が急速に暗くなっていくのを感じた。

「さあて、ただの人間の割には持ったほうだけど、そろそろ楽にしてあげましょうか」

「サ、サイ……がはっ」

「んん? 恋人の名前かい? けど残念。もう喉が血であふれてしゃべることもできまい。さあ、ジョゼフ様を侮辱したむくいだ。体中の穴という穴から内臓を吹き出して、死ね!」

 ヨルムンガントに憎悪を込めた魔力が送り込まれ、ミシェルの全身の骨が言葉の代わりに断末魔をあげる。シェフィールドは高笑いをあげ、お前を殺した後は仲間たちも皆同じようにして、森の木に磔にしてさらしてやると叫ぶ。そしてそれを誰も止めることはできない。

 狂気の祭り、そこに捧げられた生け贄は自らの血と肉を捧げなければならない。悲鳴を賛美歌とする邪神の宴、最高潮を迎え、悲劇という名の顎がミシェルの魂をも飲み込もうと牙をむき、弱弱しくも鼓動する心臓をついに噛み潰そうとする。

 

 だがそのとき、一閃の雷が水平に大気を切り裂き、白い矢となってヨルムンガントの胸に突き刺さった。

「なっ、に!?」

 シェフィールドは、網膜を焼いた閃光に戸惑って思わず目を覆った。

 なんだ今の光は!? まだ伏兵が? 一瞬雷が見えたところからライトニング系の魔法攻撃か? しかしヨルムンガントの魔法探知装置に反応はなかったぞ。

 混乱しかけながらもシェフィールドは事態を把握しようと自分の周りを確認した。大丈夫、自分の体に異常はない。ヨルムンガントは? いや心配ないはずだ。エルフのカウンター魔法に加え、ガリアの冶金技術の粋を集めて作った高硬度の鎧を身にまとったヨルムンガントには、たとえスクウェアクラスの魔法が直撃したとしても耐えられるように作ってあるはずだ。

 が、シェフィールドの鼻に焦げ臭いがたなびいてきたかと思った瞬間、彼女の乗っているヨルムンガントがぐらりと揺らいだ。

 

「なに!?」

 

 とっさに飛び上がり、別のヨルムンガントの肩に着地するシェフィールド。と、同時にコントロールを失ったヨルムンガントの手から血だるまのミシェルが零れ落ちる。

「危ない!」

 あの状態で地面に叩きつけられたら即死だ。そのとき、唯一わずかに余力を残していたルクシャナが、全力で浮遊の魔法をかけた。

「大気の精霊よ。お願い!」

 距離がある。残った力も少ない。だが、この魔法だけは絶対に成功させねばとルクシャナは力を込めた。

 ミシェルの体が地面との衝突寸前で浮き上がり、ヨルムンガントは大地に叩きつけられる。その胸の装甲は溶けて内部は焼け焦げており、シェフィールドは息を呑む。そしてその隙を突き、ミシェルはそのまま宙をすべってルクシャナの隠れている場所へと連れてこられた。

「う、お前……」

「しゃべらないで、私の治癒魔法はあんまり強くないの。うぐっ、よくこれであなた生きてるわね」

「はは、痛いのには慣れてるからな……しかし、今のは、いったい」

「ふふ、どうやらあなたのはっぱが効いたんじゃない? ほら、あの坊や、ずいぶん派手に登場のようよ」

「ああ……なにせ、わたしの見込んだ男だからな」

 喉を詰まらせていた血を吐き出してミシェルはつぶやいた。と同時に、安心感とともに体の痛みが消えていくのを感じた。

”もう大丈夫だ……あいつが来てくれたなら、きっと。どんな手を使ったかしれないが、あいつは、みんなをいつも守ってくれたから”

 だから最後まで希望は捨てない。どんな絶望があっても、それを打ち砕く希望は必ずある。世界は、自分なんかが思ってるよりずっと広くて未知の可能性に溢れている。それを、あいつが教えてくれたんだから。

 

 ヨルムンガントを一撃で倒し、地に引き倒した稲妻。それはハルケギニアの常識を超え、尽きかけていた若者たちの命脈を保った。

 しかし、無から奇跡が生まれることはない。奇跡が起こる場所には、必ず人の姿がある。

 破壊されたヨルムンガントから視線を流し、シェフィールドは犯人の姿を探し求めた。

 そしてそれは見つかった。破壊されたヨルムンガントから続く焼け焦げた木々の先、小高い丘を通る街道に、そいつらはこちらを見下ろすように布陣していたのだ。

「な、なんだ、あれは?」

 シェフィールドだけでない。ギーシュたちや銃士隊も目を丸くした。

 それは、あまりにも彼らの常識からかけ離れた車両であった。すべてが金属で作られ、その上部についた腕部の先には巨大な皿のようなものがこちらを向いている。

 なんなんだあれは? 敵か? 味方か? だがその疑問は、先頭車の運転席に座ったふたりを見つけて、少年たちの歓呼の声で証明された。

「サイト!」

「ルイズ!」

 間違いない。ロマリアに残っていたあのふたりだった。あのふたりが、なにがなんだかわからないが、とにかくすごそうなものを持って駆けつけてきてくれたんだと彼らはその場で無条件で信じ、それはまったく間違っていなかった。

 一体減じ、九体になった巨大ゴーレムの群れに向かってパラポラを向ける四両のメーサー殺獣光線車。日本人が怪獣の猛威に立ち向かうために生み出したかつての超兵器がついに到着し、その窓から自らの敵たちを見据えるルイズと才人のふたりは、すでに戦うことを覚悟した目をむいていた。

「命中よサイト! すごい! すごいわこの武器。でも、みんなひどくやられてる。急がないと」

「わかってる……悪いみんな、おれがつまらねぇことで迷ったばっかりに……」

 才人は、あと一歩遅かったらと背中に冷たいものを感じた。ロマリアからここまで、可能な限りの強行軍を続けてやっとたどり着けた。ハルケギニアの道は当然アスファルトなど敷かれていないが、昭和四十年代の日本の道路を想定して走破性能を決めている六六式メーサー車は悪路にも強い。

 ディーゼル音を響かせ、街道を地響きと砂煙をあげて進撃するメーサー部隊には、ロマリア軍も道を開けて呆然として見送っていた。

 そして、たどり着いた戦場。そこでおこなわれていた惨劇を見て、才人のなにかが切れた。

「シェフィールド、ようやく面をおがめたな。よくも、よくもおれの仲間たちをやってくれたな。今日だけは、おれも正義の味方でいるつもりはねえぞ!」

 才人は本気で怒っていた。躊躇したがために皆を危険にさらしてしまった自分のふがいなさへ、これまでにも非道を繰り返し、今また自分の大切な人たちを傷つけたシェフィールドへの怒りが混ざり合い、一気に溶岩に変わって噴き出した。

「メーサー砲、全車一斉攻撃用意! 一号車有人操作、二号車から四号車は自動照準射撃。ルイズ、あのガラクタ人形ども、ひとつ残らずぶち壊すぞ!」

「ええ! 存分にやりなさい。あの女に、一方的にやられる怖さを思い知らせてやるのよ」

 機械音をあげて、四両のメーサー殺獣光線車が、そのパラボラをヨルムンガントへ向けて照準する。才人だけではなく、ルイズもここへ来るまでにメーサー車のマニュアルを才人に教えられながら読み込んでいた。

 今、この場に限れば四両のメーサー車はその力をフルに発揮することができる。その力を見せるときは今だ。

 

 一方、シェフィールドは眼前に現れた、見たこともない兵器の群れに困惑させられていた。

「私のヨルムンガントを、ただの一撃で、だと? あそこまで、たっぷり二リーグ以上は離れているはず。あれは、トリステインの虚無? いったい、なにをしでかした!」

 得意の絶頂で、想定外の横槍を入れられたことでさしものシェフィールドも動揺を隠しえなかった。

 倒されたヨルムンガントは、先住魔法のカウンターと強固な鎧のおかげで最大の戦列艦の艦砲にも耐えられるように作ってあるはずだ。ましてや魔法など、エルフの先住はおろか、計算上では虚無の魔法でも跳ね返すことができるはずなのに、どうしてだ? あれはなんだ? あんなものがロマリアにあるなんて聞いていないぞ。まさか、あの男……

 しかし、シェフィールドの困惑はメーサー車部隊の放つ機械音で中断を余儀なくさせられた。パラボナが動き、そのすべてがこちらに向けられる。むろん、シェフィールドに科学的な知識などはないが、彼女は直感的に背筋に冷たいものを感じた。

「う、なんだ? なにをしようとしている? いや、あれがなんであれ、たかが四両しかない。それに引き換え、こちらはまだ九体のヨルムンガントがいる。なんだかわからないが、大砲の一門も積んでいない、あんな車に負けるわけはない!」

 シェフィールドは意図して不安を無視することに決めた。見たことも聞いたこともない敵の正体など、考えてもわかるわけはない。ヨルムンガントがやられてしまったのは事実だが、まだこちらの戦力はじゅうぶんだ。なにかする前に数で押しつぶしてやる!

 

 だが、焦ったシェフィールドは勝負を急ぎすぎていた。彼女の前に現れたのは、一時期地球最強と呼んでも過言ではなかった対怪獣兵器なのだ。

 メーサー砲の照準モニターに映ったヨルムンガントに向けて、才人はついに喉から声を絞り出して叫んだ。

「全車、攻撃開始!」

 その瞬間、メーサー砲のパラポラが白熱光に包まれ、中央部から収束された稲妻状の光線がいっせいに放たれた。四条の白色の雷のクインテット、それは空気を焦がす電子音を奏でながら先頭を走っていたヨルムンガントの胸や腹にそれぞれ直撃し、いずれも鎧もカウンターも関係なく爆砕してしまったのだ。

 白煙をあげて崩れ落ちるヨルムンガント。光線が命中した箇所は焼け焦げて、もうヨルムンガントは動けない。

 勝利の笑みを浮かべる才人とルイズ。そして破壊されたヨルムンガンドを見て、絶望の淵にいた水精霊騎士隊と銃士隊の胸には希望の灯が赤々と燃え滾ってきた。

「すげえ! サイトの奴、稲妻を吐き出す箱なんて、とんでもねえもの持ってきやがったぜ」

「あいつには、いつもながら驚かされるな。よしみんな、今のうちに移動するぞ。軽傷の者は重体の者を助けて後退だ。うかうかしてると巻き添えを食らうぞ」

 大急ぎではじまった撤退。しかし彼らの心に敗北感はなかった。反省すべき点は多いが、後悔していても始まらない。自分たちはやれる限りのことをした。あとは才人を信じてまかせるのみだ。

 対してシェフィールドは、今度こそ信じられなかった。

「なんなのよ、あの雷は! こ、このヨルムンガントを」

 圧倒的な破壊力、これがメーサー殺獣光線車の放つ収束マイクロ波の威力であった。マイクロ波、一言で説明すれば電子レンジでものを温めるのに使われているものと思ってもらえればいいが、それを格段に強力にしたものである。照射された収束マイクロ波の光線は、対象に命中すると分子を超振動させて水分を一瞬で沸騰させ、焼き尽くす。

 ただし、分子運動に働きかける特性上、水分を含まない金属や無機物に対しては効果が軽減してしまうのだが、ヨルムンガントはゴーレムであってロボットではなかったのが災いした。鎧の下の本体には、機動力を上げるために擬似的な生体部品が使われており、それには当然大量の水分が含まれている。

 つまり、ヨルムンガントに照射されたメーサーは、その高出力でカウンターと鎧を貫通し、本体を瞬間過熱して焼き殺したのだ。

 この殺傷力はすさまじく、普通の生物の何倍もの生命力を誇る怪獣の細胞すら焼き尽くすことができる。まさしく自衛隊の切り札なのだ。

 シェフィールドは不幸にもそのことを知らなかった。メーサー車が、対怪獣用兵器だと知っていたら、ヨルムンガントでは正面対決は無理だと判断しただろう。が、あいにく才人はそこまで懇切丁寧に事前説明してやるようなサービス精神はなかった。

 あっというまに四体を撃破され、手持ちの戦力が半減してしまったシェフィールドは、今度こそ危機感を強くした。

「くうっ……馬鹿なっ」

 残念だが、敵の兵器の威力はヨルムンガントの耐久力をはるかに上回っているようだ。やられたヨルムンガントは完全に破壊され、二度と使用はできそうもない。次の攻撃を受けたらひとたまりもない。次の、次の指令はどうする!?

「そうだ、散れば。散開して、あの兵器の照準を混乱させればいいのよ!」

 とっさにシェフィールドは、砲兵を相手にする際の戦法をとることにした。ヨルムンガントの瞬発力はほぼ人間のそれに相当する。普段はその防御力にものをいわせて回避はほとんどおこなわないが、やろうと思えば左右に素早く跳躍するとことが可能なのだ。巨人の体躯に素早さを加えれば、大砲などでは照準が追いつかない。そして戸惑っているところに一体でも接近できれば、あとはこちらのものだとシェフィールドは自分の策に自信を持った。

 ただし、シェフィールドの基準にしたハルケギニアの砲兵と、メーサー車の射撃性能には大きすぎる開きがあった。

 散開し、明らかに照準を外しにきたヨルムンガントたちを見て、才人は慌てるでもなくほくそ笑んでいた。

「ボケが、そんなトロさで逃げられるとでも思ったか。みんなの痛み、のしつけて返してやるぜ!」

 すでに各メーサー車には次のターゲットがセットされている。この状態になってしまうと、あとはロックされた目標へと自動追尾による攻撃が継続されるのだ。コンピューターによるオート制御、ハルケギニアの人間では想像のしようもない。

 しかも、それだけではない。メーサー車の利点はもうひとつ。それは、放射を継続しながら敵を追えるという点だ。

 シェフィールドは、ヨルムンガントを散開させて、これで一気にやられることはないだろうとほっと息をついた。しかし、次の瞬間には自分の甘さを思い知らされた。メーサー車はパラボラから光線を放ち続けたまま放射機を旋回させ、逃げるヨルムンガントに追い撃ちをかけてきたのだ。

「稲妻が、追ってくる!?」

 森の木々を焼き切りながらメーサーが追尾してくる。ヨルムンガントは必死で走るが、あっというまに追いつかれて、肩を撃たれ、足を撃たれ、倒れこんだところに集中攻撃を受けて破壊されていった。

 シェフィールドの誤算、それは狙いをつけてから撃ってくる”点”の攻撃なら回避のしようもあるが、撃ちながら狙ってくる”線”の攻撃は容易には避けられないということを知らなかったことだ。メーサー車は素早く動き回れる怪獣を撃てるよう想定して開発され、唯一の実戦投入となった怪獣との戦いでは、人間並みに素早く動き回るそいつを逃がさずに一方的に打ちのめすだけの射撃性能を見せているのである。

 しかし、メーサーを放射したまま怪獣を追尾するには並大抵ではまかなえないほどの電力が必要となる。そのため、メーサー車の心臓部には原子炉が搭載されており、小型発電所とさえ言っていい。その大電力にまかせて長時間放たれるメーサーの威力は、通常の光線砲を大きく上回るのだ。

 森の中に倒れこんでのた打ち回るヨルムンガントを容赦なく焼き尽くしていくメーサー砲部隊。四両のメーサー車が再びそれぞれ一機ずつのヨルムンガントをくず鉄と土くれに変え、ここに三分と経たずしてシェフィールドのヨルムンガント部隊は壊滅した。

「お、おのれ。おのれおのれっ! バケモノたちめ」

 自分とジョゼフのために勝利の美酒を運ぶはずだった人造の巨人兵たちは、その靴底で蹂躙してきたロマリア軍と同じように、圧倒的な力によって抵抗することもできずにねじ伏せられた。残ったのは、自分が乗っている一体のみで、シェフィールドはその一体とともに森の中に伏せて隠れ、時間を稼ぐことしかできなかった。

「この私が、こんな屈辱を……おのれ、おのれえっ」

 全力を出したつもりでも、まだ相手を過少評価していたことをシェフィールドは思い知らされていた。

 悔しいが、敵の秘密兵器はヨルムンガントなど歯牙にもかけないくらい強力らしい。あんなものがあることがわかっていたら……いや、勝負を焦って突貫してしまったのは自分だ。最初の一体を一撃で倒されたときに警戒して後退していたら、追撃を受けたとしても数体は残ったかもしれない……いいや、それこそ後知恵だ。終わった後ならなんとでも言える。問題は、どうやってあの化け物たちを倒すかだ。

 思えば最初にロマリアを攻めるよう進言したのは自分だ。なのにこの醜態では、自分がジョゼフさまの顔に泥を塗ってしまう。敵にあんな兵器があるのでは、ロマリア占領など不可能だ。まだどれだけあるかわからないが、両用艦隊で空襲を試みても上空にたどり着く前に全艦撃沈されてしまうのが関の山だろう。

「だがせめて、あの鉄の箱だけは破壊しなくては……ジョゼフさま、私にお力を」

 これだけはと、肌身離さず持っているジョゼフの肖像画を見つめてシェフィールドは決意した。

 自分に残った手札は、ヨルムンガントが一体に、近空にいる両用艦隊。これをそのままぶっつけても、全滅させられるのは火を見るより明らかだ。特に両用艦隊はロマリア侵攻の要、絶対に消耗するわけにはいかない。

「ならば、理不尽なバケモノには理不尽な怪物を当ててやる。できれば、私だけの力でジョゼフさまに勝利を献上したかったが、もはや是非もない」

 シェフィールドは最後の切り札を投入することに決めた。

 怪獣サラマンドラが雄たけびをあげて、ヨルムンガントの倍以上の巨体で森を圧しながら進んでくる。

 対し、才人も勝利ムードをぬぐい捨てて、緊張した面持ちで照準機の中の巨体を睨んでいた。

「来たなサラマンドラ。ようやく本命がご到着ってわけだ」

「サイト、この車の火力で、あいつを倒せるの?」

 ルイズが、引きつった声を出す才人に不安げに尋ねた。

「わからねえな。ただの怪獣ならともかく、あいつは特別だ。気を抜くと、死ぬぜ」

 サラマンドラがいかにやっかいな怪獣かは、頭に叩き込んであるつもりだ。初代はUGM、二代目はGUYSを相手に猛威を振るい、一筋縄ではいかない相手だということは重々承知している。

 一番確実な方法は、ウルトラマンAに変身することだが、ウルトラリングは光らず、またキリエルとの夜以来、ルイズにも才人にもエースの声は聞こえなくなっていた。

”きっと、今のおれじゃあウルトラマンになる資格がないってことなんだろうな。違いない……今のおれはとんでもないヘタレに成り下がっちまった。ごめん北斗さん、今のおれには正義がなんなのかわからなくなっちまった。だからおれは、今日だけは利己的に戦ってやる。おれの仲間を傷つけたシェフィールド、全力でてめえは叩き潰してやる”

 自分の痛みなら我慢もできる。しかし大切な人を傷つけられる痛みは耐えられるものではない。

 死神にさらわれかけたミシェルを見たときに才人の胸に芽生えた、焼かれるような、熱すぎる思い。とても押さえつけられるものではない。

 また、ルイズも、激情にとらわれた才人の危うさを感じて彼に寄り添う。

「サイト、落ち着いて。あんたひとりだけの戦いじゃないのよ」

「わかってる、わかってるよ……くそっ、死なないでくれよミシェルさん。みんなの仇は、おれが討つ!」

 出口の見えない暗い迷宮をがむしゃらに走る才人。戦う意義を見失って、それでも戦うその先に真実の出口はあるのだろうか。

 

 メーサー殺獣光線車vs怪獣サラマンドラ。

 才人vsシェフィールド。

 ハルケギニアの明日を賭け、避けられない戦いの火蓋が、今切って落とされる。

 

 

 続く



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第13話  シェフィールド侵攻兵団全滅! 怒りに焦げる正邪の攻防

 第13話

 シェフィールド侵攻兵団全滅! 怒りに焦げる正邪の攻防

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

 ロマリアを壊滅させようとするガリア軍は、すでに聖都のすぐそばまで迫ってきていた。

 破壊と殺戮を振りまきながら進軍する、悪魔のようなガリア軍と、それを先導し扇動するシェフィールド。

 銃士隊・水精霊騎士隊は、避難民が逃げ延びるまでの足止めをするため、地雷による作戦を図った。

 しかし、細心の注意をはらって待ち伏せたはずの作戦は、最新の魔法技術を組み込んで作られたヨルムンガントの前に敗れてしまう。

 捕らわれ、なぶり殺しにされようとしているギーシュとミシェル。だが彼らを、死の淵から異形の超兵器が救った。

 

 

 六六式メーサー殺獣光線車。陸上自衛隊が開発した対怪獣用決戦兵器。地球ではすでに伝説と化しているこの車両をロマリアの地下墓地より蘇らせ、急行してきた才人は圧倒的な力で九体のヨルムンガントを葬り去った。

 だが、執念に燃えるシェフィールドは最後の切り札として、怪獣サラマンドラを差し向けた。

 メーサー車とはいえ、容易に倒せない強敵を相手に気を引き締める才人。その一方で、ルイズは答えを見出せないまま無理を続ける才人に、一抹の危うさを感じていた。

 地球人の生み出した英知と才人の怒りが勝つか、宇宙怪獣を操るシェフィールドの忠誠が勝つか。

 今、決戦がはじまる。

 

「サイト! 怪獣が来るわ。距離はええと、およそ千メイル!」

「千メートルな。メイルとメートルの単位がほとんどいっしょで助かったぜ。全車ターゲット・ロックオン! メーサー放射!」

 四両のメーサー車のパラボラから、いっせいに白色の収束マイクロ波が放たれてサラマンドラに突き刺さる。その威力はすさまじく、猛然と前進していたサラマンドラの巨体が押し返され、全身に走るスパークが、注ぎ込まれたエネルギーの膨大さを物語っていた。

「やったの?」

 ルイズが集中したメーサーの砲火を見て叫んだ。ヨルムンガントを一撃で破壊した、あのメーサーの照射を、しかも四両同時に浴びたのでは、少なくともただではすまないだろうと期待を持ったのも無理はない。しかし、才人は少しも楽観を持ってはいなかった。

「無理だろうな」

「えっ」

 そのとおりだった。メーサーによる照射が停止すると、サラマンドラはほとんどダメージを受けた様子もなく立っていたからだ。

「ええっ! なんて頑丈なやつなのよ」

「やっぱりダメか。くそっ、メーサー砲でも通用しねえかよ」

 予想はしていたが、やはり悔しかった。サラマンドラの外皮は極めて厚く頑丈で、スーパーハードネスボディーと呼ばれる、地球上のあらゆる物質よりも強固な性質で成り立っているといわれている。

 その防御力は伊達ではなく、UGMの主力戦闘機シルバーガルやスカイハイヤーの攻撃になんらひるむことなく破壊活動を続けた。驚くべきことにウルトラマン80のサクシウム光線の直撃にも耐えている。GUYSと戦った二代目にしても強力で、ウルトラマンヒカリのナイトビームブレードで体を両断されてはいるが、逆にいえばそこまでの力を使わねば倒せないということでもある。

 しかも、サラマンドラの恐るべき点はそれではない。

「サイト、奴が来るわよ! 撃つのをやめたらやられるわ」

「っくしょお!」

 接近してくるサラマンドラへ向け、メーサー攻撃を再開した。四条の光線が再びサラマンドラに集中し、火花とスパークが乱れ飛ぶ。さらに、逸れたメーサーが森の木々を燃やして、炎に包まれたサラマンドラはその名の示すとおりの火竜のように猛々しくも恐ろしい姿となって、才人とルイズを恐れさせた。

「サイト! もっとパワーは上げられないの?」

「これでいっぱいだ。ルイズ、ここはいったん……しまった!」

 森の火災による照準モニターの乱れが、才人の視覚を幻惑して反応を一瞬遅れさせた。サラマンドラの突き出した鼻先から、摂氏千三百度の火炎放射が飛んできて才人たちの乗るメーサー車を狙う。メーサー車の防御はないに等しく、火炎を受けたらひとたまりもない。

 才人はとっさにルイズを押し倒して伏せさせようと思った。だが、ルイズは牽引車の窓から身を乗り出すと、早口で数節の詠唱を唱えて杖を振りかざした。

「『エクスプロージョン!』」

 ルイズの唱えた虚無の『爆発』の魔法、その効果は任意の場所に自由な規模と威力の爆発を引き起こすことができる。今回は詠唱が中途であったために威力も半減していたが、ルイズが必要とした効果には十分であった。念じた虚空が爆発し、生じた乱気流と真空が壁となって火炎を食い止め、メーサー車に届く前に拡散させて無力化してしまったのである。

「炎には爆風が一番だって、誰が言った台詞だったかしらね」

「ル、ルイズ? すげぇ、魔法で火炎を止めちまったのかよ!」

「バカ、びっくりしてないで早くなんとかしなさい。私の精神力だって限りがあるのよ。こんな止めかた、あと何度も通用するわけないじゃない」

 ほっとしたのもつかの間だった。サラマンドラは火炎をほぼ無尽蔵に吐けるが、ルイズの使える魔法には限りがある。ただでさえ虚無の魔法は強力な分、消耗が著しい代物なのだ。それにサラマンドラとて火炎が効かないとなれば当然別の攻撃を仕掛けてくるだろう。

 メーサー車の移動速度はあまり速くない。移動砲台としては優秀であるが、戦車のような戦い方はできないのだ。もしも八十年代や九十年代までメーサー車が現役でいたら、メーサータンクなどが開発されていたかもしれないが、それはあくまでもしもの世界の話だ。

「負けるかよ。ドラゴンは人間の剣で倒されるって相場が決まってるんだ。ファンタジーの王道をなめるんじゃねえぞ」

 才人はやるっきゃないと腹をくくった。そうだ、化け物を倒すのはいつだって人間だ、人間でなければならないのだ。ルイズの作ってくれたチャンス、無駄にしたら男じゃない。

 メーサー砲の最大出力集中砲火。その猛攻の前にさしものサラマンドラも少しずつ皮膚の耐久力の限界を超え、体の中に浸透してくるダメージに苦悶の声をあげはじめる。そして、一度防御を貫通すると、体内に分子振動で引き起こされる異常高熱が襲い掛かった。

「効いてる? 効き始めてるわ!」

 外からの攻撃には鉄壁の怪獣でも、体内への攻撃には大概もろい。これに耐えられるとなると、よほどの大怪獣しかいないがサラマンドラの耐久力はギリギリその壁を超えていなかったらしい。

 断末魔の咆哮をあげて、ゆっくりと倒れるサラマンドラ。水精霊騎士隊の大歓声があがり、ルイズも手を叩いて喜びの声をあげる。

 ガリア艦隊の将兵たちは、力の免罪符であったヨルムンガントと怪獣がいっぺんに倒されてしまったことで浮き足立ち、シェフィールドもまた、最後の切り札の喪失に蒼白となった。

 だが、誰もが戦いの終焉を確信する中で、才人だけは厳しい顔のままでいた。

「再充電開始、メーサー砲及び原子炉急冷」

「どうしたのサイト、怪獣はあのとおり黒焦げになっちゃったじゃない。あんたらしくパーっと喜んだらどう?」

「できればな。サラマンドラが、こんなもんで……見ろ!」

「なによ、ええっ!?」

 ルイズは、そしてその光景を目の当たりにした才人以外の人間は皆一様に驚愕した。

 なんと、メーサーによって全身を焼き尽くされて倒れたはずのサラマンドラが起き上がり、まるでダメージなどなかったかのように力強く咆哮したではないか。

「どど、どういうことよ。今、確かに死んでたのに」

「まだ言ってなかったな。サラマンドラの異名は『再生怪獣』だ。たとえ木っ端微塵にしたとしても、生き返ってくるような奴なんだよ」

 才人自身、このままくたばってほしいと思っていたが、どうやらそうはいってくれないようだ。怪獣にもいろいろな種類がいるが、なかでも特に手のかかる奴が再生能力を持つ奴だ。ただ強いだけなら対抗のしようはいくらでもあるが、殺しても死なない奴ほど始末に困るものはない。

「どど、どうするのよ。死なない怪獣なんて、それじゃいくら強力な武器を持ってても意味がないじゃないの!」

「いや、奴にも弱点はある。サラマンドラは、死ぬ直前に再生酵素を分泌して、それで体を再生させてるんだが、その再生酵素を出す器官があるのが喉だ!」

 才人は断言した。そう、唯一喉こそ不死身の怪獣であるサラマンドラの急所なのである。喉の再生器官さえつぶしてしまえば二度と再生はできなくなり、サラマンドラは平凡な怪獣でしかなくなる。

 けれども、サラマンドラの一番やっかいな点はまさにこの弱点にあった。

「なんだ、弱点がわかってるなら早く言いなさいよ。それならさっさと喉を撃てばいいじゃない」

「だから、それができればとっくにやってんだって。よく見てみろ、あいつはそんな簡単なやつじゃない」

 才人は叫び、ルイズは気づいてはっとした。サラマンドラは首を下げて頭部でメーサー部隊からちょうど喉が隠れるようにしている。

「あいつ、自分の弱点を知ってるのね」

 まさしくそういうことであった。サラマンドラのやっかいさ、それは才人も様々な怪獣の知識を頭に叩き込むときに、できればこいつとは戦いたくないと思ったくらいである。

 サラマンドラは、自分が喉を狙われたらまずいことを理解している。そのため、絶対に自分から敵に向かって喉を見せることはない。けれども、サラマンドラは喉以外のどこを攻撃したとしても必ず再生してくる。特定の弱点を持つ怪獣というものは、たいていはそれ以外の部分は非常に強固にできていることが多く、総じてしぶとい。

 つまり、弱点さえ突かれなければ容易に負けることはないということであり、弱点を守るという動作をとる怪獣が危険視されるのも理解していただけるだろう。サラマンドラ以外の実例としては、ウルトラマンレオと戦った暴れん坊怪獣ベキラは頑丈な体を持っており、わずかに背中が急所ではあったが、戦いの中では絶対に敵に背中を向けようとはせずMACやレオを苦戦させた。

「いくらメーサーでも、急所に当たらなければ致命傷にはならない。野郎、やっぱあの手しかないのか」

 才人は、ここに来るまでに考えたサラマンドラ撃滅の方法を思い返した。不死身の怪獣にとどめを刺す方法、あまりまわらない頭で考えるだけ考えたが、結局思いついたのは相当な危険をともなう奇策しかなかった。

「ルイズ、走ってるときにお前に頼んだよな。難しいと思うけど、アレできるか?」

「できないことはないと思うけど、相当に集中しないと難しいと思う。それに、タイミングを誤れば私もあなたもひとたまりもないわよ。第一、相手は不死身の怪獣なんでしょう? それで倒せなかったら、今度こそ打つ手がないわよ」

 ルイズは慎重だった。やはり、いざというときの冷静さではルイズのほうが才人より勝る。どんなときでもすっくと肝が据わっている。

 が、才人もそれくらいはわかっていた。わかっていて、打てる手がこれしかなかったのだ。何度シミュレートを頭の中で繰り返しても、メーサー車四両でできることは限られている。ルイズの虚無でサポートしたとしても、そう細かいことができるわけではない。

「けっきょく、肉を切らせて骨を絶つしかないか。こんなとき……」

 才人は指のウルトラリングを見つめて首を振った。

 だめだ、今のおれではエースの力を引き出すことはできない。戦いにのぞむことができるようになったとはいっても、それは前のように平和を守るためとかいうのではなく、仲間たちだけを救いたいという利己的な思いから無理矢理自分を奮い立たせているだけだ。

 まだ才人のなかでは黒い気持ちがぐるぐると渦を巻いている。人間に対する不信感といってもいい。キリエルとの戦いで人間たちの利己的で捨て鉢な様を見て以来、彼の中での正義の基準が大きく揺らぎ、その反動で守ってきたはずの人間たちに対して憎しみのようなものさえ感じ出していた。

 よくも悪くも才人は十八歳になったばかりで、大人になりはじめたばかりの純粋な少年だということだった。ただ、強い信念を持っていた人間は、それが否定されたときに自傷行為をおこなったり極端な攻撃性を外に向けたりすることがあるが、才人にはそれがなかった。才人は自分が感情のままに暴れたら、ルイズをはじめ周りの皆がどれだけ悲しむかをよく理解していたからだ。

 自己の存在理由を否定され、悲しみと憎しみのあまりに自己破壊寸前まで自分を追い詰めてしまった人を才人は知っている。ゆえに、同じ過ちを犯すわけにはいかない。なにより、そんな無様な姿をあの人にだけは見せられないと、心の中で戦っていた。

 その決着がつくまでは才人はウルトラマンにはなれない。それはルイズも同様で、才人とは別の意味で、ブリミル教徒の総本山であるロマリアの腐敗への失望と、それにともなうハルケギニア全体の国々への不信で、世界を守るということへの疑問の答えを探していたのである。

 そしてこれは、シェフィールドにとって非常な幸運であったと言える。このとき才人とルイズが万全ならば、メーサー車でヨルムンガントが全滅させられた後にサラマンドラを出したとしても、ウルトラマンAに撃破されて終わっていただろう。才人たちは、あえて最強の切り札なしで挑まなければならない。

「仕方ないよな。昔の人は、ウルトラマンなしでも立派に戦ってたんだから」

 才人は覚悟を決めた。自分ひとりだけなら投げ出して逃げ出してもよかったが、隣にはルイズがいる。

 メーサー砲の照準を、才人はすべてサラマンドラに向けた。

「さあこい、全車刺し違えてもお前はここで倒してやる!」

 

 その一方で、一転して有利になった状況に歓喜する者もいる。

「うふふ、ははは、先ほどは肝を冷やしたけど、まさか不死身の怪物だったとはうれしい誤算だったわね。どうやら運はまだ私にあるようね。だが、もう油断はしない。トリステインの虚無め、ロマリアはいつでもつぶせるが、お前たちだけはなんとしてでもこの場で始末してやる!」

 チャンスを確信して、シェフィールドはヨルムンガントとの視界共有のために使っていたモノクルを握りつぶして独白した。奴らは復活した怪獣に気をとられている。その隙に……もうひとつ、残されたこの駒で奴らを倒す。

 

 正念場、という言葉で状況を表すならば、今このときがそれであったろう。

 シェフィールドのコントロールか、それとも一度殺された恨みからかメーサー車に向かっていくサラマンドラ。近づいてくるサラマンドラへ向けて、少しでも時間稼ぎをしようとメーサーを照射する才人とルイズ。そして、憎しみをあらわにして動き出したシェフィールド。

 それぞれの思惑を胸に、いったい誰が勝つのだろうか。客観的に状況を判断すれば、追い詰められているのは才人たちだといえるだろう。それほど、サラマンドラの”不死身”というアドバンテージは大きかった。

 死なない敵ほど恐ろしいものはない。どんな攻撃も、対象の死を目的としている以上、それが完全に無意味と化すのだから。

「フルパワーのエクスプロージョンなら、灰のカケラも残さずに消し去れるかもしれないけど。ごめん、今のわたしじゃそこまでのを撃てそうもないわ」

「いいさ、逆にそんなものを撃てたとしたらルイズのほうがまいっちまうだろ。やってやるさ、今のおれに価値があるとしたらこれくらいだ。だがシェフィールド、てめえだけはおれの目の前から叩き出してやる」

 ルイズと才人、ふたりが敗れればロマリアは壊滅する。対峙するメーサー車とサラマンドラ。

 メーサー車へ向けて、サラマンドラが櫛のように枝分かれした尾で木々を蹴散らしながら迫る。両者の距離はさらに縮まっていき、サラマンドラの口から火花のようにミサイルが放たれてメーサー車部隊の回りに爆炎が吹き上がる。

「サ、サイトぉ!」

「大丈夫だ。こっちも食らえ!」

 反撃にメーサー砲の集中砲火が放たれる。しかし、四両のうち二両は数秒で照射が途切れてしまった。どうやらエネルギーバイパスのどこかに異常が起きて、オーバーヒートする前に自動停止してしまったらしい。メーサー車はエネルギー源を原子炉に頼っている以上、車体各所に過剰なくらいの冷却装置を備えているが、それでも安全装置は働くようになっている。

 メーサー車二両の火力ではサラマンドラを圧倒することはできず、逆襲のミサイル攻撃を受けてついに一両のメーサー車が被弾擱座させられてしまった。車体中央に被弾し、爆発炎上することはなかったが、タイヤが外れてパラボラがあらぬ方向を向いたまま動かなくなってしまったその車両はもう使えそうもない。

 残るは三両。才人は、大破した車両からたなびいてくる煙を窓外に見、次はおれたちかと悲壮な決意を抱いた。 

 

 人間だけの力で怪獣に立ち向かう。口で言うのはたやすいが、実際にやってみるとなんと難しいことだろうか。

 

 だが、追い詰められていく才人たちを見て、黙っていられない無謀な連中がここにいた。

「サイト! まずいな。雷を吐く車が一台やられちまったぞ。あれでも倒しきれないなんて、なんて恐ろしいドラゴンなんだ」

「これじゃすぐにやられちまう。ギーシュ、なんとかしないと!」

「わかってるさ。今、動けるのは何人いる?」

「ぼくとギムリとでふたり……いや、あとひとりで三人か」

 才人の苦境を、彼の仲間たちは見過ごしてはいなかった。圧倒的な力を見せ付けられ、傷も癒えぬ苦境にありながらも、なお彼を見捨てるわけにはいかないと立ち上がろうとしていたのだ。

 まだ身動きできないギーシュは、仲間たちの中から動ける者を名乗りださせると頼んだ。

「みんな、サイトとルイズが危ない。奴を攻撃して、サイトたちへの注意をそらすんだ」

「わかった。けどギーシュ、ちょっとやそっと引きつけるだけで、あの不死身の怪獣をどうするつもりなんだい?」

「ばっかだな、そんなことぼくの頭で思いつくわけないだろ。そんなことより、仲間がふたりピンチなんだってのが大事なんじゃないか。その後のことは、その後で考えようさ」

 ギーシュはもちまえの気楽さで皆を鼓舞した。皆も、それほど簡単なことではないとわかってはいるが、なぜかギーシュの軽口を聞くと勇気がわいてくるから不思議だ。それだけ彼がリーダーとして信頼されていることなのか、はたまた投げやりの境地なのかはわからない。

 しかし、蛮勇に近い攻撃を、そのまま黙って見送るわけにはいかないと、大人たちは釘を刺す。いまにも『フライ』で飛び立ちそうな彼らに、ミシェルは治療を受けながら苦しい息を吐いて告げた。

「待て、お前たちが考えなしに怪獣のまわりをうろついてもサイトの邪魔になるだけだ。やるなら、少しは頭を使え」

「ふ、副長どのっ! お体は? ああいや! 大丈夫です。あの車の雷に巻き込まれるなんてごめんですから、かく乱だけにつとめます」

 まだ血のりをぬぐえてもいない中でのミシェルの叱咤が、彼女の教え子たちの中に適度な緊張感を蘇らせた。そうだ、敵は人の命なんかなんとも思っていない凶悪な連中なのだ。英雄気取りで出て行って殺されたら、それこそ愚者の鏡でしかない。

 やるなら確実に、才人たちの助けにならなくてはやらないほうがましだ。ミシェルは、まだ経験の浅い少年たちに、簡単だが確実に効果が見込めそうな策を授けた。

「ならば、怪獣の目を狙え。どんな生き物でも、目だけは守りようもない急所だ」

 そう、卑怯なようだが、目を狙うことは相手が生物であるなら極めて有効な手段だ。格闘技の試合でわざわざ目潰しが禁じ手にされているように、最大の情報源であり、かつ脆弱な目への攻撃は肉体への打撃の何倍も効く。地球で暴れたバニラやドドンゴも目への攻撃が有効打になっている。

 むろんミシェルはそんなことを知るはずもないが、銃士隊の任務としておこなったオークなどの大型害獣退治の経験が活きていた。

 作戦を授け、飛んでいく少年たちを横目に、ミシェルは再び横になった。と、同時に咳き込んだ口のはしから血が流れて、治癒の魔法を施しているルクシャナが慌てたように言った。

「無理しないでよ。わたしの魔法はそう強くないって何度言えばわかるの? あんたは普通ならとっくに棺桶に入っていておかしくない重体なのよ。せめてじっとしていて」

「すまん。しかし、まだ半人前のあいつらにまかせておけんものでな。やつらにとっては口やかましかろうが、あいにくわたしは隊長譲りで不器用な育て方しかできんようだ」

 自嘲するミシェルに、ルクシャナも呆れたようにため息をつく。そしてハンカチでミシェルの口元の血をぬぐった。

「まったく、あなたたちといると心臓がいくつあっても足りないわね。私もずいぶん好き勝手やってきたつもりだったけど、ここのところ常識人みたいな気になるわ。どうしてこう、蛮人って論理が欠落しているのばっかりなのかしら」

「お前が言うな。だがしかし、やつらはあれでいいのさ。あいつらには、頭の固い我々にない意外性と運のよさがある。百年かかってじっくり考え抜いた作戦が、ぱっとひらめいた適当な思いつきに負けることもある。知識や常識なんて、便利ではあるが万能ではないよ」

「道理を無理で切り開くというわけ? 一兵卒ならまだしも、とても、騎士団の副長の言う台詞とは思えないわね」

 まったくな。と、ミシェルは心の中で笑った。

 銃士隊も、結成当初はまじめでお堅い一団だったのに、いつのまにやらなにをやっているのか、ずいぶんと軽い集団になってしまった。今のこんな始末を昔の自分が見たら、烈火のごとく怒るだろうが、昔の自分はそれだからダメだった。目的のためには感情を捨てて戦う鉄の女といえば聞こえはいいが、そんな自分に超えられなかった壁を、能天気な子供たちはやすやすと超えていってしまう。

 人が人であるということはなによりも大事だ。人は、何かである前にまず人であるべきだ。目的のために人であることをやめたら、それはもう機械でしかない。そして機械では、決められた力は発揮できても限界を超えることはできない。単純な力が及ばなくても、意志の強さによって不可能が可能になることはある。

 以前に才人は技量で圧倒的に負けているにも関わらずにアニエスと引き分けた。ギーシュたちも、功績を省みれば普通の貴族の一生分以上の手柄を立てていると見ることも出来る。いずれも、どんな苦境の中でも決してあきらめない強い意志があったからこそ力量以上の活躍をすることができたのだ。

「人間の可能性というものは、いくらでも広げることができる。あとはまかせたぞ。あいつに目にものを見せてやれ」

 怪獣に生身で向かっていく。危険このうえない仕事を年少の者に任せるのは心苦しいが、あいつらならやってくれるはずだ。

 

 激震を響かせ、メーサー車部隊に迫るサラマンドラ。迎え撃つメーサー砲の攻撃も次第に乏しくなり、才人たちが苦悩している姿が目に浮かぶようである。

 かつて場所は違えど、サラマンドラは地球防衛軍の戦闘機をハエのように叩き落し、シルバーガルやスカイハイヤーを持ってしても足止めにさえならず、戦いを見守る市民を絶望させたことがある。ウルトラマン80が戦った怪獣たちの中でも、間違いなく上位に入るであろう強さで、科学も魔法もものの数ではないと暴れる。

 鼻から吹き出す火炎がメーサー車を才人たちごと焼き尽くそうと迫る。

「『エクスプロージョン!』」

 ルイズの爆発が火焔の軌道を逸らし、メーサー車はまた丸焼きを免れた。しかし、至近距離に迫っているだけに威力を殺ぎきれずに熱量のかなりがメーサー車本体へも襲い掛かる。

「ルイズ、窓から離れろ!」

 熱線が車体を焼き、車内にいてもかなりの熱さを感じた。その証拠に、車体は熱く焼け、塗装の一部は変色して剥げ落ちている。卵を落とせば一瞬で目玉焼きができるだろう。砲の機構そのものは冷却装置が働いて機能に支障はないが、次は直撃が来るに違いない。

「くそっ、ここまでか。ルイズ! 脱出するぜ」

「待ってサイト! みんなが」

「なんだって!? ええっ!」

 やむを得ずメーサー車を捨てようとした才人はルイズの声に窓を見て驚いた。

 すぐそこまで迫ってきているサラマンドラを相手に、『フライ』の魔法で空を飛んでいる仲間たちが魔法を撃って攻撃しているではないか。

「なにやってんだあいつら! 死にたいのかよ」

「いいえ、戦えてる。あの怪獣、かく乱されてるわよ。信じられない」

 ルイズは比較的冷静に見ていたが、やはり驚いていた。いつもギーシュとふざけているギムリと、あと数人がたくみに空を飛んで魔法を飛ばし、巨大な怪獣を四方から絶え間なく攻撃して振り回しているではないか。

 それはまるで、顔の周りをうっとおしく飛び回るハエのように才人には見えた。ときおり飛び出していく火の玉や氷の矢がサラマンドラの顔に当たり、傷つけることはできなくともサラマンドラはうっとおしげに頭を振る。むろん、追い払おうとしているようだが、怪獣のサイズで人間を捕まえるのは難しい。怖いのは火焔やミサイルだが、それもサラマンドラの正面に出なければ恐れることはない。彼らは、一見無秩序に飛んでいるように見えて、その実は計算された軌道で見事に渡り合っていたのだった。

 あいつら、いつの間にあんな戦い方を。才人はルイズとともに感心し、心中で称えた。一見すると、たいした戦い方をしてはいないように見えるけれど、二つ以上の魔法を併用して戦うにはかなりの熟練がいる。端的に言えば『フライ』の魔法で飛びながら別の魔法で攻撃を仕掛けるには、宙空でいったん『フライ』を解除して、墜落するまでのあいだに別の魔法を使って、再度『フライ』を唱えるという手順が必要になる。

 手順を口で言えば簡単だが、実戦で敵に狙われている状態で身動きできない浮遊状態になって攻撃し、元の軌道に戻るためには詠唱の速さやタイミングを計る決断力、なにより度胸が必要となる。彼らの同年代でこんな真似をできるのはタバサぐらいだったといえばすごさがわかるであろう。

 彼らはむろん、タバサのような飛行の速さやキレのよさはまだない。しかし、チームワークで互いの隙を補い合い、サラマンドラに狙いをつけさせない。しかし持久力で人間が怪獣に歯が立つわけがない。リーダー格を担っているギムリが、運転席から身を乗り出している才人に向かって叫んだ。

「サイト! あと一分くらいならおれたちがなんとかするから倒すなり逃げるなり早くしろ! だけどできれば助けてくれ!」

「お前らはなにしに来たんだ! ったく、だがおかげで目が覚めたぜ。みんな! なんとかしてそいつの頭を上に上げさせてくれ! そいつは、喉が弱点なんだ」

「わ、わかった!」

 声が届いただけ奇跡。いやそれだけメーサー車とサラマンドラの距離が近づいているという証拠だ。あと一回ミサイル攻撃を受けたら間違いなく全滅する。猶予は一分もない。

 才人は全神経を研ぎ澄ませて照準機を覗く。一瞬でもサラマンドラが急所を見せたら狙い撃つ!

 ルイズも才人に寄り添い、最悪の事態が起きたときに備える。ここまできたら、もう互いに選択肢はほとんどない。

 

 だが、才人がメーサーを放とうとしたその瞬間だった。森の影から突如として巨大な人影が立ち上がり、泥と枝葉をふるい落としながらメーサー車部隊に襲い掛かってきたのだ。

「はははは! 虚無の小娘にガンダールヴ。まさか私のことを忘れたわけじゃないよねえ!」

「シェフィールド!? あなた、まだいたの」

「逃げたと思ったかい? あいにく私にもプライドというものがあってね。私にこれだけの恥をかかせてくれたお前たちを生かしたままで、帰るわけにはいかないのよ」

 最後に一体だけ残ったヨルムンガントを使った、シェフィールドの決死の逆襲であった。サラマンドラが気をひきつけてるうちに森の中を見つからないように這いずってきて、今この時とばかりに襲い掛かったのだ。

「ここまで来ればそのやっかいな砲も役に立たないでしょう。私をコケにした報い、死んでつぐなってもらいましょうか!」

 至近距離にいきなり出現したヨルムンガントにはメーサー車といえども対抗できなかった。体当たりを食らわされ、最後尾にいた一両が横転転覆させられた。シェフィールドは高笑いし、次のメーサー車を狙ってヨルムンガントを襲い掛からせる。

 前にはサラマンドラ、後ろにはヨルムンガント。まさしく絶体絶命の挟み撃ち。だがそれでも照準機から目を離さない才人にルイズが言った。

「サイト、もうやられるわよ。脱出しましょう!」

「だめだ。今しか、今しかサラマンドラの急所を撃てるチャンスはねえ。一瞬だ、一瞬でいいんだ」

 このチャンスを逃せばサラマンドラを倒せる機会は永遠に巡ってこない。それに、元はといえば自分の責任なのだ。みんなに散々迷惑をかけたあげくに助けられ、最後に逃げ出したとあっては、今度こそ自分で自分を許せなくなってしまう。

 二両目のメーサー車も転倒させられた。白煙を噴き、パラボラを曲げた車体を踏みつけてヨルムンガントが迫る。さらにほんの数十メートル先にはサラマンドラが火炎とミサイルの同時攻撃を仕掛けようとしている。もうエクスプロージョンでもここまで近かったら相殺しきれない。

 これでも喉を見せないサラマンドラに、才人もこれまでかとあきらめかけた。喉以外を撃ってもサラマンドラは倒せない。

 だがそのときだった。サラマンドラのかく乱を続けていたギムリが、サラマンドラの目の前である呪文を使ったのだ。

『ライト』

 それは、杖の先にわずかな発光体を作るだけの初歩的な呪文だった。本来なら、夜や暗所で懐中電灯のように使うためで、戦闘に用いられることはまずない。しかし、目の前に飛び出してきたギムリを直視し、さらに空を覆う暗雲によって目が暗さに慣れていたサラマンドラにとっては、そのわずかな光も太陽のように明るく見えた。

「いまだ!」

 視界をつぶされてしまったサラマンドラが反射的に首をひねる。その隙を見て、ギムリはほくそ笑み、才人は歓喜して叫んだ。

「ひっかかりやがったな。目は、どんな奴でも鍛えようがない急所。そうですよね、副長どの」

「みんなぁーっ! 離れろ、撃つぞぉーっ!!」

 才人の絶叫にギムリたちは蜘蛛の子を散らすように飛び去る。そして、才人は照準機の中にピタリと収まった、サラマンドラの赤い喉へと向けて、最後の一撃を解き放った。

「くたばれぇぇぇぇっ!」

 三両目のメーサー車が蹴りとばされた瞬間、才人たちの乗る最後のメーサー車のパラポラから最大出力のメーサーが太く青白い光線となって放たれた。至近距離からのそれは、ロシアンルーレットの弾丸のごとく直撃し、サラマンドラ唯一の急所の全細胞を瞬時に焼き尽くした。

「やった! これで奴はもう復活できないぜ!」

 喉の再生器官からの酵素がなければ復活能力は働かない。もうサラマンドラはただの怪獣にすぎないのだ。

 

 だが、急所を焼かれて怒り狂うサラマンドラと、復讐に燃えるシェフィールドのヨルムンガントが迫る。

 もう、車から降りて逃げている時間はない。窓外いっぱいに迫るふたつの巨大な敵が、メーサー車ごと押しつぶしてしまおうと眼前だ。ルイズは才人の手を取り、杖をかざして呪文を唱えた。

『テレポート』

 瞬間、才人とルイズの姿が車内から掻き消え、次いで操縦席が火花をあげて押しつぶされた。

 大破する最後のメーサー車。しかしふたりの姿は、そこから少し離れた空の上に転移して現れ、落ちかけたところを仲間にキャッチされた。

「うわぉっ!? ルイズ、サイト! どっから出て来るんだよ」

「ごめん! 急いでたもんだから飛ぶ座標のイメージがズレたみたいね。ともかく助かったわ。今回は貸しより借りが高くついちゃったわね」

 ギムリたちに支えられ、ルイズと才人はさっきまで自分たちがいた場所を見下ろした。

 メーサー車はサラマンドラとヨルムンガントに破壊されて炎上している。ルイズのテレポートが一瞬でも遅れたら二人とも助からなかっただろう。

 そして、シェフィールドも破壊した車両の中にふたりの死体がないのを確認すると、周囲を見渡して宙に浮いているルイズたちを見つけた。

「いつのまにそんなところに。それも、虚無の力なのかしら?」

「あなたに教える必要はないわ」

「そう。まあさすがに伝説にうたわれる始祖の系統。私ごときの常識では推し量れるわけもないわね。お前のような小娘が、この私と互角にやりあえるのだから」

「そうね。確かに、虚無のないわたしはただの無力な小娘だわ。けれど、あなたもたいしたものね。そのゴーレムといい、それを自在に操ってロマリア軍やわたし達とひとりで渡り合う手腕と度胸といい、それを正しいことに使っていたらどれほど有益なことだったか」

「あいにく私は、我が主の願い以外のなにものにも従うつもりはないわ」

 ルイズとシェフィールドは、空の上と下で舌戦を繰り広げた。

 互いに、知恵と力を絞りつくしての総力戦だったこの戦い。敵への敬意などというきれいなものではないが、互いにそれぞれの力量には感服していたのだ。

 しかししょせんは相容れない存在である。ルイズと、シェフィールドは互いに相手が自分にとって決して容認することのできない敵だということを確信した。

「フフフ、虚無の小娘とその仲間ども。よくも私の軍団をここまで痛めつけてくれたものね。素直にほめておくわ。けれども、私にはまだヨルムンガント一体と、手傷を負ったとはいえ怪獣一匹が残っている。どうやらこの勝負、私の勝ちのようだね」

 勝ち誇るシェフィールド。だが、ルイズは悲しげに目を伏せると、ゆっくりと杖を頭上にかかげた。

「いいえ、あなたの負けよ。危険な武器は、あなたのそれも、わたしたちのものもハルケギニアには残させない。ここで、二度と使えないように破壊する。そして、この戦争も止める」

 ルイズの流れるような呪文の後に、振り下ろされた杖の先が光る。

『エクスプロージョン』

 ルイズのもっとも得意とする爆発の魔法。しかし、それはヨルムンガントやサラマンドラを狙ったものではなかった。魔法の力がメーサー車に吸い込まれた瞬間、目もくらむような閃光とともに大爆発が巻き起こった。しかも、その規模は尋常ではなく、エクスプロージョンの威力をはるかに超えて、瞬く間に周辺のものを無差別に巻き込んで広がっていく。

 魔法の目標としたのは、四両のメーサー車に才人がそれぞれひとつずつ仕掛けていた小型爆弾。ただし、ただの爆弾ではなく、才人がマグマライザーの残骸から回収したウルトラ警備隊の特殊兵器『MS爆弾』である。これは、ほんの二個の使用で特殊合金製の扉を吹き飛ばし、十個程度入りのケースひとつぶんで地底ロボット・ユートムの警備していた地底都市を跡形もなく粉砕してしまうほどの破壊力を持っている。

 才人は、万一の場合の自爆用として、このMS爆弾を各車に仕掛けていた。ただしMS爆弾は時限式なので、ルイズのエクスプロージョンで誘爆させる。これが、才人の最後の切り札であり、シェフィールドへの引導だった。

 メーサー車四両の爆発のエネルギーが拡散するのにかかった時間はまさに刹那。至近距離でそれを食らったサラマンドラは再生能力を失った全身の細胞を焼き尽くされ、ヨルムンガントは泥人形のように粉々に粉砕される。そして、ヨルムンガントの肩に乗って操っていたシェフィールドもまた。

「ばかな……ジョ、ジョゼフさまぁぁーっ!」

 絶叫を残し、シェフィールドは爆発の炎の中に消えていった。

 爆発はメーサー車と、その周辺にあったものすべてを飲み込み。爆風は急激に周辺の大気を押し出し、近くの空にいたルイズたちを軽々と吹き飛ばす。

「うわぁーっ!」

 『フライ』の魔法の効果もなく、風に舞う木の葉のように才人やルイズたちは吹き飛ばされるままに森に落ち、木々の枝で衝撃を弱められた後で、クッションのようになった腐葉土の上に落ちた。

 

 爆発の炎は天を焦がし、爆音は数十キロの距離を越えて響き渡る。そして、その光景は、戦いの顛末を見守っていたガリア両用艦隊の将兵の士気を砕くにはじゅうぶんであった。

「うわぁぁ、鎧ゴーレムとドラゴンがやられた。おれたちは、いったいこれからどうなるんだ?」

「ロマリアにあの怪物を倒せるメイジがいたなんて。おれたちなんかで、勝てるわけがないじゃないか」

 元々、騙されていたのに加えて、恐怖と集団心理で操られていた将兵たちである。彼らに恐怖と、戦争に勝てるという幻想を見せていた源泉が失われれば、たやすく士気はくじかれる。もはやガリア艦隊は、図体だけはあっても、戦う意思を喪失したでくのぼうに過ぎなかった。

 進む意思もなくし、かといってガリアに帰ることもならない両用艦隊はとほうに暮れたようにその場に浮かび続けた。

 しかし、やがてロマリア方面から優美な容姿の一隻の船が現れると、将兵たちの目はその船に釘付けになった。

「あれは、教皇陛下のお召し艦『聖マルコー号』だぞ」

 どよめく両用艦隊の将兵たち。教皇陛下の船が、たった一隻でなにを?

 固唾を呑んで見守る両用艦隊の眼前で、その船は舵をきって側舷をさらし、続いて魔法で拡大された美しい声がすべての船の隅々にまで響き渡った。

 

「ガリア両用艦隊の将兵の皆さん。私はヴィットーリオ・セレヴァレ! 聖エイジス三十二世です。まことに不幸なことに、あなたがたはガリア王ジョゼフ一世の謀略に落ち、邪悪な陰謀の道具として戦わされました。しかし、神はすべての真実を見通しています。あなたがたには何の罪もなく、ロマリアは不幸な迷い子を決して見捨てません。始祖ブリミルの名において、ロマリアはあなたがたすべてを客人として迎えましょう!」

 

 

 続く



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第14話  戦い終わって、はじまりへ

 第14話

 戦い終わって、はじまりへ

 

 金属生命体 アルギュロス 登場!

 

 

 『聖マルコー号』を先頭にして、大艦隊が粛々とロマリアの空を進んでいる。

 艦隊の名はガリア両用艦隊。いや、今は元とつけるべきだろう。そのマストの頂上に高らかに翻るのは、ガリア王国旗ではなくロマリア連合の旗。両用艦隊は、その全艦、一将、一兵にいたるまでガリア王ジョゼフへの忠誠を捨て去り、ロマリア教皇ヴィットーリオ・セレヴァレにひざを屈して頭を垂れていた。

 

「尊き神の子、ガリアの臣民たちよ。私はすべてを見ていました。苦しい戦いだったでしょう。神に杖を向けるなどと、望まぬ暴挙に心が痛んだことでしょう。しかし安心してください。神は常に正しき者の味方です。脅迫され、仕方なく撃たざるを得なかった子羊たちを罪に問おうなどとはもってのほか! 真に断罪すべきはあなたがたを騙して堕落させようとした、ガリア王ジョゼフ一世にあります。私はここに宣言しましょう。この艦隊に所属する、貴族から平民いっさいに、いかなる罰も与えることはないということを! さあゆきましょう真の信仰を取り戻すために。ロマリアはあなたがたを心より歓迎するでしょう」

 

 すべての将兵が熱狂して、聖マルコー号からガリア艦隊を一望するひとりの男を称えていた。

 男の名こそ、誰あろうヴィットーリオ・セレヴァレ。ハルケギニアに浸透するブリミル教の総本山ロマリアの、その頂点に君臨する教皇である。二十代前半という、若さに溢れた容姿はそれを感じさせぬほどの威厳と風格を備えて神々しくもあり、人間ではなく神像がそこにあるかのような錯覚すら人々に与える美青年が彼であった。

 ヴィットーリオの演説に、ガリア両用艦隊の全艦から吼えるような歓声が響き渡り、熱狂する声が轟いた。

 

「教皇陛下万歳! ロマリア万歳!」

 

 恐らく両用艦隊が誕生しての歴史上、これほどまで貴族と平民のクルーの気持ちが合わさったことはなかっただろう。それをたやすく成し遂げたヴィットーリオの力は凡人のものではない。彼は、ヨルムンガントとサラマンドラの消滅に動揺し、浮き足立っていた両用艦隊の前に聖マルコー号で姿を現し、その雄弁なる言葉であっというまにガリア艦隊将兵の心を掌握してしまったのだ。

 

「神と始祖の前にありて、我々は平等です。しかし、今や信仰なき者が国をすべ、神の子らを苦しめています。このような理不尽が許されてなるものでしょうか? いいえ、人にはそれぞれ神より与えられた崇高な使命があります。そして、あなた方には戦う力があります。その力で、信仰なき王に服従するか、それとも真の神の使途としてふるまうか。皆さんはもうお気づきでしょう」

 

 ヴィットーリオの言葉に、ガリア軍の将兵たちは涙まで流している。彼らは誰もが、ロマリアへ無断で入り込み、言われるがままに破壊を繰り返したという罪悪感に捕らわれていたが、そこへ飛び込んできたヴィットーリオの言葉はまさに福音であった。

 もはや、ガリアからどんな命令が届いても両用艦隊を反意させることは不可能であろう。ハルケギニアにおいて、ブリミル教の教皇の権威というものはそれほど強かった。どんな優れた艦隊でも、操っているのは人間だということである。両用艦隊は完全に掌握され、聖マルコー号に従者のようにつき従ってゆっくりと飛んでいた。

 

 そして、苦闘の末にシェフィールドの操るヨルムンガントとサラマンドラを倒した才人やルイズたちは、水精霊騎士隊や銃士隊とともに聖マルコー号に収容されていた。

「あなたがたが、あのガリアの悪魔のような人形とドラゴンを倒してくださったのですね。おかげで、ロマリアは救われました。ロマリアの市民すべてを代表してお礼を申し上げます。あなたがたは、まるで始祖が遣わしてくれた天使のようですね」

「そ、そんな、ぼくら、いや私どもはなにもたいしたことは! きょ、教皇陛下におきましてこそ、侵攻してきたガリア軍をお許しになる寛大さ。我ら一同、感服いたしましたっ!」

 代表者としてヴィットーリオと対面することになったギーシュは、冷や汗ダラダラしどろもどろになりながら、どうにか話していた。小国トリステインの一貴族の子弟が、いきなりハルケギニアで一番偉いというべき人物と対面させられているのだからパニックになるのも無理はないといえる。

 しかし、いくら水精霊騎士隊の隊長とはいえ、これはギーシュには荷が重過ぎる仕事なのは、後ろで不安そうに見守っているギムリやレイナールたちのひきつった表情を見てもわかる。なぜこうなったかといえば、ミシェル以下銃士隊には重軽傷者が多く、船の医務室で手当てを受けている。また、メンバーの中ではもっとも格式の高いヴァリエール家出身のルイズも、虚無魔法の使いすぎで気力が尽きて眠り込んでおり、繰上げでギーシュがこのとんでもない大役をおおせつかることになったのである。

 ルクシャナは、ミシェルの容態がまだ安定しないので、責任を最後までとるとつきっきりになっている。

 ヴィットーリオと対面しているのは、水精霊騎士隊と才人とティファニアである。なんと聖マルコー号には南へ先に避難させていたモンモランシーとティファニアも同乗していた。呆れた手回しのよさだが、その理由はすぐにわかった。この少人数が聖マルコー号内の、聖堂のような間でヴィットーリオに拝謁しているのだが、才人はヴィットーリオよりも、その隣で不敵な笑みを浮かべている少年に目がいっていた。

「ジュリオ……てめえ、なんでここにいやがる。てめえ、ほんとうにいったい何者なんだ?」

「ふふ、サイトくん、そう剣呑な眼差しを向けないでくれよ。心配しなくても、僕が君たちの味方だということは、これまでの数々の協力で明らかだろう? そう警戒せずに、友達として見てくれよ」

 それで納得できるか! と、才人は場もわきまえずに怒鳴って周りを青ざめさせた。教皇陛下の前での態度としては正気のさたではないが、意外にもおとがめはなく、ヴィットーリオが代わって説明した。

「サイトくんでしたね。いろいろと不信を与えてしまったことは、私からお詫びいたします。実は彼、ジュリオは私が教皇になる以前からの古い友人でしてね。宗教庁の人間とは別に、私のために働いてくれているのです。本当のことを申しますと、私はあなたがたがロマリアに入ってきたときから知っておりました」

「なんですって!?」

 さすがにそれは聞き捨てならなかった。ここには東方号が墜落してからずっと、公にはなにも出さずにやってきたというのに、どうして存在を知られていたというのだ? すると、今度はジュリオがいたずらっぽく笑って答えた。

「難しいことじゃないさ。僕らロマリア宗教庁は、ハルケギニア中の聖職者とつながっている。その中でも特に、ロマリアの国境沿いでは、異端者やロマリアに害をなす者の入出国を、一般人に紛れて監視しているんだ。そのうちのひとりが、トリステインで有数な大貴族のヴァリエール家の令嬢が通っていくのを見つけて報告してくれたんだよ」

「ルイズが?」

「そうさ。強いて言えばギーシュくん、君もグラモン元帥の息子だろう? そういうわけで、トリステインに問い合わせてみたら、君たちだけが帰国していないことが判明してね。出迎えるべきであったのだけど、なにやらただならぬ雰囲気だったもので、失礼かと思ったけれど、僕がしばらく様子を見ることにしたというわけなのさ」

 全員が、ロマリアの情報収集能力に驚いていた。まさか、とっくの昔に気づかれていたどころか、ルイズやギーシュの顔まで出回っているとは想像をはるかに超えていた。

 呆然とするギーシュたち。才人も、あまりの答えに愕然として二の句が次げない状態だ。

 すると、ヴィットーリオは申し訳なさそうに軽く会釈して、穏やかな声で言った。

「もう一度失礼をお詫びします。ジュリオはこのとおり、少々人を食ったところがある悪い癖がありましてね。悪気はなくとも不必要に他人に警戒させてしまうことがあるのです。ジュリオ、あなたも謝りなさい」

「はい、すまなかったねサイトくん。でも、僕らとしても黙ってロマリアに入ってきた君たちの真意をはかりかねていたんだ。なるほど、空を覆った黒雲の原因を調査しに来ていたとは意外だったよ。僕たちもそれについては調査をしているんだよ。これからは、協力してハルケギニアに太陽を蘇らせるようがんばろうじゃないか」

 ジュリオはそうして握手を求めてきたが、才人はすぐには応じなかった。

 確かに一応の説明にはなっている。しかしまだ、地下墓地に眠っていた地球の兵器群、ハルケギニアの人間ならば使い方などわかるはずもないあれらのところへ、迷わず自分たちを連れて行ったことが腑に落ちない。自分でも言っているとおりに人を食った態度で煙にまこうとしているが、こいつにはまだどうしても危険な匂いを感じてならない。

 いや、それを言うならば教皇ヴィットーリオも才人は気に食わなかった。ロマリアの街があれだけの惨状になっているのに、お偉いさんであるこいつはなにをしているのだ? 才人には政治や経済に関する知識などはないけれども、いままで見てきたハルケギニアの国で、トリステインはもちろん、アルビオンやガリアも天国とはほど遠いものの人々はそれぞれの生活を前向きにがんばっていたが、この国にあるのは絶望と虚栄心だけではないか。

 そうして、才人が握手をためらっていると、秘書官らしい人がやってきてヴィットーリオに耳打ちし、彼は皆に告げた。

「すみません皆さん、時間が来てしまいました。これから私はガリアの艦隊を巡って、将兵の方々を慰問しなくてはなりません。ジュリオも、まだお話があるでしょうが私の護衛についていただかなくてはなりませんので、申し訳ありませんが、続きはまたの機会にということにいたしましょう。さ、ジュリオ」

「はい、陛下」

「よろしい。では、失礼させていただきますが、今回の一番の功労者の皆さんを邪険にしてしまうのは、本当に心苦しく思います。おわびに、略式ですが皆さんに祝福を授けてあげましょう。それで許してくださいませ」

 ヴットーリオの真摯な姿勢に、ギーシュや水精霊騎士隊の少年たちは「そんな、もったいないことです!」と、慌てて叫んだ。教皇の祝福といえば、敬虔なブリミル教徒にとっては喉から手が出るほどほしいもので、末代までの誇りとなるばかりか、祝福を得られた者は神に認められたとして、神と始祖のためなら命すら惜しまぬ勇猛な戦士となるほど価値のあることなのである。

 略式の場合は儀式的なものはなく、ただヴィットーリオが短く祝福の言葉をかけるだけであるが、それでも教皇直々にということが大変な名誉になることは変わりない。

「ギーシュ・ド・グラモン、あなたに始祖の加護がありますように」

「あ、ありがとうごさいますすすす!」

 ひとりひとりにこう短く語りかけるだけだが、ギーシュたちは完全に恐縮しきっており滑稽としか言いようがなかった。一方で、ブリミル教徒ではない才人は冷めたもので、義務的に礼と会釈をしたのみだった。これをロマリアの神官などが見たとしたら、額に青筋を立てて怒り出すところだが、ヴィットーリオは穏やかな表情のままだった。

 そして、たいした数もいない水精霊騎士隊の祝福はあっというまに終わり、才人はそれを退屈そうに横目で眺めていたが、最後にティファニアの番になったところで才人の眉が動いた。

「ティファニア・ウェストウッド、あなたにも始祖の加護があらんことを」

「は、はい。あ、ありがとう、ございます」

 ティファニアの声が震えていた。最初は、緊張によるものかと思ったが、冷静さを保っていた才人はすぐに脅えによるものだと気づいた。

”テファ……?”

 どうしたんだろう。人間に化けるルクシャナの魔法は完璧だったはず。なのに、彼女の震えは尋常ではない。

 才人はいぶかしんだが、さすがにこの場でティファニアに問いかけることはできない。不信に思いながらも静観していると、やがて全員の祝福を終えたヴィットーリオはジュリオを連れて足早に去っていった。

 室内には、感動のあまり呆けた様子のギーシュたちと、憮然とした才人に、ティファニアが残っている。

「なんか、人間ばなれした人だったな」

 才人は、白昼夢でも見ていたかのような気持ちで率直な感想を口にした。とにかく、今まで出会ってきたどんな人間とも異なる種類の人であった。まるで、この場にいるけど、実体ではないような……奇妙なようだが、よくできた人間の仮面をかぶっているような、そんな違和感を最後までぬぐえなかった。

 こんな気分ははじめてだ。才人はそう考えていたが、ふと思い出してティファニアに話しかけようと思った。ところがそこへ、我に返ったギーシュたちが一気に突っ込んできたのだ。

「おいサイト! 教皇陛下に対してなんだね今の態度は? 陛下がご寛大なお方だったからよかったが、あんな無礼をしたらその場で聖堂騎士隊に処刑されててもおかしくないんだよ」

 彼らはさっきとは違う剣幕で怒っていた。価値観がまったく違うからある程度しょうがないとはいえ、こちらの常識からしてみたらとんでもないことを才人はしでかしていたのだ。彼らとしては、教皇陛下のご機嫌が損ねられたらと、戦々恐々と才人を見ていたに違いない。

 ひとしきりの叱責が続き、やがて才人も自分の態度が皆に心配をかけていたのは納得すると、謝罪した。

「悪い、みんな。次からは気をつける」

「わかってくれればいいさ。思えばぼくらも君にハルケギニアの常識が欠けているのを忘れていた。君はこの場に出さないほうがよかったようだ」

 異なる文化風習の人間が合わさるとき、無知や無理解からいざこざが起こるのはよくあることだ。今回はどうやら、無事にすんだらしい。

「ところでギーシュ、おれたちはこれからどうするんだ?」

「うーん、教皇陛下はしばらく戻られないだろうし、到着するのは明日になるはずだ。しばらくはやることがないから、各自自由行動でいいだろう。聖マルコー号の船内は自由に使っていいそうだし、食事をとるなり休むなり好きにしてくれたまえ」

 ギーシュがそう言うと同時に、複数のあくびの声が響いた。どうやら、魔法で治療を受けたとはいえ戦いの疲れがどっと来たらしい。全員が揃って生還できたことが信じられないような死闘だったのだ。勝利の女神のささやきも、睡魔の歌にかき消されてしかるべきだろう。

 ともかく、まだ話は山のようにあるが、今はとりあえず一晩の眠りがほしいところだ。

 各人がとろんとしてきた眼をこすりながら出て行くと、才人もティファニアをともなって部屋を出た。

「大丈夫かテファ? 顔色が悪いようだけど、なにか、気にかかることがあるなら話を聞くぜ」

「サイトさん……お話したいことがあるんです。ただ、ここじゃちょっと」

「わかった。けど、その前に寄りたいところがあるんだ。少しだけ待ってくれ」

 才人はティファニアを連れて聖マルコー号の医務室を訪れた。そこでは、負傷した仲間たちが寝かされてすやすやと寝息を立てており、付き添いで椅子に座ったまま居眠りしている銃士隊員の姿もあった。

 ルイズも、その奥のベッドに寝かされており、静かに死んだように眠っていた。

「皆さんも、ルイズさんも、疲れたんですね」

「ああ、特にこいつは今回一番がんばってくれたからな。おれには過ぎたやつだよ、ほんとにさ」

 メーサー車の操縦のサポートから虚無の魔法の連続使用と、ルイズががんばってくれなくては自分だけの力ではどうにもならなかったと才人はしみじみ思った。ルイズがいなければ、今の自分はない。この小さな体に、何度命を救われてきたことか。

 起こしちゃいけないと、才人はそっとルイズのベッドを離れた。そして最後に訪れたベッドで彼を待っていたのは。

「来たか、サイト」

「起きてたんですか、ミシェルさん」

 才人は、あえて自分のこの世界での戸籍上の姉のことを名前で呼んだ。それが、どういう意図で口から出たものなのかは才人本人にも実はよくわかっていないが、彼の心情が単純でないという証明でだけはあったろう。

 「姉さん」ではなく、さん付けでも名前で呼ばれることがミシェルにもどういう心境を与えたのか。ベッドに横たわったままで、彼女は口元に薄い笑みを浮かべると、穏やかな声色で言った。

「それは気づくさ。あんな無用心でへたくそな足音を立ててくるやつはお前しかいない」

「どうですか? 体の具合のほうは」

「落ち着いたよ。まだ、大丈夫とはいえないが、それなりに鍛えてるからな。それに、彼女ががんばってくれた」

 ミシェルの傍らで、治癒をかけ続けていたルクシャナは疲れ果てて寝こけていた。精神力を使い切り、こころなしか細身の体がさらにやせてほおがこけているようにも見える。彼女も、いや今回は誰もが死力を尽くさなくては生き残れない戦いだった。

 しかし、才人の心には安堵よりも罪悪感が強い。それを見抜いたのか、ミシェルは少々声色をきつくした。

「こら、今回一番の功労者がそんな沈んだ顔をしていてどうする? 我々は勝ったんだ。もっと誇らしくしろ」

「いえ、そもそもおれがウジウジしていたから、みんなが危ないときに」

「バカ! 過ぎたことをいつまでも悔いていてどうする。そうやって後悔し続ければ、時間を戻せるわけでもないだろう。経緯はどうあれ、お前が来てくれたおかげでわたしたちは助かった。今回、お前は間違いなく英雄だよ」

「はい……」

 才人はうなづいたが、やはりまだ納得しきれていなかった。あの夜のことはミシェルには話せない。先の戦いでは、その迷いを怒りで無理矢理抑えて戦ったが、終わった後で得られたのは、どうしようもない虚しさだけだった。

 戦う意味が取り戻せないまま戦っても、心は空虚で満たされない。いや、戦ってなにかで心を満たそうという、血を欲するような嗜好を持ってはいないつもりだが、なにもなしに無償で戦い続けられるほど、聖人じみた慈善精神も才人は持っていなかった。

 これが、戦闘の高揚感や金銭を目当てに戦う人間ならば悩まなくてすんだだろう。けれども、才人の戦ってきた目的は利益や私欲のためではない。まして名誉なんかを望んだことは一度もない。ならばなにを求めてきたのかと問われると、それを才人も答えることができなくて苦悩していた。

 すると、ミシェルは呆れたように息をついて才人に言った。

「どうやら、まだ吹っ切れないようだな。困ったやつだ。前に、わたしにはさんざん説教しておいて自分のこととなるとこれか?」

「面目次第もないよ」

 恥ずかしさと情けなさで才人は死にたくすらなった。長々と、こんなことに時間をとってみんなに迷惑をかけ、いらだたせている自分がほんとうにバカに思えてしまう。けれども、ミシェルは才人を怒りはしなかった。

「まあいい。人から出してもらった模範解答で納得できるような悩みばかりじゃないことは、わたしも知っているさ。それにお前は、自分で納得のいく答えを出したいんだろう? なんなら、叱り付けてやろうかと思ったが、やめておくよ」

「ほんとすみません。おれ、自分で言うのもなんですけど、バカですから」

「ふっ、なにを今さら。でも、お前は自分をそう言えるだけたいした奴だよ。本当のバカとは、自分を利口だと思ってるバカのことさ。昔のわたしはまさにそうだったろう? 自分の考えが唯一無二の正解だと信じて、みんなに大変な迷惑をかけてしまった」

 ミシェルは苦笑いしながら思い出を辿る。

「だけど、そんな大バカのわたしを、サイト、お前は助けてくれた。そのことは、わたしは一時たりとも忘れたことはない。だからサイト、お前は自信を持て。なにに迷っているか知らないけれど、お前はひとりの人間を確かに救った男だ。誰にでもできるようなことじゃない。お前は英雄だ。少なくとも、わたしにとっては永遠にな」

「ミシェルさん……ありがとう」

 才人の目には、いつのまにか涙が浮かんでいた。

「バカ、礼を言わなきゃいけないのはわたしのほうだ。お前のおかげで、今のわたしには家族がいる、仲間がいる、生きる目的も楽しみもある。そしてなにより、惚れたお前がいる。人を愛することを知れて、わたしはとても幸せなんだ」

 そのミシェルの言葉を聞いて、才人よりむしろ隣にいたティファニアのほうが赤面した。

「わっ! ミ、ミシェルさん、そんなはっきり、あ、愛してるだなんて」

「ん? はは、聞かれてたな。それはもちろん、わたしだって面と向かって言うのは恥ずかしいさ。でも、思いは言葉にしなきゃ伝わらないって、部下たちが言うんでな。ティファニア、お前もいつか心から愛せる人ができたときに、きっとわかるようになるさ。もっとも、楽な道ではないけれどもな、サイト」

「えっと、ごめんなさい。おれ、まだそっちのほうの気持ちにも、整理がついてなくて……」

 青ざめたり赤面したり、この日の才人の顔色は信号機のようだった。けれど、ミシェルはそんな才人のことなど百も承知とばかりに軽く笑う。

「情けないやつめ。人が恥ずかしいのを我慢して告白しておいてそれだ。とはいえ、横恋慕するわたしも悪いんだが、もう自分の気持ちにうそはつきたくないんでな。サイト、何度でも言うが、わたしはお前を愛してる。サイトが望むなら、わたしの持っているすべてをくれてやる。それに、今のわたしには夢がある」

「夢?」

「ああ、サイト、この戦いが終わったら、わたしはお前の生まれた国に行ってみたい。お前みたいな奴が育った国へ行って、見て、聞いて、学んで、もっと広く大きくものを守れる人間になりたい。今のわたしの力なんてないも同然だ。私は強くなる。サイト、お前には夢はないのか?」

 それを聞いて、才人ははっとした。

”夢? そうだ、おれの夢は”

 思い出した。それに気がついたとき、今まで死んでいた才人の目にわずかながら光が戻った。

 おれにも夢があった。おれが戦ってきたのは、夢をかなえるためでもあったはずだ。

 そして、才人の表情の変化を敏感に感じ取ったミシェルは、安心したように才人に微笑んだ。

「なにかに気づいたようだな。さて、長話になってしまったな。怪我人はもう少し寝るとするよ。サイト、そい寝してくれるか?」

「いいっ!?」

「ははっ、冗談だよ。お前に、そんな度胸があるわけないもんな。ささ、根性なしは出てけ出てけ、私は寝る」

「あはは、はーい」

 ここでギーシュとかだったら躊躇なく「喜んで!」とか言ってベッドに飛び込んでくるだろうが、残念ながら日本育ちの才人はそこまで強引にはできなかった。いや、シチュエーションさえ許せば健康な青少年らしくしていたかもしれないが、さすがに怪我人を押し倒す気にはなれなかったのだろう。

 才人はティファニアを連れて立ち去ろうとした。いいかげん、恥ずかしさが限度にきている上に、ルクシャナに起きられて事の顛末を皆にしゃべられたらやっかいなことになる。特にルイズになに言われるかわかったものじゃない。

 ドアを開けてティファニアを先に出し、自分も続いてくぐる。だが、扉を閉めようとしたときに、ミシェルの自分に当てた声が届いてきた。

「サイト……ありがとう」

 才人は一瞬扉を閉める手を止めて、音を立てないように静かに閉めた。

 

 聖マルコー号の船内は、手すきの船員はすべて教皇陛下の仕事で甲板に上がっているのか意外に静かで、ふたりはコツコツと足音を響かせて歩いていく。

「ふふ、なんだかサイトさん、少し楽しそう」

「そうか? どっちかっていうと、恥ずかしいとこを見られて顔から火が出そうなんだがな」

 とはいうものの、才人の表情が和らいでいるのをティファニアはしっかりと見ていた。

 ミシェルと話す前はしかめっ面だったのが、いまではどこか幸せそうにほおが緩んでいる。それがどうしてなのか、多分、ミシェルが才人の忘れかけていた、戦う理由のはじまりを思い出すヒントを与えてくれたからだろう。

 キリエルに言われた、多くの人々を救うことが正しいのかどうかの答えはまだ見つけられていない。だが、自分の中には正義感や使命感より先に、どうして戦い始めたのか、どうして戦ってこれたのか、戦い続ける中でいつの間にか忘れていたこと、勇気の原動力となっていたものがあった。

 それが、夢。才人には、かなえたい大きな夢があった。

”おれは小さい頃からウルトラマンにあこがれていた。ウルトラマンみたいに強く、かっこよくなりたいとずっと願ってた。そうだよ、おれはウルトラマンになるためにこれまでがんばってきたんだ。みんなを守れる、本物のヒーローになるために。そのために戦ってきた。GUYSに入るために勉強もしてきた。それがおれの原点であり、変わらぬ目標だったはずだ”

 そのことを思い出し、はじまりの気持ちに立ち返ったとき、心を覆っていた暗雲の一角から光が見えていた。

 考えてみれば、いつからこんな小難しいことを考えるようになったんだろうか。最初のころの自分は、もっと単純に、悪く言えば考えないで戦っていたはずだ。ただ、それが正しいことであると信じて。ウルトラマンなら、そうしてみんなを助けてくれるはずだと信じて。

 そして、ただ思い出すだけではなく、ミシェルの語った夢と共感することが勇気を与えてくれた。自分はひとりじゃない。同じ目標を持っている仲間がいるということが、孤独だった才人の心になによりの希望を与えてくれたのだ。

「結局、おれみたいなバカがひとりで考えても無駄だってことか」

「はい?」

「いや、なんでもない。けど、考え事の半分は片付いたから心配しないでくれ」

 やっぱり、悩みを胸の奥にしまい続けていてもろくなことはないということなのかと才人は思った。原点に帰るという簡単なことなのに、それをひとりでは思い至らなかった。人はひとりでは生きていけない。だったら、おれもミシェルさんの夢の手助けをしたいなと才人は思った。

 地球に、日本に彼女を招待する。いつかそれを叶えてあげたい。宇宙はこんなに広いんだということを、ルイズのときのように見せてあげたい。なんだ、自分にも新しい夢ができたじゃないか。

 心には、もうひとつの迷いがまだ残っている。救えない人間を救おうとするのは正しいのか、その答えはまだ出ていないが、最後にミシェルのくれたありがとうの一言が、すべてとはいかないが心に絡み付いていたツタを切り払ってくれた。

「まったく、見舞いに行ったらいつのまにか自分がはげまされてるんだから、かなわないなあ」

「ミシェルさんって、いい人ですね」

 ティファニアが微笑みながら言うと、才人も笑ってうなづいた。

「だろう、強いし優しいし、なにより胸はでかいし美人だしな」

「サイトさんは、ミシェルさんをお嫁さんにするつもりなんですか?」

「ぶっ! テ、テファ、せっかく人がオチつけてごまかそうとしてるのに、そんなにストレートに言われると困るなあ」

 才人は、聞かれたくないなあと思っていたことをズバリと問われてまいってしまった。

 弱りながら頭をかき、どう答えたものかと考える。おおまかなことはさっきまでにしゃべっていたとおりなのだが、実際に将来結婚するかとなると難しい。

 ルイズが好きなのは変わらない。しかし別にミシェルにひかれる心があるのも確かだ。

 まったく我ながら情けなくも憎らしい。優柔不断な女の敵とそしられても文句は言えない。

 だが、いつかは必ず決めなくてはいけない問題だ。そのことを思い、才人はこう答えた。

「おれも、いつまでもガキのままじゃいられないからな。誰も傷つけずに、みんなまとめて幸せにするなんて都合のいいハッピーエンドを考えちゃいないさ。ルイズに消し炭にされるなり、ミシェルさんに首刈られるなり覚悟するさ。けれど、もう少し時間がほしいんだ」

「そうですね。お父さんがしっかりしないと、生まれてくる赤ちゃんがかわいそうですもんね」

「ぶっ! テ、テファ、い、意外とキツいこと言うんだね」

「えっ? 結婚したら赤ちゃんを産むことになるんですから、ちゃんと準備してから結婚するのは当たり前じゃないんですか?」

 きょとんとした表情で見つめてくるティファニアに、才人はやっぱり女性はあなどれないなと思った。浮世離れした育ちをしてきたとはいえ、さすがはロングビルが育ての親をしてきただけはある。結婚後に対してシビアというか現実的な考え方を持っている。

 対して自分はどうか? 言われてみれば結婚後のことなどろくに考えていない。どう生活を立てていくとか一切ビジョンなし。これでは、嫌な言葉だが結婚が人生の墓場となってしまう。ガキのままじゃいられないと言いつつ、立派過ぎるほどガキだった。

「うーん、おれの子供かあ……」

 才人は想像してみた。ミシェルとの間に子ができたら、きっと利発でたくましい子で、ミシェルは厳しくも暖かく育てるだろう。ルイズとの間に子ができたら、頭がよくて運動神経がよくて……だめだ、ルイズが子育てしている姿が想像できない。いや、よく考えてみたら自分も子守りしたりおしめ代えたりしなきゃいけないのだ。

 人生設計……こりゃあ、怪獣と戦うより難しいなと才人は思った。ただのサラリーマンだった父と、専業主婦の母は実はとてもすごかったのだ。アホな息子でごめんなさいと、才人は心の中で両親に深々と頭を下げるのであった。

 

 

 さて、どうも話がかなり未来のことにまで脱線していたようだ。

 頭を抱えていた才人は、とりあえず将来の苦労のことは置いておいて、ティファニアを連れて自分に割り当てられた個室に入った。

 ここは、来賓の貴族用の個室になっていて、外に声が聞かれる心配はない。本来はルイズ用の部屋だが、ルイズが医務室で眠ったままの今なら誰も来ることはないはずだ。

「よし、と。鍵も閉めたし、人の気配もねえよな。待たせてすまなかったなテファ、話ってのはなんだい?」

「実は、あの、教皇陛下のことなんですけど……」

 ぼそぼそと、周りを気にしながら話すティファニアに、才人もやはりと思った。

 もう一度、盗聴されてないか部屋を見渡す。魔法の使えない才人はディテクトマジックなど使えないが、本能的に安全を確保しようという気が働くのは、才人自身もあの教皇に愉快ならざるものを感じていたからだ。

「テファ、大丈夫だ。あの教皇は、おれもいけすかないと思ってるんだ。まずいことだったら、絶対に誰にも言わないって約束する。テファがそんな顔してたら、みんなすぐに気がつくぜ。誰かと話せば少しは楽になるって、さっき俺のを見てたろ?」

 才人はつとめて優しくティファニアに語りかけた。もしもここに外敵が現れたら、身を挺してでも守る覚悟だ。

 ともかく、証拠を並べる以前に本能的にヴィットーリオとジュリオは気に入らない。言いがかりだとしても、危険な感じのする人間にティファニアが脅えているのだから放っておくわけにはいかない。

 すると、才人の真剣な態度を受け取ったのか、ティファニアは声を潜めながらも話し出した。

「実はわたし……小さい頃に一度、あの人に会ったことがあるんです」

「会ったことがって、教皇ヴィットーリオとか?」

「はい、でもただ会っただけじゃないんです。サイトさん、わたしの母のことをご存知ですよね?」

「テファのお母さん? 確か、サハラから来たエルフだったよね」

 才人は記憶を辿って答えた。もうけっこう前のことになるが、ティファニアの母親のことについてはタルブで話を聞いたことがある。目的はさだかでないが、アルビオンに向かって旅をしており、立ち寄ったタルブでのシエスタやルイズの母、それからこの世界に迷い込んでしまった元GUYSの佐々木隊員をめぐる怪獣ギマイラとの戦い。そして、その果てに現れたウルトラマンダイナの活躍など、思い浮かべるだけでも胸が熱くなる。

「はい、母の名前はシャジャル。ですがサハラの言葉の名前なので、旅の間は偽名としてティリーと名乗っていました。三十年前にサハラからやってきて、いろいろな冒険をしたそうです。特にタルブ村であったことは、サイトさんたちもお聞きになったとおりです」

「ああ、思い出した。それで、タルブ村での戦いの後で、アスカ・シンとアルビオンに旅立ったんだっけか。おれの知ってるのはそこまでだよ」

「話は、そのすぐ後……母がアスカさんとアルビオンに渡ってのことです。わたしが生まれるよりずっと前のこと、お母さんから聞いたウルトラマンダイナの最後の戦いのことを、まずは聞いてください」

 

 ティファニアは目を伏せ、とつとつと語り始めた。

 時をさかのぼること三十年。まだ将来起こる世界の破滅など、誰も夢にも思わない時代。

 しかし、一見平和に見えるこの時代においても、人々の知らないところで戦いが繰り広げられていた。

 タルブ村の戦いで、宇宙からやってきた怪獣ギマイラを退けたアスカ・シンことウルトラマンダイナ。彼はあてのない旅の途中で、ティファニアの母ティリーをアルビオンまで送り届けようとしていたが、アルビオン大陸に渡って少しした旅の中で突如として恐るべき敵と相対しようとしていた。

「ア、アスカさん」

「へっ、心配するな。お前は、俺が必ず守ってやるからよ」

 誰もいない深い森の中で、若いエルフの娘を防衛チーム・スーパーGUTSの制服を着た青年がかばっている。

 その前に現れるのは、空から降り注いだ全長五十メートルを超えるのでは思えるような銀色の四本の柱。

 やがて四本の柱は液体のように形を崩すと一体に固まり、銀色と金色の混ざった表皮を持ち、オレンジ色に輝く単眼を持った異様な巨人の姿へと変わった。

「こいつは……なんだあ?」

 唖然とする青年、アスカの見上げる前で、異形の巨人は二人を見下ろし、まるでこれから踏み潰す蟻を値踏みする子供のようにいやらしく口元を歪めて笑ってみせた。

 金属生命体アルギュロス。その悪意を隠そうともしない見下げた姿勢に、アスカはエルフの少女をかばいつつ告げた。

「ティリー、下がってろ。こいつは、俺がぶっ倒す」

「アスカさん。そんな、無茶です逃げましょう!」

「心配すんなっての。ところで、ここはアルビオンのどこあたりになるんだっけか?」

「えっ? 確か、サウスゴータ地方のウェストウッドというところのはず、ですが」

 唐突にアスカに振られた問いに、エルフの少女ティリーが怪訝な顔を向ける。だがアスカは明るく笑うと、ぐっと親指を立てて言った。

「そうか、じゃあ目的のとこへはあと少しだな。もしも、俺になにかあっても、お前は迷わず進み続けろよ」

「えっ……アスカ、さん?」

 困惑するティリーの前で、アスカはためらわずアルギュロスへ向かって歩を進めた。

 そして立ち止まり、強い眼差しでアルギュロスを見上げると、その手に握った光のアイテム・リーフラッシャーを高く掲げて叫んだ。

 

「ダイナーッ!」

 

 光がほとばしり、アルギュロスと対峙して銀色の力強い巨人が立ち上がる。

 光の戦士ウルトラマンダイナ。アルビオン大陸を舞台として、その知られざる戦いが今語られようとしている。

 

 

 続く



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第15話  遠い母の記憶 ウルトラマンダイナvs金属生命体

 第15話

 遠い母の記憶 ウルトラマンダイナvs金属生命体

 

 金属生命体 アルギュロス

 ニセウルトラマンダイナ 登場!

 

 

 今から、ハルケギニアの時間でさかのぼること三十年前。ルイズたちが生を受けるずっと前に、アルビオン大陸で人々には知られないが、とても重要な戦いがあった。

 それが起きたのは、ルイズの母カリーヌも巻き込まれたタルブ村での吸血怪獣ギマイラとの戦いの後のこと。

 ギマイラを倒した後、後のティファニアの母シャジャルことティリーはアスカ・シンとともにラ・ロシュールからアルビオンへと旅立った。

 そこを起点にしてティファニアは才人に語る。

「お母さんたちは、何事もなくアルビオンにたどり着きました。けれども、もうそこから始まっていたんです」

 真剣な眼差しに、ただならぬ気配を感じ取った才人は黙って聞き入る。

 昔語りの始まりは、二人が飛行船での旅を終え、アルビオンの港スカボローへと着いたところから。このティファニアの語る物語の中で、才人はかつてあった真実と、現代へと続く身も凍るような恐怖を知ることとなるのを、まだ知る由もなかった。

 

 

 トリステインから直通の便で結ばれている、アルビオン大陸きっての良港スカボロー。この時代は、後に起こる内乱による混乱もなく、王政府の平和管理の下で貿易による繁栄を極めている。

 そのスカボローに足を下ろした二人の若者も、溢れ帰るような群衆の中にあっては、平凡な旅の人間として紛れ込んでいた。

 

「うーーんっ、っしゃ着いた着いた、ここがアルビオン大陸か。おれは船旅ってのはどうもなあ。やっぱ人間が足で踏むのは土の上だな。マウンドは人工芝より砂埃のあがるほうがいいってね」

「まうんど? ははあ、それってアスカさんが得意なヤキュウというもののことですね。アスカさんったら、船に乗ってるあいだはずっとそわそわしっぱなしで、本当にじっとしているのが苦手なんですね。ふふ」

 

 船着場から街へ繰り出し、仲良さげに会話するふたりの男女。彼らこそが、この物語で主役となる、ウルトラマンダイナことスーパーGUTS隊員アスカ・シンと、サハラから旅をしてきたエルフの少女シャジャル、この土地での世を忍ぶための名前をティリーという娘だった。

 異世界からやってきた放浪者と、異教の地からやってきた来訪者。おかしな組み合わせの旅人ふたりは、この頃ではすっかりと互いの気心も知れて、昔からの友人のように気さくに笑いあう仲となっていた。当初は人間に正体がバレることを恐れて控えめだったティリーも、常に堂々としているアスカに感化されてか、堂々としているほうがかえって目立たないというくらいに明るく変わっている。

 しかし、そんな彼らのおかしな旅も、このアルビオンに着いたことで終わりに近づいていた。

「ん? どうしたんだティリー、うかない顔して、いまごろになって船酔いか?」

「いえ、そうじゃないんです。アスカさん、わたしなんかのために、ここまで来ていただいて感謝しています。そしてそれ以上に、とても楽しい旅でした。わたし、サハラから出てきてひとりでずっと不安でしたけど、アスカさんに会えてからは毎日が楽しいことばかりで、いろいろな勉強もさせてもらいました。けれど、もうすぐ旅も終わりだと思うと」

「そっか、もうすぐティリーの旅は終着駅に着くんだよな。俺も、君との旅は楽しかった。寂しいのは俺も同じさ。けど、旅の終わりにはまた新しい出会いと始まりが待ってるんだ。しんみりしててもしょうがないって! 最後まで明るくいこうぜ。そうしたら、今よりもっと楽しいことに出会えるだろうぜ」

「アスカさん……はい! では、あと少し、私に付き合ってくれますか」

「あったりまえだろ!」

 旅の終わりが見えて感傷的になっていたティリーは、アスカの前向きで陽気な姿に勇気付けられた。悲しいことに変わりはないが、はじめたものはいつか終わらせなくてはならない。それに、これはアスカの言うとおり、はじめるための終わりなのだ。終わらせるための終わりではない以上、そこには未来がある。

 はげまされたティリーは、いずれ生まれるティファニアとよく似た笑顔を浮かべて気合を入れた。

「それじゃ、気を取り直してお買い物にいきましょう。もうすぐといっても、歩けば数日はかかりますから用意はしっかりしておきませんと」

「そうだな。これだけの街なら、いろいろ手に入るだろ。この大陸は平和だっていうし、この際パーッとうまいもの買い込んでいこうぜ」

 アスカのお気楽な態度にティリーは心の底からうれしそうに笑った。彼の陽気さはお気楽にも見えるが、これまで多くの人を助けてきた。それにアスカとて、これまでの人生で何度も苦難や迷いに出会ってそれを乗り越えてきた。だからこそ、顔に貼り付けただけのニセモノではない本物の笑顔で人を安心させることができるのだ。

 二人はスカボローの街の市場でのんびりと買い物を楽しんだ。どうせ旅も終わりに近いということで、金に糸目をつけずに見たことない食べ物に舌鼓を打ち、露天で珍しい雑貨やアクセサリーを眺めたりもした。

「どうですかお嬢さん、世界中から集まってきた名品や珍品、お安くしておきますよ」

「うーん、私はちょっときらびやかなものは苦手です。アスカさん、どうしましょうか?」

「俺も、無理に着飾ることはないと思うぜ。けど、せっかくだからな……この、棒っきれみたいなの、音楽の指揮棒じゃないか? ティリー、楽団にいたって言ってたから、どうだいお守り代わりにでも?」

「そうですね、かわいいタクトです。私は指揮者ではありませんでしたが、音楽は大好きで、特にハープを弾くのは得意でした。国を出るときに楽器はすべて置いてきましたが、これなら邪魔にもならなさそうですし、いいかもしれません」

「お客さんお目が高い。それはさる音楽好きの貴族が所有していました魔法のタクトでしてね。まあ、もちろん持ち主以外では魔法が使えたりはしませんが、魔力が染み込んでいますから所有者の契約は簡単ですし、材質も一級品ですからめったなことで壊れたりもしません。いかがいたしましょうか?」

「いただくわ。ふふ、私はエルフだから魔法に杖はいらないけど、こんな可愛い杖で魔法を使えたらとてもいいでしょうね」

 こんな微笑ましいひと時もあった。

 そうして、ふたりは残りの旅に必要な物品を買い揃えていき、それも終わりに近づいたときのことである。

 気楽に歩いていたふたりに、雑踏からひとりの男が現れて話しかけてきたのだ。

「もし、お嬢さん。よろしいですかな」

「はい?」

 振り返った先にいたのは、質素な神官服を着た若い男性であった。年のころは二十代のはじめあたりか、長く伸びた金髪が目を引いたが、なによりオペラ座の主演俳優かと見まごうような端正な容貌が、ごみごみとした市中にあって不釣合いで、対面したティリーを驚かせた。

「私になにか?」

「いえ、私は旅の修行僧なのですが、修行と世の方々への献身もかねて祝福を広めているのです。もちろんお代はいりませんので、少々この未熟者に功徳させていただけないでしょうか?」

 彼は人懐こい笑顔を浮かべて、お願いいたしますと会釈した。

 ティリーはアスカと目配せして、それくらいならいいですよと了承した。若い聖職者が旅をしながら修行するのは別に珍しいことではないし、こういう光景もこれまで何度か目にしたことはある。

 すると、若い神官は祈りのポーズをとると、ふたりに向かって祝福を授けるしぐさをとって言った。

「始祖ブリミルのご加護がありますように。どうも、お付き合いいただきありがとうございました」

「いえ、このくらいのこと。こちらこそ、ありがとうございます」

「優しきお言葉、感謝いたします。では特別に、神の啓示をお授けいたしましょう。あなたは恐らく、なにか大事なことのためにこの地へいらしたのですね。あなたの目からうかがえる意志はとても強いものでした。それを大切にして、あきらめずに最後まで貫き通してください。それが、あなたが神から与えられた使命なのでしょう」

 若い神官の言葉に、ティリーは微笑みながら「わかりました」とうなずいた。内容は、確かに大事な目的を持ってアルビオンに来たのは当たっているが、解釈しだいでどうとでもとれる当たり障りのない文句である。いわゆる占い師が使う、適当な言葉面でほとんど意味なんかないというやつであった。

 でも一応は、はげましと受け取っておけば悪いわけではない。元々、占いとはそういうものである。

 そして、若い神官は次にアスカに向き合った。

「さて、では次はあなたに啓示をさずけましょう」

「俺はいいよ。占いなんか聞いてもどうせすぐ忘れちまうしさ。未来なんて、あらかじめ聞くより自分で決めていくほうがおもしろいじゃん」

「まあそう言わずに、絶えず揺れ動く未来ですが、その指針はある程度決まっているのです。我々は、その針の先を動かすことによって運命の道筋を作ってゆきます。例えるなら、空模様を観察して傘を差すか差さないかを決めるようなもの。よりよい未来は、少しの心がけで広がっていくものなのですよ」

 それにはなるほどとアスカもうなるしかなかった。天気予報を見ずに出かけて雨に降られる奴は単にマヌケというほかはなく、向こう見ずなアスカもそこまでバカだと思われたくはなかった。

「よっしゃわかった。啓示ってやつを聞いてやろうじゃないか。矢でも鉄砲でも持って来いってんだ!」

「ははは、そんな力まずとも、神は人にそう冷たくはありませんよ。常に、選択を誤って痛い思いをするのは人のほうなのです。ですがあなたも、数奇な運命を背負ったお人のようですね。これまでの人生は苦難に満ちていたことでしょう。しかし、それがあなたの財産なのですね。これからも、苦難に負けずに立ち向かっていってください」

 はいはいわかりましたよと、アスカはあまりありがたがらずに礼をした。そんな定型句のお告げをされても足しにならない。神社でひいたおみくじのほうがまだありがたみがあるというものだ。

 だが、若い神官は不真面目そうなアスカに気を害したふうもなく、微笑を浮かべたままでこう言った。

「では私はこれで。そうそう、言い忘れておりました。あなたは人のために進んで苦労を買って出ることを好むようですが、そのせいであなたはすでに、この世界で無視できない存在となっているのですよ。部外者のくせにそろそろ関係ないものに関わろうとするのはやめたほうがよいでしょう。でないと、この世界に骨をうずめることになりますよ。これは警告です」

「なにっ!? お、おい待て」

 アスカは慌てて、踵を返して去っていこうとする男を捕まえようとした。が、雑踏の人影の中に入っていったかと思うが最後、若い神官の姿はどこを探しても見当たらなくなっていた。

「くそっ、あの野郎……」

「アスカさん、どうしたんです?」

「いや、なんでもない……」

 怪訝な表情を見せるティリーに、アスカは気にしないようにとごまかしたが内心は穏やかではなかった。

”あいつ、俺がこの世界の人間じゃないって知ってやがった。いったい何者だ”

 さらに突き詰めれば、自分がウルトラマンダイナだということにも気づいている。それを知った上で、まどろっこしい方法で接触をはかって近づいてきたのはなぜだ。これまで旅してきた中で、この世界の人間に異世界の存在を認知するだけの文明レベルはなかったといっていい。自分の知る以外にもこの世界に高度な文明を持つ国があったのか? それとも……

「悪い予感がするぜ……」

 スーパーGUTS隊員の勘がささやいてくる。元々考えるより感じて行動するタイプであるが、幾度もの戦いを経て、悪いものへの直感はよく働くようになっていた。しかも、今回はまるで元の世界で戦っていたスフィアのような、得体の知れない巨大な存在を感じた。

 きっと、なにかが起きる。しかも、これまでにないようなとてつもなく悪いなにかが。

「アスカさん、どうしたんですか? あの、怖い顔して」

「あ、いやなんでもない。さ、日が暮れる前に残りの買い物もすませちゃおうぜ」

 アスカは不安をティリーに見せないようにしながらも、内心では覚悟を決めていた。

 奴は、警告だと言っていた。つまり、自分がダイナとして戦うのを好ましく思ってないということだ。アスカは思い出した。かつて地球を狙っていたスフィアも、何度となく警告じみたことを言ってきた。自分たちが思い通りにするための邪魔をするなという身勝手な要求を……だとしたら、自分の答えはひとつしかない。

「たとえ俺がこの世界の人間じゃなくても、俺は俺だ! ウルトラマンダイナだ!」

 アスカは心の中で、かつて地球を飲み込もうとしたグランスフィアに挑んだときの決意を反芻した。敵が何者かは関係ない。大事なのは、自分自身がどうあるかなのだとアスカは信じていた。

 

 やがて時間は過ぎて、スカボローの港にも夕日が落ちて一日が終わっていく。

 ふたりはアルビオン大陸での最初の夜はこの街で過ごし、旅の最後に想いをはせて眠った。宿の窓から見える夜空は、トリステインよりも宇宙に近いためか、より澄んで美しく見えた。

 この世界で見る星空も、地球や火星で見た星空のように美しい。しかしアスカはその星空の中にも、多くの悪意があることを知っていた。

 別の星から狙われているのは地球だけではない。スーパーGUTSで戦ってきた宇宙人たちの中には、地球に来る以前に別の惑星を滅ぼしていたヌアザ星人イシリスや、ダイス星で悪逆をつくしていた凶悪怪獣ギャビッシュ、宇宙の星々を見境なく暴れまわっていた宇宙超獣トロンガーなど地球以外にも被害を出している残忍な奴らがいた。

 また、ティガの戦っていたGUTSの時代から、宇宙でおこなわれている星間戦争の存在はいくつも確認されている。この世界、この宇宙だけ平和だなどと思うほどアスカもバカではない。彼は夢見がちな子供ではなく、現実を見られる大人なのだ。

「何者か知らねえが、コソコソしてる奴にろくなのはいねえよ。くるならきやがれ、俺はどんなビンボールをぶっつけられてもマウンドから降りねえからな」

 どんな相手にでも真っ向きって相手するのがアスカの生き様であり、ダイナのファイティングスピリットだ。

 アスカのいた世界で、地球は宇宙に進出するネオフロンティア時代を迎えていた。そこには多くの夢があったが、同時に人類がいまだかつて経験したことのない脅威も待ち構えていた。

 だが、人類が未来を求める限りはそれに立ち向かっていかなくてはならない。アスカはネオフロンティアに賭けるひとりの人間としても、いつでも真っ向勝負で障害を乗り越えてきた。元の世界の仲間たちに恥じないようにするためにも、どこの世界にいようとも、この生き方だけは絶対に変えられない。

 

 そして、アルビオンにも朝が来て、アスカたちの最後の旅の幕が上がった。

 一日目はなにごともなく終わった。南部の港湾都市部を離れ、北へ北へと歩いていく。

 中部森林地帯、うっそうとした森の中の街道を歩くふたり。目的の地へは、この森を抜ければあとはわずか。

 しかし、このまま何事もなく旅が終わるかと安堵しかけたそのとき、ついに敵は襲ってきた。

「それにしてもアスカさんは空を飛ぶことが大好きなんですね。空船に乗っていたときも、子供みたいにはしゃいじゃって」

「俺の父さんも、空を飛んでた人だったんだ。だから俺も、小さい頃からいつか追いつこうと空を見てた。少しでも速く、遠くへってな。けど……」

「けど?」

「ゆっくりのんびり飛ぶのも悪くないっ!」

「ふふ、あはははっ」

 あまりたいしたことでもないことを力強く言うアスカに、ティリーは声を出して笑った。

 ティリーにとって、アスカの昔話はどれも新鮮で楽しかった。この星で生まれ育った彼女の常識を超えているし、なにより懐かしそうに語るアスカを見ているだけでもおもしろかった。

 が、そうした和やかな時間を無情にも終わらせる物がアルビオンのさらに上空から飛来する。

 

 突然、なんの前触れもなく空から降ってきて森に突き刺さる四本の巨大な銀色の槍。それが変形して現れる人型の金属生命体。

 アスカは、来るべきときが来たことを知った。この怪獣から感じる、刺すような悪意と殺気。こいつは、俺を殺すためにやってきたのだ。

「ティリー、下がってろ。こいつは、俺がぶっ倒す」

 戦いを決意するアスカ。彼は、この戦いが避けられないものと悟っていた。ここで逃げて万に一つ逃げ切れても、敵は必ず再度襲ってくる。そうなれば、次はさらに多くの人たちを危険にさらすことになるかもしれない。

 天高く掲げたリーフラッシャーが光を放ち、アスカの叫びとともに光の巨人がこの世界で三度目の姿を現す。

「ダイナーッ!」

 変身し、降臨するウルトラマンダイナ。対峙する敵の名は金属生命体アルギュロス。

 事態を飲み込みきれず、ティリーは呆然唖然としてダイナを見上げている。だが、時間の流れは時に人が身構える暇もないような激流となって襲い掛かってくる。しかし、その激流に呑まれて溺れる人がいるならば、激流をせき止めるのもウルトラマンの役目だ。

 

「デュワッ!」

 

 大地にどっしりと足をつき、巨牛を受け止めようとする関取のように構えるダイナと、馬鹿にするかのようにけだるげに立つアルギュロスが睨みあう。

 いくぞ! どちらが宣言した訳でもないが、両者は磁力で引き合っているかのように激突した。

 突進力をいかしたダイナのタックルがアルギュロスを跳ね飛ばす。だがアルギュロスもすぐに体勢を立て直し、同族のアパテーに比べて細身な体格で素早くダイナへキックを見舞ってくる。両者の力はほぼ互角、この一瞬で、互いにそれを認識したことにより、戦いは様子見からいきなり激戦へと様変わりした。

「ハッ!」

 ダイナのフックをアルギュロスが受け止め、返したローキックをダイナがガードする。

 共にまとった色は銀色ながら、守護と破壊の二巨人の戦闘は互いの存在を認めまいと激しくなっていく。

 だがその一方で、戦いを見守るティリーのまなざしは揺れていた。

「アスカさんが、巨人……どうして、いままで教えてくれなかったんですか?」

〔悪い。俺が、ウルトラマンだってこと知ったら、いろいろ気を遣わせちまうと思ってさ。でも、どうやら俺はこの世界で目立ちすぎちまったらしい。こいつは、俺を狙って現れたんだ〕

 アスカ、ダイナは戦いながらティリーに答えた。ティリーは、ウルトラマンからの声に戸惑いながらも問いかける。

「いったいあなたは、そして何が起ころうとしているのですか?」

〔俺にもわからねえ。だが、こいつはほっておけばいずれ間違いなくこの世界の人たちを傷つける。だから俺は逃げるわけにはいかねえ。悪い、君を危険にさらしたくはなかった。だが君はいっしょに旅をした仲間だ! だから、おれは君には知っておいてもらおうと思った。見ていてくれ、俺はウルトラマン、ウルトラマンダイナだ!〕

 ダイナの怒涛の攻めがアルギュロスに炸裂する。両者の力は拮抗していたはずだが、ダイナはその背に守るべきものを残しているから、魂の力によって本来の力をさらに引き出せる。

 そして、その一歩も引かず、真っ向から戦いを挑む勇姿に、ティリーはウルトラマンダイナがアスカそのものであると確信するのだった。

「アスカさん、がんばって……」

 だがアルギュロスもそう簡単に倒されるほど甘くはない。ダイナの猛攻に、象が吼えるようなけたたましい鳴き声をあげて苦しみながらもダイナのパンチで吹っ飛ばされて間合いが空いた一瞬の隙に、右腕を金属生命体の性質をいかして剣に変形させ、ダイナに斬りかかった。

「ヘアッ!」

 巨大な剣の斬撃がダイナの体ではじけて火花が散る。ウルトラマンの強靭な皮膚は切り裂かれるまではいかなかったが、それでも少なからぬダメージが肉体を襲う。たまらず飛びのいたダイナだったが、アルギュロスは今度は反対側の腕を巨大な大砲に変形させて狙い撃ってきた。

「アスカさん、危ないっ!」

 乱射される砲撃がダイナの周りで真っ赤な爆発を起こし、火の花畑に囲まれたダイナは爆風と火炎から身を守るだけで身動きすることができない。

「クオォォッ」

 大口径砲による集中射撃を切れ目なくやられては、さしものダイナもうかつに動いたら大ダメージを受ける。アルギュロスは抵抗できないダイナを見ると、口元をいらやしげにニヤリと笑うようにゆがめ、片腕の大剣を振り上げた。一気にとどめを刺すつもりなのだ。天頂から振り下ろされた剣がダイナの脳天に迫る。そのとき!

〔見せてやるぜ、俺の本物のファインプレーをな!〕

 ダイナ、アスカはこの一瞬を待っていたのだ。砲撃から斬撃に入れ替わる、その本当に一瞬の隙に、ダイナの手がロングヒットのボールにダイビングキャッチする野手のように落下してくる剣に伸び、真剣白刃取りで受け止めてしまったのだ。

「デュオオォッ!」

 気合を入れてダイナはアルギュロスの剣を押しとどめる。

 高校野球でピッチャーだったアスカの動体視力は、今でも遺憾なく発揮されてピンチを救った。しかし真剣白刃取りは諸刃の剣でもある。挟んで止めるというスタイルそのものが、力を込めにくく不利なのだ。アルギュロスはダイナに剣を受け止められたことで一瞬ひるんだが、そのまま押し付けるように剣に力を加えてきた。

「ヌッ、ウオォォッ!」

 ダイナの頭に向かってアルギュロスの剣が迫る。少しでも受け止めた手の力を緩めたら、そのまままっぷたつにされてしまうだろう。しかし姿勢が悪いためにダイナが不利で、じわじわと剣は下がってくる。

 あと、もう少ししかない。ティリーが悲鳴をあげ、目をつぶりかけたそのときだった。

「ムウゥゥゥ、ダアァァッ!」

 ダイナの額がまばゆく輝き、その巨躯をも包み隠した次の瞬間に、ダイナの体は赤く燃える強靭なる鋼のボディへと変わっていた。

 

『ウルトラマンダイナ・ストロングタイプ!』

 

 超パワーを発揮する筋肉質の体に変わったダイナは、変身の際に発生するエネルギーの沸騰を活かして一気にアルギュロスを押し返した。突然パワーアップしたダイナの力に対抗しきれず、アルギュロスは剣ごと数十メートルを吹っ飛ばされてしりもちをついて着地した。声とは思いがたい悲鳴をあげるアルギュロス。しかしダイナを近づけまいと、大砲に変形させた腕を向けて砲撃を放ってきた。

 炸裂する砲弾と燃え上がる火柱。しかしその中をダイナは揺るがずに走っていく。パワー重視のストロングタイプは肉体そのものの頑強さも増している。鉄壁のボディにものを言わせて弾幕をかいくぐり、アルギュロスに渾身の正拳突きをお見舞いした。

『ダイナックル!』

 ウルトラパワーのパンチがアルギュロスの金属の体に深々とめり込み、大ダメージを与えたことが確実な証拠に激しく身をよじる。

 よし、あとはとどめだ。アスカはそう思い、パンチを引き抜いてとどめの一撃を加えようとした。

 しかし、アルギュロスはまだ死んではいなかった。苦しげな様子から一転して、剣と大砲に変えていた自分の腕を素早く元に戻すと、自分の体にめり込んだダイナの腕を掴んで一瞬のうちにダイナの身体情報を解析し、そのままの姿へと自身を変形させたのである。

「ウオッ!?」

「あ、あれは! ウルトラマンが、ふたり!」

 そう、ダイナのデータを得たアルギュロスはダイナそのものの姿、ニセダイナへと変身してしまったのだ。

 金属細胞の性質を最大限に活かし、本物のダイナとそっくりの姿になったアルギュロスことニセダイナ。本物のダイナもこれには驚きうろたえて後ずさってしまう。だがニセダイナは本物よりやや赤みかがった目を怪しく光らせると、本物とまったく同じポーズからパンチをはなってきたのだ。

「フワァッ!」

 ニセダイナのパンチはパワーもスピードも本物そのものだった。ダイナ・フラッシュタイプとそっくりになったニセダイナのパンチがストロングタイプの本物のダイナの顔面を殴りつけて弾き飛ばし、二人のダイナが向かい合うこととなった。

〔こいつ、俺に化けるなんてフザけた真似しやがって!〕

 殴られた顔面をさすりながらダイナは腹立たしさを吐き捨てた。ニセダイナの変身は完璧というわけではなく、目の色が違うことで悪党面なため見分けるのは容易で、ティリーにも問題なくニセモノと思われている。

 が、やはり自分と同じ顔の相手と戦うのは愉快ではない。以前にも二度ほど、ダイナは自分のニセモノと戦ったことがあるのだが、そのときは戦う前から相手がニセモノだとわかっていた。戦闘中に化けられたらダイナでなくともびっくりするだろう。

「シュワッ!」

 そんなこけおどしがなんだとダイナは気合を入れなおした。すると、ニセダイナは口元をやはりニヤリと歪め、挑発してくる。

 激発するダイナと迎え撃つニセダイナ! 熾烈な戦いの次の幕が切って落とされ、ダイナ二人が激突する。

 

 先手をとったのはニセダイナだった。ダイナはストロングタイプになると筋肉が増加する代償として動きがやや鈍る。つまりフラッシュタイプに変身しているニセダイナのほうが早く動けるということだ。

「ムウッ!」

 ニセダイナの攻撃を、本物のダイナは一身で受けた。本物の得意とするパンチやキックが、本物そのままのフォームで繰り出されるのだから始末が悪い。しかし、ダイナはくじけない。

〔こんなものが、きくかああーっ〕

 ニセダイナのパンチを、真っ向食らいながら本物のダイナはクロスカウンターパンチをお見舞いした。雷が落ちたような轟音がウェストウッドの森の木々を震わせ、顔面を大きく歪ませたニセダイナが木の葉のように吹っ飛び、盛大な土煙をあげて森に突っ込んだ。

「すごい……」

 ティリーが本物のダイナの決めた一撃のものすごさに呆然としながらつぶやいた。ストロングタイプとフラッシュタイプの違いというだけではない。今の一撃、ニセダイナの拳もきっちりダイナにヒットしていたのだが、ダイナはそれを耐え切った。

 両者を分けたもの、それは本物だけが持つ熱い魂を込めた拳だ。ニセモノはデータでスペックを100パーセント再現したとしても、魂がないのならば機械と同じでしょせんは100パーセント止まり。積み重ねてきた魂の重さを加えた本物の拳に勝てるわけはない。

 さあ、とどめだ。ダイナは一撃で粉砕するつもりで、ストロングタイプ最強のガルネイトボンバーを叩き込む体勢に入ろうとした。

 だが、その瞬間だった。よろめきながら起き上がってきたニセダイナの額が輝くと、フラッシュタイプを模していた姿が変化したのだ。

「あっ! ニセモノの体が、青くなった」

〔こ、この野郎、ミラクルタイプにもなれるのかよ! くそっ〕

 なんと、アルギュロスはダイナのタイプチェンジ能力までコピーしていた。それも、本物のダイナがストロングタイプなのに対してミラクルタイプへと変身し、本来絶対にあるはずのないダイナの二形態が向かい合うという珍事となった。

 ただし、笑っていられることではない。ミラクルタイプへチェンジしたということは、つまりどうなるか? 力のストロングタイプに比べてミラクルタイプは……ダイナは瞬間的にまずいと感じたものの、そのときにはニセダイナは素早く動いてダイナの後ろに回り込んでいた。

「ウワッ!」

 ニセダイナのキックが本物の背中にヒットした。ダメージにはほとんどなっていないけれども、今のを避けられなかったことでダイナは少なからぬショックを受けた。スピードを誇るミラクルタイプの俊足はニセモノも遜色ない。それは奴の変身能力の優秀さはすでにわかっていたから問題ではない。問題は、この先だ。

「デヤアッ! ハッ!」

 ダイナはニセダイナへ連続して攻撃を仕掛けた。豪腕がうなり、パンチが吼える。

 しかし、三つのタイプの中でもっとも遅いストロングタイプの攻撃はひらりひらりと避けられてニセダイナにかすりもしなかった。あさっての方向に空振りが続き、青く変わったニセダイナはあざけるように体を揺らして笑ってくる。

 どんなパワーも当たらなければ無意味だ。こればかりは根性で補いようがない。ストロングタイプの完全な弱点を突かれた。

 だが、本物もミラクルタイプに変わればいいかと言われればそうはいかない。

「アスカさん! アスカさんも、その青い姿になってください」

〔へっ、できればそうしたいんだけどな……〕

 アスカはティリーの叫びに応えてやることができなかった。確かにダイナもミラクルタイプになれば戦況を立て直せる。しかし、ダイナは一度の変身で一回しかタイプチェンジをできないという弱点があるのだ。つまり、一度ストロングタイプになれば、その戦闘中ミラクルタイプへはなれないのである。

 本物のダイナがスピードについてこれないのをいいことに、ニセダイナは高速で動き回りながらチクチクと攻め立ててくる。このままではやられる。戦いも長引いたために、カラータイマーも赤い点滅をはじめてもはや余裕がない。

 すると、本物が弱ってきたのを察知したニセダイナは、その身から二体の分身を生み出し、三方向から同時攻撃を仕掛けてきた。

〔こいつは、ウルトラマジックか!? くそおっ!〕

 ミラクルタイプの分身攻撃技までコピーされていた。三方向から袋叩きにされ、ストロングタイプの防御力でもダメージが蓄積してくる。だが反撃の糸口が見つけられない。焦燥感ばかりが重なる中、突如包囲網が解除されたかと思うと、分身を消したニセダイナがこちらに向けてきた指先から七色の光線を放ってきた。

「ウワッ! フオォォッ!」

 ニセダイナの光線はダイナの体に絡みつき、動きを封じるのみならず、ニセダイナが指先を上げるのに従って、その巨体を軽々と宙へと持ち上げていった。

〔やろう、ウルトラサイキックまでパクりやがって!〕

 ミラクルタイプの超能力技までもが完全にニセモノの思うがままになっていた。かつて多くの凶悪な怪獣や侵略者を撃退してきたダイナの奇跡の技が、今度はダイナを苦しめている。なんという悪辣さか。だがニセダイナが本物の”技だけでも”完全にコピーできているとなると思い至ったとき、ダイナは冗談でなくまずいことに気づいた。

 ニセダイナが、ウルトラサイキックを使っているのとは逆の手にエネルギーを集中していく。ダイナは自分の技だから、すぐにそれの正体に気がついた。ミラクルタイプの得意技であり、一撃必殺のそれを見間違うわけがない。

〔レボリューム・ウェーブだって! じょ、冗談じゃないぜ!〕

 時空を歪めてマイクロブラックホールを作り出し、敵を異次元に吹き飛ばす文字通りの必殺技だ。あれを食らえば、いかにダイナでもひとたまりもあるまい。だが、ダイナの体はウルトラサイキックの念道波で完全に拘束されていて抜け出すことができない。

「グオォォッ、ダアァッ!」

 もがいても力を込めても振りほどけない。ダイナ・ミラクルタイプの超能力技は、これまでにも数々の強力怪獣たちを倒してきた。その強さは誰よりも自分が一番よく知っている。

 勝利を確信したのか、ニセダイナは不気味な笑い声とともに再度顔を大きくゆがめた。なんという邪悪な笑みか、ウルトラマンの姿を借りてのその所業は許しがたいが、どうすることもできない。

〔ちくしょう、九回裏にも行けずに退場でゲームセットなんて、そんなふざけた試合があるかぁ!〕

 どんな相手でも、九回裏まで全力でボールを投げ、バットを振ってこそのゲームだ。なのに、こんなところでこんな猿真似野郎に負けるなんて冗談じゃない。だが、身動きがとれずに、いままさに消されようとしているダイナに向かってティリーが叫んだ。

「アスカさん頑張って! あなたはまだ、これくらいで力尽きる人じゃない!」

 その励ましでダイナははっとした。そうだ、勝負はまだ、終わっていないのだ。

〔俺は、俺は最後の最後まで、あきらめねぇぞぉーっ!〕

 ダイナは全身の力をわずか一瞬に込めて、その爆発的なパワーでウルトラサイキックの呪縛を吹き飛ばした。

 ダイナを拘束していた光のロープが千切れとび、轟音をあげて本物が大地に降り立つ。対してニセダイナは、あの拘束が解かれるなんてことはあるわけがないと、明らかに戸惑っている。

 やるなら、今だ! ダイナはためらわずにフラッシュタイプへと再変身した。二度目のタイプチェンジはできなくても、フラッシュタイプに戻ることならば可能だ。ダイナの額が輝き、ストロングタイプの赤い体が、金色のダイナテクターを中心に赤と青を均等に配分したスマートな体へと戻る。

 見据える先はひとつ! チャンスは今! ダイナは腕を十字に組み、残ったエネルギーを振り絞って必殺技を解き放った。

 

『ソルジェント光線!』

 

 ダイナ最強の光線が、青白赤の三つの光を輝かせながらニセダイナへと突き刺さる。その圧倒的なパワーの激浪の前にアルギュロスの金属細胞とて、ひとたまりもなく破壊されていき、ニセモノのボディがひびわれていく。

 だが、ソルジェント光線が命中する直前、ニセダイナもレボリュームウェーブを放っていた。ニセダイナの体が粉々に吹っ飛び、微塵の金属片となって飛び散ったことで戦いは終わった。しかし、すでに放たれていたレボリュームウェーブはダイナに命中こそしなかったが、至近距離にマイクロブラックホールを形成してダイナを強大な引力で引き込み始めたのである。

「ウワァァッ!」

「アスカさん!」

 不完全とはいってもブラックホールはブラックホールであった。アルギュロスの怨念を込めたのか、時空を歪めて空いた穴は周辺の物質までをも引き込み、最初の対象としていたダイナを吸い込もうとしている。ダイナも逃れようと力を込めるが、まるでエネルギーが足りない。

 ダイナが飲み込まれる。その危機感にティリーは思わず駆け寄ろうとした。だが。

〔来るなっ! 来るんじゃねえ!〕

「アスカさん、で、でも!」

〔俺は大丈夫だ。だから、お前はお前の旅を続けろ。心配すんな、またいつか必ず帰ってくるからよ〕

 それが、この世界でのアスカ・ダイナの最後の言葉となった。一瞬のサムズアップを残し、マイクロブラックホールの引力に呑まれ、どこへともしれない次元のかなたへとウルトラマンダイナは消えていった。

「アスカさーん!」

 マイクロブラックホールはダイナを飲み込むと同時に消滅し、すでにこの世界から消え去ったアスカを呼ぶティリーの声だけが、ウェストウッドの森に悲しく響き渡っていた……

 

 これが、かつてあったこの世界の知られざる真実。

 長い語りが終わり、舞台を現代に戻して、ティファニアは才人にダイナの最後の戦いの顛末を教え切って息をついた。

「アスカさんは、ウルトラマンダイナは最後まで母を守ってくれたんです。そして、母はそれからひとりで旅を続け、あのアルビオンに住むようになりました。どうしてアルビオンにやってきたのか、その理由だけは教えてくれませんでしたが、ウルトラマンダイナについてだけは、誰にも秘密だと口止めしたうえで話してくれたんです」

「そうだったのか……ウルトラマンダイナは……いや、ウルトラマンが簡単に死ぬわけがないよな。それよりありがとう、そんな大事なことをおれには教えてくれて」

 才人は胸と目じりが熱くなるのを抑えてティファニアに言った。

 ダイナは最後まで、守るために戦い抜いた。その結果、ティファニアがいる。今の自分たちの未来がある。それを思うと、キリエルに傷つけられた誇りを取り戻すためのパズルのピースが少し見つかったような気がした。

 だが、ティファニアはまだすべてを話し終えたわけではなかった。息を吸って吐き、覚悟を決めると、才人に隠していた自分の幼い頃の恐怖とともに恐ろしい真実を語ったのだ。

「サイトさん、落ち着いて聞いてください。ここからは、母からの伝え語りではなくてわたし自身が体験したことです。いまから五年ほど前のことです。まだ、わたしがウェストウッドの森に移り住む以前、母といっしょに過ごしていたときのこと、普段は誰も尋ねてこないわたしたちの屋敷で、ひとりで遊んでいたわたしは母が誰かと言い争っているのを聞いたんです」

 

 それはティファニアが十一歳のときのこと。屋敷のなんでもをおもちゃにして遊んでいた彼女は、いつになく激しい母の声を聞き、恐る恐るドアの影からのぞきこんでいた。

「あなたはまさかあのときの! どうしてここがわかったんですか。今さら、私になんの用です」

「ふふ、そこまで邪険に扱うこともないでしょう。ですが、私のことを覚えていてくれたのはうれしいですね。おかげで、話が早く進められます」

 幼いティファニアが見たのは、屋敷のロビーで言い争う母と、若い男の姿だった。初めて見る男だったが、長い金髪と絵本に出てくる英雄のような整った顔立ちが幼い彼女の目も引いた。

 だがそれよりも、いつになく激しい母の口ぶりと、男との会話のその内容が、彼女の記憶に深い痕を残すことになった。

「私は別に、あなたと争いに来たわけではありません、そう警戒なさらないでくださいな」

「しらじらしい。私はもう、あのときの少女ではありませんよ。あのときはなにげなく見過ごしましたが、すべてはあなたが裏で糸を引いていたんですね。いったい、なにが目的なんですか!」

「ふふふ、年月というものは人もエルフも問わずに変えるものですね。目的がなにかときましたか。確かに目的はあります。ただしそれを詳細に語っても、おそらくあなたには理解できないでしょう。ただし、あなたの存在もまた、我らの計画のひとつのピースであることだけは確かだと言っておきましょう。おや? そこで覗いているのは、あなたのお子さんですか」

「っ! ティファニア、奥にさがっていなさい!」

「は、はいお母さま!」

 慌ててドアから離れたティファニアは、脅えるように駆け出した。その背に、母と男の声が追うように響いてきた。

「よく似てかわいいお嬢さんですね。あと数年もすれば、あのころのあなたとそっくりに育つでしょうね」

「あのころ……? そうですね。あれから二十五年、それだけ経てば私たちエルフでもそれなりに容姿も変わります。けれどあなたは、あのときとまるで同じ姿のまま。いったい、何者なんですか!」

「ふふ……」

 

 それ以上の会話はティファニアの耳には届かなかった。しかし、それだけでも脅威を才人に伝えるには十分だった。

 

「まさか、その尋ねてきた男ってのが?」

「はい、あの教皇陛下……ヴィットーリオ・セレヴァレ、聖エイジス三十二世陛下とそっくりの……いいえ、まさにあのとき見た人と、なにもかも同じだったんです!」

「お、おい、それって五年前の話なんだろ。テファのお母さんが最初にそいつを見たのはそれから二十五年前、あわせたら三十年も昔じゃないか。そんなに長い間、姿かたちが変わらない人間がいるのかよ?」

「わかりません。けれど、お母さんと話していた人と教皇陛下は、顔から声までまるで同じでした。ですから、ですから……ああもう、自分でもなにを言っているのかわかりませんが、サイトさん、なにか、なにかすごく悪いことが起こりそうな、そんな気がするんです」

 才人はおびえるティファニアの肩を掴んで、落ち着かせてやることしかできなかった。

 しかし……才人はもはやロマリアという国。いいや、あの教皇の聖人の後光の後ろにうごめく大きななにかを感じずにはいられなかった。

 証拠はなにもない。しかし、この世界に起きていることの裏に、なにか壮大で恐ろしいことが隠されている気がしてならない。一連のことは、すべて独立しているように見えて、その実、強大な力を持つ何者かが糸を引いていたのではないのか?

 そういえば、この戦争も結果的には教皇の有利なように幕が閉じた。もしかして、自分たちのことすらも織り込み済みで、その何者かはすべてを仕組んでいたのではないのか?

「いったい、これからなにが起きようとしてるっていうんだ……」

 才人にはわからない。ヤプールとも違う、世界の影で何十年にも渡って暗躍する謎の存在。それが、自分たちにもたらすものは祝福か破滅か。そして、世界をも玩具にしてなにをもくろんでいるのか、晴れることのない空のように才人の不安は増し続けた。

 

 

 続く



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第16話  空飛ぶ海月

 第16話

 空飛ぶ海月

 

 超空間波動怪獣 メザード 登場!

 

 

「あそこが、通報のあった、なんとかって街かい?」

「ああ、ロマリア連合に属する自治領都市のひとつさ。平時であれば、風光明媚な観光地として賑わっているところなんだけどねえ」

「観光地って……これはもう、人が住めるようなもんじゃないだろう。廃墟……いや、街の半分が砂漠になってるじゃねえか」

 

 

 寒風吹きすさぶ竜籠のゴンドラから見下ろす中、寒々しく痛々しい光景が目に映る。眼下の街は一千年来放置され続けていたかのように荒れ果て、その街を取り囲むロマリア軍の華々しく勇壮な姿とは天と地の悲しい風景画を描いていた。

「次から次へと……大っ嫌いな国だが、どれだけ関係ない人が苦しめられればいいんだ」

 才人が、ロマリアに来てから嵐のように続く、無関係な人々が巻き込まれた事件や戦いを思い出し、怒りを込めてつぶやいた。竜籠に同乗しているルイズをはじめ、水精霊騎士隊や銃士隊の仲間たちも、少し前まで大勢の人々が住んでいたであろう街の見る影もない惨状に、唇を噛むように押し黙っている。

 彼らは今、ロマリア軍とともに首都ロマリアから数百リーグ離れた、ある都市からの救援要請に応えてやってきていた。

 シェフィールドとの戦いからすでに三日……それまでの間に、才人たちの身にはいくつものめまぐるしい変化があった。彼らを賓客として迎えた教皇ヴィットーリオは、その権限を利用して様々な待遇を彼らに与えてきたのである。

 ロマリアの聖堂で、殊勲者としてヴィットーリオから直接お褒めの言葉と恩賞を受け取ることになった一行。その中で、教皇が述べてきた内容は一行を驚かせるのに十分なものであったのだ。

「えっ、お、おれたち、いえわたくしども水精霊騎士隊が、ロマリア聖堂騎士団の一員にですか?」

「いえ、さすがにそこまではできません。聖堂騎士は選ばれた信徒たちの中からさらに選りすぐられた精鋭たちが、厳しい修練と実戦を潜り抜けてようやく名乗ることを許されるものです。しかしながら、あなたがたの成し遂げた功績と、正義のために我が身を惜しまぬ献身は、決して聖堂騎士に劣るものではないと私は思います」

「い、いやあそんな。なんともったいないお言葉……このギーシュ・ド・グラモン。教皇陛下のお褒めのお言葉、必ずや祖国で待つ同胞たちに届けたいと存じます」

「ふふ、まあそんな硬くならなくてもよいですよ。はっきり言えば、適当な褒め言葉だけを言ってごまかせば私はタダですむのですが、さすがに教皇として狭量を疑われてしまいますからね。そこで、ここは奮発して紙切れ一枚を発行します。私のサインつきで、あなた方の騎士隊をロマリア宗教庁公認とするのです。ただ、ロマリア軍への命令権や異端審問権などの実権はつけられませんが、この認定証があれば、あなた方はロマリアのどこへ行っても行動を制約されません。外国から来た方々には聖堂騎士隊は少々怖がられているところがありますが、これからはあなた方の頼もしい味方となってくれることでしょう」

「すごい! これならぼくらはロマリアじゃ怖いものなしじゃないか」

 ギーシュが興奮するのももっともであった。ロマリアにある軍隊の中でも、トラブルを恐れて意図的に避けてきた聖堂騎士は治安維持も任務に入っているだけに常に高圧的で、従わない者を有無を言わさず異端者と認定して裁ける権限があるために恐れられている。しかし、教皇の認定証を持っている者を簡単に異端認定することはできない。

 少々砕けた言い方をするならば、水精霊騎士隊は意地の悪い風紀委員を気にせずに廊下を走れるフリーパスをもらったようなものだ。

 しかし、ギーシュたちは単純に浮かれているが、いくら大戦果をあげたとはいっても、このような特典は前代未聞の厚遇だといえる。また、そのほかにも教皇は銃士隊も含めて、騎乗用軍馬の優先使用権など大小様々なロマリア領内での特権を与えてくれた。これは普通に考えて軍の将官クラスの大盤振る舞いである。

 当初は、自分たちを厚遇してトリステインへのアピールと恩を売る目的かと思ったが、それにしては自分たちはトリステインでの地位が高くないから効果は薄い。だとしたら、この過剰な贈り物の意図はおのずとひとつに絞られる。水精霊騎士隊は浮かれていたが、最初から警戒していた才人やロマリアの実体を忘れていない銃士隊はそれに気がついた。

「これが私からあなたたちへのささやかながらのお礼です。あなた方のような勇士を得れたのはトリステインのまことの幸運でしょう。それが我がロマリアでなくてうらやましい限りですが、始祖ブリミルの下で我々は平等です。これからも、万民の平和と幸福のためにともに戦おうではありませんか」

 やはり、こういうことだったなとミシェル以下銃士隊の隊員たちは社交辞令の作り笑顔の中でうなづいていた。過剰な厚遇は、こちらに恩を売って、体よく使いまわすための犬の首輪だったというわけだ。これだけの待遇を与えられたら、ありがとうございましたさようならとはいかない。先の戦いで利用価値があると踏んできたんだろう。おまけに、こちらの立場から見れば過剰な厚遇だが、あちらからしてみれば失うものはほとんどないと言ってもいい。

「ははっ、我ら一同、始祖ブリミルのために、すでにこの命を捧げているものであります!」

 ギーシュたちは、銃士隊が冷めた目で見ているのも露知らずに、感動に打ち震えて頭をたれている。

 この教皇、人のよさそうな顔をしていて中々の食わせ物だと銃士隊の面々は思った。彼女たちにも始祖ブリミルへの信仰心がないわけではないが、神の加護より自分の力を頼りに生き抜いてきた人生の持ち主であるから、彼らのように無条件に教皇に信服したりはしない。悪く言えば人を見たら泥棒と思えという心構えが常にあるのであるが、様々な腹黒い貴族や商人や悪党どもを見てきた彼女たちからしたら、聖人君子の権化ともいうべき教皇は、逆に非常に気味悪いものであった。

「副長、どう思われますか?」

「いけすかないな。言葉面はきれいなものだが、まるで台本を読んでるように心を感じん。小僧どもはそれでじゅうぶん感動できているようだが、お前たち、気を抜くなよ」

 銃士隊は直立不動の姿勢を保ちながらも、銃士隊だけに通じるわずかな仕草のサインで話し合った。やはり全員、あのロマリアの街の惨状を忘れていないので、ヴィットーリオに対する感情は甘くない。

 しかし、いくら胡散臭く感じられたとしても、相手はハルケギニア最高の権力者である。それに、今のところは実質的に敵対してきているわけではない。こちらから敵に回すような真似はつつしむべきであった。それが、自分たちの自由を大きく拘束することになろうともだ。

 また、心を許していないのは才人とルイズも同じである。

〔ルイズ、どうだい憧れの教皇陛下にお目どおりした気分は?〕

〔最高ね。あの神々しいお姿と気品に満ちた立ち振る舞い、まさに始祖の代理人たるにふさわしいわ……と、普通なら言うでしょうね。正直、あなたとテファの言ったことがなければ平伏しているわ。あなたはまだ実感ないようだけど、ブリミル教徒にとって教皇陛下に拝謁できるということは一生ものの名誉なのよ〕

 ふたりはテレパシーで会話していた。才人がある程度自信を取り戻したおかげなのか、この日になって試してみたら回復していた。ただしまだウルトラマンA、北斗とは何度呼びかけても話をすることはできなかった。まだ声が届かないのか、あるいはあえて黙っているのかはわからないけれど、これは確かな前進なのだと思うことにした。

〔まあ確かに、おれが見ても立ち振る舞いは完璧と言っていいよ。ギーシュたちなんか、あれまあ舞い上がってしまってまあ。気持ちはわからないでもないけど、これってあれだろ? 上司が酒おごってくれたときは、面倒な仕事を押し付けてくる前触れっての〕

〔嫌な言い方するわね。けど、的を射てるのは認めるわ。これでわたしたちは教皇陛下の元から離れられなくなった。わたしのお父さまも言っていたけど、たちの悪い貴族が部下を使うときの常套手段ね。脅迫したりするより、はるかに強く相手を縛ることができるわ。ここまで歓待を受けておいて無視したら、忘恩の徒と後ろ指を差される。名誉を重んじる貴族に耐えられるはずもないわ〕

 才人の皮肉げな言い方にルイズは鼻白んだが、聡明なルイズは頭ごなしに否定はしなかった。むろん、ルイズも敬虔なブリミル教徒の側面はあるので内心は複雑である。一昔前であれば、教皇陛下への無礼に対しては激怒して才人を殴っていただろう。しかし、これまでの経験上、人間の姿をしているから人間であると言えなくなっているのも承知している。

〔教皇陛下は、世界中の人間にとって、いわば心の支えともいうべき存在よ。それが万が一ということにでもなれば、どういうことになるのかわかってるの?〕

〔わかってるつもりだ。けど、だからこそってことがあるだろ? おれたちが戦ってるのは、そういう相手なんだ〕

 自分たちの敵は、どんな卑怯な手段を使ってくるかわからない相手だ。人間のありとあらゆる心の隙を利用して迫ってくる。

 まさか、もし……そうして疑っておかなくては、どこから浸透されていくかわからない。しかし、今回の場合は怪しいと思っても、それをうかつに口に出せないからやっかいだ。異端者の烙印を押されたら、ここではそれはそのまま死刑を意味する。なによりも、教皇には怪しいところはすでに数多くあるが、少なくとも表面上は聖人君子を演じていることだ。

〔テファがうそをついてるなんて思わないわ。けど、どうやって尻尾を掴むのよ? 少なくとも、立ち振る舞いは完璧よ。怪しいってだけで教皇陛下を疑えなんて、みんなに言えるわけないじゃない〕

 この世で一番の悪党は、善人に成りすまして堂々と振舞っている奴だとミシェルなどは思う。例えば以前のリッシュモンがそうだ。表向きは誠実な法院長として信頼を得ながら、裏ではトリステインを食い物にして私腹を肥やし、大勢の人間を苦しめていた。リッシュモンのやり口を、教皇がとっていたならどうなるか……恐らく、世界中の人々が夢にも思っていないことだろう。

〔ああ、多分ギーシュたちに話しても笑われるか怒られるかどっちかだろうな。しばらく様子を見るしかねえか……それにしても、ジュリオの野郎、またニヤケ面でこっちを見下ろしやがって、あれは絶対大悪党の面だ。間違いない〕

〔サイト……あんた本当に個人的な妬みじゃないんでしょうねえ……〕

 ルイズは呆れた様子でため息をついた。才人が元気を取り戻しつつあるのはいいのだが、アホさ加減まで復活されるのはどうなのだろうかと思う。いやしかし、鬱状態で真面目一徹なのも気が重くなってめんどうくさいか。

”結局わたしは、いつもの何も変わらないサイトが好きなのね”

 なにげなくルイズはそう思った。思えば、才人はいつもいい意味でも悪い意味でも心の支えだった。強い正義感は戦うときの道しるべになってくれたし、かといって完全無欠とはほど遠いので、共に悩み苦しむこともできた。才人が間違うときはこちらが叱り付けてやることもできる。

 要は、才人は特別であるが特別ではない。どこまでいっても人間なんだということが、皆が才人を慕う理由なんだとルイズは思った。それは、自らと同じ存在を好み、違う存在を忌避する人間の救いがたい性の裏返しなのかもしれないが、考えてみればそのことも才人がいたからこそ気がつけたのだ。

 ルイズはふと、才人を含む仲間たち全員を見回した。ギーシュたちにミシェルたち、皆は才人がいたからこそ集い、仲間になることができた。才人がいたからこそ多くのものが得れた。そして、壇上で偉そうにしている教皇とジュリオに対して、心の中で宣言した。

”あんたたちがどれだけ外を美々しく飾り立てても、わたしが信じるものは決まってるわ。あんたたちの正体や目的がなんであれ、いままでどんな悪もわたしとサイトで退けてきた。わたしたちがいる限り、なにを企んでもムダだってことを思い知らせてあげるわよ”

 ルイズの心には、確かに信じられるものが熱く脈打っていた。これがある限り、どんな策略にだって負けないと思えるだけの勇気を生み出す力がここにはある。どんな手でも打ってくるがいい。才人といっしょなら、必ず打ち破ることができる。それは、皆だって同じだ。

 

 

 この後、結果的に才人たち一行はロマリアの客人扱いとしてとどまることになった。むろん、自由は大幅に制限されるが、やむを得ないのは述べたとおりである。

 しかし、自ら足を運んで情報を収集することはできなくなったが、その代わりにロマリアが有する情報収集能力の一端に触れた彼らの驚きは相当なものだった。むろん全部というわけではなかったが、ハルケギニア中の僧侶に通じているというロマリアの目と耳の広さは並ではなかった。

 しくみを簡単に言えば、僧侶や神官はその土地柄の情報が黙っていても集まってくる。また、秘密保持に熱心な貴族も、後ろめたいことをすれば良心の呵責から教会に懺悔に来て秘密を吐露する。わずかに触れられただけでも、どこどこの貴族が賄賂を贈ったとか、浮気を繰り返して家族内がもめているとかまで、身内でもなければ知らないようなことまで、背筋が冷たくなるくらいであった。

「昔から、ロマリアはこれらを利用してハルケギニアを支配してきたんでしょうね」

「どんな貴族のスキャンダルも手の内とは、ね。これなら邪魔者を消すも操るも自由自在ということか。みんな、ここで見聞きしたことは絶対に他言無用だぞ。すべてを失うことになりそうだ。それから、ガキどもにも知らせるな。奴らの口は軽すぎる」

 ミシェルは、思っていたとおり……いや、思っていた以上の悪さに辟易とした。銃士隊はミシェル以外は、ほとんどが低い身分の出身で構成されている。世の暗部は嫌になるくらい見てきた。まして、これまでロマリアがしてきたことも思い出されてくる。荒れ果てたロマリアの街、そして自分たちが入国したことまでわかるほどの徹底した監視体制。たいした神の国である。

 けれども、ここに集まってくる情報は、自分たちが足を棒にして一日中走り回ったとしてもその十分の一も得られるかというくらい密度が高いのも確かだった。悔しいが、なにか理由をつけて出て行ったとしても、手がかりなく行き詰まるだけだろう。そうした面でもロマリアは狡猾だと言えた。

 ここでなら、空を覆いつくした昆虫の群れの正体を探ることができるかもしれない。でなくとも、この広い世界のどこで異変が起きても即座に察知することができる。そう自分に言い聞かせて待つこと数日、ロマリア宗教庁に異変の報告が入ってきた。

 それは、とある街で、突如として建物が崩壊する異常事態が多発し、すでに街の一割に当たる面積が人が住めなくなっているという。原因は不明、なおも街の崩壊は続いており、至急調査団を派遣してほしいとのことであった。

 これに対して、才人たちが敏感に反応したのは言うまでもない。経験からして、常識では考えられない事件の起こるところに侵略者の影がある。なにかしらの手がかりが掴める一端になるかもしれないので、当然彼らは調査団に名乗りを上げようと試みた。が、結局用意した懇願書は無用に終わった。

「これは、天災とも悪魔のいたずらとも言える重大な事件ですね。確かあの街には、一万人を超える人々が住んでいたはず。先の戦いの傷がまだ癒えていませんが、我々は全力を持って救援にあたりましょう。おお、そうです! 我々にはトリステインよりいらした英雄の方々がおりました。あなた方にこんな役割を申し付けるのははなはだ不足かと思いますが、こうしているうちにも家を失っている人たちのために行ってもらえないでしょうか」

 教皇の、この要請の形を借りた実質的な命令で、才人たちは調査団として出発することに決められた。だが、ギーシュたちなどは教皇陛下直々の要請だと無邪気に喜んでおり、実際に渡りに船なのだが、それがかえってミシェルなどには臭く感じられた。物事が自らの努力なしでうまく運ぶときは、誰かの意思を疑えというのは鉄則である。

 意気上がる水精霊騎士隊に反し、銃士隊は出動に懐疑的になった。このまま乗せられて出て行ってよいものか、聖堂騎士が援護してくれるというが正直なところありがた迷惑であるし、ミノタウロスの住む洞窟にのこのこ踏み込んでいくようなものではないか?

 が、そうした計算を立てて士気の下がっている銃士隊に才人とルイズは言った。

「行きましょう。ロマリアや教皇は信用できないけど、困ってる人がいるなら助けにいかないと、あとで後悔することになると思う」

「民を守るのは貴族の責務。少なくともわたしはそう言い聞かされてきたし、今はあのアホたちも同じだと思うわ。ミシェル、あなたたちの危惧はわかるわ。けどわたしたちはもう相手の掌の中にいるのよ。この誘いを断ったら、あっちはいくらでも難癖をつけてくることができるわ。なら、まだ自由があるうちに、こっちから罠に踏み込んでいくのも手じゃない?」

 正義感と、さらに先を見据えた計算がミシェルの心も動かした。もしもアニエスなら、こんなときどうするだろうか。答えはすぐに出た。

「なるほど、罠が待っていても、進まなければなにも得ることはできんな。考えてみれば、すでに罠にはまっているならば用心しても仕方ないな。だがサイト、スズメバチは食虫植物に食われても、その腹を食い破って飛び出すというが、お前にそれだけの覇気があるのか?」

「大丈夫、なにが待ち構えていたとしても、おれがぶった斬ってやる」

 才人は威勢よく答えた。むろん、迷いがすべて消えたわけではない。キリエルの言葉は、まだ喉に刺さって抜けない魚の骨のように残ってチクチクとしているが、それを抜くためには苦しい思いをしても飯を呑み込む必要があると思っていた。

 ミシェルも、それを見抜けないほどではない。が、人間にそもそも万全などない。それに、才人ならいざとなればその逆境をばねにして、より強くなってくれるという信頼もあった。

 

 

 こうして、様々な不安と期待をはらみつつ、才人たちはすでに出発したロマリア軍を追う形で、謎の建物崩落事件が続いている街へと出発した。

 果たして、何が待っているのか。そして、教皇は敵か味方なのか、ここで見極めるつもりでいた。

 しかし、ジュリオの案内で到着した目的の城塞都市の荒れようは、浮かれ気分でいたギーシュたちの顔をもひきつらせるのに十分な凄惨さをさらして待っていた。

「これが街だったってのか。うっぷ、ごほっごほっ」

 地上に下り、まだ無事だった街と砂漠の境界上に立った少年たちは、飛んできた砂にむせてせきこんだ。ここに来る前に、その街を一年前に描いた写生画を見せてもらったが、円形の城砦に囲まれた、トリスタニアを何倍かにしたこぎれいな都市といった様相は消え、砂嵐の吹きすさぶクリーム色の砂漠に半分が変わっていた。痕跡といえば、わずかに砂丘から突き出た石造りの建物の頭があるだけで、虫一匹の気配すらない。

「これはひどいな。あのすみません、この街の人たちは、今いったい?」

 呆然と惨状を見つめていた水精霊騎士隊の中で、レイナールが同行していた聖堂騎士のひとりに尋ねた。

「ああん? 見りゃわかるだろ。軍隊がぐるっと取り囲んじまってるんだ、とっくに逃げ出して残っちゃいねえよ。ま、どうしても逃げ出せない可愛そうな奴らとか、つぶれた建物の中にいた連中なら、まだ砂の中にいるかもしれねえが、まあ生きちゃいねえだろうぜ」

 その聖堂騎士はいかにも柄が悪そうな感じで答えた。レイナールは当然顔をしかめるが、相手は白髪のちぢれた長髪を無造作に伸ばした目つきの悪いやせぎすの男で、文句を言うのをはばかられた。

”まったく、聖堂騎士をつけてくれたのはいいが、ジュリオ以外はまるでゴロツキじゃないか。手がないからって、どこの部隊でももてあましてるのを押し付けてきたな”

 事実そのとおりであった。国がついこのあいだまで戦争だったのだから聖堂騎士団も暇ではない。なにもないときはロマリアの権威を知らしめるために威圧的に振る舞い、人々から恐れられているが、今はロマリア軍も人手がどこも足りず、補充人員として引く手あまたであるためほとんどの人員が出払っていて、女子供のお守りに使えるのはこういった嫌われ者ばかりだったのだ。

 こいつらは使えんな。と、ミシェルは早々に見切りをつけている。立ち上がりから気をそがれたが、元からロマリアの助けなど当てにしていないから問題ない。それよりも、事態の把握と解決につとめるべきだ。

「副長、どうします?」

「考えるまでもない。遠くから眺めていても始まらん。砂漠化した市街に入って、手がかりを探す。もし生存者がいれば話を聞けるかもしれん。いいな」

 ミシェルは、この中で論立てで命令をできるのは自分だけだと指示を下した。一応は、ロマリア軍の指図を受けずに行動できる権限は与えられている。遠慮するのは柄ではないし、そうなると、方向を定めれば一直線のギーシュたちは気合が入り、才人やルイズも同様だ。聖堂騎士の数名は最初から眼中に入れていない。唯一、ジュリオが騎乗用の風竜を駆り、僕が空からまわってきてあげようかと提案してきたくらいである。

 

 だが、偵察をジュリオに頼むまでもなかった。この街を砂漠にした異変の元凶、それはまさにこのときに現れたからだ。

「あっ、あれは! おいみんな、砂漠の上に、変なものが浮いてるぞ!」

 なにっ! と、皆が見上げた先にそいつはいた。砂漠化した都市の上空に、なにかが浮いている。最初はゆらゆらと、雲が揺らいでいるのか目の錯覚かと思ったが、目を凝らしてみるとそいつの不自然な形が見えてきた。

 半透明のビニールのような胴体から、同じく半透明のビニール紐のような触手が何本も垂れ下がって揺らめいている。その容姿は、才人に地球にもいるある海洋生物の名を連想させた。

「クラゲ……か?」

 と、しか表現できなかった。海に詳しくない仲間うちからは、クラゲって何? と怪訝な声が出るのを、海にいるゼリーみたいな生き物だよと説明するが、一応ここは海ではないし、だいたいクラゲは普通空に浮かばない。

 だが、そこにいるのが夢でも幻でもない以上、あれがクラゲだろうと別の何かだろうと同じことだ。

 そのときである。唖然としている皆の見ている前で、空飛ぶクラゲが砂漠の上からするするとまだ無事な街のほうへと飛んでいったと思うや、石造りの堅牢な建物群が一瞬のうちに崩れて砂の山になってしまったのだ。

「なっ、建物が」

 まさに一瞬の出来事だった。空飛ぶクラゲが飛んでいくところの街が、ことごとく崩れて無機質な砂の山になっていく。愕然とする皆だったが、彼らが求めていた異変の答えは、疑うべくもなくここにあった。あいつが、あの空飛ぶクラゲがこの街を砂漠にしていた犯人だ! そうに違いない。

 敵の正体がわかると、真っ先に飛び出したのはやはり水精霊騎士隊であった。

「探す手間がはぶけた。相手が怪獣ならぼくらの得意分野だ。みんな、張り切れ!」

 おぉーっ! と、意気がとりあえずは上がるのがギーシュたちのすごいところである。考えるよりは行動するほうが性に合っている連中のため、さっきまでその行動ができなかったので腐っていたが、いざ目標が見つかると肝が座っている。

「レイナール、作戦頼む!」

「相手の高度はおよそ百メイル。残っている建物の中で高いものの屋上から魔法を打ち込もう。うまくすれば、届くかもしれない」

「よしきた! ロマリア軍に先を越されるな。一番槍の名誉はぼくたちがもらった」

 行動方針を決めるのも早い。今はほんの数名しかいないとはいっても、彼らも数多くの死地を潜り抜けてきた若き猛者だ。しかし、猪突の感で戦おうとしている彼らに、勇猛でも思慮深さを併せ持つ銃士隊は当然苦言を呈した。

「待てお前たち! まだ敵の正体もわからないのに、うかつに手を出すな」

「大丈夫ですよ。あいつが犯人なのは一目瞭然だし、あんなフワフワした弱そうなやつ、あっさりと撃ち落してみせますって!」

 ギーシュたちは気勢も高らかに飛び出していった。相手が弱そうだから早々に調子に乗っている。まったく、ついこのあいだのシェフィールドとの戦いで散々な目にあったというのにまだ懲りていないのか。ミシェルは呆れたが、かといって頭の中までずれてしまったわけではない。

「副長、いかがしますか?」

「バカどもが……我々はこのまま待機、様子を見る」

 正体不明の敵にうかつに仕掛ける危なさを彼女たちはよく知っていた。敵がどんなものであるにせよ、こちらは生身の人間なのだ。一発の銃弾、一筋の傷で死にいたる脆弱な生き物であることに変わりはない。

 敵を知り、己を知らばの原則は永遠不滅だ。才人は一瞬ギーシュたちとともに飛び出しかけたが、ルイズに掴まれて止められ、落ち着きなさいと言われてから問われた。

「サイト、あれも怪獣の一種なの?」

「いや、わからねえ。少なくとも、おれのいた世界じゃあんなクラゲみたいな怪獣は見たことねえよ」

 才人は正直に答えた。クラゲ型の怪獣というのは少なからずおり、台風怪獣バリケーンなどいくつかをすぐに脳裏に再生したが、どれも姿が大きくかけ離れており、なおかつ建物を砂にするという能力を持つやつは聞いたこともない。少なくとも、自分の地球にはあの怪獣は出現したことはないといっていい。まったく未知の怪獣だ。

「だけど、どう見てもおとなしくてかわいいって感じじゃないよな」

 左手にデルフリンガーの柄、右手に懐のガッツブラスターに手をかけて才人は思った。あの怪獣、クラゲそのもののフワフワした体にどんな恐ろしい能力を秘めているのかわからないが、戦わなければこの街だけでなく世界中が砂漠に変えられてしまうかもしれない。

 ギーシュたちが走り、ロマリア軍も敵の存在に気づいて動き出した。また、役立たずに見えた聖堂騎士団のごろつきたちも戦わないなら目障りだと、ミシェルが尻を蹴飛ばして向かわせた。あんな連中でも一応は聖堂騎士になった男たち、それなりに強いだろうからいないよりはましだ。

 数分と経たずに、メイジを中心にした対怪獣包囲網は完成した。高度百メートル程度をフワフワと揺らめきながら、行く手の建物を砂に変えていく。その前方の進路を読んで布陣がおこなわれ、我こそは先鋒をと争った結果、偶然にもほぼすべての部隊や兵が同時に攻撃を開始した。

「撃て!」

 号令一過、数百人のメイジが空の敵を目掛けていっせいに魔法を発射した。系統は問わず、一番槍だけを争った結果、威力も種類もバラバラの攻撃だが、数がものすごいだけに威力は誰が見ても桁が外れている。ファイヤーボールが、エア・ニードルやジャベリンなどでたらめに混ざり合い、奔流となって空飛ぶクラゲへと向かう。

 だがそのとき、誰もが目を疑うことが起こった。

「なにっ! 魔法が、すり、抜けた?」

 多数の魔法攻撃が確かにクラゲのシルエットと重なったのを誰もが見た。しかし、ビニールのように千切れるかと思われたクラゲはその半透明の体をそのままに、攻撃だけが反対側に抜けてしまったのだ。

「は、外したのか? もう一度だ」

 自分の目を信じられない彼らは再度攻撃を放った。結果は完全に再現された。

 二度に渡り、城ひとつを消し飛ばすのではないかと思われるくらいの魔法の弾幕。それが、確かに命中しているはずなのに空飛ぶクラゲには何の変化も見られない。

 バリアか? いや攻撃は確かに当たっているはず。ならば魔法に耐性でも持っているのかと、才人もガッツブラスターを構えて狙いをつけ、あきらめ悪く放たれた第三波の魔法攻撃と同時に撃ち放った。

 だが、ガッツブラスターのレーザーを持ってしても結果を変えることはかなわなかった。

「どうなってるんだ!」

「弾が全部奴の体を突き抜けてしまうぞ!」

 三度目の正直、もはや驚愕するしかなかった。幻なのか実体がないのか。空飛ぶクラゲはこちらの攻撃にまるで動じずに何事もなかったかのように浮いている。そして、確かにそこに存在している証だとでもいうかのように、クラゲの漂う先にある建物がひとつ、またひとつと砂に変えられていってしまっていた。

「くそっ、止まれ! 止まりやがれっ!」

 いくら撃ってもクラゲは止まらない。しかも、クラゲは攻撃が当たらないばかりか、ふっと姿が掻き消えたかと思うと、一瞬にして数百メートル離れた別の場所に移動してしまっていたのだ。

 あの怪獣は蜃気楼みたいなものなのか? しかし、確かにそこにいるのだという存在感はある。

 だがそのとき、ルイズが杖を高く振り上げながら叫んだ。

「サイト、目を伏せて!」

「ルイズ、お前あれをやる気か!」

「ええ、狙って当てられないなら逃げ隠れできないだけ吹き飛ばしてやるわ。久しぶりに大きいのいくわよ」

 ルイズは凶暴な笑みを浮かべて宣言した。才人は慌てて手で目を覆う。手加減をしなくていいときのルイズは味方に対しても容赦がない。

 振り下ろされた杖から魔法力が解放され、虚無の破壊魔法が天空に炸裂した。

『エクスプロージョン!』

 解放されたエネルギーがルイズの頭上を中心に、音速を超えて炎と衝撃波を空一面にばらまく。

 光芒、続いて大気を揺るがすしびれが肌に伝わってくる。

 相も変わらずすさまじい威力だと才人は思った。魔法という、この世界の人間が持つ超情的な力の中でも伝説とうたわれるルイズの虚無の力、制約も厳しいが、心置きなく発動された場合のパワーは地球の近代兵器もかすむほどのでたらめさを誇る。

 直撃すれば怪獣にでも致命傷を与えられるエクスプロージョン。理屈はわからないが物理法則も無視して対象を破壊するこいつを爆風だけでも食らえば、どんな怪獣でも少なからぬダメージは免れない。だが、裏を返せば……

 エクスプロージョンの光芒が収まり、空がまた夜のような漆黒の色に戻る。ギーシュたちやロマリアの兵たちは、突如として天空を覆いつくし、かつなぜか自分たちにかすり傷ひとつ負わせなかった爆発の輝きで焼かれた目を回復させると、まだうすぼんやりとするその視界を空に向けた。

 そして、失望と落胆を味わった。

「まるで変わってない。なんて奴だ!」

 空飛ぶクラゲはエクスプロージョンの炎の中から平然と姿を現した。ダメージなどカケラも見えない。

 だが一番落胆していたのは当然ながらルイズだった。そんな、馬鹿な……渾身の力を込めていただけに、がくりとひざを折って、とび色の瞳を苦しげに伏せて荒い息をつき始める。

「ハァ、ハァ、精神力のムダ撃ちをさせてくれたわね……」

「お、おいルイズ、大丈夫か!」

「なんの、これしき平気よ。けど、エクスプロージョンを受けて無傷なんて、まずありえないわ。あの空飛ぶクラゲ、たぶん幻よ。実体がないからなにをやっても効き目がないんだわ。けど、向こうもこっちに攻撃をかけてはこれないはず……」

 と、ルイズが言った矢先だった。空飛ぶクラゲの傘の頭頂部から赤紫色の光弾が放たれ、ルイズに襲い掛かったのだ。

「ルイズぅ!」

 才人はとっさにルイズを抱きかかえて飛びのいた。クラゲの放った光弾はふたりのすぐ脇をかすめ、砂地に当たって爆裂し大量の砂をふたりの頭上に降り注がせる。

「うぐぐっ、ルイズ大丈夫か?」

「ゲホッ、あ、ありがと。あ、あんたこそ大丈夫なの!」

「少なくともお前よりは頑丈だよ。それより、あのクラゲ野郎、攻撃をすり抜けさせられるくせに自分は攻撃できるのかよ。インチキにもほどがあるぜ畜生」

 魔法もダメ、現代兵器もダメ、とっておきの虚無も通用しない上に向こうは攻撃し放題では勝負にもならない。

 あのクラゲはいったい何者なのか? 単にクラゲといってもいろいろおり、よく知られているミズクラゲや毒クラゲの代表的なカツオノエボシのほかにも、数え切れない種類がいる。中には強力な生命力を持ち、不死といわれるものや再生細胞の研究に使われていたりもするし、そもそも先祖は何億年も前から存在していたりと、多くの生き物にとって偉大なる先輩と言えるのである。伊達にクラゲ型怪獣が強豪ぞろいというわけではない。

 だがしかし、あの怪獣はクラゲに似ているが別の何かというほうが正しそうだ。空中をフワフワと移動しながら進行方向の建物を砂に変え、近づく兵士たちに怪光線を浴びせて撃退していく。今のところ、その侵攻を止められる手段はなにもなかった。いや、手はいくつかあるにはあるが、試してみたところでそれが効く確信はどれもない。

「キャプチューキューブで閉じ込めるか? いや、バリアもあいつならすり抜けられかねない。それに、一分ばかり閉じ込めたところでどうにもなりゃしない。くそっ、どうすれば。ルイズ?」

「サイト、いったん引くわよ」

「えっ?」

 才人はルイズの口から逃げるという言葉が出て、一瞬戸惑ったがルイズは平静に言葉を続けた。

「相手の手の内が見えない上に、こっちの打つ手がこれ以上ないんじゃどうしようもないわ。それに忘れたの? わたしたちはロマリアの手の中で踊らされてるのかもしれないのよ。ここで全滅したら、それこそ黒幕の思う壺じゃない。どうせ街にはもう人間は残ってないわ。さもないと、ほんとにみんな砂の下に埋もれることになるわよ」

 ルイズの言葉で才人ははっとした。そうだ、頭に血が上って忘れていたが、これはただの戦いではなかった。ルイズの言うとおりだ、このまま戦い続けても状況が好転する見込みはない。すでにみんな魔法を使うための精神力が切れ掛かっているはずだ。気がつけば、勇ましく戦っていたはずのギーシュたちの姿が見えない。恐らく、相手の攻撃で散り散りになって反撃するどころではないのだろう。

 それに、耳を澄ませば風に乗って才人の名前を呼ぶミシェルたちの声が聞こえてくる。いつのまにかはぐれてしまったようだが、呼び声に「逃げろ」や「撤退」の言葉が切れぎれに入っているところから、銃士隊も撤退を決めたらしい。残念だが、あのクラゲは今の自分たちの手に負える相手ではなかった。

「ちくしょう、かっこわるいな。たかがクラゲに尻尾巻いて逃げなきゃいけないなんて」

「なに言ってるの。わたしこそ、今日まで温存してきたエクスプロージョンを無視されて誇りもないもあったもんじゃないわ。この借りはいずれ百倍にして返すんだから。それまで、わたしたちは絶対に倒れちゃいけないのよ」

 あのプライドの高いルイズがそれを押し殺している。才人は誇張抜きで感心していた。

 今は、ルイズの言うとおり引くしかない。たとえ屈辱を背負って、街ひとつを見殺しにしなくてはいけないとしても、だ。

 駆け出す才人とルイズ。砂嵐の吹きすさぶ砂丘を越えて、まだ残っている街のほうへ。

 見れば、攻撃を繰り返していたロマリア軍の魔法も見えなくなっている。あらゆる攻撃が効かない相手に、彼らもとうとう戦意を喪失してしまったようだが、それを臆病とそしることはできまい。

 ふたりは、仲間たちがどこにいるのかもわからないままかろうじて生き残っていた街にたどり着いた。街はすでに黄土色に染まり、なかば砂にうずもれかけている。まるで、エジプトの風景だなと才人は思った。

 あとはこの砂だらけの街路を一直線に進めば、街から脱出できる。振り返ると、不規則な軌道で漂っていたクラゲがこちらのほうへ向かって飛んでくる。

「まったく、運がないわね。サイト、あんたのせいじゃない?」

「おれの不幸はお前に召喚されたときに使い果たしたよ。あとはのきなみお前のほうだ。善良な一般市民を巻き込むな」

 互いに憎まれ口をたたきながらも、才人とルイズは急いだ。あと少し、街を脱出できれば皆とも合流できるだろう。

 必死に走るふたり。空飛ぶクラゲはゆっくりながら、ふたりのすぐ背後へと迫ってくる。ロマリア軍ももう退却を決めたのか攻撃の手が見られない。例えるなら、大海の中で鮫も鯨も恐れずに漂うクラゲのように、奴は不可侵で無敵だった。

 だが、街の出口の門が見えてきたそのときだった。荒れ果てた商店街を駆け抜けていくふたりの耳に、隅の路地の奥から子供の泣き声のようなものが聞こえてきたのだ。

「まさか……」

 ふたりは、本当にまさかと思いながらも自然に足を路地の奥へと向けていた。

 声の主はすぐに見つかった。路地の奥、貧しい町人の住まいと見えるあばら家の窓から、ベッドに横たわる老いた女と、その傍らに寄り添って泣く子供の姿が見えたのだ。

「なんで!」

 どうして街にまだ人が!? という疑問がふたりの頭に浮かび、次いで聖堂騎士の男の台詞を思い出した。

『どうしても逃げ出せない可愛そうな奴らとか』

 しまった、とふたりは激しく後悔した。あのときしっかり聞いていれば、この街が完全に無人になったわけではないことに気がついていたはずなのに。逃げたくても、病気で逃げられない人もいることに頭が回らなかった。痛恨のミスとしかいえない。

「助けなきゃ!」

「ああ!」

 迷いなどなかった。考えるより先に足が動き出していた。

 しかし、ふたりの志を現実はあざ笑うかのように破滅の足音は迫ってくる。

 あばらやに飛び込み、子供と老女を救おうとしたとき、建物を砂に変えるクラゲがついに彼らの頭上へとやってきてしまったのだ。

「サイト! 崩れるわ」

「ルイズ、外に!」

「テレポート、間に合わない。きゃあぁぁっ!」

「ルイズぅぅっ!」

 崩落する建物、頭上から降り注いでくる無慈悲な土砂。それが目前に迫ったとき、才人は老女と子供をかばうルイズの上にかぶさり、自らが盾になって守ろうとした。

 むろん、守りきれるわけがない。全員そろって生き埋めの末に圧死するしかない。

 だが、才人はそんなことは考えなかった。ただ、守らなければ、守りたいとだけ純粋に願った。

 そしてそのとき、才人とルイズの手が重なり、ふたりのウルトラリングがまばゆい輝きを放った!

 

 光が闇に満ち、廃墟の街に立ち上がる。

 

 しかしそれを、冷たく見守り、愉快そうにせせら笑う影があった。

「ふっふふ……まさに思惑通り。さて、あなたにも協力してもらいますよ。我らのために、聖戦遂行のための小道具としてね……」

 

 

 続く



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第17話  導かれる世界

 第17話

 導かれる世界

 

 超空間波動怪獣 メザード 登場!

 

 

 なにを考えたわけではない。迷いの答えを見出したわけではない。

 だが、彼の者の体は意思を超えて動いていた。

 馬鹿と言うなら言え、陳腐な正義感と呼ぶなら笑え。しかし、極限に追い詰められたときにその人間の本性が現れるのだとすれば、それが彼の真実であったのだろう。

「おれはどうなったっていい! だから」

 弱きを救おうと、我が身を投げ出したときに希望は応えた。

 光を失っていたウルトラリングが輝き、ふたりの手のひらが合わされる。

 光芒一閃、ウルトラタッチ!

 砂漠と化し、崩壊しつくそうとしている街。砂塵が舞い、人の営みがすべて砂の中に埋没しようとしている無機質な世界に、正義の意思を持つ戦士が立ち上がる。その姿を知らないロマリアの民は驚き見つめ、その名を知る者は、巻き上がる砂嵐に自らを染めながらも、希望に胸を躍らせて呼ぶ。

「ウルトラマンAだあっ! よおっしこれで勝てるぞ」

 無邪気に叫ぶギーシュと水精霊騎士隊。彼らの信頼の深さが、その言葉に表れていた。

 希望を背負って立つヒーロー、ウルトラマン。しかしウルトラマンはひとりで立つわけではない。その力と魂を預けられる人間がともなわなければ光は輝けない。されど、このときエースは確かに人の光の力を得ていた。

 

 

〔おれは、いったい……? はっ、これって、お、おれ、エースに〕

 無我夢中の境地から、光になる感覚に身をゆだねた才人は、自分が知らずのうちに変身していたことに気がついてはっとした。その彼に、懐かしいあの声が呼びかける。

〔そうだ。ようやくまた会えたな。才人くん、待っていたぞ〕

〔あなたは、北斗さん! おれは、どうして〕

 才人の心に、ウルトラマンA、北斗星司の声が響いてくる。その力強く熱のこもった声は才人に安心感を与え、なぜ変身がかなったのかわからないでいた彼に答えを示した。

〔才人くん、君は心に深い迷いを抱えていたね。それが君の中の戦う意思、すなわち君の正義の心とぶつかりあって、無意識のうちに自分にウルトラマンになる資格がないものだと思い込んでいたんだ〕

〔おれが、そんなことを。いや、確かにそのとおりかも〕

〔自分を責めることはない。自分のありように悩むのは、人間として当然のことだ。私はむしろ、そうして自分自身と向き合って戦うことのできる人間を、自分を否定されながらも悩み進もうとする君のような人間こそすばらしいものと思う。才人くん、君はまだ自分を納得させられる答えを見出せてはいないかもしれない。しかし、君はこうして私の声が届くようになった。なぜだと思うかい?〕

〔それは……〕

〔君の心には、迷いを吹き飛ばして有り余る強い意志が眠っていたからだ。自らを失いかける逆境にあってもなお、忘れてはいなかったそれが魂の叫びとなって、君はたった今、自分の心の中にある正義をためらわずに貫いた。私の手のひらの中を見たまえ、それが君の守ったものだ〕

 才人はエースに言われ、エースの手のひらの上を見た。そこには、建物の崩壊に巻き込まれそうになっていた、あの親子の姿があった。

〔無事だったのか、よかった〕

〔そう、その苦しんでいる人を捨てておけない優しい心が、戦いに向かう上で大切なんだ。我々ウルトラマンは常に守るために戦う。その一切の見返りを求めない戦いには、なによりも優しさが必要なんだ。そして、君にはもうひとり、理屈抜きに守ろうとした人がいるじゃないか〕

 才人ははっとして傍らを見た。そこにはルイズがすねた様子で、才人をじろりと睨みつけていた。

〔あ、る、ルイズ〕

〔やっと気がついたわね。まったく、一年付き合ったわたしよりもぱっと見ただけの他人の心配をするとはいい了見してるじゃないの〕

〔わ、悪い〕

〔バカ、謝ることじゃないでしょ。あんたからお人よしをとったらスケベとバカしか残らないうすのろじゃない。けどいいわ、あのときあなたは確かにわたしも守ろうとしてくれた。それよりも、ウルトラマンになったからにはやるべきことがあるんじゃない!〕

 ルイズは照れを隠しながらも力強い言葉で才人の背中を押した。

 そうだ。茫然自失としている場合ではなかった。今、なすべきことは、この街を襲っているあの怪獣を倒すことだ。

 エースは救い出した親子を街の郊外の安全な場所に降ろすと、街の上空を我が物顔で飛んでいるクラゲを見据えた。

 どんな攻撃も効かない幻のような空飛ぶクラゲ。しかし、必ずなにか弱点はあるはずだ。

〔いくぞ!〕

 エースは大地を踏みしめる足に力を込め、その反動で一気に上空高くジャンプしてキック攻撃を放った。

「ヘヤアッ!」

 宙空でエースの体がしなやかに回転し、稲妻のように鋭いキックがクラゲのシルエットと交差する。

 どうだっ? だがエースの必殺キックはやはりクラゲの体をなんの手ごたえもなく透過してしまい。空振りに終わったままエースは地上に着地する。

〔直撃したはずなのに! あいつにはウルトラマンの攻撃も効かないっていうのか!?〕

〔うろたえるな。一回攻撃してだめなら、効くまで何度でも試し続ければいい。戦いは、まだ始まったばかりだぞ〕

〔はいっ! よーし、勝負はこれからだぜ〕

 エースのはげましを受けて、才人の闘志も蘇り始めた。そうあっさりと折れるようなやわな心臓を彼らは持っていない。己のやるべきことを見つけたときの一本気は、才人と北斗は不思議と似ているところがある。ルイズに言わせると、才人は単純バカということになるのだが、ウルトラ兄弟一番の熱血漢であるエースとはとかく気が合うようだ。

 ウルトラキックをすり抜けさせたクラゲは、やはり何事もなかったかのようにその場に浮いている。こいつは今までも、魔法から物理まであらゆる攻撃を透過させてきた。本当にこいつにはなにも通じないのか? いや、必ずこいつにも不死身の秘密があるはずだ。

 その秘密を掴むには、とにかくアタックあるのみだ。戦いの中でヒントを掴めと、エースは宙に浮かぶクラゲを見据えて指先を頭頂部に合わせて額のウルトラスターにエネルギーを集中させた。

『パンチレーザー!』

 牽制に効果を発揮する中威力の光線が斜め上に向けて放たれ、クラゲに突き刺さるが、やはりこれも効果なくすり抜けてしまった。

 思ったとおり、光線もだめか。ガッツブラスターが効かなかったときから九割方予測できていたことだが、奴は物理もエネルギーも完璧に無効化できてしまうようだ。この幻を相手にしているような手ごたえのなさに、エースはかつて戦ったある超獣を思い出していた。

〔どうやらあの怪獣は、異次元を操る能力を持っているようだ〕

〔異次元? それってどういう……〕

〔才人くん、君は我々ウルトラ戦士の歴史を勉強していたんだろう? 知っているはずだ。私が地球にいた頃戦った、実体を持たない超獣のことを〕

〔実体を持たない……アプラサールか!〕

 才人も思い出した。天女超獣アプラサール、異次元エネルギーで体が構成されていた超獣で、タックアローのミサイル攻撃はおろかエースの攻撃もすり抜けてしまって効果がなかった。完全に同じとはいえなくとも、あの怪獣にも似たような能力があるとすれば不死身の説明がつく。

〔ならば、選ぶ技はひとつだ〕

 敵が異次元能力を持っているのだとすれば通常の攻撃は当たらなくて当然だ。なにせ、実体はここにいるように見えて本当は別の次元にいるのだから、鏡に映った影を殴りつけているようなものだ。初代ウルトラマンが戦った四次元怪獣ブルトンもウルトラマンの手によって異次元干渉能力を破壊されるまではありとあらゆる攻撃を受け付けず、防衛軍も全滅の憂き目にあってしまった。

 敵を自分と同じ土俵に立たせなくては勝負にならない。エースは手のひらをつき合わせて、合わせた指先から白色のガスをクラゲに向かって噴射した。

『実体化ガス!』

 アプラサールに実体を与え、戦いの糸口となった技をエースは放った。白色ガスを浴びて、クラゲの姿が半透明からほんのりと色が濃くなったように感じられる。効果があったのか? それを確かめるべく、エースはクラゲに向かって手裏剣を投げつけるようにして手から光弾を放った。

『スラッシュ光線!』

 光線は一直線にクラゲに迫り、その直前で炸裂して火花をあげた。どうやら奴の周辺の異次元エネルギーがバリヤーの役割をして命中を防いだらしい。しかし、攻撃のエネルギーはスパークのように広がってクラゲにも襲い掛かり、クラゲははじめてしびれたように触手を震わせた。

「効いた!」

 不死身を誇っていた相手に対するはじめての目に見えた打撃に、地上で見守っていた人間たちから歓声があがった。

 奴は決して幻でもなければ不死身でもない。それだけでも証明されたことは大きい。

 しかし、いったんは実体化をしたクラゲだったが、また数秒経つと元通りの半透明に戻ってしまった。これは当然、奴がまた異次元能力を取り戻してしまったということになる。攻撃はまた効かなくなった。ルイズは、さっきのがぬか喜びになったことに腹立たしげに口にする。

〔ああっもう! せっかくこれであのクラゲを干物にしてやれると思ったのに! マズいでしょうけど……〕

〔どうやら奴は、ヤプールとは違った形で異次元に干渉しているようだな。一時的に干渉してこの次元に引き寄せるのが精一杯か。なんとか、奴の秘密を突き止めなくては〕

 クラゲの怪獣にはこれでもまだ決定打にならない。エース、才人、ルイズは考える。どうしたらこいつを倒すことができるのかを。

 

 だが、そうして彼らが目の前の敵に全神経を集中しているとき、戦いの蚊帳の外からエースを見ている目があった。

”ふむ、次元干渉の能力も持っているのですか。これは、メザードを持ってしてもいつまで持つかわかりませんね。仕方ありません。できればあなたには我々のために役立ってもらいたかったのですが、やはり異世界のものとはいえウルトラマンを利用しようとするのは危険が大きいようです。ですが、少なくともこの場所では、我々に協力していただきましょう。奇跡を彩るための子羊としてね。ふふふ”

 邪悪な笑い声が空気に溶け、その者を乗せた船はゆっくりと戦いの街へと近づいていく。

 

 陰謀は地を這う蛇、海底に潜むアンコウにも似て、その姿を見せないままで獲物を牙にかけるために忍び寄ってくる。

 光と正義を守るウルトラマンが常に堂々としているのに対して、闇と悪に身を置く者たちは正体を隠して偽りを見せ、あらゆることに手段を選ばない。

 それでも、ウルトラ戦士の正々堂々たる姿勢は不動だ。攻撃を受け付けないクラゲ怪獣に対して、勝機を見出すために戦い続けるウルトラマンA。すでにカラータイマーも点滅しはじめて、余裕は失われかけているが、あきらめることはない。

 しかし、クラゲ怪獣はさきほどわずかなりともダメージを与えられた恨みか、地上で構えるエースに向かって紫色の破壊光弾を連射してきた。

「ムウゥゥンッ!」

 上空から一方的に打ち下ろされてくる攻撃に、さしものエースも苦悶の声を漏らす。この光弾、時空波というのだが、一発ごとの威力もバカにならない上に連射もきくために始末が悪い。大きな雹の雨にさらされ続けるようなものだ。上からの攻撃はしのぎにくいので、エースのダメージも増していく。

〔くうっ、これじゃ弱点を探すどころじゃない!〕

 エースはウルトラ兄弟の中でも異次元戦闘のエキスパートだが、まったく未知の相手に対処するには時間がかかる。先のアプラサール戦でも、決定打になったのはアプラサールにされた天女アプラサの助言でアプラサールに送られていたヤプールの異次元エネルギーを遮断できたから勝てたのだ。このクラゲ怪獣がどういう原理で異次元に潜んでいるかを解明できなくては、さしものエースでもどうしようもない。

 一方で、もはやロマリア軍はパニックだった。怪獣という、人知の通用しない相手と戦った経験が他国に比べて圧倒的に不足していたのに加え、間近に迫ってきた負けるという恐怖が彼らの心を蝕んでいった。

「ひやぁぁっ、なんだよあの巨人。おおげさに出てきたくせに全然まったく歯が立たないじゃないかよ。なにが救世主だ、ふざけんなバーカ、死んじまえクソッタレ!」

 幼稚で下品な罵声がロマリア軍の中からエースに浴びせかけられる。勇気も理性も、生きていてこそ、勝っていてこそありえるものだ。自らを弱者であると認めたくない彼らは、責任転嫁する相手を求めて卑劣にもそれをぶっつけた。

 むろん、エースの聴力ならそれらは聞こえている。しかしエースは動じない。なにを言われてもぐっと耐える。

 けれども、耐えられずに一矢報いる者もいた。ミシェルの拳が、ヘラヘラ笑いながらエースに罵声を向けていた聖堂騎士団の一人をぶっ飛ばす。彼女は、水色の瞳とは対照的な赤い炎をその眼の奥に燃え滾らせて怒鳴った。

「クズが、貴様らみたいなのでも、死んだら誰か悲しむ人間がいるだろう。そんな悲劇が起きないように、ウルトラマンは命をかけて戦っているんだ。今度彼を侮辱してみろ、始祖が許してもわたしが許さん!」

 仲間を侮辱されたとき、そいつを叩きのめすことをためらう拳を今のミシェルは持っていない。才人がくれた熱い魂は、脈々と彼女の中に息づいている。

 だが、もはや限界だ。ロマリア軍だけでなく、エースももう長くは持ちこたえられない。

〔北斗さん、ここは撤退しよう! このままじゃじり貧でやられちまうぜ!〕

 才人が悔しそうに言った。負けず嫌いの彼だが、その反面で自分以外の誰かが無駄に傷つくことは強く嫌う。彼の昔からの持論だが、死んだら終わりなのだ。それは誰であろうと変わらない。どのみちこの街は無人、ロマリア軍さえ撤退すればこれ以上の人的被害が出ることはない。

 ルイズも同感だ。エクスプロージョンが空振りに終わったときから勝機は見限っている。それに、今回は守るべきものがあって戦っているのではない。

 だが、エースも仕方がないと了解しかけたときだった。クラゲ怪獣の時空波が、今度は周りの人間たちにも襲い掛かりはじめたのだ。

「うわあぁぁっ!?」

「なんでこっちに! わああっ!」

 エースにもダメージを与える攻撃だ。人間がくらえばひとたまりもないのは明白。至近で爆発する炎にさらされて逃げ場を失うギーシュたちを守るため、駆けつけたエースは残り少ないエネルギーで青い円形のバリアを作り出した。

『サークルバリア!』

 光の壁が時空波を跳ね返し、逸れたものが爆発してエースを赤く染める。その爆風に体をあおられながら、九死に一生を得たギーシュたちは息を切らせながら胸をなでおろしていた。

「た、助かった。本気で死ぬかと思ったよ」

「馬鹿者! いつまで腰を抜かしている。すぐに引くぞ、立て!」

 呆然としているギーシュたちにミシェルが怒鳴った。必死に走って、彼女たちは全員水精霊騎士隊と合流している。彼女たちも今の攻撃でエースに命を救われた点では同じだが、はるかに現実を見据えていた。怒鳴られてギーシュたちがうろたえる様を見せると、すぐさまギーシュの襟首を掴んで言ったのだ。

「バカめ、まだ教皇陛下のおぼえめでたい英雄気分でいるのか。足手まといになるくらいなら戦うなと教えただろうが。お前たちがピンチになれば、ウルトラマンAは助けにこないといけなくなる。それくらいわからんのか」

「す、すみませんっ! みんな、走れっ」

 ギーシュはバカだが愚かではない。やるべきことを指し示されたらリーダーとして、すぐさま行動を開始した。

 その後姿を、ミシェルはアニエスと同じ、厳しくも優しい目で見つめていた。

「絶対に死ぬなよ。お前たちの命は、こんなくだらん戦いで散らせていいものじゃない」

 部下を意味なく怒鳴る無能な指揮官と彼女は違う。厳しくとも、その行動にはすべて意味が込められている。戦いに勝つ、それは大事だが、部下の命も極限まで守り抜く。それが今の彼女の信念であり、今も自分たちをバリアで守り続けているウルトラマンAへの誓いでもあった。

「私はもう誰の命も粗末にはしない。生き恥をさらしても、未来の幸せに懸ける。そうだろサイト? いくぞお前たち! こんなところで死んでたまるか!」

 ミシェルが掛け声をあげ、銃士隊も走る。みっともなくても無様でも一向にかまわない。自分たちの守るべきものは、名誉や肩書きなんかじゃあない。だから……お前も、絶対に死ぬなよサイト。ウルトラマンA!

 だが、エースがバリアでカバーできる範囲に比べて上空に遷移するクラゲ怪獣の攻撃範囲は広かった。エースの守れない場所をあざわらうかのように、時空波の攻撃を街から退避しきれていないロマリア軍全体へと拡大して爆撃してきたのだ。

「うわあぁっ!」

「た、助けてくれぇっ」

「ま、待て、置いていかない、ぎゃあぁっ!」

 メイジも兵士も関係なく吹き飛ばされて宙に舞い上げられていく。走るしかない兵士たちはもとより、メイジたちも先ほどの後先考えない魔法攻撃のせいで飛んで逃げるだけの余力がない。

 そんな、阿鼻叫喚の地獄のような光景を見せられて、ついに耐えられなくなったエースは、残ったパワーのすべてをパリアに込めて大きく広げた。

「ヴッ、ヌオォォォォッ!」

 エースの張ったサークルバリアが街いっぱいを覆うほどに広がっていく。

 これは? 才人は愕然とした。こんな技、才人が知っているエースの技の中にはない。

 だが、知らないのも当然。この技は才人の知っている地球でエースが使った技ではない。遠く離れた異世界で、エースが兄弟たちと力を合わせて作り出した合体バリア、『ウルトラグランドウォール』を応用して作り上げたものだ。

 広域に広がった金色のバリアにはばまれて、無数の時空波がはじかれて消えていく。

 すごい……人々はウルトラマンAの力に驚き、ある者は見とれて、ある者は力を使い果たして倒れる。

 しかし、ウルトラ兄弟の合体技をエースひとりで使おうとして無事ですむわけはない。そのことにいち早く気づいたルイズが金切り声に近く叫んだ。

〔やめてエース! こんな力を使い続けたら、あなたが持たない〕

 そう、このバリアのエネルギーは文字通りエースの命を削って維持している。長くは持たないどころか、反動で燃え尽きたら、エースは二度と立ち上がる力を失ってしまうかもしれない。

 才人も止める。やめてくれ、北斗さんが死んじまうと。

 けれどもエースはやめなかった。

〔すまない二人とも。だが、これが我々ウルトラ戦士の使命。生きとし生ける者すべてを守り抜き、闇に光を照らすのが俺たちウルトラ兄弟の使命なんだっ!!〕

 今、ここにいる命をひとつもこぼさずに守り、未来をつなぐ。ウルトラの父から受け継いだウルトラ戦士の心がエースの中で激しく燃える。失われていい命などない、命を落とせば取り返しはつかない。そのためにこそ、自分の命はあると。

 急激にエネルギーを失い、力尽きていくウルトラマンA。才人とルイズはやめてくれと叫ぶが、敵の攻撃は続いており、バリアを解除すれば時空波は地上の人間たちに降り注ぐ。

 まるで本当に自分の身を燃やしているようなエース。その異常さに、仲間たちも気づき始める。

「おい、なんかエースの様子が変じゃないか?」

 レイナールがぽつりと言ったことは、見誤りではなかった。力を使いすぎたエースの体から、金色の粒子が漏れ出している。いや……違う!

「崩れてる? ウルトラマンが、燃えて灰になりはじめてる!」

 限界を超えた証だった。雨のように降り注ぐ時空波を止めるためのバリアが、エースの体を跡形もなく焼き尽くそうとしている。

「よせ! そんなことをしてはお前が! やめるんだ」

「エース、やめろ、やめてくれえ」

 ミシェルが、ギーシュが叫ぶ。しかし、エースはやめることはない。

 カラータイマーの限界。それを超えてもなお、人々を守るのがウルトラマンの、宿命なのだ。

 あと何秒も持たないだろう。その隙に、一人でも多く逃げてくれとエースは願って命を燃やす。

 そして、最後に才人とルイズ……自分のために、ふたりを道連れにはできない。

 エースは自分だけで消えるため、ふたりを分離することを決意した。だが、そのときだった!

 

 空一面に、光が爆発した。

 

〔うわっ! なんだ!〕

 

 暗雲の空に、いきなり太陽が出現したような光芒の奔流がエースと人々の目を貫いた。

 まぶしい、いったいなにが? 網膜を焼かんばかりの白い怒涛に視力を奪われて、思考もなにもかもが一瞬麻痺する。

 こんな光、見たことがない。動揺はエースにも広がる。まるで、蛍光灯の灯りを何百倍にしたような、ひたすらに明るくて強烈な閃光はエースの目をも焼く。

 あの怪獣の仕業か? それまで夜のような曇天だったのが、今では常夏の真昼のようだ。暗さに慣れていた目は、いきなりの明るさについていけずにパニックを起こしている。

 そのショックで、バリアを張っていたエースは思わずバリアを解いてしまったのだが、気配だけでも敵の攻撃が降り注いでくる様子は感じられない。なぜだ? 追撃をかけるには絶好のチャンスであろうに。

 才人もルイズも、わけがわからずに戸惑うしかない。

 だが、何秒が経った頃であろうか。悲鳴をあげていた視神経がようやく自分の役割を思い出すと、すべての人々は光の指した空を見上げた。

 そして、そこに奇跡の光景を見た。

 

「あ、ああぁぁ」

「て、天使……?」

 

 声にならない声が何百、幾千と流れる。人々の見上げた空には、黒雲から光をまとって降臨する、巨大な白い天使の偉容があったのだ。

 

「天使だ」

「天使」

「女神さま……」

「おお、天使様」

 

 人々の驚嘆の声がうねりとなって唱和されていく。

 空から降りてくるのは、神話に登場するであろう女神と呼ぶにふさわしい姿をしたものであった。全身を白磁のように白く輝かせ、神々しい光を放って地上を照らし出す様は、この世の光景とは思えない。

「天使様……」

 人々は自然にひざまづき、祈りをささげる仕草をとる。

 ギーシュや水精霊騎士隊。横暴な聖堂騎士団も、まるで毒を抜かれたように祈っている。信仰心の薄いミシェルたち銃士隊にしても、あまりの光景に呆然として立ち尽くすしかできない。

 ゆっくりと下りてくる白い天使。広大な空にあって圧倒的な存在感を有するその体は、目算でもゆうに百メートルは超えていることだろう。下りてくるにしたがって地上を照らす光は強くなり、人々ははっきりと見えてくる天使の、優しげに微笑む顔に見とれて感嘆の声すら漏らす。

 あれは天使、まさしく天使。我々は今、天使を見ているのだと、人々は涙を流しながらつぶやく。

 そして、ウルトラマンAと、才人とルイズも、突如として現れた巨大な天使に驚き、エネルギー切れ寸前で苦しいながらも視線を釘付けにさせられていた。

〔サ、サイト、わたし夢を見てるんじゃないわよね。天使、天使様よ!〕

〔お、おれにだって見えてるよ。いったいあれは……北斗さん、どっかの宇宙人が助けに来てくれたのかな?〕

 ふたりにとっても驚くどころではなかった。空を圧して、ウルトラマンの何倍もの大きさを持つ天使が下りてくる。その非現実的すぎるであろう光景は、クラゲ怪獣の比ではない。才人はまるで、ニューヨークの自由の女神が動き出してきたのかと思ったくらいだ。

 しかし、同じように驚きはしながらも、ウルトラマンAは心の奥では冷めていた。相手の容貌がいくら美々しく見えても、中身がそれと同じとは限らないのはヤプールとの戦いで散々経験している。案の定、エースの心にはなんの感動も響かなかった。

〔いや、あれからは命の気配どころかなんのエネルギーも感じられない。恐らく、あの天使は幻影だ〕

〔幻影? 幻だってのか!〕

 才人は逆の意味で目を疑った。あの神々しさ、目に見えて伝わってくる存在感が幻だというのか?

 ルイズも幻だとはとても思えなかった。空から降りてくる天使は、どんな魔法を使っても再現が不可能であろうほど、圧倒的な現実感を持って宙に浮いている……いや、なんだ? ふと、ルイズは違和感を感じた。

〔普通の魔法では無理でも……あれなら、もしかしたら〕

〔ルイズ? どうした〕

〔まさか、始祖の祈祷書はネフテスに置いてきたはず。いえ、秘宝はまだあったはず。けど、まさか、そんなことが〕

〔ルイズ!〕

 才人の呼びかけにもルイズは答えない。しかし、なにか深刻なことに彼女が行き当たったのは伝わってきた。ルイズはあの天使の正体に気がついたというのか? そのあいだにも天使は舞い降りてきて、街の上空の百メートルほどで宙に止まった。そして、両手を掲げて聖母のような笑みを浮かべ、人間たちを見渡した。

「天使様……」

 人々の興奮は最高潮に達し、もうエースのほうを見ている者はほとんどいない。

 視線を独占して、世界の支配者であるかのように空にそびえる天使。その眼は黒真珠のように光り、感情を読み解くことはできない。

 いったいこれからどうなるのだ……? 見守る人々の前で、天使は片手をクラゲ怪獣に向かって掲げた。そして、その手のひらからまばゆい光の帯がほとばしるとクラゲ怪獣を包み込んだ。

「あ、ああ、怪獣が」

「天使様の光の中で、怪獣が溶けていく」

 奇跡を見る感嘆の声が惜しげもなく流れる。あれほどまでに不死身を誇った怪獣が、天使の放つ光の中で朝日を浴びた亡霊のように薄れて消えていく。

「なんと荘厳なる奇跡だ……」

 聖堂騎士のひとりが涙を流しながらつぶやいた。神話の一部が目の前に現れたような美しさに、人間たちはその魂を完全にわしづかみにされている。

 クラゲ怪獣は天使の光の中で、やがて完全に消え去ってしまった。そして人間たちの興奮のボルテージも最高潮に達して、祈りの声に続いて歓声の大合唱が起こる。

「おーおーおー!」

 もはやギーシュたちやミシェルたち銃士隊も奇跡だと信じて疑っていない。

 だが、その中で唯一ウルトラマンAだけは奇跡を真っ向から否定していた。

〔おかしい、今の光線もなんのエネルギーも感じられなかった。あの怪獣を撃退できるパワーなどないはずだ〕

〔じゃあ幻が怪獣を消し去ったってことか。そんなバカな〕

 ありえない。幻はどこまでいこうと幻。現実に作用する力などあるわけがない。

 しかし、ルイズはすでにひとつの仮説を立てていた。とても恐ろしく、しかし信憑性が高いある可能性を。

〔もしそんなことができれば、この壮大な舞台劇は完成する。まるで絵空事だけど、わたしにはわかる。わたしの中の血が、わかってしまうのよ!〕

 そんなことは絶対にない。ルイズは才人にもエースにも言えずに自分に言い聞かせる。だが、現実はルイズに時間を与えずに動き続けていた。

 街の空に、ロマリア空軍の艦隊が現れる。その先頭を進んでいるのは、少し前まで自分たちも乗っていたあの船。

「聖マルコー号。教皇陛下がいらっしゃったんだ!」

 ロマリアの人間なら見間違うはずのないその船影に、新たな歓呼の声が響き渡る。見ると、船先には教皇ヴィットーリオがひざまづいて祈りを捧げており、天使は聖マルコー号を慈しむかのように両手を広げて微笑んでみせた。

「おお、天使様が教皇陛下を祝福しておられる」

「教皇陛下!」

「天使様!」

 まさしくこれは神の御手が地上におろされた瞬間であると、人々は涙した。

 天使の祝福を受ける教皇ヴィットーリオ。ブリミル教徒にとって、これほど魂に染み入る光景はないといっていい。

 すると、天使の姿がゆっくりと透けていき、やがて空気に溶け込むようにして完全に消えてしまった。

 天使がいなくなった空で、代わって人々の視線を集めるものは、そう、聖マルコー号と教皇ヴィットーリオしかない。ヴィットーリオは人々の視線を完全に独占し、やがておもむろに口を開いた。

「我が親愛なるロマリアの民にして、忠実なる神の子たちよ。私は今、神の遣わした天使による祝福と洗礼を受けました」

 おおお、と、人々から大地を揺るがすような歓声が轟く。

「私はこの地へ、この命と引き換えにしてでも闇を払う覚悟でやってまいりました。私のこの身はすべての敬虔なるブリミル教徒たちのもの。たとえバラバラに砕け散ろうとも悔いはありません。しかし、神はあえて私に生きて皆さんに尽くせとおっしゃってくださいました。皆さん、私がここにいられるのはすべて皆さんのおかげなのです」

「教皇陛下! 教皇陛下!」

「天使は私に神の言葉をお伝えくださいました。ヴィットーリオよ、お前の使命はすべての神の使徒たちを教え導くこと、お前の命はそのためにあり、そのために燃やし尽くせと。そして、信徒たちの力を集めて、今この世界を覆っている闇を払うのだと!」

 群集の声が音の津波となって轟く。

 神の祝福を受け、神の声を聞いた教皇ヴィットーリオの演説はさらに続く。

「ロマリアの人々よ、聞いていますか。神は、今この地に天使を遣わして奇跡を起こされました。しかし、天使は言いました。今のままでは、私がまた現れることはないであろうと。それはなぜか? この世界では始祖への信仰が乱れ、私利私欲のままにおもむく忘恩の輩が跋扈しています。そうした悪魔に魂を売った人間が満ちる地上を、天使といえども祝福することはできないのです。ですが皆さんは違います! 私と共に立ち上がりましょう。そして、地上を神の愛で満たそうではありませんか」

「ウォーッ、教皇陛下万歳!」

 人々は完全にヴィットーリオに心酔しきっていた。神の使い、救世主、無理もない。今この場にいる人間は、自らの命に代えても教皇のために尽くすことだろう。

 確かにヴィットーリオの言うことは美しい。始祖と神への信仰で、地上に救いと平和をもたらすのだ。

 ヴィットーリオの言葉ひとつひとつが、ブリミル教徒たちの信仰心を燃やし、忠誠心を固め、使命感を研ぎ澄ます。

 すべては世界の平和のため。だがそのためになにをすればいいのか? 信徒たちはその答えを教皇に求め、教皇は人々の熱狂が最大に上がったところで、その答えを与えた。

「ブリミル教徒の皆さん、闇を払うには光が必要です。ではその光とはなにか? 我らブリミル教徒にとっての光とは? そう、それこそが、聖地です!」

「おおぉぉぉーっ!!」

「っ! なに!?」

 大多数の人間たちの歓声と、ほんの一部の人間の驚愕が流れた。

 聖地、ハルケギニアの人間にとってその意味は巨大だ。ブリミル教徒にとっての悲願であり、最大の禁忌でもあるその言葉。しかし人々が考えるよりも早く、教皇の演説は続く。

「神のお言葉は、今こそ人間の手で聖地を取り戻せとありました。思えば、我々は何千年ものあいだ、神の最大の贈り物である聖地をないがしろにしてきたのです。この世界が闇に閉ざされてしまったのも、我々が神の恩寵を忘れてしまったがため。聖地こそ、始祖ブリミルの降り立った光溢れる地、それさえ取り戻せば世界は救われます」

「し、しかし……聖地にはあの恐ろしいエルフが」

「懸念される方はもっともです。我々はこれまで聖地を取り戻すために、多くの尊い犠牲を払いました。しかし、その恐れる気持ちが我々の信仰心を腐らせてしまったのです。考えてください、我々人間が苦しんで誰が得をするのか? そう、エルフです。あの恐ろしい異教の悪魔たちは、我々から心の拠り所を奪い、我々をじわじわと弱らせたあげくに、ついに今我々人間の世界を滅ぼそうとしているのです!」

 でたらめだ! と、才人たちは思った。そんなことが絶対にあるはずはない。だが、教皇は絶対の確信があるように続ける。

「我々は今こそ一致団結して異教の悪魔を滅ぼし、聖地を取り戻して世界に光を取り戻すのです。恐れることはありません。神のご加護は我らの元にあります。そう、神の奇跡を目の当たりにした皆さんに、なんの恐れることがありましょうか? 今こそ戦いの時です。聖戦の勝利は神によって約束されました!」

 最大級の歓声が大地から天空に轟いた。それを止めることは、このときはもはや誰にも不可能な話であった。

 

 大変なことになる……ウルトラマンA、才人にルイズは、これが壮大な罠というのも生易しい謀略であったことを知った。

”エルフと戦う? 聖戦? そんな馬鹿な、むちゃくちゃだ!”

 だが、それを声を大に叫ぶことはできない。すでに、手遅れであった。

 人々の視線が教皇に集中する隙に、エースは変身を解除して才人とルイズに分離した。

〔才人くん、ルイズくん、気をつけろ。敵は、ヤプール以上に狡猾かもしれないぞ〕

 変身を解く直前にエースはふたりに警告した。ふたりは人間に戻ると同時に、ぐっとこぶしに汗をにじませる。エースがわざわざふたりにここまでの気を遣うことなど、これまでになかったことだ。つまりは、敵がヤプールのように、力以上に悪辣な頭脳を持つやっかいな相手だということを示唆している。

「わかってるよ。嫌な予感が、最悪の形で当たりそうだぜ」

「もしかしたら、本気で滅びるかもしれないわよ、この世界。身内のためにね……」

 世界が滅ぶ……その予感を、才人は、さらに才人の何倍もの悪寒と恐怖をルイズは感じていた。

 今までの脅威とはまるで質の違う形の侵略……いや、侵食というべきだろう。いつから、どうやって? このハルケギニアの根幹がまさかこんなことになっていようとは夢にも思わなかった。いや……ルイズは今はそんなことを思っている時ではないと雑念を振り切った。いつだって、カビは知らない間に根を張って猛毒の胞子をばらまくものだ。

「ルイズ、おれも大方の目星はついてるけど、お前はどうだよ?」

「失望を通り越して絶望に近いわね。多分、あんたの百倍は危機感を持ってるわ。いったいどうしましょう……こんなこと、みんなに話せないわよ」

「いや、話そうぜ。もうみんな頭も冷えてるだろうし、これから何が起ころうとしてるのかわかったはずだ。心配すんなよ、みんなだって自分で見聞きしたことを忘れてないって。それに、おれたちは友達を信じないような仲間を持っちゃいないだろ」

「そうね」

 ルイズは少しだけ笑顔を取り戻してうなづいた。自分には仲間がいるという安堵と、その仲間を無条件に信じられる才人の純粋な心をそばに感じられて、素直に救われた気がしたのだ。

”わたしにとって、いいえきっとわたしたちみんなにとってあなたは希望なのね。こんなことを言ったらあなたは照れるだろうし、みんなは笑うでしょうけど、それがわたしたちをここまで引っ張ってきた。もちろんわたしも”

 ルイズは、惚れた女のひいき目もあるかと思ったが、もう今更だと自分を笑った。

 少し前も同じ事を思ったけれども、才人は頭も力も特に秀でているわけではない。それは出会ってから大きく成長した今でも変わりなく、水精霊騎士隊に混ざるとよく言って並といったとこだろう。ガンダールヴの力を失った才人は、銃士隊の一般隊員以下の戦力しかない。それでも才人を誰も軽視しないのは、こうして才人が誰一人差別せずに仲間として信頼してくれるからだろう。

”わたしやミシェルがサイトを愛するようになったのも、ギーシュたちがサイトに変わらない友情を抱いてるのも、思えば同じものなのかもしれないわね。サイトは勇気を与えてくれる。キリエルのバカにそそのかされても、やっぱりサイトの本質は変わらない。まだ迷いがぬぐえてなくても、きっとすぐに答えを見出してくれるわ”

 いっしょにい続け、共に歩む。簡単なことだが、それがいかに強い力を生み、人を成長させていくかルイズは学んでいた。だから自分は才人のそばから離れない。ずっと才人を守っていくんだと、これからもずっと……そう思うのだった。

 

 それに、今の自分にいるのは才人だけではない。志を同じくする多くの仲間がいる。その仲間たちがいるからこそ、これまで幾多もの不可能を可能にしてきた。自分の考えている敵の正体は、これまでの中で間違いなく最悪であるが、皆の力を合わせればなにかの方法は見つかるはずだ。

 

 才人とルイズは、仲間の姿を追い求めて、廃墟の街から郊外へと歩み出た。

 郊外では、いまだにロマリア軍が熱狂を続けており、人でごったがえしていて目のやり場がなかった。しかもよく見ると、軍隊の人間以外にも、ペンやノートのようなものを持ったインテリ風の人間が何人も歩き回ってメモをとっており、ルイズがあれは従軍の新聞記者ねと説明した。

 ハルケギニアは識字率はさして高くないが、一定以上の富裕層には新聞があり、それを通じて情報は一般層にも浸透していく。一週間もすれば、ここでの出来事はハルケギニア全土へと知れ渡るだろうとルイズは才人に伝え、才人は顔をしかめた。

「ロマリアどころかマジで世界ぐるみで事を起こすつもりだってことか。こいつも、最初から計算されてたってのかよ」

「ロマリア宗教庁のお墨付きの記事なんて、特ダネどころじゃないから全世界の新聞社が飛びつくわ。世界中に、この虫でできた黒雲が広がってるとしたら、不安にかられた人々は間違いなく釣られるでしょうね。国中がそうなったら、もう女王陛下でも止められるかどうか……はやく、みんなと合流して対策を……なに、あなたたちは?」

 仲間を探すふたりの前に、数人の神官服をまとった男たちが立ちふさがった。

「我々はロマリア宗教庁から教皇陛下の命でやってきた者です。トリステインのルイズ・ド・ラ・ヴァリエール殿ですね。こたびの働き、まことにご苦労様でした。教皇陛下が、ぜひねぎらいと恩賞を与えたいとお呼びになられています。ご同行願えますか」

 ルイズは才人と顔を見合わせると、つとめて丁重に答えた。

「まことに光栄です。ですが、我々は今仲間を探しているところです。全員が揃いましてからうかがいますので、教皇陛下によしなにお伝えください」

「いいえ、至急との要請であります。お仲間は、我らの仲間が探していますのでご安心を。お急ぎください。教皇陛下はたいへん多忙なお方であります」

 向こうも口調は丁寧だが、拒否は許さないということを強く訴えてきていた。相手は屈強な聖堂騎士団、逃げられないと悟ったルイズは才人に目配せした。教皇のほうから食いついてきたわ、おおかた用済みのわたしたちを始末しようって魂胆だろうけど、これは千載一遇のチャンスかもしれない。才人も、わかったと目で答える。

 危険だが、教皇の喉元に迫れる好機だ。教皇の真意と正体を突き止め、絶対にエルフとの戦いなど止めてやる。

「わかりました。ご案内願います」

「承知いたしました。では、こちらへ」

 聖堂騎士に囲まれて、才人とルイズは空に見える聖マルコー号へと歩き出した。これから、竜に乗せられて船まで赴くのだろう。そうなれば、今度こそ本当に逃げ場はない。

 しかしルイズは信じていた。才人がいれば、自分に恐れるものはない。また、才人もなにがあろうとルイズを守ろうと強い決意を抱いていた。ふたりの思いがひとつであれば、恐れるものはなにもない。

 

 

 竜に乗せられて、聖マルコー号へと飛び立つふたり。そのころ、水精霊騎士隊と銃士隊は実は少し離れたところにいたのだ。

「みんな、あれ見ろ! サイトとルイズだ」

 誰かが指差した先を、ギーシュたちは大きく見上げた。聖マルコー号に向かって飛んでいく竜の背に、才人とルイズが乗っている。あのふたりが、なぜ? だがそんなことよりも、それを見たミシェルの胸の奥に突然、言い知れぬ黒いものが湧き出した。

 サイト、だめだ、そこへ行ってはいけない。ミシェルは思わず声を張り上げて叫んだ。

「サイト……? ま、待て。サイト! 行くな! 行っちゃだめだーっ!」

 取り乱して叫ぶミシェルの姿に、部下たちが驚いて静止しようとしてくるが、ミシェルの耳には入らなかった。

 才人が行く、行ってしまう。それは単なる形容ではなく、文字通り……そう、二度と才人と会えなくなる。予知とかそんなものが自分にあるとは思わない。だが、そんな悪寒が確信めいて、ミシェルの心を捕えて離さなかったのだ。

「サイトーーッ!!」

 

 

 続く



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第18話  引きちぎられた絆

 第18話

 引きちぎられた絆

 

 剛力怪獣 シルバゴン 登場!

 

 

 竜から降り、足を着けた聖マルコー号は異様なほど静まり返っていた。

「まるで幽霊船ね……」

 ふたりを乗せてきた竜が飛び去り、甲板にルイズの声と、ふたりの靴底が船板を叩く乾いた音が小さく響く。

 だが、それだけで、船の上には生気のかけらすら感じられない。船べりから覗けば、まだ地上では天使の奇跡に湧く人々の騒ぎが見て取れ、歓声がここまで聞こえてくるというのに、まるで別世界のようだ。

「船員はどこに行ったんだ……? 前は、大勢いたはずだろ」

「気をつけてサイト、人の気配がまったくないわ。この船、ほとんど無人で動いてるみたい……教皇陛下のお召し艦に、そんなことがあると思う?」

「おれでもそんなヘマはしねえよ。どうやらもう罠だということを隠す気もないみたいだな……ちっ」

 才人は舌打ちして、ごくりとつばを飲み込んだ。もう、教皇がただの人物ではないのは、ここを見たことで九割九分九厘の確信に変わっている。教皇が座上するにしては不自然すぎる船上を見たからには、ただで帰れるとはとても思えない。帰りの竜もいない今の状況で助かるには、元凶を叩く以外に方法はない。

「こんなところに、ルイズとふたりで……ん?」

 才人がそう思ったとき、背中でカタカタ鳴る音に気づいた。それで、「あ、やべえ」と思って背負っていたデルフリンガーを抜くと。

「よお相棒、やっと抜いてくれたねえ。ずいぶん、ほんとーにずいぶん久しぶりで俺っち感動で泣いちゃいそうだよ! ったく、相棒と来たら、やっとお前の背中に帰ってこれたってのに使うどころか抜いてもくれねえんだもんな。今度のガンダールヴは冷たいよ。剣にだってハートってものがあるんだぜ! こんなんだったら武器屋の片隅で親父を相手にくだ巻いてるほうがよかったよ。聞いてる相棒? やっと戦闘になって出番があるかとワクワクしていた希望を打ち砕かれた絶望がお前にわかる? ひとりぼっちは寂しいんだよ。鞘の中でサビで真っ黒になっちゃいそうだったぜ。あー外の景色が懐かしいぜ。わかる? 俺のこの感動をさ!」

「デ、デルフ……いけね、そういえばここ最近忙しすぎて、返してもらったけど暇なときに抜くのも忘れてた」

 抜いたとたんに一気にまくしたててきたデルフに、才人は冷や汗まじりで答えた。

「な、なあデルフ? お前もしかして、ルイズとふたりだけって言ったの、怒ってる?」

「べぇつぅに! 俺っちはどこまで行っても剣だし、頭数に入ってなくても当然だもんね! それに相棒にはすっげえ強い銃があるもんね。しょせん剣は飛び道具には勝てませんもんね。別に気にしてませんからね俺っちは」

「あーあ、すっかりすねちゃって。サイト~、自分の武器の手入れもろくに出来ないなんてサイッテーね、あんた」

「ル、ルイズ、お前まで言うか?」

 思いも寄らぬところで二対一で責められてしまい、才人は困り果ててまいってしまった。

 しかし、本気で困った顔をする才人を見てルイズが笑っているのに気づいて、才人は自分が遊ばれていたことに気がついて苦笑いした。

「そういやお前もいたよな。悪い、おれたちはふたりだけじゃなかったな。頼もしい仲間がもう一人、お前も合わせて三人だった」

「へっ、わかりゃいいんだよ。なんかめちゃくちゃヤバいことになってきたみたいじゃねえか。まったくお前らは、ろくでもない運命を引き当てるくじ運だけはすげえな。だから俺が忠告したろ、この国はろくなもんじゃねえってな」

「ああ、おれも心からそう思うよ。けど、まさかここまでなんて思うかよ。お前のくれるヒントは役に立つようでどっか抜けてんだからな」

 それに関しては、デルフもすまねえなと詫びた。思い出そうとしているのだが、まだ記憶が完全に戻っていないのですまないと。

「あとちょっと、なんかのきっかけがあれば思い出せると思うんだけどな。そしたら娘っ子、お前さんの隠された力の残りも大方わかると思うんだが、面目ねえ」

「わたしの力、わたしの遠い遠いご先祖様、始祖ブリミルから受け継いできた虚無の魔法。ねえボロ剣、虚無の魔法はわたしが今覚えているもののほかにもあるんでしょう?」

 ルイズが尋ねると、デルフは少し考えるように沈黙してから、少し疲れたような声で言った。

「ああ、ブリミルは偉大なメイジだった。奴が呪文を唱えるたびに、あらゆる奇跡が起こったよ。なにせ、あいつの魔法には今のメイジの系統なんて制限がなかったからな。それでも、二個や三個の魔法でどうにかなるほどブリミルは楽じゃなかった。あいつはそれこそ、命を削って虚無を使い続けた。その数は、始祖の祈祷書の余白を思い出してみればわかるだろう?」

「そうね、始祖の祈祷書の残りのページ数は百はゆうにあったわ。その全部に呪文が記されてるわけじゃないにしても、あのエクスプロージョンさえ初歩の初歩に過ぎないなら、後の数と質はバカでも見等がつくわね。それで、次は回りくどいことなしで簡潔に答えなさい。わかってるんでしょ? わたしたちの見た、あの”奇跡”を起こせる魔法が、あったの?」

「ああ、あった」

 デルフは観念したように認め、その魔法の詳細を話した。

「やっぱりね、そんな魔法があれば、どんな”奇跡”だって演出できる。なんで早く言わなかったのよ」

「お前さんもわかるだろう? 俺にだって、認めたくない現実ってもんはあるんだよ。それよりもお前ら、わかってるだろうが相手は娘っ子よりもはるかに格上の使い手だ。しかも、向こうはこっちの手の内はお見通しだ。勝てる見込みは少ないぞ」

 だろうな、とふたりは思った。この先に待っている相手は、ある意味自分たちの天敵と言える。しかしすでに腹をくくったふたりに迷いはない。互いのことを支えあっているふたりには恐れもない。

 

 目の前には、船内へと続く入り口が口を開けている。中からは魔法のランプの明かりが漏れてくるが、やはり人の気配はなく、へばりつくような薄気味悪い妖気が漂ってくる。

「サイト、行くわよ」

 ルイズは先頭に立って行こうとした。手には杖をぐっと握り締め、いつでも戦える体勢に自分を置いている。

 才人はそんなルイズの度胸にいつもながらの頼もしさを覚えたが、ぐっとこらえて呼び止めた。

「ルイズ、ちょっと待て。こいつは、お前が持ってろよ」

 そう言って才人は懐のホルスターから、あるものをルイズの手に取り出して握らせた。

「えっ? これ、あなたの! サ、サイト、この銃って」

「ああ、おれのガッツブラスターだ。エネルギーカートリッジは新品に換えておいたから心配すんな」

「違うわよ! これ、あなたの武器でしょ。き、貴族のわたしに銃なんて、いえそれより、これはサイトの世界から持ってきてもらった大事なものじゃないの!」

 ルイズは愕然とした。この光線銃は才人がずっと使い続けて、何度も窮地を乗り越えてきた、片腕ともいうべき武器だ。けれども才人は真剣な表情で言った。

「いいから持っとけって。お前、平気そうな顔してるけど、さっきのエクスプロージョンで魔法の力はほとんど尽きてるはずだろ。余力があるんだったら、とっくにテレポートで一時撤退してるもんな?」

「うっ、あんたってほんと妙なとこで鋭いわね。しょうがないわね、こ、今回だけはあんたに従ってあげる。けど、あんたはこれなしでどうする気よ?」 

「おれにはデルフがあるさ。ま、なんやかやで姉さんたちに剣技も習ったし、これ以上こいつをスルーしたら、それこそ二度と抜けなくなるかもしれねえしな。そいつの使い方はわかるよな?」

「バカにするんじゃないわよ。まったく、あんたのおさがりに頼らなきゃいけないなんて、とんだ屈辱だわ」

 ルイズは才人の優しい気遣いがうれしく、肝心なときに十全に力を発揮できない自分が恨めしかった。

 だが、足手まといになるのだけは嫌だ。ルイズは才人から借り受けた異世界の武器をぐっと握り締め、船内の闇の果てを凝視した。

 

 人の気配のしない聖マルコー号の船内。その廊下を、二人は木の床がきしむ音だけを共にして進んでいった。

 目的の場所は考えるまでもない。待っているといって招待されたのだから、教皇のいるべき場所はひとつだけだ。

 船内中央部、聖堂の間にその男たちはいた。

「ようこそおいでくださいました。お忙しい中呼びつけてしまいまして恐縮しております」

「教皇さん、ここまできてつまらない学芸会はやめようぜ。おれたちは遊ぶのは好きだけど遊ばれるのは大っ嫌いなんでね。ついでに言うと、今日限りで二度とお目にかかりたくない。エルフを相手に戦争なんて、お前たちは悪魔だ」

「そういうことよ。まさかまさかと思って、今日までじっとしていたけど、もう私はあなたたちを許さない。ハルケギニアをあんたたちのおもちゃにさせないわ」

 丁寧な物腰で語りかけてきたヴィットーリオに、才人とルイズは正反対の態度と口調で応えた。腹の探りあいなどは一切なし、最初から遠慮なくケンカを売っている。しかしヴィットーリオは気分を害した様子もなく、にこやかに笑いながら言った。

「ふふ、どうやらかなり嫌われてしまっているようですね。できれば、あなたがたとはずっと仲良くしていきたかったのですが、実に悲しいものです。私たちはこんなにも世のためを思っているというのに、そうでしょうジュリオ?」

「ええ、好意が相手に伝わらないというのは実に悲しいです。僕たちは何度も君たちを手助けしてあげたじゃないか? ねえ」

 けれども才人もルイズもそのくらいでごまかされたりはしない。

「しらじらしいぞエセイケメン野郎。手助けどころか手回しがよすぎるんだよ、まるで予定されてたみたいにな。最初から全部、今日のために仕組んでたんだろう?」

「まったく、よくこれだけ大掛かりに仕組んだものだけど、考えてみたらロマリアの力なら簡単よね。ガリアのジョゼフ王とも実はつるんでるんじゃない? あの戦争自体、あんたたちの仕組んだ自作自演だった。違うかしら!」

 ふたりの推理は証拠があってのものではない。しかし、すでに正体を隠すつもりのなくなっていたヴィットーリオは楽しげに拍手をして褒め称えた。

「いやいや、おふたりとも見事な洞察力です。実にすばらしい。下で浮かれ騒いでいる愚かな人間たちに聞かせてあげたいくらいです」

「どうとう本性を表したわね。教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレ、あんたの正体は何? 人間とエルフの戦争を作り出して、なにを企んでいるの!」 

 才人がデルフリンガーの柄に手をかけて、ルイズが懐にガッツブラスターを隠しながら杖を向けて教皇を問い詰めた。

 すると、教皇はそれまでの人のよさそうな笑顔をどけて、口元をゆがめると、いままでとは逆にぞっとするくらいおぞましい笑い顔を浮かべた。

「うっくっくく、企んでいるか? ですか。そうですね、確かに企んでいるといえばそうなるでしょう。私たちは、ある役割を受けてこの星に送り込まれた者です。そう、遠い昔より、我らはこの星を見守ってきました」

「やっぱり、宇宙人か。テファのお母さんの前に現れたのも、てめえだな。そんな昔から侵略の機会をうかがってやがったんだな」

 才人が怒りを込めてヴィットーリオを睨みつける。しかしヴィットーリオは、やれやれとばかりに首を振る。

「侵略? 私たちはそんな下卑なことはいたしません。我らの主は、ただ昔からこの星をじっと見ておられました。この星は美しい……主は、この美しさをとても大切に思っておられます。けれども、同時に主はとても憂いておられました」

「なんですって?」

「ルイズ、惑わされるな。侵略者の常套手段だ。どうあれ、こいつらが戦争を起こそうとしてるのに変わりはないんだ。おとなしくハルケギニアから手を引けばよし。さもなければ」

「ふふ、さもなければ?」

 決意を込め、抜き身のデルフリンガーの切っ先を突きつけて宣告する才人にもヴィットーリオは余裕の態度を崩さない。才人は、平和的解決の可能性がほんのわずかもありえないことを知りつつ、それでも最後の望みと、鬼になる覚悟を込めて言い放った。

「ここで、死んでもらう」

「うふふ、ははは、大きく出ましたね。世のしくみもわからない無知な生き物が、我らに挑もうとは本当に呆れ果ててしまいます。その野蛮さが、やがてすべてを滅ぼすとも知らずに。仕方ありません、ジュリオ、少々相手をしてあげてください」

 交渉は決裂した。そして、口出しこそしてこなかったが、隙なくヴィットーリオを護衛していたジュリオが剣を抜きながら前へ出てくる。

「ではサイトくん、ご命令なんでね、僕が君を殺してあげよう。こう見えても、剣には少々の自信があるんだ。最初から真剣にこないと、首が飛ぶよ」

「なめんな」

 次の瞬間、ふたりの剣が閃いて火花をあげた。

 空気を切り裂いて進むデルフリンガーと、それを迎え撃つジュリオの鋼鉄の剣。鍛え抜かれた金属が高速で激突するたびに鋭い音が鳴り、次の瞬間には攻守を逆転させて、ジュリオの斬撃がデルフリンガーにさえぎられて、才人とジュリオは激しい剣戟の応酬を重ねた。

「やるね。君に血反吐を吐かせたらルイズくんを屈服させられると思ったんだけど、どうもそれなりの剣術を持ってるらしいね」

「なめるなよ、こっちゃハルケギニアで一番と二番の剣士のコーチつきだ。ルイズ、こいつはまかせろ! お前はそっちのニヤケ面をやっちまえ!」

「わかったわ!」

 才人がジュリオを抑えているあいだにと、ルイズはヴィットーリオと向かい合う。しかし、ルイズはいきなり攻撃を仕掛けることはせずに、十数歩ぶんの間合いを置いてヴィットーリオを睨みつけたままでいる。

「どうしました? 私はこのとおり丸腰ですが、かかってこないのですかな?」

「うかつに飛び込んで吹き飛ばされるのはイヤですからね。あんた、私が気がついてないとでも思ってるの? あんたがさっきみんなの前で演じた茶番劇の手品、もうとっくに見抜いてるのよ」

「ほう? 先ほどのというと、私が天使の祝福をこの身に受けたことですか。ふふ、まああなたなら直感的にわかるでしょうね。そう、この世界の人間は魔法という特別な能力を持っていますが、反面魔法でもできないことがあると簡単に奇跡だと信じ込んでしまいます。増して、私という信仰の対象であればなおさらです。ですが、あるのですよね、魔法でも起こせない奇跡を起こすことのできる魔法が」

「……始祖ブリミルは、自分の遺産である四つの秘宝を子孫たちに分けて残した。ひとつはトリステインの始祖の祈祷書、あとのふたつはそれぞれガリアとアルビオンに伝えられ、残るひとつはロマリアに……あなた、虚無の担い手なんでしょう」

 断言したルイズの視線がまっすぐにヴィットーリオを見据える。その眼光は鋭く、もしも心に偽りを持つ者であれば耐えられずに視線を逸らしてしまうであろう。だが、ヴィットーリオはにこやかにルイズに向けて微笑んだ。

「ご明察です。我がロマリアには、始祖の円鏡が伝わっております。そして、私の身には始祖ブリミルの血脈があるのです。すなわち、私はあなたと同じ虚無の担い手。時代に選ばれた神の使徒というわけですよ」

「……ペテン師のくせに偉そうに。間違っていてくれればと思ったけど、わたしたちの仲間のひとりが敵だったなんて。虚無の担い手の体を乗っ取ったのか、それとも担い手が魔がさしたのか。どっちでもいいけど、虚無の力でさっきの天使の幻影を作り出したのね」

「そのとおり、あなたはまだ啓示を受けていない虚無の魔法で、名を『幻影(イリュージョン)』と言います。効果は読んで字のごとく、イメージしたものの幻影を作り出すことができるのです。大きさから動きまで、自由自在にね」

「まさしくペテンにふさわしい魔法ね」

 たっぷり嫌味を込めてルイズは言った。しかし、使いようによってはいくらでも応用が利く魔法でもあるわねと思った。もちろんよい方向にも、しょせんどんな力も使い手の意思の善悪次第で価値が決まる。偉大な始祖の遺産も、悪の手に渡ってしまったのでは道端の石ころほどの値打ちもない。

「始祖も天国でさぞ嘆いておられるでしょうね。仕方ないわ、身内の不始末の責任は、わたしがこの手ですすいであげる。始祖の御許に送ってあげるから、土下座して謝ってきなさい」

 ルイズも決意した。自分の仲間であるはずの虚無の担い手が敵であったという事実は受け入れがたかったが、こいつらを野放しにしておけば何万という命が無駄に散ることになってしまう。

「エクスプロージョン!」

 ほぼ同時に、ルイズとヴィットーリオは杖を振るった。両者のあいだの空間が爆発し、ふたりの体が爆風にあおられて髪とマントがたなびく。

 ルイズはほんのわずかに残った精神力を使った、詠唱をともなわないエクスプロージョンの暴発をぶっつけようとしたのだが、ヴィットーリオはまったく同じ魔法でこれを相殺してきたのだ。

「ほう、無詠唱にも関わらずになかなかの威力ですね」

「くっ、わたしと同じ虚無……当然ね、わたしと同じ血統なら、わたしと同じことができる、か」

「同じではありません。あなた以上ですよ」

 ヴィットーリオの言ったとたん、ルイズのすぐそばで爆発が起こった。ルイズも詠唱を気づけなかったほどの早業で、ルイズの上着の左肩がこげてマントが舞い落ちる。遅れてきた痛みにルイズは顔をしかめ、ヴィットーリオが口だけではないことを知った。

「やるわね。こんなに詠唱が早いメイジは、わたしの知る限り数人もいないわ」

「それは光栄。しかし、あなたも鍛錬を積めばこの程度はすぐにできるようになるはず。あなたとは友人になりたかったのですが、残念でなりませんよ」

「ふん、利用するための関係を友人なんて笑わせてくれるじゃない。あんたこそ、これほどの力を悪用するなんて、まったく惜しいわ」

「……それは、どうでしょう? この世界にとっての真の悪とはなにか、考えたことはありませんか?」

「そんなの決まってるわ。勝手に人の家に上がりこんで、あまつさえ我が物にしようとするあんたたちみたいな侵略者よ」

 ヴィットーリオの問いかけに、ルイズは隙を見せないように注意を払いながらも、売り言葉に買い言葉で答えた。すると、ヴィットーリオは悲しげな表情を見せて。

「残念です。あなたもまた、そのような狭い考え方しかできないのですね。私は、この世界にとっての悪と言ったのです。この広い世界に住んでいるのは人間だけではありません。いえ、むしろ人間などは少数派でしょう。にも関わらず、人間はこの世界になにをしてきたと思いますか?」

「……なにを言ってるか、さっぱりわからないわ」

 正直、ルイズはヴィットーリオの言うことを理解できなかった。それよりも、才人の言うとおり、適当な言いがかりでこちらを惑わせてくるのだろうと、攻撃の隙をうかがうことに神経を使う。しかしヴィットーリオは気にした様子もなく話を続けた。

「かつて、始祖ブリミルの時代にこの世界は一度滅びました。その時の様は、大地は荒れ果て、空は濁り、生命の存在を拒絶する不毛の荒野がただひたすら続いていたといいます。それから数千年、大地はその偉大な力で森を生み、動物や鳥や虫を育ててきました。これはまさに神秘でしょう」

 ルイズの記憶に、虚無の力が以前見せてくれた過去のビジョンが蘇る。

「しかしながら、人間は森を切り開き、山を削り、我が物顔で己のテリトリーを広げ続けています。そこに、どれだけの生き物がいて、住処を追われているのか、考えたことはありますか?」

「それは、わたしたち人間が生きるうえでもしょうがないことよ。動物同士も生きるために他者を食い、縄張りを広げていくわ。人間だけがなにもせずに生きていけるわけがない。その生き物たちは、かわいそうだけど人間との競争に負けたのよ」

「人間は度が過ぎるのです! いえ、この世界の人間たちはまだその自覚すらないのですね。ならば少し教えてあげましょう。このハルケギニアでは、まだその兆候がはじまったばかりですが、人間たちは自らの手で自分の世界を破壊することを、なんの罪悪感もなくおこなっているのです。例えば、先年のアルビオンの内乱がおさまるまでのあいだに、軍船を作るための木材を伐採するために広大な森林が消えました。トリステインでもガリアでもゲルマニアでも、この近年ですさまじい勢いで森が消えていっています! 森が、どれだけの年月を経て育つのか、あなたはご存知ですか?」

「な、なにを言っているのよ! 森なんてハルケギニア中にいくらでもあるじゃない。ちょっとやそっと使ったところで変わりゃしないでしょ」

 取り付かれたように熱弁をふるうヴィットーリオに、ルイズはうろたえながらも言い返した。しかし、ヴィットーリオは嘆き悲しむように整った顔を歪めて語る。

「ああ、なんという愚かな! やはり人間に未来などはない。無制限に増え続け、世界の隅々まで蔓延して、あらゆるものを食い尽くすまで止まらないのです。無知とは恐ろしい! あなたは知らないのですね、森を削られ住処を追われたオークやトロルがよその土地で暴れて起きる被害を、戦争のための大砲を作る製鉄所の石炭の煙で病に苦しむものを、そして高価な薬をとるためだけに無慈悲に命を奪われていく竜や幻獣たちの嘆きの叫びを!」

 それは、まさに鬼気迫るとしか言いようのない叫びであった。教皇として信者に教え諭すときとはまったく違う、搾り出すような怒りと嘆きの怨念の声。

 ルイズは圧倒され、喉が凍ってなにも言い返すことができない。

 だが、才人はジュリオと切り結びながらも、ヴィットーリオの叫びは耳に響き、その意味を知っていた。ヴィットーリオの言うこと、それはかつての地球人類が刻んできたのと同じ歴史をハルケギニアも刻もうとしていることであり、同時に同じ過ちも再現しようとしているということであった。

”ハルケギニアでも、人間による自然破壊が始まっている。しかも、この世界の人々には自然保護という概念がまだない”

 社会科の時間で習った、森林破壊や生物の大量絶滅の歴史が蘇る。二十世紀中ごろから二十一世紀初頭にかけての地球は環境破壊や東西冷戦での度重なる核実験による影響で、いつ地球が滅亡してもおかしくないという危機感が常に人々の胸のうちにあった。

 いや、そんな被害者意識は傲慢であろう。人間は間違いなく、ほんの少し前の時代には地球を滅ぼしかけていたのだ。

 そして、このロマリアに来る前にたどり着いたエギンハイム村で聞いた話では、利益を拡大しようとする村人と原住民である翼人の間に争いがあったという。

 才人は思った。こいつらは、いずれハルケギニアが地球と同じようになると思っている。それを未然に防ぐために、この世界の人間を抹殺しようというのが、奴らの大義名分なのだ。

「だが、そんなもん、身勝手すぎるぜ!」

 才人は吼えた。確かに、ハルケギニアの人間も地球人と同じ愚行の道を歩みつつある。だからといって、こんな一方的な行為を是認するわけにはいかない。ジュリオとつばぜり合いをしながら、才人はヴィットーリオに向かって叫んだ。

「おい教皇さん! 人間を、まるでばい菌みたいに言ってくれるじゃないか。確かに、人間は欠点だらけの生き物だ。この世界も、下手すれば遠くない将来、ひどいことになるかもしれねえ。だが、悪い物と決め付けてバッサリと切り取ろうなんて、てめえにそんな権利があるのか? ハルケギニアの将来は、ここに住む人間たちのもんだろ!」

「ええ、本来ならそのはずです。けれども、人間たちは力を持てば持つほど増長して、己のために平然とほかの生き物を犠牲にしていきます。いずれこの星に飽き足らず、宇宙そのものまでを……私たちも滅ぼされたくはないのです!」

 間違ったことは言っていない。才人にもそれはわかった。

 かつての地球でも、人類の際限ない増長に反発するかのように、自然界から幾多もの脅威が現れた。住処を追われ、眠りを妨げられてしまった怪獣たちの逆襲。怪獣頻出期の初期からそれは始まり、ゲスラ、ザンボラー、ステゴン、ハンザギラン、シェルター。これらはほんの一例であり、皆人間の被害者だ。

 また、それにも増して救いようもなく凄惨だったのが放射能の恐怖だ。核エネルギーは、本来は平和利用の大きな力として扱うべきなのに、この偉大なパワーはただ兵器として開発され、広島長崎から始まる悲劇の連鎖を生んできた。

 レッドキングによる水爆の持ち出しは地球壊滅の危機を生み、ビキニ環礁での核実験は生き延びていた古代恐竜を変異凶暴化させ、その猛威によって、ようやく戦後から復興を遂げていた東京は再度灰燼に帰すことになった。さらにその後も、各国の核実験はエスカレートの一途を辿って宇宙にまで拡大し、ギエロン星獣やムルロアの脅威が地球を滅亡の危機に追いやった。

 中には、そんな地球人を脅威に思って攻撃してきたマゼラン星人や、地球人の卑劣さに単純にキレたピッコロのような宇宙人もいる。愚かな地球人という宇宙人の罵り文句は、一面においては完全に正しいのである。

 現在でも、東西冷戦が終わって沈静化してはいるが、愚かなことにいまだ一部の国では核開発がおこなわれている。自国を守るためにある程度の武力は必要だが、身の丈を超えた力を欲するのはならず者と臆病者のやることなのである。

 才人は思う、地球人は馬鹿だった。そしてハルケギニア人にも同じ資質があるだろう。地球人はギリギリで回避できたが、ハルケギニア人がいずれ自分でこの世界を滅ぼす可能性は十分以上に存在する。

「あんたらの言いたいことはわかったよ。でもな、そういうあんたらが人間以上に高尚な生きもんだって証拠がどこにある。むしろ、やり口の悪辣さはあんたらもひでえじゃねえか。人間にとって変わって、今度はあんたらがハルケギニアを滅ぼすか?」

「私たちは、この星をあるべき自然の姿に返すだけです。今度こそ、人間という汚れた存在のないきれいな星を作るために」

「この、いかれたエコロジストが!」

 才人の激昂の叫びが轟いた。

「てめえらがどれだけ進んだ文明を持っていようと、この星の行く先はこの星に生まれたもののもんだ。そっちの勝手な好き好みできれいだの汚いだの見るのは勝手だが、ハルケギニアを自分の箱庭だとでも思ってるのか?」

「人間こそ、この星の絶対的な支配者だとでも思っているのですか! この星は今、人間というウィルスに犯されているのです。互いに憎しみあい、騙しあい、殺し合いながらも決して死滅せずに増殖し続ける悪性のウィルスに。今、これを取り除かなくては手遅れになってしまいます」

「ふざけんな! てめえは人間の悪いとこしか見ちゃいねえ。いや、自分にとって都合のいいところだけを強調して、侵略の口実に使っているだけだろ」

「私はロマリアの人間として、長い年月をかけて人間たちを見てきました。どれだけ年月を重ねようと、彼らにはなんの進歩もない。もはや破滅だけが彼らに残された救いなのです」

 怒りが、抑えようもない怒りが胸に満ちてくるのを才人は感じた。ジュリオの剣をデルフで受け止めながらする歯軋りは、力を込めるためのものだけではなく、どこまでも偉そうに上から目線のこいつらへの憤りによるものだ。

「サイトくん、無駄な抵抗はやめたまえよ。この星から人間がいなくなれば、動物や植物が大地に満ち、自然を大切にする亜人たちがそれを守っていく。すばらしいユートピアじゃないか」

「ああ、確かにそりゃそうだろうな。けど、そんなもんはまやかしだ!」

 ジュリオの攻撃を振り払い、才人は大きく息を吸う。そして、ルイズに向かってはっきりと告げた。

「ルイズ、聞いてたろ! こいつらは、なんともすばらしい聖人たちだよ。本気ですばらしい世界とやらを作ろうとしてらっしゃる。けど、こいつらの頭には未来への希望がねえ。邪魔者を削るだけで、新しいものを作ろうって気がねえようだ」

「ええ、わたしも感じたわ。あなたたちは、ただ過去を懐かしんで、美しい思い出を蘇らせようとしてるだけだわ。時間を逆流させ、停滞させようとしてるだけで、なんの進歩も示さないあなたたちにわたしたちの未来を奪う権利なんてない。覚悟なさい……あなたたちは、わたしたちが倒す!」

「よくおっしゃいました。ですが、私たちはあなたたちウィルスの進化など許すわけにはいきません。次は本気でいきますよ」

 意思はすれちがい、決裂した。後は、戦う以外に道はない。

 

 剣と剣をぶつけ合う才人とジュリオ。

「ほんとうに、いいかげん素直にやられてくれたまえよ。手足を切り落とされるのは、けっこう痛いと思うんだけどね」

「ざけんじゃねえ、てめえらみたいに人の痛みをヘラヘラしながら見てられる奴らに絶対負けるかよ!」

 

 杖を抜き放つヴィットーリオに、小柄な身をかわして反撃の機会をうかがうルイズ。

「なかなかすばしこいですね。虚無の担い手としては未熟でも、場慣れはかなりしているようで、あまり長い詠唱はさせていただけそうもありませんねえ」

「余裕しゃくしゃくで褒められてもうれしくないわよ。こっちこそ、詠唱のためにちょっとでも気をそらせばたちまち吹き飛ばされる。始祖の力で、これまでどれだけ悪事を働いてきたの!」

 教皇ヴィットーリオが、なぜ絶対的な支持を集めているのか、その一端がわかった気がした。全てではないにしろ、彼が虚無の力を利用して成り上がって来た事は想像にかたくない。それは虚無の力を私欲のためには使わないと決めたルイズとは対照的で、ルイズはなにがなんでもこの男を倒そうと心に決めた。

 

 拮抗する才人とジュリオ、反撃の隙を狙いながらも追い詰められていくルイズ。両者の戦いは、ルイズたちの側が不利に見えた。

 だが、ルイズはエクスプロージョンの機会をうかがうように見せながらも、たったひとつの隙を狙っていた。

”ほんの一瞬でいい。サイト、その隙を作って!”

 ヴィットーリオは強い。このまま勝負を続けていたら、遠からず自分はエクスプロージョンの直撃を受けて死ぬ。しかし、たったひとつだけ自分に勝つ手段がある。だがその一瞬を逃せば終わりだ。それに、ヴィットーリオは自分の一挙手一投足を念入りに観察していて隙がない。だから、ヴィットーリオの注意を少しだけでも他に逸らさなければいけない。

 ルイズの体力は長くは持たない。それに、才人の技量もジュリオに勝っているわけではなく、長引けば才人が不利だ。

 余裕の表情で才人を追い詰めるジュリオ。だが、才人にも一度限りの隠し球があった。

 ジュリオが才人の首を狙って剣を振り下ろしたとき、才人はデルフリンガーの柄に特別なひねりで力を込めた。

「わあぁーーーーっ!!」

「っ!?」

 いきなり、それまでずっと黙っていたデルフが大声をあげたことで驚いたジュリオの剣閃が鈍った。その瞬間を逃さず、才人は全力で横なぎに切り払った。

「くらえぇぇっ!」

「しまっ、うわぁぁっ!」

 手ごたえあり。ジュリオは部屋の隅まで吹っ飛ばされ、起き上がってはこない。致命傷かはわからないが、才人はそれよりもルイズを援護するために叫んだ。

「ニヤケ野郎、次はてめえの番だ!」

「ぬっ! ジュリオ」

 その瞬間、ヴィットーリオの注意がわずかに逸れ、ルイズは間髪いれずに懐からガッツブラスターを取り出して撃ち放った。

「うわあぁぁぁぁぁっ!」

 初めて引く銃の引き金。ビームが空気を裂く音が響き、青い光の矢がヴィットーリオの胸に突き刺さる。

「うっ、がっ……ま、まさか、あなたがその武器を。ぬ、ぬかりました」

「はぁ、はぁ、覚えておきなさい。わたしたちは、誰かを利用して戦ったりはしない。互いに、持てる力を合わせて戦う。人間を、なめるんじゃないわよ」

 起死回生の大博打が成功した脱力でルイズはひざを折って大きく息をついた。

 だが、これは確実に効いたはずだ。たとえ奴が宇宙生命体の変身でも憑依体でも、怪獣にもダメージを与えられるガッツブラスターの直撃を受けたのだ。あと一発食らわせればこいつを倒せる。教皇が消えて、ロマリアは大パニックになるだろうが、エルフとの戦争が起こるよりはましだ。

 しかし、今まさにとどめを刺されようとしているヴィットーリオの顔に、不敵な笑みが浮かんだ。

「ふ、ふふふ、どうも少々遊びすぎてしまったようです。あなたを、いえあなたたちを見くびっていたことを謝罪しましょう。そしてわかりました。あなたたちの力が互いの結束にあるのなら、それを奪えばよいということを。見せてあげましょう。あなたのまだ知らない虚無の魔法を」

「なんですって、そうはさせるものですか!」

 詠唱をはじめたヴィットーリオを阻止しようと、ルイズはガッツブラスターの銃撃を再度撃ち放った。だが、なんと光線はヴィットーリオの直前で、稲光のようなものにはじかれて逸れてしまったのである。

「銃弾を、はじいたの!?」

「電磁波シールド……くそっ、化け物め」

 いつの間にかヴィットーリオは自分の周りに不可視のバリアーを張り巡らせていた。それが、今の攻撃をはじいてしまったのだ。苦し紛れに才人がデルフリンガーで斬りかかるがそれも通用せず、ヴィットーリオの詠唱が不気味に響き渡る。

「ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……」

「くっ、くっそぉ。ルイズ、いったい奴はなんの虚無魔法を使おうとしてるんだ!」

「わたしにもわからないわよ。でも、この詠唱の長さと威圧感、下級であるはずがないわ。少なくとも中級、気をつけてサイト」

「気をつけろって、なにをどうすりゃいいんだよ!」

「こいつは、まずいぞ相棒! 今すぐ逃げろ!」

「逃げ場所なんてねえよ!」

 見守るしかない才人たちの前で、ヴィットーリオの詠唱は続き、ついに彼は詠唱を完成させた。

「お見せしましょう。中級の中の上、その名を世界扉。これがあなたたちの最後に見る魔法です」

 ヴットーリオの振り下ろした杖の先、そこに小さな光る粒が現れたのが始まりだった。

 粒は見る間に風船のように膨れていき、まるで銀色の鏡のような姿へと変わる。その大きさは呆然と見守る才人たちの見る前で、手鏡大から姿見の大きさ、さらには鏡の壁とさえいえる大きさへと膨れ上がっていき、さらに巨大化を続けていく。

「なっ、なんだよこれは! ち、近づいてくる」

「これが虚無? まるで生き物。教皇、いったいなにをしたの」

 銀色の球体は巨大化を続け、才人とルイズへと迫ってくる。それはまるで銀色のアメーバのようで、とても魔法とは思えない。

 教皇は、肥大化する銀色の球体の影になかば隠れながら、ふたりをあざ笑った。

「ふふふ、これは確かに虚無の魔法ですよ。移動をつかさどる虚無のひとつ世界扉、本来ならばこの世界と別世界とを結ぶ次元ゲートを発生させる高位な魔法です」

「じげ、なんですって」

「次元ゲートだって? つまり、この銀色のグニャグニャの先は別の世界につながっているってのか!」

「そのとおりです。まあ、本来は莫大な精神力を消耗する物なのですが、それは脆弱な人間の話です。それよりも気をつけたほうがいいですよ。私は行く先のイメージをせずにこの魔法を発動させました。つまり、このゲートをくぐった先にどんな世界があるかは、私にもわからないのです。ふふ、ははは」

「なんだとお!」

 愕然とする才人たちに向かって、次元ゲートはさらに速さを増して迫ってくる。その大きさは歯止めを失い、とうとう船室を飲み込み、船そのものをも侵食しはじめた。

「サイト大変! 船が、このままじゃ墜落するっ!」

「畜生、なっなんだ! 吸い込まれるっ!」

 突然、ゲートから引力のようなものが発生してふたりを引き込み始めた。まるで、急な坂道にいきなり立たされたかのような吸引力に、才人はデルフリンガーを床に突きたてて耐えようとするが、じりじりと吸い寄せられてしまう。

「教皇ぉっ!」

「フフフフ、どうやら異常な発動をしてしまった虚無の暴走が生贄を求めているようですね。偉大なるあなたがたの始祖の遺産で消えれるなら本望でしょう。あはははは」

 嘲笑するヴィットーリオの前で、才人とルイズは船をも破壊しながら肥大化していくゲートに吸い込まれていく。だめだ、このままではゲートにふたりとも飲み込まれてしまう。才人は片手で支えになっているデルフを持ちながら、ルイズにもう片手を差し出した。

「ルイズ、掴まれ! おれたちは、いつもふたりで一人だ」

「サイト、サイトっ……あぐっ!」

 才人の伸ばした手をルイズが握ることはなかった。その直前に、火薬の破裂する音とともに、一発の銃弾がルイズの体を貫き、彼女の体は力なく崩れ落ちたのである。

「ルイズ? ルイズ! ジュリオっ、てめえ!」

「あははは、さっきの仕返しさ。君たちの絆とやらはやっかいそうだけど、一発の鉛球にはかなわないんだね。さあ、そのままふたりとも、どこともしれない次元のはざまでさまよい続けたまえ。もう互いに、二度と会うことはない」

 ジュリオに胸を撃たれたルイズは、そのまま落ちるようにして次元ゲートの銀色の海の中へと吸い込まれていった。

「サ、イト……」

「ルイズーッ!!」

 次元のかなたへと落ちていくルイズを追って、才人は迷わず飛び出した。重力の感覚が消え、目の前にひたすら不気味にうごめく銀色の海が広がるその中へ。

「相棒、相棒ぉーーーっ!」

 床に突き刺さったままのデルフが見守るその前で、ルイズと才人の姿は次元ゲートの銀色の光の中に消えていった。

 残ったのは、高笑うヴィットーリオとジュリオの声。そして、暴走する世界扉の次元ゲートは聖マルコー号の船体を飲み込み、優美な船はやがてバラバラの木片となって空に散っていった。

 

 

 そして、いかばかりの時間が流れたのか……才人は目を覚ました。生きて、それが幸運だったか不幸だったかは別としても。

「う、お、おれは……ここは、どこだ? な、なんだこりゃあ!」

 目を開けた才人が見た景色は、どこまでも続く荒野だった。草一本ない砂漠に等しい大地、濁った空……明らかにハルケギニアとは違う光景に、才人は自分が次元を超えてしまったことを理解した。

「おれは一体、どこに来てしまったんだ? うっ、ごほごほっ! なんだ、このひでえ空気は」

 喉をひっかかれるような痛みに才人は顔をしかめた。この世界は大地と空だけではない、大気までまるでスモッグの中のようなひどさだ。才人はとっさに、持っていたハンカチで口を覆ってなんとかしのごうとした。

「なんなんだこの世界は……そ、そうだ! ルイズは。ルイズーっ!」

 気がついた才人は、とっさに周りを見回した。しかし、周囲にはルイズのあの桃色の髪のあざやかな色の気配はなく、どこまでも無機質な荒野ばかりが続いていた。

 しかもそれだけではない。ルイズを呼ぶ声を聞きつけたのか、地中から地響きをあげて巨大な怪獣が飛び出してきたのである。

「今度は怪獣かよっ! くそっ……しまった! ガッツブラスターもデルフも。ちくしょう、なんでこんなときにっ!」

 自分が丸腰だと気づかされた才人にできることは逃げることだけだった。

 荒野の上を、必死で走る才人。しかし、現れた屈強な体つきを持つ銀色の怪獣は雄たけびをあげて才人をまっすぐに追ってくる。才人も全力で走ったが、しょせん人間と怪獣では歩幅が違いすぎる。

 もうダメか……才人がそう思いかけた、そのときだった。

「あなた、伏せて!」

 突然才人は誰かに押し倒されて地面に押し付けられた。

 いったい誰だ? ルイズ? いや違う。頭を押さえつけられながら見上げたその相手は、きらめくような薄い金髪をしていたからである。

「な、なにすんだよ。はやく逃げないと怪獣に踏み潰されるぞ!」

「しっ、黙って。だいじょうぶよ、あいつは動くものしか見えないの。じっとしていたら、そのうち行ってしまうわ」

「そ、それはどうも……えっ!」

 少し頭を動かせるようになり、あらためて相手の顔を見上げた才人は絶句した。その相手は、翠色の瞳を持つ、見惚れてしまうほどの美しい女性だった。だがそれ以上に、彼女の長く伸びた耳は、才人にとっても忘れられない種族のものだったからである。

 

”エルフ!? どうなってるんだ、ここはハルケギニアじゃねえのか? ほんとに、いったいおれはどこに来ちまったんだ……ルイズ”

 

 

 続く



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第19話  はるかな時代へ

 第19話

 はるかな時代へ

 

 剛力怪獣 シルバゴン

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 聖マルコー号の突然の爆発は、眼下で勝利の喜びに湧いていた信徒たちに大きな衝撃を与えていた。

 

「なっ、なんだ! 聖マルコー号が、聖マルコー号がぁ」

「教皇陛下のお召し艦が。そ、そうだ教皇陛下は、教皇陛下はご無事なのか!」

 

 天使の奇跡の余韻も吹き飛ぶ衝撃に、ロマリアの将兵たちは一時完全なパニックに襲われた。

 教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレ陛下。ブリミル教徒にとっての象徴であり、いまや神の祝福をその身に受けた偉大なる聖人である。迷える子羊を優しく教え導き、ゆくべき道筋を明るく照らし出してくださるその存在は信徒たちにとって太陽にも等しい。その敬愛すべきお方のおわす船が砕け散ったことは、親兄弟を失ったも同然の衝撃であった。

 右往左往する人々、絶望にうちひしがれる者、発狂したようにけたたましく笑い出す者もいた。

 このままでは、あと数分と持たずにこの場の何万という人間たちは地獄絵図を作り出していただろう。しかし、彼らの狂気が限界を越える前に、望んでいた救いの御言葉は舞い降りてきた。

 

「皆さん、我が敬虔なるブリミル教徒の皆さん。私の声が聞こえますか? 嘆くのをやめ、空を見上げてください。私は、ここにいます!」

「お、おおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 割れんばかりの歓声が天空に轟いた。

 空に舞う一頭のドラゴン。ジュリオが操るその背に立ち、人々を見渡しているのは間違いなく誰もがその無事を祈っていた教皇陛下であった。

 

 教皇陛下! 教皇陛下! おお教皇陛下!

 

 狂喜乱舞の大合唱。しかし、この中にわずかだが教皇ではない人間を案ずる者たちがいたとしたら、その者たちは悪であろうか。

「教皇、生きていたのか……くそっ、サイトたちは、サイトたちは無事なのか」

 教皇の姿を見て吐き捨てたのは、粉塵に体を汚した女騎士と少年たちだった。ミシェルにギーシュ、銃士隊と水精霊騎士隊。ともに女王陛下の名において、神と始祖に忠誠を誓った誇りある騎士団であるが、今の彼らに教皇を敬愛の念で見る目はない。疑念は確信に変わり、聖人の皮をかぶって世界を我が物にせんとする”敵”の正体を彼らだけが知っていた。

 先ほど、聖マルコー号に向かって飛んでいく竜に才人とルイズが乗っていたのを彼らは目撃していた。きっと、あのふたりも教皇の正体を知って、化けの皮をはぐために行ったのだろう。

 船が爆発したとき、彼らは皆才人たちがやったのだと信じ、ふたりが戻ってくることを信じていた。なのに、姿を現したのは教皇……才人たちはどうしたんだ? 背筋を走る氷の刃……友を、仲間を、愛する人を思うが故のぬぐいきれない不安が彼らの胸中を支配していた。

「サイト、サイト……まさか、まさか」

「大丈夫ですって。あいつのことだからきっと無事ですよ。きっとぼくらの見えないところで脱出してるに決まってる」

 ギーシュがつとめて明るくミシェルを励ました。いまでは、ミシェルが才人に特別な想いを抱いていることを知らない者はいない。その理由について詮索する無粋をする者はいなくても、きっと才人の一本気で熱い心が彼女のなにかを響かせたのは容易に想像がついた。

 ルイズなどがいい例で、ここにいる誰もが多かれ少なかれ才人からは影響を受けている。ルイズもで、彼女の後ろを向くことを許さない前向きさは、皆のひとつの羅針盤となっていた。今までも、そしてこれからも、だからあいつらがやられるはずなんてない。

 

 けれど教皇は、そうして友の身を案ずる彼らの心を踏みにじるように、黒い笑顔を作り上げた。

 そして彼は両手を広げて人々に静まるよう身振りで諭すと、魔法で増幅された声で穏やかに伝えたのである。

 

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。実は、私の船に神の意思をさえぎろうとする異端の徒が忍び込んでいたのです。その者は私を黄泉の道連れにしようとしました。しかし、勇気ある者が幸運にも私の船にいたおかげで、私はこうして命を永らえることができたのです。ご安心ください、私は、生きています! ですがそのために、尊い犠牲が出てしまいました」

 

 ヴットーリオがそう言うと、ジュリオは群集に見せ付けるようになにかを掲げた。最初はそれがなにかよくわからず、ギーシュやミシェルたちもなんとなく焼け焦げた棒のようにしか見えなかったが、目を凝らしてそれの形を確かめると、それが壊れた剣であることがわかり、さらにそれの特徴的なつばの形が見えてきたとき、悲鳴があがった。

「デルフリンガー!?」

 視力の良い銃士隊員の絶叫が、全員を凍りつかせた。言われてみれば、それは刃の部分が真ん中から折れているが確かに才人の愛刀であるデルフリンガーのそれであった。それが、見るも無残に破壊されている。全員の顔から血の気が引き、無意識のうちに体が震えだす。

 そんな、バカな……だが、教皇の高らかな演説はそんな彼らにとどめを刺すように続いた。

 

「残念ながら、聖マルコー号で生き残ったのは私とこの護衛ひとりだけです。とても悲しい、悲しいことです。皆さん、信仰のために勇敢に命を散らせた勇者のために祈ってあげてください。ですが、我々がしなければならない弔いは、なによりも彼らが守ろうとした信仰の道を全うすることなのです! 神の祝福を受けた私を守るために命を落とした、はるかトリステインからやってきた勇敢な騎士サイト・ヒラガとその主人ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢に惜しみない感謝と尊敬の涙を! その意思を継いで私は全世界のブリミル教徒に平和と繁栄をもたらしましょう!」

 

 歓呼のオーケストラが轟き響き、教皇の身振り手振りで指揮者に操られているかのように旋律を変えて大気を震わせる。

 その中で流れる十人にも満たない人間の悲嘆の声など、何万の歓声に軽々と吹き消されてしまう。

 教皇陛下、我らの希望。教皇陛下、彼らの救世主!

 

「ありがとうございます。あなたがたの深い信仰の叫びは、必ず神に届くことでしょう。ですが、我々にはまだ果たさねばならない大きな使命があることを忘れてはなりません。さあ、戻りましょう我々の信仰の都へ、そして聖地を取り戻す神聖なる使命を万人に伝え始めるのです」

 

 教皇のこの言葉で、それまで雑然としていたロマリア軍は秩序を取り戻して動き出した。

 隊列を整え、帰途に着く。いまや、心から熱烈な神の使途となった彼らは聖戦になんの恐れもなく、その意思をまだ知らない人々にも伝えることに強い使命感を抱くようになっていた。

 その様子を、ヴィットーリオは満足げに眺め、ジュリオも静かに笑みを返している。すでに、先の戦いで受けた傷は問題ではなくなっているようだ。

「これで、すべては計画どおりですね、陛下」

「ええ、世界を汚すウィルスは自ら食い合って滅ぶ。これがあるべき姿というもの……私は約束どおり、これからハルケギニアに平和と繁栄をもたらします。ただし、人間という一点だけを排除した形で、ね」

 たった今まで奇跡と希望に沸いていた人々が聞いたら戦慄するであろうことを愉快そうにしゃべりつつ、ヴィットーリオとジュリオは冷たい目で人間たちを見下ろしていた。今日から盛大な破滅の序曲が始まる、その楽譜を書くのは自分たちなのだ、憂鬱になろうはずもないではないか。

「やがて醜いものがなくなり、美しく生まれ変わるこの星の姿が楽しみです。おや? そういえばジュリオ、あなたいつまでそのゴミを大切に持っているのですか?」

「ん? ああそうですね。これはもう必要ありませんでした。まあせめて、最期くらいは仲間のところへ返してあげますか」

 ジョリオはそう言うと、まだ持っていたデルフリンガーを、まるで空き缶を捨てるように無造作に投げ捨てた。

 くるくると宙を舞い。真ん中からへし折れたぼろ刀と成り果てたデルフリンガーは、草地に落下して二・三回バウンドするとぽとりと落ちて止まった。

「デルフ!」

 捨てられたデルフリンガーへ銃士隊と水精霊騎士隊が駆けつける。ミシェルが拾い上げると、デルフは無残に刃がへし折られ、さらに焼け焦げさせられた残骸も同然の姿で皆は戦慄し、これではもう、とあきらめかけた。

 だが、もうどうしようもないくず鉄かと思われたデルフのつばがぎちぎちとわずかに動き、あのおどけた声が小さく流れてきた。

「よ、よう、お前ら……ぶ、無事だったかよ」

「デルフ! お前、生きてたのか」

「へ、へへ、武器に生きてるも死んでるもありゃしねえよ。だ、だけど今度ばかりはきちいかな。は、はは」

「しっかりしろ! いったいなにがあったんだ。サイトとミス・ヴァリエールはどうした?」

 途切れがちなデルフの声を励ますようにミシェルは叫んだ。ほかの皆も、心配そうに覗き込んでくる。

「す、すまねえ。俺は、敵の手の内がわかってたはずなのに……あいつらを……て、敵は、ぐっ!」

 そのとき、デルフの声の源であるつばの留め金の釘がはじけとんだ。同時にデルフの声も小さく弱弱しくなっていく。

「て、敵は……お前ら、逃げろ。かなう、相手じゃねえ」

「おいしっかりしろ。サイトたちはどうなった! お前も男なら、この程度で負けるんじゃない!」

「ち、ちくしょうめ、今にもくたばりそうなのに、もう少し優しい言葉はないもんか。あ、相棒も将来苦労するぜ」

「バカ言ってる場合か! お前は剣だろう。剣が死ぬわけないだろうが」

「死ぬ、はなくても壊れるはあるのさ。いいか、俺はもうすぐ壊れる。お前たちは、いっこくも早くこのクソいまいましい国から出て行くんだ。奴は、教皇はハルケギニアのすべてをぶっ壊すつもりだ……は、早く。早く」

 デルフの声はどんどんか細くなっていく。大勢の人間の最期を看取ってきたミシェルたちは、それが人間の死と同じ事であることがわかる。胸を焼く焦燥感と虚無感。人間でないにしても、デルフもまた長くを共に戦ってきた戦友のひとりだ。その命が尽き果てようとしているのが愉快なわけがない。

「デルフ! もういい。このままどこかの鍛冶屋に持っていってやる。刀身を打ち直せば、恐らく治る」

「あ、りがと、よ……だが、もう無理だ。それに、俺は助かる資格がねえ……相棒と、娘っ子を、俺は守ることが……できなかった。あいつらを、俺は」

「な、に? おい、嘘だろ。サイトたちが、サイトがそんな」

「へ……お、まえさん……ほんと、相棒のこと、が……けど、あいつらはもう、二度と、帰っては……すま……ねえ」

 そのとき、デルフのつばが砕けて落ち、乾いた音を立てた。

「デル、フ?」

「……あ……ばよ」

 それを最後に、もう二度とデルフリンガーからはなんの声も響くことはなかった。

 残されたのは、半端な刃のついただけの包丁にも使えない鉄くず同然の刃物が一本のみ。あまりにあっけない、しかしインテリジェンスソードとしては当たり前の終わりであった。

 ただの”モノ”と化したデルフの姿を、皆はしばしじっと見つめていた。そうすれば、またあのおどけた声で「冗談に決まってんだろ」とでも言ってくれるような気がしたからだ。だが、デルフはもはや何も言わず、耐え切れずギーシュがつぶやくように言った。

「な、なあ、デルフリンガー、くんは……その」

「死んだよ」

 ひとりの銃士隊員が、冷酷に反論を許さずに現実を突きつけた。それをすぐには飲み込めず、いや飲み込むのを拒絶して少年たちは立ち尽くした。ただ、一本の剣がガラクタに変わっただけだと以前の彼らなら言ったかもしれない。しかし、才人の背中ごしに彼らも少なからずデルフとは親しみあっており、彼の明るさとひょうきんさには何度も笑わされてきた。

 失ってはじめてわかる。体験してはじめてわかる。仲間の死という現実が、覚悟していたはずの彼らの未熟な心を打ちのめす。

 だが、デルフの残した言葉と、デルフの無残な姿は、皆に認めたくないもっとも残酷な現実を突きつけていた。

 口に出すこともはばかられる……それを認めた瞬間に、心が大きくえぐられる現実が彼らを待ち構えている。

「なあ、デルフリンガーがこうなったってことは……サイトたちも、教皇陛下のおっしゃったとおり、死ん……」

「レイナール!」

 ギーシュが、不用意にレイナールがつぶやこうとした言葉をとがめた。誰だって、それは口には出さないだけでわかっている。あえて口にしなかったのは、自分たちが心の準備をしているだけでなく、今その現実を突きつけてはいけない相手がいるからだ。レイナールは人より頭がいいが、それゆえに人が当たり前にできることができないところがある。もちろんそれに悪気はないのだが、今回はそれが最悪の目に出た。

「サイト……サイトが、死……?」

 震えた、抑揚を失った声が漏れ聞こえたとき、そこにいた皆の背筋を冷水がつたった。

「うそだよ、な……お前が、うふ、あはは」

 生気を感じられない、腹話術士が壊れた人形にあてるような狂った声。しかしそれは幻聴ではなく、ここにいる誰しもがその声の主を知っていた。

 壊れたデルフリンガーを握り締めたまま、うつむいて顔を上げないミシェル。彼女のかわいた唇から、常の彼女のものとはまるで違うひきつったような声が響いてしだいに大きくなっていき、ギーシュたちは戦慄した。理屈じゃない、本能的に恐怖を呼び起こす狂った音色。

「ふ、副隊長、どの……?」

「くふふ、くはは、あははははは!」

 そのときのミシェルの表情を、端的に表す言葉はないと言うべきだろう。ただ、そのとき一瞬でも彼女の顔を見てしまった少年の感想を述べるならば、正視に耐えないという一言であろう……

「あはははは! ああっはっははは!」

 髪を振り乱し、涙を滝のように流しながら、彼女は泣きながら笑っていた。人の心を家に例えるならば、そのはりや屋根を支える柱を一気に抜き取られてしまったようなものだ。どんな強固な屋敷でも、辿る運命は崩落のひとつ……けれどそれを、誰が軟弱や柔弱の一言で片付けられるだろうか。

 そして、絶望にとり付かれた心はすべてを投げ出させる。ミシェルの手にはまだ、デルフリンガーの残骸が残っていたのだ。武器としては使い物にならなくても、まだ凶器としての鋭さはじゅうぶん残っているそれが彼女の喉元へ押し付けられたとき、彼女の部下たちの必死の制止がなければ、彼女の命は鮮血とともに絶たれていただろう。

「副長ぉ、やめてください!」

「離せっ、死なせてくれっ、サイトの、サイトのいるところへ行くんだあっ!」

 羽交い絞めにして止めながら、ミシェルの部下たちはミシェルのなかば幼児退行まで起こしてしまっている惨状を、歯を食いしばって悲しみ、そしてミシェルにとって、才人の存在がいかに大きかったか、いやどれだけ深く才人を愛していたかを痛感していた。

「副長……失礼しますっ!」

「うっ、ごふ……」

 当身で気絶させたミシェルの体を抱きとめて、銃士隊員のひとりは自分もつらさをこらえるようにぐっと歯を噛み締めた。

 歴戦を潜り抜けてきた銃士隊の隊員たちは、戦場で仲間の死を実感してしまった人間がどうなるかを知っている。どんなに屈強な兵士も、親友を、兄弟を目の前で失ったときに平静でいられるとは限らない。戦友を通して、恋人や夫に戦死された妻が後を追った話も伝え聞いている。

 悲しみに殺されかけ、疲れ果てて眠るミシェルを銃士隊員は背中に担いだ。そして、呆然と見つめているギーシュたちに向かって告げた。

「行くぞ、もうこの場所に用はない」

「はい、えっと、あの……その、副長、どのは」

「しばらくは指揮をとるのは無理だろう。当分は、代理に私が指揮をとる……だが、いずれは立ち直らせる。いや、立ち直ってもらう。でなければ、我々こそサイトたちに申し訳が立たん」

 銃士隊は才人に何度も借りを作っている。ツルク星人のとき、才人がいなければ全滅していたかもしれないし、リッシュモンとの戦いで傷ついたアニエスとミシェルが一命を取り留めたのも、才人が関わってきたおかげだった。

 その借りを返すまではと、皆思っていたのに……しかし、今は自分たちのことが問題だ。

「サイトがやられたかどうかはともかく、今、我々の目の前にいないことが重要だ。あいつが無事なら、必ず我々の前に戻ってくるはず。しかしそれよりも、これからの我々のほうこそ大変だぞ。サイトとミス・ヴァリエールの抜けた穴は戦力的にはたいしたことはない。だが、これから我々は敵地となったロマリアを縦断してトリステインに帰り、ロマリアでなにがあったのかの真実を伝えねばならん。最低、ひとりでも生き残ってな! いいか」

「っ、はいっ!」

 ギーシュたちも、責任の重さと前途の困難さを自覚した。もうロマリアは味方ではない。この、悪魔的な力を持つ国から脱出し、国に待つ仲間たちに真実を伝えることがいかに難しく、かつ果たさねばならないことであるかはとつとつと語るまでもない。

 この場にいないモンモランシーとティファニアは無事だろうか、明敏なルクシャナがついているからもしものことがあってもと思うが、彼女たちにこのことを伝えねばならないのは気が重い。さらに彼女たちを守りながらの帰路がどれほど困難となるか、しかし他に道はない。そのためには、たとえこの中の誰がどうなろうともだ。

 しかし……と、ミシェルを背負った銃士隊員は、消沈した様子ながらついてくるギーシュたちと語りつつ思う。

「サイト、あのバカめ、うちの大事な副長を泣かすとはとんでもないことをしてくれたな。アニエス隊長に報告して、一から根性を叩きなおしてやるから覚悟しておけよ……」

「あれ、戦場ではくたばった仲間のことはすぐ忘れるのが鉄則と教わりましたがね。それじゃ、あなたこそ隊長にどやされますよ。しかし、たったふたりが欠けただけで、こうもガタガタになるとは、情けないもんですねぼくたちも」

「ふん、銃士隊も昔は正真正銘の鉄の隊だったのに、誰かのおかげで我々も甘くなったものだ。生存が絶望的な人間をあきらめきれんとは……生きて帰るぞ、でなければ私たちが地獄でサイトに怒鳴られる」

「ええ、それがサイトとルイズへの唯一の弔いでしょうからね……」

 デルフは死んだ、才人とルイズは帰ってこない。そう自らに言い聞かせて、彼らは枯れた草を踏みしめて、なにもない荒野を遠いトリステインへ向かって歩き出した。目に映るのは、意気揚々としたロマリア軍の幾万の行進。しかしその数に比して、彼らはあまりにも孤独だった。

 目をやれば、この戦いでの負傷者が運ばれていくのが見える。教皇の茶番で何人が傷ついたのか、街ひとつが崩壊し、運ばれていく人間の中には軍属だけでなく、街にわずかに残っていた人間なのか、町人風の親子の姿も見える。

 しかし、教皇の野望を砕かなければ、いずれ世界中がこうなってしまうだろう。そうなれば、ロマリアの人々も自分たちが世界を救うどころか世界を滅ぼす企みに手を貸していたことに気づくだろうが、もはや手遅れでしかない。一刻も早くトリステインに戻り、アンリエッタ女王に聖戦不参加を決めてもらわねばならない……だが、その道のりは果てしなく、足取りは鉛のように重い。

 

 

 そして、絶望的な帰路に旅立つ彼らの姿を、ヴィットーリオとジュリオは冷たい眼差しで見下ろしていた。

「どうやら、まだあがくつもりのようですね。どうします? 悪い芽は育つ前に摘んでおくべきかと思いますが」

「ふふ、ジュリオは慎重ですね。ウルトラマンへの変身者を片付けた以上、あんな連中になにができるでしょう? ですが、大事が控えている今、危険要素は徹底して取り除くべきですね。面倒でしょうが、始末しておいていただけますか」

「承りました。彼らは誰一人として、祖国にたどり着くことはないでしょう。最後の旅を、せいぜい楽しく演出してあげますよ」

 利用価値を失ったものに対して、彼らはもはやなんの情も抱いていなかった。彼らは今現在、ハルケギニアにおいてもっとも強大にして無比、対してトリステインを目指す一行は敗残兵も同様に無力だった。

「真実などを探そうとしなければ、少しでも長生きできたでしょうに。この流れはもはや、誰にも止めることはできません。それなのに無駄なあがきをするのは、彼らの救いがたい性ですね。あなたもそう思うでしょう?」

「ええ、ですが油断は禁物です。人間という生き物は、どれだけ念入りにつぶしても隙を見ては我々をおびやかします。覚えておいででしょう。この世界以前にも、我々はウルトラマンを倒し、世界を闇に閉ざしました……ですがそれで、完全勝利とはいかなかったのです」

「そうですね。しかしあのときと違い、この星の人間たちにそこまでの力はありません。ほかのウルトラマンたちはまだ気づいていませんし、気づいたときには手遅れです。さあ、今度こそ失敗は許されませんよ。この星を浄化して、次は今度こそあの星を手に入れるのです」

 教皇とジュリオはハルケギニアを通じて、青く輝くもうひとつの星への想いをめぐらせていた。

 

 

 幾年月にわたる壮大な計画は人間の尺度をはるかに超え、いまだその全容を見せない。しかし、ハルケギニアの窮地を救うために戦い、戦ってきた戦士たちは謀略に落ちて、その牙を大きく砕かれてしまった。動き始めたロマリアの陰謀を止める者は、この時点では誰一人として存在しない……

 

 

 そして、時空のかなたへ追放されてしまった才人とルイズ、その行方を知る者もこの世界には一切いない。

 宇宙は無数の別次元に分かれており、ヴィットーリオが開いた世界扉のゲートは、その境界をこじ開けるのみで行く先を設定されてはいない。つまり、世界地図に目を閉じてダーツを投げるも同じで、どの国に刺さるかなど誰にもわからない。いやむしろ、どこかの世界にたどり着ければ幸運なほうで、投げたダーツが海に刺さってしまったときのように、永遠にどこにもたどり着けずに時空のはざまをさまよい続けるということもありえるのだ。

 そんなところに、なんの道しるべもなく放り出された人間の行く末など知る方法はない。まして、帰還の可能性などは限りなくゼロに等しい……ヴィットーリオとジュリオ、彼らに破壊されたデルフが死と同義に考えてしまったのも無理からぬところであったと言えよう。

 しかし、その絶望的な可能性の壁を超えて、人知れず希望の命脈は保たれていたことも、まだ誰も知らない。

 

 

 次元の壁を超えて、才人は奇跡的にどこかの世界へとたどり着いた。

 けれども、それを幸運と呼ぶべきかはわからない。なぜならそこは、まるで生き物の生息を許すとも思えない荒涼とした世界だったのだ。

 なす術もなく……一人で放り出された才人は、ただルイズの姿を探そうとするものの、突然現れた怪獣に襲われてしまう。

 

【挿絵表示】

 

 凶暴な怪獣、シルバゴンの前に丸腰で、ルイズがいないためにウルトラマンAへの変身もできずに逃げるのみで追い詰められてしまう才人。だが、絶体絶命の彼を救ったのは、なんとハルケギニアの星にしかいないはずのエルフの少女であった……

 ここはいったいどこなのだ? 何ひとつ理解できない中で、才人のたったひとりの旅が始まろうとしていた。

 

「う、ううん……ふわぁぁ……」

 目をこすり、あくびとともに体を起こした才人の目に入ってきたのは小さな村の光景だった。

 いや、村という表現もややオーバーかもしれない。なぜなら、日本人の感覚で”家”と呼べるような建物はなく、木と布で出来たテントがいくらか並んでいるだけで、才人も最初見たときはモンゴルのゲルだったかパオだったかいう遊牧民の移動式住居みたいだなと思っていた。

「ふうわぁぁ……よく寝た。ってか、寝すぎたかなこりゃ」

 毛布をぬぐい、空を見上げるとどれくらい眠っていたのか、とっぷりと墨汁をぶちまけたような闇が周りを包んでいる。しかし厚い雲のせいか星は見えずに、村の中央の広場でパチパチと音を立てて燃えている焚き火だけが、鈍いオレンジ色に自分たちを染め上げて闇に抵抗していた。

 なにもかもが見慣れぬ風景。才人は、なにもかも夢であってくれればと目が覚めるときに願っていたが、やはりすべては現実だったのだなとため息をつくしかなかった。

 そう、教皇との戦いで自分たちは負けた。そして、この世界に飛ばされた。それが現実、変えようのない現実だ。

 と、そこへ小気味よく軽い足音がしたかと思うと、才人の前にあの少女が小皿を持ってやってきた。

「いいかげん目を覚ますころだと思ったわ。どう、具合は? 悪いところがあったら遠慮なく言いなさい。薬ならあるから」

「いえ、一眠りしたらだいたい治ったようで。あっ、でも多少筋肉痛があるかなあ、あててて」

「それならよく働く男の勲章みたいなもんだから大丈夫よ。けど、本当にあなた泥のように眠ってたわ。よっぽど疲れていたのね。夕食のスープの残りだけど、薬草を混ぜ込んであるから疲れがとれるわ。食べなさい」

 単刀直入かつ無遠慮な彼女の物言いだったが、スープの皿を差し出してきた手は優しく、才人はまだぼんやりしていた脳みそを目覚めさせて受け取った。使い込んである様子で古ぼけた皿に入れられたスープは、薄い味付けに、言ったとおり薬草の苦味が染み出してきて決してうまいとはいえない代物だったが、空腹が極致に達していた才人は夢中でスプーンをすくった。

「そんながっかなくても、誰も取ったりしないわよ」

「すんません。でも、手が止まらなくって」

 呆れた様子で彼女に見られる才人だったが、胃袋の欲求はマナーを忘れさせた。それでも多少なりとて口に運ぶと理性が主導権を回復し、手を休めて才人に礼を言わせた。

「ありがとうございます。見ず知らずのおれに、わざわざメシまで用意してくれて」

「気にすることはないわ。困ったときはおたがいさまだもの。それに、ちょうど長々と帰ってこないやつがいて、一人分余っていたの」

「どうも、ええっと……」

「サーシャよ。ヒリガー・サイトーンくん」

「平賀才人です。よろしく、サーシャさん」

 才人は名前を間違われたことを軽く修正し、恩人の名前を深く心に刻んだ。

 そう、このサーシャという美しいエルフの少女がいなければ、自分は今頃この世にいなかったに違いない。

 あのとき、突如現れた銀色の怪獣に追い詰められていた才人を、たまたま通りかかったという彼女が助けてくれた。それこそ、踏み潰される寸前のこと……死に物狂いであがこうとしていた才人を、サーシャが力づくで伏せさせてくれたおかげで助かった。

『あいつは動くものしか見えないの。じっとしていたら、そのうち行ってしまうわ』

 そのとおりに、銀色の怪獣は動かずにいるふたりが目の前にいるというのに急に見失った様子で、キョロキョロと戸惑う様をしばらく見せると、くるりと振り返ってそのまま去っていってしまった。再び生き物の気配がなくなった荒野で、才人はやっと自由にしてもらって立ち上がると、そこには恩人の呆れたような眼差しがあった。

「大丈夫? このあたりは、ああいう乱暴なのがうろうろしてるのよ。あなた旅人? よく今まで無事でいられたわね」

 ぐっと正面から見据えてくる相手の顔を間近に見て、才人はやっぱりエルフだと確信を強くした。

 薄い金色の髪に翠色の瞳、ティファニアを少し大人っぽくしてルクシャナに少し子供っぽさを足したような容姿。以前行ったエルフの都で何百人と見たエルフの特徴そのものだった。

「エ、エルフ!?」

「あら? 私を知ってるの? へえ、珍しいわね。私はサーシャ、あなたの名前は? 旅人さん」

「あ、ひ、平賀才人っていいます。旅をしてるわけじゃないんだけど、ええと、説明すっと長いんだけど……そうだ! エルフがいるってことは、ここはハルケギニアなんですか?」

 戸惑いはしたものの、慌てて才人は疑問の核心を訪ねた。エルフがいるということは、ここはハルケギニアのどこかか近辺である可能性が高い。だったら、異世界に飛ばされたわけでないのであれば時間はかかるが帰還の方法もあるだろう。

 しかしサーシャから帰ってきた答えは、才人の期待を完全に裏切った。

「ハルケギニア? 聞いたこともないわね」

 才人は愕然とした。博識なエルフが知らないということは、ここはハルケギニアからはるか遠くだということになる。

 いや、それならまだいい。恐る恐るながら、才人はもう一度尋ねてみた。

「じゃ、じゃあ、サハラか、ロバ・アル・カリイエ?」

「サハラね、懐かしい名前を聞いたわね。なるほど、あなたもその口なのね」

「サ、サハラを知ってるってことは……えっ?」

 一瞬、才人の心に喜びが走ったが、サーシャが続けて言った言葉の意味を理解して凍りついた。

「私も前にね、あいつのおかげでこーんな何もないところに連れてこられたのよ。まったく、なんで関係のない私が」

 ふてくされたように言うサーシャの話で、才人は理解した。ここは、やはり異世界……目の前の彼女もまた、サハラからなんらかの方法で連れてこられたんだろうということが。

 そうとわかり、希望が失われた才人は全身の力が抜けてひざからがっくりと倒れこんだ。

「ちょ、ちょっとあなた大丈夫!?」

「あ、はは……ちょっと気が抜けちゃって……あの、すみませんが、このあたりにもう一人おれくらいのピンク色の髪をした女の子が来てませんでしたか?」

 気力が折れそうなところを、才人はなんとかこらえてルイズの行方を聞いた。帰還の可能性が閉じてしまった以上、気になるのは重傷を負ったままで消えていったルイズのことだけだ。あの傷、手当が遅れたら命に関わるかもしれない。けれども、才人の期待はことごとくがかなえられなかった。

「ピンクの髪の女の子? いいえ、悪いけど見ていないわね」

「そう、ですか……捜さないと……」

「なに言ってるの! あんたよく見たらボロボロじゃない。それに、このあたりにはさっきの奴以外にもなにが潜んでるかわからないのよ。えいもうっ、仕方ないわね。この近くに私たちの村があるわ、とりあえずはそこに帰ってから話しましょう」

「で、でも、早く見つけてやらないと」

「死にに行くようなもんだって言ってるの。見捨てていけば私は楽だけど、いくらなんでも寝覚めが悪すぎるから無理にでも来てもらうわ。ほら!」

 サーシャにぐっと腕を掴まれて、才人は引きずられるように連れて行かれた。抵抗しようとしたが、サーシャは意外にもかなりの力持ちで……いや、女性の力にも対抗できないほど才人が弱っていたのもあるだろう。

 才人はそのまま、近くに隠してあったサーシャの馬に乗せられて、彼女たちの村に連れて行かれた。

 裸の馬の乗り心地は悪く、気を張ってないとずり落ちそうな中で才人は必死で意識を保った。それでも、村の様子が見えてきたところで最後の気力も尽き、意識が途切れる寸前に才人はサーシャの声を聞いた。

「ほら、もう着くから我慢しなさいって、無理かあ。わかったわよ、あんたの連れの子は私が捜しておいてあげるから……」

 その後にもいくらか続いたようだが、すでに才人の意識は深遠の淵へと落ちていた。

 それが、この世界に来てからの漏らさぬ真実。才人はサーシャという、地獄の仏に会えたことに感謝しつつ、残りのスープに口をつけ、あっという間に平らげてしまった。

「はふぅ……ごちそうさまでした」

「よほどお腹が減ってたのね。最近は材料がたいしたものがとれなくて、こんなものしかなくってと思ったんだけど、あなた普段からろくなもの食べてないんじゃない?」

「はは、当たりです。最初の頃ルイズにもらうメシはほんとひどかったなあ。おかげで味のハードルが下がって、今じゃ食えるだけでもありがたいって……すみません。おれ、どのくらい眠ってたんでしょうか?」

「おおよそ半日というところね。相当疲れていたんでしょう、まるで死人のように眠り込んでいたわよ」

 そうですか……と、才人は腹が膨れてやっと回るようになった頭で考え出した。

 疲れていた、か。確かにそうだ。戦って戦い抜いて、自分でもよくあれだけ戦えたものだと不思議に思うくらい戦った。保健体育で、人間は興奮状態では脳からアドレナリンというものが出て疲れを感じなくさせると習ったが、たぶんそうだったのだろう。けれども、体のほうは忘れていた疲れを覚えていて、そのツケはきっちりと帰ってきた。

 それにしても、人間というやつはおもしろくできているもので、どんなとんでもない事態になろうとも眠気と食い気には勝てないらしい。戦士たるもの、食えるときには食いたくなくても食っておけと、皆といっしょに訓練の一環の心得として教わったが……なぜか、涙が溢れてくる。

「どうしたの? どこか具合の悪いところでもある?」

「いえ、なんでもないです。それより……」

 今は思い出に浸るときではないと、才人は涙をぬぐった。そして、立ち上がって体にぐっと力を込めて相手の顔を正面から見据えると、彼女はすまなそうに話した。

「ごめんなさい、あなたのいたあたりを中心に探してみたけど、やっぱりあなたの言う女の子は見つからなかったわ」

「そうですか……すみません、こちらこそ初対面なのに無理を言ってしまって」

 やはりルイズの行方はわからないか、と、才人は肩を落とした。

 予測はもうついていた。この世界に来てから、何度試してもウルトラマンAとの会話はできないし、テレパシーも伝わらない。ということはつまり、ルイズはテレパシーも届かない別の世界に飛ばされてしまったとしか考えられない。

 これからいったいどうしたものか……? まったく先の見通しが立たずに意気消沈する才人。すると、サーシャはそんな才人を気遣うように言ってくれた。

「まあ、あなたにもいろいろ事情があるみたいだけど、行くところがないなら、ここにいればいいんじゃない?」

「えっ、でも。そんな、見ず知らずのおれのためにそこまでしてもらったら」

「いいのよ、どうせ私も無理矢理こっちに連れてこられた口だから。そもそもこの村は行き場をなくした連中の寄り合い所帯みたいなもんだし、気にする必要なんかないない」

「あ、ありがとうございます! ようし、掃除洗濯なんでもやりますからまかせてください」

 感激して才人はぐっと頭を下げるとともに、持ち前の前向きさで気持ちを切り替えた。頼るものもなく見知らぬ世界にひとりぼっちで放り出されたのはルイズに召喚されたとき以来だが、同じことなら二度目のほうが気が楽だ。それに、今度はあのときより考えるものが多い分はるかに力強くいられる。

「あなたって、単純とかお調子者とか言われない?」

「あははは、よく言われます。すみません、長居することになるかもしれませんから、ここがどういうところだか教えてもらえますか?」

「ええ、それはもちろんかまわないわ。けど、その前に一応ここのリーダーに会っておいてもらいたいの。あいつ……ようやく帰ってきたみたいだから」

「えっ? うわっ!」

 才人は、突然横殴りに吹き付けてきた突風になぎ倒された。砂塵が巻き上がり、転んだ才人の目に、風にあおられて大きなテントがまるで紙細工のようにはためいているのが映ってくる。

 だがしかし、才人を驚かせたのはそんなものではなかった。空から、青い巨大な鳥が降りてくる。いや、あれは鳥の怪獣だ! しかも、才人はその怪獣の姿に見覚えがあった。

「あの、怪獣は!」

「心配いらないわ。あの怪獣は人を襲ったりしないから」

 サーシャの言うことは才人にはわかっていた。なぜなら、才人は同じ怪獣を見たことがあったからだ。

 以前、東方号でサハラへ旅したとき、アディールでのヤプールとの決戦で現れたあの怪獣とそっくり。いや、サイズは少し小さいが、赤いとさかや骨のような翼といい、同種の怪獣なのは間違いない。

「おかえりー、リドリアス」

 唖然としている才人の前に、鳥の怪獣は着陸し翼を畳んだ。地上にいるサーシャが手を振ると、喉を鳴らして応えてくる。この鳴き声もまったく同じだ。

「リ、リーダーって、この怪獣っすか?」

「あはは、まさか。まーリドリアスは賢いけど、そういう柄じゃないよね。うちのリーダーは、ほらアレよアレ」

 そう言ってサーシャが指差す先を見ると、リドリアスの背中からロープが降りてきて、それをつたって人が降りてくる。彼は地面にストンと、というほどきれいにではないが降り立つと、待っていたサーシャのもとにとことこと駆けて来た。

「や、やややや、遅くなってすまない。食料を集めるのに手間取ってしまって、つい遠出をしてしまった。お腹すいたよ、夕食あるかな?」

「ないわよ」

「え?」

「村の警備だってあるのにダラダラと外をほっつき歩いているようなバカに食わすものはないわ。リドリアスも連れまわして、この子はまだ子供なのよ。これだから蛮人は、その程度の配慮もできないんだから」

「そ、そんなぁー」

 と、彼は情けない声を出してへたってしまった。

 なんというか、小柄で若いどこにでもいそうな普通の男だった。才人は、このさえない男がリーダー? と、怪訝に思ったが、それもいた仕方がないといえるだろう。サーシャに怒鳴られてペコペコしてる様は威厳などとは無縁で、アニエスのような凛々しく頼りになるリーダーを想像していた才人の予想とはかけ離れていたからだ。

 どうやら見る限り、彼よりサーシャのほうが強いらしい。なんとなく自分とルイズの関係を連想してしまう。どこの世界にも似たようなのがいるもんだと、才人は妙な感心をした……ところが。

”ん? なんだ、おれ……この人と、どこかで会ったような……?”

 突然そんな感覚を才人は覚えた。今日ここではじめて会うのは確実なはず……誰かと似ていたっけと思ったけれど、記憶にそんな人物はいくら思い出そうとしてもいなかった。そういえば、サーシャとも最初に会ったときからなんとなく他人の気がしなかった。まだ、疲れているのだろうか?

 けれども、取り込み中のところ悪いが、このままでは話が進まない。才人は空気を読んでないのを承知で、仕方なく割り込むことにした。

「あの、すみません。もうそろそろよろしいですか?」

「ん? 君は、はじめて見る人だね」

 そこで、才人はようやくサーシャから砂漠の真ん中で拾われたことなどを説明してもらった。

「えっと、平賀才人っていいます。おれ、行くあてがなくて、少しの間ここに置いてもらっていいでしょうか?」

「もちろんかまわないさ! いやあ、僕たち以外の人間と会うのは久しぶりだ。喜んで歓迎させてもらうよ」

 満面の笑みを浮かべて彼は才人の手を握ってきた。才人は、ほっとするといっしょに、良い人だなと今日はじめて会ったばかりの自分を受け入れてくれた彼の度量の大きさに感謝した。が、しかし次に彼が口にした言葉を聞いたとき、才人は愕然とするだけではすまない衝撃を受けた。

「おっと、自己紹介がまだだったね。僕の名前はニダベリールのブリミル」

 えっ! と、才人は耳を疑った。その名前、聞き覚えがある。いや、聞き飽きるほど聞かされた名前だ。

 始祖ブリミル。ハルケギニアで信仰されているブリミル教の開祖の名前だ。ただ同名なだけの人? いや、まさか、まさか。

 才人の心に、少しずつ湧きあがってきていた仮説が急速に形を整えてできあがってくる。エルフの存在、以前見たのと同じ怪獣、そして伝説の聖人と同じ名前の人物の存在。まさか自分は、別の世界に飛ばされてしまったのではなく、時空を超えてしまって……

「おれ、六千年前のハルケギニアにタイムスリップしちまったんじゃないのか……?」

 夢なら早く覚めてくれ……才人は、急展開すぎる状況についていけず、がっくりとひざをついてしまうしかなかった。

 

 

 続く



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第20話  彼の人はブリミル

 第20話

 彼の人はブリミル

 

 友好巨鳥 リドリアス

 カオスヘッダー

 古代怪獣 ドルバ

 カオスドルバ 登場!

 

 

「それでは、君は未来から来たというのかい?」

「ええ、自分でも頭沸いてんじゃないかなーとは思うんですが。おれの……ぼくのいた世界の六千年ほど前に、あなたと同じ名前の偉人がいちゃったりするんですよね」

 才人は、自分でも何言ってるんだと思うようなことを、なかばため息交じりで説明するはめに陥っていた。

 ヴィットーリオの虚無魔法で次元を飛ばされてやってきたこの世界。初めて訪れるはずなのに、次々と既視感のある出来事に出くわして、あげくの果てにブリミルという名前の青年まで現れてしまった。

 ここまで来ると、いくら鈍い才人でも気がつく。この世界が、ハルケギニアの過去なのではないかということが……

”おれの人生って、とことん破天荒だなあ”

 あまりの急展開に力が抜けて、また気を失いそうになった才人は、ブリミルの家に担ぎこまれてそのまま介抱された。そして、君はどこから来たんだいと問われ、嘘の苦手な才人は仕方なしに自分の感じたままを正直に話したのである。

 そんなブリミルが才人のことを珍しそうに見つめてくる。いや、笑っていた。

「う、くくくく。すまない、笑うつもりはなかったんだが、そんなに突飛なことを聞かされたらね」

「でしょうねえ。サーシャさん、笑いたいなら思いっきり笑ってくれていいですよ。そんな震えるくらい笑いをこらえられたら逆に傷つきますって」

 殺風景なテントの中に、ブリミルとサーシャのこらえた笑い声が流れた。

 とはいえ、なにをやってんだろうなおれ、と、才人も笑いたいくらいなのである。

 この、目の前にいるブリミルという青年とエルフの少女サーシャを見ていると、才人の中に妙な感覚が湧いてくるのだ。なんというか、どこかで会ったことがあるような、デジャヴュのような不思議なそわそわした感じが離れない。もしも、目の前のブリミルが才人の思っているとおりの始祖ブリミルなら、これはルイズの魔法の残滓が自分の中にあるからなのだろうか?

 そんなことを思いながら、才人はテントの中を見渡した。粗末なテーブルと椅子くらいしか調度品はなく、ベッドはわらぶきだし、自分がルイズの部屋で使っていたのと大差ない。これが本当に伝説の聖人の住まいかというと、まったく信じられなくてもしょうがないだろう。

「あー、うん。とりあえず、君の話が本当かどうかは別として、違う世界から来たというのはあながち嘘でもなさそうだね。でなければ、こんなところを丸腰で歩いてられるわけもない」

「ですね。確かに、あのときサーシャさんに助けてもらわなかったら間違いなく死んでましたよ。いったい、この世界はどうなってるんですか? なんで、こんな人がまともに住めないようなくらいに荒れ果ててしまったんです?」

 才人は率直に疑問をぶつけた。どのみち、サーシャに説明してもらおうと思っていたことだ。

 するとブリミルは、目を伏せて悲しげに首を振った。

「本当に、君は僕たちとは違う世界から来たのかもしれないね。この世にヴァリヤーグの脅威を知らずに生きている人がいるなんて思えないもの」

「ヴァリ、なんですって?」

 初めて聞く単語に、才人は思わず聞き返した。

「ヴァリヤーグ、恐ろしい奴らさ。この世界は、元はとても美しい世界だった。けれど……」

 言葉を詰まらせたブリミル。一方才人は、そのヴァリヤーグこそが諸悪の根源であろうとあたりをつけた。

「わかりました。ヴァリヤーグってやつが、この世界をこんなに荒らしちまったんですね!」

「あ、うん。まあ、それも、そうでもあるが……」

 そのとき直情的な才人は、ブリミルが言葉を濁した意味に気がつかなかった。

「いったいなにものなんです? そのヴァリヤーグって、怪獣ですか?」

「怪獣か、それも正しいといえば正しいし、違っているといえばそうなるな。なんというべきか、一言で説明するのは難しいが……」

 困った風にブリミルは腕を組んで考え込んでしまった。どうやら事情は複雑なようで、才人はコレ聞いちゃっていいのかな? と、思いはしたものの、ここまできて知らぬままでいるわけにはいかない。また、サーシャも言い渋るブリミルにじれて割ってきた。

「言いつくろったってしょうがないわよ。彼は私たちの仲間になるんだから、知るべきことは知っていてもらわないと信頼してもらえないわよ」

「いや、そうはいってもねきみ。なにも知らない人に、今の世界のことを説明するのは非常にデリケートな。いや、君の言うことももっとも……うーん」

 どうもブリミルの歯切れが悪い。なにか説明すること自体を躊躇しているような様子に、才人も少し不審を抱き始めたとき、テントの入り口のほうで物音がしたので振り返ると、小さな女の子がこちらを覗きこんでいた。

「大丈夫だよ、ノルン。こっちにおいで」

 ブリミルが呼ぶと、ノルンと呼ばれた女の子は少し恐る恐るな様子で入ってきた。十歳くらいのかわいらしい子で、遊牧民風の粗末な服を着ているが、腰に巻いたカラフルな布が女の子らしいおしゃれを感じさせて微笑ましい。そして、手に持った土鍋をテントの奥にしつらえてあるかまどの上にトンと置いた。

「ああ、ペストーレを持ってきてくれたんだね。ありがとう」

 ペストーレというのがその料理の名前らしい。次にその女の子は懐から杖を取り出すと呪文を唱えてかまどに火を入れた。

「わあおっ! 小さいのに魔法が使えるなんてすごいな。みんな貴族なのか?」

「貴族? よくわからないけど、僕らマギの族はみんなこれができるよ。もっとも、ニダベリールの村はあちこちの生き残りが少しずつ集まったものだから、純粋なマギの民はもう少ないけどね」

 そう語るブリミルの横顔に、才人はここがハルケギニアの過去ならば、そのマギの族というのが将来のメイジの先祖になるのだろうかと思った。

 しかし、ブリミルの横顔は寂しそうで、現在のこの百人もいなさそうな村から将来のハルケギニアの繁栄を連想することはできない。

 サーシャはノルンに、後は私がやるからとねぎらって帰し、数分後に才人たちの前に温められた料理の皿が並べられた。

「さあ味わってくれ。たいしたものは出せないが、新しい仲間の歓迎だ」

 屈託のないブリミルの笑顔で、才人はこの世界で二度目の食事をとることになった。さっきのスープから時間はさして経っていないが、若い胃袋の欲求は深い。才人に遠慮などできるわけもなかった。

「うめえ、こんな料理はじめて食うぜ」

「それはうれしいね。ところで、食べながらでいいけど話をしよう。君はさっき、自分は未来から来たようだと言っていたけど、それはまだそう思っているのかい?」

「……ええ、偶然にしちゃできすぎてんですよね。ブリミルって名前は、おれのいた時代じゃ知らない人はいないし。さっき、あなたが乗ってきた怪獣と同じのを、おれの時代でも見たことがあるし。それに、どうもおれはあなたと初めて会った気がしないんですよねえ」

「ふむ、冗談で言える話ではないようではあるね」

 ブリミルはそこで初めて考え込む様子を見せた。今までとは違う、真剣な表情にサーシャも気がつく。

「ちょっとあなた、こんな突拍子もない話を信じるつもり?」

「信じるも信じないも、それはこれからさ。彼の話を聞いて、筋が通っていれば参考にして矛盾があればとがめていく。それで矛盾が多くなれば彼の悩みは杞憂だったということで万々歳、そうでなかったらそのときだよ」

 明快なブリミルの答えに、サーシャは黙るしかなかった。才人は感心し、後に始祖なんて呼ばれるような人なら馬鹿のはずはないだろうなと、少し安心した。

「さて、じゃあ気楽に答えてくれ。君がここを過去だというなら、当然僕たちのことを知っているはずだね。僕が未来で有名なのは聞いたけど、具体的にどういうふうに有名なのか教えてくれたまえ」

「うーん……それについては、笑わないでくれっていうか、怒らないでくれといえばいいのかなあ」

 才人は悩んだけれども、知っている範囲でブリミル教のブリミルに関する伝承を語った。もちろん、ブリミル教徒ではない才人は教義などを教わったことはなく、ルイズたちからの受け売りがほとんどである。

 それらを聞いたブリミルは、呆れたというか困ったというか難しい様子で考え込んでしまった。無理もない、自分が世界中で信仰される宗教の始祖になるなんて言われたら普通は困惑する。というよりも非現実的すぎて、サーシャなどは爆笑していた。

「あっはっはっは! ブリミルが神の子? こいつが、このどんくさいのが始祖? 教祖様? こいつをあがめれば天国に行けるっての? あーはっはっはっは!」

「サーシャ、君ねえ、いくらムチャクチャな話だからってその笑い方はないんじゃないかい? そりゃ僕だって自分が救世主なんて柄じゃないのはわかってるつもりだけど、さすがに傷つくよ」

「だってだって! この田舎くさい蛮人がって、ダメこらえきれない、ひっひゃひゃひゃ!」

 腹を抱えて笑い転げるサーシャと、がっくりとしょげてしまったブリミルを見て、才人はなんか悪いことしちまったなと思った。どうやらブリミルがルイズたちの言う”始祖”と呼ばれる人物になるまでには、まだしばらくの時間が必要なようだ。だったらブリミル教のことは、この時代のブリミルにはあまり説得の材料になりそうもない。

「あの、なんか、どうもすいません……」

「いや、いいさ。君に悪意がないのはなんとなくわかるよ。けど、嘘にしても本当にしてもすごすぎて」

「まあ、六千年も経てば伝承もけっこう派手になるでしょうしね。ぶっちゃけ、あなたがそんなすごい魔法使いには見えませんし」

「君もけっこうはっきり言うね。一応、僕は……では、僕の魔法について話してくれないか?」

「あなたの?」

 才人が怪訝な表情をすると、ブリミルはこくりとうなづいた。すると、笑い転げていたサーシャが真顔に戻り。

「ちょっとブリミル、あんたの魔法って言ったら!」

「いいさ、僕の魔法は僕たちの仲間しか知らないんだ。もしも彼がそれにも詳しかったら信憑性は高いことになるじゃないか」

「そういうんじゃなくて! まったく、ほんと好奇心だけは強いんだから」

 サーシャは止めても無駄だろうなと、呆れ果てた様子であきらめてしまった。ブリミルの魔法の詳細が、見ず知らずの人間の口からペラペラと出てきてしまったらかなり問題だろう。しかし彼は気にした様子も無く、才人もまずったかなと思いつつも、いまさら引っ込みもつかないので、今度は一応言葉を選びながら話しはじめた。

「ええっと、まず、ブリミルさんの魔法はこっちの時代じゃ虚無の系統って呼ばれてます……当たってますか?」

「ううむ。いや、実は僕はまだ自分の系統に名前をつけてはいないんだ。けど、虚無の系統か、なかなかいい響きではあるね。では具体的に使っていた魔法についてはどうだい?」

「ええっと、ルイズが使ってたのだと、爆発を起こすエクスプロージョン、瞬間移動するテレポート、テファの忘却……あっ、教皇の使ったイリュージョンに世界扉に……知ってるとこだとそれくらいかな」

「……なかなか興味深いね」

 ブリミルの表情に真剣さが増していた。はっきり当たっているとも違っているとも言わないが、隣で聞いているサーシャの様子も目に見えて変わっていた。

「ブリミル、彼の言ってることって」

「しっ、少し黙っててくれ。なるほどなるほど、聞くからにすごそうな名前ばかりだ。おもしろいじゃないか」

 口調は笑っているが、彼の目は続けてくれと言っている。真っ直ぐにこちらの目を見据え、わずかな嘘の兆候も見逃すまいとしているだけでなく、才人はその視線に、なにか逆らいがたいものを感じて、この人は見た目どおりとは違うと評価を入れ替えた。

「えっとそれから、虚無の担い手は四人の特別な使い魔を従えてたそうで……えーっと、やたら小難しい名前ばっかだったからな。こんなことならルイズの話をもっとしっかり聞いとけゃよかった。まず、武器を扱うのが得意なガンダールヴと、あとは確かルイズが調べたミョ、ミョ? と、うぃんど? あーっ! ダメだ。ガンダールヴ以外わかんねえ」

「まあまあ落ち着きたまえ。なら、そのガンダールヴだけでもいいから、もっと詳しく言えるかい?」

「はぁ、まあガンダならわかります。こう、左手の甲にルーンが刻まれてて、なんでもいいから武器を持ったらガーッと強くなるんです。役割は、主人が魔法の詠唱を完成させるまでの時間稼ぎだったはず。まあ、なにもなくてもけっこう強いけど」

 そう言い、才人はかつてガンダールヴのルーンのあった自分の左手の甲を見つめた。以前、戦いで命を落としたときに契約が解除された後、自分たちは再契約をしなかった。それは、絆をつなげるならば魔法などに頼りたくはないという思いからであり、今でもそれは間違っていなかったと思うが、ここでルーンがあればよい証拠になっただろうと思うのは残念である。

 しかし、才人はそのとき視線を左手に逸らしていたために、ブリミルとサーシャの表情がほんの一瞬ではあるが、変化していたのに気づかなかった。

「ん? あ、すいません。話の途中でよそ見しちゃって」

「いや、いいさ。話をしてもらってるのはこっちなんだから。そうだ、話してるうちに料理が冷めてしまったね。先にいただこうよ」

 ブリミルに薦められて、才人はすっかりぬるくなってしまったスプーンの中身に口をつけた。今まで食べたことのない、けれども決してまずくはないことに、作った人の腕のよさと料理への愛情が感じられた。

”ここにデルフがあったらなあ……焦って手を放しちまったけど、あいつがいたら”

 この時代の生き証人なのだから、いろいろと助かったろうにと才人は自分のうかつさを恨んだ。そういえば、この時代のデルフの姿が見えないところからすると、あいつはこの後に作られたのかもしれない。もし元の時代に戻れたときはブリミルに会ったことを思い切り話してやろうと思った。

 そのときであった。才人は、飲もうと手に持っていたコップの水面が不自然に波打つのを目撃し、次いで腰から頭にかけて強烈な揺れに貫かれてよろめいたのは。

「っ! なんだ?」

「族長! 大変です」

 血相を変えた若い男が飛び込んできた。サーシャの表情が鋭く変わり、ブリミルがすっくと立ち上がる。

「来たか、早いな。もうここを感づかれたか」

 早足でブリミルはテントを出て行き、サーシャも身なりを正して続く。才人はそれに、わけがわからないままいっしょに続いて外に出ると、そこには村中の人たちが集まっていた。

 これはどう見てもただごとではないと驚いていると、サーシャが説明してくれた。

「あなた、運がいいわね。いえ、運が悪いのかもしれないけど、さっきのあなたの質問の答えが見られるみたいよ」

「さっきの? まさか!」

「ええ、来たのよ。ヴァリヤーヴが」

 

 

 才人の体を、ハルケギニアで染み付いた戦士の緊張感が包んだ。

 ヴァリヤーグが来る。その正体は知らなくても、敵がやってくるということだけは才人にもわかった。

 始祖ブリミルがいて、村人はメイジで、エルフまでいるこの村を襲う相手とはなんだろう。怪獣? 宇宙人? それとも別の何か? わからないけれども、根が単純な才人は、すぐに自分で考えるよりも、その目で見れば簡単だと割り切った。

 村は大混乱になっていて、男たちが杖を持って集合している。ブリミルは彼らになにやら指示を出すと、自分はサーシャを連れて村はずれの丘に登った。むろん、才人もふたりに着いていった。

「ブリミルさん、ヴァリヤーグは?」

「すぐに見れるよ。ただ、見たら君はすぐに逃げ帰ったほうがいい。僕らでなければ戦えない相手だ」

 そう言い、ブリミルは丘の先を指差した。

 広がるのは、ひたすら続く不毛の荒野と濁った空の織り成す寒々しい風景。しかし、そのかなたからまるでモグラのように地面を盛り上がらせて、なにか巨大なものが近づいてくる。すごいスピードだ!

「あれは、まさか!」

 そう才人が叫んだとき、巨大ななにかは彼らの前方数百メートルで地中から姿を現した。

 太い二本の足で大地を踏みしめ、長い尻尾に丸っこい頭を持つ恐竜のような巨大生物。それがなにかの正体だったのだ。

「怪獣だ。あれがヴァリヤーグか!」

 叫び声をあげる怪獣を前に、才人は身構えた。たとえ武器がなくても、才人はもういっぱしの戦士だった。

 しかし、合点がいったとはやる才人に、ブリミルは冷静に告げた。

「違うよ。あれはただの怪獣だ。ヴァリヤーグじゃない」

「えっ? でも、今ヴァリヤーグを見れるって」

「そうさ。奴らが来た……だが、ヴァリヤーグは人でもエルフでも怪獣でもない。あれがそうさ!」

 ブリミルの指差した先、そこに才人はとうとうヴァリヤーグの正体を見た。

「あれは、なんだあの光は?」

 怪獣の周りを、なにか虹色に輝く小さなものが無数に飛んでいる。まるで虹色の蛍の大群のようなそれは、怪獣の体を取り巻いて渦巻き、その中で怪獣が苦しそうに叫び声をあげていた。

 あの光はいったいなんだ? 群がるブヨのように、まるで生きているような光の渦。あれがヴァリヤーグなのか。

 だがそのとき、才人はまたしてもデジャヴュを感じた。この光景、前にもどこかで……そうだ!

 思い出した。あれは、アボラス・バニラと戦ったときに垣間見た過去の世界で、ブリミルたちが戦っていた光景……あのときもブリミルたちは怪獣たちと戦い、その中であれと同じ虹色の光が現れた。デルフが光の悪魔と呼んでいたそれは怪獣たちに取り付いて……あのビジョンのとおりだとしたら、これは!

「怪獣が、変わる!」

 あのときと同じに、怪獣の肉体が変化していく。丸っこく温和そうだった頭に大きなとさか状の角が生えて、凶暴な顔つきに変わる。あれが、あれが……!

「あれが、ヴァリヤーグ!」

「そう、生き物に取り付いて悪魔に変える光の悪魔。あれのせいで、この世界は……そして、我々をしつこく追い回している敵さ」

 ブリミルの声に怒りが混じっていた。怪獣は、明らかにこちらに敵意を持った様子で近づいてくる。あんなのに襲われたら村はひとたまりもなく全滅だ。あの光が、この時代のハルケギニアをめちゃめちゃにした元凶だったのか?

「いったい何者なんですか。怪獣を凶暴化させて操るなんて」

「我々にもわからない。奴らはある日突然現れたんだ。しかし、我々がヴァリヤーグと名づけたあの光の悪魔が我々を始末したがっていることは事実。さあ戻っていたまえ、ここは我々が引き受ける」

「引き受けるって、相手は怪獣ですよ!」

「君の時代では、私は伝説の魔法使いなのだろう? まかせてくれ、僕らは決して負けはしない。サーシャ、行くぞ!」

「仕方ないわね。ならいつもどおり、ぐずぐずやったら後で容赦しないわよ!」

 ふたりに恐れはなかった。ブリミルが杖を持って魔法の呪文を唱えだし、サーシャが剣を抜いてブリミルの前に立つ。

 

”エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”

 

”怪獣相手に剣なんて。いや、それよりもこの呪文は”

 才人はブリミルの唱えだした呪文に覚えがあった。いや、忘れられるはずもない、ルイズが一番の得意とするあの魔法だ。しかし、あれは詠唱から発動までに相当な時間を必要とするはずだ。とてもそんな時間は……いや、これが虚無の戦い方だとすれば、主を守るために!

 そのとき、怪獣がこちらに向かって地面を蹴り上げた。大量の土砂が舞い上げられ、鋭く尖った矢のような岩が無数に飛んでくる。あんなものを食らったら全身ズタズタにされて即死だ! だが、サーシャは臆した様子もなく剣を握って立ち、向かってくる岩の群れを見据えたとき、その左手の甲が輝きだした。

「ガ、ガガ、ガンダールヴ!」

 見間違えようがなかった。自分の左手にあったものとまったく同じルーンがサーシャの手にもついている。つまり、この時代のガンダールヴはサーシャ……エルフだったのだ。

 サーシャはぐっとかがみこんでから、一気に三メートルほども跳び上がると、剣を振るってブリミルと才人に当たりそうな岩を狙って打ち落とした。

「す、すげえ!」

 才人は思わず見とれてしまった。宙を舞いながら剣を振るうサーシャの姿は美しく、かつすさまじく、金髪がなびく姿とあいまって夕日の中で木の葉を舞い上げる秋風のようだ。以前の自分をひいきめに言って疾風だとするなら、彼女はいわば太刀風、これがオリジナルのガンダールヴなのか。

 だが、いくらガンダールヴのサーシャがすさまじい剣の使い手だとしても相手は巨大な怪獣だ。斬りかかったところで勝ち目があるわけがない。だがそのとき、サーシャは口笛を吹き、剣を高く掲げて叫んだ。

「リドリアスーッ!」

 その叫びに応えて、飛んできたリドリアスが怪獣に体当たりを食らわせた。

 倒れる怪獣カオスドルバ。その隙に、サーシャはリドリアスの背に跳び上がり、リドリアスはサーシャを乗せて飛び立った。

「うぉっ!」

 風圧で吹っ飛ばされる才人。飛び上がったリドリアスは空中からカオスドルバを見下ろし、見下ろされるカオスドルバは怒ったような咆哮を空に向かってあげる。この後どうするのか、才人は固唾を呑んで見守っていると、サーシャはリドリアスの背で槍を持ち、それをカオスドルバの足元に向かって投げた。

 槍はカオスドルバの足元に刺さり、そこから大地が隆起して足元を突き倒す。

「せ、先住魔法だ」

 以前ビダーシャルが使っていたものと似ているが、こちらが元祖なのだろう。考えてみればエルフなのだから先住魔法が使えて当然なのだ。

「すげえ、ガンダールヴが魔法まで使えたら完全無欠じゃねえかよ」

 自分なんぞ及びもつかない、これが本物のガンダールヴなのかと才人は戦慄した。

 サーシャはリドリアスに指示をし、怪獣に挑発を繰り返して注意を引き続けている。おかげでブリミルは今のところはまったく安全だった。

 そういえば……と、才人はさらに記憶を呼び起こした。あのヴィジョンでは、ガンダールヴはこれと同じように怪獣たちと戦っていた。あの光景が、これの過去か未来かはわからないが、彼らはそれだけの戦いを生き延びてきたのだ。自分たちよりも、はるかに苛酷な戦いを……

 サーシャがリドリアスとともに時間を稼いでいるおかげで、ブリミルの詠唱も半分ほど進んだ。このままの調子で行けばブリミルは無事に魔法を完成させることができるだろう。才人は期待に胸を膨らませた。

 

 だが、リドリアスに翻弄されているかに見えたカオスドルバもまた武器を隠し持っていた。

 挑発のため、下降したリドリアス。それを待ち構えていたかのように、カオスドルバは口から火炎弾を吐き出して迎え撃ってきたのだ。

「危ないっ!」

 とっさに才人とサーシャが反応し、リドリアスは右に旋回して直撃を免れた。

 しかし、カオスドルバはこのときを待っていたとばかりに、スピードを落としたリドリアスに火炎弾を吐きかける。いくらリドリアスでもすぐにはトップスピードを出すことはできない上に、この時代のリドリアスはまだ若い。飛ぶ力も弱く、回避しようと必死に飛ぶが、ついに一発の火炎弾が直撃コースに乗った。当たる!

 息を呑む才人。しかし彼の見ている前で、リドリアスの背に乗るサーシャは勇敢にも剣を抜いて、向かってくる火炎弾に立ち向かっていった。

 一閃! サーシャの振りぬいた剣が空を切り、その風圧でもって火炎弾をも切り裂いた。だが、サーシャの身の丈の倍ほどもあった火炎弾は切り裂かれてもなお無数の灼熱の破片となって、リドリアスに降り注ぐ。致命傷ではないが、傷つけられたリドリアスは悲鳴をあげ、体から煙を吹いて落ちていく。

 そして、サーシャはリドリアスの背から振り落とされ、地上に真っ逆さまに落ちていくのを才人は見た。いけない! あのままでは数百メートルの高さからまともに地上に叩きつけられる。早く魔法を使って脱出するんだと才人は念じたが、サーシャは気を失っているのかぴくりとも動かない。なのに、ブリミルも詠唱をやめて助けようとはしない、なぜだ。

 だが、思わず駆け出そうとしたとき、才人は信じられないものを見た。落ちていくサーシャの手が高く伸ばされ、その手に掲げられた青い宝石からまばゆく美しい光がほとばしったのだ。

 

「コスモース!」

 

 青い光がサーシャを包み込み、一瞬くらんでつぶったまぶたを開いたとき、才人は大地に土煙をあげて降り立つ青い巨人を見た。

「あの、ウルトラマンは!」

 才人は覚えていた。忘れられるはずもなかった。あのリュティスの最終決戦で現れた青い光の巨人。

「ウルトラマン……コスモス」

 間違いない、絶対に。そして才人は今度こそ完全に、ここがハルケギニアの過去だと確信した。

 物覚えの悪い才人でもすべてを思い出した。あのとき、コスモスはかつてこの星を訪れたことがあったと語った。それが、この時代……そして、この時代でコスモスに選ばれた者こそが……

 

「シュゥワッ!」

 

 コスモスは墜落するリドリアスを受け止めると、優しく地面に横たわらせた。

 対して、凶暴に吼えるカオスドルバ。コスモスは立ち上がり、カオスドルバに向かって構える。

「シュワッ!」

 戦いが始まった。突進してくるカオスドルバを、コスモスはその勢いに無理に逆らうことなく受け流し、側面から掌底をかけてよろめかせる。

 逆襲に太い尻尾が迫ってきても、コスモスは受け止めるだけではなくて、体を回転させて、その勢いで相手を引き倒す。

 あの、パワーに頼らず、むしろ相手のパワーを利用して戦う合気道のような戦い方、やはり間違いない。拳を握らず、怪獣を傷つけないように戦うあのスタイル……覚えている。覚えている!

 コスモスはカオスドルバの胸を目掛けて連続して掌底を打ち込んだ。

「ヘヤッ! セイッ! エイヤァッ!」

 胸を連打され、カオスドルバはじりじりと後退させられた。拳を使っていないためにダメージはないものの、巨体がなすすべもなく動かされているという事実はカオスドルバのプライドをいたく傷つけた。

 カオスドルバ逆襲の頭突きがコスモスを襲う。カオス化により武器のように大型化した頭部の一撃は、さしものコスモスでも無傷で受けきれるものではない。

「ウワアッ!」

「コスモス!」

 まるでハンマーで頭をぶっ叩かれたようなものだろう。動きの止まったコスモスをカオスドルバの鋭い爪が生えた太い足が蹴り上げる。

 しかし、コスモスも見事なもので、吹っ飛ばされて間合いが空いたのを幸いにすぐに体勢を立て直した。

「ヘヤッ!」

「いいぞっ、さっすが」

 才人は思わずガッツポーズで歓声をあげた。コスモスは大丈夫だ、こんなことではなんてことはない。

 けれども、怒りに燃えるカオスドルバはさらに猛攻を仕掛けてくる。

 迎え撃つコスモス。爪を振りたてての攻撃を、腕と足ではさんで受け止め、鋭いチョップで相手の姿勢を崩しにかかる。そこへ背中を狙ったルナ・キックの一撃が決まる! だがこれも攻撃を狙ったものではなく、相手の姿勢を崩して転倒させることを狙ったものだ。

 怪獣は、その攻撃的な性質ゆえに重心の高いものが多い。つまり武器を多く持った怪獣ほど体が重くなり、不安定になる。ましてカオスドルバは頭部が大型化しただけに元のドルバのバランスが崩れている。例えるなら、慣れない人に鎧兜を着せてもすぐよろけてしまうのと同じ。

『パームパンチ!』

 コスモスの掌底を使ったパンチがカオスドルバを打つ。一撃は軽いが怒涛のような連打が注ぎ込まれ、カオスドルバは押されていく。ムキになったカオスドルバが闇雲に反撃に出ても、コスモスは二度は同じ手を食わず、余裕を持ってかわし、さらにはジャンプしてカオスドルバの頭上を飛び越えて背後に出る。

「イヤッ!」

 尻尾を掴んで振り回し、さらに相手が振り向いてきたところで投げ技『ルナ・ホイッパー』をかけて再び転がせた。

 これら一連の取り回しで、すでにカオスドルバはフラフラだ。けれども、カオスドルバの肉体的ダメージはほとんどないといっていい。痛めつけるのではなく、相手の力を受け流して疲れるのを待ち、傷つけることなく取り押さえるのがコスモスの戦い方なのだ。

「すごいな。おれにも、おれにもあんな戦いができたら」

 人間の視点で見て、あらためて才人は目からウロコが落ちる思いを感じていた。

 怪獣を倒さず無力化する、命を大切にするあの戦い方は自分たちも含めてほかのウルトラマンにはできない芸当だ。力で悪を倒すことは極論すれば誰にでもできる。しかし怪獣も命ある生き物には違いなく、その命を正義のためだからといって奪ってよいことはない。そもそも、敵を排除することでしか守れない正義とはなんだろうか?

 才人は、そのひとつの答えを見せてもらった気がした。優しさから始まる強さ……

 

 コスモスの動きに翻弄されて、カオスドルバの動きは目に見えて鈍っていた。元々、そんなに戦いが得意な怪獣ではなかったのだろう。そんな怪獣を無理矢理凶悪な姿に変えるとはと、才人は怒りを覚えた。

「がんばれーっ、ウルトラマンコスモース!」

 才人は、ただウルトラマンにあこがれていた子供の頃に戻って応援した。

 胸に、ワクワクとドキドキが蘇ってくる。負けるな、がんばれ、ウルトラマンは、ウルトラマンは絶対に負けない。

 コスモスは、才人の応援が聞こえたのか、少し彼のほうを振り向いた。そして、少しのあいだ才人を見つめていたが、彼の純粋な眼差しに応えるように静かにうなずくと、再びカオスドルバに相対した。

「シュゥワッ」

 だが、カオスドルバもまだ負けたつもりはなかった。起き上がり様の突進と見せかけたフェイントで、口から吐く火炎弾をぶっつけてきたのだ。

「ヌワァッ!」

「汚ねえ! だまし討ちなんてずるいぞ」

 ダメージを受けてのけぞるコスモスを見て、才人は思わず憤って叫んだ。

 火炎弾をカウンターの形で浴びてしまったコスモスは体勢を崩し、カオスドルバは追い討ちの火炎弾を次々と吐き出してきた。コスモスは爆発に包まれながら耐えている。まるで噴火口の中にいるようだ。

 だがそのとき、才人の耳に虚無の呪文の最後の一小節が響いた。

 

”ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……”

 

 ブリミルは杖を振り下ろし、虚無は完成した。

 白い光がカオスドルバの眼前で膨らみ、巨大な爆発となってカオスドルバを飲み込んだ。

「うわっ!」

 爆風に襲われて、才人は小石のように転がって腰や尻を打ってしまった。

 怪獣との距離はかなりあったはずなのに、これだけの余波を食ってしまうとはすごい威力だ。だが、顔を上げた才人は意外なことに、爆発を至近で浴びたはずの怪獣がほとんどダメージを負ったようには見えないことに気づいた。

「えっ? おかしいな。ルイズがエクスプロージョンを使ったときは、怪獣に致命傷を負わせたはずなのに」

 オリジナルの虚無がそんな程度のはずはないと才人はいぶかしむ。

 しかし、彼の疑問はすぐに目に見える形で答えが示された。エクスプロージョンを受けたカオスドルバの体がブルブルと震えだし、体からあの光の粒子が漏れ出しているように見える。

「もしかして、怪獣の体の中のヴァリヤーグだけ攻撃したんですか! ブリミルさん」

 まさか! と思って才人はブリミルに向かって叫んだ。エクスプロージョンの性質を考えればありえない話ではないが、そんな精密なことが可能なのか?

 するとブリミルは、ふぅと軽く息をついてから才人に笑顔を向けた。

「よくわかったね。そのとおり、あの怪獣は操られているだけだ。だから私は、あいつの体内に潜り込んだヴァリヤーグのみに魔法を浴びせたんだ。しかし、つい先日まではこれでヴァリヤーグを倒せていたんだが、奴はしだいに私の魔法に対して強くなっていった。だがまだこれくらいの効き目はある! さあ、後はまかせるよ」

 そう言うとブリミルは、信頼を込めた眼差しでコスモスを見上げた。

 コスモスも、ブリミルの援護で力を取り戻し、再びカオスドルバの前に立って構える。

 

 けれど……と、才人は思った。始祖ブリミルの魔法を持ってしてもなお倒しきれない、あの光の悪魔はいったい何者なのだろうか?

 現代で、エルフの間に残されていた伝承からも、あの光の悪魔が大厄災の一因だったのは確かだ。そして伝承のとおりなら、あの光の悪魔は今後もブリミルたちを苦しめ続け、一度世界は完全に滅亡する。それは、現代のコスモスも言っていたことでほぼ間違いない。

 六千年の時を超えてなお途切れない戦いの因果。その始まりこそがこの時代、ならばこの戦い、片時も目を離すわけにはいかない。

 

 才人はあらためて怪獣を見上げた。しかし、結論から言えばすでに勝敗は決していた。ブリミルのエクスプロージョンは、怪獣と取り付いているヴァリヤーグのつながりに確実なダメージを与え、いわば糸のほつれたマリオネットにも似た状態に陥れていたのだ。

 痛々しく、すでにカオスドルバはフラフラだ。しかし、ドルバに取り付いたものによってなおも戦いを挑んでこようとしている。なぜだ? なぜそこまで戦わせようとする? ヤプールのように侵略を企んでいるのか? 才人は、いくら怪獣とはいえ命を弄ぶような行為に腹立たしさを覚えた。

 コスモスは構えをとったまま仕掛けようとはしない。もう、カオスドルバの余力はほとんどないことを知っているからだ。

 だが、カオスドルバは残ったエネルギーを集めて火炎弾をコスモスに放ってきた。

「危ない!」

 火炎弾はまっすぐに進んでコスモスを襲う。しかしコスモスはその攻撃を避けずに体で受け止め、エネルギーごとはじき返した。

「セアッ!」

 火炎弾のエネルギーは粉々になって飛び散り、コスモスにダメージはない。

 そして、今度こそカオスドルバの余力は尽きた。

 もう、いいだろう……コスモスは光のエネルギーを集め、伸ばした右手のひらからカオスドルバに向けて送り込んだ。

 

『ルナ・エキストラクト』

 

 優しい光を放つ光線がカオスドルバに吸い込まれ、光の粒子が追い出されるように空に散っていく。

 そして、その身を操っていた元凶が消滅したことで、カオスドルバも鋭角化していた体つきが元に戻っていく。やがて、戦う意味がなくなって、疲れきったドルバは礼を言うようにコスモスに頭を下げると、眠そうな様子で地底へと帰っていった。

 戦いは終わった。怪獣を死なさずに、コスモスは皆の命も同時に守りきったのだ。

「やった、やったぜコスモス!」

 才人は子供のように喜び、歓声をあげた。

 怪獣を倒すのではなく、命を救って帰すことにこれだけの充実感を得られるなんて。守るための戦いには、必ずしも力だけが必要じゃないということを才人は改めて学んだ気がした。

「シュアッ!」

 ドルバが帰っていくのを見届けたコスモスは変身を解いた。丘の上のコスモスがいた場所に、髪をはらってサーシャの姿が現れ、才人は思わず駆け寄っていった。

「すごかったです。まさかサーシャさんがウルトラマンだったなんて、おれ感激しちゃいました」

「あ、ありがと、あなたこそ怪我はなかった?」

「はい! このとおりピンピンしてます」

 興奮して話す才人に、サーシャは少しひいた様子だったが、それでもすぐに明るい笑顔を見せて言った。

「あなたって変わった人ね。けど、悪い気はしないわね。あっそうだ、それはともかくとして……っ!」

 突然サーシャは鋭い目つきになった。眉間にしわがより、凶悪とさえいえる顔つきになる。

 才人が思わず、ひっとあとずさってしまうほど怖くって、どうしたんだろうと思っていたら、そこへブリミルがとことこと駆けて来て。そして……

「や、やあやあやあ、ご苦労様だったねサーシャ。今日も見事だったね、リドリアスも無事みたいだし、ヴァリヤーグもしばらくはやってこないだろ、う?」

「この、蛮人がーーーーっ!」

 サウンドギラーも真っ青な大声がサーシャの喉から放たれ、次いでブリミルのこめかみあたりにすさまじい速さの右回し蹴りがクリーンヒットした。

「ぐばはっ!」

 丸太のようにブリミルは転がり、すたすたと歩み寄ったサーシャはその頭を思いっきり踏みつけた。

「遅いのよあんたの魔法はいつも! 威力があるのはたいへんけっこうなことでしょうけど、どうしてイライラするくらい長い詠唱をつけて作るわけ? 今日という今日は我慢できないわ。リドリアスはケガしちゃったし、毎回フォローする私たちの身にもなりなさいよ」

「い、いやそれは。高度な効果を発揮するためには、やはり時間をかけて練り上げなきゃならないんだよ。それにさ、君たちを信頼しているからこそ、僕はあえて確実に魔法を使いたいわけで」

「何十回も聞いたわよそのセリフ! だいたいその魔法の開発にだって、記憶を消してみる魔法ができたからかけさせてくれだの遠くへ行く扉を作れるようになったから潜ってくれだの、実験台は全部私じゃない。あんたのせいで私がこれまでどれだけ苦労してきたかわかってるの? ええ?」

「ご、ごめんなさい。けど、ほかに頼める人がいないから仕方なく……」

「聞き飽きたわよ、その「仕方なく」は! なにより、そのご立派な魔法に頼りすぎて、大変なことになりかけたのを危うくコスモスに助けられたあのときのこと、忘れたとは言わさないわ。この蛮人! いえ、あんたなんか蛮人以下のムシケラよこのーっ!」

「ぶぺらっ!」

 サッカーボールのように蹴り上げられたブリミルが、そのまま地面に叩きつけられてボロ雑巾のようになるのを才人は呆然と眺めていた。

 いやあ、これが初代の虚無の使い手とガンダールヴ。まるっきり、自分とルイズの関係そのまんまだな、立場は正反対だけど……

 才人は、荒い息をついて怒っているサーシャを見ながら、やれやれとため息をついた。

 始祖ブリミル、伝説上の聖人がどんな人かと思っていたが、実際見てみるとなんのことはない普通のお兄さんだった。それが、たぶんこの後も長い戦いを経て伝説と呼ばれるにふさわしい業績をあげていくのだろう。

 才人はおそらく、自分がこの時代に飛ばされてきたことは偶然じゃないと感じた。教皇は無差別に飛ばしたと言っていたが、もしかして虚無の魔法の教皇でさえ知らない秘密のなにかか、自分をここに導いてくれたのかもしれないと。

”もしそうだとすれば、おれはこの時代でやらなきゃならないことがあるんだ。そして、いつか必ず帰れるときがやってくる”

 現代の世界の混乱はすべて、この大厄災の時代から始まっている。その因果を断ち切るには、考えてみたらこの時代に直接訪れること以上に真実に近づく方法はない。才人は行くあてもなく途方に暮れていた前途に、大きな光明を見た気がした。

「ブリミルさん!」

「うわっ! えっ! なな、なんだい?」

「もっとここのこと教えてください。おれも今日から一生懸命働きますから、どうかよろしくお願いします」

「う、うん、わかったよ」

 目を白黒させているブリミルの、これからの人生が平坦なものではないことは歴史が証明していた。そこに飛び込んだ自分がなにを知り、なにを為すべきなのか、すべてはこれからであった。さらに未来人を加えて、歴史が狂いはしないのか、一抹の不安はあるが、才人は気楽に思うことにした。

”おれがこの時代で体験した経験が、きっと未来を救うことになる。だからみんな、待っていてくれ。きっとおれは帰るから。そしてルイズ、お前はどこにいっちまったんだ……けど、死ぬなよ。生きていれば、いつかきっとまた会えるから”

 ブリミルの足首を捕まえて、ズルズルとひきづっていくサーシャを追って才人は駆け出した。

「あんたは今日から、私の子分その一ね。仕事は山ほどあるから、覚悟なさいよ」

「はい!」

 才人は力強く答え、将来ハルケギニアと呼ばれるようになる大地の上を駆けた。

 

 

 続く



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第21話  無能王、英雄王

 第21話

 無能王、英雄王

 

 破滅魔虫 カイザードビシ 登場!

 

 

 空を闇が包んでいる。それは人類滅亡の前触れなのであろうか……

 才人とルイズが教皇によって消され、ロマリアで聖戦の布告がなされた悪夢の日からいくばくか。物語は舞台を再び現代のハルケギニアへと戻して進む。

 

 

 ロマリアを起点として、ハルケギニア全土へと広がった昆虫の雲は、もうひとつの陰謀の中心であるガリア王国へも当然のように到達していた。

 分厚い黒雲が空を覆いつくし、時間は正午だというのに深夜のように暗い。大国ガリアの首都リュティスは、その繁栄を象徴して、数万の市民たちによって喧騒の絶えない音と楽の都であるはずなのに、今のリュティスにあるのは無と恐であった。

 人々は息を潜めて家に篭り、街の店々は固く戸を閉めて開かない。

 最初、リュティスの人々は事態を深刻には捉えなかった。突如、空が闇に包まれても、珍しいこともあるものだとくらいしか思わなかった。しかし、黒雲を調査に向かった竜騎士が子供の背丈ほどもある巨大な昆虫に襲われて街中に墜落し、次いで黒雲から数十匹の昆虫が街に舞い降りてきて人々を襲うと、街の人間たちも太陽の光をさえぎる雲がおぞましい虫の大群だと知って、戦慄した。

 だがそれでも、リュティスの人たちは、自分が大国ガリアの首都に住んでいるのだからという自信からなおも楽観していたが、虫の退治に向かった空軍の魔法騎士がその度に全滅し、朝の来ない日が二日、三日と続くごとに、しだいに不安に負けるようになり、今ではすっかり、その恐怖に縮こまってしまっていた。

 唯一、ヴェルサルテイル宮殿の前でだけは、事態の解決を要求する市民たちが押しかけて騒動となっているが、王宮警護隊に阻まれて、そこで押しとどめられている。まだ流血騒ぎになっていないのが奇跡的なありさまだった。

 また、そのヴェルサルテイル宮殿にしても常の華やかさは失われている。使用人たちはもとより、貴族たちは屋敷にこもって出てこないか、大臣たちと実にもならない会議に時間を費やすばかりである。すでに、ガリアを捨てて逃げ出す貴族も少なからず現れていた。逃げ場など、どこにもないのであるが……

 

 

 今や、リュティスにあって常と変わらないのは、よほど豪胆なものか、よほど阿呆なもののどちらかに限られるようになっていた。

 いや……ただひとり、これらの光景を眺めながら愉悦の表情を浮かべている人間が一人いた。誰あろう、ガリアの王である。

「フフ、子供の頃から眺めてきたリュティスの街よ。強欲と虚飾の支配するこの街も、意外にしおらしい顔があったものだなあ」

 ジョゼフは、グラン・トロワのテラスから、街と宮殿を見下ろしながらワイングラスを傾けていた。

 彼が落ち着いている理由はふたつある。ひとつはむろん、この事態の当事者のひとりがほかならぬジョゼフだからである。

 そしてもうひとつは、彼にとってリュティスも宮殿も、さらにはガリアやハルケギニアそのものすらどうでもいい存在だからだ。昔は、ジョゼフもガリアやこのリュティスの街が好きだった頃もあった。しかし、今は違う。

「子供の頃、宮殿を抜け出してふたりで城下へ遊びに出かけたのを思い出すなあシャルルよ。思えば、あのころは俺の人生で一番満ち足りていた頃だった。どんなにバカをやっても説教と形ばかりの懺悔で許された。俺たち兄弟ふたりで、どんなことでもできると思っていたなあ」

 懐かしそうにジョゼフは独語していた。

「だが、楽しい時代はあっという間だったな。すぐにふたりともやんちゃ坊主ではいられなくなり、俺はろくな魔法も使えない無能で、お前はまれに見る天才だと、俺たちは真っ二つに分けられた。おれはひがんでそねて、歪んでいったよ。けれども、思えばひがんですねてられるだけ俺は幸せだったんだ。お前が死んでしまったら、もう思い出の街並みも箱庭のようなものだ」

 今は亡き弟に語りかけるようにジョゼフはつぶやき、感情のない目でリュティスを見渡した。そこには、幼い日の思い出にいくら胸を焦がしても、決して戻ることはかなわないという虚無感が浮かんでいる。自分はもう、決して取り戻すことのできないものを失ってしまった。ならば、その入れ物だけ残していてもなんの価値があるだろう。

 少し離れたテーブルの上には、貴族や市民からの、この事態をなんとかしてほしいという嘆願書が山と積まれているが、ジョゼフはその一枚にも目を通してはいない。最初からやる気がないのと、第一それらは無能な大臣たちが責任を押し付けようとこちらにまわして来た物だ、無能王なら失敗しても当然だからどうとでもなるというわけだろう。笑う気にもなれない。

 それでもジョゼフが王の座から引き摺り下ろされないのは、単に代わりがいないからに他ならない。ジョゼフが王位につくときに敵対する貴族は粛清され、王位の継承権のある人間はジョゼフの娘のイザベラしかおらず、ジョゼフに換えてイザベラをなどと考える人間は皆無である。タバサことシャルロットを担ごうとするオルレアン派は権力から遠い少数派に過ぎない。

 誰からも好かれない無能王だが、いなければ国がつぶれるので仕方なくいてもらっている。ジョゼフはそのことを十分に自覚しており、それを最大限に利用してやるつもりでいた。そのためなら、無能と蔑まれようが痛くもかゆくもない。

 無能王の仮面の下の悪意に、彼をあなどるガリアの人間は気づかない。気づいているのは、彼の悪意を利用しようとするロマリアの人外の者たちだけで、彼らの野望はまだジョゼフを必要とし、ここに使者を送り込んでいた。

 それは、ジョゼフを居丈高な美丈夫とするなら、対してすらりとした美少年であり、その双眼にはオッドアイが光っていた。今や教皇とジョゼフのパイプ役を担うジュリオの人を食った笑顔が、部屋の奥からテラスのジョゼフを見ていたのだ。

「ご機嫌ですね。人の不幸を喜ぶのは、あまりいい趣味とは言えないと世間では言いますよ。リュティスの市民も気の毒ですねえ」

「ふっははは、その不幸を作り出した張本人がよく言うわ。これ以上白々しい文句は他にあるまいな。それに、余は市民の不幸など喜んではいないぞ。使い飽きた玩具を捨てられるのでほっとしているだけだ」

 ジョゼフはジュリオのまるで人事のような態度に愉快そうに笑った。

 しかし、ジョゼフとジュリオの互いを見る目は少しも笑ってはいない。互いに相手を利用する存在としては認めても、信頼関係などは生まれるはずもないことを最初から承知しているからだ。

 それゆえか、ジョゼフはジュリオから眼を離すと、まるで最初からそこに誰もいなかったように虚空に話し続けた。

「シャルル、俺と血を分けたのになにもかもが似ていなかった弟よ。俺はなんのために生まれてきたのだろうな? 俺が生まれず、お前だけ生まれていたら、今頃ガリアはまれに見る名君をいただいて大いに繁栄していたろうに。そんな弟を持った兄の俺は本当に大変だったんだぞ。だがそれでもよかった。俺はお前を一度でも見返して、悔しがらせてやることだけを思ってあの頃を生きてきた。しかし、それが絶対にかなわないとなった今、俺にできるお前へのはなむけは、お前の愛したこの世界を壊しつくすことだけじゃないか。どうだ? あの世とやらで、少しは怒ってくれているかな」

 人はひとりでいるときにもっとも多弁になるというが、ジョゼフもそうした面では人間らしかった。ただし、同席しているジュリオを人間と見なしていないという意味と、独語する内容はもっとも非人道性に値しているが、相対する相手はそもそも人間ではない。

「先の両用艦隊とロマリア軍の戦いで何人が弟さんのところに行かれたんでしょうねえ? 地獄の特等席はあなたの予約でいっぱいでしょう」

「なるほど、それは我ながら善行を積んだものだな。これで本来地獄行きになるはずだった悪人が救われることになる。いったい何百何千人の盗賊や詐欺師が余に感謝してくれるのか、むずがゆいものよ」

 ロマリアの陰謀に加担し、両用艦隊をロマリアに攻め入らせたことに後悔はない。無能王という蔑称はあくまで他人が勝手に呼んでいるだけで、ジョゼフは自分のやることがどのような結果を招くのかを想像できない暗愚の器どころか、世界をゲーム盤に見立てて遊ぶような悪魔的な頭脳を持っている。

「お前たちと組んだことを、余は今のところは正解だと思っている。このまま日が差さなければ作物は腐り、民は飢えで遠からず死に絶えることになるだろう。たいした力を持っていると、褒めてやってもいい。しかし、どうにも地味で退屈だな。余としては、やはり英雄譚のように派手に血みどろなほうがよい」

「できますとも、陛下にご承認いただければ、血沸き肉踊る最高の活劇が幕を開くでしょう。どうです? エルフを相手に世界の覇権を争ってみるつもりはありませんか」

「うわっはっはっはは! 馬鹿め、最初から誰にも勝たすつもりもないくせによく言うわ。お前たちに比べたら、余は公明正大な善君だとよくわかる。だがまあいい、余と対局できる相手も絶えて久しい。勝ち目のないゲームで世界を道連れにするのもまた一興かもしれん」

「では、陛下」

「うむ、ガリア王国はロマリアの要請に応じて聖戦に全力で参戦する。ふはは、日ごろ始祖への信仰を口やかましく唱える貴族どもは教皇様の勅命には逆らえん。自分で言い出したお題目どおりに死地に赴けるなら本望だろう」

 ジョゼフは何十万人という命を奪う決定をしたというのに、まるで夜店でくじを当てた子供のようにうれしそうにわらった。あの日、ロマリアで起きた天使の奇跡と聖戦の開始はガリアにもすでに届いていた。それは両用艦隊がロマリアに攻め入った件を、司令官の反逆という形で対内的にはやっとおさめたばかりの大臣たちを愕然とさせるに充分なものだったが、大臣たちが二の足を踏んでいるうちに、ジョゼフは何のためらいもなく決めてしまったのだ。

 こうなってしまったら、聖戦に反対する者は異端者として罰せられる。ジュリオは満足というふうに、うやうやしく頭を垂れた。

「ご英断に感謝します。陛下のように理解あるお方がおられたことは我々にとってたいへんな幸福です。もうあと短いことと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします」

「なに、お前たちには借りがある。始祖の円鏡か、なかなか使えそうなおもちゃよな」

 そう言うとジョゼフはテーブルの上に目をやった。そこには、乱雑に積まれた書類に混じって古ぼけた小さな鏡が置いてあった。だが、一見すると町の古道具屋にでも行けば二束三文で手に入りそうなこの鏡こそ、始祖の祈祷書と同じ始祖の四つの秘宝のひとつであり、ロマリアに伝わっているものであった。

「それはお譲りします。わたくしどもにはすでに不要なものですが、陛下のお役になら立てるでしょう」

「フ、お前たちには虚無の力などは、大衆をその気にさせる奇跡だけ演出できればいいのだからな。だが、余がこれでさらなる強力な虚無を身につけて、お前たちをもつぶしにかかったらどうする?」

 教皇たちは、ジョゼフが虚無の担い手であることをかなり前から知っていた。別に見せびらかしてきたつもりはないが、何百年も前から虚無を研究してきたロマリアのこと、虚無の系統は始祖の血統から現れるという伝承を頼りに、その可能性のある人間をマークし続けていたのだろう。

 もっとも、ジョゼフには秘密にするつもりは毛頭なかった。火竜山脈でメルバを復活させるためにエクスプロージョンを使ったときでも、おもしろそうなおもちゃをひとつ手に入れたくらいの感覚しかない。むろん、虚無の担い手の使命感などは欠片もない。

 そのことをジョゼフが強調すると、ジュリオは予定していたように笑いながら答えた。

「そのときは、我々も真の力をお見せいたしましょう。まあ当面は、我々の利害は一致しております。血迷ってロマリアに攻め込んだ狂王ジョゼフは実はエルフに操られていましたが、教皇聖下は寛大なる慈悲の心でこれをお許しになられました。そして改心したジョゼフ王は教皇聖下の素晴らしき友人としてともにエルフと戦う。よいシナリオでしょう? ぜひ共演願いますよ」

 ジョゼフは失笑を抑えきれずに、くっくと喉を鳴らした。

 国民からロマリアに弓引いた悪王と、大臣たちの必死のもみ消しも空しく過去最悪の評判のジョゼフだが、国民の支持を取り戻す方法はたやすい。リュティスの中で適当に怪獣を暴れさせ、それをジョゼフがエクスプロージョンなりを使って倒す芝居をする。そしてそれをロマリアが虚無の系統だと認定して褒め称えれば、凶王一転して英雄王の誕生だ。

 笑える笑える。あまりに簡単すぎて笑うしかない。ほんの一時間ほども道化を演じれば、無能王ジョゼフはガリアの歴史に燦然と輝く名君になれる。努力? 才能? なんの必要もありはしない。

「ああ、確かにいいシナリオだ。大衆というやつは、こういう単純な美談が大好きだからな。そして、我がガリアが動けばゲルマニアや、トリステインも黙ってはいられない。さて、ゲルマニアの野蛮人やトリステインの小娘はどう出るか? 確かに見ものではあるな。教皇聖下には、ジョゼフが友情を誓っていたと伝えてくれたまえ」

 そう言ってジョゼフはジュリオを下がらせた。後には、また人気のなくなった部屋が茫漠と広がっている。

 恐らく、もうジュリオはこの城のどこにもいないだろう。ジョゼフは、教皇たちの持つ魔法ならざる異世界由来の力を別に恐れてはいなかった。この世には、思い通りにならないことやわからないことが山のようにある。いちいち驚いているのも面倒くさいことだ。それに、大事なのは力の意味や質ではない、それをどう利用するかにある。

 そう、ゲームは手駒がなければはじまらない。それも優秀なものが必要だ。多少腕に自信があったところでキングだけで勝てるチェスなど存在しない。ポーンはしょせん捨て駒、ビショップやルークは優秀だが派手好みのジョゼフの趣味からすれば地味だ。ならば、縦横に動いてキングの望みをかなえるクイーンがなくては話にならないだろう。

 ジョゼフは呼び鈴を鳴らした。使用人の待機する部屋の扉が開き、黒い髪の女性が入ってくる。

「お呼びですかジョゼフ様」

「話は聞いていたろう。ロマリアの奴らめ、余を絞りつくせるだけ利用するつもりのようだぞ。はは、プレゼントまでくれおったわ。どうやらもう勝ったつもりでいるようだが、ゲームとは不利なときからはじめるほうが楽しいものよ。お前も連中には借りを返したかろう? ともに逆転の秘策を練ろうではないか」

 楽しげにジョゼフが話しかけると、女は顔を上げてジョゼフを見返した。

 シェフィールドであった。

 しかし、その顔は左ほほに引きつったような火傷の痕が残り、心なしか左足をかばっているように見える。それは、あのガリア・ロマリア間の戦争の際、才人たちのメーサー車の爆発で受けた傷であった。

「私は、すべてジョゼフ様のお心のままに」

「ミューズよ、傷はまだ癒えぬか?」

 沈んだ様子で答えたシェフィールドに、ジョゼフは短く問いかけた。その言葉には、相手を思いやる愛情が込められているわけでもなく、ただイエスかノーかを問うそっけなさだけがあるようなものだったが、身を案ぜられたシェフィールドは、喉になにかが詰まったような声で、苦しげに口を開いた。

「なぜで、ございますか?」

「なぜ、とは?」

「なぜ、私を生かしたのでございますか? 私はあのとき、トリステインの虚無に敗れて死ぬはずでした。あの炎の熱さ、皮の焼けていく感覚はしっかりと覚えています。事実、私は今日まで死線をさまよっていました。ジョゼフさまのご期待に応えることができなかった負け犬の私めに、なぜでございますか!」

 シェフィールドは一気にまくしたてた。

 事実、彼女はあの戦いの最後に、確実に死んでいたはずであった。それを救ったのは、驚くべきことにジョゼフだった。

「ふむ、なぜかと問われたら一応答えねばならんか。とりあえず、新しく覚えた魔法を使ってみたかったからかな。始祖の円鏡が教えてくれた、『テレポート』か。いろいろ役立ちそうな魔法だ」

 そう、ジョゼフは『テレポート』を使い、焼死寸前のシェフィールドを救い出していたのだ。ただし、ルイズの使った『テレポート』と魔法は同じであるものの、跳ぶ距離がルイズの場合は見える範囲がせいぜいだったのに対して、ジョゼフはガリアから一気にロマリアへとケタが違う。また、再びガリアへと瞬時に戻ったことでルイズたちに存在をまったく気取られなかったことも含めると、ジョゼフの才覚はルイズのそれを大きく凌駕していた。

 しかし、無傷ですんだわけではない。ほんの一瞬でも灼熱地獄に身をさらしたことは、ジョゼフの身にも少なからぬ痛みを強いていた。魔法薬で治療してはいるものの、ジョゼフの体のあちこちにはまだ水ぶくれや腫れが残っており、痛みもかなり残っているはずだ。

「ご期待に添えられないばかりか仕えるべき主人に助けられるなど、私は役立たずの能無しでございます。いかなる罰をもお与えください」

「ううむ、そうは言ってもな。正直、罰といっても何も思いつかんのだよ。余は命じた、お前はしくじった、ただそれだけのことではないか」

「お怒りではないのですか?」

「怒る? 俺がか? そういえば三年ほど、怒った覚えがないなあ。もっとも、怒れるほど余が感情豊かであれば、世界を灰にしようなどとは思うまいが」

 ジョゼフは自嘲げに言った。普通の人間なら持っていて当たり前なものを失ってしまい、それでも狂うことも壊れることもできない、心に大きな虚無を抱えた人間のあがきを自分自身であざ笑う。そんな笑いだった。

「では、なぜお怪我を負ってまで私をお救いになられたのですか? 私のような非才の身、代わりを見繕われたほうがよろしくありましょうに」

「ほほう、お前でもそこまで落ち込むことがあるのだな。うらやましい限りだ。もう一度正直に言うが、余はお前を怒ってなどおらん。代わりをなどと言われても、次がお前より優秀である保証もないしな。なによりめんどうくさい」

 言葉を飾っている様子はなく、シェフィールドはジョゼフの言葉がすべて本音だと呑み込むしかなかった。

 要するに、自分はジョゼフにとって適当な駒であり、ゲームの上で必要であるから助けられた。一心に忠誠を尽くしても、人格はどうでもよくて求められるのは能力のみ、それだけの価値なのだと、悲しげに目を伏せた。

 だが、ジョゼフはそんなシェフィールドの葛藤に気づく様子は見せないが、彼女に驚くことを告げた。

「だがまあ、そんなことよりも、余はお前に頼みたい仕事がある。お前にしか頼めないことだ」

「は……」

「これまでどおり余に仕えよ。そして、余よりも長生きしろ」

「は、えっ……?」

 シェフィールドは意味がわからなかった。ジョゼフの言葉を何度反芻しても理解できず、思わず呆けた顔になってしまう。

 するとジョゼフは、くっくといたずらを成功させた子供のように笑った。

「神の頭脳の異名のお前も意外と頭が固いものだな。簡単なことだ。余がこれからなにをどうするにせよ、勝とうが負けようが余はあと一年も生きてはいまい。しかし、その果てに余がどんな形で最期を迎えるかは問題だ。世界最悪の大罪人として後悔と絶望の中で死ぬのか、それともほかのなにかか……興味は尽きぬが、どんな形になるにせよ、それを見届ける役が必要だ。お前は余の死に目に立ち会って、余がどんなふうに死んでいくのかを余に教えろ。そして、いずれあの世とやらでまとめて聞かせろ……そのために、一分、一秒でも長く余より生きて見届けるのだ。どうだ? お前にしか頼めないことだ」

「はい……はい、ジョゼフ様」

 シェフィールドは涙声になっていた。失敗を重ねて、自己の存在価値をすらなくしかけていたのに、それどころか主人の残りの人生にすべてを捧げろと言ってもらえたのだ。

「これに勝る光栄はありません。ジョゼフ様」

 

 と、そのときであった。彼らのいるグラン・トロワの床が揺れ、次いで街の方向に火の手が上がるのが見えた。

 

「ジョゼフ様、あれを」

「ほう、なるほど仕事の早いことだ。奴らめ、本格的にガリアを道具にするつもりらしいな」

 ジョゼフはあざけるように言った。

「怪獣だ」

 街では、巨大な一つ目を持つ甲虫のような怪獣が暴れていた。片腕が鎌になっており、それで建物を破壊し、さらに家々を踏み潰しながら、またたくまに街の一角を火の海に染めている。

 しかも一匹だけではない。同じ姿をした怪獣がさらに二匹、計三匹で街を蹂躙していた。

「ロマリアの連中のしわざでしょうか?」

「ほかに誰がいる? 教皇め、確かに協力するとは言ったが気の早いことだ。せっかくの酒がこぼれてしまったわ」

 他人事のように、迷惑げにジョゼフはつぶやいた。

 空気を震わせて、およそ数十リーグはあるかなたから怪獣の暴れる振動が伝わってきてジョゼフとシェフィールドの顔をしびれさせる。

 ガラス窓が震え、テーブルの上に置いてあったワイングラスが床に落ちて赤い水溜りを作っていた。このワインは、産地がオークに襲撃されて全滅したために、今ではもう手に入らない逸品ものの最後だったのに、もったいないことだ。

「代わりを持て」

 つまらなさそうにジョゼフは命じた。すぐさまシェフィールドが走るのを横目で見て、ジョゼフはテラスの手すりに大柄な体を寄りかからせた。

 眺める先では、三匹のグロテスクな容貌を持つ怪獣が彼の国の街を破壊している。普通なら、自分の国が壊されていくのを目の当たりにした王は激昂するものなのだろうが、ジョゼフの心にはなんの機微もない。

 人間の街というものはよく燃えるものだ、と、ジョゼフは妙な感心をした。あの炎の下では、何十か何百かの人間が悲鳴をあげてのたうっているはずだが、そんなものは数十リーグのかなたまでは届かない。もっとも、届いたとしてもジョゼフはうるさいという感想以外は抱かないであろうことだけは確かといえるが。

 そうそう、うるさいといえば大臣の一人が血相を変えて飛び込んできたが、ジョゼフは適当に手のひらを振って追い返した。わめいていた内容は聞かずともわかるので一字たりとも耳孔の通過を許可していない。

 そうこうしているうちにシェフィールドが新しいワインを用意してやってきて、ジョゼフは乾いていた喉をうるおすと、再び燃えている街に目をやった。

「見てみろ、我がリュティスの街が稚児のたわむれに使う積み木のようだ。いやはや、なかなかの破壊力であるな。しかし、なんとも醜い姿ではないか。あれがこの世でもっとも尊く美々しい教皇陛下の僕だとは、まったく世も末じゃないか」

「なかなかの破壊力でありますね。ですが、あれほどの数の怪獣をどこから呼び出してきたのでしょう?」

 シェフィールドの疑問は案外すぐに解決することになった。暴れる三匹の怪獣を食い止めようと、やっと出動してきた竜騎士隊の姿が認められたとき、空を覆っている黒雲から数千、数万匹の虫の群れが舞い降りてきたかと思うと、それが合体して同じ怪獣になってしまったのだ。その数二匹、合計して五匹。

「なるほど、あの雲は太陽をさえぎる以外にも使えるのか。おお、さっそく意気込んで出て行った竜騎士どもが蹴散らされているぞ。簡単に作り出せる割にはなかなか強力な怪獣じゃないか」

「ですね。チャリジャが残していった、我々の残りの手駒の中で、あれより強力なものはありますが、もしも空を覆いつくしている虫をすべて怪獣に変えられるのなら、話になりませんね」

「戦はなにをおいてもまず数であるからな。無尽蔵の数を相手に勝てるものはおらん。ははあ、なるほど、教皇め。ここで圧倒的な力を誇示して、余に逆らうだけ無駄だと間接的におどしをかけるつもりだな。念の入ったことだが愚かだな、余は進んでお前たちの暴挙に協力してやろうと言うのに」

 ジョゼフは呆れたようにつぶやいた。今言ったことは嘘ではない……世界を滅亡させるなどという、歴史上のいかなる王も嗜んだことのない遊戯が目の前に転がっているというのに、ここで台無しにするのはもったいないではないか。廃墟に転がる何万という屍を眺めて、無限の後悔を得られるか否かを試すまで、裏切る必要などないではないか。

「さて、街にもいい塩梅に火が回ってきたし、竜騎士どもも適当な数が落ちたな。そろそろ頃合かな、ミューズよ?」

「はい、今なら市民と軍の両方の視線を釘付けにできます。これ以上は、観客を減らす一方になるかと。ジョゼフさま」

「では行くか、主演俳優という柄でもないが、たまには自分の体を動かすのも悪くない」

 ジョゼフは背伸びをしながら立ち上がると、愛用の杖を持って歩き出した。その先には、シェフィールドが飛行用のガーゴイルを用意して待っている。

 シナリオは確認するが簡単だ。暴れる怪獣をエクスプロージョンで吹き飛ばす、待機しているロマリアの手のものが伝説の虚無の力だと騒ぎ立てる、英雄が誕生する。以上で終わりで、田舎劇場の三流脚本家でも書ける単純極まりない筋書きである。もっとも、愚民を騙すにはこの程度の三文芝居で十分であろう。

 今頃はジュリオが手を回して、ジョゼフが登場するのを今か今かと待っているに違いない。お膳立てはすべて整った。

「シャルルよ、見ているか? 無能王と呼ばれているお前の兄は今日から英雄王だ。お前は王子だったころ、将来はガリアの歴史に残る賢王になるとうたわれていたが、俺は英雄だ、英雄だぞ。どうだ、俺はすごいだろう? いくらお前でも、英雄にはなれなかったろう。だがまあ心配するな、いずれ世界の人間どもをみんなお前のところに家来として送ってやるから、そうしたらお前は天国でハルケギニア大王でも名乗るがいい」

 空を見上げてジョゼフは独語した。闇に包まれた空のかなたに天国があるかどうか、そんなことは知らない。

 ただし、ひとつだけ確信があるとすれば、自分が行くのは生であれ死であれ地獄だということだ。そして自分は、その地獄を望んで深くしようとしている。幾万という魂を冥府に送り、暗い望みを満たそうとしている。

 果たして神がいるとしたら、どういう罰を自分に下すのだろうか? いいや、神など存在しない。なぜなら、このでたらめな世界のありさまと、自分という人間のできそこないがいることがそのなによりの証だ。

「準備できました、ジョゼフ様」

「行け、そして我が親愛なるガリア国民たちに希望をプレゼントしようではないか。今まで王様らしいことをしてこなかった無能王の罪滅ぼしだ。お前たちの前に天国の門を開いてやろうじゃないか!」

 その言葉に嘘は一片も含まれてはいなかった。完全に、文字通りの意味で。

 希望からいっぺんに転落したとき、人はもっとも深い絶望に包まれる。その絶望を抱えたまま、天国の門をくぐることになる罪なき民はいったいどんな顔をするのか、興味は尽きない。そしてうらやましい。なにを奪われようが失おうが、反応する感情はとうに枯れ果ててしまった。

 だからこそ求める、真の絶望と後悔をこの心に取り戻すために。そのために、この世は地獄になってもらわねばならないのだ。

 

 ジョゼフとシェフィールドを乗せたガーゴイルは飛び立ち、怪獣が暴れるリュティスの市街へと向かう。

 破壊と絶望を約束した茶番劇の幕が上がった。脚本・ヴィットーリオ、演出・ジュリオ、主演・ジョゼフの豪華キャストが自慢のこの劇の鑑賞券の代金は命と流血である。

 

 

 だが、完全にジョゼフの箱庭と化してしまったかに見えるリュティスにあって、強い意志で彼らに逆らおうとする者たちがいた。

 怪獣が暴れるリュティスの、その地下数十メイルの地底。トリスタニア同様に、無数の下水道や地下道がクモの巣のように行き交うその中を、二人分の足音が響いていた。

「本当に、この下水道が王宮までつながってるのかね? なんかさっきから同じようなとこばっかり回ってる気がするのね」

「そりゃ当然だ。抜け道ってのは追っ手を撒けるように作ってあるんだから。心配するな、方角は確かに王宮のほうへ向いている」

「でも、暗いし怖いし汚いし、さっきネズミの家族が足元走っていったのね。きれい好きのシルフィとしてはたまらないのね、きゅいい……」

 カツンカツンという義足交じりの足音と、ペタンペタンというたよりない足音がせまい石壁の通路に響いている。

 ひとりは町娘の着こなしながらも引き締められた肢体と鋭い眼光が野性味を覗かせ、もうひとりは大人びた容姿ながらもおどおどしていて長身にも関わらず幼い雰囲気を出している。だが、ふたりとも先に進もうという意思だけは強く瞳に宿していた。

 何者か? などと聞くまでもなく、こうしてヴェルサルテイル宮殿を目指す者はジルとシルフィードのふたりしかいない。

 レッドキングとゴルザが戦った、あのファンガスの森での戦いから、ふたりはリュティスにやってきて機会をうかがっていたのだ。

 目的はもちろん、宮殿に幽閉されているタバサの母とキュルケを奪還するため。だが、警戒厳重な宮殿に侵入する方法が見つからずに、日に日に焦燥に駆られていたのだが、意外な人物が救いの手を差し伸べてくれた。

「そこの横穴に入れば、今は使われていない水道跡に出られる。そこから、王宮内部の噴水につながる水道へ出られるはずだ」

「本当に、その地図信用できるのかね? あのわがまま王女のことだから、衛士隊の宿舎のまん前に出たなんてことになったら冗談じゃすまないのね」

「……疑うということは、安全を保つ上で必要なことだ。だが、行動を起こすには信じないと始まらないよ。あのお姫様、イザベラ様だっけ? 私はそんなに悪い子には見えなかったけどね」

 

 そう、ふたりにこの抜け道を教えてくれたのは過去何度もタバサを苦しめてきたはずのイザベラだった。

 

 もちろん、イザベラのことを好いていないシルフィードはイザベラに力を借りようなどとは考えていなかった。出会ったのは偶然で、施しのパンを求めて立ち寄った聖堂で、たまたま隣に並んだ黒いフードを目深にかぶった女性に、ジルがなにげなく声をかけたのだが。

「もし、さっきから顔を伏せられていますが、具合でも悪いのですか?」

「……うるさいね、ほっといてくれよ」

「んなっ! なんなのね、ジルがせっかく親切で言ってあげてるってのに! ん? お前……あっ! バ、バカ王女!」

 それがイザベラだったのだ。

 もちろんその後、シルフィードの大声で騒ぎになりかけ、慌てたジルがふたりを無理矢理に連れ出してなんとか事なきを得た。

 だが、突然わけもわからずに連れ出されたイザベラはたまったものではない。

「なんなんだいお前たちは! わたしをどうしようって言うんだ。人買いか? 身代金でもとろうってのかい!」

「キンキンうるさいのねバカ王女! おねえさまにこれまで散々ひどいことしておいて、ここで会ったが百年目なのね」

「おねえさま? 誰のことだい? わたしはあんたなんか知らないよ」

「タバサおねえさまのことなのね! あんたの悪行、わたしがきっちり思い知らせてあげるの」

「タバサ? そう、お前たちシャルロットの知り合いってことかい」

 それでシルフィードがイザベラと乱闘になりかけたのを、ジルがおさえたのは言うまでもない。

 しかし何故こんな街中に王女のイザベラが? ジルも、無能王の娘の悪い評判はしばしば耳にしていたが、実際に目にするのは初めてというよりも信じられないのが大きい。そのため事情を納得するまでには少々時間がかかったが、要約するとイザベラの身が危険になってきたということであった。

「こないだの両用艦隊の反乱くらい知ってるだろ。あれで、王権への信頼が一気になくなったのさ。それで、カステルモールの奴が言うには、一部の貴族たちの中でとうとう王の暗殺まで持ち上がってるらしい。当然、王の娘のわたしも安全じゃないから、プチ・トロワから逃げ出してきたわけさ」

 吐き捨てるようにイザベラは言った。普通に考えたら、王宮の中にいたほうが安全と思われるが、イザベラはそれを捨てていた。今の王宮に、いざとなったときイザベラを本気で守ろうとする兵士がどれだけいるか? イザベラは少なくとも、兵士は主君に無条件の忠誠と奉仕をおこなう人形ではないということを、今は知っていたのだ。

 権力あってこそ、人は人にかしづく。イザベラの横暴は、その権力を失ったときへの恐怖の反動でもあったかもしれない。

「わたしは嫌われ者で、家臣たちは本音ではシャルロットを好いていることくらい理解してるさ。カステルモールのやつくらいかね、わたしの味方なのは……ま、そいつも各地の小反乱を抑えに出て行って、もう、宮殿でわたしの安全なとこはないのさ」

「あんたの父親、ジョゼフ王に守ってもらおうとは思わなかったのかい?」

「父上は、会ってさえくれなかったよ。バカ娘に愛想を尽かしたのか知らないけど、わかってるさ……父上は、わたしに愛情なんか持っちゃいない。物は与えてくれるけど、思い返せばそれしかしてくれたことないんだ」

 そうして、イザベラは生まれてから今日まで、あの父に頭をなでてもらった思い出のひとつもないと自嘲げにつぶやいた。

 そんなイザベラの、冷え切った親子関係を聞いて、ジルとシルフィードも心にやりきれない思いを抱かざるを得なかった。

 ジルは以前、家族の復讐のために命をかけた。そうするだけの愛が家族にあったからだ。

 シルフィードも、タバサの使い魔になる前は両親と暮らしていた。厳しいながらも、大切にしてくれた父と母だった。

 けれども、イザベラにはそれがない。家族に愛されることなく育たなくてはいけなかった、そんな苦しみを吐露した彼女に、憎らしさを感じ続けてきたシルフィードでさえも言葉を詰まらせずにはいられなかった。

「なんだい、同情なんかいらないよ。それより、お前たちシャルロットの連れなんだろ? 呼び出した覚えもないが、あの人をバカにした面が見えないがどうしたんだい」

 それでやっと、シルフィードは自分の目的を思い出した。

 ただこのとき、シルフィードにイザベラに助けを求めようという気持ちはなかった。ひねくれた育ち方をした環境には同情するが、その腹いせにタバサに無理難題を何度も押し付けてひどいめに合わせてきたのは事実だ。そのことを思い出すとむかっ腹が立ち、シルフィードはジルが止めるのも聞かずに、タバサの身に起きたことをイザベラに洗いざらいぶちまけた。

「シャルロットが、行方不明? しかも、叔母上が宮殿に幽閉されてるですって!?」

「そうなのね、全部あんたのお父さんのせいなのね。お前なんかに関わってる暇なんかなかったのね! ジル、行こうなのね」

 嫌いな相手に思う様言い尽くせたことで、シルフィードはもう顔も見たくないというふうに立ち去ろうとした。

 だが、肩をいからせて立ち去ろうとするシルフィードをイザベラは呼び止めた。

「待ちな、意気込みはいいが、どうやってヴェルサルテイルに忍び込むつもりなんだ? わざわざ捕まりにいくようなもんだよ」

「そ、そんなこと、お前に言われなくてもわかってるのね。だから困ってるのね!」

「ふん、嘘のつけない奴だね……まあいい、こいつを持ってけ」

 そう言うと、イザベラはジルに畳まれた羊皮紙の紙片を投げ渡した。それが、王宮へとつながる地下道の地図だったのだ。

「あんた、これは!」

「少し前ならわたしが連れて入ってもよかったが、今のヴェルサルテイルは要塞みたいなもんだ。だが、その抜け道は王族が万一のときのために用意されたもんで、存在を知ってるのは王族だけだ。やる気があるなら使ってみな、たぶん気づかれずに忍び込める唯一の方法だよ」

 そんな大事なものを惜しげもなく……さすがのジルも驚いたが、イザベラは一顧だにしなかった。

「勘違いするんじゃないよ。別に罪滅ぼしなんてつもりじゃない。あのシャルロットが簡単にくたばるものか、わたしがなにをやってもいつも悔しがらされるのはこっちだった。いずれまた、わたしを笑いに帰ってくる。だから、あいつの一番大切なものをわたしのものにしておいてやるのさ。「あんたの母上はわたしのおかげで助かったんだよ」ってさ! ははっ、あいつは一生わたしに頭が上がらなくなるんだ!」

 そうやって一方的に笑うと、イザベラはすっとジルとシルフィードに背を向けて歩き出した。なかば唖然として見送るジルとシルフィードの前で、粗末なフードに身を隠したイザベラの姿はあっというまに町の風景の中に溶け込み消えていく。

 どこへ向かったかはさだかではない。去り際に、ジルがどこへ行くのかと尋ねたときも、知人のところでしばらく身を隠して、あとはそれから考えると言い残しただけであった。

 しかし、嫌われ者のイザベラをわざわざかくまう奴がいるのだろうか? まして権力も金もない今のイザベラをかくまうなど、そんな物好きな人間が……?

 イザベラの考えはシルフィードにはわからない。しかし、大切なことは、念願であった王宮への侵入方法が手に入ったということである。

「あいつ、本当におねえさまを助けるつもりなのかね……?」

 わからない……シルフィードの知っているイザベラは残忍酷薄で、タバサの不幸を知っても笑いこそすれ助けようなんて絶対にしなかったはずだ。

 それでも、立ち止まることは許されない。今の自分たちには、あえて虎穴に飛び込むしか道はないのだから。

 

 イザベラの地図を頼りに、ふたりは下水道から迷路のように地下道を歩き、とうとう宮殿の真下に位置する終点にたどり着いた。

「ここだ、上がるぞ」

 暗い通路の行き止まりに、古びた鉄のはしごが十数メートルの高さにまで伸びている。その上はふたになっているようで、人一人分くらいのすきまから地上の光がわずかに漏れてきている。

 ジルがまず、さびだらけのはしごを昇り始めた。それに続いて、シルフィードも昇り始める。

「うう、汚いはしごなのね。シルフィはきれい好きなのに」

「文句を言うな。シャルロットはきっと今頃、もっと大変な戦いをしているんだぞ」

「そ、そうね! おねえさまのためなら、ばっちいのくらいなんてことないのね!」

 シルフィードは甘えてなんかいられないと自分を叱りつけた。だがそれにしても、ジルはするすると猿のようにはしごを昇っていく。とても片足が義足だとは思えない身軽さに、さすがはおねえさまのおねえさまだと信頼を深くした。

「出るぞ、これから先は私がいいと言うまでは一言もしゃべるな」

 天井のふたに手をかけてジルは言った。シルフィードは慌てて手で口を抑えようとして、はしごから手を外しかけてまた慌てて戻した。

 抜け穴のふた、多分外からはマンホールのようになっているのであろうそれを、ジルは力を込めて持ち上げた。

 パラパラと砂が降ってくる。そして、そっとすきまから顔を覗かせてあたりを確認し、素早く外に飛び出すと、シルフィードに上がってこいと合図した。

”ここは……やった! 間違いなく王宮なのね”

 そこはヴェルサルテイル宮殿西花壇の水車小屋の片隅であった。ジルが注意深くあたりをうかがっているが、どうやら回りに衛兵はいないようであった。

「案内できるか?」

 ジルの問いに、シルフィードは自信たっぷりにうなづいた。幸いなことに、ここからキュルケとタバサの母がとらわれている牢はさして離れていない。王宮の地形は何度も空から見てバッチリ頭に入っている!

 シルフィードは駆け出し、ジルは辺りを警戒しながら小走りで続く。よくわからないが、今王宮の中は手薄なようだ。

”おねえさま、あなたの使い魔は立派にお役に立ってみせますなのね。がんばるのね!”

”おかしい。宮殿の中だってのに妙に人の気配がしない。いやな予感がする……思い過ごしならいいんだが”

 ふたりは走る。キュルケとタバサの母を奪還し、帰りは抜け道を使ってリュティスの郊外まで逃れる。

 あとは頃合を見てシルフィードで一気にトリステインに飛び込む。そうしたらもうガリアは手を出せない!

 

 

 だが、ふたりの計画が成功する可能性はこの時点で限りなく低くなっていた。

「ジョゼフ様、王宮に侵入者が……おや、これはこれは。シャルロット様の使い魔の仔竜ですよ」

「ほお、おもしろい。シャルルへのみやげ話がもうひとつできそうだな。遊んでやれミューズよ、なんなら殺してもかまわんぞ」

 

 

 続く



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第22話  必殺必中! 暁の矢

 第22話

 必殺必中! 暁の矢

 

 岩石怪獣 ゴルゴス 登場!

 

 

「おめでたい子たちね。逃げたあなたがいずれ残ったふたりを取り戻しにやってくるのは明白。そちらの片足さんは少しは手こずりそうだったから、ずっと前から罠を張って待たせてもらっていたわ。おもしろいくらいにかかってくれたわね」

「きゅいいい、卑怯なのね。それに、あんたがバカ王様と組んでおねえさまを苦しめていたのね。ぜったいに、ゆるさないのね!」

「落ち着け、カッカしたら奴の思う壺だぞ。まあ、どうせ罠があるとは思っていた。さて、これだけ分が悪い戦いはキメラドラゴン以来だな。矢玉の数が足りればいいが」

 

 ジルとシルフィードは今、最大のピンチに立たされていた。

 キュルケとタバサの母を助け出すために潜入したヴェルサルテイル宮殿の奥深く、異様なまでにたやすく潜り込めたと思ったが、やはりそれは甘かった。

 牢獄には警備のガーゴイルがいるはずなのに、脱出のときにあれだけ苦労させられた奴らはまるで見えなかった。そして、牢獄にたどり着けたと思ったとき。

「赤いの! 助けに来てやったのね!」

「バカ! これは罠よ。早く引き返しなさい!」

「そんなことは当に見当がついているよ。ご丁寧に牢の前に鍵がぶらさげてあれば馬鹿でも疑う。とはいえ、ほかに方法もなかったようなのでね……ほら、来たぞ」

 ジルが牢の鍵を開けた瞬間、轟音が鳴って牢獄自体が崩れ落ちた。一同は、ドラゴンの姿に戻ったシルフィードの影に隠れて降り注いでくる瓦礫から身を守り、レンガ作りの貴人用の牢獄は積み木の建物のようにバラバラになった。

 空が見える。牢獄が崩れた粉塵が収まり、シルフィードの影から這い出たジルとキュルケはそう思った。タバサの母も、眠ったままで毛布にくるまれて無事である。

 しかし、無事であったことに、『今のところは』というただし書きをつける必要があることを一同は思っていた。

「囲まれてるな」

 ジルは、やっぱりなというふうにつぶやいた。隣ではキュルケが、まったくもう、とばかりにため息をついている。

 状況はまさに、一瞬にして最悪に陥っていた。たった今まで牢獄だった瓦礫の周りを、無数のガーゴイル兵が取り囲んでいる。数は見たところ、適当に見積もって三十体以上。どいつもこいつも剣や槍、長弓や斧などぶっそうな装備を身につけていた。

 それだけではない。ガーゴイル兵たちのすきまを埋めるように、狼の形をしたガーゴイルが凶暴なうなり声をあげて、鋭い牙をむき出しにしてこちらを睨んでいた。その数はこちらも三十体ほど、逃げる隙間などどこにもありはしない。

 そして、包囲陣を強いているガーゴイルたちのなかで一体だけ空を飛んでこちらを見下ろしているコウモリ型のガーゴイルから、あざける女の声が響いてきたのである。

「ウフフ、アハハ、ようこそ韻竜のお嬢さん。待っていたわよ」

 その声を聞いた瞬間にシルフィードの背中に悪寒が走った。この声の主は、シルフィードにとってジョゼフとイザベラに次いで憎むべき相手である。

 怒りの念がシルフィードの心にふつふつと湧いてくる。こいつらだけは許すことはできない。

 そして、この場に及んでジルとキュルケも腹をくくった。見え透いた罠だったが、どのみち遅かれ早かれこうならざるを得なかったのだ。

 シェフィールドの勝ち誇ったあざけりにシルフィードとジルが買い言葉を返し、続いて初対面となるジルとキュルケが視線を合わせた。

「ふぅん、シャルロットから話は聞いていたけど、あんたがあの子の友達か、なるほど……ふぅむ」

「なにあなた? 勝手に人の顔をジロジロ見て、失礼じゃありません?」

「いいや、感心しているのさ。これだけ長く閉じ込められて、なお狩人の目をしているのはなかなか根性あるね。これはあんたの杖だろ? ご丁寧に隣の部屋においてあったよ」

「それはありがとうございます。あの女、完全にわたしたちを舐めているわね。希望を持たせた上でなぶり殺しにしようという腹でしょうが、ふっ、ふふふ……このキュルケ・アウグスタ・フォン・ツェルプストーをバカにするとどうなるか、思い知らせてあげようじゃない!」

「ふっ、いい目だね。私はジル、しがない猟師さ。まあ、狩る獲物は少々ゲテモノが多いが、今回は格別だな。シャルロットはこんな奴らと戦わされてきたのか……いいね、あの子の怒りと悲しみ、私にも伝わってきたよ」

 キュルケとジルは背中合わせにして陣を組んだ。ふたりとも、出会ってまだ数分であるが、相手が信頼に足る人間だと感じていた。ジルはキュルケの熱い言葉にタバサが誇らしげに語っていた話と一致させ、キュルケはジルがタバサの本名をなんの抵抗もなく呼んだことで、ふたりのあいだに並々ならぬ信頼があるのだと読み取っていたのだ。

 そして何よりも、ふたりとも若くても歴戦の戦士である。戦場での決断の遅さが致命を招くことをよく知っていた。

「フフフ、トライアングルクラスとはいえしょせんは学生。もうひとりは魔法も使えないただの平民。新しいガーゴイルのテスト代わりに遊んであげましょう。シャルロット姫のいないあなたたちなど、私の敵ではないわ」

「どうかな? お前はシャルロットをそれなりに見てきたようだが、なにも学ばなかったようだね。私は、あの子からはいろいろ教わったよ。赤毛の、あんたはどうだい?」

「どうかしらね? ただ言えるのは、わたしをタバサより弱いと思うのは大間違いということ! あなたこそ、平民がこれだけのガーゴイルにどう挑むのか、拝見させていただこうじゃない!」

 その瞬間、シェフィールドの指揮ガーゴイルの目が光ると同時にガーゴイル軍団がいっせいに仕掛けてきた。

 ジルとキュルケは、猛然と襲い掛かってくるガーゴイルの攻撃に対して、ぱっと身をかわす。戦士の姿をした鉄人形の剣や槍がたった今までふたりのいた場所を刺し貫き、しかし間をおかずに後続の軽装のガーゴイルがレイピアのような剣を振りかざして向かってくる。

 だが、突撃してくるガーゴイルを真正面にしてキュルケは杖を振りかざし、その燃えるような赤毛よりさらに赤い火炎をガーゴイルに叩きつけた。

『フレイム・ボール!』

 ラインクラスの中級攻撃魔法。しかし、その威容はガーゴイル一体をまるごと飲み込む小型の太陽さながらの豪火球であった。

 直撃、そして半瞬後に鎧騎士の人形は黒焦げの鉄くずに変わり、バラバラに崩れ落ちてしまった。熱で溶けることすら許されずに、一瞬の灼熱で砕かれてしまったのだ。

 バカな! こんな威力はトライアングルクラスではありえない! シェフィールドは我が目を疑った。

 けれども、それは目の錯覚でもまぐれでもなかった。キュルケはその後、三体もの歩兵ガーゴイルを同じように血祭りにあげたからである。

 これにはシルフィードも驚いた。キュルケの魔法は何度も見てきたが、これほどまでの火力はなかったはずだ。

 するとキュルケは、優雅に髪を払い、しかし眼光は鋭いままでその疑問に答えた。

「別に驚くことではないわ。魔法の力は使い手の心の力に比例する……火の系統の真骨頂は、情熱と、怒り。わたしの心は今、これまでにないくらい燃えているのよ。わたしをコケにしてくれたあなたたち、そしてなによりも、タバサを助けてあげられなかった、あのときのわたしの無力さへの怒りでね!」

 そのとき、シルフィードはキュルケの後ろにゆらめく陽炎のようなものを見た気がして、ぞくりと身震いをした。

 キュルケが怒っている。いつもは人を食った態度を崩さず、感情を表に出すときも、どこか優雅さを漂わせるキュルケが感情むきだしで怒っていた。

「牢獄につながれているあいだ、ずっと思い続けていたわ。あのとき、わたしにもっと強い力があれば、むざむざとタバサを犠牲にすることはなかった。なにがあの子を助けてあげるよ、自惚れていた自分をこれほど憎んだことはないわ。タバサから借りひとつどころじゃないこの屈辱……覚悟なさい。今日のわたしは悪魔より恐ろしいわよ!」

 怒りと後悔と屈辱と誇りが、今のキュルケの魔力を過去なかったほどに引き上げていた。キュルケは自信家で、その自信にまったく恥じないだけの実力を有しているが、それは裏返せば自惚れにも値する。それが敗北と幽閉という二重の屈辱で打ち砕かれて、幽閉されていた期間に練り上げられていた怒りと、溜め込まれてきた魔法力がシェフィールドの登場で一気に解放されて爆発したのだ。

「すごいのね。タバサおねえさまと同じくらい……いえ、それ以上かも」

 めったにタバサ以外を褒めないシルフィードが本気で驚いていた。元々、タバサに勝るとも劣らない才能の持ち主であったのが、自分の限界を突きつけられたことで一気にその壁を超えたのだ。今のキュルケは間違いなくスクウェアクラス、いや、昇格した勢いが有り余っている今ならば、あの『烈風』などにも匹敵するかもしれない。

 キュルケは今度は自分に向かってきた重装騎士のガーゴイルを一撃で消し炭にした。しかし数十体のガーゴイルはなおも目だって数を減らした様子はない。まだシェフィールドの側が圧倒的に有利であった。

「おのれこしゃくな。だが、このガーゴイルたちはただの騎士人形ではない。いずれもかつてメイジ殺しと恐れられたつわものを再現した特別製なのよ。そして、あなたたちを取り囲んでいる狼型のガーゴイル、フェンリルは本物の狼と同等の俊足と獰猛さを持っているわ。逃げることは絶対に不可能! 赤毛の小娘のランクアップは意外だったけど、あなたひとりでどこまで耐えられるかしらねえ?」

 シェフィールドの言うとおり、いくらキュルケが強くなったとはいってもガーゴイルはまだ何十体も残っていた。しかも、キュルケを手ごわしと見るや、うかつに近づくのをやめて、遠巻きにしながら弓や銃を持ち出してきたのだ。風の系統と違って火の系統は守りに弱い弱点を持っている。

 四方八方から矢玉や銃弾を送り込まれたら、いくらスクウェアクラスに昇格したキュルケでもやられる。しかもガーゴイルはシェフィールドの言うとおり、動きに無駄がなく素早い。飛び道具の狙いが外れることは期待できそうもない。おまけに、狩りの名手である狼の力を持つというフェンリルもいるなら、逃げ回りながら戦うのも難しい。

「ちょっと、まずいかもね……でもないか」

 少しだけ焦りを見せたキュルケだったが、すぐに不敵な笑みを浮かべてくすくすと笑った。

 彼女を包囲しているガーゴイルから銃弾や矢が飛んでくることはない。なぜなら、ガーゴイルたちはそれどころではない事態に陥っていたからだ。

「あらまあ、わんぱくなワンちゃんたちだこと」

 なんと、ガーゴイルたちに向かって、味方であるはずのフェンリルが襲い掛かっていた。本物の狼同様に鋭い爪と牙を持つフェンリルが食らい付いていく度に、ガーゴイルたちの鎧がちぎられ、体の一部であった鉄の破片が飛び散っていく。

 こうなると、ガーゴイルたちもモデルになった人間の思考パターンの一部を受け継いでいる以上、反撃せざるを得ない。あっというまに場は鋼鉄のガーゴイルと鋼鉄の狼が互いに相食む混乱の巷と化した。そしてむろん、これはシェフィールドの意思などでは断じてなく、慌てたシェフィールドが指揮ガーゴイルの目を通して原因を探し回ったところ、涼しい顔をしているジルが視界に入ってきた。

「この始末はお前の仕業か、こじき女! いったい私のフェンリルになにをした!」

「フン、今頃わかったかバカめ。別にたいしたことじゃない、ちょっと薬を嗅がせてやっただけさ」

 そうしてジルは、パラパラと砂のように細かい薬がこぼれてくる小袋をかざして見せた。

「ファンガスの森のマンドラゴラなどから作った毒薬さ。私の家系は代々猟師で薬には詳しいんでね。人間には無害だが、鼻の効く狼や熊なんかが嗅げば、当分のあいだ錯乱して暴れ続けるのさ。フェンリルとか仰々しい名前をつけるだけに、嗅覚も本物なみにすごいようだからよく効くね」

「き、貴様っ。よくも舐めた真似をっ!」

「舐めた真似はあんたのほうだろ。赤毛の嬢ちゃんに気をとられて、私が風上に回ってるのに気づかなかったのが悪いのさ。おまけに自分の飼い犬の弱点も忘れてるなんてね。シャルロットは小さいときから相手を舐めたりしないいい子だったけど、自称飼い主のお前たちは飼い犬にも及ばないようだね」

「なっ、に……っ!」

 あざけるジルの言葉に、シェフィールドはガーゴイルの向こうで奥歯が削れるほど歯を食いしばった。

 単純にプライドを傷つけられたことだけではなく、タバサ以下とののしられたことがシェフィールドの血液を沸騰させた。

”私が、私がシャルロットより劣るだと? 冗談ではない、このガリアで一番有能な者はこの私だ。ジョゼフ様のおそばにいる私がそうでなくてはならないんだ!”

 シェフィールドの脳裏に、絶対的な戦力を与えられていながら敗北を喫したロマリアでの記憶がまた蘇る。

 いやだ! また無様をさらしてジョゼフ様のお役に立てないのはいやだ!

 不問にされたとはいえ、シェフィールドにとってあの敗北は大きなトラウマになっていた。このガーゴイルの兵団はロマリアに攻め込む前から、いずれジョゼフのために役立てようと準備していた虎の子で、晴れやかにお披露目できるのを心待ちにしていたというのに、この惨状はなんだ? ゲルマニアの小娘と泥臭い平民ふたりに一方的にやられている。

 シェフィールドはこんなはずではなかったと、名誉挽回のチャンスが崩れていく音を自分の中に聞いた。

 今、シェフィールド本人はジョゼフと共にリュティス上空にガーゴイルで来ている。これから街で暴れている怪獣をジョゼフの虚無魔法で倒し、ロマリアのお膳立てで救世主の光臨ショーをはじめようという大事なときに、その門出に花を添えるどころか泥を塗るなど許されることではない。

 しかし、ジョゼフのこととなると我を忘れるとはいえ、シェフィールドも本来は怜悧な頭脳の持ち主である。悔しいが、このふたりはタバサに匹敵する手ごわい相手だということを認めるしかない。そうなると、怒りに代わって憎悪がふつふつと湧いてくる。

 この私の栄光の邪魔をするうじ虫ども、お前たちはもう許さない! なぶり殺しにするつもりだったが、もう一思いに息の根を止めてくれる。しかし、そのためにはやつらの弱みを突いて攻めなくては……そうだ!

「ガーゴイルどもよ、シャルロットの母親を人質にとれ! その半死人を肉の盾にして小娘どもを叩き伏せろ」

 キュルケははっとなった。タバサの母はまだ深い眠りについていて、守りはシルフィードしかいない。しかも、今飛び上がれば咥えて持ち上げるにせよ背中に乗せるにせよ、ガーゴイル兵の銃弾や矢が無防備なタバサの母を襲うだろう。

 ガーゴイル兵の一団がタバサの母を守っているシルフィードに襲い掛かる。キュルケはファイヤーボールで妨害しようとしたが、うかつに撃てば火の粉が飛び散ってかえって危険だと気づいた。

 いけない! 母親にもしものことがあったらタバサに向ける顔がない。

 だが、焦るキュルケにジルが落ち着いた様子で告げた。

「大丈夫さ、見てな」

「え?」

 ジルの落ち着き払った顔に、キュルケも一気に毒気を抜かれて思わず立ち尽くしてしまった。

 だがそんなことをしているうちにも、手に手に恐ろしい武器を持ったガーゴイルたちはシルフィードに迫っていく。

「ちょ、ちょーっと! 赤いのにジル! なにしてるのね、助けてなのねーっ!」

 当然シルフィードはおもいきり慌てて叫ぶけれども、ジルはそ知らぬ顔である。これにシェフィールドは、相手はなにを思ったか知らないが、これでうるさい子竜は始末してタバサの母を奪えると確信した。

 しかし、あと一歩までガーゴイルがシルフィードに迫ったとき、ジルはシルフィードに向かって叫んだ。

「おびえるな! なぎはらえ!」

 その一声が恐怖に固まっていたシルフィードの体を反射的に動かした!

「きゃあぁぁぁーっ!」

 悲鳴をあげながら、シルフィードは思い切り前足で目の前に迫ってきたガーゴイルを殴りつけた。

 するとどうか? ガーゴイルは一撃でひしゃげて吹っ飛ばされ、後ろから来ていた二体を巻き添えにしたあげく、立ち木にぶつかってバラバラになって果てた。鉄でできたガーゴイルがである。

 唖然とするキュルケ。しかし一番信じられないのはシルフィードのほうだ。

「あれ? シルフィ、今、いったい……?」

 きょとんとするシルフィード。たった今、ガーゴイル三体を自分が破壊したのだが、まるで実感が湧かない。

 すると、ジルがシルフィードに当たり前のように告げた。

「不思議がることはない。お前には元々、そのくらいのガーゴイルを倒せる力はあったんだよ。いや、身についていたけど気がついていなかったんだな」

「シ、シルフィに、そんな力が?」

「なにもおかしくなんかないさ。お前はドラゴンだ、ドラゴンは地上で最強の種族だ。お前は子供だが、裏を返せば成長期でもあるんだよ。これまで、シャルロットを助けて冒険を続けてきたんだろう? その中で、お前も強くなっていたのさ」

「で、でも、おねえさまはそんなこと一回も……」

「シャルロットは優しいからね、お前を必要以上に戦わせたくなかったんだろう。だが、今のお前に必要なのはシャルロットを取り戻すために戦う力だろう? 自信を持て、お前はドラゴン、しかも人に劣らぬ叡智を持つ韻竜の末裔だ!」

 その瞬間、シルフィードは平手打ちをされたような衝撃を体の芯まで受けた。

「っ! そうね。シルフィだって、戦わなくちゃいけなかったのね。おねえさまに甘えてちゃいけない、シルフィが誰より強くなれば、おねえさまが危ない目に会うこともなくなるのね! よーっし、こんな人形なんかまとめてぶっ壊してやるのね」

 意を決したシルフィードは即座に腕をふるってガーゴイルを二体まとめてふっとばし、一体を咥えて投げ捨てた。たちまちバラバラになり動けなくなるガーゴイル。

「やったのね、シルフイもやればできるのね」

 しかし襲ってくるのはガーゴイルばかりではない。暴走したフェンリルの数体がシルフィードの尻尾に噛み付き、いたーい! と、悲鳴をあげてしまう。

「調子に乗るからだ。そんなんじゃシャルロットに怒られるぞ」

「ぐぬぬぬ、ジルはおねえさまのおねえさまだからって偉そうなのね。見てるのね、シルフィの本当の力を見せてあげるの!」

 尻尾を振って、シルフィードは食いついていたフェンリルを振り払った。瓦礫に投げ出されたフェンリルに、ジルが爆薬つきの矢を、キュルケが火炎魔法を放ってとどめを刺す。

 もはや形勢は完全に逆転していた。統制を失ったガーゴイルとフェンリルを、ジル、キュルケ、シルフィードはそれぞれ各個に破壊していき、シェフィールドの鋼鉄の軍団は見る影もないスクラップの山へ変わり、劣勢は覆うべくもなかった。

 残数は数えれば足りるほどに減り、そいつらを片付けてしまえば弓矢や銃で狙われる心配なくシルフィードで空へ逃げられる。

 対して、シェフィールドに現状を再度逆転する策はなかった。兵力は壊滅状態で、フェンリルは暴走を止められない。よしんば兵力の再編成ができたとしても、もう戦って勝てる数はいない。

 こんなはずでは、こんなはずではなかった。シェフィールドは屈辱に身を焦がしたが状況は変わらない。彼女はタバサの実力は正当に評価しているつもりでいたが、ゲルマニアの小娘はともかく、ただの平民とあまったれな韻竜がここまで障害になるとは夢にも思っていなかった。

「負ける、私はまた負ける……」

 敗北の恐怖が死神の鎌のようにひやりとシェフィールドの喉元をなでていく。だが、巻き返す手段がない。予備のガーゴイル兵はいくらかあるものの、いまさら投入しても歯が立たずに破壊されてしまうのは目に見えている。

 このままでは、また私はジョゼフ様の期待を裏切る。その恐怖に押しつぶされそうだったそのとき、彼女の主が笑いかけてきた。

「どうしたミューズよ? なかなか楽しんでいたようだが、どうやら詰められかけているようだな」

「ジョ、ジョゼフ様!? い、いえ決してそのようなことは」

「隠さずともよい。お前の顔色くらい簡単に読めるわ。ふっふっふっ、愉快ではないか、シャルロットがいなくとも、まだ余にはこれだけの敵がいてくれるのだ。おもしろいではないか」

 恐縮するシェフィールドに、ジョゼフは意外にも上機嫌な表情を見せた。しかし、だからこそシェフィールドにはたまらなく怖かった。

「ジョゼフ様、非才の我が身、もはや弁明のしようもありません。あのような小娘たちに、私は」

「くはは、気にするな。単に連中が強かったというそれだけのことだ。昔の余とシャルルのようにな……言ったところで仕方のないこと、お前はまだ復讐のチャンスがあるだけ余より恵まれているぞ? 少しは余の気持ちがわかったか? いくら勝とうとしたところで、誰かが自分の上で立ちふさがってくる。際限なくな」

「は、ジョゼフ様……この無念、屈辱。主の御心の内を今日まで理解できずに来たとは、私は最低の不忠者でございます」

「そうでもない。なぜなら、今まで余の心中を理解した人間はひとりもいなかったのだからな。つまり、一番に余の胸中を理解したお前は最高の忠義者ということだ。まぁ、今の余は、その屈辱と怒りを取り戻すためにあがいているのだがな」

 喉をくくっと鳴らして、ジョゼフは自嘲げに口元をゆがめた。その暗い笑顔と、吸い込まれそうに虚ろな闇が広がる瞳はシェフィールドもこれまで何度も見てきたが、いまだにその奥の奥を知ることはできていない。

「まったく人生というものは思ったことの反対になることのなんと多いことよ。だが、余はともかくお前には屈辱と怒りは不要だな。そういえば忘れていたが、余からお前への復帰祝いがある。受け取るがいい」

 するとジョゼフはシェフィールドに、あることを教えた。

「えっ! あ、た、確かに! いつのまに、このような」

「くくく、こんなことがあろうと思っていたわけではないがな。まあ大人もたまにはいたずらをしたくなるときがあるものよ。それを使って屈辱を晴らすといい。余はこれからロマリアの奴らのために英雄と救世主を演じねばならん。忙しくなるから、あとは頼むぞ」

「はっ、おまかせください」

 シェフィールドは腹を決めた。ジョゼフが与えてくれたチャンス、それがたわむれによるものだったとしても、今度こそ無駄にはできない。なによりこの胸の煮えたぎる屈辱を晴らさなくては死んでも死に切れない。

 そのころ、キュルケたちはガーゴイルとフェンリルの掃討をほぼ完了し、いよいよ撤退にかかろうとしていた。

「ようし、これでもう邪魔者はいないわね。久々に暴れたわ、少しは胸がスッとしたわね」

「頼もしい限りだね。今なら追っ手もかからないはず、急いで逃げるよ」

 雑魚は片付けた。長居は無用だと、ジルはシルフィードに合図した。

 派手に戦ったがヴェルサルテイル宮殿は広大で、しかも牢獄は僻地にあるために衛兵が気づいて駆けつけてくる様子はない。よしんば気づいたとしても、衛兵は外からの侵入者を防ぐことに意識の大半を置いているから、中から外へ出て行く者に対しては対応が鈍くなるはずだ。

 だが、あとはシルフィードに乗ってひとっ飛びという段になって、唯一残っていた飛行ガーゴイルからシェフィールドの恨みがこもった声が響いた。

「逃がさないわよ小娘ども、お前たちだけは絶対に生きてここから帰さない。私の顔に泥を塗ってくれたむくい、お前たちの全滅でしか晴らす道はないわ!」

 その瞬間、飛行ガーゴイルの体が爆発した。

 なんだ! 自爆?

 だが、爆発した飛行ガーゴイルの体内から鈍く光る大きな岩のようなものが現れて、ガーゴイルの残骸の山に落ちた。するとどうか、ただのガラクタの山であった残骸が動き出し、周りのほかの残骸や建物の破片、岩石などもが光る岩に吸い寄せられていくではないか。

「なんなのねなんなのね!」

「ちっ、このまま黙って見逃してくれたらありがたかったが、来るぞ!」

「しつっこい女性は殿方の一番嫌うタイプだってこと知らないのかしらね。出たわね怪物、大岩のお化けかしら!」

 シルフィード、ジル、キュルケの前に、ついに最後の強敵が現れた。

 全身が岩石やガーゴイルの残骸を寄せ集めて作られ、四本足で這い回るその全長はおよそ四十メートル。らんらんと光る目と大きく裂けた口から白い蒸気を吹き出し、圧倒的な威圧感を持つ叫び声をあげて迫ってくる。

「ああっはっはっ! 踏み潰せ。もう命乞いをしても許さないわよ! これでお前たちの勝ちはなくなったわ」

「あんた、まだこんな怪物を隠し持ってたのね。でも、こんなでかいのが暴れたら宮殿もただじゃすまないわよ!」

「知ったことではないわ。どうせ遠からず全世界が同じ目に会うのよ。安心なさい、お前たちはほんの少しだけ先にその恐怖を味わうだけ、不幸に思うことはないわ」

 シェフィールドの哄笑とともに、小山のような怪獣は岩石質の巨体からは信じられないほどの俊敏さで突進してきた。

「危ないっ!」

 猛牛のような怪獣の突進を、キュルケとジルはとっさに跳んでかわした。怪獣の通った跡は、地面はへこみ、岩は粉々に踏み潰されて形あるものはなにも残っていない。

 さらにすれ違い様にキュルケが火炎弾を、ジルが爆薬付きの矢を打ち込んだが、怪獣の体にはわずかな焦げ目と小石を少々はがした程度の跡がついただけでダメージとは到底呼べない残念さでしかなかった。

 魔法が効かない! 火薬もダメか! ガーゴイルを相手には大活躍したふたりの武器が、この怪獣にはものの役に立たないことが早くも証明されてしまった。

「っつ、固いわね」

「当然だね。奴は山がそのまま命を持ったような怪物だ。それこそ山を崩すくらいの力がないと倒せそうもないってことね」

「せめて土系統のメイジがいればいいんだけど……それにしても、あんな怪物をジョゼフ王はどこから用意してきているのかしら?」

 キュルケの疑問ももっともであった。ジョゼフはこれまで複数の怪獣を使って、数々の暗躍をしてきたことはすでに説明するまでもない。その多くは、以前にジョゼフと手を組んだ怪獣商人チャリジャから譲り受けたものであるが、この怪獣に関しては違った。

 この怪獣は岩石怪獣ゴルゴス。かつて地球でも富士山の裾野に出現した記録が残っている鉱石生命体の一種であるが、この個体はハルケギニアを出身としている。

 その出自は、今から一年ほどを遡る。その頃、ハルケギニアはヤプールの出現の影響によって、眠っていた怪獣が次々と目覚め、地球で言う怪獣頻出期に近い様相を呈していた。むろん、そのすべてをウルトラマンたちが対処したわけではなく、人間だけで解決に導いた事件も数多くあった。それらの事件の中に、このゴルゴスが出現したものもあったのだ。

 それが起きたのはトリステインの東の隣国ゲルマニア。この国は人口の多さと、ハルケギニアでは工業の発達したほうであったので、怪獣出現の例が多かった。以前にアンリエッタ王女が魔法学院に立ち寄った際に、岩石の怪獣がゲルマニアに現れたという話をしたが、その情報はガリアにも伝わっていた。これを聞くなり秘密裏にジョゼフは手を回して、ゴルゴスの核というべき生きている岩石を探させて、ゲルマニア人が倒したものとは別個体を同地で発見入手することに成功していたのだ。

 だがむろん、キュルケやジルたちにとってそんな事情を知ろうが知るまいが状況に変わりはない。ゴルゴスは凶暴な性格で、突進をかわされた腹立ちからか、のしのしと不恰好に方向転換して再度突進しようとしてくるようだ。

「どうやらあのお岩さん、わたくしたちとダンスがしたいご様子ね。ジルさん、あなたお相手してあげたら?」

「丁重にお断りするね。舞踏会は貴族のたしなみだろう? ワン・ツーステップでレッスンしてやったらどうだ」

 ふたりとも減らず口を叩きあってはいるものの、自分が相手をしたくないということに関しては本音だった。ふたりとも怪物退治はベテランと呼べるくらいに経験を積んできたが、別に趣味でもなんでもない。貴族は名誉、狩人は食うために戦うことはあっても、どちらにもならないのに痛い目だけ見る気は毛頭なかった。

 とはいえ、正攻法で勝てる相手ではない。ならばどうするか? 簡単だ、奴はどう見ても空は飛べそうにないから、さっさとシルフィードに乗っておさらばするに限る。

「シルフィード!」

「待ってたのね! ここがシルフィーの見せ場なのね」

 勢い込んでシルフィードが飛んできた。さすが伝説の風韻竜だけあって速い速い、怪獣の向こう側から地面スレスレを滑空してもうすぐそこだ。

 しかし、そのまま飛び乗ってと思った瞬間、ジルとキュルケの眼に恐ろしいものが映った。

「シルフィード! 危ないわ、避けて!」

「へあっ? わっ、なのね!」

 とっさに右に急旋回したシルフィードの眼に、自分とスレスレのところを飛び去っていく無数の弾丸が見えた。

 今のは銃撃? けど、鉄砲を持ったガーゴイルはジルとキュルケがみんなやっつけたはず。

 そう思ったシルフィードが弾丸の飛んできた方向を見やると、そこには怪獣がいるだけだった。しかし、よくよく眼を凝らすとシルフィードの体に冷たい汗がどっと湧いてきた。なんと、怪獣の体からガーゴイルの上半身や腕などが銃を持ったまま生えて

こちらを狙っているではないか。

「あ、あああああ、こっち見ないでなのねーっ!」

「離れてなさい! なんてこと、完全に壊したと思ってたのに、怪獣の体になってもガーゴイルが生きてるなんて」

 なんとも気色の悪い光景だが、鉄で出来たガーゴイルの一部がゴルゴスに吸収されてなお活動を続けていたのだ。これでは飛び立とうとしたら狙い撃ちされてしまう。

「こいつを倒さない限り、わたしたちは宮殿から逃げられないというわけね」

「仕方ないわね、タバサはもっと苦しい戦いを毎回していたんだし。シルフィード! タバサの母君を守って待ってなさい。なに、すぐに終わらせるから」

 即座に脱出する道は閉ざされた。残されたのは力で突破する道のみだ! キュルケとジルは真っ向勝負を覚悟した。どのみち長引けば魔法力と武器に限りのあるこっちが不利、無傷で逃げ切れる相手でもない。

 逃げるそぶりも見せないふたりに、形勢逆転と勝利を確信したシェフィールドは、いまやゴルゴスの一部となったガーゴイルの眼ごしに笑ってみせた。

「あははは、まだ戦うつもりなの? 本当にあなたたちはあきらめが悪いわね。そういうところはシャルロットと、あの小娘とよく似ているわね。不愉快だわ、お前たちのような邪魔者がいなければ、ジョゼフ様は今頃はハルケギニアのすべてを手中にできていたものを」

 身も震えるばかりの憎悪の波動だった。確かに、種々の偶然はあったものの、才人たちをはじめとする仲間たちの活躍がなかったらジョゼフはハルケギニアの大半に陰謀の根を張り巡らすことができたであろう。

 しかし、キュルケたちからしたらとんだ逆恨みでしかない。どころか、長年に渡ってタバサを苦しめてきた仇敵だ。恨まれるべきなのは向こうで、おじける理由はなにひとつとしてない。

「あんなのに負けて死んだらフォン・ツェルプストー一代の大恥ね。さあて、タバサならどうやってこの窮地を切り抜けるかしらね? あなた、タバサの先生なんでしょ。なにかいい作戦はないの?」

「お前こそ、ずっとシャルロットに張り付いてた割には考えはないのか? 頭の中身はその無駄に大きい胸にとられてるのかい」

「あら、平民はジョークもお下品ですこと。あなたもそれなりのものをお持ちのようですけど、私はどちらかというと真っ向勝負を所望する家訓で育ったものでしてね。男性も勝負事も、すべて炎のような情熱で我が物といたします。なので、情熱が届かない無粋な輩との戦いはちょっと、苦手かしら」

「フン、貴族はなにかにつけて回りくどくて嫌だな。作戦らしいもんなんて私にもないさ、だが、生き物には必ずなにかしらの急所があるものだ。例えば心臓をつぶされて生きてられる生き物はいない」

「心臓って、あの岩の化け物にそんなものが? はっ!」

 キュルケは、心臓という言葉を聞いて気がついた。あの怪獣は、全身が鉄と岩石でできているけれどもそれがすべてではない。最初に見た、あの光る岩石が無数の瓦礫や残骸を集めて今の形になったのだ。ならば、あの光る岩が怪獣の心臓か脳かはわからなくても、核だということにはなる。つまりは、あの光る岩石を破壊できれば怪獣を倒せるということだ。

「けれど、あの巨大な怪獣のどこに心臓の岩があるというの!?」

 キュルケは叫んだ。十万トンはある岩石怪獣のどこに核があるか知る術などあるのか? かつて地球に出現した個体は背中の位置に核の岩石が露出していたからそれを引き抜いて倒せたが、今目の前にいる個体の核は体の中に隠れていて、外から見ることはできない。

 のんびり話させてはくれず、ゴルゴスは口から蒸気を吹き、闘牛のようにふたりを押しつぶしにかかってくる。それをひらりとかわし、さらにガーゴイルからの銃撃もなんとか避けきると、ジルは矢筒から一本の矢を取り出して見せた。

「それは、凍矢(アイス・アロー)?」

 軍の名門の家系に育ったキュルケは、その青い石が矢尻になった矢が特別な魔法武器であることを知っていた。

 ”凍矢” 水の魔法力を込められた矢で、命中すれば強烈な冷波が対象を一瞬で凍結させ死に至らしめる恐ろしい武器だ。その威力は大型の猛獣、幻獣でも一撃で倒せるほどで、かつてジルがキメラドラゴンを倒そうとしたときも、切り札としてこれを用意していた。

「わたしにとって、験担ぎのお守りみたいなものでね。こいつを使って奴を倒す」

「でも、相手は岩でできてるのよ。多少冷やしたくらいで倒せるかしら?」

「そうだろうね。けど、こいつには小さいけれど強烈な冷気が溜め込んである。そこに同じくらいの高熱を叩き込んだらどうなると思う?」

 不敵な笑みを浮かべたジルの言葉にキュルケははっとした。

 凍矢にはブリザードに匹敵する冷気が詰め込まれている。そこに高熱、つまり自分の火炎魔法を加えれば、超高温と低温のふたつの相反するエネルギーはゼロに戻ろうとして一気に膨れ上がる、水蒸気爆発だ。

「恐ろしいことを考え付く人ね。でも、それでもあいつを倒せるかしら?」

「ああ、普通にやったら少々表面の岩をはがす程度で終わるだろう。だから、これを奴の口の中にぶち込む!」

 ニヤリと笑い、言ってのけたジルにキュルケは今度こそ戦慄に近い衝撃を味わった。

 口の中にぶち込む、つまり体内で炸裂させるということだが、言ってたやすく実行してこれほど困難なことはない。なぜなら、怪獣の体内奥深くまで撃ちこむには、奴の真正面から、しかも至近距離で発射する以外に手はないのだ。下手をすれば、そのまま突進してくる怪獣に踏み潰されて終わる。

「過激な作戦ね。見直したわ、格好いい死に様にこだわる貴族は山ほど見てきたけど、あなたほど平然と命を投げ出す平民は始めてだわ」

「わたしたち狩人は、命を奪って命は生きることを知ってるだけだよ。で、どうする? お前が乗ってくれないなら、もう玉砕しかないんだけど」

「フフ、愚問ね。挑戦されて逃げたらフォン・ツェルプストーの名折れ、タバサと二度と肩を並べられないわ。なにより、こんな無茶でスリルに満ちた挑戦、情熱の炎がたぎってしょうがないもの!」

 話は決まった。ジルとキュルケは、その命をチップにしてのるかそるかの大博打に挑むのだ。

 ジルの凍矢は一本、キュルケの精神力も一発に全力を注ぐ。死のうが生きようが二度目は絶対にない。

 瓦礫と足跡だらけになり、荒れ果てたヴェルサルテイルの庭に立つジルとキュルケは、こちらへと狙いを定めて突進の力を溜めているゴルゴスを睨みつけた。対してシェフィールドも、感覚的に戦いの終焉を悟って、興奮を隠しきれずに声をあげる。

「どうやら死ぬ覚悟を決めたようね。ヴェルサルテイルの花壇の真ん中に、お前たちの墓を立ててやるわ。光栄に思って死んでいきなさい」

 シェフィールドの憎悪が間接的になのにゾッとするほど伝わってくる。いい迷惑だが、その憎悪には真正面から応えてやろう。

 ふたりに頭を向けたゴルゴスが、口から蒸気を吹きながら突進を始めた。同時にゴルゴスの全身のガーゴイルも銃口のすべてをふたりに向ける。まだ距離は数十メートルはあるというのに、まるで巨大な要塞が動いてきているようなすごい圧迫感だ。

 そして、なによりも寸足らずな見た目をしているくせにゴルゴスの口から放たれる叫び声は猛々しく、声だけは王者のように轟いてふたりを圧倒しようとしてくる。

 だが、覚悟を決めたジルとキュルケは動じない。逃げてと慌てて叫んでくるシルフィードに、黙って見ていなさいと叫び返してゴルゴスに真正面から眼光をぶつけ返した。

「いくぞ、この一発で、奴の息の根を止めてやる」

 ジルが愛用の弓に凍矢をつがえて引き絞った。並の腕力ではビクともしない固いつるがギリギリと大きくしなり、生身の足と義足でしっかと地面を踏みしめて狙いを定める。

 さらにキュルケも杖を高く掲げて、残った魔法力を注ぎ込んでいく。溢れた炎の力がキュルケの周りで揺らめき、彼女の赤毛がまるで本当に燃えているかのようだ。

「光栄に思いなさい。このわたしとパートナーを組めるなんて、タバサのほかは誰もできなかったことよ。さすが、タバサのお師匠ね、敬意を払って、わたしも魔法の全力を出すわ。でもね、正直、今のわたしが全力を出すとどうなるのか自分でもわからないのよ。いっしょに丸焦げにしちゃっても恨まないでね」

「それは心強いな。シャルロットもいずれ、すべてを凍りつかせるすごいメイジに育つだろうから、相棒ならそれくらいはつとめてやらないと足手まといだろう。太陽が落ちてきたようなすごい赤を期待するよ」

 軽口を叩き合い、ジルとキュルケは己の敵に再び眼を向けた。ジルが弓を引き絞り、キュルケが一歩下がって杖を握る。

 すでにゴルゴスとの距離は十数メートル。しかし、不思議なことにふたりの眼には猛スピードで向かってくるはずの怪獣の突進が豚の散歩のようにゆっくりと見えた。シェフィールドがなにかをわめいているようだが、もうふたりの耳には届かない。

 狙うは怪獣の口。それも喉を通り抜けて胃袋にぶち込まなくては意味が無い。だがその代わりに、特別効く薬を調合してやる。体が固くて注射が嫌なら無理にでも飲んでもらおう。心配はいらない、副作用はてきめんだ!

 ゴルゴスが大きく口を開いた瞬間、ジルは矢を放った。白く輝く冷気の帯を引いて、凍矢はゴルゴスの口腔を通り抜けて喉の奥へと飛び込んでいく。

 一瞬を置き、キュルケも魔法を放った。魔法力を最大限に注ぎ込んだ『フレイム・ボール』だ。しかし、それは巨大な火球などというものではなく、むしろ小さな、人の頭程度の大きさくらいしかなかった。

 だが、キュルケの放ったそれが目の前を通過していったとき、ジルは太陽が目の前を通っていったのかと錯覚した。炎ではなく煮えたぎるマグマが凝縮されたような灼熱の玉。わずかでも触れたら肉も骨も残さずに蒸発してしまうだろう。

 白と赤の光がゴルゴスの喉の奥の闇に吸い込まれていき、ジルとキュルケは身を翻した。地面を蹴って左右に飛びのき、頭から庭園の芝生に突っ込んで、体中を芝の葉だらけにしながらゴロゴロと転がった。そのすぐ横をゴルゴスが象の大群のように、体も浮き上がるほどの地響きをあげて通り過ぎていく。ふたりは芝生に体を伏せたままその激震に耐え、そして通り過ぎていったゴルゴスに対して、短く別れを告げた。

「ごめんなさいね」

 突如、ゴルゴスの岩石の全身から蒸気が噴出した。

 そして、次の瞬間。リュティスの街に虚無の光が閃き、ヴェルサルテイル宮殿の庭園に火山が出現した。

 この日、リュティスの市民は救世主の存在を知る。しかし同時に、偽物の希望を打ち砕ける本物の勇者たちが薄氷の勝利を得ていたことを知る者は、まだ誰もいない。

 

 

 続く



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第23話  あの湖に希望を込めて

 第23話

 あの湖に希望を込めて

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス 登場!

 

 

「いまよ! シルフィード、飛んで!」

「わかったのね! あとはシルフィーにまかせるのねーっ!」

 怪獣ゴルゴスの爆発の炎と煙がヴィルサルテイル宮殿の庭園を焦がす。

 飛び散る岩。かつて建物やガーゴイルの一部だった残骸が白い尾を引いて四方に飛び散っていき、その爆発の起こした強烈な爆風を翼に受けてシルフィードが大空高く飛び上がっていく。

「うわーぉ! やっぱりあなたの背中は最高ね。前より速くなったんじゃないの」

「ふふん、シルフィも日々成長しているのね。さ、こんなところはおさらばしてトリステインまで急ぐのね。しっかり掴まってるのねっ!」

 背中にジルとキュルケ、タバサの母を乗せてシルフィードは一路西を目指して飛んだ。あの爆発の中、超低空で飛んでジルとキュルケを拾い上げて、その大きな体で守って飛び上がったシルフィードもまた、以前に比べて大きく強くなっていたのだ。

 翼を大きく広げ、高空の風を掴んだシルフィードは風韻竜本来の力を存分に発揮して、鳥よりも速く飛翔する。もう王宮警護の竜騎士が気づいても手遅れだろう。風韻竜はこの世のどんな生き物よりも速い、その誇りがシルフィードの胸に芽生えつつあった。

 しかし、リュティスから急速に遠ざかりつつあるシルフィードを背後から猛追する複数の影があった。

「おい、後ろから何か来る。鳥じゃない……ちっ、追手だよ!」

 ジルの狩人として鍛えた眼が、かなたからの刺客を素早く捉えた。黒い点のようなものが次第に大きくなり、コウモリのような翼を持ったガーゴイルの形をとっていく。数はざっと二十体、こちらより速い、このままでは追いつかれる!

「きゅいい! わたしより速いって、どういうことなのね!」

「向こうは余計な人数を乗せてないからな、軽い分速いんだろう。しかしあの女、しつっこいものだね」

「声色からプライドの高さはうかがえたものね。わたしにも見えてきたわ、空中戦用の鳥人型ガーゴイルみたいね。ゲルマニア軍が似たようなものを使っているのを見たことがあるわ」

 キュルケの視力でもわかるくらいだから、かなり近づいてきていると言えるだろう。実際、両者の距離は急速に縮まりつつあった。それは、ガーゴイルが魔法先進国であるガリア製であることと、もうひとつ、送り込んできた張本人であるシェフィールドの執念によるものだった。

 ゴルゴスが爆破されたとき、シェフィールドはゴルゴスに一体化していたガーゴイルとの交信がすべて消えたことで敗北を悟った。しかし、もはや追い詰められるところまで追い詰められたシェフィールドは、なりふり構わずに手持ちの最後のガーゴイルを使ってまで追ってきたのであった。

「貴様らだけは、貴様らだけは何としてでも生かして帰すわけにはいかない。殺してやる、私のすべてと引き換えにしてでも殺してやる!」

 ガーゴイルやゴーレムは、その操る人間の技量と感情に応じて能力が上下する。今、怒りと屈辱の極致に達したシェフィールドの執念が乗り移ったガーゴイルは、小鳩を見つけた猛禽がごとくシルフィードに襲いかかろうとしている。

 振り切れない! さらにガーゴイルたちはジルが見たところ近接戦用の爪などだけでなく、腹部に奇妙なふくらみがある。

「まずいな。あのガーゴイルども、腹の中に爆薬を抱えてるぞ」

「ええっ! それってもしかして、シルフィーに抱きついて……ドカーン! きゃーっ!」

「落ち着きなさいよ。わたしだってまだ死にたくないんだからね。まったく、もうほとんど精神力は残ってないってのに、度を越えたアンコールは無粋の極みよ!」

 追撃を阻止するため、ジルとキュルケは再び武器をとった。弓に矢をつがえ、杖をかざして呪文を唱える。

 だが、すでに矢玉も精神力も尽きかけている。はたして二十体ものガーゴイルを撃退することができるかどうか。

「きゅいい! ジルにキュルケ、お願いだからお願いするのね! あんなのといっしょにドッカーンなんて絶対イヤなのね!」

「好きな人間がいたらお目にかかりたいわね。あなたは黙って飛んでなさい。ちょっとでも速くね! 疲れたなんて言ってたらみんな揃って花火よ!」

 シルフィードは全力で飛んで、少しでも敵が追いついてくるのを遅らせようとがんばった。本来ならガーゴイルの到達できないほどの超高空まで逃げるか、雲に飛び込んで撒くかするのだが、これ以上高く飛べば虫の雲に突っ込むことになる。また、こんなときに限って身を隠せるほどの雲は無い。

 つまり、ひたすらに真っ直ぐ飛んで逃げるしかないわけで、シルフィードが振り切れない以上、運命はジルとキュルケに託された。

「残りの矢は三本か。キツいねえ、狼の大群に囲まれたときのことを思い出すよ」

 まずはジルが弓を引き絞り、先頭のガーゴイルに矢を放った。狙いは違わず、矢尻はガーゴイルの頭に突き刺さり、次いで巻きつけられている火薬筒に引火して、赤黒い炎がガーゴイルを両隣と後ろにいたのを合わせて四体ほどスクラップに変えた。

 しかし、炎の中から別のガーゴイルが群れをなしてまた出てくる。生き物ではないからひるみもしない様子にジルはうんざりしたように言った。

「狼ならリーダーを潰せば逃げ出すんだけどねえ。これだから貴族の作るものは嫌いだよ、値段だけは張るくせにかわいげがない」

「凍矢をお守りにしてる人がよく言うわね。でも、ガリアの商品はダメなのが多いわよねえ。あの国でショッピングしようと思うと錬金の真鍮めっきと混ざりものの宝石のアクセサリーばっかり。寮で隣の部屋の子に買っていってあげたら、「だから高級品はトリステインの上品なものに限るわ」って言うんだけど、よく見たら『トリステイン王国・クルデンホルフ公国立工房製』って保証書に書いてあるのよね。だから目利きは大切なのよ、まあわたしは目利きされなくても美しいけど」

 芝居の台詞のように早口でまくしたてながらも、キュルケは流れるような繊細さで杖を振るい、凝縮した火炎弾を撃ち放った。

 爆発! またも数体の不運なガーゴイルが使い物にならないゴミになって空に舞い散っていく。まったくもったいない話だ。今ぶっ壊したガーゴイルに使われた分の税金でいくらの没落貴族が仕事にありつけることか。

 ジルとキュルケがほぼ同じくらいの数を撃破したことによって、敵の数はぐっと減った。が、脅威は変わらずに迫ってくる。一体でも取り付かせたらこっちの負けだ。

「ははは、早くなんとかしてなの! 怖い気配がどんどん近づいてきてるなのお!」

「うるさいよ。こっちだって疲れてるんだ。揺らさずにまっすぐに飛びな」

 ジルの矢とキュルケの魔法がガーゴイルたちを狙い撃って吹き飛ばす。しかし、相手も今度は編隊を広く取ってきたので同時に倒せた数はさっきより少ない。

「これが最後の矢だ」

「奇遇ね。わたしも次の魔法で打ち止めみたいよ」

 ふたりは同時に魔法と矢を放った。ガーゴイルの編隊のど真ん中でふたつはひとつになって、先にゴルゴスを粉砕したほどではないが、それなりに大きな爆発を引き起こしてガーゴイルたちを吹っ飛ばした。

 そして……それによってふたりの武器は尽きた。

 ジルは、ふうと息をつくとシルフィードの背中に腰を下ろした。次いでキュルケも杖をしまうと、ポケットから櫛を取り出して髪をすきはじめた。

「ちょちょ! どうしたのねふたりとも! まだガーゴイルはふたつ残ってるのね! すぐ後ろまで来てるのね」

「矢がない」

「精神力もないわ」

 簡潔にきっぱりとふたりは答えた。使える攻撃手段は今ので使いきり、今のふたりはなんのあらがいようもできないただの人間にほかならなかった。

 目の前に迫ってきているガーゴイルに対して打てる手は、ない。この期に及んでじたばたとするよりは、逃げ切れるほうに懸けて余計なことはしないほうがいいだろう。

「と、いうわけで。シルフィード、あとはよろしくね」

「ええええええええ!!」

 最終的に責任を丸投げされたシルフィードは当然のように仰天した。当たり前だが、彼女としてはジルとキュルケがなんとかしてくれるものと期待していた。なのに、最後がコレとはきつすぎやしないか。

「ちょちょ! シルフィーじゃ逃げられないって言ってるでしょ! まだ二体もガーゴイル残ってるでしょ! ドッカーンてなっていいの! ドッカーンって!」

「矢がなくちゃどうにもならないよ。風韻竜は世界一速いんだろ、もうトリステインとの国境間際じゃないか。根性みせろ」

「ジルの鬼ーっ! 悪魔ーっ!」

 シルフィードは、平気で無茶ぶりしてくるところもやっぱりタバサの師匠だと思った。超実戦主義で、毎回背水の陣のスパルタを当たり前のようにやってくる。こちらの意思なんかちっとも考えちゃいないのだ。

 追いつかれたら爆弾で丸ごとにドカーン。それが嫌なら必死で逃げるしかないので、シルフィードは文字通り死んだ気になってがむしゃらに飛んだ。

「へえ、ガーゴイルどもが引き離されていくぞ。やればできるじゃないか」

 ほめられてもちっともうれしくなかった。今回一番肉体労働してるのは間違いなく自分だろう。そっちはやることやりきって気が楽だろうけど、こっちだって疲れているんだ、もう少し感謝のこもった言い方はないものか。

 しかし、シルフィードが速く飛べば飛ぶほど疲れるのに対して、ガーゴイルたちは疲労などなく同じ速さで追撃してくる。一度は引き離したものの、またも距離がぐんぐんと近づいてきた。

 まずい……シルフィードは一気に力を出した分スピードが衰えている。そこへ、それを見通したかのようにガーゴイルからシェフィールドの声が響いてきた。

「あははは! どうやらそこまでが限界のようね。あなたたちもよく頑張ったけど、勝負はより多く駒を持つほうが勝つものなのよ。さあ、もう遊ぶのも飽きたわ。このまま揃ってハルケギニアの空に輝く星にしてあげる!」

 勝ち誇るシェフィールドの笑い声。しかし今回は前までと違って油断してはおらず、ガーゴイルたちは無駄な動きをせずにまっすぐに迫ってくる。あの女は今度こそ本気だ。取り付かれたら、有無を言わさず大爆発を起こして吹き飛ばされるだろう。

 対して、こちらには打てる手が尽きている。シルフィードは、羽根の感覚がなくなりそうな中で必死に叫んだ。

「ふたりともーっ! お願いだからなんとかしてーっ!」

 すると、ジルは深々とため息をついてつぶやいた。

「……ふぅ、やれやれ、どうにか逃げ切れてくれと期待したんだけれど、やはり少し無理だったか。仕方ない、できれば使いたくなかったんだけど、奥の手を使うか」

 そうしてジルは片ひざを立ててしゃがむと、義足に打ち込まれているピンを数本引き抜いた。それで義足はジルの足から外れて、ごろりと転がった。

「やれやれ、こいつを作るのには苦労したんだけどな本当に」

「なんですのそれ? ああ、おっしゃらないでもわかったわ。爆弾でしょ、その義足」

 キュルケのQ&Aに、ジルは軽く口元をゆがめると、義足のももの部分の奥に火縄を突っ込んで火をつけた。

 これで爆発する。起爆は十秒後、投擲するタイミングを計っているジルにキュルケが呆れたように言った。

「驚いた人ね。爆弾を足に仕込んだまま、これまで跳んだり跳ねたりしてたの。わたしも大概だけど、あなたほど危険な香りのするレディは見たことないわ」

「使えるものは全部使うのが狩人の流儀でね。前に足をドラゴンに食われたから、今度は腹の中から吹き飛ばしてやろうと思って作ったのさ。シルフィード、腹減ってるなら半分食わせてやってもいいぞ」

「死んでもお断りするのね!」

「そうか、なら向こうにくれてやるとしよう」

 そう言って、ポイとジルは義足を宙に放り出した。義足はそのままくるくると宙を舞って、近づいてくるガーゴイルのほうへと飛んでいく。

 そして、ガーゴイルたちの正面に到達したとき、火縄が火薬に届いて起爆した。そう、例えるならばルイズの失敗魔法くらいの規模の爆発で。

「うわっ、と! すごいわね、ここまで衝撃が来たじゃない。あなた、いったいどれだけ火薬詰めてたのよ」

「うーむ、昔の恨みで詰めれるだけ詰めてたんだが、ちょっとやりすぎたかな。次はもう少しは減らすか」

「いえ、できれば金輪際やめてくださいなの。歩く爆弾抱えて飛ぶなんておっかないことイヤすぎるの!」

 爆発が晴れると、後にはガーゴイルのカケラも残ってはいなかった。奥の手というよりは最終兵器というんじゃないかという威力で、こんなものを抱えた人間とさっきまで火の粉が舞い散る戦場で戦っていたかと思うとぞっとする。

 それなのに、当のジルはといえば他人事のように涼しげで気にした様子も無い。今度はシルフィードだけでなく、キュルケもジルがタバサの師匠なのだとしみじみ思った。涼しい顔をして当たり前のように過激なことをする。それも冗談ではないレベルで実行するので心臓に悪いったらない。

 とはいえ、ジルの奥の手のおかげでどうにか追手を撃退できたようだ。後ろから迫ってきていたガーゴイルの姿はもうなく、キュルケはやっと一息をついた。

「やっと終わったみたいね。シルフィード、もうゆっくり飛んでもいいわよ」

「きゅい? も、もう大丈夫なのね?」

「ええ、もう追手の姿は見えないわ。それに、いつの間にかもうトリステインの領内に入ってるじゃない。ここから先はのんびりいきましょ」

「そ、そうね。シルフィーもやっと休めるのね。ふぅー」

 全力を出し切って疲れきったシルフィードは、気が抜けたように息を吐いて、ゆっくりとした飛び方に変えた。

 ここまで来たら、もう大丈夫だろう。トリステインに入ってしまえば、あとは魔法学院までたいした時間は必要ない。長い幽閉生活から解放されて、キュルケは懐かしい自分の部屋を思い出して思わずほおを緩めた。

 

 だが、シルフィードが安心して速度を落としたのを見計らったかのように、彼女たちの真上から二体のガーゴイルが逆落としに降ってきたのだ!

 

「きゅいーっ!」

「っ! しまったぁ!」

 二体のガーゴイルにがっちりと組み付かれ、シルフィードは悲鳴をあげ、ジルは怒りの叫びをあげた。

 完全に油断した。ガリアの領域を抜けたとばかり思っていて、自分としたことが気を抜きすぎてしまった。

「くそっ、しつこい女め!」

「言ったでしょう。お前たちは必ず死んでもらうと! こうしてお前たちが油断する時を待っていたわ。勝負は、最後の最後まで切り札をとっておいたほうが勝つのよ」

 シェフィールドの勝ち誇った声がガーゴイルから響く。ジルとキュルケは、必死にガーゴイルを引き剥がそうとするが、人間の力ではビクともしなかった。

「無駄よ。このガーゴイルは自爆用の特別製、一度食いついたら二度と離れないわ。さあ、あと十秒よ、始祖にお祈りでも捧げなさい」

「ふざけるんじゃないわよ!」

 キュルケもジルジルも、とりついたガーゴイルをなんとか引き剥がそうとした。不意を打たれてしまったのは自分たちが油断してしまったせいだ。目的地に着くまでは安心すべきではなかったのに。

 しかし、ふたりの懸命さもむなしくガーゴイルは離れず、シェフィールドの声だけが愉快そうに響く。

「あはは、そんなことをしても武器も精神力も尽きたあなたたちにはなにもできないわ。ここは高度千メイル以上、不時着しようとしてももう遅い。選ぶなら爆死するか、飛び降りて墜落死するかだけよ」

「ざっけんじゃないってば! タバサなら、あの子なら絶対にあきらめないわ」

「ふん、シャルロット姫ね。ならばお前たちも今すぐに後を追うといいわ!」

「きゅいーっ! そんなことないの! おねえさまはきっとまだ生きてるのね!」

 激昂したシルフィードの声が、あと数秒の命だというのにガーゴイルに突き刺さる。するとシェフィールドはガーゴイルを通して、三人に絶望を叩きつけるべく言い放った。

「なら教えてあげるわ! シャルロット姫はもうこのハルケギニアのどこにもいないのさ。ロマリアの妖怪どもの術によって、別の世界に追放されてしまったんだそうよ。死んで魂になってさえ戻ってこれないような、そんな異世界へね!」

「異世界……!?」

 シルフィードとキュルケは、タバサの屋敷での戦いでタバサを吸い込んでしまった空の穴を思い出した。

 あれが異世界への扉? そういえば、ヤプールもあんなふうに空に穴を開けて違う世界からやってきていた。ならば、タバサを救う方法など……

 キュルケ、ジル、シルフィードの心に雹が降る。やれる限り、できる限り戦い抜いてなお、望みが叶わないものなんだと打ちのめされる絶望が心を掴む。

 そしてなによりも、もう時間がない。シルフィードに取り付いたガーゴイルの体は赤熱化して、あと瞬き一回分で爆発してしまうに違いない。

 打つ手はもはや三人ともなにもなく、墜落していくシルフィードとともにすぐに全員が同じ運命を辿るだろう。もはや勝利を逃すわけもなくなったシェフィールドの笑い声が不愉快に響くが、どうしようもないどうすることもできない。

「さあフィナーレね。最後の情け、お前たちの死に顔だけはこの目に焼き付けておいてあげるわ!」

 起爆の時間が来た。ガーゴイルの体内に仕掛けられた爆弾が膨れ上がり、シェフィールドの興奮も最高潮に達する。

 

 ガーゴイルの目を通したシェフィールドの視界の中で、対になるガーゴイルの体表にひびが入り、炎が噴出すのが見えた。

 終わった。これで連中は死んだ! 爆発を見届けたシェフィールドは、爆発の閃光で自分の目までやられないようにガーゴイルとのリンクを切った。それに一瞬遅れて、ガーゴイルの自爆を証拠としてすべてのコントロールも消滅した。

 やった……これであの連中は死んだ。満足げに微笑むシェフィールドに、ジョゼフが問いかけてくる。

「ミューズよ、片はついたのか?」

「はっ、ジョゼフさま! シャルロット姫の母君と使い魔と他数名、たった今トリステインとの国境近辺にて爆死いたしましてございます」

「そうか……これで、シャルロットの忘れ形見も消えたか。また、なんとも悲しいことだな」

 そんな感情など微塵も感じさせずに言うジョゼフに、シェフィールドはうやうやしく頭を下げたまま尋ねた。

「死体を回収いたしましょうか?」

「無用だ。シャルロットに見せ付けてやるならまだしも価値はあるが、今はただの屍よ。それよりも、余はこれから忙しくならねばならぬようだ。余は無能王だからな、つまらぬ仕事でこれ以上疲れたくない、すまぬが面倒を引き受けてもらえぬか?」

 そう言ってジョゼフの見下ろした先には、丸こげの死骸と化したカイザードビシどもの哀れな姿が累々と転がっていた。

 やったのは、もちろんジョゼフである。彼の発動したエクスプロージョンの威力によって、当て馬として用意された怪獣たちは与えられた役目どおりに派手に倒され、彼らの目論見どおりにリュティス中の人間の目を引いていた。

 

「おお、なんだ……あの化け物たちが一瞬で」

「魔法、魔法なのか? けど、あんな魔法見たこともないぞ」

「見ろ! あれ、あの空の上!」

 

 市民の何万、何十万という目が自分へ向いてくるのをジョゼフは感じていた。

 さて、ここまでは作戦どおり。リュティスの市民の頭の中に、エクスプロージョンは最高の形で刷り込むことができた。あとは、市民たちの頭の中が真っ白なうちに、伝説の虚無の名と救世主の存在を刻み込めばいい。

 が、ここまで来てなんだが、ジョゼフは市民に向かって名乗りをあげて演説をぶるということに、気乗りがまったくしなかった。ジョゼフにしては珍しいことに、自信がないと言ってもいい。

「民に語りかける仕事か。シャルルのやつならうまくやったであろうなあ。しかし俺はどうも、なにを言えばいいのか皆目わからん。シャルルとはいろいろ張り合ったが、こいつばかりはな」

「ジョゼフさまは凡人には理解できぬお方。それゆえ、愚民の機嫌とりなどは似合いませぬ。わかりました、ここはわたくしめがジョゼフさまの口となって、愚民どもに甘美な夢を見せてやりましょう」

「フフ、では任せるぞ。では、余はせいぜい偉そうに立っていることとしよう」

 おもしろそうに、ではお手並み拝見とばかりに不敵な笑みをジョゼフはシェフィールドに見せた。

 そしてジョゼフはガーゴイルの上に胸を張って立ち、リュティス全域を鋭い眼光を持って見渡した。その、たくましくも精悍な姿に人々の目は吸い込まれ、まるで神話の英雄のようにさえ神々しく見えた。

 

「あれはジョゼフ王! もしや、いやまさか」

「まさか、あの無能王が! い、いや、しかし」

 

 流れを察した市民たちの動揺が大きくなる。ジョゼフの精悍な姿に見惚れる心と、無能王を疑う心が人々の中でぶつかり合っているのだ。

 しかし、迷い戸惑う気持ちは心を混沌にして、どんなに聡明な人間の心にも空白を生じさせてしまう。

 シェフィールドはまさにその心の空白を突き、全リュティスの市民の心に影のように滑り込んだ。

 

「すべてのガリアの民よ、聞きなさい! この地を襲った悪魔の使者は今倒されました。あなたたちは救われたのです! 見たでしょう、怪物を倒した神々しい光を! あれこそ、始祖ブリミルの与えたもうた伝説の系統、”虚無”なのです! そして虚無を操り、奇跡を起こしたお方こそ誰でしょう! ガリアにあって始祖の血を引くお方! この国の正当なる統治者、ジョゼフ一世陛下なのです!」

 

 風魔法のマジックアイテムで増幅されたシェフィールドの声がリュティス全域に響き渡った。

 市民たちの中をいままでで一番の衝撃と動揺が走った。虚無、まさか! ジョゼフ王が、まさかそんな!

 人々の心は揺れ動き、一部ではすでに壮観なジョゼフの偉容に見惚れている者も出始めている。

 それでも、無能王ジョゼフを疑う目はなお多い。しかし、それでいいのだ。シェフィールドの呼びかけはあくまで呼び水なのだから。ほら、もう本命がそこまで来ている。

 

「リュティス市民の皆さん! 我々はロマリア宗教庁、教皇ヴィットーリオ・セレヴァレ聖下の使いの者です。我々は、今この時を持ち、始祖ブリミルの御名においてジョゼフ一世どのを虚無の担い手と認定いたしました!」

 

 聖獣ペガサスを駆って飛び、ジュリオが準備していたロマリアの神官団がジョゼフを前にして高らかに宣言した。

 そして、大勢はこの時に決したと言ってよかった。

 

「おお、あれは本物のロマリアの! すると、やはり本当だったんだ」

「虚無の担い手。始祖ブリミルの再来だ! おお、なんて頼もしいお姿だ」

「ジョゼフ王こそ救世主、ガリアの英雄だ」

「英雄王ジョゼフばんざーい! ばんざーい!」

 

 本当はシェフィールドとジュリオの差し向けた神官とのあいだに、あと二言三言の言葉のやりとりがあったのだが、もはやそれはどうでもよかった。

 怪獣を倒した魔法という直接的な証拠と、なによりハルケギニアで絶対的な権威を持つロマリア宗教庁の公認。それらが絶対的なインパクトと説得力を有して人々の思考を完全に支配してしまったのだ。

 かくして、無能王は英雄王になった。

 リュティスの市民たちは、昨日まで蔑んでいた相手に歓呼の声を送り、ジョゼフもそれに応えてかっこうよく杖を掲げる。

 しかし、ジョゼフの本当の心を知る者は誰もいない。

 なんともはや、予定通り、計画通り。ジョゼフはあまりのたやすさに興奮などなく、ひたすら馬鹿馬鹿しさばかりを感じていた。

”シャルルよ見ているか? 俺は今、英雄になったんだぞ。実に簡単だった、俺は今こそお前を超えることができたのかもしれん”

 心中で棒読みの言葉を並べつつ、ジョゼフは形だけは完璧な英雄王を演じ続けた。もはや眠気さえ覚えてくるけれど、これも英雄のつとめだと思って我慢した。

”それにしてもシャルルよ。俺とお前は昔、この国の民のために国をもっとよくしていこうと誓っていた。しかし、民とはいったいなんなのだろうな……?”

 そしてシェフィールドは、輝ける存在になったジョゼフの勇姿に感動しつつ、精一杯の演出に心を砕いていた。

 無言を貫くジョゼフに代わって弁舌をふるい、ジョゼフの威光をさらに高めるべく訴える。たとえそれがわずかな期間だけの、虚構で作られたものだったとしてもシェフィールドは構わなかった。

 彼女は思う。ジョゼフさま、あなたは今まさに何者にも負けないくらい輝いております。たとえあなた様がそれを望まなかったとしても、ジョゼフさまほどの王の才覚を持つ人間などおりませぬ。憎むべきは、類まれな才能をさずかった天才を活かせずにあなどり続ける愚劣なガリアと、世界の人間たちのほうです。ならば、シャルルさまのお耳に届くよう、ヴァルハラまで響く愚民どもの断末魔のオーケストラを奏でてやりましょう。わたくしは永遠にあなた様にお供いたします。そしてすべてが終わった後で、地獄でわたくしが酌をしながらあなた様の覇業を語りましょうと。

 ジョゼフの心に根ざす闇の詳細は、シェフィールドさえせいぜい表層しか理解できていない。従って、こうした行いが本当にジョゼフの喜びになるのか、実のところ彼女にも自信などなかった。

 しかし、シェフィールドはそれでいいと思っている。自分の考えで計りきれるほどジョゼフの器は小さくも浅くもない。それでも、今の自分にはジョゼフから与えられた役割がある。それがある限り、自分はジョゼフにとって不要なものではないはずなのだから。

 シェフィールドの見渡すリュティスの景色は、すでにジョゼフへの歓呼一色となっていた。これから、ロマリアの口からジョゼフが無能王と呼ばれてきた所業のすべてはエルフによるものだということが語られて、ジョゼフはその洗脳から解放されて救世主として現れたのだと言えばすんなり受け入れられるに違いない。

 そして、憎むべきはエルフだということになり、高らかに『聖戦』が宣言される。ガリアの人間は奇跡の虚無の力に浮かれて、エルフ討つべしと気勢をあげるのも目に浮かぶ。その先に用意されているのは地獄だというのに。

 ともあれ、茶番劇の幕は開いた。あとは大団円まで引っ張れるかは演者の腕にかかっている。だが、世界の破滅の懸かった茶番劇だ、腕のふるいがいがある。なにより、シャルロットをはじめとする邪魔者はもはやいないのだ。

 そう、我らの大望をはばむ者はもういない。ガリアはこれで完全に支配下におき、ロマリアの教皇の権威が後押ししてくれている以上、遮る者はすべて異端者として処理できる。ゲルマニアもロマリアには逆らえないし、小国トリステインなど歯牙にもかからない。もはやハルケギニアをあげた聖戦の発動は決まったも同然なのである。

 邪魔者が消えた以上、自分の残りの人生はジョゼフさまの望みを成就させる一点にのみ使う。シェフィールドの心は情熱で燃え上がり、それ以外のすべてを忘れて輝いていた。

 

 

 が、シェフィールドはこのとき、たったひとつ計算違いをしていたことに気づいていなかった。

 それは、確実に始末したと思ったキュルケたちの生死についてである。

 あのとき、シェフィールドは爆発寸前のガーゴイルから、自分の目がやられることを恐れてリンクを切った。ところが、リンクを切ってから実際にガーゴイルが爆発するまでの間に、ほんのコンマ数秒だけタイムラグがあったのだ。

 もちろん、そんな瞬きひとつするだけで終わってしまう時間でキュルケたちに打てる手などあるわけがない。しかし、シルフィードの必死の努力によってかろうじてトリステイン領空へと飛び込めていたことが、キュルケたちの運命を天国への門から引きづり戻すことになったのだ。

 

 爆発寸前のガーゴイルに組み付かれて墜落していくシルフィード。だが、その様子をトリステインに入ってから、彼女たちの頭上より、ずっと鋭い視線で睨み続けていた者がいたのだ。

 それは、最初は空を飛んでいても誰も気に止めないほどの小さな存在でしかなかった。その正体とは、白い文鳥のような一羽の小鳥である。それゆえ、シェフィールドにもシルフィードにも気づかれていなかったのだが、全速力で飛ぶシルフィードにやすやすとついてくる速さとスタミナは文鳥のものではない。

 そしてその小鳥は、目の前で繰り広げられた戦いをじっと見守り続けていたが、シルフィードがガーゴイルに組み付かれて墜落していくのを見ると、シルフィード目掛けて雷のように急降下を始めた。

 小鳥の視界の中でシルフィードが見る見るうちに大きくなっていく。シルフィードの背に乗っているキュルケやジルの姿も、すでにくっきりとその眼に捉えていた。

 シェフィールドが、ガーゴイルとのリンクを切ったのはちょうどその時である。強いて言えば、このときシェフィールドの視界に小鳥は入ってはいた。ところが、あまりにも小さくありふれた小鳥の姿だったので、シェフィールドは完全にそれを見過ごしてしまっていたのだ。

 だが、もしもあとほんの一瞬でも長くシェフィールドがガーゴイルと視界を共用していたら、彼女はとてもジョゼフの演劇に気持ちよく参加することはできなかったに違いない。

 なぜなら、シェフィールドが目を離したまさにその瞬間だった。それまで手に乗るほど小さかった小鳥が、一瞬にして翼長五十メートルもの巨鳥へと変貌し、シルフィードとのすれ違い様に爪の一撃で持ってガーゴイル二体をバラバラに引き裂いたのである。

 決着はそれで着いた。バラバラにされたガーゴイル二体は風圧で数百メートルは吹き飛ばされ、そこで起爆して空のチリとなった。もちろんシルフィードにはなんの影響もない。

 そして、巨鳥はくるりとUターンして戻ってくると、墜落し続けていたシルフィードを鷹が雀を捕えるように空中で掴みあげて、そのままトリスタニアのある方角へと飛び立った。

 シルフィードと、ジルやキュルケはあまりに一瞬の出来事にわけもわからず、ショックでそのまま気を失った。しかし、巨鳥はシルフィードを守るようにがっちりと掴んだまま、音の速さにも近い猛速で飛んでいく。その行く手を遮ることは、何人たりとて許さないという王者の飛翔。行く手の山々で猛禽は逃げ出し、オークやトロルも脅えて巣穴に引きこもる。圧倒的な威圧感を振りまきながら巨鳥は闇に包まれた空の下を飛翔して、やがて人里近くにやってくると速度を緩めて、王都トリスタニアのトリステイン王宮の中庭へとゆっくりと降りていった。

 

 

 それから、およそ半日ほど時間が過ぎた頃になる。戦いの疲れから深い眠りについていたキュルケは、どこか見覚えがあるような寝室で目を覚ました。

「ここは、えっと……ヴァルハラ、じゃないみたいね」

 質素ながらこぎれいに片付けられた寝室のベッドから身を起こし、周りを見回したキュルケは、自分がまだ天国とやらに導かれたわけではないらしいことを悟った。

 手は動く、足も動く。胸に手を当てれば、ルイズが血涙を流して悔しがる豊満なふくらみを通して心臓の鼓動が伝わってくる。心配せずとも、まだ幽霊でもゾンビでもないらしい。

「どうやら、助かっちゃったみたい」

 口に出して言うことで、キュルケは自分自身を安心させた。

 完全に死ぬかと思ったけれども、死なずにすんだようだ。しかし、いったいどうして助かったんだろうかと、キュルケは寝ぼけが残る頭を揺さぶって、自分がどうなったかを確かめようと試みた。

 服は清潔な寝巻きに着替えさせられているが、自分の杖は枕元に置いてあった。六人分のベッドが並べられた寝室には自分以外には誰もいないけれど、自分に危害を加えてきそうなものは見当たらない。

 ここはどこか? 少なくとも、かなり大きめの施設か屋敷のようだけれど、不思議とどこかでこの部屋を見たような気がする。どこだったろうか? その答えが見つかるかもと思い、キュルケは窓辺に歩み寄ると、板戸で閉ざされていた窓を大きく開けて外の景色を見渡した。そして、さしものキュルケも驚いて自分の目を疑った。

「ここって、トリステイン王宮じゃないの!」

 夢の続きかと思ったが、紛れもない現実がキュルケの網膜に飛び込んでくる。窓の外に広がっていたのは、何度も訪れたことのあるトリステイン王宮の光景そのままであった。

 見回りをしている兵士がいる。庭の草木の手入れをしている庭師が窓の下で働いている。右を見れば城門が、左を見れば高い尖塔が幾本もそびえる王宮がある。王宮の建物に刻まれた、メカギラスとの戦いの際の火災の跡もそのままだ。

 完全に思い出した。見覚えがあるのも当然。ここはバム星人との戦いがあったときに、一休みしていた兵士の控え室ではないか。それに気づくと、記憶と風景が見事に合致する。ここは天国でもヴァルハラでもなく、間違いなくトリステイン王宮だ。

「ど、どういうことよ! わたし、ええっ!?」

 パニックに陥りかけ、なんとか落ち着こうと自分に言い聞かせるものの、納得できる答えなど思いつけるわけもなかった。

 最後の記憶はトリステインの国境線の空の上。それがなにをどういう経緯を辿れば王宮に来ているのか、キュルケは豊かな想像力を持っているほうではあったけど、これらをつなぐシナリオを推理しろというのは神業でもなければ無理だったろう。

 と、そうして騒いでいるのが聞こえたのだろうか、部屋のドアのノブがガチャガチャと回される音がしてキュルケは振り向いた。

「おっ! 赤いのやっと目が覚めたみたいなのね」

 入ってきたのはすでに元気いっぱいに回復したシルフィードだった。また人間の姿になっているが、彼女の身につけているものはトリステインの女性兵士の衣装であった。

「シルフィード、あなた。無事だったのね。ああ、さっそくで悪いけど教えてちょうだい。あのときいったいどうやって助かったの? あなたが王宮まで運んでくれたの?」

「わわわ、そんなにいっぺんに言われてもわからないのね。えっと、えっと」

 シルフィードの頭では矢継ぎ早の質問にはパンクしてしまいそうだった。それでも、なんとかリクエストに答えようと頭をひねるものの、口数の少ないタバサを相手にするよりずっと難しいキュルケにどう答えたものか脳みそがついていかない。

 だが幸いにも、キュルケの疑問はシルフィードの後から入室してきた麗人によって氷解された。桃色の髪を持つルイズに良く似たその麗人に睨みつけられると、興奮していたキュルケの血液も一気に冷え込んでしまう。そして、麗人は息を呑んでいるキュルケの目を見据えて言った。

「それだけ元気が余っていれば余計な前置きはいりませんね。お久しぶりですね、ミス・ツェルプストー」

「は、はい、お久しぶりです。ヴァリエール、せ、先生」

 恐縮しながらキュルケは答えた。不遜が服を着て歩いているようなキュルケでも、この人に直接睨まれると子兎のようになってしまう。この、『烈風』カリンことルイズの母親カリーヌ・デジレ。学院で前学期に教師をしていたころは生徒たちを例外なく恐怖のどん底に叩き込んだ眼光はいささかの衰えも見せてはいない。

「さて質問に答えましょう。簡単なことです。ガリアからあなたたちがトリステインに入ったときから監視していたのですよ、私の使い魔がね」

「使い魔……あっ!」

 キュルケは、カリーヌの肩に止まっている小さな文鳥を見てはっとした。

「わかったようですね。私は、世界中の空が閉ざされた時から使い魔を放って、トリステインに敵が侵入する気配がないかを監視し続けていたのです。そこに偶然、あなたたちが飛び込んできたというわけです。事情はどうあれ、あなたたちは私の教え子のひとり。ガーゴイルどもを破壊させて、気を失ったあなたたちをここまで運ばせてきました。理解できましたね?」

「は、はい!」

 そういうわけかとキュルケはすべてを飲み込んだ。カリーヌの使い魔、巨鳥ラルゲユウスの力は主人ともどもハルケギニアでは伝説となっている。爪の鋭さは竜を上回り、五十メイルを超える巨体が音よりも早く飛べば眼下の町はその羽ばたきだけで灰燼に帰す。あらゆる幻獣を上回るパワーだけでなく、あるときは手のひらに乗るくらいまで小さくなることもできるので、それを利用して多様な計略をおこなうこともできる。『烈風』カリンがいるために、小国トリステインが他国から侵されなかったのはこの文鳥のように愛らしい守護神がいたおかげでもあるのだ。

 なるほど、『烈風』の使い魔となればあの絶望的な状況をひっくり返すことも不可能ではない。キュルケは、あらためて最上級の形で礼を述べ、そしてこれまであったことの知っている限りを伝えた。

「……というわけです。ガリアのジョゼフ王は恐ろしい男です。無能王などと呼ばれていますが、実際は悪魔的な底知れなさを持つ破滅主義者です。側近のシェフィールドとかいう女を使って、恐ろしい謀略の数々をおこない、タバサも奴の手で……」

 訥々と話すキュルケに、カリーヌは黙ってじっと聞いていた。ガリアの無能王の暗部、それが世界を滅ぼそうとしているほどのものとは常識的には信じがたいが、しかし。

「わかりました。数ヶ月間の幽閉生活、本当に大変でしたね。生徒の窮状になにもできなかったことは、教師の立場として申し訳ありませんでした。ガリアに対しては、私から女王陛下に具申して対策を練りましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 意外にあっさり信じてくれたことにキュルケは驚いた。実際のところ、話半分でもいいところだと思っていたのだけど、しかし『烈風』は嘘をついたりはしない。

 だが実は、カリーヌにはキュルケの言をすでに信じざるを得ない材料が揃っていたのだ。キュルケが眠っている間にガリアから届いた速報、ジョゼフ王の虚無の担い手であることのロマリアの証明と聖戦への参加、これに裏がないと思うほどおめでたい頭をカリーヌはしていない。ただ、目覚めたばかりのキュルケにこれ以上の心労をかけてはいけないと気を遣ったのである。

 そしてカリーヌは、さらにキュルケに驚くべきことを告げた。

「学生の身の上でありながらの貴女方の奮闘は賞賛に値します。ですが、事態はすでに貴女たちの力を超えて巨大化しているようです。これからは、貴女たちは私の指揮下として働いてもらいましょう」

「えっ! ですが、わたしはゲルマニアの。いえ、それよりもわたしたちには」

「わかっています。事情のおおまかなところはそちらの風韻竜からも聞きました。貴女方にはまずシャルロット姫の救出をおこなってもらいます。あまりきれいなやり方ではありませんが、ジョゼフ王に対抗するにはシャルロット姫こそが最大の切り札となりましょう。わかりますね?」

「それはもちろん、タバサもきっとジョゼフを止めようとすることでしょうし……けれど、タバサはもう」

 カリーヌの意外な提案に、キュルケは喜ばしくも逡巡した。確かにカリーヌやトリステインが味方についてくれれば心強いことこの上ない。しかし、すでにタバサは奴らの手によってハルケギニアから消されてしまったのだ。

 ところが、そんなどうしようもない絶望に打ちひしがれるキュルケの元に希望がやってきた。カリーヌの後ろから扉をくぐり、義足の代わりに松葉杖を突いたジルが入ってきて言った。

「そのことなら、もう私たちが見通しをつけてある。お前は寝すぎなんだよ。シャルロットを取り返せるかもしれないわずかな可能性、見つかったぜ」

 誇らしげに語るジルと、唖然とするキュルケ。そしてジルの後ろからもう一人、優しげな笑みをたたえてカリーヌから覇気と烈気を抜き、柔和さと温厚さを代わりに抱かせたような女性が現れた。

「シャルロット姫が異世界に飛ばされてしまったということは聞きました。ですが、可能性がないわけではありません。トリステインに伝わる伝説のひとつに、ラグドリアン湖の底には異世界へとつながる扉があるというものがあります。ミス・ツェルプストー、あなたには妹のルイズがお世話になったようですね。姉として、そのご恩に報いるために力を貸させてくださいな」

 キュルケの手を握り、穏やかに述べた彼女の眼には偽りならぬ光が宿っていた。

 ルイズと同じ桃色の髪と、正反対にふくよかな体つき。およそ争いごとには向かないであろう印象を与える彼女は、しかし『烈風』の血を引く意志の強い瞳をして、自らを「カトレア・ド・フォンティーヌ」と名乗った。

 

 

 続く



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第24話  希望と絶望の伝説

 第24話

 希望と絶望の伝説

 

 蘇生怪人 シャドウマン 登場!

 

 

 タバサを、異世界から連れ戻すことができるかもしれない。その淡い期待を胸に抱いて、一台の馬車がトリステイン王宮からラグドリアン湖へ向けてひた走っていた。

 

「殿方の噂に、ヴァリエール公爵家に女神の寵愛を一身に受けた美姫がいると小耳に挟んだことはありますが、根も葉もないものと忘却の沼地に捨てていました。いえ本当に、人間の常識などというものは当てにならないものですわね」

「お褒めいただき光栄です。けれど、わたくしにレディの手ほどきをしてくださったのはお母さまです。母は、他人にも自分にも厳しい人ですから苛烈に見えてしまいますが、母ほどの貴婦人はわたくしの知る限りおりませんわ」

「ええ、わたしもそう思いますわ。ミス・カトレア」

 馬車の中で揺られながら、キュルケは前の席で温厚そうな笑みを浮かべているルイズのひとつ上の姉を見つめた。

 彼女はカトレア・ド・フォンティーヌ。『烈風』カリンの娘であり、エレオノールを姉に、ルイズを妹に持つヴァリエール三姉妹の次女である。しかし、他の姉妹や母の苛烈なイメージとは反対に、カトレアの穏やかでのんびりとした笑顔は、キュルケの頬をも緩ませていた。

「それにしても、今こうしてわたしがお姉さんといっしょにいると知ったら、ルイズはどう思うかしらね」

「たぶん、血相を変えて怒り出すんじゃないかしら。あの子はあれで嫉妬深いから。昔なんか、アンリエッタ王女でもお姉さまのだっこは譲らないって領土宣言していたんですよ。ふふ」

 キュルケとカトレアは、幼いルイズとアンリエッタがむきになってカトレアのだっこを取り合うのを思い浮かべて、思わず声を出して笑った。

「あっはははっ、これはルイズが帰ってきたときにからかってあげるネタが増えたわね。すぐにでも、タバサにも教えてあげたいわ」

 そう、この旅はジョゼフによって異世界へと追放されてしまったタバサを助け戻すことがなによりの目的である。普通に考えれば、そんなことは絶対に不可能だと誰もが思うだろう。しかし、藁にもすがるような今にあって、カトレアの提示してきた伝承は単なる希望以上のものとなってキュルケの胸を占めていた。

 

 

 それはキュルケがトリステイン王宮で目を覚まし、シルフィードやジルとともにカリーヌに救われたことを知ったあのときのことである。

 異世界という、人間には手の出しようもないところに追放されてしまったタバサを救う希望を失ってしまっていたキュルケ。そこへやってきたカトレアは、ラグドリアン湖に伝わる伝承を教えてくれた。それこそがトリステイン王家に水の精霊との盟約とともに語り継がれる伝説。

「ラグドリアン湖に、異世界への扉が……? そこを通れば、タバサを連れ戻せるって言うの!」

「はい、ラグドリアン湖の底には水の精霊の都があると言われ、代々トリステインの王家は水の精霊と盟約を交わしてきました。その伝承の中に、水の精霊の都にはこの世でもっとも深い海へと通じる扉があり、水の精霊はその扉を通ってラグドリアン湖にやってきたのだというものがあります。恐らく、それもミス・タバサが呑まれたという異世界への扉なのでしょう」

 キュルケは、何度も訪れたことのあるラグドリアン湖にそんな伝承があったとはと驚いた。しかし、それだけではあまりにあいまいな伝説に過ぎない。

「異世界への扉が、ラグドリアン湖に……けど、そんなものがあるならどうして誰も知らなかったの?」

「わたくしどもにも確証はありません。伝えるものも、王家に残るこの伝承だけなのです。しかし、想像は出来ます。ラグドリアン湖は、その沿岸部の浅瀬までは漁師たちにもよく知られていますが、中央部はまるで断崖のように深くなっていて、その底の深さは数千メイルに及ぶとさえ言われています。つまり、その扉にはそもそも誰も近づけなかったのです。ですが……」

 カトレアの説明に、キュルケは怒りを覚え始めていた。近づけもしないというのであれば、いくら異世界への扉があったとしても意味がないではないか。

 しかし、キュルケが激情を破裂させるより早く、カトレアはその難題を氷解させる答えを提示してくれた。

「そちらの韻竜のお嬢さんから聞きました。あなた方は以前、水の精霊と友好を結んだそうですね。人間の力では到底、深さ数千メイルに潜ることはかないませんが、水の精霊が助力してくれたとしたら、あるいは」

 はっ、と、キュルケは目の前で手を打ち鳴らされたように気がついた。

 そうだ、どうして忘れていたんだろう。以前、タバサとラグドリアン湖で砂漠化を進めている怪獣を倒したとき、自分たちは水の精霊に貸しを作っている。それを差し引いても、自分たちに対する水の精霊の心象は悪くないに違いない。さらにシルフィードがキュルケに言った。

「人間と違って精霊は恩を忘れたりしないのね。それに水の精霊は何千年も昔から叡智を溜めてきた偉い精霊なのね。きっといい知恵を貸してくれるなのね!」

「そうね。あの水の精霊なら力を貸してくれるかも。ジョゼフたちも、まさか精霊の力を借りるなんて予想もしてないに違いないわ! 見えてきたわね、希望が!」

 元より前向きな気質のキュルケは、絶望からの出口が見つかると切り替えは早かった。

 人間には解決不可能な問題でも、精霊ならば別かもしれない。そうなると、後は真っ直ぐ情熱のままに突き進むのが微熱のキュルケの本領である。

 行こう、ラグドリアンへ!

 目先の困難などまったく目に見えていない。親友であるタバサに近づける可能性があるのなら、それに懸けない道がどこにあるだろうか。

 キュルケとシルフィードは意気投合して、今すぐにでもラグドリアン湖へ飛んでいきそうなくらい盛り上がっている。ところが、竜の姿に戻って飛び立とうとするシルフィードをカリーヌが静止した。

「待て、このトリステインにもどこにガリアの草が潜り込んでいないとも限らん。ジョゼフにお前たちが生きていることを気づかせないためにも、風竜になって行くのはやめておけ」

 言われてみればそのとおりだった。せっかく執念深いジョゼフとシェフィールドを撒けたと思っているのに、こっちが生きていることがバレたら台無しになってしまう。目立つ移動手段は使えない。

 と、なれば後は徒歩か馬車かということになるが、そこでカトレアがキュルケたちにとって驚くことを提案してきたのである。

「ラグドリアン湖までは、私がヴァリエール家の馬車でお送りしましょう。お母さま、よろしいですね?」

 それを聞いてキュルケは驚いた。知恵を貸してくれるのはありがたいが、自分たちの旅はいつどこで死んでもおかしくないような危険なものなのだ。ルイズやエレオノールならまだしも、このスプーンより重いものを持ったこともなさそうな儚げな”お嬢様”を連れて行くのはとんでもない話だった。

 しかし、キュルケが止めようとすると、母親のカリーヌが事も無げに言った。

「いいでしょう。こちらのほうは我々でなんとかしておきます。ミス・ツェルプストーたちに力を貸して差し上げなさい」

「え、ちょ! ミセス・ヴァリエール! なにを言われるんですか。これは安全な旅じゃないんですよ、またいつジョゼフに気づかれて追手がかかるか。とても、ミス・カトレアを守っているような余裕はありませんわ!」

 遊びではないのだ。ジルくらい腕が立てばまだしも、足手まといを連れて行って万一のことがあっても責任は持てない。

 ところが、だ。カリーヌは娘の身を案ずるどころか、平然として言ったのだ。

「心配は無用ですよ。カトレアは、あなたの百倍は強いですから」

 仮にも私の娘ですよ、と、言外に付け加えてキュルケを見た。すると、カトレアも温厚そうな笑みを浮かべながら。

「もしも足手まといになるようでしたら、置いていってくださって構いませんわ。なんでしたら、ここで私と一戦交えてみますか?」

 カトレアの表情は穏やかだったが、その笑顔の奥にまるで神仏のそれのように底知れないものを感じてキュルケは息を呑んだ。

 そういえば、ヴァリエールの血筋の人間は皆化け物揃いだった。『烈風』カリンに『虚無』の担い手のルイズ、エレオノールは実戦に出ることこそ滅多にないものの、弱いという印象はない。

 思えばそうだ。タバサと初めて出会ったときも、とても強そうには思わなかった。メイジを見た目で判断するととんでもないことになるのは基本であった。戦えば死ぬ! 蛇に睨まれた蛙どころではなく、ドラゴリーに解体される寸前のムルチが感じたような恐怖が背筋をよぎり、キュルケはそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 ところがである。キュルケに本能的な恐怖を与えたカトレアであるが、すぐに剣呑さなどひとかけらもない温和な表情に戻ってキュルケの手をとったのである。

「ごめんなさい。わたくしも遊びではないことはよく存じているつもりです。ですが、あなた方のお噂は母や妹からよく聞かされていましたのよ。幼い頃のルイズは、友人らしい人間もおらず、わたしたちもずっと心配していました。そしてそのルイズに友達ができたと聞いたときは、どれだけうれしかったか。特に、あなたがね、キュルケさん」

「え? わたし、ですの?」

「ええ、知ってのとおりヴァリエールとツェルプストーは不倶戴天の敵同士。けれど、あなたは何度もルイズを助けてくれたと聞きました。あなたとルイズのふたりなら、ふたつの家のいさかいだけの歴史を終わらせて架け橋となることができるかもしれない。だから、わたしにも少しだけお手伝いさせてもらいたいの」

 カトレアの言葉に偽りがないことはキュルケにも伝わってきた。

 そして同時に、キュルケは自らを恥じた。自分はこれまで、ツェルプストーはヴァリエールに対して勝者として伝統をつむいできたことを誇りとしてきた。しかし、今現在はどうか? 今のヴァリエール家に対してツェルプストー家は、いいや自分は強者であり勝者だと言えるのか?

 考えて、キュルケはカトレアを正面から見返した。

「……わかりました。タバサを救うために、ミス・カトレア、あなたの力をお借りします」

「ありがとうございます。わたくしの力、遠慮なく使ってくださいませ」

「それはもちろん。ただし、ひとつだけ訂正しておきたいことがありますわ」

「なんです?」

「わたしとルイズは友人ではありません。あくまでツェルプストーのわたしはヴァリエールの宿敵。しかし、わたしとルイズはこれまでに多くの借りと貸しを作り作られてきました。その清算が片付くまでは、少なくともルイズとは休戦いたしましょう。あと何十年かかるかわかりませんけれども、ね」

 にこりと笑い、キュルケとカトレアは手を取り合った。

 それはキュルケにとって、プライドを天秤にかけたギリギリの譲歩だった。しかし、口に出さなくても伝わる思いというものはある。建前の裏に隠されたキュルケの本音を、カトレアはきちんと見抜いていたのだ。

 カトレアは思う。「とても熱いけれども、とても暖かい人。でも、本当に大切なところを表に出せないところは、うちの子たちと似てるわね」と。多くの動物や怪獣たちと触れ合い、物言わぬ彼らの心と触れ合ってきたカトレアにとっては、キュルケの虚勢を見破る程度は造作もないことだったのだ。

 そして同時に思う。ルイズのためにも、彼女を死なせるわけにはいかないと。

「よろしくお願いします。では、さっそく出かけることにしましょう。お母さま、後のことはよろしくお願いいたします」

「わかっております。ヴァリエール家の人間として、ふさわしい活躍を期待していますよ」

 カリーヌに激励されて、カトレアはヴァリエールの次女として使命を果たすことを杖に誓って制約した。

 

 

 そして十数分後には、キュルケたちはカトレアの用意してくれた馬車に乗って、トリスタニアの市街を横切ってラグドリアン湖への旅に出発したのだった。

「ジルが抜けたのは痛かったですが、代わりに百万の援軍を得た気分ですわ。必ずタバサを助けて、帰ってきましょう!」

 この、常な前向きさこそキュルケのなによりの武器である。カトレアが、本当にカリーヌに認められるようなメイジなら、その魔法を見るのは自分にとっても大きなプラスになるはずだ。それがきっと、タバサを救うためにも役立つ。

 そう、火の系統のメイジがくすぶっていても美しくなどない。火は燃え盛ってこそ光を放つのだ。

 情熱の本分を取り戻したキュルケはやる気に溢れ、ヤメタランスでもこの炎は容易に消すことはできないだろう。馬車の中が、キュルケひとりの熱気で室温が二、三度上がったようにさえ思え、カトレアはそんなキュルケを頼もしそうに見つめている。

 また、シルフィードは竜の姿のままでは目立つので人化してもらっていっしょに乗り込んでいる。しかし人化には大きな負担も同時にかかるらしいので、今シルフィードはカトレアのひざを枕にしてすやすやと眠っていた。

「うーん、おかあさま……イルククゥは大きくなったのね……」

「あらあら、この子ったらお母さんの夢を見ているみたいね」

 カトレアがシルフィードの髪を優しくなでると、シルフィードは寝ながら気持ちよさそうに笑った。その様子は、まさに仲のよい母と娘のそれそのもので、キュルケはルイズもこんなふうにカトレアに甘えていたのかなと、その情景を想像して、思わず口元をにやけさせていた。

 ただしかし、大家族でもゆうに乗せられそうな大きさを持つこの馬車には、残念ながら三人しか乗っていなかった。出発の前、ジルも当然同行するものと思われたのだが、ジルは早くいっしょに行こうと急かすシルフィードにこう言ったのだ。

「悪いが、お前たちだけで行ってきてくれ。私はここに残るよ」

「えっ! な、なんでなのね? ジルもいっしょに行こうなのね」

「忘れたかい? 私の足はこれだ」

 そう言い、ジルは義足を失った片足を見せた。

「あっ……」

「この足じゃお前たちの足手まといにしかならないよ。新しい義足を作ってくれるそうだけど、出来上がるには時間がかかる。それに、武器や道具も使い果たした私はただの平民だ。私が行けるのは、ここまでさ……」

 寂しげに言ったジルは、無念さをにじませながらもシルフィードとキュルケの肩を叩き、「シャルロットに会えたらよろしく言っといてくれ」と告げて去ろうとした。ところが、シルフィードはかみつくようにジルの前に出て押しとどめると、ぐっとジルの目を見つめて言った。

「ジル、ジルはこれまでずっとおねえさまやわたしを助けてくれたのね。だから、そんな自分を役立たずみたいに言わないでなのね。ジルがいたから、わたしたちはここまで来れたのね。タバサおねえさまはシルフィたちがきっと連れて帰るのね! だからおねえさまが帰ってきたときに、ジルは一番に「おかえりなさい」って言ってあげてほしいのね!」

 シルフィードのその必死な目は、これまで数え切れないほどの凶暴な猛獣と睨みあって来たジルをもたじろがせるものだった。しかし、恐ろしいものではない。それどころか、胸につかえていたものが取り除かれたように、ジルは愉快な気持ちになるのだった。

「ああ、わかったよ。じゃあ、わたしはしばらく骨休めをしているから、ちゃんとシャルロットを連れ戻してくれよ。あの子のお母さんのことなら心配はするな。ここより安全な場所はハルケギニアのどこにもない。だから、気負わず頑張って来い」

 ジルは、今度は信頼と期待を込めた手でシルフィードの肩を叩いた。

 タバサの母は、今王宮の別の部屋で休ませている。王宮の中にガリアのスパイが紛れ込んでいる可能性は無きもあらずだが、バム星人の件以来、王宮で働く人間の身元は徹底して洗ってある。そうして選ばれた王宮医が診ているので安心だ。もちろん、口の固さでも信頼はおける。

「カトレアさん、このじゃじゃ馬娘たち、手に余ると思いますが、よろしくお願いします」

 別れるときのジルの顔は、まさに母であり姉である人間のそれだった。カトレアは、その重責をしっかりと感じ取り、必ずふたりを守り抜きますと誓約した。

 王宮に残ったジルのためにも、タバサは連れ帰らなくてはならない。水の精霊に必ず会って、異世界への扉へとたどり着かなくてはすべてが無駄になってしまうのだ。

 一方で、カリーヌとカトレアはあえて口をつぐんでいることもあった。ルイズの消息のことである。すでに、ロマリアからの伝えでルイズと才人が死んだということは聞いていたが、アンリエッタをはじめ、誰もそんなことを信じてはいなかった。ヴァリエールの人間はそんなにやわではない。ルイズはこれまで過酷過ぎるともいえる戦いにすべて打ち勝ってきた。そのルイズがやすやすとやられるわけがない。なら、いらないことを伝えてキュルケの気を削ぐ必要はない。

 揺れる馬車の中で、カトレアはすやすやと眠るシルフィードの頭をひざに抱き、その温厚な表情とは裏腹に胸のうちに宿った強い決意を確かめた。そんなカトレアをキュルケは微笑しながら見ている。ふたりの間に溝はもうない。キュルケはカトレアの人柄を知ると、元々気さくな性格を表に出して、今ではすっかりカトレアと打ち解けていた。

 

 

 それが、今これまでの話である。しかし、希望という光が強くあれば、それに比例して大きな闇もまた伴ってくることを、今のキュルケは知らなかった。

 

 カトレアはキュルケに対して、ルイズに向けるようにずっと温和な態度を続けてきた。しかし、キュルケと打ち解けて彼女の人となりを確かめると、カトレアは、温厚そうな表情を引き締めて告げた。

「キュルケさん、あなたのミス・タバサを救いたいという気持ちはよくわかりました。けれど、いくらあなた方が水の精霊に恩を持っているとはいっても、水の精霊が交渉に応じてくれる可能性は限りなく小さいことを覚悟しておいてください」

「なんですの? 今になっておじけずいてきましたか。大丈夫、もし水の精霊がノーと言っても、わたしの炎でラグドリアン湖を干からびさせてでも言う事を聞かせて見せますわよ」

「そういう意味ではないのです。私たちも、可能性に懸けたい気持ちはあなたと変わりません。ですが、ラグドリアン湖にある異世界への扉、そこを潜った先には水の精霊が本来住んでいた世界があるはずですけれど、水の精霊はこちらの世界のものが向こう側へ渡ることを極めて嫌うそうなのです」

「そんなわがままな。それじゃ、まるでハルケギニアのものが汚いみたいじゃないですか。失礼なことですわね」

「その理由をこれからお話します。どうせ、ラグドリアン湖に着くまでに、知っておいてもらわねばならないことですから……」

 キュルケの疑問に答えて、カトレアは自分の知っている限りのことを伝えようと試み始めた。そう、ラグドリアン湖に伝わる水の精霊と異世界への扉への伝承の残りのすべてである。

「あなたにお話いたしましょう。ですが本来これは、トリステイン王家と血筋に近しい貴族にだけ伝えることを許された秘密です。他言はしないよう、あらかじめお願いします」

「ご心配なく。わたしの名誉と杖にかけて秘密は守ります」

 貴族の杖にかけた誓約は神に誓うことに等しい。真剣な表情になって聞く姿勢をとったキュルケに、カトレアは信頼を込めてうなづいた。

「あなたを信じます、キュルケさん。この伝承は、ヴァリエールの血筋でも二十を越えた者にはじめて明かされます。そのため、ルイズもまだ知ってはいないのです。しかし、世界の危機にこれ以上秘匿していても意味はないでしょう」

「信頼にはお応えするつもりですわ。ですが、それほどまでに秘密にこだわる理由はなんですの? これまでの話ですと、確かに衝撃的ではありますけれど、強いて秘密にするものでもないと思われるのですが」

「それは、水の精霊の伝承に、ハルケギニアの民ならば誰もが知っているブリミル教の……始祖ブリミルの動向が重なっているからなのです」

 その瞬間、キュルケの背中に冷たい汗が流れた。ブリミル教の威光と権力はハルケギニアのすべての民が恐れるものであって、睨まれれば死というのは王家や貴族も例外ではない。

 だが、つまりはその伝承がブリミル教の教義にしたら不愉快なものであるということだ。ならば王家がひた隠しにするのもわかるというものだが、聞くからにはこちらにも相応の覚悟がいる。キュルケはそれを決めた。

「外に漏れたら異端審問ものというわけですのね。上等です、続けてくださいませ」

「わかりました。伝承の時代は、今からおよそ六千年の昔に遡ります。その時代は、誰もが知っているとおりに始祖ブリミルがこの地に現れたと言われていますね。ラグドリアン湖はその時代からすでにあり、その当時は水の精霊は湖から頻繁に現れて、湖畔の人々と交流していたそうです」

「あの、気難しいと言われている水の精霊がですか? 冗談じゃありませんの」

 一度とはいえ、水の精霊と直接対面して、その人外の雰囲気を直に感じているキュルケとしては信じられなかったのも無理はない。

「あなたは一度、水の精霊とお会いしているのでしたね。嘘のように思われるかもしれませんが、同じように疑問に思ったヴァリエールの先祖が、水の精霊に直接確認して、間違いのないことを誓約されたと言われています」

「確かに、水の精霊は別名を誓約の精霊……決して、嘘はつかないのでしたね」

「そう、そして水の精霊がなぜ誓約の精霊と呼ばれるようになったのかも関係しているのです。話を戻しましょう。六千年前のその当時、ラグドリアン湖の周りにはまだ国と呼べるものは無く、わずかな人間の集落が点在するだけの、森に囲まれた穏やかな湖だったそうです。そこで、水の精霊は水害などから湖畔の人々を守って、守り神と称えられ、人々も決して湖を侵そうとはせず、共存の関係であったと伝えられています」

「今の水の精霊は、時に水害を起こして畏れられているのにまるで反対ね。それで、その湖畔の人々が、今のトリステインの人たちの先祖なわけですのね?」

「先祖、ですか……確かに、そうとも言えなくもないですが」

 そこでカトレアは言葉を濁して、表情を暗く曇らせた。キュルケは、その様子にこれからの内容にただならぬものを感じたが、カトレアの話そうとしている言い伝えはさらに想像の上にいくものであることを、カトレアの額に浮かぶ汗は示していた。

 実を言うと、内心でこのときカトレアは話を始めたことを後悔しはじめていた。母と共に、秘密を明かす必要は感じていたが、やはりこの伝承を人に聞かすのは重過ぎるかもしれない。

「繰り返しますが、ここから先の内容は秘中の秘です。それゆえに、伝承も完全に口伝で、書類などには一切残されていません。いえ、それよりも、聞かなければよかったと後で後悔するかもしれません。最後に尋ねます。それでも、よいですか?」

「今さら、毒を食らわば皿までですわ。それに、わたしたちはこれまでハルケギニアのあちこちで、常識の通用しない出来事に対面してきました。異世界からタバサを救い出すなんて、奇跡を越えた大それた事をしようとしているんです。水の精霊に関して、少しでも多く知っておかないと、後で後悔してからでは、それこそ取り返しのつかないことになりますわ」

 キュルケにとっては、ブリミル教が敵になろうと正直どうでもよかった。元々それほど信仰心の強いタイプではない。タバサを助けるために邪魔になるのなら、神官でも神でも叩きのめしていくのが偽らざるキュルケの覚悟だった。

 カトレアは、この人は引くことを知らないのだなと悟った。常に前向きで力強いさまは、どこかしらルイズに似ているようにも思える。ならばきっと、どんな残酷な真実が待っていても受け止めることができる。

「続けます……六千年前まで、ラグドリアン湖では数百年に渡って人間と水の精霊が平和に共存してきました。ですが六千年前、そこに奇怪な人間たちがやってきたのです」

「奇怪な、人間たち……ですか?」

「はい、見たこともない異国の衣装に身を包み、不思議な力を操る者たちであったそうです。空を自在に飛び回る丸い船に乗って現れ、病人を瞬く間に癒し、あらゆる食物を与えてくれ、望めばどんな不可思議をも叶えてくれました。当時、その土地には魔法を使える者はおらず、今で言う平民のみが住むところであったために、人々はその異邦人たちを大いに歓迎しました。しかし、それは最初のうちだけだったのです」

 キュルケは、カトレアの暗い眼差しに、ごくりとつばを飲み込んだ。

 空飛ぶ船に乗って現れる、見たこともない姿をした者たち……それって、まるで……

「最初に現れた異邦人の空飛ぶ船はひとつだけでした。ですが、それからすぐに後を追うようにして同じ空飛ぶ船が何隻も現れて、それぞれの船が湖畔の集落の人々を次々に囲い込み始めたのです。それまで、集落同士は争いも無く自由に行き来できたのですが、異邦人たちは自分の囲い込んだ集落の人間に、よそに移ることを禁じました。それでも人々は、異邦人たちが与えてくれる、暑さも寒さも通さない家の中で働かずに遊び呆けていられるので平気でした。ですがその間にも、異邦人たちはラグドリアン湖の周りの土地を競い合うように我が物としていき、そしてとうとう異邦人たちのあいだで衝突が起こったのです」

 その瞬間、暗雲に覆われたトリステインの空で雷鳴が轟き、稲光がカトレアとキュルケの横顔を冷たい光で照らした。

 カトレアはじっと聞き続けているキュルケに伝承の続きを語った。

 ラグドリアン湖周辺を我が物とした、複数の異邦人たちの集団はそれぞれの縄張りを主張するかのように争いを始めた。そして、その争いに駆り出されたのが元々湖畔に住んでいた人々だったのだ。

「っ! 自分たちの争いのために、無関係な人たちを駆り出したというの?」

「そうです。異邦人たちは自分で戦って傷つくことを恐れて、現地の人間をてなづけていたのです。しかしそのときすでに、異邦人たちの強大な力を目の当たりにしていた人々は命令に逆らえず、また、与えられたなんでも欲望の叶う生活を取り上げられるのを恐れて、必死にかつての隣人たちと戦いました。水の精霊は、湖からじっと見守っていることしかできませんでした……」

 水の精霊が強大な力を有するとはいっても、それはあくまで湖の中に限っての話だ。水の精霊がどうすることもできずに見守るしかできないなかで、異邦人たちは最初に人々に見せた友好的な姿勢を脱ぎ捨てて、人々をまるで奴隷のように戦わせた。

 それはまさに、見るに耐えない凄惨な光景であったそうだ。異邦人たちは人々を戦わせるに際して武器を与え、それが惨劇をさらに広げていった。

 水の精霊の知識では表現は難しいものの、異邦人たちが与えた武器というものは現代の銃に似た飛び道具だったらしい。その殺傷力はすさまじく、人々は次々と倒れていった。しかし異邦人たちの技術は医療でも神がかっており、瀕死の人間すら蘇らされて戦わされた。

「ちょっと待ってくださいな。死に掛けても無理矢理生き返させられるなんて、そんなものをみんなが使っていたら、まともな決着がつくわけがないじゃないですか?」

「そうです。苦労して敵の土地をとってもまた取り返され、そんなことが何回も繰り返させられました。異邦人たちの力は拮抗しており、戦いは長引く一方となったのです」

「まさに地獄ね。水の精霊も、さぞ無念だったでしょう」

 誇り高い貴族であるキュルケにとって、自ら血を流そうとしないその異邦人たちの愚劣な所業は許せるものではなかった。憤ったあまりに殴りつけた馬車の扉が激しく鳴り、寝こけていたシルフィードがびくりとなる。

 が、カトレアの話はまだ続いた。

「キュルケさん、あなたが高潔な人間であってくれてうれしいですわ。けれども、これだけなら今の戦争とあまり差はありません。本当に重要なのは、これからなのです」

 そこでカトレアは一度言葉を切り、息をついて呼吸を整えた。

「異邦人たちが、自らの争いのための道具として湖畔の人々を駆り出したところまではお話しましたね。互角の力を持つ者同士の戦いは日々無益に続き、ラグドリアン湖の水面までも震わせたそうです。しかし、異邦人たちは決着のつかない戦いにいらだちを募らせていきました」

 異邦人たちに抵抗する力を持たない人々の、無間地獄にも似た戦いは異邦人たちの気まぐれによって唐突に終わったとカトレアは語った。

 しかし、湖畔の人々はそれで異邦人たちの支配から解放されたわけではなかったのだ。

 互角の力を持つがゆえに終わらない戦いなら、より強い力を持たせればいいと異邦人たちは考えた。そして人々に対して、身の毛もよだつような所業を始めたのである。

「異邦人たちは、湖畔の人々の中から一度に数人ずつを選び出し、それまで決して人々を立ち入らせることのなかった自分たちの船の中に連れてゆきました。その中で、なにがおこなわれたのかはわかりません。ですが、その人たちが船から降りてきたとき、彼らには……」

「え……?」

 カトレアの口から出た言葉を耳にしたとき、キュルケの心は真空となって、それを受け入れることを拒否しようとした。

 呆けた表情となったキュルケの横顔を、窓から差し込んできた雷光が照らし、褐色の彼女の肌を、今の彼女の心と同じように白く染める。しかし、一度望んで秘密という堰を切って流れ出した真実という奔流は、カトレアの口からキュルケの心へと怒涛に流れ込んでくる。

「彼らは船に乗せられる前は、確かになんの力も無いただの人間でした。しかし、異邦人たちは彼らの頭の中をいじくり、無理矢理その力を植えつけてしまったのです」

「そ、そんな馬鹿なことがあるはずないわ! そ、その力は血統でしか伝わらないのは昔からの常識よ!」

「エレオノールお姉さまによれば、この力の源泉は脳に由来するそうです。もちろん私たちの技術では不可能ですが、理論上は可能なのだそうです。話を続けましょう。そして人々は、与えられたその力で戦争を再開させられました。それを持つ人間と持たない人間の戦いがどういうものになるかは、あなたもよくご存知でしょう? 戦いは一時、一方的なものになりました。しかし、ほかの異邦人たちもすぐに同じことをしたのです」

 戦いはふりだしに戻った。しかし異邦人たちが満足することは、なかった。

「戦いは激化し、異邦人たちの所業は、見る間にエスカレートしていったそうです。手を加えてない人々に対しても、より強力な力を付与するだけでは飽き足らず、ある者には鳥の翼を植え付け、さらには人々が家畜にしていた豚や犬に手を加え……」

 見る見るうちに、キュルケの顔も青ざめていく。一体何だ? その神をも恐れぬ所業の数々は。しかも、水の精霊の見ていたという、それがそのとおりだとするならば。

「ハルケギニアの歴史がひっくり返るどころじゃすまない話じゃないですの! まるで、それらは今で言う……」

「そうです。そしてこれと同じことが、もしもハルケギニアのあちこちでおこなわれていたとしたら……?」

 その瞬間、キュルケは猛烈な吐き気を覚えて口を抑えた。

 ハルケギニア全土……それはすなわち、自分の故郷であるゲルマニアも当然含まれる。そこで、ラグドリアン湖で水の精霊が見たものと同じことが繰り返されていたとしたら。

”まさか、そんなことって!”

 キュルケはありえないことと否定しようとした。しかし、明晰な彼女の知性は、本人の思うに関わらずに裏付けを進めてしまう。

 そう、ハルケギニアには人間以外にも様々な亜人がいるが、それらのどれもが戦うことに優れた能力を持っているのは果たしてなぜなのか。そして、その大元になったものは当然ながら、そのすべてを超えたものであるはず……そして、ブリミル教徒であれば誰もが知っている。この地に現在のハルケギニアの基礎を築いたのは誰だったのか。

 であるならば、まさか! そして、現在の自分を含めたハルケギニアに生きる者たちとは。

 つながる。偶然ではありえないほどに、パズルのピースが埋まっていく。

 キュルケの顔から血の気が引いていくのを見たカトレアは、やはり彼女も同じショックを受けたかと思うと、ルイズにそうしていたようにキュルケの体を抱きとめて言った。

「少し、休憩にしましょう。まだ、旅の先は長いのですから」

「ミス・カトレア。わたしは……いいえ、その異邦人たちとは、まさか」

「それはこれから先の話になります。ともかく、気を落ち着けなさい。大丈夫、伝承はどうであれ、それはすでに六千年も昔のこと。今のあなたに心配することはなにもありませんよ」

「……少し、ひとりで風に当たってきますわ」

 カトレアは、キュルケの意を汲んで馬車を止めさせた。周りはすでにトリスタニアから離れて、郊外の森の中へと入っている。人影もなく寂しい道だが、今のキュルケにはそれくらいがよかった。

「私はここで待っています。こちらは気にしないで、落ち着いたと思うまでゆっくりしていてください」

「ありがとうございます。わたしは、きっと大丈夫ですから」

 

 

 カトレアの馬車と別れて、キュルケはひとりでゆっくりと森の中の道を歩き始めた。

”あんな伝承、とても人に知られるわけにはいかないじゃない”

 キュルケは、数分前の自分の威勢よさを呪うしかなかった。タバサを救うという大目標のためなら、どんな大きな壁でも超えていけると思っていたけれど、このハルケギニアという世界そのものに、まさか、あんな……

 嘘であってほしい。しかし、これまでに自分たちは数々の伝説が現実であったことを見てきた。それに、この世には自分たち人間の及びもつかない悪魔的な力を持つ者たちがいることも見てきた。しかし、自分たちはそれらとは違うと思っていたのに。

 歩きながら、キュルケは自分の杖を取り出して見つめた。それは、メイジならば誰でも使える魔法の象徴。これまで自分は、その力があることを当然と思って生きてきた。だが、考えてみれば平民は持っていないこの力の起源はなんなのだ? いったいどこでどうやって、メイジの祖先はこの力を得たのだ? 自分に流れる血の源流は……そして、ルイズやタバサ、自分が知っている皆の血の源流は何なのだ?

 さらに、キュルケは静まり返った森の中を見渡した。人間だけではない。この、ハルケギニアには数多くの亜人や幻獣種がいるが、それらも過去を遡れば……

 信じたくない。自分たちの世界が、そんなものであってほしくないと、キュルケは悩みながら歩き続けた。

 

 

 そして何十分、どれくらい歩いたことだろう。ふと気づくと、キュルケは森の中に小さく開けた場所にたどり着いていた。

「墓場、ね」

 ぽつりとキュルケはつぶやいた。どうやら考えながら歩いているうちに、トリスタニア郊外の共同墓地に入り込んでしまったらしい。苔むした墓石が何十と並び、日の差さないここには時節もあってか墓参りの人間もなく、静まり返っている。

「ある意味、今のわたしにはふさわしい場所かもね」

 ふっ、と、自嘲げに息をついてキュルケは歩き出した。墓場といえば、周りにいるのは死人ばかり、人間は死んだらあの世に行くというが、ならば人間以外のものが死んだらどうなるのだろう?

 わからない、わかるはずもない。ほとほと、人の知る事の出来る真実のなんと少なくてあいまいなことか。

 

 ところが、である。なかばぼんやりと墓地を歩いていたキュルケの耳朶に、突然ありえない声が響いてきた。

”引き返せ!”

「っ! なに? 今の、誰かいるの!」

”引き返すんだ。ここは、危険だ!”

「だから何? なにが危険なの!」

 戸惑いながら周りを見渡すものの、墓地には自分以外誰も見当たらない。しかし、空耳ではなく確かに真剣に訴える男の声が聞こえたのだ。

 なにがなんなのよ? 声に従うべきか迷うキュルケは、わけもわからずその場に立ち尽くして周りを見渡し続けた。

 しかし、声が嘘でなかったとはすぐにわかった。墓場の中に立ち尽くすキュルケを取り囲むように、不気味な人影が何十人もいきなり現れたのである。

「なっ! これは大勢の殿方……わたくしになにかご用ですの?」

 ぞくりと危険を感じ取ったキュルケは、感情を困惑から戦闘に切り替えて啖呵を切った。

 これは、尋常ではない。いつ近寄られたのか、キュルケの周りは完全に囲まれている。見た目は普通の人間の男女で、いずれも喪服のようなみすぼらしい姿をしており、さらに例外なく表情には一切の生気が感じられない。まるで死人だ。

 不気味な集団はキュルケを囲んだまま、じりじりと包囲を狭めてくる。呼びかけにも答えない。こいつらは普通じゃないと思ったキュルケは、ふと連中の姿が半透明で背後が透けているのに気がついた。

「あなたたち、人間じゃないわね!」

 迷わずキュルケは正面の相手に『ファイヤーボール』を撃ち込んだ。大きな火炎弾が一直線に相手に迫る。

 だが、どうしたことか! キュルケの魔法は相手を素通りして、そのまま後ろにあった墓石を焼き払うだけにとどまったのだ。

「魔法が効かない!?」

”無駄だ、ミス・ツェルプストー。そいつらは死者の霊魂が強力な念動力で操られたもの。どんな攻撃も通用しない”

「また! だからあなた誰なのよ?」

 再び聞こえてきた男の声。しかも、自分を知っている? 見渡すが、やはり周囲には誰もいない。

 いや、そんなことより今のピンチが問題だ。こいつらがなんであれ、どう見てもいい雰囲気は持っていない。しかも、相手が霊魂、すなわち幽霊となればスクウェアの魔法でも役に立たないだろう。

「異世界に行くどころか、幽霊に取り殺されたなんて冗談にもならないわ。どうすればいいの、タバサっ!」

 なにか手立ては? キュルケは考えるが、いい考えはそう都合よく浮かばない。幽霊たちはもうすぐ、手を伸ばせば届くところまで迫ってくる。

 やられるっ! キュルケがそう観念したときだった。

 

「地の精霊よ! 濁流となって、汚れたものたちを深淵の底へと押し流せ!」

 

 突然聞こえてきた透き通るような声。するとその瞬間、墓地全体の地面が大きく鳴動して、まるで流砂になったかのように地上の墓石や木々をまとめて飲み込みだしたのだ。

「なっ、なんなの! わ、わたしも沈むっ!」

”飛べ! 君たちの魔法なら飛べるだろう”

「そ、そうか。なんで忘れてたのよ! わたしのバカ」

 声の指示に従って、キュルケは『フライ』を唱えて飛び上がった。たちまちたった今まで立っていた場所が泥の海になり、墓石が沈んでいったのを見てキュルケは肝を冷やした。

 墓地はすでに根こそぎ沈んで跡形もない。幽霊たちも、墓の下の遺体が沈んだためか姿を消していた。

「なんてこと……少し遅れてたらわたしもいっしょに……けど、墓地を丸ごと沈めるなんて、まるで話に聞くエルフの先住……」

「精霊の力と言え」

 はっとして、キュルケが振り返ると、そこにはまたいつの間に現れたのか、白いフードを目深にかぶった人物がキュルケの近くに浮遊魔法を使って浮いていた。

「これは、どこのどちらさまかしら?」

 警戒心をあらわにして、キュルケはその相手に杖を突きつけながら問いかけた。

「ご挨拶だな。結果的にとはいえ、お前を助けたのはわたしだぞ? お前がまずすべきことは、わたしへの礼ではないのか?」

 見下したように告げる相手の言い様に、キュルケは内心で腹を立てたが、冷静な部分では別のことを思っていた。

 この声は、女だ。顔は見えないが、間違いない。しかし、さっき何度も警告したりしてくれた声とは別人だ。あちらの声は、やや年齢を重ねた男性の声だった。だが、この声は若い女性の……いや! そういえばさっき、精霊の力と……それに、よく見たら彼女は宙に浮いているというのにメイジの証である杖を持っていない!

「……危ないところをお助けいただき、ありがとうございます。けれど、あなた人間じゃないわね」

「ほぉ、蛮人の割には察しがいいな。しかし、わたしをさっきの連中と同類とされたら不快だな」

 そう言って、相手はフードを取り去って素顔を見せた。そこに現れたのは、透き通るような白い肌に金色の髪。そして長く伸びた耳。その容姿はエルフ! 間違いない。だが、それよりも相手の顔つきを見てキュルケは愕然とした。

「テ、ティファニア!? いえ、似ているけど、違う?」

 すると、素顔を見せたエルフの少女は興味深そうに笑った。

「なに? なるほど、わたしの従姉妹を知っているのか。これは、大いなる意思も味な導きをしてくださるものだ」

「ティファニアの、従姉妹!? いえ、そんなことよりなんでエルフがこんなところにいるの!」

 動揺しながらもキュルケが問い詰めると、その相手はティファニアに似ながらも鋭い目つきをした顔に薄い笑みを浮かべて告げてきた。

「わたしはアディール水軍所属、ファーティマ・ハッダード上校だ。ネフテス評議会の大命である。大いなる意思の導きに感謝して、我が従姉妹と仲間たちの下に案内願おうか」

 

 

 続く



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第25話  狙われたサハラからの使者

 第25話

 狙われたサハラからの使者

 

 ロボット怪獣 ガメロット 登場!

 

 

 このハルケギニアと呼ばれる世界で、六千年の昔に大きな戦争があった。

 それはエルフの伝承では大厄災と呼ばれ、一度世界中を完膚なきまでに破壊しつくしたと言われ、恐れられている。

 しかし、それほどの大戦争がなにが引き金になったのか、何者が引き起こしたのについては今なお謎が多い。

 時間軸を遡り、六千年前の過去に飛ばされてしまった才人はそこでヴァリヤーグと呼ばれていた光の悪魔を目の当たりにした。怪獣を次々と凶暴化させてしまうこのヴァリヤーグによって、世界が滅亡への道を辿ったのは間違いない事実であろう。

 それでも、謎は残る。

 六千年前、ヴァリヤーグという存在によって大厄災が引き起こされた。しかし、その前はどうなのかはほとんどの記録が沈黙している。

 大厄災が起きる前のハルケギニアはどんな土地だったのか? どんな人々が住んでいたのか? どんな文化があったのか? 翼人のような亜人はどうしていたのか? エルフはどうだったのか?

 不思議なことに、どんな記録や伝説を見ても、六千年前以前の歴史は切り落とされたかのように消滅しているのである。失われた古代史……エルフや翼人は、大厄災の混乱で記録が消失してしまったのだと結論づけているものの、いくつか残された古代の遺跡にも大厄災以前についての記述だけはないのだ。

 

 だが、唯一六千年前より以前からハルケギニアで生き続けてきた水の精霊だけは、その秘密を知っていた。

 当時、わずかな人間たちしか住んでいなかったラグドリアン湖に前触れもなくやってきた奇妙な異邦人たち。彼らは最初こそ友好的な態度を示したが、やがて本性を表した。

 異邦人たちの目的は、自分たちの勢力拡大のための戦争に使う生きた駒として住民を利用することだった。

 苦痛だけ与えられて、勝敗のつかない堂々巡り。そんな茶番劇が延々と続くと思われたが、これは悪夢の序章に過ぎなかった。

 カトレアが語るのをためらい、キュルケでさえ聞いたことを後悔するような所業。それを水の精霊は見てきたのだという。

 

「こんなこと、絶対に世の中に知られちゃいけない。けど、このハルケギニアって世界は、いったい……」

 

 話のあまりの重さに苦悩するキュルケ。だが、運命の潮流は彼女に迷っている時間を与えてくれなかった。

 

 迷い込んだ墓地で突然襲ってきた亡霊たち。そして、続いて現れた、キュルケの見知らぬ砂漠の民の女。

「アディール? ネフテス? それって確か、ルクシャナの言っていたエルフの国の都と政府のこと? あなたが、エルフの国の使者だっていうの?」

「声のでかい蛮人だな。だが、あの変人学者のことも知っているならなお都合がいい。連中のいる場所までの案内を重ねて要請する。わたしはネフテスから全権を預かってきた者である」

 警戒心を隠しもせずに睨みつけるキュルケと、尊大に命令するもう一人の女。しかし、この誰も予想していなかった邂逅が、彼女たちにとってもハルケギニアにとっても極めて重大な意味を持つことを、まだ彼女たちも知らない。

 

 

 そして、墓場での戦いから十数分後、招かざる配役を交えて物語は再開される。

 

 

 がたん、ごとんと馬車の車輪が道を踏み、車内の椅子に心地よい振動を伝えてくる。

 しかし今、馬車の中は一種異様な空気が充満していた。

「なんであなたがわたしたちの馬車に乗っているかしら? ミス・ファーティマ」

「気にするな。命を救ってやった貸しを親切で安く取り立てているだけだ。正直歩き疲れていたのでな、乗り物が見つかったのはちょうどいい」

「あらあら、まあまあ」

「え? なに? なんなのこの眺め。シルフィーがお昼寝してるあいだに何があったというのね?」

 まるで、鉢合わせしたドラコとギガスのように一触即発の空気。唖然としているシルフィードの目の前で、視線の雷がぶつかりあって見えない大戦争を繰り広げている。

 キュルケと相対して、殺伐とした空気を振りまいている招かれざる同乗者の名はファーティマ。フルネームはファーティマ・ハッダードといい、元はエルフの水軍の少校を勤めていた。

 もしここにティファニア本人がいたならば、喜んで歓迎の意を表しただろう。しかし、ティファニアの従姉妹だといい、エルフの評議会からの使者だというファーティマをキュルケは信用できないでいた。どうしてかといえば、確かに容姿は目つきの鋭さを除いてティファニアにそっくりではあるけれど、ティファニアや、百歩譲ってルクシャナと比べても、ファーティマの人間に対する蔑視は露骨であったのでキュルケも不快を禁じえなかったのだ。

「あなた、本当にテファのご親戚なの?」

「そう言っている。血統書でも見せなければ満足できんか? いいから黙ってあの娘たちのいるところへ連れて行け。それがなによりの証明になるとなぜわからん」

「怪しい相手を友人の下に連れて行くバカがどこにいるっていうんですの?」

 そもそも、エルフの国からティファニアの元へと使者が送られてくるということ自体がキュルケにとっては寝耳に水だった。むろん、ティファニア個人に対してではないが、想像もしていなかったのは事実である。

 なぜなら、才人たちが東方号ではるか東方の地のサハラへの遠征をしているちょうどその頃、キュルケはガリアに囚われて幽閉され、外部の情報からは完全に隔離されていたからである。だから東方号のことや、アディールで起こったヤプールとの一大決戦についても何も知らなかった。対してファーティマは、キュルケがそれらについてティファニアやルクシャナの知り合いならばわかっているだろうという前提で話しているので、両者が噛み合うはずがなかった。

 キュルケは、図々しくも馬車に同乗を決め込んできたファーティマを苦々しく睨んでいる。シルフィードはあまりの空気にどうすることもできずにいて、カトレアだけが物珍しげに笑顔を浮かべていた。

「こんなところでお友達を連れてらっしゃるなんて、キュルケさんの交友関係はとても広いのですね」

「ミス・カトレア、わたくしは友人は選んで付き合っているつもりですのよ。と、いうより今日初めて会ったばかりの、こんな横柄なエルフを友人にする趣味なんて持ち合わせていませんわ」

「エルフエルフとうるさい女だ。サハラもハルケギニアも変わらぬと言いにきたのは貴様らだったろう。なら、エルフのわたしがどこにいてもそれは自然の摂理というものだ」

「それならば、海の上とか火山の噴火口でとかをおすすめしますわよ。サラマンダーと輪舞をなさるなら、極上のお相手を紹介いたしますわ」

 互いに相手を牽制しあい、歩み寄りの気配など微塵もなかった。ファーティマに対し、キュルケは始めから機嫌が最悪だったこともあり、考えたいことがほかに山ほどあって、この無礼なエルフに対してとても愛想よくする気にはなれなかったのだ。

 ファーティマは、どこへ向かっているのか聞いてもいない馬車に揺られながらも、特に焦ってはいないように見えた。大方、どうせ案内させることになったら方向転換させればいい、とでも思っているのであろうが、その図々しいまでの神経の太さだけは感心に値した。思えば、エルフが一人で堂々とハルケギニアに乗り込んでくることなど正気のさたではない。ルクシャナにしても、当初は念入りに正体を隠していたのだ。

 人間のエルフへの恐怖はそれほど深く、同時にエルフの人間に対する侮蔑もまた深い。このふたりの対立は、まさに人間とエルフという二種族の縮図ともいえた。

 しかし、その一方でキュルケの心の片隅では、先ほどカトレアから語られた伝承が消えずに繰り返されていた。あの伝承が正しいとすれば、その人間とエルフの対立自体、まったく意味のないものになるのではないだろうか。気に入らない女だが、そう思うと少しだけキュルケにも冷静さが戻ってきた。

「とりあえず、先ほど助けられた恩義だけはありますから、借りは返したいけれど……はぁ、まったく、乗ってきたものは仕方ないとしても、ミス・ファーティマ、わたしにはあなたを悠長にエスコートしている時間はないんですわよ」

「時間がないなら作ればよかろう。お前の用がなにかは知らないが、わたしの用より重要だとは思えん」

 できるだけ柔和にお断りの意志を伝えてもファーティマはにべもなかった。そういえば、水軍の士官だと名乗っていたなと思い出した。軍人ならば居丈高な態度も納得できるというものだが、だからといって要求にこたえてやるわけにもいかないのも事実だ。

 今の自分たちにはタバサを救うという大切な使命があるのだ。余計なことに関わっている時間はないと、キュルケは焦っていた。

 すると、そんなキュルケのいらだちに気づいたのか、カトレアが両者をなだめるように、キュルケの抱いている疑問を代わりにファーティマに尋ねた。

「まあまあ、お二人とも。そんなに自分の意見ばかりを主張しては始まりませんわ。ところでファーティマさん、わたしは少し前にあなたのお国にお邪魔したお転婆娘の姉なのですが、よろしければそのときのことを少しお聞かせ願えませんか? お土産話を楽しみにしていたのに、あの子ったらとても忙しいらしくって」

 カトレアの柔和な表情と声が、馬車の中の張り詰めた空気をやや解きほぐした。しかしなぜ彼女がこうした質問ができたかといえば、アンリエッタを通して以前のルイズたちの活躍をすでに知っていたからであった。

 ファーティマは、カトレアの温和な空気に少し毒を抜かれたようで、軽く息を吐くと以前のアディールでの戦いを語って聞かせた。

 サハラの地にやってきた人間たちの船『東方号』。人間とエルフの和睦を目指してやってきた彼らと、それを妨害せんとするヤプール。そしてアディールでおこなわれた大怪獣軍団との決戦。結ばれた、人間とエルフの間の確かな絆。

 それらのことを、キュルケやシルフィードはこのときはじめて知ったのだった。

「ルイズやテファたちが、そんなことを……!」

「シルフィたちが捕まっているあいだに、あのちびっこたちすごいのね!」

 このときの彼女たちの心境を地球流に表現すれば、浦島太郎というほかなかったろう。ほんの何ヶ月か牢の中にいただけだというのに、まるで何十年も時間が経ってしまったかのように思えた。とても信じられなかったが、つこうと思ってつけるような嘘ではないことは確かだった。

 すると、ファーティマのほうもようやくキュルケたちとの意識の差を理解した。

「呆れたものだな。トリステインから来た蛮人たちのことは、今やサハラで知らない者はいないぞ。それなのに、こちらでは民はおろか連中の友人たちすら知らぬとは、どうなっているのだ」

「わたしたちは、少々込み入った事情があるんですのよ。ミス・カトレアはこのことを?」

「ええ、ざっと聞き及んでおります。しかし、事が事だけに、公にするにはいましばらくの用意がいると姫様からはうかがっておりましたが」

 エルフに対して、悪鬼の印象を植え付けられているハルケギニアの民に、その意識を百八十度転換させるには上からの押し付けではとても無理なことをアンリエッタも理解していた。そのため、周到に根回しを進めていたのだが、まさかそれを始める前にこんなことになるとは予想だにできなかったことだろう。

 キュルケとシルフィードは、自分たちが留守にしているうちに世界がめまぐるしく動いていたことを知った。ルイズや才人たち、クラスメイトや友人たちは自分がいないあいだにも世界を救おうと必死に努力していたのだ。

 だが、引き換え自分はどうか、こんなところでつまらない問題につき合わさせられている。まあ、事情を最初から知っていたとしても、このファーティマというエルフは気に食わなかったであろうが、心の中の嵐が静まってくると、キュルケはある思いを持ってファーティマの顔をじっと見た。

「なんだ? わたしの顔になにかついているのか」

「いえ、失礼いたしました。そして、どうやらあなたのおっしゃることは正しかったようですわね。無礼を、お詫びいたしますわ」

 相手はエルフ、ハルケギニアでの恐怖の象徴。しかし、今のキュルケはそのエルフを恐れる気持ちにはどうしてもなれなかった。

 人間とエルフは不倶戴天の敵。しかしそれは宇宙が始まったときからの法則に記されているわけではなく、後年の誰かが勝手に決めたことだ。そしてその起源は……あの伝承が確かだとすれば、根底から無価値だったということになる。

 ファーティマは、怪訝な様子で押し黙ってしまったキュルケを見ている。しかしその瞳には、侮蔑や傲慢とは違った光が少しだけ隠されていた。

”おかしな女だ。怒ったと思ったら急に沈みこんだり。しかし、素直に謝罪の言葉が出るとはなかなかできた人物ではあるようだな。少なくとも、少し前のわたしにはできなかったことだ”

 内心で自嘲したファーティマは、それまでキュルケたちに見せていた傲慢な態度とは裏腹な感想を抱いていた。

 そう、一見して人間を見下している態度に徹しているかのように見えているファーティマだが、その本心ではかつてティファニアが命を懸けて灯した友情の炎が消えずに灯っていたのである。

 が、ならばなぜファーティマはキュルケをあおるような態度を続けるのだろうか? いや、それはエルフが人間と変わらない心を持つ生き物だということをかんがみれば、察することもできると言えよう。そして彼女は、実はずっとキュルケたちを観察していたのだった。

”ものわかりの悪い女だが、わたしの素性に確信がいくまでテファに会わせまいとするあたりは情のある人物ではあるようだな。不満は残るが、ようやく信用に足る人物を見つけられたか”

 重ねて述べるが、トリステインはエルフにとってはいまだに敵地である。そこへ踏み込み、特定の任務を果たすためには一時の油断も許されないのだ。

 実際、ここに来るまでにファーティマは誰も信じられない孤独な旅路を送っていた。ルクシャナの百倍は生真面目な彼女が、人間に対する態度を硬化させたとしても仕方がないであろう。

 本当にキュルケたちを見下していたのであれば、キュルケに案内の役が務まらないことを知った時点で馬車を去っていればいい。しかしそれをしなかったのは、任務遂行の使命感と、かつて自分を救ってくれたティファニアを忘れていなかったからだ。

 ただし、それらとは別に、彼女には使者としてのほかに、もうひとつ隠された目的があった。

”魔法学院とやらで連中の行方を聞いても、どうにもわからず行き詰まっていたが助かった。しかし、この国をざっと見てみたが、やはりテュリューク統領やビダーシャル卿は変わり者だ。あのときやってきた連中はまだしも、まだ蛮人たちの大半は大いなる意思の加護も理解できず、この国も国内すら統一しきれていない。こんな連中と接触したところで、我々に害をなすだけではないのか? だがまあ、任務は任務だ、もうひとりの女は多少は話がわかるようだし、わたしの運もまだ尽きてはおらんだろう。ともかく、これをあの連中に渡すまで、万一のことがあってはいけない”

 ファーティマは心の中でつぶやき、懐の中に忍ばせた”あるもの”を確かめた。

 それは、彼女がサハラから来るに際して、テュリューク統領とビダーシャルから厳命された任務だった。

「よいかね、ファーティマ上校。君にはネフテスの名代として人間たちの国へと向かってもらう。道筋は、以前ルクシャナ君の記したものがあるから海から回ってゆくとよいじゃろう。本来なら、ビダーシャル君にまた行ってもらいたいが、あいにく今は彼を欠いては蛮人、いや人間世界に詳しい人物がおらなくなってしまうからのう。君には苦労をかけるが、使者としてティファニア嬢と血縁関係にある君以上の適任がいないのじゃ」

「先のオストラント号の件で、歴史上はじめて人間がネフテスに来て以来、多くの者が人間と接触はした。だが、まだ大衆はあの船の人間だけしか知らず、ハルケギニアの人間の大多数が我らを恐れていることへの実感が薄い。今のうちに理想と現実の差を埋めておかねば、後で大変なことになるのは目に見えているからな。それから、使者としても当然だが、君に預けるそれは、恐らく今後の世界の命運を左右する可能性を秘めている。必ず、あの船の人間たちに届けてくれ」

「はっ! 鉄血団結党無き後、水軍を放逐されていておかしくなかったわたしに目をかけてくれた統領閣下方のためにも全力を尽くす所存です。ご安心ください」

 ネフテスから人間世界への使者へと、もうひとつ、東方号へと、ある重要な物品を届けることがファーティマに課せられた使命であった。それを果たすまでは、些事にこだわって余計な遠回りをするわけにはいかない。

 しかし、任務の重大さとは別に、ファーティマ自身はこの任務に必ずしも乗り気ではなかった。なぜなら、ファーティマは以前に才人たちがサハラに乗り込んだとき、反人間の過激派組織である鉄血団結党の一員であり、その手によってティファニアの命が脅かされたこともある。現在は鉄血団結党は解体したけれど、ファーティマ自身人間への偏見を完全に忘れたわけではないし、自分の素性を知っている向こうにしても少なくとも好んで顔を見たい類の相手ではないであろう。

 ただし、今はそんなことまで口にする必要はない。ファーティマは、相手の警戒心を解くために、現在のサハラがどうなっているのかを語った。それによれば、現在のサハラは先のヤプールとの決戦で甚大な被害を受けたアディールを一大要塞都市に作り変えて、反攻のために戦力を整えている。そして、そのリーダーシップをとっているのが、先の戦いで信望を深めたテュリューク統領なのだとキュルケたちは聞かされた。

「エルフは完全に戦うつもりなのね。それなのに、わたしたち人間ときたら、いまだに各国の意思の統一すらできていないんだから、うらやましい限りだわ」

「当たり前だ。我々砂漠の民は、滅ぼされるのを待ち続ける惰弱の民ではない。過去の人間たちとの戦い同様に、侵略は断固として迎え撃つ。しかし、先の戦いで敵の戦力がお前たちと戦うよりずっと強力であることがわかったのでな。お前たちのようなものでもいないよりはマシだろうと、来るべき決戦に参加させてやりにわたしが来たまでだ」

「そういう態度をこちらでは手袋を投げつけに来た、と言うのよ。けど、実際に的を射ているから頭が痛いとこなのよね。まったく、せめてジョゼフさえいなければねえ」

 エルフの世界に比べて、ハルケギニアのなんというガタガタ具合かとキュルケは呆れたようにつぶやいた。

 ベロクロンの戦いの後、現在のアンリエッタ女王はヤプールの侵略に対して各国で協力体制を作るよう呼びかけてきたが、それは一年以上経った現在でも成し得ていない。アルビオンとは友好国であるし、ゲルマニアは信頼関係こそ乏しいがアルブレヒト三世が現実主義者であるため同盟国という立場はとれている。ロマリアは立場上中立としてもいいが、問題はガリアであった。アンリエッタがいくら呼びかけても、のらりくらりと回答をかわして、今に至ってもまともな関係は築けていない。それがどうしてかというならば、キュルケにはもうわかりすぎるくらいわかっていた。

「ジョゼフがいる限り、ハルケギニアの一体化を邪魔し続けるでしょうね。しかしそれにしても、あなたみたいなのが使者に遣わされるなんて、統領さんはなにを考えているのかしら」

 と、キュルケがつぶやくと、ファーティマはつまらなさそうに答えた。

「知らん。だが、とにかくわたしは自分に課せられた使命には忠実でいるつもりだ。お前たちに危害を加えるつもりならば、とうの昔にやっている。わたしがこの地に出向いてきた、テュリューク統領の意思は平和と友好のふたつにこそある」

 そう言いながら、ファーティマは自分が言ってこれほど白々しい言葉もないなと自嘲していた。ほんの半年ほど前の自分には夢にも思わないことだ。あの頃の自分だったら、いずれ水軍の大提督になって人間世界へ攻め込むことを夢見ていただろう。

 人間のことが気に食わないのは今でも変わっていない。しかし、あの頃の自分は今思えば血塗られた夢に酔っていたのかもしれない。砂漠の民の力があれば、蛮人など鎧袖一触と無邪気に思い込んでいた無知な自分。ただエスマーイルの言葉に踊らされて、鉄血団結党の一員であることに有頂天になっていた。それでいい気になって蛮人どもを襲撃したら、軽く返り討ちにあったあげくにその相手に助けられているのだからざまはない。

 そして、奴らのひとりはこう言った。お前だけが不幸だなんて思うなよ、あんたみたいな復讐者は何人も見てきたと。あのときほどの屈辱は、それまでになかった。おまけに、あのシャジャルの娘ときたら、まったく心底自分の器の狭さを思い知らされた。

 しかし夢は夢、覚めてしまえば夢は過去へと流れていく。表面は蛮人に対してとげとげしく取り繕って、内心では心を許せないもどかしさを感じていたファーティマだったが、その葛藤は意外な形で晴らされることになった。

 

「まあ、まあまあまあ! 素晴らしいですわ。ファーティマさん、私、小さいときからいつかエルフの国へ行ってみたいと夢見てましたの。エルフと人間の友好、こんなにうれしいことはありませんわ」

 

 カトレアの、喜びに満ちた声が馬車の中のよどんだ空気を吹き飛ばし、思わずカトレアを見たキュルケとファーティマの目に、カトレアの満面の笑顔が太陽のように映り込んで来た。

 驚いて、とっさの言葉が出てこないキュルケとファーティマ。しかし、カトレアは立ち上がってファーティマの手をとると、優しげに口を開いた。

「慣れない土地での旅、ほんとうにご苦労様でした。こうしてここであなたとめぐり合えたのは、始祖のご加護と、あなたには大いなる意思のお導きがあったからなのでしょう。これほど祝福された出会いはないと思いませんか?」

「あ、ああ、出会いに感謝を。このめぐり合わせは偶然ではない。正しきことを後押しする大いなる意思の見えざる手が導いてくれたのだ」

「でしたら、もっとうれしそうな顔をしましょう。あなたが正しいことをしにはるばる参られたのなら、わたくしたちは心から歓迎いたしますわ。さっ、あなたたちもこっちにいらして」

 そうして、カトレアは唖然としているキュルケとシルフィードを呼び寄せると、彼女たちの手をとってファーティマの手に重ねた。

「今はわたくしたち四人だけですけど、エルフと人間と、韻竜も、こうして手を結び合うことができるのだと証明されましたわ。ファーティマさん、手を繋げばどんな種族でもこんなに近い。とてもすばらしいことですね」

「う、うむ。い、いや! 形は形だ。実際の交渉や同盟が、そんな甘いものではないことくらい承知している」

 カトレアの優しすぎる笑みに、思わず納得してしまいそうになったファーティマは慌てて現実を盾に取り繕った。また、キュルケやシルフィードも、異なる種族がそう簡単に近くなれるものではないと、額にしわを寄せている。

 だが、カトレアはわかりあうことへの抵抗を除けないでいる三人の手を両手で包み込むと、諭すように語り掛けた。

「では、まずはここにいる四人から友情をはじめていきましょう。すてきだと思いませんか? ハルケギニアがどんな種族でも仲良く生きられる世界になる第一歩をわたくしたちの足で踏み出すんですよ」

 カトレアの言葉に、三人はしばらく呆然とするばかりだった。腹の探りあいと、どうしてもぬぐい得ない不信感をぶつけあっていたのに、カトレアの笑顔にはひとかけらの濁りもなかった。

 この人は、いったい? 返す言葉がとっさに浮かんでこない三人。そのうちのキュルケが、どうしてそんな無防備な笑みができるのかと目で尋ねているのに気づいたカトレアは、そっとささやくように答えた。

「キュルケさん、あなたの言いたい事はわかりますわ。けれど、思い悩んだところで生まれを変えられる者などいません。わたしも、何度も自分の存在が世界にとってあっていいものだったのかを思い悩みました。でも、その度に思い出すことがあるんです」

「思い出す、こと?」

「ええ、皆さん、わたしは実は昔、大病をわずらって長くは生きられないと言われていました。でも、ともすれば自ら命を絶ってもおかしくなかった日々で、わたしを支えて生かしてくれた友達は、必ずしも人間ではありませんでした」

 そう言うと、カトレアはシルフィードのほうを見た。するとシルフィードははっとして、いまさらながら気づいたように言った。

「そういえば、カトレアお姉さまからいろんな生き物のにおいがするの。こんなにたくさんの生き物のにおいを持ってる人、これまで見たこともないのね!」

 驚くシルフィードにカトレアは語った。自分の住むラ・フォンティーヌ領では、多くの動物や、中には怪獣までもが仲良く住んでいることを。

 シルフィードはそれで、自分がカトレアに対して不思議な安心感を持てていたわけを悟った。自分が鈍いからと言うだけではない、それほどに多くのにおいを持つカトレアは、人生のほとんどを自然の中で生きてきたシルフィードにとって、まるで故郷に帰ってきたかのように安らげる空気の持ち主だったからだ。

 そう、カトレアにはラ・フォンティーヌ領で世話をしてきた数え切れないほどの生き物のにおいが染み付いている。それも、そのすべてがカトレアに対して好意を持っていることを示す香りであったために、シルフィードは疑問に思うことすらもなかったのだ。

「最初は、思うように動けない自分の代償のつもりだったかもしれません。けれど、病気が治った後も、彼らはずっとわたしの友達でいてくれました。そして気づいたんです。生き物が生きていく上で、共に生きるべき相手は必ずしも同族でなければいけないということはないということに」

「きゅい、シルフィも誇り高い韻竜だけど、人間とは仲良くしたいと思うの。ねえ赤いの、前にお姉さまといっしょに、人間と翼人を助けたのを思い出さないかね?」

「そうね。あれは、タバサとわたしたちでやった初めての冒険だったわね。もう、あれからずいぶん経つのねえ」

 懐かしそうに、キュルケは思い出した。

 エギンハイム村での、翼人と人間のいさかいから始まったあの事件のことは忘れない。軽い気持ちでタバサの手助けをしようとして、そのまま宇宙人と怪獣を交えての大決戦にまでなったあの事件では、人間と翼人の両方が力を合わせなければ勝てなかった。そしてその後誕生した人間と翼人の夫婦の幸せそうな顔。思えば、自分たちは一度すでにいがみあっていた異種族をつなげることに成功している。増して、ルイズたちは自らエルフの首都に赴いて帰ってくるという前代未聞な冒険を成功させているではないか。

 異種族が共存することは、決して不可能ではない。その前例は、すでにたくさんあった。キュルケは、そのことを知っていたはずの自分を恥じて、しかしそれでも納得のいく答えを求めてカトレアに視線を移した。

「あなたにも、忘れてはいけない大切なことがあったのですね。ねえキュルケさん、さきほどの話の後で話そうと思っていたことがあるんです。ファーティマさんとシルフィードちゃんも聞いてください。確かにこの世界では、人間とそれ以外の生き物でバラバラに別れています。そして、わたしたちはそれぞれに簡単に相手を信用することのできない理由も抱えているでしょう。けれど、だからこそそのしこりをわたしたちの代で消し去っていこうと思うのです」

「しこりを……消し去る?」

「そうです。事はわたしたちだけの問題ではありません。わたしや、キュルケさん、ファーティマさん、シルフィードちゃん、それにあなたたちの知っているすべての人の子供や孫の世代にも関わっていくのです。率直に聞きますが、皆さんがいずれ子供や孫を持ったときに、友達を残してあげたいと思いますか? 敵を残してあげたいと思いますか?」

 その答えは決まっていた。キュルケもシルフィードも、ファーティマでさえ言葉には出さなくても顔には同じ答えを浮かばせている。

「確かに世の中には、どうしても理解しあえないような卑劣で邪悪な相手もいます。けれども、人間やエルフの多くの人はそんなことはないということを、あなた方はもう知っているでしょう?」

 カトレアの言葉に、三人はじっと考え込んだ。世に悪人は間違いなくいる。しかし、毎日を正しく一生懸命に生きている人はそれよりはるかに多くいることに。

 かつて、ウルトラマンタロウは言った。少ない悪人のために、多くのいい人を見捨てることはできないと。カトレアも、数多くの命と向き合ううちに、本当に邪悪な相手はほんの一握りだと思うようになっていっていたのだ。

「わたしはこれまで、多くの生き物の生き死にを見てきました。動物の寿命は、人に比べればとても短いものもあります。けれど、そんな彼らも世代が進んで仲間が増えていくごとに、生き生きと力強く生きるようになっていくのです。それで思うようになりました。わたしたちはみんな、次の世代に幸せをつなぐために生きているのだと」

「次の、世代に……?」

「そうです。過去になにがあったにせよ、わたしたちの後に続く人たちが平和に楽しく暮らせる世の中が来るのならそれでよいではありませんか。そうして積み重ねていけば、大昔のことなんか笑い話ですむ時代がいずれやってきます。その一歩を、わたしたちの手で進める。この上ない名誉と幸福だと思いませんか?」

 どこまでも純粋で優しいカトレアの笑顔を見て、三人はそれぞれ自分の中での葛藤を顧みてみた。だが、三人共に共通していたのは、いずれも今の自分たちのことしか考えていなかったということだった。

 対して、カトレアは次の世代のそのまた先。十年後、百年後、いいや千年後まで視野に入れて考えている。三人は、それぞれ思うところは違いはしたけれど、カトレアの思う生き方に比べたら、自分たちのこだわりが笑えるほど小さなものに思えて口元がほぐれてきてしまう。

 ただ、現実にハルケギニアの異種族同士はわかりあえずに六千年を過ごしてきている。それを忘れてはならないという風に、ファーティマは言った。

「お前の理想論、険しいという言葉では済まされない道だぞ」

「わかっています。今日初めて会ったばかりの相手を、すぐに信用できなくて当然ですわ。けど、今ここにいる四人はこれからきっといいお友達になれます。大丈夫ですよ、だってほら、誰の手のひらにも同じようにあったかい血が流れているんですから」

 カトレアの重ねた四人の手からは、ゆっくりとそれぞれの体温が相手に伝わっていった。それは、熱くも冷たくもない、生きているものの発する生命の暖かさ。人間もエルフも韻竜も、魔物でも幽霊でもないことを示すぬくもりを感じて、キュルケ、シルフィード、それにファーティマは、言葉に表すことは難しいけれど、自分の中でのなにかが変わっていっているような不思議で、しかし快い感触を覚えていた。

 人は、大きなものを見据えることで小さなこだわりを捨てることができる。そして、人と人は小さなこだわりを捨てることで友情を結ぶことができる。大自然の中で自由に心を育んできたカトレアの思いが伝わって、重なり合った手のひらに誰からともなく新しい力が加わっていった。

 

 

 けれども、カトレアは豊かな心を持っていても、無知な野生児ではない。キュルケやファーティマが持っていた警戒心が薄れたことを確信すると、その瞳に鋭い知性の光を宿らせてファーティマに問いかけた。

「ところでファーティマさん。聞けば、先ほどはキュルケさんが亡霊に襲われて危ないところを助けていただいたとか。しかし、キュルケさんには亡霊などに襲われる所以はありませんし、そもそも亡霊などというものに早々お目にかかれるとは思えません。もしかすると、本来亡霊に追われていたのはあなたなのではないですか?」

 その瞬間、ファーティマの背筋がびくりと震え、表情に明らかな動揺が見えた。

「そ、それは……」

「それに、最初から気になっていたのですが、サハラからトリステインへの大事な使者であるにも関わらず、あなたはたった一人でここまで来られたのですか? いくらエルフが人間に比べて強いとはいっても、普通なら水先案内や護衛のために、あと数人はいっしょにいておかしくないはず。ひょっとしてファーティマさん、あなたには他にまだ隠している役目があるのではないですか?」

 ファーティマはすぐに肯定も否定もしなかったが、その短い沈黙だけでもシルフィードはまだしもカトレアやキュルケは過不足なく察することができた。

 再び馬車の中に緊張が走る。しかし、対峙する姿勢に入りかかったキュルケとファーティマをカトレアはすぐに抑えた。

「落ち着いてください。キュルケさん、ファーティマさん。わたしは尋問をしようとしているわけではありません。ですがファーティマさん、わたしたちは今、大事な目的を持って旅をしています。もしかすると、この世界の行く末を左右するかもしれない重大な意味を持つ旅です。正直に言って、あまり時間はありません。けれども、できればあなたの望みもかなえてあげたい。ですからお互いに、隠し事はやめて打ち明けあいましょう。そうすれば、もっとあなたの助けにもなれるかもしれません」

 カトレアに諭すように告げられて、ファーティマは金髪を伏してじっと考え込んだ。カトレアはキュルケとシルフィードに視線を移し、話してよいですかと目で尋ねた。キュルケは一瞬躊躇したけれど、意を決して自分から旅の目的をファーティマに語って聞かせた。

 タバサのこと、ジョゼフのこと、異世界への扉を求めてラグドリアン湖に向かおうとしていることなどを、キュルケはすべて包み隠さず話した。そしてファーティマの反応をうかがうと、ファーティマは驚いたようではあったが、ふうとため息をついてからキュルケやカトレアを見返して言った。

「異世界へ、か。どうやら、わたしがお前たちとめぐり合ったのは本当に大いなる意思の導きらしい。わかった、わたしも全てを話そう。わたしのもうひとつの使命は、ある物をお前たちの仲間に届けることなのだ」

 ファーティマは、懐から小さな小箱を取り出して、その中身を見せた。

「なんですの? 見たことない形の、カプセル……かしら?」

 それを見てキュルケは首をかしげた。小箱の中身は、手のひらに収まるくらいの楕円形の金属でできたカプセルで、表面には焼け焦げた跡があった。

 しかし、よく見てみると表面には細かな文字でなにかが書いてあり、それに汚れてはいるけれど、文字の上にはなにやら紋章のようなものが描かれていて、キュルケはふと既視感を覚えた。

「先日、我らの聖地の近辺で発見されたものだ。そのときは、もっと大きなケースに入っていたのだが、すでに何者かに攻撃された形跡があった。ともかく、その字を読んでみろ」

「ううん、かすれてて見にくいけど……あら? このマーク、どこかで同じものを見たような。それに、この文字は……えっ!」

 キュルケは、カプセルに書かれていた文字を読んで愕然とした。それは、つたないトリステインの公用語で書かれていたが、その中に記されていた固有名詞や人物の名前は、キュルケにとってとてもよく知っているものだったからである。

「思い出したわ! この翼のようなマークは、確かタルブ村で……」

 

 だが、キュルケが記憶の淵から呼び戻してきたそれを口にする前に異変は起こった。

 

 突如、爆発音とともに激震が馬車を襲い、中にいた四人はもみくちゃにされた。頭をぶつけたシルフィードが悲鳴をあげ、馬車を引いていた馬の悲鳴もそれに重なって響く。

 高級馬車の車軸でも吸収しきれない揺れにより、車内のランプが落ちて割れ、灯油がぶちまけられて刺激臭が鼻をつく。だが、そんなものに構っている者は一人もいなかった。それぞれが多寡は違えども戦いの中を潜ってきた経験を持つ者たちである、今の不自然な揺れと爆音が、自分たちを危機へと追い込む悪魔の角笛だということを理解していたのだ。

「なに! 今の爆発音は、まさか」

「そ、外なのね! うわっ! 森が燃えてる。きゅいぃぃぃ! みんな、空を見てなのね!」

 頭のたんこぶを押さえながら窓から外を見たシルフィードの絶叫。続いて窓を開けて空を見上げた三人の目に映ってきたのは、空に浮かぶ三十メートルはあろうかという巨大な鉄の塊だったのである。

 なんだあれは!? 異様すぎる浮遊物体の巨影に、キュルケやシルフィードは唖然とし、まさかジョゼフの放った刺客かと身を固めた。

 しかし、それはジョゼフの刺客などではなかった。百メートルほど上空にとどまり、こちらを見下ろしてくるような鉄塊を見て、ファーティマが忌々しげに吐き捨てたのだ。

「くそっ! もう追いついてきたのか!」

「なに? あなたあれを知ってるの」

「今の話の続きで話そうと思っていた。サハラを出てからこれまで、ずっとあいつに付け狙われていたんだ。共にアディールから出た仲間はみんなあいつにやられた! まずい、攻撃してくるぞ、飛び降りろ!」

 その瞬間、鉄塊に帯状についている無数の赤いランプが断続的に輝き、ランプからそれぞれ一本ずつのいなづま状の赤い光線が馬車に向かって発射された。七本の光線は一本に集約して馬車に直撃し、馬車は火の塊になって飛び散る。

 だが、ファーティマの警告が一歩早かったおかげで、馬車から飛び降りた四人は間一髪で無事だった。

「きゅいいい、し、死ぬかと思ったのね」

「あと一瞬逃げ出すのが遅れてたら、わたしたちは丸焼けだったわね。ミス・カトレア、大丈夫ですの?」

「ご心配なく、こう見えて野山を駆け回るのが日課ですから。それよりも、ファーティマさんにお礼を言わなければいけませんね」

「勘違いするな。せっかくの大いなる意思の導きを台無しにしては冒涜だからだ。だがそれも、生き延びれたらの話ではあるが……下りてくるぞ! 気をつけろ」

 燃える馬車の炎に照らされる四人の前に、空飛ぶ鉄塊がゆっくりと下りてきた。敵意を込めて、鉄塊を睨みつける四人。その眼前で、鉄塊は真の姿を現していく。

 

 まず、上部の穴から頭がせり上がってきた。洗面器を裏返したようなツルツルの表面に、かろうじて目と口だと見えるくぼみが三つついている。

 続いて、左右から腕が生え、下部から足が生えて地面に着地した。その胸元には、先ほど破壊光線を放ってきたランプが赤く輝いている。この人型の巨大ロボットこそが鉄塊の正体だったのだ。

 

「きゅいい! で、でっかい人形のおばけなのね!」

「なんて大きさ。こんなガーゴイルがこの世にいたなんて」

「いえ、これはガーゴイルじゃないわ。きっと、以前にトリステイン王宮を襲った機械竜と同じもの。そして、あのときの亡霊といい、そんなことができるものといえば」

「そういうことだ。こうなったらお前たちも一蓮托生だ。奴の思うとおりにさせたら、砂漠の民も蛮人もすべて滅び去る。だから知らせねばいかんのだ。ヤプールが再び動き出したのだということを!」

 

 聞きたくなかった忌まわしい侵略者の名が吐き捨てられ、巨大ロボットは電子音と金属音を響かせながら動き始めた。

 

「モクヒョウヲカクニン。ケイコクスル、タダチニコウフクシテ、ソノソウチヲアケワタシナサイ、サモナケレバ、キミタチゴトハカイスル」

「断るわ!」

 

 シルフィードがドラゴンに戻り、キュルケ、カトレア、ファーティマが魔法攻撃の体制に入る。

 燃える馬車の炎に照らされ、逃げ去っていく馬の悲鳴を開幕のベルとして戦いが始まった。

 

 

 だが、その一方で、始まったこの戦いを離れたところから見守っている目があった。

「あれはガメロット……確かあれはサーリン星のロボット警備隊に所属するロボット怪獣だったはずだが、やはりロボットだけでは星を維持できなくなってヤプールの手に落ちたか。しかし、このシグナルに従って来てみたが、リュウめ、相変わらず荒っぽい作戦を思いつくやつだ」

 彼の手には、激しいシグナルを発し続けているGUYSメモリーディスプレイがあった。そして、ファーティマの持つカプセルにもまた、メモリーディスプレイに記されているのと同じ翼のシンボルが描かれていたのだ。

 

 

 続く



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第26話  魂のリレー

 第26話

 魂のリレー

 

 ロボット怪獣 ガメロット 登場!

 

 

 異世界ハルケギニアを舞台にした、ウルトラマンAと異次元人ヤプールの戦いが始まって、一年あまりの月日が流れた。

 その戦いを顧みてみて、エースは苦しい戦いを、多くの人々の助力を得て乗り越えてきた。

 そう、ウルトラマンといえど限界はある。圧倒的な闇の力に対抗するためには、仲間の力が欠かせないのだ。

 ヤプールを倒すため、ハルケギニアの人々は勇敢に立ち向かい、さらに地球と光の国からもエースを救うべく勇者たちが立ち上がった。

 だが、次元を超えて地球からハルケギニアへと渡ろうとしたCREW GUYSの試みはヤプールによって妨害され、亜空間ゲートは完全に封じられた。

 その後、才人たちは地球からの援軍を失ったことで苦戦を強いられながらも、エルフの都アディールでの決戦で、なんとかヤプールの怪獣軍団を撃退することに成功した。

 しかし、ヤプールがこのまま黙っていると思う者は誰もいなかった。遠からず奴は、さらなる恐ろしい力を持って攻めてくる。そのときまでに、どれだけ戦力を整えていられるかで勝敗は決まる。

 怨念と執念を込めてハルケギニアを滅亡せんと狙うヤプール。対して人間たち、エルフたちもいずれ必ず襲ってくるヤプールとの戦いに備えて、可能な努力を惜しまずに進めた。

 

 だが、来るべき時のために最大限の努力を傾けているのはハルケギニアの民やヤプールだけではなかった。

 忘れてはいけない。道を閉ざされたとはいえ、次元の向こう側には悪を許さない勇者たちがいることを。

 

 時をさかのぼり、才人たちが東方号でネフテスからハルケギニアへと帰還の途にある頃。

 この時、地球からさして離れていない宇宙空間でCREW GUYSが一発の大型ロケットを打ち出していた。

「超光速ミサイルNo.9、軌道に乗りました。弾頭内の各発信機、自動追尾シグナル、オールクリア! このままウルトラゾーンの亜空間断層へと突入します」

「ようし、時空を越えて行ってきやがれ。一個でいい、あの世界に届くんだ!」

 リュウ隊長の見守る前で、GUYSの希望を乗せたロケットは異次元空間へと消えていった。行く先は宇宙の墓場・ウルトラゾーン。GUYSも一度だけ突入したことがあるが、命からがら脱出してきたほどの宇宙の難所だ。

 その不安定な時空に彼らは賭けた。非常に不安定な時空の果てがどうなっているのか、生きている者で確認できた者はいない。しかし、このロケットにはGUYSのテクノロジーの粋を集めた、数千にも及ぶ”ある装置”が詰め込まれていたのだ。

 

 超光速ミサイルはウルトラゾーンのかなたに消え、やがて自爆して搭載されていた”装置”をばらまいた。

 それらのほとんどは無駄となり、永遠に時空のはざまをさまよい続けることになる。だが、たった一個の奇跡が、すべてを変える大いなる大樹の種となった。

 

 

 それから時は流れて、舞台は再び時空のかなたへと戻る。

 

 

 ”それ”が、彼らの手に渡ったのは、まったくの偶然といってよかった。

 事の次第はある日のこと、エルフたちの国ネフテスにおいて、海上哨戒中の水軍が嵐と遭遇したことがきっかけだった。

 アディール近海……ヤプールの手に落ちた竜の巣、聖地を望むその海は今や地獄と化していた。

「艦長! 船体傾斜率が三十度を越えました。残念ですが、これ以上竜の巣に近づいたら、艦が持ちません!」

「おのれ、竜の巣はもう間近だというのに。特別に訓練した、この鯨竜を持ってしてもだめだというのか」

 激しく動揺し、なにかに掴まっていなければ立っていることもできないほど悲惨な状況にある鯨竜艦の艦橋で、艦長が悔しげに吐き捨てた。

 海は天を貫く巨峰のような波が無数に逆立ち、風はマストに掲げたネフテスの旗を引きちぎっていきそうなほど強い。

 以前の戦いで、壊滅的打撃を受けた水軍。それからようやく立ち直りかけ、手塩にかけて育て上げた鯨竜と乗組員で竜の巣の詳細を偵察してこようともくろんだ艦長の狙いは、想像をはるかに超えた嵐の前に打ち砕かれてしまった。

 むろん、これは自然の嵐ではない。竜の巣を手中におさめたヤプールが、近づくものを排除しようと人工的に起こしているものである。その威力は絶大そのものであり、空からは暴風雨によりいかなる飛行獣も飛行船も近づけず、かといって海中も水流がでたらめに渦巻いているので、潜ればバラバラにされてしまうだろう。残る、わずかに危険度の少ないと思われる海上からの接近さえ、比較的近くに寄ることが精一杯というありさまであった。

「艦長、鯨竜が疲弊しています。このままここにとどまったら、海中に引きづりこまれて一巻の終わりです!」

「くそっ、止むを得ん。進路反転百八十度、この海域から離脱する!」

 悲鳴のように叫ぶクルーの声に、艦長は悔しさをかみ締めつつ撤退を命令した。

 鯨竜は、帰ることのできるのを認められて喜ぶようにひと吠えすると、くるりと進路を来た方向に変えて泳ぎ始めた。竜の巣から離れるごとに波と風は弱まっていき、沈没の恐怖におびえていた艦橋にもやっと安堵のため息が流れるようになっていた。

「どうやら、危機は脱したようです。しかし、艦内はもうひどい状況です。このままアディールの水軍司令部に帰還します」

「仕方があるまい。くそっ、もっと我々に大きくて強い船があれば、こんな屈辱を味わわずにすむというのに」

 艦長は、割れた窓から吹き込んできた風雨でぐっしょりになった軍服を揺すって、自らの非力を嘆いた。周りでは、同じようにずぶ濡れになったクルーたちが無言で職務に勤めている。いずれの顔にも疲労の色が濃かった。

 情けない。艦長は心底そう思った。我らネフテスの水軍は、水の上にあっては最強なことを誇りとしてきたはずなのに、たかが嵐に勝つことさえままならないとは、偉大な先達の方々に合わせる顔がない。

 彼は、以前アディールにやってきた人間たちの船を思い出した。オストラント号と名乗っていた、あの巨大船を見たときの衝撃は忘れられない。

「あれほどの船を、我らにも作れれば」

 蛮人たちはどうやったのかはわからないが、とてつもない巨艦を建造して我々の防衛網を突破し、歴史上初めてのアディールに立った蛮人たちになった。これまでの蛮人たちの船ときたら、風石ばかりを無駄に食う浮かぶ標的のようなものだったというのに。

 しかし、このような評価をコルベールが聞いたら、過大評価だと顔を真っ赤にするだろう。自分たちも、異世界の技術を流用したに過ぎないのだと。

 ただ、勘違いであるとはいえ、東方号の与えた衝撃はエルフたちにも多くの影響を残していたことは間違いない。

 今に見ていろ、誇り高き砂漠の民がいつまでも蛮人の後塵を拝すなどあっていいはずはない。我が人生のすべてを懸けてでも、あれに負けない船を作り上げて無敵水軍の復興を果たす。同じように空軍も再建に血眼になっているが、負けてはいられない。

 屈辱は人を奮起させる。負けたときにそこから這い上がろうとする意思の力は、時に爆発的な進歩をもたらす。かつて地球でも、我が物顔で暴れる怪獣や宇宙人たちに対抗しようする人々が作り上げた新兵器の数々が、現在のGUYSのメテオールの原型になっているし、ウルトラマンジャックやウルトラマンレオも、敗北から血のにじむような特訓を経て新技を編み出して勝利してきた。そして、エルフたちも同じように、今自分たちの進歩のために殻を破ろうとしていたのだ。

 と、そのときであった。悔しさを噛み締めて窓の外を凝視していた艦長たちの目に、空を横切る一筋の流星が映ったのは。

「なんだ? いまのは」

「見張り所より報告します。左舷後方、竜の巣の方面から発光体が飛来、左舷前方、推定三千メイルに着水しました」

 見ると、確かに左舷前方の海上になにやら光るものが浮いているように見える。荒れる波間に漂っているので、見えたり隠れたりを繰り返しているが、明らかに自然のものではない強い輝きを放っており、艦長以下艦橋にいたクルーたちは怪訝な表情をした。

「なんでしょうね。かなり小さなもののようで、遠見でも正体が判別できませんが、敵の攻撃にしてはお粗末です」

「ええ、砲弾の破片でも、燃えた岩の欠片でもないようです。しかし、風に乗って流れてくる気配がないですし、少なくとも生き物ではなさそうです」

「海流に乗って流されていきます。なににしても、本艦に危害が加わることはないでしょう。ま、この嵐の中、すぐに沈んでしまうでしょうが」

 クルーたちは、目立つ輝きを発しながらもしだいに遠ざかっていく飛来物への興味をなくしたように口々に言った。いずれも、敵地のど真ん中であるこの海域を早く抜け出したくて、触らぬ神にたたりなしといった風に意図的に無視しようとしている。

 しかし、彼らと同じように光る飛来物をじっと睨んでいた艦長は驚くことを言い出した。

「進路取り舵、第一戦速! あの発光物に接近しろ」

「ええっ!? か、艦長、何をおっしゃるのですか。暴風圏は抜けたといえ、まだ本艦は危険な状況にあります。一刻も早く、この海域を抜けなければ」

 せっかく拾いかけた命をまた危険に晒すのは嫌だと、艦の副長ほかクルーたちは皆反対した。だが、艦長は反論を許さないという風に断固として言った。

「ダメだ! 大口を利いて出てきた以上、なにもなしに引き上げたのでは水軍の面子に関わる。ここはなんとしてでも何かを持ち帰らねばならん。速度を上げて接近し、あれを回収するのだ。これは命令である!」

 クルーたちは腹立たしさを覚えたが、軍人である以上は上官の命令に従わねばならない。ぐっとこらえて、鯨竜に進路を変えるように指示すると、鯨竜はしぶしぶといったふうにゆっくりと進路を光る飛来物のほうへと向けた。

 風雨の中を縫って前進し、接近すると速度を絞ってそばに船を静止させるには大変な手間と繊細さを必要とした。しかも、荒れる海の中で人の背丈ほどの大きさもない浮遊物を回収するのはいくらエルフでも難解を極めた。万能に近い先住魔法を操れる彼らであったが、強烈なマイナスエネルギーに支配されたこの海域では精霊の加護をほとんど得ることができずに、手作業に頼った回収がやっと終わったときには溺死者を出さなかったことが奇跡と思えるくらいに、作業に関わったクルーはずぶ濡れで疲弊しきっていた。

「報告します。飛来した物体の回収と収容が完了しました」

「うむ、ご苦労」

「はっ、次いで報告いたしますが、飛来物は一抱えほどの大きさの、金属製の丸い容器のようなものでした。光っていたのは、それにつけられていたランプだったようです」

「容器? ということは、なにかを収納しておくためのものだというのか?」

「わかりません。形からして入れ物なのは確かのようですが、中身が危険物であったときのために、回収すると同時に船倉にしまってしまいましたので。ただ、落雷にでもあったのか破損してはおりましたが、容器の作りは我々ネフテスでは見たことのないものでした」

「わかった。あとは持ち帰って専門家に渡そう。ようし、全速力でこの海域を離脱する!」

 

 しかし、離脱していく彼らを背後から憎悪をこめた眼差しが見守っていることも、このとき誰も知るよしはなかった。

「おのれ、エルフどもにあれを回収されてしまったか。まだ力が完全に戻っていない今、連中にこの世界に来られるのはまずい。エルフどもにはあれは使えまいが、確実に始末しておかねば……」

 

 その後、持ち帰られた謎の飛来物は、トリステインで言えば魔法アカデミーに相当する機関に運び込まれて調査された。

 内容物は、一見、サハラの民からすれば価値を持っているようには見えない金属製の小さなカプセル。しかし、そこに書かれていた文字を解読したとき、明らかになったその意図と機能は報告を受けたテュリューク統領を驚愕させるに充分なものだった。

 彼は即座にビダーシャルを呼び寄せると、秘密を明かして協力を要請した。

「ビダーシャルくん、忙しいところを呼びつけてすまんの」

「構いません。私もこの時節、統領閣下が戯れに呼びつけたとは思っておりませんので。それで、要件とは」

「うむ、重要な事柄じゃ。結論から簡潔に伝えよう。先日水軍の船が竜の巣近海から持ち帰ったカプセル。あれは、異世界からやってきたものじゃった。しかも、ヤプールと対立する勢力が我々に向けて送ったものなのじゃよ」

「なんですって! いえ、なるほど……考えられなくも無いですね」

 ビダーシャルは驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻して考えた。

 彼らの言う竜の巣、忌み名をシャイターンの門というそこは、伝説では悪魔たちが降り立った地とされ、現在なお製作者不明な武器や用途不明な道具がしばしば発見されることを一部の者たちには知られている。そこで見つかる道具は、明らかに人間でもエルフでも作れないような高度な製法で作られているものばかりで、それらの事象をかえりみたとき、その地の持つ意味を理解できぬほどエルフは愚かではなかった。

「君もわかったようじゃの。シャイターンの門の先には異なる世界が広がっている。ヤプールがなにを狙ってシャイターンの門を奪ったのか、目的はいまだはっきりせんが、奴は門の力を利用しようとしているのは間違いない。しかし、まだ門を制御するにはいたっておらんようじゃ」

「このカプセルが紛れ込んできたのが、その証明というわけですね。これがカプセルにつけられていたメッセージの写しですか。うん? この名は確か……なるほど、信憑性は高いと私は判断します。これに成功すれば、我々は大きな力を得れることになりますね。ですが、肝心の使い方が書いていないのが気になりますが」

「それは恐らく、悪用を防ぐためと、我々の力ではそもそも使いこなせないからじゃろうよ」

「念のいったことです。しかしそのためには、我らの中の誰かが蛮人の国まで出向かねばなりません。なにより、我ら砂漠の民がまたしても蛮人に頼ることになるというのはいかがなものでしょう?」

「ふうむ。確かに、他人の力を借りることには腹を立てる者も多かろうの。正直、わしも悔しい思いがしないでもない。君の言う事も一理あるが……本音はそうではあるまい?」

「当然です。シャイターンどころか、我々は想像だにしていなかった悪魔の脅威に今現在さらされているのです。ここは、誰に頼ることになってもまずはネフテスを守ることが重要でしょう」

 ビダーシャルはあくまで現実思考を前に出して言った。一度は撃退に成功したものの、ヤプールの恐ろしさをビダーシャルは忘れてはいない。再軍備は進めているものの、エルフだけで勝てると思うほど彼は楽観主義者ではなかった。

「ふむ、敵の敵は味方か、人間たちの言葉じゃったのう。まあよい、どのみちそろそろあの船の人間たちには連絡をとろうと思っておったことじゃし、ちょうどよい。しかし、我々の中に蛮人の国の奥深くまで使者として行けるような骨のある者が君以外におったかのう?」

「適任がおります。元より血の気の多い者ですから、汚名返上のために力を尽くすことでしょう。何より、かの地にはその者の親類がおります」

「なるほど、言いたいことがわかったぞ。それに、行く当てがなくて軍に引き取った鉄血団結党の者たちにもよい刺激になるじゃろう。きゃつらの中には、まだ愚かな夢を捨て切れん者もおることじゃし、党でなかなかの地位にあった彼女がその目で人間世界を見てきて話せば、心変わりをする者も出るであろうよ。よろしい、ビダーシャル君、多忙なところをすまんが急いで準備してほしい。わしの責任で、彼女にはできるだけの待遇を与えてやってかまわんのでの」

 こうして、テュリューク統領とビターシャルの即決によってトリステインへと使者を送ることが決定した。

 その代表として、罪は許されたものの水軍で兵卒として一からやり直していたファーティマが急遽呼び出され、上校待遇を与えられて使命を託されたのだった。

 

「頼んだぞ、ファーティマ・ハッダード。必ず、その荷をトリステインのサイト・ヒラガの元へ届けてくれ」

「はっ! この身命に換えましても、ご期待にそえてご覧に入れます」

 

 ファーティマは使命感に燃えて、ネフテスを幾人かの役人や護衛とともに旅立った。

 選んだ道は海路。陸路でゲルマニアやガリアを越えるルートは、十数人のエルフがいっしょに行動する上でトラブルが起こる可能性が高く、かつ時間がかかるということで、外洋を北周りに迂回して直接トリステインを目指すルートをとることになった。

 

 だが、ネフテスから海上に出てしばらく後、ファーティマたちの乗った船が襲われた。

「空を見ろ! 何かが近づいてくるぞ」

「なんだ、船じゃない。巨大な、鉄の、塊か?」

 空から現れた巨大な鉄塊は、船の上に影を落として静止した。そして、驚き戸惑うエルフたちの頭上から、片言の電子音で作られたエルフの言語が話しかけてきたのだ。

「ケイコクスル、キミタチノハコンデイルソウチヲアケワタシ、タダチニヒキカエシナサイ。サモナクバ、キセンヲゲキチンスル」

 突然の一方的な要求はエルフたちを困惑させた。しかし、誇り高いエルフたちが脅しに屈するわけはない。彼らは戦いを即座に決意したが、これは無謀というほかはなかった。

 宙に浮かぶ鉄塊からの破壊光線によって船は一撃でバラバラに粉砕され、エルフたちも海へと放り出された。むろん、軍属である以上は彼らは水泳の心得があったが、鉄塊は水面に浮かんでこようとする者には容赦なく光線を浴びせかけて沈めてしまう。

 情け容赦のない残忍な攻撃。仲間たちが次々と消されていくのを目の当たりにして、彼らは悟った。

「これはこの世のものの力ではない。ヤプールだ! 奴が我々の目的を知って邪魔をしにきたんだ!」

 エルフたちは水中呼吸の魔法を使うことでなんとか深く潜って耐え忍び、イルカを呼んで掴まることでかろうじて難を逃れた。

「生き残ったのは、たったこれだけか……」

 命からがらトリステインの海岸にたどり着いたとき、残っていたのはファーティマのほかはたった数名でしかなかった。

 だが、船もなくして帰る術も失ってしまった彼らには引き返す道はなかった。案内役もいなくなった今、ファーティマをリーダーに、右も左もわからないトリステインで、使命を果たすべく彼らはさまよった。

 けれども、そんな彼らを、ヤプールが見逃すはずはなかったのである。

「なんだ、どこからか、誰かに見られているような気がする……?」

 自然の気配に敏感なエルフたちは、いつからかねっとりと自分たちから離れない不気味な視線を感じていた。しかし、いくら探せども姿を確認することはできず、彼らはただじっと不快感に耐えて旅を続けるしかなかった。

 だが、その視線は決して夢でも幻でもなかった。監視されているような視線に導かれるように、あの巨大鉄塊が再び現れたのだ。

「うわぁ! また来たぞ」

「散れ! バラバラになって、ひとりでも多く生き残るんだ!」

 鉄塊の攻撃を受けるたびに、エルフたちは櫛の歯が欠けるように命を落としていった。

 どこへ逃げようと、どれだけ離れようとわずかな時間稼ぎにしかならない。その中で彼らもようやく、自分たちを監視している目が敵を引き寄せていることと、その正体に気づいて愕然とした。

 それは、死者の霊が悪の念動力によって蘇って操られるシャドウマン。ようやくその姿を認めることはできても、霊であるために実体がなく、一切の攻撃が効かないシャドウマンにはさしものエルフの戦士もなす術がなかった。何回かは、霊体の出所と思われる墓地などを丸ごと破壊して追撃を絶ったが無駄だった。なぜなら、墓場や古戦場などを含め、死人を出したことのない土地などあるわけがない。シャドウマンはまたどこからか現れてエルフたちに付きまとった。

 振り払うことはできず、かといって止まれば鉄塊に追いつかれる。しかも、敵はしだいに亡霊を使うことに慣れてきたのか、監視にとどまらずに直接シャドウマンが襲ってくるようになり、ファーティマの持つカプセルを奪い取ろうとしてきた。

 しかし、同時に彼らは確信した。ここまで執拗に追手がかかってくるということは、このカプセルはそれほどまでにヤプールにとって不利益になるものであるということだ。

 そして、ついに鉄塊に追われてファーティマが最後の仲間を失ったとき、彼はファーティマに向かって最期に言い残した。

「行け! ファーティマ・ハッダード。お前の肩にネフテスの、いや、全世界の運命がかかっているんだ」

 彼はそう叫んで、怪光線の爆発の中に消えた。

 ファーティマはひとり生き残り、仲間の犠牲を無駄にしないために、今日まで旅を続けてきたのだった。

 

 

「あと少しというところで、しつこい奴め。だが、わたしの命に換えてもこれは渡さん!」

 ファーティマは、眼前でロボット形態になり、こちらを見下ろしてくるガメロットを睨み返して叫んだ。

 使命を果たすまで、自分は絶対に倒れるわけにはいかない。ネフテスの運命のために、なにより自分に託していった仲間たちのために、やられるわけにはいかないのだ。

 だが、はやるファーティマをカトレアが優しく諭した。

「お待ちになって、ミス・ファーティマ。世界の運命を背負っているのは貴女だけではありませんわ。国はその民のものですが、世界は誰のものでもありません。焦らないで、貴女は私が守ります」

「なに、お前!」

 ファーティマは、臆した様子もなく巨大ロボットの前に立ったカトレアを見て唖然とした。

 この女はいったいなんなのだ? 先のことで、多少頭が切れるのは認めてやってもよいが、これほどの怪物を目の当たりにしても平然としているばかりか、こともあろうに蛮人が砂漠の民である自分を守るだと? この国で見てきた蛮人たちは、たまにエルフであることを明かすと、命乞いをするか襲い掛かってくるかであったというのに。

 差別というものをしないカトレアの器の広さと、ヴァリエールの血を引く者の胆力をファーティマは初めて見た。

 そして、ヴァリエールが立つ以上はツェルプストーも負けてはいない。

「あなたもお待ちになって。ルイズのお姉さんに怪我でもさせたら、あの子に合わせる顔がありませんわ。というよりも、ルイズに貸しを作ってやるチャンスねえ。そういうわけで、ミス・カトレアはわたしが守ってさしあげますわ」

「あら? それは心強いですわ。ですが、わたくしもお母さまの手ほどきで戦いには些少の心得があります。心配はいりませんことよ」

「わかりましたわ。では、烈風の愛娘の実力のほど、間近で拝見させていただきましょう」

「シ、シルフィもがんばるのね! おねえさまと冒険をともにしてきたシルフィはもう、そんじょそこらの竜なんか目じゃないのね!」

 キュルケに続いてシルフィードも気勢をあげる。

 彼女たちの歩んできた戦いの道を知らないファーティマは唖然とした。

 なんなんだこの蛮人たちは? 我ら砂漠の民の戦士団すら全滅に追い込まれた相手を見ているというのに、この余裕はなんなのだ? バカなのか? いや、もしかしたらこいつらも、あの船に乗ってきた奴らと同じ……ならば、こちらも腹をくくるのみ!

「ずいぶんと威勢がいいな。まあ、どのみちもう逃げようもないようだし。足手まといになるなよ、人間ども!」

 ファーティマが叫んだ瞬間、戦いが始まった。

 

「コウフクノイシナシトハンダン、タッセイモクヒョウヲセンメツニヘンコウ」

 

 ガメロットが金属音を鳴らして動き出し、無機質な目がファーティマたちを見据える。殺戮兵器としての本分を目覚めさせて、感情のこもらない死刑宣告を投げかけてくる。

 奴は、こちらを皆殺しにする気だ! ガメロットの胸のランプが赤く輝き、破壊光線が襲い掛かってきた。だが、ガメロットのランプが光った瞬間、彼女たちは四方へバッタのように飛びのいていた。

「ひゅう、すごい威力ね。地面にでっかい穴が空いちゃったわ。ミス・カトレア、ご無事ですの?」

「ご心配なく、こう見えて山野を駆け回って足腰は鍛えてありますの。では、出し惜しみをする余裕もないようですし、最初から全力でいくといたしましょう」

 カトレアは、ドレスを爆風ではためかせながら杖を掲げて呪文を詠唱した。温和だった表情が凛々しく引き締まり、杖を振り下ろした瞬間にカトレアの足元の大地が脈動して、みるみるうちにガメロットとほぼ同等の大きさを持つゴーレムへと変貌、カトレアをその肩に乗せて雄雄しく立ち上がったのだ。

「ひゃあ! ロン……いえ、以前に見たフーケのゴーレムの倍はあるわね。これは確実にスクウェアクラス以上……けど、土ゴーレムは大きくはできるけれども、どうしてももろいのが弱点。それで、あの鉄の人形とやりあうつもりですか?」

 キュルケの言うとおり、ゴーレムは確かに怪獣じみた大きさで作ることができ、そのパワーは絶大ではあるが、しょせんは土であるために非常にもろく、格闘戦にはまったく向いていない。これまでにハルケギニアには数多くの怪獣が現れたけれども、どこの軍隊もゴーレムで怪獣を迎え撃たなかったのはそのためだ。小型のゴーレムであればギーシュのワルキューレのように金属に錬金して強度を高めることもできるものの、大きさに比例して消費される精神力もまた膨大になるために、数十メイルクラスのゴーレムを金属に変えることは現実的に不可能と言っていい。

 しかしカトレアは、心配無用と言う風に微笑むと、ぐっと握りこぶしを作ったゴーレムのパンチをガメロットのボディに叩きつけた。轟音が鳴り、なんとガメロットの巨体が押し返されてよろめいたではないか。

「効いた! なんでよ?」

「このゴーレムは、鉄とはいきませんが鉛くらいには硬くしてあります。それでも硬さではかないませんが、重さを活かせばこれくらいはできるのですよ」

「ゴーレムに、『硬化』の魔法をかけたのね。けど、そんなことをすれば精神力があっというまに無くなって……」

「わたくしは少々、人より精神力の持ち合わせが多いようなのですの」

 こともなげに言ってのけ、ころころと笑うカトレアを見てキュルケは唖然とした。

 冗談じゃないわ、スクウェアクラスと見積もったけどとんでもない。四十メイルクラスのゴーレムに『硬化』をかけて、なお平然と維持するなんて、もはや人間技じゃないわ。これが、あの『烈風』の娘の力……

 ケタが違う……と、キュルケは戦慄を覚えた。天才だとかそういう次元の話ではなく、自分の貧弱な”常識”などというもので計れるメイジではない。これがヴァリエールの、ルイズの姉さんの力。巨大ゴーレムの放った一撃の威力には、ファーティマやシルフィードですら驚きを隠せずに固まってしまっていた。

 しかし、カトレアとてこれほどの力を何もなしに天から授かったわけではないのだ。

「ヤプールのお人形さん、あなたが命も心もない殺戮の道具だというのなら、わたしも容赦はしません。もう、誰もわたしの目の前で無為に死なせたりしないために」

 カトレアのまぶたの裏には、以前に自分を守って命を散らせたリトラの最期が薄れずに焼きついている。

 自分に、もっと力があればあのときに誰も死なせずにすんだのに。その自責の念から、カトレアはあれ以来戦いの鍛錬も重ねて、母譲りの魔法の才能を何倍にも引き上げてきたのであった。

 命を大切にせず、他人の命を奪おうとするものには容赦はしない。誰よりも優しいカトレアだからこそ、悪を決して許すまいとゴーレムの攻撃がガメロットのボディに打ち込まれる。

 だが、強固な宇宙金属でできたガメロットの体はほとんど損傷を受けてはいなかった。ガメロットの動きは少しも鈍らず、反撃に振るわれてきたパンチ一発でカトレアのゴーレムの片腕がもぎ取られてしまい、きしんだ音を立てながら殴りかかってくる度にゴーレムの体が削り取られていく。奴のボディはウルトラマンレオの攻撃をまともに受けてもビクともしなかったほどの強度を誇り、パンチは一発でレオを吹き飛ばしたほどのパワーを持つのだ。

 窮地に陥らされるカトレア。しかし、それを傍観できないとキュルケが杖を振って助太刀に出た。

『フレイム・ボール!』

 抱えるほどもある大きな炎の玉がキュルケの杖の先から撃ち出される。だが、あの頑強な鉄の塊にそんなものが通じるかとファーティマは苦い表情を見せた。

 けれど、キュルケは無謀はするけど馬鹿ではない。フレイムボールは最初からダメージを狙って撃ったものではなかった。炎の玉はガメロットの頭部に命中すると、そのまま燃え上がって顔面を覆いつくしたのである。

「わたしの情熱の炎も、無粋な鉄人形のハートはあっためられないわよねえ。けど、恋は盲目っていうのを軽く教えてあげるわ。熱くね」

 そう、キュルケの炎はガメロットの装甲ではなく目を狙ったものであったのだ。魔法の炎は魔法力を燃料にしているために、魔力が残っている限り燃え続ける。キュルケはこのフレイムボールには、ちょっとくらいでは燃え尽きないほどに多めの魔法力を注ぎ込んでいた。

 顔面を炎に覆われたガメロットはガシャコンガシャコンと、まるで古びたビデオデッキのようにやかましい機械音を鳴らしながらもだえている。確かにキュルケの炎はガメロットにダメージを与えるには届かなかったが、ロボットにも人間と同じように目はあり、その依存度は人間以上だ。高感度センサーも炎に覆われては使い物にならず、文字通り完全な盲目状態へと陥らされたガメロットのコンピュータはパニックを起こして、その隙にカトレアはゴーレムを元の形に再生することができた。

「ありがとうございます、キュルケさん」

「どういたしまして。ふふ、タバサの戦い方を見てるうちに、いつの間にか移っちゃったようね。こんなスマートじゃない戦い方、国のお父さまたちに知られたら叱られちゃうかもしれないけど……あら、怒らせちゃったかしら?」

 炎を燃やしていた魔法力が尽きて、頭部の火災が鎮火したガメロットの無機質な目がまっすぐにキュルケを見据えていた。そして奴のコンピュータは、キュルケを優先して始末せねばならない目標と見なして、胸のエネルギーランプを光らせて破壊光線を撃ちはなってきた。

 赤い稲妻が宙を走って大爆発が起こり、土と岩が撒き散らされる。しかし、キュルケはその爆発をすました顔で真上から眺めていた。

「ひゅう、いいタイミングじゃないシルフィード。さっすが、タバサから風の妖精の名前を贈られただけのことはあるわね」

「えへへ、その名前はシルフィの誇りなのね。だから、おねえさまが戻ってきたら、もうおねえさまが危ない目に会わないでいいくらいにもっと強くなるのね!」

 滑空して、キュルケを乗せたシルフィードはガメロットの破壊光線の照準を狂わそうと挑発的に飛ぶ。ガメロットの破壊光線は、かつてレオが相手をした個体が言ったことによれば、地球を破壊しつくすことも可能なほどだそうだが、当たらなければどうということはないのだ。

 体勢を立て直したカトレアのゴーレムが再度ガメロットを狙い、対してガメロットも一発が二万トンの威力を誇るというパンチを繰り出してカトレアのゴーレムを砕く。しかしガメロットは目の前をシルフィードがちょこまかと飛ぶので照準を絞り込めず、一番狙われたら恐ろしいカトレア本人はいまだ無傷である。

 その戦いの様子を、ファーティマはなかば呆然とした様子で見守っていた。

「なんなんだ、この人間たちは……」

 あの悪魔のような鉄人形と互角に渡り合っている。最初は、多少相手の注意を逸らしてくれれば上出来だとくらいにしか思ってなかったのに、我らネフテスの戦士たちですら敵わなかったあの相手と、どうして戦えるのだ?

 奴らには恐れというものがないのか? しかし、彼女たちも決して恐れ知らずに戦っているわけではないことを、漏れ聞こえてきた彼女たちの会話は示していた。

「キュルケさん、シルフィちゃん、もっと離れて飛んでください! そんなに近いと、あなたたちが撃ち落されてしまいます」

「だめなのね! シルフィだって怖いけど、シルフィが離れたらカトレアおねえさまのほうが危ないのね。大丈夫なのね、シルフィはおねえさまから、怖いのを我慢したら強くなれるってことを教わってきたのね」

「シルフィードの言う通りよ。わたしだって、かすっただけで殺されるこんな相手と戦うのは恐ろしいわ。けど、ヤプールがわたしたちよりはるかに強力な力を持ってるのは最初からわかってること。それでも恐れたら、ヤプールの思う壺になるだけ。だったらわたしたちに残った武器は、恐怖を乗り越えるための、この”勇気”しかないじゃない!」

 勇気……ファーティマは、キュルケの発したその言葉を、反芻するかのように口の中でつぶやいた。

 そうだ、思えばあの船に乗ってきた連中や、ティファニアもそうだった。無茶・無理・無謀の三重奏が大音量で流れているような惨劇の戦いを、奴らは臆することなく立ち向かって、多くの民の命を救ってくれた。我ら砂漠の民に比べたら、わずかな力しかない弱者のくせに……いや、それは間違いか。

「我らとて、あの悪魔の前では弱者に過ぎないのだな。ならば、わたしのやるべきことも、また、ひとつ!」

 ファーティマは覚悟を決めた。鉄血団結党がなくなって以来、自分はなんのために生きていて、なにをすべきなのかをずっと探していた。いまだにそれは見つからないし、正直自分には世界を救いたいという意思も、守りたいと思う誰かもいないけれども、それでも自分にもあんなふうに前を向いて戦うことができるのならば。

 そのとき、ガメロットのランプが発光し、破壊光線がシルフィードをかすめてカトレアのゴーレムの半分を吹き飛ばした。

「うあぁぁぁっ!」

「カトレアさん!」

 ガメロットはしびれを切らし、とうとうシルフィードごとカトレアを仕留めにきた。カトレアのゴーレムは半壊して、すぐには動くことはできない。ガメロットの破壊光線の威力からしたら、粉々に粉砕されていてもおかしくはなかったけれど、ゴーレムがしょせんはただの土の塊であったことが衝撃を緩和してくれたようだ。

 しかし、ガメロットの冷たい電子の頭脳は目の前の戦果よりも目標を優先して、ためらわずにゴーレムの上で身動きができなくなっているカトレアに照準を定めた。硬い鋼の拳が、サンドバッグに一撃で風穴を空けるボクサーのパンチのようにカトレアを狙って振りかぶられる。

 やられる! だが、カトレアはゴーレムの維持と操作にほとんどの力を裂いていたのですぐには別の魔法を使えない。シルフィードとキュルケも、爆風にあおられて助けにいくことができない。

 そのとき、乾いた金属音を鳴らすガメロットの背後から枝葉のこすれるざわめきが響き渡った。

「森よ、鎖となって我の敵をからめとれ!」

 周辺の木々の枝や幹が動物のようにうごめき伸びて、ガメロットの四肢に巻きついた。全身を拘束されてガメロットの動きが止まる。カトレアは、寸前のところにまで来て止まった鉄の拳に肝を冷やしつつもゴーレムを再生させながら後退し、シルフィードも爆風からやっと持ち直している。

 そして、彼女たちは今の魔法の主を悟り、視線をその金色の髪をなびかせた勇姿に向けた。

「どこを見ているデク人形。お前の欲しい宝はわたしが持っているぞ」

「ファーティマさん!」

「勘違いするな。お前たちに死なれたら案内役がいなくなるからな。それにわたしの肩には、わたしに希望を託して散っていった同胞たちの期待がかかっている。彼らの無念、晴らさせてもらうぞ」

 そう、今の自分に言えることはそれだけだとファーティマは決意した。今の自分を後押しするのは、死者たちの遺言だけ。ところがそこへ、シルフィードとキュルケの浮かれた声が響いてきたではないか。

「やったーっ! エルフの人が仲間になってくれたのね。これでもう、百万人力なのね」

「いい援護だったわ。この調子でよろしく、ガンガンいくわよぉ!」

「なっ、お前ら! わたしは別に、お前たちの仲間になったわけでは」

「いいのいいの、あなたみたいな子をわたし知ってるんだから。照れなくてもいいのよ、仲良くやりましょ。わたしたちはあんな鉄人形とは違って、熱い血が流れてる仲間ですもの。ねえ? ミス・カトレア」

「ええ、そうです。ヤプールに勝つには、人間の力だけでも、エルフの力だけでもだめだということはあなたももうわかっているでしょう。あなたが否定しても、わたしたちはもうあなたを仲間だと思っています。あとは、あなたが認めるだけ。さあ、誰でもなく、ファーティマさん、あなたが最後に決めてください」

 カトレアの言葉を受けて、ファーティマはぐっと心に重い石を飲み込んだ。

 自分で決める。これまで、自分の進む道は、使命は、いずれも与えられたものを歩んできた。それを自分で、蛮人に向かって差し出す手を出すか否かを、自分で選べというのか?

 いや、考えるだけ愚問だったとファーティマは自嘲した。なぜなら、彼女の従姉妹は、ティファニアは自分よりずっと弱いのにそれをやったではないか。どうせ一度は捨てた命、ならば古いファーティマ・ハッダードはあのときに滅んだ。今ここにいるのは、あのときとは違う新しいファーティマ・ハッダードなのだ。

「まったく、蛮勇しか知らないド素人どもが、仮にも水軍の上校にむかって偉そうに。だがおもしろい、どうせわたしも外れ者のはしくれ。なら、なってやろうじゃないか、お前たちの仲間にな!」

 そう叫び、吹っ切れたような笑みを浮かべたファーティマに、キュルケたちは皆うれしそうな笑顔で答えた。

「ようっし! 歓迎するわ。わたしのことはキュルケって呼んでね。さあ、カーニバルの時間よ!」

「お祭りなのね! 人間とエルフに韻竜も集まったら、あんなポンコツのひとつやふたつは目じゃないの」

「ええ、わたしたちはひとりひとりは弱いけれども、力を合わせれば百万の軍団をもしのぐでしょう」

「お前ら、よくそれだけの大言壮語が出てくるものだ……フッ、ならこの際ついでだ。ヤプールよ、お前はもう勝ったつもりだろうが、たったひとつミスを犯した。それは、わたしというこの世で最強の戦士を敵にまわしたことだ!」

 意気を最大に高め、空からはシルフィードとキュルケ、敵の正面からはゴーレムに乗ったカトレア、後背からはファーティマを配して戦いは再開された。

 むろん、ガメロットは相手の士気などには関係なく、ただひたすら機械的に役割を果たすために動き出す。木々の拘束を怪力で引きちぎって活動を再開し、怪力のパンチでカトレアのゴーレムを削り取り、破壊光線で周辺を火の海に変えた。

 対して、キュルケたちはそれぞれに連携して、考えられる限りの方法でガメロットを攻撃したものの、目に見えて効いたと思えたものはひとつもなかった。心意気は高くても、相手はエルフの部隊を全滅に追いやった相手である。最大に火力を高めたキュルケの炎も、カトレアやファーティマの物理的な攻撃も通用しない。なんとか動きを封じようと試みても、ロボット宇宙船と異名を持つガメロットは高い跳躍力や浮遊能力で軽々と回避してしまい、効果がなかった。

 それでも、彼女たちはあきらめていなかった。あきらめたらすべてが終わる。奇跡は、最後まで全力を尽くしたやつのところにだけ輝くということを、才人やタバサが教えてくれたではないか。

 そして、彼女たちの負けない闘志は届いた。しかし、それは神ではなく現世から声になって返ってきた。

 

”ガメロットの弱点は頭と腹だ! そこだけは装甲が薄い!”

 

 突然、彼女たちの頭の中に響いた男の声。幻聴とするにはあまりにはっきりとしたその声に、カトレアやファーティマは戸惑った。

 いまの声は、誰? しかしその中で、キュルケだけは敏感に反応できていた。そう、今の声は、先に墓場で死霊たちに襲われたときに警告してくれたものと同じ声。あのとき、警告どおりに自分は襲われて、指示に従ったおかげで命拾いすることができた。ならば、今回も……迷っている時間は、ない!

「頭と、腹!」

 キュルケは決意し、不死身を誇るかのように身を守る気配も無く進撃してくる巨大ロボットを睨みつけた。

 

 果たして、人間の力でウルトラマンレオも苦戦したガメロットを倒すことが可能なのか。

 いや、無理と言い切れば可能性は途切れる。

 キュルケたちとガメロットの戦いを森の中から仰ぎ見て、声の主である男はナイトブレスに寸前まではめ込んでいたナイトブレードを下ろして思った。

 

 

 続く



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第27話  届けられた誇りのメッセージ

 第27話

 届けられた誇りのメッセージ

 

 ロボット怪獣 ガメロット 登場!

 

 

「これで、終わりです!」

 カトレアの叫び声が戦いで荒れ果てた森の中に響き、なかば崩れかけたゴーレムが大きく身をよじって最後の拳を繰り出す。

 ゴーレムの拳は『硬化』によって強度を高められ、目の前で棒立ちになり、手足をガクガクと震わせているガメロットの腹部に突き刺さっていった。

 刹那、メカがむき出しになった腹部を貫通されたガメロットは、内部の歯車や電装系をめちゃめちゃに破壊されて大きく全身を震わせる。いかに宇宙金属製のボディといえども、体の内部への攻撃にはさしものガメロットも無防備だった。

「やった、やったのね!」

 かつて、その防御力と破壊力でウルトラマンレオを絶対絶命の危機に追い込んだロボット怪獣ガメロット。しかし、この世には無敵も不死身もありはしない。サーリン星のロボットは強力なパワーを誇るが、定期的にメンテナンスを必要とするために全身をみっちりと装甲で覆いつくすわけにはいかず、制御中枢のある腹部だけ装甲の薄いメンテナンスハッチになっていたことが弱点となっていて、かつてと、今回もそれを突かれて破壊された。

 致命的なダメージを受けて、体の各所から火花をあげてよろめくガメロット。しかし、その代償は大きかった。キュルケとファーティマは魔法の力のほとんどを使い果たし、カトレアもまた今のゴーレムの一撃で力を使いきってしまった。

 魔法による維持が効かなくなり、ただの土くれに戻っていくゴーレム。その肩からカトレアが投げ出されそうになったとき、シルフィードが飛び込んできて、空中でふわりとカトレアを受け止めた。

「きゅいい、カトレアおねえさま、大丈夫なのかね。すごかったのね」

「ええ、なんともないわ。シルフィードちゃんも、よくがんばったわね」

「えへへ、それほどでもあるのね。けど、やっぱり一番はカトレアおねえさまだったのね。見て、あの鉄人形が狂ったみたいに踊ってるの」

 それは踊っているのではなく、コンピュータが錯乱して暴走しているだけなのだが、そんなことまでシルフィードにわかるはずもない。重要なのは現実の光景である。

 無敵を誇ったガメロットも、こうなってはもはやどうしようもない。ファーティマは、唖然とした様子で、本当にこれを自分たちがやったのかと信じられない目で見ていた。

「みんな、仇は……討ったぞ」

 これで、奴の犠牲になった仲間たちもうかばれる。安らかに、眠ってくれ。

 それにしても、本当にスレスレの勝利だった。奴の弱点が腹の薄い装甲にあるとわかったとはいえ、そことてたやすく破壊できるほどもろくはないために、自分たちはあらゆる手を尽くした。

 とはいっても、あれを打ち抜けるパワーを持っているのはカトレアのゴーレムだけなので、作戦自体は簡単だった。ファーティマが先住魔法で周辺の植物や地面を操ってガメロットの動きを少しでも鈍らせ、そこへカトレアのゴーレムが拳を金属化させた上で、キュルケの炎で焼き入れをしたパンチを打ち込み続けるという、それだけのものだった。

 しかし、楽な作戦ではなかった。それぞれの精神力はその時点でだいぶん落ち込んでいたし、なによりガメロットはそうたやすく弱点を攻撃させてくれるほど鈍くはないので、ファーティマが全力で動きを封じてやっと互角に持ち込めている状況だった。それに加えて破壊光線の威力と、仮に命中させることができても一発や二発ではこたえない装甲の頑丈さが彼女たちの気勢を削ごうとしてきた。

 それでも、ヤプールなどに負けてなるものかという意思が戦意を支え、とうとうガメロットの腹部装甲に先に根をあげさせることに成功したのである。

 弱点を貫かれて、体のバランスもおぼつかずによろけるガメロット。サーリン星のロボットは、かつてこの星の天才科学者であったドドル老人によって作られたというが、完成度の高い機械ほどトラブルに対しては弱い。レオが戦った個体が地球に逃亡したドドル老人を執拗に追ってきたのも、メンテナンス要員としてドドル老人が必要だったからで、レオと戦った際も緒戦はレオの攻撃を寄せ付けずに圧倒していたが、腹部の装甲を破られて中枢回路にダメージを受けてからはまったく精彩を欠いてレオに一方的に叩きのめされている。

 追い詰められたときに限界以上の力を発揮できるのは、善であれ悪であれ心持つ生き物だけだ。感情すら持たない冷たいロボットに、ピンチをひっくり返す術はない。ガメロットは戦闘能力をほぼ喪失し、破壊光線を撃つ機能も破損したらしく撃ってくる気配はなかった。

 あと一発、あと一撃を打ち込めば完全に奴を倒せる。精神力を使い切ったキュルケやカトレアには無理でも、ほんの少しだが余裕を残していたファーティマが叫んだ。

「とどめを刺してやる! 貴様にやられた者たちの恨み、私が味わった屈辱の数々、思い知らせてやる」

 怒りを込めて、ファーティマは残った精神力を振り絞って大地の精霊に呼びかけた。その呼びかけに応えて、地中から巨大な岩石が浮き上がってくる。その土地の精霊と契約を結んでいない場合の先住魔法は効果が限定されるものの、感情の高鳴りによって威力が上がるのは人間の魔法と共通する。いうなれば、術者の感情に精霊を共感させるようなものか。ともかく、ファーティマは浮き上がらせた巨岩をガメロットの破損した腹部へと向けた。これを叩き込めば、すべてが終わる!

 しかしなんということか、戦闘能力を失ったガメロットはスプリング状になったひざの関節を屈伸させて一気に宙高く飛び上がった。そしてそのまま空中で手足を胴体へと収納し、くるりと東のほうを向いたではないか。

「くそっ、逃げる気か!」

 まさしくそのとおりであった。任務遂行が不可能になったガメロットは、せめて自身の保存だけは果たそうと帰還を試みようとしていた。これは別に珍しいことではなく、自律行動するロボットなどは、エラーが生じた際に行動を開始する前の場所に戻ろうとする自己保存・自己復帰のプログラムが組まれているものがざらにある。

 ガメロットは機械であるがゆえに、非常時には自己の保存を最優先にと逃亡を選ぶことをためらわなかった。破損は帰還すれば修復することができる。ならば任務遂行のためには、ここは逃げることがもっとも合理的であると。

 ファーティマが、百メートルは上空のガメロットを悔しげに睨みつけながら毒づいても、これだけの高さではこちらからはどうしようもない。キュルケやカトレアも打つ手がなく、飛び去ろうとしているガメロットを見送るしかないと思われた、そのときだった!

 森の一角から光の柱が立ち上り、その中から青い体を持つ巨人が立ち上がる。

「あれは、ウルトラマンヒカリ!」

 キュルケが、以前に才人から教えられたそのウルトラマンの名前を叫んだ。

 現れたヒカリは、逃げ去ろうとするガメロットを見据えると、右腕のナイトブレスを高く掲げてエネルギーを集中させ、一気に手元まで引き戻して、その手を十字に組んだ。ほとばしるエネルギーが青い光線となって手から放たれ、ガメロットへと突き刺さっていく。

 

『ナイトシュート!』

 

 ヒカリが放った必殺光線は、針の穴をも通す精度でガメロットの腹部の破損部へと命中した。ガメロットの装甲ならば、その威力に耐えられたかもしれないが、穴の空いた鎧などなんの役にも立ちはしない。体内の残った無事だった回路も破壊され、ガメロットは煙を吹きながら頭から墜落していった。

 そして激突。その衝撃によって、もうひとつの弱点である頭部をつぶされたガメロットは、エネルギーと燃料に引火して、大爆発を起こして微塵の塵へと帰っていった。

「やった、やったわ!」

「きゅいい、あの人形木っ端微塵なのね! ヤプールめ、ざまーみろなのね!」

 立ち上って消える赤黒い炎に照らされて、キュルケとシルフィードが歓呼の叫びをあげた。

 勝利。ガメロットは粉々に砕け散り、ヤプールの追撃は断ち切られたのだ。

 安堵感に、カトレアもほっと息を吐き、ファーティマは開放感から軽くよろめいて、はっと気を引き締めなおした。

「終わった、のか。本当に、勝てるとはな……いや、きっと散っていった仲間たちが力を貸してくれたに違いない。しかし、あの巨人、以前アディールに現れたふたりとも違う。ウルトラマンとはいったい……」

 ファーティマは、自分たちからさして離れていないところに立つヒカリを見上げてつぶやいた。エルフの世界でも、ウルトラマンは今や生きる伝説となっていた。悪魔に対抗するために現れた光の巨人、その正体がなんなのかについては様々な憶測が飛び交っている。

 と、見るとキュルケとカトレアを乗せたシルフィードがこちらに向けて降りてくる。そして、ファーティマたちの見ている前で、ヒカリはガメロットが完全に沈黙したのを確認すると、青い光に包まれて変身を解いた。

「あ、あなたは……」

 キュルケは、その男に見覚えがあった。そして、すべてを理解した。

「ミスタ・カズヤ・セリザワ! そうか、さっきまでの声はあなたでしたのね!」

 そう、かつて地球とハルケギニアが一時的につながったときにウルトラマンメビウスとともにやってきて、この世界に残ったもうひとりのウルトラマン。キュルケはあまり交流があったわけではなかったが、ヒカリの強さは才人から幾たびか聞く機会があった。

 確か、当初は魔法学院で働いていたけれど、いつからか旅に出てそれきり会わなくなっていたので失念していた。そうか、あの墓場での声も、敵の弱点を教えてくれた声も、不思議な力を持つウルトラマンであるならうなづける。

 しかし、自分はなんていうバカなのだ。いくら何ヶ月も幽閉されていたとはいえ、この世界には才人とルイズのほかにもウルトラマンがいることを忘れていたとは。

「お久しぶりですわね。長らくお会いしていませんでしたが、お元気でしたか」

「しばらくこの国を離れて、敵の動向を探っていた。お前こそ、長い間学院にも帰っていなかったと聞く。いったいどこでなにをしていた?」

 セリザワは、GUYS隊長であった頃と同じように落ち着いた様子でキュルケのあいさつに答えた。どうやらセリザワのほうでも、長い間消息が絶えていたキュルケたちを捜してくれていたらしい。場所が場所だけに見つからなくて当然だが、キュルケは自分たちが相当大勢の人たちに心配をかけていたと、申し訳なさを感じた。しかし、今はそれを語るときではない。

「話せば長いので次の機会にさせてください。ただ、今わたくしたちは敵の策略に落ちてしまったタバサを救うためにラグドリアン湖へ急いでいるところですの。ともあれ、先ほどはお助けいただき感謝いたします」

 キュルケは時間をロスすることを嫌って簡潔にまとめた。嘘は言っていないことは目で証明している。詳細は語らなくても、真剣ささえ伝えられれば今はそれでじゅうぶんだ。

 だがそのときだった。キュルケとのあいだに割り込むようにして、ファーティマがひどく動揺した様子で詰め寄ってきたのだ。

「まっ、待て! お前、今セリザワと言ったな。い、いやそれより、お前が今の青い巨人、ウルトラマンだというのか? そうなのか!」

 驚愕と困惑を隠しきれない様でファーティマはセリザワに問いかけた。キュルケはそのとき、しまったと内心で思ったがすでに遅い。

 だが、セリザワは、慌てるキュルケとは裏腹に落ち着き払った表情で答えた。

「そうだ。俺の名はセリザワ・カズヤ。そして、ウルトラマンヒカリというもうひとつの名を持っている」

「なっ!」

 あまりにもあっさりと、ためらう欠片もなくセリザワが肯定したのでファーティマのほうが逆に言葉を封じられてしまった。才人とルイズのように、正体を隠すことに神経を使っているのとは反対の態度に、むしろ慌てたのはキュルケだった。

「ちょ、ミスタ・セリザワ! ウルトラマンは、ほかの人に正体を知られてはいけないんじゃないの?」

「かまわない。俺も、急いで君たちに伝えなければならないことがあって来た。話はある程度聞いていた。以前、エースが君たちを信頼したように、俺は君たちを信頼するに値する者たちと信じる。そちらの、ミス・ヴァリエールのお姉さんと、エルフの君は初対面だったな」

「はい、聞くところによると妹のルイズがお世話になったとか。カトレア・ド・フォンティーヌです。お見知りおきを」

 受容性の高いカトレアは、特に特別な態度をとるわけでもなくセリザワに礼をとった。その穏やかな笑顔に、セリザワも表情は変えないままだが軽くうなづいてみせた。

 しかし、一時の動揺が収まると黙ってられないのがファーティマだった。

「ふざけるなよ! 我々にとっても、ウルトラマンの正体はいくら調べてもわからない謎だったんだ。それをこんなあっさりと、なにがどういうことなのか説明してもらうぞ!」

「いいだろう、好きなように聞いてくれ。ただし、こちらにも急ぐ用があるので手短にな」

「くっ! なら!」

 そうしてファーティマは、セリザワにエルフがウルトラマンに対して疑問に思っていることを矢継ぎ早にまくしたてた。と言っても、その疑問は人間たちが感じていたものとの差異はほとんどなく、ウルトラマンはどこから来て、なんのために戦うのかという事柄に集中していた。

 そしてセリザワはウルトラマンヒカリとして答えた。ウルトラマンとは、こことは異なる次元に存在する、M78星雲光の国に住む者たちのことで、特に自分たちは光の国にある、宇宙の平和を守るための組織、宇宙警備隊に属する戦士であること。自分はこの世界で暗躍をはじめたヤプールを追って、宇宙警備隊隊長ゾフィーの命を受けてやってきたことなどを、ファーティマの知りたがる限り話したのだ。

 ファーティマは、それらセリザワの語ったウルトラマンの秘密を唖然としながら聞いていた。異世界から来た戦士たち、ヤプールが異なる世界からの侵略者である以上は、対抗者であるウルトラマンもこの世界のものではないとする説が濃厚であったが、それを本人の口から語られると現実味が違った。ただし、それはあくまでも自分とエースたちだけで、元々この世界にいたコスモスやジャスティス、さらに別の次元から来たであろうダイナのように事例は数多くあるということも重ねて言われたが、それでも予想をはるかに超えるスケールに彼女は圧倒された。

 深呼吸をして心臓の鼓動を押さえ込む。ウルトラマンとは、そして自分たちの住んでいるこの世界とはなんなのか、ファーティマは自分の中の考えをまとめて、勇気を消耗しながら言葉に変えていった。

「わたしも、ここに来る前に統領閣下から別世界が実在することは聞かされていた。だが、この空のかなたにはお前たちのような巨人の住む国があって、ヤプールのような悪魔の住む国も無数にあるというのか。くそっ、それでは我々は知らず知らずのうちに誰とも知らない相手に狙われて、誰とも知らない相手に守られていたというのか」

「結果だけ言うとそうなるだろう。ヤプールのような侵略者だけでなく、凶暴で凶悪な怪獣たちもこの世には数多く存在している。それらから人々を守ることが我々の使命だ」

 セリザワは淡々と語ったが、ファーティマの心中は大きく荒れていた。昔よりは他者を受け入れるようにはなってきたとはいえ、まだ彼女にはエルフこそがこの世でもっとも優れた種族であるという自負が根強く残っている。それが、自分たちの運命は他人の手のひらの上で知らないうちに転がされているほど小さなものだったと知って穏やかでいられるはずもない。その憤りを、ファーティマは吐き出すようにセリザワにぶつけた。

「そうか、我々はしょせんお前たちからしてみれば、お情けで守ってもらっているほどのちっぽけな存在だということだな。それにひきかえお前たちは、全宇宙の平和を守るとは、なんとも立派なことだ。だが、それならなぜさっきはもっと早く出てこなかった! ずっと見ていたのだろう? 我らが死にそうになっている間も、もったいつけているつもりか!」

「むろん、君たちが本当に危なくなればすぐに飛び出していけるよう身構えていた。しかし」

 そこでセリザワは言葉を一度切ると、ファーティマとキュルケやカトレアたち皆を見渡してあらためて言った。

「本来、この世界は我々のような部外者ではなく、この世界に住む君たち自らの手で守り抜いてこそ価値がある。我々は、君たちが全力を尽くして、なお及ばないときに少しだけ力を貸しているに過ぎない。いずれ、君たちが力をつけて星の海へさえ乗り出していくときになれば、我々が楯になる役割も終わる。そうなるのが早いか遅いかに関しては、君たちの努力次第だ」

 セリザワは、そうきっぱりと言い切った。

 対して、ファーティマはぎりりと歯噛みをするのを抑えられなかった。悔しいが、ウルトラマンにせよヤプールにせよ、自分たちとはまるで次元の違う高みにいることはわかる。もしも、ウルトラマンに守ってもらえなければ、ヤプールの強大な力の前にエルフも人間も関係なく、今頃は跡形もなく滅ぼされていたであろうことは容易に想像ができてしまう。

 しかし、悔しさを隠しきれないファーティマにカトレアは穏やかに語りかけた。

「ファーティマさん、あなたの悔しい気持ち、わたしにもわかります。でも、他人をうらやんでいても何も始まりません」

「うるさいっ、そんなことはわかっている」

「そうですね。それでも、手を伸ばしてもどうしても届かないものがある悔しさはあります。周りの人には力があるのに、自分だけにはない。わたしは、そんなふうに無力を嘆いてもがいている人を知っています」

 カトレアは、ルイズのことを、そして昔の自分のことを思い出しながら言った。ひとりだけ魔法を使えずに孤立していたルイズ、体をろくに動かすこともできず、ベッドの上から外を眺めているしかできなかった自分。

 だがそれでも、ひがんでいてもどうしようもないということを自分たちは知っている。厳しくても、道を自分で切り開くためにあがいてこそ、はじめて希望の光は刺すのだということを。

「人でも国でも、大きな挫折や苦難はあるものです。ただ、そこで立ち止まるか、なおあがいて上を目指すかで未来は変わってきます。あの人も言っていたではありませんか、ウルトラマンに頼る時代が終わるのが早いか遅いかは、私たちの努力しだいだと」

 カトレアの言葉に、ファーティマは奥歯を食いしばって考え込み、セリザワは静かにうなづいた。

「確かに、ヤプールをはじめとする侵略者たちの力は強大なものだ。しかし、この世に完璧というものはない。今、君たちが戦った巨大ロボットにしろ、ヤプールは絶対にやられることはないと考えていただろう。しかし、君たちは自分たちの力でそれを打ち破った。最後まであきらめない心と、他人を頼りにしない強い意志がヤプールの力を上回ったのだ。それは誇るべきことだ」

 それは世辞や慰めではなく、真実のみを語っていた。先の戦いで、ファーティマたちはウルトラマンの力を一切借りていない。ヒカリがやったことは、逃げていくガメロットにとどめを刺しただけで、そこまで追い込んだのは間違いなく彼女たちの力だったのだ。

 努力と勇気を賞賛されて、ファーティマの表情から少し険がとれた。傷ついたプライドが癒されたわけではないが、ウルトラマンは自分たちが全力を尽くしていたのをちゃんと見ていてくれた。同情ではなく、戦う人として認められたことが屈辱にまみれていた心に熱いものを取り戻させてくれた。

「我々砂漠の民は、弱者に甘んじる惰弱の民ではない。覚えていろ、お前たち異世界の者がいかに強かろうと、最後に勝つのは我々だ」

「ああ、その日を楽しみにしている」

 ファーティマの言葉に、セリザワは深くうなづいた。

 そう、誇りこそ強さの源だ。自らを弱者敗者とすることをよしとせず、常に上へと食らいついていこうとする心が進歩を生むのだ。

 セリザワも、GUYS隊長であった頃から、人間が必死に努力して、それでも及ばないときにウルトラマンは助けてくれるのだと信じていた。今は無理でも、何度も怪獣と戦っていくごとに自分たちは強くなる。ウルトラマンはその進歩をこそ守ってくれようとしているのだと。

 ファーティマや、カトレアやキュルケの姿勢には、明日のために今日を必死で乗り越えようとする誇り高い心が確かに見えた。それが見れただけで、冷や汗をかきながらでも余計な手出しを控えたかいがあったとセリザワは思った。

 

 しかし、物語はまだハッピーエンドとはいかない。立ちはだかる敵を倒しても、それはまだ問題の解決にはなっていないのだ。

 そう、違和感……カトレアやファーティマは気づいていないが、ウルトラマンとの付き合いが長いキュルケは、ある違和感を感じていた。

 激昂していたファーティマの感情が収まっていくのを確認すると、キュルケはその疑問をセリザワに問いかけた。

 

「ところでミスタ・セリザワ。いえ、ウルトラマンヒカリ、先ほども申しましたけれど、わたしの見てきた限り、ルイ……いえ、ウルトラマンAは極力他人に正体がばれるのを避けていました。それを押してまでわたしたちに話したいことって、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」

 カトレアの手前、ルイズがウルトラマンAということは伏せて尋ねると、セリザワは軽くうなづいてから答えた。

「そうだ、それこそヤプールが恐れていたこと。そう、エルフのお嬢さん、君が俺をここに呼んだと言ってもいい」

「な、なに?」

 そう言うと、セリザワは戸惑っているファーティマに、懐からGUYSメモリーディスプレイを取り出して見せた。そして、そこに記されているGUYSのシンボルを見たとたん、彼女の顔色が明らかに変わった。

「そ、そのマークはまさか! お、同じだ」

 ファーティマは慌てて懐からサハラから持ってきたカプセルを取り出し、そこに描かれていたマークがメモリーディスプレイのものとまったく同じであることを見比べて愕然とした。そして、驚愕する彼女に、セリザワはキュルケたちも驚くようなことを語ったのである。

「それはCREW GYUS JAPAN、別の世界にいる俺の仲間たちが作ったものだ。それから発信される信号を受信して、俺はここまで来た。よくここまで運んできてくれた、感謝している」

「どっ、どういうことだ。い、いや、それよりも、これを運ぶために我々は多くの犠牲を払ってきた。ヤプールも奪おうと執拗に追ってきた。これはいったいなんなんだ! 教えろ」

 ファーティマの必死の叫びが暗い森の中にこだました。ふたりのその会話を聞いて、カトレアにキュルケ、シルフィードも答えを求めて見つめてくる。

 これだけのことを生み出した、この小さなカプセルにどんな意味があるというのだ? これには、ハルケギニアの文字で、簡単にまとめれば「我々はヤプールに対抗する者、もしこのカプセルをハルケギニアの誰かが拾ったら、セリザワ・カズヤ、平賀才人、モロボシ・ダンのいずれかの手に届けてほしい。ウルトラマンの手助けになるはずだから」という内容の文章が書かれていたものの、その用途については謎だった。しかし、エルフのものをはるかに上回る高度な技術で作られていることと、ビダーシャルが才人の名前を覚えていたことから重く見ることとなったのはファーティマも聞いていた。

 ヤプールをこれほど警戒させる、ウルトラマンの助けになるというこのカプセル。計らずも、ファーティマの旅の目的のひとつははたされた。しかし、その成果を見るまでは終わるわけにはいかない。

 セリザワは、皆の視線が自分とファーティマの持っているカプセルに集まっているのを見ると、落ち着いて口を開いた。

「それは、発信機の一種だ」

「ハッシン、キ?」

「一言で言えば、遠くにいる者に対して見えない合図を送るものだと思えばいい。実際、それから発せられるシグナルをこれで受信して私は来た」

 そう言って、セリザワはカプセルについているランプとGUYSメモリーディスプレイの画面が同調しているのを見せた。だが、それは前置きに過ぎない。

「単刀直入に話そう。それはこの世界から、我々ウルトラマンの仲間のいる世界へと助けを呼ぶための装置だ」

「なっ……なんだと!」

 ファーティマだけでなく、キュルケやシルフィードも愕然とした。しかしセリザワは構わずに続ける。

「以前に二回、我々の世界とこの世界はつながった。一度目は昨年の夏のアルビオンでの戦いで、俺はそのときにこの世界にやってきた。しかし、その際のゲートは急造で不安定だったために、わずか数日で閉じてしまった」

 キュルケははっと、以前ウルトラマンメビウスとヒカリがやってきたときのことを思い出した。あのとき、彼らは日食を利用してやってきたと言っていた。しかし……

「そして二回目、それから三ヶ月後に我々の世界からこちらへとつながる半永久的なゲートを開こうと向こう側では試みた。しかし、ゲートを開きかけたときにヤプールの妨害に会い、作戦は失敗に終わった。それでも、向こうの世界の仲間たちはあきらめずに、こちらの世界へと渡る方法を模索していたんだ」

 セリザワはそれから、ファーティマたちが知りたいと思っていたカプセルの謎について答えていった。

 まず、このカプセルはヤプールや他の宇宙人、ないし関係のない人間に拾われたときに誤用や悪用を避けるために、詳しい用途や使い方は、発信される特殊な信号をGUYSメモリーディスプレイで受信することによってのみ明らかになるということ。ただし、それだけではヤプールなどの科学力の進んだ敵には構造を分析されてしまうので、ある特別なエネルギーのみで起動することが語られた。

 そして、肝心の使用用途であるが、これは端的に説明すれば、地球のある次元に対しての道しるべであるということだった。

「道しるべ、ですか?」

「そうだ、本来次空間の移動には莫大なエネルギーがいるものだが、この世界はどういうわけか他の世界とつながりやすい性質を持っているようだ。そのおかげで、扉を開くこと自体はそれほどの困難ではなかったが、どの方向に向かってゲートを開けばいいのかがわからなくては開きようがない」

 それが、GUYSが直面した最大の問題だった。この世にはウルトラ兄弟のいる世界とハルケギニアのある世界のほかにも無数の宇宙が同時に存在している。並行宇宙・マルチバース、その中から目的の世界を特定することができなければ、いくらゲートを開く技術があったとしても役に立たない。

 が、事実上無限に等しい数の並行世界からひとつを特定するのは現在の地球の科学力では到底不可能だった。前にゲートを開くことができたときは、自然発生する天然の空間のひずみ、すなわち日食を利用したものの、日食がどういうメカニズムでふたつの世界をつなげているのかということは謎のままである。次の日食が起こるのは数年後、待っている時間も研究している余裕もない。行き詰ったGUYSは苦悩した。

 だがそこで、GUYS JAPANのリュウ隊長の脳裏にひとつの事件のことが蘇った。それは、彼が隊員だったころの最初の大規模な事件であるボガールとの戦いが終結したすぐのときである。ある日、GUYSが受信した宇宙からのSOSシグナル、それは消息不明になっていた宇宙輸送船アランダスからのもので、宇宙の歪みであるウルトラゾーンの中から発信されていたのだ。これはすなわち、入り口さえあれば通常の電波でも次元を超えてやってくることができるということを意味している。実際に、最初のゲートがつながっていたときにハルケギニアに渡ったガンフェニックスとフェニックスネストは交信できたし、才人はパソコン通信で地球にメールを送っている。

 と、いうことはである。なんらかの方法でハルケギニアから信号を発すれば、それが地球に届く可能性はじゅうぶんにあるということだ。そうすれば、後は糸を手繰り寄せるようにふたつの世界をつなげることができる。

「それが、この機械というわけなのか?」

「そういうことだ。そして、俺の仲間たちはこれを届けるために可能性に賭けた」

 そこが、この作戦の要諦であり、セリザワが「荒っぽい作戦」と評した理由であった。すなわち、ウルトラゾーンの次元の歪みへ向けて、無人のロケットから無数のカプセルをぶちまけ、その中のひとつでもハルケギニアへ届けばよしという作戦だったのである。成功の確率の計算など、ほぼ不可能、ただハルケギニアのある世界が他の世界とつながりやすいというあやふやな可能性にのみ賭けたとんでもない博打だったのである。

 しかし、リュウの無謀な賭けは成功した。しかも、ある意味で皮肉な原因によって。

「このカプセルは、お前たちの言うシャイターンの門から現れたと言っていたな。恐らく、ヤプールの影響で歪められた門が次元の歪みの中をさまよっていたこれを引き寄せたのだろう」

「ヤプールの……それは確かに皮肉なものだ。そして、この世界にたどりついたこれが我々の手に入り、ここまで運ばれてきた……大いなる意思よ、お導きに感謝します。仲間たちの犠牲は、無駄ではなかった」

 ファーティマは、散っていった仲間たちの冥福を改めて祈るとともに、ならばと叫ぶように言った。

「よくわかった。ならば早速それを使って、別の世界にいるというお前の仲間のウルトラマンたちを呼んでもらおうか!」

 そうだ、それでこそ仲間たちも本当の意味で浮かばれる。だが、セリザワははやるファーティマに対して、ゆっくりと首を横に振って見せた。

「残念だが、今はできない」

「な、なぜだ!」

 この期に及んで、まだなにか足りないのかと、ファーティマだけでなく、キュルケやカトレアもセリザワの顔を覗き込む。するとセリザワは、カプセルを手に持って道の先を望みながら告げた。

「カプセルの発信機を作動させても、カプセルがどこか次元の歪みを持つところになくては信号は向こうに届かない。ここで起動させても、意味がないのだ」

「なんだと! くそっ、それではまったくなんの意味もないではない……ん?」

 次元の歪みのある場所など、わかるはずはないとファーティマが吐き捨てようとしたとき、彼女の心になにかがひっかかった。次元の歪み、異世界への入り口……まてよ、そんなものを、自分は知っている? しかも、つい最近。

 そのとき、鬼の首をとったようにシルフィードが詰め寄ってきたのは、もはや必然であったといえよう。

「違う世界への入り口なら知ってるのね! シルフィたちの向かってる、ラグドリアン湖の底なのね。そこに行けば別の世界からウルトラマンたちを呼べるのね!」

「こ、こらバカ韻竜! のしかかるな、わかっているから、つぶれてしまう!」

 興奮しているシルフィードに肩に乗られて慌てているファーティマも、失念していた自分に腹を立てながらも喜んでいた。

 ラグドリアン湖。そこへ行けば、世界を救うことができる。ファーティマだけでなく、シルフィードとカトレアの表情にも笑みが浮かび、輝いている。

 だがしかし、それ自体は非常に喜ばしいことではあるけれど、自分たちの目的とは違っていると慌てて割り込んできた。

「待って! 忘れたのシルフィード、わたしたちがラグドリアン湖へ向かってるのはタバサを助け出すためなのよ。世界を救うのもけっこうだけど、時間がないのはわたしたちもなのよ」

「そ、そうだったのね! もー、シルフィのバカバカ。おじさん、悪いけどシルフィたちは忙しいのね。あっ、このエルフ、なにするのね!」

「ふざけるな、この尻軽ドラゴン! ここまで来て抜けたいなどと許されると思うなよ」

「なにを言うのね、おねえさまが帰って来なかったらジョゼフを止められなくて、ガリアもハルケギニアも大変なのね。こっちだって急いでるのね!」

 そう、ここにきてファーティマとキュルケたちの目的の差異が表面に出てしまったのである。世界を救うことと、タバサを救い出すこと、どちらも切り捨てるわけにはいかない重要な問題で、双方ともに妥協できない。

 けれども、あわや内輪もめになりかけたところで助けてくれたのは、またもカトレアだった。

「落ち着いて皆さん。わたしたちが争っても何にもなりませんわ。まだ、お互いの目的が反発すると決まったわけではありません。キュルケさん、実はさきほどまでの話を聞いていて思ったのですが、この世界と別の世界をつなげられるような方々なら、ミス・タバサの救出にも大きな力になってもらえるのではないでしょうか?」

「えっ……? あっ!」

 キュルケとシルフィードははっとするとともに、なんでこんな簡単なことに思い至らなかったのかと頭を抱えてしまった。情けないが、人間は慌ててしまうと普段の半分も頭が回らなくなってしまう。岡目八目と言う奴か、横で話を聞いていたカトレアのほうがずっと冷静に全体を見ていた。

 そして、そのことを問われたセリザワはゆっくりとうなづいた。

「確約はできないが、もしもミス・タバサの飛ばされた世界がわかればゲートを開くことができるかもしれない。いや、なにより彼女は我々と何度も共に戦った仲間だ、「CREW GUYSに仲間を見捨てる道はない」と、リュウならそう言うだろうな」

 キュルケとシルフィードの脳裏に、かつていっしょにヤプールの怪獣軍団と戦ったCREW GUYSやウルトラマンメビウスの頼もしい姿が蘇ってくる。彼らなら、この世界の人間の力ではどうにもできないことでもなんとかしてくれるかもしれない。

 希望が、儚げだった希望の光が胸の中で強くなっていくのをキュルケたちは感じた。そして、少し遠回りになっても、それは自分たちだけで闇雲に進むより、ずっと確実な道だと信じた。

「タバサ、ごめんね。あなたを連れ帰ってあげるのが、少し遅くなるかもしれないけど、その代わりに戻ってきたあなたがびっくりするようなプレゼントを持って迎えに行ってあげるからね」

「急がば回れ、と、前にサイトが言ってたのね。シルフィにはわかるのね。どれだけ遠く離れていても、お姉さまは元気で生きているって。だから、もう少しだけ待っていてほしいのね」

 キュルケとシルフィードの決意は固く、カトレアはそんなふたりを暖かく見守る。

 そしてファーティマは、自分がこれからなすべきことを悟った。

「ラグドリアン湖か。統領閣下、もう少しで貴方のご期待に応えることができそうです。ようし、わかった。それで、そのハッシンキとやらを動かすには特別なエネルギーがいると言ったな。それはいったいなんなんだ?」

 ファーティマが尋ねると、セリザワは右手にナイトブレスを構えてカプセルへとかざした。

「この装置は、我々ウルトラマンのエネルギーにのみ反応して、同じ波長のシグナルを発する。見ていろ」

 ナイトブレスから光の粒子がこぼれ出てカプセルへと吸い込まれていく。すると、それまで黒々としていたカプセルのダイオードのランプが点灯し、なにかを発しているように点滅しだしたのだ。

 驚いて、輝きだしたカプセルをファーティマたちは見つめる。しかしこれが、この発信機を作る上でGUYSがもっともこだわった部分であった。かつて、ヤプールは偽のウルトラサインを使ってゴルゴダ星にウルトラ兄弟をおびき寄せて罠にはめた。また、ババルウ星人も同じ手を使ってヒカリを惑星アーブにおびき出している。だが、これならば偽造は不可能だということだ。

 あとは、これをラグドリアン湖の底にあるという水の精霊の都の門へと持っていくことだ。そのためにも、まずは水の精霊に会って話をつけなくてはいけない。すんなり行くとは思えないが、なぜか今のキュルケたちには、どんな困難なことでも成し遂げられそうな、そんな確信がふつふつと湧いてきていた。

「今のうちに勝ち誇っていなさい悪党ども、遠くないうちに、わたしたちが世界をひっくり返してあげるんだからね」

 ツェルプストーの炎の血統が、冒険と変革を求める若い血が燃えていた。ジョゼフも、ヤプールも、ほえ面をかかせてやるだけの可能性を自分たちは持っている。

 勇気と希望を胸にして、彼女たちはラグドリアン湖へと続く道の先へと足を踏み出した。馬車を失い、ここから先は歩くしかなくても、踏み出す足取りは力強く、前をのみ目指していく限り道は途切れない。

 

 

 だが……ヤプールの追撃を撃退した彼女たちでも、ヤプールでもジョゼフでもない敵の魔の手がすでにトリステインへと忍び寄ってきていることを、まだ知る由もなかった。

 トリステインを南下した地にある国、ロマリア。闇に包まれた世界の中にあって、いまや人々の希望の中心となりつつも、その実は闇の中心である腐敗の都において、教皇ヴィットーリオは腹心ジュリオからの報告を受けていた。

「……以上です。結論として、我々の宣伝により、ゲルマニアの諸侯たちは聖戦を支持しています。アルブレヒト三世が抑えきれなくなるのも時間の問題でしょう。ガリアも、英雄王ジョゼフの名の下に気勢が高まっております。こちらはシェフィールド殿が大層に張り切っておられるようですね」

「ご苦労です、ジュリオ。すべては、我々の予定通りに進んでいるようですね。神の加護を受けた、始祖ブリミルの再来の聖教皇陛下の下で邪悪なるエルフを打倒するというハルケギニアの人間たちの声が聞こえてくるようです。そして、この世界に真の救済をもたらす、最後の魔法の準備もまた、遠からずできあがるでしょう。ジュリオ、この前お願いしたことはできていますか?」

 これまでに無数の信者の心を溶かしてきた、慈愛に満ちたヴィットーリオの微笑み。しかしその言葉の内には凍りつくような闇が渦巻いている。そしてそれはジュリオも同じ。尋ねられたジュリオは、無邪気そのものという笑みを浮かべながら答えた。

「ええ、もちろんです。トリステインへ向かって逃げているもうひとりの虚無の担い手と、勇敢な少年淑女の方々にはすでに同志を差し向けてあります。彼女は優秀です。きっと、邪魔者どもを始末して、虚無の担い手を連れ帰ってくれることでしょう」

「ほほお、それは楽しみです。『彼女』ですか、あなたがそれほど言うのですから、それはきっと素晴らしいレディなのでしょうね」

「はい、僕自ら勧誘してきましたが、とても可愛らしいレディでしたよ。彼女はこの世界の中でも、闇の中をこそ住まいとする種族。しかも、彼女には自らも気づいていない特別な力がありました。それを目覚めさせてあげると、彼女は喜んで我々への忠誠を誓ってくれました。数日後には、虚無の担い手以外の者たちは、カラカラに干からびた死体となっていることでしょう」

 自慢げに、楽しそうな笑いを浮かべながら報告するジュリオ。ヴィットーリオは満足げにうなづき、視線を窓外の北の空へ向けると、思い出したように話題を変えた。

「そういえば、あの方々を乗せてきた船は途中で引き返したようですが、ほって置くと仲間の異変に気がついてなにかしてくるかもしれませんね?」

「それについてもご心配なく。その船、オストラント号のほうにも刺客を差し向けておきました。こちらは、シェフィールド殿のご紹介で、ガリアの北花壇騎士を派遣しています。報酬次第でどんな汚れ仕事でも請け負う、これまで失敗したことのない凄腕たちだとか。どちらも、早ければ今日にも吉報が届くかもしれませんよ」

「よろしい。あなたの仕事ぶりは常に私を満足させてくれます。さて、ルイズ・フランソワーズ殿、あなたが素直に私たちの理想に賛同してくれなかったばかりに、あなたのお友達はこれから天に召されることになります。ですがご安心ください。少々回り道になりますが、四の四の四を揃える手取りはできています。それが生み出す、始祖ブリミルの最後にして最大の遺産を、ぜひあなたと共に見たかったものです」

 闇に覆われた空に向かって大きく手を広げ、ヴィットーリオの口から嘆きの言葉が流れ、悲しみの涙がほおに伝わっていった。

 だが、それは蜃気楼よりももっと儚い薄氷の仮面に過ぎない。精巧で美しい嘘泣きは一瞬で消えて、ヴィットーリオはジュリオとともに、憂いと慈愛を込めた眼差しで退廃と混乱に満ちたロマリアの国を、そしてハルケギニアを見つめた。

 ただし、彼らの眼差しの中の世界に、”人類”は含まれてはいない。

 

 才人の仲間たちへと迫る、強大な悪の足音。太陽が失われたハルケギニアに、夜明けはまだ兆しすらも見えていなかった。

 

 

 続く



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第28話  夜の支配者

 第28話

 夜の支配者

 

 巨蝶 モルフォ蝶 登場!

 

 

 ハルケギニアを明けない夜が包んで、早くも一月あまりの時が流れようとしていた。

 わずか一月前には、世界は光に満たされていた。昼と夜が規則正しく巡り、昼は太陽が、夜は月と星が大地を照らし出していた。

 それが、当たり前だと思われていた。

 人と人の流れもそうだった。ルイズたちは日々学院で勉強し、才人は雑用に汗を流し、銃士隊は剣を振り、子供は遊び、大人は働く。

 それが、守られるべき平穏であり、そのために人間たちは不断の努力を続けてきた。

 

 ヤプールの送り込んでくる超獣を何度となく打ち破り、不可能に幾度となく挑戦してきた。

 過去の人間がそれらを見たなら、まさしく奇跡と呼ぶに違いない。

 中でも、最大の奇跡と呼ぶべきなのは、六千年の常識を覆した、東方号によるエルフとの直接交渉にあることは疑う余地はないだろう。

 筆舌に尽くしがたいほどの苦難と冒険を乗り越えて、エルフの首都アディールにたどり着いた快挙。そこで繰り広げられた、人間とエルフの修好を妨害せんものとするヤプールの怪獣軍団との死闘。

 あれは誰もが忘れない。何度も絶体絶命の危機に陥りながらも、その身を挺して人々を守り、悪を退けた光の巨人たちを。

 

 あきらめない限り、希望は失われない。

 

 しかし、世界は変わってしまった。数を計ることさえできない無数の昆虫の群れが空を覆って太陽を隠し、地上は完全な闇に閉ざされてしまったのだ。

 人々は混乱し、人心の乱れにつけこんで悪はハルケギニアへとすさまじい速さで根を張っていっている。このままでは、この世界はヤプールの侵攻を待つまでもなく、人間たち自らの手によって滅亡してしまうだろう。

 なのに……あのとき戦ってくれた光の巨人は、今はいない。エースはヴィットーリオの虚無魔法によって才人とルイズが別々の時空に追放されてしまって、戻る目処さえ立っていない。

 そしてもうひとり。エルフの伝説にあった、あの青いウルトラマン……彼はその後、一度も姿を見せていない。

 破滅に瀕したハルケギニア。その中でも、あがき続ける人間たちに希望の未来は訪れるのだろうか。

 

 光はもう一度、大地を照らし出してくれるのだろうか。お日様が暖かい昼下がりに、子供たちが駆け回って遊ぶ日常が、再び訪れてくれるのか。

 闇は依然として沈黙を守り続けている。それでも、時間だけは止まらない。

 

 

 キュルケたちがラグドリアン湖へと向かい、ロボット怪獣ガメロットを撃破しているのと時を同じくして、もうひとつの重大な事件が幕を上げていた。

 

 場所はガリア王国の、首都リュティスから南東に下った山間部。その辺りは濃い森林地帯に覆われて、目だった産業も産物も存在しないために、街道沿いにわずかな畑を持つ寒村が点在する以外にはなにもない土地のはずだった。

 存在し続ける理由としては、ここがアルビオンからトリステインを経てガリアへ入り、さらに南下してロマリアへと続く巡礼街道のひとつであったということぐらいである。だがそれも、何年か前に南西部にロマリアの虎街道へと直結する新街道が開かれてからは必要性を薄れさせ、この近年は通行人はおろか住民さえ減少の一途を辿っている。現在は、新たにこの地方に移り住もうとするような人間は、人気を避けて静養したいと望む老人か病人くらいしかおらず、外の人々からはすでに忘れられ始めていた。

 

 だが……さびれる一方の辺境の地とはいえ、まだ相当数の人間が村々に点在して住んでいることには違いない。そんな、外部との関わりの薄い陸の孤島のような村にも、数週間に一度は旅人や商人が訪れて、旅の消耗品を買い込んだり、少ないながらも収穫された作物や狩猟の獲物を取引していく。そこには紛れもなく人と人との交流があり、それらの人々は、年に数回訪れるそれらの村々に立ち寄ることを楽しみにしているという。

 ただし、辺境を旅するそうした人間たちがひそかに恐れていることがある。まれに、めったに、人によっては一生遭遇しないことも多いが、そうして忘れられかけた頃に天災のように起こるそれに出くわしたとき、人は恐怖におののき二度とその地に近づかないという。

 

 想像してみるとよい。『ほんの数ヶ月前まで貧しいながらも活気のあった村が、次に訪れたときには人っ子一人住まない荒れ果てた廃墟になっていた』ということを。

 なぜか? 疫病による大量死。悪政による住民の逃亡。それらも確かにあるが、数百人単位の村ひとつが消滅するほどのことは滅多にありはしない。

 答えはひとつ、滅んだ村は外敵に襲われたのである。それも、野盗による襲撃などという生易しいものではなく、人ならぬモノ、亜人の襲撃によってである。

 そう、このハルケギニアには数多くの亜人種が存在している。それらの中には、翼人のように人間から手出しをしなければ襲ってくることはない理知的な種族もいるが、大部分はオークやトロルのように知性薄弱で凶暴なモンスターばかりであり、これらの群れに襲われて滅ぼされた村も少なくはない。

 ただし、オークやトロル、またはコボルドなどによる村落の消滅は動物災害に近く、地球でも熊などによって甚大な被害が発生し、結果的に集落が消滅する事例が実際にあることから、決してハルケギニアだけが特別なわけではない。

 恐れられているのは、それらの亜人種の中でも高度な知能を持ち、かつ凶悪な性質から妖魔と呼ばれる者たち。その中でもさらに、他の種族にはないある特徴を持ち、それを利用して狡猾かつ残忍な手法を好む、ある種族による犯行である。奴らはオークやコボルドのように群れをなして人里を力づくで襲撃したりはせず、大抵はひとりか数人の少人数でひっそりと人里に忍び込む。そして、この種族の妖魔に狙われたが最後、人々は恐怖におののき、犠牲者の哀れな屍がひとつふたつと日々増えていく。

 そう、この妖魔は人間に化けて村に入り込み、内側から食い荒らしていくのだ。恐れられている理由はここにある。オークやトロルなら、迎え撃つことも逃げることもできるが、この相手は平和な日常に潜んで、いつ襲ってくるかわからないために防ぎようがないのだ。さながら通り魔にも似て、犠牲者は襲われる瞬間まで気づくことはなく、姿なき殺人鬼は影から獲物を襲い続け、そして村は死人にあふれて、生き残った人間たちは泣く泣く故郷を捨てて逃げ出すことしかできない。

 その恐るべき死神たちの名は”吸血鬼”。人間の血を好み、殺戮を繰り返す、ハルケギニア最悪の妖魔である。熟練のメイジでも対抗は難しく、その名が唱えられるだけで人々はおののき、住民を失って地図から消えた村や町は数知れない。そして生存者も、あまりの恐怖に体験を語ろうとする者は少なく、殺戮の所業は闇に葬られていくのだ。

 まさに人間の天敵であり、恐怖の対象という度合いで言えばエルフすらもしのぐ。そして、その吸血鬼のひとりがこの地に潜伏し、獲物が来るのを待ち構えていた。

 

 闇の中に巣食う、闇の住人吸血鬼。これから始まるひとつの事件は、ハルケギニアのほとんどの人々に知られることなく終わりまでを駆け抜ける。だが、この辺境で起こった小さな戦いの行方は遠からぬ将来において、ハルケギニア全体はおろか、全世界の運命をも大きく左右していくことになる。

 ただし、それがいかような方向へと舵を取っていくのかは、神も悪魔も知る由はない。未来は無限大であり、たとえ全知全能の存在であったとしても、それは”今”のことでしかないのだから。

 

 

 語りを現世へと戻し、暗闇の中から幕は上がる。

 

 

 湿った空気と、かび臭い匂いが鼻をつき、わずかに虫の鳴き声がする薄暗い空間で少女は目覚めた。うっすらと開いた翠色の眼に光が入り、見覚えのない眺めに彼女は戸惑った声を漏らした。

「えっ……ここは、どこ」

 視界に映ってきたのは、差し渡し五メートル四方程度の部屋だった。その隅には古びた箪笥と、小汚い毛布が乗ったベッドが置かれ、正面の小窓からは曇った空が見えた。

 どうやらここは、どこかの平民の家の一室らしい。部屋の様子から彼女がそう察したのは、彼女が以前住んでいたウェストウッド村の家の雰囲気に似ていたからだった。家具はいずれも無骨な手作りで、子供たちと過ごしていた日々の思い出が彼女、ティファニアの胸に蘇ってくる。

 しかし、感傷に浸れたのは一瞬だった。辺りを見回して、気が落ち着いてくると、ティファニアは自分がその部屋の柱に後ろ手で縛りつけられているのに気がついたのだ。

「なにこれ! んっ、外れない」

 もがいてみたが、ティファニアの両手首は背中に回した状態で頑丈なロープでがっちりと柱にくくりつけられており、非力な彼女の力ではどうにもならなかった。

 わたしは、いったいどうしてこんなことに? 目が覚めてみて自分の陥っている状況の異常さに気づいて動揺するティファニアは、必死に気を失う前に何があったのかを思い出そうと試みたが、その前に自分が今どうなっているかを明確に自覚せざるを得なかった。

 そう、自分は以前、同じ状況に陥れられたことがある。あれは確か、ガリアのアーハンブラ城というところだった。そこへ……

「わたし、またさらわれちゃったんだ」

「へえ、なかなか理解が早いんだね。少し感心しちゃった」

「えっ! だ、誰!」

 突然、部屋の中に幼い少女の声が響いた。驚いたティファニアが部屋の中を見回すと、いつの間に現れたのだろうか。さっきまで誰もいなかったはずのベッドの上に、ちょこんと五歳前後と見える金色の髪をした少女が座っていた。

「あ、あなたは……?」

「おはようお姉ちゃん。よく眠っていたね。なかなか起きないものだから、わたしそろそろ起こそうかと思ってたからちょうどよかったよ」

 ティファニアの問いに答えずに、少女は明るくよく通る声でしゃべった。その顔には笑顔があふれており、少女の幼げな容姿とあいまって、まるで人形のように可愛らしげに見えた。

 だが、普通の人であれば心を溶かされてしまうような可愛らしげな少女の笑みとは裏腹に、ティファニアは表情を凍らせて、鋭い視線を少女に向かって放っていた。すでにティファニアの顔には動揺はなく、心からは戸惑いは消えていた。

 なぜなら、ティファニアは目の前の天使のような少女の影にある、大きな違和感を感じ取っていたからだ。一見、無邪気な子供のように見えるけれども、逆にあまりにも美しすぎる。人形のような、ではなく人形そのもののような作り物じみたあどけなさの不自然さが、多くの子供たちと直に接してきたティファニアには見えたのだ。

「あなたが、わたしをさらってきた犯人ね」

「あら? 本当に察しがいいんだ。めんどくさい説明をしなくちゃいけないと思って、いろいろ考えてたんだけど手間がはぶけて助かっちゃう。なんでわかったの?」

「あなた、子供を装う演技がうまいのね。けど、あなたの仕草は大人が勝手に思ってる子供っぽさだったわ。ほんとうの子供は、もっと落ち着きがなくてきょろきょろしてるものなの。しゃべるときだって、思ったことをそのまま口にするけど、あなたは考えて言葉を選んでる。そんなこと子供にはできないわ」

 ティファニアが確信を込めて断言すると、その少女は今度は本当に子供らしく腹を抱えて笑って見せた。

「あっはははは、なーるほどね。私、おしゃべりはあまり得意じゃないから騙せなかったかあ。こんなのでも、大人はたいがいバカだからちょっと泣いたり甘えればコロっと騙されてくれるんだけど、こんなすぐに見破るなんてお姉ちゃんすごいね。でもほんとのこと言えば、子供を演じてるわけじゃないんだよ。これでも私はまだ子供なの、ただちょっとだけ私たちの種族は大きくなる早さが人間と違うだけ」

「あなた、いったい何者なの?」

「ん? 吸血鬼だよ」

 こともなげに言ってのけた少女の、その唐突な言葉にティファニアはあっけにとられるしかなかった。

「きゅう、けつ、き?」

「そう、名前はエルザ。よろしくねおねえちゃん」

 ニコリと笑い、エルザと名乗った少女は言葉を失っているティファニアを無邪気そうな童顔で見つめた。

 対して、ティファニアはまったく理解が追いつけていない。伝聞で、吸血鬼という妖魔がいるということだけは知っていたけれども、彼女の知識はそこまでだった。すると、ティファニアの困惑を見て取ったエルザはベッドに座ったまま、楽しそうに足をばたつかせてみせた。

「あっはは、お姉ちゃん今バカみたいな顔してるよ。でもしょうがないか、普通の人は吸血鬼なんて見たことないものね。牙だって、ほらこんなふうに隠しておけるんだ」

 そう言って、得意げに口を開いたエルザの犬歯が、ティファニアの見ている前で見る見る伸びて狼のように長く鋭く変わった。部屋の薄暗い中に、白く輝く二本の凶器。それはエルザの幼げな容姿とはまるで釣り合わず、唖然としているティファニアにエルザはさらに楽しそうに続ける。

「驚いた? すごいでしょう。この牙をね、人間の首筋に食い込ませて、あふれ出てきた血をゴクンゴクンってすするんだよ。あ? お姉ちゃんったら、まだ信じられないって顔してるね。そうだ、いいもの見せてあげる」

 するとエルザは、座っているベッドの裏側からなにかをつかむと、無造作にティファニアに向かって放り投げてきた。それは、エルザの背丈より大きいが妙にひょろひょろしたもので、ティファニアの前の床に落ちると、カラカラと乾いた軽い音を立てて転がった。

 いったいなんだろう? それは色が黒くて、明かりのない室内ではいまいち正体がわからない。ティファニアは目を凝らして、それがなにかを確かめようと試みた。

 

 枯れ木? いや、人形? いや……えっ!

「こ、これって! に、人間の!」

 その瞬間、ティファニアの体から血の気が一気に引いた。

 

「そう、人間の死骸だよ。血を一滴残らず吸い尽くした絞り粕。お姉ちゃんが眠っているうちにお腹がすいたから、さっき一人いただいちゃってたんだ」

「ひっ、ひうっ!」

 楽しげに笑うエルザの口から覗く牙と、目の前のカラカラに乾いた死体の首元に空いたふたつの穴が、エルザの言葉がほんとうだと告げていた。

 ティファニアの足元に転がる死体は土色に完全に干からびており、目は黒い空洞になり、口は断末魔の叫びのままで、大きく開かれたまま固まっていた。

「あっはっはっ、びっくりしたでしょ。けど、これで信じてくれたね? そう、私は吸血鬼……闇の中に生きる、美しき夜の種族」

「こ、この人は……?」

 ガタガタと震えながら、ティファニアは死体が誰なのかを尋ねた。死体は完全に乾ききっていて、もう生前の姿を想像することはできない。

 だがエルザは、まさかまさかと怯えるティファニアに努めて優しげな声で言った。

「心配しなくても、お姉ちゃんの知り合いじゃないよ。私が支配したこの村の女の人。味も悪くなかったけど、なかなか楽しいお昼ごはんだったからお姉ちゃんにも見せてあげたかったな。知ってる? 人間の血ってさ、若い女の人が一番おいしいの。だから村中の女の人を集めて閉じ込めてあるんだけど、ただ血をもらうだけじゃ味気ないから、その人たちに一言言ってあげたの、わかるかな?」

「ひっ、ひぅぅ」

「ああ、お姉ちゃんのその怯えた顔もいいよぉ。そんなふうに怯える人たちに、私はこう言ったの。「あなたたちで一人、私のごはんになる人を差し出しなさい」ってね。そうしたらねぇ、もうひどい押し付け合いよ。「お前がいけ」「あんたが先よ」って、ののしりあい、殴り合い、もう必死すぎて久しぶりにいっぱい笑ったなあ。そして、やっと地味で気の弱そうな子を一人差し出してきたんだけどね」

「それが、この人……?」

「ブーッ! 残念はずれ。そのとき私は、生け贄を差し出してきたお姉さんにこう言ったんだ。「じゃあ、あなたで決まりね」と。そしたらその人、最初は呆然としてたんだけど、すぐに怒鳴ってわめいたの。「話が違う」「私はイヤだ。あいつを食べろ」ってさ。けど私は最初から、やっと助かったと思って安心してる人の顔が恐怖にゆがむのが見たかったの。そのほうがドキドキするじゃない? で、泣き喚くお姉さんの手足をしばってゆっくりといただいたわ。おいしかったなあ」

 うっとりとした表情で、エルザは舌で口元をペロっと舐めて言った。その口元には、凶悪な二本の牙が冷たく光っている。

 この子は本物の吸血鬼、生き血をすすり、恐怖をもてあそぶハルケギニア最悪の妖魔。ティファニアの体に、いままでなかった震えが走って止まらない。

「わ、わたしも食べる気なの?」

 恐る恐るティファニアは尋ねた。しかしエルザはその問いに、少し困ったような顔をして言った。

「うーん、できればそうしたいんだけどね。お姉ちゃんは生きたまま引き渡さないといけないの。それが、ロマリアのお兄ちゃんとの契約なんだ」

「ロマリア! そう、そういうわけだったの……」

 エルザの一言に、ティファニアの頭の中にあったもやが一気に晴れていった。

 そして理解した。なぜ自分がさらわれたのか、その理由もなにもかも。

「わたしの、虚無の力が欲しいのね。わたしの、わたしの友達たちは、みんなはどうしたの!」

「あら、ほんとうに思ったより頭はいいんだ。くふふふ、そう来ると思って用意しておいたんだよ。ロマリアのお兄ちゃんからのプレゼント、見せてあげる」

 そう言うと、エルザはベッドに立てかけてあった姿見をティファニアの前に置いた。それは、一見するとただの鏡のようであるが、装飾に奇怪な文様が刻まれており、ティファニアにでもすぐにそれが仕掛けのあるものだとわかった。

「これね、ガリアで作られた『遠見の鏡』っていうマジックアイテムなんだって。効果はまあ、名前でわかるよね? んーと、使い方はと」

 エルザは少し思い出すようなそぶりを見せると、鏡の紋様を指で数回なぞった。

 すると、操作が加えられた遠見の鏡は光りだし、遠く離れた場所の光景を映し出した。しかしそれは、仲間たちの身を案じていたティファニアの不安を、最悪に限りなく近い形で実現するものだったのである。

「ミシェルさん! ギーシュさん! みんな!」

 鏡の向こうには、森の中の沼地が映っていた。そのほとりの草地に、ギーシュたち水精霊騎士隊や銃士隊は倒れていたのだが、彼らの頭上に異様なものが飛んでいた。

「な、なんなの? あの大きな蝶たちは!」

 そう、それはまさしく蝶の群れだった。しかし、大きさが馬鹿げており、羽根の差し渡しがざっと八十センチはある巨大なものだったのだ。サファイアのような青い羽根がきれいではあるが、その巨体ゆえにグロテスクな印象しか受けない。それらが十数匹も舞う下で、ギーシュたちは身をよじりながら苦しんでいた。

「あら、あらあらあら、苦しそうに。けど、あの子たちの毒鱗粉をあれだけ浴びて、まだ正気を保っているなんて意外としぶといね」

「エルザ! あの蝶は、あなたの仕業なのね」

「そうよ。私の可愛いペットたち。私ね、気ままに旅をしてるときは、あの蝶ちょの卵を水辺に撒いて育てて、寄ってきた人間をしびれさせていただいてるの。モルフォって知ってる? 奥地にしかいない珍しい蝶なんだけど、手なづけると便利なんだよ」

 モルフォ……その名前に、ティファニアは聞き覚えがあった。ネフテスへの遠征から帰って来て、しばらくルクシャナの助手としてアカデミーで勉強していたとき、ポーションの原料としてモルフォの鱗粉を目にしたことがあった。そのときには、大変希少価値が高いけれども、毒性も強いから絶対に触らないようにと聞いている。それが、あの蝶なのか。

 愕然とするティファニア。だが実は、この蝶は地球にも生息していて、かつて日本でも発見例が報告されているのだ。

 『巨蝶・モルフォ蝶』全長八十センチメートル、体重百グラム。アマゾンを原産とする幻の蝶で、水辺を好み、群れで活動する。そしてその羽根からばらまかれる毒鱗粉は、人間さえのたうちまわらせるほどの強い毒性を持っている。

 ただし、このモルフォ蝶は特殊な種類で、紛らわしいのだが、普通の昆虫としてもモルフォという種類の蝶はいるのだけれど、それとはまったく違うものである。

 普通のモルフォが何らかの原因で突然変異で巨大化してモルフォ蝶になったのか、それとも最初から巨大な種類であったのかはわかっていない。しかし、そんなことはともかく、モルフォ蝶が人間にとって危険な生物であることは間違いない。

「みんな、早く逃げて!」

「無駄だよお姉ちゃん、みーんな、モルフォの毒鱗粉をたっぷり浴びちゃってるからね。あとどれだけ持つかなぁ? うふふ」

 エルザは自信ありげにティファニアの叫びを一蹴した。

 確かに、モルフォ蝶の毒鱗粉は強力であり、これの生息する水辺にはオークでさえ近寄らないと言われる。民間にもその恐ろしさは伝承されており、幼年時代のルイズとアンリエッタが興味本位でこれの生息地に探検に出ようとして、一週間の外出禁止を食らったこともある。

 牙を口元から覗かせ、残忍な笑いを浮かべるエルザと、悲痛な表情に沈むティファニア。このままでは、みんながあの毒蝶の餌食になってしまう。

 

 

 どうして……どうして、こんなことになってしまったのかと、ティファニアは無力感をかみ締めながら記憶の糸をたどった。

 そうだ、わたしたちは……ここまで。

 

 

 ここで、時系列はややさかのぼり、一行がトリステインを目指してガリア辺境の森の中の街道を歩いていた時に返る。

 ロマリアでの天使の事件で、才人、ルイズ、デルフリンガーを失った一行は、事の次第を女王陛下と仲間たちに伝えるために、帰国を急いでいた。

 しかし、それは決して平坦な道のりではなかった。あの戦いの後、別行動をとっていたティファニアやモンモランシーらとの合流は幸いにもうまくいき、才人らが死んだということで嘆き悲しむティファニアをなだめて、彼らはロマリアから一路トリステインを目指すことにしたのだが、その方法が難題であった。

 帰国の道は、大きく分けて空路、海路、陸路の三つである。しかし、空路は飛行船の搭乗料が多額にかかるため、手持ちの資金が間に合わないために即外され、海路は空路に比べれば料金は安いとはいえ、空が闇に包まれてからは海の怪獣たちの動きも活発になってきたということで長距離航路は無期限運休になっていて、残るのは必然的に陸路を歩いて帰るのみとなる。

 ただし、その陸路もまた彼らを悩ませた。トリステインへといたる最短の街道は、火龍山脈の大陥没によって封鎖されているために大きく迂回することを余儀なくされ、慣れない土地の手探りでの旅はさしもの銃士隊も手を焼いた。

 いや、単に困難な旅であるならば、彼らはこれまでに何度もそれを乗り越えてきた。しかし、今回の帰途は、これまでとは違った。

「サイト……サイト」

 平民に扮して歩く一行。その中で、うつむきながら呻くようにしてミシェルが漏らした声が、全員の心情を代弁していた。

 なにを成し遂げることもできぬまま、仲間を失っての逃避行。皆の意気が高かろうはずもなく、特にミシェルの落ち込みようがひどかった。あれ以来、自殺だけは思いとどまってくれたものの、ときおりうわごとのように才人の名前を繰り返すばかりで、そのやつれようはひどかった。

「副長、サイトは……」

「わかっている。わかっているさ……わかって」

 無理もない……泥沼のような半生を送ってきたミシェルにとって、はじめて手を差し伸べてくれた才人の存在がいかに大きかったか、どれだけ深く才人を愛していたか、皆が知っていた。そして、自分たちにはどうしてやることもできないことを、誰もが痛感していた。

 彼女をはげましてやることができるとしたら、彼女の義理の姉のアニエスしかいないだろう。そのためにも、なんとしてでも連れて帰る。銃士隊員たちは、それが才人へのせめてもの手向けだと、自分たちにも浅からぬ関係のあった才人の死を悲しみながらも自分を叱咤し、ギーシュたち水精霊騎士隊も、才人とルイズの犠牲を無駄にしてたまるかと、自分を奮い立たせていた。

 そしてティファニアやモンモランシー、ルクシャナらも、受けた衝撃からは一応は立ち直っていたものの、友を失った衝撃が軽いはずはない。

「ルイズ……ほんとうに、バカなんだから。あなたが死んだって、あなたの家族に伝えなきゃいけないわたしたちの身になりなさいな」

 気の強いモンモランシーにも今は精彩がない。これまで水精霊騎士隊は戦死者を出したことがなかった。だが、頭で想像していたのと実際に体験することでは大きく違う。表面は平静を装ってはいるものの、誰も余計なことを言おうとしない道中は、まるで葬列のようにさえ見えた。

 

 そんなときのことである。ひたすらトリステインへと向かい、辺境の森の中の人気のない街道を歩き続けていた一行の耳に、森の奥から悲鳴が聞こえてきたのは。

「いやぁぁっ! 誰かぁ! 誰か助けてぇ!」

 一行の耳朶を打ったのは、幼げな女の子の声だった。暗く静まり返っていた森の中で、突然耳に飛び込んできたその悲鳴に、ギーシュたち水精霊騎士隊、そして銃士隊ははじかれたように飛び出したのだ。

 そしてそのころ、森の奥の小道を十二歳くらいの少女が必死に走っていた。

「はぁ、はぁ……やだ、やだぁ」

 少女は平民の村娘風の身なりで、頭には赤い頭巾をかぶっている。その頭巾からグレーの少しちぢれた髪が覗き、笑えば誰もがかわいいと褒めるであろう目鼻立ちをしているが、今の彼女の顔は涙で大きく崩れていた。

 吐き出す息が切れ、手も足もガクガクとして激しく痛むが、少女は走ることをやめない。その後ろからは、重く乱暴な靴音が近づいてくるけれども、少女は決して振り返ろうとしなかった。

「来ないで、来ないで! やだ、誰かぁ!」

 そう、少女は追われていた。その顔は恐怖に歪み、背中のほうから近づいてくる足音と、獣のような荒い息遣いが聞こえてくるごとに、焦点の定まらない目からは涙があふれだしている。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ殺される! 少女は、自分を追ってきているものに捕まったが最後、決して助からないであろうことを知っていた。ひたすら助かりたい一心で走り、森の先を目指す。ここを抜ければ街道に出られる、そうして通りがかった誰かに助けを求められればなんとか!

 だが、少女の必死の逃亡も、子供の脚力では結果は知れていた。いきなり後ろからむんずと手首を掴まれて、少女の小さな体は軽々と宙に持ち上げられてしまった。

「離して! 離してぇ!」

 少女の手首を掴んで宙吊りにしていたのは、屈強な大男だった。年のころは四十代そこそこで、そこらの平民と同様の粗末な衣服をまとっている平凡そうな男に見えた……その野獣のように血走った目と、口元から伸びた鋭い牙を別にしては。

「ア、アレキサンドルさん、や、やめ……ヒッ、ば、化け物っ!」

 引きつった声で悲鳴を漏らしながら少女はもがいた。しかし、非力な子供の力では大人の大男に敵うわけもなく、必死に相手の胸板を蹴りつけるもまったく効果は見えなかった。

 そして、男は鋭い牙を覗かせる口元をにやりと歪ませ、少女の喉をわしづかみにして締め付けてきたのだ。

「かっ……やめ、やめて……た、たすけ……お、かあ、さん……」

 息を吸えない。舌がしびれ、目玉が飛び出そうだ。少女は激しい痛みと恐怖の中で、はっきりと自分の死を意識した。

 苦しい、殺される、死にたくない、助けて、お父さん、お母さん、誰か!

 少女の吐息が途切れていき、助けを求めた最後の声も、か細く森の空気の中に溶けていく。

 だが、そのときだった。

 

「なにやってんだ、てめぇぇーっ!!」

 

 突然、横合いから突っ込んできた黒い影が男をふっ飛ばし、思わず緩んだ手の中から少女の体が解き放たれた。

 支えを失った少女の体は、力を失ったままで頭から落ちていく。しかし地面にぶつかる直前に、小さな体はすべりこんできたたくましい体によって受け止められていた。

「危ない、かろうじて間に合ったか」

「さっすが、銃士隊一の俊足の持ち主!」

 少女を受け止めたのは、全力疾走で駆け込んできた銃士隊の隊員のひとりだった。彼女のかたわらには、男を体当たりでふっ飛ばしたギーシュのワルキューレが槍と盾を構えて守るように立っている。

 そして森の先から響いてくる十数人の足音。悲鳴を聞きつけてやってきた水精霊騎士隊の少年たちと銃士隊の一行が追いついてきたのだ。一行は少女を介抱している隊員の周りを囲むと、盾のような陣形を組んだ。少女は口から泡を吹いているが、なんとか命に別状はなさそうだった。他の皆も、後から続々追いついてくる。

「ゲホッ、あ……だ、誰?」

「心配するな。もう大丈夫だ……皆、気をつけろ! そいつ、人間じゃない!」

「なに!?」

 恐怖感さえ混じった声での警告に、陣形を組んでいた水精霊騎士隊と銃士隊は、起き上がってきた大男の顔を見て絶句した。ここまで彼らは、獣か野盗にでも子供が襲われているのだろうと考えて駆けつけてきたのだが、目の前の相手がそんな生易しいものではないことに気づかされたのだ。明らかにまともな人間ではない男の狂相を見て思わずうろたえたギーシュが、隣でひきつった表情に変わっている銃士隊員に尋ねた。

「な、なんなんだいアレは! よ、酔っ払いじゃないよね?」

「屍人鬼(グール)だ。気をつけろ」

「グ、屍人鬼って……まさか吸血鬼の!」

「そうだ。吸血鬼に血を吸われた人間の成れの果てだ。くそっ、冗談じゃない。来るぞ!」

 吸血鬼に血を吸われた人間は普通はそのまま血を吸い尽くされて死亡するが、吸い尽くされなかった場合はより恐ろしいことになる。それが、殺害された人間の死体が吸血鬼の魔力で操られたモンスターである屍人鬼だ。これは一種のゾンビであるが、吸血鬼の忠実な操り人形であり、吸血鬼が狩りの道具として多用する。

 つまりは、この近くに吸血鬼がいるということを意味し、一行が焦ったのもそのせいだった。しかし、今はともかくも襲い掛かってくる屍人鬼をなんとかするのが先だ。まずは銃士隊の数名が飛び出すと、数の優位を活かして左右から斬りかかった。

「いあぁぁぁっ!!」

 叫び声とともに、屍人鬼の男の右腕、左腕が切り裂かれる。だが、屍人鬼は獣のような叫び声とともに太い腕を振り回すと銃士隊員たちを振り払ってしまい、その壮絶な光景にギムリは唖然とした。

「あ、あいつは痛みを感じていないのか?」

「なにしてる! こいつの狙いはそっちだぞ」

 怒鳴られて、ギーシュたちははっとした。屍人鬼のターゲットは、この少女だ。当然のように、取り返そうと防壁を組んでいる水精霊騎士隊に向かってくるために、ギーシュたちは慌てて魔法を唱えた。

「ワ、ワルキューレ、あいつをやれ!」

 たちまち、ワルキューレが斬りかかり、他にも火や風の魔法が屍人鬼に殺到する。

 しかし、いくら狂相をしているとはいえ、相手も人間だということが必殺の気合を鈍らせた。数人がかりのメイジの攻撃だというのに突進を食い止めきれず、ギーシュの目の前まであっというまに迫ってくる。

「う、うわぁぁぁっ!」

「馬鹿者! なにをやっている!」

「し、しかし相手はにんげ……」

「一度屍人鬼にされてしまったら元に戻すことはできん。もう動く屍なんだ。倒す以外に手立てはない」

 銃士隊員は怒りとともに悲しみを交えた声で言った。屍人鬼は人間が操られているのではなく、人間の死体があたかも生きているように操られているだけなので救う方法がないのだ。吸血鬼の非道さを示す所業のひとつだが、わかっていても元は人間だったものを倒すのは気分のいいものではない。

 が、屍人鬼は体を焼かれ切り刻まれ、本当のゾンビのような姿になりながらも、まるでロボットのように前進をやめず、ひるむギーシュたちを突き飛ばして、少女を抱きかかえている隊員に迫った。

「おのれ化け物め!」

 彼女は少女をかばいつつ、片手で抜いた剣で屍人鬼を迎え撃った。しかし、屍人鬼の力は熊のように強く強化されており、いくら銃士隊員でも片手では食い止めきれない。

「ひ、ひぃっ」

「逃げろ、は、早くっ!」

 銃士隊員は、少女をかばいきれないと、自分が食い止めているあいだに早く逃げろとうながした。

 だが、腰が抜けている少女は立つことすらできない。そして、屍人鬼の血まみれの手が少女に延びた、まさにそのとき。

「いやぁぁぁぁっ! おとうさん、おかあさーん!」

「『マジック・アロー!!』」

 突然、無数の魔力の矢が屍人鬼を貫き、蜂の巣にされた屍人鬼は吹き飛ばされて立ち木に叩きつけられた。

 今の魔法は、誰が!? マジック・アローは魔力そのものを凝縮して放つ高位の攻撃魔法、水精霊騎士隊の未熟な腕で放てるものではない。なら、まさか!

「ふ、副長……」

「……」

 そこには、心が折れて戦う力など残っていなかったはずのミシェルが、亡霊のようにうつむいたまま杖を握って立っていた。

 しかし、屍人鬼は人間ならば即死しているほどの傷を負いながらも、うなり声をあげてミシェルに襲い掛かってくる。危ない! という叫びが次々に響き、呪文の詠唱をする時間すらない。

 が、ミシェルは戦意を失っている人間とは思えないほどの早さで杖から剣に持ち替えると、鞘から抜いた勢いのまま上段に構え、そして。

「でぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!」

 獣、いや、龍の咆哮のような叫び声とともに、ミシェルの剣は屍人鬼の頭頂部から足元までを切り裂いた。

 刹那……屍人鬼は左右に真っ二つに両断され、哀れな大男の死骸は、ただの冷めた肉の塊に戻って崩れ落ちたのである。

「す、すごい……」

 水精霊騎士隊も、銃士隊も、ただの一刀で大男の屍人鬼を倒してしまったミシェルの剣技に圧倒されていた。さすがは、アニエス隊長に次ぐ剣の達人……メイジとしての力にばかり目を奪われがちだが、剣士としての強さも一年前とは比べ物にならなかった。

 しかし、戦うだけの気力を無くしていたはずのミシェルがなぜ……? 皆が、そう思って戸惑っていると、ミシェルは剣に残った血を振って払うと鞘に収め、少女に歩み寄ると、かがんで話しかけた。

「大丈夫か?」

「え、あ……お、おねえさんは?」

「君の、おとうさんとおかあさんは?」

「え? あ、あ……あああっ!」

 そのとたん、少女は堰が切れたように泣き始めた。

「うあぁぁぁぁっ! 助けて、助けてっ。わたしの、わたしの村がっ! おとうさんとおかあさんたちがぁぁぁっ!」

「だいじょうぶ、だいじょうぶだから……」

 ミシェルは泣きじゃくる少女を抱きしめて、その背中をさすって優しく慰めていた。

 だが、仲間たちは見ていた。家族を呼んで泣き続けている少女と同じように、ミシェルの目からも光るものが流れ落ちていることを。

 

 

 そして、屍人鬼を倒した彼らは、これがまだ始まりに過ぎないことを知ることになる。

 そのころ、ティファニアやモンモランシーたちは、悲鳴を聞きつけて飛び出していった水精霊騎士隊や銃士隊を見送って、街道に残り待っていた。

「皆さん、大丈夫でしょうか……?」

「心配いらないわよテファ。まったく、なにが危ないからここで待っていてくれよ、よ。かっこうつけちゃって」

 不安げなティファニアと、プリプリと怒っているモンモランシー。彼女たちは、駆けだして行ったギーシュたちを案じてはいたが、銃士隊もいっしょだしよほどのことがない限りは大丈夫だろうと考えていた。不安があるとしたら、調子が戻っていないミシェルくらいだけれど、彼女もプロの軍人なのだし滅多なことはないだろう。

 相手は山賊だかなんだか知らないけれど、十人ばかりのメイジがいれば大抵は恐れをなして逃げ出す。モンモランシーたちはギーシュたちの無傷の帰りをほとんど疑っておらず、いっしょにいるルクシャナも、つまらなさそうに彼らの帰りをぼおっとしながら待っていた。

 当然、警戒心が散漫になり、わずかに注意を払う方向も、ギーシュたちの向かった小道の先だけになる。

 ところがこのとき、油断する彼女たちの背後から忍び寄ってくる人影があったのだ。しかし、彼女たちがそれに気づいたときには、すでに手遅れになっていた。

 

「きゃあぁぁぁぁっ!」

「今の声は、モンモランシー!?」

 

 ギーシュが叫び、水精霊騎士隊は血相を変えて元来た道を引き返した。

 全力で走り、森から飛び出して街道へ出る。そこには、モンモランシーとルクシャナが道の真ん中に倒れていた。ギーシュはすぐにモンモランシーに駆け寄って抱き起こして呼びかけた。

「モンモランシー! 大丈夫かい! モンモランシー、ぼくのモンモランシー!」

「う、ううん……ギーシュ? はっ、いけない! ギーシュ、大変よ。ティファニアが、テファがさらわれちゃったのよ!」

 水精霊騎士隊に激震が走り、後から追いついてきた銃士隊も事の次第を知って愕然とした。

 これは、罠だ。あの屍人鬼は、最初から水精霊騎士隊と銃士隊をおびき寄せて、ティファニアを奪うための囮だったのだ。

 犯人は……疑う余地もない。ロマリアの手のものに違いない。でなければ、ティファニアひとりだけをさらっていくわけがない。

 それに……と、一行はつばを飲み込んだ。自分たちも、このまま見逃されるとは思えない。きっと、誰一人としてこの森から出すつもりはないだろう。

 

 暗い森の中で、姿も見えない吸血鬼を敵にして、水精霊騎士隊と銃士隊に大きな試練が立ちはだかろうとしていた。

 

 

 続く



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第29話  サビエラ村の惨劇

 第29話

 サビエラ村の惨劇

 

 巨蝶 モルフォ蝶 登場!

 

 

「思い出したわ。エルザ、あなたがわたしをさらうために、わたしの仲間たちを誘い出して罠にはめたのね」

「そうよ。お姉ちゃんのお仲間たちは、みんなお人よしだって聞いていたから必ずひっかかると思ってね。まあ、屍人鬼を一匹つぶしちゃったけど、たいしたことないわ。代わりは、いくらだっているからね」

 ティファニアとエルザ、囚われた者と捕らえた者。立場を異にするふたりが、遠見の鏡を前にして成り行きを見守り続けていた。

 鏡には、エルザの仕掛けた罠にはまって苦しんでいる仲間たちの姿が映っている。ティファニアはその様子を苦悩して見ていたが、得意げに自分をさらった手際のよさを語るエルザをきっと睨み付けた。

「わたし一人を捕まえるためだけに、なんの関係もない人を屍人鬼にして、わたしの仲間に倒させるなんて。なんてひどい」

「ひどい? うふふ、わかってないなあ。屍人鬼はもう人間じゃないの。私がお腹を満たした後の絞り粕の再利用。どうせ生きていたところで、適当に歳を取って死ぬだけのでくの坊さんが、私のご飯になれた上にオモチャにもなれたんだから、むしろ光栄と思ってほしいなあ」

 ティファニアの弾劾にも、エルザは余裕を崩さずに冷酷な笑いを続けた。

 あのとき、水精霊騎士隊と銃士隊が屍人鬼を倒している隙に、仲間たちと引き離されて無防備になったティファニアを別の屍人鬼が襲い、まんまとさらわれてしまったのだ。

 吸血鬼は、人間を食料としてしか見ていない。その命を奪うことには何の躊躇も見せないし、死者の魂を冒涜するに等しい屍人鬼の使用も当たり前に行う。

「エルザ、あなたの狙いは私でしょう? 関係ない人たちを巻き込むのはやめて」

「それはダメだよぉ。お姉ちゃんの身柄は無事に、ほかの人間たちは皆殺しがロマリアのお兄ちゃんとの契約なの」

「ロマリア……くっ」

「うふふ、お姉ちゃん、私が憎い? 人間は私たちを妖魔と呼ぶよね。別にいいよ? 人間なんて、私たち美しい夜の種族からしたら、たいした力もないしすぐに死ぬつまらない生き物なんだもの。そんなのが楽しそうにしてると、私とってもムカムカするんだ。いじめたくなるんだよ」

 嗜虐的な笑みを浮かべると、エルザは座っていたベッドから立ち上がり、床に転がっていた村人の娘のミイラを枯れ葉のように踏み潰した。

「人間なんて大っキライ。数が多いだけで、バカで弱っちくて。けど、人間たちは一日の半分を太陽に守られているから私たちは敵わなかった」

「吸血鬼は、お日様の下では生きられない……」

「ええ、私たち吸血鬼は夜の種族。太陽の光は、私たちの体を焼いてしまう。だけど、ロマリアの教皇さまは救世主だったのよ。そして私に言われたわ。我々の同志となってくれるのなら、永遠の夜をプレゼントしてくれるってね。アハハハ」

 愉快そうに笑うエルザを見て、ティファニアは納得した。吸血鬼の唯一にして最大の弱点が太陽であるが、現在空は無数の昆虫が雲を作って日差しをさえぎっているために昼でも暗い。まさしく、吸血鬼にとってはユートピアに等しい。

 太陽のない世界の吸血鬼は完全無欠と言っていい。好きなように人間を蹂躙できるだろう。エルザは楽しそうな笑いを続けたまま、ティファニアの隣に無防備に座り込むと、劇場でお気に入りの英雄譚が始まるのを待ちわびる子供のように遠見の鏡を覗き込んだ。

「さあお姉ちゃん、時間はたっぷりあるからいっしょに見よう。お姉ちゃんのお友達が、モルフォの毒鱗粉にやられてダメになっていく姿をね? くふふふふ」

「エルザ……みんな、逃げて、逃げて……」

「あら? そんなこと言ったらかわいそうだよ。あの人たち、みんなお姉ちゃんを助けるために涙ぐましくやってきたんだから」

 エルザはティファニアにじゃれるようにしながら、自分が見てきた彼らのこれまでを語り始めた。ティファニアは自分の無力をかみ締めながら、この無邪気な殺人鬼の言葉を聞くしかなかった。

 

 

「本当はね、あの人たちがお姉ちゃんを見捨てて逃げられたらちょっとやっかいだったの。けど、そうならないように工夫しておいたんだ。なんだと思う? うふふふ」

 

 ここで時系列を少し戻し、ティファニアがさらわれて、ギーシュたちが駆けつけてきた直後へと返る。

 モンモランシーからティファニアがさらわれたことを聞き、慌てて追いかけようとした水精霊騎士隊の一同であったが、飛び出していこうとしたところを銃士隊に止められた。

「待て! 今から追いかけても森の中では追いつけん。追うだけムダだ!」

「なんですって! ちぃっ、それでも誇り高いトリステインの騎士ですか。ティファニアさんの危機です。僕らは行きますよ」

「バカ者! 土地勘のない人間が森に入ってなにができる。迷子になったところを吸血鬼に襲われたらどうする? 冷静になれ!」

 一時は頭に血が上り、血気にはやったギムリたちであったが、その一喝と、吸血鬼という単語に思いとどまった。

 悔しいが、屍人鬼にすらあれだけ苦戦したのに、水精霊騎士隊だけで吸血鬼なんてものに対抗できるとは思えない。仕方なしに、彼らはひとまずモンモランシーとルクシャナを介抱することにした。

「大丈夫かいモンモランシー、どこも怪我はないかい?」

「ええ、ギーシュ、心配いらないわ。ちょっと、殴り飛ばされて痛かっただけよ」

「よかった。いったい何があったんだい? 詳しく教えてくれないか」

「何って言われても、突然のことで……急に後ろから、目をギラつかせた男たちが襲ってきて、気がついたらわたしとルクシャナは殴り倒されて、ティファニアがさらわれてて。ごめんなさい、わたしたちが油断していたせいだわ」

 君のせいじゃないさ、とギーシュはモンモランシーを慰めた。ルクシャナは、レイナールたちが介抱しているが、あちらもどうやら殴られただけですんだらしい。

 不幸中の幸いは、モンモンシーとルクシャナだけでも助かったことか。しかし……ギーシュはぎりりと歯軋りをした。

「くそっ、屍人鬼は複数いたのか」

 だが、地団太を踏むギーシュたちと違って、銃士隊員たちは怪訝な表情を見せた。

「屍人鬼が複数いた? いや、そんなはずがあるわけは……」

「どういうことですか?」

「いや、まだはっきりしたわけじゃない。その前に、彼女の話を聞いてみようか」

 と、そこでギーシュたちは、街道のわき道からミシェルに付き添われて、先ほど屍人鬼に襲われていたあの少女がやってきたのを見た。確かに、今からティファニアを追っても手遅れな以上、手がかりはこの少女しかいない。

 自然と、全員の視線が少女に集中した。だが、それらの視線が怖かったのだろう。少女はミシェルの胸に顔をうずめて、かむっていた赤い頭巾をおさえて震えている。無理もない、たった十二歳ばかりの少女にとって、怪物に殺されかけたショックはもとより、こんな大勢の騎士や貴族に囲まれるなど心が持たなくて当然だろう。

 怯える少女を、ミシェルは無言のままで優しく抱いている。その姿はまるで母親のようにも見えたが、重く沈んだ表情からは彼女がなにを考えているのかを読み取ることはできなかった。

 このまま、少女が落ち着くのを待つべきか。いや、事は一刻を争うかもしれないのだ。しかし、ギムリやレイナール、ミシェル以外の銃士隊員が話しかけても少女は怯えるばかりで、モンモランシーも努めて優しく話しかけたのだが要領を得なかったので、モンモランシーは仕方なくギーシュをうながした。

「こうなったら方法はこれだけね。ギーシュ、あなたの出番よ」

「へ? ぼくが」

「そうよ。いつもレディの扱いはどうのって自慢ばかりしてるじゃない。手並みを見せてみなさいよ」

「い、いや、幼女はちょっと専門外なんだけど……」

「ぐずぐず言わない! あなたの特技なんて、こんな時くらいしか役に立たないんだからね。今回だけはわたしも見逃すから、テファの無事がかかってるのよ!」

「わ、わかったわかったわかったから!!」

 さっさとやるか魔法を食らうかどっちがいいかとモンモランシーに詰め寄られ、ギーシュはしぶしぶながら少女の隣に行って、彼女の視線にかがんで顔を覗き込んだ。

「こ、こんにちは。ミ・レイディ」

「……っ!」

 少女は少しだけギーシュの顔を見たが、すぐに頭巾をかむって視線をそらしてしまった。

 ギーシュでもダメか……皆に落胆の空気が流れかけた。だが、それでギーシュのプライドに火がついた。

”ギーシュでもダメ? 冗談じゃない。グラモンの男子に女性からの撤退などあってはならないのだ”

 それに……こんなに怯えている女の子を見てそっぽを向いては、男としても人間としてもすたる。ギーシュは足元に落ちていた小枝を拾うと、片手に杖を持って少女の前にかざして見せた。

「ねえ君、ちょっとこれを見てくれるかな?」

「……ん?」

「イル・アース・デル……それっ」

 ギーシュが呪文を唱えて合図すると、ただの小枝がポンっと鳴って小ぶりなバラの造花に変わった。

「わあっ」

 少女は驚いたようであったが、興味深そうにギーシュの作ったバラを見ている。ギーシュの錬金の実力では、ものを作っても原色のままで、ワルキューレもブロンズの地肌そのままをしていたが、そのバラは手のひらサイズなおかげか彩色もされていて、本物のバラそっくりな美しさをしていた。

「気に入ったかい? ミ・レイディ」

「うん……」

 少女はこくりと小さくうなづいた。すると、ギーシュは「君にプレゼントするよ」と言って、バラを少女に手渡した。すると、少女はぱあっと笑顔を浮かべてバラを受け取った。

 ギーシュはちらりと皆を振り返り、「どんなもんだい」とでも言うように片目をつぶってみせた。むろん、皆が感心したのは言うまでもない。

「気に入ってもらえたようでうれしいよ。花も、君のような可愛いレディにもらわれて喜んでいるだろう」

「うん……おにいちゃん、あり、がと……」

「ぼくの名はギーシュ・ド・グラモン。以後、お見知りおきを。小さなレディ、君の名前を教えてくれるかな?」

 ギーシュがきざったらしく会釈しながら尋ねると、少女は少し迷ったそぶりをしてから、小さな声でおずおずと答えた。

「アリス……」

「ミス・アリスか、いい名前だ。君はまるで、その髪の色と同じ野菊のような可憐なレディだね」

「ん、うん。ありがと……ギーシュおにいちゃん」

 自信たっぷりに褒めちぎるギーシュに、アリスは顔を真っ赤にして照れていた。

 さすがギーシュ、女たらしの腕は子供相手でも健在であったかと皆は呆れながらも、少女の心を開かせてしまった手際には感心していた。しかし、このままギーシュに調子に乗らせていたら子供相手に行ってはいけない領域にまで踏み込みそうだったので、モンモランシーはわざと聞こえるように咳払いしてギーシュにそのへんにしておけと促した。

「う、うん、わかったよモンモランシー……ごほん、それでミス・アリス。君はさっき、屍人鬼に襲われていたけど、いったい君や君の村になにがあったんだい?」

 すると、アリスはまたびくりとすると、まるで思い出したくないものをこらえるようにうつむいてしまった。しかしギーシュは、アリスの恐怖心をほぐすように優しさをつとめて呼びかけ続けた。

「よほど怖い思いをしたんだね。でも大丈夫、ここにいるのはみんな君の味方だから安心してくれていいよ。ぼくたちはね、悪い奴をやっつけるために旅をしてるんだ。必ず、君の力になってあげるから、ね」

 アリスは迷った様子だったが、すがるように抱きつき続けていたミシェルの顔を見上げた。すると、ミシェルは口元に笑みを浮かべると、アリスに優しくうなづきかけた。

「大丈夫、わたしたちにすべて話してみて」

「……はい」

 決心した様子で、アリスはギーシュや皆に向き直って話し始めた。

「お願い、助けて……助けてください。わたしの、わたしの村が吸血鬼に……」

 それは、思い出すのもおぞましい記憶だった。

 

 

 サビエラ村、それがアリスの住んでいた村の名前である。

 ガリアの首都リュティスから南東に五百リーグ程度に位置し、山と森に囲まれた人口三百五十人ほどの、取り立てて何もない辺境の寒村であった。

 アリスはこの村の農家の娘で、つい最近まで村は貧しいながらも平和に過ごしてきた。

 だが、ある日のこと、森に狩猟に出かけた男たちが一日経っても戻らないということが起きた。さらに、探しに出た男たちも、さらにその後に探しに出た男たちも帰ってこないということになり、村はパニックに包まれた。

”いったい何が? 森に化け物が住み着いたに違いない! このままじゃ村も危ないぞ”

 ハルケギニアの人間にとって、人食いの怪物というのは身近な脅威であるだけに、村人の危機意識は強かった。相手はオーク? トロル? それともコボルド? それはわからなくても、大挙して襲われたらサビエラ村程度の村落が全滅するのは目に見えていた。

 すぐさま、村長を中心に村の人々で相談が行われ、ふもとの町から王政府に向けて救援を呼ぶことになった。

 数人の若者がその使者に選ばれ、彼らは村中の期待を一身に背負って出発した。

 しかし、それから半日後……村に、若者のひとりが恐怖に顔を引きつらせて帰ってきた。一体何があった? 他のみんなはどうしたのかと問いかける村人たちに、その若者は震えながら答えたのである。

「みんな、みんなやられた。村を出てしばらくして、急になにかが襲ってきたと思ったら、俺は気を失っていた。だけど、目を覚ましたときに見たんだ。血の海の中で、目を光らせて、獣みたいな牙をむき出しにして笑ってる化け物を! あれは噂に聞く吸血鬼に違いねえ! しかも、あの顔は村はずれのアレキサンドルだった。あいつが吸血鬼だったんだよ!」

 彼のその言葉で、村の人間たちの怒りに火がついた。

 アレキサンドルというのは、一年と少し前にこのサビエラ村に越して来た老占い師の息子のことである。老いた母親の静養のため、とのことらしいが、よそ者には冷たいのがこうした寒村の常であり、当初は無理に追い出されこそはしなかったが村八分的な扱いを受けていた。ただ最近では、特に問題を起こすこともなく、ぼんやりした見た目をしていることもあって人畜無害な男として村人たちも気を緩めていた。なのに。

「あいつ、これまで俺たちを油断させていたんだな。畜生、許さねえ!」

 村人たちは激昂し、吸血鬼アレキサンドルをやっつけろと口々に息巻いた。

 しかし、相手は吸血鬼である。村中の男が総出で退治をおこなうことになり、女性たちはその間、村で一番の高台にある村長の屋敷に避難しておくことになった。

 もちろん、アリスもそこにいて、山刀を持って出かけていく父親を見送っていた。

「お父さん、行っちゃいやだよ。吸血鬼って、なんでアレキサンドルさんをやっつけに行くの? どうして」

「アリス、いい子だから村長さんの家でおとなしく待っていておくれ。アレキサンドルは、人間に化けて血を吸いに来た怪物だったんだ。必ずお父さんたちが退治してきてやるから、少しの辛抱だよ」

 そう言い残し、アリスの父親は村人たちと出かけていった。

 村人たちは手に手に武器を持ち、すきやクワを持った者から槍や弓矢を携えた者までいた。村中の男集、二百人近い人数がたったひとりの男を狩るために向かったのである。これだけの人数がいれば、たとえ相手が吸血鬼でも負けはしないと誰もが思っていたはずだ。

 だが、これが吸血鬼の張った罠だということに、村人たちは気づいていなかった。

 それから数時間後、大挙してアレキサンドルの家を襲った村人たちは、女たちの待つ村長の屋敷へと戻ってきた。全員が屍人鬼に変えられて。

「お、お父さん……」

「あ、あなた、どうしちゃったの……」

 夫や父、恋人の帰りを待っていた女たちは、彼らの変わり果てた姿を見て愕然とするしかなかった。

 罠……すなわち、アレキサンドルの家を取り囲んだ男たちは、火を放ってアレキサンドルの家を彼の母親の老婆ごと焼くことには成功した。しかし、そこに四方からこれまで森で行方不明になっていた男たちや、使者として出されて帰ってこなかった男たちが屍人鬼になって襲い掛かってきて、ふいを打たれた村人たちはことごとく血を吸われ、血を吸われた人間もまた屍人鬼になって村人を襲い、男たちは全滅したのであった。

 そして、屍人鬼と化した男たちに村長の屋敷は包囲され、女たちも逃げる間もなく捕らえられた。使者の若者がひとりだけ村に逃げ帰れて、アレキサンドルのことを報告できたことも、吸血鬼が村人を一網打尽にするために仕掛けた罠だったのだ。

 村の男たちは全員が屍人鬼にされ、女たちは捕らえられた。しかも、それだけでは終わらなかった。捕まった女たちも、アリスのような少女から比較的若い娘だけを残して、あとは屍人鬼に変えられてしまったのである。

「あなた、あなたやめて! やめて!」

「お父さんやめて! お母さん! お母さん! いやぁぁーっ!」

 目の前で屍人鬼になった父が母の血を吸い、屍人鬼に変えていく様を見せ付けられたアリスや少女たちは気が狂わんばかりに泣き叫ぶしかできなかった。

 地獄のような時間が過ぎ、サビエラ村の住人は六十人ばかりの女性を残して屍人鬼へと変えられてしまった。そして、吸血鬼はついに村人たちの前にその正体を現したのである。

「うーん、やっと終わったぁ。まったく、めんどくさかったけど、この村の人たちってバカばっかりだったから助かったなあ。けど、これでこの村は私のものだね」

「え、エルザちゃん? あなた、なにを言ってるの?」

「んー? ああ、アリスおねえちゃんはまだわからないの。みんなが探してる吸血鬼はね、この私、エルザなんだよ。ほぉら、ね?」

 突然、人質の中から立ち上がり、鋭い牙を見せ付けて吸血鬼の正体を明かしたのは、村長の家で養女として育てられていたエルザであった。

 エルザは二年ほど前に、両親を亡くして放浪していたところを村長に拾われたという少女だった。よその人間を村に入れることに対しても、たった五歳くらいの幼女であるし、若くして子や連れ合いを亡くして家族のいない村長に気を使って、村人たちも気にかけず、最近は体が弱いそうなので家の中だけではあるが村の子供たちとも遊ぶようになり、大人たちもそんな彼女を可愛がるようになってきていた。そのエルザが吸血鬼だったのだ。

 本性を現したエルザは屍人鬼たちを操り、女たちを村長の屋敷に閉じ込めた。屋敷の周りは常に屍人鬼たちが見張り、逃げ出すことはできない。そして、ときおり女たちのなかからひとりずつ連れ出されていき、二度と戻ってくることはなかった。

 逐殺場の豚のように、檻の中で飼われて吸血鬼に食われるのを待つだけかと誰もが絶望していた。

 ところがである。あるときふと、村長の屋敷の壁の一部に痛んで穴が空くようになっているところが見つかり、見張りの屍人鬼も少なくなっているのが見受けられた。

 今なら逃げ出せる。しかし、壁の穴は小さくて子供しか潜れないし、屍人鬼の目をごまかして逃げ隠れするのも大人では無理だ。穴を潜り抜けられて、かつ遠くまで走れるだけの体力を持っているのは、子供たちの中でもアリスしかいなかった。

「アリスちゃん、ふもとの町まで行って、お役人さんにサビエラ村が吸血鬼に襲われたって知らせるの。そうしたら、きっと王国の軍隊が来てくれるわ。ごめんなさい、つらいだろうけど、あなたしか頼れる人がいないの。がんばれる?」

「うん、みんな待ってて。わたし、がんばってみる。だから、待っててね」

 こうしてアリスはひとりで村を抜け出し、助けを呼ぶためにひたすら走ってきた。しかし、途中で追いかけてきたアレキサンドルの屍人鬼に捕まって、そこへ一行が駆けつけてきたというのがこれまでのいきさつであった。

 

「お願い、助けて、助けてください、わたし、もう……うわぁぁぁっ」

 そこまでを話したところで、アリスはもう耐えられないとばかりにまた泣き出してしまった。

 無理もない。たった十二歳の少女が体験するにしては過酷過ぎる。ここまで話してくれただけでたいしたものだ。アリスはミシェルの腕に抱かれて泣き、一行の心に怒りの炎が灯る。とにかくこれで、敵の正体がわかった。

「なるほどつまり、そのエルザって吸血鬼が黒幕なわけだな。だが、五歳くらいの子供が吸血鬼なんて」

「吸血鬼の寿命は亜人の中でもかなり長い。見た目が子供でも、人間の年齢では老人くらいに歳を重ねていることなどざらだ。覚えておけ」

「なるほど、見た目が子供なら人間は油断しますしね。それにしてもひどいことを、まるで悪魔のような奴だ」

 ギムリが憤慨したようにつぶやき、水精霊騎士隊の仲間たちも同感だというふうにうなづいた。

 だが、感情に逸る少年たちとは反対に、銃士隊の仲間たちは納得できないというふうに考え込んでいた。

「村全部が屍人鬼に、だと? そんな馬鹿な」

「馬鹿なって、どういうことですか?」

 苦渋の表情を浮かべている銃士隊員に、レイナールが問いかけた。一般的に吸血鬼に対する知識はあまりなく、専門的なことは秀才のレイナールも知らないが、遊撃部隊に近い銃士隊は幻獣退治もするので亜人全般に知識があるのだ。

「さっきも言ったが、屍人鬼が複数体いるという時点でおかしいのだ。なぜなら、吸血鬼は血を吸った人間を『一人しか』屍人鬼にして操ることはできない。屍人鬼をふたり以上操っているなんてあるはずがないんだ」

「えっ! でも、しかし」

「確かに例外はある。吸血鬼が徒党を組んでいれば屍人鬼が複数いることもあるし、屍人鬼を次々に乗り換えることで複数いるように見せかける手もある。しかし、トリックを使っているにしては多すぎる。それに、屍人鬼に噛まれた人間までが屍人鬼になるなんて聞いたことがない」

 ありうるはずがないのだと彼女は断言した。それに怒ったのはギーシュである。

「ちょっと待ちたまえよ。それじゃ、まるでミス・アリスが嘘をついているというのかね?」

「そんなことは言ってない。ただ、吸血鬼の常識とあまりにかけ離れていると言っているのだ。それでも、アリスを襲っていたのは間違いなく屍人鬼だった。敵が吸血鬼なのは間違いないが、仮にそのエルザという娘が吸血鬼だとしても、ただの吸血鬼だとは思えない」

 吸血鬼は恐ろしい妖魔だが、できることは限られている。村ひとつを丸ごと乗っ取るなんて真似ができるような力があるはずはないのだ。

 ところが、そのとき別の銃士隊員が厳しい表情で現れた。

「いえ、ひとつだけ全部のつじつまが合う答えがありますよ。それはアリス、その娘こそが吸血鬼だってことです!」

 きっと鋭い目でアリスを睨み付け、アリスは怯えて震えだした。それを見て、ギーシュが慌てて叫ぶ。

「お、おい君! 突然なにを言い出すんだね」

「なんだも何も、さっきまでの話も、屍人鬼に襲われていたのも自作自演だったってことよ。そうしておいて、まずはティファニアをさらっておいて、吸血鬼本人は被害者を演じながら隙を見て我々を食っていけばいい。それだけなら本物の屍人鬼のほかに、薬で操った人間を数人使うだけで済むわよね」

「そ、そんな……アリスは、吸血鬼なんかじゃないよ」

「どうかな? 吸血鬼は人間に完璧に化けられるのが特徴よ。牙さえ隠しておける。なにより、そうして人間の油断を誘うのが常套手段」

 その隊員は完全にアリスを疑っていた。しかも、彼女の仮説には無視できない説得力があったので、銃士隊員の中には賛同する者も現れ、アリスをかばいたい側もうまく言い返すことができなかった。

 アリスはミシェルの腕の中で歯を鳴らして震えている。このままでは、ティファニア以前にアリスをどうするかで一行が真っ二つに割れてしまう。まずい……と、思われかけたときだった。

「はいはい、あなたたちそのへんにしておきなさい。現実主義もいいけど、そう断言するものじゃないわ」

 両者のあいだに割って入ってきたのはルクシャナだった。これまでじっと成り行きを見守っていたのだが、突然出てきた彼女は殺気立っている銃士隊員の前に立って言った。

「確証もないのに、推測だけで人を吸血鬼よばわりはわたしから見てもちょっとひどかったわよ。それだけ言って、もしアリスが吸血鬼じゃなかったらどうする気よ?」

「あなたは吸血鬼の恐ろしさを知らないからのんきなことが言えるのよ。奴らは本当に恐ろしい。我々銃士隊が正式に結成される前の傭兵集団だったころ、一度だけ吸血鬼と戦ったことがあるけど、十人以上の村人を殺したそいつの正体は盲目の少年だったわ。正体をあばきだすまでに、こっちの仲間も三人もが犠牲になって、かろうじて朝が来たから討伐できたようなものなのよ!」

「そうね、気持ちはわかるわ。でも、わたしは学者でね。人が間違った答えを口にしてると我慢できなくなる性分なのよ。ここはわたしに任せなさい、吸血鬼がいくらうまく化けても、絶対に隠せないものはあるのよ」

 そう一方的に宣言すると、ルクシャナはアリスの下に歩み寄り、怯える彼女の肩に手を置いた。

「ひっ!」

「大丈夫、わたしはあなたの味方よ。あのわからずやのお姉さんたちをぎゃふんと言わせるから、少しだけじっとしてて。心配しないで、すぐ終わるから」

「う、うん」

「いい子ね。では、この者の体内を流れる水の息吹よ。我に、そのあるべき姿を示せ……」

 ルクシャナが呪文を唱えると、彼女の手がわずかに光ったように見えた。そしてルクシャナは少しのあいだ、何かを確認するようにうなづいていたが、おもむろに立ち上がると自信を込めて言った。

「アリスは間違いなく人間よ。吸血鬼でも屍人鬼でもないわ」

「待て! いったい何をしたの。私たちにはわけがわからないわよ」

「あら、単純なことよ。アリスの体の中の水の流れを確認してみたの。吸血鬼がいくら人間に化けてもしょせんは別種の生き物。人間の目はごまかせても、わたしたちエルフの、もっと言えば精霊の目をごまかすことはできないわ」

 アリスの体内の水の流れは、間違いなく生きた人間のものだと断言したルクシャナの眼光の強さは銃士隊員をもたじろがせた。そして、自分たちが間違っていたことを、隊員たちは認めざるを得なかった。

「も、申し訳ない。私が軽率だったわ」

「わたしはいいわよ。そんなことより、あなたたちはもっと別に謝らなきゃいけない人がいるんじゃないの?」

 ルクシャナはあっさりと引き下がり、隊員たちの前にはアリスがぽつんと残された。目と目が合い、先ほどまでアリスを疑っていた隊員たちは一瞬迷ったような表情を見せた。だが、彼女たちは一瞬だけ呼吸を整えると、すぐにぐっと頭を下げたのだ。

「う、ごめんなさい。あなたのことを吸血鬼だなんて疑ってしまって。なんというか……許してほしい!」

「え? あ、ええっと」

 大の大人に頭を下げられてアリスは戸惑うばかりだ。けれど、そんな彼女に、モンモランシーが明るく告げた。

「ごめんね、このお姉ちゃんたち、真面目すぎるのが玉に瑕なの。でも、本気で悪い奴をやっつけようとしてるだけで、悪い人じゃあないの。許してあげて」

「う、うん。おねえちゃんたち、わたしは怒ってないよ。だから……」

「……ありがとう」

 過ちを正すにはばかる事なかれ。悪いことをしてしまったら、償う気持ちと態度を表すのを惜しんではいけない。銃士隊の隊員たちは、その心得を騎士道としてきちんと心の中に持っていた。

 そして、それだけではなく、アリスが彼女たちを許したことで、アリスは隊員たちを罪悪感に蝕まれることから救っていた。

 人は罪を犯す。しかしそれを重荷として引きずっていくのはつまらないことだ。罪を犯せば償い、それで許すことできりをつけ、どちらも清清しく前へ進むことが出来る。たった、それだけでいいのだ。

 隊員たちとアリスは手を取り合い、互いに笑顔を向けた。

 だが、これでアリスの話が本当だと証明されて、敵が単なる吸血鬼ではないことがはっきりした。そこで新しく推理する必要が出てくる。とはいえ、あまり難しく考えるまでもなかった。このメンバーの中で、ティファニアだけがさらわれたことからつながって、どんな非常識なことでもやりかねない相手となれば、おのずと集約される。

「ガリアのジョゼフ、ないしロマリアの教皇か……」

 レイナールが眼鏡の奥の目に自信を宿らせて言った推理に、異論を挟む者はいなかった。非常識さといえばヤプールが一番にいるが、ヤプールにはティファニアを狙う理由がない。

 と、なれば後は裏づけだが、これも難しくはなかった。

「ミス・アリス、吸血鬼騒ぎが起きるより前に、村にガリアかロマリアの偉そうな人が来たりとかはしなかったかい?」

「うん、あるよ! 前に、ロマリアの神官だって人が村長さんを尋ねてきたの」

「それがどういう人だったか、覚えてるかい?」

「えっとね、金髪のすごくかっこいいお兄ちゃんだったよ。みんなの間ですごく噂になったし、目の色が左と右で違ってたから、よく覚えてる!」

「やっぱりそうか……」

「ジュリオだ、間違いない」

 ギーシュやギムリは苦い顔をした。そんな容姿の神官など、ハルケギニアでも二人といまい。脳裏に、あの人を馬鹿にしたニヤケ面が浮かんでくる。

 しかし答えは決まった。吸血鬼の後ろには、ロマリアが糸を引いている。

 とうとう来たか、と一行は息を呑んだ。このまますんなりトリステインに戻れるほど甘くはないだろうと思っていたが、まさかこんな方法でやってくるとは誰も想像もしていなかった。

「これはぼくたちを狙った罠だね」

 レイナールの言葉に、一同はうなづき、ギーシュも同意した。

「ああ、ここまで来たらぼくにだって敵の考えがわかるよ。囮を使って、まずはティファニアを無傷でさらう。それから、取り返そうとぼくらが追いかけてきたところで、屍人鬼にした村人を使って皆殺し。そんなところだろうね」

「ギーシュに見破られるようじゃ、たいした作戦じゃないな。しかし悪辣ではあるね。これでぼくたちは選択を強いられるわけだ。ティファニアを見捨てて先へ進むか、それとも罠だとわかっている中へ飛び込んでいくか」

 ここで突きつけられた困難な二択は、簡単に答えが出せるものではなかった。これまでに何度も危機を潜ってきた水精霊騎士隊であるが、つい先日に才人とルイズを失ったばかりだというのに、ここでティファニアまでを失えというのか。

「騎士は友を見捨てない。女王陛下から杖を預かった我らトリステイン貴族が、おめおめと敵に背を向けるなんて名折れだ」

 ギーシュはそう気を吐く、しかし銃士隊は冷静だった。

「だったら親切に罠の中に飛び込んでいって全滅するか? アリスの話を忘れたか。吸血鬼は三百人近い屍人鬼を従えている。一匹でもあれだけ苦戦したというのに、勝ち目などあると思うか」

「わかっているよ、ぼくも言ってみただけさ。だけど、それじゃティファニアを見捨てろってのかい?」

「そうは言っていない。しかし、ロマリアはティファニアを無傷で手に入れたいはずだから命をとったりはすまい。だが我々がここで全滅してしまったら、誰がトリステインに事の次第を伝えるというんだ」

「う……」

「それと言っておくが、お前たちだけで救出に向かうというのもなしだ。ただでさえ少ない戦力で、さらに人数を半分にしてしまったら、それこそ全滅する」

 返す言葉がなかった。ティファニアは最悪、ロマリアに連れて行かれた後でも取り返すチャンスはあるかもしれない。だがここで、三百の屍人鬼が待つ村に飛び込んでいったら、待っているのは間違いなく全滅だ。

 悔しいが、現実的な判断では銃士隊のほうが一歩も二歩も先を行っていた。彼女たちは、厳しい視線で言う。

「戦場では、勝利のためにあえて味方を見捨てねばならんときもある。どのみち、お前たちも将来軍人になるのなら避けて通れない道だ。今のうちに慣れておいたほうがいい」

 ぐうの音も出なかった。相手はハルケギニア最悪の妖魔である吸血鬼に、村いっぱいの屍人鬼の群れ。しかも吸血鬼の背後には、得体の知れないロマリアの力が加わっている。

 対して、こちらの戦力は剣士と半人前のメイジを合わせて二十人そこそこ、比較にすらなっていない。

「ティファニアを見捨てる……それしかないのか」

 ギムリが口惜しげにつぶやいた。残念だが、どう勘定しても戦力がなさすぎる。せめて才人とルイズがいれば……と、思ったときである。アリスの、か細く消え入りそうな声が流れた。

「おにいちゃんたち、行っちゃうの……? サビエラ村は、村のみんなはどうなっちゃうの……」

 はっとして、一同はお互いの顔を見合った。

 そうだった。アリスは、外の誰かに助けを求めるために、たったひとりで逃げ出してきたのだった。ここで一行が立ち去れば、吸血鬼は残りの村人たちを喜々として餌食にするだろう。

 ならば、アリスの最初の目的のようにガリアの役所に訴えるか? いやダメだ。世界中がこんな様になっているのに、あの無能王の軍隊が辺境の村ひとつのためにすぐ動いてくれるとは思えない。よしんば動いたとしても、その頃にはすべてが手遅れになってしまっているだろう。

「お願い行かないで。村には、お隣のおねえちゃんも、リーシャちゃんもクエスちゃんも待ってるんだよ。早く助けなきゃ、お願いだから助けて!」

 アリスの必死の訴えは、一同の心を乱した。

 自分たちだって、ティファニアがさらわれているのだし、助けられるものなら助けたい。しかし、今回はいくらなんでも相手が悪すぎるのだ。幼いアリスには、説明してもわかるものとは思えない。

 だが一同が決断しかねているとき、それまでずっと黙っていたミシェルがアリスの涙をぬぐって言った。

「わかった。わたしが力になってあげる。行こう、君の村へ」

「お、おねえちゃん……?」

「ふ、副長! なにを言い出すんですか」

 部下の隊員たちは慌てて叫んだ。しかしミシェルは落ち着いた声で言う。

「お前たちは、このままトリステインへ帰れ。わたしはこの子といっしょに、やれるだけやってみる」

「副長、サイトの後を追って死ぬ気ですか!」

 隊員たちにはそうとしか思えなかった。いくらミシェルが優秀な魔法戦士とはいえ、三百の屍人鬼に太刀打ちできるとはとても思えない。

 しかしミシェルはかぶりを振って言った。

「そうじゃない。わたしはどうしてもこの子を見捨てられない。わたしにもあった、十年前に……」

 

”お父様、お母様。なんでふたりだけで行っちゃうの……帰ってきてぇ、わたしをひとりぼっちにしちゃやだよ”

 

「この子は、昔のわたしだ……」

 皆ははっとした。そして思い出した。ミシェルも幼い頃に両親を失った孤児だったことを。

 このまま村が全滅してしまったら、アリスは本当に世界中でひとりぼっちになってしまうだろう。誰よりも孤独の悲しさや苦しさを知っているミシェルだからこそ、たとえ死ぬとわかっていてもアリスを見捨てられないのだ。

 ミシェルはアリスを促して、村へ続く道へと歩いていこうとする。だが、このままでは確実に殺されてしまう。一行は苦渋の末に、ついに決心した。

「待ってください副長、我々もお供します」

「お前たち、だが……」

「サイトたちに続いて副長まで見殺しにしてきたとあっては、それこそアニエス隊長に合わせる顔がありません。だが、犬死にもごめんです。副長、銃士隊副長として、我々に指示をお願いします!」

 部下からの 咤に、ミシェルは戦士ではなく、軍人としてまだ部下の信頼を失っていなかったことを知った。

「わかった。お前たちの命を預かる。作戦目標は、ティファニア及びサビエラ村の生存者の救出だ。アリス、サビエラ村は山の上にあると言ったね。なら、近くに村の畑へ続く水場があるんじゃないかな?」

「うん、村の裏手に沼があって、そこから水路を通してるの」

「やはりな。よし、その水路を通って村に侵入しよう。アリス、道案内できるかな」

「うん! あの、おねえちゃん……ありがとう」

 照れながらお礼を言ったアリスへのミシェルの返答は、母のような暖かい抱擁だった。

 屍人鬼たちが群れる村へは、まともな侵入はできない。だが足元は、誰であろうと死角になる。ミシェルはリッシュモンがトリスタニアの地下水道を利用していたことを思い出したのであった。

 

 アリスに案内されて、一行はサビエラ村の沼池へと向かった。だが、そんなところにまで吸血鬼が罠を仕掛けていたことは、さすがの彼らの想定をも超えていた。

 水辺を好む毒蝶モルフォ蝶に襲われ、水精霊騎士隊も銃士隊も麻痺毒を受けて動けなくなった。そんな一行のみじめな姿を遠見の鏡ごしに眺めて、エルザは愉快そうに笑う。

「バカだねえ。人間に気がつくようなことを、わたしが気づいていないわけはないじゃない。吸血鬼が正体を隠してひとりで生きていくって、すごく頭を使うんだよ」

 エルザは一年以上サビエラ村に住むうちに、この村の地形もすべて熟知していた。それゆえに、どこが監視の死角になるかも最初から読んでいたのである。

「子供なんかほっておいて、さっさと逃げればよかったのに本当にバカ。でも、人間って子供に甘いんだよね。ティファニアおねえちゃん?」

「壁にわざわざ子供だけが通れる穴を作って、アリスちゃんを逃がさせたのも、最初からそのために企んでいたのね」

「ええ、全部わたしの作戦どおり。もっとも、これだけできたのは、ロマリアのおにいちゃんがわたしの中に眠っていた特別な血の力を目覚めさせてくれたおかげだけど。とりあえずはこれで終わりね。後はあの人たちをモルフォのエサにしたら、おねえちゃんをロマリアに引き渡して、残った村の女の人たちも食べてあげる。そして屍人鬼をどんどん増やして、世界はわたしたち美しき夜の種族が支配するようになって、人間は家畜になるの。素敵でしょ」

 うっとりとしながらエルザはティファニアに吸血鬼の理想郷の夢を語った。

 しかし、ティファニアはエルザが期待したような絶望を浮かべてはいなかった。そしてエルザを睨み付けて毅然として言う。

「エルザ、わたしの仲間たちをなめないで。わたしが会う前から、あの人たちは多くの困難を乗り越えてきた。笑ってると、後悔することになるわ」

「アハハハ、おねえちゃん、ハッタリはもっとうまく言ったほうがいいよ。けど、まだそれだけ強がりが言えるんだ。その根拠、どこから来るのかな?」

「あの人たちは、まだ誰もあきらめていない。ただ、それだけで十分よ」

 ティファニアの見る鏡の中では、苦しみながらも必死に杖や剣を握ろうとする人たちがいた。そして、我が身を挺してアリスを毒鱗粉から守ろうとしているミシェルの懸命な姿があった。

 がんばって、みんな……

 勇気を捨てない限り、未来もまた死なない。ティファニアは自分もあきらめないと心の中で誓って勇気を振り絞る。その胸の中では、サハラからずっと大切に身につけてきた輝石が、静かだが力強い輝きを放ち始めていた。

 

 

 続く



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第30話  その一刀は守るために

 第30話

 その一刀は守るために

 

 巨蝶 モルフォ蝶 登場!

 

 

 水精霊騎士隊と銃士隊は今、全滅の危機に瀕していた。

 吸血鬼に占領されたサビエラ村への潜入を試みるものの、村の構造を熟知していた吸血鬼エルザに先を読まれて、水源地の沼地に放たれていたモルフォ蝶の毒鱗粉にやられた。

 才人とルイズなき今、ウルトラマンの助けも得ることはできず、全身を毒に犯された彼らには立ち上がる力すらろくに残ってはいない。

 このまま、不気味に飛び続ける毒蝶のエサとなるしかないのか。全員行方不明として、トリステインに記録されるしかないのだろうか。

 エルザはあざ笑い、ティファニアは信じて祈る。

 

 

 小型ながら、立派に怪獣扱いされるモルフォ蝶。その毒は強烈で、激しい渇きと痛みに襲われる。だがそれでも、彼らはまだあきらめてはいなかった。

「み、みんな、まだ生きてるかい?」

「ギ、ギーシュ、苦しい。目がかすむ」

「しっかりしたまえ、それでも女王陛下の名誉ある騎士かいっ!」

 ギーシュがなんとか、気力が潰えそうになっている仲間を叱咤して支えている。

「さあ、杖をとり、あの忌々しい蝶を叩き落すんだ! ごほっ! ごほほっ」

 しかしモルフォ蝶の毒は喉にも影響を与え、魔法を唱えるのに必要な呪文の詠唱をすることができない。そして魔法が使えなければ、彼らはただの少年と変わりはなかった。

「ち、ちくしょう……」

 一方で、銃士隊はさらに深刻であった。

「くそっ、手に力が入らない……」

 毒素のせいで手がしびれて剣が握れない。剣士の集団である銃士隊にとって、剣が握れないというのは致命的であった。かといって銃も同じだ。震える腕ではまともに狙いも定まらないし、いくら翼長八十センチもあるとはいえ、蝶の小さい胴体にそう当たるものではなく、羽根に当たっても軽く穴が空くだけで、逆にさらに鱗粉がばらまかれるだけだ。

 彼女たちは、自分のうかつさを悔いていた。この沼地に入ったとき、襲ってきたモルフォ蝶を銃士隊と水精霊騎士隊は迎え撃ち、何匹かを倒すことには成功したのだが、それがまずかった。

 魔法を受け、空中で爆発したものは鱗粉を大量に撒き散らし、剣で切り落とすために接近したときにも鱗粉を食らってしまった。このメンバーの中で、ルクシャナだけはモルフォの危険性を知っていたが、彼女も現物を見るのははじめてだった上に、沼地の暗がりのためにモルフォ蝶であるということに気づいたときには遅かったのだ。

「わたしとしたことが、ポーションの原料に逆にやられるなんて。こんなんじゃ、叔父様やエレオノール先輩に叱られちゃう。うっ、ゴホッゴホッ!」

「うぁぁっ、喉が焼ける。水、水ぅ」

「やめなさい! 水を飲んではダメよ。体の中まで毒がまわって、ほんとうに助からなくなるわ!」

 ルクシャナが、喉の渇きに耐えかねて沼に這い寄ろうとしているギムリやギーシュ、銃士隊員を必死に呼び止めた。

 モルフォ蝶の毒は単なる毒ではない。呼吸器官を焼いて猛烈な渇きを覚えさせ、人間や動物は必死に水を求める。だが、モルフォの棲む沼地の水には当然モルフォから飛び散った毒が混入している。これを飲もうものなら内蔵にまで毒が回って致命傷となってしまう。

 いや、単に死ぬだけならマシといえる。モルフォの鱗粉の毒素は、魔法アカデミーでポーションの原料として珍重されているように、他の物質と混合することで様々な性質に変化する特性を持っている。通常の生息地であれば毒物であるだけなのだが、本来の生息地とは違う水辺の水と混合すれば、どんな性質の毒素に変わるのかまったく読めないのである。事実、本来日本には生息しないはずのモルフォ蝶が蓼科高原に出現したときは、毒素の複合作用で人間が巨大化してしまうというとんでもない結果を生んでいる。

 ここの沼の水も、飲んだらどんな恐ろしい作用が出るかわからない。彼らは道端の草を食いちぎって噛み潰し、その苦味で必死に渇きをごまかそうとした。

 

 彼らの頭上には、まだ十数匹のモルフォが舞って鱗粉を飛ばし続けている。蝶は一般的に花の蜜を好むと言われるが、実際はかなりの悪食でモルフォの種類も腐った果実から動物の死骸までもなんでも食べる。この巨大モルフォ蝶が、毒鱗粉で倒した動物をエサにする習性を持っていたとしてもなんらおかしくはない。

 このままではやられる! だが、たかがチョウチョなんかに殺されてたまるものかと、ギーシュたちも銃士隊もなんとか毒鱗粉から逃れようともがいた。だが、相手は空を飛んでいるために逃げられない。

 さらに、毒が視神経などにも作用し始めると、毒の末期的症状が出始めてきた。

「くそっ、目がかすむ。頭が、重い……」

 なんでもないときにただ目を瞑っているだけでも、いつの間にか眠ってしまっていたという経験は誰にでもあるだろう。視覚が効かなくなれば、睡魔が一気に襲ってくる。ましてや毒の傷みと渇きで苦しめられた分、眠りの誘惑は強烈だ。そして眠ってしまえば、気力で毒に対抗していたのが切れてしまい、二度と目覚めることができなくなってしまう。

 もはや誰にも、戦う力は残っていない。いや、正確にはひとりだけ毒鱗粉を浴びることを避けられた者がいたが、彼女は戦士ではなかった。

「おねえちゃん、怖い、怖いよぉ」

 アリスはミシェルのマントを頭からかぶって、地に伏せながら震えていた。毒鱗粉が撒き散らされたとき、一行は身を守ることもできずにこれを受けてしまったが、アリスだけは子供で小柄だったことでミシェルがとっさに自分のマントをかぶせてかばっていたのだ。

 しかしミシェル自身は毒鱗粉をかわすことができずに、まともに毒鱗粉を浴びてしまった。アリスの傍らに倒れて咳き込みながら、喉の痛みに耐えて身をよじる。いくら強力な魔法騎士である彼女でも、こうなれば戦いようがない。それでも、ミシェルは怯えるアリスをはげますように話しかけた。

「……っ、大丈夫か、アリス?」

「う、うん。おねえちゃんこそ、苦しそうだよ。ねえ、あのチョウチョはなんなの? この沼で、あんなの見たことないよ」

 どうやらアリスに毒鱗粉の影響はなさそうで、ミシェルは少し安心したように息を吐いた。しかし、ミシェルはアリスにすまなそうに答えた。

「吸血鬼の奴が、ここにわたしたちが来ると読んで罠を張っていたらしい。すまない、どうやら吸血鬼のほうが一枚上手だったようだ。アリス、動けるか?」

「う、うん。大丈夫だよ」

「そうか、なら……逃げろ」

「えっ! そ、そんな。おねえちゃん!」

 動揺するアリス。だがミシェルはアリスにつとめて優しく答えた。

「心配するな。おねえちゃんも、もう少しがんばってみる。けど、君が近くにいたら危ないんだ。だから、しばらく安全なところへ、ね?」

「……う、うん」

「いい子だ。さあ、行け!」

 ミシェルに背中を叩かれて、アリスははじかれたように走り出した。ミシェルのマントを頭からかぶり、口を布で押さえて走っていく。

「いい子だ……さあ、そのまま行け」

 ミシェルは、アリスが沼地の端の木立の影にまで駆けていったのを見届けると、ほっとしたように息をついた。

 これでもう、アリスは大丈夫だ。あれだけ離れれば、毒鱗粉の影響を受けることはない。

 だけどごめん……最後に、嘘をついちゃったね。わたしにはもう、がんばれる力なんてない。

 ミシェルの体から、急速に力が抜けていく。

 ごめんアリス……君の村を助けるなんて言って、結局なにもできなかった。

 ごめんみんな……わたしのわがままにつき合わせて、みんなまでこんな目に。わたしは最低の指揮官だ。

 ごめんサイト、お前からせっかくもらった命なのに。

 おとうさま、おかあさま……わたし、もう疲れたよ……

 まぶたが落ち、ミシェルの体が草地に横たえられる。それに気づいた銃士隊員が叫んだ。

「ゲホッゴホッ、副長? どうしたんですか副長! 目を開けてください。副長! 副長、ミシェル副長ーっ!」

 だが、いくら叫んでも、もはやミシェルの眼が開かれることはなかった。身動きすることすらなくなった肢体に、毒鱗粉が粉雪のように積もっていく。

 畜生! こんなところで死んでなんになるんだ。水精霊騎士隊は、銃士隊は、怒りのままに叫んだ。しかし、そんな彼らの上にも、毒鱗粉は無情に降り続けていた。

 

 そして、その有様を見ていたエルザは嘲りを満面に浮かべて笑ってみせた。

「あははは、とうとう耐えられなくなる人が出てきちゃったね。おねえちゃん、あれでどうやって私を後悔させるの? あっははは」

「……」

 ティファニアは、エルザの嘲笑に答えなかった。口で説明したところで、わかってもらえる類のものではないことを知っていたからだ。

 ただひとつ言えることは、エルザはこれまでに自分たちが乗り越えてきた多くの壁を知らないということ。いや、事前情報としてロマリアからある程度のことは聞いているだろうが、自分たちの戦いと冒険の数々の厳しさは、とても口で説明しきれるものではない。

 ならば、今できることはたったひとつ。仲間たちの力を信じて、最後まで信じきることだけだ。

「みんな、がんばって……」

 まだ全員倒れたわけではない。命の灯火が残っている限り、まだ負けたわけではない。ティファニアは、それを信じていた。

 

 しかし、ティファニアは信じることで心を支えていたが、信じるべき芯を失った心は絶望の沼に沈もうとしていた。

 仲間たちの声も届かず、ミシェルの心は深い眠りの中へ落ちていく。落ちていく、落ちていく……

「疲れた。もう、眠らせてくれ」

 ミシェルはもう、なにもかもがどうでもよくなっていた。副長としての職責も、世界の命運も、いまでは全部が空しく思える。それらを背負うのは、わたしには重すぎた。

 だが、ひどい奴だな、わたしは、とミシェルはぽつりと思う。自分はこんなに無責任な人間だったのだろうか? 多分、そのとおりなのだろう。

 思えば、最初から自分には、世界を守るために戦うなどといった正義感や使命感はなかった。わたしはいつだって、わたしのためにだけ生きてきた。生き延びるために、復讐のために費やしてきた半生、殺伐とした人生だった。

 でも、そんな自分をおせっかいにも救い出してくれる奴がいた。サイト……あいつはわたしを優しい人だと言い、大罪人であるわたしを守ってくれた。

 そして、わたしは恋を知った。人の思いの暖かさも知り、やっと自分以外の誰かのために生きてみようと思えるようになった。

 だけど、あいつはもういない。サイトは、わたしの愛した一番大切な人はもうどこにもいない。それでもう、わたしの心にはどうしようもないくらいに大きな穴がぽっかりと空いてしまった。

 心残りは、こんなわたしのために必死になってくれた仲間たちを裏切ってしまうことになったこと。でも、わたしにはもうみんなの期待に応える力は残ってない。アリスを見たとき、胸の奥がざわついて、もう少しだけがんばれる気がしたけど、やっぱりだめだった。

 いったい、どこからわたしという人間はだめになってしまったんだろう。昔、遠い昔には心から幸せだった頃もあった。そうだ、あれはおとうさまとおかあさまがまだ生きていた頃……

 

 思い出の中で、ミシェルは夢を見始めた。

「おとうさまー、見て見て、わたしね、今日新しい魔法を覚えたんだよ」

「ほお、それはすごいね。まだ十歳なのに、こんなに難しい魔法を覚えるなんてミシェルは偉い子だ。さすが、私の娘だな」

「あなたったら、そうやってすぐ甘やかすんですから。でも、ミシェルもよくがんばったわね。これなら魔法学院に入る前にはラインクラスに昇格できているかもしれないわね」

「えへへ」

 優しい父と母、幸せだった毎日。あのころは、明日が来るのが待ち遠しくて仕方がなかった。こんな日々が、ずっと続くものだと思っていた。

 けど、十年前のあの日。

「おとうさま、お出かけするの? 今日はお仕事お休みでしょ。わたしと、遠乗りに行くお約束は?」

「ごめんなミシェル、父さんはこれから高等法院に出頭しなければいけないんだ。約束を破ってすまないが、聞き分けてくれるかな?」

「うん、お仕事だものね。おとうさま、がんばって!」

「いい子だ。なあ、ミシェル」

「なに? おとうさま」

「お母さんを、大事にな」

 なぜか寂しげな顔で、父は出かけていき、わたしは父の言葉を不思議に思いながらも、その後姿を見送った。

 それが、父を見た最後だった。あのリッシュモンの策略で、父は汚職事件の主犯だとあらぬ罪を着せられて、形ばかりの裁判で貴族としてのすべてを奪われた。

 失意の中で、父は二度と帰ることなく、自ら命を絶った。

 そして、父の最期を知った母も。

「ミシェル、よく聞きなさい。お母さまはこれから、貴族の妻としての最後の責務を果たさねばなりません。私がお父様の部屋に入ったら、すぐに屋敷を立ち去りなさい。決して、追ってきてはいけませんよ」

「お母様、なにするの? お父様はどこなの? なんでお役人さんが、家のものをみんな持っていっちゃうの? ねえ、お母様」

「ごめんね、ミシェル。母さんも、あなたが大きくなるのを見たかったわ。けど、お父様の汚名を少しでも雪ぐためにも、お母様は行かなければいけないの。でも、せめてあなただけは生きて」

「いやだよ、お母様。行かないで、わたし、もっといい子になるから」

「ミシェル、これからはあなたは一人で生きていくの。私の、私たちの自慢の娘。あなたの母になれて、よかった。さあ、行きなさい!」

「待って! 待ってお母様!」

「ついてきてはなりません!」

「ひっ!」

 そうして、震えるわたしの前でお母様は父の書斎に入っていき、やがて書斎から出た炎に屋敷は包まれた。

 わたしは、すべてを失った。行く当てもなく国中をさまよい、生きるためにはなんでもやった。

 やがて十年……地獄をさまよったわたしは、ようやく光の射す場所に帰れたと思った。なのに、やっと取り戻せたと思った幸せまで奪われた。

 もういい、もうたくさんだ。せめてもう、静かに眠らせてくれ。

 サイト、姉さん、みんな、守られてばかりでごめん……わたしは最後まで、一人ではなにもできないダメな人間だったよ……

 

 疲れ果てたミシェルは目を閉じて動かなくなり、水精霊騎士隊と銃士隊も、時間とともにどんどんと力を奪い取られていっていた。

「うう、畜生。モンモランシー……せめて、ワルキューレの一体でも作れたら、ゴホッゴホッ」

「副長、クソッ! 見損なったわよ。あなたは、こんなに弱い人だったのか! これじゃ、サイトも浮かばれん。くそっ、こっちも頭が」

 すでになにかの行動を起こすには、皆は毒鱗粉を浴びすぎていた。体を動かすことはおろか、声を発することさえすでに激しい痛みがともなう。知恵をめぐらせるべきレイナールやルクシャナも、毒のせいで思考が乱されて策を考えることができない。

 なんとかしなければ、なんとか……そう思っても、あと数分ですべてが手遅れになろうとしていた。

 

 

 時間が経つごとに、一行の身じろぎする動きが鈍くなっていき、声は弱く途切れがちになっていく。

 もうすぐ、毒の症状の最終段階だ。エルザは、何度もモルフォを使っての狩りを成功させてきた経験から、ここまで毒の回った獲物が逃げられることはないと確信して笑った。

「あっははは! とうとうおねえちゃんの期待した奇跡は起こらなかったね。もう数分もすれば、みんな意識もなくなるよ。そうすれば、あとはじっくりとモルフォのエサだよ」

「なら、まだあと数分残っているわ。勝負はまだ、ついてないわ」

「ええーっ、無駄だって言ってるのに、あきらめが悪いなあ。まあいいか、あきらめが悪い人は嫌いじゃないよ。楽しめるからね」

 エルザは、ティファニアが思い通りにいかなかったというのに、特に気にした様子もなくティファニアの前に立った。五歳児ほどの背丈しかないエルザは、柱に縛り付けられて座り込まされているティファニアとそれでやっと視線の高さが同じになる。エルザは身動きのできないままのティファニアの首筋に鼻を摺り寄せると、芳しげに息を吸った。

「いい匂い、おねえちゃん、とってもいい匂いだよ。とっても柔らかくて甘いいい匂い。いままで食べたどんな人間とも違うの。これがエルフの匂いなの? それともハーフエルフが特別なのかな」

「そ、そんなこと、わからないわよ」

「ふふ、まあそうだろうね。ああ、でも本当にいい匂い。こんないい匂いのする人の血ってどんな味がするんだろう? 食べてみたいなぁ。けどダメダメ、おねえちゃんは生きたまま渡さないとロマリアのお兄ちゃんとの契約に違反しちゃうもん」

 ティファニアの匂いをいとおしげに嗅ぎながら、エルザは残念そうにつぶやいた。

 吸血鬼は美食家だ。人間の中でも、若い女性の血を好んで吸う。吸血鬼が長い時間を町や村に潜伏してすごすのは、念入りに獲物を選別するためもあるという。

 鋭い牙の生えた口からよだれを垂らし、しかし童顔には無邪気な笑みを浮かべている。その異様なアンバランスさに、ティファニアは背筋を震わせた。

 と、そのときである。突然、ドタドタと階段を乱暴に上って来る音がしたかと思うと、ティファニアたちのいる部屋のドアが開かれた。そして部屋の中に、投げ込まれるようにしてひとりの少女が入れられてきたのだ。

「きゃっ! うっ、痛……」

 少女は後ろ手に縛られていて、部屋の中に投げ捨てられると受身をとることもできずに体をぶつけて身をよじった。一方、少女を連れてきたらしい数人の屍人鬼は、ドアを閉めるとさっさと戻っていった。

 いったい何が? 突然のことで事態が飲み込めないティファニアは、連れ込まれてきた少女を見て思った。栗毛でおとなしそうな顔立ちの、ティファニアより少し幼そうな感じの娘である。彼女も、自分の状況が飲み込みきれないらしく、部屋の中をきょろきょろと見回していたが、姿見の影からエルザが姿を見せると、ひっと引きつったような声を漏らした。

「エ、エルザ……」

「あらぁ、今度はメイナおねえちゃんが来てくれたんだぁ。くすくす、私の屍人鬼たちは気がきくねえ。ちょうど、祝杯をあげたいと思ってたから、おねえちゃんならぴったり」

「ひ、ひいぃぃっ!」

 メイナと呼ばれた少女は、エルザが牙をむき出しにして笑いかけると悲鳴をあげて逃げ出そうとした。手を縛られているので、体ごとドアにぶつかって、口でドアノブをまわそうと必死になって噛み付いている。

 しかし、エルザはひょいと跳び上がると、メイナの首筋をわしづかみにして、自分の倍以上の体格の少女を軽々と床に叩きつけてしまった。

「うぁぁっ、離して! 離してぇ」

「ダメだよぉ。うふふ、バカだね、人間ごときの力で吸血鬼にかなうはずがないじゃない。少しでも痛い思いをしたくなかったら、おとなしくしてたほうがいいよ」

 エルザはメイナの耳元で脅しつけるように言うと、幼女の細腕からは信じられない力で彼女をティファニアの下まで引きずってきた。

「お待たせ、ティファニアおねえちゃん。さて、祝杯も来たことだし、続きをいっしょに楽しもうよ」

「祝杯、祝杯って、エルザ、あなたまさか!」

「そうだよ、わたしは吸血鬼、なにを当たり前なこと聞いてるの? 本当はおねえちゃんの血を吸いたいけど、それは我慢我慢。代わりに見せてあげるよ。人形みたいにきれいなこのおねえちゃんが、本物の人形みたいに白くなっていくところを」

 そう言うと、エルザはメイナの髪をつかんで頭を上げさせ、首下にゆっくりと牙を近づけていく。

 ティファニアはぞっとした。いけない、エルザは本気でこの人を食い殺す気だ。それに気づいたとき、ティファニアは大声で叫んでいた。

「やめて! やめてエルザ! そんなことをしてはだめ!」

「ダーメ、ティファニアおねえちゃんの頼みでもそれは聞けないなあ。私ってば、ロマリアのおにいちゃんに眠ってた力を目覚めさせてもらってから、お腹がすきやすくなっちゃったの。それに、メイナおねえちゃん……私、ずっと前からメイナおねえちゃんの血を吸いたくて吸いたくて、ずっと待ってたんだよ」

「エ、エルザ、やめ、やめて。わたし、何度もあなたに優しくしてあげたじゃない。わたしのこと、いい人だって言ってくれたじゃない。だから、ね」

 震えた声で哀願するメイナ。しかしエルザは口元に凶悪な笑みを浮かべて。

「そうだね。よそから流れ着いたわたしを、村長さんの次に受け入れてくれたのがメイナおねえちゃんだったね。わたしに優しく声をかけてくれて、果物を持ってきてくれたこともあったね。ほんとに、こんな辺ぴな村では珍しいくらいのいい人だよ。だからね、人間ごときが吸血鬼を見下すその目が、最高に腹が立ったんだよねえ!」

「ぎゃあぁぁぁーっ!」

 獣のような悲鳴がほとばしり、エルザの牙がメイナの喉下に食いついた。

 ティファニアは、一瞬その凄惨な光景に目を背けたが、すぐにそうしてはいられないと目を開いた。

 エルザの牙はメイナの首筋に深く食い込んでおり、エルザは喉を鳴らして美味そうに溢れ出す血をすすっている。だが、メイナの顔からは見る見るうちに血の気が引いていき、体がびくびくと震えていた痙攣もどんどん弱弱しくなっていく。

「エルザやめて! やめて!」

「だめだって言ってるじゃない。それに、メイナおねえちゃんの血、想像してたとおりにいい味。恐怖と絶望が最高のスパイスになってる。さあ見てて、あと少し吸えば……」

 ティファニアの叫びにも、エルザは一顧だにしなかった。話すために一時的に離したエルザの牙が、またメイナの首に近づいていく。メイナはすでに白目をむきかけ、呼吸は不規則になって弱弱しい。

 いけない! これ以上の吸血は、メイナさんは耐えられない。そう思ったとき、ティファニアの口は考えるより早く、その言葉を唱えさせていた。

「エルザ! メイナさんの代わりに、わたしの血を吸って!」

「はぁ?」

 メイナの首筋にかかりかけていたエルザの牙が止まり、エルザはその予想もしていなかった言葉に呆れたように言った。

「メイナおねえちゃんの身代わりになろうっていうの? 見も知らない相手のために、聞いていた以上のお人よしだね。けど私の話を聞いてた? あなたを生きたまま引き渡さないと、私が困るんだよ」

「なら、殺さない程度に吸えばいいんでしょ。契約は生きたままで、生きてさえいれば違反にはならないんだよね。そうでしょ?」

「ちっ、そんな詭弁……」

「あなたは立派に仕事を果たした。なら、ロマリアも細かいことは言わないよ。第一、ハーフエルフの血を吸う機会なんて、もうないかもしれないんだよ。ちょっとくらい、いいじゃないの」

 ティファニアの提案はエルザを少なからず悩ませた。

 確かにティファニアの言うとおりだ。なにより自分は言われたとおりの仕事を長い時間と手間隙をかけてちゃんとこなして、このままロマリアにティファニアを引き渡してしまえば、そのままロマリアが丸儲けになるではないか。少しくらい自分にもおこぼれがあってもよかろうというものだろう。

「……いいよ、ただし後悔しないでね。血を吸ってるうちに、少しでも抵抗するそぶりを見せたら、メイナおねえちゃんはそこに転がってるぼろクズと同じになるまで吸い尽くすからね」

「ありがとう、いいよ」

 ティファニアが首筋を向けると、エルザは不機嫌そうな様子ながら、ティファニアの喉に牙を突き立てた。

「くっ、ああっ!」

 激痛とともに、ティファニアの喉から短い悲鳴がこぼれた。さらに痛みに続いて、激しい脱力感が湧いてくる。手足の力が抜けていき、激しい嘔吐感とともに全身に急激な寒気がしてきた。

 これが、血を吸われるということ? ティファニアは、血とともに体中の熱や、命そのものまでも吸い取られていくかのような感覚に恐怖した。

 だが、本当の意味で驚愕していたのはむしろエルザのほうであった。

「おいしい! なにこれ、こんなおいしい血、今まで味わったことないわ! すごい、すごいよ」

 歓喜の表情で、エルザはティファニアの血をむさぼり続けた。喉を一回鳴らして飲み込むごとに、たまらない甘みと、体中が喜びに震えているような快感がやってくる。

 まるで母親の乳房に吸い付く赤ん坊のように、エルザはティファニアから血を吸い続けた。しかしエルザの体に快感と力が満ちていく一方で、吸い取られ続けていくティファニアは見る間に衰弱していった。

 しかし、そんな恐怖と苦痛を受けながらも、ティファニアはくじけず歯を食いしばって耐え続けた。ここで自分が抵抗すれば、エルザの牙は死に掛けのメイナに向かう。それだけは絶対にさせちゃいけないと決意するティファニアと、床の上で荒い息をつきながら横たわっているメイナの目が合った。

「あ、あなた……?」

「っ、大丈夫です。メイナさん、あなたはわたしが、んっ、守り、ますから」

 途切れ途切れの弱弱しい声ながらも、メイナはティファニアの励ましの声を聞いた。

 もちろん、ふたりは今日この場が初対面である。メイナにとって、ティファニアは見知らぬ人であり、どうして助けてくれるのかわからなかった。しかしそれでも、目の前の人が必死になって自分を助けてくれようとしているのはわかった。

 メイナの見ている前で、ティファニアの肌がどんどんと白くなっていく。明らかに失血の症状で、さっきまでのメイナと同じ状態に陥りかけているのは誰の目にも明らかだった。

 だが、にも関わらずにエルザはティファニアの首に食いついたまま離れようとはしなかった。いやそれどころか、ますます吸う勢いを強めてさえいるようだ。このままではもう一分も持たずにティファニアは失血死してしまう!

 実はこのとき、エルザはティファニアの血のあまりの美味さ加減に我を失っていた。殺さないための血を吸う加減などは頭から吹き飛び、ひたすら食欲を満たす快感に身を任せている。しかし、ティファニアはメイナに手を出さないでくれという約束のために、吸血が致死量を越えかけているというのに抵抗することができない。そのときだった。

「んっ!?」

 突然、吸血に没頭していたエルザのスカートのすそが引っ張られた。そのショックでエルザは思わず我に返り、口を離して下を見ると、なんとメイナが床に倒れたまま、エルザのスカートに噛み付いて引っ張っていた。

「なにかなぁメイナおねえちゃん? ちょうどいいところだったのに、せっかく拾った命を無駄にするものじゃないよぉ」

 至福の時間を邪魔されたエルザは、殺意を込めた眼差しで足元のメイナを見下ろした。その足はメイナを冷然と足蹴にしており、メイナの出方しだいではそのまま頭を踏み潰してやろうと思っていた。しかし、メイナが苦しげな中で口にしたのはエルザが予想もしていなかった言葉だった。

「エ、エルザ……私の、私の血を吸って」

「はぁ?」

 思わず間の抜けた声をエルザは出してしまった。当然だろう。血を吸われて死に掛けの人間が、さらに血を吸ってくれと言ってきたら気が狂ったとしか思いようがない。だが、メイナははっきりと正気を残している目で言った。

「その人、それ以上血を吸ったら死んじゃうよ……最初にあなたの食べ物だったのは私でしょ……だから、私で」

 するとティファニアも、すでにしゃべるのも辛いだろうに叫んだ。

「だ、だめよ! あなた、もう死にそうじゃない。わたしなら、もう少し耐えられるから、わたしが」

「いいえ、あなたももう無理よ、ありがとう……エルザ、私の血をあげる。その人は助けて」

「いけないわ! エルザ、わたしの血のほうがおいしいんでしょ。メイナさんに手を出さないで」

 ティファニアとメイナ、ふたりの半死人の気迫にエルザはこのとき確かに圧倒された。

「なに? なんなのあなたたち? お互いに死に掛けてるっていうのに、今会ったばかりの他人のために死んでもいいっていうの? 頭おかしいんじゃないの!」

 顔を手で覆って、まったく理解できないというふうにエルザは叫んだ。命乞いや断末魔の呪いの言葉なら腐るほど聞いてきた。だが、こいつらはなんなんだ? メイナにしたって、最初は怯えて命乞いをしていたのに、なぜ今になって赤の他人のために死のうなどと言い出せるのだ?

「この期に及んでかばい合い? 私に情けでもかけさせたいっていうの。気分が悪いわ。最高にむかむかする……人間の分際でぇ!」

 エルザは怒りのままにメイナの体を蹴り飛ばした。メイナの体は宙を舞い、壁に叩きつけられて動かなくなった。

「メイナさん!」

「心配しなくても、まだ殺してないよ。私を愚弄したむくい、簡単に死なせちゃおもしろくないわ。人間の分際で、吸血鬼をなめた罪は死ぬよりつらい目に会わせなきゃおさまらない」

「エルザ! あなたはどうしてそんなに人間を憎むの?」

 ティファニアには、エルザの人間への感情が単なる敵対心や差別意識だけとは思えないほどの狂気を帯びているように思えた。確かに人間と吸血鬼は敵対する種族だが、それにしても度が過ぎている。するとエルザはティファニアの髪を乱暴に掴んで耳元でささやいた。

「知りたい? なら教えてあげるよ。エルザのパパとママはね、人間に殺されたんだ。私の目の前で、人間のメイジに虫けらみたいにね。それからずっと、私は一人で生きてきた。これでわかった? 人間が吸血鬼を狩るなら、当然自分たちが狩られてもいいはずだよね」

 エルザの告白は、とても作り話とは思えなかった。きっとエルザが本当に幼い頃、言ったように両親が殺されたのだろう。けれどそれを聞いて、ティファニアははっきりと言った。

「エルザ、あなたの憎しみの元が何かはわかったわ。それでも、あなたのやっていることは正しいことではないわ」

「なに? 今度はお説教? おねえちゃん、自分が殺されないと思って調子に乗ってない? さっきはうっかりしてたけど、人間だけじゃなくて人間に味方するものはみんな嫌いなのよ。私は狩人であなたたちは獲物、その気になったら、おねえちゃんの首をすぐにでもねじ切ってあげるんだから」

「いいえ! わたしたちは決して分かり合えない存在じゃない。なぜならエルザ、あなたの中にも優しい心があるはずだから」

 その瞬間、エルザは激昂してティファニアの首に手をかけて締め上げた。

「っ! また戯れ言を。私はね、獲物を狩るときにかわいそうだなんて思ってためらったことは一度もないのよ」

「違うわ……エルザ、あなたは両親を殺されたことが憎しみのきっかけになったと言った。だったら、あなたには両親を愛する心があったということ。誰かを愛する心が、悪いもののはずはないわ。その心を、ほんの少しだけ自分以外の誰かに分けてあげればいいの」

「知ったふうな口を……」

「エルザ、両親を奪われたのはあなただけじゃないわ。わたしだってそう、お父さんとお母さんを知らずに育った人を、わたしは大勢知ってる。あなただけが違うわけがない」

「違うよ、私は吸血鬼で人間を狩って食うもの。人間よりずっと強くて高貴な、美しき夜の支配者」

「そう、わたしたちは弱い。だから、互いの弱さを補って助け合うことを知ってる。誰かが傷つくのを黙っていられないから勇気を出せる。メイナさんだって、きっとそう……エルザ、あれを見て!」

 ティファニアに言われ、エルザは遠見の鏡を覗き込んだ。そして、そこに映し出されていたものを見て今度こそ言葉を失った。

 

 

 すべてをあきらめて、死の世界の門へと向かい続けるミシェル。彼女はそこへ向かう途中に、懐かしい思い出に身を寄せていた。

 銃士隊への入隊、数々の戦い、裏切り、そして忘れもしない、才人とアニエスの決闘。

 あのアルビオンで、才人は自分なんかのために初めて本気で怒ってくれた。そしてあのとき、才人はもうなにも残っていないと言ったわたしに……

「……きて……おき……おねえ……」

 なんだ……? と、ミシェルは閉じかけていた意識の中でいぶかしんだ。この声は、この声は……

「て……きて……ちゃん……おきて……おね……おねえちゃん!」

 はっ、と、ミシェルはその声の持ち主に気がついた。

 アリス? しかしアリスは、あのとき確かに逃がしたはず。いったいどうして? ミシェルは、残った力でうっすらと目を開けてみた。

「起きて! 起きておねえちゃん! 起きて! 起きてよう!」

 なんとそこには、逃げたはずのアリスが自分の隣に座り込み、体を揺さぶって必死に呼びかけている姿があったのだ。

 バカな! なぜ戻ってきたんだ。ミシェルは、せめてアリスだけは助けようと思ったのにと、消えかけていた意識を呼び戻して顔を上げた。

「アリ、ス……」

「おねえちゃん! 気がついたんだね!」

「ばか……なんで、戻ってきたんだ」

「だって、だって……逃げたって、わたしはひとりぼっちになっちゃうだけだもん! ひとりで町になんて行ったことなんてないし、お役人さんは怖いし……わたし、ほんとはみんなの期待に応える力なんてない。だからお願い、助けて! 助けておねえちゃん! うっ、ごほっ! ごほっ!」

「ごめん……わたしにはもう、戦う力なんて」

 弱虫な子だと、ミシェルは思った。せっかくひとりだけでも助かるチャンスが得れたのに、戻ってきたせいで毒鱗粉を浴びてしまっているじゃないか。

 だが、苦しみながらもアリスの叫んだ一言が、ミシェルの心の奥底へと轟いた。

「そんなことない! グールをやっつけたときのおねえちゃんはすごく強かった! 村のみんなが待ってる! わたしはひとりぼっちになりたくない。だから立って! 戦って! おねえちゃんは、正義の味方なんでしょう!!」

 その一言に、ミシェルの心臓が大きな鼓動を鳴らした。

 正義の味方……そうだ、それはわたしにとってのサイトであり……ウルトラマン。どんな苦境にあっても決してあきらめず、どんな強敵にも勇敢に立ち向かっていく、ヒーロー。

 思い出した。わたしは、そんなヒーローの姿にあこがれて、はげまされて立ち上がることができたんだ。そして、あんなふうに自分もなりたいと、剣をとって戦ってきた。

 そして今、自分にすがり頼ってくる人がいる。そうだ、思い出したよサイト……あのとき、もう何もかもを失ったと思っていたわたしに、お前はこう言ってくれた。

 

”馬鹿言うな、守るものなんて……いくらだってあるじゃないか!”

 

「わかったよサイト……わたしにはまだ……守らなきゃいけないものが、ある!」

 ミシェルの目に力が戻り、彼女は土を握り締めて、渾身の力で体を起こした。

「おねえちゃん!」

「アリス、ありがとう。お前の叫びが、わたしに大切なことを思い出させてくれた。そうだな、こんなところで死んだらあいつに怒られる。最後の最後まで、戦ってやるさ!」

 心に炎を取り戻し、ミシェルは空を仰ぎ見た。そこに広がるのは暗雲に包まれた漆黒の空、しかしその頂点には強く輝くひとつの星が瞬いている。

 見えたよサイト、わたしにももう一度、ウルトラの星が!

「アリス、これからおねえちゃんはもうひとあがきをやってみる。だけどそれは、とても危険な賭けだ。それでもおねえちゃんを、信じてくれるか?」

「うん! わたしは、おねえちゃんを信じる」

「ありがとう、強いな、君は。さあ、おいで」

 ミシェルはアリスを懐に抱きかかえると、左手で強く抱きしめた。アリスは両手でぎゅっと、ミシェルにしがみついてくる。

 強い子だ……ミシェルは先ほどの弱虫を撤回して、素直にそう思った。こんなに小さくて弱いのに、がむしゃらに向かってきて、わたしに大切なことを思い出させてくれた。

 そうだ、わたしはアリスにかつての自分を見ていた。そしてわたしはかつてのわたしの母と同じようにしようとしたが、アリスはかつてのわたしとは違った道を選び、わたしを救った。もしも、あのときの自分にアリスと同じだけの勇気があれば、無理矢理にでも母に食い下がり、母を死なせずにすんだかもしれない。ただがむしゃらな、勇気さえあったら。

「過ちは、もう二度と繰り返さない。もう誰も死なせない!」

 決意を込めて、ミシェルは杖を握って呪文を唱え始めた。毒鱗粉による喉の痛みも体のしびれも忘れ、体には力が満ちてくる。

「イル・アース・デル……」

 自分の系統である土の錬金で、周囲一帯の土を油に変える。

「ウル・カーノ!」

 さらに発火の魔法が唱えられ、油に変えられた地面が一気に燃え上がった。周囲一帯は火の海へと変わり、モルフォは慌てて逃げ惑う。もちろん、銃士隊や水精霊騎士隊も炎の中に飲み込まれる。

 自殺行為か? だが、この炎の熱は思わぬ効果をもたらしていた。

「あっちいーーっ! あちち! あ、あれ? か、体が動くぞ」

「ギーシュ、動け、あれ? そういえば喉の痛みや体のしびれも消えた。どうして? いやアチチチチ!」

 なんと、毒にやられて死に掛けていた水精霊騎士隊や銃士隊が次々に蘇ってきていた。だが、あれほどの毒が急になぜ? その答えは、ルクシャナが知っていた。

「そうか! モルフォの鱗粉は熱に弱いんだった。わたしとしたことが、なんでこんなことに気がつかなかったの、バカ!」

 そう、モルフォ蝶の鱗粉は熱に対しては極端に弱く、高熱を受けると無毒化してしまう特性を持っている。実際、地球でもかつてモルフォの鱗粉で巨大化してしまった人間が、熱原子X線を受けて元に戻ったという報告がある。魔法アカデミーでも、モルフォの鱗粉を扱うときは火気厳禁が鉄則なのだが、その鉄則が仇になって、熱を使えば無力化できるということにルクシャナも思い至れなかったのだ。

 そして、もっとも炎に弱いのは当然ながらモルフォ本体だ。あるものは炎にそのまま呑まれ、あるものは炎が鱗粉に引火して火達磨になって落ちた。そして、炎から逃げ出したモルフォに対して、炎の中から飛び出してきたミシェルの斬撃が叩き込まれた!

「でやぁぁぁぁっ!」

「ふ、副長!?」

 銃士隊の見守っている前で、一匹のモルフォがミシェルの剣で真っ二つに切り裂かれ、さらに剣にまとった炎に引火して燃え落ちた。

 それだけではない。ミシェルは炎をまとったままで跳び回って剣を振るい、モルフォを次々に叩き落していく。モルフォの撒き散らす毒鱗粉も、炎の鎧をまとったミシェルにはまったく効果がない。どころか、火の剣を振るうミシェルの前に、モルフォはなすすべなく火の塊となって燃え落ちていく。

 炎の騎士……ギーシュは、炎をまとって舞うように戦うミシェルを見て、そうつぶやいた。自らの体をも炎で焼かれているというのに、あの勇壮さは、あの美しさはなんだろう。まるで、伝説の不死鳥が人の姿を成したかのようだ。

 圧巻、その一言……やがて錬金で作り出された油がすべて燃え尽きたとき、宙を我が物顔で舞っていたモルフォは一匹残らず消し炭になって燃え尽きていた。

 そして、灰の大地の上に立つ青い髪の戦乙女。彼女は、腕の中に抱えていた少女をおろして、優しく微笑んだ。

「終わったよ。アリス、よくがんばったね」

「おねえちゃん。やった、やった! 勝った、勝ったんだね!」

「副長!」

「みんな……すまない、心配をかけたな。だが私は、もう大丈夫だ」

 力強い笑みを浮かべたミシェルに、銃士隊と水精霊騎士隊の一糸乱れぬ敬礼が応えた。

 

 

 しかし、これで収まらないのはエルザである。水精霊騎士隊と銃士隊の全員生存、さらにモルフォの全滅という、ありえない事態だ。

「あ、いつらぁぁぁ! よくも、私の可愛いペットを」

「エルザ、もうやめましょう。あなたがわたしたちと争ってなにになるというの。永遠の夜なんて、そんなのきっと寂しいだけだよ」

「黙ってて! 私はね、寂しいなんて思わないわ。夜の種族は、人間を支配する選ばれた者なの。いいわ、もう遊びは終わり。そんなに言うならあの人たちをおねえちゃんの目の前でギタギタに切り刻んであげるから」

 

 エルザが念を込めて命じると、ミシェルたちのいる沼地の周りで無数の人影がうごめいた。そして、数百の屍人鬼の群れが、彼女たちを取り囲んでいった。

 

 

 続く



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第31話  ひとりぼっちの世界女王

 第31話

 ひとりぼっちの世界女王

 

 吸血魔獣 キュラノス 登場!

 

 

「わたしにも、力が欲しい……」

 遠見の鏡から溢れ出す紅い光が頬を照らし出し、炎をまとってモルフォを切り倒していくミシェルを見て、ティファニアはぽつりとつぶやいた。

 今、世界は危機に瀕している。強大な闇の勢力が暴れまわり、毎日のようにどこかでなにかが破壊され、犠牲者の悲鳴がこだましては消える。

 しかし、今のわたしには何もできないと、ティファニアは心の片隅で悩み続けていた。

 それは自虐ではない。以前、自分たちは誰もが行くのは不可能と信じていたエルフの都へと到達し、エルフとのあいだに平和の架け橋の第一歩を築くことを成し遂げた。その達成感と誇りは、今でも忘れてはいない。

 だが、エルフたちとの信頼を築くために、始祖の祈祷書はアディールに残され、ティファニア自身も無理なエクスプロージョンの行使によって魔法の力を失った。

 もちろん、そのことに後悔はない。引き換えに成し遂げたことの大きさに比べれば、むしろ安すぎる取引だったと言ってもいいくらいだ。しかし……

 

”見ているだけしかできないのが、こんなにつらいとは思わなかった”

 

 戦いは続いている。アディールでの決戦で勝った後も、ヤプールは滅びたわけではないし、ガリア王ジョゼフをはじめとして平和を乱そうとしている勢力に対して、時に激しく、時に静かに戦いは繰り返された。

 魔法を使える者は魔法で、剣を振るえる者は剣で、知恵を働かせられる者は知恵で。

 でも……今のわたしにはそのどれもないと、ティファニアは悩んでいた。魔法は失われ、非力で、世間知らずな自分は、みんなの戦いを見ていることしかできない。わたしにも何か、みんなのために役立てる新しい力が欲しい。

 サイトさんとルイズさんが亡くなったときも、わたしは遠くで無事を祈っているしかできなかった。今もこうしてたやすくさらわれて、身動きを封じられてなにもできない。目の前で人の命が奪われようとしたときも、助けるつもりが結局その人に助けられてしまった。

 悔しいけど、今のわたしは足手まとい。わたしにはない力を、みんなは持っている。サイトさんやルイズさん、ギーシュさん、モンモランシーさん、ルクシャナさん、落ち込んでいたミシェルさんも、やっぱり強い人だった。

 わたしにも力が欲しい。戦う力でなくともいい、みんなを守れる力が……

 お母さん、お母さんならこんなとき、どうしますか? ティファニアは心の中で、幼い頃に生き別れた母に呼びかけた。たった一人でサハラからやってきて、一人で自分を育ててくれた強い母なら、いったいどうするだろうか。

 今のティファニアには考えることしかできない。しかしそうした葛藤の中で、力を得るために本当に必要なものがなにかということを、ティファニアは知らないうちに気づき始めていた。

 あまねく命を守る、優しさと強さを併せ持った者。その答えにティファニアがたどり着くのを待っているかのように、彼女の胸の中で輝石は青く静かに輝き続ける。

 

 だが、時間はティファニアを待ってはくれない。モルフォを撃破されたエルザは怒り狂い、人質の生命と引き換えにティファニアの仲間たちをこの村へと呼び寄せた。

 これから素敵なパーティがはじまるよ、と、笑いながら告げ、エルザは一行を自ら出迎えるべく踵を返す。ティファニアはその後姿を、じっと見つめていることしかできなかった。

  

 

「よく来たわね、トリステインの勇敢な騎士の皆さん。歓迎するわ、ようこそ、私の王国へ」

 サビエラ村の村長の家。その三階のベランダから身を乗り出して、エルザの声が見下ろす庭に響き渡った。

 聞くのは、ミシェルをはじめとする銃士隊と、ギーシュたち水精霊騎士隊他数名。彼女たちは、怒りを込めた眼差しでエルザのあいさつに答える。

「それがお前の城と玉座か、ずいぶんとしみったれた女王様だな、吸血鬼。ティファニアを返してもらおうか」

「あら? 恐怖に震えて来たかと思ったけど、さすがに度胸が据わってるのね。それともやせ我慢というやつかしら? まあ、三百体の屍人鬼に囲まれて死刑を待つともなると、馬鹿にでもならなきゃやってられないでしょうしねぇ」

 エルザのせせら笑いが、生暖かい風となって一行の肌をなめていった。

 そう、今このサビエラ村において、一行のいる村長宅の庭の周囲すべては元村人の屍人鬼で埋め尽くされていた。その数は実に三百体。エルザが食用に適さないと判断した男性や高齢の女性のすべてが吸血鬼エルザの操り人形である屍人鬼となり、手に手に武器を持って、一行を取り囲んでいたのだ。

 まさに、最初から四面楚歌の絶体絶命。エルザの言うとおり、普通の人間ならば発狂してもおかしくはない状況。しかもその化け物どもの大群を指揮しているのが、見た目五歳くらいの幼女だからというのがさらに異様さを増させている。吸血鬼の実物を見たことがないギーシュたち水精霊騎士隊の面々は、覚悟はしていたものの、改めて我が目を疑った。

「あ、あれが吸血鬼? アリスよりもずっと小さいじゃないか、う、嘘だろ」

 ギーシュやギムリ、頭脳派のレイナールにしても眼鏡の奥の目を白黒させていた。しかし、銃士隊にかばわれていたアリスは必死に訴えかけた。

「騙されないで! 村の人たちもみんな、あいつに騙されてたんだよ。あいつのせいで、おとうさんもおかあさんもみんな!」

「あらあらアリスおねえちゃん、何度もいっしょに遊んだのにつれないわね。本当なら、おねえちゃんを真っ先に食べてあげるつもりだったんだよ。そうだねぇ、森にイチゴ狩りに行こうなんて言ったら、おねえちゃんは喜ぶでしょう? おねえちゃんはイチゴを食べて幸せになる、私はイチゴを食べたおねえちゃんを食べて幸せになる。きっと楽しいよぉ?」

 無邪気な笑顔で残忍な想像を語るエルザに、アリスはひっと言って身を隠した。エルザはそんなアリスの様子を楽しげに見下ろしていて、ギーシュたちももはやエルザが見た目どおりの年齢の持ち主ではないことを認めざるを得なかった。

「吸血鬼の寿命は人間よりずっと長いって聞いたけど、どうやら本当のようだね。レディに年齢を聞くのは失礼ながら、伺ってもよろしいかな?」

「あらあ、勇気あるおにいちゃんね。けど、私はそんなに長生きしてきたほうじゃないよ。ざっと、おにいちゃんたちの倍くらいの齢かな? そこの、エルフのおねえちゃんとだいたい同じと思ってくれればいいよ」

 ギーシュたちは、エルザがルクシャナとほぼ同じ年齢だと告げられてさらに仰天した。エルフの寿命は人間の約二倍で、成長速度もそれに比例するから十八歳前後に見えるルクシャナの実年齢と、五歳ばかりの見た目のエルザの実年齢がほぼ同じということは、吸血鬼というのはどれだけ長命だというんだ? 驚く彼らは、銃士隊に忠告された、吸血鬼を見た目で判断するなということの本当の恐ろしさを理解した。

 そしてエルザは、そんなギーシュたちの間抜面を楽しそうに一瞥すると、幼女の容姿にはとても似つかわない尊大な身振りをともなってしゃべりだした。

「さて、前置きはこれぐらいにしておきましょう。とりあえずは、私の可愛いモルフォたちを倒したことはほめてあげる。けど、今度のしもべはどうかしら? 私の忠実な三百人の兵隊たち。素敵でしょう?」

「ふん、こんなでく人形どもを自慢したくてわざわざ連れてきたのか。悪趣味め」

 ミシェルはつまらなげに吐き捨てた。

 沼地でのモルフォとの戦いが終わった後、ほっとする暇もなく、一行は多数の屍人鬼に囲まれた。しかし、襲い掛かってくるものと思った屍人鬼たちは取り囲むだけで動かず、怪訝に思っていると、屍人鬼の口を通してエルザのメッセージが送られてきたのだった。

「ティファニアおねえちゃんのお友達の皆さん、見事な戦いぶりだったわ。あなたたちにはそこで死んでもらうつもりだったけど、特別に敬意を表して私のもとへ招待してあげる。来てくれるわよね? もし断るんだったら、ティファニアおねえちゃん以外の村の女の人たちを皆殺しにするから、そのつもりでね」

 選択の余地など最初からなかった。一行はやむを得ず、屍人鬼に案内される形でサビエラ村にたどり着き、エルザが指定した処刑場であるここまでやってきたのだった。

 三百の屍人鬼に対して、一行の戦力は剣士とメイジ合わせて二十人ばかり。まさに狼の群れに囲まれる羊たちも同然の一行に向かって、エルザは楽しそうに笑う。

「悪趣味かぁ、そうだねぇ、こんな奥地の田舎者ばっかりじゃあ見栄えもさえないよねえ。今度屍人鬼を増やすなら、もっとおしゃれできれいな町にしたいなあ。人間は見た目で人を判断するから、着飾ったきれいな屍人鬼をたくさん作れば、きっと王国だってあっという間にできちゃうよね」

「貴様、屍人鬼をひとりで無数に作り出せるとは聞いていたが、いったい何者だ? ただの吸血鬼ではあるまい」

 するとエルザは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにうれしそうに答えた。

「やっぱり気になる? 気になっちゃう? うふふ、いいよ、モルフォを倒したご褒美に、冥土の土産に教えてあげる。私たち吸血鬼はね、遠い遠い昔には今よりずっと強い力を持って、夜の世界に君臨していたわ。けど、大きな戦いに敗れた後、ほんのわずかに生き残った私たちの先祖は、人の世の影に隠れ潜むうちに能力のほとんどを失っていったの。でもね、何代かに一度は、先祖がえりって言うらしいけど、私のように吸血鬼本来の力を持って生まれてくる者がいるのよ」

 エルザが手を振ると、三百の屍人鬼がまるで呼応するかのようにうなり声をあげはじめた。おーおーおー、と、まるで女王をあがめる兵士のようだ。そしてエルザが手を下に向けるとうなり声はぴたりとやみ、エルザの得意げな声が再び流れた。

「どう? これが私たち美しき夜の種族、吸血鬼の本当の力よ。もっとも私も最初は、あなたたちを襲わせたアレキサンドルって男ひとりしか屍人鬼にできなかったんだけどね」

「ロマリアが、お前に力を貸しているというわけか」

「そういうこと。ロマリアのおにいちゃんが言うには、私の遺伝子の中にあるリミッターを外したとかなんとか? わかりやすく言えば、私の血の中に眠っていた本当の力を引き出してくれたのよ。実際、この力はすばらしいわ! 私のような、原初の吸血鬼はしもべを無制限に持つことができるの。そして、私の屍人鬼に襲われた人間もまた屍人鬼になるの。わかる? 今は村ひとつだけど、いずれハルケギニアすべてを私のしもべで埋め尽くすこともできるのよ!」

 エルザの宣言した吸血王国の建国の夢は、一行の魂を戦慄させた。屍人鬼にできる人間の数に、本当に制限がないのだとすれば、屍人鬼の数はねずみ算式に爆発的に増えていく。それこそ、わずかな期間に何万・何十万という軍勢を作り出すことも簡単であろう。

 ハルケギニアが吸血鬼と屍人鬼で埋め尽くされる。おとぎ話や黙示録どころではない恐怖が、今目の前にあった。

 しかし、その恐るべき狂気の計画がどうであろうと、皆の目的はそんなことではなかった。勝ち誇った笑いを続けるエルザに、モンモランシーが怒鳴った。

「あんたの妄想なんかどうでもいいわ! それよりテファは、テファは無事なんでしょうね!」

「あら? そういえばうっかり忘れてたわ。ええ、もちろん無事よ、会うくらい会わせてあげるわ」

 そう言うと、エルザはぱちりと指を鳴らした。すると、エルザの後ろの部屋の中から屍人鬼に後ろ手をとられて、ティファニアが連れ出されてきた。

「みんな!」

「テファ! 無事だったのね」

 ベランダから姿を見せたティファニアを見て、皆はほっとした様子を見せた。しかし、ティファニアの顔がさらわれたときとは明らかに違って衰弱しているのに気づくと、ギーシュが激しい怒気を交えて叫んだ。

「吸血鬼! 彼女になにをした!」

「うるさいわね、少しだけ血をいただいただけよ。心配しなくても、屍人鬼にするような真似はしてないわ……そうだ、がんばったアリスおねえちゃんにもご褒美をあげないとね」

 エルザが再度指を鳴らすと、村長の屋敷の一階の窓が開け放たれた。すると窓に、閉じ込められていたと見える村の若い娘たちが駆け寄ってきて、口々に叫んだ。

「アリスちゃん!」

「アリス! よかった、無事だったんだ」

「アレキサンドルの奴が追っかけていったから、もうだめかと思ってた」

「ごめんなさいアリス、吸血鬼の奴にだまされて、私たちがあなたをひどい目に会わせてしまって」

 村の娘たちは、少しやつれた様子はあるものの、皆元気そうだった。彼女たちにもすでに、アリスだけが逃げ出すことができたのは吸血鬼の差し金だったことは伝わっていたようで、皆アリスを心配していた様子が伝わってくる。

 だが、喜びはつかの間であった。エルザには、アリスたちも村娘たちも一人も生かしておくつもりはない。再会を許したのはほんのたわむれにすぎず、面倒そうな表情から一転して、エルザは牙をむき出した凶暴な素顔をあらわにして言い放った。

 

「さて、これでもう思い残すこともなくなったでしょう? そろそろ、まとめて死体になってもらおうかしら!」

 

 エルザの合図とともに、屍人鬼の群れがいっせいに動き出した。血走った目を見開き、吸血鬼同様の鋭い牙を振りかざして吼えるように叫んでくる。

「みんな!」

「円陣を組め、来るぞ!」

 ティファニアの悲鳴に続いて、ミシェルが指示を出したことで一行はさっと戦闘態勢をとった。銃士隊は当然、ギーシュたち水精霊騎士隊も訓練で体に叩き込んだとおりに動いて、互いに背中を預けあう形の円陣を組む。これならば死角はなくなり、少数でも戦うことが出来るが、相手のほうが圧倒的に有利であることには違いない。

 屍人鬼たちも攻撃態勢を整え、あとはエルザの命令ひとつで一斉に襲い掛かってくるだろう。しかしその前に、エルザに向かって疑問を呈した者がいた。それまでずっと黙って様子を見ていたルクシャナだ。彼女はきっとエルザを睨み付けると、どうせ冥土の土産なら、ついでにわたしの質問にも答えなさいとたんかを切って言った。

「吸血鬼が生き物を屍人鬼にする仕組みはすでに研究されて解明されてるわ。死体の水の流れを無理矢理動かして、あたかも生きてるように動かす、水の精霊の持つアンドバリの指輪と似たようなものね。けど、こいつらは違う! さっき連れてこられる最中に触って調べてみたけど、水の流れは人間そのものだったわ」

「へー? それってつまり、どういうこと?」

「つまりこの村人たちは、”生きたまま”屍人鬼にされて操られてるってことよ! 死体を操る吸血鬼の手管とはまったく違うわ。いったいどんなトリックを使ってるの!」

 するとエルザは、またも愉快そうに笑った。

「すごいね、さすがエルフの学者さんだ。確かに、こいつらは普通の屍人鬼とは違うわ。まあ、私もあまり難しいことはわからないんだけどね、教えてもらった話だと、私の体の中には人間を屍人鬼に変えるういるす? 要は毒みたいなものを造る内臓があって、血を吸うのと同時に牙からその毒を注入するの」

 牙を見せびらかすようにエルザが説明すると、ルクシャナは冷や汗をかきながらもなるほどとうなづいた。

「まるでヘビね。でもこれで納得がいったわ、魔力で操っているんじゃなくて毒を注入してるんだとすれば、屍人鬼に噛まれた人間までが屍人鬼になる説明がつく。わかったわ、これは言うなれば伝染病と同じもの。吸血病とでも名づけるべきかしら? あなたがその宿主だってことね!」

「あっはっはっは、そうなんだあ、さすが頭のいい人は違うね。わたしはロマリアのおにいちゃんから説明を聞いてもさっぱりだったんだけど、わかりやすい解説をどうもありがとう。伝染病とはひどい言い草だけども、この力は一匹しか屍人鬼を作れない魔力だのみの能力なんかとは比べ物にならないほどすごいよ。さっきも言ったけど、私がこの村にやってきて、自力で屍人鬼にできたのはあなたたちが倒したアレキサンドルって男ひとりだけなのよね。最初はアレキサンドルを使って、ひとりずつ獲物を狩っていこうと思ってたんだけど、この力に目覚めた今はこのとおりよ! 村ひとつなんてつまらないことは言わないわ。ハルケギニア、いえ全世界が私にひれ伏すことも今や夢じゃない!」

「狂ってる……子供の妄想ね」

「それはどうかしらぁ? 吸血鬼にとって唯一怖かった太陽も闇の中に消え去って、もう私に怖いものはないわ。吸血鬼がこそこそ隠れて人間を狙う時代は過ぎて、これからは吸血鬼が人間を家畜として飼う時代が来るのよ。人間よりすべてにおいて優れた力を持っていながら、ただ太陽を恐れて闇に隠れ潜まなくてはならなかった私たち吸血鬼の怒りと屈辱をすべての人間たちに思い知らせてやる。まずはお前たちからよ!」

 エルザが手を振り下ろすと同時に、屍人鬼たちが襲いかかってきた。逃げ場はない、一行はこれを全力を持って迎え撃った。

 

 

 まずは、とにかく接近を許してはダメだ。屍人鬼たちの突進を防ごうと、メイジたちがいっせいに魔法を放った。

『ウィンド・ブレイク!』

『ファイヤー・ボール』

 風の弾丸が飛び、炎の弾が宙を舞って襲い掛かる。狙いをつける必要さえない、周りは三百六十度すべてが敵なのだ。

 しかし、撃てば当たるほど多い敵は、数だけ多い雑魚の群れではなかった。風の弾丸で派手にぶっ飛ばされたはずの屍人鬼は何事もなかったように起き上がり、炎を浴びせられた者も火傷を無視して牙を振りかざしてくる。

「奴ら、痛みを感じてないのか! そういうとこは本物の屍人鬼と同じかよ」

 相手が蘇った死体ではなく、操られた生身の人間ならば、ダメージを与えてやれば止まるのではという淡い期待は裏切られた。屍人鬼化した村人たちは、少々の傷などは感じないとばかりに包囲を詰めてくる。ドット、ないしラインクラスの使い手しかいない少年たちの魔法では、直接攻撃で進撃を食い止めることはできない。ならばと、ミシェルは即座に作戦を変える指示を飛ばした。

「魔法を当てて倒そうとするな! 奴らの足元を打て」

 その指示に、水精霊騎士隊は俊敏に反応した。炎、風、水に土を操る魔法が村人の屍人鬼たちの足場を吹き飛ばし、転倒した屍人鬼にさらにつまづいて転倒する様が続出し、一時的であるが屍人鬼の突進は止まった。

 貴族にあるまじき姑息な戦い方だが、いまさら文句を言う奴はいない。これは最低限のルールのある戦争とすら違う、異種の生物同士による生存競争なのだ。殺すか殺されるか、あるのはそれだけだ。

 ただ、一時的に足を止めても、それは一分にも満たない時間稼ぎに過ぎない。この包囲陣の中にいる限りは、いずれ物量で圧殺されるのは火を見るより明らかだ。ミシェルは、なんとか包囲網を突破する隙がどこかにないかと必死に探した。

 だが、その考えはエルザも見抜いていた。三階のベランダから楽しそうに見下ろしながら、冷たくささやきかけてくる。

「ああ、おねえちゃんにおにいちゃんたち? 言い忘れてたけど、もしこの庭から出て行ったら、人質の女の人たちを殺すよ」

「なっ!」

 一行は揃って愕然とした。見ると、屍人鬼にされた村人たちが人質の娘たちの首に手をかけている様が見える。

 なんて悪知恵の働く奴だ! と、一行は憤慨した。屍人鬼と化した人間の力なら、人間の細い首くらい簡単にへし折られてしまう。これでは包囲網からの脱出は無理だ。

「そうそう、それでいいのよ。せっかくの楽しいパーティを、途中で出て行くなんて許さない」

「この、悪魔め!」

「あら、ひどいなあ。あなたたち人間だって、牛や豚を殺して食べるくせに、どうして人間を食べる吸血鬼だけが悪者にされなきゃいけないの? いっしょのことをしてるだけじゃない」

 ほおを歪めながらエルザの言った言葉に、水精霊騎士隊も銃士隊も返す言葉がなかった。生まれてこの方、肉を食べたことのない人間はいない。吸血鬼と人間は、ただ食べるものが違うだけなのだ。なら、吸血鬼が人間を食うこともまた正当であってしかるべきであろう。それが自然の摂理なのだとエルザは嘲り笑う。

 だが、皆が言葉に詰まる中で、ミシェルだけが毅然として言い返した。

「そうか、ならお前が人間を食らうのが正当ならば、いずれお前より強い奴が現れてお前を食い殺しても、お前はそれで本望だということだな?」

「なんですって?」

「強さなんて空しいものだ。どんなに上げても自分より強い奴はいる。どんなに勝ち続けても、いつかは負けるときが来る。お前はそうなったとき、強者に自分の命を差し出して笑ってられるのか?」

「ははっ、なにかと思えば負け犬の遠吠えね」

 その瞬間、ついに魔法の防衛網を破って屍人鬼たちが攻め込んできた。腕を振り上げ、牙をむき出しにして血を吸おうと飛び掛ってくる。

 ここからは肉弾戦しかない! 銃士隊は剣をかまえ、水精霊騎士隊も杖を魔法で剣に変えて迎え撃つ。

「でやぁぁぁっ!」

 ミシェルの剣が横なぎに屍人鬼の胴を打った。強烈な一撃を受けて、屍人鬼の体が揺らいでのけぞる。だが、今の一撃はミシェルにとって不満足なものだった。

「くそっ、切れない!」

 本来なら、今の攻撃で屍人鬼を真っ二つにするつもりだったのに、斬撃は打撃同然の威力しか持たなかった。アレキサンドルの屍人鬼は切れたのだが、その後にモルフォを全滅させたときの無茶な使い方が原因で剣に焼きが回って使い物にならなくなっていた。

 ほかの銃士隊員たちも似たようなものだ。トリステインを旅立ってこの方、まともに剣を手入れする機会がなく、それぞれの剣は切れ味が相当に鈍っていたのだ。これでは剣としてではなく鈍器としてしか使い物にならない。

 ならば魔法の剣を振るうギーシュたちはどうかといえばこちらも微妙だ。いくら訓練を受けているとはいえ、剣の腕が銃士隊に遠く及ばないことと、剣を振ることに必要な腕力がそれに追いついていない。これでは、山仕事や野良仕事で鍛えた村人の体には浅い傷しかつけることはできず、半端な傷では吸血ウィルスの作用ですぐに復活してしまう。今はなんとか持ちこたえられてはいるが、これではすぐに限界に達する。

「皆、こいつらの体をいくら切っても無駄だ。頭を狙え!」

 ミシェルはとっさに作戦を切り替えた。屍人鬼の体をいくら切っても倒れはしない、だが頭をつぶしてしまえば行動を封じることはできる。ミシェルはそれを示すために、目の前に来た屍人鬼の男の頭を叩き潰そうと剣を振り上げた。だが。

「待ってぇ! アリスのおとうさんを殺さないで!」

「なにっ!?」

 アリスの叫びでミシェルの剣筋がそれた。打撃は屍人鬼の肩に当たり、屍人鬼はその衝撃で後退した。しかしまだ生きているために、また何事もなかったかのように向かってくる。その様を見て、エルザは愉快そうに笑うのだった。

「あっはははっ! おねえちゃんって、さすが騎士だけあって頭がいいんだねえ。でも、そいつらが生きたまま私に操られてるってことは忘れてたかなあ。正義の味方きどりのおねえちゃんたちに、子供の見ている前で親を殺すことが、はたしてできるのかなぁ?」

「ぐっ、くぅぅぅっ!」

 歯軋りするしかなかった。騎士として、軍人として、必要とあらば人を殺すことに躊躇はないし、これまでにも敵は殺してきた。しかし、子供の前で親を殺すという真似は、ミシェルのトラウマと合致していて絶対にできなかった。エルザはそこまで知っていたわけではないのだが、偶然にももっとも弱いところを突くことになったのである。

 しかし逆に、親に子供を殺させようとしているのか。アリスの父の屍人鬼はまっすぐにアリスを目指している。そのあまりの非道なやり口に、たまらずティファニアは叫んだ。

「やめてエルザ! あなたも両親を目の前で殺されたんでしょう。なのになんでこんなことをするの!」

「あっはっはっ! わかってないなあおねえちゃんは。自分がやられて悔しかったからこそ、他人にやってやりたいと思うんじゃないの」

 エルザは残忍に笑い、ティファニアは悔しさのあまりに顔を伏せた。

 包囲網から抜け出すことはできず、かといって屍人鬼を倒すこともできない。打開策はことごとくエルザにつぶされて、もはや一行が全滅するのも時間の問題かと思われた。

 そう、時間の問題……少なくともエルザはそう思った。しかし、エルザはすぐに、この人間たちがそんなに物分りのいい連中ではないということを知ることになったのだ。

「水精霊騎士隊、全員気張れ! 女王陛下の御為に! それにこんなところでへばったら、サイトとルイズに笑われるぞ。ぼくらは最後まで、かっこよくありつづけようじゃないか!」

 ギーシュの激に少年たちは奮い立ち、銃士隊も子供なんかには負けていられないと力を振り絞る。その後ろからモンモランシーが治癒魔法をかけ、ルクシャナが精霊魔法で全周囲を援護する。それでなんとかギリギリの線で持ちこたえられていて、彼らのその予想外の粘りに、さしものエルザも感心したように言った。

「へーっ、思ったよりやるんだね。そういえばモルフォをやったときも、けっこうしぶとかったし……ねえ、青い髪のおねえちゃん? さっき私にさんざん聞いたんだから答えてよ。沼地でモルフォに襲われたとき、おねえちゃんの目は死んでるみたいに暗かった。なのに、今はまるで別人みたいに元気じゃない? いったい何があったの」

「わたしには、守らなければならないものがある。それを、思い出しただけだよ」

「ふーん、それって何なの?」

 エルザが顔をにやけさせながら尋ねると、ミシェルは屍人鬼の攻撃をさばきながら、一瞬だけ目を閉じた。そしてそっと振り返ると、自分のすぐ後ろでじっと怖さに耐えているアリスを見守ってから答えた。

「わたしが愛した人が守ろうとした、この世界の未来だ!」

「くふふふはははは! なぁんだ、おねえちゃんって未亡人だったの。よっぽど、そのオスとつがいになりたかったんだねぇ。でも大丈夫、世界はこの私がちゃーんといただいてあげるから、安心してね」

 この下種な物言いと冷酷さこそが、エルザが見た目どおりの精神の持ち主ではないことと、人間を徹底的に蔑視している証であった。しかしミシェルは怒るでもなく、むしろ哀れみを含んだ眼差しをエルザに向けるのだった。

「世界、か。吸血鬼よ、お前はこのハルケギニアに吸血王国を築くつもりだと言ったな。だがそれで、終わると思っているのか?」

「……なにが言いたいの?」

「世界は広い、ハルケギニアの東に広がるサハラ、そして東方、その先も果てしない。ハルケギニアなど、世界からしてみれば、猫の額のような狭い土地だ。お前はそんなちっぽけな世界の女王になれて、それで満足か?」

「フン、何を。ハルケギニアの外なんて知らないわ。私はハルケギニアだけでじゅうぶんよ」

「お前、何も知らないんだな。世界は広い、そこには人間どころかエルフすら及ばないほど強大な力を持ったものがいくらでもいる。お前はそんな奴らと、永遠に戦い続けることになってもいいというんだな?」

「うっ……」

 初めてエルザに動揺の色が見えた。エルザがいくら長い歳月を経た強力な吸血鬼といっても、その知識はハルケギニアの中だけにとどまっている。

「それに、ハルケギニアの中に置いても実力者はまだまだ数多い。なにより、お前も知っているだろう? たった一日でトリステインの都を壊滅させたヤプールという悪魔のことを。そしてお前に力を与えたというロマリアも、用がすめばお前を処分できるからこそ力を与えたとは思わないのか? お前はそんな人知を超えた悪魔たちと、死ぬまでひとりで戦っていけると思っているのか!」

「ぐっ、くぅぅぅっ! だっ、黙れぇ! 数は力、数こそが最強よ。千の屍人鬼で足りなければ万の屍人鬼を、それでも足りなければ十万、百万の軍勢を私は作り上げる。この圧倒的な力に勝てるものなんていないわ」

 エルザは怒鳴り返したが、その声は明らかに震えていた。気づかされたからだ。強大な力を手に入れて舞い上がっていたが、もし自分よりも強い敵が現れたときには、自分を助けてくれるものなどどこにもいないということに。

 挫折感と屈辱で、怒りにエルザは肩を震わせた。だがそこへ、ティファニアが弱弱しい声で語りかけてきた。

「エルザ、もうやめましょう。こんなことをしたって、あなたは幸せになんてなれない。今ならまだやりなおせるわ」

「ちぃっ、まだ減らず口を叩く余裕があったの。私の半分も生きていないくせに、生意気なのよ」

「聞いて、あなたは強いものが弱いものを支配するのが自然の摂理というけど、自然の動物たちだって助け合いながら生きてる。この世界には、翼人と人間が助け合って生きている村もあるわ。なにより、ハーフエルフであるわたしが、人間とエルフが共に生きれるという証よ。強さは、それだけがすべてじゃない」

「だから何? だから人間と吸血鬼も仲良くすべきだと言うの? あいにくだけど、人間は私にとって食べ物なの。人間だって肉を食べるでしょう? 吸血鬼には飢えて死ねと言うの?」

 いらだったエルザは、ティファニアの首に手をかけて締め上げようとしてきた。しかしティファニアは屈さずにエルザに呼びかけ続けた。

「それは、あなたの言うとおり……わたしも、牛や豚のお肉を食べる。生き物はみんなそう。でも、動物は自分が生きるためを超える獲物を狩ったりはしない。エルザ、あなたがやってることは楽しみのためだけに動物を狩る人間や、食べきれもしないごちそうをゴミにする人間と同じ」

「黙れ、黙りなさい……」

「エルザ、あなたは吸血鬼は生きるために人間を狩らなければいけないと言うけど、それはただの言い訳じゃないの? あなたは家族を亡くした恨みを晴らそうとしているうちに、血を吸う楽しみのほうに取り付かれてしまったんじゃないの? 人間を憎むうちに、人間と同じことをやっても許されると自分を甘やかしてきただけじゃないの? 人間の醜いところを真似るのが、あなたの言う高貴な種族の正体なの!?」

「だぁまぁれぇぇぇ!!」

 怒りのままに、エルザはティファニアを床に叩き付けた。頭と体を強く打ち、ティファニアの意識が一瞬遠くなる。

 だが、ティファニアは気合を振り絞って意識を保ち、エルザの顔を睨み上げた。その決して揺らぐことのない強い視線に睨まれて、エルザの心にこれ以上ない屈辱感が燃え上がった。

「いいわ、もういい。あなたたちと話していると頭がおかしくなりそう。もう遊びは終わりだよ。一思いにみんな切り刻んで、残りの村の女の人たちも全員食い尽くす。それで私はこの忌々しい村からおさらばしてあげるわ」

 ついに我慢の限界に来たエルザは、手加減抜きでの虐殺命令を下した。すると、三百体の屍人鬼が圧力を増して突撃してくる。剣で抑えようとすれば剣を噛み砕きかねない勢いで迫り、魔法もまるでものともしない。

 そしてエルザはティファニアの首を掴んで持ち上げると、ベランダのふちに頭を押し付けて言い放った。

「ほら見なさい。ここから、おねえちゃんのお友達が血の池に変わっていくのを見せてあげる。後悔しなさい、お前たちが余計なことをペラペラとしゃべらなければ、まだ痛くない死に方ができたのにね!」

「やめてエルザ……これ以上暴力に身を任せたら、本当に戻れなくなってしまうわ」

「この期に及んでまだ人の心配? なめるのもいい加減にしてよね。私がか弱そうな幼子に見えるからそんなこと言うんでしょ? もし私がオーク鬼みたいに醜かったら、すぐ殺そうとするわよねえ。そうでしょう!」

 エルザは苛立ちに任せてティファニアを責め立てる。しかしティファニアの瞳の光は少しもぶれてはいなかった。

「違うわ。あなたは、わたしと同じ……わたしもあなたも、家族を人間に奪われて、人間から忌み嫌われる種族の血を受けて生まれてきた子。なら、わたしにできたことがあなたにできないはずはないわ」

「くぅっ、混ざり物が偉そうに……」

「だからこそよ! 人間も翼人もエルフも、命の価値に差なんかない。遠くない未来に、種族に関わらずにみんなが手を取り合う世の中がきっと来る! 吸血鬼だけが、闇に隠れて生き続けられるわけはないわ」

「黙れぇぇ!」

 必死に説得を続けるティファニアの言葉も届かず、エルザはティファニアを平手打ちした。だがそれでもティファニアの眼光は緩まず、ついにエルザは終局を彼女に向けて宣告した。

「あっはっは! 見なさいよ。おねえちゃんのお友達が、とうとう屍人鬼たちに捕まっちゃったねぇ。さあ、一番に食い殺されるのは誰かなぁ? そうだ、お友達の首をもぎとっておねえちゃんの前に並べてあげるよ。そうしたらおねえちゃんもわかるはずよ、どんなに饒舌にしゃべろうとも、力がなければ何もできないんだってねぇ!」

 エルザの言うとおり、銃士隊、水精霊騎士隊もすでに屍人鬼の群れに圧倒されて捕らえられてしまっていた。剣を奪われ、魔法を封じられて、誰にももはやなす術はない。みんな必死にもがいているが、もう何秒も持たないだろう。

「アリス、アリス! くそっ、貴様らやめろぉーっ!」

「やめて! やめてぇーっ!」

 ミシェルの首を狙う屍人鬼に飛びついて、アリスの悲鳴がこだまする。そのアリスにも多数の屍人鬼の牙が迫ってきていて、アリスの小さい体など血を吸われるどころか食いちぎられてバラバラにされてしまう。

「アリス、アリスーっ!」

 戦いを見守るしかできない村の娘たちも、涙を流しながら絶叫するが、その声はかつての肉親や友人には届かない。

 もう誰にも戦う力は残っておらず、虐殺の宴は数秒後に迫る。

 そしてエルザは、ティファニアの目の前に気を失ったメイナを連れてきて、その首筋に牙をあてがった。

「エルザ、なにをするの!」

「くふふ、これは罰だよ、おねえちゃん? 少しもったいないけど、あなたの見てる前でメイナおねえちゃんを殺してあげる。そしてたっぷり後悔して泣き喚いて! 自分には何も守れなかったと、血の海の中でね!」

 エルザの牙がメイナの喉元に迫る……その光景を、ティファニアは手足の自由を奪われて、無力感という鉛の空気に包まれながら見ていた。

 

 

”みんな、みんな殺されてしまう。わたしのせいだ、わたしが、エルザを怒らせてしまったから”

 

”結局、わたしはエルザの言うとおり、なにも変えることができなかった。わたしの言葉はエルザの心に届かなかった”

 

”わたしのやったことは間違っていたの? 心だけでは、言葉だけでは誰も助けることはできないの?”

 

”力がすべて、エルザはそう言った。けど、それが間違いだということはわたしは知っている。なら、心だけでも、力だけでも駄目なら?”

 

”教えて、お母さん……力と心、力と……ふたつで駄目なら、もうひとつ……? それは何? 教えて、わたしはみんなを助けたい”

 

”わたしたちがこれまで積み上げてきたものを、無にしたくなんかない! そのためなら、わたしはなんだってやるわ。だって、なんの力もないわたしには、みんなが教えてくれた、最後まであきらめない、この……”

 

”勇気ならあるから!”

 

 

 そのとき、奇跡が起こった。

 すべてが黒と赤に染められようとしたその瞬間、突如白い光が空間を満たした。

 

「グワァァァッ! 眩しいっ、なっなにがぁ!?」

 

 光をまともに受けてしまったエルザは、光を嫌う吸血鬼の本性のままに目を焼かれて、メイナを離して苦しんだ。

 それだけではない、光はそのまばゆさのままに村を照らし出し、光を浴びた屍人鬼と化した村人たちもまた、主人と同様に次々に倒れていったのだ。

「こ、これはいったい、どういうことだい?」

「この光は、まるで太陽だ……はっ! アリス、無事か」

「う、うん、大丈夫……この光、すごくきれい……お月様みたい」

 ギーシュも、ミシェルも、アリスも、食い殺される寸前の出来事だっただけに、わけもわからずに目を白黒させるしかなかった。

 しかし、屍人鬼たちを倒し、皆を救ってくれたこの光、この光がとても善いものなのはわかる。太陽のように暖かくて、月のように優しくて……そして、彼らは、この光を自分たちが見たことがあることに気がついた。

「思い出したわ、あれもこんなふうに空が闇に閉ざされたとき……テファが、彼女が奇跡を呼んだ」

 モンモランシーがつぶやくと、ルクシャナも微笑みながらうなづいた。

「ええ、闇に苦しめられてた精霊たちが喜んでる。テファ、またやったのね」

 光は満ち溢れて、吸血鬼の巣食う闇の世界は切り裂かれた。皆の顔に笑顔と希望が蘇って輝く。

 

 そして、光の根源。それはティファニアの胸元から放たれていた。

「この、光……もしかして」

 いつの間にか腕を縛っていたロープも解かれ、ティファニアは服の中から光の根源を取り出した。

「サハラでもらった、エルフの輝石……」

 そう、あの輝石がまばゆく輝き、この奇跡の光を生んでいた。

 光は明るく強く、しかし少しも眩しくはない。そしてティファニアも思い出した。アディールでのあの奇跡のことを。

 

 だが、心正しき者に対しては優しい光も、邪悪な吸血鬼に対しては激しく熱かった。

「ぎゃあああっ! 熱いっ、痛いぃぃっ! お前なにをしたあ。やめろ、その光をやめろぉぉっ!」

 エルザは全身から青い炎を吹き出して、もだえ苦しんだ。吸血鬼は光を恐れる、しかし、こんな熱くて強い光はこれまで見たことはなかった。

「イダイ、ガラダガァァァ! ヤゲルゥゥゥ! アァァァァーッ!」

 青い炎に焼かれながら、エルザはベランダの柵を乗り越えて、真っ逆さまに転落していった。

「エルザ!」

 転落していったエルザを追って、ティファニアはベランダの柵に飛びついた。

 しかし、そこにエルザの姿はなかった。それどころか、噴煙のように黒い煙が吹き上がり、その中からコウモリが亜人化したかのような巨大な怪獣が姿を現したのだ。

 

「うわぁぁっ! 怪獣だぁ! きゅ、吸血コウモリの怪獣だ」

 現れた怪獣を見上げてギーシュが叫んだ。さらに、ミシェルも戦慄を隠せずにつぶやく。

「あれが、あの吸血鬼の正体か」

 そう、これこそ吸血魔獣キュラノス。エルザたち吸血一族の血の中に隠れて、数千年のあいだ眠り続けていた美しき夜の種族の守護神。それが、色濃く先祖の血を受け継いだエルザの肉体を経て、ついに蘇ったのだ。

 キュラノスに変身したエルザはティファニアを見下ろして、その牙だらけの口から聞き苦しい声を放ってきた。

「おねえちゃん、よくもやってくれたねえ。痛い、痛いよ。もう、ロマリアもなにもかもどうでもいい! この力で、ハルケギニアもなにもかも破壊しつくしてやる。まずは、お前からだぁぁっ!」

 怒りにまかせて、キュラノスの翼と一体化した腕がティファニアに迫る。だがティファニアは不思議と、とても落ち着いた心地で居た。

「エルザ、あなたはわたしが歩むかもしれなかった、もう一人のわたし。だからわたしは逃げない、最後まであなたと向き合ってあげる」

 強い決意と揺るがぬ意思を瞳に宿らせ、勇気を胸にしてティファニアはキュラノスを見上げる。そして、その手にはいつの間にか輝石に代わって、スティック状の光のアイテム、『コスモプラック』が握られていた。

「わたしは世界を、みんなを、そしてエルザも救いたい! だから力を貸して、コスモース!」

 コスモプラックを天に掲げ、ティファニアは叫ぶ。その瞬間、コスモプラックの先端が花のように開き、まばゆい光が溢れ出した。

 光はティファニアを包み込み、さらに天空から暗雲を切り裂いて流星のような光が落ちてくる。

 そして、ふたつの光が一つとなったとき、再び青き光の巨人が、このハルケギニアの地へと降り立ったのだ。

 

 

 続く



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第32話  君の名は勇者

 第32話

 君の名は勇者

 

 吸血魔獣 キュラノス 登場!

 

 

「わたし、ずっとあなたに会いたかった。また……来てくれたんですね。ウルトラマンコスモス」

「それは違う……私を呼んだのは、ティファニア、君だ。君のどんなときでもあきらめない勇気が、輝石を通して私を再び導いてくれたのだ」

 光の中での再会。それは運命でも偶然でもなく、未来を信じる強い心が呼んだ奇跡であった。

 そう、奇跡はあきらめない人間のところにしか降りてこない。しかし、心を強く持ち、どんな困難にも立ち向かう勇気があれば、新たな奇跡を呼び寄せることもできるのだ。

 ただし、奇跡はただ起こすだけではいけない。奇跡を糧にして、なにかをやりとげることが大事なのだ。ティファニアはコスモスの作り出した精神世界の中で、心からの願いを込めてコスモスに訴えた。

「お願いコスモス、力を貸して。わたしは守りたい! わたしの友達を、みんなが生きるこの世界を、みんなといっしょに! そのための力が、わたしは欲しいの!」

「しかしティファニア、君が戦いに身を投じるということは、君を戦いに巻き込むまいとしていた君の仲間たちの思いを裏切ることになる。その、覚悟はあるのかい?」

「それでもいい! わたしだけ安全なところにいても、言葉も思いも届かないもの。それにエルザ、わたしもマチルダ姉さんや子供たちがいなければ彼女のようになっていたかもしれない。だからわたしは伝えたい。どんなに悲しくても、人を信じる勇気があれば世界は明るくなるということを! わたしは、人の心に勇気を伝えられる、そんな”勇者”になりたい!」

 ティファニアの叫びは、この時の彼女の精一杯の願いと覚悟を込めてコスモスに届いた。そしてコスモスは静かにうなづき、ティファニアとコスモスのふたつの光がひとつとなる。

 

 

 闇に包まれたサビエラ村。そこに立ち昇った光の柱が村全体を照らし出し、その光を目の当たりにした者たちは顔を輝かせた。なぜなら、彼らは見たことがあったからだ、この優しくも力強い光を。

 そして、光の中から現れる、青い体の巨人の姿。その勇姿を目の当たりにしたとき、疲れ果てていたはずの彼らは一様に元気に満ち満ちた声で、彼の名を叫んだ。

 

「ウルトラマン、コスモス!」

 

 そうだ、彼こそはウルトラマンコスモス。かつてアディールでのヤプールの超獣軍団との戦いの時に現れ、エースとともにEXゴモラを倒した、エルフの伝説に伝わっているウルトラマンだ。アディールでの戦い以来、姿を現すことはなく、もしかしたらこの世界を去ったのかもと思われていたが、ついに彼が帰って来てくれたのだ。

 コスモスは見とれている水精霊騎士隊や銃士隊の前にひざを付くと、手を下ろして一行の前にひとりの少女を横たえた。それは、エルザによって昏倒させられていたメイナで、一行は見知らぬ少女に困惑したが、彼女が瀕死なことに気が付くとすぐにモンモランシーが治癒の魔法をかけていった。

 それだけではなく、屋敷の中に閉じ込められていた村の娘たちも、屍人鬼たちが全員倒れたことで屋敷から飛び出して駆け寄ってきた。

「アリス! アリス、無事でよかったぁっ。どこもケガしてない? 痛くない?」

「うん、リーシャちゃん。大丈夫だよ、みんなも無事でよかったけど、怖かったぁぁっ!」

「メイナ! メイナしっかりして! ああ、あなたが屍人鬼たちに無理矢理連れて行かれて、もう駄目だと思ってた。貴族様、どうかメイナを助けてください」

「うるっさいわね、気が散るから黙ってなさい。これだけ体の中の水を失った人を治すのは骨なのよ……心配いらないわ、わたしたちがあきらめない限り、未来も決してわたしたちを裏切らない。ほら、見てみなさい。アリスが必死につむいだ希望がめぐりめぐって、これから吸血鬼のバケモノをやっつけるところをね!」

 モンモランシーが叫ぶと、一行と村の娘たちは一様に視線を上げた。そこには、佇むコスモスと、コスモスへと威嚇するようにうなり声をあげるコウモリ型の怪獣キュラノスの姿がある。

 両者の激突はもはや不可避。このとき誰もがそう思ったに違いない。

 

 だが、睨み合い、一触即発かと見えたコスモスとキュラノスの間には、声なき声での対話が交わされていたのだ。

 

〔ウフフ、ティファニアおねえちゃぁん。とうとうおねえちゃんもそんな姿になって、ようやく私を殺したくなったみたいだねえ。いいよ、どっちが強いか、存分に殺し合おうよ〕

〔エルザ、それは違うわ。わたしは、あなたと対等になって話したかっただけ。ウルトラマンコスモスは、わたしに戦う力をくれたんじゃない。わたしが望んだのは、みんなを守るための力。そして同時に、エルザ、あなたも救いたい。もう、暴力に身を任せるのはやめて、光を恐れるのではなくて、あなた自身の中にある光を信じて!〕

 テレパシーで、キュラノスの中にいるエルザと、コスモスの中にいるティファニアは言葉をぶつけあった。

 しかし、エルザの変身したキュラノスは、きれいごとはもうたくさんだと言わんばかりにうなり声をあげ、地響きを立ててコスモスに向かってきた。対してコスモスも片手の手のひらを相手に向け、アディールのときと同じように迎え撃つ。

「セアァッ!」

 鋭い爪の攻撃を手刀で受け止め、すかさずコスモスは両手のひらを使ってキュラノスを押し返す。しかしキュラノスは巨体に反して意外に素早い動きで再度コスモスを狙ってくる。

 しかし、単に力任せの攻撃であるのならば見切るのは容易だ。今のコスモスはティファニアと同化してはいるが、格闘の経験など皆無のティファニアのために、コスモスが直接戦っている。キュラノスの攻撃の先を読み、右に左に攻撃をさばいていく。

「シゥワァッ!」

 コスモスは、相手を押し返すだけの加減した蹴り『ルナ・キック』でキュラノスとの距離をとり、次いで仕掛けてきたキュラノスの攻撃の勢いを利用して、キュラノスの翼を掴むと、投げ技『ルナ・ホイッパー』で一本背負いのようにして投げ飛ばした。

 きりもみして宙を舞い、背中から地面に叩きつけられるキュラノス。しかし、キュラノスは紅い目をさらに血のように輝かせ、腹いせのように手近にあった家を踏み壊しながら起き上がってくる。

 さすがしぶとい。だが、奴も無闇に突っ込んでも無駄だということは理解したようで、村の段々畑を踏み荒らしながら機会をうかがっている。

〔クフフ、おねえちゃん、そいつ強いねぇ。でも、私も少しずつこの体に慣れてきたんだよ。たとえば、まずはこれを受けてみてよ!〕

 エルザがそう言ったとたん、キュラノスはコウモリのような巨大な翼を羽ばたかせて猛烈な突風を浴びせてきた。たちまち村の家々の屋根が吹っ飛び、荷車が宙に舞い、木々がへし折れる。

 村は一瞬にして、キュラノスが作り出した人工的な台風に呑まれたように暴風に遊ばれる。コスモスは足を踏ん張って耐えているが、人間たちはそうはいかない。ミシェルやギーシュたちは慌てて全員を地面に伏せさせて、ひたすら暴風から身を守った。

「くぅっ! なんて風だ」

「うわぁぁぁーっ! 飛ばされるぅーっ」

「ギーシュ! どさくさに紛れてひっつかないでよ!」

 体を起こしたとたんに木の葉のように飛ばされそうな突風に、一行は懸命に耐えた。見ると、村の娘たちも伏せながら必死に草を掴んで震えており、倒れていた屍人鬼たちが紙くずのように転がっていく。さらに、村長の家も引き裂くような音とともに屋根が飛ばされたのを皮切りに三階が吹っ飛ばされて、もしあそこに人が残っていたらと思うとぞっとさせられた。

 このままだと村が全滅してしまう。そう感じたティファニアは、コスモスに願った。

「セアァッ!」

 コスモスは、キュラノスの羽ばたきで一瞬風が弱まる瞬間を狙ってジャンプした。宙を舞い、キュラノスの頭上を飛び越えて反対側に着地する。キュラノスも、背後に跳んだコスモスを追って羽ばたきをやめて振り返る。

 今だ、今ならキュラノスの注意は完全にこちらに向いている。コスモスは真っ直ぐにキュラノスを見据えると、光のエネルギーを集めて両手を斜めに上げ、光の粒子を右手のひらから解き放った。

 

『フルムーンレクト』

 

 輝く光の粒がキュラノスの全身に浴びせられ、キュラノスの動きが止まった。

 沈静と抑制の作用を持ち、荒ぶる心を静めるコスモス・ルナモードを象徴する慈愛の光線。過去に多くの怪獣たちの命を救い、アディールでの戦いでも暴走するゴモラを静めたこの光が、エルザの心も落ち着かせてくれるとティファニアは信じた。

 だが。

〔クアハッハハァ! なにかなぁ今のは? そんなまやかしが、私に効くとでも思ったぁ?〕

 なんとキュラノスは沈静する気配もなく、牙の奥から聞き苦しい声をあげながら笑っているではないか。

「フルムーンレクトが効かない!?」

 戦いを見守っているギーシュたちから愕然とした声が漏れた。なぜだ? あの荒れ狂っていたゴモラも静めたコスモスの力がなぜ通じない?

 だが焦っている暇もなく、キュラノスはコスモスへと攻撃をかけてくる。爪だけでなく、翼が鞭のようにしなってコスモスを襲い、また奴はコウモリばりの身軽さを活かして、巨体に似合わないキック攻撃もかけてくる。エルザが、キュラノスの体に慣れ始めているというのは本当のようだ。

 コスモスはキュラノスの攻撃をさばき、隙を見ては押し返す。が、コスモスはキュラノスを倒すのが目的ではない。戦いをコスモスに任せつつ、ティファニアは必死でエルザに向かって呼びかけた。

〔エルザ待って! わたしの話を聞いて〕

 しかしティファニアの必死の呼びかけにも、キュラノスからはエルザの声は返ってこない。

 なぜなの! ティファニアは、自分の声が届いていないかと焦ったが、そこにコスモスが忠告してくれた。

〔今は呼びかけても無理だ。彼女は、自分の手に入れた力に完全に呑まれてしまっている。このままでは、君の声も彼女には届かない〕

〔そんな、それじゃどうすればいいの!〕

〔彼女が、自分自身だけが絶対だと思い込んでいるうちは、私の力も及ばないし、誰の言葉にも耳を貸さないだろう……自分が全てと、思い込んでいるうちは〕

 それ以上は、ティファニアにも言われなくてもわかった。彼女にも、だだを捏ねて言うことを聞かない子供を躾けるにはどうしなければならないかはわかっている。

 手を上げることは好まない……だけども、その相手を放置する限り、他者に被害を出し続けるのだとしたら、誰かがそれを止めなければならない。そうしなければ、何よりもその相手が救われない。暖かい言葉だけでは誰も救われない。傷つくことも、傷つけられることも恐れては、結局なにも守れはしない。

 ティファニアはコスモスの言葉を受けて、決断した。

〔コスモス、エルザを止めよう。わたしも、戦う!〕

 自分はこのために力を求めた、エルザと最後まで向き合って救うために。そのために、絶対に後ろに下がらない!

 コスモスはティファニアの意志を受け取ると、キュラノスとの間合いをとった。そして、気合を込めて右手を高く掲げる。

 

 刹那、コスモスの体を赤い炎のような光がまとった。さらに、燃え上がる恒星のコロナリングのような真紅の輪が無数にコスモスを中心に光り輝く。

 なんという熱く明るい光だ。世界は闇に包まれているというのに、まるでサビエラ村だけが真昼になったようだと誰もが思った。

 人々の見守る前で、コスモスの体が光の中で青から赤へと変わっていく。頭部も鋭角になり、戦いの力をつかさどるサニースポットが現れた。そして、光が完全に消えたとき、コスモスは優しさのルナモードから、強さをつかさどる第二の姿へとチェンジしたのだ。

 

『ウルトラマンコスモス・コロナモード』

 

 その身に燃え盛る炎のような真紅をまとわせ、戦うために拳を握り締めてコスモスは構えた。

「ハアッ!」

 勇ましさをかね揃え、戦いに望もうとするコスモスの精悍な姿に、ギーシュやミシェルたちは、あのアディールでの激闘の記憶を蘇らせた。ヤプールの超獣軍団とも戦えたコスモスなら、あの吸血怪獣も倒してくれるに違いない。頼むぞ、ウルトラマンコスモス!

 人々の声援を背に浴びるコスモス。対してエルザは、キュラノスはどこまでも孤独だ。しかし、ただひとりだけエルザを救おうとしている者の意志があったからこそ、コスモスはここに来た。

 皆の期待を背負って、コスモスは新たな戦いに望もうとしていた。その視線と拳の先にあるものは当然キュラノス。しかし、エルザは吸血鬼がもっとも忌み嫌うものを模したコスモスの姿に、果てしない憎悪を込めて叫んだ。

〔グゥゥゥ、太陽、太陽、太陽ォォォ! どこまでも、どこまでも私を愚弄する気なんだねぇ! いいよ、そいつもろともギタギタに切り刻んでやるぅぅぅ!〕

 怒りと憎しみのあまり、吼え猛るキュラノスの牙の間から唾液が飛び散る。すでにエルザは力に酔うがために、心もキュラノスと同化し始めていた。

 過ぎた力は人を狂わせる。宇宙のどこでも、そうして自ら破滅していった生命体は数知れない。ティファニアは、正気を失ってひたすらに力のみを求めるエルザに、彼女の精神の未熟さを感じた。

〔あなたは確かにわたしよりも長く生きてきた。けど、誰とも深く関わらなかったから、自分勝手さだけを育ててきてしまったのね。誰にも、大人になる方法を教えてもらえなかったから、自分しか信じれるものがなかったのね。エルザ、終わらせましょう。どんなに長生きしたって、それじゃずっとあなたは乾き続けるだけだよ。あなたが力という闇に引きこもり続けるなら、わたしはその闇を壊して光を届けてみせる!〕

 ティファニアも決意し、戦闘態勢をとったコスモスとキュラノスはついに激突した。

 地響きをあげて村の芝生を踏み荒らし、砂煙をあげながら両者はぶつかり合う。

「フゥン! デヤァァァッ!」

 一瞬の硬直、しかしコスモスは自分よりも体格で勝るキュラノスと組み合ったままで押し返していく。

 すごいパワーだ。さらにコスモスは容赦せず、村人たちから十分に距離をとったのを確認すると反撃に打って出た。

「ハアッ!」

 気合を込めた声とともに、コスモスのコロナ・キックがキュラノスの胴体を打ってよろめかせる。さらに、下から突き上げたコロナ・パンチがキュラノスの頭を叩くことで、キュラノスの思考を一瞬停止させた。

”こいつ! さっきまでの青い奴とはまるで違う!?”

 たった二発だけなのに、キュラノスは受けた攻撃の重さからコロナモードに変わったコスモスの強さを見誤っていたことを悟った。

 が、その動揺した一瞬の隙をコスモスは見逃さない。キュラノスの腕を掴むと、そのままひねるようにして投げ飛ばしたのだ。

「トアァァッ!」

 腕を軸に縦に一回転させられ、キュラノスは平行の感覚を奪われたまま地面に叩きつけられた。

 投げ技は格闘技の中でも強力なひとつだ。普通の打撃には動じない頑丈な奴でも、投げ技は相手の体そのものが武器となる上に、衝撃が体内に響き渡るために無事ではいられない。

 その強烈な一撃に、キュラノスの視界が一瞬白く染められる。だがキュラノスは、地に投げ出されながらも、仰ぎ見た空が自分のもっとも愛する色に染められているのを見ると、執念深く起き上がってきた。

〔グウゥゥ、夜、ヨル、闇、ヤミ。この暗く閉ざされた世界こそ、私たちの故郷、私たちの楽園、太陽なんてイラナイ! 全部黒く染めてやるゥ!〕

 闇への執着と太陽への憎しみを込めて、起き上がってきたキュラノスは大きく翼を広げた。

 また突風攻撃を仕掛けてくるつもりか? だがコスモスは素早く反応すると、投げつけるようにして指先から矢尻型の光弾を発射した。

『ハンドドラフト!』

 右手、左手と交互に発射された光弾は、キュラノスが突風を起こすよりも早く左の翼、次いで右の翼に命中して火花をあげた。自慢の翼を傷つけられて苦悶の声をあげるキュラノス。だが、キュラノスの翼は痛みは覚えはしたもののダメージは少なく耐え、それならばとジャンプして空中から翼で滑空してコスモスに迫ってきた。

「ショワッ!」

 間一髪、コスモスはバック転して空中からの突進をかわした。だがかわされたキュラノスの、その余った風圧だけで小屋が飛び、翼がかすっただけで家が吹っ飛んだ。

 なんて奴だ、あんなのに体当たりされたらコスモスもただじゃすまないぞと、ギーシュがその威力の高さに驚いて叫んだ。実際、空中からの攻撃はかなり有効な攻撃手段であり、キュラノスと同じく吸血怪獣であるこうもり怪獣バットンも、翼で空中を自在に飛びまわってウルトラマンレオを翻弄している。翼は単なる飛行するための道具ではなく、様々に応用が利く強力な武器であり、それを羽ばたかせることのできる筋力を持つ怪獣が弱いはずはない道理だ。

 もちろんコスモスも空中戦はできる。しかしコスモスはうかつに動き回れば村に被害が出てしまうので持ち前のフットワークを十分に活かすことができない。

〔アハハハ! 飛べるっていいねえ、誰かを見下ろすっていいねえ。受けてみてよ、私の熱いベーゼをさぁ!〕

 急降下で突撃してくるキュラノス。その攻撃がついにコスモスを捉えた。

「ノゥオオッ!」

 強烈な蹴りを受けてコスモスは地面に投げ出された。そこへキュラノスは馬乗りになって、今度は逃がさないとばかりに乱打を加えてくる。キュラノスの体重は四万六千トン、コスモスにとって決して跳ね飛ばせない重さではないが、狂ったように殴りかけてくるキュラノスの攻撃にさらされては思うようにいかない。

 まるでエルザの憎悪がそのまま噴出しているかのようだ。さらにキュラノスは巨大なかぎ爪状になっている手でコスモスの頭をわしづかみにして起き上がらせると、鋭い牙の生えた口を大きく開いてコスモスの肩に噛み付いてきた。

「フゥオオッ!」

 キュラノスの牙はコスモスの肩に食い込み、逃れようとしてもキュラノスはがっちりとコスモスの体を捕らえていて離れることができない。

 まさに、吸血鬼そのものの様相に、それを見ていた人間たちは一様に寒気を覚えた。しかし、単に噛み付くだけの攻撃ならば見た目が怖いだけだが、相手は吸血鬼だ、それで済むわけがない。苦しむコスモスと連動するように、カラータイマーが点滅を始めたのだ。

「血の代わりにエネルギーを吸ってるぞ」

 銃士隊員のひとりが戦慄してつぶやいた。

 まさに吸血怪獣の本領発揮。さらにキュラノスは十分にエネルギーを吸ったと判断したのか、コスモスを離すと、赤い目を輝かせてリング状の光線をコスモスに浴びせた。するとなんと、コスモスが酔っ払っているかのようにフラフラとよろめきだし、キュラノスが翼を振るに吊られるように右に左にと動かされているではないか。

「あいつ、屍人鬼のようにウルトラマンも操る気か!」

 まさにそのとおりだった。キュラノスはその牙で噛んだ相手を目から放つ催眠光線で操る能力を持ち、その力で持ってコスモスにとどめを刺そうとしていたのだ。

 いけない! いくらウルトラマンが強くても、自滅させられたのではたまらない。そう思ったとき、銃士隊や水精霊騎士隊の皆の口は考えるよりも早くその言葉をつむいでいた。

 

「がんばれー! ウルトラマーン!」

「負けるな、コスモス!」

「おれたちがついてるぞーっ! 気をしっかり持てーっ!」

 

 十数人の、がなりたてるのにも似た大声が暗闇の村に響き渡った。

 

「コスモスー、しっかりしてー!」

「あと少しだ! 気合入れろ!」

「がんばれー! 負けるなー!」

 

 誰もが、ウルトラマンを信じていた。そして、共に戦うことの大切さをよく知っていた。

 確かに自分たちには怪獣と直接戦う力はない。しかし、ウルトラマンを応援し、励ますことならできる。それもまた、立派な戦いなのだ。

 声をはりあげるミシェルやギーシュたち。対してキュラノスは、そんな彼らの声援を軽くせせら笑う。

〔バカな人間たち、ただ叫ぶだけでいったい何になるというの?〕

 催眠光線でコスモスを操り、転倒させてダメージを与えながらキュラノスは思った。

 だがそれでも、コスモスを応援する声は止まらない。いやむしろ熱を増して叫ばれる。

 それはなにもコスモスに対してだけではない。最初はコスモスがやられた姿を見て絶望感に震えていた村の娘たちも、声を張り上げる一行の姿を見ているうちにしだいに恐怖が和らいでいくのを感じて、そして戸惑っていたアリスに、ミシェルは優しくも力強い声で言った。

「さあアリス、いっしょにウルトラマンを応援しよう。ウルトラマン、がんばれって」

「おねえちゃん……?」

「ウルトラマンは、わたしたちのために頑張ってくれている。アリス、君はお父さんやお母さんがお仕事を頑張ってたら偉いなと思うだろう。その気持ちを伝えるだけでいい、ウルトラマンはきっと答えてくれる」

「うん……ウルトラマーン、がんばれーっ!」

 大きく息を吸って、吐き出すと同時にアリスの声援が加わった。小さな体で声を張り上げて、自分たちを守ってくれるもののために叫ぶ。

 さらに、そうしているうちに、ひとり、またひとりと村の娘たちも声援に加わっていった。皆が肩を並べて、ウルトラマンがんばれ、コスモスがんばれと声をあげている。気を失っていたメイナもその声で目覚めて、か細い声ながらも応援の輪に加わる。彼女も夢うつつの中で見ていたのだ。ティファニアが必死で自分のために戦ってくれたことと、彼女に与えられた大きな光を。

 

「がんばれーっ! 負けるなーっ! ウルトラマンコスモス!」

 

 数十人の声援が村に響き渡り、コスモスの背中を押す。

 その声を、ティファニアはコスモスの中から聞いていた。

〔みんなが、みんなが応援してくれている。みんなが希望を、未来を信じてる。コスモス、聞こえてるよね〕

 自分はひとりではない。どんなときでも仲間たちと、勇気ある人たちとともに戦っている。だから孤独じゃない、苦しくても仲間たちが力を貸してくれる。だからくじけない!

 そう、自分たちの信じてきたものは、決して間違ってはいなかった!

 新たな勇気を湧き起こしながら、コスモスの体に力が戻ってくる。

 

 だが、自分だけを頼みに人と交わらなかったエルザに向けられる声はひとつたりとてない。

 最初は無力な人間たちの愚かなあがきだと冷笑していたが、声は枯れるどころか益々強く大きくなっていく。しだいにエルザは苛立ちを感じ始め、それは心の中で大きくなっていった。

”なんなのよこいつらは? なんでこんなことを続けられるっていうの。バカじゃないの、バカ! 勝ってるのは私よ。お前たちも、この後すぐに八つ裂きにしてやるというのに、もっと恐怖したらどうなのよ!”

 自分は今、無敵の存在になった。これだけの力があればもはや敵はなく、唯一恐れる太陽も今や自分自身の力だけで闇を呼んで逃れることができる。まさに最強、しかも今この戦いに自分は勝利しつつある。

 そう、奴らに希望なんか残っているはずはない。にも関わらずに、この元気さはなんなんだ? しかも、さっきまで怯える一方だったアリスや村の娘たちまでもが表情を輝かせて叫んでいる。

 今までに血を吸い殺してきた人間たちは、死に直面すると恐怖し泣き喚き、それを眺めるのが最高の楽しみだった。だがこいつらは、逆に追い詰めれば追い詰めるほどに気力を増してくる。わからない、わからない、わからない。

「うるさい黙れぇぇぇ! お前たちから殺すぞぉ!」

 ついに耐え切れずにエルザは叫んだ。個性のない激情にまかせた怒鳴り声は、キュラノスの牙だらけの口から放たれることによって歪んだ不気味な声となって、声援を続けていた一行や村娘たちの喉を凍らせ、背筋に霜を降らせた。

 しかし、怒りにまかせて叫んだ一瞬の隙に、キュラノスはコスモスに向けていた催眠光線を切ってしまったのだ。それはまさに一瞬の断絶、だがコスモスにはその一瞬で十分だった。

「ヌゥン! デャアッ!」

〔し、しまった!〕

 コスモスは催眠から解き放たれて完全復活し、エルザは慌てるがもう遅かった。

 拳を握り締めて構えるコスモス。対してエルザは焦ってどうするべきか迷った。再び空中戦を挑むか、それともこのまま地上戦で相手をするべきか。

 半瞬ほどの葛藤の後、エルザは空中戦を選んだ。キュラノスは翼を広げて空へと飛び上がろうと羽ばたく。だが、その迷ったわずかな隙がキュラノスの反撃の機会を奪っていた。キュラノスが空中に飛び上がるよりも早く、コスモスは一気に助走をつけてキュラノスに向かって跳び上がると、エネルギーで全身を覆った状態でキュラノスの眼前で空中に静止、そのまま一瞬のうちに連続キックを叩き込んだのだ。

 

『コロナサスペンドキック!』

 

 右キック、左キック、左蹴り、右ストレートキックが一瞬のうちに叩き込まれ、キュラノスは大きなダメージを受けて地面になぎ倒された。

〔ウガァ! イダァ、イダァァイィ!〕

 巨体がまるで丸太のように転がされ、激しい痛みがキュラノスを襲い、エルザは苦痛にのたうった。

 なんて攻撃だ、いままでの攻撃とはまるで違う。まさか、いままではまだ本気を出していなかったというのか!?

 屈辱感がエルザの胸を焼く。なぜだ、自分はこの世のどんな吸血鬼にも勝る力を手に入れたはずだ。なのになぜ勝てない? 自問するエルザの心に、ミシェルから告げられた言葉が蘇ってきた。

「強さなんて空しいものだ。どんなに上げても自分より強い奴はいる。どんなに勝ち続けても、いつかは負けるときが来る。お前はそうなったとき、強者に自分の命を差し出して笑ってられるのか?」

 それはこれまで常に獲物を狩る側、強者として生きてきたエルザが、狩られる弱者の立場に追い込まれた瞬間だった。

〔私が、ワタシが弱い? そんなはずがないわ。私は無敵の力を手に入れたはず、どんな奴にだって負けるわけないのよ!〕

 焦燥に狩られてエルザは自分に言い聞かせるものの、誰もエルザのことを肯定してくれる者はいない。孤独を愛し、孤独と共に生きてきたエルザだったが、今や唯一の友である孤独でさえもエルザの味方ではなかった。

 だがそれでも、エルザは引くわけにはいかなかった。狩人として生きてきたエルザにとって、負けることは死を意味する。また、吸血鬼として、選ばれた者だというプライドや、人間ごときに負けたくないという意地、それらががんじがらめになってエルザの足を封じ、閉じた心は誰にも開かれない。

 求めるのはただ勝利のみ、それを得るために、エルザは理性を持たぬ獣に堕ちたかのように吼える。

 翼を広げ、キュラノスは再び突風を起こす体勢に入った。赤い目はさらに狂気の真紅に染まり、今度は村ごとなにもかも破壊してしまおうという自棄の意思が満ちている。

 

 しかし、もうこれ以上の破壊は許されない。確かにエルザの境遇に対して同情の余地はあるものの、自分の不幸を理由に他人を傷つけることは許されない。

 コスモスは両手にエネルギーを溜め、そのエネルギーを自分の体の前で巨大なエネルギーの玉へと収束させた。片足を上げて拳を握るコスモスの前で、エネルギーの玉は赤々と燃える太陽のように輝いている。

 これがこの戦いの最後の一撃だ。エルザ、君がすがる吸血王国の幻想を、この一撃で打ち砕く。コスモスはキュラノスの放つ風をものともせずに、地上の太陽のように輝くエネルギー球をそのままキュラノスに向かって投げつけた。

 

『プロミネンスボール!』

 

 エネルギー球は風を切り裂いてキュラノスに殺到し、逃れる間も与えずに炸裂してその身を紅蓮の炎で包み込んだ。

〔グアァァァッ! 太陽、タイヨウォォォォォ!〕

 決して日を浴びることのできない身が、太陽の灼熱の業火に焼かれる。その苦しみの中でエルザは悟った。

”クハハハ……しょせん吸血鬼は、太陽には勝てない定めなのね”

 どんなに夜に潜もうと、どんなに空を闇に包もうと、それは結局は太陽からの逃避でしかなかった。吸血鬼とはしょせん、その程度の存在でしかなかったのか。

 いままで頼ってきたものを打ち砕かれて、心が折れる音をエルザは聞いたようが気がした。なぜ自分がこんな目にあわなければならない? なぜ、どいつもこいつも人間ごときの味方をするんだ?

 ワカラナイ……自分はこのままここで燃え尽きて終わるのかと、エルザは思った。

 しかし、キュラノスが焼き尽くされる前に、エネルギーの炎は消えてなくなった。

 耐え切ったのか……? いや、そうじゃないわとエルザは気づいた。そして静かに立って、自分を見つめているコスモスを睨んで言った。

〔おねえちゃん……また、手加減したんだね〕

〔エルザ、もうこれで終わりにしましょう。暴力ですべてを解決しようなんて間違ってる。どんなにすごい力を手に入れても、あなたひとりでどうにかなるほど世界は小さくなんてない。奪い合うのではなくて、分かち合いましょう。あなたにもきっと、それができるわ〕

〔この期に及んで、まだ私に情けをかけようっていうの? 甘い、甘すぎるよおねえちゃん。いえ、今じゃおねえちゃんのほうがすごい力を手に入れたんだものねえ。どう? 勝者の気分は、いいものでしょう?〕

 荒い息をキュラノスはつきながら、中のエルザは吐き捨てるように言った。しかしティファニアは悲しげに答える。

〔よくないよ、わたしはあなたを傷つけたくはなかった。けど、あなたに話を聞いてもらうにはこれしかなかったの。それにわたしは……エルザ、あなただけを救いたいわけじゃない。この世界には、あなたと同じ吸血鬼がまだ大勢いるんでしょう? わたしは、その人たちともお友達になりたい。どんな種族でも、仲良くいっしょに暮らせる世界を作る、それがわたしの夢だから! だからエルザ、わたしはあなたとお友達になりたい〕

 一転して強くティファニアは訴えた。思いを、夢を、自分の気持ちを偽らずに素直な気持ちをエルザにぶつけた。

〔……くふふ、本当にどこまでも、バカのつくお人よしだねおねえちゃんは。あーあ、なんか本気で怒ってたのがバカみたいじゃない〕

 エルザは気が抜けたように、敵意を失った声で言った。キュラノスもだらりと腕と翼を下げ、攻撃態勢を解いた無防備状態でじっとしている。その落ち着いた様子に、ティファニアはようやく自分の声がエルザに届いたのかとほっとした。

 しかし……

〔だから、大っキライだっていうのよ〕

〔え?〕

 すごみのある声でつぶやいたエルザに、ティファニアはなんのことかわからずに唖然とした。だがエルザは、次第に重みを増していく声で訥々と告げていく。

〔エルザはね、三十年さまよったんだよ? 長かったなあ、三十年。救ってくれるっていうなら、なんでもっと早く来てくれなかったの? なんでエルザのパパとママが殺されたときに来てくれなかったの? ねえ、なんで?〕

〔そ、それは〕

 ティファニアは困惑した。答えられない、いや答えられるわけがない。だがエルザはティファニアのそんな困惑を楽しんでいるように続けた。

〔私が三十年に、何人の人間を殺したかわかってるの? 人間の法律に照らせば何百回死刑になっても足りないよ。ほかの吸血鬼だってきっとそう、生きるために何百人と人間を食べてるわ。それが、いまさら切り替えて食べ物と仲良くなんてできるわけないじゃない。なんにも知らないくせに、上っ面だけ見て言わないで〕

 ティファニアは反論することができなかった。事実であるからだ。三十年間屍の山を築き続けてきた者に、百八十度の意識転換をしろというのである。エルフに人間に対する誤解と偏見を解かせたときすらこれに比べれば優しい。

 それでもティファニアはあきらめることはしなかった。あきらめたら救えるものはいなくなる。それが、ティファニアがこれまでの旅で学んできたことだからだ。

 しかし、ティファニアが口を開くよりも先に、エルザは哄笑しながら彼女に告げた。

〔くふふ、あっはは。でもね、私は負けた。強い者は弱い者を好きにすることが出来るって、私言っちゃったからねえ。ただ、私は私だけのために生きるって昔に決めたんだ……ウフフ、あっはっははは!〕

 エルザが笑い始めるのと同時に、キュラノスの体が青白い炎に包まれた。まるで人魂のような、熱を持っているようにはとても見えない不気味な炎だが、その炎はキュラノスの全身を焼き尽くすように激しく燃え上がっている。

 あれは! まさか! ティファニアはエルザの考えに気がついて背筋を凍らせた。

 いけない! それだけは、やってはいけない!

〔エルザ! まっ、待って!〕

〔アハハハハハハ! バイバイ、おねえちゃん……〕

 その言葉を最後に、キュラノスはがっくりとひざをつくと、そのまま前のめりに倒れて爆発した。本物の赤い炎が黒煙とともに舞い上がっていき、キュラノスの破片が舞い散っていく。

「自爆……したのか」

 呆然としながらミシェルが短くつぶやいた。彼女たちにはティファニアとエルザの間の会話は聞こえてはいない。しかし、コスモスの一撃で大ダメージは受けたものの命は救われた吸血怪獣が、それをよしとせずに自らの命を絶ったのだけはわかった。

 キュラノスの巨体はわずかな残骸を残して消え、サビエラ村から危機は去った。

 だが、ティファニアの心には悲しみが渦巻いていた。

〔エルザ……うっ、うぅっ。わたしは、あの子を助けてあげることができなかった〕

 確かにエルザは多くの罪のない人を殺した残酷な殺人鬼だったかもしれない。しかし、彼女にも歪まなくては生きていけない事情があったのだ。殺すまでのことはなかった、なんとか説得して、誰かを殺すのではなく生かす生き方もあるのだということを知ってほしかったのに。

 ティファニアは胸の痛みに苦しんで、嘆く。そこへ、コスモスが優しげな声で言った。

〔ティファニア、君のやろうとしたことは間違ってはいない。それ以上、自分を責めてはいけない〕

〔でも、わたしは彼女の悲しみがわかってた。わたしも、もしかしたらエルザのようになっていたかもしれない。わたしが、わたしが助けてあげなくちゃいけなかった……それなのに、わたしはコスモス、あなたの力まで借りたのに、エルザを説得することができなかった。わたしのせいだ〕

〔ティファニア、私とて神ではない。私にも、救おうとして救いきれなかった経験が数多くある。だが、それは確かに悲しいことだが、それだけに目を奪われていてはいけない。君はこの場で、数多くの命を救った。あれを見てみなさい〕

 コスモスに促されてティファニアが目を向けると、そこには手を振りながらコスモスを見上げてくる仲間たちや村の娘たちの姿があった。

 

「ありがとう、ウルトラマンコスモース!」

「みんなを助けてくれて、本当にありがとうー!」

 

 手を振って笑いかけてくるみんなの姿を指して、コスモスはあっけにとられているティファニアに向けて話す。

〔君が強い意志で私を呼んでくれたからこそ、彼らを助けることができた。彼らを救ったのは、君だよティファニア〕

〔そんな、わたしなんて何も〕

〔いいや、君の活躍だよ。君がいたからこそ、私は働けた。そして、君に尋ねよう。君はエルザを救えなかったかもしれない、しかしそれで君はもう誰も助けられないとあきらめるのか?〕

 コスモスのその言葉に、ティファニアははっとした。そして、嘆いていた自分を恥じて強く言った。

〔ううん! この世界には、まだエルザのように悲しい生き方を強いられている人がいっぱいいるはず。わたしは、その人たちのためにこれからも戦いたい〕

 そう、この世に全能などはない。ウルトラマンや防衛隊にだって、救いきれない命はある。消防やレスキューだって、間に合わずに犠牲者を出してしまうこともある。しかしそれでも彼らは悲しみを振り切って次の現場へと向かう。なぜならそこに、次は救えるかもしれない命があるからだ。

 コスモスはティファニアの決意を聞いて、ゆっくりとうなづいた。

〔そう、それこそが真に人を救うということだ。そしてティファニア、この星とこの星に住む命を守るために、君の力を貸してほしい。私はこのままの姿では、この星に長くとどまることができない。だから、私の命と力を君に預けたい〕

〔コスモス……わかった、いっしょに戦いましょう!〕

 ティファニアの決意をコスモスは受け取り、ここにティファニアはコスモスはひとつとなった。

 

 そして、この戦いの最後の仕事が待っている。コスモスは皆を見下ろすと、コロナモードのチェンジを解いた。

 

『ウルトラマンコスモス・ルナモード』

 

 優しさを体現する青い姿のコスモス。そしてコスモスは屍人鬼となったままで倒れている村の人々へと、手のひらに穏やかな光の力を集めて、彼らに向けて優しい光を浴びせていった。

『ルナエキストラクト』

 邪悪なものを分離させる光線が、吸血ウィルスに犯されていた村人たちからウィルスだけを取り除いていった。

 村人から牙が消え、ただの人間に戻ったことがわかる。アリスたち村の娘たちは自分の家族や友人が人間に戻って生きていることを知ると彼らに駆け寄って吐息や鼓動を確かめ、涙を流して喜びにむせび泣いた。

「ありがとうウルトラマン、ありがとう!」

 村の娘たちの心からのお礼を受けて、コスモスはこの村での自分の役割が終わったことを確信した。空を見上げて、コスモスは静かに飛び立つ。

「シュワッ」

 コスモスは空のかなたに光となって消えていき、こうしてサビエラ村での吸血鬼事件は終わりを告げた。

 

 

 ただ、この村の事件は終わっても、ミシェルたち一行の旅はまだ終わらない。次の刺客が来る前に、一刻も早くトリステインに帰らなくてはならないのだ。

 

 

「もう、行っちゃうの? おねえちゃん」

 村はずれで、休む間もなく旅立とうとしている一行を見送りに来たアリスがミシェルに向けて言った。

 あれからすぐに、戻ってきたティファニアとも合流した一行は、そのまま旅立つことを決めた。なごりは惜しいし疲れも癒したかったが、ここにいてはまたサビエラ村が戦いに巻き込まれるかもしれなかったからだ。

 村の男たちは、まだ気を失ったままでいる。それでも一行の旅立ちを、アリスだけでなく村の娘たちのほとんどが見送りに来てくれた。

 しかし急な別れに、せっかく仲良くなれたのにと、アリスは半泣きになっている。そんなアリスに対して、ミシェルは寂しそうにしながらも優しく笑いかけた。

「ごめんな、おねえちゃんたちは急ぎの旅の途中なんだ。でも、わたしたちは君のことを忘れない。サビエラ村を救うために力いっぱいがんばった、勇者アリスのことをね」

「勇者? わたしが、勇者?」

「そうさ、君だけじゃない。ここにいる者はみんな、勇気を振り絞って力の限り戦った勇者さ。君や、わたしたちみんなが頑張ったから吸血鬼をやっつけられた。紛れもなく、君たちは勇者さ」

 ミシェルの言葉に、アリスだけでなくメイナや村の娘たちも照れくさそうに笑った。

 皆が、勇者。その言葉は、自分たちが吸血鬼に狩られるだけの脆弱な生き物だと思っていた村の少女たちの胸に、新しい熱い炎を灯したのだ。

 ただそれでも、一行がいなくなることで不安を覚えるのも確かだ。重傷の身をおして見送りに来てくれていたメイナが、心細そうに言った。

「皆さん、本当にありがとうございました。けど、あなた方がいなくなった後で、またエルザのような奴がやってきたらと思うと……」

 その一言に、アリスや村の娘たちに戦慄が走った。無理もない、友達だと信じていたエルザに裏切られたアリスやメイナたちの心の傷は大きい。ティファニアは、エルザを救いたいとは思ったけれども、やはりエルザの悪行が残した爪痕の深さを思ってなにも言えず、その前で 村娘たちは顔を見合わせて不安をぶつけあった。

「どうしよう、もう一回あんな妖魔がやってきたら今度こそ村はおしまいだよ」

「これというのも、村長さんがよそ者の子なんかを連れ込んだからよ。やっぱり、身元の知れない奴なんかを入れちゃいけないのよ」

「そうね、男の人たちが起きたら、よそ者は絶対に入れないって決まりを作ってもらいましょう。よそ者なんか信用しちゃダメなのよ」

 村娘たちは不安と恐怖から、まるでカメが甲羅の中に閉じこもるように、冷たい壁を外に向かって張り巡らせようとしていた。

 だが彼女たちの閉鎖的な言葉は、それを聞くギーシュたちの胸にも寒風を吹かせた。気持ちはわかる、多くの犠牲者も出ているのだから、これ以上の犠牲を出さないためにも村の防備を固めたいと思うのは当然だ。しかしそれでは、いずれサビエラ村は外敵によらずとも、本当の意味で駄目になってしまうだろう。ギーシュたちはそのことを経験からなんとなく察したけれども、それをどう伝えればいいのかわからずに、口をもごもごさせることしかできない。

 アリスもまた、エルザから受けた心の傷と恐怖から顔を曇らせている。幼い彼女には、まだどうしていいのかわからなくても、殺気立つ村娘たちに共感しているところはあるようだ。

 そのときである。ミシェルが、アリスの両肩を持つと視線を合わせて、ほかのみんなにも聞こえるようにして穏やかに話しかけていったのだ。

 

「アリス、わたしたちが村から去る前に、ひとつだけおねえちゃんと約束してほしいことがあるんだ」

「約束……?」

 

 ミシェルはアリスがうなづいたのを見ると、ゆっくりと言葉をつむぎはじめた。

 

「優しさを失わないでくれ。弱いものを労わり、互いに助け合い。どこの国の人たちとも仲良くなろうとする気持ちを失わないでくれ……たとえその気持ちが、何百回裏切られようとも」

 

 ミシェルは語り終わると、アリスの小さな手を自分の両手で包み込むようにして握り締めた。

「優しさを、失わないで……?」

「そう、おねえちゃんの一番大切な人が教えてくれた言葉さ。なあアリス、今回、災いは村の外からやってきた。きっと、これからもやってくるだろう。だけど、わたしたちも外からやってきたんだ。外の世界には災いだけじゃなくて、喜びや、驚きや、新しい友達になれる人もいっぱいいるんだ」

「新しい、お友達? たとえば、おねえちゃんみたいな?」

「ああ、わたしとアリスは友達さ。だからね、村の中にいれば安全かもしれない。だけど、それじゃほら穴に隠れて過ごすアナグマといっしょだ。君たちは人間だろう? だから、どんなときでも人間らしく生きることを忘れないでくれ。そうすれば、また悪い奴が来たときでも、きっと君たちを助けてくれる人がやってくる」

「おねえちゃん……わかった。わたし約束する! どんなときでも、人間らしく生きるって」

 アリスはミシェルに誓い、ミシェルは力強く宣言したアリスを優しく抱きしめた。

 そして、ふたりの誓いは殺気立って村の鎖国化を考えていた村の娘たちの心にも深く刺さり、たった今までの自分たちの言動を恥じさせた。

「そうね、わたしたちは人間だもの。あの吸血鬼みたいに、見た目だけ取り繕った悪魔になっちゃいけないわ」

「ええ、考えてみたら、こんな小さな村で閉じこもっても、遠からず人が絶えて滅んでしまうわ。よそ者をよそつけないんじゃなくて、よそ者が悪い奴かどうかを見分けられるように、わたしたちが賢くならなきゃいけないのね」

「外の世界か、そういえばわたしたちはサビエラ村からほとんど外に出たことはなかったわね。お父様たちが禁止してたからだけど、外にはあなた方みたいな素晴らしい人もいるのね」

 狭い村の中だけではなく、大きな外の世界へと目を向ける。それは若い娘たちにとって新鮮な驚きであり、喜びであった。

 すでにこの中には、家族を説得して村の外に出てみようと考え始めている者も多い。それらはきっと、大変な反対に合うだろうが、いずれ若く強い力が勝つに違いない。

 そうだ、人生は旅であり、旅とはより遠くへ、より多くのところへ行ってこそ価値がある。

 サビエラ村はいつしか歩くのを止め、旅をあきらめてきた。しかし歩かなければ疲れはしないが、食は細り、体は衰えて、やがて滅んで忘れられていく。だがサビエラ村にはまだ、遠くへと歩こうとする若い息吹が残っていた。この息吹が育っていけば、外から新しいものを持ち帰り、サビエラ村が活気を取り戻すことも不可能ではないだろう。

 

 アリスと村の娘たちの心に光の誓いを残し、とうとう一行が村を後にする時が来た。

 ギーシュたちは先に去っていき、最後にティファニアとミシェルが残って、アリスとメイナに別れを告げる。

「さようならティファニアさん。わたし、あなたに救われた命を大切にしていきますね」

「メイナさん、それはわたしも同じです。さようなら、わたしの新しいお友達。また、会いましょうね」

 ティファニアとメイナは最後に固く握手をかわし、ティファニアは小走りで皆の後を追いかけていった。その懐の中には、コスモスから預かったコスモプラックが静かに眠っている。

 そしてアリスとミシェルも。

「さようならおねえちゃん。また、会えるかな」

「ああ、信じれば叶わない夢なんかないさ。そうだ、これをアリスにあげよう」

 ミシェルはアリスの手をとると、その中にトリステイン王家の紋章をかたどったワッペンを握らせた。

「これって?」

「銃士隊、トリステイン王国軍の王家直属親衛隊の証だ。わたしは、その副長ミシェル。アリス、君の勇敢な働きに敬意を持って、これを預けていこう」

「トリステイン王国の……? お、おねえちゃんって、本当にすごい人だったんだね。ねえ、おねえちゃん……わたしも、おねえちゃんみたいに強くなれるかな?」

「それは、君の努力しだいだな。わたしたちも、最初からすごかったわけじゃない。いろんな戦いで武勲を立てて、それを女王さまが認めてくれるまでは長かった。だけど、今トリステインでは女王陛下が、実力さえあれば平民でも騎士にでも貴族にでもなれるようにしてくれている。実力と、努力しだいでね」

「平民でも、騎士や貴族さまになれるの!」

「ああ、これからは自分がなりたいものを決めるのは自分自身だ。もちろん、困難や挫折も数多い。しかし、夢を見て努力し続ければ、未来は決して人を裏切らない。覚えておけ」

「うん、わかったよ。おねえちゃん!」

 強く目を輝かせたアリスに、ミシェルは優しく微笑んだ。

 

 そして、ミシェルも踵を返してサビエラ村を去っていく。

 さようなら、小さいが勇敢な人々の住む村よ。ほんのわずかな間だったけれど、この村では多くのことを学ぶことができた。

 後ろ髪を引かれる思いをしながら、振り返るまいと自分に言い聞かせてミシェルは仲間たちを追っていく。

 ところが、ミシェルが村の入り口の門に差し掛かったときである。彼女の背中から、アリスの元気に溢れた声が響いてきたのだ。

 

「おねえちゃーん! わたし、毎日畑仕事を手伝って力をつける。そして大きくなったらトリステインへ行くから、じゅうしたいの仲間に入れて! わたしは強くなって、村を守れる騎士になりたい!」

 それは、辺境の平民の子に生まれて、決まりきった運命しかないと教えられてきたアリスが初めて自分の”夢”を叫んだ瞬間だった。

 だがミシェルは振り返らない。振り返ってしまえば、目じりから溢れるもので濡れた顔を見られてしまうから。その代わりに、ミシェルはアリスに負けないくらい大きな声で答えた。

「銃士隊の訓練は厳しいぞ! たくさん食べて、早く大きくなれ。待っているぞ、成長した勇者アリスの姿を見られる日をな!」

「はい! 必ず、必ず行くからねーっ!」

 アリスの誓いに見送られ、ミシェルはサビエラ村を後にした。

 

 村から離れ、街道に出ると、そこには仲間たちがミシェルを待っていた。

「待たせたな、さあ行くか」

 目指すはトリステイン王国トリスタニア。そこを目指す一行の先頭に立って、ミシェルは雄雄しく一歩を踏み出した。

 すでにその目に涙はなく、すがりついて甘える弱さもない。この事件が起きる前とでは別人のようになったミシェルがそこにいた。

 だが、ミシェルは本当に才人のことを振り切ることができたのだろうか? ひとりの銃士隊員が恐る恐るながら尋ねると。

「あの、副長。副長はその、サイトのことを……」

「生きてるさ」

「えっ?」

「サイトが、あいつが簡単にくたばるはずがない。地の果てか、違う世界か……どこにいようと、サイトは必ず帰ってくる」

 確信を込めてミシェルは言い放った。

 しかしどこにそんな根拠が? そう尋ねると、ミシェルは空を見上げて言うのだった。

「帰ってくるさ、だってサイトはウルトラマンなんだから。もし帰ってこないのなら追いかけるまでさ……わたしもウルトラマンになって、星のかなたまででもね!」

 胸を張って言い放ったミシェルの目には、必ずまた会えるという確信の炎が燃えていた。それは妄信? 狂信? いや、ただひたすらな愛だけが彼女の瞳には宿っている。

 皆は、そしてティファニアは、ひとりの人を一途に愛するということが、これほどまで人を強くするのかと思い、自分の胸も熱くした。

 

 

 勇者たちの活躍によってロマリアの野望の一端は砕かれた。だが、闇の勢力の手はまだハルケギニアに強くかかっている。急げ、勇敢な若者たちよ、君たちの故郷は君たちの帰りを待っている。

 

 

 続く



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第33話  暗殺指令 賞金首はあのコッパゲ!?

 第33話

 暗殺指令 賞金首はあのコッパゲ!?

 

 海凄人 パラダイ星人 登場!

 

 

 今、世界が危機にさらされていることは、すでに万人の知る普遍的な常識となりつつある。

 始祖ブリミルによってハルケギニアの基礎が築かれてから六千年の間、この世界はエルフとの抗争を別にすれば内側での小規模な争いだけで平穏を保ってきた。

 しかし、時代は急激にかつ逆流のしようのない強さで動く。ヤプールの襲来をきっかけにして、銀河の辺境の惑星でしかなかったこの星の存在が、次元を超えた宇宙にさえ知れ渡ってしまったのだ。

 貪欲な侵略者たちが、地球と同じ美しさを持ちながらも文明レベルではるかに劣るハルケギニアに目をつけないはずはない。数々の凶悪星人が現れては猛威を振るい、人々はその絶大な力に危機感を募らせてきた。

 そう、ただでさえハルケギニアの多くの人々は、東にはエルフ、内には山賊やオークという避けがたい恐怖との並住を強いられているというのに、そこにさらなる重みが付加されるとあってはたまったものではなかった。

 人間は生きている限り、恐怖からは逃れられない。その恐怖を和らげるためにハルケギニアの人々が頼るものこそ、始祖ブリミルの残した教えであるブリミル教であり、人々はその教えにすがり、日々を懸命に生き延びようとしている。

 

 では、そのすがりつくべき人々の心の支えこそが、人々に対して悪意を抱いていたらどうだろう? 天上に仰ぐ白い羽を持った天使の衣の下に、黒くとがった尻尾が隠されていたらどうだろう?

 ハルケギニアに脅威が迫っている。それは事実としても、人々の知る脅威は今や、虚と実のふたつに分かれようとしていた。

 

『空が闇に閉ざされてしまったのはエルフの仕業である! 彼らは聖地を奪い、聖地の力を利用して人間を滅ぼそうとしているのだ。今こそブリミル教徒たちは団結し、エルフを打ち倒すべし!』

 

 天使が降臨したあの日から、このスローガンが放たれておよそ一月。聖戦を呼びかける声はハルケギニアの津々浦々に響き渡り、怒涛を生むカウントダウンに入っているように思えた。すでにガリアでは無能王転じて英雄王ジョゼフの下で全面参加が公表されて、ほかの国々でも協議が続いているが、教皇の大命に対しては抗いがたく時間の問題と思われている。

 そして、その中心こそがロマリア。いまや、全世界の注目の中心ともいえるブリミル教の総本山にして、救世主ヴィットーリオ教皇聖下のおわす場所。現在では都中が熱狂に包まれ、各国から集まってきた義勇兵がロマリア軍の門戸を叩き、街中に溢れていた浮浪者たちまでもが武器をとってエルフ討つべしと気勢をあげている。

 しかし、このロマリアこそが世界を闇に包み込み、破滅へと導こうとしている中心であることに人々は気づいていない。

「どうやら、あなたの可愛い吸血鬼は失敗した様子ですね」

「申し訳ありません。彼女自身はなかなかよく働いてくれたのですが、まさか新たなウルトラマンがやってくるとは。僕の想定が甘かったようです」

 大聖堂の奥の間で、ヴィットーリオが神妙な面持ちをしているジュリオに対して言うと、ジュリオは頭を垂れて謝罪した。

 彼らはすでに、先日サビエラ村で起きた戦いの詳細を掴んでいた。吸血魔獣キュラノスと化したエルザの力があれば、万一にも連中を逃すことはないと確信していたが、キュラノスは駆けつけてきたウルトラマンコスモスに敗北し、連中は全員無事で、虚無の担い手であるティファニアの奪取にも失敗した。ジュリオの目論見は完全に外れたのだった。

 しかしヴィットーリオはジュリオを責めるわけでもなく穏やかに対応し、微笑んでさえ見せた。

「あなたのせいではありませんよ。そのような事態まで想定して行動できるのは、それこそ神くらいしかいないでしょう。それで、そのエルザという吸血鬼はその後どうしました?」

「怪獣化して自爆しましたが、もし爆発の直前に怪獣体を捨てて吸血鬼の姿に戻っていたら生存の可能性はありました。しかし、その後サビエラ村の周辺を調査させましたが、彼女の死体も発見できませんでした。恐らくは、本当に自爆して果てたのだと思われます」

「そうですか、この汚れきった世界を浄化するための同志として期待していたのですが残念ですね。しかし次なるウルトラマンの登場とは、どこの世界でも現れて我らの邪魔ばかりしてくる。計画を少々修正する必要がありそうですね」

 ヴィットーリオは沈痛な面持ちで考え込んだ。彼らにとって、現状は有利であってもいつまた何かのきっかけでひっくりかえらないとも限らない。想定外の要素が出てきた今、可能な限り周到で用心深くあって損はない。

 そう、すべては愚かな人間たちによって荒らされゆく一方であるこの星を救い、そしてこの星で蓄えた力を持って、かつて救済に失敗した別次元のあの星へと再び行くためにある。長い年月をかけて用意してきたこの計画に失敗は許されないのだ。

 恐らくは、今後ロマリアをどう動かしていくのかを思案しているヴィットーリオに、ジュリオは確認するように問いかけた。

「ですが、虚無の担い手を含む一行がトリステインにたどり着くにはまだ少々の時間があります。さらなる追っ手をかけてもよろしいでしょうか?」

「いえ、それには及びません。私はあわよくば、あなたの僕に追い詰められることでティファニア嬢が新たな虚無に覚醒することを期待していましたが、生命の危機に瀕しても彼女に新たな虚無は目覚めませんでした。ここで無理に我々の手に入れても持て余すだけでしょう。強引にさらうのは最後の手段で十分です」

「わかりました。では、もうひとつのほうの工作もそろそろ始まりますが、そちらも変更なさいますか?」

 ジュリオが話題を変えると、ヴィットーリオはふむと考えてから答えた。

「あの船、オストラント号への刺客のことですね。私の記憶が確かならば、ガリアのシェフィールド殿から推薦された、暗部を請け負う騎士さまたちだとか。そちらはそのまま進めてよろしいでしょう。我らにとって益にならぬとわかりきっている方々には、早々に消えてもらって間違いはありません」

「同感ですね。あの船のクルーはこの世界のレベルを大きく超えた科学技術を手に入れて、異世界に対する概念も覚えてしまっています。捨て置いて、妙なことを触れ回られては危険でしょう。人間を相手にするのには、やはりその道の人間が一番です。暗殺という手段は、この世界の権力者にとって常套手段ですから」

「同族で血で血を洗う争いを何千年も続ける。人間とはなんと愚かで醜い生き物なのでしょう。しかし彼らも、自分たちの技術が世界の救済に役立つとなれば本望でしょうね。事が終わった暁には、彼らのために祈るとしましょうか、人間の歴史を終わらせるために活躍した人間の英雄に対してね」

 ヴィットーリオはジュリオと意見が一致すると、暗い笑いを浮かべた。人間をハルケギニアから消し去るために人間が活躍する、なんと滑稽なことではないか。暗殺者がどこの誰かは知らないが、仕事を終えて大金を手にした彼は、遠からずその功績を誇らしげに吹聴することができるだろう。ただしその相手は酒場の店主に対してではなく、一銭もいらずに聞いてくれる地獄の悪鬼たちに対してであるが。

 人間とは、本当になんと愚かなのであろうか。しかし滅びる前に、もう少しくらいはいい夢を見させてあげようと、ヴィットーリオはそれでこの話を打ち切って公務に戻った。表向きの教皇としての仕事も多岐に渡り、ジョゼフのように大臣たちに任せて遊んでいるわけにはいかないのである。

 ふたりがこの話題に費やした時間はざっと五分ばかり。ジュリオも報告を終えると、またなんらかの暗躍をするために立ち去っていった。

 しかし彼らは決して軽く考えていたわけではない。このハルケギニアにおける暗殺の歴史は古く、長い。政争においては、ひとつしかない権力の座をめぐっての奪い合いなどは日常茶飯事であり、その手段の正当性などには関わらず、勝者、つまり生き残った者がすべてである。そのため、血を分けた肉親たちでさえ当たり前のように相手の首を狙い、歴史の影で暗殺者たちは常に牙を磨き続けてきた。

 それはこのロマリアも例外ではなく、教義に反する者は異端者としてあらゆる方法で排除してきた。神の祝福を受けた聖なる都でありながら、ロマリアの歴史の血生臭さは貴族たちに勝るとも劣らない。それをヴィットーリオは知り尽くしているために、並みの人間が暗殺という手段から逃れることがいかに困難かを熟知しており、まして刺客はあのジョゼフの配下として暗躍してきた北花壇騎士団の人間だという。狙われた人間が生きていられる可能性ははなはだ低いと考えても当然のことである。

 

 果たして、ジュリオが放った暗殺者とは何者なのであろうか?

 

 人間の運命は、本人と大勢の人間の意志と行動が複雑に絡み合ってできている。が、人は己の預かり知らぬところで自分に関わることが起きていても、それを感知することはできない。

 だからこそ、人生は一寸先は闇であり、人は未来を恐れる。だが、先行きの保障された人生になんの喜びがあるだろうか? そこが矛盾であり、矛盾を内包しているからこそ、人はその歪みの中から善悪美醜様々なものを作り出してきた。それを、ロマリアは今、ひとつの方向へと強制的に動かそうとしている。

 人間という不完全なものを排除した世界。それは神の領域である”完璧なる世界”であり、アダムとイブが去った後のエデンの園とでも言えばよいか。

 しかし、知恵の木の実を食べたのは人間だけではない。この宇宙には無数の生命ある星が存在し、そこにはさらに無数の知恵ある生命が息づいている。そしてそれらの星の中には、元は楽園のような星であったのに、知的生命体の文明の暴走で滅んでしまったものも数多い。

 はたして知恵とは、生命自身を滅ぼす毒なのだろうか? だがなぜ完璧で美しいはずの自然から、絶えずに知恵ある生命が生み出され続けるのであろうか? それは恐らく、滅亡のリスクを背負ってでも得なければならないものがあることを、生命は進化の過程で理解しているからなのだろう。

 もし、アダムとイブが知恵の実を食べなければ、人は永遠に楽園にいられた。しかし、もしも楽園になんらかの拍子に一匹の悪鬼でも忍び込んだら、知恵なき人間ではなにもできずに餌食にされ、楽園も奪われていた。しかし、楽園から追われた人間たちの子孫は知恵を使って、悪鬼の襲撃や過酷な自然の試練を乗り越えてきた。

 そう、知恵とは力であり自立の象徴なのだ。知恵があるからこそ、人間は楽園とは程遠い外界で繁栄を手に出来た。

 しかし、人の繁栄を快く思わない者もいる。この場合に例えるならば、そう、神だ。神は完璧なる世界を愛し、己の定めた禁忌を破った人間を追放した。神話の世界であれば神は絶対善であるからそれでよいが、今この現実の世界において神を僭称する者たちの善はいったい誰が保証するのだろうか? 本物の神であれば恐れる必要などない。だが、偽者は自分たちを守る嘘のヴェールが破られるのを恐れる。そして嘘をあばくものこそが、人の知恵だ。

 その知恵を持つ者がトリステインにいる。既存の常識に囚われず、ハルケギニアの基準を大きく超える天才が。

 

 

 物語はここで、今回の舞台となるべき場所へと転換する。

 トリステイン王国の誇る巨湖、ラグドリアン。この湖からつながる大河を下ったところに、巨大な造船所を持つ工場街がある。そう、東方号の母港である。

 かつてこの町でユニタング、バキシムが暴れた傷跡は、まだ郊外の破壊された倉庫街に生々しい。しかし、街そのものは現在なお活気を呈して、明日のトリステイン軍の主力艦を作るために動いていた。

 溶鉱炉に炎と風を送るためのふいごの音が鳴り、巨大な鉄板を裁断するゲルマニア製の金属裁断機が轟音をあげて動く。たとえ空が闇に閉ざされたとしても、彼らは仕事を常と変わらずに進めている。決して無神経やあきらめというわけではなく、彼らは自分の仕事がトリステインにとってどれだけ重要な仕事なのかを自覚しているからだ。

「滑車回せーっ! ノタノタするなーっ! 怠けようなんて奴は、三度のパンとワインを与えてくれる女王陛下に申し訳ないと思え!」

 威勢のいい掛け声が響き、工作機械が歯車の音をけたたましく鳴らして動き続ける。それを扱う人間にも、疲れの色はあっても不安はない。

 自分のやるべきことを心得ている人間は少しのことでは動じない。世の中に異変が起きたなら、それに対処するべき役割の人間は別にちゃんといる。なら、自分たちはうろたえずに日々の仕事をこなせばいいと考える。ガリアでリュティスの人々がこの世の終わりだとパニックに陥っていたのとは対照的だが、それは国のトップであるジョゼフとアンリエッタへの信頼度の差がそのまま表れたものと言える。

 そして、この街で今現在もっとも目立つものと言えば、もちろん帰還してきた東方号である。桟橋に係留してあるとはいえ、ハルケギニアのいかなる船はおろか建造物より巨大な鋼鉄の巨艦の威容は、それを見るすべての人に畏怖の念を抱かせずにはいられない。

 東方号は今、以前の旅のなかばでメルバに襲われて負った損傷をほとんど癒して、再度の出撃がいつあってもいいように備えていた。

 しかし、意外なことに東方号の親とも呼べるコルベールの姿は現在東方号にはなかった。コルベールがいたのは、東方号のつながれている桟橋からやや下ったところにある桟橋で、そこにある船に足を運んでいたのだ。

「いやあ、何度見てもすごい構造だ。こんな緻密な作りをした船はこれまでに見たこともない。まったく、サイトくんの故郷のものはどれもこれも興味深いなあ」

 子供のようにはしゃいだ声でコルベールは、その船をいろんな角度から見たり、手で触ったりしていた。しかし、そんなコルベールを見て呆れたようにつぶやく少女の声があった。

「ミスタ・コルベール、好きなのはよろしいけど、よくもまあ毎日毎日おんなじことを繰り返して飽きないものですわね」

「ん? おお、これはミス・クルデンホルフ殿、いらしていたんですか。言っていただければ、研究資料を持ってこちらからお尋ねいたしましたのに」

「あなたのお話は始まれば終わらないではありませんの。このあいだだって、研究会で説明が長すぎてエーコたちが伸びてしまったのをもうお忘れかしら?」

 どうしようもないな、というふうなあきらめを含んだ声が、金髪をツインテールにした小柄な少女の口からコルベールに向けられた。

 ミス・クルデンホルフと呼ばれた彼女の名前はベアトリス。東方号のオーナーである大貴族クルデンホルフ家の一人娘であり、現在はコルベールの後ろ盾をしてくれている。

 そう、あの東方号建造をめぐる戦いにおいて、大きな役割を果たしたあのベアトリスだ。彼女は今年度のトリステイン魔法学院入学を控えていたが、学院の長期休校が決まったことで、今でもこの街で東方号の面倒をコルベールと見ていたのだ。が、最近はコルベールの技術者バカぶりにやや振り回されぎみで、今日も東方号の工事の進捗状況を確認しに来たのだけれども東方号には不在だと聞いて、またか、といった感覚で仕方なくここまで足を運んで来ていたのだった。

「ほんとに、未来のクルデンホルフ大公国女王を引きずりまわすとは、いい度胸をしているわ。人の趣味にどうこう言うつもりはありませんけど、東方号のほうをおろそかにしてはいないでしょうね?」

「いやあ申し訳ないが、それはもちろん。修復率は九割以上で、普通に航行するぶんにはなんら問題はありません。ですが私としては、この際に東方号を強化改造したいと考えておりまして」

「そのために、この船を参考にしているとは何度も聞きましたわ。けど、実際この奇妙な船はいったいなんですの? あなたの報告書は専門用語が多すぎてわたしにはさっぱりよ」

 ベアトリスはそう言って、自分の目の前にある奇妙な鉄の船を見渡した。

 その船は、全長にして約百二十メイル強、東方号と比べれば小さいけれども、ハルケギニアの基準に照らしたらかなりの大型船だ。しかし、船体の形はハルケギニアのいかなる船とも似ておらず、全体が鉄でできた円筒形をしており、船上の構造物ものっぺりとしていて窓のひとつもなく、これがハルケギニアで作られたものではないことは明白であった。だが、船体上に大和型にもあるのと同じ二十五mm三連装機銃と、小型の単装砲があるおかげで軍艦だったということはわかる。

 おわかりだろう、コルベールの熱意の対象となり、ベアトリスの困惑の対象となっているこの船は地球から来たものである。それは今から一月ほど前に、今でも続いているラグドリアン湖に沈んだバラックシップの残骸の調査の中で、これまで調査の手が及んでいなかった内部から発見されたものだった。

 しかし、発見当初はこの船はほとんど原型を保っていたにも関わらずに研究者たちから無視された。形の奇妙さから敬遠されたというのもあるが、バラックシップを構成していた沈没船には多数の戦艦や空母が含まれていたために、申し訳程度に小さな大砲が載せられているだけのこの船に関心を払う者はいなかったのだ。

 ところが、そこは好奇心の塊のようなコルベールである。ほうほうの体で帰還してきた東方号の修理に追われるさなかでも、わずかな時間のあいだに視察したラグドリアン湖の調査現場で、この船の特異性に気づいてすぐさま復元と回航を要請した。そして港まで運ばれたこの船を、時間を割いて独自に調べていくうちに驚くべきことを突き止めたのである。

「ミス・クルデンホルフ、この船は信じられないことに、水の中に潜るために作られた船なのです。この船体の内側に水を溜め込むタンクがあり、そこに水を飲み込むと沈んで、吐き出すと浮き上がる仕組みになっているのです。これはなんとも大変な発明ですぞ!」

「水に潜る船……? なるほど、どこを見渡しても窓のひとつもないのはそのせいなのね。けどミスタ・コルベール、水に潜る仕組みがわかったから今はどうだって言いますの? まさか東方号を水に沈めるなんて言いませんわよね?」

「はは、いやあ手厳しい。さすがにそこまでする余裕はありませんよ。ですが、この船は水に潜るために頑強な船殻をしていますので、参考にする部分は多々あります。東方号は船そのものは強靭無比ですけれども、損傷を受けるたびに人員には被害が出ています。私としては、戦いで傷つくものが出るのは仕方ないにしても、それを可能な限りに少なくする努力を怠りたくはないのです」

 熱意に始まって、最後は優しさを含んだ穏やかな声色で言葉を結んだコルベールに、ベアトリスは改めて奇異の視線を向けた。ハルケギニアが広しといえどもコルベールのような男はめったにいない。単なる学者バカ、技術者バカというだけならば探せばすぐ見つかるが、ここまで人命を最優先に置いた考え方をする者はコルベールくらいだろう。

 だが、それを悪いとは思わない。

「ミスタ・コルベールは、戦って勝つことには固執していられないようですね。そんな気持ちで兵器を作る人を、わたしはミスタ以外に知りません」

「ほめられたと思っておきましょう。これは私の持論なのですが、なにも奪われないだけの力があれば、戦いとは無理に勝つ必要はないのですよ。戦争に勝っても、大切なものを無くしてしまっては意味がない。人は、誰かから奪う喜びはすぐに冷めてしまいますが、誰かから奪われた悲しみはずっと残るものなのです」

「奪われる悲しみ、ですか……ですが、ミスタもロマリアからの発表をお聞きになられたでしょう。ロマリアへと向かった、ミス・ヴァリエールをはじめとした先輩方は……それに、聖戦が」

 ベアトリスにも、先日ロマリアから発せられたとてつもない凶報は届いていた。しかしコルベールは落ち着いた様子で、力強い言葉でベアトリスに言った。

「なあに、私の教え子たちはそんなやわではありませんよ。どんなことがあろうと、必ず帰ってきます。私はそのときのために、あらゆる準備をしておくだけです。それに、聖戦なんてバカな真似に女王陛下が同意なさるはずはありません。聖戦などと銘打っても、奪い取るために攻め入る戦いなど、皆に不幸を撒き散らすだけなのですから」

「聖戦について、クルデンホルフは王政府の意向に従うむねを示しているわ。けど、もし聖戦が発動したらクルデンホルフの領地もきっと荒れていくでしょうね……ミスタの言うこと、わたしにも今ならわかる気がします。わたしも以前、他人から大切なものを奪おうとする過ちを犯して、それから大切なものを奪われる悲しみを知りましたから」

 ベアトリスは少し遠くを見るような眼差しをして、さして遠くない思い出にわずかに心を浸らせた。

 彼女はわずか一年前、なにも知らない高慢で残酷なお嬢様だったが、今は態度に高慢さはあっても冷酷さは影を潜め、若さと幼さの中に落ち着きが生まれつつある。そのおかげで現在ベアトリスのことを、知らなくて恐れる者はいても知っていて恐れる者はいない。それは彼女も、ほかの多くの人間たちと同じように、成長するうえで大切なものを経験してきたからだ。すなわち失敗と、そして苦難を。

 コルベールはそんなベアトリスを、技術者の視線から一転して親愛の情を含んだ目で見つめて言った。

「ミス・クルデンホルフとは付き合いを始めてからざっと半年になりますが、大人になられましたな。少し前のあなたとはまるで別人のようですよ」

「んっ! し、仕事をサボってたのをごまかそうとしたってそうはいかないわよ。わたしはクルデンホルフ大公国の後継者にして、現在のあなたの上司なの! あなたごとき下級貴族に値踏みされるほど落ちぶれてはいないわ」

 まるで子供が頭をなでられるようにして褒められたので、ベアトリスは照れくささをごまかすように虚勢をはってみせた。しかし、前よりは大人になったとはいえ、本物の大人にはまだまだ通じず、コルベールはにこやかに笑い返した。

「いえいえ、ミス・クルデンホルフもいずれ魔法学院に入学すれば私の教え子になるのです。教師が生徒を観察して評価するのはしごく当然のことです。早く学院が再開して、あなたの……というよりあなた方の入学がとても楽しみです。今日は、いつものご友人のお三方はいらっしゃらないのですか?」

「ああ、エーコたちなら今日は休暇を出してるわ。たぶん、姉妹の皆さんと会ってるんでしょう。今は、あの子たちの姉さんたちもこの街でそれぞれ働いてるから……」

 ベアトリスは、あっさりと威圧を受け流されたことに屈辱感を覚えながらも、今むきになってもコルベールにはかなわないと思い直して我慢して答えた。

 今、ベアトリスのまわりにはエーコ、ビーコ、シーコの取り巻き三人組の姿はない。言ったとおり、この日は休暇をもらって出かけていた。以前のユニタングの事件で救われた彼女たちの七人の姉たちも、今ではベアトリスに職を斡旋してもらって、それぞれの得意分野で仕事についている。

 が、そのことをコルベールに話したベアトリスだったが、実は今ひとつ心配事があった。そのことが表情に出てしまったのであろう、コルベールが気遣うように問いかけてきた。

「なにか、気にかかっていることがおありですかな?」

「むっ、なんでもないわ。わたしの問題くらい、わたしで処理するんだから」

「と、いうことは問題がおありなんですな?」

 しまった……と、ベアトリスは思ったがもう遅い。『よければ相談に乗りますよ』と言ってくるようなコルベールの視線がなんともうらめしい。ついでにきらりと光っている頭頂部が腹が立つ。

 しかし、実のところ自分ひとりでは持て余している問題だったので、ため息をつくとベアトリスはコルベールに悩みを告白した。

「実は、エーコたちが最近わたしに隠れて特訓をしてるようなのよ」

「特訓、ですか?」

「そう、たまに抜け出してね。あの子たちが話してるのを偶然聞いたんだけど、「姫殿下のお役に立てるように、わたしたちももっと頑張りましょう!」とか言って」

「いいことではないですか、主君のために、いや友情のために努力をしようとしているのは美しいもの。それがどうして問題なのです?」

 コルベールは首を傾げた。水精霊騎士隊だって日々訓練しているのだから、彼女たちが自己を鍛えても、喜びはしても頭を抱えるようなものではないはずだ。

 だが、ベアトリスは周りを見渡して、自分たち以外に誰もいないことを確認した上で、コルベールの耳元に口を寄せてひそひそとささやいた。

「普通に鍛錬するんだったらうれしいわよ。でもね……」

「うわあ、それはまたなんとも……」

 話を聞かされたコルベールも、すぐには返すべき言葉が見当たらずに、頬の筋肉が奇妙な形に歪むのをこらえることができなかった。

 とはいえ、当事者であるベアトリスのほうが当然ながら深刻だ。小柄な体から倦怠感を漂わせ、愚痴をこぼすように言う。

「せっかくやる気を出してくれてるのに、うかつにやめろとも言えないし、かといってこのままほって置いたら取り返しのつかないことになりそうだし、どうすればいいのか」

「ミス・クルデンホルフなら、彼女たちにふさわしい教官をつけてあげることができるのではないですか?」

「あの子たちはあれでも誇り高いのよ。どこの誰とも知れない人間に教えを乞おうとはしないでしょうし、わたしが手を回したと知ればなおのことむきになるでしょう。まったく、誰に似たんだか」

 主君が臣下に与える影響を完全に度外視してベアトリスはため息をついた。こういう意味ではベアトリスも大物の素質が備わっていると言えるのかもしれない、自分が良識と常識の友人だと信じきっているのだ。

 残念ながら、コルベールにはベアトリスに対する有益な助言はできそうもなかった。むしろこの問題には、ギーシュや才人など、この場にいない悪童たちのほうが適任であったろうが、前者はまだ数百リーグのかなた、後者は数百万光年よりも遠くにいた。

「忠誠心が厚いというのも難しいですな。ですが、彼女たちの忠誠心が後のミス・クルデンホルフにとってかけがえのない財産となるでしょう。どうか、短気を起こさないように」

「わかっているわよ。あの子たちは、わたしの墓の隣に墓を建てるまで仕えてもらうつもりなんだから。ところで、話が逸れたけど、東方号の修復は九割完了したと言ったわね。つまり、残りの一割は改造に費やすということでしょ? 具体的なプランを、両日中に出してもらいましょうか」

「ええ、腹案はすでにまとめてあります。難しいですが、この船をモデルにすれば不可能ではないはずです。あなたをあっと驚かせてみせますよ」

 不敵に笑ったコルベールに、ベアトリスも釣られるようにして笑いを浮かべた。

「たいした自信ね。ミスタ・コルベール、あなたはわたしに敬語を使いこそすれ、下級貴族らしくへりくだることもなく、予算を求めて世辞を使うこともしない。でも、そうされるのがなぜか気持ちいいと思ってるわたしがいる。期待してるわよ」

「力を尽くしましょう。この船は、水に潜る複雑な仕組みを持ちながら、さらに『ひこうき』を中に格納する機能まで持っています。これを応用した設備を東方号に取り付ければ、サイトくんが帰ってきたときにきっと喜んでくれる。実を言うと、もっと強烈な案もあるのですが、それはさすがに次にまわしたいと思います」

「へえ、おもしろいじゃない。ミスタ・コルベール、この船があなたにとっての宝船だというなら、銀貨の一枚も残さないくらい宝を抜き取りなさい。わたしは欲深い人は好きよ」

「宝船ですか、わたしにとっては異世界からやってくるものすべてが始祖からの素晴らしい贈り物に思えます。人は知恵を育て続けることで、空の果てへも、海の底へでも行くことができる。この船は私にそう教えてくれているような気がするのです」

 コルベールはそうつぶやき、自分たちが立っている異世界の船の艦橋を見上げた。

 そこには、鉄色の船体に白い塗料を使い、日本語で『イ-403』と書かれていた。

 潜水艦伊号403、それがこの船の本来の名前である。旧日本海軍の潜水艦伊号400型の四番艦で、全長百二十二メートル、基準排水量三千五百三十トン。第二次大戦当時、世界最大の潜水艦で、さらに水上攻撃機晴嵐を三機搭載する能力を有することから潜水空母とも呼ばれる。大和やゼロ戦と同じく、日本海軍が誇る一大決戦兵器である。コルベールはこの巨大潜水艦を参考にして、東方号を来るべき戦いに耐えられるような強化改造を施そうと考えていたのだ。

 しかしコルベールはまだ知らない。その程度の改造では足りないくらいに大きな力を必要とする事態が、すぐそこにまでやってきていることに。

 東方号が新たな旅立ちの時を必要とされる日は近い。そのときに、東方号が必要な力を発揮できなかったとしたら、それはそのまま世界の滅亡に繋がってしまうかもしれない。果たして、コルベールに腹案はあるのだろうか。

 そしてベアトリスも、エーコたちのひそかな企みが、自分の将来を大きく揺るがす決断に繋がってくるとは、このとき夢にも思ってはいなかった。

 潜水艦、伊号403はなにも語らずにじっとその巨体を浮かべ続けている。それを浮かべるラグドリアンの水はきれいだが、その水底の奥には数多くの謎を孕み、人間たちに試練を与えるのを楽しんでいるかのようにたゆとっていた。

 

 

 だが、明日のささやかな期待すらも奪おうと、闇の中からロマリアの放った刺客が迫りつつある。

 コルベールとベアトリスが伊403潜で語り合っているのと時を同じくして、この街を一望できる丘の上で、一組の若い男女が物珍しそうに街を見下ろしていた。

「やれやれ、やっと着いたかい。割のいい仕事だから張り切ってみたけど、ガリアからロマリアに出向いて、さらにこんな僻地までやってきたらさすがにうんざりするなあ」

「まあ、ドゥドゥー兄さまったら、仕事が始まる前はいつもぼやいているくせに。今回はダミアン兄さまもジャック兄さまも抜きなんだから、しっかりしてよね」

「わかってる、わかってるよジャネット。お前と仕事をするといつも小言ばかりだ」

 ドゥドゥーと呼ばれた少年は、肩をすくめて答えて見せた。年の頃は才人たちとほぼ同じで、華美とは言わないが貴族らしい優雅な服をまとっている。いわゆるキツネ目の持ち主で、表情を読みづらい顔立ちをしているが、とりあえず美少年と呼んでいい。

 もう一人のジャネットと呼ばれた少女は彼の妹らしく、兄のとぼけた態度に呆れた様子を見せているが、彼女も十分に怪しい風体をしていた。彼女自身は紫色の髪をした美少女であるのだが、白いフリルのついた黒いドレスを着ていて、フードから顔だけを覗かせている衣装はかなり目立つ。よほど自分に自信がなければできないことだ。

 ふたりはその後、他愛も無いことを二言三言話し合っていたが、やがてジャネットが思い出したようにドゥドゥーに言った。

「ところでお兄さま? 今回の仕事の資料、ちゃんと覚えていますよね」

「もちろんさ。えーっと、ジョン、いやジークだっけか? ジ……えーっと……その、なんとかいうやつを始末すればいいんだろ?」

 途中でドゥドゥーはもう思い出すのをあきらめて、開き直ったように答えた。が、それでジャネットの白い目が消えるわけはない。

「まあ、ドゥドゥーお兄さまったらやっぱり忘れてたのね。そんなことだろうと思って、念のためにわたしの資料を残しておいて正解だったわ。これを見て、ちゃんと覚えてから焼き捨ててちょうだい」

 わざとらしい態度でジャネットが紙片を手渡すと、ドゥドゥーは気まずそうに受け取った。

「できた妹を持つと兄は幸せだね。ありがたすぎて涙が出てくるよ……ああなるほど、思い出した。思い出したよ! あまりにもさえない人相画だからうっかり忘れていた」

「まったく、しっかりしてほしいわね。この仕事には、後金二十万エキューの報酬がかかっているのよ。ほんとにわかってるのかしら」

「そう言うけどね、ぼくにだって好みってものはあるさ。なにが悲しくてこんな弱そうな男を始末するために苦労しなきゃいけないんだか。ジャネットはいいよね、そっちのターゲットは君好みの可愛い女の子なんだろ? 不公平だよなあ」

 ドゥドゥーがうんざりした様子で言うと、ジャネットは待ってましたとばかりに顔を輝かせた。

「これも日頃のおこないの差というものよ。楽しみね、金持ちのお嬢様って気が強いのが多いから、可愛がりがいがあるんだもの」

「また、心を操って”人形”を作る気かい? ぼくが言えたもんじゃないけど、仕事に差し支えがないようにね」

 眉をひそめて妹に苦言するドゥドゥー。けれどもジャネットは意にも介さずに笑いながら言う。

「あら? わたしはドゥドゥー兄さまと違ってわきまえるところはちゃんとわきまえているから心配なく。すべてはダミアン兄さまの夢の実現が第一、そのためにはうんとお金が必要。でしょ?」

「ほんとお前はぼくに当て付けるね。まあいいさ、この仕事でいただける額があればダミアン兄さんたちもぼくを見直すだろう。さっさと済ませに行こうか」

 そうして、ドゥドゥーとジャネットは丘を下って街へと向かった。途中で行商人や荷馬車がいくつも通り過ぎていくが、誰もふたりを気にも留めない。それだけふたりは堂々としていた。

 しかし、ふたりの目的は商売でも観光でもない。まるで隣の家にあいさつに行くような気楽な雰囲気を持つのに反して、ふたりの心には悪意が満ちていた。

「ドゥドゥー兄さま、さっきの資料をちゃんと覚えたかテストしてあげますわ。わたしのターゲットはベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ、お兄さまのお相手は?」

「バカにするなよ。ぼくは物忘れはひどいが物覚えはいいんだ。ジャン・コルベールとかいう中年の男、そいつらを……殺せばいいんだろ?」

 そこでドゥドゥーとジャネットは顔を見合わせて、不敵な笑みを交わし合った。

「さて行くか、ロマリアの坊主たちに、ぼくら元素の兄弟の仕事ぶりを見せてあげよう」

 東方号再建を阻むために、ロマリアが送り込んだ暗殺者がふたりの正体であった。だが、ふたりはそんなことを他者にはまったく感じさせないのんびりした空気を漂わせて歩いている。

 紛れもなく、このふたりは殺人に慣れたプロの仕掛人ということだ。自然体で日常に紛れ込み、前触れなくターゲットの前に現れて命を奪う。若いながらも、それだけのことをできるという計算と自信を内に隠し、ドゥドゥーとジャネットは街の雑踏の中に入り込んでいく。

 

 

 ジュリオの命を受けて、ロマリアの放った刺客が何も知らないコルベールとベアトリスに迫りつつある。ガリアの北花壇騎士団に籍を置くという彼らの実力は折紙つきで、このままでは、日を置かずして死体がふたつ転がるのは確実かと思われた。

 

 

 だが、暗殺計画の成功を確信するジュリオやヴィットーリオは極めて現実主義者であり、怜悧な思考を持っていたが、このハルケギニアのすべてを知り尽くしていたわけではなかった。だがそれは仕方がない。彼らの概念で言えば狭いであろうこのハルケギニアの大陸にも、人間以外にも無数の生物があらゆる場所に息づき、まだ解明されていない謎が数多く存在し、それらをすべて把握することなどはそれこそ神業に等しい。

 問題は、平時であればなにも影響をもたらさなかったであろうそれらの要素が、現在の混乱したハルケギニアではどこでどう作用してくるかまったく読めなくなっているということであった。

 そしてその危険要素は、実はすでに動き出し、それが教皇たちの用意した狂騒劇をある意味の喜劇に変えようとは、それこそ神ならぬ”神の代理人”を自称する彼らには想像の埒外であったのだ。

 

 

 さて唐突だが、ここで物語はその時間軸を少し多めに戻すことになるのをお許し願いたい。

 具体的には才人たちがティファニアをアーハンブラから救出して少し後、初代東方号が完成したあたりに巻き戻る。ここで才人たちがサハラ行きの使命を与えられ、それを妨害しようとするミミー星人の操るバラックシップ、アイアンロックスとの戦いにつながっていくのは少し懐かしい思い出である。

 しかしここで、実はミミー星人の影に隠れて、同時にもう一組の宇宙人がラグドリアン湖に来ていた事実があった。

 

「ミミー星人よ、本当に我らはこの星の海洋調査をすればいいだけなのだな?」

「もちろんだとも、我々にとっても君たちの星の調査技術はありがたいし、君たちにとっても我々の武力の庇護はありがたかろう。なにせこの星には、かつて君たちの同胞をひどい目に合わせた地球人と同じ人間たちが住んでいるのだからね」

「ああ、あの生き物は本当に危険だ。姿かたちこそ我々に似ているが、奴らの心には悪魔が住んでいる」

 

 その星人は、元々M78星雲のある次元に住む宇宙人で、ハルケギニアでの資源収奪をもくろむミミー星人に請われてやってきた。彼らの名はパラダイ星人、GUYSのドキュメントMACに記載のある星人で、ミミー星人やバルキー星人などと同じく水棲型の宇宙人だ。姿かたちは人間と大差はなく、かつては同族が地球に海洋調査のために訪れていたことがある。

 ただ、彼らはミミー星人とは違って本来は平和的な種族で、メイツ星人やミラクル星人のように他の星を観察しに来ることはあっても、侵略行為に加担するようなことはない。

 しかし、ヤプールを出し抜くことを目論むミミー星人は、自分の星の発展のために他の惑星の海洋調査データを欲していたパラダイ星人をそそのかした。あの地球と同じように、広大な海と豊かな自然を持つ惑星がある。そのデータが欲しくないか? と。

 パラダイ星人たちは悩んだ。ミミー星人があまりいい評判を持つ宇宙人ではないことは聞いていたが、ミミー星人は巧みにヤプールとの関連性はごまかしており、ミミー星人も彼らと同じく海生型の宇宙人であるために話に信憑性があったからだ。

 結果、パラダイ星人はあくまで海洋調査のみという条件での協力でハルケギニアに来訪することを決めた。むろん彼らはミミー星人への不信を拭い去ったわけではなかったので、派遣されたのは、専門の技術者一人とその助手ふたりだけに限られたが。

 

 そして、彼らはミミー星人によって次元を超えてハルケギニアに来訪した。彼らの宇宙船は潜水艇にもなっており、海の底を自由に巡りながら海水の成分や生態系の分布、海底資源の有無などのデータが瞬く間に集まっていった。

 ただ、パラダイ星人の技術者は、かつて地球を訪れた者たちが現地住民に迫害された経験から、この世界では一切陸上に上がろうとはせず、海中で秘密裏に惑星の海洋を調査した。

 だが、技術者のそんな姿勢を、ふたりの若い助手は退屈そうに見ていた。

 

「ねえ先生、ちょっとでいいから陸に上がりましょうよ。これだけ海がきれいな星なんだから、きっと陸も素敵ですって」

「だめだ、何度も言っているだろう。以前地球という星に降りた我々の同胞は、うかつに陸に上がってしまったばかりに原住民に子供を殺されかけた。この星も文明は未開だが同種の人間が支配している。危険すぎるのだ」

「ちぇっ」

「仕方ないわよ、わたしたちはまだ見習いなんだもの。いつか一人前になったら、もう一度この星にやってこよう」

 

 ふたりの助手は不満げであったが、許可が下りないのであれば仕方がない。パラダイ星人たちは宇宙船の中で紆余曲折ありつつも調査を続け、やがて満足すべき成果を得た。

 だが、まとまった観測データを持って、ミミー星人の待つラグドリアン湖へ戻ったとき、ミミー星人は完全に彼らの期待に応えた。悪いほうに完璧なまでに。

 

「裏切ったなあ! ミミー星人」

 

 バラックシップから放たれた魚雷を受けて沈み行く宇宙船の中で、パラダイ星人たちは怒りに震えたが遅かった。

 観測データを伝送した瞬間、ミミー星人は本性を表した。立ち向かおうにもバラックシップの火力は強大で、たいした武装のされていない彼らの宇宙船ではとても太刀打ちできるものではなかった。

 

「やはり我々が愚かだった! あんな奴らを信用したばかりに。あんな奴を信用さえしなければっ! せ、せめて研究資料だけは、うおおぉぉっ!」

 

 そう叫んだのを最期に、宇宙船のブリッジは魚雷の直撃を受けて大破し、直後に彼らの宇宙船はバラックシップからのとどめの魚雷を受けて爆発四散した。

 強力な水中爆発が起こり、助手ふたりが資料の持ち出しをはかっていた研究ブロックも破壊されて、ふたりはラグドリアン湖の中へと投げ出された。

 

「ティ……ね、姉さん……」

「手を、離さないで……」

 

 バラックシップの魚雷攻撃で湖水は滅茶苦茶にかき回され、ふたりはその中で上も下もわからず、ただお互いにはぐれまいとかばい合い続けた。このままでは、いくらふたりが水棲宇宙人であるといっても、濁流に放り込まれたハンカチのようになってしまっただろう。だが、ふたりが力尽きる直前に、魔力を帯びた水のカプセルがふたりを守るように包み込んだのだ。

 

『この単なる者たちは、この地に生まれたものではない……だが、邪なるものも感じぬ。よかろう……』

 

 このラグドリアンに住まう主の加護を受けて、ふたりの宇宙人の子はゆっくりと安全な湖岸へと運ばれた。

 やがて気がつき、ふたりは自分たちが置かれた状況を知る。

 

「助かったのね、わたしたち」

「そうだね……これからどうしよう?」

「見て、あそこに明かりが見える。きっと、人間という生き物の町だよ」

「行くの? 先生は、人間は信用するなって」

「行かなければ、わたしたちは飢えるだけ。それに、わたしたちは学者のはしくれだよ。人の言ったことを、はいそうですかと鵜呑みにして満足できる?」

「ふふ、こんな時なのになにか楽しそうだね。いいよ、わたしたちの歴史書はわたしたちで書きましょう……さあ」

 ふたりは手をつなぎ、声をそろえて言った。

「「行こう」」

 

 そしてふたりはラグドリアン湖畔の町のひとつにたどり着き、人間に紛れて生きていくことを選んだ。

 この直後、ミミー星人はバラックシップとアイアンロックスを駆ってウルトラマンAと戦い、東方号の特攻で倒される。そうしてラグドリアン湖には平和が戻り、人々の心から次第にこの戦いの印象は薄れていき、現在に続くこととなる。

 だがその間に、このふたりの宇宙人がどこで何をしていたのか? その答えが、これから少ししてから起こる事件で大きく羅針盤を動かすことになるのだ。

 

  

 続く



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第34話  水妖精騎士団

 第34話

 水妖精騎士団

 

 海凄人 パラダイ星人 登場!

 

 

 『疑わしきと見れば殺し、目ざわりと見れば滅ぼす』のがロマリアの真実だと、人はひそやかにささやく。

 聖戦を狙うロマリアのために暗躍するジュリオは、真実を知って帰国を目指す銃士隊と水精霊騎士隊の一行に吸血鬼エルザを差し向けるが、これは失敗した。

 しかし一方で、ジュリオはトリステインに残る銃士隊と水精霊騎士隊のことも忘れてはいなかった。彼らは個々の戦力ではたいしたことはないが、チームワークでそれを補って、これまで数々の怪獣や宇宙人を倒してきた。さらに現在では東方号を有し、もはやその影響力を軽視することはできない。

 そう、彼らのこれからの動向は、世界をどう動かすかわからない。それを嫌い、ロマリアはジュリオからガリアのシェフィールドを介して刺客を送り込んできた。

 刺客の名は元素の兄弟。兄ドゥドゥーと妹ジャネットのふたり組で、才人たちとほぼ同じ若さの少年少女であるにも関わらず、ただならぬ雰囲気を持つガリアの北花壇騎士の一員だ。

 ターゲットは、東方号のメインエンジニアであるコルベールと、そのパトロンであるベアトリス。このふたりがいなくなれば東方号は鉄くずと化し、水精霊騎士隊と銃士隊は頭数は残っても、最大の戦力を失って大きく弱体化する。

 そうなると、あのMATがバット星人によって全メカニックが破壊されたために、隊員のほとんどが残っていても終に再建できなかった例が再現されることになりかねない。

 

 

 危機が迫っている。このままでは世界の未来が危ない。

 しかし、ベアトリスは美少女だからまだいいとして、コッパゲの首に世界の未来がかかっているとなると、なにかアホらしい感じがしてきてしまう。

 いや、毛根の神に愛されているか否かはこの際置いておこう。ハゲていて世の中の役に立っている人もいっぱいいるからして。

 それよりも、本格的に今回の物語に入っていく前に、もう一つ前置きをしておこう。

 

 

 異変があったとき、人が後に思い返すと、「あのときは朝から雲行きが怪しかった。あれは前兆だったのかもしれない」というようなことを言う。

 そう感じたのならば何かしらアクションを起こせばよかろうものだが、人は日常に慣れると少しくらいの変化では動じなくなってしまうのだろう。

 コルベールとベアトリスの命を狙った暗殺者が港町にやってきたこの日も、表面上は何事もなく始まった。ただ、暗殺者たちが街に入ったのに前後して、ふと空を見上げたある姉妹が、あるものに気づいたことを除いたら。

 

「ねえティア、空を見て。なにかが空から降りてくるよ」

「見えてるよティラ。へえ、ドラゴンに乗った騎士たちね。ずいぶん物々しい様子だけど、こんな街になんの用かしら」

「さあ、けどわたしたちには関係ないでしょうね。それよりも急ぎましょう、ティア。皆さんを待たせたら失礼よ」

「むー、ティラが言い出したくせに、ずるいなあ。じゃあさティラ、今日はどっちが早く着けるか? フフ……」

「「競争ね!」」

 

 街の石畳に、軽快な靴音が響いて遠ざかっていく。彼女たちの少し上には、街に影を下ろしながら降下してくる騎竜の羽音が響いていたが、もう彼女たちがそれに気を向けることはなかった。

 むろん、これですむはずもなく、数時間後に彼女たちは自分たちがなにげなく見過ごしたこのことを思い出すことになる。ただ、神ならぬ身の民にとって、なにげない変化から未来を予見しろというのは無理難題に違いないのだ。

 

 増してや、ある日突然に見も知らぬ相手から命を狙われているなどということが予見できたら、それはもはや人外の域にいる者と言っていいだろう。

 今日この日も、ベアトリスとコルベールは昨日までの延長として今日を迎えた。むろん、自分の命を狙う者がこの街に入っているなど、思うはずもない。

 

 さて遅ればせながら、そろそろこのあたりで今回の物語の主道に入ろう。

 時は、ベアトリスが潜水艦伊-403でコルベールと談話してから、ざっと一時間ほどしてからとなる。

 ベアトリスは修理・改修の途中である東方号を視察し、現場責任者であるコルベールと話し合った。そして一旦休憩をとろうと、この街で拠点にしている宿に帰ってきたのだが、そこで彼女は少々落胆することになった。

「ただいま……ん、エーコたちはまだ戻ってないの?」

「はい、エーコ様たちから伝言をお預かりしています。暗くなる前には戻る、とのことですので。それまでのお手伝いは私どもが承らせていただきます」

「はぁ、そう……」

 メイドからの報告を受けて、ベアトリスは「またか」とため息をついた。メイドの、お疲れでしたら熱いお茶を淹れましょうか? という言葉もろくに頭に入ってこない。

 実はこのとき、ベアトリスはある悩みを抱えていた。それは、コルベールにも話したとおりにエーコたちのことなのだが、最近の彼女たちのある行動が悩みのタネだった。

「あの子たち、また特訓に行ってるのね。無茶してないといいけど……」

 ある日突然のことであった。エーコたちが「姫殿下にお世話になってばかりでは申し訳ないです。今度はわたしたちが強くなって姫殿下をお守り申し上げます!」と言い出したのだ。

 そして彼女たちは日々出かけて行っては特訓に励んでいる。それはいい。向上心があるのは大変けっこうなことなので、ベアトリスも最初は喜んでいた。そう、それだけならばよかったのだが……

 ベアトリスは自室に戻ると、もう一度ため息をついて椅子に腰掛けた。もしエーコたちが戻っていたら、四人でティータイムにでもしようと思っていたけれども、ひとりでは食欲も湧いてこない。

「エーコ、ビーコ、シーコ、わたしのために頑張ってくれるのはうれしいけど、わたしにとってあなたたちがいてくれることが何より大事なのよ……」

 ツインテールに伸ばした髪をいじりながら、ベアトリスはあのときのことを思い出した。超獣ユニタングと化したエーコたち姉妹をヤプールの手から救い出したとき、大切な人を失う悲しみと痛みを知った。それから今日まで、彼女たち十姉妹は人間として何事もなく過ごしてきた。ベアトリスとしてはそれだけでもう十分だったのだけれど、あれ以来エーコたちは前にも増してベアトリスに懐いてしまった。自分たちから特訓を言い出したのもその表れだが、忠誠心豊富な彼女たちは最近になってベアトリスの思いもよらないことを考え付いたのだ。

 それは、ベアトリスにとって突拍子もないものだった。最初はすぐにやめさせようと思ったのだが、言われてみると自分にとって将来役立つことにつながるので、現在は黙認していた。ただ、理屈と感情は別である。

「わたしの側近は貴女たちだけで充分と思ってたけど……でも、ねえ……はぁ」

 ベアトリスはつぶやきながら、何度目になるかわからないため息をついた。今頃、エーコたちははりきって”あれ”をやっているのだろう。

 困ったものだ。今後のことで、考えなくてはいけないことは山のようにあるというのに、これでは手が足りない。やはり、エーコたちの言うようにするべきなのか……いや、でも数だけ増やしたところで。

 思い悩むベアトリスは、やけっぱちな気持ちでベッドに飛び込んだ。そして気晴らしにと思って、ベッド脇に積み上げてあった本の一冊を手にとって広げる。それは『召喚されし書物』と呼ばれる希少な種類の書籍で、どこで誰が書いたのかはわからないが、その精巧な絵やハルケギニアのものとは懸け離れた描写からコレクターの間では人気がある。

「『リードランゲージ』……ヤー……マイマスター……うふふふ」

 あらゆる文字を解読できるコモンスペルを唱え、ベアトリスは本に見入った。どうやらそれは絵でつづられる娯楽作品のようで、遠い異国のある伯爵が主人公の物語。ベアトリスはその中に登場する執事がお気に入りのようだった。

 しかし、ベアトリスはこのとき無理にでもエーコたちの下に乗り込んでいかなかったことを後悔することになる。それも、この後ほんの少しして起こるとは、ベアトリスは知るよしもなかった。

 

 

 さて一方、ベアトリスが思い悩んでいるとは露知らず、エーコたちはベアトリスの想像したとおり、特訓に汗を流していた。

「よーし、じゃあ今日も姫殿下のために気合入れていくわよーっ!」

 エーコの声が空き地に響き、続いてビーコやシーコの「おーっ」という掛け声が続いた。

 ここは工場街にある資材置き場で、現在は物資がなく空き地となっている。割かし広く、学校のグラウンドほどの広さがあるそこで、エーコたちは姉の指南を受けて戦いの特訓をしていたのだ。

『ブレット!』

「遅いよ! 杖を振るときはとにかく素早く。かっこなんてどうでもいいから相手に向けるんだ!」

 十姉妹の五女ユウリの叱咤する声が響き、エーコたちは汗を流して杖を振り続けた。この街に来る前にはアルビオンで傭兵稼業をしていたというユウリの指導は激しく苛烈で、エーコたちは実の姉妹にも容赦のない指導に、汗をぬぐう間もない。

 それを見て、七女ティーナと四女ディアンナは妹たちに同情したようにつぶやいていた。

「いやあ、ユウリ姉さん気合はいっちゃってるねー。昔っから、体を動かすことだけは得意だったから、エーコたちかわいそー」

「魔法学院に通っていた頃なんか、学院の馬を五頭も乗りつぶして、あげくに修学旅行の馬車を三台も事故らせて、貴族の娘なのにデストロイヤー・ユウリなんてあだ名をもらったくらいですものねぇ」

「うんうん、あれでトリステイン中の騎馬業者から出入り禁止を食らって、お父さまが平謝りに駆け回ったことは忘れられないわぁ。アタシはお腹抱えて笑ってたけど」

 赤毛が目立つユウリの指導は、ティーナやディアンナの入っていく余地もないくらい過激で、ときたま女性とは思えない罵声なんかも混ざっていた。この訓練の厳しさは、銃士隊のそれと比べてもひけはとらなかったろう。

「え、エア・ハンマー!」

「遅いっ! そんなんじゃ実戦じゃ魔法を使う前に蜂の巣だよ。まずは素振り百回、かかれっ!」

「はっ、はいい!」

 エーコたちは姉の怒声に、腕が痛くなりながらも杖を振り続けた。

 が、なぜエーコたちがここまで過酷な訓練を続けてるのであろうか? その理由は、実は水精霊騎士隊にあった。

 知ってのとおり、この港町は東方号の母港である。つまり東方号を使っている水精霊騎士隊の少年たちも、この街には慣れ親しんでいてベアトリスともよく顔を合わせている。

 ロマリア行きが中止して引き返してきた際、水精霊騎士隊の一部はギーシュに率いられてロマリアを目指したが、残りは東方号とともに帰還してきた。その後、東方号の修理をしながら訓練を続けていたのだが、ある日に修理状況を視察に来ていたエーコたちに対して、水精霊騎士隊の少年の一人がこんなことを言ったのだ。

 

「修理の視察ねえ。ご覧のとおりさ、毎日毎日、少しでも早く直そうとみんな奮闘しているあの音が、一リーグ離れていたって聞こえるだろ? それをわざわざ見に来るなんて君たちも暇だね。ぼくらなんか、今日も厳しい訓練を続けているっていうのに。まあ、しょうがないか、ぼくらの肩にはトリステインの将来がかかってるけど、君たちはクルデンホルフ姫殿下のお茶汲みをしてれば安泰なんだろ? そんなことより、よかったら後でいっしょにお茶でもどうだい」

 

 そいつは訓練の疲れから来たストレスでか、深いことは考えずに嫌味を言ったのだろうが、これがエーコたちの逆鱗に触れた。

 以前とは違い、一度離反して自分たちを救ってくれたベアトリスに対する彼女たちの忠義は本物だ。その自分たちの忠義を侮辱されたことは、主君であるベアトリスを侮辱されたことに他ならないからだ。

 エーコたちは激怒した。そして軽口を叩いた太っちょなそいつは、茶色の悪魔と黄色の鬼神と緑色の死神によって、豚のような悲鳴をあげてボロ雑巾のようにされたあげくに犬の餌にされた。なお、この件に関して水精霊騎士隊からの抗議などは一切ない。隊長ギーシュの、レディには常に優しくあれ、レディを傷つけるものはすべからく我らの敵だというモットーが正しく履行された結果であった。

 しかし戯れ言をほざいた豚をつぶしても、エーコたちの怒りは収まらなかった。豚に対してではない。そんな侮辱をされて、心の一部ではそれを認めざるを得なかった自分たちの弱さを自覚してしまったがために、自分自身に対して怒っていたのだ。

「わたしたちが弱いままじゃ、また姫殿下の名誉に傷がつけられるかもしれない。ビーコ、シーコ、わたしたちは姫殿下に救われて以来、わたしたちがどうすれば姫殿下のお役に立てるか考えてきた。今、その答えが出たわね!」

「ええ! 下品な男たちなんかに姫殿下は任せられないわ。なら、わたしたちがあいつらより強くなるしかないじゃない!」

「なら特訓ね。貧乏貴族のグラモンの部隊なんか、わたしたちの前を歩かせたりしないわ。姫殿下はいずれクルデンホルフを継いで、世界を統べるお方。その手足は最強じゃなきゃいけないのよ!」

 こういう具合で、エーコたちの中に水精霊騎士隊へのライバル意識が芽生えたのである。

 そして彼女たちは、あちこちで様々な経験を積んできた姉たちに教えを請うことにした。姉たちも、ベアトリスに対してはまだ負い目を感じていたので罪滅ぼしになればとこれに飛びつき、こうしてエーコたちは今日まで自分を磨いてきた。その努力はすばらしいもので、普通なら三日も持たないであろう猛訓練を続けてきている。今では水精霊騎士隊の少年たちともたいした差はないだろう。

 また、姉たちは様々な分野で活動してきたので、エーコたちに与えられるものは戦闘技能以外にも数多くあった。

 例えば、ある日はユウリの都合が付かなくてディアンナが教えることになったのだが、彼女が教えるものはもちろんユウリとは違っていた。

「では、今日は私があなたたちにハルケギニアの交易を教えてあげるわ。よーく聞きなさいよ、それでなくともあなたたち三人は、お勉強の時間になると寝息を立ててたんだから」

「はーい、頑張りまーす。あーあ、次は歩くお小言百科のディアンナ姉さんの番か。長い一日になりそう」

「対話術と言いなさい。一流の貴族には一流の外交能力も必要なの、それにあなたたちもクルデンホルフの一翼を担っていくなら、世界の情勢について知らないと話にならないわ。特に、ゲルマニアの商人たちの狡猾さはトリステインの比じゃないわ。騙されて野良犬同然に落とされた貴族なんて星の数ほどいるんだからね」

 ディアンナはゲルマニアで、とある商業ギルドに潜り込んでいたので世界情勢に詳しかった。また、三女キュメイラは医者見習いをしていたし、ティーナはエーコたちより子供っぽく見えるが、小柄で身が軽いことを生かしてラ・ロシェールで港湾作業員をしていた。平たく言えば、入港してきた船を桟橋に固定したりマストの上げ下げを手伝う係である。こうして、様々な分野で活動することで、ハルケギニアの社会を知りたがっていたヤプールに情報を渡していたわけだが、スパイでなくなったからといって経験まで消えることはない。皮肉なものだが、人生とはどこで何が役に立ってくるかわからないものである。

 エーコたちはこうして、将来ベアトリスの役に立ちそうなことはなんでも吸収していった。人間は目標を見つけると強い。アホぞろいの水精霊騎士隊が強いのも、女王陛下のために尽くそうという一念を持っているからだ。

 

 ただし、熱意と努力というものは必ずしも正しいほうへ行くとは限らない。

 

「よーっし、今回はとりあえずここまでだ。水飲んでいいぞお前たち」

「ふぁ、ふぁーい」

 ユウリの特訓がようやく終わり、三人はクタクタになって息をついた。まだ寒い季節なのに滝のように汗が出て気持ちが悪い、三人は魔法で水を作って飲み、頭からかぶって汗を流した。

「し、死ぬかと思ったわ」

「ひゃあん冷たいっ! もうっ、加減してよ、下着までビチョビチョじゃない」

「すぐ乾くよ。姫殿下のところに、汗臭いまま帰るわけにはいかないでしょ。透けて困るものも持ってないことだし」

「ちょっとビーコ、それどういう意味かしら?」

 そんなエーコたちを、姉たちは暖かい目で見守っていた。

 本当に平和だ。世界には危機が迫っているが、今の自分たちのここには平和がある。家を失い、両親を失ったあのときは、まさかまたこんな平穏が来てくれるとは思えなかった。

 それもみんな、ベアトリス・イヴォンヌ・クルデンホルフ、あの小さな体で大きな器のお姫様のおかげだ。自分たち姉妹はあの方に大きすぎる借りがある、借りっぱなしではいけない。恩返し、そう恩返しをせねば貴族の矜持に関わる……

 そのとき、彼女たちのいる広場に複数の足音が響いてきた。

「ちょうど終わったところみたいね。ほら、みんな連れてきたわよ」

「あっ、姉さんたち。もう、遅いよ」

 それは姉妹の次女セトラの声だった。その隣には、キュメイラと六女イーリヤもついている。

 だが、足音はそれだけではない。なんと、姉妹たちに続いて十人近い少女たちがやってきたのだ。

「おはようございます、先輩方。我ら水妖精騎士団総勢十一名、ただいま参上つかまつりましたわ」

「よく来たわ。よーっし! みんな、整列! 傾聴! また新しい顔も見えるわね。ようこそ、そしてよろしく。わたしが団長のエーコよ、わたしたち水妖精騎士団はあなたたちを歓迎するわ。いっしょに、トリステインの淑女の未来のために戦いましょう」

 エーコが肩まで伸びたサイドテールを揺らしながら宣言すると、少女たちも拳をあげて歓声をあげた。

”水妖精騎士団(ウィンディーネ)……”

 これが、彼女たち一団の名前である。そう、これこそがベアトリスが頭を悩ませている真の理由であった。なんと、エーコたちは自ら新しい騎士団を作り出そうとしていたのだ。

 団員はエーコたちの姉妹を除いて、現在総勢十一名。皆エーコたちと同じくらいの少女で、この街に勤めている軍人や役人の娘たちである。もちろん全員がメイジであり、エーコたち姉妹がそれぞれ集めてきて、現在も団員は絶賛募集中だ。

 しかし、なぜエーコたちはこのような無謀なことを始めたのだろうか? そしてなぜ、こんな無謀なことに十人以上の参加者が集まっているのだろうか? その原因は、実はまた水精霊騎士隊にあったのである。

「団長、よろしくお願いします! 団長たちの噂はかねがね、あの破廉恥な水精霊騎士隊の男を成敗なされたとか」

「聞くところによると、空中高く放り上げて街灯上に吊し上げ、木っ端微塵になされたそうですね。それを聞いたとき、胸のすくような気持ちがいたしましたです」

「なにせ、あの水精霊騎士隊の男たちの軽薄さときたら、ひどいものでしたね。でも、エーコさんたちのお話を聞いて勇気が出ました。あの野蛮な水精霊騎士隊をやっつけましょう!」

 水精霊騎士隊への恨み言が機関銃のように少女たちの口から飛び出してくる。実は、水精霊騎士隊の少年たちは時間があると、女の子に声をかけてまわるため、少女たちは彼らのしつこさにうんざりしていたのだ。彼らは年齢的には思春期真っ只中の青少年であり、さらにギーシュの影響で女性に対して大胆になっていた。

「美しいお嬢さん。少しぼくと散歩でもしませんか? お花でも摘みながら、お互いについて語り合いましょう」

 こんな具合に誘ってくるのだがら、女の子のほうとしてはいい迷惑としか言いようがない。ギーシュのモットーが、今度は悪いほうに働いた結果がこれだった。

 さらに隊長ギーシュの不在もこれに追い討ちをかけた。普通ならば行き過ぎる前に、フェミニズムの塊であるギーシュや、常識人でやや奥手のレイナールがブレーキ役となるが、ふたりともロマリアに行っていていない。大人たちも、コルベールは東方号にかかりきりで、アニエスは頻繁にトリスタニアに出かけていて、ミシェルもいない。歯止めがなくなった少年たちは、「どうせ隊長もロマリア美人を相手にいい思いをしてるに違いない。だったらぼくらも隊長に従ってゆこうじゃないか」と、身勝手な解釈をしたのだった。

 つまり一言で言えば、「水精霊騎士隊、被害者の会」である。その気もないのに口説かれて辟易していた少女たちはエーコたちの呼びかけで団結し、今ではついに騎士団を名乗るほどメンバーが増えている。そもそも”水妖精騎士団”という名前も、水精霊騎士隊に当てつけたものであった。

「聞きなさい、男たちは女を下に見ているけど、このトリステインは女王陛下の治める国。白百合の国を、汗臭い男たちなんかに任せておいていいと思うかしら?」

「いいえ! 白百合のごとき女王陛下は、蝶のごとき妖精がお守りするべきです!」

「水精霊騎士隊の隊長、ギーシュ・ド・グラモンは女癖の悪いことで有名なグラモン元帥の息子よ。今はロマリアに行ってるけど、そんなのが帰ってきたらわたしたちの身がどうなるかわかったものじゃないわ。わたしたちの身を守るのは、誰だと思う?」

「はい! わたしたちの身を守るのはわたしたち自身です」

 ギーシュにとってはとんだとばっちりである。

「よく言ったわ。わたしたちの力で、水精霊騎士隊をぎゃふんと言わせてあげましょう。そうすれば、クルデンホルフ姫殿下もお認めになられて、公式な騎士団へ昇格するのも夢じゃないわ。さあ、特訓特訓! 着いてきなさい、あなたたち」

 エーコに続いて、少女たちも掛け声を一斉にあげて答えた。少女たちは、こんな街では友達もろくに作れず、寂しい思いをしていたので同じ志を持つ仲間が増えるのはうれしかったのだ。

 彼女たちは、寄せ集め所帯ながらも本気だった。本気で、水精霊騎士隊と戦って倒して取って代わろうとさえ思っていたのだ。ベアトリスが頭を痛めるのも当然と言えるだろう。しかしベアトリスがそのことをエーコたちに咎めると、将来ハルケギニアを統べようと志している人が自前の騎士団のひとつも持っていなくてどうしますか、と言われると手持ちの人材の少なさを嘆いていたのも事実なのでそれ以上強くも言えないありさまだった。

 

 と、そこへ、広場の入り口から、やや調子っぱずれな声が響いてきた。

 

「やっほーっ! 先輩ー、おっそくなりましたぁ」

「ティア、遅刻したのにそれじゃ失礼よ。申し訳ありません、エーコ様、ビーコ様、シーコ様」

「ティラ、ティア!? あなたたち、また来たの」

 広場の入り口から駆け込んできて、三人の前で止まったふたりの少女を見て、エーコたちは肩を落として困った様子を見せた。

 その二人は、年のころはエーコたちと同じか少し上くらいに見えて、二人とも新春の若草のような鮮やかな緑色の髪を持っている。ただ、ぱちりと開いた瞳と整った顔立ちの美少女であったが、なんと二人はまったく同じ容姿をしていた。つまり双子である。

 ただ、見分けられないかと言えばそうでもなく、ティアと呼ばれたほうは髪が肩までと短く、ティラのほうは腰まで伸びている。また、雰囲気もティアのほうがどこかふてぶてしいが、ティラのほうは小さな丸眼鏡をかけていて、少し幼げな様子を感じられた。衣装はふたりとも、ふたりの髪と同じグリーンの光沢を持つ、スリットスカートをしたチャイナドレス風のものを着ていた。

 二人はエーコたちの前に堂々と立つと、困惑している新入りの少女たちに向かって堂々と宣言した。

「はじめまして、わたしはティラ」

「わたしはティア」

「「わたしたちは、エーコ姉さまたちの一の家来です」」

 胸を張りながらそう言ってのけたふたりを見て、集まった少女たちはぽかんとするしかなかった。

 しかしエーコたちはそうはいかない。ビーコが仕方なさそうに、ティラとティアに言った。

「ティラ、ティア、何度も言ってるでしょう? 平民は騎士団には入れないのよ」

「またまたぁ、ケチケチしないで入れてくださいよ。わたしたちとエーコ様たちの仲じゃないですか。ねえティラ」

「そうですわ。わたしたちはエーコ様たちに大きな恩を感じているのです。それとも、わたしたちにはもうお飽きになりましたの? 行きずりの関係だったのですか。うっうううぅ」

「そっ、そんなことないったら。泣かないでティラ、あなたたちはわたしたちの大切な友達なんだから」

「「ほんと! やった、だから大好き! わたしたち、エーコ様たちのためならなんでもやりますわ!」」

「だからわたしはあなたたちには別に……もう、どうしてこうなっちゃったのかしら」

 頭を抱えて、ビーコはどうしたものかと首を振った。

 このティラとティアという姉妹と出会ったのは、今からざっと二ヶ月ほど前にさかのぼる。

 ある日、エーコたちはいつものように工場を見回っていると、騒ぎが起こっているのを耳にした。ただのケンカであれば官憲の仕事であるので触らずにゆくところだが、どうも異端審問だの宗教裁判だのと危険な単語が聞こえてきたので、慌てて駆けつけると、工場の人間たちにティラとティアのふたりが囲まれて、街の神父に弾劾されているところだった。

「ちくしょう、なんでブリミルとかいう奴を褒めなきゃ飯も食えねえんだよ。クソッタレが」

「では両名とも、反省のつもりはないということですね。仕方ありません、ロマリア宗教庁の名の下に君たちふたりを異端者とみなし、死刑を」

「待ちなさい!」

 エーコたちは死刑判決が出される直前で割り込み、神父から事情を聞いた。簡単にまとめると、工場で働いている少女ふたりが昼食時の食堂で神父がおこなう始祖ブリミルへのお祈りに対して暴言を吐いたのが原因だという。

 それが、ティラとティアだった。エーコたちはふたりからも言い分を聞くと、異端審問を中止させてふたりを引き取った。異端は大罪であり、エーコたちのやったことはかなり危険な行為だ。しかし、ティラとティアが身寄りがなく、ふたりだけで働きに出てきていると聞いたとき、エーコたちはとても見捨てて行くことはできなかった。

「いい、あなたたち。どんな田舎から出てきたかは知らないけど、始祖ブリミルへの侮辱は大罪なの。今回は世間知らずということでかばってあげられたけど、次はないわよ。気をつけなさい」

「は、はい。ありがとうございます。はぁ……なんてお優しい」

「うっうっ、人間にも、こんないい奴がいるんだなぁ。決めた! あたしらの星じゃ、恩を受けたら必ず返すのが決まりなんだけど、この命、あんたたちのために使わせてもらうよ!」

 こういう具合に、すっかりと懐かれてしまったのである。正直、ありがた迷惑ではあったけれども無下にすることもできず、簡単なことを手伝ってもらったりしているうちに少しずつ気心も知れてきた。魔法は使えないそうなので平民には違いなく、仕事をまかせてよいかどうかは最初疑問があったけれど、ティラもティアも想像以上に利発で働き者で、たいていの仕事は一度教えればすぐに覚えた。

 これは思わぬ拾い物だと、エーコたちが評価を改めるのには時間はかからなかった。過去はあまり語りたがらなかったが、それは自分たちも同じなので無理に聞くことはしない。それに、ふたりとも少々変わっているところはあっても、変わっていることに関しては自分たち姉妹も似たり寄ったりなので気にしなかった。

「ティラ、ティア、あなたたちすごいわね。まるで学者か医者だったみたい。ほんと、あなたたちみたいな子がなんでこんなところで下働きしてたの?」

「そうですね……実はわたしたちは、ある学者の先生についてこちらに来たんですけど、その先生が亡くなって、それで帰るあてもなくなってしまって」

「そうだったの。よければ送る手はずを整えてあげましょうか? あなたたちはもう充分働いてくれたし、クルデンホルフの名義でなら、ハルケギニアのどこへでも旅券を作ってあげられるわよ」

「いやいや、命を救われたお礼をこの程度でなんてもったいない。帰っても、満足に恩も返せずに帰ったりしたらこっちがどやされますって!」

「でも、ご家族や友人が心配してるんじゃ」

「「まあそう遠慮なさらずに!」」

 うまくはぐらかされてしまったような気がしたが、こうして今日までティラとティアはエーコたちといっしょにこの街で過ごしてきた。やがてエーコたちの姉妹もティラとティアのことを知るようになり、いつしか二人も姉妹の中に入ってきたかのように親しく交流するようになってきた。

 とはいえ、仕事に役に立つかどうかと戦いで強いかは別である。エーコたちが作ろうとしている騎士団は、本気で水精霊騎士隊に対抗するための武道派集団である。魔法を使えるか使えないかということで、どれくらい戦いにおいて違いが出るかということをよく知っているエーコたちは、身分関係なくできた友人を危険な目に合わせたくはなかった。

 そのことは、もう何度もティラとティアには説明した。しかしふたりは聞く耳を持たず、今日まで押し問答が続いている。

「はぁ、しょうがないわね。今さら帰れというのもなんだし、あなたたちは魔法は使えないし。なにか、やりたいこととかある?」

「水泳! わたしたち泳ぐのとっても得意なんです。みんなで泳げばきっと楽しいよ!」

「却下! まだ寒いのにみんな風邪ひいちゃうわよ。もう、どうしようかシーコ?」

 騎士団に参加する気満々で、帰るつもりなどさらさらないティラとティア。ビーコが困った様子で助けを求めると、シーコは少し考えるそぶりをしてから自分のかばんを取り出した。

「んーん……そうだねえ、じゃあ今日は趣を変えて勉強会ということにしようか」

「勉強会?」

「うん、姫殿下が最近『召喚されし書物』を愛読してるの知ってるでしょ? 殿下が読み終わった本を持ってきたから、これをみんなで読みましょうよ」

 シーコがかばんをひっくり返すと、どさどさと本が転げだしてきた。

「悪くないわね。あ、でもリードランゲージはみんな使えるけど、それだとティラたちが読めないんじゃない?」

「それは大丈夫、ティラたちにはわたしが読んであげるから」

「シーコ、あなた最近ティラたちに甘くない? というより最初から二人が来るのを見越してたでしょ」

「えへへ」

 髪の色が同じ緑で似ているからか、末っ子で妹ができてうれしいからなのか、シーコはこのふたりと特に仲がよかった。

 とはいえ、すでに空気が特訓向きではなくなっているのもある。見ると、ユウリやティーナら姉たちも、それでいいんじゃないか? というふうにわくわくした顔をしている。ほかの少女たちも同様だ。召喚されし書物とは、それだけハルケギニアでは贅沢な娯楽なのである。

 そうと決まれば、わっと少女たちは本に群がった。それぞれ好きな本を手にとってリードランゲージを唱え、思い思いに楽しみはじめる。

 本はいずれも絵で物語を追っていくものであったが、作者は異なっているようで内容は様々であった。海賊の少年が世界の海を冒険するものや、メガネをかけた力持ちの少女がむっちゃんこな騒動を起こしていくものなど、どれもハルケギニアではありえないようなストーリーと描写が多感な子供の心をぐっと引き込んできた。

 なお、シーコとティラたちは「せっかくだから見敵必殺の精神が学べるものにしましょう。最近姫様が読んでるこれとか、これなんてどう?」と、三人して吸血鬼や眼鏡のデブや神父が仲良く戦争する本や、妖怪首おいてけや眼帯親父や男女が国捕りする本を熱心に読んでいた。

 読書会の様相となった水妖精騎士団の面々は、笑ったり興奮して叫び声をあげたりしながら、読み終わった本を交換しながら楽しい時間を過ごした。こうした面では、彼女たちも年頃の少女そのものであった。

 その端で、セトラやキュメイラは自分たちも好きな本を読みながら、妹たちに新しい友達が出来ていっていることをうれしく思っていた。たとえ、集まった動機は少々不純でも、若者とは元来そうしたものだ。それに、なんであろうと目標を持ってそのために努力しているというのはすばらしい。

 しかし、姉たちはエーコたちの成長を快く思いながらも、同時に自分たちの教えられることへの限界も感じ始めていた。

「ユウリ、どう、最近のエーコたちの育ち具合は?」

「悪くないよ、もうそこいらのごろつきよりはよっぽど強いんじゃないかな。けど……」

「けど?」

「あたしの戦い方はあくまで我流だからね。ケンカに強くはできても、エーコたちが求めてる騎士団としての戦い方は教えられないんだ。どっかに、実戦経験豊富で集団戦も得意なメイジがいればいいんだが、あたしらにそんなのを雇う金なんてねえし」

「そうね、みんなもそろそろエーコたちに教えられることがなくなってきてるし、これ以上の成長を見込むならプロの誰かに頼むしかないけど、あの子たちはけっこうプライドが高いから、知らない人間に素直に教えを受けるかどうか」

 難しいわね、とキュメイラとユウリはため息をついた。

 

 それぞれの思惑は異なれど、楽しい時間を過ごす少女たち。だが、そんな彼女たちに、大変な危険が迫りつつあった。

 少女たちの和む広場に、ガチャガチャとうるさい鉄の足音を響かせて入ってくる大勢の影。少女たちがあっけにとられて見上げる前で、無作法な侵入者たちのひとりが嘲るように言った。

「こんにちは、可愛らしいお嬢さんたち。よろしければ、私どもと楽しいお時間でもいかがかな?」

 重い鉄の鎧を着込んだたくましい重装騎士の一団の乱入に、少女たちの間に戦慄が走る。しかし、エーコたちはその騎士たちが身につけている紋章がクルデンホルフのものだということに気づき、目の前に現れた男たちの名を苦々しげにつぶやいた。

「空中装甲騎士団……」

 

 そして同じ頃、ベアトリスも予期せぬ客を前にして怒りを覚えていた。

「なんですって……? もう一度、言ってみなさい」

「ははっ、我ら空中装甲騎士団一同、ベアトリス殿下の護衛のためにはせ参じました。本日よりは、我らを手足のように使い、存分に大事をなせとの当主様よりのご命令です」

 目の前にひざまづいて頭を垂れる騎士たちを見下ろして、ベアトリスは「お父様め、余計なことを……」と奥歯をこすらせた。

 空中装甲騎士団。それはクルデンホルフ公国の有する竜騎士の大隊で、実力はハルケギニアでも五指に入ると武勇が知れ渡っている。

 当然、ベアトリスにとっても誇るべき勇者たちなのだが、今回は事情が異なる。空中装甲騎士団は確かに強いが、裏を返せばそれだけの軍団であって融通がきかない。護衛にしては大げさすぎるし、権威を示すにしても周り中が貴族だけの魔法学院ならまだしも、この街では平民への余計なプレッシャーになってしまう。

 恐らくベアトリスの父、クルデンホルフ公国王は辺境で努力している娘への親心として空中装甲騎士団を送ったのだろうが、今のベアトリスに必要なのは戦闘集団ではない。様々な事態に柔軟に対処できる小回りのきく人材なのだ。空中装甲騎士団では助力どころか足手まといになってしまうだろう。

「必要ないわ。わたしは今のままでもじゅうぶんに仕事を勤めてる。あなたたちは帰還してクルデンホルフ本国の防衛につきなさい」

 最初が肝心だと、ベアトリスは不要の意思を断固とした口調で伝えた。しかし、相手も壮齢に達した歴戦の騎士団の指揮官、簡単には引き下がらない。

「そのご命令は聞けませぬ。我々は当主様直々のご命令を受けております。常に姫様を警護し、あらゆる脅威からお守りしろとのこと。聞くところによると、姫様は先日暴漢に襲われてお怪我をなされたとのこと、ご心配なさるお父上のお気持ちもお察しください」

 これはもちろんヤプールに騙されていたときのエーコたちの姉妹に負わされた傷のことである。しかしベアトリスは恨みに思ったことはないし、傷自体もすぐに治して口外も避けてきた。しかし、どこからか漏れて本国に伝わってしまったらしい。

「そのことは心配いらないわ。たいした傷を負わされたわけじゃないし、何事をも無傷で済ませられると思うほど子供じゃないつもり。危険に近づくのも勉強のうち、お父様のお気持ちはうれしいけど、わたしは信頼できる部下は自分で集める。お父様の手を借りるつもりはないわ」

「いえ、あなた様はまだお若い。どんな狡猾な輩に騙されるか、まだ世間の厳しさをわかっておりませぬ。しばらくは、忠義に疑いのない我らをお使いくださいませ。姫様につこうとする害虫は、我らがすべて排除いたしまする」

「大きなお世話よ。わたしにはもう、エーコたちが……まさかあなたたち! エーコたちに」

「あのような没落貴族の子弟なぞ、信用がおけませぬ。今頃は、泣き喚きながら化けの皮をはがされておりましょう」

「っ! あなたたちっ! エーコ、ビーコ、シーコ!」

 ベアトリスは惰眠をむさぼっていたことを後悔した。ドアを蹴破るようにして駆け出すが、エーコたちが特訓場所に使っている広場はこのホテルから急いでも三十分はかかる場所にある。

 間に合うか、間に合って! 

 体裁も考えず、ホテルから飛び出して必死に走るベアトリス。その頭上には、ホテルの屋上から飛び立った竜騎士が、どんなに急いでも遅いよとでも言う風にゆっくりと飛んでいた。

 

 

 だが、事態はここで誰もが予想もしなかった方向へと進もうとしていた。

 エーコたち、仮称水妖精騎士団に対して、逃げ場を塞ぐように広場の入り口に布陣する総勢三十名の空中装甲騎士団。彼らはエーコたちへの嘲りを隠そうともせず、高圧的に要求を突きつけた。

「つまり、金輪際ベアトリスさまに近寄るな。さもなければ痛い目にあってもらう、ということですね?」

「そうさ、クルデンホルフの財産からこれまでいくらかすめとってきた? あいにくだが、これからは真の忠義を持った我々が姫殿下をお助けする。わかったか、薄汚いこそ泥ども」

 ぶつけられる罵声に対して、エーコたちは表情を変えずに受け止めた。だがエーコ、ビーコ、シーコの心には怒りの炎が激しく燃え始めていた。

 こそ泥? こそ泥と言ったか? ふざけないでもらおう。わたしたちはこれまで、金子を目当てにあの人といたことは一度たりとてない。

 しかし空中装甲騎士団は人数だけでもエーコたちの倍近くもいる余裕からか、エーコたちの心の機微を察しようともせずににやけ笑いを続けている。エーコたち姉妹以外の少女たちは、はじめて体験する恐ろしげな男たちの空気に怯えて後ろで震え上がっていた。

 張り詰める空気。しかしそれを破ったのは、ひとりの少女のせせら笑う声であった。

「ウ、フフフ、クックククク……」

「む? 小娘、なにがおかしい!?」

「ティア!?」

 その場の全員の目が、ふてぶてしく笑う緑色の髪の少女に向けられた。

「笑える冗談ね。あんたたちは自分たちの半分くらいの相手に鎧をつけて現れるような臆病者の軍隊で、わたしたちはハルケギニア最強の軍集団を目標にして集った精鋭たち。肥えた体を包み隠さなくては人前にも出られないようなロートルが、真の忠義とはねぇ」

「な、なんだと小娘! まだ子供だと思って甘い顔をしてたらつけあがりおって!」

 挑発するティアに、いきり立つ空中装甲騎士団の男たち。がしゃがしゃと鎧を鳴らし、鈍器にもなっている杖を握り締めて威圧する。そのプレッシャーに、怯えていた少女たちはさらに縮こまった。

 空中装甲騎士団としては、この威圧だけで女子供の集まりなどたちまち降参してしまうだろうと考えていた。が、その期待は雄雄しい叫びによって打ち砕かれた。

「水妖精騎士団、杖を取りなさい!」

 エーコの凛々しい声が広場に響き渡り、恐怖に怯えていた少女たちの耳も揺さぶった。

「え、エーコさん!?」

「わたしたちが間違ってたわ。水精霊騎士隊をつぶして、ハルケギニア最強の騎士団を目指すなら、こんなところでつまずいてられないもの。わたしたちの目の前に立ちふさがる障害は叩いて潰す! 逃げも隠れもせず、正面から押し潰し、粉砕する! さあ杖をとりなさい! あなたたちは狗か? 豚か? それとも人間か?」

 茶色い髪を振り乱しながらエーコの放った激が、怯えていた少女たちから恐怖心を薄れさせていった。

 そうだ、こんな理不尽な脅迫に屈するわけにはいかない。ここで戦わなかったら、一生逃げたという足かせを引きづったまま生きることになる。仲間たちが戦おうとしているのに逃げたら、もう二度と貴族と名乗れない。

 震えながらも杖をとって前に出た少女たち。年若くても、彼女たちもまた誇り高いトリステイン貴族の血を受け継いでいた。

 ユウリやディアンナたちも笑いながら杖を抜いている。二十人近い少女が臨戦態勢に入り、その恐れを知らぬ様子は歴戦の騎士たちをもたじろがせるものがあった。

 対峙する空中装甲騎士団と水妖精騎士団。空中装甲騎士団は、思ってもみなかった少女たちの反抗に驚きながらも、それでも虚勢を張って杖を向けて通告してきた。

「お嬢さんたち、もう冗談ではすまないぞ。我々空中装甲騎士団に杖を向けたこと、たっぷりと後悔させてやる。泣いて謝っても許さん! 遺言でも考えておけ」

「遺言ね、じゃあせっかくだし先に聞いておいてもらおうかしら? ティラ、ティア」

 杖を向けられたシーコが、ティラとティアを連れて一歩前へ出る。そして彼女たちは空中装甲騎士団に対して、”遺言”を歌うように読み上げていった。

 

「小便は済ませたか?」

「神様にお祈りは?」

「部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?」

 

 これが決定打になった。いきり立って、杖を振り上げてくる空中装甲騎士団。対するは、実戦経験皆無の水妖精騎士団。

 

「シーコ、なに? 今の台詞」

「さっき読んだ召喚されし書物に載ってたの」

「うん、とりあえず女の子が言う言葉じゃないね」

 

 呆れた様子のビーコと、いたずらを成功させたように茶目っ気に微笑むシーコも戦闘態勢に入り、ティアとティラもうれしそうに笑う。

「あっはは、ケンカですねケンカだね。楽しくなってきたなあ」

「でもテレポートとかを使っちゃだめよ。さあ、恩返しの絶好のチャンスね」

 

 そして、騒ぎを少し離れた場所から楽しげに見守っている、黒い服の少女がひとり。

「うっふっふふ、見ものですわ見ものですわ。こんな面白そうなものが見れるなんて、今日はラッキーね。お仕事はこの後にしましょっと」

 

 事態はひたすらに混迷を深めていく。果たして、最後に立っているのは誰なのだろうか……

 

 

 続く



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第35話  死闘! 神よ、乙女たちのために泣け

 第35話

 死闘! 神よ、乙女たちのために泣け

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

 空中装甲騎士団と水妖精騎士団。互いのプライドを賭けた戦いが今、始まろうとしていた。

 空中装甲騎士団は、百戦錬磨の重装騎士四一名。

 対する水妖精騎士団は、エーコたち姉妹九人とこの街の貴族の少女たち十三人、それにティラとティアを足して二十四人のほとんどが素人集団。

 普通に考えれば、どちらが勝つかなどは戦う前から子供でもわかる。だが、戦力の多寡だけで勝負が決まるなら誰も戦ったりはしない。

 人間は勝敗以前に、戦わねばならないことがあるから戦う。男も女も関係なく、譲れない意地というものはある。

 たとえ殺し屋が近くに潜んでいたとしても、そんなことは知らない。たとえ世界の危機だとしても、そんなことは関係ない。

 宣戦の布告はとうに済んだ。

 よろしい、ならば戦争だ!

 

「うおぉぉぉぉぉっ!」

「いやあぁぁぁぁーっ!」

 

 獣の吼えるような声とともに、戦いの幕は切って落とされた。空中装甲騎士団は威勢をつけるために、水妖精騎士団は恐怖に打ち勝つように叫び、それぞれ得意とする魔法を放つ。

『ファイヤー・ボール!』

『エア・ハンマー』

『氷の矢!』

 炎、風、氷が左右から乱れ飛んで相手を襲う。メイジとメイジの戦いは、一撃一撃が致命傷に繋がる威力を持つだけに、小細工よりも単純な力勝負に向いて派手だ。つまりは先手必勝、集団戦ではこれが特に顕著となる。

 しかし、今回の互いの第一撃はどちらも有効打にはならなかった。

 空中装甲騎士団は、自分たちに向けられた魔法をすべて立ったままで受け止めた。火も、風の刃も氷のつぶても鋼鉄の鎧にはじかれて空しく落ちていく。彼らは重い鎧をまとっているために素早くかわすといった芸当はできない代わりに、その鎧は魔法で強化された特別製であり、ドットクラスの魔法程度では打ち抜くことはできなかったのだ。

 一方、水妖精騎士団に向けられた魔法は、彼女たちの前に張り出した風の壁によって方向を狂わされて、すべてあらぬ方向に飛び去るか外れて埃を舞い上げるかに終わった。

「さっすが姉さんたち!」

 シーコが感激で歓声をあげた。今の風の壁はキュメイラとディアンナの仕業だ。この二人は攻撃に参加せずに、最初から防御に徹するつもりで待っていた。空中装甲騎士団が「女子供に本気を出せるか」と、まだ舐めていたのもあるが、ラインメイジ二人分で作られた風の防壁はそう簡単には突破されはしない。

 互いの初太刀はそれぞれかわされ、相手にはいささかのダメージもない。

 この状況に対して、空中装甲騎士団のとる手段は簡単だ。単に、キュメイラとディアンナの張る風の防壁を突破できるくらいに強力な魔法を打ち込めばそれでいい。それで、水妖精騎士団の隊列はズタズタになって勝負は早くも決まるであろう。

 しかし、そうはさせじと猫のように飛び出した娘たちがいた。

「なにっ!?」

「ウェンディ・アイシクルは唱えさせないよ」

 一瞬で距離を詰め、空中装甲騎士団の足元に現れたのはユウリとティーナだった。兜で視界が限られていて、特に足元が見えにくくなっていた空中装甲騎士団はふたりに反応するのが遅れ、その一瞬のうちにふたりの放った魔法が炸裂する。

『ライトニング!』

『エア・ハンマーだよ!』

 至近距離からの電撃魔法と圧縮空気の弾丸の炸裂が男たちをしびれさせ、数人まとめてドミノ倒しに吹っ飛ばした。手が届くほどに近づけば魔法耐性の鎧だからとて受けきれず、鎧の隙間から見下ろす空中装甲騎士団員の目に、不敵に笑うユウリとティーナの顔が映った。

「この、餓鬼め!」

「トロいお前らが悪いんだろ、ウスノロ」

「ウィヒヒ、そうら、よそ見してていいのかな?」

 空中装甲騎士団が激昂して、足元のふたりに気をとられたその隙に、次の攻撃は迫っていた。

 下から来たなら次は上から、男たちが下に注意を向けた一瞬に、跳躍して頭上から襲い掛かるエメラルドの矢。

「「えいやーっ!」」

 ティラとティア、ふたりのダブルキックが空中装甲騎士団員の顔面に直撃し、だるまのように周りの団員を巻き込みながら転がした。

 そのままふたりは空中で一回転し、重さを持たない羽根のように地面に降り立つ。ふたりの緑碧玉のような髪が舞い、ふたりの身につけているグリーンのスリットスカートのドレスが優雅にたなびいた。

 目を丸くする空中装甲騎士団。当然だ、完全武装のメイジの騎士に、素手で真っ向から挑んでくる人間など非常識にもほどがある。

 それは水妖精騎士団の面々にしても同様で、エーコやシーコたちもティラとティアがまさかこんな無謀な行動に出るとは思っていなかったので、止めることもできずに飛び出していくのを見守っていたのだが、結果はこのとおりあっさりと騎士ひとりを昏倒させてしまった。

 しかし、虚を突かれた空中装甲騎士団は、目の前で余裕げにたたずむふたりの少女をそのままにしてはおかなかった。相手が丸腰の少女であるにも関わらず、杖を向けて魔法を放とうとする。が、そのスペルを唱えきるよりも速く、ティラとティアは空中装甲騎士団の隊列に飛び込んでいった。

「な、速いっ!?」

 ティラとティアの瞬発力は空中装甲騎士団や水妖精騎士団の想像をはるかに上回っていた。瞬く間に間合いがなくなり、ひとりの騎士に足払いをかけて転ばせる。さらに隣にいた騎士のマントを左右から掴むと、ふたり同時に思いっきり引っ張って引き倒してしまった。

「うわぁぁっ!?」

 転倒させられた騎士は鎧の重さが仇になってすぐには起きられない。元々空中装甲騎士団の鎧はドラゴンに騎乗して戦うことを想定しており、地上で着て戦うようにはできていないのだ。

 転ばされてもがく騎士の背中を踏みつけて、ティラとティアはにこりと友達にあいさつをするようににこりと笑う。

「「いらっしゃい?」」

「この、小娘たち!」

「よ、よせっ、味方に当たる!」

 激昂して魔法を放とうとした騎士は、同士討ちを恐れた仲間に止められて慌てて呪文を止めた。だが、その隙をついてふたりは跳んでいた。

 ティラとティア、ふたりは鏡合わせのように同時に跳ねて、ひとりの騎士の顔面にふたり同時に膝蹴りを食らわせた。鎧の隙間から鼻先を叩き潰され、鼻血を出しながらまたひとり騎士が倒れる。

 さらに、ふたりは倒れ掛かった騎士を踏み台にして、断崖を駆け上がる鹿のように再度跳ねていた。騎士たちの頭上でティラとティアのグリーンの髪とドレスが舞い、まるで宙空で人魚が跳ねているかのような美しさに、騎士たちは一瞬それに見ほれてしまったほどだ。そして空を背にして一回転し、風にたなびいたスリットスカートからしなやかな脚が伸びて空を斬る。

「あ、白、し……」

 その光景をラッキーにも正面から見れた騎士は、鼻血を出そうとしたところで強制的に意識をカットされた。落下しながら放たれたティラとティアの蹴りが彼の頭の左右から同時に炸裂し、脳に許容限界を超える衝撃が加えられてしまったのだ。もっとも、痛みをほとんど感じずに沈められたという点で彼は同僚たちより幸運ではあった。思い切り頭を叩かれたショックで、気を失う直前に見た光景を忘れてしまったことが少々不運ではあっただろうが。

「あいにくね」

「わたしたちは」

「「自分の安売りはしてないのよ」」

 倒れた騎士を踏み台にして、騎士たちを見下ろしながらティラとティアは歌うように告げた。騎士たちは、丸腰であるにも関わらずあっというまに五人もの騎士を倒してしまったふたりの少女の気迫に圧倒されて手が出せない。

 そして、誰より驚いていたのはエーコたちである。

「あ、あの子たちが、あんなに強かったなんて」

 最初は、無茶なことはやめて逃げてと叫ぼうとしたが、ティラとティアの身のこなしはエーコたちの想像を軽く超えていた。あの俊敏さ、あの跳躍力は銃士隊の隊員たちのそれに匹敵するか、もしくは上回っているだろう。姉妹ゆえに完璧に息が合っていることも含めて、プロの戦闘集団であるはずの空中装甲騎士団が完全に手玉にとられている。

 魔法の使えない平民だと思っていた。人懐っこいばかりの田舎者だと思っていた。学者の卵で、つかみどころがないけれど明るく元気なだけのただの娘だと思っていた。しかしそれは一面だけしか見ていなかった。ティラとティア、あのふたりは強い。格闘技の心得があるのかどうかはわからないが、あの身のこなしは常人のものではない。いや、人間離れしているとさえ言ってもいいと感じた。

「人間離れ……まさか」

 ビーコはふと、自分たちにも覚えのある”あること”を思い出した。まさか、もしかしたら、そんな……

 しかし、戦いは不安に浸る余裕さえも与えてはくれなかった。いくらティラとティアが活躍しても、空中装甲騎士団はまだ三十人以上もいる集団だ。これ以上、たかが平民に舐められては沽券に関わると、同士討ちの危険もかまわずに一斉にふたりに襲い掛かってきた。危ない! いくらふたりが俊敏でも、四方八方から魔法を撃たれたら逃げ場がない。

 が、頭に血が上った彼らは自分たちの隊列に潜り込んでいるのがティラとティアだけではないことを忘れていた。

「バカにつける薬は」

「ないってね、ヒヒッ」

 至近距離から放たれる魔法のつぶてと飛び交う悲鳴。ユウリとティーナの魔法攻撃が炸裂し、鎧で守りきれない箇所を切り裂き、叩き付けた。その隙に、ティラとティアは安全圏に跳んで逃れ、四人は視線を交し合った。

「ありがとうございます。さっすがお姉さま方!」

「ククッ、お前たちはなんとなくあたしたちと似た匂いを感じたんでね。なにかやらかしてくれると思ったけど、おもしろい、おもしろいじゃん!」

「いいねえ、楽しいのは大好きだよ。あんたたち気にいったよ、さあ、もっと遊ぼうよ!」

「もう、ティアに合わせるとすぐ荒事になるんだから。まあいいわ、エーコさまたちに仇なそうとする無頼者にはきついおしおきが必要ですものね」

 おとなしそうに見えたティラもその気になればけっこう過激らしい。そういえばさっきもえげつない台詞をノリノリでしゃべっていたが、こういうタイプが実は一番怖いかもしれない。

 四人の娘に隊列をめちゃくちゃにされて、空中装甲騎士団はすでに統率のとれた動きは不可能になっていた。しかもそこへ、ディアンナに指示された水妖精騎士団が魔法攻撃を撃ち込んで混乱を助長した。いくら堅固な鎧をまとっていたとて、受けるつもりでいるのといないのとでは耐えられる強さがまるで違う。またも数人が倒されて、ついに空中装甲騎士団の戦闘可能人数は水妖精騎士団よりも少し多い程度まで下がった。

 だが、彼らもこのままおめおめと苦杯を飲むつもりはなかった。相手が少女たちだからと手加減していたのもここまでだと、指揮官らしき男が叫んだ。

「総員、隊列を解いて個々に戦え! 空中装甲騎士団前進、我らの敵に地を舐めさせよ!」

 その命令で、混乱していた空中装甲騎士団に秩序が戻った。彼らはそれまでの、無理に隊列を維持しようしていたのをやめてバラバラになって攻め入ってきた。杖を構え、鎧を鳴らしながら水妖精騎士団へと迫ってくる。彼らの兜のすきまから覗く目の鋭さに、少女たちはついに空中装甲騎士団が本気を出してきたことを悟った。

「男たちの中にも少しはできるのがいたようね。水妖精騎士団前へ! 迎え撃つわよ」

「はいっ!」

 少女たちもときの声をあげて前進する。ユウリやティラたちの活躍が、戦いにはまったくの素人の彼女たちにも勇気を与えていた。

 

 しかし、水妖精騎士団がまがりなりにも有利に戦えたのもここまでだった。

 互いに魔法を唱え合い、再び幾多の炎や水や風や土の弾丸が交差する。空中装甲騎士団はそれらをすべて鎧と魔法で受けきったが、水妖精騎士団のほうはそうはいかなかったのだ。

「きゃああっ!」

「う、あっっ、痛い、痛いよおっ」

「カレン、ユミナ! 大丈夫、しっかりして!」

 数人が魔法を受けて倒されてしまった。最初に魔法攻撃を受けたときは空中装甲騎士団はきちんと陣形を組んで一斉攻撃をしてきたので、キュメイラとディアンナの魔法でそらすことができたが、今度は個々人がバラバラに魔法を撃って来た為にすべてを防ぎきることができずに取りこぼしが出てしまったのだ。

 しかも、これが実戦を積んで鍛えた騎士であれば少しくらいの負傷には耐えて戦い続けられただろうが、完全な素人である彼女たちは傷の痛みに耐えられなかった。

 すぐにキュメイラが駆け寄って水魔法で治療をする。だが少女たちは初めて味わう実戦の痛みに怯えて暴れ、言い聞かせてもなかなか治療が進まない。

 そこへ、空中装甲騎士団の指揮官がすごみの利いた声で告げてきた。

「よくも調子に乗ってくれたな小娘たち。子供の遊びと手加減していたが、もう容赦はしないぞ。お前たちに、戦場の恐怖というものをたっぷり味わわせてくれる。覚悟するがいい!」

 明白な宣戦布告であった。空中装甲騎士団はすべて、水妖精騎士団を打ちのめすつもりで杖を握り締めている。これがギーシュなどであれば、女性に手を上げるとは男の風上にもおけないなどとと言うだろうがそうではない。実戦において、女性の傭兵や騎士などが少数にせよ存在することは常識だ。それらと対峙したときに、いちいち手を抜いて戦っている余裕などはなく、もたもたしていたら自分が殺されてしまう戦場においては愚行というほかはない。

 これが、本物の戦争を生き抜いてきた人間の空気。その威圧感に、新米の少女たちは怯えて、半べそになってすでに戦意を失ってしまっている。

 エーコたちも、相手が本気を出していなかったからこそ戦えたことを思い知って冷や汗を流した。まずい、このまま真っ向から戦えば、勝機は万に一つもない。

 ところが、このまま戦わずして水妖精騎士団が瓦解するかと思われたとき、悠然と声をあげた者がいた。

「だからどうしたの? 鎧ダルマさんたち」

「し、シーコ?」

 突然、目を伏せて重々しくつぶやいたのはシーコだった。その挑発げな声色に、ビーコははっとしてシーコを見た。いけない、今この男たちを刺激しちゃ危険だわ、と。

 しかしビーコの懸念は斜め上の方向で裏切られた。シーコは顔を上げて、まるで狂信者のように殺意をみなぎらせた目で叫んだのだ。

「我らはベアトリス姫殿下の代理人。我らの使命は、姫様に仇なす愚者を、その肉の最後の一片まで根絶やしにすること。有象無象の区別なく、わたしの杖は許しはしないわ!」

「あ、この子また何か変なのに影響されてるわ」

 盛大にたんかを切ったシーコに、ビーコは「だめだこりゃ」とつぶやいた。シーコは姉妹の中で一番好奇心旺盛だけれども、なにかと流行とか本とかに影響されやすい。これはたぶん、さっき読んでいた召喚されし書物の影響だろう。その証拠に、ティラとティアが「よく言ってくれました!」とばかりに後ろで黄色い声をあげている。ついでにユウリとティーナも笑いながら手を上げている。あなたたちこの短期間で仲良くなりすぎでしょ! と、エーコやビーコは思うのであった。

 空中装甲騎士団はシーコの啖呵を負け惜しみと思って高笑いしている。だが、シーコのこの無謀に思えた一言が姉妹の闘志に火をつけた。

「そうね、地獄を味わってきたのは軍人さんたちだけじゃないものね」

「一度は悪魔に魂を売った鬼子の手管、お行儀のいいつもりの兵隊さんたちにお見せしましょう」

 イーリヤ、セトラもあらためて杖をとって身構える。復讐鬼として生きていたあの頃に比べたら、このぐらいのことなどピンチのうちにも入らない。

 エーコとビーコも、まったく今日はついてないわねとぼやきつつも攻撃呪文のスペルを唱えだす。どのみち逃げるつもりも降参するつもりも最初からない、形成不利なんて考えるまでもなくわかっていたこと、困難を乗り越えていくことができなければ騎士団を名乗ることなど永遠に不可能だ。

 道がないなら切り開く、戦意は完全に蘇った。

「あああああああーっ!」

 少女とは思えない絶叫を放って、魔法がふたつの騎士団のあいだを交差する。

 が、今回の激突は一方的な結果に終わった。

「ううっ、い、痛ぁっ」

「しっかりしなさい、ビーコ、シーコ!」

 完全武装と無防備、その差はやはり大きかった。空中装甲騎士団は今回もほぼ無傷なのに対して、エーコたちはいずれも傷を負っている。

 ビーコの額からつうと血が流れてえりを赤く染めた。エーコの左手が服ごと凍りつき、凍傷になる前に無理矢理引きちぎった。

 セトラ、ディアンナたちもそれぞれ衣服や髪を傷つけている。さきほどまで元気だったユウリ、ティーナらやティラ、ティアも今度は全部は避けきれずに傷を負っている。

「ははっ、あーあ、この服はお給金を溜めてやっと買ったのに、ひどいなあ」

「今さら後悔しても遅いぞ。我々を愚弄した罪は、もはや万死に値する。子供の騎士ごっこが調子に乗ったむくいだ。もう謝っても許さんぞ!」

 激昂して放たれた魔法弾がティーナを襲い、かばったユウリごと吹き飛ばす。ふたりは広場に積んであった資材に突っ込んで、崩れてきた材木などに全身を強打された。

「「このっ! おふたりをよくもっ!」」

 ティアとティラが怒って飛び掛るも、今度はふたりの動きも相手に読まれていた。身軽さを活かして、相手の死角から攻撃をかけようとしたふたりの前へと魔法弾が打ち込まれ、避けようとしたところへさらに別の攻撃が加えられては避けようがない。

 ティアは左手に火傷を負い、ティラは腹を空気の塊に強打されて胃液を吐いた。

「ふん、平民がでしゃばるからだ。いくら速かろうと、あれだけ見せられれば我らには充分だ。風と共に駆ける竜騎士の視力をあなどるではないわ」

 ティラを助け起こしているティアを見下ろしながら、空中装甲騎士団員が冷徹に言い捨てた。

 やはり、強い。さっきの攻撃でティアとティラの動きの癖は完全に読まれていた。これでは今後、いくら奇襲を仕掛けようとしても成功はしまい。

 だが、空中装甲騎士団はこれでおさめるつもりなどはさらさらなく、さらに魔法をぶつけてきた。避ける以外にたいした防御手段のない姉妹とティア、ティラに次々魔法が当たり、たちまちのうちに彼女たちはボロボロにされていく。

 セトラ、ディアンナ、キュメイラが血を流して荒い息をついている。ユウリとティーナはそれぞれ片腕が折れたらしく、だらりと片腕を垂らしながらもう一方の腕でかろうじて杖を持っていた。エーコ、ビーコ、シーコにしても大なり小なり傷を受けている。水魔法での治療も焼け石に水でしかない。

 どころか、事態は悪化の一途を辿った。エーコたちのダメージは増える一方なのに対して、空中装甲騎士団の負傷者たちは水魔法で治療を受けて戦線に復帰して復讐戦を挑んできた。いつの間にか、空中装甲騎士団はほとんど開戦時の戦力を回復してしまっている。

 勝負はほぼついたようなもの。空中装甲騎士団の指揮官は、ひざをついて倒れかけているエーコたちを見下ろしながら笑った。

「これまでだな、痛いか? 苦しいか? だがそれは罰だ、身の程を知るがいい。ふっはっははは!」

 まるでなぶり殺しだった。空中装甲騎士団は、一時の小細工で倒されることはないというふうに高い地力を見せ付けて、大きな壁として水妖精騎士団の前に立ちふさがっている。

 しかし、エーコたちの誰も倒れることはない。何度打ちのめされようとも、そのたびにひざを突きながらでも立ち上がってくる。

「つぅ……シーコ、大丈夫?」

「なんの、このくらいの痛み、あのときの痛みに比べたらなんてことないって」

 シーコはそう言って、あのときのことを思い出すように、今ではもう影もなくなってはいる腹の傷跡に手を当てた。

 戦いはまだこれから。しかし、勝機はこのままでは万に一つもない。それでも立ち上がろうとする彼女たちに、空中装甲騎士団はしだいにじれて、怒鳴りつけてきた。

「もういい加減にしろお前たち! 勝ち目などないのがわからんか。命まで奪うつもりはないが、これ以上長引くと取り返しがつかんことになるぞ、あきらめろ!」

 もう勝敗は決まったも同然、なのになぜ立ち向かってくる。純粋な軍人である彼らには、彼女たちの折れなさの理由がわからなかった。

 それに、エーコたちのやられ様を見続けていた水妖精騎士団の少女たちも、ついに耐え切れずに叫んだ。

「も、もうやめてください先輩方、それ以上戦ったら死んじゃいます! もういいじゃないですか。降参しましょう。謝ったら許してくれるって言ってるじゃないですか」

「そうです! しょせんわたしたちなんかに騎士団なんて無理だったんです。男の人に勝つなんて無理です。せめて逃げましょう!」

 少女たちは戦いの恐怖に怯えきっていた。無理もない、経験のない人間が血しぶきの飛び散る様を見れば誰でも足がすくむ。

 だが、エーコたちはフッと笑うと楽しげに言った。

「勝ち目がない? あきらめる?」

「降参? 謝る?」

「無理? 逃げるですって? 冗談じゃないわね」

 三人ともすでにズタボロだ。しかし三人の目はまったく死んでいない。

「勝ち目がないからって何だっていうの? 一生、勝ち目のある戦いだけしていけると思うの?」

「あきらめてどうなるっていうの? 価値のない明日につないでなんになるっていうの?」

「無理っていうのはね、わたしたちがあきらめるということを言うのよ。それにね、わたしたち……ふふふ、ふっふふふ……」

 低い笑い声が漏れた。そして。

「楽しいのよ、こんなときなのにわたしたちとっても楽しい!」

「ええ、わたしたちは戦ってる。姫様のために、自分たちのために、みんなでいっしょに!」

「これが楽しくなくてなんだっていうの? あっはっははは!」

 高笑いが響き、少女たちは唖然とし、空中装甲騎士団はあっけにとられた。

 狂したのか? いや、エーコたちは正気だ。正気で、弱いほうが強いほうを笑い、道理に強理を持って貫こうとしている。

 さらに、エーコは千切れたツインテールを揺らしながら少女たちに告げた。

「あなたたちはどうするの? ここで頭を下げて一生負け犬の屈辱を背負って生きるか、それともわたしたちに続いて下品な男たちを泣かすか、好きなほうを選びなさい」

 それだけ告げると、エーコたちは答えを待たずに杖を握り締めて前へ出た。

 ユウリにセトラ、姉妹たちも皆それに続く。そして、その光景を見て、ティアとティラはうれしそうに笑うのだった。

「かっこいいなあ、やっぱ人間ってすごいよ、すげえよ、素晴らしいよ」

「やはり、あの方々についてきたのは間違いではなかったわね。さあ行きましょう、わたしたちが受けた恩を返すのはこれからです」

 薄汚れた緑色の髪をかきあげてティアとティラも構えをとる。

 戦いはこれからだ。

 杖を握り締めているだけがやっとのありさまでありながらも、なおも向かってこようとする少女たちの姿は、歴戦の空中装甲騎士団の背中にも冷たい汗を流させる。彼らはエーコたちが辿ってきた道のけわしさと、そこで得てきたものの重さを知らない。

 たった十人足らずの少女たちが、プロの軍人を気圧している。その光景に、水妖精騎士団の少女たちは、うまく言葉に表すことはできないものの、なぜか胸がぐっと締め付けられるものを感じ始めていた。

「わたしたちは、水妖精騎士団……」

 遊びでつけられたはずだった名前が、汚してはならない軍旗のように思えてくる。

 戦いは野蛮なもの……だけど、戦わないと守れないものもある。

 

 だが、エーコたちがどんなに気力をふりしぼっても、空中装甲騎士団の鎧には彼女たちの牙は通らず、彼らが手を緩めることはない。

 このまま戦いが長引けば、なにか悪いことが起こる。空中装甲騎士団は長年の勘からそう感じ出した。

「部隊長、これ以上長引いて騒ぎが衆目につくようなことになれば……」

「やむを得ぬな、我らの名に傷が付くことだけは避けねばならぬ。かくなるうえは手足をへし折ってやってもかまわん。身動きをとれないようにして病院に叩き込んで終わりだ!」

「はっ! そして、みじめな様になった小娘たちを目の当たりにすれば姫殿下もご自分の甘さに気づかれることでしょう。彼女たちには可哀想ですが、生贄になってもらいますか」

 じれた狼が我慢の限界を超えて、ついによだれを垂らして牙をむき出した。

 加減を抜いた凶悪な魔法のスペルが流れ、家一軒を吹き飛ばせるほどの魔力が溜まっていく。

 それでも、エーコたちには引く道はない。避ける力も防御するだけの力も残っていない彼女たちは、残った力のすべてを攻撃に向けようと呪文を唱える。たとえそれが、相手の攻撃の前に吹き飛ばされてしまうそよ風の吐息だったとしても。

 

 だがまさにこのとき、彼女たちのいる広場に向かって、一対の足音が近づきつつあったのだ。

「ハァ、ハァ、ま、間に合って、間に合ってっ!」

 息を切らしながら、ベアトリスはフラつく足を叱咤して走っていた。

 ホテルを飛び出してからここまで、途中で何度か魔法で飛んでショートカットしてきたがもう限界だ。しかし間に合わねばという一心で、とにかくここまで急いできたのだ。

 空中装甲騎士団とやり合ってはエーコたちのお遊びなどひとたまりもない。なんとしてでも止めなくてはという思いで、必死にここまで走ってきて、ようやく騒動の音とともに件の広場が見えてきた。

 けれども、ベアトリスの眼に飛び込んできたのは、今まさに魔法を放とうとしている空中装甲騎士団とエーコたちの姿だった。

 いけない! ドットメイジのベアトリスにも、あんな魔法を受けたらエーコたちが無事ではすまないのはわかる。止めなくては! だが、どんなに走っても広場に駆け込むにはあと十数秒はかかる。大声を出して止めようにも、全力で走ってきたせいで喉が涸れて声が出ない。

「だめ、間に合わないっ」

 絶望がベアトリスの胸を包んだ。あとまばたきを数回もすれば、エーコたちは恐ろしい魔法によってズタズタにされてしまうだろう。

 わたしのせいだ、全部わたしの。エーコたちの危険な遊びを、怒鳴りつけてでもやめさせていればこんなことには。

 

 だが、ベアトリスの目に惨劇は映らず、耳にエーコたちの悲鳴が聞こえることはなかった。

 強力な空気の弾丸が飛び込んできて炸裂し、猛烈な風圧でもって空中装甲騎士団を十数人まとめてふっ飛ばしたのである。

 

「見てられませんわ見てられませんわ見てられませんわ」

 

 轟音と、空中装甲騎士団の悲鳴が響く中で、広場につぶやくような少女の声が流れた。

 その場にいた全員の視線が声のした方向に注がれる。そして、資材の山の上から羽根が舞い降りるようにふわりと一人の少女が広場に降り立った。

”誰だ?”

 全員の思考がそこで固定された。少女の顔に見覚えがある者は一人もおらず、しかし少女は白いフリルのついた黒のドレスを優雅にひらめかせ、鋭い碧眼で場を見渡している。

 

【挿絵表示】

 

 敵か、味方か? だが今の魔法は間違いなく空中装甲騎士団を狙ったものだ。ならばと、空中装甲騎士団のひとりが声を荒げた。

「貴様、何者だ? なぜ我々の邪魔をするか」

「別に。わたくしはただの通りすがりの者ですわ。ちょっと退屈しのぎに散歩してたんですけど、おもしろそうな香りがしたので見物してましたの。いいですわね、わたくしとしたことが久しぶりに胸を熱くしてしまいました。あなたたち、いいものを見せてくれてありがとうね」

 少女はそう言うと、エーコたちに向かって笑いかけた。エーコたちは唖然としながら、「あ、どうも」と言い返すことしかできない。

 が、それで空中装甲騎士団がおさまるわけはない。

「貴様、杖を持っているなら貴族であろうが、遊びで戦争にしゃしゃり出て、ただですむと思うなよ」

「あら、わたしは貴族ではありませんわ。まあ、どちらでも同じことですが、心配はご無用、これでも些少は腕に覚えがありますの。さて、楽しませてくれた礼といってはなんですけど、少女騎士隊の皆さん、助太刀させていただきますわ」

「えっ、ええええぇっ!?」

 エーコたちだけでなく、ティラやティアや少女たちも仰天した。

「いっ、いやそんな。どこの誰とも知れない、無関係な人を巻き込むわけには!」

「心配は無用と言いましたわよ。それに、関係ないというなら、同じ女として下品な殿方が高笑いして幕が下りるのは不快ですもの。観客としては少々強引にでも脚本の変更を願いますわ。むしろ感謝してほしいくらいです、わたしがタダで杖を振るうなんて、めったにないことですのよ」

 少女はにやりと笑い、エーコたちの下へ歩み寄ると杖を振って治癒の呪文を唱えた。すると、傷だらけだったエーコたちの体がみるみるうちに元通りになっていく。

「す、すごい。すごい強さの治癒魔法だわ! あ、あなた何者? 貴族でないってことは傭兵? いや、でも」

「ふふっ、そんなこと今はどうでもいいじゃないの。そんなことより、これであなたたちも戦えるでしょう? あなたたち、腕はまあまあだけど戦い方は素人ね。特別サービスで教えてあげるわ、勝ったもの勝ちの戦場の戦い方というものをね」

 少女はそう言うと、杖を真っ直ぐに空中装甲騎士団に向けた。それは宣戦布告の証、お前を倒すという意思表示だ。

 ここまで来たらもはや空中装甲騎士団も見逃しはしない。シーコは、不敵な笑みを崩さない少女に向かって確認するように問いかけた。

「あ、あなた、わたしたちの味方でいいのね」

「ええ、そう思ってくださいな。でも、あの数を片付けるのはちょっと面倒ね。お兄様はどっかに行っちゃったし、あなたたちも働いてもらうわよ」

「あ、当たり前よ! これは元々わたしたちの戦いだもの。あなたは、え、ええっと……」

「ジャネット、そう呼んでちょうだい。じゃあ、勝ちにいきましょうか!」

 ジャネットが杖を振り上げると、エーコたちも身構える。空中装甲騎士団も、ジャネットがただ者ではないことを見抜いて体制を立て直した。

 空中装甲騎士団vs水妖精騎士団。ジャネットという予想外の乱入者を加えて、戦いは最終局面を迎えようとしていた。

 その光景を、ベアトリスは呆然として見守っている。

「なに、なにがどうなっちゃってるの? これからどうなるのよ!」

 訳がわからない。しかし、この戦いを決して見逃してはならない、ベアトリスの中の何かが強くそう訴えかけていた。

 

 

 人の運命の糸は互いに絡み合い、人生と歴史という布を織り上げていく。その模様は複雑怪奇で、時にいびつで時に美しく、そして常に変化を続けて同じ形をとどめない。

 止まることなく運命の糸をつむぎ続ける時の女神の機織り機。この機織り機は、動き続けながら運命の糸を無限に取り込んで色彩を深めていく。

 そして、織り込まれる糸は時として、出来上がる布の柄を一気に変えてしまうこともある。その特別な糸は、すでに機織り機に取り込まれ、生地の裏側にまで編みこまれていた。

 

 

 それは、ロマリアから遠く離れたトリステインで、今を去ること二ヶ月ほど前に遡る。

 ハルケギニアの列強の中で、もっとも小さな”小国”トリステイン。だが ハルケギニアには、まだまだ未開の土地が数多くあり、トリステインもこの例外ではない。

 地球でいえばヨーロッパ地方と似た土地に、ガリア、ロマリア、ゲルマニア、トリステインの四国がひしめき、これに浮遊大陸であるアルビオンが存在して、およそ六千年の間この状態を堅持してきた。

 しかし、六千年という時間を持ってしても、人間はハルケギニアのすべてを知り尽くしているというわけではなかった。

 ブリミル暦六二四三年の今もってなお、ハルケギニアには人間を寄せ付けない山岳、密林地帯が残り、地図に空白を生んでいる。

 だがなぜ誰も未開の土地を切り開かないか? 探検しようとしないのか? それらの原因の多くは、人間が敵わない強さの亜人や幻獣の巣になっているというもので占められる。オーク、トロル、ドラゴン、ないし未知の食肉植物や毒虫などなど。それらに阻まれて、勇敢な冒険家や探検家が次々に未帰還になるうちに、ハルケギニアのあちこちには人間が足を踏み入れてはいけない暗黒地帯が残されたのだ。

 ただそれらの中にひとつ、凶暴な亜人も有毒な生物も棲んでいないのに、暗黒地帯として人が近寄らない地方がある。

 それはトリステイン北西部の小さな山間部。一見、これといった危険もないように見える岩山がつらなるこの地方には、奇妙な伝説があった。

 

『その山に決して近寄ることなかれ。もし足を踏み入れたら、山の悪魔に取り付かれる。山が見えるところに住んでもいけない。悪魔は夜な夜なやってきて生気を吸っていき、最後には全身の力が奪い取られたあげくに血を吐いて死に至ることだろう』

 

 これだけならば、よくある田舎の迷信と笑い飛ばすこともできよう。しかし、この山の伝承を笑った者で無事で済んだものはいなかった。

 タブーを笑い、山の近くに家や村を作って移り住もうとした者は、いずれもしばらくして原因不明の病魔に犯された。症状は、全身がだるくなり、やがて体の毛が抜け落ちたり皮膚の色が変わったりしながら衰弱していき、そのまま死に至るというもので、まさに悪魔に生気を吸われたとでもしなければ説明できない恐ろしいものであった。

 今ではこの山は『悪魔の住む山』として、近づこうとする者は誰もいない。

 だがもしも地球の医者や科学者がこの話を聞けば、その山にはなにがあって、なにが原因で病が引き起こされたのか気づいたに違いない。山にあるものは悪魔などではなく、ある希少な鉱物であることに。

 それは使い方を誤れば世界を滅ぼす武器にもなる。しかし正しく使えば人間を星の海にも導くことの出来る素晴らしいエネルギーにもなり、科学特捜隊が宇宙ビートルに使用したハイドロジェネレート・サブロケットエンジンにも応用されている。

 ただ、まだ使用方法を知らないハルケギニアの人々にとっては悪魔と変わりなく、未来のために眠らせておくべき大切な資源であるべきだった。

 しかし、そっとしておけば何事も起こさないはずだった『悪魔の住む山』を、突如として激変が襲ったことによって、ハルケギニアの運命に少なからぬ影響がおよぼされることになる。

 

 

 ある日、『悪魔の住む山』を含む一帯を巨大な地震が襲った。

 マグニチュードは九を軽く超えて測定不能。岩山からは何十トンもあろうかという巨岩が軽石のように転がり落ちる激震に、周辺の森の木々は倒れ、動物たちは逃げ惑った。

 が、地震はこの激変のほんの前兆に過ぎなかったのだ。激震の中で、標高五百メイルの山が地面に沈み込むようにして低くなっていく。そして、猛烈な土煙が舞い上がって晴れた後には、山々が連なっていた景色は消えてなくなり、山は地底に大きく沈み込んだ盆地と化してしまっていたのだ。

 これはいかなる天変地異の仕業か? いや、これは人災である。この時期、まだ記憶に新しい火竜山脈の大陥没を覚えていることだろう。シャプレー星人の操るギラドラスによって、ハルケギニア全土の地下に埋蔵されている風石が奪い去られたために、支えを失った地殻が山岳部などの重いところから崩壊を始めた、この『悪魔の住む山』もその影響を受けたひとつだったのだ。

 『悪魔の住む山』は完全に崩落して、もはや跡形もない。しかし、地の底に沈んだ盆地となり、どんな生物も生き残ってはいないだろうと思われたその岩海がうごめきだし、信じられない事態が起こった。無数の岩石を弾き飛ばしながら、地中から二本の長い角を頭に生やした巨大な四足歩行の恐竜が姿を現したのである。そいつは鈴の音に似た甲高い鳴き声を放ちながら、太くたくましい足で大地を踏みつけて地上に全貌を現した。青い体の背中には一列のヒレが生え、長い首と長い尻尾を生やした胴体を合わせた全長はなんと百五メートルにも及ぶ。

 

【挿絵表示】

 

 この怪獣の名はキングザウルス三世。かつてはウルトラマンジャックと戦い、一度はジャックを完敗に追い込んだ強力な大怪獣だ。

 だがなぜこの山にキングザウルス三世がいたのか? それがこれから始まる事件の原因にもつながっていく。

 地上に現れたキングザウルス三世は、ゆっくりと辺りをなにかを探るかのように見渡すと、やがてひとつの方向を定めて向きを変えた。そして強靭な首と足を使って地面を掘り返すと、あっというまにまた地底へと潜っていってしまったのである。

 その光景を見ていた者は誰もおらず、このことは人間たちにとっては忌まわしい魔の山が消えたという朗報だけに終わった。真相を知るのは、神のみである。

 

 

 そして、時間はその時計の針を現代に戻して、場所を次の物語の舞台へと移す。

 

 

 続く



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第36話  五十万エキューの転成

 第36話

 五十万エキューの転成

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

「小娘が、確かに並のメイジではないようだが、貴様一人で我ら空中装甲騎士団三十人を倒せると思っているのか?」

「ええ、確かに普通にやりあえばわたくし一人では敵わないでしょうね。でも、今のあなた方なら話は別ですわ。教えてあげるから光栄に思っていいわよ、刈り取られる快楽というものを」

 ハルケギニア最強格の竜騎士団を、ひとりの少女が笑っている。

 彼女の名前はジャネット。ガリア北花壇騎士の中の一団、通称元素の兄弟のひとり。コルベールとベアトリスの暗殺の命を受けてこの街へとやってきたが、偶然エーコたちと空中装甲騎士団の戦いを目の当たりにして気まぐれを起こし、エーコたち水妖精騎士団に味方するために飛び入ってきた。

 しかし完全武装の兵団を相手に、いかにも戦闘に不向きそうなドレスをまとった少女がどうやって勝とうというのであろうか。ジャネットは傍らに立つエーコに視線を向けると、命令するように言った。

「あなたがリーダーね。そういうわけだから、わたしの言うとおりに動きなさい。そうしたら勝たせてあげる」

「なっ! 突然現れて、あなたいったい何様のつもりなの? わたしたちは姫様以外の命令を受けるなんて」

「勝ちたいの? 負けたいの? 嫌ならわたしは帰るけど?」

「う、お、お願いします……」

「よろしい、素直な子は好きよ」

 ジャネットは無邪気そうな笑みを浮かべると、教師が生徒を褒めるときのように優しくうなづいてみせた。

 しかし、次の瞬間には小動物を見下ろす猛禽のような鋭い視線となってエーコたちを見返してきた。

「あなたたち、戦い方は素人だけどこういう場面ははじめてじゃないようね。ただまあ、あなたたちはいいけど、そっちでまだ腰を抜かしているカカシたちはねえ?」

 見ると、エーコたちの後ろでは水妖精騎士団の少女たちが、まだ決心がつかないというふうに震えていた。

 だが無理はない、どんなに頭に思っても、戦いはつらいもの、怖いもの、痛いものだ。今日はじめてそれを知ったばかりの彼女たちを責めるのは酷でしかない。ただし、人生とはその繰り返しでもあるのだ。

「あなたたち、あなたたちみたいなのでも、今は人手が足りないから手伝いなさい」

「えぅ、で、でもわたしたちみたいなのじゃあ」

「大丈夫よ、わたしの言うとおりにするだけでいいから。わたし、これでも結構強いほうだから、悪いようにはしないわ」

 ジャネットの誘いにも、少女たちは迷っているようだった。それも無理はない、相手は自分たちより少し年上に見えるだけの少女で、身なりからして戦うようにはとても見えないからだ。

 だが、敵を無視して悠然と少女たちと話しているジャネットに対して、空中装甲騎士団は怒りで答えた。

「貴様、我々をなめているのか!」

 騎士のひとりが放ったウェンディアイシクルの氷弾がジャネットを襲った。あのタバサも得意としている水と風の強力な攻撃魔法、高速で鋭くとがった氷の弾丸を複数同時に撃ち出して敵を打ち据える。普通の人間が食らえば、よくて大怪我、下手をすれば死に至る。

 だがジャネットは避けるそぶりも見せずに、唯一腕を上げて顔をかばうだけで、氷の弾丸のすべてをその身で受け止めてしまった。

 当然、声にならない悲鳴が少女たちからあがり、エーコやティアたちも思わず顔をしかめた。蜂の巣だ……あれではとても、と、誰もが思った。が。

「ひどいわねえ、レディの会話に割り込むなんて男の風上にも置けないわ」

「なっ、なんだとお!」

 空中装甲騎士団から驚愕の声が響いた。なんと、ジャネットに当たったウェンディアイシクルは、そのすべてがはじき返されるか砕け散ってしまって、一本たりともジャネットに傷を与えたものはなかった。ドレスにすら破れ目もついていない。

 ジャネットは体に残った氷の破片を手で払って、にやりと笑って見せた。凶暴な、強者が弱者を見下すときの侮蔑しきった目である。

「いっ、いったい何をした貴様?」

「別に、たいしたことじゃないわ。魔法が当たる直前に、当たるところに『硬化』をかけただけよ。大抵の攻撃なら、これでどうにでもできるわね」

 簡単そうに言っているが、それが理論上はともかく現実的には不可能に等しい神業なのはここにいるほぼ全員がわかっていた。なぜなら、魔法は詠唱をはじめてから発動して効果を得るまでにどんなに鍛えても時間差が生じ、ジャネットの言うようにやろうとしても、硬化が働く前に氷の弾が刺さってしまっていることだろう。車に例えれば、空走距離も制動距離もなく停車しろと言っているに等しい。こんな真似は、空中装甲騎士団の猛者たちでさえ、できない。

 しかし、ジャネットはいともたやすくその神業を成功させてしまった。

 何者なんだ、この女は!? ティラとティアを除く、メイジの心得のある全員がそう思って戦慄するが、ジャネットは気にした風もなく少女たちに言った。

「さて、これでわたしのことは少しは理解してくれたでしょ。もう一度だけ聞くわよ、杖をとる? それとも汗臭い男たちに頭を下げて逃げ帰る?」

 ジャネットの問いかけに、少女たちはあどけなさの残る顔に、ぐっと決意を込めて立ち上がった。

「やります、勝たせてください」

「ふふ、いいわ、あなたたちのその表情すごくいい。じゃあ、パーティをしましょう。楽しくね」

 楽団の指揮をとるようにジャネットが杖を振り、水妖精騎士団はついに全員が集合した。

 対峙するふたつの騎士団。だが、ジャネットの存在におじけずく空中装甲騎士団を見かねてか、空から数騎の竜騎士がドラゴンに乗って降り立ってきた。

「なにをしているか、こんな子供らを相手に!」

「こっ、これは軍団長殿!」

 それはベアトリスの元にやってきていた空中装甲騎士団の指揮官だった。兜の中からのぞく壮年の顔立ちには威厳が溢れ、カイゼル髭を伸ばした風貌は一目で強そうと誰もが感じた。

 彼らはドラゴンから降り立つと、自ら先頭に立って杖をかざしてきた。指揮官が帰ってきたことで、空中装甲騎士団も士気を取り戻す。

 こんな相手に、どうやって勝てというのか? 少女たちの問いかけに、ジャネットは楽しそうに微笑んで言った。

「そう緊張した顔しないでいいわ。パーティはほら、楽しくやるものよ? 震えた唇からは心に響くソナタは出てこないの。歌うように奏でるように、魔法はハートよ、それがすべての基本だからね」

「そんなの子供でも知っているわよ。そんなことより、わたしたちのつたない魔法で、どうやってあの人たちに勝つのか、早く教えてよ!」

「慌てない慌てない、あの騎士さんたちは親切にも竜騎士の一番の武器であるドラゴンから降りて戦ってくれる人たちよ。むしろ勝ってあげなきゃ失礼なんだから」

 そう、これまでまがりなりにも水妖精騎士団が空中装甲騎士団とやりあえている理由はそれが大きかった。重い鎧は高い防御力を誇るが、地面の上では重石に等しく、動きが大きく制限されてしまう。重装備はドラゴンに乗って飛び回っていればこそ、その真価を発揮できるのだが、彼らは女子供を相手に竜を使えるかと、自らのプライドにこだわって竜を呼ぼうとはしなかった。

 もしも、彼らがドラゴンに乗って空から攻めてきたら水妖精騎士団にはどうあがいても勝ち目はなかったであろう。が、そんなことをすれば嫌でも人目について、女子供をドラゴンに乗っていじめる騎士団という不名誉な噂が広がってしまうのは間違いない。

 水妖精騎士団にとって、唯一有利な点はそこで、空中装甲騎士団は自重で思うように動けず、魔法をぶっ放つ砲台のようにしか戦えない。しかし、それでも歩兵が戦車に挑んでいくような無謀さである。もちろんバズーカのような便利な武器は持っていない。

 にも関わらず、ジャネットは余裕だ。いったいどこからそんな余裕が出てくるというのだろう?

「いい? これからあなたたちにいくつかレクチャーしてあげる。それが全部できたら、必ず勝てるわ」

「は、はい。で、でも、あっ!」

「お前たち! いつまでごちゃごちゃしゃべっているか!」

 ジャネットの余裕の態度に空中装甲騎士団はしびれを切らした。いっせいに杖をこちらに向けて呪文を唱えてくる。数十人のメイジの本気の攻撃を受けたらジャネットはよくても、ほかの少女たちはひとたまりもない。とっさに、キュメイラとディアンナが防御の魔法を使おうとしたが、ジャネットはそれを軽く制して。

「いい? 勝利のためにレッスンその一、戦いというものはね」

「そんなこと言ってる場合じゃ! うわぁぁっ! 来る、来るわっ!」

「戦う前から始まってるのよ」

 その瞬間、空中装甲騎士団の周辺の地面が爆発した。白い煙がもうもうと立ち上がって、あっという間に空中装甲騎士団を包み込む。

「うぉわっ!? なんだ、このガスは」

「見えない、なにも見えない。おのれ、姑息な真似を!」

 視界を完全に奪われてしまった空中装甲騎士団は身動きを封じられてしまった。すぐさま風魔法を使って煙を吹き飛ばそうとするが、煙はなんらかの細工をされているようで、空中装甲騎士団にまとわりついてなかなか離れない。

 白い煙の塊になってしまった空中装甲騎士団を見て、ジャネットはくすくすと笑い続けている。その様子を見て、ユウリが感心したように言った。

「へぇ、あれはあんたの仕掛けかい?」

「ええ、あなたたちの前に顔を出す前にちょっとね。もっとも、遠隔錬金のちょっとした応用だからたいしたものじゃないけど」

 いや充分にたいしたものである。離れた場所にあるものに錬金をかけるのは相当高位のメイジでなければ難しい上に、空中装甲騎士団にまったく悟られず、さらに時間差で効果を発動させるなど普通は考えられもしない。

 が、ジャネットはそこで表情を引き締めると、エーコたちを向いて告げた。

「さて、ここからが問題よ。あの煙も、そう長くは持たないわ。その間に、あなたたちの魔法で一発ガツンとお見舞いしてやるのよ」

「そ、そんなこと言ったって! わたしたちの魔法じゃあ、全員でいっせいに撃ったって効き目がないのは見てたでしょ!」

「ただ一斉に撃てば、ね。あなたたち、賛美歌詠唱って知ってる?」

「さ、賛美歌詠唱って、あなた!」

 エーコや、その名を知っていた者が驚いたのも無理はない。それは確かに強力な攻撃方法だが、とても素人にできるようなものではない。名前の意味がわからずにきょとんとしている少女が尋ねてくると、セトラが額に汗を浮かべて説明した。

「ロマリアに聖堂騎士という精鋭騎士団がいるのは知っているでしょう。賛美歌詠唱は、彼らが使う合体魔法の通称よ。その威力は、小さな城を崩すほどだと聞いているわ」

「そ、そんなすごいものがあるんですか。あ、でも聖堂騎士団の必殺技ということは、もしかして」

「そう、普通のメイジに使えるような代物じゃないわ! 選び抜かれた精鋭が、さらに血を吐くような鍛錬の後にはじめて使える極意と聞くけど、そんなもの私たちに使えるわけがないじゃない」

「うふふ、心配しなくても、そんなお行儀のいいものをやってもらおうなんて思ってないわ。言ったはずよ、魔法はハートだって。魔法はね、ハートの持ちようでどうにだってなるの、それこそドットがいきなりスクウェアになれるくらいにね」

 そんな無茶な、と誰もが思った。魔法の威力が精神に左右されるのは常識だが、それとて限度がある。大抵は長い鍛錬と経験で少しずつ格を上げていくもので、一生をライン以下のクラスで終わる者も少なくはない。それをみんな知っているのに、このド素人の集団にいきなりスクウェアクラスのことをやれというのか。

「でたらめだわ! 魔法の常識にまるっきり反してる」

「そんなことはないわよ。あなたたちこそ、メイジの持つ底力を甘く見てるわ。あなたたちの知ってるそこらのメイジなんて、本来の魔法の力のほんの一部しか使えてないんだから。じゃ、やり方を教えるけど簡単よ。みんなで心の震えを最大にして同時にひとつの魔法を放つ、それだけ」

 簡単に言ってくれるが、方法を説明されただけでできるならば誰も苦労はしない。第一、心の震えを最大にしろと言ったってどうすればいいのか? 十数人もが心の震え、すなわち怒りや悲しみなどの感情を最大に高められるような「何か」がそうそうあるわけがない。

 しかしジャネットは困惑するエーコたちに向かって、人差し指をぴんと立てて言った。

「まだわからないの? あなたたちは一体なにで集まってきた団体だったのか、心をひとつにする絶好のネタがあるじゃないの」

「あたしたちの……って、ええーっ!」

 今度は全員がびっくり仰天した。このメンバー、水妖精騎士団が集まった理由と言えば。

「あっ、あなた! いったいいつから見てたのよ!」

「けっこう前からよぉ、あなたたちが汗を流してるところも、集まって召喚されし書物を楽しんでるとこもね。仲良きことは美しいわね、もう食べちゃいたいくらいだわ。特に、馬鹿な男に負けたくないって心意気は気に入ったわよ。実はわたしにも出来の悪い兄がいるんだけど、フォローにはいつもいつも苦労してるの。たまにはターゲットじゃなくてヘマした兄を撃ちたくなることもあるわあ。だから、あなたたちの男に対する憤りは理解できるつもり。その怒り、思いっきりぶつけてみたいと思わない?」

 まるで悪魔のささやきのようなジャネットの問いかけに、少女たちはごくりとつばを飲み込んだ。

 確かに、確かに、あの破廉恥きわまる水精霊騎士隊を完膚なきまで叩き潰してやりたいとは思っていた。そういえば、魔法の練習をしているときも、あのふざけた連中をへこましてやりたいと考えながらやっていたときは調子がよかったが、まさかそんなことで。

「わかってきたようね。レッスンその二、怒りは大切よぉ、怒りは人の心を一番燃え上がらせてくれるの。さらにレッスンその三、友達は大切にしなさい。火はひとつずつでは小さくても、集まれば大きな炎になるわ」

 そう言うとジャネットは、自分の杖を少女たちの前にかざした。

 それは、この杖に集えという合図。少女たちは息を呑み、それぞれの杖をジャネットの杖にかぶせるように合わせていった。

「そう、それでいいわ。後はわたしに合わせて呪文を唱えて、心の震えを高めながら魔力を高めていくのよ」

「けど、心の震えを高めるなんてどうしたら」

「簡単よ、嫌がるあなたたちに無理矢理迫ってきた破廉恥な男の顔を思い出しなさい。目をつぶって、あの顔に思いっきりパンチしたいと念じ続けなさい。その怒りが、そのまま力に変わるわ」

「わかりました……やってみます!」

 少女たちは決意した。エーコたち三人を加えて、水精霊騎士隊に恨みを持つ少女たちの目に火が灯る。

 だが、ジャネットは少女たちを見渡すと、底冷えのする声で言った。

「ただし、最後にひとつだけ言っておくわ? 杖はわたしが構えるわ、呪文もわたしが唱えましょう。魔力を合わせ、波長を整えて狙いを定め、号令もわたしが出してあげる。それでも……勝つのはあなたたちの意思よ」

「意思……」

「そう、どうして六千年ものあいだメイジが支配者でいれたと思う? それは魔法が意思の力をそのまま強さにできたからよ。亜人、幻獣、メイジ殺し、そんな限界を前にして、それでもあきらめを踏破できたときに魔法は無限の力を生み出してくれる。あなたたちにそれができるかしら?」

 ジャネットの問いに、少女たちは無言のうなづきで応えた。

 自分たちにどこまでできるかはわからない。だが、目の前のジャネットというメイジは、それらの大言を吐くだけの実力を有している。後はただ、実行あるのみ。

 にこりとジャネットは笑い、しかるのちに表情を引き締めた。

「じゃあやるわよ。系統も実力もバラバラなあなたたちの魔力を、わたしが集めてひとつにするけど、これには少しばかり時間がかかるのよね。そういうわけだから、そっちのお姉さんたち、よろしくね」

 軽くウインクをしながら合図されると、セトラやユウリ、ティーナたちはやれやれといった様子でうなづいた。

「仕方ないわね。まあ、私たちはオンディーヌの坊やたちに特に恨みはないし、時間を稼いであげるわ」

「あたしはこっちのほうがいいぜ。つるむのは元々性に合わねえからな、勝手に暴れさせてもらうよ」

「エーコたちのサポートが第一でしょ? 血の気の多い姉を持つと妹は苦労するよ。さあて、お姉ちゃんがんばっちゃうぞ」

 呪文を唱えているあいだのエーコたちに手を出させまいと、姉たちは杖を持って身構える。

 空中装甲騎士団を包んでいる煙幕も、そろそろ晴れる。そうなったら、怒りに燃える連中は傘にかかって攻め込んでくるだろうから、わずかな人数で死守しなくてはならない。これはまたいい塩梅の無理難題だ。

 だが、白煙が晴れて真っ先に頭を出した空中装甲騎士団員のの見たものは、自分に向かって飛んでくる靴の裏であった。

「でありゃぁぁっ!」

「ぐばはっ!?」

 間の抜けた声とともに、顔面にキックの直撃を受けた騎士がぶっ飛ばされた。

「ティラ、ティア!」

「皆さん、わたくしたちをお忘れとはひどいですわ」

「戦う意思を持っているのはメイジだけじゃないってことを見せてやるぜ。こっちはまかせてくれよ! この身に代えてもあんたらに指一本触れさせはしないぜ」

「ふたりともありがとう……でも、無理はしないで!」

 シーコの叫びに、ティラとティアはこくりとうなづくと、戦いの渦中へ入っていった。ふたりのグリーンの髪と衣装が華麗に舞い、まるでエメラルドの星が飛び交っているように見える。

 だが、空中装甲騎士団も今度は杖に『ブレイド』をかけて迎え撃ってきた。これでは、いくら身のこなしが軽くても、素手のふたりが圧倒的に不利だ。

 長くは持たない。ティアのスカートの端が切り裂かれてちぎれ、ティラの髪の数本が切られて舞う。

 それでもティラとティアはひるむことなく空中装甲騎士団の足止めをしてくれている。あの心意気に応えなければ貴族ではない、いいや女じゃあない。

 煙幕が切れ、ついに激突する空中装甲騎士団と、ティラ・ティアを含めた姉妹たち。戦況は最初から圧倒的に不利で、姉妹たちはかなわず倒されていくが、覚悟を決めた人間は強い。倒れながらも杖を振って食い下がり、一秒でも時間を稼ごうとしてくれた。

 そしてその間に、エーコたちは魔力を少しでも集めるために念じ続けた。

「ダス・ウィー・オンジュー・ウィス・アル・リィティロス……」

「まだよ、もっと強く、深く念じなさい。あなたたちが男に言われたことを、あなたたちが言われたことを思い出して」

 エーコたちの脳裏に、水精霊騎士隊の少年たちにナンパされたときの記憶が蘇ってくる。

 あのぎらぎら光った目、荒い息遣い、今思い出しても虫唾が走る。

 嫌だというのにしつこく言い寄られて、肩に手を置かれたときは本当に気持ち悪かった。壁際に追い詰められて迫られたときは泣きたくてたまらなかった。

 むろん、水精霊騎士隊の少年たちは少女たちに乱暴しようなどと考えていたわけではないが、ギーシュほど女性の扱いに慣れていない彼らの態度はねちっこくてしつこく、初心な少女たちから嫌悪感を買ってしまうばかりだったのだ。

 だがそれはそれ、少女たちは自分が受けた体験を思い出して感情を高め、魔力を込めていく。しかし、この程度ではまだ足りない。

「まだよまだ! もっと強く、思い出すだけじゃなくて想像しなさい。その男たちに体を触られることや、あなたのお友達の貞操が危機にさらされることとかね」

 ジャネットの言うがままに、少女たちはさらに怒りをつのらせていった。

 じわじわと、感情の高まりと共に魔力が増大していく。その高ぶりを感じて、ジャネットは自分も興奮のるつぼに身を焦がしていた。

”いいわぁ、この子たち、やっぱりわたしの見込んだとおりの素質を持ってる。ぞくぞくするような怒りや憎しみや嫉妬の波動! それになんて一生懸命な顔をするのよ、濡れちゃいそうなくらい可愛い可愛い可愛いわぁ。欲しい、この子たちをみんなわたしのお人形にしたい! でもだめよ、まずはわたしが約束を守らなきゃね。このくらいの感情じゃあまだ勝てない。あと少し! あと少しなにかで底上げしなきゃ、もっとこの子たちの憎悪をあおる何かがないかしら”

 よだれを垂らしたい欲求を抑えながらも、ジャネットは冷静に魔法をコントロールしていた。魔法力は順調にたまりつつあるが、これではまだスクウェアスペルに毛が生えた程度に過ぎない。空中装甲騎士団を一発で倒すには、あと一歩、なにかで魔力をブーストしてやる必要がある。彼女たちの感情を、文字通り爆発させる何かが必要だ。

”もう余裕もないことだし、こうなったらこの子たちの心を少々えぐる言葉を使ってでも、感情を高めてもらおうかしらね”

 暗殺者であるジャネットにとって、言葉も立派な武器である。人の心を翻弄し、古傷を呼び起こして狂わせるくらいお手の物だ。ましてやこんな小娘たちの心を操るなど簡単である。

 だが冷たい笑みを浮かべ、言葉を選んだジャネットが口を開こうとした、そのときだった。

 

「きゃああぁっ!」

「ティラ! ティア!」

 

 ついにブレイドの一撃を受けて、ティラとティアが吹き飛ばされてしまった。剣となった魔法の杖での攻撃で、ふたりともそれぞれ片腕を大きく傷つけて血を流している。

「く、くっそぉ……ティラ、ティラっ」

「うぅぅ……エーコさまたち、ご、ごめんなさい」

 そして、傷ついて動くことも出来なくなったティアとティラに空中装甲騎士団が迫る。

「バカめ、平民のくせに貴族に逆らうからこうなる。覚悟しろ虫ケラめ、その両手両足を砕いてくれるわ!」

 兜の下で残酷な笑みを浮かべて、空中装甲騎士団員は恐ろしい凶器となった杖を振り上げた。ティアとティラは、互いにかばいあいながらももう逃げる力は残っていない。

 危ない! ユウリやディアンナたちはそれぞれ別の騎士団員と戦っていて動くことができない。だが、まさに杖が振り下ろされようとした、そのとき。

 

「……許さない」

「許さない」

「許さない!」

 

 巨大な魔力の波動が放たれて、それを感じ取ってしまった空中装甲騎士団の動きがびくりと止まった。

 今の、魔力は!? スクウェア? いや、それ以上? 困惑する空中装甲騎士団の耳に、三人の少女、エーコ、ビーコ、シーコの血を吐くような声が響いてきた。

「よくもわたしたちの大事な仲間の、私たちの大事な友達を傷つけたな!」

「虫ケラと呼んだか彼女たちを、お前たちここから生きて帰れると思ってんじゃないわよ」

「許さない、許さない、絶対に許さないから!」

 これまでとは比べ物にならないほどの怒りの波動が魔力に変わり、彼女たちの杖を通してジャネットの杖に集まっていく。その力の巨大さには、ジャネットすらも予想外だったと愕然とした。

「なっ、なんて力なのよっ! くっ、これ以上はわたしのほうが制御しきれない。ええい、撃つわよあなたたち!」

「行って!」

「撃って!」

「砕いて!」

 限界を超えた魔力が収束し、ジャネットはもはや魔法として具現化することもできなくなったその魔力の塊をそのまま撃ち出した。

 振り下ろされた杖から巨大な光の弾が飛び出し、空気を切り裂き、砂塵を巻き上げながら空中装甲騎士団に向かう。

「なんだこの魔法は!? さっ、散開をっ! 間に合わない、うわぁぁーっ」

 光は怒涛のまま空中装甲騎士団を飲み込んでいった。その壮絶な光景を、とっさに飛びのくことに成功したセトラやキュメイラ、ティラとティアを抱えて退いていたティーナとユウリは呆然とした様子で見ていた。

 魔力の塊は、魔法という形を与えられずに、ただ怒りのままに飛んで空中装甲騎士団を打ちのめした。火でも風でもなく、ただ相手を倒したいという意思そのものが現実の衝撃となり、屈強な騎士たちの鎧を貫通し、その身と精神を文字通り叩きのめしたのだ。

 光芒が収まった後で残ったのは、広場の土の上に横たわる空中装甲騎士団の死屍累々。皆気絶しているか弱弱しくうめき声を漏らしているだけで、立っている者はひとりも残ってはいなかった。

 瞬き一つする間に激変してしまった光景に、水妖精騎士団の少女たちも、ジャネットですらもしばし呆然としてその場に立ち尽くした。

「やった、の?」

 あの鬼のように恐ろしかった空中装甲騎士団がひとり残らず倒れ付している。魔法にすべての感情の力を注ぎ込んで、怒りも憎しみも空白となってしまったエーコたちは、目の前の光景が信じられずに動けなかったが、それを喜色に満ちたユウリの叫びが打ち消した。

「やったの? じゃねえよ、お前たちはやったんだよ。お前たちの魔法で、空中装甲騎士団に勝ったんだよ!」

「やった……勝った? 勝った……やった、勝ったんだぁーっ!」

 その瞬間、少女たちの大歓声が広場にこだました。皆が抱き合い、手を叩いて喜び、自分たちが大事を成し遂げたことに感涙していた。

 もう一度、いや何度でも確認しよう。彼女たち水妖精騎士団は、あの空中装甲騎士団に勝ったのだ。

 その中で、唯一ジャネットだけがいまだ呆然として、自分の想像を上回る結果を認め切れていなかったが、後ろからぽんと肩を叩かれて我に返った。

「ジャネットさん」

「えっ? あ、な、何かしら」

「すみません、疲れてるでしょうけどティラとティアの傷が深いの。治してください」

「あ、うん、わかったわ」

 呆けていたところに声をかけられて、ジャネットはほとんど言われるがままに杖を振って回復魔法を唱えた。

 治癒の光がティラとティアの傷を包み、ふたりの傷がみるみるうちに癒されていく。そして全快すると、ティラとティアはエーコ、ビーコ、シーコと抱き合って喜んだ。

「ティラ、ティア、治ったのね。大丈夫? まだ痛くない?」

「もう平気です。ひゃあ、やっぱ魔法ってすごいっすねえ。おっとと、それよりも、勝利おめでとうございます!」

「いいわよそんなの、あなたたち、無茶しないでって言ったのに。ほんとに危ないとこだったじゃない」

「申し訳ありません。けど、わたしたちにできるのは体を張ることだけですので」

「なに言ってるの! シーコの言うとおりよ。あなたたちにもしものことがあったらどうしようかと……いい、あなたたちふたりはもうわたしたちの大事な友達なんだからね!」

「「はい、ごめんなさい。エーコさま、ビーコさま、シーコさま……」」

 ティラとティアの瞳からつうと光るものが流れて、彼女たちのエメラルドグリーンのドレスに濡れたしみを作った。

 エーコたちや、彼女たちの姉は、それを暖かく見守っている。もう、大切な人を失うのはたくさんだ。あんな悲しい思いは二度と味わいたくはない。

 水妖精騎士団の少女たちも、平民の仲間の無事を心から喜ぶエーコたちを見て心を決めていた。この人たちなら命を預けられる、この人たちならついていけると。

 そして、ジャネットはそんな様子を見て、自分が見立て違いをしていたことにやれやれと心の中でため息をついていた。

”まずったかしらねぇ……怒りに狂わせて、男をいたぶる楽しみに目覚めさせてあげようと思ったけど……この子たち、今どき珍しい、他人のために一番強く怒れるってタイプねえ”

 ジャネットは、そんなさわやかな笑顔で自分を見ないでよとエーコたちの視線をそらして首を振った。

 こんなことなら、寄り道なんかしないでさっさとターゲットを始末しに行けばよかった。ジャネットは、さてこの場からどうやって逃げ出そうかと思案をめぐらせた。

 ところが、そこへカンカンに怒った少女の怒鳴り声が響いてきた。

「エーコ! ビーコ! シーコ!」

「えっ! あっ、ひ、姫殿下ぁ!」

 とっさにかしこまるエーコたちの前に、ツインテールをなびかせて、大股でベアトリスがやってきた。そしてベアトリスは、エーコたちの「い、いつから見てたんですか?」という問いを無視すると、三人の顔にそれぞれびんたを浴びせかけた。

「このバカ! 空中装甲騎士団に喧嘩を売るなんていったいなに考えてるの! まかり間違えば取り返しのつかないことになっていたじゃない! あなたたちをクビにする気なんかわたしにはないんだから、あなたたちは適当に頭を下げておけばよかったのよ」

「す、すみません。けど、わたしたちにも姫殿下の家臣としての誇りが」

「それがなんだっていうの! そんなものなくたって、あなたたちに代えられる人なんてどこにもいないのよ。また、あなたたちがいなくなったら……あんな悲しい思いを、もう二度とわたしに与えないでよ……」

 怒りながらも、最後は涙を流しながらベアトリスはエーコたちに詰め寄っていた。

 その涙に、エーコたちはようやく、自分たちが家族を失った悲しみと同じ悲しみをベアトリスも感じてくれていたことを悟った。

「姫様、すみませんでした」

「う……わ、わかればいいのよ。これからは気をつけなさい……ごほん! それはともかく、あの空中装甲騎士団を倒すなんてたいしたものね」

「えっ、あ……いや、それは。わたしたちじゃなくて、そちらの」

 エーコたちは慌てて、ベアトリスの前にジャネットを引き出した。

 ベアトリスは涙を拭き、毅然とした様子でジャネットの前に立った。対してジャネットも、不敵な様子を見せてベアトリスの前に進み出る。

「ベアトリス・イヴォンフ・フォン・クルデンホルフよ。この度は、わたしの部下を救ってくださって感謝するわ。お名前をうかがってもよろしいかしら」

「お初にお目にかかります、クルデンホルフ姫殿下。わたしのことはジャネットとお呼びくださいませ。助太刀のことでしたらお気になさらずに、傭兵稼業のかたわらの、ただの気まぐれでありますゆえに」

 第一声はそれぞれあいさつで済ませた。ベアトリスはジャネットの前に、大貴族らしく胸を張って尊大そうに構えている。先ほどの泣き顔を見ていたジャネットからしたら笑止の極みであるのだが、ジャネットの心は別の歓喜で震えていた。

”うふふ、まさかターゲットが自分からしゃしゃり出てきてくれるとはねえ。なんてわたしはついてるのかしら!”

 そう、ジャネットの本来の目的はロマリアの依頼でベアトリスを暗殺することにあったのだ。その標的が、こともあろうに今現在自分の目の前に無防備に立っている。

 こんなチャンスは二度とない。周りの小娘たちなど、自分の力ならば蹴散らすのは簡単だ。いやむしろ、目の前で恩人と思っていた相手に主君を殺されたときのこの子たちの顔はどんなものかしらとぞくぞくしてくる。

 さあ、相手が油断している今のうちに、杖を振ってこの娘の心臓を串刺しにする。それですべて終わりだ。

 ジャネットは口元に浮かびそうになる笑みをかみ殺しながら、杖を振ろうとベアトリスを正面から見据えた。だがベアトリスはそれより一瞬早く、ジャネットも予想もしなかった速さでジャネットに飛びついてきて。

「気に入ったわ! あなた、わたしのものになりなさい!」

「は、はぁぁぁぁっ!?」

 突然の命令に、さしものジャネットも意味がわからずに奇声をあげてしまった。だがそれも当然だ、周りで見ているエーコたちも何を言い出すんだと目を丸くしてしまっている。

 しかしベアトリスは極めて真面目な目で、ジャネットをぐっと見つめて続けた。

「あなたの強さ、さっきの戦いでしっかりと見せてもらったわ。それだけの力を野に置いておくなんてもったいない! クルデンホルフの、いいえ、このわたしの直属の騎士として雇ってあげる。そして、エーコたちを、水妖精騎士団を鍛え上げてほしいの!」

「えっ、えええっ!?」

「ちょ、姫さま! 急になにを言い出すのですか……って、姫さま、今、水妖精騎士団と……もしかして」

「そうよ、あなたたちの戦いぶりも見せてもらったわ。まがりなりにも、空中装甲騎士団を倒すとは見上げたものね。なにより、その敢闘精神は他に変えがたいものと感じ入ったわ。よって今日ここで、あなたたちをわたしの直属騎士団として任命します。異論がある者はここから去りなさい!」

 ベアトリスの宣言に半瞬遅れて、歓喜の大合唱が少女たちのあいだから上がった。エーコたちは自分たちの努力がベアトリスに認められたという喜びで、この街で集まった少女たちは、飛ぶ鳥も落とす勢いで成長していくクルデンホルフの臣下ならば両親も喜んでくれるだろうし、自分の将来も安泰に違いないと。

 しかし、ベアトリスは歓喜にむせぶ少女たちに一喝するように告げた。

「ただし! あなたたちがまだ安心して見てられないひよっこだということも事実よ。よって、水妖精騎士団の名前は仮称としてわたしが預かります。この名前を公に名乗りたければ、全員が一人前の騎士として腕を上げることね。そのための教官なら、今ここで用意してあげたから!」

 そうしてベアトリスは、ジャネットの肩を掴んで前に引き出した。

「よろしくお願いします! ジャネット先生、いえ教官殿!」

「えっ、ええっ! えええええええええーーっ!」

 少女たちから一斉に敬礼されて、ジャネットはうろたえるしかなかった。

 エーコたちには異存があるはずがない。そんじょそこらのクラス高だけの二流メイジならいざ知らず、ジャネットの実戦仕込の圧倒的な実力は全員が見てきた。これほどの強さを学べるならば、文句なんかあろうはずがないではないか。

 だが勝手に話を進められたジャネットはそうはいかない。なにがなんだかわからないうちに雇われて教官にされてはたまったものではない!

「ちょ、ちょっとあなた! いくら大貴族だからってそんな勝手に人をどうこうしていいと思ってるの!」

「もちろんわかってるわ。けど、わたしは欲しいと思ったものは必ず手に入れる主義なの。そしてわたしはいずれクルデンホルフの名の下に、ハルケギニアのすべてを手中に収める女。つまり、どうせあなたもいずれはわたしの手の中に入るってわけ。早いも遅いも同じなら、早いほうがいいと思わない?」

「餓鬼の夢に付き合う気はないわよ」

「あら? あなた意外と人を見る目がないわね。でもいいわ、必ずあなたをはいと言わせてあげるわ。逃がさないわよ、フフフフ……」

「ああっもう! 話が通じない! もういいわ、もう知らないわ。こうなったら教えてあげるけど、わたしはさるところの依頼であなたをころ」

「五十万エキューでどう?」

 殺しに来た……と、言いかけたジャネットの言葉はベアトリスの一声で封じられた。

 なに? 今、なんて言われたの? ありえない数字が聞こえたような気がしたけど……

 しかしベアトリスは、目を白黒させているジャネットに追い討ちするように言う。

「年間契約金五十万エキューであなたを雇うわ。これ以上の額を提示できる貴族がいるっていうなら、わたしが直々に話をつけてあげる。もちろん、契約期間中の仕事によってはそれぞれ上乗せするわ。どう?」

 どう、と言われても金額がすごすぎて正直頭がついてこない。普通、自分たちが依頼を受けるときの相場は十万エキューが最低クラスであるが、そうそう都合よく仕事が舞い込むわけではないので自分ひとりで稼げる額は年間ざっと三十万エキューがせいぜい。今回のロマリアからの依頼にしても兄と二人で二十万エキューである。しかも、仕事ぶりによってはさらに増額してもいいというのだ。

「わ、わたしには三人の兄がいて、わたしの勝手で仕事を決めるわけには」

「なら、あなたの兄さんたちにもそれぞれ同額を払うわ。それでも納得してはもらえないかしら?」

「えっ、三人分も同額というと、全員合わせて……二百万エキュー!?」

 ケタがひとつ飛んでいることに、さしものジャネットも腰を抜かしかけた。すごい、それだけあればダミアン兄さんも説得できるかもしれない。

 しかし額がすごすぎることに、慌ててビーコが口を差し挟んだ。

「ひ、ひ、姫様! いくら姫様でも、二百万エキューなんて大金を用意するなんて!」

「わたしは市井のアパルトメントに移るわ。それから、わたしの馬やドレスや宝石類なんかも最低分だけ残して売り払いなさい。そうそう、わたし名義の別荘があったけど、あれを処分すれば百二十万エキューにはなるでしょう」

「そ、それでは姫様が下級貴族と変わらないご生活に……」

「だからなに? こんな鉄と煙だらけの街であんなもの持ってても役に立たないわ。心配いらないわよ、ジャネットほどのメイジが四人もいれば一年に二百万エキュー以上を稼げる仕事をわたしが見つけてくるわ。なにより、あなたたちが何年後かにジャネットと同じくらいに強くなれば、それこそ一秒に一万エキューを稼いでくれるようになってくれるでしょ?」

 これは先行投資よ、そのためなら一年や二年を貧しい暮らしをすることになるなんて問題にもならないわと、ベアトリスはエーコたちを黙らせてしまった。

 その様子に、少女たちや、誰よりもジャネットはベアトリスへの評価を改めていた。

”このお姫様、ひょっとしたら数年後に本当に化けるかもしれない”

 決断力がある、先を見通している、なによりも器がでかい。もしかしたら、この小さな少女の手のひらに、本当にハルケギニアが収められる日が来るかもしれないと、そんなとてつもない空想が少女たちの頭をよぎった。

「さあ、わたしはカードを切ったわ。次はあなたの番よ、契約を受け入れる? それとももっと値を吊り上げてみる?」

「……確約はできないわ。わたしたちの決定権は、長男のダミアン兄さんが握ってる。けど、あなたが始祖と杖にかけて誓ってくれるなら、わたしが全力でダミアン兄さんを説得してみる」

「了解したわ、あなたの望み、聞き入れましょう」

 ベアトリスはそう言うと、常備している誓紙に契約内容とサインを書き込んでから、魔法のインクで拇印を押した。

 これで、契約は相手が呑んだら正式なものになる。そしてこれを破ったら始祖への反抗とみなされて教会で裁かれることとなる。

 受け取ったジャネットは、心の中でニヤリと笑った。ロマリアからの依頼は破棄することになるが、それを補って有り余るほどのものを得れた。傭兵としての信頼など、正規で雇われることに比べたら気にする必要はない。

「契約成立ね。よろしくジャネット、歓迎するわ」

「まだ決まったわけじゃないって言ってるでしょ。ダミアン兄さんの説得は、正直あまり自信がないんだから。でもまあ、あなたの度量には正直感心したわ。そう、有能な人材はひとりでも多いほうがいいってやつかしら?」

「違うわ、欲しいのは有能な人材じゃない。あらゆる人材なのよ」

 そう言うと、ベアトリスは手を広げて、その場にいる全員を抱きかかえるように手を広げた。

「世界は広い、世界を統べるには、十や二十の才能じゃとても足りないわ。有能な人材ももちろんいるけど、無能な人間は無能であるからこそ役立てられる場所がある。なにもできない人間は、誰もやったことがないことをやらせることができる。わたしに害をなそうという人間がいたら、それを処分するための人材を育てるエサにできるわ。もちろん、わたしのために役立とうという人間には、相応の仕事をくれてあげる」

「つまり、どんな人材でも使いこなしてみせると、そういうわけですか」

「覚えておきなさい。この世に、無能な部下なんてものはいないのよ。無能な上司ならいるけどね」

 ベアトリスは、その場にいる全員の顔をひとりずつ見つめていった。エーコたちや少女たちには無言で、エーコの姉妹たちにはこれからもよろしくねと声をかけ、最後にティアとティラに目をやって。

「あなたたちも、見事な働きだったわ。よければ、これからもエーコたちを支えてもらえるかしら」

「い、いいのかよ? 大貴族さまが、あたしらみたいなのを」

「どこに邪魔する理由があるっていうの? 言ったでしょ、あらゆる人材が欲しいって。それに誰より、エーコたちがあなたたちを必要としてるわ。だからよろしく頼むわね」

「はい、わたしたちでよければ、なんなりと」

「そこまでかしこまらなくていいわよ。エーコたちの友達なら、わたしの……その、わたしとも、と、友達になってくれる?」

「「喜んで!」」

 そう叫ぶと、ティアがベアトリスに抱きついて、慌ててティラが引き離す騒ぎになった。

 まったく……わずか一年足らずでよくも自分の周りがにぎやかになったものだとベアトリスは思った。エーコ、ビーコ、シーコの三人から始まって、エーコたちの姉妹、今度は水妖精騎士団にジャネット。彼女たちのおかげで、一年前の自分では知らなかったいろいろなものを知れた。そしてそれも、エーコたちに絡みついていた呪われた鎖を断ち切ってくれた、あの風来坊の……いつか、また会いたい。

 だがそのとき、エーコたちの魔法を受けて伸びていた空中装甲騎士団がようやく起き上がってきた。

 エーコたちのあいだに緊張が走る。しかしベアトリスはエーコたちを手で制すると、指揮官のもとに歩み寄って言った。

「空中装甲騎士団、ハルケギニア最強の名に恥じない勇猛な戦いぶり、褒めてつかわすわ」

「ぐぐっ、お戯れはおやめくだされ。せめてお笑いくだされ、お叱りくだされ。我ら一同、クルデンホルフの名を敗北によって辱めたこと、万死に値すると覚悟しております。かくなるうえは、この一命を持って」

「お黙りなさい!」

 びくりと、ベアトリスの一喝によってその場が凍りついた。

「負けたことが恥ずかしい? そりゃそうでしょうよ。あなたたちは竜の子をトカゲと思って狩りに出かけた大馬鹿者ですもの。かくいうわたしも、この子たちの資質を見誤っていたことが恥ずかしいわ。でもだから何? 墓石にハルケギニア一の大馬鹿者ここに眠るとでも刻んでほしいの? して欲しければそうするけど、慢心しきって小娘ごときに負けた未熟者がどうすればいいか、あなたたちに戦いを教えた人はそんなことも教えてなかったの! 男でしょ」

「ぐっ、ぐぐ……姫様、叶うことならば我らに名誉挽回の機会をくだされっ! 我ら一から己を鍛えなおし、あらためてハルケギニア最強の名を得たいと存じます」

「ならさっさと行きなさい! 今日のことは見なかったことにしてあげるから、その代わりに今の百倍強くなるまでわたしの前に顔を出すんじゃないわよ!」

「はっ、ははぁっ!」

 空中装甲騎士団は頭を下げると、全員ほうほうの体で広場から飛び出していき、やがて飛び立ったドラゴンが遠くの空に消えていくのが見えた。

 

 これですべて終わった……広場には少女たちだけが残り、皆が新しい道を見つけた喜びに顔を輝かせている。

 だが楽観はできない。空中装甲騎士団も、次に会うときには今とは比べ物にならない屈強な騎士団に生まれ変わっているであろう。そのときまでに自分も強くなっておかなくては、少女たちは胸を熱くするのだった。

 そしてジャネットは、これからどうやってこの子たちを鍛えようかと想像していた。人形にできないのは惜しいが、この子たちを自分好みに育て上げていくのもそれはそれでおもしろい、なにより楽しみながら大金が手に入るのだ。

 

 だが、なにか忘れてるような……ジャネットは、奥歯にものが挟まっているような嫌な感じをぬぐいきれなかった。

 と、そのときである。爆発音が響き、建物の屋根越しに火柱が上がったのが見えたのは。

「なっ、なによ! じ、事故?」

「違うわ、今のは炎の攻撃魔法の音よ。あっちは、港の南の桟橋あたりね」

「桟橋って、最近ミスタ・コルベールがよく行ってるとこじゃない」

「あ、ドゥドゥー兄さんのことすっかり忘れてたわ……」

 これはまずい、もしミスタ・コルベールが手際よく始末されたら全部が台無しだ。

「まったく、ふだん仕事遅いくせにこんなときだけターゲットに行き着くんだから……っとにもう!」

 あのバカ兄貴を止めないと大変なことになると、ジャネットは港に向かって駆け出した。

 

 

 しかし、人間同士で争っているそのうちにも、自然からの危機は迫りつつあったのだ。

 街外れの小高い丘から土煙が立ち昇り、その中から這い出てくる巨大な影。

「かっ、怪獣だぁぁーっ!」

 近くを通りかかった商人の悲鳴が響き、完全に地上に姿を現したその怪獣、キングザウルス三世は鈴のように吼えると街に向かって進撃を始めた。

 だがなぜキングザウルスはこの街に現れたのだろうか? いったい何を狙っているのだろうか? 事態はひたすらに混迷に向かって加速し続けている。

 

 

 続く



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第37話  強襲キングザウルス! 東方号緊急発進せよ!

 第37話

 強襲キングザウルス! 東方号緊急発進せよ!

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

 燃え上がる炎、立ち昇る黒煙……それは戦いの熱、戦いの華。それらが作り出す戦場という景色の中で、ふたりの男が対峙していた。

「失礼だが、君はいったいどこのどなたなのかな? 命を狙われる心当たりがないわけではないが、君とは今日が初対面だと思うのだが」

「あいにくだけども、余計なことをしゃべらないのが暗殺者のたしなみでね。それよりも、ミスタ・コルベールだっけ? あんたなかなかの使い手みたいだねえ。退屈な仕事かと思ったけど、これは楽しめそうだ」

 炎のゆらめきを頭頂部に反射させてきらめいているコルベールを前に、伊達な衣装をまとった少年ドゥドゥーがレイピア型の杖を握って不敵に笑っている。

 港の一角の倉庫が燃えて、逃げ惑う人々の悲鳴と、消火に当たろうとする人々の掛け声が錯綜してカオスとなっている。コルベールは、これは話してわかってくれる相手ではないなと思いつつも、この場所で戦ったら大切な伊-430潜水艦や、なにより無関係な人たちが危ないと身を翻した。

「あっ! こら、逃げるのか」

「悪いけど、無駄な争いは嫌いでね。君の扱いは衛士隊にまかせるよ。それに、子供相手に大人気ない」

 もちろんこれはドゥドゥーを挑発するための嘘である。コルベールの見立てからして、ドゥドゥーの実力はかなり高く、おそらく衛士隊では束になってもかなわない。また、単に逃げようとした場合には慣れた暗殺者であるなら周りの人間を人質に利用しようとしてくることがあるので、あえて相手を怒らせるように言ったのだ。

 案の定、ドゥドゥーは子ども扱いされたことに怒ってコルベールを追ってきた。

「逃がさないよ! ロマリアくんだりからこんなところまで歩かされてきて、やっと見つけた獲物なんだ。君はぼくに付き合う義務があるんだよっ!」

「追ってきたか、っと! 思った以上に速いな、こっちも本気で逃げなくては危なそうだ。が、腕はいいがまだまだ思慮が浅いな……しかしロマリアか、そんなところの誰が私を? おっと、考えるのは後だ。彼をあの場所までおびき出さないと」

 工場街の建物のすきまを縫って、コルベールとドゥドゥーが跳ね回るように飛んでいく。コルベールは障害物の多いところを選び、ドゥドゥーの足を鈍らせようとするものの、ドゥドゥーは樹上で遊ぶリスのように身軽に飛び回って距離を開かせさせはしなかった。

「フフフ、逃がさないよ。ぼくはしつこいんだ」

 やはり並の腕前ではないとコルベールは逃げながら思った。自由に飛び回る魔法の強さはもちろん、高すぎず低すぎず飛翔力を調整するセンス、なにより魔法頼りではなく本人も建物の壁から壁へと飛び回って平気な足腰を持っていることから、自己の鍛錬にも余念がないのだろう。

 やはり、逃げたのは正解だった。あれほどの動きができるメイジと人のいる街中で戦っていたら大変なことになっていただろう。

 が、彼を差し向けてきたのは本当に何者なのだろうか? 傭兵メイジとしても、彼の実力からしたら料金が安かろうはずはない。それなりの資産を持っていて、自分を狙わせるような相手? だめだ、まだ絞り込むには情報が足りない。

 コルベールはやみくもに逃げているように見せかけながら、ドゥドゥーをある方向へと誘導していった。

「やはり振り切るのは無理そうだね。だが、それならそれでいい。この先なら、いくら暴れてもいいからね」

 彼が誰の回し者であるかは、そこでじっくり聞かせてもらうことにしよう。荒事は嫌いだが、今の自分がここを離れるわけにはいかないのだ。彼には悪いけれど、命を狙いに来たというのであれば、こちらも相応の態度で相手させてもらうだけである。

 

 

 その一方で、ドゥドゥーとコルベールの最初の激突で起きた爆発を聞きつけて、非常事態を悟ったベアトリスたちも行動を起こしていた。

「これはただ事じゃないわね。あなたたちは家に戻っていなさい! エーコ、ビーコ、シーコ、行くわよ!」

 ベアトリスは水妖精騎士団の少女たちを残すと、エーコたちを連れて走り出していた。

 金髪のツインテールをなびかせて走るベアトリス。後ろからエーコたちの、「危険です、お待ちください」という声が追ってくるけれども足は止めない。すべてにおいて未熟である自分にとって、トラブルは自分を磨く研磨砂、逃げるわけにはいかないのだ。

 が、走るベアトリスの頭上を黒い影が飛び越えた。ジャネットは魔法で飛んでベアトリスの前まで出ると、彼女たちを見下ろしながら言った。

「せっかくのスポンサーにもしものことがあったら困るのよね。先に行って様子を見てきてあげる。どうせあなたたち、精神力も尽きてるんでしょ。じゃあね」

 そう言ってジャネットは返事を待たずに飛び出したが、もちろんこれは方便である。彼女にとって、せっかく来たまたとないもうけ話をふいにされたらたまったものではない。ここは是が非でも、アホな兄を止めてもみ消さなくては二百万エキューがパァになる。

「まったく、いつものように迷っててくれればいいのに。どうしてこういうときだけ仕事が早いのかしら! ミスタ・コルベールとやらがどれほどのメイジかは知らないけど、ドゥドゥーお兄様にかなうとはとても思えない……ほんと、妹っていやね!」

 ドゥドゥーのいる場所は、空気を伝わってくる戦いの衝撃でだいたい見当がつく。どうやら高速で移動しながら戦っていることからすると、逃げる相手を追っているか、相手を始末して追手から逃げているかのどちらかだろう。もちろん前者であってくれればありがたいのは言うまでもない。

 ジャネットは手遅れにならないうちにと急ぐ。だが彼女はドゥドゥーを探すのを優先するあまり、ほかの気配に注意を向けることを忘れてしまっていた。

 街の空気が少しずつ強く震え、地面を伝わって地響きのような足音が伝わってくる。それは普通の人間にはまだ感じられないほどかすかなものであったが、街に住む風のメイジや土のメイジはその違和感に気づき始めていた。

”何かが、来る”

 そして、街へ近づいてくるその何者かこそが、この街に真の災厄をもたらす元凶であった。

 

「かっ、怪獣だぁーっ」

 

 郊外の街道上に悲鳴がこだまし、街へと向かって青い巨大な怪獣が進撃している。

 小山のような胴体を巨木のようにがっしりとした四本の足が支え、大蛇のように長大な尻尾が大地を叩く。

 胴体の前からはさらに長く太い首が伸び、古代恐竜を髣髴とさせる頭には前に突き出た鋭い二本の角が生えている。大きく裂けた口から鈴の音のような鳴き声をとどろかせ、それを聞くすべての人間を威圧した。

 

 古代怪獣キングザウルス三世。GUYSのドキュメントMATに記録があり、地底を棲み家とし、一度はウルトラマンジャックを完敗にまで追い込んだ強力無比な大怪獣だ。

 全長百五メートル、体重二万七千トン。体の長さは全怪獣の中でもトップクラスで、見渡すような巨体を震わせて前進する姿は、まるで動く要塞のようだ。

 

 郊外の地底から突如として出現したキングザウルス三世は、そのまま一直線に街を目指して進んでいた。その太い足が振り下ろされるたびに草地にクレーターがうがたれ、振り回された尻尾が放置されていた台車を数十メートルにわたってふっ飛ばし、鳴き声が響き渡るたびに逃げ惑う人々から悲鳴があがる。

 だが、怪獣の出現を察して、街を警護する竜騎士隊がおっとり刀で駆けつけてきた。

「怪獣はあれか。ぬうぅぅ、なんてでかいやつだ……あんなのが街に入ったら大変なことになる。全騎、聞いているな? 本体が重装備を持って出てくるまで、少しでも怪獣を足止めするんだ。かかれっ!」

 竜騎士隊の隊長は、以前に街を襲ったユニタングとの戦いの経験から、怪獣や超獣の恐ろしさをよく理解していた。

 生き物の常識を超えた生物、それが怪獣。人知を超えたパワーや超能力の数々を持ち、ただ一匹で軽々とひとつの街をこの世から消し去ってしまう。

 が、トリステイン軍人に敵を前にしておじけずくことは許されない。相手がなんであろうと、自分たちの杖はトリステインの旗と同じなのだ。軍人になった以上は、自分の旗を命に代えても守るという義務を果たさねばならない。

 とにかく、時間を稼ぐことだ。そうすれば、重装備を抱えたほかの部隊や、港に駐留する艦隊が出撃してきてくれるだろう。

「全騎、急降下!」

 隊長の命令一過、竜騎士隊は翼を翻して逆落としに入った。

 いくぞ怪獣、我らトリステイン王軍の力を見せてやる!

 だが、キングザウルス三世は広い視野で竜騎士たちの動きを掴んでいた。黒目がぎょろりと上を向き、長い首が戦車の砲身のように上を向く。

 来る! 本能的に危険を察知した隊長が部隊に散開を命じた瞬間、キングザウルス三世の口が大きく開き、赤色の放射能光線が発射された。

 

 

 キングザウルス三世の出現で危機迫る街。その脅威は時間と共に警報へと変わって、一般人にも伝えられた。

『緊急警報! 緊急警報! 街郊外に怪獣が出現。怪獣は東ゲート方向より、街へと向かって進行中です。全作業員はただちに作業を中断し、落ち着いて北ゲートもしくは南ゲートへと避難してください。決して、東ゲート付近には近寄らないでください。繰り返します、怪獣が出現……』

 もしものために用意された、風の魔法で増幅されたアナウンスが街全体に響き渡り、それまで平凡な日常を送っていた人々は一瞬にして修羅の巷へと放り出された。

 怪獣が来る! バキシム以来、怪獣の出現が絶えて久しかったこの街にさっと緊張が駆け巡る。だが、トリスタニアと同様に万一に備えて避難訓練が繰り返されて、慣れていた人々は身の回りのものを持ち、慌てて外へと飛び出して、北か南の近いほうの門へと駆け出した。

 むろん、街中に響き渡る警報はベアトリスたちの耳にも入っている。

「怪獣ですって! んもう、こんなときにっ」

「姫殿下、危険です。やってきている怪獣がなにかはわかりませんが、ここはいったんご避難なさってください」

「だめよ、事態も把握できてないうちに責任者が逃げ出してどうするの。このまま港に向かうわよ、まずはミスタ・コルベールの安否を確認するわ」

「そちらは街の西岸です。逃げ道がなくなりますよ!」

「忘れたの? 陸に逃げられなくても、港にはあれがいることを」

「ああっ!」

 エーコたちは合点した。そしてさらに足を速めて急ぐ、港はもうすぐだった。

 

 

 そして、人々が望まぬ騒乱に巻き込まれようとしているとき、望み望まれぬ戦いもまた始まろうとしていた。

 人の気配のない閉鎖された工場。その薄暗い中に立ち、コルベールとドゥドゥーは互いに杖を抜き放っていた。

「ふふ、鬼ごっこもそろそろ終わりみたいだね。もう逃げ場はないよ、観念してもらおうかな?」

「確かにね、ここまで追い詰められるとはまいったね。なあ君、外も騒がしくなってきたようだし今日はお開きにしないかね? お土産にお茶菓子くらいは出すよ」

「おもしろいおじさんだね、自分の立場をわかってるはずなのにその余裕。やけっぱちかな? いやいや、ボクの勘が君は腹になにかを隠してるって言ってるよ。ケチケチしないでやる気を出してくれたまえ」

 コルベールがなだめようとしても、ドゥドゥーは人をなめた態度で挑発を続けてきた。

 じりじりと両者の間合いが詰められていく。ドゥドゥーのレイピア型の杖を扱う仕草には隙がなく、コルベールもじっと杖を構えて動かない。

 が、コルベールはドゥドゥーの千分の一も殺気を発してはいない。

「なあ君、私は無益な争いは嫌いなんだ。けんかも弱いし、なにより私はまだ未婚なんだ。せめてあとニ、三年経ってから来てくれないかな?」

「あっはっはっ! 本当におもしろいおじさんだね。まあ未婚なところは同情してあげるさ、おじさんってそういう遊びにも疎そうだもんねぇ。でもダメだね、何年も先じゃなくて、今殺ることに価値があるみたいだからさ。代わりに、お弔いにはロマリアで一番きれいなシスターに祈ってもらえるようお願いしておくよ。なんなら大聖堂のシスターを総動員ってのもいいかもね」

 コルベールは表情を変えないようにしながらも、ドゥドゥーの言葉を吟味していた。

 『今殺らないと』『大聖堂』、なるほど、少しずつ背後が見えてきた。人間は無意識のうちに言葉の中に見聞きしたことを含めてしまうものだ。

 どうやら、彼に暗殺を依頼した相手の動機は自分への恨みなどの類ではなさそうだ。今現在自分がいなくなって支障をきたすものといえば東方号がらみしかない。しかし、恐らくはロマリアでもかなり高い立場にいる人間が依頼主であろうと推測するが、ロマリアが暗殺者を送ってまで東方号の稼動を妨害する理由がわからない。

 だが、理由がなんであろうとも親切に首を差し出してやるつもりはない。

「本当に、私は痛いことは嫌いなのだよ。お金がいるならば、私の財産を持っていってもいいから命ばかりは勘弁してくれないかね」

「あっははは、これはずいぶん苦しい命乞いだね。だったら今ここに二十万エキューを用意してみたまえ。なにより、今ぼくは機嫌が悪くてね。暴れたくてしょうがないのさ……なにせこの街ときたら、やたら道が複雑で……」

 

 それは数時間前のこと……

 

「おーい、ジャネット! ジャネットぉっ! まずい、完全にはぐれた……そして」

 迷った……と、ドゥドゥーはどこともしれない路地の中で途方に暮れていた。マイペースで自由人のジャネットは街の雑踏にまぎれてどこかに行ってしまい、ぽつんと残されてしまったドゥドゥーは、認めたくないが迷子というほかはない。

 しかし、遠足に来た子供ではないのだから自分でなんとかしなくてはいけない。

「しょうがない、ターゲットのいそうなところを人に聞いてみるしかないか。なんでぼくがこんな目に……えーと、すみませーん!」

「はい? なんですかみょん」

 

 そうしてあっちこっちを散々さまよって……

「やっとのことで、港のほうで色々研究してるハゲがいると聞き出したときはうれしかったなあ。この恨み、なにがなんでも君を抹殺して晴らさせてもらうよ!」

「は、はぁ……」

 ずいぶんと苦労性な少年だなあと、コルベールは思ったが、どうやらドゥドゥーは本気で我慢の限界らしい。

 これ以上、話を引き伸ばすのは無理か……コルベールは腹を決めた。

 廃倉庫の中に、ドゥドゥーの殺気と共に魔力が高ぶっていく。コルベールは、その流れをじっと見定めていたが、ある一点に達した時点で素早く身を翻した。

『ライトニング・クラウド!』

 上級の電撃魔法がドゥドゥーの杖からほとばしってコルベールに襲い掛かる。だが、魔法の完成の一瞬前に飛びのいていたおかげで、電撃の枝は打ち捨てられていたさびまみれのドラム缶を黒焦げにしただけに終わった。

「すごいね! ライトニング・クラウドを避けるなんて、そんじょそこらのメイジにできることじゃないよ」

「喜んでいるところを悪いが、周りに気をつけたほうがいいよ」

 コルベールが言うのと同時に、廃倉庫のガラクタや物陰からいっせいに何十発ものロケット弾が飛び出してきて、白煙を噴きながらドゥドゥーに襲い掛かった。

「!?」

 四方八方、逃れる隙間のない全方位からのロケット弾攻撃はドゥドゥーに迎撃する暇も与えずに全弾命中して派手な火柱をあげた。

 爆発の風圧で揺れる廃倉庫。コルベールは積み上げられたコンテナの上から煙に包まれた、ドゥドゥーのいたあたりを見下ろしながらつぶやいた。

「こんなこともあろうかとと思って用意しておいた、魔法の発動に反応して発射されるマジックミサイルさ。死ぬほどの威力はないが、人の命を狙ってきたんだ。少しくらい痛いのは勘弁してもらおうか」

 だが、コルベールのすまなそうなつぶやきをさえぎるように、爆発の白煙は内側から一気に吹き飛ばされた。

「なめるなあっ!」

「んっ、なんと!」

「たいした仕掛けだねえ、一瞬ほんとに死ぬかと思ったよ。でも、この程度じゃぼくはやられない。残念だったね」

「あれをしのぎきったのか。どうやらまだまだ私は君の実力を見誤っていたようだね。これは少し考え方を変えるべきか」

 コルベールは、ぐっと杖を握った手に力を込めながらつぶやいた。

 今のマジックミサイルはオモチャではない。弾頭の火薬こそ減らしてあるものの、まともに使えばドラゴンすら吹っ飛ばす威力を秘めている代物なのだ。それをドゥドゥーは爆煙のせいでどうやったかはわからないものの、完全に無傷で耐え切ってしまった。

 しかし、不思議なことにコルベールの表情には悲壮感とは別ににこやかな笑みが覗いている。

「へえ、やっぱり君も戦いが楽しいんだ。そりゃそうだよね、世の中で闘争ほど心踊るものはないものさ」

「いやいや、そうではないよ。私はこれでも教師だからね、前途有望な若者を見るとついついうれしくなってしまってね。惜しいものだ、それほどの腕を傭兵などで腐らせておくのは」

「そうでもないさ、傭兵稼業をしてると強い奴と戦う機会も巡ってきやすいんでね。もちろんハズレも多いけど、君には大当たりの匂いがプンプンするよ。さあて、本気を出すのが嫌なら出させるまでってね! 絶対逃がさないからね」

「仕掛けを恐れずに突っ込んでくるか。いいねえ、若いというものは……でも、私の自慢の発明もまだまだあるんだよ。私に本気を出させたかったら、がんばってくれたまえ」

 コルベールに襲い掛かるドゥドゥーと、彼を次の仕掛けに誘導しようとするコルベール。ドゥドゥーが参るのが先か、コルベールの発明品が尽きるのが先か、戦いは廃倉庫の空気をさらに埃まみれにしながら激しさを増していく。

 

 

 だが、コルベールがドゥドゥーの相手に手一杯になっているうちにも、街には巨大な脅威が迫っていた。

 大地に激震が轟き、建物が崩れ落ちる轟音と、路地裏にまで響き渡る鳴き声が傲慢な野良猫も怯えて逃げさせる。

 防衛隊の必死の防衛線を突破して、ついにキングザウルス三世が街へと侵入してきたのだ。

「怪獣が来るぞ! 早く、早く逃げるんだ!」

 逃げ遅れている人に向かって、街の守備部隊の必死の叫びが飛ぶ。人々の悲鳴と怒号が響き、さらにそれを上回る高さの怪獣の鳴き声が空気を震わせ、恐怖と混乱をあおっていく。

 倒壊した建物から上がる炎。立ち昇る煙の柱が何十にも昇り、人間がその知恵を絞り、少なからぬ時間と努力を重ねて築き上げてきた街が価値を持たない瓦礫の山へと化していく。

 その中でただひとつ、我が物顔で吼え猛り、その身に触れるすべてのものを容赦なく破壊していくものこそ、怪獣キングザウルス三世。

 角が軽く触れただけで石造りの建物が崩され、尻尾が振るわれるたびに街路樹も街灯も紙切れのように宙に舞い上げられていく。

 まるで形を持った台風であるかのように、キングザウルス三世の進撃は止まらない。

 むろん、人間たちも手をこまねいているだけではない。防衛用にと用意されていた大砲が馬に引かれて駆けつけ、砲手たちが砲口から火薬と砲弾を詰めて狙いを定める。

「でかい的だ、外した奴は一週間メシ抜きになると思え。よーし、撃てーっ!」

 鋳鉄製の黒々とした砲身から炎と煙と共に球形弾丸が放たれて、キングザウルス三世の巨体に突き刺さる。

「やった!」

 だが、砲弾はキングザウルス三世の皮膚を貫くことなくはじき返されて空しく落ちていった。

 なんて硬い皮膚をしてやがるんだ! 砲手たちはじだんだを踏んだ。奴の皮膚はマットアローのミサイル攻撃にもまったく動じなかったほど強固であり、キングザウルス三世は砲撃されたこと自体に気づいていない様子で、野砲小隊に一瞥もくれずに前進を続けている。

 強固な石の建物も、キングザウルス三世の前進を妨げる障害にはまったくなっていないようであった。その様子や、野砲隊の攻撃が無駄に終わったことを空から見て、竜騎士隊の隊長は歯噛みをするしかできなかった。

「くそっ、なんて奴なんだ!」

 自分たちの足止めもほぼ効果なく、怪獣はたいして歩みを緩めることなく街へ入ってしまった。可能ならば、重装備の部隊が駆けつけてくるまで郊外で釘付けにして、街の外で決着をつけたいと思っていたのは虫が良すぎたと思うにしても、あの怪獣のタフネスとパワーは以前に街を襲った超獣に少しも引けを取るものではなく見えた。

 竜騎士隊は半数が撃墜されて、もはや戦闘ができる力は残していない。彼らにできることは怪獣を空から見張り、その動向をいち早く通報することだけであった。

 けれども、人間たちもこのままやられっぱなしではない。隊長の待望していた援軍が、ついに街の空と地上に現れてきたのだ。

「こちらトリステイン王立空軍、第六艦隊。全艦、対大型幻獣戦闘用意!」

「こちらトリステイン王立陸軍、第三十砲亀兵連隊所属重砲隊、弾込め急げ」

 空中からは艦列を組んだ飛行戦列艦が砲を下に向け、地上では道路を削りながら運ばれてきた大口径砲が仰角をつける。

 待たせたな怪獣め。ずいぶん急いで来られたから、少しばかり歓迎レセプションの準備が遅れたが、ここがパーティ会場だ。我々のもてなし、存分に受けてくれたまえ。

 キングザウルス三世も、新たに現れた敵の存在に気がつき、長い首を空に向けて威嚇の声をあげる。その迫力には、訓練を積んだ新兵も、歴戦の老兵も揃って息を呑まされた。

 どうやら、我々の挑戦を彼も受けてたってくれるらしい。しかし、もてなされるのは逆に自分たちかもしれないという予感が、将兵たちの心によぎった。

 あの怪獣は強い、間違いなく。雄たけびには微塵の恐怖の気もなく、空を睨む目はかけらも震えていない。年月を積んで成熟しきったドラゴンと同じく、人間を邪魔とは見ても脅威とは見ていない、そんな目だ。

「なめられているな。まあ当然か……だが、我らトリステイン軍に敵前逃亡などはありえん。女王陛下、我らに力をくだされ。全艦、砲撃開始!」

 戦列艦の砲が一斉に火を噴き、同時に地上の重砲部隊も火蓋を切った。

 轟く火薬の爆裂音、空気を裂く衝撃波、そして音速を超えて殺到する砲弾の乱舞。

 キングザウルス三世は一瞬のうちに炎と煙に包まれた。炸裂する砲弾が無数の破片を撒き散らし、キングザウルス三世の砕いた建物の破片がさらに微塵の粉塵にまで砕かれて舞い散る。

「どうだ、最大級の火龍でさえ吹き飛ぶ威力だぞ!」

「気を抜くな! 奴らは、我々の常識を超えた生き物だということを忘れたか。次弾装填急げ、次は奴の反撃が来るぞ!」

 その瞬間、灰色の粉塵の中から赤い光線が放たれて一隻の戦列艦に突き刺さった。爆発が起こり、船体の文字通り右半分を消し飛ばされた艦は大きく傾いて落ちていく。

 やはり、こんなもので絶命するような奴ではなかったか。粉塵の中から再びキングザウルス三世の巨体が現れて、大地を踏みしめ、尻尾を揺らして前進を始める。

 強い……今の砲撃は、怪獣を相手にすることを想定して火薬を倍加した特製弾だったのに、まるで効果が見えないとは。

「お、恐ろしい奴だ。司令官、このままでは」

「うろたえるな、こうなることは最初から想定のうちだったろうが。だが、この世に生きている限り、殺せない生き物などいない。全艦、今度は照準を絞り込んで、奴の頭を集中攻撃しろ。下の部隊にも連絡、急げ!」

 司令官は、あのベロクロン戦からの戦いを生き残り、その経験を買われて司令官に任命された猛者だ。怪獣の恐ろしさは身に染みて知っている。

 だが、怪獣や超獣とて不死身ではない。人間の力でも、工夫し、弱点を突けば必ず倒すことが出来る。

 命令が伝達され、艦隊の砲口がキングザウルス三世の頭部へ向けて照準を定め、続いて地上の重砲部隊も砲門を動かす。

 トリステインの冶金技術では、まだ命中精度の優れた大砲は作れない。しかし、空と陸を合わせて百門以上の大砲が一斉発射すれば、そのうちの何割かは確実に当たる。さらにその中の一発が、目にでも当たってくれたら御の字だ。

 キングザウルス三世の放射能光線が当たり、また一隻の戦列艦が艦首を吹き飛ばされた。だが、せめて落ちる前に一矢をと、砲手たちは傾く床の上で必死に砲弾を詰め、狙いを定める。

「見上げた敢闘精神だ。かの船の男たちの闘志を無駄にしてはならん。全砲、放てぇーっ!」

 今度こそはと、必勝の信念を乗せた砲弾が再び放たれた。砲手はいずれも劣らぬ鍛え上げられた腕利きばかり、殺到する砲弾の何割かは確実にキングザウルス三世の頭部を目掛けて直進した。

「やったか!」

 今の砲撃は確実に怪獣の頭を捉えたはずだ。これでダメージがないはずはない。後は、相手のダメージを広げて、撃破につなげていけばいい。

 爆発の煙があがる中で、司令官や将兵たちは確信した。確かに、頭部への攻撃は有効な手段であり、ウルトラブレスレットに耐えられるボディを持つとされる改造ベムスターも目だけは守ることはできずに苦しめられている。

 しかし。

「なっ! そんな馬鹿な」

 なんということか、怪獣には一筋の傷さえ刻まれてはいなかった。

 どういうことだ!? あの怪獣の硬さは顔面にまで及んでいるのか? いや、あれはなんだ!?

「光の、壁?」

 怪獣の周りを、まるでカーテンで覆うかのように発光する光の壁が囲んでいた。

 まさか、あの壁が!

 その推測は完全に当たっていた。弾込めが間に合わず、今になって放たれた砲弾のいくらかがその光の壁にはじき返されてしまったのだ。

 これこそが、キングザウルス三世の持つ数々の超能力の中でも特に恐ろしいと言われる、超強力なバリヤー能力である。その障壁はキングザウルス三世の三百六十度すべてに張り巡らされ、どの方向からの攻撃に対しても完全に対処できる。さらに、なによりも恐ろしいのが……

「うろたえるな! 撃ち続けろ、どんな障壁も撃たれ続ければ必ず破れるはずだ」

 司令官の叱咤で、兵士たちは勇気を奮い起こして大砲に次の弾を込めた。

 砲弾がバリヤーに炸裂し、派手な爆発があがる。けれども、これが魔法で作られた風や土の防壁であったならば、攻撃を続ければいずれは破壊できたであろうが、彼らは知らなかった。キングザウルス三世のバリヤーの持つ驚異的な強度を。

 群がる砲弾はバリヤーを食い破ろうと次々に炸裂する。が、バリヤーにはなんの変化もなく、キングザウルス三世は余裕で前進を再開し始めた。そう、キングザウルス三世のバリヤーの強度は怪獣界でも随一を誇り、かつての個体はウルトラマンジャックの必殺技であるスペシウム光線をはじめ、八つ裂き光輪、フォッグビーム、シネラマショットの連続攻撃を完全に防ぎきっているのだ。

 バリヤーで砲撃をしのぎきったキングザウルス三世は、おもむろに首を上げると放射能光線を吐き出した。赤色の光に打ち抜かれて、また一隻が落ちていく。

 なんて奴だ、だがこれ以上進めるわけにはいかん! 空中艦隊の苦戦を見て取って、地上の重砲部隊が狙いを怪獣の足元に定める。だが、怪獣は地上の部隊をじろりと睨みつけると、大きく裂けた口を開いて白色のガスを吐き掛けて来た。

「なんだこの煙は、うわぁ、目が痛い、喉が焼けるっ!」

 キングザウルス三世の吐いたのは、有毒なスモッグガスであった。ガスは瞬く間に一帯に広がり、地上にいた部隊は戦闘続行不可能に追いやられてしまった。

 司令官の乗った船も放射能光線で街中に撃ち落され、戦列艦は街の建物を押し潰しながら街中に不時着した。負傷者を運び出せ、火を消せと怒鳴る声が響き渡る中で、司令官は無念の歯噛みをすることしかできなかった。

「くそっ……またしても」

 人間の努力は怪獣の力には敵わないのか……我々は、無力だと、司令官は防衛線の崩壊を見守っていた。

 だが、世は万事が目的どおりに結果が出るとは限らない。彼らの奮闘は、まったく戦場から離れた場所に影響を与えていたのだ。

 邪魔者を粉砕し、我が物顔での前進へと返ったキングザウルス三世。その巨体の破壊力の前には、人間の作ったものはひとたまりもなく、自動車を軽く引き潰す重戦車が巨岩に押し潰されるように破壊の渦が広がっていく。

 轟音を上げて崩れ去っていくレンガ作りのアパルトメント、戯れに放たれた放射能光線で爆破される酒場、道路も水道ごと踏み抜かれて、水を噴水のように噴き出した。

 

 それらの暴虐の様子を、コルベールは倉庫の屋根に登って見渡していたのだが、怪獣が街の防衛部隊に進撃を邪魔されながらも一切進路を変えようとしない様子から、怪獣の目的地に当たりをつけた。

「あの方角は桟橋。狙いは東方号か……これはもう、こんなところで遊んでいる場合ではなくなったようだね」

 廃倉庫の高い屋根は『フライ』の魔法を使わなくても街を見渡すのに向いていた。街は今日までの平和な様相から戦場へと変わり、さらに戦火は広がり続けている。

 もう、自分に向けられた暗殺者の正体うんぬんについて探っている暇はないようだ。あの怪獣の進行速度からして、東方号の係留してある桟橋にたどり着くまでそう時間はない。コルベールは杖を握り、一気に飛ぶべく魔法の準備に入った。

「私が行くまで、持ちこたえていてくれよ諸君。今、行くからな」

「待て! ここまで来て逃げようって言うのか。そんなズルってあるかい!」

 屋根の下からドゥドゥーの恨めしそうな声が聞こえてくるが、コルベールは露にもかけずに冷たく言った。

「私も少々残念だが、大人は遊ぶよりも仕事が大事なのでね。このへんで失礼させてもらうよ」

「くそーっ! 卑怯だぞ、わけのわからない道具ばっかり使って」

「発明が私の唯一無二の趣味だから、すまないね。ただ、君もなかなかよくやったよ。私の自信作の踊るヘビくんも逆立ちするヘビくんも切り抜けてくるとは驚いた。でも、ホイホイするヘビくんには通用しなかったね」

「ずるいぞ、トリモチなんて! これがメイジのやることかい」

 今、ドゥドゥーは倉庫の中で、害虫用の罠にかかった黒光りするアレのごとく床にべっとりと貼り付けられてしまっていた。当然、身動きはまったくとれず、ドゥドゥーの悔しがる声ばかりがコルベールの耳に響いてくる。

 まったくどうしてこうなったかと言うと、コルベールの狡猾さにドゥドゥーがひっかかったからである。コルベールは、マジックミサイルなどの派手な罠を先制して用いて、用意してある罠はそういうものだという先入観をドゥドゥーに植え付けた。そのため、トリモチを張った床という単純極まりない罠にみすみすかかってしまったのであった。

「君が自分の体に硬化をかけて攻撃をしのげても、それではまったく意味がなかろう。それと、そのトリモチは特別製でね。錬金してはがすにも時間がかかるよう作ってある。まあ頑張りたまえ、若い頃の苦労は買ってでもするものだよ」

 それだけ言うと、コルベールは倉庫の屋根を蹴って、一直線に桟橋のほうへと飛んでいってしまった。

 あとに残されたのはドゥドゥーだけ。人のいなくなった廃倉庫は、すぐ近くで怪獣が暴れているというのに異様なほど静かで、ドゥドゥーはその静寂に、自分が負けたことを悟った。

 なんという無様か。屈辱が激しく胸を焼く。しかし全身を貼り付けにされた様ではじたばたすることもできず、むしろ暴れるほどトリモチに引っ付いてしまうので、ドゥドゥーは悔しげに錬金の呪文を唱え始めた。

「畜生、このぼくがこんな目に。覚えていろよ、あのコッパゲ!! 今度会った時こそ、必ず殺してやる! しかし、場所が場所でよかった……こんなとこ、ジャネットに見られたら、またなんて言われることか」

「残念だけど、もう見てるわよお兄様?」

「なっ!?」

 背後からした聞きなれた声に、ドゥドゥーがかろうじて動く目だけを動かして見ると、そこにはジャネットが倉庫のはり材に腰掛けてこちらを笑っていた。

「ジャネット、お前いつのまに」

「さぁ、いつからかしら? でも笑いをこらえるのに苦労したわ。お兄様ったら、もう傑作! う、生まれて今日まで、こ、こここ、こんなおかしいもの見たことないわ」

 そう言うとジャネットは堰が切れたように腹を抱えて大声で笑いに笑った。ドゥドゥーは兄として、悔しいやらみっともないやらで泣きたくなったけれども、残念ながら手も足も出ない。

「ジャネット、いつまでも笑ってないで助けてくれ。あのコッパゲ、人をさんざんコケにして、今度こそ確実に始末してやる」

「あら? それはダメよ。あのおじさんに死んでもらったら、とーっても困ることになったの。そうさせないようにと慌てて来たけど、お兄様がいつも以上のドジを踏んでくれたおかげで助かったわ」

「なんだって? お前、ロマリアからの依頼はどうするつもりだ。二十五万エキューを棒に振る気かい!」

 事情を知らないドゥドゥーは慌ててジャネットを問いただした。もちろん、ぜんぜん身動きとれない中で叫んでいるので滑稽極まりない。

 ジャネットは、ドゥドゥーが動けないのをいいことに、ひとしきりじらす様子を見せたが、やがて誇らしげに言った。

「私はね、ドゥドゥーお兄様が遊んでいるうちにも、お兄様たちのお役に立てるように色々働いてるの。ロマリアのはした金なんてもう必要ないわ。だからこの仕事は終わりよ」

「どういうことだい。ジャネット、もう少しわかるように説明したまえよ」

「うふふ、お兄様と違って、日ごろの行いがいいわたしは運もついているの。もうすっごい儲け話が舞い込んできたの、これを伝えたらジャック兄様もダミアン兄様もきっと喜んでくださるわ」

 ジャネットはもったいぶりながらも得意げにドゥドゥーに語ろうとした。しかしそのとき、ジャネットの後ろから。

「ほう、どういう話か聞かせてもらおうかジャネット?」

「えっ!」

「そ、その声は、ジャック兄さん!?」

 振り返ると、そこには筋骨隆々とした大男が、腕組みをしながら渋い顔でこちらを見下ろしていた。

 とたんに顔から血の気が引くドゥドゥーとジャネット。ジャックは、そんなふたりを見下ろしながら呆れたように言った。

「ドゥドゥー、ジャネット、このあいだの仕事が終わった後で、しばらくは自由にしていいとは言ったが、勝手に依頼を受けていいとは言っていないはずだがな。いなくなったお前たちを探すのに、ずいぶん骨を折らされたぞ」

「ご、ごめんよジャック兄さん。ぼ、ぼくたち、すごく割のいい仕事を見つけたもんだから、こっそり稼いで兄さんたちをびっくりさせたくて」

「それは殊勝な心がけだ。だがな、お前たちが勝手に動いている間に、もっと大事な仕事が舞い込んできたらどうするつもりだ。ただでさえ、俺たちの仕事はリスクが高いんだぞ。ダミアン兄さんが依頼主との交渉に毎回どれだけ苦労してると思ってるんだ」

「ごめんなさいジャック兄様。あっ、でもそのことですけど、リスクなしで大金を稼げる方法が見つかりましたの! ぜひ、聞いてくださいませ」

 ジャネットは駆け足で、この国一番の金持ちであるクルデンホルフが自分たちを破格の待遇で雇いたがっているという事をジャックに伝えた。

 ジャックはジャネットの説明を黙って聞いていたが、話が終わるとおもむろに口を開いた。

「なるほど、確かにすごい話だ。だが、そんな話を俺はまだしもダミアン兄さんに黙って進めていいと思ってるのか? 俺たちの仕事は信用第一なんだぞ」

「そ、それは悪いと思ってるわよ。でも、こんないい話は二度とないと思って……ね、ジャック兄さん、これだけのお金が稼げればダミアン兄様の夢に大きく近づくわ。だから、お願いだからダミアン兄さまには、あの、その」

「そ、そうだジャック兄さん。こんないい話はないとぼくも思うよ。だからダミアン兄さんには、ジャック兄さんから、その、穏便に、その」

 青ざめて震えながら、ドゥドゥーとジャネットはジャックに懇願した。どうやら、この二人はダミアンという兄のことが相当に怖いようだ。

 ジャックはふたりの様子にため息をついたが、やがて独り言のようにつぶやいた。

「だ、そうです。どうしますダミアン兄さん?」

「えっ!?」

 ジャックが視線を動かした先の暗がりから、小さな人影が歩み出してきた。

 年のころは十歳くらいの少年に見える。短い金髪を持ち、顔つきも端正と言っていいが、その表情には愛らしさのカケラも浮かんではいなかった。

「ダ、ダミアン兄さん……」

「ドゥドゥー、ジャネット、話は聞かせてもらったよ。まったく君たちときたら、いい年をしてもう少しおとなしくできないのかい? おまけに勝手に受けた仕事は完遂できないわ、ターゲットにあっさり懐柔されるわと、僕は兄として情けないよ」

 冷たい声で、ダミアンはドゥドゥーとジャネットに言った。

 ドゥドゥーとジャネットは、顔が青ざめるのを通り越して冷や汗で背筋をぐっしょりと濡らしている。

「あの、ダミアン兄さん、もしかして怒ってます?」

「さあ、どうだかね。ただ、少しばかり君たちにお説教したい気持ちなのは確かだね。ちょうど、ドゥドゥーは動けないようだし、ここには誰も来ないようだしね」

「ダ、ダミアン兄さま! わたしの話はお聞きになってましたよね。もうすっごい儲け話なんです。これ以上ないくらいの! だからせめて、わたしだけは勘弁してください」

「ジャネット! ずるいぞお前だけ」

「ヘマしたのはドゥドゥーお兄様だけよ。わたしは別に功績もあげてるんだからずるくないわ」

 ドゥドゥーとジャネットが言い争いを始めるのを、ダミアンは冷たく見守っていたが、やがてふたりを止めると静かにゆっくりと告げていった。

「ジャネット、わかった。君の話は僕としても検討させてもらおう。クルデンホルフといえばゲルマニアともつながりの深い大貴族、スポンサーとしては悪くない。ただし……それはそれ、これはこれだ」

 一気に自分たちの周りの空気が冷たくなったことを感じたドゥドゥーとジャネットは、「ああ、終わった」と、すべてをあきらめたように涙を流した。

 ジャックは、とばっちりを受けないようにコルベールがいた倉庫の屋根に登って街を見渡している。怪獣が埠頭につくまでには、あと数分くらいに感じられた。

 

 

 キングザウルス三世の姿はすでに東方号のブリッジからもはっきりと見え、ブリッジからその様子を睨みつけていたベアトリスは苦々しげに言った。

「やっぱり、あの怪獣の目的はこの船みたいね。出航準備、まだできないの! 早くしないとつぶされるわよ」

「は、はい! 出港準備、今できました。水蒸気機関、全力運転開始、東方号発進します!」

 船に集まっていた銃士隊と水精霊騎士隊の必死の働きで、東方号はじわじわと桟橋を離れて動き出した。

 対して、キングザウルス三世は足をさらに速めて迫ってくる。ベアトリスはエーコたちとともに、早く、早くと祈り続けた。

 

 一方で、コルベールも魔法でキングザウルス三世を追い越しながら東方号へあと一歩まで来ている。

「ようし、船が動き出した。皆、訓練どおりにうまくやってくれたようだな。怪獣め、東方号はなんとしてでもやらせんぞ。あの船には、世界の未来がかかっているんだ」

 

 果たして東方号はキングザウルス三世から逃げ切ることができるのか? 進撃はさらに早まり、破壊されゆく街は激しく燃えゆく。

 大火災、その炎と天高く上る煙は数十リーグ先からでも見えていた。

「おい、東の空を見てみろ。あの煙の量は、尋常ではないぞ」

「なに言ってるのよ、あれはどう見ても戦火じゃない。シルフィード、お願い。なにか、悪い予感がするわ」

「わかったわ、じゃあ飛ばすから、みんな早く乗ってなのね!」

 

 そして、桟橋から離れゆく東方号をじっと見つめる目がもう二組。

「エーコさまたちの船、動き出したね。けど、このままじゃとても逃げ切れない。やられちゃうよ」

「そうね。けど、あの船、ミミー星人が作ったあの船が本当の力を出せれば、もしかしたら」

「ティラ、わかっているのかい? それが、どういうことなのかをさ」

「もちろんよ、ティア。けど、それがわたしたちを友達と言ってくれた人たちにできる、たったひとつのことだと思わない?」

「わかってるよ、わたしたちは、いつでも、いつまでだっていっしょさ」

 握り合った手と手が熱く締まる。

 姉妹の決意、それが東方号の、そしてハルケギニアすべての運命をも、今まさに変えようとしていた。

 

 

 続く



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第38話  海神の目覚め、巨砲鳴動ラグドリアン

 第38話

 海神の目覚め、巨砲鳴動ラグドリアン

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

 ラグドリアン湖から流れる河水にその身を映らせて、東方号はその全長四百五十メートルの巨体を雄雄しく水上に浮かべている。

 東方号、その前身はミミー星人の作り出した軍艦ロボットアイアンロックスであり、大和、武蔵、信濃の三大巨艦をベースにして作られた巨体に隙間なく搭載された兵装は、敵としてあったときは人間たちを大いに苦しめた。

 しかし、人間の手に落ちた今は、その恐るべき力の一端も発揮できていない。ミミー星人のオーバーテクノロジーは人間の手に負えず、コルベールでもアイアンロックスという器の鎧の部分しか利用することができなかったのだ。

 

 秘めたる力を発揮できずにいる、眠れる巨人オストラント……だが、その東方号を二対の眼が望み、エメラルドグリーンの髪をなびかせながら見守っていた。

 

「なりゆきで来ちゃったこの星だけど、住んでみるとなかなか楽しかったね、ティラ」

「そうね。人間って生き物も、聞いてたほどは悪くはなかったわ。できれば、もう少し色々知りたかったけど、それも今日までかな。ほんとにいいの? ティア」

「いいさ、けっこう楽しんだけど……どのみち、わたしたちは帰れないんだものね。このまま正体がバレるのを怖がって生きていくより、この命はすっきりする使い方をしようさ。な」

「ふふ、あの人たちともっと遊びたかったけど、さっきも恩を返したつもりが助けられちゃったしね。死なせるわけには、いかないもんね」

 

 東方号と、そこに乗っている人たちを見つめるその目は優しい。

 この世界は、この世界に生きる者たちのものだが、この世界に生きているのはこの世界の者だけではない。

 異なる世界の人のために、彼女たちはひとつの決断をした。それが、彼女たちの望んだ人たちの運命にどんな航路を示していくのだろう。

 

 

 東方号に、運命の時が迫りつつある。しかし、今の東方号は危機に追われ、まだそれを知らない。 

「全艦最大船速! 壊れてもかまわん。まわせるだけまわせえ!」

 東方号の艦首が波を切り、巨大な船体がゆっくりと港の桟橋を離れていく。

 その背に望むのは燃える街。鋼鉄の船体に炎の色が赤く揺らめき、崩れ落ちる建物の轟音を水蒸気機関の叫び声が上書きして、河水の表面を叩いて震わせる。

 出航する巨大戦艦の姿は勇壮で、時が時ならば人々の歓呼の声に見送られていくことだろう。だが、この出航は勇壮とは正反対に、その背に迫っている巨大怪獣の魔の手から逃れるためでしかない。

 その怪獣の名は、古代怪獣キングザウルス三世。人間たちの必死の抵抗をねじ伏せながら暴虐の限りを尽くし、今まさにトリステインの希望である東方号さえも破壊の牙にかけんと迫り来ている。

「だが、なぜあの怪獣は東方号を狙って来ているんだ……?」

 水蒸気機関を必死に炊きつけながら、水精霊騎士隊の少年のひとりがつぶやいた。

 あの怪獣は、軍隊の妨害にあっても進路を変えようとはせず、道路も無視して街を破壊しながら東方号へと向かってきた。今でも、視線の先は東方号に固定されており、決して逃がすまいとしているかのように建物を破壊しながら向かってくる。まるで、必死ささえ感じさせるほどに高く雄たけびをあげながら。

 進路上にあるものは目障りどころか、目にすら入っていないとばかりに粉砕し、むやみやたらに吐き散らす放射能光線が炎を吹き上げて、キングザウルス三世の通った後は地獄絵図のような惨状を呈していた。

 あれに追いつかれるわけには絶対にいかない。東方号のブリッジでは、激を飛ばすために乗り込んできたベアトリスがエーコたちを通じて、緊急出航であるために人数が足りていない東方号の各所へと指示を出していた。

「いい? この船を沈められたらわたしたちのこれまでの苦労もなにもかもおしまいよ。飛び立てるようになるまで時間を稼いで、この船に女王陛下がいらっしゃると思って動きなさい! この船なら簡単には落とされない、空まで逃げればわたしたちの勝ちよ」

「特に男たち! 普段ふざけてる分はちゃんと働きなさいね。もし使えなかったら、グラモン隊長が帰ってきたら全員丸坊主にしてあげるから覚悟なさい」

「こんなときに、ミスタ・コルベールはいったいどこに行っちゃったのよ、もう」

 自分たちだけで、この東方号を扱いきれるのか? ビーコが不安そうに外を見渡すと、窓が開いて外からつるっぱげの教師が飛び込んできた。

「すまない、遅くなった」

「ミスタ・コルベール、この非常時にどこに行っていましたの?」

「ちょっと人懐っこい犬とじゃれててね。君たち、慣れない身でよくこの船を動かしてくれた。さあ、後は私が引き継ごう」

「お願いしますわ。けど、早くしないと追いつかれてしまいますよ。まさか、水の中にまでは追ってこれないと思いますけど、あの光線は脅威です」

「わかっている。それにしても、あの怪獣、まるでなにかに焦っているかのような必死さだ……この東方号に、それほど欲しい何かがあるというのか? いや、今は考えている場合ではない!」

 東方号はその巨体のため、スピードを出すには時間がかかる。ましてや、この非常時に緊急加速を行おうとするならば、ひとつのミスも許されない緻密な操作が必要とされるのだ。コルベールは船の各所に通じる伝声菅に次々飛びつき、すでに彼の体の一部ともなっている水蒸気機関の制御室や燃料庫に指示を出していった。

 

 

 生みの親であるコルベールが帰ってきたことを喜ぶかのように、水蒸気機関から石炭の黒い煙を盛大に噴出す東方号。

 黒煙の柱は東方号の翼につけられた四基の水蒸気機関それぞれから伸び、天へ向かって登っていく。その光景は、日本でも昭和の昔に数多く見られ、煤煙が空を覆って多くの生命を苦しめたこともあるが、蒸気機関車の煙突からたなびく黒煙が子供たちの心を打つように、力強く吹き上げる煙はこよなく人の心を揺さぶるものがある。

 港を離れていく東方号を、街に残った防衛隊の兵士たちや、対岸からも大勢の人が見ていた。

「おおっ! オストラントがゆくぞ」

「がんばれ、お前たちはトリステインの希望の星なんだ!」

 トリステインが誇る、世界最大の軍艦である東方号のことは現在マザリーニ枢機卿の政治的戦略で大々的に宣伝されていた。それには虚飾も多く混ざっているとはいえ、東方号が存在するだけで多くの人に安心感を与えられている。

”トリステインにはオストラントというすごい戦艦がある。トリステインにどんな敵が襲ってきても、オストラントが必ず撃退してくれるだろう”

 実際の東方号には、まだ戦う力はない。だが人が生きていく上で拠り所となるものがあるかどうかということは、非常に大きい。例えるならば、警察が常に犯罪者を取り締まってくれているからこそ市民は毎日に安心感を持って生活できるのと同じようなものだ。

 闇に包まれた現在のハルケギニアで、トリステインの人たちが落ち着きを保っていられるのも、東方号がいるという安心感が一端を担っているのは間違いないだろう。

 だからこそ、東方号は沈むわけにはいかない。幻の期待だとしても、誰かの支えになっているものが折れることは絶対に許されないのだ。

 一般人の無邪気で無知な声援に混じって、防衛線を突破されてしまったトリステイン軍の将兵や、自艦を撃墜されてしまったあの司令官も出航していく東方号を見守っている。

「頼むぞ、なんとしても逃げ切ってくれ。オストラントの存在は、今や百隻の戦列艦にも匹敵するのだ」

 

 

 だが、人間たちの努力など関係ないとばかりにキングザウルス三世は、もうすぐ後ろまで来ている。そしてついに、追いすがるように放たれた放射能光線の赤い光が東方号の至近の水面に炸裂して高々と水柱をあげた。

「きゃああっ! やられたっ」

「やられてないっ。水柱があがっただけよ」

「だがすごい威力だ。あんなものをまともにもらうわけにはいかないな。機関室、まだ本調子にはいかないのか?」

 外れたとはいえ、今の攻撃で東方号はかなりの揺れに見舞われた。あんなものをまともに受けたら東方号とてただではすまないだろう。

 早く、まだ飛べないのか、早く! ビーコやシーコの悲鳴が響き、コルベールも額が汗でさらにてかって輝く中、ようやく待ちに待った報告が伝声菅から響いてきた。

「今、圧力が最大に上がりました。いつでもいけます! というか早くお願いします!」

「ようしいいぞ、こんなこともあろうかと水蒸気機関をさらに強力な圧力で使えるようにと日々強化してきたかいがあった。もうすぐ飛べるぞ、準備したまえ」

 東方号の水蒸気機関のプロペラがうなりをあげて回転し、風圧で水面に巨大な波紋を四つ生み出した。

 この水蒸気機関の推進力で巨大な翼に揚力を与え、東方号に飛翔する力が与えられる。轟音とともに速度を上げていく東方号を見て、沿岸の観衆たちからもさらに大きな歓声が上がる。

 だが、膨れ上がった期待は時に風船のように儚い。激しく回転するプロペラを見て、それがキングザウルス三世の視線も激しく刺激するのはもはや必然であったのだ。

 東方号のプロペラを睨みつけ、大きく口を開くキングザウルス三世。さっきの攻撃は相手の足を止めるための威嚇のつもりであったが、威嚇しても止まらないというのであれば野生の本能は容赦しない。

「右翼大破! 一番、二番水蒸気機関が!」

「み、ミスタ・コルベール!」

「なんということだ、これではもう飛びようがないっ」

 放射能光線が東方号の右翼を貫いて爆発し、右翼は真ん中から折れて千切れ飛んでしまっていた。東方号は飛行するために、風石、宇宙人の円盤から流用した半重力装置、そして水蒸気機関の加速で生まれる揚力を利用しているが、水蒸気機関の推力なしでは浮くことはできても前進する力がほとんどなくなってしまう。当然、浮いただけの状態なぞはいい的以外の何者でもない。

 右翼を破壊されて、東方号は大きく煙を噴いている。だがその煙も、今は悲嘆を誘うものでしかない。

「ミスタ・コルベール、どうしてくれますのよ!」

「落ち着いて、ミス・クルデンホルフ。まだやられたわけではありません。こうなれば、水上航行でできるだけ遠ざかるしかありません。まだ何発かは食らうでしょうが、東方号の頑丈さを信じましょう!」

「そんな! あなた正気なの?」

「あきらめたらすべて終わりですぞ。私は教え子たちからそう学びました……あの光線も、届く範囲には限りがあるはずです。ラグドリアン湖まで耐えられれば我々の勝ちです!」

 コルベールは、あの苦しかったサハラでの戦いを思い出していた。限界は理屈で決まるものではない、限界を超えることができるのが人間なのだ。

 しかし、人間が限界へ挑戦するように、怪獣もまた理屈を超えてくる。次第に沿岸から遠ざかり、怪獣の姿も小さくなっていくことで安堵の息を吐きかけていた見張り所から、信じられない報告が飛び込んできたのだ。

「か、艦橋! 大変です。か、怪獣が水の中に!」

「なんですと!? なんと、あの怪獣は泳ぐこともできるのか!」

 コルベールやベアトリスたちは窓から船の後ろを望んで驚いた。あの怪獣が河に飛び込んで、首と胴体を水面に出して泳いでくる。まるでワニのようだ。

 

【挿絵表示】

 

 悪夢を見ているのではあるまいか。だが、これはあながち荒唐無稽な光景ではない。

 水の中を泳ぐキングザウルス三世……ありえないようだが、ここでキングザウルス三世の頭の形を見て欲しい。長く前に突き出て大きく裂けた口を持つ形が、古代地球にも生息した海生爬虫類であるイクチオサウルスやモササウルスなどに似ていると思われないだろうか? それに、全体のシルエットも、足をヒレに変えても違和感がないと思われないか?

 生物には進化といい、時間が経つに連れて自らの体を変えていく機能がある。だが、生き物の体をよく観察すれば、進化する前の先祖の生き物の形の名残を見つけることができる。

 例えば、人間のお尻には猿だったころに尻尾があった名残の尾てい骨という出っ張った骨があるし、わかりやすい例としては犬の先祖が狼だということは一目でわかるだろう。怪獣にしても、よく似た体つきをしていて地底怪獣という共通点を持つパゴス、ガボラ、ネロンガなどは、ほとんど同じ体つきをしていたバラナスドラゴンという古代爬虫類を共通の先祖としていたという説があるのだ。

 キングザウルス三世にしても、最新の研究から、骨格に非常に類似点のある魚竜の化石が発掘されて、これを先祖にして陸地に対応して進化した種ではないかという説が有力なのである。決して速くはないにせよ、水を恐れずに泳ぐことができるのは、奴の遺伝子に残された先祖の記憶が生きているからか。ここに、生物の底知れない驚異と可能性の一端があった。

 だが、東方号にとっては生命の神秘などは今はどうでもいいどころか、はなはだ迷惑以外の何者でもなかった。

 ラグドリアン湖を目指して航行する東方号を追って泳いでくるキングザウルス三世。東方号は全速で逃れようとするが、半分のエンジンが吹き飛ばされている今では速度が出せずに、とても引き離せない。

「ミスタ・コルベール、こういうときのためにスピードの出せる秘密兵器とかないんですの?」

「あることはあるが、飛んでいるときしか使えないんだ。これは今後の教訓だな、ブレス攻撃を無効にできる装置も考えたいし、本当にこの世は退屈しないね」

「のんきなこと言ってる場合ですの! きゃああっっ!」

「ブリッジ! こちら機関室、左翼に怪獣の光線がっ。火がこっちに、もう防ぎきれません」

 伝声菅から爆発音とともに最悪の報告が飛び込んでくる。

 やられた、これでもう東方号の水蒸気機関は使い物にならない。コルベールは、ベアトリスたちを不安にさせないために落ち着いた態度を保っていたけれども、心の中で「もはやこれまでか」と、覚悟を決めた。水蒸気機関を失ってしまった東方号は、もうまともに動くことも出来ない。

 右と左の翼を失い、激しく炎上する東方号。その中では、水精霊騎士隊の少年たちや銃士隊、それに新規のクルーたちが必死に走り回って消火に当たっているが、炎は衰えるどころか勢いを増し続けている。彼らももちろん必死だが、補充クルーは錬度が足りない上に、今はアニエスやギーシュといった中心メンバーがいないことが響いていた。

 キングザウルス三世は、東方号にある程度まで接近すると水上に停止して、そのまま放射能光線を連続して撃ち掛けてきた。爆発に次ぐ爆発が起こり、東方号の船体がみるみるうちに削り取られていく。

「こちら左舷の消火班です! もう、もう手がつけられません。応援を、応援を!」

「右舷、負傷者多数で行動不能です。退避の許可を、撤退許可を!」

「後方格納庫、天井が崩落寸前です。このままではせっかく積み込んだゼロセンが押し潰されてしまいます!」

 伝声菅や伝令を通じて、船のあちこちから悲鳴のような報告が上がってくるが、コルベールには打てる手がなかった。図体こそ大きいが、東方号には反撃できる武器がない。翼を奪われてしまった今、東方号は虎を前にした孔雀も同然であった。

 放射能光線がさらに東方号を打ち据え、高角砲が吹き飛び、マストが宙を舞った。

 爆発に次ぐ爆発、放射能光線の破壊力はすさまじく、東方号でなければ数発でバラバラになっていただろう。かつて、サハラの戦いでも東方号は大損害を受けていたが、そのときに船を守り通したクルーの大半が欠けている。どんな優れた道具や兵器であろうとも、結局は使う人しだいだということを証明していた。

 東方号の惨状に、沿岸で見守っていた人々からも悲鳴が響き、がっくりとひざを落とす者も多い。彼らは東方号が戦わないのではなく、戦えないのであることを知らなかったが、希望から絶望へと突き落とされた衝撃は激しく重かった。

 大火災はもはや止めようがなく、全身を炎と轟煙に包まれた東方号は、かつて激闘かなわず最期を迎えた大和や武蔵のそれを思わせ、ウルトラセブンによって神戸港に沈んだ初代アイアンロックスの再現となってしまうのだろうか。

 

”みんなで力を合わせて、長い時間をかけて築いてきたものも、壊れるときはあっという間か……すまないなサイトくん。せっかく君が帰ってきたら、大きなプレゼントを渡そうと思っていたのだが”

 

 コルベールはふと、この世の物事の儚さを思った。世界のためにと、今日まで東方号を作り上げてきたが、今や東方号は大破炎上し、もう助かりそうもない。

 どうすればいい? どうすれば? ベアトリスたちの青ざめた顔を見つめてコルベールは考えた。航行能力を失い、正規のクルーの大半を欠く東方号にはすでにできることはほとんどない。いずれ試してみようと思っていた、”あの改造”ができていたら話は別だったかもしれないが、それも今は夢か。

「仕方ありませんね。ミス・クルデンホルフ、お友達を連れて脱出してください」

「っ! ミスタ・コルベール、どうするつもりですの?」

「もう体当たりをする力も東方号には残っておりません。私は船底に下りて、弾薬庫の起爆装置を仕掛けます」

「自爆、ですって!」

 ベアトリスは愕然とした。確かに、この東方号にはアイアンロックスの頃から残っている大量の砲弾がある。それを起爆させたら、周囲は東方号ごと跡形もなく消し飛んでしまうことだろう。

 だが、東方号は確実に失われる。そして、東方号を失ってしまったらトリステインは、そして世界は……

「バカなことを言い出さないでミスタ・コルベール。あきらめたらすべて終わりだって、あなたたった今そう言ったばかりじゃないの!」

「私はあきらめてはおりませんぞ。ただ、船は作りなおせますが、あなた方の代わりは永遠に作れませんからな。さあ、東方号がまだ持っているうちに早く脱出を!」

 コルベールは強い調子でベアトリスたちに脱出を促した。キングザウルス三世は、東方号が燃え落ちてからゆっくり餌食にしようとしているのか、一定の距離で停止したまま動かない。しかし、その視線は燃え盛る東方号から片時も動かさずに、奴の底知れない執念のようなものを感じさせられた。

 エーコたちも、急いで脱出をと急かしてくる。ベアトリスが承諾次第、すぐに全艦にも退艦命令も出るだろう。今なら、人的被害だけならば最低限にして済ませることができるだろう。

 しかし、と、ベアトリスは思った。たとえ、ここで自分たちが生き残ったとしても、それだけで意味があるのか? ただ生き延びても、東方号を失った自分たちにいったいなにができるというのか?

「ダメ、絶対ダメよ! ここで東方号を失ったら、わたしたちは来るべきヤプールとの決戦に勝てないわ。今、命だけ長らえても将来みじめに失うようになるんじゃ意味がないじゃないの!」

「無駄ではありません。生きてさえいれば、命さえあれば、必ず新しい可能性が見つかります。東方号は失われても、君たちならば東方号に代わる新しい力をきっと見つけられます」

「きっといつかじゃダメなのよ! トリステインには、今、このときに確実な力が必要なの。東方号をまた作るのに、何年かかると思ってるの? お父様が言ってたわ、意味のある生き方ができないなら死んでるのと同じだって。わたしは破滅を待ちながら無駄な努力なんてしていたくない」

「聞き分けてください。生きてさえいれば、未知の可能性に必ず出会えます。東方号は完成ではなく通過点なのです。そんなもののために、若い君たちを巻き添えにはできません!」

「完成するのを待ってくれるほどヤプールが甘いはずはないでしょう! 不完全でも見掛け倒しでも、今ここにあるものじゃないと役に立たないのよ。この学者バカのコッパゲ!」

「なんですと! くぅぅ、どこでそんな言葉を覚えたんですか。さてはうちの生徒たちの影響ですな? 淑女がそんな言葉遣いをしてはいけません! こうなったら、力づくでも降りてもらいます」

「きゃーっ! 触らないでよこの変態。あなたこそ、東方号を扱えるのが自分だけだからって最近調子に乗りすぎてるんじゃないの! 会計に苦労してるエーコの気持ち、思い知らせてあげるわ!」

「望むところです。あなたこそ、科学者の苦労も知らないで。いま少し、資材と予算をいただければ……」

 ベアトリスとコルベールの間で、押し問答からどう間違えたのか次元の低い言い争いが始まってしまった。ふたりとも、極限状況でたがが外れているために普段溜め込んでいることを吐き出しまくっていた。

 エーコたちも、これはどうすればいいのだろうかと戸惑ってしまって動けない。というより、こんな状況でケンカを始めるなんて想定外もいいところだ。

 命より大切なものはないか? 命を捨てても守り抜く価値のあるものはあるのか? 両者の主張は真っ向からぶつかり合い、ついに杖を抜いてのぶつかり合いになりかけた、そのときだった。

 

「まったく、心配して来てみれば。思った以上に危なっかしいお姫様ね」

「えっ!?」

 

 突然、この場にいる誰のものでもない声が響き、皆がその方向を振り返った。すると、そこには短い緑色の髪をなびかせた少女が笑いながら立っていた。

「ティア!」

「あなたどうして? いつの間に乗り込んでたの!」

 ビーコとシーコが驚いて問い詰めた。当然だ、今にもやられるかもしれないという船に、大事な仲間を乗せておくわけにはいかない。

 だが、ティアはエーコに今すぐ船から逃げなさいと叱り付けられると、少し寂しそうな笑みを浮かべて伝声菅に歩み寄った。

「これがエンジンルームに通じるやつね、ちょっと借りるわよ」

「えっ! 君、なんだい、君!」

 コルベールが戸惑うのを無視して、ティアはエンジンルームに通じる伝声菅に呼びかけた。

「ティラ、そっちはどう?」

「大丈夫、だいたいわかったわ。それにティア、あなたの勘が当たったわ。この船、思ったとおりにとんでもないものを抱えてる。まったく、知らないって幸せなものね……こっちは任せて、一分もらうからその間にそっちも準備よろしくね」

「了解」

 ティアはそう答えると、ふうと息をついて伝声菅から離れた。

 振り返り、緑色の瞳を揺らして笑うティア。だが、そんな彼女にエーコたちはただならぬものを感じて顔を青ざめさせている。そして、ティアはすまなそうな表情を見せて言った。

「少し待っててね。もうすぐあなたたちに、素敵なプレゼントをあげるから」

「ティア、あなたたち、いったい……?」

「あの怪獣が、どうしてこの船を狙ってくるのか教えてあげる。あの怪獣、光線にバリヤーと、膨大なエネルギーを支えられるだけの食料を求めているの。さっきティラに確認してもらったわ、この船の奥にはとんでもない威力を持った爆弾が眠ってる。あの怪獣は、それを欲しがっているのよ」

 その言葉に、コルベールははっとした。以前、初代東方号でアイアンロックスであったこの船と戦った際、才人から聞かされたアイアンロックスの自爆装置。コルベールたちの技術では解体不能だったが、ほかの装置ともども再稼動する気配もなかったのでそのままにされていた。それがまだ生きているというのか!

 しかし、ベアトリスやエーコたちにはそんなことは問題ではなかった。

「ティア、なんであなたたちにそんなことがわかるの?」

「わたしたちが、元は学者の先生のお供でやってきたのは話したわよね。怪獣を含んだ、生物についての知識もおおまかにわたしたちは勉強してきたの。あの怪獣、本来なら核物質みたいなものを食料にしていたんでしょうけど、なにかの原因で相当飢えてるみたいね。かわいそうに」

「違う、違うわ! あなたたち、前から変わった子たちだなとは思ってたけど、もしかして、もしかして」

 エーコたちの胸中に、ティアとティラの世間知らずとは言い切れないほどの言動や態度が思い起こされる。それに、先に空中装甲騎士団との戦いで見せた、ふたりの驚異的な身体能力といい、ベアトリスにもエーコたちのこと以来、あまり考えないようにしてきたことが心に蘇って、表情から血の気が失せていった。

 すでに、人ではないものを見る目にさらされているティア。コルベールも事情を察し、ベアトリスたちを守るように杖を持って構えている。

 しかし、シーコがティアに真実を問いかけようとしたときだった。

「おっと! 悪いけどその先は後にしてくれるかな。お姫様、どうあってもこの船を捨てる気はないんでしょ? それに、怪獣もそろそろ我慢の限界みたいだし」

「えっ!? きゃっ!」

 ティアの言葉が終わるやいなや、ブリッジを激震が襲った。はっとして窓の外を見ると、怪獣が首を大きく上げて放射能光線を吐きかけてくるのが見えた。

 爆発の激震、続いて艦中央部から、巨大な煙突が倒壊していく轟音が聞こえてきた。同時に、階下につながる階段やエレベーターも炎と煙に包まれる。

「これじゃ、もう脱出できない……」

 出口が完全に破壊されてしまった。魔法で飛んで脱出しようにも、ベアトリスやエーコたちは精神力を消耗しきっているし、コルベールひとりだけでこれだけの人数を抱えては飛べない。

 だが、ティアはうろたえることなく、艦橋の中央部に備え付けられていたテーブルのようなものに歩み寄ると、そっと手を置いた。

「これ、使わせてもらうわね」

「なっ? 君、それはただのテーブルだよ。やたら頑丈で、取り払おうとしてもしてもできなかったが」

「そうね、あなたちちには理解するにはちょっと早すぎるかもね。けど、わたしたちなら……」

 すると、それまでただの黒い天板にしか見えなかったテーブルが明るく光りだしたではないか。そしてティアは驚くコルベールたちを尻目に、光るテーブルの上で指を滑らせていった。

「マニュアル操作用パネル起動よし……ミミー星人め、意外と原始的なOSを使ってるわね。まあ、使いやすくていいけど。ティラ、そっちはどう?」

「順調よ、エンジンメンテナンスは終了。各部への動力伝達、すべて問題なし……好きにやっちゃって、ティア」

「了解、できるだけ楽しく、ね」

 ティアはそう言うと、タッチパネルとしての機能を取り戻したディスプレイの上に指を躍らせていった。

 熟練のピアニストのように、ティアの白い指がパネルを叩くたびに涼しい音色の電子音が鳴る。コルベールやベアトリスたちは、それまでただのテーブルだと思っていたものが突然光りだした上にティラの声まで聞こえてきた事態が飲み込めずに、ただ呆然として見守っているしかなかった。

 しかし、ディスプレイの輝きを受けて、白い肌を幻想的に照らし出しながら指を躍らせるティアによって、東方号はその眠り続けていた力を目覚めさせ始めていた。

「ミミーセキュリティをオールクリア。新規メインアカウントユーザーを登録、ティア・リアス・アーリア。登録確認、艦内全システムを戦闘モードへ移行、機関出力百パーセントを維持、ハイパーコンデンサー内圧力限界値へ、航走システムオミット、そのぶんの処理容量を火器管制へ移行、全兵装を艦橋からのオンライン制御へ」

 ティアがディスプレイを叩きながら早口でつぶやく内容のほとんどはベアトリスたちにはわからない。しかし、変化はすぐに表れた。

 爆発の衝撃や爆音とは違う、規則正しい振動と機械の稼動音が足元から伝わってくる。同時に、東方号の中心にあるメインエンジンルームには、もはや脱出することもできなくなって避難してきていたクルーが詰めていたが、大きく動き出したエンジンを目の当たりにして唖然としていた。

「そ、そんな、今までどうやって調べても動く気配すらなかったのに」

 本来の大和型戦艦の蒸気タービン式エンジンに代わって、ミミー星人によって取り付けられていた宇宙機関がうなりをあげる。アイアンロックスの巨体を軽々と動かせるほどのエネルギーが生み出され、回路を伝わって各部へと転送されていった。

 

 一方、ちょうどその頃、街の異変をラグドリアン湖から察知して、キュルケたちがシルフィードに乗って急行してきていた。

「急いでシルフィード、あの煙はただごとじゃないわ。急いで!」

 歴戦の勘が、不吉の気配を感じ取ってキュルケたちの鼓動を早くさせる。シルフィードの全速で森が震え、数百枚の木の葉が千切れて飛んでいく。

 そして、たどり着いたところで目の当たりにしたものは怪獣に蹂躙されて燃える街と、大炎上する巨大戦艦。この街に、コルベールや学友たちがいると聞いていたキュルケの胸に、最悪の予感がよぎる。

 だが、炎上し、今にも沈むかに見えた巨大戦艦から突然甲高い機械音が響き渡り、見下ろすキュルケたちの目が驚愕に開かれた。

「戦艦の大砲が、動いてる!」

 三連装の小山のような主砲がゆっくりと船の左舷方向へと回転していくではないか。旋回死角になっている右舷の一基を除いて、計十五門の砲身がキングザウルス三世へと向けられる。

 

 その様子は、対岸で見守っている人々や、東方号の艦橋からもしっかりと見えていた。

 ティアの操るディスプレイに、ロックオンされたキングザウルス三世が映し出されている。

「全砲門、自動追尾完了。砲弾、装填よし! お姫様たち、なにかに掴まって! 吹き飛ばされるわよ」

「えっ! あっ、はいっ!」

 ベアトリスたちは言われるがままに、柱や計器などにがっちりと体を固定した。それに加えて、コルベールが魔法で彼女たちの周囲に防壁を作ってガードの体制を固める。火の系統で、空気を操ることは本来不得手なはずの彼の底知れない実力の一端を感じさせた。

 照準可能なすべての砲門を向けて待ち受ける東方号。対して、接近してくるキングザウルス三世との距離は、もう一千メートルとない。

 とどめを刺そうと、艦橋に向かって口を開くキングザウルス三世。だがその瞬間、ティアの手が大きく振り上げられた。

「発、射!」

 拳を握り、そのままディスプレイに叩きつけるように振り下ろす。

 瞬間、電気信号が回路を駆け巡り、主砲に装填されていた装薬の雷管を叩いた。そして、眠れる竜はその目覚めの時を迎えたのだ。

 

 閃光、そして音速を超えた超衝撃波とともに破壊のつぶてが十五門の砲身から撃ち出され、それを目の当たりにしたすべての人間に一生消えない記憶を叩き込んだ。

「うわああっ!!」

 衝撃波が、対岸に立っていた人たちまで届き、翼竜の羽ばたきを受けたかのように彼らの身体を地面に転がさせた。

 ケタ違いの物理的エネルギー。だが、それはすべてが余剰であり、本質はそんなものではない。砲身から超音速で撃ち出された十五発の四六センチ砲弾は、人間の知覚できない刹那でキングザウルス三世に突進し、その持てる破壊の力を巨大な爆発に変えて顕現した。

「す、すごい……」

 口からやっと搾り出せたのは、そんな月並みの台詞しかなかったほどに、十五門の四六センチ砲の一斉射撃の激震はケタ外れのものだった。

 ラグドリアン湖で、初代東方号でアイアンロックスの砲撃を受けた経験はコルベールにもベアトリスにもあるが、この船の砲がここまでの威力を持っているとは思わなかった。あのときの砲弾はほとんど外れた上に、初代東方号の船体はもろすぎて砲弾が爆発せずに貫通してしまったために、直撃した場合にここまでの威力を発揮するとは。

「ただの大砲も、極限まで進歩するとこれほどになるとは……」

 コルベールは戦慄したようにつぶやいた。ハルケギニアにある戦列艦の大砲を何千門も並べたとしても、こんな爆発は起こせないだろう。異世界の戦争兵器、きっとこれ以上のものも数多くあるに違いない、人間というものは場所は違っても、どれだけ強い力を手に入れれば満足できるというのだろうか。

 けれども、現実は感傷に浸る時間を与えてはくれなかった。立ち込める爆煙の中から響き渡る咆哮とともに、バリアーを輝かせながら無傷のキングザウルス三世が再びその姿を現したのだ。

「嘘でしょ、あの攻撃を受けても傷ひとつないっていうの? ああっ、悪夢なら早く覚めて」

「ビーコさま、落ち着いてくださいよ。バリアで防がれただけですってば……けどすごい防御力のバリアね。まるで噂に聞いた宇宙恐竜みたい、ズルいよねーああいうの」

 今の砲撃の威力にはティアも自信があったらしく、完全に防がれたことに慌てはしないものの、悔しそうに声を震わせている。

「次弾、装填」

 その言葉も、心なしか弱弱しい。仕方ない、今の砲撃すら効かなかった以上は、それ以上の攻撃手段はない。

 だが、なんという防御力のバリアーか。彼女たちは当然ながら、かつてキングザウルス三世のバリアーがウルトラマンジャックの必殺光線のことごとくを跳ね返したことを知る由もないが、キングザウルス三世は用心にとバリアーを張ったままで前進を再開した。

 あのバリアーをなんとかしない限り、あの怪獣を倒す術はない。だがいったいどうしろと? 自信満々にやってきたはずのティアにもすぐにはいい方法が浮かばずに、次をしくじったらもう後はないと冷や汗がドレスを濡らす。

 そして、東方号にとどめを刺そうと放射能光線の顎が開いた、そのときだった。

 

『ファイヤーボール!』

 

 上空から直角に舞い降りてきた風竜から放たれた火炎弾がキングザウルス三世の目の付近に当たり、奴はわずらわしそうに顔を振った。

 今の攻撃は? 軍の竜騎士はすでに敗退したはずなのに誰が、と驚くコルベールたちは窓から旋回する風竜を見上げた。そして、そこに乗っていた相手の顔を見て驚き、そこから聞こえてきた声で二度驚いた。

「ミスタ・コルベール! 怪獣の注意はわたくしたちで引きつけますわ。その隙に、態勢を立て直してください!」

「ミス・ツェルプストー!? どうしてここに!」

「話は後でしょ! ともかく、そう長くは持たないから早く!」

 はっとしてコルベールは我に返った。

 そうだ、今はそんなことを気にしている場合ではない。聞いた話では、ゲルマニアに長期帰省してるらしいキュルケが現れたのは意外だったが、怪獣の気をそらしてくれている今しかチャンスはないのだ。

「だが、あの鉄壁の防御をどう突破する……?」

 力づくであのバリアーを突破できないことは嫌というほど証明済みだ。けれども、全方位を完全に守っているというのに、どうやって攻撃を通せばいいというのか?

「ん? そういえば、あの光の壁は……」

 ふと、コルベールは不自然な点に気づいた。怪獣は、頭上から攻撃してくるシルフィードにわずらわしげに首を振っている。角から波状光線を放って撃墜しようとしているが、シルフィードはひらりひらりとかわして当たらない。しかし、バリアーを張ればそもそもシルフィードは近づけもしないはずなのに、それをしないということは。

「そうか、あの光の壁は上向きには張ることができないんだ。君、聞きたいんだが、あの壁を山なりに越えて怪獣の上から砲撃することはできるかね?」

 コルベールはキングザウルス三世のバリアーの弱点に気づいた。さらに、大砲は重力に砲弾が引かれる以上、山なりの放物線軌道を描いて飛ぶように撃つことができる。それができれば、怪獣のバリアーを超えていけると踏んだのだが。

「無理よ。相手とはもう八百メイルとないわ! こんなに近くて曲射なんてできるわけないわ」

 ティアにダメだと言われて、コルベールは歯を噛み締めた。もっと遠距離ならば山なり砲撃もできるのだが、八百という距離は四十六センチ砲にとってはゼロ距離射撃に等しい。

 なら、真正面からバリアーを突破する方法は……コルベールは、一か八かに賭けてみる覚悟を決めた。

「君、ティアくんだったね。その機械で、どういうふうに大砲を撃つのか細かく決めることができるのかね?」

「は? そりゃできるけど、さっきみたいに曲芸みたいな撃ち方はできないわよ」

「そこまで無茶は言わないさ。頼みたいのはね……」

 コルベールは早口で、耳打ちするようにティアに説明した。

「えっ! そ、そりゃできるけどさ。一歩間違えたら、こっちが粉々だよ、あんた!」

「だが、あの怪獣を倒すにはもはやこれしかない。無茶は承知だ、頼む」

「……この星の人間って、ほんと危険が危ないね。まあいいよ、わたしが後でティラに怒られればいいんだし、ね」

 分の悪い賭けは嫌いじゃないよ、と、ティアがウィンクして答えると、コルベールは若い者に無茶させるのは心苦しいんだがね、と苦笑いした。

 ベアトリスやエーコたちは、なにが始まろうとしているのかわからずにきょとんとしている。しかし、もう脱出も不可能な以上、すべてを任せるほかはないと覚悟して、全員で手をつないで待っていた。

 シルフィードの妨害を受けながらも近づくのをやめないキングザウルス三世。対して、東方号の主砲も砲弾の再装填を済ませて待っている。

「準備はいいわよ、ミスタ・コッパゲ。けど、ほんとうにうまくいくの?」

「たぶんね、無敵の障壁も、向こうから攻撃する瞬間だけは解かれているはずだ。奴は食事をさんざん邪魔されて怒りに燃えているから、必ずとどめを刺しに来る。そこを狙って撃つ!」

 もはやこれしかないと、コルベールは一瞬のチャンスに賭けていた。あと、自分の名前はコッパゲではなくコルベールだよと注意しておくのも忘れない。

 チャンスは一瞬、しくじれば即死。コルベールは額に汗を流しながら接近してくるキングザウルス三世を睨みつけ、奴の目がまっすぐこちらを睨みつけた瞬間に叫んだ。

 

「離れたまえ! ミス・ツェルプストー」

 

 はじかれたようにシルフィードが飛びのく、それと同時に邪魔者がいなくなったキングザウルス三世は雄たけびをあげて口を開いた。

 今だ! コルベールは確信を込めてティアを振り返った。

「撃てえっ!」

 ティアの指先がディスプレイをはじき、東方号の全砲門が閃光を放つ。

 衝撃、そして爆発。人間の知覚を超えた速さで戦神の剣は振り下ろされ……そして結果も完全に再現された。

 

 湧き上がる煙の塊を見つめ、成功したのかと息を呑むベアトリスたち。

 しかし、煙の中でキングザウルス三世は健在であった。バリアーを張り巡らせ、またも東方号の砲弾をすべてはじき返したのだ。

 恐るべきは超防御力のバリアー。これを突破されない限り、キングザウルス三世は絶対無敵と言っていい。

 そして、今、キングザウルス三世は怒り狂っていた。元々の住処である悪魔の住む山では、豊富な天然ウランを食料として満足していたのを大陥没で追い出され、エネルギーの気配を探ってやってきたここではさんざん攻撃を受けたことによって我慢の限界に来ていたのが、今切れた。

 その怒りのままに、こしゃくな敵にとどめの放射能光線を浴びせかけようと顎を開いてバリアーを解除した。

 さぁ、これで終わりだ。反撃を受ける心配はない、あの大砲は一度撃ってから次が撃てるようになるまで時間がかかるようなのをしっかりと見ていたからな!

 

 だが、勝利を確信して放射能光線を吐こうとしたキングザウルス三世の目に、煙を突き破ってありえないものが映った。

 それは、自分の顔面に向かって、一直線に飛んでくる一発の砲弾。

 そんなバカな!? こんなに早く次の弾が来るわけはない! 刹那の間に混乱するキングザウルス三世の脳。

 

 なぜならば、奴は気づいていなかった。さっきの一斉射撃で、東方号が放った砲弾の数が”十四発”だったということに。

 

「生き物は経験から学習して進歩する。しかし、学習することが必ずしも有益だとは限らない」

 

 コルベールは、キングザウルス三世が東方号の行動パターンを読んでくることを逆手にとってトリックにはめたのだった。

 わずかな時間差で放たれた、十五発目の砲弾はキングザウルス三世の虚を突き、バリアーを張れる最後の瞬間をも超えて突進した。

 

 

 続く



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第39話  世界は混ざり、世界は混ざる

 第39話

 世界は混ざり、世界は混ざる

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

 東方号に残されていた強力なエネルギー爆弾を狙い、襲ってきたキングザウルス三世。

 街を焼き、軍を蹴散らし、東方号も撃沈寸前に追い詰められたその猛威は激烈を極めた。

 だが、ティアとティラが目覚めさせた東方号の真の力が勝機をもたらした。

 無敵を誇ったバリアーをコルベールの策が貫き、戦いは終わろうとしている。

 

「やった……やったぞぉっ!」

 

 キングザウルス三世を油断させるために、一斉射撃に見せかけて一発だけ時間差で放たれた砲弾は、確かに煙の中の怪獣を捉えた。怪獣の苦悶に満ちた遠吠えが煙の中から響き、一陣の風が灰色の小山を吹き飛ばしたとき、そこには大きく傷を負った怪獣の姿があったのだ。

 

「当たった、当たってる。怪獣の、角が!」

 

 砲弾はキングザウルス三世の顔面の右側面に命中したらしく、奴の立派な二本の角のうちの右の一本が根元からへし折れていた。

 と、同時に戦いを見守っていたすべての人たちから大気を震わすほどの歓声が巻き起こった。

 あの、不死身かとさえ思えた怪獣にはじめて目に見えたダメージを与えることができた。しかも、トリステインの希望だと信じてきたオストラントがついに砲火を放ったのを間近で見れたのである。あの雷鳴を何千倍にしたような砲声、火山のような爆炎、どこをとってもハルケギニアの常識を超えたそれを目の当たりにした興奮が、彼らの心臓をわしづかみにしていたのだ。

 トリステイン万歳、オストラント万歳の声が響き渡る。しかし、コルベールたちはまだ気を抜いてはいない、怪獣はまだ倒されたわけではないのだ。

 怒りの逆襲に備えて、東方号の砲門に次なる砲弾が急いで装填される。いくら異星人の技術で全自動化されているとはいえ、四十六センチ砲ほど巨大な砲に砲弾を詰めるにはそれなりの時間がいるものなのだ。

 

 けれど、脂汗を額から流して待ったコルベールたちの心配は杞憂に終わった。怪獣は東方号を攻撃してくることなく、悲鳴をあげながらくるりと方向を変えて遠ざかり始めたのだ。

「み、見て! 怪獣が逃げていくわ」

「た、助かったぁぁ……」

 ビーコが嬉し涙を流しながら叫んで、シーコが緊張が抜けたあまりに腰を抜かしてへたりこんだ。エーコは「あなたたちだらしないわよ!」と怒っているけれど、彼女も羅針盤にしがみついたままで足が震えている。

 一方で、ベアトリスは毅然とした態度で胸を張っていたものの、よく見ると目じりに涙が浮いていた。コルベールを相手に船を下りる下りないで意地を張りはしたものの、やはり目の前に死が迫る状況が怖かったようである。

 彼女たちも、やはりまだまだ子供か。コルベールはそんなふうにどこかほっとした思いを抱きながら、遠ざかっていくキングザウルス三世を見送っていた。

「このまま逃げ帰ってくれるか。よほど度肝を抜かれたか、あるいはあの角はよほど大事なものだったようだな」

 その考察は当たっていた。角は、キングザウルス三世にとっては命とさえ呼べるもので、奴の無敵の強さの中核ともいうべきバリアーは角を源泉にして発生する。つまり、角を失ってはバリアーを張ることができなくなってしまい、すべての攻撃はそのまま奴に直撃することとなるのだ。

 かつてウルトラマンジャックが戦った個体も、角を失った後は戦意を喪失してしまっている。頑強な鎧は確かに身にまとう者の守りを強める。だがその反面、頑強な鎧をまとった者はその強さに頼るあまりに、鎧をはがされてしまったときになお戦おうとする心の頑強さを失ってしまいかねないのである。

 角を失い、バリアーを失ったキングザウルス三世はもはや並の怪獣と大差ない。それでも大破状態の今の東方号にとっては恐ろしい敵には違いないのだが、奴は残ったもう一本の角までも失うのがよほど怖いと見えて、わき目も振らずに逃げていく。

「コッパゲのおじさん、砲弾の装填はできてるよ。追い撃ちをかける?」

「無用だろう。手負いの獣の怒りをわざわざ駆り立てることはない……奴はもう、二度とここには現れまい。戦いは、終わりだ」

 ティアの問いかけに、コルベールはほっとした様子でつぶやくように答えた。

 実際、いくらバリアーを失ったとはいえキングザウルス三世とこのまま戦い続けていたら東方号がいくら奮戦しても沈められたかもしれない。奴の角が折れたときに、戦意も同時に折れたからこそ助かった。やはり、怪獣の力とは底知れず、恐ろしい。そして、かろうじてとはいえ、それを退けられた、この東方号の真の力とは。

 遠ざかっていくキングザウルス三世を追って、シルフィードが飛んでいくのがブリッジから見えた。どうやらキュルケは、怪獣がほんとうに逃げ去るつもりなのかを確認して、行く先を確かめておく気なのだろう。そういう用心深さは、知らないうちにタバサから移っていたのかもしれない。

 落ち着きを取り戻した東方号のブリッジ。だが、戦いの緊張感が過ぎ去った後のはずのここに、別の緊迫感がみなぎっていた。

 鋭い視線をして立つベアトリス、エーコ、ビーコ、シーコ、そしてコルベール。彼女たちは、目の前で吹っ切れたように無防備に立っている少女に対して問いかけた。

「ティア、あなたたちはいったい何者なの?」

 もう誰もティアたちを普通の人間だとは思っていなかった。コルベールやアカデミーの学者たちがどう試しても動かすことのできなかった東方号の機械を難なく操って見せた能力は、もはやハルケギニアの人間ではないことは明白だった。

 そして、ハルケギニアの者でないとしたら、その背後にいるのは、この世界の人知を超えた者のはず。しかしティアは、警戒と不安の眼差しを向けられているというのに動じた様子もなく口を開いた。

「わかってるわ、全部を話すつもりだよ。でも、わたしはくっちゃべるのは苦手だから」

「わたしから話すわ」

 なんと、いつの間に現れたのか、ティアの隣に彼女とよく似た長い髪の少女が立っていた。

「うわっ! ティラ、いつの間に?」

「たった今よ。瞬間移動、わたしたちの種族が使える能力のひとつ。わたしたちが陸地からこの船にやってこられたのもこれを使ったから……察しのとおり、わたしたちふたりはこの世界の人間ではないわ。わたしたちは、こことは違う宇宙にある遠い星からやってきた異星の民。あちらの宇宙では、わたしたちはパラダイ星人と呼ばれているわ」

 

 そうして、ティラはベアトリスたちに隠していた自分たちの素性のすべてを語った。

 自分たちの星の発展のために、ほかの海のある惑星の調査を自分たちは望んでいること。そのために、自分たちはアイアンロックスを作ったミミー星人に誘われて、時空を超えてハルケギニアにやってきたこと。

 そして、ミミー星人の裏切りによって自分たちは船を失い、帰る術を失って、この星で人間として隠れ住んでいたことを。

 

「いくつかの町を渡り歩いて、なんとか言葉は覚えてこの街で職にもありつけました。けどハルケギニアの文化までは理解しきれてなくて、危ないところをエーコさまたちに助けられてから、それから先は皆さまも知ってのとおりです。ずっと黙っていて、すみませんでした」

 ティラが語り終えると、場は少しの間静寂に包まれた。エーコたちは、まさかと予感していたとおりの現実とゆるぎない証拠を目の当たりにさせられたため、なんと言えばいいのかわからなかったのだ。

 今日まで親友と信じてきた相手が突然宇宙人だとしたら……そのショックは体験してみないとわからない。いや、それだけではなく、エーコたちは一度、味方顔で近づいてきたヤプール・バキシムに騙されて死ぬ目に会っている。そのことが、知らないあいだに彼女たちのトラウマになってしまっていたのだ。

「エーコ……」

「うん……」

「……」

 ティラたちも、説明を終えると口をつぐんで、こちらの反応をうかがっているようだ。彼女たちの、もうどんな反応を示されようとも覚悟はできているような態度を見て、エーコたちは自分たちがどうしてやればいいのか、その答えはもう出していた。しかし、心の中でバキシムに利用されていたときの記憶が蘇ってきて声を出すことができない。

 だが、そんな彼女たちの背中を押したのはベアトリスだった。

「なにやってるのエーコ、ビーコ、シーコ。そのふたりは、あなたたちが部下にしたんでしょう? わたしは、自分の手足の始末もできないふがいないしもべを持った覚えはないわよ!」

 バンっと、背中を叩かれて押し出されたとき、エーコたちはベアトリスの厳しくも優しい視線を垣間見た。

 そう、ティアとティラの告白にどう答えるのか、自分たちは態度で示さなければいけない。これが学院で起きた些細な出来事であれば、「わたしたちは知らないわよ」と、放り出すこともできようが、人生には逃げ出すことのできない瞬間が必ず訪れる。それが今だ。

 じっと待っているティラとティアに、三人の中から代表してエーコが一歩前に出た。ベアトリスとコルベールは、彼女たちを静かに見守っている。

「ティラ、ティア」

「「はい」」

「あなたたちが、この世界の人間でないということはわかったわ。けど、ひとつ答えて、あなたたちが自分の正体を明かすということがどういうことになるのか、あなたたちは当然理解してるはず。なのに……?」

 それはある意味、聞くまでもないことではあったが、聞かないわけにはいかない問題だった。

 この世界が、ヤプールをはじめとする外敵に狙われていることは誰もが知っている。トリスタニアを震撼させたツルク星人のことは現在でも語り草であるし、命を吸い取っていた怪人、ラ・ロシェールに大挙して現れた人狼の群れなど、人々はいつ自分の日常の隣に侵略者が現れるのではと恐々としているのだ。

 例えばである。地球で、ある日突然に人間に化けていた宇宙人が見つかったとするとどうなるか? メイツ星人の悲劇がなによりも物語っている。そこまでいかなくても、ヒビノ・ミライ隊員が正体をあばかれたときも、諸事情があったとはいえウルトラマンであってさえかなり危なかった。まして未知の宇宙人に対しては、軟禁、生体実験に処されることさえ考えられる。

 人間社会において、隠れ住んでいる宇宙人が正体を知られるということは、地球もハルケギニアも問わずに非常にリスクの大きいことなのだ。ティアとティラの聡明さなら、その程度のことはとっくに察しているだろうに、それでも助けに来てくれたのは何故か?

 ティラとティアは、軽く目を合わせると、微笑みながら答えた。

「「恩返し」」

「えっ?」

「わたしたちの星では、受けた恩は必ず返すのがしきたりなの。エーコさまたちは、初めて会ったときにわたしたちの命を救ってくれました。わたしたちは、その恩を返せるときをずっと待っていたんです」

「そんな、あんな前のことをまだ……」

 エーコたちは絶句した。確かに、ティアたちはなにかあるごとに恩返し恩返しと繰り返していたが、まさかここまでしてくれるなんて想像もしてなかったのだ。驚くエーコたちに、今度はティアが言った。

「そんなに驚くことはないんじゃないかな? エーコさまたちだって、クルデンホルフ姫殿下には大恩があって仕えてるって、いつも自慢げに言ってるじゃん。それにさ、後先のこととか少なくともわたしはどうでもよかったのさ。だって、友達を助けるのはハルケギニアでも当然のことだろ?」

「友達……」

「なんだい? わたしたちを友達だって言ってくれたのはエーコさまたちじゃん。わたしたちはこれでも本気にしてたんだけどなぁ。ま、こっちも最初は、恩を返したい一心でついてまわってたんだ。けど、ついてまわっていっしょに遊んだりしてるうちに、なんかいっしょにあれこれやってるうちに、それだけで楽しくなっちゃってさ。な、ティラ」

「そうだね。この星に来て、楽しいって感覚を思い出させてくれたのはエーコさまたちやみんなのおかげ。だから、わたしたちは恩返し以上に、エーコさまたちのためになにかをしてあげたくなった。こういうのを、この星でも友情っていうんじゃ、うわああっ!?」

 突然、話している最中のティラの言葉がさえぎられたのは、彼女たちに向かって三人の少女たちが飛びついてきたからだった。そして、目を白黒させているティラとティアの目の前で、目を潤ませながらエーコ、ビーコ、シーコが叫ぶように言った。

「ごめんなさいティア、ティラぁぁっ!」

「あなたたちを少しでも疑ったりして、わたしたちがバカだったわぁぁっ」

「こんなにわたしたちを思ってくれる人が悪いやつなわけないもん。あなたたちはわたしたちの大事な友達だよ、誰がなんと言おうとそうだもん!」

 エーコたちが涙ながらに訴えるのを、ティアとティラはこちらも涙を浮かべながら聞いていた。もっとも、熱意がいきすぎて鼻水がつきそうになるとさすがに離されたが。

 ティアたちとエーコたちの溝は、ティラとティアの包み隠さない言葉で埋まった。元々、エーコたちも今では人を信じられる強い心を持てるように成長している。あとはただ、きっかけだけだったのだ。

 ティラとティアはハルケギニアの人間ではない。それが現実でも、それがなんだというのだ? だが、自分たちはよくてもと、エーコたちがベアトリスのほうを見ると、ベアトリスは首を傾けていたずらっぽく言った。

「なーに? なにを心配してるの? 言ったでしょ、わたしはあらゆる人材を必要とするって。人間じゃない人材って、そんなの持ってる貴族なんてハルケギニアにふたりといないはずよね。胸が躍ると思わない?」

「じゃ、じゃあ姫さまっ」

「わたしに二言はないわ。ティラ、ティア、ここにいる限りはあなたたちの身柄は誰にも犯させないから安心して。ただ、もしも帰れる方法が見つかったときは仕方ないけど、それまではエーコたちを助けてあげてくれるかしら」

「「喜んで」」

 これでわだかまりはすべて消えた。コルベールはといえば、またまたほっとした様子で六人を見守っている。友情に種族の差などはない。それは宇宙を越えて時に時代をも動かし、かつてウルトラセブンが地球に残ることを決心したのも、仲間のために命を捨てようとさえする人間の熱い心に打たれたからだ。

 人の器は経験によっていくらでも大きさと形を変える。一年前の彼女たちには受け入れられなかったものでも、今の彼女たちの器であったら受け止められた。

 エーコたちが、自分たちの正体を知ってもなお差別せずに受け入れてくれたことに、ティアとティラも嬉し涙を流している。

「ぐすっ。実はさ、わたしたちはハルケギニアに来るとき、人間は信用のおけない生き物だって聞かされてたんだ。でも、自分の目で確かめてみてわかったんだ。人間にも、いい奴もいれば悪い奴もいる。結局は、会って触れ合って確かめるしかないんだってね。エーコさまたちを信じて、間違いじゃなかった」

 ティアの言葉には少しのぶれもなく、彼女の目には自分の信じるものを語っている力強い光がありありと宿っていた。

「正直に言うと、エーコさまたちに会うまでには、人間たちからいやな目に会わされてきたわ。けど、やっぱり少しを見て、全体も同じだって決め付けるのは」

「「「間違いだってことね」」」

「えっ!?」

 ティラの言葉をさえぎって、エーコ、ビーコ、シーコの声が同時に響いた。見ると、三人のどの顔も迷いを吹っ切ったように輝いている。

 一部の人間が、その他の人間と同じだとするのはよく陥る錯覚だ。ひとつ例をあげるとすれば、よく疑問に思われることであるが、地球を卑劣な手段で襲う数々の凶悪宇宙人たちの母星をウルトラマンが何故攻撃しないのだろうか? それは、宇宙人たちもその根幹では地球人と大きな差はないからだ。

 巷では、凶悪宇宙人と呼ばれているマグマ星人やガッツ星人にも、いい奴がいるかもしれないではないか? 地球で確認されているのは、それぞれの星に住む中のほんの数人に過ぎないのだから。

 若者たちは、打ち解ければ早い。その様子を見守っていたコルベールは、自分の出る幕がなくてよかったと思うと、やっと落ち着いてきたティラとティアに話しかけた。

「君たちが、ヤプールなどと同じ異世界の民なのか。見たところ、人間とほとんど変わらないようだが。いや、エルフも人間と極端に違うわけではないし、姿かたちなどというものは意味がないのかもしれんな」

「そうね、宇宙にはいろいろな姿かたちをした生命体がいるわ。知的生物に限っても、わたしたちやあなたたちみたいな、人間型の種族は割りと多いほうだけど、なかには怪獣と同じような姿をしながら高度な知性を有する種族や、さらに高等な種族になると、頭脳だけや精神体だけで生きている連中だっている。それはただ、あなたたちが知らないだけなの」

「きついねえ。我々は総力をあげても、この船の仕組みの解明すらできなかったというのに、君らは子供の身でありながらやすやすとそれをおこなってしまった。まったく、外の世界の英知というのはどこまで幅広いものか、惚れ惚れするよ」

 コルベールは自重げに苦笑いしてみせた。知識というものには果てがない。旺盛な知識欲を持つコルベールゆえに、この世の知識のすべてを手に入れるには、それこそ不老不死にでもならなければ不可能かと感じたのだった。

 しかし、ことはそんなに単純ではないとティラはコルベールに言う。

「進化ってのも、いいことばかりとは限らないわよ。長生きするために頭脳だけになったあげく、自分だけではなにもできなくなった生命体もいると聞くわ。こうして、二本の足で立って歩ける人間は、実は恵まれていると言えるかもしれないのよ」

 その言葉に、コルベールはごくりとつばを飲み込んだ。生命体は、自分の体を持っているとは限らない。人魂怪獣フェミゴンは、乗り移る体がなければただの霊魂にすぎずになにもできない。また、一九七〇年に南太平洋の小島に出現した知的宇宙生物は、アメーバ状の生態をしており、イカやカニやカメなどの生物に寄生することで生きていた。いずれも、存在は他人任せでしかない。

 人は良かれ悪かれ自分で行動できるから人なのだ。その選択で、ティラとティアは見事に新しい道を切り開いた。そしてそれは、はるかに大きな可能性への媒体へともなった。

 

「うおぉぉぉーっ! オストラント万歳! トリステイン万歳ーっ!」

 

 突然、窓の外から割れんばかりの歓声が聞こえてきた。いや、今になってようやく聞こえるくらいこちらが落ち着いたのだ。見ると、対岸や街の方角から数え切れない人々が手を振っている。彼らは見たのだ、東方号がついにその力を発揮して怪獣を撃退した姿を。

 今まで幻だった、巨大戦艦の真の力。号砲の一声はその力強さで、人々の恐怖心をも吹き飛ばしたのであった。

 それを聞いて、意外にもコルベールたちはようやく自分たちがどれほどのことをしたのかを理解した。最強の戦艦に乗っていると、自分が最強の戦艦に乗っていることを忘れがちになってしまうようだ。だが、頭の回転の速いコルベールは今の状況が持つものの意味をすぐに理解した。

「そうだ。君たち、君たちは今この東方号を動かしたけれど、もしかしてほかの使われていない機能も使えるのかね?」

「もちろんできるわよ。ミミー星人のやつ、使い捨てだからってたいしたセキュリティもかけずにサブコンピュータをほったらかしにしてたから、ここからすべての機能を操作できるわ」

「それはすごい! この船の機能が十全に使えるなら、ヤプールの超獣とだって互角に戦える。いいや、戦いの道具などとしてより、その仕組みの百分の一でも解析できれば、ハルケギニアの技術は大きく進むぞ」

「すごいやる気ね。まあ、その前に沈まなければの、話だけど」

「えっ? しまった。いかん!」

 言われて、コルベールははっとした。嬉しさでつい忘れていたけど、東方号は絶賛大破炎上中だ。このまま燃え続けたら、使い物にならなくなってしまう。

 慌ててコルベールは消火作業の再開を各所に命令した。続いて、怪獣が去ったことにより、軍にも消火の応援を要請する。もちろんベアトリスたちも、自分の仕事を思い出して奔走し始めた。

 喧騒に包まれる東方号。その様子を、キュルケたちはシルフィードに乗って、少し離れた空から見下ろしていた。

 

「あらあら、ミスタ・コルベールに挨拶できるかと思ったけど、これじゃちょっと無理そうかもねえ」

 

 キングザウルス三世が上陸した後に地底に去っていったのを確認して戻ってきたのだが、どうも取り込み中らしかった。

 同乗しているカトレアやファーティマも、今出て行くのは得策ではないというそぶりをしている。あの船の火災が収まるには、まだ何時間もかかることだろう。すでに港からやってきた小船から放水も始まっているし、空からは竜騎士から水が撒かれている。自分たちが出て行っても邪魔になるだけだろう。

 かといって、消火が終わるのを待っていたら夜になってしまう。ならばと、カトレアが提案した。

「では、今のうちにこちらはこちらの用を済ませておくのはいかがでしょう? ラグドリアン湖は、このすぐ先ですわ」

「そうですわね。積もる話もあるけれど、まずは水の精霊にご挨拶しておきましょうか。ミス・ファーティマ、腰を抜かしてたのは治りましたか?」

「失礼なことを言うな! 誰も腰を抜かしたりなどしておらん。あんな大きな砲声など水軍でも聞いたことがなかったから少し驚いただけだ。もう何度もヤプールの手下との戦いで死地を潜ってきたわたしが、いまさら砲声くらいで腰を抜かすわけあるまい」

 はいはい、ならそんなにむきにならなくていいのに、とキュルケは心の中で笑いながら軽く謝罪した。ファーティマとは短い間ながらも気心が知れてきたが、彼女は表面上は冷徹に振舞っていても、ときたま幼さが顔を出すことがある。タバサとどことなく似ているし、彼女のほうがずっと年上なのだろうけれどファーティマのほうがどことなく子供っぽく、そのギャップがキュルケにはおかしかった。

「明日になれば多少はこっちも落ち着くでしょう。話す時間は長いほうがいいし、ここは急がば回れね。シルフィード、Uターンよ」

「わかったのね。こういう鉄の多い街は臭いからさっさと行くのね、きゅいっ」

 シルフィードはラグドリアン湖方面へと飛び去り、忙しさに振り回される人々の中で、それに気づいた者はいなかった。

 

 

 そして、激動の一日は過ぎ去り、夜が明けた。

 空は相変わらず虫の雲に覆われていて太陽は見えない。しかし、心の中に太陽を輝かせた者たちは、この世に明かりを灯すために集まってくる。

 

 東方号の母港、その街のカフェテラスの一角で、コルベールはキュルケたちと再会と初対面の挨拶をかわし、それぞれにこれまでにあったことを話し合っていた。

「ミス・ツェルプストー、まさか君がガリアでそんな苦労をしていたとは夢にも思わなかった。生徒が苦しんでいたというのに教師として情けない。そうと知っていればヴィルサルテイル宮殿に殴りこみでもかけたものを」

「そのことはもういいですわ。この世のすべてを知り尽くせる力が人間にあるわけもないですし、過ぎたことはどうでもいいです。それよりも、これからのことを考えましょう」

「う、うむ、そうだな。しかし、ラグドリアン湖の底へ潜るための方法か……これは少々至難だな」

 コルベールは、キュルケからの要請を受けて苦い顔をした。

 ラグドリアン湖の底の異世界への扉を開く、そのために深度数千メイルの水の底へ潜る方法が必要なのだという。

「水の精霊からの協力は取り付けたわ。少々てこずったけど……ただし案内はしてくれるけど、やってくる方法はそっち任せと言われたわ。それくらいの覚悟と力は示せというのが条件なんですって、まったく精霊っていうのは頑固なんだから」

 キュルケも苦々しげにつぶやいた。昨日、水の精霊とのあいだでキュルケたちがどのような交渉をしたのかコルベールは知る由もないが、キュルケの声色の苦さからこれでも最大限の妥協を引き出した結果だということが察せられた。

 しかし、深度数千メイルに潜るとなれば半端なことではない。魔法の力では、そんな深さの水圧に耐えることは不可能だ。ならば物理的な手段に頼るしかないが、頼りの綱の東方号はといえば。

「東方号は修理だけでも一ヶ月はかかるだろう。そのうえで、水密の改造を施すとなると、どれだけかかるか」

「そんなに待ってたら何が起きるかわからないわ。ガリアだって、タバサが戻るのが遅れるほどジョゼフに悪事を働かせる時間を与えることになる。時間がないのよ」

「うう、む」

 コルベールにも事態の深刻さはわかっている。このままでは、ハルケギニアは破滅が待つ聖戦へと一直線となる。早急に、なにかの行動を起こさなくては間に合わない。

 だが、かといって無い袖は振れない。ティラとティアの協力がある今、東方号の元の姿であるアイアンロックスの持っていた潜水機能は使えるが、無人の爆弾戦艦であったために人が乗り込むようにはできていない。なによりこのボロボロの状態で潜水して無事で済む保障もない。

「……こうなれば、あの方法しかないですかな」

「なにか秘策があるのね! そうこなくっちゃ」

 コルベールのつぶやきにキュルケは即座に反応した。基本プラス思考のキュルケは明るそうな話題を見つけると速い。しかしコルベールは苦笑いを浮かべながら言った。

「秘策というほどのものではないですぞ。余裕ができたら研究しようと思っていた材料のひとつです。正直、今の段階では時間も技術も足りずに、頭の中でお蔵入りさせていたんです」

「かまわないわ! タバサを救える可能性なら、わたしはどんなことだってやってみせる。ミスタ・コルベール、お願いしますわ。もうこうなったら、頼りになるのはあなただけなんですの」

「さりげにひどいことを言われた気がしますが、まあそれはいいでしょう。ですが、成功する保証もない改造をミス・クルデンホルフが許してくださるかどうか」

 コルベールは、あくまで自分は無一文だからと自嘲げにつぶやいた。スポンサーが首を縦にふらなければ自分はどうしようもない。

 ところが、そこに叱咤するようにカフェテラスにベアトリスの声が響いた。

「煮え切らないわね、男のくせにだらしない! やるかやらないかで悩んだなら、やればいいだけの話でしょ」

「ミス・クルデンホルフ? どうしてここへ」

「こっちが一区切りついたから、ティータイムついでに寄ってみたのよ。なかなかおもしろそうな話をしてるみたいじゃないの? 前にたわむれに聞かせてくれた腹案ってのはそれね? 言ってみなさい、命令よ」

 尊大な態度で、ベアトリスはコルベールに命じた。その後ろからは、エーコたちも「命令よ」「命令よ」「命令よ」「命令だそうです」「命令だぜ」「ティラ、ティア、あなたたちはマネしなくていいのよ」という声も響いてきて、コルベールは仕方なしに観念した様子で、たずさえていたかばんからテーブルいっぱいの図面を取り出した。

「これは……なにかの設計図ですの?」

 その図面には、無数の線で幾何学的な図が幾重にも記されており、なにかの設計図だということはキュルケやベアトリスにもわかった。しかし図面の読み方や記号の意味はわからず、覗き込んだエーコたちやファーティマも首をひねるばかりだ。

 だが、ふと覗き込んできたティラがその図面を見たとたん、信じられないというふうに言った。

「あなた、この図面をどこで手に入れたの? これ、この世界のレベルじゃ考えられないオーバーテクノロジーよ。わたしたちの次元の地球に匹敵する……なるほどね」

「ご明察です。この図面は、ラグドリアン湖から引き上げた異世界の船から見つけたものです。どうやら、船の設計図の一部らしいのですが、あなたにはわかりますか?」

 そう、この図面こそ港に泊めてある伊-403潜水艦からコルベールが見つけた秘密の図面であった。ティラはそれをしげしげと眺めていたが、やがて感心したように息を吐いた。

「たいしたものね、この概念図だけじゃ全体はわからないけど、とても高いレベルで収められてる。飛行能力、潜水能力、さらに地底潜行能力まで備えてるなんて、これで宇宙航行までできたら完全無欠じゃないの」

「そうです。わたしもこれを見つけたときは驚きました。見つけられた図面は、全体のほんの一部に過ぎないものですが、それだけでも完成したこの船の圧倒的な性能が背筋が震えるほど伝わってくるものでした」

 コルベールは、もしこの船が完成していたら、東方号もとても及ばないだろうと考えていた。

 概念図だけでも、艦首掘削用ドリル、冷凍光線砲、電子砲などの様々な武器を備え、陸に海に大空に縦横無尽に駆け巡る力を持っている。いったい、どんな人がこれを設計したのだろうか? 設計図を見つけた伊-403潜水艦からして東方号の元となった戦艦ヤマトを作った国と同じだと思うのだが……コルベールのその推測は当たっていた。

 この船を設計したのは旧日本海軍。太平洋戦争末期、彼らは劣勢を挽回するために、一隻で一艦隊を相手にすることのできる新型万能戦艦を設計した。だが、時すでに遅く、設計が終わったときには敗戦を迎えており、敵の手にこれが落ちることを恐れた責任者の手によって設計図は潜水艦伊-403によって日本から運び出されたという。

 その後、伊-403の行方は知れず、歴史の闇に消え去ったかに見えた。だが、新造万能戦艦は南海の孤島で人知れず建造を続けられていたのだ。そして昭和三十八年、まだ防衛組織もウルトラマンもいない時代に、その艦はある侵略者を迎え撃つべく出撃し、万能の性能を遺憾なく発揮して見事に勝利を収めたという。以後の行方は不明だが、伝説的な活躍をしたその艦を、人はこう言い伝えてきた【海底軍艦】と。

 その設計図の一部がここにある。しかし、海底軍艦はあらゆる資源を無尽蔵にとれる島でなお二十年の歳月を経てやっと完成にこぎつけられた艦だ。しかも設計図はほんの一部分、これでどうしようというのか?

「これの兵器や装備を真似するのは現在の我々の技術では不可能です。しかし、水の圧力に耐えるための船殻の構造を真似ることならばできます。東方号の有人区画だけを強化して、ほかは遠隔操縦できるように改造する。どうです? 異星の方から見て、このプランは」

「不可能じゃない……いいえ、現実的にとり得る唯一の方法だと思うわ。技術の足りないところは魔法で補いえるし、なにより船の構造を大きく変えずにすむ」

 ティラは熟慮した上で答えた。本来の海底軍艦の潜行能力は深海数千メートルに余裕で耐える船体を有している。その半分でも再現することができたならば、いける。

「ただし、条件があるわ」

「教えてください」

「操縦方法を切り替えるにしても、操縦システムをあなたたちでいじれるかしら? 今のところ、オストラントを動かせるのはわたしたち二人だけ。つまり、わたしたちが協力しなければ船の改造はできないの」

「ご協力、是非にお願いできませんか」

 コルベールが頭を下げるのに、ティラはティアに目配せをすると、ティアが笑いながら言った。

「わたしたちはベアトリス姫の子分のエーコさまたちの子分だ。子分を動かしたかったら、まずは親分に頼みなよ」

 はっとして、コルベールたちは振り向いた。そこには、ベアトリスが試すように小憎らしく薄笑いを浮かべてこちらを見ている。

 理解したコルベールが頭を下げた。しかし、ベアトリスはうんとは言わない。

「ミスタ・コルベールの考えてることなんて今さら聞かなくてもわかるわ。それよりも、もっと必要としている人が頼むべきじゃないかしら?」

 その視線は静かにキュルケを見据えている。

 コルベールはベアトリスの言わんとしていることを察した。確かに、東方号の改造を一番必要としているのはキュルケだ。しかし、プライドの高い彼女が、成り上がりのクルデンホルフの、しかも年下に頭を下げることができるのだろうか。

 だが、キュルケは迷った様子もなくベアトリスの前にひざまづくと、頭を垂れて懇願した。

「クルデンホルフ姫殿下にお願いいたします。この非才の身をわずかでも哀れと思わば、どうか御身の力をお貸しくださいませ」

「ふーん、ゲルマニア有数の名門のツェルプストーがトリステインの貴族に頭を下げるんだ。それってどうなのかな」

「わたしにはどんなことをしてでも成し遂げなければいけないことが、取り返さなければいけないものがあるのです。そのために差し出さなければいけないものがあるなら、わたしは喜んで差し出す所存です」

「たとえば、あなたが一生わたしの下僕になれと言っても?」

「御身がお望みであれば」

 キュルケの澱みのない返答は、コルベールを驚かせた。

 これが、あのルイズをからかって楽しんでいたキュルケなのだろうか。演技? いや、そんなものではない。そうだ、彼女の望んでいることはただひとつ、タバサを助けたいということだけだ。

 じっと頭を下げて待つキュルケを、ベアトリスは微笑しながら見下ろしていたが、やがてエーコたちと目配せしあうと言った。

「冗談よ、ツェルプストーの跡継ぎなんて爆弾を抱え込む気はないわ。でもまあ、ツェルプストーに恩を売れるっていうのは悪くないわ。エーコ、あとは任せるわよ」

「御意に。というわけで、ティラ、ティア、仕事よ、できる?」

「わたしたちは恩は忘れません。昨日の戦いで怪獣を追い払えたのも、キュルケさんたちが来てくれたおかげです。精一杯つくさせてもらいます」

「ついでに、恨みもね。あんたたちに協力するってことは、わたしたちをひどい目に合わせたミミー星人をそそのかしたヤプールへの仕返しにもなるからな。ふふ、楽しみだよ」

 ベアトリスたちからエーコたちを通じてティラとティアへ、意思は確かに伝わった。

 喜びに顔を染めてキュルケも立ち上がる。

「やったわ、ありがとう! これでタバサに一歩近づいたわ、待っててね、もうすぐ迎えにいくからね」

「ちょっとそこのツェルプストー! 手のひら返すのが速すぎでしょ。下僕うんぬんはともかく、あなたにも馬車馬のように働いてもらうからね」

「わかってるわよ。わたしにできることがあったら何でも言って。フォン・ツェルプストーに二言はないわ」

「ほんと、これから人手はいくらあっても足りなくなりそうだからね。外のあなたたちも、気合を入れなさいよ!」

「おーっ!」

 カフェの外から声がしたので見てみると、なんと扉から数十人の少女が身を乗り出して手を上げていた。

「きゃっ! 水妖精騎士団のみんな、いつの間に!?」

「どうしたもなにも、エーコたちが後をつけられてたんでしょ。さて、時間がないわ。さっそくかかるわよ!」

「はいっ!」

 ベアトリスを中心に、数十人の少女たちが従って輪を作る。

 これで話は決まった。東方号の再建および改造計画がここから始まるのだ。

 気合を入れる少女たち。責任の重さに真剣な顔つきになるコルベール、希望が見えてきたことで自身の赤髪と同じように燃えるキュルケ。

 一方で、ファーティマは「わたしはここにとどまっているわけにはいかないのだが」と苦言を呈していたが、そこにカトレアが提案した。

「ミス・ファーティマは、いったんわたくしといっしょに王宮へ参りましょう。テュリューク統領からの伝言を、女王陛下にお伝えしてくださいませ」

「そうだな、そうさせてもらおう。では、我々も急ぐとするか」

「わかりました。それでは、すぐに乗り物を用意いたしましょう」

 それぞれが、それぞれの役割を心得て精一杯がんばればきっと未来が開ける。怪獣の脅威という大事を乗り越えた彼女たちは、再び新しい道を見つけて歩き出した。

 

 

 さらに、運命はさらなる進行を次に用意していた。

 ここでいったん、舞台は東方号から場所を移す。そのところは先日、キュルケたちが旅立ったトリステイン王宮。そこに、ついに彼女たちが帰ってきたのだ。

 

 

「女王陛下、ロマリア巡礼団……ただいま、ただいま帰還いたしました!」

「ミシェル、それに皆さん。よくぞ、よくぞ帰ってきてくれました」

 

 そう、あのサビエラ村での戦い以来、帰路を急ぎに急いできたミシェルたち一行がとうとう母国への帰還を果たしたのだ。

 ミシェル以下銃士隊、ギーシュ以下の水精霊騎士隊の誰もが薄汚れた姿とボロボロの身なりのままで、一目見ただけでアンリエッタにも彼女たちの苦労が忍ばれた。

 隣に控えているアニエスも感無量といった様子で、表情こそ抑えているものの、後ろに回した手がわずかに震えている。反対側に控えたカリーヌは感情が見えないが、帰ってきた彼女たちを見る目は穏やかだ。

 ミシェル、ギーシュらはアンリエッタにロマリアであったことの詳細をすべて報告した。ロマリアがもはや闇の勢力の手の中にあること、そして消息不明となった才人とルイズのことを。

「申し訳ありません姫様。わたくしたちの力が足りないばかりに、姫様の大切なご親友までも」

「いいえ、あなたたちの責任ではありません。ロマリアからの通達があったときに、わたしも覚悟を決めていました。ルイズとサイトさんの身になにかあったことは間違いないのですね。なに、ルイズのことです、きっとどんな困難も乗り越えて帰ってきてくれるでしょう。それよりもミシェル、あなたこそサイトさんを失ってよく戻ってきてくれました」

「わたしも姫様がミス・ヴァリエールを信じていると同じようにサイトを信じています。きっとあいつは帰ってきます。帰ってこないなら、こっちから探しに行きます。そのためにも、わたしが先に折れちゃだめなんです」

 強い意志を秘めたミシェルの眼に、アンリエッタやアニエスは、以前のミシェルとは大きく違ったなにかを感じた。

 一方で、ルイズの母であるカリーヌの表情はやはり読めない。娘への信頼感か、可愛い子には旅をさせろと思っているのか、それとも若かりしころにくぐってきた冒険の数々を思い出しているのだろうか。ティファニアはそんなカリーヌの姿に、遠い思い出のかなたの母を思い起こしていた。

 失ったものは大きい、だが同時に得たものも大きかった。なにより、アンリエッタは欲していた情報を手にすることができたのだ。

「ロマリアが、教皇陛下がそんなことになっていようとは、世の中の人は想像だにしないでしょうね。ですがこれで、聖戦に対するわたしの姿勢は決まりました。なんとしてでもロマリアを止めなくては、ハルケギニアは人間とエルフの共倒れになってしまうでしょう」

「女王陛下、我ら水精霊騎士隊は全力で陛下をおささえします。聖戦に迷っている貴族の中で、我らの家族親類の説得はお任せください」

「ありがとう、ミスタ・グラモン。あなたのお父様が聖戦反対に回ってくださればとても心強いですわ。ですが、トリステイン一国が聖戦反対にまわったところでたかが知れているでしょう。アルビオンのウェールズ様にはわたしからお話しするとして、ゲルマニアかガリアのどちらかでも聖戦反対に回らせることができれば」

 トリステインは小国で発言力は弱い。アルビオンも復興中で、トリステインと今では国力に大差はない。大国であるガリアとゲルマニアの両国の発言力は強いけれど、ロマリアはジョゼフを虚無の担い手である英雄王として大々的に宣伝している。ジョゼフがロマリアと手を組んでしまった以上、ガリアの立場を動かすには王座交代でもしないことには不可能だろう。もう一方のゲルマニアは、アルブレヒト三世が俗物なために強いほうにつくだろう。正義感を持たずに勝ち馬に乗ろうとするだけのあの男を説得するのはかなり困難だ。

 このままでは、最悪ハルケギニアは聖戦賛成派と反対派の国で戦争になる。いや、教皇にとってみればそれも望むところなのだろう。

 アンリエッタはつくづくトリステインの力のなさにむなしさを覚えた。女王などともてはやされたところで、自分の意思の届くところなどはハルケギニアから見たら猫の額のような範囲にすぎない。

「アルビオンはヤプールの策謀で大きな傷を負って、やっと立ち直りかけているところです。あまり無理を言うことはできません。それにしても、次はロマリアのヴィットーリオ聖下が下僕にされるとは、ヤプールの陰謀の根はどこまで深いというのでしょうか」

 ヤプールはこれまで、数々の常識を超えた作戦でハルケギニアを狙ってきた。残念ながらこちらはその度に後手後手に回るしかなく、歯がゆい思いをし続けてきた。

 しかも、今度はアルビオンと違ってトリステインの力が及ばないロマリアの、教皇が敵である。よく考えたものだ、このままではハルケギニアは自滅の道を一直線となる。

 奴は以前、サハラでの戦いで戦力の大半を失ってしばらくおとなしくしていたが、裏では陰謀の根を張り巡らせていたということか。それが、ファーティマが襲われたことからも考えて、ついに表立って動き始めたということなのか。

 宇宙は広く、アンリエッタたちがロマリアの異変もヤプールの仕業だと勘違いしてしまったのも仕方がない。だが、真実がどうだとしても問題の深さが緩和されるわけではなかった。

 アンリエッタの憂鬱は、そのままここにいる全員の憂鬱であった。こちらは小国トリステインと満身創痍のアルビオンの二国に対して、敵はハルケギニアの精神世界の支配者であるロマリアと大国ガリア。力関係の是非など考えるまでもなく頭が痛くなってくる。どう考えても真っ向から戦って勝てる相手ではない。

 だが、どうにかしなくてはハルケギニアは滅びる。なにか、状況をひっくり返す妙案はないものかと考えても、アンリエッタにも、アニエスやもちろんギーシュたちにもなにも浮かびはしなかった。

 ところがそのときである。謁見の間の硬く閉ざされた扉が激しく外から叩かれ、女王陛下に緊急の知らせがと兵士が伝えてきた。

「何事ですか、わたくしは今些少の用に関わっている暇はないのです」

「お、恐れながら女王陛下に申し上げます。たった今、アルビオンから緊急の竜騎士が参りました。ウェールズ国王陛下より、アンリエッタ女王陛下へと緊急の書状を持参したのことです」

「ウェールズ様から! わ、わかりました。すぐに通しなさい」

 アンリエッタはウェールズから緊急の知らせと聞いて動揺したが、ウェールズから自分へということであれば少なくともウェールズの身になにかが起きたわけではないと気を落ち着かせた。

 厳重な身体検査を受けた使者が謁見の間に通され、使者の手から書状がまずはカリーヌに手渡された。もしも怪しげなところがあれば即座に仕掛けごと撃滅するためだ。

「問題はありません。確かにアルビオン王家からのものです、魔法の封印は解除しました。どうぞ」

「ありがとうございます。皆さん、お話の途中ですが、しばし失礼いたします」

 玉座に座ったまま、アンリエッタはウェールズからの書状に目を通し始めた。

 澄んだ瞳が広げられた書状の上をすべる。その様子を、アニエスやミシェル、ギーシュたちはじっと控えたまま見守り続けた。

 しかし、書状を読み進めるアンリエッタの表情がしだいに険しくなり、冷や汗さえ浮かび始めたではないか。

「こ、これは……なんということでしょう」

「じ、女王陛下、ウェールズ国王陛下はいったいなんと言ってきたのですか?」

 アンリエッタのただならぬ様子にアニエスが質問した。むろん、ほかの皆の視線もアンリエッタに注がれる。だが、アンリエッタは彼らの疑問に答えることなく怒鳴るように命じた。

「アニエス、すぐに竜籠の準備を! グリフォンでもマンティコアでもかまいません。アルビオンに使者を送る、最短の方法を用意しなさい。それからカリンさま、大至急ここにミス・エレオノールを呼んでくださいませ!」

「ひ、姫様? いったいどうしたと」

「事は一刻を争います。とにかく先に手配をしてください。それにミシェル、疲れているところをすみませんが、あなたにもアルビオンに飛んでもらいます」

 有無を言わせないアンリエッタの剣幕に、カリーヌを除く全員が圧倒されていた。

 しかし、アンリエッタをここまで慌てさせ、かつミシェルを必要とする事態とはいったいなんなのであろうか? アンリエッタはアニエスが手配のために出て行き、カリーヌが召還文を託した使い魔を飛ばすと、呼吸を落ち着かせて話し始めた。

「皆さんにもこれからお話しします。ですがどうやら、事態は我々が考えているほど単純ではないようです」

 緊張したアンリエッタの口から、ウェールズが伝えてきたアルビオンで発生した”ある問題”と、それに関する相談が語られた。

 カリーヌを除く全員の顔が驚きを隠せずに歪む。いったいアルビオンでなにが起きたというのであろうか? そして、それがトリステインにどう関係してくるというのであろうか?

 

 

 それはこの前日、東方号がキングザウルス三世に襲われている頃にアルビオンで起きていた。

 内乱から立ち直り、復興を進めているアルビオン王国。その首都ロンディニウムのハヴィランド宮殿で、ひとつの異変がウェールズ新国王のもとに持ち込まれていた。

「陛下、陛下! 大変、大変ですぞ!」

「どうした大臣? そんな慌てふためくと、せっかく平和が来てほっとしている民が不安がるぞ、落ち着いて報告したまえ」

「申し訳ありません。ですが陛下、信じられないことです。宝物庫においでください。我が王国の秘宝が、あの宝箱が動き出したのです」

「な、なんだって!」

 仰天したウェールズは、休憩時間の紅茶も放り出して駆け出した。

 ハヴィランド宮殿の宝物庫、そこには王国が伝統とともに受け継いできた数々の宝が仕舞われていたが、そこの奥深くに収められた一抱えほどもある金属の箱が鈍い光を放っていた。

「こ、これは……確かに動いている。伝説では、この数千年間、なにをしても開く気配すらなかったというのに」

 ウェールズの目の前で不思議な光を放つ銀色の箱、それはアルビオン王国に、一説では始祖の時代から伝わっているとされ、守り通すように伝えられている家宝であった。見た目は銀色の金属の箱だが、実際になにでできていて何が入っているのかは誰も知らない。開けようとしても、どんな力も魔法も通じなかった。ウェールズ自身も、子供の頃は遊び道具にしているうちにむきになって開けようといろいろ試みたものの、結局傷ひとつつけることはできなかったのだ。

 それが、今このときに開こうとしている。いったい何故? しかし、その疑問に答えが出る前に、箱は静かに開き、その中のものをウェールズの前に現した。

「こ、これは……岩、か?」

 箱の中に入っていたのは、一抱えほどの黒々とした岩であった。

 唖然とするウェールズ。なんということだ、我が王国が代々守ってきた秘宝の中身がただの岩? これだけもったいつけて開いた宝箱の中身がただの岩だというのか?

 落胆の暗さでウェールズの目の前がくらくらと歪む。しかし、落胆するのはまだ早かった。

「へ、陛下、岩が、岩が光り始めました!」

「なに? な、なんと!」

 岩が突然まばゆく輝き始めた。

 これはいったい? やはり、王国の秘宝はただの岩ではなかったというのか!

 光は岩を包んで膨れ上がり、やがて子供ほどのサイズになると唐突に消えた。そして、そこに残っていたのは。

「きゅう~?」

 あっけにとられるウェールズたち。なんと彼らの目の前には、赤い体をした見たこともない生き物が、眠たげな顔をしてちょこんと立っていたのだ。

「こ、これは……これが、我が王国の秘宝の正体……?」

 見るからに弱そうなとぼけた姿。これが、数千年来守ってきた秘宝? このちっぽけで奇妙な動物に、なんの意味があるというんだ?

 混乱するウェールズたちの前で、不思議な生き物は子供のように無邪気にぴょんぴょん飛び跳ねて周りを見渡していた。その様子に、敵意などは感じられない。

 というよりも、むしろ愛くるしささえ感じさせる容姿に、その場に立ち会っていた女性兵士のひとりはうっとりと顔を緩めていた。

 だが、ウェールズはふと、その生き物が首からひも付きの小箱を提げているのに気づいた。

 

 小箱の中身は、手紙と、ある”贈り物”。差出人の名は、平賀才人。

 そして、この手紙と贈り物が、ハルケギニアの運命を劇的に動かすスイッチになることを、まだ誰も知らない。

 

 

 続く



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第40話  才人からの贈り物

 第40話

 才人からの贈り物

 

 隕石小珍獣 ミーニン

 隕石大怪獣 ガモラン

 毒ガス幻影怪獣 バランガス 登場!

 

 

 時に、ブリミル暦紀元前……この惑星は死の星と化していた。

 ルイズたちが生まれる、六千年以上もさかのぼるはるかな過去の時代。平賀才人は、この時代の大地を踏みしめて歩いていた。

 

「サハラから西へ旅を続けて、もう一ヶ月は経つな……けど、今日も見えるのは砂嵐と荒地ばっかりか。ほんとにここが将来ハルケギニアになるなんて信じられないぜ」

 

 汚れた空に、乾ききった大地がどこまでも連なる光景に、才人のつぶやきが流れて消えていく。

 才人の周りでは、彼の属するキャラバンが、砂ぼこりを避けるためのぼろに似た外套をすっぽりとかぶって粛々と隊列をなしている。彼らは将来、この地がアルビオンと呼ばれる国になることを知らない。

 そう、この時代の彼らにとって、確かな未来などというものは何一つとしてなかった。あるのは、なにもわからない明日へとつながっていく今日のみ。

 キャラバンは才人を含めて、百人を少し割る程度の人数で組まれ、そこには人間以外にもエルフや翼人など様々な種族が混じっている。

 そして、このキャラバンを指揮するリーダーの名前はブリミル。後の世で、ハルケギニアの歴史を開いた始祖ブリミルとして崇められる人物である。

 しかし、今のブリミルには聖者としてあがめられるようなものはまだなにもない。ただひたすら、仲間たちとともにわずかばかりの物資を積んだ荷車を引いてあてもない旅を続ける放浪者に過ぎなかった。

「サイトくん、大丈夫かい? よかったら、水ならまだあるよ」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 先行きが見えない旅では、物資の浪費はあらゆる意味でつつしまねばならない。水くらい、魔法で作り出せるけれども、いざというときのために精神力はなによりも節約せねばならないものだということを才人も心得ていた。

 けれども、才人は自分を案じてくれたブリミルの優しい眼差しには心から感謝していた。こうして間近で見るブリミルの姿は、どこにでもいる平凡な青年のそれそのものだ。”現代”のハルケギニアで語られているブリミル像のほとんどが、想像による虚構でしかないのであろう。

 ヴィットーリオの虚無魔法によって、この時代に飛ばされて以来、才人は彼らと行動をともにしてきた。自分がなぜこの時代に飛ばされてきたのか、才人にはわからない。ヴィットーリオが意図したものとは思えなかったし、つたない想像力を働かせてみると……暴走した虚無の力が、その源流へと帰ろうとしたのか、そういうところだろうか。

 もっとも、才人にとってはどうでもよかった。この時代に来てしまったのが偶然であれ必然であれ、現代のハルケギニアで起きている問題の原因はこの時代にさかのぼってしまうのだ。謎に迫るのに、現代ではわずかな資料から推測することしかできなくても、この時代に来て当事者たちと行動をともにすること以上があるだろうか。

 この時代を襲った大厄災、光の悪魔ヴァリヤーヴ。それらの正体を知って、現代に持ち帰るという使命感で才人はブリミルたちについてきた。その中でブリミルや仲間たちとも気心も知れてきたのだが、生まれも種族も違っても、皆いい人ばかりだった。こんな世界では、助け合わなくてはとても生きていくことはできない。

 特に、ブリミルに次いでキャラバンのリーダーシップをとっているのが、隊の先頭に立って歩んでいるエルフの少女だった。

「みんな、ちゃんとついてきてる? 砂嵐には注意して、隣にいる人が離れてないか確認を忘れないでね! 誰かいなくなったら、すぐに大声をあげるのよ!」

「うわあ、サーシャさん、がんばってるなあ。ブリミルさん、水ならおれよりあの人に持っていってあげてください」

「いやいや、僕が持っていったら余計なことするんじゃないわよって怒鳴られるよ。水はサイトくんが持って行ってくれ。やれやれ、リーダーは一応僕なんだけど、あれじゃどっちがリーダーかわからないよなあ」

 苦笑するブリミルの視線の先には、金髪をなびかせてキャラバンを鼓舞するエルフの美少女、サーシャの姿があった。彼女こそ、この時代の、そして最初の虚無の使い魔ガンダールヴであり、ブリミルのパートナーだ。

 そして彼女こそ、才人たちの時代にも現れたウルトラマンコスモスのこの時代での変身者だった。

 

 この世界に迷い込んで、あのカオスドルバとの戦いを経てからずいぶんと長い間旅を続けてきた。それは、各地を回りながら生き残りの人を探し、救っていく、あてもない旅。だが、そうするしかないほどに彼らは弱体であり、頻繁に襲ってくるヴァリヤーグとの戦いは彼らに消耗を強いた。

「光の悪魔……てか、ありゃどう見ても宇宙生物だよな。怪獣に取り付いて操って、この星を征服しようとでもしてやがんのか? けど、おれたちの宇宙にはあんなやつはいないしなあ……せめて話でもできればと思っても無理だったし」

 ヴァリヤーグはどこから沸いてくるのか、いくら倒してもいっこうに攻撃が緩む様子もなく、ヤプールとの戦いを続けてきた才人も辟易としていた。対話を試みても、相手には知性があるのかどうかすら疑わしい。残念ながら、ヴァリヤーグと呼ばれている光の生命体が感情を持つようになるのは、はるかな未来の話なのである。

 わずかな手がかりを頼りに、かつて街や村だった場所を訪れてみることを繰り返す日々。が、そのほとんどはすでに廃墟と化しており、生存している人はよくて数人であった。それでも、絶望に耐えて生き延びていた人たちはブリミルの仲間に加わり、困難な旅へと同行することをためらわなかった。

 つらい旅ではあったが、廃墟にとどまって死を待つよりは、自らの足で最後まで歩き続けるほうがまだ希望がある。カオス化した怪獣たちはブリミルの虚無とウルトラマンコスモスの活躍で撃退し続けることができた。浄化した怪獣たちを眠りにつかせ、襲われていた人々を仲間に加えて旅を続けて、少しずつキャラバンは規模を広げていった。

 しかし、襲ってくるのはヴァリヤーグばかりではなかった。この世界にいる怪獣たちの中には、ヴァリヤーグとは関係なく襲ってくるものもいたし、才人がいた時代と同じように原因のはっきりとしない異変と遭遇することもあった。

 その中のひとつの、ある事件と、そこで出会った小さな仲間。それが、才人とハルケギニアの未来を大きく揺るがすことになる。

 ブリミルのキャラバン隊の、荷車のひとつの上から才人にかわいらしい声がかけられた。

「きゅうーん」

「こらミーニン、顔を出しちゃダメだろ。まだ外は空気が悪いんだ、次の休憩地まで中でおとなしくしてな」

「きゅう……」

 才人は、甘えるような声をかけてきた赤い小さな生き物に、ちょっと厳しめに言った。

 その生き物は、才人の知っている珍獣ピグモンにそっくりな容姿をしていた。性格も同じようにおとなしくて友好的で、今ではキャラバンの仲間としていっしょに旅をしている。

 ミーニンは、才人に叱られると残念そうな顔をしてから荷車の中に引っ込んだ。荷車の中からは、ミーニンのほかに数人の子供の遊ぶ声が聞こえてくる。歩く旅に耐えられないほど幼い子たちは、こうやって連れられているのだ。

 子供たちは、旅の困難さとは関係ないように楽しそうに中で遊んでいるようだ。そんな声を聞いて、ブリミルはすまなそうに才人に言った。

「本当にすまないね。僕の移動の魔法さえあれば、皆をもっと安全に遠くに運べるというのに……」

「気にすることなんてないですよ。いざというときにブリミルさんの魔法が使えないことのほうが大変ですって。それに……」

 それに、と言い掛けて才人は口をつぐんだ。ここが始祖ブリミルの時代であるならば、ブリミルがこんなところで終わるはずはないのだ。

 この先、どんな困難が待っているにせよ、少なくともブリミルは子孫を残してハルケギニアの基礎を築くところまでは行くはずだ。また、現代にある始祖の秘宝もまだ影も形もない以上、ブリミルが亡くなるのはまだ何年も先であると確信できる。

 ただし、下手な干渉をしすぎて未来を変えてしまうわけにはいかない。タイムパラドックスというものがどうなるのか、やってみなければ想像もつかないが、混乱に自分から拍車をかけるわけにはいかないと才人は自重していたのだ。

 始祖ブリミルの人柄、謎の敵ヴァリヤーグ、この時代に来たからこそわかったことは多い。それに、彼の率いるキャラバンに加わっている者たちは、現代のハルケギニアでは敵対しあっている者同士である。それがこうして仲良く協力し合えている光景は、まさに現代で目指している”夢物語”の風景そのものではないか。才人はそれらを、現代にいるみんなにすぐにでも話したかった。

 けれど、まだそれはできない。現代に帰る方法に、まだたどり着いていないからだ。それに、まだ大厄災について肝心な部分を知れていない。以前、始祖の祈祷書が見せてくれたヴィジョンにあった、ヴァリヤーグの現れる前からこの世界で続いていた戦争についてなどのことを尋ねようとすると、なぜかブリミルたちは固く口を閉ざしてしまうのだった。

「結局、枝葉の部分だけで根っこについては謎のままなんだよな。ブリミルさんたち、いったいなにを隠してるんだろう?」

 元来、口は軽くてもうまくはない才人に、他人の口を割らせるための交渉術など土台無理な話だった。もっとも、それを置いても今知っている情報だけでもとてつもない価値がある。なんとしてでも、帰る方法を見つけなければならない。せめてルイズもいっしょにこの世界に来てくれていたら、ウルトラマンAの時間移動能力で帰れたのだが。

 そうして旅をしながらじれる日々が続いていたときである。ミーニンとの出会いとなった、ある街での事件に遭ったのは。

 

 時は、一週間ほどさかのぼる。

 

「ショワッチ!」

 瓦礫と化した街の中で、ウルトラマンコスモスと一頭の怪獣が睨み合っていた。

 怪獣の名前は隕石大怪獣ガモラン。才人の知っているロボット怪獣ガラモンと似ているが、まったく別種の怪獣兵器だ。

「ヘヤッ!」

 コスモス・ルナモードが突進してくるガモランをさばいてかわし、振り返ってきたところを掌底で押し返した。

 だが、ガモランはひるむことなくコスモスへと襲い掛かってきて、コスモスはルナ・キックで押し返し、ルナ・ホイッパーで巨体を投げ飛ばした。

 地響きをあげて、廃墟の瓦礫をさらに砕きながら転がるガモラン。その戦いの様子を、才人やブリミルたち一行は少し離れた場所から見ていた。

「いけーっ! がんばれ、ウルトラマンコスモス!」

「サーシャ頼む、昨日ヴァリヤーグに使ったおかげで僕の力はまだ半分ほどしか戻ってない。今は君に頼むしかないんだ」

 二人の応援が風に乗ってコスモスへと届く。コスモスと一体化しているサーシャは、それを少し苦々しく思いながらも聞いていた。

『まったく気楽なんだから。どこの世界に女の子を戦わせて応援にまわってる男がいるのよ。あの二人、やること済んだら必ず絞めてやるわ!』

 現代でコスモスが一体化しているティファニアと比べたら態度の乱暴さがはなはだしいが、それでもしっかりと地上のブリミルたちをかばうように体勢をとっているのはサーシャの優しさの表れだろう。

 コスモスがどうしてサーシャと一体化するようになったのか、才人はそれも知りたかったが、ブリミルもサーシャも答えてはくれず、キャラバンの仲間にも知っている者はいなかった。なにかしら答えづらい事情があるのだろうとは才人も察するのだけれども、それを聞いたときのふたりがとてもつらそうな顔をしていたので無理に聞けなかった。

 指を槍のように伸ばして突き立ててくるガモランを、コスモスはひらりひらりとさばいてかわす。しかしガモランは、才人の知っているガラモンが熊谷ダムを体当たりで一発で破壊したように、体格を活かした突進攻撃を得意としているからちょっとやそっとではあきらめない。その上に、ガラモンの身長四十メートル六万トンに対してガモランは五十メートル七万トンと一回り大きく、それでいて動きも素早いのでコスモスも簡単にはあしらうことができない。

 防戦一方に陥っているように見えるコスモス。しかし、なぜガモランがこの街に現れたのだろうか? ガモランは自然発生する怪獣ではなく、それにはちゃんとした理由がある。

 才人たちが街の住人の生き残りから聞いた話はこうである。この地に、街ができるより前には小さな集落があって、そこには小さな岩くれと金属の箱が受け継がれていた。それは、あるとき空から落ちてきた贈り物だといい、決して開けることのできない箱を開けることができたら幸福が訪れるのだと言われていた。それまでは、文字通りに誰がなにをやっても開けられない箱で気に留められていなかったのだが、集落を街に発展させた”外来人”たちは箱の仕組みを見抜き、なんらかの方法で箱といっしょに伝えられていた岩から小怪獣ミーニンを再生することに成功した。

 ”外来人”たちが集落の先住民たちに語った話では、ミーニンは元々は宇宙のどこかから送り込まれてきた異文明攻撃用のバイオ兵器ガモランであり、箱はその起動装置であると。本来なら、ミーニンになった岩にへばりついていたヒトデのような形のバイオコントローラーで巨大化して操られるのだが、”外来人”たちはその仕組みを解析して、バイオコントローラーを起動させずにミーニンを目覚めさせたのだという。

 それ以来、ミーニンはおとなしい怪獣として、この街の子供たちのよき遊び相手となってきた。しかし、この街もほかの街と同じく戦火に飲み込まれたとき、追い詰められた街の生き残りたちはガモランを防衛兵器として利用しようと、封じられていたバイオコントローラーを使ってミーニンをガモランにした。が、結局コントロールすることはできずに、自分たちがガモランに襲われてしまったということらしかった。

 才人たちの後ろには、ミーニンの友達だった街の子供たちがいる。皆、なんとかミーニンを助けて欲しいと訴えかけてくる姿は才人の心を締め付けた。

「大丈夫。ウルトラマンがきっとなんとかしてくれるさ」

 子供のひとりの頭をなでてやりながら才人は優しく言った。この破滅してゆく世界の中で、友達の存在はどれだけ子供たちの支えになったことだろう。どんな理由があろうと、大人がそれを失わせてはいけない。

 けれど……と、才人は頭の片隅で考えていた。話を聞く限り、外来人とやらは宇宙人の力でロックされていた箱をリスクを回避して開けたということになる。街の生き残りに、もうその外来人はいないそうだが、そんなことができる技術力はまるで、彼らも……

 と、そのときガモランの額から稲妻状の光線、ガモフラッシュ光線がコスモスめがけて放たれた。

「ヘヤアッ!」

 コスモスはとっさにリバースパイクを張って攻撃を防いだ。そして、そのままバリアを前進させてガモランにぶっつけてダメージを与えた。

「ああっ! ミーニーン!」

「おいサーシャ、ちゃんと手加減しろよ! 子供たちがおびえてるだろ」

 ブリミルが慌てて叫ぶと、コスモスはしまったと思ったのかピクっとした。ウルトラマンは同化した人間の影響を強く受ける。サーシャの荒っぽい性格が、さすがの優しさのルナモードにも反映されてしまったのだろう。

 だがしかし、これは好機には違いない。ガモランの動きが止まっている今なら、なんとかするチャンスがある。そこへ再度ブリミルがコスモスに向かって叫んだ。

「額だ、怪獣の額のヒトデを狙うんだ。それが怪獣を操っているコントローラーなんだ!」

 コスモスが理解したとうなづく。しかし、才人は違和感を強くしていた。やはり、この人たちはただのメイジなんかじゃあない。なぜかはわからないが、相当な科学知識を持っている。

 しかし、才人が考えるよりも早くコスモスは動いていた。ダッシュしてガモランに接近し、左手を上げて光のパワーを溜め、それをガモランのバイオコントローラーに貼り付けるようにして振り下ろした。

『ピンポイントクロス』

 相手の能力を封じるエネルギーを押し当てられて、バイオコントローラーは急速に効力を失って自壊した。

 バイオコントローラーさえなくなれば、ミーニンをガモランに変えていた効力もなくなる。巨大化も解除されて、ガモランはみるみるうちに小さくなり、やがて愛らしいミーニンの姿に戻った。

「やったぁ! ミーニン!」

 元の姿に戻ったミーニンへ子供たちが駆け寄っていった。ミーニンは額にピンポイントクロスが変化した×の形の絆創膏がひっついたままでいるが、元気そうに飛び跳ねて早くも子供たちと遊んでいる。

 とりあえず、これで一件落着か。ブリミルや才人も考えるのをいったんやめてほっと胸をなでおろした。

 コスモスも、ガモランが完全に無力化されたのを確認すると飛び立つ。

「ショワッチ!」

 やがてサーシャも帰還し、ブリミル一行は勢ぞろいした。

 バイオコントローラーが破壊された以上、ミーニンが凶暴なガモランに変化する危険性はもうないだろう。ブリミル一行は、街の生き残りとミーニンを旅の仲間に加えることを決めた。

 

 それが、ミーニンが仲間にいる経緯である。

 

 その後も、ブリミル一行は可能な限り各地の生き残りを探しながら旅を続けてきた。

 だが、仲間が増えることは必ずしもいいことだけとは限らない。この過酷な旅に同行させ続けるには耐えられない者も出始めているし、キャラバンの規模も移動を続けるには大きくなりすぎ始めている。

「どこかに腰を落ち着けられる場所を見つけなければいけない。でなければ、我々は墓標を立てながら旅をしなければいけなくなる」

 ブリミルは焦っていた。このまま無理に旅を続ければ、せっかく見つけた生き残りの人々がバタバタと倒れていく死の行軍となってしまう。

 そんなときである。この地の先に、比較的無事な土地があると聞いたのは。

 

 そして、ブリミルたちは苦しい旅を乗り越えて、後にロンディニウムと呼ばれる土地にたどり着いた。

「おお、この世界にまだこんな場所が残っていたとは……」

「緑に、湖……なんだか、すっごく久しぶりに見たわ」

 ブリミルやサーシャの目からは涙さえ流れていた。当時のロンディニウムは小高い丘のそばに小さな湖があるだけのこじんまりとしたオアシスで、現代であれば誰にも見向きもされないだろう。しかし、砂漠のような土地を旅し続けてきたブリミルたちにとっては天国のように見えた。

 しかも都合のいいことに、近くにはこのあたりの領主が別荘にしていたのかもしれない小さな城が、半壊ながらも残ってくれていたのだ。

「ありがたい、これならなんとか定住することができる。ようし、ここを我々のしばらくの拠点にしよう!」

 ブリミルの決定に、全員から歓呼の声があがったのは言うまでもない。これでなんとか、子供や怪我人は旅から離れて定住させることができる。

 だが、この小さなオアシスでは養える人数はたかが知れている。水だけはなんとかあるが、これまで立ち寄ってきた街から回収してきた食料はあまり多くなく、この地で耕作をやるにせよ、収穫ができるのは当分先だ。人数が増えたことが今では仇となっていた。

「食料をどこかで見つけないと、このままでは餓死者が出てしまう。しかし、どんなに節約しても長くは持たない」

 ブリミルは悩んでいた。これから食料を探しに出るにしても、収支がギリギリでマイナスになってしまうのだ。なんとかしたい、これまでいっしょに苦楽を共にしてきた仲間をひとりとて犠牲にはしたくなかった。

 そんなときである。子供たちを連れるようにして、ミーニンがブリミルの元にやってきたのは。

「ブリミルさん、ミーニンがなにか言いたいことがあるみたいなの」

「ミーニン、ありがとう、僕をはげましに来てくれたのかい。おや、それはバイオコントローラーを操作していた箱じゃないか……まさか、ミーニン、君は」

 ブリミルが驚いてミーニンの顔を見ると、ミーニンはさびしそうな目をしてきゅうと鳴いた。

 ミーニンの意思、それは食料の節約のために、自ら岩に戻って口減らしになろうというものだった。

 これを、もちろんブリミルは拒絶しようとした。が、一人分を削ることができればなんとか収支をプラマイゼロにすることができ、悩んだ末に才人やサーシャにも相談し、サーシャの一言で決心した。

「それはミーニンの意思を尊重するべきよ。一番つらいのは誰だと思う? ミーニンに決まってるじゃない。それでも、ミーニンはせっかくできた友達と別れる覚悟をしてまで名乗り出てくれたのよ。あなたがリーダーなら、その意思を無駄にしちゃいけないわ」

 サーシャの言葉に、ブリミルは短く「わかった」と答えた。それを見て才人は、責任を持つということのつらさと重さをかみ締めるのであった。

 だが、ミーニンの封印は簡単なことではない。一度ミーニンを岩に戻してしまうと、復元するためのエネルギーがたまるまでに地球時間で何百年もかかってしまうことがわかったのだ。つまり、この世代の人間がミーニンと再会することはできない。

 子供たちをはじめ、仲間たちは皆がミーニンとの別れを惜しんだ。もちろん才人もで、短い間でとはいえミーニンの無邪気さには何度救われたか知れない。が、そのときふとブリミルが思いついたように才人に言った。

「そうだ、サイトくん。君が探してる、未来の君の仲間に連絡をとる方法だけど、もしかしたらあるかもしれないぞ」

「ええっ! それマジですか! なんですなんですか」

「落ち着きたまえ。単純な話だ、ここが君の世界から六千年前だったら、今から六千年経てば君の時代に行き着くということさ。我々人間にとってはとほうもなく長い時間だが……」

 才人もそれでピンときた。六千年は宇宙人や怪獣でもない限り、普通の生き物が超えるには長すぎる時間であるが”物”ならば別だ。ミーニンに手紙を託して、自分のいた時代へと運んでもらうのだ。いわゆるタイムカプセル。ミーニンにしても、いつともしれない時代で目覚めさせるよりかは自分のいた時代なら信頼できる人がいる。

 だが、それは理屈では可能として、どうやって才人の来た時代で目覚めさせればいいのだろう? それを尋ねるとブリミルは自信たっぷりに答えた。

「心配はいらない。コントロールボックスはタイマー式に設定しなおしてある。ついでに、ミーニンの石を収めておけるだけのスペースがあるようにも改造済みだ」

 いつの間に!? と才人は思ったが、それよりも宇宙人の送り込んできた装置を改造するなんてどうやって? そんな真似、いくら伝説の大魔法使いでも都合がよすぎる。

 しかし、ブリミルは相変わらず、その質問に対してだけは貝のように口を閉ざしてしまった。

 才人はじれったく思ったが、こればかりはどうしようもなかった。ブリミルたちがどこから来た何者であるのか? それを知れるのはいつかブリミルたちが本当に心を許してくれるときまで、待つしかできない。

 ミーニンは岩に戻されて、この小城の地下に封印されることとなり、才人は急いで未来に当てた手紙をしたためた。教皇がハルケギニアの滅亡をもくろむ敵であること、始祖ブリミルがエルフとの共存をしていた温厚な人物であること、この時代を襲っている謎の敵ヴァリヤーグのことなど、自分が知っていることを可能な限り書き込んだ。

 そしてついに別れのとき、才人はミーニンが子供たちとの別れを涙ながらに済ませた後、ミーニンに手紙を入れた小箱を託した。

「ミーニン、自分勝手なお願いだと思うけど、この手紙には、この世界の未来がかかってるかもしれないんだ。それと……またな」

 才人はミーニンに再会を約束して、最後に握手をかわした。未来に行くミーニンと、いずれ自分が未来に帰れるときには再会できるはずだ。しかしそれならばミーニンを未来に送ることは無駄になるのではないか? いや、そうではない。才人は未来の世界のために、思いつく限りのあらゆる方法を試してみるつもりだった。

 無駄に終わればそれでいい。しかし、何度もいろいろな方法を試せば、そのうちのひとつくらいは成功するかもしれないではないか? 人間がはじめて空を飛ぼうとしたときだって、ライト兄弟の成功に行き着くまでには数え切れないほどの試行錯誤と失敗の積み重ねがあった。まして、六千年の時間を越えて未来に帰ろうというのに、努力を惜しんでいて成功するはずもない。

 と、そこで才人はコントロールボックスを設定しようとしているブリミルから尋ねられた。

「ところでサイトくん、タイマーは何年後にセットすればいいかな?」

「えっ? あ、しまった!」

 才人は自分のうかつさに気づいた。始祖ブリミルの時代が『現代』から六千年以上前だとしても、自分のいる今が現代から正確に六千何年前ということがわからなければ意味がない。正確に自分の来た年代に設定しなければ、何十年何百年単位でズレてしまうだろう。

 が、そんなことを調べる方法などあろうはずがない。この作戦は失敗かと、才人がとほうにくれたとき、サーシャが思いついたように言った。

「別に簡単じゃない。サイト、あんたが来たのって、あんたの年代で何年なの?」

「え? 確か、ブリミル暦六二四三年だったと思うけど」

「じゃあ今年がブリミル暦一年で決定ね。六二四二年後に合わせれば、あんたの時代につくわ」

「ええっ!? そんな、ちょっと!」

 才人とブリミルはあまりにあっさりと決めてしまったサーシャに詰め寄ったが、サーシャは流れるような金髪をくゆらせて涼しい顔である。

「なに? 文句あるわけ? ほかにいい方法があるっていうなら取り下げるけど」

「い、いやぁ……でも、年号はもっとめでたいときに決めるものじゃあ」

「あんたの頭は年がら年中おめでたいでしょうが。別にいいじゃないの、増えはするけど減るものじゃなし」

 なんか納得いかないが、サーシャの鶴の一声で強引に今年がブリミル暦一年に設定されてしまった。ブリミル教徒であるならば、ものすごく名誉な瞬間に立ち会ったことになるのだろうが、なんというかまるでありがたみが湧かない。

 が、おかげで年代の設定の問題は解決した。なお、ここで設定を六二四二年後より少し少なく設定すれば教皇に飛ばされる前の自分たちに届いて歴史を変えられるかもしれないと思ったが、それだとこんがらがってしまうためにやめた。歴史を無為に変えてはならない。

 ともあれ、これで問題はもうない。ミーニンはコントロールボックスの力で元の岩の姿であるガモダマに戻され、コントロールボックスに入れられて封印された。

「頼んだぜ、ミーニン……」

 これで、ミーニンが目覚めるのは六二四二年後ということになる。才人はミーニンに困難な仕事を押し付けるような後ろめたさを感じたが、サーシャに「人生の選択を全部ベストにすることなんて誰にもできないわよ」と、励まされた。

 そうだ、犀は投げられた。後は、希望を信じて次へと進む以外にできることはない。

 才人は、最後にミーニンが見せてくれた無邪気な笑顔を思い出しながら、みんなのいる未来へと思いを寄せるのだった。

  

 

 六千年という時間は長い。人は骨と化し、大地の形さえ変えてしまう。

 だがそれでも、時を越えて希望の光はどこへでも届く。

 ブリミルの設定したとおり、ミーニンは六二四二年の時を越えてアルビオンの地に蘇った。ブリミルの子孫、ウェールズの先祖たちはブリミルの遺産を守り続けてくれたのだ。

 ウェールズはミーニンの持っていた手紙から、これが始祖ブリミルの時代から自分たちの時代へのメッセージであることを知った。そして、手紙の内容に愕然として即座にトリステインへと使いをよこし、知らせを受けてエレオノールやミシェルが急行し、すべてが真実であることを確かめたのである。

「これは、この手紙の入っていた箱のつくりは、これまで始祖の時代の遺跡から発掘されたものと一致します。これは間違いなく始祖ブリミルの時代に作られたもの……ミス・ミシェル、手紙の鑑定のほうはどう?」

「ああ、これは間違いなくサイトの字だ。あいつのヘタな字だ。わたしがたわむれに教えた、銃士隊の古い暗号文だ……サイト、お前、やっぱり生きてたんだな。それにしても、始祖ブリミルと友達になったなんて……お前、ほんとうにとんでもない奴なんだなあ……」

 涙で顔を真っ赤に腫らしながらようやく言葉を搾り出すミシェルを、エレオノールは呆れたように眺めていたが、やがて彼女たちに同行してきた銃士隊員のひとりがハンカチを差し出した。

「副長、涙を拭いてください。サイトの奴は、ほんとうにたいしたやつでしたね。あいつは、どんなときでもみんなのことを思ってくれている。さすが、副長の惚れた男です」

「アメリー、ありがとう……そうさ、サイトが死ぬもんか。あいつは、あいつは誰よりも強くて優しい、ウルトラマンだ」

 ミシェルは、自分も今日まで生きてきて本当によかったと思った。才人は生きていた。いまだに手は届かないところにいるけれども、こうして手を差し伸べてくれている。

 ひざをついて感動に打ち震えているミシェルの頭を、ミーニンが骨のような手で優しくなでてくれた。ミシェルは顔をあげると、才人が六千年前にしたようにミーニンの手をぎゅっと握り締めた。

「ありがとう。ミーニンだっけな、よくサイトからのメッセージを伝えてくれた。見慣れない世界で戸惑っていると思うが、サイトの友達なら我々の仲間と同じだ。安心してくれ」

 言葉は通じないが、ミーニンはミシェルの言っていることの意味は理解できているように、うれしそうに笑った。手紙にはミーニンのことをよろしく頼むとも書かれてあって、ミーニンはウェールズとの話し合いにもよるが、トリステインに連れ帰ってカトレアに預けるのが一番いいだろう。彼女なら、数多くの生き物を飼っていることだし、人柄も信頼できる。

 それに、この知らせをトリステインにいるギーシュたち水精霊騎士隊にも伝えたらさぞかし喜ぶことだろう。後ろでは、銃士隊で一番のお調子者のサリュアがウェールズがいる前だというのに万歳して大喜びしているようだ。

 だがウェールズは、エレオノールからあらためて詳細を伝えられて表情をしかめている。彼はあまりにも常識を超えた事態に驚きながらも、これからのやるべきことを冷静に考えていた。

「以前の私に続いて、今度はロマリアの教皇陛下が侵略者の手先になったというのか。確かに、ロマリアから布告された聖戦はなにかおかしいと思っていたが……やっと戦乱から解放されたばかりのアルビオンの民にはすまないが、なんとしてでも聖戦には反対せねばいけないな」

 だが、再建途中のアルビオン軍でどこまでやれるものか。また、家臣や兵隊、国民たちに教皇が敵だということをどうやって納得させればよいものか……ウェールズがいくら国王とはいえ、すべての意思が通じるわけではないのだ。

 アンリエッタが悩んでいたように、前途には大きな壁がまだ立ちふさがっている。それでも、乗り越えなければハルケギニアに未来はない。アンリエッタも才人からの手紙の内容を知れば、ウェールズと同調して必ず行動を起こすだろう。

 

 と、そのときだった。ミーニンが、手紙の入っていた箱を指差してなにやら訴えているようなので、エレオノールが箱の中をもう一度丹念に探ったところ、底から奇妙な形の”あるもの”が出てきたのである。

 

「なによコレ……首飾り? でも、この紐といい、こんな奇妙な素材は見たことないわ」

 エレオノールは、美しいとはおせじにも言えない首飾りのようなものを手にして首をかしげた。箱の中には同じものがふたつ出てきたが、どちらも見たところガラクタにしか見えない。

 しかし、このガラクタのような首飾りこそ、才人がこの時代に当てたもうひとつの贈り物であり、切り札となるべきアイテムであった。首飾りと共に出てきた、その使い方を記したもう一通の手紙が読まれたとき、教皇の巨大な陰謀にひびを入れる蟻の一穴がこの世界に生まれる。

 

 

 再び過去へと戻って、才人はブリミルとともに空を見上げていた。

「ミーニン、無事に未来につけるといいな」

「心配要らないさ、ミーニンは運の強い子だ。必ず君の仲間のもとにたどり着いてくれるよ。そうしたら、手紙といっしょに託したあれもきっと役立つだろう。僕とサーシャの自信作だ、きっと君の仲間の役に立ってくれる」

「はは、ブリミルさんもサーシャさんも、ノリノリであれ作ってましたもんねえ。でも、あれをうまく使ってくれれば、教皇の悪巧みもおしまいだぜ。女王陛下なら、きっとやってくれますよ」

 アンリエッタ女王とはあまり親しいというわけではないが、何度もトリステインを救ってきた手腕と行動力は信じている。確実に届くように、文章の一部には銃士隊の関係者しか知らない暗号も混ぜたから信憑性も疑いないはずだ。

 同封された才人とブリミルからの贈り物。それが使われたときに、ヴィットーリオとジュリオのすまし面がどう崩れるのか、まったくもって楽しみでならない。

 けれどそれでも、才人の表情にはミーニンを案じている不安げな様子が残っていた。それに気づいたのだろう。ブリミルが、才人の背中をどんと叩いて励ました。

「こらこら、そんな顔してたらミーニンが安心して眠れないぞ。それに未来に届くまで、いつか僕らが死んで霊魂になってもミーニンを守ってやるから絶対大丈夫! さ、僕らには次の旅立ちが待ってる。ぐずぐずしてるとサーシャにどやされるぞ」

「はい! ようし、行きましょう。ハルケギニアは広いんだ。まだまだどこかに、おれたちを待ってる人がいるはずだからな」

「ああ……ところでサイトくん、君が未来に帰る方法なんだが」

「えっ? なんですって?」

「思い出したんだが、時空を超える能力を持つ、あの……いや、どこにいるかもわからないし、すまない聞かなかったことにしてくれ」

「なんですか? 変なブリミルさんだなあ。まあいいか、旅をしてればそのうちいいこともあるってね。それにルイズ、ルイズもきっとどっかの空の下でがんばってるはずだ。いつかきっと、きっと会えるさ」

 才人は多くの仲間たちの最後にルイズの顔を思い浮かべた。そうだ、あの負けん気の固まりのようなご主人様が簡単にあきらめるわけがない。たとえこの世界にいなくても、どんなときでも無理やりにでも道を開いていこうとしてきたルイズのことを思い出すと勇気が湧いてくるのだった。

 いつかの再会と、明るい未来を信じて、才人とブリミルはサーシャと仲間たちの待つキャラバンへと駆けていった。

 

 

 信じる心に、時空の壁など関係ない。時を越えて、才人の思いは確かに仲間たちのもとへと届いた。

 そして、次元を超えて旅する者がもう一組。

 それは、才人たちが知るどの次元とも違うマルチバースのひとつの宇宙。そのどこかの惑星の上で、ひとつの戦いが繰り広げられていた。

『エクスプロージョン!』

 虚無の爆発魔法の炸裂が空気を揺るがし、紫色の体色をした巨大怪獣に襲い掛かる。

 怪獣の名前は、毒ガス幻影怪獣バランガス。身長八九メートル、体重十二万九千トンの巨体を持ち、体から噴出す赤い毒ガスを武器とする。

 その強力な怪獣に、体の半分を焼け焦げさせるほどの大ダメージを与えた虚無魔法を放った者こそ、誰あろう? いや、ひとりしかいない。

「よくも今まで好き勝手やってくれたわね。でも、これ以上この星で暴れさせはしないわよ。覚悟しなさい」

 桃色の髪を風になびかせながら杖を高く掲げ、ルイズの宣告がバランガスに叩きつけられた。

 この星は、宇宙には数え切れないほどある地球型惑星のひとつ。特に自然豊かなわけでも、高度な文明があるというわけでもない平凡な惑星であるが、この星は今滅亡の危機にさらされていた。

 バランガスは自分をガスに変えることでどこにでも出現し、好き放題に破壊活動を繰り返してきた。だが、それをようやく捉えることに成功し、ルイズの虚無で致命傷を与えることに成功した。

 が、なおも自分をガスに変えて逃げようとするバランガスに、青い光芒が突き刺さる。

『ソルジェント光線!』

 ガスに変わる前の実体に必殺光線を叩き込まれたのでは、いかにバランガスとてひとたまりもない。断末魔の咆哮を響かせて、巨体がゆっくりと倒れこむ。

 勝利。そしてルイズの視線の先には、指を立ててガッツポーズをとるひとりのウルトラマンの姿があった。

「よっしゃあ! 見たかよルイズ、俺の豪速球ストレートを」

 調子のよい口調で話しかけてくるのは、こちらも誰あろう。消息不明になっていたウルトラマンダイナだった。ルイズはそのダイナの自慢げな様子に、怪獣を逃げられなくしたのはわたしの魔法じゃないのと返して、ダイナもむきになって言い返して口げんかになった。

 だが、何故ルイズとダイナが共に戦っているのだろう? それは、運命のいたずら……ただし、それを語る前に巨大な脅威が二人に近づいてきていた。

「だいたいルイズ、お前はいつもな! っと、そんなこと言ってる場合じゃなくなったようだぜ」

「そうね、アスカ……あんたと旅をしはじめてからしばらくになるけど、今度の相手はどうも格が違うみたい。背筋が震えるような気配がビンビン来るわ」

 冷や汗を流したルイズとダイナの見ている前で、星の火山が巨大な爆発を起こす。その中から現れる、あまりにおぞましい姿をした超巨大怪獣。

 

 

 誰も知らない宇宙で、全宇宙、ひいてはハルケギニアの運命につながる決戦が始まろうとしていた。

 

 

 続く



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第41話  悪夢への子守唄

 第41話

 悪夢への子守唄

 

 邪悪生命体 ゴーデス(第二形態)

 毒ガス幻影怪獣 バランガス 登場!

 

 

 ヴィットーリオの世界扉の暴走によって、才人とルイズが次元のかなたへと飛ばされてから一月あまりの時間が過ぎた。

 その際、才人のほうは過去のハルケギニアへと飛ばされ、始祖ブリミルたちと出会ったことはすでに触れた。

 ならば、ルイズのほうはどこへ飛ばされてしまったのだろうか? 宇宙は広く、無数の多次元に分かれており、そこに投げ込まれるということは太平洋に真水一滴を落とすようなもので、あっという間に溶け込んでしまって再度取り出すことは不可能に等しい。

 しかし、この世には確率を超えためぐり合わせというものがある。あるときに、起こるはずもないような偶然がつながることは割とよくあることなのだ。

 

 世界扉に飲み込まれ、瀕死の状態でルイズは次元のはざまをさまよっていた。そのルイズを拾い上げ、次元を超えて連れて行った者がいたのである。

 

 ルイズが目を覚ましたとき、そこはどこともわからない荒野の上だった。見渡す限り何もなく、しかし現代のハルケギニアとは違う証拠に、見上げた先には広大な青空がどこまでも続いていた。

「ここは……わたし、どうして?」

 目を覚ましたルイズは、別次元で才人が目覚めたときと同じように、自分の状況を確認しようと試みた。

 どうやら自分は誰かに救われたらしい。その証拠に、ジュリオに撃たれた傷には包帯が巻かれて手当てがされており、岩陰に日光を避けて寝かされていた。

 誰が? もしかしてサイトが? と、思ったがルイズはすぐにそれを否定した。あの不器用な才人にしては手当ての仕方が上手だ。この包帯もどことなく巻き方が荒っぽいけれども、それでも才人の手並みとは違うことはわかる。

 ならいったい誰が? そう思ったとき、横から声をかけられた。

「お、目ぇ覚めてたか」

「んっ! 誰?」

 反射的にルイズは声の相手に対して身構えた。もっとも、何も持っていなかったために、身構えてから慌てて杖を探して全身を引っ掻き回すという愉快なことをしてしまったが。

 対して、ルイズの前に現れた相手は敵意があるようなそぶりはまったく見せていない。ざっと見て三十代に入ったかどうかという青年で、美男子とは少し違うが才人とどこか似て、三枚目っぽい愛嬌を感じた。

「ケガのほうは大丈夫みたいだな。そんだけ元気がありゃ心配いらねえさ」

 ひょいっと、近くで集めてきたのかガラクタの山を足元に置いて彼は言った。少しもこちらを警戒している様子はなく、おかげでルイズにも少し相手を観察する余裕ができた。

 一目見て、白とグレーと赤を基調としたジャケット姿はハルケギニアの人間の服装ではないとわかった。しかし、どこかデザインに既視感を覚えたルイズは記憶を探ってみたところ、以前ハルケギニアにやってきたCREW GUYSの制服と似ていると思い当たった。

「あんた、もしかして……チキュウ、人?」

「おっ、よくわかったな。てか、お前ももしかしてだけど……はるけぎにあの人間か?」

 ルイズははっとして相手の男の顔をまじまじと見つめた。見覚えはなく、会ったことがないのは確実だが、彼はハルケギニアを知っているようだ。ならばいったいどこで? 才人のほかに地球人は何人か知っているけれど、思い当たるふしはない。

 ともかく、ヴィットーリオに散々な目に合わされたばかりのルイズは警戒を解いてはいなかった。左手に杖を持ち、右手に才人から預かったガッツブラスターを握ったままで、油断なく相手を見据える。

「いくつか質問することがあるわ」

「いいぜ、俺からも聞きたいことがあるし、一個ずつ聞いてこうか? それなら公平だ」

「まず、ここはどこなの? ハルケギニアじゃないの?」

「ここは惑星ハマーっていうらしい。もっとも、ここにやってきたどっかの宇宙人がそう呼んでたらしいだけで、今は人っ子ひとり住んでない寂しい星みたいだけどな」

 そう答えると、彼は集めてきたらしいガラクタのひとつを足で軽く蹴った。それはいわゆる看板のようなもので、○○星人が○○年に惑星ハマーにやってきたということを示すモニュメントのようなものだと彼が説明してくれた。

 聞いたことのない地名にルイズはいぶかしんだが、ハルケギニアでないことだけは確実で、しかもどうやら地球でもなさそうなことに気が重くなった。しかし、弱気を見せるわけにはいかないと、次の質問をぶつけようとしたときだった。

「じゃ、次は俺の質問に答えてもらうぜ。お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんじゃないわ。わたしはルイズ、ルイズ・フランソワーズ。って、そういえば先に名前を聞いておけばよかったわね。で、あなたの名前は? ついでに聞きたいことって何よ?」

「ああ、そのことなんだがな……なんでお前が俺の銃を持ってんだ?」

「は?」

 意表を突かれて、ルイズは思わず右手に握っているガッツブラスターを見つめた。

 ええと、どういうことよ? この銃はサイトのもので……いいえ、これは元々オスマン学院長が持ってて、それがサイトに譲られたんだけど、最初に持ってたのは。

「ま、まさか……?」

「そいつは俺が魔法使いのじいさんに貸してやった、俺の銃だ。多少いじくってあるみたいだけど、お前が気絶してるときにシリアルナンバーを確認したから間違いない。それにお前の顔、なんかどっかで見たことある気がするんだよな」

「えええっ! まさか、そんなまさか! ありえない、ありえないわ。けど、ひょっとして……あんたまさか、アスカ・シン?」

「そうだ」

 惑星ハマーの大気に、ルイズの生まれて一番の絶叫が響き渡った。

 

 

 これが、ルイズとアスカ・シン……ウルトラマンダイナの邂逅であった。

 

 

 ルイズが驚いたのも無理はない。アスカ・シンことウルトラマンダイナのことは知っているけれど、それは自分の母が若い時代の昔話に過ぎず、今から三十年も前なのだ。

 つまり、おとぎ話の人物が目の前にいるということになる。驚かないほうがどうかしている状況だ。

「う、嘘よ嘘! だってアスカがハルケギニアにいたのって、お母様がまだ駆け出しだったころよ。あんた、若すぎるなんてもんじゃないじゃない!」

「誰だよお母様って? それに俺がハルケギニアからはじき出されてからまだ半年も経ってないぜ」

「は、えええええ!!」

 そこでルイズはアスカとの決定的な意識の差を思い知らさせられた。とても信じられることではないが、そうでなければ説明がつかない。

 つまり、世界線を越えてしまったことによって、どんな理屈かはさっぱりわからないが、現代のルイズと三十年前のアスカが同じ次元に存在してしまったということだ。そういえば、シエスタのひいおじいさんは現代の地球から三十年前のハルケギニアに飛ばされてしまったらしい。つまり、その逆が起こったということなのか?

 それから先、ルイズとアスカが互いのズレを埋め合わそうとして大変な騒ぎになったのは言うまでもない。

 喧々諤々の言い合いが続き、ルイズは次元のはざまを瀕死をさまよっていた自分を救ってくれたのがウルトラマンダイナであり、アスカが昔話の本人に間違いないということをやっと認めた。アスカも、ルイズが自分の知っているハルケギニアより三十年も未来の人間であることには驚いたが、持ち前の気楽さですぐに飲み込んで、それよりもルイズがカリーヌの娘であるということを知ると大変に喜んでくれた。

「そーかそーか、お前あのカリンのやつの娘なのか。そういえば顔立ちがそっくりだぜ、あいつあれからも元気でやってんだな。よかったよかった!」

 ルイズはそれからも、アスカに自分がいなくなった後のハルケギニアについて色々尋ねられた。オスマン学院長がまだ健在なこと、自分と同じようにシエスタやティファニアといった彼と冒険を共にした仲間の子供がいるということは、ルイズのことと同様に喜ばれた。だが、佐々木武雄がすでに亡くなっていることを伝えたときはさすがに沈痛そうな面持ちになったが。

 しかし、懐かしさに浸るのはそこまでだった。ルイズからハルケギニアが滅亡の危機にさらされていることを聞いたアスカは、ぐっと決意した顔を見せたのである。

「なるほどな。俺の仲間たちが未来で困ってるのか。だったら、俺のやらなきゃいけねえことは一つだ! ルイズ、お前をハルケギニアに連れ戻してやる」

「えっ! そんな方法があるの?」

「いや、知らねえ」

 期待を持たされたルイズは、ガクッとひざを折ってずっこけてしまった。

「なによ、あんたウルトラマンなんでしょ! いろいろできるんでしょ」

「そんなにホイホイ違う宇宙を行き来できれば誰も苦労してねーっての! まあ俺にまかせろって、どっちみち帰らなきゃならねんだろ?」

「まあそりゃあ……そうだけど、いったいどうする気よ?」

「宇宙を渡り歩いていきゃそのうちハルケギニアにもう一回たどり着くこともあるだろうよ。たぶん!」

「はあぁぁぁぁぁっ!?」

 自信満々に”行き当たりばったり”を宣言されてしまったルイズは、もう抗議する言葉も失って呆れ返るしかできなかった。

 そんな適当な……いくら多次元宇宙の知識なんかないルイズだって、違う世界へ行くということがどれだけ困難なことかということはわかる。前に才人から聞いた話では、異なる宇宙は才人の来た宇宙をはじめとして無数にあるという……それを、才人は「たとえば魔法学院には部屋が何百個もあるだろ? その一部屋が地球で一部屋がハルケギニアだ。おれはハルケギニアの部屋から地球の部屋に帰りたいけど、ドアは固く閉まっていて、しかもどこが地球の部屋かわからない。そんなとこかな」と、説明してくれて、そのときは「ふーん」と話半分に聞いていたが、実際に自分がその立場に置かれるとは夢にも思わなかった。

 ハルケギニアには帰りたい。しかし帰る方法が見当もつかなくて、ルイズは途方にくれた。なのに、アスカは気楽に言ってくる。

「なーにを心配そうな顔してんだって。俺は九回裏からに強い男だぜ、信用しろよ。大丈夫、なんとかなるって」

「あんたがお母様と対等に付き合えたってのも納得いけたわ。お母様も、シエスタやテファのお母様もさぞ苦労なさったでしょうね。始祖ブリミルよ、これがわたしに課せられた試練だとしたら、少し過酷すぎはしませんでしょうか……」

 ルイズは、才人相手に何回「ほんっとにダメな使い魔ね!」と怒鳴ったか知れないが、自分はとても恵まれていたんじゃないのかと、今さらながら思うのであった。

 アスカは気にした様子もなく笑っている。こんなことを言われるのは日常茶飯事なのであろう。しかし、アスカに頼らなければ自分はハルケギニアに帰るどころか、この惑星ハマーから出ることさえできないことに、ルイズはあきらめて深々とため息をついてアスカに向き合った。

「仕方ないわ。思えば、あんたにはいろいろ教えてもらいたいこともあるし、短くなることを期待しながら長くなりそうな旅に付き合ったげる」

「よっし、そうこなくっちゃ。よろしくなルイズ」

「っとに、お母様の戦友だと無下にもできないから困るわね。レディに最低限のエスコートくらいできるんでしょうね?」

「……さあて、善は急げだ。こんな何もない星とはさっさとおさらばしようぜ!」

「ちょっと待ちなさいよ。なんで無視するの! ちょっと、変身してごまかそうとしてるんじゃないわよ!」

「ダイナーッ!」

 こうして、ルイズとアスカの凸凹コンビによる旅が幕を開けたのであった。

 

 

 惑星ハマーを後にして、ふたりはそれから様々な宇宙や星を渡り歩いた。

 血も凍るような寒い星で、エスキモーのような先住民に助けられたこともあった。汗も蒸発する暑い星に、宇宙から氷を運んできて雨を降らせたこともあった。

 次元を超える機会は何度か訪れ、重力場の乱れから発生するウルトラゾーンに類似した空間を通って、ふたりはマルチバースを移動した。

 もっとも、自然にできる次元の歪みを利用しての次元移動は完全に運任せのランダムであり、二人の前に現れたのは見たこともない宇宙と星々。そしてそこに生きている人々。

 昆虫が進化したような人類の住む星で捕まりそうになったり、海が硫酸に変わっているほど荒れ果てている星でなお気高く生きている人々を見たこともあった。

 折に触れて人助けをすることもあり、ある惑星では生き物を無差別に喰らい尽くそうとしていた三つ首のドラゴンをダイナが苦闘の末に倒したり、別の次元では自爆して街一つを消し飛ばそうとしていた巨大植物をルイズのエクスプロージョンで自爆前に消滅させたりもしたが、巨大植物と共生していたとんでもなく強い怪獣との戦いは今でも思い出しただけで震えが走る。

 もちろんそればかりではなく、超重力の遊星に引きずり込まれそうになることや、次元の歪みを探してブラックホールに近づいたら巨大な結晶体のような怪獣に追い回されるというピンチもあった。

 ルイズにとっては、宇宙はまさにすべてが未知の体験の宝庫。行って、見て、体験する。その体験からと、アスカや行く先々の人々からルイズは多くのことを学んだ。そして、ルイズはそれまで才人から口伝いに聞くだけであった”宇宙”というものが、いかに広大で雄大であるかを知ったのである。

 いつハルケギニアにたどり着けるかわからない旅は、果てしなく続くかに思えた。しかし、ここにふたりにとって最大の脅威が立ちはだかろうとしていたのだ。

 

 とある宇宙の、名も知れない小さな星。そこはわずかな緑に寄り添うように少数の住民がつつましく暮らしているだけのオアシスのような惑星であったが、この星は宇宙のどこかから流れ着いた邪悪な宇宙細胞によって崩壊しようとしていた。

「こんな星に、オーロラが……?」

 星の住民がある日空に見た不気味な色をしたオーロラ。それ以来、星には怪現象があいつぐようになり、ついには怪獣が現れた。邪悪な気配を察して、アスカとルイズがこの星を訪れたのはこのときである。

 暴れていた二つの頭を上下に持つ怪獣をダイナが倒し、続いて現れたバランガスもルイズのサポートで倒すことに成功した。

 だが、この怪獣たちは最初から囮だったのだ。

 星にただひとつの火山が噴火を起こし、吹き上がる溶岩の中から巨大な影が姿を現す。

「出てくるぜ! こんな背筋の凍るようなドス黒いオーラ持った奴は久しぶりだ」

「な、なんて巨大で禍々しい存在感。こんな化け物を外の世界に解き放ったら大変なことになるわ。まったくアスカ、どうしてあんたの行く先々ではこうろくでもないことばっかり起きるのよ!」

 バランガスを倒した喜びもつかの間、ケタ違いの威圧感を放ちながらそいつはダイナとルイズの前に立ち上がった。

 とにかく、でかい! 全高だけで百七メートルとダイナの倍もある。むろん、ふたりが戦ってきた怪獣の中にはさらに巨大な奴は数多くいたが、ルイズの言うとおり存在感という面では間違いなくトップクラスだ。

 肉体はナメクジかナマコのような軟体型で、そこからイカのような太い触手が多数生えている。これだけでもおぞましいのに、頭部は人間に似ていて、醜悪な老人のような顔に赤い目がらんらんと光っていた。

 怪獣というよりはクリーチャー、もっと端的に化け物と言ってもいいだろう。

「てめえ、いったい何者だ!」

 ダイナは相手に問いかけた。話が通じるかわからないが、見た目から知性を持っているかもと感じたのだ。そして、相手はその呼びかけに答えた。

「我が名は、ゴーデス」

「ゴーデス?」

 聞いたことのない名にアスカとルイズは戸惑った。少なくとも、自分たちのいた宇宙では存在したことのない怪獣のようだ。

 ならば、その目的は何か? しかし、次に放たれた相手の言葉に、ふたりは耳を疑った。

「我が名はゴーデス……今は、それしか思い出せぬ……」

「なんだと!?」

「私はかつて、いつか、どこかの場所に存在したはず。だが、私は滅ぼされ、消滅した……それが何故かは思い出せぬ……だが、私の存在理由だけはわかっている。宇宙のすべての生命を私と同化し、ひとつにする!」

「なにっ!?」

 ふたりは、ゴーデスがこの星でしてきたことを思い出した。奴は、自分の細胞を星全体にばらまくことで怪現象を起こしたり、細胞を星の生き物に寄生させて怪獣化させてきた。アスカが科学の知識にはそれほど詳しくなくても、わかりすぎるくらいわかるほどの影響力。その規模を拡大していったら、宇宙全体がゴーデス細胞の中に飲み込まれてしまうだろう。

「冗談じゃねえ、そんなこと絶対にさせっかよ!」

「たとえわたしたちの世界とは違うといっても、悪を黙って見過ごしてはトリステイン貴族の名折れだわ。さあ、懺悔のセリフを考えておきなさい!」

 こいつを野放しにするわけには絶対にいかないと、ダイナとルイズは巨大な敵ゴーデスとの対決を決意した。

 ふたりからの宣戦布告を受けて、ゴーデスも赤い目を輝かせて触手を振り上げ、身も凍るような雄たけびをあげた。

「ウオォォォ……ウルトラマン……お前の姿に、私の中のなにかが揺さぶられる。この感覚は怒り、憎しみ? 覚悟するがいい、まずはお前たちから取り込んでやろう」

 やれるものならやってみろ! と、戦いが始まった。

 正面から相対するダイナとゴーデス。二百メートルほどの距離をとって睨み合った両者の最初の激突は、ゴーデスが目から破壊光線を放つことで切られた。

「なんの!」

 向かってきた光線を、ダイナはとっさに身をひねるひとでかわした。小さな頃から父親と野球に親しみ、大人になるまでキャッチボールを数え切れないほど繰り返してきたアスカにとっては、真正面から撃たれた光線など外野からの送球に等しい。受け止めることが容易ならかわすことはもっと容易だということだ。

 だが、ゴーデスは破壊光線を連発して撃って来る。ダイナはそれを、千本ノックを相手しているかのようにしてかわし続けたが、ゴーデスもダイナの動きをしだいに見切って、フェイントからの一撃をダイナにヒットさせてきた。

「ウワアッ!」

「アスカ! もう、なにやってんのよ!」

「ってえ、油断したぜ。ストレートの見せ球からの変化球とはなかなかやるじゃねえか、なら今度はこっちの番だぜ!」

 立ち直ったダイナは、腕を外回りに大きく回し、作り出した光の弾丸を投げつけた!

 

『フラッシュサイクラー!』

 

 白く輝く光弾はゴーデスに正面から命中して、その巨体に吸い込まれていった。だが、ゴーデスにはなんの変化も見られず、かすかに揺らいだ様子も見えない。

「ダイナの必殺技が効かないの!」

「まだまだ、勝負はまだ一回の裏が終わったくらいだぜ。さあ、二回の表に突入だ。ルイズ、お前もいつまでベンチをあっためとく気だ?」

「ちぇっ、こっちもさっき特大のエクスプロージョンを使ったばっかりだってのに、ほんとレディの扱いがなってないわね。アスカ、そんなんじゃあんたの恋人にも愛想つかされるわよ」

「心配はいらねえさ、リョウは俺が約束は必ず守る男だって信じてくれてる。俺はいつか必ず、俺の仲間たちのところに帰る。そしてルイズ、お前との約束もな。だから俺は進む、今からも、これからもな!」

 そう叫ぶと、ダイナはゴーデスへと突撃をかけていった。

 無茶よ! と、ルイズが叫ぶがダイナは止まらない。どんな相手にも逃げずに真っ向勝負で活路を切り開いていくのがダイナの、アスカの持ち味なのだ。どんなに無謀に見えても、こればかりは譲れない!

 急接近してからのウルトラキック。さらに渾身のパンチがゴーデスのボディに突き刺さるが、ゴーデスの巨体は小揺るぎもしない。

「にゃろう、なんて重さだ!」

 これだけ殴ってもこたえない相手は初めてだとダイナは思った。手ごたえはあるけれども、大木の表面を指ではじいているように、まるでダメージが中に通っている気がしないのだ。なぜなら、ゴーデスの重量は三十四万六千トンと、ダイナのなんと七倍以上もあるのだ。これは初代ウルトラマンが持ち上げることさえ不可能だったスカイドンの二十万トンをはるかに超える。それに、ゴーデス自体の耐久力もケタ違いなために、さしものダイナのパワーも通じないというわけなのだ。

 ついでに、いくら効き目がないからといってゴーデスも黙って殴られ続けてくれるはずがない。胴体から生えている触手のうち、特に長い二本の触手をムチのようにふるってダイナを攻撃してきた。

「ヘヤッ!」

 触手の攻撃を腕で受け止めて、ダイナは再度反撃に出た。さっきよりも力を込めてパンチを打ち込み、猛烈なラッシュを繰り出した。

 だが、ゴーデスにはそれでもダメージは見えない。さらに、ゴーデスの眼が赤く光った瞬間、ダイナはなにかに弾き飛ばされたように大きく吹き飛ばされてしまった。

「ノワアアッ!」

「アスカ! 今のって、念力? なんてパワーなのよ」

 魔法にも、念力といって手を触れずに物を動かすものがあるためにすぐにゴーデスが何をやったのかを理解できたが、そのあまりのパワーにルイズが驚愕したように叫んだ。

 やはりこいつは強い。巨体ゆえに鈍重に見えるが、ほかの能力でそれを補ってあまりある実力を持っている。

「でも、それがなんだっていうのよ。アスカのおかげで詠唱の時間は十分にとれたわ、ちょっときついけど今日二回目のフルパワーのエクスプロージョン、受けてみなさい!」

 練り上げられた精神力が魔力の奔流へと変わって解き放たれ、巨大な爆発がゴーデスの頭部を中心にして炸裂した。

「どうよっ!」

 精神力の消費は痛かったが、今のエクスプロージョンにはじゅうぶんすぎるほどの容量を込めた。魔法の扱いにも以前より習熟してきているはずなので、以前ゾンバイユを倒したとき以上の破壊力があるはずだ。

 これが効いていないはずがない。ルイズは確信を込めて煙が晴れるのを待ったが、彼女の期待を打ち砕くようにおどろおどろしい声が響いた。

「無駄だ」

「なっ、んですって」

 なんと、直撃を受けたはずのゴーデスには焦げ痕ひとつ見えなかった。なんで!? ゴーデスはエクスプロージョンに耐えられるほどに頑丈だというのか? いや、まさか。

 ルイズは、自分が導き出した仮説に愕然としたが、それを口にする前にゴーデスの眼がルイズを睨んで再び光った。

「きゃああっ!」

 強力な念力に吹き飛ばされて、ルイズは数十メートルを吹っ飛ばされて地面を転がった。だが、ルイズは衝撃で目がくらみはしたものの、地面がゴーデスが荒らしたおかげで砂漠となっていたために幸い怪我がなく済んだ。皮肉なものだが、それにルイズ自身が小柄で余計なでっぱりがなかったおかげで、転がっても大丈夫だったのだ。

 しかし、ゴーデスはルイズが無事なのを見ると、眼からの破壊光線の狙いをルイズへと定めた。

 あれを受ければ生身のルイズはひとたまりもない。だが、そうはさせじとダイナがゴーデスへと向けて腕を十字に組んで必殺の一撃を放つ!

 

『ソルジェント光線!』

 

 ダイナの十八番、先ほどバランガスも倒した必殺光線がゴーデスの胴に真正面から突き刺さった。

 今度こそどうだ! ゴーデスはルイズを攻撃しようとしていたふいを突かれて完全に無防備でこれを受けてしまっている。並の怪獣なら粉々に粉砕し、よほどに頑丈な怪獣でも倒してきたこの一撃に、ダイナは渾身の気合を込めていた。しかし。

「だめよアスカ! そいつは攻撃のエネルギーを吸収しているわ」

「ヘアッ!?」

 ダイナはルイズの叫びに驚いて見てみると、確かにソルジェント光線はゴーデスの体に当たってはいるものの、まるで砂に水を撒いているように吸い込まれてしまっている。

 光線が効かない! そうか、さっきルイズのエクスプロージョンが通用しなかったのもだからかと、ダイナも合点した。

 ゴーデスは熱や電気をはじめ、あらゆるエネルギーを吸収して我が物にできる力を持っている。火山から出現したのも、地熱のエネルギーを復活に利用するためだったのだ。

「と、ということは、攻撃すればするほど奴にエサをやるようなものだってことかよ」

「わたしのエクスプロージョンも、魔法の力そのものを飲み込まれてしまったんじゃあ効果があるわけないわ。なんてバケモノよ、こんなのどうやって倒せっていうの!」

「いや、打つ手はまだあるぜ!」

 悔しがるルイズに、ダイナは頼もしい声で「俺にまかせろ」とでも言うふうに呼びかけた。

 そして、ダイナは腕を胸の前で交差して精神を集中する。すると、ダイナの額のクリスタルがまばゆい輝きを放ち、ダイナはフラッシュタイプから青い姿のミラクルタイプへとチェンジした。

「そっか、よーしやっちゃえアスカ!」

 ルイズはダイナの狙いを察して歓声をあげた。いくら頑丈な怪獣であろうとも、あれならば。

 ミラクルタイプに変わったダイナに対して、ゴーデスは動じた風もなくじっとダイナを睨みつけている。

「変わった……?」

 ゴーデスにはダイナのタイプチェンジの意味がわからないようだ。が、それならそのほうが都合がいい。ゴーデスはその巨体ゆえに回避行動などはとれないだろうが、有利な要素はひとつでも多いほうがいい。

 ダイナはゴーデスに狙いを定めて、右手にエネルギーを集中させた。オレンジ色の輝きがダイナの手に集まり、ダイナはそのエネルギーを光線に変えてゴーデスに向けて発射した。

 

『レボリュームウェーブ・アタックバージョン!』

 

 着弾場所からマイクロブラックホールを作って相手を吸い込み、消滅させてしまうこの技ならば相手の防御力など関係ない。再生能力を持つギアクーダのような始末に悪い怪獣も倒してきたこの技なら、いくらゴーデスがエネルギーを吸収できるとて異空間に送り込んで処分してしまうことができる。

 ダイナとルイズはこのとき勝利を確信した。しかしそのとき、信じられないことが起こった。

「ヘヤッ!?」

「なっ! 怪獣の死骸を、盾に!」

 なんと、レボリュームウェーブが当たる直前に、ダイナに倒されて横たわっていたバランガスの死骸が宙を飛んでゴーデスの前に立ちはだかり、盾となってしまったのだ。

 さっき使った念力で怪獣の死骸を動かしたのか! いけない、あれでは!

 しかし遅かった。当然、レボリュームウェーブはバランガスの死骸に当たってマイクロブラックホールを作り、バランガスの死骸のみを吸い込んで終わってしまったのだ。

 失敗だ! 健在なゴーデスの姿に、ダイナとルイズははらわたが煮えくり返る思いをしたが、相手のほうが一枚上手であったと認めるしかなかった。

 ゴーデスはレボリュームウェーブを放った直後で隙だらけのダイナに向けて、お返しとばかりに眼からの破壊光線を浴びせてくる。避けることもできずに体から火花を散らせ、ダイナの巨体がよろめき倒れた。

「ウワァッ!」

「アスカ! いけない、これじゃあそろそろ」

 ルイズの危惧はすぐさま現実のものとなった。バランガスからの連戦に加えて、光線技の連発でダイナのカラータイマーが点滅を始めてしまったのだ。

 レボリュームウェーブも不発に終わり、ルイズの精神力も二発のエクスプロージョンで尽きた。対して、ゴーデスにはまだわずかなダメージもない。

 このままじゃやられる。ルイズは、せめてここにサイトがいてくれたらと一瞬思ったが、すぐにその甘えを振り払った。

”だめよ、簡単にサイトをあてにしちゃ! そんなんじゃ、トリステインに戻れてもまた同じ失敗を繰り返すことになるわ。わたしは、ひとりでもできるだけやれることをしなくちゃ”

 ルイズは自分を叱咤して、残り少ない精神力を振り絞ってゴーデスの注意を引こうと小さなエクスプロージョンを連打する。ゴーデスがエネルギーを吸収するのだとしても、今はダイナへの追い討ちを防ぐほうが先決だ。

 だがゴーデスはエクスプロージョンを意に介さず、ダイナへと触手の先を向けると、ダイナを青く輝くエネルギーのドームへと閉じ込めてしまった。

「ヌアァッ」

 ゴーデスのエネルギードームはダイナをすっぽりと包み込み、完全にダイナの動きを封じるだけでなく、ダイナのエネルギーをも急激に消耗させていった。

 カラータイマーの点滅が見る見るうちに早くなり、ダイナの体から力が抜けていく。ダイナはミラクルタイプのテレポーテーションで抜け出そうと試みたが、すでにそれだけのパワーも残されてはいなかった。

「アスカ!」

「ル、ルイズ……うわぁぁぁ!」

 ルイズの叫びもむなしく、ダイナはエネルギードームに閉じ込められたまま、ドームごと縮小されてゴーデスの体へと吸い込まれてしまった。

「アスカ! アスカァーッ!」

 悲鳴のようなルイズの叫びに、もうダイナの答える声はない。対して、勝ち誇るように惑星の大気に響き渡るゴーデスのうなり声。ルイズはその光景をただ見守ることしかできなかった。

 

 ダイナを退けたゴーデスの強大な力は、次に惑星の環境を一変させようとしていた。

 莫大な熱エネルギーを我が物としたゴーデスは、惑星の大気を燃焼させ、星の生命を守るオゾン層を崩壊させようとしている。

 星の大地はゴーデスに呼応するかのように激震し、山は崩れ、木々は倒れ、無数の地割れが走る。

 空は赤く染まり、ルイズはのどを押さえて息苦しさを感じ始めた。小さな星ゆえに、火山の燃焼が酸素を奪いつくそうとしているのだ。

 

 地獄へと転落していく星の有様の中で、ゴーデスだけが悪魔のように巨体を聳え立たせて君臨している。奴は惑星を崩壊させて、星の生命体を全滅させると同時に、惑星が自壊する際のエネルギーを利用して再び外宇宙へと飛び立とうともくろんでいた。

 ルイズには、もちろんそんなゴーデスの目論見などはわからない。だが、このままゴーデスをそのままにしておいてはいけないという使命感がルイズを立たせた。

「まだ、息はできるわね。なら、まだ間に合うってことよね」

 勝算などが頭にあったわけではない。今、戦うことができるのは自分だけだと、自分で自分に言い聞かせていただけだ。

 本心では泣き叫びたい。才人に助けを求めたい。けれど、いつまでもそんな弱い自分でいるわけにはいかない。弱いままの自分じゃ才人を誰かに取られてしまう。お母様がお父様を支配しているように、才人は誰にも渡さない。そして、自分の信じる貴族の誇りと、才人の信じる正義も、ここで譲るわけにはいかない。だからルイズは立つ。

 わたしはあきらめない。見てて、サイト!

「いちかばちか、三発目のエクスプロージョンを食らわせてやるわ。あんたが吸収しきれるか、わたしが燃え尽きるか、最後にきれいな花火をあげようじゃない!」

 女ならまず実行あるべきと、ルイズはもう魔法を使えるような状態ではないにも関わらず、乾ききった井戸の底を掘り返すように呪文を唱え始めた。

 常識的に考えて魔法が成立する可能性すら低い。自爆に終わる可能性がほとんどだ。それでもルイズには、泣き寝入りという選択肢はなかった。

 

 ところが、闘志を込めてゴーデスを見上げるルイズに、ゴーデスは意外にも穏やかな声色で語りかけてきた。

「なぜ、あきらめない?」

「なんですって?」

「一人になって、なぜお前はあきらめない?」

 唐突なゴーデスからの問いかけに、ルイズは思わず問い返してしまった。なぜ、わざわざそんなことを聞くのだ?

「お前はなぜあきらめない? ウルトラマンが倒れ、もはやお前はひとりだ。なのに、なぜ無駄なあがきを続けようとする?」

「どうしてそんなことを聞くの? 余裕でも見せてるつもりなの?」

「……私はどこかでそれを問われたような気がするのだ。いつか、私がまだどこかで存在したときに、私に誰かが問いかけた……お前はひとりだ、たったひとりでお前は生きていけるのかと……」

 ルイズは、それがゴーデスが滅びる前の記憶だと気づいた。本能に従って動いているゴーデスの心のどこかで、その失われた記憶が引っかかっているらしい。

 しかし、まるですがるような声だとルイズは感じた。ゴーデスにはこの星で再生する以前の記憶がない。自分が何者かもわからず、ただ本能に動かされるままに暴れている。それはもしかしたら、とても悲しいことなのではないだろうか。

 呪文を唱えるのをやめて、ルイズはゴーデスと向き合った。体格だけで七十倍もある両者が、同等の眼光で互いを見つめている。ルイズは、ゴーデスの赤い眼を見上げて言った。

「わたしが戦うのは、自分の信念と、なすべき使命があるからよ。それを果たさない限り、わたしは倒れない」

「使命、使命なら私にもある……だが、なぜ私の心はざわめていて収まらない?」

「もちろん、わたしの戦う理由はそれだけじゃないわ。わたしが戦うのは、何よりもわたしの仲間のためよ。わたしが倒れたら、あんたはわたしの仲間も滅ぼそうとするでしょう、だからわたしはあきらめない!」

「仲間? 仲間とはウルトラマンのことか? ならば、お前が戦う必要などはない。見るがいい」

 ゴーデスがそう言うと、空にゴーデスに吸収されたダイナの様子がスクリーンのように投影された。

「アスカ!」

 ルイズの見上げる前でダイナは戦っていた。ゴーデスの体内で小人のように縮小され、エネルギードームに閉じ込められたままでありながらも、必死に拳を振るい、蹴りを繰り出して戦っている。

 しかし、ダイナの攻撃は対象を掴んではいなかった。パンチもキックもすべて宙を切り、まるでダイナが独り相撲をしているようにしか見えない。

 いったいダイナは何と戦っているの? ルイズの疑問に、ゴーデスは答えた。

「奴は、私の中で、奴の記憶から生み出した過去の戦いの幻影に襲われている。しかし、幻影は幻影、いくら抗っても自分が傷つくだけだ」

「なんですって! アスカ気づいて! あんたが戦ってるのは幻なのよ。このままじゃ、幻影に取り殺されてしまうわ」

 もちろんルイズの声はダイナには届かない。その間にも、ダイナはかつて戦ってきた怪獣や宇宙人の幻影に襲われ続けていた。

「くそっ、どうなってやがるんだ。ナルチス星人にバゾフにマリキュラにトロンガーに、お前たちはみんな俺が倒したはずだぜ!」

 いくら否定しても、ダイナの眼にはかつて倒した敵が化けて出たようにしか映らなかった。そして、襲ってくるのならばダイナも反射的に反撃しなければならない。だが、幻影に向かっていくら反撃しても無駄なことはゴーデスが言ったとおりだ。

 このままではすぐにダイナは力尽きてしまう。それをあざ笑うかのようにゴーデスはルイズに告げた。

「さあ、お前もあきらめて私と一体となるがいい。そしてすべての宇宙がひとつになれば、もう仲間を思う必要もない。素晴らしい世界が待っているぞ」

「……バカね。ゴーデス、あなたはわたしが見てきた中でも一番のバカ。いえ、哀れと言ったほうがいいかしら」

「なんだと」

 ゴーデスの誘惑を真っ向からルイズは撥ね退けた。そして、真っ直ぐにゴーデスを睨みつけて言い返す。

「すべての宇宙をひとつにする? すべてがひとつになったら、それは結局ひとりぼっちってことよ。誰かを思うこともできないってことは、怒ることも憎むこともできないってこと。もちろん誰かを愛することもできない。そんなの道端の石ころと同じよ。そんなのが素晴らしい世界だなんて、笑わせるわ!」

「むうぅぅぅ。だが! お前たちはこうしてバラバラでいるがために苦しみ続けているではないか。ひとつになることを拒むなら、ちっぽけな弱い存在のままでいることも苦痛ではないのか」

「そうね、確かにわたしたちは弱い。苦痛も孤独も数え切れないほどあるわ。けどねゴーデス、それでもあんたの言うすべてがひとつになった世界より、絶対に素晴らしいものが確実にひとつあるわ」

「それは、なんだというのだ?」

 いつの間にか、ルイズの言葉がゴーデスを圧倒していた。ゴーデスはルイズの言葉に、すべてがひとつになったあとの”無”の世界を想像して動揺している。

 すべてが自分と一体化した世界。それは確かにパーフェクトな世界ではあろう。だが、人は孤独には耐えられるが、それは絶対的なひとりぼっちというわけではない。たとえ深山にこもっている仙人だとて、日の出と夕暮れを見て、風を感じ、鳥のさえずりを聞いて心を動かすことで自分を認識し、生きている。ゴーデスの世界では何も見えず、何も聞こえず、何も感じられない。

 そんな世界で生きていても、なにになるというのだ? ゴーデスの心に、ひとつの言葉が蘇ってくる。

『全宇宙を吸収すれば、お前はひとりだ。友達すらいない世界で、たったひとりで生きていけるのか?』

 ゴーデスは言い返すことができなかった。そして今、ルイズはゴーデスに対して、自分自身の答えを叩き付けた。

「あんたなんかに頼らなくたって、わたしたちはひとつになることができる。体が別々でも、互いを思いあえば心はつながることができる。思いあえる人がいれば、孤独はないわ」

「なにをたわ言を!」

「だったらわたしを見てみなさい! わたしは今たったひとりよ。けど絶対にあんたには屈しない。サイトなら、わたしが絶対にあきらめないって信じてくれているから、この場にいなくたってわたしは勇気をもらえる。ウルトラマンだってそうよ。あんたの中で傷つきながらもひとりで戦い続けてる。それはダイナにも、遠くで帰りを待っている仲間がいるからよ」

 ルイズはアスカから、地球に想い人を残してきてしまっていることを聞いたことがある。けれど、アスカはつらそうな様子を見せたことは一度もない。ルイズが、才人と離れ離れになって胸が締め付けられるような思いをしているというのに、なぜそんなにも平然としていられるのかと尋ねると、彼はこう言ったのだ。

「だって、俺がしょんぼりしてたらリョウの奴にどやされるからな。それに、リョウだけじゃない。俺の仲間たちは俺がいなくなった後でも、俺のことを忘れずに今でも戦い続けてるに決まってる。俺があいつらならきっとそうする。みんなの心が、遠く離れていたって俺にはわかるんだ。だから俺は寂しくないし辛くもない。いつか帰る日が来るまで、どれだけ長くたって旅をしていけるんだ」

 アスカの言葉に、ルイズは自分を恥じた。たとえ自分がいなくなっても、才人やみんなが足を止めるわけがない。落ち込んでいる自分を見たら、才人になんて言われるか。

 遠く離れることが別れではない。心を感じることができれば、距離など無関係だとルイズは叫んだ。

「ゴーデス! あんたに教えてあげるわ。いっしょにいるだけがすべてじゃない。本当に思う気持ちがあれば、どんなに離れていたって心は届くのよ。いえむしろ、遠く離れればこそ大切な人の想いを知ることもできる。そこに孤独なんてない。ゴーデス、あなたにはそんな仲間がいるの? いないから力での統一を望むんでしょう。だけどそれじゃあ、あんたの望む世界なんて永遠に来ないわ!」

 ルイズの告げた言葉に、ゴーデスは苦しむようなうめき声をあげてもだえはじめた。

 ゴーデスには知恵がある、理性がある。だからこそ、ルイズの問いかけに答えを出すことができなくて苦しんでいるのだ。

 声にならない声をあげて苦しむゴーデス。その動揺に共振しているように、大地の震えは高まり、空には無数の雷鳴と稲光がひらめく。奴が自分の能力のコントロールを失いかけているのだ。

 そしてゴーデスの動揺の影響は、奴の体内に捕らわれているダイナにも及んだ。

「なんだ、急に体が軽くなったぞ。それに、怪獣たちはどこへ? そうか、あれはみんな幻だったのか! きっとルイズがなにかやってくれたんだな。ようし、いまだ!」

 拘束から解放されたダイナは、残りのパワーを振り絞ってゴーデスの体内で一気に巨大化を試みた。

 体内での質量の膨大な膨れ上がりには、いくらエネルギーを無尽蔵に吸収するゴーデスの肉体とて耐えられない。ゴーデスの巨体が震え、全身から炎が噴出したかと思われた次の瞬間、ゴーデスは一瞬のうちに大爆発を起こして微塵に砕け散ったのだ。

 そして、飛び散るゴーデスの破片の中から雄雄しく飛び立つウルトラマンダイナの雄姿。

「や、やった。ゴーデスを、倒したんだわ」

 ゴーデスは粉々の塵となり、風の中に消滅していく。どんな攻撃も効かないゴーデスを倒せる唯一の方法は、奴の体内から破壊することだったのだ。

 戦いを終えて、飛び去っていくダイナ。星の環境もゴーデスの干渉がなくなったおかげで沈静化へと向かい、星はなんとか崩壊寸前で救われることができた。

 

 

 平和を取り戻した名もなき星。激戦が嘘だったかのような静けさにあたりが包まれる中で、変身を解いたアスカはルイズからゴーデスと会話したことを聞いていた。

「そうか、あのゴーデスの奴がそんなことを……ともかく、ルイズがゴーデスの気を散らしてくれたおかげでなんとか脱出できたぜ。ありがとよ」

「わたしはわたしの信念をしゃべっただけよ。でも、ゴーデスの奴も、なんというか、哀れな奴だったかもしれないわね」

「そうだな……」

 アスカは足元に散らばっていた、ゴーデスの灰の最後の一掴みを手のひらに掬い上げて見つめた。

 ゴーデスがどこで、どうして生まれたのかはわからない。しかし、奴にとって唯一の生きる目的が、最後には自分自身をも破滅させてしまう道であることを知らずにきたとしたら、それほど虚しいことはないだろう。

「ゴーデスに同情してるの?」

「さあなあ……けど、正しいことだって一心不乱にやってきたことが実は大間違いだったなんてこと、よくあるんじゃないのか。俺にも、お前にもさ」

「ええ、わかるわ」

 ルイズは苦笑交じりにうなづいた。貴族の義務を唯一無二と信じ込んでいた頃の自分は、形は違えどゴーデスと重なるものがある。アスカだって、しゃにむに突貫するばかりで失敗を重ねたことが幾度もあった。

 人は、間違いと知りながら罪を犯す場合と、しっぺ返しを喰らうまで間違いと気づかない場合の二つがある。前者は完全に自業自得だが、後者を体験したことのない人間など存在しないだろう。

 若いうち、人間はその手のバカをよくやる。自我が未成熟なうちは、怪しげな思想にかぶれたり、奇天烈な言動や行動を恥ずかしげもなくとるが、やがて自分の愚かさに気づいて目を覚ます。目覚められなかったものに待つのは、自滅の道だけだ。

「ゴーデスは、仲間が自分にいないことにうろたえていたわ。自分の間違いを誰にも言い当ててもらえなかったから、ああなちゃったのかもね」

「かもな、けど、戸惑っていたってことは自分のやっていることに迷いができたってことだろ。だったら、希望があるかもしれないじゃないか」

「え?」

「ゴーデスが完全に死んだとは限らねえ。あいつはまたどっかで蘇るかもしれねえ。だったら、次に生き返るときが悪党でもいい。次の次に生き返るときも悪党だっていいさ。けど、その度に少しずつ迷って考えていって、いつかはいい奴になって生まれ変われればいいじゃねえか。俺たちウルトラマンは、何度だって付き合ってやるからさ」

 そう言って、アスカは手のひらの上の灰をふっと吹き飛ばした。灰は風に乗って舞い散り、ゴーデスの痕跡は完全に消えてなくなった。

 ルイズは思う。ゴーデス、その存在は邪悪そのものであったが、奴との戦いで学んだものは大きかった。どんなに邪悪で強大であろうとも、生命である以上、他者の存在なくしては生きていくことはできない。

 今は安らかに眠りなさいと、ルイズはゴーデスの冥福を祈った。またどこかで会い、戦う日が来たならば、そのときはまた全力で相手をしてやろう。迷いとは、変革の兆しであるのだから。

 そして、ルイズとアスカの旅立ちの時が、また訪れたのだ。

「さあて、この星での俺たちの役割も終わりだな。行こうぜルイズ、また次の宇宙へな!」

「違うでしょ! わたしが行きたいのはハルケギニアだけよ。っとに、ほんとにいつかハルケギニアに戻れるんでしょうね。このまま五年も十年も連れまわされて、やっと戻ったときはおばあさんになってたなんてことになったらどう責任とってくれるのかしら!」

「心配すんな。俺のカンじゃ次あたりにハルケギニアのある宇宙にたどり着けるはずさ。まあ行こうぜ、俺たちの戦いはこれからだ!」

「その台詞を何回聞いたと思ってるのよ! バカアスカぁぁぁーっ!」

 ついにキレたルイズの失敗魔法で吹っ飛ばされていくアスカの悲鳴が、悲しく青い空に吸い込まれて消えていった。

 

 ルイズとアスカの旅が、これからどれだけ続くかはわからない。しかし、二人が歩みを止めることはないだろう。なぜなら、ゴールは駆け抜けた先にだけ存在するものなのだから。

 確かなのは、この日、宇宙のはずれの名もない星がふたりの活躍で救われた。荒らされた環境は、星自体の再生力と住民の努力で蘇っていくだろう。そして、宇宙のはずれの小さなオアシスが、旅人たちをこれからも癒していくことだろう。

 

 

 しかし、悪の手が迫るハルケギニアに残された時間はもう少ない。急げルイズよ、故郷は君の帰りを待っている。

 

 

 続く



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第42話  ブリミルの秘宝の秘密

 第42話

 ブリミルの秘宝の秘密

 

 バリヤー怪獣 ガギⅡ 登場!

 

 

 ハルケギニアは今、聖戦という巨大な嵐に巻き込まれようとしていた。

 教皇ヴィットーリオの放った勅令によって、ハルケギニアのすべての国家に対エルフの挙兵が命じられ、史上空前の規模の戦争が巻き起ころうとしているのだ。

”世界を覆う暗雲を作り出したのはエルフの仕業である。今こそハルケギニアの民は力を合わせてエルフを討つべし!”

 教皇が見せたという天使の奇跡とともに、ハルケギニアの津々浦々にまで聖戦参加の激が届くのに時間は必要としなかった。

 神に忠誠を示すための義勇兵として集まる人々や、功を狙った貴族や傭兵は即座にロマリアに従うことを高らかに叫び、ロマリアには膨大な数の兵力が集まりつつある。

 むろん、エルフにはかつて人間は一度も勝利したことはなく、その圧倒的な実力を恐れる者も多かった。だがロマリアは神の祝福を受けた教皇の魔法はエルフの先住を上回ると高らかに宣伝し、同時に聖戦に非協力的な者は異端の疑いがあるとして、飴と鞭を使い分けて人々を意のままにさせていったのだ。

 その巨大な流れはハルケギニアにとどまらず、噂に流れてサハラにも伝わっていた。

 ネフテスの評議会では人間世界での大きな動きに、エルフの議員たちがどう対応するかの会議が開かれていたが、うろたえる議員たちに対してテュリューク統領は不思議なくらい悠然としていた。

「まあ諸君、そう金切り声をあげて議論しなくてもよかろう。もう少し落ち着いてみてはどうかね?」

「統領閣下、なにをのんきなことをおっしゃっているのですか。蛮人どもが我々に濡れ衣を着せて攻めてこようとしているのですぞ? 我々の兵力の再編がまだ中途半端な今、これは大変な事態ではありませんか!」

 しかしテュリュークは気にした様子もなく、むしろできの悪い生徒に教え諭す教師のように言った。

「戦争になってしまえばその時点で終わりじゃよ。我々が勝つにせよ彼らが勝つにせよ、双方被害は甚大というものでは済むまい。そうなれば必ず第三勢力が漁夫の利を狙って割り込んでくるじゃろう。戦争の勝ち負けなど関係なく、それで世界は終わりじゃ」

 議員たちは言い返しようもなかった。第三勢力がなにを指しているかということは今さら説明されるまでもない。戦争が始まれば、確実にテュリュークの言ったとおりになってしまうだろう。

「では議長、我々はこのまま手をこまねいて待っていろというのですか?」

「そうは言っておらん。しかし、我々から動くのはまだ早いということじゃ。しばらくは情報を集め、様子をうかがっておこうではないか。わしはすでにビダーシャル君に頼んで蛮人世界の動静を探ってもらっておる。どうやら蛮人たちの中にも、戦に反対の者がまだ数多くおるようじゃ。今は、彼らの行動力に期待してみたいとわしは思う」

「もしも、その蛮人の反対派が敗れた場合はどうするのですか?」

「説明しないとわからぬかね? だが、わしは賭けてみるだけの価値はあると信じておる。彼らの勇士はほんの少し前に、このアディールに乗り込み、我らエルフの心を動かすという大事を成し遂げた。その手腕にもう一度期待してみようではないか」

「ううむ……ですが、危険すぎる賭けではないでしょうか」

「当然じゃ、だが我々には効果的に蛮人世界に干渉する術がないのも事実じゃ。とはいえわしは、これがむしろいい機会ではないかとも思っておる。蛮人、いや人間たちが我々と対等な生き物であるか、それとも進んで自滅したがる愚かな動物であるのか、この騒乱を収められるか否かで本当にはっきりするじゃろうて」

 そう言うとテュリュークは、乾いた喉を潤すためにテーブルの上に置かれていた茶をぐいっとすすった。その味は悪くなかったが、時間が経ちすぎていたために議員たちの心情を映したように生ぬるかった。

 聖戦を起こそうなどというだけの兵力が、一朝一夕で整えられるわけがない。実際に奴らがサハラに侵攻してくるにはまだ数ヶ月の準備期間がいるはずだ。それだけ時間があるとも言えるが、一方的にこちらを敵とみなしてくる以上は話し合いが通用する相手とは思えないし、たとえば今から教皇を暗殺したりなどをやってみても火に油を注ぐようなものだ。かといって降伏などということができるわけもない。

 会議はそのまま特に目立った成果もないままに閉会し、しばらく様子を見るという、なんの変化もないことをネフテスは続投しただけだった。

 だが今はそれでいい。今下手に動けば、かえって聖戦推進の人間たちを刺激することになる。

「まったくわしも、大変なときに統領なんぞになってしまったものじゃわい。じゃが、もしも人間たちがこの難局を乗り越えることができたら、幾千年繰り返された彼らと我々との争いも終わりにすることができるやもしれん。やってみせい、小僧っ子ども、これから先の時代を作るのはわしらじゃのうてお前たちじゃからの」

 はるか西の空を望んでテュリュークはつぶやいた。時代は入れ変わらなければいけない。古い世代から新しい世代へ、そして新しい世代が新しい時代を切り開くには試練を乗り越える必要がある。

 若者が大人に成長して時代を切り開くか、それとも未熟な若者から脱皮できずに時代に押しつぶされて終わるか、歴史の女神は非情にジャッジを下すだけだ。

 

 こうしているあいだにも、ビダーシャルは国境沿いのエウメネスという街を拠点にしてハルケギニアの情報を集めてくれている。

 人間とエルフは完全に断絶されてきたというわけではなく、一部では交流が続けられてきた。商人の噂は、軍隊の伝達よりも時に速くて信頼性がある。ハルケギニアで何かあった場合には、ここが有力な情報源になるのだ。

 商人の口を通じて、ハルケギニアの各国が武装を増強し続け、武器商人たちが需要に追いつけなくなっているという話が日々大きくなっていくのをビダーシャルは苦い面持ちで聞いていた。このままでは、このエウメネスまでもが戦火に巻き込まれてしまう日も遠くないことだろう。

 だがそんなある日、変わりばえのしなかった情勢が大きく動いたことを知らせる情報が飛び込んできた。

「戦争だあ戦争だあ! 大変だあ! トリステインとアルビオンがロマリアとガリアを相手に戦争おっぱじめやがったぞお!」

 話が入ってくると、ビダーシャルは即座に複数の人脈を通して話の裏を取り、信憑性の高い情報を纏め上げた。間違いなく、ハルケギニアの内部で激変が起きたらしい。しかも、自分たちにとって恐らくは追い風になるであろうことが。

「このとおりならば、聖戦とやらの計画も根底から見直さねばならぬだろうな。いや、教皇が真に悪魔的な存在であるならば、ようやくこれで対等な立場に持ち込めただけかもしれん。ともあれ、これを人間たちの『物語』で表すのならば『劇的な変化』というところか。思えば、直前にファーティマを送り込めたのも、大いなる意志の導きやもしれん」

 人間たちが運命と呼ぶものがあるとすれば、それはなんと巧妙に作られているのかとビダーシャルは思った。

 サハラを滅亡に導こうとする危機が目の前に迫っているというのに、自分たちができることは実質なにもない。あるとすれば、ハルケギニアに行っているファーティマやルクシャナたちの活躍に賭けるだけだ。

「大いなる意志よ、我が姪と友人たちに良き巡り合わせを与えたまえ、彼女らを守りたまえ」

 西の空のかなたにいるであろうルクシャナたちの活躍と無事を願ってビダーシャルは祈った。

 

 

 エルフが見守る中で、聖戦という最悪の運命の分岐点に立つハルケギニア。その内部では、まさに激動に言うにふさわしい騒乱が始まろうとしていた。

 事の起こりはビダーシャルの知る数日前、トリスタニアで行われた女王アンリエッタの演説から幕を開ける。

「我が親愛なるトリステイン国民の皆さん、本日は皆さんに大切なお話があります。貴族、平民、老若男女問わずにすべての方々に聞いてもらうために、わたしはこうして場を設けました。わたしの声は魔法器具を通して、トリステイン全土の街や村にも同時に届けられています。どうか少しの間、わたしの声に耳を傾けてくださいませ」

 嘘偽りなく、トリステイン全土に広がるアンリエッタの声。ラグドリアン湖から引き上げられた艦艇に取り付けられていたスピーカーを参考に作られた王立魔法アカデミーの努力の結晶は、まだ実験段階ではあるが十分にその性能を発揮してくれていた。

 ただし、無線ができるほど便利にはまだできていないため、国の全土にケーブルを引くためにアカデミーと魔法騎士隊がこの三日ほど不眠不休で働いた。それだけのことをするほどに、これから始まる演説には価値があるということだろう。

「皆さん、今現在の世界を包む危機的状況は周知のことでしょう。そしてそれに対して、ロマリアの教皇聖下がエルフに対しての聖戦の参加を呼びかけていることも、知らない人はいまやいないと存じます。今日は、我がトリステインの聖戦に対する意思を、全国民に表明しようと思います」

 やはりそれか、とうとう来たか、と国民の誰もが思った。

 トリステインはこれまで、聖戦に対する意思を明確に表明せずにあいまいにしてきた。国外から入ってくる噂や新聞記事などでは、ゲルマニアで有力貴族が結集し始めたとか、ガリアで大衆を相手に志願兵を集めだしたなど、ぶっそうな話が次々に聞こえてきていたために、遠からずトリステインでも軍を大きく動かすだろうと皆が予想してきたのだが、とうとう来たのか。

 ごくりとつばを飲み込む人間が、このときトリステイン中で星の数ほどいただろう。しかし喜ばしく考えている者はそうは多くない。戦争というものが、どれほどの負担を大衆にもたらすのかは、ハルケギニアの人間には身近な問題なのだ。

 確かに世界の脅威は取り除かねばならない。自分の家族や恋人のためなら聖戦も辞さずと考えている正義感の強い者も多いが、犠牲なしで済ませることはできない。もしそんなことができるなら聖戦は教皇ひとりで十分だろう。

 だがそれでも、女王が参戦の宣言をすれば、数多くの人間が聖戦に参加するだろう。空を不気味な虫の黒雲が包んで何ヶ月も晴れないという明確な危機感、ロマリアの教皇が奇跡を見せて元凶はエルフだと示したことによる敵愾心は、トリステインの一般市民にもそれほど強く根付いていた。

 だが、トリステイン国民たちの予想は、女王の想像を絶する宣言によって打ち砕かれた。

 

「わたし、トリステイン女王アンリエッタ・ド・トリステインは、その名において宣言します。ロマリア教皇ヴィットーリオ・セレヴァレ聖下の発した聖戦への”不参加”を! そして今日この日を持って、教皇聖下に対して我がトリステインは宣戦を布告いたします!」

 

 なっ!? と、数百万のトリステイン国民が貴族平民問わずに絶句し耳を疑った。

 どういうことだ? 聖戦に不参加? それどころか、教皇に対して宣戦布告? つまりロマリアに、ブリミル教に反抗するということか? なぜ?

 人々は混乱する頭で考えたが、納得のいく答えは女王が狂ったというくらいしか思いつかなかった。しかし、アンリエッタの言葉は冷静なままで、魔法の送話装置から続いた。

「驚かれたことと思います。しかし皆さん、わたしは決して乱心したわけでも、ましてブリミル教への信仰を失ったわけでもありません。ですがこれからお話することは、さらに皆さんを驚かすこととなると思います。ですがどうか落ち着いて、最後までわたしの話を聞いてください。はっきりと申し上げます。聖戦を布告したロマリア教皇ヴィットーリオは、人間ではありません! 我々の信仰心を利用し、自作自演の奇跡で騙して聖戦にでっち上げ、エルフと人間の共倒れを狙う異世界からの侵略者です!」

 トリステイン全土に、悲鳴にも等しい叫びが轟いたのは言うまでもない。

 教皇陛下が人間じゃない? 女王陛下は本当に狂ってしまったのか? いや、しかしそんな。

 混乱する人々に対して、アンリエッタの言葉は続く。

「驚かれていることでしょう。わたしも最初は信じたくはありませんでした。ですが、考えてみてください。このハルケギニアを、ヤプールのような侵略者が我が物としようとするならば、誰を抑えるのが一番都合がよいのかと? そして、教皇が侵略者の手先であるという確かな証拠をお目にかけましょう。どうか、空を見上げてください」

 人々は言われるがままに空を見上げ、屋内にいた者も一様に外に飛び出るか窓を開いた。

 もう人々の関心はただ一点に集中していた。すなわち、ハルケギニアの民にとって絶対である教皇と、敬愛する女王のどちらが正しいのかと? それは自らの運命にも直結する。証拠を見せてくれるというのであれば、見ないわけにはいかない。

 

 国民の関心を一身に集めたアンリエッタは、街を見下ろす王宮のバルコニーで今、トリスタニアの民の前に身をさらしていた。

「女王陛下! 女王陛下! 女王陛下! 女王陛下!」

 アンリエッタの視界を、数え切れないほどの民衆が蟻の群れのように埋めている。トリスタニアの道という道には人があふれ、屋根にも多くの人が上っているのが見える。トリステインの人口からすれば氷山の一角に過ぎないはずだというのに、アンリエッタはまるで全世界の中心に自分が放り込まれてしまったかのような錯覚を覚えた。

”お母様、ウェールズ様、どうかわたしに勇気をくださいませ”

 表情には毅然とした気高さを見せながらも、内心では押しつぶされそうなプレッシャーとの戦いが続いている。いくら彼女が若くしての名君と世間ではたたえられていても、心のうちはまだまだ未熟さを残す十代の少女なのだ。

 できるならば逃げ出したい。しかし、逃げるわけにはいかない。後ろでは、マザリーニ枢機卿や大臣らが緊張した面持ちで見守っているし、見えない場所でもカリーヌやアニエスらが万一の暗殺や妨害を未然に防ぐために張り込んでくれている。失敗したとしても二度目はないのだ。

 民もまた、女王陛下の言葉を一言も聞き逃すまいと緊張して待っている。ただの戦争の話であれば、裏路地の浮浪者などは我関せずと昼寝でもしているだろうが、今回は事と次第によってはトリステインという国が文字通り消し飛ぶかもしれないという大事態だ、影響を受けない者などいるわけもなく、日ごろはふてぶてしい態度をとっている裏路地の武器屋の親父も落ち着かない様子で空を見上げ、荒くれの集まるチクトンネ街でも魅惑の妖精亭の全員が外に出て王宮の方角を望んでいた。

「お父さん……」

「大丈夫よ、ジェシカちゃん。私たちは女王陛下を信じる、それを忘れちゃいけないわ」

 不安げな少女たちには、スカロンの厚化粧でたらこ唇な顔がなぜか頼もしげに見えた。なお、ドルチェンコ、ウドチェンコ、カマチェンコの三人は先日実験で屋根裏部屋を吹き飛ばしてしまったために店中の掃除をずっとやらされているが、まあこいつらは例外であろう。

 誰もが、アンリエッタの言葉を今や遅しと待ち構えている。そしてアンリエッタは、従者に持たせてきた宝箱から奇妙な形の首飾りを出して高く掲げた。そう、才人が六千年前からミーニンに託して送ってきた、あの首飾りである。

 

「皆さん、この世には始祖ブリミルの残した四つの秘宝があることをご存知でしょうか。偉大なる始祖ブリミルは、その血を引き継ぐ我ら子孫のために自らの魔法の力を封じた秘宝を残しておいてくれたのです。我がトリステインには始祖の祈祷書が伝わっていることは知ってのことと思います。本来ならば、四つの秘宝を持つ四人の選ばれし始祖の子孫が世界の危機を救うはずでした。しかし、アルビオンは内戦で荒れ果てて秘宝すら行方知れずとなり、ガリアにはあの邪悪なジョゼフ王がのさばっています。残念ながら、始祖の秘宝が揃う望みはありません。教皇は、そこにつけこんだのでしょう。ですが、秘宝には実は五つ目があったのです。懸命なる始祖ブリミルは、世界に危機が訪れることがあったとき、万一に四人の子孫と四つの秘宝が揃わないことがあった場合のためを考えて、切り札を残してくれたのです。この始祖の首飾りがそれです! そしてこの秘宝に秘められた力と、始祖ブリミルの本当の意思を見てください」

 

 アンリエッタはそう言うと、始祖の首飾りを高く投げ上げた。するとどうか、首飾りはひとりでにぐんぐんと空へと昇っていくではないか。

 光りながら上昇していく首飾りを、トリスタニアの人々はあっけにとられて見上げ続けた。

 そして、首飾りが不気味にうごめく虫の雲に到達したとき、奇跡が起きた。

「おおっ、そ、空が!」

 首飾りが暗雲に触れた瞬間、まばゆい閃光が走り、空が晴れた。例えるなら、まるで油を張った水面に洗剤を一滴垂らしたときのような鮮やかさで、首飾りに触れたところから円形に暗雲が消滅していき、そこから青空が、太陽が輝きだしたのだ。

「おお、太陽だ! 太陽だ! お日様だ!」

 今までどんなことをしても晴らすことのできなかった虫の雲が、始祖の首飾りから放たれる光にかき消されていく光景は見る間に広がり、トリスタニアからラグドリアン、魔法学院、ラ・ロシェールまですべてを含み、トリステインは懐かしの陽光に照らし出された。

 人々は歓喜に震え、森は緑に輝き、動物たちは駆け、魚は水面に飛び跳ねて、久しぶりの生命の源泉をその身いっぱいに浴びる。

 これは、これは奇跡か。女王陛下は、始祖の秘宝は奇跡を見せてくれているのかと、半信半疑だった人々は、アンリエッタの言葉を信じようと思えてきた。

 そのときである。空を見上げる人々の耳に、ゆっくりとした若い男の声が聞こえてきたのは。

 

『皆さん、未来の皆さん。僕の声が聞こえていますか? 僕の名はブリミル。ブリミル・ル・ルミル・ニダベリールという者です』

 

 え? 人々は自分の耳を疑った。今の声は、どこから? 空から? いやそれより、今の声が名乗った名前はまさか!

 動揺する人々の耳に、空からの声は子供に語りかけるようにゆっくりと穏やかな声色で続く。

 

『未来の、僕がハルケギニアと名づけた土地に住む、僕らの子孫の皆さん。君たちからして過去の時代から、このメッセージを君たちに送ります』

 

 過去の時代から!? ということは、やはり声の主は……始祖ブリミル!

 ハルケギニアの民にとって最大の聖人の言葉に、人々のあいだに緊張が走る。本当に始祖ブリミルなのか! そんなまさか……いや、聞いてみればわかる。

 

『僕らの血を継ぐ子孫の皆さん、残念ながら、この秘宝の封印が解かれ、このメッセージをあなたがたが聞いているということは、世界に未曾有の危機が訪れたことを意味するのでしょう。僕らの時代でも、世界は滅亡の危機に陥りました。僕は、君たち子孫にそんな辛い思いをさせたくはなく、僕の力の一端を封じたアイテムを後世のためにいくつか残すことにしました。この秘宝に封じた魔法はふたつ……そのうちのひとつ、記録(リコード)の力で皆さんに僕の声を届けています。そして、見てください』

 

 空に、まるで天地を逆さまにしたように別の風景が蜃気楼のように映し出された。それは、荒れた空と荒廃した大地がどこまでも続き、廃墟と化した街々が連なるばかりの、滅亡した世界。その地獄のような光景に、人々は戦慄した。

 

『これが、僕らの生きている時代の世界です。今や、数百万を誇った世界の人口は、僕の仲間たちの百人ばかりを除けばほとんど残っていないでしょう。僕は、この世界を復興するために旅をしているのです』

 

 完全に滅亡した世界の、あまりに凄惨な光景は、人々に今のハルケギニアの将来を想像させた。だがこれはハルケギニアの過去の姿だという。この光景を見ていたブリミル教の神父らの中には、これこそトリックなのではと疑いを持つ者も数多くいたが、そういえば始祖ブリミルがハルケギニアの基礎を築いたということはブリミル教の基本であっても、具体的に始祖ブリミルが何をやったのかということは、教義があいまいで彼らさえ知らなかった。第一、空に過去の風景を映し出す魔法など、始祖の虚無の系統でもなければありえない。

 やはりこれは、始祖ブリミルの生前の肉声なのか……人々はごくりとつばを飲み込む。そして、始祖ブリミルの残したもうひとつの魔法とは。

 

『そして、この秘宝に込めたもうひとつの魔法の名は分解といいます。これは万物を形作る最小の粒に働きかけ、そのつながりを忘れさせてしまうのです。すなわち、この魔法を受けたものは、いかに頑丈であろうとも関係なく消滅してしまうのです。使いようによっては、非常に大きな力となってくれることでしょう』

 

 始祖の声による説明に、平民はただ感心し、貴族たちはなんと恐ろしい魔法があったものかと戦慄した。

 あらゆるものを、その強度を無視して消滅させる。そんなことができるのならば、まさに無敵ではないか。

 しかし、ブリミルの声は人々に釘を刺すように重々しく響いた。

 

『ただし、心しておいてください。この秘宝に込められた力は無限ではありません。なによりも、僕はこの命のあるうちに可能な限りの遺産を君たちに残したいと思っているけれども、それを生かすも殺すも君たち次第だということを。遺産を平和のために用いるもよし、一時だけの儚い夢に費やすもよし、僕は君たちに道を示すことはできるけれども支配者ではない。どんな姿のハルケギニアを作っていくかは、子孫の君たち一人一人の選択と努力にかかっているんです』

 

 ブリミルの口調は穏やかだが、中には断固としたものが込められていて、人々に重責を感じさせた。

 

『僕が名づけたハルケギニアで、どんな未来がつづられていくかは僕にもわかりません。なぜなら、未来は人間の自由な選択によって作られていくからです。そこに決まった未来なんてない。あなた方すべての小さな選択の積み重ねによって、未来はいくらでも形を変えていきます。僕らだってそうです……僕は、虚無の系統という大きな力を持って生まれてきましたが、僕は誰かに言われたわけではなく、ただ苦しんでいる人を少しでも救えればと思い、旅をしています。君たちの身に降りかかっている危機がどれほどのものであろうとも、まずは皆さんの誰もが心の中に持っている、小さな良心の訴えを聞いてから道を決めてください』

 

 迷ったときの道しるべは、自分の心の中に用意されているものだとブリミルの声は言っていた。

 

『そして最後にひとつ、僕はこの時代のハルケギニアを、この命の続く限り立て直していこうと誓っていますが、人の人生は短く、君たちの世代までに問題を残してしまうかもしれない。だから、身勝手だけれど君たちにお願いします。僕が初めてこの地を訪れた頃は、この地は平和で、豊かで、誰もが幸福に暮らす素晴らしい世界でした。ですが、この時代の人間たちは、その幸せの大切さを当たり前に思いすぎ、守る努力を怠った結果、この世界はヴァリヤーグという強大な侵略者の手の中に落ちてしまいました』

 

 ヴァリヤーグ……この時代のヤプールのような侵略者が、始祖の時代にもいたというのかと人々は思った。

 

『僕は残りの生涯の中で、なんとしてでもヴァリヤーグだけは倒します……だからお願いします。僕らの世代で起きた過ちを、未来で決して繰り返してはいけない。平和や幸せは、待っていれば来るものではなく、誰かに与えてもらうものでもない。この世界に生きるものすべてが苦しみながら手に入れるべきものなのです。そう、この世界は多くの人が苦しみながら生きている。最大の敵は常に自分自身……君たちがどんな敵を相手にしているにせよ、自分が苦しんでいるのと同じように誰かが苦しんでいることを忘れないでください。そうすればきっと、あなたは誰かに優しくなれる……僕だって、ひとりで戦っているわけじゃない。長い耳を持つ人、翼持つ人、ほかにも様々な人に支えられて生きています。いつかヴァリヤーグとの戦いが終われば、彼らの子供たちが皆さんにつながっていくのでしょう。そうして未来の世界で、僕らの子孫たちが互いに助け合って平和に生きる時代を作り、守ってください……それが僕の変わらぬ願いです』

 

 ブリミルの言葉はそれで終わり、空からは幻影が消えて元に戻った。

 人々は、まるで夢でも見ていたかのように呆けて固まってしまっている。今見たもの聞いたものが真実だったのか違うのか、答えられる者はいなかった。

 

 しかし現実は常に人間の都合などお構いなしで歩を進める。始祖の首飾りの効力で晴れたと思われた空が、またも沸いてきた虫の雲によって覆い隠されていったのである。

「ああっ、空がっ! せっかく晴れたのに」

 やっと見れた太陽を再び隠されたショックは大きく、ひざを突いて落胆してしまった者もいた。ようやく、我々の上に光が戻ってきたと思ったのに、また昼なのに闇に閉ざされなくてはいけないのか。

 けれども、落ち込む人々を励ますように、再びアンリエッタの声が魔法の通信機材から流れ始めた。

 

「皆さん、今の光景を忘れないでください。あれこそが、時代を超えて今に届けられた始祖の力とその意思です。残念ですが、始祖の首飾りに秘められた虚無の魔法はあくまで始祖の力のほんの一部。暗雲を生み出す元凶が残っている限り、ハルケギニアに太陽を取り戻すことはまだできません。しかし、皆さんはご覧になったはずです。始祖ブリミルが時代を超えても伝えたかったメッセージを!」

 

 人々ははっとして、たった今見て聞いたばかりの記憶を呼び起こし、アンリエッタの声に耳を傾けた。

 

「始祖ブリミルは、六千年の昔に、わたしたちよりさらに苦しい戦いを強いられながらも、わたしたちにこのハルケギニアという世界を残してくださったのです。そればかりか、遠い未来のわたしたちのことを案じて、こうして遺産を残してくださいました。なんという親心でしょう……この秘宝は、先日アルビオン王家の宝物庫の封印から発見されました。同封されていた、秘宝の使い方を記した手紙には、使い方に混じって現代のわたしたちを心配する言葉であふれていました。発見された秘宝は、わたしが今使ったものを含めてふたつ。今頃はアルビオンでも、我が夫であるウェールズ国王陛下が同じように秘宝の力を示していることでしょう」

 

 そのとおり、アルビオンでもアンリエッタの言ったとおりに、ウェールズによって同じことが行われていた。

 人々の反応もおおむね同じで、トリステインとアルビオンを合わせて数千万の人口がふたりの王族によって見せられた奇跡を目の当たりにして心を奪われていた。

 これこそまさに奇跡、神の力だ……始祖ブリミルは、やはり偉大な聖者だったのだ。そしてトリスタニアやロンディニウムで直接始祖の首飾りを見た人々の中には、あのハルケギニアでは見たこともない不思議な色彩を放つ首飾り、あれこそ神の御技によって作られた神器だと、心から感動して涙を流していた者もいた。

 

 が、彼らにはすまないことではあるが、始祖の首飾りにはあるとんでもない曰くがあった。

 それは、六千年前のアルビオンでブリミルや才人たちがミーニンを封印する前のこと。才人は未来に当てて手紙を出すのはいいとしても、せっかくこの時代から贈り物ができるのだから、何かほかに役に立てるものがないかと考えた。そこでブリミルが才人に、僕が将来ハルケギニアで偉人扱いされているのならば、僕の魔法を込めた品を贈れば役に立つのではないかと提案したのだ。

「なるほど、そりゃあ名案ですね。あ、でも貴重な魔法の力をこんなことのために浪費させてしまったら」

「なあに、最近は温存できていたし、このオアシスでたっぷり休めたおかげで魔力は十分さ。仲間のために役立てなくて、なんの魔法だい? 遠慮なんかしなくていいよ、万一なにか起きてもサーシャも万全だし、なあ」

「はぁ、まったくあなたはほんとに楽天家でお人よしなんだから。まあいいわ、ただしせっかくやるならそれなりのものを残さないと未来に恥をかかせることになるわよ。なにかなかったかしら? と、言っても私たちの持ってるのはほとんどガラクタばかりだしねえ」

 サーシャの言ったとおり、放浪の旅をしているブリミルたちには見栄えのいいものはなにもなかった。生きるために必要のないものは極力持たず、必要最低限の物資しかないのでは、いくらブリミルの魔法を込めても少々みっともない。

 これは困ったな。才人はなにか適当なものはないかとパーカーのポケットの中を探ってみた。すると、しばらく触っていなかった内ポケットの中に手ごたえがあったので引き出してみたところ、ブリミルたちの目が丸くなった。

「おやこれは。ずいぶんと鮮やかな色の紐だねえ」

「こいつは……ああ思い出した! 俺のケータイにつけようと思ってた首掛けストラップだ。秋葉原でパソコンの修理のついでに買って、そのまま入れっぱなしにしてたんだった……ん? ブリミルさん?」

 ここまで来たらおわかりであろう。ポリエステル製で鮮やかな色をしたネックストラップならば『現代』のハルケギニアでもありえない素材であり、わかりやすく派手なので適当だと即決されたのである。

 そうなると後はブリミルもサーシャも切り替えが早かった。ネックストラップの色彩はそのまま目立つようにして、本来ならば携帯電話を下げるところにサーシャがありものの素材で『それっぽい』飾りを作って、ブリミルが魔法を込めることで、始祖の首飾りと銘打たれたマジックアイテムは完成したのである。

 ちなみに製作時間は七十五分で、材料の値段は二本入りパック百五十円(税別)である。

「うーん、これはいい出来だ。僕が作った中では最高の出来じゃないかな。サーシャ、君はどう思う?」

「そりゃいい出来に決まってるじゃない。なんたってこの私がデザインしたのよ。サイトもほら、もーっと褒めてもいいのよ」

「は、はは、そうですね……なんだろう、この胸のチクチクする感じは」

 未来を救う必殺のアイテムが完成したはずなのに、ぜんぜんありがたみというものを感じられなかった。ブリミル教徒であれば、たいへんに光栄な場面に居合わせられたのだろうけれど、才人の口からは乾いた笑いしか出てこない。

 なんかこう、こういうものを作るときには特別な儀式とか、アイテムを秘境にゲットしに行くイベントとかがあってもよかったんじゃないか? いや、前に水の精霊の涙をもらいに行ったときの苦労を思えば、簡単にいくならそのほうがいいってわかっちゃいるんだけど、なんかこう……あるじゃんか。

 魔法の力を秘めたアイテムというものは、おおかたのアニメやらゲームやらで特別な存在であるもんだろと才人は思う。それをこうもたやすく作るあたり、ブリミルはすごいメイジであるんだろうけれど、なんか納得いかない。

 が、ブリミルとサーシャは才人の憂鬱などどこ吹く風で、始祖の首飾りが思ったよりうまく出来上がったことで気をよくしてとんでもないことを言い出した。

「ううむ、あまり試したことはなかったけど、僕ってマジックアイテム作りの才能があるのかもしれないな。よーし、こうなったら他にもいろいろ作ってみようかな。そうだ! 僕の魔法を記した本に、必要なときに大事なことだけ読める魔法をかけておけばなんかすっごく便利じゃないかな。名づけて始祖の祈祷書、なんちゃって」

「あんたの魔法を記した書って、あれあんたのばっちい日記帳じゃない。そんなのなら、子供たちのオルゴールに魔法をかけて鳴るようにしてよ」

「えーっ、そういうのはどっちかというと君の魔法のほうだろ。やっぱりこういうアイテムは趣がなくちゃいけないよ。そうだ、この城に鏡と香炉があったけど、それならどうかな」

「それって粗大ゴミ置き場に捨てられてたやつじゃないの。そういうのは趣じゃなくてただのボロって言うのよ。そんなものよりさぁ……」

 と、ふたりはかんかんがくがく楽しそうにオリジナルの魔法アイテムの作成について話し合っていた。それを見て才人は「子孫の皆さん、本当にすみません」と、良心の呵責に涙さえ流していたという。

 始祖の秘宝の誕生の秘密に触れているというのに、ぜんぜんワクワクもドキドキもしない。というか、こんなひどい光景を見たことがない。いわしの頭も信心という言葉もあるにはあるが……伝説の正体なんてこんなものかもしれないなあと、才人はぼんやりと思うのであった。

 ただ、それでも才人はブリミルたちを悪くは思えなかった。

”まっ、いいか。秘宝の正体なんて、未来じゃどうでもいいことだし。それに、ブリミルさん……首飾りが届くかわからないのに、未来に向けたメッセージは本気で考えてくれたもんな”

 ブリミルの仲間を思う気持ちは本物だと、才人は首飾りに記録の魔法でメッセージを残していたときの彼の真剣な表情を思い出していた。

 思いが本物であれば、その見てくれなんかは些細な問題でしかない。たとえそれが、原価百五十円(税別)であったとしてもだ。

 頭の中を切り替えた才人は、その後ミーニンを送り出した後に、再びブリミルたちと旅立つことになる。ハルケギニアの、まだまだ解き明かせない謎を探すために。

 

 

 砂塵の織り成す紀元一年のハルケギニアの地に旅立った才人は、自分の撒いた種が未来でどのように花開いたかを知る由もない。しかし、時空を超えて、ブリミルの遺産はまさに大きく花開いていた。

 衝撃を受ける人々に対して、アンリエッタとウェールズはそれぞれ民に向かって誠心誠意の訴えを続けている。

「皆さん、わたしは始祖のお言葉を聞き、改めて始祖への信仰を深くしました。そして、始祖の血統を受け継ぐわたくしは、父たる始祖の思いを受け継ごうと誓いました。この世界に、本当の平和をもたらすことを!」

 

 アンリエッタの宣言に、トリステイン中から歓呼の声があがる。

 

「ですが皆さん、平和とはなんでしょう? 誰とも争わないことを平和というのでしょうか? 思い出してください。始祖は、平和のためにその生涯を戦いに尽くしました。始祖は、平和とは戦って勝ち取るものだと教えてくれたのです。悲しいことですが、始祖すら争いの定めから抜け出すことはできませんでした。平和のために争う。矛盾しているようですが、これがこの世の現実なのです。ならば、戦うべき敵とは誰でしょう? ロマリアはこの敵をエルフと叫んでいます。しかし、皆さんもお聞きになったでしょう。始祖は長い耳や翼を持つ民と共に生きていたということを……そうです。六千年前に、エルフと始祖たち人間は共存していたのです」

 

 一転して、今度はまさか……そんな馬鹿なというどよめきが流れる。しかしアンリエッタは、彼らの迷いに鉄槌を振り下ろすかのように続けた。

 

「皆さん、考えてください。この六千年の歴史で、人間はエルフとの戦争に一度も勝ったことはありませんでした。にもかかわらず、エルフの側からハルケギニアに攻めてきたことは一度もありません。エルフたちは、我々が奪った土地を奪い返す以外の目的では、一度の例外もなく人間に攻撃を仕掛けてきたことはないのです。六千年間そうでした。そのエルフたちが、今になって人間を滅ぼそうと考えるなどとはおかしくないでしょうか?」

 

 確かに、と、人々の心にロマリアへの疑念が生まれ始めた。そこを逃さず、アンリエッタは叫ぶ。

 

「今後、ロマリアの言うとおりに聖戦が始まったとしたらどうでしょう? 我々もエルフも、甚大な被害を受けるに違いありません。そうして双方の力が弱まったところへ、ヤプールなどの外敵が攻撃を仕掛けてきたらどうなるでしょうか? 仮にエルフに勝てたとしても、ハルケギニアと人類は全滅です」

 

 反論のしようがない正論に、人々の心が冷水がつかる。

 

「そもそも、ロマリアが始祖の教えを正確に現代に伝えているという保証があるのでしょうか? 戦争とは、大きな被害を生む一方で、一部の人間には大きな利益を生み出します。もしも、ロマリアの長い歴史の中で誰かが野心を起こし、エルフを攻めることが始祖の教えだと捏造したとしたらどうでしょう? そして現代、ロマリアは明らかに外敵に対して有利な戦争を生み出そうとしています。さらに、ガリアの無能王の突然すぎる変心なども、わたしはおかしいと思っていました」

 

 次々に示されるロマリアの不自然な行動に、人々のロマリアへの疑念が深くなっていく。

 だが、そこまでを語ったところで声色を緩めた。

 

「ですが、わたしが皆さんにお伝えできることはここまでです。ここから先は命令ではありません。なぜなら、わたしも教皇と同じように、奇跡を見せて皆さんの目を引いたことに変わりはないのですから。あとはトリステインの皆さん、それぞれが決めてください。わたしとともにトリステインを守るのもよし、教皇聖下のお言葉を信じて聖戦に参加するもよし、どちらも信じずに静観を決め込むもよし、どんな選択をされようと、わたしは皆さんの選択を尊重します」

 

 アンリエッタの言葉に、人々はざわめき、隣にいる人と顔を見合わせる。しかし即断できる者はほとんどいない。無理もない、王家から命令という形ではなく、従うか否かの判断を民に委ねるなど前代未聞だ。

 そこへ、アンリエッタの教え諭すような声が流れた。

 

「わたしは本当ならば、トリステインとアルビオンが一丸となってロマリアの陰謀に立ち向かいたいと思っていました。ですが、今回は誰に従うかの判断は国民の皆さんの考えにゆだねます。なぜなら、世界の命運がかかったこの時代に、無関係ですませられる人間は世界に一人もいないからです。始祖はおっしゃいました、平和は誰かに与えてもらうものではなく、それぞれの人々が苦しみながら勝ち取るべきものだと。今後、わたしとウェールズ様はロマリアより異端の認定を受けることとなるに違いありません。そうすれば、わたしと歩を共にする者もまた同罪とされてしまうでしょう。ですから、皆さんに選択の機会を与えます。なにを信じて、なにを守るのか……誰でもない、皆さんの心に従って決めてください。わたしは逃げも隠れもせず、このトリスタニアですべてを受け入れることを宣言します!」

 

 この日、間違いなくトリステインの歴史でもっとも重大となる一声がアンリエッタの口から放たれたのである。

 それから、トリステインとアルビオンは混乱の極に陥ったことは語るまでもない。人々の意見は千々に乱れ、暴動や国外脱出を図る人間たちが相次いだ。

 アンリエッタやウェールズは、言葉どおりにそれを見守っていただけである。官憲の動きはあくまで治安維持にのみ向けられ、嵐が収束するのをじっと待った。

 

 

 そして、アンリエッタたちが示した真の敵も、この動きを座視するわけもなく動き出していた。

「これは驚きましたね。まさかあのお嬢さんがこんな大胆な行動をとってくるとは……少々、あの子供たちを甘く見ていたかもしれません」

 ヴィットーリオは、トリステインが素直に従うはずもないとは思っていたが、まさかこんな方法で全面対決に討って出てくるとは想定していなかったと、アンリエッタへの評価を改めていた。

 これは、もうオストラント号などという些事に関わっている場合ではなく、計画の軌道修正をせねばならないだろう。苦笑するヴィットーリオにジュリオが尋ねかけた。

「それでどうします? このままトリステインとアルビオン抜きで聖戦を始めますか?」

「それは難しいでしょう。ガリアとゲルマニアだけで、トリステインとアルビオンを合わせた数倍の戦力はできますが、聖戦を始めたらトリステインは背後からガリアとゲルマニアを攻撃することができます。かといってトリステインの襲撃に備えて国内に戦力を残せば、エルフたちに国境で押し返されて聖戦はそこで頓挫してしまいます」

 目的はあくまで人間とエルフの共倒れ、中途半端な結果は望んではいないのだ。ならばと、ジュリオが意見した。

「ではまず見せしめのために、トリステインを血祭りにあげてみますか?」

「それも容易ではありませんね。わたしはすでにアンリエッタ女王を異端だと認定する触れをハルケギニア中に出しましたが、彼女に忠誠を尽くす者も少なくはありません。トリステイン軍の弱体化はあまり期待できませんし、かの国の背後のアルビオンは元々ハルケギニアの出来事は他人事だという感覚が強い上に、前年の内乱の影響で目的がなんであれ戦争そのものへの嫌悪感が強くあります。アルビオンはトリステインを強力に支援するでしょう。この二国が合致したときの頑強さは、あなたも理解していることとと思います」

「もちろん、僕は地図くらい読めますからね。アルビオンとトリステインが友愛でつながれるとき、この二国をひざまずかせるには百万の軍勢を必要とする。ハルケギニアの将軍の間では常識です」

 ジュリオは、やれやれと面倒そうな振りをして言った。

 普通に考えれば、ガリアやゲルマニアの数分の一ほどの国土しかないトリステインの戦力はたかが知れていると誰もが思うだろう。実際、トリステインの兵力はたいしたものではなく、トリステインは長年弱国の地位に甘んじてきた。

 が、しかしトリステインが弱国なのに、数千年もの間を他国に飲み込まれずに生き残ってこれたのには、始祖の血統の王家だからというだけではない理由がある。それがトリステインの持つ特殊な地政学的要件であった。

 ハルケギニアの地図では、トリステインは東をゲルマニア、南にガリアと国境を接し、背後に海を持っている。これは一見、背水の陣であり、攻められれば逃げ場がなくあっという間の印象を受けるが、ここで視点を変えてみよう。国土が少ないということは、逆に言えば守らなければならない拠点が少なく、兵力を集中できるということになる。極論すれば、トリステインは首都トリスタニアだけを死守すればよく、他の雑多な町や村を占領されたところで住民を食わせなければならないのは占領軍のほうだ。

 もちろん首都だけを死守したところで、そのままでは時間の問題である。だがここで出てくるのがトリステインの背後の海に浮かぶ同盟国アルビオンの存在だ。アルビオンは強力な空軍力でトリステイン軍に補給を届け、侵略してきた軍隊の補給線に打撃を与える。侵略軍がこれを阻止したいと思うのであれば、空軍力に対抗できるのは空軍力ということになるが、アルビオン空軍がアルビオン大陸という空に浮かぶ巨大な要塞とも言うべき浮遊大陸を基地とできるのに対して、ガリアやゲルマニアから空軍の艦隊を送るには何倍もの距離が必要となってしまう。

 長距離を遠征してヘトヘトになっている艦隊が、トリステイン上空で待ち構えているだけの元気いっぱいの艦隊と衝突すればどうなるか? 子供でもわかることだ。

 戦略は簡単で、トリステインが防御戦をして時間を稼いでいるうちに、アルビオンが空軍力を駆使して補給と敵の後方撹乱をおこなう。これを続けるだけで、たとえ敵が数十万の大軍であろうとも短時間のうちに撤退しかなくなってしまうのだ。

 ならば先にアルビオンの空軍力を黙らせればとしても、ガリアやゲルマニアから直接アルビオンを狙うのは遠すぎる。アルビオン軍が補給の心配がないのに対して、遠征してきた艦隊は常に風石の残量を気にしなければならず、戦闘の時間がほとんどとれない。

 つまり、アルビオンを制圧するためには、トリステインという前線基地がどうしても必要ということになる。例えるならば、アルビオンが本城でトリステインが出城の関係だと言えるか。出城を攻略しなければ本城の攻略は不可能だが、出城は本城が強力にサポートしている。トリステインは弱国ではあっても、この戦法で徹底して防御戦を貫けば難攻不落の頑強さを発揮できるからこそ国として生き残ってこれたのだ。

 そして、この二国は互いに相手の重要性がわかっているからこそ、関係を密にすることを怠らなかった。レコン・キスタの登場で一時は関係が瓦解し、トリステインがゲルマニアに泣きつく事態になりかけたが、アンリエッタとウェールズの二人がいる限り、トリステインとアルビオンがかつてないほど強力な結びつきに戻っていることは誰の目にも明らかなことだった。

「このままでは、たとえガリアとゲルマニアの総力をあげてトリステインを攻めても簡単にはいかないでしょう。無駄な時間ばかりを食わされ、聖地回復軍は疲弊しきってしまいます。そしてこうなっても聖戦は流れてしまうでしょう」

「アンリエッタ女王、やるものですね。トリステインはなにもロマリアに攻め込んで勝利する必要はない。ただじっと待ち構えているだけで、聖戦を大きく妨害することができるのですから」

「狡猾なものです。結婚式に出向いたとき、彼女にはそんな軍才はないように思えましたが、よほど有能な参謀がついているのかもしれません。ですが、彼女の思惑どおりに事を運ばせてあげるわけにはいきませんね」

 ヴィットーリオは相手の力量を評価しながらも、だからこそ容赦せずこの世から消えてもらおうとジュリオに笑いかけた。

「それでどうします? 真っ向から戦争を仕掛ければ向こうの思う壺ですよ。かといって、不慮の事故死をしてもらうにも、向こうもじゅうぶん警戒しているでしょうしねえ」

「ロマリアの権威で、トリステインとアルビオンの民心を揺さぶる手もありますが、時間がかかりすぎる上に、向こうも相応の手段をとるでしょう。彼女たちはすでに異端認定を受けた上で逆らおうとしているのですから権威は効きません。ここはやはり、不幸にもトリステインとアルビオンは神に逆らったことにより天罰を受け、滅んだということにいたしましょう」

「怪獣ですね。しかし、その手を使おうとすれば、この星にまだ残っているウルトラマンどもが邪魔をしに出てくるかもしれませんよ」

 ジュリオのその言葉に、ヴィットーリオはそのとおりだとばかりにうなづいた。

 彼らはハルケギニアの情報をブリミル教のネットワークをはじめ、あらゆる方法で集めている。別世界ではTV放送の電波を利用したりもしていたが、この世界に合わせた柔軟性も発揮していた。

 むろん、この世界に現れたウルトラマンたちの情報も逐一溜め込んでいる。その中で、ウルトラマンAは次元のかなたへ追放し、日食の時に現れたウルトラマンは元の次元へと帰り、ガリアに一度だけ現れたウルトラマンはその後現れる気配を見せていないので除外して、今この世界にいて障害になってきそうなウルトラマンは四人。

「ふむ、ウルトラマンですか。まったく、どの世界でも余計なことをしてくれます。この世界にいる者の中には、我々の思想に賛同してくれる者がいるのではないかと様子を見てきましたが、どうやら望みはなさそうですし、この機会を利用して彼らもこの星からご退場願いますか。ちょうど、彼らを始末するのにはうってつけの手駒が仕上がったことですしね」

「ああ、彼女ですね。従わせるには凶暴すぎましたが、ウルトラマンにぶつけるだけならばそれで十分。あれの力ならば、ウルトラマンの二、三人は軽く仕留めることができるでしょう。あわよくば、相打ちにでもなってくれれば後の始末が楽で助かるのですが」

「ジュリオ、そう言って虫のいい展開を期待して遠回りをする羽目になってきたのですから、ここは手堅くウルトラマンの排除からはじめましょう。ですがまずは、ウルトラマンたちの所在を確認する必要があります」

「お任せください。その役割にうってつけの怪獣が、都合のいいことにトリステイン領内で繁殖しているんですよ」

「それは重畳。では、始祖ブリミルの代理人たるロマリア教皇に逆らう異端者を誅殺する正義の戦いを始めましょう。軍勢はガリアのジョゼフ殿が貸してくださるそうです。見に行こうではありませんか、トリステイン王国が滅びる有様を」

 そう言うと、ヴィットーリオは外へと歩みだした。

 そこは、ロマリア大聖堂のバルコニー。そこから見下ろす広場には、異端者トリステインとアルビオンをこの世から消すために集まってきた信仰深き義勇兵が何万と集まり、教皇のお姿に歓喜の声をあげていた。

 

 

 ロマリアとガリアの軍勢がトリステインへ向かって侵攻を始めたことは、大々的なニュースとなってハルケギニア全土を駆け巡り、遠くサハラのエルフの耳にも届くことになる。

 が、それは表向きに過ぎない。ヴィットーリオはかつてのレコン・キスタのように戦争ごっこをするつもりは毛頭なく、にこやかな笑顔の下で、この世のものではない力を使い、自分を信じる者たちをも含めて地獄に送ろうとしていた。

 

 そしてジュリオはヴィットーリオの命に従って、トリステインで行動を起こそうとしていた。

「現地の動物をエサにして繁殖する宇宙怪獣か。地元では、オーク鬼が減ったと喜んでるみたいだけど、そんなものよりはるかに恐ろしいものが生まれてるのに、おめでたいね」

 ジュリオの前には、地中に巨大なものが潜っていったような穴が三つ口を開いている。

 ここは、以前にシルフィードが使い魔の仲間たちといっしょにガギと戦った山間部。すでにミイラ化しているガギの死骸の上に立ち、もぬけの殻となったガギの巣穴を見下ろしながら、ジュリオは薄く笑いを浮かべていた。

「さて、少々成長を早めてやった分だけ働いてくれよ。ウルトラマンたちをおびき出すためにさ」

 

 

 邪悪な意図の下に放たれた刺客は、時を経ずして現実の脅威となってトリステインの人々の前に現れた。

「怪獣だぁーっ!」

 ほぼ同時に、トリステインの三箇所に怪獣が出現した。

 それは、大きな一本角を生やした頭を持ち、腕には巨大な二本の爪と鞭を持つ怪獣。そう、バリヤー怪獣ガギである。

 しかも、三匹。以前シルフィードたちが見たガギの巣穴には、すでにガギの卵が三個産み付けられており、親のガギが死んだ後も、親が捕らえて残しておいたオーク鬼どもをエサにして成長していたのだ。

 突然のガギの襲来に逃げ惑うトリステインの人々。ガギは繁殖のために、他の動物を捕らえて卵を産み付ける習性を持っており、その子たちも忠実にその習性に従おうとしていたのだ。

 トリステイン軍はガリアとロマリアの侵攻に備えるために集結しようとしているので、とても間に合わない。だが、人々の悲鳴を聞きつけて、ヒーローたちはやってきた。

「この国がきな臭くなってきたらしいと聞いて来てみたが、どうやら本当にただごとではない気配だな。だが、どうにせよここはお前のいるべき星ではない」

 国外へ避難しようとする人々でごったがえしていたシュルピスという宿場町を襲った一体目のガギに、ジュリ・ウルトラマンジャスティスが立ち向かう。

 さらに、トリステイン魔法学院。ここを襲おうとした二体目のガギのところにも、ひとりの男が駆けつけていた。

「子供たちの学び舎を壊させはせんぞ。リュウたちが戻ってくるまで、私がここを守る」

 セリザワがウルトラマンヒカリに変身し、学院を守って立ちふさがる。

 そして、タルブ村。三匹目のガギは、村をバリヤーで覆いつくして村人たちの逃げ場をなくし、シエスタの弟や妹らの子供たちを狙おうとしていた。

 だが、そうはさせじとバリヤーの外側からバリヤーを見上げるテンガロンハットの男と、彼の傍らに立つ怪獣がいた。

「いけ、ミクラス! お前の怪力で、そのバリヤーを叩き壊せ」

 

 

 続く



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第43話  勝者なき戦争のはじまり

 第43話

 勝者なき戦争のはじまり

 

 バリヤー怪獣 ガギⅡ

 カプセル怪獣 ミクラス 登場!

 

 

 ついに始まってしまったトリステイン・アルビオン連合とロマリア及びガリアの戦争。

 聖戦を行うべきか否か、教皇は正義かはたまた悪か。ハルケギニアは二つに割れ、さらに形勢を貪欲に見守るゲルマニアも加えて、世界は激動の時を見守っている。

 しかし、ハルケギニアを二分する大戦は見せかけで、裏では闇の勢力と光の守護者が激しくぶつかり合っていた。

 

 トリステインの各地に出現した三体のガギ。以前確認されたガギの子供であるこの三個体は、本来ならば成熟にまだ時間がかかるところをジュリオにエネルギーを与えられて一気に成長し、それぞれが親同様に繁殖のために動き出したのだ。

 ガギは、子供を育てるために、人間の子供の成長ホルモンを狙って街や村を襲う。時節柄軍隊は対処できず、できたとしても一気に三体も現れたガギには対抗できないだろう。

 だが、罠であろうとなかろうと、平和を守るウルトラ戦士がこの暴虐を黙って見過ごすことはない。

 

「ヘヤアッ!」

 シュルピスの街に現れたガギを前にして、この街に立ち寄っていたジュリがウルトラマンジャスティスに変身して立ち向かう。

 この街はすでにガギのバリヤーに囲まれていて、このままでは逃げ出すことのできない人々が大勢犠牲になってしまう。ジャスティスは無条件に人間の味方ではないが、ガギが子供たちを狙って触手を伸ばすのを、子供たちの親や周りの大人たちが必死になって防ごうとする光景を見て、この街の人間たちのために戦おうと決めた。

 対してガギも、繁殖行動の邪魔をされて怒り、ジャスティスに向かってくる。ガギの主要武器である両手の鞭が振りまわされながらジャスティスに迫ってくる。まるで子供が縄跳びを鞭に見立ててでたらめに振り回しているようなそれに、うかつに近づいたらダメージを受けるのは必至だ。

 しかしジャスティスは空高くジャンプし、斜め上から超高速の飛び蹴りをガギに食らわせたのだ。

『クラッシャーハイキック!』

 かつてスペースリセッター・グローカールークのボディに風穴を開けた技の前に、ガギは頭部の角をへし折られ、悲鳴をあげながら倒れこんだ。本来この技はクラッシャーモードで使用するものだが、ジャスティスはスタンダードモードでも千六百メートルのジャンプ力と最高速度マッハ3.5の疾走力を誇る。確実にグローカーより格下な怪獣を相手に、この程度は効いて当然なのだ。

 先制の一撃で最大の特徴と武器である角を失って、ガギは起き上がってきたものの、すでに戦意を失いかけている。勝負の行方は、決まったも同然であった。

 

 一方で場所を変え、トリステイン魔法学院でも二体目のガギとウルトラマンヒカリが戦っていた。

「テアッ!」

 ここは親ガギが住処にしていた山からも近く、子供のにおいが特に濃いので、ガギが目をつけたのも当然のことであった。

 当然学院もバリヤーで覆われ、オスマン学院長以下教師たちや、生徒たちも捕らわれてしまっている。

「戦争には出られない女子生徒たちをかくまって欲しいと、生徒の父兄らに言われて集めていたのが裏目に出おったか。これお主ら、そんなにキャーキャーはしたなく騒ぐものではない。怖いのならばわしのそばに寄って……そんなに一目散に逃げなくてもよかろうに。じゃが、まあよい。わしゃおなごを食うのは好きじゃが食われるのを見るのは嫌いじゃからの。頼むぞ、青い巨人どのよ」

 冗談か本気か知れないけれども余裕をのぞかせながらオスマンは言った。

 もちろん、オスマンの願いはヒカリの願いでもある。ヒカリは魔法学院を背にして守りつつ、ガギが放ってくる破壊光線をナイトビームブレードで受け止めて跳ね返した。

「デヤッ!」

 はじき返されたエネルギーは、ヒカリがブレードを振るうと周囲で爆発を複数引き起こした。

「悪いな、お前の手はすでに知り尽くしている」

 ヒカリは以前にも魔法学院で親のガギと戦っている。光線を撃って来ることはもちろん、ガギの戦法も頭の中に蓄積済みだ。元学者のヒカリが、一度学習したことを忘れることはない。

 それはむろん、これからのこともだ。ヒカリは、光線が効かないと知って鞭を振り回しながら近づいてくるガギを冷静に正面から迎えると、閃光のようにブレードを一閃させた。それはまさに瞬き一回の間の出来事。ガギの触手は二本とも根元から切り落とされて、宙をくるくると回ると無造作に草原に落ちて転がった。

 ガギは、生意気な相手を鞭で打ち据えるつもりが、その武器をいっぺんに失ってしまって、口を大きく開けたまま両手を見つめて愕然としている。

 もちろん、そんな隙をヒカリが見逃すわけはない。並の怪獣なら軽々と真っ二つにする切れ味のナイトビームブレードがひらめく。勝負が決まるのは、刹那の後であろう。

 

 そして三箇所目。タルブ村を襲った最後のガギもまた、子供の匂いに引かれて暴れまわっていた。

「助けてーっ! お母さーん」

 ガギは器用に触手で子供を捕らえ、自分の巣穴に引きずりこんでいく。大人たちは必死に子供たちを守ろうとするが、相手が怪獣ではどうしようもなかった。

 村の子供たちは次々と捕まり、残った村人たちも村をすっぽり包むバリヤーによって逃げ出すことができない。

 もうタルブ村はおしまいなのか? だがそんな中で、シエスタの母であるレリアだけはあきらめてはいなかった。

「おじいさま、私たちをどうかお守りください」

 タルブ村は、レリアが幼い頃に怪獣ギマイラに襲われた。そのときも、村人たちが全滅している中で祖父は最後まで勇敢に戦い、最後には怪獣を退治した。

 自分から暴力に膝を屈してはならない。このような暴虐が、いつまでも許されるわけはない。

 そう、今まさにバリアーの外では、異変を知って駆けつけてきたモロボシ・ダンが、自分がウルトラセブンに戻れないときのための切り札を使おうとしていた。

「ミクラス、いけ!」

 彼が投げた小さな黄色いカプセルから現れる野牛のような怪獣。それこそ、セブンだけが持つカプセル怪獣の一体、ミクラスだ。

 ミクラスはがっしりとしたたくましい体でのしのしと歩き、バリヤーの前に立つと両腕で力瘤を作るようなポーズをとった。野太いうなり声でバリヤーがぴしぴしと震え、そしてダンはじゅうぶんに力を溜めたミクラスに向けて、その力を存分に振るえと命令した。

「いけ、ミクラス! お前の怪力で、そのバリヤーを叩き壊せ」

 ミクラスの巨木のような腕が振りかぶられ、猛烈な勢いを込めたパンチがバリヤーを薄いガラスのように叩き割った。響き渡るガラスが砕けるのと同じような粉砕音、ミクラスはガギのバリヤーにあっという間に自分が通れるくらいの大穴を開けてしまったのだ。

 そのままミクラスはバリヤーの内部に突入すると、彼の故郷のバッファロー星の名前のように猛烈な勢いでガギの下へと突進していった。

 ミクラスが走る振動は村の中をすぐに伝わり、村人たちや、もちろんガギも異変に気がついた。

 なんだ? 地震? いや、なんだあれは!

 土煙をあげながらダッシュしてくるミクラスの姿に、村人たちどころかガギまで一瞬あっけにとられた。そしてそのままミクラスは勢いを落とさずに、ガギに正面からショルダータックルをお見舞いした。

 たまらず背中から地面に叩きつけられるガギ。だが、ガギが倒れこんだことで、ガギの触手に捕まっていた子供が宙に舞い上げられてしまった。

「きゃあぁぁーっ!」

「スイーッ!」

 触手に絡まれたまま、幼い少女がレリアの前で空から落ちていく。あのままでは地面に叩きつけられて即死してしまう。だが、見守っていた人々が青ざめる前で、ミクラスは落ちていく少女を器用に手のひらで受け止めたのだった。

「あ、あわわ……たす、かったの」

 ミクラスは少女を捕まえているガギの触手を無造作に引きちぎると、そのまま少女をゆっくりと村人たちの前に降ろした。村人たちも少女も最初はあっけにとられていたが、ミクラスがこちらに危害を加えようとしてこないことと、その人懐こい子犬のような眼差しに、警戒心を緩めていった。

 だが、ガギはそうはいかない。自慢の鞭を千切られた怒りに燃えてミクラスの背中に向けて襲い掛かってくる。

 振り下ろされるガギの爪。しかしミクラスはガギの一撃を背中で受け止めると、少女に向けていた優しげな目をきっと鋭く尖らせて、振り向きざまにガギに体当たりを食らわせた。

 がっぷりと組み合った形になるミクラスとガギ。が、均衡は一瞬で、ミクラスはガギとよっつに組み合ったままでどんどんとガギを押していった。

「す、すごい力だ」

 村人たちもガギを軽々と押していくミクラスの怪力に驚いている。そしてミクラスは、村人たちからじゅうぶんに離れた位置までガギを押していくと、おもむろに上手投げをかけてガギを投げ飛ばしてしまった。

 相撲ならば、観客の歓声とともに行事の軍配が高々と上がっていることだろう。村人たちは、わけがわからないながらも味方してくれているらしいミクラスの活躍に頬を緩ませ出し、逃げるのをやめて戦いを見守ろうと足を止めた。

 一方で収まらないのがガギだ。怒りのボルテージをさらにあげて、目を血走らせる勢いでミクラスに叫び声をぶつけながら起き上がってきた。まだ戦いはこれから。ダンの声がミクラスの背を叩く。

「ミクラス、行け!」

 信頼を込めた短い一声で、ミクラスはガギにためらうことなく向かっていった。

 激突する二大怪獣。ガギの巨大な爪の一撃がミクラスに迫るが、ミクラスはこれを軽々とはじいてガギのボディに強烈なパンチをお見舞いした。たまらずうめき声をあげながらのけぞるガギ。ミクラスはこの機を逃さずに、見事な角を生やした頭でガギに体当たりして、再び大きく吹っ飛ばした。

「強い、強いぞ。あの怪獣!」

 村人たちがミクラスの優勢に歓声をあげた。ガギの攻撃が通用しない上に、パワーで完全に圧倒している。

 ガギに狙われていて怯えていた子供たちも、ミクラスの活躍に笑顔を取り戻し始め、そしてダンも頼もしそうな視線と鼓舞の声をミクラスに送った。

「そうだミクラス、お前の力ならばそのくらいの怪獣は敵ではない!」

 ミクラスは主人のはげましにうれしそうに体を震わせると、再びガギに向かっていった。

 格闘戦で、ガギの攻撃を跳ね返しながら重い一撃をガギに食らわせるミクラス。次元が違うと見えるほどまでのパワーの差にガギは翻弄されるばかりだが、かつて時空間に生息していたガギの別個体と交戦して倒した剛力怪獣シルバゴンのパワーが三百万馬力なのに対して、ミクラスはなんと五百万馬力ものパワーを誇る。これはシルバゴンの強化体であるキングシルバゴンの四百七十万馬力すらも越えていて、ガギがまったく歯が立たないのも至極当然であったのだ。

 ミクラスは記録上において、宇宙怪獣エレキングと凍結怪獣ガンダーに対して敗北しているとはいえ、電撃や冷凍光線にやられるまでは肉弾戦で互角以上に戦えていた。そのポテンシャルは低くないどころか十分強豪怪獣の内に入ってくるだろう。

 ガギとて決して弱い怪獣ではないが、能力のバランスがとれている反面で特化したものがなくて、必殺技にあたるものがない。それが一芸に秀でたシルバゴンやミクラスを相手には響いてしまったのだ。

 角からの破壊光線を放つガギだが、ミクラスはものともせずに自分も口から吐く赤色熱線で反撃する。ガギの巨体がよろめき、大きなダメージを受けた証拠に、残っていた鞭がだらりと力なく垂れ下がった。

「ミクラス、とどめだ!」

 ダンの叫びで、ミクラスは雄たけびをあげてガギに突進した。

 体当たりでなぎ倒し、そのままガギの尻尾を掴んだミクラスはジャイアントスイングの容量で振り回した。村中に風圧が届くほどのすさまじい勢いでミクラスはガギを回す、回す、回す。

 村人たち、レリア、シエスタの弟や妹たちが見守る前で、ミクラスの怪獣風車は続く。ガギは超高速で振り回されてもう失神寸前だ。そしてミクラスは回転が最高潮に達した時点で手を離した。

 遠心力でガギは空高く吹っ飛んでいく。村を覆っていたバリアーにぶつかって粉々に粉砕しても勢いを衰えさせずに数十リーグを吹き飛んだあげくに、村から遠く離れた山肌に突っ込んでクレーターを作り、数回痙攣したのを最後に動かなくなった。

 ミクラスの完全勝利。ミクラスは飛び跳ねて喜びを全身で表し、その無邪気な姿に村人たちも笑顔で手を振って感謝を送った。

 村は救われ、続いてほかの怪獣が現れる気配もない。そのことを確認したダンは、ミクラスを休ませるために手を伸ばした。

「ミクラス、戻れ!」

 ミクラスの体が光になって縮小し、ダンの手のひらの中で元の小さなカプセルに返った。これは指先でつまめるほどの大きさしかないが、中は非常に快適な空間となっており、中に収容した生き物を安全に保護することができるウルトラの星の大発明なのだ。

 ダンはカプセルをカプセル怪獣を保管してあるケースに戻すと、そのまま踵を返した。長居して面倒ごとになるのは避けたい。それに元々ハルケギニアの民はトラブルには慣れているので、数日もあれば自然に落ち着くだろうとの見込みもあった。

 足早に立ち去っていったダンにタルブの村人たちで気づいた者はなく、村は危機から救われた。村人たちに死傷者はなく、ガギに捕らわれかけていた子供たちも無事に救い出された。村人たちは破壊された村の片付けに走り出し、そんな中でレリアはひとりでトリスタニアの方角を望んで物思いにふけっていた。

「もう、タルブみたいな田舎も安全とは言えないのね。シエスタに、トリスタニアのおじさん、大丈夫かしら……」

 これ以上悪いことが起きなければいいのだけれどと思いながらも、一抹の不安が彼女の心に残り続けた。

 

 タルブ村ではミクラスが勝ち、残るガギは二体。いや、すでにゼロとなっていた。

 シュルピスの街で暴れていたガギに、ウルトラマンジャスティスの必殺光線が炸裂する。

『ビクトリューム光線!』

 金色の光芒に貫かれて、ガギは断末魔の咆哮をあげながら倒れた後に爆発四散した。

 ジャスティスはガギが絶命したことを確認すると空に飛び立ち、ジュリの姿に戻って街を立ち去った。

 さらに、魔法学院を襲っていたガギも、ヒカリのナイトビームブレードの一閃で真一文字に両断されていた。

「前の個体とそんなに変わるところはなかったか……」

 ナイトビームブレードを光の粒子に変えて消滅させ、ヒカリは思ったより手こずらなかったことに安堵して思った。

 怪獣は進化のスピードも普通の生き物とは異なり、同族や親子であってもまるで性質の違う怪獣になってしまうことがある。どうやらこのガギは、以前に現れたものと差は無かったようで助かった。

 どうやら周辺にほかの怪獣が潜んでいるような気配もない。ヒカリはオスマン学院長が感謝の礼をしてくるのを一瞥すると、空へと飛び立った。

「ショワッチ!」

 魔法学院は平穏を取り戻し、続けて別の異変が起こる気配もない。セリザワの姿に戻ったヒカリは、あの怪獣は特に意図されて襲ってきたものではなく、野生の怪獣が偶然やってきただけなのだろうかといぶかしんだが、納得のいく答えを得ることはできなかった。

 ガギの起こしたこれらの事件は、ハルケギニアでは今やよくある怪獣災害の一例として片付けられ、あまり人々の記憶に残ることも無くなる。

 だが、セリザワの予感したとおり、これはその後に起こる大事件の布石に過ぎなかったのだ。

 

 

 三体のガギの敗北、それは当然ジュリオによってすべて確認されていた。しかし、彼はガギの敗北などはまるで意に介していない。ガギはしょせん、ウルトラマンたちの動向を確かめるための囮に過ぎないからだ。

 ジュリオの報告を受け、ヴィットーリオは満足げにうなづいた。

「やはり、我々がことを起こせば確実にウルトラマンたちが邪魔をしに来るようですね。三匹の怪獣たちの尊い犠牲に感謝いたしましょう。さて、これで作戦を実行に移せますね」

「はい、トリステインの崩壊を導く時がついに来たのですね。すでに、我がロマリアとガリアの軍勢は進撃準備を整え、ご命令をお待ちしています。そして……彼女も、次元のはざまで首を長くして待っていますよ。とても腹を減らせてね」

「はは、あれだけエネルギーを与えたというのに貪欲なことです。まあいいでしょう、待たせた侘びにとっておきの食事を振舞ってあげましょうか。そして、腹を満たしたらウルトラマンたちを始末してもらいますか。その後は、宇宙の墓場にでも封印してあげましょう」

 我々の作る理想の世界に、あのような醜い生き物は人類同様に不要だと、ヴィットーリオはジュリオと暗い笑みを交し合った。

 果たして、彼らはいったい何をもってウルトラマンたちを倒そうというのだろう。確かなのは、あのジョゼフと対等に取引できるほどの力と、悪魔的な智謀を持つ彼らが確信を持ってウルトラマンを倒せると言っているということだ。

 彼らは内に秘めたどす黒い計画を隠しながら、神々しい表情でブリミルを信奉する教徒たちに向かって告げる。

「さあ、忠勇なる神の使徒の皆さん。私と共にゆきましょう。同じハルケギニアの人間が争わなければならないとは悲しいことです。ですがこれは、真の信仰を迷える人々に知らしめすための正義の進軍なのです。始祖ブリミルも、我らの行く先に加護を惜しまないことでしょう!」

 怒涛の歓呼のうねりが天地に轟き、十数万のロマリア・ガリア連合軍はトリステインに向かって進撃を開始した。

 その勢力は数字上のものだけではなく、後方の補給部隊、さらにこれから加わるであろう義勇兵も合わせればハルケギニア空前のものとなるであろう。当然これには数多くの新聞記者なども加わり、事の詳細はハルケギニアの各地で見守っている人々へと時を置かずして届けられる。

 対して、迎え撃つトリステイン軍は数万。しかしアルビオンとの連携が加わったトリステインは難攻不落を誇る。

 勝敗の行方は誰にもわからない。しかし、神が間違ったものに勝利を与えるはずがないのだから、この戦いの結果が与えるものはハルケギニアの行く末を大きく左右するのは誰の目にも明白だった。

 六千年間ブリミル教の総本山であったロマリアか、そのロマリアに反旗を翻したトリステインか。真の神の威光はどちらにあるのか、人々は口に出さずともそれを待ちわびていた。

 例外は、事の真相を知るガリア王ジョゼフくらいであったろう。彼はガリア軍に出撃を命じはしたものの、トリステインで起こるこれからのことに関しては、教皇の御手並み拝見とばかりに無干渉でいくことを決めていた。

「神様気取りの似非救世主どのがどこまでやるか、せいぜい酒の肴に楽しませてもらおう。それであらためて聖戦となれば予定通り、しくじってまた余が無能王に転落するとしても、それはそれでおもしろい」

 最良と最悪のどちらに転んでも自分には損がないと、ジョゼフはシェフィールドに酌をさせながら、よい退屈しのぎができるとほくそ笑んでいた。

 

 

 それから数日、街道はガリア・ロマリア連合軍の進撃で河のようにうねる。行く先の人々は川底の小石のようにひれ伏し、その流れが通り過ぎるのをただ待つしかない。

 トリステインの領内へと、連合軍は抵抗無く侵入した。その侵攻先の町や村には無抵抗宣言が許され、連合軍はなんの損害も無く領内深くへと進撃していく。

 だが、決戦場である首都トリスタニアではそうはいかないということを連合軍は心得ていた。なにせ相手は異端を恐れずに反旗を翻してきた者たちであるから、死に物狂いの抵抗をしてくるに違いない。

 

 その予想は正しく、トリスタニアではアンリエッタを信じる国民総出で要塞化が進められていた。

 戦いに加わらない民は避難させたが、残った民は兵に志願したり、炊き出しを手伝ったり救護所を設置したりと、彼らもまた士気は高い。それに、トリステインの各地からも、女王を信じることに決めた人々が続々と集まって、兵力は増大し続けている。

 

 決戦は、ざっと見積もって一週間後。

 しかし……ハルケギニアの歴史に確実に残るであろう大戦も、真実から目をそらさせるためのショーに過ぎない。

 そんな茶番のために犠牲になる命など、ひとつもあってはいけないと、教皇の本性を知る人たちは使命感を強める。

 

 そして、教皇がもはや些事だと関心を移した東方号では、東方号の改造が昼夜を分かたず進められていた。

「そうか、とうとうロマリアが動き出したか……できれば、東方号の改造が終わるまでは待っていてほしかったが……そうもいかないようだね」

 コルベールは、改造途中の東方号を見上げてつぶやいた。

 キングザウルス三世によって大きな損害を受けた東方号の修理と改造は、急ピッチで続けているものの、決して順調とは言えない。損傷した部品や材料こそラグドリアン湖に沈んでいた船から取り出すことができるが、合うように加工するにはまた別の作業が必要だ。経験を積んで、コルベールや工員たちも手並みは上がってきてはいるけれども、地球の鋼材の扱いはやはり簡単なものではなかった。

「鉄板を割ってみてわかったが、一枚の鉄板を何層にも区切って別の焼入れをしているとは驚いたね。より薄く、より強くする工夫なのだろうな。いつかは再現してみたいものだが、今はかえって手間が増えるばかりか……」

 見えないところにも数々の工夫がこらされていることに、向上意識を燃え上がらせられるのと、加工に手間がかかって困ることの板ばさみがコルベールを悩ませている。研究は進めているが、成果が出るのは何年後かになって今はとても間に合わない。

 しかし、やるしかない。ハルケギニア産の鋼鉄では潜水艦改造には品質が足りないので、扱いづらい地球の鋼鉄をなんとか曲げてくっつけてを繰り返して、その疲労は並大抵ではなく、一部の職人からはコルベールに不満がぶつけられていた。

「もううんざりです! こんな硬すぎる鉄を曲げたりつなげたりなんて難しすぎる。ゲルマニア産の鋼鉄に変えてください」

 職人の不満ももっともであった。しかしコルベールは彼らに対して、諭すように言ったのだ。

「君たちの苦労は私もよくわかっているつもりだ。しかし、よいものを作るには材料からして妥協してはいかんのです。悪いものに逃げれば、後で必ず災厄が自分に返ってきます。それに、君たちの苦労は君たちにとっても損ではありません。今、君たちが扱っている鉄はハルケギニアで一番頑丈な鉄です。これを加工する経験を積んでいるのは、世界でもここにいる君たちだけ……すなわち、君たちは世界一の職人になる修行をここで積んでいるのです。将来、トリステインが鉄を必要とするあらゆるものを作るときに、君たちは引く手あまたで迎えられるでしょう。それは当然、世界一の高給取りになれるということです!」

 熱弁するコルベールの、高給取りになれるという言葉に職人たちの心は揺れた。魔法で作業を行えるメイジに比べて、手作業で進める平民の職人の地位は低い。しかし、誰にもできない技術があれば、たとえメイジでも見返すことは出来る。

「いいでしょう。我々にも誇りがあります。ミスタ・コルベール、あなたの言葉を信じていいのですな?」

「私の杖にかけて約束します。なにより、君たちほどの職人を利にさといクルデンホルフが見逃すはずはないでしょうね。あとは、やり遂げたという実績だけです」

 コルベールが寝食を忘れて働いている姿を見続けてきた職人たちは、コルベールの言葉を信じた。木端に扱われる平民の職人でも高給取りになれる。そうすればいい暮らしができ、家族にも楽をさせられるという思いが彼らのやる気を呼び起こしたのだ。

 人間にとって、気力ほど大事な力は無い。どんなにうわべだけ飾っても、誇り無くして作られたものはもろく、後世に伝えられることはない。コルベールがほしいものは、”本物”なのだ。

 だが、努力は惜しまなくしても物理的に足りないものはどうしようもない。作業は遅れ気味で、コルベールも悩んでいる。

 優先度でいえば、人々の聖戦に対する意思が揺れている今しかアンリエッタが世界に訴え出るチャンスはないのはわかっているけれども、やはり何にも増して時間が足りない。本来なら船の建造や改造というものは、何ヶ月、何年単位でやるものなのに、無茶振りにもほどがある。

 不要な部分は可能な限り切り詰めて、潜水用の耐圧区画の設置に全力を注いでもなお足りない。かといって作業が雑になれば、ラグドリアンの水圧に負けてぺしゃんこにされてしまう。水の精霊は、自分たちの聖域に近づきたいのであれば相応の実力を示せと言ったという。人間の代表として、無様な姿はさらせない。

 コルベールは作業の指揮をしながら、自らも得意の炎の魔法で鋼材の加工を手伝っている。なにせ半端な火力ではろくに曲がってもくれないのだから、コルベールをはじめとして火のメイジの火力はおおいに頼りにされていた。

 ただし、頼りにされるということは、それだけ負担が大きくのしかかってくるということでもある。

「ミス・ツェルプストー、もうそろそろ休みたまえ。これ以上魔法を使い続けたら、君の体が持たないぞ」

 コルベールは、溶鉱炉で炎を使い続けているキュルケを心配して言った。

「大丈夫ですわ……まだまだ、このくらいではわたしの精神力は尽きません……」

 しかしキュルケは頬がこけ、顔はすすで汚れて、髪はカサカサになっている。それでもキュルケは杖を離そうとはしなかったので、コルベールは少し厳しく言い聞かせた。

「ミス・ツェルプストー、確かにトライアングルクラスの君の魔法は頼りにしているよ。しかし、もう何日も働きづめじゃないか! これでは精神力の前に、君の体が持たないぞ。休みたまえ」

「心配いりませんわ。わたしが頑張れば、それだけタバサに近づくんですもの……今、頑張らないと」

「だからだよ。ミス・タバサが帰ってきたときに、君が倒れていたとなれば彼女はどう思うかね? 君一人で無理しなくとも、石炭でより高い熱を出す技法がアルビオンから伝わってきたんだ。大丈夫、君が休んでいるあいだの穴はちゃんと埋める」

「でも、わたしにできることは」

「私はここの責任者である前に教師だ。生徒の体の心配をする義務がある。それに最近の君は焦りすぎだ……まったくもって、いつもの君らしくないぞ。人を食った態度で、魔法学院中の男を手玉にとって遊んでいた”微熱”はどこに行ったかね? 今の君は燃え上がる炎どころか、燃えつきかけの炭火みたいなものだ」

「……」

「もう一度言うよ、休みたまえ。君にがんばってもらわなければならない戦いは、まだまだ先に待っている。ミス・タバサに、そんなやせこけた顔を見せるつもりかね? さあ、熱い湯を浴びてぐっすり寝てくるんだ。なあに、私はこれでも若い頃に慣らしたものでね」

「わかりました……しばらく休んできます」

 コルベールに強くすすめられて、キュルケはふらつく足取りで作業場を後にした。

 そのまま宿舎の部屋に帰り、言われたとおりに風呂で熱いお湯を浴びてベッドに倒れこんだ。

 横になったとたんに、疲れがどっと押し寄せてくる。意識しないつもりでいたが、やはり疲れがそうとうに溜まっていたらしい。

「ミスタ・コルベールの、言うとおり、ね……わたしらしくない、か……ごめんタバサ、少し、休むね」

 ろくに髪も拭いていないまま、キュルケは泥のようにそれから何時間も眠り続けた。

 夢の中で、平和だった頃の学院での思い出が蘇ってくる。

 意気揚々とゲルマニアから留学してきて以来、学院ではいろいろなことがあった。初心な男子生徒をからかって、毎夜とっかえひっかえ遊ぶのは楽しかったし、自分の魅力の無さを棚に上げてヒステリーを向けてくる女子をあざ笑うのもおもしろかった。

 でも、一番印象に強いのはタバサとの思い出だ。はじめて杖を向け合ってから、タバサといっしょに、性格の悪い上級生をのめしたし、いろいろなトラブルに首を突っ込んだり、冒険を共にしてきた。

 留学してきて、本当によかったと思う。今ではタバサだけではなく、ルイズやモンモランシーをはじめ、昔では考えられなかったほどの友がいる。

 でも、自分はタバサを守ってあげることができなかった。だから、今度こそなんとしてでもタバサを連れ戻す。それが自分の、義務なのだ。

 長い眠りの中で、キュルケは夢の中でタバサの声を聞いたような気がした。夢の中でもタバサは相変わらず無表情で、でも心配そうに「キュルケ、無理しないで」と言ってくれていたような気がする。

「う、うぅーん。よく寝たわね」

 久しぶりに気持ちのいい目覚めをしたようにキュルケは背伸びした。ミスタ・コルベールのおせっかいとも思ったが、やはり疲れをとるのにはたっぷりと寝るのが一番だったようだ。

 出かける前に、ギーシュかギムリでもからかって遊んでいこうかと思う余裕も戻っていた。身支度を整え、化粧をしてキュルケは部屋を出た。

 ところが、宿舎を出たところで、はっとキュルケは人の視線を感じて振り返った。すると、そこに立っていたのは。

「えっ! タ、タバサ!?」

 目を疑った。夢の続きを見ているのかと思った。だが、ざっと五メイルばかり離れた場所に立っている少女の青い髪や、顔に比べて大きなメガネや涼しげな瞳は、自分の記憶にあるタバサそのものだ。

 だが、こんな場所にタバサがいるわけがない? いったいどういうことなの? と、キュルケが声をかけることもできずに戸惑っていると、突然目の前のタバサそっくりの少女は無言のまま踵を返して走り出した。

「あっ! ま、待ってタバサ!」

 慌ててキュルケはタバサそっくりの少女を追った。

 人気の無い道に、砂利を踏みしめる足音が乱暴に響く。しかしどんなに一生懸命追いかけても、タバサそっくりの少女はまるで自分の影法師のように一定の距離のままで、まるで追いつくことができなかった。

「どうなってるの! わたし、これでも足は速いほうのはずなのに。こうなったら……でも」

 いくら追いつけなくても、タバサそっくりの相手に魔法を使うことはためらわれた。

 そうしてどれだけ走っただろうか。気がつくと、キュルケは港の桟橋まで来ていた。

「はあ、ハァ……もう後ろはないわよ。タバサ、あなたタバサなの? どうしてこんなところに、あなたいったい」

 追い詰めたタバサそっくりの少女に向かってキュルケは問い詰めた。

 他人の空似というには服装までそのままで、見れば見るほどタバサそのものとしか思えない。だが本物のタバサなら、自分を見て黙って逃げるなんて絶対にないはずだ。

 なら、このタバサはいったい何者? なにかの罠か? だがいったい誰がなんのために?

 しかしタバサそっくりの少女はキュルケの問いかけにも無表情のままで答えず、代わりにゆっくりと左手を上げると人差し指で空を刺して見せた。

「なに? 上になにかあるって……えっ! あれっ!?」

 空を見上げても、そこには黒雲があるだけ。すぐにキュルケは視線を相手に戻そうとしたが、自分の目を疑った。なんと、タバサそっくりの少女は、キュルケが視線を外した一瞬のうちに消えてしまっていたのだ。

「タバサ! どこ? タバサ、タバサ!」

 周り中を見渡して姿を探しても、タバサそっくりの少女の姿は煙のように完全に消えうせてしまっていた。魔法で姿を消したというわけでもなく、それどころかこの場所に他人がいたという気配さえ、なにも残ってはいなかった。

 キツネにつままれたような表情で、呆然と立ち尽くすキュルケ。火の系統である自分は、うっすらであるが人間の体温の痕跡を追うこともできるが、それさえない。まるで、水になって消え去ってしまったかのようだ……いや、そんな馬鹿な。

「まだ相当に疲れてるみたいね。幻覚なんて見るなんて……薬をもらいにいったほうがいいのかしら」

 こんなんじゃ、みんなの足手まといになっちゃうわね、と、キュルケは自分がかなり危なくなってきているんじゃないかと額を押さえた。

 それにしてもリアルな幻覚だった。顔だけじゃなく、身なりや体格までタバサそのものと言っていい。フェイス・チェンジの魔法で顔だけは変えることができるが、体格までとなるとそうはいかない。

「まるで幽霊ね。うう、縁起でもないわ! それじゃタバサが化けて出たみたいじゃないの。タバサは生きてる、必ず生きてるんだから」

 自分に言い聞かせるようにキュルケはつぶやいた。

 幽霊なんかじゃない。百歩譲って幽霊だとしても、タバサが自分をはげますために送ってきた生霊に違いない。

「幻のタバサに励まされてるようじゃわたしもまだまだね。そういえば、あのタバサは最後に空を指差してたけど……あら?」

 ふと、再び空を見上げたキュルケの目に奇妙なものが映った。暗雲に閉ざされて、空が見えないはずのそこに、不気味に脈動する星のようなものが輝いていた。

 あれはいったい? 星? いや、あんな禍々しい光りかたをする星なんかあるはずがない。

 だが、キュルケが戸惑っているうちに、不気味な光はなにもなかったかのように消えてしまったのだ。

「なんだったのかしら……また、幻なの? ああ、どうなっちゃったのよわたしの目は!」

 次から次へとありうるはずのない不可思議なものばかりが見えるとは、自分の頭と目はおかしくなってしまったのかとキュルケは自慢の赤い髪が波打つほど頭をかきむしった。

 

 だが、キュルケの見たものは夢でも幻でもなかったのだ。

 何者の警告なのか、確かに空のかなたからハルケギニアに巨大な脅威が迫りつつあった。

 それは、遠い宇宙からやってきた、文字通り星ほどの大きさのある巨大な怪獣。球形の体を持ち、青白いガスをまとって飛行するその怪獣の軌道は、そのまま飛び続ければハルケギニアに直撃するコースを辿っていた。

 もし直撃を許せばハルケギニアは壊滅してしまうだろう。しかし空が閉ざされている今、ハルケギニアの人々にそれを知る術はない。いや、仮に知れたとしても、ハルケギニアの人間には宇宙から迫ってきている怪獣をどうすることもできなかっただろう。

 一日、二日、時は流れ、巨大怪獣は進路を変えずにハルケギニアの星へと近づき続けてきた。さらに三日、四日と時が流れるにつれ、もしも空が晴れていたら夜空に不気味に輝く新しい星が生まれていることがわかったはずだ。

 残念ながら、人間の目で見れる真実の範囲は限られている。ただし、人間ではない超能力を持つ者たち、すなわちウルトラマンたちは、この宇宙からの脅威を捉えることができた。

「惑星軌道にまで接近されたら止めようがなくなる。まだ遠くにいる今のうちに止める以外に手は無い」

 ウルトラマンヒカリは、怪獣がハルケギニアから遠いうちにしか安全に処理する方法はないとして、すでに飛び立とうと変身していた。

 しかし、いくらウルトラマンでも宇宙に飛び立てば帰ってくるまでにそれなりの時間がかかる。無傷で帰ってこれるかの保障もないので、用心のために彼はモロボシ・ダンと連絡をとっていた。

「セブン、私が行っている間に万一のことがありましたら頼みます」

「わかった。だが、くれぐれも気をつけていけ。このタイミングでの襲来が、単なる偶然だと楽観することはできん。なにが待ち受けているか、わからんぞ」

「肝に銘じておきます。ここから見た限りですが、あの怪獣には見覚えがあります。進路を変えてやるのは不可能ではないはずですが、あなたの言うとおりに何が待ち受けているか……では、行ってきます」

 ヒカリは飛び立ち、暗雲をナイトシュートで打ち抜くと、そのまま大気圏を脱出して宇宙空間へ出た。

 ハルケギニアの星は今や黒く覆い尽くされ、本来の青く美しい姿は見る影もない。ヒカリはかつて自分が愛した神秘の惑星アーヴの最期を思い出して胸が痛くなる思いを覚えたが、巨大怪獣が落下すれば被害は救いようも無いレベルで拡大してしまう。なんとしても食い止めねばいけない。

 そのとき、ハルケギニアの星から暗雲を貫いて、もうひとりのウルトラマンが飛び出した。ジャスティスも、この危機を感づいて飛び立ってきたのだった。

 一方、ティファニアと同化しているコスモスは来ていない。もちろん、コスモスもその超感覚で異変をキャッチしていたが、ジャスティスに止められていた。

「これは私だけで充分だ。お前は万一に備えて星で待機していろ」

 ジャスティスは慎重を期してコスモスを残らせた。それに、まだティファニアと一体化して日が浅い上に、ティファニアを宇宙に連れて行くのは彼女の負担が大きいと判断した。

 怪獣の一匹程度ならば自分だけでいい。コスモスも出て行って、留守中にハルケギニアに強力な怪獣が現れたということになれば間抜けとしか言いようが無い。

 だが、ジャスティス、それにヒカリにとって幸いにも、飛び立ったウルトラマンは自分だけではなかった。

「これでウルトラマンが二人……だが、この不安はなんだ。なにか、とてつもなく邪悪な何かが待っているような。この感覚……まさか」

 ヒカリの胸に、忘れようとしても忘れられない不吉な予感がよぎる。

 まさか……いや、今は一刻も早く巨大怪獣を止めることが先だ。確証のないことに振り回されて、目的を見失ってはならないとヒカリは自分を戒めながら速度を高めた。

 

 しかし、それからすぐにヒカリの予感は最悪の形で的中することになる。

 封じ込められている次元のはざまを、もはや耐えられないとばかりに力づくで破って脱出を図ろうとする一匹の怪獣。そいつは現実空間を覗き込むと、ハルケギニアに向かって突き進む巨大怪獣を見つけてうれしそうにつぶやいた。

「ウマソウダ」

 

 教皇の罠が完成し、守護者を欠いたトリステインに危機が迫っている。果たして、ハルケギニアはどうなってしまうのであろうか。

 

 

 続く

 



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第44話  再来の捕食王

 第44話

 再来の捕食王

 

 超巨大天体生物 ディグローブ

 高次元捕食体 ボガールモンス

 高次元捕食王 アークボガール 登場!

 

 

 ロマリア・ガリア軍がトリステインに進撃を開始し、かつてない動乱を迎えつつあるハルケギニア。

 トリステインに大挙して侵入したガリア・ロマリア連合軍。彼らはトリステイン軍が最初から防衛戦をおこなうつもりがなかったことで、道中の町や村を占領しつつ、無傷のまま侵攻を続けた。

 侵攻開始から五日。戦争が始まったというのに、一部の事故を除いては犠牲者は出ていない。これは、ロマリアが「トリステインを真の信仰の元へと解放する」ことを大義名分として、暴行や略奪を厳禁していたからだ。

 しかしトリスタニアに集まる者には、異端者アンリエッタ女王に加担するものとして容赦ない攻撃が加えられるに違いない。

 全世界がこの戦争の行方を見つめている。結末がハルケギニアの運命の大きな分岐点になるであろうことを望んで、世界中で新聞が飛ぶように売れていた。

 そして七日目の朝。ついにロマリア・ガリア連合軍がトリスタニアの郊外へと姿を現した。

 ロマリア軍の先頭に立つのは教皇ヴィットーリオ。対してアンリエッタも要塞都市となったトリスタニアの外周でこれに対峙した。

 

「親愛なるアンリエッタ女王陛下。それにトリスタニアにこもるトリステイン国民の皆さん。私はロマリア教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレです。私は始祖に代わって寛大なる慈悲の心を持ってあなた方に訴えます。今からでも遅くありません。無謀な行為をやめて神の前にひざまづくのです。信仰に目覚めたすべての人に対して、私は罪を問わないことを誓約します」

 

「教皇陛下。いえ、ハルケギニアを闇に染めようという闇の勢力の尖兵よ。この期に及んで甘言も茶番も必要ありません。このトリスタニアに集ったものは皆、その覚悟があってここにいるものだけです。わたしは誰一人として、この戦いに強制はさせていません。人は、信じるものは自分自身で選ぶことができます。それが、この世に生まれてきた人間すべてが持つ自由という権利ですあり、その権利のもとで、わたしたちは聖戦を否定しています。その自由を踏みにじり、力ずくでの隷属を望むというのであれば、それは侵略であり、侵略者に対してわたしたちは決して屈することはありません」

 

 ぬるい妥協の可能性は最初の時点で雲散霧消し、アンリエッタの断固とした意志が双方の軍に伝わった瞬間に戦いの幕は切って落とされた。

 トリスタニアへと進撃してくるロマリア・ガリア軍。砲兵、弓兵、重装兵、歩兵、そしてメイジのゴーレムが津波のようにひとつの都市を飲み込まんと迫り来る姿は、トリステインの兵に武者震いを起こさせた。

 対してトリステイン軍の布陣は徹底した守り。戦いに勝つことは最初から想定せず、人命を確保しつつ陣地を可能な限り維持して時間を稼ぐよう作られている。例えるならば甲羅にこもった亀だ。

 この守りは半端な攻撃ではビクともしない。これは冗談ではなく、城砦や要塞というものは正面攻撃で抜くことは古今東西困難であり、有名なところでは、大阪冬の陣、北条攻め、マジノ線などはからめ手や迂回などを使って攻略している。

 ロマリア・ガリア軍の将軍たちもそれは重々理解しているので、攻撃は慎重だ。しかしそれは戦いを長引かせたいトリステインの思う壺でもあった。

 

 もっとも、教皇は戦線の状況などには一切の興味を持っていなかった。

「まあ最初のうちくらいは戦争ごっこを楽しませてあげましょう。本当に楽しいことは、その後に待っているのですからね」

 やろうと思えばトリステインを滅ぼすくらいのことはすぐにでもできる。しかし、この世界をきれいにするためには先住民同士で争わせて自滅させるのが最良であるので、派手に破壊活動をするのは控えねばならない。

 なに、慌てる必要は無い。最大の不安要因に対しての手はすでに打ってある。それさえ除いてしまえば、こんな未開な星の人間などどうとでもできる。

 高みの見物をする戦争は賑やかで華やかで、退屈しのぎの娯楽としては最高のものだろう。この場所に同席している各国の新聞記者たちも、戦況の一挙一頭足に興奮しているに違いない。

 そして記者たちは、近いうちに特ダネをものにすることができるだろう。ヴィットーリオやジュリオは、彼らを幸運だろうと思う。世界が滅びるその前に、自らの職業の花道を飾ることができるのだから。

「教皇陛下、アルビオンの空中艦隊が接近してきます」

「前線の部隊を後退させなさい。このままでは城砦と空からの挟み撃ちにあいますよ。神の使徒の命を粗末にしてはいけません」

 教皇の慈悲溢れるお言葉に感激して、ロマリア・ガリア連合軍が生き物のようにさぁっと動いた。

 まったくたやすいものだ。妄信する人間は糸で吊る人形よりも操りやすい。彼らは自分たちの主が自分たちを侮蔑しているとは夢にも思っていない。いや、彼らは慈愛溢れる教皇陛下のもとで神の使徒として戦うという夢に溺れているのだ。

 だが、目の前のトリステインは別だ。あの女王はこともあろうに、数千年をかけて育て上げてきたブリミル教への服従心に反抗するという暴挙に出てきた。最後まで夢を見続けていれば幸せなものを、ならば甘い夢とは違う厳しい現実を教えてあげようではないか。

 トリスタニアを舞台にした四国の攻防戦の開幕はトリステイン軍優勢から始まり、世界中の新聞はトップ記事としてこれを飾った。

 が、人間たちの視点では大事件でも、宇宙はそんなこととは関係なしに動いていく。

 

 

 動乱の渦中から遠く離れて、人間たちの知らない宇宙のかなたからハルケギニアに危機が迫りつつあった。

 小惑星ほどもある巨大怪獣の接近。これのハルケギニアへの激突を許せば、ハルケギニアは文字通り消滅してしまうだろう。

 人間の力では対処のしようがない事態に、ウルトラマンヒカリとウルトラマンジャスティスは宇宙へと飛び立った。

 

 

 しかしこれは罠であり、最悪の展開と敵が待ち受けていることを、ふたりはまだ知らない。

 

 

 二つの月に見守られた星を背にして、二人のウルトラマンは外惑星軌道を目指して急いでいる。

 ハルケギニアの星のある太陽系は、ハルケギニアと地球が瓜二つなことを反映したかのように、九つの惑星から成り立ち、ハルケギニアの星はその第三番惑星であった。

 ヒカリとジャスティスが目指しているのは、第五番惑星軌道。太陽系で言えば、木星軌道に当たる空間であり、そこでならハルケギニアに被害を及ぼすことなく怪獣を処理することができる。

 ウルトラマンの飛行速度であればあっという間に、ヒカリとジャスティスは目的の空間に到達した。ふたりは初対面ではあるが、互いの活躍はウルトラマンとして知り合っていた。

「来たぞ」

「大きいな。やはり生物か」

 無駄口や馴れ合いは好まない彼らの対話は簡素だった。しかし、無駄口を叩いている暇などはないくらいに、巨大怪獣は猛スピードで二人の視界へと入ってきた。

 月のような赤茶けた球形の体に頭と尻尾が生えたような、異様な姿の巨大生物は彗星のような青白いガスをまといながら漆黒の宇宙空間を猛進している。ヒカリは、間近でその姿を見たことで、やはりと記憶の一部を蘇らせていた。

「思ったとおり、私がメビウスと地球に向かっていたときに遭遇した怪獣と同種のものだな。ふたつの宇宙に同種の怪獣が生息していたのか……それとも」

 超巨大天体生物ディグローブ。それがこの怪獣の名前である。文字通り天体規模のスケールを持つ巨大生命体であり、ヒカリの知っているM78次元でこれを上回るのは無限に成長する類を除けば暗黒怪獣バキューモンくらい。ジャスティスの知っているうちでも、地球生命を消滅させようとした巨大兵器、ファイナルリセッター・ギガエンドラも相当な大きさがあったが、こいつはそれよりも大きかった。

 ディグローブは、ふたりのウルトラマンなど目に入っていないように、本物の彗星のごとく宇宙を驀進している。その威容はすさまじく、以前にヒカリとメビウスが遭遇したものとまったく変わらない。

「こんなものが墜落したら、星のどこに落ちようと惑星規模の災害になるぞ。大地震が起こり、津波が大陸を沈め、火山が噴火して気候がめちゃめちゃに破壊される。そして何十万という数の生物が絶滅し、氷河期がやってくる」

「星の生命の歴史が強制的にリセットされるわけか。自然の営みならば手を出すべきところではないが……どうする?」

「止める。この接近が百パーセント自然のものであったとしても、今のハルケギニアの人類になす術はない。じゅうぶんな進歩を遂げた上で、それでもダメならば彼らの責任だが、身の丈を超えた災厄が降りかかるのであれば、先を行く者が守らねばなるまい」

 ヒカリはディグローブを止めることをジャスティスに告げた。人や生命は試練によって成長するが、麦を踏むのも強すぎると枯らしてしまうように、障害にも限度がある。未熟な生命が試練を受けられるようになるまで守るのが、ウルトラマンの使命だ。

 ジャスティスは無言でうなづく。口には出さないが、あの星の人々が持つ希望を、こんな形で失わせてはいけない。

 ならばどうするか? ヒカリが以前遭遇した個体は彗星怪獣ガイガレードが取り付いて進路を狂わせていたので、ガイガレードを倒すことで進路を変えさせることができたが、今度はそういきそうもない。

「手段は?」

「攻撃して、無理にでも軌道を動かすしかない」

「やはり、それしかないだろうな」

 この怪獣は質量がありすぎて、取り付いて力づくで動かせるような代物ではない。増してや惑星間を飛行する膨大な運動エネルギーを得ている相手の前に立ちはだかったところで、鯨の前の小魚のようになってしまうだろう。

 方法はひとつ、横合いから強力な光線をぶつけて方向転換させる。怪獣を殺さず、ハルケギニアへの危機を回避するにはほかに方法がない。

 ヒカリが右手のナイトブレスにエネルギーを集中し、ジャスティスが頭上に掲げた両腕の間にエネルギーを集める。

 狙うのは怪獣の頭部の側面。人間でいえば横っ面をひっぱたくのだ!

 

『ナイトシュート!』

『ビクトリューム光線!』

 

 青と赤の光芒が宙を裂き、デャグローブの木の根に似た頭の側面に突き刺さる。たまらずに頭を振り、球体の体を激しく振動させてディグローブは苦しんだ。

 ようし、効いている。それに、今の攻撃で奴のスピードも若干緩んだようだ。

 

「もう一撃だ」

「よし!」

 

 怪獣の進行は確実に鈍っている。今の攻撃はふたりとも手加減したつもりはなく、もしどちらかひとりだけであったら巨大怪獣に攻撃が通用しなかったかもしれないが、やはりひとりよりも二人のほうが力は何倍にも高まるようだ。

 宇宙空間では地球上などに比べてエネルギーの消耗も少なく、光線技も存分に使える。ヒカリとジャスティスは必殺光線の第二波攻撃の構えに入った。

 だが、その瞬間。

 

 

「ジャマヲ、スルナ」

 

 

 突如、ふたりのウルトラマンの脳裏に強烈で邪悪な思念波が送られてきた。それは、聞くだけで怖気立つほどどす黒い怒りの念が込められていて、しかもふたりにはその声に聞き覚えがあった。

 

「この声、まさか!」

「やはり貴様か、貴様の声を私が聞き間違えるはずはない……姿を現せ、ボガール!」

 

 ヒカリの叫びに呼応するかのように、空間が揺れ、星空に大きな亀裂が走った。

 そのままガラスを割るかのように空間の亀裂は広がり、裂け目に巨大なかぎ爪がかけられて一気に引き裂かれる。そして、大きく口を開いた次元の裂け目から姿を現した禍々しい巨体は。

 

「貴様は!?」

「ボガールモンス……とうとう見つけたぞ」

 

 刺々しい体と鋭い目つき、背中に翼のような捕食器官を供えたその容姿。見間違えるはずはない、ヒカリにとって因縁の相手、かつて命と引き換えに倒した貪欲なる高次元捕食生命体ボガールモンス。

 以前、レッサーボガールを操ってアニマル星を襲撃し、この世界に潜んでいる痕跡を追ってやってきたが、やっと姿を現したのか。ヒカリの心を、捨て去ったはずの憎悪の残滓がちくちくと刺す。

 また、ジャスティスにとってはハルケギニアで何度も戦った相手でもある。しかし、奴は確かハルケギニアの月での戦いで。

「貴様、確かに倒したはず。いったいどうやって蘇ったのだ?」

 ボガールモンスは、あのときの戦いでベムスターごとダグリューム光線で葬ったはずだ。あの爆発の中で生き残れるとは思えない。

 だが、ボガールモンスはジャスティスの問いかけには答えずに、いきなりふたりに襲い掛かってきた。

「シネッ」

「くっ!」

 巨大な腕を振りたてての突進を、ヒカリとジャスティスはかろうじて回避した。

 どうやら、話をする気は少しも無いようだ。もしや、この巨大怪獣を呼び寄せたのもボガールかとヒカリは推測した。無限の食欲を持つボガールならばじゅうぶんに有りうることだ。

 それは、半分正解で半分外れていた。

 死んだはずのボガールモンスの再出現ははもちろん偶然ではない。あのとき、ボガールモンスはジャスティスとの戦いに敗れて致命傷を受けた。しかし死の寸前、次元のはざまに引き込まれて一命だけはとりとめ、その後長い時間をかけて再生を続けてきたのだった。

 そして、ボガールモンスを拾い上げたものこそ、今トリスタニアで戦争ごっこを楽しんでいるあの男である。

「ほう、とうとう我慢できずに飛び出しましたか。けっこうけっこう、それでこそわざわざエネルギーをあげて蘇らせてあげたかいがあります。ですが、エネルギーは得ても、実際に『食べる』感触を禁じられてきたフラストレーションは限界にまで高まっていることでしょう。その貪欲さと憎悪で、見事我々の敵を蹴散らしてください。あなたには、それだけの力がまだ隠されているのですから、フフ……」

 ウルトラマンを圧倒するパワーと、怪獣を呼び寄せる能力には利用価値があると見込んで救い上げた。しかし、懐柔しようと呼びかけても、その凶暴すぎる性格ゆえにコントロールするのは無理だと結論づけざるを得なかったが、ならば別の利用法をするまでだ。そのために、わざわざディグローブという、ボガールモンスとウルトラマンのどちらも飛びつくエサを呼び寄せたのだから。

 意味ありげに微笑したヴィットーリオの考えていることを、そばに控えた神官や将軍たちはジュリオ以外に知る者はいない。

 果たして教皇は何を企んで一度敗れたはずのボガールモンスを出現させたのか。確かなのは、彼らがすでに勝利を確信しているということだけである。

 だが、すでに賽は投げられた。ふたりのウルトラマンは、蘇った貪欲なる悪魔への闘志を燃やす。

「貴様はどこにいても災厄を撒き散らす。今度こそ、お前の悪行にこの私が引導を渡してやる」

「どうやって蘇ったかは知らないが、せっかく拾った命でも貴様は宇宙を欲望のままに食い散らかすのをやめないか。貴様には、未来に希望を持つ必要はないようだな。今度は逃がしはしないぞ」

 ヒカリとジャスティスは、共に己の信念の下にボガールモンスを迎え撃つ決意を定めた。ボガールはほっておけば永久無尽蔵に生命を食い続ける。それこそ、宇宙がカラになるまで食い続ける、生きたブラックホールのようなやつなのだ。宇宙の平和のために、絶対に見逃すことはできない。

 宇宙空間を舞台にして、二大ウルトラマンとボガールモンスの決闘が開始された。

「シュワ!」

 向かってくるボガールモンスの攻撃を、ヒカリのナイトビームブレードとジャスティスのパンチが迎え撃つ。

 刹那、強烈なる一撃が宇宙の真空に衝撃を響かせ、競り負けたボガールの悲鳴が一瞬遅れて響く。ヒカリがナイトビームブレードでボガールの攻撃を受け止め、その隙にジャスティスががら空きのボガールモンスのボディに一撃を叩き込んだのだ。

 むろん、ボガールモンスはこのくらいでまいるほど弱くは無い。攻撃を受けた勢いで間合いを稼ぐと、首の後ろの発光器官から光の触手を伸ばして攻撃をかけてきた。

「ヘヤッ」

「デュワッ」

 蛇のように向かってくる触手を、ヒカリとジャスティスは飛行して回避した。追尾性を持つ触手は、ふたりを追ってなおも迫ってくる。

 しかし、ふたりにとっては一度見た技である。手品の種が割れているなら驚かされることはない。ふたりはボガールモンス本体へ向けて攻撃を放った。

『ブレードスラッシュ!』

『ジャスティスマッシュ!』

 矢尻状の光弾とエネルギー弾がボガールモンスに命中して火花をあげる。と、同時にボガールモンスから伸びていた光の触手も力を失って消滅した。触手がいくらうっとおしくしても、出所を叩いてしまえばいいだけなのだ。

 触手で攻撃するのに集中力を注いでいたためにボガールモンスは回避ができず、まともに反撃を受けてしまってよろめいている。そこへ、ヒカリとジャスティスは間髪いれずに追撃を放った。

「デヤアァッ!」

 一瞬で間合いを詰めたヒカリのナイトビームブレードがボガールモンスの右腕を切り落とし、ジャスティスのかかと落しがボガールモンスの頭をへこませる。

 脳震盪を起こし、さらによろけるボガールモンス。しかしヒカリとジャスティスは攻撃の手を緩める気はない。

「この場所ならば、貴様が爆発してもどこにも被害が及ぶことはない。遠慮はしないぞ」

「貴様の逃げ足の速さはよく知っている。前よりもパワーアップしているようだが、今回は相手が悪かったな」

 不利と見れば即座に逃げ去ってしまうボガールの狡猾さと、倒せば周囲を巻き込んだ爆発を起こすことを承知しているふたりは、手加減するつもりなどは毛頭無かった。

 ジャスティスのパンチの連打がボガールモンスのボディを打ち、ヒカリチョップがボガールモンスのとげの一本を切り飛ばす。

 ボガールモンスもやられっぱなしでいるだけではなく、電撃光線を発射して反撃してくる。しかし、これもヒカリとジャスティスは余裕を持って避けて、加速をつけたキックを二人同時にお見舞いした。

「シュァッ!」

 ダブルキックをまともに喰らって、ボガールモンスは大きく吹き飛ばされた。ボガールモンスも当然高い飛行能力を持っているが、受けたダメージの大きさのせいで姿勢制御できず、きりもみしながら飛ばされていった。

「オオノレェェェェーッ!」

 ボガールモンスは、自分が以前敗れたときよりパワーアップしているつもりであった。だが、相手はそんなにパワーが増したようにも思えないのに、まるで歯が立たない。

 ウルトラ戦士が持つ使命感や絆の力がボガールモンスにはわからない。わかるのは、このまま戦えば自分が死ぬということだけだ。

 逃げなければと、ボガールモンスの生存本能が必死に訴えている。誇りなどを持たずに食欲だけを行動原理とするボガールは、必要とあれば逃げることを一切ためらわない。

 が、そんな習性は誰よりもヒカリが見通していた。

『ナイトシュート!』

 ヒカリの放った必殺の光波熱線がボガールモンスの背中の捕食器官兼飛行器官になっている翼の半分を消し飛ばした。

「よし、やった。これで奴は異空間に逃げ込むことはできない」

 狡猾なボガールを一度逃してしまったら、再度捉えるのは困難を要する。しかし飛行器官が半減しては異空間へ逃げ込むスピードも落ち、逃げられる前にじゅうぶん阻止できる。

 対して、ボガールモンスは自分が追い詰められてしまったことを十分理解していた。まずい、このままではやられる、どうにかしなくては、だが逃げられない、どうすれば。

 奴は状況を打開するために、あらゆる方法を模索した。しかし、能力のすべてを知られている以上、なにをやってもすぐに対処されてしまう。考えれば考えるほど、自分がすでに詰んでいるという事実しか結論に出てこない。それでも、ボガールモンスはまだあきらめてはいなかった。

「マダダ、マダ、クイタリナイノニ」

 飢えたまま死にたくない、もっともっとご馳走が欲しいという、底なしの食欲。ボガールの本質はどこまで追い詰められても変わらない。

 だからこそ、奴の生態系もなにもかもを無視した暴食を止めようと、ヒカリとジャスティスはとどめの一撃を放つために身構えた。

「これで終わりだ」

 ナイトシュートとビクトリューム光線の同時発射の態勢をとり、狙いを定める。これで、今度こそ二度と蘇ってこないように粉々に粉砕してくれる。

 だが、ふたりが今まさに必殺光線を放とうとした瞬間、ふたりの眼前に突如巨大な影が立ちはだかった。

「なにっ!?」

「小惑星怪獣! 戻ってきたのか」

 なんと、ヒカリとジャスティスに向かってディグローブがすさまじい勢いで突進してきたのだ。ふたりはとっさに回避して難を逃れたが、ディグローブはさらに反転してふたりに迫ってくる。

「くっ、自分の進行を邪魔されて怒っているのか」

「今はかまっている暇はないというのにっ! 待て、奴はどうした!」

 そのとき、ヒカリとジャスティスは、一瞬目を離した隙にボガールモンスがいなくなっていることに気づいた。

 どこだ、どこへ行った? ふたりはディグローブの突進をかわしながら賢明にボガールモンスを探した。

 まだ遠くには行っていないはずだ。あの傷ではそう速くは飛べないし、時空に穴を開けた気配もしなかった。

 奴はまだ近くにいる。ならばどこに? このあたりには隠れる場所などないはず。いや、まさか!

 ふたりはディグローブの体の上を凝視した。すると、やはり。

「ファハハハハ、ハーッハッハッハ!」

 ディグローブの上にボガールモンスが乗っていた。

「奴め、あんなところに」

 ジャスティスは悔しげに吐き捨てた。あの一瞬で、ディグローブの上が安全だと判断して移動したというのか。どこまでも悪知恵だけは働く奴だ。

 だが、場所を移動しただけではどのみち逃げられない。宇宙空間ではウルトラマンの三分間の制限もないからだ。

 しょせんは一時しのぎ。しかし、奴のあの勝ち誇ったような高笑いはなんだ? それに気づいたとき、ヒカリの背筋に絶対零度の氷河が流れた。

「まさか、やめろボガール!」

 ヒカリが叫んだその瞬間だった。ボガールモンスは背中の捕食器官を大きく開き、ディグローブに食いついて丸呑みにしていったのだ。

「なんだと!?」

 ジャスティスが戦慄したようにつぶやく。小惑星大のサイズがあるディグローブを七九メートルしかないボガールモンスが呑み込んでいくのは悪夢のような光景だ。だが、ボガールは第一形態でも惑星アーブの生命体を根こそぎ食いつくしてしまったほどの胃袋を持ち、その食べられる容量は想像を絶する。

 ふたりの見ている前で、あっという間にディグローブはボガールモンスに呑み込まれて消滅してしまった。

 そして、ディグローブを呑み込んだボガールモンスはうれしそうに叫びをあげた。

「ウマイ、ウマカッタゾ! オオ、カラダニ力が溢れてくる。ふははは、これはすごいぞおぉぉぉ!」

 膨大なエネルギーを腹に収めたことで、ボガールモンスの体全体が心臓のように激しく脈打つ。そして、ひときわ高い歓喜の声が上がった瞬間、ボガールモンスの体が大爆発を起こした。

「ぬあぁっ! じ、自爆したのかっ?」

「いや、違う。これは!」

 惑星規模の爆発からバリアで身を守りながら、ジャスティスとヒカリは衝撃波が通り過ぎるのを待った。

 ボガールモンスはエネルギーの過負荷で自爆したのか? いや、そうではない。ボガールを倒すために、ボガールの生態を調査してきたヒカリは最悪の展開を予感していた。それは、つまり。

 熱と衝撃が通り過ぎ、視界が再び開ける。そしてヒカリとジャスティスは、ボガールモンスのいた空間で君臨する禍々しい赤い怪獣を見た。

 

「フッハッハッハ! はっはっはっ! このみなぎるパワー! あふれ出すエネルギー! 生まれ変わった。我は生まれ変わったのだぁーっ!」

 

 それは、もはやボガールモンスではなかった。姿形としては、進化前のボガールに酷似しているが、さらに巨大になって全身が赤紫色に毒々しく染まり、頭部には太く湾曲した角が生え、両腕の鍵爪も倍以上に大きくなっている。

 そしてなにより、奴から感じるエネルギー量がケタ外れに上がっている。もう間違いは無い。ヒカリは、この場所に自分たちとボガールを誘い出した敵の真の目的を悟った。

「……アークボガール」

「なんだと?」

「ボガール族の最終形態、ボガールマスターと呼ばれる、奴らの究極の姿だ」

「そうか……なるほど、私にもわかったぞ。あの小惑星怪獣は、最初から私たちをハルケギニアから離れた場所におびき出し、奴に吸収させて進化させるために用意された囮だったというわけだ」

 ジャスティスも、見るだけではるかにパワーアップしたことがわかるボガールの変わりように戦慄を覚えながらうなづいた。

 アークボガール。その名は、あの暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人の側近、暗黒四天王のかつての邪将の座に見ることができ、その実力はそれぞれメビウスを後一歩のところまで追い詰めた悪質宇宙人メフィラス星人、冷凍星人グローザム、策謀宇宙人デスレムに勝るとも劣らないと言われている。

 しかし、何よりも食欲を優先するボガール一族の例に反せず、アークボガールはエンペラ星人の命令に従わずに宇宙を食い荒らし続けたためにエンペラ星人の怒りを買い、ブラックホールに封印されたという。

 が、逆に言えば封印だけで済まされる点が、エンペラ星人がアークボガールを高く評価していたという証拠でもあるだろう。不要と見れば同じ四天王であるメフィラス星人をもあっさりと処刑した、あのエンペラ星人がである。

 

 生まれ変わった喜びに高笑いを続けるアークボガール。だが奴は、己の敵のことを忘れてはいなかった。

「さて、まずは貴様らには我を生まれ変わらせてくれた礼をしなくてはいかんな。お前たちにも堪能させてやろう、恐怖と絶望の味をな」

 アークボガールからの敵意を受けて、ヒカリとジャスティスはとっさに身構えた。

 来る! 奴はパワーアップした自分の力を試すつもりだ。急速に接近してくるアークボガールに対して、ふたりも全力で突進してパンチを放つ。

「テヤアァァッ!」

 すれ違いざまの一瞬の攻防。しかし、悲鳴をあげたのはふたりのウルトラマンのほうだった。

「グアッ!」

「ウワアッ!」

 ヒカリとジャスティスの攻撃は、強烈な衝撃波をまとって突進してきたアークボガールの前に弾き飛ばされてしまった。アークボガールにはかすり傷ひとつなく、奴は胸を揺すりながら笑った。

「ふっははは、そんなものか貴様らの力は。まるで歯ごたえが無いぞ、攻撃というのはこうするのだぁっ!」

 アークボガールの巨大な爪が振り下ろされ、ヒカリとジャスティスの体が切り裂かれて火花があがる。

「ヌワァ! ぐ、なんというパワーだ」

 攻撃力はボガールモンスより格段に上がっている。あの爪の一撃を何発も受けたら危険だ。ヒカリとジャスティスは、ブレードスラッシュとジャスティスマッシュを同時に放って、いったん間合いをとろうと試みたが。

「馬鹿め! 飛び道具ならこちらにもあるぞ」

 アークボガールは手から紫色の光弾を放ってブレードスラッシュとジャスティスマッシュを相殺し、そのまま体当たりを仕掛けてきた。

 巨体にぶつけられ、またも大きく跳ね飛ばされるふたり。パワーだけでなく、スピードの上昇もすさまじい。

「どうしたどうした、さっきまでの勢いは? こんなものではオードブルにもならんぞぉ!」

 進化によって知能も向上したのか、非常に饒舌になったアークボガールはあざ笑いながら攻め立ててくる。

 アークボガールの腕が振り下ろされるたびにヒカリとジャスティスが傷つき、対してふたりの攻撃は膨大なエネルギーの後ろ盾を得たアークボガールのボディには通らない。

 単純な物理攻撃の威力だけでも、戯れに軽く蹴りが出されることでさえふたりには脅威となっていた。さらに、手から放ってくるエネルギー弾の威力もものすごい。

「ボガールめ、ここまで強くなっているとは!」

「長引くと不利になる一方だ。一気に決めるぞ!」

 危険を察知したジャスティスの言葉にヒカリも即座にうなづいた。様子見をしていられるような相手ではない。

 アークボガールの攻撃に合わせて、ふたりはキックを打ち込むことで、その反動で間合いをとることに成功した。そしてそのまま、全力のパワーで必殺光線を撃ち放った。

 

『ナイトシュート!』

『ビクトリューム光線!』

 

 先ほどディグローブに撃ち込んだときも手加減はしなかったが、今度はさらに必殺の気合を込めている。ふたつの光線はらせん状に絡まりあい、一気にアークボガールに叩き込まれた……かのように見えたが。

「ふぁはっはっは、その程度か? お前たちのパワーは」

「なにっ!」

「私たちの光線を、吸収しただと!」

 ふたりの放った光線は、アークボガールの胸へと確かに当たりはした。しかし、奴の体は光線のエネルギーを、砂場に撒かれた水のように軽々と吸い込んでしまったのだ。

 まったくダメージがないどころか、さらにパワーアップしたオーラをほとばしらせるアークボガール。対して、ダメージの蓄積と光線技の全力発射でヒカリとジャスティスのカラータイマーは点滅を始めてしまった。そして、苦しそうに肩で息をしているふたりに向かって、アークボガールは勝ち誇ったように告げた。

「馬鹿者どもめ、我にとってはお前たちの攻撃などドリンクと同じよ。お前たちの攻撃が、我の血となり肉となるのだ」

 アークボガールは進化によって、ベムスターなどと同じように、攻撃をそのまま自分に吸収する能力まで得てしまったようだ。これでは、こちらの決め技が逆に相手を助けることになる。なんということだ。

「さあて、余興にもそろそろ飽きてきたところだ。お遊びはそろそろ終わりにしようか」

 嘲りと共に放たれたアークボガールの勝利宣言。しかし、ヒカリとジャスティスはまだあきらめてはいない。残ったエネルギーを振り絞って、アークボガールに向かっていった。

「ウオォォォッ!」

「デヤァァァッ!」

「余興は終わりだと、そう言ったはずだぞ? ハアァァァッ!!」

 突っ込んでくるヒカリとジャスティスに対して、アークボガールは全身から強力なエネルギー衝撃波を放った。全方向に広がりながら迎えてくる赤黒いエネルギーの奔流は、瞬く間にヒカリとジャスティスを呑み込んで吹き飛ばしていく。

「ウワァァァーッ!」

 まるで惑星の爆発に至近で巻き込まれたような衝撃は、ふたりのウルトラマンを打ちのめすには十分すぎるものだった。

 アークボガールの攻撃は、その場所から数百万キロ離れた空間に浮いている木星に似たガス惑星の大気を揺さぶり、さらにかなたのアステロイド帯を砕くまで届いてやっと止まった。

 圧倒的な破壊力。それをまともに受けてしまい、カラータイマーを弱弱しく点滅させながら、宙を漂うヒカリとジャスティス。アークボガールは、抵抗力を失ってしまったふたりを見下しながら高らかに笑った。

「ファハハハ! そんなものかお前たちの力は。ハッハッハ、ここでお前たちを餌食にしてやってもよいが、それではいまひとつ興が乗らん。まずは、我が再誕の晩餐としてあの惑星を味わってくることにしよう。お前たちはそこで、自分の無力を嘆いているがいい。その悲嘆と絶望を味付けにして、最後にデザートとしていただいてくれる。ファハッハハハ!」

「ま、待て……」

 ハルケギニアの方向へと飛び去っていくアークボガールを引きとめようとしたジャスティスの声も、あっという間に飛び去っていったアークボガールには届かなかった。

 すでに二人にはアークボガールを追う力は残っておらず、ダメージを受けた体を維持するだけで精一杯だ。だが、アークボガールはすぐにでもハルケギニアに到達してしまうだろう。

 ヒカリは、この最悪の事態をもう自分たちでは止められないことを悟った。

「ま、まずい。このままでは、あの星が……くっ、頼む、届いてくれ!」

 わずかに残ったエネルギーを振り絞り、ヒカリはハルケギニアに残った仲間たちに向けて超光速通信ウルトラサインを送った。

 

 

 そして、ヒカリの懸念は最悪の形で的中した。

 アークボガールは生命溢れるハルケギニアの星に舌なめずりしながら接近し、その食欲の赴くままに、もっともうまそうな匂いのする場所へ狙いを定めて降り立ったのだ。

「ハッハハハ! ここだ、この湖から、この星でもっとも強い生命エネルギーを感じるぞ。我がメインディッシュとして選ばれたことを光栄に思うがいい!」

 巨体を揺らし、降り立ったのはラグドリアン湖の湖畔であった。周囲では、突然現れた怪獣におののいて人間たちが悲鳴を上げながら逃げていくが、アークボガールにとってはなんの興味の対象にもなっていない。いや、うまそうな食事を前にしたアークボガールにとっては、空を覆う虫の雲も、世界の異変もなにもかもがどうでもいいことでしかなかった。

 ボガール一族の目的は、例外なく『食すこと』ただ一点にあり、ほかのすべてがその手段であって付属物でしかない。自分が誰かの陰謀で動かされているかもしれないなどということは興味の対象外であり、自己の保存と満足な捕食に勝ることなど何もないのだ。

 アークボガールは湖畔に立つと、ボガールがそうしたように背中の捕食器官を大きく広げた。そして、湖に腹を向けると、真空ポンプのように湖を吸い取り始めたのである。

「フハハハ! なんという濃い生命エネルギーに満ちた水よ。やはり、我の目に狂いはなかったわ。さあ、このまま一滴残らず吸い取ってくれるわ!」

 竜巻に海水が吸い取られていく何百倍もの勢いで、ラグドリアン湖の水がアークボガールの体に呑み込まれていった。

 このままでは、数分もしないうちにラグドリアン湖は枯れ果ててしまうだろう。湖に住まう水の精霊も必死に抵抗を試みようとしたが、惑星さえ食い尽くすアークボガールの胃袋の前には無意味でしかなかった。

 だが、このままアークボガールに好きにさせては星が破壊されてしまう。教皇にとって、これは計算外だったのか? いや、ヴィットーリオはそんなに浅はかではない。アークボガールが星を破壊しようとするとき、必ずそれを食い止めようとする者が現れることも想定していたのだ。

 ラグドリアン湖を食い続けるアークボガールが、突如横合いからの衝撃を受けて吹っ飛ばされた。

「うぉっ!? むぅ……ほほお、ここにもまだ、我に歯向かう愚か者がおったか。おもしろい、お前たちもスパイス代わりに味わってくれようぞ」

 アークボガールは腕を振り上げて戦闘態勢をとった。そのエネルギーは、ラグドリアン湖から得た生命エネルギーでさらに上がっている。

 対して、アークボガールの前に立つのは二体。しかし、その雰囲気は悲壮感に溢れて、その後ろに立つテンガロンハットの男の表情にも苦渋がにじんでいた。

「ヒカリ、お前のウルトラサインは確かに受け取った。私たちもできる限りやってみよう……頼むぞ、ミクラス! ウインダム! アークボガールを倒せ!」

 雄たけびをあげて突進していく雄牛に似た怪獣と、機械音をあげて駆けて行く銀色の機械の怪獣。アークボガールは嘲り笑いながら、二体の挑戦を一歩も引かずに受けて立った。

 

 

 続く

 



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第45話  守護者なき世界

 第45話

 守護者なき世界

 

 カプセル怪獣 ミクラス

 カプセル怪獣 ウインダム

 高次元捕食王 アークボガール 登場!

 

 

 その日、ベアトリスが街を離れていたのも、偶然という名の運命であったかもしれない。

 急を要する東方号の改造。しかし始まってしまった戦争は、トリスタニアから遠く離れたラグドリアン近辺にも影響を及ぼし、資材の不足や工員の逃亡などで、その調整に責任者であるベアトリスは頭を悩ませていた。

 もとより、クルデンホルフ本国でも、東方号には莫大な予算がかかるために快く思っていない者が少なくない。それに加えて、戦争の勃発によりクルデンホルフ本国からも帰国指示が来ていて、ベアトリスの心労は増える一方であった。

 そんなやつれていく姿を見かねたエーコたちが、少しの気分転換にとラグドリアン湖への遠乗りを提案したのである。

 しかしそこで、彼女たちは信じられないものを見ることになるのだった。

 

「なによあれ。み、湖が干上がっていくわ……」

 ベアトリスとエーコたちが見ている前で、なみなみと水をたたえたラグドリアン湖の水位が見る見るうちに下がっていっていた。

 こんな馬鹿なことって、悪夢でも見ているのだろうか? ラグドリアン湖の水量は学者が計算したところでは、トリステインを丸ごと水没させてお釣りが来るほどの圧倒的な膨大さを誇るはずなのに……しかもそれを、たった一匹の怪獣が吸い込んでいるだなんて。

 突然空から降りてきた怪獣が、ラグドリアンの水をとてつもない勢いで胸に吸い取っていたのだ。もちろん、そこに住む生き物もいっしょに飲み込んでいく上で、奴は愉快そうな笑い声をあげた。

「フハハハ! なんという濃い生命エネルギーに満ちた水よ。やはり、我の目に狂いはなかったわ。さあ、このまま一滴残らず吸い取ってくれるわ!」

「か、怪獣がしゃべった……」

 見るからに怪物然とした怪獣が流暢にしゃべったことで、唖然としてベアトリスたちは目の前の巨大怪獣・アークボガールを見上げた。

 まったくなんという偶然か、ベアトリスたちが遠乗りを楽しんでいた湖畔はアークボガールの着地した地点から百メートルばかりしか離れていない。アークボガールからしたら人間など歯牙にかける価値もないので見逃されているが、人間からしたら目の前の光景は悪夢そのものだ。

 ともかくここにいては危険だ。我を忘れて立ち尽くすベアトリスを、エーコたちが必死に避難するようにうながした。

「姫殿下、は、はやく逃げましょう」

「はっ! そうね、早く行きましょう!」

 ベアトリスも、すでに何度も間近で怪獣を見ているので、声をかけられれば立ち直りは早かった。確かに目の前の出来事は一大事だが、今自分たちがここにいたところで何もできることはない。

 しかし、慌てて馬にまたがろうとしたときだった。アークボガールの吸引力の一端がベアトリスを捉えてしまったのだ。

「きゃあぁぁっ!」

「姫さま!」

「ビーコ! 掴まってっ!」

 宙に浮き上がりかけていたベアトリスをビーコが掴まえて、ビーコをエーコとシーコがしっかりと掴んで飛ばされるのを防いだ。

 しかし吸引力は余波に過ぎないというのに竜巻のようなすさまじい強さだ。彼女たちの乗ってきた馬はあっというまにアークボガールにひきずりこまれてしまい、彼女たちが飛ばされないようにしがみついている木もミシミシとうなっている。

「ビーコ、手を離して! このままじゃあなたたちまで吸い込まれちゃうわ」

「そんなこと、できるわけないじゃないですかぁっ!」

 ベアトリスが命じても、エーコ、ビーコ、シーコの結束は強かった。決して手を離すまいと渾身の力を込め、普通なら木の葉のように舞い上げられるところをかろうじて耐えていた。

 しかし、耐えられたのは本当にわずかなあいだだけで、四人がまとめて地面から引き剥がされかけた、その瞬間だった。

 

「ミクラス、行け!」

 

 目をつぶって、もうだめか、と、あきらめかけていた彼女たちの耳に、なにか重いもの同士がぶつかったような轟音が響いたかと思ったとき、突然引き込まれていた力がなくなった。

「きゃあっ!」

「あわっ!?」

 宙に浮きかけていたのが解放されたので、四人は折り重なるようにして地面に落ちてもつれあった。

 その拍子に、ベアトリスのツインテールがエーコ、ビーコ、シーコに絡み合って、四人はまるでだんご状態だ。

「痛い痛い! エーコ、シーコ、髪を引っ張らないで!」

「そ、そんなこと言っても! ビーコそっち右、シーコそっち左! いったい何が起こったっていうの……ああっ! ひ、姫さま、あの人は!」

 慌てふためいた様子のエーコの声に、ベアトリスたちは何事かと首だけをなんとかまわしてそちらの方向を見た。そして、そこにいたテンガロンハットをかぶった男の姿を見て同様に驚いた。そう、彼こそ以前バキシムの魔の手から自分たちを救ってくれた、あの風来坊。

「ダンさん!」

 ウルトラセブンの仮の姿、モロボシ・ダンがそこにいた。

 一転して、ベアトリスたちの表情が輝く。あのとき以来、ダンは彼女たちにとってもう一度会いたいと願い続けてきた恩人であり憧れの人になっていたのだ。

 しかし、ダンには以前にバキシムと戦ったときのような余裕は無い。敵は最強クラスの怪獣であるアークボガール……しかも、今のダンはセブンに変身することはできない。

 すでに、ヒカリからの必死のウルトラサインによって何が起こったのかは知らされていた。ウルトラマンふたりを軽々と撃退する力……暗黒四天王に所属していたアークボガールとは別個体とはいえ、その実力にはほとんど差はあるまいと思われた。

 こちらの戦力はカプセル怪獣二体のみ。アークボガールはミクラスとウインダムを見て、よい余興が来たとばかりにあざ笑った。

「ほほお、ここにもまだ、我に歯向かう愚か者がおったか。おもしろい、お前たちもスパイス代わりに味わってくれようぞ」

 ウルトラ戦士を一蹴する実力を持つアークボガールにとって、怪獣二体くらいは警戒にも値しないに違いない。ダンもそのことをよくわかっている。本来ならば、ウルトラ兄弟の少なくとも半数以上は集まってやっと戦える相手だ。

 だが、やるしかない。ここで戦わねばラグドリアン湖は確実に飲み干され、味を占めたアークボガールは瞬く間に惑星全体を食い尽くしてしまうに違いないからだ。

「ヒカリ、お前のウルトラサインは確かに受け取った。私たちもできる限りやってみよう……頼むぞ、ミクラス! ウインダム! アークボガールを倒せ!」

 ダンの命令が飛び、ミクラスとウインダムは恐れることなく一直線にアークボガールへ立ち向かっていった。

 対して、アークボガールはかわす気配もなしに、まずはミクラスの突進を受け止めた。驚くべきことに、片手で軽々とミクラスを受け止めて、小揺るぎもしないで押さえつけている。

「どうしたどうした? まるで手ごたえが無いぞ? もっとパワーを入れて攻めてこんか」

 無造作にミクラスを投げ捨てると、アークボガールはもう一体の敵であるウインダムと向かい合った。

 ミクラスよりもパワーで劣るウインダムが同じように突進を仕掛けても勝ち目は無い。ウィンダムは頭部のランプから白色のレーザービームを放った。が……

「はっはっは、これは心地よいシャワーではないか。いくらでも撃ってくるがいい、喜んで受けてやろうではないか」

 ビームはアークボガールの皮膚にはじかれるばかりで、まるで応えている様子はなかった。ヒカリやジャスティスのビームに比べれば、吸収して栄養にする価値もないということなのだろう。ビームを撃つのをやめたウインダムに、奴は「もう終わりか?」とせせら笑う余裕を見せてくる。

 単独で戦っても勝負にすらならない。ダンは覚悟していたとはいえ、アークボガールとのあいだに計り知れない地力の差があることを痛感させられた。

 が、まだあきらめるには早すぎる。ほんのひとかけらでも勝機を見つけるために、ダンの命令が飛ぶ。

「ミクラス、ウインダム、バラバラではダメだ。コンビネーションで攻めろ!」

 単独で無理なら力を合わせるのだと、ミクラスとウインダムは今度は同時に攻撃を仕掛けた。

 まずは素早いウインダムがアークボガールの懐に飛び込んで攻撃を誘い、かわして隙ができたところにミクラスが体当たりをかける。

「うおっ? ほお、少しはがんばるではないか。そうでなくてはおもしろくない」

 無防備のボディに体当たりされて、はじめてアークボガールが後ずさった。

 しかし、ダメージにはなっていない。ミクラスの全力が当たれば、大概の怪獣はひとたまりも無いはずなのに、すさまじい防御力だ。

 それでも、一発でだめなら二発目をと、ミクラスは再度突進する。今度はウインダムはレーザーショットをアークボガールの顔に浴びせて目くらましにし、ミクラスの体当たりとともにアークボガールとよっつに組み合うことになった。

「ほう、力比べか? 光の国の家畜だけあって少しはやるようだが、我に勝てるかな?」

 ミクラスはアークボガールを投げ飛ばそうと、ありったけの力を全身から蒸気が沸くほど込めた。だが、アークボガールはびくともせずに、そのままミクラスを持ち上げると、あっさりと投げ捨ててしまったのだ。

 ラグドリアンの湖畔を転がり、ミクラスは湖に頭を突っ込んでやっと止まった。アークボガールはそんなミクラスをさらにあざ笑う。

「ひ弱だな。ナイフとフォークより重いものを持ったことがないのではないか? ファハハハ」

 力自慢のミクラスにとって、この上ない侮辱であった。アークボガールは背後から後頭部にチョップをかましてきたウインダムの攻撃も意に介さずに、背中にパンチを浴びせてくるウインダムを軽く裏拳でふっ飛ばしてしまう。

「メタル星のポンコツが、お前の攻撃など、スープがはねた程度にも感じぬというのがまだわからんか? ん? これはこれは、お前たち二匹で我を前後から挟み撃ちに出来る位置にいるようだな。遠慮なくかかってくるがいい。我をサンドイッチにする絶好のチャンスだぞお?」

 アークボガールの挑発。だがアークボガールには、それだけのことをしても何ら問題ないだけの圧倒的すぎる余裕があることを、ダンも、ミクラスとウインダムも、そして戦いを見守り続けていたベアトリスたちも完全に理解していた。

「あの二匹じゃ、勝てない……」

「ダンさん……」

 詳しい理由はわからないが、ダンがあの二体の怪獣を使役しているということは見ているうちに理解できた。また、聡明な理解力を持つ彼女たちは、ダンがこれだけの劣勢にあるのにウルトラセブンへと変身しないことから、なんらかの理由で変身が不能に陥っていることを察してしまっていた。

 才人とルイズ、それにヒカリにだけは知らせているが、セブンが光の国から持ち込めた変身のためのプラズマエネルギーは一度きり。それはバキシムとの戦いで使ってしまった。

 この世界でM78世界のウルトラマンが適応するためには、メビウスやヒカリのように特殊なアイテムを持つか、あるいはエースのように人間と同化するしかない。しかしダンは、いかに緊急を要する事態だとはいえ、ウルトラマンの力を受け継ぐであろう人間を安易に決めるつもりはなかった。

 この場で戦うことができるのは、もはや自分たちのみ。いや、あとひとり……ティファニアと一体化しているコスモスがいるが、ダンは協力に向かおうとするコスモスをテレパシーで止めていた。

「来るな、今ここで君までやられてしまったら、ハルケギニアで戦えるウルトラマンはいなくなってしまう。そうなれば、敵はなんの心配もなくハルケギニアを我が物にしようとするだろう。奴らに総攻撃を躊躇させるための、最後の抑止力を失ってはいかん!」

 ウルトラマンという枷がなくなれば、これまで潜伏していた勢力が一気に動き出してくる。それだけはなんとしても避けねばならない……そのためには、自分たちだけでアークボガールを止めるしかない。

「ミクラス、ウインダム! 次の一撃で勝負を決めるぞ。いいな!」

 ダンの叫びが飛び、ミクラスとウインダムは覚悟を決めた。

 だらだらと長引いてもアークボガールが疲労することはない。なら、奴がこちらをなめているうちに全力を叩きつける以外に手段はない。

 ミクラスは目つきを引き締め、どっかと腰を落として突撃体勢をとる。ウインダムも甲高い機械音の鳴き声をあげて、ミクラス同様に肉弾突撃の構えに入った。

 小細工は不要。この身そのものを弾丸と化して奴にぶっつける。地響きと土煙をあげて突撃していくミクラスとウインダム、アークボガールはほとんど無防備に近い形で受け止めようとしている。

 そして激突! ミクラスとウインダムの吶喊を前後から受けて、アークボガールは自分で言ったとおりにサンドイッチとなったかのように、ベアトリスたちは一瞬期待した。しかし、ダンは冷静に無情な現実を見ていた。

「だめか……」

 ダンは見ていた。二体の挟み撃ちにあっても、アークボガールのボディには少しのダメージもないことを。

 ミクラスとウインダムはアークボガールが身をよじると軽々と振りほどかれ、奴は勝ち誇って高らかに笑った。

「馬鹿めが、己のひ弱さが少しはわかったか、下等生物どもめが。フン、こんなものでは軽い腹ごなしの運動にもなりはせん。だがまあいい、お前たちのような雑魚でも、つまみくらいにはしてやるわ」

 アークボガールの背中の捕食器官が動く。奴は、ミクラスとウインダムをまとめて捕食してしまうつもりなのだ。

 迫り来るアークボガールに対して、ミクラスの赤色熱線とウインダムのレーザービームが当たるが、やはりなんの効果もあげられない。

 そして、ついにアークボガールの口が開かれようとした、そのときだった。

「ミクラス、ウインダム、戻れっ!」

 間一髪、ダンによってカプセルに回収されることで二体は捕食を免れることができた。

 しかし、これでアークボガールに対する勝ち目はなくなってしまった。アークボガールはまったくの無傷、たとえセブンに変身できたとしても、アークボガールを倒すのは無理だろう。

 アークボガールは、まるで無警戒でダンを見下ろしている。

「フッ、つまらん座興だったな。まったく、お前たちウルトラ族は無駄なことばかり熱心だ。それでも礼くらいはしなくてはな。我がこの星を平らげていく様を、我の胃袋の中から見物する権利をくれてやろう」

 捕食器官を広げ、アークボガールはダンに迫った。奴はダンを捕食し、そのままの勢いで惑星全土を食い尽くすつもりなのだ。

 ダンに逃れる術はなく、見守っていたベアトリスたちからも「ダンさん、逃げて!」と悲鳴のような声が響く。

 もはやこれまでか……ダンは、セブンとしての最後の手段を使う覚悟を決めた。

「もう残った手段はこれしかない。アークボガール、私の命に換えても貴様の思い通りにはさせんぞ」

 ダンは決意を込めて、腕を目の前でクロスさせて念を込めた。

「デュワッ!」

「むっ? な、これはぁぁっ!?」

 突然体の異変を感じてアークボガールの動きが止まった。体の自由が利かない? いや、それどころか体の内部に強烈な圧力を感じる。

 アークボガールの声色に初めて困惑と焦りの色が浮かぶ。これは尋常ではない、アークボガールは自分を捕らえている力の正体を知った。

「念力かぁ! おのれ、ここまできてちょこざいな真似を!」

 そう、これがダンがセブンに戻れないときの最後の切り札であるウルトラ念力であった。その力は怪獣数匹をまとめて動けなくしてしまうほど強力で、ダンがMAC隊長として活動していた期間にはこれで数々の怪獣を撃退してきた。

 しかし、これほどの能力がノーリスクであるはずがない。

「貴様ぁっ! ぐうぅぅっ、我を押さえ込むつもりか。そんなことをすれば貴様もどうなるかわかっているのだろうなあ!」

「当然だ。私の命にかえても、貴様だけは絶対に好きにはさせんっ!」

 ウルトラ念力の行使には、ダンの生命力を著しく消耗させ、場合によっては寿命すらも削ってしまう禁断の秘技であり、諸刃の剣であるのだ。

 ダンの額に脂汗が浮かび、食いしばった歯がぎりりと鳴る。アークボガールはなんとか拘束から逃れようともがいたが、ダンのウルトラ念力はアークボガールをがっちりと掴んで締め上げていった。

「ぐおぉぉっ! おのれ、力が入らぬぅっ。メインディッシュを前にして、おのれぇぇっ」

 いくらアークボガールがもがいても、命がけのダンのウルトラ念力は振りほどけなかった。それどころか、反抗すればしようとするほど体内に反発でダメージが蓄積していく。

 このままでは致命的なダメージを受ける。そう判断したアークボガールは、未練を残しながらも背後に青黒くうごめく異次元ゲートを作り出した。

「ここは引いてやろう! だが、貴様もそれほどの力はもう使えまい。ほんの少しディナーを長引かせただけだということを忘れるなよぉーっ!」

 そう言い捨てると、アークボガールは最後の力で後ずさって異次元ゲートの中へと消えた。

 ゲートが閉じると、あたりはそれまでのことが嘘だったかのように静けさに包まれた。風がゆっくりと生暖かく過ぎていき、水位がやや下がったラグドリアン湖が小さな波を白く立てて凪いでいる。

 ベアトリスたちは、あの怪物は去ったのかと、ほっと胸をなでおろした。しかし、ダンに視線を移した瞬間、彼が力を失って倒れこむ姿を見てしまったのだ。

「ダンさん!」

 顔を青ざめさせて、ベアトリスたちはダンに駆け寄った。

 倒れたダンは、気を失っているのか固く目を閉じて、瀕死の病人のように荒く息をついている。ベアトリスたちがいくら呼びかけても返事はなく、まさかと思ってダンの額に手を当てたビーコは愕然とした。

「あつっ!? ひ、ひどい熱。信じられない」

「なんですって! シーコ、すぐに馬を探してきて! ダンさんを医者のところまで運ばなくちゃ」

「は、はいっ!」

 シーコが緑色の髪を振り乱しながら、『フライ』の魔法で町の方向へと飛んでいった。

 ダンは相変わらず呼びかけても返事をしてくれず、その苦しそうな表情を見てベアトリスたちの胸は痛んだ。

「ダンさん……そうだわ! エーコ、わたしのハンカチを湖の水で濡らしてきて。少しでも熱を下げるのよ」

「は、はいっ! わかりました」

「エーコ、わたしのハンカチも持っていって、たぶん三枚あってもすぐに足りなくなるわ」

 ビーコからもハンカチを受け取って、エーコは急いで駆けていった。

 ベアトリスたちは、自分たちが氷を作る魔法が不得意であることを心から悔やんだ。作ることができなくはないが、氷のうにできるような適当な大きさに調節が難しい。

 だが、泣き言は言っていられない。

「ダンさん、あなたがあの怪獣を追い払ってくれたんでしょう? 絶対に助けるから待ってて。わたしたちは、みんなあなたともう一度会いたいと願ってたんだから」

 ダンからは、自分たち皆が返しても返しきれないほどの大きな恩を受けている。恩を受けたからにはきちんと返すのが貴族の道。いや、ティラとティアに習うまでもなく、恩に報いるのは人の道だ。

 しばらくして、シーコが馬に乗って急いで戻ってきた。ベアトリスたちは、ダンを馬に乗せると、一刻も早く医者に診せるべく拍車をかけるのだった。

 

 

 それから数時間後。ダンの姿は湖からほど近い小さな町の宿のベッドの上にあった。

「久しぶりだね。今度は私が君たちに助けられてしまったか。ありがとう、礼を言うよ」

 一時は人間にはありえないほどの高熱を出していたが、時間が経つにつれてしだいに落ち着き、目を覚ましたときには普通にしゃべるくらいには問題ないくらいに回復していた。

 しかし、体力の消耗は著しく、ベッドから起きることはできない。ダンは、目覚めたときに自分を心配そうに見下ろすベアトリスたちの眼差しから、彼女たちに助けられたことを察して礼を言い、ベアトリスたちは、その以前と変わらないダンの優しげな笑顔と言葉にほっとして涙を浮かべた。

「よかった……呼んだ医者も、とても手がつけられないと逃げ出すものだから、もうダメかと絶望しかけてたんだから。ダンさん、もう加減はいいの? わたしたち……」

「心配は要らない、峠は越したようだ。私の体は人間とは違うから、医者を責めないであげてくれ。君たちも、元気そうでなによりだ」

 ダンの言葉に、ベアトリスたちはようやく心から安堵した。ダンの言った、人間ではないという言葉は彼女たちにはもう問題にする価値もないことだ。彼女たちの前にいるのは、ただひとりの恩人であり友人だ。

 ベアトリスと、それからエーコたちもひとりひとりダンとの再会を喜び合った。しかし、積もる話は山ほどあるが、今はそれを語り合っている場合ではない。

「君たち、私のことはもういい。それより今はアークボガールのことが問題だ」

「アークボガール? あの怪獣のことかしら? でもあいつは、ダンさんが追い払ったんでしょう」

「いや、あんなものであきらめる奴じゃない。体勢を立て直したら必ずまた現れる。私が倒れてから今まで、どれくらい経ったかね?」

「えっ? 三時間、いえもう四時間になるかしら」

 それを聞いて、ダンの表情に深刻な色が浮かんだ。

「そうか、もう一刻の猶予もないな。君たち、事情は私も仲間から聞いている。今すぐ、ラグドリアン湖の底の水の精霊の都に行くんだ!」

「えっ! 今すぐってそんな。まだ準備もぜんぜんできてないのよ」

 ベアトリスたちは仰天した。東方号の改装は遅れ気味で、まだとても出港できた状態ではないと聞いている。しかしダンは真剣だった。

「無理は承知している。だが、アークボガールが再度現れたときに、また追い返す力は私には残っていない。そして、再び奴が現れたときに迎え撃てるウルトラマンは今ハルケギニアにいないのだ」

「ええっ!?」

 絶句した。あれほどの怪獣が現れるというのに、ウルトラマンが来られない? 軍隊はトリスタニアで戦争の真っ最中で、とても余裕なんてないというのに。

 そしてアークボガールが再び現れたときに起こる惨状をベアトリスたちは思い浮かべた。手始めにラグドリアン湖は干上がらされ、トリステイン全土が、果てはハルケギニア全土のありとあらゆるものが食い尽くされてしまう。

「ウルトラマンAは? 彼はどうしたんですか」

「残念だが、消息不明だ。エースのことだから無事だとは思うが、今来ることはできないようだ。よしんば来れたとしても、アークボガールはウルトラマン数人分に匹敵する力を持っている恐るべき敵だ。エース単独での勝機は薄い。だから今のうちに、湖の底にあるという異世界への扉を通して、私の世界に応援を要請するんだ」

「ダンさんの世界……やっぱり、ダンさんは違う世界からハルケギニアにやってきたんですのね」

「そうだ。私たちは向こうの世界で、宇宙の平和を守る組織に属している者だ。向こうの世界では、私の兄弟たちがヤプールを倒すために扉が開くのを待っている」

 ごくりとつばを飲み込む音が複数響いた。ウルトラマンの仲間たち、それらが来てくれたら今世界を覆う暗雲も一気に晴らしてもらうことができるかもしれない。ベアトリスは、心音が高鳴ってくるのを抑えながらダンにもっとも重要なことを尋ねた。

「それで、あの怪物……アークボガールが再び現れるまで、どれくらいの時間が残っているの?」

「よくて、一日というところだろう」

「い、一日……」

 目まいがして、ベアトリスは倒れこみそうになるところを慌ててエーコたちに支えられた。

 たった一日? たった一日で、人跡未踏の秘境であるラグドリアン湖の底の底にあるという水の精霊の都にたどり着かねばならないというの? ミスタ・コルベールは、万全の状態でも保障はとてもできないという、人間の侵入を到底許さない水圧の地獄だというそこに。

 だが、迷っている時間すらない。ベアトリスは、気力を奮い起こして立ち直った。

「エーコ、ビーコ、シーコ、街に戻るわよ。ミスタ・コルベールと東方号の関係者全員を集めて、今度はわたしたちがダンさんたちに恩を返す番よ」

 無茶は承知だ。しかし、ダンは以前のことに重ねて、今度は死にかけてまで自分たちやハルケギニアのために戦ってくれた。ティラとティアが小さな恩でも命をかけてくれたように、今度は自分の番だ。

 

 

 そして一時間後、風竜を呼び寄せて大急ぎで東方号の母港に戻ったベアトリスは、東方号に関係者を緊急招集し、コルベールに今すぐ東方号を出港させるように命じた。

「無茶です!」

「無茶は承知よ。けど他に方法がないの! オストラントを使って、ラグドリアン湖の底の底へ潜るの。あと、十二時間以内にね」

 ベアトリスの言い出した、無茶にも程がある命令にコルベールは当然反発した。けれど、ベアトリスは真剣だった。

 皆が集められた東方号の甲板の上には、コルベールのほかに、キュルケやシルフィードにファーティマ、船のクルーをかねている銃士隊の面々や、ギーシュたち水精霊騎士隊、それにティラとティアもつめている。

 なお、アニエスとミシェルはトリスタニアでの戦いで指揮をとっており、ここにいる銃士隊は一般隊員だけだ。水精霊騎士隊の面々は、トリスタニアでの防衛戦に参加したがったが、東方号の扱いに習熟したクルーに代わりがいないという理由でコルベールが反対したのでここにいる。ギーシュたちは不満がったけれども、それは戦争に若者をできるだけ関わらせたくないというコルベールの親心だった。未熟なうちに無理をしなくとも、彼らの世代が命をかけるべきときは、今の世代が退いた後からでいい。

 一方で、ティファニアとルクシャナはトリスタニアで王宮にとどまっている。戦争の渦中の場所で危険とも思われたが、教皇が虚無の担い手を狙っているのは明白なので、防備の万全な王宮のほうが安全と判断されたのだ。ルクシャナはその護衛と話し相手もかねており、彼女たちの身辺はミス・ロングビルが見張っており、場合によっては烈風も即座に駆けつける。再びさらわれる危険性は小さいと見られた。

 対して、ファーティマがこちら側にいる訳は、自分がサハラからやってきた使命の半分は果たしたので、もう半分を見届けたいという理由だった。ティファニアとの再会を果たした後、ティファニアはいっしょにいてほしいと懇願したが、どんな理由があろうとも人間同士の争いにエルフの軍属である自分が関わるのはまずいということで身を引いたようだ。

 人それぞれの思いはバラバラだけれども、誰もが自分のいる場所で戦い続けている。だが、大抵のことには驚かないくらい場数を踏んできた彼らでも、予定を大幅に上回る突然の出港命令に戸惑いを隠せないでいた。

 なにせ東方号はキングザウルス三世から受けたダメージすら残っている状態だ。潜水艦への改造は半分もできておらず、まだ工事の真っ最中だというのに。

 しかし、それでもベアトリスの語った、アークボガールの脅威の話は全員を戦慄させるに充分だった。

「ラグドリアン湖を、いやハルケギニアすべてを食い尽くすほどの怪獣が半日後は現れる。しかもウルトラマンたちは今回は来られないって、それは確かに問題だね。本当のことなのかい?」

 ギーシュが話のスケールの大きさに怪訝な表情で尋ねてきた。この街からではさすがにラグドリアン湖の異変はわからず、信じられなかったとしても無理はない。

 だが、そこへエーコたちの姉妹たちと、そのひとりのユウリに肩を支えられながらダンがやってきた。

「ダンさん! まだ休んでないと。ここはわたしが」

「心配はいらないよ。ここはやはり、私からお願いするのが筋だろう。はじめまして、何人かは久しぶりな顔もいるね」

 ダンは穏やかな表情で皆を見渡し、ダンの顔を見た何人かの銃士隊員は驚いて言った。

「あなたは、あのときの超獣を倒したウルトラマン!」

「そう、私の本当の名前はウルトラセブン。この姿のときは、モロボシ・ダンと名乗っている。君たちには弟のエースが世話になっているようだね、ありがとう」

 ほぼ全員が口から心臓が飛び出そうな衝撃を受けたのは言うまでもない。これまで謎の存在であったウルトラマンが、人間の姿で自分たちの前に立っている。

 皆がどう言ったらいいかわからず、ギーシュやギムリなどは目を白黒させながらあわあわしているばかりだ。そんな彼らに、ダンはゆっくりながら真剣な様子で話し始めた。

「聞いて欲しい。今、この世界が外敵に狙われているのは君たちも知ってのことだろう。君たちも何度もヤプールとは戦っているね。最初はヤプールだけだと、我々も思っていた。しかし、今やヤプールにとどまらずに、我々も知らなかった闇の勢力がこの世界を我が物にしようとしている」

 ダンの言葉に、ギーシュたちは教皇やジョゼフのことを思い浮かべた。確かに、ヤプールが彼らの背後についている可能性もあるが、手口がどこか違う気がしないでもない。考えてみれば、同じように卑劣ではあってもヤプールは自分の存在を誇示するように発覚後は派手に動くが、教皇やジョゼフがからんでいると思われる事件では黒幕がわからないように毎回煙にまかれることが多かった。

 納得する皆を見回して、ダンはベアトリスたちに説明したのと同じようにアークボガールの脅威を伝え、さらに話を続けた。

「宇宙には、善も悪もそれぞれ数え切れないほどの生命が住んでいる。私たちウルトラマンは、こことは違う別の世界で平和を守るために戦っている者だ。そして我々は、この世界に侵略を始めたヤプールを倒すために、一度この世界に通じるゲートを作ろうと試みたが、ヤプールによって妨害されて、たどり着けたのは私だけだった」

「じゃあ、ウルトラマンAやほかのウルトラマンは?」

「エースは事故によってこちらの世界に飛ばされてしまったらしい。それから、全員を把握できているわけではないが、この世界に元々いるウルトラマンや、さらに別の世界から来たウルトラマンもいるようだ。だが、敵の勢力はもはや我々だけでは抑えきれないところまで来てしまったようだ。すでに、アークボガールによってふたりのウルトラマンが倒されている」

「な、なんですって!」

 ダンがヒカリとジャスティスのふたりが敗退してしまったことを告げると、場に明らかな動揺が流れた。

「エースは消息がわからず、私はバキシムとの戦いで力を使い切ってウルトラセブンに戻ることができない。今、アークボガールが再び現れたら食い止める手段がないんだ。だから頼む、君たちの力を貸して欲しい」

「そ、そりゃまあ。助けてくれと言われたら助けるのはやぶさかではないですが、いったいどうすればいいんですか?」

「私たちの世界からこちらの世界にやってくるための努力は今でも続けられているはずだ。しかし、問題はこちらの世界の位置を突き止める方法なんだ。ラグドリアン湖の底にあるという異世界への扉からシグナルを送れば、それを辿って私たちの世界でヤプールと戦っていた人間たちや、私と同じウルトラ兄弟がこの世界に来ることができる。そうすれば、アークボガールやヤプールたちとも互角に戦うことができるだろう」

「ウルトラ……兄弟」

 ギーシュたちの顔が一気に輝いた。エースと同じウルトラマンがまだそんなにいるというのか。そうすれば、本当にヤプールらにも勝つことができるかもしれない。

 希望を見つけたことで、ギーシュたち水精霊騎士隊の意見は一気に実現の方向へと動いていった。

 けれど、銃士隊の面々はまだ話のスケールの大きさゆえに納得しきれていない。そこへ、キュルケが断言するように言った。

「私は信じるわ。ミスタ・ダンの言葉をね」

「ミス・ツェルプストー?」

「私は以前、異世界からやってきたウルトラマンAの仲間と会ったことがあるわ。ウルトラマンメビウス、ウルトラマンヒカリとね。残念だけど、そのときには一時的にしかいれないからメビウスは帰ってしまったけど、彼らの力は間違いなくヤプールも恐れるほどだった。だから、私は信じるわ」

 キュルケの言葉の自信のほどに、銃士隊の面々もそれならばとうなづいた。

 

 これで総意は決まった。後は実行手段だけである。

 だが、東方号の責任者であるコルベールの顔は渋かった。

 

「非常に難しいですね。潜水機能自体は元々ついていたものを使えばいいのですが、船体がボロボロなので水中でどこまで動けるものかわかりません。だから潜るというより、ほとんど沈むしかできないと言ったほうがいいでしょう」

「沈むだけ……でも、水の精霊に案内してもらえるんだから、真上から沈んでいけばいいんじゃないの?」

 キュルケが、とにかく辿りつければそれでいいというふうに言うが、コルベールは首を振った。

「それは私も考えた。しかし問題は、中に乗る人間なのだ。今現在、完成しているのはわずかに二割分だけ、ラグドリアン湖の水圧から生きていられる場所はそこしかない」

「そこだけじゃダメなんですか? とにかく辿りつければいいんでしょ」

「船とはそんな簡単なシロモノじゃない。船のこんぴうたあによって、全体を操ることはできるが、なにせいじれるだけいじりまわした後だ。本来なら、各部分を人間の手でサポートしなければならん。それでも、水中で武器を使うのをやめて、航行することも放棄するならいい。だが、本来は耐圧区画は卵のからのように全体がひとつになって強度を維持するようになっているんだ。一部だけだと強度はいちじるしく下がってしまう。なによりテストも一回もしていないんだよ」

 もちろん固定化の魔法で最大限補強した上でのことだ。ラグドリアン湖の深部の水圧はそこまで強烈なので、乗る人間が無事でいられる保障は一片もないと、コルベールは断言した。

 皆が一様に押し黙った。誰だって押し潰されるのも溺れ死ぬのも嫌に決まっている。そんな中で、レイナールが手を上げて意見を述べた。

「要は、水の精霊の都で、その装置を動かせればいいんだろう? なら、ミス・ティラとミス・ティアに潜って持っていってもらえばいいんじゃないかな」

 ティラとティアが水棲宇宙人だということは、銃士隊と水精霊騎士隊には明かされていた。何度も宇宙人に苦戦させられてきた銃士隊は少々難を見せたがベアトリスが強引に説得し、水精霊騎士隊に関してはティラとティアが美少女だという一点だけでも採決率百パーセントであった。

 しかしティラとティアは首を横に振った。

「無理ね。あの湖には一度素もぐりでどこまでいけるか試してみたけど、半分くらいで頭が割れそうになって引き返してきたわ。わたしたちの星の人間は大きな海に住んでいるけど、どんな深さでも大丈夫ってわけじゃないのよ」

「一応言っておくけど、装置を自動にセットして沈めるって手も無理よ。この装置、最後は必ず手動で動かさなきゃいけないようにできてるし、下手に固定化の魔法を強くかけたら動かなくなる可能性もあるよ」

 海棲人パラダイ星人でも、どんな深さでも耐えられるというわけではない。ある時空では、地球侵略に来た海生宇宙人が地球の海の水圧で巨大怪獣になってしまったという。海の底というのはある意味宇宙よりも過酷な世界なのだ。

 と、レイナール案が挫折すると、今度はギーシュが薔薇の花の杖を振りながら考えを述べた。

「ただ潜ればいいっていうなら、頑丈な鉄の玉を用意して、それに入っていけばいいんじゃないかね? 鎖をつけておいて、浮かぶときは引っ張り上げてもらえばいいじゃないか」

「過去にもその方法で潜ろうと試みた学者がいたそうだ。だが、途中で中が酸欠に陥ってしまってあえなく失敗したらしい。水中で人間が長時間生き続けるためには大量の空気を持ち込まなければならんが、そんな大きい鉄球を作っている時間などないよ」

 ギーシュの案は潜水球として悪くはなかったが、準備の手間の関係で残念ながら没となった。そして最後にギムリが手を上げた。

「その、アークボガールという怪獣はラグドリアン湖を丸ごと飲み込んでしまうほどなんだろ。なんならラグドリアン湖の水を丸ごと飲み込んでもらったら楽に湖底まで行けるんじゃないか?」

 さすがにこの暴論には即座にキュルケが否をぶつけた。

「あのねえ、ヤプール並に頭のいい奴がウルトラマンを呼びに行くのを黙って見過ごしてくれるわけないじゃない。仮に目を逃れられたとしても、その頃にはトリステインはボロボロに食い荒らされてるわ。なによりラグドリアン湖がなくなったら周りの森は枯れ果てるし、湖畔の町や村は全滅するわ。トリステインが破産しちゃうわよ」

「やっぱりダメか。まあ人間の力じゃ、湖の水を全部かき出すなんて無理だしなあ」

 湖の生き物のことを考えると、とても無茶はできない。ジャックやゾフィーが大胆なことをやった前歴があるが、ダンはそれは言わないでおこうと思った。一応、後で元に戻っているようだし。

 だがこれで、正攻法で湖に潜るしかないということがわかった。ベアトリスはあらためてコルベールに命じる。

「ミスタ・コルベール、今現在の状況で、ラグドリアン湖の底に行くことはできる? どんな可能性でもいいわ、言ってちょうだい。無理ならハルケギニアは丸ごと食べつくされてしまうのよ」

 不可能……と本来なら絶対に言う。しかし、それではすべてが終わってしまう。

 コルベールは熟慮の末に、ゆっくりと口を開いた。

「可能です。潜水以外の全ての機能を放棄して、水圧に潰されないように沈む速さをゆっくりと調節しながら、耐圧区画を中から常に魔法で補強しながらなら、潜りきることは可能でしょう」

 全員の顔が喜びに変わり、ギーシュなどは早速出港しようとすでに息巻いている。

 しかし、コルベールは決して楽観的に言ったわけではなかった。

「ただし、条件があります」

「条件?」

 皆が振り向くのを見て、コルベールは重々しく答えた。

「まず、窒息するのを防ぐために、乗り込ませられるのは多くて五人、いや六人までが限度です。さらに、中から耐圧区画を補強し続ける必要上、可能な限りメイジである必要があります」

 たった六人。それもメイジである必要上、銃士隊員たちはこの場で留守番が決まってしまった。

 だが、コルベールの言いたいことはそんなことではなかった。次に彼が口にした言葉は、全員の心臓を氷の指で締め上げた。

「沈みきった時点で、中に残った空気、そして全員の精神力もゼロになってしまうでしょう。つまり、成功しようがしまいが、一度沈めばもう二度と浮かび上がってくることはできないということです」

 

 沈黙が場を支配する。決死ではなく必死が待つ作戦……結果がどうなれど、確実に六人の仲間を失ってしまう。

 どうすればいい? どうすれば……? 容易に口を開くことは、誰かに死ねと言うも同然の問題に、誰の顔も苦渋に染まる。

 

 だが、そうして東方号の甲板で立ち尽くす彼らを、船のマストの上から面白そうに見下ろす数人の少年少女の姿があったのだ。

 

「おやおや、雇い主にあいさつに来たら妙なことになってるねえ。でも、これは売り込みのチャンスかもしれないね。よかったじゃないか、君たちふたりにさっそく汚名返上の機会が来たかもしれないよ」

「はーい。戦争に出るよりはおもしろそうだし、あの子たちの困った顔も可愛いわ。わたしがいないとダメなのねって風に育てるのも、悪くないかもしれないわね」

「おい! お前がひとり五十万エキューで雇ってくれるところがあるって言うから、やっと兄さんの機嫌が治ったのに余計なこと言うなよ。まったく、こんなことになったのも余計なことを言ってきたロマリアが悪い!」

 

 

 続く



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第46話  深淵への出発

 第46話

 深淵への出発

 

 深海竜 ディプラス 登場!

 

 

「一度潜れば、もう二度と浮かんでくることはできない」

 コルベールから告げられた残酷な真実は、それを聞いていた者たちを例外なく絶句させた。

 未完成の東方号。それであと十二時間以内にラグドリアン湖の底へと辿りつくためには、潜るため以外の全て、乗り込む人間の命すらも捨てなくてはいけないのだという。

 定員は六名。その六名は、作戦成功と引き換えに確実に命はなくなる。

 コルベールは、この方法だけは言いたくなかったというふうに、説明を終えるとうつむいて口をつぐんでしまった。この作戦では必ず犠牲が出てしまう。気の優しい彼は決してこれは使いたくなかったのだろう。

 が、ほかに手段があるかといえば否だ。あったとしても準備をしている時間がない。

 その、あまりに悲壮な雰囲気に、ようやく少し気持ちを落ち着かせたギムリが口元を若干引きつらせながら言った。

「やっ、やだなあミスタ・コルベール。そんな大げさな、おどかしっこなしですよ」

「私が冗談でこんなことを言うと思うかね。不完全な状態の東方号でラグドリアン湖の底まで行こうとするなら、もはや捨て身になるしかないのだよ。ほかにいい方法があるなら、私が教えてほしいくらいさ」

 コルベールにしては珍しく投げやりな語りぶりが、彼の苦悩が真実であるということをなにより雄弁に物語っていた。

 なにかを成し遂げるのに、時間をかけて入念な準備をするより大事なことはない。勉強をせずに受験に受かる奴はいないし、食料や防寒具を持たずに冬山登山に望む奴は遭難して死ぬだけだ。

 まして、今回のラグドリアン湖の底へはハルケギニアの何人も成し遂げたことのない前代未聞の冒険なのだ。準備が完璧だったとしても、成功の見込みが高いわけではない。まして帰路というのは行きよりも過酷なものであることもあり、著名な冒険家や登山家が、見事に目的地にたどり着きながらも帰り道で力尽きてしまった例は少なくないのだ。

 だが反面、六人の命を犠牲にすれば目的は達成できてハルケギニアは救われる。ならば、自分たちのやるべきことは……皆が押し黙る中で、ギーシュが意を決して声をあげた。

「ようし、そういうことならぼくが行こう!」

「ギーシュ!?」

 バラの杖を高々と掲げて名乗りをあげたギーシュに、皆の視線が集まった。

「ハルケギニアが滅んではぼくらの命があったって何の意味も無い。元よりトリステイン貴族に生まれたときより、この命は女王陛下にささげると決まっているんだ。やるしかないなら、やるだけじゃないか」

 決意を持ったギーシュの叫びに、ギムリやレイナールたちも、ギーシュの言うとおりだとうなづく。しかし、確実に死ぬとわかっている旅に出ようとするギーシュを、モンモランシーが蒼白になって止めようとした。

「待ってギーシュ、先生の話を聞いてたの? 絶対に生きて帰れないのよ。ラグドリアン湖の底で、溺れ死んじゃうのよ!」

「わかってるさ、モンモランシー。ぼくだって死にたいわけじゃないよ。けど、命を惜しまず名を惜しむのが男の責務……いやいや、そんなんじゃないな。モンモランシー、ぼくは君を守りたいんだ。ぼくがこの世で何が一番つらいかって、愛しい君が傷つくことさ。だから頼む、ぼくに君を守らせてくれ」

「ギーシュ、ばか! じゃあわたしにとって、あなたを失うことが何よりつらいのが何でわからないの。怪我したら治してあげられる。けど、死んだらもうどうしようもないのよ!」

「すまない。けど、他にどうしようもないんだ。君への愛に殉じられるなら、ぼくには怖いものは無い。だから頼むよ、笑って見送っておくれ」

 ギーシュの言葉にうわついたものはなく、真剣そのものであった。水精霊騎士隊の少年たちも、惚れたガールフレンドのためならばとギーシュに続こうとしている。

 だが、大人たちにとっては自分よりもずっと若い者たちが死にに行こうとしている様が納得できるわけがない。けれどもコルベールは代案を出すことは出来ず、銃士隊の面々はメイジではないために代わりに行くと言えないために止めることができなかった。そしてファーティマは、まるで観察しているかのようにじっと見守るのみで、介入はしてこない。

 そんなときだった。話を見守っていたダンが、ギーシュたちに厳しく言ったのだ。

「待つんだ。君たちの気持ちはわかるが、やけを起こしてはいかん」

「ミスタ・ダン!? そんな、ぼくらはやけなんて起こしていません」

 しかしダンはギーシュの抗議にもひるまずに彼らに向かって言う。

「いいや、やけだ。君たちは、もう手段はないと思い込んでいるが、先生に頼るばかりで君たちは限界まで知恵をしぼったかね? 君たちは先生とは違う人生を歩んできた違う人間だ。なら、先生とは違う答えを思いつくこともできるはずだ。確かに時間はない。だが焦って結論を急いでもダメだよ」

 うっ、とギーシュたちは返答に詰まった。確かに、コルベールがもう手立てはないと言ったところで、自分たちは考えるのをやめてしまっていた。

「どうしても手段がないというなら、そのときは私が湖に潜ろう。残りの念力を振り絞れば、片道は持つかもしれん。なにより私はこれでも君たちの千倍は生きている。命を捨てる役には君たちより適任だ」

「そんな! 違う世界から来ているあなたにそこまでさせてしまったら、この世界のぼくらの面目が立ちません!」

「なら、自殺ではない作戦をもう少し考えてみなさい。人間にとって最後の武器は、勇気と、そして知恵であることを忘れてはいかん」

 ダンの言葉は、作戦決行に固まりかけていた少年たちの頭を冷やさせることに成功した。おかげで、モンモランシーたちはほっと胸をなでおろす。

 だが安心はできない。代替案が出なければ、結局特攻しかなくなってしまうのは変わらないからだ。

 気を取り直したレイナールが、改めてコルベールに尋ねた。

「それで先生。他に何か……いや、この言い方は不適切ですね。可能不可能は置いておいて、何の条件を満たすことができたら生還が可能になるんですか?」

 さすがは秀才型のレイナールであった。アプローチを変えて、再検証をできる方向へと誘導したことでコルベールも考え直して答えた。

「潜水と浮上だけなら、元からある機能でなんとかなる。もう一度話すが、問題は人間が乗る部分を中から魔法で補強し続けなければ水圧につぶされてしまうけれども、片道分だけで空気とメイジの精神力が尽きてしまうことだ」

 なるほど、と皆はそれぞれ考えた。

 空気と精神力……それさえなんとかなれば、生還の可能性もある。

 まずは空気だ。酸素ボンベなどないこの世界で、積んでいける空気の量は限られている。が、息を止めていけるわけがないし、息をしないでも大丈夫な魔法なんてないし……いや、待てよ。人間の魔法にはなくても。

「そうだ! 前にミス・ルクシャナから聞いたことがあるけど、エルフの魔法に水中でも呼吸ができるものがあるそうだな。ミス・ファーティマ、あなたもそれができますか?」

 はっと思い出したギムリがそう尋ねると、皆の視線がそれまで黙り続けていたファーティマに注がれた。

「むろん、水軍の士官にとっては基本中の基本だからな」

 おおっ、と喜びの色が流れる。それがあれば、空気の問題は一気に解決できる。

「ただし、効果はそう長くは続かない。かけ直すにしても、わたしの精神力にも限界があることを忘れるな」

「それで十分ですよ。半分は船の中の空気でしのいで、残り半分をその魔法で補えば往復に耐えられますって!」

 ギムリはおろか、銃士隊や水精霊騎士隊も喜びに染まった。人間だけの力ではだめでも、エルフの力を合わせればなんとかなる。

 しかし、コルベールは苦渋に満ちた表情を変えずに、それでも足りないと告げた。

「いや、無理だ。息が続いたとしても、中から魔法で支えるだけの精神力がなくなっては、結局水圧に押しつぶされてしまうよ」

「水圧……くっそっ、たかが水のくせに……でも、中から支える精神力さえ持てば、なんとかできるんですよね!」

「確かに、だが、そのためには膨大な精神力を持ち合わせたメイジでなくてはならない。前々から最悪の状況を考慮して計算はしてきたが、半分潜ったあたりから補強を始めるとして、ラインクラスではどう頑張ったとしても片道が限界で、往復分を持たせるならばスクウェアクラスの、しかも最上級のメイジが最低でも三人はいるんだ」

 ギーシュやギムリたちの顔に悔しさがにじむ。この場の中でスクウェアクラスに相当するのはキュルケただひとりで、水精霊騎士隊は全員がラインクラス以下である。これでは精神力が持たずに、危険深度を突破できない。

 かといって、今からスクウェアメイジを呼びに行っている余裕は無い。第一国中の名だたるメイジはトリスタニアの防衛戦に集まっていて、戦場を突っ切らなくては呼んでこられないのだ。

 

 あとふたり……スクウェアメイジがいてくれたら、生還の望みはつながる。せめてここにエレオノールとカトレアがいてくれればと思っても、ふたりともカリーヌとともにトリスタニアで戦っている。

 なら、誰か近くにスクウェアメイジの知り合いはいないのか? そんな都合のいい知り合いがいれば誰も苦労しない。

 

 だが、そうして再び思案が暗礁に乗り上げかけたときだった。

「どうやら、皆さんお困りのようだね」

 突然響いた聞きなれない子供の声に皆が振り向く、見ると、東方号のマストの上から三人の男女が飛び降りてくる。

 誰だ? この乱入者に、皆は相手の正体を知ろうと身構える。銃士隊、水精霊騎士隊の面々には、記憶に一致する者はいなかったが、その中のひとりにベアトリスとエーコたちは見覚えがあった。

「ジャネット!?」

「はーい、お姫さまお久しぶり」

 派手なドレスを着た人を食った笑みを浮かべる少女は、ハルケギニア広しといえども二人といるまい。以前、水妖精騎士団と空中装甲騎士隊の争いに乱入して好き放題し、ベアトリスが即決でスカウトしたジャネットがそこにいた。

「あなた、どうしたの? 話し合いがあるからって出て行って、しばらく戻ってこなかったけど」

「ごめんなさい、こっちにもいろいろと事情があったのよ。だけどちゃんと、こうしてお兄様たちを連れてきたから許して」

 わざとらしくウインクして答えたジャネットを見て、ベアトリスはやれやれといったふうに呆れた。

 そう、ガリア北花壇騎士団に加担して、非合法な行為を金で請け負う元素の兄弟。その末娘のジャネットが、兄のドゥドゥーとダミアンを連れて戻ってきたのだ。

 ベアトリスは、あっけにとられている銃士隊と水精霊騎士隊に事情を話し、一同は半信半疑ながらも警戒を緩めた。

 一方、顔見知りはもう一組。ドゥドゥーはコルベールが自分を見てどう反応するかと、内心少し期待してコルベールに向けて薄笑いを向けたりしたのだが、コルベールの反応は意外なものだった。

「おや君は? ご無沙汰してるね。元気そうでなによりだ」

「はぁ、ぼくの顔を見ても顔色ひとつ変えないとは驚きだね。これじゃ怒る気にもなれないよ、まったく」

 覇気を素通りさせてしまわれて、ドゥドゥーはやってられないよとばかりにため息をついた。うまくすればリベンジマッチをやれるかと思っていたけど、これでは望みは薄そうだ。こちらから仕掛けるのはダミアンに厳禁されているので、つまらないったらありゃしない。

 そして、緊張感のないふたりを従えながら、元素の兄弟の長男であるダミアンが悠然とベアトリスの前に歩み出てきた。

「はじめまして、ミス・クルデンホルフ。先日は僕の妹のジャネットがお世話になったようで、ありがとう。後のもう一人は弟のドゥドゥー、そして僕が元素の兄弟の長男、ダミアンだ。以後、よろしく」

「あっ、は、はい、よろしく」

 見ため十歳くらいの少年に大人びたあいさつをされて、ベアトリスは思わずうなづき返してしまった。

 エーコたちやギーシュたちは、なんだこの偉そうな子供は? とばかりにダミアンを見つめている。しかし、銃士隊の反応は違った。

「全員構えろ! 姫さま、お下がりください」

「な、なんなのよ!?」

 突然剣を抜いて自分の前に立ちふさがった銃士隊の一同に、ベアトリスたちやギーシュたちもあっけにとられた。しかしダミアンの表情は余裕であり、銃士隊は緊張で汗すら流している。

 なにがなんなのだ? ベアトリスは自分に背を向けながら剣を構え続ける銃士隊の隊員に向かって、元素の兄弟とはなんなのかと尋ねた。

「元素の兄弟、ガリアを中心に活動していると聞く、裏社会では名の知られた殺し屋集団です」

「こ、殺し屋!?」

 驚いてベアトリスは思わず後ずさった。ジャネットの実力から、ただものではないにしても精々傭兵あたりだろうと思っていたが、まさかそんな。

 だがダミアンは気にした様子も無く言う。

「へえ、さすが名にしおう銃士隊の方々だ。裏社会のことについてもなかなか詳しいようだね。でも、殺し屋集団とはひどい言い草だなあ、僕らは殺し屋じゃなくて殺しもするだけさ。せめて何でも屋と呼んでくれよ」

 悠然とした様子でダミアンは肩をすくめて見せた。銃士隊の勇士たちに殺気立って剣を向けられているというのに、まるで焦った様子はない。

 しかし、ジャネットの実力を見知っているベアトリスたちはまだしも、ギーシュたちは目の前の自分たちと同じくらいの少年少女や、まして十歳ばかりにしか見えない子供がそんなすごい殺し屋なのだと言われてもピンとこない。

「まあまあお姉さま方、そんなにピリピリしないでも。相手はこんな子供じゃないですか」

「馬鹿! うかつに近寄るんじゃない」

 とことことダミアンに寄っていったギーシュに銃士隊員が怒鳴るが、ギーシュは完全に相手を子供と見くびっているようで、警戒のかけらもなくいつものきざったらしい態度をとっている。

「やあ、騒々しくしてすまないね。このお姉さんたちは怒りっぽくていけない。君たちがその、なんとかの兄弟なんてすごい殺し屋なんて冗談を真に受けちゃってさあ」

「へあ、お兄さんは中々話がわかりそうだね。君とはうまくやっていけるような気がするよ、よろしくね」

「ああよろしく、困ったことがあったら何でもこのぼくに相談してくれたまえ」

 かっこうつけているギーシュは、ダミアンの無邪気そうな笑みの中の冷め切った目に気づいていない。相手をなめきっているのと、この場を借りてベアトリスに売り込みをしようという魂胆で頭がいっぱいなのだ。

 とことん、かっこうつけられる場面を見つけたらかっこうつけずにはいられない、という根っこの部分は変わっていない。そこが愛すべきところでもあるのだが、今回は相手が悪かった。

「ところでお兄さん、悪いけど僕はミス・クルデンホルフに大事な話があるんだよね。ちょっとどいてもらえたらうれしいな」

「こらこら、ぼくらは今大事な相談の真っ最中なんだ。そういう難しい話は後ろのお兄さんたちに任せて、少し待っていてもらえるかな」

「ふう、やれやれ……人の話を聞いてなかったのかい? 僕が長男だって言っただろうに。まあいいさ、今日はビジネスのほうが大事だからね。君にはそれをくれてあげるから黙っていてくれないか? ミスタ・グラモン」

 えっ? と、ギーシュはダミアンの言ったことの意味が理解できずに戸惑った。くれてやるって、何のことだ? だが、青ざめた顔でギムリが叫んできた言葉で、ようやくギーシュも気がつくことができた。

「ギーシュ! お、お前の服の左胸だ!」

「え? ひだ、なんだいこりゃ!?」

 言われたようにギーシュが自分の服を見ると、いつの間にか左胸付近のフリルを貫くようにして、タクト型の杖が突き刺さっていたのだ。

 これは? いったいいつつけられたんだ? いや、それよりも、服に突き刺さった杖は先端を鋭く研ぎ澄ませてある。もし、これがその気になっていたものだったら、まったく気づかないうちに心臓を貫かれていたところだ。

 自分の命が知らないうちにもてあそばれていたと知って愕然とするギーシュ。ダミアンはそんなギーシュを下から見上げつつ、今度は侮蔑を隠さない笑みで告げた。

「君は人柄は悪くないけれども、長生きしたいならもう少し用心深くなったほうがいい。でないと、ただでさえ君の家系は痴情のもつれで恨みを買うことが多いそうじゃないか? その若さで、金も女も必要ない国に行きたくはないだろう。グラモン元帥の四男坊君」

 ギーシュの顔が本格的に青ざめた。この相手は、ぼくの身上のことまで詳細に調べ上げている。こいつは、ただの子供なんてとんでもない……こいつは、こいつはプロの。

 蒼白になって立ち尽くすギーシュを、銃士隊のひとりが襟首を掴んで引きずっていき、平手打ちを喰らわせた。

「バカ者! 相手を見た目で判断してはいかんのは戦いの基本だろうが。幼女の姿をしていた吸血鬼のことをもう忘れたか!」

「す、すみません!」

 ギーシュは、エルザとの戦いの教訓を完全に忘れていたことを反省した。

 弁解の余地無く、調子に乗りすぎてしまった。あのときのことは、強く印象に残っているはずなのに、なぜ忘れてしまったのか自分でもわからないくらいに情けない。

 だがこれは、ある意味では仕方がないことである。人間の記憶力というのは不思議なもので、強烈な体験ほど印象に残りにくかったということがたまにある。数々の戦いを特訓で潜り抜けてきたウルトラマンレオも、以前に特訓で克服した内容とほとんど同じ状況になったのに、そのときに身に着けた能力を使うことをすっかり忘れてしまって大苦戦したことがある。

 ダミアンは、叱られるギーシュを横目で見て薄笑いを浮かべていたが、やがてベアトリスのほうを向き直ると、間に銃士隊員を挟みつつ言った。

「さて、本題に入ろうかミス・クルデンホルフ。心配しなくても、君たちに危害を加えるつもりは一切ないから安心してくれ。僕らの目的は、あくまでビジネスさ」

「ビ、ビジネス?」

「そう、聞けばいろいろと人材を集めてるそうじゃないか。さっきそちらのお姉さんが言ったとおり、僕らは主にガリアで活動していたんだけど、最近になってスポンサーが変わってしまってね。これがどうも信用に欠けそうだから、新しいスポンサーを探していたところで、ジャネットからそのへんのことを色々聞いてね。高給を出してくれるって言うから売り込みに来たのさ」

 ベアトリスは、ダミアンの見た目とはまったく違う底知れない実力と冷酷な物言いに気おされていたが、彼らの具体的な目的を聞くと冷静さを取り戻してダミアンに向き合った。

「そう、わたしの下で働きたいってことなのね。そういうことなら、受けてあげましょう」

 堂々とダミアンとの話し合いに打って出たベアトリスに、エーコたちは「姫さま、こいつは危険です」と止めようとするが、ベアトリスは彼女たちを制して言った。

「下がってなさい。もしわたしたちを始末するつもりなら、もっと簡単な状況はいくらでもあるはずだわ。白昼堂々来たということは、本気で話がしたいということよ。なにより、警戒したからって助かるような相手じゃないわ」

 毅然とした態度のベアトリスに、エーコたちは黙らざるを得なかった。その凛々しい姿に、ダミアンも感心した様子を見せる。

「へえ、これはまた大した状況判断力だ。おまけに、人を見る目も悪くない。これは話が早くて助かりそうだ」

「お世辞はいいわ。それで、わたしの元で仕官したいと受け取っていいのね?」

「いやいや、お世辞なんか言ってないよ。この国の貴族の幾人かに当たってみたことはあるけど、見栄は張りたいけど金払いは渋る愚物ばかりでうんざりしていてね。だが、君は違いそうだ。単刀直入に言おう。ジャネットが提示された額で、僕ら兄弟は君の求人に応じることにするよ、返答を聞いてもいいかい?」

「わかったわ、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフの名において、あなたたち元素の兄弟を召抱えます」

 即決。半瞬ほど遅れて、驚きの叫びが場を包み込んだ。

 早い、売り込む側も売られる側も早過ぎる。これにはさすがのジャネットやドゥドゥーも面食らった様子で、「お兄様にしては珍しく値を吊り上げないんですね」と、問いかけるが、ダミアンは「一見の客なら絞れるだけ絞るけど、長く付き合いたい相手なら逆効果だよ。目先の欲に駆られて、雇い主に嫌われたら次の仕事が来なくなる」と答えた。

 一方でエーコたちも、こんな危険人物を抱え込むなんて本気ですかとベアトリスを問い詰めるが、それに対してダミアンとベアトリスはそれぞれ言った。

「おいおい、僕らは別に裏家業が好きでやってるわけじゃない。儲けが一番いいからやってきただけで、ほかに割のいい仕事があれば移るだけさ。なんでも屋だって言っただろう?」

「彼らの実力は、あなたたちもジャネットを見てわかっているでしょう? 確かにリスクは大きそうだけど、こんな買い物は二度とないわ。逆に考えてもみなさいよ、危険な存在は遠くに離すより、近くに囲っていたほうが安全だわ」

 ぐっ、と、エーコたちは返す言葉に詰まった。しかしそれでも、いつ金のために姫様を裏切って牙をむくかわからないと言うと、ダミアンは笑いながら言ったのだ。

「クク、若いのにこれほどの忠臣に恵まれているとは感心したね。確かに、僕らは金のためにはなんでもやるさ。けど、都合よく裏切り続けて世の中を生きていけると思うほど僕らは楽観主義者じゃないよ。報酬の支払えないところや信用のおけないところは遠慮なく切るけど、ちゃんと契約を守ってくれる相手には給金分の働きは必ずするさ。でないと、いくら腕が立ったって誰も仕事をくれなくなるからね」

 仕事を請け負う者として、最低限の礼儀はちゃんと持っているさとうそぶくダミアンに、エーコたちはそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 しかし、ドゥドゥーと交戦した経験のあるコルベールはいぶかしげに言う。

「では、君たちは前に仕えていたところには、もう何の義理も立てる気はないということかね?」

「ああ、君にはドゥドゥーが迷惑をかけてしまったらしいね。兄として詫びるよ。けど、あれはロマリアの甘言に乗ったドゥドゥーたちが勝手にやったことで、僕は関与していない。彼らには、僕を通さずに今後依頼を受けないようにときつく言い聞かせておいたから、どうか許してあげてほしい」

 ちらりと横目でダミアンがドゥドゥーとジャネットを睨むと、ふたりは怯えたように肩をすくめた。

 コルベールもそれで異論はないと黙り、ベアトリスは改めてダミアンと向き合った。

「よろしく、元素の兄弟の皆さん。それで、これで全員でいいの?」

「いや、もう一人体の大きいジャックというのがいるけど、別のところで用があってね。僕らは四人兄弟で覚えておいておくれ。おっと、言い忘れていたが、僕の見た目のことは詮索しないでくれ。訳はまだ言えないが、なにかと仕事の役に立つんでね」

 裏世界で生きる人間にとって、子供の姿というのは敵を油断させやすかったりと都合がいいであろうのは、エルザの例を思い出しても皆理解できた。このあたりのことは、触れないのが身のためだろう。

「わかったわ、余計な詮索はやめておきましょう。で、ここからが肝心なんだけど、あなたたちはわたしのために何をしてくれるのかしら?」

 それを聞いて、ダミアンの顔に無邪気とも作り笑いともとれる奇妙な笑みが浮かんだ。

「それはもちろん、なんでもさ。金さえ用意してくれれば、子守りをしろと言われればするし、街ひとつ皆殺しにして来いと言われればやってくる。完璧に、ね」

 笑いながら答えたダミアンと、うなづいたジャネットとドゥドゥーの表情には一点のかげりも無く、本当に殺戮を命じられたら女子供もかまわずに皆殺しにしてくるだろうことは疑いない。少年たちは冷や汗を流しながらつばを呑み込み、銃士隊員たちでさえ額に脂汗を浮かばせている。

 そしてコルベールも、無表情さの中で、ぐっと拳を握り締めてなにかを考え込んでいる。いや、自分の中のなにかをこらえているようにも見えた。

 ベアトリスやエーコたちも、自分たちとは違う裏世界の人間の冷酷さに触れて喉を凍らせてしまっている。が、ジャネットはそんな彼女たちを見渡して務めて優しげに言った。

「もう、お兄さまったら、あんまり脅かしたらかわいそうじゃない。心配しなくても、可愛いあなたたちにそんなひどいことはしないわ。わたしは可愛いものは大切に愛でるタイプなの。だから安心してね」

 確かに、エーコたちは気まぐれとはいえジャネットに助けられている。完全に信頼はできないが、今のところは過剰に恐れる必要もないようだ。エーコたちは顔を見合わせると、少しだけ緊張を解いた。

「そうそう、それでいいのよ。あなたたちに手取り足取り、いろいろ教えてあげるのを楽しみにしてるんだから、仲良くやりましょう」

「ジャネット、そのへんにしておけ。さて、具体的に仕事の話をすれば、君たちは手だれのメイジを求めているようじゃないか。なら、試用もかねて、この二人を使ってくれたまえ」

 えっ? と、ベアトリスたちは思ったが、次の瞬間にはハッとした。

 ジャネットの実力は自分の目で見知ってよくわかっている。確実にスクウェアクラスの、それも相当な使い手だ。兄弟たちも同等以上の実力を持っているとすれば、今の状況でこれほど望む人材はない。

 コルベールに視線を送ると、よろしい、とでもいう風にうなづいた。

 これで、作戦決行に必要な人数のメイジは揃った。ドゥドゥーは、戦いとは関係ない仕事をしなければいけないことに露骨な不満を見せたが、ダミアンがひと睨みすると震えて背筋を伸ばした。

「契約はこれで成立だね。急場みたいだから、契約書とかは後でいいよ。ドゥドゥー、ジャネット、信用はまず最初の仕事が肝心だ。完璧な仕事をこなすようにね」

「はいはい、わかってますよ」

「安心してください、ダミアン兄さま。わたし、この子たちが気に入ってるから、ちゃんと本気で仕事しますわ」

「よろしい。では、ミス・クルデンホルフ、僕はこのあたりで失礼するよ。話の続きは落ち着いてからにしよう」

「えっ? ちょっと待ちなさい。今はとにかく人手が足りないの。あなたにだってやってほしいことがあるわ」

「あいにくだけど、僕のほうにも少し考えがあってね。心配しなくても、君たちの不利益になるようなことはしない。代わりにドゥドゥーとジャネットをしばらく好きなように使ってやってくれ。じゃあ、仕事の話は次は”本人”と頼むよ。バイバイ」

 そう言ってダミアンがパチリと指を鳴らすと、ダミアンの姿は煙のように掻き消えて、代わりに小さな人形が乾いた音を立てて甲板に転がった。

「えっ? なに? ちょっとあなたたち、ダミアンはどこに行ったのよ?」

 慌てたベアトリスが問いかけると、ドゥドゥーは面倒くさそうに人形を指差して答えた。

「それさ、そいつはスキルニルっていって、使った持ち主と同じように変化する魔法人形なのさ。本物のダミアン兄さんは、遠くの別のところにいる。ああ、先に言っとくけど、ぼくらふたりは本物だし、契約はスキルニルが代行したとおりに履行するから心配しないでくれ」

 なっ!? と、その場のほぼ全員が絶句した。

 今までのダミアンは、魔法人形で作られたコピーだったというのか? コピーで、あの存在感と威圧感を出すとは、いったい本物はどれほどだというのか!

 元素の兄弟の底知れない実力に、銃士隊も水精霊騎士隊も戦慄を禁じえなかった。

 まともに戦えば、とてもじゃないが勝てる相手ではない。だが、逆に言えば、味方にすればこれほど心強い存在はない。

 ベアトリスは心を落ち着かせると、コルベールに向かって最後の確認をおこなった。

「ミスタ・コルベール、これであなたの注文する条件は揃えたわ。水の精霊の都へ行き、そして帰ってくることは、できる? できない?」

「可能性は正直、高くはありません。しかし、一縷の望みは生まれました。私の全身全霊をかけて成功させましょう」

 コルベールも覚悟を決めたことで、作戦を阻む要素は一切なくなった。

 そしてベアトリスは、経過を見守り続けていたダンに向き合って言った。

「ダンさん、これでわたしたちは自殺ではない道を作りました。まかせて、もらえますか?」

「わかった、君たちを信じよう。だが、決して命を粗末にしないようにするんだぞ」

 ダンは、正直に言えば若者たちを危険にさらすのは反対だった。だが、彼らは自分たちの世界を守るために、自分たちの力で困難に挑もうとしている。

 かつて、ウルトラセブンはガッツ星人に敗れたときにウルトラ警備隊の必死の働きで救われることができた。ほかにも人間のがんばりでウルトラマンに勝利をもたらした例は数多い。ウルトラマンは希望であるが、希望を掴み取るためには努力によって希望に歩み寄っていくしかないのだ。

 

 ダンに認められ、作戦はついに具体的な検討段階へと入った。コルベールは全員を見渡して告げる。 

「東方号に乗り込んでいける人数は六人。いや、ミス・ファーティマに水中呼吸の魔法を付与してもらえれば七人か。その中で、まずは私だ。東方号に一番詳しいのは、私だからね」

 次にティラとティアが前に出る。

「わたしたちも、当然ね。東方号のコンピュータを動かせるのは、わたしたちしかいない」

「それに、水の中ならわたしたちの領域だしね。人間よりかは頑丈だし」

 さらに、ドゥドゥーとジャネットのふたり。

「やれやれ、水の底なんて趣味じゃないんだどなあ。まあ、ダミアン兄さんを怒らせたくないし、仕事はきちんとやるよ」

「あら? 仕事はなんでも楽しむ要素を見つけないと。密室に閉じ込められた若い男女とか、ゾクゾクするシチュエーションじゃない? ティラちゃんにティアちゃんも、そのエメラルドグリーンの髪や澄んだ瞳が素敵だわ。これを機にお近づきになりたいわね」 

 不満げと乗り気、だがこのふたりの力はこの作戦に欠かせない。

 ファーティマも、無表情で前に出る。

「わたしも外せないな。わたしの使命は、これを果たすことで完遂される。ここまでやってこれたのも、大いなる意思のお導き。ならば、最後までやり遂げるだけだ」

 そして最後のひとり、キュルケが歩み出た。

「最後は、わたしね」

「ミス・ツェルプストー……」

「止めても無駄ですわよ、ミスタ・コルベール。わたしはスクウェアメイジですし、装置を使うときも、使い方を直接聞いたわたしが適任でしょう。なにより、これはタバサを助け出すためにも重要な行為でもあるのよ。わたしが黙って見ているだけなんて、絶対にありえないわ」

 キュルケの決意の固さに、コルベールもそれ以上言うことはできなかった。

 しかし、これでメンバーは固まった。コルベール、ティラ、ティア、ドゥドゥー、ジャネット、ファーティマ、キュルケ、この七人が東方号に乗り込んで、ラグドリアン湖の底の水の精霊の都を目指す。

 生還の可能性はこれでもまだ乏しい。しかし、今考えられるだけのベストメンバーを揃えることが出来た。不可能を可能にするのは、いつだって人間の力だ。

 また、メンバーに選ばれなかった水精霊騎士隊や銃士隊の面々も、ならば全力でサポートを果たそうと気合を入れている。後は実行あるのみ!

 

 ところが、全員がこれから出港の作業に取り掛かろうとした瞬間だった。彼らのいる東方号の甲板に、水精霊騎士隊や、誰よりもキュルケにとって忘れられない声が響いたのだ。

 

「どうやら、手段は決まったようだな」

 突然響いたその声に、全員がいっせいに振り向く。するとそこには、彼らがよく知る青髪の小柄な少女が、大きな杖を持ってたたずんでいたのだ。

「タバサ!?」

 タバサのことを知る全員の顔が驚愕に歪む。

 なぜ? どうしてこんなところにタバサが? 別人? いや、眼鏡の形といい、魔法学院の制服といい、完全にタバサそのものだ。

 だが、ギーシュたちがわけがわからずにあわあわしている横から、シルフィードが真っ先に声をあげた。

「違う! そいつはお姉さまじゃないのね。そっくりだけど、シルフィがお姉さまから感じてた気配がぜんぜん違うのね! ニセモノなのね!」

 タバサの使い魔であるシルフィードが全力で否定すると、皆もいっせいに警戒の姿勢をとった。特に、以前に一度、タバサそっくりの少女に翻弄されたキュルケは警戒心むき出しで杖を突きつけている。

「そういえば、あのときは慌ててて気づけなかったけど、よく見たら人間らしい暖かさをまるで感じないわ。よりによってタバサに化けるなんて、誰だか知らないけど生かしては帰さないわよ!」

 キュルケは怒りを込めて攻撃呪文の詠唱を始めた。だが、殺気立つ彼女たちを抑えて、ファーティマが言ったのだ。

「待て! あれからは、強い精霊の力を感じる。殺気や邪気は感じられない。敵ではないようだ」

 えっ? と、皆がファーティマの言葉に驚いて武器を下げた。

 すると、タバサにそっくりの何者かは、タバサとまったく同じ声でこう言ったのだ。

「この姿をとれば、お前たちも安心するかもと思ったのだがな。武器は不要だ、単なる者たちよ」

 同時に、タバサそっくりの少女の半身が色を失って透明になり、飴のようにぐにゃりと歪んだ。

 これは。この特徴と、こちらを単なる者と呼ぶ姿勢から、キュルケは相手の正体を知った。

「水の精霊……!」

「そうだ、お前とこの姿で会うのは二度目だな」

 タバサの姿で淡々と、水の精霊は言った。

 元素の兄弟も含めて、唖然とする一同。この中には、水の精霊をはじめて見る者も多い。反対に、水の精霊と関係の深いモンモランシーは愕然としてタバサそっくりに変身した水の精霊を見ている。

「信じられないわ。水の精霊が人間の姿を模倣できるのは知ってたけど、ここまで完全に人間そのものになれたなんて」

「個にこだわるお前たちと触れ合うには、よりお前たちに近いほうがいいと考えただけだ。この姿は、我の知るお前たちの仲間の中から、もっとも我に合うものを選んだ結果だ」

「た、確かにタバサは優れた水のメイジだけど……わたしじゃないのか何か腹が立つわね」

 モンモランシーは少しふて腐れた様子を見せたが、キュルケはまだタバサの姿を勝手に利用されたのが気に入らない様子で、憤然として問い詰めた。

「気を使ってくれてどうもありがとう。けど、呼び出されない限りは滅多に姿を現さないあなたが、どうして前にわたしの元に現れたの? そして、今回現れた理由は何?」

「一度目は警告、空の果てから根源的な悪意が迫ってきているのを感じ、お前たちに告げようと思った。結局、さらに巨大な脅威となって、我は今脅かされている。この世界に満ちる魔の力を使い、我はこの世界であれば少しの力を行使できるが、あれと戦えるような力はない。急げ、単なる者たちよ、我が案内しよう」

 そう言うと、水の精霊はタバサそっくりの仕草でラグドリアン湖のほうを指差した。

 水の精霊も脅威を感じ、急げとうながしている。アークボガールが再来すれば、もはや取り返しのつかない事態になるだろう。

 東方号は工事を中断し、代わって出港準備に入った。作業員が退去させられ、何十本ものもやいが解かれる。

「エンジン始動、桟橋を離れるわ。続けて前進微速、目標ラグドリアン湖」

 船体が不安定なので、ゆっくりと東方号は河をさかのぼってラグドリアン湖を目指し始めた。同行する船は、東方号が潜行する際に不要な人員を収容するための小型船一隻のみ。

 

 残された時間は、あと半日もない。その間に、なんとかM78のある次元に救援を求めることができるのだろうか。

 だが、アークボガールはダンのウルトラ念力によって異空間に足止めされながらも、その邪悪な野望を片時も休ませてはいなかった。

「あと少しだ、あと少しで我は完全に自由になれる。もはや邪魔者はおらん、食って食って食いまくってくれるわ! だが、その前に生きのいい素材は用意しておかねばな。この地に眠る邪悪な魂よ、目を覚まして暴れるがいい。清潔な世界を、味わい深いカオスに変えてしまうのだ!」

 アークボガールの放った時空波が、ラグドリアン湖の底に眠っていた一匹の怪獣を呼び起こした。

 湖底から土砂と岩を吹き上げながら現れる、巨大な海蛇のような怪獣。深海竜ディプラス、水中を自由自在に泳ぐ能力を持つ、極めて凶暴な怪獣だ。

 

【挿絵表示】

 

 ディプラスはアークボガールのマイナスエネルギーにあてられたかのように、湖底でむちゃくちゃに暴れ始めた。目に付いた生き物は小魚の群れだろうがなんだろうが無差別に襲いかかり、そのまま湖の中心部へと泳ぎ去っていく。

 

 東方号は、まだラグドリアン湖で待つ敵を知らない。

 そして、トリスタニアで繰り広げられている戦いも、いつ急変するか予断を許さない。教皇が、この世ならざる力で一気に解決を狙ってくるのも時間の問題でしかないだろう。

 極論すれば、世界の運命はこの数日で決まってしまうと言ってもいい。

 ラグドリアン湖を目指す東方号の船首の上で、タバサを模した水の精霊は、なにかを思い出すようにぽつりとつぶやいた。

「根源的な悪意に対して、人間たちは戦おうとしている。扉の向こうの、我らの同胞の世界の人間たちと同じように……扉の向こうの同胞たちよ、お前たちに我も習おうとしている。もはや開くことはないと思っていたあの扉も、この単なる者たちならば……」

 

 

 続く



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第47話  激闘! トリスタニア防衛戦

 第47話

 激闘! トリスタニア防衛戦

 

 密輸怪獣 バデータ 登場

 

 

「全乗員退艦終了を確認。今、艦内にはわたしたち以外には誰も乗っていないことを確認しました」

「よろしい。では、これよりラグドリアン湖への潜行を開始する。水の精霊よ、この場所で間違いないのですね?」

「ああ、我らの都はちょうどこの真下に位置している。このまま潜っていけば、迷うことなく到達することができるだろう」

「わかりました……では、これより我らは、水の精霊の都のある、ラグドリアン湖の深部へ向かって、出発します」

 

 広大なラグドリアン湖の中心部で今、巨大な船が猛烈な水泡を吹き上げながら沈んでいこうとしていた。

 オストラント号。本来ならば空を駆け、光り輝く未知なる世界へと飛び立つために生まれたはずの船が、真逆の暗黒の淵、暗き水の底の世界へと旅立とうとしている。

 見送るのは、一隻の小型の帆船。いや、ヨットと呼んだほうがいいような小さなそれが一艘のみ。

「船の沈む姿ってのは、あまり見てて気持ちのいいものじゃないな」

 水精霊騎士隊の少年のひとりがぽつりとつぶやいた。これまで何度も死地を共に潜り抜けてきた船が、たとえ本当に沈没するわけではないにせよ沈みゆく姿は物悲しいものを感じてしまう。

 しかし、これは必要な未来を手に入れるための勇気ある冒険なのだ。小型船の上では、ベアトリスとエーコたち、銃士隊に水精霊騎士隊、そしてモロボシ・ダンが期待を込めた眼差しで沈みゆく東方号を見つめていた。

「頼むぞ、私は短いあいだだがこの目で見てきた。この世界の人間たちは、地球人たちと同じように私の想像を超えた活躍を何度も見せてくれた。君たちにも、きっとその力は備わっていると私は信じている」

 奇跡は力によって起こすものではない。行動によって起こすものだ。

 宇宙の中では、未開の弱小種族に過ぎない地球人が何百という侵略者から地球を守ってこれたのは、不可能を成し遂げようとする強い意志があったからだ。それは精神論という意味ではなく、困難に対してあらゆる努力を尽くし、道を切り開くことをあきらめないことを言う。

 最初から強い力を持っている自分たちには思いもよらない、弱いからこそ呼べる奇跡の力。セブンは、それを信じている。

 ラグドリアン湖の中心部は断崖と化しており、その水深は正確に観測されたことはなく、一説には数万メイルの深さを誇るとも言われる。なにせ、どんな魔法を使おうとも、いかに水に適した使い魔であろうとも、紙風船のように押し潰してしまう強大な水圧の力の前には敵わなかったからだ。

 唯一、底を知るものは水の精霊のみ。その水の精霊の加護があろうとも、水圧地獄を克服しなくては、湖底にあるという水の精霊の都に到達することはできない。

 湖面に巨大な渦を残しつつ、東方号はついにその全容を水の中に消していった。巻き込まれないように離れて見守る船からは、ベアトリスやギーシュたちが、始祖よ彼らをお守りください、と、祈り続けている。

 予定通りに事が進めば、東方号が再浮上してくるのは四時間から五時間後。彼らはそれまで、ここで待ち続けるつもりであった。

  

 

 東方号は船内に残った空気を気泡にして吐き出しながら、ゆっくりと湖水の中を沈んでいっている。一気に沈んでいったのでは、船体にかかる水圧の負荷が大きすぎるためだ。

 水中という、本来ならば船にとって墓場である場所を行く東方号。その姿は、見る者がいたらまさに沈没船としか思えなかっただろう。

 しかし、湖上で待つベアトリスやギーシュたちの心配とは裏腹に、東方号の耐圧区画の中にいるキュルケたちは、意外にも快適な時間を送っていた。

「深度、二百メイルを突破。そのまま秒速約三メイルで沈降中っと。よーしよし、潜行は順調よ」

「案外拍子抜けね。潜ったらこう、すぐにギシギシ言い出すものかと思ってたのに、なんともないじゃない」

 水上にいるときとまったく変わらない船内の様子に、キュルケが気が抜けたようにつぶやいた。

 耐圧区画は分厚い鋼鉄の壁に覆われた、中は少し大きめのアパートほどの広さの空間で、移設されてきたアイアンロックスの手動コントロール装置を除いては何もない。そこに、コルベール、キュルケ、ティラ、ティア、ドゥドゥー、ジャネット、ファーティマの七人が乗り込んでいるわけだが、水底に潜るということで同じようにドゥドゥーやジャネットも緊張していたのが拍子抜けした様子であったのを、コルベールが笑いながら説明した。

「君たち、この船は本来ならばそのままでラグドリアン湖の底の底まで潜れるように作っていた船だよ。もっと深くまで潜ったならともかく、この程度の深さじゃあビクともしないさ」

「はぁ、こっちはすぐにでも魔法を使おうと思って構えてたのに、気が抜けちゃったよ」

「はは、それは残念だったね。だが、幸運ではあったよ。テストもしていないぶっつけ本番だが、どうやら水漏れなどはなさそうだ。こんな深さで浸水していたら、それこそ絶望だったところさ」

 このくらいの深さなら、普通の潜水艦でも問題はない。登山家なら、まだ一合目に差し掛かったばかりというところだ。このくらいで息を切らしていては話にならないだろう。

 当分は魔法で中から支えなくても問題はない。ファーティマも、エルフの水軍にも水中を進むことの出来る海竜船というものがあり、その気になればこのくらいの深さに耐えられるものならたやすく作れるさとうそぶく。その胸を張った偉そうな態度に、ジャネットはため息をついて面倒そうに、持ち込んでいた水筒のふたを取った。中には薄めのワインが詰めてある。

「命がけの冒険っていうから、もっと最初からワクワクするのを期待してたのに残念だわ。出番が来るまでわたしは休んでるわね」

 そう言うとジャネットは、配管の上に腰掛けてふてぶてしくワインを喉に流し込んでいった。ドゥドゥーやキュルケはそれを見て呆れ顔をし、コルベールは苦笑しつつすまなそうに言った。

「悪かったね。しかし、私にとっても初めての体験だから事前に詳しく説明のしようがなかったんだ。このまま順調にいけば、あと一時間……そう、深度一万メイルくらいまでは余裕だろう」

「じゃあそれまでは暇ってことね。あーあ、せっかく可愛い子たちが揃ってるんだから、かっこいいところ見せて好感度アップしようと思ってたのに。あんたのコッパゲ見てたらやる気がなくなっちゃったわ」

 そういうことを本人たちの目の前で言うか普通? と、思っても、普通ではないのが元素の兄弟だ。

 しかし、しばらく退屈そうなのは確かで、船の状況を見続けねばならないコルベールとティラとティアはともかく、他の面々は手持ち無沙汰だ。精神力を温存といえば聞こえはいいが、ドゥドゥーなどは早くも退屈に耐えかねてファーティマを相手に。

「へえ、君はエルフの士官なのかい。まだエルフの戦士とはやりあった経験はないなあ、よかったら後で僕と遊んでみないかい」

「蛮人のならず者がネフテスの武人に対等な口を利くな。身の程を知れ」

 と、挑発し合っている。キュルケとジャネットも、互いの不信感を隠そうともせずに視線をぶつけ合い始めた。

 これはどうも空気がよくない。こんなことでは、これから先に危険が襲ってきたときにまずいことになると、コルベールは危惧し始めた。

 だが、コルベールが仲裁に入ろうと決意しかけたとき、アイアンロックスのコントロールパネルを操っていたティアが振り返って言った。

「あなたたち、退屈してるんだったらこんなものはどう?」

 その瞬間、彼らのいる鋼鉄の小部屋の左右の壁が、まるで溶けたように掻き消えて外の様子、すなわち湖の中が透けて見えるようになった。

 なんだっ!? ええっ!? 突然のことに驚くキュルケやドゥドゥーたち。壁がなくなったと、コルベールも一瞬頭頂部まで青ざめたが、水が中に入ってくる様子はない。そしてティアはおかしそうに説明した。

「驚いた? 外の様子を壁に映し出してるのよ。本当ならメンテナンス用の機能なんでしょうけど、退屈なら外の景色でも見て気を紛らわせてたら? もう太陽の光は届かないから暗いけど、けっこういろいろ生き物がいるわよ」

 ライトがつけられたようで、湖の中の様子が鮮明にわかると皆はまた別の意味でびっくりした。

 漆黒の水の中を、見たこともないような魚や生き物たちが動き回っている。色とりどりだったりグロテスクだったり、それらが次々に行ったり来たりして、中にはこんな深さまで潜ってこれるのか、白色の淡水海豚までもが横切っていったのには皆が声をあげて驚いた。

 深度約三百メイル。まだたったこれだけしか潜っていないのに、すでに自分たちの知っている湖の中の世界とは大違いだ。太陽の光の届かない暗黒の水中では、地上の異変などは関係ないらしい。

 と、そのとき水中の映像の中にタバサ……いや、タバサに擬態した水の精霊が現れた。

「この日にも滅亡が来るかもしれないというのに、ずいぶんと楽しそうだな、単なる者たちよ」

「水の精霊!? 聞いてたの? そうか、壁を伝わった音を感じ取っていたのね。盗み聞きとはいい趣味してるじゃない」

「水中は地上よりも音がよく伝わる。声を潜めてもいなかったお前たちが悪い。それよりも、まだ入り口に過ぎぬが、この深さまでやってきた人間はまだほとんどおらん。我らの領域の姿を見て、どう思う?」

 そう尋ねられて、一同は顔を見合わせた。そう急に感想を求められても困る。しかし答えないで水の精霊の機嫌を損ねてもことなので、キュルケは少し考えて答えた。

「そうね、すごい……すごいところだと思ったわ。風の魔法で作ってもらった玉で湖に潜ったことはあるけど、ごく浅いところだけで、太陽の光も届かないこんなところにまでたくさんの生き物がいるなんて、思ってもいなかったわ」

 それはキュルケの正直な答えだった。太陽の光が届かないような深い水の底で、生き物が生きていられるなんて不可能だと決め付けていた。実際、地球でも近代になって本格的な深海調査が行われるようになるまでは、深海はほとんど生物のいない砂漠のような環境であろうというのが一般の認識だったのだ。

 だがそれは誤りであり、太陽の恩恵がなくても生物は暗黒の世界で平然と繁栄している。怪獣のような特殊な存在でなくとも、生物はあらゆる環境に適応して生きているのだ。

 水の精霊はキュルケの答えを聞くと、ゆっくりと湖の中を見渡すように首を回した。表情はタバサのそれと同じく無表情で、なにを考えているのかは読み取れない。

「お前たちの知っている世界は、この世界のほんの一部分に過ぎない。水は、お前たちが海や湖と呼ぶ存在としてこの世界の大部分を覆い尽くし、お前たちの領域はその上に突き出たわずかなのだ。心せよ、単なる者たちよ。お前たちがいくら地上で権勢を誇ろうとも、それが届かない大きな世界があるのだ」

 コルベールやキュルケたちハルケギニアの人間は、ハルケギニアの外のことは知らない。海に対する認識は、しょっぱくて魚が捕れるくらいの知識しかない。だが、ラグドリアン湖にほんのわずかに潜っただけなのに、これだけの未知と出会えるとは、いったい海の中にはどれだけの神秘が隠れているというのだろうか?

 コルベールは、新たな未知の可能性を提示されて、瞳を輝かせながら言った。

「すごい、私は今まで空を飛んで未知の世界へ行こうとばかり思っていました。けれど、こんな身近に人間の知らない未知の世界があったとは、見解の狭さを思い知りました」

 ラグドリアン湖はトリステインの人間にとって身近な存在だ。しかし、その身近な世界のことすら自分たちはろくにわかってはいなかった。そのくせして、未知の世界を探検していこうなどとはおこがましい。

 しかし、明晰なコルベールは不明を感じつつも喜びも得ている。未知なる生き物には、未知なる発見がつきものだ。新種の生き物から、たったひとつの新薬が発見されるだけで世界ががらりと変わることさえあるのだ。

 一方で、精霊を信奉するエルフのファーティマは、それが当然だというふうにうなづいている。ドゥドゥーは、自分には関係ないことだとそっぽを向いているが、意外にもジャネットが興味ありげな様子をしているのでどうしてかと尋ねたら、「だって海にまだまだわたしたちの知らない生き物がいるんだったら、この世のどこかにマーメイドやセイレーンみたいなおとぎ話の生き物がいるかもしれないじゃない。わたし、小さい頃から人魚とお近づきになるのが夢だったのよね」と、楽しそうに答えるものだから、「あっ、そうかい」とだけ言っておいた。

 ただ、一刻も早く目的を達成したいキュルケにとっては、相手がタバサの姿を模していることもあって愉快ではいられなかった。

「それで、水の精霊さん? あなたはわたしたちに説教がしたいわけなの?」

 あまりに無礼なキュルケの態度は、隣にいたコルベールたちを慌てさせた。この場で水の精霊の機嫌を損ねてしまうのはまずい。

 しかし、水の精霊は静かな様子のままで、独り言にも思えるくらいに穏やかな声色で彼らに語りかけてきた。

「知っておいてもらいたいからだ。この世界には、無数の生命が息づいており、それは外の世界でも変わりない。そして、異なる世界の生き物同士が触れ合うとき、それは大きな災いともなる」

「わかってるわよ。現に今、アークボガールの脅威に困ってるんじゃないの」

「そうだ。だが、お前たちが将来そうならないという保障があるか? 未知なる領域を見つけたお前たちが、土足でそこを踏み荒らしに行かないと言えるのか?」

「それは……」

「我は危惧しているのだ。お前たちはついに、我々の領域に立ち入るまでの力を手に入れた。だが、その力でお前たちが我々の都の平穏を乱しに来る未来をな」

 コルベールは、はしゃいでいた自分を恥じて押し黙った。コルベール自身は野心はなくても、コルベールが切り開いた道を通って欲深い人間たちがやってくることは容易に想像できる。地球の過去に置いても、勇敢な探検家が切り開いた道を辿って奴隷商人がやってきた歴史的事実がある。

 キュルケも、水の精霊の危惧の現実性を感じて押し黙った。ティラとティアも、自分たち自身は純粋な思いでハルケギニアの海洋調査を行っていたが、それをミミー星人に悪用されてしまった。ほかにも、ミラクル星人の調査資料をテロリスト星人が悪用しようとしたりと、善意の結果が悪意を持つ者によって台無しにされてしまうことは多いのだ。

「たとえこの脅威を逃れられたとしても、いずれお前たちと我らの争いが起こるやもしれん。そうなったとき、お前たちは責任を持てるのか?」

 水の精霊の問いかけに、コルベールは自分の信念の危うさに気づかされた。自分は東方号を軍事利用するつもりはなくいたが、技術は制限できても、人は一度見たものを超えようとする本能がある。東方号を目標にして、いずれは……

 そしてラグドリアン湖にも、珍しい生物を目当てにした欲深な人間が押し寄せてくることは想像は容易だ。コルベールは、自分の発明がとんでもない災厄の引き金になりかねないと知って考えた。

「皆さん、我々がここで目にしたものは、帰っても他言無用にしましょう。そして、私は女王陛下にも上奏して、技術が拡散する前に希少生物の捕獲と流通の厳罰化の法整備を訴えていくつもりです。いったん作り出した技術を消すことはもはやできませんが、悪用を防ぐために私は残りの人生を懸けていきます。たぶんそれが、この世にあらざるものを持ち込んだ私にできる唯一の贖罪なのでしょう」

 人間の欲望には限度がない。だからこそ、誰かが歯止めをかけなければならない。

 キュルケもまた、人事ではないと思った。以前にエギンハイム村で見た人間と翼人の領域を巡る衝突。これから先、技術の進歩で人間の領域が拡大すれば、軋轢も拡大していく。将来、自分は大貴族ツェルプストーの一員として、領民の暴走を食い止めて、他の見本となっていくことができるのだろうか。

 責任の重さが彼らの肩にずっしりと圧し掛かってくる。しかし、水の精霊はまるで安心したかのように彼らに語りかけた。

「お前たちは、本気で我らのことを思ってくれているようだな。お前たちの生命の鼓動が、真実を伝えてくれた。お前たちを招いた我の判断は、間違っていなかったようだ」

「えっ? ……ずるいわね。声を潜めてなんて言いながら、心音まで聞き取れることを隠してたのね。今のやりとりで、わたしたちの本気を試したってところかしら?」

「許せよ。単なる者を呼ぶことは、我々にとっては大きな決断だったのだ。しかし、案内する以上、お前たちには我らの真実を知っておいてもらいたい。お前たちが本気で世界を救いたいと思うならば、お前たちが戦おうとしている敵の正体……それは恐らく、我らが知るものであろう」

「な、なんですって! ロマリアの、あの教皇たちの正体を知っているっていうの?」

 意外な、意外で衝撃的な話だった。ヤプールとは違い、しかしこの世ならざる力を持つ教皇が何者であるかは、敵であること以外はまったくの謎だったからだ。

 ギーシュたちから聞かされた、教皇の見せた”奇跡”の数々。その秘密を持ち帰るだけでも、大きな収穫になる。キュルケやコルベールは、一言も聞き逃すまいと耳を傾けた。

「お前たちの敵、それはお前たちが考えているよりずっと古い存在だ。この世界は、お前たちが文明を持つ以前から、様々な干渉を受けて成り立ってきた。思えば、今の世界の異常は、それらが積み重なってきたゆえかもしれん」

 キュルケはそれでハッとした。以前カトレアから聞いたことのある、大昔にラグドリアン湖に現れて暴虐を尽くしたという異邦人たち。水の精霊は、太古からそれらのすべてを見てきたのだ。

「そもそも、我らからして元々この世界にいたわけではない」

「えっ? なんですって!」

 コルベールが驚きを隠せずに叫んだ。水の精霊はハルケギニアではもっとも古い存在と言われている。それが、ハルケギニアで生まれたものではないというのか?

「お前たちが水の精霊と呼ぶ我らは、お前たちが目指す異世界の門の先から迷い込んできたのがはじまりだ。だが門は不安定で、元の世界に帰ることのできなくなった我らは、この世界に適応して姿を変え、今のお前たちが知る我らになったのだ」

 声もないコルベールやキュルケたち。ファーティマも、精霊が異世界からやってきた存在だと聞いて驚きを隠せずにいる。

 一方で、ティラとティアだけは納得したようにうなづいていた。彼女たちの尺度からすれば、宇宙規模での外来種の定着などは珍しくもないからだ。

 生物はそれだけ強い適応力を持っており、例えばこんな話がある。地球に巨大隕石が衝突して、地上は焼き尽くされ海は干上がり、全生命が絶滅したとしても、宇宙空間に舞い上げられた、酸素を必要とせず高熱や放射線にも耐えられるバクテリアがいずれ冷えた地表に舞い戻ってきて進化していき、また数億年経てば地球は元通り再生するという。

「この世界にとどまることを余儀なくされた我らは、お前たちがラグドリアンと呼ぶ湖を第二の故郷として生きてきた。やがて湖畔に人が住み着き、歴史を刻みだし、我らはそれを見守ってきた。だがあるとき、この地に恐るべき悪意を持つ者たちがやってきたのだ」

「それって、六千年前にラグドリアン湖のそばで戦争をはじめた異邦人たちのこと?」

「いいや、それより後の時代のことだが、無関係ではない。お前たちの尺度で言う六千年前、長耳の単なる者たちが大厄災と呼ぶ異変が世界を襲った後、しばらくの間も世界は不安定な状態を続けた。ラグドリアンはその深さゆえに無事を保てたが、地上の乱れた波動は水底にも影響を与え、閉じていたはずの扉の先から邪悪なる者たちを呼び寄せてしまったのだ」

 邪悪なる者たち……それが。

「何者なの? そいつらは」

「わからない。奴らは、まるで影のように正体をつかませない。ただそこに存在し、悪意を持っているのだけは確かだが、どこからやってきて、どれほどいるのかなど見当もつかんのだ。奴らはこの世界の存在を知ると、自ら異世界への扉を開いて仲間を呼び集め、この世界の人間たちの間に浸透していった。それからだ、お前たちがブリミル教徒と呼ぶ集団が増え始めたのは」

「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ、我々が信仰してきたブリミル教は、異世界の侵略者が作ったものだって言うのですか?」

 コルベールが慌てて叫んだ。教皇が侵略者だということは知っている。だがそれはあくまで、今の教皇がという意味だ。始祖ブリミルに対する信仰は消えておらず、それはブリミル教が精神の根幹を成しているハルケギニアの民にとって一大事だ。しかし水の精霊はタバサの顔を横に振った。

「いや、ブリミルという男が存在したのは事実だ。それ以前にも、湖を訪れる人間たちがブリミルの名を口にすることはよくあった。が、一気に信仰という形で増えだしたのはそれからだ。作り出したというより、利用したというべきだろうな」

「なるほど、それなら女王陛下が公開した始祖ブリミルの遺産と、教皇たちロマリアの主張が食い違うのは当然です。けれども、やはり複雑な気分です……」

 敬虔な、というほどではないがコルベールはブリミル教に当たり前に親しんできた普通の人間だ。まだ年若いキュルケやドゥドゥーたちと違い、そのショックは大きい。

 だが、敵はそれほどまでに昔からハルケギニアに根を張ってきた存在ということになる。しかも正体を水の精霊にも悟らせずにだ。

「恐らくはだが、奴らは人間を自分たちにとって都合のよいように操りたかったのだろう。しかし、我がここから観察しているだけでも、人間たちは近年になって急激に変わりつつある」

「それで、操るのが面倒になる前に、いっそ滅ぼして丸ごと自分たちのものにしてしまおうというわけですな。水の精霊よ、その敵は元々はあなたの世界にいたものなのでしょう、ほかになにかわからないのですか?」

「いいや、向こうの世界の同胞、向こうの世界の人間たちにとっても、奴らの正体は謎のままだった。わかることは、根源的な悪意を持って、破滅をもたらしにやってくるものたちだということだけだ。それゆえに、奴らは向こうの世界ではこう呼ばれていた。根源的破滅招来体と」

「根源的、破滅招来体……」

 その、ぞっとする名前にコルベールの背筋に寒気が走った。ドゥドゥーだけは、どんな奴が相手でも僕には勝てないさとうそぶいているが、さすが裏社会で生きてきた本能なのだろう、それだけ人間社会に浸透しながらも一切正体を掴ませなかったという敵の存在を警戒して目筋の一部がわずかに震えている。

 それほどの敵が、ハルケギニアを狙っている。しかも怪獣を操ったりと、ヤプールと同程度の力を持つのは明らかなのに、人間とエルフを同士討ちにさせようという魂胆は狡猾だ。

 果たして勝てるのか……? コルベールやキュルケの胸中に不安がよぎる。だが、そこへファーティマがいぶかしげに尋ねてきた。

「待て、水の精霊よ、なぜ向こうの世界の奴らの呼び名を知っている? それに、向こうの世界の人間たちだと? あなたたちは元の世界へは帰れないのではなかったのか?」

 ハッ、とコルベールたちも気づいた。そういえばそうだ。敵が懇切丁寧に教えてくれるはずもないのに、なぜそんな情報を持っているのだ?

「我らは門を潜って帰ることはかなわないが、門を通じて元の世界の同胞らと、ある程度の意思疎通はできるのだ」

「ちょっ! そういうことは最初に言いなさいよね」

「そうか? そんなに大切な情報だとは思わなかったのだが。我らが案ずるお前たちと我らとの調和と、お前たちの門にたどり着くという目的のためには、我らの世界のことは特に必要あるまい」

 あちゃあ、と、キュルケたちは思った。こういう気の回らないところが水の精霊のやっかいなところだ。

「あのねえ、あなたの世界でも、その破滅招来体というのが暴れてたんだったら、あなたの世界でどう戦ったのかを聞けばこっちで戦う方法がわかるかもしれないじゃない」

「そうか、戦う……方法か。すまないが、我らにはお前たちの言う、その”戦術”とやらの概念がわからないのだ。我らは外敵に対して自らの力を行使することはできても、外敵に対してどう戦えばいいのかということはわからない。そもそも、もともと我らには戦う力すらなかったのだ」

「それだけの力を持ってるのに、戦う方法がわからないですって?」

「そうだ、単なる者よ。我らは単にして全、たとえ分かれてもすべてが我だ、お前たちと違って、同じ者同士で争うことはない。湖を汚すものに対して、心を奪うことは出来るが、倒すためにはどうすればなどはわからないのだ」

 人間やエルフ、ほかの亜人たちにせよ、個の生命体であることに変わりはない。水の精霊はそのすべてが同一の全であるがゆえに、自分自身と争うなどということはなく、その存在の巨大さゆえに外敵と呼べるものもない。だから、いざ自らの存在を脅かすものが現れたとしても、戦うことができないのだ。

「だから単なる者たちよ。我にはお前たちの持つ、個を守るために戦う力が必要なのだ。我という存在と、このラグドリアンを守るために」

 水の精霊は全の生命、しかし世界や宇宙規模で見れば個に等しい。ならば、自らを守るためにはどんな手段をとろうと戦わなければならないという自然界の掟からは逃れられない。戦わない生き物には死あるのみ。

 よく環境問題で、外来種が在来種を駆逐して生態系を破壊するなどと言われるが、自然というのはもっとシビアでドライな存在で、在来種の生態系が壊れれば外来種の生態系がとって変わるだけで、自然界そのものは調和を保ち続ける。善悪などは存在せず、生存競争の敗者に対しては徹底的に残酷なのが自然界なのだ。

 水の精霊も、どんな存在であろうと自然界で生きている以上は自己保存のために動かなければ滅ぶ。だが自らに戦う術がないのであれば、生き残る術は、逃げ隠れするか、それもできないのであればひとつしかない。

「わかったわ、水の精霊さん。あなたが生きるために、わたしたちに協力してくれる。前と同じように、お互いにメリットがあるから手を貸すというわけね」

「そうだ。お前たちの概念では、助け合いと言うのではなかったかな」

「いや、それはどうかしら? 助け合いってのは、利益がどうとかじゃなくてもっとその……どうかしらねえ」

「むう?」

 キュルケは、水の精霊の認識に対して修正を試みようとしたが、うまく言葉に表すことができなかった。

 だが、そこへティラとティアがすっとキュルケの代わりに答えてくれた。

「言葉で説明して、わかってもらえることじゃないよ。気持ちの問題だからね」

「まあ、強いて言うなら、わたしたちは個の生き物だから、相手の個を大切にしたいってことかな。水の精霊さん、わかりにくいかもしれないけど、前にミミー星人にやられて死に掛けてたわたしたちを助けてくれたあんたなら、いつかわかるかもしれないよ」

「そういうものか。個に生きるということは、なんとも複雑で難しいものだ。だが、我にも大厄災の前には、少ない期間だが単なる者と共に生きた時間があった。あの頃の人は、ひたすらに純粋であった」

「純粋っていうことは、逆に言えば幼稚ってことでもあるからね。生き物ってのは、個をぶつけあってどんどん複雑になってくものさ。精霊さん、まだ時間はあるんだろ? もっともっといろんなことを話そう。相手を知るのに、話すことはなにより大事だからさ」

 さすがは学者のたまごのふたりであった。キュルケが言いづらかったことを、見事に形にしてくれた。

 キュルケは、タバサそっくりの姿で考え込むしぐさをする水の精霊を見て、そういえばタバサも最初はこんなふうに、何を考えてるのかさっぱりわからない子だったわねえと思った。

「話か。だが扉の向こう側のことがわかるといっても、向こうでの戦いのほとんどは地上で起こったらしいから、詳しいことはわからないぞ。それに、扉も不安定で、我らの世界とは違う海につながってしまうことも多い。以前には、巨大な亀が胸に傷のある黒い怪物に食い殺されている海の光景を見たことがある」

「構わないわ。あなたたちとわたしたちじゃ、感じ方が違うかもしれないし、いろんな世界につながっているならわたしたちにとっては都合がいいわ。さあ、もっといろんな話をしましょう。おしゃべりは女の子のたしなみよ、精霊さんもそんなかっこうしてるんだから、もっと気楽に気楽に」

 何千年もの間、変わらずにいた水の精霊が今すぐに人の感情を理解してもらえるとは思わない。しかし、なんであろうとも始めなければ結果が生まれることはない。

 沈み行く東方号は、その深度を千メイルを越え、まだまだ沈んでいく。キュルケはタバサの顔をした水の精霊と語り合いながら、必ず本物のあなたも連れ戻してあげるわねと、決意を新たにするのだった。

 

 

 だが、その一方で、トリスタニアでおこなわれているロマリアとの戦争は、まさしく激戦の様相を見せていた。

 トリスタニアに攻め込むガリア・ロマリア連合軍十二万の大軍勢。街を囲む城壁では大砲と矢と銃弾と魔法が飛び交い、ゴーレムの足音が轟き、兵隊のときの声が間断なく響き続ける。

 その頭上では、ガリアの両用艦隊に属していた竜騎士と、ド・ゼッサールの率いるグリフォン、ヒポグリフ、飛竜、マンティコアに乗った魔法騎士の混成部隊が魔法をぶつけあっていた。

「名にしおうガリアの竜騎士とあれば、相手にとって不足はない。このド・ゼッサール、烈風の一番弟子の名を恐れぬというのであればかかってくるがいい」

 結局魔法騎士隊は再建が間に合わず、すべての幻獣の部隊をド・ゼッサールがまとめて指揮しているという情けない状態だったが、士気は皆高い。戦争が始まるギリギリ前まで、彼らはカリーヌから実戦さながらの模擬戦でもまれていたのだ。あれより強い敵など存在しないという自信が彼らを支えていた。

 しかし、戦いの本番はあくまで地上である。

「攻め込め! 討ち入れ! 教皇聖下の御前である。異端の都を火の海にせよ!」

 聖堂騎士の隊長が叫び、トリスタニアの城下町にロマリア兵が大挙して攻め入ってくる。いくらトリスタニアが要塞化されているとはいえ、ロマリア側は何十万もの大軍団であり、城門、城壁の何箇所かは突き崩されて、城下町への侵入を許していた。

 しかし、ロマリア軍は大軍で攻め入りながらも焦っていた。なぜなら彼らが攻撃に使える時間は少なく、アルビオン艦隊が補給のためにトリスタニア上空を去っている、この間隙しかチャンスはないことを知っているからだ。

「進め進め! 小国トリステインの田舎町など粉砕するのだ」

 ロマリア兵たちは、限られた時間でトリスタニア内に橋頭堡を築こうと、必死に城下町を、ブルドンネ街の大通りを駆けた。なにせ、今のトリスタニアの街はベロクロンの襲撃で壊滅したのを再建した際に大きく改築され、ブルドンネ街も道幅を五メイルから一気に四十メイルに拡大したから大軍でも攻め入りやすかった。

 だが、そう簡単にいくほど攻城戦というのは甘くない。道幅の広さは、敵兵の侵入を容易ならしめすよりも、怪獣に襲われた際に素通りさせて被害を軽減するためにおこなわれたものだから、確かに戦争時の防御力は落ちたように思える。

 が、しかし。状況が変われば、それに合わせて工夫をするのが人間というものだ。大通りを氾濫した川のように突進してくるロマリア兵の軍団の先頭集団が、いきなり消滅してしまったのだ。

「うわっ!」

「なんだっ? おわっ!」

「しまった、落とし穴だ! と、止まれ押すな! うわぁぁっ!」

 広い街道の中に、いきなり堀のように開いた巨大な落とし穴にロマリア兵たちは飲み込まれるように転がり落ちていった。そう、広い街道なら敵は当然一直線に突進してくる。ならば、その進路上に罠を仕掛ければと考えるのも当然のことだ。

 罠自体は単に街道いっぱいの広さがあるだけの堀に過ぎず、平民たちが一日で掘りあげたものだ。ただし、穴の上には巧妙にふたをかぶせて偽装されており、足を乗せるまでは存在がわからないようにされていた。功を焦って突撃していた先頭集団はまとめて落とし穴に落とされ、なんとか止まることのできた後ろの集団も、幅十メイル深さ五メイルはありそうな堀を越えることはできずに立ち往生してしまった。

 平民の兵隊では、こんな大きな堀は特別な装備がなくては越えられない。空を飛べるメイジがいなくはないが、これを待ちかねていたように堀の向こう側にトリステインの部隊が現れて防御陣を敷いてしまった。平民の兵の支援もなしに自分たちだけで先に行っても袋のねずみになるだけである。別の道に逸れようにも、横道にはバリケードが組んであって入れない。

 もちろん、時間をかければ大きいだけのただの空堀を越える手段などいくらでもある。しかし、彼らにはその時間がなかったのだ。

「隊長、もう王宮にたどり着いていないと危険な時間です。このままでは」

「おのれ、田舎者どもめっ。やむをえん、撤退だ!」

 結局、落とし穴に落ちた兵はまとめて捕虜になり、残った兵たちもこれ以上進めずにいては、アルビオン艦隊が戻ってきたら頭上から砲弾の雨に見舞われるために、来た道を必死に帰るしかできなかった。

 

 さらに、破られた城壁の一部からは裏町や、チクトンネ街にも敵兵が入り込んでいた。

「城壁を越えたぞ。突撃ぃぃ!」

 こちらは込み合ったままの町並みのため、侵入した敵兵との間で激しい白兵戦が繰り広げられていた。敵地への一番槍はどこでも最高の名誉とされるのは変わりない。勇んで攻め入ってくる敵兵を、待ち構えていたトリステイン軍が迎え撃つ。

「ようこそトリスタニアへ。観光か? 商売か? なに戦争? ではたっぷり鉄の味を堪能していってくれたまえ」

「うぉぉぉ、異端者どもめえぇ!」

 杖と剣、槍や鉄砲が交差する激しい戦いで街路が埋まる。

 だが、旗色は明らかにガリアやロマリアの兵のほうが悪い。彼らは、城壁を破ってなだれ込んだまでは良かったが、その内側に予想外に大軍が待っていたために、チクトンネ街の真ん中から先には進めず釘付けにされてしまっていたのだ。

「ばかだねえガリアの兵隊さんたち。一番防備の固いところにおびきだされたのも知らないでさあ」

 軍曹の階級章をつけた中年の男が鉄砲を撃ちながらつぶやいた。道筋がわからずにおたおたしていたガリア兵が足に銃弾を受けて倒れこむ。

 理屈は単純なことだ。いくらロマリアとの全面対決を覚悟したとて、トリステインにはトリスタニアを完全な要塞都市に整備するだけの時間も予算も人員もなかった。そこで、街の周囲を覆う城壁の何分の一かは簡易な作りにして、その内側の街に兵力を集中した重点陣地を作っておいたのだ。

 つまり、ロマリア軍が破った城壁は最初から破られやすいところで、兵隊たちはてぐすね引いてトリステイン軍が待っている中に飛び込んでいったことになる。これならば兵力の少ないトリステイン軍でも大軍と戦えるという寸法だ。

 チクトンネ街は、ただでさえ道が狭く入り組んでいる上に、家々にはトリステインの兵隊が潜んでロマリアやガリアの兵に不意打ちをかけては倒していく。そして倒された兵隊は、かつてリッシュモンも使った地下通路に運び込まれて次々と捕虜となっていった。

 しかし、手だれの兵やメイジは不意打ちが効かない。そういう敵には、トリステインの魔法衛士隊や銃士隊が相手をする。

「さて、思えば人間相手の戦はずいぶん久しぶりな気がするな。まったく、人間同士で争っている場合ではないというのに、馬鹿どもめが」

「サイトが見たら、きっと怒るでしょうね。しょうがないですが、人間の馬鹿の始末は人間がしませんとね。では、片付けてくるとしましょう」

 アニエスとミシェルが、隊員たちを連れていっせいに突撃を開始した。あらかじめ、チクトンネ街の構造を頭に叩き込んである彼女たちは遮蔽物を利用し、機敏な動きと陽動で一気に距離を詰めるとメイジさえ切り倒していく。

「ウ、ウィンド・ブレ」

「遅いっ!」

「ぎゃあぁぁっ!」

 内懐に飛び込んでしまえば魔法は無力だ。近接戦も鍛え上げた魔法戦士は数が少なく、単なるメイジであればメイジ殺しの鍛錬を積んできた銃士隊の猛者たちの敵ではない。

 銃士隊の剣を受けて倒れこんだメイジたちは、それでも意地を見せて魔法で反撃を試みようとした。が、すぐに体の異変を感じて杖を取り落としてしまった。

「ぐっ、あぁぁっ!? 喉が、喉が焼けるっ。き、貴様ら、や、刃に毒をっ!」

「心配するな。命に別状は出ない、後で縛り上げてから治してやるからしばらくおとなしくしていることだな」

 銃士隊の使用している剣には、モルフォ蝶の燐粉を元に作られたしびれ薬が塗られていた。効力はミシェルたち自身が体験済みで折り紙つき、これでかすり傷でも相手を無力化することができる。

 しかし、普通に毒薬を使えばいいのに何故しびれ薬を使っているのか? それは、この戦争が勝ち負けが重要ではないからだ。

「なるたけ殺すな。こいつらのほとんどは何も知らんに過ぎん。殺せば殺すほど、この世界に怨念をばらまくことになる!」

 この戦いは本来無益なものだ。仮にトリステインが圧勝したとしても、死屍累々の荒野からはなにも生まれず、戦死者の友人や家族をはじめとしてガリアやロマリアの人間から多大な恨みを買うだけだ。

 さらに、ヤプールをはじめとする邪悪な侵略者たちは人間の怒りや恨みから生まれるマイナスエネルギーを糧にしていることがわかっている。ここで死者を多数出すことは、本当に戦うべき侵略者たちを肥え太らせ、対抗戦力をすり減らす愚策に過ぎないのだ。

「殺さないが基本の戦いか、銃士隊もずいぶん甘い組織になったものだ」

 アニエスはひとりで自嘲した。戦争となれば敵は殺して当然、軍人とはそういうもので通してきたつもりだったが、より広くて長い眼で見れば、殺す敗北、殺さない勝利もあることを学んだ。

 しかし、世の中には情けをかけるに値しない者も存在する。

「うへへ、見ろ見ろ女だぜ。こりゃ、思わぬ役得に預かれそうだぜ」

「野盗崩れの傭兵どもか、どこの戦場でもこういうゴミどもは出てくる。自分から救われたくないと言ってる奴らは、手心はいらんな」

 アニエスは一転して吐き捨てると、剣を致命傷を与えられる構えに切り替えた。やりたくて悪党に堕ちている奴には、それ相応の報いをくれてやらねばならない。

 ほかの銃士隊の隊員たちも、瞳に冷酷な光を宿らせて剣を構える。生きているだけで他人に不幸をもたらすような奴を野放しにするほど、銃士隊は慈悲深い組織ではない。

「一度だけチャンスをくれてやる。そこらに転がってる連中よりひどいめに会いたくなかったら、今すぐ武器を捨てて投降しろ。嫌なら、思い切り残虐な方法で殺してやる」

「へへ、生ぬるいやりかたしかできねえ貴族なんかに勝ててるからっていい気になんじゃねえぞ。たかが女ふぜいが、俺たちがどれだけ殺してきたか知らねえだろ、残虐な方法だって? 教えてもらおうじゃねえか」

「そうだな、逃げてもどこまでも追いかけていって、槍を口の中に何度も刺しまくってから念入りに死んでるかどうか確認した後で、崖から落として殺してやる」

「え?」

 なにそのオーバーキル? というか、もう途中で死んでるんじゃない? というか、あんたら槍なんか持ってないでしょ? というか、この街に崖なんてあったっけ?

 傭兵どもは、自分たちが敵に回してはいけない相手を前にしたんじゃないかと思ったが、後の祭りであった。そう、例えるならば、道を歩いていたら突然返り血で赤く染まった通り魔に出会ってしまったような。そういえば、どこかから不穏な音楽がレクイエムのように聞こえてきた、気がする。

 手加減するのをやめたアニエスの剣がギロチンのようにうなり、ミシェルの魔法が貫き、銃士隊の突撃が蹂躙する。彼らが宣言どおりに崖下に投擲されたかどうかは、誰も知らない。

 

 

 しかしトリステイン軍ももちろん無傷ではない。負傷者は増え続け、それらはチクトンネ街の飲食店などを改装して作られた臨時救護所に担ぎ込まれていた。

 その中のひとつに、魅惑の妖精亭も入っており、スカロン店長以下のジェシカたち店員たちが臨時の看護婦として働いている。

「包帯をもっと持ってきて! それからお湯も代えて。急いで! まだ怪我人はどんどん運ばれてくるわよ」

「傷は浅いわよ。しっかりして、首がつながってる限り助けてあげるから、気をしっかり持つのよ」

 普段はきわどい衣装に身を包んでいる少女たちも、今ばかりは白衣で怪我人たちを介抱している。

 本来ならば、スカロンは彼女たちをよその町に避難させたかったが、彼女たちは揃ってがんとして残ると言い放ったのだ。

「ミ・マドモアゼル。わたしたちがお金目当てだけで、ここで働いてたと思ってたんですか? わたしたちだって、この街が好きです、女王陛下が好きです、そしてなによりこの店とミ・マドモアゼルが好きです。逃げるならみんないっしょです。ミ・マドモアゼルが、この街とこの店を守るために残るなら、わたしたちも同じですよ」

 それを聞いたときのスカロンの号泣振りは、ジェシカをはじめ少女たち全員が一生忘れられないものとなった。いや、忘れたくても忘れようがないものとなった。

 だが実際、彼女たちの力はトリステインにとってはありがたかった。戦場は前線よりもむしろ後方の活躍で決まることが大きい。負傷者に応急処置を施す彼女たちの活躍で、どれだけの命が救われたものか。

 ただ、兵隊の中にはこんなときだというのに白衣姿の少女たち目当てにわざと怪我した振りしてやってくる不届き者も存在した。しかし、魅惑の妖精亭の店員にとっては、男たちの下心などは簡単に読める。そういう馬鹿どもへは、きついお仕置きが待っていた。

「まあ、これは大変だわ。すぐに念入りな手当てをしないと。ミ・マドモアゼル、こちらの彼に思いっきり人工呼吸をお願いしまーす」

「え? ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

 むしろ殺されたほうがマシなんじゃないか? と思うような仕打ちに、軽傷で救護所へやってくる兵隊はいなくなった。

 しかし、救護所へやってくるのは味方だけとは限らない。小数ではあるが、防御陣をすり抜けた敵兵が、救護所を襲ってくることもあったのだ。

「トリステインの異端者どもめ、神罰を下してやるぞ!」

 目を血走らせたロマリアの騎士が、無防備な負傷兵や少女たちに杖を向けて魔法を打とうとする。

 だがそこへ、疾風迅雷のごとく飛び込んできた筋肉の壁があった。

「ふんぬっ!」

「ぐぼぁっ!? な、なにがっ」

「こんのおクソ坊主めぇ、私の可愛い妖精さんたちに、なにしようとしてくれとるんかしらぁぁ!」

「あろばがひでぶぅ!?」

 哀れ、スカロンの剛拳によってロマリアの騎士はお星様となった。

「さあ、こっちは大丈夫よ妖精さんたち。あなたたちは私が守るから、安心して働いてちょぅだい。チュッ」

「は、はーい。ミ、ミ・マドモアゼル……」

 本気で怒ったミ・マドモアゼルってあんなに強かったのか。というか、ミ・マドモアゼルひとりで全部いいんじゃないかな? と、ジェシカたちは思うのであった。

 そんなスカロンの活躍ぶりを見て、ひとりの壮齢の女性が微笑を浮かべながら言った。

「さすがですねスカロンさん。うちのおじいさん仕込みの格闘術、久しぶりに見せてもらいました」

 それはシエスタの母のレリアだった。彼女はタルブ村に住んでいるけれども、親戚のスカロンのことを心配してトリスタニアに来ていたのだ。

 スカロンはにこりと口紅が分厚く塗られた唇を歪めて笑い返しながら言った。

「あらん、レリアちゃん。あなたにほめてもらえるなんて光栄ねえ。懐かしいわあ、私の妻が亡くなったとき、あの頃はまだシエスタもジェシカも小さかったわね。あなたのおじいさん、私がひとりでジェシカを育てていくって言ったら、「男がひとりで生きていくのに必要なものは、まず腕っ節だ」って言って鍛えてくれたものね」

「そうそう、タルブの平原でスカロンおじさんを馬車で追い掛け回して、「やめてください」って泣き叫ぶおじさんに「逃げるな、向かって来い」ですものね。あれは私もおじさんがかわいそうになったわ」

「まったく、ひどいことするわ。何度本当に死にそうになったことか。でも、おかげでチクトンネ街のチンピラくらいには負けないパワーと、多少のことには折れない肝っ玉を手に入れられたけどね。ササキおじいさまには感謝してるわ。あれからすぐだったわね、おじいさまが亡くなられたのは」

 スカロンとレリアは空を仰いで、遠い目をしながら今は亡き佐々木武雄をしのんだ。

 彼がいる限り、雑兵ごときならば問題にならないだろう。ちなみに、襲ってきた雑兵はもうひとりいたが、そいつは大きなトカゲに頭をかじられていた。

「いだだだだ! な、なんなんだこいつは!」

「いいぞぉ、特殊戦闘用非メカニックモンスター、ナマガラオンよ。もっとガジガジしてやるがいい!」

 笑いながら命令を飛ばしている三人のおっさんたち。もといミジー星人三人も、ペットにしている小型怪獣バデータとともにここに残っていたのだ。

 ちなみに、彼らがここにいる理由は正義感とか恩義とかいうよりも、魅惑の妖精亭から出て行ってホームレス生活に戻ることが嫌だったからだ。

 なお今のバデータは体長1メートル50センチほどに成長しており、体格も成体に近くやや鋭角的になっている。しかし性格は温厚で魅惑の妖精亭の少女たちにもよく懐き、不届きな客を追っ払うのに役に立っているので意外に店でも重宝されていた。

 余談であるが、ミジー星人たちがつけたナマガラオンという名前は不評で、ジェシカたちの間ではガラちゃんの愛称で通っている。

 どうやら、網をかいくぐってきた敵兵はこれで全部らしい。それに、戦場のほうで聞こえるときの声も小さくなってきている。城壁を突破してきた敵も、内側の防御陣は破れずに後退を始めたようだ。

 スカロンは、戦いが下火になってきている様子にほっと胸をなでおろした。

「よかった。これで、アルビオンの艦隊さんたちが戻ってきてくれればもう安心ね。それに、思ったより怪我人が少なくて助かったわ。戦争の前に将軍さまたちから、地獄を見ることになるぞって言われてたから包帯もお薬もいっぱい用意してたけど、半分も使わなかったわね」

 実際、運び込まれていた負傷兵の数は当初予想の三分の一以下にしか過ぎなかった。スカロンがジェシカたちに向かって、「妖精さんたちもみんな無事ー?」と聞くと、全員の元気な声が返ってくるほど、少女たちもたいして疲れてはいない。

 

 だがこれは、なにもトリステイン軍が奮闘したからでもガリア・ロマリア軍が手を抜いたからでもない。想定外の第三者が介入したからだった。

 

 破壊されたトリステインの城壁。そこに累々と転がるガリアやロマリア兵を冷たく見下ろしながら、筋骨隆々とした大男と小柄な少年が立っていた。

「ふう、おおむねこんなところですかね。まだやりますか? ダミアン兄さん」

「いいや、もうこのへんでいいよジャック。これで、ぼくらの功績はきっちりとトリステインの皆さんに見てもらえた。あまりやりすぎて、彼らにまで恐れられたら面倒になる」

 元素の兄弟のダミアンとジャック。彼らが城壁で暴れたことが、ガリアとロマリア軍がトリスタニアに大軍を送り込めなかった原因であった。

 単独でも一騎当千の強さを誇る彼ら兄弟にとって、そこいらの兵隊を蹴散らすことなどは造作もなかった。しかし何故、彼らがこんなところでトリステインに味方しているのか。その理由にジャックは、兄に向かって呆れたようにつぶやいた。

「まったく兄さんは、俺たちは人前に顔を出さないのが基本だったろうに。こんなに堂々と暴れて、うまくいかなかったらどうするんだい?」

「そのときはまた別の考えがあるから心配しないでいいよ。気楽にやりなよジャック、クルデンホルフの専属になればあまり好き勝手することもできなくなるからね。今のうちに傭兵でもなんでも、稼げるうちはなんでも稼いでおかないと」

 それが、ダミアンとジャックがトリスタニアにいて、ドゥドゥーとジャネットだけがベアトリスの前に現れた理由だったのだ。

 ジャックは、まったく兄さんの商売根性の強かさには勝てないよと諦めるばかりである。けれども、裏稼業に未練があるように憮然としているのを見抜いたダミアンは、教え諭すように彼に言った。

「僕らもずいぶん長いこと裏でやってきたからね。ジャック、君の気持ちはよくわかってるつもりだ。けど裏の稼業でやっていくにしても、信頼のおけるスポンサーがどんどん減ってる今じゃ、無理して続けても仕方ないよ」

「ガリアとロマリアのことですか。けど、払いのよさのためなら少しくらい我慢したっていいんじゃないのか?」

「ジャック、君はまだわかってないね。確かに連中は金を持ってるが、僕らを捨て駒にする気で満々さ。それならそれで別にいいけど、なにより僕の見るところじゃあ、ガリアもロマリアももう長くは持たない。味方したってタダ働きになるよ」

 まるで予知でもしたかのように確信げに語るダミアンに、ジャックはごくりとつばを呑んだ。

「それで、こんな小国に味方するのかい。スポンサーとしては下の下だと思うけどね」

「傭兵への払いは、有利なほうはケチるけど不利なほうはなりふり構わず払うものさ。それに、ドゥドゥーとジャネットの独断が悪いとはいえ、人の弟妹に危ない仕事を押し付けたロマリアとガリアは気に食わないしね。調べてみたが、なんだいあのコルベールという男は? 本気になられていたら、ドゥドゥーの命はなかったよ」

「ですね、けど兄さんも心配してたならそうとドゥドゥーとジャネットに言ってやればよかったのに」

「やだよ、兄の威厳というものに関わるからね。まだ当分はあのふたりに甘い顔は見せられないさ」

 出来の悪い弟や妹を持つと兄は苦労するのさ、と語るダミアンに、ジャックは同意したようなしていないような複雑な笑みを見せるのであった。

 

 だが、ダミアンは楽観してはいない。ガリアやロマリアの兵などは恐れるに足らずだが、彼の勘は大きな危険が近づいていることを告げていた。

「正攻法でのトリスタニア攻略は無意味。さて、どう出てくる教皇さん? あんたの持つ神の奇跡の力、せっかくだから特等席で拝見させてもらうことにするよ」

 この戦争は長くは続かない。ダミアンはそう読んでいる。

 ジャックには話していないが、この戦争に参戦した本当の理由は、これからの世界の趨勢を見極めるためだ。それによってはそれこそ、裏も表もなく、すべてがひっくり返る。この先生き残り、大望を成し遂げるためには、多少の危険は覚悟してもそれを見届ける必要があるためなのだ。

 トリスタニア上空に補給を終えたアルビオン艦隊が帰還し、戦闘はまたにらみ合いへと戻った。

 しかし、心ある者は、これが長く続くとは思っていない。アンリエッタやカリーヌも、両軍が適度にぶつかりあった今こそ教皇が超常の力を使って勝負を決めに来ると予想し、そしてそれは間違ってはいなかった。

 

 

 続く



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第48話  あの闇の中へ進め

 第48話

 あの闇の中へ進め

 

 深海竜 ディプラス

 根源破滅天使 ゾグ(幻影) 登場!

 

 

 この世界の行く先を左右するであろうトリスタニアでの戦いを、全ハルケギニアや東方のエルフたちも注視している。

 しかし、確かにそれは過去数世紀来の大事件であろうが、同等の重要さを持つ戦いが同じトリステインですでに始まっていることを知る者は少ない。

 高次元捕食王アークボガール。惑星すら軽く食い尽くす恐るべき宇宙の悪魔を止めるべく、東方号は異世界からの救援を求めにラグドリアン湖の底へと潜行した。

 だが、ラグドリアン湖の底はいまだハルケギニアの何人もたどり着いたことのない未知の領域である。どんどんと深さを増していく中で、水圧という悪魔は少しずつ東方号を握る手を強めていっていた。

 深度千メイル、二千メイル、三千メイル。まだ東方号はビクともしない。だが、本当の地獄はまだこの先に待っているのだ。

 

 

 ミシリ……

 

 

 東方号の耐圧装甲から、はじめて恐れていた音が皆の耳に響いた。

 空耳ではない。それは一度ではなく、続いて、ミシリ、ミシリと連続して響いてくる。それまで水の精霊とのおしゃべりに夢中になっていたキュルケたちは、とうとう来るべきときが来たことを察し、コントロールパネルを扱っていたティラに目を向けた。

「現在、ラグドリアン湖の水面下一万メイル。ここから先は、鉄の塊を紙くずみたいに握りつぶす死の領域よ。メイジのみんな、お楽しみは終わりよ、用意して!」

 ティラの叫びで、メイジは全員杖を握り締めて息を呑んだ。

 これより先は、この耐圧区画の外に出ようものなら人間など一瞬でグシャグシャにされてしまう、水圧の支配する絶対領域。海棲人パラダイ星人でも耐えられないほどの完全に未知の暗黒水域だ。

 そこを目指し、東方号はひたすら沈んでいく。本来ならば、最深部でも耐えられるように念入りに建造されるはずだったのが半分もいかず、耐えられるのはここまでが限界だ。ここから先は、不足する強度を補うために中から魔法で補強してやらねばならない。

『念力』

 手を触れずにものを動かす魔法の応用で、中から力をかけることで水圧を相殺する。キュルケとドゥドゥーが魔法をかけたことにより、不穏な音がやんだ。

「やった! 成功ね」

 キュルケが、どんなもんだいとでも言うかのように得意げに叫んだ。だが、コルベールは目つきを緩めることなく釘を刺す。

「いや、こんなものは序の口だ。ここから先、水圧は比べ物にならないほど強くなってくるはずだ。皆、精神力の使いすぎには注意するんだ。少しの油断が、この先はそのまま死につながることになる」

 コルベールの警告に、ドゥドゥーとジャネット以外は気を引き締めなおした。ここからが本番、力を試されるのは、ここからだ。

 そのとき、外を観察していたティアが引きつった声で言った。

「みんな、下を見てみて。これ、すごいわよ」

「なんだい? お、こりゃあ……たまげたね」

 ドゥドゥーも、その光景には思わず息を呑んだ。ティアが映し出した東方号の周囲の光景、それを赤外線処理で昼間のように明るく映し出したところには、ようやく見えてきたラグドリアン湖の湖底と、湖底を裂くように広がっている巨大な亀裂が見えたのだ。

 亀裂の幅は少なく見積もっても五リーグほど。それが湖底からさらに深くへと断崖のように沈みこんでいる。底は深すぎてとても見えない。コルベールは、その地上では決してありえない光景を見て、ぞっとしながらつぶやいた。

「大水崖だ……とうとう見えてきたぞ」

「だい……なんですの、それは?」

「かつて、優れた水の使い魔を使役していたメイジが歴史上唯一観測したという、ラグドリアン湖の底に広がる巨大な谷のことだ。別名は、青い地獄の淵。これより深くは、いかなる使い魔も到達することはできず、その底はハルケギニアの永遠の謎と言われてきたんだ」

「と、いうことは。わたしたちが、向かうべき目的地は」

「そう、水の精霊の都は、この大水崖の底にあるということだ」

 ついに、ついに目的地が見えてきた。この先は、完全なる人跡未踏の魔境。ハルケギニア永遠の謎に挑むこととなる。

 覚悟を決めるのを待つまでもなく、東方号は大水崖の中へと沈んでいく。左右に見える景色は、断崖の両側の壁のみ。垂直に切り立ったその岸壁の険しさは、火竜山脈とて比較にもならないだろう。

 下はまったく見えない。まるで、無限永劫に続いてるかのようだ……いったい底などあるのか? 息を呑む彼らに対して、水の精霊が短く言った。

「よくここまでやってきたな、単なる者たちよ。道のりはあと半分だ」

「あと半分? ということは、あと……一万メイル、ですか」

 コルベールが額で輝く汗をぬぐってつぶやいた。あと一万メイルの深さに、この東方号は耐えられるのだろうか。外でタバサの姿で浮いている水の精霊はすました様子だが、普通の生き物にとってはここはまさに地獄そのものだ。

 と、そのとき外の様子を水質や温度なども含めて観察していたティラがいぶかしげに言った。

「おかしいわね。水中の塩分濃度がすごい勢いで増えてる。この成分分布だと、まるで海の中じゃない。精霊さん、もしかして」

「そうだ。異世界への門の先は、ときおりどこかの世界の海とつながることがある。我らもそうして来た者であり、ここより深くは深海と変わらない世界が広がっている。心せよ」

 言われてみれば、外を泳いでいる魚の様子も変わっているようだ。まさか、湖の中に海があるとは誰も思わなかった。日本のとある湖は地底で海につながっていて、そこから大ダコが出てきたことがあるというが、これは文字通りスケールが違う。

 だが、見とれている場合ではなかった。再び、船殻がミシミシときしみだしたのだ。キュルケとドゥドゥーに加えて、今度はジャネットも『念力』をかけてようやく収まるが、安心した者はいなかった。

「水の力が、強くなってきているのね」

「そうだ。スクウェアクラス三人で、ようやくギリギリだと言っただろう。ミス・ファーティマ、このぶんだと水中呼吸の魔法も早く必要になるかもしれん。準備を頼むよ」

「わかった。わたしもこんな海で水練などしたくないからな。しかし、なんという不穏な海だ……この下に精霊の住まう場所があるなどと、とても信じられない」

 こんな海に沈んだら永遠に死体も浮いてこないだろう。深度はすでに一万メイルを軽く突破し、エルフの水軍もこんな深さまで潜ったものはいない。

 

 すべてにおいて、世界初のことを自分たちはやっている。しかし偉業を成しているという実感はまったくない。

 ひたすらに、下へ、下へ、下へ。光ではなく闇の方向へと、ひたすらに降りていく。その先に、本当の希望の光があると信じて。

 

 しかし、深度一万三千メイルを超えたときだった。水の精霊が、突然慌てた雰囲気で言ってきたのだ。

「まずい、来る。あれがこっちに向かってくる」

「なんですって? なにが、何が来るっていうんですか」

「悪意に満ちた生命。幾万と月を重ねた過去に異なる海からやってきて、湖底に眠り続けていた、我の力も及ばぬほど凶暴な獣がやってくる」

 なんだいったい? 水の精霊の抽象的な言い方に、皆はいぶかしるが、何か危険が迫ってきているのだけは確かなようだ。

 いったい何がどこから来る? そのとき、レーダーを睨んでいたティラが叫んだ。

「右、下方からなにかが接近してくるわ。なにこれ大きい、それに速過ぎる。普通の生物じゃありえないわ。気をつけて!」

「気をつけてって、いったい何に気をつければいいんだい!?」

 ドゥドゥーが困惑して叫び返すと、キュルケは「あ、この子なんかギーシュに似てるわね」と思った。

 けれども危機は遠慮も容赦もなしにやってくる。ティアの言ったとおりの方向から、東方号を目掛けてすごい速さで黒いヘビのような物体が近づいてきたのだ。

「な、なにあれ? 竜? 海蛇?」

「海竜か? いや、大きすぎる! まずい、ぶつかるぞ。避けろコッパゲ蛮人!」

 ファーティマがコルベールに怒鳴るが、もちろんコルベールにそんなことをすることはできない。

「誰がコッパゲ蛮人だね! せめてコッパゲか蛮人かどちらかにしたまえ。避けるなど無理だ! この船は沈むしかできないと言ったはずだぞ。くっ、奴はぶつける気だぞ。みんな、なにかに掴まれ!」

 そして皆が慌てて手近にあった何かに飛びついた瞬間、ヘビのような巨大ななにかは東方号に頭から突っ込んできた。とたんに激震が走り、彼らのいる耐圧区画の中もミキサーのように揺さぶられる。それでも念力の魔法は使い続けたままでいたが、あちこちに体をぶつける羽目になって、鈍痛が皆の顔をしかめさせた。

 だが、ぶつかってきた何者かがすれ違って行ったときに、相手の姿ははっきりと見えた。東方号の巨体と比較しても遜色のない長さの。

「巨大なウミヘビ? いえ、あの大きさはもう怪獣ね。水の精霊! なんであんなのがいるのに黙ってたのよ」

「奴は、今日この日までじっと眠り続けていたのだ。だが、邪悪な波動を受けて突然目覚めて動き出した。だがお前たちとはかなり離れた場所で暴れていたので、気に止める必要はないと思っていた。急にこちらに方向を変えて襲ってきたのだ」

「邪悪な波動? それって、もしかして」

 アークボガール……そう察するのに時間はいらなかった。奴の出現が、ラグドリアン湖に眠っていた古代の怪獣をも蘇らせてしまったというのか。

 しかし、なぜ東方号を狙ってくる? エサに見えたのか? 縄張りを荒らされたと思ったのか?

 いや、考えるだけ無駄だ。今の東方号は逃げられないし、武器もないのだ。このままでは、間違いなくやられてしまう。かといっていくらメイジでも船の中ではどうしようもなく、キュルケたちはコルベールに詰め寄った。

「ミスタ・コルベール、なんとかならないの? ほら、いつもあなたが自慢してる秘密道具とか」

「発明品は基本ができあがってから取り付けるはずだったんだ。今の東方号に戦う術はなにもない。奴があきらめるか飽きるまで、耐えるしかない!」

「そんな、耐えるって言っても」

 東方号が頑丈とはいっても怪獣の攻撃には持ちこたえられないことはわかっている。ましてや今の東方号はただでさえボロボロの状態なのだ、そんな耐久力がはるかに下がった状態で怪獣が飽きるまで耐えろというのか。

 船体から装甲や武装がはがれて水中に散っていく。今の一撃だけでも相当なダメージになっている、これ以上の攻撃を受けたらそれこそ。

 だが、怪獣はこちらに考える余裕など与えてはくれなかった。東方号に体当たりして、そのまますれ違っていった怪獣が反転してこちらを向いたとき、怪獣の頭部に生えている一本の触角の先端が黄色く光り、稲妻状の光線が発射されたのだ。

「うわあぁぁぁっ!」

 大爆発が起こり、耐圧区画の中もさらに激しく揺さぶられた。

 部品が砕けて水中に舞い散り、船体ががくりと傾く。中にいた人間も無事では済まず、折り重なって壁だった床に投げ出され、魔法のランプが叩きつけられて砕け散り、明かりが消えて室内は漆黒の闇に包まれた。

 大量の水泡を吐きながら沈んでいく東方号。だが、怪獣、深海竜ディプラスはなおも敵意を揺るまさせずに、沈んでいく東方号をめがけ牙をむいて襲い掛かっていった。

 

 

 大ピンチに陥った東方号。しかし、危機は彼らだけでは済んでいなかったのだ。

 湖の上で、東方号の帰りを待つ仲間たち。その彼らの前で、信じられない光景が空に浮かんできたのである。

「み、見ろ! 空が、空が割れて何かが出てくるぞ!」

「あれは、まさかアークボガール? ばかな、いくらなんでも早すぎる!」

 小型船の上から望み、一同が慌て、ダンの驚愕する声が響く。

 そう、まだアークボガールが出てくるまでには数時間は必要なはずだ。なのに、いったいどうして!

 納得できない一同とダンを見下ろして、アークボガールは勝ち誇ったように告げた。

「馬鹿めが! 確かに貴様の念力で痛い思いこそしたが、ディナーの邪魔をされた我の怒りと飢えの嘆きが糧となって傷は癒えたのだ」

「よく言う。要するにお預けに耐えられなくなっただけではないか、お前のようにマナーのはしくれもわきまえていない奴に食わせるものなど、この世界のどこにもない」

「負け惜しみを。この宇宙のすべては我の胃袋を満たすためにあるのだ。もはやお前に我に対抗する力などはないことはわかっているぞ。さあ、覚悟するがいい。今度こそ、このちっぽけな湖ごと我の腹におさめてやるわ」

 次元の裂け目から湖畔に降り立ち、アークボガールは高らかに勝ち誇った。

 奴を見るのが二度目のベアトリスたちだけでなく、初めて見るギーシュたちや銃士隊の皆も、人間とまったく同じレベルで流暢に話すアークボガールを見て驚いている。超獣以外にもこれほど知能の高い怪獣がいたとは、なんということだ。

 アークボガールの再出現で、空気が震え、湖が波打ちだす。奴は蘇っただけではなく、飢えに耐えかねてパワーが漏れ出しているのだ。余波だけでこの威力とは、ハルケギニアを食い尽くすという言葉にももはや疑う余地はない。

 しかも、悔しいが奴の言うとおり、もはやこちらに打つ手がないのも事実だ。奴が吸引を始めれば、ものの数秒で全員が船ごと飲み込まれてしまうだろう。そして我慢の限界に来ている奴に、もう言葉で時間を稼ぐという手は使えない。

 もはやこれまでか、しかしアークボガールが腹の吸引器官に力を込めようとした、そのとき。

『ナイトシュート!』

 空から降り注いできた一条の青い閃光がアークボガールの足元を撃って爆発し、驚いた奴は体勢を崩して空を見上げた。

 そしてそこから降り立ってくる、青と赤のふたりの巨人。

「すまないセブン、遅くなってしまった」

「ヒカリ! お前たち、無事だったのか」

「なんとか、飛んで帰ってこれるだけの体力は取り戻せてきた。アークボガール、私の命が続く限り、貴様の思うとおりにはさせんぞ」

 ウルトラマンヒカリとウルトラマンジャスティスのふたりのウルトラマンがアークボガールの前に立ちはだかり、闘志を込めて構えをとる。

 次いで、小船の上から湧き上がる水精霊騎士隊の歓声。ウルトラマンがふたりも助けに来てくれた。これならば勝てると、期待が巻き上がる。

 だが、ダンは険しい表情を崩さず、アークボガールはまるで脅威を感じていないというふうに笑った。

「フハハハ、馬鹿め。おとなしく星屑のように待っていれば長生きできたものを、お前たちは文字通り、戻ってこれただけの体たらくではないか。そんなしなびた野菜のような姿で、我を倒せると思っているのか?」

 そう、ヒカリとジャスティスは回復が追いついていなかった。アークボガールから受けたダメージは残ったままで、その証拠にカラータイマーが赤く点滅し続けている。

 ふたりとも万全にはほど遠い。それでも、ハルケギニアの危機を見過ごせずに来てくれたのだ。

 完全に余裕を示すアークボガールに対して、ヒカリとジャスティスはもう後がない状態だ。ジャスティスはクラッシャーモードにチェンジする余力はなく、ヒカリもこれ以上光線技を使う余裕はなく、ナイトビームブレードにすべてを託した。

 勝ち目はほとんどない。そのことを水精霊騎士隊も気づいて、表情が一転して不安に変わる。しかし、ヒカリとジャスティスはあきらめてはいない。

「アークボガール、お前にはウルトラマンのなんたるかがわかっていない。決してあきらめないことの強さを、お前に教えてやる」

「お前がどんなに強さを誇ろうとも、力に頼る者に待つのは滅びのみだ。お前も、すぐに知ることになるだろう」

「ほざきおったな。この星を喰らえば、もはやこの宇宙に我に敵うものはいなくなる。だが、さんざん我をじらさせた貴様らをもう許しはせんぞ。少しだけ遊んでやる、そして心の底から後悔しながら死ぬがいい!」

 アークボガールも戦闘体勢をとり、ふたりのウルトラマンを迎え撃つ。

 駆けるジャスティス、斬り込むヒカリ。だがそれは、なぶり殺しにも似た一方的な殺戮劇になるであろうことは、もはや誰の目にも明らかであった。

 

 

 そして、急変はラグドリアンだけではなく、いよいよトリスタニアでも起ころうとしていた。

 

 トリステイン・アルビオン連合軍と、ガリア・ロマリア連合の激戦が続くトリスタニア。戦局は防戦につとめるトリステイン側の厚い防御陣に阻まれたロマリア側が足踏みを強いられていたが、トリステインの指導者層でこんなダラダラした戦況がこのまま続くと楽観している者はいなかった。

 王政府の人間は、おおむねがアンリエッタに賛同して王宮に残っている。信仰心からロマリアを選び、去った者も少なからずいたが、アンリエッタは追うことも処罰することもせずに、財産も持たせて行かせた。信仰を強制せずに、信じる対象は自由意志に任せるというのがトリステイン側の大義名分であるので、ここだけは譲れなかった。ただし、もしも戦場で敵として相対した場合は一切の容赦はしないと釘を刺すことも忘れてはいない。

 そのおかげで、幸いにもトリステイン人同士で相打つといった状況はほとんど起きていない。去っていった者たちも、昨日までの主君に杖を向けることを忌避する感情があったし、ロマリア側もトリステイン人同士を戦わせて、後で問題が起きることを望まなかった。

 もっとも、少数ではあるが、ロマリア側に情報を売り渡したり、積極的に参戦することでロマリアに自分を売り込もうとする恥知らずな元トリステイン貴族も存在した。もっとも、そういう連中は信用が置けないことは特にガリアの軍人はよくわかっており、情報を引き出された後は様々な方法で秘密裏に始末されたらしい。

 戦闘自体は局地戦でも、戦争の醜愚の光景は例外なく、今後も絶えることはないだろう。それらの内容はアンリエッタにもそのまま報告され、今日もまた彼女はマザリーニ枢機卿から手渡された戦況報告の書類を読んで表情を曇らせた。

「戦況は硬直状態ですか。一応は、こちらが想定したとおりに状況は流れているようですね。しかし、犠牲はどうしても出てしまうのですね。今日もまた、始祖のためにと戦い、始祖の元へ行った方々がそれぞれの陣営で生まれてしまいました」

「女王陛下、これは陛下が始めることを決めた戦争ですぞ。もっとしゃんとなさいませ……と、私も言うだけならば簡単ですな。王たる者、戦との縁は切っても切れませぬ。味方だけでなく、敵の兵卒の死にも心を痛める陛下の御心はさぞつらかろうと思います」

 心身ともにまだ若すぎるアンリエッタの心労をいたわって、マザリーニは優しげに告げた。

 しかし、アンリエッタの表情は晴れない。それに、気落ちしているのは彼女だけではなかった。王宮にかくまわれているティファニアもまた、戦場に近い場所にさらされていることでの圧迫に耐えていた。

「ティファニアさんも、大丈夫でしょうか?」

 話題を変えて、アンリエッタは尋ねた。彼女とティファニアは遠縁に当たり、ふたりとも仲を深めたいと思っていたが、これまではなかなか二人でゆっくりと話す機会もなかったのだが、マザリーニは首を振った。

「今はそっとしておくべきでしょうな。陛下の察しのとおり、あまりよくはありませぬが、彼女にとって、世界で一番安全なのはここなのですから仕方がありますまい。彼女には、できるだけ凄惨な状況は伝えまいとしていますけれども、それでも感じるものは感じてしまいます。彼女のことは、あの方にまかせましょう。あの方の頼もしさは、陛下もよくご存知のことでしょう」

 マザリーニにそう言われて、アンリエッタは無言でうなづいた。本音を言えば、ティファニアとは語り合いたいことは山ほどある。しかし戦時で神経が張り詰めた今の自分が行けば逆効果だということはわかっている。

 指導者とは孤独だ、とアンリエッタは思った。

「女王など、ならなければよかった」

「王になる者は、たぶん皆そう思うのでしょう」

 ガリアのジョゼフ王もだろうか? と、アンリエッタは思った。権力を私物化し、国政を省みずに好き放題しているというあの男もまた、王という器に苦しめられているのだろうか。

 いや、考えてもせんなきことだろう。王家と言えば、ティファニアにもアルビオン王家の血が流れているが、彼女にはとても女王などは務まるまいとアンリエッタは思った。自虐するわけではないが、彼女は自分と比べても純粋で優しすぎる。

 わたくしの姪のことを頼みますわと、アンリエッタはティファニアの護衛についているトリステイン最強の騎士に祈った。

 ティファニアは、王宮の一室が与えられて休んでいる。部屋には窓はないが、外からは兵士の叫び声や軍隊の喚声が漏れ聞こえてくる。最初は『サイレント』の魔法で、それらもシャットアウトしようかとされたがティファニア自身が断った。外の情報を遮断しすぎてしまったら、外に出ることになったときの覚悟ができなくなってしまうからだというのが理由だった。

 しかし、覚悟を決めたつもりでいても、漏れてくる声で想像できる外の惨状は彼女の神経をすり減らさせた。以前ティファニアといっしょにウェストウッド村に住んでいて、今はトリスタニアの孤児院に預けられている子供たちは安全な場所に疎開させたから、その点だけは安心できたが、ティファニアは見知らぬ誰かでも人死ににそ知らぬ顔を続けられるほど強くはなかった。

 数少ない心を許せる相手はロングビルことマチルダやルクシャナであったが、猫の手も借りたい状況では、マチルダはロマリアに不審な動きがないかを監視するため、ルクシャナは先住魔法の力を買われているために、常に彼女といっしょにいれるわけではない。せめてカトレアの手が開いていればよかったのだろうけれど、彼女ほどの腕利きのメイジを遊ばせておけるほどトリステインには余裕はなかった。

 今、ティファニアの心を安定させられているのは、護衛についているカリーヌによるところが大きかった。

「今日もまた、なんの罪もない人たちが死んでいっているのですね……」

「そうだな。まあ、よくあることだ」

 嘆くティファニアに、カリーヌはそっけなく答えた。トリステインの切り札、『烈風』は通常の戦闘で出すには強力すぎ、こうして待機がてらティファニアがロマリアに狙われるのを防いでいる。なお、もしも外で異変があった場合には、彼女の使い魔が即座に視界を共有して知らせるので出遅れる心配はない。

 が、ティファニアはどうにもこの怜悧な貴婦人が苦手であった。まず話が合わないし、そもそも部屋でじっと瞑目していることが多くて、恐る恐るお茶を淹れていったときも無言で飲んだだけだった。

 怖いです……ルイズさんのお母さんというから、こういう人なのは納得できますけど、空気が重すぎます。

 悪い人ではないのはわかるけれど、こういう状況に慣れていないティファニアにはつらかった。しかし互いに嫌っていたわけではなく、犠牲者が増えることにいたたまれなくなったティファニアに、カリーヌはこう言ったのだ。

「嘆くのはけっこうだが、あまり自分を追い詰めすぎるな。女王陛下と教皇のどちらが正しいにせよ、この戦場に集った者は皆それぞれの意志で戦っている。死ぬのもまた、彼らが選んだ結果ゆえだ。お前を含め、ほかの誰のせいでもない」

「でも、兵士の皆さんだって人間です。それぞれの人生があり、家族がいるはずです。でも、わたしはここで守られているしかできません」

「それで罪悪感を感じる必要はない。お前は、孤児を十人ほど育て上げたそうだな。仮にこの戦で千人が死んだとしても、お前の子供たちは十年後には子供を作って二十人に増える。さらに十年後には、兄弟ができて五十人に増える。百年後には、その子供たちに子供や孫ができて、さらに何百年後には一万人を超えるかもしれない。それで吊り合いは十分だ。想像してみろ、その未来を」

「わたしの、ウェストウッド村の子供たちが……いつか一万人に、ですか」

 ティファニアは、カリーヌに言われた光景を思い浮かべた。大人になり、多くの家族を持つ子供たち。その子供たちがさらに多くの家族へと広がっていく……そこまでの未来を、考えたこともなかった。

「そうだ。千の人命が失われるのは確かに悲惨だ。だが、十人を生かすことはもっと尊い。時を経れば、十万にも、百万人にもなるからな。私は騎士として多くの敵をこの手で屠った。しかし、その代わりに守るべき者は守り、なにより三人の娘を育て上げた。それだけで、私は己の価値を万人に誇れる。戦いに倒れた者たちも同様だ、同情されるべきなにものもない!」

 カリーヌにがんとして言われて、ティファニアは心臓をわしづかみにされたような衝撃を覚えた。

「はい、わかりました。いいえ、わかったような気がします。わたしは……傲慢だったのかもしれません。ただ、命があるかないか、それだけが価値だと思い込んでいました」

「実際は、そこまで単純ではないが、それはいずれ学んでいけばいい。だが、常に己の心に誇りを持ち続けることを忘れるな。戦う誇りのある人間は、どんな苦境でも心が折れることはない」

 その言葉は、ティファニアの胸に深く染み入ってきた。戦う誇り……自分は、とても戦士にはなれない。しかし、今の自分の中には戦うことのできる力が眠っている。

 思い浮かんだのは、救えなかったエルザの最期。もし、あのときの自分にカリーヌの言うような誇りがあれば。過ちは、繰り返してはいけない。

 きっと、自分と、自分の中に眠るもうひとりの力が必要になるときが近くやってくる。

”そのときには、わたしも……”

 避けられない戦いがすぐそこまで来ていることを、ティファニアは懐の中に仕舞いこんであるコスモプラックを握り締めて思った。コスモスは、アークボガールのことをティファニアには伝えていない。彼女への負担が大きすぎることになるだろうと判断したからだが、彼女の力を借りねばならない事態がすぐにでも訪れかねないことを彼も覚悟していた。

 そして、同じように重圧に耐えているアンリエッタにも、マザリーニが諭す言葉をかけていた。

「陛下、腐っても神に仕える身であるこの私も、いまや教皇聖下公認の異端者です。が、私もなによりも女王陛下を信じたくてトリステインに残った次第、だから申し上げさせていただきます。犠牲に涙する陛下のお優しさは宝石よりも貴重だと思いますが、陛下がそうして悲しまれてばかりおられては、少なくとも女王陛下のために散った我が軍の兵たちのためにはなりませんぞ」

「非才なわたくしめには、少しでも犠牲が少なく済むようにと、祈ることくらいしかできませぬ。それでも、何かできることがあるというのですか?」

「そうですね。なら、たとえ話をしましょう。女王陛下が将来結婚して子供が生まれたとしましょう。その子供に命の危険が迫って、女王陛下が犠牲になる代わりに、その子が助かったとします。陛下は、生き残ったお子さんにいつまでも悲しみ続けていてほしいと思いますか?」

「いいえ、わたくしでしたら、自分の死などは乗り越えて、より強く立派に育ってほしいと思います」

「でしょう? 兵たちもそれと同じです。悲しむことは大事ですが、散った者の思いを無駄にしてはいけません。あなたは散った者たちに「よくやった、見事でした」とお褒めの言葉をおかけになり、その者の名を覚えていればよいのです。それでもつらいのでしたら、戦争が終わった後の処理のことを考えていなさい。そうすれば、兵たちも安心して天国に行けることでしょう」

「ありがとうございます、マザリーニ枢機卿。少し、気分が楽になった気がします。ですが、恐らくはもう長くは続かないと思います。そろそろ教皇もしびれを切らしてくる頃でしょうからね」

 彼女の勘が言っていた。戦線は固まり、消耗戦の体をなしてきている。それにこれ以上長引けば、兵たちの士気も下がる一方である。

 教皇がなにかを仕掛けてくるならタイミングは今しかない。そしてそれは完全に的中していた。

 

 

 トリスタニア郊外のロマリア軍陣地で、戦況を見守っているヴィットーリオは、まったく進まないトリスタニア攻略戦を焦るでもなく静観していたが、ついに腰をあげようとしていた。

「さて、頃合ですね。もう皆さん、じゅうぶんに戦争ごっこは楽しんだことでしょう。まったく人間という種は、ほかの生き物を平気で殺戮するだけでなく、同じ種でもなんの疑いもなく争う。我々の慈悲ももはや限界……ジュリオ、用意はいいですか?」

「はい、すべてとどこおりなく。今は我が軍とトリステイン軍がほどよく離れています。アルビオンの艦隊もいらっしゃっていますし、観客は申し分ないかと」

「よろしい。今日を持って、このくだらない戦争を終わらせましょう。彼らの信ずる神の加護の元に」

 ヴィットーリオは空を見上げ、トリスタニアの真上の空に視線を集中させた。すると、虫の雲に覆われた空に黒い渦巻きが現れ、その中心に不気味に笑う顔が一瞬現れて消えた。

 

 その間にも、街では戦闘が続いている。魔法騎士隊、銃士隊、名もない兵卒たちが死力を尽くしてトリスタニアを守ろうとしていたが、少しずつ異変の予兆は始まっていた。

 それにもっとも早く気がついたのは地上で戦っている銃士隊だった。

「全員気を張れ! もうじきアルビオン艦隊の援護がはじまる。そうすれば敵は引いていくぞ!」

「待てミシェル、なにか様子がおかしい。なにか……なにか聞こえないか?」

「え? そういえば……なんだ、波の音のような……鈴の音のような」

 アニエスとミシェルに続いて、銃士隊の隊員たちも、ふと聞こえだした奇妙な音に耳を済ませた。

 いったいなんだ? 空耳ではない。皆に聞こえている。いや、遠巻きに対峙している敵兵も聞こえ始めたようで、耳を立てているのが見えた。

 とっさにアニエスは全員を固めて防御陣をとらせた。戦士としての勘が言っている、戦場で理解不能な出来事に直面したときには、必ず悪いことが起きると。

「おい! 空を見ろ」

 誰かが叫び、見上げた誰もが言葉を失った。

 空を、まるで砂金のような金色の粒子が舞っている。いったいなんだ、敵の策略か? 両軍ともにそう疑い、身構える。

 いつの間にか、トリスタニア全域が金色の光に照らし出されていた。人々は例外なく空を見上げ、王宮でも事態の急変にアンリエッタがバルコニーに現れていた。

「何事ですか? これは、敵の魔法攻撃なのですか」

「わ、わかりませぬ。女王陛下、なにが起こるかわかりません。どうか中に」

「かまいません。何が起ころうと、わたくしにはすべてを見届ける義務があります……思ったとおり、仕掛けてきましたね」

 来るべきときが来た。彼女はそう確信した。

 これまでの戦いは、いわば目くらまし。この世ならざる力を持つ教皇は、必ずや奇跡という名目でトリステインをつぶそうとしてくるはず。

 ならば、この見るからに神々しい光景は演出にふさわしいではないか。そして、次に来るものこそ……アンリエッタは、切り札の使用も含めて覚悟を決めた。

 

 光溢れる世界、それは神の領域。神は天上の光溢れる世界に住まい、ときおり光と共に光臨して人々に祝福を与えるという。

 神話に伝えられる救世の時。それはかつてロマリアで現実となり、そして再びトリステインのここでも再来する。

「て、天使だ。天使さまだぁーっ!」

 大気を揺るがす喚声とともに、それは空から降りてきた。

 光をまとった、数百メイルの大きさはあるのではという巨大な白い天使。それが人々の見上げる前で、ゆっくりとトリスタニアへと降りてくる。

「天使だ、天使さまだ」

「なんとお美しい。おお、また天使さまのお姿を拝むことができるとは」

 ロマリアの兵たちは、かつて光臨して怪獣を消し去り、教皇聖下に祝福を与えた天使の再来に感動してひざまづいて涙を流している。

 一方で、トリステイン兵たちのあいだには動揺が広がっていった。

「なんなんだ、あれは!」

 普通の人間にとっては理解を完全に超えた範疇の出来事に、頭がついていかなかったとしても仕方ない。

 トリステイン側で理解できているのは、かつて見たことのある銃士隊の面々のみだった。

「隊長、あれです! あれがロマリアに現れた天使です」

「そうか、なるほどな。これは確かに、見るからに見るからな奇跡だ。奴ら、本気で神を気取っているのか。馬鹿馬鹿しい!」

 アニエスは吐き捨てた。ロマリアがどういうところか、彼女もよく知っている。あんなところに、間違っても神の祝福などあるわけがない。

 だが、神々しい天使の姿は両軍ともに理性を失わせるほどのインパクトを与えたのは間違いない。兵たちは戦いを忘れて天使を見上げ、ひざまづいて祈りをささげている者も少なくない。

 白磁でできた天使像のように、純白の天使はゆっくりとトリスタニアの町並みに降り立った。その姿はほんとうに巨大で、王宮すら見下ろすほどに背丈が高い。

「天使さま」

「天使さま……」

 もはや戦争のことなどは誰もが忘れていた。チクトンネ街ではスカロンたちが啞然としており、近くまでやってきていたアルビオン艦隊の将兵たちも言葉を失っている。

 ロマリアの人間たちは、教皇とともに祈りの姿勢をとり、神の御心にすべてをゆだねようとしている。

 

 しかし、あれが天使だなどと信じない者もいる。

 アンリエッタは最初からあれが天使だなどとは思っていない。あれが現れたとき、ルイズはその消息を絶った。自分の大切な親友を奪うものが、天使などであるはずがない。

 バルコニーから憎憎しげに巨大天使を見上げるアンリエッタの視線にも天使は動じない。だが、天使はついにその腕を抱きかかえるように動かし、手のひらのあいだに波動球を作り出すと無造作に街に向かって投げ下ろしたのだ。

「うわあぁぁっ!?」

 波動球が爆発を起こし、トリスタニアの街と共にトリステイン兵たちが吹き飛ばされていく。

 攻撃!? 天使が!?

 人々が状況を納得することもできぬまま、天使は次々に波動球を撃ちはなってトリスタニアを火の海にしていった。

 頭上からの攻撃には兵士たちもどうすることもできない。さらに天使から撃たれたということはトリステイン兵たちの士気を激減させ、逆にロマリア兵たちの士気を最大にあげた。

「おお! 天使が、天使さまがトリステインを撃っておられるぞ。天罰だ、神に逆らった異端の徒に天罰が下されているのだ」

「やはりこの戦の正義は教皇聖下にあり! これぞ奇跡だ。いや、必然なのだ」

 逃げ惑うトリステイン軍を見て、ロマリア軍はあざ笑った。そして、そこに魔法で増幅されたヴィットーリオの声が響いたのだ。

「我が信仰深き神の使途の皆さん。今こそ立つ時です! 天使は、我々の信仰を守る必死の思いに答えて再び降臨されました。今こそブリミル教徒はひとつとなり、異端の徒を打ち倒すのです!」

 その声が引き金となり、ロマリア・ガリア軍はときの声をあげて総攻撃に打って出た。もはや戦術もなにもあったものではないただの突撃だが、迎え撃つトリステイン軍は士気が崩壊しかけている。

 このまま激突すれば鎧袖一触でトリステイン軍は蹴散らされて勝敗は決まってしまうだろう。統制を保っているのは銃士隊くらいだが、そんな少数ではどうしようもなかった。

 そしてついに、天使の波動攻撃が王宮のアンリエッタに向けられたときだった。

 

『エア・カッター!』

 

 特大の空気の刃が波動球を両断し、そのまま聳え立つ天使に直撃させて大きく揺るがしたのだ。

「なっ! て、天使が」

 天使をのけぞらせるほどの攻撃に、発狂の一歩手前にまで進んでいたロマリア兵たちも足を止めて振り返った。

 そして、天使と王宮のあいだに舞い降りてくる巨鳥が人々の目を引き、その背に乗る騎士の放った声が戦場に響き渡った。

「トリステインの戦士たちよ、臆するな! たとえ目の前に何が立ちはだかろうと、お前たちが信じると決めたものはなんだ? 忠義、信義、故郷、家族、信仰、我らの正義は少しもゆらいではいない! それらを思い出し、誇り高く立ち直れ! あんなものを恐れるな。我らの街を土足で踏みつけ、人間を蹂躙するものが果たして天使か? 皆のものよ、偽りの天使は私が叩き潰す! 勝利を信じ、我に続け! 我が名は烈風、我ある限り敗北はない!」

 トリステイン軍すべてから怒号のような喚声が沸きあがった。

 そうだ、あんなものは天使ではない。正義は変わらず我らにある。

 対して、一歩も進めなくなったのはロマリア軍だ。天使を揺るがすとてつもない魔法……あれが生きる伝説、ハルケギニア最強のメイジ、烈風に違いない。

 けれど彼らに後退は許されなかった。引けば、始祖への信仰心が揺らいだことを自白することと同じになる。完全に機能を取り戻したトリステイン軍の防御陣に突撃するしか道は残っていなかった。

 戦いは、まさにこれが最終局面。それを理解し、アンリエッタもヴィットーリオも声を枯らさんばかりに自軍に激を飛ばした。

 だが、ヴィットーリオは烈風の力の強大さは想定外だったものの、まだまだ余裕を崩してはいない。

「烈風カリン……アルビオンでの戦いでの実力を基準にして考えていましたが、それ以上を隠していましたか。ですが、いくらあなたが強くてもそれに勝つことはできません。それの秘密を解かない限りは、決してね。そして、それはこの世界の人間には絶対に不可能なのですよ」

 結果は揺るがない。予定は狂わない、それを確信して、ヴィットーリオは聖人面をしてロマリア軍へと激を飛ばしていった。

 

 

 明日の夜明けすら待たずに、今にも滅亡のカウントダウンとなろうとしているハルケギニア。

 さらに、それを覆せるかもしれない唯一の存在である東方号もまた、最大の危機に陥っていた。

「圧力がさらに上がったわ! これ以上はもう船が持たない。バラバラにされちゃうわよ!」

 ラグドリアン湖の底へと沈んでいく東方号。その船体にはディプラスが長い体を巻きつけて締め上げており、今にも押しつぶしてしまいそうな力をかけ続けていた。

「これじゃ、湖底に着くまでに海の藻屑にされちゃうわ。ミスタ・コルベール、ほんとになんとかならないの?」

 キュルケが悲鳴のように叫んだ。ドゥドゥーやジャネットも必死に念力の魔法で支え続けてくれているが、もう何分も持たないことは明白だ。しかしコルベールは苦しげに首を振った。

「だめだ、本当にもう手がない。打てる手は尽きた。浮上しようにも、もう間に合わない。すまない、後はもう、始祖に祈るくらいしかない」

「そんな……」

 コルベールすらさじを投げてしまったのでは、もはやキュルケたちに手段があろうはずがなかった。

 湖底まで、あと数千メイル。それまでを耐えるなど、とても不可能だ。

 だが、そのときティラがつぶやくように言った。

「いいえ、まだひとつだけ。打てる手があるわ」

「なんだって、それは本当かい!」

 全員の視線が刺すようにティラを向く。そして、ティラはゆっくりと語り始めた。

「この船のエンジンのエネルギーを、電気ショックにして奴にぶつけるの。あなたたちにわかりやすく言うと、ライトニング・クラウドのすごいやつに変えてぶつけるの。うまくいけば、奴は驚いて離れていくかもしれない」

「なんだい、そんないい方法があるなら早く言いたまえよ。ぼやぼやしてないで、早く早く」

 ドゥドゥーが急かすようにティラに言う。しかし、ティラの苦悶に満ちた表情に、他の皆は気づいていた。大きな代償を伴うであろうことに。

「ただし、それをすればエンジンに残ってるぶんのエネルギーは底を尽くわ。つまり、もう二度と浮き上がることはできなくなるでしょうね」

 

 

 続く

 



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第49話  あなたの声が聞こえたから

 第49話

 あなたの声が聞こえたから

 

 高次元捕食王 アークボガール

 深海竜 ディプラス

 魚人

 破滅魔虫 ドビシ

 根源破滅天使 ゾグ(幻影) 登場!

 

 

 沈み行く東方号。いや、破壊されゆく東方号。

 目的地を前にして、奈落の底が口を開く。見つかった唯一の打開策は策といえるようなものではなく、わずかばかりの延命処置に過ぎなかった。

 船のエネルギーを放出して怪獣を引き剥がす。しかしそれをすれば、東方号は浮上する力を失う。

 待ち受けているのは確実な死。その事実に、皆は言葉を失い、ドゥドゥーは血相を変えてティアに詰め寄った。

「冗談じゃない! ぼくはこんなところで死ぬなんて真っ平だぞ。そんなこと絶対認めないからな!」

「なら、このまま押しつぶされて全滅する? もう浮上しても間に合わないわ。もう、あと一分もない。決断しなさい、ここで死ぬか、目的だけでも果たして死ぬか」

 ティアの言葉は有無を言わさず選択を強いていた。東方号が巻きついているディプラスに押しつぶされて破壊されるまで、もう何十秒もない。

 選択肢だけなら、せめて水の精霊の都にまでたどり着いて目的を果たすことしかない。だが、ドゥドゥーは死にたくはなかった。いや、死にたい者など誰一人いない。それでも、ほかにどうする手段もなかった。

「おいまずいぞ、壁が破られる!」

 ファーティマが叫んだ。鋼鉄の耐圧区画が激しい音を立てて歪み、なにかが割れるような音が聞こえてくる。もはや、やるやらないの問題ではない。やらなければぺしゃんこだ。

 だが、ドゥドゥーはしぶり、ジャネットも納得していない風の表情をしている。彼らの兄のジャックであれば目的のためには死をもいとわなかったかもしれないが、二人にとってはなによりも生き延びることが大事であり、ましてや溺死など冗談ではなかった。

 このまま怪獣を追い払えたとしても、ドゥドゥーがやけを起こして『念力』の魔法を解除しても同じく終わる。ならどうしようもないのか? 船体のきしみが極限になり、砕けようかというそのとき、キュルケがドゥドゥーに怒鳴るように言った。

「いいえまだよ! 浮上できなかったとしても、助かる道がひとつだけ残ってるわ」

「なんだって? 浮き上がらずに、どうやって助かるっていうんだ。バカ言わないでくれよ!」

「そうじゃないわ。わたしたちが向かっている、異世界への扉。それを潜るのよ! このラグドリアンの底では助からなくても、ほかの世界に飛べば助かるかもしれないわ!」

 その提案に、ドゥドゥーだけでなくコルベールやファーティマたちも愕然とした。

 確かに、助かる可能性としたらそれしかない。だが、水の精霊さえも帰れなくなっているというようなそれを、果たして潜れるものなのか? そして潜れて助かったとしても、帰れるのか?

「ば、バカ言うなよ! 異世界だなんて、ぼくはそんなとこ行くのは嫌だからな!」

「じゃあこのまま押しつぶされるのがお望み? 確かに異世界のことなんてわたしにもわからないけど、生き延びてさえいればなんとかできる可能性はあるわ。それとも、偉そうなこと言って、あなた異世界の人に会うのが怖いんじゃないの?」

「なっ、なにを! ぼくはこの世界で最強のメイジになるんだ。怖いものなどあるものか!」

「なら決まりね」

 さすがは男の扱いに長けているキュルケだけあって、頭に血が上っているドゥドゥーをうまい具合に誘導してしまった。だいたいこういうタイプはギーシュといい、けっこう簡単に誘いに乗る。

 ただ正直、キュルケに計算があったわけではない。だが、今は当面の危機を乗り切らねば全て終わる。未来につないでこそ、今は意味がある。タバサなら、きっとそうするとキュルケは思った。

「聞いたとおりよ! やって」

「わかったわ! 怪獣め、やけになったパラダイ星人がなにをするか見なさい!」

 ティアは叩きつけるようにコントロールパネルに手を重ねた。次の瞬間、安全装置を解除された東方号のエンジンは発電機の出力を暴走させ、蓄えられた電気エネルギーを船体から一気に放出した。

 瞬間、東方号の船体から電撃がほとばしり、ディプラスの悲鳴が湖の中にこだました。

「やった! 効いてるわ」

 電撃は東方号に密着していたディプラスに確実にダメージを与えていた。戦艦一隻の発電量はゆうに一都市分に匹敵し、宇宙人のエンジンに換装されている今の東方号の出力はその数倍に相当するものだから、いくら怪獣といえども無視できるようなものではなかった。

 だが、それでもディプラスは離れなかった。電撃を受けて激しく頭を振り回してもだえながらも、なおも長い胴体を東方号にからませたまま締め付けてくる。

「くそ、なんて奴だ」

 コルベールが吐き捨てた。電撃は数ある攻撃手段の中でも最強クラスのうちに入り、よほど特殊な性質を持ったものでもなければ致命的な威力を発揮する。しかも水中は空気中よりも電撃の威力はアップするのに、怪獣はなおも健在だった。

 ファーティマが、もっとパワーは上げられないのかと叫ぶが、ティラのもういっぱいよという悲痛な声しか返ってこない。ジャネットはそんなティラの必死な様子に「ああ、そんな顔もいいわね」とうっとりしているが、ドゥドゥーはとてもそんな余裕はない。

「おい、まずいぞ効かないじゃないか。お、おい! 水が、水が入ってきたぞ!」

 ついに耐圧区画の密封が破られて、天井や壁から噴水のように水が噴出してきた。電撃はより伝導性の高いものに向かう性質があるので鋼鉄の壁の中にいる彼らが感電することはないが、このままではどうなるかは水でも火を見るより明らかだ。

「いかん、ミス・ファーティマ、水中呼吸の用意を頼む。それと念力の力をもっと強くしてくれ。私もやる」

 コルベールが指示し、彼も壁を支える役に加わったことで浸水の勢いが少し弱まった。

 しかし、怪獣はなおもしつこく東方号を締め付けてくる。これでは焼け石に水でしかない。

「おいなんとかしろ! 電撃がダメなら、ヘビは寒さに弱いから凍らせるといいとか聞いたぞ」

「もうちょっとマシなアドバイスはないの、世界最強のメイジさん? ちぇっ、仕方ないな……」

 ティラとティアは呆れながらも、なにかを思いついたようにコントロールパネルに指を躍らせた。

「これでダメならみんな揃って奈落の底にこんにちは、ね」

 ふたりがスイッチを入れると、一瞬外の風景が揺らいだように見えて、次いで皆の頭をめまいのような気持ちの悪い感触が襲った。

「な、なに?」

 キュルケが頭を抑えながら言った。

 なんだ? 今の妙な感触は。まるで、高山で気圧が急に変わって起きるような、一瞬意識が飛びかける嫌な感触だった。

 だが、変化はその一瞬ですでに訪れていた。それまで執拗に東方号を締め付けていた怪獣の力が抜けて、奴は呆けたように頭を上げるとそのまま口から泡を吹いて離れていったのだ。

「やった! 怪獣が離れていくわ。い、いったいどうやったの?」

「超音波よ。水中通話やソナーに使う音波発生器の出力を最大にして奴の頭に叩き込んでやったの。さすがミミー星人も水生宇宙人だけあって、いいソナー使ってるわ」

 ティラの説明はキュルケたちにはわかりづらかったが、とりあえずとてつもなく不快な音で怪獣を追い払ったのだということは理解できた。さっき感じためまいはその余波だったというわけだ。

 超音波は耳には聞こえなくても生物に影響を及ぼすことは知られており、たとえば風力発電の風車のそばに住む人たちが風車の起こす超音波で体調を崩してしまったというニュースはたびたびテレビなどでもあるし、指向性を増してパワーアップすればレーザー光線のように鉄でも切断できるという。また、超音波そのものを弱点としていた宇宙生物や、超音波を武器とする怪獣なども確認されており、生物と音波は切っても切れない関係にあるのだ。

 電撃で弱っていたところに、脳に向けてそれだけ強い超音波を叩き込まれたのではたまったものではなかったのだろう。さしずめ人間で言うならヘッドホンの音量をいきなり最大にされたようなものか、そりゃあ脳がパニックを起こしてなにもできなくなって当然だ。

 東方号はギリギリのところでディプラスから解放され、バラバラになるのを免れることができた。だが安心するのは早い。船体がボロボロに痛めつけられたのは間違いないし、浸水は弱まったものの止まる気配は見せていない。

「まずいわね。船体のダメージが思ったよりひどいわ。それに、エンジンのエネルギーももうないわ……あと一回、奴に襲われたら今度こそ打つ手はないわよ」

 大破した東方号はもう潜行しているのではない、沈没しているのだ。船体のきしみは深度が増すごとに激しくなり、いったん弱まった浸水もまた強くなってくる。

 メイジ総出で念力の魔法で壁を補強しても間に合わない。もはや、ひびの入った卵の中にいるも同然の状況だ。

 水が膝下を越えた。ドゥドゥーがうろたえて悲鳴をあげるのを、ファーティマがやかましいと怒鳴り、ジャネットがだらしないわよとたしなめる。

 しかし、恐怖にギリギリで耐えているのは誰もが同じであった。裂け目からは止まらずに水が噴き出し続け、氷のように冷たい水は足から感覚を奪っていく。

 敵と戦って散る覚悟なら、キュルケにもドゥドゥーにもジャネットにもファーティマにもあるが、目の前に迫った溺死という死の形は、それとは別の恐怖を与えてくる。逃げ場のない閉鎖空間で、水を無理やり飲まされて息ができなくされて死ぬのは誰だって嫌だ。

 ファーティマが水中呼吸の魔法を使えるとはいっても万能ではない。だがそれでも、やるべきことをやらねば死んでも死に切れないという思いが彼らをなんとか支えていた。あと一歩、せめてあと少しだけでいいから持ってくれれば。

 浸水が腰までやってきた。空気はもうあといくらも持たないだろう。予想よりも浸水の勢いが強い。コルベールは予定より早いが仕方ないと決断した。

「やむを得ない、ミス・ファーティマ、早めだが水中呼吸の魔法を頼む。ここからは潜りながらの作業も必要になるからな」

 無理をして残り少ない空気を無駄にはできない。ここからは、ファーティマの水中呼吸の魔法で少しでも長く息をつないでいこう……そのはずだったのだが。

「さあ、これを飲め。そうすれば水中でも息ができる」

「ほ、ほんとかい? うえっ!? げほげほっ、なんだいおい、まるで効かないじゃないか!」

「なんだと! そんなバカな!」

 ドゥドゥーが魔法をかけた水をそのまま吐き出したのを見てファーティマは愕然とした。なぜだ、魔法はちゃんとかかっているはず、なぜ水中で息ができないのだ。

 ファーティマは自分でも試してみて失敗し、さらに困惑した。なにがどうして、魔法が効かないのだ? その謎に答えたのは、外の状況を分析し続けていたティアだった。

「無理もないわよ。その魔法、水から酸素を取り出して呼吸するものなんでしょう? けど、この周りの水、信じられないけど酸素含有量が完全にゼロなのよ。いくら魔法でも存在しないものを取り出すことはできないわ」

 ティラの説明はファーティマたちにはわかりづらかったが、つまりこの辺りの水では水中呼吸の魔法が効かないということだけはわかった。

 なんということだと、コルベールは肩を落とした。エルフの魔法でも命をつなぐことの出来ないとは、ラグドリアン湖の環境は完全に自分の想像を超えていた。

「まさに、死の世界だ」

 コルベールがつぶやく。だが、その言葉を否定するものがいた。

「死の世界? それは違う」

「っ! 水の精霊?」

「ここは太古の時代に海から切り離され、そのまま保存されていた原始の海だ。はるかな過去、生命はここで育まれ、やがて世界中に散らばってお前たちの知る生物たちの祖先となっていった。よく、見てみるがいい」

 言われて、水中を見渡してみた彼らは確かに水中を泳ぎまわっている小さな生き物がたくさんいることに気づいた。大きさは本当に微小で、大きなものでも数センチ程度だが、赤い殻を持ったクモとエビの合いの子のような生き物が元気に泳ぎまわっている。

「こんな場所にも、まだ生き物がいるなんて」

「逆だ。太古の時代、まだ天地が形作られていない頃に、生命が存在できるのは水の中しかなかったのだ。地上に上がれるようになるまで、生命は長い時間を水の中だけで過ごし続けた。実に、月が三百億回交差するほど昔の話だ」

「さ、三百億回!? ということは……ざっと、に、二十五億年前ですと!」

 あまりの桁の大きさにコルベールも仰天した。折る指を用意したはいいが、折る前で手が震えて止まってしまっている。

 利発なキュルケやジャネットも、年代のスケールが大きすぎてまったく想像力がついていけずに呆然としている。ファーティマはなんとか精霊の話を理解しようとしているが無理のようで、ドゥドゥーに関しては言うまでもない。

 理解できているのはティラとティアのふたりだけで、そのふたりもまさかこんな光景が見られるとは思わずに感動した様子を見せていた。

「二十五億年前、地球で言うなら先カンブリア時代の海ね。信じられない、ひとつの湖でこれだけ多様な時間軸の生物が同居してるなんて、宇宙中の学者が狂喜乱舞するわよ」

 まさにタイムカプセルだ。地上ではとっくに絶滅したはずの生物が目の前にいる。驚く人間たちに向かって、水の精霊は静かに告げた。

「ここは、地上に残された最後の楽園と言ってもいい。心するがいい、お前たちが驕りたかぶり、この海をも汚そうとするときが来れば、取り返しのつかない破滅がお前たち自身を襲うことになるだろう」

 この世には、人が触れてはいけない場所がある。好奇心や探究心が破滅を招いた例は数知れず、もしも人類がこの場所まで来ることができるようになってなおタブーを笑うようならば、人類に未来はないだろう。

 もっともそれも、未来をつなげたらの話である。水中呼吸の魔法も使えない今、生還の可能性は限りなくゼロに近い。キュルケは心の中で、懸命に生き抜くことを教えてくれたダンに詫びた。

”ごめんなさい。わたしたち、やれるだけのことはやったけど、やっぱり生きて帰るのは無理みたい。でも、せめてこれだけは……タバサ、あなたの帰る道だけは開いてあげる”

 キュルケは祈るような思いで、大切に仕舞いこんである発信機を握り締めた。

 深度、一万八千メイルを超えた。すでに外は人間を一瞬でゴミに変えてしまう地獄……そこへ落ちていく東方号に残された時間はもはやない。

 だが、棺桶と化して沈み行く東方号を見つめる水の精霊の眼差しは、どこか優しかった。

「よくぞここまで来たな、単なる者たちよ。さあ、やってくるがいい……お前たちの望むものはここにある」

 水の精霊はその力を持って、なにかを伝えるような思念を水底に送った。その先では、まるで迎えるように、水底で青く優しい光が静かに瞬き始めていた。

 

 

 だが時間という残酷な魔物は、休まずに刻一刻と破滅の瞬間へと歩を進めつつある。

 激戦続くトリスタニア。なにかを生み出し、育むためには膨大な年月を必要とするが、失うときは一瞬だという。

 その言葉のとおり、数千年の歴史と伝統を誇ってきたトリスタニアの都は今、天罰によってこの世から消滅しようとしていた。

「罪深きトリステインの女王と、それに従う異端者たちよ。もう憐憫の時は過ぎました。神の意向は、あなたたちの廃滅を告げているのです。信仰の意思の一端でも残っているのであれば、これ以上無意味な抵抗をせずに天使の裁きを受けるのです」

 ヴィットーリオの言葉に合わせるかのように、トリスタニアの街を見下ろす巨大天使は手から波動球を放ってトリスタニアの市街を破壊していく。

 それは人の目からすればまさに天罰の光景。絶対の正義を誇る神の手による断罪は、いかなる者も逃れることはできない。

 だが、抗うことはできる。神々しい神の使いに対して、悪魔の使いのごとく巨鳥を駆って飛ぶ女騎士がひとり。

「ひるむな! 兵たちよ、あんな偽物の天使に怯えるな。真の信仰は、お前たち自身の良心の中にある。神とは決して、人の都合のいいように動いてくれるようなものではない。人間がその人生をかけて、そのお膝元へと歩み寄っていくべき目標なのだ。お前たちの守るべき誇りを信じて立て! 忘れるな、お前たちの前に烈風あり、お前たちの後ろに陛下あり、一歩も引かずに戦い抜け!」

 自らの使い魔である巨鳥ラルゲユウスの背に立ち、兵士たちを鼓舞しながらカリーヌは巨大天使に向かって立ち向かっていった。

 特大の『エア・ハンマー』が波動球を相殺し、『エア・カッター』が天使の胴体を切り裂く。それと同時にラルゲユウスの起こす突風はロマリア軍を吹き飛ばして足を止め、一時は完全に崩壊しかけていたトリステイン軍が立て直す間を稼ぐことができた。

 トリステインの兵たちは、あの天使と互角に戦えるとは、やはり烈風はすごいと尊敬の念を新たにする。だが、彼らとは裏腹にカリーヌは戦っている天使に違和感を覚えていた。

「なんだこいつは。攻撃して手ごたえは確かにあるのに、まるで効いた気がしない。実体はあるはずなのに……本当に生き物なのか?」

 天使などこの世に存在しない。こんなものはまやかしだと決めてかかっているカリーヌはすでに何発もの魔法を直撃させてはいたが、命中してダメージを与えたように見えても実際にはまったく相手は弱ってはいないことを悟っていた。

 このままでは、いくら自分の魔法が強力でもこいつは倒せない。なんとかこいつの不死身の秘密を探り出さない限り、じり貧に陥って負ける。そうなればトリステイン軍は総崩れだ。

 カリーヌのほおを焦りの汗が流れ落ちていく。だが、戦うことに忙殺されているカリーヌにはほかにどうすることもできなかった。

 

 市街地はなんとかトリステイン軍が防戦しているが、銃士隊すら旗色はよくない。

「隊長、もうじき火薬も弾も底をつきます。ロマリアの奴ら、いくら倒してもきりがない。アルビオンの連中、援護射撃もしないでなにやってるんだ!」

 隊員のひとりがアニエスに悲鳴のように叫んだ。ロマリア軍の攻撃は、天使の勢いにまかせて猛烈そのもので、いくら倒してもひるまずに次がやってくる。

 本来ならば、上空のアルビオン艦隊がトリステイン軍を援護する手はずなのだが、なぜか肝心のアルビオン艦隊は沈黙していた。

 しかしアルビオン軍は遊んでいるわけではない。トリステインの窮地と、カリーヌの激を受けて艦隊を直々に指揮しているウェールズ王はすぐさまボーウッド提督に天使への攻撃を命じた。その直後、大砲を詰めていた兵士たちの前に前触れもなく異形の怪物が現れたのだ。

「うわぁぁっ! ば、化け物っ!?」

 そいつはまるで幽霊のように船内の各所に突然現れた。

 姿は服を着た半魚人のようで、ゆらゆらとおぼろげに揺れながら何体もが船員たちに迫ってくる。

「ちきしょうめ、なめんじゃねえぞ! こんにゃろうがぁっ!」

 勇敢な船員たちは手に角材や鉄棒を持って不気味な半魚人に殴りかかっていった。だが、怪物たちは殴りかかられても、その体を武器が素通りするだけで触れることはできなかった。貴族の士官の魔法でも結果は同じで、それを見て彼らはこの半魚人たちには実体がないことを悟った。

「こいつら……ただの幻だ! 貴様ら、怯える必要はないぞ。こいつらは驚かすだけでなにもできやしない。任務に戻れ、大砲を撃つんだ!」

 士官が、幻なんかは無視して任務を遂行しろと命令すると兵士たちは勇気を奮い起こして魚人を無視にかかった。彼らもまた、鍛え上げられたアルビオンの精兵たち、幻とわかれば恐れはしない。

 しかし、放とうとした大砲は今度は実体あるものに遮られた。

「うわっ! なんだ、外が、外が見えないぞ!」

「見ろ、虫だ! 虫の大群が船に群がってやがるんだ」

 なんと、魚人に気を取られていた隙に、軍艦は何百何千という黒い虫にびっしりと覆いつくされていたのだ。

 こいつらはどこから!? いや、この虫は空を覆っている黒雲を作り出している虫どもだ。

「なんだってんだこいつら。これじゃ大砲が撃てないぞ」

「そんなこと言ってる場合じゃないぞ。こいつら船を食い荒らし始めやがった!」

「なんだとぉ!」

 アルビオン艦隊に群がった虫どもは、視界を遮って戦闘不能に陥らせるだけでなく、木製の船体を破壊し始めたのだ。

 船がバラバラにされてしまう! いや、風石の貯蔵庫が破られようものなら群がった虫の重みでトリスタニアに真っ逆さまに墜落する。

 マストが破られ、舷窓を破って虫どもは船内にも侵入してくる。ウェールズは自らも杖を振るいながら、全将兵に防戦を命じた。

「反撃するのだ! 虫どもを振るい落としてトリステイン軍を急いで援護せよ」

「しかし陛下! この虫ども、いくら叩き落としても無限に湧いてきます。まるできりがありません」

「おのれ。だが魔虫がここで我々を襲ってくるということは、つまりそういうことなのだな教皇よ!」

 ウェールズはこの状況から、何者が虫を操っているのかを悟って憤然とした。そしてそれは間違っていなかった。

 戦場を少し離れた場所で竜にまたがりながら、ジュリオがあざけるようにつぶやいていたのだ。

「アルビオンの皆さん、遠路ご苦労様、そろそろ休んでいてくれ。地上の人間たちの視線は戦場と天使に釘付けになっていて艦隊など誰も見ていない。死人に口なしさ、そのままドビシどもと心中してくれたまえ」

 世界を覆う黒雲を形作っている破滅魔虫ドビシは、単体では弱いが無限に近い数を活かして使い道はいくらでもある。アルビオン艦隊を無力化するなどは簡単なことで、千や万の数がそれで失われようとも痛くもかゆくもない。

 アルビオン艦隊の援護がなくなれば、いくらトリステイン軍に地の利があろうとも物量差がすべてを決する。そして戦いが終われば、勝利の美酒に酔う人間たちは過ぎ去ったことなど気にとめはしない。

 楽なものだねとジュリオは思った。これでトリステインとアルビオンが滅んでくれれば、ハルケギニアでロマリアに従わないものはいなくなる。後はエルフとの最終戦争へと一直線だ。

 

 ヴィットーリオ、ジュリオは作戦が予定通りに進んでいることに満足してほくそ笑む。

 「烈風」が奮戦して、トリステイン軍はなんとか持ちこたえているが、「烈風」の精神力とていつかは尽きる。そして奴らには天使の秘密を解くことは絶対にできない。

 トリステイン軍が怒涛のごとく殺到するロマリア・ガリア軍に押しつぶされて、王宮が陥落するまでもういくらもかからないだろう。いや、その前にもうひとあがきくらいは見せてくれるかもしれないか?

 

 市街地ではトリステイン軍や銃士隊の防戦も限界に近づき、負傷兵も、まだ動ける者は引かずに前線にとどまってやっと人数が保たれている始末。

 ジルさえ即席の義足をつけて戦っているが、それでも後方のスカロンたちがつとめている救護所の収容人数は飽和状態だ。

 残された手段は、王宮まで撤退しての篭城戦……いや、城に火をかけられたら一網打尽になるだけだ。

 その王宮でも、悲壮感は高まっていっていた。予備兵力はすべて投入し、王宮には王族護衛の少数が残るのみ。敵に攻め込まれたらひとたまりもないだろう。

 

 王宮から見えるのは絶望的な劣勢。それを窓のひとつから望みながら、ティファニアは決断を迫られていた。

「あの天使を倒せれば、きっとこの戦いは終わる。わたしには戦うための力が……けど」

 彼女は迷っていた。今の自分には、あの天使の姿をした怪物と戦うだけの力、ウルトラマンコスモスの力がある。だけど、コスモプラックを手にしてもティファニアの心には闘志はない。

 最初の変身のときには、ただエルザを救いたいという一心があった。しかし、ただ敵を倒すために戦おうとしても心が震えない。戦えない……

「コスモス、わたしはどうすればいいの……?」

 コスモスは多くを語らず、ただ君の思うままにすればいいと告げた。

 本来ティファニアは争いを好まない。まして、戦争に参加するなど考えたこともない。けれど、この戦争で傷つく人がいなくなるのならば。

 そのときだった、ティファニアのいる部屋の扉を蹴破るようにしてロングビルとルクシャナが飛び込んできたのだ。

「テファ、ここにいたのかい!」

「マチルダ姉さん? どうしたの」

「話は後よ。すぐに城を離れろって女王さんからの命令なの」

 女王陛下が!? ティファニアが思わず聞き返すと、ルクシャナがつらそうに答えた。

「もうじきこの城は戦場になる、地下に抜け穴があるから、その前に虚無の担い手だけでも逃げてくれと言われたわ」

「そんな、わたしたちだけ逃げるなんて。マチルダねえさん、どうして」

「教皇に、虚無の力が渡ったら恐ろしいことになるのはテファもわかってるだろう? 女王陛下の苦渋の決断さ。それに私にとっては、あんたの命が一番大事だからね。いくよテファ」

「ま、待って! わたしたちだけ逃げるなんて」

 手を引かれそうになって、慌ててティファニアは踏みとどまった。

 今、逃げるわけにはいかない。逃げたところでどこに行けというのか? ハルケギニアでロマリアの手から逃れられる場所などない。サハラに逃げ込んだとしても、すぐに戦争がはじまる。

 だがロングビルことマチルダは懸命だった。彼女にとって、ティファニアを生かすのが最優先だということは動かない。ルクシャナも、もうここにいてもどうしようもないことを考えている。

 けれど、なぜだろうか。そんなふたりの姿を見たティファニアの心の中から、逃げてはいけないという強い意思がふつふつと湧いてきた。

「ごめんなさい、姉さん。わたし、行けないわ」

「テファ! こんなときに何を言い出すんだい。今はあんたのわがままを聞いてる場合じゃないんだよ」

「違うよ、姉さん。わたし、姉さんの一生懸命な姿を見てわかったの。みんな、戦いに勝つためじゃなくて自分の大切なものを守るために戦ってる。わたしは戦いは嫌い、けど戦わなくちゃいけないときがあるなら逃げちゃいけない。そしてわたしは……」

 そのときだった。外で続いている天使とカリーヌの戦い、だがカリーヌも長引く戦いに疲弊して、ついに天使の放った一発の波動球が王宮に炸裂してしまったのだ。

「しまった!」

 カリーヌがふいを打たれたのを嘆く前で、波動球の直撃を受けた王宮で大爆発が起こり、石材が砕けレンガが飛び散った。

 幸い、アンリエッタのいるテラスは影響を避けられたものの、城内は壁や天井が崩れ落ちる大惨事となっていた。城内に残っていたわずかな人々は、崩れてきた資材や道具に巻き込まれて怪我をし、それは当然この三人も含まれていた。

「マチルダ姉さん! ルクシャナさん!」

「く、あたしとしたことがまたヘマしちまったか」

 部屋の天井が崩れてルクシャナとロングビルはその下敷きになってしまっていた。とても女の力ですぐにどうこうできるようなものではなく、ルクシャナも方々で頼られたせいで精神力が枯渇して精霊魔法が使えなかった。

 ティファニアは懸命に瓦礫をどかそうとするが、とても彼女の細腕では歯が立たない。

「テファ、もういいよ。お前だけでも先に逃げるんだ」

「マチルダ姉さん、なにを言うの!」

「か、勘違いするんじゃないよ。これくらい自力でなんとかしてから後を追うから、足の遅いあんたは先に行くんだよ。さ、早く」

「姉さん、ルクシャナさん」

「わたしも、ちょっとくらいすれば魔法が使えるようになるからさ。心配しないの、大いなる意思はエルフを絶対に見捨てないから、ちょっと先に行って待ってて、ね?」

 ロングビルもルクシャナも、優しくて悲しい笑みを浮かべてティファニアを諭していた。

 しかし、彼女たちのその笑みこそがティファニアに戦う勇気を与えてくれたのだ。

「ううん、わたしは逃げないよ」

「テファ! あんたまだそんな強情を」

 波動球が再び王宮を襲い、部屋がさらに崩れる。しかしティファニアは毅然としたまま動かない。

「聞いて。わたしは、みんなが守るべきもののために一生懸命戦ってる姿がすごくまぶしかった。けど、戦うことを恐れてたわたしにカリーヌさんが教えてくれたの。戦うためには、戦う誇りがいるんだって」

「テファ! あんたに、あんたなんかが戦う必要なんてない。あんたの手は、戦いなんかで汚しちゃいけないんだよ」

「違うよ。大切なものを守るために戦っている人は、みんなすごく美しい。わたしにも守るべきものはある。けどわたしはそれだけじゃなくて、みんなに笑って生きていてほしい、だから!」

 そのときだった。カリーヌの隙を突いた天使の特大の波動球が、今度は城そのものを粉々にできる勢いで飛んできたのだ。

 

 だめだ、もう間に合わない!

 カリーヌが、アンリエッタが最後を予感し、ロングビルとルクシャナももはやこれまでかと目を瞑った。

 だが、ティファニアの目には光がある。そして彼女はコスモプラックを掲げ、闘志を込めて叫んだ。

 

「わたしは、誰かを守る人を守るために戦う! だからいっしょに行こう、コスモース!」

 

 青い光があふれ出し、波動球ははじき返された。そして、その輝きの中から青き巨人が姿を現す。

「シュワッ!」

 ウルトラマンコスモス・ルナモード。優しき光をまとったその姿は、生命を慈しみ見守る月のごとき守護者。彼はティファニアの見つけた戦う意思に応えてついに現れた。

 人はなにかを守るために戦う。だが守るために戦う人も、また失われてよいものではない。ならば、そんな人たちを守りたい。

 ロングビルとルクシャナを押さえつけていた瓦礫はいつの間にか取り除かれていた。そしてふたりは、自分たちを救ってくれたコスモスの姿に、自然とティファニアを重ねて見ていた。

「テファ、まさか……あんたなのかい?」

「あのウルトラマンは。そっか、またあんたに助けられちゃったか。ごめん、わたしのほうが年上なのにあんたにばっか世話かけさせちゃって」

 守るつもりが守られてしまった。けれども、彼女たちの思いがティファニアに伝わってコスモスを呼んだのだ。

 また、王宮のテラスからも、アンリエッタや彼女の護衛に努めていたエレオノールやカトレアがコスモスの姿を望んで胸を熱くしている。まだ、トリステインは神に見放されてはいない。

 だが、安心はできない。敵はまだその手の内をすべて見せたわけではない。対して、自分に残されている切り札はあとひとつ、始祖から託された力を使うべきときは決して間違えることはできない。

 

 対峙するコスモスと巨大天使。それはいずれも、双方にとっての希望に他ならない。

 しかし、神の眼を持たない人間たちには存在だけで善悪はわからない。

 

 王宮をかばうように現れたウルトラマンコスモスの勇姿に、人々は一瞬戦いを忘れて見入った。

「おおっ! ウルトラマンだ」

「青いウルトラマン……今まで見たこともないウルトラマンだ」

 コスモスがハルケギニアの人々に姿を見せるのは、実質今回が初めてになる。

 青いウルトラマン、果たして何者なのか? だがトリステイン王宮を守っているということはトリステインの味方なのか?

 トリステイン側が味方の登場に歓呼に震えるのと対照的に、ウルトラマンがトリステイン側についたことで、ガリアとロマリアの兵に動揺が生まれた。トリステイン軍への攻撃が弱まり、進撃速度が鈍る。

 このまま戦いは沈静化してくれるのか? 淡い期待が人々のあいだによぎる。

 だが、そんな期待を粉砕するかのようにトリスタニアにヴィットーリオの声が響いた。

「惑わされてはいけません。それは我々を欺くために敵が作り出したまやかしです。あなたがたの信ずべきものは神のみであり、天使の目はあざむけないことを見るのです!」

 その瞬間、天使はコスモスをめがけて波動球を発射した。

 今度もまた大きい! 避けたら後ろの王宮は粉々になってしまうと、コスモスは腕を前に掲げて金色のバリヤーで受け止めた。

『リバースパイクバリア!』

 コスモスのバリアで波動球はギリギリのところでストップした。だが威力が大きすぎて、コスモスは後に跳ね飛ばされて王宮に叩きつけられてしまった。

「ウオォッ!」

 コスモスに城の瓦礫が降り注ぎ、粉塵が巻き上がる。

 トリステインの人間たちから悲鳴があがり、アンリエッタも「なんてことを!」と、愕然とする。だが、教皇の声はアンリエッタたちが反応するより早く響いた。

「見ましたか皆さん! 天使の裁断はあの巨人を悪魔と見なしました。さあ、恐れずに立ち向かうのです。いかなるものが現れようとも、あなたたちの行く先は天使が導いてくれるのです!」

 途端に、ヴィットーリオの声に迷いから解き放たれたガリア・ロマリア軍はトリステイン軍への総攻撃を再開した。どんなことが起ころうとも天使を信じていればすべて心配することはないと心をゆだねたロマリアとガリアの兵が、戸惑うトリステイン軍に襲い掛かってくる。

 その光景に、アンリエッタは「しまった」とほぞをかんだ。教皇のこの対応の早さは、最初からウルトラマンが現れることを想定していたに違いない。本来ならば自分が先手を打って、ウルトラマンが味方についてくれたことを大きく演説して味方の士気を高めて、かつ敵の迷いをうながすべきであったのに、ウルトラマンが助けてくれたことで有頂天になって教皇に先を越されてしまった。

 教皇の言葉で、ロマリアとガリアの将兵たちは天使がついているのだからという免罪符を心につけてしまった。これではウルトラマンの存在が戦略上の価値を大きく減じてしまう。

 やられた……だが、そこでアンリエッタは見たのだ。青いウルトラマンが立ち上がり、再び天使に向かって構えをとるのを。

「シュワッ!」

 そうだ、ここで引き下がるわけにはいかない。過ぎたことを悔やんでもなんにもならない。大切なのは、前を向いて歩みだすこと! アンリエッタは意を決して、全軍への呼びかけをはじめた。

「トリステインの皆さん、くじけてはなりません! 人の守るべき大切なものは、すべての人の中にあるということを思い出すのです。ここに集まった者はすべて、守るべき大切なもののために戦っているはず。その大切なものを無言で奪い去ろうとするあれが天使なはずがありません! 戦うのです。まだ我々にはその力が残っています!」

 アンリエッタの激が、崩れかけていたトリステイン軍の士気を立て直した。

 もう後がないが、背水の陣の人間は強い。銃士隊、魔法騎士隊、一般の将兵たちも死力をふりしぼって数倍の敵を迎撃する。

 ティファニアは、その光景をコスモスを通して望み、自らがしなければならないことを心に定めた。

〔みんな、守りたいもののために必死に戦ってる。みんなのためにも、あの偽物の天使を止めないと! コスモスお願い、あなたの力を〕

 コスモスはその思いに応えて、自分を黒い眼差しで見下ろしてくる巨大天使を見上げた。空に掲げた手のひらに優しい光がきらめき、コスモスは慈愛の光を天使に向かって降り注いだ。

『フルムーンレクト』

 生き物を傷つけずに沈静化させる慈愛の光線。それが光のシャワーのように美しくきらめきながら天使を包み込む。

 だが、フルムーンレクトの光を受けても天使はまったく変化を見せなかった。輝きの中で怪しく微笑み、それどころかお返しとばかりに波動球を投げつけてきたのだ。

〔危ないっ〕

 とっさに身を翻し、コスモスは波動球を避けた。

 けれどなぜ? あの天使にはコスモスの力も及ばないというの?

 ティファニアが愕然としていると、彼女の心にコスモスが語りかけてきた。

〔やはりそうか、あの天使は生き物じゃない〕

〔コスモス? 生き物じゃないって、じゃああの天使はいったいなんなの?〕

〔あれは、何者かがこの街全体を超空間化して投影している、いわば実体のある幻影だ。だから、どんなことをしても消えないし、あの天使を作り出している何者かを見つけ出さない限りは、私の力も通用しないのだ〕

 相手が存在を持たない影も同然の相手では、どんな強力な力を持っていようと倒せるわけがない。

 ティファニアだけでなく、アンリエッタやトリステインの人々も、ウルトラマンの力が通じなかったことでショックを隠せないでいる。ウルトラマンでさえどうしようもないなんて、やはり天使に勝つなど不可能だったのか?

 絶望をあおるように教皇の声がさらに響く。

「哀れな異端者たちよ、これ以上天命に逆らってはいけません。人の力で神に勝つことなどできはしません。あなた方が守護者と崇めるウルトラマンなど、しょせん神の力の前では子羊のようなもの。悔い改めなさい、さもなければあなた方の魂は地獄へと落ちて永遠に苦しみ続けることになりますよ」

 だめなのか、どんなに頑張っても神に立ち向かうなんてことは無謀だったのか? 立ち直りかけたトリステイン軍を、再び教皇の言葉が絶望に染め始める。

 だがそのときだった。コスモスに放たれた波動球を真空の刃で切り裂き、トリステイン軍を押しつぶしかけていたガリア・ロマリア軍を猛烈な突風が押し返したのだ。

「まだだ! まだ我々は屈してはいないぞ。見るがいい、まだこの烈風は飛んでいるのだぞ!」

 あれは『烈風』!? まだ戦う力が残っていたのかと、敵味方共に驚いた。並のメイジなら一個大隊がつぶれていてもおかしくないほどに戦っているはずなのに、なんて騎士なのだ。烈風の力は底なしなのかと畏怖の念が流れる。

 けれども実際には『烈風』の余力はほとんどない。使い魔のラルゲユウスも疲労して、ベストコンディションからは程遠い状態でしかない。それでも見た目は平然として立ち続けるのは、自分がトリステインに唯一無二の『烈風』としての使命を背負っているという誇りがあるからに他ならない。

 人はそれをやせ我慢というかもしれない。それでもカリーヌは誇りを捨てない。なぜかと問うなら、彼女はルイズの母だからだと答えれば済むだろう。

「教皇ヴィットーリオよ、たかが人間ひとりを地に這わせることもできないものが神だなどと笑わせてくれる。すぐにその天使の化けの皮をはいでやろう。楽しみにしているがいい」

「ああ、どこまでも、どこまでもあなた方という人たちは救いがたいのですね。仕方ありません、神罰に焼かれて、神前で己が所業を始祖に懺悔なさい」

「始祖の名をどこまでも騙るか、だが後悔するのは貴様たちのほうだ。さあ、我に続けトリステインの勇者たちよ! そして名も知らぬウルトラマンよ、助力に感謝する。そして願わくば、我らと共に闇を打ち払わんことを!」

 喚声があがり、その瞬間追い詰められていたはずのトリステイン軍は確かに大軍のロマリア・ガリア軍を気圧していた。

 街では、アニエスたちやスカロンたち、将兵たちが勇気を取り戻した。また、トリステイン軍を適当に援護しながら経過を見守っていたダミアンはジャックに嫌味たっぷりに「ね、トリステインに味方して正解だったろ」と言っている。

 カリーヌの声で、トリステイン軍は再度その士気を立て直した。しかし心の力も無限ではない、今度崩されたらもはや立て直しは不可能であろう。

 ロマリア側から見ても、トリステイン軍が瀕死なのは容易に見て取れる。それを待っていたのだろう。ヴィットーリオは最後の仕上げとばかりに呪文を唱えはじめた。

「なんだ、あの呪文は?」

 ヴィットーリオの唱える呪文は戦場全体に響き渡り、人々は聞いたこともないスペルに困惑した。

 だが、完成した魔法の発動が疑問を吹き飛ばした。なんと、教皇が杖を振り下ろした瞬間、空が揺らめいて、空一面にまるで映画のスクリーンのようにトリステインの状況が投影されたのだ。

「これは私に与えられた始祖の虚無の力のひとつ、イリュージョンの魔法の応用です。今、この瞬間の光景と我々の声はガリアやロマリア、ゲルマニアにアルビオンなど世界中に映し出されています。我々とトリステインのどちらに神の審判が下るか、全世界の人々に見ていてもらおうではありませんか」

 ヴィットーリオの宣言にロマリア軍から喚声があがる。教皇聖下のお力はまさに始祖の虚無に相違ない、始祖の虚無が味方についている以上、自分たちに負けがあるはずがない。

 が、トリステイン側からすれば、トリステインを見せしめにした公開処刑でしかない。実際、遠く離れたガリアのリュティスの上空に同じように映し出された光景を見上げて、ジョゼフは「悪趣味なことだ」とせせら笑っていた。

 これでトリステインが負けるようなことになれば、もはや世界中にロマリアに逆らえるものはいなくなる。世界は加速度を増して聖戦へと突き進むこととなる。

 それでも人間たち、そしてコスモスもティファニアとともに天使に向き合う。戦う誇りを胸にして。

 

 どんな絶望の中でも、希望がすべて消え去ることはない。あきらめずに、それを探し続ける限りは。

 

 確かに悪の力は強大である。しかし、あきらめずに希望を求め続ける力は正義にしかない。

 ラグドリアン湖においても、アークボガールがウルトラマンヒカリとウルトラマンジャスティスを圧倒している。だが、ふたりのウルトラマンはまだくじけてはいない。

「死にぞこないどもめ。暴れすぎると獲物の味が落ちる。我のディナーになれる光栄を理解して、そろそろおとなしくしたらどうだ?」

「まだまだ……勝負は、これからだ」

「希望を、最後まで信じる。まだ人間たちが希望を捨ててないのに、我々がひざを屈するわけにはいかん」

 アークボガールの嘲りも、ヒカリとジャスティスの心を折ることはできない。たとえ勝機が限りなく低くても、彼らにはまだ背中を支えてくれる人たちがいるのだから。

「うおおおおっ! 水精霊騎士隊、声出せぇぇぇ! ぼくたちに応援しかできないなら、喉が張り裂けるまで応援するだけどぁぁぁっ!」

「がんばれーっ! がんばれーっ! ウルトラマーン!」

 ギーシュたち水精霊騎士隊のどら声が船上から湖の水面に波紋を生むほどに響き渡る。

 むろん、それだけではない。ベアトリスたちも負けじと声をあげていた。

「みんな、今日だけは下品になることを許可するわ。馬鹿な男たちに負けてるんじゃないわよ! がんばれーっ!」

「がんばれーっ! ウルトラマン、がんばってーっ!」

 エーコたちや、それに銃士隊も含めて女子全員も男子に負けじと応援している。

 むろん、ダンもあきらめるなとふたりをはげましている。これだけの声を背に受けて、あきらめられるわけなどない。

 だが、アークボガールはもはや我慢と怒りの限界に達していた。

「虫けらどもが! ならもういい、貴様らを調理するのはもう飽きた。黙って捌かれたくないのなら、生きたまま踊り食いにしてくれるわ。そして順序は狂ったが、そのままこの星も丸呑みにしてくれようぞ!」

 怒りと空腹に燃えるアークボガールがヒカリとジャスティスに迫る。すでにカラータイマーの点滅が限界に近づいているふたりには、もはや抗う力はほとんど残されていない。

 にも関わらず、決して恐怖を見せようとしないふたりのウルトラマンにアークボガールはいらだつ。それが、アークボガールにとって決して理解できない心だからだ。

 

 

 悪の猛攻に対して、光の戦士たちはまさに背水の陣と言っていい。それでも、心の力で限界を超えて戦い、闇の侵攻を食い止め続けている。

 だが、もはやそれすら終わりに近い。敵の強大な力の前に、敗北と破滅は目の前にまで来ている。

 

 そんなハルケギニアに残った最後の希望、東方号。

 深海竜ディプラスの襲撃を撃退し、ついに東方号はラグドリアン湖の深度一万九千メイルを突破した。そこに待つという水の精霊の都が、とうとうその姿を現す。

「見て……湖の底に光が見えるわ」

 キュルケが指差す先で、神秘的な光景が彼女たちを待っていた。

 湖の底、暗黒の世界の底の底に淡い緑色の光が満ちている。まるで、夜空の一面に蛍がいるかのような幻想的な風景が、沈み行く東方号を迎えてくれている。

「きれい……こんなの、どこの宇宙でも見たことない」

 ティラが見惚れたようにつぶやいた。暗黒の世界の果てに広がる光の世界に、彼女だけでなく、コルベールやジャネットも唖然として目を奪われ、ファーティマも大きすぎる精霊の存在に圧倒されて涙を流すばかりでしかない。

 あれが、目指す水の精霊の都。深度は間もなく二万メイルに届き、東方号の耐久力ももはや限界で、浸水はついに胸から首に届くまでに来た。

 これで、命の綱は天井付近にわずかに残った空気だけとなる。もって、あと十数分……それが、自分たちに残った命のリミット。その間に、やるべきことをやらなければ。

 そのときだった。彼女たちの前に、水の精霊が再び姿を現した。

「とうとうここまで来たな。単なる者たちよ、歓迎しよう。ここがお前たちの目指す場所、我らの都へ、ようこそ」

 今度の精霊はタバサの姿をとっておらず、声も元のままで、水の塊が静かに発光するような美しい姿をしていた。

 いや、それだけではない。沈み行く東方号の周りには、同じように発光する微小な生き物が何百、何千、何万と泳ぎまわっている。

 星の海の中に飛び込んでしまったかのようだ。こんな光景、ハルケギニアでは一生かかってもお目にかかれないに違いない。さらによく見ると、水中にはクラゲをさかさまにしたような構造物が無数に浮いていて、光る生き物たちはそれを出入りしていた。

「あれが、彼らの城なんだわ。すごい、水の精霊の都っていうのは比喩じゃない。これは都市、水の精霊は本当にラグドリアン湖の底で都を築いてたんだわ」

 まさに光の都……水の精霊は、誰も近寄ることのできない水の底で、人間にもエルフにも劣らない一大文明都市を築いていたのだ。

 目の前に死が迫っているというのに、眼前の光景は完全に彼らにそれを忘れさせるだけの圧巻を持って存在していた。これが、ハルケギニア原初の知的生命の本当の姿、水の精霊としての姿は彼らのほんの一端に過ぎなかったのだ。

 そして、目指すべきものはここにある。水の精霊の声が、そのときが来たことを促した。

「見るがいい、あれがお前たちの望むもの。異世界への扉だ」

 それは、東方号の真下に、まるで黒いもやのように存在していた。水の精霊の都のさらに深く、ラグドリアン湖の本当の湖底に、まるで沈み行く東方号を呑み込もうとしているかのようにブラックホールが待ち構えていたのだ。

 東方号は水の精霊の都を通り過ぎてブラックホールの中に落ち込もうとしていた。あの先は、どこへつながっているかもわからない無限への入り口……間違いない、あの深淵こそが目指す場所であるとキュルケは確信した。

「ついにやってきたのね。これで、わたしたちの役割も終わる……みんな、いくわよ」

 キュルケは大事に守り続けていた発信装置を取り出して皆にうながした。

 もう水は首を超えて天井に近づき、皆は立ち泳ぎでやっと息をつないでいる。それでもコルベールは微笑してうなづき、ティラとティアも満足げに笑っている。

 ファーティマは心残りがありげだったが、使命を果たせたことで亡くなっていった仲間たちにようやく申し訳が立つと思ったのか、無言でうなづいた。と思ったら、後ろからジャネットに耳をはみはみされてキレてふたりで乱闘になってしまった。もっともジャネットはファーティマとくんずほぐれずで満足なのか楽しげで、ここまできてのそのマイペースさには皆が感心さえ覚えた。なおドゥドゥーはもうどうにでもなれと、あきらめて向こうを向いている。

 本当に、よくぞこんなメンバーでやりとげられたものだ。だが、皆が自分のできることを最大限にやったからこそここに来れた。不可能という壁を乗り越えることができたのだ。

 キュルケは皆への感謝を込めて、以前にセリザワに教わったとおりに装置のスイッチを入れた。

 カチリ、確かな音が響いて、装置にランプが点った。これで、この装置からは特殊なシグナルが放たれ、GUYSの待つ宇宙へとこの次元の場所を伝えることができる。

「これで、わたしたちの役割も終わり、ね」

 満足してつぶやいたキュルケの言葉を最後に、ついに浸水が天井に達した。

 室内は完全に水に満たされ、皆が水底に沈んでいく。もう空気だまりはない、無酸素状態の水ではパラダイ星人も呼吸はできない。終わりだ。

 

 発信装置が床に落ちてコトリという音を立てた。そのランプの明滅だけが無機質に輝く。

 だが、彼女たちの頑張りは確かに報われていた。発信されたウルトラシグナルは異次元のゲートを潜り、複雑に入り組んだマルチバースの境界を旅して、GUYSがウルトラゾーン近くに設置した観測衛星に届いたのだ。

「隊長、ウルトラゾーンから発信ボール五十五号からのシグナルを観測しました。パターン計測、ウルトラマンヒカリのエネルギーに間違いありません」

 フェニックスネストでオペレーターの報告がリュウ隊長の耳に飛び込み、リュウは即座に命令を出した。

「セリザワ隊長、待ってたぜ! ようし、すぐに発信場所を突き止めるんだ。フジサワ博士はどこ行った? ったくこんなときに、早く呼び出せ!」

「G・I・G! ですが隊長、シグナルは非常に微弱で、逆探知にはかなり時間がかかるかと」

「だったら時間をかけてやりゃいいだけだろ! 異世界の仲間たちが俺たちのメッセージを聞いてやってくれたんだ。GUYSのクルーなら、そいつに答えないでどうする!」

「G・I・G! すみませんでした」

 まだ新人たちが一人前になるにはかかるな、とリュウは思った。今のGUYSクルーもカナタをはじめ経験を積んできているが、エンペラ星人との激闘の一年を送ってきた前メンバーのレベルにはさすがに届いてはいない。

 それでも衛星からのデータを着々と集めている彼らの手並みは乱れがない。

 あとは、集まったデータを元にしてハルケギニアのある宇宙までの航路を築き上げる作業が待っている。正直、これが一番厳しいが、どうやらハルケギニアのある宇宙は相当に遠くの次元らしい。ちゃんとした通路を作らなければ、次元の迷子になってしまうだけだ。

 すぐにでも救援に飛び立ちたい気持ちを押し殺し、どれだけかかっても必ず成し遂げてやるとリュウは決意していた。

 

 しかし、ハルケギニアにはもはや一刻を待つ余裕すらなかった。

 トリスタニア、ラグドリアンでそれぞれ敗北と破滅が目の前に迫っている。

 東方号の中は水で満たされ、中の生命が死に絶えるのにはあと数分しかかからないだろう。

「さよなら、タバサ……」

 透けて見える壁を通して、キュルケは自分の目に映る最後の光景になるであろう異世界への門を見つめた。あの門を潜ればなんとかなるかもとした期待も、もうそんな時間もないらしい。

 でも満足だ。やるべきことはやった。これで、自分の使命は果たした。

 無念はある。自分だけならともかく、皆を道連れにしてしまった。コルベールの見るからにどざえもんな浮きっぷりと、ジャネットに抱きつかれたままですごく嫌そうに浮いているファーティマ、最後までじたばたしているドゥドゥーには悪いが少し引いてしまったけれど、緑色の髪をなびかせて沈んでいるティラとティアにはすまないと思った。遠い星の人間なのに、自分たちのためにここまでしてくれて。

 しだいに意識が薄れてくる。そのときが近づいているのだ。せめて最後にタバサ、あなたに会いたかったな……

 そのときだった。

『……ケ、キュルケ、そこにいるの? 返事をして』

「この声……タバサ? 水の精霊、最後に悪い冗談はやめてよ」

「我ではない」

「じゃあ幻聴ね。まあいいか、幻聴でも最後にタバサの声が聞こえたなら、それは」

『キュルケ、返事をして! わたしはここ、ここにいる!』

「えっ!?」

 閉じかけていたまぶたを開けて、キュルケと皆は見た。まだ稼動を続けていた東方号のコントロールパネル、声はそこから響いている。幻聴ではない、なぜなら全員に聞こえた証拠に皆が揃ってコントロールパネルを見ていた。

 ティラとティアは気付いた。あれは、怪獣を撃退したときにそのままつけっぱなしにしていた水中通話機の機能、なぜあんなものから声がするの!?

 さらに、今度は耳からではなく目から異変が飛び込んできた。深淵の闇に見えていた異次元への門の一角に、唐突に人工的な明かりが見えたのだ。

「あれは、ライトの明かり? なんで、ゲートの先から」

「ありゃあ……潜水艇か? へへっ、なーんか助かる気がしてきたぜ」

 溺死寸前であったティラとティアの口元に笑みが蘇る。

 異世界へと消えてしまったはずのタバサの声、そして突然現れた潜水艇は何者なのか。

 水の精霊はその光景を望み、静かにつぶやいた。

「遠い世界の同胞たちよ、感謝する。我らの危機に、お前たちが希望を呼んでくれたことを……そして単なる者たちよ、お前たちはまだ消えるべきではない。さあ、帰るがいい、お前たちの世界へ。すべての世界に未来をつなぐために、お前たちの希望、ウルトラマンとともに」

 

 異世界の門の先からの小さな来訪者。しかしそれは、赤々と燃える希望の炎への火種であったのだ。

 闇を切り裂き、ふたつの叫びがすべてを変える。

 

 

「ガイアーッ!」

「アグルゥーッ!」

 

 

 赤と青の輝きが姿を成し、今、大決戦の幕が上がる。

 

 

 続く



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第50話  帰ってきたタバサ

 第50話

 帰ってきたタバサ

 

 高次元捕食王 アークボガール

 深海竜 ディプラス

 根源破滅天使 ゾグ(幻影) 登場!

 

 

「間もなく、セレファイス海溝深度八千メートル。高山さん、藤宮さん、もうすぐですよ」

 

「これがリナールの海底都市……なんて神秘的な」

 

「藤宮は、見るの初めてだったね。僕も、もう一度ここを訪れられるとは思わなかった。本当に美しい……でも今回は、この先に行かなきゃいけない」

 

「見えました! 高山さん、あれに間違いありません」

 

「以前ガクゾムが通ってきたワームホールの残り。あの奥に、破滅招来体の最後の残党がいる。藤宮、準備はいいかい?」

 

「いつでもいい。あのワームホールは、セイレーンが通るにじゅうぶんな広さと安定性を持っている。あとは、リナールの光が俺たちを導いてくれる。破滅招来体の隠れ家へ、そして……この子の故郷へな」

 

「……」

 

「どうしたの? 帰れるのに、うれしくないのかい」

 

「違う、私は帰る。帰らなきゃいけない。それより、あなたたちこそ本当にいいの? わたしたちの世界に来れば、わたしたちの世界の問題に関わることになるかもしれない」

 

「わかっているよ。それでも、破滅招来体によって滅びようとしている世界があるなら、僕らは見過ごせない」

 

「破滅招来体は恐ろしい敵だ。ありとあらゆる方法を使ってやってくる。しがらみのことなら気にするな、だからこそ向こうに渡るのは俺と我夢だけでG.U.A.R.D.は表向き関与しない。感謝するなら、あのコマンダーにすることだ」

 

「ありがとう、あなたたちにはそれしか言えない」

 

「かまうな、俺たちも君にはいろいろ助けられた。それより、いよいよ境界線を越えるぞ」

 

「これがワームホールの中。エアロヴァイパーと戦ったときの時空間を思い出すけど、向こうからの呼びかけがなかったら完全に異次元の迷子になるところだ。帰りのために、しっかり記録しておかないと」

 

「高山さん、前方から妙な信号が入ってます。そっちで分析できますか」

 

「は、はい! こ、これは音声……話し声?」

 

「この声……キュルケ!?」

 

「ワームホールを抜けます。前方に大型の金属反応、ですがエネルギーは微弱。船が沈没しているようですよ!」

 

「向こうに回線をつなげますか?」

 

「やってみます。こりゃすごい水の音、浸水しているようです。おそらく、向こうはもう」

 

「キュルケ! そこにいるの? キュルケ!」

 

「ちょ、タバサちゃん落ち着いて! えっ? これはテレパシー? 誰だ、僕に話しかけてくるのは」

 

「俺にも聞こえる。水の精霊? そうか、お前がこの世界のリナールの同族か。なるほど、こちらの世界の事情はだいたい理解した。我夢」

 

「わかってる。横谷リーダー、さっそくですが行ってきます。僕の荷物も持って行きますので、よろしくお願いします」

 

「了解です。ケーブル切り離し、セイレーンはこのまま離脱。では、幸運を」

 

「ありがとうございます」

 

「キュルケ、返事をして! わたしはここ、ここにいる!」

 

「タバサちゃん、落ち着いて。心配しないで、僕らが君をあそこに連れて行く。藤宮、いくよ!」

 

「おう!」

 

 高山我夢と藤宮博也。大地の力と海の力を与えられた二人がタバサの手を取り、その手に与えられた光を掲げた。

 

「ガイアーッ!」

 

「アグルゥーッ!」

 

 

 エスプレンダーとアグレイターが輝き、XIGの潜水艇セイレーン7500の中から三人の姿が光と共に消え去る。

 ワームホールを背に、東方号を赤と青の輝きが照らし出す。その光から現れる二人の巨人、ウルトラマンガイア、ウルトラマンアグル。

 

 ふたりのウルトラマンは沈没中の東方号を下から持ち上げると、そのまま上昇を始めた。

 水中では浮力が働くとはいえさすがに重い。しかし一度勢いがつけば、東方号は押されるままにぐんぐんと浮上していった。

 しかし、このままでは水上に着く前に中の人間たちの息が尽きてしまうだろう。だが、そちらにはキュルケたちが心から待ち望んだ仲間が助けに駆けつけていたのだ。

「キュルケ、水を吐いて、息を吸って。大丈夫、もう空気はあるから」

「タバサ、ほ、本当にタバサなの?」

「うん、間に合ってよかった。久しぶり、キュルケ」

 窒息寸前のところで息を吹き返したキュルケの前に、見慣れた懐かしい顔がかがんでこちらを見つめていた。

 短く刈りそろえた蒼い髪。顔の割に大きなメガネに、小柄な身の丈に合わない大きすぎる杖。服装こそ、グレーとブルーを基調としたジャケットのようなものを着ているけれど、その幼げな顔立ちと雰囲気は間違いなくキュルケにとってよく見慣れて、そしてもう一度直に見たいと願い続けてきたタバサのそれそのものだった。

「タバサ……ああタバサ、夢じゃないのね。わたし、あなたの助けになるつもりが、あなたの足手まといになってばかりで。ごめん、ごめんね」

「キュルケ、そんなことはない。キュルケが呼んでくれたから、わたしは帰ってくることができた。ありがとう」

 水の引いた耐圧区画の中で、キュルケとタバサは固く抱きしめあった。ガイアの力で東方号内にテレポートしたタバサが、セイレーンから持ち込んだ空気ボンベに風の魔法をかけて空気を作ったのだ。

 浸水もガイアのバリアーで守られているおかげでない。溺れかけていた面々も、床でカエルのように伸びているドゥドゥーを除いて全員息を吹き返した。

「でもタバサ、いったいどうして?」

「ごめん、話は後にして。ハルケギニアがどうなってるのかはわたしも水の精霊から聞いた。みんなが、ハルケギニアのために頑張ってる。だから、わたしも帰ってきた。彼らの助けを借りて」

「彼ら……ウルトラマン!?」

「そう、ウルトラマンガイア、ウルトラマンアグル。わたしの迷い込んだ世界で、根源的破滅招来体と戦っていたウルトラマン」

 驚くキュルケたちの前で、タバサは誇らしげにふたりのウルトラマン、ガイアとアグルを見つめた。

 いったい、異世界でタバサに何が? いや、それはタバサの言うとおり後で聞けばいいとキュルケは思った。自分たちにさえ、これだけ色々なことが起きたのだ。タバサはそれ以上の体験をしてきた、それだけのことだろう。

 ふたりのウルトラマンに持ち上げられて、東方号はぐんぐんと上昇していく。水の精霊の都はあっというまに見えなくなり、あれだけ深く思えた大水崖もすぐに裂け目が見えてきた。

 しかし、東方号ほどの大きさの物体を奴は見逃しはしなかった。

「ソナーに反応!? あの怪獣、また来るわよ」

 ティラが叫ぶ。一度は撃退されたディプラスが、性懲りもなくまた襲ってきたのだ。

 水中を蛇行するように高速で突進してくるディプラスの姿が見える。「まずい!」、ファーティマが叫んだ。今度攻撃を受けたら東方号は終わりだ。

 だが、ディプラスの接近はガイアとアグルもとっくに気づいていた。アグルはいったん東方号をガイアにまかせると、接近してくるディプラスのほうを向き、指先から白色のエネルギー弾を放った。

『アグルスラッシュ!』

 エネルギー弾はディプラスの頭に当たってスパークし、ディプラスは激しく首を振り動かして苦しんだ。

 しかしディプラスはダメージを受けながらも、まったく躊躇することなく東方号を狙ってくる。アグルとしては、今の威嚇で退散してくれればよいと思ったのだが、そう願えないのであれば是非もないと、さらに強力なエネルギー弾を投げつけた。

『リキデイター!』

 青い光弾はディプラスを今度は粉々に打ち砕き、破片を湖の中に散乱させた。

 すごい、コルベールやファーティマは息を呑んだ。あの怪獣をたった一撃で倒してしまった……いや、このくらいで喜んではいられない。本当に倒すべき敵は、この上にいる。

 ガイアとアグルに支えられて、水面がすぐそこに見えてきた。さあ、いよいよ悪党どもに目にものを見せてやるときだ。

 

 

 そう、すべてをひっくり返すときが来たのだ。

 ラグドリアン湖の湖畔で続く死闘は、アークボガールの完全勝利に終わろうとしていた。

「これまでだな。さあ、我の胃袋がお前たちを待っているぞ。寂しがることはない、すぐにこの星の生き物たちもまとめて後を追わせてやろう」

「まだまだ、勝負はこれからだっ!」

 捕食器官を開いてヒカリとジャスティスを飲み込もうとするアークボガール。ふたりはカラータイマーの点滅が限界に来ながらもなお抗うが、もう数秒も経たずに飲み込まれてしまうだろう。

 もうダメなのかっ? 戦いを船上から見守っていたベアトリスやギーシュたちは、自らの無力を嘆き、始祖と神に祈った。

 この世に奇跡というものがあるなら、それは今こそくれ!

 しかし、神は奇跡を起こさない。奇跡を呼び込むのは、常に人の努力に他ならない。

 そのとき、黒い空を映して墨のような水面をたたえていたラグドリアン湖が、金色のまばゆい光を放って輝き始めたのだ。

「な、なんだこれは!?」

 湖上のギーシュたちだけでなく、輝きに目を焼かれてアークボガールもうろたえる。

 いったい何が? その答えは、水柱とともに彼らの眼前に現れた。

「ジュワッ!」

「トゥワッ!」

 水面に浮き上がってくる東方号と、それが起こした大波が彼らの乗る小船を翻弄する。

 だが、彼らの誰もが振り落とされそうな揺れも、頭から降り注いでくる水も気にしてはいなかった。そんなものよりも、彼らは東方号に続いて現れたふたつのシルエットに釘付けになっていたからだ。

「ウルトラマンだ!」

 ガイアとアグルのふたりの雄姿。それは、彼らから絶望の二文字を消し去るのに十分すぎる威力を持っていた。皆が空を指差し、声を限りに叫んで喜ぶ。

 東方号は浅瀬に座礁して止まり、彼らの見ている前でふたりのウルトラマンはアークボガールの前へと着地した。激震とともに、ガイアとアグルの足元の土砂が舞い上がり、すさまじい重量感に、まるで大地と大気が呼応するかのようだ。

「き、貴様らは!?」

 想像もしていなかったガイアとアグルの登場に、アークボガールの口から動揺を隠せない声が漏れた。

 ガイアとアグル、このふたりがハルケギニアに姿を現すのはこれが初めてで、当然アークボガールも彼らのことは知らない。もちろんベアトリスやギーシュたちもだ。ヒカリとジャスティスでさえ、見も知らぬウルトラマンの登場に戸惑ったが、ガイアは彼らに対して落ち着いた声色で告げた。

『はじめまして、後はまかせてください』

『君たちは?』

『話は後で、安心してください。僕らも、ウルトラマンです』

 短いが、確かな信頼がガイアの言葉には込められていた。ヒカリとジャスティスは、バトンを渡すときが来たことを悟って後ろへと下がる。彼らが何者であろうと、信じることからすべてが始まる。

 しかし、たったひとり、ウルトラセブンことモロボシ・ダンだけは、彼らを見るのが初めてにも関わらずに既視感を覚えていた。

「彼らは……」

 M78星雲出身のセブンはガイアとアグルを見たことはない。だが、頭のどこかで懐かしいという思いを感じている。

 そうか、メビウスの言っていた、これがそうか。

 ダンは既視感の意味を悟り、うなづいた。そんなダンに、ギーシュが興奮して詰め寄ってくる。

「あ、あれが、あなたの兄弟? ウルトラ兄弟なんですか!」

「いや、違う。だが、違っていない。別の世界の、もうひとつの兄弟たちだ」

「は、はぁ?」

 ギーシュは意味がわからないと戸惑うが、ダンの表情には彼らは仲間だという確信があった。

 なるほど、詳しいことはわからないが、異世界への門へたどり着いたことは無駄にはならなかったらしい。ダンは、ともすれば自分が彼らを死地に送り込んでしまったのではないかと心苦しさを感じていたのだが、彼らは見事に自分の想像を超えた結果を呼び出してくれた。

 若者たちのパワーはすばらしい。かつてのレオも、ひよっこだったときから見る見るうちに自分の助けがなくとも地球を守れるまでに成長したものだ。

 着地し、態勢を整えるガイアとアグル。そして、ガイアは脇に抱えていたコンテナを放り投げた。セイレーン7500が牽引してきて、ガイアがここまでいっしょに持ってきたのだ。すると、コンテナは空中で変形してXIGの戦闘機ファイターEXの姿となって飛び上がった。

『PAL、具合はどうだい?』

『良好です。我夢、ファイターEX、すべて問題ありません』

『よかった。なら、そっちのほうは君にまかせる。頼んだよ』

『了解』

 ガイアはファイターEXのAIである人工知能プログラムPALに指示を出すと、アグルとともにアークボガールに向かい合った。ファイターEXはジェットを噴射すると、PALによる無人操縦であっというまに飛んでいった。

 あの方角は……ギーシュたちは、ファイターEXが飛んでいった方向を見ていぶかしんだ。あっちに飛んでいって行き着く先といえば、まさか。

 だが思考をめぐらせている時間などはなかった。アークボガールがガイアとアグルに対して、ついに敵意をむき出しにしてきたのだ。

「なんだ、お前たちは?」

「お前の敵だ」

 アークボガールの問いかけをアグルが一言で切り飛ばす。もとよりアークボガールにとって、自分以外の生物はすべて敵か餌かのどちらかなのだ。

 たとえ言葉が通じたところで狼と羊が仲良くすることなどない。ミツバチとスズメバチが隣り合って巣作りをすることなどない。生態としてそうなのだ、ボガールは知性を持った食欲の権化であり、形を持った生存競争なのだ。これを前にしたとき、他の生物がとるべき道は、戦う以外にはない。

 避けることのできない戦いの火蓋は、ついに切って落とされた。

 足元から土砂を噴き上げるほどに荒々しく大地を蹴ってガイアとアグルが駆ける。対して、アークボガールも新たなウルトラマンたちが容易ならざる相手だということを肌で察して、真っ向からふたりを迎え撃った。

「デヤアアッ!」

 正面から激突する二大ウルトラマンとアークボガール。巨大な太鼓を鳴らしたような激震が大気を揺さぶり、見ている者の顔をひっぱたいた。

 組み合う三者。なんと、ガイアとアグルのふたりを持ってしても、アークボガールは押し負けずに受け止めたのだ。

「グフフ、バカめ。その程度のパワーで、我を止められるわけがなかろう」

「どうかな? ガイア、いくぞ!」

「おう!」

 アグルとともに、ガイアはさらに力を込めた。すると、アークボガールの巨体がズルズルと後ろに押されだしたではないか。

「な、なんとぉ!?」

 自分が力負けしているということにアークボガールは驚愕する。だが、こんなバカなと思っても、ガイアとアグルはアークボガールを押し続け、そのまま掬い上げるようにして地に叩きつけた。

「ぐぅぅ、おのれぇ!」

 地を這わせられた屈辱から、アークボガールは怒りを込めて立ち上がってくる。

 が、ガイアとアグルの攻撃が先手を打った。アグルのキックがアークボガールの腰を打ち、ひるんだところにガイアのパンチのラッシュが決まる。

 やる! あの悪魔のような怪獣を押していると、銃士隊から感嘆の笑みがこぼれた。だが、アークボガールはそんなに簡単に負けてくれるような敵ではない。

「なめるなぁ!」

 アークボガールは叫ぶと、全身から強烈なエネルギーの波動を放射してガイアとアグルを吹っ飛ばした。

「ウワァッ!」

「ヌワッ!」

 弾き飛ばされたガイアとアグルは背中から地面に叩きつけられる。アークボガールは、そこに間髪いれずに赤紫色のエネルギー弾を連発してきた。

 まるで池に次々に石を投げ入れて水しぶきをあげるように、ガイアとアグルの周囲にエネルギー弾の炸裂する火柱が無数に立ち上がる。

「ウルトラマン!」

 炎の中に飲み込むようなすさまじい爆発の嵐に、ギーシュたちから叫びがあがる。

 しかし、ガイアとアグルは確かにダメージは受けながらも、冷静に反撃の機会をうかがっていたのだ。

 爆炎が逆にめくらましになるのを計算して、アグルがガイアの後ろに配置すると、ガイアは手を前に掲げて回転する円状のエネルギーシールドを作り出した。

『ウルトラバリヤー!』

 強固なエネルギーの盾は、ガイアとアグルへの直撃コースの攻撃をすべて受け止め防ぎきった。

 だがむろんそれだけではない。ガイアのバリヤーで安全が確保されたアグルは、アークボガールの虚をついて垂直に高くジャンプすると、そのまま超高速での飛び蹴りを食らわせたのだ。

「テヤアァッーッ!」

 弾丸のようなスピードでアグルとアークボガールのシルエットが交差したと思った瞬間、アークボガールの広げた捕食器官の右半分が粉々に吹き飛んでいた。

「よし、これで奴はもうまともにものを食うことはできない」

 ダンが、アークボガールの能力の半分がダウンしたことを確信してつぶやいた。まだ半分しかつぶしていないと見ることもできるが、どんな食いしん坊でも口の中にでかい口内炎ができていたら満足に食事ができないのと同じだ。

 しかし喜ぶのは早い。アークボガールの戦闘力はまだ衰えていないし、時間をかければ奴はこの程度の傷は再生してしまうだろう。

 つまり、攻めるなら今だ。ガイアとアグルはアークボガールを挟み撃ちにして、それぞれ額を輝かせ、必殺の一撃を同時に撃ちはなった!

 

『フォトンエッジ!』

『フォトンクラッシャー!』

 

 ガイアの額から放たれる赤白の光芒と、アグルの額から放たれる青白の光芒がアークボガールの前後から炸裂した。

 爆発が起こり、アークボガールから苦悶の声があがる。

「うぬぅ、貴様らぁ!」

 傷の痛みと怒りと恨みの叫び声。だがそれは、奴自身がこれまで食い散らかしてきたものたちの断末魔を自分で再現しているということだ。

 食べるということは神からすべての生命に与えられた権利であるが、暴食は神から禁じられた罰となる。

 ただし神は罰を下さない。罰を下すのは天、そして天とは、めぐりめぐった因果のこと。アークボガールを下すのは、奴自身が招いた敵という因果だ。

 なおも倒れないアークボガールに対して、ガイアとアグルは再度接近戦に打って出た。コンビネーションを活かし、パンチとキックが次々に決まる。アークボガールは、ガイアに対抗しようとすればアグルに攻撃され、アグルを打ち払おうとすればガイアの一撃を食らうという悪循環に陥って、思うように立ち回ることができない。

 だがガイアとアグルは油断してはいない。フォトンエッジとフォトンクラッシャーのダブル攻撃を受けてなお、アークボガールにはまだ余力が十分に見える。まだ形勢はどう動くかわからない。

 戦いはガイアとアグルが押しているように見えて、実はようやく互角の状況といえる。そして、アークボガールはさすがのタフさでふたりの攻撃を耐え続けた上で、ついにふたりの動きを見切ることに成功した。

「食らえ!」

「ヌワッ!」

「ウオワッ!」

 アークボガールはタイミングを見計らって身をよじり、同時に左右に腕を振り下ろすことで一気にガイアとアグルをなぎ倒した。

 重い一撃を受けて、ガイアとアグルは湖畔の木々を巻き込んで倒れこむ。やはり、腕力ではアークボガールのほうに分があるし、奴も戦闘経験から学習する。

「調子に乗りおって、倍返しにしてくれるわ!」

 怒るアークボガールの猛攻が始まった。太い足でガイアを蹴り上げ、巨大な爪でアグルを切り付けて火花を散らさせる。

 ガイアとアグルも抵抗しようとするが、コンビネーションを崩された状態ではアークボガールのパワーには対抗するのは難しかった。アークボガールは、これまでの仕返しとばかりに徹底して痛めつけにかかってくる。

 危ない! と、ギーシュたちは悲鳴をあげた。新しいウルトラマンの力でも、あの悪魔に勝つことはできないのか?

 空腹のアークボガールは、自身の怒りをコンロの炎にして、ふたりのウルトラマンを美味しく調理しようとしているかのように炒め続ける。

 その様子は、座礁した東方号からでもありありと見えた。立ち上る砂煙、紙くずのように吹き飛んでいく立ち木、それらの中で苦戦を強いられているガイアとアグルを甲板で寒風にさらされながら見て、キュルケやコルベールは歯噛みをしていた。

「なんて強い奴なの……」

 数えればウルトラマン五人分と相手していると同じだというのに、奴にはかなわないというのか。彼女たちは、アークボガールが宇宙大皇帝の側近であったことを知るべくもないが、キュルケだけでなく誰もがこれまで見てきた中でも跳び抜けて強いアークボガールに、畏怖の念さえ抱いていた。

 だが、この中で恐れていない者がひとりだけいる。土佐衛門状態で気絶したまま艦内に置いていかれているドゥドゥーを除けばただひとり、タバサがキュルケの手をつないで言った。

「大丈夫、あのふたりは……あんな奴より、ずっと強いから」

「タバサ……」

 キュルケは、「あなた、いったい向こうの世界でなにを見てきたの?」と問い返そうとして思いとどまった。タバサの目は確信と、ふたりのウルトラマンに対する信頼に満ちている。

 自分がタバサと別れてから今日までの時間、タバサも同じだけ異世界で過ごしていたとしたら、タバサはどれだけのものを見聞きしたというのだろう? そう……きっと、このタバサは自分の知っているタバサとはまるで別人なくらいに成長しているのに違いない。

 少し寂しいわね、とキュルケは心の中で思った。タバサを助けてあげるために強くなったつもりだったが、タバサも天井知らずに成長を続けている。守ってあげる必要などないくらいに。

 でも、きっとそのほうがよいのだろう。タバサが自分の腕などで支えないでもよいくらいに大きくなれば、きっと多くの人たちの助けになるはずだから。

 なら、自分のすべきことはひとつ。タバサの成長を見届け、喜んであげることだ。これから先のタバサとの友情の答えは、きっとそこにあるはずだ。そのためには、タバサの言うとおりに、あのふたりのウルトラマンを信じることだ。

「きっと勝つ、そうよね」

 戦いはまだ終わっていない。希望を託したならば、最後まで勝利をあきらめてはいけない。それがせめてもの責任だ。

 アークボガールの攻撃は容赦を知らず、途切れることなく続いている。だが、アークボガールがガイアとアグルを観察していたように、ガイアとアグルもまたアークボガールのパターンを観察していた。

 生き物である以上、動きにはどうしても癖が出る。まして向こうは怒りで半狂乱だ、パターンを絞り込むのに多くはいらない、そうら……ここだ!

「デヤァッ!」

 奴の攻撃の前の一瞬の溜めを狙って、ガイアとアグルは同時にキックを打ち込んだ。攻撃前の瞬間に一撃をもらい、アークボガールは体勢を崩してよろめき、逆にガイアとアグルは態勢を立て直す。

 だが、アークボガールもそうはさせじと、自身も体勢を立て直すよりも先にエネルギー弾を連打してきた。狙いは甘くても、数を撃てばそんなことは関係ないとばかりの弾幕が襲い来る中、アグルはその身をそのまま使って攻撃を受け止めた。

『ボディバリヤー!』

 肉体そのものを盾とする荒々しい防御技の前に、アークボガールのエネルギー弾がはじかれていく。そしてアグルは攻撃を受け止めながら、胸のライフゲージを中心にしてエネルギーを両手を広げながら集め、それを渦を巻く青いエネルギー球へと圧縮して投げつけた。

『フォトンスクリュー!』

 アグル必殺の超エネルギー弾が正面からアークボガールに炸裂する。だが、驚くべきことにアークボガールはフォトンスクリューのエネルギーさえも我が物にしようと胸から吸収しだしたのだ。

「ファハハ、わざわざ我に馳走をくれるとは、感謝するぞ!」

 強力なエネルギーを手に入れられると、アークボガールの勝ち誇った声が響く。

 しかし、実はこれはアグルの計算どおりだったのだ。アークボガールといえども、フォトンスクリューのエネルギーを食い切るにはわずかだが時間が必要だ。その隙に、こちらの切り札を見せてやる!

「ガイア、変身だ!」

「おう!」

 アグルの呼びかけで、ガイアはアグルと並ぶと、気合を込めて両腕を頭上に掲げた。

 刹那、ガイアから光がほとばしり、ガイアは腕をライフゲージの前から横に広げ、その全身を金色の光が包んでいく。

 地球からガイアに与えられた光の力。それを最大限に高めることで溢れ出した輝きが見るものを照らし出し、その優しくも力強い光にタバサは勝利を確信して言った。

「ガイアが、変わる」

 輝きの中でガイアの姿がよりたくましく変化し、その身に海の力のシンボルである青い色が加わる。そして変身の完了したガイアは、大地を踏みしめ雄雄しい姿を現した。

 

『ウルトラマンガイア・スプリーム・ヴァージョン!』

 

 パワーを全開にしたガイアの真の姿に、見守るうちから歓声があがった。

 そうだ、ここからが本当の勝負だ。意気上がる人間たちとは反対に、アークボガールは「こけおどしを」と吐き捨てるが、それはこれからわかることだ。

 大地を揺るがし、ガイアとアークボガールが再び激突する。アメフト選手のぶつかりあいを数千倍にしたかのような衝撃が生まれ、両者はがっぷりと組み合った。

「ぐぅぅ、くっ!?」

 一瞬で、アークボガールはガイアの力がこれまでとは違うことを悟った。こいつは見掛け倒しなどではない、こちらも全力を出さなければ対抗できない。

 だが、アークボガールは見誤っていた。ガイアの全力はここまでではない、これからなのだ!

「デヤァァァッ!!」

「な、なんだとぉ!?」

 ガイアの掛け声とともにアークボガールの巨体が宙に浮いた。ガイアのパワーはアークボガールを吊り上げて、そのまま後ろに倒れこむ形で奴を頭から地面に叩きつけた。

 激震、人間だったら確実に首の骨が折れているであろう衝撃がアークボガールを襲う。むろん奴はしぶとく起き上がってガイアへの逆襲を計ろうとしたが、ガイアの攻勢はまだ始まったばかりであった。

 反撃に出ようとしたアークボガールの胸にガイアのスプリームキックが炸裂してよろめかせ、体勢を崩したところに体をつかんで持ち上げ投げる!

『スプリームホイップ!』

 回転して背中から地面に投げ出され、アークボガールの骨格がきしむ。もちろんそれで終わりということはなく、ガイアは今度は起き上がろうとするアークボガールの首根っこを掴んで放り投げた。

「デエヤアッ!」

「うがあっ!」

 受身をとることもできずに投げ出され、アークボガールは全身を強打して苦悶の声を漏らした。

 ガイアの攻撃は止まらない。起き上がろうともがくアークボガールの後頭部にかかと落としを食らわせて倒すと、首根っこを締め上げながら持ち上げて、そのまま自分の体重も含めて奴の頭を地面に叩きつけた。

『スプリームフェイスクラッシャー!』

 壮絶な力技の炸裂に、ラグドリアンの湖水すらも震えて波打つ。だが波に翻弄されながらも、船上で見守るギーシュたちの顔は明るい。

 すげえ、あの怪物に完全にパワー勝ちしているぜ! 思いっきりやっちまえーっ!

 少年たちは口々に歓声を喉から搾り出し、目の前で繰り広げられるウルトラマンガイアの活躍にしびれた。

 ガイアの攻撃はとどまるところを知らない。強烈な一撃、スプリームパンチがアークボガールの皮膚を超えて内蔵まで打ちのめし、奴の爪とガイアのチョップがぶつかり合って爪のほうが真っ二つにへし折られる。

 パワーとスピード、さらに技法が加わったガイアの攻撃は圧倒的だ。だが銃士隊の面々はガイアの強さに、ウルトラマンだからというだけではない何かを感じ取っていた。

「そうか、彼も私たちと同じ……」

 力に頼るのではなく使いこなすからこその強さ、ガイアの変身者である我夢は任務の合間に地道なトレーニングを重ねてきており、その自信がガイアの強さを支えているのだ。

 ガイアのバックドロップがアークボガールにまたも土をなめさせ、体の内部からダメージを浸透させていく。

 さらに、アグルも負けてはいない。ガイアに投げ飛ばされたアークボガールの尻尾を掴んでジャイアントスイングのように振り回して放り投げると、さらに駆け寄って腕を掴んで投げ飛ばしたのだ。

『アグルホイップ!』

 ガイアのものに劣らずの勢いで投げ飛ばされ、地響きとともにクレーターの底でアークボガールはもう全身砂埃まみれだ。

 強い! 本当に強い!

 キュルケは、タバサの言ったことが間違っていなかったことを確信した。これまでいろんなウルトラマンの活躍を見てきたけれど、あんな豪快な戦いぶりは初めてだ。

「きゃーっ! きゃーっ! タバサすごいすごーい! 見てみて、どっかーんって、ずどーんって!」

「キュルケ、重い……」

 調子が上がるとやや我を失ってしまうのが微熱のキュルケの面倒な性だ。特に今回はタバサが帰ってきてくれた喜びも合わせて、タバサに抱きついて子供のようにはしゃいでいる。

 さあ、そろそろクライマックスだ。ガイアはアークボガールの巨体を頭上に高々と持ち上げると、もがく奴をこれまでで一番の勢いで放り投げた。

『スプリームリフティング!』

 無造作に地面に叩きつけられ、アークボガールはまだ生きてはいるけれども動きは明らかに鈍っている。

「こ、この我が、こんな奴らに」

 アークボガールも格闘戦には自信があったが、こうまで投げ技の連発を食らうことになるとは想像もしていなかった。特に投げ技はきちんとした受身がとれないのならば衝撃の逃げ場がないためにダメージがまとめて自分に来るので、アークボガールの全身は打撲でボロボロだ。警察官が訓練で柔道を叩き込まれるのはそれだけの実用性があるからなのである。

 よろめきながらも起き上がってきたアークボガールに対して、ガイアとアグルは隣り合って並ぶと合図を送りあって互いに必殺技の構えに入った。

 ガイアが右手を高く掲げると同時にライフゲージが輝き、前に突き出した左手に揃えるようにして一回転させることでエネルギーが集中する。そして重ねた手のひらを上下にスライドさせ、赤色の光線を発射した。

『フォトンストリーム!』

 さらにアグルも両腕を胸の前でクロスさせてライフゲージを輝かせ、高く掲げた右腕をL字に曲げることで青色の光線を放つ。

『アグルストリーム!』

 ガイアとアグルの最強必殺光線。だがそれだけで終わりと思ったら大間違いだ。両者は空中で融合し、果てない威力を秘めた超破壊光線へと変わってアークボガールに襲い掛かっていく。

 

『ストリーム・エクスプロージョン!』

 

 巨大な光の大河が奔流となってアークボガールに直撃した。大地と海の光が合わさった究極のパワーは、いかなる屈強な悪をも粉砕するであろう怒涛の鉄槌である。

 だが、信じられないことにアークボガールはストリーム・エクスプロージョンのエネルギーさえをも我が物にしようとしだしたのだ。

「ぐおぉっ! 我は捕食の王、全宇宙の生態系の頂点。この我に食えぬものなどないぃぃ!」

 アークボガールの腹に光線のエネルギーが吸い込まれていく。

 なんて奴だ! これで決まると思っていたダンは歯噛みした。あの合体光線ならば、直撃すればエンペラ星人でも無事ではいられないであろうのに、奴の胃袋は底なしなのか。

 ガイアとアグルは光線を撃ち続けるが、アークボガールは吸収を続ける。まずい、このままでは。

「ぐわはっはっは、お前たちの光を残さず食い尽くしてくれる。そうすれば、もはやお前たちに戦う術は残っているまい!」

 ガイアとアグルのエネルギーが尽きたら今度こそ本当に終わりだ。ここまで来て、ここまで来て最後に勝つのは奴だというのか。

 ギーシュやベアトリスたちや、タバサとキュルケたちの顔が歪む。あと一息、あと一息なのに。

 そのときだった。

『ナイトシュート!』

 横合いから飛んできた青色の光線がアークボガールの肩に当たり、その衝撃で奴は体勢を崩してしまった。

「ぐああっ? き、貴様ぁ!」

 アークボガールの視線の先、そこにはひざを突きながらも両手を十字に組むウルトラマンヒカリの姿があった。

「ボガール、貴様だけはこの俺が許してはおかん!」

「こ、この死にぞこないが! っ、しまった!」

 体勢が崩れ、吸収するエネルギーのベクトルが歪んだ。今だ、ガイアとアグルはこの瞬間に全力を注ぎ込んだ。

「藤宮!」

「おう!」

 フォトンストリーム&アグルストリーム、最大出力。その光の圧倒的なパワーの前に、咀嚼が間に合わなくなったアークボガールの胃袋はついに陥落した。

「ヴがぁぁぁ! こ、この我が、この我が食あたりなどとぉ? 光が、光が我を満たして……ふははは、我がフルコースは、宇宙一だったぁぁーっ!」

 最後まで食に執着した言葉を残し、アークボガールは大爆発して完全に消滅した。

 撃破、あの恐ろしい悪魔も今度こそ滅び去った。もはや、二度と蘇ることはないだろう。

 勝利に、見守っていた人間たちから祝う声が高らかにあがる。ガイアとアグルのライフゲージは点滅し、ギリギリだったけれどもとにかく勝ったのだ。

 ガイアはヒカリに礼を言った。あなたのおかげだと。ヒカリは答えた、礼には及ばないと。

 

 しかし、戦いはまだ終わってはいない。アークボガールは倒したが、この異変の根源はまだ残っている。

 だがアークボガールとの戦いで力を使いきり、この場のウルトラマンたちはもう戦えない。ガイア、アグル、ヒカリ、ジャスティスの四人は、残った力で変身解除するために飛び立った。

「シュワッチ!」

 四人のウルトラマンは光となり、やがて人の姿となって降り立った。しかしセリザワとジュリは疲労が激しく、陸にあがってきた銃士隊に肩を貸されてやっと立っていられる有様だ。

 一方で我夢と藤宮はまだ余力はあるが、再変身して戦うまでは無理だろう。アークボガールは、それほどまでに強かった。

 見れば、タバサの帰還にギーシュたちが沸いている。万歳の声も聞こえるところを見ると、いまいち脈絡はないがタバサを胴上げしようとしているみたいだ。タバサは困惑しているが、キュルケまでもがいっしょになっていることから、彼らの喜びがわかる。

 タバサと面識のないベアトリスたちだけが蚊帳の外で不思議そうに眺めている。エーコたちは疲れ果てた様子のティラとティアを介抱しており、ファーティマも疲れたという風に倒木に腰を下ろしていた。

 

 この場にいるものは皆、やれるだけのことはやりきった。だが、まだ休むわけにはいかない。

 ダンは、藤宮と我夢にこの世界で起こっていることのおおまかを説明した。ダンはコスモスとのテレパシーで、トリスタニアでの死闘を知っている。あそこを何とかしなければ本当の勝ちにはならない。

「残念だが、我々の力では奴らのトリックを暴くことができない。力を貸してもらいたいのだ」

「安心してください。この世界に来たときから、記録にある敵の兆候を見つけていました。そっちには僕の一番信頼するパートナーが向かってます」

 我夢はそう言うと、ファイターEXが飛んでいった方角を見上げた。

 

 

 そしてトリスタニア。ガリア・ロマリア軍の攻撃は勢いを増し、防戦一方のトリステイン軍の潰走はもはや時間の問題に見えた。

 原因は、言うに及ばず天使の存在だ。あれが物理的、精神的にロマリア側を大きく利している状況ではトリステインに勝機はなく、教皇はさらに演説で自軍を煽り立てる。

「信仰深きブリミル教徒の皆さん、あと少しです。異端者たちの軍勢に、もう逃げ場はありません。ですが油断してはなりません。神に歯向かう愚か者たちがまた現れぬよう、異端者たちを残らず刈り取ってしまうのです」

 トリスタニアの半分が敵に制圧され、後退しながらの防御戦ももう限界にきている。

 天使はウルトラマンコスモスがなんとか抑えてはいるものの、いくらエネルギー消費の少ないルナモードとはいえ連続してバリアを使わせられればもたない。

 あの天使の正体を暴かないことには負ける。コスモスだけでなく、王宮ではエレオノールやルクシャナが、街ではアニエスやジルが知識や勘を総動員して考えているが、わからない。

 どうしようもないのか? コスモスのカラータイマーが鳴り始めて、いよいよ時間がなくなったと焦燥に駆られた、そのときだった。

「お、おい空! なんだあれは?」

 突如、ジェット音を響かせてトリスタニアの空にファイターEXが現れた。その甲高い飛行音に人々は気を取られ、動揺が広がる。

 なにせジェット戦闘機を見たことがある者などほとんどいない。人々が困惑するのも当然だが、その姿を見て驚愕した者がふたりだけいた。ヴィットーリオとジュリオだ。

「あれは、まさか! なぜこの世界に!」

 都市上空を旋回するファイターEXを見てヴィットーリオが初めて焦りを見せた。彼らにとって、それはこの場にありえるはずのない存在だったからだ。

 しかしファイターEXは確実にこの世界に存在している。そのコクピットは無人だが、PALによって完璧に制御され、この場で得たデータを正確にラグドリアン湖にいる我夢の端末へと届けていた。

『我夢、分析データを送ります。予測どおり、この街の上空に超空間の発生源が存在しているようです』

「わかった。破滅招来体め、お前たちの卑劣な手段はもう通用しないぞ。PAL、EXに積んである特殊弾は一発しかないんだ。絶対外すんじゃないぞ」

『信頼してください。ターゲットをロック、我夢、合図をお願いします』

 急旋回したファイターEXは街の上空の一角、黒い雲が渦を巻いているような一点に向けて機首を向けた。

 安全装置を解除するPAL。教皇は焦り、天使にファイターEXを撃墜するように指示を出そうとしたが、それより早くPALに我夢の指示が飛んでいた。

「波動生命体、マスカレードはここまでだ。特殊弾頭弾、発射!」

 ファイターEXから一発のミサイルが放たれて黒い渦に突き刺さる。瞬間、女性の悲鳴に似た叫び声が響き、天使の姿が幻のように揺れた。

 

 

 続く



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第51話  始祖降臨

 第51話

 始祖降臨

 

 根源破滅天使 ゾグ(幻影)

 超空間波動怪獣 クインメザード

 未来怪獣 アラドス 登場!

 

 

 根源的破滅招来体の僕がトリスタニアに張り巡らせた超空間は、ハルケギニアの人間の力では解析も破壊も不可能な代物であった。

 だが、破滅招来体と同格の科学力を持つ者であれば話は別だ。

 別の次元の地球を破滅招来体が襲ったとき、その地球の人間は地球の怪獣たちの力も借りて破滅招来体の侵略を防ぎきった。

 しかし、人類にとってまったく未知の領域からの攻撃を仕掛けてくる破滅招来体との戦いは決して楽なものではなく、防衛組織XIGはその度に綿密な研究解析を行い、対抗する技術を蓄えてきた。

 すなわち、今ハルケギニアで猛威を振るっている破滅招来体の手口も、彼らからしてみれば一度見たものだということだ。

 超空間を張って幻影を投射してくる敵。我夢はそいつに覚えがあった。破滅招来体らしい、人の心に付け入ってくる卑劣な作戦は、何度も送り込まれてきた波動生命体の最後の奴が使っていたものだ。

 当然、対処方法はわかっている。破滅招来体は、この世界では対応策を打たれることはないと高をくくっていたのだろうが、その慢心が命取りだ。

 

 ファイターEXから放たれた一発の特殊ミサイルが超空間に突き刺さる。我夢はこの世界に渡るに当たって、できる限りの準備をしてきた。戦いは油断したほうが負けるということを知るといい。

 

 ミサイルの効果で超空間が破壊され、女性の悲鳴のような叫びが轟いた。超空間を作っていたものが空間を維持できなくなってもだえているのだ。

 超空間の崩壊とともに、天使の姿も実体を維持できなくなって崩壊を始めた。画質の劣化した映像のように巨体の輪郭が乱れ、ついには出現したときと同じ金色の粒子になって崩壊してしまったのだ。

 天使の消滅にロマリアの兵たちから「ああっ、天使さまが!?」という悲鳴が次々にあがる。それはまさに、トリステインの最終防衛ラインが破られる寸前の出来事であった。

 さらに、天使の消えた場所に、入れ替わるようにして怪獣が現れた。いびつに組み上げられた骨格のような胴体に、トカゲの骸骨のような頭部を持ち、腹には人間の顔のような紋様を持つ醜悪な姿。超空間波動怪獣クインメザード、こいつが超空間を作り出して、天使の幻影を投影していたのだ。

 だが、ファイターEXの放ったミサイルで超空間は破壊され、クインメザードは現実空間へといぶりだされた。人々の間からそのグロテスクな姿に悲鳴が上がり、特にロマリア側は大混乱だ。

 しかし今がチャンスだ! ウルトラマンコスモスは、経緯はわからないが、あの戦闘機が味方で、怪獣の超能力を破ってくれたのたと理解した。

 今はそれで十分。誰かは知らないが、ありがとうとコスモスは心の中で礼を言うと、赤い光をまとい、戦いをつかさどる次なる姿へと転身を遂げた。

『ウルトラマンコスモス・コロナモード』

 邪悪を粉砕する、太陽の輝きのごとき戦いの巨人の姿。コスモスはクインメザードに対して、共存が不可能な邪悪な知性を感じていた。かつて倒した怪獣兵器スコーピスと同じく、意思はあってもそのすべてが悪意で埋め尽くされているような負の生命体、そう生まれたのではなくそう作られたもの、倒す以外に道はない。

 クインメザードは超空間から引きずり出され、特殊ミサイルの影響で女性の悲鳴のような叫びを上げて苦しみながらも、触手から電撃を放ってコスモスを攻撃してきた。

 爆発が起こり、コスモスの周囲に炎が吹き上がる。しかしコスモスはそんな攻撃をものともせず、両手に赤く燃え上がるエネルギーを集中させ、腕をL字に組んで灼熱の必殺光線を放った。

 

『ネイバスター光線!』

 

 超威力のエネルギー流が炸裂し、クインメザードは大爆発とともにあっけなくも四散した。元々からめ手で相手をはめて嬲ることに特化した怪獣だったので、直接的な戦闘力はほとんど割り振られていなかったのだ。

 断末魔の叫びを残し、クインメザードは絶命し、同時に超空間も完全に消滅してトリスタニアは平常に戻った。

 残ったのは、命拾いをして息をつくトリステイン軍と、茫然自失とするロマリアとガリア軍のみ。虚無の魔法が作ったイリュージョンのビジョンで、世界中で見守っていた人々もなにが起こったのかわからないでいる。

 神々しい天使が消えうせ、代わりに醜い怪獣が現れて倒された。なにがどうなっているかを説明できる者などいない、例外はガリアでジョゼフがほくそ笑んでいたくらいだろう。

「さて、どう出る教皇聖下どの? まさかこれで幕引きではあるまい」

 ジョゼフにとってはどちらが勝とうがどうでもいい。しかし、この戦いで生き残ったほうがいずれ自分を殺しに来るのだろうから、見ておく価値はある。なにより、どうせ長くはない命、冥土のみやげは少しでも多く作っておくに越したことはない。

 だが、わずかな例外を除いては、いまやトリスタニアを見つめている数百万の視線は懐疑と困惑の色に染められている。

 なにが正義で、なにが悪なのか? 見守っている人々は信じているものと、信じたいものと、信じたくないものが頭の中で交じり合い、その答えを待つ。

 不気味なまでの沈黙と静寂。だがそれは長くてもほんの数十秒であっただろう。なぜなら、誰もが答えを与えてくれるであろうお方の言葉を心待ちにして沈黙していたのだが、この沈黙をチャンスとしてアンリエッタが教皇に対して切り出したのだ。

「教皇、あなたのトリックは破れました。世界中の皆さんも見ましたね! あの天使は、先ほどの怪獣が作り出していた虚構だったのです。皆さん、天使など最初から存在しません。教皇は、天使の威光を笠に着て我々をだまし、世界を破滅に導こうとしているのです。皆さん、今こそ目を覚ましてください」

 先ほどの失敗を繰り返してなるものかと、アンリエッタは先手を打ったのだった。ロマリアの兵たちが動揺している今ならば、こちらの声も向こうに届く。逆に言えば、今しかチャンスはない。

 アンリエッタの言葉に、ロマリア側の動揺が大きくなる。アンリエッタはこれを見て、しめたと思った。ここから一気に突き崩せれば……だが、その一瞬の油断が彼女の未熟さであった。彼女よりもはるかに老獪な教皇は、アンリエッタが追撃の口弾を撃ちだすよりも早く、よく通る声で割り込んできたのだ。

「親愛なるブリミル教徒の皆さん、惑わされてはなりません! すべては、あの女、アンリエッタが仕掛けた大いなる芝居だったのです!」

「なっ!?」

 なにを言い出すのかと、アンリエッタは言葉を失った。だが、マザリーニやカリーヌなどの政争を知る者たちは、教皇の企みをすぐに看破した。まずい、この手口は!

「ブリミル教徒の皆さん、私はおわびせねばなりません。なぜなら今の今まで、私もあの王冠を冠った魔女にだまされていたのです。あれが悪魔の技で天使を作り出して我々をだまし、自ら倒すことで私に濡れ衣を着せようとしたのです。我々はだまされていたのです!」

 なっ! と、アンリエッタや彼女の傍らに控えていたエルオノールらは思った。

 ふざけるな、あの天使はお前たちの策略だったではないか。それを、なんという言い草だ。

 だが、アンリエッタが言葉を失っているのを見てマザリーニが悲鳴のように進言した。

「いけません、女王陛下。すぐに教皇の言を否定するのです!」

「枢機卿!?」

「詐欺師の手口です。どんなことになっても自分の罪を認めず、すべてを他人に押し付けて自分の潔白を主張し続けるのです。否定しないと、罪を認めたことになりますぞ、大衆は声の大きいほうを信じてしまうものなのです!」

「くっ、どこまでも卑劣な!」

 これが仮にも教皇のやることかとアンリエッタは澄んだ瞳に怒りを燃え上がらせた。

 しかし、有効な手口だというのは認めざるを得ない。迷っていた人々は教皇の言葉を受けて、教皇への支持を取り戻しつつある。相手が不安になったところに救いの道を指し示せば、相手はその言葉に矛盾が混じっているのに気づかずに信じてしまう。詐欺師のやり口は人間の心にアメーバのように浸透してくるのだ。

 アンリエッタは急いで教皇への反論を始めた。

「戯言はやめなさい教皇! あれはどう見ても、あなたたちに都合よく動いていたはず。さんざん天使様を賞賛する言葉を吐いておいて、よくもそんな手のひら返しができますね」

「ああ、悲しいことです。私は神の御前で懺悔せねばなりません。しかし、天使の姿に畏敬の念を抱いてしまうのは私の信仰心からきてしまう行動なのです。私の深い信仰心が罪となるとはなんと恐ろしい。ブリミル教徒の皆さん、我々の信仰心を弄んだ、あの悪魔を許してはなりません」

 必死に食い下がるアンリエッタだったが、舌戦は経験の差がもろに出てしまうものだ。年若いアンリエッタと、海千山千の教皇とでは歴然としていた。

 しかし、アンリエッタはあきらめずに教皇に対抗して人々に訴え続けた。この戦争の意義は勝敗ではない、いずれの大義が真実であるかを世の人に知らしめすことなのだ、そしてそれは自分にしかできないことだ。

”戦いは、トリステインの皆さん、ウルトラマンさんたちのおかげで、ようやくここまでこれました。これで教皇の化けの皮をはぐことさえできれば聖戦は止められる。ルイズ、始祖ブリミル、どうかわたしに力を貸してください!”

 心の中で祈り、アンリエッタはそばに控えたマザリーニの助言も受けつつ教皇の言葉と行動の矛盾を突き続けた。

 舌戦は激烈を極め、人々はそれに耳を傾ける。だが、多くの人々は教皇聖下がアンリエッタを論破するのを期待したであろうのと裏腹に、舌戦は意外な方向へと進んでいった。アンリエッタが押し始めたのだ。

「教皇、先ほどの天使が私の作った偽者と言うのであれば、ロマリアであなたに啓示を授けたというものはいったい何なのですか? それが本物だというのならば、なぜ偽者が暴れているにも関わらず本物は現れないのです? そして、ロマリアに現れた天使もまた偽者だとすれば、あなたは神の啓示など受けていないことになります、違いますか!」

 ヴィットーリオは当初余裕を浮かべていたが、アンリエッタは猛烈な食い下がりで彼を引きずり落としていった。

 もちろん、アンリエッタ自身の言葉のボキャブラリーには限界がある。しかし彼女にはマザリーニやエレオノールらがついて、可能な限りの助言をおこなっていたのだ。マザリーニの理路整然とした論理と、エレオノールの相手を圧迫する口撃力、これらが合わさったときの破壊力はすさまじかった。

 対して、ヴィットーリオに助言できる者はいない。教皇聖下に意見できる者などいるわけがない。

 三人寄れば文殊の知恵という言葉があるが、今のアンリエッタはまさにそれだった。特に、ヴィットーリオは知識量についてはアンリエッタらを上回ったが、弁説や機転は一人分しか持っていない。アンリエッタが助言を元にアプローチをたびたび変えながら攻めてくるのに対して抗しきるのには限界があった。

 ペンは剣より強しと地球の誰かが言った。その意味がここにある。戦場で万の敵を倒すことは難しくとも、言葉は一度に億の民を動かすことができる。

 そしてこれはトリステインではアンリエッタしかできない仕事だ。武勇を誇るカリーヌも、見守るコスモスや上空を旋回するファイターEXからの映像で見守る我夢たちも、これには何も助力することはできない。

 当初はやはり教皇聖下が正しいと思い始めていた人々も、教皇の話の中の矛盾が暴露されるに従って疑いを抱き始めた。この戦いはおかしいという意識が広がり始め、教皇、そしてジュリオの心にも焦りが生まれ始めた。

『聖下、まずいですよ。このままアンリエッタにいいように言わせては』

『わかっています。むう、あの小娘がここまでやるとは、あなどっていました』

 思念で会話しつつ、ヴィットーリオとジュリオは流れがアンリエッタに移りつつあることを認めざるを得なかった。

 まずい、このままでは全世界の見守る前で聖戦のカラクリを暴露されてしまう。そうなれば、今までの苦労がすべて水の泡だ。

『聖下、ロマリアの兵はまだしもガリアの兵の動揺が大きくなっています。たぶん世界中でも……せめて、イリュージョンのスクリーンだけでも解除されては?』

『いいえだめです。これは、一度発動したら役割を命じた時間が来るまで消えないのです。心配はいりません、まだこちらには切り札があります。ジュリオ、私のそばへ』

 舌戦が一段落し、アンリエッタとヴィットーリオは息継ぎをするように一度押し黙った。

 しかし、沈黙は長くは続かない。この機を逃してはなるまいと、アンリエッタは攻勢を再開した。

「教皇、いい加減に観念するのです。あなたの詭弁は、わたしがすべて打ち砕きます。罪を認め、その正体を現しなさい!」

「アンリエッタ女王陛下殿……私は正直、あなたを見損なっていたようです。確かに私の行動に矛盾があることは認めましょう。ですがそれはハルケギニアに真の平穏をもたらすための、いわば必要悪だったのです。仕方ありません、真に正しいものは動かないという証拠を、ここにお見せしましょう」

 そう言うとヴィットーリオは、ジュリオが傍らに連れてきたドラゴンの背に乗り、ジュリオとともに飛び立った。

 ジュリオの操るドラゴンは速く、あっという間にロマリアの陣地から彼らをトリステインの街を囲む城壁の上へと連れて行った。

 城壁の上はすでにロマリア軍に占拠されており、ここからはどちらの軍からでも教皇の姿を望むことができる。

 そしてヴィットーリオは全軍を見渡すと、杖を掲げて高らかに宣言した。

「皆さん、始祖の残された力のことはご存知でしょう。そう、”虚無”です! アンリエッタ女王がいかに私を糾弾しようとも、虚無の力を持つということは、すなわち始祖に選ばれた者という証拠なのです。先ほど私はイリュージョンの魔法で世界をつなぎました。世界中の皆さん、見ていなさい。皆さんに、虚無のさらなる力をお見せしましょう!」

 虚無? 虚無! 虚無だって!?

 人々の間に動揺が広がるのと同時に、ヴィットーリオは呪文を唱え始めた。誰も聞いたことのないスペルが流れ、メイジたちは膨大な魔法力が集まっていくのを肌で感じ、すぐにそれは平民にもはっきりとわかる激しさで大気を鳴動させ始めた。

「な、なに? 何を始めようというのですか」

 まるで巨大地震の前兆のような地鳴りとともに、トリスタニア全体の大気が揺れている。アンリエッタたちは城の手すりにつかまりながら、これがただの魔法などではないことを悟った。

「本当に虚無? いけない、何をするのかわからないけれど、このままではトリスタニアが危ないわ。カリン様、教皇を止めてください!」

「御意!」

 なにをするにしたってろくなことであるはずがない。アンリエッタに言われるまでもなく、カリーヌは絶好の射点にわざわざやってきてくれた教皇に魔法の狙いを定めていた。

 しかし、魔法の完成は教皇のほうが一歩だけ早かった。

 

『世界扉』

 

 完成した魔法が発動した瞬間、空に穴が開いた。

 トリスタニアの上空に直径数百メイルに及ぶであろう巨大な黒い穴が開き、それが巨大な引力を発揮してすべてを飲み込み始めたのだ。

「うわぁぁっ! な、なんだ。吸い込まれる!」

 トリステイン軍は竜巻に巻き込まれたような強風に襲われた。猛烈な風が渦巻き、街の家々から屋根やガラスが引き剥がされて砂塵とともに吸い上げられていく。以前オルレアン邸でタバサを飲み込んだ異次元ゲートに似ているが、規模ははるかに大きい。

 勢いはどんどん強くなっていく。このままでは人間が巻き上げられるのもすぐだ。アニエスや、各軍の部隊長たちは必死に叫んだ。

「いかん! 全員なんでもいいから手近なものに掴まれ! できなければすぐ伏せろ!」

 トリステイン軍はもう戦いどころではなかった。彼らの持っている杖や剣さえも巻き上げられていき、街全体からあらゆるものが吸い上げられていく。

 しかし不思議なことに暴風はロマリアの兵たちは吸い込まず、トリステイン軍ばかりを吸い上げていく。そして、ヴィットーリオは唖然とするロマリア軍にゆるやかに語り始めた。

「驚かれましたか? これは私の持つ虚無の魔法『世界扉』です。世界の理を歪め、冥府への扉を開きます。そして不浄なるものをすべて異界へと連れ去ってしまうでしょう。ただ膨大な精神力を使ってしまうため、本来ならばエルフとの聖戦まで温存したかったのですが、聖戦の大義を証明するためには仕方ありません。さあ、神に歯向かった者たちの最期をともに見届けましょう!」

 ヴィットーリオの呼びかけに、ロマリア軍からうめきにも似たどよめきが流れた。

 人知を超えた天変地異にも匹敵する力、これが虚無なのか。これはもはや魔法と呼べる代物ではない。まるで、悪夢の光景だ。

 本来の世界扉は異世界間のゲートを作り出すだけの魔法だが、根源的破滅招来体の力で強化されたその威力は、地上に開いたブラック・ホールのようにトリスタニアのすべてを吸い込んでいく。

 家が、商店が引き剥がされて舞い上がっていく。人間たちも必死に地面にしがみついているが、体重の軽い者や力の弱い者、傷ついた者は今にも宙に浮き上がりそうである。戦傷者救護所では、野外に寝かされていたけが人たちを魅惑の妖精亭の少女たちが必死に屋内に運び込もうとしていたが、すぐに建物ごと飲み込まれそうだ。

 ならば、魔法を使っている教皇を倒せば。だがそれもだめだった。カリーヌが魔法攻撃を放とうとしても、世界扉の吸引力が勝り、使い魔のラルゲユウスごと引き込まれていく。

「うわあぁぁっ!」

 ラルゲユウスの飛翔力を持ってしてもどうしようもなかった。錐もみ状態ではカリーヌも魔法が使えない。

 カリン様! アンリエッタの悲鳴が響いたとき、コスモスが飛んだ。

「ショワッチ!」

 コスモスは引き込まれかけていたラルゲユウスを掴まえると、そのまま担いで地上に引き戻した。

 だが、世界扉の吸引力はコスモスも引き込もうとしている。カラータイマーの点滅が限界に近いコスモスでは、せめて耐える以外にできることはなかった。

 ファイターEXも影響圏から離脱するのでやっとだ。元素の兄弟は魔法で体を地面に固定して耐えていたが、やがて地面ごと引っぺがされそうな勢いに冷や汗をかき始めていた。

 そして宮殿もまた、トリスタニアごと消滅しようとしていた。尖塔はもぎとられ、煉瓦は舞い上がり、噴水は干上がり、城門が剥ぎ取られていく。

「じ、女王陛下、城内にお入りください!」

「もうどこにいても同じことです。それにわたしは、たとえ死んでもここを離れるわけにはいきません。はっ、ウェールズ様!」

 バルコニーにしがみつくアンリエッタの見上げる前で、アルビオン艦隊も飲み込まれていく。

 もはや、これまでなのかとアンリエッタの目に涙が浮かんだ。トリステインもアルビオンも地上から消え去り、ハルケギニアは教皇の思うがままになってしまう。

 ここまでやったのに、みんな死力を尽くして戦ったのに、最後の勝利は教皇のものなのか。これでは神よ、始祖よ、あんまりではありませんか。

「ルイズ……ごめんなさい」

 涙が暴風に乗り、闇のかなたへ消えていく。

 崩壊していくトリスタニア。もはや誰にも、どうすることもできない。

 あと数秒もすれば、街だけでなく人間たちも塵のように巻き上げられていくだろう。

 すべてが……消える。そしていずれはハルケギニアも消える。努力も、夢も、希望も、なにもかも。

 それでも最後まで、あきらめない心だけは捨てない。地面に必死に食らいつく銃士隊の中で、ミシェルはそれが才人の教えてくれたことだと信じ、繰り返す。

「負けるもんか、負けるもんか……あきらめない奴にだけ、ウルトラの星は見える。そうだろ? サイト」

 どんな絶望の中でも、自分から希望は捨てない。未来は、奇跡はその先にしかない。ミシェルはそれを信じた、なによりも才人を信じた。

 だが、すべてが消滅しようとしているこの時に、いったいどんな奇跡が起こるというのだろう? もう、誰もなにもできない。間に合わない。

 悪の勝利、すべてが消える。教皇がそれを確信し、勝利の宣言をしようと空を見上げた、まさにそのときだった。

 

 

「待ってたぜ教皇! てめえがもう一度その、世界扉の魔法を使う瞬間をな!」

 

 

 突然、空に開いた世界扉のゲートから声が響いた。

 あの声は、まさか! その声に聞き覚えのあるアニエスやスカロンやエレオノール、そしてミシェルが空のゲートを見上げる。

 さらに、ゲートが突然スパークして不安定に揺らいだ。と、同時に吸引力が消滅し、浮き上がりかけていた人々は再び重力の庇護を受け、なにが起こったのかをいぶかしりながら空を見上げる。

 しかし、一番衝撃を受けていたのは教皇とジュリオだ。ふたりは、突然制御を失ってしまったゲートを見上げながら焦っていた。

「あの声は!? そんな馬鹿な。聖下、なぜワームホールが」

「わかりません。まるで、ワームホールの先から何かが無理矢理やってこようとしているような。まさか!」

 そのまさかであった。彼らも聞いたあの声は、異次元のかなたへと追放したはずの、彼の声。

 ヴィットーリオの開いたワームホールに無理矢理介入し、流れの反対方向からやってこようとしている何者か。それはワームホールの出口を破壊しながら、稲妻のように現れた。

 

「うわぁぁ、うわおわあぁーっ!?」

「きゃあぁぁーっ!?」

 

 一部の人間には聞きなれた二名の声。それが響いたと同時に、空に開いていたワームホールは激流の直撃を受けた水門のように爆裂し、代わって中から現れた何かが流星のように教皇のいる場所の傍の城壁の上に墜落した。

 何かが墜落した場所で爆発が起こり、巨大な城壁が落ちてきた大きな何かに押しつぶされて粉塵とともに築材が撒き散らされる。

 何が落ちてきた!? この場にいる人間のすべての視線が舞い上げられた粉塵に注がれ、そして風で粉塵が流された後には、巨大なカタツムリのようで、しかしとぼけた顔をした顔をした怪獣が城壁を押しつぶして寝そべっていた。

 それを見ると、コスモスは「そうか、ついにそのときが来たんだな」と、なにかに満足したように消えた。一体コスモスは何を? 変身を解かれたティファニアは不思議に思ったが、コスモスは何も答えてはくれない。

 だが当面の問題は怪獣だ。人々からは、怪獣!? 怪獣だ! という叫び声が次々にあがる。

 しかし、人々の関心はすぐに怪獣から離れることになった。なぜなら、怪獣の影から複数の人影が這い出してきたかと思ったら、突然がなり声で言い合いを始めたからだ。

 

 

「あだだだ……っ。ち、着地のことまで考えてなかったぜ。って、ここは……おお! トリスタニアじゃねえか! てことは、おれはとうとうハルケギニアに戻ってこれたんだ。よっしゃあ、やったぜえ!」

 

「いてて、よかったねサイトくん。いちかばちかの賭けだったけど、どうやら成功したみたいだね」

 

「はい、みんなあなたのおかげです……って、なんであなたたちまでここにいるんですかぁぁぁぁぁ!」

 

「いや、離れるつもりだったんだけど巻き込まれちゃって、仕方なく、ね。へえ、ここが君の時代かぁ、なるほど、僕らが頑張ったかいはこうなるのか。君も、しみじみすると思わないかい?」

 

「するわきゃないでしょ! なに私まで引きずりこんでくれちゃってるの! さっきサイトに見せちゃった私の別れの涙を返しなさいよ、やっぱりあんたを蛮人と呼ぶのをやめるのをやめるわ、少しは反省しなさいよーっ!」

 

「ぐぼぎゃ!?」

 

 青年と少年と少女が言い争いの末に、青年が少女に殴り飛ばされて派手に吹っ飛んだ。

 それだけではなく、別の方向からもう一組の男女が現れて。

 

「うう、いったぁ……ほんとに、あんたといるとろくなことがないわ! あれ? ここはもしかして、トリスタニアじゃない! やったあ! とうとう、とうとう帰ってこれたんだわ」

 

「やったなルイズ。うんうん、これもひとえに俺のおかげだな。いや、はっはっはっは」

 

「あっはっはっは……って、ごまかされるわけないでしょうが! 今回ばかりは本気で死ぬかと思ったんだからねーっ!」

 

「どわーっ!」

 

 少女が杖を振るうと爆発が起こり、青年がまともに食らって吹っ飛んだ。

 

 

 なんだなんだ、いったいなんなんだ?

 見守っている人々は訳がわからずに唖然とするしかない。

 だが、彼らの声の中で、明らかに明確に確実に実体のあるものが二人分あった。

 ティファニアにとっては友達の声、ミシェルにとっては愛する人の声。

 カリーヌにとっては娘の声、アンリエッタにとっては親友の声、それは。

 

「サイト!?」

「ルイズ!?」

 

 紛れもない、長いあいだ行方不明になっていた才人とルイズだったのだ。

 その声が届くと、才人とルイズははっとしてあたりを見回し、互いの姿を見つけるとすぐに駆け寄って手を取り合った。

 

「ルイズ、ほんとにルイズなのか。無事だったんだな、おれ、お前が撃たれて消えていったの見て、飛び込んだんだけど間に合わなくて」

「サイト、やっぱりあんたはわたしを助けようとしてくれてたのね。ありがとう、ずっとサイトに会いたかったんだから。長かった、ほんとに長かったわ」

「お前もいろいろあったんだな。おれも、今日までずっと冒険を続けてきたんだ。何度もくじけそうになったけど、ルイズもきっとがんばってるって思って、がんばれた」

「わたしもよ。サイトと必ずまた会えるって信じてた。ほんとにいろいろあったんだからね」

「ああ、そういやお互いけっこう髪が伸びたな。お前に話したいこと、山ほどあるんだぜ。おれもルイズから土産話をいっぱい聞きたいな。けど、その前に……」

 

 才人とルイズはきっと表情を引き締めると、怪獣の背中から城壁の上にいる教皇を睨み付けた。

「あのニヤけた教皇野郎をブっ飛ばさないとな!」

 びしりと才人に指差され、教皇の肩がわずかに震えた。

 ここにいる才人とルイズは夢でも幻でもそっくりさんでもない。間違いなく、ヴィットーリオが世界扉で異次元に飛ばしたあの二人だ。

 しかし、異次元に追放されてどうして? そればかりはさすがに教皇も想定外で、わずかにうろたえた様子を見せつつ問い返してきた。

「あ、あなたたち、いったいどうやって?」

「へっ、聞きたいか? てめえの魔法で、おれは大昔のハルケギニアに飛ばされてたんだ。けど、親切な人たちに助けられて、この未来怪獣アラドスって奴の力を借りてこの時代に帰ってこれたんだ。わかったかバカヤロウ」

 才人はそう言って、足元で眠そうな目をしている怪獣を見下ろした。

 未来怪獣アラドス。幼体で身長一メートル弱から成体の数十メートルにいたるまで、成長途上によって大きさに差がある怪獣だが、ここにいる個体は二十メートルほどの成長しきっていない若い個体である。特筆すべきはその能力で、彼らは非常に進化した細胞で時間の壁を越えて、自由に過去や未来に行き来することができるのだ。

 つまり、才人はアラドスを見つけて助力してもらうことで現代へと帰ってきたわけだ。アラドスは高い知能も持ち、今はタイムワープの疲れで眠っているけれど、才人は感謝してもしきれないほどの恩を感じている。

「ただ、未来に行くことはできても、正確にどれだけ時間を越えればいいかはわからなかった。だから、てめえが世界扉で時空に穴を開けたのを目印にさせてもらったってわけだ。ざまあみろ」

「くっ、私の虚無を逆に利用するとは。しかも、その時空間の干渉でミス・ヴァリエールまでも引き寄せるとは、なんと悪運の強い」

「そうね、サイトの悪運の強さはたいしたものよ。けど、わたしだって負けてないわ。わたしはね、どっか別の宇宙に飛ばされて、あっちの星やこっちの星を散々さまようことになったのよ。もう、何度怪獣や宇宙人を相手に大変な目に会ったことか。それでね、どこかの星の沼地でお化けみたいなトンボの群れに追い回されていたら、突然空に開いた穴に吸い込まれて、気がついたらここにいたわ。教皇聖下、乙女の柔肌を日焼けで真っ黒になるまでバカンスさせてくれたお礼はたっぷりさせてもらいますからね」

 そういえばルイズの顔がこんがり小麦色になっているように才人は思ったが、それ以上に赤鬼みたいだと思ってしまった。

 が、それはともかくルイズの魔法力は怒りのおかげでボルテージがどんどん上がっている。今なら、とんでもない大きさのエクスプロージョンでも撃てそうだ。

 しかし、周りの人々にとっては訳のわからないの自乗になっているのは変わらない。教皇聖下、いったいどういうことなのですかという声が次々と響き、ヴィットーリオは焦ってそれに答えようと手を上げた、だがその瞬間。

『エクスプロージョン!』

 ルイズの魔法が炸裂し、ヴィットーリオは至近で起こった爆発に吹き飛ばされかけた。

 そして、帽子を飛ばされ、顔をすすに汚しているヴィットーリオに向かってルイズは猛々しく突きつけた。

「あんたの小細工は通用させないわよ。どうせ、わたしたちを悪魔に仕立て上げて被害者ぶろうとしてたんでしょう。けど、手口がわかれば対処は簡単よ。どんな詭弁も、しゃべらせなかったらいいんだからね!」

 ヒューっと、才人は口笛を吹いた。さすが、ルイズらしい力技の解決法だ。だが、なるほど、どんな詐欺師でも口を利けなければ人を騙しようがないに違いない。

「わ、私を公衆の面前で殺害しようとして、あなたやあなたの家族がどうなると思っているのですか?」

「そういうことは後で考えるわ。少なくとも、わたしの家族は心配されるほど軟弱じゃないから安心しなさい」

 おどしもまったく効果がなかった。まあともかく、武闘派や隠れ武闘派ばかりのヴァリエール一家に喧嘩を売れるところはそうはないだろう。なお、忘れられていたがルイズの父のヴァリエール公爵は自領の軍を率いて国境でゲルマニアに対して睨みを利かせている。どうやら、隙を見せると隣のツェルプストー家が空気を読まずに茶々を入れに来るらしい。

 ルイズが躊躇を見せないことに、ヴィットーリオは思わず後ずさった。逃げようにも、ジュリオの使っていた竜はアラドスの落ちてきたショックで瓦礫に埋もれてしまい、ロマリアの兵隊たちも大半はトリスタニアの奥まで攻め込んでしまっているし、城壁を占領していた者たちもアラドスを恐れて逃げていてしまい、すぐにヴィットーリオを助けに来れる者はいなかった。

 こうなれば、ヴィットーリオも杖をふるって魔法で対抗するしかない。ルイズもアラドスの背から城壁の上に飛び移り、ふたりの虚無の担い手は杖を向け合う。

『エクスプロージョン!』

『エクスプロージョン』

 互いに長々と詠唱をしている隙はないので、詠唱簡略のエクスプロージョンの撃ち合いが始まった。ルイズとヴィットーリオを狙ってそれぞれ小規模の爆発が起こり、両者は自分に向けられた爆発を回避するために身を躍らせる。

 しかしヴィットーリオは律儀にルイズとの決闘に応じるつもりはなかった。ルイズがヴィットーリオを相手に杖を動かせない死角から、ジュリオが銃を向けてきたのだ。

「今度は一発で心臓を撃ち抜いてあげるよ」

 銃口が正確にルイズを狙う。教皇に意識を集中しているルイズはそれに気づくのが遅れた。

 だが、ジュリオもまたルイズを狙いすぎて死角を作ってしまっていた。ルイズを撃たせてなるものかと、才人が体当たりをかけてきたのだ。

「うおおっっ!」

「うわっ! き、君はぁ!」

「ふざけんなよこの野郎。おれの目の前で二度もルイズを撃たせてたまるかよ。そんでもって、てめえだけはぶん殴ってやるって決めてたんだ!」

 才人のパンチがジュリオの顔面に決まり、ぐらりとジュリオはふらついた。ルイズを狙っていた銃はあらぬ方向を狙って無意味に弾を飛び去らせる。銃さえなくなれば、過去の旅で才人は相当体力をつけてきた。そんじょそこらの奴に負ける気はない。

 しかしジュリオは才人とのタイマンになど付き合ってはいられないと、すぐさま体勢を立て直して剣を抜いてきたのだ。

「て、てめえ」

「あいにくだけど、目的を果たすのを優先させてもらうよ。心配しなくても、君の大切な人たちもすぐに向こうで会えるようにしてあげるさ」

 ジュリオの振り上げた剣が才人を狙ってきらめく。対して才人は丸腰だ。とても剣を持った相手に対抗することはできない。ルイズはそれに気づいていたが、とても今から振り向いてジュリオに魔法をぶつける時間はなかった。

「サイト!」

 ルイズの悲鳴が響く。しかし、ジュリオの剣は才人に届くことはなかった。寸前で乾いた音を立てて、横合いから飛び込んできた別の剣によってさえぎられたのだ。

 ジュリオの剣は止められ、ジュリオは驚愕した表情で割り込んできた剣の持ち主を見た。それは、長剣を小枝のように片手で軽々と持って、不敵な笑みを浮かべる金髪の少女だった。

「素手の相手に剣を向けるとはいい根性してるね。あんた悪者ね、悪者でしょ? サイト、こいつはわたしがもらうけどいいよね?」

「サーシャさん!」

 その細身に見える体からは信じられない力で、少女はジュリオを剣ごと弾き飛ばした。そして、体を覆っていた砂漠の砂よけのフードつきマントを脱ぎ捨てて、少女はその全身を現した。

 たなびく薄い金糸の髪、無駄なく引き締められた肢体に、揺れるほどよい大きさの果実、そして延びる長い耳。

「エルフ!?」

 人々から驚愕の声が響く。しかしジュリオの視線は、彼女の左手に釘付けになっていた。少女の左手の甲にきらめくルーン、それは。

「ガ、ガンダールヴだと!?」

「あら? ガンダールヴを知ってるの。なら話が早いわね、なんかあなたを見てると妙に胸がムカムカしてくるし、サイトに剣を向けた落とし前はつけさせてもらうわよ!」

 宣言すると、サーシャは俊敏な肉食獣のように地を蹴った。光と見まごうような剣閃が走り、反射的に受け身をとったジュリオの剣にすさまじい衝撃が伝わってくる。

「こ、これは本物だ。だが、いや、そういえばさっきサーシャと。エルフのガンダールヴ、ま、まさか!」

「なにぼさっとしてるの? 私は強いよ!」

 サーシャの舞うような剣戟が相次ぎ、剣技には自信のあったはずのジュリオが受けるしかできない。

 剣同士がぶつかり合う金属音と、輝く火花が人々の目を引き、まるで天使が円舞をしているかのような美しさを人々は感じた。エルフといえば、人間にとっては忌むべき、恐れるべき存在であるはずなのに、目の前のエルフの少女からはそうした恐ろしさはまるで感じられずに、逆にたのもしさと胸がすくような興奮が湧き上がってくる。

 さすが元祖ガンダールヴ! 才人は、全盛期の自分よりはるかに強いサーシャの活躍にしびれて、思わずガッツポーズをとりながら応援した。

 けれども、自分の実力ではかなわないと見たジュリオはまたも卑劣な手に出てきた。彼が右手の手袋を脱ぎ捨てると、彼の右手の甲にルーンが輝いたのだ。

「そいつは、私と同じ!」

「そう、僕も虚無の使い魔なのさ。僕は神の右手ヴィンダールヴ、その力を見せてあげるよ!」

 すると、彼らのいる城壁に向かって方々からドラゴンやグリフォン、マンティコアやヒポグリフなどが集まってきた。戦いの中で主人の騎士を失ったそれぞれの軍の幻獣たちだ、皆が正気を失ったように目を血走らせ、凶暴な叫び声をあげている。

「これが僕の力、あらゆる生き物を自在に操ることができるのさ。いくら君がガンダールヴでも、これだけの数の幻獣を相手にするのは無理だろう?」

 チッ、とサーシャが舌打ちするのと同時に、才人はまずいと思った。いくらサーシャが強くても、十数匹のドラゴンやグリフォンにいっぺんに襲いかかられたらかなうわけがない。

「サーシャさん、変身を!」

「あ、ごめん。さっきのでコスモプラックがどっか行っちゃって、変身できないのよね」

「ええーっ!?」

 最悪だーっ! と、才人は叫んだ。まずい、ここは城壁の上で逃げ場がない。やられる! 

 しかし、宙を飛んで襲い掛かろうとしていた幻獣たちに、さらに上空から別の飛行物体が高速で襲い掛かってきたのだ。

「いっけぇーっ、レーザーバルカン発射ぁ!」

 急角度から降り注いできた光線の乱射が幻獣たちを蹴散らし、さらに音速に近い速度で通り過ぎていったことで幻獣たちは衝撃波に吹っ飛ばされて散り散りになってしまった。

 今のは! 才人は城壁の上を飛び去っていった戦闘機を見上げた。あの機体は、どこかで見たような。いつだったっけ、けっこう前だったように思うけど思い出せない。

 しかし、才人の戸惑いとは裏腹に、その戦闘機、ファイターEXは再度反転して残った幻獣たちをあっという間に蹴散らしてしまった。才人やジュリオは呆然として見送るしかない。

 幻獣たちが全滅すると、ファイターEXは上空で調子に乗ったように宙返りをした。そのコクピットでは、メインAIであるPALが乱暴な操縦をしないでくださいと抗議していたが、パイロット席に座る彼、アスカ・シンは楽しそうに答えた。

「悪い悪い、操縦桿握るのなんて久しぶりだからついうれしくってさ。いい飛行機だな、こいつ。気に入ったぜ」

 彼はこちらの世界にルイズと来てルイズの爆発魔法で吹っ飛ばされた後、空を飛んでいるファイターEXを見て、そのコクピットが無人だと知ると「おーい、そこの戦闘機乗せてくれー」と手を振って頼んだのだった。

 もちろん、乗せるかどうかの判断はPALはしていない。アスカを乗せるのを決めたのは我夢だった。むろん、見ず知らずの人間を乗せるのには藤宮が難色を示したが、我夢はなぜか自信ありげに言った。

「大丈夫、彼は……信頼できる」

 我夢にしては根拠のない発言に藤宮は不思議に思ったが、確かにアスカは見事にファイターEXを操縦した。PALだけでは先ほどの機動は不可能だったろう。

 一方の我夢も、なぜか不思議な確信が頭に浮かんだのを感じていた。本当に不思議だ、彼を見るのは今日が初めてなはずなのに、まるで子供のころからの親友だったように感じた。

 この戦いが終わったら、彼と会ってみよう。我夢は静かにそう思った。

 ファイターEXは、周囲を警戒するようにトリスタニアの空を旋回し続けている。その速度に追いつける幻獣はハルケギニアに存在しない。ただ、カリーヌはその優れた視力でファイターEXのコクピットをわずかに覗き、心臓をわしづかみにされたような衝撃を感じていた。

 そして、嵐のように吹き荒れたアスカの乱入によって危機は去った。さあ、ここから再開だと、サーシャは剣を振りかざしてジュリオに飛び掛った。

「なにぼさっとしてるの! 卑怯な手を使わないと、女の子ひとりあしらえないのかな?」

「くっ、なめるなっ!」

 それはある意味ジュリオに対して最大の侮辱だったろう。才人は笑い転げたいのを我慢しながらサーシャの応援に戻った。

 だが、その瞬間、爆音を聞き、才人はエクスプロージョンの炎に弾き飛ばされてルイズが転がされるのを見たのだ。

「ルイズ!」

「だ、大丈夫よ」

 思わずルイズに駆け寄り、才人はルイズを助け起こした。ルイズは見たところたいした傷は負っていないようだったが、強がっている言葉に反して杖を握っている腕は痙攣して、相当に疲労が蓄積しているのが察せられた。

 そんなふたりを見下ろしながら、ヴィットーリオは余裕を取り戻した声で悠然と告げた。

「少し焦りましたが、やはりメイジとしての技量では私に一日の長があったようですね。悔しいですか? ですがあなたの言葉を借りれば、懺悔する時間は与えませんよ。今すぐに、始祖の下に送ってあげましょう」

 時間稼ぎはさせまいと、ヴィットーリオは即座にエクスプロージョンの魔法を完成させた。威力は抑えているが、それでも人間二人を粉々にして余りあるだけの魔法力が才人とルイズの眼前に集中する。

 やられる! 対抗の魔法は間に合わないと、ルイズは死を覚悟した。しかし、その瞬間、ふたりの後ろから別の虚無のスペルが放たれた。

『ディスペル!』

 魔法を打ち消す魔法の光がヴィットーリオのエクスプロージョンを瞬時に無力化した。

 馬鹿な! と、ヴィットーリオは驚愕する。そして、才人とルイズの後ろから散歩に行くような暢気な足取りで、小柄な青年が杖を握りながら現れたのだ。

「始祖の下に送る、か。いやあ、残念だけど多分それは無理だと思うよ」

「な、何者です?」

「ただのサイトくんの友達さ。いけないなあ、その魔法は悪いことに使うもんじゃないと聞いてないかい? これなら、まだ荒削りだけどそっちのお嬢ちゃんのほうがはるかにマシだよ。ねえ」

 そう言って、青年は寝かせた金髪の下の瞳をルイズに向けて優しく微笑んだ。

 すると、ルイズは不思議な既視感を覚えた。この人とは初めて会ったはずなのに、なぜかずっと昔から知っているような暖かな懐かしさを感じる。

「君がサイトくんの主人だね。話はいろいろ聞いているよ。なるほど、確かにどこかサーシャに似た雰囲気を感じるね。涙が出そうだよ……けど、どうやらタチの悪いのも生まれてしまったようだね。ここは僕がやるのが筋だろう、サイトくん、彼女を守ってあげなさい」

 彼はそれだけ言うと、再びヴィットーリオに向き合った。

 すぐさまヴィットーリオの放ったエクスプロージョンの魔法が襲い掛かってくる。だが彼は、即座に呪文を唱えると、なんと相手のエクスプロージョンの収束に自分のエクスプロージョンを当てて暴発させてしまったのだ。

 爆発が爆発で相殺され、爆風があさっての方向へと飛び散っていく。そんなまさかと驚くヴィットーリオに向かって彼は告げた。

「初歩の初歩の初歩、エクスプロージョン。けれど、だからこそ使い勝手はとてもいい。効くかどうかは別にして、望んだすべてのものを爆破できる。ふむ、やったことはなかったけど虚無に虚無をぶつけても効くのか、覚えておこう」

 事も無げに言ってのける彼だったが、それがいかにとんでもないことなのかはルイズがよくわかっていた。虚無を使えるようになってからエクスプロージョンは数え切れないほど撃ってきたが、あんな瞬間に超ピンポイントで当てるような神業はできない。あの青年は、いったいどれほどの虚無の経験を積んできたというのか。

 ルイズは才人に、「あの人はいったい誰なの?」と尋ねようとしたが、それより早く魔法戦は再開された。

 さらに強力なエクスプロージョンにエクスプロージョンがぶつかり、トリスタニアの空に太陽のような光球がいくつも閃いては消える。

 こんな魔法戦、見たことがない。戦いを見守っていた全世界の人々がそう思った。現れては消える、あの光球ひとつだけでも直径数百メイルはあるとんでもない巨大さだ。もしあれがひとつでも戦場で炸裂したら、アルビオンやガリアの大艦隊でも一瞬で消し飛ばされてしまうだろう。

 火のスクウェアメイジが百人、いや千人いたところでこんな光景は作れないに違いない。

 トリスタニアの空に太陽がいくつも現れては消える。アンリエッタやウェールズは、自分たちがヘクサゴンスペルを完成させたとしても到底及ばないと戦慄し、エレオノールやヴァレリーは「こんなの魔法の次元じゃないわ」とつぶやき、ルクシャナは好奇心を塗りつぶすほどの壮絶さに大いなる意思にひたすら祈り、カリーヌさえも唖然として見ている。

 全世界のメイジたちも同様に、一生に二度と拝めないかもしれない壮絶な魔法合戦を見守っている。

 ただ例外は才人で、彼はひとりでサーシャのほうの応援をしていた。

「がんばれーっ、サーシャさん! いけーっ、そこだ、かっこいいーっ」

 同じガンダールヴだった同士で波長が合うのか、才人の応援は熱がこもっていた。

 しかしそれが気に食わないのはルイズだ。あの虚無使いの人は何者なのかと聞こうと思ったら、才人は自分を無視してこのテンション。しかも、せっかく久しぶりに会ったと思ったら、知らない女に熱烈な声援を送っているのも気に入らない。

 そうなると、ガンダールヴとかの問題は思考の地平へ飛び去ってしまい、ルイズの心でメラメラと黒い炎が渦巻いてくる。

「ねぇ、サイト?」

「ん? なんだルイ、ぐえっ!? く、首、首を絞めるなぁぁっ!?」

「ご主人様から目を逸らしてずいぶん楽しそうじゃない。なんなのあの女? あんた、わたしの見てないところでまた新しい女とデレデレしてたんじゃないの?」

 ああ、この嫉妬深さ、これこそがルイズだと才人はしみじみ思ったが酸素を取り上げられてはたまらない。

「ぐえええ、締まる、締まってるって! 誤解、誤解だルイズ。いくらおれでも人妻に手を出すような趣味はないって!」

「人妻?」

 ルイズの力が緩んだ。なるほど、いくら才人でもそこまで節操なしではないだろう。才人はほっとして、胸いっぱいに空気を取り込んだ。

 だが正直に言ったのがサーシャの逆鱗に触れてしまった。

「ちょっ、誰が人妻よ、誰が!」

「あだぁっ!」

 サーシャが投げた剣の鞘が才人の頭に命中して鈍い音を立てた。才人は目を回し、代わってルイズが抗議の声をあげる。

「ちょっとあなた! 人の使い魔に向かって何してくれるのよ!」

「そいつが人妻だなんて言うからよ。私とあいつは、その……まだ……そんなんじゃないんだからね!」

 ルイズは彼女のその反応に、「あれ? なんかどこかで見たような」という感想を抱いたが、答えに思い当たると何かムカつく気がした。

 しかし、ルイズの願望を裏切るように、青年がヴィットーリオと戦いながらも口を挟んできたのだ。

「おいおいサーシャひどいなあ、君と僕との関係は、もう歴史上の既成事実なんだよ。子孫の前で、それはないんじゃないかな」

「う、うるさいうるさいうるさい! 誰があんたなんかと、あんたの赤ちゃんなんか産んでやるもんですか!」

「そうかい? 僕は君に僕の赤ちゃんを産んでほしいと思うけどなあ。僕と君の子供なら、きっとかわいいだろうなあ。そう思わないかい?」

「う、ううううう、バカバカバカ! もう知らないんだから!」

 青年の軽口に、サーシャは顔を真っ赤にして顔を伏せてしまった。だがそうしてじゃれあいながらも、ふたりともヴィットーリオとジュリオ相手に互角に渡り合っているのだからとんでもない。

 いったい何なのよ、この人たち? ルイズはわけがわからずに目を白黒させていたが、才人がやっと目を覚ましてきたので聞いてみた。

「ちょ、サイト。あのふたり、いったい何者なのよ?」

「んん? ああ、大昔の虚無の使い手と使い魔さ。お前の遠い遠いおじいさんとおばあさんだよ」

「大昔の? そっか、そういえばあなたは過去に行っていたって言ってたわね。けど、ほんとどういう人たちなのよ。あの人外の教皇と互角にやりあえるなんて、そんな虚無の担い手なんて、まるで始祖……えっ?」

 そこまで言いかけて、ルイズははっとして固まってしまった。

 まさか……そんな。しかし才人は、言葉が出ないルイズをニヤニヤ笑いながら見ている。ルイズは全身から血の気が引いていくのを感じた。

「ま、ままままま、まさか、ほ、ほほほほ本物の、しし、ししししし」

 そのときだった。教皇と青年の魔法の撃ち合いが、ひときわ大きいエクスプロージョン同士の炸裂で終息した。

 空を覆っていた魔法の光芒が消え去り、教皇と青年が十数メイルの距離を置いてにらみ合う。と、同時にジュリオとサーシャの剣戟も終息し、両者はそれぞれの主人の脇に戻った。

 しかし余力はまるで違う。教皇とジュリオが肩で息をしているのに対して、青年とサーシャは汗ひとつかいていない。

 戦いを見守っていた世界中の人々も、あのふたりはいったい何者なんだと息を飲んでいた。教皇聖下が、伝説の系統である虚無の担い手だということはもはや疑いようがない。その教皇聖下を同じ魔法で圧倒できるとは何者か? 同じ魔法? つまり相手も虚無の使い手。しかし、そんなものが存在するのか?

 人々は沈黙し、疑問の答えを待つ。やがて、穏やかに青年が教皇に対して語りかけた。

「もうやめないかい? 君もなかなかの力を持っているようだが、君の使う虚無の系統なら僕はすべて使えると思うよ」

「こ、これほどまでとは。いったい何者なのですか……いや、あなたの顔はどこかで……はっ!」

 そのとき、ヴィットーリオは記憶の中のひとつと目の前の青年の顔が合致して凍りついた。予期せぬ事態の連続と戦闘の興奮で半ば我を失っていたために気がつかなかったが、ロマリア教皇としてブリミル教の内情に関わった知識の中に、たったひとりだけ目の前の青年に該当する人物がいた。

 そういえば、ジュリオが戦っていたエルフの娘はガンダールヴだった。虚無の担い手は過去に複数存在したが、エルフを使い魔にしたのはたったひとりしか存在しない。

「ま、まさか、あなたの名は……」

「ん? そういえばまだ名乗ってはいなかったね。じゃあ遅くなったけど、自己紹介しておこうか」

「ま、待て!」

 ヴィットーリオは狼狽して止めにかかった。

 まずい、それだけはまずい。もし、目の前の青年があの人物だとしたら、ロマリアの、教皇の、権威も威厳も、そのすべてが塵のように吹き飛ぶ。そして、それを納得させられるだけの材料は、すでに全世界の人間たちの目に示されてしまってている。

 しかし、遅かった。青年はヴィットーリオを無視しているようなのんびりした声色で、全世界に対して自分の名を告げたのだ。

 

「僕の名はニダベリールのブリミル。ブリミル・ル・ルミル・ニダベリール」

 

 その瞬間、全ハルケギニアが凍りついた。

 え? 今、なんて? ニダベリールの……ブリミル? え? 聞き間違いでなければ、その名前を許されているのは、ハルケギニアの歴史上たったのひとり。

 と、いうことは……つまり。

「し、ししししししし、始祖ブリミル、ご本人ーーーーっ!?」

 沈黙から一転して、全ハルケギニアがひっくり返ったような混沌に陥った。

 始祖ブリミル、その降臨。世界中で老若男女がひれ伏し、アンリエッタは気を失いかけ、カリーヌでさえ腰を抜かしそうになった。

 遠方で見守るギーシュたちもトリスタニアのほうを向いてひざを突き、アニエスやミシェルたちも剣や杖を置き、元素の兄弟もさすがに唖然となった。

 もはや、トリスタニアだけ見ても、トリステイン・ガリア・ロマリアどの軍も等しく平伏して身動きひとつしていない。

 例外はガリアでジョゼフが爆笑していることと、彼らの目の前で才人が調子に乗っていることである。

「わっはっはっはっ! どーだ教皇、てめえがいくら偉くても、ブリミル教でこの人より偉い人はいねーだろ! ざまーみやがれ!」

 胸がすっとなるような快感を才人は味わっていた。まるで悪代官に先の副将軍が印籠をかざしたり、将軍様が「余の顔を見忘れたか?」と言い放ったときのようだ。

 だが、調子に乗る才人をルイズが頭を掴まえて床にこすりつけた。

「いってえ! な、なにすんだよルイズ」

「バカ! 始祖ブリミルの御前なのよ。なんて恐れ多い、あわわわわ」

 ルイズもすっかり混乱してしまって目の焦点がぐるぐるさまよっている。しかしそんなルイズに、ブリミルは少し困ったように言った。

「ねえ君、ルイズくんといったよね。サイトくんも痛がっているし、やめてあげてくれないかな」

「い、いえそんな! 始祖ブリミルに対してそんな恐れ多い!」

「僕はそんなに偉い人間じゃないよ。少なくとも今はね。それに、友達に頭を下げられて愉快な人間なんかいないさ。さ、頭を上げて」

 促されて、ルイズが恐る恐る頭を上げると、そこにはブリミルとサーシャが優しく微笑んでいた。

 だが、優しげな表情を一転させて、ブリミルはヴィットーリオを鋭い視線で睨み付けると言った。

「さて、僕の名前を使ってさんざん悪いことをしてくれたみたいだね。僕はね、君たち子孫に争ってもらいたくていろんなものを残したんじゃない。僕らの時代に、世界は荒れ果てた。僕らがやったことはすべて、この世界が平和を取り戻し、僕らの子供たちが幸せに暮らせるようになることを願ってのことだ」

「くっ、し、しかし聖地は」

「それだけは詫びねばいけないね。たぶん、死ぬ前の僕はそれだけは心残りだったんだろう。だけど、聖地は人間だけが目指すべき場所じゃない。エルフも、ほかの亜人たちも、この星の生き物すべてにとって重大な意味があるところなんだ。いや、すべての生命が力を合わせなければ聖地には届かない。君のやろうとしていることは、聖地から遠ざかることだ」

「ぐぐ……」

「この場で偽りを認めればよし。だが、もしこれ以上の戦いを望むなら、僕も容赦はしない。君がよりどころとする虚無の、そのすべてを打ち砕いてあげるよ」

 ブリミルのその一言が、教皇にとってのチェック・メイトであった。

 教皇が正義を騙っていた、そのすべての根拠がひっくり返された。最後に残った虚無も、始祖ブリミルという絶対の存在にはかなわない。

 

 もはやこれまで……ヴィットーリオは、連綿と続けてきた計略のすべてが失敗したことを認めた。

「数千年をかけて築き上げてきた我々のプランが、こんな形で崩壊させられるとは……ですが、たとえ我々がここで潰える運命だとしても、我々の後に続く者たちのために道をならしておくことにしましょう!」

 ついに本性を隠すことを止めたヴィットーリオとジュリオの周りにどす黒いオーラが渦巻く。

 来る! ついに根源的破滅招来体と、この世界で最後の決着をつける時が来たのだ。

 あのときの借りを今返すと、才人とルイズは視線を合わせて手を握り合った。

 そして、ファイターEXでもアスカが懐からリーフラッシャーを取り出していた。

 闇に包まれたハルケギニアに再び光を。歴史に残る大戦争の、そのクライマックスが今、始まる。

 

 

 続く



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第52話  ハルケギニアの夜明け

 第52話

 ハルケギニアの夜明け

 

 破滅魔人 ゼブブ

 精神寄生獣 ビゾーム

 破滅魔虫 カイザードビシ 登場!

 

 

 異世界ハルケギニア。その精神の根幹を成してきたのは、六千年前にハルケギニアを作ったという聖人・始祖ブリミルの教えを語り継いできたというブリミル教である。

 しかし、六千年という時間は、その原初の精神が残され続けるにはあまりにも長い時であった。

 どんな精密なコピーでも百回、千回と繰り返せばデータが磨耗していくように、ブリミル教の内容も幾星霜の中で変化してきた。

 しかも、本来ならば正しい精神を継承すべきそれに、悪意が潜んでいたことが、後の世に混沌を生むことになる。

「僕は自分の考えを宗教にしてほしいなんて思ったことは一度もないよ」

 才人からブリミル教というものがあることを教えられたとき、ブリミル本人は呆れたように言った。

 自分は他人からあがめられるような立派な人間じゃない。ブリミルは、自分が聖人とされていることに何の喜びも感じず、むしろ自分なんかを聖人に持ち上げた後年の人間に対する嫌悪を表した。

 ならどうして、ブリミル教なんてものが作られたんでしょうか? その才人の問いかけに、ブリミルはこう答えた。

「六千年も経つんだから、一言で言うのは無理だろうけど、少なくとも君の時代のブリミル教の指導者たちの考えはたぶん、まばゆい光が欲しいからだろうね」

「光、っすか?」

「そうさ。光はなくてはならないものだけど、昼間に夜の暗さをみんな忘れてしまうように、明るすぎる光は闇の存在を忘れさせてしまう。そして闇にとっては、明るい光の影でこそ濃く暗くなることができる。おそらくこれで、当たらずとも遠からずってとこじゃないかな」

 才人はロマリアの街で見た光景を思い出した。ブリミル教の威光を笠に着た金持ちの神官と、数え切れないほどの浮浪者たち。しかしきらびやかな神官たちが外国に出向けば、その国の人たちはロマリアは豊かな国だと錯覚するだろう。

 むろん、ブリミル教の存在を全否定するわけではない。礼節やモラルなど、日本人の才人から見ても違和感があまりないくらいにハルケギニアの人々が礼儀正しいのはブリミル教の教えがあるからだろう。

 『神様が見ているから悪いことをしてはいけませんよ』、というのが宗教の基本で、それを否定するつもりはさらさらないが、逆に宗教が悪用されるときには『これをしないと地獄に落ちますよ』と言う奴が出てきて暴走する。それがまさに、聖戦をしないと世界が滅びますよと言っている今だ。

 死人に口なし。開祖がいくら善人でも、その教えを継いで行く者が悪人ならば教えはいくらでも歪められていく。

 しかし今、奇跡は起きて始祖は蘇った。過去からやってきた始祖ブリミル本人が相手では、いかに教皇が詭弁を弄したところで勝ち目などない。

 

 今こそ、世界を覆う暗雲とともにブリミル教の虚栄の牙城を滅ぼす時。

 さあ、決戦だ!

 

 追い詰められた教皇とジュリオが紫色の禍々しいオーラに包まれ、人間の姿が掻き消えると人魂のような姿になって空に舞い上がった。

 たちまち、教皇様? 教皇様! 教皇様!? と、人々の叫びがあがる。教皇聖下を信じたい最後の気持ちが声になってあがるが、現実は彼らにとってもっとも残酷な形で顕現した。

 空から舞い戻ってきた紫色の光の中から、右腕が鋭い剣になり、蝿のような頭をした巨大な怪人型の怪獣が姿を現し、地響きを立てて降り立ってきた。それだけではない、並び立つように、人型でありながら顔を持たず、全身が黒色で顔面に当たる部分を黄色く発光させた怪物までもが現れたのだ。

 二体の怪獣は、愕然とする人々の前で不気味な声色で笑い声を放った。しかもその声は歪んではいるがヴィットーリオとジュリオそのもので、これまで必死に教皇聖下を妄信してきた人々も、ついに自分たちが騙されていたことを認めた。

「とうとう本性を現しやがったな」

 才人が吐き捨てた。聖人面してハルケギニアの人々をだまし、自滅に追い込もうとした稀代の詐欺師の本当の姿がこれだというわけだ。

 根源的破滅招来体の遣い、破滅魔人ゼブブ、精神寄生獣ビゾーム。異なる世界でも謀略を駆使して非道の限りを尽くしてきた、悪魔のような怪獣たちだ。

 ペテンをすべて暴かれ、ついに奴らは実力行使に打って出た。もはや策謀によるハルケギニアの滅亡は無理だが、少しでもハルケギニアの人間たちの力を削っておこうという魂胆か。根源的破滅招来体が他にどれだけいるのかは不明だが、ハルケギニアがダメージを負えば負うほど破滅招来体が次に狙ってくるときに易くなるのは間違いない。

 だが、そんなことをさせるわけにはいかない。この星の平和を、これ以上あいつらの好き勝手に乱させるわけにはいかないのだ。

 才人はブリミルとサーシャを振り向いて言った。

「ブリミルさん、サーシャさん、ありがとう。こっからは、おれたちがやります」

「ああ、僕も派手に魔法を使いすぎて少し疲れた。ここから応援してるよ、君たちの力、今度は僕らに見せてくれ」

「頑張りなさいよサイト。あんなニヤけた連中に負けたら承知しないんだからね」

 ブリミルとサーシャにも背中を押され、才人とルイズは無言で目を合わせた。

 今なら人々の視線は二体の怪獣に向いている。この一瞬がチャンスだ、才人とルイズは互いの闘志を込めてその手のリングを重ね合わせた。

 

『ウルトラ・ターッチ!』

 

 光がふたりを包み込み、虹色の光芒の中でその姿が銀色の巨人へと変わる。

 時を越え、次元をも隔てられた魂が再びひとつに。ウルトラマンA、ここに降臨!

「テェーイ!」

 拳を握り、二大怪獣の前に構えをとって現れたエースの姿に、トリステインの人々から歓声があふれる。ウルトラマンが来てくれた。特に、遠方からながらも見守っていたギーシュたちや、この場所でもミシェルをはじめとする銃士隊の間で感動が大きい。ロマリア以来、姿を消していたエースがまた帰ってきた。

 だが、一番喜んでいたのは他ならぬ才人とルイズだったろう。長い間会えなかったエースが今ここにいる。

「サイト、ルイズ、よく戻ってきたな。君たちなら、どんな試練も必ず乗り越えて帰ってくると、俺は信じていたぞ」

「北斗さん、おれがだらしなかったばっかりに。けど、そのぶん過去で山ほど冒険してきたんだ、その成果を見せてやるぜ」

「冒険ならわたしだって負けてないわよ。まあ苦労した要因の半分は別のとこだけど……なにげに、初めて名前を呼び捨てにしてくれたわね。その期待を裏切らないためにも、あいつらに借りを返さなきゃね!」

 離れ離れになっていた間、自分たちの絆は切れていたわけではない。むしろ、会えないからこそ、遠いかなたを思い、歩き続けてきた。

 奴らは永遠のかなたへと追放したことで絆を断ち切れたと思ったかもしれないが、”永く遠い”のならば、それは乗り越えられる。それに絆は才人とルイズの間の一条だけではない。いまや、ふたりが持つ絆は数多く、それらを束ねれば永遠の長さなど何ほどのものがあろうか。

 ウルトラマンA、北斗星司は才人とルイズの魂から、これまでにない生き生きとした力が流れ込んでくるのを感じた。

 これならば、以前と同じ結果になることはない。パワーアップした力を、今こそ見せてやろう。

 しかし、いかにエースが力を増したといっても相手は二体。しかもあのヴィットーリオとジュリオが元である以上、並々ならぬ敵であることは疑いようも無い。

 少なくとも苦戦は必至。しかも悪辣な奴らのことだ、片方がエースを相手取っている隙に片方が人質を取りに出る手段に訴えることも考えられる。なにぶんトリスタニアには人間が多すぎる。人間の盾作戦を取られるとやっかいだ。

 

 ただし、それはエースひとりだけならばの話だ。

 ここには、もう一人のウルトラマンがいる。そう、ルイズとともに旅を続けてきたネオフロンティア世界の勇者、彼もまたウルトラマンとして戦うべき時が来たことを悟っていた。

 ファイターEXのコクピットから地上を見下ろし、アスカはリーフラッシャーを掲げた。

「ダイナーッ!」

 新たな輝きと共に、M78星雲出身のウルトラマンとはまた一味違うたくましいスタイルの巨人が現れる。

「デュワッ!」

 銀のボディにレッドとブルーのラインをまとい、胸には金色のダイナテクターを輝かせた光の戦士、ウルトラマンダイナここに参上。

 ウルトラマンがもうひとり! 光の柱の中からその雄姿を現したダイナに、人々がさらに沸きあがる。そして、エースの心の中で、ルイズは驚いている才人に向かって誇らしげに言った。

〔びっくりした? あいつはアスカ、またの名をウルトラマンダイナ。わたしは、あいつと旅をしてきたのよ〕

〔え? ダイナって、学院長やタルブ村の昔話で聞いた、あのウルトラマンかよ! けど、ダイナが現れたのは三十年も昔のことだって〕

〔わかんないわ。けどあんただって、始祖ブリミルを連れてきたじゃない? なんかのはずみで、よその世界で現代のわたしと三十年前のアスカが出会った。それでいいじゃない〕

〔ううん、さっぱりわかんねえけどそんなもんか。けど、伝説のウルトラマンといっしょに旅できたなんて、うらやましいな畜生〕

〔まぁ、そんなに自慢できるような奴じゃないけどね……〕

 うらやましがる才人に対して、ルイズはやや複雑だった。ウルトラマンになる人間にもいろんな種類がいるのは承知していたつもりだったが、旅の最中アスカには振り回されっぱなしだった。旅をしてたくましくなれたとは思うけど、それがアスカのおかげだと思うと癪に障る。

 それでも、ルイズはアスカを信頼していた。才人に輪をかけて無謀、無茶、無鉄砲ではあっても、絶対に引かずにあきらめない心の強さは、理屈を越えた力があるということを何度も見せてくれた。

 強大な悪の前に心が折れそうでも、それでも立ち向かうところから道は開ける。それはスタイルに関わらずに、すべての生き方に当てはまることだろう。

 だからこそ、ダイナが共に戦ってくれるということは何より心強い。ダイナはエースに向かって、俺もやるぜというふうに胸元で拳を握り締めた。

〔君は……〕

〔二対一なんてのはずっけえからな。俺も戦うぜ、よろしくな〕

〔不思議だ、君とは初めて会った気がしない〕

〔奇遇だな、俺もだぜ。へっ、後でパンでもごちそうしてくれよな!〕

〔ああ、食べすぎなんか気にしないくらいガンガン食わせてやるよ!〕

 エース、北斗の胸に不思議な感覚が湧き上がってきた。確かにTACに入る前に自分はパン屋にいた。しかし、なぜ彼は知っていたようにパンを食わせてくれなどと言えたんだ? いや、自分はパン屋をやっていて、何度も彼に食べさせたことがあるような気がする。夕子といっしょに、どこかの港町で?

 いや、それは後でいい。今するべきことは、この世界の災厄を払いのけることだ!

「ヘヤアッ!」

「デアッ!」

 闘志を込めて構えるエースとダイナに向かって、ゼブブとビゾームが突っ込んでくる。

 巨体が走る一歩ごとに、響く轟音、舞い上がる敷石、立ち上る砂煙、そして、踏み潰される家々から吹き上がる炎。まるで巨大な山津波にも似たそれを、立ちふさがるウルトラマンという堤防が受け止める。

 激突! エースがゼブブと、ダイナがビゾームと相対し、壮絶な戦いが始まった。

 ゼブブの突き出してきた剣をひらりとかわし、エースのキックが炸裂する。

〔もうお前たちの負けだ。この世界から出て行け!〕

〔あなた方こそ、人間はいずれ美しいこの星も破壊しつくします。今のうちに殺菌しておかねば、どうしてそれがわからないのです〕

〔この星を守るのも滅ぼすのも、この星に生まれた者のするべきことだ。お前たちに好き勝手する権利なんてない!〕

 エースは破滅招来体の独善を許さないと、鋭いチョップやキックを繰り出して攻め立てる。たとえ善意であろうとも、よその家に勝手に上がりこんで掃除をすることを親切とは呼ばない。

 さらにダイナも、ビゾームと激しい格闘戦を繰り広げていた。

〔てめえらが、ハルケギニアをこんなにしやがったんだな。ゆるさねえ、青い空を返しやがれ!〕

 ダイナとビゾームは激しいパンチのラッシュに続いて、キック、チョップを含めた乱打で互いを攻め立てていった。そのパワーとスピードは両者ほぼ互角。どちらも一歩も譲らない。

 やるな! 両者共に、相手が見掛け倒しではないことを認識し、警戒していったん離れた。わずかな間合いを置いて、構えたままじりじりと睨み合う。

 うかつに動いて隙を見せたら一気に攻め立てられる。実力が拮抗する者同士での戦いは、少しのヘマが負けにつながる。逆に言えば、その一瞬をものにできれば優勢に戦える。

 続く睨み合い。だが、それも長くは続かないだろう。戦いを見守る多くの人々の目の中で、カリーヌはそう確信していた。

「フン、かっこうつけて頭を使うな。お前はそんな、気の長い奴じゃないだろう? アスカ」

 短く笑い、カリーヌは思い出とともに、疲れ果てた体に力が戻ってくるのを感じていた。

 そう、遠い昔のタルブ村のあの日もこんなだった。どうしようもないような絶望の中でも、前に進むことはできる。

 ダイナの姿に、半壊した魅惑の妖精亭の前でもレリアが目頭を熱くしている。スカロンやジェシカは、レリアからあれがおじいさんを救ってくれたウルトラマンなのと聞かされて驚き、ついでになぜかパニックに陥っている三人組がいるが、これはどうでもいい。

 そして戦いの流れは、カリーヌの予想したとおりになった。

「デヤッ!」

 先に仕掛けたのはダイナだった。強く大地を蹴って走り出し、腕を大きく振りかぶって突進していく。

 むろんこれに黙っているビゾームではない。ダイナの攻めにカウンターで仕掛けようと、ダイナとは逆に下段から腰を落として待ちうけ、ついに両者が激突した。

「ダアッ!」

 上から振り下ろしてくるダイナのパンチに対して、ビゾームは下から打ち上げた。そしてダイナのパンチが当たる前に、ビゾームのパンチがダイナのボディに命中した。

 やった! と、そのときビゾームは思ったであろう。ビゾームのパンチはダイナにクリーンヒットした、これが効かないはずはない。しかしなんということか、ダイナはビゾームの攻撃を受けてもかまわずに、そのままビゾームの顔面を殴り飛ばしたのである。

「デヤアァァッ!」

 上段から勢いに乗ったパンチの威力はものすごく、ビゾームは吹っ飛ばされてもんどりうった。

 なぜだ? 当たったはずなのにとビゾームは困惑した。手ごたえはあったはずなのにと、戸惑いよろめきながら起き上がってきたその視界に映ったのは、腹を押さえながらも拳を握り締めるダイナだったのだ。

〔勝負はな、根性のあるほうが勝つんだよ。いってて〕

 なんとダイナは最初からカウンターを食らうのを承知の上で特攻をかけたのだった。最初からダメージと痛みを覚悟してたからこそ、カウンターを受けてもひるまずに攻撃を続行することができた。虎穴にいらずんば虎子を得ずとは言うが、なんという無茶か。しかし、食らうのを覚悟していたおかげで、同じクリーンヒットでもダイナよりビゾームのほうがダメージは大きい。

”今だ、敵はひるんでいる、追撃しろ”

 戦いを見守っているカリーヌが心の中で命ずる。聞こえずともそれに答え、ダイナはエネルギーを集めると、白く輝く光弾に変えて発射した。

『フラッシュサイクラー!』

 並の怪獣なら粉砕する威力のエネルギー球がビゾームに向かう。

 こいつが当たれば! だがビゾームは右手から赤く光るビーム状の剣を作り出し、フラッシュサイクラーを一太刀で切り払ってしまったのだ。

〔なめないでもらおうか。戦う手段なら、こちらもまだ全部見せてはいないよ〕

〔そうこなくっちゃな。本当の戦いは〕

〔これからだよ!〕

 剣を振りかざして襲い掛かってくるビゾームに対して、ダイナも再び突進していった。

 剣閃をかわして、ダイナのキックが炸裂する。しかしビゾームの横なぎの剣閃がダイナの喉元をスレスレでなでていき、両者の戦いはさらに激化していった。

 

 さらに、エースとゼブブの戦いも死闘の度合いを深めていく。

 エースにひけを取らないゼブブの身体能力に加え、奴は右腕が鋭い剣になっている。あんなもので切りつけられたらウルトラ戦士の皮膚でもやすやすと切り裂かれてしまうだろう。

〔このハンデはけっこうデカいな〕

 北斗は決定打を与えるためにはゼブブの懐に入らねばならないが、そのためにはあの剣のリーチの内側に入らなければならないことにやっかいさを感じていた。

 剣を持った敵には、過去にもバラバやファイヤー星人、ハルケギニアでもテロリスト星人との戦いがあったけれども、いずれも楽なものではなかった。武器は、たとえそれがナイフ一本であろうとも持つと持たないとでは戦力に大きな開きが出る。勝てないとまでは思わないが、このまま戦えば一方的に不利だ。

 しかも、ならば武器を先に破壊してしまおうとしても、ゼブブは武器破壊に警戒した仕草を見せて剣を折らせようとはしなかった。まるで、一度剣を折られたことがあるかのようだ。

 それならばこちらもなにか武器を持てば? しかし、たとえば足元に落ちている兵士の剣を拾ったとしても、数打ちの量産品では強度に不安が残る。巨大化させてすぐ折れてしまわれたらエネルギーの無駄だ。それにエースブレードは念力で作り出す剣なので斬り合いには向いていない。

〔ちくしょう、こんなときにデルフがありゃあなあ〕

 才人は、異次元に飛ばされるときに無くしてしまった相棒であり愛刀のことを思いだした。あいつがいれば思うままに振り回すことができたのに。

 だが、いないものを考えてもしようがない。それに斬られることを恐れてはウルトラマンAの名がすたる、斬るのはこっちの専売特許だ。北斗と才人がたじろいでいるのを見かねたのか、ルイズが大声でふたりを叱咤した。

〔しっかりしなさいよ男のくせに! 力のことなら心配しなくても、今日のわたしは気合が有り余ってるから好きなようにしていいわ。後先のことなんか考えてんじゃないわよ!〕

 その叱り声に、才人と北斗ははっとしたものを感じた。そうだ、慎重になって悩むなどらしくない。相手が自分より二倍強いなら二分割して、四倍強いなら四分割してやればちょうどよくなるだろう。

 迷いを振り払ったエースは、腕を上下に大きく開き、白く輝く光の刃を作り出して放った。

『バーチカル・ギロチン!』

 超獣を一撃でひらきに変えるエースの必殺技がゼブブへ向かう。だがゼブブは迫り来る光の刃を剣ではじき返すと、奇声のような鳴き声を上げてエースに突進を開始した。

 しかしエースもひるみはしない。今度は腕を水平に突き出して、ゼブブの首を狙った三日月形のカッター光線を発射した。

『ホリゾンタル・ギロチン!』

 その首置いてけと放たれた光刃を、ゼブブはしゃらくさいとばかりに縦一文字の斬撃で斬り砕く。だがエースはそのときには、二枚の光刃をXの形に重ねて撃ち放っていた。

『サーキュラー・ギロチン!』

 一枚の光刃は切り払えても二枚となるとそうはいかない。ゼブブは自分を四等分するべく向かってくるエネルギーのカッターを止めるために、急ブレーキをかけると、額を光らせて全身に電磁波の防御幕を形成した。

 一瞬、スパークしたような稲光がゼブブの体にひらめくと、サーキュラーギロチンのエネルギーははじかれて砕かれ、ゼブブは無傷な姿を現す。そして肩を揺らして笑うゼブブに、才人はいぶかしんだ様子でつぶやいた。

〔見えないバリヤーか?〕

 それ以外には考えようが無かった。となればやっかいだ、近接戦では武器を持ち、飛び道具はバリヤーで無効化する。攻防ともに隙が見られない。

 が、ゼブブの余裕もそこまでだった。上空を旋回するファイターEXから地上のエースに向かって我夢の声が響いたのだ。

「そいつの電磁波シールドは目の部分は覆えません。目を狙ってください」

 エースははっとし、ゼブブはぎくりとしたのは言うまでもない。我夢は以前の戦いで別個体のゼブブと戦ったことがあり、そのときの経験からゼブブの能力は把握している。

 弱点がわかればこちらのものだ。エースは我夢のアドバイスに感謝しつつ、ゼブブの目を狙い、右手を突き出して菱形の光弾を連続発射した。

『ダイヤ光線!』

 光の弾丸がゼブブの急所を狙って殺到する。しかしゼブブも、急所を狙われるとわかるならば当然そこを守ろうとする。

 ダイヤ光線が当たる前に、ゼブブは両手を顔の前でクロスさせて目を守った。腕は電磁波で守られているので光線をはじき、見守っている人たちから落胆の声が流れた。

 しかし、エースは次の手を考えていた。電磁波での防御ということは、光線ははじかれるし、物理的な攻撃も反発されて防がれる。実際、ガイアもかつてのゼブブとの戦いではそれでかなりの苦戦を余儀なくされた。だが、そういうふうに攻撃が効かないということで、逆にエースにひらめいた手段があったのだ。

 ゼブブは目を守ったことで、一時的に視界が失われている。そこを逃さず、エースはゼブブの腕をめがけて両手を突き出し、合わせた手の先から白色の霧を噴出して浴びせかけた。

『ウルトラシャワー』

 霧は強力な溶解液となってゼブブの腕にまとわりつき、ゼブブの皮膚と剣を瞬く間に腐食させていった。ゼブブはそれを見て慌てふためくが、時すでに遅しであった。電磁波の反発力でも、空気の対流に乗って入り込んでくるガスに対しては無力だったのだ。

 電磁波シールドを突破され、武器をボロボロにされたことでゼブブはうろたえている。その隙にエースは空高くジャンプして、直上からの急降下キックをお見舞いした。

「トオォーッ!」

 ゼブブは頭部の二本の角から電撃を放って迎撃しようとしたが狙いが甘く、外れてしまった。エースのキックでゼブブの頭で火花が散り、悲鳴と共に角の一本がへし折れる。

 よしいける! エースはゼブブが体勢を立て直す前にと、奴の顔面に向かって再び両手をつき合わせて、今度は高熱火炎放射を食らわせた。

『エースファイヤー!』

 エースの手から放たれる灼熱の炎がゼブブの顔面を焼いて爆発する。ゼブブは片目を焼かれて、もう電磁波シールドを張ることはできないだろう。

「ざまぁ!」

 才人とルイズは声を揃えて言ってやった。力はまだまだたっぷり残っている。この時のために、ふたりとも臥薪嘗胆の日々を送ってきたのだ、簡単に燃え尽きてたまるものか。

 こちらがダメならあちら、様々な攻撃を繰り出して敵を圧倒する、技のエースの面目躍如だ。

 トリスタニアの人々は久しぶりに見るエースの活躍に、声をあらん限りに声援を送り、ロマリアやガリアからもウルトラマンたちを応援する声が出だしている。ほとんどの者たちは、よくもこれまで騙してくれたなという怒りでいっぱいだ。俺たちがこれまで命をかけて来たのは、それが神の御心だと信じてきたからだ、許すことはできない。

「がんばれ! がんばれウルトラマンたち!」

 人々の声援を背に受けて二人のウルトラマンは全力で戦う。人々の心の支えを利用して世界を滅ぼさせようとした卑劣な所業、散々人に対しては天罰や異端を吹聴してきたのだ、ならば自分たちでそれを実践してもらおうではないか。

 エースの猛攻にゼブブは傷つき、しかし手から紫色のエネルギー弾を繰り出して反撃してくる。が、エースはそれをさばいてフラッシュハンドでさらなるダメージを与えていく。

 

 一方で、ダイナ対ビゾームの戦いもラウンドの山場を迎えていた。

〔おいおいゾロゾロと増えやがって、孫悟空かてめえは〕

 ダイナの前に、数分の一サイズに縮んだビゾームが十体ばかりも並んで不気味な笑い声をあげていた。

 これがビゾームの分裂能力である。奴は精神寄生体という、なかば幽霊のような実体があるかないかあいまいな存在であり、それゆえにまるでアメーバのように分裂することもできる。奴はダイナの放った八つ裂き光輪でわざと自分の体を何回も切らせることで、その破片の一つ一つから再生して多数のミニビゾームとなったのだ。

 奇声をあげながら、ダイナの前に壁のように並び立つミニビゾームたち。人々はその不気味な様に、「化け物め」と、うめき声をもらし、ミニビゾームたちはダイナに向かって顔の黄色い発光体からいっせいに破壊光線を放った。

「ヌオワッ!」

 ダイナの体に光線が当たり、外れたものも周囲で爆発して煙と火柱をあげた。分裂したことで威力は小さくなったものの、数を頼りに撃ちかけられては防ぎきりようが無い。

 ミニビゾームたちは炎と黒煙に囲まれたダイナを見て愉快そうな笑い声をあげ、その不快な響きが人々の心に、こんな奴をどうやって倒せばいいのかと暗雲を湧き上がらせていく。だが、ダイナの闘志はこんなもので折れてはいなかった。

〔なめてんじゃねえぞ、本当の本当の戦いは、これからだ!〕

 気合を込めると同時に、ダイナの額のクリスタルがまばゆく輝く。悪への怒りが光に新たな力を与え、ダイナの肉体が赤く燃え上がる闘士の姿へと転身した。

『ウルトラマンダイナ・ストロングタイプ』

 マッシブさを増した超パワーへのモードチェンジ。まるで小人を睥睨に巨人が現れたかのような雄雄しさに、ミニビゾームたちは一瞬ひるんだが、すぐに再び破壊光線の集中砲火を浴びせてきた。

 避けることもままならない弾幕に襲われるダイナ。しかし、今度のダイナは避けも守りもせずに、そのまま攻撃を受けながら突進し、一匹のミニビゾームの元までたどり着くと振り上げた鉄拳を渾身の勢いで叩き付けた。

「ダアッ!」

 隕石のような超パワーのダイナックルを頭上から叩きつけられ、そのミニビゾームはクレーターの底でそれこそぺしゃんこにつぶれてしまっていた。

 なんともいとあはれ。しかし、彼らにとっての惨劇は始まったばかりでしかなかった。一匹を失って狼狽するミニビゾームの群れに向かって、ダイナは思う様言ってのけたのである。

〔知らなかったか? 俺はモグラ叩きは大得意なんだよ!〕

 今度はミニビゾームたちが絶望する番であった。相手が小さいなら全部叩き潰してしまえばいいと、ダイナが繰り出してくるダイナックルの連打から逃げ惑うはめになった。

 右と思えば左、ミニビゾームたちは小柄さをいかして逃げ切ろうとするがダイナもそうはさせない。街の地形を見て、ミニビゾームの大きさでは動きにくい路地などへ追い込んでは叩き潰していく。

 人々を恐れさせていたビゾームの悲鳴のような奇声が、今度は本物の悲鳴になっていた。もちろんミニビゾームたちは逃げながら光線で反撃する。しかし、バラバラに放たれた攻撃では、ダイナのボディには通じない。

〔へっ、ヒビキ隊長のカミナリに比べたら、こそばゆいぜ!〕

 アスカがバカをする度に「ばっかもーん!」と怒声を浴びせてきたSUPER GUTSの名物隊長の顔がダイナの脳裏に蘇る。いつか、必ず帰ると誓ってはいるが、きっと帰ったら特大のカミナリを食らわせられるだろうなと彼は内心で苦笑いした。

 が、ビゾームにしてみれば知ったことではない。ダイナから逃れようとちょこまかと走り回っているけれど、悪人がどんなに逃げても怒れる魔神の神罰から逃れることはできないように、ダイナはきっちりと見つけ出し、ジャンプすると真上から一匹のミニビゾームを踏み潰した。

「デアッ!」

 体格差がありすぎるために、ミニビゾームはひとたまりなくつぶされてしまった。

 さあて次はどいつだ?

 まさに超特大のモグラ叩きそのものな光景に、人々からいいぞと喝采があがる。

 ミニビゾームたちは、バラバラのままでは全滅してしまうと人魂のような姿になるとひとつに結合して元のビゾームの姿に戻った。が、だからといって形勢がよくなるわけでは当然なく、待ってましたと突っ込んできたダイナの強烈なラリアットで大きく弾き飛ばされるはめになった。

 地を舐めさせられるビゾーム。同じころ、ゼブブもエースのエースリフターで投げ飛ばされ、両者はもつれ合いながらもなんとか起き上がってきた。

 

 さあ、そろそろ積みだ。エース、そしてダイナは肩を並べて悪の二大怪獣の前で構えをとる。

〔これまでだ。この世界の人々の運命は、お前たちなどに渡したりはしない〕

 どんなご立派な大義名分があろうとも、他人の人生をおもちゃにしていい理屈は無い。お前たちのために、この世界があるわけではないのだ。

 とどめの一撃の体勢に入るエースとダイナ。だが、ゼブブは追い詰められながらも、蝿のような頭の中に持つ悪魔的な頭脳を止めてはいなかった。

〔確かに強いですね、あなたたちは。さすがは次元を隔ててもウルトラマンです。しかし、ウルトラマンであるならば、これはいかがですか?〕

 ゼブブが空に向かって手をあげた瞬間、空を覆っている黒雲から、何万、何億という数の虫の群れが地上へと舞い降りてきたのだ。

「なんだっ! 虫が集まって、怪獣になった!?」

 人々の見ている前で、その信じられないことは起こった。なんと、数え切れないほどの虫が地上で合体して、一つ目のグロテスクな怪獣へと変貌してしまったのだ。

 これが、世界を覆っている黒雲の正体である破滅魔虫ドビシの集合体である、破滅魔虫カイザードビシだ。胴体の上についた血走った一つ目には感情を感じず、片手、あるいは両腕が鋭い鎌のような武器になっている。

 しかも、それは一匹ではない。トリスタニアのいたるところに出現し、何十体もの軍団となってうごめいている。完全に囲まれてしまった。エースとダイナは一気に膨れ上がった敵の戦力がいっせいに攻撃をしてくるだろうと、背を合わせて構えをとる。

〔へっ、今度は数で勝負かよ。芸がねえぜ〕

 ダイナが強気に言ってのけた。これだけの数の怪獣をいっぺんに繰り出せるのならば最初からやればいい、なのにしなかったということは、戦力としてはあまり期待できないからだろう。昔から量産型は弱いものと相場が決まっているのだ。

 しかし、カイザードビシどもはエースとダイナの予想していなかった行動に出た。奴らはエースとダイナに襲い掛かってくるどころか、目も向けずに街を破壊し、人々を蹂躙しにかかってきたのである。

〔怪獣たちが! 貴様、なにをする!〕

〔フフ、あなた方に彼らを見殺しにすることができますか? 死にますよ、何千と、何万という人間たちがね〕

 あざ笑うゼブブに対して、エースとダイナは「このクズ野郎」と怒りに震えた。それが仮にも聖職者を名乗っていたもののすることか。

 カイザードビシたちは足を振り上げて街を破壊し、人々に向けて目から破壊光線を放って暴れている。止めなければ、本当に何万という犠牲者が出てしまうだろう。

 だが、エースとダイナがゼブブとビゾームを後回しにしてカイザードビシへと向かおうとしたそのとき、一陣の風とともに壮烈な怒声が響き渡った。

「やめろ! お前たちの倒すべき相手は、そいつらじゃない!」

 巨大なエアカッターの刃が一匹のカイザードビシの腕を切り飛ばし、次いで巨鳥ラルゲユウスの体当たりが黒い魔虫を地に這わせた。

 烈風が吹きすさび、傷だらけの騎士が杖を手にして空から声を響かせる。

「立て! トリステインの兵たちよ。お前たちは傍観者か? 諦観者か? 牙を失った猫か? いや! お前たちの手には剣がある、杖がある! これまでの戦いを思い出せ、お前たちは勇者だ! この烈風もまだ戦える。続け、トリステインを守るのは我々だ!」

 カリーヌの激が、疲れ果てていたトリステインの兵たちに最後の力を与えた。すでにカリーヌ自身も息が苦しくてたまらない。しかし気力だけは満タンだ。奇跡に奇跡が続いてやっと見えた勝利への光明を、自分たちの情けなさで台無しにするわけにはいかない。

 この国を守るのは、この国の人間でなければならない。それだけは譲れない、譲ってはいけない。

 ラルゲユウスはその翼を一匹のカイザードビシと対峙し、その背に立つカリーヌはダイナに向かって一瞬だけ視線を送ると、短くつぶやいた。

「本当の戦いはこれから、そうだろ? アスカ」

〔まさか、お前……〕

 カリーヌは答えず、雄たけびのように吼えるとカイザードビシに向かっていった。

 あれから三十年経った。私もずいぶん年を取ったけど、お前は変わらないな。けど、お前と共に戦ったあの日のことは忘れていない。お前と共に、もう一度戦う。

 メイジたちは残り少ない精神力をふるって魔法を撃ち、兵たちも弓や銃、それもない兵も声を振り絞り、体に鞭打って武器を持ち、武器の無い者も懸命に負傷者を運ぶ。

 人間たちの予想外の逆襲にカイザードビシたちは意表を突かれた。カイザードビシはいかつい見た目はしているが、ダイナの見立てどおりに単体での戦闘力はたいしたことはなく、数でそれを補うタイプの怪獣だ。事実、ガイアの世界では戦車砲程度で倒されており、耐久力もあまりない。

 そして、トリステインの兵たちは怪獣相手の戦いに慣れている。指揮官たちは過去の戦いを思い出し、的確に指示を出していった。

「目だ! あのでっかい一つ目を狙え」

 カイザードビシのいかにも目立つ単眼にメイジや弓兵たちは攻撃を集中させた。

 また、街のいたるところには固定化の魔法がかけられた鎖が用意されていて、魔法の使えない兵はこれを使ってカイザードビシの脚をからませていった。怪獣を相手に生身の人間で何ができるかと考えられた結果、やれることはすべてやっておこうと、トリスタニアのあちこちにはこうした道具が隠されているのである。

 思わぬ人間たちの反撃に足止めを余儀なくされるカイザードビシたち。エースとダイナはその奮闘振りに「やるな」と、感心した。

 しかしカイザードビシもまた怪獣、一筋縄ではいかない。倒れこんだカイザードビシの腹の口から開くと、そこから何千匹という数のドビシの群れが吐き出され、さらにゼブブが「こしゃくな!」とばかりに手を上げると、黒雲からさらにドビシたちが降り注いできて、人々に直接襲い掛かっていった。

〔フハハハ、十匹の象を倒すことはできても、十万匹の鼠を殺しつくすことはできないでしょう。罪深き者たちよ、そのまま滅びなさい〕

 くっ、どこまで悪辣な奴だ。だが、効果的なことは認めざるを得ない。ドビシは一匹ごとは猫ほどの大きさしかないが、束になって敵に群がることで、ミツバチがスズメバチを倒すように相手を仕留めることができる。人間にとっては2・3匹もいれば十分に脅威だ。

「うわぁぁ、助けてくれっ!」

 複数のドビシにのしかかられて噛み付かれ、あちこちで悲鳴があがっている。まずい、このままでは弱った人から食い殺される。

 エースとダイナならば、光線技の広域発射でドビシたちをなぎ払うことができる。だがそれをすると、せっかく追い詰めたゼブブとビゾームにとどめを刺すエネルギーを使ってしまうことになる。それでも、何万という人々を見殺しにすることはできない。エースとダイナは、人々にイナゴのように群れていくドビシたちをなぎ払うために、光線技の構えに入ろうとした。

 が、その瞬間だった。街の上を乱舞していたドビシの群れを、カリーヌのものとは違う氷雪の突風が押し流して行ったのである。そして王宮から響き渡る凛とした声が、街中に響き渡った。

「ウルトラマンさんたち、惑わされてはいけません。あなた方が戦うべき敵は、その偽善者たちです!」

 それは半壊した王宮で、なおも水晶の杖を掲げて立つアンリエッタの声であった。すでにドレスはすすけて汚れ、優美な印象は残っていない。しかし、彼女の表情には絶望はなかった。アンリエッタの傍らには、彼女の肩を支えてウェールズも立っていたからである。

「聞きなさい! トリステインとアルビオンの、二本の杖はまだ健在です。戦いなさい、トリステインの勇士たちよ! 血路はわたくしたちが開きます」

「アルビオンの猛者たち! 艦隊はなくなったが、我々にはまだ杖がある。腕がある、足もある、なにより命がある。戦おう! そして終わらせて帰ろう、我らの誇る空の故郷へ!」

 そしてウェールズとアンリエッタは杖を合わせると、呪文を唱えて二人同時に解き放った。完全にシンクロした魔法は互いを増幅しあい、トリステインの水とアルビオンの風が合わさった巨大な吹雪と化して街の上空を遷移するドビシたちを飲み込んでいく。王家の血筋同士が可能とする合体魔法、ヘクサゴンスペルだ。

 カリーヌのカッタートルネードにもひけをとらない暴風によって、数万のドビシたちが切り刻まれ、氷漬けにされて吹き飛ばされていく。しかしドビシたちはまだまだ無限に近い数で人間たちを攻め立てている。けれども苦しめられる人々に、ウェールズとアンリエッタは毅然と声を投げかけた。

「戦え! 今、ここを乗り切れば勝利は目の前だ。苦しければ我らを見よ! 王家は逃げない。誇りを胸に最後まで戦う。平和な世を取り戻すために」

「ガリア、そしてロマリアの人々も聞いてください。あなた方は欺かれていました。ですがそれで終わりではないはずです。思い出してください、あなた方にはまだ、帰るべき故郷や守るべき人たちがあるはずです。誰かに守ってもらおうと考えるのではなく、あなた方が誰かを守るのです。戦う誇りを取り戻して、我らと共に未来を勝ち取りましょう!」

 声をあらんばかりに張り上げて、ふたりの若者が叫ぶ。それは飾り立てるものなどない魂のうねりであり、人間としての誇りの咆哮であった。

 その魂の発露が、人々に思い出させた。信仰が失われても、まだ自分たちには帰る故郷があり、帰りを待っている人がいる。そのためにも、こんなところで死ねない。

「うおぉぉーーーっ!」

 獣のような叫びとともに、その瞬間トリスタニアにいた人々は国籍も所属も問わず、一体となって立ち上がった。

 襲い掛かってくるドビシに対し、本当に最後の力で立ち向かう。もう余計なことは考えない、俺たちは人間なんだ、お前たちなんかに負けてたまるか。

 

 魔法を撃ち、銃を撃ち、剣を振るい、槍を突き立て、素手の者は瓦礫を拾い、石を投げ、生きる理由のある人間たちはドビシたちを次々に仕留めていく。

 街中ではこれまで敵味方に分かれていたトリステインとロマリアの兵たちが共に戦う姿があちこちで見られた。呉越同舟も何も無い、ただ生きるために生命は全力で抗う。人間がその例外ではないということを見せているだけだ。

 

 ある街角では銃士隊が戦っていた。その姿は、まるで敗残兵のようにボロボロの有様になって、剣も刃こぼれし、なかばから折れてしまっている者もいる。

 だがその士気は天を突くように高く、アニエスとミシェルを先頭にすさまじい勢いでドビシを駆逐していっている。

「はあぁぁっ! ふぅ、どうしたミシェル? ずいぶんと調子がいいみたいじゃないか」

「ははっ、もちろんですよ。サイトが、あいつはやっぱり生きていてくれた。帰って、帰ってきてくれた。こんな、こんなうれしいことがありますか!」

 半分涙目になりながら剣を振るっているミシェルに、アニエスは微笑し、隊員たちも優しい笑みを浮かべながら剣を握りなおした。

「ようし、我々もサイトに負けてられんぞ。虫けらどもをトリスタニアから叩き出すんだ! 隊長と副長に続けーっ!」

「副長の結婚式を見るまでは、死ねませんしねっ! っと、でりゃ!」

「その次は、隊長のお婿さんを見つける楽しみもあるものね。でもこっちはちょっと難しいかしら」

「それなんですけど、お婿さんは男じゃなきゃいけないといけないってことはないですよね?」

「ん?」

 なにやらひそひそと話し合いながらも、銃士隊は的確に剣を振るい、ドビシに叩き付け、突き刺して倒していく。

 いくらでも来るなら来い虫けらどもめ。女は恋をすれば強くなる。愛することを知れば不死身になる。誰かを支えれば無敵になる。この世でもっとも強い生き物がなんであるか、とくと教えてやろうではないか。

 

 ドビシと人間たちの格闘はいたるところで繰り広げられている。人と虫とが乱戦となり、もはや戦術もなにもない混沌と原始の巷である。

 が、闘争とは本来そういうものだ。古来、人間は他の獣を狩って生きるハンターであった。食うか食われるか、それが戦いの原初であり、それをよく知るひとりの狩人は乱戦の中でも唯一冷めた目でドビシたちに矢を打ち込んでいた。

「これで二十七匹目、と……数が多いのはいいが、こいつらは煮ても焼いても食えそうにないな。これならキメラどものほうが料理できるだけマシか。いや、殻や内臓は薬になるかもしれないね。今のうちに集めておこうかしら」

 ジルという狩人の前では、人間以外の生き物は獲物としての価値があるかないかの二択でしかない。そこに善悪はなく、ジルにとってはドビシも猪や鹿と同等の存在でしかなかった。

 いや、極論すれば、人間が生きるために善悪などというものは必要ないのかもしれない。事実、化け物の森で長年を過ごしてきたジルにはそんなものはいらなかった。ただ、それなのにジルを動かしているものがある。

「薬の試作ができたら竜のお嬢ちゃんに試し飲みしてもらうかな。手ごろな回復薬ができたらシャルロットの役にも立つかしらね」

 ジルはタバサの喜ぶ様子を想像してわずかに微笑んだ。人は生きるだけなら一人でできるが、誰かのために何かをすることでのみ己という存在に価値を見出すことができる。

 この戦いに、ジルがいる理由はそれだけだ。国がどうなろうとどうでもいい。言ってみればただの親ばかだ。

 

 そして親ばかといえば最たるところがチクトンネ街にいる。

「ふんぬぅ、うちの妖精さんたちはお触りは禁止されていますぅ。お引取りいただきましょうか、お客さんたちぃ!」

 くねくねとした動きをしつつも、鉄拳でドビシたちを吹っ飛ばしていくスカロンの雄姿? が、そこで輝いていた。

 魅惑の妖精亭、正確にはその跡地となりつつあるが、店員たちは皆そこを離れようとはせずに守り続けている。華奢な少女たちが、フライパンやおたまを武器にしてドビシに立ち向かい、その先頭にはジェシカが立って皆を鼓舞していた。

「みんな、あと一息よ! これが終われば、商売敵の店はみんなつぶれたからうちの独占商売よ。そうしたらじゃんじゃん稼ぐんだからね! がんばって」

「おーーーっ!」

 なんともたくましいものである。しかし、この若いパワーが未来を作るピースであることは間違いない。

 彼女たちにはそれぞれ、自分の家を持つ、故郷の家族のために稼ぐ、独立して自分の店を持つなどの夢がある。この戦争はマイナスだったが、終わればそれがプラスに転じるチャンスが来る。ならば、それを逃すわけにはいかない。

 スカロンは、少女たちの夢をそれぞれ応援している。血のつながった娘はジェシカひとりだが、同じ屋根の下で共にやってきた少女たちは皆、自分の娘も同然だ。それを守るためなら、無限に力が湧いてくる。

「でありゃあっ! そう、その意気よ妖精さんたち。けど顔だけは絶対傷つけちゃダメよ。ミ・マドモアゼル、泣いちゃうからねぇっ!」

「それだけは勘弁してください! ミ・マドモアゼルっ!」

 さすがの妖精さんたちも想像するに耐えない光景に身震いした。ジェシカは呆れたように笑うばかりだが、その手には得物の包丁と頑丈そうなロープが握られていて、その先には逃げ出そうとしているドルチェンコたち三人がくくり付けられていた。

「だめよー逃げちゃ。壊れたお店を建て直すのに、男の人の手は欠かせないんだからね」

「頼む逃がしてくれ、神様仏様ジェシカ様! あいつに、ダイナに見つかるのだけはすごくマズい!」

 過去になにがあったかは知らないが、三人組の焦りようはすごかった。もっとも、完璧に自業自得であるのだから仕方ない。

 やがて、スカロンのおかげで店の周囲からドビシが一掃されると、彼女たちはウルトラマンたちに向かって手を振った。

 

 十万匹の鼠は駆逐できないとゼブブは言った。しかし、人間たちの奮闘はその常識に風穴を開けつつある。

 新たに湧いてくるドビシはアンリエッタとウェールズのヘクサゴンスペルが食い止め、その絶対数が増加することを許さない。

「大丈夫かい? アンリエッタ、さあ、僕につかまって」

「ありがとうございます、ウェールズさま。けど、国民の前でだらしない姿はさらせませんわ。大丈夫です、ウェールズさまが傍らにいるだけで、わたくしは負けません」

 ふたりとも常人の域を超えた魔法の行使でとっくに限界を超えているが、その表情は明るい。

 また、ふたりを狙ってドビシたちが襲ってくるが、それをカトレアやエレオノールたちが迎え撃っている。

「ラ・ヴァリエールの名において、お二人には指一本触れさせません。あなたがたのような命を弄ぶ人たちに、この杖は決して折らせませんわ」

「ちびルイズが目立ってるのに、私が働かなかったら後でお母様に殺されるわ。ま、たまには姉の威厳を妹たちに見せておくのも悪くないわね」

 ドビシたちは次々と叩き落され、王家のふたりは威厳を保ったまま立ち続けている。

 元凶であるカイザードビシたちも、カリーヌの奮闘や、ド・ゼッサールの率いる魔法衛士隊、名も無い兵士たちの活躍で押さえ込まれ、それでも余った連中にはブリミルのエクスプロージョンが炸裂した。

「やれやれ、いい加減疲れたから休ませてほしいんだけどな」

「なに言ってるの。私たちの子孫がピンチなんだから、頑張りなさいなご先祖様、それっ!」

 ブリミルに襲い掛かろうとするドビシをサーシャが舞うように剣を振るって切り刻んでいく。主の詠唱を守るガンダールヴの本領発揮というところだ。

 

 いまや、ドビシの活動はほぼ完全に押さえ込まれていた。街中にはドビシの死骸が無数に積み上げられ、人間たちの凱歌がそこかしこであがっている。

 まさか、こんなはずではとゼブブとビゾームはうろたえたが、これが現実であった。

 人間たちの最後の力を振り絞った悪あがき。もちろん時間が経てば、無限の物量を誇るドビシたちが再び圧倒するであろうが、それまでのこの、わずか一分程度の時間さえあれば十分だ。

〔ああ、お前たちを倒すには、一分もあればたくさんだぜ!〕

 ダイナはゼブブたちを指差して言い放った。

 人々が全力で作ってくれたこの機会。これ以上、もはやどんな手も用意してはいないだろう。このチャンスで、お前たちを倒す。

「シュワッ!」

「テェーイ!」

 ダイナ、そしてエースの猛攻が再開された。

 空中高く飛び上がったエースのキックがビゾームを打ち、助走をつけたダイナのダイナックルがゼブブを吹き飛ばす。

 対して、ゼブブとビゾームもあきらめ悪く反撃を繰り出してきた。ゼブブの怪光線がダイナのボディを打ち、ビゾームの光の剣がエースの喉下をかすめる。

 しかしウルトラマンたちは攻撃をやめない。この一分はただの一分ではない、人々の願いのこもった世界で一番貴重な一分だ。一秒たりとて無駄にはできないのだ。

 エースのタイマーショットがビゾームの腕を剣ごと焼き切り、ダイナのブレーンバスターが見事に炸裂する。

 破滅招来体の企みも、ついにここで絶えようとしている。幾星霜を費やした遠大な計画が崩壊した理由、それは彼らがひとつのことを見落としていたからだ。

「なぜだ、なぜこうまで理不尽な偶然が重なる? なにがお前たちに味方しているというのだ」

〔お前たちにはわからないだろう、希望の持つ本当の意味を。希望は自分が歩き出すための糧じゃない、誰かと共に歩き出すために分かち合うものなんだ〕

 エースは才人とルイズ、多くの人たちを見て思った。こうしてこの世界に帰り、そして勝利を目前にしていられるのは、才人とルイズが希望を捨てずにあきらめなかったから。そしてこの場の人間たちがあきらめずに戦い、ドビシたちを追い返せたのは、ふたりのウルトラマンがいるという希望があったからだ。

 希望はつながり、連なり、より多くの人々へと拡散していく。小さな希望が大きな希望へ、そして奇跡を呼び、不可能を可能に変える。その連鎖こそが希望の本当の力なのだ。

〔うわべだけの絶望で、人間を支配できると思っていたのが間違いだ。人間はお前たちが思うような愚かな生き物じゃない。人間はこれからも、進歩し続ける生き物なんだ〕

 ウルトラマンは人間の希望と未来を信じる。そして才人とルイズも己の信念を込めて言い放った。

〔ハルケギニアはな、ブリミルさんやサーシャさんたちが死ぬ思いで旅を続けてやっと立て直した世界なんだ。お前たちなんかが勝手に独り占めしていいほど安くないんだよ〕

〔人間はバカだわ、それは否定しない。けど、お前たちなんかにバカにされたくないような素晴らしい人だってたくさんいるわ。人間の中にそんな人たちがいる限り、ハルケギニアは滅んだりしない〕

 ハルケギニアの人間の愚かさを信じた破滅招来体と、希望を信じた人間たちの対決の、これが答えであった。

 

 だが、破滅招来体は、ゼブブは違った。彼らの誇示する彼らの正義にとって、人間たちの希望の力はあくまでも理解できない、不要なものでしかなかった。

 破滅招来体は過去幾度もガイアの世界でもその意思を表示することがあったが、それらの中で共通していることがある。彼らは地球を美しい星と呼び、人類は不要と主張し続けたが、そんな彼らの要求する世界は人類では決して到達不可能な機械的な完全世界だったのだ。

 彼らは妥協を嫌い、不確定要素を嫌った。彼らが文明を築く上でどのような進化を辿ってきたかはさだかではないが、彼らの欲する磨き上げられたダイヤモンドのような一点の傷も無いパーフェクトワールドは、感情を持つ人類とは決して相容れないものであり、そうでない世界は彼らにとって受け入れられないものだった。

 ゼブブとビゾームは敗北を悟った。しかし、彼らは破滅招来体の使者として、その最後の使命を果たそうとしていた。

「わかりません。わかりたくもありませんが、この戦いは我らの負けです。しかし、我らの主はいつか必ずこの世界を醜い人間たちから解き放ちます。我らはその捨て石となりましょう!」

 ボロボロの体でなお消えぬ殺意をみなぎらせて、ゼブブとビゾームは突撃をかけてきた。地響きをあげ、一直線にエースとダイナに向かって突進してくる。もはや小細工も戦法もなにもない、刺し違えることを覚悟した特攻だ。

〔奴ら、自爆する気か!?〕

 そうだ。奴らは、自らの命と引き換えにエースとダイナだけでも道連れにしようとしている。次に来る侵略部隊を少しでも有利にするため、恐るべき執念だ。

 避けるか? いやもう遅い。迎え撃つか? 自爆する気の相手に危険すぎる。

 引くも、受けるもできない。そしてここでエースかダイナがどちらかひとりでも倒れれば、破滅招来体は再侵略の余地があると見なすだろう。それでなくとも、ウルトラマンが倒されたという事実は他の侵略宇宙人たちも喜ばせ、我も我もと動き出させるに違いない。

 ウルトラマンが負けられない理由がここにある。奴らは命と引き換えにそこに一穴を残そうとしているのだ。

 危ない! だがその瞬間、アンリエッタとウェールズは温存し続けてきた切り札を使うときが来たことを悟った。

「ウェールズ様、あれを。今こそハルケギニアに光を取り戻しましょう」

「ああ、長かった夜を終わりに。我らの世界に再び朝を! 始祖の秘宝よ、お導きください」

 ふたりは守り続けてきた始祖の首飾りを共に空高く投げ上げた。一筋の流星となって秘宝は黒雲へと吸い込まれ、封じられていた『分解』の魔法を解放する。

 

”光、あれ”

 

 祈りが込められた二つの始祖の首飾りの力は、トリスタニアの空を中心に一瞬にしてドビシの黒雲を消し去っていった。

 『分解』の魔法は、ものを形作る小さな粒に、そのつながりを忘れさせることであらゆるものを崩壊させる効力を持つ。地球流に言うと、分子結合を強制解除させるとでもすればいいか。すなわち、あらゆる物質はその強度に関係なく塵に返ってしまうということだ。

 むろんドビシも例外ではなく、焼け石に落ちた水滴のように次々に消滅していく。分子結合を解くことで物体を溶解消滅させるものとしては、地球では一九五四年にほぼ同じ効力を持つ薬品が一度だけ使われたことがあるそうだが、これに耐えられるのは文字通り神の域を超えた生命だけであろう。

 ドビシの黒雲が切り裂かれた空からは、黒に変わって透き通るような青とともに、明るく暖かい太陽の日差しが再び差し込んできた。

 一瞬にしてトリスタニアは夜から昼に変わり、数秒後には魔法学院やタルブ村も忘れかけていた太陽に照らし出され、数分後にはハルケギニア全土が光を取り戻した。

 しかし、この戦いの決着にはほんの数秒でたくさんだった。

 太陽の光がトリスタニアを、人間たちを、そしてウルトラマンと怪獣たちを照らし出す。その白い輝きは暗がりに慣れていた人々と、怪獣の目を激しく焼いた。

「ウオオォォッ、光? 光がぁぁっ!?」

 巨大な複眼を持つゼブブと、闇夜での活動を得意とするビゾームにとっては突然差し込んできた太陽の光は強すぎた。視覚を奪われ、エースとダイナの姿を見失った二体はなすすべなく立ち尽くした。

 今だ! すべての人がそう叫ぶ。太陽が与えてくれた、この黄金の一秒がすべてを決める。

 無防備な様をさらすしかないゼブブとビゾーム。対して、ウルトラマンは太陽の子、光の戦士だ。その金色の瞳はまっすぐに敵怪獣を見据え、その心は己がなすべき使命を悟っていた。

 

 これが破滅招来体との戦いの最後の一撃だ。エースのL字に組んだ腕が、ダイナの渾身のエネルギーを込めた火球が決着の時を告げる。

 

『メタリウム光線!』

『ガルネイトボンバー!』

 

 虹色の光芒がゼブブを貫き、灼熱の業火がビゾームを燃やし尽くす。

 長く続いたハルケギニアの夜。それが終わり、本当の夜明けを迎える時がやってきた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第53話  始祖という人

 第53話

 始祖という人

 

 未来怪獣アラドス 登場!

 

 

 長い、本当に長かった夜が明けようとしていた。

 

『メタリウム光線!』

『ガルネイトボンバー!』

 

 ウルトラマンAとウルトラマンダイナの必殺技が、ゼブブとビゾームに炸裂する。

 陽光を取り戻したトリスタニアにあって、二大怪獣の最期が、そして破滅招来体の陰謀の終幕がやってきたのだ。

 まずはビゾームがガルネイトボンバーの灼熱の奔流に焼かれ、微塵の破片に爆裂しながら焼き尽くされた。

 そしてゼブブもメタリウム光線に貫かれ、断末魔の叫びをあげながら最期を迎えていた。

「ぐわあぁっ! ま、まさかぁっ。で、ですが覚えておきなさい。我らはただの使いに過ぎないということを。人間たちが愚かな行為を続ける限り、いずれ主がこの星をーっ!」

 捨て台詞を残し、ゼブブもまた大爆発を起こし、微塵の破片になってトリスタニアの地に舞い散った。

 破滅招来体の二大怪獣の最期。それと同時に、残っていたドビシやカイザードビシもすべて活動を停止した。

 構えを解くふたりのウルトラマン。爆発の轟音が収まると、辺りは静寂に包まれ、ふたりのカラータイマーの音だけが規則的に流れる。

 終わったのか……? 人々は、長く続いた悪夢のような戦いがこれでやっと終わったのかということがすぐには納得できず、押し黙った。しかし、ドビシの黒雲が取り払われて青さを取り戻した空からさんさんと降り注いでくる陽光に肌を温められ、穏やかな風がすっとほおをなでていったのを感じると、困惑は一転して歓喜の叫び声に変わった。

「やった、ついに、ついに、これで、これで」

「トリステインに、ハルケギニアに朝が戻ってきたんだ。ばんざーい!」

「これで戦争も終わる。生きて帰れるのか、夢のようだ」

 ドビシに空が覆われてから今日まで、何ヶ月もの間人々は二度と朝が来ない恐怖に耐えてきたが、それがついに終わりを告げたのだ。

 太陽は再び空に輝き、雲は白く空は青い。そんな当たり前のことがこんなにうれしいとは、多くの人々にとって想像したこともなかった。太陽とは、まさに自然が与えてくれる最高の恵みであり、光とは人間にとってなくてはならない支えだったのだ。

 失ってみて初めて人はそのものの価値を知ることが出来る。今度の戦いでは、多くの人がそれを実感したに違いない。太陽しかり、大切な人しかり、国や信仰しかり、なにげなくあるそんなものでも、まさに『タダより高いものはない』のだ。

 そして、これで俺たちの役割も終わったと、エースとダイナはうなづき合うと、共に青空を見上げて飛び立った。

「ショワッチ!」

「デュワッ!」

 自然の輝きを取り戻した空へ飛んでいく、銀色の巨人と赤い巨人。それが真に戦いの終幕を告げ、人々は太陽に向かって消えていく平和の使者を見送った。

 

 だが、戦いは終わっても、まだ戦争は閉幕ではない。後始末が残っている。むしろ、そちらのほうが難題かもしれない。

 ロマリア教皇が侵略者であり怪物だったという事実は、人々の拠り所であった信仰心を根底からひっくり返すものだった。ブリミル教はハルケギニアの人間の精神の根幹を成す土台であり、簡単に代替の効くものではない。想像してみるといい、あなたにとって長年尊敬してきた親や教師が本当は悪人だったとしたら、はたしてあなたは平静でいられるだろうか?

 ブリミル教は正しいのか? それとも悪魔の造形物なのか? その答えを教えてくれる人は、この世界にひとりしかいない。人々の眼差しは自然と、トリスタニアの城壁の上で立っているブリミルその人に向けられ、やがてブリミルのところにアンリエッタとウェールズが飛竜に運ばれて駆けつけ、その前にひざまずいた。

「始祖ブリミル、お目にかかることができ、心から光栄であります」

「いやいや、よしてくれ。僕はそんな、人に頭を下げられるような立派な人間じゃないよ。まあ、君たちの立場じゃ対面上仕方ないかな。なら、せめて顔くらいは上げてもらえるかい?」

「は、はい……」

 ブリミルの穏やかというか、暢気ささえ感じられる声に、アンリエッタとウェールズは緊張しつつも顔を上げてブリミルの姿を見た。

 そこにいたのは、どこにでもいるような普通の青年だった。教皇のような聖人のオーラなどは微塵も無く、美男子でもなければたくましくもない。衣服も何度も繕い直された跡が見えて、どちらかといえばみすぼらしいとさえ言えた。

 しかし、この平凡な青年こそがハルケギニアの基礎を築いた偉大な男なのだ。声も以前始祖の首飾りから聞こえてきたものとまったく同じ。とてもそうは見えなくても、先ほどの戦いで見せた、人知を超えた虚無の力がなによりの証拠。だが始祖ブリミルといえば六千年も昔の人物だ、それがどうして今の時代に降臨なされたのか、ウェールズが畏れながらそれを尋ねると、ブリミルは複雑な表情をしつつ答えた。

「うーん、説明は難しいけど……一言で言えば、僕は時を越えてやってきたんだ」

「時を、でありますか?」

「そう、僕は昨日まで、今から六千年前の世界を旅していたんだ。けど、未来で子孫たちが大変なことになってるってお告げを受けてね。神様の奇跡でこの時代にやってきたってわけさ」

 これはブリミルがとっさに思いついた方便であった。聡明な彼は、本当のことを話すのはなにかと面倒だと判断し、奇跡という名目で、そのあたりのお茶を濁したのだった。要は、大切なところが伝わればいい。

「すると、あなたは我々の知っている始祖ブリミルとは……」

「察しが早くて助かるね。正確に言えば、僕は君たちが信仰してる始祖ブリミルであって、そうではない。君たちの知っている始祖ブリミルというのは、なにもかもを終えて亡くなった後のものだろう? 僕はまだ、このとおりの若造さ。君たちが子孫なのはなんとなくわかるけど、僕自身はまだ子供のひとりもいないよ」

 若かりしころの始祖ブリミル……ウェールズとアンリエッタは、目の前のブリミルが自分たちと同じくらいの年齢である理由がまたとんでもないことを知って驚いた。このブリミルは化身でもなければ幽霊でもない。生前の始祖ブリミル、ご本人なのだ。

 だが、まさかブリミルがこんな平凡な容姿の人間だったなどとは誰が想像しただろうか? ブリミルの素性に関してはロマリアが独占していたので、ハルケギニアの基礎を築いた偉大なメイジということ以外はほとんど知られておらず、その素顔についても、始祖の姿を偶像化することは不敬だということで、始祖像は意図的に形が崩されているために伝わっていない。地球で、ブッダがパンチパーマみたいな頭をしていたり、イエスが某有名ミュージシャンみたいな顔していたりみたいなイメージがあるのと違って何も無いのだ。

 これが素の始祖ブリミル……アンリエッタは、すがるように尋ねかけた。

「始祖ブリミルよ、どうか、お教えください」

「どう、とは、どういうことかな?」

「わたしたち、この時代の民は、ハルケギニアを築いたとされるあなたの教えを心のよりどころとして今日まで生きてきました。けれど、その教えを伝えてきた教皇は悪魔の使いで、わたしたちは何が真実なのかわからなくなってしまったのです。どうか、始祖ブリミルご本人の口からお教えください。我々は、いったいなにを信じればよいのでしょう?」

 それは、全ハルケギニア人の懇願の代表であった。教皇の作った幻影の魔法の効力はまだ残り、世界中の人々がこの場を注視している。

 崩れてしまったブリミル教の信頼。しかし人は心になんの支えも無く生きていけるほど強くは無い。何百万もの人々が答えを待ち望み、そしてブリミルは口を開いた。

「うーん……僕にはもう、君たちに教えることは残ってないと思うよ」

「えっ、それはどういう」

「君たちはもう、僕らの時代で夢見た世界を実現してくれている。僕らの時代、ハルケギニアには本当になにもなかった。それを、ここまで繁栄した世界にしてくれたんだ。感無量だよ」

「ですがわたくしたちは、まだあの教皇のような悪魔の甘言に乗り、愚かな戦争を繰り返す未熟な者たちです。正義と平和には、ほど遠い世界です」

「そうだね。けど、僕のような過去の人間から見れば、今のこの世界は夢のようなところだ。大切なのは、そこじゃないかな? 君たちは、今の世界で自分の信じるものを信じて、昔の人間から見たらすばらしいと思える世界を作った。つまりそれは、君たちのやってきたことが、全部ではないにせよ正しかったということだと思うよ」

 ブリミルの言葉を受けて、アンリエッタとウェールズの顔に少し赤みが差した。

「もし君たちのやってきたことが間違いなら、世界はとっくに滅んでいてもおかしくないだろう。でも、君たちは今こうして破滅を乗り越えている。それが証拠さ」

「しかし、我々の信じてきたブリミル教の教えは、悪魔の使いたちが広めていたものです」

「それでもさ。例え言い出したのが悪者でも、それで救われて、自分を不幸じゃないと思えるようになれる人がいるなら、それはいい教えだってことだよ。逆に、たとえ僕が言い出したことでも、それで迷惑してる人がいるなら、それは間違った教えだってことだ」

「教えは、誰が言い出すかは問題ではないということですか?」

「僕はそう思うよ。この世には、救う人もいれば救われる人もいる。たとえ救おうとする人に下心があっても、それで救われた人にとってはその人は神様さ。そうだね……ちょっとしたたとえ話をするけど、僕の率いているキャラバンに、小さな子供のいるお母さんがいるんだ。ある日、その子供がお母さんのためにと、ちょっとしたお手伝いをしたことがあった。その子は、お母さんに褒められたいという下心があったかもしれないけど、お母さんはとても喜んだ。だから僕は、その子供のやったことをとても尊いと思っているんだ」

 その言葉に、世界中で神父やシスターが泣いていた。

「教えはしょせん言葉さ。誰が言い出したものでも、正しく使えば人を救えるし、悪用すれば不幸にしてしまう。だから君たちは、無理に考えを変える必要なんてない。これまでに、よいと思ってきたことは続ければいいさ。今日より明日がよい日になるよう、努力し続けながらね」

 これで、ハルケギニア中のブリミル教の関係者たちが救われた。教皇が侵略者であったとしても、世界中のほとんどの神父やシスターは善意で働いていたのだ。ブリミル教の根幹が否定されて、彼らは絶望の淵にいたところを救われた。人のためになるのなら、今の教えを変えなくてもいい。彼らの存在意義は、消えなくてすんだのだ。

 だが、もうひとつ重大な疑問が残っている。

「我々も、子孫がよりよい世界を築けるよう努力します。ですが、我々は始祖のため、神のためとすでに争いを起こしてしまいました。同じ過ちを繰り返さないために、もうひとつお答えください。あなたは、その……そちらのご婦人とはどういうご関係なのですか?」

 非常に言いづらそうながらもアンリエッタが問いかけた先には、話を見守っていたサーシャがいた。

「ああ、僕の使い魔だよ。もっとも、使い魔らしいことはほとんどしてくれないけど」

「なによ、救世主らしくない救世主に言われたくないわね」

 むっとして、サーシャはブリミルの隣に並んだ。すると、平凡な容姿のブリミルに対して、美貌のサーシャの姿が映えて輝くように見えた。

 けれども、サーシャの長い耳は、ハルケギニアの人間が長年畏怖してきたエルフのものである。それが、どうして始祖ブリミルと……? その疑問に対して、ブリミルはアンリエッタたちにこう答えた。

「彼女は、使い魔であると同時に僕のパートナーでもある。僕らの時代に、世界はほとんど破壊されつくして、あらゆる種族はほんの一握りしか生き残れなかった。彼女も、エルフの数少ない生き残りのひとりなんだ」

「そんな……いったい、始祖の時代に何があったというのですか?」

「巨大な侵略さ。僕らの世界を、ある日突然正体不明の悪魔のような敵が襲ってきた。数え切れないほどの怪獣や怪物に蹂躙されて、僕らの築いた文明は一度完全に滅ぼされてしまった。僕らはその攻撃に耐えながら、なんとか世界の復興を目指して旅をしているんだ」

 そんなことが……そういえば、始祖の首飾りにあったメッセージでもそれを知らせていた。ヴァリヤーグと呼ばれる強大な勢力との戦い、人々はそれを思い出した。

 すると、サーシャが「見せたほうが早いわよ」と言うと、ブリミルは杖を振るって『イリュージョン』の魔法を使った。そうすると、空に六千年前のハルケギニアの世界が映し出された。

 

 以前に始祖の首飾りに残されていた『記録』の魔法が見せてくれたものと同じ、完全に滅亡した文明の光景。それは人々を再び戦慄に陥れた。

 だが、そこを旅する一行の姿が映し出されると、人々は別の驚きに目を奪われた。

 ブリミルの率いるキャラバン隊……それは、あらゆる種族が共に生きている姿だった。翼人もいればエルフもいる。獣人や、ほかの亜人、まったく見たことも無い生き物も含めて、むしろ人間のほうが少ないのではと思うくらいに、異種族が混ざりあって助け合いながら旅をしていたのだ。

 今のハルケギニアではとても考えられない姿。あらゆる種族が、始祖ブリミルとともに助け合って生きている。これが、六千年前の真実だというのか。

 

 ブリミルは杖を振って幻影を消すと、再びアンリエッタとウェールズを見た。

「僕は、君たちのこの時代では伝説扱いみたいだけど、僕自身は僕の仲間たちと平和な世界を取り戻したくて戦っているだけさ。だから僕が君たちに望むのはただひとつ、君たち子孫が平和な世界で仲良く生き続ける。それだけさ」

 それを聞いて、ウェールズやアンリエッタだけでなく、多くの人々が涙を流していた。

「も、申し訳ありません。始祖の時代には、すべての生き物が手を取り合い生きていたというのに、わたくしたちは何千年も人間以外はすべて敵だという歴史を歩んできてしまいました」

 アンリエッタは嗚咽を漏らしながら懺悔した。自分もエルフとの和解を求めて、サハラに使者を差し向けたりもしたが、それはヤプールの攻撃に対抗するためという理由があってのことだ。

 しかしブリミルは咎める様子も無く言った。

「気にすることは無いさ。親子や兄弟だって争うことはあるんだ、ましてや違う種族同士が共存するのは難しいのはわかってる。僕らのときは数十人でも、何千何万と多くなれば軋轢も増えるよね」

 ブリミルはすべてを才人から聞いて知っていた。未来が理想郷などではないことを。けれど、彼はそんな未来を否定してはいなかった。

「人間ってさ、できることよりできないことのほうが多いからこそ素晴らしいんだと僕は思う。誰かと仲良くしたいけどできないってのもそれさ。僕だって、サーシャはすぐ怒るし」

「九割方あんたが原因でしょうが」

 こつんとサーシャにこづかれて、ブリミルは照れたような表情を見せた。

「でもね、できないことがあるからこそ、できることを夢見れるし、できたときにそれを大切にできると思うんだ。今、人間と人間以外が分かれているとしても、だからこそ結ばれたときに強い絆が生まれるかもしれない。それはとてもうれしいことじゃないか」

「では、ではもう我々は、エルフとも誰とも、戦わなくてもよいのですか?」

「それは僕が決めることじゃあない。人間という種族だって善人がいれば悪人もいる。何より僕の子孫だって、君たちのような者もいればさっきの教皇のような連中だっているのは見てきただろう? 今のエルフがどういうものなのかは君たちが見て決めるんだ。それで、友とできるなら手を取り合えばいい。無理だと思うなら離れればいい。ただ、エルフと人間はそんなに遠いものじゃない。君たちは僕の子孫であると同時に、おそらくサーシャの子孫だ」

 えっ? と、ウェールズとアンリエッタだけでなく、話をじっと聞いていた人々も思った。

”自分たちが、エルフの子孫? 自分たちの中に、エルフの血が流れている?”

 すると、ブリミルとサーシャは少し恥ずかしそうに言った。

「まあ、正直に話すと、僕とサーシャはその……もう、付き合ってるんだ。実は」

「し、しょうがないじゃない。こんなマイペースで能天気な男、私が守ってあげなきゃどうなるかわかんないもの」

 それは単純に、若いカップルの姿そのものであった。

 だが考えてみれば当然のことだ。始祖ブリミルに子孫がいるということは、当たり前だが伴侶がいないといけない。ただ、それがまさかエルフだったとは、想像を絶していた。

「僕らだけじゃないさ。君らもさっき見たろ? 僕らのキャラバンでは、もう種族を超えた恋仲や夫婦はたくさんいる。遠い時間で、この時代では血が薄れてしまったかもしれないけど、種族そのものが変わりきるなんてことは早々ないよ。無理にとは言わないけど、勇気を持って手を差し伸べてみてほしい。それでダメなら別の誰かに握手を申し込めばいい。そうしてるうちに、いつか君の手を握り返してくれる誰かに巡りあえるだろう。少なくとも僕は、君たち子孫に無駄な血を流してもらいたいなんて思ってないよ」

「はい……始祖ブリミル、やはりあなたは偉大なお方です」

 感涙しているウェールズに、ブリミルは照れくさそうにするばかりだった。

「そうかしこまらないでくれよ。僕はむしろ、君たち子孫に大変な役目を押し付けてすまないと思ってる。でも、もしも壁を乗り越えられたときには、君たちの未来はもっと広く羽ばたけるはずさ。もしもくじけそうなときは、遠い昔にあった小さなキャラバンのことを思い出してくれれば、僕は満足だよ」

「お心に添えるよう、ハルケギニアの民を代表して約束します。今は無理かもしれない、百年後でも無理かもしれない。けれど、いつかハルケギニアに、いかなる種族であろうと手を取り合える理想郷を作り上げるために、努力を怠らないことを!」

 ウェールズの言葉に、人々のあいだからわっと歓声があがった。

 もうエルフとの戦争なんかしなくてもいい。意味の無い恐怖に怯える必要はないんだ。

 これからブリミル教の経典から、エルフを敵視する記述は削除されていくだろう。いや、教皇が消えた今、ブリミル教自体が大きな変換を余儀なくされていくに違いない。

 時代は変わる。その中で、人もものも変われなければ生き残ってはいけない。

 トリステイン、アルビオン、そしてロマリアも新たな息吹を得て生まれ変わる。しかし、まだそうはいけない国がある、ガリアだ。

「我々はこれから、いったい誰を王とあおげばいいのだろう?」

 ガリア軍は教皇をあおぎ、教皇の認定したジョゼフを王として戦ってきた。しかし教皇は敵で、ジョゼフの権威も同時になくなった。ガリアの将兵たちは君主を失い、どうしていいかわからなくなってしまったのだ。

 もうジョゼフを王とはあおげない。ならば他国に吸収されるしかないけれど、彼らにもガリア人としての誇りがあった。

 始祖ブリミルよ。我々はいったいどうしたら……? ガリア人の哀願する眼差しが向けられるが、ブリミルにもそれはどうしようもなかった。

 ところがである。竜騎士たちも全員地に降りてひざまずいているところへ、かなたの空から一頭の竜がすごい速さでこちらへ近づいてくる羽音が聞こえてきたのだ。

「風竜? こんなときに一体誰だ?」

「まさか、始祖に仇なさんと無能王が送り込んできた刺客では」

 場が騒然となり始める。しかし、飛んでくる竜の姿が鮮明になってくると、アンリエッタははっとして迎撃態勢に入っていた者たちに命じた。

「待ちなさい! あれは敵ではありません。どうやらこちらに降りてくるようです。そのままで、手を出してはいけません」

 メイジたちが杖を下ろすと、こちらに撃ち落す意思がないことを確認したのか、竜はまっすぐに彼らのいる城壁の上へと降りてきた。

 それはアンリエッタの思い出したとおり、青い風竜シルフィード。その背からはキュルケと、アンリエッタも行方を心配していた青い髪の少女が降りてきたのだ。

「ミス・タバサ。いえ、ミス・シャルロット殿、あなたもご無事でしたか」

「アンリエッタ女王陛下、お久しぶりです。わたしも、つい先ほどハルケギニアに舞い戻ってきました。事情は理解しています、失礼ながら話は後で」

 タバサはアンリエッタに対して、彼女らしからぬほどの早口であいさつを済ませると、ブリミルのもとにひざまずいた。

「始祖ブリミル、お初にお目にかかります。わたしは……」

「いいよ、僕に気を使わなくても。君は君の役割があって来たんだろう? 僕の権威が役に立つなら好きにしなさい。今のうちだよ」

 後半部分を小声で告げたブリミルに、タバサは思わずびくりとした。やはりこの人はただのお人よしではない、自分と同様に、数多くの修羅場をくぐってきた洞察力を持っている。

 しかし、味方だ。タバサは後ろめたさを感じながらも、ブリミルの言葉に全面的に甘えさせてもらうことを決めた。自分には似つかわしくない仕事かもしれないが、父と母の愛した祖国であるガリアを滅亡から救えるのは自分しかいないのだ。

「ここに集まったガリアの民よ、わたしの話を聞いて欲しい」

 城壁の上からタバサはガリア軍に呼びかけた。すると、ガリア軍の視線がタバサに集まる。今のタバサはこの世界に戻ってきたときのXIGの制服ではなく、ベアトリスに貸してもらった社交用のドレスを身にまとっている。急いでいたが、幸いサイズが近くて助かった。

 その身をさらしたタバサの姿を、ガリアの将兵たちはまじまじと見つめた。

 

”誰だ? あれは”

”可憐な令嬢だ。どこぞの姫君か? いや、まてよ、あの青い髪は……まさか!”

”思い出した! あのお顔、若かりしころのオルレアン夫人とそっくりだ”

”いいや、俺はヴェルサルテイル宮殿で何度も見た。イザベラ様から口止めされていたが、あのお方は”

 

 ざわざわと、ガリアの将兵たちに動揺が広がっていく。

 そしてその波がある一点に達したところで、タバサは意を決して口を開いた。

「わたしは、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。現ガリア王ジョゼフ一世の弟、故シャルル大公の一子です」

 どよめきが驚愕に変わり、その機を逃さずにタバサは一気に畳み掛けた。

「わたしは今日までジョゼフの手により幽閉されていましたが、心ある人々の手で解放されてここに来ました。そして今ここで、始祖の命を受けてわたしは宣言します。ガリア王国を凶王の手から解放し、正当なる持ち主の手に取り返すことを」

 地を揺るがすほどの歓呼の叫びがガリア軍からあげられた。

 故・オルレアン公の子女がまだ生きていた! かつて神童と呼ばれたオルレアン公の名声を覚えていない者はガリアにはいない。先王が亡くなった時に、オルレアン公が跡継ぎになればと願ったのはガリア国民のほとんどであったろう。しかしオルレアン公は不慮の死を遂げられ、あの無能王ジョゼフの治世になってしまった。

 だが、神はガリアを見捨ててはいなかった。オルレアン公の子ならば、きっとガリアを正しい方向に導いてくださるに違いない。シャルロット姫万歳という叫びが次々とあがる。

 けれども、タバサはその歓呼のうねりを冷めた目で見ていた。我ながらなんとらしくない台詞を言っているのだろうとという気恥ずかしさもあるが、これはガリア王国が本当にギリギリまで追い込まれてしまっているという証拠の光景でもあるのだ。もし誰かがまとめなければ、ジョゼフに従わないガリアの貴族や軍人は互いに主導権を争って分裂し、ガリア王国はいくつかの小国に分裂した後に周辺国に吸収されて消滅するのはタバサなら容易に予想できた。

 だからこそ、不本意でもやるしかない。イザベラがいない今、ガリアの正当な血統を主張できるのは自分のほかにいない。

「ガリアの民たちよ。これまでの理不尽な仕打ちに耐えて、よく今日まで生き残ってくれました。申し訳ありませんが、もう少しの辛抱をお願いします。ですがこれよりは、わたしがあなた方と苦難を分かち合います。そして遠からぬ日に、平和なガリアを取り戻しましょう」

 ガリアの将兵たちは涙を流しながら喜びに打ち震えた。いまやタバサの姿は彼らには女王そのものに見え、その凛々しい姿を街の一角からジルも頼もしそうに見ていた。

 もちろん、タバサの姿はイリュージョンのビジョンを通して世界中、むろんガリアにも映し出されており、グラン・トロワではジョゼフがシェフィールドを前に呵呵大笑していた。

「シャルロットめ、やはり生きておったか。まったく、なんという強運、いやなんという才能か。シャルルよ、見ているか? お前の娘はすごいぞ。俺の姑息な策略で始末するのはやはり無理だったようだ。そして今、すべての運命が俺に死ねと言って迫ってきているようだ。この上無い愉快だと思わんか、なあミューズよ」

「はい、ジョゼフ様。これは聖戦などよりも、よほど楽しみがいのあるゲームになってきたようですわね。それだけでも、教皇と組んだのは正解だったでありましょう」

「まったくだ。この世は俺などの乏しい想像力では計りしれん理不尽で満ちている。さあミューズよ、シャルロットのために舞台を整えようではないか。次が正真正銘、俺とシャルロットの最後のゲームになることだろう」

「はい、御心のままに」

 シャルロットが来る。亡き弟の忘れ形見が、かつてない力で自分の首を取りに来る。素晴らしい、さあいつでも来るがいい。俺は逃げも隠れもしない。俺とお前の死、どちらでもいい。すべてを失ったその先に、俺の欲するあれを見せてくれ。

 ジョゼフの形無き挑戦状。タバサはここに立ったときから、それを受ける決意を固めていた。

 どのみち遅かれ早かれ、あの男とは決着をつけねばならないのだ。父の仇を取るためにも、もうこれ以上、ガリア王家のために運命を狂わされる人を作ってはいけないためにも。

 そのためには何でもしてやる。タバサは、アンリエッタとウェールズに向かい合うと、軽くだが頭を垂れて言った。

「お聞きのとおりです。ウェールズ国王陛下、アンリエッタ女王陛下。わたくしはガリア王家の正統後継者として、ガリア王国を凶王より奪還する使命を負いました。つきましては、両陛下にお願いしたきことが」

「わかっている。ガリア王国に秩序と平和を取り戻すためならば、我らは協力を惜しむものではない。ただし」

「援助は、資金および食料医薬品などの物資に限っておこないます。兵力、武器の提供は一切いたしません。それでよろしいですね?」

「アルビオンとトリステインの友情に、ガリア国民を代表して感謝いたします」

 三人とも、国政に触れたことのある身ならばわかっていた。ハルケギニアの安定のためにガリア王国の奪還が急務だとしても、ガリアの内戦に他国が直接的に介入しては後に遺恨を残すであろう。もしトリステインやアルビオン軍がガリアに入れば、抜け目ないゲルマニアが干渉してきて戦後の政治的にもガリアが不利になる。ガリアはなんとしてでも、ガリア人のみの手で奪還しなくてはならない。

 それでも、トリステインとアルビオンの後ろ盾が得られるのはありがたい。あのジョゼフに対して、正攻法の戦力がどれほどあてになるのかはわからないが、少なくとも将兵や国民たちの安心感は増すだろう。

 もちろん、トリステインとアルビオンにとってもガリアが安定して友好国になるのは望ましいことだ。ここに、暫定的、簡易的ながらも三国の同盟が結ばれ、アンリエッタ、ウェールズ、タバサの三者が手を取り合うと、今度はトリスタニア中から歓声があがった。

 人々は戦争の終結と、新たな秩序の到来の予感に沸き、希望という光が世に満ち満ちていく。

 そして、それを見届けると、ブリミルはサーシャを促して、三人の王族に告げた。

「さて、それじゃ僕の役目もこれまでのようだね。そろそろ僕らは、ここらでお暇することにするよ」

「えっ? お、お待ちください始祖ブリミル! わたしたちは、まだあなたにお教えいただきたいことがあるのです」

「僕が全部言って、君たちはそれを守るだけで、君たちはそれを子孫に誇れるのかい? 僕らはしょせん、大昔の人間さ。この時代の行く先は、この時代の君たちが考えて作るんだ。わかるだろ?」

 ブリミルが杖を振ると、彼の前に光る鏡のようなゲートが現れた。始祖の奇跡はここまで……三人はそれを認め、ひざまずいて最上級の礼をとると、ウェールズが代表して最後のあいさつをした。

「わかりました。始祖ブリミル、わたしたちは、あなたの残してくださったハルケギニアを、未来永劫守り続けていくことを誓います」

「がんばってくれよ、子孫たち。まあ僕は、人を傷つけたり、奪ったり、騙したり、そうした悪いことはしないで生きてくれれば大体なにやっても気にしないよ。じゃあね、僕らは過去でがんばるからさ」

「こいつの面倒は私たちでちゃんと見るから気にしなくていいわよ。それじゃ、期待してるからね。さよならっ」

 ブリミルとサーシャが鏡をくぐると、鏡はすっと消えうせて、あとには三人の王族のみが残された。

 まるですべてが長い夢であったかのようだ。だが、夢ではない。その証拠に、今の彼らは白い陽光をその全身に受け、誰と争う必要もない平和の穏やかさの中に包まれている。

 そう、目を開けたまま見る夢。長い悪夢がようやく終結したのだ。もはや太陽をさえぎるものはなにもなく、冷え切っていたハルケギニアに暖かさが帰ってきた。

 しかし、これはエピローグではない。むしろプロローグなのだ。アンリエッタは立ち上がると、空で消えかけているイリュージョンのビジョンにも届くように、あらん限りの声で叫んだ。

 

「トリステインの、アルビオンの、ゲルマニアの、ガリアの、ロマリアの、ハルケギニアのすべての人々に告げます。長く続いた偽りの夜は、今ここに終わりました。我らの頭上に、再び朝が帰ってきたのです。ですが、これは終わりではありません。偽のブリミル教によって狂わされた流れを正し、本当の始祖の御心に答えられる世界を作り上げるための戦いがこれから始まるのです。恐れることはありません。始祖は道を示してくれました。しかし道を歩まねばならないのは我々です。全世界の皆さん、皆で歩きましょう、共に汗を流し、苦労しましょう。六千年前に無人の荒野を歩んだ始祖ブリミルに習い、始祖の夢見た恐怖と破壊なき世界を、わたくしたちの子孫に残すための旅路を始めようではありませんか!」

 

 全世界からどっと歓声があがった。心ある者たちは始祖に感謝し、その御心に応えることを誓った。

 だが、その道筋はたいへんに険しい。教皇を失ったロマリアでは大混乱が起こるだろうし、これまで富を独占してきた神官たちも無事ではすまないだろう。

 世界中でもブリミル教の教義の切り替えで論争が起こるであろうし、信者たちに作り直した教義を納得させるのも大変だ。

 しかし、困難が待っているからといって何もしないのでは永遠に迷いから抜け出すことはできない。どんな不幸のどん底でも、自分で自分を助けようとあがきもしない人間は、芽を出さない種に水をやる人がいないように誰からも見放されていく。世界は、優しくはあっても甘くはないのだ。

 

 アンリエッタに続いてウェールズとタバサからも戦争の終結と未来への抱負が宣言され、続いてガリアとロマリア軍の武装解除が指示された。

「平民は剣を、メイジは氏名明記の上で杖を提出してください。帰国までの期間、トリステインが責任を持って預かります」

 戦争は終わったが、武器を持った人間はそれだけで脅威となる。今日までの戦争で互いに恨みつらみが重なってもいるので、面倒だがこれは必要な処置だった。

 ガリアとロマリアの将軍たちに命令されて、兵たちは続々と装備を捨てていった。始祖の威光がじゅうぶんに効いているので、秩序は保たれて混乱はほとんどない。メイジの命とも言える杖を手放すことについても、食料の配給券と引き換えであるので、ほぼ全員が素直に従った。

 この他にも、細かな指示はいろいろあるが、落ち着いたらロマリア軍は順次帰国、ガリア軍はトリステインの管理下に置かれつつ、いずれ起こるガリア奪還までの間、奉仕活動をしつつ再編に励むことになるだろう。

 平和の足音は聞こえてきた。しかしまだドアの先までやってきただけで、もてなしの準備を怠ればノックすることなく去っていってしまうだろう。

 本当に、すべてはこれからだ。我々が努力すれば、始祖はきっと見守っていてくださる。逆に努力を怠り愚行を繰り返せば、ゼブブが言い残したように破滅招来体によって今度こそハルケギニアは滅亡させられてしまうだろう。

 

 

 偉大なる聖人、始祖ブリミルへの信仰は消えるどころか強まってハルケギニアに広まっていった。

 六千年前の過去へと帰られた始祖ブリミルに誓って……と思われた始祖ブリミルだったが……実は、まだ帰っていなかった。

 あれからざっと半日後。ブリミルとサーシャは王宮の一室で夕食のもてなしを受けていた。

「うまいうまいうまい、こんなご馳走何年ぶりだろう。ああ、もう手が止まらない。涙が出てきたよ」

「ちょっと、もっと品よく食べなさいよ。私まで恥ずかしくなるじゃない。あ、おかわりお願いね、もう面倒だから鍋ごと持ってきてーっ」

「あ、あの。料理はまだありますから、どうか落ち着いて落ち着いて」

 普段は王族の食事で使われるホールで、ブリミルとサーシャは大量の料理をかきこんでいた。

 あっという間に、テーブルいっぱいの料理の皿が次々と空になっていく。その傍らでは、アンリエッタがルイズといっしょにそれをなかば呆然と見守っていた。

「す、すごい食欲ですわね。あのルイズ、ものすごく不敬に当たるとは思うのですが、あの方々はわたくしたちのご先祖様で間違いないのですよね?」

「は、はあ……なんとなくそんな感じはするんですけれども。自信なくなってきました」

 ふたりとも、始祖ブリミルが自分たちのイメージする聖人の形とはかなり懸け離れた人物なのは飲み込んだつもりでいたが、やっぱり身近でまじまじと見ると信仰が揺らぎそうになるのを感じていた。

 なお、食客はこの二人だけではない。

「てかサイト! あんたもいっしょになっていつまでバクバク食べてるのよ」

「モグモグ……仕方ねえだろ。あっちの時代じゃまともな料理なんて滅多に手に入らねえんだから、食えるときに食いだめする習慣がついちまってるんだよ」

 もう何ヶ月もいっしょにいたせいで才人もすっかりブリミルたちと同じ習慣に染まってしまっていた。行儀が悪いとは思っても、六千年前では本当にわずかな食料も無駄にできなかったし、食べ物を残すなどはもってのほかであったのだ。

 戦中の城であったので、あまり豪勢にとはいかなかったものの、それでも三人で十人前くらいはたいらげてやっと食事は終わった。

「ふぅ、食べた食べた。満腹で苦しいなんて、ほんともう何年ぶりかなあ。こんないい時代に連れてきてくれて、サイトくんには感謝しなくちゃねえ」

「なに言ってるんですか? てっきり帰ったのかと思ったら、物影から出てきて『サイトくん、ちょっとちょっと』って声かけられたときはびっくりしたぜ。そんで『おなかすいた』だもん。みんなに説明したおれの身にもなってくれよ」

 才人が、苦労したんだからなとばかりに肩をすくめると、ブリミルもすまなそうに頭をかいた。

「いやあごめんごめん。でもいくら僕でもタイムスリップする魔法なんかないもの。でもあの場にい続けたら確実に面倒なことになるじゃないか。なんとかいい具合で場をまとめた僕の努力も評価してくれよ」

 実は、あのときブリミルとサーシャが消えたのは小型の『世界扉』で、ふたりは城壁の上から街の路地に移動しただけだったのだ。

 タイムスリップしてきたのは、あくまで未来怪獣アラドスの力で、ふたりが帰るにはやはりアラドスに乗っていくしかない。そのアラドスはまだ眠り続けており、ブリミルはサーシャに目覚めるまであとどのくらいかかるのかを尋ねた。

「そうね、生命力の回復のきざしは見えるから、あの大きさの個体だと、あと半日から……遅くても一日くらいだと思うわ」

「よかった、そのくらいで済むのか……帰れなかったらさすがにまずいもんね」

 ブリミルはほっと胸をなでおろした。あっちの時代には多くの仲間を残している。万一戻れなかったり戻るのが遅れたらえらいことになるところだった。

 

 しかし、ということは最低あと半日はこちらの時代にいなければいけないということになる。ならばと、ルイズたちはこれまで謎に包まれてきた数々の事柄をブリミルに直接正していくことに決めた。

 

「ううん、あまり話したいことではないんだけどなあ。どうしても言わなきゃだめかい?」

「だめです。始祖ブリミル、この時代で起きている異変のほとんどはあなたの時代に端を発しているんです。聖地もヤプールに制圧されて久しいし、あなたが本当に子孫のことを思うのであれば、帰る前に洗いざらい説明していってください」

 ルイズに強い剣幕で押し捲られて、ブリミルはすごく困った様子であった。

 六千年前に、ブリミルが文明崩壊以前になにをしていたのか、何ヶ月もいっしょにいた才人にさえブリミルは何も語ってはくれなかった。それほどまでに語るのははばかられることなのだろうが、ルイズもここで引くわけにはいかなかった。

 聖地、虚無、あらゆる謎の答えを知っている人がここにいる。こんな機会は、逃したら絶対に二度とやってこない。

 そしてブリミルは、悩んだ末にサーシャに了解をとって、一度大きく深呼吸をするとルイズたちに答えた。

「わかった。すべてを話そう。ただ、本当におおっぴらにしては欲しくない話なんだ。聞くのは、本当に重要な人だけにしてほしい」

「わかりました。わたしたちの、信頼できる人だけを集めます。女王陛下、人払いの徹底をお願いします」

 アンリエッタはうなづき、すぐさまアニエスに命じるために室外に出て行き、ホールにはブリミルとサーシャ、才人とルイズだけが残った。

 ブリミルは決断したものの、思い出したくない過去に悩んでいるようにじっと考え込んでいる。いったいどれほどのことが彼らの過去にあったのだろう? 才人とルイズは、これから聞くことがもしかしたら「聞かなければよかった」と思うことになるかもという予感に背筋を寒くした。

 

 そして一時間後、ホールにはブリミルとサーシャの前に、才人とルイズ、アンリエッタとウェールズにタバサ。それからカリーヌ、アニエス、ミシェル、キュルケ、ティファニア、最後にエレオノールとルクシャナが固唾を呑んで立っていた。

「これはまた、けっこう大勢集まったねえ」

「すみません、これでも絞ったほうなんですが。でも、みんな口の硬さは保証します」

 やれやれと、ブリミルはため息をついた。しかし秘密厳守は徹底していて、盗聴がないように室内は調べ上げたし、入り口はアニエスとミシェルが神経を張って立っている。むろん室外も、銃士隊と魔法衛士隊が蟻の這い出る隙間もないほど固めていた。

 集まった者たちは皆、一様に緊張している。才人やルイズとの再会の喜びも冷めやらぬ間に、始祖から重大な秘密が語られようとしているのだ。

 長い間謎だった伝説が、ここに。ブリミルは集まった面々を見回すと、最後にサーシャに目をやって訪ねた。

「じゃあ、話すけどいいかな?」

「いいわ、私もサイトに未来のことを聞いたときから、いつかこの時が来るんじゃないかと思ってたの。話して、すべての始まりになった、あなたたちの一族の悲劇を」

「わかった」

 ブリミルは短く答えると、椅子から立ち上がり、その口を開いて語り始めた。

「要点から最初に話しておこう。僕は、いや僕の一族は、元々この星に住んでいた種族ではないんだ」

 

 えっ……?

 

 場を冷たい空気が包んだ。どういう、意味だ? という色が皆の顔に次々と現れ、ブリミルは沈痛な面持ちでゆっくりと続きを語っていった。

「僕は君たちに謝らなきゃいけない。とても贖罪になるようなことではないが、すべてを話すよ。僕らの一族が犯した罪と、その顛末を。なにもかもは、この時代から六千年前に、この時代では聖地と呼んでいる場所から始まった。ある日、聖地に流れ着いた一隻の船、そこに乗っていたのが僕と僕の一族、マギ族だったんだ」

 

 ブリミルの昔語り……それは、ひとつの星のみならず、宇宙全体をも揺るがす大厄災のプロローグであった。

 すべては六千年前に、ほんの数千人くらいでしかないある種族が犯した罪から始まる。

 物語の暗部、伏線、裏……隠され、忘れられてきた歴史が蘇る。閉ざされた部屋の中で、灯りの炎が揺らめいて、静かにゆっくりと燃え続けていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第54話  ここは夢の星だった

 第54話

 ここは夢の星だった

 

 カオスヘッダー 登場!

 

 

 この物語は、地球の少年平賀才人が、ハルケギニアの魔法使いルイズに召喚され、ゼロの使い魔となったことから始まった。

 彼らは数々の冒険や戦いを乗り越え、幾たびもハルケギニアを救ってきた。

 しかし、そもそも……なぜ彼らの冒険は始まらなくてはならなかったのだろうか? なぜ彼らの前に、宇宙を揺るがすほどの危機が次々と訪れなくてはならないのか。

 それは突き詰めれば、ハルケギニアという世界があるためだ。

 この世に、舞台なくして起きる出来事などない。畑がなければ作物はとれず、空がなければ鳥は飛べず、水がなければ魚は泳げず、大地があるからこそ人は歩ける。

 かつて地球で無数の怪獣が暴れる怪獣頻出期があったのも、地球にそれだけの怪獣が生息できるだけの環境があったからだ。

 ならば、ハルケギニアがこれほどの異変に見舞われるだけの下地とはなんなのだろう? それは、才人とルイズの物語が始まるよりもはるか前。ハルケギニアの起源にさかのぼらねばならない。

 

 ハルケギニアの始まりのすべてを知る者。すなわちハルケギニアを作った張本人である人物、始祖ブリミル。だが現代にやってきた彼が子孫たちに告げた内容は、天雷の直撃のような衝撃を持って子孫たちの頭上に叩きつけられた。

「この星の住人ではないということは……始祖ブリミル、あなたはまさか……う、ウチュウ、人、なのですか?」

「君たちから見ればそうなるね。もっとも、サイトくんは薄々感づいていたようだけど」

 愕然とするハルケギニアの人々を見渡して、ブリミルは憂鬱そうに言葉を返した。その表情には、だから言いたくなかったんだという色がありありと浮かんでいる。

 この反応になるのは予想できた。ハルケギニアの人々にとって、宇宙人は現在では侵略者と同義語として認識されている。自分たちの敬愛する聖人が、自分たちがもっとも敵視するものと同一と聞かされたときの衝撃は、教皇の正体があばかれたときのそれにも勝るだろう。

 だが、そんなブリミルの様子に、才人は狼狽するハルケギニアの人間に代わって、彼をフォローするように話の続きを促した。

「ブリミルさんは隠し事は下手そうでしたからね。あんだけ長くいっしょにいたら、そりゃいくらおれでもちっとは怪しいって思ってたぜ……でも、おれの見てきた限りじゃあなたは悪い人じゃない。なにか事情があったんでしょ? それを説明してくださいよ」

 するとブリミルは、少しほっとした様子になり、それから何かを吹っ切ったように小さな笑顔を見せた。

「ああ、ありがとう。そうだね、サイトくんの言うとおりだ。まずは、話すべきことを話してからにしよう。少し長くなるけどね……とりあえずは、宇宙のことについてざっと予備知識として説明しておこうか」

 ブリミルはイリュージョンの魔法を併用しつつ、宇宙の基礎知識をまずは語った。この世界は宇宙という広大な空間であり、ハルケギニアはその中のひとつの星の中の一部であることを。

 それだけでも、ハルケギニアの人間にとってのショックは大きかった。彼らにとってはまだ神話のレベルである”この世のしくみ”を説明されたのだから当然である。エレオノールやルクシャナも内容を飲み込むのに必死で、全体として漠然としか伝わっていない。

 そんなブリミルを、才人は複雑な思いで見ていた。ブリミルもまた、ハルケギニアの外からやってきた異邦人。自慢ではないが、地球人の自分がこの世界に与えてきた影響は少ないものではない。増して、地球人よりはるかに進んだ宇宙人のもたらす影響などは想像もつかない。

 聞くことが怖い。しかし、聞かないわけにはいかない。やがて、前知識の解説を終えたブリミルはひと呼吸を置くと、サーシャとうなづきあって話の本題に入った。

「では、僕も覚悟を決めたから話そう。君たちも、少し酷かもしれないがまずは聞いてくれ。僕らマギ族はね、遠い昔から宇宙をさまよい続けてきた、あてどもない流民だったんだ」

 

 ブリミルはイリュージョンの魔法で記憶の光景を再現しながら、ゆっくりと自分たちの歴史を語り始めた。

 彼らマギ族が、元々どこの星から来た何星人だったのかはわからない。だが、彼らは遠い昔になんらかの理由で母星を失い、それ以来、移住できる惑星を求めて、長い長い宇宙の放浪の旅に出た。

 それがどれほどの時間を費やし、何世代に渡って続いたのかも、もはやわからない。しかし、彼らは自分たちのルーツも忘れてしまうくらいに長い時間を、たった一隻の宇宙船でさすらってきた。

「僕も故郷を知らないで、船の中で生まれた世代さ。いや、僕の生まれたころには、マギ族の本来の故郷を知る人間はひとりも残っていなかった。僕らの寿命は君たちと同じだから、少なくとも数百年は旅を続けていたんだろうね。けど、僕らが移住できるようなところは、なかなか見つからなかった」

 マギ族の宇宙船は宇宙をさまよい続け、移住できる星を探し続けた。しかし、生物が住んでいる星にはたどり着くことはできても、そのすべてが彼らの移住には適さないものばかりだったのだ。

 単純に、人間が住むのに適さない温度や気候条件の星だったことが一番多かったが、ようやく住めるだけの環境を持った星を見つけても、それらのほとんどには先住民がいた。移住はことごとく拒否され、彼らは再び宇宙へと追い出されていった。

 この事に、ルイズやティファニアは「ひどい」と感想を持ったが、アンリエッタが難しそうな様子でそれを否定した。

「たとえ最初は数千人でも、時間が経てば数は増えていくわ。それに、一度受け入れたら、同じような人たちが来たらまたそれを受け入れなくてはいけなくなるの。非情なようだけど、元々住んでいた人の平和を守るためには仕方がないことなのよ」

 ウェールズやカリーヌも、そのとおりだとうなづいている。地球で過去にも、地球に定住した宇宙人はいたが、いずれも少数で、隠れ潜んで住み着いている。たとえ悪意がなくとも、よそ者というそれだけで危険視されるに充分な理由だということを彼らは心得ているのだろう。決して地球人が排他的だというだけではない。

 もう何回目になるかわからない拒絶を受けても、マギ族は旅を続けた。宇宙のどこかには自分たちの永住できる星が、きっとあると信じて。

 しかし、現実は彼らの期待を裏切り続け、移住可能な惑星はどれだけ旅を続けても見つかることはなかった。もはやどれだけ旅を続けても無意味なのではないか? 絶望感が彼らを支配しかけていたときである。船のひとりの技術者が、超空間開門システムを完成させたのは。

「ちょう……なんですの、それは?」

「超空間開門システム。簡単に言えば、まったく違う世界と世界をつなぐことができる門を作り出す機械と思ってくれればいい。この世界に自分たちの住める星はなくても、別の世界にならあるかもしれないという望みが、僕らにとっての最後の希望だったんだ」

 才人は、「なるほど、つまり前に我夢さんが見せてくれたアドベンチャー号に似たもんか」と納得した。そしてルイズは、ブリミルの説明を聞いて、ふとあることに気がついた。

「それって、虚無の魔法にある『世界扉』と似ているわね」

「いいところに気がついたね。その魔法も関係してくるんだが、それは追々説明するよ。ともかく僕らは、一縷の望みをかけて次元の門を開いた。そして、その先にたどり着いたのが、この星の聖地だったというわけなんだ」

 それが始祖降臨の真実なのかと、場を戦慄が支配した。始祖は、神に命じられて降り立ったのではなく、神頼みで流れ着いたのだというのか。

 突きつけられる現実、しかしブリミルの話は続く。

「僕らは狂喜したよ。なにせ、僕らが夢見続けてきた理想の世界がここにはあったんだから。僕らが住むのにちょうどいい気候に、豊富な自然、なによりも発達した文明を持った先住民族がいない。そのころの僕は五歳くらいだったけど、よく覚えているよ。狭い船の中の生活から、無限の広さを持った青空の下で生活できるようになった喜びは、忘れられない」

 しみじみとブリミルは語った。

 マギ族はたどり着いた惑星を丹念に調査し、ここが移住に最適の地だとわかると早速入植を開始した。

 なにせ彼らは宇宙船の中だけで、数百年ものあいだ生活サイクルを続けられたほど高い科学力を持った種族である。それが、広さも資源も無尽蔵な惑星に解き放たれたのだから、開拓は見る見る間に進んでいき、聖地を中心にわずかな期間で、周辺には大都市が建造された。

 そこでは、東京都庁もかくやという巨大ビルディングが並び立ち、その中には王城のようにあらゆる生活設備がかねそろえられていた。マギ族はそこに住み、さらに地下にはオートメーション化された工場が配置されており、豊富な資源を元にあらゆるものが生産され、彼らはなに不自由ない生活を謳歌できた。才人の目から見てさえ、それは科学が生んだ理想郷とさえ言える巨大なメガロポリスであった。

「東京都心どころじゃねえ。ニューヨークやドバイだってここまでいかねえぞ」

 地球のどんな大富豪でさえできないであろう、究極の贅沢がそこにあった。願えばどんなものでもすぐに作り出され、食べ物はどんな珍味も簡単に合成され、その量に際限はなかった。

 これに比べたらトリスタニアなどは子供が砂場に作った城であろう。ハルケギニアの人間たちは圧倒され、エルフの都であるアディールでさえ田舎町にしか見えない規模にルクシャナも開いた口がふさがらないでいる。

 しかし、ついさっきまで宇宙船で流浪の旅を続けるばかりだった彼らが、いくら科学力があろうともここまでの都市を築けるとは行きすぎな気がした。これほどの力があるのならば、不毛の惑星のテラフォーミングもできたであろう。その疑問に、ブリミルはこう答えた。

「僕らをこの星に導いた超空間開門システムは、想定外の恩恵を僕らにもたらしてくれたんだ。つまり、ゲートの向こうの別の宇宙から、まるで雨が高いところから低いところに降るようにして、無尽蔵にエネルギーを取り出せるようになったんだよ」

 それがマギ族の短期間の発展の理由であった。別の宇宙からこの宇宙に流れ込んでくる無限のエネルギーは、マギ族に使いきれないほどの力をもたらしたのだ。

 けれども、彼らはそれだけで満足したわけではなかった。彼らは願い続けた生存圏の確立はできたものの、彼らの人数はわずか数千人、都市にいるのは他にはロボットだけ、彼らが孤独感を感じ始めるのは当然であった。

 そこで彼らは生存圏を広げるのと同時に、この星の先住民族との交流をはかり始めた。

「当時のこの世界には、発達した文明こそはないが、原始的な狩猟や農業をおこなっている人間たちの集落が点在していた。僕らは彼らを自分たちのコミュニティに加えようと試みたんだ」

 マギ族は事前に先住民族の文化・言語などを分析することで、彼らにもっとも有効なアプローチを用意して接触し、友好的な交流を築き上げていった。

 その様子はブリミルのイリュージョンの魔法で部屋に映画のように映し出され、ルイズたちはその友好的な様子を目の当たりにして、頬をほころばせていた。

 しかし、エレオノールやキュルケの顔はうかない。王家に伝わる、あの伝承が彼女たちの脳裏に蘇っていたからだ。

 そして、現地民に神のごとく敬われ、マギ族は勢力圏を爆発的に拡大していった。

 聖地、現在のサハラ地方を中心に、東方、西方は現ハルケギニアのガリア中部からゲルマニア中部までの村落が早々に影響下に置かれた。生活様式も、それまでは原始的な家屋が少数集まった集落がバラバラに点在したり、遊牧民的な生活を送っていたものから一転して、マギ族の用意した都市に多数が集まる中世的な様式へと変貌していったのだ。

 それはまさに文明の洪水であった。マギ族は現地民たちに自分たちの道具、技術を与え、さらに睡眠学習装置なども併用して知識、制度のレベルまでも高めた。

 ほんの数年で、粗末な小屋やテントしかなかった村は、現代のハルケギニアと見まごうばかりの都市へと変貌し、それが各地に続々と増えていった。その速度はまさに圧倒的で、エルフの技術に自信を持ってきたルクシャナでさえ感嘆として見ていた。

「まさに、人知を超えたこの世ならざる者の所業ね。普通なら、何百年、何千年もかけておこなう変化を、たった数年で。しかも先輩、あの都市の作り方、見覚えがあるでしょ?」

「ええ、アボラスとバニラが封じられていた悪魔の神殿にそっくり、いえ、そのものね。やっぱり、この時代に作られたものだったのね」

 ふたりは、各地でたまに見つかる高度な技術で作られた遺跡が、この時代の遺産であったことを確認してうなづきあった。あれほど高度な技術が用いられた遺跡が、いったいどうやって作られたのかはずっと謎だったのだが、最初から人間の作ったものではなかったというなら当然のことだ。

 マギ族の与える文明は、現代のハルケギニアよりもやや進んだ程度のレベルを基本として、それからもあらゆる方向へと進んでいった。農耕、漁業、牧畜の発展で食料は有り余るほど手に入るようになり、医療は化学工場で作られた薬品とロボットドクターによって病の恐れが消え、文字の普及によって本が作られるようになって娯楽の幅が広がり、さらには半永久電池による照明は焚き火しか明かりを知らなかった人々に爆発的に広がっていった。

 

 それは、文明が努力と失敗の積み重ねでできていると信じる者からしたら、まさに”反則”としか言いようの無い光景であった。

 

 地球でも、例えば明治維新のように社会制度と文明の流入による急速な発展の事例はあるが、これはその比ではなかった。例えるならば、明治維新は日本という白黒の下絵の上に文明開化という絵の具で絵を作ったようなもので日本という絵そのものは変わっていないが、マギ族のやったことは題名も決まっていない白紙のカンバスの上に文明のカラーコピーをしたようなものである。

 それでも、先住民族の文明化は止まらなかった。マギ族は先住民族が自分たちを神も同然の存在として受け取るように計算して接触しており、しかもマギ族の与えるものは確実に生活を豊かにしてくれたからである。苦痛には人は耐えられても快楽に耐えられる人間はそうはいないという理屈だ。

 都市化、文明化の波は、やがてこの星から夜の闇を消し去るほどに広まった。それに要した時間は、ほんの十年足らず……ほんの十年で、それまで野で獣を追い、狭い畑で粗末な野菜を育てるだけだった人間たちは、都市で夏は涼しく冬は暖かく、山海の珍味を季節によらず口にし、遊びきれないほどの娯楽に囲まれる生活を手に入れたのだ。

 マギ族は、聖地に建設した近代都市に住まい、世界中を統治した。そこはまさしく神の居城であり、通信を使って都市にいながら支配地に指令を出し、ときおりUFOに乗って支配地に降臨する彼らは神そのものであった。

 広大な支配地と支配都市の数々を、マギ族ひとりが少なくともひとつの都市を所有するようになっていた。その中には十五歳になったブリミルもおり、彼らは自分の支配地をいかに発展させるのかを最大の娯楽とするようになっていた。

「まさに、神の遊び。なにも知らない無垢な人々に、いろいろ吹き込むのはさぞ楽しかったでしょうね」

 サーシャが皮肉げに言うと、ブリミルはばつが悪そうに苦笑いした。

「まったく君はずけずけと言ってくれるね。だが、まったくそのとおりだよ。僕らは最初、友が欲しくて人々に接触していたけれど、いつしか調子に乗りすぎていってしまったんだ……そして君たち、これまでの様子を見てきて、なにか気づいたことはないかい?」

 真顔に戻ったブリミルがそう尋ねると、一同は顔を見合わせあった。

 違和感。そう、今まで見てきた中で、なにか現代のハルケギニアとは決定的に違う何かがあることを一同は感じ始めていたのだが、それが具体的に何かは一部の者を除いてわからなかったのだ。

 すると、一同の中からルクシャナが一歩前に出た。

「エルフの姿を見なかったわ。どの都市にも、住んでいるのは普通の人間ばかりで、わたしたちの同族はひとりも見なかった。いいえ、翼人も獣人も、人間以外のどんな人種も見かけなかった。ねえ、わたしたちの祖先はどこにいるの?」

 言われて皆ははっとした。確かに、これだけの巨大都市が乱立しているというのに、そこに住んでいるのは今で言う平民ばかりで、どこを見てもエルフのような亜人はおらず、それに家畜も馬や牛や豚ばかりで見慣れたドラゴンやグリフォンなどの姿はどこにもなかった。才人がタイムスリップした時にはいたのに、である。

 今のハルケギニアでは当たり前に見られるものが見えない。それになにより奇妙なことに、ハルケギニアならいなければおかしいはずのメイジ……魔法を使う人間が一切見当たらない。それが不自然すぎる。

 ここがハルケギニアの過去なら、この不自然さはいったい? 違和感の正体に一同は首を傾げたが、ふとルイズが思い出したように言った。

「確か、ブリミル教の教義では始祖ブリミルが魔法の力を授けたとあるわ。もしかして、それがこれからなんじゃないの?」

 ルイズのその言葉に、ブリミルはゆっくりとうなづいた。しかしその表情はとても重く、やがて彼は血を吐くように話し出した。

「僕らマギ族は、この星の人々に与えられるものを次々に与えていった。それは、さっきも言ったとおり最初のうちは僕らの仲間を増やしたいという純粋な思いからだったけれど、この星で無垢な人々を相手に神のように力を振るい続けているうちに、いつしか僕らは自分たちが本当の神であるかのように思い上がるようになっていったんだ」

 ブリミルの言葉とともに、繁栄を謳歌していた都市に異変が起こり始めた。それまでは各都市が自由に交流をできていたのが、突然人の行き来が禁止され、それぞれの管理者の都市ごとに隔離されてしまったのだ。

 いったいなにが起きたのか? その答えは困惑する面々の前に、もっとも残酷な形で現れた。

 

「えっ? 人間同士で……戦いが!?」

 

 マギ族の支配する都市同士での戦争、それが破局の始まりであった。

 ブリミルは語った。

「人々を支配しきり、星を完全に開拓しきった後のマギ族は、とほうもない”退屈”に襲われたんだ。やるべきことをやりきって、やらなきゃいけないことがなくなってしまったマギ族は、新たな”楽しみ”を探し求めた」

 

 マギ族は、惑星開拓という大事業に成功した後の喪失感を埋めるための、退屈しのぎを追い求めたのである。

 最初、それはマギ族同士で自分の支配する都市の充実具合を競い合うものであったが、彼らはすぐにそれに飽きて、より直接的な刺激を求めるようになった……

 それがすなわち、自分の都市の住人を兵士に仕立てての戦争ゲームである。

 もちろん最初から殺し合いをさせたわけではない。彼らにもちゃんと良心はあり、武器は殺傷能力のないものを持たせて、様々なルールを作って勝ち負けを競った。サバイバルゲームの大規模なものだと思えばいい。住人たちも、神々の命ずることだからと無抵抗に従った。

 だが、彼らはこの遊びを甘く見すぎていた。この世で、自分が傷つくことがないならば戦争ほど楽しいゲームはほかにない。そしてサバイバルゲームならば、いくら熱中しても社会的制裁を恐れてルールは厳密に守られるが、彼らマギ族をしばる社会的なたがは何もなかった。

 マギ族は、この戦争ゲームに泥沼のようにはまっていった。当初はそれこそ、模造の剣や槍だけを使った中世的な戦争ごっこだったものが、すぐさま銃や大砲を大量に用いて砦を攻め落とすようなものに、規模も複雑さも増して行き、さらに住民たちも強力な武器を用いて傷つくことなく好きなように暴れられるこのゲームに熱中した。

 アンリエッタやウェールズは、ハルケギニアの王族の中にも退廃した享楽に溺れた例はあると聞いたが、ケタが違うと戦慄した。他の面々も、顔色をなくし、冷や汗をかきながらようやく見つめている。

 

 ただ、この時点で踏みとどまることができれば、まだ遊びで済んでいただろう。しかし、彼らは知らず知らずに超えてはいけないラインへ踏み入り、遊びに入れてはいけない要素を取り入れてしまった。

 賭けの登場である。

 マギ族はお互いに直接戦うだけでなく、他人の勝負をダシにして賭けに興じるようになった。質に使われたのは住民から都市そのものまで幅広い。

 が、賭け事とは愚者の道楽である。しかも、個人がはまる分にはそいつひとりが破滅して他者の冷笑の的にされるだけだが、責任ある立場の者が賭け事にはまるとおおむね他人を巻き添えにする。

 地球の歴史上も、国を担保に賭けをして悲劇を巻き起こした王や軍人は枚挙に暇が無い。そしてその例は、ここでも完全に再現された。

 賭けに負けて、自分の所有する都市や領民を巻き上げられたマギ族の者は、怒りからさらに賭けに没頭した。しかし賭けるものがすでに無い彼らは、賭けの質を自ら作り出し始めた。それはすなわち、戦争ごっこをより魅力的に刺激的に変えることのできる、新たな駒の製造である。

 画像が、マギ族の所有する工場の内部へと切り替わったとき、一同の顔は驚愕と恐怖に彩られた。

「ドラゴンが……グリフォンが……つ、作られている」

 そこでは、大きな水槽の中で様々な生き物が改造されている様が鮮明に映し出されていた。

 トカゲやワニが大きくなってドラゴンになり、鷲とライオンが合成されてグリフォンになり、ただの馬に角が生やされてユニコーン、翼が生やされてペガサスになった。それらの目を疑うばかりの光景を、ブリミルは淡々と説明した。

「バイオテクノロジー。簡単に言えば、猪を飼いならして豚に変え、犬や猫の交配を繰り返して新しい品種を作り出すことを極限まで進歩させた技術だと思ってくれればいい。マギ族はこれを使って、次々に新しいしもべとなる生き物を作り出していったんだ」

 もはや誰も言葉も無かった。ドラゴンやグリフォンの他にも、魔法騎士隊で使われているヒポグリフやマンティコア、火竜や風竜、サハラに生息する水竜や海竜が作られている。また、戦闘用の幻獣の他にも、ただの鳥から極楽鳥が作られて、愛玩用に売却されていくのも映っていた。

 才人はこれで、なぜ地球とほとんど同じような環境をしたハルケギニアで、地球とまったく違う生物が存在しているのかを知った。ハルケギニア固有の生き物は、全部とは言わないがドラゴンのように攻撃性が強くて軍事利用が容易なものか、家畜として利用価値の高いものが多いのは、最初から人間が利用するために作り出した人工種だったからというわけだったのだ。

 地球でも実用化が進んでいる技術だが、マギ族のやるそれは文字どおり次元が違った。小さなものは人語を解する動物から、大きなものは船のような鯨竜まで、それらが粘土細工のように生産されていく様は恐怖でしかない。特に、人語を話す風竜、つまりシルフィードと同じ韻竜が生み出されているのを目の当たりにしたときにはタバサでさえひざを突いて嗚咽した。

「タ、タバサしっかりして!」

「だ、だいじょうぶ……大丈夫だから」

 ルイズとキュルケが慌てて助け起こしたが、タバサの顔は蒼白そのものだった。他の面々も大なり小なり青ざめていて、エレオノールはここにカトレアを連れて来ていなくてよかったと心底思っていた。生命の創生はまさに神の御技だと思ってきたが、まさかこんな遊びの一貫でおもちゃのように作り出されていたとは。

 しかし、これはまだ序の口でしかなかったのだ。作り出されたドラゴンなどの人造生命体は、戦争ごっこに投入されると、その様相を劇的に変貌させた。それはまさにファンタジックかつスリリングな光景で、火を吹くドラゴンに乗って空から舞い降りてくる騎士の姿にマギ族は歓喜し、幻獣同士の肉弾戦に歓声を上げ、さらに激しくのめりこんでいった。

 だがその一方で、戦わされている人間たちは果てしなく続く茶番劇にすでに飽きてしまっていた。彼らにとっては戦勝のたびにもらえる適当なご褒美以外にはうまみがなく、それどころか戦うたびに主人が変わったり、新しい主人のところへ強制的に移らされたりするので、戦闘の興奮に飽きてしまうと後は一気に冷めてしまったのだ。

 マギ族と先住民とのあいだに溝が生まれ、それは急激に開いていった。マギ族は相変わらず戦争ごっこと賭けに狂奔していたが、先住民たちは神に等しいマギ族に逆らう術などなく、仮に逆らう気力があったとしても、かつての貧しい生活に戻ることなどできようはずもなく、ただただ戦いに駆り立てられていった。

 ひたすら繰り返される死なない戦争。武器は派手に見えてもすべて殺傷力はなく、ドラゴンの攻撃に対してもボディスーツに仕込まれたバリヤーが働いて、戦闘不能判定が出るだけで無傷で済む。万一なんらかのアクシデントで負傷しても即座に治療されて再び戦場に舞い戻らされる。その繰り返しにより、ノイローゼになる者も続出した。

 アンリエッタやウェールズは、かの無能王でもここまでむごいゲームはするまいと戦慄に身を震わせる。恵みの神はいつしか、人々を弄ぶ悪魔へと堕落してしまっていた。

 

 だが、カリーヌやエレオノール、キュルケは知っていた。王家に伝わる伝承、成人した人間しか知ることの許されないほどの危険な秘密が語る六千年前の真実は、まさにこれからが本番だということを。

 

 マギ族の精神的退廃はその後も急激に進み、彼らはもはや傲慢な支配者以外の何者でもなくなってしまっていた。

 そして、彼らはついに戦争ごっこにも賭けにも飽きてきた。

 もっと刺激を! もっと楽しいことを!

 欲というものは満たされ続ける限り、無限に肥大化して終わりがない。そして歯止めの利かない欲望は、ついに彼らの良心を深奥まで蝕んでいった。

 自分より多く領地を持っているあいつが憎い。嫉妬はついに爆発し、戦争ごっこはとうとう惑星の支配権を賭けたマギ族同士の本物の覇権戦争へと拡大していったのだ。

「武器は実弾に変わり、戦闘は完全に奪い合いに変わった。僕自身も例外じゃなく、自分の領地で近隣の同胞と争っていたよ」

 ブリミルの領土はどこかの湖のほとりで、若い彼はそこで多くの同胞と同じように住民を駆り立てていた。それは現在の温厚な彼からは信じられないほどの冷酷な様で「突撃しろ! 退く奴は後ろから撃て」などと叫んでいた。

 聖人のかつての信じられない姿に呆然とする一同。だがその光景に、エレオノールはカリーヌに確信を持って言った。

「お母様、わたくしたちの祖先が水の精霊から聞いたという古代の伝承は……正しかったのですね」

「ええ、古代のラグドリアン湖の周辺を支配し、争っていた異邦人。その中の一人の名が……ブリミル。そして伝承のとおりなら、この後……」

 そう、秘匿に秘匿されてきたハルケギニア最大の秘密がこの先にある。

 ブリミルは暗い声で、感情を押し殺して淡々と続けた。

「戦いは激化し続けた。けれど、僕らには優れた医療技術があったおかげで、仮に致命傷を受けたとしても治すことが可能だったために、勝敗はなかなかつかずに長引き続けた。当然、もっと強い武器をと僕らは考え……ついに最後のタブーさえも犯してしまったんだ」

 イリュージョンの再現映像が、着陸しているマギ族の円盤を映し出した。そして、その中に住民たちが連れ込まれている様子が映し出され、中でなにが行われているのかに切り替わったとき、今度こそ全員の眼差しが恐怖に染まりきった。

 

「に、人間が……人間が改造されている」

 

 円盤の内部の部屋には、ドラゴンを作り出していた工場にあった水槽と同じようなものが並べられており、その中には連れ込まれてきた近隣の人々が浮かべられていた。

 死んでいるのか? 水槽の中に浮かべられている人間たちは目をつぶったまま身動きしないが、水槽の中の液体は不思議な明滅を続けており、中の人間に何らかの手が加えられているのは誰の目にもわかった。

 そして、水槽から出された人は、自分の身に何が起こったのかを理解できていない様子だったが、ロボットから一本の棒を渡されると、何かに気づいたようにそれを振った。

 その瞬間、すべての謎は解かれた。

 

『ファイヤーボール』

 

 呪文とともに棒……いや、杖から炎の玉が放たれると、誰もがすべてを理解した。

「ま、魔法……」

 それは間違えようも無く、ハルケギニアの人間ならば知っていて当然の魔法……魔法そのものであったのだ。

 水槽から出されてきた人々は次々と杖を渡され、水槽内ですでに脳に使い方を刷り込まれていたのか苦も無く魔法を使い始めた。エア・カッター、ウィンドブレイク、錬金、今のハルケギニアで当たり前に使われている魔法が完全にそこに再現されていた。しかも、使っているのはそれまで魔法を使ったことなど無い普通の人間たちである。

 魔法の力を得て、戸惑いながらも歓喜する人々。それを見て、エレオノールは冷や汗を流しながら言った。

「ま、魔法の力は脳の働きに由来するっていう説があるわ。メイジの脳は、ほんの少しだけど平民の脳より大きいから、きっとその部分が魔法を使うために必要なんだろうって。だから、なんらかの方法で人間の脳をいじることができれば、理論上は平民でも魔法が使えるようにはなる、のが学者の中ではささやかれてたけど……私たちの技術では絵空事に過ぎなかった。だけど、もしも私たちよりはるかに技術の進んだ誰かが、過去にいたとしたら」

 学者たちの中で密かに流れていた、決して表立って言うことのできない魔法の起源説。しかしそれは、もっとも残酷な形で的を射ていたのだ。

 ブリミルは補足説明をした。

「僕らは長い旅の中で様々な超能力を持った宇宙人たちと会い、その能力を記録し続けていた。その能力を人間の脳に刻み込み、呪文というワードをキーにして解放できるようにした。それが、君たちの言う魔法の正体だ」

 ただし、人間の脳を改造するということは、これまではマギ族たちもやりすぎだと忌避してきた。しかし熱狂する彼らは、その羞恥心さえも捨て去ってしまったのだ。

 魔法を使える兵隊の投入は、戦場をさらに激しく変えた。現在でも、メイジと平民の間に大きな差があるのは周知の事実だ。それを近代武装をした兵士が持ったとしたらどうか? 単純な話、グリーンベレーやスペツナズが魔法を使えるようになったらもはや手がつけられないだろう。

 メイジを戦線の主軸に添えたマギ族の軍隊は支配領域の大幅な拡大に成功した。しかしそれは一時的なものに過ぎず、相手もこちらと同じ技術力があるなら新兵器は簡単に模倣される。すぐにどのマギ族もメイジを量産し、戦いはふりだしに戻った。

 すると、メイジ以上の兵隊を欲するのが当然だ。マギ族は今度は人間の直接の強化に乗り出した。

 バイオテクノロジーのモラルを失った乱用は、人間をベースに考えられる限りの強化が行われた。背中に翼を植えつけて直接の飛行能力を持たせたり、獣の遺伝子を配合して身体能力の強化を狙ったり、逆に人間の遺伝子を豚や牛に植えつけることで最低限の知能を有する使い捨ての突撃兵を量産したりもした。

「翼人、獣人、オーク鬼にミノタウルス……」

 ルイズが震えながらつぶやいた。それらの亜人たちが人間を材料にして次々と量産され、戦場へと投入されていくごとに混沌は深まっていった。

 しかしそれは、確実に現代のハルケギニアの光景に近づいてきていることでもあった。そして遂に、マギ族は戦闘用改造兵士の最高傑作と呼ぶべき一品を作り上げた。

 メイジよりはるかに強い魔法の力を持ち、人間より優れた肉体で寿命が長く、そして遺伝子操作によって男女問わず美貌を持つ新人類。それが改造用水槽から姿を現したとき、ティファニアとルクシャナはこれが悪夢であることを心から願った。

「エ、エルフ……」

 同族であるルクシャナにははっきりとわかった。いや、間違えるほうが困難であろう。

 透き通るような金髪、ひとりの例外もない美貌、そして人間よりも長く伸びた両耳。それはすべて、彼女たちエルフのそれそのものであったのだ。

 エルフまでもが『作られている』。しかも、人間をベースにしてである。先住魔法も本物だ……ルクシャナは、自分の歯がカチカチと鳴っているのを止めることができなかった。

 戦場に投入されたエルフは、ハルケギニアの歴史で何度も繰り返された聖戦で展開された光景同様に、強力な先住魔法で人間の軍隊を蹴散らしていった。近代武装を持つ上に先住魔法を駆使するエルフの軍隊の威力は、たとえ地球の軍隊であったとしてもかなわないかもしれないほどの強さを見せていた。

 しかしそれも一時のことで、戦いはすぐにエルフ対エルフの戦いへと転換する。その繰り返し……繰り返し……繰り返し。

 

 ブリミルが説明を切って、イリュージョンのビジョンを閉じると、一同の中で顔色を保っている者はいなかった。才人も言葉を失い、カリーヌも拳を強く握り締めたままで立ち尽くしている。部屋の入り口で見張りについているアニエスとミシェルも、冷や汗を隠しきれていない。

 これが……これが事実ならば、今のハルケギニアという世界は。誰もが認めたくないという思いを抱いている中で、タバサが勇気を振り絞ってブリミルに問いかけた。

「なら、今ハルケギニアにいる、幻獣や亜人たち、エルフ……そして、メイジというのは」

「そう、すべて僕らマギ族が”兵器”として作り上げた人造人間なんだよ」

 完全なるブリミルの肯定が、一同のすがった最後の甘い藁を焼き払った。

 ハルケギニアとは、そこに住む生き物とは、そのすべてが作り物だった。

 アンリエッタがあまりのショックによろめいて倒れかけ、ウェールズに慌てて支えられた。ルクシャナは部屋の隅で激しく嘔吐し、ティファニアに背中をさすられている。そのティファニアも今にも泣きそうだ。

 エレオノールはルクシャナの気持ちがわかった。自分たちが始祖ブリミルの伝説が虚構であったことを知ったのと同様、頭の回転の速いルクシャナは、自分たちの信じる大いなる意思というものが宇宙人の能力の移植によって感じられるだけの虚構かもしれないと思い至ったからだ。

 大厄災の以前の記録が一切残っていないのも至極当然だ。それ以前の歴史など、最初から存在しなかったのだから。この星の魔法を使えない人間以外の知恵ある生き物はすべてが、六千年前に突然現れた箱庭の人形に過ぎないというのか。

 自分の信じるものが音を立てて崩れていく絶望。なにもかも、自分自身さえもが虚構であると知らされて平静でいられる者はいるまい。もしこの事実が公になれば、人間社会もエルフの社会も大混乱に陥ってしまうだろう。

 その中で、なんとかルイズとキュルケは深呼吸をしながら自分を保っていたが、ルイズはやがて歯を食いしばると激昂してブリミルに杖を向けた。

「あんたは、あんたたちは! この世界をなんだと思ってるのよ!」

「ちょっ、ルイズ落ち着きなさい!」

 キュルケが慌てて抑えたが、ルイズの怒りは止まらなかった。エレオノールや才人も止めに入るが、ルイズは両手を押さえられながらも涙を流しながら杖を振り回している。

「離して、離してよ! 全部、全部こいつらのせいじゃない。こいつらさえ来なかったら」

 今にもエクスプロージョンを暴発させそうな勢いのルイズに、とうとうカリーヌが手を出しそうになったときだった。ブリミルは深々と頭を下げて言った。

「すまない、君の言うとおりだ。すべては僕らの犯した罪、侘びのしようもない」

「謝ってすむ問題じゃないでしょ! ハルケギニアは、あんたたちのおもちゃじゃないわ」

「そのとおりだ。きっと、僕らが本来の故郷を失ったのも、その傲慢さがあったからなんだろう。僕らは、なんの罪もないこの星の人々に取り返しのつかないことをしてしまった」

 ブリミルは心からかつての自分を悔いていた。しかし、ルイズの怒りがそれでも収まらなかったとき、サーシャがブリミルをかばうように前に出た。

「待ちなさいよ。こいつに手を出すのは、私が許さないわ」

「なによ、あんただって元は人間でしょ。そいつの肩を持つの?」

「まだ話は終わってないわ。怒るのは、最後まで聞いてからにしてからでも遅くはないんじゃない? それに、こいつは一応は私の主人だからね、こいつをしばくのは私の特権よ」

 え? それ普通は逆じゃない? と、ルイズは思ったが、心の中でツッコミを入れたおかげで少し冷静さが戻って体の力を抜いた。

 部屋の空気にほっとしたものが流れる。結果的にだが、ルイズが暴れたことが適度なガス抜きになってくれたようだった。

 ルイズが引いた事でブリミルも頭を上げた。そしてサーシャに「すまないね」と声をかけると、再び杖を持ってイリュージョンの魔法を唱えた。

「もう少しだけ続くので、すまないが付き合ってくれ。エルフも加え、マギ族の戦争は激化の一途を辿った。だが、長引く戦乱とそれによる星の環境の破壊は、僕らも想定していなかった事態を招いた。戦火に釣られるようにして、この星の中に眠り続けていたものたちが次々と目覚め始めてしまったんだ」

 大地の底から目覚める無数の巨大な影。それが破局の始まりであった。あまりに星の環境を変えすぎてしまったことが、この星のもうひとつの先住種族である怪獣たちの眠りを妨げたのだ。

 土煙をあげて地の底から次々と現れる巨大怪獣たち。

 

 ゴモラ、レッドキング、ゴルメデ、デットン、キングザウルス、キングマイマイ、パゴス、リトマルス、ガボラ、ボルケラー、バードン。

 

 一挙に目覚めた怪獣たちは、まるで眠りを妨げたものがなんであるのかを知っているかのように人間たちに襲い掛かっていった。

 巨体で暴れ、火を吹く怪獣たちの前には、マギ族の軍隊もまるで無力であった。一体や二体ならまだしも、怪獣たちはどんどんと現れてくるのだ。しかも戦争中だった彼らは、怪獣と戦っている背中から敵に狙われるのを恐れて連携などまるでとれなかったのだ。

 怪獣たちの猛威に、マギ族の中にも少なからぬ犠牲者が現れた。サハラの首都にいた者は別だが、各地方都市で戦争の陣頭指揮に当たっていた者は直接の被害を受けてしまったのだ。

 しかし、マギ族はこの事態になっても戦争をやめようとはしなかった。それどころか、むしろ怪獣たちを操って戦争の道具にしようとさえし始めたのだ。

「なんて愚かな。守るべきものも、大義すらない戦争になんの意味があるというのだ」

 ウェールズがアンリエッタの肩を支えながらつぶやいた。レコン・キスタとの戦いで数多くのものを失った彼の言葉は重く、皆をうなづかせた。

 それでも、マギ族の優れた科学力は何体かの怪獣を従わせることに成功した。そして従えた怪獣たちを使って、戦争は続いていく。もはや、この戦争の落としどころをどうするのかなど、誰も考えてはいなかった。

 だが、これがマギ族が破滅を回避することのできる、本当に最後のタイミングであったのだ。マギ族は惑星原産の怪獣にはなんとか対抗できたものの、星の動乱に引き付けられるようにして、宇宙から多数の宇宙怪獣までもが来襲するようになったのである。

 

 ベムスター、サータン、ベキラ、メダン、ザキラ、ガイガレード、ゴキグモン、ディノゾール、ケルビム、そしてアボラスにバニラ。

 

 これらでさえ氷山の一角なほど、宇宙怪獣たちは先を争うかのように惑星に殺到し、その凶悪な能力を駆使して大暴れを始めた。

 たちまちのうちに炎に包まれ、灰燼に帰していく都市。摩訶不思議な超能力を駆使する宇宙怪獣の大軍団を相手にしては、いかなマギ族の超科学文明とても敵うものではなかったのだ。

 地方都市は次々に壊滅し、マギ族は従えた怪獣で宇宙怪獣に対抗しようとしたものの、しょせんは焼け石に水。軍隊は人間も亜人もエルフも疲弊しきり、士気もないも同然。まして、マギ族同士は今日まで戦争をしてきた相手を信用などできず、連携などはまったくできない。

 すでに戦争どころではないにも関わらず、それでも戦争は続いていた……まさに愚行の極み。だが、この世のすべてのものには終わりがある。

 そう、終わりを導く本当の破滅が現れたのだ。

 戦乱渦巻く世界に、空から舞い降りてくる金色の光の粒子。「あれは!」と、才人は叫んだ。

「すべての秩序が崩壊した混沌の世界に、そいつはやってきた。ヴァリヤーグ……我々はそう呼んだ、宇宙からやってきた、光の悪魔」

 ブリミルがそうつぶやく前で、光の粒子が地上の怪獣、宇宙怪獣問わずに取り付いて、凶悪な変異怪獣へと変えていった。そして強化・凶暴化した怪獣たちの前に、マギ族の武力は無力であった。

 一方的な破壊が文明を、マギ族の築き上げてきたすべてを炎の中に消し去っていく。マギ族の終わりの始まりが、夢の終わりの時が来たのだ。

 ヴァリヤーグ? あの光の粒子はいったい……戦慄する面々の中で、ティファニアだけがまるで知っていたかのように、ひとつの名をつぶやいた。

「カオスヘッダー……」

 無数のカオス怪獣の猛攻にさらされ、青く美しかった星は赤黒く塗り替えられていった。

 そして、廃墟の中をカオス怪獣に追われて逃げ惑う少年ブリミル。虚無の系統と、始祖の伝説の誕生……本当の愛と勇気と希望のために歩き始める、語られない歴史がここから始まる。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

 

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第55話  ブリミルとサーシャ 愛のはじまり

 第55話

 ブリミルとサーシャ 愛のはじまり

 

 カオスヘッダー 登場!

 

 

 今や、惑星は歯止めの利かない滅亡へのベルトコンベアの上をひた走っていた。

 数え切れないほどの怪獣の群れ。それを強化・凶暴化させる光のウィルスにより、マギ族の文明は壊滅し、マギ族も先住民族も……いや、惑星すべての生命が絶滅の危機に瀕していた。

 光のウィルス、ブリミルたちがヴァリヤーグと呼ぶそれは、マギ族の科学力を持ってしても解析も対抗も不可能であった。正体、目的、知性があるのかすら謎。わかっていることは、こいつに取り付かれると怪獣は手がつけられないほど凶暴化し、たとえ倒してもいくらでも次がやってくるということだけである。

 才人も、過去の戦いで何度もこれに遭遇していたが、才人のいた世界でも記録のないこれらには何も出来なかった。

 ところがである。一同の中で、もっとも話についていけていないと思われていたティファニアが、まるでこれを知っているかのように名前をつぶやいたのだ。

「カオスヘッダー……」

「えっ? テファ、今なんて?」

 皆の視線がティファニアに集まる。今の言葉は何だ? なにか知っているのかという視線にさらされて、彼女ははっとして慌てふためいた。

「あっ、いや、その。わたしは、その、あの、今のはわたしじゃなくて」

 顔を真っ赤にして懸命にごまかそうとはしているものの、皆の怪訝な表情は変らない。さっき、ティファニアは確かに何かを確信してそれをつぶやいたのだ、うやむやにはさせられない。

 しかし、ティファニアが困り果てていると思わぬところから救いの手が延びた。ティファニアの前にサーシャが無遠慮に歩み寄ってきたかと思うと、ティファニアの顔をまじまじと見つめて言ったのだ。

「へー、ふーん。なるほど、あなたがこの時代のそうなのね」

「えっえっ? あの、なんですか?」

「いいえ、なんでもないわ。わかったわ、なぜ彼がこの時代に来れなかったのか。ブリミル、話を進めましょう」

「は? いやしかし」

 突然サーシャに促されてブリミルは戸惑ったが、サーシャはかまわずに告げた。

「いいのよ。今はこれは置いておいて、後で全部わかるから。それよりも、ここからが大切な話でしょ? ヴァリヤーグがやってきて、あなたたちはどうなったのかを」

 サーシャの強い様子に、ブリミルは気圧されるようにうなづいた。他の面々もサーシャに「あなたたちもそちらのほうが大事なんじゃない?」と言われ、やや納得していない様子ながらも引き下がった。

 けれど引っかかる。ティファニアは何を知っているのだ? そして、サーシャは何に気がついたのだ? だが、無理強いしてもサーシャに止められそうな雰囲気ではあった。

 カオスヘッダー……気になる名前だ。才人はなんとなくだが、あの光の悪魔にはヴァリヤーグよりも似合う名前だと思った。英語の成績はさっぱりだが、前に何かのマンガでカオスとは混沌のことだと見た覚えがある。混沌に付け込んで混沌を広げていく、あれにはまさにふさわしい名前ではないか。

 

 小さな謎を残しつつ、ブリミルは話を再開した。

 マギ族による戦争の混沌を突いて現れたヴァリヤーグによって、マギ族は甚大な被害を被った。各地に築かれた都市は怪獣たちによってことごとく破壊され、地方に散っていたマギ族の多くが死亡し、惑星到着時には千人を数えた頭数もすでに五百人を割ってしまっていた。

 もはや、マギ族にとって安全な場所は最初にサハラに築いた首都のみとなっていた。生き残ったマギ族はここに集結し、ようやく戦争どころではないことを認め合って話し合った。

「今のところは都市の周囲に張り巡らせたバリアーと防衛砲台で怪獣どもの侵入は防げているが、これもいつまで持つかわからん。諸君らには、これから我々がどうするべきか忌憚無く意見を述べていただきたい」

 会議は紛糾したが、もっぱらの課題はヴァリヤーグと名づけた謎の敵に対する方針をどうするかとなった。

 すなわち、ヴァリヤーグに対して、このまま交戦を続けるか、和解の方法を探るか、ひたすら首都にこもって身を守り続けるか、惑星ごと放棄して逃げ出すか。この四つである。

 まず第一の方針は、すでにマギ族の持つ軍事力が疲弊しきっていることから不可能とされた。工場施設と資源はあっても、若い男性のほとんどは地方で自ら軍を率いていたために怪獣たちの餌食となり、残っていたのは大半が女子供や老人ばかりだったのである。

 また、ヴァリヤーグとの和解であるが、これも相手が知性を有するのかすら不明であるため、研究に時間がかかりすぎると却下された。

 首都での篭城は問題外。増え続ける怪獣たちが押し寄せてくれば、あっというまに押し潰されてしまうだろう。

 残った道は、せっかく手に入れた安住の地を捨てて逃げ出すことだけであった。

 もちろん、惑星を放棄することは多くの者が難色を示した。しかし、ほかに有効な手立てもない以上は生存のためには仕方なく、それに何年かすれば怪獣やヴァリヤーグも去っているかもしれないという期待が彼らを決断させた。

「まことに残念ではあるが、我らが生き延びるには他に手が無い。生き残ったマギ族はすべて宇宙船に乗り込むべし」

 それは、ノアの箱舟ともいうべき逃避行であった。ノアと違うところは、神に選ばれたのではなく神に見捨てられたのだというところであるが、マギ族は最初に乗ってきた宇宙船に可能な限りの物資を積み込んで脱出準備に入った。

 まるで夜逃げだ。ウェールズは、レコン・キスタに押されて王党派が何度も撤退を余儀なくされていた頃のことを思い出して重ねていた。あのレコン・キスタの反乱も、事前に防ごうと思えば防げた、早期に鎮圧しようと思えばできたのに、伝統と格式というぬるま湯につかりきっていた王党派はすべてが後手後手の中途半端に終わり、ぼやで済む火事を大火にしてアルビオンを全焼させかけてしまった。皮肉な話だが、自分がヤプールに洗脳されていなければアルビオン王家は滅亡し、今のアルビオンはまったく違った姿に変わり果てていたかもしれない。

 都市から灯が消え、マギ族は脱出準備を整えた。どこへ逃げるかだが、宇宙は今でも宇宙怪獣たちがやってきているために危険すぎるため、聖地のゲートを通って逃れることに決まった。

 宇宙船が離陸し、亜空間ゲートに近づいていく。その光景を、才人すら複雑な表情で見つめていたが、ややすると耐えられずに尋ねた。

「つまりブリミルさんたちはいったんハルケギニアから離れて、ほとぼりが冷めてから戻ってきたってわけですか?」

 しかしブリミルはゆっくりと首を横に振った。

「いや、僕はあの船には乗っていなかったよ」

「えっ? でもそれじゃあ」

 才人が聞き返そうとした、その瞬間だった。今まさにゲートを潜ろうとしていた宇宙船の頭上から三本の稲妻のような光線が降り注いできたかと思うと、宇宙船は大爆発を起こして墜落してしまったのである。

「なっ、なんだとっ!」

 絶叫する才人の網膜に、空から舞い降りてくる巨大な金色の怪獣の姿が映る。その怪獣は墜落した宇宙船に向かって、再び三つの頭から光線を発射すると、炎上する宇宙船を完全に爆破してしまったのだ。

 唖然とする一同。宇宙船は原型をとどめないほど破壊され燃え盛っている。脱出できた人間は、ただのひとりもいなかった。

 勝ち誇るかのように甲高い鳴き声をあげる怪獣。都市を守っていたバリアーは、最後の最後で役割を果たせずに砕け散ってしまっていたのだった。

 怪獣は次に、主を失った都市への破壊を開始した。バリアーが消えたことで、外にいた怪獣たちも都市への侵攻を開始する。ブリミルは、破壊されていく超近代都市の凄惨な光景を悲しげに見ながら言った。

「僕は地方にいて、自分の船を壊されて帰れずにいたおかげで命拾いをした。この光景は、その後に都市の跡地で見つけた記録にあったものだ。首都と母船が破壊されて、マギ族もそのほとんどが死亡した……だが、問題はこれからだったんだ」

 ブリミルが映像の視点を動かすと、都市の郊外で放置されたままになっていた亜空間ゲートが映し出された。しかしなんということか、ゲートはしだいに歪みだし、まるで心臓のように不気味な脈動をしながら黒い球体と化していったのだ。

「開いたままで制御を失ったゲートは暴走を始めた。よその宇宙から流れ込んでいた膨大なエネルギーはゲートの周りに滞留し、どこの宇宙につながっているのかもわからないままで、手のつけようがない時空の特異点となってしまったんだ」

 それはまさに地上に出現した黒い太陽であった。直径百メートルほどの黒い球体は宙に浮かんだままで何も起こさないが、周辺には巨大な力場を形成しているらしく、近づこうとする怪獣でさえこれに捕まると粉々に分解されてしまった。

 とてつもないエネルギー量。マギ族の都市を輝かせていたエネルギーは、まるで出口を閉じられたダムのようにゲートそのものを飲み込んで停止している。ブリミルが手がつけられないと言ったのも当然だ、ひとつの宇宙に匹敵するエネルギー体にうかつに手を出せば、下手をすれば星ごと消滅させられてしまうかもしれない。

 けれど、これでひとつの謎が解けた。なぜヤプールが聖地を奪ったのか? それはまさに、このゲートを手中にしたかったからに違いない。

 才人はルイズに言った。

「そりゃ、こんな冗談みたいなパワーがあるなら、ヤプールでなくたって手に入れたがるだろうぜ」

「ロマリアがマークしてたのもわかるわね。教皇たち、あわよくばこれも手に入れようって思ってたんでしょうね。けど、ヤプールにまだ動きがないところを見ると、使いこなすまでには行っていないんじゃないかしら」

 始祖ブリミルでさえどうしようもない代物だ。いくらヤプールの異次元科学が進んでいるとはいっても、ひとつの宇宙に相当するようなエネルギーを万一にも扱い損ねればヤプールも自滅に直結することはわかっているだろう。ヤプールは人の心につけこんで操るのには長けているが、意思を持たないものを操ることは甘言では不可能だ。

 そしてもうひとつ、エレオノールやルクシャナもひとつの答えを得ていた。

「聖地の向こうから、不可思議なものがやってくる理由もわかったわね。異世界への扉が開きっぱなしになってるなら、どこかの世界と偶然つながることもあるってことかも。ルクシャナ、もう落ち着いたでしょ? あんたなら、わかるわよね」

「ええ、それで偶然つながった先から吐き出されてきたものが、中にはわたしたちの手に入ることもある。ヤプールが目をつけたのはそのへんもあるのかも……」

 いずれにせよ推測だが、ヤプールの手中にとんでもない爆弾があることだけは確かなようだ。ヤプールはいまのところおとなしいが、地震が地底深くでゆっくりと圧力を高めていくように、その侵攻が再開されるときはかつてないものになるに違いない。

 始祖の祈祷書などでも聖地について言及してある理由も、こんな危険なものをそのまま放置しておけば何かのはずみで星ごと滅亡することもあるかもしれないからだ。制御が不能ならば、せめて管理して余計な刺激を与えないようにするしかない。

 ともかく、聖地とは名ばかりの地獄の門であることに変わりは無い。ブリミルは深くため息をつくと、聖地を見つめて言葉を続けた。

「あれを封じることが、僕に課せられた最後の仕事だと思っている。でも、どうやらこの時代でも危険なままのようだね。本当に侘びようがないことだが、僕がこれを知ったときには、もうどうしようもないくらいにひどくなっていたんだ。もっとも、この頃の僕は別の意味でそれどころじゃないことになっていたんだけどね」

 ブリミルは映像を変えた。聖地から再び、地方の戦場へと。しかしそれはもう戦場とは呼べず、一方的な虐殺の場でしかなくなっていた。

 母船の破壊で、マギ族はその人口の大半を失った。そして、地方でわずかに生き残っていたマギ族もまた、次々と命を奪われていたのだ。

 ある者は怪獣の餌食となり、またある者は虐げていた人々の復讐によって殺された。

 ブリミルも例外ではなく、船も領地も領民もすべてを失い、身一つで廃墟の中を逃げ惑っていた。

「どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ……?」

 天を仰いで嘆くブリミルに答える者はいなかった。因果応報ではあるが、いざとなってそれを自覚できるものは少ない。

 彼に味方は誰もいない。彼の領民だった者は暴君だったブリミルを皆恨んでおり、マギ族は能力的にはほとんど人間と変わらないため、彼にできることはメイジや亜人からも逃げ回ることだけだった。

 飢えて震えて、行くところも帰るところもない逃避行にブリミルは涙した。しかし、それすらも長くは続かなかった。

「怪獣だぁ! 逃げろぉ」

 彼の元領地の生存者たちの集まっている集落を怪獣が襲撃したのである。

 深夜に、地底からいきなり現れた怪獣の前に、寝入りを襲われたメイジも亜人たちもろくな対応はできなかった。しかもこの怪獣は肉食性らしく、住民たちを次々に捕食し、夜の闇の中でも光る角と敏捷な動きで逃げ惑う人々を捕らえ、集落を全滅に追い込んでしまったのだ。

 ブリミルは集落の外れで食料を盗みに来てこれに遭遇し、集落が全滅するのを後ろに必死に逃げ出した。だが、村一つの人間を食い尽くしてもなお食い足らない怪獣は、大きな耳で足音を捉えて追いかけてきたのだ。

「う、うわぁぁぁっ!」

 その怪獣は、才人から見てパゴスやガボラなどの地底怪獣と似た体つきをしていたが、動きは比べ物にならないほど素早かった。

 ブリミルは夜の道を馬を走らせ、馬が倒れたら馬が食われている間に走り、ひたすら逃げ回った。だがもはやこれ以上は逃げられないとあきらめかけたときである、彼の目の前にマギ族の誰かが乗り捨てて行ったと思われる円盤が姿を現した。

「これは……まだこんな船が残っていたのか」

 着陸している円盤は、マギ族が自家用機として惑星内を移動するときに使用していたもので、直径五十メートルほどの大きさがあった。形は特徴らしいものはなく、強いてあげればイカルス星人の円盤に似ている。見たところ、これといった損傷はなさそうだった。

 動くか? ブリミルは迷ったが、考えている暇は無かった。怪獣はすぐ後ろまで来ている。ブリミルは円盤に乗り込むと、すぐさまコントロールルームに飛び込んだ。

「頼む、動け、動いてくれ」

 一縷の望みを託してブリミルは操縦パネルを起動させた。

 エネルギーが回り、パネルが光りだす。ようし、こいつはまだ生きている、ブリミルはすぐさまエンジンを起動させて離陸しようと試みた、が。

「なんでだ! なんで動かない? 反重力バイパスが烈断? ちくしょう!」

 円盤はすでに飛行能力を失っていた。望みに裏切られて、ブリミルは拳をパネルに叩き付けたが、すぐに円盤を激しい揺れが襲って彼は座席から投げ出された。怪獣が円盤に取り付いて壊し始めたのである。

 怪獣のパワーの前では、多少頑丈なだけの円盤など、立てこもる場所にはならなかった。ブリミルは、この円盤もすぐに壊されてしまうと、外に逃げ出そうとコントロールルームから通路に飛び出した。だがそこへ、怪獣が円盤を横倒しにした衝撃でブリミルはそばの部屋に転がり込んでしまった。

「うう……こ、ここは。生体改造施設、か」

 そこは、この円盤の持ち主が自分の領民をメイジや亜人に改造していたと思われるバイオ設備の部屋であった。人間を作り変えるためのカプセルや、コントロールパネルが半壊の状態で散乱している。

 体を強く打ったらしく、ブリミルはコントロールパネルに這い上がって、やっと立つのが精一杯だった。だが、怪獣はにおいを嗅ぎつけてついにこの部屋まで破壊の手を伸ばしてきた、壁が破られ、その向こうに鋭い牙を生やした怪獣の顔が迫っている。

 もう逃げ場は無い。ブリミルは、自分がこれから食われるのだと、明確に理解した。

「い、いやだ……誰か、誰か助けて」

 目の前に迫ってくる逃げられない死。部屋が破壊されて、怪獣の口が目の前に迫ってくる。

 だが、そのときブリミルの寄りかかっていたコントロールパネルのスイッチが、彼が手を滑らせたことで偶然にも入った。すると、彼が円盤のメイン動力を起動させていた影響でエネルギーを受けていた生体改造設備は、半壊状態でその機能を発動させたのだ。

「なんだ? う、うわぁぁぁぁっ!?」

 改造カプセルが破壊されていたので、エネルギーはすべてブリミルの体に直接流し込まれた。彼の体がプラズマのように輝き、エネルギーとともに、コンピューターに記録されていた膨大な数の超能力のデータも注ぎ込まれていく。

 しかし、改造は本来はカプセルの培養液の中で安定させた上で数時間かけておこなうものだ。こんな無茶な方法で強制的に人間の体にエネルギーと情報を流し込んで無事ですむわけが無く、ブリミルは言語を絶する苦痛の中でのたうった。

「ぎぃあぁぁーーーっ!」

 その凄惨な光景に、アンリエッタやティファニアは思わず目をそむけかけた。まるで電気椅子にかけられた死刑囚のように、ブリミルはそのまま死んでしまうのではないかと思われた。

 いや、ブリミルは死なない。この運命は、すでに経過済みであるからだ。円盤に残っていたエネルギーのすべてを流し込まれて、ブリミルはそのまま床に倒れこんだ。

「う、あ……」

 あと一秒でも苦痛が続いていたらショック死していたかもしれない衝撃に、ブリミルは動くこともできずに床に倒れ付していた。

 しかし、怪獣は突然の出来事に驚いていったんは離れたものの、光が止んだことで安心して再びブリミルを餌食にしようと迫ってくる。ブリミルは逃げられない。だがそのとき、ブリミルの手元に一本の杖が転がり込んできた。

「これ、は……はっ!」

 杖を持った瞬間、ブリミルの頭の中で無数の文字が踊り狂って呪文の形を成していった。現代のメイジは時間をかけて自分の杖と契約を成立させるが、この時代のメイジは杖を持った瞬間にすべての魔法が使えるようにインプットされた状態で作り出される。しかも、秩序無くありとあらゆるデータを流し込まれた影響からか、ブリミルの頭の中に浮かぶ呪文は、これまで使われたことの無い新魔法として彼の口から流れ出た。

「我が名は、ブリミル・ル・ルミル・ニダベリール。わ、我の運命に、し、従いし」

 途切れ途切れながらもはっきりした呪文がブリミルの口から流れる。そしてその呪文のルーンを聞いたとき、ルイズは……いや、その場にいたメイジ全員がはっとした。それは現代では特別な魔法でもなんでもなく、メイジなら誰もが知っていて当然の、サモン・サーヴァントの呪文だったからだ。

 ブリミルの杖が輝き、彼の傍らに光り輝く召喚のゲートが現れる。怪獣はその光に驚いて離れ、続いてゲートからはじき出されるようにして、ひとりの人影が飛び出してきた。

「うわ、あいったたぁ……え、ここどこよ? わたし、さっきまで森で怪獣に追われてて」

 事態を飲み込めない様子であたりを見回す少女、それが誰かは確かめる必要もなかった。短い金髪、活発そうな眼差し、それはまさにここにいるサーシャに間違いはなかったのだ。

 今のサーシャが不敵に笑い、昔のサーシャはうめき声を聞きつけて足元のブリミルを見つけた。しかし、身なりで彼がマギ族だとわかると、彼女は露骨に嫌悪感を示した。

「あんたマギ族ね。わたしをここに呼んだのはあんたなの?」

 足元のブリミルは答えなかった。いや、答えられなかった。彼自身、はじめて使う魔法の効果を理解できても、使い魔という存在がなんなのかわからなかったのだ。いわば、説明書だけを丸暗記させられたようなものだ。

 ブリミルは、見上げた先にいる女性が自分に敵意を持っていることを知った。しかし仕方ない、今やこの星でマギ族に恨みを抱いていない人間などひとりもいないと言っても過言ではない。

 それでも、ブリミルは一縷の望みにすがった。

「た、助けて……」

 そう言うだけで精一杯だった。くどくどした言い訳や命乞いを思いつく暇も無い、ただ本心の願いだった。

 サーシャはブリミルの頼みに、「なんでマギ族なんかを」と、見捨てて離れようと踵を返したが、ブリミルを餌食にしようと迫ってくる怪獣の口を見て一瞬躊躇した。

「なんでわたしが……もう、しょうがないわね!」

 苛立ちながらもサーシャは倒れているブリミルを抱えて飛び出した。次の瞬間には、ふたりのいた場所は怪獣に噛み砕かれて跡形もなくなる、サーシャは怪獣の頭の横を走って駆け抜けると、そのまま円盤の外に飛び降りた。

 円盤は完全に怪獣に押し潰されて大破し、サーシャはブリミルを背中に背負ったままで円盤に背を向けて全力で走る。

「ここどこなのよ! いったいどっちに逃げればいいの!」

「あ、ありが、とう」

「か、勘違いしないでよ。目の前で食われたらさすがに寝覚めが悪いだけよ、てかやっぱり追ってくるじゃない」

 怪獣はしつこくサーシャの後を追ってきた。サーシャは健脚であるものの、人一人を背負ったままではやはり力が出ない。

 このままではすぐ追いつかれる。映像を見ていた誰もがそう思って息を呑んだときだった。サーシャが……いや、映像の中のサーシャではなくて今ここにいるサーシャがはっとしたようにブリミルに詰め寄った。

「ちょ、ブリミルここカット」

「へ?」

「カットよカット! いいから五分くらい時間を飛ばしなさい! 早く!」

 なんだかわからないけど突然ものすごい剣幕で迫りだしたサーシャに、才人やルイズたちも「なんだなんだ?」と、怪訝な顔をする。

 なんか見られたらまずいものでもあるのか? と、思ったときにはサーシャはブリミルの後ろから羽交い絞めにしてでもイリュージョンの魔法を止めようとしていた。

「飛ばしなさい、い・ま・す・ぐ・に!」

「はっはっはー、なるほどそうはいかないよー。こうなったらもう全部見てもらおうじゃーないか。遠慮しなくてもいいよー」

「誰が! いいからこの、こんなときだけ強情なんだから」

 なんかブリミルもすごく悪い顔をしている。いったい何が始まるというんだ? 一同は考えてみた。えーっと、サモン・サーヴァントの後にするものといえば……なるほど。

 キュルケやアンリエッタが顔を輝かせた。カリーヌはつんとした様子になり、エレオノールは「けっ」と不愉快そうに視線をそらす。

 もちろんウェールズも気づいて、なにやら思い出深そうにうなづいている。ルイズが赤面しているのを才人が脇でつついて殴られた。アニエスははてなという様子だったがミシェルに耳打ちされて納得した。ティファニアがきょとんとしている横で、ルクシャナはこれからがとても楽しみだというふうにニコニコしている。タバサだけは表面上は無表情でいた。

 そして、その瞬間は無情にやってきた。昔のサーシャが走りながら背負ったブリミルの様子を見ようと振り返ったときである。

「ちょっとあなた、どこか逃げ込めるところはないの? さっきからなに背中でブツブツ言って、んんっ!?」

 おおっ! と、ギャラリー一同が興奮し、今のサーシャと昔のサーシャが同時に赤面した。

 そう、サモンサーヴァントの後にすることはコントラクト・サーヴァント。その方法は、人間と動物や幻獣などであればなんてことはないが、人間同士でやるにはすごく恥ずかしい行為、口付けである。

 ブリミルとサーシャの唇がしっかりと触れ合っていた。いや触れ合っているというよりしっかりと押し付けあっている。その熱い光景に、ギャラリー一同は状況も忘れ、キュルケとアンリエッタを筆頭に鼻息を荒くし、ティファニアさえ顔を覆った手のひらのすきまから見入っている。

 が、たまらないのは今のサーシャだ。ものすごく恥ずかしいシーンを大勢に暴露されてしまった。顔から湯気が出そうなくらい赤面し、恥ずかしさをごまかすかのようにブリミルの首を締め上げている。

 当然、当事者である昔のサーシャの反応もぶっ飛んでいた。

「なっ、なっなっ、なっ、なにすんのよこの腐れ蛮人がぁぁぁーーっ!」

 サーシャは思いっきりブリミルを投げ飛ばし、ブリミルの体は近くの立ち木の幹に思いっきり叩きつけられた。カエルのようなうめき声を残し、地面にずり落ちるブリミル。続いて立ち木がメキメキといってへし折れた。

 「ブリミルさん、死んだんじゃないのか?」。才人はありえないとわかっていながらも本気でそう思った。そりゃ、いきなり唇を奪われたら女性は誰だって怒る。ブリミルには悪気は無く、頭の中に浮かんできたコントラクト・サーヴァントの内容を無意識に再現したのだろうが、何も知らないサーシャにそんなことは関係ない。

 けれど、コントラクト・サーヴァントの効果はすぐに表れた。サーシャの左手が輝き、ガンダールヴのルーンが刻まれ始めたのだ。

「なにっ? きゃあっ、あ、熱い! いたぁぁぁいっ!」

 ルーンが刻まれる際には激痛を伴う。サーシャは左手を押さえて悲鳴をあげた。

 しかしルーンが刻まれるのに時間はかからず、すぐに痛みは治まった。それでも、訳がわからないサーシャはブリミルに何かされたのだと思って、腰に差していた短刀を引き抜いてブリミルに詰め寄ろうとした。

「あんた、いったいわたしに何を? えっ? ええっ!?」

 体を動かそうとしたサーシャは、自分の体が思ったよりも何倍も軽く動いたので驚いた。まるで重力がなくなったような抵抗のなさ、見ると剣を握っている左手のルーンが輝いている。面食らっているサーシャに、ブリミルはふらつきながら告げた。

「それが、君に与えられた力だ。なにかしら武器を持ってるあいだだけ、君の身体能力は何倍にも跳ね上がる」

「ええっ! って、人の許可も無しになにしてくれるのよ」

「すまない。それより、後ろだ」

「えっ? うわっ!」

 サーシャがとっさに飛びのいたところを怪獣の口が通り過ぎていった。アホなことをやっているあいだに追いつかれてしまったのだ。

 またも餌を食べ損ねた怪獣は機嫌を損ねた様子で吠え掛かってくる。サーシャが、もうこれまでかと覚悟しかけたそのとき、ブリミルが杖を握りながら彼女に言った。

「頼む、一分。いや、五十秒でいいから怪獣を引き付けておいてくれ、そうしたら後は僕が」

「はぁ? なによそれ。うわああっ!」

 サーシャの問いかけにもブリミルは答えず、彼は杖をかざして呪文を唱え始めた。もちろん、怪獣も遠慮なく襲い掛かってくる。

「ああもうっ! こうなったらもうやけくそだわ」

 完全に吹っ切れたサーシャは、襲い掛かってくる怪獣に短剣を振りかざして立ち向かっていった。

 怪獣の突進をガンダールヴのスピードでかわし、大きくジャンプすると怪獣の顔に飛び乗った。自分でも信じられないくらい体が軽い。ならばパワーはどうか? サーシャは短剣を両手で持つと、渾身の力で怪獣の眉間に突き立てた。

「ええーいっ!」

 刺さった! スピードといっしょにパワーもかなり上がっている。しかし短剣では長さが足りず、怪獣の分厚い皮膚の向こう側にまで通っていない。

 せめて槍、もしくは長剣でもあれば。悔しさをにじませるサーシャだったが、そこにブリミルの魔法の詠唱が聞こえてきた。

「スーヌ・ウリュ・ル……」

 不思議なことに、それを聞いたとたんにサーシャの心から恐怖や焦りが消えていき、代わって勇気と自信と、あの呪文をなんとしても完成させなくてはという使命感が湧いてきた。

「あと三十秒、それだけ時間を稼げばいいのよね!」

 サーシャは飛び降りると、怪獣の注意をブリミルからそらすために怪獣の視線をわざと横切っていった。

 当然、怪獣はサーシャへと襲い掛かる。それはほんの数十秒にしか過ぎないとはいえ、危険極まる行為であったが、才人には彼女の気持ちが理解できた。ガンダールヴとは、主の呪文の詠唱が完成するまで主を守るのが務めの使い魔なのだ。

 素早い動きで逃げ回り、サーシャは要求の五十秒を満たした。そしてブリミルは呪文を完成させ、ルイズにとってもっともなじんだあの虚無魔法を発動させた。

「ベオークン・イル……エクスプロージョン!」

 それは、この世に虚無魔法が誕生した瞬間であった。光とともに爆発が起こり、怪獣を巻き込んで吹き飛ばす。

 サーシャが次に目を開けたときには、怪獣はかなたに飛ばされていったのか、それとも欠片も残さないほど粉砕されたのか、いずれかはわからないが視界のどこにも存在してはいなかった。

 助かった……ほっとしたサーシャが短剣をさやに戻すとルーンの光は消えた。そしてサーシャは木の根元で倒れこんでいるブリミルのもとに歩み寄ると、その顔を見下ろして言ったのだ。

「説明してもらえるかしら。いったい何がどうなってるのよ?」

「ごめん、実を言うと僕にもさっぱりなんだ。ともかく、命を助けてくれてありがとう。ええと、君は」

「サーシャよ。めんどうだから名前くらい教えてあげる。あんたは?」

「ブリミル。ブリミル・ル・ルミル・ニダベリール」

「ブリミルね。それでもう一度聞くけど、こんなどこだかわかんないとこに連れてきてくれて、いったいどうしろっていうの?」

「わからない。けど……うう、なんだか、とても、眠い、よ」

 ブリミルはそのまま、虚無魔法を使った反動で意識を失ってしまった。

 サーシャは呆れた様子だったが、ふと左手のルーンを見つめると、ため息をついてブリミルを担ぎ上げた。

「勘違いしないでよね。わたしは見も知らない土地を一人で歩き回るほどバカじゃないだけなんだから。それと、わたしの初めてを奪った報いは必ず受けさせてやるわ。それまであんたのことは蛮人って呼ぶから、覚悟しておきなさいよ」

 疲れ果てて寝息を立てるブリミルを背負って、サーシャは雨風をしのげる場所を探すために歩き始めた。この旅立ちが、彼女とその背の男の一生をかけたものになることをまだ二人は知らない。しかし長い夜は明け、しばしの安息を得よと告げるように、ふたりの歩む先から太陽がその姿を見せ始めていた。

 

 舞台は現代に戻り、ブリミルはそこでイリュージョンの映像を再び止めた。というか、サーシャの首締めで落ちて止まった。

 とはいえ、話を区切るには適当なタイミングだっただけに、一同は息をつくと顔を見合わせた。

「これが虚無の系統の誕生と、始祖ブリミルとミス・サーシャの出会いだったわけなのね」

「なんてドラマチックなのでしょう……」

「いや女王陛下、そこじゃないでしょう、そこじゃ」

 うっとりしているアンリエッタにツッコミを入れると、ルイズは考えを整理してみた。

 簡単にまとめると、マギ族はその文明とともにほとんどが死滅した。始祖ブリミルは、幸運に生き残った最後の一人。

 虚無の系統は、人造メイジを生み出す機械の暴走でイレギュラー的に生み出されたもの。常識はずれの効果を持つのはそれが理由だろう。

 サモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントは、元々は虚無の魔法だった。しかしコモンマジックとしても使えたので、四系統の中にも組み込まれていった。

 そして、最初の使い魔として選ばれたのがサーシャだった。ある意味、これがハルケギニアの歴史のはじまりだったと言えるかもしれない。

 ほかの面々も感想はそれぞれだろうが、一様になにか深いものを感じたらしくうなづいている。始祖ブリミルは、異邦人であり侵略者であり暴君であり、人間だった。神は地に引きづり下ろされて人になった。

 そのころ、サーシャに締め落とされたブリミルがようやく息を吹き返してきた。

「う、うぅーん。ここは天国?」

「あいにくね、まだ現世よ」

 頑丈だなこの人は、と一同は思った。そういえばさっきもサーシャに思い切り木に叩きつけられていたのになんとか無事だったし、あれから今日まで日々鍛えられていたのだろう。見習いたいとは思わないが。

 目が覚めたブリミルは、首をコキコキと鳴らして脳に血液を送り込むと、一同に問いかけた。

「どうだったかな。僕とサーシャの出会い、たぶん期待したようなものじゃなかったと思うけど、楽しんでもらえたかな?」

 いや楽しむとかそういう類の問題じゃないでしょうが、と一同は思った。なにかスッキリした様子のブリミルはサーシャに軽く意趣返ししたつもりなのだろうが、頬を紅潮させたサーシャにさっそくどつかれている。

 私をさらしものにするとはいい度胸してるじゃないの蛮人、と言ってすごむサーシャと、いいじゃないの歴史は正確に真実を残さなくっちゃとうそぶくブリミル。だがまあいいものは見せてもらえた。それと豆知識がひとつ、蛮人という言葉の由来は「野蛮な人間」ではなく「ブリミルのボケナス」という意味だった。今のエルフたちは、自分たちが使っている蔑称が痴話げんかから生まれたと知ったらどう思うだろうか。

 それでも、まったく見ていて暖かい気持ちになれるふたりだ。けんかしても憎しみはなく、むしろ深い信頼があるからこそ好きなことを言い合える。カリーヌは若いころを思い出し、若い男女たちはそれぞれ「こんな夫婦になりたいな」と思った。約一名を例外として。

 しかし、痴話げんかで話をいつまでも脱線されても困る。才人は、このふたりに割り込める数少ない人間として、しょうがないなと思いつつ腰を上げた。

「あのー、それでブリミルさん。この後でおふたりはどうしたんですか?」

「ん? ああ、しばらくは二人旅が続いたよ。けど、正直このころが一番苦労したかもねえ。なにせサーシャは容赦ないからねえ、君は僕の使い魔になったんだって説明したときはボコボコにされたもんだよ」

 だろうねえ、と全員が思った。サーシャの気性からして、誰かに隷属するなんてありえない。というか、現在でも平気で主人をギタギタにしているんだから、打ち解けていなかった頃は毎日が血の雨だったのだろう。

 けれど、それでも二人は旅を続けたんだとサーシャは言った。

「仕方ないでしょ。見捨てたら確実にこいつ三日と持たずにのたれ死ぬし、こんなのでもいないよりはマシだもの」

 住民が全滅した土地で、生活力がほとんどないブリミルが生き延びるにはサーシャに頼るしかなかった。彼は虚無の魔法を会得はしたが、使いこなすには経験が圧倒的に不足しており、マニュアルを読んだだけで車に触れたこともない新人ドライバーも同然の状態だったのだ。

 ほぼ役に立たないも同然の虚無では食料を得ることもできず、サーシャは毎日方々を駆け回って二人分の食べ物をかき集めてきた。

 それは、ブリミルにとって自分が穀つぶしだと思い知らされるつらい日々であった。なに不自由ない飽食の生活から一転して、食べられるものがあるだけでも幸いな底辺の生活への転落で目が覚めた。子供でもなければ、自分がなにもせずに他人のお情けで食べさせてもらっているんだという境遇には後ろめたさを感じて当然だ。そしてブリミルにも人並みのプライドはあった。

 自分になにができるか、ブリミルは考えた。サーシャの真似事をしても彼女の足手まといになるだけだ、ならできることは、偶然とはいえ手に入れたこの力を役立てられるようにするほかない。

 そのときからブリミルは暇があれば自分の魔法の研究と訓練に明け暮れた。魔法の使い方だけはわかるが、エクスプロージョンひとつをとっても単に爆発を起こすだけから、広域の中の任意のものだけを破壊するまで加減の幅は広い。それに虚無魔法は効果のスケールの大きさゆえに非常に高度なイマジネーションが必要とされる。それを理解し、身に着けるには、ひたすらに数をこなしていく以外の道は存在しなかった。

 ルイズは試行錯誤をしながら訓練を続けるブリミルに、自分の姿を重ねた。失敗と落胆の積み重ねの幼少期、虚無に目覚めてからも、強すぎる系統は楽に言うことを聞いてはくれず、どう手なづけていくか悩み続けた。

 始祖ブリミルにも、人並みに苦労を重ねた時代はあった。そして、努力を続けることと、サーシャの厳しさや優しさに触れていくうちにブリミルの性格にも変化が現れ始めた。支配者時代の傲慢さは消え、謙虚さや思いやりを表に出すようになった。そうするうちにサーシャとも打ち解け、軽口や冗談を言い合うようにもなっていった。

 ある日の夕食。焚き火をはさんで、久しぶりに手に入ったパンをほうばるブリミルとサーシャ。笑いあい、語り合い、その話題には明日からどうしていこうかという希望と期待が満ちている。ふたりを暖める焚き火は、ブリミルが練習の末に最小威力で起こしたエクスプロージョンで着火したものだった。

「サーシャ、僕は最近なんだか毎日がとても楽しいんだ。なんか、充実してるっていうか、魔法がぐんぐんうまくなってるって実感があるんだよ」

「ふーん、あんたの魔法って奇妙だからよくわかんないけどあんたが楽しいならいいんじゃない? エクスプロージョンってのでイノシシの一匹でもとってくれたら助かるし。あ、でもこないだみたいに爆発起こして狼の大群を呼び寄せちゃったなんてのはやめてよね」

「あ、あれはまあ、はははは。でも君だってこないだ「珍しい果物を見つけてきたわよ」って喜んでたら、中から虫が出てきて悲鳴をあげて僕に投げつけたじゃない。痛いわ気持ち悪いわで大変だったんだから」

「う、つまらないことはよく覚えてるんだから。そんなことより、明日は新しくテレポートって魔法で山の向こうまで行ってみるんでしょ。余計なこと考えてないでさっさと寝ちゃいなさいったら」

「はいはい……今度こそ、誰か生き残ってる人に会えたらいいね」

「いるわよきっと、あんたでさえ生きてられるくらいなんだから」

「君のおかげだよ、感謝してる」

「そう思うなら明日はがんばってよ。間違って川にドボンなんてごめんなんだからね」

 いつの間にか、ブリミルとサーシャのあいだに信頼が生まれていた。サーシャはブリミルのがんばりを、ブリミルはサーシャの乱暴な優しさをそれぞれ認めあい、心を許し始めていたのだ。

 ふたりは助け合いながら旅を続けた。向かう先は現在のトリステイン地方から東へ、サハラにあるマギ族の首都の方角へである。人口は当然ながら首都の周囲が一番密度が大きく、そちらなら生存している人も多いだろうと思ったからだ。

 円盤で空を飛べばあっという間の距離も、徒歩ではとほうない遠さだった。しかも主要道路は各所で寸断し、山道は埋まり、橋は落ち、野性化したドラゴンやオークたちがエサを求めてうろついている。当然、まだ怪獣も多数徘徊しており、目立つ移動は極力避けねばならなかった。

 それでもふたりは希望を信じた。この世界はまだ滅んではいない、生き残った人々が集まれば再興のチャンスはきっとある。ヴァリヤーグや怪獣たちだって、永遠にのさばり続けるわけはない。たとえ電灯ひとつなく土にまみれた生活しかなくても、無意味な殺し合いの日々よりはよっぽどましだ。

 旅は何ヶ月も続いた。その間、ふたりは自分たちが信じた希望が間違っていなかったことを見つけることができた。少しずつだが、各地で隠れ潜んで生き延びていた人々と出会うことができたのだ。

 仲間を増やしながらブリミルたちは旅を続けた。そのうちにブリミルの魔法の腕も上がっていき、少しくらいの幻獣の群れくらいならば撃退できるようになっていた。そうするうちにブリミルも頼られることも多くなり、しだいにリーダーとしての役割を果たすようになっていった。

 笑顔を増やしながら旅を続ける小さなキャラバンの誕生。アンリエッタやルイズは、こうしてブリミルが始祖と呼ばれる人物になっていったのだろうと思い、胸を熱くした。

 

 しかし、旅が終点に近づくにつれて、現在のブリミルとサーシャの表情は険しくなっていく。

 それと同時に、才人も違和感を感じ始めていた。ブリミルが仲間にしていく人々に、六千年前に才人もいっしょに旅をした仲間たちが一人も見当たらないのだ。

 

 希望を得て旅路を急ぐ六千年前のブリミルとサーシャ。

 だが、ふたりはまだ知らなかった。ヴァリヤーグによって荒れ果てていくこの星の惨状は、終息に向かうどころかこれからが本番だということを。

 さらに、小さな希望などをたやすく押しつぶすほどの巨大な絶望が旅路の先に待っていることをふたりは知らない。

 

 ブリミルが始祖と呼ばれる存在に生まれ変わるための最大の試練が、やってこようとしていた。

 そしてもうひとつ……破滅が押し寄せる星に向かって急ぐ、澄んだ青い光があった。始祖とその使い魔の伝説は、まだ終わっていない。

 

 

 続く



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第56話  守れなかった希望

 第56話

 守れなかった希望

 

 四次元怪獣 ブルトン

 残酷怪獣 ガモス

 地底怪獣 テレスドン

 鈍足超獣 マッハレス

 毒ガス怪獣 メダン

 カオスバグ

 双子怪獣 レッドギラス

 双子怪獣 ブラックギラス 登場!

 

 

 滅び行く文明、破壊されゆく世界の中で二人は出会った。

 ブリミルとサーシャ、いずれハルケギニアという世界を築き上げる偉大なメイジと使い魔。

 しかし、彼らは最初から英雄だったわけではない。むしろ、望まぬ力を突然与えられて戸惑い悩む旅人であった。

 日々を生き抜くこと。今の彼らはそれだけを考えて前に進む。

 その道中で、同じように生き残っていた人々を集め、彼らは希望を強めて旅を続ける。東へ、東へ。

 

 だが、西遊記において玄奘三蔵は旅路で弟子を集めて天竺で望みを叶えたが、東へと旅を続ける彼らを終点で待ち受けるのはなにか。

 

 始祖とガンダールヴ。その本当の誕生と、絶望を乗り越える光を手に入れるための試練が始まる。

 

 

 旅を続けるブリミルの一行。その旅路は決して楽なものではなかったが、彼らは望みを捨ててはいなかった。

 ブリミルが頼んだのは、首都に残っていると思うマギ族の仲間たちと、その力であった。各地が壊滅しても、マギ族が全滅したわけではない。必ず首都に立てこもって抵抗を続け、再興の機会を待っているはずだ。ブリミルはマギ族の底力を信じ、この危機はいつか去ると信じ、もう愚かな争いはやめて仲間たちとささやかな生活を送ろうと願っていた。

「ブリミルさん、疲れたでしょ。水、お飲みんさいな」

 汗を流しながら山道を切り開いているブリミルに、ひとりの老婆が水筒を差し出してくれた。派手な魔法を使えば凶暴な幻獣や怪獣を呼び寄せてしまうかもしれないので、地道に力仕事で進まねばならない中、こうした細やかな心配りがうれしいということをブリミルは知った。

 それだけではない。出会った人たちは、ブリミルがマギ族だと知ると最初は嫌悪感を示したが、ブリミルが威張ることなく頑張っている姿を見ると次第に手を貸してくれるようになった。

 安全なところからモニターごしに命令するだけでは決して理解できないもの。ブリミルは、自分がいままでいかに無知だったかを知り、人々との触れ合いを受けて本当に人の役に立つとは何かを学んでいった。

「ブリミルさん」

「ブリミルくん」

「ブリミルちゃん」

 そんな風にマギ族以外から呼ばれたことなどなかった。そうして触れ合ううちに、彼らも自分たちマギ族になんら劣ることなどない、いや、自分たちが忘れてしまった素朴さや思いやりを持っている立派な人たちだと思うようになっていった。

「みんなに話そう、僕らが間違っていたんだと。そして今度こそ、みんなが友達になれる世界をこの星に作り直すんだ」

 それがブリミルの目標になっていた。サーシャや仲間たちが教えてくれた、本当の幸せはものの豊かさだけじゃないんだということを。

 そんなブリミルの変わりようを、サーシャも暖かく見守るようになっていた。

「あなた、少しはたのもしくなったじゃない。けど、もしあなた以外のマギ族がわたしたちを変わらずに道具として使おうとしたらどうするの?」

「できるだけ説得はしてみるけど、もしものときは僕がみんなを守るよ。でも僕は信じてる、マギ族の中にも必ずわかってくれる人はいるって」

「ふふ、蛮人のくせに言うようになったわね。少しは期待してるから」

 サーシャや仲間たちにしても、マギ族との対決など望んではいなかった。確かに恨みは大きいが、晴らしたからといってなにになるわけでもない。なによりももう、戦うなどうんざりだった。

 贅沢は言わない、ただ平和な世界を。それを夢見て、ブリミルと仲間たちは歩いた。

 だが、ブリミルの淡い期待はすでに猛禽の住む谷に放した伝書鳩の帰りを待つのと似た、虚しい希望となっていたのだ。

 その前兆はあった。旅を続けながら遭遇する怪獣の数は錯覚ではなく増え続けていた。目に見える自然の風景もどんどんと荒れ果てていった。

「異変はおさまるどころか、ますます拡大し続けてるんじゃないのか?」

 岩陰に身を潜めて息を殺しながら、ブリミルたちは近場を地響きを立てて歩いていく怪獣と、地上に影を投げかけて飛んでいく怪獣が通り過ぎていくのを待った。

 怪獣はいっこうに減らない。それに天気も、最近は曇りばかりで晴れる日が少なくなってきたように感じられる。異変が星の環境そのものをさえ変え始めているのかもしれない。

 しかしブリミルたちは不吉な予感を意図して無視して旅を続けた。ほかにすがる望みもなく、行くべき場所もない彼らには旅を途中で投げ出すことはできなかったのだ。ブリミルもサーシャもそうだった。

 そして旅路の果て、最後の山を越えて都市にたどり着いたブリミルたちの見たものは、完全に破壊されつくされた廃墟の冷たい眺めだったのである。

 

「こ、こんな、こんなことが。僕らの、僕らの作り上げた街が……」

  

 ブリミルの落胆した声が流れた。たとえ世界中が破壊されても、ここだけは耐えられると思っていた、ここだけは大丈夫だと思っていた。マギ族の第二の故郷の象徴である大都市だけは、不滅だと信じたかったのに。

 だが現実は残酷だった。都市のシンボルであった巨大ビル群はすべて倒壊して瓦礫の山と化しており、動くものの影さえない。

 やっぱりここもダメだったのか……都市の遠景を眺めながら、皆が疲れ果てた様子で息を吐く。しかしブリミルはあきらめきれなかった。

「そうだ、地下ならまだ誰か生き残ってるかもしれない! 行こう、食料だってきっとたくさんあるはずだ」

 希望を捨てきれずにブリミルは叫んだ。サーシャやほかのみんなも、やっとここまでたどり着いたのに何もなしで引き返すのはできないと彼に従った。

 だが、都市は本当に見る影もないくらいに破壊されつくしていた。

「おーい、誰かいないのかぁ!」

 街のどこで呼べど叫べど、答える者はいなかった。

 破壊の度合いは徹底を極め、道路に残っている足跡からも、少なくとも数十体の怪獣がここで暴れたことは明白であった。防衛用のバリヤーも、力づくで突破されてしまったのであろう。

 建物は砕かれ、焼かれ、溶かされ、原型を保っているものはひとつもない。ここを襲った怪獣たちはすでに姿を消し、廃墟は沈黙に包まれていたが、それはもはや壊すものがなくなってしまったからだろう。当然、建物の中の設備や物資も使い物にはならなくなっていた。

「誰でもいい、いたら返事をしてくれ!」

 これだけの都市に生存者がいないわけがないと、一行は手分けをして方々を探した。しかし、どんなに声を張り上げても、耳を澄まして返事を探すブリミルとサーシャに届くのは風の音だけであった。

「ちくしょう、僕らはここに宇宙のどこにも負けないすごい街を作ったつもりだったのに。今じゃ虫の音ひとつ聞こえないなんて」

「まだあきらめるには早いわよ。もっと先に行ってみましょう……あら? ねえ、何か聞こえない?」

 サーシャが長く伸びた耳を立てて立ち止まると、ブリミルも慌てて立ち止まって耳を澄ませた。しかしブリミルの耳に届いてくるのは、相変わらず寒々しい風の音だけであった。

「どうしたんだい、何も聞こえないけれど?」

「や、今なにか、ドクンドクンって、心臓みたいな音が聞こえたんだけど……もう聞こえないわ、気のせいだったのかしら?」

 サーシャはまわりを見渡したが、それらしい音をさせるようなものは何もなかった。幻聴なんかが聞こえるとは、自分もけっこうまいっているのかもとサーシャは頭を振った。

 都市は破壊されてからすでに数ヶ月は経っていると見え、生き埋めになっている人がいたとしても生存は無理だろう。と、なればやはり可能性のあるのは地下しかない。

 頼む、誰でもいいから生きていてくれ。ブリミルたちはすがるように願いながら先へ進んだ。この都市の地下には広大な工場施設があった、そこの奥深くに逃げ込んでいれば助かった可能性はある。きっとある。

 ブリミルたちは都市を進み、ようやく地下への入り口を見つけた。魔法で瓦礫をどかし、補助電源すら死に掛かっている通路を明かりを灯しながら進んだ。しかし彼らがそこで見つけたのは、半壊したコンピュータに残されたあまりに残酷な記録であったのだ。

「そんな、マギ族が……全滅」

 都市の自動記録装置が撮影した最後の映像には、星を脱出しようとして叶わずに宇宙船ごと全滅するマギ族の姿が映し出されていた。

 宇宙船は地上に激突して炎上し、生存者は望むこともできない。そして怪獣たちによって破壊されていく都市が映し出され、カメラが破壊されたところで映像は途切れた。

 落胆して床に座り込むブリミル。別の映像では変貌していく亜空間ゲートの姿も映し出されていたが、いまのブリミルにはどうでもよかった。

「僕らのやってきたことは、いったいなんだったんだ?」

 ブリミルは苦悩した。なんのために何百年も何世代もかけて宇宙をさすらい、やっとたどりついたこの星に安住の地を築いたんだ? せっかく築いた繁栄も、もうなにもかも壊れ果ててしまった。マギ族は死に絶え、残したものといえば、この星の人々への多大な迷惑だけではないか。

 自分たちがこの星でやってきた十年はまるで無駄だったのか……? 星を荒らし、人々を傷つけて、外敵を呼び込んだ結果、なにもかもをだいなしにしてしまった。繁栄に酔っているときは、こんなことになるなんて思いもしなかったのに。

「やり直せるならやり直したい」

 ブリミルが悲しげにつぶやくと、サーシャは厳しく言い返した。

「無理よ、これはあなたたちの過ちが招いたこと。罰を与えたのは誰でもなくあなたたち自身、誰を恨みようもないし、受け入れるしかないことなのよ」

「そうだね、まったくそのとおりだ。でも、僕の同胞はもういない。僕一人で、いったいどうすればいいんだ」

「ならわたしたちの仲間でいいんじゃない? マギ族でなくたって、あんたはあんたでしょ。ただのブリミルとして、さらっと生まれ変わったつもりで生きなおしていいんじゃない?」

 サーシャにそう言われて肩を叩かれると、ブリミルは苦笑しながらも顔を上げた。

「君はそれでいいのかい? 君は、マギ族をどう思ってるんだい?」

「そうね、ざまあみろとは思うわ。けど、いまさらどうしようもないことじゃない。それに、今は過去を振り返ってるときじゃない。未来のために、誰もがぐっと我慢しなきゃいけない時なんじゃないの」

 いがみあっていたら、それこそマギ族の二の舞になる。サーシャの言葉に、ブリミルはぐっと涙を拭いて立ち上がった。

「君は、君たちは強いね。僕らマギ族にも、君たちのような正しい前向きさがあれば、つまらないいさかいに夢中になったりしなかっただろうに」

「ええ、ほんとにマギ族ってひどい奴ら。だからこそ、あなたは他のマギ族の分も生きていく義務があるんじゃないの? さあ、あなたたちの船のところに行きましょう。マギ族はひどい奴らだったけど、墓くらいはちゃんと建ててあげなきゃね」

 ブリミルはうなづいて、サーシャの後について歩き出した。そうだ、同胞たちの亡骸をそのままにしてはおけない。せめて、長年夢見てきた第二の故郷の土に眠らせてやるのがせめてもの弔いだ。

 亜空間ゲートと宇宙船の残骸のあるのは、都市の中心部にある大空港だ。ブリミルたちはそこに向かいだした。

 

 だが、空港に向かうためにいったん地上に出たときだった。先に様子を見に行っていた仲間の悲鳴のような叫びが聞こえてきたのだ。

「おおーい、大変だぁ! ブリミルさん、すぐに来てくれーっ!」

 なんだ!? 尋常ではない様子の叫びに、ブリミルとサーシャも血相を変えて走り出した。

 精神力の温存もかまわずに、瓦礫の山を魔法で飛び越えて空港へと急ぐ。そしてビル街から空港の開けた空間へと飛び出たとき、ブリミルとサーシャの見たものは異様な光景であった。

 不気味な姿に変形した亜空間ゲートと、その傍らに横たわるマギ族の宇宙船の残骸。だがそれはもうわかっていた光景だ。ふたりが驚いたのは、空港のあちこちに散乱する、破壊された小型の円盤だったのだ。

「これは、僕らマギ族の飛行円盤じゃないか。どうして、これがこんなに?」

 ブリミルは困惑した。それらは、以前にブリミルが虚無の魔法を会得することになった円盤と同じタイプのマギ族の自家用機の数々であった。

 いずれも、大きく破壊はされているが、元の形状がシンプルな円盤だったために原型はとどめていた。しかし、マギ族の空港にマギ族の円盤があるのは当然のことだ。ふたりが驚いたのは、それら円盤の残骸が真新しいことだったのだ。

「こいつは、墜落してまだ数日も経ってないぞ」

 一機の円盤の残骸に近づいてブリミルはうなった。その円盤の残骸の傷口にはさびやこびりついたほこりも見えず、ちぎれた金属の光沢はそのまま残っている。しかも、墜落時の炎上の残りか、まだうっすらと煙まで吐いているではないか。

 乗員は死亡している。けれど、船外に投げ出された遺体を見ても、腐敗の気配はまだ見えない。

「僕以外にも、生き残っていたマギ族がいたんだ」

 これは、つい最近ここにやってきた者たちだ。おそらく円盤が故障するかなにかで、首都に帰れずに難を逃れ、修理を終えてここにやってきたのだろう。

 けれど彼らは到着時に何者かに襲われた。犯人はおそらく、怪獣だ。その証拠に、空港には無数の足跡が残されており、掘り返された土もまだ乾ききっていない。

 他の円盤を見に行っていた仲間たちからも、どの円盤も同じような状態だったとブリミルは聞かされた。

「君たちも、ようやくここに帰ってこれたのに、さぞ無念だったろう」

「蛮人、感傷に浸ってる場合じゃないわよ。ここに来たマギ族の船は、どれも到着と同時に襲撃を受けたんだわ。なら、襲った張本人はどこに行ったのよ?」

「えっ? そりゃ、もうどこかに立ち去ったんじゃないか?」

 ブリミルは素朴に考えて答えたが、サーシャは険しい表情で円盤の残骸を指差して言った。

「残骸の状態をよく見てみてよ。目の前のこれは、つい昨日くらいに壊されたものだけど、あっちに見えるあれはさびが浮き始めてるわ、一週間前に雨が降ったからそれを浴びたんでしょう。かなり時間がずれた状態で、同じ壊され方をしてるなんて変じゃないの?」

「あ、ああ。そういえば、空から見れば怪獣がいるのはわかるはずなのに、どうして彼らは着陸しようとしたんだ」

「ねえ、何か悪い予感がするわ。さっきはああ言ったけど、ここにいると何かよくないことが起こりそうな気がするの」

「そうだね、君の言うとおりだ。まだ調べたいことはあるけど、急いでみんなを集めてここから離れよう」

 ブリミルも背筋に冷たいものを感じ、サーシャの意見に賛同した。なにが変だと具体的には言えないが、ごく最近にここで惨劇が起こったのは確かだ。後ろ髪を引かれる思いはあっても、皆の安全には代えられない。

 しかし、ふたりが街に散った仲間たちを呼び集めようとした、まさにそのときであった。彼らの耳に、まるで心臓の脈動のような不気味な音が聞こえてきたのだ。

「なんだ、この変な音は?」

「あなたにも聞こえるの? これよ、さっきわたしが聞いた音は。あっ、あれを見て」

 音に続いて異変は立て続けに起こった。突如地響きがして、サーシャの指差した滑走路の一角から土煙とともになにか巨大なものがせり上がってきたのだ。

「なっなんだ? なんだいあれは!」

「んっ、ホヤ?」

 それは奇怪としか表現のしようがない物体であった。全長は六十メートルほどもある巨体だが、まるでフジツボを寄せ集めてできたかのような、穴ぼこと出っ張りだらけの訳のわからない形をしている。色は青と赤で上下が分かれていて、気味が悪いというかおよそ生き物とすら思えなかった。

 まさかあれもヴァリヤーグの仲間か? いや、光の粒子は見えないし、違うのか?

 出現した物体の正体がわからずに戸惑い立ち尽くすブリミルとサーシャ。しかしそれを映像で見ていた才人には、そいつが何者なのかわかっていた。そいつは、かつて地球にも出現して科学特捜隊をさんざん翻弄した、あの。

「四次元怪獣ブルトン!」

 

【挿絵表示】

 

 歴代ウルトラ戦士が戦った怪獣の中でも特に不条理かつ謎の多い存在だ。なぜ、こいつまでここに? 暴走した亜空間ゲートの強烈な時空エネルギーに呼び寄せられたのであろうか?

 こいつはとにかく謎だらけの存在で、無重力圏の谷間から落ちてきた鉱物生命体ということぐらいしかわかっていることはない。しかし、その行動原理は不明であっても、こいつは自分に敵意を持つものに対しては明確な敵意で返す習性を持っている。ブルトンに攻撃を仕掛けた防衛軍の戦車や戦闘機は四次元現象で全滅させられた。もし、ブルトンが近づいてくる人間を外敵と判断したとしたら。

 まずい、逃げろ! と才人は叫ぶが、当然過去のビジョンの中のブリミルたちには届かない。

 ブリミルとサーシャが、ブルトンが何なのかわからずに棒立ちになっていると、ブルトンは無数にある開口部のひとつから四本の細い繊毛のようなものをせり出させて震わせた。するとそこから鈍い光が放たれて、周辺の空間が歪んだかと思うと、その中から四体もの怪獣が現れてきたのだ。

「なっ! か、怪獣だって」

「そんな、いったいどこから」

「ブリミルさん、あっちにも!」

「サ、サーシャさん、あっちにも出ましたわ!」

 ふたりや彼らの仲間たちは困惑した。今まで何もなかったところから、まるで召喚されたように怪獣が現れるなんて!

 だが、これこそ四次元怪獣ブルトンの能力なのだ。奴は時空を自由自在に操ることで、あらゆる世界の法則を無視することができる。才人の知っている記録では披露されたことはなかったが、遠く離れた場所にいる怪獣を呼び寄せるなど本来ブルトンには簡単なのだ。

 出現した怪獣たちは四体、それぞれが人間たちを獲物だと認識して襲い掛かってきた。

 まず一匹目は、シャープな頭部と弾力がありそうな体を持つ地底怪獣テレスドン。怪力と大重量を持ち、滑走路に巨大な足跡をつけながら向かってくる。

 二匹目は、背中に大きなヒレを持つ鈍足超獣マッハレス。爆音を鳴らすものや高速で動くものが大嫌いな習性を持ち、空を飛んで逃げ出そうとした人たちに怒って飛び掛っていく。

 長く伸びた鼻を持つ三匹目は毒ガス怪獣メダン。ガスを主食とし、窒息性の猛毒ガスを吐き散らす凶暴な怪獣で、さっそく興奮して白色の毒ガスを撒き散らしている。

 そして四匹目が、地球に現れた怪獣の中でもトップクラスに凶悪無比な一体とされる、その名も残酷怪獣ガモス。ヘビのような光沢を持つ体と濁りきった目を持ち、背中には無数の鋭いトゲを生やして見るものを威圧する。さらに何よりも、その頭脳は殺戮を至上の喜びとする邪悪な意思に満ち満ちており、目の前に多数の人間がうごめいているのを見ると、歓喜に吼えたけりながら襲い掛かった。

 四方から襲い掛かってくる四匹の怪獣。ブリミルたちは理解した。

「あいつが、マギ族の生き残りは、あのフジツボおばけが呼び出した怪獣にやられてしまったんだ」

 マギ族の生き残りは、この空港にやっと帰ってきてほっとしたところを、異次元から現れた怪獣に奇襲されてしまったに違いない。

 せっかく生き残っていた仲間をよくも。ブリミルは怒りに震えたが、ブリミルにできることは、ただ一言叫ぶだけであった。

「逃げろーっ! みんな逃げるんだーっ!」

 それ以外にできることはなかった。相手は四匹、勝ち目など最初からゼロに等しい。魔法でみんなを逃がすにも、全員を集合させなくてはテレポートも世界扉も使えない。

 できることは、全員がバラバラになって少しでも遠くに逃げること。そしてリーダーである自分には、できることではなくてしなければいけないことがある。

「ぼ、僕が時間を稼ぐ。サーシャ、君はみんなを連れて逃げるんだ」

 それが、この中で唯一怪獣とも戦える魔法を持つブリミルにだけできる仕事であった。しかし相手は五体、魔法の訓練は積んできたが、こんな数を相手にするのは初めてだ。

 敵の能力は未知、自分の力は発展途上。しかしやるしかない、でなければ、自分はマギ族である自分を今度こそ許せなくなってしまう。

 だが、悲壮な決意をするブリミルの肩をサーシャが叩いた。

「やせ我慢してんじゃないわよ。あんた一人じゃ呪文を唱える時間もないでしょ、ふたりでやるわよ。いいわね」

「サーシャ、すまない」

 ブリミルは己の非力さを嘆き、サーシャの気遣いに感謝した。だが、ふたりならばまだ何とかなるかもしれない。

 怪獣たちの気を引くために、ブリミルは中途半端なエクスプロージョンの爆発を頭上で起こし、「お前たちの相手は僕らだ」と叫ぶ。そのふたりの後ろでは、彼らの仲間の人間や亜人たちが懸命に逃げていっていた。

「ブリミルさん、すまねえ!」

 彼らは皆、今日まで旅路で苦楽を共にしてきた大事な仲間たちだ。種族など関係ない、守らねばならないという思いがブリミルとサーシャの胸に強く燃え上がる。

 サーシャは腰の剣を抜き、ブリミルの肩を抱いた。ガンダールヴは詠唱の間に敵と戦って時間を稼ぐのが仕事だが、相手があれでは戦いようがない。なら、ガンダールヴの素早さでブリミルごと逃げ回るしかない。

 四大怪獣が来る! ブリミルはエクスプロージョンの詠唱を始め、サーシャは全力で走る準備を整えるために息を吸い込んだ。

 最初に来るのはなんだ? 火炎か? 毒ガスか? 破壊光線か? 身構える二人。

 

 だが、今まさに怪獣たちを迎え撃とうとしていた二人は信じられないものを見た。なんと、こちらに向かってきていた四匹の怪獣のうち、ガモスがくるりと方向を変えてブリミルたちの仲間のほうへと向かいだしたのだ。

「なに! こら、どこへ行く! お前の相手は僕だ」

 ブリミルが叫んでもガモスはまるで聞く耳を持たない。なぜなら、殺戮のみを喜びとするガモスにとって、立ち向かってくる相手など興味はない。逃げ惑う弱者をいたぶることこそ快感があるのだ。

 いやらしい笑いを浮かべているような目で逃げる人間たちを見下ろして追いかけるガモス。しかしブリミルとサーシャには、残りの三匹が向かってきているのでガモスに向かうことができない。

 攻撃が来る! メダンの吐いた毒ガスとマッハレスの吐いた爆発性ガスが来る。ブリミルはやむを得ず、自分の身を守るために呪文を開放した。

『エクスプロージョン!』

 魔法の爆発がガスを吹き飛ばし、勢いを衰えさせずに爆風でメダンとマッハレスを吹き飛ばして尻餅をつかせた。

 しかし、非常に重い体重を持つテレスドンは吹き飛ばず、そのまま猛牛のように突進してブリミルたちを踏み潰そうとしてきた。

「飛ばすわよ、舌噛むんじゃないわよ!」

 サーシャはブリミルの手を引いて走り出した。ガンダールヴの力で何倍にも上げられたスピードでテレスドンの突進をかわし、ブリミルは手提げかばんのように振り回されながらも必死で呪文を唱え続ける。

 この三匹はどうでもいい! 仲間たちを追っていった、あの怪獣を止めなくては!

 皆は魔法を使って飛んだりしながら必死に逃げているが、瓦礫も無視しながら歩く怪獣の速度のほうが速くて逃げ切れない。そしてついに、最後尾の数人がガモスの射程内に入ってしまった。

「うわっ、うわぁぁっ!」

 逃げる人間たちを見下ろして、ガモスが笑うように開けた口から白い泡が吐き出されて人間たちに振りかけられる。すると、泡を浴びた人間たちは一瞬にしてシルエットだけを残して溶かし殺されてしまった。

「なっ、なっ、なんてことを!」

 サーシャが悲鳴をあげた。ガモスの吐き出す泡は強力な溶解泡であり、かつて宇宙指名手配犯ナンバー2として悪名をとどろかせていたガモスの同族は、これを使って宇宙の各地で殺戮の限りを尽くしていたのだ。

 ガモスは犠牲者たちの残骸をうれしそうに見下ろしてから踏みにじると、さらなる獲物を求めて歩を進めた。まだ、ガモスの前には何十人もの人間たちが残っていた。

「みんな、怪獣の吐き出す泡を浴びちゃだめよ。魔法で防ぎながら逃げて!」

 サーシャはブリミルの手を引きながら叫んだ。仲間たちには怪獣と戦えるほどの力はない、自分とブリミルが守らなくてはならないのだ。

 仲間たちのメイジや翼人、エルフが風を操ってガモスの放つ溶解泡をそらしていく。しかしガモスは溶解泡が通じないと見ると、その目から今度は波状の破壊光線を撃ってきたのである。

「わあぁぁっ!」

 光線は防ぎようがなく、爆発に飲み込まれて仲間たちが消えていく。しかもガモスは卑劣なことに倒壊したビルの残骸を狙って光線を打ち、瓦礫の雨を仲間たちの頭上に降らせたのだ。

 破片とはいっても数十キロから数百キロはある岩の雨だ。まともに食らえば人間などひとたまりもない弾雨に、魔法で防壁を作ろうとするしかない。しかしそうすれば、ガモスは努力をあざ笑うかのように、彼らの上に生き埋めになるほどの瓦礫を降らせるのだ。

 ガモスの猛威はまだまだ続く。奴は遠くまで逃げた者がいるのを、その蛇のような目で見つけると、前かがみになって背中と尻尾に生えている鋭いとげをミサイルとして発射したのだ。

「ぎゃあぁっ!」

 トゲミサイルの爆発で仲間たちが炎の中に消えていく。翼人の青年ゼイブ、エルフの幼子ラチェ、口うるさいメイジの老人キナさん。

 みんなの命が消えていく。

「やめてっ! やめてえぇぇっ!」

 サーシャの絶叫が響く。ガモスの虐殺の前に、すでに何十人もの仲間が殺されてしまった。彼らはサーシャにとっても、かけがえのない仲間だったのだ。

 しかし三匹の怪獣が道をふさいでいる。ブリミルは詠唱が不完全なのにも関わらずに魔法を発動させた。

「邪魔だ! どけ、お前らぁ!」

 口調も荒く、ブリミルはエクスプロージョンを炸裂させた。怒りで感情が高ぶって魔法の威力が上昇し、不完全な状態だというのに三匹の怪獣を爆風で吹っ飛ばした。

 これで道が開けた。それだけではない、爆風の威力に驚いたのか、テレスドンが土砂を巻き上げながら地面に潜っていったのだ。

「よし、一匹片付いたわ。早くしないと!」

「サーシャ、捕まってくれ。飛ぶよ」

 ブリミルはサーシャの手を掴むと魔法で飛び上がった。この距離ならばテレポートで瞬間移動するより飛んでいったほうが早い。サーシャも飛ぶ魔法は使えるが、あまり得意なほうではなく、飛ぶならブリミルのほうが断然速かった。

 だが、飛び上がったブリミルたちを見て、狂ったようにマッハレスが白色ガスを吹きかけてきた。猛烈な風圧で迫り来たそれを、ブリミルはかろうじてかわす。

「こいつめ。お前だな、僕の仲間たちの乗った円盤を落としたのは!」

「バカ! それどころじゃないでしょ」

「わかってる。こっちを向け! これ以上、お前を先には進ませないぞ」

 憎さ余りあるガモスを止めるために、ブリミルは怒りを込めてエクスプロージョンをガモスの頭に叩き付けた。それと同時にマッハレスの目の前を魔法で瓦礫を飛ばして注意をそらした。

 爆発がガモスの左側頭部で起こり、これにはさしものガモスもたまらずに振り返ってブリミルたちを睨み付けた。

 交差するブリミルとガモスの視線。そうだ、それでいい。お前の相手は僕らだ、貴様だけはこの世から跡形もなく消してやる。

 瓦礫の山の頂上に降り立ち、呪文を唱えるブリミル。今の僕は怒っている、この溢れんばかりの怒りのすべてを貴様にぶつけて、本当に跡形もなく消してやる。

 ガモスは邪魔者を排除しようと、ブリミルに向かって目からの破壊光線を放ってきた。しかし、詠唱中の使い手をガンダールヴが守り抜く。

「地の精霊よ! 私たちを守りなさい!」

 瓦礫が生き物のように立ち上がって破壊光線からふたりの身を守った。瓦礫の盾は粉砕されて破片が降り注ぐが、それらは剣を抜いたサーシャがすべてはじき返して止めた。

 魔法と剣技、両方を使えるガンダールヴの強さに隙はなく、その戦いぶりを見た才人は改めて感嘆した。そしてサーシャの援護のおかげで、ブリミルはガモスを倒すのにじゅうぶんなだけの力を溜めることができた。

「いくよサーシャ!」

「ええ、みんなの敵を」

 溜まった魔法力を解放するため、ブリミルは杖を頭上に高く振り上げた。

 これで殺された仲間たちの敵をとる。エクスプロージョンを解き放つため、ブリミルが杖を振り下ろそうとした、だがその瞬間だった。

「エクス、っん? なんだ、か、体が動かないっ」

「はあ? あんたこんなときに何を言って……な、なによこれ? わたしも、体が動かない!?」

 これからだというのに、二人の体は鉛になったように動かない。いったい何が起こったんだ? 二人だけでなく、映像を見守っているルイズたちも困惑する。

 これは……はっとした才人が映像の奥を指差して叫んだ。

「ブルトン! あいつの仕業だ」

 そう、いつの間にかブルトンは穴から円筒のついたアンテナを出し、二人に向かって閃光を発していた。

 あれは何をしているのかわからないが、何かをしているのはわかった。恐らくはブルトンはふたりを脅威とみなして、時空エネルギーを使ってブリミルたちの身動きを止めに出たのだろう。

 ブルトンのパワーは見た目よりはるかに強烈で、地球に現れた個体も初代ウルトラマンの動きを封じ込めてしまっている。

「まずい、やられるっ」

 魔法を使おうにも狙いがつかない。この状況で破壊光線や溶解泡を浴びせかけられたら防ぎきれない。

 だが、窮地に陥ったブリミルとサーシャに対して、ガモスは追撃を仕掛けなかった。ニヤリと笑ったかのように口元を動かすと、くるりと再反転してブリミルの仲間たちへとまた向かいだしたのだ。

「あっ、あいつぅっ! 畜生」

 戦うことなど興味はない。標的はあくまで弱者、目的は勝利ではなく悲鳴と断末魔。ガモスとはそういう怪獣なのだ。

 身動きできない二人に背を向けて、ガモスは逃げ惑う人間たちへと歩を早めた。またも悲鳴が響き、命が奪われていく。だが、身動きのできないブリミルとサーシャには暴虐を止められない。

 ガモスの非道さに、才人やルイズたちも歯軋りをしたり靴のかかとを叩きつけたりして悔しさを表した。だが、ブルトンの金縛りは簡単には解けない。

「蛮人、なんとかならないの!」

「だめだ、テレポートを使おうにもつながっていなくては君を置き去りにしてしまう。君こそ、魔法でなんとかならないのかい?」

「無理よ。周りの瓦礫ごと固められちゃってる。さっきから精霊に呼びかけてるけどビクともしないわ!」

「なんて力だ、くそっ。仕方ない、サーシャ、少し痛いが我慢してくれよ。エクスプロージョン!」

 なんとブリミルは自分の正面で爆発を起こした。その衝撃は時空エネルギーを切り離し、ブリミルとサーシャも無理やり吹き飛ばされることで金縛りから抜け出ることができた。

 瓦礫の山の上をゴロゴロと転がるブリミルとサーシャ。やっと止まったときにはふたりとも擦り傷だらけになってしまっていた。

「はぁ、はぁ、うう、いてて」

「む、無茶なことするわね」

「そう言わないでくれ、あれしかなかったんだ。それよりはやくみんなのところへ」

「ええ、あっ! 後ろっ! 別の怪獣が来るわ」

 窮地を脱したのもつかの間、ブリミルとサーシャには別の脅威が迫っていた。吹き飛ばしたメダンが起き上がってこちらに向かってきていたのだ。奴も当然のように機嫌は最悪で、鼻先から一酸化炭素を含んだ猛毒ガスを吹きかけてきた。

「吸わないでっ!」

 サーシャはこのガスの中では生命の声が急激に消えていくのを感じていた。ちょっとでも吸えば確実に死ぬ、ふたりともとっさに吸うことをやめたが、人間が呼吸を止めておけるのは一分がせいぜいと言われる。

 つまり、今肺の中にある空気だけで魔法を使わねばならない。しかし、たった今魔法を使ったばかりのブリミルには必要分の詠唱をするだけの空気が残っていない。毒ガスの中ではサーシャも精霊魔法を使えない。

「ウリュ……ぐっ」

 やはりさっきまで息を切らせていただけに、声を出す空気がまったく足りない。

 詠唱を継続するには息を吸わなくては。だが、吸えば死ぬ。走って離れるにも、毒ガスは周辺に充満していて逃げ場はない。

 駄目か……ブリミルが窒息の苦しさの中であきらめかけたときだった、ブリミルの口に突然暖かいものが押し付けられた。

「んっ? サーシ……っ!?」

 ブリミルはこんなときだというのに赤面した。なんと、サーシャがブリミルに口づけをして自分の息を注ぎ込んでくれていたのだ。

 わずかだが息が戻った。しかし、代わりに空気を失ったサーシャは、力なく崩れ落ちていく。

「後は、お願い……」

「サーシャ? サーシャ!」

 サーシャは肩を揺すっても答えない。だが、サーシャのくれた空気もすぐになくなる。ブリミルはサーシャをしっかりと抱きしめたまま呪文を唱えた。

「ウリュ・ハガラース・ベオークン・イル……テレポート!」

 毒ガスの中からふたりの姿が掻き消えて、少し離れた場所に現れる。距離は二百メイル程度だが、なんとか毒ガスの影響圏外だ。

 脱出に成功したブリミルは、咳き込みながら息を吸い込むと、腕の中でぐったりしているサーシャへ呼びかけた。

「サーシャ! サーシャ! しっかりしてくれ。目を開けてくれよ」

 しかしサーシャはブリミルに息を与えたときに毒ガスを吸い込んでしまったのか、不規則な呼吸と痙攣を繰り返すばかりで答えてくれない。

「サーシャ! 畜生、お前らぁぁぁっ!」

 そのとき、ブリミルの中で怒りを越えて何かが切れた。サーシャを抱きかかえたまま立ち上がり、きっと目の前にいる怪獣メダンを見据える。

 メダンはブリミルとサーシャを見失って立ち尽くしている、いい的だ。それに、さっきやり過ごしたマッハレスも戻ってきた。ちょうどいい、この状況にぴったりの魔法がある。ブリミルは早口で呪文を唱えると、メダンへ向かって杖を振り下ろした。

『忘却』

 記憶を消し去ってしまう虚無魔法がメダンの脳に作用して、メダンは魂が抜けたようにフラフラと千鳥足であさっての方角に踏み出したかと思うと、そのままマッハレスと衝突してしまった。

 当然のごとく怒ってメダンを攻撃し始めるマッハレス。メダンもわけがわからないが、マッハレスが攻撃してくるなら迎え撃たねばならない。二匹はそのまま泥仕合に突入していった。

「消せるだけの記憶を消してやった。そのまま同士討ちしてしまえ。だが、それよりも」

 ブリミルはちらりとブルトンを睨み付けると、再度テレポートの呪文を唱えて仲間たちの下へと急いだ。

 しかし、瞬間移動で先回りして、ガモスから逃げ続いていた仲間たちの下にようやくたどり着いたブリミルの目に映ったのは、あまりにも少なくなった仲間たちの姿だったのだ。

「ブリミルさん! サーシャさんも……」

「みんな、遅くなってすまない。サーシャを頼む、後はまかせてくれ」

 回復魔法の使えるメイジにサーシャを託し、ブリミルはガモスの前に立った。

 仲間たちは、もう十人足らずにまで減ってしまった。バラバラに逃げた者がまだいるかもしれないが、数多くの仲間がこいつに殺されてしまった。

 絶対に許せない。ブリミルは胸の奥から湧き上がってくる憎悪を込めて、奴にふさわしい呪文の詠唱を始めた。

「エオルー・スーヌ・イス・ヤルンクルサ……」

 心の底から果てしない力が湧いてくるのをブリミルはわかった。旅の途中で出会った仲間たち、ほんの数ヶ月のあいだだったが、彼らからは多くの思い出をもらった。

「オス・ベオーク・イング・ル・ラド」

 わずかな食べ物をわけあったこともあった。老人のうさんくさい武勇伝に付き合わされたことがあった、子供の遊びに付き合わされてクタクタになったこともあった。

 みんな消えてしまった。彼らはもう戻らない、もう会えない。

「アンスール・ユル・ティール・カノ・ティール」

 そしてサーシャまでも……貴様らは絶対に許さない。

「ギョーフ・イサ・ソーン・ベオークン・イル」

 ガモスの吐いた溶解泡が降りかかってくる。しかし、そんなものはどうでもいい。この魔法の威力、地獄に持っていけ。

『分解』

 この世のすべては原子からなる。溶解泡も、それにガモス自身も……そのつながりをすべて忘却させ、塵に返るがいい。

 魔法の光が溶解泡を水素と酸素に、そしてガモスを照らし出して炭素と窒素に戻していく。ガモスの目に、恐怖が映り、そして生命の灯が消える。

 そして光が過ぎ去ったとき、ガモスの上半身は削り取られたように消え去っていた。

「死ね」

 心からの憎悪を込めたブリミルの言葉とともに、ガモスの残った下半身も崩れ落ちた。

 みんな、敵はとったぞ。ブリミルの頬を一筋の涙が伝う……。

 勝利したブリミルの元に仲間たちが走りかけてくる。ブリミルは涙をぬぐうと、彼らに向き合った。

「ブリミルさん、やってくれたんだね。みんなの、敵を」

「ああ、みんな……よく無事でいてくれた。サーシャは?」

「大丈夫、命に別状はない。やがて目を覚ますだろうよ」

「よかった」

 ブリミルはほっとした。これでサーシャまでも失ってしまったら、自分はどうなってしまっていたか。

 だが、安心している時間はない。あのフジツボのお化けが新しい怪獣を呼び寄せる前に逃げなくては……そうブリミルが口にしようとした、そのときだった。

「ブリミルさん、空を!」

 顔を上げて空を望んだブリミルは信じたくないものを見た。空に無数の金色の粒子がきらめき、それが収束すると地上に流れ星のように次々と落ちてきたのだ。

 地響きがなり、金色の流星の落ちた地点から巨大な昆虫型の怪獣が飛び出してくる。それらはよく見ると、都市の残骸を寄せ集めて体が構成されていた。

「ヴァリヤーグ、奴らまでか!」

 ブリミルは憎憎しげにつぶやいた。この戦いの熱気と歪んだ時空の波動が、ついにカオスヘッダーまでをも呼び寄せてしまったのだ。

 カオスヘッダーは街の瓦礫を寄せ集めて、無機物でできた怪獣カオスバグとなって現れた。しかも構造物は無尽にあるし、この場所の時空エネルギーがカオスヘッダーも活性化させているのか、カオスバグはなんと一度に三体も現れた。

 街の瓦礫を踏み砕き、カオスバグたちはブルトンと怪獣たちを脅威と見たのか前進を始めた。その無遠慮な姿に、ブリミルは暗い声でつぶやいた。

「僕らの街を、僕らの同胞の墓標を、どいつもこいつも」

「ブ、ブリミルさん、今はそれよりも……」

「わかってる、みんな、ここから離れるよ」

 憎悪を抑えて、ブリミルは皆を避難させるために『世界扉』の呪文を唱え始めた。これで、一気に数十リーグの距離を稼いで逃げ切る。この魔法に使用する精神力は莫大で、これで精神力はカラになってしまうが仕方ない。

 詠唱を始めるブリミル。しかし、現代のブリミルは沈痛に語った。

「僕はここで、この魔法を使うべきじゃなかった」

 世界扉のゲートを開くべく、詠唱を進める過去のブリミル。しかし、仲間をやられた興奮が冷めやらぬブリミルには、この魔法が与える影響を想像することができなかった。

 魔法を完成させて、杖を振り下ろしたブリミル。本来ならば、これで遠方に通じるゲートが生まれるはずであった……が。

「ブリミルさん、なんか変じゃないですか?」

「おかしい、すぐにゲートが開くはずなのに。なんでなんだ、くそっ! コントロールが効かない!」

 人一人が通れるだけで済むはずだったゲートは、ブリミルの制御を外れて拡大・暴走を始めたのだ。

 なぜだ? この魔法はこんな効力はないはずなのにと、仲間たちとともに暴走するゲートから逃げ出すブリミル。なぜこんなときに魔法が暴走するんだ?

 その理屈は簡単である。未熟な彼は気づいていなかったが、世界扉とは文字通り次元に穴を開けて、場合によっては異世界への通行も可能とするとてつもない魔法だ。だがこの場所には、暴走して強大化したマギ族の異次元ゲートと、巨大な時空エネルギーを放つブルトンがいる。その影響がこの付近一帯の空間を不安定にさせ、世界扉の魔法に過剰に反応してしまったのだ。

 時空に不用意に穴を開けるということは、膨大な水をたたえた堤防に穴を開けるのと同じことだ。時空間の扱いに長けたブルトンならいざ知らず、考えなしに開けられた世界扉の穴は、この空間に溜め込まれていた膨大な時空エネルギーを暴走させるきっかけとしては十分すぎた。

 

 空が歪み、雷鳴が轟く。それは予兆。破局が……始まった。

 

 街に閉じ込められたブリミルたちの傍で、もはや止めようのない戦いが破滅の第一歩を印す。

 三匹のカオスバグは、まずはブルトンがボス格だと見て殺到した。メダンとマッハレスはまだ仲間割れを続けており、後回しにしてもよいと踏んだのだ。

 カオスバグから金色のカオスヘッダー粒子が飛び出してブルトンに飛び掛る。ブルトンもカオス怪獣化するつもりだったのだが、ブルトンは自分の周囲を歪ませてカオスヘッダーに取り付かれるのを防いでしまった。

 行き場を失って拡散するカオスヘッダーの粒子。ブルトンは変わらずに、心臓のような音を鳴らしながら存在している。これを見たカオスバグたちは、実力行使に打って出た。

 カオスバグの触覚から破壊ビームが放たれてブルトンを襲う。ブルトンはそれもバリアーでしのいだが、ブルトン自身の攻撃力はそこまで高くもないので、新たに手先となる怪獣を呼び寄せた。

 

【挿絵表示】

 

 空間が歪み、中から全身が赤と全身が黒の同じ姿をした怪獣が二匹現れる。才人はそいつらにも見覚えがあった。

「双子怪獣の、レッドギラスとブラックギラスだ」

 かつて、マグマ星人に率いられて東京を壊滅状態に追いやった怪獣たちだ。連携すれば、ウルトラセブンでさえ苦戦させられるほどの強豪でもある。

 現れたギラス兄弟は、目の前のカオスバグたちを敵だと認識して戦闘態勢に入った。カオスバグたちも、当然のようにそれに対抗しようと動き出す。

 だが、ギラス兄弟が呼び寄せられたことで、この場所の時空がさらに不安定化してしまったのだ。暴走した世界扉によって空間は歪み続け、マギ族のゲートから漏れ出すエネルギーがそれをさらに助長する。

 するとどうなるか? 空間がアンバランス化するということは、例えるならば走っている電車の一両から車輪が突然なくなるようなものだ。当然レールの上を走れなくなってガタガタになるし、前列の車両からは引っ張られ後列の車両からは押されて車両そのものが破壊されていく。そして惑星の一部の空間が不安定化すると、そこだけ惑星の自転や公転から放り出されるも同然の状態となる。そして起きるのは、とてつもない天変地異だ。

「うわぁぁっ! 地震だ!」

 ブリミルたちは立っていられないほどの激震に襲われ、都市の残骸もさらなる崩壊を始めた。ブリミルにはすでにテレポートを使う精神力もなく、仲間たちとともに地を舐めるしかない。

 空も同様だ。大気も拡販され、嵐と稲光が轟き始めた。そしてこの状況は、ギラス兄弟にとってはまさに絶好のホームグラウンドであった。

 レッドギラスとブラックギラスはスクラムを組むような形で抱き合うと、そのままコマのように高速回転を始めた。それを見たカオスバグたちはいっせいに目や触覚から破壊光線を放つが、回転するギラス兄弟の威力の前に軽々とはじき返されてしまった。

『ギラススピン』

 これがギラス兄弟の必殺技である。高速回転することによって自分たちを巨大な回転カッターも同然の状態に変え、この状態になったらウルトラセブン必殺のアイスラッガーも通用しない。

 もちろんこれは防御だけの技ではない。ギラス兄弟は回転したままで、猛烈な勢いを持って一体のカオスバグに突進して跳ね飛ばしたのだ。

「すげえ威力だ」

 才人は恐れ入った。二匹の怪獣が高速回転して突進する破壊力はすさまじく、直撃を受けたカオスバグは大きなダメージを受けて瓦礫でできた体が崩れかけている。

 カオスバグたちはギラススピンの前にはなすすべがなく、二体目が吹っ飛ばされた。だが、このままギラス兄弟の圧勝かと思われたが、そうはいかなかった。マグマ星人という司令塔がいないギラス兄弟は、ギラススピンを続けながら頭部の角から光線を放ってカオスバグたちだけでなく、仲間割れを続けていたメダンとマッハレスまでも攻撃したのである。

 攻撃を受けた二匹は当然怒る。特にマッハレスは騒音と高速物体が大嫌いという性質で、わき目も振らずにギラススピンに突進していった。

 残るメダンは最後のカオスバグと相対する。その激闘のエネルギーで地は裂け、ついに地殻までもが破壊され始めた。地割れが無数に発生し、そこから地下水が湧いてきて廃墟を飲み込み始め、水没していく都市の様子に喜んだギラス兄弟は突撃してきたマッハレスを弾き飛ばすとギラススピンを止めて分離し、それぞれ頭部の角から青色の光線を周辺に向けて放った。

『津波発生光線』

 その効果によって、地盤沈下は拡大し、地下からはさらに大量の水が噴出してくる。そればかりか、ここは内陸部だというのに遠方の海から怒涛のように海水が都市へ向かって押し寄せてくる。

「街が……街が沈んでいっていますわ……」

 アンリエッタが震えながらつぶやいた。トリスタニアの何十倍もあろうという大都市が、地割れと洪水に飲み込まれて沈んでいっている。

 これがギラス兄弟の力。マグマ星人はギラス兄弟のこの能力で、ウルトラマンレオの故郷L77星を滅ぼし、東京を水没させてしまったのだ。

 一挙に海と化していく廃墟の中で、怪獣たちの戦いはなおも続いている。レッドギラスが角から放った赤色光線とマッハレスの放った黄色光線がぶつかり合い、カオスバグとメダンとブラックギラスは三つ巴の戦いを繰り広げている。蚊帳の外で高みの見物をしているのはブルトンだけだ。

 そして、ブリミルたちにも最後が迫っていた。

「早く! 少しでも高いところへ」

 洪水から逃れるために、ブリミルたちはビルの瓦礫の上へとよじ登っていた。

 すでに低地は洪水で埋め尽くされ、ビルの残骸がかろうじて顔を出しているにすぎない。立って暴れられるのは巨体の怪獣たちくらい。魔法の力はすでに尽き、彼らは生き延びるために夕立に会った昆虫も同然に、ひたすら高台を目指していた。

 ブリミルは残った仲間たちの手をとり、瓦礫の上のほうへと引き上げていく。マギ族が繁栄を極めたこの街で、マギ族の自分がずぶぬれの泥まみれになりながら必死に生き延びようとしている。こっけいなものだ……だが、今はもうどうでもいい。サーシャを含めて、生き残った仲間はもう十人足らず、けれどこの仲間たちが今の自分にとっては何よりの宝なのだ。

 瓦礫の山の頂上につき、ブリミルはここならばしばらくは持つと判断した。そして続いてくる仲間たちを導くために、手を差し伸べる。

「みんな、急いで!」

「はい。ブリミルさん、先にサーシャさんを!」

「わかった!」

 ブリミルは仲間の手から、気を失ったままのサーシャを受け取って抱きかかえた。そして、続く仲間の手をとって引き上げようとした、そのときだった。

 仲間たちの足元の瓦礫の山が、突然消滅した。

「え? あ、うわぁぁーっ!」

「みんなーっ!」

 叫ぶブリミルの前で、仲間たちは突然開いた地割れに飲み込まれて落ちていく。その逆に、地割れの中からブリミルの眼前に現れる土色の怪獣の姿に、才人は愕然とつぶやいた。

 

【挿絵表示】

 

「テレスドン……っ」

 そう、先ほど地中に逃れたテレスドンが地殻の異常に耐えかねて再び地上に上がってきたのだった。しかもなんたる不運か、テレスドンが地上に出るために開けた穴の真上にブリミルの仲間たちがいたのだ。

 すでに飛ぶ力もなく、地割れに飲まれて消えていくメイジやエルフの仲間たち。ブリミルはサーシャを抱きかかえながら、片手で必死で残ったひとりの手を掴んでいたが。

「は、離さないで」

「ブルミルさん、あっ、きゃぁぁーっ」

「ああっ! みんなぁーっ!」

 無情にも、濡れた手は滑り、最後のひとりの姿も地割れの中に消えていった。

 テレスドンはブリミルには気がつきもしない風に地上に這い出し、ブリミルの仲間たちの落ちていった穴も崩れて埋まる。

「うあぉぉぉーっ!」

 悲しみの余り、サーシャを抱きしめながら声にならない叫びを上げて慟哭するブリミル。

 地上は怪獣無法地帯となり、歪んだ空間の異常で気候はさらに荒れていく。もはや歯止めなどどこをどうしても見つけようもない。

 それでも、終わりはやってくる。怪獣たちの乱闘にテレスドンも参戦したとき、テレスドンはその口から強力な溶岩熱線を吐いて、これをこともあろうにメダンに浴びせかけてしまったのだ。

 メダンは天然ガスを食って養分にする怪獣だ。つまりその体内には可燃ガスが充満しており、ガスゲゴンなどと同じく火気に反応して誘爆を起こす性質を持っている。増してテレスドンの強力な溶岩熱線を浴びたのでは、結果は火を見て明らかになった。

 

 メダンを中心にして、赤い閃光とともにすべてが白い世界に染め上げられる。

 怪獣たちも、街の廃墟も飲み込まれて消えていく。そしてブリミルも吹き飛ばされて海に落ち、そのまま意識を失った。

 その日、はるか宇宙からこの星を見下ろした怪獣たちは、星の一角で渦巻く台風のような黒雲と、その中心できらめいた閃光を見たという……

 

 それからいかほどの時間が流れたのか。ブリミルが目を覚ましたのは、どこかの海岸の砂浜であった。

 耳に聞こえるのは涼やかな波の音。うっすらと開けた目に入ってきたのは、自分に寄り添うサーシャの心配する顔だった。

「う、ここは……サーシャ?」

「ようやく目が覚めたわね。見なさいよ……なにもかも、すべてはもう海の底になってしまったわ」

 はっとして起き上がったブリミルは、海岸からはるか遠くの水平線を望んで、それを見た。

 水平線のかなたで黒雲が渦巻き、無数の雷光がきらめいている。ブリミルは呆然としながら、サーシャに尋ねた。

「あれからいったい、何が起こったんだい……・?」

「わからないわ、わたしが気がついたときには水の中だった。気を失って流されていくあなたを掴まえて、必死に泳ぐので精一杯だった。そして流されて流されて、やっと流れ着いたのがここだったというだけ」

「君は、僕を抱えたまま泳ぎ続けてくれたのか。ありがとう……街は、どうなった?」

 しかしサーシャは首を横に振った。

「最後に振り返ったとき、なにもかもが水底に沈んでいくのが見えただけ。あの街の一帯は、もう完全に沈んでしまったんでしょう。今もあのとおり、近づくこともできないわ」

「みんなは……僕ら以外に、誰か流れ着いた人はいないのか?」

 一縷の希望を込めたその問いかけに答えたのは、サーシャの沈痛な面持ちの沈黙だけであった。

 生き残ったのは、自分たちふたりだけ。ブリミルは自分の心に、これまでにない暗さと痛みが巻き起こってくるのを感じた。

「う、うぅ……うあぁぁーっ!」

「ちょっ、ブリミルっ?」

「ああぁーっ! なんで、なんでこうなるんだ? そりゃ、僕らマギ族はバカだったさ。バカなことをいっぱいやったさ、なにもかも僕らのせいさ。けど、けどここまで何もかもを奪いつくされなくちゃいけないかい! 罰だっていうにしてもあんまりじゃないか! ひどすぎるじゃないか、畜生ぉぉっ!」

「落ち着きなさい、蛮人!」

 わめき散らすブリミルの頬を、サーシャの平手が思い切り叩いた。

「悲しいのがあんただけだと思ってるの? わたしだって、わたしだってねえ……でも、わたしとあなたは生きていられた。それだけでも、ゼロじゃないじゃない」

「でも、でも……うあぁぁ、みんなぁ……」

 サーシャの胸に顔をうずめて、ブリミルは子供のように泣いた。ブリミルを抱きしめるサーシャの頬にも、涙の川が流れていた。

「故郷も、仲間も、全部海の底に沈んでしまった。僕は、僕は守れなかった! こんな力があったって、誰も救えなかった。こんな力、何の役にも立たないじゃないか……まるで虚無だ、僕なんて、虚無の使い手がお似合いなんだ」

「いいえ、あなたが頑張ったからわたしはこうして生きてる。みんなだってきっと、あなたが生き残れてよかったって思っているわ。これ以上、もう自分を責めないで」

「いや僕のせいさ。僕があんな街に行こうとしなければ、みんなが死ぬことはなかった。僕がみんなを殺したも同然だ。僕は、僕はどうやって償えばいいんだ」

 サーシャには答えられなかった。ブリミルにとって、この旅の中で出会った仲間たちがどんなに大切であったか、代われるものなら自分が代わって死にたかったに違いない。

 これからどうすればいいのか? それはサーシャにも何もわからなかった。仲間はすべて失い、ここは見も知らない土地、持っているものといえば腰に吊るしたままの愛用の長剣一本くらいだ。

 自分を責め続けるしかできないブリミルを、サーシャはひたすら抱きしめてやるしかできなかった。せめて泣くだけ泣いて、悲しみをすべて吐き出して楽になってほしかった。

 

 そしていかほどの時が流れたか……涙も枯れ果て、すっかり日も落ちて、辺りは雲からわずかに刺す月光のみが照らすだけの時間となったとき、ブリミルはゆっくりと立ち上がった。

「ブリミル?」

 立ち上がって空を見上げるブリミルに、サーシャは怪訝な様子で名を呼びかけた。

 けれどブリミルは空をあおいだまま答えない。代わりにサーシャの耳に響いてきたのは、呪うようにつぶやかれたブリミルの独語だった。

「もう、この世界に希望なんてない。そうだ、償いだ……償わなきゃいけない。僕らが犯した過ちは、僕の手で終わらせなきゃいけないんだ。みんな、僕は何をすべきかをわかったよ。虚無の魔法……これで、この星を元に戻すんだね」

 そのとき、雲が切れて月光がブリミルの顔を照らし出した。

 だが、サーシャはブリミルに話しかけることはできなかった。なぜなら、ブリミルの口元は鈍く歪み、その顔には狂気の色が濃く浮かんでいたのだ。

 

 

 現代のブリミルは語った。

「このときの僕は、ほんとにどうかしていたね。もうこの世に自分しかいないと思うくらい絶望しきって、使ってしまおうとしたんだ……自分でも大仰な名前をつけた、『生命』なんて禁断の邪法をね」

 ブリミルは顔を振りながら、まったく自分の情けない過去をさらすのは嫌なものだね、とつぶやいた。

 しかし、ルイズやティファニアはぐっと拳を握り締めて話の続きを待っていた。なぜなら、ブリミルが禁断の邪法などと呼ぶその魔法は、虚無の系統を受け継ぐ自分たちにも使えるはずなのだから。

 

 

 ブリミルは静かにため息をつくと、語りを再開した。

 始祖の語られざる伝説も、ついに最後を迎える。絶望の果てにブリミルとサーシャを待つものは何か?

 希望は本当になくなってしまったのか……空に輝きだした不思議な青い星だけが、その答えを知っていた。

 

 

 続く



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第57話  虚無を超えて

 第57話 

 虚無を超えて

 

 カオスリドリアス 

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 ハルケギニアの伝説に語られる偉人にして聖人、始祖ブリミル。

 しかし、彼の人生は決して平坦なものではなかった。彼は宇宙船の中でマギ族の人間として故郷を知らずに生まれ、たどりついた惑星でなに不自由ない少年時代を送った。

 マギ族の繁栄の日々は、そのまま彼の人生の絶頂期そのものであり、それはマギ族の凋落とも一致する。

 そして青年時代、本当のブリミルの人生はここから始まったと言ってもいいかもしれない。何も知らないでマギ族の仲間のなすがままに自分も流されていた子供の時代から、己の足で土を踏みしめて生きていかねばならない時代に入った。

 少年時代とは比べ物にならない過酷な旅の日々。けれど、それはブリミルに温室の中では決して得られない多くのものを与えた。知識、技術、友情、信頼、愛情、旅路の仲間たちから教えられたことは、確実にブリミルを大人に成長させていった。

 だが、運命はブリミルに残酷な試練を課した。同胞も、故郷も、仲間たちもなにもかもを奪いつくされたブリミルに残ったのは、底知れない虚無の感情だけだったのだ。

 それに囚われたブリミルが思いついた、『生命』の魔法とはなにか。それを問われると、現代のブリミルは苦しげに答えた。

「ろくでもない魔法さ。僕は最初に覚えた魔法のほかにも、応用していくつかのオリジナルの魔法を作ったけど、その中でもこいつは二度と使うまいと思ってる。『生命』って名前も皮肉なもんさ。ともかく、すぐわかるから見ていたほうが早い」

 彼にとって、もっとも忌まわしい記憶。しかし、忘れてはいけない記憶がここにある。

 

 ブリミルは何をしようとしているのだろうか。彼が、始祖と呼ばれる人物になった、その転換点……そして、絶望を前にしてサーシャは何をブリミルに示すのか。

 巨大すぎる絶望を前にして人が出す答えと、運命がそれに与える回答とはいかに。始祖伝説の最後の秘密が今こそ明かされる。

 

 マギ族の首都の崩壊から生き延びたブリミルとサーシャ。完全に水没した都市から、なんとかどこかの海岸に流れ着いた二人だったが、ブリミルは謎の言葉を残してサーシャの前から姿を消した。

「もう、この世界は滅ぶしかない。希望なんて、幻想に過ぎなかったんだ……けど、責任はとらなきゃいけない。この星の間違った生命を、正しい方向に戻すんだ」

「ブリミル……あなたいったい、何を言っているの?」

「サーシャ、今日まで僕なんかのためにありがとう。僕はこれから、この星の生命を元に戻す。それできっと、この星は生き返るはずだ。さよならサーシャ、僕は地獄に落ちるけど、君は天国に行ってくれ」

 その言葉を残して、ブリミルはテレポートの魔法を唱えて消えた。そのタイミングで、現代のサーシャはブリミルの手を握り、ここからはわたしの記憶で話を進めるからねと告げた。イリュージョンの魔法は熟練すると他人の記憶の投影もできるようになるらしい、記録の魔法との複合かもしれないが、今のルイズには無理な芸当だった。

 物語を再開する。ブリミルが消えた後、サーシャは必死で、ブリミル、蛮人、と声を張り上げて探すが、ブリミルの姿は目に映る範囲のどこにもなかった。

「いけない! あの蛮人なにかやるつもりだわ」

 サーシャはブリミルの最後の言葉を思い出して、強い危機感を覚えた。

 あのときのブリミルの様子はどう見てもまともじゃなかった。自殺? いや、あの意味ありげな台詞は、もっと別のなにかを思いついたに違いない。しかも、とても悪いことが起きることを。

 見つけ出して止めないと。サーシャは走り出した。

「いったいどこへ行ったのよ蛮人。確か、あのテレポートの魔法はそんなに遠くまで飛ぶことはできないはず。まだそんなに離れていないはずだわ。けど、いったいどこへ?」

 サーシャは道なき荒野をあてもなく走った。このあたりの地理は自分は詳しくなく、逆にブリミルにとっては自分の庭先も同然なくらいに知り尽くしている。きっとブリミルは記憶を頼りにして、この近くのどこかに向かったのだろう。

 だが、いったいどこへ? 首都が崩壊した今、この近辺で人間の生き残っている可能性のある街や施設はほとんどないはず。サーシャはブリミルから雑談の中で聞かされていた、この地方の様子を必死で思い出した。

「このあたりで、まだ行く価値の残っている場所。落ち着いて思い出すのよ、さっきブリミルはこの星の生命を元に戻すって言ってた……生命と関わりのある場所、もしかしてあそこに?」

 ひとつだけ心当たりがあった。ブリミルが前にしゃべっていた内容に、こんなものがあった。

「僕が小さいころのこと? 君も変なことに興味持つねえ。そうだねえ、僕が小さい頃はマギ族はこの星の開拓に忙しくて、大人とはほとんど遊んでもらったことがないなあ。あ、でもひとつ思い出深いことがあるよ。首都の南にね、この星の動植物のことを研究するためのバイオパークがあったんだけど、小さかった頃の僕にとっては動物園や水族館みたいで毎日遊びに行ってたよ。見たこともない動物や魚が生きて動いてるところは、いくら見ても飽きなかったなあ。研究が終わってバイオパークは今じゃ閉鎖されちゃってるけど、あの頃はほんとに楽しかったよ」

 閉鎖されたバイオパーク……生命が関わって、ブリミルが行きそうな場所といえばそこしか思い当たらない。首都の南とブリミルは言っていた、太陽の位置からだいたいの方角を割り出して南へとサーシャは急いだ。

 しかし道のりは楽ではなかった。この近辺にも危険な怪獣や生き物はウヨウヨしていて、行く先で地底怪獣パゴスとウラン怪獣ガボラがエサの放射性物質を取り合って乱闘していたので、これを避けて海よりの道に逸れたら今度はさっきの二匹が撒き散らした放射能の影響で突然変異したらしい巨大フナムシの大群に襲われ、さらにこいつらをエサにしようと集まってきた火竜の群れからも逃げ回ることになり、いかにサーシャがガンダールヴと精霊魔法を使えるとはいっても相当な足止めと遠回りを余儀なくされた。

 テレポートで一気に飛んでいけるブリミルがうらやましい。逃げたり隠れたりを繰り返して、まだたいした距離は来ていないというのにヘトヘトだ。

 岩陰で休息をとりながら、サーシャはブリミルのことを思った。

「わたし、なんであんな奴のためにこんな苦労してるんだろう?」

 冷静になれば自分でも不思議だった。あんな奴、放っておいて自分だけで安全な場所に逃げればいいのに、どうして危険を冒して後を追っているのだろうか? どうせあいつは全ての元凶のマギ族なのだし、自分にこんなものを押し付けた勝手な奴なのだからと、サーシャは左手のガンダールヴのルーンを見た。

 いっそこのまま、ひとりで自由に生きてみようか。サーシャはふとそう思った。仲間はすべて失い、もう自分だけ、これ以上あんな奴のために苦労する必要があるのだろうか。どうせ別れを言い出したのはあいつなんだから……

 

 けど、そうもいかないのよね……

 

 サーシャは苦笑して、さっきまでの考えを振り払った。

 確かにブリミルはバカで阿呆で間抜けでトンチキの、魔法を除けばどうしようもないダメ人間だ。増して、憎んでも余りあるマギ族の男……けど、ひとつだけサーシャも認めている美点がある。それは、頑張り屋なところだ。

「蛮人、行く場所のなかったわたしたちに道を与えてくれたのはあなたじゃない。魔法の練習を欠かさずに続けて、努力して報われることがまだあるんだって教えてくれたのもあなた。行く手にどんな障害や怪獣が立ちふさがっても、あきらめずに乗り越えてきた、その先頭に立っていたのはあなたでしょ。その頑張りを、あなたから無駄にしようとしてどうするの。きっとみんなも、残ったわたしたちがあきらめちゃうことなんて望んでないわ」

 ここで逃げ出したら、死んでいった仲間たちに顔向けができない。死んだ者とはもう会えないが、その意思は生きている者が背負ってゆかねばならない。そのことをブリミルに教えないといけない。

 サーシャは岩陰から立ち上がり、再び南に進もうと足を踏み出した。が、なにげなく草むらに踏み込んだ、その瞬間だった。

「きゃっ! いったぁ、なに? えっ!」

 なんと、サーシャの足に太くて緑色のつるのようなものがからみついていた。自然に絡んだのではない、その証拠につるは草むらの陰からヘビのように這い出してきてサーシャの体にも巻きつこうとしてきたのだ。

「なによこれっ! つるよ、離しなさいっ! 魔法が効かない? ただの植物じゃないわ!」

 草木の精霊に呼びかけようとしても、ヘビのようなつるは操れなかった。つるはどんどんサーシャの体や手足を絡めとろうと伸びてくる。とっさに剣を抜いて、ガンダールヴの力で切り払おうとしたが、つるのほうが多く、一瞬の隙にサーシャは剣ごと全身を拘束されてしまった。

 完全に身動きを封じられて、地面に張り付けになってしまったサーシャは首だけをなんとか動かして周りを見回した。よく見ると、草むらの陰には血にまみれた衣服の残骸が散らばっている。

「しまった、ここは吸血植物のテリトリーだったのね。なんとか逃げ出さないと、わたしもこの服の持ち主みたいにっ」

 つるはどんどん力を強めて締め付けてくる。このままでは全身の血液を搾り取られてしまうだろう。サーシャはなんとか脱出しようともがいた。

 だが、事態はつるに絞め殺されるのを待つほど悠長ではなかった。草むらの陰から、今度は青黒い色をした大きなクモのような化け物が何匹も現れたのだ。

 たまらず悲鳴をあげるサーシャ。それはベル星人の擬似空間に生息する宇宙グモ・グモンガに酷似した小型怪獣で、紫色の有毒ガスを吐きながらサーシャに迫ってくる。擬似空間と同様に、吸血植物とは共生関係にあって、獲物を待ち構えていたのだろう。

 身動きできないサーシャに迫るグモンガの群れ。このまま生きたまま血肉を貪られ、骨も残さず食い殺されてしまうのだろうか。

「いやあぁぁぁっ! ブリミルーっ!」

 顔の間近まで迫ったグモンガにサーシャの絶叫が響き渡る。だが、そのとき突如突風が吹いてグモンガたちを吹き飛ばし、さらに巨大な影が射したと思うと、大きな手がサーシャを掴んでつるを引きちぎり、大空高くへと運び去っていったのだ。

 死地から一気に大空へと運ばれたサーシャは、冷たい風に身を任せながら、自分を手のひらの上に優しく乗せている巨大な青い鳥の姿を呆然と見上げていた。それは、才人やタバサも見知っている、あの優しく勇敢な大鳥の怪獣。

「リドリアス……」

 現代と過去で同時にその名が呼ばれた。何度となく世界を守るために共に戦った、今では戦友とも呼ぶべき怪獣。

 リドリアスはしばらく飛ぶと、安全な場所にサーシャを優しく下ろし、サーシャはリドリアスを見上げて、笑顔で声をかけた。

「ありがとう、助けてくれて」

 リドリアスは礼を言われたことに照れるかのように、のどを鳴らして穏やかな鳴き声を返した。それにサーシャも笑い返す。この時代のサーシャも、リドリアスのことは知っていたのだ。

 なりは大きいが、リドリアスはこれでも渡り鳥の一種であり、この星でも以前は普通に見られた存在だった。だがマギ族の起こした騒乱で数を減らし、今ではほとんど見られなくなっていたが。

「あなたも、厳しい世界の中で生き残っていたのね。こんな世界でも、ずっと」

 サーシャは、生き残っていたのが自分たちだけではなかったことに胸を熱くした。ところが、サーシャはリドリアスが片足をかばっているような仕草をしているのに気がつき、彼が傷を負っているのを見つけた。

「あなた、怪我してるじゃないの。待ってて、わたしが治してあげるから」

 リドリアスに駆け寄ると、サーシャはリドリアスの片足の傷に手をかざして呪文を唱えた。この者の体を流れる水よ、という文句に続いて魔法の光が輝き、リドリアスの負傷を癒していく。

「あなたも、いろんなところでつらい思いをしたのね。けど、まだ希望は残ってる。この世界はまだ、死に絶えちゃいない。そうでしょう……?」

 それはリドリアスに問いかけたのか、それともここにいないブリミルに問いかけたのか。あるいはその両方だったのか。

 リドリアスの傷を癒したサーシャは、ほかの怪獣が気がつく前に遠くに逃げなさいとうながした。しかしリドリアスはサーシャから離れる様子を見せなかった。

「わたしを守ってくれるっていうの? まったく、どっかの蛮人よりよっぽどナイト様ね。わかったわ、いっしょに行きましょう」

 そう答えると、リドリアスはうれしそうに鳴き、サーシャに顔を摺り寄せてきた。サーシャはリドリアスのくちばしの先をなでながら、優しくつぶやいた。

「そっか、あなたもひとりで心細かったのね」

 かつて、群れで飛ぶ姿も見られたリドリアスも、今ではこの一匹になってしまった。仲間もなく、凶暴な怪獣たちが跋扈する中で生きていくのはさぞつらかっただろう。

 けれど、もうひとりじゃない。これからは仲間だ、誰かがいっしょにいれば寂しくはない。

 サーシャは胸の中で、まだこの世界に希望があると、もう一度強く思った。無くしたものは大きいけれど、まだこうして見つけられたものもある。この希望のともしびの熱さを、ブリミルにも教えなくては。

「リドリアス、お願いがあるの。わたしを、この先に連れて行って欲しいの。もうひとり、助けなきゃいけない仲間がいる」

 その頼みを受けると、リドリアスはサーシャの前に頭を下ろして、乗っていいよというふうにうながした。

「ありがとう」

 サーシャが頭の上に飛び乗ると、リドリアスは翼を広げて飛び立った。上空の冷たい風が肌に染み、眼下の風景がすごい勢いで流れていく。

 リドリアスの飛行速度はマッハ二。サーシャに気を使ってそこまで早くはしていないものの、それでもサーシャの体験してきた何よりもリドリアスは早かった。

「すっごーい。あのバカのテレポートよりずっとはやーい!」

 しれっとブリミルに対して毒を吐きながらも、サーシャは行く先をじっと見つめて目を離さなかった。

 この先にブリミルがいる。何をする気か知らないけれど、どうか早まった真似だけはしないでちょうだい。そして願わくば、自分の勘が外れていないことを祈った。

 やがて行く先の荒野に小さな町があるのが見えてくる。サーシャは近くに怪獣がいないことを確認すると、リドリアスにあそこに下ろしてちょうだいと頼み、町の入り口にリドリアスは着陸した。

「ありがとう、すぐ戻るからあなたはここで待ってて。体を低くして、目立たないようにしてるのよ」

 リドリアスにそう言い残すと、サーシャは町の中へと走っていった。

 町に人の気配はなく、やはりここも怪獣の襲撃を受けたことがあるように建物はのきなみ崩れ落ちた廃墟となっていた。いや、怪獣に壊される前から、すでに町は数年は放置されたゴーストタウンであったらしく、残った建物の壁にはこけがこびりつき、窓ガラスはすすけて曇っている。

 やっぱりここがブリミルの言っていた……確信を深めて町を散策するサーシャの前に、マギ族の文字、今のハルケギニアの文字の原型になった文字で書かれた看板が現れた。

「第五水産物試験研究所……ビンゴね!」

 どうやら間違いはなさそうだ。この町が、ブリミルの言っていた思い出の場所だ。

 しかし肝心のブリミルはどこに? 地上の建物はただの廃墟で、ろくなものが残っているようには見えない。なら考えられるのは、首都と同じく地下にある施設だけだ。

 どこかに入り口がある。サーシャは飛び上がると、空から地上を見回した。すると、倒壊した建物のそばに、ぽっかりと開いている地下への階段の入り口があった。

「つい最近に入り口の瓦礫を動かした跡がある。ここで違いないようね」

 自分の推理が当たっていたことを喜ぶ間もなく、サーシャは覚悟を決めると、暗い通路の中を地下へと向けて降りていった。

 地下はあまり被害を受けていなかったらしく、少し歩くと通路はきれいになった。それどころか、地下三階ほどの階層まで来ると電源も生き残っていたのか電灯で通路は明るくなり、その先にはかつてこの施設で使われていた設備の数々が往年のそれと同じような姿で生きていた。

「わぁ……」

 思わずサーシャは感嘆の声を漏らした。通路の左右はガラス張りの巨大水槽となっており、それが延々と先へと続いている。

 まさに水族館の光景だ。サーシャは、まだマギ族が優しかったころに街に作ってくれた水族館に行ったときのことを思い出した。

 水槽はクジラでも楽々入りそうな奥行きがあり、以前はここで星のあちこちから集められた魚介類が研究されていたのが察せられた。今では水槽はカラになり、水槽の底には魚の骨と小さなカニかエビのような生き物がうろついているだけの寂しい光景となっているが、往年は本当に夢のような光景が色とりどりに輝いていたのだろう。

 ここで子供のころのブリミルが……サーシャはその様子を想像しながら通路を進み、声をあげて彼を呼んだ。

「蛮人ーっ! ここにいるんでしょーっ! 返事をしなさい! 怒らないから出てきなさい。ブリミルーっ!」

 澄んだ声は反響して奥へ奥へと響いていくが、返事はなかった。

 いいわ、ならこっちから行くから。と、サーシャは歩を早めて通路を進んでいく。幸い施設はほぼ一本道で、迷う心配はなさそうだ。

 やがて水産物試験場の最奥部まで進むと、目の前に大きなエレベーターが現れた。ゴンドラは最下層で止まっている。サーシャはゴンドラを呼び出して乗り込むと、迷わず最下層のスイッチを押した。

 ゴンドラはゆっくりと地下へと下がっていく。どうやら階層ごとに水産物や畜産物、その他の動物や昆虫や植物の研究施設になっていたらしく、ガラス張りのエレベーターからは、かつては動物園や植物園のようになっていたらしい光景が透けて見えた。

 ここはまさに、かつてのマギ族にとって希望の城だったのだろうとサーシャは思った。ブリミルは、狭い船の中で何十年も過ごしてきたマギ族にとって、生命にあふれたこの世界はまさに理想郷だったと言っていた。豊富な生命は、万物の根源となる究極の宝だと。だが、驕ったマギ族は、その宝の使い道を誤った。

 生き物を無邪気に愛でる、夢のある心を持ち続けていれば余計な争いなどしなくてよかったものを。たとえば動物たちと話ができて、触れ合って遊べるテーマパークみたいなものがあれば、みんな荒んだ心を溶かされ子供に戻って楽しく過ごせたろうにと思う。

 エレベーターは地下深く深くへと下り続け、やがて最下層に到達した。そこは各階層での研究内容をまとめるコンピュータールームになっているらしく、これまでと打って変わって通路の左右には休止状態のスーパーコンピューターが低いうなりをあげながら陳列されており、さながら鉄で出来た広大な図書館を思わせた。

 ここが最奥部……サーシャは息を呑みながら通路を進み、呼びかけた。

「ブリミル、いるんでしょ! 答えなさい!」

「聞こえてるよ。こっちだよサーシャ」

 唐突に返ってきた返答にサーシャが振り返ると、そこにはブリミルが何かの操作パネルを前にして立っていた。

 身構えるサーシャ。十メートルばかりを挟んで対峙しながら、ブリミルは無感情に話した。

「よくここがわかったね。君にこの場所を教えたことはあったけど、あんな何気ない話を覚えてるとは思わなかったよ」

「あいにく、物覚えはいいほうなのよ。そんなことより、こんな場所でなにをしてるの? 答えてもらうわ」

「もちろんいいさ、君に隠し事をする気は僕にはないよ。順を追って話すとね、ここにはマギ族がこの星の生き物に関して集めた情報が詰まってる。マギ族は、このデータを元にして君たちエルフのような改造生命を作り出したんだ。ここまではいいかい?」

 サーシャは無言でうなづいた。サーシャにも、最低限の科学知識はエルフに改造されたときに脳に刷り込まれている。

「マギ族は、もう数え切れないほどの人工生命を作り出した。けど、それら全ての人工生命には、ある特殊な因子を遺伝子に組み込んで完成させた。僕は、その因子を調べるためにここに来たんだ」

「因子……なんのために?」

 意味がわからないと、問い返すサーシャ。現代でその光景をビジョンごしに見守る才人たちも、過去のブリミルの言葉を聴き逃すまいと沈黙して耳をすませた。

「マギ族が人工生命を作った理由はさまざまだけど、人工生命を作る過程でマギ族は用心をしていたんだ。つまり、もしも自分たちで作った生命体が想定外の行動を見せて危険になったとき、特定のシグナルを与えることで、その生命体を強制停止させる。安全装置としての、自爆因子をね」

「なんですって! それじゃ、わたしたちは体の中に爆弾を埋め込まれてるようなものじゃないの」

 愕然とするサーシャ。しかしブリミルはゆっくりと首を横に振った。

「心配することはないよ。その自爆因子に働きかけるシグナルは、マギ族同士で戦争が始まったときに誰かが消去してしまって、もうどこにもデータは残ってない。そんなものが残っていたら戦争にならないからね。君たちにも因子は埋め込まれてはいるけど、それはベースになった改造プログラム上のなごりなだけさ」

「じゃあ、そんな役に立たない因子のことを調べてどうするのよ?」

 問いかけると、ブリミルは軽く杖を振って見せた。魔法の光が輝いて、車ほどの大きさがあるスーパーコンピューターの一機が塵に返る。

「僕の魔法は、物質を構成する原子に直接働きかける力があるらしい。適当に使えば破壊するだけだけど、イマジネーションさえしっかりすれば、あらゆる物質を反応させることもできる。当然、その因子にもね」

「あんたまさか! 自分のやろうとしていることがわかってるの!」

 ブリミルの考えに気がついたサーシャが絶叫する。しかしブリミルは冷然として言った。

「もちろんわかっているさ。僕がその魔法を唱えた瞬間に、マギ族が手を加えたすべての生物は一瞬にして死に絶える。ドラゴンも、グリフォンも、メイジも、エルフも、そしてもちろん」

「わたしもあなたも死ぬ。この世界を道連れにして無理心中をはかる気なの!」

「違うよ、この世界を元に戻すだけさ。マギ族が荒らす前の、平和な世界にね。すでにここのコンピュータから、自爆因子の情報は引き出した。あと、必要な条件はひとつだけ……それが揃えば、とうとう完成するんだ。間違った命を正しい方向にやり直させる最後の魔法、『生命』がね!」

 虚無に支配されたまなざしで、高らかにブリミルは宣言した。

 その恐ろしすぎる魔法の正体に、現代の才人やルイズたちも戦慄する。

「『生命』なんて、とんでもないわ。悪魔のような絶滅魔法じゃないの」

 ルイズの言葉に、現代のブリミルは沈痛な面持ちでうなづいた。

 『生命』。なんて恐ろしい魔法だ……ハルケギニアにおいて、マギ族の手が加わっていない生き物のほうが少ないくらいなのに、そんなものを発動させたら世界はめちゃめちゃになってしまう。

 しかも、それが虚無の系統とともに現代にも受け継がれているとしたら。アンリエッタはルイズとティファニアを見て、納得したように言った。

「教皇が虚無の担い手を狙っていたのも、間違いなく『生命』の魔法を手中にせんがためだったのでしょうね。彼はあわよくば生命で人類とエルフを滅ぼし、一挙に全世界を手中に収める算段だったのでしょう」

 ほぼ、それで間違いないだろうと皆は思った。しかしブリミルに比べて力の劣る現在の虚無の担い手では生命の発動は難しい上に、ルイズやティファニアが言いなりになるわけはない。それに現在のハルケギニアの生態系は壊滅してしまうので、教皇としては使えれば幸運な手札の一枚として考えていたのだろう。

 ともあれ、恐ろしい魔法だ。エクスプロージョンや分解など比較にもならない、世界にそのまま破滅をもたらしてしまう。メイジの人口割合はハルケギニアの中でそこまで高くはないが、六千年のうちに平民とメイジの混血がおこなわれ、現在先祖にメイジがいると知らずに生きている平民は膨大な数に上るだろう。つまりは、ハルケギニアの人間のほとんどに自爆因子は潜在していると考えていい。

「でも、いくら始祖ブリミルでも、世界中の生き物にいっぺんに魔法をかけるなんて、そんな無茶なことができるの?」

 キュルケが、いくら始祖でも人間にそこまでのことができるのかとつぶやいた。確かに、仮に命と引き換えにしての魔法だったとしても限界はある。ましてあの当時のこと、ひとつの星を覆うほどの魔法をたったひとりのメイジがおこなうなど、ルイズが百人いたって不可能だ。

 しかしブリミルは、静かに口を開いた。

「確かに、僕ひとりの力では命と引き換えにしたって不可能だ。だけどね、虚無の系統にはそれを可能にする方法があるんだ。虚無の系統の使い魔のこと、知っているかい?」

 ブリミルがそう尋ねると、ティファニアがおずおずと手を上げた。

「あの、わたし聞いたことがあります。いいえ、わたしに忘却の魔法を教えてくれた古いオルゴールが、魔法といっしょに教えてくれた歌の中にそれが。確か、ガンダールヴ、ヴィンダールヴ、ミョズニトニルンと、最後に語ることさえはばかられるというのが一人」

「そう、主人を守る盾の役目のガンダールヴ。獣を操り主人を運ぶヴィンダールヴ。魔法道具を操るミョズニトニルン。今の僕はヴィンダールヴとミョズニトニルンはまだ召喚してないけど……最後のひとつ、リーヴスラシルというのが要なんだ」

 始祖の四番目の使い魔、リーヴスラシル。誰もが初めて聞く名前に、それがどういう意味を持つのかと息を呑んだ。

 エレオノールやルクシャナもすら、推論のひとつも口にしようとはしない。まったく想像できないからだ。使い魔である以上、なにかしら主人の役に立つ能力を備えているのだけは間違いなくても、まるで見当がつかない。

 しかし使い魔ということは、これからブリミルが召喚するということなのだろう。だが才人はおかしいと思った。ブリミルの使い魔はサーシャ以外には現在いないはずだ、何故? いや、尋ねるだけ無駄なことだ。なぜならこれからすぐにわかることなのだから。

 過去のビジョンは再開され、『生命』を使おうとする過去のブリミルと、それを止めようとする過去のサーシャが対峙する。

「蛮人、馬鹿なことはよしなさい。今さらマギ族の痕跡を消したって、世界は元に戻ったりしないわ。あなたは自分の手で世界を完全に滅ぼすことになるわ」

「サーシャ、それは視野が狭いよ。この狂いきった世界を蘇らせるには、一度完全にリセットしないといけないんだ。そうすれば、この世界は何万年か後に必ず元のように美しい世界に蘇る。僕はわかったんだ、なぜマギ族の中で僕だけが生き残ったのか、マギ族の痕跡を完全に消し去ること、それが僕の運命だったんだよ」

「違う! 人に決まりきった運命なんてないわ。運命なんて、そうあるように見えるだけよ。あんたのやろうとしてるのはただの虐殺だわ、そんなもの、絶対にやらせない!」

「なら、どうするね?」

 サーシャの怒声にも冷談な態度を崩さないブリミルに対して、サーシャはついに怒りを爆発させた。

「力づくでも、止めてやるわ!」

 床を強く蹴り、サーシャは雌豹のようにブリミルに飛び掛った。しかし、その行動は完全にブリミルに読まれていた。

「君ならそう来るだろうと思ってたよ」

 ぽつりとつぶやくと、ブリミルの姿が掻き消えた。サーシャの手はむなしく宙を掴む。

「テレポートね。どこに行ったの?」

 この手はこちらも読んでいた。ほぼ詠唱なしのテレポートならわずかな距離しか動けないはず、ならばこの部屋のどこかにまだいる。

 サーシャは周囲の気配を探った。前、右、左、そして。

「誰かをお探しですかぁ?」

 後ろからヌッっと声をかけられ、サーシャの背筋に震えが走った。

 振り返ろうとした瞬間、肩に何かが乗せられる感触がして視線だけを動かすと、ブリミルがすぐ後ろで肩に顎を乗せて笑っていた。

「きゃあぁぁぁーっ!」

 絹を裂くような悲鳴をあげてブリミルに殴りかかるサーシャ。しかしブリミルは一瞬早く身を引いていた。

「はぁ、はぁ……変態か!」

 息を切らせて空振りに終わった拳を震わせながら怒鳴るサーシャ。見守っていた才人たちも、「うわぁ……」と、犯罪者を見る目つきで顔を伏せている現代のブリミルを見ていた。

「せっかくだから、こういうのを最後にやってみたかったんだよ」

 過去のブリミルはいやらしい表情で、現代のブリミルは心底後悔してる様子で言った。

 人間、落ちるところまで落ちると色々な意味で吹っ切れるらしい。今のブリミルは、以前の面影がないほど闇に染まりきっていた。

 一方のサーシャは、怒り心頭といった様子でついに剣を抜いた。無理からぬ話だが、しかしブリミルはにやけ顔を崩さずに杖を振った。

「かっこいいねえ……いつまでも君と遊んでいれたら幸せだろうけど、ここでこれ以上消耗するわけにはいかない。君はここで僕のやることを見ていてくれたまえ」

 ブリミルが後ろ手でコンピュータのスイッチを押すと、停止していた大型ディスプレイが点灯した。薄暗い部屋に慣れていたサーシャの目が一瞬くらみ、その隙にブリミルは後ろに作り出した世界扉のゲートに飛び込んだ。

「じゃあね」

「しまった! 待ちなさい!」

 慌ててガンダールヴの力で飛び掛ったが、一瞬遅くブリミルはゲートの先に消え、ゲートもサーシャの眼前で蛍のように掻き消えてしまっていた。

 逃がしてしまった! まずい、今度はいったいどこへ?

 ブリミルを追って部屋を飛び出そうとするサーシャ。しかし慌てるサーシャの後ろのディスプレイから、ブリミルの声が響いてきた。

「僕を探す必要はないよ、サーシャ」

「蛮人っ!? そこは」

 起動したコンピューターのディスプレイに、ブリミルの姿が映っていた。彼の手にはなにやら端末のような機械が見える。彼が画像を動かすと、ブリミルはこの町の近くの荒野に立っていることがわかった。

「君がどんなに急いで走っても、もう間に合わない。けど、せめて最後は見守っていてくれ。僕の最後の仕事を、ね」

 ディスプレイからブリミルの声が聞こえる。サーシャは歯軋りしたが、ここから全力で走って向かったとしても二十分はゆうにかかってしまう。いくら虚無の系統の詠唱が長いとはいえ、間に合うものではない。

 本当に見守るしかできないのか、焦るサーシャの耳にブリミルの言葉が響いてきた。

「さて、今すぐ全世界に『生命』をかけたいところだが、そうもいかない。僕の精神力ではとても足りないからね」

「ならどうするっていうの? もったいぶらずにさっさと答えなさい!」

 こちらからの声も向こうに通じるだろうとサーシャが怒鳴ると、ブリミルは当然のように笑いながら言った。

「リーヴスラシル。僕の系統にはね、主の魔法力の消耗を代替する使い魔が存在するのさ。今まで君に遠慮して他の使い魔の召喚は避けてきたけど、見せてあげるよ。世界を終わらせる、僕の最後のパートナーをね」

 つまり、リーヴスラシルとは虚無の系統の補助燃料タンク、あるいは電池だということか。現代で見守っている面々は、確かにそれなら使い手の許容量を超えた魔法も使えると納得した。

 ブリミルはモニターごしに見守っているサーシャの前でサモン・サーヴァントの魔法を唱え始めた。いったいどんな使い魔が来るんだ? 息を呑んで見守る面々の前で、ブリミルが杖を振り下ろす。

 すると、召喚のゲートが現れた。ブリミルの前と、そしてサーシャの目の前に。

「これ、は……」

 サーシャは突然目の前に出現したゲートの輝きに困惑した。何故、ゲートがわたしの前に? わたしはすでにガンダールヴになっている、それなのに。

 現代で見守る面々も、まさかの出来事に目を丸くしている。

 つまり、リーヴスラシルに選ばれたのは……サーシャ自身。

 サーシャはその皮肉に笑いつつ、ディスプレイの中で使い魔を待っているブリミルを見ながらつぶやいた。

「そういうことなのね……っとに、さっきはああ言ったけど、運命ってやつはどこまでわたしにイヤがらせをすれば気が済むのかしら。でも、これならわたしがゲートを潜らなければ、あのバカはリーヴスラシルを得られなくて『生命』を使えない」

 そう、それが一番合理的だとアニエスやタバサはうなづいた。

 しかし、ルイズやミシェルらはわかっていた。サーシャは、そういうことができる人間ではないことを。

「けどね……あのバカから逃げ出すなんてこと、わたしができるわけないじゃない。わたしの道は、いつでも前にだけあるんだから! いくわよぉーっ!」

 意を決してサーシャはゲートに飛び込んだ。傍から見れば、彼女も立派なバカの一員であるが、人間はわかっていても意地を通さねばならないこともある。

 ゲートを飛び越え、最初に見たのはブリミルの驚愕の顔であった。そのまま懐に飛び込んで、思い切り顔面を殴り飛ばす。ブリミルは派手に吹っ飛ばされて地面を転がった。

「ぐ、うぅぅ……な、なんで君が? いや、そうか、そういうことか」

「そうよ、どういうわけか知らないけど、わたしは二重に使い魔に選ばれちゃったみたいね。恨むなら、あんたの魔法を恨みなさいよ、バーカ!」

 事情をブリミルも理解し、自分の運命の皮肉に苦笑いした。なんたることか、最後くらいサーシャには負担をかけたくないと思っていたのに、とことんこの世は思い通りにならないようにできているらしい。

 ブリミルはゲートを通ってきたものがなんであれ、すぐにリーヴスラシルに契約して『生命』の魔法を使おうと思い、すでにコントラクト・サーヴァントの魔法は完成させていた。が、まさか相手がサーシャで、出てくるなり殴り飛ばされるなどとは完全に想定外であった。

「まいったねこれは。一応聞くけど、このまま僕と二重契約に応じてくれる気は?」

「死ね」

「だろうねえ」

 当たり前すぎる答えで笑うしかない。相手がそこいらのメイジや幻獣などだったら強制契約も可能だったが、相手がサーシャではそれもどうか。

 勝てないとは思わない。その気になればサーシャを打ち倒し、契約させることもできる。しかしそれは、いけない。

「弱ったね、僕にはどうしてもリーヴスラシルの力が必要なんだけれど」

「じゃ、どうする? 嫌がる女の子を押し倒して無理矢理唇を奪ってみる? それこそ最低ね!」

 サーシャを怒らせたことは山ほどある。けど、そんな強姦魔のような真似をして心を踏みにじることはしたくない。

 どうせすぐにふたりとも死ぬのだからいっしょではないか? そんなことはわかっている。けど、それでもサーシャに嫌われたくないと思ってしまうのは、人間の心の持つ矛盾というやつだろう。

 あきらめろと言ってくるサーシャ。だが、それでもブリミルは引くことはできなかった。ブリミルの心を覆う闇が、どこまでも終焉を求めて止まなかったのだ。

「仕方ない、僕だけでは不完全だけれど、それでもこの星の半分にかけるくらいはできるだろう。サーシャ、今度こそほんとうにさよならだ」

 ブリミルは杖を掲げて呪文を唱え始めた。その狂気に取り付かれた目に、サーシャは力づくでもブリミルを止めるために飛び掛る。しかしブリミルは杖をサーシャに向けて魔法を放った。

『エクスプロージョン』

 魔法の爆発が炸裂し、サーシャの体が吹き飛ばされる。サーシャはとっさに受け身をとったが、その顔は驚愕に歪んでいた。

「そんな、同時にふたつの魔法を!?」

「サーシャ、僕はもう君の知っている僕じゃない。僕の中に渦巻く真っ黒い闇が、僕にどんどん力を与えてくれるんだ。今の僕にとって、生命を唱えながら君をあしらうなんて何ほどもない。そこで黙って見ていたまえ、痛くはないさ、すぐに終わる」

「確かにすごい力ね。けど、わたしはあんたほど世界に絶望しちゃいない。わたしひとりじゃあんたに勝てなくても、わたしには仲間がいるわ!」

 涼しげなブリミルにサーシャが啖呵を切った瞬間、猛烈な突風がその場を吹きぬけた。砂塵が巻き上がって視界が封じられ、そしてブリミルの動きが止まったとき、彼の体は大きな手に掴まれて宙に持ちあげられていた。

「リドリアス! 偉いわ、よくやったわね」

「なっ? こ、この怪獣は」

「わたしの新しい仲間よ。いくらあんたでも、わたしとこの子までいっしょに相手はできないでしょ。リドリアス、そのままそいつを捕まえてて、わたしがたっぷりおしおきしてあげるんだから」

 サーシャの危機に駆けつけてきたリドリアス。ブリミルも、さすがにこればかりは想定外であった。体はリドリアスにがっちりと掴まれて逃げ出せず、下手に呪文を唱えようものなら死なない程度に「ボキッ」としてやれとサーシャが命じてしまった。

「すごいねサーシャ。たったあれだけの時間で、もう新しい仲間を作ってしまうとは。本当に君には驚かされることばかりだ」

「それは違うわ。わたしはただ、前へ歩き続けただけ。歩き続けたから、巡り合いがあったのよ。ブリミル、考え直して。まだこの世界には生き残っている人が必ずいるわ。仲間を増やして、わたしたちの手で世界を作り直しましょう」

 必死にサーシャはブリミルを説得しようとした。まだ希望はある、世界を終わらせる必要なんてないんだと。

 だが、ブリミルの目に宿った虚無の光は消えなかった。いや、それどころかサーシャにとって最悪の事態が起ころうとしていたのだ。

「サーシャ、君の希望が彼にあるというのはよくわかった。しかし、君は大事なことを忘れている。この世界には、小さな希望なんかすぐに押しつぶしてしまう巨大な厄災があるってことを」

 ブリミルがそう言って空を見上げると、サーシャも釣られて空を見て、そして凍りついた。空には、いつの間にか金色の粒子が渦巻いていたのだ。

「ヴァリヤーグ!? こんなときに!」

 最悪のタイミングでのカオスヘッダーの来襲であった。

 まずい! ブリミルの魔法の強烈さに引き寄せられたのであろうか? いや、そんなことはどうでもいい。あれの目的は、ひとつだからだ。

「逃げてぇ! リドリアス!」

 サーシャが叫んだときには遅かった。カオスヘッダーは一気に収束すると、リドリアスに向かって舞い降りてきたからだ。

 カオスヘッダーに取り付かれて苦しむリドリアス。ブリミルはその隙にリドリアスの手から逃れて、魔法でひらりと地面に着地した。

「仲間を作っても、どうせヴァリヤーグに奪い取られる。そんな世界に希望なんてない。だから終わらせるんだ、僕の手で」

 再び『生命』の魔法を唱え始めるブリミル。そしてリドリアスもカオスヘッダーに完全に取り付かれて、長い爪を持つ凶悪な姿のカオスリドリアスに変異させられてしまった。

 最悪に続く最悪の事態に、サーシャは悔しさで歯を食いしばった。

 けれど、それでもまだ終わってはいない。サーシャは駆けた、ブリミルの元へ。

「ブリミルーッ!」

「君は本当にあきらめが悪いね。無駄だと言っているだろう」

 エクスプロージョンの爆発がサーシャを吹き飛ばす。倒れこむサーシャを見下ろして、ブリミルは悲しげに告げた。

「そこでじっとしていてくれ。僕は、君をこれ以上苦しめたくない」

「誰が……ふざけたことを、言ってるんじゃないわよ」

 サーシャは立ち上がる。その目には、ブリミルと反対のものを宿らせて。

 しかしサーシャの敵は後ろにもいた。カオスリドリアスがサーシャを踏み潰そうと飛び掛ってきたのだ。

「リドリアス! やめて、正気に戻って」

 とっさにかわし、リドリアスに呼びかけるサーシャ。だが、カオスヘッダーに意識を乗っ取られてしまったリドリアスはサーシャの呼びかけにも応じずに、さらに口から破壊光線を放って攻撃してきた。

「きゃあぁぁーっ!」

 ガンダールヴの力でかろうじて避けたものの、余波でサーシャはまた吹き飛ばされた。全身を打ち、死ぬほど痛い。

 だが、サーシャは精霊魔法をリドリアスにぶつける気にはならなかった。リドリアスは自分の命の恩人、本当はとても心の優しい怪獣であり、今ではかけがえのない仲間なのだ、傷つけることはできない。

 一方で、カオスリドリアスにとっては人間たちの事情などは知ったことではなかった。サーシャを片付けると、今度はブリミルに向かって攻撃の手を伸ばす。だがブリミルはエクスプロージョンをぶつけて、カオスリドリアスを退けてしまった。

「リドリアス! この蛮人、リドリアスは操られてるだけなのよ」

「わかっているよ。しかし、ヴァリヤーグに取り付かれてしまうと、もう元には戻れない。それなのに君はすごいね、本当に君は……でも遅い。今、『生命』は完成した」

 ブリミルは町へ向かって杖を振り下ろした。すると、町全体が光に包まれて一瞬のうちに消滅し、魔法の光はそのまま巨大な光のドームとなって膨れ上がり始めたのだ。

「は、はは。ついにやったよ、やったよサーシャ。あれこそが、『生命』の光だ。あの光がやがて世界中に広がって、その中の間違った命をすべて浄化してくれるんだ。すぐに僕らも、うっ!」

 言葉を途切れさせ、ブリミルは苦しそうにうずくまった。

 サーシャにはそれがすぐに精神力の異常な枯渇によるものだということがわかった。生命の強烈すぎる威力が、ブリミル自身を食い尽くそうとしているのだ。

 助けなくては、ブリミルは自分の魔法に食い尽くされて死んでしまう。けれどどうすれば? 生命力なら自分の魔法で回復できるが、精神力は移せない。

 いや、移せる……サーシャは、ブリミルを救える唯一の方法に気がついた。しかしそれをすれば……

「迷ってる暇は、ない。か」

 サーシャは苦笑すると、ブリミルの元に駆け寄って彼を抱き起こした。苦しげなブリミルが、うつろな瞳で自分を見上げてくる。

「サーシャ……?」

「しゃべらないで。今、助けてあげるから」

 サーシャはブリミルの頭を抱きかかえると、すっと自分の唇をブリミルの口に押し付けた。

 ふたりの三度目の口付け……死の淵にいたブリミルは、メダンの毒ガスの中でサーシャが息をくれたときと同じように、甘い蜜のような香りを嗅いだように思えた。

 そしてそれは、不発になっていたコントラクト・サーヴァントによる二度目の契約の合図。サーシャの胸元にルーンの刻まれる光が輝き、彼女は二度目となる焼け付く熱さを耐えた。

「うっ、ううぅ……っ」

「サ、サーシャ」

「大丈夫、使い魔の印が刻まれてるだけだから……」

 サーシャは痛みに耐え切った。サーシャはリーヴスラシルになった。だがそれは、ルーンが刻印されるなど比べ物にならない苦痛に襲われることを意味する。

 神の心臓、リーヴスラシル。その効果は、主の代わりになって己の命を削ることである。

「あっ、あああぁぁーっ!」

 ルーンが輝き、サーシャの全身から力が抜けていく。リーヴスラシルの力が働いて、ブリミルの代わりに『生命』の魔法がサーシャの命を吸い尽くそうとしているのだ。

 胸元を押さえて悲鳴をあげるサーシャを、意識を取り戻したブリミルが抱き上げた。

「サーシャ、君は僕のために自分から。なぜだい、なぜそこまでして僕なんかのために?」

「な、なに言ってるのよ……わたしは、あんたに山ほど貸しがあるを忘れたの? それに、あんたが死んだらわたしは……わたしは、ひとりぼっちになっちゃうじゃない」

「サーシャ、僕は、僕は……」

 みるみる弱っていくサーシャを抱きかかえながら、ブリミルの心に自分でもわからない困惑が広がっていった。

「サーシャ、僕は救われる価値なんてない男だったのに、ごめんよ」

「な、なに言ってるの。蛮人の価値なんて、知ったことじゃないわ。あんたはただ、あんたでいればいいの。わたしは、それだけでいいんだから」

「うう……けど、もう遅いよ。『生命』の魔法は、もう僕にも止められない。リーヴスラシルの、君の力を吸い尽くしたら、あとは勝手に世界中に広がっていく。どのみち、もう数分の命なのさ」

 自嘲するブリミル。ほんの少し延命できても、すぐに生命の光に飲み込まれてすべてが終わる。

 だが、それを聞いたサーシャの顔に笑みが灯った。

「なあんだ、なら簡単じゃない」

「え?」

 ブリミルが反応する間もない瞬間のことであった。サーシャは片手で剣を逆手に持つと、半死人とは思えないほどの速さで、それをそのまま自分の胸へと突き立てたのだ。

 リーヴスラシルのルーンの真ん中を長剣が貫き、背中まで貫き通す。

 ごふ、とサーシャの口から血が吐き出され、サーシャの瞳から急速に生命の輝きが消えていく。そして少し遅れて、ブリミルの絶叫が響き渡った。

「サ、サーシャぁぁぁーーっ!」

 ブリミルは、いったい何が起こったのかわからなかった。抱き起こしたサーシャの体から血があふれ出し、ブリミルの手を赤く染めていく。

 しかしサーシャは、まるで勝ち誇ったかのように笑いながら言った。

「や、やった。『生命』が、わたしの命を吸って動くなら、吸い尽くされる前にわたしが死ねばいいってことよね……これで、あれは止まるわ。よかった」

 見ると、リーヴスラシルのルーンも力を失ったように輝きを消している。それに、『生命』の光も膨張をやめたようだ。

 だが、ブリミルにはそんなことはどうでもよかった。自分の腕の中で血の気を失っていくサーシャを抱きしめながら、とてつもない後悔が心を襲ってきていたのだ。

「サーシャ、なんて……なんてことを。僕のせいだ、僕がこんなことをしたばっかりに」

「バカね、やっと正気に戻ったのね……よかった。最後の最後で、やっと本当のあなたに会えた」

「そんな、最後だなんて言うなよ。君はいつも、いつだって僕や誰かのために一生懸命で……僕は、僕は、ただ君のためになりたくて。君のことが大好きで」

 するとサーシャは、片手でブリミルの頬をなでながら優しく語りかけた。

「ありがとう……わたしも好きよ……バカで、マヌケで、役立たずで、明るくて、頑張り屋のブリミル。最初は大嫌いだったけど、今では大好き」

「死ぬな、死なないでくれサーシャ。僕がバカだった。やっと気づいたんだ。世界よりも何よりも、僕が大事なのは君だ! 愛してる! 君をもっともっと幸せにしたい。だから死なないでくれ。君を失ったら、僕は、僕は」

「大丈夫、あなたはきっと、ひとりでも立てるわ。そして、その力を今度は、大勢の人のために使って……あなたならきっと、世界を救えるわ」

「なぜだ、なぜ君はそこまでして他人のために……こんな、悪夢のような世界の中でも希望を持てるんだい?」

「言ったでしょ、未来に決まった形なんて無い。どんなことだって、最初はみんな夢物語だったんだよ……忘れないで、希望も絶望も、描くのはあなた……未来はいつでも、真っ白なんだよ……」

 サーシャのまぶたが閉じ、手がぱたりと地面に落ちた。

 サーシャ? サーシャ? おい、嘘だろう? ブリミルが揺さぶっても、もうサーシャが答えることはなかった。

 まさか、と思うブリミルの見ている前で、サーシャの左手のガンダールヴのルーンと胸のリーヴスラシルのルーンが消滅する。使い魔の印の消滅は、死別によるものだけである。

 ブリミルはサーシャの遺体を抱きしめ、慟哭した。

「うおおぉーっ! サーシャ! サーシャぁぁぁーっ!」

 大粒の涙を流しながらブリミルは叫ぶ。

 また……またも自分の愚かさのために、大切な人を失ってしまった。サーシャは、サーシャはこんなところで死ぬべきではなかったというのに。

 大罪人は自分のほうだ。本来ならば、この剣で刺されていなければいけないのは自分のはずなのに、サーシャは自分を犠牲にして助けてくれた。

「サーシャ、頼むから目を開けてくれ。僕は救世主なんかじゃない。ひとりぼっちで生きていけるほど強くない。僕には君が、君が必要なんだ」

 サーシャは答えない。ブリミルはこのとき、サーシャの代わりに死ねたらどんなにいいだろうかと思った。

「誰か、誰でもいい、サーシャを助けてくれ! 代わりに僕の命をやる。サーシャ、僕をひとりにしないでくれえ」

 罪に気がついたときには、何もかも遅すぎた。世界を浄化しようなんてたわ言も、結局はサーシャの優しさに甘えていただけだった。

 サーシャがいつも隣にいて、笑ってくれる。それが、それが自分の原点だったというのに。

 だが、ブリミルには悲しみに浸り続けることも許されなかった。倒したカオスリドリアスが再度ブリミルを狙ってやってきたからだ。

「ヴァリヤーグ……あくまでも、僕らを滅ぼそうというつもりかい。もう僕から奪えるものなんて何もないというのに」

 サーシャを失った今、もう惜しいものなんて何もない。どうせ死ぬつもりだったんだ。いっそこのまま、サーシャといっしょに死ねれば幸せだ……けれど。

 ブリミルは涙を拭いて、サーシャを抱きかかえて立ち上がった。

「でも、僕の命は僕だけのものじゃない。サーシャが譲ってくれた、サーシャの命なんだ。僕は救世主なんかにはなれない。それでも、僕は世界のどこかで僕を待ってくれている人のために死ねない!」

 どんなにつらくても、どんなに苦しくても、もう投げ出したりはしない。サーシャの教えてくれた心で、最後まで歩き続ける。それが、サーシャに報いるための、自分にできるたったひとつの愛だから。

 光線を撃ち掛けてこようとしているカオスリドリアス。ブリミルは覚悟を決めた。もう魔法の力なんて残っていないけれども、サーシャの友人に背を向けない。絶対に、誰も見捨てない。

「僕は最後まで、あきらめない!」

 ブリミルの叫びが空を切る。

 目の前の巨大な絶望に対して、それはむなしい負け惜しみか、断末魔の叫びか。

 いいや、どんな絶望を前にしても、折れない強い意志は蟷螂の斧ではない。サーシャへの誓い、本当の愛に気づいたブリミルの魂の叫びは、その強い意志で奇跡を呼び寄せた。

 星へと近づいていた青い流星が、方向を変えてブリミルとサーシャの元へ舞い降りる。それはまさに光のようなスピードで。

 カオスリドリアスの光線がブリミルへと迫り、ブリミルはサーシャを抱きしめて死を覚悟した。だがそのとき、青い光がふたりを包み込んで光線をはじき返し、神々しい輝きとなって闇を照らし出したのだ。

 

 光の中で、ブリミルはサーシャが誰かと話しているような光景を見た。

 辺りは光に包まれ、とても暖かい。ブリミルは、これが死後の光景かと思った。

「僕は、死んだのか? サーシャ、君が迎えに来てくれたのかい?」

「いいえ、あなたは死んでないわ。そして、わたしも」

「えっ? 確かに、君は」

「そう、けれどあなたのあきらめない心が、彼を呼び寄せてくれた。この世界を救える、最後の希望……ありがとうブリミル。おかげで、わたしももう一度戦える。あなたとわたしの故郷の、この大切な星を守るために!」

 サーシャの手のひらの上に、青く輝く美しい石が現れる。その輝石から放たれる光がサーシャを包み、思わず目を閉じたブリミルが次に目を開けたとき、ブリミルは荒野に立つ青い巨人の姿を見た。

 

 あきらめない心が運命さえも変える。本当の愛を知ったとき、ブリミルとサーシャの新しい旅立ちが始まる。

 さあ、歩み始めよう。君たちが掴んだ、新しい未来とともに。

 そして呼ぼう、希望の名を。サーシャの教えてくれた、青き勇者のその名前は。

 

「光の戦士……ウルトラマンコスモス!」

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

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第58話  この星に生きるものたちへ

 第58話 

 この星に生きるものたちへ

 

 カオスヘッダー

 カオスヘッダー・イブリース

 カオスヘッダー・メビュート

 カオスダークネス

 カオスウルトラマン

 カオスウルトラマンカラミティ

 カオスリドリアス 

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

「泣かないで、ブリミル……」

 

 自分の体が冷たくなり、意識が深い眠りの中に落ちていく中でサーシャは思っていた。

 あなたをひとりにしてごめんなさい。けれど、わたしはいなくなっても、あなたは残る。あなたには、人が持っていない特別な力がある。その力を正しく使えば、きっと多くの人を救える。

 さよなら……わたしの大嫌いな蛮人。さよなら、わたしの大好きなブリミル。

 けれどそのとき、サーシャの心に不思議な声が響いた。

 

「君は、本当にそれでいいのかな?」

 

 そう問いかける声が聞こえた気がした。

 これでいいのか? サーシャは思った。

 良いわけがない……答えは簡単だった。今頃、ブリミルは深く嘆き悲しんでいることだろう。自分だって、ブリミルと別れるのは嫌だ。

 ブリミルのことだ、ひとりで何かをやろうとしたって空回りして痛い目を見るに決まっている。獣を取ろうとすれば黒焦げにするし、野草を探せば毒草に当たるようなおっちょこちょいだ。

 できるなら、もっといっしょにいたい。魔法以外にとりえがないあいつを、支えてやりたい。

 けれど、それは無理なのだ。発動してしまった『生命』を止めるには、リーヴスラシルが死ぬしかない。この世界を救うには、自分が死ぬしかなかったのだ。

 悲しい、苦しい、帰りたい……でも、わたしの命は尽きた。もう、あいつの元には戻れない。

 

「しかし、君にはまだ意思がある。生きたいという意思が」

 

 不思議な声がまた響き、暗く冷たい深淵に沈んでいっていたサーシャを、暖かい光が掬い上げた。

 ゆっくりと目を開くサーシャ。彼女は明るく優しい光の中で、青い体を持つ銀色の巨人の手のひらの上に抱かれていた。

 

「あなたは、神様?」

 

 サーシャの問いかけに、巨人はゆっくりと首を横に振った。

 

「私は、君たちがヴァリヤーグと呼ぶ、あの光のウイルスを追ってこの星にやってきた者だ」

「じゃあ、あなたはブリミルと同じ、宇宙人なの?」

 

 巨人はうなづき、そして語った。あの光のウイルスを放っておけば、この星は滅ぼされてしまうだろう。

 サーシャが、止められないのかと問いかけると、巨人は、難しいと答えた。奴らの力は強大だ、それにこの世界はすでに大きく傷ついてしまっている。

 

「なら、もう手遅れだというの?」

 

 サーシャは悔しかった。どんなに頑張っても、命を懸けてブリミルにつないでも、もう遅かったというのか。

 いや、そんなことはない。サーシャは叫んだ。

 

「まだ終わってない! この世界には、まだわたしたちがいる。何度倒されても、わたしたちはその度に立ち上がってきた。何度焼き払われても、わたしたちは何度でも種を撒きなおす。この世界にわたしたちが生きているかぎ、りは……」

 

 サーシャは最後まで言い切る前に、どうしようもない事実に気づいて言葉を途切れさせてしまった。

 そうだ、自分は死んでしまったんだ。自分の剣で自分の胸を貫いて……死んだ人間にできることはない。

 しかしそのとき、落胆するサーシャの中に何か暖かいものが入ってくるのを彼女は感じた。

 

「これ、熱い……でもとても優しい感じ。あなた……わたしに、わたしにもう一度命をくれるの? わかったわ、この世界を救うために、わたしにもまだやれることがあるのね」

 

 途絶えていたはずの心臓の鼓動が蘇ってくるのを感じる。胸の傷はいつの間にか消えていた。

 巨人はうなづき、その姿が消えていく。

 最後に巨人はサーシャに自分の名前と、なぜサーシャを選んだのかを教えてくれた。それは、誰かを守りたいという強い意思を二人分感じたから。

 サーシャは、自分を守ろうとしてくれた誰かが誰なのかを知っていた。それは、あいつの心に絶望ではなく勇気が宿ったということを意味している。

 光の中でサーシャは立ち、そして振り返るとブリミルが呆然としながら立っていた。

 君は死んだのでは? じゃあ僕も死んだのか? と、問いかけてくるブリミルに、それは違うと答えるサーシャ。

 そう、自分は生きている。そして生きているなら、成し得ることがある。あなたの、世界の希望にはわたしがなる。

 

「ブリミル、未来はいつでも真っ白なんだって言ったよね。もうひとつ教えてあげる、絶望の色は真っ黒だけど、希望の色は虹色なのよ。見てて、あなたのあきらめない心がわたしに新しい命と光をくれた。今度はあなたの光にわたしがなる」

 

 サーシャの手のひらの上に青く輝く輝石が現れ、その光がサーシャを包んでいく。

 

「運命は変わる。どんな絶望も闇も永遠じゃない。わたしたちがそれをあきらめない限り、未来は切り開ける。だから、彼は来てくれた。力を貸して、明日のために! 光の戦士、ウルトラマンコスモス!」

 

 その輝きが、明日を切り開く力となる。

 悲しみを乗り越え、涙を笑顔に。青き慈愛の勇者が今、絶望の大地に降り立つ。

「シュワッチ!」

 光はここに。ウルトラマンコスモスの勇姿が初めてハルケギニアの星に現れ、構えをとるコスモスとカオスリドリアスが対峙する。

 ブリミルは少し離れた場所からコスモスを見上げながら、これは夢か幻かと唖然としている。だがこれは彼とサーシャによって実現した、まぎれもない現実なのだ。それを証明するため、コスモスと一体化したサーシャはリドリアスを救うべくカオスリドリアスに立ち向かっていった。

「シュワッ!」

 急接近したコスモスの掌底がカオスリドリアスの胸を打って後退させ、続いて肩口に放たれた手刀が体のバランスを崩させた。

 重心を崩されてよろけるカオスリドリアス。コスモスはその隙をついてカオスリドリアスの首根っこを押さえて取り押さえようと組み付いた。

 それはまるで、サーシャがリドリアスに「おとなしくして!」と説得を試みているようだった。

 しかし、カオスヘッダーに取り付かれたリドリアスは力づくでコスモスを振り払うと、くちばしを突き立ててコスモスを攻撃してきた。コスモスはその攻撃を腕をクロスさせて受け止め、攻撃の勢いを逆利用してはじき返す。

「ハァッ!」

 カオスリドリアスを押し返し、再び構えをとって向かい合うコスモス。カオスリドリアスも、コスモスが容易な相手ではないということを理解して、威嚇するように鳴き声をあげた。

 そしてブリミルは、夢じゃない、と現実を理解した。この足元から伝わってくる振動、空気を伝わってくる衝撃はすべて現実のものだ。

「本物の、ウルトラマン……! ウルトラマンは、本当にいたんだ」

 ブリミルは幼いころに聞かされたことがあった。マギ族は長い宇宙の旅路の中で、宇宙のあちこちの星に伝わる伝承も集めていたが、その中に宇宙には人々の平和を守る神のような巨人がいるという伝説があった。その巨人の名が、ウルトラマン。

 よくある宇宙神話だと思っていた……だが、伝説は虚無ではなく本当だったのだ。

 ブリミルの見守る前で、ウルトラマンコスモスとカオスリドリアスの戦いは再開された。コスモスに対して、カオスリドリアスは口から破壊光線を放って攻撃を始め、コスモスはそれを青く輝く光のバリアーで受け止める。

『リバースパイク』

 光線はバリアーで押しとどめられてコスモスには届かない。しかし、悔しがるカオスリドリアスが頭を振ったことで、バリアーから外れた光線が地を張ってブリミルに襲い掛かってしまった。

「うっ、あああああああ!」

 魔法力を使い切ってしまっているブリミルに避ける手段はない。光線と弾き飛ばされた岩塊が雨と降ってくる中で、ブリミルは思わず目をつぶった。

 だが、そのときだった。ブリミルの前に、閃光のようなスピードでコスモスが割り込んだ。

「シュワッ!」

 コスモスは光線を腕をクロスさせてガードすると、続いて目にも止まらぬ速さで腕を振って岩塊を弾き飛ばした。

『マストアーム・プロテクター!』

 人間の目では追いきれないほどの超スピードでの移動と防御技の連続に、守られたはずのブリミルは訳がわからずにぽかんとするしかなかった。

 コスモスの背にかばわれ、ブリミルには塵ひとつかかってはいない。ブリミルは、自分が守られたことさえすぐには理解できずにいたが、静かに振り返ったコスモスの眼差しに、どこか心が安らいでいく思いがした。

 そう、頼もしく、それでいて優しいコスモスの眼差し。ブリミルは、自分が守られているということを感じ取るといっしょに、この安らぎに自分が何になりたかったのかを知った。

「そうか、僕は……こうやってみんなを守りたかったんだ」

 なんで今まで気づけなかったんだろうか。自分には大それた使命などはいらない、ただこうして近くにいる誰かを守ることさえできればじゅうぶんなはずだった。そして誰でもない、サーシャをこうして守りたいと思ったのが自分の原点であったのに、自分はなんてバカだったのだろうか。

 敵に向き合い、味方に背を向け、誰かを守るにはそれだけでよかった。マギ族の犯した罪の重さなどに関係なく、サーシャは自分をいつも支えてくれた。自分もただそれに答えようとするだけでよかったのに。それなのに、悲しみに押しつぶされて道を過ち、サーシャさえ失いかけてしまった。答えは、こんなに単純だったのに。

 誰しも、自分の心はよく知っているようで大事なことは見落としているものだ。それゆえに道を誤るのも人の常、しかし過ちは過去のものとしなければならない。過ちを糧として未来につなげるため、コスモスは戦う。

「ヘヤッ!」

 間合いを詰めて、コスモスの掌撃がカオスリドリアスを打つ。破壊力はほとんどないが、いらだったカオスリドリアスの反撃をさらにさばいて消耗を強いていく。カオス怪獣とて生物だ、激しく動き続ければそれだけ疲れが蓄積していく。

 しかし、カオスリドリアスはコスモスと陸上で戦い続けてもらちが明かないと判断して、羽を広げると空に飛び上がった。それを追ってコスモスも飛び立つ。

「ショワッ」

 空を舞台に、コスモスとカオスリドリアスの空中戦が始まった。

 まずは、先に飛び立ったカオスリドリアスが上空で反転して、高度を利用してコスモスに体当たりをかけてきた。舞い降りる赤色の流星と、舞い上がる群青の流れ星。

 激突! しかしコスモスはカオスリドリアスの体を一瞬で掴まえて、そのまま自分を軸にコマのように回転するとカオスリドリアスを放り投げた。カオスリドリアスは空中でのきりもみ状態には慌てたものの、すぐに羽を広げて立て直し、口からの破壊光線を放ってくる。対してコスモスは腕を突き出し、青い光線を放って対抗した。

『ルナストラック』

 ふたつの光線がぶつかり合って相殺爆発し、赤い光が辺りを照らし出す。

 しかし、爆発の炎が収まる間もなく両者の空中戦は再開された。カオスリドリアスとコスモスが目にも止まらぬ速さで宙を舞い、激突し、その光景はブリミルの目にはまばゆく輝く二匹の蛍が舞い踊っているかのようにさえ見えた。

 前後左右、上下のすべての空間を使った三次元戦闘が超高速で繰り広げられることで、風がうねり、雲が裂ける。だが、空中戦のさなかにカオスリドリアスが勢い余って、静止していた『生命』の光に触れそうになり、コスモスは回り込んで突きとばした。

「ハアッ!」

 リドリアスは野生の生き物なのでマギ族の自爆因子はないはずだが、マギ族の改造処置は手当たり次第に行われていたので万一ということがある。カオス化したとはいえ、マギ族の自爆因子がもし遺伝子内にあったとしたら、リドリアスが生命に触れたら即死につながる。対して自爆因子を持たないコスモスなら生命の光に触れても影響はない。

 リドリアスを間一髪救えた事で、コスモスの中のサーシャはほっと胸をなでおろした。それと同時に、ブリミルはコスモスがリドリアスを本気で救おうとしているのを確信した。

「怪獣さえ救おうとする……いや、それは僕らの思い上がりか」

 ブリミルは自嘲した。さんざん命を弄んできたマギ族だが、命は誰しもひとつしか持っていない大切なものなのだ。生態として共存できないものはあっても、生き物は無益な殺戮をしないことで互いを生かし合っている。それがバランスを保ち、平和を保っている。互いを尊重し、誰かを生かすことは巡り巡って自分を生かすことにつながるのだ。

 いや、それは理屈だ。相手が怪獣であっても関係ない、誰かを救いたいと思う心がすべての始まりになる。サーシャはマギ族である自分を救ってくれた、だから今の自分はここにいる。その優しさを思い出したとき、胸が熱くなる。

「がんばれ、がんばれ! ウルトラマン!」

 自然に応援の声が口から飛び出していた。胸の中から湧き上がってくる、この明るく熱く燃える炎を抑えるなんてできない。できるわけがない!

 ブリミルの応援を聞き、コスモスとサーシャはさらに強く決意を固めた。なんとしても、リドリアスを救わねばならない。

〔コスモスお願い、あなたの力でリドリアスを解放してあげて〕

 リドリアスが暴れているのはヴァリヤーグのせいだ。取り除いてやれば、リドリアスはきっと元に戻る。

 幸いコスモスは今、生命の魔法の光球を背にしている。その強烈な光に幻惑されて、カオスリドリアスはコスモスを見失っており、今がチャンスだ。

 コスモスはリドリアスに取り付いているヴァリヤーグの位置を把握するために、目から透視光線を放ってリドリアスを透かして見た。

『ルナスルーアイ』

 見えた! リドリアスの体内で光のウイルスが集中している箇所がある。そこから取り除くことができれば、きっとリドリアスは元に戻る。

 コスモスは生命の光の中から飛び出すと、そのままカオスリドリアスに組み付いて地面に引き釣り下ろした。

「テアッ!」

 組み付き、羽を押さえることで飛行能力を抑えて墜落に追い込み、コスモスとカオスリドリアスはもつれ合いながら地上を転げる。しかしコスモスは着地の瞬間も自分が下になるように調節し、リドリアスへのダメージを最小限に抑えた。

 再び離れて向かい合う両者。だがカオスリドリアスは肉体へのダメージは少なくとも目を回している、今がチャンスだ! コスモスは優しい光を掌に集めると、子供の背を押すように優しく右手を押し出しながらカオスリドリアスに光を解き放った。

『ルナエキストラクト』

 浄化の光がカオスリドリアスに浸透していき、その体から金色の粒子が抜け出して天に帰っていく。そして変異していたカオスリドリアスの体も元のリドリアスのものに戻った。正気を取り戻したリドリアスの穏やかな鳴き声が流れると、ブリミルは奇跡が起きたのだと思った。

 しかし、まだ終わってはいない。膨張はやめたものの、『生命』の魔法の光球はまだ残っている。これを地上にそのまま残しておくのは危険すぎる、コスモスは手からバリアーを展開すると、『生命』の光球を押し上げながら飛び立った。

「ショワッチ」

 コスモスの十倍は優にある光球が下からコスモスに持ち上げられてゆっくりと上昇していく。ブリミルは光球が小さくなっていくのを呆然としながら見上げていた。

 そしてコスモスは光球を大気圏を抜けて宇宙空間にまで運び上げた。星星が瞬く中で、コスモスは空間に静止するとバリアーごと光球を押し出した。漆黒の宇宙に向かって流れていく光球を見つめながら、コスモスは右腕を高く掲げながら戦いの姿へと転身した。

『ウルトラマンコスモス・コロナモード!』

 炎のようなオーラを輝かせ、コスモスの体が赤い太陽の化身へと移り変わって闇を照らす。

 遠ざかっていく『生命』の光。そして、悪魔の光を消し去るために、コスモスは頭上に上げた手を回転させながら気を集め、突き出した両手から真紅の圧殺波動にして撃ち放った。

『ブレージングウェーブ!』

 超エネルギーの波動攻撃を受けて、『生命』の光球は一瞬脈動すると、次の瞬間には大爆発を起こして砕け散った。

 爆発の光を受けてコスモスの姿が一瞬輝き、そして爆発が収まると、コスモスは惑星を振り返った。そこには、青さの面影を残しながらも黒く濁りつつある惑星の姿があった。

 爆発の閃光は地上からも伺うことができ、ブリミルは『生命』の最後の瞬きを望んで、自分の愚かな夢が終わったのだと悟った。

「これで、やっと……」

 ブリミルのまぶたが重くなり、強烈な睡魔に襲われた彼は、疲労感に誘われるままに砂の上に倒れこんだ。

 

 次にブリミルが目を覚ましたときに最初に見たのは、自分の頭をひざの上に抱きながら心配そうに見下ろしてくるサーシャの顔だった。

「やあ、サーシャ。おはよう、かな?」

「ばか、寝すぎよ……朝よ、今日も昨日と同じ、ね」

 ブリミルの目に、地平線から昇る朝日の光が差し込んでくる。空には厚い雲がかかっているが、その切れ端から覗くだけでも太陽の光は美しかった。

 ああ、この世界はまだこんなに美しい。ブリミルの心を、すがすがしい気持ちが流れていく。

「サーシャ、君は……?」

「生きてるわよ。あなたのおかげ、まあ無くしたものもあるけどね」

 そう言うと、サーシャは左手の甲を見せた。そこにはガンダールヴのルーンはなく、それに胸元を睨まれながら覗いて見てもリーヴスラシルのルーンはなかった。

 つまり、あれは夢ではなかった。信じられない気もするが、傍らに目をやれば、こちらを見下ろしているリドリアスの視線と目が合って、現実を受け入れることを決めた。

「サーシャ、体は?」

「大丈夫、彼が治してくれたわ」

「彼……?」

「後でまとめて話すわ。でも、わたしたちが見て体験したことは全部真実……ねえ、ブリミル」

 そこまで言うと、サーシャは一呼吸を置いて、ブリミルの目を見つめながらゆっくりと言った。

「もう一度、希望に賭けてみない?」

 ブリミルは目を閉じて、静かにうなづいた。

 サーシャにはかなわない、今回は心底そう思った。最後まであきらめない力が、こんなにも強かったなんて。サーシャには教えてもらうことがまだまだたくさんある。これからも、できれば、一生かけてでも。

「サーシャ、僕からもひとつ、お願いがあるんだけど」

「ん? 何?」

 ブリミルは起き上がると、真っ直ぐにサーシャの目を覗き込んで告白した。

 

「僕と、結婚してくれないか!」

 

 その瞬間、時が止まった。

 え? サーシャは自分が何を言われたのかを理解できずにぽかんとしたが、意味を理解すると顔を真っ赤にしてうろたえた。

「な、ななななななな、いきなり何を言い出すのよ! わ、わわ、わたしと何ですって!?」

「結婚してくれ。わかったんだ、僕には君が絶対必要なんだって! いや、それ以上に僕は君が好きだ。君がそばにいると幸せだ、君と話してるとドキドキする。君のためならなんでもしてあげたい。この気持ちを抑えられない! 抑えたくないんだ!」

 熱烈な愛の告白に、サーシャは赤面しながらうろたえるばかり。しかしブリミルに手を取られて再度「頼む!」と迫られると、あたふたしながらも答えようとし始めた。

「そ、そんなこと突然言われても。わ、わたしまだ結婚なんて考えたこともないし、その」

 顔は真っ赤で汗を大量に流しながら、サーシャは必死に釈明しようとしたがブリミルは引かなかった。

「僕には君しかない。君が好きなんだ! 君だって、僕のことが好きだって言ってくれただろう?」

「あ、あれは友達として、仲間として好きだってことでその……いや、でもわたしはその。別に嫌いってわけじゃなくて、その」

「ならオッケーじゃないか。僕は君がいないとどんなにダメな男かってわかったんだ。いや、僕は君にふさわしい立派な人間になれるよう努力する。もう二度と絶望してバカなことしたりしない。だから、一生のお願いだ」

「そ、そんなこと言ったって、わたしにも心の準備ってものが」

「ごめんよ。でも僕は君を失いかけて、君がどんなに大切だったか思い知ったんだ。もう一時たりとも君のことを離したくない。君を抱きしめてメチャクチャにしたいくらいなんだーっ!」

「ちょ、ちょ! ちょっと落ち着きなさいよ、この蛮人がぁーっ!」

「ぐばはぁーっ!?」

 見事なアッパーカットが決まり、ブリミルの体は宙を舞ってきりもみしながら砂利の上に墜落した。

 危なかった。あとちょっとでカミングアウトから子供には見せられない展開になっていたところだった。

 サーシャは肩で息をしながら立ち上がると、地面に落ちて伸びているブリミルの元につかつかと歩み寄って、その頭をずかっと踏みつけた。

「あんた、何また別のベクトルで正気失ってるのよ。誰が? 誰を? どうするですって?」

「ごめんなさい、気持ちに素直になりすぎました」

「女の子を口説くときにはもっとムードとかあるでしょうが、一生の思い出になるのよ」

「ほんとにごめんなさい、許してください」

「っとに……けどまあ、あんたの正直な気持ちはわかったわ。ほんとなら五部刻みで解体してやるとこだけど、今回だけは大目に見てあげる。ほら、立ちなさいよ」

 サーシャが足をどけると、ブリミルはいててと言いながら砂を払って立ち上がった。さすがの頑丈っぷり、才人と同じで復活が早い。

 そしてブリミルは今度は真剣な表情になってサーシャに言った。

「サーシャ、好きだ。僕と結婚してくれ」

 今度は真面目な告白に、サーシャも表情を引き締める。そしてブリミルと視線を合わせると、自分の答えを返した。

「ごめんなさい、今はあなたの思いを受け入れられないわ」

「ううん……やっぱり、今の僕じゃいろいろ足りないのかな」

「そうね。けど、結婚ってのはもっとたくさんの人に祝福してもらいたいじゃない。今のわたしたちはたったのふたり、それもこんな殺風景な荒野じゃ式の挙げようもないでしょ? あなた、わたしにウェディングドレスも着せないつもり?」

「そ、それじゃあ」

 喜色を浮かべるブリミルに、サーシャは優しく微笑んだ。

「もっと仲間を集めて、平和を取り戻して、小さな家にでも住めるようになれたとき、そのときにまだわたしのことを好きでいたら、いっしょになりましょう。そして」

「ああ、世界中に知れ渡るほどの盛大な結婚式を挙げよう。そして、必ず君を幸せにする。約束する」

 ブリミルとサーシャは、今度は互いに強く抱きしめあった。そして、どちらからともなく唇を合わせる。それは、ふたりが初めて互いの意思でした口付けであった。

 唇を離したふたりの間に銀色の糸の橋が一瞬だけかかる。

「サーシャ、いつかきっと結婚しよう。そのためにもきっと、平和な世界を取り戻そう」

「そうね、それまではわたしたちはその、こ、恋人ってことでいいわね?」

「こ、恋人! サーシャの口からその言葉を聞けるなんて。ようし、じゃあ恋人らしく、もう一段階上のところまで行ってみようよ!」

「だから、調子に乗るなって言ってるでしょうがぁーっ!」

 無慈悲な右ストレートがブリミルの顔面にクリーンヒットし、野外で年齢制限ありな行為に及ぼうとしていた馬鹿者がまた吹っ飛ばされた。

 サーシャも今度は情け容赦せず、ブリミルの頭に全体重かけて踏みつけると、その傍らに剣を突き刺してドスのきいた声ですごんだ。

「ど、どうやらわたしはあんたを甘やかしすぎたようね。この際だから、あんたには女の子の扱い方といっしょに、立場の差ってやつを思い知らせてあげるわ。今日からあんたはマギ族なんかじゃなくてただの蛮人、ミジンコにも劣る最低の生き物なのよ。これからたっぷり教育、いえ調教してあげるから覚悟なさい!」

「ふぁ、ふぁい」

 なんか、ものすごく既視感のある光景が繰り広げられ、主従が逆転したようだった。サーシャはそのままブリミルの襟首を掴むと、ぐいっと持ち上げて引きずりながら歩き出した。

「んっとに! ほんとならわたしはあんたみたいな蛮人にふさわしい女じゃないのよ。あんたなんて、そこらのカマキリのメスで上等。いえミドリムシといっしょに光合成してりゃいいの。わかってるの!」

「すみません、わたくしはガガンボ以下のゼニゴケのような存在であります」

「たとえがよくわかんないわよ。ともかく、今後おさわり禁止! 今のあんたは発情期の犬より信用が置けないわ」

「そ、そんなぁ。恋人なのに手も握っちゃダメだって言うのかい」

「自分の胸に聞いてみなさい! 誰のせいでこうなったと思ってるの。まったく、リドリアスだって呆れてるじゃないの」

 見上げると、じっとふたりを見守っていたリドリアスも、反応に困っているというふうに首をかしげていた。

 ともかく、ブリミルが全部悪い。サーシャは女の子らしくロマンチックな展開を期待していたのに、このバカが台無しにしてしまった。というか、何をしようとしていたんだか忘れてしまった。

 ええと……? ああ、そうだ。本当なら、もっと清清しく晴れ晴れとした雰囲気でいくつもりだったのに。まったくしょうがない。

「ほら、さっさと行くわよ」

「へ? 行くってどこへ」

「ふふ、どこへでもに決まってるじゃない。さあ、旅立ちよ!」

 そう叫ぶと、サーシャはブリミルを抱えたまま地面を蹴って飛び上がり、そのまま宙を舞ってリドリアスの背中に降り立った。

 リドリアスの背中に乗り、サーシャがその青い鎧のような体表をなでると、リドリアスは「わかった」というふうに短く鳴き、翼を広げて前かがみになった。

 ブリミルをリドリアスの背中の上に放り出し、サーシャはまっすぐに立つ。そのとき、雲海から刺す朝日がサーシャを照らし、翠色の瞳を輝かせ、舞い込んだ風が金色の髪をたなびかせた。

「いいわね、この蛮人と違って太陽も風も、わたしたちを祝福してくれているみたい。運命とは違う、なにか不思議な星の導き……大いなる意思とでも言うべきかしら。さて、いつまで寝てるの蛮人、最後くらい締めなさい」

「う、うぅん。どうするんだいサーシャ?」

「決まってるでしょ。こんな殺風景な場所に用は無いわ、旅立つのよ、わたしたちが行くべき新しい世界にね!」

 リドリアスが飛び上がり、ふたりを新しい風が吹き付ける。しかしその冷たさは心地よく、サーシャの笑顔を見たブリミルの心にも新たな息吹が芽生えてきた。

「そうか、そうだね。僕らはこんなところでとどまっていちゃいけない。行かなきゃいけない、まだこの世界に残っている人々のところへ、ヴァリヤーグに苦しめられている人々を助け、平和な世界を取り戻すために」

「たとえ世界を闇が閉ざしても、わたしたちはもう絶望はしない。あきらめなかったら、きっと新しい光に出会える。そのことを、わたしたちは学んだから」

 高度を上げ、リドリアスはスピードを上げる。カオスヘッダーから解き放たれ、ふたりを仲間として認めたリドリアスは何も命じられなくてもふたりを運ぶ翼となってくれた。

 だが、前途は厳しい。カオスヘッダーの脅威はすでに星をあまねく覆っている。それと戦い、平和を取り戻すことは果てしない道に思える。けれど、ふたりには希望がある。ヴァリヤーグといえど、決して無敵ではないということが証明されたのだから。

「ところでサーシャ、そろそろ君を助けてくれたあの巨人のことを説明してくれないかな? 僕らの世界の伝説では、宇宙を守る光の巨人、ウルトラマンが言い伝えられていたんだけど」

「そうね、ウルトラマンはひょっとしたらいろんな世界にいるのかもね。けど、この世界にいるウルトラマンの名前はコスモス、ウルトラマンコスモス。わたしたちがヴァリヤーグと呼んでいる、あの光の悪魔を追ってはるばる宇宙のかなたからやってきたんだけど、もうこの星は彼一人の力で救うには遅すぎたんですって。だから、わたしたちの力を貸してほしいそうよ」

「ウルトラマンの力でも足りないくらい、もうこの星はひどいのか。結局は僕らマギ族の責任か……あの光で怪獣たちを解放していっても……いや、まてよ」

 ふと、あごに手を当てて考え込んだブリミルに、サーシャは怪訝な表情を向けた。

「蛮人?」

「わかったかもしれない。怪獣からヴァリヤーグを分離することができるなら、僕の魔法ならあの『生命』のように怪獣の体内のヴァリヤーグだけを破壊することができるかも」

 サーシャの顔が輝いた。確かに、理論上は可能のはずだ。

 ルナエキストラクトがヒントになり、破滅の魔法である『生命』が真の救済の魔法に生まれ変わるかもしれない。

「そうか、僕はこのためにこの魔法を授かったんだ。マギ族の本当の贖罪と、世界を救うために、神様は僕にこの力をくれたんだ」

 もちろんそのためには、さらなる研究と鍛錬が必要に違いない。だが、会得できたときにはそれは大きな力となるだろう。

 サーシャもブリミルの言葉にうなづき、さらに自らの決意を語った。

「そうかもしれないわね。あなたとわたしで、ヴァリヤーグからこの世界を守るために。コスモスとともに、わたしもリドリアスの仲間たちを救うわ」

 そう言うと、サーシャは手のひらの上に青く輝く輝石を乗せて見せてくれた。

「それは? きれいな石だね」

「コスモスがくれたの。君の勇気が形になったものだって、彼とわたしの絆の証……あっ?」

 すると、輝石が輝きだして、その姿をスティック状のアイテム、コスモプラックへと変えた。

 コスモプラックを手に取り、握り締めるサーシャ。そこからサーシャは、コスモスの意思と力を確かに感じ取った。

「わかったわコスモス、これからよろしくね」

「おおっ、ひょっとしてこれからいつでもウルトラマンの力を借りられるってことかい! すごいじゃないか」

「そんな都合よくないわよ。彼には強い意志があるわ、わたしが彼の力を借りるに値しないようだったら、彼は力を貸してはくれないでしょう。あなたと同じく、わたしもまだまだこれからってことね」

 ウルトラマンに選ばれた人間は、数々の次元でそれぞれ無数の試練を潜り抜けて真の強さを身に付けていった。サーシャは当然そのことを知る由も無いが、これからどんな試練でも立ち向かっていく決意があった。

 なにせ自分は一度死んだのだ。それに比べたら、ちょっとやそっとの苦難や挫折などなんのことがあろうか。

 笑いあうブリミルとサーシャを乗せて、リドリアスもうれしそうにしながら飛ぶ。その行く先はどこか? いや、考える必要などはない。

「どうする蛮人? 北でも西でも南でも東でも、どっちにでも行けるよ」

「どっちでもいいさ。どうせ世界は丸いんだ、どっちに行ったって必ず何かに出会えるよ」

「そうね、さぁ行きましょうか。まだ知らないものが待ってる地平のかなたに」

「どこかで僕らを待ってる新しい仲間のところへ」

 

 いざ、旅立ち!

 

 絶望に別れを告げ、希望を胸にふたりは旅立った。

 この先、長い長い旅路と、想像を絶する苦難の数々が待っていることをふたりはまだ知らない。

 そして、世界を救うことができずに志なかばで倒れ、世界が滅亡してしまう結末が待っていることも知らない。

 だが、彼らの意思を受け継いだ人間たちは滅亡を終焉にはせずに立ち上がり、さらに数百年をかけて後にハルケギニアと呼ばれる基礎を築き、以降六千年間も続く繁栄を築き上げることになるのだ。

 この世で、何代にも渡ってようやく完成する偉業は数多いが、それも誰かが始めなくては結果が出ることはない。そう、始祖ブリミルという偉大な先駆者がいたからこそ、今のハルケギニアはあるのだ。

 

 この後、ブリミルとサーシャはリドリアスとともに各地を旅し、生き残りの人々を集めてキャラバンを作っていくことになる。

 そのうちにブリミルの魔法の腕も向上し、ヴァリヤーグの操る怪獣との戦いを経て、彼は名実ともに歴史上最高のメイジに成長する。これが、後年に伝わる虚無の系統の源流だ。

 そして数年後に、彼らは時を越えて未来からやってきた才人と出会うことになる。その後のことは、知ってのとおりだ。

 

 始祖の語られざる伝説。これがその全容である。

 ハルケギニアはかつて、異世界人であるマギ族が作った超文明だった。しかし驕り高ぶった彼らは自滅の道を歩み、文明はさらなる侵入者によって滅亡した。

 始祖ブリミルはマギ族の最後の生き残り。偶発的な事故によって、虚無の系統の力を得た彼は使い魔としてサーシャを召喚し、世界の復興を目指して歩み始めた。

 しかし運命は彼らに過酷な試練を課した。試されたのは真の愛と折れない心、それを勇気を持って示したときに奇跡は起きた。

 

 

 舞台は現代に戻り、現代のブリミルは、長い語りを終えてイリュージョンのビジョンを消して言った。

「以上が、僕とサーシャが体験してきたことの全てだ。わかってもらえたかな?」

 伝説の謎が明かされ、場にほっとした空気が流れた。

 まるで大作の映画を見終わったような感じだ。しかし、今見たのはすべてフィクションではない現実なのだ。

 ハルケギニアはああして作られ、六千年の時を越えて今につながっている。それを成し遂げたのは誰のおかげなのか、その場にいた者たちは自然とその最大の功労者の前にひざまづいて頭を垂れた。

「ミス・サーシャ、あなたが聖女だったのですね」

「は?」

「あれー?」

 いっせいにサーシャに礼を向ける一同に、サーシャはきょとんとした顔をするしかなかった。

 ブリミルはといえば、わけがわからないよというような顔をするばかりで、彼の隣にいるのは才人ひとりだけである。

「おっかしいなあ、どこでこうなっちゃったのかなあ?」

「そりゃしょうがないっすよブリミルさん。だって、おふたりのやってきたことってブリミルさんがヘマやらかしてサーシャさんがフォローするってパターンばっかりでしたもん」

 あー、なーるほどねー、とブリミルが乾いた笑いをするのを才人はひきつった笑みで見ているしかできなかった。

 あなたこそ本物の聖女、英雄です、と褒めちぎられているサーシャを蚊帳の外から見守るしかないダメ男二人。なんなのだろう、壮大な秘密が明らかになった後だというのにこの喪失感は。

 女子の会話からもれ聞こえてくる、「だから男なんてダメなのよ」「ねー」という言葉が耳に痛い。そのとおりすぎて反論もできない。

「だから話したくなかったんだよねー。いやさあ、僕だって頑張ってたんだよ。でもねえ、僕がよかれと思ってやることって、なんでか裏目に出ることが多くってさあ。後で思えば失敗だったと思うけど、そのときは大丈夫と思ってたんだよ」

「努力の方向オンチなんですね。まあおれも人のことは言えねえけど、だから今のブリミルさんは落ち着いてるんすね。でも、そうなるまでサーシャさんの苦労は相当なもんだったんでしょうね」

「認めたくないね、若さゆえの過ちというものはさ」

 すごく説得力のあるブリミルの言葉に、才人は返す言葉がなかった。

 なお、サーシャのガンダールヴのルーンはその後に再度刻むことにしたそうだが、その際も相当に難儀したらしい。

 とはいえ、ブリミルもハルケギニア誕生の重要な功労者であることは変わりない。一同が落ち着くと、ウェールズとアンリエッタが代表してブリミルに礼を述べた。

「始祖ブリミル、紆余曲折はありましたが、あなたがハルケギニアの始祖であるということは確かにわかりました。全ハルケギニアを代表して、お礼申し上げます」

「あー、うん。もうそのことはいいよ。今の僕が言われても実感わかないしさ。それより、何かまだ質問があるならなんなりとどうぞ」

 ややふてくされた様子のブリミルに、一同は苦笑した。とはいえ、別にブリミルに対して悪意があるわけではなく、むしろ逆である。ブリミルに対して余計な警戒心がなくなり、気を許せてきたということだ。

 しかし、ブリミルがこの時代にいられるのはあとわずかな時間しかない。急がないといけない。

 ブリミルたちに聞きたいことで、大きな問題はあとふたつ。そのうちひとつに対して、アンリエッタはサーシャに問いかけた。

「ウルトラマンは、人間に力を貸すことでこの世界にとどまっていたのですね。ウルトラマンコスモス、先の戦いでトリスタニアに現れたウルトラマンのひとりは六千年前にもハルケギニアにやってきて、ミス・サーシャ、あなたといっしょに戦っていたのですか」

「そういうこと、この時代はほかにもいろんなウルトラマンが来てるのね。びっくりしちゃった」

「逆に言えば、今のハルケギニアはそれほどの危機にさらされているということでもありますね。六千年前のヴァリヤーグというものも、なんと恐ろしい。もしも、ヴァリヤーグが今の時代にもまだ生きていたとしたら……ミス・サーシャ、今でもコスモスさんとはお話できるんですの?」

 アンリエッタは、ヴァリヤーグが今の時代にも現れたときのために、できればコスモスからも話を聞きたかった。だがサーシャは首を横に振って言った。

「そうしてあげたいけど、今のわたしの中にコスモスはいないわ」

「え? それはどういう?」

「この時代にやってくるときに、わたしがコスモスになるために必要なアイテムがどこかに行ってしまったの。最初はなくしたのかと思ったけど、落ち着いて確かめたらコスモスの存在自体がわたしの中から消えていたわ。たぶん、時を越えるときにコスモスはわたしたちの時代に置き去りにしてしまったんだと思うわ」

 なぜ? それを尋ねると、サーシャはティファニアに歩み寄って目を覗き込んだ。

「理屈は知らないけど、同じ時代に同一人物がいるのはダメってことでしょうね。久しぶりね、コスモス」

「えっ、えええっ!?」

 ティファニアだけでなく、その場の人間たちの半数が驚いた。

 コスモスが、ティファニアに? すると、ティファニアはおずおずと懐からコスモプラックを取り出してみせた。

 それは過去でサーシャが持っていたものと同じ。一同が驚く中で、サーシャはティファニアのコスモプラックに触れると、独り言のようにつぶやいた。

「そう、久しぶりね。わたしにとっては一瞬だけど、あなたには六千年なのね。そう、わたしたちの後からそんなふうになったのね」

 皆が唖然と見守る前で、サーシャはそうつぶやいてから振り向いて言った。

「みんな、安心して。少なくともこの時代で、ヴァリヤーグが襲ってくる心配はないわ」

 えっ? と、皆の驚く顔が連なる。ブリミルや才人も同様だ。

 それはいったいどういう意味なのか? ティファニアがウルトラマンコスモスだったのも含めて、皆の理解が追いつかないでいるところに、サーシャはブリミルを呼びながら言った。

「驚かないでいいわよ。わたしの時代でコスモスに選ばれたのがわたしだったように、この時代でコスモスに選ばれたのが彼女だったというだけ。ブリミル、この子にイリュージョンを教えてあげて、ヴァリヤーグ……この時代ではカオスヘッダーと呼ばれているんだっけ、それが最後にどうなったのかをコスモスが見せてくれるわ」

 百聞は一見にしかずと、サーシャはブリミルをうながした。ブリミルはあっけにとられた様子ながらも、ともあれティファニアにイリュージョンの呪文とコツを教えた。

 虚無の担い手は、必要なときに必要な魔法が使えるようになる。ブリミルから呪文を授けられたティファニアは、初めて唱える呪文なのにも関わらずに口から歌うようにスペルが流れ、そして杖を振り下ろすと、ティファニアの中にいるコスモスの記憶がイリュージョンとなって新たに映し出された。

 

 それは、ブリミルたちの歴史にも劣らない、壮大な物語であった。

 青く輝く美しい惑星、地球。それは才人の来た地球とは別の、この宇宙にある地球での出来事だった。

 この地球は、才人たちの地球とは似ていながらも違う文化を育み、怪獣たちとも良い形で共存を始めていたが、そこへかつてのハルケギニアと同じように光のウィルスが襲い掛かった。

 光のウィルスは、この地球ではカオスヘッダーと名づけられ、かつてのハルケギニアと同じように怪獣に憑依して暴れさせ始めた。

 リドリアスの同族がカオスリドリアスに変えられ、暴れ始める。しかしそのとき、リドリアスを止めようと、ひとりで必死に呼びかける青年がいた。

「帰ろう、リドリアス」

 その勇気に、見守る人たちは感嘆し、リドリアスも一度はおとなしくなりかけた。

 しかし、不幸な事故によってリドリアスが再び暴れ始め、彼自身も窮地に陥ったときだった。青年の勇気に答えて、コスモスは彼の元へと降り立った。

「僕はあきらめちゃいない! 僕は本当に、本当に勇者になりたいんだ、ウルトラマンコスモス!」

 コスモスは彼と一体化してリドリアスを救い、この地球でのカオスヘッダーとの戦いが始まった。

 カオスヘッダーに侵された怪獣や、不幸によって人に害をなしかける怪獣を保護し、侵略者を撃退する。それらの日々は厳しいながらも、コスモスにとってもやりがいがあり、かつ学ぶことの多い経験となった。

 しかし、カオスヘッダーはかつてのハルケギニアと違ってはるかに人間が多く複雑な環境であるからか、次第に進化を始めていったのだ。

 コスモスの能力に対抗して怪獣から分離されないように抵抗力を付け始め、さらに人間たちにも興味を持ち始めたカオスヘッダーは人間を分析して、その感情の力を使ってついに怪獣に憑依することなく自ら実体を持った。

「実体カオスヘッダー……」

 黒い魔人、実体カオスヘッダー。その名はカオスヘッダー・イブリース、コスモスと互角に戦えるようになったカオスヘッダーの力はすさまじく、コスモスは大きく苦しめられた。

 イブリースをかろうじて倒すも、進化を覚えたカオスヘッダーはさらなる力と狡猾なる頭脳を身に付けて再度襲ってきた。

 毒ガス怪獣エリガルを囮にして、コスモスのエネルギーを消耗させたカオスヘッダーはさらに凶悪さを増した姿となって現れた。

 実体カオスヘッダー第二の姿、カオスヘッダー・メビュート。コスモスのコロナモード以上の力を持つメビュートの猛攻によって、コスモスはついに敗れ去ってしまった。

 しかし、コスモスと心を通わせていた青年と、人間たちはあきらめなかった。その心が力となって、コスモスは新たな姿を得て蘇り、メビュートを撃破した。

 だがそれでもカオスヘッダーの侵略は止むところを知らず、今度はコスモスの姿をコピーした暗黒のウルトラマン、カオスウルトラマンの姿に変わり、さらにその強化体であるカオスウルトラマンカラミティにいたっては完全にコスモスの力を上回っていた。

 何度倒しても再び現れるカオスウルトラマン。人間たちも、カオスヘッダーに対抗するために方法を模索していたが、カオスヘッダーは対抗策が打たれる度にそれに耐性を持ってしまう。

 カオスヘッダーにこれ以上の進化を許せば勝ち目はない。人間たちにも焦りの色が濃くなり、それに加え、長引く戦いでコスモスにも疲労とダメージが積み重なってきた。もはやコスモスが地球にとどまって戦えるのもわずか、誰もがカオスヘッダーとの決戦に全力をかけようと必死になる中で……彼だけは違っていた。

「戦わなくてすむ方法、それが何かないのかな」

 戦うことで皆が団結する中で、ひとりだけ戦わなくてすむ道を模索している青年の存在は異質であった。

 だが青年は完全平和主義者や無抵抗主義者ではない。悪意を持ってくる相手には断固として戦う意思の強さを持っている。しかし、誰もが戦うことだけを考えて、本来の目標や使命を忘れてしまいそうになってしまうことを彼は心配していた。

 自分たちは、コスモスは、戦うために存在するのではないはずだ。そんなとき、カオスヘッダーの通ってきたワームホールを通して、ようやくカオスヘッダーの正体をつきとめることができた。

 カオスヘッダー……それははるかな昔にどこかの惑星で、混沌に満ちた社会を統一して秩序をもたらすために作られた人工生命体だったのだ。

 つまりは、カオスヘッダーが怪獣にとりついて暴れさせるのも、社会を一個の意思に統一された組織にするための過程にすぎず、カオスヘッダー自身には侵略の意思などといった悪意はまったくない。極論すれば全自動のおそうじロボットが暴走して、部屋をゴミも家具もいっしょくたにしてまっさらに片付けようとしてたようなものだったのだ。

 かつてのハルケギニアや、この地球でおこなっていることもカオスヘッダーにとっては最初に創造主によって与えられたプログラムを遂行しているのみの行動だった。つまり、カオスヘッダーもかつてのハルケギニアでマギ族が作り出した人工生命同様に、創造主に理不尽な運命を背負わされて生み出された被害者でもあった。

 ただ、かつてと違うのはカオスヘッダーは地球人と戦いながら観察するうちに、地球人やコスモスに対して憎悪の感情を持つようになってきた。カオスヘッダーに、自我が生まれてきたということだ。

 コスモスに対しての憎しみを露にして襲い掛かってくるカオスウルトラマンカラミティを、コスモスは月面に誘い出して最終決戦に臨んだ。しかし、コスモスの必死の攻撃で倒したと思ったのもつかの間、カオスヘッダーすべてが融合した最終形態、カオスダークネスが誕生して、コスモスはとうとう力尽きてしまう。

 

 そして、それからの結末は、まさに涙なくしては見られないものであった。

 憎悪に染まったカオスダークネスへの懸命の呼びかけと、青年とコスモスの起こした奇跡。生まれ変わったカオスヘッダーの新しい姿、カオスヘッダー・ゼロの輝き。

 すべてが終わり、コスモスとカオスヘッダーが地球を去っていく。結末の有様はまさに筆舌に尽くしがたく、長い物語を見終わったとき、多くの者が感動で目じりを熱くしていた。

 

「これが、まさに真の勇者の姿なのですね」

 アンリエッタがハンカチで涙を拭きながらつぶやいた。地球での出来事はハルケギニアの人間たちには理解できないところも多かったが、すでにマギ族の一件を見ることで科学文明に対する予備知識がある程度あったことと、才人が地球の文化を解説して、ティファニアがコスモスの言葉を通訳するのををがんばったおかげでおおむねの事柄はみんなに伝わっていた。

 宇宙のあちこちで破壊と混沌を撒き散らし、かつてのマギ族の文明を滅ぼしたヴァリヤーグことカオスヘッダーは、地球の人間たちとの交流を経て、今では遊星ジュランという星の守護神となっているという。かつての悪魔が今では天使に、そのことに対して、一番感銘を受けていたのは誰でもなくブリミルとサーシャだった。

「そうか、僕らの時代にヴァリヤーグ……カオスヘッダーがやってきたのは、まさにマギ族がこの星をカオスにしていたからだったんだな。結局は僕らの自業自得か、でもやっぱり愛が大事なんだな、愛が」

「ううっ……リドリアスはどこでも健気なのね。帰ったら、うちの子もうんとかわいがってあげなきゃ」

 幾千年に及んだ物語の意外な、しかし感動的な結末は、カオスヘッダーと戦い続けてきたふたりの心も熱く溶かしていた。

 才人やルイズもじんと感じ入っている。ティファニアは杖を握りながら涙を滝のように流している。さすがにタバサやカリーヌたちは気丈に立っているが、心に思うところはあったようで視線は動かしていなかった。

 ただ、エレオノールやルクシャナは少し考え込んでいて、皆の様子が落ち着くと、それを確かめるように切り出した。

「ねえ、ちょっと疑問なんだけど。未来でのこのことを知った始祖ブリミルが過去に戻ったら、歴史が変わっちゃうんじゃないかしら?」

 皆がはっとした。確かに、未来でのこの顛末を知っているなら、ブリミルたちにはやりようがいくらでもある。しかしブリミルは少し考えると、それを否定するように言った。

「いや、たぶんだけど大きな影響はないんじゃないかな」

「なぜ? 根拠を示してくださいませんこと?」

「カオスヘッダーが浄化できたのは、地球という星でそれなりの条件が揃ったからだよ。残念ながら、僕の時代では無理だね。人が少なすぎて、カオスヘッダーは僕らを観察対象にすら見ないだろう。と、いうよりも……僕らの時代はすでにカオスヘッダーの目的の、なあんにもないがゆえに秩序が保たれてる世界に近い。もう間もなくしたら、カオスヘッダーは勝手に僕らの世界から去っていくだろうね」

 ブリミルの自嘲げなつぶやきに、ふたりの学者も返す言葉がなかった。ブリミルの時代の世界人口はすでに一万人以下に落ち込んでしまっている。文明を維持できる範囲ではなく、カオスヘッダーからすればコスモスも含めて誤差の範囲となり、目的を達成したと判断したカオスヘッダーは次の惑星を求めてこの星から去っていく。そしてわずかに残った人間たちによって、数千年をかけての復興が始まるのだ。

「けれど、未来で起こることに対して、いろいろ書き残したりすることはできるんじゃないの?」

「もちろんそのつもりだよ。聞いたけど、実際この時代にも祈祷書とかなんとかの形でけっこう残ってるようだね。特に、あの首飾りは役に立ったようだね。それと、ミーニンもこっちで元気にやってるようでよかった」

「なら、過去に戻ってさらなる始祖の秘宝を残すことも」

「できるけどね、それならすでにこの時代に影響があってもいいはずだろ? でも、特になにもない。なら、それを前提にして過去で行動したら?」

「え? え?」

 頭がこんがらがる面々、これがタイムパラドックスだ。原因と結果のつじつまが合わなくなり、わけがわからなくなってしまう。時間旅行はこれがあるから難しい、何をすれば何が起こるかが読めないのだ。

 しかし、理論はめちゃくちゃになっても、この世界では実際にタイムワープができてしまう。それについては、ブリミルは投げやりに言うしかなかった。

「つまり、やってみないとわからないってことさ。心配するだけ無駄だよ、いくら考えても頭がバターになるだけさ」

 思考放棄だが、実際それしかないようだった。エレオノールやルクシャナは、学者として考えることをやめるのには抵抗があったものの、論理的に組み立てようのない問題相手に沈黙するしかなかった。

 歴史が変わるか変わらないか、それこそやってみないとわからない。そして仮に変わったとして、それを認識できるかもわからない。そういうものだと割り切るしかないのだ。

 そして、ティファニアに今のコスモスが一体化しているということについても尋ねることはあったが、それはサーシャに止められた。

「だめよ、コスモスだって難しい立場なの。彼は今度こそ、この星を守り抜こうともう一度はるばる来てくれたの。でもわたしたちが騒ぎ立てたら、彼も動きにくくなってしまうわ。コスモスがここにいるのは、ここにいる人だけの秘密よ。いいわね」

「は、はい。でも、コスモスさんがそうだったように、もしかしたら他のウルトラマンの方々も、もしかしていつもは?」

「おっと、それを詮索するのも禁止よ。コスモスもだけど、ウルトラマンは訪れる星の人たちに余計な気を遣ってはほしくないんだって。それに、ウルトラマンのみんなを、不自由な立場にしたくないならね」

 アンリエッタは、うっとつぶやくと押し黙った。確かに、世間にウルトラマンが普段は人間の姿をしていることが知れたら普通に外を出歩くことも難しくなってしまうだろう。それだけならまだしも、ウルトラマンの正体が公になっていたら、その気のない侵略者からもマークされてしまうだろう。

 才人は思う。自分やルイズなら、まだ身を守ることはできるだろうが、ティファニアくらいか弱かったら宇宙人に狙われたらひとたまりもない。

 それから、歴史を変えるということに関しては、才人はサーシャに聞いておきたいことがあった。

「サーシャさん、あっちに戻ったら、あっちの時代のコスモスに未来のカオスヘッダーのこととかを話すんですか?」

「いいえ、そのつもりはないわ。彼も聞くことを望まないでしょうし、未来が変わるか変わらないか、わたしたちはわたしたちにできることをやっていくだけよ、変わらずにね」

「サーシャさん……」

 やっぱり、この人は強いなと才人は思った。自分のやるべきことを見据えて迷いがない。

 このふたりが過去で頑張ってくれたからこそ、今の自分たちがある。それを自分たちの時代で無駄にしてはいけない。

 そして、始祖ブリミルの残した最後にして最大の謎。それをルイズはブリミルに問いかけた。

「始祖ブリミル、教えてください。あなたは始祖の祈祷書を通じても、念入りに聖地のことを言い残されました。聖地が大変な状態になっているのはわかりました。それで結局、あなたは聖地をどうなさりたかったんですか?」

 聖地は海に沈んだ。しかし、その聖地を具体的にどうしてほしいのかに関する伝承がこれまでにはない。いや、始祖の祈祷書の最後になら記述されていたかもしれないが、祈祷書はエルフへの保障の証としてネフテスに預けられたままになっている。

 ブリミルはその質問を受けて、難しそうに答え始めた。

「六千年も先まで迷惑をかけていることを本当に申し訳なく思うよ。できれば僕が生きているうちになんとかしたかったんだけど、無理だったらしいね」

 ため息をつくと、ブリミルは再び杖を振ってイリュージョンの魔法を唱えた。

「僕らは、あの後しばらくしてからもう一度聖地の様子を見に行ったんだ。だけど、聖地のあった場所での時空嵐はまだ収まらず、亜空間ゲートは海底に沈んだままで、コスモスの力でも近づくことはできなかったんだ」

 リドリアスに乗って都市の跡に近づくも、嵐にはばまれてはるか手前で引き返さざるを得なくなるブリミルたちの悔しげな表情が映っていた。

「時空嵐が収まるまで数百年はゆうにかかってしまうだろう。だが僕は、近づかなくても世界扉の魔法がまだ聖地で動き続けてることを感じた。このまま次元の特異点となっている場所をほうっておいたら、なにが起こるかわからない。けれど聖地にたどり着ける様になる頃には、僕もとても生きてはいられない。だから、僕は子孫たちに託そうと思ったんだ。聖地を刺激することなく管理してほしい。そしてできるなら……」

 ブリミルの言葉に、ルイズは合点したように毅然と答えた。

「わかりました。わたしたち虚無の担い手の誰かが聖地にたどり着けたら、そこで魔法解除の虚無魔法『ディスペル』を使ってほしい。そういうことですね?」

「そう、ディスペルは僕が使ったのを君も見てたね。世界扉をディスペルで解除すれば、聖地のゲートは少なくとも小規模化して安定してくれるだろう。ほんとはこの時代にまで来た以上、僕がやるのが筋なんだろうけれど……」

 しかしルイズは首を横に振った。

「いいえ、この時代のことはこの時代の人間でカタをつけるべきだと思います。そうですわよね、姫様、みんな」

「もちろんですわ。もしも聖地がなかったとしても、ヤプールは別のところを狙っただけでしょう。なにより、自分の身にかかる火の粉を自分で払えないようでは、わたくしたちは子孫に自分たちの歴史を誇れません。苦労は、わたくしたちの世代で解決いたしましょう、皆さん」

 アンリエッタが振り向くと、他の皆もそうだというふうにうなづいている。

 ブリミルは、子孫たちのそうした力強さに、黙って静かに頭を下げた。

 時空の特異点と化している聖地。それを鎮めることが、おそらくは虚無の担い手の最終目標になるのだろう。聖地のゲートの規模が縮小すれば、ハルケギニアに異世界から様々な異物が飛び込んでくることも少なくなる。

 虚無の担い手としての使命を肩に感じて、ルイズは手のひらににじんだ汗を握り締めた。

「わたしはきっと、これをするために生まれてきたんだわ」

 これまで、虚無の担い手であることはルイズにとって、形の無い誇りであり重荷でもあった。しかし、虚無の担い手である自分だからこそできる、一生をかけてもしなければいけない仕事ができた。聖地を鎮めること、ハルケギニアのためにこれほど誇りを持って挑める仕事はほかにないではないか。

 しかし、それはルイズがこれから起こる聖地争奪戦の渦中から逃れようもなくなるということを意味してもいる。アンリエッタやキュルケは口には出さないものの、張り切るルイズの様子を心配そうに見つめ、カリーヌは無表情の底から何かを娘に投げかけていた。

 ルイズはよく言えば責任感が強く、悪く言えば思い込みがすぎる。それを察して、軽口でルイズの肩を叩いたのはやはり才人だった。

「気負うなよルイズ、人生は長ーいんだ。明日や明後日に聖地に行けるわけじゃないだろ、てか聖地を取り戻したらディスペルひとつでパーッと終わるんだから、難しく考えるなよ」

「あんたは……せっかく人が世紀の偉業に燃えてたところによくも水を差してくれるわね。わたしがハルケギニアの歴史に名を残す偉大なメイジになれなくてもいいの?」

「英雄になりたがる奴にろくなのはいねーよ。ブリミルさんだって、なりたくって始祖なんて呼ばれるようになったんじゃないだろ。だいたい、英雄ルイズの銅像がハルケギニア中に立つ光景なんて想像したくねえ」

 才人のその言葉に、皆は「かっこいいポーズで立つルイズの銅像」が世界中に聳え立つシーンを想像した。ひきつった笑みをこぼす者、ププッと笑いをこらえられなくなる者など様々だが、誰もが一様にそのシュールな光景に腹筋を痛めつけられており、ルイズは急に恥ずかしくなってしまった。なお余談ではあるが、皆の想像の中の英雄ルイズの像の横には忠犬サイトの像が並んでいた。

「はぁ、もういいわよ。考えてみたら、教皇がいなくなってこの時代の担い手は減っちゃったし、秘宝とかなんとかいろいろあったわね。なんか一気にめんどくさくなってきちゃったわ」

 気が抜けた様子のルイズに、今度は皆から安堵した笑いが流れる。そう、それでいい、才人の言うとおり、人生は長い、まだ燃え尽きるには早すぎる。

 ブリミルとサーシャも、子孫たちの愉快な様子に笑っていた。こうしてつまらないことで笑い合える、それができる未来があるというだけで、自分たちのやってきたことは無駄ではなかった。それがわかっただけで十分だ。

 

 と、そのとき壁にかけられていた時計が鐘を鳴らして時報を告げた。どうやら、かなり長い間話し続けてしまっていたらしい。

 ブリミルとサーシャが帰らねばならない時間が近づいている。さて、残りの時間をどう使うべきだろうか? 重要なことはほぼ聞いた、あと何か聞き逃していることはないだろうか?

 時間は少ない。しかし、おしゃべり好きなアンリエッタやキュルケなどは、少しでも話す時間があるならサーシャからブリミルとの間にどんなロマンスがあったのかを聞き出そうとし、いいかげんにしろとカリーヌやアニエスから止められている。

 平和な時間、それもあとわずかしかない。そんな中で、ルイズは疲れた様子のブリミルに恐縮しながら礼を述べた。

「始祖ブリミル、どうも騒がしいところですみません。ですがあなたの子孫として、もう一言だけお伝えしておきたいのですが、よろしいですか」

「もちろん、君たちの言葉に閉ざす耳は僕にはないよ」

「では、始祖ブリミル……このハルケギニアを、わたしたち子孫をこの世に残してくれて、ありがとうございます。わたくしたちの遠い遠い、素敵なおじいさま」

 優雅な仕草で会釈したルイズに、ブリミルは照れながらも頭を下げ返した。

「こちらこそ、もうないものと思っていた未来を見せてくれてありがとう。君たちなら、僕らと同じ間違いはせずに、いつかマギ族も追い抜いていける。いつでも応援してるよ、僕らの可愛い遠い遠い孫の孫の孫たち」

 にこりと笑いあう先祖と子孫。年の差実に六千才のふたりは、今では同じものを見つめていた。

 自分の存在を探し求めていた少女、過ちからスタートした聖者。ともに愛を知って生まれ変わり、多くのものを見知って救い主となった。誇れる先祖、誇れる子孫、それを確認した彼らの胸中にあるのは、互いに相手に負けないように頑張っていこうという新しい意思だ。

 

 語り合う先祖と子孫。つかの間だが、平和な時間を彼らは楽しんだ。

 しかし、現代にほんとうの平和が訪れるための道のりはまだ長い。

 教皇が倒れ、ハルケギニアに残った災厄の根源はあとひとつ。ガリアにジョゼフがいる限り、平穏と安定は訪れず、必ず平和を乱そうとしてくることだろう。

 タバサは、和気藹々とする面々の中で、目前にまで迫っているジョゼフとの決着に胸を締め付けられていた。

 あのジョゼフのことだ、いくら状況が悪くなろうとも降参してくることなど絶対にない。いや、状況に関わらずに、常に最悪の一手を打ってくるのがあの男だ。それでも、臆することはできない。

「お父さまの仇……今度こそ、あなたを倒す」

 小さくタバサはつぶやいた。チャンスは間違いなく次が最後、長引かせたり引き伸ばせば、聖地を奪ったヤプールが本格的に動き出す。そうなればもはやジョゼフ討伐どころではなくなる。

 自分が異世界にいるとき、キュルケやシルフィードやジルまでもが自分をハルケギニアに連れ戻そうと頑張ってくれていたことを聞いたときには心から感謝した。だが、敵討ちは自分で自分に課した人生の責務、譲るわけにはいかない。

 どんな結果が待っているにせよ、決着は必ずつける。皆が奇跡を積み重ねてまで得た平和への道のりを、自分たちガリア王族のせいで台無しにすることはできないと、タバサは強く決意した。

 

 だが、確実に迫るタバサとジョゼフの戦い……それが、タバサどころかジョゼフの想像さえ超えた恐ろしいゲームとなってやってくることを、まだ誰も知らない。

 ひとつの編が終わり、幕が下りる。だが、物語はまだ終わらず、すぐに次の編に移って再び幕が上がる。

 

 それでも、今は休んで語り合おう。先祖と子孫、決して交わることがないはずの者たちの宴は、笑い声に満ちて今しばらく続く。

 

 

 続く



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第59話 予期せぬ刺客

 第59話

 予期せぬ刺客

 

 UFO怪獣 アブドラールス

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

 

「さて皆さん、ここで質問です。あるスポーツで、とても強いチームと戦わねばならないとします。まともに試合をしてはとても敵いません。さて、あなたならどうしますか?」

 

「ふむふむ、『あきらめない』『必死に練習をする』。ノンノン、そんなことじゃとても敵わない相手です。たとえばあなた、ウルトラ兄弟を全員いっぺんに相手にして勝てますか? 無理でしょう」

 

「では、『反則をする』『審判を買収する』『相手チームに妨害をかける』。なるほどなるほど、よくある手段ですが、発想が貧困ですねぇ」

 

「いいですか? 本当の強者は、もっとエレガンツな方法で勝利を掴むものなのですよ。それをこれからお見せいたしましょう」

 

「んん? 私が誰かって? それはしばらくヒ・ミ・ツです。ウフフフ……」

 

 

 間幕が終わり、また新たな舞台の幕が上がる。

 

 

 ハルケギニア全土を震撼させたトリスタニア攻防戦、そして始祖ブリミルの降臨による戦争終結から早くも数日の時が流れた。

 その間、世界中で起きた混乱も少しずつ終息に向かい、民の間にも安らぎが戻ってきている。

 もちろん、裏では教皇が実は侵略者だったことに尾を引く動乱は、ブリミル教徒の中では枚挙の暇もなく続いていた。ただそれも、始祖ブリミル直々のお言葉という鶴の一声のおかげで、少なくとも善良な神父や神官については無事に済んでおり、今日も朝から街や村でのお祈りの声が途切れることはない。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかなる糧を我に与えたもうたことを感謝いたします」

 戦火の中心であったトリスタニアでも、今では料理のための煙が空にたなびき、復興のためのノコギリやトンカチの音が軽快に響いている。

 やっと戻ってきた平和。そして、長い間陽光をさえぎって世界を闇に包んでいたドビシの暗雲が消えたことで、ようやく人々に安息の笑顔が蘇り、元通りの日常を取り戻すという希望が街中に満ち溢れていた。

 瓦礫は取り除かれ、道には資材を積んだ荷馬車が行き来する。昨年にベロクロンによって灰燼に帰したトリスタニアを復興した経験のある人々は、あれに比べたらマシだと汗を光らせて仕事に精を出す。

 戦火を逃れて避難していた町民たちも自分の家や店に戻ってきつつあり、中央広場では止められていた噴水が再び水を噴き始め、その周りでは子供たちが遊んでいる。

 そうなると、商売っ気を出してくるのが人の常だ。すでに一部の店舗は営業を再開しつつあり、魅惑の妖精亭でも本業への復帰の盛り上がりを見せていた。

「さあ妖精さんたち、戦争も終わってこれからはお金がものを言う時代よ。みんなで必死で守ったこのお店で、修理代なんか吹っ飛ばすくらい稼いじゃいましょう! いいことーっ!」

「がんばりましょう! ミ・マドモアゼル!」

「トレビアーン! みんな元気でミ・マドモアゼルったら涙が出ちゃう。そんなみんなに嬉しいお知らせよ。みんな無事でこうして集ってくれたお礼に、なんと一日交代で全員に我が魅惑の妖精亭の家宝である魅惑の妖精のビスチェを着用させてあげるわ」

「最高です! ミ・マドモアゼル!」

「うーん、みんな張り切ってるわねえ。さあ、お客さんが待っているわよ。まずは元気よく、魅惑の妖精のお約束! ア~~~ンッ!」

 スカロンのなまめかしくもおぞましいポージングに合わせて、ジェシカをはじめとする少女たちが半壊した店で明るく声をあげていった。

 あの戦いの終わった後で、魅惑の妖精亭でもいろいろなことがあった。新たな出会い、再会、それらの舞台となった大切なこの店は、これからもずっと繁盛させていかないといけない。

 

 賑わう店、だがこれはここだけのことではない。

 戦争が終わったことで、タルブ村やラ・ロシェールのような辺境、アルビオンのような他国でも、同じように活気は戻ってきつつある。

 人は不幸があっても、それを乗り越えて前へ進む。それが人の強みだ。

 

 けれど、平和が完全に戻るためにはまだ大きな障害が残っている。

 トリステイン魔法学院の校長室から、オスマン学院長が無人の学院を見下ろして寂しそうにつぶやいた。

「魔法学院の休校は無期限継続か。いったいいつになったら学び舎に子供たちが帰ってこれるのかのう……」

 戦争は終わったけれども、トリステインの戦時体制は解除されていない。あれだけ大規模であった戦争は、その後始末にも膨大な手間を要し、教員や生徒であっても貴族には仕事は山のようにあり、トリステインが猫の手も借りたい状況は終わっていなかったのである。

 学院が休校になった後、校舎には警備と保全のための最低限の人間のみで、教員で残っているのは高齢を理由に参戦を控えたオスマンのみ。しかしそれでも、いつでも学院を再開できるように待ち続けており、貴族はいなくても厨房ではマルトーやリュリュたちが火を消さずにいる。

 

 

 平和は一度失うと、取り戻すための代償は大きい。しかし、現世は戦わなければ大切なものを得ることのできない修羅界でもある。

 だが、勝利の余韻が過ぎ去った後に、戦士たちに戻ってくるのが闘志とは限らない。忘れてはならないが、才人は元々はただの高校生、ルイズたちにしても、貴族として国のために命を捧げる覚悟は詰んできたものの、まだ十代の少年少女に過ぎない。

 そんな彼らに、戦争には必ず潜んでいるが、これまで大きく現れることのなかった魔物が、音もなく侵食しはじめてきていたのだ。

 

 

 確かにロマリアが主体となった戦争は終わり、聖戦は回避された。けれども、凶王ジョゼフのガリアがまだ残っている。鉄火なくしてこれを倒せると思っている人間はひとりもいなかった。

 また、次の戦争が始まる……対すべき敵はガリア王ジョゼフ。教皇と手を組み、世界を我が物にせんと企んでいたと目される無能王と、ガリア王家の正統後継者として帰って来たシャルロット王女との全面対決はもはや必至と誰もが思っていた。

 そして戦争の中心にいた才人やルイズたちも、ブリミルとの別れから、再会や出会いを経て、新たな戦いへ向けての準備を始めている。しかし彼らは、これが正しいことと理解しながらも一抹の寂しさを覚えていた。

「なんかタバサのやつ、ずいぶん遠くに行っちまった気がするな」

 才人は、ガリアの女王としてガリア兵士の前でふるまうタバサを見るたびにそう思うのだった。正確にはまだ正式に即位していないので女王というのは自称に過ぎないのだが、トリステインに投降したガリア兵をはじめ、ほとんどの人間がいまやシャルロット女王こそガリアの正統なる統治者だと認識していた。

 これはシャルロット王女が始祖ブリミルの直接の祝福を受けたことが最大の理由ではあるが、単純に、タバサの父であったオルレアン公の人気の高さと、ジョゼフの人望のなさが反映されたというのも大きい。

 オルレアン公が暗殺されたのは四年前。ルイズたちもまだまだ子供の頃で、しかも外国のことであるので当時は詳しくなかったのだが、まさか自分たちのクラスメイトがその渦中の人になるとは想像もできなかった。

「すんなりアンリエッタ女王に決まったトリステインは幸運だったのかもしれないわね。たったひとつの王の椅子を巡って家族で争う、ね……タバサ……でも、それがあの子の選んだ道なのよ。むしろ、これまで友人でいられたことのほうがおかしかったのよ」

 ルイズも、もしもカトレアやエレオノールと争うことになっていたらと思うとぞっとした。自分は貴族の責務を背負っていることを自覚してきたが、王族の責務からしたら軽いものだ。

 今ではタバサにまともに話しかける機会さえなかなかない。しかしそんなわずかな機会に話した中でも、タバサはガリアのために女王となることに迷いを見せてはいなかった。

「本来はわたし一人であの男と決着をつけるつもりだった。でも、もうこれ以上わたしの私情で対決を引き伸ばして世界中に迷惑をかけるわけにはいかない。わたしはガリアの女王になる、これはもう決めたことだから」

 タバサにはっきりとそう告げられ、ルイズたちはそれ以上なにも言うことはできなかった。

「タバサもきっと、わたしたちと同じように異世界でいろんな経験をしてきたのよ。寂しいけど、きっとそれがガリアにとってもタバサ自身にとってもきっと一番いいことなんだわ」

「そうだよな、おれたちはタバサの意思を尊重しなくちゃいけない……ってのはわかってんだけど、もう学院に戻れてもタバサはいないんだぜ。やっぱり寂しいぜ」

「サイト、もうわたしたちの感情でどうこうできるレベルの話じゃないのよ。それに、寂しいっていうならキュルケが我慢してるのに、わたしたちが愚痴を言うわけにはいかないわよ」

 ふたりとも、タバサにはこれまで多くの借りがあった。それを返したい気持ちも多々あるが、ルイズの言うとおり、一国の運命がかかっているというのに自分たちの私情でタバサに迷惑をかけることはできなかった。

 ガリア王国がタバサの手に渡るか、それともジョゼフの手にあり続けるか。それによってガリアだけでも何十万人もの生死に関わってくることと言われれば、才人も返す言葉がなかった。こればかりはウルトラマンたちがいようとどうすることもできない。

 コルベールやギーシュたちも、タバサが実はガリアの王女だったと知って驚いたものの、今ではできるだけ彼女を支えるべく行動している。彼らはルイズと同じく、貴族や王族の責務というものを心得ていて、才人はギーシュたちのそんな切り替えの速さを見ながら、やはり自分はこの世界の人間とは異質な存在なんだなと心の片隅で思っていた。

「なあルイズ、確か学院の予定だったら、もうすぐ全校校外実習……要するに遠足だろ? せめてそれくらい」

「サイト! 今はそんなこと言ってる場合じゃないって何度言えばわかるのよ。今タバサがガリアを統治できたらハルケギニアはようやく安定できるわ。それが、一番多くの人のためになることで、それはタバサにしかできないことだって、これ以上言わせると承知しないわよ!」

「ご、ごめん。でも、どうしても釈然としなくてさ。やっと教皇を倒してホッとできると思ったらまた戦争だぜ。これで本当に平和が来るのかと思ってさ」

 才人の暗い表情に、ルイズも気分が悪いのは同調していた。

 もしもガリアをタバサが統治できれば、アルビオン・トリステイン・ガリアで強固な連帯が組まれてハルケギニアは安定する。そして三国が協調すればゲルマニアも追従せざるを得なくなる。ロマリアは勢力が大幅に減退してしまっており問題にならず、実質的にハルケギニアに平和が訪れるということになるのだ。

 もちろん、完全な平和とはいかないが、平和とは地球でも均衡の上に成り立つものだ。そもそも世界中の人間が心から仲良く、などとなれば『国』というものがいらなくなる。残念ながら、それが実現するのは遠い遠い未来のお話であろう。

 うかない気分をぬぐいきれずに、次の戦いの準備を進める才人たち。その様子を、ウルトラマンたちも複雑な心境で見守っていた。

「長引きすぎる戦いに、皆が疲れ始めているようだ。しかし、我々にはどうすることもできない」

 再び旅立ったモロボシ・ダンが言い残した言葉である。彼をはじめ、どの世界のウルトラマンもこの戦争には関与できない。もしもジョゼフが怪獣を投入してきた場合は別だが、それ以外では静観するしかないのだ。

 この戦争は、あくまでハルケギニアの人間同士の勢力争いである。宇宙警備隊の範疇ではなく、我夢やアスカらにしても直接関わるのははばかられた。彼らは戦争中にヤプールや他の侵略者が介入してこないかを見張ってくれている。

 だが、彼らは外部からの侵略者よりも、この世界での友人たちの内面が受ける心配をしていた。特にウルトラマンアグルこと、藤宮博也はこの世界の状況を見て我夢にこう言っている。

「人間は、自分が”狙われている”という状況にいつまでも耐えられるほど強くはない。この世界の人間たちも、俺たちの世界の人間たちと同じ過ちを犯しかねない状況になっている」

 我夢や藤宮のいた世界では、いつ終わるともわからない破滅招来体との戦いの中で人間たちは焦り、地底貫通弾による地底怪獣の早期抹殺や、ワープミサイルでの怪獣惑星の爆破などといった強攻策を浅慮に選んで手痛い目に何度も会っている。M78世界でも、防衛軍内を騒然とさせた超兵器R1号計画の推移も、度重なる宇宙からの侵略に地球人たちが「いいかげんにしろ」としびれを切らせた気持ちがあったことをダンは理解している。戦いに疲れ果て、もう戦うのは嫌だという気持ちが人に正気を失わせてしまうのだ。

 今のハルケギニアは、長引く戦いで疲れが溜まりきってしまっている。このまま開戦すれば、決着を焦った人々によって何が起こるかわからない。ウルトラマンたちはそれを懸念していた。

 けれど、戦いを避けるという選択肢が実質ないことも皆が理解していた。当初、アンリエッタらは圧倒的戦力差を背景にしてジョゼフに生命の保証を条件に降伏を迫ろうと提案したが、タバサがジョゼフの異常性を主張して断念させた。

「忘れないでほしい。あの男は、王になるために自分の弟を殺した男だということを。そして、王でなくなったあの男を受け入れるところなんて世界中のどこにもない、ガリアの民がそれを許さないということを」

 一切の反論を封じる、タバサの氷のような視線が残酷な現実を突きつけていた。

 ジョゼフの積み上げてきた業は、もう生きて清算できるようなものではない憎悪をガリアの民から買っている。ガリアの民は、ジョゼフの支配が完全な形で終わることを望んでいた。

 

 トリステインでは、前の戦争で攻め込んできたガリア軍がそのままシャルロット女王の軍となり、ガリア解放のために動く準備を日々整えている。

 開戦の日は近い。才人たちは、あくまでもタバサに個人的に協力するという立場で、ひとつの街ほどの規模のあるガリア軍の宿営地で手伝いを続けていた。

 

 

 だが、戦いの火蓋は感情や理屈を無視して、文字通り災厄のように切って落とされた。

「おわぁぁぁっ! なんだ、敵襲かぁ?」

 ガリア軍の宿営地に火の手があがった。同時に爆発音が鳴り、砂塵が舞い上がって悲鳴がこだまする。

 兵士たちの仮の寝床であるテントが次々と吹き飛ばされ、武器を持つ間もなく飛び出したガリア兵たちが右往左往と走り回る。

 それを引き起こしている元凶。それは、この一分ほど前、宿営地を襲った激震を前兆として現れた。

「地震か! おい、みんな外へ出ろ!」

 そのとき、テントの中では才人やルイズがギーシュたち水精霊騎士隊と休息をとっていた。しかし、突然の地震に驚き、とにかく外へと飛び出たとき、彼らは地中から空へと躍り出る信じられないものを目の当たりにしたのだ。

「サイト! あの円盤は」

「あれは! なんであれがまた!?」

 地中から現れて、宿営地を見下ろすように空に浮かんでいる光り輝くUFOの姿にルイズと才人は愕然とした。

 白色に輝くあのUFOは、一年前の雨の夜、リッシュモンが操ってトリスタニアを襲撃したものとまったく同じだったのだ。

 だがあれは確かに破壊したはず。それがなぜまた現れる!? 同じ型のUFOがまだあったのか? だがUFOは困惑する才人たちを尻目に、破壊光線を乱射して宿営地を攻撃し始めた。あまりに突然の襲撃に、宿営地は完全に秩序を失った混乱に陥っている。

「くそっ、考えてる暇はねえか。ルイズ、あいててて!」

「遅いわよバカ犬。このままじゃガリア軍はすぐ全滅しちゃうわ、戦えるのはわたしたちしかいない。行くわよ」

 ルイズは才人の耳を引っ張りながら連れ出そうとした。完全にふいを打たれたガリア軍に邀撃する術はなく、トリステインから援軍が来るのを待っている余裕もない。

 いや、迎え撃つ余裕があったとしても、竜騎士の力程度ではあのUFOに対抗する術はない。なにより、今ここを襲撃してくるのはジョゼフの息のかかったものに違いない。ここには全軍を統率する立場としてタバサもいる。タバサがやられたらガリアは完全におしまいだ。

「あんなのが出てきたなら、こっちだって遠慮する必要はないわ。わたしのエクスプロージョンで叩き落してあげる、それでダメならわかってるんでしょバカ犬!」

「わかったわかった! わかったからもうやめろってご主人様」

 UFOが相手ならウルトラマンAも遠慮する必要はない。ともかく、ギーシュたちの目の届かない場所に移動するのが先決だ。幸い連中もあたふたしていて、今ふたりが姿を消したとしても気づかれない。

 だが、UFOはふたりが行動を起こすよりも早く、下部からリング状の光線を放射して地上にあの怪獣を出現させた。黒光りするヌメヌメとした体表に、黄色い目を持ち、体から無数の触手を生やしたグロテスクなあの怪獣は。

「アブドラールス! くそっ、あいつも前に倒したはずなのに。どっからまた出てきやがった!」

 才人が毒づく前で、アブドラールスはさっそく目から破壊光線を放って宿営地を破壊し始めた。その圧倒的な猛威の前には、ガリア軍は文字通り成すすべもない。

 もう躊躇している場合ではない。ここにいるウルトラマンはエースだけ、才人とルイズは急いで変身をしようと踵を返しかけた、だがその瞬間。

「うわっ! なんだこの突風は!?」

 猛烈な風が吹いて、才人は飛ばされそうになったルイズを抱きとめてかがんだ。

 うっすらと目を開けて見れば、さっきまでいたテントが突風にあおられて飛んでいき、ギーシュたちも手近なものに掴まってこらえている。

 あのUFOかアブドラールスの仕業か? だがどちらも突風を起こすような攻撃は持っていなかったはず、なのにと才人が考えたとき、空を見上げたルイズが引きつった声で才人に言った。

「サ、サイト、空を見て!」

「な、なんだよ……そんな……そんなことってあるかよ!」

 才人は自分の目が信じられなかった。空を飛びまわる船ほどもある巨大な鳥、それは以前にアルビオンで戦って倒したはずのあの怪獣。

「円盤生物サタンモア! どうなってんだ、なんでまた倒したはずの奴が」

 奴は確かにアルビオンで葬ったはず。しかし、驚くべきことはそれだけではなかった。サタンモアの背中に人影が現れ、才人とルイズにとって聞き覚えのある声で呼びかけてきたのだ。

「久しぶりだねルイズ、それに使い魔の少年!」

「その声、そんな……そんな、ありえない!」

「てめえ! なんでここにいやがる。てめえ、てめえは確かにあのときに」

 ルイズと才人にとっての忌むべき敵のひとり。トリステインの貴族の衣装をまとい、レイピア状の杖を向けてくるつば広の帽子をかぶった男。

 だが、こいつはとうにこの世からいないはずだ。それが何故ここに? 才人とルイズの頭に怒りを上回る困惑が湧いてくる。

 混乱を増していく戦場。いったいなにが起こって、いや起ころうとしているのだろうか? これもジョゼフの策略なのだろうか?

 

 

 だが、混沌の元凶はジョゼフではなかった。それは、ジョゼフさえも観客として、自分が作り出したこの惨劇を遠くガリアのヴェルサルテイル宮殿から眺めている。

「さあ、楽しいショーが始まりましたよ。王様、とくとご覧ください。そうすれば私の言ったことが本当だとおわかりになるでしょう。そうしたら、私のお願い、かなえてくれますよね? ウフフフ」

「……」

 遠くトリステインの状況を映し出しているモニターを、ジョゼフが無言で見つめている。その表情にはいつもの自分を含めたすべてをあざ笑っているような余裕はなく、この男には似つかわしくはない緊張が張り付いていた。

 この部屋には、そんな様子を怒りをかみ殺しながら見守っているシェフィールドと、もうひとり人間ならざる者が宙にぷかぷか浮きながら楽しそうな笑い声を漏らしている。

 

 教皇に対してさえ平常を崩さなかったジョゼフに態度を変えさせる、こいつはいったい何者なのであろうか?

 それはむろん、ハルケギニアの者ではない。人間たちの思惑などは完全に無視して、戦争の気配が再度高まるハルケギニアに、誰一人として予想していなかった第三者が介入を計ろうとしていたのだ。

 

 それはこのほんの数時間前のこと。そいつは誰にも気づかれずに時空を超えてハルケギニアにやってくると、楽しそうに笑いながらガリアに向かった。

「ここが、ふふーん……なかなか良さそうな星じゃありませんか。ウフフフ」

 それは痛烈な皮肉であったかもしれない。今のガリアは王政府が混乱の巷にあり、貴族や役人たちが不毛な議論に時間を浪費し続けていた。もっともジョゼフはそんなことには何らの興味も持たず、タバサとの最後のゲームに向けて、機が熟するのを暇を持て余しながら気ままに待っていた。

 ジョゼフのいるのはグラン・トロワの最奥の王族の居住区。豪奢な寝室のテラスからは広大な庭園が一望でき、太陽の戻ってきた空の下で花や草が生き生きと美しく輝いている。それに対して、グラン・トロワの大会議室では大臣たちがシャルロット王女の立脚に対して、王政府はどう出ようかと紛糾しているのだが、ここには飽きもせず続いている罵詈雑言の嵐も届きはしない。

「まったく変なものだ。命が惜しければ、さっさと領地に逃げもどるなり、シャルロットに頭を下げるなりすればいいものを。いつまで宮殿に張り付いて、決まりもしない大義とやらを探し求めているのやら」

「ジョゼフ様、彼らはせっかく手に入れた地位を奪われるのが怖いのですわよ。シャルロット姫が帰ってくれば、彼らは確実に失脚します。命は助けられたとしても、一生を閑職で過ごすことになるのは明白。他人を見下すことに慣れた人間は、自分が見下されるようになるのが我慢できないのですわ」

 傍らに控えるシェフィールドが疑問に答えると、ジョゼフは理解できないというふうに首を振った。

「人を見下すというものが、そんなにいいものなのか余にはわからぬな。余は王族だが、すべてにおいて弟に劣る兄として侍従にまで見下されて育ったものよ。増して、今は世界中の人間が余を無能王と呼んでいる。そんな無能王の家来が、いったい誰を見下せるのか? 大臣たちはそんなこともわからんと見える」

 心底あきれ果てた様子で笑うジョゼフに、シェフィールドはうやうやしく頭を下げた。

「まったくそのとおりです。やがてシャルロット姫は軍勢を率いてここに攻めてくるでしょう。彼らにはそのとき、適当な捨て駒になってもらいましょう」

「はっはは、捨て駒にしても誰も惜しまなさ過ぎてつまらんな。今やガリアの名のある者は続々とシャルロットの下に集っている。対して余にはゴミばかり……フフ、これだけ絶望的な状況でゲームを組み立てるのもまた一興。シャルロット、早く来い! ここは退屈で退屈でかなわん。俺の首ならくれてやるから、代わりに俺はガリアの燃える姿を見せてやる。そのときのお前の顔を見て、俺の心は震えるのか? 今の俺にはそれだけが楽しみなのだ」

 空に向かって吼えるジョゼフ。その顔には追い詰められた暴君が死刑台に怯える気配は微塵も無く、最後に己の城に火を放って全てを道連れにしようとする城主をもしのぐ、すべてに愛着を捨てた虚無の残り火だけがくすぶり続けていた。

 

 すでにジョゼフの胸中には、これから起こるであろう戦争をいかに凄惨な惨劇にしようかという試案がいくつも浮かんでいる。数万、数十万、うまくいけば数百万の人命を地獄の業火に巻き込む腹案さえもある。

 だが、シェフィールドに酌をさせながら思案をめぐらせるジョゼフの下に、突如どこからともなく聞きなれない笑い声が響いてきた。

「おっほっほほ、これはまた聞きしに勝るきょーおーっぷりですねえ。人の上に立つ者とは思えないその投げ槍っぷり、わざわざ足を運んだかいがあったというものです」

 わざと音程に抑揚をつけて、聞く相手を不快にさせるためにしゃべっているような声に、真っ先に反応したのは当然シェフィールドだった。「何者!」と叫び、声のした方向に立ちふさがってジョゼフを守ろうとする。

 そして声の主は、自分の存在を誇示するように堂々とふたりの前に現れた。

「どぉーも、はじめまして王様。本日はお日柄もよく、たいへんご機嫌うるわしく存じます。ううぅーん? この世界のお辞儀って、これでよかったですかね」

 敬語まじりではあっても明らかに相手を小ばかにした物言い。ジョゼフたちの前に現れたそいつは、身の丈こそ人間と同じくらいではあるものの、ハルケギニアのいかなる種族とも似ていないいかつい姿をしていた。

 ”宇宙人か?” すでにムザン星人やレイビーク星人などの宇宙人をいくらか見知っていたシェフィールドはそう推測したが、そいつはシェフィールドの知っているいずれの星人とも似ていなかった。また、シェフィールドは自身の情報力で、ハルケギニアに現れたほかの宇宙人の情報も可能な限り調べ、その容姿も頭に入れていたが、やはりそのどれとも該当しない。仮にここに才人がいたとしても「知らない」と言うだろう。

 シェフィールドは長い黒髪の下の瞳を鋭く切り上げて、ほんの数メイル先で無遠慮に立っている宇宙人の悪魔にも似た姿を睨みつける。いざとなれば、その額にミョズニトニルンのルーンを輝かせ、隠し持った魔道具で八つ裂きにするつもりだ。

 だがジョゼフはシェフィールドを悠然と制し、目の前の宇宙人にのんびりと話しかけた。

「まあ待てミューズよ。余に害を成すつもりならば、頭にカビの生えた騎士でもなければさっさとふいをつけばいいだけであろう。はっはっはっ、ロマリアの奴といい、悪党はノックをせずに入ってくるのが世界的なマナーらしいな」

「あら? 私としたことが誰かの二番煎じでしたか。これは恥ずかしい、次からは花束でも持参で来ることにいたしましょう。あっと、申し遅れました。私、こういう者で、この方の紹介で参りました」

 わざとらしい仕草でジョゼフのジョークに答えると、宇宙人は二枚の名刺を取り出してシェフィールドに手渡した。

 ご丁寧にガリア語で書いてある名刺の一枚はその宇宙人の名前が、もう一枚にはジョゼフとシェフィールドのよく知っているあいつの名前が書かれていた。

「チャリジャ……」

「ほう? あいつの名前も久しぶりに聞いたな。なるほど、あいつの知り合いか」

 シェフィールドは面倒そうに、ジョゼフは口元に笑みを浮かべながらつぶやいた。

 宇宙魔人チャリジャ、別名怪獣バイヤー。過去に、ふとしたことからハルケギニアを訪れ、この世界で怪獣を収集するかたわらジョゼフにも色々と怪獣や異世界の珍しいものを提供してくれた。商人らしく、やるべきことが済むとハルケギニアから去っていってしまったが、小太りで白塗りの顔におどけた態度は忘れようも無く覚えている。

 まさかチャリジャの名前をまた聞くことになるとは思わなかった。異世界のことは自分たちには知る方法もないが、どうやら元気に商売にせいを出しているらしい。それでと、ジョゼフが視線を向けるとそいつは楽しそうにチャリジャとの関係を話し出した。

「ええ、私もいろいろなところを歩き回ることの多いもので、彼とはある時に偶然出会って意気投合しましてねえ。それで、とある怪獣のお話になったところで、彼からあなたとこの世界のことを聞きまして。私の目的にベリーフィット! ということなのではるばるやってきた次第です」

「それはまたご苦労なことだな。で? お前は余に何の用があるというのだ? 余は退屈してたところだ、少し前まで多少は楽しいゲームを提供してくれていた奴がいたのだが、勝手に負けていなくなってしまってな。この世界が欲しいというなら手を貸してやらんでもないぞ? うん?」

 やや嫌味っぽく言うジョゼフは、その態度で相手を計ろうとしていた。これまで自分に興味を持って利用しようと接触してきた奴はいろいろいたが、いずれも途中で脱落していった。ましてやこれから始めるゲームは、シャルロットとの最後の対戦になることは確実なのだ、三下を入れてつまらなくはしたくない。

 しかし、宇宙人はジョゼフの嫌味に気分を害した風もなく、むしろ肩を揺らして笑いながら言った。

「いえいえ、侵略などとんでもない。ウルトラマンがこれだけ守ってるところに侵略をかけるなんて、やるならもっと強いお方と組みますとも。実は私、同胞がちょっと面白そうなことを計画していましてね。その手伝いをできないかと考えていたのですが、あなたを利用するのが一番手っ取り早いと……おっと、私ったら余計なことまで言っちゃいました。気にしないでください」

 その言い返しにシェフィールドは唇を歪めた。間接的にジョゼフを馬鹿にされただけでなく、おどけた口調の中でもこちらを見下す態度を隠そうともしていない。話しているときの不快度ではチャリジャやロマリアの連中以上かもしれない。

 だがジョゼフは相変わらず気にもせずに薄ら笑いを続けている。元より傷つけられて困るプライドがないせいもあり、何事も他人事を言っているようにも聞こえる不快な態度をとるのは彼も似たようなものである。

「ははは、よいよい、悪党は悪党らしくせねばな。それで、余にどうしろというのだ? 悪事の片棒を担ぐのはやぶさかではないが、余もそこまで暇ではない。利用されるかいがあるような、それなりに立派な目的なのかな、それは?」

 つまらない理由なら盛大に笑ってやるつもりでジョゼフはいた。宇宙人を相手にしてはミョズニトニルンや自分の虚無の魔法でもかなわない公算が高いが、かといって惜しい命も持ち合わせてはいない。

 宇宙人は、その手を顔に当てて大仰に笑った仕草をとった。どうやらジョゼフの物怖じしない態度が気に入ったらしい。そいつは、ジョゼフに自分の目的を語って聞かせると、さらに得意げに言った。

「……と、いうわけでご協力をいただきたいのですよ。どうです? 王様に損はないでしょう。それに、王様と王女様のゲームとしても存分に楽しめると思いますよ。なにより、私も見てて面白そうですしねえ」

「なるほど、確かに一石二鳥で、しかも余から見てさえ悪趣味なことこの上無いゲームだな……だが、貴様はひとつ忘れているぞ。そのゲーム、余はともかくとしてシャルロットが乗ってこなければ話になるまい。あの娘がこんな舞台に乗ってくるとは思えんがな」

「だぁいじょうぶですとも! チャリジャさんからそのあたりの事情はよーく聞き及んでおります。ですから、あなた方に是非とも参加いただけるほどの、素敵な景品をプレゼントさせていただきますよ。ゲームが終わった暁には、王様へのお礼もかねて、なな、なんと特別に!」

 宇宙人は高らかに、ジョゼフに向かって『豪華プレゼント』の中身を暴露した。

 その内容に、シェフィールドは戦慄し、そしてジョゼフも。

「な、んだと……?」

 なんと、ジョゼフの表情に狼狽が浮かんでいた。あの、自分を含めた世界のすべてに対して唾を吐きかけて踏みにじってなお、眉ひとつ動かさないほどにこの世に冷め切っているジョゼフがである。

 あの日以来、何年ぶりかになる脂汗がジョゼフの額に浮かんでくる。だが宇宙人は、ジョゼフとシェフィールドが怒声を上げるより早く、勝ち誇るように宣言してみせた。

「おやおや、ご信用いただけない様子? では、お近づきの挨拶もかねて軽いデモンストレーションをいたしましょう。それできっと、私の言うことが本当だと信じていただけるでしょう。フフ、アーッハッハハ!」

 狂気さえにじませる宇宙人の笑い声がグラン・トロワに響き渡った。

 この日を境に、ジョゼフとタバサの最後の決闘となるはずだった歴史は、いたずらな第三者の介入によって狂い始める。その魔の手によって混沌と化していく未来が、魔女の顔をして幕から姿を現そうとしている。

 

 

 所は移り変わってトリステイン。時間を今に戻して、燃え盛る宿営地に二匹の怪獣が暴れ周り、人とも物ともつかぬものが舞い上げられていく。

 その頃、タバサは北花壇騎士として培った経験からすぐに衝撃から立ち直り、杖を持って飛び出していた。そしてすぐにトリステインに連絡をとり、援軍を要請するよう指示を出すとともに混乱する軍をまとめるために声をあげる。そこには戦士としてのタバサではなく、指導者としてのタバサがいた。

 タバサは、この襲撃がジョゼフによるものであることを確信していた。戦争が始まる前に、反抗勢力ごと自分を抹殺するつもりなのか? だけど、わたしはあなたの首をとるまでは死ぬつもりはない。

 だがタバサといえども、これがそんな常識的な判断によるものではなく、よりひねくれた、より壮大且つ宇宙全体に対して巨大な影響を与えるほどの計画の前哨であることを知る由もなかった。

 そして、これがタバサとジョゼフの最後の対決を、まったく誰も予測していなかった方向へ導くことも、ハルケギニア全体に壮大な悲喜劇を撒き散らすことも誰も知らない。

 

 それでも、運命の歯車は無慈悲に回り続けている。

 空を飛ぶサタンモアの背に立つ男から、ウィンドブレイクの魔法が地上の才人めがけて撃ちかけられてきた!

「相棒、俺を使え!」

「わかったぜ!」

 才人は背中に手を伸ばし、再生デルフリンガーを抜き放った。

「でやぁぁぁっ!」

 魔法の風が刀身に吸い込まれ、才人とルイズには傷一つつけられずに消滅した。しかし、男はむしろ楽しそうにあざ笑う。

「どうやら腕は落ちていないようだね使い魔の少年、そうこなくては面白くない。以前の借りをルイズともどもまとめて返させてもらおうか」

「てめえこそ、どうやら幽霊じゃねえみたいだな。いったいどうやって戻ってきやがった、ワルド!」

 

 倒したはずの怪獣、死んだはずの人間。それが現れてくる理解不能な現実。

 常識は非常識に塗り替えられ、前の編の総括すらすまないまま、新たな幕開けは嵐のようにやってきた。

 役者はまだ舞台に上がりきってすらいない。しかし、客席から乱入してきた飛び入りによってカーテンコールは強要され、悲劇の幕開けは笑劇へと変えられた。

 それでも運命という支配人は残酷な歯車を回し続ける。舞台セットや奈落が勝手に動き回る狂乱の舞台が、ここに始まった。

 

 

 続く



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第60話  ジョゼフからの招待状

 第60話

 ジョゼフからの招待状

 

 UFO怪獣 アブドラールス

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

 

「ルイズ、それに使い魔の少年。悪いが、今度はお前たちが死んでもらおうか!」

「ふざけるんじゃないわよ! この卑劣な裏切り者。トリステインの面汚しのあんたに、トリステインの空を飛ぶ資格はないことを、お母様に代わって今度はわたしが思い知らせてあげるわ」

「俺は今はガンダールヴじゃねえけど、てめえに名前を呼ばれたくもねえな。二度とおれたちの前に現れないようにギッタギタにしてやるぜ、ワルド!」

 互いに武器を抜き放ち、因縁の対決が幕を開けた。

 ジョゼフの下に現れた謎の宇宙人の”デモンストレーション”により、トリステインにいるシャルロット派のガリア軍宿営地を襲った怪獣たち。アブドラールス、サタンモア、しかしそれらはいずれもかつて倒したはずの相手であり、ここに現れるはずがない。

 だが何よりも、才人とルイズの前に現れた男、ワルド。奴はアルビオンでトリステインを裏切り、その後も悪事を重ねた末にラ・ロシェールで死んだはず。

 なぜ死んだはずの怪獣や人間が現れる? だがこれは夢でもなければ幽霊でもない。実体を持った敵の襲来なのだ! 才人とルイズは武器を握り、同時に新たなる敵の襲来はすぐさまトリステインに散る戦士たちに伝えられた。

 先の戦いの休息もままならないうちに、次なる戦いの波が無慈悲に若者たちを飲み込もうとしている。

 

 が……この戦いを仕組んだ者が望んでいるのは戦いなのだろうか? なにかの目的のために、単なる手段として戦いを利用しているだけだとしたら。それはむしろ、単純に戦いを挑んでくるよりも恐ろしいかもしれない。

 黒幕は、自分で演出した戦火を遠方から眺めながら愉快そうに笑っていた。

「オホホホ、やっぱり何かするなら派手なほうが楽しいですねえ。見てくださいよ王様、これからがおもしろくなりますよぉ。ほらほらぁ?」

「……」

「あら? ご機嫌ナナメですか。それは残念。けど、これからもっと楽しくなりますよ。ビジネスは第一印象が大事だってチャリジャさんに教わりましたから、私はりきっちゃったんですよ。そ・れ・に、これだけ豪華メンバーを揃えたんです。この星に集ってる宇宙一のおせっかい焼きさんたちがジッとしてるわけないですもの、誰が来るか楽しみだったらないですねえ」

 黒幕の声色には緊張はなく、筋書きの決まった演劇を見るような余裕に満ちている。

 これだけのことをしでかしておきながら、まるでなんでもないことのような態度。そればかりか、奴が自分を売り込もうとしているジョゼフの様子もおかしい。常の無能王としての虚無的な陽気さはどこにもなく、表情は固まり、口元は閉じられて、落ち着かない風に指先を動かし続けている。

 何より、これだけのことを起こせる力があるというのにジョゼフの協力を得ようとしている奴の目的は何か? 単なる侵略者とは違う、さらに恐ろしい何かを秘めた一人の宇宙人によって、ハルケギニアにかつてない形の動乱が迫りつつある。

 その第一幕はすでに上がった。もう誰にも止めることはできない。始まってしまったものは、もう止められない。

 

 燃え盛る宿営地を見下ろしながら、サタンモアの背に立つワルドは杖を振り上げて呪文を唱え、眼下の才人とルイズ目がけて振り下ろした。

『ウィンド・ブレイク!』

 強烈な破壊力を秘めた暴風が、姿のない隕石のように二人を襲う。だが、才人はルイズをかばいながら、ワルドの殺意を込めた魔法を真っ向からその手に持った剣で受け止めた。

「でやぁぁぁっ!」

 風の魔法は才人の剣に吸い込まれ、その威力を減衰させて消滅した。

 ニヤリと笑う才人。そして才人は剣の切っ先をワルドに向けると、高らかに宣言したのだ。

「何度やっても無駄だぜ。魔法は全部、パワーアップしたデルフが受けてくれるんでな!」

「ヒュー! 最高だぜ相棒。俺っちは絶好調絶好調! いくらでも吸い込んでやるから安心して戦いな」

 才人がかざしている銀光りする日本刀。それこそは新しく生まれ変わったデルフリンガーの姿であった。

 デルフは以前、ロマリアの戦いで破壊されてしまった。だが、その残骸は回収されてトリステインに戻り、サーシャが帰り際に修復してくれたのである。

「さっすがサーシャさんだぜ、あのワルドの魔法がまったく効かないなんてな。しっかし、サーシャさんがデルフを最初に作ったんだって聞いたときはビックリしたけど、考えてみたら魔法を吸い込む武器なんてガンダールヴのためにあつらえられたようなものだからな」

「ああ、俺もずっと忘れてたぜ。元々は、サーシャが後々のガンダールヴのためにって作り残してたのが俺だったんだ、こういうときのためにな! さあ遠慮なく戦いな相棒。魔法は全部俺が受け止めてやるからよ!」

「おう!」

 才人はうれしそうに、新生デルフリンガーを構える。その顔には、久しぶりに心からの相棒とともに戦えるという闘志がみなぎっていた。

 だがワルドもそれで戦意を失うはずがない。風がダメなら別の方法がと、ワルドの杖に電撃がほとばしる。

『ライトニング・クラウド!』

 何万ボルトという電撃が襲い掛かってくる。だがデルフリンガーはそれすらも、完全に受け止めて吸収してみせた。

「無駄だって言ってるだろう。もう二度と壊されないように、思いっきり頑丈に作り直してもらったんだ。まあちょっともめたけどな……」

 そう言って、才人はふとあのときのことを思い出した。

 

 ブリミルとサーシャが過去の語りを終えて帰る前のこと、談笑している中でサーシャがふとミシェルに話しかけた。

「んー? 何かあなたから妙な気配を感じるわね。あなた、何か特別なマジックアイテムみたいなものを持ってるんじゃない?」

 そう問い詰められ、ミシェルは迷った様子を見せたが、仕方なく懐から柄の部分だけになってしまったデルフリンガーを取り出して見せた。

 刃は根元近くからへし折れ、もはや剣だったという面影しか残してはいない。そしてその無残な姿を見て、才人は血相を変えて駆け寄った。

「デルフ! お前、お前なのかよ。どうしてこんな姿に」

「サ、サイト、すまない。後で話すつもりだったんだが……こいつはお前たちが消えた後で、教皇たちに投げ捨てられたんだ。こいつは最期までお前たちのことを思って……だが」

「おいデルフ、嘘だろ。ちくしょう、あのときおれが手を離したりしなけりゃ、くそっ!」

 才人の悔しがる声が部屋に響いた。先ほどまでの浮かれていた空気が嘘のように部屋が静まり返る。

 だが、サーシャはミシェルの手からひょいとデルフの残骸を取り上げると、少し目の前でくるくると回して観察してから軽く言った。

「ふーん、なるほど。安心しなさい、こいつはまだ死んでないわ。直せるわよ」

「えっ? ええっ! 本当ですかサーシャさん! で、でもなんでそんなことがわかるんです?」

 才人は興奮してサーシャに詰め寄った。ミシェルをはじめ、ほかの面々も一度壊れたインテリジェンスアイテムが再生できるなんて聞いたこともないと驚いている。

 注目を集めるサーシャ。しかし彼女は腰に差した剣を引き抜くと、こともなげに答えたのだ。

「別になんてことはないわ。こいつを作ったのはわたしだもの」

 才人たちの目が丸くなった。そして、サーシャが抜いた剣をよくよく見てみると、それはデルフリンガーと同じ形の片刃剣……いや、デルフがいつも言葉を発するときにカチカチと鳴らしている鍔の部分がないことを除けば、デルフリンガーそのものといえる剣だったのだ。

 唖然とする才人。しかし才人よりも頭の回転の速いミシェルは、ふたつの剣を見比べて答えを導き出した。

「つまり、あなたはその剣を元にしてデルフリンガーを作った。いや、これから作り出そうとしているということですね?」

「んー、当たってるけどちょっと違うかな。これから作るんじゃなくて、今作ってるとこなのよ。この剣には、もう人格と特殊能力を持たせるようにするための魔法はかけてあるわ。けど、魔法が浸透して実際に意思をもってしゃべりだすためには、まだ長い年月が必要になるわ。意思を持った道具を作るっていうのは、けっこう大変なのよ」

 一時的な疑似人格ならともかく、六千年も持たせるインテリジェンスソードを作り出すにはそれなりの熟成が必要、でなければこの世にはインテリジェンスアイテムが氾濫していることになるだろう。

 目の前のこのなんの変哲もない剣が六千年前のデルフリンガーの姿。才人は、自分は知らないうちにデルフといっしょに戦い続けてきたのかと、運命の不思議を思った。

「そ、それで。こいつは、デルフは直せるんですか? もう柄しか残ってないボロボロの有様だけど」

「そうねえ、さすがにこのまま修復するのは無理ね。本来なら、母体にしてる武器が大破したら付近にある別の武器に精神体が憑依しなおすはずなんだけど、そのときは運悪くそばに適当なものがなかったのね」

 そう言われてミシェルは思い出した。あのとき、傍には銃士隊の剣が何本もあったけれど、いずれも激しく痛んでしまっていた。デルフが宿り直すには不適当だったとしても仕方ない。

「大事なのは精神体のほうで、武器は器に過ぎないわ。けど、それなりのものでないと容量が足りないのよ。なにか、こいつの意思を移せる別の武器を用意しないと」

 そう言われて、才人はすかさずアニエスを頼った。ここはさっきまで戦争をしていた城、武器がないはずがない。もちろん異存があるわけもなく、武器庫への立ち入りを許可してくれた。

「戦でだいぶ吐き出したが、平民用の武器ならばまだ些少残っているだろう。剣を選ぶんだったら、城の中庭で見張りをしてるやつが詳しいから連れて行くといい」

「わっかりました! ようし待ってろよデルフ」

 喜び勇んで出て行った才人がしばらくして戻ってきたとき、その手には一振りの日本刀が握られていた。

「お待たせしました! こいつでどうっすか?」

「へえ、見たことない片刃剣ね。って、なにこの鋼の鍛え具合!? 研ぎといい、変態ね、変態の国の所業ね」

「こいつは日本刀っていって、俺の国で昔使われてたやつなんだぜ。トリステインの人には使い勝手が悪いみたいで放置されてたらしいけど、アニエスさんに紹介してもらった人にも「切れ味ならこれが一番」って太鼓判を押してもらったんだ。てか、俺が使うならこれしかないぜ! これで頼みます」

 興奮した様子で才人が説明するのを一同は唖然と眺めていたが、才人から刀を受け取ったサーシャが軽く振っただけでテーブルの上のキャンドルの燭台が真っ二つになるのを見て、その驚くべき切れ味を認識した。確かにこれなら、切れないものなどあんまりないかもしれない。

 切れ味は申し分なし。なにより才人が気に入っているのだからと、異論を挟む者はいなかった。

 サーシャは日本刀を鞘に戻すと、デルフの残骸とともにテーブルの上に置いた。

「それじゃやるわよ。見てなさい」

「そ、そんなに簡単にできるんですか?」

「大事なのは精神体だけで、作り出すならともかく移し替えるだけなら難しくないわ。たぶん数分もあれば十分だと思うわよ」

 要はパソコンの引っ越しみたいなもんかと、才人は勝手に納得した。

 一同が見守る前で、サーシャは呪文を唱えて移し替えの儀式を始めた。その様子を才人は固唾を飲みながら見守り、その才人の肩をルイズが軽く叩いた。

「よかったわね、やかましいバカ剣だけどあんたにはお似合いよ。今度はせいぜい手放さないことね」

「ああ、ルイズもデルフとは仲良かったもんな。お前も喜んでくれてうれしいぜ」

「か、勘違いしないでよ。あいつにはたまにちょっとした相談に乗ってもらったくらいなんだから! ほら、もう終わるみたいよ」

 本当に移し替えるだけだったらすぐだったようで、日本刀が一瞬淡い光を放ったかのように見えると、そのまま元に戻った。

「こ、これでデルフは生き返ったんですか?」

「さあ? 儀式は成功したけど、抜いてみたらわかるんじゃない?」

 サーシャに言われて、才人は恐る恐る日本刀を手に取るとさやから引き抜いた。

 見た目は変化ない。しかし、すぐに刀身からあのとぼけた声が響きだした。

「う、うぉぉ? な、なんだこりゃ! 俺っち、いったいどうしちまったんだ? あ、あれ相棒? おめえ何で? え、なにがどうなってんだ?」

「ようデルフ! 久しぶりだな。よかった、完全に直ったんだな!」

「当然よ、この私が手をかけたんだから直らないほうがおかしいわ」

「ん? え、えぇぇぇぇっ! おめぇ、サ、サーシャか! それにそっちは、ブ、ブリミルじゃねえか。こりゃ、お、おでれーた……え? てことは、ここはあの世ってことか! おめえらみんな死んじまったのかよ」

 大混乱に陥っているデルフを見て、才人やサーシャたちはおかしくて笑った。

 だがずっと眠っていたデルフからしたらしょうがない。なにせデルフからしたらブリミルもサーシャも六千年前に死んでいる人間なのだ。才人がこれまでの経緯の簡単な説明をすると、デルフは感心しきったというふうにつぶやいた。

「はぁぁぁぁ、時を越えてねえ。まったく、長げぇこと生きてきたが、今日ほどおでれーた日はなかったぜ。しっかし、ほんとにブリミルとサーシャなのかよ。うわ懐かしい……おめえらと生きてまた会えるなんて、夢みてえだぜ。ああ、思い出してきたぜ……おめえらといっしょにした旅の日々、懐かしいなあ」

「久しぶり、いや僕らからすればはじめましてだけど、君も僕らと共に過ごした仲間だったんだね。会えてうれしいよ」

「まったく、なんか生まれてもいない子供に会った気分ね。けど、その様子だとちゃんとインテリジェンスソードとして成熟できたようね。よかったわ」

 奇妙な再会だった。こんなに時系列がめちゃくちゃで関係者が顔を合わせるなんてまずあるまい。

 しかし、困惑した様子のブリミルとサーシャとは裏腹に、デルフは堰を切ったように話し始めた。

「思い出した、思い出した、思い出してくるぜ。忘れてたことがどんどん蘇ってきやがるぜ。ちくしょう、サーシャに振られてたころ、懐かしいなあ、楽しかったなあ。でもおめえらほんと剣使いが荒いんだもんよお、六千年も働いたんだぜ。俺っちは死にたくても死ねねえしよお、わかってんのかよ? 苦労したんだぜまったくよぉ!」

「悪いわね。けど、私たちの子孫を助け続けてくれたそうね、感謝してるわ。寿命のある私たちにはできない仕事だから、もう少しサイトたちを助けてあげてくれないかしら」

「へっ、おめえにそう言われちゃしょうがねえな。まったくおめえらが張り切ってやたら子供をたくさん残しやがるからよぉ。ほんと毎夜毎夜、俺を枕元に置いてはふたりして激しく前から後ろから」

「どぅええーい!!」

 突然サーシャが才人の手からデルフをふんだくって壁に向かって野獣のような叫びとともに投げつけた。

 壁にひびが入るほどの勢いで叩きつけられ、「ふぎゃっ」と悲鳴をあげるデルフ。そしてサーシャはデルフを拾い上げると、「えーっ、もっと聞きたかったのに」と残念がるアンリエッタらを無視して、鬼神のような表情を浮かべ、震える声で言ったのだ。

「ど、どうやら再生失敗しちゃたようね。サイト、このガラクタを包丁に打ち直してやるからハンマー用意しなさい! できるだけ大きくて重いやつ!」

「あ、じゃあ武器庫に「抜くと野菜を切りたくなる妖刀」ってのがあったから、それと混ぜちゃいましょうか」

「キャーやめてーっ! 叩き潰されるのはイヤーッ! 生臭いのもイヤーッ!」

 悲鳴をあげるデルフの愉快な姿を眺めて、場から爆笑が沸いたのは言うまでもない。

 さて、それからサーシャの機嫌をなだめるのには少々苦労したものの、六千年ぶりの生みの親との再会にデルフは時間が許す限りしゃべり続けた。

「懐かしいぜ、おめえらとはいろいろあったよなあ。極寒の雪山で雪崩を切り裂いたことも、マギ族の魔法兵士と戦うために魔法を吸い込む力を与えてもらったことも昨日のように思い出せるぜ。それからよ、それからよぉ」

 懐かしさで思い出話が止まらなくなっているデルフに、ブリミルとサーシャはじっくりと付き合った。デルフの思い出は、ブリミルとサーシャにとっては未来のことだ。それも、未来を聞いたことによってこれから本当に起こるかはわからない。

 それでもよかった。仲間との再会はうれしいものだ、デルフの語る思い出の光景が、ふたりの脳裏にも想像力という形で浮かんでくる。もっとも、ときおり夜の思い出の話になりかけると、ブリミルは期待に表情をほころばせ、そのたびにサーシャが大魔神のような表情で睨みつけて黙らせていたが。

 そして、ひとしきり話が終わると、サーシャはなにげなくデルフに新しい魔法をかけていった。

「魔法を吸い込む力を強化しておいたわ。吸い込む量が増えれば反動も大きくなるけど、その刀の強度なら耐えられるでしょう」

 それが、再び今生の別れとなるサーシャからデルフへの餞別だった。

 そうして、ブリミルとサーシャは才人やルイズたち一同に見送られながら過去の世界へとアラドスに乗って帰っていった……山のように大量の食糧をおみやげに持って行って。

 

 あのときのことは、本当に思い出すと笑いがこみあげてくる。しかし、サーシャのこの時代への置き土産は、この時代の苦難はあくまでこの時代の人間がはらわなければいけないという課題でもある。

 才人はワルドを睨みながらデルフを握りしめ、今度こそデルフとともに最後まで戦い抜くことを誓った。

「さあ何度でも来やがれヒゲ野郎! もうお前なんか、おれたちの敵じゃねえぜ」

「おのれ、たかが平民が大きな口を叩いてくれる」

 才人の挑発に、ワルドは再度魔法を放とうとした。しかし、その詠唱が終わる前に、ワルドの至近で鋭い威力の爆発が起こったのだ。

『エクスプロージョン!』

「ぐおおっ!」

 とっさに身を守ったものの、死角からの一撃に少なからぬダメージをもらったワルド。そしてその見る先では、ルイズが毅然とした表情で自分に杖を向けていた。

「飛び道具があるのが自分だけだと思わないことね。そんなところに突っ立ってるなら狙いやすくて助かるわ。次は外さないわよ、覚悟なさい」

 ルイズの魔法には弾道がない。それゆえに回避が難しく、ワルドもさっきは長年の勘でとっさに身をひねってかわしたに過ぎない。

 ワルドは、このまま魔法の打ち合いを続けたら自分が不利だと判断した。あの二人は自分が死んでいた間にもさらに成長している。前と同じと思っていると危ない。

「やるね、小さいルイズ。だが君たちも僕をあなどってもらっては困る。楽しみは減るが、こちらも本気を出させてもらおうか」

 そう宣言すると、ワルドはサタンモアの背中から飛び降りた。そしてサタンモアに、お前はそのまま施設の破壊を続けるように命じると、自身は得意とするあの魔法の詠唱をはじめた。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 ワルドの姿が分身し、総勢八人のワルドとなってルイズたちの前に降り立った。

「風の偏在ね。まあ見たくもない顔がぞろぞろと、吐き気がするわ」

「ふん、だが君の魔法でも八人は一気に倒せまい。そして知っての通り、本体以外への攻撃は無効な上に、君の虚無の魔法が詠唱に時間がかかるのも知っている。時間は稼がせんよ、覚悟したまえ!」

 ワルドとその偏在は、八方からいっせいにルイズと才人に杖を向け、『ライトニング・クラウド』を唱え始めた。ルイズの反撃は間に合わず、デルフリンガーとてこれだけの魔法の攻撃はしのぎ切れない。

 だが才人は不敵な笑みを浮かべると、ワルドたちに向かって言い返した。

「それはどうかな?」

 その瞬間だった。横合いから、無数の魔法の乱打がワルドと偏在たちに襲い掛かったのだ。

「サイトたちを助けろ。水精霊騎士隊、全軍突撃ーっ!」

 炎や水のつぶてが大小問わずに叩き込まれ、それらはとっさに防御姿勢をとったワルドたちには大きなダメージは及ぼさなかったものの、態勢を崩壊させるのには充分な威力を発揮した。

「ギーシュ、いいところで来てくれるぜ」

「ふふん、英雄は活躍するチャンスを逃さないものなのさ。てか、あれだけ騒いでおいて気づかれないほうがどうかしているだろうよ」

 かっこうつけて登場したギーシュたち水精霊騎士隊の仲間たちに、才人も笑いながらガッツポーズをして答える。

 対して、虚を突かれたのはワルドだ。八人で才人とルイズを包囲したと思ったら、いつのまにか倍の人数に囲まれている。ワルドは烈風カリンのような強者の存在は計算して襲撃したつもりでいたが、学生の寄り合い所帯に過ぎない水精霊騎士隊のことは完全に計算外だった。

 しかし……だが。

「ワルド、てめえの次のセリフを言ってやろうか? たかが学生ごときが何人集まったところで元グリフォン隊隊長たる『閃光』のワルドに勝てると思っているのかね? だ」

 才人のその言葉に、並んだワルドたちの顔がぴくりと震えるのが見えた。だが才人はただ調子に乗っているだけではない、そしてギーシュたちもプロの軍人メイジを前にして根拠のない蛮勇ではない。

 簡単なことだ。水精霊騎士隊の積み上げてきた経験は、もう並のメイジの比ではない。そしてメイジ殺しのプロである銃士隊に鍛え上げてもらってきたのだ、その地獄を潜り抜けた自信はだてではない。ギーシュは、ギムリやレイナールたちに向かって隊長らしく命令を飛ばした。

「さて諸君、元グリフォン隊隊長ワルド元子爵を相手に訓練ができるとは願ってもない機会だ。僕らの帰りを待ってくれているレディたちにいい土産話ができるぞ。元子爵どののご好意に感謝しつつ、元隊長どのを環境の整った美しい牢獄へご案内してあげようじゃないか」

「ええい、元元とうるさい! よかろう、ならば特別に稽古をつけてやろうではないか。その成果を十代前の祖父に報告するがいい」

 本気を出したワルドと水精霊騎士隊がぶつかる。ワルドにも焦りがあった、時間をかければ当然あの烈風がやってくる可能性が高まる、アルビオンでの敗北はワルドにとってぬぐいがたいトラウマとなっていた。

 ワルドは自分がつけいる隙を自らさらしていることに気づいていない。そして、当然才人とルイズも攻勢に打って出て、戦いは乱戦の様相を見せ始めた。

 

 

 しかし、才人とルイズがワルドとの戦いに忙殺され、ウルトラマンAに変身できなくなったことで、アブドラールスとUFO、そしてサタンモアは我が物顔でガリア軍を攻撃している。

 怪獣二体が相手では通常の軍隊では勝機は薄い。しかも不意を打たれているのだ、タバサはこれまでであれば自らシルフィードに乗って戦えたが、女王という立場では動くことはできない。

 ガリアの人間たちが傷つけられている姿を見ていることしかできないタバサ。しかし、彼女は敗北を考えてはおらず、その期待に応えて彼らはやってきた。

「きた」

 短くタバサがつぶやいたとき、空のかなたから光の帯が飛んできて上空のUFOに突き刺さった。

『クァンタムストリーム!』

 金色の光線の直撃を受けたUFOは粉々に吹き飛び、続いて空の彼方から銀色の巨人が飛んできてアブドラールスの前に土煙をあげて着地した。

「ウルトラマンガイア」

 信頼を込めた声でタバサがその名を呼ぶ。異世界でタバサが出会った友、タバサが突然の敵の襲撃を受けたと聞き、駆け付けたのだ。

「デヤァッ!」

 掛け声とともに、ガイアはアブドラールスとの格闘戦に入った。ガイアにとっては初めて戦う怪獣だが、ガイアがこれまで戦ってきた怪獣の中にもミーモスやゼブブなど格闘戦を得意とする相手はいた、初見の相手でも遅れはとらない。

 接近しての腰を落とした正拳突きでよろめかせ、すかさずキックを入れて姿勢を崩させる。

 逆に、反撃でアブドラールスが放ってきた目からの破壊光線は、大きくジャンプしてかわした。

 その精悍な戦いぶりに、パニックに陥っていたガリア軍からも歓声があがりはじめた。

「おお、すごいぞあのウルトラマン! ようし、今のうちに全隊集まれ、女王陛下をお守りするのだ」

 余裕が生まれると、さすがガリアの将兵たちは秩序だった動きを発揮しだした。それに、ガイアの戦いぶりは彼らに「怪獣はまかせても大丈夫」という頼もしさがあった。我夢は頭脳労働担当ではあるが、XIGの体育会系メンバーにもまれることで貧弱とは程遠いだけの体力も身に着けていたのだ。

 ガイアはリキデイターを放ち、アブドラールスの巨体が赤い光弾を受けてのけぞる。我夢は、敵が別の場所で動きを見せた場合に備えて藤宮に残っていてもらっていることに余裕を持ちながら、冷静に敵の意図を考えていた。

〔このタイミングで、白昼堂々仕掛けてきた理由はなんだ? 作戦も何もない力押しの攻撃、怪獣もなにか特別な能力を持たされてるわけではなさそうだ……〕

 もしも破滅招来体のような狡猾な相手なら、なにか裏があるはずだ。まして聞いた話ではジョゼフというのは相当に頭の切れる男らしい、我夢は戦いながら思案を巡らせ続けた。

 

 一方で、サタンモアもワルドから解放されて自由に暴れていた。

 空を縦横に飛び回り、本来の凶暴性を発揮して、子機であるリトルモアを解放して地上の人間たちを襲おうとする。が、そんな卑劣を許しはしないと、別の方向から次なる戦士が現れる。

『フラッシュバスター!』

 青い光線が鞭のようにサタンモアを叩き、リトルモアの射出態勢に入っていたサタンモアを叩き落とす。

 そして光のように降り立ってくる、ガイアに劣らないたくましい巨人の雄姿。その名はウルトラマンダイナ!

〔ようルイズ、手こずってるみたいじゃねえか。こっちの焼き鳥もどきはまかせな。さばいて屋台に出してやるぜ〕

「アスカ、あんたまた出しゃばってきて! 仕方ないわね。わたしより先にそいつを片付けられなかったらそいつのステーキを食べさせてやるからね」

〔うわ、それは勘弁してくれ。ようし、いっちょ気合入れていくか〕

 ルイズとテレパシーで短く言い合いをした後で、ダイナは指をポキポキと鳴らしてサタンモアに向き合った。

 対してサタンモアもリトルモア射出器官をつぶされはしたものの、これでまいるほど柔くはない。再浮上して、その最大の武器である巨大なくちばしをダイナに向かって猛スピードで突き立ててくる。

〔真っ向勝負のストレートで勝負ってわけか! その根性、気に入ったぜ〕

 ダイナは逃げずに正面からサタンモアに対抗し、胸を一突きにしようとするサタンモアの頭を一瞬の差でがっぷりと担ぎ上げた。

「ダアァァァッ!」

 サタンモアの勢いでダイナが押され、ダイナは全力でそれを押しとどめる。

 なめてもらっては困る。アスカはピッチャーだが下位打線ではない、それに、相手が真っ向勝負を向けてきたら燃えるタイプだ。

〔しゃあ、止めてやったぜ。俺ってキャッチャーの才能もあるんじゃねえか? ようし、じゃあでかいバットも手に入ったし、今度は四番バッターいってやろうか〕

 ダイナは受け止めたサタンモアの首根っこを掴むと、そのままホームランスイングよろしく振り回した。その豪快なスイングの風圧でテントが揺らぎ、砂塵が巻き起こる。当然サタンモアはたまったものではない。

 その相変わらずの戦いぶりには、旅を共にしてきたルイズも苦笑いするしかない。

 そして、戦いの中でダイナとガイアは一瞬だけ目くばせしあった。こっちはまかせろ、お前はそっちを存分にやれという風に、まるで長年そうしてきたようにごく自然にである。

 

 ふたりのウルトラマンの参戦によって、戦いは一気に流れを変えだした。

 だが、この戦いを見守る黒幕は、この状況を見てむしろ楽しそうに笑っていた。

「すごいすごい、さっそくウルトラマンがふたりも駆けつけてきましたよ。まったくこの星は恐ろしいですねえ、ひ弱な私にはとても侵略など思いもできませんよ」

 まるで他人事のような気楽な態度。自分が送り出した怪獣がやられそうだというのに、まるで気にした様子を見せていない。

 隣のジョゼフは無言で、なにかをじっと考え込んでいる。シェフィールドが心配そうにのぞき込んでいるが、まるで気づいている様子さえない。

 ジョゼフにここまで深刻に考えさせるものとはなにか? そして黒幕の宇宙人は、手を叩いて愉快そうにしながらクライマックスを告げた。

「おやおや、そろそろ決着みたいですね。王様、見逃すと損をしますよ。私も私の世界にはいないウルトラマンがどんな必殺技を繰り出すのか、もうワクワクしてるんですから」

 だがジョゼフは答えず、視線だけをわずかに動かしたに過ぎない。

 そしてそのうちにも、戦いは黒幕の言った通りに終局に入ろうとしていた。

 

 まずは怪獣たちに先んじて、ワルドが引導を渡されようとしていた。

「くっ、弱いくせにしぶとさだけは一人前だな」

「伊達に猛訓練してきたわけではないのでね。これくらいでへばっていたら、もっと怖いおしおきが来るのさ」

 ギーシュたちは三人がかりでワルドの偏在ひとりと対峙していた。互角、と言いたいところだがさすがワルドは強く、ギーシュたちは苦戦を余儀なくされているが、ワルドとて楽なわけではない。

「だが、いくら粘っても私の偏在ひとつ倒せないお前たちに勝機はないぞ」

「それはどうかな? ぼくらはただの時間稼ぎだったことに気づかなかったようだね。ルイズ、いまだ!」

「ええ、あんたたちにしちゃ上出来ね。『ディスペル!』」

 合図を受けたルイズが詠唱を終えて杖を振り下ろすと、杖の先から虚無の魔法の光がほとばしり、ワルドの偏在たちを影のように消し去っていった。あらゆる魔法の威力を消滅させる『ディスペル』の魔法の効力だ。

 たちまち一人になるワルド。ワルドは、水精霊騎士隊の戦いが、最初からディスペルの詠唱を終えるための囮であったことに気づくが、もう遅い。

「し、しまった」

「ようし、これで邪魔者は消えたな。みんな、袋叩きにしてやれーっ!」

 いくらワルドでもひとりで才人をはじめ水精霊騎士隊全員とは戦えない。悪あがきのライトニング・クラウドも才人のデルフリンガーに吸収され、後にはワルドの断末魔だけが響いた。

 唯一、救いがあるとすればルイズが冷酷に言い放った一言だけだろう。

「とどめは刺すんじゃないわよ。そいつには吐かせなきゃいけないことがたくさんあるんだからね。まあ、アニエスの尋問を受けるのに比べたら死んだほうがマシかもしれないけど」

 まさしく『烈風』の血を引く者としての苛烈な光を目に宿らせたルイズの冷たい笑顔が、ワルドが気を失う前に見た最後の光景であった。

 

 そして、怪獣たちにもまた最後が訪れようとしている。

「ダアアッ!」

 ガイアがアブドラールスを宿営地の外側へと大きく投げ飛ばす。そして、無人の空き地に落ちたアブドラールスに向けて、ガイアは左腕にエネルギーを溜め、右手を交差させながら持ち上げると、そのまま腕をL字に組んで真紅の光線を放った。

『クァンタムストリーム!』

 光線の直撃を無防備に受けて、アブドラールスはそのまま大爆発を起こして四散した。

 

 さらに、ダイナも空を飛び交うサタンモアとの空中戦の末、両腕を広げてエネルギーをチャージし、全速力で突進してくるサタンモアに対してカウンターで必殺光線を放った。

『ソルジェント光線!』

 頭からダイナの必殺技を浴びたサタンモアは火だるまになり、そのまま花火のように爆発して宿営地の空にあだ花を残して消えた。

 

 ダイナはガイアのかたわらに着地し、「やったな」というふうに肩を叩いた。

 だが、ガイア・我夢は素直に喜ぶことができなかった。

〔どうした我夢? どっかやられたのか〕

〔いや、本当にこれで終わったのかなと思って。なにか、あっけなさすぎると思って〕

 ガイアもダイナもたいした苦戦をしたわけではない。ふたりともカラータイマー、ガイアの場合はライフゲージではあるが、青のままで余力たっぷりだ。

 念のために周りを探ってみたが、別の怪獣が潜んでいる気配もない。こちらがエネルギーを消費したところへ追撃が来るというわけでもなさそうだ。Σズイグルのように罠を残していった様子もなかった。

 アスカも、言われてみれば楽に勝てすぎたと思い当たったようだが、彼にもそれ以上はわからなかった。

 しかし、ウルトラマンの活動限界時間は少ない。考えている時間はなく、ふたりともこれ以上余計なエネルギーを消耗するわけにはいかないと飛び立った。

「ショワッチ」

「シュワッ」

 ガイアとダイナはガリア兵たちの歓声に見送られて飛び去り、宿営地に安全が戻った。

 兵たちは秩序正しく動き出し、被害箇所の復旧や負傷者の救助に当たり始めた。

 そんな中で、タバサは連行されていくワルドの姿を見た。すでに大まかな報告はタバサのところに上がってきており、概要は知っている。

 だが、タバサもまた解せない思いでいた。

「おかしい……」

「ん? なにがおかしいのね、おねえさま」

「ジョゼフの仕業にしては、あっさりしすぎてる……」

 シルフィードにはわからないだろうが、ジョゼフという男を長年見続けてきたタバサには、これがジョゼフのしわざとは到底思えなかった。

 確かにふたりのウルトラマンは強かった。それに、才人やルイズたちが強いのも友人のひいき目はなくわかっているつもりだ。だがそんなことはジョゼフなら当然わかるはずで、力押しならば圧倒的な戦力を背景にした上で、そうでなければ裏をかいて悪辣な何かを仕組んでいるのが常套だ。

 しかし、今回は怪獣たちは特に強化された様子もなく、ワルドも前のままの実力であっさりと捕らえられてしまった。追い詰められて手段を選んでられなくなったのか? いや、それはない。ジョゼフがそんな暗愚の王ならば、とっくの昔に仇は討っていた。けれど、ここが陽動でほかの場所で事件が起きたという知らせもなく、タバサもまた公務に忙殺されていった。

 

 激震が起きたのは、その翌日である。

 その日、ルイズは才人を連れてトリステイン王宮を訪れていた。もちろん昨日の顛末を女王陛下に報告し、さらに今後のことを話し合うためである。

「女王陛下、ルイズ・フランソワーズ、ただいま参上つかまつりました」

 謁見の間には、アンリエッタのほかにタバサも先にやってきていて、王族同士ですでに話をつめていたようだ。

 なお、ウェールズは今はアルビオンに戻っている。アルビオンもまだまだ安泰というわけではないので当然だが、新婚だというのに別居せねばならないアンリエッタのことをルイズは痛ましく思った。平和が戻った暁には、トリステインとアルビオンを夫婦で交互に行き来して統治するつもりだというが、一日も早くそうしてあげたいと切に願っている。

 今日はこれから、捕縛したワルドから引き出した情報を元にしてジョゼフへの対抗策の原案を練る予定となっていた。だが、謁見の間に深刻な面持ちで入ってきたアニエスの報告を受けて、一同は愕然とした。

「ワルドの記憶が消されている、ですって!?」

 ルイズは思わず聞き返した。ほかの面々もあっけにとられている中で、アニエスは自分も納得できていないというふうにもう一度説明した。

「目を覚ましたワルドを、考えられるあらゆる方法で尋問したが、奴は錯乱するばかりで何も答えようとはしなかった。そこで、まさかと思って水のメイジに奴の精神を探ってもらったら、どうやら奴はここ数年来の記憶をまとめて消されてるようなのです」

「ここ数年ということは、つまりトリステインに反旗を翻したことも、昨日のことも……」

「ええ、きれいさっぱり忘れてしまっています。嘘をつけないように、それこそあらゆる手を尽くしましたが、結果は同じでした」

 アニエスの言う「あらゆる手」が、どんなものであるか、才人は想像を途中で切り上げた。ここは現代日本ではない、悪党へのむくいも違っていてしかるべきだ。

 しかし、記憶が消されているとは。アニエスは説明を続ける。

「恐らく、敗北したら記憶が消去されるようになんらかの仕掛けがされていたのでしょう。魔法か、薬物か、催眠術か……今、調査を続けておりますが、奴の記憶が戻る望みは薄いと思われます」

「口封じというわけね……けど、おかしいわね。口封じのためなら敗北したら死ぬようにしておけば、一番確実で安全でしょうに?」

 ルイズは、なぜワルドを生かして捕らえさせたのかと疑問を口にした。

 記憶が消されているのはやっかいだが、戻る可能性が皆無というわけではない。たとえば何らかの魔法、今も行方不明のアンドバリの指輪でも使えば強固な精神操作は可能であろうが、ディスペルを使えば解除は可能だ。そのくらいのことをジョゼフが予見できないとは考えられない。

 なら、記憶を消されたワルドにはまだ何か役割があるということか? アンリエッタはアニエスに、念を押すように尋ねた。

「アニエス、死んだはずのワルド子爵ですが、本当に死んだところを確認したのですね?」

「はい、あのとき奴の心臓をこの手で確実に……そして怪物と化した後はウルトラマンAが倒したのをこの目で確認しました。あれで、生きているわけがありません」

「しかし、現に子爵、いえ元子爵は生きた姿で帰ってきました。シャルロット殿、あなたはどう思われますか?」

 話を振られたタバサは、自分もいろいろと考えていたらしく、仮説を口にした。

「まだ、はっきりしたことは言えないけど。可能性としては、前にあなたたちが倒したワルドが偽物だった、スキルニルなどを使えば精巧な偽物は不可能じゃない。第二に、ワルドに似せた別人を自分をワルドだと思わせるように洗脳した。ほかにもいくつか仮説はあるけれど、どれも『なぜこのタイミングでワルドを送り込んできた』かの説明ができない。腕の立つ刺客なら、ジョゼフはほかに何人も雇えるはず」

 確かに、タバサを始末するだけならあんな派手な攻撃は必要ない。むしろひっそりと暗殺者を送り込むほうが安全で確実だ。なにより、ワルドはルイズたちへの雪辱に気を取られてタバサには目もくれていなかった。

 ルイズや才人も、納得のいく答えが出なくて悩んでいる。才人は、なにかあったらまたその時に考えればいいんじゃね? という風に笑い飛ばそうかとも思ったが、自分の手で確実に葬ったはずの奴が当たり前のように戻ってきたと思うと、やはり不愉快なものがあった。そんなにしつこいのはヤプールと、いいとこバルタン星人くらいでいい。

 残された手掛かりはワルドのみ。今もミシェルがやっきになって調査をしているものの、あまり期待はできそうにない。

 タバサはアニエスに対して、もう一度尋ねた。

「あのワルドという男、本当にあなたたちの知っているワルドそのものなの? スキルニルで作られた複製、あるいはアンドバリの指輪で操られている死人という可能性は?」

「ない! 女王陛下への報告の前に、あらゆる手立ては尽くした。魔法アカデミーにも頼んで徹底的にな。あれは間違いなくワルドだ。生きた人間だ!」

 アニエスはいらだって大声で答えた。彼女とて信じられないのだ、確実に死んだはずの人間がまた現れる。そんなことは、先の始祖ブリミルの一件だけでたくさんだ。

 

 しかし、完全に秘匿されているはずのこの部屋を、こっそりと覗き見ている者がいた。

 それは窓ガラスに張り付いた一匹の蛾。それが魔法で作られたガーゴイルであれば、部屋のディテクトマジックに引っかかっていだろうが、あいにくそれは科学で作られた超小型のスパイロボットだったのだ。

 その情報の行く先はもちろんガリアのヴェルサルテイル宮殿。そこでジョゼフとシェフィールドを前にして、黒幕の宇宙人は高らかに宣言した。

「ウフハハハ! 聞きましたか王様? 間違いなく生きた人間そのものだそうですよ。これで、私の言うことを信じていただけますね! では、始めていただけますね。約束しましたよね?」

「ああ、やるがいい……ミューズ、出かけるぞ。支度しろ」

「ジョゼフ様……はい、仰せのままに……」

 グラン・トロワから飛行ガーゴイルが飛び立ち、ジョゼフを呼びに来た大臣が騒ぎを起こすのはその数分後のことである。

 

 そして時を同じくして、トリステイン王宮でも事態は急変していた。

 突然、謁見の間の窓ガラスが割れて、室内に乾いた音が響き渡る。

「女王陛下!」

「ルイズ、俺の後ろにいろ!」

 敵襲かと、アニエスはアンリエッタをかばって剣を抜き、才人もルイズをかばって同じようにする。もちろんタバサも愛用の杖を握って、女王ではなく戦士の目に変わった。

 しかし、敵の姿は見えず、代わってガラスの破片の中からジョゼフの声が響いた。

『シャルロットよ、お前の屋敷で待っている。戦争を止めたければ、来い』

 それが終わると、ボンと小さな爆発音がして静かに戻った。

 いまのは、いったい……? 唖然とするルイズや才人。だが、タバサはわかっていた。わからないはずがなかった。

「ジョゼフ……」

 あの男の声を、父の仇であるジョゼフの声を聴き間違えるはずがない。

 だが、ジョゼフの声にしては珍しく落ち着きがなく、動揺が混じっていたように感じられたのはなぜだ? しかしタバサの中の冷静な部分の判断も、抑え込み続けてきた怒りの前にはかなわなかった。

 謁見の間の窓ガラスを自ら叩き壊し、ベランダに出たタバサはシルフィードを呼び寄せた。もちろんルイズや才人が慌てて引き止めようとする。

「待ってタバサ! あなた、どこへ行くつもり?」

「ジョゼフが待ってる。わたしは、行かなきゃいけない」

「なに言ってるのよ! これは間違いなく罠よ。あなたならわかるでしょう」

「たとえ罠でも、これはジョゼフを倒すまたとない機会。たとえ刺し違えても、あの男をわたしは倒す。わたしがいなくてもガリアは……さよなら」

 飛びついて止める間もなく、タバサはシルフィードで飛び去ってしまった。こうなると、シルフィードに追いつけるものはそうそう存在しない。

「タバサ! ああ、もうあんなに小さく。アニエス、竜かグリフォンを、って、それじゃ間に合わない。シルフィードより速いのなんてお母様の使い魔くらいしか、お母様は今どこ?」

「カリーヌどのは昨日の襲撃の検分のために、ちょうどお前たちと入れ違いになった。お前こそ、前に使ってみせた瞬間移動の魔法はどうした!」

「遠すぎるしシルフィードが速すぎるわ! もう、あの子ったら我を忘れちゃってるわ。こんなときに限って、キュルケもいないんだから、もう!」

「落ち着け! 追いつけなくても追いかけることはできる。シャルロット女王はどこへ向かった? 飛び去ったのはリュティスの方角ではないぞ」

 アニエスに言われて、ルイズははっとした。あの方向は、まっすぐ行けばラグドリアン湖……そしてキュルケから聞いたことがある。ラグドリアン湖のほとりには。

「旧オルレアン邸……タバサの実家だわ!」

 ジョゼフの言葉とも一致する。そこだ、そこしかないと才人とルイズは飛び出した。

 同時にアンリエッタもアニエスに命じる。

「アニエス、伝令を今連絡がとれる味方すべてに出しなさい。あらゆる方法を使って、ラグドリアン湖の旧オルレアン邸に急行するのです! シャルロット殿を死なせてはなりません!」

 伝書ガーゴイル、その他思いつく限りの方法がトリステイン王宮から放たれる。

 そして、急報を受けてトリステインのあらゆる方向からタバサに関わりのある者たちが飛び立っていく。目指すはオルレアン邸、前の戦いの疲れも癒えないままに、それはあまりにも唐突で早すぎる決戦かと思われた。

 

 

 しかし、いかに彼らが急ごうとも、タバサに先んじてラグドリアンまでたどり着ける位置と方法を有している者は、ウルトラマンでさえいなかった。

 

 

 オルレアン邸は現在ギジェラに破壊されて以降、放置されたままの廃墟の姿をさらし続けている。

 タバサは飛ばされる理由もわからずに飛んでいるシルフィードに乗って、自分の家であり、かつて異世界に飛ばされる場所になったそこに帰ってきた。

「ここで待っていて」

 タバサは門の前にシルフィードを残すと、ひとりで邸内へと入っていった。

 敷地内は雑草で覆われ、焼け落ちた邸宅はつるに巻き付かれて荒れ放題な様相を見せていた。

 女王のドレスに身を包んだままのタバサは、油断なく杖を構えながら庭を進んでいく。かつて幼い日には家族と遊びまわった庭、ジョゼフが弟を訪ねて遊びにやってきたことも何回か覚えている。

 そう、オルレアン公と王になる前のジョゼフは、庭の一角にテーブルを広げ、よくチェスに興じていたものだ。思えば、チェスに関しても無類の強さを持っていた父が「待った」をしていたのはジョゼフを相手にだけだったかもしれない。

 そしてその場所で、ジョゼフはひとりで立って待っていた。

「来たなシャルロット……ここも変わってしまったな。俺がここにやってきたのは、ざっと五年ぶりくらいだ。あの頃のお前はまだ妖精のように小さくて、来るたびにシャルルの奴が娘の自慢話を長々と聞かせてくれたものだ」

「呼ばれたから、来た。なにを、企んでいるの?」

「そう警戒するな。別に罠などは仕掛けていないし、ここにいる俺はスキルニルでも影武者でもない俺本人だ。お前より先にリュティスからここに来るのは、少々骨を折ったぞ」

 ジョゼフは杖も持たずに棒立ちでタバサの前に無防備でいた。

 対してタバサは油断せずに、全神経を研ぎ澄ませてジョゼフと自分の周囲を観察している。

 伏兵が潜んでいる気配は特にない。目の前の相手も、こうして確認する限りではジョゼフ本人に間違いはない。だが、一気に魔法を撃って仕留める気にはならなかった。ジョゼフも虚無の担い手であることは判明している。下手な攻撃は返り討ちに合う危険性が高い。

 だが、洞察力をフル動員してジョゼフを観察しているタバサは、違和感を覚えてもいた。なにか、声に余裕がなく、焦っているように感じられる。あのジョゼフが焦る? まさか。

「ここはわたしの家、客人は来訪の用件を言ってもらう」

「フ、たくましくなったものだなシャルロット。用事は簡単だ。お前にひとつ、相談したいことがあってな」

「相談? 冗談はよして」

「冗談ではない、俺は本気だ。実は今、真剣に悩んでいることがあってな。お前にもぜひ意見をもらいたいんだ」

 信じがたい話だが、ジョゼフが嘘を言っているようには思えなかった。だがジョゼフの口から出る言葉が、まともなものとはとても思えなかった。

 このまま問答無用で仕留めにかかるか? 相談とやらが何か知ったことではないが、それを聞けばまず間違いなく自分が不利になる。

 しかし、タバサが決断するよりも早く、ジョゼフがつぶやいた一言がタバサの心を大きく揺り動かした。

「……」

「……え?」

 タバサの表情が固まり、心臓が意思に反して激しく脈動し始めるのをタバサは感じた。

 ジョゼフは今、なんと言った? まさか、いやそんな馬鹿な。だが、それならジョゼフの焦りの説明もつく。そうか、あれはすべてこのために用意された伏線だったのか。

 呼吸が荒くなり、杖を持つ手が幼子のように震えだす。それは、どんな悪魔のささやきよりも深くタバサの胸へと浸透していった。

 

 その間にも、才人たちは全速力でオルレアン邸へと急行しつつある。

 けれど、黒幕のあの宇宙人はそれにも動じることはなく、自分の思い通りに事が進んでいることに高笑いを続けていたのだ。

 

 

 続く



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第61話  魔法学院新学期、アラヨット山大遠足!

 第61話

 魔法学院新学期、アラヨット山大遠足!

 

 えんま怪獣 エンマーゴ 登場!

 

 

 透き通るような青い空、カッと照り付けてくる日差し、そして背中に背負っている弁当の重み。

「夏だ! 新学期だ! 遠足だ! いえーい!」

「いえーい!」

 早朝のトリステイン魔法学院にギーシュたち水精霊騎士隊と才人の能天気な叫び声がこだまする。その様子を、ルイズやモンモランシーら女子生徒たちはいつもながらの呆れた眼差しで見つめていた。

「まったくあいつらと来たら、これがカリキュラムの一環の校外実習だってわかってるのかしら?」

「ほんと、男っていくつになっても子供ね。あの連中、落第しないでちゃんと卒業できるのかしらね?」

 校庭に集まっている全校生徒。彼らはがやがやと騒ぎながら、待ちに待ったこの日が晴天になったことを感謝していた。

 今日は魔法学院の全校一斉校外実習、いわゆる遠足だ。しかし魔法学院ゆえにただの遠足というわけではなく、彼らが浮かれている理由はこれが年に一度だけ採集を許される特別な魔法の果実、ヴォジョレーグレープの解禁日だからである。

「ヴォジョレーグレープは普段は不味くて何の役にも立たない木の実です。ですが年に一度だけ、この世のものとも思えない甘味に変わる日があって、そのときのヴォジョレーグレープで作るワインはまさに天国の味! 魔法学院の皆さんも、年に一度のその味を楽しみにしておられました。そしてそれが今日、この解禁日なのです!」

「うわっ、シエスタ! あんたいつの間にここにいたのよ?」

 ルイズはいきなり後ろから解説をしてきた黒髪のメイドに驚いて飛びのいた。しかしシエスタは悪びれた様子もなく、わたしもついていきますよと、背中にすごい量の荷物を背負いながら答えた。

「えへへ、ワインといったらわたしを外してもらうわけにはいきませんからね。タルブ村名産のブドウで培ったワインの知識は伊達ではありませんよ。ほら、ちゃあんとマルトー親方の許可もいただいています」

「んっとに、最近見ないと思ってたら忘れたころにちゃっかり出てくるんだから。でも忘れないでね、ヴォジョレーグレープは味のこともだけど、そのエキスは解禁日にはあらゆる魔法薬の効果を増幅する触媒にもなるすごい果物になるのよ。それを使って、魔法薬の配合の実地訓練をおこなうのが校外実習の目的。食べるのは余った分だけなんだからね」

「はいはーい、毎年実習で使うより余る分が多いのはよく存じておりますとも。持ち帰った分は親方がすぐに醸造できるよう準備してますから、ミス・ヴァリエールも楽しみにしていてくださいね」

「はいはい、わかったからあっち行きなさい。ったく……」

 ルイズは頬を紅潮させながらシエスタを追い払った。内心では、ほんとにあの胸メイドは、と思いながらも口の中にはよだれがわいている。

 だが無理もない。ヴォジョレーグレープで作るワインは、満腹の豚さえ土に飲ませずというほど、嫌いな人間のいない絶品で、ルイズもむろん大好物であった。しかも原木が人工栽培は不可能な上に、作っても数日で劣化してしまうために市場にはまったく流通していない幻の産物であった。味わう方法はただひとつ、解禁日に収穫、醸造してすぐに飲むことだけなのだ。

 むろん、楽しみにしているのは生徒だけではない。教師たちを代表して、オスマン学院長が壇上から集まった生徒たちに挨拶を始めた。

「えー、諸君。本日は待ちに待った解禁日じゃ。諸君らも、今すぐにでも出発したいところじゃろうが、焦ってはいかんぞ。ヴォジョレーグレープの生えている山は自然のままの姿で保存され、険しいうえに獣や亜人が出る危険性もある。普段は盗人を退けるために、山の周囲は特殊な結界で覆われておるが、今日だけはそれが解かれる。じゃが、そうなると邪な者も入ってこれるということになる。くれぐれも気を抜くでないぞ、よいな」

 オスマンの説明に、才人はごくりとつばを飲んだ。さすがは魔法学院の遠足、楽なものではない。

「しかし諸君らは貴族、身を守るすべは心得ておろう。それに、この遠足は今学期より入ってきた新入生と在校生との親睦を深める意味もある。スレイプニィルの舞踏会で歓迎を、そしてこの実習で団結力を深めるのじゃ。在校生諸君、先輩としてみっともない姿を後輩たちに見せてはいかんぞ。そして新入生諸君は先輩を見習い、一日も早くトリステイン貴族にふさわしい立派なメイジになるよう心がけるのじゃ。では、詳しいことはミスタ・コルベールに頼もう、よく聞いておくようにの」

「おほん、新入生諸君、学院で『火』の系統を専攻しているジャン・コルベールです。よろしくお願いします。では、本日の校外実習のルールを復習しておきましょう。在校生は三人が一組になって、新入生ひとりをつれてヴォジョレーグレープの採集をおこなってもらいます。採集するのはひとりが革袋ひとつ分までで、それ以上を採ったら全部没収させてもらいます。そして、集めた分だけを使ってポーションを作っていただき、私たち教師の誰かに合格をもらえば残りは持ち帰ってかまいません」

 生徒たちから、おおっ! と歓声があがった。だが、陽光を反射してコルベールの頭がキラリと冷たく光る。

「ですが! もしグループの中で、ひとりでも合格が出なかった場合はグループ全員の分を没収させてもらいます。これは、団結力を高めるための実習だということをくれぐれも忘れないようにしてください。助け合いの気持ちを忘れずに、我々はちゃんと見張ってますからズルをしてはいけませんよ。では、全員が合格しての笑顔での帰還を祈って、全力を尽くすことを始祖に誓約しましょう。杖にかけて!」

「杖にかけて!」

 生徒たちから一斉に唱和が起こり、場の空気がぴしりと引き締められた。一瞬のことなれど、その威風堂々とした姿は彼らがまさに貴族の子弟であるという証左であった。

 そしてコルベールは満足げにうなづくと、最後に全員を見渡して告げた。

「では、これより出発します。在校生はあらかじめ決められた三人のグループになってください。新入生はひとりづつクジを引きに来て、引いたクジに書かれているグループのところに行ってください。合流したグループから出発です、皆さんの健闘を祈ります、以上です」

 こうして解散となり、ルイズたちは自分たちを探しに来るであろう後輩の目につきやすいように開けたところに出た。

 ルイズのグループは、ルイズ、モンモランシーにキュルケを含めた三人と決まっていた。なお才人は使い魔としての扱いであるので頭数には入っていない、しかしルイズはキュルケと同じグループというのが気に入らなかった。

「もう、せっかく年に一度の日だっていうのに、よりによってキュルケと組になるなんて最悪だわ」

「あら? わたしはラッキーだと思ってるわよ。ゼロのルイズがどんな珍妙なポーションを作るか、間近で見物できるなんて願ってもないチャンスだもの」

「ぐぬぬぬ、人のこと言ってくれるけどキュルケのほうこそどうなのよ? ポーションの調合なんて、火の系統のあんたからしたら苦手分野なんじゃないの?」

「あら? わたしは心配いらないわよ。だって、わたしには水の系統ではすっごく頼りになる……頼りになる……え?」

「どうしたのよ?」

 調子に乗っていたキュルケが突然口を閉ざしてしまったため、ルイズが白けた様子で問い返すと、キュルケは困惑した様子で答えた。

「いえ、水の系統が上手で頼りになる誰かがいたはずなんだけど……おかしいわね、誰だったかしら……?」

「はぁ? キュルケ、あなたその年でもうボケはじめたの? だいたい、学院中の女子から恋人を奪っておいて散々恨みを買ってるあんたとまともに話をするのなんて、わたしたちと水精霊騎士隊のバカたちくらいじゃないのよ」

「そ、そうね……おかしいわね、けど本当にそんな子がいたように思えたのよ。変ね……こう、振り向けばいつも隣にいるような……」

「ちょっとしっかりしてよ。あんたは入学してからずっと一人で……一人で、あれ?」

 キュルケが頓珍漢なことを言い出したのでルイズが文句を言おうとしかけたとき、ふとルイズも心の片隅に違和感を覚えた。そういえば、キュルケの隣にはいつも……

 しかし、ルイズが考え込もうとしたとき、同じグループになっているモンモランシーがじれたように割って入ってきた。

「ねえ、ルイズにキュルケ、起きながら夢を見るのはギーシュだけにしてくれないかしら? そんなことより、もうすぐわたしたちのところにも新入生が来るわよ。ちょっとは先輩らしくしてないと恥をかいても知らないからね」

 言われてルイズもキュルケもはっとした。確かにわけのわからないデジャヴュに気を取られている場合ではなかった。

 それにしても、今学期からの新入生は見るからに粒の大きそうなのが多そうだ。ルイズたちが他のグループを見渡すと、多くのグループで新入生の女子が先輩たちを逆に叱咤しながら出発していくのが見えた。その大元締めはツインテールをなびかせながら先頭きって歩いていくベアトリスで、聞くところによると彼女たちは水妖精騎士団というものを作って男に張り合っているらしく、さっそく下僕を増やしているようだ。

 ほかに目をやれば、ティファニアが遠くから手を振ってくるのが見えた。彼女も今学期から魔法学院で学ぶことに決め、新入生として入ってきたのだ。もちろん才人は迷わずに手を振ってティファニアに応えた。

「おーいテファーっ! っと、テファの引いたグループはギーシュのとこかよ。ギーシュの奴、一生分の幸運を今日で使い果たしたなこりゃ」

 ティファニアの隣を見ると、よほどうれしかったのかギーシュが泣きじゃくりながら始祖に祈っているのが見えた。才人は、気持ちはわからなくもないけど、ありゃ遠足が終わった後は地獄だなと、自分の隣で怒髪天を突きそうなモンモランシーを横目で見て思った。

 けど、それにしても自分たちのとこに来るはずの新入生が遅いなとルイズたちは思った。もう組み合わせのくじ引きは全員終わっているはずだ、どこかで迷子にでもなっているのではと心配しかけたとき、唐突に声がかけられた。

「あの、すみません。こちら、ティールの5の組で間違いないでしょうか?」

 振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった女性とおぼしき誰かが立っていた。ルイズはやっと来たかと思いつつ、先輩風を吹かせながら答えた。

「ええそうよ、よく来たわね。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。こっちとこっちはキュルケにモンモランシーよ、歓迎するわ。あなたはなんていうの?」

「アン……と、お呼びください。ウフフ」

 新入生? は、短く答えるとルイズの目の前まで歩み寄ってきた。相変わらず顔はフードで覆ったままで口元しか見えないが、微笑んでいるのはわかった。しかし、先輩を前にして顔を見せないとはどういう了見だろうか?

「アン、ね。それはいいけど、吸血鬼じゃあるまいし顔くらい見せなさいよ。礼儀がなってないわね、どこの家の子よ?」

「フフ、どこの家と申されましても、先輩方もよくご存じのところですわよ。ただ、お口にするのは少々遠慮なされたほうがよろしいですわ」

 その瞬間、ルイズたちの反応はふたつに割れた。ルイズやモンモランシーは無礼な口をきいた新入生への怒りをあらわにし、対して第三者視点で見守っていたキュルケは「この声はもしかして?」と、口元に意地悪な笑みを浮かべてルイズたちをそのまま黙って見守ることにしたのだ。

「あんた、どうやらまともな口の利き方も知らないようね。顔を見せないどころか、このラ・ヴァリエールのわたしに向かって家名すら名乗らないなんて舐めるにも程があるわ! どこの成り上がりか知らないけど、今すぐその態度を改めないなら少しきつい教育をしてあげるわよ!」

 ルイズは杖を相手に向け、フードを取らないなら無理やり魔法で引っぺがしてやるとばかりに怒気をあらわにする。才人が、「おいそりゃやりすぎだろ」と止めに入っても、プライドの高いルイズは才人にも怒声を浴びせて聞く耳を持っていない。

 しかし、杖を向けられているというのに、その新入生? は少しもひるんだ様子はなく、むしろからかうようにルイズに向けて言った。

「ウフフ……相変わらずルイズは元気ね。まだわからないのですか? わたくしですわよ、わたくし」

「はぁ? わたしはあんたみたいな無礼なやつに知り合いな、ん……ええっ!?」

 ルイズは、相手がフードをまくって自分たちにだけ見えるようにのぞかせた顔を見て仰天した。それは、涼しげなブルーの瞳をいたずらっぽく傾けた、トリステインに住む者であれば見間違えるわけのないほどに高貴なお方。すなわち。

「ア、アア、アンリエッタじょお、うぷっ!」

「駄目ですわよルイズ、わたくしがここにいることが他の生徒の方々にバレたら騒ぎになってしまいます。このことは内密に頼みますわ」

 叫ぼうとしたルイズの口を指で押さえ、アンリエッタは軽くウインクして告げた。だがルイズは落ち着くどころではなく、隣で泡を食っているモンモランシーほどではないが、可能な限り抑えた声で必死で、こんなところにいるはずがないアンリエッタ女王に詰め寄った。

「どど、どうしたんですか女王陛下! なんでこんなところにいるんです? お城はどうしたんですか!」

「だってルイズ、最近あんまり平和が続きすぎて退屈で退屈でたまらなかったんですもの。それでルイズたちが楽しそうなイベントに向かうと聞いて、いてもたってもいられなくなったんですの」

「女王陛下たるお方が不謹慎ですわよ。いえそれよりも、お城はどうなさったんです? 女王陛下がいなくなって大変な騒ぎになってるんじゃないんですか?」

「大丈夫ですわ。銃士隊の方で、わたくしと体つきが似ている子に『フェイス・チェンジ』の魔法を使って身代わりになってもらいましたから、今日の公務は会議の席で座っているだけですからバレませんわよ」

 笑いながらいけしゃあしゃあとインチキを自慢するアンリエッタに、ルイズは放心してそれ以上なにも言えなくなってしまった。この方は女王になって落ち着いたかと思ったけどとんでもない、根っこは子供の時のままのおてんば娘からぜんぜん変わってなかったのね。

 自分のことを棚に上げつつ頭を抱えるルイズ。才人は、そんなルイズにご愁傷さまと思いつつ、微笑を絶やさないでいるアンリエッタに話しかけた。

「つまりお忍びで女王陛下も遠足に参加したいってわけですね。けど、あのアニエスさんがよくそんなことに隊員を使わせてくれましたね?」

「ええ、もちろんアニエスは怒りましたわ。でも、アニエスとわたくしはもう付き合いも長いものですから、お願いを聞いていただく方法もいろいろあるんですわよ。たとえば、アニエスが国の重要書類にうっかりインクをぶちまけてしまったりとか、銃士隊員の方が酔って酒場を破壊してしまったりとか、わたくしはみんな知っておりますの。もちろん、オスマン学院長からも快く遠足に参加してよいと許可をいただいてますわ」

 にこやかに穏やかに語っているが、才人やルイズは「この人だけは敵に回したらいけない」と、背筋で冷凍怪獣が団体で通り過ぎていくのを感じた。モンモランシーはそもそも話が耳に入っておらず、キュルケは「よほどの大物か、それともよほどの悪人か、どっちの器かしらね」と、母国の隣国の総大将の人柄を観察していた。

 

 とはいえ、今更「帰れ」と言うわけにもいかないので、ルイズたち一行はアンリエッタを加えて遠足に出発した。

「本当にうれしいですわ。ルイズといっしょにお出かけなんて何年ぶりでしょう。モンモランシーさん、今日のわたくしはただの新入生のアンですわ。仲良くしてくださいね」

「は、はい! 身に余る光栄、よよ、よろしくお願いいたしますです」

 舌の根が合っていないが、王族からすればモンモランシ家など吹けば飛ぶような貧乏貴族であるからしょうがない。モンモランシーにはとんだとばっちりだが、ルイズにも気遣ってあげるほどの余裕はなかった。

 万一女王陛下にもしものことがあれば、その責任はまとめて自分に来る。そうなったら確実にお母様に殺される、人間に生まれたことを後悔するような目に合わされてしまう。

 すっかりお通夜状態のルイズとモンモランシーに対して、アンリエッタのルンルン気分はフードをかぶっていても才人にさえ感じられた。四頭だての馬で、目的地の山まではおよそ二時間ほど、それまでこの異様な雰囲気の中でいなければいけないのかと才人は嫌になった。

 けれど、そこでいい意味で空気を読まないのがキュルケである。

「ねえ女王陛下、目的地まで時間はたっぷりあることですし、楽しいお話でもいたしません? たとえば、ルイズの子供のころの思い出話とかいかがかしら?」

 その一言に、アンリエッタの表情は太陽のように輝き、対してルイズの表情は新月の月のように暗黒に染まった。

「まあ素敵! もちろんたくさん思い出がありますわよ。まずどれがいいかしら? そうだわ、あれは幼少のわたくしがヴァリエール侯爵家へお泊りに行った日の夜」

「ちょ、ちょっと女王陛下! あの日のことはふたりだけの秘密だって約束したはずです! って、それならあれはって、いったい何を話す気ですか、やめてください!」

 ルイズは天使のような笑みを浮かべるアンリエッタがこのとき悪魔に見えてならなかった。

 まずい、非常にまずい。ルイズは人生最大のピンチを感じた。アンリエッタは、自分の人に聞かれたくない過去を山ほど知っている。アンリエッタは聡明で知られるが、特に記憶力のよさはあのエレオノールも褒めるほどだった。つまり、ルイズ本人が忘れているようなことでさえアンリエッタは覚えている可能性が非常に高い。

 これまで感じたことのないほどの大量の冷汗がルイズの全身から噴き出す。ただしゃべられるだけならともかく、聞いているのはキュルケに才人だ。しかもモンモランシーまで、さっきまでのうろたえようから一転して好奇心旺盛な視線を向けてきている。もしも、自分の恥ずかしい過去の数々がこいつらに聞かれようものなら。

”まずい、まずすぎるわ。こいつらに聞かれたら絶対に学院中に言いふらされる。そうなったら『ゼロのルイズ』どころじゃないわ、身の破滅よ!”

 過去の自分を止めに行けるものなら今すぐ行きたい。しかしそうはいかない以上、できることはなんとかアンリエッタを止めるしかない。

「じょ、女王陛下! おたわむれを続けると言われるのでしたら、わたしも女王陛下の子供のころの」

「何をしゃべろうというのですかルイズ?」

 その一声でルイズは「うぐっ」と、口を封じられてしまった。王族の醜聞を人前で語るほどの不忠義はない、それにしゃべったとしてもキュルケやモンモランシーがそれを他人に話すわけがないし、誰も信じるわけがない。

 絶対的に不利。ルイズに打つ手は事実上なかった。まさか女王に向かって力づくの手をとれるわけがない、ルイズは公開処刑前の囚人も同然の絶望を表情に張り付けて、これが悪夢であることを心から願った。

 だがアンリエッタは「ふふっ」と微笑むと、してやったりとばかりにルイズに言った。

「ウフフ、本当にルイズは乗りやすいわね。冗談よ、わたくしがルイズとの約束を破るわけがないじゃないの。昔話もいいけれど、わたくしは今のルイズのお話を聞きたいわね」

「なっ! じ、女王陛下……は、はめましたわね!」

 証拠はアンリエッタの勝ち誇った笑顔であった。ルイズは、自分が最初からアンリエッタに遊ばれていたことをようやく悟ったのである。

 ルイズの悔しそうな顔を見て、アンリエッタはうれしそうに笑う。キュルケは、ルイズの面白い話が聞けなくて残念ねと言いながらも笑っているところからして、こちらも最初からアンリエッタの意図を読んでいたらしい。

 しまった、焦って完全に陛下の術中に陥ってしまった。この人は昔から、笑顔でとんでもないことを仕掛けてくるのが大好きだった。姫様が意味もなく笑ってたら危険信号だと幼いころなら常識だったのに。

「もうルイズったら、昔のあなたならこのくらいのあおりにひっかからなかったのに。わたくしと遊んでくださっていた頃のことなんて、もう忘れてしまったのですか?」

「そ、そんなこと言われても。もうわたしたちだって子供じゃありませんし。それに最近はいろいろあって気が休まる暇もなかったじゃないですか!」

「そうね、最近は……あら、そういえば最近なにかあったような気がするけど、なんだったかしら? ルイズ、最近どんなことがありましたかしら?」

「もう女王陛下、そんなことも忘れてしまったのですか! ついこのあいだトリステインはロマリアとガリアを……えっ?」

 思い出せない。トリステインは、ロマリアとガリアを相手に……なんだったろうか? ルイズは思わず才人やキュルケ、モンモランシーにも尋ねてみたが、三人とも首をかしげるばかりだった。

「そういや、なんかあったっけかな? てか、おれたちここ最近なにしてたっけか?」

「うーん、なにか忙しかったような。えっと、なんだったかしらモンモランシー?」

「あなたたち何を変なこと言ってるのよ。ここしばらく、事件みたいなことは何もなかったじゃない。トリスタニアの復興ももう終わるし、世は何事もなしよ」

 このときモンモランシーは自分が矛盾を含んだ言葉を口にしていることに気づいていなかった。

 なにかがおかしい。だが誰もなにがおかしいのかがわからないでいる。

「んーん、なんだっけかなあ? けどまあ、思い出せないってことはたいしたことじゃないんじゃないか?」

「そうね、サイトの言う通りかもね。あーあ、なんか頭がモヤモヤしてやな気分になっちゃったわ。話題を変えましょう。女王陛下、最近ウェールズ陛下とのお仲はどうなのですか?」

 キュルケが話を振ると、アンリエッタはそれはさぞうれしそうに答えた。

「はい、今はそれぞれの国で離れて暮らしておりますけれども、毎日のようにお手紙のやりとりをしてますので、まるでわたくしもアルビオンにいるように感じられますのよ。それに、もうすぐ全地方の領主の任命がすみますから、そうすればしばらくトリステインでいっしょに暮らせるんですの、楽しみですわ」

 アンリエッタとウェールズの鴛鴦夫婦ぶりは、もうトリステインで知らない者はいないほどだった。

 のろけ話の数々がアンリエッタの口から洪水のように飛び出し、キュルケやルイズは楽しそうに聞き出した。モンモランシーも、ギーシュもこうだったらいいのになとしみじみと思いながら聞き入っており、蚊帳の外なのは才人だけである。

「なあデルフ、おれあと二時間もこれ聞かされなきゃいけねえのか?」

「はぁ、こういうことがわからねえから相棒はダメなんだよ」

 デルフにさえダメ出しされる才人の鈍感さは、もはや不治の病と呼んでもいいだろう。デルフは、少しはまじめに聞いて参考にしやがれと才人に忠告し、才人はしぶしぶ従ったが、デルフは内心どうせダメだろうなとあきらめかけていた。

 蒼天の下をとことこと進む四頭の馬。楽しそうな話し声が風に乗って流れ、女子たちの笑顔がお日様に照らされて輝き続ける。先ほどの違和感のことを覚えている者はもうひとりもいなかった。

 

 

 そして時間はあっというまに過ぎ、昼前になって目的地のヴォジョレーグレープの自生している山に到着した。

「うわー、こりゃまたジャングルみたいな山だな」

 ふもとから見上げて、才人は呆れたようにつぶやいた。高尾山登山みたいなものを想像していたがとんでもない、まるで中国の秘境で仙人が住んでいそうなすさまじく険しい高山だった。

 これはさぞかし荘厳な名前がつけられた山なんだろうなと才人は思った。しかし。

「ついたわよ、アラヨット山!」

 ルイズが大声で叫んだ名前のあまりに珍奇な響きに、才人は盛大にずっこけてしまった。

「ル、ルル、ルイズなんだよ、その山の名前はよぉ?」

「ん、あんた知らなかったの? この山にはじめて登頂して解禁日のヴォジョレーグレープを持ち帰ってきた平民の探検家がつけた名前よ。その勇敢さには貴族ですら敬意を表したと言われるわ、確か自分のことを”エドッコ”だと名乗ってたそうよ」

「ああ、さいですか」

 どうやら昔にトリステインにやってきた地球人らしいが、さすが世界に冠たる変態民族ジャパニーズ。残していく足跡の濃さが半端ではない。

 しかし、こちとらは探検家ではない。こんな要塞みたいな山どうやって登るんだよと呆然とする才人。しかしモンモランシーが杖を取り出してこともなげに言った。

「ヴォジョレーグレープは人間の手の入っていない秘境でしか育てない繊細な植物なのよ。それも、山頂でしかいい実はとれないから、ここからは早い者勝ちね。ん? どうしたのサイト、あなたを抱えていかなきゃいけないんだから早くロープで体をくくりなさいよ」

「あ、そういやメイジは飛べるんだったな。なるほど、これも魔法の授業の一環ってことか」

 納得すると、才人はあまりうれしそうな顔ではないモンモランシーに感謝しつつ、彼女と体をロープでつないだ。フライの魔法で浮ける力には個人差があるが、どうやらここにいるメイジはルイズ以外、人ひとりを抱えて飛べるくらいの力はあるようだ。なおルイズはアンリエッタに抱えられている、新入生に運んでもらうなんて傑作ねと、周りで飛んでいる別のグループの生徒が笑っていたが、ルイズ的にはキュルケに借りを作ることのほうがプライドが許さなかったようだ。

「あーあ、こんなときに……の……に乗ればひとっ飛びだったのにね。あら? 誰の、なにだったかしら」

 キュルケがふと首をかしげたのもつかの間、険しい山もその上をまたいでいくメイジにかかっては積み木と変わらず、一行はたいしたトラブルもなくアラヨット山の山頂付近へと到着していた。

 山頂では特別教員のカリーヌやエレオノールが試験官として待っており、到着した者に厳しく言い渡した。

「ようし、よくここまでやってきましたね! しかし、本番はこれからです。上級生は日ごろ学んだ知識を活かし、新入生は上級生からよく学んで立派なポーションを作るように。落ち着いてやればできないことはありません、諸君らにトリステイン貴族としての矜持と信念があればおのずと道は開けるでしょう。ポーション作りもまた、魔法の一環である以上は精神のありようが結果を大きく左右します。採点に手加減はしないからそのつもりでいなさい。では、かかれ!」

 カリーヌとエレオノールの、娘や妹でも容赦しないという視線を背にして、ルイズたちは「これは本気でかからないと危ない」と、飛び出した。

 ボジョレーグレープの木は普通のブドウとよく似ていたが、実の形が決定的に違っていた。実がまるで紫色のダイヤのように高貴に輝いており、才人が見てさえこれが貴重なものだということが一目でわかった。それが木の枝中にびっしりと実っており、木一本でグループ全員の分としては十分すぎるほどであった。

 しかし、この神秘的な光景は解禁日の今日だけなのだ。急いで収穫してポーション作りを始めないといけない。見ると誰に運んできてもらったのかシエスタが地面に落ちた質の落ちる実をせっせと拾い集めて背中のかごへ入れている。負けていられない。

「ルイズ、足を引っ張らないでよ」

「馬鹿にしないでよ。実技ならともかく、ポーションならわたしだってなんとか……女王陛下は大丈夫ですか?」

「うふふ、心配なさらないで。モンモランシーさんが優しく指導してくださってますから」

「あわわ、女王陛下に手ほどきするなんてなんて名誉な。もし失敗なんかしたらモンモランシ家は、あわわわ」

「で、結局めんどくさい収穫作業はおれってことだよな。わかってましたよはいはい」

「相棒はマシなほうだろ、俺っちなんか剪定バサミの代わりだぜ。うれしすぎて泣けてくるぜ」

 こんなのでちゃんとしたポーションが作れるのだろうか? 不安がいっぱいで、木の下でシートを広げてポーション作りにいそしむ一行であった。

 少し耳を澄ますと、ティファニアやベアトリスの悲鳴が聞こえてくるあたり、ほかのグループも難儀しているようだ。カリーヌのプレッシャーがすごいのと、どうやら今年のヴォジョレーグレープは実の品質の差が大きいらしい。

 

 だが、てんやわんやながらも楽しくできたのはそこまでだった。突然、山が崩れるのではないかという巨大な地震が彼らを襲い、山肌を崩して異様な魔人が巨体を現してきたのだ。

「ドキュメントZATに記録を確認、えんま怪獣エンマーゴ」

 才人の手の中のGUYSメモリーディスプレイが怪獣の正体をあばく。というより、鎧姿で剣と盾を構えて、王と刻まれた冠をかぶっている怪獣なんて他にいやしないのだから間違えるほうが困難だ。

 エンマーゴは地中からその姿を現すと、巨体で木々を踏みつぶし、口から吐き出す真っ黒な噴煙で山々の緑を枯らし始めた。

「野郎、このあたりをまとめてコルベール山にする気か!」

「はげ山って言いたいわけねサイト。この状況でとっさにそんなセリフが出てくるあたり、あんたもたいしたタマねえ」

 モンモランシーが呆れたような感心したような表情で後ろから見つめてくる。才人としては別にコルベールに悪意などを持っているわけではないのだが、ハゲという単語が頭の中で自動的に変換されてしまうのだ。

 しかし、このままエンマーゴに暴れさせるわけにはいかない。奴はまっすぐにアラヨット山を目指してくる。

「まあ大変ですわ。このままヴォジョレーグレープがだめにされたら、せっかくの楽しい遠足が台無しになってしまいます」

「女王陛下もけっこう余裕ですわね……と、とにかくここはご避難くださいませ」

 どこか現実離れした態度のアンリエッタにも呆れつつ、モンモランシーは自身の主君を怪獣の脅威から遠ざけるために、山の反対側を指して避難を促した。これに、家名のために王家に恩を売っておくべきという打算が入っていなかったといえば恐らく嘘になろうが、うまいジュースを作るには果汁の中に些少の水も必要であろう。人間とは血と肉と骨の混成体であり、その精神が混成体であってはいけない道理などはない。

 しかし、無法を我がものとする怪獣の暴挙に対して、逃げるわけにはいかない者たちもいる。才人とルイズは、キュルケにあとのことはよろしくと目くばせすると、仲間たちから離れて手をつなぎあった。

 

「ウルトラ・ターッチッ!」

 

 光がほとばしり、進撃するエンマーゴの眼前にウルトラマンAがその白銀と真紅の巨体を現した。

「ウルトラマンAだ!」

 生徒たちから歓声があがる。みんなが楽しみにしていた遠足を邪魔する奴は許せないと現れた正義の巨人は、生徒たちに勇気と希望をもたらしたのだ。

「テエェーイッ!」

 掛け声も鋭く、ウルトラマンAは刀を振り上げてくるエンマーゴに立ち向かっていった。

 ウルトラマンAの金色の目と、エンマーゴのつりあがった真っ赤な視線が交差し、両者は刹那に激突する。エースの放ったキックをエンマーゴは盾で防ぐが、盾ごとエースはエンマーゴの巨体を押し返した。

 だがエンマーゴも負けてはいない。恐ろしげな顔をさらに怒りで燃え上がらせ、巨大な刀を振り上げてエースを威嚇してくる。あれで切られたらタロウのように一巻の終わりだ! エースは才人とルイズに注意を喚起した。

〔気を付けろ、一度戦ったことのある相手だが、油断は禁物だぞ〕

〔はい北斗さん、って……あれ? エンマーゴと戦ったことなんて、ありましたっけ?〕

〔あ、いやすまない。俺の勘違いだ……くそっ〕

 妙なことを言い出すエースに一瞬だけ首をかしげつつ、才人はルイズとともにエンマーゴに向かい合った。

 エンマーゴの特徴は、なんといってもその重装備だ。十万度の高温にも耐える鎧に、ストリウム光線をもはじく盾、そしてなんでも切断できる刀である。こと接近戦となれば太刀打ちできる怪獣や星人は宇宙中探してもそう多くはないだろう。

 しかし、エースにも今ならばからこそある武器がある。才人は、自分の相棒である世界最強の剣(才人談)を使うようエースにうながした。

〔北斗さん! デルフでぶった斬ってやろうぜ〕

〔ようし、まかせろ!〕

 相手が刀ならこちらも刀で勝負するまで。デルフリンガーを拾い上げたエースは物質巨大化能力を使って、数十メートルの大きさにまで巨大化させた。

 日本刀へと姿を変えているデルフを構えるエース。デルフも、この姿での巨大化初陣に張り切っている。

「うひょぉ、やっぱ大きくなると眺めがいいぜ。さぁて、サムライソードになったおれっちの威力、おひろめといこうか」

 剣は誰かに使ってもらわないと出番を作りようがないため、巡ってきたチャンスにはどん欲になるのはわかるが、せっかくの決め場なんだから少しは自重してほしいと思わないでもない才人とルイズであった。

 ともあれ、剣を構え、エンマーゴと対峙するエースの雄姿に新たな歓声があがる。メイジ、貴族にとって剣は平民の使う下賤な武器というイメージがあるが、ここまで大きいと有無を言わさぬ迫力がある。

「ヘヤアッ!」

 エースのデルフリンガーと、エンマーゴの宝剣が激突して、鋭い金属音とともに火花が飛び散る。デルフリンガーの刀身は、十分にエンマーゴの刀との斬りあいに耐えられることが証明された。

 ようし、これならいけると喜びの波が流れる。さらに一刀、二刀と斬り合いが続いたがデルフリンガーは健在で、デルフ自身も不調を示すことはない。

 けれど、これで互角というわけではなかった。エースにあるのはデルフリンガー一本だが、エンマーゴには刀のほかに鎧と盾がある。防御力では圧倒的にエンマーゴのほうが優勢なのだ。

〔やつめ、誘ってやがるな〕

 才人は、せせら笑っているようなエンマーゴを見て思った。これだけ武装の差があれば当然といえるが、戦いは武器だけで決まるものではない。

 そう、戦いは人がするもの。人の力がほかの要素を引き出し、生かしも殺しもする。ルイズは才人に、それを見せてやれと叱咤した。

〔サイト、あんたの力を見せてやりなさい。あのときみたいに!〕

〔ああ、あのときみたいに。いくぜ、これがウルトラマンの本当の力だぁーっ!〕

 才人とエースの心が同調し、エースはデルフリンガーを正眼に構えて一気に振り下ろした。それに対して、エンマーゴは「バカめ」とでもいうふうに盾を振り上げてくる。盾で攻撃を防いで、そこにカウンターで切り捨てようという気なのだ。

 デルフリンガーとエンマーゴの盾が当たり、エンマーゴの口元がニヤリと歪む。しかし、エンマーゴは次の瞬間に予定していたカウンターを放つことはできなかった。エースの剣は盾で止まらずに、そのまま力を緩ませずに盾ごと押し下げてきたのだ!

〔なに安心してやがんだ! 本番はこれからだぜ!〕

 才人の気合とともに、止まらない一刀が火花をあげながらエンマーゴの盾を押し込み、なんと盾に食い込み始めた。

 灯篭切りというものがある。達人が、一刀のもとに石でできた灯篭を真っ二つにしてしまうというものだ。それに、日本では武者が盾を持って戦うことはなかった、それはなぜか? 日本刀の一撃の前には、盾など役に立たないからだ。

「トアァーッ!」

 エースと才人の気合一閃。デルフリンガーはついにエンマーゴの盾をすり抜けて、エンマーゴの体を頭から足元まで駆け抜けた。

 一刀両断。エンマーゴは愕然とした表情のまま固まり、真っ二つになった盾が手から外れて足元に転がる。

「見たか! 新生デルフリンガー様の切れ味をよ!」

 ご満悦なデルフが高らかに笑い声をあげた。しかしうれしいのはわかるが、せっかく決めのシーンなんだから少しは我慢してくれよと思わないでもない才人だった。

 だが、新生デルフリンガー……すさまじい切れ味には違いない。素体になった日本刀が名刀だったのか数打だったのかは才人にはわからないが、丹念に研いでくれた銃士隊の専属の研ぎ師さんには感謝せねばなるまい。

 エンマーゴは、超高速でかつ鋭すぎる一撃で両断されたため、一見すると無傷の状態で立ち往生していた。だがそれも一時的なことだ、残された胴体もまた左右に泣き別れになろうとしたとき、介錯とばかりにエースの光波熱線が叩き込まれた。

『メタリウム光線!』

 鮮やかな色彩を輝かせる光の奔流を撃ち込まれ、エンマーゴは微塵の破片に分割され、飛び散って果てた。

 爆発の炎が青い空を一瞬だけ赤く染め、エンマーゴの刀が宙をくるくると舞って山肌に地獄の化身の墓標のように突き立った。

 勝利! エンマーゴは塵となって消え、山々に平和が戻った。エンマーゴによって荒らされた山肌も最小限で済み、ヴァジョレーグレープも無事で済んだ。

〔やったな、才人、ルイズ〕

〔はい! でも、おれたちだけの力じゃないぜ。怪獣に立ち向かうには、なにより心の力が大事なんだって、前にエンマーゴと戦ったときにしっかり見たからこそできたんだ〕

〔そうよ、わたしたちは一度戦った相手になんか負けるわけないんだから〕

〔ふたりとも……〕

 北斗はこのときなぜか手放しでの称賛をしなかった。才人とルイズは、エンマーゴと戦ったことを理性では”ない”と言ったが、たった今無意識においては”あった”と言ったのである。

 それにしても、どうして唐突にエンマーゴが現れたのか? ウルトラマンAは、喜ぶ才人とルイズとは裏腹に、虚空を見つめて一言だけつぶやいた。

〔奴め、とうとう動き出したか……〕

〔ん? 北斗さん、今なんて?〕

〔あ、いやなんでもない。それより帰ろう、遠足はまだまだこれからだろう?〕

〔ああっ! そうだったわ。急ぐわよサイト、時間切れで失格なんてことになったら、お母様に本気で殺されちゃうわ!〕

 ふたりはすっかり遠足気分に戻り、エースは「それなら長居は無用だな」と、デルフリンガーを手放して飛び立った。

「ショワッチ!」

 エースの姿は青空の雲の上へと消えていき、生徒たちは手を振ってそれを見送った。

 

 

 そして遠足は再開され、アラヨット山にはまた魔法学院の生徒たちの悲喜こもごもな声が響き渡る。

 自然は穏やか、懸念していた猛獣もエンマーゴに驚いて逃げてしまったのか影も見せずに平和そのもの。そうしているうちに昼が過ぎ、あっという間にタイムリミットが迫ってきた。

「ああっ! また失敗したわ。もう、このヴォジョレーグレープ腐ってるんじゃないの?」

「なわけないでしょルイズ。わたしも女王陛下もとっくの昔にポーション完成させてるのよ? それより、次で失敗したら確実にタイムオーバーよ、いいのルイズ?」

「うう、うぅぅぅ……モ、モンモランシー……手伝って、ください」

「わかったわよ、こっちはずっとそのつもりだったのに。まあルイズが人に頭を下げるだけでもたいしたものかしら? よほどカリン先生が怖いのね」

 ルイズはキュルケに指摘されて、しぶしぶながらモンモランシーの助力を受けながら最後のポーション作りにとりかかった。

 プライドの高いルイズでも、それ以上の恐怖には勝てなかったわけだ。その理由を知るアンリエッタは「わたくしも手伝いますわ、焦らずがんばりましょう」とルイズを励ましてくれている。

「うぅ、作り方は間違ってないはずなのに、なんでよ」

「単にルイズが不器用なだけだろ」

「なあんですてぇバカ犬! あんた今日ごはん抜きよ!」

「きゃいーん!」

 まさに口は災いの元。余計な一言でルイズを怒らせた才人は、その後ルイズの怒りをなんとか解いてもらうために苦労するはめになった。

 世の中、思っても言ってはいけないことがある。いくらルイズが編み物をしようとするとセーターという名の毛玉ができるほど神がかったぶきっちょだとしても、人間ほんとうのことを言われると腹が立つものだ。

 タイムリミットギリギリのところで、ルイズはなんとかエレオノールから合格点をもらってホッと息をついた。もし間に合わなかったら、ルイズの人生はここで終わりを告げていた可能性が高い。

 

「ようし、これで全員合格だ。よくやった、あとは学院に戻って解散だ。その後は……ふふ、楽しみにしていなさい」

 

 日が傾き始める中、生徒たちはやりとげた達成感を持ってアラヨット山を後にした。

 そして帰校して、持ち帰ったヴォジョレーグレープを食堂のマルトーに渡した生徒たちは、数時間後にすばらしいご褒美を得ることができた。

「舌がとろけそう、これはまさに天国の味ですわね……」

 出来上がったヴォジョレーグレープのワインを口にして、アンリエッタは夢見心地な笑顔を浮かべた。

 『固定化』の魔法を使っても保存が不可能、作ったその時にしか味わえないヴォジョレーグレープのワインは、芳醇であり、甘みもしつこくなく、喉を通る時もさわやかで、まさに至高にして究極の味わいをプレゼントしてくれた。

「かんぱーい!」

 食堂は満員で、そこかしこで乾杯の声が聞こえてにぎやかなものである。

 むろん、ルイズや才人も上機嫌で舌鼓を打っており、キュルケは酔ったふりして脱ぎだして男子生徒の視線を集めて楽しんで、モンモランシーは酔った勢いでティファニアに詰め寄っているギーシュをしばきに行っていた。

 ギムリやレイナールたち在校生、ベアトリスら新入生も陽気に騒いで、歌って飲んでいる。

 教師連も同様で、コルベールやシュヴルーズらも年一度の味を精一杯礼節を保ちながら楽しんでいる。オスマンは酔ったふりしてエレオノールのスカートを覗きに行って顔面を踏みつぶされた。

 シエスタやリュリュはおかわりを求める生徒たちにワインを詰めたビンを運ぶために休まずに右往左往している。しかし、仕事が終わった後はちゃんと彼女たち用の分が残されているので、その顔は明るい。

 この日ばかりは平民も貴族も上級生も新入生も教師も関係なく、共通の喜びの中にいた。特に、今年は例年にも増して騒ぎが大きい、それもそのはず。

「あっはっは、やっぱり自分で苦労して手に入れたもんは格別だぜ!」

 自分で足を運び、手を動かして、汗を流して手に入れたからこそ、そこには他には代えがたい喜びが生まれるのだ。たとえば貝が嫌いな子供が自分で潮干狩りをして得たアサリならば喜んで食べるのも、そのひとつと言えよう。

 才人に続いてルイズも、顔を赤らめながら上品にグラスを傾けてつぶやく。

「怪獣と戦ったりしたから、その苦労のぶん喜びもひとしおね。点数をつければ百点満点……いえ、それ以上。今日のこの味は、一生覚えているでしょうねえ」

 苦労の大きさに比例して、達成したときの喜びも大きい。誰もが、その恩恵を心から噛みしめていた。

 宴は続き、まだまだ終わる気配を見せない。

 

 

 だが、宴に沸く魔法学院のその様子を、どす黒い喜びの視線で眺めている者がいたのだ。

「アハハハ! まさにグレェイト! そしてワンダホゥ! こうも予定通りに事が進むとは、さすが高名な魔法学院の皆々様。あのエンマーゴは、石像に封じられたオリジナルを解析して再現したデッドコピーでしたが、期待以上に働いてくれました。まったく、いい情報をいただき感謝いたしますよ、お姫様?」

 暗い宮殿の一室で、モニターごしに喜びの声をあげる宇宙人。しかし、感謝の言葉を向けられた青い髪の少女は、じっと押し黙ったままで答えようとはしなかった。

「……」

「おや? お気にめさないですか。でも、石像が運び込まれていた怪獣墓場にまでわざわざ出向いて行ったついでに、ウルトラ戦士にもう一度挑戦したいという方も幾人かお誘いできましたし、私はまさに万々歳です。あそこはいいところですね、そのうちまた行きたいものです。なによりこれで、我々の目的に一歩近づきました。よかったですね、ねえ国王様?」

「フン、つまらん世辞はいらんわ。言う暇があったらさっさと出ていけ。まだ先は長いのだろう? まったく、貴様のやり口は悪魔でさえ道を譲るだろうよ」

「お褒めの言葉と受け取っておきましょう。でも、忘れてもらっては困りますよ? これがあなた方の望んだ理想の世界だということを。では、次の見世物の準備ができたらまた参りますね。お楽しみに」

 宇宙人は去っていき、残された二人のあいだには鉛のように重い沈黙だけが流れ続けた。

 

 しかし、去った宇宙人は一見平和に見えるハルケギニアのどこかで、夜空にコウモリのようなシルエットを浮かべながら笑っていたのだ。

 

「まずは、”喜び”。フッフフフフ、確かにいただきましたよ。さて、次はなんでいきましょうか? 頑張って趣向を凝らしませんとねえ」

 

 異常が異常でない世界。しかし、世は平和で人々は幸せそうに生きている。

 侵略ではなく、破壊でもない。ならば何が企まれているのか? すべてはまだ、はじまったばかりに過ぎない。

 

 

 続く



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第62話  そのとき、ウルトラマンたちは

 第62話

 そのとき、ウルトラマンたちは

 

 超空間波動怪獣 メザード

 渓谷怪獣 キャッシー

 宇宙有翼怪獣 アリゲラ

 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾール

 知略宇宙人 ミジー星人

 三面ロボ頭獣 ガラオン

 合体侵略兵器獣 ワンゼット 登場!

 

 

「さあ、皆さん。どうもどうも、私の顔は覚えていただけたでしょうか? 今、ハルケギニアで起きている出来事の黒幕でございます」

 

「さて、さっそくですが先ほどお見せいたしました魔法学院の遠足はいかがでしたでしょうか? 実にみんな楽しそうでしたねえ、人間の寿命はとても短いと言いますが、あれが青春というものなのでしょうか? 私にはちょっとわかりづらいことです」

 

「うん? そんな怖い顔をしないでくださいよ。私が手を加えなければ、彼らは今頃遠足どころじゃなかったはずですからね。そうでしょう、ウフフフ」

 

「はい? ああ、どんなトリックを使ったのですかって? 別に隠すようなことではないですが、すんなり教えるのもつまらないですね。というよりも、皆さんはきっとご存知のはずですよ」

 

「ともあれ、私の目的の第一歩は果たせました。幸先良くてなによりです。んん、おやおや、そんな青筋立てて怒らないでください。怒りっぽすぎる人間は、カルシウムが足りてないそうです。牛乳をもっと飲みましょう、乳酸菌飲料もオススメですよ」

 

「あらら、もっと怒られちゃいました。せっかく地球のジョークを勉強したというのに残念です」

 

「しょうがありませんね、では皆さんのご興味ありそうなことをお伝えしましょう。ハルケギニアに散ったウルトラマンたちが、今どうしているのかをお知らせします」

 

「いえいえ、手など出していませんよ。ただちょっと隠し撮りをしただけです。ウルトラマンに手出しできるほど、私は強くありません。それに、手出しをしないのが彼らとの契約でもありますからね」

 

「どういう意味ですって? ウフフ、種明かしはじっくりするのが楽しみですよ。では、VTRスタートです」

 

 宇宙人の狂言回しが終わり、舞台はハルケギニアへと舞い戻る。

 いったい何がハルケギニアに起きているのか? そして宇宙人の目的とは?

 始まったばかりの舞台には、まだ多くの演出が隠されている。

  

 才人たちが魔法学院の遠足でアラヨット山に登っているのと同じころ、遠く離れたロマリアでもひとつの戦いが起きていた。

 ロマリアの上空を飛ぶ一機の戦闘機、XIGファイターEX。そのコクピットに座る高山我夢は、眼下に広がる景色とレーダー画面を交互に見ながら、サポートAIであるPALの報告を待っていた。

「見つけました、我夢。前方、およそ三万に空間のひずみがあります。ゆっくりと南へ向かって移動中です」

「いたな。ようし、パイロットウェーブ発射準備」

 捕捉した目標に向かって、ファイターEXはまっすぐに飛んでいく。そして一見なにもない空間に狙いを定めると、我夢は一瞬揺らいだように見えた空の一角を凝視してPALに指示した。

「PAL、パイロットウェーブ発射!」

「了解」

 ファイターEXの機首から波紋状のパイロットウェーブが放たれ、それを受けた空間の一角が収束して、半透明のクラゲのような生物が現れた。

 これは波動生命体。先の決戦でトリスタニアに現れたクインメザードの同種の怪獣であり、さらに数か月前にエースを苦しめたあの個体である。

 しかし、無敵に近い波動生命体もパイロットウェーブで現実空間に引き釣り出されたら単なる怪獣と変わりない。波動生命体は紫色のエネルギー弾でファイターEXを狙い撃ってきたが、我夢はそれをかわすと波動生命体に向かって機首を向け、トリガーボタンを押した。

「サイドワインダー発射!」

 ファイターEXからのミサイル攻撃を受けて、波動生命体はクラゲのような姿を炎上させながらロマリアの無人の荒れ地に墜落して爆発した。

 だが、炎上する炎の中から異形の怪物、超空間波動怪獣メザードが姿を現す。我夢はそれを当然のように見下ろしながら、変身アイテム『エスプレンダー』を掲げて叫んだ。

「ガイアーッ!」

 赤い光がほとばしり、土煙を立ててウルトラマンガイアが大地に降り立つ。

 対峙するメザードとガイア。しかしメザードは腐敗したクラゲのような胴体と骸骨のような頭部の口から紫色の時空波を吐いてガイアを攻撃してきた。

「デヤッ!」

 腕をクロスさせ、メザードの攻撃をしのいだガイアは、きっとメザードを見据えた。以前に地球で戦った時は苦戦させられた相手だが、あのときとは比べ物にならないほどガイアは経験を積んで強くなっている。

 メザードが無敵でいられるのは別次元に潜んでいるときだけ。すなわち、蜃気楼を吐くアコヤと一緒であり、居場所を見つけられれば貝を叩き割るのはたやすい。ガイアは頭上にエネルギーを集中させると、アグルから引き継いだ必殺技を放った。

『フォトンクラッシャー!』

 青白く輝く光の帯に貫かれ、メザードは断末魔の咆哮を上げると炎上して果てた。巨大なたいまつのように一瞬燃え盛り、黒い消し炭のようになって崩れていくメザードをガイアは憮然として見送った。

 以前にエースを苦しめた怪獣のあっけなさすぎる末路。もちろんそのときにガイアはまだこの世界にはいなかったけれど、破滅招来体に遣われて、置き去りにされたようなメザードの末路に一抹の哀れを覚えもするのだった。

 ともかく、これで破滅招来体がこの世界に持ち込んだ怪獣は、確認できる限りすべて撃破した。ガイアは変身を解除して我夢に戻り、ファイターEXのコクピットから通信機に呼びかけた。

「こちらファイターEX、波動生命体は撃破したよ。そっちはどうだい?」

 すると一呼吸置いてから、通信機から藤宮の声が返ってきた。

「こちらはこれからだ。少し待て、すぐ終わる」

 藤宮がいるのはロマリアの別の場所。人里からやや離れた山間部で、そのすそ野に彼は立っていた。

 山は一見すると平穏そうに見えなくもないが、あちこちにがけ崩れの跡が新しく残っており、この山が最近になって地殻変動に脅かされていることが見て取れた。

 そして藤宮の見ている前で山肌が崩壊し、地底から巨大な怪獣が這い出てくる。

「来たか」

 藤宮は短くつぶやいた。ほぼ計算通り、ここに怪獣が現れるのはわかっていた。

 現れた怪獣は、身長およそ六十メートル。岩の塊に手足がついたような不格好な姿をしているが、眠そうな目つきにたらこ唇をした顔つきは妙にユーモラスな印象を受ける。

 

【挿絵表示】

 

 しかし藤宮は特にユーモア感覚を刺激された様子はなく、現れた怪獣を観察した。

「硬い外皮に太い手足、典型的な地底怪獣の一種だな。目が退化していないのは、地上での活動力もあるという証拠」

 渓谷怪獣キャッシー。藤宮は知らないが、これがこの怪獣の名前である。一説では怪獣ゴーストロンの仲間とも言われるが、動きは鈍く、大半は眠っているために生態にはまだ謎が多い。

 しかし藤宮はざっと怪獣の特徴を分析すると、これが破滅招来体によるものではなく、自然の怪獣が住処の異変で無理に起こされてきたのだということを確信した。

 怪獣がのろのろと人里の方向へと歩き出していく。このままでは、怪獣に悪意がなくても被害が出てしまうだろう。藤宮は傍らに持っていたバッグから、バイザー型の装置と拳銃型の発射機を取り出し、怪獣の頭部へ向けて受信機を発射した。

「コマンド、m2m1242m、Enter。住処に戻れ」

 装置を介して藤宮が怪獣の頭部に撃ち込まれた受信機に信号を送ると、キャッシーはフラフラと頭を振って、眠そうにあくびをすると元来た山に向かって戻りだした。

 これは藤宮の発明品のひとつ、機械語デコーダー。怪獣の頭に信号を送り、ある程度の行動をコントロールすることができる。ただ、怪獣に強い意思があると反抗されて操れなくなってしまうが、寝ぼけて意思の薄弱なキャッシーには効果てき面であった。

 キャッシーはまだ全然寝たりなかったらしく、出てきた山の穴に頭を突っ込むと、そのまま地底に潜って帰っていった。藤宮はバイザーを外すと、返事を待っている我夢に向かって結果を知らせた。

「我夢、こっちも終わった。怪獣は無傷だ、周辺の地殻が安定しているのも確認してある。少なくとも数百年は出てくることはないだろう」

「お疲れ様。ごめん藤宮、君にもいろいろ手間をかけさせてしまって」

「気にするな。この世界の安定は、この世界とつながっている俺たちの世界の安定にもつながる。それに、今はとにかく不安要素を少しでも減らしていくほかはないだろう」

 藤宮は我夢に答えながら、バッグの中に残っている受信機の残数に目をやった。

 この数か月前に怪獣によって地殻が荒らされたため、眠っているだけだった地底怪獣たちが地上に現れる事例が増えてきており、藤宮はその対処に飛び回っていたのだ。

 怪獣は人間にとって脅威ではあるが、余計な手出しをしなければ無害であることも多い。何より、怪獣たちもまた自然が生んだ自然の一部なのだ、人間の都合だけで排除していけば、いつか自然のバランスが崩れ、そのしっぺがえしは人間に降りかかってくる。

 しかし、我夢と藤宮はそれぞれ順調に目的を果たしているはずなのに、あまりうれしそうな様子はなかった。

「藤宮、そっちのほうはその、平和かな?」

「平和だ、途中にある村々の様子も見てきたが、どこも静かなものだ。我夢、お前は何を見ている?」

「平和だね。空から見下ろす限り、どこの街や村も活気に満ちてるよ。戦争のおもかげなんてどこにもない……いや、傷跡は見えるけど、誰もそれを気にしてない」

「俺たち以外は、な」

 意味ありげな言葉を返すと、藤宮は山を下り始めた。そこに、我夢の声が不安そうに響く。

「ねえ藤宮、本当にこれでよかったんだろうか?」

「迷うな、我夢。あのときに、満点の回答を出すことなどは誰にも不可能だった。だがこれからの事態を利用していくことならできる。考えようによっては好都合なことも多い、今はこの好機を生かすことを考えるべきだ」

「わかったよ、僕もこれから戻る。あいつのことは、今はあの人たちに任せよう。もしも、あいつが僕らの世界にまで目をつけたら破滅招来体に匹敵する脅威になる。なんとしても、この世界で野望を断念させないと」

 ふたりの胸中には、今この世界に侵食してきている侵略者のことがよぎっていた。いや、本人は侵略行為は否定しているから侵略者とは呼べないかもしれないが、他人の土地に勝手に入ってきて好き勝手をやっている以上、やはり侵略者と呼ぶべきだろう。

 以前に一度、立体映像で対峙したときの宇宙人の尊大な姿は忘れられない。奴はふてぶてしくも、自分たちウルトラマンに対しても脅迫じみた要求を突き付けてきたのだ。

 そのときに、その宇宙人が突き付けてきた要求の、破滅招来体でもやるかという悪辣さには一瞬冷静さを失いかけた。

 しかし、我夢たちの地球では、いわゆる〇〇星人といった宇宙人は現れていないが、ゼブブなどの例から地球外知的生命体の存在は確認されており、その宇宙人が要求の内容を確実に実行できるであろうことは、疑う余地がなかったのだ。

 宇宙人の要求を、結局そのとき拒絶することはできなかった。そして今日、我夢と藤宮はささやかな抵抗として、ハルケギニアに内包する災厄の芽を摘んでいっている。あの宇宙人は、自分たちウルトラマンと直接対決する気はないと明言したが、目的のためにこれから暗躍をはじめるとも宣言した。なにを仕掛けてくるか、想像もできないが、少しでもあの宇宙人の悪だくみに利用できるものを減らせば、それだけ救える者を増やすことにつながる。

 だが……我夢と藤宮は、それとは別に、ひとりの友人の心配をしていた。

「タバサ……」

 あの日以来、彼女も姿を消してしまった。

 万一のことがあったとは思わない。しかし、人間である以上、絶対がないということもわかっている。事実、自分たちも過去には何度も過ちを重ねた。

 だが、だからこそ信じてもいる。恐らく、今タバサが直面しているのは彼女の人生で最大の壁だろう……そのときに、あちらの世界で経験したことは必ず役立つはずだ。

 

 我夢と藤宮の活躍で、ハルケギニアは人知れず安定を取り戻しつつある。もしも今の状況がなかったら、とてもこううまくはいかなかったに違いない。

 

 そして、人知れず活躍しているウルトラマンは彼ら二人だけではない。

 ハルケギニアは狭いようで広く、しかも電信などがあるわけではないから辺境で事件が起きても伝わりにくい。そこで、もし宇宙人や怪獣が事件を起こしても、助けを呼ぶ声が届くころにはすべてが終わっていることもありうる。

 ならばパトロールをするしかない。見回りは大昔から、事件を未然に防ぐためにもっとも基本とされてきたことだ。今でも、ハルケギニアのどこかでは謎の風来坊が旅を続けていることだろう。

 そして、ウルトラ戦士がパトロールするのは地上だけではない。ハルケギニアの天空を象徴するふたつの月では、小規模ながらも極めて重大な戦いが起こっていた。

『ビクトリューム光線!』

 ハルケギニアの衛星軌道。ウルトラマンジャスティスの放った赤色の光線が、赤い月を背にした赤い怪獣に突き刺さる。始祖鳥にも似たシルエットの中央を射抜かれ、宇宙有翼怪獣アリゲラは目を持たない頭部から断末魔の叫びをあげて爆散した。

 アリゲラの最期を、ジャスティスは爆炎が収まるまで黙祷のようにじっと見つめていた。好き好んで倒したわけではないが、異様に凶暴性が高い個体で倒さざるを得なかった。三十年以上も前にも、アリゲラの同族はこの星にやってきたことがあるが、別宇宙ではアリゲラは群れで移動する光景が確認されていることから、そのときのも今回のも群れからはぐれたか追放され、そのために凶暴化した個体だったのかもしれない。

 ジャスティスはハルケギニアの星を振り返り、宇宙正義の代行者としての自分の役割としては異例なほどこの星に肩入れするなと思った。本来ならば、コスモスもこの星に来た以上、自分は宇宙の別の問題を解決するために旅立ってもいいはずだが、この星を今狙っている相手は悪質さのレベルでいえばジャスティスの知る限りにおいてもそうはいない。無視して、もしこの星の外にまで手を伸ばされたらまずい。

 それに、もしそれによってハルケギニアが宇宙にとって危険な存在になると判断されたら最悪の審判が下されるかもしれない。そうなれば、この星の人々は……ジャスティスは、ジュリとして接したこの星の人間たちのことを思った。

 

 一方、青い月でも重大な戦いが終わろうとしていた。

『ナイトシュート!』

 ウルトラマンヒカリの放った光線に薙ぎ払われて、十数体の宇宙怪獣が宇宙の藻屑に変えられていく。

 青い月の光に照らされる青い戦士と対峙するのは、宇宙斬鉄怪獣ディノゾールの群れ。数にしたら数百体は下らないであろう、それの進行方向に立ちふさがるヒカリの存在は後続のディノゾールたちに明確な警告を与えていた。

「戻れ、ここから先はお前たちの場所ではない」

 ディノゾールたちは進撃をやめ、再度進撃を試みたとき、結果は再度同じく展開された。

 無理やり道をこじ開けようとして、宇宙の塵となった同族の残骸を後続の生き残りたちは数百の憎悪の眼差しで見つめた。ディノゾールたちは、眼下にある惑星に降りたかった。あの青い星には、ディノゾールが生きるのに必要な水素分子、すなわち水が無尽蔵にあるに違いないからだ。

 が、屍となった先鋒たちの犠牲は今度は無駄にはならなかった。ディノゾールたちは、黄金境の境にある激流の大河に身を躍らせる愚をようやくにして悟り、しぶしぶながら群れの進路を来た方向へと切り替えたのである。

 名残惜しそうなディノゾールたちを、先頭で率いる一頭が吠えて従わせているのをヒカリは見た。あれが群れの新しいリーダーなのだとしたら、あの群れはなかなかに幸運なのかもしれない。

 ディノゾールたちが宇宙のかなたへ去ると、ヒカリはほっと息をついた。

「この星を目指す宇宙怪獣はまだ絶えない。以前にヤプールの配置した時空波の影響が完全に消えるには、まだかかるかもしれないな」

 ヒカリは科学者らしく冷静に分析して、その結果には憮然とせざるを得なかった。宇宙は広大である、怪獣や宇宙人を呼び寄せる時空波の元凶はすでに破壊されて久しいが、影響を受けた怪獣がいつ来るかはバラバラだ。すぐ来る奴もいるだろうし、それこそ百年経ってやっと来る奴もいるかもしれない。

 余計な仕事を増やしてくれる。ヒカリはヤプールに対して心の中で毒を吐いた。彼は宇宙警備隊の仕事を嫌っているわけでは決してないが、警察や消防は暇であるほうが望ましいのだ。

 しかし、今のこれさえも懐かしく思えるような死闘がいずれ訪れるであろうことは、逃れがたい事実なのだ。聖地はいまだ不気味に胎動し、ウルトラマンでさえ容易に近づけないそこからは、邪悪な気配が日々濃くなっている。

 必ずその時はやってくる。ならば、備えておく努力を怠るべきではない。ヒカリは宇宙からの接近がこれ以上ないことを確認すると、今度は地上のパトロールをするためにハルケギニアに戻っていった。

 

 世界は、見えないところで、見えない敵から、見えないうちに守られている。

 しかし、そうしたウルトラマンたちの奮闘も、あの黒幕の星人からすれば冷笑のタネでしかない。

 

「さて、ご覧いただきどうでしたか、ウルトラマンの方々のご活躍。いやあ、よく働かれますね本当に、過労死って言葉を知らないんでしょうか? 正義の味方って大変ですね」

 

「うん? どうしました悔しそうな顔で。ははあ、あの方たちが苦労しているのに自分たちは何もできないのが嫌だと?」

 

「いやいや感心ですねえ。でもそれじゃ何事も楽しめませんよ? 特に、この星の人間たちはちょっと前まで戦争で大変だったんですから、私が言うのもなんですが、せっかくの休暇を楽しませてあげなくちゃかわいそうですよ」

 

「では、気分転換にもうひとつ愉快な光景をご覧に入れましょう。私にとっては失敗談ですが、あなたがたには楽しめるでしょう。実はちょっと前、次の計画のために協力者を求めに行ったんですが、いやあ人選ミスでしたねえ……」

 

 

 宇宙人は肩をすくめて残念そうなしぐさをしながら、しかし声色は自分も笑いをこらえきれないというふうに震わせながら語り始めた。

 そう、あの事件はもはや笑うしかないと言うべきだろう。なぜなら、それはあのミジー星人に関わることだからである。

 

 知略宇宙人ミジー星人。宇宙人はそれこそ星の数ほど種族がいるが、これほど名前負けしている宇宙人はほかにいないだろう。

「ほしい、私はなんとしてもこの星が、ほしい」

 と、侵略宇宙人たちが思っても普通は口にしないことを堂々と言い、ウルトラマンダイナに都合三度も負けている。

 その後、どういう経緯をたどったのかハルケギニアにたどり着いた彼らは、生きるために魅惑の妖精亭で住み込みでバイトしながら生活してきたが、いまだに侵略の夢は捨てていない。

 しかし、そんなミジー星人たちに、最大のピンチが訪れていた。

「待てーっ! コラーっ! ミジー星人ーっ!」

「うわーっ! お助けーっ!」

 アスカに追われて、三人のオッサンが荷物を抱えて町中を逃げていた。

 彼らは、ミジー星人が人間に化けたミジー・ドルチェンコ、ミジー・ウドチェンコ、ミジー・カマチェンコ。そして、追っているアスカは言うに及ばずウルトラマンダイナである。

 ただ、いくら両者に因縁があるとはいっても、この広い世界で両者が鉢合わせをする可能性はそう高くはなかっただろう。しかし、ミジー星人には運悪く、この世界でアスカは過去に数名の知己を作っていた。その中のひとり、カリーヌはアスカを過去の恩人であり戦友であるとしてすぐに探し出し、もう一人、シエスタの母であるレリアは魅惑の妖精亭のスカロンと親戚だったので、三十年ぶりのつもる話を魅惑の妖精亭でしようということになり……必然的に両者は顔を突き合わせることになったのだ。

「ああっ! お前ら、ミジー星人!」

「あああああああーっ! 逃げろーっ!」

 次元を超えて巡り合った因縁の両者。しかし、アスカは都合三回もミジー星人のせいでろくでもない目に合わされ、ミジー星人も連敗が重なった経験から、顔を合わすと即追いかけっこが始まった。

「待てーっ、逃げるな!」

「うわーい! お助けー」

 追いかけっこは続く。もしもこのとき、追いかけていたのがアスカひとりだったらミジー星人もここまで逃げなかったかもしれない。しかし、魅惑の妖精亭で鉢合わせをしたとき、大声で叫びあったアスカとミジー星人たちの関係をカリーヌが問い詰め、アスカが「奴らは地球を何度も侵略しようとした宇宙人なんだ!」と、正直に答えたことで、ミジー星人の敵はトリスタニアの官憲にまで拡大してしまったのである。

 それでも、ミジー星人たちは捕まらずに逃げ回った。彼らは地球でも指名手配にされたときに逃げ回っていた経験があったし、長いトリスタニアの生活で地形を熟知していた。それに、今のトリスタニアは復興の途中で隠れられる場所がたくさんあったし、取り締まりをおこなう衛士の数も足りなかった。そして何より、小悪党というものは逃げ足が速いと昔から相場が決まっているものだ。

 が、時間の経過はミジー星人たちの助けにはならなかった。なぜなら日数を費やすごとに、トリスタニアのあちこちに、ドルチェンコ、ウドチェンコ、カマチェンコの似顔絵が描かれた手配書が貼り付けられ、さらには新聞でもでかでかと記事にされている。

「うーん、ガリアで原因不明の爆発事故多発に、辺境では次々と子供が行方不明に、ぶっそうなことだなぁ。ん? ああ、宇宙人だぁ!」

「わーあ! 逃げろーっ!」

 という具合に、どこへ行っても正体がバレてしまうのである。もはやトリスタニアの住人全員がミジー星人を探し回っているといってもいい。

 四面楚歌とはまさにこのことだろう。しかし彼らはそれでも逃避行を続け、今日も昼間、なんとか追っ手をまいたミジー星人の三人組は、人気のない空き家でこそこそと夜露をしのいでいた。

「今日でもう何日目かしら。これから、どうなるのかしらねアタシたち?」

「さあねえ、でも街から外には検問で出られないし、妖精亭にも今さら帰れないしなあ。どうなるんだろう」

 不安げなカマチェンコに、ウドチェンコも疲れた声で答えた。これまで宇宙人であることを隠して何とかやってこれたのに、まさかダイナまでこっちに来るとは思わなかった。ダイナにはそう、恨まれていないほうがおかしいということをやってきたので、追いかけられるのも当然なのだが、それにしたっていつまで続くのだろうか。

 持ち出してきた食料も残り少ない。魅惑の妖精亭の温かいまかない飯が懐かしい……

「妖精亭、どうなったかしらね。宇宙人をかくまってたって、ひどいことになってなければいいけど」

 カマが、心配げに窓から夜空を見上げてつぶやいた。いまごろ、スカロンのおじさんやジェシカたちもこの空を見上げているかもしれない。

 だが、その心配は杞憂であった。魅惑の妖精亭はこれといって掣肘を受けることもなく、今日も普通に営業に精を出している。

「さーあ妖精さんたち、今日もはりきってお仕事しましょう!」

「お父さん、料理がまだ出来上がってないから、わたし厨房を手伝ってくるね」

「ごめんねジェシカちゃん。んもう、皿洗いが減っちゃったからペースが乱れてしょうがないわね。ドルちゃんたち、いまごろどうしてるのかしら?」

「おなかがすいたらそのうち戻ってくるでしょ。ペットのエサ代は未払いのお給金から引いておくとして、さぁて、今日もがんばらなきゃ!」

 魅惑の妖精亭は、元々こういう店だということが公式なので、宇宙人が紛れ込んでいても、あまり驚かれることはなかった。それにこの地域を担当しているチュレンヌが温厚であったことと、なにより店の常連たちが気にも止めなかったことが大きい。男たちにとっては、宇宙人よりかわいい女の子のほうが重要であったのだ。

 スカロンやジェシカは、役人の取り調べに対して三人組を特に抗弁はしなかったが糾弾もしなかった。来るものは拒まず、去るのならばそれもよし。夢の世界への門はいつでも開いている、それが魅惑の妖精亭だ。

 しかし、そんなことを知る由もないミジー星人たちは、今日も寂しく逃亡生活を送っていた。

 しだいに逃げ場がなくなっていくことに元気のないウドチェンコとカマチェンコ。ドルチェンコだけは、まあ性懲りもない様子で吠えている。

「おのれダイナ、我々のハルケギニア侵略の野望をまたしても邪魔しおって。今に見ていろ、次こそは必ずやっつけてやるからな!」

 どこからこれだけのやる気が湧いてくるのやら、まさしく揺るぎないファイティングスピリットの持ち主である。ウドチェンコとカマチェンコは、ハァとため息をついているが、ドルチェンコにはまだ切り札があった。

「まだだ、まだ我々にはアレがある。なんとかしてこの街を脱出できれば、森に隠してある秘密兵器でダイナをあっと言わせてやることができるのだ」

 そう、ドルチェンコの心にはまだまだ野望の火が赤々と燃えていた。初めて地球にやってきたときから、彼だけはまったく変わらずに侵略宇宙人の本分を保ち続けてきたのだ。

 が、手段がなければどんな壮大な計画も絵に描いたモチロンでしかない。ドルチェンコのやる気とは反比例して、もうこのトリスタニアにミジー星人たちが安住できる場所はほとんど残っておらず、もう明日にでも捕まるのは確実と思われた。

 だが、そのとき彼らの前に、あの宇宙人が姿を現したのだ。

 

「こんばんわ、ミジー星人の皆さん。お困りのご様子ですねえ」

「うわっ! なんだ、ど、どこの宇宙人だぁ?」

 

 すっと、幽霊のように現れたその宇宙人に、ミジー星人たちは腰を抜かして部屋の隅まで後ずさってしまった。

 しかし、宇宙人は気にした様子も見せずに、堂々とミジー星人たちに向かって話し始めた。

「これは失敬。私、こういう者で、あなた方がお困りなのをたまたま見かけましてねえ。同じ宇宙人同士、お助けしてさしあげたいと声をかけさせてもらったんですよ」

 名刺を差し出しながら宇宙人はあいさつした。しかしミジー星人たちも、見ず知らずの宇宙人から助けてやると言われてすんなり信用するほど馬鹿ではない。

 当然、怪しんで、スクラムを組んでひそひそと話し合った。

「怪しい、怪しいぞ。ああいう奴は昔からろくな奴がいないぞ、アパートのボロ部屋を貸しておいて家賃だけはしつこく取り立てるタイプだ」

「そうだそうだ、レンタルビデオをまとめ借りしてから引っ越して逃げるタイプの顔だな、アレは」

「ああいう作ったようなイケメンってろくなのがいないのよ。きっと前世はビール腹のオッサンよ、自分とよく似たペットの自慢とか、お客にするとウザいタイプに違いないわ」

 地球での貧乏生活やバイト経験から、無駄に人を見る目が上がっている三人組は言いたい放題を言った。

 一方で、宇宙人のほうはといえば、聞こえてはいるけどわざわざ来た以上、ここで怒るわけにはいかない。頭の角あたりをピクピクと震わせて、人間でいえば青筋を立てているというふうな表情であろうが、とにかく気を落ち着かせて話を続けた。

「お、おほん。人を第一印象で判断しないでいただきたいですね。私はただ、同じ宇宙人のあなたがたがみじめな生活をしているのを見かねてお助けしようとしているだけです。それに、小耳に挟みましたが、あなた方もウルトラマンには少々因縁があるみたいですね?」

「お、おうそうだ。あのウルトラマンダイナのおかげで、我々の侵略計画は台無しになって、こんなみじめなことに。おのれぇっ! って、あんたもウルトラマンにやられたことがあるのか?」

「いいえ、私はウルトラマンと戦ったことはまだないですが、同胞が昔お世話になりましたものでね。どうです? もののついでに、因縁のウルトラマンに復讐してみませんか?」

 それを聞いて、ドルチェンコの頬がぴくりと揺れた。

「ははあ、なーるほどそれが狙いだなぁ? 我々を、お前の侵略活動の手下に使う気だな。どうだ、当たっているだろう?」

 ドヤ顔のドルチェンコに対して、宇宙人はそっけなく答えた。

「どうでしょう? 適当な理由が聞きたいならいくつか言って差し上げられますが、ではどうすれば信用していただけますか?」

「フン、お前が信用できるかなんてどうでもいいわ。偉そうなことを言えるだけの力を持っているか、そこのところどうなんだ? ええ?」

「ほほお、なるほど。あなた方も侵略宇宙人のはしくれではあるようですね。ではひとつ、最近トリスタニアの人間たちが変だとは思っていませんか? 実はあれ、私がやってるんですよ」

「なに? そういえば、最近街の連中がやけに能天気になってるように見えたが……お前、なにを企んでるんだ」

「さあて、でもあなた方には別に害にはなりませんのでご安心を。それより、あなた方には時間がないのでは? 私の話に乗るもよし、ここで夜が明けたら捕まるもよし、私は別にどちらでもかまいませんがねぇ?」

「あっ、そうだった!」

 ドルチェンコはそこで、やっと自分たちが追われる身だったということを思い出した。

 慌てて円陣を組み、もう一度話し合う三人組。

 相手の言う通り、夜が明けて捜査が再開されれば捕まってしまう可能性は高い。そして捕まれば、トリスタニアの人間は以前に起こったツルク星人の大暴れの記憶から宇宙人に対して厳しく、もしかしたら死刑にされるかもしれない。

 野望とプライドに、生存本能が勝るのに時間は必要としなかった。

「お、おいお前。一応聞いておくけど……用が済んだら「もうお前は用なしだ」とか言ってきたりしないだろうな?」

「そこはご心配なく、私はそんなにケチなタチじゃありません。なにせ私の種族は太っ腹ですからねぇ。おっと、ミジー星ではケチのほうが誉め言葉でしたっけ。ではケチにふるまって差し上げましょうか?」

「いえいえ、太っ腹で! 太っ腹でお願いします」

 嫌味に言い返す宇宙人に、ミジー星人の三人組はなかば土下座で頼み込んだ。もう恥も外聞もあったものではないが、命あっての物種だ。

 とりあえずはこれで契約成立。数分後には、三人組はワンゼットの隠してあるトリスタニア郊外の森の中へと飛んでいた。

 

 

「おお、これだこれだ。これさえあれば、どんな敵も恐れるに足らずだ。フフ、フハハハ!」

 森の中に横たわる機械の巨人、侵略兵器獣ワンゼット。それはかつてデハドー星人が地球侵略のため送り込んできたロボット怪獣であり、ウルトラマンダイナを正面から完封するほどの強さを持っている。

 ミジー星人たちは、地球でいろいろあってワンゼットをコントロールする手段を手に入れ、ダイナにとどめを刺す寸前まで追い込んだことがあった。が、やっぱり最後のツメが甘く、ワンゼットはレボリウムウェーブで消滅させられ、ミジー星人たちもその後、逃亡生活の末にワンゼットと同じく時空を超えてこの世界に流れ着いてしまった。

 以来、ミジー星人。というかドルチェンコは、このワンゼットさえ再起動させられれば、ハルケギニアを征服できるとして野望の火を絶やさずにいた。その点、アスカの危機感は正しかったことになる。

 もっとも、起動できたらの話であるが。

「コケが生え始めてますねぇ。コレ、相当長いこと放置してたみたいですね」

 宇宙人が、もはやカムフラージュせずとも森に同化しかけているワンゼットのボディを眺めて言った。

 ミジー星人たちは返す言葉もない。それはそうだ、そんな簡単に直せるんだったらデハドー星人の面子にも関わるだろう。ミジー星人も高度な科学力を持つとはいえ、工場も資材もまともに揃えられないこのハルケギニアでは機械を自作することなんて、砂漠で米を作るくらいに難しい。

 ドルチェンコは、ポケットから携帯のストラップについている人形くらいのサイズのロボットを取り出し、ぐぬぬと悔しそうにつぶやいた。

「この、超小型戦闘用メカニックモンスター・ぽちガラオンⅡさえ、完成すればワンゼットを再起動させられるのに。ぐぬぬぬぬぬ」

 ワンゼットは完全な自律型のロボットではなく、実はデハドー星人のアンドロイドによって操られる搭乗型のロボットなのだ。ミジー星人たちは以前、ぽちガラオンをワンゼットの内部に潜入させて暴れさせることによって、もののはずみでワンゼットのコントロール権を奪うことに成功した。つまり、もう一度ワンゼットの内部にぽちガラオンを送り込めればワンゼットを起動させられるかもしれないのだ。

 もっともその隣で、ウドチェンコとカマチェンコがひそひそと囁きあっていた。

「ほんとはワンゼットの中に、前のぽちガラオンが残ってるはずだから、コントローラーだけ作ればいいはずなんだよねえ」

「ノリと勢いで作ったから、前のやつの作り方を覚えてないなんてやーよねえ。アタシたちのお給料もほとんど突っ込んでるのに失敗ばかりだし、だからジェシカちゃんがいつも怒るのよ」

 つまりは、物理的な制約にプラスしてドルチェンコのマヌケが原因でいまだにワンゼットは動かせていなかったのだ。

 しかし、今ここでワンゼットを動かせなければミジー星人たちの進退は極まる。ドルチェンコは、ウドチェンコとカマチェンコに向かって力強く言った。

「あきらめるな! まだ方法はある」

「どんな?」

 頼もしく言い切ったドルチェンコに、ウドチェンコとカマチェンコが視線を送る。するとドルチェンコは宇宙人の前に膝をついて。

「お願いします」

 と、土下座した。

「ダメだこりゃ!」

 盛大にズッこけるウドチェンコとカマチェンコ。宇宙人もこれは予想していなかったのか、ガクっと腰の力が抜けたようであるが、なんとか立ち止まって答えた。

「ウフフフ、あら素直な人ですね。でも、身の程をわきまえている人は好きですよ。では、約束してもらえますか? あなた方のウルトラマンへのリベンジには手を貸しますが、そのタイミングは私に任せてもらうとね」

「わかったわかった。あんたの言うとおりにする、だから力を貸してくれ。ほらお前たちも、このとおりだ」

「お願いします」

 ミジー星人三人組の土下座は、滑稽と言うか哀れを感じさせるものであった。しかし、その卑屈な態度は宇宙人の優越心を非常に満足させ、彼はうんうんとうなづくと言った。

「よろしい。では、あなたがたの願いをかなえてあげましょう。このロボットを、私の修理で使いやすく直してあげましょう」

「おお、できるのか!」

「もちろん、生き物をよみがえらせることもロボットを直すことも変わりありません。簡単なものですよ」

 自信たっぷりな態度は嘘ではない。ある程度以上に力を持つ宇宙人にとって、倒された怪獣やロボットを同じ区分で復活させるのは別に珍しいことではないのだ。

 怪獣は生き物で、ロボットは作り物。これらは一見するとまったく別のものに思われる。しかし、かの怪獣墓場にはどういうわけかロボットの幽霊(?)も漂っており、キングジョーやビルガモの幽霊(?)もいるという意味のわからない状況が実際に起きているのだ。

 まさに宇宙にはまだまだ謎と神秘が数多い。そして、宇宙人はワンゼットの前に立つと、ミジー星人たちに向かって告げた。

「では復元を始めましょう。ただ私の力も無限ではないので、ちょっとイメージ力を貸していただきますよ。あなた方の、ウルトラマンに対する復讐心を強くイメージしてくださいね」

「わかった! ようし、つもりにつもったダイナへの恨み。お前たち、いくぞ!」

「ラジャー!」

 ミジー星人の三人は、スクラムを組んでダイナへの恨みを強くイメージしだした。

 思えば、はじめて地球にやってきたときにガラオンの製造工場を見つかってしまったのが運の尽き、あれさえなければ全長四百メートルにもなる完全体ガラオンで地球なんか簡単に侵略できるはずだった。

 だが頭だけしかできてないところで出撃するハメになり、ウルトラマンダイナにやられてしまった。

 おのれダイナ、ガラオンさえ完璧であったなら!

 その次はなんとか逃げ切れたガラオンを使ってダイナを追い詰めたが、あと一歩のところでエネルギー切れで負けてしまった。

 おのれおのれダイナ、ガラオンさえエネルギー切れにならなかったら!

 それからは、SUPER GUTSに捕まって、よりによってダイナを手助けするはめになってしまった。

 おのれおのれおのれダイナ、ガラオンさえあったならお前なんて!

 ミジー星人たち三人の(八割がたドルチェンコの)怨念がパワーとなり、その力を使って宇宙人はワンゼットに復活パワーを注ぎ込む。

 まばゆい光がワンゼットを包み、その光が晴れたとき、そこには雄々しく立つワンゼットの雄姿が……なかった。

「えっ?」

「あら?」

「こ、これは」

「あれまあ」

 四者四様の驚きよう。彼らの前にそびえたっていたのは、怒り、泣き、笑いの三つの顔を持つ頭だけの巨大ロボット、そうつまり。

 

「ガラオン!?」

 

 ミジー星人の三人は、懐かしく見間違えるはずもない、その個性的なフォルムに目が釘付けになった。

 これはいったいどういうことだ? ワンゼットを復活させるはずだったのに、なんでガラオンがいるんだ?

 目を丸くしているミジー星人たち。しかし宇宙人は、しばらく考え込んでいたが、ふと手を叩くとおもしろそうに言った。

「そうか、イメージしているときにあなた方はこのロボットのことばかり考えていたんでしょう。だからイメージが反映されてこうなっちゃったんですねぇ。いやあ失敗失敗」

 予想外の出来事にも関わらず、愉快そうに笑う宇宙人。

 なぜなら、この宇宙人にとってミジー星人たちの進退ごときは別にどうでもいい問題だった。目的のために騒ぎを起こす必要はあるが、自分が動いてウルトラマンたちを怒らせるより、自分と関係があるかどうかわからない使い捨ての手駒として一度でも働いてもらえればそれで十分。どうせウルトラマンたちを倒そうなどとは、この星では考えていない。

 とりあえず、ミジー星人たちは言いなりにできる。思えばワンゼットの復元に失敗したのも、考えようによってはいいことかもしれない。こんなマヌケな格好のロボットでは、いくらミジー星人がアホでも何もできないだろう。

「他人の生殺与奪を好きにできるということほど楽しいものはないですねえ」

 ミジー星人たちに聞こえないよう、声を抑えて宇宙人はつぶやいた。後はこいつらをハルケギニアの官憲に捕まらないよう保護してやる振りをしつつ、いくつか考えてある策に組み込んで適当に暴れてもらえれば、後は野となれ山となれで知ったことではない。

 しかし、宇宙人はミジー星人たちの”小物っぷり”を甘く見すぎていた。

「あら? あの人たちは?」

 ふと、隣を見た宇宙人はいつの間にかミジー星人の三人がいなくなっているのに気付いた。

 そして、どこに? という疑問の解消に、彼の努力は必要とされなかった。なぜなら、彼の眼前で、ガラオンが猛烈なエンジン音をとどろかせて動き出したからである。

 

「なっ! あ、あなたたち!」

 

 宇宙人は、ガラオンの起こす振動と排気ガスの勢いで吹き飛ばされかけながらも、動き出したガラオンに向かって叫んだ。

 もちろん、動かしているのはミジー星人たち三人に他ならない。

「すっごーい! エネルギーが、前のガラオンのときの何十倍もあるわ。これなら、いくら動き続けたってへっちゃらそうよ」

「パワーもだぞ。こりゃ、スーパーガラオンって呼んでもいいな。でも、いったいどうしたんだろう?」

「フフ、どうやらワンゼットがガラオンに再構築されたときに、そのジェネレーターなどはそのまま組み込まれたようだな。だが、我々にはガラオンのほうがむしろ合っている。ようし、いくぞお前たち!」

「ラジャー!」

 ドルチェンコの指示で、カマチェンコとウドチェンコが操縦用の吊り輪を掴む。そしてガラオンは、怒りの表情を向けて、トリスタニアの方向へとドタドタドタと進撃を始めた。

 当然、唖然と見ていた宇宙人は激怒して叫ぶ。

「待ちなさいあなたたち! いったいどこへ行こうというのですか!」

 それに対して、ガラオンからドルチェンコの声がスピーカーで響く。

「フハハハ、聞かなくてもわかることよ。いまこそダイナに積もり積もった恨みを晴らすのだ!」

「なんですって! およしなさい! 今、余計な騒ぎを起こしても何のメリットもありません。戦いを挑むタイミングは、私にまかせる約束だったではないですか!」

「ダイナのことを一番よく知っているのは我々だ。ガラオンで出ていけば、奴は必ず現れる。ほかのウルトラマンが出てきても、このパワーアップしたガラオンなら敵ではないわ」

「そのロボットを修復してあげたのは私でしょう。恩人を裏切るのですか?」

「君の修理のおかげで使いやすくしてくれてありがとう」

「使いやすくしたぁ!?」

 さすがにこの時点で宇宙人もキレた。彼は自分がミジー星人たちの性格を見誤っていたことに、いまさらながら気が付いた。頭が良くて計画を立てて動く人間は、その場の勢いで考えなしに動くアホの思考を理解できない。

 いくらなんでもここまでアホな宇宙人はいないだろうと思っていた。しかしいた、もっとも珍獣を発見して喜ぶ趣味は彼にはなかったが。

 ガラオンは土煙をあげながら、その不格好な見た目からは信じられないほどの速さで走っていく。

 まずい、このままではせっかく手間をかけて作り変えた舞台を台無しにされかねない。しかし、この宇宙人にはガラオンを力づくで止められるほどの戦闘力はなかった。

「ええい、仕方ありません! こうなったら、怪獣墓場から連れてきた星人か怪獣に止めてもらいましょう。計画が遅れてしまいますが、この際は仕方ない……ん?」

 そのとき、宇宙人のもとに、その怪獣墓場から連れてきた宇宙人のひとりからのコールが届いた。

 忙しい時に電話がかかってきたのと同じ不愉快さで、宇宙人はそのコールを無視しようかと思ったが、残っていた理性を総動員させて通話に応じることにした。

「なんですか? 今こちらは忙しいんですが……はい? なんですって」

 思念波での通信に応じて、相手の言葉を聞いたとき、宇宙人は思わず聞き返さずにはいられなかった。なぜなら、それは凶報というレベルではない問題を彼に叩きつけるものだったのだ。

「ちょっ! もう我慢できないって、怪獣墓場から連れ出してきたからまだ全然経ってないでしょう! ウルトラマンさえ倒せば文句ないだろうって、私はそういうつもりであなた方を連れ出したわけではって……切りやがりましたね!」

 一方的に通話を切られ、宇宙人は言葉遣いを荒げながら地団太を踏んだがどうしようもなかった。

 まったく、よりにもよってこんなときに。怪獣墓場で眠っていた怪獣や宇宙人の中から、ウルトラ戦士に恨みを持っていて、比較的実力のあるものを連れてきたつもりだったが、こんなに早く勝手な行動を起こすものが出るとは思わなかった。

 いや、冷静になって考えたら、アレを連れてきたのは間違いだった。宇宙ストリートファイトのチャンピオンだというから連れてきたが、あんなバカっぽい奴を信用するべきじゃなかった。

 頭のいい奴は割と簡単に従わせられる。しかし、バカを従わせることの難しさと偉大さを、彼は初めて痛感したのだった。

 後悔で思わず頭を抱えてしまった彼を、明け始めた朝の太陽が慰めるように照らし出していた。

 

 そして、新しい一日が始まる。

 

 夜のとばりが去り、トリスタニアは雲の少ない好天に恵まれて、実に爽やかな朝を迎えた。

 澄み切った空気を風が運び、家々の屋根の上では小鳥たちが歌を歌う。王宮では、バルコニーでアンリエッタ女王(仮)が、なぜか悲しそうな表情で朝焼けに涙を流していた。

 魅惑の妖精亭も、そろそろ夜なべの客に酒の代わりに水を渡して店じまいをする時間が近づいてきている。

 が、そんな平和な朝も、トリスタニア全域に伝わる馬鹿でかい足音によって中断を余儀なくされた。

「うわっはっは! 出てこいウルトラマンダイナーっ!」

 猛進するガラオンがトリスタニアの大通りを驀進する。トリスタニアの通りは、怪獣が現れたときに備えてかなり広く作り直されているのは以前に述べたとおりだが、それでもガラオンほどの巨体が走り回る轟音は、どんな寝坊助も夢の国から引きずり出して窓を開けて外を見させるパワーを秘めていた。

「なっ、なんだありゃ!」

 トリスタニアの市民たちは、貴族、平民をとらずにあっけにとられた。

 そりゃそうだ、街中を怪獣とさえ呼べないような奇妙奇天烈な物体が驀進していく。早朝なので大通りにはほとんど人通りはなく、引かれる人間はいなかったものの、ガラオンは早くもトリスタニア全体の注目を浴びていた。

 唯一、魅惑の妖精亭でだけはジェシカやスカロンがため息をついている。

「ドルちゃんたち、ほんとに困った人たちなんだから」

 しかし、呆然とする一般人とは別に、軍隊は怪獣らしきもの出現の報を受けて動き始め、そしてミジー星人たちのお目当てであるダイナことアスカも、カリーヌに借りているチクトンネ街の仮宿でベッドから叩き出されていた。

「あいつら、またあんなもん出してきやがって」

 アスカにとって、見慣れたというより見飽きた姿のガラオンは懐かしさを呼ぶものではなかった。むしろミジー星人がらみでいい思い出のないアスカは早々にリーフラッシャーを取り出した。

「朝メシもまだだってのに、ちっとは人の迷惑を考えやがれ。ようし、すぐにスクラップにしてやるぜ」

 しかし、リーフラッシャーを掲げ、ダイナーッと叫ぶことで変身しようとした、その瞬間だった。アスカの耳に、別方向から悲鳴のような叫びが響いてきたのだ。

「おい空を見ろ! なんか降ってくるぞ!」

 アスカも思わず空を見上げ、そして青い空をバックにして垂直に落下してくるトーテムポールのような巨大なそれを見て絶句した。

 別の怪獣!? それは重力に引かれて落下してくると、街中に轟音をあげて着地した。

 今度はなんだ! 驚く人々は、派手な石柱に手足がついたような変な怪獣を見て思った。踊るような姿で停止しているそいつの胴体には、怒り、笑い、無表情の順で縦に顔がついており、アスカも初めて見るそいつが何者なのかと戸惑う。

 そしてそいつは、顔の額についているランプを光らせながらしゃべり始めた。

 

「久しぶりのシャバだジャジャ! ウルトラマンメビウスにやられた恨み、今日こそ晴らしてやるでジャジャ!」

「ぼくちんたちは蘇ったでシュラ。もうこの際はメビウスでなくてもいいでシュラ。この世界のウルトラマンたちを片っ端から倒して、ぼくちんたちの名前を再び全宇宙に響かせてやるでシュラ!」

「ではまずは、このチンケな街をぶっ壊して、ウルトラマンどもを引きずり出してやるでイン! 久しぶりに思いっきり暴れるでイン!」

 

 やっぱり凶悪怪獣だったか! 人々はうろたえ、アスカはそうはさせないと今度こそ変身しようとする。

 しかし、そのときであった。ガラオンが突進の勢いのままに、そいつの真正面に飛び出してきたのである。

 

「うわわわわわ! ぶつかるぶつかる! ブレーキ、ブレーキッ!」

 

 ドルチェンコが悲鳴をあげ、ガラオンはキキーッと音を鳴らしながら急ブレーキをかけた。

 減速し、地面をひっかきながらガラオンはそいつの寸前で停止した。

 そして……

 

「……?」

「……?」

 

 突然に目の前に現れた同士、二体はお互いを見つめあった。

 固まったように動かず、見つめあう縦一列の顔と横一列の顔。

 

「怪しい奴!」

  

 かくて、トリスタニアの民に永遠に語り継がれる戦いが、ここに始まる。

 

 

 続く

 



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第63話  魅惑の妖精亭は今日も繁盛Ⅱ

 第63話

 魅惑の妖精亭は今日も繁盛Ⅱ

 

 知略宇宙人 ミジー星人

 三面ロボ頭獣 ガラオン

 宇宙三面魔像 ジャシュライン

 デハドー星人のアンドロイド 登場!

 

 

 見つめあう目と目。その視線の先には、それぞれみっつの顔が並んでいる。

 

「じー……」

 

 横に、怒り、泣き、笑いのでかい顔が並んでいる三面ロボ頭獣ガラオン。

 縦に、怒り、笑い、無表情の顔が胴体についている宇宙三面魔像ジャシュライン。

 ガラオンを見つめるジャシュライン。ジャシュラインを見つめるガラオン。

 トリスタニアの街のド真ん中で、こんな変な顔同士のにらめっこが起こるなどと誰が想像しえたであろうか? トリスタニアの市民は唖然とし、ウルトラマンダイナに変身しようとしていたアスカも、思わず変身を忘れて呆然としていた。

「なんだアイツら、親戚か……?」

 んなわけないが、初見ではそう思ってしまってもしょうがないだろう。ともかく、一体でもヘンな奴が二体も現れたのだ。

 どうなるの? これからどうなるの? 誰にもまったくわからない。

 見つめあう、見つめあう、見つめあーう。

 まるでお見合いの席で初対面した初心な男女のように、両者は熱い視線をかわしあい続ける。

 しかし、お見合いはハッとしたジャシュラインの次男が止めさせた。

「あ、兄者! いつまでボーッとしてるんでシュラ。見とれてないで、さっさとやっちまうでシュラ!」

「あ、おう、そうだったジャジャ! 俺様たちは、こんなことをしてる場合じゃなかったジャジャ」

「そうだイン! どこの誰かは知らないけど、ワシたちの邪魔をする気なら、お前から先に始末してやるイン!」

「いくぞジャジャ!」

 正気を取り戻したジャシュライン三兄弟。ジャシュラインはひとつの体に三人の兄弟の人格が同居しており、それぞれ得意技が違う。まずは長男が主導権をとって腕につけている円形の盾を外すと、それが羽をあしらったブーメランに変わり、豪快なフォームから投げつけてきた。

 だがガラオンも黙ってはいない。ミジー星人たちも遅ればせながら正気に戻り、カマチェンコとウドチェンコがコクピットの天井から垂れ下がった吊り輪を引っ張ると、ガラオンはその不格好な巨体からは想像できないほど俊敏にブーメランを避けてみせたのだ。

「なにぃジャジャ!?」

 これに驚いたのはジャシュラインだ。必中だと思ったブーメランをやすやすとかわされたことで、彼らの宇宙ストリートファイターの血が騒いでくる。

「やるなシュラ。では今度はボクちんが相手になってやるでシュラ!」

 格闘戦に優れた次男とチェンジして、ジャシュラインは直接ガラオンに襲い掛かってくる。

 むろん、ミジー星人たちも負けてはいない。

「危っぶないわねえアイツ。なによ急に凶器出してきちゃって」

「ううん、やはりあれは大悪党の顔だったな。しかも顔が三つなんて、我々のガラオンをパクりやがって。どうする? どうする?」

「決まっているわ! 真の大悪党は我々ミジー星人であることを、あのニセモノに思い知らせてやるのだ。いくぞ!」

「ラジャー!」

 こっちはこっちで目的をきれいさっぱり忘れ、組み付いてくるジャシュラインをガラオンの体当たりで押し返す。

 トリスタニアのド真ん中で早朝から起こった怪獣同士の大バトル。その衝撃に、トリスタニアの市民たちもようやく我に返って逃げまどい始めた。

「うわぁ離れろぉ! つぶされるぞぉぉーっ!」

 ガラオンとジャシュラインは当たり前のことながら、足元の民家に配慮などしない。当然人間もモタモタしていたら気づかれずにぺっしゃんこにされてしまうというわけだ。

 まずい、このまま二体が暴れ続けたらトリスタニアは瓦礫の山になってしまう。アスカは二体に向かって駆け出し、リーフラッシャーを空に掲げる。

「あいつら! これ以上好きにさせられっかよ!」

 平和を自分たちの都合で乱す奴らを許してはおけない。ウルトラマンダイナの出番が来たようだ。

 だが、アスカがリーフラッシャーのスイッチをポチッとしようとした、まさにその瞬間だった。アスカの鼓膜はおろか、町全体に響き渡る音量で魅惑の妖精亭から声が轟いたのだ。

「コラーッ! ドルちゃんウドちゃんカマちゃん! 何よそ様に迷惑かけてるの! 暴れるなら広いとこでやりなさい!」

「はいぃぃぃ!」

 突然の怒声に、ガラオンは反射的に「気を付け」の姿勢をとり、アスカは変身を忘れて固まってしまった。

 そのままガラオンは、またも唖然としているトリスタニアの人々と「??」というジャシュラインの見ている前で、そそくさと民家を避けながら、前にアボラスとバニラが暴れた「怪獣を暴れさせるため用の広場」へと駆け足で走っていった。

「お、おーいでシュラ?」

 さっぱり訳のわからないまま、ジャシュラインも広場で手招きしてくるガラオンのところに駆けていく。

 そして、はっとしたミジー星人たちは、なぜこんなことをしてしまったのかと冷や汗をかいていた。

「ま、まさか……我々は毎日の雑用の日々の末に……潜在意識レベルでジェシカちゃんに服従するようになってしまったのでは!」

 ウドチェンコのつぶやいた言葉に、ドルチェンコとカマチェンコも「ま、まさか……」と青ざめるが、体が勝手に動いてしまったものはしょうがなかった。

 そのガラオンを、またも唖然と見守るトリスタニアの人々やアスカ。とはいえジャシュラインはバカにされたみたいで腹を立てている。

「なにをボーッとしてるんでシュラか!」

 棒立ちのガラオンにジャシュラインの蹴りが炸裂した。

 たまらずにミジー星人たちの悲鳴ごと、泣き顔を上にしてすっころぷガラオン。ガラオンのコックピットは座席もなくて立ちっぱなしで操縦するので、ミジー星人たちも洗濯機の中のシャツみたいにくしゃくしゃだ。

 だが、そのショックでガラオンの中に残っていた”もうひとつのコクピット”の中で、再起動した者がいた。

「ワタシは……消去サレタはずでは?」

 ミジー星人たちは何も気づいてはいない。いや、それよりも目の前の敵を相手にするだけで手いっぱいなのだ。

「畜生、反撃だぁ!」

 ドルチェンコの叫びで、起き上がったガラオンは目から破壊光線を放ってジャシュラインを狙い撃った。

 けっこう威力のある光線を浴びて、ジャシュラインの体がぐらりと揺れる。

「なかなかやるでシュラ!」

「では今度はワシの出番だイン!」

 ジャシュラインの縦に三つついている顔の一番下、無表情の顔の三男のランプが点灯して体の主導権が移ったようだ。

 もちろん、得意技もこれまでとは違う。ジャシュラインはガラオンが再度光線で攻撃を仕掛けてくると、手のひらを向けて気合を入れた。

「ハアッ!」

 するとなんと、ガラオンの光線が空中でピタッと止まってしまったではないか。

「そら、お返しするでイン!」

 さらに三男が気合を入れると、光線はUターンしてガラオンへと直撃してしまった。

 ジャシュラインの三男は、強力な念動力の使い手だったのだ。ガラオンは怒りの顔から火花をあげてよろめく。

 だが、そのときなぜか悲鳴をあげたのはミジー星人たちのほうではなかった。

「ああっジャジャ!」

「ん! ちょっと兄者、急にどうしたんでシュラ?」

「い、いや、なんでもないジャジャ」

 突然叫び声をあげた長男に次男が驚くが、長男はごまかした。

 気を取り直して、隙だらけになったガラオンに対して、また次男が主導権をとって殴りかかっていく。

「さっきのお返しをしてやるでシュラ!」

 痛い目にあわされた恨みで、怒り顔のガラオンに突撃していく次男のジャシュライン。

 しかし、それはガラオンにとって思うつぼだった。コクピットのウドチェンコがレバーを引くと、ガラオンはくるりと笑い顔のほうを向けて、口からガスを噴射して浴びせかけたのだ。

「なんだこれは! 毒ガスか! いや、あひゃひゃ! どうたんでシュラ、あひゃひゃひゃ!」

「どうだ、ガラオンの笑気ガスは。強烈だろう」

 腹をかかえて笑い転げるジャシュラインを見て、ミジー星人たちも高笑いした。

 実際このガスの威力は強烈で、かつてはウルトラマンダイナも笑い転げて戦闘不能にされている。もっとも、このときミジー星人たちは気づいていないが副次的な効果を生んでいた。ガスが風で流れて、今度こそ変身しようとしていたアスカが笑い転げて変身不能になっていたのだ。

 笑い転げているジャシュラインの姿に、攻撃態勢に入ろうかとしていたトリステイン軍の竜騎士たちもあっけにとられてしまった。あいつらは戦っているのかふざけているのか。

 逃げようとしていたトリスタニアの市民たちも、ジャシュラインの笑い声に足を止めて振り返ってくる。そして、笑い声を聞いてにわかに騒ぎだした者たちがいた。

「いいぞーっ! 景気がいいじゃねえか、もっとやれーっ!」

 それは、魅惑の妖精亭の前から大勢の声となって響き渡っていた。

 見ると、顔を酒精で赤く染めた大勢の男たちが歓声をあげている。彼らは、魅惑の妖精亭の店じまいギリギリまで飲んでいた筋金入りのうわばみどもだ。閉店時間で追い出されかけていたところで、外で思いもよらない騒ぎが起きたので、喜び勇んで自分たちも騒ぎ出したというわけだ。

 もちろん、正気の者たちは、あいつらは一体なにをやってるんだ! と、怒りと困惑を抱く。しかし、この光景を見てミジー星人たちは大いに勘違いした。

「おお! 我々に向かって手を振っているぞ。あれは我々を応援してるのに違いない」

「きっと我々の恐ろしさを見て、無条件降伏しようとしているんですよ。やりましたねとうとう、感動だなあ」

「そうかしら? なーんか違う感じがするんだけど」

 カマチェンコがこう言ったものの、サービス精神旺盛に手を振って返すガラオンの姿に、関係ない人々も唖然としてしまう。

 だが、その間にジャシュラインは笑気ガスを浴びた次男から三男へとパトンチェンジして反撃を仕掛けてきた。

「いつまで調子に乗っているでイン!」

 念動力で動きを封じられ、手を振っていたガラオンがぴたりと止まる。

「どうだ、動けまいでイン。このままじわじわと痛めつけてやるでイン」

 ジャシュラインの念動力は強烈で、ガラオンの巨体が静止映像のように止められてしまっている。

 しかし、ミジー星人たちはやる気十倍で叫んだ。

「んんんんん! ファンが応援してくれているのに負けられるか。パワー全開ぃぃぃ!」

「ラジャー! エンジンフルパワー」

 なぜかガソリン車みたいな排気音を響かせ、ガラオンがじわじわと動き出す。これにはジャシュラインの三男も驚いたが、彼も自分の力に自信を持っていた。

「おのれ、可憐な見た目に反して力持ちでインね。でも、その場で足踏みするくらいで精一杯だろイン!」

「なんの、我々ミジー星人の威力を見せてやる。作戦Aだ!」

 すると、その場で足踏みするくらいしかできないガラオンが、足踏みしながらグルグルと回転しだしたではないか。これには三男もあっけにとられて、さらにガラオンは三つの顔が見えなくなるほど回転を速めると、回転しながら光線を撃ってきた。

「わあーっ!?」

 回転しながら前触れなく撃たれたので、ジャシュラインは対応しきれずにもろに食らってしまった。

「見たか! これぞ必殺、回ればなんとかなる、だ! わはははは」

 そして拘束から解放されたガラオンは、ジャシュラインに突進していく。

 迎え撃つジャシュライン。奇想天外な能力を持つ二体の怪獣の戦いは、どうなるか先の読めない大スペクタクルともなってきた。

 と、なると。これを利用しようと考えるのが人の常だ。これを肴にすればめっちゃ酒が進むだろうと、スカロンとジェシカは外にテーブルを運び出して宣言した。

「さあさあ皆さん! 世にも珍しい三面vs三面の、合わせて六面の大決闘! これを見逃せばタニアっ子の名折れ! さあさあさあ、ご見物はこちらから。特別営業開放セールで、お飲み物をお安くしておきますよーっ!」

「おお、わかってるじゃねえか! じゃんじゃん持ってこーい!」

 たちまち酒盛りが始まった。これを見ていた人たちは「なにやってんだこいつら!」と再び思うが、そこはスカロン抜け目はない。

 ジェシカが店内に戻っていったかと思うと、再び戻ってきたときには、体のラインをはっきりと浮き上がらせる黒いビスチェを身に着けていた。そしてジェシカは用意されたお立ち台に上がると、よく通る声で話し出したのだ。

「さあ、そこ行くあなた、ちょっとこっちを見てください。難攻不落のトリスタニア、そんなに慌ててどこへ行く? ちょっとその前、一息ついて、喉をうるおしていってください。お酒以外も取りそろえ、あなたの街の魅惑の妖精亭です!」

 ジェシカの呼びかけに、道行く人々が足を止めて振り返り始めた。そして、ジェシカの情熱的なプロポーションを見て、フラフラと店に寄って行ってしまう。

 もちろんこれにはタネがある。ジェシカの身に着けているのは魅惑の妖精のビスチェといい、その名の通り『魅惑』の魔法がかかっている。要するに見た人間をアレにしてしまう効果があるのだが、それを店で一番の美少女であるジェシカが着ているのだから効果は倍増となる。

 もちろん魔法といえども完璧ではなく、見た人間にそれなりの心構えがあれば振り切られる。しかし、ジェシカは父譲りで巧妙だった。酒以外にもソフトドリンクの提供もするよと付け足したおかげで、通行人も「酒じゃないならいいか」と、気を緩めてくれたのだ。

 通行人たちが魅惑の妖精亭に集まっていく。さて、こうなると避難しようとしていた同業者も黙ってはいなくなる。たちまちトリスタニアのあちこちで大怪獣バトル見物の飲み会が始まった。

「さっすがトリスタニアの人たちは肝が据わってるわねえ。うんうん、これで店の立て直しの赤字も消し飛ぶわ」

「でもミ・マドモアゼル、怪獣が暴れてるのに街の人を引き留めるなんてマネして本当によかったんですか?」

「いいのよ、どうせドルちゃんたちがそんな大事をできるわけないし、ほんとに暴れだしたらミ・マドモアゼルとジェシカちゃんが止めるから、あなたたちは安心してお客さんからチップをいただいてきなさい」

 三人組のことを知り尽くしているスカロンは余裕しゃくしゃくであった。なおトリステイン軍は攻撃を仕掛けようとしたときに「邪魔だ」とばかりに、こんなときだけ仲良く放たれた念動力と笑気ガスで追い払われてしまった。

 そして、スカロンのこの予言は、この後すぐに現実のものになるのである。

 

 さて、自分たちが見世物にされているとは気づかずに、ガラオンとジャシュラインの戦いはなおもヒートアップしていた。

 それぞれが顔の使い分けによって多彩な能力を使用可能なガラオンとジャシュラインの戦いは、空を飛びかうブーメランや、色とりどりのビームは見る目にも楽しく、それでいてどちらも短気でコミカルな動きをするので見物人は飽きなかった。

 しかし、戦いが続くと人々は妙な違和感に気づいた。ジャシュラインが長男に代わったときに投げるブーメランがまったく命中しないのだ。

 もちろん、それには次男と三男も気が付く。一回や二回なら避けられたとかもわかるが、何度投げても当たらないのはわざと外してるとしか思えない。次男と三男はついに堪忍袋の緒を切らして長男に詰め寄った。

「兄者、さっきからいったいどうしたんでシュラ? ブーメランの名手の兄者らしくない、もっと真剣にやってくれシュラ!」

「あ、いやそのジャジャ」

「さっきから思ってたけど、おかしいでイン。わざと手を抜いてるんでイン? そうでないなら、アレができるはずでイン?」

 腹を立てた次男と三男は、まだ早いと思いつつも切り札の使用を強要した。

 ジャシュラインの三つの顔のランプが一気に点灯し、頭についているトーテムポールの大きな羽飾りが金色に輝く。

 これはジャシュラインの切り札、必殺光線ゴールジャシュラーだ。金色の粒子を敵に浴びせ、ヒッポリト星人のヒッポリトタールと同様に敵を黄金像に変えてしまう。ジャシュラインはこれで黄金像に変えた敵をコレクションして宇宙に悪名をとどろかせていたのだ。

 しかし、ゴールジャシュラーは発動したものの、ピカッと光っただけで光線が発射されることはなかった。当然ガラオンはなんともなく、腹の立つ顔を見せ続けている。

 不発。なぜならゴールジャシュラーは三兄弟が力を合わせなければ撃てないからだ。次男と三男はそのつもりだったから、当然やる気がなかったのは長男ということになる。

 もう疑いない。次男と三男は声を荒げて長男に詰め寄る。すると、長男は頭を抱えて叫びながらうずくまってしまった。

「う、うおぉぉぉぉ! だってしょうがないだろジャジャ! あんな可憐な美女を傷つけるなんて、俺様にはできないジャジャーッ!」

 

 

 なんと、ジャシュラインの美的感覚では、ガラオンが絶世の美女に見えていたのだ!

 

 

「えええええええぇぇぇぇぇぇーーーっ!?」

 度肝を抜かれて開いた口がふさがらなくなるトリスタニアの市民たち。世間にはいろんな好みの人がいる、だがまさかこんな好みがあったとは……いや、才人やギーシュに惚れる女がいるくらいなのだからこれも正常なのかもしれない。

 怒り顔をしているジャシュラインの長男は、ガラオンの怒り顔にすっかり一目惚れしてしまって攻撃することができなくなっていた。

「うおおお、あの情熱的な瞳に見つめられると、俺様の胸は張り裂けそうジャジャ。あんな美しい人には出会ったことがないジャジャーッ!」

「落ち着くでシュラ。あれは敵でシュラ、ぼくちんたちには大事な目的があるのを忘れたでシュラか!」

「そうでイン。ワシたちは、ウルトラマンを倒して、かつての雪辱を晴らさなきゃいけないんだイン! あんなヤツに手こずってる場合じゃないでイン」

 次男と三男が説得しようとしている。しかし長男は熱く叫んだ。

「うるさいジャジャ! お前たちこそ、あんな美しい人に二度と出会うことができると思ってるんジャジャか!」

「うっ、確かにそれはでシュラ。ああ、ダメでシュラ! そんな優しい笑みでぼくちんを見ないでくれでシュラ!」

「お前までどうしたんでイン! でもワシも、その憂え気な横顔を見ると胸が熱くなってくるでイン。こんなの初めてなんだイン!」

 次男と三男も実はまんざらではなかった。まさかの恋煩いによる戦意喪失、何度も怪獣との戦いや戦争を乗り越えて、神経の太さを鍛えてきたトリスタニアの民たちも、これはさすがに意外すぎたようであっけにとられている。

 しかし、ここで空気を読まないのがミジー星人だ。ドルチェンコが、顔をそむけてうずくまってしまっているジャシュラインを指さして叫んだ。

「わははは、なんだか知らんが今がチャンスだぞ。それ、必殺光線だぁーっ!」

 だが、うんともすんとも言わず、ガラオンから光線が放たれることはなかった。

「どうした? それ、必殺光線だぁーっ!」

 繰り返すドルチェンコ。しかしやっぱり光線は発射されない。

 そのとき、モニターを凝視するドルチェンコの肩がチョンチョンと叩かれた。

「なんだ? 今忙しいんだ。必殺光線だぁーっ!」

 しかしやっぱり光線は放たれず、代わりにドルチェンコの肩が叩かれる。

 いったいどうしたというんだ? ドルチェンコが怒ってウドとカマを怒鳴りつけようと振り返ると、そこにはいつの間にかボッコボコにされて伸びている二人と、サングラスをかけた冷たい雰囲気の美女が立っていた。

「えーっと……ど、どちら様でしょうか?」

「……よくも私のワンゼットをこんな姿にしてくれたな。下等生物め、報いを受けさせてやろう!」

「ぎゃーっ!」

 こうしてドルチェンコもボコボコにされてしまった。しかし、いくらミジー星人たちが弱いとはいっても人間ばなれした強さだ。

 それもそのはず、この女は人間ではない。ワンゼットを作ったデハドー星人が、自身に代わって地球侵略を遂行するために作ったアンドロイドなのだ。かつて、ワンゼットを指揮するために内部に乗り込んで操縦していたが、ミジー星人がワンゼットの内部にぽちガラオンを潜り込ませて暴れさせたため、コントロールがめちゃくちゃになって消滅してしまっていた。しかし、ワンゼットがガラオンに再構成されたついでに復活したのだった。

 ミジー星人の三人をギッタギタにしたアンドロイドはガラオンのコントロール権を取り戻した。ずいぶん原始的な操縦方法だが特に問題はない。

 アンドロイドは、内蔵レーダーによって付近にウルトラマンダイナの反応があることを察知した。自分の任務は失敗だが、ウルトラマンダイナの打倒はデハドー星のためになるだろう。アンドロイドは、自分の最後の存在意義を果たすために動き出した。

 操縦装置を握り、攻撃対象を地上にいるアスカに向けようとするアンドロイド。しかしそのとき、モニターにこちらを向いてきたジャシュラインの姿が映った。

「はっ……!」

 その瞬間、アンドロイドの電子頭脳にスパークが走った。

「な、なに、あのお方は……ああっ、メイン動力炉が異常発熱している。なんだ! 私に原因不明の異常をもたらす、あの美しい男性は!」

 

 胸を押さえてもだえるアンドロイド。

 なんと、デハドー星人の美的感覚ではジャシュラインが最高のイケメン男子に見えたのだ!

 

「えええええええええぇぇぇぇぇーっ!?」

 今度はミジー星人たちがおったまげる番だった。

 まさか、こんなことが。どうやら高度にプログラミングされたアンドロイドの頭脳が、作ったデハドー星人の嗜好をも再現してしまったようだ。なんという奇跡か。

 アンドロイドは身もだえし、ガラオンの操縦どころではない。ドルチェンコは、この隙にガラオンを取り戻そうとしたが、そこへカマチェンコが割り込んで押しのけて、アンドロイドに熱く語りかけた。

「あなた、それは恋よ」

「コイ? 恋とはなんだ?」

「宇宙のあらゆる生命が繁栄するために、一番必要な尊いものなのよ。すごいわあなた、こんなところで新しい恋の誕生に出会えるなんて、私感動しちゃったわ」

 カマチェンコの熱い呼びかけに、アンドロイドもうなづいた。

「恋? アンドロイドの私が、恋だと」

「関係ないわ。恋は宇宙のあらゆる法則を超える最強の原理なのよ。あなたは今、アンドロイドを超えた存在になったのよ!」

「なんと、オオ……同志よ!」

 感動の涙を流しあうふたり。人は、男か女かのどちらかの心を持って生まれる。しかし、オカマは男と女の心を併せ持つことにより、通常の二倍、さらに魅惑の妖精亭での経験がさらにプラスされたことにより、さらに倍の四倍の説得力となった魂のパワーはアンドロイドの心をも溶かしたのだ。

 

 そして、愛の伝道師はひとりだけではなかった。

 初恋の衝撃を受け止めきれず、動揺し続けるジャシュライン。宇宙ストリートファイトで連勝街道を突き進んできた彼らも、恋という内なる敵を相手にはなすすべがなかった。

「俺様たちはいったいどうすればいいんジャジャ」

「もうぼくちんは戦えないでシュラ。あの子の笑顔を見ると、体から力が抜けるでシュラ」

「ワシたちはもうダメかもしれないでイン。忘れようと思っても忘れられないでイン! こんなのなら、死んだままでいたほうがよかったでイン!」

 街中に響くほどの声で弱音を叫ぶジャシュラインの姿は、けっこう滑稽なものであった。トリステイン軍は、さすがにこれに攻撃するのはどうかとためらっているし、アスカもここで変身したら自分のほうが悪者なんじゃないかと思ってためらっていた。

 しかし、恋煩いほどこじらせたらヤバいものはない。

「うぉぉぉ! こんなに苦しいなら、もう生きてたくなんてないでシュラ!」

「こうなったら、この星の地殻を刺激して、なにもかもまとめて消し飛ばしてやるでイン!」

 そう叫ぶと、ジャシュラインは柱のように直立して高速回転をはじめた。そのまま土煙をあげながら地中に潜り始める。

 まずい、あいつパニック起こしてこの星ごと無理心中をはかる気だ。アスカはそれを止めるべく、ウルトラマンダイナへ変身しようとリーフラッシャーを掲げた。

 だがその瞬間、鋭く厳しい声がジャシュラインを叩いた。

「待ちなさい! 逃げようとしてるんじゃないわよ、この臆病者!」

 その針のように鋭く響く声に、ジャシュラインの動きがぴたりと止まった。

 誰だ? 相手を探すジャシュラインの目に、家の屋根の上に立ってきっと自分を見据えてくるジェシカの小さな姿が映った。

「お前かジャジャ? この俺様に向かって臆病者とはどういう意味だジャジャ!」

 いつの間にかジャシュラインのすぐ前にまでやってきていたジェシカを、ジャシュラインの巨体が見下ろしながら指さしている。

 なにをしているんだ! 危ない! アスカや街の人々は口々に叫ぶが、ジェシカは毅然として叫び返した。

「ええ臆病者よ。自分の気持ちが整理できずに逃げ出そうとしている奴を臆病者と呼んでなにが悪いの? そんなのじゃ、女房の愚痴をきくだけの酔っ払いのほうがマシよ。それでも男なの!」

 うぐっ! と、ジャシュラインが気圧されるほどジェシカの指摘は鋭かった。

 さすがは魅惑の妖精亭の看板娘。肝の太さが並ではない。人々が息をのんで見守る中で、ジェシカはジャシュラインを指さして言った。

「あなたみたいに、ケンカは強いけど肝心なときに勇気の出せない男っているものよ。あなた、これまで女の子とまともに話したこともないんでしょ。違う?」

「うっ、確かにぼくちんたちは宇宙ストリートファイトに明け暮れる毎日で、女の子と会う機会なんかなかったでシュラ」

「でしょうね。だから、いざ理想のタイプに巡り合えたらどうしていいかわからなくなったのね。けど、それは恥じることじゃないわ。男も女もね、それは誰でも一生に一度は勝負に出なくちゃいけない場所なのよ。それがどんな戦場より勇気が必要な瞬間だったって言う人を、私は何人も見てきたわ。あなたは今、人生で最大の戦場に立っているのよ、それはむしろ光栄に思うことなんだわ」

「これが、人生で最大の戦いだっていうんでイン? ワシにはわからんでイン。こんな戦い、想像したこともなかったでイン」

「大丈夫、恋の戦いは誰にでもできるわ。その戦い方を、私が教えてあげる。それはとても、楽しいことでもあるんだかね」

 しだいに声色を優しく変えながら諭すジェシカの話に、ジャシュラインは自然に聞き入っていっていた。

 ただの少女が、見上げるばかりの巨大怪獣を諭している。魅惑の妖精亭のほかの少女たちは、どうしてジェシカが店の不動のナンバーワンなのかを改めて理解し、街の人々も。

「女神だ、女神様がいる……」

 と、あがめるようにジェシカを見つめ、そのうちの幾割かは近いうちに魅惑の妖精亭に行こうと決意していた。なお、ここまでジェシカが計算していたかはさだかではない。

 ジェシカの教えで、ジャシュラインはこれまで知らなかった未知の世界への扉を開いていった。

「俺様はこれまで生きてきて、こんな気持ちがあるなんて知らなかったジャジャ」

「宇宙ストリートファイトで名を売ることだけを喜んできたでシュラが、世の中は広いものでシュラ。なんかもう、メビウスへの復讐とかどうでもよくなってきたシュラ」

「それで、ワシらはどうすればこのくるおしい気分から逃れることができるんでイン?」

「そんなの決まってるわ、告白するのよ」

「こっ」

 

「告白ジャジャ!?」

「告白でシュラか!?」

「告白だとイン!?」

 

 三兄弟が同時にうろたえた声をあげた。しかし、ジェシカは畳みかけるように告げる。

「告白よ! あなたの思いをまっすぐに相手に伝えるの。そうしないと、あなたたちは永遠に後悔したまま生きることになるわ。そしてそれは、あなたたちに本当の勇気があれば必ずできるのよ」

 ジェシカは魅惑の妖精亭で、何人ものさえない男が未来の女房を捕まえるために背を押したように、力強く、太陽のような笑みで告げたのだった。

「で、でもワシらみたいなのが、あんな美人に気に入ってもらえるなんて思えないんでイン」

 ちらりとガラオンのほうを振り向いて三男が弱音を吐いた。しかしジェシカは自信たっぷりに言う。

「大丈夫よ、あなたたちだっていい男なんだから、きっとうまくいくわ。この私が保証してあげる。さあ、男になるのは今よ!」

 ジェシカの励ましに、ジャシュラインは勇気を奮い立たせた。

 何者からも逃げない宇宙ストリートファイターのプライド。いや、男だろと言われて、ここで引き下がったらもう二度と自分は誇りを持てなくなってしまうに違いない。

 恐る恐る立ち上がろうとするジャシュライン。だがその前に、スカロンがやってきてジャシュラインに花束を差し出した。

「これを持っていきなさい。女の子のハートを射止めるのに、花は無敵のアイテムなのよ。このミ・マドモアゼルもそうしてお嫁さんをゲットしたの。頑張ってね、チュッ」

「かたじけないでシュラ。お前みたいなハンサムに言われると、少し勇気が出てくるでシュラ」

 あのミ・マドモアゼルがハンサム? やはり宇宙人の美的感覚は人間には理解しづらそうだ。

 人間の標準では大きな花束もジャシュラインのサイズでは指先で摘まめる程度しかない。しかし、それでもジャシュラインは勇気を振り絞ってガラオンへと一歩一歩歩いていった。

 

 そしてガラオンのほうでも、アンドロイドが近づいてくるジャシュラインを見て困惑していた。

「あ、あわわわ、あのお方がやってくる。わ、私はどうすれば」

「落ち着いて、逃げちゃダメ。こういうとき、女は落ち着いてどっしりと待っていなくちゃいけないの」

 カマチェンコがアンドロイドをはげまし、後ずさりしかけたガラオンは止まった。

 ドルチェンコとウドチェンコは完全に蚊帳の外で、事の成り行きを見守るしかできないでいる。

 

 全トリスタニアの人々が見守る中で、ジャシュラインとガラオンの距離が一歩ずつ近づいていく。

 しかし、もう少しというところでジャシュラインの足が鈍った。やはり、最後の最後でためらってしまったようだ。体の主導権を示すランプが点いたり消えたりを繰り返しているところを見ると「お前行けジャジャ」「お前行けシュラ」「いやいやお前がいけでイン」と、体の押し付け合いをしているのかもしれない。

 だがそこで、スカロンを先頭に街中から声があがりはじめた。

「がんばれーっ」

「がんばれーっ!」

 応援する声はどんどんトリスタニアの全体へと拡散していき、ついには王宮を含めたトリスタニア全体から響き渡っていた。

「がんばれーっ、がんばれーっ!」

 いまや声の主は数万にもなるだろう。ノリのいい市民たちであった。

 数えきれないほどの声に応援されて、ジャシュラインはついに決意した。ここで逃げたらもう二度と自分は男を名乗れない。兄弟三人で三つのランプを点灯させ、ガラオンの前に立ったジャシュラインは花束を差し出して深々と頭を下げた。

 

「お願いだ!」

「俺様と」

「ぼくちんと」

「ワシと」

 

「付き合ってくれジャジャ・シュラ・イン!」

 

 一瞬の静寂。そしてガラオンから、アンドロイドの声で感極まったような返事が響いた。

 

「喜んで。私なんかでよろしければ」

 

 そして、声にならない歓喜の叫びがジャシュラインから放たれ、トリスタニア中に響き渡った。

 次いで贈られる、街中からの祝福の声。始祖ブリミルよ、見ていてくださいますか、今ここに新しいカップルが誕生いたしました。

 愛を確かめ合い、抱きしめあうジャシュラインとガラオン。

「こんな嬉しい日は初めてジャジャ。絶対にお前を離さないジャジャ」

「なんて幸せ。私が、こんな感情を持つときが来るなんて。これもあなたのおかげです」

 アンドロイドは、かつてのワンゼットのときと同じように機体と同化を始めていた。もうすぐ彼女はガラオンと一体となることだろう。

 カマチェンコは、もう私たちは邪魔ものね。と、ウドチェンコと、未練がましいドルチェンコを連れてガラオンを降りていった。

 もはやジャシュラインには悪意はない。守るべきものを手に入れた彼らは、温かく祝福する人々に見送られてガラオンとともに宇宙へと去っていった。

 

「この星のみんなーっ、ありがとうでシュラ。この恩は一生忘れないでシュラ」

「ワシたちはこれからは愛に生きるでイン! さらばでイーン!」

 

 青い空に消えていくふたつの影。「ジャジャ」「シュラ」「イン」という幸せそうな声が、最後に人々の耳を通り過ぎていった。

 アスカの手元には、結局最後まで使えなかったリーフラッシャーが寂しく残っている。けれど、これでよかったのかもしれない。「まっ、いいか」と気持ちを切り替えたアスカは、朝飯を食いに踵を返すのだった。

 

 一方、ミジー星人たちはどうしたのだろう?

 ガラオンを失い、お尋ね者の彼らが街中に現れたとき、彼らは当然とっ捕まった。

「ああああ、もうダメだ、お終いだ。このまま死刑になってしまうんだ」

「儚い人生だったなあ……」

「しかたないわね、もうこうなったら覚悟決めましょ」

 それぞれ縄でグルグル巻きにされる中で連行されていくが、それを救ったのはまたしてもジェシカだった。

「やあ、ドルちゃん、ウドちゃん、カマちゃん、ご苦労様。いい仕事だったわよ」

「へ? なにが」

「そりゃ、作戦成功ってね。ジャシュラインちゃんが現れるのを予感して、あの秘密兵器を取りに行ってたんでしょ。敵をあざむくにはまず味方からってね。そういうことだから衛士さん、こいつらを離してあげてもらえるかしら」

 と、いうふうに片づけてしまったのだ。

 少し考えれば、すぐ何か変だなということには気づくだろうが、このときはまだ衛士も興奮が残っていて判断力が鈍く、ジェシカはそこを勢いで切り抜けてしまった。それに、仮に多少は疑問を抱いたとしても、今や街中から女神のようにあがめられているジェシカの言葉にやすやすと逆らえるわけもない。

 こうして三人組は簡単に無罪放免ということになり、むしろなかば英雄扱いにさえなってしまった。

「俺、ウルトラマンよりジェシカちゃんのほうが怖く思えてきた」

「そうよねえ。あの子だけは敵に回しちゃいけない気がするわ」

 ウドとカマは、底知れない恐ろしさをジェシカに感じて体を震わせるのだった。

 もっとも、ジェシカは過ぎたことは気にも止めてはいない。いつもどおりの陽気さで、三人組に向けて言い放った。

「さあ、今日はとんでもなく忙しくなるわよ。三人とも、お客さんは待ってくれないんだからね!」

「ラジャー!」

 雇い主と従業員に分かれ、こうして彼らは元の生活へと戻っていった。

 その日、魅惑の妖精亭がかつてない繁盛を見せたのは言うまでもない。

 ついでに、三人組の処遇についてアスカはその後、なんやかんやで「しょうがねえな」と、あきらめたらしい。

 

 

 こうして、騒動は終わった。平和は戻り、事件は人々の記憶の中に刻み込まれて過去に去っていく。

 そして、あの黒幕の宇宙人もまた、やれやれと息をついていた。

 

 

「さて、いかがでしたか皆さん。お楽しみいただけましたか? 私はどっと疲れましたよ」

 

「いやはや、私もそれなりに生きてきたつもりですが、宇宙は広いですねえ……そして愛。私には理解しがたいものですが、生物の感情が生み出す力、なんとすさまじいものでしょうか」

 

「ウフフ、俄然やる気が湧いてきましたよ。今回は失敗でしたが、次は本当の意味でのスペクタクルをお送りすることをお約束しましょう。おや? また失敗しろですって? いやいや、それはないですよ」

 

「では、ごきげんよう。次のパーティーの上映にも必ずお招きしますのでお楽しみに。フフ、ご心配なく。私はこれでも約束はちゃーんと守るタイプですから」

 

 こうして宇宙人は、新たな企みを進めるために去っていった。

 ただし忘れてはいけない。愉快な姿を見せることがあっても、この宇宙人の本質は悪辣で卑劣であることを。

 また遠からず、奴はなにかの悪だくみを抱えて現れるだろう。

 しかし、平和で満ち足りた時間。それは、確かに今ここにあった。

  

 

 続く



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第64話  湖の舞姫

 第64話

 湖の舞姫

 

 用心棒怪獣 ブラックキング 登場!

 

 

 ハルケギニアに平穏な時が流れるようになってから、しばらくの時が過ぎた。

 その間、魔法学院やトリスタニアで少々の事件はあったが、世間はおおむね安定を保っていた。

 しかし、平穏とはなにもないことを意味するわけではない。平和な中でこそ行われる熾烈な戦いはいくらでもある。

 地球で例えるなら、受験戦争、会社内での成績争い。いずれも、他者を押しのけて自己の利益をはかる生々しい争いだ。

 だからどうした? そう思われるかもしれない。しかし過去のウルトラの歴史において、たったひとりの負の情念から凶悪な怪獣が出現した例は数知れないのだ。

『ほかの知的生命体では、なかなかこうはいきません。人間という生き物は、ある意味宇宙でもっとも有用な資源ですね』

 この世界のどこかで、ある宇宙人がこう言った。

 そして、ハルケギニアは貴族社会。当然、それにはそれにふさわしい戦いの場が存在する。

 

 

 ある夜、場所はトリステインの名所であるラグドリアン湖の湖畔。

 広大な湖畔の一角には貴族の別荘地が並び、そこではある貴族の別荘の広大な庭園を会場にして、トリステインが主催の園遊会が開かれていた。

「諸国の皆さん、本日は我が国の園遊会にお越しいただきありがとうございます。ささやかですが宴の席を用意しました。今宵は堅苦しいしがらみを抜きにして、隣の国に住む友人として語り合いましょう」

 トリステインを代表して、アンリエッタ女王(本物)が貴賓にあいさつをした。それに応えて、集まった数百の貴族たちからいっせいに乾杯の声が流れる。そして彼らは、解散を伝えられると会場のあちこちに散って、思い思いに食事や談笑を楽しみ始めた。

 もちろん、これはただのパーティなどではない。トリステイン貴族の他にも、ここにはゲルマニアやアルビオンの貴族が何十人も招待され、彼らは楽しげな会話の中で、様々な取引や情報交換、場合によっては縁談の相談などを行っている。

 貴族とは権力で成り立っている存在ゆえに、その勢力の維持には他の勢力の取り込みや連帯は欠かせず、特に外国の貴族とのつながりは大きな力となる。逆に言えば、貴族の世界で孤立することは身の破滅を意味することに直結するため、園遊会は貴族たちにとって、自らの繁栄や安全を支えるための重要な行事なのである。

「園遊会の一席で、戦争が起きもすれば止まりもいたします」

 マザリーニ枢機卿は、アンリエッタへの教育の一環としてこう語った。

 さらに貴族の繁栄は、その貴族の国の繁栄にもつながる。アンリエッタもそのために、数々の貴族とのあいだを行き来して話を続けている。アンリエッタは幼いころに参加させられた園遊会で、子供心には退屈のあまりに抜け出して、少年時代のウェールズと出会って恋に落ちた。今回、この場にウェールズの姿はないが、アンリエッタも今では自分の立場の義務と責任を理解できない子供ではない。

 様々な政治的思惑が交差し、場合によっては歴史を動かしかねない交渉がなされていく。平民には想像もできない高度で深淵な駆け引きの場がここにあり、よくも悪くもハルケギニアの社会には欠かせない存在としてあり続けてきた。

 

 そして、そんな賑やかなパーティ会場の一角に、ギーシュとモンモランシーが席を並べていた。

「ああ、我らの女王陛下。今日もなんて美しいんだ! まるで夜空に咲いた一輪の百合。この大空に輝く二つの月さえも、陛下の前ではかすんで見えるでしょう」

「ふーん、つまりわたしより女王陛下のほうがいいって言うのね? わたしが一番だって言ってくれた、あの日の言葉は嘘だったのねえギーシュ?」

「あ、いやそんなことはないよモンモランシー! これは、トリステイン貴族としてのぼくの忠誠心から来てるものであって」

「嘘おっしゃい! あんたの視線、陛下のどこを見てたかわたしが気づいてないとでも思うの? ほんとに、ギーシュの言葉はアルビオンの風石より軽いんだから」

 高貴な園遊会にふさわしくない低レベルな喧嘩をしている、きざったらしい一応二枚目と、金髪ツインテールドリルの少女。その場違いな様に、近くを通りかかった貴族の何人かは首をかしげて通り過ぎていった。

 しかし、なぜこの場にまだ学生である二人がいるのだろうか? もちろん二人とも遊びで参加しているわけではない。まだ学生の身とはいえ、二人とも名のある貴族の一員である。この場にいるという意味はじゅうぶんに理解していた。

 もっとも、まだこういう場での立ち振る舞いがわかってないあたり、二人が無理に参加させられているのは周りから見れば容易に察せられた。

「機嫌を直しておくれよモンモランシー。女王陛下は例外さ、むしろ女王陛下と比べることのできるモンモランシーこそすばらしいんじゃないか。ごらんよ、女王陛下の威光はいまやハルケギニア中に知れ渡り、なんとも壮観な眺めだと思わないかい? アルビオンをはじめとする世界中の名士が幾十人も顔を揃えているよ。これに参加できるなんて、ぼくらはなんて幸せなんだ。そう思わないかい?」

「はいはい、はしゃぎすぎてトリステインの田舎者だって思われないようにしてよね。うちの父上は、この園遊会でモンモランシ家の名誉回復しなきゃいけないって張り切ってるんだから、あんたのせいで失敗したなんてことになったら、わたしは実家に二度と帰れなくなっちゃうわ」

 はしゃぐギーシュにモンモランシーが釘を刺した。二人とも、今日は魔法学院の制服ではなく貴族の子弟としてふさわしいきらびやかな衣装に身を包んでいた。ギーシュのタキシードの胸と背中には、グラモン家の家紋である薔薇と豹が刺繍されており、モンモランシーのドレスにも同様に家紋が編み込まれている。ギーシュのグラモン家やモンモランシーのモンモランシ家にとっても今日のことは重要で、ふたりともそれぞれの一族の一員として学院を欠席してでも呼び寄せられていたのだ。

 とはいえ、普段は二人とも園遊会に参加することなど、まずない。そもそも園遊会に参加したがる貴族は膨大な数に上るため、国内から参加する家は一部を除いてくじ引きで決めることになっている。今回は幸運にも、グラモン家とモンモランシ家が名誉なその資格を勝ち得たのだった。

 それゆえに園遊会に参加し、どこかしらの有力貴族とコネを作れれば自分の家にとっての助けになると、ふたりとも大きな意気込みを持ってここにやってきた。特にこのふたりの実家は、かなりのっぴきならない状況を抱えている。

「確かモンモランシ家は、水の精霊の怒りに触れてしまって水の精霊との交渉役を下ろされてしまったんだっけ? そのせいで収入も激減して、なんとか新しい稼ぎ口を見つけなきゃいけない君のお父上も大変だね」

「はいはい、あなたのところだって、お父上やお兄様方の女好きが行き過ぎて、貢いだお金が青天井なんでしょう? 出征の出費の数倍は出してるって、もっぱらの噂よ」

「うぐっ! じ、女性に最大限の敬意を払うのはグラモン家の伝統だから仕方ないんだよ。あっ、心配しないでくれよモンモランシー。僕はいつまでも、君だけの、君だけを愛し続けるからね!」

「はいはいはい。あーあ、こうなったらグラモン家の伝統を見習って、わたしも外国のかっこいい殿方を探そうかしら?」

「そ、そりゃないよモンモランシー」

 情けない声を漏らすギーシュを、モンモランシーは白けた眼差しで見下ろしている。ギーシュの手に持った薔薇の杖も、持ち主の心情を反映したのか心持ちしおれて見えるが、自業自得であろう。

 モンモランシーはギーシュから視線を外すと、会場に並べられたテーブルに並べられている豪勢な料理を皿に取り、不機嫌そうにしながらも舌つづみを打った。アンリエッタ女王の園遊会の予算削減方針で、前王のころに比べれば半分以下の規模になっているが、それでも山海の珍味を集めた料理の数々はたまらなく美味だった。

 没落した貧乏貴族のモンモランシーは、普段こんな豪勢な料理を口にすることはない。魔法学院の料理も平民から見れば豪勢だが、この園遊会の料理に比べれば地味と言ってよかった。貴族と一口に言っても、きっちり勝ち組と負け組はあるのである。

「いっそ本当にギーシュなんか捨てて、ここで新しい彼を探そうかしら」

 ため息をつきながらモンモランシーはそう思うのだった。

 最近のギーシュのおこないは目に余る。このあいだのアラヨット山の遠足のときには、同じ班になったティファニアに終始くっつきっぱなしで自分のところには一度も来なかった。あの後、少々体に教え込ませたが、まだ怒りが収まったわけではないのだった。

 この園遊会での立ち振る舞いひとつで、貧乏貴族が大貴族になることもありうる。もしモンモランシーがどこかの大貴族の殿方のハートを射止めれば、モンモランシ家にはバラ色の将来が約束されるだろう。

 でも、ギーシュが冷たくされたときに見せる情けない顔を見ると、許してやろうかという気がどこからか湧いてくるのである。まったく、難儀な男を好きになってしまったものだとつくづく思う。

「ふ、ふん! だったらぼくも、このパーティで外国の姫を射止めてやろうじゃないか。後から後悔しても遅いよ、モンモランシー」

「好きにすれば?」

 モンモランシーは軽く突き放した。学院の女生徒ならともかく、それこそ誘いは星の数ほどもあるであろう外国の淑女がギーシュごときの安っぽい台詞にひっかかるとは思えなかったのだ。ただ、それ自体は自分にとって腹立たしいものではあったが。

 ギーシュとモンモランシーは、その後もパーティの貴族たちからは一線を引いた距離で、いつも学院でしているような会話を続けた。

 どのみち暇は有り余っている。二人とも、それぞれの実家から、やっと掴んだ園遊会の出席権に加えてやるから来いと言われて張り切ってここまでやってきたが、ふたりの実家からの期待はすぐにしぼんでしまった。

 それはギーシュとモンモランシーの関係をそれぞれの実家が知ったゆえで、モンモランシ家のほうは娘が武門の名家であるグラモン家の息子と懇意であるなら願ってもなしと言い、グラモン家のほうは五男坊のギーシュがそこそこの相手を見つけたのなら特に咎める気はない、とあっさり認めて、無理に売り込みをしなくてもよいぞと解放されてしまったのだ。

 これではふたりの、特にモンモランシーのやる気の減退は著しかった。もっとも、実はふたりの実家がふたりを呼んだ主な目的は、今回の園遊会で有力貴族たちに、「うちの子をどうかよろしくお願いします」という顔見せであったために、最初にそれがすめばほかの活躍を期待などはされていなかった。ふたりが先走っただけである。

 ただ、いざ誰かに話しかけようかと思っても、会場にはギーシュとモンモランシーの他には同年代はほとんど見えず、話が合いそうな相手が見つからないのが現実ではあった。

「園遊会でポーションの話題を出してもしょうがないものね。わたしの手作りの香水じゃ、本場の高級品に勝てるわけがないし。あーあ、こういうときキュルケだったらファッションの話題とかから切り出してうまくやるんでしょうけど、正直甘く見てたわ」

 モンモランシーは、園遊会という大人の世界に足を踏み入れるのに、自分がどれだけ未熟だったかを参加してつくづく思い知らされていた。

 対してギーシュはといえば、ときおり通りかかる女性にダンスを申し込んだりしていたが、例外なくけんもほろろに断られている。いつもだったら怒るところだが、こうも見え透いて失敗していると哀れにさえ見えてくる。

 

 賑やかな園遊会の蚊帳の外に置かれ、すっかり腐っているモンモランシーとギーシュ。

 しかし、ふたりは幸運であったのかもしれない。なぜなら、華やかに見える園遊会の裏では、どす黒い思念が渦巻いていたからだ。

「この、伝統も格式もない成り上がりめが。貴様など、一スゥ残らず搾り取って、いずれ乞食に叩き落してくれるわ」

「貴様が余計な横やりを入れたおかげでうちの息子の縁談が破談になった。必ず生かしてはおかんからな」

 言葉にはならない貴族同士の敵意や殺意のぶつかり合いが笑顔の裏で繰り広げられていた。

 園遊会では、時に莫大な金や権力の移動が起こる。そこでは当然、勝者と敗者の間での憎悪の応酬も日常茶飯事なのだ。それは会場の中に限った話ではなく、園遊会に参加できなかった貴族も合わせると、その恨みの量は果てしなく膨れ上がる。自分を差し置いて園遊会に参加したあいつめ、という逆恨みもまた深い。

 ギーシュやモンモランシーの親が、園遊会にふたりを本格的に参加させなかった理由のひとつがここにある。ふたりとも、貴族の一員として園遊会で『そういうことがある』のは知識として知ってはいても、生で体験したことはない。学院では、ギーシュをはじめ貧乏貴族たちがベアトリスに媚びを売っているが、そんな生易しいものではない弱肉強食の世界が園遊会の真実なのである。

 いまだ少年のギーシュと少女のモンモランシーは、園遊会のほんの入り口に触れたにすぎない。そのことに気づくには、まだ数年必要であろう。

 

 そして、この渦巻く『妬み』の波動に目をつける者がいても、それは何の不思議もなかった。

 夜空から、赤い月を背にして地上を見下ろす赤い怪人。そいつは腕組みをして、地上の貴族たちの駆け引きを眺めながらつぶやいた。

「ウフフ、これはまたすごい『妬み』の力ですねえ。これに関しては、私が小細工をしなくても入れ食い状態ですよ。でもそれだけじゃつまらないですし……フフ、せっかくだからもう少し見物してからにしますか」

 趣味悪く人間たちを見下ろし、なにかを企む宇宙人。人間たちはまだ誰も、空にたたずむ悪魔の姿には気づいていない。

 

 パーティ会場で続く、園遊会という名の戦争。それは貴族社会の繁栄と新陳代謝のためには必要ではあるとはいえ、その二面性の強さは幼き日のアンリエッタやウェールズが飽き飽きしたのも当然だと言えた。

 しかし、そんな泥沼の中にあっても、美しい花が咲くことはあった。

「ルビティア侯爵家ご息女、ルビアナ・メル・フォン・ルビティア姫様。ご入場あそばせます!」

 進行役の声が高らかに響き、会場に新しい参加者がやってきた。

 その声に、入り口を振り返った貴族たちは、いっせいに天使が降臨したのを見たかのような感嘆のうめきを漏らした。数名の護衛と使用人を従えて入場してきたのは、淡いブロンドの髪を肩越しになびかせながら、輝くようなシルクのドレスをまとった麗しき令嬢であったのだ。

「おお……なんと」

「美しい……」

 貴族たちは、一瞬前まで笑顔背剣の争いをしていたことを忘れ、その令嬢の容姿に見惚れてしまった。

 年のころはアンリエッタよりもやや上で、大人びた雰囲気ながらも口元は微笑を浮かべているように優しく、かつモンモランシーと似たサイドテールで髪をまとめている姿は活発さも感じられた。それでいてドレスから覗く手足はすらりと細く、しみ一つない肌は最高級の磁器にも例えられよう。そして、一歩一歩静々と歩く様は、まるで天使が雲上を歩んでいる姿をも思わせ、なによりもその美貌は、アンリエッタに勝るとも劣らない。

 ルビアナと呼ばれたその令嬢は、例えるならば最上級の人形師が作り上げたドールが生を得たかのような美しさで、一瞬にして会場の貴族たちの目をくぎ付けにしてしまい、粛々と歩むルビアナの姿を貴族たちは惚けながら見送っていく。そしてギーシュとモンモランシーも、初めて見るその美しい姿に感動を覚えていた。

「なんて綺麗な人、いったいどこのお姫様かしら」

「ルビティア侯爵家、ゲルマニアでも五本の指に入る大貴族さ。先代がルビーの鉱山の発見で財を成した一族で、ルビティアの姓もその功績で賜ったそうだよ。なにより、侯爵の一人娘は並ぶ者がいないという絶世の美女だと聞いていたけど……ああ、想像以上のお美しさだ。まるでルビーの妖精、いや女神だよ」

 ギーシュの例え通り、ルビアナのドレスには無数のルビーがあしらわれており、シルクのドレスの純白とルビーの真紅とで芸術的なコンストラクトを描いていた。

 もっともモンモランシーにとってはギーシュのそんなうんちくも、美人の情報にだけは詳しいのね、と嫉妬の火種になってしまうだけで、ブーツの上からヒールを突き立てられるはめになっていた。

 

 やがてルビアナ嬢はアンリエッタの前に立つと、上品な礼をした後にあいさつを交わした。

「はじめまして、アンリエッタ女王陛下。お招きいただき、ありがとうございます。到着が遅れてしまったことを、心からお詫び申し上げます」

「いいえ、遠路はるばる我がトリステインによくぞおいでくださいました。心より歓迎の意を申し上げます。はじめまして、ミス・ルビアナ。本日はささやかながら、トリステインの園遊会を楽しんでいかれてくださいませ」

 アンリエッタとルビアナは優雅な会釈をかわしあった。それはまるで、二輪の百合が並んで咲いたかのような輝きを放ち、ささくれだった貴族たちの心を一時なれども癒していった。

 だがそれとして、貴族たちは、まさかルビティア家が参加してくるとはと驚きを隠せないでいる。伝統こそないが、ルビティアはルビーの専有により宝石市場に大きな影響力を持つため、貴族と宝石、魔法と宝石は切っても切れない関係な以上、その発言力は単なる貴族の枠では収まり切れないものを持つ。トリステインで釣り合う力を持つ貴族は、恐らくヴァリエール家のみだろう。

 さらにそれにもましてルビアナ嬢が参られるとは驚きだ。絶世の美貌を持つ才女だという噂だけは皆耳にしていたが、侯爵の秘蔵っ子なのか表舞台に姿を見せることはほとんどなかった。それを、いくらゲルマニアと同盟関係にあるとはいえ、小国トリステインが招待に成功するとは信じられない。

 すると、ルビアナは集まった貴族たちに会釈をすると、鈴の音のような声で話し始めた。

「ここにお集まりの、隣国トリステインの皆さん。そして我が同胞ゲルマニアや、アルビオン、ガリアの皆さま、お初にお目にかかります。わたくしはルビアナ・メル・フォン・ルビティア、以後お見知りおきをお願いします。わたくし、非才の身なれど、祖国のために見識を積み、ひいてはハルケギニア全体の繁栄の役に立てるよう、ここに遣わされてまいりました。どうか皆さま、この若輩の身を哀れと思い、よき友人となってくれることをお願いいたします」

 会場からいっせいに拍手があがった。さらにルビアナはアンリエッタと並んで手を取り合い、両者のあいだに友情が生まれたことをアピールする。それは外交辞令のパフォーマンスだとしても、非のつけようもないくらい美しい流れであった。

 しかし現実的な問題としては、ルビティアがトリステインを足掛かりにして国外進出を狙っているということを明らかにしたわけだ。アンリエッタ女王はそれを狙ってルビティアを招待したのか? それともルビティアがアンリエッタに売り込んだのか? いずれにしても当然、貴族たちは奮起する。もしルビティア家とコネを作れれば、それはこの上ない力となるだろう。

 アンリエッタは一歩下がると、ルビアナに微笑みかけた。

「さあ、堅苦しいあいさつはここまでにして、パーティを楽しんでいらしてください」

「ありがとうございます。では、どなたかわたくしとダンスをごいっしょしてくださいませんか?」

 手を差し出したルビアナに、貴族たちはいっせいに前に並んで「我こそは」と競い合った。もちろん、ここでパートナーに選ばれればルビティアとのコネを作る絶好の機会だからだ。

 もろちんグラモン家も例外ではない。ギーシュの兄たちもいっせいに駆け出し、ギーシュも兄たちに遅れてはなるまいと兄たちに並んでいく。

 モンモランシーは、そんなギーシュの後姿を気が抜けた様子で見送っていた。

「ほんとにバカなんだから……」

 止める気はない。グラモン家の一員として、ここで動かなかったら後で父や兄たちに叱られるであろうことはモンモランシーもわかっていた。

 しかし、きれいな女性に向かって一目散に駆けていくギーシュの姿を見て、腹立たしいものが胸に渦巻く。後で自分を称える歌の十個でも作らないと許してあげないんだから、とモンモランシーは心に決めた。

 そしてあっという間に、ルビアナの前には若い貴族たちの壁が出来上がった。グラモン家をはじめ、あちこちの貴族の子弟たちが、まさに貴公子といった精悍な姿で「私がお相手をつとめましょう」と、ひざまずきながら姫に手を差し出しているのだ。

 ギーシュも、四人の兄たちの端に並んでポーズをとっていた。そのポーズの形は、さすが学院で女生徒をデートに誘うのが日課なだけはあって形は様になっているといってもいい。しかしギーシュは、内心では横目で兄たちを見ながらあきらめていた。

「さすが兄さんたち、かっこいいなあ。悔しいけど、ぼくじゃとてもかなわないよ」

 いくらギーシュが自惚れの強いナルシストといっても、尊敬する兄たちの前ではなりを潜めざるを得なかった。いまだ学生の身分の自分と違って、すでに成人した兄たちは武門の名門の一員としてそれぞれ武勲を立て、園遊会に出た回数も多い。当然立ち振る舞いも自分とは格が違い、家族だからこそよくわかっていた。

 それだけではなく、この園遊会には数多くの貴族が参加しており、グラモンはその中のほんの一部に過ぎない。格式や伝統、資産でグラモン以上はいくらでもおり、さらに見た目の美しい美男子も多い。ギーシュを彼の友たちは馬鹿とよく呼ぶが、このような状況を理解できないような愚か者ではなかった。

 万が一グラモンに目をつけてもらえたとして、選ばれるのは恐らく長男か次男。末っ子の自分など目にも入れてもらえまい。顔を伏せながらギーシュは、そう思っていた。

 しかし……

「いっしょに踊っていただけますか、ジェントルマン」

 声をかけられ、手を握られて顔を上げたとき、ギーシュは信じられなかった。そこには、自分の手を取って優しく見下ろしてくるルビアナの顔があったからだ。

 え? まさか、とギーシュの脳はフリーズした。思わず隣にいる兄たちの様子を見てみると、全員が一様に驚きを隠せない様子でいる。ほかの貴族たちも同様で、ギーシュはようやく自分になにが起こったのかを理解した。

「ぼ、ぼくをパートナーに選んでくださったのですか?」

「はい。わたくしと一曲、お相手してくださいませ」

 動揺を隠せずに、震えながら尋ねたギーシュに、ルビアナは笑みを崩さずに答えた。

 ギーシュの頭が真っ白になる。想像を超えたことが起こったからだけではなく、アンリエッタにも劣らないほどの美貌の令嬢が自分を誘ってくれている。しかも、アンリエッタがまだ”少女”の域にとどまっているのに対して、ルビアナは少女から一歩踏み出した成熟した”女”の美しさを発し、かといって熟れ過ぎた老いの兆候はまったくなく、新鮮な輝きを保っている。まさに、美女という表現の完成形であり、見とれることが罪とはならぬ天女だったからだ。

『こんなバカなことがあるはずがない。これは夢だ!』

 あまりの出来事に、ギーシュは己の意識を失神という避難所に逃れさせようと試みた。しかし、隣の兄から「ギーシュ!」と、叱責の声が響くと我に返り、グラモン家のプライドを振り絞ってルビアナの手を握り返した。

「ぼくでよろしければお相手を承りましょう。レディ、あなたのパートナーを喜んでつとめさせていただきます」

「ありがとうございます。ジェントルマン、あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」

「ギーシュ・ド・グラモン。レディ・ルビアナ、あなたのご尊名に比べれば下賤な名ですが、その唇でギーシュとお呼びいただければ、この世に生を受けて以来の名誉と心得ます」

「はい、ではミスタ・ギーシュ。あなたに最高の名誉を与えます。その代償に、わたくしに至福の一時を与えてくださいませ」

「全身全霊を持って、お受けいたしましょう」

 覚悟を決めると、ギーシュは己の中に流れるグラモンの血を最大に湧きあがらせてルビアナに答えた。父や兄から教わった女性に尽くすスキルをフルに使い、リードしようと全力で試みる。

 その様子を、ほかの貴族たちは呆然と見ているしかなかった。一流の貴族から見ればギーシュの振る舞いは未熟で、なぜあんな小僧がという腹立たしい思いが湧いてくるが、まさか邪魔をするわけにはいかない。モンモランシーは理解が追いつかず、ただ立ち尽くして見ているだけだ。

 そして、ふたりはパーティ会場の真ん中に出ると、優雅に会釈しあって手を結んだ。それを合図に、楽団からミュージックが流れ始める。

「交響曲・水と風の妖精の調べ……レディ・ゴー」

 涼やかな音楽が始まり、ギーシュとルビアナは手を取り合ってステップを踏み始めた。貴族にとって社交ダンスは基本のたしなみだけに、ギーシュも危なげなく踊りを披露する。

 対してルビアナはギーシュに合わせるようにして、ふたりのタップのリズムはほぼ重なって聞こえた。不協和音はなく、ギーシュとルビアナは鏡写しのように美しいシンメトリーを飾り、その心地よさにギーシュはしだいに緊張をほぐれさせていった。

「ミス・ルビアナ、ぼくはまるで白鳥と踊っているように思えますよ」

「うふふ、嬉しいですわ。さあ、ミスタ・ギーシュ、音楽はまだ始まったばかりです。もっと楽しみましょう」

 音楽は序曲から第一楽章へと移り、緩やかな動きからタンタンと軽快なリズムに変化し、少しずつ動きが速くなっていく。

 月光をスポットライトに、優雅に、時に素早く舞うギーシュとルビアナ。

 楽しくなってきたギーシュは、いつもモンモランシーなどにしているように、乏しいボキャブラリーを駆使してルビアナをほめちぎり始めた。

「おお、あなたはなんと美しいんでしょう。世界中のオペラを探しても、あなたほどの人はいない。あなたの髪はキラキラ輝き、まるで海のよう。瞳は……」

 そこで、瞳の色を褒めようとしたギーシュは口を止めざるを得なかった。ルビアナの瞳はほとんど閉じられたままで、瞳の色はわからない。するとルビアナはそれに気づいたようで、困ったようにギーシュに言った。

「すみません、わたくしは目があまりよろしくないもので。薄目でい続けなければいけないことを、お許しください」

「そ、それは大変失礼いたしました! ぼくとしたことが、とんでもないご無礼を」

「いいえ、いいのです。それより、もっと楽しく踊りましょう」

 気分を害した様子もないルビアナに、ギーシュはほっとした。しかし、瞳が見えないとしても、目を閉じたまま踊り続けるルビアナのなんと美しいことか。

 ターン、タップ。音楽に合わせて動きも複雑さを増していく。ここからがダンスの本番だ。

 だがギーシュはダンスが複雑さを増すにつれ、ルビアナの信じられない技量を目の当たりにすることになった。ギーシュもガールフレンドをダンスに誘うことは何度もあったが、ルビアナのそれは身のこなし、正確さともに次元が違っていたのだ。

”この人、とんでもなく上手い!”

 心の中でギーシュは驚嘆した。高度なダブルターンを、ルビアナは表情を一切崩すことなく完成させてしまった。その動きの完璧さは、実家で見たダンスの先生のそれを軽く上回っている。

 例えるならば、花の上で舞う蝶の妖精。そう錯覚してもおかしくないだろう。

 このままだと自分だけ置いていかれてしまう! ギーシュは焦った。全力でリードするつもりが、このままだとルビアナの独り舞台になってしまう。

 しかし、ギーシュが焦ったのは一瞬だけだった。ルビアナに置いていかれるかと思ったギーシュの動きが、ルビアナに合わせたように精密さを増し始めたからだ。

「ギーシュのやつ、いつのまにあんなにダンスが上達していたんだ?」

 見守っていたギーシュの兄たちが、自分たちの知るギーシュよりずっと卓越した動きを見せるギーシュに驚いて言った。モンモランシーも、以前に自分と踊った時よりはるかにレベルが上の動きを見せるギーシュに驚いている。

 いや、一番驚いているのはギーシュ本人だ。自分にできる動きを超えているどころか、知らないはずの動きさえできる。これは、まさか。

「ミス・ルビアナ、あなたがぼくのリードを?」

「はい、失敬かと思いましたが、ミスタ・ギーシュならばわたくしに付いていただけると思いまして。わたくしは少しだけミスタ・ギーシュのお手伝いをしただけ、これは貴方が本来持っている力ですわ」

 優しく微笑みかけてくるルビアナに、まいったな、とギーシュは心の中で完敗を認めた。

 ダンスを通して、相手の技量をも実力以上に引き出す。操り人形にされている感じは一切なく、それどころか体が動きを元々知っていたかのように自然と動き出している。殿方を立てることも忘れない、この人は紛れもなく天才だ。

「さあ、ギーシュ様ももっと軽やかに。曲はまだまだ続きますわ。もっとわたくしを見て、そしていっしょに楽しみましょう」

「ええ、一時から無限までのすべての時間を、共に楽しみましょうミス・ルビアナ」

「ルビアナとお呼びください。さあ、無限のような一瞬の時間を共に」

 ギーシュとルビアナは踊り続けた。ふたりが舞う、その美しさは貴族たちの心に永遠に刻まれ、アンリエッタも心から見惚れた。

 だが、それ以上にギーシュは楽しかった。こんな楽しいダンスを踊ったことはない。ルビアナは誰よりも優しく、美しく、ギーシュの目はルビアナの虜になり、ギーシュの体は疲れを忘れて動き続けた。

 

 けれど、永遠は一瞬にして終わる。楽団の演奏が終わり、ふたりの動きが同時に止まる。

 それはめくるめく夢の終焉。ふたりに対して、会場から惜しみのない拍手が送られた。

「ブラボー!」

「グラモンの末っ子、まだ学生だというのにやるではないか」

 非の付け所のないパーフェクトなダンスに、数多くの賞賛がギーシュに与えられた。ギーシュの父や兄たちも、誇らしげに拍手を続けている。

 しかしギーシュの耳には、会場の賞賛はほとんど届いていなかった。彼の意識のすべては、いまだずれることなくルビアナに向かい続けていたのだ。

「ルビアナ……最高でした。ぼくは、こんな楽しいダンスをこれまで経験したことがなかった。一生、いえ来世まで決して今日のことを忘れることはないでしょう!」

「ありがとう、ギーシュ様。わたくしも、心から楽しいひと時を味わわせていただきました。あなたにパートナーになっていただいたことは、間違いではありませんでした」

 それはギーシュにとって最高の賛辞であった。この世にふたりといないほどの完璧な女性に認めてもらえたことは、グラモン家の人間としてこれほど誇らしいものはない。

 しかしギーシュの夢見心地はすぐに終わらされた。ダンスが終わると、ルビアナには「次はぜひ私と踊ってください」と、貴公子たちが押し掛けてきたのである。ギーシュはたちまち押し出され、現実を意識させられた。

「そ、そうだよね。園遊会じゃ、これが当然さ……」

 少しでも多くの貴族とつながりを作るため、有力な貴族は次々にパートナーを変えることが常識だ。

 しょせん、自分は偶然選ばれたそのひとりに過ぎない。ギーシュはすごすごと引き下がろうとし、そんなギーシュをモンモランシーはやきもちという名の歓迎で慰めようとやってきた。だが、ギーシュが踵を返そうとした、そのとき……

「お待ちになって、ギーシュ様」

 ぎゅっと手を握りしめられ、振り返ったギーシュは自分の目を疑った。ルビアナが、自分の手を握って引き留めてくれているではないか。

「まだ、わたくしたちのダンスは終わっていませんわ。アンコール、よろしいかしら?」

「ル、ルビアナ……」

「うふふ。さあ参りましょう!」

 ルビアナはそのままギーシュの手を引いて駆けだした。ギーシュは訳も分からず、「えええっ!?」と、間抜けな声と顔をしながら引かれていく。

 当然、貴族たちは愕然とする。そして、ギーシュの兄たちをはじめとする何人かは後を追って走り出そうとしたが、その背に鋭い叱責が投げかけられた。

「お待ちなさい!」

「じ、女王陛下!? しかし」

「無粋な殿方を好く女性は、この世に一人もおりませんわよ。それにわたくしは、ミス・ルビアナに楽しんでいってくださいと言いました。せっかくのところに水を差して、わたくしに恥をかかせるつもりですか?」

 アンリエッタは、自分にも覚えがあることだけに、ふたりを引き止めることを許さなかった。まさかこうなるとは予想外だったが、乙女心がどういうものなのかは自分が一番よく知っている。

 がんばってくださいね、とアンリエッタは心の中でエールを送った。この園遊会で、少しでも多くのトリステイン貴族がルビティア家と交友を持ってくれることを期待していたけれども仕方ない。マザリーニ枢機卿は怒るだろうけれど、国家の繁栄とロマンス、どちらが重大であるかなんてわかりきったことなのだから。

 女王にそこまで言われては、貴族たちも引き下がるしかなく、悔し気にしながらも足を止めてふたりを見送った。ただ一人を例外として。

 

 ルビアナは、ギーシュの手を引いたままパーティ会場を抜け、邸宅の敷地も抜け、そのままの足でラグドリアン湖の湖畔へとやってきた。

「ふう、ここまで来ればいいでしょう。わぁ、これがラグドリアン湖……なんて大きくて、そして心地よい風が吹く場所なんでしょう!」

 湖畔の砂利をシューズで踏みながら、子供のようにルビアナははしゃいでいた。そんなルビアナの姿は、月光を反射するラグドリアンに照らされて、まるで幻想の世界に迷い込んでしまったようにギーシュは思った。

「ルビアナ、いったいなにを……?」

 それでもギーシュは、貴族の常識からはあまりにも外れたルビアナの行動を問いかけた。すると、ルビアナはギーシュのほうを向いて、深く頭を下げた。

「すみません、ギーシュ様。ぶしつけだと承知していますが、どうしても他の誰かと手をつなぐのが嫌で、申し訳ありません」

「い、いえ、頭をお上げください。ぼくのほうこそ、レディの心の機微を察せられなかったとは男子として失格……ええっ!」

 言いながら、ギーシュは自分の言葉の意味に恐れおののいた。つまり、ルビアナは自分だけと手をつなぎたいと言ってくれている。これが、学院の女子を相手にしたのであれば、余裕を持って大げさにきざったらしく喜びの表現をあげたであろうが、相手はグラモンを歯牙にもかけない規模を誇る大貴族。普通なら、あり得るわけがない。

「ミ、ミス・ルビアナ、お戯れはおよしになってください。ぼ、ぼくなんてまだ未熟な学生の身。あなたのような高貴なお方と、釣り合うわけがありません」

「いいえ、私は自分の意思でここにいるすべての殿方の中から、ギーシュ様、あなたとならば踊りたいと思って手を取りました。私は、自分で認めた相手以外の誰とも踊りはしません」

「で、ですがそれでは貴族としての本分が……あなたも、本国に示しがつかないのでは」

「構いません、すべての責任は私が取ります。私は、いつか骨となるその日まで、自分の踊りだけを踊り続けます。それが私が決めた、生涯ただひとつのわがままです」

 はっきりと言い放ったルビアナに、ギーシュは唖然とした。

 貴族としての重要な責務のひとつを投げ捨てる。しかも、彼女ほどの大貴族がなどと普通は考えられない。

 しかし、同時にギーシュはどこかルビアナがまぶしく見えた。そんなわがままを通しても、彼女の才覚ならば埋め合わせをしてお釣りがくるほどを得られるに違いない。

 貴族社会で自分のわがままを通すことがどれだけ難しいか。ウェールズと結婚したアンリエッタも、その道のりは薄氷の連続であったし、平民の才人と恋愛関係にあるルイズも相当な悩みを抱えているのはギーシュにもわかっている。

 それでも、自分の通したい筋を、道理に反するわがままだとしながらも通している。貴族社会に合わせるのを当然だと考えていたギーシュには、ルビアナがルイズやアンリエッタと並んで美しく見えたのだ。

「ミス・ルビアナ、いやルビアナ。ぼくはあなたに感動しました。ぜひ、もう一度踊っていただきたい。さあ、お手を」

「ありがとうございます。ギーシュ様、こんなわたしのわがままを聞いてくださいまして」

 ギーシュとルビアナは手を取り合い、湖畔をダンスホールにして第二幕を踊り始めた。

 ミュージックは風と波の音。スポットライトは変わらず月光だが、湖畔に反射した光が幻想的に照らし出している。

 湖畔の砂利を踏みしめる音さえ、ミュージックに加わる。ダンスをするには不向きな足場のはずだが、やはりルビアナとのダンスはそんな不自由さをまったく感じさせないほど素晴らしかった。

 踊るギーシュとルビアナ。その中で、ふたりは語り合い始めた。

「ルビアナ、なぜぼくを……グラモンのたかが末っ子に過ぎないぼくを選んでくれたのですか?」

「それはあなたが、あの殿方たちの中でひとりだけ、温かい眼差しでわたくしを見ていてくれたからですわ」

「ぼくが?」

「ええ。わたしがあの会場に入っていったとき、ほかの方々はルビティアの私だけを見ていました。けれどあなたは、純粋に私だけを見ていてくれました」

「そんな、ぼくはあなたの美しさに見とれていただけで……って、あなたは目が弱いはずじゃ」

「ふふ、見えないからこそ、よく見えるようになるものもあるのですわ。ギーシュ様、あなたはとても明るい人……きっと多くのお友達がいて、あなたはその中心で皆を引っ張っていく太陽のような人なのでしょう」

「か、買い被りですよ」

 そうは言ったものの、自分が水精霊騎士隊のリーダーだということをほとんど言い当てている。たぶん、口調や態度などを分析したのだろうが、顔色などにごまかされないからこそ、人柄を見抜く眼力は本物だ。

 すごい人だ。ほとんど完全無欠と呼んでもいいのではないか? ギーシュは誰もが認めるナルシストではあるが、あまりのルビアナの能力の高さにコンプレックスを感じ始めていた。

 しかし、ルビアナは悲しそうな声でギーシュにつぶやいた。

「ですがギーシュ様、私は本来ならギーシュ様と踊る資格のない卑しい女なのです」

「な! どういうことです。あなたのような素晴らしい方に何があろうと僕は気にしませんよ。美しい薔薇にトゲがあるのは当然のことではないですか!」

「そうではないのです。私の出身がゲルマニアだということはご存知でしょう。ルビティアは財力によって爵位を手に入れた成り上がりの系譜……それゆえに、私は神の御業である魔法を使えないのです。あなたと同じ、メイジではないのです」

 ギーシュははっとした。確かに、平民が金銭で爵位を買うのはゲルマニアでは珍しくない行為ではあるが、トリステインではまだ一部の例外を除いては貴族はメイジであるという常識がある。

「軽蔑なさいましたか? 私はしょせん、貴族の名前だけを持つ平民の娘……始祖の血統からなるトリステインの正当なる貴族には劣る……」

「そんなことはありません!」

「ギーシュ様?」

「ぼくは、あなたほど美しく優れた貴族を見たことがない。確かに、始祖ブリミルは我々に魔法をお与えになりました。しかし、ぼくの友人や知り合いにはメイジでなくとも誇り高く、強く、国のために貢献している人が大勢います。ぼくは、そんな彼らを魔法が使えないからと見下したことはない……いや、前にはあったかもしれないけど今は魔法が使えない仲間も皆同志だと思っている。だからあなたも、少なくともぼくの前ではメイジでないことを気にする必要なんかありません」

 正直なギーシュであった。だがルビアナは目を閉じたままながら、その瞼から一筋の涙を流した。

「ありがとうギーシュ様、私はトリステインにやってきて本当によかったですわ」

「涙を拭いて、ルビアナ。乙女の涙はもっと嬉しいことが起きたときにとっておくべきです。さあ、今はなにもかもを忘れて踊りましょう!」

 手を結び、ギーシュとルビアナは観客のいない彼らだけのステージで楽しく踊り続けた。

 いや、正確には少しだけ観客はいた。

 一人は会場から唯一ふたりをつけてきたモンモランシー。彼女は楽しく踊るギーシュとルビアナを湖畔の木の影から唇をかみしめながら見つめていた。

「ギィィシュュウゥゥ! わたしとだってあんなに長く踊ってたことないくせにぃぃ! なによ、そんなにそのゲルマニア女のほうがいいわけなの! 今日という今日は血祭りにあげてやるわ!」

 まるでルイズが乗り移ったような、鬼気迫る嫉妬のオーラを巻き散らしながらモンモランシーは吠えていた。

 

 そしてもうひとり空の上から、あの宇宙人がその嫉妬の波動を感じ取って笑っていた。

「いやはや、ものすごいマイナスエネルギーの波動ですね。たった一人がこれほどのエネルギーを発せられるとは、なんとも人間というものはおもしろい。けど、このエネルギーを集めるのはやめておいたほうがよさそうですねえ」

 硫酸怪獣ホーが勝手に生まれそうなパワーを感じたが、この手のマイナスエネルギーは特定の目的を持って動くことが多いので、宇宙人は制御が面倒だと考えて収集をやめた。

 扱いやすいとすれば、パーティ会場で貴族たちが発しているような恨みと欲望のエネルギーである。しかしそれも、先のギーシュとルビアナの披露したダンスの余韻で小康状態にある。

「まったく、余計なことをしてくれますねえ。もう量はじゅうぶんでしたけど、こうも澄んだ空気だとどうも気持ちがよくありません。では……我ながら小物っぽいとは思いますが、八つ当たりしてあげなさい! カモン、ブラックキング!」

 宇宙人が指をパチリと鳴らすと、ラグドリアンの湖畔が揺らめいて、周辺を大きな地震が襲った。

 なんだ! 驚く人々が事態を飲み込むよりも早く、パーティ会場のそばの地中から土煙をあげながら巨大な黒い怪獣が姿を現した。

 

「わ、か、怪獣ですぞぉーっ!」

 

 貴族たちは眼前に出現した巨大な怪獣に驚き、魔法で立ち向かうことも忘れて逃げ出したり腰を抜かしたりしていた。

 しかしそれは逆に賢明であったといえるかもしれない。なぜなら、ここに現れた黒々とした蛇腹状の体を持ち、頭部に大きな金色の角を持つ怪獣は用心棒怪獣ブラックキング。かつてナックル星人に操られて、ウルトラマンジャックを完敗に追い込んだほどの強豪なのだ。とても準備なしで挑んで勝てるような相手ではない。

 ジャックに首をはねられ、怪獣墓場で眠っていたところをあの宇宙人に甦らされて連れてこられた。今回ナックル星人はいないものの、あの宇宙人を新しい主人として、唸り声をあげながらパーティ会場へ進撃しだした。

 

【挿絵表示】

 

「適当に脅してやりなさい。その人たちはマイナスエネルギーをよく生んでくれますから、あまり殺してはいけませんよ」

 宇宙人のうさ晴らしに巻き込まれて、貴族たちは迫りくるブラックキングから逃げまどった。

 もちろん、中にはギーシュのグラモン家のように、一時のショックから立ち直ったら反撃に打って出ようとする武門の家柄もある。しかし、それをアンリエッタは止めた。

「やめなさい! 今は招待客の避難に全力を尽くすのです」

 外国からの招待客に万一のことがあってはトリステインの恥。グラモン家のギーシュの兄たちは、武勲をあげるチャンスを逃すことに悔みながらも女王の命に従った。

 もっとも、彼らはすぐに自らの蛮勇がストップされたことを女王に感謝することになった。ブラックキングが鋭い牙の生えた口から放った赤色の熱線が、会場のある貴族の邸宅を直撃し、一発で粉々にしたからである。

「すごい破壊力だ」

 ブラックキングの溶岩熱線。対ウルトラマンを目的に飼育されているブラックキングは全能力がバランスよく高く、弱点が存在しないと言ってもいい。

 

 一方そのころ、湖畔にいたギーシュたちも当然ブラックキングの巨体を目の当たりにしていた。

 湖畔から会場まではざっと百メイル。それなりの距離があって、ブラックキングの目的は会場であるから彼らはブラックキングの横顔を見るだけで済んでいるが、ギーシュはここで無駄な意地を見せていた。

「止めないでくれルビアナ。ぼくはグラモンの一門として戦いに行かねばならないんだ。僕が行かなけりゃ父さんや兄さんたちに合わせる顔がないんだ!」

「おやめください! あなたが行ってもあれを倒すのは無理です。危険すぎますわ」

「相手がなんであろうと、トリステイン貴族がやすやすと引くわけにはいかない! 頼むから見守っていてください。あなたに捧げる武勲をきっと持ち帰ってみせます」

 明らかに悪い方向で調子に乗っていた。水精霊騎士隊がいれば、まだリーダーとして自制は効くし、レイナールなどの抑え役もいる。

 だが、暴走しかけるギーシュに業を煮やし、ついにモンモランシーが割り込んできた。

「いい加減にしなさいギーシュ!」

「わっ! モ、モンモランシー、いつのまにそこに」

「そんなことどうでもいいでしょ! あなたはまた美人の前だといい格好しようとして。こんな場所に女の子ひとり置いていって万一のことがあったらどうするの?」

 あっ! とするギーシュを、モンモランシーはさらに叱りつける。

「女の子ひとりも守れないで、なにが貴族よ騎士よ。もしその人があんたがいない間にケガでもしたら、それ以上の不名誉はないでしょう」

「ご、ごめんモンモランシー、君の言うとおりだ。ぼくは間違っていた、手の中の薔薇一輪も守れないでなにが男だろうか。なんと恥かしい! 許しておくれ」

 平謝りするギーシュ。モンモランシーは、ほんとにこれだから目を離せないんだからとまだカンカンだ。

 ルビアナは、突然現れたモンモランシーに少し驚いた様子でいたが、すぐに落ち着いた様子でモンモランシーにあいさつをした。

「失礼、お見受けするところモンモランシ家のお方ですわね。ギーシュ様を止めていただき、どうもありがとうございます。私の細腕ではどうすることもできませんでした」

「フン! このバカは甘やかしちゃダメなのよ。可愛い女の子と見れば、ホイホイ尻尾を振る破廉恥男なんだから」

 怒りのたがが外れたモンモランシーは、もう相手が誰であろうと遠慮はしていなかった。しかし、無礼な態度をとられたのに、ルビアナの反応はモンモランシーの予想とは違っていた。

「いいえ、それはきっとギーシュ様は博愛のお気持ちがお強い方だからなのでしょう。モンモランシー様がお怒りになったのも、そんなギーシュ様がお好きだからなのですわね」

「なっ! あ、あなた、初対面の相手に何言ってるのよ」

「お隠しにならなくてもよいですわ。モンモランシー様の声には、怒りはあっても憎しみはありませんでした。それに、ギーシュ様のそうしたことをよくご存じとは、きっと貴女はギーシュ様の一番なのでしょうね」

「なっ、なななな!」

 モンモランシーもまた、ルビアナの洞察力の深さに意表を突かれていた。

 だが、危機は空気を読まずにやってくる。モンモランシーの予想した通り、ブラックキングが歩いたことによって蹴り飛ばされた岩のひとつが偶然にも、こちらに向かってすごい勢いで飛んできたのだ。

「きゃあぁっ!」

 岩は数メイルの大きさのある庭石で、避けても避けきれるようなスピードではなかった。フライで飛んでも落ちた岩がどちらの方向に跳ね返るかはわからない。もちろんモンモランシーの魔法で受け止めきれる威力ではない。

 しかし、ここでとばかりにギーシュは杖をふるって魔法を使った。

「ワルキューレ、レディたちを守るんだ!」

 ギーシュの青銅の騎士ゴーレムが、三体同時に錬金されて岩に向かって飛びあがった。受け止めるなんて無茶は考えていない、ワルキューレそのものの質量を使った弾丸だというわけだ。

 飛んできた岩はワルキューレ三体と空中衝突し、互いにバラバラになって舞い散った。そしてギーシュは薔薇の杖を口元にやり、どやあとキザったらしくポーズをとってかっこをつけた。

「ぼくがいる限り、君たちには傷一つつけさせやしないよ」

「ほんと、かっこつけるのだけはうまいんだから。けどまあ、助けてくれてありがと」

 モンモランシーはぷりぷり怒ったふりをしながらも礼を言い、それからルビアナも感謝の意を示した。

 ブラックキングはしだいに遠ざかり、もう岩も飛んでこないだろう。どうやら完全にこちらは眼中にないようだが、ブラックキングの背中を見送りながらルビアナは残念そうにつぶやいた。

「それにしても、ギーシュ様とのダンスはこれからというところでしたのに、無粋な怪獣様ですわね」

 憮然とするルビアナの声色は、日没で鬼ごっこを中断させられた子供のような純粋な憤慨のそれであった。

「まったくだね。ルビアナといっしょなら、ぼくは朝までだって踊れたろうにさ」

「ギーシュ、わたしと舞踏会に出たときに「疲れた」って言って先に抜けたのは誰だったかしら?」

 いつもの調子に戻ったギーシュとモンモランシーも同調して言う。怪獣は遠ざかりつつある、もうすぐ園遊会で何かあったときのために待機していた軍の部隊もおっとり刀で駆けつけてくるだろうから、自分たちの出番はないはずだった。

 

 そのころ、会場に乱入したブラックキングは貴族たちを追いかけていた。しかしアンリエッタが迅速に逃げることを最優先させたため、少々の軽傷者を除いては人的被害は出ていなかった。

 だが、このまま暴れ続ければいずれは追いついて蹂躙することもできるだろう。けれども、宇宙人はそこまでする必要を感じてはいなかった。

「もういいでしょう。これで人間たちにはじゅうぶんに恐怖を植え付けられました。仕込みはこれまで……戻りなさいブラックキング」

 死人にマイナスエネルギーは出せない。貴族たちが逃げまどう姿を見て、じゅうぶんに溜飲を下げた宇宙人はブラックキングを引き上げた。あとは貴族たちのあいだで責任の押し付け合いでも始めてくれれば重畳というものだ。

 ブラックキングは命令に従い、あっというまに地中に潜って消えてしまった。後には、呆然とする貴族たちが残されただけである。

 

 そうして、一応の平和は戻った。

 貴族たちは破壊された会場から少し離れた場所にある別の庭園に移動して、ほっと息をついている。

 当然、ギーシュたちももう抜け出しているわけにはいかず、そこに戻っていた。

「おお、ギーシュよ。無事であったか」

「ははっ、父上。このギーシュ、全力でルビアナ姫をお守りしておりました」

「うむ、それでこそ我がグラモンの一門。よくやったぞ」

 ギーシュは父や兄たちも無事であったことにほっとしつつ、帰還を報告した。

 もしかしたら怒られるのではと内心では恐々としていたが、父は意外にも上機嫌であった。もっとも、ルビアナが後ろで微笑んでいれば、たとえ怒っていたとしても気分は逆転したに違いない。

 けれども、褒められていい気分になっていたギーシュに、次に父が浴びせた言葉がギーシュの心を凍り付かせた。

「ギーシュ、ルビティアの姫のお気に入りになられるとは見事ではないか。これはもう、モンモランシの小娘などと遊んでいる場合ではないぞ」

「えっ……」

 ギーシュは言葉を返すことができなかった。それは、ギーシュにとって初めて体験する貴族世界の理不尽のひとつであった。

 ルビティアとモンモランシでは、比較にならない格の差がある。家のために、どちらと付き合わねばならないかは言うに及ばずだが、そうなるとモンモランシーと付き合うことはできなくなってしまう。

 ギーシュの心に霜が降る。嫌だと言いたいが、そうすれば父の期待を裏切り、激怒させてしまうだろう。さらにグラモン家に恥をかかせることになる。どうすればいいかわからない。

 父はギーシュにだけ聞こえるように言ったので、後ろにいるモンモランシーとルビアナには聞こえていないはずだ。ここは自分がはっきりと意思表示をしなければならない。だが、なんと答えればいいのだ?

 冷や汗を噴き出すギーシュ。耳を澄ますと、会場のそこかしこから言い合う声が聞こえだした。貴族たちが、格上の自分を差し置いて先にお前が逃げ出すとは何事だ、とか、お前の息子はうちの娘にあれだけ求婚しておいたくせに守ろうともしなかったではないかなどと言い合っているのだ。

 これが園遊会の実体。ギーシュはその欺瞞を身をもって体験し、打つ手なく戸惑っている。

 まさに、あの宇宙人が望んだとおりの、人間の醜い面がさらけ出された煉獄が実現されつつあった。

「ウフフ、いいですね。これでこそ人間のあるべき姿というものです」

 しかし、宇宙人が高笑いし、ギーシュが思考の堂々巡りの深淵に落ちかけたそのとき、誰もが予想していなかった事態が起こった。

 

「うわっ! なんだ、また地震か!」

 

 地面が揺れ動き、土煙が噴き出して、地中から巨大な影が姿を現す。

「出たっ、またあの怪獣だ!」

 ブラックキングが庭園のそばから再度出現し、貴族たちを見下ろして再び暴れだしたのだ。

 溶岩熱線が集まっていた貴族たちの一団を狙い、十数人が一度に吹き飛ばされる。さらにブラックキングは狂ったようにのたうちながら庭園に乱入していった。

 たちまち逃げ出す貴族たち。しかし、驚いていたのは宇宙人も同じであった。

「ブラックキング! 何をしているんです。誰が出て来いと言いましたか!」

 彼は命令をしていなかった。しかしブラックキングは出てきて、今度は宇宙人の命令を聞かずに無差別に暴れている。

 これはどうしたというのだ? 困惑しながら空から見下ろす宇宙人。すると彼は、ブラックキングの姿が先ほどと明らかに違うところを見つけた。

「角が、機械化されている!?」

 そう、ブラックキングの立派な角があった頭部に、角の代わりに巨大なドリル状の機械が取り付けられていたのだ。

 さしずめ、ブラックキング・ドリルカスタムとでも呼ぶべきだろうか。ドリルはそれが飾りでないことをアピールするように、先端から紫色の光線を放ち、離れた場所にある別の貴族の別荘を粉々に粉砕してしまったのだ。

「改造手術をされている。ですが、いったい誰が!」

 ブラックキングは正気を失っているらしく、無茶苦茶に吠えて暴れながら熱線や光線を撃ちまくっている。それを止めることは、もう誰にもできなかった。

 

 庭園は大パニックになり、もう秩序だった避難は望むべくもなく、貴族たちは皆好き勝手に逃げまどっている。

 そしてその猛威は、不運にもギーシュたちのほうへと向けられた。

「ギーシュ!」

「ギーシュ様!」

 逃げ遅れたモンモランシーとルビアナに向けて、ブラックキングのドリル光線の照準が定められる。

 ギーシュは、ありったけのワルキューレを錬金してふたりの前に立ちふさがった。しかし、青銅のワルキューレの壁でどれだけ耐えられるものか。

 ならば、せめてひとりだけを全ワルキューレでカバーすれば守り切れるかもしれない。ギーシュの耳に、父や兄たちの声が響く。

「ギーシュ、ルビティアの姫様を守るんだ」

 そんなことは言われなくてもわかっている。しかし、ギーシュはどれだけ道理をわきまえても、それができる男ではなかった。

 そう、好きな子の前でかっこ悪いところを見せるくらいなら死んだほうがマシ。それが男だと信じるのがギーシュだった。

「ぼくは、ふたりとも守る! 足りない分の壁には、ぼくの体を使えばいいんだよ!」

 ワルキューレをモンモランシーとルビアナの前に均等に配置し、さらにその前にギーシュは立ちふさがった。

 これで死ぬなら本望。ギーシュは覚悟し、彼の耳に父や兄たちの絶叫が響く。

 だが、まさにブラックキングの光線が放たれようとしたとき、なぜかブラックキングの頭がふらりと揺れて光線の照準が大きくそれた。

 光線ははずれ、ギーシュには爆風と吹き飛ばされた砂や石だけが叩きつけられた。とはいえ、それだけでもじゅうぶんな威力で、ギーシュは傷だらけになりながら吹き飛ばされた。

「うわあぁぁっ!」

「ギーシュ!」

「ギーシュ様!」

 ワルキューレの影に守られて爆風をやり過ごせたモンモランシーとルビアナは、すぐにギーシュに駆け寄った。

 だがその後ろからブラックキングが狙ってくる。ギーシュの父や兄たちは、駆け付けようとしたが、もう遅かった。

「だめだ、やられるっ!」

 ドリルからいままさに光線が放たれるかと思われた。しかし、光線は放たれず、ブラックキングは目の焦点を失い、そのままフラリと揺らぐと地面に倒れこんでしまった。

 轟音が鳴り、横倒しになるブラックキングの巨体。ブラックキングは口から泡を吐いて痙攣していたが、すぐに動かなくなってしまった。

「無理な改造で、脳に負担がかかりすぎたんですね」

 呆然としたまま、宇宙人はつぶやいた。

 貴族たちも、突然絶命したブラックキングに呆然とするしかないでいる。だが、モンモランシーとルビアナは傷ついたギーシュを前に、それどころではなかった。

「ギーシュ、大丈夫! わたしがわかる?」

「ああ、モンモランシーだろう。よくわかるよ、いやあ君の顔を間近で見るのは永遠に飽きないねえ」

「バカ! またかっこつけて傷だらけになって。あなた血だらけじゃない!」

「いやいや大丈夫だよ。ちょっと体中しびれてるけど、痛みはないんだ。かすり傷だよ、ちょっと休めば立てるさ」

 だが、そういうときが一番危ないのをモンモランシーは知っていた。一時的に痛覚が麻痺していても、いずれ耐えがたい苦痛に襲われる。治療は一刻を争う。

 モンモランシーは杖を取り出して、治癒の魔法を唱え始めた。傷の深そうな部分から順々に、しかし治癒に止血が追いつかない。モンモランシーが焦り始めたとき、ルビアナがハンカチを手にそばにかがみこんだ。

「お手伝いしますわ」

 ハンカチを包帯代わりに、それでも足りなければドレスを引きちぎってルビアナはギーシュの止血をしていった。

 その行為に、ギーシュは「大事なお召し物をぼくなんかのために、もったいない」と止めようとしたが、ルビアナは気にした様子もなく言った。

「よいのです。ギーシュ様のお役に立てて破れたのなら、このドレスは私の誇りですわ。それより、ギーシュ様のために一番がんばっておられるのはモンモランシー様です。モンモランシー様をこそ見てあげてください」

 こんなときの気配りもできて、モンモランシーはこれが大人のレディなのかと少し悔しくなった。

 だけど負けない。こんなぱっと出のゲルマニア女なんかにギーシュをとられてたまるものか。

 やがて手当は終わり、治療が早かったおかげでギーシュはたいした後遺症もなく普通に立ち上がることができた。

「あいてて、まだ少し痛むけどもう大丈夫だよ。モンモランシー、ルビアナ、君たちのおかげだ。ありがとう」

「ま、まあ、あんたに助けられたわけだし、わたしにだって貴族の誇りってものはあるから当然よ」

「わたくしは何もしていません。モンモランシー様が、ギーシュ様を救ったのですわ。本当に、お似合いのふたりです」

 ルビアナにそう言われ、ギーシュとモンモランシーは照れた。

 しかし、それぞれの家の問題はまだ引きずっている。すると、ルビアナはギーシュとモンモランシーの手を取り、三人の手を重ねて言った。

「わたくしたち、とてもよいお友達になれそうですね」

 その光景で、グラモン家はもうなんの文句も言うことはできなくなってしまったのである。

 それだけではなく、ルビアナは事態の鎮静に四苦八苦しているアンリエッタの元に向かうと、各国の貴族たちに向かって宣言した。それはまとめると、今日の事件での損失はルビティア家が補填する。自分は、危急の事態にあっても冷静に判断するアンリエッタ女王に深い感銘を受けた、トリステインにルビティアは協力を惜しまない。これからもトリステインで皆さまとお付き合いしたいのだと。

 それにより、不満をたぎらせていた貴族たちは一気に大人しくなった。ゲルマニア有数の大貴族とのパイプがつながるのなら、今日のことなど安いものだ。

 当然、アンリエッタにとっても渡りに船である。ルビアナの申し出に感謝し、友好を約束した。

 

 

 そして、夢のような時間は終わりを告げる。園遊会は満足の内に終了し、ギーシュとモンモランシーはルビアナと別れる時がやってきた。

「さようなら、ギーシュ様、モンモランシー様。おふたりと出会えて、今日はとても楽しい一日でした」

「ルビアナ、短い時間でしたけどぼくもとても楽しかったです。あなたからはいろいろと教えられました。今日のこの時を一生胸に焼き付けることを約束します」

「ま、まああなたがいい人だっていうのはわかったわ。だからわたしからも言うわ、ありがと」

 手を取り合い、別れを三人は惜しんだ。

 これからルビアナはゲルマニアに帰る。そうなれば、また会えるかはわからない。

 そうなれば……ギーシュは不安だった。ルビアナにとって、今日のことぐらいは数多くある出会いのひとつに過ぎず、すぐに忘れ去られてしまうのではないか? グラモンとルビティアはそれほどの格差がある。

 しかし、ルビアナはギーシュの心の機微を見抜いたのか、再びギーシュとモンモランシーの手を取り言った。

「そうですわ。再会を願って、このラグドリアン湖の水の精霊に誓いを捧げましょう」

「え? 誓い、ですか」

「はい、ラグドリアンの精霊は別名誓約の精霊と聞いております。私たちの友情が永遠であることを誓えば、いつか必ずまた会えますわ」

 それは虹色の提案であった。精霊への誓約は違られることはないという。

 だが、人間の誓約に絶対はない。するとルビアナは、同じく見送りに来ていたアンリエッタに見届け人を頼んだ。

「ええ、わたくしでよければ見届けさせていただきますわ。あなた方三人の誓約、トリステイン女王の名の下に、この耳と目にとどめましょう」

 それ以上の確約などはあろうはずがなかった。ギーシュ、モンモランシー、そしてルビアナはラグドリアン湖を望み、それぞれの誓いの言葉を口にした。

「誓約します。ぼく、ギーシュ・ド・グラモンはモンモランシーを一番に愛し続け、ルビアナを永遠に愛し続けることを」

「誓約します。わたし、モンモランー・ラ・フェール・ド・モンモランシーはギーシュを愛し、ルビアナと変わらぬ友情を持ち続けることを」

「誓約します。私、ルビアナ・メル・フォン・ルビティアはギーシュ様とモンモランシー様に永久に続く友情を貫くことを」

 こうして誓約は終わり、三人は固く友情を結んで別れた。

 別れ際に、モンモランシーはルビアナに「ギーシュ様をよろしく」と頼まれ、「当然よ」と言い返した。

 遠ざかっていくルビアナの馬車を見送りながら、ギーシュとモンモランシーは思った。

 いい人だった。そして、すごい人だった……できるなら、あんな大人になりたいものだ。と。

 また会える日はいつ来るだろうか? ふたりの胸を、寂しい風が吹き抜けていった。

 

 

 だが、事態は収束したが、謎はまだ残っている。

 空から一部始終を見守っていた宇宙人は、この園遊会で集まったマイナスエネルギーの塊を手にしながらも釈然としない様子でつぶやいていた。

「『妬み』のエネルギー、確かに頂戴いたしました。しかし、いったい何者がブラックキングを改造したのでしょう……ブラックキングが地中に潜ってから出てくるまで、ほんの数十分……そんな短時間で、ブラックキングを改造できるほどの技術を持った者が、まだハルケギニアにいるというのですか? それに、なんの目的で……? 一体何者が……まさか……これは、遊んでいてはまずいかもしれませんね」

 ハルケギニアで起きている異変の元凶の宇宙人。しかしこの宇宙人も、ハルケギニアのすべてを知り尽くしているわけではない。

 深淵のように美しく純粋で底のない邪悪との邂逅が、すぐそこに迫っていることをまだ誰も知らない。

 ハルケギニアの戦士たちとウルトラマンたちを翻弄する、短いが熾烈な戦いが、もう間もなく始まる。

 

 

 続く



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第65話  剣下の再会(前編)

 第65話

 剣下の再会(前編)

 

 殺戮宇宙人 ヒュプナス 登場!

 

  

 謎の宇宙人の手により、書き換えられた舞台となったハルケギニア。

 そこでは彼によって、今日もなんらかの陰謀が進められている。

 しかし、忘れてはいないだろうか? この世界には、数々の災厄の発端となったあの侵略者がまだ健在でいることを。

 そして、奴は当然他人の事情などを鑑みたりなどしない。腐肉にたかるハゲワシやハイエナが譲り合うことなどしない。

 

 

 『それ』が、いつハルケギニアにやってきたのか。そんなに昔の話ではない。

 『それ』は、ハルケギニアが破滅招来体によって闇に閉ざされている時期のいずれかに、嵐に包まれる聖地から現れた。

 『それ』は、巨大な宇宙船に乗ってやってきた。

 送り込んできたのはヤプール。奴は、まだ動けない自分に代わって、ハルケギニアに混乱を巻き散らすエージェントとして『それ』と契約し、送り込んだのだ。

 しかし、『それ』が底に秘めた邪悪を、ヤプールさえまともに理解しているわけではなかった。

 悪は正義の敵となる。しかし、悪が悪の味方となるとは限らない。『それ』が誰を傷つけ、誰を利するのか。

 そして時が経ち、解き放たれた美しき殺戮者の魔の手によって彩られる、短くも真紅に満ちた日々が始まろうとしている。

 これは、物語の大筋のほんのすきまに挟まれた、悪夢のような数週間の記録。その始まりである。

 

 

 トリステイン魔法学院の遠足や、トリスタニアを騒がせた三面のバカどもの騒動からもしばらくして、トリステインは再び平穏な日々を送りつつあった。

 だがその影で、無視できない凶事が進行していることを、新聞の一面を見た市民は暗然とした思いで感じ取っていた。

「子供の行方不明事件、昨日もタルブ村で三件発生。トリステインだけでも、これで二十四人の子供が突然いなくなっている……か。うちのガキにも外に出るなって言っとくか」

 ある日、なんの前触れもなく子供が姿を消す。子供を持つ家庭を震え上がらせる事件が、このところトリステインやガリアで頻発していた。

 身代金の要求などはなく、消える子供も貴族や平民を問わずに、子供であるという共通点以外はない。

 

 もちろん、こういった事態を官憲が見逃すわけはない。近年禁止になった奴隷取引の密売目的と見て、すでに水面下では動き始めている。

 しかし、敵もさるもので、いまだに誘拐団の検挙にはいたっていない。しかし、少ない手がかりを元に、少しずつ捜査の網を絞り込んでいっていた。

 そして、その捜査をおこなう人間たちの中に、青髪の女騎士の姿もあった。

「では、お子さんを最後に見たのは三日前の……わかりました。ご協力感謝します」

 ある村で、突然息子が消えた家での聞き込みを終えて、浮かない様子で彼女は出てきた。

 ここもほかと同じで、目ぼしい手がかりはなかった。だがそれ以上に、憔悴しきった様子の両親の姿が痛々しかった。目を腫らして、恐らく子供がいなくなってからろくに寝ていないに違いない。

 しかし、捜査に進展がないというわけではなかった。彼女の手には、真新しい報告書の写しが握られていて、それには約一年半ほど前に解決したはずの、ある事件の顛末が記されていた。そして、その首謀者の名前に目をやったとき、彼女の眉が不快気に揺れた。

「やはり手口が似ている……今さら出てきて今度は何をしようというんだ。それともお前、まだあの頃の遊びの続きをしているつもりなのか……?」

 書類をしまい、彼女は歩き出した。まだ、どこの衛士隊も犯人の足取りさえ掴めていない。しかし、彼女の足取りには迷いがなく、やがて彼女の姿は真夏の陽炎の中に消えていった。

 

 

 

 そんなある休日のことである。才人はルイズやティファニアとともに、トリスタニアにある修道院の孤児施設を訪れていた。

「あっ、テファお姉ちゃんだ。おーいみんな、テファお姉ちゃんたちが来てくれたよーっ!」

 子供の元気な叫び声が施設にこだまして、たいして大きくもない施設から子供たちがわっと飛び出してきた。

「テファおねえちゃん!」

「わーい! テファおねえちゃんだ」

「みんな、ただいま。いい子にしてた?」

「はーい!」

 子供たちは、親同然に慕っているティファニアがやってきたことで、踊るように喜んで集まってきた。

 その子供たちに、ティファニアや才人は手にいっぱいに持ったお菓子やおもちゃなどのお土産を差し出した。たちまち群がる子供たちの手に奪われて、才人たちの手は空になる。

「みんな、久しぶりだな。元気してたかよ」

「うん、サイトおにいちゃんたち、ありがとう」

 クッキーを手にした子にお礼を言われて、才人はまとまりの悪い髪をかいて照れた。

 この施設の子供たちのほとんどは、才人やルイズにとっても見慣れた相手だ。彼らはウェストウッド村にティファニアといっしょに住んでいたが、ティファニアがガリアにさらわれた際に子供たちだけで村に残すのは危険だと判断してトリステインへ連れてきた。その後も、何もない森の中よりは人のいる場所で生活させたほうが子供たちの将来にとって望ましいということで、この施設に預けられたのである。

 もちろん、子供たちはティファニアと離れ離れになるのはつらかった。しかし彼らは健気にも聞き分けて、慣れない土地での共同生活を受け入れた。そして、彼らが楽しみにしているのが、ときおりのティファニアの訪問なのである。

「オッス、サイトのあんちゃん。テファねえちゃんに手ぇ出してないだろうな」

「ようジム、お前も元気そうだな。前より背が伸びたか? てか太ったかコラ」

「やべっ、やっぱそう見えるかい。まじいなあ、最近メシがうまくってついつい……これじゃテファねえちゃんに見せられないよ」

 少年のひとりと憎まれ口を叩きあいながら才人は笑った。子供たちはみんな血色がよくて元気そうだ。ウェストウッド村で遊んだ時と変わらないわんぱくっぷりは、彼らがこのトリステインになじんだ証なのだろう。

 また、ルイズはこの修道院の管理人である老神父と和やかに話していた。

「ありがとうございます、貴族さま。遠路お越しいただきまして、おかげで子供たちもとても喜んでおります」

「かまわないわ。わたしにとっても浅い仲じゃないもの。あはは、サミィにマリー、後で遊んであげるから、今は神父様とお話があるから、ちょっと我慢してね」

 子供のパワーには、さすがのルイズもたじたじであった。そんなルイズに、しわだらけの顔をした老神父が穏やかに話しかけてくる。

「皆、元気で素直で、健やかに育ってくれております。よほど、あの子たちを育てたティファニア殿の教育がよかったのでしょうな。私共としても、あの子らが育つのを見るのが楽しくて仕方がない毎日なのです」

「そうね。この子たちが大きくなれば、きっとトリステインはいい国になるわ。それより、運営費のほうは大丈夫? もし足りないなら、女王陛下に上申してあげるけど」

 孤児院は主に教会の寄付などで運営されているため、正直安定しないのが実情だ。ほかにロングビルことマチルダも資金を出してはくれているものの、子供を育てるには本当に金がいくらあっても足りないものだ。幸い、ここは神父様がよくできた方なので子供たちの教育については心配ないけれど、金銭についてはロングビルが今でも不安を感じていることはルイズも知っていた。

 けれど神父様はにこやかに首を振った。

「いいえ、実は最近ゲルマニアのお金持ちの方が援助をしてくださるようになったので、今では子供たちにお腹いっぱい食べさせることができております」

「ふーん、ゲルマニアにも奇特な奴がいるのねえ。キュルケに爪の垢を煎じて飲ませたいものだわ」

 ルイズは素直に感心した。ゲルマニアの金持ちといえば守銭奴のイメージが強いが、中には例外もいるものだ。

 だが、これでアンリエッタに余計な心労をかけさせないですむのはありがたい。ルイズはたまにアンリエッタに送る手紙の中で、市政の様子を簡単でもいいから報告してほしいと頼まれていた。今回、ティファニアに付き合ってここに来たのもその一環で、トリステインの財政は現在安定しているけれど、あらゆる場所を満足させるのは不可能だ。当然、どこかでゆがみが生じるため、そこに民衆の不満が集まることになるのだが、どうやら次に出す手紙に心苦しいものを書かなくてもよさそうでほっとした。

 しかし、老神父は少し顔を曇らせると、ルイズにだけ聞こえる声で不安を口にした。

「ただ、心配なのは最近新聞を騒がせている誘拐事件です。もうかなりの数の子供が消えていると言いますし、我々も心配で」

 するとルイズも顔を曇らせた。

「そうね。どこの誰かは知らないけど、性根の腐った奴がいるものね。わたしが見つけたらトリステインから叩き出してやるところだけど、犯人が捕まるまでは子供たちから目を離さないほうがいいわね」

「おっしゃるとおりです。ですが、なにぶんみんな遊びたい盛りの頃。大人の我々では抑えきれないものがありましてなあ。よいことなのですが、複雑なことです」

 確かに、子供たちのパワーはすごいものだ。真面目に考え込んでいたルイズの前で、才人が悲鳴をあげながら、あっちからこっちへと引っ張られていく。ウェストウッド村のときと変わりない光景に、ルイズの頬も緩んだ。

「あはは、あれじゃサイトが一番のおもちゃね。テファ、サイトを助ける必要なんかないわよ。無駄に頑丈だからその程度じゃ死にゃしないって」

「お、おいルイズ、そりゃねえって! いてて!」

「なに言ってるの。テファにいっしょに来ないかって誘われて、即答したのはあんたでしょうが。もうしばらくそこで遊ばれてなさい」

 にべもないルイズの言葉に、才人は悲鳴をあげながら子供の波の中へと消えていった。

 とはいえ、ルイズのほうもいつまでも高みの見物とはいかず、何人かの子供に誘われると仕方なくついていった。そこで、女の子に編み物を教えようとして毛糸玉を作り、逆に教えられて顔を赤くしているのはルイズらしいと言うべきか。

 しかし、子供たちに翻弄されながらもティファニアだけでなく、才人やルイズの表情は明るい。ちびっこと遊ぶのが大好きというのは全宇宙のウルトラマンたちの共通点かもしれない。

 

「つ、疲れた」

 しばらくしてやっと解放された才人は息をついた。下手な訓練やドンパチよりよほど体力を使う、これを日常的にやってるんだから子供というのはたいしたものだ。

 教会の古ぼけた椅子に座って才人が休憩していると、そこにとことこと一人の少女が寄ってきた。

「サイトおにいちゃん、大丈夫?」

「ん? おっ、アイちゃんか。元気そうだな、みんなと仲良くしてるか?」

「うん、男の子たちはアイの子分なんだよ。いつかアイの騎士団を作って、おじさんに見せてあげるんだ。えっへん」

 小さな胸をはる少女を、才人は優しく頭をなでてあげた。

 才人にとって、この幼い少女の成長を見届けるのは感慨深いものがある。今となっては懐かしい思い出になるが、自分がハルケギニアに来て間もない頃の事件で、彼女と彼女の育ての親であったミラクル星人をテロリスト星人の魔の手から救い出したことがある。その後、星に帰ったミラクル星人からこの少女、アイを引き取り、ティファニアのところに預けて成長を見守ってきた。

 アイは才人になでられて、うれしそうに笑った。それに釣られて才人も笑みを浮かべる。兄弟のいない才人にとって、アイは年の離れた親戚の子のような存在であった。

「おじさんと会えなくて、寂しくないか?」

「うん、少し……でも、アイが寂しがってるとおじさんが安心してお星さまに帰れないもの、我慢するの。それに、今はみんながいるし、サイトお兄ちゃんたちも会いに来てくれるもん」

「そっか、偉いねアイちゃんは。ほんと、ルイズもこれくらい素直なら可愛げがあるんだがなあ」

「あーっ、いけないんだいけないんだ。ルイズお姉ちゃんに言っちゃうぞ」

「げげっ、それは勘弁してくれ。ほら、飴あげるから」

「わーい」

 子供は意外とリアリストなもので、大人を出し抜く術をいくらでも知っている。才人は、冷や冷やしながらポケットの中に菓子を残していた自分の賢明さを褒めたたえていた。

 教会の中にいるのは、休憩に入った才人とアイだけで、涼しい空気が流れてがらんとしている。掃除が行き届いているようで清潔なものだが、子供たちの遊び場にもなっているようで、ところどころの椅子が乱れていた。

「みんなといっしょに遊ばなくていいのか?」

「うーん、ちょっとくたびれちゃった。だってみんな子供なんだもの。でもアイは大人だから、サイトおにいちゃんをおもてなししてあげるの」

「はは、ありがとうな」

 才人はもう一回、アイの頭をなでてあげた。

 精一杯背伸びをする子供というのはかわいいものだ。才人にも、あまり思い出したいものではないがこういう時期があった。もっとも、今でも抜けきったわけではないが、人間は自分以外のことはよくわかるものだ。

 耳をすませば、子供たちの遊ぶ声がまだ教会の外から聞こえる。ティファニアはひっぱりだこだろうし、ルイズのヒステリーを起こす声が聞こえるところからすると子供に負けてむきになっているようだ。

「ありゃあ、今は近寄らないのが身のためだな」

「じゃあ、お兄ちゃん。こっちに来て、おもてなししてあげるから」

「おっ、なにかななにかな?」

 才人はアイに手を引かれて教会の裏手に入っていった。

 子供たちや職員はほとんどが庭のほうへ行ってしまったようで、人気のない廊下を走ってゆくと、そこには素晴らしい光景が広がっていた。

「ひゃあ、教会の裏庭はひまわり畑だったのか」

 驚く才人の前に、太陽の畑が広がっていた。

 夏の日差しに照らされて、背の高いひまわりが何百と空へ向かって伸びている。そのまぶしい光景を誇らしげに、アイは才人に語って聞かせた。

「むふん、ひまわりはね。そのまま売ってもいいし、種をとって油を搾れば売れるしで、教会のうんえーひになるんだって。ついでに、わたしたちのじゅーそーきょーいくにもいいんだって、神父様が言ってた」

「そうなのか。おれなんて、小学校の頃にハムスターのエサにしたくらいしかしてないのに、みんな偉いな。それで、これをおれに見せたいのがおもてなしかい?」

「ブッブー、こっちに来て。奥の小屋で、ひまわりの蜂蜜から作ったジュースを作ってるの。サイトお兄ちゃんにだけ、特別に飲ませてあげる」

「おっ! そりゃ楽しみだ」

 喉が渇いていた才人は一も二もなく飛びついた。

 ひまわり畑の中の道をアイに手を引かれてついていく。途中で何匹もの蜂とすれ違ったが、何百という花の中では人間なんかどうでもいい様子で八の字ダンスを踊っていた。

 目的の小屋は畑の奥にあり、人の背より高くなったひまわりにさえぎられて、近くに行かなければ見えないものだった。

 アイはこっそり持ち出していた小屋の鍵を取り出し、待っててねと笑う。ところがである。小屋の影から、ひそひそと誰かの話し声が聞こえてきた。

「だから……よし……いいぞ」

「これで……終わり……やっと」

 野太い男の声。しかも二人……才人は一瞬、教会の職員の誰かかと思ったが、その身に沁みついた経験から無意識に警戒態勢に入り、そっと小屋の裏をうかがった。

「サイトお兄ちゃん?」

「しっ、ちょっと静かにしてて」

 何がとは言えないが、嫌な予感がしてならない。そして小屋の壁に隠れて、裏の気配をうかがうと、確かに人の気配がする。

 なんだ? ガサゴソという音がする。それに、「ずらかるぞ」という声も聞こえた。もう怪しいどころではない。才人は背中のデルフリンガーの存在を確かめると、一気に飛び出した。

 

「お前ら、そこでなにしてやがる!」

 

 飛び出した才人の大声に、隠れていた二人の男がびくりとなって振り返る。

 果たして、そこにいたのは教会の人間ではなかった。一般的な平民の服をまとっているものの、筋肉質の見るからに傭兵くずれじみた雰囲気を放つ男。ここは教会の敷地内、無許可の人間が立ち入ることはできないはずだ。

 だが、才人は二人の男が運び出そうとしていた荷物にこそ目がいった。ひとりが担いだ大きな麻袋から、子供の足がわずかに覗いていた。

「あの靴、マーちゃんだよ!」

「てめえら、最近噂の人さらいだな。覚悟しやがれ、ぶっとばしてやる!」

 激高した才人はデルフリンガーを抜いて切りかかっていった。男たちは、ここで人が出てくるとは予想外だったようで、才人の振りかざしたデルフリンガーにおびえて、担いでいた子供を麻袋ごと落としてしまった。

 とたんに、しまった、と声をあげる人さらいの男。それと同時に、アイも教会のほうへ向かって、「誰かーっ! 人さらいだよ! 早く来てーっ!」と、大声で叫ぶ。

 今の声は間違いなく届いているはずだ。すぐにルイズたちが駆けつけてくるだろう。

「ここが年貢の納め時だな。観念しろ、悪党ども!」

 才人はアイをかばいながら、うろたえている人さらいたちにデルフリンガーを突き付けた。

 だが、勝ったと思った才人はここで一瞬だが致命的な油断をしてしまった。

「んだ? ね、眠い……?」

 突然、急激な眠りが湧いてきた。才人がなんとか目を凝らしてみると、もう一人の男が杖を握っていた。

「しまった。メイジがいたのか」

 催眠の効果を持つ魔法を使われたのだということに気づいたときには遅かった。才人は立っていることができず、ひざをついてしまう。

 起きて、とアイが叫んでくるが、魔法の力をまともに受けては才人も気を失わないだけで精一杯だった。

 そして、逆転に成功した人さらいの男たちはほっと息をついて話し合った。

「アニキ、やりましたね。まさか、こんなところに剣士がいるとは。こいつ、どうしやす?」

「バカ野郎、こいつらには俺たちの顔を見られてる。ガキは捕まえろ。小僧は俺が始末する」

 人さらいたちは冷酷だった。アイに子分の男が襲い掛かって、たちまち手を取って捕まえる。アイは離してと叫ぶが、大人の力には抗いようもない。

 対して才人には、メイジの男が魔法の矢を放ったが、そこでメイジは自分の目を疑った。

「なにっ! 魔法が吸い込まれた。マジックアイテムの剣か!」

 デルフリンガーの効力で、才人に向かった魔法は刀身に吸い込まれて消えてしまった。メイジの男は動揺し、さらにそこにひまわり畑の向こうから声が響いてきた。

「サイトーッ!」

 危急を知ってルイズや神父たちが駆けつけてきたのだ。大勢の足音が近づいてくることに、人さらいたちは焦る。

「アニキ、まずいですぜ!」

「くそっ! 仕方ない、こいつらの始末は後だ。そっちの小僧も担げ! 逃げるぞ」

 才人をすぐに始末するのは無理と判断した人さらいたちは、やむを得ずアイといっしょに才人も担いで走り出した。

 教会の裏庭の先は、塀を隔てて小道になっている。彼らは塀に空いた穴から抜け出ると、そのまま先に進んだ通りに止めてある馬車に飛び込んで御者台で待っていた男に怒鳴った。

「すぐに出せ! まずいことになった」

 御者の男はそれで事態を理解したようで、即座に馬車を出発させた。

 馬車は通りから大通りに出ると、何事もなかったかのように淡々と進んでいく。馬車の形はありふれたもので、もし追っ手が馬車を見たとしても大通りで別の馬車列に紛れてしまえば発見は困難になると思われた。

 ただし、通報されてトリスタニアの出口に検問を張られたら出られなくなる。昔と違い、今は役人も少々の賄賂では動いてくれなくなった。

 しかし、人さらいたちは逃げ切れるという確信があるというふうに、悠々と馬車をある方向に走らせ続けた。

 

 そのころ、人さらいたちを見失ったティファニアやルイズたちは、やむを得ず衛士隊に駆けこんでいた。

「ああ、こんなことになってしまうなんて。サイトさん、アイちゃん、どうか無事でいて」

「落ち着いてテファ、衛士隊が動いた以上、どのみちもう犯人たちはトリスタニアからは出られないわ。サイトたちはまだ必ずトリスタニアにいる。あきらめずに探すのよ」

 必死に冷静になるように自分をはげまし、ルイズはなんとしても才人を助け出すと誓った。しかし広いトリスタニアのどこを探せばいいものか、皆目見当もつかなかった。

 教会では、神父様や子供たちが必死に二人の無事を祈り続けている。彼らにできることは、神に祈ることしかほかになかった。

 誘拐事件がトリスタニアのど真ん中で起こったことで、威信を傷つけられた衛士隊は全力で捜索を開始した。が、犯人につながる有力な情報は、日没を迎えても何一つ見つからなかったのだ。

 

 一体、才人とアイをさらった誘拐団の馬車はどこに消えたのか?

 その姿は、平民の住まうごみごみとした市街地ではなく、貴族の邸宅の並ぶ高級住宅街の中の、一軒の廃屋の中にあった。

 そこは、見捨てられてしばらく経つ廃屋。しかも買い手がつかなかったと見えて、外から見たら人がいるとはとても思えないような幽霊屋敷であった。

 馬車は門をくぐると、邸宅の庭から地下に向かって空いた入り口に入っていって姿を消した。どうやらこの家では、外観の保全のために車庫を地下に設置していたらしい。目立つ馬車を隠すには、もってこいの構造と言えた。

「おら、降りろガキども!」

 車庫の奥の倉庫で、才人とアイは乱暴に馬車から引きずり出された。

 才人は馬車に揺られていた間に魔法の効果が薄れ、ある程度は意識が戻っているものの、まだ体をまともに動かせないでいる。そんな才人に、人さらいの男は才人の手から奪ったデルフリンガーを突き付けた。

「へっへっ、余計なことしてくれたなクソガキが。おかげで俺たちは姉御に雷を落とされるのは確実だ。その前に、ぶっ殺してやるぜ、覚悟しやがれ」

「てめえら……ここは、どこだ?」

「あん? 兄貴の魔法を受けて、もう目が覚めてるとは驚きだぜ。だが、いくら助けを呼んでも無駄だぜ、ここは一族郎党フーケに皆殺しにされた貴族のお屋敷、薄気味悪くて誰も近寄りゃしねえからな」

 フーケの? なるほどと才人は理解した。ホタルンガによって皆殺しにされた貴族の邸宅を、こいつらは隠れ家にしてるわけだ。

 なんとかルイズたちに知らせないと。才人は思ったが、魔法の影響でまだ体が自由に動かない。アイが、やめて! と叫んで飛びかかったが、あっさりと振り払われてしまった。

「アイちゃん! てめえら、そんな小さな子に!」

「けっ、どうせこのガキどもも、もうすぐタダじゃすまなくなるんだ。てめえは珍しい剣を持ってるけどよ、だったらこいつで串刺しになるなら本望だろ? 死ねや!」

 男がデルフリンガーを振り上げる。そしてそのまま才人の心臓を目がけて振り下ろそうとした、その瞬間だった。

 

「ああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」

 

 突然、それまで黙っていたデルフリンガーが大声をあげた。

 当然、インテリジェンスソードなどと思っていなかった人さらいの男は仰天してデルフリンガーを手落としてしまった。

 乾いた音を立て、才人のすぐ前に転がるデルフ。デルフは意識混濁の才人にも容赦なく怒鳴った。

「相棒、早く俺を持て! 今しかチャンスはねえ!」

「デ、デルフ」

「早くしろ! 手を伸ばせ! そこの娘っ子がどうなってもいいのか!」

 はっとした才人は、渾身の力で手を伸ばし、デルフを掴み上げた。その感触で意識が完全に戻り、雄たけびをあげながら立ち上がって男に斬りかかっていく。

「うおぉぉぉぉっ!」

 どのみち体が本調子ではないので、力任せのチャンバラだ。男は迫ってくる才人に、懐からナイフを取り出して応戦しようとしたが、才人の気迫とスピードが一瞬勝っていた。

「でありゃぁぁぁーっ!」

 袈裟懸けの一刀が人さらいの男の体を切り裂き、血しぶきが飛んだ。

 やった。才人は確かな手ごたえを感じていた。その証拠に、男は悲鳴を上げながら崩れ落ちていく。

「ぎゃああっ、そんなっ……こんなガキなんかに」

 傭兵くずれの男は才人を若いとあなどって、自らの墓穴を掘ることになった。見た目だけはたくましい肉体を、ほこりまみれの床に倒れこませてのたうつ。致命傷には一歩及ばないが、戦闘不能なだけの傷は与えたようだ。

「や、やった……」

 才人はデルフリンガーを杖にしてひざをついた。まだ魔法の余韻で体がしびれて調子が戻らない。

 だがデルフは焦った声でさらに才人に怒鳴った。

「バカ野郎! まだ終わってねえ!」

 そのとおりだった。才人が緊張を解いた、その隙にもう一人の男が杖を抜いてアイに突き付けていたのだ。

「動くんじゃねえ、さっさとその妙な剣を捨てろ。さもねえとガキの頭を吹っ飛ばすぞ」

「畜生、敵はもうひとりいたんだった……」

 まさに痛恨のミスだった。アニキと呼ばれていたメイジの男のことを忘れていたとは、自分のうかつさに歯噛みしてももう遅い。

 メイジの男の杖の先は、部屋の隅で倒れているアイにまっすぐ向いている。しかも才人から男に対してはざっと七・八メートル、アイに対しても五メートルはある。

 才人は頭の中で計算して絶望的だと思った。まだ自由に動かないこの体じゃ、男に飛びかかるのもアイをかばうのも、魔法が放たれるよりも確実に遅れてしまう。

「どうした! 早くしろ、俺は気が短いんだ」

 いらだった男が怒鳴った。メイジの男は周到にも、倉庫の唯一の出入り口のドアに背中を預けて陣取っている。車庫の入り口のほうは馬車でふさがれていて、これでは逃げ場がない。

 どうすればいいんだ? アイを度外視すれば、不自由なこの体でもなんとかメイジひとりくらいは倒せなくもない。だが、そんなことは絶対にできない。

 デルフが、相棒しっかりしろ! と、叫んでくる。せめてあと五分あれば体調も万全に戻って、アイをかばいつつ男も倒せるんだが……今はその五分が絶望的に長かった。

「畜生! 好きにしやがれ」

 才人はやけっぱちになってデルフを放り出した。デルフが、相棒! と叫びながら転がっていく。これで才人は完全に無防備になってしまった。

「いい心がけだぜ。じゃあ、死んでもらおうかい!」

 メイジの男が才人に杖の先を向けて魔法の呪文を唱える。なにを唱えているかは知らないが、まず確実に才人の命を奪えるシロモノだろう。

 だが才人は死に瀕しながらも、まだあきらめてはいなかった。あいつの魔法をなんとか一発耐えきる、そうしてデルフを拾い上げて第二撃が来る前に斬りかかる。普通に考えれば一撃目で死んでしまうか、よくて瀕死の可能性が高い。それでも、才人はあきらめだけはしていなかった。

「来るなら来やがれ! 俺はまだあきらめちゃいねえ」

「なら、死ね!」

「やめてーっ!」

 才人、男、そしてアイの叫びが倉庫にこだまする。

 しかし、男の杖から魔法が放たれることはなかった。なぜなら、男が魔法を放とうとしたその瞬間、男が背にしていたドアから鈍い音がしたかと思うと、ドアの板をぶち抜いてきた銀色の刃が背中から男の体を貫通したからだ。

「がっはっ? え、あ?」

 男は間の抜けた声を漏らすと、激痛とともに自分の左胸から生えた剣の先を見下ろし、そのまま眼球を反転させながら崩れ落ちた。

 才人やアイは、いったい何が起きたのかと訳が分からない。一本の剣がドアを貫通してきて男の心臓を貫いた。一体誰が? いや、才人はあの形の剣先を持つ剣に見覚えがあった、あれを正式装備にしている部隊といえば。

 ドアから剣が引き抜かれ、ノブが回されてきしんだ音を立てながら開いた。そして、その先から現れた青髪の剣士は。

「姉さ、ミシェルさん!」

「サイト、なぜこんなところにいる?」

 現れたミシェルの姿に、才人は困惑を隠せずに叫んだ。対してミシェルも才人がなぜこんなところにいるのか不思議な様子で、才人は自分たち二人がさらわれてきた経緯を簡単に話した。

 そしてミシェルがどうして現れたのかについては、聞かなくても才人にもだいたい見当はついた。

「ミシェルさんは、この誘拐団を追ってここに?」

「……そういうことだ。それにしても、まったくお前という奴は、わたしがたまたまお前の声を聞きつけなかったらどうなっていたか」

 ミシェルは呆れた声で言った。

 そのとき、アイが才人のところに怯えた様子でやってきたので、才人は「この人は味方だよ」と告げてあげた。

「こ、こんにちは。わたし、アイです」

「はじめまして。わたしはミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン。サイトを守っていてくれたんだね、ありがとう」

 ミシェルが優しく微笑むと、アイも緊張が解けたようににこりと笑い返した。

 しかし、空気が和んだのもそこまでだった。最初に才人が倒した男が、倒れたままだが短いうめき声を漏らすとミシェルは血相を変えて再び剣を引き抜いたのだ。

「ちっ、そっちはまだ息があったか!」

「ちょ、ミシェルさん。あいつはもう身動きできないんだし、殺しまでしなくっても」

 確実に始末しようとするミシェルに、才人は慌てて割り込んだ。だがミシェルは躊躇を見せずに才人を押しのけようとする。

「そういう問題じゃない。今のうちに……ちっ、もう遅いか!」

「遅いって……えっ?」

 才人は人さらいの男のほうを振り向いて驚いた。

 なんと、それまで普通の人間の姿だった男の体が部分的ながらも変貌していっていたのだ。手は大きく鋭い爪のようなものに変わり、肉体も人間から怪人然としたものに変化していく。

 そして男は身もだえしながら断末魔のように漏らした。

「うあぁぁ、変わる、変わっちまうぅぅ! やめろ、助けて、タスケ。グアァァァッ!」

 ついに頭さえもでこぼことしたのっぺらぼうの完全な怪人体となってしまった男は、立ち上がるとその鋭い爪を振り上げてきた。

「なっ、なんなんだこいつ!」

「話してる暇はない! 早く剣を拾え! 来るぞ」

 言ったとたんに、怪人は人間離れしたスピードで襲い掛かってきた。

 爪の連撃をミシェルが剣ではじき、突進をかわす。しかし怪人はひるんだ様子もなく、バーサーカーのように向かってくる。

 才人はその隙に、投げ出したデルフリンガーを拾い上げて構えた。幸い、もう体の不調はない。

「アイちゃん、部屋の隅でじっとしてるんだ。デルフ、行くぞ」

「おうよ!」

 才人はデルフを持ち、苦戦しているミシェルに加勢するために飛び込んだ。

「くらえっ!」

 怪人の爪と才人のデルフリンガーが激突して火花が散る。すごい強度とすごい力だと、一回のやり取りで才人は怪人の強さを理解した。

 こいつは、一回でも殴られたら人間なんかひとたまりもない。

「サイト! 油断するな。こいつはもう人間じゃない!」

「はい! この野郎めっ」

 才人も気持ちを切り替えて、化け物になってしまった男に容赦なく斬りかかっていく。

 こいつはなんだ? 見たこともないが、どこかの宇宙人なのか? いや、それを考えるのは後でいい。いや、考えている余裕がある相手ではなく、才人が加わったことで二対一になったにも関わらず、怪人は二人と互角の勝負を繰り広げていた。

 並の人間の動体視力ではとらえきれないほどの速さで繰り出される爪の攻撃を、才人とミシェルは力負けしながらもさばいた。部屋に、石と金属がぶつけ合ったような鈍い音が何度も響き渡る。

 そして一瞬の隙をつき、才人は怪人の胴を横なぎに斬り払った。が。

「硬いっ!」

 日本刀の刀身は怪人の皮膚を薄く切り裂いただけで、中の肉までは刃が通らなかった。

 怪人の青い血が刀身につき、才人は怪人が復讐の勢いで振り下ろしてきた爪をすんでのところで受け止めた。切れないわけではないが、威力が足りないのだ。

 これじゃ倒せない! 才人は怪人の攻撃を受け止めながら焦った、そのときだった。

「サイト、そのまま押さえつけていろ!」

 ミシェルが怪人の死角から、『ブレイド』の魔法をかけた剣を振り上げながら叫ぶのが見えた。

 あれならいける! 才人は渾身の力で怪人の攻撃に耐え抜き、そのチャンスにミシェルは大上段から必殺の一刀を怪人の首に叩きつけた。

「であぁぁーっ!」

 魔法の光をまとった剣が怪人の首を直撃し、吹き飛んだ首が倉庫の壁に叩きつけられて転がった。

 いくら強靭な肉体を持つ怪物でも、首を切り落とされればどうしようもない。才人に押さえつけられていた胴体のほうも力を失って倒れ、解放された才人はほっとしてようやく息をつけた。

 見ると、ミシェルのほうも楽ではなかったらしく、軽くではあるが呼吸が乱れている。才人は床に倒れこんだ怪人の死体と、転がった首を交互に見下ろして、憮然としてミシェルに尋ねた。

「なんなんですか、この化け物は?」

「わからん。ここに来る前にも、誘拐団のひとりを捕らえて口を割らせるために痛めつけたらこうなった。瀕死にしても同じだ。どうやら、こいつらは極度の苦痛を感じると怪物に変貌してしまうらしい」

「気色わりい……」

 才人は不快気に吐き捨てた。それになにがなんだかわからないが、怪物になってしまったこの男は、自分が変貌してしまうことに恐怖していた。同情できる人間ではないが、かといってざまあみろと思うにも残酷すぎる。

 しかし、思慮に興じている余裕はなさそうだった。部屋の隅で怯えていたアイが、おにいちゃん……と、不安げな声をかけてきたことで、才人は自分たちが誘拐団の本拠地にいるのだということを思い出した。

「アイちゃん……よしよし、もう大丈夫だからね。ミシェルさん、ともかくここを離れようぜ」

 才人は、自分たちはともかくアイをこんなところに置いてはおけないとミシェルにうながした。ミシェルは、才人に抱かれながら慰められているアイを少しうらやましそうに見つめたが、すぐにうなづいて言った。

「サイト、誘拐団はわたしが始末する。お前はその子を連れて、早くここから逃げろ」

「えっ? わたしがって、アニエスさんや銃士隊のみんなは?」

「今回のことはわたしの独断だ。皆はまだ何も知らん。ともかく行け、ここはわたしだけで十分だ」

 才人は、そう言われてもと戸惑った。さっきの怪人の強さを思うとミシェルを一人で行かせるのは心配だ。が、かといってアイをこんな場所でほっておくわけにもいかない。

 だが、敵は待ってはくれないようだった。才人が答えを出す暇も与えられず、馬車が入ってきた車庫の入り口が突然鋼鉄のシャッターで閉じられてしまったのだ。

「出口が!」

「ちっ、気づかれたか」

 廃屋のはずなのに、この仕掛け。ミシェルが忌々しげにつぶやくと、天井から恐らくは魔法の仕掛けによって、若い女性の声が響いてきたのだ。

『ごきげんよう、素敵な戦士のお二方。二人がかりとはいえ、ヒュプナスを倒すとはやるじゃないの。見ての通り、もう逃げ道はないわ。すぐ始末してもいいけど、あなたたち面白そうね。私はこの屋敷の一番奥にいるわ、私を倒せたらあなたたちは外に出してあげる。そういうわけで、ご機嫌よう』

 一方的に言うだけ言うと、相手の声は途切れてしまった。

 才人は、まるで遊ばれているような感じに憤って、偉そうにしやがって! と地団太を踏んだ。

「ミシェルさん、こうなったら二人でここのボスをぶっ倒してやろうぜ……ミシェルさん?」

「トルミーラ……やはり、あなたか」

 ミシェルはなぜか、声のしてきた天井を遠い目で見続けている。

 才人は何回かミシェルに呼びかけ、そしてミシェルは重い面持ちで答えた。

「そうだな、仕方ない。こうなれば、進むより道はないようだ。サイト、こうなったらしっかりその子を守ってやれ」

「はい……それとミシェルさん。さっきトルミーラって……誘拐団のボスを知ってるんですか?」

「……道すがら話そう。ここは意外と広いぞ、わたしからはぐれるなよ」

 ミシェルはそう告げると、すでに屋敷の見取り図を暗記しているらしく、迷いなく歩き始めた。

 ドアをくぐり、魔法のランプの明かりが照らすボロボロの廊下を三人は歩いていく。だが人の気配がどこからかする。誘拐団の手下が待ち伏せているのかもしれない。

 才人は、いつでもアイをかばえるよう左手でアイの手をつないで、右手でデルフを握りながら、正面の警戒を続けながら進むミシェルについていった。

 ギシギシと、不穏な音が足元から否応なく響く。才人が、こんなシチュエーションのホラー映画があったなと思ったとき、ミシェルは振り返らないまま話し始めた。

「去年の春のことだ。トリステインで、傭兵団が主犯の誘拐事件が起きた。だがその一味は通りがかったあるメイジに倒され、一味は全員逮捕されたことで解決した……はずだった。だが一か月前、一味はチェルノボーグの牢獄から脱走し、いまだに行方不明のままだ。そして、その一味の頭目の名前が、トルミーラという女メイジだ」

「って、牢獄から一味まとめて脱走って! そんな大ニュース、聞いたこともないですよ」

「当然だ。牢獄にとってはこの上ない大失態。所長以下看守たち揃ってで隠蔽され、明るみに出たのはつい最近だ。今頃は所長ら全員が捕縛されて、逆に牢獄に叩き込まれていることだろう。それも国の失態につながるから隠匿され、一般には公開されることはない」

 才人は呆れかえった。そんな馬鹿な役人たちのせいで誘拐団が野放しにされ、多くの子供が危険な目に会っている。

 ただ、才人はひっかかっていた。さっきのミシェルの口調は、単に知っているというだけではなさそうだった。すると、ミシェルは寂しそうな、あるいは忌々しげなふうにも見える複雑な表情で語り始めた。

「トルミーラは、元貴族だ。そして十年前、わたしはトルミーラと会ったことがある。いや、世話になっていたことがあると言うべきか……短い間だったが、わたしにとってかけがえのない……そして、もっとも恥ずべき恩人さ」

 ミシェルは、周囲への警戒を続けながら、静かに過去の自分の因縁を語り始めた。

 人は過去を消すことは決してできない。そして、過去は時として残酷な刺客となって人に襲い掛かる。

 

 そして、変貌した誘拐団員。それが意味するものとは何か?

 単なる誘拐事件として発したこれが、途方もない狂気の一端であることを、このときはまだ誰も知らなかった。

 

 

 続く



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第66話  剣下の再会(後編)

 第66話

 剣下の再会(後編)

 

 殺戮宇宙人 ヒュプナス 登場!

 

 

 ハルケギニアを騒がせている子供の連続誘拐事件。それがついにトリスタニアのど真ん中でも起こったということで、トリスタニアの治安維持を担う衛士隊は上へ下への大騒ぎになっていた。

 ともかく、女王陛下のお膝元で起こった事件で犯人を逃したら威信に関わる。隊長以下、非番の者まで呼び集められ、トリスタニア全域を封鎖しての大捜索網が広げられた。

 

 だが、その裏で、決して表には出せないある事件が起こっていたことを知る者は、少なくとも一般人レベルにはいない。

 重罪犯を収容するチェルノボーグの監獄。そこで、銃士隊が中心となって前代未聞の捕物が行われていた。

「隊長、牢番長までの職員をすべて捕縛しました。全員が罪状を認めています」

「ご苦労。さて、何か申し開きはありますかな? 所長殿」

 所長室で部下からの報告を受けて、アニエスは自分の前で縄で縛りあげられている小太りの男を見下ろした。

 彼はこのチェルノボーグの監獄の所長。罪状は、一ヵ月前に囚人の集団脱走を起こしながらも、それを職員と連帯して隠蔽したことである。

 すでに証拠、証人ともに十分な数が揃い、すぐにでも”元”の一字をつけて呼ばれることになるであろう所長は顔色がない。それでも彼は自分を待ち受ける破滅の未来を少しでも回避したい一心で弁明した。

「あ、あれは私の責任じゃない! 私はあの日まで、警備には何も手抜かりなく務めてきたんだ。だけど、固定化を施した壁がいともたやすく壊されて、駆け付けたときにはもう全員逃げた後だった。あんなのじゃ、誰だって脱走を防ぐのは無理だ。私が悪いんじゃない!」

「だが、囚人が逃げたことを報告せずに隠蔽したのは事実でしょう? それで、もう何人の被害者が出たと思ってるんですか?」

「あ、あれは出来心で。私は所長になってからこれまで、ずっと不正には手を出さずに来たんだ。頼む、信じてくれ!」

「一度魔が差したばかりに人生を台無しにする人間は世にごまんとおりますな。それらをすべて許していては世間はめちゃめちゃになるでしょう。酌量の余地はあっても罪は罪、その責任は後でじっくり負っていただきます。連れていけ」

 アニエスに命じられ、数人の隊員がわめきちらす所長を、これまで彼が支配していた牢獄の中へと連行していった。

 これで容疑者はすべて捕らえた。後は報告書にまとめて上に提出し、司法の手にゆだねれば自分たちの仕事は終わる。しかしアニエスは報告書を作るなどの事務仕事が大の苦手で、やれやれとため息をついた。

「これは早くミシェルに戻ってきてもらわないと大変だな。そういえば、あいつはまだ戻らないのか?」

「はい、脱獄したトルミーラ一味のことを伝書ゴーレムで送ってきてからは、まだ何の連絡も」

「そうか、あいつの情報のおかげでチェルノボーグでの隠蔽工作が露見したわけだから、今回は勲章ものなんだが……まあミシェルのことだから、また別の情報を探っているのだろう」

 アニエスは気持ちを切り替えると、逮捕した牢番の代わりに牢獄の見張りを配置するための指示を出していった。代わりの人員が派遣されてくるのはどう急いでも明日以降。それまで銃士隊で穴を埋めねばならない。

 だが、チェルノボーグに引きこもる形になった銃士隊に、才人たちがさらわれたという情報が届くのにはかなりの遅れを必要とすることになった。そしてその間に、今さらミシェルが独断で行動を起こしているとはアニエスも想像できなかった。

 夜の帳はまだ深く、夏の夜風は蒸し暑い。アニエスは窓から夜空を見上げ、明日になればまた忙しくなるなと未来に思いをはせた。しかしそれは、アニエスが予想したのとはまったく別の形で訪れることになる。

 

 

 所を移し、誘拐団のアジトとなっている幽霊屋敷。住人がいなくなって久しく、荒れ放題になっているその廃屋の廊下を、ミシェルは偶然出会った才人とアイをつれて歩いていた。

 銃士隊副長の大任にあるミシェルが、仲間たちの誰にも知らせずにたった一人でこんなところにやってきた理由。それは、ここを根城にしている誘拐団のボスであるトルミーラという女メイジを知っているかららしく、ミシェルは歩きながらその因縁を語り始めた。

「十年前、わたしは両親を失って天涯孤独の身になった。そのあたりの事情は、前に話したとおりだ。だが、何も知らない貴族の子供がいきなり世間に放り出されて生きていけるわけがない。路頭に迷っていたわたしを拾ったのが、当時はまだそれなりに裕福な貴族の娘だったトルミーラだったというわけだ」

 ミシェルは、心の奥底にしまい続けてきた記憶をほこりを払って引き出しながら語っていった。

 才人は黙ってそれを聞く。以前、才人はミシェルからその悲しい過去を直接聞いたことがあったが、そのすべてを聞かされたわけではない。十年にも及んだ悲劇のさらに一端……聞きたい話ではないが、耳をふさぐわけにはいかない。

「当時、十四歳くらいだった奴の実家は貧民を相手にした施しをやっていた。ロマリアなどでよくやる貴族の偽善行為だが、当時のわたしが食いつなぐにはそれに頼るしかなかった。行き倒れていたわたしに、おなかがすいているならうちへいらっしゃいと手を差し伸べてきた時のトルミーラの顔は、よく覚えている」

 それがなければ、恐らく自分はそこで死んでいただろうとミシェルは語った。

 しかし、彼女の言葉の感情からは懐かしさや親愛といったものは感じられず、それにひっかかった才人は尋ね返した。

「えっと……今回の事件の首謀者がトルミーラって元貴族で、ミシェルさんは恩人が悪事を働いてるのを止めに来たって、わけですか?」

「恩人……か。確かにそうだが、わたしはあいつに恩義や感謝を感じてはいない。サイト、人間というやつは一度歪んだらそうそう簡単に変わったりはしない。トルミーラはその典型のような女だ……サイト、一年前に起こった誘拐事件のことを、お前は聞いたことがあるか?」

「いえ、その頃のおれはルイズに召喚されたばっかで、自分のことだけで精いっぱいだったから世間のニュースなんてさっぱりで」

 才人は、その当時のことを思い出そうとしたが、思い出せるのはほとんど学院でのことしかなかった。それに、当時はフーケが世間を賑わせていたのもあり、小さなニュースなどは聞いたとしても、右から左に聞き流していた可能性が高い。

 アイは話の意味がわからずにきょとんとしており、するとミシェルは「そうか」と、つぶやくと、才人に質問した。

「サイト、誘拐というとお前はどんな目的でおこなうものだと思う?」

「え? いや、そりゃあ……親から身代金をとるとか、そういうもんじゃないですか?」

「それは貴族の子弟や、ある程度裕福な商家などを相手にした場合だ。それに、そういった誘拐はリスクが大きい。大規模な追っ手がかかるからな。一番簡単に誘拐で金を手に入れる方法は、平民の子供をさらって、他国で奴隷として売りさばくことだ」

 才人は首筋を蛇がはいずったような悪寒を覚えた。日本の常識が通じないハルケギニアの暗部、それをミシェルは淡々と説明していった。

「平民の子供が消えても、衛士隊が捜索の手をそんなに広げることはない。ましてや、国外に出てしまえば捜索の及ぶ可能性はほとんどなくなる。一年前、トルミーラの率いていた誘拐団は、トリステインで平民の子らをさらい、国外に運び出そうとしていたところで逮捕された。取り調べに当たった担当官によると、非常に手慣れた手口で子供を集めていたという……まるで、昔から人さらいをやり続けていたようにな」

「まさか……」

 才人は息をのんだ。それだけ言われれば、いくら才人が鈍くても察しはつく。

「そうだ。トルミーラの家は、貧民救済を建前にして、その裏では集めた人間を奴隷として売りさばいていたんだ。奴はそういう家で育ったから、その手口も慣れたものだったのも当然だ。去年に我々が撲滅したが、トリステインには同様の人身売買組織が少なからず存在していたよ」

「そういや、おれにも覚えがあるぜ。前に……」

 才人はそこで手をつないでいるアイを見て、言葉をつぐんだ。彼女の育ての親だったミラクル星人が星に帰らなければならなくなった際、預け先になった商家が裏で人買いをやっているとんでもないところだったのだ。

「どうしたの? サイトおにいちゃん」

「いや、なんでもないよ。大人の話さ」

「むーっ、大人はすぐそうやってごまかすんだもの。ずるいんだ」

 アイにとってはつらい思い出を蘇らせてはいけないと、才人は言葉を止めながらも考えた。人が人を売り買いするという、もっとも下種な行為。つまり、過去にトルミーラに拾われたミシェルもまた……と、思ったが。

「だが、トルミーラは親よりも悪質な性をその年齢でもう持ち合わせていた。奴は、手なずけた子供を使って盗みをやらせていたんだよ」

「盗みって……ミシェルさんたちに」

「ああ、商店から品物を盗ませる。すりや置き引き、ほかにも当たり屋や空き巣もあったな。それに成功しなければ食事を取り上げると脅されて、皆は泣く泣く従っていた。もちろん、わたしも……な」

「でも、トルミーラってのは裕福な貴族の娘だったんでしょう? なんでそんな、ケチな犯罪なんかを」

 解せないという才人に、ミシェルは忌々しさを隠さずに答えた。

「トルミーラはスリルを求めていたんだよ。奴は、他人を自分の思うがままに従わせる快感に酔いきっていた。従わなければ鞭を振るい、逃げ出して誰かに訴えたところで、浮浪児と貴族ではどちらが信用されるかは目に見えている。トルミーラは、そうしてわたしたちが必死になる様を見て楽しんでいた」

「最低のクソ野郎だな。んで、飽きたら奴隷にしてポイってか……久しぶりに心底胸糞が悪くなってきたぜ。おれがそこにいたらぶん殴ってやったのに!」

 ミシェルは憤る才人を見て目を細めた。

「サイトらしいな。だが、すんでしまったことを今さら言っても仕方がない。それに、皮肉な話だが、トルミーラの下で様々な悪事を働かさせられたことが、結果としてわたしの命をつなぎとめた。トルミーラの下にいた数か月の後、わたしは奴隷として売りに出されるはずだったのだが、寸前に逃げ出すことができた。そして、できるだけ遠くに逃げた後に、覚えさせられた盗みの技術でなんとか食いつないだ……まったく皮肉なものさ」

 自嘲げに笑うミシェルの横顔は、才人もこれまで見たことがない悲しさを漂わせていた。

「しかし、食いつないだはいいが、その後どうなったかはサイトも知ってるとおりさ……」

「ミシェルさ……いや、ミシェル。思い出したくないことを、無理に思い出さなくてもいいよ」

 才人はあえて敬語を使わず、自分にとっての特別を示すかのように名前のままミシェルを呼んだ。するとミシェルは、才人に顔を見せたくないというふうに向こうを向いて言った。

「ありがとう。しかし、その忌まわしい過去が連なったからこそ、サイトに会えた今にたどり着けた。だから、わたしは過去を消したいとは思わない……だが、恩義はなくとも、わたしは奴から受けた借りを返さなくてはならない。トルミーラは、わたしがやる」

「助太刀するぜ! まさか、いまさら遠慮はしないよな? 悪者たちをやっつけてやろうぜ」

「そう言うと思ったよ。だがそれはともかく、サイト……その子をしっかりかばっていろ」

「え?」

 才人が頭で理解するより早く、ミシェルは床を蹴って駆けだしていた。廊下の先の柱時計の物陰に向かってナイフを投げつけ、次の瞬間には抜いた剣を暗がりに向けて突き立てていた。

「ぐえぇぇ……」

 カエルをつぶしたような男の悲鳴が短く響き、次いで人間の倒れる音が続いた。

 才人は目を凝らし、今の瞬間になにが起こったのかをやっと理解した。暗がりの中にうっすらと、目にナイフが刺さり、心臓を剣で一突きにされた男の死体が転がっているのが見えたのである。

「ま、待ち伏せされてたのか」

「下手な隠れ方だったがな。もう少し近づけばサイトも気づいていただろう。だが、こいつらに下手に致命傷を与えると面倒なことになる。だからこうした」

 ミシェルは死体からナイフと剣を引き抜くと、男の衣類で血のりを拭った。その目は冷たく、見下ろす男の死体をすでにただのモノとしか見ていない。

 しかし、剣を戻すとミシェルはすぐに優しい表情に返り、あっけにとられている才人とアイにすまなそうに言った。

「お嬢ちゃん、驚かせてすまなかったな。けれど、悪い奴が狙ってたんだ、許しておくれ」

「ううん、お姉ちゃん、すっごくかっこよかったよ! まるでサイトおにいちゃんみたい」

 謝罪するミシェルに、アイはむしろうれしそうに答えた。するとミシェルは、「そうか、サイトみたいか」と、少し照れた様子を見せる。

 ただ、才人はアイがショックを受けるのではと危惧したのが杞憂に終わって、少しだが複雑な思いを感じていた。いくら幼く見えても、人が死ぬことへの抵抗感が薄いのはアイもハルケギニアの人間だということなのだろう。しかし、現代日本人の常識からすれば異常かもしれないが、それを問題にするのは傲慢でしかないだろうと思った。

 もっとも、才人がアイを見誤っていたのはそういうことばかりではなかった。

「ねえ、ミシェルおねえちゃんってサイトおにいちゃんのことが好きなの?」

「え?」

「い?」

 ミシェルと才人は、意表をつくアイの質問に思わず間抜けな声を漏らしてしまった。

 さらに、アイはミシェルが図星と見るが早く、うれしそうに切り込んできた。

「やっぱり。だってミシェルおねえちゃん、サイトおにいちゃんと話すと楽しそうだもん。うちでもね、グレッグとメイヴがふたりだけになるといっつもイチャイチャしてるもん。サイトおにいちゃんも、”まんざら”でもないんでしょ」

 うっ! と、才人も言い返せなくなる。さらに才人が詰まると、アイは才人を指さして言った。

「あっ、でもサイトおにいちゃんはルイズおねえちゃんのものなんでしょ。だったら、それってふりんっていうやつでしょ! わー、いけない大人だ」

「ア、アイちゃん、そんな言葉どこで覚えたのかな?」

「ジム! 最近読み書き覚えたから、ごみ捨て場に落ちてる本を拾ってきてはいろんなこと教えてくれるんだ」

 あんのクソガキろくなことを教えねえ! 才人は心中で煮えたぎるような怒りを覚えた。顔は愛想笑いで固定しているが、帰ったら頭グリグリのおしおきをしてやろうと心に決めた。

「あ、あのねアイちゃん。不倫っていうのは、結婚してる人がよその人にデレデレしちゃうことで、おれたちはまだその……」

「えーっ、じゃあルイズおねえちゃんとは遊びだったってこと? でもしょうがないか、ミシェルおねえちゃんって美人だし、サイトおにいちゃんっておっぱい大きい人のほうが好きなんでしょう」

「そ、そりゃあまあ、男にとっておっぱいとは無限の桃源郷であり果てしないロマンであって。ミシェルのアレは大きさも形も絶妙で、まさにピーチちゃん……って、違う違う!」

 誰がおっぱいマイスターをやれって言ったんだよ? バカかおれ! 一人ノリツッコミをしながら慌てて否定したものの、アイは「ルイズおねえちゃんに言ってやろ、言ってやろ」という顔をしている。まずい、このままではマジで命がなくなると思った才人はミシェルに助けを求めようとしたが。

「サ、サイト……小さい子の前で、そんな破廉恥なことを言わないほうが……で、でもサイトがそんなに褒めてくれるんなら、わ、わたし」

 しまったーっ! 完全にいらんことを聞かれてしまったよ、おれの超ド級バカ!

 顔を赤く染めているミシェルを見て、才人は己のバカさ加減を心底呪った。

 ミシェルさん、自分の胸の谷間を見下ろしながら何か考えてるよ。もしかして、あの谷間でナニを……って、そういうことじゃないだろ! いやでもルイズじゃ絶対に不可能だしなあ。もし結婚したら、あれを毎日……だから違うだろ!

 才人は健全な青少年として、たくましく妄想を働かせていた。もしルイズに聞かれたら消し炭も残らなくされそうな心の声を叫びながら、ひとりで必死にもだえる才人の姿は滑稽を通り越して気持ち悪くさえあっただろう。

「ねえミシェルおねえちゃん、サイトおにいちゃんのどこが好きになったの?」

「それは……かっこよくて……や、優しいところかな」

「やっぱりそうだよね。サイトおにいちゃんはね、前にアイやアイのおじさんを悪いウチュージンから助けてくれたんだ。ほんとはアイがサイトおにいちゃんのお嫁さんになってあげたいけど、アイはまだおっぱいないもん。あっ、もしかしておにいちゃんってちっちゃいおっぱいでもアリ?」

「ないないないない! おれは断じてロリコンではないぞ」

 まったく子供は恐ろしい。羞恥心が薄いからとんでもないことを平気でやってくる。しかし、その反応はそれはそれで利用されてしまった。

「ミシェルおねえちゃん、聞いた? おにいちゃんはおっきいおっぱいの人のほうがいいんだって。よかったね、これでショヤでキセージジツってのを作ればサイトおにいちゃんと結婚できるよ!」

「ア、アイちゃん。順番が、その、間違ってるというか。ともかく、そういうことを人前で言ってはいけないよ」

 どうやらジムの奴にかなり偏った知識を植え付けられてしまったらしい。その孤児院には子供たちの情操教育について文句を言ってやらねばいけないなと、ミシェルも深く決心した。

 けれども、アイは年長者ふたりをからかいながらも、少し切なそうにつぶやいた。

「でも、うらやましいな。サイトおにいちゃんとミシェルおねえちゃんの子供はきっと、サビシイ思いはしなくていいんだろうな」

「アイちゃん……」

 才人とミシェルは、共に真面目な表情に戻って顔を見合わせた。

 アイをはじめ、孤児院には親を亡くした子供が何十人もいる。いや、トリステインだけでも何百、何千といるだろう。それに、才人も両親と会えなくなって久しいし、ミシェルも孤児だった。アイや孤児院の子供たちの心に秘めた寂しさはよくわかる。

 それでも皆、明るく前向きに生きているのだ。しかし、肉親を失う寂しさは消えることはなく、ここに巣食う誘拐団は多くの子供から親を、親からは子を奪おうとしている。断じて許すわけにはいかない。

「面倒ごとは後だ。サイト、ここの連中が我々をなめているうちに全滅させる。ひとりも逃さん」

「それと、さらわれた子供たちもどこかに閉じ込められているはず。探さなきゃな」

 才人とミシェルは顔を見合わせると、それぞれ剣を抜き放った。

 ここからは本気だ。敵は鉛の罪科の人でなし共、手加減はしない。

「サイト、ここからは走るぞ。屋敷の見取り図はわたしの頭の中に入っている。お前は一歩下がって来ながら、周辺に気を配れ」

「サポート役ってか、おれが二本目の剣になるわけだ。ツルク星人とやったときみたいだな。アイちゃん、ついてこられるか? それともおれがおんぶしようか?」

「心配いらないよ。アルビオンでは毎日森を走り回ってたし、今でも毎日教会の庭で鬼ごっこしてるもん。心配しないで、悪者をやっつけて」

 これで決まった。三人は、廃屋の中をこれまでとは別の速さで一気に駆けだす。

 ミシェルいわく、この屋敷は地上の建物よりも地下室が大きく、ちょっとした船の内部並みの広さと複雑さを持っているという。もちろん、地上へ上がる通路はすべてふさがれていて、地下に降りていくしかない。

「元の家主が大量のワインを貯蔵しておくために、この広大な地下空間を作ったらしい。つまりそれは、隠れ家や地下牢にするにも持ってこいというわけだ。トルミーラなら、そう考えるはずだ」

「そっか! つまりミシェルがこの屋敷がアジトだって突き止められたのは」

「そうだ、わたしがトルミーラの手口は知り尽くしているからだ。こんなふうにな!」

 ミシェルの投げナイフが物陰の伏兵に突き刺さり、もだえた伏兵は次の瞬間にはすれ違いざまの剣閃によって首を両断されていた。

「うわっ!」

「うろたえるな! こいつらに苦痛を与えたり瀕死にすると怪物になる。仕留めるなら、瞬時に確実に命を奪え。それがこいつらのためだ」

 才人は、先ほど倒した男が怪物に変貌したことを思い出した。自分とミシェルの二人がかりでも相当な苦戦を強いられたあれと伏兵の分だけ戦わされたのではたまったものではない。

 しかし、いくら生かしておくことが危険な相手で、しかも凶悪な犯罪者たちとはいえ、伏兵を次々と仕留めていくミシェルの戦いぶりには才人も背筋が冷たくなる感じを覚えていた。

「ハアッ!」

 曲がり角で待ち伏せしていた男の虚を突き、ミシェルの振り下ろした剣が頭ごと命を叩き潰す。

 さらに、前を進んでいたミシェルの姿がかき消えたかと思うと、横合いに隠れていた男の背後に回り込んだミシェルが男のあごを片手で押し上げて悲鳴を防ぎ、もう片手でナイフを内臓に突き立てて即死させていた。

 すさまじい……まさにその一言だった。流れるように死体を次々と生産していく。いくら普段は優しい顔を見せることはあっても、銃士隊が本来はそういう組織だということを才人はあらためて思い出させられていた。

 地下二階から三階へ降り、一行は最深部となる地下四階に到達した。だがそこは、それまでのワインセラーの風景から一転して、信じられない光景が広がっていた。

「なんだこりゃ? まるで研究所じゃねえか!」

 三人は唖然として地下四階の光景を見まわした。

 魔法のランプの薄暗さから、電灯が真昼のように通路を照らし出し、通路は木に代わってコンクリートで覆われている。

 さらに数歩進んで通路から室内をのぞき込むと、中には科学実験室や手術室のような設備が整えられた部屋が連なって見えた。才人の漏らした通り、これは研究所か、さもなければ大学病院だ。

 もちろん、これはハルケギニアのものでは決してない。地球と同等……いや、それ以上の科学力を持った何者かの設備だ。

「サイト、これがなんだかわかるのか?」

「いや、おれにもさっぱり。まさか、宇宙人の……秘密基地?」

 そうでもなければ説明がつかなかった。こんな場所に小規模とはいえ超近代設備、しかも最近まで使われていた形跡がある。

 が、なにに使われていたのだ? 設備の複雑さからして、ハルケギニアの人間が扱うのは不可能だ。しかし内部には医者や研究員といったスタッフの姿は見受けられない。

「サイト、驚くのはわかるが、今は先に進むほうが先決だ」

「ええ。でも、てっきり大群で待ちかまえているかと思ったのに、まるで人の気配がしないな」

「あっ、今誰かの泣き声みたいなのが聞こえたよ!」

 はっとして、三人は奥のほうへと走り出した。

 通路の横合いの一室。そこは地下牢になっていて、大勢の子供たちが閉じ込められていた。

「ぐすっ、ぐすっ。おかあさぁん」

「さらわれた子供たちか。ようし、すぐに出してやるからな……くそっ、開かねえ!」

 牢の構造は頑丈で、鍵はデルフリンガーでおもいっきりぶっ叩いてもビクともしなかった。もちろん魔法対策も施されているようで、ミシェルの『錬金』や『アンロック』も通じなかった。

「こりゃ、壊すのは無理だぜ相棒。鍵を使わねえと」

 鍵と言ってもどこに? いや、親玉が持っているに決まっているか。

 そのとき、通路を越えて地下牢にけたたましい女の笑い声が響いた。

「アハハハ、なあにノロノロしてるのネズミさんたち。ゴールはここよ、早くいらっしゃい!」

「今の声は!」

「トルミーラ……」

 どうやらラスボス直々のお呼びらしい。ミシェルと才人は、顔を見合わせた。

 もう、ぐずぐずしている余裕はないようだ。これ以上じらしたら奴はなにをしでかすかわからない。才人はアイに、ここで待つように告げるとミシェルに言った。

「やろうぜ。ここまで来たら、最後まで付き合うよ」

「待っていろ、と言ってもサイトはどうせついてくるな。頼む、わたしの背中を守ってくれ」

「ああ、そんで帰って二人してアニエス姉さんやルイズに怒られようぜ」

 くすりと笑い合って、二人は牢屋を後にした。死んだら叱られることもできない。アイの「がんばって、おにいちゃん、おねえちゃん」という声が二人の背中を力強く押してくれた。

 

 地下通路のその終点。そこはダンスパーティが開けるほどの広間になっていて、トルミーラはその真ん中でひとりで待っていた。

「よく来たわね。勇敢な騎士とお坊ちゃん、まさか私の部下たちを皆殺しにしてくれるとは思わなかったわ。でも、そんなことはどうでもいいわ。久しぶりに狩りがいのありそうな獲物が来てくれたんだもの。ようこそ、私の武闘場へ、歓迎するわ!」

 興奮した様子を隠さずに、銀髪のメイジは高らかに宣言した。

 才人は、こいつがトルミーラか……と、相手のことを観察した。標準以上の美人のうちに入るだろうが、長い銀髪の下の目は鋭くも嗜虐的な光をたたえており、口元には好戦的な笑みが浮かんでいる。杖を持つ仕草こそ隙がないものの、それを好意的に見ることはできなかった。一言で言えば、いけすかないという感じだ。

「久しぶりだな、トルミーラ」

「うん? 騎士さん、私のことを知っているのかい。すまないが、あんたの顔には覚えがないんだけど、名乗ってもらえるかな?」

「ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン。と、言っても貴様はわかるまい。だが、十年前の一人と言えばわかるだろう」

 怪訝な顔のトルミーラに、ミシェルは無表情に答えた。するとトルミーラは腹を抱えて笑い出した。

「ぷっ、あっはははは! なるほどね。いやあ懐かしい。あのとき遊んでやったガキたちの生き残りかい! てっきりもう全員どっかでのたれ死んでると思ってたけど、まだ生きてる奴がいたとはね。それも、騎士に出世しているとは驚いたよ。で、私に復讐しにやってきたってわけかい?」

「復讐など、私はお前にそこまでの憎しみは持っていないさ。あのときお前に食わせてもらったおかげで、わたしはこうして生き延びてきた。だが、お前のことはわたしの心に亡霊のように残り続けてきた。わたしがここにやってきたのは……」

 ミシェルは剣を抜き、その切っ先をトルミーラに突き付けた。

「昔のよしみだ、一度だけ警告してやる。今すぐ武器を捨てて投降しろ。それが貴様にしてやるわたしからの恩返しだ!」

「あっはっはは! 恩返しとは言ってくれるねえ。では、つつしんで、最大の感謝を持って……お断りさせていただくわ!」

 呵々大笑したトルミーラは杖の先をミシェルに向け返した。

 明確な宣戦布告。両者の目に冷たい光が輝く。

 才人はごくりとつばを飲んだが、そこにトルミーラが笑いかけた。

「そこの坊やはどうするんだい? ニ対一でも、私はいっこうに構わないよ」

「ちっ、悪党が調子に乗るんじゃねえよ。おれはミシェルに加勢するぜ! そんでもって、さらっていった子供たちは返してもらうからな」

「あら、なかなかの度胸ね。あなたが貴族だったら決闘を申し込みたいくらいよ。私はね、昔から騎士ごっこが大好きで、都に出て伝説の騎士隊長みたいに活躍したいって言ったら親に大反対されて家を出たの。でも、そのおかげで楽しい生活ができているわ」

「うるせえよ! なにが騎士だ。弱い者いじめが好きなだけじゃねえか。本物の騎士っていうのは、誰かを守るために命懸けで戦える奴のことを言うんだ。お前なんかただの悪党だ」

「ははっ、青臭い青臭い青臭いねぇ。じゃあ、特別にお姉さんが教えてあげるわ。本当の闘いってものをね!」

 トルミーラが杖から魔法の矢を放ち、戦いが始まった。

 才人とミシェルはそれぞれ左右に跳び、トルミーラを挟み撃ちにする態勢に入った。打合せなどしなくても、見事な呼吸の連携だ。

 しかしトルミーラは笑いながら呪文を唱えた。

「いいわあ、あなたたち最高のプレリュードよ。では、私もユビキタス・デル……」

 その呪文は、と思った瞬間に才人の目の前にもう一人のトルミーラが現れ、ブレイドのかかった杖でデルフリンガーの斬撃を受け止めてしまった。

「くそっ、風の偏在かよ!」

「大正解! 博識ね坊や。でも安心して、五人も六人も増やすようなみっともないマネはしないわ。だって美しくないもの。決闘はあくまでも一対一が楽しいんだものね」

「なめやがって。後で慌てても出す暇なんかやらねえからな」

 才人はブレイドのかかった杖で斬りかかってくるトルミーラの偏在との戦いを開始した。

 だが、楽な相手ではないことはすぐわかった。アニエスやミシェルほどではないが、剣技も並ではないものを持っている。デルフの、油断するなという声に才人もわかったよと真剣に答えた。

 一方で、本物のトルミーラとミシェルの戦いもまた、剣戟で幕をあげていた。

「やるわねミシェル。いいわあ、あのとき私に鞭打たれて泣くばかりだった子供が、こんな歯ごたえのある獲物に成長してくれるなんて、運命ってサイコーね!」

「答えろトルミーラ。子供たちをさらって、いったい何を企んでいる?」

「あら? 無粋なこと。まあいいわ、冥途の土産に教えてあげる。チェルノボーグの牢獄に捕まってた私たちを解放してくれた人から依頼を受けたの。自由にしてやる代わりに、子供をさらいまくってこいってね」

「それは誰だ? いったいそいつは何を企んでいる?」

 質問をぶつけるミシェルに、トルミーラはひきつった笑い声を漏らしながら答えた。

「ンフフフ、すごい人よ。そしてとっても恐ろしい人……あなたも見たでしょう? ここに来るまでにあった手術台の数々。そして、あなたが殺した私の部下たちの末路を」

「貴様、まさか!」

 ミシェルは戦慄した。怪物に変貌した男たち、あれが人為的に埋め込まれたものによる作用だとしたら、子供たちを同様に。

「貴様、子供たちを怪物に変えるつもりか!」

「はい、大正解。そうよ、集めた子供たちに、これからあの手術室で怪物の因子を埋め込むってわけ。人間を改造できるかは、私の部下たちですでに実験済みよ。もっとも、部下たちはせっかく改造してもらえたっていうのに気に入らないみたいで、子供を必要分さらってこれれば元に戻してやるって言われて頑張ってたけど、あなたのおかげでタダ働きになっちゃったわね」

 剣と杖がぶつかり合う音に、トルミーラのいやらしい声が混ざって部屋に反響する。

 ミシェルは怒りと不快感で、腸が煮えくり返る思いを感じた。子供たちへの非道、そして部下たちへの感傷もまったく持ち合わせていないトルミーラという人間。こんな奴がこの世に存在していいものか?

 しかしミシェルは怒りを押し殺し、青髪の下の藤色の瞳を冷静に研ぎ澄ませて質問を重ねた。

「子供を怪物に変えてどうする? 昔のお前のように、兵隊にするつもりか?」

「いいえ、私の依頼主はとってもお優しいお方。私なんかと違って、子供たちを無下に働かせたりなんかしないわ。子供たちは手術が済んだら、みんなそれぞれのおうちに送り届けてあげるのよ。そう、ハルケギニア中の街や村にね!」

「なんだと! そんなことをしたら!」

「アハハ、わかったみたいね。大人は誰も子供なんかを警戒しないし、子供は自然と人の集まりの真ん中にいることになるわ。つーまーり?」

「鬼ごっこの最中に転んだり、病院で診察中に泣いたりすれば……」

 ミシェルの額に脂汗が浮かぶ。そしてトルミーラは、高らかに笑いながら言い放った。

「そう! 何も知らない人間たちのド真ん中に、いきなり殺人鬼が現れることになるのよ。油断しきった人間たちの阿鼻叫喚、そして正気に戻ったときに親や友達を自分の手で引き裂いたことがわかった子供の絶叫! それをお求めなのよ。あのお方は!」

「何者だ! 言え、その悪魔のような依頼人の正体を!」

 両者は同時に後方へ跳び、同時に杖を抜き放って魔法の矢を放ちあった。

 空中でマジックアロー同士がぶつかり合い、火花をあげて相殺し合う。

 強い。ミシェルはトルミーラの技量が自分と大差ないことを感じ取った。以前、トルミーラは通りすがりの名もないメイジにあっさり敗れて捕らわれたそうだが、その頃に比べて腕が上がっているようだ。

「ウフフ、意外そうねえ。私はあの日の屈辱から、監獄の中でも一日も鍛錬を欠かしたことはなかったわ。そして、この胸に渦巻く憎しみが、私の魔法を幾重にも引き上げてくれたのよ」

「威張るな、馬鹿が。貴様はしょせん、血に飢えた獣だ。それよりも、貴様らを解き放ち、こんな恐ろしい企てをさせている者は誰だ? 人間ではあるまい」

「さぁねえ、あなたも騎士なら勝って聞き出してみたら? タダで全部話してあげたら、いくらなんでも私親切すぎるし!」

 ミシェルを拘束しようと放たれた『蜘蛛の糸』の魔法がブレットの土の弾丸で引きちぎられて落ちる。しゃべりながらでも、どちらもまったく隙を見せずに渡り合っている。

 だが、ミシェルはトルミーラを観察しながら、その動きのクセを見切っていた。確かに強いが所詮は我流、強引にカバーしているが動きに明らかな無駄が見られる。

「勝って聞き出せと言うが、死人は口をきけまい。無茶を言ってくれるな」

「あら、そう? 私に勝てる気でいるんだ。あららっ?」

 その瞬間、ミシェルの剣がトルミーラの動きの一歩先をゆき、顔先をかすめた剣によって銀色の髪がパラパラと散った。

 体勢を崩して後方によろめくトルミーラ。だがミシェルはトルミーラに追い打ちをせず、偏在のトルミーラに向かって魔法を放った。

『アース・ハンド』

 土の腕が床から伸び、偏在のトルミーラの足を掴み取る。

「あわっ?」

「サイト、いまだ!」

「うおぉぉぉっ!」

 姿勢を崩して無防備となった偏在のトルミーラに、デルフリンガーが振り下ろされる。

 そして、頭から真っ二つにされた偏在のトルミーラは断末魔さえ残さずに空気に溶けて消滅した。

 これで、残るはトルミーラ本人のみ。才人はトルミーラの間合い近くでデルフリンガーを構えて、ミシェルと一瞬だけ目くばせをしあった。礼はいらない、この程度の連携は当然のことだ。

「さあて、もう偏在を作る隙はやらねえぞ。観念しろ、この悪党」

「あら、まあ。坊や、意外とやるのねえ。私の偏在を一撃で消しちゃうなんて。あなた、どこの子? それだけの腕前で、無名なんてことはないでしょ?」

「悪党に名乗る名前はねえよ」

「あらら、かっこつけちゃって、可愛いわねえ。もしかしてミシェル、あなたの旦那さん?」

「んっ!?」

 赤面するミシェルと、それから才人を見てトルミーラは愉快そうに笑った。

「あらら、あなたって年下好みだったんだ。それにしても、初心な反応ねえ。そっちの坊やもうろたえちゃって、男だったらその立派な剣でミシェルを女にしてやりなよ」

「う、うるせえ! 下品な言い方すんじゃねえ!」

「あら怖い。恋人同士なら当たり前のアドバイスをしてあげただけなのにひどいわ。もっと人生は好きなように生きないと損よ? いつ消えるかわからない命なんだから、今日を思いっきり楽しまなきゃ」

「それで、貴様の遊びのためにどれだけの無関係な人間が犠牲になっていると思っている。どうしてもしゃべらないならそれでいい。貴様の口以外のいらないところはすべて切り落としてから聞き出してやる。文句はあるまい?」

 これは脅しではない。必要とあらば銃士隊はためらいなくそれをやる組織だ。そういう相手を敵にするのが仕事の部隊なのだ。

 しかし、トルミーラはけらけらと笑いながら言った。

「おお怖い、私は痛いのは苦手じゃないけど、そこまでされるのは嫌だねえ。でも、二対一じゃさすがに分が悪いし……これは、あきらめたほうがいいかしら」

「降参する……わけがないな。何をまだ隠している?」

「あはは! ミシェルってばイジワルね。せっかく私もかっこつけるチャンスだったのにジャマしないでよ。そんな悪い子たちは、私が自ら引き裂いてあげるわ!」

 そう叫ぶと、トルミーラはなんと自らの杖を自分の腹へと突き立てたのだ。

「なっ!?」

 才人が思わずうめきを漏らした。ミシェルも愕然とした様子で目を見開いている。

 だが、トルミーラは腹から血を流しながらも、恍惚とした表情で叫んだ。

「アア、いいわあ。この痛み、サイッコウ! この感覚、今すぐアナタタチにも味わわせてあげるからネエ!」

 声が変質するのと同時にトルミーラの体が変わる。手に鋭い爪が生え、顔もマスクのような無機質なものとなり、先に才人とミシェルが倒したものと同じ姿の怪人へと変わり果てたのである。

「アアァァァー!」

 奇声をあげながら飛びかかってきた怪人の一撃を、才人とミシェルはとっさに剣でガードした。

 しかし、すごいパワーで受け止めきれずに、二人とも後ろへと弾き飛ばされてしまう。なんとか踏みとどまり、隙を見せることは防げたものの、何発もこらえることができないのは明白であった。

 こいつ、追い詰められてヤケを起こしたのか! だが才人がそう感じた瞬間、怪人がトルミーラの声で話しかけてきた。

「アハハハ、どう? 私のこの姿は。なかなかカッコイイと思わない?」

「トルミーラ、貴様、正気を保っているのか」

「もちろん、でなけりゃわざわざ変身なんかするものですか。この姿、ヒュプナスっていう殺戮本能の塊の野人らしいけど、なんでか私だけ変身しても正気でいられるのよね。ちょおっと興奮して、イイ気持ちになるだけなのに、みんなヘンよねえ」

「根っから邪悪な人間は凶暴化せずに馴染むというわけか。いよいよ貴様にかける情けがひとかけらもなくなったよ。サイト、もう生け捕りは無理だ。殺すぞ」

 ミシェルの決意に、才人も仕方ないというふうにうなづく。しかし、ヒュプナスとなったトルミーラは笑いながら杖を二人に向けた。

「だから、勝つ気なのかって言ってるのよ。ウィンド・ブレイク!」

 風の弾丸が杖から放たれ、とっさに回避した二人の横をすり抜けて壁を破壊した。

「魔法も使えるのかよ!」

「当然よ! なにせ私の頭は冴えに冴えまくっているんですもの。さあ、痛みの倍返しの時間よ。遠慮しないで受け取ってェ!」

「丁重にお断りさせてもらう!」

 魔法と剣が交差し、火花が散って風圧が部屋の気圧を上げた。

 さっきとは段違いの強さだ! 一分にも満たないやり合いで才人とミシェルは感じた。部下が変身したヒュプナスは本能で暴れ狂うのみであったが、こいつは自分の意思で攻撃してくる上に魔法まで使う。

 ミシェルが間合いをとろうとした瞬間を狙って、エア・ハンマーが放たれ、寸前で割り込んだ才人がデルフリンガーで魔法を吸収する。しかし瞬時に間合いを詰めてきたヒュプナスの爪が才人の頭を薙ぎ払おうとした瞬間、ミシェルの放ったマジックアローが寸前でヒュプナスの爪をはじいた。

「やるわねえ! 仲がいいってステキよ。じゃあアナタタチの体をグッチャグチャにして、内臓までいっしょにしてあげるわ!」

「悪趣味なんだよ、このババア! てめえはまずお茶と生け花から始めやがれ!」

 才人も必死でやり返し、言い返すが、すでに息が切れ始めている。ミシェルも剣と魔法を併用し続けて疲労が目に見えてきている。それでも、二人がかりの全力で、やっと互角のありさまだ。気を抜いたら一発で殺されてしまうだろう。

 長引けば勝ち目はない。だが、どうすれば? せめてあと一人、アニエスがいれば三段攻撃の戦法が使えるのに。

 いや、ないものねだりをしても仕方がない。才人は必死で打開策を考えた。隣ではミシェルが額にびっしりと汗の粒を張り付けながら鋭い視線を巡らせている。向こうも必死で対抗策を考えているのだろう。

 だが前のヒュプナスと違って、トルミーラのヒュプナスには理性がある。下手な作戦や陽動は見破られるだろうし、複雑な作戦を打ち合わせている暇などない。

 そのとき、ミシェルが才人にぽつりと言った。

「サイト、わたしとお前が三回目に共闘したときのことを覚えているか?」

「えっ? 三回目というと……ワイルド星人とドラゴリーのとき、だよな」

「そうだ。お前はあのとき、危なくなったわたしを間一髪助けてくれたな。今度も、期待しているぞ」

 ミシェルは軽くウインクして見せると、剣を構え直してトルミーラに向かっていった。

 才人は一瞬、「えっ?」となったものの、記憶を掘り起こしてハッとした。そうか、あのときのことをここで……確かにミシェルならできる。となれば、自分のすべきことは。

「デルフ、ちょっと頼みがあるんだ。これから奴に切り込む、お前は中身のない大騒ぎをしてできるだけ奴の気を引き付けてくれ、得意だろ?」

「おいおい、なんか作戦を思いついたみたいだけどひでえ言い草だなあ。まあいいか、俺っちが魔法を吸うだけが取り柄じゃねえってことを見せてやるぜ!」

 才人は相棒に笑いかけて、ミシェルに続いてトルミーラに突撃した。

「お前の相手はおれだババア!」

「そうだこの年増の厚化粧女! 怪物のマスクにまでしわがはみ出てるぞ。俺っちの美しい刀身にブサイクなもん映させんじゃねえよ!」

「アナタたち、よほど早く死にたいようねえ!」

 才人とデルフの悪態に、トルミーラは激昂して殴りかかってきた。

 ヒュプナスの爪がデルフの刀身とかみ合い、才人は全身の筋肉を総動員してやっと受け止め、デルフも刀身がきしんで「折れる折れる!」と悲鳴をあげる。

 だが、おかげで一瞬だがトルミーラの意識がミシェルからずれた。その隙を逃さず、ミシェルは杖を持って全力の魔法を放った。

『錬金!』

 杖から放たれた光が部屋を照らす。トルミーラは、才人の行動が陽動であろうと読んでいて、背後から不意打ちにしてくるなら返り討ちにしてやろうと待ち構えていたが、予想外の魔法に戸惑い、動きを止めてしまった。

 その瞬間、錬金の魔法によって基礎構造を崩された部屋の天井が轟音をあげて崩落を始めたのだ。

「ミシェル!」

「サ、サイト……」

 精神力を一気に絞り出すほどのパワーで錬金を使ったことで脱力してしまったミシェルを助けようと、才人は倒れ掛かるミシェルを抱きかかえて全力で部屋の出口へと走った。

 もちろん、それを見逃すようなトルミーラではない。逃げ出すふたりを後ろから襲おうと、その鋭い爪を振り上げた。

「バァカねえ! これで部屋ごと私を押しつぶす気でしょうけど、私のスピードなら簡単に逃げられるわ。地の底に眠るのはアナタたちよぉ!」

 その通りに、才人の背中にヒュプナスの爪が迫り来る。だが、トルミーラが勝利を確信した、その瞬間だった。

「ウワッ! あ、足が動かな? これは、私の蜘蛛の糸!?」

 なんと、ヒュプナスの足にさきほどトルミーラが放ってミシェルが撃ち落とした蜘蛛の糸の魔法がからみついていたのだ。

 ミシェルは才人に抱きかかえられながら、慌てるトルミーラに向けて冷たく言い放った。

「そうだ、自分の放った魔法に足を取られて逝け。貴様には似合いの末路だ」

「ま、まさか、蜘蛛の糸が落ちている場所まで計算して! ワアアァァァーーッ!」

 崩れ落ちる大量の瓦礫がトルミーラに降り注いだ。いくら頑強なヒュプナスの体といえども、地下室を作り上げるための強固な構成材の数十トンにも及ぶ落下には耐えられない。

 間一髪、出口に滑り込んだ才人とミシェルに、大量の粉塵が追い打ちをかけてくる。ふたりは目を閉じてそれに耐え、粉塵が収まった後で部屋を見返すと、部屋は巨岩のような瓦礫にうずもれてしまっていた。

「や、やったぜ! さっすがミシェル。でも、一歩間違えればおれたちも瓦礫の下敷きだったってのに、すげえ無茶考えるぜ」

「フッ、サイトならあのときと同じようにわたしを助けてくれると信じていたよ。お前は誰かを救う時は、絶対に期待を裏切らない。わたしはそう信じている」

 信頼のこもった優しい眼差しがふたりの間で交差する。

 しかしそのとき、転がる瓦礫からごろりと岩が動く音がしたのをふたりは聞き逃さなかった。

「死いぃぃぃねぇぇぇーーっ!」

 瓦礫から飛び出してきたヒュプナスの爪が才人とミシェルを襲う。だが、ふたりはそれを見切っていた。

 満身創痍のヒュプナスに、二振りの剣が突き出された。

「ガハッ」

 動きが鈍っていたヒュプナスの左胸に、二本の剣が突き刺さり、ヒュプナスは青色の血を流しながらゆっくりと倒れた。

 これで本当に終わりだ。心臓の位置は人間と変わらないヒュプナスは致命傷を受け、トルミーラの姿に戻って口から血を漏らした。

「フ、ハハ……痛い、痛いわ。わ、私の負けね……まさか、あんたたちみたいなのに負けるなんて。ウ、フフ、ハハ」

 自嘲気な笑いを浮かべ、トルミーラは見下ろしてくる才人とミシェルを見上げ、視線が合ったミシェルはトルミーラに話しかけた。

「約束だ、わたしが勝ったから首謀者の正体を教えてもらおう」

「ふ、ハハハ。オシエナーイ! だって私、悪党でイジワルだから。ン、でも、気にすることはないわ。あの方は、いずれあなたたちの前にも現れるでしょうから、それまで楽しみにしてるといいわ」

「それは、ここと同じような悪事を、そいつは企んでいるということか?」

「エエ、そうよ。あの方は、このハルケギニアをメッチャクチャにするのが目的みたい。すぐにでも、次のナニカが新聞を賑わすでしょう……そして、実は私はホッとしているのよ」

「何?」

 生気を失っていくトルミーラの顔に、子供のように安堵した表情が浮かぶのをミシェルは見た。

「ミシェル……今度は私がお礼を言わなくちゃね。おかげで私は、あの方から解放される……そしてアナタたちは、私なんかとは比べ物にならないホンモノノ恐怖を味わうことになるわ。ウハハハ……」

「それは、どういう意味だ?」

「ウフフ……あの方こそ、本物の悪魔よ。もしココにあの方がいたら、今ごろ肉塊になっているのはアナタたちのほうだわ……恥を忍んで教えてあげる。あの方は、ヒュプナスになった私を、笑いながら軽々とねじ伏せてくれた。あんな屈辱……いえ、絶望はなかったわ……ウハハ、イヒヒヒ」

 ひきつった笑いを漏らすトルミーラを、才人はつばを飲み、冷や汗を流しながら見下ろしていた。

 まさか、この強さのトルミーラを恐れさせるほどの相手。それは、いったい……?

「吐け! そいつの名を!」

「む、無駄よ。知ったところで、あなたたちには何もできない。あの方を倒せる人間なんてこの世にいない。けど、これで私はやっとあの方から逃げられる……ウフ、ハハ……ミシェル、坊や……恋人ごっこができるのも今のうちよ……」

 それを最後に、トルミーラの呼吸は永遠に止まった。

 才人とミシェルは、トルミーラの死体からそれぞれの剣を引き抜く。そしてミシェルはトルミーラの死体のそばにひざをつくと、狂笑のまま死んでいるトルミーラの顔を直してやった。

「なあ、サイト……こいつはどうしようもないクズだったが、どうしてかわたしはこいつを憎む気になれないんだ……意識しなかったとはいえ、トルミーラのおかげでわたしは死なずにすんだ。それと、こいつもリッシュモンにはめられたわたしの家のように、かつてのトリステインの歪みの犠牲者なのかもしれないと思ってな」

「……」

「もしかしたら、元々はトルミーラもまともな奴だったのかもしれない。わたしだって、もしかしたらリッシュモンに騙されたまま、落ちるところまで落ちていたかもしれない。人間は変わってしまう……いつかは、誰でも」

 ミシェルの声からは、不安と寂しさが漏れ出していた。

 人は変わる。そして変わってしまったら容易に元には戻れない。それに対する恐れがミシェルを突き動かしてきたのだということを察した才人は、ミシェルを抱きしめて耳元でそっとささやいた。

「大丈夫、おれは変わらないし、どこへも行かないから」

「サイト……ありがとう」

 それが保証のない言葉だということはわかっている。いくら変わるまいと思っても、時間は人を変えていく。

 だがそれでも、ミシェルは才人の優しさに触れ、この一瞬のぬくもりを全身で味わった。

 物陰から見守っていたアイが、恥ずかしさのあまりに思わず顔を覆いかけるような光景を目にするのは、その数秒後のことである。

 

 

 この日、ハルケギニアを騒がせた連続誘拐事件は誘拐団の全滅という形で幕を閉じた。

 しかし、新聞の明るいニュースに喜ぶ人々は、その裏で進んでいた地獄を知らず、同じような狂気がなおも進行中であることを知らなかった。

 不可思議な平和を謳歌するハルケギニア。その中で起きた、この小さなイレギュラーが、やがて全てを食いつぶすガン細胞のほんのひとかけらであることを、正義も悪も、まだ誰一人として認識してはいなかった。

 

 

 続く



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第67話  未知が風の銀河より

 第67話

 未知が風の銀河より

 

 奇機械改竜 ギャラクトロン 登場!

 

 

「やあや皆さん、どうもどうもご無沙汰しております。悪い宇宙人さんでございます」

 

「おや? せっかく正しくあいさつして差し上げたのに怒らないでください。毎回そんなに邪険にされると傷つきますねえ。別に私はあなた方には危害は加えませんから、もっとフレンドリーにいきましょうよ」

 

「フフ、まあ話を進めましょう。ハルケギニアの人たちのおかげで、私の目的はまあまあ順調に進んでおります。一部例外もありましたが……って、そこ笑わないの!」

 

「オホン。ともかく、私の目的は順調に進んでいます。このハルケギニアという世界の人々は感情豊かで、私が手をかける必要が少なくて助かっていますよ」

 

「この調子でいけば、ハルケギニアからサヨナラする日も遠くないと思っていました……ですが、どうも私以外にもこの世界には第三者的な何者かがいるようなのですよ……」

 

「私としても愉快なことではありませんですねえ……いったいどこの悪い子でしょう? というわけで、今回は少々趣向を変えてみました。はてさて、それがどういう結果になったのか、これからご報告させていただきましょう」

 

 不敵に笑った宇宙人の声とともに画面は暗転し、彼が記録した映像が映し出され始める。

 宇宙人の作りだす演目の舞台として選ばれたハルケギニアで、すでに数々の悲喜劇が演じられ、彼は舞台を作り出すプロデューサーとして辣腕を振るってきた。

 次にお披露目されるのは悲劇か喜劇か? だが、彼の脚本に生じたイレギュラー。呼び出したブラックキングが何者かによって改造されるという事態が、彼に危機感を抱かせた。

 一流の戯曲は一流の舞台と一流の演者によって作られるという。その点、このハルケギニアは一流とまでは呼べなくとも、十分に観客を楽しませるだけの地力と演技力を有していると言えよう。

 だが、せっかくの演目に舞台外から飛び入り参加しようとしている輩がいる。プライドの高い脚本家はこの無粋な横入りを許さず、罠を仕掛けて待ち受けることにした。

 

「ああ、言い忘れておりました。実は私、この世界にやってくる前に次元のはざまで面白い拾い物をしましてね。どうもロボットらしいんですが、私も見たことのない技術で作られていて……いやあこれに襲われたときは苦労しましたよ」

 

 

 それは、彼がハルケギニアにやってくる直前。マルチバースを渡る次元のはざまでのこと、彼は突如として謎のロボット怪獣に襲われて、やむなく自分の怪獣を出してこれを迎撃していた。

「今です。とどめを刺しなさい!」

 弱った敵に対して、彼は自分の配下の怪獣に命令を下す。すでに敵のロボット怪獣は大きく動きを鈍らせており、苦し紛れに虹色の光線を放ってきたが、配下の怪獣はバリアーを使ってそれをはじき、そして彼の怪獣は主の指示に従って、謎のロボット怪獣に強烈な一撃を放った。

 爆炎が上がり、直撃を食らったロボット怪獣は白色のボディを焦げさせて停止する。そして彼は、ロボット怪獣が完全に沈黙したのを確認すると、近寄ってしげしげと見下ろした。

「フゥ……肝を冷やしましたよ。まさか、この子をここまで手こずらしてくれるとは。しかし、誰かが操っていた様子もないですが、どこかの宇宙からのはぐれですか? まったく迷惑な……」

 並行宇宙の壁を超えることは強大な力を必要とするため、普通はマルチバースの間は平穏なものだが、ごく稀にこうしてどこからか漂流物が流れ着くことがあるのだ。しかも、その漂流物は次元の壁を突破してきたことから危険な性質を持っている場合が多い。

 今回も、相当手こずらされてしまった。幸い、自分の連れてきた怪獣がさらに強かったから事なきを得たが、一歩間違えれば危なかったかもしれない。

 しかし、いったいどこの誰がこんなものを送り込んできたのだろう? ドラゴンに酷似したスタイルは自分の知るいかなる惑星のメカニックとも似ていない。彼はしばし考えたが、ぱちりと指を鳴らして言った。

「とりあえず拾っておきますか。人生、貪欲なほうがいいってチャリジャさんもおっしゃってましたしねえ。どうせタダです」

 そうして彼は回収したロボットを連れてハルケギニアにやってきた。

 壊れたロボットの修理自体はそんなに難しくはない。ただ、このロボットは元々はよほど大掛かりな目的に使われていたのか、パワーがものすごすぎて適当な使い方が見つからないでいた。

 

「ですが、今回は別です。考えてみてください? 私も興味を持ったものを、それなりの人が見たらどう思うか? フフ、今回はこのことをよーく覚えておいてくださいよ」

 

「いやあ、それにしても私の知らないものがまだ宇宙にあるとは。次元のはざまは無限のかなたに通じていますから、もしかしたらはるかな過去か遠い未来からやってきたのかもしれません。なかなか興味深いことです」

 

 補足説明も終わり、今度こそ戯曲は再開される。

 舞台は変わらずハルケギニア。そのどこかで、複数の演者が踊らされ、複数の観客が見せさせられる。

 そう、空虚に向かってナレーションする語り手はいない。観客として、姿を消したあの二人も世界のどこかでこれを見せられていることだろう……そして、彼らも。

 今度の舞台で、踊るのは誰か、踊らされるのは誰か、踊らせるのは誰か。そして……踊りたがっているのは誰か。

 ハルケギニアの運命を乗せて、また新たな運命の一幕が上がる。

 

 

「火事だーっ! 早く火を消せ。爆発するぞーっ!」

「ダメだ、もう間に合わん! 全員逃げろ、この船はもう助からん!」

 

 轟音を響かせ、一隻の軍艦が紅蓮の炎をあげて炎上している。

 ガリア王国、サン・マロン港。ここでは数週間前に、奇怪な事故が多発していた。それは、まるで火の気のない軍艦内でいきなり火の手が上がり、そのままなすすべなく火薬庫に引火して轟沈するといった事態が連続して起こったことであり、艦隊上層部は両用艦隊への何者かによる破壊工作と見て、調査を開始した。

 しかし、事態は思わぬ方向へと推移していった。

 原因不明の火災発生事故。それはサン・マロン港でぷっつりと途絶えたかと思うと、今度はガリア各地で起こり始めたのである。

「火事だぁーっ! お城が燃えているぞぉーっ!」

 あるときは貴族の屋敷、あるときは商人の邸宅、あるときは荘園の畑、あるときは湖に停泊中の遊覧船、さらにあるときは関所の駐屯地。

 なんの前触れもなく、ただ目立つ大きな建物や施設といったこと以外は共通点のない犯行に、ガリアの官憲はきりきり舞いさせられた。

 犯人の目的や正体はまったくの不明。ただ、事件は数日に一回のペースで、同時に別の場所で起こることはなかったことから単独犯によるものと思われた。

 ガリアでは、いつどこに現れるかわからない放火魔に、人々は貴族と平民の別なく怯える日が続いた。

 だがそんな日々は、ある日に終わりを告げることになる。放火魔が国境を越えて、隣国トリステインへと入ったからである。

「火事だぁーっ! 火を消せ、水のメイジはどうした!」

「もう遅い、すでに火勢は全体に回ってしまった。くそっ、あと少しで完成だったってのに!」

 トリステインの造船所で、ある日、建造中の軍艦から突然火の手が出て全焼するという事故が起きた。

 火災の原因は不明。船大工は皆ベテランで、火種を持ち込むようなバカはいないし、作業に使う火種は厳重に管理されていた。

 残された可能性は、何者かによる放火しかない。この結論にいたったとき、誰もが今ガリアを騒がせている連続放火犯のことを思い出した。

 そして、建造中だった軍艦のスポンサーは即座に決断した。そのスポンサーの名はクルデンホルフ大公家。その実働の一部を任されているベアトリスは魔法学院でこの一報を受けると、ただちに腕利きの配下に命令を下した。

「手段と犯人の生死は問わないわ。クルデンホルフの名に泥を塗った者がどうなるのか、なんとしてでも犯人を探し出して、二度と我が家へ手出しができないようにしてやりなさい」

「仰せのままに。報酬さえはずんでいただければ、ぼくらは期待に必ず応えますよ。元素の兄弟は、こういう仕事は得意分野ですからね」

 憤懣やるかたないベアトリスに、不敵な笑みを浮かべる少年が答える。

 元素の兄弟。裏稼業で、報酬次第でいかなる汚れ仕事でも完璧にこなすことで有名な一味のリーダーであり、兄弟の長男でもある彼、ダミアンは、久しぶりに自分たちらしい仕事が舞い込んできたことに喜びを覚えていた。

 相手はハルケギニアを震撼させている大犯罪者。相手にとって不足はなく、高い報酬をもらうだけの価値は十分にある。それに、先に独断専行で汚名を作った愚弟と愚妹に名誉挽回をさせるチャンスでもある。

 

 ダミアンはさっそく兄弟を集めると、簡潔に指示を下した。

「ジャック、ドゥドゥー、ジャネット、よく来てくれたね。さて、仕事の話だが、トリステインから一人の人間を探し出して亡き者にしてほしい。手段は問わないが、できるだけ早くとのことだ。わかったね?」

 概要を聞くと、まずは次男のジャックがうれしそうに口元を歪ませた。

「うれしいですね。久しぶりに狩り出しがいのありそうな獲物の依頼じゃないですか、腕が鳴るってものさ」

 すると、三男のドゥドゥーが意外そうに、しかしやはりうれしそうに言った。

「珍しいね、ジャック兄さんがそんなに依頼をうれしそうに受けるなんて。そういうので喜ぶのは、だいたいぼくの受け持ちじゃないかな?」

「お前と一緒にするな、といつもなら言うところだが、俺も実は最近退屈していてな。運動不足を解消するにはいいチャンスだ」

「ターゲットを探し出すのはちょっと骨かもしれないけど、これだけのことをしでかす奴なんだから、きっと腕利きのメイジに違いないものね。さあて、じゃあ今度も競争にしようか、誰が先にターゲットを見つけて始末するかって」

 ドゥドゥーは兄たちを出し抜く気満々で宣言したが、妹と兄から厳しく釘を刺された。

「ドゥドゥー兄さま。兄さまがそうして無駄に張り切るたびに、わたしが余計な苦労をさせられてるのを忘れないで欲しいですわ」

「ジャネットの言うとおりだ。ドゥドゥーは少し、自重というものを覚えたほうがいい。どうやら前の失敗であまり懲りていないようだから、今回はぼくといっしょに行動してもらうよ」

「そ、そんなぁーっ!」

 厳しい兄に四六時中そばで見張られることに、すっかり精気を失ってしょげかえったドゥドゥーが哀願してもダミアンは一顧だにしなかった。

「そういうわけで、ジャックは今回ジャネットといっしょに行動してくれ」

「わかった。だがドゥドゥーよりはましとはいえ、ジャネットも気が散りやすいタイプだからな。俺も今回は厳しくいくぞ、いいなジャネット」

「はーい、ですわ。はぁ、これはターゲットが可愛い子でないと割に合わないかしら」

「ジャネット、ダミアン兄さんにも我慢の限界ってものがあるのを忘れるなよ。払いのいいスポンサーを怒らせた時の兄さんに俺まで灸をすえられるのはごめんだ。ターゲットは確実に始末する、わかったな」

「はいはい、仕事は楽しみつつ任務は堅実に、ね。でも、心を壊して人形にするならいいよね? もちろん、おじさんだったら首はジャック兄さんにあげるわ」

 裏稼業の人間らしく、言葉使いは軽くても標的に一片の生存権も認めていない。彼らはこうして一見ふざけているように見えつつも、数多くの人間を闇から闇へと葬ってきたのだ。

 ダミアンは、可愛い弟や妹たちがやる気を出したのを見ると、最後に見まわして締めた。

「ようし、では今回は二組に分かれて行動しよう。競争などは考えず、仕事を片付けることを第一に考えるんだ。どちらがターゲットを始末しても、終わった後はみんなでゆっくりスープを飲んで祝おう。楽しみにしているよ」

 四人兄弟は二手に分かれ、いまだトリステインのどこかに潜んでいるであろうターゲットの情報を探るために地下に潜っていった。

 蛇の道は蛇。いかに犯人が巧妙に世間に潜伏しようとも、犯行を繰り返すためには必ずどこかに足跡を残していくはずだ。それが表に表れなくとも、普通でない情報が集まる場所はある。元素の兄弟はそれらに精通しており、あらゆる手段で目標を追い詰めては仕留めてきた。

 我らに追われて逃げ切れた人間はいない。ガリアに居た頃は王家の命を受けて、辺境に逃げ延びた貴族を探し出して始末したこともある。それに比べれば楽なものだ……もっとも、そのときみたいに証拠品としてターゲットの生首を持参するのはやめておいたほうがいいだろうが。

 しかし、意気揚々と出発した彼らは知らなかった。これの裏に、甘い予測の通じない恐ろしい相手が隠れているということを。

 

 

 そして数日後……

 所は変わり、ここはトリステインのラグドリアン湖に通じる大河の港町。

 造船と修理で活気に満ちるこの街の一角で、ひときわ目を引く巨大船が修理を受けている。それはもちろん東方号のことで、以前の戦いで半壊したその船体を修復する作業は活気に満ちて続いていた。

 そして、その修理作業の一角で、コルベールが満足そうな様子で作業を見物していた。

「ふう、しばらくぶりに見に来ましたが、だいぶ修復が進んだようですねえ。工員の方々の技量も上がってきておりますし、これはもう私がいなくともあまり問題はなさそうですね」

 コルベールの見ている前で、作業員たちが汗を拭きながらテキパキと動いている。魔法学院の連休を利用して様子を見に来た彼だったが、以前は自分があれこれ指示してやっと動いていた工員たちが、今では立派に自分で動いているのを見ると感慨深いものがあった。

 東方号に開けられた無数の損傷口は新しい鉄板で埋められ、地球製の装備は再現は無理なので全体的にのっぺりした印象になりつつあるものの、東方号はかつての威容を着々と取り戻しつつある。

 まだ出港できるほどには遠いものの、やはりハルケギニアでは作れない巨艦の威容は何度見ても飽きることはない。

 ハンマーで鉄を叩く音や、威勢のいい男たちの掛け声が響き、作業場はまさに男の職場という雰囲気に満ち満ちて、コルベールには魔法学院とは違う意味で心地よかった。ただ周りを歩き回るだけでも、工員たちがすっかり慣れた手つきで鉄を扱っている姿を見るのは、トリステインに新たな”進歩”が訪れているのを感じ取れてうれしかった。

 それでもやはり、コルベールの助力や助言を必要とするところから求められて、コルベールはハゲ頭を光らせながらそれらに応じていった。魔法学院と立場は違えども、コルベールはやはりここでも教師なのであった。

 そうしているうちに、町全体に教会の尖塔から大きなベルの音が響き渡った。

「おや、そろそろお昼ですね」

 忙しく動き回っているうちに時間が過ぎてしまったらしい。コルベールは気づくと自分の腹も悲鳴を上げていて、区切りをつけて船を降りようと考えた。

 ところが、船を降りようと甲板に上がってきたとき、作業現場の片隅で膝をついてお祈りをしているシスターが目について立ち止まった。

「もし、そちらのシスターさん。そんなところで何をお祈りされているのですかな?」

 コルベールが尋ねると、シスターはふっと気が付いて振り返ってきた。

 軍艦に聖職者とは一見合わないように見えて、実は欠かせない存在である。平時は兵士の精神面のケア、戦時は戦死者の弔い。とかく生死に関わる軍人とは切り離せない存在で、実際に従軍牧師や従軍僧侶などが存在する。ここハルケギニアでも、戦列艦以上の大型艦には神官が乗船するのが基本であった。

 しかし工事中のところにとは珍しい。立ち上がってこちらを向いたシスターは、フードをまくって顔を見せた。

「こんにちは、実は先日こちらのほうで数人が怪我をする事故が起こりまして。そのお祓いのためにと頼まれてお祈りを捧げておりました」

 若いな。コルベールは意外に感じた。長い金髪を結い上げた大人しそうな娘で、年のころは二十代中ごろであろうけれど、どこか儚げな不思議な雰囲気をまとっていた。

「失礼しました。お仕事ご苦労様です。私はこちらで技術主任をしているコルベールという者です。見かけないお顔ですが、最近こちらにやってこられたのですかな?」

「はい。わたくし、名をリュシーと申しますが、修行のためにあちこちを回りながら祈りを捧げております。こちらの偉いお方だったのですね。ミスタ・コルベール、わたくしに神と神の御子に奉仕する場を与えてくださり、感謝いたします」

 リュシーと名乗った女性はぺこりとおじぎをし、澄んだ瞳でコルベールに微笑みかけてきた。

 思わずどきりとするコルベール。技術者一本で堅物に見えるコルベールだが、彼とて人並みの感性は持ち合わせている。学院でその気配がないのは、単に教え子に手をかける趣味がないだけだ。

「では、わたしはこれで」

「あ! ちょっと、その」

「はい?」

 立ち去ろうとしたリュシーをコルベールは呼び止めた。リュシーは相変わらず優しげに微笑んでいる。

「その、よろしければいっしょに、昼食をいかがでしょうか? 各国を回られてきた貴女のお話は、大変興味深く思いまして」

 照れくさそうにしながらも、コルベールは思い切って誘ってみた。するとリュシーはにこりと笑い。

「ええ、喜んで」

 その瞬間、コルベールは心の中で万歳三唱した。しかし表情には出さないよう気を配りつつ、ふたりは並んで歩きだす。

 やった! ダメ元だったけど言ってみるものだ。人間、生きてたら何かいいことがあるものだなあとコルベールはしみじみ思った。

「ミスタ・コルベール」

 リュシーが話しかけてきた。垂れがちの眼は柔和な面持ちを作り、少し遠慮した声色は尖った心を溶かしてくれる。

「ああ、私のことは呼び捨てでかまいません。私は軍属ではありませんし、堅苦しいことは好みませんので」

「わかりました。ではコルベールさん……いえ、コルベール様とお呼びいたしますね。わたしのような一介のシスターに目をかけていただけるなんて、コルベール様はお優しい方なのですね」

「い、いやいやそんな! あなた方聖職にある方々は日夜、万民のために働いてくれています。ないがしろになんてできませんよ!」

 すまなそうなリュシーに対してコルベールは慌てて取り繕うのといっしょに、まるで天使だ! と、心の中で快哉をあげた。

 出会いの少ない仕事をしているコルベールは、自分の将来についてはなかば絶望視していた。ずっと前にはミス・ロングビルにアタックしたこともあるのだが、それは玉砕に終わり、学院には他に若い女性の教員もいないことから、もう自分に出会いはないものとあきらめていた。

 しかし、出会いがあった! しかも若いシスターである。始祖ブリミル、あなたのお導きに心から感謝いたします。コルベールは心の中で号泣するとともに、このチャンスを逃してなるものかと決心していた。細かいことはとうに脳内から消し飛んでしまっている。

「と、ところでミス・リュシー。あなたほどお若い方が、修行のために旅をなさっているとは、素晴らしい信仰心ですね」

「いえ、わたくしはそんな敬虔な信徒ではありません。わたしは生まれはガリアの貴族でしたが、家が没落して一族は散り散りになり、わたくしは出家して尼となったのです」

「そうだったのですか。私も、物心ついたときは親はなく、ずっと家族なく育ちましたので、お気持ちは少しわかる気がします。あなたも、苦労なされたんですな」

 コルベールがしみじみとつぶやくと、リュシーは悲しげに顔を振った。

「コルベール様もですか。本当に、この世は無情なものですね。神は、いったいどれだけの試練を人にお与えになるのでしょうか」

「それはまさに、神のみぞ知るというものでしょうね。ですが、神はこうして出会いをお与えになられました。ミス・リュシー、今日は私がごちそうしましょう。美味いものを食べる幸せは、万民に共通ですからね」

「えっ、いえそんな悪いですわ。それに私は神に仕える身、貪るわけにはまいりません」

 遠慮するリュシーだったが、コルベールは彼女を元気づけるように、その頭頂部のような明るさで彼女を押していった。

「心配いりません。働いた分の糧を得ることは神の御心に逆らわないはずです。それに、私にも聖職の方に尽くす功徳をさせてくださいよ。さあさあさあ」

「あ、あらあらあら!?」

 リュシーは強引に押されながらも、嫌がって逃げようとはしなかった。そのまま中級士官用の食堂に案内されて、コルベールと向かい合って座らされる。

 コルベールはウェイターにチップを持たせ、いい具合に見繕ってくれと頼んだ。ほどなくして、テーブルに豪華とまでは言わないがこじゃれた料理の数々が並べられ、リュシーは喜びの声を漏らした。

「こんなに……わたくし、こんな手のかかったお料理を見るのは本当に久しぶりです。ほんとに、よろしいんですか?」

「もちろんですとも。その代わりに、あなたが旅をして見聞きしたことを話してください。こういう仕事をしていますと、どうも世界が狭くなってしまいますので」

「喜んで。ですが、わたくしも世間を巡る修行中の身。代わりにコルベール様もいろいろお話を聞かせてくれたら幸いです」

「もちろん喜んで! ですが、私の話などは機械のことばかりで、とてもあなたに喜んでもらえるとは思えませんが」

「いいえ、熱心に働く人は皆が神の使徒です。そのお話を聞くことの、なにが不満でありましょうか」

 コルベールはまさに天にも昇る心地になった。まさか、ほとんどの人にスルーされるばかりの自分の話を聞いてくれる女性がこの世にいようとは。

 優しく微笑んでいるリュシーの姿は、まさに天使にコルベールには見えた。苦節ン十年、年齢が彼女いない歴と同じ彼は、この出会いの奇跡に感謝した。

 料理に舌鼓を打ちながら、二人は話に花を咲かせた。

「あの船、東方号というのですが、あの船は私の誇りなのです。いつか、あの船でハルケギニアを巡り、そして誰も見たことのない東方の地や、そのまた向こうにある未知の世界を見に行きたい。よく笑われますがね」

「そうですね、わたしにはコルベール様のお話は大きすぎて正直イメージが追いつきません。ですがわたしも諸国を巡るごとに、あの山の向こうにはどんな街があるのだろう? あの川を越えた先にはどんな出会いがあるのだろうと思います。どこまでも先へ進もうとするコルベール様の夢は、とても素敵なものだと思いますわ」

 真剣に聞いてくれるリュシーに、コルベールの機嫌はますますよくなる。

「ミス・リュシーはとても広い心をお持ちなのですな。ですが、巡礼の旅という苦行を選ばずとも、故国でもじゅうぶんな修行はできたでしょうに。なぜ、危険な一人旅を選ばれたのですか?」

「はい、わたしも最初は教会で住み込みで働いていました。ですが、ある人に、迷いや悩みを断ち切るためには世界でいろいろな体験をしたほうがいいと忠告を受けて、旅立つことにしたのです」

「そうだったのですか。それでも、お一人で旅を続けるのはさぞ苦労されたのではありませんか?」

「はい、確かに楽なものではありませんでした。けれど、敬虔な神の信徒の方はどこにでもいらっしゃるものです。ゲルマニアで、ささやかですがわたしの旅を援助してくださる素敵な方に出会えまして、路銀くらいならばまかなえています」

「それは……その、男性の方ですか?」

 どきりとしたコルベールが問いかけると、リュシーは笑って首を振った。

「いいえ、女性の実業家ですわ」

「あっ、いやそうでしたか! これはこれは私としたことがお恥ずかしい」

「まあ、コルベール様ったら。うふふふ」

 コルベールが笑ってごまかすと、リュシーもコルベールの気持ちを知ってか知らずか笑った。

 本当に天使のような人だ……コルベールは心の中で涙した。こんな清純な女性を相手に下心を持ってしまった自分が恥ずかしい。そして、だからこそ心の中で炎が赤々と燃えてくるのを感じていた。

 その後、ふたりは他愛のない話を続け、やがて昼休憩の時間の終わりを告げる鐘が響き渡った。

 

「あら、もうこんな時間ですか。残念ですが、お祈りを依頼されているところはまだありますので、そろそろ行かねばなりません。コルベール様、ご馳走をどうもありがとうございました。このお礼はいずれ……」

 

 鐘の鳴る中、椅子から立ち上がったリュシーを見て、コルベールは時間の残酷さを呪った。

 だが、彼は申し訳なさそうに席を立とうとしているリュシーを黙って見送ることはできなかった。勇気を振り絞って、その背を呼び止めたのである。

「ミ、ミス・リュシー! 今回はとても有意義な話を聞かせていただき、こちらこそ感謝いたします。こちらには、まだおられるのでしょうか?」

「はい、こちらは大きい街なので、しばらくのあいだは滞在しようと思っております。それが、何か?」

「い、いいえ、その……それならば……そこでなのですが、よろしければ今夜もう一度お会いしていただけませんか!」

 コルベールは半生分の勇気を振り絞って言ってみた。自分の容姿が貧相なのは自覚している。女ウケする性格でもなく、さらに夜に女性を誘うことがどれほど難易度の高いことなのかも理解している。

 正直に思って、成功の確率はないに等しい。ここまでこれただけでも奇跡に等しいことなのだ。

 しかし、それでもコルベールは言ってみた。なぜなら、彼の魂が言っていたのだ、自分が”男”になる機会はここしかないのだと!

 緊張し、返事を待つコルベール。瞬きをする時間さえもが永遠に思える中を過ごし、ついにリュシーが口を開いた。

「今夜、ですか? はい、わたくしでよろしければ」

 笑顔で会釈して答えるリュシー。この瞬間、コルベールは人生の勝利者になったと心の中で喝采した。

 ジャン・コルベール、人生苦節四十ン年。ついに生まれてきた意味を味わえる日がやってきたのですな。始祖ブリミルよ、この罪深き仔羊に人並みの幸せを与えてくださったことを感謝いたします。

 感激で、心の中でコルベールはむせび泣いた。周りの客からは、なんだあのオヤジと、冷たい視線を向けられているがコルベールには届いていない。

 しかし、よほど感激で我を忘れていたのだろう。「コルベール様?」と、声をかけられてはっとすると、視線の先には怪訝な様子のリュシーがいた。

「どうなさいました? どこか、お体の具合でも」

「い、いいえ、なんでもありません。それより、夜のことですが、日が暮れたらまたこの店で落ち合うというのはいかがでしょうか?」

「はい、わたしはそれでよろしいです。うふふ、夜が楽しみですわね」

 この瞬間、コルベールの心が有頂天に登りつめたのは言うまでもない。生徒以外では若い女っ気のない職場で働き、暇があれば研究に打ち込む日々。もちろん出会いなんかからっきしだし、若い頃から仕事一途でその手の店に行く趣味もなかったから、今日まで経験は皆無といってよかった。

 そんなナイーブなコルベールに、ようやく春の風が吹いてきたのだ。しかも、優しく美しいシスターときている。舞い上がるなというほうが酷というものだ。

 コルベールははやる心を抑えると、お仕事がんばってくださいと、月並みな台詞で彼女を見送った。去っていくリュシーは、後姿だけでも美しかった。

 そして、リュシーが見えなくなると、コルベールはすっと振り返り、走り出した。それはもう、全力で走り出した。

「うおおおおお! 生徒のみなさーん! わたしはやりましたぞぉぉぉぉーっ!」

 彼は走った。走らずにはいられなかった。まだスタートラインに立ったばかりでも、コルベールにとっては長年夢見ながらも訪れなかったチャンスなのである。

 聖職者とは結婚がどうたらこうたらという理屈は頭から消し飛んでいた。今の彼は己の火の系統のように燃え滾る情熱の愛の戦士であったのだ。

 

 しかし、人が幸せに浸っているときでも、性格の悪いお邪魔虫は悪だくみを続けている。

 街を見下ろす丘の上。そこで、黒幕の宇宙人はいやらしい笑いを浮かべていた。

「いやあ、活気があっていい街ですねえ。こういう街を見ていると、いたずらをしたくなりますねえ。うーん、私ってばなんて悪い子なんでしょう」 

 いたずらというには度が過ぎていることを考えているのが明白な声を漏らしながら、なんらかの意図を持った目で街を見下ろす宇宙人。

 だが、その宇宙人以外には誰もいないはずの丘の上に、突然姿を現した人影があった。

「とうとう見つけたぞ」

「おや? あなたは、おやおやウルトラマンヒカリさんじゃないですか」

 手を叩いて迎えた宇宙人の前に現れたのは、ウルトラマンヒカリことセリザワ・カズヤだった。

 丘の上の展望台で、数メートルの間隔を挟んで睨み合う両者。沈黙を破って口火を切ったのはセリザワだった。

「もう、いいかげんにこの世界への干渉をやめろ。この星の人間の心をこれ以上もてあそぶな」

「はいはい、そう言われると思っていましたよ。正義の味方にやめろと言われてやめていたら宇宙警備隊はいらないでしょう? 定型句、大変ですね」

「戯言はいい。お前のやっていることは、この世界への立派な侵略行為だ。見過ごすことはできない」

 厳しい眼差しを向けてくるセリザワに対して、宇宙人はあくまで余裕の態度を崩さずにいた。

「侵略ですか。まあ、そう見られても仕方ないとは思いますが、何度も言いますけれど私はこのハルケギニアを壊してしまおうとかは考えてませんよ。むしろ、私のおかげで恩恵を受けていることも多いじゃないですか。そこのところ、なくなってもいいんですか?」

「お前はそれを永遠に与え続けるわけではないだろう。長くお前の与える空気に慣れすぎると、それが失われたときにショックが大きい」

「ほぉ、さすが光の国でも有数の頭脳派ですね。あなたが我々の星に生まれなかったことが残念です」

 大げさに残念ぶる宇宙人。だがセリザワは、宇宙人のそんな芝居じみた態度には構わず、断固として言った。

「いつまで猿芝居を続けるつもりだ。俺がここにやってきたことが、偶然だと思うか?」

「ええ、もちろん。あなた方ウルトラマンの方々が必死で私を探し回っているのは知ってますよ。いずれ、すぐに見つかるようになるでしょうね。それに、あの少女の行方もね」

「貴様……」

「おっと、何度も言いますが、私は人質をとろうとか考えてはいませんよ。ただ、彼女たちとはwinwinの関係なだけです。返せなんて言わないでください。それに、私もまだこの世界を離れるわけにはいかないのですよ!」

 交渉は決裂だとばかりに、宇宙人が指を鳴らすと同時に街の空に時空の歪みが生じた。そして、その中から現れて街の中に降り立つ、ドラゴンを模したような白色のロボット怪獣。

 悲鳴や困惑の声が街からあふれ出す。ロボット怪獣は一見すると洗練されたスタイルのせいで悪役に見えなかったこともあり、人々は最初は正体をいぶかしんだが、すぐに建物を踏みつぶして破壊活動を始めると、すべては悲鳴に統一された。

「貴様!」

「勘違いしないでください。私だって、こんな手段はとりたくないのですが、力づくで来られるならこっちもそれなりの手で対抗させてもらいますよ。では私は逃げますが、追いかけてくるか、それとも街を助けに行くかはご自由に」

 そう言い捨てると、宇宙人はさっと宙に飛び上がった。セリザワは、異変の元凶をここで逃してはと苦心したものの、ロボットは人口密集地域に落ちたらしく、無数の助けを求める声が彼を引き止めた。

 ここで行かなければ大勢の人間が死ぬ。命だけは失われたら取り返しがつかないと、セリザワは決意してナイトブレスを輝かせた。

 

「シュワッ!」

 

 青と緑の輝きの中から、群青の光の戦士がロボット怪獣の前へと降り立つ。

 ウルトラマンヒカリ、彼は大勢の人々の命を守るため、白銀のロボットの前に立ちふさがったのだ。

「おおっ、ウルトラマンだ!」

「た、助かったぁ」

 今まさにロボットに踏みつぶされようとしていた人々から涙交じりの歓声があがり、救われた人々は瓦礫のあいだを縫って這う這うの体で逃げていく。

 さすがは何度も怪獣の襲撃を生き延びてきた人たちだ、命さえあればやるべきことは体に染みついている。しかし、本当に危機を拭うためにはこいつを倒さなくてはならない。

「デヤッ!」

 速攻! 先制攻撃に放った回し蹴りがロボットのボディに当たり、わずかだが押し返した。

 だが、それによってロボットもヒカリを敵と認識して攻撃態勢をとってくる。ヒカリは、ロボットの注意を自分に向けることで、人々が逃げる時間を稼ぎながら、同時にロボットを注意深く観察した。

〔見たことのないロボットだ。いったい、どこの星で作られたものだ?〕

 ヒカリはセリザワとして、またウルトラマンとして、おおむねの宇宙人のロボット兵器は頭に入れてあるものの、このロボットはそのどれとも似ていなかった。

 どこかの星の新兵器? もしくはまったく知らない宇宙で作られたものか? ともかく、知識が通じない以上は油断禁物だ。

 ロボットはサイレンのような稼働音を響かせながら向かってくる。体格はヒカリの倍近い巨体だ。それでもヒカリはひるむことなく迎え撃つ!

「シュワッ」

 ヒカリは懐に飛び込んで、下からロボットの頭を突き上げた。

 硬い!? だがあごを突き上げられ、ロボットがのけぞる。ヒカリはさらにボディにパンチを打ち込み、休むことなく追撃を仕掛ける。

 しかし、ロボットの強固なボディはほとんどダメージを受けていなかった。ロボットの左腕についている巨大なブレードがヒカリを狙って一文字に飛んでくる。

「シャッ!」

 ヒカリはバック転してブレードの一撃をかわした。インペライザーの大剣ほどではないにせよ、あのロボットのブレードはまるで斧だ。まともに食らうわけにはいかない。

〔やはり接近戦には強いか。それに中距離戦でも……〕

 ロボットの巨体からして接近戦でのパワーは予想していた。今のブレードの一撃をもらうわけにはいかなかったのでやむなく距離をとったが、離れても安心はできない。なぜならこういうやつは飛び道具も豊富なのが常だからだ。

 そして案の定、ロボットの目から赤色の光線が放たれてヒカリを襲った。

「ハッ!」

 とっさにかわしたヒカリのいた場所をすり抜けて、その先にあった建物を爆発の炎に包んだ。

 けっこうな威力だ。こいつを作ったのは、相当に兵器開発に長けた宇宙人だったに違いない。ここで倒してしまわねば大変なことになると、ヒカリは冷たいものを感じた。

 しかしロボットはさらに右腕の巨大なクローからもビームを放ってきた。これの威力もものすごく、街からはさらなる火の手と悲鳴があがる。

〔まずい、戦いが長引けば街が壊滅してしまうぞ〕

 ヒカリは、ロボットの強烈な火力がもたらす被害の大きさを見て焦った。こいつはとんでもない破壊兵器だ、野放しにしておけば、あっというまに星中を焼け野原にしてしまうだろう。

 破壊されつくした星……ヒカリの脳裏に、かつてボガールによって滅ぼされてしまった神秘の惑星アーブの荒野が浮かんでくる。

〔そんなことは、絶対にさせん!〕

 意を決したヒカリは、ロボットにビームを使わせないために、あえて不利を承知で接近戦に打って出た。

 近接し、ロボットのブレードを回避しながらわき腹にエルボーを食らわせる。ヒカリは科学者ではあると同時に宇宙警備隊一流の戦士でもある。いくら相手が未知の超兵器だとしても、そう簡単に後れをとりはしない。

 パンチの連打を浴びせ、体当たりで跳ね飛ばされてもなお向かっていく。そんなヒカリの戦いを、街の人々も声をあげて応援した。

「青いウルトラマン、がんばれーっ!」

 人々の願いを背負って戦う者こそ、ウルトラマンだ。その背の先の人ひとりひとりに人生があり幸せがある。それを守らなくてはならない。

 しかしロボットはヒカリの猛攻を強固な装甲で受け止め、まるでダメージを受けない。そればかりか、胸部の赤い宝玉を輝かせると、不気味に輝く極太のビームを放ってきた!

〔な、なんだこの光線は?〕

 ヒカリは寸前でかわせたものの、ビームが着弾した場所を見て愕然とした。なんと、破壊はされずにビームを浴びた場所が宝石のようにキラキラと輝く結晶と化している。それこそ、建物から立ち木、つながれていた馬や犬までである。すべてが元の形のまま結晶化してしまっていた。

 こんなものを食らえばウルトラマンでもひとたまりもない。恐るべき即死兵器の出現に、さしものヒカリも戦慄して足を止めた瞬間、ロボットの目から放たれた光線がヒカリを直撃してしまった。

「ウワァァッ!」

 体から火花をあげ、大きくのけぞるヒカリ。一瞬ひるんだ隙を突かれてしまった。

 まずい。ロボットは冷徹に結晶化光線の発射態勢に入っている。避けなければやられる! 街の人々も、ウルトラマン危ない、と叫ぶ中で、ロボットから光線が放たれようとした、そのときだった。

 突然、ロボットが止まったかと思うと、「ガガガ」「ギギギ」と、聞き苦しい機械音がけたたましく鳴りだしたではないか。

 なんだ!? いったいどうした? ヒカリや街の人々はロボットの異変に困惑する。それを、あの宇宙人は空の上から見下ろしていたが、やれやれとばかりに肩をすくめた。

「あらら、やっぱりちゃんと直ってませんでしたか。めんどくさいんでテキトーに復元しただけですからね。まあ完璧に直して暴走されたらそれはそれで困ったんですが……この場合はむしろ、うふふ」

 意味ありげにつぶやく宇宙人の声を聞けた者はいない。

 しかし、誰から見てもロボットが故障を起こしていることは明らかだ。ヒカリはこのチャンスを逃すまいと、ナイトビームブレードを引き抜いた。

「デアッ!」

 棒立ちになって震えているロボットに向け、ヒカリはナイトビームブレードを振りかざして突進した。

 すれ違いざまの一閃! 鋭い斬撃が放たれ、次の瞬間ロボットの右腕の巨大クローがひじの部分から寸断されて、地響きをあげて地面に落ちた。

「やった!」

 歓声があがった。ロボットは重量級の右腕が切り落とされて、体のバランスを崩してよろめいている。今なら倒せる、誰もがそう思った。

 だがしかし、ダメージを受けたロボットはそれで完全に狂ってしまったようで、よろめきながら後進を始めた。

 どこへ行くんだ!? 酔っ払いのような足取りで後退していくロボットを、ヒカリも街の人々もなかば呆然として見送る。

 そして、ロボットはとうとう港の桟橋まで来ると、そのまま河中へと転落していったのだ。

「おい、沈んでいくぞ!」

 川岸に集まった人々は水中に泡を立てながら沈んでいくロボットを指さして叫んだ。

 この河は大型船の港にも使えるほど水深が深く、ロボットの巨体さえもずぶずぶと飲み込んでいく。

 やがて、ロボットの姿は完全に水中に消え、河は何事もなかったかのようにまた流れ始めた。

 終わったのか……? 人々は、あまりにあっけない完結が信じられずにしばし立ち尽くした。そしてヒカリも、これで終わったのかと納得しきれない思いが残っていたが、ウルトラマンとしての活動限界時間が迫っていた。

〔あの正体不明のロボット、本来ならこの程度で破壊できる代物ではないだろう。これで済めばいいのだが……〕

 できるなら完全に破壊したかったが、河ざらいをしている余裕はない。今は半壊させて、街の被害を防いだだけでも良しとするしかない。ヒカリは満足できないながらも、人々の感謝の声と視線に見送られながら飛び立った。

「ショワッチ!」

 戦いは終わり、街には一応の平和が戻った。

 

 しかし、最小限で済んだとはいえ街には被害が出た。

 破壊された建物からはまだ煙がくすぶり、衛士の怒鳴る声があちこちから響き、医師や水のメイジが方々を駆け回っている。

 痛々しい光景。それも、もうハルケギニアの人々からすれば慣れたものであろうが、そんな中でリュシーは結晶と化してしまった犬の前にひざまずいて祈っていた。

「……」

 犬は吠えようとした姿勢のまま固まってしまっていた。それはよくできた彫刻のようであり、今すぐにでも動き出しそうであるが、その体は冷たく冷え切っていて鳴き声ひとつ出すことはない。

 廃墟の中で、じっと祈り続けるリュシー。そんな彼女を、心配して探しに来たコルベールは後姿を見つけていたが、一心に祈る彼女の姿を見て、声をかけることができずにいた。

「可哀そうなワンちゃん。せめて、その魂は迷わずに始祖の下へ行けるよう、お祈りいたします」

 元は小汚い野良犬であったろうに、そのためにリュシーは心から祈っている。

 コルベールは、すべての生き物は始祖の子だというふうに慈愛を注ぐリュシーに、改めて深い感動と尊敬を感じていた。

「ミス・リュシー、あなたはまさにこの世の天使です。お邪魔してはいけませんな。ディナーに誘うのは、また今度にいたしましょう……」

 そっと、足音を立てずにコルベールはリュシーのそばを立ち去った。

 

 

 だが、その夜。宿屋で休むリュシーの部屋に、土足で踏み込む者たちがいた。

「どなたでしょう? わたくしは一介の旅の尼僧です。お金になるようなものは何も持ち合わせていませんよ」

 侵入者たちに、恐れることなく諭すように語り掛けるリュシー。しかし、侵入者二人はふてぶてしくもリュシーに杖を突きつけながら言った。

「お嬢さん、シラを切っても無駄だ。調べはもうついている。だが安心してもいい。俺たちは別にあんたを捕まえに来たわけじゃないんだ。まあ、あんたはある方面を怒らせちまったって言えばわかるかな」

「ウフフ、でもわたしたち元素の兄弟にも情けはあるの。あなた、とっても可愛いわ……ねえ、人間をやめてわたしのお人形にならない? そうすれば、毎晩たっぷりかわいがりながら生かし続けてあげるわ」

 事実上の死刑宣告を言い渡し、問答無用と迫るジャックとジャネット。

 対してリュシーは言い訳すらすることなく、静かに二人の目を見据え……そして。

 

 

 続く

 



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第68話  仇なき復讐者

 第68話

 仇なき復讐者

 

 奇機械改竜 ギャラクトロン 登場!

 

 

 物語は、コルベールとリュシーが出会う前日にさかのぼる。

 元素の兄弟のダミアンとドゥドゥーはジャックとジャネットと別行動をとり、連続爆破事件の足取りを追っていた。

「それで兄さん? いったいどうやって犯人の尻尾を踏んづけるつもりだい……ですか?」

「そんなに難しくはないさ。犯人はこれまでの事件で、相当な量の火の秘薬を使っている。だが錬金で火薬をまかなうのはよほどのメイジでも厳しいものだ。だから、闇ルートでの火の秘薬の流れを追う」

 ここ最近で、火薬を大量に購入している者がいたらそいつが犯人である可能性が高い。ドゥドゥーはダミアンの考えになるほどと思った。

 むろん、同じことはガリアやトリステインの官憲も考えているだろうが、堅気の人間が闇ルートの深部に迫ることは難しい。その反面、元素の兄弟は裏社会のエキスパートであり、闇ルートの人間にも広く顔が利く。

「さすがダミアン兄さんは頭が切れるなあ」

「ドゥドゥー、これくらい君が一人でできるようになってくれないと困るよ。いつまでも下調べを僕やジャック、ましてジャネットに甘えていてどうする? そろそろ一人前になってくれないと、僕にも考えがあるからね」

「はい……」

 ダミアンは一見子供にしか見えない背格好だが、怒った目つきは悪魔よりも怖く、睨まれたらドゥドゥーは背筋が凍り付いて逆らえなくなるのだった。

 これ以上ダミアンの機嫌を損ねたら、それこそどんな罰が待っているかわからない。ドゥドゥーは、今回はふざけていられる場合じゃないと必死になって情報収集に当たり、ついに有力なネタを突き止めることに成功した。

「兄さん、たぶん、この線じゃないかな?」

「ふむ……最近、ゲルマニア軍から相当量の物資の横流しが起こっている、か。確かに、怪しいね。その行く先になったのは、ふうん……だが、この仲買人になった商会、見ない名前だね」

「あ、うん。どうも最近になって急にのし上がってきた闇商会らしいよ。かなりのやり手だとは聞いたけど、ボスが誰かってのはわからないってさ」

 ダミアンは、ふむ、と軽く目を細めた。下剋上の激しい裏社会で、才能と野心ある若手がのし上がってくることは別に珍しくはない。それに、自分たちのような刺客に狙われるリスクを避けるために組織のボスの正体を秘匿することも普通だ。

 しかし……と、ダミアンは少し違和感を覚えた。ドゥドゥーは気づいていないようだが、ガリアやトリステインはともかく、あの拝金主義のゲルマニアで新興組織を軍から大規模な横流しができるほど短期間に急成長させるとは、並の手腕ではありえないことだ。

 そんな実力と野心を持った奴がこれまで裏社会にいたか? ダミアンは記憶を辿ったが、ふとドゥドゥーが妙な様子で自分を見ているのに気づいて思考を打ち切った。

「どうしたんだい? 何か言いたそうな顔をしているね」

「あ、うん……実は、その。この情報だけど、昨日同じことをジャック兄さんとジャネットも聞きに来たらしいんだ」

 それを聞き、ダミアンはふぅとため息をついた。

「なるほど、あの二人に先を越されたわけか。まあいい、あの二人より一日遅れならドゥドゥーにしては上出来だ。すぐに後を追うよ、いいね」

「は、はい兄さん!」

 なんとか兄の怒りは乗り越えたようだ。ドゥドゥーはほっとして、次いで喜び勇んで馬を借り入れるために飛んでいった。

 ダミアンは、そんなお調子者の弟の背中を呆れた様子で見守っていた。

「一日遅れか。急げばジャックたちが仕事をすますギリギリで間に合うかな」

 だがもしターゲットが間違っていなければ、あの二人がターゲットを仕損じることはまずない。それでも、手柄を取られることもドゥドゥーにはいい薬だとダミアンは思った。ゲルマニアの闇世界のことは、すでに当面の考えからは消えていた。

 馬を飛ばし、大量の火薬を購入したという人間がいるはずの街へと急ぐダミアンとドゥドゥー。彼らはこのとき、この仕事もいつものように終わるだろうと、信じて疑っていなかった。

 

 

 時間を戻そう。白い謎のロボットの襲撃から一夜明け、港町は新たな活気に包まれていた。

「おーし、材木を運んできたな。おーい! 組み立てはすぐにでもできるぞ、壊れた工場の解体はまだかかるか!」

「もう少しだ! 今、メイジ総出で宝石になっちまったとこを砕いて荷車に乗せてるとこだ。これだけの量だ、金貨何万枚になるか想像もつかねえぜ!」

「まったく、あの白いガーゴイル様様だな。俺らのぶんもちゃんととっとけよ!」

 威勢のいい掛け声があちこちで聞こえ、男たちは日に照らされながら汗を流している。昨日、ロボットの怪光線で宝石にされた建物は砕かれて解体され、他国に売りさばかれてクルデンホルフの儲けになるだろう。

 しかも、ポケットに詰まるまでなら取り分にして構わん、という太っ腹なお達しのおかげで、ズボンをパンパンにした男たちはいつにも増してやる気に満ち満ちていた。

 ここは造船所、ものづくりの街。ものが壊れればまた作ればいいという気概が住人には満ちている。

 そして、天を突くほどの覇気に満ち溢れた男がここにもう一人。コルベールは、昨日の騒ぎで夜にリュシーと会うことはできなくなった代わりに、今日は朝からリュシーを案内して回るという素晴らしい約束を取り付けることに成功していたのだ。

「お、おはようございます。ミス・リュシー、き、今日もなんとお美しい」

「あら、こんな黒一色の修道衣の私なんかにもったいないですわ。おはようございます、コルベール様。今日もよいお天気ですわね」

 朝日を浴びながら輝くような笑顔で現れたリュシーを、コルベールはしどろもどろになりながら出迎えた。

 彼はこの時のために、これまで興味もなかったおしゃれに気を遣い、仕事着もぴしっとした新品のものを身に着けている。コルベールにとっては、女王陛下の前に出るときでもなければしないような最大限の着こなしといえるだろう。

 しかし、そんな付け焼刃はリュシーの素朴なシスター服の前にはぼろきれ同然であった。何も着飾っていないにも関わらず、黒のシスター服だけで天使のような輝きを放っている。何で着飾ろうとも、所詮は中身がよくなければ何の意味もないことを、コルベールは心底思い知った。

"まさしく、この世に舞い降りた天使だ。それに比べて自分はどうだ? まるで百合の前の雑草だ”

 それでも、このくらいでくじけるほどコルベールもやわではない。男は見た目じゃないと自分を奮い立たせ、生まれて初めての女性のエスコートに出かけた。

「で、では今日は私がこの街と、私の東方号をご案内いたします。よ、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いいたします。わたくしも、働く皆さんのお役に少しでも立てるように頑張りますね」

 ぺこりとおじぎをした可愛らしい天使に心臓をわしづかみにされて、コルベールは禿げ頭から湯気が出る思いだった。

 だが男の誇りを総動員して理性を保ち、自分の預かった職場を案内していった。

「こちらが軍艦に使う鋼板を製造する工場です。元々トリステインの冶金技術は他国に比べて劣っていたのですが、クルデンホルフが諸国から技術者を呼び集めたことでだいぶん改善されました」

「わあ、すごい熱気ですね。昔、立ち寄った村で鍛冶場を覗いたことがありますが、その百倍はありそうです」

「はは、驚かれましたか。女性の方にはわかりにくいかもしれませんが、鉄の良し悪しで国の豊かさが決まるほど、人間は鉄に頼り切っているものなので、この熱さはトリステインの温かさにつながるのです。よければ、作業の安全をお祈りいただけませんか?」

「もちろん喜んで。国が豊かになれば、それだけ貧しさで不幸になる人も減りましょう。始祖よ、この働き者の方々へ、惜しみない加護を与えてくださいませ」

 こうして、あちこちで熱心に祈りを捧げるリュシーの姿は働く人たちにも好意的に受け取られた。危険な仕事をする人間ほど安全祈願には熱心なもので、どこでも感謝で迎えられた。

 もちろんリュシーの人柄もあり、朗らかで謙虚な彼女はどこでもすぐに人気者になった。中には仕事そっちのけでリュシーをデートに誘おうとするギーシュみたいな不心得者もいる始末で、コルベールは慌てて彼女を連れてその場を離れた。もっとも今のコルベールに言う資格はないが。

 そうして街をひととおり案内すると、今度は東方号に二人はやってきた。

「ようこそ、私のオストラントへ。あなたを貴賓として歓迎いたしますぞ」

「まあ、それは光栄ですわ。ですが、わたくしが軍艦に乗せられても、お役に立てるでしょうか?」

「いえいえ、あなたに武器の講釈をしようなどとは考えておりませんからご安心ください。この船は国の行事に使用されることもあり、女王陛下のお召しも想定されています。ですが、こういうところですと、どうしても考え方が男中心になってしまいましてな。そこであなたには、女性からの視点でアドバイスをいただきたいのですよ」

「そういうことでしたら喜んで。わたくしは外国人ですけれど、ハルケギニアに二輪とない白百合とうたわれるアンリエッタ女王のためでしたら、微力を尽くさせていただきます」

 やった! と、コルベールは心の中でガッツポーズをした。昨日の晩、寝る間も惜しんでデートのプランを考えたかいがあった。本当なら自分の趣味を語りたいところだが、それはぐっと我慢して彼女を立てる場所を作るのだ。

 まずはコルベールはリュシーを案内して船内を巡り始めた。実用一点張りだった昔とは違い、今では東方号の中は乗組員が長期間過ごせるように、様々な設備が整えられている。

「すごい大きな船ですね。昨日は外を歩いただけでしたが、中も広くて迷ってしまいそうですわ」

「はは、全長四百メイル級のハルケギニア最大の船ですからね。最近は乗員が増えることも見越して、散髪屋や図書室も作られております。迷うと大変ですので、しっかり私についてきてください」

「はい。あら? こちらの降りる階段の先には何があるのでしょうか」

 ふと足を止めたリュシーの見る先には、関係者以外立ち入り禁止と札が立てられ、鎖で仕切られている鉄の階段があった。

「ああ、そちらは弾火薬庫なので立ち入り禁止になっています。いくらあなたでもこの先は通せませんが、元々おもしろいところではありませんよ」

「そう……ですか。コルベールさんは、こちらでも入れるのですか?」

「ええ、私はこの船の船長ですから。ささ、こんなところにいてもしょうがありません。先に行きましょうぞ。ささ」

 コルベールは、足を止めたままのリュシーを促して先へ連れて行った。

 やがて一通りの案内が終わると、コルベールはリュシーに貴賓室などの飾りつけの相談などをおこなった。すると、リュシーは花の飾りつけや装飾の配置など、武骨な男や頭の固い貴族からは出てこない繊細な心遣いを示してくれた。そして彼女の言うとおりに改装させると、船内は見違えるように美しくなったではないか。

「ほおお、これはなんと見事な!」

 コルベールは改装された船内を見て、世辞抜きに感嘆した。武骨な軍艦の中を飾りつけでごまかしたような感がどうしてもぬぐえなかった前までと打って変わって、まるで高級ホテルのような気品が漂う光景に変わっている。

 飾りつけを少々工夫するだけで、住まいというものの見栄えはこうも変わるものか。コルベールはリュシーに、生徒が百点を取ったときのように興奮して言った。

「見事です、ミス・リュシー。あなたのセンスは私の想像をはるかに超えていました。どこかで美術を学ばれたのですかな?」

「いえ、わたしは何も。ただ、昔住んでいた屋敷の風景を思い出したり、旅の途中で見てきたものを参考にしただけです」

「いや、それだけでこれだけの改善をなさるとはすごい。内装はそれなりに名のあるデザイナーの方に依頼していたのですが、あなたのほうが数段素晴らしい。これは才能ですぞ! あなたには素晴らしい才能があります!」

 コルベールの歓喜に満ちた剣幕に、さすがにリュシーも苦笑交じりで「あ、ありがとうございます」と、答えるしかなかった。

 せっかくここで好感度を上げるチャンスだというのに、教師としての本分を隠せないのがコルベールの残念なところだった。これがギーシュあたりなら、「美しいあなたの心が現世に現れたかのようです」などと褒めちぎるであろうが、同じ褒めるでもコルベールのはベクトルが違っている。

 けれど、コルベールだけではなく、改装を手伝った他の作業員たちもリュシーの手並みを褒めたたえると、リュシーは頬を赤く染めて照れくさそうな笑みを浮かべた。

「おや、どうしました? ミス・リュシー」

「いえ、こんなに人から求められたのは初めてなもので……これまで、シスターとして求められたことはありますが、それ以外のわたしが必要とされたことはありませんでしたから」

「それで戸惑われたのですな。ですが、心配しなくても大丈夫。人間は、誰かに必要とされることを感じて、はじめて自分の価値を知れる生き物なのです。もちろんシスターの仕事も素晴らしい。しかし、それ以外でもあなたには人の役に立ち、誰かを笑顔にできる力があるのです。よければ本気でデザイナーを目指してみませんか?」

「お、お気持ちだけいただいておきます……ふふ、これじゃまるでコルベールさんが神父様で、わたしが迷える子羊みたいですね」

 微笑みながらそうつぶやいたリュシーに、コルベールははっと気づいて赤面しながら頭を下げた。

「す、すみません。そういうつもりではなかったのですが、つい調子に乗ってしまいまして」

「いいえ、こちらこそそういうつもりで言ったわけではありません。むしろ、感謝しているのです。わたしは出家してから今日まで、神に仕えて生きようと思っておりましたし、周りからもそれだけを求められてきました。ですから、それ以外の生き方を薦めてくださったコルベールさんには感謝しています。それに、わたし自身も飾りつけをしているときは、とても楽しかったです。さきほどはとっさにああ言ってしまいましたが、デザイナーですか……ふふ、少し本気で考えてみることにしますわ」

「も、もしよければ私が全力で応援しますぞ!」

 コルベールは大喜びでリュシーの手を取り、そして慌てて離した。

「わっ、わわわ! すみません、私としたことがなんと失礼な」

「いっ、いえそんなことはありません。はは……あっ、そろそろお昼ですわね」

 赤面して見つめあう二人。コルベールは初心なところをさらけ出し、リュシーも男性経験がないのか頬を染めてごまかそうとして、ちょうどそのとき昼休憩を知らせる鐘の音が響いてきて、二人は笑いながら顔を見合わせた。

「そ、そろそろ昼食にいたしましょう。シェフに頼んで、ご婦人用の食事を用意させています。甘いものはお好きですか?」

「はい、大好きです!」

 と、そそくさと移動する二人。しかし恥ずかしさの中で、コルベールは心の片隅に小さな違和感を覚えていた。

”ミス・リュシーの手のひらのタコ。あれは杖を戦いで振るうことが日常の人間にできるもの……いや、まさか”

 気のせいだろうと、コルベールは違和感を拭って食堂へと向かった。きっと、慌てていたからだろう。

 

 食堂はすでに人で賑わっており、二人はコルベールが予約をとってあった高級士官用の席についた。

 向かい合って座った二人に、コルベールと顔なじみの工員たちが好奇の視線を向けてくる。ミスタ・コルベールにもついに春が来たのかと囁き合う人もいれば、中には「なんであんなコッパゲにあんな美人が!」と、呪いの視線を向ける者もいた。

「ここのシェフは、以前トリスタニアのレストランで活躍していた名人です。お口に合いますでしょうか?」

「ええ、とても。禁欲をむねとする聖職としては心苦しいですが、施しもまた神の与えてくれた大切な糧。遠慮なくいただかせてもらいます」

 上品に食器を扱って食事をするリュシーの姿は、元貴族だという彼女の育ちの良さを感じ取れた。

 そんなリュシーを見て、コルベールは彼女から隠しきれない高貴さを感じ取った。コルベールも身分上は貴族であり、基本的なマナーは当然身に着けているが、やはり気品の面では到底かなうべくもなかった。

「お気に召してよかったです。よければ、なんでも注文なさってください」

「ありがとうございます。ですが、神に仕える身で貪るわけにはまいりませぬ。それに、わたしも女ですから美容には気を遣っていますのよ」

 茶目っ気に言ったリュシーに、コルベールも「これは失敬」と笑い返した。

 この品性の高さ。リュシーが生を受けた家はよほど格式の高い家柄であったのだろう。しかし、それほどの名家がどうして娘を出家させなければならないほどに?

 コルベールはそれを尋ねようと口を開きかけたが思いとどまった。自分は地位や富にはなんの関心もないけれど、世の中の貴族の大多数はそれを巡って血で血を洗う争いを繰り返している。いくらリュシーが清らかな人だとしても、彼女の家族や親類までがそうとは限らないし、なんの落ち度もなくても謀殺の対象にされることもある。

 いずれだとしても、リュシーにとって思い出させて愉快なわけはない。それに、自分も過去を問われて愉快なわけではない。

「それにしてもミス・リュシーのシスターとしての敬虔さといい、先ほどの美術的な見識の高さといい、あなたには人を幸せにする才能が豊富にあられるようですな」

 コルベールは話題を変えた。素直にリュシーを褒め、そこから話題を広げていこうと思ったのだ。

 しかし、褒められたというのになぜかリュシーは決まりが悪そうに顔を伏せた。

「そんな、わたしなんかが人を幸せになんて……」

「えっ? あ! わ、私がなにかお気に触るようなことを言いましたかな?」

「あ、すみません。そういうわけではないのです。ただ、私はそんな立派な人間ではないのです……」

 妙に深刻な様子のリュシーに、コルベールも戸惑ってしまった。失言があったわけではないようだが、謙遜しているにしては深刻すぎるように見える。

 どうしたのだろうか? リュシーが何に気を病んでいるのかをコルベールは必死に考えたが、エスパーではない彼には彼女の胸中の奥深くを知るすべはなかった。

 と、そのときである。足元の鉄の床から、短くだが地鳴りのような振動が伝わってきてコルベールは眉をぴくりと動かした。

 今はエンジンは動かしていないはずだが、気のせいか? 振動はすぐに止まったので、コルベールは錯覚かとそれへの意識を急激に失っていった。

 ところが、食堂に顔を青ざめさせた工員が駆け込んできてコルベールに向かって叫んだのだ。

「ミスタ・コルベール! す、すぐ甲板においでください! 北のドックで軍艦が爆発しました!」

「なんですって! わかりました」

「コルベールさん、わ、わたしも」

 思いもよらぬ凶報に、コルベールとリュシーは血相を変えて通路を走り、鉄の階段を駆け上がって東方号の甲板に出た。

 甲板は、すでに大勢の工員たちで騒然としており、目を凝らすまでもなく、かなたから黒煙が上がってるのが見えた。

「なんということです! 巷で噂の爆破事件がとうとうここにも。ミス・リュシー、私は様子を見に行ってまいります。申し訳ありませんが、あなたは今日はこのままお帰り願えますか」

「いいえ、わたくしも少しなりとて治癒の魔法が使えます。もしかしたら、命を救える人がいるかもしれません。連れていってくださいませ」

「ううむ……仕方ありません。ですが、爆破犯がどこにいるかわかりません。決して私から離れませぬよう」

 コルベールは、真摯なリュシーの態度に折れて、連れていくことを承諾した。

 しかし責任者としての配慮も忘れず、こちらの監督たちに、指示があるまで現場を維持し、船の重要区画には誰であっても入れてはいけないと言い残していった。

 

 そしてそれから数分後、急いで事件現場に駆け付けたコルベールとリュシーが見たのは、くすぶる炭の塊と化してしまった一隻のフリゲート艦の無残な残骸であった。

「これはひどい……おうい! どこかに生き残っている者はいないか!」

 すでに現場では救援隊が駆け付けて生存者の捜索に当たっているが、まだ燃えている残骸に手間取っているのを見たコルベールは、迷わず助力に出た。

 船の残骸をかき分け、中から生存者を引っ張り出す。そして助け出した彼らから話を聞くうちに、爆破にいたった経緯が見えてきた。

「いつもどおり仕事をしていたら、いつの間にか見慣れないメイジが入り込んできて、火薬庫に火を放とうとしたのです。もちろん止めようとしましたが歯が立たず、船から逃げ出そうとしたのですが、私は間に合いませんでした……」

 船内から見つかる生存者が少ないのは、爆破前にわずかでも逃げ出す時間があったからかとコルベールはほっとした。

 しかしそれだと、犯人は船と運命を共にしたのかといぶかしんだとき、爆破前に船外に脱出できた作業員から話を聞けた。

「船が爆発した瞬間に、炎に紛れてメイジが飛んでいくのが一瞬見えました。どこへ行ったか? すみません、一瞬だったのでそこまでは……」

 コルベールは当事者たちから話を聞くうちに、犯人は相当に手練れのメイジだと確信した。いくら工員しかいない修理中の船とはいえ、一息に軍艦に侵入して弾薬庫に火をつけた上で逃げ出すなど並の腕でできることではない。

 やがて救援隊の活躍もあって、行方不明者もすべて探し出されると、コルベールは救援隊の指揮官から礼を言われた。

「助かりました、ミスタ・コルベール。我々だけでは、とても燃える船体から生存者をこうも迅速に救助することはかないませんでした」

「礼を言われるようなことはしていません。私は火のメイジですので、燃えるものの扱いは多少手慣れていただけです。それより、負傷した人たちは?」

「ご心配なく。すべて応急処置はすみ、搬送を済ませました。幸いなことに、修理中のために弾薬がほとんど詰まれていなかったおかげで、被害はドックの中だけですんだようです。もし弾薬を満載していたら、恐ろしい限りです」

 胸をなでおろして、救援隊の隊長は去っていった。

 しかしコルベールは、彼のようにほっとすることはできなかった。爆破されたフリゲート艦は軍艦の中でも小型の部類で、爆破されても損害はこの程度ですんだが、もしもっと大型の弾薬を満載した船……そう、東方号が爆破されでもしたら、この街が丸ごと吹き飛んでしまうくらいの被害が出てもおかしくはない。

「ぞっとしますな……誰だか知りませんが、恐ろしい相手です」

 ぽつりと独り言をつぶやき、コルベールがふと振り返ると、瓦礫の前にひざまづいて祈りを捧げているリュシーがいた。

「痛ましいことです。戦ですらなくとも人は傷つき倒れていきます……神よ、この世はなんと無情に満ちているのでしょうか」

「ミス・リュシー。けが人の手当てのお手伝い、心から感謝いたします。お気持ちはわかりますが、我々はできる限りのことをやって被害を最小限にとどめることができました。犯人ももう逃げたようですし、そろそろ行きましょう」

「はい……できれば逃げた犯人たちに会って、悔い改めるよう説得したいものです」

 立ち上がって振り返ったリュシーの瞳には深い悲しみが満ちていた。コルベールは一瞬ためらったが、やがて彼女をうながしてその場所を離れていった。

 

 だがその一方で、事件現場をいぶかしげにのぞき込む二人の人影があった。

「……これはどういうことだと思う? ドゥドゥー」

「さっき飛んでいった人影って、アレだよね。兄さん、いったい何がどうなっているんだい? まさかジャネットの奴、また浮気を」

「ジャックがついてるのに限ってそれはないよ……どうやら、敵を見くびっていたみたいだね……ドゥドゥー、気を引き締めろよ。甘く見てると、たぶん死ぬよ」

 冗談ではない、梟のような暗く鋭い目でダミアンに睨みつけられ、ドゥドゥーはたらりと冷や汗を流した。

 ダミアンが何を考えているのかドゥドゥーには読み取れない。子供の姿で常に尊大に構える兄は、その態度とは裏腹に冷徹で隙の無い策謀で敵を出し抜いてきた。その兄が本気で何かを考えている。

 残骸のくすぶりが静まり、代わって傾き始めた太陽が同じ色で街を照らし始めている。ダミアンとドゥドゥーは、いつしかその街角の暗がりの中へと消えていった。

 

 

 そしてやがて日も落ち、軍艦が爆破されるという大事件が起きた街にも静けさが戻ってくる。

 光が消え、夜と呼ばれる時間が世界を支配する。それは単なる太陽と月の入れ替わりにはとどまらず、異なる理と住人の登場をも意味する。

 太陽の下ではさえない雑草だった草が月光の下ではきらめく花を咲かせ、日のあるうちは穴倉の中でうずくまって過ごす大人しい小動物が月夜の中では獰猛なハンターと化す。

 カードやコインは反転するだけで、その柄をがらりと変える。夜とはそんな時間であり、そしてなにより大きく反転するのはもちろん……。

 

 

 不夜城を誇る街も、夜のとばりが深くなっていくごとに疲れには勝てず、多忙な一日を送っていた人間たちもベッドのある住まいへと帰っていく。

 昼の間は眠っていた歓楽街が朝までの繁栄を謳歌する以外は人通りが消え、やがて時計の鐘が日付の交代を告げる刻には静寂が支配する。

 その頃にはコルベールも数多い後始末から解放され、ようやく無人となった事務所のソファーに身を横たえていた。

「長い一日でした……」

 東方号の警備の強化、それによるスケジュールの調整。それは簡単に決められるものではなく、明日にでも魔法学院に帰らねばならない身としては過酷そのものであったが、こちらの現場の担当者に一任してしまうには問題が大きすぎた。

 しかしこれで、当面の問題は整理がついた。後はコルベールがいなくてもなんとかなるはずで、指示を受けた工員や班長たちも、もう全員帰るか出かけてしまったようだ。

 体と心を休め、コルベールは今日のことを思い返した。問題は山積していたが、義務であることは全て果たした。コルベールの仕事ぶりに文句をいう者はないだろう。

 いや、懸念はあと一つ残っている。コルベールの心の奥底では、今日のことで消えない違和感がくすぶっている。杞憂であればいいが、コルベールの勘では、早ければ……そのせいで、疲れているのに目がさえて眠れない。

 事務所に残っているのはコルベール一人。ところが、誰もいないはずの事務所にコツコツと足音が響き、コルベールの元にリュシーが現れた。

「お疲れ様です、コルベール様」

「おや、ミス・リュシー。今日はもう、帰られたと思っていましたが」

「あんなことがあった後ですので、わたしも寝付けなくて。ここに来れば、コルベール様に会えると思いまして」

 コルベールは起き上がってソファーに腰かけ、リュシーはコルベールの座っているソファーの隣に腰かけた。

 座ったリュシーは僧服のフードをまくり、素顔を見せた。長い金髪があらわになり、僧服の中に閉じ込められていたリュシー自身の甘い香りがコルベールの鼻孔をくすぐった。

 美しい……コルベールは正直にそう思った。憂いを含んだ表情は超一流の絵画のように完璧に整い、絢爛なる舞踏会を探しても彼女ほどのきらめきを放つ人はそういないであろう。しかし……。

「私に、なにかご用ですかな?」

 自分でも意外なほど冷静にコルベールは尋ねた。二人の距離はもう肩が触れ合うほど近く、顔を向ければ吐息を感じることもできようのに、コルベールの顔色はそのままだった。

 しかし部屋は中古の魔法のランプの明かりで薄赤く照らされ、リュシーは紅に染まったように見えるコルベールの頭と顔を上目遣いに見ながら話し始めた。

「今日は、とても怖いことがありました。大勢の人が傷つき、悲鳴やうめき声が聞こえ、血の匂いを嗅ぎました。わたしはこれまでの旅でも、何度も悲しい場面を目のあたりにしましたが、今日は本当に戦場というものの怖さを感じました。コルベール様、どうして人はこうも悲劇を繰り返すのでしょうか?」

「そうですね。私も、もう若いとは言えない歳になるまで生きてきましたが、それについてはよく考えます。ですが私の乏しい頭で思うに、たとえその理由を知ったところで、争いや悲劇が消えることはないのでしょうな」

「それは、どうしてですか?」

 部屋は無音で、冷めかけた白湯が最後の湯気をあげた後には動くものもない。

 尋ねられたコルベールは、虚空を仰ぎながら独り言のように言った。

「人には、たとえ悪意がなくとも、誰かを不幸にしてでもやらねばならないことや、やりたいことがあるからですよ。人から見たら間違ったことでも、それが間違っているとは思わない、間違っているとわかっていてもやらねばならない、そして……間違っていると気づいたときには、もう遅いということもあります」

 寂しげにつぶやいたコルベールの語りは真に迫っていて、まるで全てを見てきたようなその横顔は、見る人間が見れば鬼気迫るという風にすら感じられただろう。

 しかしリュシーは、コルベールの言葉にわずかに肩を震わせたものの、そのままコルベールにすり寄るように身を寄せてきた。

「人とは、なんと恐ろしい性を持っているのでしょうか。コルベール様、わたしは怖い、とても怖いのです」

「ミス・リュシー、お顔が近いですよ。聖職にある者が、みだりに体を他者にゆだねてはいけません」

 少し首を伸ばせば口づけができてしまうほど顔を寄せられても、コルベールは冷静であった。

 もし、半日前のコルベールであれば興奮して我を失っていたに違いない。しかし、今のコルベールは違った。

「コルベール様、もし恐ろしい犯人があなたの大切なオストラントを狙ってきたとしたら、どうしますか?」

「すでにクルデンホルフに使いを出し、明日にも屈強な騎士団が警護につくことになっています。心配はいりませんよ」

「さすがコルベール様。ですが、この街のどこかに恐ろしいメイジがまだ潜んでいるかもしれません……コルベール様、わたしは怖くてたまりません。せめて今宵一晩だけでも、いっしょに過ごしてはいただけないでしょうか?」

 甘えるような声で言うリュシーに、コルベールは答えない。しかし、沈黙を肯定ととったのか、リュシーはさらにコルベールにすり寄りながら言った。

「わたし、昼間のコルベール様の勇ましいお姿を見てから、胸の奥が熱くてたまりませんの。お願い、抱いて……あなたのその腕で、わたしを強く……あなたが、好き」

 まるで人が変わったような甘え切った誘惑の声。それは男の理性を溶かし、乱心させてしまうだけの力を十分に持っていた。

 しかし、コルベールは寄りかかってくるリュシーをぐっと引き離すと、悲しさを孕んだ目を向けながら言った。

「ミス・リュシー、船を爆破したメイジたちを手引きしたのは、あなたですな」

 それは見えない落雷であり、通告を受けたリュシーの表情を虚無に変えるのにたくさんな威力で二人の間に轟いた。

 そう、あまりに一方的な罪人としての通告。しかしリュシーは困惑や動転といった反応には及ばずに、無表情という名の表情となり、確かめるようにコルベールに尋ねた。

「なぜ、わたしがそのような大それた犯罪の黒幕だと、そう思われましたか?」

 その声色は、まるで教会に告解にやってきた咎人に話しかけるシスターのそれであった。

 咎めるでも、弾劾するでもない、ただ聞きとめるだけの問いかけ……コルベールは、ふうと息をつくと、昼間のことでいくつかあなたに対して違和感を持ったこと、そしてあの現場で決定的な言質を得たのだと答えた。

「ミス・リュシー、あなたはあの現場で私に、『逃げた犯人たち』と、言いましたな? 犯人が複数などということは、あのとき誰も証言していません。爆破の衝撃のあまりに、逃げていく人影を一瞬だけ見た、それだけです」

「それでしたら、コルベール様の見ていないあいだに、わたしが別の誰かから『犯人が何人もいた』と聞いたことで説明がつきませんか?」

 リュシーの言うことはもっともであった。動かしがたいと言える物的証拠はない。だがコルベールは悲し気に首を振った。

「そうですな、私もできればそう思いたかった。ですが、ここに現れたあなたを見て確信しました。今のあなたからは、あまりにも隠しがたい殺気が溢れている! あなたはただのシスターなどではない。証拠をと言うのならば、ここで私があなたに気を許そうものなら、その袖の中に隠した杖で瞬時に私の意識を奪うでしょう。違いますか?」

 リュシーの体がびくりと震え、彼女は観念したかのように袖口の中に隠していた杖をさらした。

 そして、その瞬間にリュシーの雰囲気が変わった。慈悲深いシスターでも、男を誘う妖女でもない、鬼のような殺気を秘めた目を持つ冷酷な魔女のものへと。

「お見事です。慣れない色仕掛けなど、するべきではありませんでしたね。何も知らないままで、心を操ってあげようと思っていたのに、残念です」

「すみませんな。私は女性には弱いですが、あなたのような種類の人間を相手にするのは若干経験があるもので。それでも、途中まででしたらまず気づかなかったでしょう。昼間の爆破は囮で、本命は私に取り入ってオストラントを狙うことですか?」

 リュシーは苦笑しながらうなずいた。

「正解です。もう察しがついているかと思いますが、私の使う魔法は人の意識を操る水の禁呪『制約』です。あなたの心が乱れた瞬間にそれをかけ、手駒になってもらうつもりでした。いくら警戒厳重であっても、まさか船主のあなたが火薬に火をつけに来るとは誰も思わない。そして、証拠は手駒とともに炎に消える。そういう手はずだったのですが」

 恐ろしい計画を淡々と話すリュシー。昼間の温厚で純朴なシスターの姿からはまるで想像もできない、人の命を道具としか見ていない悪鬼の考えだった。

 けれど、コルベールはリュシーに失望した様子は見せず、つとめて穏やかに問い続けた。

「各地で起こった爆破事件で痕跡を掴ませなかったのも、制約で他人を操って、自分は手を下さなかったからですな」

「はい。神官という立場は通常は疑われるものではありませんし、罪の意識を持って懺悔に参る人の心にたやすく制約の魔法の枷はかかりました。オストラントに関わる誰かにも、その手を使うつもりでしたけれども、まさかコルベール様からお誘いいただけるとは思いませんでした」

「思えば、私はまさにネギをしょった鴨ですな」

 笑うしかないコルベール。しかし、コルベールの行動は周到に計画を進めようとしていたリュシーにとって、まさに想定外の事態であった。

「取り入るならばこれ以上ない方に、向こうから話しかけられたときにはさすがに驚きました。ですがあなたには罪の意識に働きかける手は難しそうに思い、絶好の機会と焦ってつまらない真似をしたのが間違いでした」

「でしょうな。私としては、あのような姿があなたの本性ではなくてよかったですが、あなたの思惑通りにさせてあげるわけにもいきません。あきらめていただけないでしょうか?」

 倒すとも捕まえるとも言わず、それどころか何故オストラントを狙うのかとすら聞かず、ただあきらめてくれとだけ言うコルベールの様はリュシーにとって意外だった。

 まだ求婚することをあきらめていないのか? いや、コルベールの片手はいつの間にか杖をしっかり握っており、もしリュシーが魔法を使うそぶりを見せれば確実にそれを上回る速さで阻止してくるだろう。

 そう、動きはないがリュシーとコルベールの間では死闘と呼べる読み合いが続いていた。リュシーが放つ殺気はいささかも衰えてはおらず、もし一瞬でもコルベールが隙を見せようものならためらわずに命を奪う魔法をぶつけるだろう。それをしないのは、恐ろしいくらいにコルベールにつけいる隙がないからだ。

 逆に、コルベールからもリュシーに対して殺気に近い威圧感がぶつけられていた。それはリュシーの殺気に押し負けるようなものではなく、リュシーはコルベールがスクウェアに近いかそれ以上の実力者であることを見抜いていた。

 メイジの戦いは精神力の戦いである。殺気でも怒気でも、強い心の波動がメイジの強さになる。だから、互いにそれを放ちあったからこそ、コルベールは動かず、リュシーは動けずにいた。

「あきらめたら、わたしをどうなさるおつもりですか?」

「別にどうも。私にはあなたを裁くような権利はありません。あなたが私の友人に危害を加えるというのなら、私も鬼にならざるを得ませんが、もう二度とこんなことはしないと誓っていただけるなら、このままお帰りいただいて結構です」

 それは「なめている」と言われても仕方ないほど甘い条件だった。この場をごまかすために「あきらめました」と言っても、コルベールにはそれを確かめる術はない。リュシーは本気で、コルベールという男がわからなくなった。

「コルベール様、あなたは何者なのですか? あなたがその気になれば、わたしをこの場で屈服させることもできるでしょう。それくらいの力をあなたが持っているのはわかります。なぜ、力を行使しようとはしないのですか?」

「私は、暴力でなにかを解決しようとすることが嫌いなだけですよ。ミス・リュシー、あなたの事情はわかりません。ですが、あなたにはまだ引き返せる道がある。どうかもう、無益な破壊はやめてくれませんか」

 頭を下げ、哀願するようなコルベールの姿に、リュシーは愕然とさえした。いったいこの人は何なのだ? 狂信的な平和論者なら世に腐るほどいるが、これほどの実力を秘めていながら戦いを嫌がるとはどういう考えをしているのか?

 だが、情けをかけられているという結論が、リュシーの憎悪に火をつけてしまった。

「わたしに、哀れみは不要です!」

 その瞬間、部屋にまるでフラッシュをたいたかのような閃光が走り、直後コルベールは体の異変を察知した。

「ぬっ!? これは、体が動かない。これは魔法? いや」

 閃光を浴びた瞬間から、コルベールはまるで全身が固まってしまったかのように動けなくなってしまった。

 これでは杖も振れず、魔法が使えない。しかし焦るコルベールに、リュシーは冷たく言い放った。

「無駄ですよ。それに捕まったら、もう自力では抜け出せません。意識を保っているだけでもすごいですが、さっさとわたしを倒さなかったことを後悔してください」

「く……これはいったい」

「しゃべることもできますか、本当にたいした精神力ですね。ですが、それまでです。わたしは、これまでの事件で火気のない場所を破壊するために、ゲルマニアの武器商人から購入した火薬を使っていましたが、その商人から譲り受けたこれは、一瞬で人から自由を奪い取ります。もうあなたには何もできません」

 説明するリュシーの声からは、勝利の確信が溢れていた。確かに、コルベールがいくら抵抗を試みようとしても体はまるで鉛になったように動かない。

 どんな仕掛けだ!? いや、このままではナイフ一本ですらやられる。体が動かない代わりに、コルベールの額に汗がにじんだ。

 だが、リュシーはコルベールにすぐにとどめを刺すことはせず、怒りをぶつけるように言った。

「あなたが悪いんですよ。コルベール様のご好意には感謝していましたから、ここまでするつもりはなかったのですが、もう許せません。あなたは、わたしの怒りを哀れんで甘く見ました」

「私は、あなたを甘く見てはいません。人を傷つけないのは、私にとって義務なのです。それより、それほどの憎悪の根源……やはり、あなたの目的は復讐ですか?」

 それを聞いたとき、リュシーの殺気が少しぶれ、コルベールは確信を持った。

「やはり……それほどまでに強い怒りを持つのは、なにかへの復讐を誓ったものしかいません。あなたは、かつて大切なものを理不尽に奪われた。破壊を繰り返していたのは、その復讐のため、違いますか?」

 その問いに対するリュシーの答えは、冷めていく彼女の殺意の感情が物語っていた。

「本当に、鋭い方ですね。確かに、わたしはかつて貴族だった折に、父や一族と幸せに生きておりました。ですが父は殺され、家族はバラバラにされました。その怒りは、忘れたことはありません」

 図星を刺されたことで、リュシーのコルベールに対する憎悪は、一種の感嘆に変わっていた。

 しかし、それでリュシーの怒りのオーラが消えたわけではない。もし、ここでコルベールが言葉を誤れば、リュシーは即座にコルベールの命を奪うだろう。しかしコルベールは、むき出しの殺意を向けてくるリュシーに沈黙は選ばなかった。

「悲しいことです。あなたの父上は、あなたにとって本当に誇りだったのですね。そして父上や家族を奪われ、咎人となるも構わずに復讐を選んだあなたは、本当に家族を愛していたのですね」

「ええ、そうです。それが、なにかおかしいですか」

「いいえ、ただ残念です。あなたにそれほどまでに愛される父上なら、私も一度お会いしてみたかったものです。あなたの利発さを見ればわかります。きっと、ためになるお話をいろいろ聞かせてくださったことでしょうなあ」

 その返しは、さしものリュシーも呆れたふうに息をつかせた。

「つくづく、おかしな人ですねコルベール様は。これから死ぬかもしれないというときに考えるようなことですか?」

「ははは、知的好奇心は私の本能のようなものでして。おかしな奴だとはよく言われます。こればかりは死ぬまで治らんでしょうな」

 死への恐怖をまるで感じさせない様子でコルベールは笑った。するとリュシーは目を細めながら言った。

「おもしろい人。もしわたしが貴族の時に舞踏会であなたと会っても、きっとすぐに突き放すでしょうけれど、あなたの優しいところを見ていると少しですが父を思い出します。ですが、もう終わりにしましょう。これ以上お話していると、わたしの心がおかしくなってしまいそうだから」

 リュシーの目に新たな殺意が宿る。コルベールは、これ以上の説得は不可能と見たが、それでもこれだけは問いかけずにはいられなかった。

「なら、最後にこれだけは教えてください。あなたにそこまでさせる、あなたと家族にとっての仇とは誰なのですか? なにに復讐するためにハルケギニア中で破壊を繰り返していたのですか?」

 その問いかけに、リュシーの表情が曇る。そしてリュシーは、まるで絞り出すように答えた。

「……わからないのです」

「え?」

「わからないのです。わたしが、何を恨んで、何に復讐しようとしているのかが、自分でわからないのです」

「そんな、どういうことです?」

 コルベールの表情も困惑に歪む。復讐する相手がわからない? 意味がわからない。

 だがリュシーは、何かに怯えたように引きつった声で言った。

「わからないのです。わたしの父は確かに誰かに殺され、家族は誰かに引き裂かれた。その怒りと憎しみはわたしの心に焼き付いています……けれど、信じられますか? 父を殺し、わたしからすべてを奪った、その仇が誰だったかをわたしは思い出せないんですよ!」

「まさか、そんなことが……」

 絶句するコルベール。リュシーは今にも泣きだしそうだ。

「おかしいですよね。父の仇を忘れてしまうなんて……ですが、どうしても思い出せないんです。しまいには、自分自身に制約の魔法をかけて記憶を引き出そうともしましたが、無駄でした。コルベール様、わたしはあなたを散々に言ってしまいましたが、わたし自身はとうに壊れた人間だったんですよ」

「ですが、ならばなぜこんなことを」

「……仇の記憶はなくても、この心に煮えたぎる復讐心は消えませんでした。やり場のない怒りで、もうおかしくなってしまいそうな日が続いたある時……わたしの耳に聞こえてきたんです。悪魔のささやきが」 

 

『なら、全部、ぜーんぶ壊しちゃえばいいじゃないですか。目につくものを、壊して壊して壊し尽くせば、そのうちあなたが本当に壊したいものを壊せるかもしれませんよぉ?』

 

「できれば狂いたかった。けど、狂えないわたしには、その声に従うほかはなかったのです」

 悲しみに満ちた目で、リュシーは告白した。

 コルベールはかける言葉がない。恐らくは、何者かによって仇に関する部分の記憶に封印が施されてしまったのだろうが、恨む相手すらなく怨念だけが残り続けるなど、まるで生きながら怨霊にされてしまったようなものではないか。

 怒りと、憎悪と、悲しみを宿した目でリュシーはコルベールの前に立つ。

「お別れです、コルベール様。ですが、あなたに制約の魔法をかけるのはこれでも難しいでしょう。ですから、これを使わせてもらいます」

 いつの間にか、リュシーの手には画びょう程度の小さな針が握られていた。

「それは……?」

「ゲルマニアの武器商人から手に入れた道具です。これを刺された人間は、わたしの意のままに操られます。彼らのように」

 リュシーが合図をすると、部屋の中に足音がして二人の人間が入ってきた。そのうちの大柄な男性はコルベールの知らない顔であったが、隣に立っている派手な身なりの少女には見覚えがあった。

「ジャネットくん……!? そうか、昼間に船を爆破したのは彼女たちだったのか」

 コルベールは合点した。元素の兄弟クラスのメイジならば、船の火薬庫に火をつけてなお生きて脱出するという芸当も可能だろう。そして、経緯はわからないが、あの二人も自分と同じ手でやられてしまったに違いない。

 ジャネットと、隣のジャックは虚ろな目をして立ち尽くしており、操られているのは明白だった。このままでは自分もああなってしまうと、コルベールはなんとか脱出をはかろうと試みたが、リュシーはコルベールに寄り添い、冷たくささやいた。

「心配しないで、痛くはありません。わたしもきっと、遠からずそちらへ行くことになるでしょう。あなたは少しだけ先に行って待っていてください」

 リュシーの持つ針が少しずつコルベールの首筋に近づいていく。コルベールに、逃れる術はなかった。

 

 

 だが、その一部始終をのぞき見していた者が夜空にいた。

 月光の下にコウモリのような姿を浮かべる、元凶のあの宇宙人。彼はあごに手を当ててもったいぶった仕草をしながら満足げにうなづいた。

「ウッフフフ……あの小娘、なかなかいい仕事をしてくれますねえ。私の小細工の副作用で記憶が混乱していたのをカワイソウに思って助けてあげたら、よくよく世界をかき回してくれる上に、この上物の”憎悪”の波動。いいですねえ、すばらしいですねえ」

 彼は自分の目的が順調に運んでいることへの喜びを大仰に表現し、次いで今度は深く考え込むように腕組みをすると、わざとらしげにくるりと逆さむきになってつぶやいた。

「それと、最近私にちょっかいを出してくる誰かさんを引っかけるために泳がせていましたが、やはり派手に目立っていただけに引っかかってきましたね。あの洗脳装置は確かナックル星人が使っていたものと同じ……と、いうことは誰かさんの正体はナックルさん……? いえ、そうとは限りませんね」

 結論を急ぐのを彼は自制した。あの程度の装置など、それなりの技術力がある星人なら誰でも使える。偶然であろうがバルタン星人とメフィラス星人のように、ほとんど同じ型の宇宙船を使っていた例もある。短慮は禁物だった。

「彼女に武器を売った商人さんとやら、ちょっと洗ってみますか。おや?」

 そのとき、彼の耳に大きな水の音が響いてきたかと思うと、河の水面が大きく泡立ち、水中からあの白いロボットがその巨体を浮上させてきたのだ。

「あれは! ほほお、誰かさんとやらの正体はともかくとして、派手好きな方なのは間違いないようですね。これはさらにおもしろくなってきましたよぉ!」

 先日の戦いで河中に沈んだはずのロボットは、赤い目を輝かせながら街へ上陸するために河中を前進してくる。その足取りは重々しくゆっくりで、ヒカリによって切り落とされた右腕には代わりに巨大な砲が装備されている。

 一見して以前とは違う。しかし、いったい何者がこいつを改造したのだろうか? そしてその目的は?

 人間の思いをおもちゃにして、侵略者たちの遊戯は身勝手に激しさを増していく。

 

 

 続く



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第69話  その呪いも抱き留めて

 第69話

 その呪いも抱き留めて

 

 奇機械竜 ギャラクトロン 登場!

 

 

 リュシーの罠にかかり、意識を奪う洗脳針を今まさに打ち込まれようとしていたコルベール。しかし、まさに寸前のその瞬間、轟音をあげて室内に踊りこんできた者たちがいた。

『ライトニング・クラウド!』

 突然室内に稲光が走り、たけり狂う電撃の奔流が部屋の物を破壊しながら轟音を後にして迫る。

「なっ!?」

 閃光に目を奪われたリュシーは、思わず刺す寸前だった針を持ち上げながら顔を上げた。

 魔法の電撃は部屋のあらゆるものを破壊しながら刹那に迫ってくる。しかし、直撃の寸前でジャックが魔法で空気の防壁を張り、空気中に電気の通りやすい抜け道を作ったことで電撃は逸らされてしまった。

 だが、電撃と間髪入れずに部屋に飛び込んできた小柄な影が、ジャック目がけて魔法をまとった杖を振り下ろした。

「さすがジャック。不意打ちで放ったライトニング・クラウドを防ぐとは、我が弟ながらたいしたものだ。操られてさえいなければ褒めてあげたいよ」

 それは、元素の兄弟の長男ダミアンだった。ダミアンの杖はジャックが防御のために上げた杖とがっちり組み合い、文字通り大人と子供ほどの体格差をものともせずに押し合っている。

 しかし、膠着が続いたのはほんの一瞬だった。リュシーやジャネットですら反応が追いつかないうちに、今度はドゥドゥーが飛び込んできて無防備なジャネットに当身を食らわせたのだ。

「がはっ?」

「ごめんなジャネット、でも今回は君が悪いんだから怒らないでくれよ、頼むから」

 兄の面目躍如といった感じで、ドゥドゥーは気絶したジャネットを抱き留めた。そして彼も元素の兄弟としての実力を見せつけるように、愕然としているリュシーに向かって間髪入れずに魔法を叩きこんだ。

『ウィンド・ブレイク!』

 魔法の突風がリュシーに襲い掛かり、リュシーは身を守るのが間に合わずに吹き飛ばされてしまった。

「きゃああーっ!」

 僧服のまま壁に叩きつけられ、簡素な板がむき出しの壁がひび割れ、体は生身でしかないリュシーは背中を強打してなすすべなく倒れた。

 それらは開始から瞬き一つをようやくできるかという間に行われた、まさに刹那の出来事。しかしまだ終わってはいない。今の乱入のショックでコルベールにかかっていた金縛りが解けたのだ。

「おお、体が動く! き、君たちは!」

「また会ったね。君のおかげで弟たちにかけられた洗脳の解き方がわかった。囮に使わせてもらったが恨まないでくれよ。ドゥドゥー! 早くジャネットに刺さった針を抜いて、その女にとどめを刺すんだ。ジャックを無傷で抑えるのは僕とて楽じゃない!」

 ダミアンがジャックを杖で抑えながら叫ぶ。さすがは元素の兄弟の長兄、小柄な容姿のどこにそんな力があるのかといわんばかりの圧力で巨漢のジャックを抑え込んでいるが、弟相手に手加減をしなければならないだけ分が悪い。

「早くしろ! 僕が本気を出すことになったらジャックを殺しかねなくなるのがわからないのか!」

「は、はいいっ!」

 モタモタするドゥドゥーにダミアンの怒声が飛ぶ。ドゥドゥーは慌ててジャネットの首筋に刺さっている針を抜いて杖の先をリュシーに向けたが、リュシーも怒りで顔を歪めながら杖を振り上げていた。

『エア・カッター!』

『エア・ハンマー!』

 ドゥードゥーの放ったカミソリのような真空の刃とリュシーの放った鉄塊のような圧縮空気の魂が激突し、相殺されたふたつの魔法は今度は無秩序な空気の爆弾となって部屋の中を荒れ狂った。

「ぬおおーっ!」

 コルベールは床にしがみつき、必死で吹き飛ばされるのを防いだ。台風のような暴風は閉鎖空間である部屋の中で暴れまわり、窓は割れ、さらに粗末な作りの事務所の屋根さえも運び去っていってしまった。

 一瞬でがらんどうの廃墟と化してしまった事務所。だがその中では、いまだメイジたちが睨み合う死闘が続いていた。

 不意打ちで大きなダメージを受けてしまったリュシーは、肩で息をしながらもなお執念深く杖を持ち上げている。その身から漂うオーラはなお強く、スクウェアクラスに匹敵する上に隙もない。

 しかし、元素の兄弟は爆発に紛れてダミアンがジャックの針を抜いたことで、ついにジャックも正気に戻り、リュシーの圧倒的不利となっていた。

「おはようジャック。君にしては珍しいミスだったけど、今回はジャネットともども不問にしよう。で、気分はどうだい?」

「ううむ、ダミアン兄さん。どうやら俺たちが迷惑をかけてしまったようだな、すまん。女を追い詰めて……それから先を覚えてない。だが、どうやら体に不調はないようだ」

 ダミアンが気を付けて洗脳針を抜いたため、後遺症もなくジャックは蘇っていた。ジャネットはまだ気絶したままでいるが、ドゥドゥーも含めて元素の兄弟三人がかりで狙われているリュシーに勝機はない。

「では、さっさと仕事を片付けてしまおう。お嬢さん、君にはすまないが、こういう理不尽がこの業界の掟でね。そういうわけだからさようなら」

「猟犬め……」

 余計にもったいぶらず、ダミアンは冷徹に杖を振った。人間の体を両断して余りある魔法の刃がリュシーに迫るが、その魔法は横合いからの別の魔法で進路をそらされ、リュシーの横の壁を切り裂いたに終わった。

 それは、コルベールの放った魔法であった。

「どういうつもりだい? ミスタ・コルベール」

 ダミアンが冷たく言い放つ。ダミアンはコルベールが自分の雇い主であるベアトリスのお気に入りであることを知っており、手出しはしないつもりではあったが、邪魔をするのであれば相応の対処をすると言外に告げていた。

「殺すほどのことはありません。捕らえて法の裁きを。恐らくあなたがたの受けた指令は連続爆破犯の阻止のはず。必ずしも殺害までは命じられておりますまい」

 コルベールの返答に、ダミアンはわずかに口元を歪ませた。確かにベアトリスは生死は問わずとは言ったが殺害を厳命してはいない。冷酷になりきれないベアトリスの心根を知っているコルベールの推測は当たったが、だからといってダミアンもおめおめと引き下がりはしない。

「だからといって殺してはいけないとも言われてないよ。それに、僕は弟たちに余計な危険を冒させてまで君に協力する義理もない」

「もっともですな。ですが、私も彼女にしてやられた身。物申す権利はあると思いますが」

 譲らないのはコルベールも同じだった。ダミアンは以前弟のドゥドゥーがコルベールに散々手玉に取られたことを知っており、コルベールがただものではないことを理解しているため、無理に押し通すことはしなかった。

 しかし、ダミアンは無言の圧力で、リュシーが降伏するくらいなら死を選ぶだろうとコルベールに言っていた。こういう恨みに凝り固まった人間は理性でどうこうなるレベルをとうに超えた狂信者というべきで、良心も自分の安全も恨みで塗りつぶしてしまっているので、もう自分でも止められないのだ。

 止まるとしたら、恨みの対象をすべて破壊しつくしたときだけ。ましてリュシーは何かの作用で復讐の対象が誰かを忘失して怨念だけ残された亡霊のようなものだ。もう、身も心も擦り切れて朽ち果てるまで止まることはできない。ならば、まだせめて人間でいられているうちに引導を渡してやるのがせめてもの情けではないのか?

 コルベールもそう思わないでもない。しかし、昼間のことがたとえ自分を騙すための演技だったとしても、あの明るさや優しさのすべてが嘘であったとはコルベールには思えなかった。

 恨みさえ晴らすことができればリュシーはまだ立ち直ることができる。だが、すでに罪を重ねてしまった彼女がこれ以上の破壊を繰り返せば、残った人間らしい心も擦り切れて、もう後戻りはできなくなってしまうだろう。

 救える機会はもうこの時しかない。コルベールには天使のようにリュシーに救いの福音を与える術はなかったが、ひとつだけリュシーを救えるかもしれない手段があった。ただし……。

「ミス・リュシー、あなたの……」

 それでも迷わずコルベールはリュシーに話しかけようとした。しかし、コルベールがリュシーに呼びかけた、まさにその瞬間に鼓膜を突き破るような爆発音が轟いてきたのだ。

「なんだい!?」

 思わずドゥドゥーが屋根を失った建物の上へと飛び上がる。しかし、他の面々も飛び上がるまでもなく爆発音の正体を知ることになった。なんと、先日ウルトラマンが倒したはずの巨大機械獣が街を破壊しながらこちらに向かってきていたのだ。

「あの銀ピカゴーレム、まだ生きてたのかよ! ダミアン兄さん、あいつこっちに向かってくるよ」

「ああ、本当になんて間の悪い。だがまずは仕事だね!」

 ダミアンは腹立たし気にしながらもリュシーに向かって魔法を放つ。しかし、それをまたコルベールが相殺した瞬間、リュシーは飛んで逃げようとフライを唱えた。

 むろん、それを見逃すダミアンではない。頭上で待機していたドゥドゥーに間髪入れずに指示を飛ばす。

「逃がすな、撃ち落とせ」

「もちろんさね!」

 ドゥドゥーが飛んで逃げようとするリュシーの頭を押さえ、広範囲に電撃の魔法を飛ばす。リュシーもこれを避けることはできずに食らい、それでも痛みをおして逃亡を図ろうとするが、今度は下から撃ち上げてきた氷弾がリュシーの体に突き刺さった。

「うああっ!」

「無理だよ。元素の兄弟を甘く見ては困るね」

 冷たく言い放つダミアン。代金の分の仕事は誰がどうなろうと必ず果たすのがプロの矜持だ。その対象が女子供であろうと何の関係もない。

 しかし、傷つき飛ぶ力も失いかけたリュシーにドゥドゥーがとどめを刺そうと杖を振り上げた瞬間、今度は別方向から邪魔が入った。

「ドゥドゥー危ない! 飛べ!」

 はっとしたドゥドゥーが反射的に真上に飛んだ瞬間、彼のいた場所を赤色の光線が貫いていった。ロボットの目から放たれた破壊光線で、もし当たっていたら瞬きした次の景色はあの世だったであろう。

 ヒヤリとしたドゥドゥーは、あの銀ピカ邪魔しやがってと毒づいたが、いくらなんでも反撃できる相手ではない。

 だが、街を蹂躙しようとするロボットに対して、青い輝きがそれを遮った。夜空から気高い群青の光が降り立ち、青い光の戦士、ウルトラマンヒカリが再度ロボットの進行を防ぐために立ち向かっていく。

〔やはりまだ生きていたか。ならば、今度こそ破壊するまで!〕

 ヒカリは白いロボットが自己修復して戻ってきたと判断していた。高度なロボットの中にはマスターがいなくても自己だけで完全解決するものも少なくない。

 そしてその一方、あの宇宙人も空の上から見つからないよう気配を消しながら様子をうかがっていた。

「ヒカリさんも来ましたか。さあて、これで役者が揃ったようですねえ。私と遊びたいという誰かさんも、お手並み拝見させてもらいますよ」

 わざわざこんな回りくどい真似をしてまででかいエサを撒いたのだ。何者がちょっかいを出してきているのか、とくと見せてもらおうではないか。

 ヒカリは白いロボットが高火力を発揮すれば街の被害が甚大になるとして、距離を取り過ぎず、中距離戦で戦うことにした。いわゆる、格闘の間合いからは少し離れ、かといって飛び道具を使うと相手に飛び込んでくる隙を与えてしまうような、そんな距離である。

 しかし対峙すると、ヒカリは白いロボットの動きに違和感を感じ始めた。

〔なんだ? 妙に動きが鈍い〕

 先日戦った時は機械的でありながらも比較的スムーズな動きを見せていたロボットが、今度は妙にぎこちないというか、動作をなにか一回する度に一瞬停止する感じでたどたどしい。

 まだ故障が直りきっていないのか? ヒカリはそういぶかしんだが、第三者の存在を知っている宇宙人は、恐らくロボットの制御AIが改造した誰かの使い慣れているものに書き換えられたのだろうと推測した。

「あの動き……どこかで見たことがあるような」

 一方で、動きが鈍くなった分、ヒカリは前回よりも余裕を持ってロボットに対処することができた。

「シュワッ!」

 ヒカリのキックがロボットの巨体を揺るがし、反撃に振るわれたアームも余裕を持って回避することができた。

 だがロボットは両腕だけでは対処しきれないことを悟ると、頭の後ろから弁髪のように生えている太い触手を伸ばしてヒカリを狙ってくる。その、まるでサソリの尾のように頭越しに伸びてくる攻撃にはヒカリもいったん後退を余儀なくされた。

〔まるで腕が三本あるようだ。少し動きが鈍った程度で安心できる相手ではないな〕

 ロボットの有する底知れないポテンシャルはヒカリをも戦慄させた。ならばこそ、ここで倒さねばならない。

「ハアッ!」

 ナイトビームブレードを引き抜き、ヒカリはロボット相手に短期戦に打って出た。わからないことはまだあるが、今は現実の脅威を取り除くことが最優先だ。

 ロボットのアームとナイトビームブレードがぶつかりあうたびに乾いた金属音が鳴り、夜の街を照らし出すほどの火花がはじけ飛ぶ。かつてのハンターナイト・ツルギを思わせる猛攻の前に、動きの鈍ったロボットは対処しきれない。

 このまま攻め続けて隙ができたところで関節部から切断していけば最終的にはヒカリ単独の力で破壊することも不可能ではない。その様子に、もう勝負がついてしまうのかと宇宙人は物足りない思いを感じていた。

「あららら、これじゃ改造じゃなくて改悪じゃないですか。どこかの誰かさん、せっかくなんですからもっと魅せてくださいよ。ねえ?」

 あのロボットの戦闘スタイルに鈍ってしまった動きはまったく噛み合っていない。恐らく、改造した誰かは元のAIが上書き不可か修復不能と見て丸ごと入れ替えたのだろうが、このままでは本当に改悪もいいところだ。

 しかしこれで終わるか? 少なくとも自分ならまだ何かを仕込んでいる。見せてもらおうではないか。ムッ?

 その瞬間だった。ロボットの目から白色の光線が放たれると、それはヒカリの横を素通りし、なんと今度こそ追い詰められていたリュシーを襲ったのだ。

「えっ……?」

「ミス・リュシー! 危ない!」

 とどめを刺されかかっていたリュシーを襲った攻撃に、元素の兄弟は反射的に飛びのき、彼女を守ったのはとっさに割り込んだコルベールだけだった。

 しかし建物を粉みじんにするようなロボットの光線を前にメイジの守りがなんになるのか? コルベールとてそう思って身を捨てる覚悟でいたが、なんということか!? 光線はリュシーと、彼女をかばったコルベールの周囲で風船のようなドームとなって二人を囲い込み、あっという間に二人をロボットの腹の赤い球体に吸い込んでしまったのだ。

「なっ!?」

 元素の兄弟も見ていることしかできないほどの一瞬の拉致だった。そして今の光線はロボットに元々備わっていたものではないと、宇宙人は気づいていた。

「あの光線、ゴース星人さんが使っていたものに似ていますね。ということは、やはり犯人はナックルさんではないですか。そして……」

 宇宙人は、ロボットを改造した誰かとは気が合いそうだと笑みを浮かべた。なんのために彼女を連れ去った? いや、そんなことは決まっている。

「人質ですか。この手段はウルトラ戦士たちにはとてもよく効くんですよねえ」

 古典的だが効果的この上ない戦術。これを打たれると正義の味方はなす術がない。

 ヒカリはリュシーとコルベールが吸収された球体を透視して、二人がその中に幽閉されているのを確認した。

〔まずい、あそこは奴の胴体のど真ん中だ。これでは下手に攻撃できない〕

 攻め手を止めざるを得なくなったヒカリに、ロボットは以前の戦いで失った右手の代わりに装着された大砲を向けてきた。大口径の砲身がヒカリを狙い、砲煙とともに弾丸が発射される。

「セヤッ!」

 とっさに身をひねり、砲弾を回避するヒカリ。ロボットの右腕についていたのは元々はビーム砲であったが、何者かに改修された今は実弾を発射するキャノン砲となっていた。しかし威力はひけをとらないほど高く、外れた弾丸が大爆発して威力の高さを示してくる。

〔この大火力、最初の時と脅威はほとんど変わらない。野放しにすれば街はあっという間に火の海だ。だが……〕

 人質がいたのではうかつな攻撃ができない。なんとか捕らえられた二人を助け出さなければ……だがどうやって? あのロボットの装甲を破って内部にいる二人を救い出すためにはかなりの攻撃を必要とするが、そうすれば内部も無事ではすむまい。それに、今この街の近辺にいるウルトラマンは自分だけなので応援も期待できない。

 ナイトビームブレードを構えながら、じりじりと押されていくヒカリ。ロボットはこちらがうかつな攻撃ができないと知って、まるで勝ち誇るように、腕を上下に振り動かしながら迫ってくる。

 危機に陥るヒカリ。街は熟睡を妨げられた人々が闇の中で逃げまどう声であふれ、騎士団もまだ出動すらできないでいる。

 元素の兄弟たちは、しばらくは様子見だね、とダミアンが冷徹に告げたことで全員が杖を収めた。コルベールや街の人間のために無償で尽くす義理はない以上、ロボットが破壊されてターゲットの死亡が確実になりさえすれば、後はどうなろうと知ったことではない。

 事実上、外部からの救援の可能性はほぼ途絶えたコルベールとリュシー。その二人は、ロボットの内部で身動きを封じられて閉じ込められていた。

「くそっ、このままでは我々のためにウルトラマンも街も危ないではないですか。なんとか脱出しませんと……ミス・リュシー、大丈夫ですか!」

 ロボットの内部は小さな空洞になっていて、そこで二人は無数のケーブルのようなものによってがんじがらめにされていた。まるで蜘蛛の巣にかかった虫も同然の状態で、しかもこのケーブルが頑丈で、魔法を用いてもなかなか切れる様子がなかった。

 それでもコルベールは、同じように捕らえられているリュシーを案じて声をかけ続けていたが、リュシーの目はロボットの球体からマジックミラーのように通して見える外の景色に釘付けになっていた。

「燃える……みんな、みんな燃えていく……」

 ロボットの攻撃で炎上していく街。それを見つめるリュシーの心に、どこにあったかもわからない自分の屋敷が名もわからない軍隊によって奪われ、自分の家族がどこであったかもわからない国の裁判で有罪とされ連れて行かれる光景が浮かんでくる。

 心に焼き付いて消えない、全てを失った悲しみと怒り。しかし、それがいつどこでどうして行われたのかを思い出せない。

「ふ、うふははは……燃えろ、みんな燃えて燃え尽きてしまえ!」

「ミス・リュシー? リュシーさん、どうしたのですか!」

 歪んだ笑みと引きつった哄笑を発し始めたリュシーにコルベールが呼びかけるが、リュシーの狂乱は止まらない。

「みんな忘れた、なにも思い出せない。だけど、これだけは覚えてる……わたしから家族を奪った火刑の炎……無実の人間を焼いたあの炎……わたしは誓ったの。同じ熱さを、痛みを思い知らせてやるって!」

 リュシーの怨嗟の叫びとともにロボットも咆哮して、放たれた無数の光線がさらに街を火の海に変えていく。

 これは! ロボットのパワーが上がっている。なぜ? と、ヒカリはいぶかしむが、ロボットのパワーはさらに上がり続けていく。

〔まずい、このままパワーが上がり続けたら、この街どころかハルケギニアを灰燼にするまで止まらないかもしれない。だが……〕

 最悪、捕らわれている二人ごと破壊するしか手がなくなるかもしれない。より多くの人間を守るためにはそれも……だが、ヒカリは狂ったように暴れるロボットから立ち上ってくるオーラに、隠しきれない怒りと悲しみの波動を感じていた。

〔我が身をすら顧みない、あの凶暴さはまるでツルギだったころの俺だ。まさか、あれに捕らわれた人間というのは……〕

 自身も復讐者であったゆえの、言葉に言い表せない共感。自分の感情に支配され、ハンターナイト・ツルギとしてほかの全てを投げ打ったあの頃の自分は、ボガールを倒すために地球に少なからぬ被害を与えてしまった。あの頃のことは忘れてはいけない記憶として残り、今ロボットから感じられるオーラはそれとよく似ている。

 そして、ヒカリと同様にコルベールも錯乱するリュシーの姿に、なぜロボットが彼女を捕らえたのかを気づいていた。

「リュシーくんから、彼女から怒りの感情を吸い取っているのか。おのれ、なんと卑劣なことを!」

 人間の感情をヤプールをはじめとする侵略者たちが利用しているのはコルベールも知っていた。リュシーはその心に宿る復讐心に目を付けられ、人質兼エネルギー源として捕らえられてしまったのだ。

 コルベールは、ケーブルに捕らえられながらなおも絶叫するリュシーを止めるために、なんとか自分の拘束を解こうと額に汗を浮かべながらもがいた。

 そして、ロボットの暴走の様子を、かの宇宙人も見守りながら状況を分析してつぶやいていた。

「いやいや、撒き餌をした私が言うのもなんですが、エゲつない真似をしますねえ。しかし、人間から感情エネルギーを吸い取る機能なんか、あのロボットにはなかったはずですが、それも改造によって追加した機能ですか……技術自体はそんなに特別なものではないですが、それ以上に人間のことをよくリサーチしてますね。これは、詰みましたかね?」

 人質をとった上にロボットの火力は上がり続ける。このままではウルトラマンヒカリに勝ち目はないだろう。むろん、街はあっという間に灰燼に帰し、ロボットは破壊の手をさらに広げるに違いない。

 ただ……やがては他のウルトラマンたちも駆けつけてくるだろうが、それまでにどれだけの被害が出るものか。侵略するにしても更地だらけの星などを手に入れても仕方ない。はたしてこの破壊力でリカバリーできる程度に収まるのか? と、宇宙人は黒幕の思惑をいぶかしんだ。

 しかし、黒幕の思惑がなんであれ、ロボットは全身からビームと弾丸を放って街を破壊し続けている。ヒカリがなんとか工場街で食い止めているが、すぐに被害は人口密集地へと及び、さらには東方号も破壊されてしまうだろう。

 ビームを受けた建物に魔法陣のような紋様が閃き、次の瞬間紅蓮の炎が焼き尽くす。巻き散らされた弾丸は無差別に着弾して、道路をえぐり、街路樹をなぎ倒す。その圧倒的な破壊は避難する人々の背にあっという間に追いつき、ヒカリの耳に炎から逃げまどう人々の悲鳴がいくつも飛び込んでくる。これ以上、戦いは引き延ばせない。

〔やむを得ん、何千何万という人々の命には代えられない。許してくれ〕

 意を決してナイトビームブレードを突き立てる構えをとるヒカリ。しかしそのとき、ヒカリの聴覚にリュシーに必死に呼びかけるコルベールの叫び声が響いてきた。

「リュシーくん、これ以上自分の中の悪魔の言いなりになってはいけない! 君は人間だ。こんな人形の一部なんかじゃない。そして、君が貴族であったなら、誇り高い貴族の心を思い出すんだ!」

 その言葉に、思わず手を止めるヒカリ。そうだ、自分が復讐の戦士ツルギとしてボガールを追っていた時、メビウスたちが懸命に光の国の戦士の心と誇りを思い出させてくれた。

 ならば、自分のすべきことはこの場の希望を最後まで信じ抜くこと!

「テヤアッ!」

 ナイトビームブレードでロボットの光線を跳ね返し、ヒカリは決意した。残りの全エネルギーを使っても何秒も持たないだろうが、そのわずかな時間に希望をかけて食い止める。

 青い光の戦士、ウルトラマンヒカリ。激しく鳴るカラータイマーの音がやむまで、ここを退きはしない。

 

 そしてロボットの内部では、コルベールの必死の呼びかけが続いていた。

「ミス・リュシー! リュシーくん、聞こえますか! 私がわかりますか?」

 自分を拘束していたケーブルをちぎり、コルベールはリュシーの目の前にまで寄って呼びかけていた。リュシーはなおも錯乱し続けていたが、コルベールの呼びかけと、彼の額のてかりがまぶしく目を照らすと、はっとしたようにコルベールに気づいてくれた。

「ミス、タ……コルベール?」

「そうです、私です。身の程知らずなコッパゲですよ。さあ、今助けます」

 コルベールは魔法を使ってリュシーの四肢を拘束しているケーブルを切断しようと試み始めた。しかし、リュシーはそれを拒絶するように叫ぶ。

「やめて! もうすぐ、もうすぐわたしの悲願がかなうんです。もうすぐ、もうすぐわたしの怒りで全部燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて。わたしの復讐がかなうのよ!」

「すみませんが聞けませんな。君のやっていることは復讐でもなんでもない、ただの破壊です。君はこの機械人形に利用されているに過ぎないのです」

「それでもかまわない! もうわたしが復讐を遂げるには、ハルケギニアのすべてを焼き尽くすしかないんです!」

 血を吐くようにリュシーは叫んだ。すでにリュシーの体は元素の兄弟との戦いで傷つき、さらに強引に拘束されたことで激しく衰弱している。

 もう、リュシーはこの場で死ぬ覚悟を決めているとコルベールは理解した。そしてリュシーはこの世への未練を断ち切るようにコルベールに言った。

「コルベール様、聖職者を騙っていたわたしのみじめな告解をお聞きください。あなたの言った通り、わたしの中には悪魔がいます。この世に神はいなくても悪魔はいる。その悪魔が、どんなに振り払おうとしてもわたしの怒りを駆り立て、復讐を果たせと言うのです。コルベール様、わたしの理性が少しでも残っているうちに、どうか逃げてください。今さらですが、あなたのご好意につけこもうとして、ごめんなさい……」

 それはリュシーの良心が見せたせめてもの抵抗だった。人の心には多くの悪魔が潜み、様々なきっかけで人を理性では抑えることのできない魔道へと引き込んでいく。

 もはや復讐が成就するまで、いかなる犠牲を払おうともリュシーの怒りの悪魔が収まることはないだろう。けれど、コルベールはまったく引くことなく優しく告げた。

「できませんな。私はこれでも教師でして、人を教え導くことが仕事なのです。君が嫌でも、今から君は私の生徒です。絶対に見捨てはしませんよ」

「やめてくださいませ。わたしはわたし自身の心も復讐の魔法で塗りこめて、もう怒りの奴隷なのです。助けていただいても、わたしは必ずまた何かを火に包むでしょう。せめてお情けをかけるなら……わ、わたしの命ごと止めてください!」

 飢えた獣が肉を貪るのを止められないように、復讐を止められない自分が救われる道はもうない。ただ、己の破滅を除いたら……。

 そうしているうちにも、ロボットはリュシーからエネルギーを吸い続け、外で食い止めているウルトラマンヒカリの限界は近づいていく。それに、リュシー自身も傷が開いて意識が薄れかけ、このままでは復讐の夢うつつのままで精神力だけを吸い取られるパーツとしてロボットに組み込まれてしまうだろう。

 しかしコルベールはリュシーに杖を向けはしなかった。

「その願いはかなえられません。甘いとお笑いになられるでしょうが、私はもう二度と魔法で人の命を奪わないと決めたのです。リュシーくん、私にも君の中で叫ぶ悪魔の姿が見えました。君は制約の魔法で人を操るのと同じように、自分自身にも制約をかけて復讐心を操っていたのですな」

「……そうです。鏡を使って、自分自身に魔法の暗示を何度もかけました。善良な聖職者を演じ、復讐者としての素顔を隠すために」

「ですが、抑えられた復讐心はなお強く燃え盛ってあなたを焼こうとし、それを抑えるためにさらに自分に制約をかけ続けて、ついには縛り切れなくなりかけていたのですね。でも、もういいのですよ。あなたの怒りはみんな、私が引き受けてあげます」

「……な、なにを……?」

 リュシーはすでに意識ももうろうとしかけているようだった。しかし、コルベールはリュシーの手に杖を握らせ、さらに身だしなみ用の手鏡を向けながら言った。

「もう一度自分に制約をかけるのです。さあ、呪文を唱えなさい」

「はい……?」

 コルベールにうながされ、リュシーはぼんやりとしながらも『制約』の魔法を唱え始めた。どのみちもう死ぬつもりだったのだ、いまさら何がどうなろうとかまいはしない。

 だが、制約の魔法の詠唱が終わり、暗示を刷り込む段階になってコルベールが告げた言葉がリュシーの意識を現実に引き戻した。

「よろしい。では、こう信じるのです。リュシーくん、君の家族を陥れ、君が復讐を誓った相手の名はジャン・コルベール。この私だとね」

「えっ? あ、うぁぁぁーっ!」

 その瞬間、彼女の朦朧とした意識の中にコルベールの言葉が制約の魔法で形を持ったイメージとなって流れ込んできた。

 憎んでもあまりあるが、空気のように触れることも見ることもできなかった仇のイメージに色と形が注ぎ込まれていく。それは奔流であり濁流として、リュシーの失われた記憶の部分を急速に埋めていった。

”父を殺し、家族を引き裂いた仇。その名はジャン・コルベール、その顔が彼女の中で憎むべき悪魔と同一化されていく”

 だが、それは偽の記憶。ありえない過去。それが自分の中に流れ込んでくる感覚に、初めてリュシーは恐怖を感じて叫んだ。

「ああ、やめて、やめて! わたしの、わたしの中に入ってこないでえ! わたしは、わたしは……わたしが、こわれる……」

 これまで何度も自分にかけてきた制約の魔法に恐れを抱いたことはなかった。しかし、それは自分の中で暴れる復讐の感情を押さえつけるためのものだったのに対して、これはせき止められていた感情を一気に開放する鍵だった。

 溜まりに溜まり続けていた感情が、復讐の対象を得たことで抑えようもないほど膨れ上がっていく。怒りが、憎しみが、殺意が……リュシーは自分でもコントロールできなくなっていくその感情の濁流に恐怖し、もだえた。

 しかしコルベールは、恐れるリュシーを前にして、まっすぐにその顔を見据えて言った。

「怖がることはありません。あなたが胸の内に溜め込んできた濁ったものを、ただ吐き出してしまうだけなのです。さあ、目を開けて前を見て。あなたの前にいる男は誰ですか?」

「あ、あぁ……あ、うあぁぁぁぁ!」

 制約の魔法で刷り込まれた偽のイメージが完成し、その瞬間リュシーの心の中の憎悪は破裂した。

「おま、おま、お前はぁぁぁ!」

「そうです。ようやく思い出しましたか? あなた、いやお前の仇の顔と名前を」

「ああ、あああ……思い出した! 思い出した! ジャン・コルベール! ジャン・コルベール! 貴様、よくもお父様を!」

「そのとおり、物覚えの悪い小娘です。私は覚えていますよ、あの男の間抜け面をね」

 それは口から出まかせの安い挑発であったが、リュシーにはもはやそれを理解する知性も冷静さも残ってはいなかった。

 残っているのは、溜め込まれ続け、淀みきった真っ黒な殺意のみ。それが爆発し、リュシーは言葉にならない罵声を口から吐き出しながらコルベールに迫ろうとした。

 しかしリュシーの四肢はロボットのケーブルで拘束されてしまっている。それでも手足を引きちぎらん勢いでコルベールに迫ろうとするリュシーに、コルベールは何を思ったのか自分からリュシーの目の前にまで近づいた。

「さあ、仇は目の前ですよ。どうしますか?」

「ああ、こ、ころ、殺すぅぅぅぅ!」

 目の前のコルベールに、リュシーは唯一自由になる首を伸ばしてコルベールの肩口に噛みついた。たちまち白い歯が服ごと肉に食い込み、赤い血が滲み始める。

 だが、コルベールは顔色一つ変えることもなく、ただリュシーを拘束から解放するために魔法を唱え続けた。その肩口で、リュシーはまるで吸血鬼のように血と肉をむさぼり続ける。

「殺す、ほろふ、ほろひてやるうぅぅぅ……」

「そう、それでいいのです。そうやって、あなたの中に溜まった黒いものをすべて吐き出してしまいなさい。いくらでも、私が受け止めてあげましょう」

 いつしか、リュシーの目からは滝のように涙も流れ、むしろリュシーが血を吐いているようにさえ見えた。

 これがコルベールの答え。リュシーの復讐の標的をでっちあげ、その復讐を成就させてやる。彼女が欲する血を、自分が引き受けることになろうとも。

 リュシーは泣きわめき、ひたすらかすれた声で「殺す」と繰り返しながら一心不乱に歯を突き立てている。すでに漏れ出した血はコルベールの服の半分を赤く染め、指先からは真紅の雫が滴っている。それはまさに、コルベールの肩を食いちぎってしまいかねないほどに思えた。

 だが、コルベールは常人なら絶叫するであろう激痛にじっと耐えながら独り言のようにこう口にした。

「そう、そのまま、そのままです。どんな強い感情でも無限ということはありません。そのまま吐いて吐きつくしてカラッポになりなさい。カラッポになって、自分の中に住み着いた悪魔を追い出してしまいなさい」

 少しずつだが、リュシーの噛む力が弱まっているのをコルベールは感じていた。

 どんなに発狂しようとも、人間である以上限界は必ずやってくる。増して激しく燃える炎ほど燃え尽きるのも早い。コルベールはそれに賭けたのだった。

「ころふ……ほろふぅ……」

 狂気に取りつかれていたリュシーの顔から少しずつ険が取れていく。感情を一気に爆発させた反動と、すでに体力的に疲労の極だったことで急速に消耗しつつあるのだ。

 コルベールは、哀れな復讐鬼の断末魔にも似た叫びを受けながら、一本ずつケーブルを切断していった。その表情からは、決意や哀れみとは違う、どこか義務感のような寂しさがわずかに見えたように思えた。

 

 そして、中の影響は外部にもついに変化となって表れた。

〔むっ? 動きが、鈍ってきたのか?〕

 今まさにとどめを刺されかけていたヒカリは、突然ロボットが動きを鈍らせたことで間一髪逃れることに成功した。

 偶然ではない。目に見えてロボットの動きが遅くなり、まるで電池の切れかけた玩具のようになっている。一目で、中で何かが起きたのだということは察せられた。

 これは間違いない。ロボットのエネルギー源に当たるものに何か重大な異常が起きたとしか考えられない! そうならば、自分がやるべきことはひとつ。ヒカリは残った力をナイトビームブレードに込めて、ロボットの両腕を一気に切り裂いた!

「イヤアァァッ!」

 無防備な状態への関節切断攻撃。ロボットの右腕の大砲と左腕のクローが同時に地に落ち、同時にバランスを崩したロボットが大きくのけぞる。

 やった! これでもう奴はまともな戦闘はできない。残った武器は目からの光線くらいだが、元よりエネルギー欠乏の今となっては恐れるに値しない。後は機体に閉じ込められている二人を救出しさえすれば……。

 しかし、かと思ったその時だった。なんと、切り落としたはずのロボットの両腕が浮遊し、動き出しているではないか!

〔自己再生機能か? いや、あれは……〕

 はっとしたヒカリは、切断したロボットの腕が修復するのではなく、独自に動き出すのを見てそれが分離合体機能の一種であると悟った。

 ロボット怪獣の中には自分のボディをいくつかに分離して戦えるものがいる。こいつもその一種なのか? それとも、これも改造されて追加された機能なのか? いや、いずれにしても脅威はまだ消えていないということだ。

 切り離されたロボットの腕はそれぞれがロボット本体と合わせて三方からヒカリを包囲する態勢をとってきた。まずい、このままではこちらもエネルギー切れで逃げ場のないままハチの巣にされる。だが、この戦法はどこかで……?

 しかし、ヒカリに向かって一斉砲火が放たれようとした、まさにその瞬間だった。ロボットの胸の球体に大きくヒビが入り、同時にロボットが苦しげに大きくのけぞったのだ。

〔あれは、ミスタ・コルベール!〕

 発光体を透かして、ヒカリの目にコルベールの姿が見えた。コルベールは球体の向こうで誰かを抱きかかえながら杖を握っている。内部からの攻撃でロボットにダメージを与えたに違いない。

 けれど、コルベールの力もそこまでで、球体を壊して脱出するまではいかなくなっている。ならば……ヒカリは意を決して、ナイトビームブレードを突きの構えに備えた。

〔狙うは一点、少しでも加減を誤れば中の彼らも傷つけてしまう。最小限の力で……ハァッ!〕

 精神を研ぎ澄まし、ナイトビームブレードでの針の穴を通すような一閃がロボットの胸の球体に吸い込まれる。

 一瞬響く乾いた音……剣の切っ先は球体の表面で止まっており、一寸たりとも食い込んではいない。しかし、確かな手ごたえがヒカリにはあった。

 次の瞬間、球体のヒビが大きく広がり、球体はついにその強度の限界の寸土を超えてはじけ飛んだ!

「今だ!」

 外が見え、風を感じた瞬間コルベールは飛んだ。残りの精神力を『フライ』の魔法につぎ込み、リュシーを抱きかかえたまま全力でロボットから離れようと滑空する。そして飛びながらヒカリに向かって叫んだ。

「ウルトラマン、とどめを! その穴が、そいつの唯一の急所です!」

 その声にはっとし、ヒカリの視線にコルベールが脱出した球体の穴の黒々とした闇が映りこんで来る。あそこなら、奴の装甲は意味を持たない。

 残りエネルギーはわずか。ナイトシュートを撃つには足りず、だがそのわずかな力をナイトビームブレードに注ぎ込み、まさに巨岩に打ち込む小さな楔のように球体の穴に向かって叩き込んだ。

『ブレードショット!』

 矢じり型のエネルギー弾がロボットの球体の穴に飛び込み、次いでロボットの全身が震え、スパークした。

 いかな強固なロボットとはいえ、そのすべてを頑丈になどできるわけがない。むしろ強固な装甲はデリケートな内部を守るためにこそあるといってもいい。精密機械が詰まった内部に異物が入り込んだらどうなるか? 人体に例えるまでもなく、ウルトラマン80を苦しめたロボット怪獣ザタンシルバーも損傷部から機体内部への攻撃で撃破されている。

 ロボットの動きが止まり、その全身から火花が噴き出した。同時に浮遊していたロボットの両腕も力を失って落下し、ロボットはその竜に似た口から断末魔の機械音を響かせながら倒れ、大爆発を起こして今度こそ完全に破壊された。

「さすが、光の国の方は強いですね」

 パチパチと手を鳴らしながら宇宙人はつぶやいた。彼のシルエットをロボットの爆炎が照らし、爆風がないで通り過ぎていく。

 結局はこうなったか、と、彼は心の中で息をついた。あわよくばウルトラマンのひとりでも倒してくれれば儲けものではあったが、そんなに簡単にウルトラ戦士を倒せるようならどこの星人も苦労はしない。

「ですが、私にとって収穫がなかったわけではないですね。この短時間でロボット怪獣を改造できる技術力と、いくつかのヒントをつなげれば……フフ、だいたい絞り込めてきましたよ。どうやら誰かさんと顔を合わせる日も近そうです。ただ、憎悪の感情の回収は……失敗ですね。やれやれ、今日はもう帰りましょうか」

 なかなか思うようにはいかないものだと、彼はわざとらしく肩をすくめて見せると、ヒカリに向かって「お疲れ様でした」と声をかけて消えていった。

 そしてヒカリは、消えていった宇宙人を見送ると、もう一度ロボットの残骸に目をやった。

 もうあの宇宙人を追う力は残っていない。しかし、恐ろしいロボットだった。勝つには勝てたが、あのポテンシャルの高さを考えればこちらが負けていた可能性のほうが圧倒的に高かった。どこの宇宙からやってきたかわからないが、ロボットである以上は同型機がいるかもしれず、これから自分や仲間のウルトラマンの誰かがあれと戦わねばならないと思うとぞっとするものがある。

 だが、それは別として気になることがもう一つ。ヒカリは地面に横たわっているロボットの腕の大砲を一瞥すると、カラータイマーの点滅音を置き土産に残して飛び立った。

「ショワッチ!」

 

 ヒカリも去り、街にはようやく安寧が戻った。街の被害は軽くはないものの、すでに怪獣の襲来には慣れている人々はすぐに復旧にとりかかり、数日もあれば被害の影響はなくなるであろう。

 人間たちはたくましい。しかし、闇の中に住まう者たちには、まだ安らぎは訪れない。

 

 街はずれ。人の気配のないそこに、元素の兄弟は全員揃っていた。

 ダミアン、ジャック、ドゥドゥー、ジャネット。彼らも一様に疲労してはいるが、その眼光は鋭く、街から出ようとするひとりの男を睨んでいる。

「やあ、ミスタ・コルベール。まだ夜も明けないというのにお出かけかい? 美人と逢引きとは、君もなかなか隅におけないね」

 冗談めかしたドゥドゥーの言葉に、コルベールは苦笑した。

 コルベールの腕にはリュシーが抱きかかえられている。しかしそれは逢引きなどというムードは欠片もなく、コルベールの服は鮮血でくすんでおり、腕の中のリュシーはぴくりとも動かない。

「すみませんが、少し野暮用ができましてね。ちょっと通していただけたら助かるのですが」

「君一人だけならすぐにでも通してあげるよ。でも、その抱えてる女は置いていってもらおうか。最悪首だけでもいい」

「それはできませんな。彼女は私の大切な友人です」

「僕らを相手に、そんなわがままが通用するとでも? こうして交渉してあげているだけ最大限譲歩しているんだよ」

 すでにダミアンをはじめ、元素の兄弟は皆が殺気を隠そうともしていない。ジャネットまでが人形のような顔に怒りを浮かべてリュシーを睨んでいる。

 しかし、コルベールは今にも襲い掛かってきそうな元素の兄弟に対して穏やかに言った。

「あなた方の仕事は、すでに終わっていますよ。ハルケギニアを騒がせた連続爆破事件は、もう二度と起きることはありません」

「そんな言葉で、僕たちが納得するとでも? それに、その女には弟と妹が世話になっている。兄としても、見逃すわけにはいかないね」

 ダミアンの言葉遣いは丁寧だが、邪魔をするなら今度こそ容赦しないという強い意思が籠っていた。それでも即座に奪い取ろうとしないのはコルベールの力がまだ計り知れていないからだ。それに、手負いの相手ほど警戒しなければいけないものはない。

「私は、あなた方と争うつもりはありませんよ。ここにいるのは、悪魔憑きに合って助けを求めていただけの哀れな娘のカラッポの抜け殻です。あなた方が始末すべき標的は、もうこの世にいません」

 コルベールも引く様子はなく、ドゥドゥーなどはいきりたってすぐにでも魔法を撃ちそうなのをジャックに止められている始末だ。

「やめろドゥドゥー、兄さんの許可はまだ出ていないぞ」

「く、くぅぅ……ダミアン兄さん! なにをのんびりしてるんだよ。早くやってしまおうよ。兄さんたちもいればこんな奴」

「ドゥドゥー、君は黙っていたまえ。だが、僕も心境は弟たちといっしょさ、ミスタ・コルベール。君ならわかると思うけど、この仕事は信用が何よりでね。一度でも泥がつくと稼ぎが天と地になる。僕は僕と家族のためにその女の首が必要なんだ。君の次の発言で僕を納得させられなかったら、遺憾だが僕も決断する。ああ、一応言っておくけど、君の命と引き換えというのは論外だからね」

「そうですね。では、こういうのはどうでしょう? 後日、あなた方が何か仕事をする際に、私を子分としてこき使う権利をあげるというのは。人殺し以外でしたらなんでもいたしますよ」

 その提案に、ダミアン以外の兄弟は露骨に不快な様子を見せた。当然である、他人の力を借りなくてもハルケギニアでなんでもできるだけの力を持っていると彼らは自負しているからだ。

 だがダミアンだけは表情を変えないままで答えた。

「へえ、自ら僕たちの下僕になるって言うのかい。例えば君の教え子の実家を焼き討ちにする、というのでもかい?」

「いいですよ。ですが、仕事が終わった後で私がどうするかというのは自由ですがね。それに、あなたならそんな無駄なことを実行したりはしないでしょう」

「ふ、食えない人だね……いいだろう。君には貸しひとつだ。さっさと行きたまえ、君の顔はあまり目によくない」

 ダミアンが道を開けると、コルベールは「感謝します」と、一言会釈して横を通り過ぎていった。

 もちろん、他の元素の兄弟は愕然とし、納得できないと飛び出そうとしたがダミアンが厳しく視線で押しとどめた。

 やがてコルベールが行ってしまうと、ドゥドゥーやジャネットだけでなくジャックまでもが「兄さん、どういうつもりだい!」と、問い詰める。人一倍仕事に厳しいダミアンにしては信じられない甘さが信じられないのだ。だがダミアンは額の汗を拭う仕草をすると、冷たい視線を兄弟たちに向けて言った。

「さっき、もし仕掛けていたら何人かはやられていた。最悪、相打ちに終わっていたかもね」

「えっ!?」

「ジャック、君も気づかないとはまだまだだね。もっと鼻に注意するようにすることだ……さて、帰ってミス・クルデンホルフから報酬をもらうとするよ」

 そう言うと、ダミアンは踵を返してさっさと歩いていってしまった。弟や妹たちは訳の分からないまま慌てて兄の後を追う。

 ダミアンは弟たちに見せないように一瞬だけ屈辱に歪んだ顔を浮かべ、次いでコルベールをどのように利用して稼ごうかと現実的な思考を巡らせ始めた。

 元素の兄弟は闇の中に去って消え、後には寒々しい夜明け前の路地だけが残る。その淀んだ空気の中に油っぽい湿った風が流れ、やがて乾いた風が取って代わっていった。

 

 

 東の空に昭光が見えてくる。夜明けは近い。

 爆散したロボットの機体はまだくすぶっているが、消火はもうすぐ終わるだろう。

 一方で、残ったロボットの両腕は王立魔法アカデミーが検分に来るまで保管されることになっている。しかし、どうせこんなでかいものを盗んでいく奴などいるまいと気を抜く番兵の目を盗んで、セリザワがロボットの右腕を調べていた。

「やはり……ロボットの元々の金属は見たことがないものだが、この追加装備された砲に使用されている金属は、確かあの星で主に使われているものだ……だが、あの星の連中だとしたら何の用でハルケギニアに……侵略か? まだ断定はできんが、備えておく必要はありそうだ」

 容易ならざる存在がハルケギニアに来ているかもしれない。セリザワの目に金色の朝日が映りこんで来る。だが、彼の表情はその光に危険な未来を見ているかのように厳しく、晴れなかった。

 

 

 続く



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第70話  夢の先の旋律

 第70話

 夢の先の旋律

 

 バイオリン超獣 ギーゴン 登場!

 

 

 それは今ではない、しかしそんなに遠くない昨日の昨日のそのまた昨日の春の日の昼下がりです。

 大きな大きな湖のほとり。そこにきれいなお屋敷がありまして、三人の親子が住んでいました。

 今日はお空は晴れ、風は緩やかで寒くも暑くもないポカポカ日和。お屋敷のお庭にはテーブルが立てられて、温かな紅茶が湯気を立てています。

 テーブルの前に座っているのは優しそうな貴婦人。そのひざの上には小さな女の子が座って、待ちきれないと一冊の本を差し出しています。

「ねえ、お母様。お父様もお母様もお休みの今日は、イーヴァルディの勇者の新しいお話を読んでくれるってお約束でしょ。早く早く、わたし楽しみにしてたんだからね」

「まあ、シャルロットったらお行儀が悪いわよ。そんなに慌てなくても、まだお茶を淹れたばかりじゃない。ねえ、あなた」

「はは、いいじゃないか。シャルロットは今日のために、ずっといい子で待っていたんだから。さ、約束だシャルロット……父様の演奏と母様の語りで、シャルロットだけのための劇場を始めよう」

 古びたバイオリンを手にした父が優しい演奏を始め、母が本を開いて物語を語り出す。そして娘は期待に目を輝かせて夢の世界への扉を開いた。

 

 これから始まるのは、ハルケギニアで広く語られる英雄譚『イーヴァルディの勇者』の数多い物語の一節。現実がモデルか、それとも完全なフィクションかは誰にもわからない雑多な物語のひとつ。

 けれども、そんなことは純真な幼子にはどうでもいい。自由な心はつまらぬ制約に縛られず、ただ思うさまに優しき旋律の風を想像の翼に受け、物語の空を縦横に舞う。

 

 

 それは遠い昔のお話です……

 

 

 昔々、ある山深い国に、『どんな願いでもかなえてくれる秘宝』が隠されているという、大きな迷宮がありました。

 それをいつ、誰が作ったかはわかりません。けれど、秘宝を求めて多くの冒険者が迷宮へ挑み……そして、誰一人として帰ってはきませんでした。

 土地の人々は、やがて迷宮を人を食べる呪いのラビリンスだと恐れ、ついに土地の領主は迷宮の入り口に大きなお城を建てて、誰も迷宮に入れないように封印したのです。

 

 そうして平和が訪れ、人々が迷宮のことを忘れかけた時代です。お城に一人の女の子が住んでいました。

 女の子の名前はサリィ。彼女はとても優しい心の持ち主でしたが、なぜか彼女に近づく人間は皆不幸な目に会い、今ではサリィの友達は一匹のカラスだけでした。

「クワァ、クワァ! サリィ、オレガイル。クワァ、サリィノトモダチ!」

「うん……あなただけが、あたしのそばにいてくれる」

 うるさく騒ぐカラスだけが、サリィが心を許す唯一の友達です。一人ぼっちでお城で暮らすサリィのことを、土地の人は呪われた娘と呼んで、もう彼女に近づこうとする人はいませんでした。

 

 そんなある日のことです。お城に、旅の途中のイーヴァルディの一行がやってきたのです。

 

「こんにちは。旅の者ですが、どうか少しの間だけ宿を貸していただけないでしょうか」

 数々の冒険を潜り抜けてボロボロの身なりで訪ねてきたイーヴァルディの一行を見て、サリィは驚きました。優しい彼女はイーヴァルディたちを哀れに思い、すぐにでも泊めてあげようと思います。けれど、自分の身にまといつく不幸を思うと、サリィは受け入れることができませんでした。

「旅の方、ここは呪われた恐ろしい館です。入ればきっと、あなた方にも不幸が訪れるでしょう。どうか、立ち去ってくださいませ」

 悲し気にサリィはイーヴァルディたちを突き放しました。ですが、長旅で疲れ果てたイーヴァルディたちは、どうしてもということで一晩だけ宿を借りることになりました。

 城の中に部屋を借りて、イーヴァルディの一行は眠りにつきます。イーヴァルディの仲間の、大男のボロジノがあげるいびきが城に響き渡りますが、サリィはそれも気にならないほど心配で眠れませんでした。

 友達のカラスが「ジャアオレガミニイッテヤルヨ、ダカラアンシンシテネロ」と言ってくれますが、やっぱりサリィは不安でなかなか寝付けません。

 そして翌朝、イーヴァルディたちの休んでいる部屋をのぞきに行ったサリィは愕然としました。なんと、部屋の天井が崩れて、イーヴァルディたちは丸ごと瓦礫に生き埋めになってしまっていたのです。

「ああ、またこうなってしまった。あたしに近づいた人は、みんなひどいことになってしまう。ごめんなさい、旅の人たち……」

 サリィはひざまずき、泣きながらイーヴァルディたちに詫びました。

 しかし、なんということでしょう。瓦礫がもぞもぞと動くと、はじけるように吹き飛んだのです。

「ふわぁーっ、よく寝た」

「んーっ? なんか景色が変わってるぞ。キャッツァ、お前また寝ぼけて魔法ぶっ放したろ?」

「失礼なことをおっしゃいますわね。寝ぼけて天井を落とすくらいなら、まずあなたをローストにしていますわよ。マミさんの寝相に決まってますわ」

「ほへー、おなかへったー」

 なんと、信じられないことに、瓦礫の中から何事もなかったかのように一行は起き上がってきたのです。

 サリィは呆然として声も出ません。すると、イーヴァルディがサリィの前にすたすたとやってきて、ぺこりと頭を下げました。

「すみませんサリィさん、僕の仲間たちの阻喪で大切なお城を壊してしまいました。責任を持って修理させますので、どうか許してください」

「あ、あっ、はい。それより、あなた方は天井の下敷きになったというのになんともないのですか?」

「ええ、この程度は。鍛えてますから」

「あっ、はい」

 ぽかんとしながら、サリィは無傷のイーヴァルディたちを見つめていました。

 そうです。数々の冒険を潜り抜け、多くの恐ろしい魔物を倒してきたイーヴァルディたちにとって、天井が落ちるくらいのことは痛くもかゆくもないことだったのです。

 そうして、イーヴァルディたちは、壊してしまったお城を直すまではとどまることになりました。もちろん、サリィはもっとひどい不幸が降りかかってくることを恐れてイーヴァルディたちを旅立たせようとしましたが、責任感の強いイーヴァルディは聞きません。

 

 そして、サリィが本当に驚くのはこれからでした。彼女が心配した通り、イーヴァルディたちに数々の不幸が襲い掛かりました。しかし、イーヴァルディとその仲間たちはそれをものともしなかったのです。

 

 イーヴァルディの仲間、大斧の戦士ボロジノが森に木を切りに行ったらオークの群れに出くわしました。

 夕方、ボロジノは大木と豚肉をたっぷり抱えて帰ってきました。

 

 料理人のマロニーコフが厨房に立ったら、突然油が流れ出して厨房が火の海になりました。

 マロニーコフはこれ幸いと火事の炎でローストポークを作ると、ついでとばかりに振りまいた水で消火といっしょにスープを作ってしまいました。

 

 シーフのカメロンが薬草を取りに出かけたら蜂の大群に襲われました。

 その日、サリィは蜂の蜂蜜漬けをおやつにいただきました。

 

 ですが、一番驚いたのは武闘家のマミといっしょに山に出かけたときでした。

 壊れた部屋を作り直すための材料になる石材を取るため、サリィは一行で一番の力持ちだというマミを近くの岩山に案内しました。

 マミは武闘家だと聞きましたが、背丈はサリィの半分ほどしかなく、しかもいつも眠そうな目で「おなかすいた」とばかり言っている子供なので、正直サリィはとても信じられませんでした。

 けれど、岩山についたときです。なんと、山の上から五メイルはあろうかという巨大な岩が突然マミを目がけて落ちてきたのです。

「危ない! 逃げてマミちゃん!」

 サリィは必死に叫びます。しかし大岩はすごい勢いで落ちてきて、とても間に合いません。あんな岩が落ちてきたら、人間なんかぺっちゃんこにされてしまうでしょう。

 でも、マミは自分に向かってくる大岩を眠そうに見上げると、すぅと息を吸って右腕を振り上げたのです。

「たーあ」

 やる気のなさそうな声といっしょに、マミのパンチが大岩に当たりました。

 すると、今度こそサリィは自分の目を疑いました。なんと、大岩はマミのパンチでひび割れたかと思うと、そのまま轟音と共にバラバラになってはじけ飛んだのです。

「あ、あわわわわわ」

 サリィは腰を抜かして立てませんでした。当たり前のことです。誰が身長一メイルちょっとの小さな女の子が、五メイルもの大岩を素手で粉々にできると思うでしょうか?

 でも、マミはちっちゃくてもイーヴァルディの仲間なのです。イーヴァルディの仲間はみんなすごいのです。

 それから、イーヴァルディの仲間はただすごいだけではありません。マミは腰を抜かしているサリィのもとに駆け寄ると、サリィに手を貸して立たせてくれたのです。

「サリィ、大丈夫? いたくなかった?」

「あ、あたしは大丈夫……それよりマミちゃん、あなたこそ、あんな大岩を砕いて、大丈夫なの?」

「あたいは平気、鍛えてるから……それより、サリィがケガなくてよかった」

 にっこりと笑ったマミの優しい顔に、サリィは怖かったのが溶けていくような気持ちがしました。マミはひょいと、今度は十メイルもの大岩を持ち上げて、「これくらいならいいかな?」と尋ねてきますが、もうサリィも驚きません。

 そうして、サリィとマミはお城を作るのに十分な大岩を持って帰ることができました。

 

 そして、お城に帰ったサリィは、また信じられないものを見ました。なんと、それまで殺風景だったお城の周りが、一面の花畑に変わっていたのです。

「わぁ、なんて綺麗……これは、あなたが?」

「ええ、わたくし、美しくない場所は嫌いですの。このくらいのこと、この世界一の大魔法使いキャッツァ様にかかれば簡単なことですわ」

 美貌のメイジが宝杖をかざしながら得意げに笑い返してきます。色とりどりの花畑に、サリィは思わず見惚れていました。こんなに美しい景色を見たのはいったい何年ぶりでしょうか。彼女に人が近づかなくなって以来、城の周りは荒れに荒れ、野の花ひとつ見れなくなっていたのです。

 サリィの心に、すっかり忘れていた暖かい風が吹いてきます。そのとき、彼女のもとにイーヴァルディがやってきて、すまなそうに言いました。

「ごめんなさい、キャッツァは言い出したら聞かない人で。勝手にこんなことをしちゃって、申し訳ない」

「いいえ、いいえ……こんな、こんな綺麗な景色、はじめて見ました。あなたたちは不思議な人……いままで、わたしのそばに平気でいれる人なんて、一人もいませんでした」

「僕らはただの、通りすがりの冒険家ですよ」

 微笑しながら言うイーヴァルディはどこまでも謙虚で、それこそどこにでもいるような青年にしか見えませんでした。

 けれど、彼こそは数々の冒険を制し、無数の魔物を倒して多くの人々を救ってきた『勇者』なのです。

 サリィの心に、ずっと忘れていた『嬉しい』という心が戻ってき始めていました。

 

 しかし、そんなイーヴァルディたちをよく思わない邪悪な誰かが彼らを見つめていました。そして、イーヴァルディたちに邪悪な気配が近づいていたのです。

「イーヴァルディ、悪い奴がやってくるよ」

 邪悪な気配を感じたマミが言います。もちろんイーヴァルディも気がついて、すっと剣を抜いて身構えました。

 剣を抜いたとたん、優しげだったイーヴァルディは精悍な戦士に変わります。空を見上げたイーヴァルディの眼の先で、それまで晴れ渡っていた空が突然黒雲に覆われたのです。

「来る」

 イーヴァルディの剣がチャキッと鳴ります。マミとキャッツァはサリィをかばうように立ち、サリィは怯えて空を見上げています。

 そして、渦巻く黒雲の中からそいつは現れました。全身が緑色のうろこに覆われた、見渡すような巨大なドラゴンです。

「あ、あわわわ」

 サリィは見たこともない恐ろしい怪物の威圧感にあてられて、今にも泣きだしそうです。

 ドラゴンは真っ赤な目をギラギラと光らせて、鋭い牙の生えた口を広げて恐ろしい叫び声をあげてきます。でも、そんなこけおどしはイーヴァルディには通じません。

「ワイバーンか、大きいな」

 イーヴァルディはつぶやきました。その声には恐怖のかけらもありません。

 マミもキャッツァも平気な様子です。ドラゴンが現れた様子は、城の中からボロジノやマロニーコフやカメロンも見ていましたが、彼らも気にせずに壊れた部屋の修理をしています。仲間たちの全員が、イーヴァルディを信頼しているのです。

 そのとき、空に濁った鳥の鳴き声のような不気味な音が響きました。すると、ドラゴンが口を開き、地上のイーヴァルディに向けて真っ赤な炎を吐きました。なにもかも焼き尽くす勢いの赤い津波がイーヴァルディに迫ります。しかし、イーヴァルディにその炎は届きません。キャッツァの張った魔法の壁が、炎を軽々と押し返したのです。

「ぬるいですわね。千年竜のブレスに比べたらぬるま湯ですわ」

 魔法の壁はびくともせず、ドラゴンの炎はなにも焼けないままで散って消えました。そして、イーヴァルディはマミに頼みます。

「マミ! いつものアレ頼む」

「あーいよ」

 イーヴァルディはマミの頭上に飛び上がると、マミはイーヴァルディの踏み台のようになって一気にドラゴンに向かって押し上げました。

 たちまち、羽が生えたようなすごい勢いでイーヴァルディはドラゴンに飛んでいきます。ドラゴンは口を開き、今度こそイーヴァルディを焼き尽くそうと炎を吐きますが、イーヴァルディの勢いは止まりません。

「ああっ! 危ない」

 サリィが叫びます。イーヴァルディの姿は炎の中に飲み込まれて消えてしまいました。

 イーヴァルディは燃え尽きてしまったのでしょうか? いいえ、イーヴァルディは勇者です。こんな炎なんかに負けたりはしません。

「てやぁぁぁーっ!」

 炎を切り裂き、イーヴァルディは無事な姿を現しました。ドラゴンは驚き、再び炎を吐き出そうとしますが、もう間に合いません。

 そのとき、イーヴァルディの左手がまばゆく輝き、イーヴァルディは光となった剣をドラゴンに向かって振り下ろしたのです。

「イヤーーッ!」

 光がドラゴンを貫きました。すると、ドラゴンの鋼のように固いはずのうろこがぱっくりと割れ、ドラゴンは胴体から真っ二つになったのです。

 ドラゴンはギャアーと断末魔の悲鳴をあげ、黒い煙となって消えました。

 空は晴れ、イーヴァルディはすとりと仲間たちのもとに降りてきます。剣を収めて、いつもの優しい笑顔に戻ったイーヴァルディの姿は、サリィの目にとてもとても格好よく映りました。

「勇者……さま」

 思わずサリィはつぶやきました。サリィは生まれて今日まで、こんなすごい人たちを見たことがありません。

 イーヴァルディは言いました。

「君の呪いが何を呼び寄せても、僕らは絶対に負けない。僕らは、友達を見捨てるようなことは絶対にしないからね」

「友達? まだ、会ったばかりのあたしを、どうして……?」

「時間は関係ないよ。それなら、僕よりもほら、マミがさ」

 すると、マミがサリィのそでを引いて、にっこりと笑っていました。

「あたい、わかった。サリィはとってもいい奴。だから、あたいはサリィと友達になりたい」

「で、でもあたしなんて、呪われてるし、皆さんと違ってなんにもできないし……」

「そんなの関係ない。なりたいから、なる。それが友達でしょ」

 なんの他意もなく、ただ純粋に見つめてくるマミに、サリィは恐る恐るですが、「うん」と、答えました。

 イーヴァルディも笑います。

「うん、マミの友達なら、もちろん僕らとも友達さ。だからもう怯えないで。君を怖がらせるものが来たら、僕たちがやっつけるからさ」

「イーヴァルディ、さん……うっ、うっううぅ……っ」

 サリィはイーヴァルディの胸に飛び込んで泣きました。これまで誰にも甘えることのできなかったサリィの心を、イーヴァルディと仲間たちは確かに受け止めたのです。

 イーヴァルディは強いだけではありません。悪を決して許さない正義感と、虐げられている人を見捨てておけない優しさを持っているからこそ、勇者なのです。

 そうして、サリィはイーヴァルディに見守られながら、花畑でマミといっしょに日が暮れるまで遊びました。

「ほらサリィ、あたいのお花の王冠、きれいでしょ」

「わあ、マミって手先も器用なんだ、すごいな。ねえ、あたしにも作り方教えてくれる?」

「いいよ。ここをこうして、ねっ?」

 呪いのことなんかすっかり忘れて、ふたりは時間も忘れて遊びました。ドラゴンも倒したイーヴァルディが見張っていてくれるのですから、怖いものなんかあるわけがありません。

 でも、イーヴァルディが勇者である理由はそれだけではありません。サリィは、まだそれを知りませんでした。

 

 ですが、サリィを苦しめ続けた不幸の呪い。それをかけた相手は誰なのでしょう?

 キャッツァは考えていました。サリィを苦しめている奴は、きっとまだあきらめはしないだろうと。

 

 その夜のことです。夜が更け、サリィは眠りにつく前に、今日あった楽しいことをカラスに話していました。

「それでね、イーヴァルディさんたち、もうしばらくここにいてくれるんだって。わあ、明日から楽しみだなあ。ねえ、明日はあなたもいっしょに遊ぼうよ」

「クワー、ソレハヨカッタクワー……」

 カラスはサリィの話をじっと聞いていました。このカラスは人語を理解し、自分からしゃべることもできる不思議な鳥で、サリィのお父さんとお母さんが亡くなってからは彼女のたった一人の話し相手でした。

 けれど、ただのカラスがしゃべるでしょうか? おかしいと思いませんか? でも、ずっと城に籠っていたサリィはそのことに気がついていませんでした。

 イーヴァルディたちの話をうれしそうに語るサリィを、カラスはじっと見ています。カラスはイーヴァルディたちの前へはほとんど姿を現さず、隠れて様子を見ていました。サリィはそれを、恥ずかしがっているからだと思っていたいましたが、そうなのでしょうか。

 カラスはサリィを黒い目で見つめ、サリィの心の中に寂しさや不安といった感情がなくなっているのを確かめました。

 突然、カラスの雰囲気が変わります。

「ククク……我を封じた忌まわしい一族の娘。もっと長く苦しめ続けてやろうと思っていたが、お前にはもう飽きたよ」

「えっ? な、何を言ってるの」

 サリィは突然変わったカラスの恐ろし気な言葉に戸惑います。しかし、カラスは黒い羽根を巻き散らして飛び上がると、いきなりサリィの左目にくちばしを突き刺しました。

「きゃああぁーっ!」

「クク、クワッハハ!」

 サリィの悲鳴とカラスの笑い声が響きます。サリィの顔は真っ赤に染まり、カラスのくちばしからは赤いしずくが滴っていました。

 でも、それでもサリィはカラスに呼びかけました。

「ねえ、うそでしょ? あなたはわたしの、たったひとりの友達だったじゃない」

「トモダチ? お前みたいな汚い人間の、誰がトモダチだというのだ!」

 カラスは叫ぶと、今度はサリィの右目をくちばしで突き刺しました。

「いやぁぁーっ!」

「クワァハハ……お前の目玉は美味いゾォ。バカな娘だ、お前の呪いはすべて我が仕組んでいたことだとも気づかず。それなのに我を信じてすがるお前は最高のおもちゃだったガナア」

 なんということでしょう。サリィの不幸は、すべてがこの魔ガラスの仕組んだことだったのです。

 サリィは両目をえぐられ、苦しみながら床をはいずりました。でもそれよりも、裏切られたショックと、だまされていた悲しみがサリィの胸を締め付けていたのです。

「見えない、なにも見えないよぉ。誰か、誰か助けて」

 逃げようとしても、もうサリィにはドアのある方向さえわかりません。

 カラスはもがくサリィを冷たく見下ろしていました。ですが、いったいこの魔ガラスは何者なのでしょう? どうしてサリィを苦しめるのでしょうか?

「クァクァ。我の復活のイケニエとして育てていたが、喜びを思い出したお前はもういらない。だが、最後にもう一度役に立ってもらうぞ。やっと見つケタ何百年ぶりかの、最高の獲物をタベルためニナ!」

 カラスはそうつぶやくと、サリィの耳元で偽物の声を作ってささやきました。

「サリィ、サリィ……私の声が聞こえますか?」

「この声……お母さん?」

「そう、あなたのお母さんですよ。やっと会えましたね、かわいそうなサリィ。でも、もう心配いりませんよ」

 なんと、魔ガラスは死んだサリィのお母さんの声を真似て話しかけていたのです。

「お母さん、痛いよ……お母さん、助けて」

「おお、サリィ、サリィ、もう大丈夫だからね。お母さんが助けてあげる。さあ、こっちへいらっしゃい」

「見えない、見えないよ、お母さん」

「大丈夫、お母さんの声のするほうへおいで……こっちよ、こっちよ」

 サリィはふらふらと、魔ガラスの真似る声を頼りについていきます。

 いったいどこへ行こうというのでしょう? 魔ガラスはサリィを操りながら、城の地下に向かって降りていきます。

 そこには、恐ろしげな扉によって封じられた入り口がありました。そうです、昔に封じられた恐ろしい呪いの迷宮の入り口です。

 サリィが手を触れると、固く閉ざされていた扉はギギギと不気味な音を立てて開きました。

「クァクァ、ラビリンスの封印は封印を施した一族でないと破れナイ。さあ、こっちよサリィ、こっちこっち」

「お母さん、お母さん待って……」

 サリィは魔ガラスに誘われるままに、迷宮の真っ暗な闇の中へと消えていきました。

 

 そしてしばらく後です。異変を知ったイーヴァルディたちが迷宮の入り口へと駆けつけてきました。

「しまった! 遅かったか」

 開いてしまっている迷宮の入り口を見てイーヴァルディと仲間たちは悔しがりました。

 イーヴァルディたちも油断していたわけではありません。しかし、魔ガラスがサリィを襲っているのと同じころに、城の外にドラゴンが何匹も現れて退治しに出かけていたのです。でも、それは魔ガラスの罠でした。

 何かおかしい。そうキャッツァが気づき、マミが百リーグ先の獣の声も聴きつけられる耳でサリィの悲鳴を感じ取ったとき、イーヴァルディたちは急いで城に引き返しました。でも、間に合いませんでした。

 そのときです。迷宮の中から不気味な声が響いてきました。

「グァッグァッグァッ、私のラビリンスへようこそ、勇敢な冒険者諸君。あの小娘は私が預かっている。助けたければ私の元まで来るがいい。財宝もあるぞ。来なければ娘は食べてしまうからなぁ、グァッグァッグァッ」

 あざ笑う声がイーヴァルディたちを誘います。

 キャッツァがイーヴァルディを向いて言いました。

「イーヴァルディ、どうするの? これは罠よ。私たちを誘い込むための」

「わかってる。けど、サリィを見捨てることなんてできない。そうだろ? マミ」

 するとマミも、強い決意を秘めた表情で答えました。

「あたいには聞こえた。サリィは助けてって言ってた。あたいは行くよ、サリィはあたいの友達だもの」

 マミの手の中には、サリィといっしょに摘んだ花の押し花がありました。マミだけでなく、ボロジノやマロニーコフたちも、迷わずに行こうと言っています。

 ですが、このラビリンスはただの洞窟やダンジョンではないのです。数多くの冒険家が挑戦し、誰一人として生きて帰った者はいない呪いの迷宮なのです。そのことをキャッツァが告げると、イーヴァルディは言いました。

「わかっている。でも、ここで逃げたら僕は一生後悔して生きるようになってしまう。友達を見捨てた卑怯者として、永遠に自分を許せなくなってしまう」

「でも、この迷宮の奥からはとてつもない力を感じるよ。もしかしたら、私たちでもかなわないかもしれない。それでも、行くの?」

「そうだね。確かに、この奥にいる奴は僕たちより強いかもしれない。けど、だからって……ジーッとしてても、どうにもならない! そうだろ? みんな」

 その言葉に仲間たちは皆、そう言ってくれるのを待っていたというふうにうなづきました。誰もがイーヴァルディを信頼して、彼の指示を待っています。

「二度と生きて帰れない迷宮は、僕も怖い。僕一人じゃ無理かもしれない。だけど、僕には君たち仲間がいる。だから、この胸の中から熱いものが湧いてくる。それが押してくれるから、僕は行ける」

 イーヴァルディは剣を抜き、「行こう」と言いました。誰も止める者はいません。彼らは一丸となって、魔のラビリンスの中へと足を踏み入れていったのです。

 

 

 それは遠い日の一幕の記憶。父の奏でる色とりどりの旋律の中で、母が語る物語を娘が聞いた、幸せな家族の一日の記憶。

 

 

 はたしてイーヴァルディたちの運命は? 物語はいよいよ佳境へと入る……。

 かに、思われたが。

「ねえねえジル、早く続きを読んでなの! きゅい」

「あいにくだけどここまでだよ。残念だけど本が焼けてて続きはもう読めないんだ」

「きゅい? きゅいいーっ! ここまで来て続きがないなんてひどすぎるのね! もーっ!」

 物語の続きをせがむシルフィードと、呆れながらボロボロの本を閉じるジル。

 ここは物語の世界ではなく、かといって少し昔のお話でもない。ただし、場所だけは同じであり、ふたりの周りには草とつるに覆われた廃墟の屋敷が広がっている。

 現代、ここは旧オルレアン邸跡。すでに無人で放置されて久しく、寄り付く者もないこの廃墟で瓦礫に腰かけて、この一人と一竜は何をしているのだろうか。

「はぁ、仕事もほったらかして、私はなにをしてるんだろうな」

 ため息をついて、ジルはつぶやいた。彼女の手の中には、焼け焦げた『イーヴァルディの勇者』の本がある。崩れた屋敷の瓦礫の中から見つけ出したもので、どうやらここは元は子供部屋のようなものだったらしい。

 けれど、どうして自分はこんな廃墟の中で見知らぬ女におとぎ話を読み聞かせているのだろうか?

 事の起こりをジルは思い出した。

 

 ジルはフリーのハンターをして生計を立てている。いつからやっているかは覚えていないが、町や村に害を及ぼす獣を退治して報酬を得てきた。

 そして今回、ジルはオルレアン公邸跡の村から依頼を受けてやってきた。

「狩人様、お願いでございます。最近、このあたりの村で突然に魂を抜かれたようになる者が相次いでおります。これというのも、あの古屋敷にドラゴンが住み着いてからのことでございます。きっとあのドラゴンのせいに違いありません。なにとぞ、ドラゴンを退治して村をお救いくださいませ」

「ドラゴンですか……わかりました。その代わり、報酬は頼みますよ」

 ドラゴンというところに不思議に引っかかるものを感じたが、ジルは依頼を承諾して出発した。

 聞いた話では、オルレアン邸跡からときおり心地よい音が聞こえてくるという。村人たちは、それをドラゴンの鳴き声と思ったが、それが聞こえるたびに魂を抜かれたようになる者が出るとのことだったので、ジルは念のために耳栓を用意していた。

 オルレアン邸跡は最近では気味悪がって地元の人間も近寄らなくなっており、途中の道は雑草が入り込んで荒廃していた。しかし、道のまま進んでオルレアン邸跡までたどり着くと、目的のドラゴンは意外にもあっさり見つかった。

「きゅいっ?」

「いたなドラゴン。お前に別に恨みはないが、退治させてもらうぞ」

「きゅいーっ!?」

 思っていたよりも小さな奴だったが、それでもドラゴンはドラゴンだと、ジルは弓を構えて爆薬包み付きの矢をつがえた。

 当たれば大型の幻獣にも大きな打撃を与えられる火薬矢は、緩やかな曲線を描いて青いドラゴンに向かった。しかし、そのドラゴンは意外にも敏捷に飛び上がると矢を回避してしまった。

「やるな。さて、飛んで逃げるか? それとも反撃してくるか?」

 どちらにしても、熟練の狩人のジルにとっては想定内だ。しかし、ドラゴンはジルの姿を認めると、意外な行動に出た。きゅいきゅいわめきながら廃墟の影に飛び込んでいったのだ。

「バカな、その図体で隠れられるつもりか?」

 ジルは呆れた。飛ばれてこそやっかいなドラゴンだが、地面に居れば少し大きな猛獣と変わりない。ブレスにさえ気を付ければ、もうジルにとって恐ろしい相手ではなかった。

「しかし、臆病なドラゴンだ。まだ幼体のようだが……」

 警戒は忘れず、ジルはゆっくりと廃墟の影に隠れたドラゴンに近づいた。

 だが、廃墟の奥にいたのはドラゴンではなく、きゅいきゅい言いながら怯えて縮こまっている全裸の女性だったのだ。

「誰だ? お前」

「きゅいいーっ! う、撃たないでなのねーっ!」

 危うく火薬矢で爆殺しそうになったが、それよりもジルはあっけにとられた。なぜこんなところに若い女が素っ裸でいる? それより、あのドラゴンはどこへ行った?

 問い詰めると、裸の女はあたふたしながら、ドラゴンは逃げたのね、と答えた。正直、あの図体で逃げられるわけはないのだが、実際いないものはしょうがない。だがそれにしても、妙齢に見えるのに変に態度や口調が幼い女だ。

 ジルは気が抜けてしまった。ドラゴンの気配はなくなって、あたりはただの廃墟でしかない。しかし、村人たちにはどう説明したものか。

 すると、悩んでいるジルの後ろから、裸の女がぽつりと話しかけてきた。

「ジ……ル?」

「ん? なぜ、お前わたしの名を知っている」

「えっ!? あ、ええっとええっと。シ、シルフィはシルフィなのね! あのドラゴンに捕まってたのね。助けてくれてありがとなのね!」

 そうわめく女を、ジルは困った様子で見つめるしかなかった。普通に考えて変なのは誰でもわかる。けれど、不思議なことにジルはこの怪しすぎる女を厳しく問い詰めることができなかった。

 どこかで会ったことがあるか? いや、そんな覚えはないが。しかしジルの心のどこかで何かが引っかかっていた。

 ただ、そうは言っても裸の女をそのままにしておくわけにはいかない。

「お前、服はどうした?」

「きゅいっ?」

「ちっ、仕方ないねえ。これだけの屋敷跡なら衣装の一着や二着あるだろう」

 瓦礫を押しのけて、ジルは埋まっていたクローゼットから女物の服を探し出すと裸の女に着させた。きゅいきゅいわめいてかなり嫌がったが、そこは無理やりにでも着させた。

 本当に、見た目の割に幼児のような女だとジルは思った。まったく、自分は昔から子供には苦労させられるとも思う。だがすぐに、子供? 自分が関わったことがあったか? と、思い返した。

 どうも調子が狂う。ジルは頭をかいた。この女を見てから……いや、あのドラゴンを見てから、自分の中に妙な何かが生まれている。

 誰か……この女の顔を見ていると、誰かの顔がぼんやりと浮かんでくる。だが、どうしても輪郭がはっきりしない。イライラして仕方がない。

「お前、もう一度聞くよ。どこの誰だい? なぜこんなところにいたんだい?」

「え、えっと、えっと。その、あの……なのね。な、なのね」

「んん?」

 しどろもどろな様子が怪しすぎる。思わず「シルフィード!」と怒鳴りそうになったときだった。どかした瓦礫の中から、一冊の本が転げ出てきたのだ。

「イーヴァルディの勇者?」

「あっ! そ、その本なのね。シルフィ、その本を探してたのね! その本にすっごい秘密が書いてあるのね。読んで読んでなのね」

「はぁ?」

 子供向けのおとぎ話ではないか。その場しのぎの嘘もここまでくると怒る気もなくなってしまう。

 まあ、読めと言われれば読めなくはない。ハルケギニアで読み書きのできる平民は多くはないけれど、自分は仕事柄最低限の読み書きや計算ができないと不便であるため、子供向けの本を読む程度なら難しくはない。

 それにしても、イーヴァルディの勇者か……ジルはまだ家族が生きていた頃のことを思い出した。母が夜に読み聞かせてくれたことがあったし、文字を覚えたばかりのとき、妹に読んで聞かせたこともある。それに、キメラドラゴンを倒した後は、年に一回……に、読んでやった……誰に?

「……わかった。読んでやるよ」

 何かを思い出しそうになったジルは、本を手に取って瓦礫に腰かけた。足を組んだ時、まだ真新しい義足がカチリと鳴り、その隣にシルフィードはちょこんと座りこんだ。

 本を開き、何度も読み返されたであろうくたびれたページとかすれた文字が目に入ってくる。

「昔々、これは遠い昔に起きたことです……」

  

 

 そして、時間は現在に戻る。

 

 

 物語の世界から帰ってきたジルとシルフィードは一息をつき、同時になんとも言えない虚無感を味わっていた。

「イーヴァルディ、どうなっちゃうのかね」

「さあね、普通なら迷宮を抜けて悪い魔物をやっつけるんだろう」

 燃えたページが戻ることはなく、結末はこの本を持っていた誰かしかわからない。廃墟を空虚な風が流れていく。ジルは廃墟を見渡したが、崩れ落ちた屋敷は何も語ってはくれない。

 ジルは、本のくたびれ具合から、元の持ち主が相当にこの本を愛読していたことを察した。捕らわれの女の子を助けて悪と戦う勇者イーヴァルディ。物語の形は様々あれど、その痛快なストーリーはハルケギニアの子供たちを魅了し続けてきた。

 この廃墟と化した屋敷に何があったのかは知らない。しかし、自由な心を持つ子供が住んでいたのは間違いないだろう。

 どんな子が住んでいたのだろうか。ジルはイーヴァルディの勇者の本のページをぺらぺらとめくると、表紙の裏に子供が書いたと思われる名前の落書きを見つけた。

「シャル……ロット?」

 その名前を読んだ瞬間、ジルは激しい違和感を覚えた。

 なんだ? 自分は、自分はこの名前を知っている。心の中の、抜け落ちた空白が埋まるような、大切ななにかがその名前の誰かにはあるような。

「シャルロット……? 誰だ? シャルロット」

 思い出せない。ジルは頭を抱えた。まるで、なにかが頭の中で記憶をせき止めているような。誰かに頭の中をいじくられているような、そんな感じさえ覚える。

 なにがなんなのだ? わけがわからない。ジルの額から脂汗が零れ落ちる。

 ここに来てから全てが変だ。この女といい……。

「シャルロット……シャルロットって、誰だ?」

 苦しむジル。そのときだった。シルフィードが、まるで何かに取りつかれたかのようにぽつりとつぶやいたのだ。

「おねえさまに……会いたいのね」

「な、に?」

 困惑がジルの中に広がる。さらに、ジルの耳にありえない音が聞こえてきた。

「なんだ? この音楽は」

 突然、廃墟のどこからともなく美しい旋律が流れてきたのだ。

 それは、まるで超一流のバイオリニストが弾いているような美しい音色の旋律で、この廃墟にはまるで不似合いなものであった。

 しかも、普通なら心を穏やかにする美しい旋律なのに、それを聞いたジルが感じたのは魂を抜かれるような強烈な虚脱感であったのだ。

「ぐぅぅぅ……ま、まさか。これが、村人たちが聞いたという、魂を吸う音なのか? ち、力が、抜ける」

 耳を押さえて音から逃れようとするジルだったが、音は手のひらをすり抜けて響いてきた。耳栓もまったく役に立たない。

 シルフィードは? すると、なんということだろうか。シルフィードは聞き惚れるかのように、うっとりと旋律に聞き入っている。そんな馬鹿な、この殺人音楽の中で平然としていられるなんてありえない。

「おねえさま……おねえさまに会いたい」

「まさか、お前……」

 オルレアン邸跡に、オーケストラのようにバイオリンの旋律が響き渡る。逃れられる場所などどこにもなかった。

 力がどんどん抜けていく。いくら熟練の狩人であるジルといえど、相手が音では太刀打ちする術がない。

「だめだ、頭が……ち、ちくしょう……」

 もう意識を保っていられない。ジルのまぶたが重くなり、全身の感覚がなくなっていく。

 瓦礫の中に倒れたジルの視界が暗くなり、魂が体から離れていくような浮遊感に包まれる。死ぬとはこういうことなのか……かろうじて握っていた弓が手から転げ落ち、イーヴァルディの勇者の本がばさりと投げ出される。

 これまでか……だが、そのときだった。

 

『サイレント』

 

 音を遮断する魔法のフィールドが張られて、ジルの魂は寸前で肉体からの剥離を免れた。

 殺人音波から解放され、ジルの意識が戻ってくる。そして目を開けて体を起こし、その瞳に魔法を使った誰かの姿が映りこんできた瞬間、ジルの心の中で空白だったパズルのピースのひとつに、鮮やかな群青の輝きが蘇ってきた。

「あ……ああ、お前」

「ジル」

 名前を呼ばれたとき、ジルの目からは自然と涙が溢れていた。ぼやけた視界に映るのは、青い髪、眼鏡の奥の涼やかな瞳、そして体に不釣り合いな大きな杖。

 あたしは、あたしはこの子を知っている。名前は、名前は……でも、絶対に知っていたはずの、大切な誰かだった。

「ジル、今はまだ思い出さないで。でも、あなたと、出来の悪いうちの使い魔は、わたしが守るから」

 彼女の傍らには、杖で頭をしこたま殴られて目を回しているシルフィードの姿がある。

 そして、彼女の頭上にはおどけた様子を見せながら浮遊している異形の人影がひとつ。

「うふふ、これはまた強力で邪悪なパワーを感じます。手を貸しましょうか? お姫様」

「黙っていて。あなたの茶番、今日で終わりにされたいの」

「おやおや、ガリアからここまで運んできてあげたのに冷たいですね。ま、頑張ってくださいませ」

 部外者の介入を封じて、彼女は杖を構えて廃墟の前に立った。

 すると、廃墟の瓦礫の中から古ぼけたバイオリンがひとりでに飛び出してきた。そいつは誰も触れていないはずなのに宙に浮いて弓を動かし、美しい旋律を響かせている。

 しかし、音はサイレントの魔法に阻まれている。するとどうだろう、バイオリンはみるみるうちに大きくなっていき、ヴィオラ、チェロ、コントラバスのサイズを経てさらに巨大化。ついにはバイオリンの姿を模した怪物へと変貌してしまったのだ!

「怪獣……」

「ノンノン、超獣ですよ」

 宇宙人の訂正したとおり、これは怪獣ではない。

 まるで木製のような茶色の体。胴体にはバイオリンと同じように四本の弦が張られ、手の指はバイオリンを弾き鳴らす弓のようになっている。頭にはバイオリンと同じく大きなスクロールと糸巻きがついており、まさに巨大なバイオリンそのものだ。

 バイオリンに超獣のエネルギーが取り付いて実体化した、その名もバイオリン超獣ギーゴンが現れたのだ!

 

 ギーゴンはその口から笑っているような声を発し、廃墟の瓦礫を踏みつけてながら向かってくる。しかし、彼女はひるむことなく、その手に持った杖を魔力を帯びた剣のようにかざして立ちふさがった。

「ここはわたしの思い出の日々の墓標。それを汚すものをわたしは許さない」

 朽ち果てるのを待つだけの廃墟。それでも、ここは自分にとって帰るべき家なのだ。タバサの心に、静かな怒りが湧く。

 しかし、タバサの心は冷静だ。ジルから直伝された狩人としての心得と、すべてを置いても守らねばならない人たちを背にした使命感が彼女を支えている。そして、もうひとつ……タバサは地面に転がるイーヴァルディの勇者の本を一瞥してつぶやいた。

「サリィ、わたしは小さいころ、勇者が迎えに来てくれるあなたにただ憧れてた。でも、その物語の最後であなたが教えてくれたこと、今ならわかる。わたしはイーヴァルディのような勇者じゃないけれど、勇者の姿はひとつじゃないということを、あの人たちに教わったから」

 かつて夢物語の勇者に思いをはせた少女は今、猛き戦士となって杖を振るう。その胸には、かつて地球を破滅から守り抜いた防衛組織『XIG』のワッペンが青く輝いている。

 ねじれた世界のはざまに人々の記憶とともに消えた少女。しかし、彼女は再び現れた。かつて失ってしまったものと同じくらい大切なもののために。

 

 しかし、邪念を食らう超獣。それがなぜここに現れたのか、その残酷な真実をまだ彼女は知らない。

 外部からの侵入者たちの手で歪められているハルケギニア。しかし、ハルケギニアが元々内包するゆがみからも邪悪は襲来する。

 誰の手を借りることもなく因果は巡る。時の歯車は無慈悲に回り、隠されていた闇をさらけ出す。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第71話  タバサのイーヴァルディ

 第71話

 タバサのイーヴァルディ

 

 バイオリン超獣 ギーゴン 登場!

 

 

 あの日のことは、はっきりと覚えている。

 まだ幼い、あの日。タバサがまだシャルロットという名前のみであった昔、彼女の一番の楽しみは父の奏でる演奏の中で母から物語を読み聞かせてもらうことだった。

 そんなある日のことだった。シャルロットは父がいつも弾いてくれるバイオリンを、どうしても一度自分にも弾かせてくれとだだをこねて聞かなかった。父は仕方なさそうに、祖父から受け継いだという由緒あるバイオリンを持たせてくれた。

 しかし、大人用のバイオリンをまだ小さな子供が弾きこなせるわけがない。持つことさえままならずに、シャルロットはバイオリンを床に落としてしまった。

「おとうさま、ごめんなさい、ごめんなさい」

「いいよ、バイオリンは壊れても直せるけど、シャルロットに怪我がなくてよかった。シャルロットが大人になったときに、このバイオリンはプレゼントしてあげよう。それまでは、父様がシャルロットのために弾いてあげるからね」

 父は大切なバイオリンのことなど気にもせずに笑って許してくれた。けれどバイオリンには床にぶつけたときに大きなキズがつき、シャルロットはそのキズを見るたびに、父様にわがままを言ってはいけないと思い出してきた。

 そう、それは思い出の中だけのことであったはず。しかし、そのバイオリンと戦う日が来るなどとは誰が予測し得たであろうか。

 

 時は現在。タバサは自分に向かってくるギーゴンの体に、父のバイオリンと同じ傷がついているのを見て目じりを歪ませた。

「お父様のバイオリンが、超獣に。なぜ……」

 タバサにとって、それはまさに悪夢のような光景だった。すでにこの世になく、思い出だけの存在である父の遺品が恐ろしい超獣と化すなど、どうして信じられようか。

 遠いガリアの地で、かの宇宙人が戯れにこの情報を告げてきた時は耳を疑った。もちろん、その宇宙人の仕業を真っ先に疑ったが、彼はとぼけた口調でそれを否定した。

「まさか? 私はそこまで暇でも酔狂でもないですよ。今回は誰かの意思も感じませんし、ただの野良怪獣みたいですねえ。いや、運がお悪いことで」

 彼は関連を否定した。むろん、信用性はまったくないが、自分の実家に怪獣が住み着いたことだけは間違いない。

 どうするべきか? タバサは迷った。今の彼女は人に姿をさらすことができない。しかし、シルフィードとジルが巻き込まれかけていることを知ったとき、迷いは思考の地平へ消えていた。

 

 二人を助ける。そう決断したタバサは、宇宙人をなかば脅迫してガリアからトリステインへと一気に飛んだ。

「怖いお姫様ですねえ。でも、自分のためにみんなの記憶からわざわざ消えたのに、今度は戻りたいというわがまま、王様らしくて良いですよ」

 宇宙人の悪態を聞き流し、タバサは杖をとってここに駆け付けた。

 そして今! 目の前には迫り来る超獣。その背には守るべき人たち。タバサは一瞬の躊躇を振り払い、騎士としての自分を呼び起こす。

 考えるのは後。今すべきことは、戦うことのみ。タバサは杖を振り、巨大な風の刃をギーゴンに向けて撃ち放った。

『エア・カッター!』

 特大の鎌イタチがギーゴンの体をなぎ払い、ギーゴンは突進を食い止められてぐらりと揺れた。

 しかしギーゴンもバイオリンが超獣化しただけはあって体は頑丈であり、その枯れ木色の胴体はビクともせず、大木にそよ風が吹いたように軽く立て直してしまった。

 硬い……想像はしていたとはいえ、タバサは超獣の頑丈さに舌を巻いた。タックファルコンのミサイル攻撃にも耐えられるボディの前には、いくらタバサの魔法が日々進歩しているとしても簡単には破れず、宇宙人はそれを見てせせら笑った。

「おやおや、きつそうですねえ。やっぱり手を貸しましょうか?」

「黙っていて」 

 はいと言えば、こいつは素直に助けてくれるだろう。しかし、こいつに借りを作ると何を要求してくるかわからない。弱みを作るわけにはいかない。

 タバサはちらりと後ろを振り返った。そこには、あっけにとられているジルと目を回して転がっているシルフィードがいる。二人とも、今はタバサに関する記憶を失っているが、それでもタバサにとって二人は守るべき人たちだった。

「やる」

 短くつぶやき、タバサは『フライ』の魔法を使って空に飛びあがった。ジルとシルフィードをかばいながらでは戦えないため場所を移すのだ。タバサの青い髪が風に舞い、風の妖精が光をまとって現れたかのように美しく輝いた。

 しかし、妖精は風を汚す魔物を裁く戦いの風もまとっているのだ。タバサはギーゴンの視線を絶妙な速さで横切って注意を引き、ギーゴンは熊手のようになった手を落ち着きなく揺らしながらタバサに向かって方向を転換してきた。その熟練した動きには、ふざけた態度をとっていた宇宙人も認識をあらためて感心したように手であごをなでた。

「ほお、人間どもの中ではなかなかの実力だとは思っていましたが、まだ底を読み切れてませんでしたか」

 たった百年そこそこしか生きられない脆弱な種族にしておくのはもったいないと、宇宙人はわずかに惜しさを感じた。仲間にするにせよ手下にするにせよ弱くては話にならない。欲を言えば宇宙中の強豪宇宙人を集めた連合チームなどができれば理想だが、仮に集まったとしてもそんな連中を率いられるのは故・エンペラ星人くらいしかいないであろう。

 もっとも、そんな宇宙人の身勝手な思惑など関係なく、タバサの全神経は自分の戦いへと向かっている。

 こっち、こっちに来なさい。タバサはそう狙って、ギーゴンをジルとシルフィードから引き離そうと飛んだ。

 狙いはそれだけではない。真っ向から打撃戦を行っても勝ち目はないと、北花壇騎士として磨き上げた戦闘本能が警告してくる。ドラゴンよりもはるかに巨大で強力な怪獣を倒すには正攻法では無理だ。

「自分より強い獣を倒すには、頭を、なによりも頭を使うこと。ジル、あなたが教えてくれたことだよ」

 ファンガスの森。そこでタバサはジルから戦いの術を叩きこまれた。人間よりもはるかに強い獣を人間が狩るには、人間だけが持つ力で立ち向かうしかない。

『ウィンディ・アイシクル』

 タバサの18番の氷嵐の魔法がギーゴンを襲い、無数の氷のつぶてが鋭利な刃物のように舞い輝く。

 だが、むろんこれは牽制と様子見だ。ギーゴンの頑丈なボディに氷のつぶてははじき返され、ダメージにはまったくなっていない。それでも撃つのは、注意をこちらに引き付けるのと、相手のことを探るためだ。

 ウィンディ・アイシクルのつぶてはギーゴンのほぼ全身をくまなく叩いた。もし、急所のようなところがあれば命中の手ごたえが違うはずで、それを見抜ければ勝機が見える。

 けれど、ギーゴンの全身はそれこそバイオリンそのもののように固く、急所と思われるようなところは感じられなかった。ギーゴンはあざ笑うかのような鳴き声を発し、熊手状の手で飛ぶタバサを叩き落とそうとしてくる。

「危ない!」

 ジルは叫んだ。人とハエほどの体格差もあるあれで殴られれば、人間などひとたまりもないだろう。しかし、タバサは振り下ろされてくるギーゴンの手を冷静に見据えると、なんと自身の小柄な体をギーゴンの手の指と指の間にすり込ませてやり過ごしてしまったのだ。

 驚愕するジル。理屈では不可能ではないとはいえ、あんな紙一重の避け方を選んで成功させるには、神業的な魔法の冴えと、冷静に実行する度胸が必要だ。あの少女は幼くして、どれほどの死線をくぐってきたというのだろうか。

 いや……ジルは、頭に浮かんだその考えそのものに違和感を覚えた。空を自在に飛んで怪獣と戦うあの姿、あの姿を見るのは初めてではない。だがどこで? どこで見たというんだ? どうして思い出せないんだ? 自分の中で何かが狂わされている感覚に、ジルは言い表せない恐怖を感じた。

 だが、タバサにはジルの困惑の正体がわかる。否、わかるのではなく、知っている。ハルケギニアで誰にも知られずに起きている異変の真相も知っている。それどころか、その当事者の一人でもある。

 それを思うとタバサの心は痛む。けれど、何かを得るためには何かを切り捨てなければならないこともある。いや、それは傲慢な言い訳だ。自分に何かを切り捨てる権利なんてない。しかし、あのときに他に選択肢があったとは思えない。

 苦悩するタバサ。それを、元凶である宇宙人は遠巻きにしながら愉快そうに眺めている。本当なら、一番に魔法を叩きこんでやりたいのはこいつだが、今は手出しをすることができない。すると、そいつはタバサに向かって楽しそうに笑いながら告げてきたのだ。

「その超獣の弱点は体の弦ですよ。バイオリンなんですから、弦をプチンと切ってやればいいんですよ」

 突然の助言。むろんタバサはいぶかしんだが、そいつはこともなげに言い返した。

「こちらも今あなたに死なれたら困るんですよ。それに、最近私も予定になかった面倒ごとを抱えてまして、関係ないことで時間をとりたくないんです。これは無料サービスにしておきますから、さっさと片付けてしまってくださいな」

 その言葉に、タバサはこの宇宙人が最近やけに慌ただしく動いていたのを思い出した。ウルトラマンたちの誰かともめごとでも起こしたのかと思っていたが、どうも違うらしい。こいつも何か焦りを抱えているようだ。

 これは付け入る隙となるかもしれない。タバサは頭の中にこの問題を書き込んだが……それは別として、簡単そうに言ってくれる。いくらタバサがスクウェアクラスのメイジとはいえ、飛行と攻撃を同時に行うのは楽なことではない。

 ギーゴンはタバサを殴り落せないことを悟ると、薄青い目をぎょろりと動かして、今度は頭の横に四本生えている糸巻状の触覚から緑色の金縛り光線を発射してきた。

「くっ!」

 金縛り光線はギリギリで外れ、外れたそれは屋敷の残骸に命中して爆発を起こした。この金縛り光線はウルトラマンAの身動きを封じるほどの効果もあるが、建物を破壊する程度の物理的な威力もある。人間の身で耐えられるものではない。

 タバサは空中で体勢を立て直すと、即座に頭の中で計算した。空を飛びながら戦闘を継続するのは困難。かといって地上からでは魔法の射程からいって有効打を決めにくい。

 なんとか空を飛びながら至近距離で魔法を打ち込むのがベスト。しかし、飛行と攻撃をおこなうのは自分一人では困難。ならば、空を飛ぶためのアシストがあればよい。

 指が口に伸び、タバサはほとんど無意識のうちに口笛を吹いていた。その甲高い音が風に乗り、シルフィードの耳に届いたとき、シルフィードもまた無意識のうちに人化の魔法を解き、風韻竜の姿となって飛び立っていた。

「きゅいいいーっ!」

「うわっ!」

 ジルを翼の風で吹き飛ばしかけながらも、シルフィードは鎖を解かれた狼のように飛び出した。心で何かを考えたわけではなく、シルフィードはその胸の内から湧き上がってくる衝動のままに、タバサをその背に乗せていた。

「きゅいっ」

 タバサをその背に乗せ、シルフィードはくるりとターンを切った。その切れ味鋭い旋回は空気の抵抗を見る者に忘れさせてしまうほどで、ギーゴンの金縛り光線が明後日の方向に飛び去って行く。

 しかし、体が勝手に動いただけで、シルフィードはまだタバサの記憶を失ったままでいる。はっとしたシルフィードは、なぜ自分が知らない人間を乗せているのかと混乱したが、文句を言う前にタバサの杖が頭の上に思い切り振り下ろされていた。

「いたーいのね!」

「話は後、あの超獣を倒すのが先」

「ちょ! シルフィは高貴な風韻竜なのね。知らない人を乗せるな、いたーい!」

「話は後」

 タバサの杖は魔力を込めて強化されているため韻竜の硬いうろこ越しでも目から火が出るほど痛く、シルフィードは文句をつけられなくなってしまった。

 けれど、タバサは不満げなシルフィードにこう言った。

「イーヴァルディの勇者の続き、知りたくない?」

「きゅい? お、教えてくれるのね?」

「話してあげる」

「きゅいーっ!」

 喜ぶシルフィード。あのお話は、これからというところで気になっていたのだ。いいように乗せられたような気もするが……だが、悪い気分はしない。シルフィードは、胸の中のもやもやが晴れて、ぽっかりと空いた黒い穴に心地よい何かがはまってきたような感じがして、殴られたことへの恨みなんかは吹き飛んでしまった。それどころか、翼に力が湧いてくる。どうしてかはわからない。わからないけれども、自分の中の何かはこれを知っている。

 シルフィードという翼を得たことで、タバサはその精神力のすべてを攻撃魔法に注ぎ込むことができるようになった。節くれだった杖に魔力を帯びた風がまといつき、無慈悲な刃が研ぎ澄まされていく。

「いく」

「きゅーい!」

 再び心をひとつにした一人と一竜は、暴れ狂う超獣へとその翼を向けた。

 そしてタバサは、魔法の呪文を唱えながら、自らにも語り聞かせるようにイーヴァルディの勇者の物語の続きを紡ぎ始めた。

 

”サリィを助けるため、大迷宮に挑んだイーヴァルディたち。彼らはラビリンスの恐ろしい魔物たちを倒し、身も凍るような罠の数々を突破して、ついに迷宮の奥深くにたどり着きました”

 

「よくやってきたな、勇者ども。数百年ぶりの、俺様のごちそうどもよ!」

 

”そこにいたのは、イーヴァルディたちでさえ見たこともないくらい禍々しい姿をした巨大なドラゴンでした。ドラゴンは口からよだれを垂らし、その手にサリィをわしづかみにしています。イーヴァルディは、ドラゴンに剣を突き付けながら言いました”

 

「お前が、あのカラスを使ってサリィを苦しめていたんだな」

  

「そうよ。この迷宮にはかつて、宝を求めて数えきれないほどの人間たちが入ってきた。俺様はそいつらを食らい、どんどん大きく強くなっていったが、人間どもは恐れをなして迷宮を封印しやがった。だが、俺様は使い魔を使って、迷宮の封印を破るカギとなるこの小娘に取り入ったのさ。そして封印を破る前に、閉じ込められた恨みをこいつに味わわせていたのよ」

 

「悪魔め。サリィは返してもらうぞ。そして、お前は僕たちが決して許さない!」

 

「馬鹿め! 俺様に勝てると思っているのか。お前たちを食らい、俺様はもっと強くなる。そしてもう迷宮で獲物を待つ必要もない。外の世界で存分に人間どもを食ってやるのだ!」

 

”ドラゴンは吠え、その口から恐ろしい炎が吹きあがります。しかしイーヴァルディたちはひるまずに、勇敢にドラゴンに立ち向かっていったのです”

 

 タバサの語りは、かつて母から語り聞かせてもらった日の思い出をなぞり、優しく、そして勇壮に語られる物語はシルフィードにも勇気を与えていった。

 

”ドラゴンの炎を、魔法使いキャッツァが防ぎます。すると、ドラゴンは魔ガラスの大群を差し向けてきました。しかし、カメロンの投げナイフが次々に魔カラスを撃ち落とし、マロニーコフの振りまいた特製スパイスが魔カラスたちを混乱させます”

 

「おのれ、こしゃくな!」

 

”怒ったドラゴンは地団太を踏み、すると迷宮の天井が崩れてイーヴァルディたちの上に降ってきます。ですが、マミが飛び出して大岩をすべて砕いてしまいました。

 

 すごいすごい、イーヴァルディの仲間たちはすごいのね。と、シルフィードは我が事のように興奮した。

 物語の中で、サリィがさらわれてしまったときは、どうなることかと不安でいっぱいだった。でも、イーヴァルディの仲間たちはやっぱりすごい。

「よーし、シルフィも負けてられないのね。たーっ!」

 物語の中の登場人物たちに勇気づけられたように、シルフィードは翼に力を込めて飛んだ。ドラゴンの攻撃をひらりひらりと避けるイーヴァルディのように、ギーゴンの金縛り光線を避けていく。

 その一方で、タバサは物語を語りながらも冷静に作戦を練っていた。

 狙うのは、ギーゴンの胴体に並んでいる四本の弦。あれを切断すれば、バイオリンの化身である奴は力を失うであろうというのはタバサも理解できる。が、身長五十メイル超の巨体に張られている弦なのだから、鉄柱並みの強度があるのは確実だ。半端な魔法では恐らく傷もつけられない。

 宇宙人は、さてどうするのか? と、興味ありげに見守っている。手出しをするなとは言われたが、見物するなとまでは言われていない。

「知っていますよ。この世界であなた方人間が少なくない数の怪獣を倒してきたことは。ですが、そいつはどうでしょうねえ?」

 宇宙に悪名をとどろかせる種族である彼は、当然超獣に関しても豊富な知識を持っている。その気になれば怪獣墓場の無数の怪獣たちを一体ずつ解説することもできるだろう。

 ギーゴンは超獣の中ではヤプール全滅後に出現したこともあって、ベロクロンやバキシムと違ってそんなに注目されるほうではない。しかし、それと強さは別問題だ。こいつにはまだ見せていない能力があるが、はたして……?

 

”ドラゴンからサリィを助け出すため、戦士ボロジノの大斧が唸ります。魔人の体も真っ二つにするボロジノの大斧が、サリィを捕まえていたドラゴンの腕を切り裂いたのです”

 

 タバサは精神力を集中させて、巨大な『エア・カッター』を作り出した。今のタバサに作れる最大の大きさで、エースのバーチカルギロチンにも匹敵するだろう。

「ほぉ」

「す、すごい」

 宇宙人は短く感心し、ジルは驚嘆した。よほど熟練したメイジでも、あの半分の大きさを作れればいいほうであろうに、タバサの成長は底なしなのだろうか。

 タバサはシルフィードへ合図して、ギーゴンの正面のわずか二十メイルから急旋回とともに横一文字にエアカッターの三日月形の刃を打ち込んだ。まさに、エースのホリゾンタルギロチンの再現といってもいい壮絶な光景に、ジルはギーゴンが弦どころか胴体ごと真っ二つにされたと思った。

「やったか!」

 だが、ギーゴンの胴体はエア・カッターの直撃にビクともしていなかった。風の刃はギーゴンの頑強な胴体を傷つけるには及ばず、弦もまだ切れていない。

 すごい頑丈さだとタバサは感じた。バイオリンが元になっただけはあるが、それを差し引いても計算以上の強度を持っている。並の怪獣ならば少なくとも皮は斬れたはずなのに。

 すると、宇宙人がせせら笑いながら告げてきた。

「その超獣、甘く見ないほうがいいですよ。なぜかは知りませんが、強烈なマイナスエネルギーで強化されてるようです。今の一撃、惜しいところでしたが一歩足りませんでしたね」

 マイナスエネルギー? つまり人間の負の情念が超獣に乗り移っているということか? ふざけるなとタバサは思った。なぜ父の遺品にそんなものが宿らねばならないのだ。

 ふつふつと沸く怒り。けれど、タバサはそれでもまだ冷静だった。

 今のエア・カッターは効かなかったが手ごたえはあった。あの超獣の体が頑強でも、今の一撃よりも強い攻撃ならば必ず効く。が、どうすればそれができるだろうか?

 タバサは考える。その唇に、物語の続きをなぞらせながら。

 

”ボロジノの一撃で、ドラゴンはサリィを手放しました。零れ落ちたサリィを、マミがしっかりと受け止めます”

 

「サリィ、大丈夫! しっかりして」

 

「うう、マミ、マミなの? お母さん、お母さんはどこ? なにも、なにも見えないよ」

 

”サリィは両目をつぶされ、苦しみながらマミにすがりつきました。マミはサリィをぐっと抱きしめ、耳元で力強く励ましました”

 

「サリィ、安心して。あたいたちが助けに来たからね。遅くなってごめん。けど、あたいたちがサリィを守るから。見えなくても、あたいの体の温かさを感じて、あたいの胸から心臓の音を聞いて。あたいはずっとサリィのそばにいるから」

 

「マミ……うん、うん」

 

”震えていたサリィはマミの腕に抱かれて、安心したように力を抜きました”

 

”サリィを取り戻し、残るはドラゴンだけです。しかし、ドラゴンはイーヴァルディたちが強いのを見ると、その大きく裂けた恐ろしげな口から真っ黒な闇の炎を吐いてきたのです。

 

「こざかしい奴らめ、これならどうだ!」

 

「うわああっ!」

 

”ドラゴンの吐いた闇の炎はキャッツァの魔法でも防ぎきれず、ボロジノもカメロンもマロニーコフも倒されてしまいました”

 

「どうだ、俺様の闇の炎は悪の炎。俺様に食われた欲深い人間どもの怨念が込められているのだ。誰にも防ぐことはできないぞ」

 

”ドラゴンは高笑いしました。多くの怪物を倒してきたイーヴァルディたちでしたが、このドラゴンの闇の炎は強烈でした”

 

”仲間たちは皆倒れ、マミもサリィをかばったために動けなくなってしまいました”

 

”でも、イーヴァルディは闇の炎に体を焼かれながらもひとり立って残り、ドラゴンに剣を向けます”

 

「僕は負けない。お前がどんなに強くても、どんなに悪の力を集めても、僕にだって仲間たちがいるからこそ手に入れられた力があるんだ」

 

”イーヴァルディは剣を構え、じっと念じ始めました。すると、なんということでしょう。イーヴァルディの左手が輝き、倒れている仲間たちから光がイーヴァルディへと集まっていったのです”

 

「な、なんだ、この光は!?」

 

「これが、神様が僕に与えてくれた勇者の力だ。仲間たちの力を集めて、僕は強くなれる。覚悟しろ、お前の悪を僕たちの光で切り裂いてやる!」

 

”イーヴァルディの剣がまばゆく輝く光の剣に変わります。その光は暗黒の迷宮を照らし、凶悪なドラゴンも怯えひるませるほど神々しい輝きを放ちました……”

 

 

 タバサは語りを止め、自らの杖を見つめた。

 今のエア・カッター以上の切れ味を持つ飛び道具は自分にはない。しかし、精神力を限界まで高めた『ブレイド』の魔法でならそれ以上の威力を出せる。だが、そのためには超獣に限界まで接近しなければならない。

 あまりにも危険な賭けに、タバサの中の冷徹な部分が警鐘を鳴らしてくる。ここで大きなリスクを冒してまで、あの超獣を倒さなくてもいいのではないか? 自分にはなんのメリットも生まれないし、この屋敷の周辺はほとんど人はいないので被害もすぐには出ないだろう。そうしているうちにウルトラマンの誰かが気づいて倒してくれれば、それが一番楽なはずだ。

 いや、それはできない。タバサはすぐにその考えを取り消した。リスクが大きく、メリットがないにせよ、あれは間違いなく父のバイオリンから生まれた存在なのだ。その始末を他人にゆだねるわけにはいかない。

『ブレイド』

 タバサの杖に、風の系統で作られた魔法の刃が生まれる。それは薄緑色に輝き、空気から生まれながら空気さえ切り裂いてしまうようなすごみを感じさせた。

 タバサはシルフィードに、超獣のギリギリまで肉薄するように指示した。もちろんシルフィードは愕然として拒否する。

「むむむむむむ、無茶なのね! そんな自分から死ににいくようなこと、シルフィは絶対お断りするのね!」

「できないというなら、わたしは一人でもやる」

 本気だということはシルフィードにもすぐにわかった。シルフィードが命令に従わないのならば、タバサはひとりで超獣に挑んでいくだけだ。

 シルフィードは頭を抱えた。ああもう! おねえさまはいつもこうなんだから! いつも? いつもっていつだったかしら? いや、そんなことはどうでもいいけれど。本当に竜使いの荒い人なんだから。

「わかったのね! その代わり一回だけなのね。失敗しても二度とはやらないのね!」

「一度で十分」

 覚悟を決めたタバサに、もう迷いはなかった。確かに危険だ。しかし、シルフィードの機動力と自分のブレイドの切れ味が合わされば十分に成功の可能性はある。タバサはそう計算していた。

 だが、北花壇騎士として戦っていた時とは違い、私情で戦いに臨んでいる今のタバサには最後の最後での警戒心が無自覚に一歩削れてしまっていた。

 『ブレイド』をかけた杖を構え、ギーゴンの死角から切り込もうとするタバサ。そのタバサを、宇宙人は冷ややかに見下ろしていた。

「あらら、無茶しますねえ。その超獣が何を武器にしているか忘れたんですか?」

 突撃を試みようとするタバサ。シルフィードは太陽を背にして、ギーゴンの視界からは完全に消えている。これならば、奇襲は確実に成功するはずだった。

 しかし、成功を確信したタバサのわずかな殺気を感じ取ったのか、ギーゴンはそのバイオリンの体から強烈な不協和音を発してきたのだ。

「うっ!」

「きゅいーっ!?」

 頭の中を引っ掻き回されるような不快感を叩きこんで来るその不協和音は、並大抵の苦痛には耐えられるタバサでも受けきれないほど不快だった。

 思わず耳を抑えるタバサとシルフィード。まるで無数の楽器をでたらめにかき鳴らしたかのようにやかましく頭の芯まで響き、とても我慢できるものではなかった。

 これがギーゴンの奥の手である。ギーゴンはその体から強烈な不快音を発して敵を攻撃することができる。これはウルトラマンAさえもまいらせてしまうほど強烈で、しかも音だから逃げ場がない。

 宇宙人は平気な顔をしているが、ジルも耳を押さえてのたうち回り、周辺の森でも動物たちが苦しんで暴れ、ラグドリアン湖では魚が浮き上がっている。

「サ、サイレントを……い、いえ」

 額に汗をにじませながら、耐えきれなくなったタバサは音を遮断するサイレントの魔法を唱えようとした。しかし、そうしたらせっかく作ったブレイドも消えてしまうと逡巡した一瞬が命取りになった。タバサに比べて苦痛に耐性のないシルフィードが耐えきれずに墜落し始めてしまったのだ。

「きゅいぃぃーっ!」

「っ!」

 相手が音ではいくら韻竜の体が頑丈でも意味がない。シルフィードはパニックのままきりもみ墜落に陥ってしまい、タバサが風の魔法で立て直そうにも遠心力で肺が圧迫されて呪文が唱えられなかった。

 タバサの眼に、落ちる先で手を振り上げているギーゴンの姿が一瞬見えた。だめだ、避ける手段はない。わたしが焦って警戒を怠ったばかりに……シルフィード、ジル、ごめん。

 

 だが、そのときだった。突然、空のかなたから青く輝く光弾が飛来し、ギーゴンに炸裂して吹き飛ばしたのだ。

 

『リキデイター!』

 

 ギーゴンは弾き飛ばされ、不快音が途切れたことと爆発の爆風でシルフィードはかろうじて体勢を立て直した。

 そして、宇宙人は空の一角を見つめ、つまらなさそうにつぶやいた。

「やれやれ、やっと来ましたか。まったく、今回は大サービスの大サービスですよ、お姫様」

 かなたの空から流星のように飛来する青い閃光。彼は土煙をあげて降り立つと、間髪入れずによろめくギーゴンへ向けて光の剣を一閃した。

『アグルセイバー!』

 横一文字の斬撃がギーゴンの体の弦をすべて切り落とした。

 最大の弱点を突かれ、ギーゴンは悲鳴をあげてのたうった。そして、そのギーゴンを冷たく見据える青い巨人の姿を見下ろし、タバサは憮然と小さな唇を動かした。

「ウルトラマンアグル……」

 青い光の巨人、ウルトラマンアグル。彼が間一髪のところでタバサを救ったのだ。

 アグルは悠然と立ち、日の光が彼の青い体と黒いラインを照らし出し、胸のライフゲージが陽光を反射してクリスタルのように輝いている。

 しかし、なぜアグルがここに現れたのか? タバサはすぐにその理由を悟った。あの宇宙人が知らせた以外にあり得ない。

「言ったでしょう、今あなたに死なれると面倒なんですよ。 約束通り、私は手を出してませんから文句は言いっこなしですよ。ま、私がウルトラマンさんに頼ること自体、ひどい屈辱ですけどねえ」

 彼のひどく不愉快そうな態度の理由をタバサは知らなかったが、そうされなければ助からなかったことを自覚して抗議はできなかった。

 ギーゴンは力の源である弦を断ち切られ、もう立っているだけでやっとなくらい消耗していた。悪あがきに金縛り光線を撃ってきたが、アグルのボディバリアーに軽々とはじき返されてしまう。

 大勢は決した。アグルは両腕を胸のライフゲージに水平に合わせ、開いた両腕を回転させながら渦を巻くエネルギー球を作り出して投げつけた!

『フォトンスクリュー!』

 巨大な青い光球はギーゴンの胴を直撃し、そのままドリルが木板を貫くようにして反対側にまで貫通した。ギーゴンは腹に大きな風穴を空けられ、棒立ちのままついに沈黙したのだった。

 勝負あり……タバサは、久しぶりに見るアグルの力を驚嘆しながら見つめていた。タバサと、そしてジルの心に、あのファンガスの森での記憶が蘇ってくる。

 あの時も、そして今も、あなたに助けられた。アグルがいなければジルはあの日にファンガスの森で死んでいただろうし、タバサも今日ここで倒れていたかもしれない。

「ありがとう……」

 タバサは感謝と謝罪をこめてつぶやいた。そしてジルは、今自分の中に蘇ってきた記憶がなんであるかに戸惑ったが、心にかけられた蓋にひびが入ったように、シルフィードに乗るタバサを見上げてひとつの名前を口ずさんでいた。

「シャルロット……」

 どんなに封じられても、心の奥に刻まれた本当に大切なものは消せない。タバサは風の系統としての耳の良さでジルのつぶやきを聞き取り、覚えていてくれたことに目じりを熱くした。

 だが、これで終わったとタバサも思った、そのときであった。なんと、体に風穴を空けられて死んだと思われていたギーゴンが、ジルのつぶやいた名前に反応したかのように再び動き始めたのだ。

 

「シャ、ル、ロット……」

 

 タバサの名前がギーゴンから響き、タバサは愕然とした。同時にアグルやシルフィード、ジルも驚愕してギーゴンを凝視した。

 まさか、体に大穴を空けられたあの状態で生きていられるわけがない。アグルは構えを取り、ギーゴンの逆襲に備える。

 だがギーゴンは不思議なことにアグルには見向きもせず、タバサのほうを見上げると、今度は不協和音ではなく、美しい音色の音楽を奏でてきたのだ。

「この音楽は……?」

「とっても、優しい響きなのね」

 ジルとシルフィードは、美しい音楽の調べにうっとりとして聞き入った。今度は魂を吸われるようなことはない。本当にただの美しい音色の音楽だ。

 しかし、それを聞くタバサの心には、今まで感じたことがないほどの激しい怒りが湧き上がってきていた。

「やめて……あなたから、あなたからお父様の音楽を聴きたくない!」

 それはなんと、タバサが幼いころにオルレアン公からよく聞かされていた音楽そのものだったのだ。

 冷徹な戦士の中に隠された、タバサの激情の心が抑えようもなく首をもたげてくる。父と母との懐かしい思い出の日々を土足で汚されるような怒り。

 この音楽は父が作曲した、父しか演奏できないもの。そう、あの日もイーヴァルディの勇者の物語を、このメロディーで締めくくってくれた。

 

 

”イーヴァルディの放った光の一刀で、闇のドラゴンは苦しみながら倒れました。しかし、ドラゴンはそれでもまだ死なず、再びサリィの母の声を騙って語り掛けてきたのです”

 

「サリィ、サリィ助けておくれ、サリィ」

 

「お、お母さん……!」

 

「そうだよ。お前のお母さんだよ。悪い奴らがお母さんをいじめるんだよ。助けておくれサリィ。お前がたった一言、「お母さんを助けたい」と言ってくれるだけでいいんだ。そうしたらお母さんは悪い奴らをやっつけて、サリィとずっといっしょにいてあげるからね」

 

”ドラゴンは甘いささやきでサリィを誘惑します。しかし、そのささやきに隠された恐ろしい企みを知ったキャッツァが叫びました”

 

「いけない! そいつの言うことを聞いちゃだめ。それは魂をそいつに捧げる悪魔の契約だよ! 答えたらサリィは死んでしまう」

 

”そうです。ドラゴンはサリィの魂を奪って蘇ろうとしていたのです。なんという卑劣なことでしょうか。マミがサリィを抱きしめながら叫びます”

 

「サリィ、だまされちゃダメ! あれはサリィのお母さんなんかじゃない!」

 

”けれどドラゴンもさらに甘い声でサリィにささやきました”

 

「サリィ、サリィ、だまされてはいけませんよ。お母さんの声を忘れたのですか。お母さんと、ずっといっしょにいたくないのですか? いっしょにいたら、サリィの好きなものをなんでも作ってあげますよ。だから、助けてサリィ」

 

「お母さん、お母さん……わからない、わたしは、わたしはどうしたらいいの?」

 

”目を奪われたサリィは、誰を信じればいいのかわからずに迷いました。お母さんといっしょにいたい、けれどマミのことも信じたいのです”

 

”すると、イーヴァルディがサリィに静かに語りかけました”

 

「サリィ、信じるものは君自身が決めないといけない。見えるものじゃなくて、君自身の心の中に答えを出すんだ。君の思い出の中のお母さんはどんな人だったかを思い出して……君はもう答えを知っているはずだよ」

 

”サリィの心に、優しかった母、どんなときでもかばってくれた母との思い出が蘇ってきます。そして、自分を力強く抱きしめてくれるマミの腕の温かさに勇気づけられて、サリィはついに決めました”

 

「お前なんか、お前なんか、お母さんじゃない!」

 

「なっ、なにぃぃぃ!」

 

”誘惑を振り切って真実にたどり着いたサリィは、ついにドラゴンの呪いに勝ったのです。サリィは、自分を苦しめ続けてきた残酷な運命に立ち向かい、自分の力で勝利したのでした”

 

”そうです。どんなに恐ろしくて強いドラゴンでも、たったひとりの小さな女の子の心を支配することはできませんでした。イーヴァルディはドラゴンに向かって言います”

 

「お前は、大きな間違いをしていた。どんなに欲深い人間を財宝で騙しても、サリィの心の中の思い出だけは汚せなかったんだ。お前は、サリィに負けたんだ」

 

「そんな、そんなはずがない! 人間なんて、うわべに騙されるバカな生き物なのに! ま、待て! 俺が悪かった。お前に本物の財宝をやろう、だから助けてくれ」

 

”イーヴァルディは剣を振り上げ、ドラゴンに向かって力いっぱい振り下ろしました”

 

 

 タバサの杖の先に、シルフィードも見たことがないほど大きな氷の槍が出来上がっていた。

 それはタバサの怒りの象徴。ギーゴンにとどめを刺そうするアグルを静止して、タバサはこれだけは譲れないとギーゴンを睨みつけていた。

「お前は、お前はお父様じゃない! わたしのお父様を汚さないで!」

 普段の冷静なタバサを知る者からすれば、信じられないほどのタバサの激情であった。

 タバサはギーゴンに向かって氷の槍『ジャベリン』を投げつけた。それはまるで物語の中のサリィと同じように、家族の思い出を汚そうとするものへの怒りを込めた魂の叫びだった。

 ジャベリンは、狙いを過たずにギーゴンの古傷に突き刺さる。それは幼い日のタバサがバイオリンを落として傷つけてしまったときのものだが、今度はタバサの意思によって傷口はうがたれた。

「お父様、ごめんなさい。約束は、守れなくなってしまいました」

 消え入るような詫びの言葉の後、ギーゴンから響いていた音楽が消えた。そして、ギーゴンの眼から光が消え、その姿が煙のように掻き消える。

 同時に、ギーゴンに取り込まれていた人々の魂が解放され、静かなメロディとなってしばしの間流れていった。

 

 

 戦いは終わった。オルレアン邸跡は再びただの廃墟に戻り、タバサは一人でその瓦礫の上に立ち尽くしていた。

「……」

 タバサは、足元から壊れたバイオリンを拾い上げた。それは弦が千切れ、大穴が空き、もうどうやっても修復はできないほど破壊されてしまっていた。

 それでも、タバサは超獣の魂から解放されて元に戻ったバイオリンを抱きしめながらつぶやいた。

「なぜ……お父様のバイオリンが、あんな怪物に?」

 それはタバサにとってどうしても納得できないことだった。なぜ、どうして、優しかった父との思い出がこんな形で踏みにじられねばならないのだ?

 誰かの差し金か? すると、タバサの後ろに浮いている宇宙人が不愛想に答えた。

「何度も言いますが、今回の件で私は無関係ですよ。ですが、この場所にはどうも怨念めいた何かの意思が強く残っていますね。それと、あなたの使い魔のあなたに会いたいという願いが合わさって、あの超獣を作り出しちゃったんじゃないでしょうか」

 怨念? そんな馬鹿なとタバサは思った。国中の誰からも慕われていた父と母に限って、そんなことはありえない。

 だが、瓦礫を見下ろすタバサの眼に、ちょうどギーゴンになったバイオリンが出てきた場所の下に不自然な穴が開いているのが映ってきた。 

 これは……地下への階段? 魔法で瓦礫をどかしたタバサは、地下へと続く階段があるのを発見した。

「これは、何? こんな場所、わたしは知らない」

 タバサは動揺していた。自分の屋敷に、こんな地下への入り口があるなんて知らなかった。しかも、ここはかつて父の寝室があった場所だ。

 まさか……。

 地下への階段を降りていったタバサは、そこに小さな地下室があるのを見つけた。

 これは……書斎?

 そこは、いくつかの本棚と机があるだけの小さな書斎であった。地下にあったおかげで、屋敷が炎上したときも無事に残ったのだろう。

 書斎を調べたタバサは、ここがかなり長く使われ続けていたことを知った。部屋に残っていた道具はいずれも使い込まれており、いずれも父が生前愛用していたのと同じものだ。

 これは、父の秘密の書斎だとタバサは理解した。貴族が秘密や安全のために屋敷に秘密部屋を作ることは別に珍しくはない。

 でも、お父様はここでいったい何を? タバサはふと、机の上に置かれた分厚い本に気が付いた。

「これ、帳簿?」

 名前と数字がびっしりと書き込んである。文字は間違いなくオルレアン公のものだ。だがいったい何のための?

 タバサはページを読み進める。知っている貴族の名前が次々に出てくる。名前の横には日付と、別の桁数の大きな数字の羅列。そしてときおり書き込まれている注略。

 これは……まさか。タバサの脳裏に恐ろしい可能性が浮かび上がってくる。そんなことがあるはずがない、父に限ってそんなことは。けれど、タバサの冷静な部分が仮説を有力に補完する。オルレアン公は、その人望でガリアに大きな派閥を築いていた。しかし、本当に人望だけで多くの貴族をまとめあげていたのだろうか。

 眩暈と吐き気に襲われて、タバサは床にうずくまった。

 

 そして十数分後。タバサは二冊の本を抱えて地下室から上がってきた。

 地上には、ウルトラマンアグル、藤宮博也が待っていて、彼は短くタバサに尋ねた。

「まだ、お前の決着はつけられないのか?」

「もう少し、時間が欲しい。迷惑をかけてることは、悪いと思ってる」

 藤宮とタバサは、無駄な言葉はいらないという風に語り合った。タバサは藤宮に背を向けて宇宙人のほうに歩いていき、藤宮が宇宙人を睨みつけると、宇宙人はおどけた様子で言った。

「そんな怖い顔しないでくださいよ。私はこの世界に侵略の意思なんかないって言ってるでしょう? それに、私が今死んだらこの世界はどうなってしまうと思います?」

 少なくとも、”今”は戦うべきときではない。藤宮はぐっとこらえた。今は、タバサの安否がわかっただけでよしとするしかない。彼は去ろうとするタバサに、もう一度話しかけた。

「我夢も心配している。早く顔を見せてやれ」

「もう少し、待って欲しいと伝えてほしい。それと、わたしは元気だから、心配しないでほしいとも」

「伝えておこう。どのみち俺には、帰って来いと言うような資格はない。どうしても自分の手でけじめをつけなければいけないことがあることもな。だが、お前の背負おうとしているものは重いぞ」

「覚悟している。これは、ガリア王家に生まれたわたしの果たすべき責任……誰の力を借りたとしても、最後のけじめだけはわたしとジョゼフで果たさなければいけない。だからもう少しだけ、時間をもらいたい」

「わかった……それと、お前の使い魔と、あの女はどうする?」

 藤宮の見る先には、ギーゴンとの戦いが終わった後に気を失ってしまったジルとシルフィードが眠っている姿があった。

 タバサは悲し気な目をすると、すまなそうに藤宮に言った。

「ふたりは連れて行けない、これは半分はわたしのわがままだから。それに二人は、これまで十分以上に助けてくれた。偽りの平和とはいえ、少しでも休んでいてもらいたい」

 タバサはそう言うと、ジルのたもとに一冊の本を置いた。それはイーヴァルディの勇者の別の本で、サリィの物語の最後までを書いてある。

「ジル、シルフィードに読んであげて」

 身勝手な願いだとはわかっている。けれど、信頼してくれている者たちに背を向けてでも行かねばならないほど、ガリア王家が積み重ねてきた業というものは深かった。

 世間の人々はガリアの混乱はジョゼフの野心によるものと思っているが、実際はそんな単純なものではない。正義と悪で区切れるようなものでもない。

 タバサは、もう一度藤宮に振り返って言った。

「今日は助けてくれてありがとう。けど、もうわたしを探すのはやめてとみんなに伝えて。そうしなくても、そう遠くないうちにあなたたちの力を借りることになるから」

「難しいことになるぞ。どうやって収めるのか、その考えはあるのか?」

「わたしもガリア王家の者。必要とされるなら、その覚悟はできてる。けど、もう少し準備も必要。心配しないで。あなたとガムと、あの人たちから教わったことは、決して忘れないから」

「……こっちからもひとつ伝言だ。あの連中から、「落ち着いたら茶でも飲みに来い」「魔法もいいが体を鍛えることを忘れるな」「ハルケギニアで流行ってる音楽を教えてくれ」とのことだ。返事はあるか?」

「……「今度は家族を連れて会いに行く」と、伝えておいて」

 タバサは胸につけたワッペンを握り、藤宮に顔を見せたくないというふうに踵を返した。その先には、宇宙人が待ちくたびれたという風に待っていた。

「ようやく終わりですか? では帰りましょうか。おっと、その前にいいお知らせがひとつ。あなたの見つけたさっきの地下室ですが、ちょっと古いですけど純度の高い”渇望”のマイナスエネルギーが溜め込まれてました。これで、目的に大きく前進ですよ。どうやらよほど強い虚栄心の持ち主が……おや、何かご不満でも?」

「早く、行って」

 

 そしてタバサは、宇宙人に連れられて、またハルケギニアのいずこかへ消えていった。

 

 しかしタバサは、このまま成り行きを時間に任せることはもうできなかった。

 持ち帰った一冊の帳簿。それには、自分も知らなかったガリアのもう一つの顔が記されていた。

 これを確かめることは、恐らく自分にとって最大の苦痛を自ら招くことになるだろう。しかし、ガリアの積み重ねてきた歪みは、いつか誰かが正さなければ死んでいった人々が浮かばれない。

 この世に残っているガリアの王族は四人。そのうち母はもう一線に出てくることはないであろうから、自分とジョゼフ、そして現在は行方知れずの彼女。

 できれば、自分とジョゼフだけですべてを片付けてしまおうと思っていた。しかし、こうなれば彼女の手も借りなければならないかもしれない。

 

 

 タバサは空を見上げ、イーヴァルディの勇者の最後の部分を思い出した。

 

 

”キャッツァの魔法で、イーヴァルディたちはサリィの屋敷の前の花畑に転送されてきました”

 

”大きな地響きが鳴り、イーヴァルディたちが振り向くと、サリィの屋敷が音を立てて崩れていくのが見えました。迷宮の主であったドラゴンが倒れ、迷宮もその上に建っていた屋敷ごと崩壊したのです”

 

「これで、人食いラビリンスの犠牲になる人は、もう二度と現れることはないわ」

 

”キャッツァがぽつりとつぶやきました。イーヴァルディたちの活躍で、またひとつ、この世の悪が滅んだのです”

 

”サリィの目も、キャッツァが念入りに施した回復の魔法で再び見えるようになりました”

 

”そして、とうとうイーヴァルディたちの旅立ちの時がやってきたのです”

 

「イーヴァルディさん、本当に行ってしまうの? あたし、あたし……」

 

”サリィは泣きそうな声でイーヴァルディを引き止めようとしました。けれど、イーヴァルディたちはいつまでもここにいるわけにはいきません。この世のどこかで、イーヴァルディたちの助けを待っている人がまだいっぱいいるのです”

 

”ですが、寂しそうなサリィにマミが言いました”

 

「サリィ! 言っちゃいなよ。言いたいことがあるなら、言っちゃえばいいんだよ。でなきゃ、あのとき言っておけばよかったって、ずっと後悔していくことになるんだよ」

 

「マミ、でも、でも、あたしは」

 

「しーんぱいしないで。あたいたちは、みんなサリィの味方だから。みんな待ってるんだよ。さ、あとはサリィが勇気を出して、ね」

 

”励ましてくれるマミに、サリィはついに勇気をふりしぼって言いました”

 

「イーヴァルディさん! あ、あたしを……あたしを旅に連れて行ってください」

 

「うん、喜んで。サリィ」

 

”にこりと微笑んで答えたイーヴァルディの優しい瞳に、サリィは目から熱いものを流しながら喜びました”

 

「イ、イーヴァルディさん……あ、ありがとう。でも、あたしなんかマミやキャッツァさんみたいなすごいことはなんにもできないのに、本当にいいんですか?」

 

「僕は、何かができるからマミたちを仲間にしていったんじゃない。ただ、いっしょに行きたいと思ったから仲間になったんだ。僕らは最初から強かったわけじゃない。僕だって最初はコボルトに負けるくらい弱かったし、マミなんて最初は話もできなかったんだ。な、マミ?」

 

「うん。あたい、狼に育てられたから人間のことなにもわからなかったんだ。けど、かあちゃんが死んでひとりでさまよってたあたいをイーヴァルディが拾ってくれて、言葉を教えてくれたんだ。だから、あたいはサリィのサミシイもカナシイもわかる。行こうサリィ、あたいたちと冒険の旅へさ」

 

「うん、マミ……ありがとう。みなさん、よろしくお願いします」

 

「ああ、サリィ。今日から君は、僕たちの仲間だ!」

 

”こうして、イーヴァルディの一行に新しい七人目の仲間が加わったのです”

 

”朝日の中、旅立つ一行を次に待つ冒険はいったいどんなものなのでしょう。どんな恐ろしい魔物や、険しい山や谷が待っているのでしょう”

 

”けれど、イーヴァルディたちは決してへこたれません。どんな苦難も、それを乗り越えたときにはイーヴァルディたちは一回り強くなっているのです。そして何より、苦難も喜びも分け合う仲間がいるのですから、彼らの冒険は終わりません”

 

”勇者と呼ばれるイーヴァルディは、これからも数多くの冒険に立ち向かい、多くの仲間を得ていきます。その中でも、世界最強の武闘家マミ、大魔法使いキャッツァ、無双戦士ボロジノ、義賊カメロン、百星シェフのマロニーコフ”

 

”そして、後に大賢者と呼ばれるサリィ。彼らの冒険の物語は、またいつの日か語ることにしましょう”

 

”けれど、忘れないでください。この世に光がある限り、闇もまたどこかにあります。もしあなたが恐ろしい魔物に襲われてピンチになったら、イーヴァルディたちのように勇気を持って立ち向かってください”

 

”魔物は弱い心を食べようと狙ってきます。けれど、勇気や愛は食べられません。苦しくても生きていれば、きっといいことがありますよ。そうしたら、あなたを助けにイーヴァルディは必ずやってきてくれるでしょう”

 

”fin”

 

 

 それはきっと、誰かが創作したフィクション。けれどタバサは、その物語の中のイーヴァルディやサリィたちに惹かれ、幼い日に夢の中で遊んだ。

 人はいずれ大人になる。けれど、子供の頃に見た夢は心のどこかに残っている。

 タバサは思う。幼いころ、自分はイーヴァルディに助けられるサリィになりたかった。けれど、サリィはただ助けられたわけではない。ドラゴンの誘惑を拒絶し、呪いを跳ね返す勇気を持てたからこそ救われることができたのだ。

 今ならわかる。どんなにイーヴァルディが強くても、サリィ自身が勇気を持てなければ助かることはできなかった。なによりもまず、自分で自分を助けようとしない者が救われることなどあるわけがない。

 けれど、現実は時としてフィクションよりも残酷だ。サリィは思い出の中の母を信じて救われたが、自分は……。

 それでも、やらなければならない。どんなに辛い真実が待っているとしても、今を生きる者にとって知ることこそが生きることなのだから。

「お父様……」

 タバサは雑念を払い、思案を巡らせ始めた。ガリアのすべてに終止符が打たれる日、それはきっと遠い日ではないだろう。

 

 

 続く



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第72話  天然物にご用心

 第72話

 天然物にご用心

  

 変身怪人 ピット星人

 宇宙怪獣 エレキング 登場!

 

 

「さあさ、皆さんこんにちは。すっかりおなじみの悪い宇宙人さんでございます」

 

「んん? もういい加減にしろ、お前の顔は見飽きたですって。おやおや、ひどいですねえ」

 

「そりゃ私は出しゃばりものですよ。それに、本当ならあなた方は今頃はヤプールをやっつけようとがんばってるはずだったんですものねえ」

 

「まま、そう怒らないでください。しょせん私は舞台の飛び入りです。クライマックスまで居座るつもりはありません。第一、私の目的の半分は達成されてますしね」

 

「ですが、思ったよりも苦労が多かったのも事実ですね。まったく、この世界の人たちは我が強いです」

 

「それと、度々私にちょっかいを出してくる誰かさん。ようやく正体が掴めてきましたよ。なにを企んでいるのか……そろそろ、あなた方も知りたいと思いませんか? フフ」

 

「きっとお楽しみいただけると思いますよ。いろいろな意味で、ね」

 

 宇宙人の前置きが終わり、舞台は再びハルケギニアに戻る。

 次の事件が起きるのは東か西か。起きる事件は悲劇か、それとも喜劇か。

 

 

 ある晴れた日の昼下がり、魔法学院は久々の三連休のその初日、才人たちは見渡す限りの畑の中にいた。

「ひゃあ、こりゃまた広いとこだな。トリスタニアの近くにこんないいとこがあるなんて知らなかったぜ!」

「はい旦那様、こちらは狭いながらも農耕が盛んでして、よい作物が取れるのです。このド・オルニエールによくおいでくださいました。歓迎いたします」

 才人とルイズ、そしてギーシュら水精霊騎士隊の面々は、ふくよかな土地の農夫に案内されて農道を歩いていた。

 ここはトリステインの地方のひとつ、ド・オルニエール。トリスタニアから西に馬で一時間ほどにある、豊かな農地を持つ土地である。道を歩く一行は、一様に豊かな土地が見せる豊饒な緑の光景に見惚れて顔をきょろきょろとさせていた。

 

 

 しかし、騎士隊である彼らがなぜ農地に来ているのだろうか? 事の起こりは、この数日前にアンリエッタ女王からの勅命が下ったからである。

 魔法学院にやってきた王宮からの使いは、水精霊騎士隊の一同を集めるとこう言い渡した。

「本日より三日後、ド・オルニエール地方にて農園開拓のための事業が始まる。諸君らはそこに赴き、その手伝いをしてもらいたい」

 この命令に、ギーシュたちは一様に首をひねった。

「開墾ですか? ですが、なんでまたぼくたちが?」

 当然である。自分たちは農業にはなんの知識もない、ただの学生なのだ。そういう事業を始めるならば、それ専門の貴族を遣わせばいいだけだ。

 すると使いの役人は、話は最後まで聞けというふうに答えた。

「なにも君たちに土を掘り返したり用水路を作れと言っているわけではない。順を追って話すが、最近我がトリステインとアルビオンの間の交易はさらに活発になってきておってな。アルビオンでの我が国産のワインの需要が高まってきており、そこで枢機卿の計画で、ワイン用のぶどう農園を増やすことになったのだ」

「はあ」

「土地はド・オルニエールに決まり、すでにタルブ村から苗木の取り寄せと職人の手配もすんでいる。しかし、どうせワインの増産をするのなら他国への輸出もさらに増やそうということになり、ゲルマニアから交渉のための大使を呼んでいる。諸君には、そのもてなしを頼みたいということだ」

「あの、もっと話がわからなくなったのですが。そんな大役ならば、ぼくらのような学生ではなく、それこそ大臣の方々が引き受けるべきかと存じますが」

「そんなことは知らん。とにかく、女王陛下がお前たちにぜひに頼みたいとのたってのご命令なのだ。貴族たるもの、これを名誉と思わずにどうする!」

「はっ、ははっ! 我ら水精霊騎士隊一同、喜んで仰せつかると女王陛下にお伝えくださいませ」

 こうして、よくわからないままに彼らはド・オルニエールに出向くことになったのである。

 しかし、ド・オルニエールというのはどういう土地なのだろう? 調べてみると、年に一万二千エキューほどの収益がある、そこそこいい土地であるということだった。そこで同盟国の大使を迎えるなら、なるほど名誉な仕事には違いない。ギーシュたちは大役を与えてくれた女王陛下に感謝し、周りに自慢しまくったのは言うまでもない。

 

  

 そして、ゲルマニアの大使がやってくるという日、彼らはド・オルニエールにやってきた。もちろん、せっかくの休みで暇なのだからということで才人やルイズ、キュルケやモンモランシーらのいつもの面々もついてきて、ぞろぞろと歩く姿はまるで大名行列のようであった。

 しかし、大名行列はド・オルニエールにつくと一転してピクニックの集団に早変わりした。そこは想像していたよりもはるかに肥沃で豊かな土地だったからだ。

「貴族の旦那様方、こちらは今年うちでとれた野菜でございます。よければお召し上がりくださいませ」

「いやいや、うちの畑でとれた果物はとても甘く出来上がっております。こちらをお先にどうぞ」

「それでしたらうちの牧場の牛からとれた新鮮なミルクはどうでやすか。チーズもヨーグルトもありますぜ」

 と、こういうふうに住民たちから予想外の大歓迎を受けたのである。

 もちろんギーシュたちは面食らった。子供とはいえ貴族が複数でやってきたら平民が歓迎するのは珍しくないことだが、ここまで熱烈な歓迎が来るとは思っていなかったのだ。

「ちょ、ちょっと待ってくれたまえ君たち。気持ちはうれしいが、我々は女王陛下から大事な任務を預かった身であるからして!」

 必死にとりなして落ち着いてもらうと、平民たちもようやく貴族に対する無礼を働いたことを自覚して謝罪した。

「申し訳ありません旦那様方。今年は過去にない豊作でして、うれしさのあまりつい我を忘れてしまっておりました」

「いや、わかってくれればいいんだよ。豊作なら、それはとてもいいことだ。女王陛下もお喜びになられることだろう。ところで、この土地の領主殿の館へ案内してほしいんだが」

「旦那様、ご存じないのですか? このド・オルニエールは十年ほど前に先代のご領主様がお亡くなりになられた後、お世継ぎもおらずに国に召し上げられたのでございます」

 そう聞いてギーシュたちは顔を見合わせた。豊かな土地なら領主がいると思い込んで、そこまで下調べしてこなかったうかつさを悔やんだがもう遅い。

「と、となると……今、この土地は国の代官が治めているのかね?」

「いいえ、つい昨年までこのド・オルニエールはお国からもほったらかしにされておりました。お役人様も年に数度の年貢の取り立てと調査くらいでしか訪れてはおりません。そういえば、近々こちらへ外国のお偉いさまがいらっしゃると沙汰があったのですが、旦那様方ですかな?」

「あ、いいや。僕たちは、そのお偉いさんをもてなすために来たんだ。だけど弱ったな。泊まってもらうところもないんじゃ無礼になってしまうぞ」

 ギーシュはレイナールたちと顔を見合わせた。下調べをしてこなかったことを本格的に後悔し始めたがもう遅い。貴賓をもてなすのに、まさか農家を使うわけにはいかない。

 すると、ひとりの老農夫がにこやかに言った。

「それなら心配ございません。お屋敷は今、学者の先生が二人住まわれています。とてもおきれいで気さくな方々なので、すぐにお屋敷を貸してくださるでしょう」

 それでギーシュたちはほっとした。人が住んでいるなら清掃もされているだろうから問題ない。後は交渉次第だが、こちらは女王陛下の命で来ているのだ。それに、女性で美人らしいと聞いては会わないわけにはいかない!

 その農夫に道案内を頼んで、ギーシュたちはド・オルニエールを再び歩き始めた。

 安心したせいか足取りも軽く、いい陽気なのも相まって一行の目は自然に道行く先の景色に吸い込まれていった。見ると、道の右にも左にも豊かな農地や牧草地が広がっていて、楽園のようなその光景にキュルケやモンモランシーも感嘆したように見惚れていた。

「すごい活気のある農園ね。わたしの実家の領地にも、ここまで豊かな土地はなかったと思うわ」

「ええ、キュルケがそう言うならトリステインの他にもこんなところはないでしょうね。けど、これほど豊かな土地に、これまで代官も立てられずにほったらかしにされてたってのはおかしいわね」

 モンモランシーがそうつぶやくと、農夫が笑いながら答えた。

「いいえ、ド・オルニエールがここまで栄えられるようになったのは、実はつい最近のことなのですよ。昨年までは、こちらは荒れに荒れ放題で、土地から出ていくこともできない老人たちがわずかなぶどうを栽培してやっと生計を立てているような貧しい土地でした。けれど、学者の先生方がこちらにいらしてから、土地が肥えて作物が山のように取れだし、出稼ぎに行っていた若い者たちも帰ってきてくれましたのです」

 しみじみと農夫は語ったが、以前に自分の実家が土地開発で失敗した経験のあるモンモランシーは驚いた。

「これだけの土地をたった一年で作り直したって言うの? その学者の先生って人たち、いったいどんな魔法を使ったのよ」

「水だそうです。こちらは、山の向こうに小さな湖がありまして、そこから水を引いているのですが、なにやらそちらでなさっているようなのです。わたくしどもは難しいことはわからないのですが、水がとても肥えるようになり、それを撒くだけで痩せていた土地もみるみる生き返っていったのです」

「水、ねえ。わたしも水のメイジだけど、そんなに水を肥やす魔法なんて聞いたことないわ。話を聞けたらモンモランシ家の再興に役立てられるかも」

 なにげなくギーシュについてきたが、これは儲けものかとモンモランシーは思った。

 キュルケはといえば、道行く農夫にわけてもらったオレンジの皮をむいて口に放り込んでいる。確かによく肥えているだけあって味も豊潤だ。

 なるほど、これだけ豊かな土地ならば女王陛下が目をつけたのもわかる。ワインに限らず、ここで採れる農作物を輸出できれば、まだまだ貧乏国であるトリステインにとって良い収入となるだろう。

 が、それにしても解せない。ギーシュも言った通り、そんな大事な交渉をおこなうための役割ならばトリステインの重鎮の誰かが出るのが当然で、なんの経験もない学生の私的な集まりが選ばれるなんて常識では考えられない。

「これは何かあるわね」

 キュルケはほくそ笑んだ。あの女王様、見かけによらず腹黒いところがあるが、今度はなにを企んでいるのだろうか。暇つぶしについてきたが、おもしろくなりそうだ。

 ギーシュたちはといえば、土地の人たちにちやほやされて調子に乗っているのか、事態の重大さに頭が回っていないようだ。

「ほらサイト聞いたかい? 女の子たちが、あの有名なグラモン家のギーシュ様ですかと言っていたぞ! いやあ、いつの間にかぼくも有名になっていたんだなあ」

「それって女癖の悪さで笑いものにされてるから有名なんじゃないのか?」

 軽口を叩き合いながら歩く男子の顔は皆明るい。一方でルイズは男子の会話に混ざっていくことができず、グループから一歩下がってリンゴをかじっていた。

「なによ調子に乗っちゃって。ゲルマニアの大使に無礼があって国際問題になっちゃったら女王陛下の責任になるのに、もう」

 親友であるアンリエッタが問題に巻き込まれることを思うとルイズの胸は痛かった。しかし、アンリエッタの采配の意味がわからないのはルイズも同じだ。

 ああもう、姫様は昔から突拍子もない思い付きをしては周りを困らせるんですから。あなたはもう女王なのですよ。

 ルイズはいたずら好きなアンリエッタの顔を思い出して、どうにも悪い予感が抑えられずに頭を抱えた。もうどうにでもなーれ! と、お手上げの意味を込めて万歳をするその手で、ウルトラリングがキラキラと輝いていた。

 

 しかし、そうして歩いていく一行を、離れた場所から監視している目があった。

「んんー、また大勢来たねー」

「ち、あと少しだというのに、これというのもお前が人間どもと余計な馴れ合いを続けるからいらない噂が立つのよ!」

「えー、だってここの人間たちはいい人ばかりじゃない。私だって”ぷらいべーと”はほしいんだもん」

「お前という奴は……!」

 気の抜けた声と甲高い声が話し合っている。甲高い声のほうは気の抜けた声のほうを、なにやら叱責しているようだが、気の抜けたほうはあまり気にした様子がない。

 二人はしばらく言い争っていたが、ふと気の抜けたほうがルイズを指さして言った。

「んー? あれ、待って、あの小娘……手配にあった子じゃない……?」

「へえ、こんなところに来るなんてね。ようし、あれもそろそろ出来上がるし、やってしまいましょうか」

「ま、待ってよ。まだ一匹しかいないのに、戦わせるなんて無理だよ。それに、あの小娘はかなりやっかいなメイジだって噂だよ。やめておこうよ」

「何言ってるの! ウルトラマンの一人を倒したとなれば私たちにも箔がつくのよ。うふふ、運が向いてきたじゃないの。やりようはあるわ、私たちの伝統の方法でね」

 不気味な声が響き、監視する目はどこかへと去っていった。

 

 そうしてしばらく歩き、鬱蒼とした森の中に目的の屋敷は建っていた。

「ほほう、これはなかなか立派な屋敷じゃないかい」

 一番乗りしたギムリが入り口から入ったホールを見渡して言った。

 十年前に領主が亡くなって、去年までは放置されていたそうだが、今ではきちんと清掃されて立派な貴族の館の様相を取り戻していた。

 ホールに入った一行は、まずは館の主に用件を伝えるために呼び鈴を鳴らした。涼やかな音が響き、やがて屋敷の二階からすたすたと眼鏡をかけた学者風の若い女性が二人現れた。

「こんにちはー、わたくし共に何かご用事でしょうか?」

 二人のうちで、少し胸の小さいほうの女が尋ねてきた。それでもルイズよりはよほど大きいのだが、それよりも二人ともなかなかの美人で水精霊騎士隊の少年たちは思わず見とれてしまった。

「ハッ! し、失礼します。実はこちらでお願いしたいことがありまして……」

 我に返ったギーシュが用件を説明すると、女たちはうなづいてにこやかに答えた。

「そういうことですかー。わかりましたー、私たちは勝手にこちらに住まわせてもらっている身ですぅ。普通なら立ち退きを命ぜられるところを、ご恩情に感謝しますー。どうぞ、ご自由にこちらを使ってくださいねー」

「い、いいえ、お礼を言うのはこちらのほうです! あなた方がいなければ我々は空き家を使うことになってました。できるだけご迷惑はかけませんので少しの間よろしくお願いします」

 不法占拠を素直に詫びて屋敷を明け渡してくれた二人の学者に、ギーシュたちは思わず下手に出てしまった。その後ろではモンモランシーが固まった笑顔を浮かべている。

 すると、二人の学者はルイズたちに向けて優雅に会釈してみせた。その仕草は上流貴族のルイズから見ても二人の教養の高さが伺え、ましてギーシュたちは女神を見たように見惚れている。

 けれど才人たちも、地元の人たちから聞いていた通りのいい人たちだなと好感を持った。特にルイズは、同じ学者でもエレオノール姉さまとは偉い違いねと、本人に聞かれたら雷が落ちるであろうことを考えていた。

 

 ともあれ、これでゲルマニアの大使を歓迎する場所はできた。後は準備を整えるだけとなって、一行はそれぞれ手分けして当たることにした。

「では諸君、確認だ。大使殿は今日の夜間にこちらに到着される予定である。屋敷の飾りつけとお部屋の用意だが、そちらはレイナールが指揮して、ギムリたちは近所を回って料理の手配をしてくれ。ぼくは大使殿に渡す資料を学者の先生方といっしょに用意しておく」

 こうして、水精霊騎士隊は大きく三班に分かれて準備に当たることになった。しかし、もし学者の先生方がこの屋敷を整理してくれてなかったら、これらのことを一日で全部やらなければならなかったわけだから、まったく考えなしの行き当たりばったりもはなはだしい。キュルケやモンモランシーは歓迎の用意を手伝いながらも改めてギーシュたちに呆れるとともに、アンリエッタの采配に疑問を持った。

 アンリエッタはギーシュたちのことをちゃんと知っている。あのバム星人によるトリステイン王宮炎上のときの活躍から、さまざまな方面で頭角を見せてきた。が、それらを考慮しても今回のことはやっぱり納得できない。ゲルマニアは実利を優先する、悪く言えば物欲主義の国だ。学生だけの出迎えなど、なめられていると思って怒らせたら何を要求してくることか。

 モンモランシーは、いくらゲルマニアでも学生の無礼くらいは許してくれるんじゃない? と、考えていたが、キュルケの「わたしの母国よ」の一言で考えを改めた。軽い気持ちでついてきたが、キュルケと話していると事の重大さがわかってきて胃が痛くなってくるのを感じてきた。見ると、水精霊騎士隊の面々は大任の興奮に早くも酔っているようで、いっぱしの貴族めいて礼儀作法の注意などをしあっている。

「ほんっとにお気楽なんだから。あれ? そういえばサイトとルイズは?」

「ああ、二階でギーシュたちといっしょにド・オルニエールの資料をまとめてるみたいよ。サイトはその荷物持ちみたいね」

 まあ、才人は見栄えには無頓着だし適任だろう。キュルケとモンモランシーは、ともすればサボりがちになる男子にはっぱをかけながら、歓迎式典の準備を続けた。

 さて、その才人たちは二階にある図書室で、学者の先生方の研究資料を貸してもらいながらド・オルニエールの資料を作っていた。

「そんなに広くない領地だけど、採れる作物や土壌の性質とか、まとめだしたらすごい量になるわね。あいつら、もしわたしたちがついてこなかったどうするつもりだったのかしら」

 ルイズは科目のレポートを出す感覚で資料をまとめていた。ギーシュたちと違って、きちんと授業は受けているほうなのでこういうことは得意だ。

 けれど、ルイズひとりでは到底間に合う量ではないため、ほとんどは学者の先生方に頼ってしまっていた。資料を引っ掻き回すしか能がないギーシュたちははっきり言って全然役に立っていない。

「うわあぁぁぁっ!」

「ちょっと! そこのあなた。せっかく私たちがまとめた資料を崩さないでよ!」

「ど、どうもすみません!」

 資料を持ってこけた水精霊騎士隊の少年が、学者のひとりに怒鳴られていた。

 ふたりの学者のうち、さきほど交渉した胸の小さなほうはおっとりとして温厚だったが、もうひとりの胸の大きなほうは優しそうに見えて意外とかんしゃく持ちだった。もっとも、少年たちの中には「叱られるのが快感」みたいなのもいるから、何をいわんやであるが。

 しかし、見ていると妙な二人だとルイズは思った。性格と身なりこそ差があれど、よく見れば二人とも同じ顔をしているのである。双子かと思って聞いてみたが、そうでもないらしい。

 いや、そんなことはどうでもいい。ルイズが気に入らないのは、あの二人の女がやたらと才人に色目を使うことであった。

「ねえ、坊やって珍しい髪の色してるのね。どこから来たの? お姉さんに教えてくれない?」

「あ、あのぉ、顔が近いです。そ、それに胸も……」

「ぼく~。こっちきて手伝って~。これ、私じゃおもーいー」

「は、はい! って、お姉さん、荷物で服がはだけて、む、胸が」

 才人が女に寄られるのは今に始まったことではないが、だからといってルイズの気分がよかろうはずがない。横目で見ながら我慢してはいても、目元がピクピクと動いて殺気を撒き散らしている。

 不愉快だ。すごく不愉快だ。サ、サササ、サイトったら、あとで鞭打ち百叩きね。いえ、最近わたしったら少し優しくなりすぎたわね。千回、万回叩いて、誰がご主人様か思い出させてあげるわ。

 ルイズの頭の中で才人の処刑用フルコースのメニューが目まぐるしく変わっていく。ルイズの想像の中で才人はバードンに追い回されるケムジラのように悲惨な目に会いまくっていた。

 しかし、ルイズにそんな残酷な未来を設定されているとはつゆ知らず、才人は才人で綺麗なお姉さんふたりにちやほやされて困り果てていた。

「ねえ、坊や。私、自分の知らないものを見ると我慢ができないの。坊やのこと、教えてくれないかしら」

 胸の大きな女が才人にすり寄る。才人は、いつもなら大歓迎だがとにかくルイズの手前、必死に理性を総動員して話を逸らそうと試みた。

「お、おれはその前にお姉さんたちのことを知りたいな! ここで何を研究しているんですか?」

「んー? そんなこといいじゃない。っと! あ、あなた」

「あーっ! 僕ったら、私たちのこと知りたいのー? いーよいーよ、私たちはねー。ここのきれいな湖でよーしょくの実験をしにはるばる来たんだー」

 胸の小さなほうの女が胸の大きな女を押しのけて、間延びした声で自慢げに話し始めた。どうやら、研究のことを聞かれるのがうれしいらしい。胸の大きい女が止めるのも聞かず、才人はこれ幸いと話をそっちに振った。

「よーしょくって、生け簀で魚を育てる、あの養殖のことですか?」

「そーそー、ここは水がきれいでねー。よーしょくじょーとして最適? なんだよー。むこーに湖があるんだけどー。そこでいろいろ実験してるんだー」

 得意げに、胸の小さな女は自分たちの研究を自慢した。

 聞くところによると、彼女たちはド・オルニエールにある湖で養殖の研究をしており、その副産物で肥えた湖の水が農地に流れ込むことで近年の爆発的な豊作につながっているようだ。

 なるほど、このド・オルニエールに関する大量の資料はそのためか。仮にも学者を姉に持つルイズは納得した。水産をおこなうなら、その土地に関する入念な研究も必要だ。学者は自分の専門分野にだけ詳しければいいというものではないのだ。

 それだけに胸の小さい女は、よほど自分の研究を話すのが楽しいらしく、胸の大きいほうの女が「ちょっと、よしなさいよ」と止めるのも聞かずに垂れ目を笑わせながら話し続けている。

「わたしねー、小さいころから生き物を育てるのが好きだったんだー。それでこの仕事はじめたんだけどー、生き物っていいよねー、すくすく育っていくのを見てるといつまで経っても飽きないもん」

 すると、胸の小さい女と才人の間にギーシュが目を輝かせて割り込んできた。

「わかります、美しいお姉さま。ぼくも昔、領地でグリフォンを飼っていましたが可愛くてしょうがなかったです。ぼくたち、気が合いそうですね」

「えー、君もそうなんだー。この「ど・おるにえーる」の人たちもねー、野菜とか果物とか育てるのか好きみたいでー、作物をおすそ分けしてくれるいい人ばっかりなんだよー。私は別に好きなことやってるだけなんだけどねー」

「素晴らしいことです。ぼくも薔薇を愛でるだけじゃなくて、自分で薔薇の栽培をしてみるのもいいかもしれませんね。ところで、お姉さまはどんなものを育ててるんですか?」

「ん? エレキ……」

 そのとき、胸の大きい女が「わーっ! わーっ! わーっ!」と叫びながら胸の小さい女の襟元を掴んで言った。

「ちょっとあなた! あのことは秘密でしょう! なに考えてるのよ!」

「あ、ごめーん」

 なにやらよくわからないが内輪の喧嘩らしい。才人やルイズたちはきょとんとして見ていたが、胸の大きい女は振り向くと、よく通る声で言った。

「言い忘れてたけど、向こうの湖には絶対行っちゃだめだからね。わかった!」

「え? なんで」

「なんででもよ!」

 すごい剣幕で命令するので、思わず才人たちも「は、はい」と答えるしかなかった。

 唯一、ルイズだけが「なんなの、この女たち?」と怪しげな視線で見つめている。落ち着いて考えてみれば、学者だというがいったいどこの学者なのだ? 少なくともトリステインの学者ではなさそうだが、なら……?

 だがそのとき、才人が思い出したようにつぶやいた。

「あれ? 湖といえば、さっきギムリたちが釣りができるかもしれないから寄ってみようって言ってたけど」

「なんですって! まったく、これだから男ってのは」

 胸の大きな女は、そう言って飛び出していこうとしたが、その前に胸の小さな女が部屋のドアを開けていた。

「んー、ちょっと注意してくるねー」

「え? あ、ちょっと!」

 止める間もなく、胸の小さい女は出ていってしまった。

 そしてざっと一分後。

「注意してきたよー」

 と、帰ってきた。

「えっ!? もう!? 話に聞いた湖まで、たっぷり一リーグはあるはずなのにどうやって!」

「え? 走って」

 走って? 今度は才人も含めた一同全員が面食らってしまった。

 一リーグを走って一分で往復する? 冗談でないとしたら、そんなこと人間には絶対にできっこない。そう、人間ならば。

 ルイズが厳しい目をして席を立ち、才人もそっとデルフリンガーに手をやる。

 しかし、話を聞いていなかったのか、ギーシュがきざったらしく薔薇を捧げながら言ったのだ。

「ミス、どうもぼくの仲間がご迷惑をかけてすみません。お詫びに、あなたたちの美しさにはとても及びませんが、これをどうぞ」

 すぐ下の階にモンモランシーがいるのにいい度胸だと才人は思ったが、呆れている場合ではない。そりゃ確かに美人だから気持ちはわからなくはないけどさ。

 才人もギーシュと目くそ鼻くそではあったが、それでもウルトラマンとしての勘で怪しさには気づいていた。なおルイズは女の勘というか野獣の勘と言うべきか。

 だが……このバカ、空気読めと思いながらも才人たちは手を出せなかった。女たちとギーシュの距離が近すぎる。しかし……。

「わあ、綺麗なお花。ぼくー、ありがとー。優しいんだねー」

「いえいえ、美しいレディにはこれくらい当然のことですよ」

 胸の小さい女はギーシュから薔薇の造花をうれしそうに受け取ると、そのまま花瓶に差しに行こうとして造花だと気づいて笑って頭をかいた。

「あららー、私ったらドジねー。けど、まーいーかー。ふふ」

 そう言うと、彼女は子供のような笑みを見せて花瓶に造花を差した。その笑みは例えるならティファニアのように本当に無邪気で、警戒し始めていた才人とルイズも一瞬気を緩めてしまったほどであった。

 ギーシュに釣られて、水精霊騎士隊の他の少年たちも口々に仕事を忘れて口説き始めた。

「ミス、よければぼくとお茶でもいかがですか?」

「いえいえ、美味しいお菓子をいただいてきてるんです。いただきながら僕と詩を語り合いませんか」

「あらあらー、そんなにいただいたら私子豚ちゃんになっちゃうよー」

 まるでおやつ時の子供たちのような、なんの他意もない和気あいあいな空気であった。

 才人とルイズはギーシュたちのお気楽さに呆れたが、それよりもポリポリと菓子をかじりながら笑う女を見て、得体は知れないが、この女は悪い奴じゃないんじゃないかと思った。

 しかし、もう一人の胸の大きい女は違った。皆の注目が胸の小さい女に向いた隙に、いつの間にか才人に近づいてきていたのだ。

「君」

「えっ? わぷっ!?」

 後ろから声をかけられて振り向いた瞬間、才人の視界は真っ暗になり、顔全体が温かくて柔らかいものに包まれた。

 なんだなんだ! 才人の頭が混乱する。そしてそれが、女が自分の胸を押し付けてきたのだと悟った瞬間、才人の頭は完全に真っ白になった。

「!!??」

「いまだ、いただくよ!」

 才人の思考力がゼロになった瞬間、女は素早く才人の手をとった。そしてそのまま才人の指にはまっているウルトラリングを抜き取ってしまったのだ。

「やった!」

「しまっ! 返せ!」

 才人が我に返ったときには、すでにウルトラリングは女の手に渡ってしまっていた。

「ははは、はじめからこうしておけばよかったよ。あばよ」

 女は笑いながら踵を返した。

 才人は背筋がぞっとした。やられた、こいつは最初からこれが狙いだったんだ。奪い返そうと手を伸ばすが届かない。追いかけようとしても、初動が遅れてしまったために足が言うことを聞かない。

 だめだ、逃げられる。命の次に大切なウルトラリングが! 才人は自分のうかつさを、離れつつある女の背中を見送りながら呪った。だが、その瞬間だった。

「エクスプロージョン!」

 無の空間から爆発が起こり、女とついでに才人もぶっ飛ばした。

「うぎゃっ!」

 爆発で壁に叩きつけられ、踏まれたカエルのような悲鳴をあげる才人。もちろん胸の大きい女も無事ではなく、床に投げ出されて、その手からウルトラリングが零れ落ちてコロコロと転がった。

「くっ、まさか仲間ごと。ちいっ!」

 胸の大きい女は起き上がると、転がってゆくウルトラリングを拾い上げようと駆けだした。一歩で馬のような俊足を発揮し、とても人間とは思えないスピードでウルトラリングに迫る。

 才人はまだ起き上がれない。ギーシュたちも事態についていけずに呆然としていて役に立たない。

 しかし、そんな目にも止まらない速さも、本当の目にも映らない速さには勝てなかった。女がウルトラリングを掴み上げようとした刹那、リングは瞬時に割り込んだルイズの手に渡っていたのだ。

「なにっ!?」

「『テレポート』よ。サイトを狙いすぎて、わたしを無視してくれたのが敗因だったわね。伝説の虚無の系統をなめないでよ。そして、どこの誰かは知らないけど、あんたは敵だってはっきりわかったわ!」

 ルイズの放った二発目のエクスプロージョンが胸の大きい女を襲う。しかし女も今度は直撃を避けて距離を取り、憎々し気にこちらを睨みつけてきた。

「くそっ、あと少しだったのに。こうなったら、お前も来い!」

「えっ? えぇぇーっ!」

 胸の大きい女は胸の小さい女の手を掴むと、そのまま無理矢理引っ張って部屋の窓ガラスを割って飛び出してしまった。

 まさか! ここは二階だぞ!? だが窓に駆け寄って外を見た才人やギーシュたちは信じられないものを見た。なんと、胸の大きい女が胸の小さい女を引きづったままで、馬よりはるかに速いスピードで駆けていくではないか。

「な、なんなんだい彼女は!?」

「バカ! どう見たって人間じゃないでしょ。追うのよ!」

 ルイズが役に立たない男たちの尻を蹴っ飛ばして才人やギーシュたちも慌てて外に飛び出した。騒ぎを聞きつけて、一階にいたキュルケたちもいっしょについてくる。

 あっちだ。女たちの姿はすでに見えないが、一本道なので間違う心配はない。先頭を走るのはカッカしているルイズ。そして才人も爆発で痛む体を引きずりながらルイズと並んで走った。

「いてて、悪いルイズ。お前がいなかったらリングを奪われてるとこだったぜ」

「バカ! 油断してるからよ。し、しかも、む、むむむ、わたし以外の女の胸ににににに!」

「わ、悪かった悪かったって! 謝るからその話は後にしてくれ。それより、よくお前あのタイミングで反応できたな」

「フン! わたし以上にあんたを見てるやつが他にいるわけないでしょ。ほら、今度はなくすんじゃないわよ」

 才人はルイズからウルトラリングを受け取った。危ないところだった。これをなくそうものなら北斗さんに顔向けできないところだった。あの女、絶対に許さない。

 女たちの向かったのは湖の方角だ。さっき湖に行くなとあれだけ言っていたのだから必ずなにかあるだろう。一行は確信めいた予感を覚えながら走った。

 

 そして、湖のほとりに二人の女は待っていた。

「遅かったね。待ちくたびれたよ」

 胸の大きな女が言った。一リーグもの距離を走ってきたというのに息も切らしていない。その横では、胸の小さい女がおどおどしながら立っている。

 ここまで来るとギーシュたちも、この女たちがただ者ではないということがわかり、一様に戸惑った様子を見せている。すると、ルイズが一番に啖呵を切って叫んだ。

「あんたたち何者なの? このド・オルニエールで何を企んでるのか今すぐ吐きなさい! でないとここで吹き飛ばすわよ」

 機嫌が悪いこともあり、ルイズの杖が危険な音を立ててスパークする。才人は、こういうときのルイズほど危険な生物は宇宙にいないとわかっているので、爆発で焦げた体を小さくしている。

 ルイズはいまにも有無を言わさず女たちをエクスプロージョンで吹き飛ばさん勢いだ。すると、さすがに見かねたのかギーシュがルイズの前に割り込んできた。

「ま、待ちたまえルイズ。まずは彼女たちの言い分も聞こうじゃないか。あんな美しいレディたちに、何か事情があるんじゃないか」

 しかし、胸の大きい女はギーシュのその言葉に大笑いした。

「美しい? やはり男は愚かだね。なら、見せてあげようじゃないか」

 そう言うと、女たちは手を頭の上に並べ、スライドするように下した。すると、女たちの姿は昆虫のような頭を持つ宇宙人のものに変わっていたのだった。

「う、ううわわわっ!」

「そうか、ピット星人だったのか!」

 かつてウルトラセブンの活躍していた時代に地球に来た侵略者。変身怪人との異名を持つとおり、高い変身能力を持っていたと聞いているが、まさにそのとおりだ。

 美女が一瞬にして恐ろしい宇宙人の姿に変わり、ギーシュたち水精霊騎士隊の少年たちは愕然としている。さっきまで口説こうとしていた奴の中には口から泡を吐いているのまでいた。

 もちろん、騙したのか! と少年たちから口々に非難が飛ぶ。しかし、胸の大きい女であったピット星人Aは、悪びれもせずに言い返した。

「アハハ、悔しいか。だが、お前たちの弱点は我々の先人が調査済みなのだ。お前たち人間の男は、可愛い女の子に弱い、とな。ハハハ!」

「……」

 グゥの音も出ない男どもを女子の冷たい視線が刺していく。確かに、古今東西全宇宙共通の真理であるのだが、こうはっきり言われるとやっぱり辛い。

 しかし、情けない男たちに代わってルイズが再びたんかを切った。

「フン、けど正体がバレたら何もかも終わりね。さあ、おとなしくハルケギニアを出て行くか、それともここでやっつけられるか好きなほうを選びなさい」

「フッ、そうはいかないわ。死ぬのはお前たちのほうよ。さあ、出てきなさいエレキング! エレキング!」

 ピット星人Aが叫ぶと、湖に大きな気泡が立ち上った。あれはなんだ? まさか、そのまさかしかない。

 立ち上る水柱。その中から全身白色で稲妻のような縞模様を持ち、頭部に目の代わりに三日月形の回転する角を持つ怪獣が現れた。その名はもちろん!

「エレキング! エレキングだ!」

 

【挿絵表示】

 

 才人が喜色の混じった声で叫んだ。

 そう、宇宙怪獣エレキング。ピット星人といえばこいつを忘れてはいけない。ウルトラセブンが初めて戦った宇宙怪獣で、宇宙怪獣といえばこいつと言えるくらいの代表格だ。

 エレキングは電子音のような鳴き声とともに湖水をかき分けながら向かってくる。ピット星人Aは勝ち誇るように告げてきた。

「ウフフ、私たちの目的はなにかと聞いたわよね。私たちは、この星の豊かな水を使ってエレキングの養殖をおこなっていたのさ。たっぷりの栄養で育ったエレキングの軍団が完成すれば、もはやヤプールも恐れることはないわ。そして、湖の秘密を知ったお前たちは生かして帰さないわ!」

 ピット星人Aの命令で、エレキングは湖水を揺るがして向かってくる。しかし、勝ち誇るピット星人Aとは裏腹に、胸の小さい女だったピット星人Bは震えながら言った。

「ね、ねーえやめようよー。あの子、昨日やっと育ったばっかりで戦い方なんて何も教えてないんだよ。戦わせるなんて無茶だよ」

「うるさい! もうこうなったら戦わせる以外に何があるのよ。だいたい、普通に育ててれば今ごろは何十匹ものエレキングが育っていたはずなのに、お前が手間にこだわるから一匹しか間に合わなかったのよ!」

「で、でも戦わせるためだけに育てるなんてかわいそうだよー。あの子たちだって生きてるんだよ」

「ええいうるさいわ! もういいわ。お前のエレキングブリーダーの腕を見込んで連れてきたけど、これからは私ひとりでやるわ。あんたはもう用済みよ、やれエレキング!」

 ピット星人Aがピット星人Bを突き飛ばすと、エレキングはチャック状になっている口から三日月形の放電光線を放った。放電光線はピット星人Bの至近で炸裂し、爆発を起こしてピット星人Bは吹き飛ばされてしまった。

「きゃあーっ」

 ピット星人Bは悲鳴をあげて地面に投げ出された。

 なんてことを、仲間だっていうのに。見守っていた水精霊騎士隊やキュルケたちは、ピット星人Aの非情な態度に激しい憤りを覚えた。

 しかし、エレキングは容赦なく向かってくる。そしてエレキングが今まさに上陸しようとした、その時だった。

 

「ウルトラ・ターッチ!」

 

 リングのきらめきが重なり、閃光と共に空からウルトラマンAが降り立つ。

 エレキングの出現のどさくさで変身のチャンスができた。エースは背中にギーシュたちの声援を受けながらエレキングを見据える。

 はずなのだが……今回、才人は妙なテンションになっていた。

〔うおおっ、エレキングだ。本物のエレキングだぜ〕

〔ちょっとサイト、変な興奮してないで集中しなさい〕

〔だってさ、エレキング、ポインター、ちゃぶ台は三種の神器なんだぜ〕

〔なにをわけのわかんないこと言ってるのよ!〕

 久しぶりに趣味全開の才人にルイズが激しくツッコミを入れる。

 エースは、さすが兄さんは人気あるなあと感心しつつも、角のアンテナを激しく回転させながら威嚇してくるエレキングに対峙した。

 エレキングは宇宙怪獣らしく多彩な能力を持った怪獣だ。目は持たないがクルクルと回転する角がレーダーの役割を果たし、名前の通り体内には強力な電気エネルギーを溜めこんでいる。前に見たことのあるGUYSのリムエレキングでさえ人間を気絶させるほどの電撃を放てるのだ。

 油断は禁物。エースは頭から突っ込んで来るエレキングに正面から向かって受け止め、その頭に膝蹴りをお見舞いした。

「テェイッ!」

 まずは一撃。顔面に攻撃を受けたエレキングはのけぞってよろけ、しかしなお腕を振り回しながら突っ込んで来る。

 ようし、そっちがその気なら受けて立ってやる。エースはエレキングに正面からすもうをとるようにして組み合った。

「ムウンッ!」

「ウルトラマンエースがんばれーっ!」

「エレキング、ウルトラマンエースを倒すのよ! 必ず倒すのよ!」

 組み合って力を入れ合うエースとエレキングに、ギーシュたちとピット星人Aの声援が飛ぶ。

 両者の組み合いは互角。さすが念入りに育てられたというだけあってパワーもなかなかのものだ。しかしエースもすもうは得意だ。力任せに押し込んで来るエレキングに対して、エースは重心を巧みに動かして投げ飛ばした。

「テェーイ!」

 エースの上手投げが見事炸裂し、エレキングは背中から地面に叩きつけられた。

 やった! エースが一本取ったことで歓声があがり、突き上げた無数のこぶしが天を突く。

 すもうならばこれで勝負あり。しかし、エレキングは起き上がるとエースに向かって放電光線を連射してきた。

「ヘヤッ!」

 エースが身をかわした先で放電光線が森に落ちて火柱を上げる。エレキングは怒ってさらに放電光線を連発してくるが、どうにも狙いが甘くエースには当たらない。どうやら戦闘訓練をまったく受けていないというのは本当らしい。

 放電光線をかわしつつ、エースはジャンプしてエレキングの後ろへと跳んだ。

「トォーッ!」

 空中で一回転し、エレキングの後ろに着地したエースはエレキングの尻尾を掴んで振り回した。セブンもやったジャイアントスイング戦法だ。

 一回、二回、三回、四回とエースを中心にしてエレキングの巨体が振り回される。投げ技はエースも大の得意で、同じ攻撃をコオクスに対して使って瀕死に追い込んだことがある。

『ウルトラスウィング!』

 遠心力でフラフラになったエレキングはエースの手から放たれると、そのまま重力の女神の手に導かれて固い地面の抱擁を受けた。

 これはかなり痛い! エレキングは起き上がってきたものの、白い体は土に汚れて薄黄色に染まり、角も片本折れてしまっている。

 すでにエースとの実力の差は歴然であった。エレキングも決して弱いわけではないが、強さを活かすための戦い方がまったくわかっておらず、単に野生の本能にまかせただけの戦い方ではエースの戦闘経験には到底及ばない。

 しかし、敗色が濃厚になってもピット星人Aはまだあきらめていなかった。

「まだよ、戦いなさいエレキング! お前を育てるためにどれだけかかったと思っているの、このウスノロ!」

 ヒステリーを起こしたピット星人Aが叫ぶ。すでに勝敗は明白だが、彼女はどうしてもそれを認めたくないようだ。

 しかし、それでもエレキングにとってピット星人の命令は絶対だ。戦い方は下手だとはいっても、小さく見える腕は意外にもパワーがあるし、長い首をこん棒のように振り回す攻撃は単純ながら強力だ。

 なおも戦おうとするエレキング。ひどいことをすると、才人とルイズはピット星人Aのやり口に憤りを覚えたがエレキングは止まらない。エースはエレキングを長く苦しませることのないように、両腕を高く上げてエネルギーを溜め、下した腕を水平に開くと、両腕と額と体から四枚の光のカッターをエレキングに向けて発射した!

『マルチ・ギロチン!』

 光のカッターはエレキングに殺到し、一瞬のうちに尻尾、腕、そして首を跳ね飛ばした。

 今度こそ本当に勝負あり。五体を切り刻まれ、ぐらりと血を流しながら崩れ落ちるエレキング。その遺骸はやがて体内の電気エネルギーの発散によるものか、傷口から火を噴いたかと思うと爆発して四散した。

「いやったぁっ!」

 ギーシュたちから歓声があがる。

 そして、残るはピット星人Aだ。だがピット星人Aはエレキングが敗北したのを見ると、そのまま踵を返して逃げ出そうと走り出した。

「ひっ、ひいぃぃぃーっ!」

 マッハ5にもなるというピット星人の脚力全開で逃げ出すピット星人A。しかし、その背に向かってエースは両手を伸ばして速射光線を発射した。

『ハンドビーム!』

 森の一角で爆発が起こり、ピット星人Aの姿は爆発の中に消えた。

 戦いは終わり、エースはエレキングの放電光線で起きた火災を消火フォッグで消し止めると、ギーシュやキュルケたちに見送られながら飛び立った。

 しかし、こんな場所にも侵略者が人知れず入り込んでいるという事実はどうだろうか? ルイズはエースの視点でド・オルニエールを見下ろしながら、女王陛下の御心をまた騒がせてしまうのねと静かな怒りを感じていた。

 

 

 戦いは終わった。短く、見方によればあっけなく。

 しかし、もしピット星人Aの言っていたようにエレキングの養殖が完了していたらエースひとりではどうにもならなかったかもしれない。

 その功績は誰にあるのか……エレキング打倒後、湖のほとりではもうひとつの決着がつけられようとしていた。

「そっか……もう全部、終わっちゃったんだねー」

 沈んだ声で、ピット星人Bがつぶやいた。彼女は縄で縛りあげられ、水精霊騎士隊に囲まれている。

 エレキングの攻撃でピット星人Bは吹き飛ばされた。しかし、戦闘終了後に気絶はしているが命に別状はないことを確認され、尋問のために捕縛された。

 そして意識を取り戻した彼女はすべてを理解して、大人しくルイズやキュルケを相手に尋問に答えた。

 もっとも、得られた情報はたいしたものではなかった。自分はエレキングの養殖の手腕を買われてピット星人Aに連れてこられたが、それ以外のことはほとんど何も知らされていなかったという。侵略についても興味はなく、ただエレキングを育ててることが楽しかっただけだという。

 しかし、侵略の片棒を担いでいたことは事実だ。処分をどうするかについて、家柄の関係からルイズが選ばれかけたが、ルイズはぴしゃりとこう言った。

「このド・オルニエールの責任者はギーシュ、あなたでしょ。あなたが判断して決断するのよ、それが隊長ってものでしょう」

 正論だった。しかし、まだ若いギーシュに重大な決断ができるのだろうか? レイナールは、みんなで相談して決めようと提案してくれたが、ギーシュは自分のシンボルでもある薔薇の杖をじっと見つめると、きっと目つきだけは鋭く締めて縛られたままのピット星人Bの前に立った。

「遠い国からいらしたレディ、お待たせしました。これから、このトリステインの貴族として、あなたに裁きを下します」

「わかったわー。煮るなり焼くなり好きにしてー」

 観念した様子でピット星人Bは答えた。手塩にかけて育てたエレキングが倒されたことで意気消沈しているのが伝わってくる。

 ギーシュは杖を振るとワルキューレを一体作り出し、ピット星人Bに槍先を向けさせると、彼女を捕らえている縄を切断させた。

「えっ?」

 突然自由にされたことで、ピット星人Bは唖然としてギーシュを見た。もちろん水精霊騎士隊の面々も驚いた様子でギーシュを見るが、ギーシュは皆の口出しを静止すると迷わずに告げた。

「ミス、あなたに悪意がなかったということを認めます。このまま黙ってトリステインから退去してくださるなら、今回は不問にいたしたいと思いますが、どうしますか?」

「……いいの? ここで私を逃がせば次はもっと強い怪獣を連れてきて、あなたたちを皆殺しにしちゃうかもよー?」

 ピット星人Bの言うとおりであった。しかしギーシュは、フッとキザな笑いを浮かべて言った。

「レディの嘘に騙されるなら、グラモン家の男子にとって最っ高の栄誉です! なにより、ぼくはあなたというレディに心を惹かれました。たとえ生まれた種は違えども、言葉を交わしたときにぼくはあなたからレディのオーラを感じ取りました。レディに向ける杖をぼくは持ちません。ですが、我らの女王陛下のトリステインにあだなす者であればぼくは誰とでも戦うでしょう。ですからお願いです。ぼくに、あなたの美しい顔を傷つけさせないでくださいませ」

 以上の歯の浮くような台詞をギーシュは一息にしゃべりきった。

 もちろん、ぽかんとした顔の数々がギーシュを囲んでいる。それはピット星人Bも同じで、言うまでもないが今の彼女はピット星人としての素顔をさらした姿でいる。人間の美的感覚とは大きくかけ離れた姿なのに、それなのになお”美しい”と表現してくるとは夢にも思っていなかった。

「プッ、あなた、変わってるねー」

「真のジェントルマンは常識にとらわれないものなのですよ」

 なおキザな台詞を吐くギーシュに、その場の緊張も緩んできた。そしてピット星人Bは、逃げるそぶりなくギーシュに言った。

「わかったわー、侵略は、あなたみたいなジェントルマンがいない時代になってからにしてあげるー」

「それは無理ですよ。僕と僕の一族がいる限り、トリステインからジェントルマンが消え去ることはありません」

 あくまでもキザにかっこつけるギーシュ。彼は水精霊騎士隊の皆を振り返ると、はっきりと告げた。

「みんな、これが水精霊騎士隊としてのぼくの決断だ。ぼくは断じてレディを傷つけることはできない。この決定に不服がある者は、いますぐに辞めていってもらいたい」

 しかし、苦笑する者はいても異論を挟もうとする者はいなかった。代表して、レイナールがギーシュに言う。

「わかってるよ、君がそういうやつだってことは。ぼくらだって、人間じゃないとはいえ無抵抗な女性を痛めつけるのは本意じゃないさ」

 見ると、仲間たちは皆が同感だというふうにうなづいている。才人も、ギーシュもやるなというふうに笑っていて、ルイズやモンモランシーやキュルケは、甘いなというふうに呆れているもののあえて止める様子もない。

 包囲は解かれ、ピット星人Bは最後にもう一度ギーシュを振り返った。

「私たちの星には、この星を侵略するのは二万年早かったって伝えておくわー。元気でね……可愛いジェントルマンさん」

 すっとギーシュの横に並んだピット星人Bは、かがむとギーシュの頬にチュッとキスをしていった。おおっ、と周りから声が響き、ギーシュの顔がほんのり紅に染まる。

 えっ? なんだいこの気持ちは? 人間から見たら怪物にしか見えない顔なのに、このドキドキは一体? ぼくはそんな初心じゃないはずなのに……そうか、これが見た目とは関係ない大人の魅力というものなんだな。

 少しだけ大人の階段を上ったギーシュの背中を、嫉妬深く睨みつけるモンモランシーの視線が刺す。と、そのときふと才人が気が付いたように言った。

「ん? ちょっと待ってくれ。ここをあんたたちが捨てていくってことは、湖が元に戻って、ド・オルニエールも元のやせた土地に戻っちまうんじゃないか?」

「あーそれならねー。何十年かはここで養殖やるつもりだったからしばらくは変わらないよー。そのあいだに土地をちゃんといじっておけば大丈夫じゃなーい」

 才人はほっと安心した。それなら、ド・オルニエールは再び過疎化に悩む心配はない。いずれ影響がなくなるにしても、人間がウルトラマンに頼りっきりではいけないように、宇宙人の置き土産に頼りきりではいけない。その先はこの土地の人間の責任だ。

 そして、ピット星人Bは見送るギーシュたちを振り返り、バイバイと手を振ると森の中へ消えていった。

「おおっ、円盤だ」

 森の中から角ばった形の宇宙船が飛び上がり、空のかなたへと消えていく。ヤプールにこちらに連れてこられた宇宙人は、なんらかの方法で帰る方法を持っているらしいので彼女も元の宇宙へと帰ったのだろう。

 一件落着。彼女が人間であったら本気で交際を申し込んだんだけどなあと、少年たちの惜しむ瞳がいつまでも空のかなたを見送っていた。

 いつの間にか日が傾いて夕方となり、赤い光が美しくド・オルニエールの自然を照らしている。今日もまた、平和が守られたのだ。

 

 しかし、何か忘れていないだろうか。

「そういえばあんたたち、お出迎えの準備はいいの?」

「あっ」

 一番肝心なことを忘れていたことに、一瞬にして水精霊騎士隊全員の顔が真っ青になった。

「やばい! もう日が暮れる。い、急がないと」

「間に合うわけないだろ! ああ、もうお終いだぁ!」

 時間は無情に過ぎていき、やがて歓迎の用意がまったくできないまま、ゲルマニア大使の馬車がやってきたという報告が入ってきた。

 日が暮れた中、屋敷の前にゲルマニア国旗を掲げた豪奢な馬車が止まる。ギーシュたちは屋敷の前に整列して出迎えるが、内心は全員まとめて震えあがっているのは言うまでもない。

「ああ、もうダメだ。女王陛下のお顔に泥を塗ってゲルマニアと国際問題になってグラモン家は取り潰しだぁ。父上母上ご先祖様、この不出来なギーシュをお許しください!」

「ギーシュ、お前だけの責任じゃない。おれたち全員で土下座しよう! 女王陛下に責が及ぶことだけは避けなきゃいけない。そうだろ!」

 完全にこの世の終わりといった感じで、ギーシュやギムリたちは慰め合いながら絶望していた。

 この危機においても、誰も逃げ出したりギーシュに責任を押し付けようとしたりしていないあたり立派と言えるが、そんなことくらいでは慰めにもならない。かろうじて間に合ったのは夕食の支度くらいで、貴賓をもてなすレベルには全然達していなかった。

 もう最悪の事態しか想像に浮かんでこない。そんな水精霊騎士隊をルイズとキュルケは仕方なさそうに見ていた。

「ほんっとにこいつらはダメね。仕方ないわ、ヴァリエール家の名前に傷がつくかもしれないけど、女王陛下に火の粉が飛ばないようにするにはわたしが出るしかないわね」

「ルイズ、あなたじゃむしろケンカになるだけじゃないの? ゲルマニアならツェルプストーの顔がきくからわたしにまかせておきなさい。さて、後は誰が来るかだけど……」

 馬車から従者がまず降りてきて、主人が降りてくるための準備を整えた。

 次に降りてくるのはいよいよ本命のゲルマニアの大使殿だ。

 いったいどんな人なのだ? 一同は固唾を飲んで大使が現れるのを待った。

 大使というからには上級の貴族に違いない。ひげを生やした老紳士か、厳格な壮年の偉丈夫か、それとも眼光鋭い商人上がりの大臣か……。

 だが、現れた人は彼らのいずれの想像とも異なっていた。それは厳格や老獪といった表現からはほど遠い、天使とさえ呼んでいい美しい令嬢だったのである。

「あら? ギーシュ……さま?」

「あ、ああ、あなたは!」

 ギーシュと、そしてモンモランシーは驚愕の表情で、その淡いブロンドの髪を持つ閉じた瞳の令嬢を見つめた。

 思いもかけない再会。水精霊騎士隊の一同があまりの美貌の前に見惚れる中で、ギーシュはなぜアンリエッタ女王が自分を接待役に選んだのかをようやく理解した。

 

 

 それからひとしきり騒動が起こり、やがて夜も更けていく。

 しかし、誰もが寝静まる時間にあって、猛烈な殺気を振りまく者が湖にあった。

「フ、フフフフ、馬鹿な連中め。私があれで死んだと思っているだろう! そうはいくものか、私はここまでだけど、お前たちは絶対に道連れにしてやる! さあ出てきな、エレキングよ!」

 なんとピット星人Aは、あのときエースの攻撃を受けて死んだと思われたが傷を負いながらも生き延びていたのだ。そして湖に水柱が上がり、その中から新たなエレキングが現れた。

 月光に照らされて上陸してくるエレキング。しかし、その姿は昼間にエースと戦ったものとは大きく違い、皮膚は黄ばんで張りがなく、角もだらりと垂れ下がって回転していない。見るからに、まともな状態ではなかった。

 

【挿絵表示】

 

「ハ、ハハ、みっともない姿だねえ。けど、寝込みを襲うならこれでも十分さ。さあ行け! 連中を屋敷ごと叩き潰してしまえ!」

 ピット星人Aの命令を受けてエレキングが動き出す。いくら不完全体とはいえ、完全に寝行っているところを襲われたらウルトラマンでもお終いだ。

 しかし、勝ち誇ろうとするピット星人Aに、突然冷笑が降りかかった。

「残念ですがそうはいきませんよ。あなたにはここで退場していただきます」

「っ!? だ、誰だ!」

 慌てて辺りを見回すピット星人Aは、空に浮かんで自分を見下ろしている、あの宇宙人の姿を見つけた。

 いつの間に!? と、動揺するピット星人A。しかし、宇宙人はピット星人Aを見下ろしたまま冷たく告げた。

「困るんですよ、あなたみたいな脇役にいつまでも舞台で好き勝手やられたら主演の出番が減ってしまうでしょう。ゲストは一話で潔く退場するものです。こういうふうにね」

 宇宙人が手を振ると、彼のそばに巨大な黒い影が現れた。

 どこから現れた? テレポートか? ピット星人Aがさらにうろたえる前で、巨大な影は月光に照らされてその全容を表した。

「あ、あれは……!」

 恐怖がピット星人Aの全身を駆け巡る。勝てない、勝てるわけがない。

 だがピット星人Aが逃げ出す間もなく、巨大な影から恐ろしい攻撃が放たれ、エレキングはただの一撃で粉々に粉砕されてしまったのだ。

「う、うわぁぁぁーっ!」

 エレキングの破片が降り注ぐ中をピット星人Aは無我夢中で逃げた。

 もはや復讐もなにもあったものではない。しかし、逃げるピット星人Aの前に一人の人影が現れた。

「っ! どけぇっ!」

 それが彼女の最期の言葉となった。彼女の前の人影から撃鉄を起こす音が聞こえたかと思った瞬間、無数の銃声とともにピット星人Aの体は粉々になるほどの弾雨に包まれていたのだ。

 血風と化したピット星人Aが消え去り、エレキングの爆発で起きた粉塵も風に流された後、宇宙人は銃声の主のもとへと降りてきた。

「やっと会えましたね。探しましたよ。ここ最近、私のやることにちょっかいを出してくれていたのはあなたですね?」

 月光の下で二人の宇宙人が対峙する。この出会いがハルケギニアにもたらすのは混乱か破壊か。

 エレキングの爆発も、轟く銃声も風に弱められ、疲れ切って眠りに沈む人間たちを目覚めさせるには及ばない。

 才人もルイズも、倒すべき敵がすぐそばにいることに気づかず、朝まで安眠を貪り続けていた。

 

 

 続く

 

 

 

 

 

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第73話  湯煙旅情、露天風呂だよ全員集合!

 第73話

 湯煙旅情、露天風呂だよ全員集合!

  

 放電竜 エレキング 登場!

 

 

 ゲルマニアの大使をもてなせとの勅命を受けてド・オルニエール地方にやってきた水精霊騎士団とついてきた才人たち。

 予期せぬピット星人やエレキングとの戦いで時間を浪費し、もてなしの準備ができないまま絶望のうちに出迎えの時間がやってきてしまった。

 ところが事態は予想もしなかった表情を見せて動き出した。ゲルマニアからやってきた大使というのは、ギーシュとモンモランシーがかつて園遊会で出会ったルビアナだったのだ。

「お久しぶりですギーシュさま。まさかこんなところで会えるなんて! とてもうれしいですわ」

「ル、ルビアナ。ゲルマニアの大使って、君のことだったのかい」

「そうです。まあ、なんということでしょう。アンリエッタ女王陛下から招待を受けてやってきましたら、まさか待っていらしたのがギーシュさまだったなんて。わたくしも驚きました」

 そうか、そういうことだったのかとギーシュはようやくアンリエッタの不可解な勅命の意図を理解した。なんのことはない。深い意味なんて最初からなく、単に友人同士を会わせてあげようというサプライズ企画だったというわけだ。

 完全にしてやられた。ギーシュはアンリエッタの手のひらの上で遊ばれていたことで、目の前がクラクラした。ギーシュにとって、優雅で可憐なアンリエッタ女王陛下はあこがれの人だった。ルイズから奔放な一面があることは聞いていたが、それはあくまで子供の頃のことであろうと気にも止めていなかったけれど……。

「は、はは」

「ギーシュさま、どうなされました? なにか、お顔の色がすぐれないご様子ですが、ギーシュさま?」

 意識が飛びかけたのをルビアナに支えられて、ギーシュはなんとか己を取り戻した。

 いけないいけない。こんなことで忠誠心が揺らいでいては騎士失格だ。主君の戯れに付き合うのも臣下の務めではないか。きっと日ごろの公務でお疲れなんだ、そうだそうに違いない。

 かなり無理矢理に自分を納得させると、ギーシュは怪訝な様子のルビアナにあらためて向き合った。

 まあ、驚きはしたものの、ルビアナと会えたことは素直にうれしい。あのラグドリアン湖でいっしょに踊った日のことははっきりと思い出せる。閉じたまぶたのままで湖畔で舞うルビアナの姿は天使のように美しく、もう当分会えないと思っていただけに、再会の喜びがこみあげてくると同時に、アンリエッタに対する感謝が湧いてきた。

「お見苦しいところをお見せしました。おお、今日はなんて素晴らしい日なんだろう! この世に二輪しかない美しい百合の片方に再び巡り合えるとは夢のようです。この出会いを、我が敬愛するアンリエッタ女王陛下に感謝します。そしてルビアナ、あなたは前にも増してお美しい。そのお手を取ってまたいっしょに踊りたいと願うのは大それたことでしょうか?」

「まあ、お上手ですねギーシュさま。うふふ、私を独り占めにしようなんて大それたお方……なんて、嘘。ギーシュさまと踊った夜は、私にとっても最高の思い出でしたわ。こちらこそ、喜んでお相手をお願いいたします」

 ルビアナは変わらず気さくに答えてくれた。身分ではグラモンなど及びもつかないほど高いというのに、まったく驕らない清楚なふるまいには、ルビティア侯爵家だと聞いて仰天していた水精霊騎士隊の面々も感動をすら覚えていた。

 ギーシュはルビアナの差し出した手をとり、その前にひざまづいた。手袋越しのルビアナの手からは、品の良い香水の香りがほのかに漂ってくる。

 かなうなら、このまま理性をなくしてむしゃぶりつきたくなるような美しい手だ。けれどぼくは誇り高きグラモンの男、どんなときでも女性には紳士でいなければいけないと、ギーシュはそっと口づけをしようと顔を近づけた。が、そのときである。

〔ギーシュゥゥゥ!〕

〔殺気!? これはモンモランシー? いや、それだけじゃない!〕

 突然、刺し殺すような強烈な憎悪の波動を背中に受けてギーシュは凍り付いた。

 そして、口づけを中断して立ち上がり、そっと後ろを振り向いた。そこには、案の定怒り心頭のモンモランシーと、そればかりか嫉妬に燃え滾っている水精霊騎士隊の仲間たちの顔が並んでいたのである。

「ギーシュ、ちょっとこっち来い」

 有無を言わさずギムリたちに腕を掴まれて、ギーシュは屋敷の向こうへと連れて行かれた。

 後に残ったのは、怪訝な様子で見送るしかできなかったルビアナと、完全に呆れ果てた様子のルイズたち。そして才人は、これはさすがにみんなキレてるなとギーシュの不運を哀れんだ。

「あの、ギーシュさまはどうなされたのですか?」

 わけがわからないというふうにルビアナが言った。まぁ、それはそうだろうが、せっかくの貴賓をほっておくわけにはいかない。ルイズは仕方なく、ギーシュたちの代理としてルビアナの前に立った。

「彼らのことは心配しないでください。すぐに戻ってきます。ようこそ、トリステインへ。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。女王陛下より、あなたを歓待するよう申し付けられております。長旅でお疲れでしょう。お部屋と、ささやかながら夕食の支度ができています。まずは当地の味覚で疲れを癒してくださいませ」

 さすが、こういうときはルイズは一流の貴族らしくきちんと決めてくれるなと、才人はルイズを誇らしく思った。

 ルイズのエスコートでルビアナは屋敷の食堂に案内されていった。メニューは土地の人たちに用意してもらった郷土料理だが、キュルケとモンモランシーの監修で貴族料理としてふさわしい盛り付けと飾りつけがされていた。

「まあ、これはなんて美味しそうな。ミス・ヴァリエール、素晴らしいおもてなしを、どうもありがとうございます」

「遠路はるばるいらしたお客人のためにと、心づくしに取り揃えました。お口に合うかはわかりませんが、どうかご賞味ください。そして、戯れにお国のお話などを聞かせていただけたら幸いです」

「心よりのおもてなし、とてもうれしく思います。ですが、どうかそう堅苦しい行儀はおやめくださいませ。私はここに傅かれるために来たわけではなく、友人を求めに参りました。ですからどうか、私のことはルビアナとお呼びください。その代わり、私もあなたをルイズさんとお呼びいたします」

 そう微笑んだルビアナの柔和な様子に、ルイズはカトレアやアンリエッタに似た温かみを感じた。視力が極端に低いためにほとんど目を開けられないというが、そんな暗さをまるで感じさせない温和な人柄にはルイズやキュルケも好感と尊敬の念を抱いた。

「では、お言葉に甘えて。あらためて、ルビアナさん、トリステインへようこそ」

「はい、よろしくお願いしますルイズさん。わたくしたち、よいお友達になれそうですわね」

 雰囲気が和み、ルイズは「ゲルマニア人にも気品と礼節をわきまえた人がいるのねえ」と、嫌味っぽくキュルケを横目で見た。もちろんキュルケは平然と「そりゃトリステインと違って大国ですから」と言い返してルイズをぐぬぬとさせた。

 くすりと笑って、ルビアナが「仲がおよろしいのですね」と言うと、ルイズは「誰がこんなのと!」と、子供っぽくむきになる。

 こうして、ルイズたちと打ち解けたルビアナは、ギーシュが帰ってくるまで女子同士で親交を深めるために会話に花を咲かせていった。

 

 

 が、そのころギーシュは人生始まって以来のピンチに見舞われていたのだ。

「ギーシュ、お前いつの間にあんな美人と知り合いやがった!」

 水精霊騎士隊全員からギーシュに嫉妬を込めた審問が突き付けられた。ギムリやレイナールを含め、全員目がいってしまっている。

「ど、どこでと言われても。み、みんなどうしたんだい? いつもと様子が違うじゃないか」

「そんなことはどうでもいいんだ。いいかギーシュ? モンモランシーはいい。学院の女子にもてるのも自由競争だからよしとしよう。だが、ルビティア侯爵家のご令嬢だと! 独り占めするのもほどがあるだろコノヤロー!」

「わーっ! みんな落ち着いてくれ。モ、モンモランシー助けてくれ! みんなに、ルビアナとはそういう関係じゃないって説明してくれ」

「わたしが気づいてないと思って? あなたさっき、ルビアナに見とれてわたしのこと完全に忘れてたでしょ。最近調子に乗りすぎみたいだしちょうどいいわ。この機会に自分の身の程をよーく思い出しなさい」

 こうして、最後の希望にも見放されたギーシュに怒りに燃える仲間たちの魔の手が迫る。

「み、みんな落ち着きたまえ! さっき、オンディーヌの絆を確認しあったばかりじゃないかーっ!」

「それとこれとは話が別だ! 隊長なら潔く裁きを受けろーっ!」

 そしてギーシュの断末魔が響き、まるで末法の世界のような無慈悲な地獄が繰り広げられた。

 まさに因果応報。あまりにも多くを貪りすぎると罰を受けるということだ。特に、中でももてない少年の「そんなにいっぱいいるならぼくにも一人くれよぉ! なあ、わけてくれよぉ! 女の子出してよおぉぉ!」という怨念のこもった悲痛な叫びとともに繰り出される一撃は鉛よりも重くギーシュに突き刺さっていった。

 

 

 そして、その後にボロ雑巾のようになったギーシュが部屋に叩き込まれて、ルビアナには「隊長はとてもお疲れですので、明日あらためてご挨拶させます」と、すっきりした様子の水精霊騎士隊が詫びを入れた。

 女の嫉妬も恐ろしいが男の嫉妬も恐ろしい。ギーシュはその夜、枕元のモンモランシーから一晩中呪詛の言葉を聞かされながら過ごし、昼間の戦いで疲れ切った才人たちもそれぞれの寝床に入った。

 ルイズはピット星人の色仕掛けにやられそうになった罰として才人を床に寝かせ、キュルケも夜更かしのしすぎはお肌の敵と眠りにつく。ルビアナにも一部屋が与えられ、彼女は「おやすみなさい」と言って扉を閉めた。

 こうしてド・オルニエールの最初の一日は終わった。夜はしんしんと更け、深く沈んだ森の空気は夜の獣の声で騒がしいが、固く窓を閉めた屋敷の中を騒がせることはない。

 闇は人間たちに安眠を与え、人間たちはその中で昨日の疲れを癒し、明日への活力を養っていく。そして、ハルケギニアを照らす二つの月が役目を終えて山陰に落ちていくのに代わって、ニワトリの鳴き声とともに朝がやってきた。

「おはようございます皆さん、とても素晴らしい朝ですね」

 その日は快晴、風も穏やかで暑すぎず寒すぎない気温に恵まれた始まりとなった。

 普段ねぼすけな少年たちも、この日ばかりはきっちり早起きして食堂に集合する。食堂にはすでにルビアナやルイズやキュルケたちが待っており、ルビアナに爽やかな声色であいさつされると、眠気をすっ飛ばして席についた。

 そして最後に、ちょっとおぼつかない足取りでギーシュがやってくると、少年たちは「少しは反省したかな?」と、そちらを見た。しかしギーシュは。

「やあ、諸君おはよう! なんともすがすがしい朝じゃないか。おお、おはようルビアナ。昨夜は君を迎えられなくてごめんよ。あれから今日まで、君に贈りたい歌はぼくの中ではち切れそうさ。むむっ! なんと君の隣の席が空いているではないかね。これは運命と思っていいのだろうか!」

「うふふ、もちろんですわ。さ、おいでなさってください。せっかくのスープが冷めてしまいますわ」

 と、いうふうにルビアナの顔を見たとたんに完全復活してしまった。いやはや、懲りないというか、なんとかは死なないと治らないを地で行っているようだ。

 これにはさすがに昨日痛めつけたばかりの水精霊騎士隊も唖然としてしまって、怒りもどこかへ飛んでしまった。とはいえ、モンモランシーだけは無言の迫力でギーシュの反対隣に割り込んでいるんだからこちらもたくましいというか。

 とはいえ、全員揃ったことで、「今日、この日の糧を与えたもうたことを始祖ブリミルに感謝いたします」の祈りの言葉とともに、朝食はおごそかに始まった。

 昨日と同様に、品よく盛り付けられた郷土料理にナイフとフォークを送る音が小さく鳴る。もっとも、行儀よかったのは最初だけで、すぐに誰からともなくおしゃべりが始まり、その中でギーシュがルビアナと知り合ったなれそめについての話題が振られると、ルビアナは楽しそうにラグドリアン湖での園遊会の思い出をみんなに語って聞かせた。

「思い出しますわ。わたくしとモンモランシーさんをかばって怪獣の前に立ちはだかったギーシュさまの雄姿。あれこそ、まことの騎士の姿ですわね、モンモランシーさん」

「え、ええそうね。ギーシュも、やればできるんだから、普段からもっとしっかりすればいいのよ。ちょっと聞いてるのギーシュ!」

「聞いてる、もちろん聞いてるさ。君たちの鈴の音のような声を一言たりとも聞き逃すぼくじゃない。もし何かがあっても、必ず君たちを守るから安心してくれたまえ」

 園遊会での出会い、突如現れたブラックキングとの戦いのことは、それを初めて聞く者たちを驚かせた。しかしそれ以上に、左右からラブコールを送られながら調子に乗っているギーシュの姿は皆を呆れさせた。

 もはや、昨夜のダメージはどこにも見られない。才人たちは、あいつは本当に人間か? と、さすがに怪しく思った。遠い異世界には、不死の命を持つ薔薇があるそうだが、まさか……? まあそれでも、あれでこそギーシュだと妙な納得を覚えたりもしたが。

 だがそれにしても、ギーシュの野郎うまくやったものだと皆は思った。モンモランシーだけでもあいつには過ぎた相手だというのに、よくあんな美人を射止めたものだ。

 ルビアナは、アンリエッタより少し年上に見えるくらいだが、サイドテールにまとめた髪や線の細い顔立ちでじゅうぶんに可愛らしくも見え、自分の容姿には自信を持っているルイズやキュルケも美人と認めざるを得ない美貌を持っていた。まったくギーシュには不釣り合いなことこの上ない。いや、最初に声をかけたのはルビアナだというが、一同は運命の巡り合わせの不思議とルビアナの物好きさを思った。

 

 しかし、一同がルビアナの真価を目の当たりにするのはそれからだった。

 朝食が終わり、ルビアナは自分の仕事のために外に出た。彼女は酔狂でド・オルニエールに来たわけではなく、このド・オルニエールで作られるワインを始めとする農作物をゲルマニアへと輸出するための下準備のために、はるばるゲルマニアからやって来たのだ。

「あらためて、とても良い土地ですわね。わたくしの拙い目では見えなくても、風が運んでくる香りと、肌で感じる温かさで、このド・オルニエールが豊かな土地だということがわかります。では、すみませんがいろいろと見せていただきますね」

 ルビアナはギーシュたちに案内されて、ド・オルニエールのあちこちを視察した。もっとも、ルビアナは弱視なので、見て回るというより聞いて回るといった感じだったが、ルビアナは平民の農夫たちにもわけへだてなく接し、農作物の銘柄や肥料の種類なども事細かく話し合って、作物を市場に出すとしたらの値段を決めていったのである。

「こちらのトマトは、貴族向けに少し値段を高めに設定してもよろしいですわね。ただし収穫から三日以内にゲルマニアに届くようにしてください。あちらの畑は、実割れが多いようですから石灰をもっと多めに撒くようにしてはいかがでしょうか」

「はぁ、貴族のお嬢様。とてもお詳しいでございますですねえ。なるほど、参考にさせていただきますです」

 てきぱきと農民たちと話しをつけていくルビアナの仕事っぷりは、ギーシュたちはおろか、ルイズやモンモランシーでさえ何も手伝うことができずに横で見ているしかないほど専門知識に優れていた。

 なぜそんなに詳しいのかと聞くと、今日のために勉強してから来たのだという。だが、本職の農家と話し合えるくらい勉強するとは並の努力ではないだろう。もちろん、その努力をものにできるだけの地力を元々ルビアナが備えていたからでもある。

 ギーシュは、どうしてこの仕事が自分たちに丸投げされたのか、それが単にルビアナの友人だからだというだけではない理由を理解した。

「す、すごいな。ぼくらが補佐する必要なんか全然ない。そうか、女王陛下はこのことを知っていたから、ぼくらみたいな素人にまかされたのか」

 戦慄さえ感じながらギーシュはつぶやいた。顔もいい、性格もいい、おまけに実力もある。普通に考えたら、一人の人間がこれだけ持ち合わせているのは、いうなれば『反則』だ。

 メイジの血を引いていないので魔法が使えないことを除けば、完全無欠といっていい。そんな相手が現実に目の前にいることで、美人に弱いはずの水精霊騎士隊の面々もすっかり萎縮してしまって、ギムリがぽつりとギーシュに告げた。

「ギーシュお前、ものすごい人に惚れられたもんだな」

 しかしギーシュは、ルビアナの才能に圧倒された様子ながらも、薔薇の杖を気高く掲げて答えた。

「な、なあに、相手が誰であれレディはレディさ。ぼくはレディを決して差別しない。グラモンの辞書に、撤退も降伏も存在しないのだからね」

「昨日のことといい、お前のそういうとこ、ちょっと尊敬するぜ」

 語尾が震えているが、なるほど、このブレるところが一切ないレディファーストな姿勢こそ、ギーシュがギーシュである真髄なのだろう。なんであれ、ここまで貫けばもはや美しくもあり、それが物好きな女を引き付ける秘訣なのかもと、仲間たちはある程度の敬意をそのとき彼に抱いたのだった。

 

 そして、ルビアナのド・オルニエールの視察はそれからも順調に続き、ほとんど水精霊騎士隊が手伝うことはなく、夕方になる頃には彼女はド・オルニエールの下調べを終えてしまった。

「たいへん有意義な一日でした。土地も豊かで住んでいる人たちも働き者で、順調に進めば数年後にはゲルマニアの市場にド・オルニエールの産物が並んでいることでしょう」

 特に疲れた様子もなく、野道を歩きながらルビアナは満足げに言った。

 ルビアナの手には彼女がまとめたド・オルニエールの資料の紙が束ねて握られている。先日、ギーシュたちが慌ててまとめようとした資料の十数分の一にも満たない厚さだが、びっしりと書き込まれた文章は読ませてもらってもさっぱりわからないほど濃密で、資料としての価値が天と地なのは誰が見ても明白だった。

 それにしても、ド・オルニエールがいくら小さな領地とはいえ、普通に調べれば何日も何週間もかかるであろう調査を半日で終わらせてしまった彼女の手腕は恐るべきものだ。時代ごとに、世には突出した傑物が現れるというが、こうして直に見ると恐ろしいものだ。自分たち凡人の出る幕などどこにもなくて、水精霊騎士隊の面々は「もう全部あの人だけでいいんじゃないのかな」と、疎外感を感じ始めていた。

 ところがである。それまで順調に視察を続けていたルビアナが、難しそうな様子で立ち止まったのだ。

「ううん、困りましたわね」

「どうしました? ミス・ルビアナ」

 思案するルビアナにレイナールが声をかけた。水精霊騎士隊の参謀役の彼としては、こういう場面で自然と体が動いてしまったのだ。

 しかしルビアナは振り返ると、不快な様子は見せずにレイナールに答えた。

「あなたは、レイナールさんでしたね。それがですね、ド・オルニエールの増収のプランを考えていたのですが、少々行き詰ってしまいまして」

「増収、ですか?」

「はい、わたくしとしてもアンリエッタ女王陛下から推薦していただきましたゆえに、できうる限りの投資をこちらにしたいと思いますが、ご存じの通り、いくら豊かな土地でも広さには限界があります。ワインの醸造工場はトリステインのほうで建設なさるそうですが、それ以外が単なる畑しかないのでは、発展が頭打ちになってしまうのですよ」

 その答えに、さすが出来る人ははるかに先を見据えてプランを立てているものだなとレイナールは感心した。ギーシュやギムリは、さっぱりわからないという顔をしているが、モンモランシーは納得した様子を見せている。

 実はこれがわからないことが領地の経営に失敗する貴族のパターンのひとつで、商売にうといトリステイン貴族の共通の欠点と言ってもよかった。単に豊かな土地ならいくらでもある。そこにプラスアルファの何かで人を引き付けて金を稼がなければ、いずれはよそとの競争に負けて衰退していくしかない。豊作がイコール繁栄だとしか思っていない貴族がだいたいこれに陥る。

 ギーシュたちはレイナールから説明を受けて、一応は納得したが、だからといっていい案があるわけでもなかった。ド・オルニエールは数年前まで過疎にあえぐ貧しい土地だったのだ。畑以外には本当になにもなく、人を引き付けるものなど皆無と言っていい。ルイズやモンモランシーもこれにはお手上げで、もちろん才人も名案などなかった。

「遊園地作るわけにもいかないだろうしなあ」

 地球でなにげなく見ていたTVで、過疎の地方が無理やり作ったテーマパークの経営に失敗して破産したというニュースが思い出される。

 このド・オルニエールの人たちには親切にしてもらった。老人ばかりになってしまった土地に、ようやく人が戻ってきたと喜んでいる住民たちのためにも、なんとかしてあげたい気持ちはやまやまだけれど、そんなすぐにいいアイデアが浮かぶわけもない。

 ただ、ド・オルニエールは首都トリスタニアから一時間という近場にあるため地理的には恵まれている。なにか、本当になにかいいアイデアさえあれば……。

 

 と、そのときであった。一行のもとに、ひとりの老人が慌てふためいた様子で走ってきたのだ。

「だ、旦那さま方! 大変です、大変でございますじゃ!」

「ど、どうしたんです? とにかく落ち着いて、なにがあったか話してください」

「と、とにかくこちらへ! ああ、恐ろしいことです。お願いでございます、すぐにいらしてくださいませ」

 動転した老人の様子がただごとではなかったので、一行はとにかく行ってみようとうなづいた。老人は才人が背負って、老人の来た方向へと走り出す。

 そして、たどり着いたのは農地から少し離れた丘の上。そこで一行は、想像もしていなかった光景を目の当たりにすることになった。

 

 丘の上の土の中から真っ白い湯気が湧いている。そしてその下からは、ゴボゴボと大きな音を立ててお湯が湧き出しているではないか。

 

「なんで地面からお湯が沸きだしてるの?」

 ルイズがきょとんとした様子でつぶやいた。来てみれば、なんてことはない光景であったが、辺りに集まってきた土地の人々は「恐ろしい」「天変地異の前触れか」と騒いでいる。

 どうやら急にお湯が湧き出したらしい。どうやら、この土地の人たちはこういう光景を見たことがないらしく、才人が人々を安心させるために大声で叫んだ。

「皆さん、心配しないでも大丈夫です! これはただの温泉です。なにも危ないことはありませんよ。ちょっと熱い湧き水とおんなじです!」

 才人の呼びかけで、住民たちにもやや落ち着きが戻った。

 けれど、本当にトリステインでは温泉はあまりなじみがないものらしく、きょとんとしているギーシュたちに才人はもう一度説明した。

「地面の底の底で溶岩にあっためられた水が湧き出してきてるんだよ。おれの国じゃあ火山が多いからよく見るんだけど、そういえばトリステインには火山はなかったっけか」

 火山と聞いて、何人かは「そういえば火竜山脈の近くにそんなものがあるらしいな」と思い出したようだった。

 しかし、何事かと思って冷や冷やしたが、たいしたことじゃなくてよかった。突然温泉が湧いたことは不思議だが、そういえば昔日本でも畑が突然盛り上がって火山ができたことがあったらしい。それに比べれば温泉くらい可愛いものである。

 ただ、たかが温泉でこんな騒ぎが起きるとは才人にとっては意外だった。日本育ちの才人にとっては温泉はありふれたものだが、トリステインではそんなに珍しかったのか。そういえば、魔法学院でも平民はサウナ風呂だったな。

「もったいねえな、掘りもせずに温泉が湧くなんて日本だったら……あっ! そうだ! 温泉だ、温泉を作ろうぜ!」

 才人がそう叫ぶと、皆は驚いた様子で彼を見た。

「温泉だよ温泉。いくらでも湧いてくるお湯を使って、誰でも風呂に入れる施設を作るんだ。温泉のお湯には疲れをとったり病気を治したりする効果があるから、きっとトリステイン中から人がやってくるぜ!」

 熱弁する才人だったが、ルイズやモンモランシーは冷ややかだった。

「誰でもお風呂にねえ、でも浴槽に入るのはほとんど貴族に限られてるのよ。こんなところにまでわざわざ入浴しに来る貴族なんていないわよ」

「ちなみに温泉につかると肌がすべすべになって美容にもいいんだぜ」

「作りましょう、ぜひ作りなさい」

 ちょろかった。しかし、女性への殺し文句でこれ以上のものもそうはないに違いない。

 トリステイン中、いずれはハルケギニア中から温泉で客を集めて、ド・オルニエールの作物で作った料理でもてなす。そうすればド・オルニエールはもっと豊かになれる。

 そのアイデアは才人にはバラ色に思えた。もちろん素人考えゆえに実際にやるとなると問題は数えきれず、そんな簡単に行くなら日本各地の温泉地も苦労しないであろう。

 だが、どんなアイデアもまずは思いついて口にしなければ始まらない。特に才人はその楽観的な性格で、すぐにルビアナに温泉地のアイデアを売り込み、ルビアナも実業家らしく頭ごなしに否定せずに、少し考えてから答えた。

「そうですわね。トリステインで温泉地を売りにしている場所はありませんから、もしかしたらもしかするかもしれません。ですが、まずは最低限の施設を作るにしても、わたくしはあくまでゲルマニア人ですので、お金を些少出して差し上げることはできますが、トリステインのことに直接手出しをするわけにはいかないのです」

 困った様子をしてルビアナは言った。アイデア自体は悪くはないと思ってくれているようだが、浴場を作るための人足を雇って動かすとなると、あくまで招待客として来ているルビアナの立場上国際問題になりかねない。

 道理を立てて行動するなら、まずは女王陛下に伺って許可をもらわなければならない。しかし、才人はそんな面倒は必要ないとばかりに自身たっぷりに言った。

「人手ならタダであるぜ。なあ、みんな!」

 そう言って才人はギーシュたちを見回した。もちろん、ギーシュたちは思いもよらない才人の申し出に困惑し、拒絶しようとした。

「おい待ってくれよサイト。なんでぼくたちがそんなことをしなきゃならないんだ!」

 ギーシュだけでなく、ギムリやほかの少年たちも口々に、そんな平民のするような仕事をどうして自分たちがしなきゃいけないんだと文句を言う。

 が、才人はそんな彼らの反応はわかっていたとばかりに、ちょっとお前らこっちに来い、と手招きして少し離れた場所に水精霊騎士隊を誘うと、教え諭すように話し始めた。

「お前ら、よーく考えてみろ。風呂場ができるってことは、集まるのは男だけじゃねえだろ。さっきのルイズとモンモンの喜びようを思い出してみろ。かわいい女の子がトリステイン中から集まるようになるんだぜ」

 それを聞いて、まずはギーシュの顔が目に見えてわかりやすく動揺した。

「か、かわいい女の子! い、いや、待てよサイト。始祖ブリミルから授かった神聖な魔法を、そんなことに使うわけには」

「ほーお? 立派だなギーシュ、おれはお前を尊敬するぜ。だけど思い出してみろよ。その神聖な魔法でモンモンは前に惚れ薬なんてものを作ってただろ? それに比べれば可愛いもんじゃないか。目に浮かばないか? 学院のせまっ苦しい浴場じゃなくて、広々した自然の中で湯気をたゆらせるモンモンの姿が」

「うっ! それ、それは! いやだけど、しかし、だけどモンモランシーが、それは」

 皆の手前、理性を総動員しようとしているギーシュであるが、すでに邪な妄想が頭をよぎっているらしく、目元口元がピクピクと動いている。それに、他の皆も多かれ少なかれ妄想の世界に入り始めていると見え、真面目なレイナールにしてさえ目が泳いでいる。

 しかし、才人が次に発した爆弾発言で、彼らの理性はタイタニックがごとく轟沈した。

 

「ちなみに、温泉では男も女も『裸の付き合い』をすることがマナーなんだぜ」

 

 ぶはっ、と数人の少年たちの鼻から血が噴き出した。

 そしてギーシュも、ついに耐えきれなかったと見えて滝のような涙を流しながら才人の手を力強く握りしめてきた。

「サイト、ぼくは今猛烈に感動している! 隊長の名において、君に水精霊騎士隊永久名誉隊員の称号を与えたいと思う」

「身に余る光栄だぜ。それでギーシュ、温泉を作るのに協力してくれるか?」

「もちろんさ。騎士として、友の頼みをどうして断れようか! そうだろう、みんな?」

 ギーシュが薔薇の杖を掲げて問いかけると、即座に水精霊騎士隊全員から「おおーっ!」という歓声があがった。

 どの顔も感動で打ち震えており、これより死地に赴くことを躊躇しない真の武士のオーラを身にまとっていた。

 

 そんな彼らを、ルビアナは少し離れたところから不思議そうに眺めていたが。

「ギーシュさまたち、いったい何をお話になられているのでしょう?」

「どうせろくでもないことよ」

 モンモランシーが冷ややかに即答した。

 こういうとき、男子がまともなことを考えていたためしがない。もちろんルイズも同じことを思っていたようで、なぜか皆に祭り上げられている才人を苦々しげに睨んでいた。

 平然としているのはキュルケくらいなもので、温泉の効能でまた美しくなっちゃうわね、と期待に胸を躍らせていた。

 

 そして、「裸の付き合い、万歳!」と、心を一つにした才人と水精霊騎士隊は、授業返上補習授業どんと来いで温泉浴場建設に取り掛かることを決定した。

「と、いうわけで今日から一週間、ぼくら水精霊騎士隊はド・オルニエールの発展のために、この地に残って尽力しようと思う。その旨を学院には伝えてくれたまえ」

「どうせ何言っても聞かないでしょうから止めないけど、どうなっても知らないわよ。国際問題に巻き込むことだけは勘弁してよね」

 モンモランシーはルイズやキュルケといっしょに、仕方なさそうに学院へ帰っていった。

 本音を言えばモンモランシーもルイズも残っていて見張りたかったけれど、優等生ではないモンモランシーは欠席日数を増やすのは避けたかったし、ルイズはルールに厳しい母親に無断欠席を知られるのは命にかかわる問題であった。

 しかし、悪い予感しかしない。あの才人やギーシュたちがあそこまで結束するとは十中八九ろくでもないことでしかない。まさかルビアナに直接手出しをすることはないと思うが、下手をすれば歴史に残る大惨事を招きかねない。

 ルイズは、まさかひょっとしてそれも見越して楽しんでいるんじゃないでしょうね女王陛下? と、何を考えているのか腹黒さでは底の知れないアンリエッタの顔を思い返してつぶやいた。

 

 しかし、大きな決意を持ってド・オルニエールに残った才人と水精霊騎士隊を待っていたのは、想像を絶する苦難の日々であった。

「まずは大浴場を作ろう。脱衣所に休憩所に、サウナと中くらいの岩風呂に、と。とりあえずはこのあたりを目標にして作り始めようか」

「収容人数は、まずは百人を目安にしよう。学院を休んでられるのは一週間までだ。急いでとりかかろう」

 才人が思い出した日本の銭湯の記憶を元にレイナールが簡単な図面を引いて、工事の段取りは決まった。

 役割分担をして、数十人の水精霊騎士隊はさっそく仕事に取り掛かり、建物の建築や浴場の掘削が始まる。

 しかし、順調だったのは最初だけで、作業はすぐさま壁にぶち当たった。

「くそっ、これで合ってるはずなのになんで組み合わさらないんだ?」

「だめだ、すぐお湯が漏れちまう。これじゃ浴槽に使えないぞ」

 脱衣場を作ろうとすれば床板さえきれいに張れず、浴場の穴に試しに湯を注いでみれば溜まらなかったりと、平民の仕事なんか魔法を使えば簡単にできるだろうと高をくくっていたギーシュたちは完全にあてを外されていた。

 最初の見積もりでは三日もあれば簡単に完成するだろうと思っていた。しかし、それはあまりにも楽観的に過ぎたようだと彼らはようやく思い知らされたのだった。

「せいぜい小屋を建てて大きな穴を掘ればいいだろうと甘く見てた。だけど、こりゃ相当な難物だぞ」

 ギーシュは、ただの穴ぼこと、柱も立ててない小屋を見て憮然として言った。

 もちろん、ギムリやレイナール、ほかの水精霊騎士隊の少年たちも浴場作りをなめていたことを痛感して、自信を打ち砕かれてまいっている。

 しかし、そこで皆を叱咤したのは才人だった。

「みんな、何を落ち込んでるんだよ。まだ工事は始まったばっかじゃねえか! お前たちには見えないのかよ。この浴場で女の子たちがたわむれる桃色の光景が! お前たちの貴族の誇りはそんなものだったのかよ!」

 その言葉に、男たちは再び立ち上がった。

「そうか、そうだったなサイト! ぼくたちは、まだあきらめるわけにはいかなかった。みんな、頑張ろう! トリステイン貴族の誇りのために、裸の付き合いのために!」

「ウォーッ! 裸の付き合いバンザーイ!」

 最低な動機であるが、とにもかくにも彼らはやる気を取り戻した。

 それからの彼らは文字通りすべてを犠牲にしてでも前進を開始した。

 水が漏るなら底を固めて『固定化』の魔法をかける。魔法を使う精神力が尽きれば才人に並んでスコップで土を掘る。建築技術がなければ、土地の人に貴族の誇りを投げ打ってでも頭を下げて聞きに行った。

 普段ならば、平民のやるような汚れ仕事や、平民に教えを乞うことは貴族の誇りにかけて忌避するが、今回は貴族の誇りよりも男の浪漫のほうが大事だった。

 しかし、やる気はあってもしょせんはドットかライン止まりの彼らの魔法はすぐに底を尽き、疲労のあまり倒れる者も出始めた。

「た、隊長、おれはもうダメです。やっぱり、おれたちなんかには過ぎた夢だったんですよ……」

 疲れ果て、絶望に染まった仲間たちの顔。しかし、今度はギーシュが彼らの顔をはたき、力強く叱咤した。

「その顔はなんだ、その目は、その涙はなんだい! 君のその涙で、温泉浴場が作れるのかい。つらいのはみんないっしょだ。けれど、夢はあきらめない人間にだけかなえられるんだ。さあ立ちたまえ、裸の付き合いが君を待っているよ」

「隊長……うう、おれが間違っていました。そうですね、裸の付き合いバンザーイ! 水精霊騎士隊バンザーイ!」

 いろいろと台無しであるが、男同士の友情だけが今の彼らを支えていた。

 だが、そのままではいくら彼らが命を削ったところで浴場の完成には間に合わなかっただろう。けれど期限が残り二日に迫って、さすがに彼らも折れかけたそのとき、ルビアナが土地の人たちを連れて加勢に来てくれたのである。

「皆さん、この方々が温泉作りを手伝ってくださるそうです。皆さんの頑張りが、ド・オルニエールの人たちに伝わったのですわ」

「貴族の坊ちゃんたちが泥まみれになってド・オルニエールのために頑張ってるのに、俺たち土地のモンが黙ってはいられませんわ。こっからは俺たちが手伝いますぜ」

 筋骨たくましい男たちが何十人も加勢に入ってくれて、浴場作りはみるみるはかどり始めた。

 岩を運び、しっくいで固め、平行を計って柱を立てる。おかげで、穴ぼこと掘っ立て小屋に近かった浴場は清潔感と風情のある温泉へと生まれ変わっていく。

 ギーシュたちは、土地の人たちと、彼らを連れてきてくれたルビアナに感謝した。彼女はあれからもド・オルニエールの視察を続けていたが、ギーシュたちの頑張りを見て、それを人々に伝えてくれていたのだった。

「ありがとうルビアナ、君のおかげでぼくらは絶望の淵から救われた。ありがとう、ありがとう」

「礼には及びませんわ。わたくしではなく、ギーシュさまたちの頑張りが人々に通じたのです。我が身を削って平民の模範になるとは、皆さまは本当に貴族の鑑でいらっしゃいますわ」

「そ、それは……その、うん……」

 澄み切ったルビアナの笑顔が良心をチクチクとつつく。本当は貴族の鑑どころか人間として最低な動機でやっているのだが、まさか言うわけにはいかない。

 と、そのときだった。ルビアナはぬいぐるみのような白い何かを抱いていたのだが、それが急に動き出したかと思うと頭をこちらに向けてきて、ギーシュや才人たちは仰天した。

「エ、エレ、エレキングぅっ!?」

 それはサイズこそぬいぐるみ大ではあったが、正真正銘の生きたエレキングそのものであった。しかもリムエレキングのようにディフォルメ調なものではなく、小さいだけでそのままの姿の本物のエレキングであり、当然それを見たギーシュたちは血の気が引いた。

「ル、ルビアナ、そ、それはいったい?」

「この子ですか? このあいだ湖畔を散歩していましたら懐いてきましたので、わたくしもつい可愛らしくなってしまいまして。とても人懐こくていい子ですよ」

 エレキングの幼体があの湖にまだいたのか! 驚いたギーシュたちは当然ながら、そいつは怪獣の子供なんだと告げて手放させようとしたが、ルビアナはぎゅっとエレキングを抱きしめてかばった。

「いけませんわ、よってたかって子供をいじめようだなんて。この子はまだいけないことは何もしていないではありませんか」

「い、いや、そう言ってもそいつは」

「しかしもかかしもありません。わたくしはわたくしを慕ってくれるものには相応の愛情を持って返します。譲りませんわよ」

 そこまで言われては、それ以上の説得は難しそうだった。

 才人とギーシュたちは相談し、無理に引き離してもルビアナを怒らせるだけであろうし、しばらく様子を見ることにした。今のところ小さいエレキングが暴れたりする気配はないし、ルビアナにも操られたりしているようなきざしはない。GUYSのリムエレキングのようにおとなしいまま育ってくれるならそれでいい。ただし怪しい様子があれば、ルビアナになんと言われようと断固対処する。

 だがそれにしても、あのエレキングはオスだろうかメスだろうか? もしオスだったらあいつはルビアナといっしょに温泉に……。

 危機感が変な方向にズレ始めているが、一同は気を取り直して浴場作りを再開した。あと一息、もう一息。ものづくりに慣れた平民たちの力で、完成に近づいていく温泉施設。平民の力をなめていた少年たちは素直に彼らの力を賞賛して、平民たちに負けていられるかと、少年たちも最後の力を振り絞る。

 そして温泉浴場はその完成した姿を少年たちの眼前に現した。

 

「お……おおーっ! これが温泉というものか」

 

 とうとう期限の最後ギリギリで、水精霊騎士隊製の温泉浴場は完成した。

 二十メイル四方の岩風呂に、平民たちの助力で小さめの薬草湯や寝湯なども並ぶ、立派な浴場である。時間の関係で建物は脱衣場のみであるが、数百人はゆうに受け入れられる露天風呂として申し分ない出来となった。

「やった。これも諸君らの汗と涙のおかげだよ。ありがとう、ありがとう」

 ギーシュは仲間たちの手を取り、心からの感謝を述べた。しかし、これは始まりでありゴールではない。才人がギーシュの手を握り返しながら言った。

「ギーシュ、喜ぶのはまだ早いぜ。おれたちはなんのために温泉を作ったんだ?」

「そ、それはもちろん! は、はだはだ……よーし! って、そういえばどうやって女の子たちを呼べばいいんだ」

 やる気を出しかけたギーシュは、今ごろになって肝心なことに気がついて固まった。

 そうだ、そういえば温泉を作ったはいいが、肝心の女の子たちを呼ぶ方法を考えていなかった。

 呼んで来てくれるのは、モンモランシーをはじめ学院の女子生徒にある程度心当たりはある。しかし、それだけではここまでの苦労をしたかいがないし、大義名分であったド・オルニエールのためにもならない。

 皆の顔を失望が支配していく。だが、その絶望を輝かしい光で破ったのはまたしても才人だった。

「フッフッフ、ギーシュ、その心配はないぜ。温泉の宣伝になって、かつおれたちも存分に役得を得られる手ならもう打ってあるんだよ。ほら、そろそろ来るぜ」

「なっ、なんだって!?」

 驚愕に顔を固める水精霊騎士隊。そのとき、彼らのもとに若い女性の声が響いてきた。

 

「おーいサイトー! 温泉ってのはここでいいのかいー?」

 

 きっぷのいいその声は、才人にとっては聞きなれた声だった。

 振り返ると、そこにはジェシカを先頭にして魅惑の妖精亭の女の子たちが揃ってやってきているではないか。

「おっ、ジェシカ、よく来てくれたな」

「招待状受け取ったよ。なんでも疲れに効いて美容にもいいんだって? せっかく店を休みにしてみんなで来たんだから、期待させてもらうからね」

 ジェシカはにこりと笑い、旅の荷物をいったん宿に置くために去っていった。もちろんその間、ギーシュたちの眼差しは美少女ぞろいの魅惑の妖精亭の顔ぶれに釘付けになっていたのは言うまでもない。

 そして、来訪者はそれだけではなかった。

「サイトーッ! 言われた通り、声はかけておいたわよ。思った以上についてきちゃったけどね」

 ルイズの声がして、そちらのほうを振り向いた少年たちはまた驚いた。そこには、ルイズとモンモランシーとキュルケに続いて、学院の女子が何十人もやってきていたのだ。

 これはいったいどういうことだ!? ギーシュでさえ、これだけの人数を集めるのは無理なのに。

 すると、女子たちの中からツインテールの小柄な少女が前に出てきた。

「フン! クルデンホルフ大公国の姫をもてなすには粗末なところね。けど、ヴァリエール先輩のお誘いだし、ティラとティアがどうしてもって言うから来て上げたから感謝しなさい」

「わーい! 温泉だ温泉。この星にも温泉があるなんて思わなかった」

「姫殿下ったら、ほんとは自分も楽しみにしてたくせに。ですよね? エーコ様」

「そうよ、ビーコにもシーコも、あと何日かしらって何回聞かれたことか。あ、怒らないで姫殿下。さー、水妖精騎士団前進ーっ!」

 ベアトリスを先頭に、学院の女子たちもいったん戻っていった。去り際にルイズが、「ド・オルニエールのためなんだからね」と言い残していったが、もう大方の少年たちの耳には入っていない。

 才人はここまで考えて用意してくれていたのか。水精霊騎士隊の才人を見る目が尊敬へと変わっていく。その眼差しを心地よく受けて才人はフフンと誇らしげに鼻をこすってみせた。

 しかし、才人は下心だけで人を集めていたわけではなかった。

「サイトおにーちゃーん! みんなで来たよーっ!」

 幼く元気な声はアイのものだった。トリスタニアの孤児院から、子供たちも才人は招待していたのだ。

 変わらず元気にまとわりついてくる子供たち。そんな彼らをなだめて、ティファニアが才人にお礼を言った。

「お招きありがとうございます、サイトさん。本当にその、タダで使わせてもらってよろしいんですか?」

「もちろんさ。子供たちもたまにゃトリスタニアの外に出してやらなきゃな。テファも遠慮しないでゆっくりしていってくれよ、新装開店無料サービスさ」

「はい。それじゃみんな、荷物を置きにいきましょう」

「はーい!」

 ティファニアに先導されて、子供たちも去っていった。もっとも、才人をはじめ、少年たち全員の目は、子供たちの手を引きながらもぷるんぷるんと揺れるティファニアの双丘に釘付けになっていたのは言うまでもない。

 あの幸せ製造機と裸のお付き合いを……。ギーシュたちの胸に人生最大の幸福感が宿る。

 生まれてきてよかった……そして、才人に人生すべてを引き換えにしても返しきれないほどの感謝を込めて、ギーシュは才人に滝のような涙を流しながら言った。

「ぼくは、ぼくは、ごれぼどまでに友情の尊さをがんじだごどばないっ! サイト、ぼくは君にどうやってこの感謝を伝えればいいかわからないよ!」

「なに言ってんだギーシュ、友だちじゃねえか。それによ、メインディッシュはまだ残ってんだぜ」

「えっ?」

 すがすがしい笑顔とともに才人は言った。この上、まだ誰か来るというのか?

 そのとき、一同の耳にこれまでとは違う、金属の甲冑が鳴る乾いた音が響いてきた。

 この音はまさか? まさかそこまで呼んだのか! ギーシュたちの脳裏に、この音を立てる甲冑をまとった唯一の部隊の名前が浮かぶ。

「姉さん、みんな、来てくれたんだな」

「サイト、いい保養所を作ったそうだな。なるほど、確かにここなら任務の帰りに立ち寄るには都合がよさそうだ。温泉とやら、期待させてもらうぞ」

 アニエスら銃士隊も呼んでいたのか! さすがにそこまでするのかと思ったが、アニエス以外の隊員たちはプライベートだということで期待に胸を膨らませた顔をしている。

 仕事中は苛烈でも、彼女たちも年頃の女性だということには変わらない。銃士隊と付き合いが長い才人だからこそ、そのあたりをうまく招待状に盛り込んで彼女たちの意欲をかきたてたのだ。

 もっとも、隊員たちにすれば口実はなんであれ才人とミシェルをくっつけるチャンスができればなんでもよかったらしく、さっそく後ろでためらっているミシェルを才人の前に押し出してきた。

「サ、サイト……わ、わたしは美容とかそういうものはどうでもよかったんだが、サイトがせっかく呼んでくれたから、その」

「いやいや、遠慮することなんかなんにもないって。温泉ってのは、つかるだけでも気持ちいいものなんだから。入ったらきっと気に入ってくれると思うぜ」

「そ、そうか。じゃあ、わかった」

 いまだ初々しさの抜けないミシェルに、才人は「かぁーっ、かわいいなあーっ!」と、心の中で悶絶した。

 もちろん、ほかの銃士隊員たちも明るく開放的で、しかも美人ぞろいだ。サリュアやアメリーやリムルらの見知った顔ぶれも温泉を楽しみに来てくれたのがわかる嬉しそうな顔をしている。

 ギーシュたちの興奮はいまや最高潮だ。美少女、美人がよりどりみどりで、こんな幸せがこの世にあっていいのだろうか。

 一方で才人も、自分のつてを最大に利用することで長年の夢だった男の浪漫を実現できて感動していた。人生って、苦労したぶんだけ報いがあるんだなあと、日ごろの苦労を思うと心からしみじみする。

 

 だが、才人も想定していなかった事態がここで起こった。銃士隊の隊列の中からフードを目深にかぶった少女が歩み出てきたかと思うと、フードをまくってトリステイン貴族ならば知っていて当然の尊顔を見せたのだ。

「うふふ、サイトさん、ルイズといっしょに自分たちだけ楽しそうなことをしてはいけませんわよ」

「いっ! じっ、女王陛下ぁっ!?」

 まさかのアンリエッタ女王陛下の登場に、一同は揃って仰天した。ギーシュたちは、「サイトお前女王陛下まで呼んだのか!」と詰め寄るが、さすがに才人も「知らない知らない! おれは銃士隊のみんなしか呼んでない」と答えるしかなかった。

 するとアンリエッタは涼しい顔で、彼らの疑問に答えた。

「ふふ、このトリステインでわたくしに隠し事ができると思わないでくださいね。慰安をとりたいのはわたくしだっていっしょですもの」

「し、しかし女王陛下がいなくなってはお城が大変なことになってるのでは!」

「一日や二日女王がいなくなったくらいで傾くほどトリステインはやわではありませんわ。それに、わたくしの留守中に不埒なことを企む輩が現れたら、それはそれでお掃除のいい機会ですもの」

 だめだこの人完全に確信犯だ。アラヨット山の遠足のときといい、もはや数々の修羅場をくぐりすぎて精神が鍛えられすぎている。

 アニエスは横顔で、「すまん、止められなかった」と謝ってきているが、これはとんでもない爆弾を押し付けられたようなものである。

 ギーシュはあまりのプレッシャーに立ったまま気絶し、ほかの面々も青ざめている。

 

 なんとも、すさまじいメンバーが一堂に会してしまった。いずれも曲者ばかりの顔ぶれの中で、男たちは『裸の付き合い』にたどり着けるのであろうか。

 

 未来に待つものは希望か絶望か。男たちの全てをかけた人生最大の戦いが始まろうとしている。

 そんな彼らを、ルビアナはエレキングを抱きながら笑って眺めていた。

「ウフフ、これはおもしろそうなことになりそうですわね」

 

 

 続く



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第74話  水精霊騎士隊、暁に死す

 第74話

 水精霊騎士隊、暁に死す

  

 宇宙怪獣 エレキング 登場!

 

 

 突然、ド・オルニエールに湧いた温泉を使って『裸の付き合い』を目当てに温泉浴場を作った才人と水精霊騎士隊の少年たち。

 血と汗と涙の努力は報われ、完成した温泉欲情もとい温泉浴場には学院の女生徒たちや魅惑の妖精亭の店員たちらの多くの招待客が訪れた。

 しかし、噂を聞きつけてアンリエッタ女王陛下までがお忍びでやってきてしまった。

 波乱……いや、嵐がド・オルニエールに訪れようとしている。これから始まる、男たちの全てをかけた大決戦。湯煙の先に待つのは天国か、それとも地獄か。

 

 

 温泉浴場が完成した翌日。運命のその日は真っ青な晴れで風もおだやか。空には小鳥たちが舞い、平和と幸せを謳歌していた。

 トリステインのあちこちから招待されてきた女の子たちも温泉につかり、美容と健康に良いとされる湯の温かさを満喫しながら周りと語り合い、裸の付き合いを楽しんでいる……一部の邪悪な意思を持つ者たちを除いて。

「聞こえる、温泉の流れる音が。キャッキャウフフと湯気とたわむれる女の子の声が……この先には、人類の理想郷。究極のアルカディアが広がっている。しかし、それをたった薄布一枚に邪魔されなければならないとはぁぁぁっ!」

 ド・オルニエールの空にギーシュの叫びがこだました。

 彼らの前には、彼らが必死の思いで完成させた温泉浴場と、その温泉を覆い隠して高々とそびえる天幕の壁がそびえたっていた。浴場の中にいる女の子たちの姿は隠されて見えず、響いてくる声だけが男たちをやきもきさせている。

 もちろん、これはただの天幕ではない。『錬金』の魔法でも破れないほど『固定化』の魔法をがっちりとかけて、探知の魔法もかけられている恐ろしい魔法の天幕なのだ。

 天幕の前では才人や水精霊騎士隊が呆然とするか、あるいは憤慨して立ち尽くしている。

 

 だが、どうしてこんなのけもの扱いをされているのだろうか? 説明はいらないかもしれないが、少し前にこんなことがあった。

 新装開店したド・オルニエール公衆浴場(仮)の記念すべき最初の客として招かれてきた女の子たちを前にして、ギーシュたち水精霊騎士隊があいさつをおこなっていたときのこと。

「えーっ、みなさん。本日は、お忙しい中はるばるやってきていただき感謝いたします。ここで感謝の言葉の百もあなたがたに捧げたいところですが、余計な時間を使うなとみんなに言われてるので、ありがとうと述べるにとどまらせていただきます。温泉の効能や入浴のマナーについては、先にお渡しした冊子に書いてありますので、そちらを参考にしてください。なにかご質問はありますか?」

 ここまでは特に問題なく進んだ。ギーシュとしては、もっとしゃべりたいことは山のようにあったが、打ち合わせで「それはいらない」と満場一致で決められたので仕方がない。

 問題は、質問を受け付けたときにルイズが手を挙げたことに対する回答だった。

「浴場は全部解放式みたいだけど、男女の区別はどうするの?」

 この質問はもっともだった。本当なら同じ作りの浴場をもうひとつ作って男女別にするべきだが、そこまで作る余裕がなかった以上は方法は二つしかない。

 しかし、二つのうちの一つは、いくら才人やギーシュでも「それを言い出すのはまずい」とわかっていた。そこで才人らは、時間差制にして、まずは女子が入って次に男子が入るというのを考えていた。

 これなら、女子に変なことを言われる心配はないし、男子は番頭や売り子として「合法的」に湯上りの女の子たちと身近に接することができる。そしてそれを足掛かりにして、もっと大胆に……という計画だった。

 もちろん、ギーシュもそう答えるつもりだったのだが。

「そこは男女の時間を……」

「混浴に決まってるじゃないか!」

 その瞬間、「え゛っ?」と、空気が固まった。

 誰だ! みんな思っていても、それだけは言ってはいけないことを言ってしまった大馬鹿者は! 

 声の主を探して、ギーシュたちの視線はひとりのふとっちょの少年に向けられた。どうやら我慢に我慢を重ねてきた結果、リピドーが限界に達していたらしいが、慌ててそいつの口を押さえたときには女子の目つきは鬼のようなものに変わっていた。

「へぇー、やっぱりそうだったの。あんたたちが単なる親切でこんなことするわけないと思ってたけど、そういうことだったのね」

「いっ! ち、違うよこれは。ぼくたちはそんなことは全然まったく」

 しかしすでにルイズや女子生徒たちの目はゴミを見下すように冷酷になっており、ティファニアさえも汚いものを見るような目をしている。

 もはや言い逃れは不可能だった。助平な男を見慣れているジェシカたち魅惑の妖精亭の女の子たちはともかくとして、ほかのほぼ全員が怒りに燃えた眼差しになっており、彼女たちは大声で男子全員に怒鳴りつけた。

「出て行きなさい!」

 逆らえば魔法で消し炭にされる剣幕に、男子たちは一目散に逃げだした。

 そして、浴場の周りには銃士隊の手によって魔法の天幕が張り巡らされて視界がふさがれ、完全に男子はシャットアウトされてしまったのだ。というか、なんでこんなものを用意していたのか? それはもちろん、あの人の差し金である。

「うふふ、殿方が集まればこういうことになるだろうと思ってアニエスに用意させておいて正解でした」

「私、女王陛下にだけは生涯逆らわないようにいたします」

 底知れなさというか腹黒さの度合いを上げていくアンリエッタに、アニエスは怒らせたら何をされるかわからないというふうな恐怖すら覚え始めていた。

 しかし、眺めは多少悪くなったが浴場は完全に隠され、男子禁制の聖域が出来上がってしまった。女の子たちはさっそく服を脱いで浴場へ向かい、それぞれ思い思いに温泉を楽しみ始めた。

 適度な熱さの湯が体に染みわたり、何とも言えない心地よさが全身を巡ってくる。それは香水の入った学院の大浴場など比較にならない気持ちよさで、青々と晴れた空を見上げられる解放感もあって最高の幸せを彼女たちに提供してくれた。

「ふあぁ……なにこれ、きっもちいい」

「体がとろけるみたい。天国だわぁ」

 まずはジェシカたち魅惑の妖精亭の女の子たちが惚けたようにどっぷり湯につかっていた。彼女たちは普段は平民用の粗末な風呂にしか入ったことはなかったので、物おじしない性格の子たちばかりなのもあって、広さとたっぷりの湯のある温泉に真っ先に飛び込んだのだ。

 その気持ちよさは文字通り想像以上。そして彼女たちの気持ちよさそうな様子を見て、温泉というものにいざとなるとおっかなびっくりだったベアトリスたちも次々と入っていった。

「はーぁ……」

「ああぁ……ん」

 煽情的な声も混じって、湯につかる女の子たちは初めてのその快感を存分にかみしめていた。

 男たちは天幕の外側から、歯を食いしばって漏れ聞こえてくる音と声を聞くばかりである。

「く、ぐっぞぉぉ、本当ならあのそばにいるのはぼくたちのはずだったのにぃ」

「隊長、この裏切り者はいかがいたしましょうか! もうすでに全員でボコボコにして虫の息ですがまだ生きております!」

「簀巻きにして川にでもドボンしたまえ。おのれぇぇぇ! ぼくらの血と汗と涙だってのにぃぃぃ」

 あまりの悔しさにいつもの気取ったセリフも崩れてしまっているが、ギーシュの血涙に全員が同感であった。才人もギムリもレイナールも、ほかの水精霊騎士隊隊員全員も、ただひたすら「裸の付き合い」を夢見て頑張ってきたのに、それが水の泡と化して納得できるはずもない。

 しかし、いまさら弁解しに行ったところで相手にされるはずもなく、彼らはそこで指をくわえて見ているしかできなかった。

 

 そうしているうちにも、温泉の中ではこれまで面識のなかった子たちも親睦を深め合っている。

 大浴場には大勢の子たちが湯につかり、何人かは「泳いではいけません」のマナーを無視して怒られている。それだけ大浴場は広かったのだが、そんな一角でルイズやアンリエッタ、ベアトリスやルビアナらの王家&金持ちズが並んで話していた。

「じょ、女王陛下におかれましては、こ、このようなところで恐悦至極にございまして」

「ミス・クルデンホルフ、そんなかしこまらないでください。聞くところによると、裸の付き合いでは皆が平等だそうではありませんか。気にせず学院のクラスメイトだと思って話してください。ルイズもそうしてくれていますわ」

「は、はあ、しかし臣下といたしましては、その」

 さしものベアトリスも女王陛下の前では恐縮してしまっていた。クルデンホルフ家がいくら大金持ちだといっても、立場的にはトリステインに仕える一貴族に過ぎない。

 ベアトリスとしては、ド・オルニエールに女王陛下もお忍びで来ていると知って驚いたものの、この機会にあいさつして顔を売り込むところから始めようくらいに思っていた。が、いきなり「あなたはクルデンホルフ家のベアトリス姫でしたわね、あなたのお父上にはいつもお世話になっておりますわ」と、友人のように親し気に話しかけられて、すっかりペースを乱されてしまっていた。

 どう答えれば無礼に当たらないんだろうかと、格上の相手に対する経験が乏しいので目をグルグルさせながら混乱しているベアトリス。いつものツインテールも解いて髪を流しながらうろたえている様は可愛らしいくらいであったが、さすがに見かねたルイズが助け舟を出してきた。

「女王陛下、あなたももう子供ではないのですから少しはつつしんでくださいませ。と、いつもなら申し上げるところですが、言ってもどうせ聞きませんわよね。ベアトリス、この人は女王やってるときとプライベートでは別人だと思ったほうがいいわよ。まだ何を企んでるかわかったものじゃないんだから」

「は、はぁ……」

「まあルイズったら、わたくしが願っているのは常に愛と平和だけですわよ。うふふふ」

 アンリエッタは親し気に謎めいた笑顔を浮かべるだけで、何を考えているかわからない。けれどベアトリスは、貴族としての格差からいまひとつ避けてきたルイズが意外にも優しく助けてくれたことに感謝を覚えていた。

「あ、あの、ヴァリエール先輩」

「堅苦しくしないでいいわよ。この女王陛下はね、幼いころはそれはもう手に負えない悪童だったんだから。遊び相手をつとめさせていただいたわたしもどれだけ大変だったことか。ねえ陛下?」

「あらルイズ。無垢で純粋だったわたしに数えきれないほど悪い遊びを教えてくれたのはあなたではありませんか。なんなら、今ここで勝負の続きを始めましょうか? 今日まででわたくしの二十九勝二十四敗一分けでしたわね」

「いいえ陛下、わたしの二十七勝二十五敗二分けです!」

「ウフフフ」

「フフフフ」

「あ、あのぅ、陛下? ヴァリエール先輩?」

 なにやら身内同士のバトルが勝手に始まってしまって、部外者のベアトリスはあっさり蚊帳の外にされてしまった。すごく居心地が悪いが、こういうときに限ってエーコたちもティアたちもどこかに行ってしまって頼りにできない。

 誰か助けてー。勝手に移動するわけにもいかずに困り果ててしまったベアトリスに、今度こそ助け船を出してくれたのは隣で見守っていたルビアナだった。

「まあまあ、女王陛下は普段気を張られているから、たまには発散したいんですわよ。ミス・クルデンホルフにも覚えがあるでしょう?」

「はい……あの、ミス・ルビティア様」

「ルビアナでけっこうですわ。いいものですわね、お友達って。身分に関係なく、会えばそれだけで本音で語り合えて。わたくしも、国では傅かれたり、立場を頼られたりすることはあっても対等に語り合える人は少ないですわ。ベアトリスさん、よければ私と友人となってくださいませんか?」

 そう微笑んだルビアナの温和な姿勢は、身構えていたベアトリスの心を溶かしていった。

 同じ成り上がりの金持ちとはいえ、トリステインの金持ちとゲルマニアの金持ちとでは次元が違う。しかしルビアナは上から見下す様子はまったくなく、より成熟した大人の包容力は、母か姉のようでさえあった。

「はい、ルビアナさん。わ、わたしなどでよければ、お、お友達に」

「ええ、こちらこそよろくお願いします。あら? そういえばベアトリスさんって傍で見ると小さくてかわいいわね……うふふふ」

「え? あの、ルビアナさん」

 ベアトリスはずずいっと寄ってくるルビアナに、本能的に震えを感じた。なにか急に雰囲気が変わったけど、ま、まさか。

「わたくし、お友達もほしかったですけど、実は妹もほしかったんです。ねえ、もっと近くに寄ってもいいかしら?」

「え、ちょ、あーっ!」

 逃げる間もなくルビアナはベアトリスをぬいぐるみのように抱きしめてしまった。ぎゅぎゅーっ、と、豊満なバストがベアトリスの顔を包み込んでしまう。

「う、うぷっ、お、おぼれるぅ!?」

 キュルケくらいはゆうにあるルビアナのバストは小柄なベアトリスを飲み込んでしまうにはじゅうぶんなボリュームがあった。ベアトリスが溺れかけているのを見て慌てて離してくれたものの、ベアトリスはスレンダーな自分とは大違いな大人のボディを間近で見せつけられてしまって、すっかり自信を喪失してしまった。

「うぅ、あ、あれには、か、勝てない」

 クルデンホルフの名にかけて、どんな壁でも乗り越えてやろうと心に決めていたが、今のベアトリスの前に立ちはだかる壁、いや巨峰はあまりにも美麗で高すぎた。

 一方で、隣で繰り広げられているルイズとアンリエッタのバトルも佳境を迎えていた。さすがに人の目があるので取っ組み合いのけんかには至っていないが、舌戦ではすさまじい殺気が飛び交っている。

「こ、この牛みたいな乳だけの腹黒女王!」

「なにか言ったかしら? ナイ乳のルイズ」

 しかしやはり体形の勝負ではルイズが圧倒的に不利であった。たとえるならハンペンとプリン、ししゃもとクジラ、シャボン玉と太陽。

 結局ルイズは言い負かされてしまい、隣で黄昏ていたベアトリスと無言のシンパシーを感じて手を取り合った。

「ベアトリス」

「ヴァリエール先輩」

「わたしたちは同志よ!」

「はい、あんな脂肪の塊なんかに負けません。いっしょに戦いましょう!」

 人はひとりでは絶望に立ち向かえない。共に立ち向かう仲間を得て、ふたりの間に固い友情の架け橋がつながったのだった。

 もっとも、持てる者であるアンリエッタやルビアナと、持たざる者であるルイズやベアトリスとの差はあまりにも大きい。勝ち誇るアンリエッタと、そもそもライバル視されていることにさえ気づいていない様子のルビアナに対して、ふたりの絶望的すぎる戦いは始まったばかりだった。ルビアナの隣に浮かぶ幼体エレキングは、理解できないというふうにアンテナをくるくる回しながら首をかしげていた。

 

 とはいえ、浴場での裸の付き合いはそんな殺伐としたものばかりではない。

 別のところではアニエスとジェシカがのんびりと日々の疲れを癒していた。

「ふぅ……たまにはこういうところで羽を伸ばすのも悪くないな」

「隊長さんもそう思う? これいいわー。体が浮き上がって雲の中にいるみたい。はー、癒される」

 アニエスが温泉の湯で顔を流し、ジェシカの黒髪を汗が流れていく。

 働き者で大勢をまとめるリーダー同士でもあるふたりは仲良く日ごろの垢と汗を流し、互いの苦労話などを語り合っていた。

 

 また、別の場所では魔法学院の生徒たちが魅惑の妖精亭の女の子たちから美容と男を魅了する方法を伝授されたりしている。

 その一方で意外と苦労しているのが銃士隊だ。ティファニアの連れてきた孤児院の子供たちに物珍しさで懐かれてしまい、休むつもりが遊び相手にされてしまっていた。

「わーい、おねえちゃんこっちこっち!」

「めっ、おねえさんたちに迷惑かけちゃダメでしょ。すみません、皆さんせっかくのお休みなのに遊んでいただいてしまって」

「いーよいーよ、休むだけがお休みじゃないし。あっ! こーら、今あたしのお尻さわったでしょー! まてーっ」

 まだ男湯女湯の区別がない幼い子供たちには温泉も珍しい遊び場でしかなかった。頭を下げて詫びるティファニアを気にもせずに、子供たちは水遊びをしている。銃士隊の中でも人懐っこいサリュアたちが遊んでくれているけれど、ティファニアは申し訳なさでいっぱいであった。

「ほらみんな、遊ぶなら向こうの小さいお風呂に行きましょう。お姉ちゃんも遊んであげるからね」

 ティファニアは仕方なく大浴場を離れて、空いている隣の岩風呂に移った。こちらでなら、ほかの客に迷惑になることもない。けれど、子供たちのやんちゃは疲れ知らずだった。

「わーい! テファお姉ちゃんのとったわよー」

「キャーッ! わ、わたしのタオル返してーっ!」

 ティファニアが体に巻いていたタオルを奪った子供が走り去る。素っ裸にひんむかれたティファニアは慌てて追いかけるが、子供は湯船の中をスイスイと泳いでなかなか捕まらない。そんな様子を、引率で来ていたマチルダは湯船につかりながらのんびりと眺めて、あの子もまだまだ子供ねえと思っていた。

 いくら周りが女ばかりだといっても、全裸を知らない大勢に見られるのはやっぱりティファニアには恥ずかしかった。あっちこっちに逃げ回る子供を追いかけて、素っ裸で大きな胸を左右に揺らしながら駆け回るティファニアを見て、あちこちから笑い声があがる。

「もーっ、お願いだからタオル返してえー」

 しかも被害者はティファニアだけでは済まなかった。ティファニアへのいたずらで味を占めた他の子供たちが、銃士隊や女生徒たちのバスタオルも盗んでしまったのだ。

「わっ! こ、このわんぱくども、もう許さんぞ!」

「いゃーっ! み、見ないでくださいーっ!」

 怒鳴り声と嬌声の阿鼻叫喚。剥かれてしまった女の子たちが走り回り、騒ぎはどんどん大きくなっていった。

 

 

 そして、そんな生々しい声を大音量で聞かされ続けているのが、外の男どもである。

「お、女の子たちがタオルを剥かれてこの中で……く、くそぉ。こんな、たった布切れ一枚のためにぃぃぃ!」

 ギーシュが血涙すら流しそうなくらい悔しそうに叫んだ。

 むろん、水精霊騎士隊の他の全員も同じ気持ちに違いない。思春期ド真ん中で、異性の体に一番興味しんしんな時期の少年たちが、いつまでもこんな生殺しに耐えられるわけがなかった。

 とれる方法は二つ、声が聞こえなくなるところまで逃げるか。あるいは、己の全てを賭けて冒険に打って出るかである。そして、その口火をギムリが切った。

「うおぉぉぉ! もう我慢できない。ギーシュ隊長、我々はこのままでいいのですか! 我々の傷つけられた心を、このまま塩水につけ続けてよいのですか」

「ギムリ、君の気持ちは痛いほどわかる。しかし、我々にいったいどうすることができるというのかね」

「ギーシュ隊長、隊長ともあろう人がそんな弱音を吐いてどうするのですか! 隊長にはわかっているはずです。我々の傷つけられた心を、唯一癒せる劇場は目の前にあるということを」

 ギーシュの目が血走って見開かれた。

「君は、女子風呂を覗こうと言うのかね!」

 その言葉に、水精霊騎士隊全員が集まってくる。

「そ、そんなこと、許されると思っているのかね! き、君は貴族として恥かしく」

「レイナール、今さら取り繕うのはナシにしようぜ。お前は悔しくないのか? おれたちは何のために血反吐を吐きながら頑張ったんだ? それにおれたちはまだ何もしてないのに女子たちに追い出されて、お前は男としてこんな屈辱に黙ってられるのか! 我々には正当な対価を受け取る権利がある。お前は見たくないのか! この世の天国を、おれたちが作り上げたヴァルハラを」

「う、それは……あ、ああ! ぼくだって悔しいよ。ぼくだって、ぼくだって男だもの! 見たい、確かめたいんだよおぉぉぉぉ!」

 レイナールも溜め込んでいた欲求を吐き出し、そんな彼を仲間たちは温かく見つめた。

 ギーシュはギムリの熱弁と、レイナールの告白に感動し、二人の友の肩をしっかりと抱きしめた。

「ぼくは、迷っていた自分が恥ずかしい。答えは最初からあったんだ。男なら、その誇りをかけてヴァルハラを目指さねばならなかったんだ。行こう、友たちよ。我々の戦場へ」

 水精霊騎士隊の少年たちも、天を仰ぎ、感動に打ち震え、水精霊騎士隊万歳、ギーシュ隊長万歳と連呼する。

 言葉面は立派で流す涙は純粋だが、限りなく不純な動機の下で水精霊騎士隊はかつてない結束で繋がった。

 しかし、そんな中でただ一人反対意見を述べる者がいた。才人である。

「お、お前ら女子風呂を覗くだなんて。そ、そりゃ確かにだけど! そんなことしたらルイズも! お、おれはそんなこと許さないからな」

 才人も男として盛大に揺れていたが、好きな子の裸を他人には見せたくないという一心がギリギリのところで理性を支えていた。

 しかし、才人のそんな気持ちを見透かしたようにギーシュは言った。

「そうだなサイト、君のそんな純粋なところをぼくは友として誇らしく思うよ。ならば、ぼくらは杖にかけて誓おうじゃないか。ルイズは君だけのものだ。ぼくらはルイズを見ないし、見えても視線を逸らそう。それなら問題はあるまい?」

「う、だ、だけど覗きは犯罪だし」

「ほう? なんとも君らしくない立派な言葉だね。そう、裸の付き合いというものを教えてくれたのも君だったよねえ?」

 うぐっ、と痛いところを突かれて才人が反論できなくなったところでギーシュはさらに畳みかけた。

「裸の付き合い、素晴らしい言葉だ! 身分に関わらず裸では平等にという、愛と平和の究極系と言えるだろう。しかし才人、今ぼくらは理不尽に追い出されて、これのどこに愛と平和がある? 無実のぼくらを差別し、冷たいところへ追いやって自分たちだけ温かい温泉を満喫する女子たちに、君は腹が立たないのかい? 君は殴られたら殴られっぱなしの犬だったのかい!」

 その瞬間、犬という言葉が才人の中で眠っていたプライドを揺り起こした。

「そ、そうだ、ルイズの野郎、おれたちの言い分も聞かねえで一方的に悪者にしやがって。許せねえ、許せねえぞ!」

「そうだサイト。これは理不尽に対する正当な反抗であり、女たちの傲慢に対する懲罰なのだよ」

「ありがとうギーシュ、おれはまたキャンキャン言うだけの犬に戻っちまうところだった。吠えるんじゃなくて、行動で示さなきゃいけないんだ。やろうぜギーシュ、おれの親友!」

「サイト、ぼくも君と友となれたことを生涯の誇りと思うよ。これでもう、ぼくらに怖いものはなにもない」

 熱い絆が男たちを結び、最低な目的のもとで男たちは戦いの決意を胸にした。

 目標は女風呂。これを覗き見る! 男としてこれほど命をかけるに足る戦いがあろうか。

 

 しかし、決意したはいいが、天国は文字通り果てしなく遠かった。

「諸君、我々がヴァルハラに到達するためには、この魔法の天幕をなんとかして越えなくてはならない。これをどうするか、皆の意見を伺いたいのだが」

「ああ、確かにこいつが問題だな。一見するとただのテント布に見えるけど、高さ五メイルで温泉を完全に囲ってしまっている。唯一空いているのは空からだけだが、もし乗り越えようとしたものなら……」

 そのとき、浴場の上をたまたまカラスが通りかかったが、浴場の上空に入り込もうとした瞬間に天幕の支柱からビームが放たれ、不幸なカラスは焼き鳥となって彼らのもとにポトリと落ちてきた。

「このとおり、探知の魔法が働いて侵入者は自動的に処分されてしまうことになっている」

 あまりの容赦なさっぷりに、少年たちの背筋に震えが走った。

「ひでえな、おれたちを殺す気かよ」

「殺す気なんだよ」

 覗こうとする者は”死”あるのみという断固たる意思表示。それが焼き鳥となったカラスそのものだった。

 壁を乗り越えようという手段は自殺に他ならない。もちろん天幕自体も固定化がかけられていて簡単には穴が開けられないし、錬金をかけようとしたら探知の魔法にひっかかってビームの集中砲火を浴びる。

 そんな鉄壁の防衛線を目の前にして、才人は天幕の上を仰ぎながら「ベルリンの壁より厚いな……」と、悲し気につぶやいた。

 しかし、人間の作るものに絶対はない。必ずどこかに弱点があるはずだと、彼らは知恵を絞り合った。

「上がダメなら下からはどうだ? ギーシュの使い魔のモグラに穴を掘らせてさ」

「ダメだ。ここは温泉が湧いてるんだぞ? 地面の下は蒸し風呂みたいなもんだ、あっというまに熱さでまいっちまう」

「天幕に唯一切れ目があるのは脱衣場のある入り口だけだが、あそこにも見張りがいるから侵入は無理だ」

「くそ、打つ手なしかよ……いや、きっと何か手があるはずだ」

 才人は、もし自分が宇宙人ならどうやって警戒厳重な防衛軍の基地に忍び込むかと考えた。

 オーソドックスなのは人間に化ける方法。この場合は女装でもするか? 

「なあ、お前らの魔法で変装して潜り込めないのか?」

「フェイス・チェンジの魔法を使ってかい? いや、無理だね。誰に化けるにせよ、この中は風呂場でみんな裸だろう。体格で一発で男だとバレてしまうよ」

 ダメか。いや、この程度で音をあげては不屈のチャレンジ魂で人類に挑戦し続けてきた侵略者の方々に申し訳が立たない。まずはそのスピリットが大事なのだ。

「みんな! 知恵を絞れ。この向こうには裸の女子がぼくたちを待っているのだぞ」

「おおーっ!」

 男たちは再び絶望の淵から立ち上がった。目的のために全力で知恵を絞る彼らの姿は、不屈のチャレンジ魂を持って地球侵略にぶつかり続けてきた宇宙人たちにも賞賛を持って迎えられることは間違いあるまい。

 この手はどうだ? いや、こんな方法は? こんな方法を思いついたぞ!

 と、限界まで知恵を絞った彼らはいくつかの案を思いついた。しかし、その全部を吟味している時間はなかった。

「まずい、急がないと女の子たちが上がってきてしまうぞ。もうこうなったら、各自思いついた方法をそれぞれやってみるんだ。危険は大きいがどれかが成功する可能性もある」

 しかしそれは、仲間を捨て石にするかもしれない非情の策でもあった。だがそれでも才人やギーシュ、そして水精霊騎士隊の少年たちにためらいはなかった。

 このまま負け犬のまま終わるのは嫌だ。男として生まれてきた意味を果たすまでは死ねないという強い意思が彼らから死の恐怖を拭い去って、そして最後にギーシュが全員に向かって訓示した。

「諸君、君たちの健闘を隊長として心から祈る。ぼくはこの戦いを、天国へと至るニルヴァーナの戦役と名付けたい! 諸君に始祖ブリミルの加護あらんことを。みんな、ヴァルハラで会おう!」

「おうっ!」

 こうして、なんか不吉な予感がしてくる名前を立てて、男たちはそれぞれの作戦を決行しにバラバラに散っていった。果たして、彼らはどんな作戦を持って難攻不落の要塞に挑もうというのだろうか。

 

 

 そしてそれから十数分後、浴場の中ではまだ女子たちの戯れが続いていたが、そんな彼女たちに魔の手が迫っていた。

 

 その一、才人&ギムリ組。

 温泉の唯一の出入り口である脱衣場の入り口には、銃士隊員が二人立って見張りをしていたが、そこに才人とギムリがタンスくらいの大きさの箱を持ってやってきた。

「そこで止まれ。なんだお前たち、ここは男子立ち入り禁止だぞ」

「いや、ごめんなさい。実は取り付け忘れてたものがあって。これ、中にタオルが詰まってて浴場に据え付けるはずだったんだよ。使わないともったいないから入れておいてくれないかな」

「ふむ。なるほど……少し待ってろ、隊長に聞いてくる」

 そう言って銃士隊員がアニエスに許可を得るためにいったん浴場に入って戻ってくると、才人とギムリはいなくなっており、大きな箱だけがポツンと残っていた。

「あれ、サイト? もう帰ってしまったのか。仕方ない、こいつは私たちで入れておくか。おい、そっちを持ってくれ」

「ああ、よいしょっと。むっ! 意外と重いわねコレ」

 銃士隊二人に抱えられて、大きな箱は浴場の一角に設置された。

 箱はわかりやすくタンス型になっており、中に詰められたタオルを目当てにすぐに数人の女子がやってくる。

「助かるわね。あの子たち、結局タオル返してくれないんだもの」

「ふー、柔らかーい。あの男たちも少しは気が利くわねー」

 タオルBOXは好評で、女子たちは入れ替わり来てタオルで髪をまとめたり、体に巻いたりしていった。

 しかし、そんな湯上りの少女たちのあられもない姿を間近で堪能している目が四つあったのだ。

「ふ、ふぉーっ! 女の子たちの裸がこんな近くにーっ!」

「シーッ、しゃべるな。外に聞こえたらどうする!」

「ご、ごめん。だが、す、すばらしいよサイト。まさかこんな方法で浴場に潜入できるとは、おれはお前を神と仰ぎたいくらいだぜぇ」

 なんと、BOXの中に才人とギムリが潜んでいたのだ。このBOXは二重構造になっていて、引き出しの奥に人の隠れられるスペースが設けられている。これは才人のアイデアで、ふたりはこの中に潜んで警戒を突破したのだった。

「ふふふ、警戒が厳重なら相手に入れてもらえばいいだけのことだよ。これぞ必殺、安田くん大作戦だぜ!」

 才人は勝ち誇ったようにつぶやいた。BOXの中からのぞき穴ごしに外を見る二人の周りには桃源郷が広がっている。これには紳士を旨とするかの宇宙人も「恐ろしいほどの知略ですね」と賞賛を禁じ得ないことだろう。

 裸の女子たちが目の前を無邪気に歩き回っている。すばらしい、桃色と肌色の天国とはこのことだろう。

 しかし、二人の夢見心地は長くは続かなかった。

「さて、天国は存分に堪能したか? サイト」

「えっ?」

 突然の冷酷な声に、才人は冷や水をかけられたように凍り付いた。

 慌てて周囲を確認すると、いつの間にかBOXの周りをアニエスをはじめ銃士隊の面々が取り囲んでいる。もちろん全員タオルで体を隠しているが、明らかにすべてをわかった顔をしている。

 バレたのか! そんな馬鹿な! 才人はどこかで手抜かりがあったのかと冷や汗を滝のように流しながら必死で考えるが、それより早くアニエスが冷たく言い放った。

「外からでダメなら中から攻めてみろと、お前に戦術の手ほどきをしてやったのは誰だったか忘れたか? お前たちの性格からして、そろそろ何か仕掛けてくる頃だと思っていたが、あいにく相手の背中から殴ることに関しては我々は慣れているからなあ。今回ばかりは身内とはいえ容赦はせんぞ」

「お、お慈悲を……」

「慈悲はない。かかれえっ!」

「アーーーーーッ!」

 BOXは粉砕され、引きずり出された才人とギムリの悲鳴が悲しく響き渡った。

 

 だが、男たちのチャレンジはまだ終わっていない。

 その二、レイナールと水精霊騎士隊複数名。

「サイトたちは失敗したか。あんな目立つもので潜入するからこうなるんだ」

 レイナールが小さくつぶやいた。才人たちの惨劇は見ていたが、助けるのは自殺行為でしかなかった。

 否、最初から皆が自身を捨て石にすることを覚悟した上の作戦決行なのだ。助けはしないし自分も助けは期待しない。その代わりに、可能な限り目の前の桃源郷を目に焼き付けることである。

 そう、彼らもすでに彼らなりの作戦で潜入に成功していた。むろん、気づかれてはいない。なぜなら、彼らは全身の色を浴場を囲む天幕と同じ色に染めて、保護色で天幕と同化していたのだ。

「これぞカメレオン作戦だよ。魔法で全身を作り変えることはできなくても、色を変えるくらいならできる。思った通り、中は湯気で曇ってて誰も気づいてないよ」

「すげえよレイナール。けど、まさか真面目なお前がこんな手を考え出すとは、見直したぜ」

「ぼ、ぼくだってねえ、ぼくだって男として生まれたからには見たいものはあるんだ。ほ、ほおおお、ほああああ」

 レイナールは、自分のメガネが湯気で曇ることからこの作戦を思いついた。世の中には完全に透明になることもできるマジックアイテムもあるというが、そんなすごいものを用意できなくとも、人間には工夫という知恵がある。

 女の子たちはすぐ近くに男子がいるというのにまったく気づいていないようで、ベアトリスの取り巻きのエーコ、ビーコ、シーコの三人も、今日はのんびりと主君から離れて楽しんでいた。

「いいわねえ、これ……そういえば誰かが言ってたっけ、風呂は地上最高のぜいたくだって」

「そうねー、これだけいいお湯なら、そのうちクールな風来坊や闇の紳士もやってくるかもねえ」

「なにその超絞り込んだお客さんは?」

 エーコとビーコが気持ちよさのあまりに精神が異界にトリップしかけているようだが、シーコもそのうち姉妹たちを連れてきたいなと思っていた。

 ところで、ルイズやティファニアが美少女すぎて目立たないけれど、エーコたちもなかなかのものである。湯につかるエーコの首筋はすらりとセクシーだし、ビーコの髪のすきまから見えるうなじは綺麗で、シーコはワイルドな感じを見せている。

 そんなこの世の楽園を、少年たちは存分に堪能していた。これも保護色様様である。たかが保護色と侮ってはならない。保護色はかのクール星人や透明怪獣ゴルバゴスも使い、見事に人間の目を欺いてきた強力な戦法なのである。ブロンズ像になりきったような彼らの姿は、ブロンズ像にこだわりのあるかの宇宙人が見ても「ギョポポ、なかなか美しいではないか」と褒めてくれることだろう。

 息を潜めて完全に天幕と一体化しているレイナールたちの前で、女の子たちの無防備な戯れは続いた。

「あなた、けっこうおっぱい大きかったのね。これで彼のものを挟んであげたりしてたんでしょう?」

「えー、やっぱりわかっちゃう。それでね、挟んであげてから、こうゴシゴシって洗ってあげるの彼大好きなんだ。キャハッ」

 おっぱいで挟む? 洗う? ナニを!?

 美少女たちの赤裸々な会話に、少年たちの心臓は爆発しそうだ。

 しかもそればかりではなく、彼らの見ている前で、学院の女子たちは魅惑の妖精亭の店員たちから男を誘う艶かしいポーズを手ほどきされ始めたからたまらない。

「それでね、こうやって胸元を見せながらすりよるの。でも見せすぎちゃダメよ。見えるかどうかギリギリというくらいが興奮するの。やってみて」

「こ、こうかしら? あ、うぅぅん。ねえ、わたしが欲しいんでしょう? 来て、全部あなたのものよ」

 魅惑の妖精亭の子たちはみんな男を誘うプロであるから、普通の女の子でもその技術を伝授されたら魅力は倍増だった。少年たちは、学院でこんなふうに誘惑されたらどうしようと頭を沸騰させている。

 これでもまだ見つかっていないのだから、人間というものがいかに視覚に依存した生き物なのかということがわかるだろう。しかし彼らは、保護色にはある決定的な弱点があるということを知らなかった。

 皆がのんびり温泉につかる中で、バチャバチャとした水しぶきが鳴る。マナーを守らない行為に周囲から非難の視線が集まるが、視線を向けられた緑色の髪の少女は楽しそうに泳ぎ続けた。

「ヒャッハー! 温水プールだ最っ高ー!」

「ティア、いいかげんにしなさい! みんな迷惑してるでしょ」

 パラダイ星人のティアとティラの姉妹。この二人にとって、水辺はホームグラウンドであり、海ばかりのパラダイ星を思い出して心が躍った。特にティアにとっては温かい水はよほど肌に合うらしく、ティラが「はしたないわよ」と注意してもティアは故郷の血が騒ぐのか、うずうずしてたまらないようである。

「わかった。じゃああと一回だけ、これでもうやめるからさ」

 ティアは静止を振り切って、ざんぶと湯船の中にダイブした。

 潜って浮き上がり、ポーズを決めてまた潜り、イルカや人魚のように自由に水面を舞う姿は、ここが浴場でなければ一流のシンクロと呼んでもいいだろう。

 しかし、ここは風呂場。当然水着なんか身に付けているわけはなく。しかもティアも極上の美少女であるときては、もちろん大事なところのすべても丸見えになってしまう。

「ぶはっ! ぼ、ぼくもうたまらない」

 ついに血圧の許容量を超えたレイナールの鼻の血管が爆発した。耐えに耐えてはきたが、純情少年であるレイナールにとって、目の前の光景はあまりにも刺激が強すぎたのだ。

 鼻血が噴き出し、つつうと垂れていく。しかし、彼らにかけられた魔法は彼らの体の色を変えはしたものの、噴き出した鼻血までは体の一部とは認識しなかった。つまり、鼻血が赤々と目立ち、保護色の効果を相殺してしまったのである。

「きゃああーっ! 男の子よーっ!」

 女の子の悲鳴が響き渡った。保護色はあくまでわかりにくくするだけで、そこにいることがわかればカモフラージュを見破ることはたやすい。その点、噴き出した鼻血は絶好の目印になってしまったのだ。

「てっ、撤退だ!」

 見つかってしまえばもはやこれまでと、少年たちは一目散に逃亡に入った。しかし、覗かれていたことに気が付いた女の子たちの反応は男子のそれを上回っていた。

「覗きよ! みなさん、絶対に逃してはなりませんわ!」

「変態よ! 変態は捕まえて火あぶりよ! 変態は殺しても罪になりませんことよ!」

「お待ちになって! わたくしも変態です。いっしょにお茶でもいかがですか?」

「なにを言ってるんですかあなたは!」

 いろいろあるが、女の子たちは恐ろしいほどの俊敏さで置いてある杖を取り戻すと逃亡をはかるレイナールたちを魔法で狙い撃った。

 台所のゴキブリに対するより無慈悲な攻撃が雨あられと降り注ぎ、レイナールたちはたちまちのうちにボロ雑巾にされてふんじばられてしまった。

 荒縄でグルグル巻きにされて、アニエスの前に引き出されるレイナールたち。かろうじて意識は残されているが、もはや何の抵抗もできないのは明白であった。

「また姑息な手を使いおって。しかし、まだ全員ではないな。おい、お前たちの隊長と残りの連中はどうした?」

 アニエスがレイナールに尋問する。しかし、レイナールも最後の意地を見せて眼鏡を光らせた。

「み、見くびらないでください。ぼくらだって貴族のはしくれです。仲間を売るような真似だけは、死んだってしませんよ」

 それは単なる虚勢ではなかった。彼ら水精霊騎士隊は、貴族としていつでも国のために命を捨てる覚悟はしている。その点では、そこらの口だけの貴族よりはよほど立派であると言えよう。

 が、相手はメイジ殺しの専門家である銃士隊である。アニエスはレイナールの抵抗を歯牙にもかけずに冷たく告げた。

「知っているか? 銃士隊にもいろいろな部署がある。実戦で剣を振り回す役もいれば、会計や事務処理が専門の者もいるし、こんな役割の者もいるんだ」

「はーい、拷問の専門家のナディアちゃんでーす。さーて、ぼくたち、後悔しないうちに吐いちゃったほうがいいよ。あなたたちの仲間はどこ? 答えないなら、まずはあなたの小指を……」

 切ない断末魔が湯煙にこだまして、やがて消えていった。

 

 そして、男たちの挑戦はクライマックスを迎える。

 ギーシュに率いられた水精霊騎士隊本隊。それらは地下へ潜り、土の底から風呂場に突入しようとしていた。

「モグモグモグモグ」

 ギーシュの使い魔である大モグラのヴェルダンデの掘る穴の後ろからギーシュたちはついていく。もちろん、当初の懸念通りに温泉の地下は強烈な熱気と水蒸気が噴出してきて彼らを苦しめるが、彼らは氷の魔法で使うことで熱気を冷ましながら進んでいた。

「この先に、僕らの天国が待っている。水の使い手は気合を入れろ! ここが正念場だぞ」

「おおっ! ご心配なく、我々の精神力は今、溢れに溢れておりますゆえ」

 穴の壁を氷で補強し、熱気を防ぐ。通常ならばあっという間に精神力が尽きてしまう荒業だが、女の子たちの入浴を覗けるという高ぶりが彼らに底知れない力を与えていた。

 まさに燃える闘志と冷たい氷のコラボレーション。

「もうすぐ浴場の下だ。だが気を付けろ、間違って浴槽の底を掘りぬいたりしたらぼくたちは一巻の終わりだぞ」

「うむ、ここからは慎重に掘らなくてはな。よし、土の使い手は上の様子を探るんだ」

 できれば女の子たちが体を洗っているそばにでものぞき穴を作れれば望ましい。土の使い手は、その全神経を集中させて、地面の上での会話の振動を感じ取ろうとした。

『ウフン、あなた脱ぐとなかなかすごいのね。その腰回りのきれいさ、うらやましいわぁ』

『そんなあ、謙遜よぉ。アタシから見たら、そちらのお尻のプリティさに見とれちゃうんだから』

 その会話を聞きつけて、探知していたギーシュの鼻から不覚にもつうっと鼻血がこぼれ出た。

 ここだ! この上だ! と、少年たちは最後の力を振り絞って穴を拡張し、ギーシュが会話を聞きつけた場所のそばに小さなのぞき穴を人数分こしらえた。

「諸君、諸君の努力は報われた。我らの目指したヴァルハラはこの先にある! さあ、存分に堪能しようじゃないか」

 少年たちはそれぞれの穴に殺到した。当然ギーシュも直径一サントほどののぞき穴に目を凝らし、湯気の先の裸身に視線を集中させた。

 

 ほおぉ……見える、見えるぞ。湯煙に揺れる、なまめかしい脚、ぷりんとしたお尻、引き締まった腰、そして……鋼鉄のようにたくましい胸筋……えっ?

 

 その瞬間、決定的な矛盾がギーシュたちの脳裏を駆け巡った。

 ま、まさか。だが、現実はすぐに彼らの前に示された。湯煙の向こうの誰かは、くるりと彼らののぞき穴のほうを振り返って笑いかけてきたのだ。

「ん、もーう! そんなにミ・マドモアゼルの裸が見たいなら存分に見てちょうだーい!」

「ぎぃやあぁぁぁぁぁーーーーーっ!」

 地の底から地獄から響いてくるような絶叫がこだました。なんと、湯煙の先にいたのはスカロンだったのだ!

 そう、彼らは忘れていた。魅惑の妖精亭の面々が来るということは、当然スカロンもやってくる。そしてスカロンの隣には、カマチェンコもすっぴんで笑っている。ギーシュたちは不幸にも、彼らの裸をドupで見つめてしまっていたのだった。

「うふふふ、ミ・マドモアゼルたちはハートはレディだけどもみんなと女湯に入るのはちょっと問題じゃない。だ・か・ら、岩風呂のひとつを私たち専用に囲ってもらってたのよ。そして、あなたたちが地下から来るとわかったから、私たちの営業トークであなたたちを誘い込んだっていうわけ。あなたたち、お盛んなのはけっこうだけど、可愛いジェシカちゃんの裸をタダで見ようというのは許せないわ。お湯でもかぶって、反省しなさーい!」

 スカロンの鉄拳がギーシュたちの穴の頭上に炸裂し、次の瞬間洞穴はガラガラと崩壊を始めた。そればかりか、氷でせき止めていた水が噴き出してきて、穴の中はあっという間に水没してしまったのである。

 悲鳴に続いて、ガボガボと溺れる音が地の底から響いてくる。生き埋めと水攻めで、ギーシュたちは完全に沈黙した。

 

 

 こうして、三方向から侵入を図ろうとした水精霊騎士隊は全滅し、ニルヴァーナの戦いはギーシュたちの全面敗北に終わった。

 しかし、男たちの戦いは終わっても、彼らへの処刑はまだ残っていた。

 すでにボコボコにされ、生き埋めの中から死ぬギリギリで掘り起こされたギーシュたちであったが、女子の怒りはそんなものでは収まらなかった。

 単にギタギタにするだけでは済まさない。と、彼女たちが考案した制裁の方法、それは全身を縛って逆さづりにし、頭を温泉につけて溺死寸前で引き上げてはまた沈めるという伝統の拷問方法だった。

「ゴボボボボ……も、もう許してモンモランシー」

「いいえダメよ。そんなに温泉につかりたかったなら、望み通りにしてあげようじゃない。ギーシュ、今度という今度は許さないんだからね」

「ゴボボボボ……出来心だったんだぁ……ゴボボボボ」

「いい機会だから、その腐った性根を温泉で煮出し切ってしまいなさい!」

 容赦は一切なかった。ギムリやレイナールやほかの少年たちもきっちりと同じ制裁を加えられている。

 助けようという者は一切いない。アンリエッタやルビアナにしても、こればっかりは仕方ないという風に遠巻きに見守っていた。唯一、どの喧騒にも参加していなかったキュルケが「覗いてもらえるだけ可愛いと思ってもらえてるんだから幸せじゃないの」と、余裕たっぷりに眺めているが、もう嫌味にしか聞こえない。

 とはいえ、もっと残酷な拷問ならいくらでもあったが、女王陛下の前で血を流すわけにはいかないということで、これでもかなり有情なほうであったのだ。

 一方で才人は例外で、制裁を加えられているのは同様だが、その方法は異なっていた。手足を縛って目隠しをした上で、ルイズとミシェルに挟まれて温泉につかっていた。

「もうサイトったら信じられない! あんたは間違ってもそういうことだけはしないって信じてたのに」

「ご、ごめん。好きな子といっしょに温泉に入るのが夢だったから、悔しくてつい」

「でも許されないことは許されないぞ。そ、そんなに見たいなら言ってくれれば、よ、よかったのに」

 ルイズとミシェルに挟まれて才人はお説教を受けていた。妙に才人だけ罰が甘いようだが、これは最初銃士隊の面々が「罰として副長と子作り」と言いかけてルイズが慌てて静止したからである。

 とにかく悪乗りが好きで、隙あらば既成事実を作らせようとしている銃士隊に対してルイズは気が抜けなかった。本音は才人をエクスプロージョンで吹き飛ばしてやりたかったが、それを制したのはアンリエッタだった。

「ルイズ、恋に暴力はいけませんわよ」

 いつのまにか杖を取り上げられて、ルイズは我が身を持って才人を死守するしかなくなっていた。ミシェルは奥手だが、銃士隊の面々が全力でバックアップしてくるので油断できない。

「サイトはわたしのものよ。あんたは引っ込んでなさい!」

「むっ! わたしとお前は対等なはずだ。あの日の誓いを忘れてはいないぞ、わたしだってサイトをあきらめたわけじゃない」

 大岡越前の裁きのように、左右から才人を取り合うルイズとミシェル。ふたりとも、相手をきっちりとライバルと認めているだけに一歩も譲らない。恋で遠慮を選んだら、後に残るのは後悔だけなのだ。

 アイが幼い眼差しで「さんかくかんけー?」と興味津々で見つめていたが、あなたにはまだ早いわと連れて行かれてしまった。

 しかし、それで幸せかと言えばそうでもないのが才人だ。特に今回は重罪で人権をはく奪されて景品扱いだけに、裸のふたりに抱き着かれている感触以上の痛みが襲ってくる。

「痛い痛い痛い! あったかくて柔らかいけど痛い! げぼっ、ゴボゴボ! がはっ! お、お前らちょっと加減を!」

「あんたは黙ってなさい!」

「サイト、忘れてはいないか? お前にも罪の分の罰を受ける義務がある。よって、今回はわたしも優しくはしない!」

「いだだだだ! げぼぼぼ! こ、これって天国? いや、地獄だあぁぁぁっ!」

 目をふさがれているのでふたりの裸体を拝むことはかなわず、身動きを封じられているので痛みを防ぐことも溺れるのを防ぐこともできない。

 動機はどうあれ、才人も覗きに加わっていたことは事実。きちんと責め苦を受けなくては不公平なのである。

 

 それぞれの方法で処罰を受けている才人と水精霊騎士隊。そんな様子を、銃士隊や女生徒たちや魅惑の妖精亭の店員たちは、いい気味だとばかりに眺めている。

 さすがにティファニアは過酷な拷問の光景に眉をひそめてはいたけれど、「悪いことをするとああなるのよ」と、子供たちに言い聞かせていた。

 

 しかし、このまま過酷な責め苦が続くかと思われたとき、突然温泉に異変が起こった。

「あら? なにかちょっとお湯の温度が高くなったような……きゃあっ! あちち!」

 温泉につかっていた子が、あまりの熱さに温泉から飛び出した。温泉の中にいたほかの子も同じように慌てて湯から飛び出してきて、温泉の中は騒然となった。

「ちょっと、お湯の温度調節はどうなってるの! これじゃ熱湯じゃないの」

 ルイズがかんしゃくを起こしたように叫んだ。ミシェルとのけんかに夢中になっていたけれど、さすがにこれには耐えられなくて上がってきた。ちなみに才人は足元に丸太のように転がされている。

 見ると、温泉は浴槽の中の湯がボコボコと泡立っており、とても人間が入れるような温度ではないことは明らかだった。

 水責めを受けていたギーシュたちも、このままでは本当に死んでしまうとして、女生徒の何人かが氷の魔法で一時的に浴槽の温度を下げてから救出した。まだ責めたりない感はあるが、まあこれでひとまずは懲りたであろう。

 けれど、温泉の湯の温度を水で適当に調節する仕組みの故障かと思われたことは、そんな生易しいことではないようだった。脱衣場のほうから、ド・オルニエールの住人の悲鳴のような声が響いてきたのだ。

「旦那様方! 貴族の旦那様方、大変でございます! おいでくださいませ! み、湖が!」

 その必死な声に、なにか一大事の気配が一同を駆け巡った。

 銃士隊は即座に気配を切り替え、アニエスが指示する。

「全隊戦闘態勢! 女王陛下は私が護衛に当たる。ミシェルは半数を指揮して事態の把握と収拾に当たれ」

「はっ! 第三第四小隊はわたしに続け。行くぞ!」

 女王陛下の近衛部隊の真価を皆が目の当たりにしていた。あっという間に装備を身に着け、起こった異変の解決に当たるべく飛び出していく。

 そんな様子を、やっと拷問から解放されたギーシュたちは薄れる意識の中で見ていたが、アンリエッタの声が彼らを呼び覚ました。

「ミスタ・グラモン、あなた方は行かなくてよろしいのですか?」

「ハッ! そ、そうだ。みんな起きたまえ! ぼくらも水精霊騎士隊の名前を背負うものだ。ここでじっとしていてどうする! 汚名は働きで返上するんだ。さあ立ちたまえ!」

 尊敬する主君の前で醜態をこれ以上晒せないと、男たちは不屈の闘志で蘇った。

「水精霊騎士隊、杖取れ! 前進!」

 ギーシュを先頭に、少年たちはすっかり茹で上がった顔をほてらせながら、やや千鳥足で行進していった。

 さてそうなると、男子にライバル心を抱いているベアトリス率いる水妖精騎士団も黙っているわけにはいかない。

「エーコ、ビーコ、シーコ、ティア、ティラ! わたしたちも行くわよ」

「はいっ! 水妖精騎士隊全員、前へ。あんな破廉恥騎士隊なんかに負けてはいけませんわよ!」

 オンディーヌvsウンディーネ。どちらも一歩も譲る気配はなく駆けていく。

 そして才人も、やっと縄を解いてもらうとルイズに蹴っ飛ばされながらデルフを手に取っていた。

「いてて、死ぬかと思ったぜ」

「死ななかったから感謝しなさい。さあ、あんたもあんな連中に後れをとってる場合じゃないでしょ。わたしたちも行くわよ」

「わかったっての。テファ、魅惑の妖精亭のみんなや子供たちといっしょに宿に帰っててくれ。なあに、さっさと片付けてくるからよ」

 そうかっこつけて、才人も身なりを整えるとルイズといっしょに出て行った。その背に、ジェシカやスカロンのがんばってねという声援が飛ぶ。

 馬鹿なことをしでかしはしたけれど、いざとなると頼もしい若者たちだ。そんな彼らの背中を見ながら、アンリエッタとルビアナは静かに祈りを捧げた。

「彼らに、始祖ブリミルのご加護がありますように」

 

 

 外に出て見ると、すでにド・オルニエールのあちこちで異変が起きているのは一目でわかった。

 沸きあがっているのは温泉だけではなかった。小川や井戸など、あちこちの水辺から湯気が立ち上っている。

「なんだありゃ? 水という水がお湯になっちまったのかよ」

 才人があっけにとられたようにつぶやいた。ひなびた田舎のような光景だったド・オルニエールが、これではまるで噴火口の中にいるように変わってしまっている。

 こんな有様では川の魚は死に絶え、飲み水もなくなっているに違いない。いや、このままにしておけば熱湯は畑にも流れ込んで、せっかくの豊かな農場が全滅してしまうだろう。

「どうなってんだ。なにが起こってるんだよ?」

「馬鹿、水源に何か起こったに決まってるでしょ。ここの水源といえば、あの湖よ。行ってみましょう」

 ルイズに促されて、才人は一週間前にエレキングと戦った湖に走った。途中の道では、野菜や果物をくれた親切なおじさんやおばさんたちが右往左往している。あの人たちのためにも、この異変はすぐに解決しなければいけないとふたりは心に決めた。

 

 そしてくだんの湖、そこも案の定水温が急上昇して湯気が上がっており、湖畔ではすでに先に出て行った一同が話し合っていた。

「遅れたぜ。ねえさ、いやミシェルさん。いったいどうなってるんですか?」

「どうもこうもない、見たとおりだ。住民の話によると、湖から流れてくる水が急に熱くなりはじめ、井戸水も沸騰したらしい。幸い、この湖はまだ温泉程度の熱さだから、これから潜って調べるところだ」

 見ると、すでにティアとティラがスタンバイしていた。ふたりがパラダイ星人だということはほとんどの者が知らないけれど、さっきの泳ぎの巧みさを見たら彼女たちが適任であることは誰の目にも明らかだった。

 ティアは泳ぎたくてうずうずして、ティラはティアの無礼の挽回をしたくてベアトリスの命令を今かと待っている。

「いい? なにが起こってるか見てくるだけでいいのよ。無理してゆでだこになったりしたらダメなんだからね」

「だいじょーぶですって、水の中ならわたしたちは無敵ですって」

「ご心配おかけしますが、わたしたちも姫殿下のお役に立ちたいのです。では、行ってきますね」

 ふたりは湖に飛び込むと、皆の見ている前で人魚のようにあっという間に潜っていってしまった。

 湖はエレキングの養殖に使われていただけあってそれなりに深く、すぐには湖底が見えてこなかった。パラダイ星人であるふたりにとって、少々の水圧や水の濁りは苦にならないけれども、熱さで浮いてくる魚を見ると不安がよぎった。

 

 いったいこの湖の底でなにが? ティアとティラは潜りながら目を凝らした。

 すると、湖底の闇の中で何かが動いたように見えた。

「ティア、止まって! あれ、見えた?」

「ああ、なんだありゃ……でかい、ウミヘビ?」

 湖底で何かが確かにうごめいていた。細長いけれども巨大な何かが動いている。まさか、ラグドリアン湖にいたような巨大海蛇か?

「ティラ、もっと近づいて確かめようよ」

「うん、もしかしてあれが……ティア、危ない!」

 ティアが一瞬注意を逸らした瞬間だった。巨大で細長い何かが、まるで獲物に飛びかかる蛇のようにふたりに襲い掛かってきたのだ。

 とっさにかわし、細長い何かから距離をとるティアとティラ。巨大な細長い何かは、白い鞭に黒いまだらがついたような、なにかの尻尾のようなもので、明らかに彼女たちを狙っていた。

「ティア、逃げましょう」

「言われるまでもないって!」

 とても手に負える相手ではないと、ティアとティラは水面を目指して一目散に浮上を始めた。そして、緑色の髪をたなびかせて泳いでいく彼女たちを追って、水中から巨大な何かが浮き上がってくる。

 

「あっ、戻ってきたわ!」

 湖から飛び出してきたティアとティラを見てエーコが叫んだ。

 こんなに早く? 一同は怪訝に思ったが、すぐに彼女たちは皆に向けて叫んだ。

「みんな、湖から離れて! なにか、でっかい怪物が浮いてくるよ!」

「ええっ!?」

 ふたりの無事を祈っていたベアトリスが叫ぶと同時に、ミシェルが「全員退避!」と命令した。たちまち、銃士隊でない者も含めて湖畔から離れていく。

 ティアとティラも湖から上がり、それと同時に湖に水柱が立ち上り、そこから巨大な怪獣が現れた。

「あ、あいつは!」

 ギーシュが叫んだ。白色の体に黒い稲妻模様を持ち、頭部には回転するアンテナ。

 間違いない、あいつは一週間前にウルトラマンAが倒したのと同じ怪獣だ。才人は、まさかもう一度見ることになるとは思っていなかったと、口元を歪めながら叫んだ。

「エレキング! なんてこった、三匹目がいたのかよ」

 あのとき倒したエレキングが唯一育成が間に合った個体だとピット星人が言っていたから、まさかもういるまいと思っていた。しかし、現に目の前にエレキングはいる。

 湖に残っていた幼体が一週間で成長しきったのか? だが、そんな考察をしている暇もなく、レイナールがエレキングを指さして言った。

「みんな見てくれ! 怪獣のまわりの水が沸騰してる。あいつ、恐ろしいくらいに体温が高いんだ」

「マジかよ。じゃあ湖が沸いたのも、温泉が沸騰したのもあの怪獣のせいだってことか」

 ギムリも信じられないとつぶやく。

 そう、このエレキングは一週間前のエレキングと姿形は同じだが、その中身は同じではなかった。

 湖を沸きあがらせるほどの高温を発し、その手の先から白いガスを絶え間なく噴き出している。そしてエレキングは湖畔にいる人間たちに狙いを定めると、あの甲高い声をあげて動き始めた。

 

 

 続く



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第75話  嵐を呼ぶ怪獣エレキング

 第75話

 嵐を呼ぶ怪獣エレキング

 

 宇宙怪獣 エレキング 登場!

 

 

 ド・オルニエールで温泉を楽しむ少年少女たち。

 しかし、突然温泉が沸騰し、ド・オルニエールの水という水が熱湯に変わるという異変が起こった。

 異変の元凶は、湖の中に潜んでいた宇宙怪獣エレキング。

 しかし、通常のエレキングとは違って、こいつは信じられないほどの高熱を体から放つ特殊個体だった。

「あの怪獣、一匹だけじゃなかったのか!」

「どうするんだいギーシュ隊長? 命令をくれよ」

「決まってるさ。一度倒した相手に臆したとあっては騎士の恥、水精霊騎士隊全員、杖取れーっ!」

 ギーシュの掛け声で、水精霊騎士隊は表情を引き締めて、今まさに自分たちに向かって湖面を進んで来る怪獣を睨みつけた。

 エレキングを放っておけば、ド・オルニエールは水源をすべて熱湯に変えられて滅んでしまう。なんとしてもエレキングを倒さなければならない。

 前と多少違おうとも、一度倒した相手に負けるものか。だが、これから始まる戦いに思いもよらない魔物が潜んでいることを、まだ誰も知らなかった。

 

 

 湖岸で待ち受ける水精霊騎士隊。彼らの眼前で、エレキングはその体から放つ高熱で湖水を煮えたぎらせつつ、一週間前に彼らが見たものよりもさらに激しく身をよじりながら迫ってくる。それは、常人であれば腰を抜かして正気を失うような恐ろしい光景であったが、ギーシュたちには恐れはない。

 それは蛮勇? いや、地球の歴代防衛チームの隊員たちも、時には光線銃一丁の生身で巨大怪獣に挑んでいった。そうした勇敢な人々の活躍は今さら列挙するまでもあるまい。水精霊騎士隊のその目には、先ほどまでの覗きがバレてなよなよした軟弱な色はなく、貴族の誇りを自分たちなりの正義感と使命感に昇華させた、半人前ながらも戦士としての誇りが宿っていた。

 むろん、子供たちが闘志を燃やしているのに大人たちが怖気ずくわけもない。銃士隊は、怪獣の出現に対して、魔法の使えない自分たちでは何ができるかを判断して即座に実行した。

「走れ! ド・オルニエールの住民を避難させろ。奴が人里に近づく前に急ぐんだ」

 ミシェルが叫んだ。若年者に戦わせて自分たちが離れることに対して屈辱ではあるが、怪獣との遭遇など想定しておらずに装備不足の自分たちでは戦えない。だが、女王陛下の臣民の命を救うことはできる。ならば迷うべきではない。

 一方で、判断に迷っていたのがベアトリスの率いている水妖精騎士団である。水精霊騎士隊への対抗心で結成され、そのための訓練も積んできた彼女たちではあるけれど、まだ実戦経験はまったくなく、眼前に迫る怪獣の威圧感に完全に腰が引けてしまっていた。

「ひ、姫殿下、に、逃げましょう」

 少女のひとりがうろたえながらベアトリスに言った。臆病ではない、これが普通の反応なのだ。

 ベアトリスも、実際に暴れ狂う怪獣を前にして、未熟な自分たちがこれに立ち向かおうとする無謀さをひしひしと感じていた。

 かなう相手じゃない。アンテナを回転させるエレキングの無機質な顔を見上げると、これと戦ったら死ぬと心の底から思い知らされた。逃げても恥にならない相手はいる。逃げても誰も責めたりはしないだろう。

 しかし、ベアトリスが逃げようと命令しかけたときだった。よせばいいのに、ギムリが腰が引けているベアトリスたちに得意げに言ったのだ。

「怖いならぼくらの後ろに隠れてな。ぼくがかっこいいとこ、見せてやるぜ」

 その挑発的な言葉に、女子全員がカチンときた。ギムリとしては、軽い気持ちでギーシュあたりを真似てかっこつけたつもりだったのだろうが、女子たちからすれば覗き魔がいけしゃあしゃあと何をほざいているんだということにしか見えない。

 ベアトリスの瞳に、以前の冷酷な輝きが戻ってきた。それに、水妖精騎士団の少女たちも、元々は水精霊騎士隊に大きな顔をされているのが腹立たしくて結成されたメンバーだけあってプライドが高い。たちまちのうちに、恐怖心は怒りにとってかわられた。

「水妖精騎士団全員、わたしに恥をかかせたら承知しないわよ!」

「はい、クルデンホルフ姫殿下様!」

 あんな破廉恥隊に後れをとったとあっては末代までの恥。ベアトリスを守るようにエーコたちが円陣を組み、腕自慢の女生徒たちが持つ杖に魔法力が集中していく。

 どんなに訓練を積んだところでいつかは初陣を迎えなければならないのだ。女は度胸! あんな破廉恥隊にできることが、このわたしたちにできないはずがない。

 水精霊騎士隊と水妖精騎士団。それぞれ男子と女子からなる異色の騎士隊がライバル心むき出しで並び立つ。

 

 けれど、いくら闘志を燃やしても未熟なメイジだけでエレキングを倒しえるものだろうか? あまりにも危険だが、水精霊騎士隊の闘志が水妖精騎士団の闘志を呼んだように、危険を承知で戦う者は仲間を呼ぶ。ギーシュたちが燃えているのにじっとしてられるかと、才人はルイズに変身をうながした。

「あいつら、まーたかっこつけやがって。よしルイズ、おれたちも行こうぜ。エレキングに、何度来たって同じだってこと、教えてやろうぜ!」

 才人もギーシュたちに負けずに、向こう見ずなくらいに叫ぶ。覗きの汚名返上のいい機会だし、内心ではこのあいだウルトラリングを盗まれかけたときのことがまだくすぶっている。

 しかし、いつもなら即座に同意するか先に命令してくるはずのルイズの様子がどうもおかしかった。見ると、そわそわした様子で服やスカートのポケットを探りまくっている。そして、ルイズの顔が急激に青ざめていくのを見て、才人は最悪のケースを察してしまった。

「ルイズ? おい、まさか」

「……リング、脱衣場に忘れてきちゃったみたい」

「な、なんだってえーっ!?」

 思わず才人も間抜けに叫んでしまった。冗談じゃない、ウルトラリングは二つ揃わなければ役に立たないのだ。

「ルイズ、なにやってんだよ! お前までおれみたいなヘマしてどうすんだ!」

「しょ、しょうがないでしょ、急いで着替えしたんだから! お風呂に指輪つけて入るのはマナー違反じゃないの!」

 ルイズは顔を真っ赤にして怒鳴り返す。だが、そりゃ確かにマナーは大切だけれども、それでこうなっては元も子もないではないか。

 才人の背中のデルフリンガーが、娘っこの几帳面さが悪いほうに働いちまったな、と、他人事のように言う。けれど才人はそうのんきに構えてはいられない。リングがないとどうにもならないし、もし誰かが持って行ってしまったら。

「くっそお、引き返すしかないじゃねえか!」

 才人はルイズといっしょに温泉に引き返すために走り始めた。すると、才人やルイズの背にギーシュやキュルケの声が響いてきた。

「サイトぉ! この大事な時にどこへ行くつもりだい!」

「悪りぃ! すぐ戻るからちょっとだけ待っててくれ」

「ルイズ? あなたこんなときにお花を積みにでも行く気なの!」

「そんなわけないでしょ! ああもう! こんなことになったのもあんたたちが覗きなんかするからよ! このバカバカ! サイトのバカ!」

 ルイズは才人をポカポカと殴りながら走った。才人はもちろん痛がるけれど、原因の半分は自分にあるので強く言い返すこともできずに走るしかない。

 しかし、湖から温泉まではたっぷり数リーグある。いくら急いでも、果たして間に合うのだろうか。

 

 だが当然、エレキングがそんな事情を汲んでくれるわけがない。津波のように湖水を蹴り上げながら、ついに湖岸への上陸を果たすエレキング。その巨体を見上げて、水精霊騎士隊と水妖精騎士団は左右に別れた。ギーシュは杖を握り締め、作戦指示をレイナールに求め、彼は全員に通るように大声で答えた。

「その怪獣は前に雷みたいなブレスを吐いていた。だから、電撃以外の魔法で攻撃しよう!」

 単純だが明解で説得力のある指示が飛び、少年少女たちは一斉に魔法を放った。

 ファイヤーボールやエアハンマーなどの魔法が唸り、エレキングの巨体に吸い込まれていく。キュルケ以外はラインクラスが限界で、威力はさほど高くはないと言っても、百人近いメイジの同時攻撃を受けてエレキングは苦しそうに叫びながら身をよじった。

「いける! ぼくたちでもやれるぞ!」

 怪獣に目に見えたダメージを与えられたことで、少年少女たちから歓声があがった。

 しかし、痛い目に会わされてエレキングも黙っているわけがない。怒りのままに鞭のような長大な尻尾を叩きつけてきたのだ!

「みんな、伏せて!」

 人間以上の動体視力を持つティアが叫んだ。その声に、皆が訓練でくりかえした通りに反射した瞬間、彼らの頭上を巨木のようなエレキングの尻尾が轟音をあげて通過していった。

「あ、あっぶねえ……」

 ギムリが緑褐色の髪についたほこりを払いながらつぶやいた。今の声で皆が反応していなかったら、数人は首から上を持っていかれていたかもしれない。

 やはり油断は禁物。相手は怪獣なのだ、少し体を動かすだけでも人間にとっては大きな脅威になる。命拾いして息をついている水精霊騎士隊に、水妖精騎士団の少女たちからヤジが飛んだ。

「ふふん、どう? うちの子のほうがあんたたちなんかより出来がいいのよ」

「くっ! ぐぬぬぬ」

 プライドを傷つけられた水精霊騎士隊から悔し気な声が漏れる。特にエーコ、ビーコ、シーコは思いっきり勝ち誇って憎たらしい顔を作って見せたので、男たちの屈辱感は大きかった。

 が、そんなのんきな行為を続けさせてくれるほどエレキングはお人よしではなかった。間近に迫られるだけで、超高温を発する体からの熱波が少年少女たちの肌を焼く。まるで燃え盛る窯の前にいるようだ。

「あっ、ちちち! 後退! 後退だ! こいつのそばにいると照り焼きにされてしまうよ!」

 上陸してきたエレキングを見上げながらギーシュが叫んだ。一週間前にエースが倒した奴とは姿は同じでも明らかに違う、火竜でもここまで高熱を発しはしないだろう。

 エレキングが上陸しただけで、周辺の木々があまりの高熱にあてられて立ち枯れていく。そればかりか、エレキングはフライの魔法で後退していく少年少女たちに向かって、指先から白色のガスを吹き付けてきた。

「なっ、なんなの?」

「なんだかわからないけど吸っちゃダメだ!」

 今度はレイナールが動揺する少女たちに叫んだ。なんであろうと、怪獣が出してくるものがろくなものであったためしがない。

 とっさに口を押さえてガスの届かないところまで飛びのく少年と少女たち。振り向くと、ガスを浴びせられた木々が枯れ果ててしまっている。

 毒ガス? もしうっかり吸い込んでしまっていたら今ごろは……冷や汗がギーシュたちやベアトリスたちの背筋を走る。

 それにしても、植物を一瞬で枯らすこの威力。そして常に発し続けている高熱から考えて、ティラはパラダイ星の学者の卵として、ひとつの仮説を導き出した。

「まさか、高濃度の二酸化炭素? もしかして、惑星の温暖化を促進して生態系を破壊する怪獣兵器!?」

 エレキングが兵器として量産されている怪獣なら、攻撃する対象別のバリエーションがあっても不思議はない。怪獣一匹の噴き出す二酸化炭素の量などたかが知れていると思われるかもしれないが、宇宙大怪獣ムルロアのアトミックフォッグはわずか数時間で地球全土を覆いつくしてしまったほどの威力があった。もしこのエレキングがその勢いで二酸化炭素を噴出したらハルケギニアの気候は壊滅的な被害を受けるであろう。

「これ、温泉につかりに来ただけのつもりが世界存亡の危機じゃないの。いつかピット星人に文句つけてやるわ!」

 とんでもない置き土産を残していったくれたものだ。兵器として完成できたのは一体だけというがとんでもない、こんな悪意の塊のような奴が育ちきっているではないか。

 アンテナを回転させ、長すぎる尾で木々を蹴散らしながら前進してくるエレキングに対して、現在のところ有効な手立てはなかった。水から上がったせいで奴の体温がさらに上昇し、威力の弱い魔法が通じなくなってしまったのだ。

 エレキングの体表の高熱で、炎の魔法は言うに及ばず、風は気流に散らされ、土は砂に変えられ、水は蒸発させられた。特に、この中で唯一トライアングルクラス以上のキュルケの炎が封じられたのは痛かった。

「スクウェアクラスの氷の魔法で冷やせれば、別の魔法も効くようになるんでしょうけど、あの子がいれば……誰?」

 不可思議な感覚に戸惑うキュルケだったけれど、彼女は迫り来るエレキングの足音で我を取り戻した。温泉につかりすぎてぼんやりしてしまったのか? 今、そんなことを気にしている場合じゃない。

 エレキングの前進は止まらず、水精霊騎士隊も水妖精騎士団もバラバラになってしまってまともな迎撃などできない状態だ。ギーシュもベアトリスも進撃の速さに動揺して指揮が追いつけていない。

 キュルケは混乱している両者に向けて思わず叫んだ。

「なにやってるの! 連携がとれないならいったん引いて態勢を立て直すのよ。あの子ならそうするわ」

 あの子? わたしは何を言っているの? キュルケはとっさに口から出た言葉に動揺したが、キュルケが怒鳴ったおかげで混乱していた一同に明確な目的が生まれた。

「み、みんな! 森の外までいったん退却だ!」

 ギーシュがやっとのことで命令を飛ばし、一同はやっと退却に全力を尽くし始めた。

 エレキングは森の木々を蹴散らしながら追ってくる。その通り過ぎた後の森はことごとく枯れ果て、まるで干ばつに会ったかのようだ。

 こんな奴を野放しにしては、ましてや人里に入れたら大変なことになる。しかし今は、態勢を立て直す余裕ができるまで逃げるしかなかった。

 

 一方で、ド・オルニエールの里では一足先に戻った銃士隊によって怪獣が現れたという報がすでに駆け巡っていた。

「早く! 逃げて、逃げてください!」

 湖の方角から姿を見せ始めたエレキングを見て、住人たちは一目に逃げ出し、逃げ遅れている人々を銃士隊は救助していった。

 もちろん、アンリエッタらにも報告はすでに届いており、高台から指揮をとっていた。

「女王陛下、怪獣が近づいてきております。お下がりください」

「なりません。民の危機に、女王が真っ先に背を向けてなんとなりますか。民が安全なところまで避難できるまで、わたくしはここを離れません」

 烈風に鍛えられた根性で、ド・オルニエールを見渡してアンリエッタは言った。

 今日で、ド・オルニエールはだめになるかもしれない。けれど、民が残ればゼロからでもやりなおすことができる。

 そんな女王の気高い姿を見て、賓客のルビアナはすまなそうに頭を下げた。

「申し訳ありませんアンリエッタ様。本当なら私もここで見届けたたいのですけれど」

「いいえ、はるばるゲルマニアから来ていただいた貴女にもしものことがあってはわたくしの恥です。安心してください、怪獣と戦うことに関しては我が国は一日の長があります」

「ご無理はなさらずに……お先に失礼いたします」

 優雅な一礼をして、ルビアナも共の者に連れられて退去していった。

 魅惑の妖精亭の子たちも急いで避難し、ティファニアも孤児院の子たちを連れて行っている。そのため、コスモスが出られないのが痛いけれど、先日アイを誘拐されたときの恐怖が残る子供たちにはまだティファニアがついていてあげなくてはならなかった。

 けれど、住民のなかには踏みとどまって果敢に戦おうとする者たちもいた。

「わしらは、生まれたときからこのド・オルニエールで生きてきました。今さらよそでは暮らせはしませんのじゃ。残らせてくださいまし」

 老人たちのその健気な姿に、無理強いすることはできなかった。

 また、彼らの家族の中にも、雑他な武器を持って集まってくる者もいる。普段はなんと言おうと、そうして守りたくなるのが故郷というものなのだ。

「ここはわしらの土地じゃあ、バケモンめ、来るならこんきに」

 ついに田園地帯に入ってきたエレキングに老人がしわがれた声で叫んだ。

 そして、水精霊騎士隊と水妖精騎士団も、平民がこれだけの覚悟をしているのに貴族がこれ以上無様を見せられないと、今度こそ死守の構えで陣形を組む。

「いいか諸君、女王陛下がご覧になっておられる。ここより先、ぼくらの下がる道はないと思いたまえ!」

 ギーシュが薔薇の杖を掲げて仲間たちに命令する。本職の騎士のような強力な魔法はまだなくても、踏んだ場数の多さが彼らをいっぱしの騎士に見せていた。

 そしてベアトリスたち女子も同じように立つ。経験のなさを思い知らされても、彼女たちにも譲れない女の意地がある。

 

 けれど一方で、いまいち締まらないことになっている者たちもいた。

 言うまでもない、才人とルイズである……ふたりは誰もいなくなった温泉に戻って、脱衣場でルイズが置き忘れたリングを必死になって探していた。

「くっそぉ、ないないないないない! ルイズ、ほんとにここに置き忘れたのかよ?」

「ほかに思いつかないわよ! もう、こう散らかってちゃどれがわたしの使った籠だったかわからないわ」

 ルイズも半泣きになっていた。女子全員が大急ぎで着替えていったせいで、着替えを入れておく籠がタオルなどといっしょに散乱していて誰が使ったものかさっぱりわからなくなっていた。

 籠をひっくり返し、棚の隅を探し回っても見つからない。外からはすでにエレキングの鳴き声が聞こえてくるので、一刻も早く変身しなければいけないのに、自分たちはこんなところでタオルをかき回したりして何をしてるんだろうか?

「くっそお、こんなマヌケな理由で変身できなくなったのっておれたちだけだろうなあ」

 変身アイテムを奪われたならまだわかるが、なくすみたいなドジを踏んだのは自分たちくらいだろうと、才人とルイズは心底情けなく思った。

 実は唯一ではなく、同じようなヘマをやらかした先輩は存在するのだが、彼の人の名誉のためにここでは割愛する。

 しかし、必死の捜索のかいあって、ついにルイズの指先がタオルの下に隠れたリングを探り当てた。

「あった! あったわぁーっ!!」

 高々と上げられたルイズの指先には、確かに銀色に輝くウルトラリングが掲げられていた。

 ルイズの緋色の眼から、感動のあまり涙がこぼれ落ちる。

 もし見つからなかったらどうしようかと思った。それこそ、世界中の人たちに腹を切ってお詫びしなくちゃいけないくらいだった。いや、ルイズはトリステイン人だから切腹なんかしないけれども。

 しかし、感動に浸っている場合ではない。エレキングは、もうすぐ近くまで迫ってきている。この平和なド・オルニエールを荒らさせるわけにはいかない! ルイズはリングを指にしっかりとはめ、才人の手のひらとリングを重ね合わせた。

 

「ウルトラ・ターッチッ!」

 

 閃光が走り、きらめく光の渦の中からウルトラマンAの勇姿が現れる。

〔ちょっと今回はヒヤッとしたぞ〕

 意識を通じてウルトラマンAの声が二人の心に響いてくる。エースにとっても、今回の事は肝を冷やしたに違いない。

〔ご、ごめんなさい。北斗さん〕

〔わたしたち、最近油断しすぎてたかも。反省してるわ……〕

〔いや、わかっているならいいんだ。人間、一度こっぴどく失敗したら同じ失敗はそうそうしないもんだ。気にするな!〕

 うなだれている二人をエースは肩を叩くようにはげました。北斗も、ウルトラリングを盗まれたことはなくとも、ヤプールの策略にはまって変身不能にされてしまったことはある。あまり思い出したくない思い出でも、だからこそ糧となる。

 そして、失敗を取り戻す方法はいつもひとつ。黒に白を混ぜていったらいつか消えるように、失敗を押しつぶせるだけの何かで埋め合わせればいい。

 今、この場でそれをする方法はひとつ。この怪獣を倒すことだ!

「ヘヤアッ!」

 変身からの空間跳躍。空高く跳び上がり、舞い降りてきたエースの急降下キックが先制の一撃としてエレキングに突き刺さった。

 エレキングの細長い巨体が揺らぎ、エースはそのたもとへ着地する。そしてエレキングは、自らの進行を妨げた新たな敵に対して、金切り声をあげて向かっていった。

〔こいっ! エレキング〕

 エースは突進してくるエレキングを正面から受け止め、その首をがっちりと捕まえた。当然、振りほどこうと暴れるエレキングとエースの間で壮絶な力比べが生じる。

 押し合い引き合い、そんな攻防の様子を見て、悲壮な防衛戦を覚悟していたギーシュたちは新たな高揚感を覚えていた。

「よおーっし! そこだーっ、エース頑張れーっ!」

 少年たちから声援が飛ぶ。これから戦おうとしていたときに、獲物を横取りされた感がないかといえば嘘になるが、エースには何度も助けられ、このハルケギニアを守る仲間だという想いがそれより強くあった。

 一度やっつけた怪獣なんか一捻りだと、少年たちの声援に続き、少女たちも精悍なエースの勇姿にかっこいいとエールを贈り始める。ド・オルニエールの民たちは、神よどうかこの地をお守りくださいと、必死の祈りを捧げた。

 そう、ヒーローの姿は人々に希望と勇気を与えてくれる。しかし、このエレキングは前回のエレキングとはやはり大きく違っていた。エースと組み合ったエレキングの体から蒸気が沸きだしたかと思うと、エレキングはエースが触っていることもできないほど熱くなっていったのだ。

「ヌワアッ!?」

 エレキングを掴んでいたエースの手から、熱したフライパンに水を垂らしたような音がして、エースは思わず手を離してしまった。

 なんだいったい!? 一同がエレキングを見ると、エレキングの周囲で陽炎が起こり、周辺の木々は枯れるどころか干からびて崩れていく。その様子は遠く離れて見るアンリエッタからもはっきりと伺え、その様にアンリエッタは戦慄したように呟いた。

「まるで、生きた火の山のようですわ……」

 エレキングの体温が異常に上昇してきているのは誰から見ても明らかだった。才人は、これじゃエレキングじゃなくてザンボラーじゃねえかと呟いた。熱波はどんどん広がり、やや離れていたはずのギーシュたちの体からも滝のような汗が吹き出してくる。

「あ、頭が……」

「いけない! みんな離れるんだ。熱射病でやられてしまうよ!」 

 レイナールが叫んで、一同は慌てて距離をとった。熱にある程度強いはずの火の系統のキュルケでも目眩のしてくる信じられない熱さだ。とても人間の近づける温度ではない。

 エースは、火炎超獣ファイヤーモンスと戦った熱さを思い出した。いや、この熱気はファイヤーモンスの炎の剣以上だ。

 

 そればかりではない。余りの熱気は上昇気流となって大気を乱して黒雲を呼び、ド・オルニエール全体に激しい雷と嵐を巻き起こしていったのだ。

「きゃああぁっ! お姉ちゃん、怖いよお」

「みんなっ、体を低くして、物影に隠れるのよ」

 嵐に襲われ、ティファニアや子供たちはもう一歩も進めなくなっていた。近くにいたはずの魅惑の妖精亭の子たちもどこへいってしまったかわからない。ティファニアはコスモスの力を借りることもできず、目の前の子供たちを守るだけで精一杯だった。

 雷は辺り構わず降り注ぎ、子供たちはあまりの恐怖で泣き叫んでいる。しかも悪いことに、雷が彼女らの近くの木に落ち、へし折れた木が一人の子の上に倒れ込んできたのだ。

「お姉ちゃん、助けてーっ!」

「アナーっ!」

 ティファニアは必死に手を伸ばしたが届きそうもなかった。

 間に合わない。誰か、誰かあの子を助けて。ティファニアが必死に祈ったその時、誰かが飛び込んできて、木に潰されそうになっていた子を間一髪で助け出してくれた。

「ああ、あ、ありがとうございます。あなたは、女王陛下のお友だちの」

「ルビアナと申します。私もこの嵐で供の者とはぐれてしまいまして。けど、おかげで危ないところに間に合えてよかったですわ」

 ルビアナはにっこりと微笑んだ。そのドレスは嵐と泥で見る影もなく汚れているが、彼女は気にする素振りもない。その温和な様子に、助けられた子はルビアナのドレスにしがみつきながらお礼を言った。

「うぅ、お姉ちゃん……あ、ありがとう」

「あらあら、かわいいお顔が台無しよ。さあ、あなたはあなたのところへ帰りなさい」

 優しくルビアナに促され、その子はティファニアのもとに戻り、ティファニアはルビアナに心からの感謝を返した。

「本当にありがとうございますルビアナさん。なんてお礼を言えばいいのか」

「いいえ、当然のことをしただけですわ。それより、ここは無理に動かずに嵐が去るのを待ったほうがよろしいでしょうね。不躾ながら、私もしばらくご一緒いたします」

「はい。けれど、ひどい嵐です。いったい、いつ止んでくれるのかしら」

「きっとすぐやみますわ。だって、ギーシュ様が戦ってくれているのですもの」

 ルビアナは信頼を込めた笑みを浮かべ、子供たちに「だから心配しなくて大丈夫よ」と、優しく話しかけた。すると、ルビアナのその温和な雰囲気に、怯えていた子供たちも恐怖心を解かれてルビアナにすがりついていった。

「まあ、みんな甘えん坊さんね」

「きっと、子供たちにはあなたが優しい人だってわかるんですよ。みんな、ルビアナさんにご迷惑かけてはダメよ。さあ、こっちにも来なさい」

 ティファニアのもとに子供たちの半分が戻ってくる。みんな体は大きくなっても中身はまだまだ子供のようで、ティファニアとルビアナにすがってやっと落ち着きを取りもどしてくれた。

 まだ嵐は弱まる気配を見せない。動けないのなら、嵐が収まる時までこの小さな命を守らなければならないと、しっかりと小さな体を抱きしめ続けた。

 

 いまや、エレキングの振りまく被害はただの怪獣一匹の次元を超えつつあった。

 熱波を振り撒きながらエレキングが突進してくる。エースは組み合うのを避け、キックやチョップでエレキングを押し返そうと試みるが、間合いを詰められないのではエースの技も威力が半減してしまった。

「ムゥ……!」

 肉薄しなければダメージが通らない。対して、エレキングはその手から放つ二酸化炭素ガスでエースを追い立ててくる。

「ムッ、グゥゥッ!」

 さしものエースも 高熱と二酸化炭素の同時攻撃にはまいった。まるでエレキングの周囲だけ疑似的に金星の環境になったようなものだ、いくらウルトラ戦士の体でもこれではただではすまない。

 エースを助けるんだと、水の系統のメイジたちが氷の魔法を放つが、エレキングに届く前に蒸発してしまって通じなかった。彼らの好意はうれしいけれど、焼け石に水とはまさにこのことだ。

 ゾフィー兄さんのウルトラフロストくらいの威力がなければ、とエースは思った。エースの技は多彩だが、残念ながら冷凍系の技は持っていない。そもそもM78星雲のウルトラマンは寒さに弱く、冷凍系の技を持っていてもせいぜい一人に一つくらいで極めて少ないのだ。ウルトラの歴史の中では氷を操る戦士がいたこともあったけれど、彼のことも今では遠い思い出となっている。

 が、感傷に浸っている暇はない。今は、このエレキングを止めなければ、際限なくどこまで熱量を上げていくかわからない。しかし接近もままならないのでは、あっという間にエースの活動限界が来てしまう。ルイズはいら立って才人に問いかけた。

〔ちょっと、こういうときこそあんたのからっぽの頭でも役に立てるときでしょ! あの怪獣の弱点とかほかにないの?〕

〔そうはいっても、こんなに暑いと気が散って……そうだ、角だ! エレキングの弱点はあの角だ〕

 ぼんやりしてても、将来志望がGUYSの才人はさすがに思い出すのが早かった。

 エレキングの弱点は目の役割をする回転するレーダー角。それを破壊してしまえばエレキングは行動不能になる。それを聞いたエースは、すかさずエレキングの角を目がけて額のウルトラスターから青色の破壊光線を発射した。

『パンチレーザー!』

 矢のように鋭い輝きを放ち、パンチレーザーの光がエレキングの角を目がけて飛ぶ。しかし、なんということであろうか。パンチレーザーはエレキングの至近でぐにゃりと軌道を曲げると、角に当たらずに明後日の方角に飛び去ってしまったのだ。

「ヘアッ!?」

 確実に当たるはずだった攻撃をかわされ、エースも思わず動揺の声を漏らした。バリアか? いや、エレキングにそんな能力はないはず。となると、エレキングの周りで熱せられた空気が光を歪め、レーザーの軌道をずらしてしまったとしか考えられない。

 信じられない高熱だ。しかもこの熱はまだ上がり続けている。ならば、曲げきれないほどの威力で一気に叩き潰すのみ! 一撃必殺、エースは体をひねり、L字に組んだ腕からもっとも得意とする光波熱線を発射した。

 

『メタリウム光線!』

 

 光芒がエレキングの頭部に叩き込まれて大爆発を起こす。空気の対流くらいで逸らされるほど、ウルトラマンAの必殺技は半端な威力ではないのだ。

「やったか?」

 爆炎でエレキングの姿は隠れ、倒したかどうかはまだわからない。しかし、あれほどの威力を撃ち込まれて無事ですんだわけがないと、水精霊騎士隊も水妖精騎士団もじっと煙の晴れるのを待った。

 だが、力を抜けるその一瞬の隙に爆煙の中から蛇のようにエレキングの尻尾が伸びてきてエースの体に絡みついてしまったのだ。

〔しまった!〕

 気づいたときにはエレキングの尻尾は完全にエースに巻き付いてしまっていた。

 振りほどかなくては! だが巻き付いたエレキングの尻尾はビクともしない。そして、煙の中からエレキングが再び姿を現した。

〔角が片本残っている。くそっ、当たり所が悪かったか〕

 エレキングの頭部の片側は黒焦げになり、片方の角は吹き飛んでいるが、もう片方の角はかろうじて残っている。それでこちらの位置をサーチできたのだ。

 まずい、エレキングの最大の武器は尻尾にある。振りほどかなければ! だがエレキングはエースの抵抗をあざ笑うかのように、尻尾を通じて強力な電流をエースに流し込んできたのだ。

「ヌッ、グアァァァーッ!」

 何万何十万ボルトという電撃がエースに流し込まれ、溢れ出したエネルギーがスパークとなってエースを包み込む。

 すさまじい衝撃と激痛がエースの全身を貫き、エースは身動きできないまま電撃の洗礼を浴びせかけられ続けた。

「グッ、ウオォォォーッ!」

 電撃のパワーはエースの全力でも対抗しきれず、一気にカラータイマーが点滅を始めた。エレキングは奪われた角の恨みとばかりに、腕を震わせ全身から巨大都市何十個分という電気エネルギーを絞り出してエースに送り込んでいく。

 このままではエースが黒焦げにされてしまう! エースの危機に、水精霊騎士隊や水妖精騎士団はなんとかエースを助けようと動き出したが、エレキングの熱気の壁はメタリウム光線で弱められたとはいえまだ健在で、半端な魔法は通用しなかった。

「ワルキューレ! だめか、ぼくらの魔法じゃあいつには効かないのか」

 ギーシュのワルキューレすべての体当たりでもエレキングには通用しなかった。ほかの面々の魔法でも同様で、ベアトリスも魔法の撃ち過ぎで疲労困憊した体をエーコとビーコに支えられながら、悔しそうにつぶやいた。

「わたしにももっと力があれば……彼には大きな借りがあるっていうのに」

 エースのおかげで、エーコたちをユニタングの呪縛から解き放つことができたときのことは忘れない。その恩義はすべての誇りをかけてでも返さねばならないのに、今の自分にはその力はない。

「なにか、なにか強力な武器があれば、あの怪獣の角をもう一本折るだけでいいのに」

 エースがエレキングの角を狙って攻撃したのを彼女たちも見ていた。なら、角さえ折れれば怪獣は弱体化するに違いない。けれど、それをするための力がみんなの魔法にはないのだ。

 すると、そのときだった。戦いを見守っていたド・オルニエールの民たちが、一抱えほどもある大きな銀色の銃のようなものを持ってやってきたのだ。

「だ、旦那様方。よければこれを使ってくだせえまし」

「これは、こんな銃見たことないが、いったいこれはなんだね?」

「わしらも、もしも、この地に何か異変が起きたときのために有り金を寄せ合って武器を買っていたのでございます。使ったことはまだありませんが、とても強力な武器だという触れ込みでしたので……」

 土地の老人は貴族に対して恐る恐るながらも、その銃のような武器を差し出してきた。

 もちろんギーシュたちは疑いの目でそれを見た。もとより銃はハルケギニアでは平民用の武器で、ふいを打たれたりしなければ魔法には及ばない程度の代物なのだ。とても怪獣に通用するとは思えない。

 しかし、ギーシュたちはもとよりベアトリスたちも、その銃のような武器の持つ怪しい気配をなんとなく肌で察した。これまでに何度も宇宙人と接したことがあるだけに、その銃のような武器がハルケギニアのものとは異質な気配を持っているのを感じたのだ。

 もしかしたら? ベアトリスは商才を働かせて考えた。この怪しげな取引に乗るべきかそるべきか? いや、乗らなかった場合の結果は全員の死でしかない。

「わかったわ、その武器を使わせてもらうわね」

「クルデンホルフ姫殿下?」

「ミスタ・グラモン、迷ってる時間はないみたいよ。あなたたちの中で、銃の扱いができる人はいる?」

「え? じ、銃ならオストラントの機銃を扱ったことはあるけど」

「だったらあなたが撃ちなさい! ほら、ぐずぐずしないのよ!」

 小柄な体で思いっきり足を振りかぶってベアトリスはギーシュの尻を蹴っ飛ばした。

 こういうとき、男より女のほうが踏ん切りが早い。ギーシュは言われるままに、銃のような武器を受け取って照準をエレキングの角に定めた。幸い、見た目に反してけっこう軽い。

 エースは絶え間なく流され続けている電撃で今にも死にそうだ。ギーシュは、引き金に触れる指先にエースの生死がかかっていることに一筋の汗を流し、皆の見守っている中でゆっくり引き金を引いた。

「始祖ブリミルよ、そしてこの世のすべてのレディたち、ぼくに力をお貸しください」

 相変わらず余計な一言を付け加えながら引き金が引かれたその瞬間、銃口からピンク色のレーザーが放たれてエレキングの角に突き刺さり、なんと大爆発を起こしてへし折ってしまった。

「や、やった!」

 ギーシュは自分のやったことが信じられないというふうにつぶやいた。見守っていた他の面々も一様に、あまりの銃の威力に、喜ぶよりむしろ愕然としてしまっている。

 だが、エレキングの角を折ったという戦果は大きかった。外界の状況を探るためのレーダーである角をふたつとも破壊されてしまったエレキングは完全にパニックに陥り、エースを拘束していた尻尾の力を緩めてしまったのだ。

〔いまだ!〕

 エースは残った全力でエレキングの尻尾を振りほどいて抜け出した。

「シュワッ!」

 拘束から脱出し、エースは片膝をついて立ち上がれないながらも、なんとか自分が助かったことを確かめた。エースが無事だったことで、ギーシュたちも我に返って喜びの声をあげる。

 ともかくすごい電撃だった。あと少し食らい続けていたら、本当に焼き殺されていたかもしれない。才人とルイズも、「死ぬかと思った」と、今回ばかりは無事助かったことを手放しで喜んでいた。

 だが、本当に喜ぶのはまだ早すぎたようだ。角を破壊されて行動力を失ったと思われたエレキングが、再びすさまじい熱波を放ち始めたのだ。

〔なんだっ? まるで溶鉱炉の中にいるようだっ!〕

 さっきよりもさらに強い熱量がエレキングから放たれていた。それと同時に、エレキングの白色の表皮も赤く染まり出して、明らかに尋常な状態ではない。

 まさか奴め、死期を悟って周りを道連れに自壊するつもりか! こんな熱量の物体を放置すれば、ド・オルニエールが焼け野原と化してしまう。

〔い、今のうちにエレキングを倒さないと〕

〔でも、あんな爆弾みたいになった奴に光線を当てたら、それこそどうなるかわからないわよ!〕

 才人とルイズも焦るが、そもそも今のエースにまともに光線を撃つ力は残っていない。

 どうすればいいんだ! このままエレキングが地上の太陽になっていくのを見守っているしかないのか。エレキングの口から、勝利の雄たけびとも断末魔とも聞こえる叫びが轟く。

 しかし、もうエースに戦う力が残っていないことを見た水精霊騎士隊は、こんなときのために考えていた最後の作戦に打って出た。水妖精騎士団にも協力をあおぎ、田園地帯を流れる用水路に集まったのだ。

「ようし、水の使い手は用水路を凍らせるんだ。残りの半数は『固定化』、もう半数は『念力』の準備だ。急いでくれ!」

 少年少女たちは、熱波に肌を焼かれながら最後の精神力を振り絞った。

 用水路の水を凍らせて成形し、それをさらに固めた上でエースに向けて投げ渡した。

「ウルトラマンA、それを使ってくれーっ!」

 エースの手に、少年少女たちが作った最後の武器が手渡された。それは、用水路の水を使った青白く輝く美しい一刀。

〔氷の剣!? ようし、これなら!〕

 これならエレキングを誘爆させずに倒すことができる。

 エースは氷の剣を構え、エレキングを見据えて渾身の力で振り下ろした。

〔俺の残ったすべての光をこの剣に込める!〕

 一閃! 青い輝きがエレキングを貫通し、次の瞬間エレキングは頭から股先まで真っ二つになって斬り倒されていた。

「やった……」

 両断されたエレキングは左右に崩れ落ち、最後は自らの熱量によってドロドロに溶けて消滅していった。

 エレキングの死とともに熱波も消え、空を覆っていた暗雲も切れ、嵐も収まっていった。空には再び青空が戻り、季節通りの風が吹き始めた。

 ド・オルニエールに平和が戻ったのだ。そして穏やかな自然の風景を肌で感じ、皆の中から大きな歓声があがった。

「勝っ、たぁーっ!」

 会心の、しかし紙一重の勝利だった。

 このエレキングは強敵だった。しかし、ピット星人の言葉通りなら、もう戦闘可能な個体はいないはずなのにどうして現れたのだろうか? ピット星人の言葉が嘘であったとは思えない。でなければ前回の戦いのときに使っていたはずだ。

 なにか、ピット星人以外の外的要因があったのだろうか? そういえば、再生エレキングにしても一説には復活に何者かの手が加えられたという話がある。

 しかし、エースの耳に喜びに沸く少年少女たちや、ド・オルニエールの人々の声が響いてくると、心にひっかかっていたしこりも取れていった。

 エースが見下ろすと、ギーシュやベアトリスたちが手を振っている。ともに全力で戦ったことで、彼らにも戦友に近い感情が生まれたようだ。これで、覗きの罪が許されるまではなくとも、多少なり情状酌量の余地が生まれてくれればよいのだが。

 だが、手を振り返そうかと思ったそのとき、ギーシュが持っている”あの武器”にエースの視線は吸い込まれた。

〔あの武器は! どうしてあれがここに〕

〔北斗さん? どうしたんですか〕

〔いや、後で話そう。今は、もうエネルギーが危ない〕

 実際、もうしゃべっている余力もほとんどなかった。エースはカラータイマーを鳴らせながら飛び立ち、晴れ間の空の白雲のかなたへと消えていった。

 

 

 怪獣エレキングの打倒はすぐさまアンリエッタのもとへも報告され、水精霊騎士隊と水妖精騎士団は揃ってアンリエッタ直々にお褒めの言葉をいただいた。

「我が忠勇なトリステインの若き戦士の皆さん、ご苦労様でした。非公式の立場ですので恩賞を渡すことはできませんが、あなた方の戦功はわたくしの胸に永久にとどめることを約束いたします」

 ギーシュとベアトリスは、そのお言葉だけで億の恩賞に勝る誉れですと答え、少年少女たちは感動して静かに涙した。

 だが、アンリエッタは最後に一言付け加えることを忘れなかった。

「ただ、水精霊騎士隊の皆さん、そして水妖精騎士団の皆さん。話を聞くところ、今度の敵はあなた方のどちらかだけではとても力が足りなかったようですね。互いに切磋琢磨するのは当然ですが、このトリステインを守る者同士、あなた方は仲間だと言うことを忘れないでくださいね」

 肝に銘じます、とギーシュとベアトリスは答え、女王陛下の前で固く握手をかわした。

「勘違いしないでね、ミスタ・グラモン。覗きのことは許したわけじゃないんだから。でも、戦うあなたたちは少し、かっこよかったわ」

「いや、君たちこそ、あれほどのことができるとは思っていなかったよ。覗きのことは、その、あらためてお詫びする。二度としないから許してくれ」

「仕方ないわね。今度だけですわよ」

 ベアトリスが視線を向けると、女子たちもうなづいてくれた。

 その様子に、アンリエッタも雨降って地固まるとはこのことですわね、と微笑んだ。

 そして、そうしているうちに避難していた人たちも戻ってきたようだ。

「ああ、皆さんご無事だったんですね」

 一番にティファニアが喜びの声をあげた。次いで、ルビアナや魅惑の妖精亭の子たちもやってくる。心配されていたド・オルニエールの人たちも、銃士隊の適切な避難指示のおかげで犠牲者を出さずに済んだようだ。

 賑わう中で、さりげなく才人とルイズも戻ってきている。しかし、才人とルイズは、エースが気にしていた何かを確かめることに気が急いていた。

”いったい北斗さんは、なににあんなに驚いていたんだ?”

 そうしているうちに、今回の戦いに参加した住民たちにも女王陛下のお声がかけられ、彼らが戻ってくると、才人は急いで彼らの持っている銀色の銃を確かめに走った。

「ちょ、ちょっとすみません。少しでいいので、その武器を見せてもらえませんか?」

「へえ? 構わないでございますよ。どうぞ、ご覧になってくださいませ」

 頼むと、特に抵抗なく持っていた人は才人にそれを渡してくれた。

 才人は受け取り、それをまじまじと見つめる。すると、エースが驚いたわけが才人にもわかった。それは銀色の金属で作られた、明らかにハルケギニアのものではない兵器だったからだ。

「レーザー銃?」

 才人にはそれくらいしかわからなかったが、明らかなオーバーテクノロジー兵器であることは見ただけで確かだった。

 ルイズにはよくわからないようだが、それは仕方ない。これまで宇宙人の兵器をさんざん見てきてはいるけれど、ハイテク兵器という概念そのものがないのだから。

 しかし、北斗が驚いた理由はそれだけではないようだった。普段は滅多に語り掛けてくることはないのに、その武器を目の当たりにしたときに、才人とルイズの脳裏に話しかけてきたのだ。

〔間違いない。その武器はウルトラレーザーだ〕

〔ウルトラレーザー?〕

〔俺がTACにいた頃、ヤプールの手下のアンチラ星人が持っていた武器だ。どうしてこんなところに〕

 エース・北斗は信じられないというふうに語った。すると、才人もウルトラレーザーを見下ろしながら考え込んで答えた。

〔すると、トリステインにアンチラ星人が来てるってことですか?〕

〔いや、そうとは限らないかもしれない〕

 北斗は単純に答えを出そうとはしなかった。なぜかというと、ウルトラレーザーは元々アンチラ星人が元MAT隊員郷秀樹に化けてTACに潜入するための手土産として用意したもので、そのため『地球人の技術で作れて怪しまれない』程度のテクノロジーしか詰まっていない。実際、その後TACは恐らくは複製したと思われるウルトラレーザーを使用している。つまり、やろうと思えばどんな宇宙人でも作れてしまう程度の武器なのだ。

 が、それでもこんなところに軽々しくあっていいような武器ではない。才人は持ち主の人に、これをどうやって手に入れたのかを訪ねると、すぐに答えてくれた。

「はあ、何か月か前でございましたか。こちらを訪れたゲルマニアの行商人の方が売ってくれたのでございます。もしも、この土地にオークやコボルドが出たときにはそれなりの武器がないといけないと言われまして、このマジックアイテムを薦められました。その方が試しに使うと、大木を一発でへし折ってしまったので、みんなで話し合って購入しましたのです」

 どうやら住人たちはこれをマジックアイテムと思っているらしい。この世界の常識からして、そうとしか思えないのは当然のことだが、問題は彼らにこれを売りつけたというゲルマニアの商人だ。

「それで、その行商人さんはどこへ?」

「さあ、あれ以来見かけませんで、どこか遠くへ行かれたと思います。ですが、これ以外にもいろんな珍しいアイテムを持っていらしたようなので、今でもどこかで商売なさっていると思いますです」

 才人とルイズは顔を見合わせた。つまり、ウルトラレーザーと同じかそれ以上の兵器を、平民が買える程度の値段で誰かが売りさばいているということだ。今はまだ平民たちは、これがどれほどとんでもない代物なのか気づいていないようだが、もしもその気になって争いごとに使い始めでもしたら。

 深刻に考え込む才人とルイズ。すると、この中で唯一暗い雰囲気を放っているのに気付いたのか、ギーシュがはげますように近づいてきた。

「どうしたんだい二人とも? ははあ、さては今回のことで出番がなかったのを気に病んでいるんだろう? 心配することはないよ。ぼくらの誰も、君たちが逃げ出したなんて思ってはいないからね」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。まあいいか……ところでギーシュ、この武器のこと、どう思う?」

「ん? そういえば忘れてたけど、すごいマジックアイテムだったね。今回はこれがなかったら危なかったかもしれない。見たこともない形だけど、いったいどこの魔法機関が作ったんだろうね」

「ゲルマニアから来た商人が売ってたんだってさ」

 才人が経緯を説明すると、ギーシュはふーんとうなづいた後に言った。

「それはまた、金銭主義のゲルマニア人らしいことだな。ゲルマニア人にもルビアナのような虫も殺せないような美しい人がいるっていうのに、大違いだよ」

「まあ、ギーシュ様ったらお上手ですこと」

 わざとルビアナに聞こえるように言ったのがバレバレであるが、ルビアナは照れたようにうなづいた。

 ルビアナは穏やかな笑みを絶やさず、その腕の中では小さなエレキングがぬいぐるみのように抱かれている。ギーシュはそんなルビアナにさらにきざな台詞を贈って、さらにそれをモンモランシーに聞きつけられて怒られている。もう早くもこっちのことは視界に入っていないようだった。

 ルイズはそんな彼らの様子を見て、お気楽なものね、と、いつものように呆れてみせた。しかし、本当の意味ではルイズも事の重大さを理解できていない。

 エースは二人の心の奥に消える前に、才人に「今度の敵はいつもとは違うかもしれないぞ」と言い残していった。

 一体誰が、なんの目的でハルケギニアに武器をバラまいているんだ? ヤプールが裏で糸を引いているのか、それとも……。

 才人は考えた。しかし、すぐに考えに行き詰ってボリボリと頭をかいた。

「ダメだなあ、おれの頭じゃさっぱりわからねえや」

 読書感想文でシャーロック・ホームズを読んでも十ページで居眠りをしてしまうような脳みそで推理をしようとすること自体が間違っていると才人は気が付いた。

 面倒くさいので、犯人がここにいれば直接聞いてみたいとさえ思う。ともかく、情報が少なすぎた。

 こういうときに頼りになるのは……と、そのときキュルケが一同によく響く声で告げた。

「さあ、雨を浴びて汚れちゃったし、みんなで温泉に入り直しましょう。今度こそ、ゆっくりとね」

 そういえば、もう全身ドロドロであちこちがかゆい。皆は疲れたのもあって、温泉の温かなお湯がたまらなく恋しくなってきた。

 そうとなると話は早い。だが、ふと気にかかった。この土地の温泉が、あのエレキングが地下水を沸かしてできたものだとすれば、エレキングを倒してしまったら温泉も枯れてしまうのでは?

 だが、その心配は杞憂だったようだ。土地の人が、また温泉にいい塩梅の湯が湧いてきたと知らせに来てくれたのである。

「よかった。ここの温泉は元から本物だったのね。あーあ、安心したら体がかゆくなってきちゃった。サイト、着替えとタオルを用意しなさい」

「って、おいルイズ。せっかく難しい問題を考えてるってときに」

「どーせあんたの頭じゃ何も浮かばないんでしょ? なら悩むだけ時間の無駄よ。それより、今度は目隠しなしでわたしとお風呂入りたくない?」

「了解しました、ご主人様!」

 これぞ、即断即決の見本であった。才人は顔から火が出るほど元気いっぱいになって着替えを取りに走り出し、ルイズは横目でミシェルを見て「こ、これがわたしの実力なんだから」と、少し赤面しながらも勝ち誇って見せた。

 さて、そうなると収まりがつかないのがミシェルと銃士隊である。対抗意識を燃やして、才人が戻ってくるのを待ち構えた。

 そして、ルイズの挑発で火が付いたのはそれだけではなかった。ルイズでさえ、あれだけのアピールをしているというのに黙っていていいのかと、モンモランシーたちが同じようにギーシュたちを誘い始めたのだ。

「モ、モンモランシー、これは夢じゃないんだろうね。ほ、本当に君が僕と、は、裸の付き合いを!?」

「か、勘違いしないでよね。裸じゃなくてタオルごしなんだから。それに、ほかの子に目移りしたら許さないんだから!」

 たとえタオルごしでも、それは夢のようなお誘いに他ならなかった。それにギーシュはおろか、これまでガールフレンドのいなかったギムリやレイナールにも女の子から誘いが来ているではないか。

 これは本当に夢か? 覗き魔として処刑される運命にあった自分たちが、まるで正反対の立場にいるではないか。夢なら、夢なら覚めないでくれ。

 つまり、彼らはわかっていなかった。彼らが今日果たした役割の大きさと、なすべきことへの一所懸命さが女の子たちのハートを掴んだことを。男は百の言葉よりも、まずは背中で語れというわけだ。

 こうして、水精霊騎士隊は覗きなどという卑劣なことをせずとも、夢にまで見た混浴を我がものとすることができた。

 もちろんこの後でも、男女いっしょの入浴ということで様々な悲喜劇が起きたのは言うまでもない。しかしそれでも、彼らは今日という日を永遠に忘れることはないだろう。

 世界に不気味な影が迫っている。しかし、平和な日常はなにものにも代えがたい。

 せめて、この日はこれ以上なにもないことを祈ろう。明日からは、またなにがやってくるかわからないのだから。

 

 ちなみに、この数日後。ド・オルニエールから続く川の河口付近で、一人の貴族の少年が簀巻きにされた状態で漁師の網に引っかかっていたことを付け加えておこう。

 

 

 続く



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第76話  狙われたサーカス

 第76話

 狙われたサーカス

 

 放電竜 エレキング 登場

 

 

「皆さん、ご存じでしょうか? 宇宙の星々には、様々な伝説が語り継がれています」

 

「宇宙の平和を守る神の伝説、宇宙を滅ぼす悪魔の伝説。そして時に伝説は現実になって、我々を魅了してくれます」

 

「ですが中には、悪魔よりもっと恐ろしい、触れずに眠らせておいたほうがいいような恐ろしい伝説があるのです。そんな伝説に、ある日突然出くわしてしまったら貴方はどうしますか……?」

 

「そうですね。地球にはパンドラの箱というお話があるそうですが、ある日道端でパンドラの箱を拾ってしまったら、あなたはどうします?」

 

「なぜこんな話をするのかですって? だってそうでしょう。ある日突然、それを手に入れた者は宇宙を制することもできる宝をポンと見つけてしまったとしたら、こんなつまらない脚本がありますか……」

 

「……三流の役者に舞台を荒らされるなら、まだ愛嬌もあるというものですが……まったくこのハルケギニアという世界は特異点なんだと思い知りましたよ」

 

「けれど、私の演者としての持ち時間は変えられませんからね。当初の筋書きに狂いが出てきましたが、私にもプライドというものがあります。では、これからこの幕間劇が傑作となるか駄作となるか、続きをご覧ください」

 

 

 

 ド・オルニエールでエレキングと戦った日の翌日の朝。この日も才人たちの姿はド・オルニエールにそのままあった。

「ふわぁ……あーあ。今日には魔法学院に帰ってるはずだったのに、結局こっちで寝込んじまったか」

 才人は、屋敷に刺し込んで来る朝日を顔に受けて目を覚ました。

 しかしここは寝室でもなんでもない屋敷のロビーで、見ると、周りにはギーシュたち水精霊騎士隊の連中も床に寝転んでのんきな顔で寝息を立てている。あの後、全員で温泉を修理して温泉に入り直した。その中で、まさかの混浴となったわけで思わず長湯してしまって、風呂上がりの後の記憶がないというわけだ。

「こりゃ、コルベール先生が心配してるだろうなあ」

 と、才人は今さらな心配をした。けれど、昨日のことを思い出せば、そうするだけの価値があったと心から思える。

 そう、才人は夢のひとつを叶えたのだ。好きな子といっしょに風呂に入るという夢を。まさかまさかでルイズのほうから誘ってもらえ、並んでいっしょに湯船に入ったあの後のことは……時間よ止まれと何度祈ったかわからないほどだ。

「プニプニで、フワフワで、おれはあのときのために生まれてきたんだなあ……」

 思い出すと今でも涙が止まらない。男として生まれてきて苦節十ウン年、小学中学高校生活でも彼女のできた試しのない自分が、女の子と混浴を味わえるなんて、ほんと一年前までは思いもしなかった。

「人間、生きてたら何かいいことがあるって本当なんだなあ」

「まったくだねサイト、君の気持ちはよくわかるよ」

「うわっ! ギーシュ、お前いつのまに起きてきたんだよ」

「プニプニ、フワフワのあたりかな。いや、君もなかなかナイーブなところがあるんだねえ」

 お前に言われたくねえよ、と才人は思ったが、心の声が漏れていたことは正直不覚であったといえよう。

「それを言えばお前はどうなんだよ。モンモンとうまくいったのか?」

「そりゃもう、生きながらヴァルハラを散歩した気分だったよ。ぼくは悟ったね、ぼくが百万の言葉でモンモランシーを褒めたたえようとも、生まれたままの姿の彼女の美しさを言葉にするのは不可能だってことが」

「へーえ、でもお前さ、ルビアナって人に呼ばれてホイホイ行きそうになったところをモンモンに耳引っ張られてたのチラッと見えたけどな」

「なにを言うのかね? だったら君だってルイズだけじゃなくて、あの銃士隊の副長殿ともいっしょだったろう? ルイズそっちのけで誰の胸をまじまじと見てたか言ってあげようかな?」

 互いに自慢とも牽制ともつかないやり取りをする才人とギーシュ。本来なら、貴族と平民がこんなやり取りをできるわけがないが、二人はもう身分など気にしない親友なのだ。

 さて、そうしているうちに周りで寝ていた水精霊騎士隊の面々も起きてきたようだ。全員、目を覚ましながらもまだどこか夢うつつな様子で、昨日のことが頭から離れられないようだ。

「とりあえず、顔でも洗ってこようか……」

 人のふり見て我がふり直せで、才人とギーシュはみんなを伴って井戸まで行って冷水を浴びてきた。

 早朝の冷たい井戸水が肌に染みて本格的に目が覚める。夢の余韻が洗い流されると、皆はなんともいえない多幸感を表情に浮かべながらギーシュを見た。

「隊長……」

「いいさ、諸君。みなまで言うな。胸がいっぱいすぎてなんて言ったらいいかわからないんだろう? ぼくも今日だけは、そんな気持ちさ。だから諸君、一番大切なものはそれぞれの胸の中に大切にしまっておこうじゃないか」

 おしゃべりなギーシュも、まるで悟ったように語るほど、昨日のことは少年たちの誰にとっても素晴らしかった。誰もが、死んでもあのことだけは忘れまいと心に誓っている。しかしそこで、才人がみんなに知った風な顔をしながら言った。

「だけどみんな、ルイズに犬呼ばわりされてたおれからわかったようなことを言わせてもらえば、今のおれたちは美味しい骨をやっとくわえたばっかの犬っころだ。新しい骨を見つけてうかつに「ワン」なんて吠えてみろ。くわえてた骨まで落っことしちまうぜ。わかるだろ?」

 才人のその言葉に、皆ははっ! とした顔になった。

 そう、油断は大敵。人生、上がるのは大変だが落ちるのは一瞬なのだ。ましてや、昨日のことは覗きという最低最悪の行為が見つかった後の、まさに奇跡に等しい出来事だった。今後、もしまた覗きのようなことをしたら名誉挽回の機会は二度と来ないと思っていいだろう。

 しばらくは自重しよう。やっと上がった女の子たちからの好感度を、翌日急下降させるような間抜けだけは避けなくてはならない。

 と、いうわけで全員でもう一回冷たい水を頭から浴びて、彼らは屋敷に戻った。そして、起きてきた女の子たちに「あんたたち早朝から濡れネズミでなにやってんの?」と、呆れられたのは言うまでもない。

 

 やがて朝食も終わり、一日が動き出す。

 本来なら、昨日のうちに魔法学院に戻らねばならないはずだったので、今日はあまりぐずぐずもしていられない。

「幸い、馬たちは大丈夫だ。これなら日があるうちには余裕で学院までは帰れるだろう」

 エレキングの起こした嵐にも、馬たちはたくましく耐えてくれていた。そして、帰る算段がついたなら、あとはあいさつ回りを済ませなければならない。

 屋敷には、まだ仕事を残しているルビアナが続けて住まうことになった。食べ物などについては、土地の人が差し入れてくれるそうで心配はない。

「ではルビアナ、君と別れるのはつらいけど、ぼくたちもこれ以上学院を空けているわけにはいかないんだ。次の虚無の曜日には必ずまた来るから、しばしのお別れを許してくれ」

「おなごり惜しいですが、仕方がありませんね。ギーシュさまたちと過ごした毎日は、とても楽しかったです。せめて、お見送りだけはさせてくださいませ」

 こうして、見送りについてくるルビアナといっしょに、魔法学院の生徒たち一行は屋敷を後にした。

 ド・オルニエールの里は平穏さを取り戻しており、今日は穏やかな晴れで、昨日の戦いが嘘のように感じる。

 一行は、滞在中に世話になった住人の方々にあいさつをして回り、その途中で同じように帰り支度をしている魅惑の妖精亭の面々と会った。

「ようジェシカ、そっちもこれから帰りか?」

 才人が声をかけると、八百屋で野菜を見繕っていたジェシカが振り向いた。

「おはようサイト、わたしたちも昨日のうちには帰るつもりだったけどだめだったからね。せめて、こっちで安い食材を仕入れてから帰ろうとしてるのよ。それより、ルイズとは風呂上りにうまくやれたの?」

「……悪いが記憶がねぇ」

「あら残念。失敗してたらシエスタを焚きつけようと思ったのに。それはともかく、ここの温泉は気に入ったわ。約束通り、トリスタニアで宣伝しておくから、ね?」

「わかってるよ、魅惑の妖精亭のメンバーはフリーパスだろ。ほんと、お前らはちゃっかりしてるよなあ」

 こういう面ではすでに働いている相手にはかなわないと才人は思った。後ろではスカロンたちが、お肌がすべすべでお客さん増えすぎちゃったらどうしようとはしゃいでいるが、ギーシュたちはトラウマを呼び起こされて吐き気を催しているようだ。

 さて、立ち話をしていると、どうやら人間の考えることは似通っているようで、ティファニアが孤児院の子供たちを連れてあいさつにやってきた。

「皆さん、今回はご招待ありがとうございました。わたしもそろそろ、この子たちを送り届けて帰ろうと思います」

 ティファニアが丁寧にぺこりとおじぎをすると、その下で逆さむきになった巨峰がぷるんと揺れて才人はどきりとした。

「サイトさん?」

「い、いやなんでもない。気を付けて帰れよ」

 まずいまずい、ここで下手に鼻の下を伸ばしたりすればルイズの嫉妬にまた火がついてしまう。昨日の今日でまたふりだしに戻るはごめんだ。

 道中はマチルダがいるから心配はない。むしろ盗賊が現われでもしたほうが心配だ。道端に身ぐるみはがされたオッサンの簀巻きが転がっている凄惨な光景が出来上がるかもしれない。

 と、そこへさらに、砂利道を規則正しく踏み締めながら行進する音が響いてきた。才人が「おっ」と思って振り向くと、思った通り、こんな規則正しい足音を立てる集団は、ド・オルニエールにたったひとつだ。

「ほう、雁首揃えているな。破廉恥隊ども」

「うっ、それはもうナシにしてくださいよ、ミス・アニエス」

 さっそくの毒舌に、ギーシュが苦しそうに答えた。

 見ると、隊列の中央には顔を隠したアンリエッタもいて、一同は反射的に敬礼をとった。むろん、すぐに「楽にしてください」と手ぶりでたしなめられ、一同は力を抜いた。

 どうやら彼女たちもこれから城へ帰るようだ。というより、これ以上女王が城を空けているといくらなんでもマズいであろうから、アニエスの表情にもどことなく焦りが見える。もしも城で大事があったら伝書フクロウが飛んでくるはずであるから、今のところは大丈夫なはずではあるが、万一なにかがあったらアニエスの首が飛びかねない。鬼の銃士隊隊長も決して楽な仕事ではないのだった。

 しかし、ほかの銃士隊の面々は隊長の気苦労も知らずにのんきそうであった。能天気なサリュアはおろか、副副隊長格のアメリーも温泉の効能で私たちの人気もまた上がっちゃうわねとはしゃいでいる。本当に、リアルとプライベートの使い分けがうまいというか、なまじどいつもいざとなると人一倍働くだけにアニエスも強く言えずに困っているようだった。

 ま、これも付き合いが長いゆえか。才人は、姉さんお疲れさまと心の中で頭を下げると、こっそりとミシェルの隣に移動して話しかけた。

「……真面目な話、昨日頼んだあのこと、できるだけ早くお願いします」

「わかってる。実物もスケッチしたし、こういう仕事はこっちの専門だからな。ウルトラレーザーか、確かにあんなものをそこらの平民が持っていたら、そのうち自衛どころではない事件になるのは目に見えている。帰ったらさっそく探りを入れてみよう」

 才人はミシェルに、ウルトラレーザーの出どころを探ってくれるように頼んでいたのだった。あれはどう見てもこのハルケギニアにあっていいレベルの兵器ではない。そんなものを安値で売りさばいている奴がいるならば、いずれ大変なことが起きるのは目に見えている。特に、この手の捜査はアニエスに次いでミシェルの得意分野だ。

 ただし、今はそう大きくは動けない理由があった。

「ただ、あまり早くはできないかもしれない。この間のトルミーラの件で、奴の背後にいた奴の捜索もまだ続いているし、なによりあの件で単独行動が過ぎたせいでしばらく自重しろと叱られていてな。あまり期待はしないでくれよ」

「ああ、あの後アニエスさんにこっぴどく怒られたって聞きました。でも、これがヤバいことだってのはアニエスさんもわかるんじゃないですか?」

「実際に被害が出ないと、こういうものに簡単に人手は割けんよ。それに銃士隊にもいろいろ仕事があってな。姉さんが皆が少しくらいふざけているのを大目に見ているのも、普段が過酷だからだ。そうだ、サイトが銃士隊に入ってくれるなら助かるんだがな。前にも言ったが、男でもサイトなら歓迎だぞ」

「えっ! お、お気持ちはうれしいですけど、ルイズの許可がないと……」

「はは、わかってるよ。遊びたい盛りのサイトに、銃士隊の任務は務まらないさ。でも、将来働き口が欲しくなったらいつでも来ていいんだぞ。それこそ、わ、わたしが、て、手取り足取り教えてやるからさ」

「……そう言えって、アメリーさんたちに吹き込まれたんですか?」

「うん……」

 慣れないお姉さんぶりっこが不自然だと思ったら、やっぱり銃士隊の連中が裏で糸を引いていたのかと才人は頭が痛くなった。

 そりゃ、ミシェルのことは嫌いではない。いや、嫌いではないどころか、海のような青い髪に整った顔立ちは文句なしで美人だし、胸の大きさはティファニアほどではないにしても、むしろスレンダーな体格と均整がとれて非常に美しい。それに、昨日いっしょに入浴したときに気づいて、あえて口には出さなかったけれど、今では一言で言ってしまえば、欠点を見つけることのほうが難しいトップモデル級である。性格は真面目だし一途だし、素はちょっと弱いところがあって可愛いし、ほんと自分にはもったいない人だと思う。

 けれど、それに対して欠点だらけながらもほっておけないのがルイズなんだよなあと才人は思う。銃士隊の面々からすれば、なんであんなかんしゃく持ちから離れないんだと不思議に思われてるかもしれないが、胸の奥のドキドキというものは言葉で説明できないからやっかいなのだ。まったく、それこそギーシュみたいに誰にでも好きだと言えればどんなに楽か。

 しかし、それはそれとしてウルトラレーザーの件は気に止めておかねばならない問題だ。どう考えても、この一件には宇宙人が絡んでいるのは間違いない。才人は、狙いが空振りになって落ち込んでいるミシェルを励ますように言った。

「ミシェルさんはそのままのほうが一番いいんだよ。余計なことしなくたって、ミシェルさんが誰よりきれいな心を持ってるのはおれが知ってるからさ」

「サイト……そういうことを素で言えるのがお前のズルいところだよ。でも、もうそろそろ人目を気にせずに名前だけで呼んでくれ。もう誰も気にしないからさ」

「えっ? ミ、ミシェル……」

「サイト……」

 見つめ合う二人。そんな様子を、いつの間にか周り中の目が生暖かく見守っているのを二人は気づいていない。

 そしてそんな二人に、銃士隊の中から「作戦成功ですね副長!」とささやく声が響いた。そう、策は二重三重に張ってこそ価値があるものなのである。

 ついでに、その外野でルイズがいきり立っているが、銃士隊二人に羽交い絞めにされながらアンリエッタにいさめられていた。

「離してーっ! 離しなさいったら! あの浮気者を地獄に送ってあげるんだからぁ!」

「あらルイズ、暴力はいけないわ。レディならあくまで魅力で勝負しないと美しくありませんわよ」

「女王陛下! あなたはいったいどっちの味方なんですか!」

「それはもちろん、可愛い臣下の幸せを願っているに決まっているじゃないの。うふふ」

 臣下って、それを言えばルイズもミシェルもどっちも臣下じゃないですか。アンリエッタは優しげな笑みを浮かべ続けるだけである。

 

 さて、ド・オルニエールの広場ではこれらの他にもそこかしこで話す声が響いている。昨日の裸の付き合いを経て、すっかりみんな打ち解けていた。

「また来週、ここで温泉に入りに来ましょう。健康と美容にいい食べ物も、まだたくさんあるんだって」

「もちろん、じゃあ次は別の友達にも声をかけておくね。楽しみだわ」

 なんやかんやで、ド・オルニエールを温泉で盛り上げるという計画は成功を収めつつあるようだった。この調子なら、女子生徒たちは別の女子生徒へ、魅惑の妖精亭や銃士隊からはトリスタニアの人々へと口コミが広がっていくことだろう。

 もちろん、集客は始まったばかりであり、今は物珍しさで来てくれる人もいるだろうけど、リピーター客を得るにはこれからだ。出だしで調子に乗って一年も持たずに閉鎖した観光地などいくらでもある。まあ、出だしはできたことだから、これから先はビジネスの専門家のルビアナがいるし、ド・オルニエールの人たちもやる気になっているから自分たちは身を引くのが筋だ。なによりこれ以上こっちにかまけて落第になったら目も当てられない。

 一同はしばしの別れの前に少しでもと、親しげに談笑を続けた。そして、それもそろそろ終わりに差し掛かった時のことである。どこからともなく、トランペットやドラムで奏でられた軽快な音楽が風に乗って響いてきたのだ。

 パンパカパンパン♪ ピーヒャラピーヒャラトントントン♪ 聞いているだけで愉快になってくるような音楽に、一同は話を忘れて周りを見渡した。

「なんだい? お祭りがあるなんて聞いてないけど」

「おい、あれ。あれ見てみろよ」

 怪訝な様子から誰かが指さしたほうを見ると、街道のほうから派手な身なりをした一団が笛や太鼓をたたきながら大きな荷車といっしょにやってくる。そして、荷車に立てられたのぼりには、『パペラペッターサーカス』と大きな文字で書いてあった。

「へーえ、ハルケギニアにもサーカスってあるんだなあ」

 才人が感心したように言った。魔法で飛び回ったり、好きに火や水を出したりできるこの世界ではこういうものははやらないと思っていたが、意外とそうでもないようだ。

 すると、ミシェルが軽く笑いながら教えてくれた。

「あくまで平民向けだがな。貴族は体裁にこだわって演劇やオペラしか見ようとしないが、手ごろな値段で見れる単純な娯楽は平民にはけっこう人気がある。ただ、リッシュモンが低俗な見世物はよくないと言って数年前に締め付けたから、最近はめっきり減っていたが、まだ生き残りがいたんだな」

 サーカス団は十数人ばかりの規模で、楽団のほかにおなじみのピエロや、肩に鳥を乗せた動物使い、うしろの荷車には動物の檻も見えて、なかなか盛況そうに見えた。

 やがて音楽を鳴らしながらサーカス団はここまでやってくると、先頭に立っている団長らしき小太りな男性が大仰にお辞儀した。

 

「レディースアンドジェントルマン! 我がパペラペッターサーカスへようこそ。私、団長のパンパラと申します。本日より、この地でしばらく公演をさせていただきます。はじまりは忘れかけた昨日の夢を、おしまいは明日への胸のときめきを。皆さま、気軽にこの夢の世界の門をくぐっておいでください。初回公演は一時間後にスタートいたします」

 

 団長のあいさつとともに後ろの団員たちも一礼をして、ついで誰からともなく拍手が鳴り出した。

 その陽気な様子に、才人も思わず顔をほころばせてルイズに言った。

「いいなあ、サーカスだってよサーカス。なあルイズ、帰る前にちょっと見て行こうぜ」

「はぁ? あんた何言ってるのよ。わたしたちは急いで学院に帰らないといけないんでしょ。遊んでる暇なんてないわよ」

「どうせ今日の授業には間に合わねえだろ? なら、一時間や二時間遅れたって変わりはしないだろって。サーカスっておもしろいんだぜ、見て行こうぜルイズ」

 すっかりウルトラレーザーのことなどは頭から抜け落ちた才人であった。とはいえ、この年頃の少年は好奇心旺盛で気が散りやすいものだから無下に才人を責めるわけにはいくまい。

 しかし、サーカスというものに懐疑的なルイズはいい顔をしなかった。

「サーカスってあれでしょ。飛んだり跳ねたり手品を見せたりするんでしょ? そんなのあんたいつでも見てるじゃないの」

「ちっちっち、わかってないなあ。それを魔法を使わないでやるからすげえんじゃないか」

「いやよ、あんなちゃらちゃらしたの胡散臭いじゃないの」

 ルイズはどうも機嫌が悪いのもあって意固地になってしまっているようだった。見ると、学院の生徒たちも、貴族としてのプライドからか、いまひとつ興味はあっても乗り気ではないようだった。

 と、そのときだった。団長の顔をさっきからまじまじと見つめていたスカロンが、ポンと手を叩いて言ったのだ。

「あーっ、思い出したわ。あなたたち、旅芸人のカンピラちゃん一座じゃない!」

 すると、それを聞いて驚いた団長がスカロンを見て、こちらもはっとしたように跳び上がってスカロンに駆け寄ってきた。

「おお、そういうあなたはスカロン店長ではありませんか! おお、おお、よく見れば魅惑の妖精亭のみなさんもご一緒で。あの節ではお世話になりました。あなたのご恩は忘れたことはありません」

 感極まったように涙を流しながらスカロンの手を握る団長に、周り中から驚いた視線が集まる。

 いったいどういうことだ? 知り合いなのかといぶかしる周りからの疑問に、スカロンは笑いながら答えた。

「何年か前のことだけどね、ド貧乏な旅芸人の一座がうちに寄ってきたことがあるのよ。もう無一文で、せめて衣装と引き換えに食べさせてくれっていうから一晩泊めてあげたんだけど。へーえ、あのボロボロの一座が立派なサーカスになったものじゃないの」

「はい、お恥ずかしい限りですが、当時の我々は芸人としてはさっぱりで、もう飢え死にする寸前でありました。ですが、行き倒れ同然で転がり込んだ我々に一夜の宿を与えてくれたスカロン様の温情を受けて、まだこの世は捨てたものではないと思いました。そして、名前をパンパラと変えて心機一転芸を磨き続けて、ようやくここまで一座を大きくすることができたのでございます」

 まさに、聞くも涙の物語であった。人に歴史ありというが、陽気に人を笑わす芸人にも、裏には血のにじむ苦労があるものなのだ。

 しかしパンパラ団長は芸人に涙は禁物だと目じりを拭うと、皆を見渡して大きく言った。

「さあさ、こんな明るい日に湿っぽい話はナシでございます。今日はうれしい方と再会できた素晴らしい日です。特別に、初回公演料はいただきません! どうか皆さん、我々のサーカスを見ていってくださいませ」

 その言葉に、一同から歓声があがった。魅惑の妖精亭の皆は、どうせトリスタニアには数時間もあれば帰れるのだからと、公演を見ていく気満々になっているし、ティファニアは子供たちからサーカスを見て行こうとせがまれて断れなくなっている。

 それでも、ルイズや魔法学院の生徒たちは学院に急いで帰るかどうかでまだ迷っている様子だったが、天秤を大きく傾かせたのはアンリエッタだった。

「まあ、おもしろそうですわね。サーカスですか、平民の娯楽を知るのも為政者としては大切な務めですわよね」

 興味津々で言うアンリエッタ。しかし、それに血相を変えたのはアニエスだった。

「い、いけません陛下! これ以上帰還が遅れたら枢機卿がお怒りになられます。ただでさえ今回は無理して来たというのに、これ以上遊んでいる時間はありません」

 しかしアンリエッタは顔色一つ変えずに静かに言い返した。

「あら、お城よりも城下のほうが民の暮らしはわかるものですわよ。これも立派な公務ですわ。そういえば、マザリーニ枢機卿といえば……先日、お城の書庫で持ち出し厳禁の先王様時代の経理書がインクまみれになっていたと、カンカンに怒っておいででしたが……誰の仕業か知っているかしら? アニエス」

「お、お供つかまらせていただきます……」

 冷や汗を流しまくるアニエスを見て、何をやっているんだ、この人は……と、才人は少々げんなりした。そんな場所で何をしていたか知らないが、もしかして仕事外ではポンコツなんじゃないのかこの人は? と、思わざるを得ない。

 とまあこういうわけで、女王陛下がご覧になるのならば我も我もといったふうに、水精霊騎士隊も水妖精騎士団も全員サーカス見物を決めてしまった。こうなるとルイズも一人だけ先に帰るわけにもいかず、しぶしぶ自分も参加するしかなかった。

 

 サーカスのテントは手慣れた様子で一時間ほどで組み上げられ、公演は即座に開始された。

「へーえ、テントの中も地球のもんとあんま変わらないんだなあ」

 テントの中は意外と広々としていて、ざっと二百人くらいは収容できそうな広さを持っていた。U字型になった観客席の中央には、おなじみの空中ブランコの立てられたショースペースがあり、才人は小さい頃に母親に連れて行ってもらったサーカスを思い出した。

 客席は平民用であるために粗末な木の椅子で、そこは多少不満が出たものの、女王陛下が平然としているのに文句をつける者はいない。

 ずらりと整然と席に座り、一同は開演を待った。薄暗い中で、ざわざわと囁く声があちこちから聞こえる。サーカスというものを名前では知っていても、実際に見たことがある者はほとんどいなかったので、不安や憶測でいろいろな話が飛び交っていた。

「サイト、ほんとに大丈夫なんでしょうね? 平民向けの低俗な劇なんかでわたしを退屈させたら許さないわよ」

「大丈夫だって。お前こそ、食わず嫌いせずにもっと期待してみろよ。すっげえ楽しいんだからさ」

 才人はいぶかしるルイズをなだめながら開演時間を待った。

 それでも、開演が間近に迫ってくると、期待に傾く声も増えてくる。ベルが鳴り、開演まであと五分のアナウンスが流れると、いよいよだと皆が息をのんだ。

「さあ、いよいよ始まるぜ。ん? 今ちょっと揺れたような……気のせいか」

 椅子からわずかな違和感が伝わってきたが、すぐ収まったので才人は気にせずにステージのほうへ意識を向けた。

 

 開幕まで、あと三分。その頃、舞台裏ではサーカス団員たちが最後の準備をすませて、いまかいまかとスタンバイしていた。

 団長は張り切っている。恩人に見せる晴れ舞台である上に、多くの貴族たちが見に来てくれているという(アンリエッタがいることは気づいていない)またとない機会だ。

 団員たちはそれぞれの演技の準備を済ませ、そして裏方たちは仕掛けに異常がないかを念入りに調べて待つ。

 そんな中、照明を任されたある団員は天井付近で役目を待っていたが、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。

「誰だい? 打合せならもう済んだ……ひっ! バ、バケモ」

 鈍い音がして、裏方の団員は桁の上に倒れ込んだ。

「……本来なら消しておきたいところですが、万一にも事前に察知される危険は冒せませんからね。さて、ここからなら全体がよく見えますね」

 何者かは天井裏の暗がりに身を潜めつつ、ほくそ笑みを漏らした。

 

 そして遂に、サーカス開演の瞬間が訪れた。

「レディースアンドジェントルメン! 大変長らくお待たせいたしました。パペラペッターサーカス、これより開幕いたします。夢と興奮のひとときを、どうぞお楽しみになってください!」

 ファンファーレとともに幕が上がり、団長に続いてきらびやかな衣装をまとった団員たちが現われて優雅に一礼した。同時に天井から色とりどりの照明とともに紙吹雪が舞い降りてきて、観客から歓声があがった。

 そうそう、この陽気な雰囲気こそがサーカスだよと、才人はまだ始まったばかりなのに嬉しくなった。が、少し気になったことがある。舞台に出ているサーカス団員の誰もが半そでで手袋もない素手をしている。服装は派手なので妙にアンバランスだなと思ったら、団長が「タネも魔法もございません。では、ショーターイム!」と言ったことで、なるほどメイジが紛れ込んで杖を隠し持ったりはしていませんよという証明なのかと理解した。

 そして一番手、さっそくの動物使いの登場に観客は早々に度肝を抜かれることになった。

「うわっ! なんてでかいライオンだ!」

 猛獣使いを乗せて現れたのは、二メイルはあるかという巨大なライオンだった。人間なんか一口でパクリといってしまいそうなでかさと迫力で、その一吠えで学院の生徒たちは縮こまり、子供たちは泣き出すくらいだった。

 しかし、猛獣使いはライオンの背からひらりと降り立つと、ライオンの頭を撫でながら観客に言った。

「皆さんこんにちはーっ! あたし、猛獣使いのルインっていうの。あたしの友達がビックリさせちゃってごめんねーっ! あたしたち、南の国からやってきた兄妹なのーっ。今日はあたしたちのショーを楽しんでいってねーっ!」

 そう言って猛獣使いはライオンの頭に飛び乗ると、ライオンはなんと後ろの二本足ですっくと立ちあがったではないか。

 おおっ! と、思いもかけないライオンの行動に驚く観客。そして軽快な音楽が始まると猛獣使いはライオンの頭に片手で逆立ちして、そのままライオンの頭の上で体操をしたり、かと思うとジャグリングやトランプ芸を披露して見せた。

「すごい。メイジと使い魔だってあそこまで息を合わせるのは難しいっていうのに」

 レイナールが感心してつぶやいた。猛獣使いといっしょにライオンだって動き回っている。二足歩行から四つん這いになって走り回ったりと、激しく動き回っているのに、乗っている猛獣使いは少しもバランスを崩さないのだ。

 そして、大きなライオンが猛獣使いといっしょにコミカルに動き回るのを見て、怖がっていた子供たちも緊張がほぐれてきた。席から立ってステージと観客席の間の柵に駆け寄り、猛獣使いのお姉さんに向かって手を振る子も出てきた。

「はーい、ぼくたちありがとーっ! じゃあもっとすごいの見せてあげるね。カモーン! ファイヤーリーング!」

 猛獣使いの合図で、黒子たちが猛烈に燃え上がる火の輪を持ち出してきた。その火勢と、勇ましく吠えるライオンの姿に、いつの間にか学院の生徒たちも銃士隊も目が釘付けになっている。

 才人は、くーっ! これこそがサーカスなんだよとさらに胸を熱くした。百聞は一見に如かず、本当にタネも仕掛けもなくすごい技を見せてくれるのがサーカスの魅力なのだ。

 火の輪くぐりをするライオンを見て、さらに興奮する観客たち。そして、興奮するのは人間だけではなかった。ルビアナの抱いていた幼体エレキングが、熱気に当てられたのかルビアナの手を離れてステージに寄っていったのだ。

「あらあら、お仕事の邪魔をしてはいけませんわよ」

 心配そうに見送るルビアナ。エレキングはやがてステージに詰めかける人たちの中に紛れていった。

 そしてその後も、サーカスの出し物は続いていった。ナイフ投げや空中ブランコ、メイジが魔法を使えば簡単なことも、平民がやるとなってはスリリングな見世物になる。

 もちろん、貴族から見て退屈にならないようにも工夫がこらしてあった。わざと失敗したと見せてギリギリで成功させて見せたり、手品を使って思わぬところから現れたりと飽きさせなかった。

 そうしているうちに、最初は疑り深かったルイズもいつの間にかステージをわき目も振らずに見つめ続けていた。それを横目で見て、才人がニヤリとしたのは言うまでもない。

 公演はまだまだ続き、時が経つごとに観客の意識は陽気で明るいショーに釘付けになっていく。

 

 しかし、そうして観客も団員も意識がすべてショーに注ぎこまれている間に、信じられないような異変が彼らを襲っていたのだった。

 それは、サーカスのテントの近くを通りがかったド・オルニエールの農夫の眼前で突然起こった。

「ひえええぇっ! テ、テントがでっけえ亀になっちまったぁ!」

 それは彼の常識では精一杯の表現だったが、正確にはテントが巨大な円盤に変わってしまったということだった。

 円盤はその巨体の重さを感じさせない静かさでゆっくりと浮かび上がると、そのまま空へと舞い上がっていった。

 中では外の異変などにまったく気づかず、サーカスショーがそのまま続いている。彼らが居ると思っているド・オルニエールの大地は、知らぬ間にどんどん遠ざかりつつあった。

 

 そしてその光景を眺めて、ほくそ笑んでいる影があった。

 

「ほほお、宇宙船を偽装してまとめて全部捕らえてしまうとは、ずいぶん豪快な方法を使いますねぇ」

 

 それは、ここ最近暗躍を続けているあの宇宙人の姿だった。

 しかし、なぜ彼が関わっているのだろうか? その理由は、時間をややさかのぼってのことになる。

 昨日、怪獣エレキングとの戦いが終わり、ド・オルニエールに平和が戻った。 

 若者たちは勝利と喜びに沸き、やがて騒々しい一日も更けていく……。

 しかし、誰もが疲れきり寝静まる闇の刻にあって、なお蠢く邪悪な者たちがいた。

 

「本当に、ここにアレが? とても信じられない話ですねえ」

「いいえ、確かな情報ですよ。疑うなら別にイイですよ。この話を買ってくれる方はいくらでもいるでしょうからねえ」

 ド・オルニエールを見下ろすどこかで、人ならざる者たちがひそかに話し合っていた。

 一人はすでに何度もこの世界で暗躍しているコウモリのような影。対して、それと話しているのは今だハルケギニアでは未確認の姿をした者だった。

「わかりました、あなたを信用することにしましょう。しかし、アレは正直伝説だと思っていました」

「でしょうね。私もアレがまだこの世に存在するとは思っていませんでした。それが、こんな世界で実在を確かめることになるとは夢にも思いませんでしたよ。私がそうなのですから、あなたが信じられなくても無理はありません」

「そちらこそ、自分のものにせずに私に売りつけるところからして、手に余ったのではないですか? 宇宙に悪名を轟かせると聞く、あの星人の一角にしては情けないことですねぇ」

 互いに慇懃無礼な言葉をぶつけ合い、信頼関係があるようには思えない。しかし、会話の中に登場する”アレ”が、相手への不信を置いても重要な意味を持つのは確かなようである。

 コウモリ姿の宇宙人は、相手からの挑発には挑発で返した。

「私の種族が別宇宙でも有名とは光栄ですね。ですが、私の目的にはアレは不要というより邪魔ですから、欲しい方がいるならお譲りします。なにより私の一族には、あんなものに頼る必要はなく強力な切り札がありますので。ですから、あなたにもそれを差し上げたのですよ。それがあっても、まだご不満ですか?」

 彼は相手の手の内に視線を落とした。相手の手の中には、自分がプレゼントした黒い人形が握られている。それは一見するとただのおもちゃのようだが、得も言われぬ不気味なオーラを放っていた。

「フフ、その手は乗りませんよ。お膳立てを整えておいて、断れば臆病者と蔑む古典的な手段でしょう? ですが、もしアレを手に入れられたら、我々の計画はより完璧なものになるでしょう。それは魅力的です。けれどねぇ」

「なんです?」

「アレを我々に押し付けたいのはわかりましたが、それにしてもお膳立てが丁寧すぎませんか? まだあなたはこの世界で目立ちたくないのは聞きましたが、あなたほどの実力があれば、こんな回りくどい手を使わなくても直接なんとでもできるでしょう。ただの親切なんて陳腐な返事はしないでくださいよ」

 その問いかけに、彼は少し考え込む素振りを見せた後、つまらなそうに答えた。その回答に対する相手側の反応は爆笑。しかし彼は気分を害する風もなく話を続け、やがて相手も了承した。

「いいでしょう。あなたの誘いに乗ってあげますよ。ですが、こちらがアレを手にいれても後悔しないでくださいよ。フフフフ……」

「後悔などしませんよ。私はあなた方のやろうとしていることにも興味はないですし、そちらと同じで、この星がどうなろうともかまいませんからね。ただ、私の残りの仕事が済む前に、この星の人間がアレの価値に気づくと面倒ですから」

「確かに、アレはこの星の人間どもには過ぎた宝ですね。代わりに我々が手に入れて有効活用してあげましょう。では、フフ、アハハハ」

 相手は高笑いしながら闇に消えていった。

 一人残された彼は、しばらくじっと宙に浮いていた。しかし相手の気配が消えたのを確認すると、憮然として呟いた。

「期待してますよ、遠い宇宙の方……なにかを探して並行世界を渡り歩いているそうですが、以前のあのロボットのように、あなたも特異点であるこの惑星に引き寄せられたのでしょうね。この星の特異点……その価値に気づいているのは、今のところ奴だけのようですが、その奴もいつ動き出すか……あまり時間はありません。それなのに……ぐぅっ!」

 そのとき、悠然と構えていた宇宙人から絞り出すような苦悶の声が漏れた。そして、姿勢を崩した彼のマントの影から彼の右腕が覗いたが、それは激しく焼け焦げてしまっていた。

「ぐぅ……やはり、そう簡単には治りませんね。おのれ、よくも私にこれほどの傷を……絶対に許しませんよ。そちらがその気だというのならば、こちらも相応のお返しをしてあげようではありませんか」

 傷の痛みが、彼の胸中に煮えたぎるような憎悪を沸き立たせてくる。彼は自分にこれほどの深手を負わせた相手の姿を思い浮かべた。そう、あれは一週間前のあの夜。

 あの日、彼は事あるごとに横槍を入れてきた何者かをついに探し出し、ピット星人を一瞬にして銃殺したその相手と接触した。フードつきの服で姿を覆い隠していたので顔は見えなかったが、あわよくば相手の力を利用してやろうと対話を持ちかけた彼に対して、その相手は予想外の態度と力で答えてきたのだ。

「まさか、ろくに話も聞かずに即座に殺しにかかってくるとは……あんな野蛮な方とは会ったことがありません。ですが、かすっただけで私にここまでの傷を負わせるとは……それにこの弾丸の破片の金属は、やはりあの星の方のようですね」

 彼は、自分ともあろうものが命からがら逃げだすだけで精一杯だった屈辱に身を焦がした。真っ向勝負に打って出ることもできなくはなかったが、奴があの星人だとすれば、自分の持つ最強の力に匹敵する”あれ”を持っている可能性が強い。そんなものと戦えば確実にウルトラマンたちに気づかれるし、最悪の場合は共倒れとなってしまう。目的の達成が間近な今、そんなリスクを冒すわけにはいかなかった。

 しかし、収穫がないわけでもなかった。わずかにできた会話の中で、その相手が口にした名前……それに、彼は覚えがあったのだ。

「かつて、数々の星を壊滅させたという『それを手にするものは宇宙を制することもできる』という伝説の力……本当に、眉唾な伝説だと思っていましたが、この星の人間たちの中に紛れていたというのですか……? 見定めさせていただきますよ……それが本物かどうかを。そのうえで、この傷の痛みを倍返しにしてあげようではありませんか」

 復讐を彼は誓った。侮りがたい宇宙人だということは確かだが、まだあの伝説の存在そのものかどうかは確証がない。もし本物だというなら、何らかの反応を見せてくるだろう。

 そして、伝説が本物だというならそれもいい。こちらにも、その伝説にひけをとらない”切り札”があるということを、そのときは教えてやろうではないか。

「この宇宙は、絶対的な力を持つ者によって支配されるべきなのです。弱い力はより強い力に飲まれて消え去るのみ。おもしろいではありませんか。誰が真の最強か、勝負するのもまた一興でしょう」 

 

 

 続く



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第77話  170キロを捕まえろ!

 第77話

 170キロを捕まえろ!

 

 高速宇宙人 スラン星人 登場!

 

 

 謎の宇宙人の策略により、サーカスを楽しむ才人たち一行は、サーカスのテントごと巨大な円盤に乗せられて連れ去られようとしていた。

 サーカスに夢中になっている才人たちはまったく気づいておらず、このままでは知らないうちに二度と帰れない場所まで連れて行かれてしまうに違いない。

 果たして敵の目的とは? 才人たちは、かつてないこの危機を脱出できるのであろうか。

 

 円盤は上昇を続け、内部は変化がある前の状況をそのまま再現されているために誰も異変に気付くことができない。ご丁寧に、テントを通して入ってくる太陽光やテントが風で揺れる様さえ再現されていた。

 サーカスの公演時間はまだまだあり、観客の興奮は収まる様子を見せない。今も、空中ブランコの芸に大きな歓声があがっていた。

「おおおお! まるで妖精の羽ばたきみたいだ」

 空中ブランコの妙技に貴族からも歓声が飛ぶ。ハルケギニアでは貴族が魔法で飛べて当たり前であるから、彼らは魔法よりもすごく跳べるように技を磨いてきたのだ。

 空中回転からの飛び移り、複数人同時飛び。それを目にもとまらぬ速さで縦横無尽に繰り出す芸当は、まさに魔法以上に魔法のようなきらびやかな魅力を持って観客を魅了した。

 しかし悪いことに、サーカス団のそうした演技のすばらしさが逆に注意力と警戒心を薄れさせてしまっていた。

 テントを飲み込んだ円盤はさらに上昇を続けるが、いまだに異変に気付いた人間は誰もいない。その様子を天井の照明の影から見ていた宇宙人は、これでこのままハルケギニアから連れ去ってしまえばこっちのものだとほくそ笑んだ。

 だが、宇宙船が高度を上げてワープに入ろうとしたその瞬間だった。順調に飛行を続けていた宇宙船に、突然下方から赤い矢尻状の光弾が襲い掛かったのだ。

『ダージリングアロー!』

 光の矢は円盤をかすめ、その余波で円盤は大きく揺れた。

 もちろん円盤にダメージがあれば、その中に収容されているテントもそのままでは済まなかった。

「うわぁっ! なんだっ!」

 突然の揺れに、サーカスに夢中になっていた彼らは椅子から放り出されて体を痛めてしまった。それと同時に、空中ブランコの途中だったサーカス団員もバランスを崩して放り出され、床にに真っ逆さまになるが、すんでのところで銃士隊員が駆け込んで抱き留めた。

「あ、ありがとうございます」

「い、いえいえ。え、ええと、ところで今度、私と夜明けのコーヒーでも……」

「はい?」

 イケメンだったサーカス団員を思わず逆ナンしている銃士隊員がいるが、それでも危ないところは救われた。

 だが、なんだ今のは? サーカスの趣向ではないし、地震にしては不自然だ。観客席は動揺し、慌てて出てきた団長が、お客様どうか落ち着いてくださいと呼びかけてはいるけれども、一度始まった動揺はすぐには収まらない。

 そのときだった。子供たちをなだめるのに必死なティファニアの脳裏に、怒鳴りつけるような声が響いてきた。

〔気づけティファニア! 今すぐ外を確認しろ!〕

「えっ! この声、ジュリ姉さん?」

 聞こえた声の主に気が付き、ティファニアはとっさに「誰か、外を見てきてください」と叫んだ。その声にはっとして、何人かがサーカステントの出入り口へと走った。

 そして、この事態に驚いているのは人間たちだけではない。作戦成功を確信していた宇宙人も、異変に気がついて外部を確認して驚いた。

「ウルトラマン!? くそっ、どうしてこんなところに!」

 円盤の外、そこには赤い正義の戦士、ウルトラマンジャスティスが駆けつけ、宇宙船の進路を塞ぐように対峙していたのだ。

 円盤はジャスティスの光線を受けてダメージを負い、亜空間ワープができなくなっている。間一髪のところで、ジャスティスのおかげで最悪の事態は免れた。

 しかし、なぜここにジャスティスが駆けつけてくることができたのか? この光景を、あのコウモリ姿の宇宙人が遠くから見ながら笑っていた。

「おやおや、あと一息というところで”偶然”ウルトラマンがやってくるとは不運ですねぇ。では、あなたの実力を拝見させていただきましょうか。この窮地を切り抜けられるなら、本当になんでも持って行っていいですよ。フフフ」

 陰湿な笑い声が流れ、事態は終局から一気に混迷へと崩れ落ちていく。

 ジャスティスは円盤の中にティファニアたちがいることをわかっており、円盤を完全に破壊しないように地上に下ろそうと近づいていく。

 しかし、円盤も無抵抗ではおらず、下部からビームを放って反撃してきた。

「シュワッ!」

 ジャスティスはビームをかわし、円盤の死角に回り込みながら再接近をはかる。もちろん円盤もそうはさせじと旋回して、背後を取り合うドッグファイトの様相を見せてきた。

 一方、内部の人間たちも自分たちの置かれた状況の異常さに気づいてきた。

「なんだこの壁! 外に出られないぞ」

 いつの間にかテントの出入り口の外に金属の壁が現われており、出ることができなくなっていた。

 一転してテントの中はパニックに陥る。人間は閉じ込められるというシチュエーションに本能的に恐怖心を抱きやすく、そうなるともう自分では歯止めが効かなくなってしまうのだ。

 だが、ここには歯止めをかけられるくらいに冷静さを保てる者が複数いた。アンリエッタの「静まりなさい!」に始まり、アニエスやスカロンたちがそれぞれ周りを叱咤したりなだめたりして、パニックは最小限度で収まった。

 けれど、サーカス団の団員たちはいまだ動揺していた。場慣れしていないので仕方がないが、公演の最中に訳が分からないことになり、団長も「い、いったいこれはどういうことなのでしょう」と、うろたえている。そんな団長に、スカロンは肩を握ると安心させるように告げた。

「心配しないで、これはあなたたちのせいじゃないわ。こういう奇妙なことはね、裏でイタズラしてる悪い子たちがいるの。それより、あなたの団員さんたちはみんな大丈夫なの?」

 さすがに馬鹿とはいえ宇宙人を養っているスカロンはどんと落ち着いていた。そして団長もスカロンに諭されて落ち着きを取り戻すと、団員たちの無事を確かめるために全員を呼び出した。

 ところが、点呼をとると一人が足りなかった。

「ケリー? 照明係のケリーはどこだ!」

 団長が叫んで探すが返事はなかった。ほかの者たちも、自分の周りを見渡すがそれらしい人はいない。

 照明係、ということは天井のほうか? 必然的に皆の視線が上を向く、天井辺りは照明が集中しているので下からでは見にくく、様子がよくわからない。だが、目を凝らして天井付近を見渡したとき、アニエスはそこで輝く不気味な目を見つけ、とっさに拳銃を抜いて撃ちかけた。

「何者だ!」

 乾いた銃声がし、皆がアニエスのほうを見た。

 いきなり何を? だが、敵の反応はそれよりもさらに早かった。撃ち出された銃弾が目標に命中するより早く、その相手の姿は瞬時に天井からステージ上へと移っていたのだ。

「フフフ……」

「う、宇宙人!?」

 宇宙人の出現で場がざわめき、才人が現れた相手の姿を見てつぶやいた。そいつは非常にスマートな姿をしたヒューマノイド型宇宙人で、黒々とした体に昆虫のような顔を持ち、頭にはオレンジ色の発光体が鈍く光っている。

 しかし、見たことのないタイプの宇宙人だ。才人は地球に現れた宇宙人はほぼ全て記憶しているけれど、こいつはGUYSメモリーディスプレイにも記録のない、自分にとって完全に未知の星人だった。

「お前が、おれたちを閉じ込めた犯人だな!」

「フフ、そのとおり。我々はスラン星人。よく見破ったと褒めてあげましょう。ですが、気づかないほうが幸せでしたものを。楽しい時間を過ごしながら、我々の星に連れ帰って差し上げようと思っていましたのに」

「なにっ! てことは、ここは宇宙船の中だってのか?」

「そのとおり、見たければ見せてさしあげましょうか」

 慇懃無礼な言葉使いで話すスラン星人が手を振ると、床がすっと透けてガラスのようになり、皆の足元にはるかに遠くなったド・オルニエールの風景が見えてきた。

「わわっ! お、落ちちゃう!」

「みんな落ち着け、床が透明になっただけだ! スラン星人とか言ったな。てめえ何が目的だ。おれたちをさらってどうするつもりだ?」

 才人がデルフリンガーを抜いて怒鳴る。それと同時に銃士隊も剣やマスケット銃を抜いてスラン星人を取り囲み、ルイズたちメイジも杖を抜く。

 しかし、スラン星人は追い詰められた様子は微塵も見せず、笑いながら答えた。

「目的ですか? いえいえ、あなたたちには別に何の用もありませんよ。ただ、聞いたものでしてねぇ。あなたたちの中に、すごい力を持った人が隠れてるということを。そして、さらうのでしたら一人のところを狙うよりも、大勢をまとめてさらったほうが成功しやすいと踏んだだけです」

 その言い分に、才人は「こいつらルイズの虚無の力を狙っているのか?」と思った。確かにルイズの虚無の魔法はこれまで怪獣や宇宙人に対して何度も決定的な効果をもたらしてきた。それを狙う星人が現れたとしても不思議はない。

「そうはいくか! お前らの勝手な理由のために連れて行かれてたまるもんかよ」

 才人が、無意識にルイズにも刺さる台詞でたんかを切った。それと同時に、銃士隊やメイジの面々もいっせいに武器を向ける。

 だが、スラン星人はこれだけの人数に囲まれても、やはり追い込まれた様子は微塵も見せずにせせら笑った。

「おやおや勇敢な方々ですねえ。それでは是非ともやってみてくださいませ」

 いやらしいまでの余裕。いや、挑発か? しかし、あくまで帰さないというならこちらも是非はない。アニエスは陣形を整えた部下たちに短く命じた。

「やれ!」

 抜刀した銃士隊員たちがスラン星人に殺到する。この一斉攻撃に隙はなく、誰もがこれでやったと確信した。

 だが、刃が届こうとした、まさにその瞬間だった。スラン星人の姿は掻き消えるようにして消滅してしまったのである。

「消えた?」

 ルイズを守りながらデルフリンガーを構えていた才人が叫んだ。

 どこへ行った? その場にいた全員が気配を探り、辺りを見回す。だが、そんな努力を嘲笑うかのように、スラン星人は才人の真正面に現れたのだ。

「フッフフ」

「うっ、わあぁぁーっ!」

 至近距離への前触れもない出現に、才人は狂ったように叫びながらデルフリンガーを降り下ろした。が、それもスラン星人を捉えることはできず、剣先が床を叩いただけで終わってしまった。

「また消えた!? デルフ、今の幻じゃねえよな?」

「ああ、だが目で追うだけ無駄だぜ相棒。お前たち人間の目じゃ見えなかっただろうが、あの野郎、信じられない速さで移動してやがる」

 すると、その言葉を待っていたかのようにスラン星人の笑い声が響いた。

「フッフッフッ、ご名答。なかなか見る目のいい焼き串君です」

「な、や、や、焼き串だとこの野郎!」

「フフ、せいぜい時速十数キロでしか走れないあなたがたには、私は絶対に……」

 すると、スラン星人は、今度は皆の目の前に次々と出現を繰り返した。

 ギーシュやベアトリスの前に現れて脅かしたと思ったら、杖を振り上げた時にはすでに消えている。アンリエッタの前に現れたときにはアニエスが斬りかかったが剣は空を切り、ミシェルや銃士隊隊員たちの攻撃もかすることもできない。

 何度も空振りを繰り返すばかりで、皆の息だけが上がっていく。スラン星人は再びステージ上に姿を現すと、愉快そうに笑いながら言った。

「私は絶対に、捕まらないのです」

 瞬間移動にも等しいほどの高速移動、これがスラン星人の能力か! 才人は歯噛みした。剣も魔法も当たらなければなんの意味もない。しかも、テントの中に大勢で閉じ込められている状況ではルイズのエクスプロージョンでの広域破壊もできないし、なによりこうも人目があっては才人たちもティファニアも変身ができない。

 スラン星人は、ノロマな人間など何百人いようと問題にはならないというふうに余裕を示し、次いで円盤の進路を邪魔し続けているジャスティスに目をやった。

「さあて、こちらはともかくそちらは問題ですね。人質がいるのでうかつに撃ち落としたりはしないでしょうが、こちらもあまり余計な時間はありません。あなたに恨みはないですが少し手荒にお帰りいただきますよ」

 スラン星人がそう言うと、円盤はゆっくりと降下を始めた。もちろんジャスティスも追って降下していく。

 そして円盤が地上数十メイルまで降下した時、円盤の中から巨大化したスラン星人が姿を現した。

「ググググググ……」

「シュワッ!」

 互いに土煙をあげて、スラン星人とジャスティスが大地に降り立つ。

 さあ、戦いの時が来た。両者は一気に距離を詰め、ジャスティスのパンチがスラン星人を狙う。

「デヤァッ!」

「グオッ!」

 ジャスティスのパンチをスラン星人は手甲のようになっている腕で受け止めた。そしてそのまま手甲の先についている短剣でジャスティスの首を狙って斬りかかってくる。

「死ねっ」

 だがジャスティスもスラン星人の手甲を腕で受け止め、キックで反撃して押し返す。

 まずは互いに小手調べ。スラン星人は格闘戦でも戦えることを証明してみせ、ジャスティスは油断なく拳を握り締める。

「略奪に拉致、お前の行為は宇宙の正義に反している。すぐにこの星から立ち去るがいい」

「黙れ、我々の邪魔をするものは許さん!」

 スラン星人はジャスティスの警告に聞く耳を持たず、腕から破壊光弾を放って攻撃をかけてきた。紫色の光弾が機関銃のように連発され、ジャスティスの周りで無数の爆発が起こる。

「ヌォッ!」

 ジャスティスは光弾の乱打にさらされ、炎と煙がジャスティスを包み込む。スラン星人はその様子を見て、聞き苦しい声で笑い声をあげた。

 どうやら話してわかる相手ではないようだ。ならば、是非もない。ジャスティスは、慈悲をかける価値のない悪だとスラン星人を認定した。

「セヤァッ!」

 手加減を抜いたジャスティスのパンチが爆炎を破ってスラン星人に直撃する。轟音が鳴り、スラン星人の華奢な体は数十メートルは吹き飛ばされ、悠然とジャスティスは倒れたスラン星人を見下ろした。

「警告は発した。チャンスも与えた。それでもお前がそれを無視するならば、私は宇宙正義の名において、お前を倒す」

 ジャスティスの宣告。そこにはもはや慈悲はなく、宇宙正義の代行者としての冷徹な姿のみがあった。

 倒れたスラン星人はなおも起き上がり、憎悪を込めた眼差しで自分に死刑宣告を下したウルトラマンを睨みつけた。

「俺を倒すだと? 貴様の姿を見ていると、憎き奴を思い出す。倒されるのは貴様のほうだ!」

 スラン星人は怒りのままにジャスティスに猛攻をかける。両腕の短剣を振りかざし、スマートな体をいかしてのジャンプやキックなどの格闘攻撃。それはスラン星人が決して弱い宇宙人ではないことを証明していたが、実戦経験という点ではジャスティスが圧倒的に勝っていた。

「ジュワッ!」

「ぐおあっ!」

 ジャスティスの両鉄拳がスラン星人のボディに食い込む。パワーでは圧倒的にジャスティスに分があり、それだけではなく攻撃をさばくテクニックや、一撃を確実に当てる判断力、それが総合した一撃の重さは比較にもならなかった。

 しかしスラン星人は、まだ負けたと思ってはいなかった。パワーで勝てないからスピードをと、さきほど宇宙船内で見せられたものよりもさらに高速で移動することによって分身を作り出し、ジャスティスの周囲を回転することで分身体でジャスティスを包囲してしまったのだ。

「くく、これを見切れるかな?」

 ジャスティスの360度を完全包囲したスラン星人は、そのまま円の中心のジャスティスに向かって破壊光線を放ってきた。四方八方から放たれる光線は避けきれず、ジャスティスの体が爆発で包まれる。

「ムゥ……」

 一発一発はたいした威力ではない。しかし、回避できないままで食らい続けたら危険だ。

 スラン星人はこのまま一方的に勝負を決めるつもりで、分身による円運動を続けながら光線攻撃を続けている。しかし、スラン星人はジャスティスが冷静に反撃の機会を狙っていることに気づいていなかった。

 光線での集中攻撃でじゅうぶん弱らせたと見たスラン星人は、一気に勝負を決めようとジャスティスの背後から手甲の短剣を振りかざしてジャスティスの首を狙った。しかし、スラン星人が「もらった!」と確信した瞬間、ジャスティスは振り向きざまに強烈なパンチをスラン星人の顔面に叩きつけたのだ。

「ぎゃあぁぁっ! な、なぜ俺の位置が」

 本体にクリーンヒットを受け、スラン星人の分身もすべて消え去る。スラン星人はパンチを食らって歪められてしまった顔をかばいながら、見破られるはずがなかったと困惑するが、ジャスティスは冷たく言い捨てた。

「簡単だ。お前のような輩は必ず後ろから狙おうとする。それならば、仕掛けてくるときの一瞬の気配さえ読めれば迎撃するのはたやすい」

 かつて異形生命体サンドロスと戦ったときにも、奴は闇に紛れて死角からの攻撃をかけてきた。姿をくらますのは一見有効だが、逆に言えば相手は死角から攻撃を仕掛けると宣言しているようなものだ。

 大ダメージを受けたスラン星人はよろよろと立ち上がったものの、もうジャスティスに真っ向勝負をかけられる余裕はないことは明らかだった。

 ジャスティスの圧倒的優勢。その光景に、宇宙船の中からも人間たちが歓声をあげていた。しかし、ジャスティスがスラン星人にとどめを刺そうとしたとき、宇宙船から鋭く静止する声が響いた。

「そこまでです! 抵抗を止めなければ、ここにいる人間たちを順に殺していきますよ!」

 なんと、宇宙船の中でスラン星人が子供たちに短剣を突きかざして脅していたのだ。

 その脅迫にジャスティスの動きが止まる。そして、今まさにとどめを刺されかけていたスラン星人はジャスティスに乱暴に蹴りを食らわせた。

「グワァッ!」

「ちっ、よくもやってくれやがったな。この仕返しはたっぷりさせてもらうぜぇ!」

 スラン星人の手甲の剣が抵抗できないジャスティスの体を切り裂いて火花があがる。その様を見て人間たちからは悲鳴が上がり、宇宙船の中のスラン星人は愉快そうに笑った。

「いいですねぇ。やっぱりウルトラマンにはこの手がよく効きますねぇ」

 スラン星人は、宇宙船の外でもう一人のスラン星人がジャスティスを痛めつけている光景を満足げに眺めた。

 そう……最初からスラン星人は二人いたのだった。

 大勢を人質に取られていてはジャスティスも戦えない。歴戦の戦士であるジャスティスは言わなくとも、人間たちからは「卑怯者!」との声が次々にあがるが、スラン星人は意にも介さない。

「んん~、相手の弱点を攻めるのは戦いの基本でしょう? こんなにわかりやすい弱点を持っているのが悪いんですよ」

「この腐れ外道! 許さねえ」

 激高して才人が斬りかかるが、スラン星人はあっさりとかわして、また別の子供の喉笛に短剣を突き付ける。

 ダメだ、スラン星人のあの速さでは子供たち全員を守り切るのは不可能だ。それに子供たちだけでなく、実質テントの中に閉じ込められている自分たち全員が人質ということになる。

「フフフ、大人しくしていなさい。我々は別にあなたたちの命などに興味はないのですからね。フフフ」

 昆虫のような顔を揺らして笑うスラン星人の声が癇に障る。

 だが、剣も魔法も当てられないのでは何の意味もない。才人だけでなく、ルイズも焦り始めていた。なんとか、スラン星人を捉えることができなければ自分たち全員が宇宙の果て送りだ。

 才人はルイズに小声で尋ねた。

「ルイズ、お前の『テレポート』の魔法でなんとかならないのか?」

「真っ先に考えたわよ。けど、テレポートで連れ出せるのは数人が限界なの。この中に人質を残してわたしたちだけ脱出できても何の解決にもならないわ」

「なら、テレポートであいつに近づけねえか? おれが斬りかかるからさ」

「それも考えたわ。でも、あいつはアニエスの剣もかわす相手よ。テレポートで近づけても、振りかぶってそのバカ剣を振り下ろすまでの隙が必ず生まれるわ。それでも確実にあいつを仕留める自信はある?」

 ルイズに言われて、才人はそこまでの自信はないと思わざるを得なかった。さすがルイズ、頭の回転はこんなときでも鈍ってはいない。

 恐らくは銃士隊の皆も、水精霊騎士隊や水妖精騎士団もスラン星人を捉える方法を必死で考えているに違いない。しかし、文字通り目にも止まらぬ速さで自由に動き回る奴をどうやって捕まえればいいというのか?

 最後の手段はここで変身を強行することだが、エースにしてもコスモスにしても、変身した瞬間にスラン星人は別の行動に出るだろう。いくらなんでも危険すぎる。

 だが、そうしているうちにも事態はどんどん悪くなっていった。外にいるほうのスラン星人は嬉々としてジャスティスを痛めつけている。

「おらぁ!」

「ヌワァッ!」

 スラン星人の蹴りが膝をついたジャスティスを吹っ飛ばした。外にいるほうのスラン星人は粗暴な性格で、まるで不良のような乱暴な攻め方を好んでジャスティスを攻め立てている。

 ジャスティスは、その気になればこいつを倒す程度は苦もないのに、無抵抗でそのままやられている。カラータイマーはすでに点滅し、もう長くはないのは明らかだ。

 しかし、宇宙船の中にいるほうのスラン星人は、そんな時間をかけるやり方にまどろっこしさを感じたのか、外のスラン星人を急かした。

「いつまで遊んでいるんです。無駄な時間はないんですよ。さっさとケリをつけてしまいなさい!」

「チッ、わかったよ。動くなよ、今ブッ殺してやるからな」

 外のスラン星人は渋々ながら、短剣を振りかざしてジャスティスに迫った。ジャスティスは無言のままで、しかしなお動かない。

 才人とルイズは、もう考えている時間はないと決意した。イチかバチか、テレポートでの逆転に賭けるしかない。

 正直、勝算はかなり低い。しかし、スラン星人の速度に対抗する手段がない以上は他にない。そう、あの速度に対抗する手がない以上は……。

 だが、まさにその瞬間だった。テレポートを唱えようとしていたルイズの胸がどきりと鳴り、それと同時にアンリエッタの指にはめられていた水のルビーの指輪と、そしてアンリエッタの懐の中にしまわれていた手鏡がそれぞれ共鳴するように光り出したのだ。

「きゃっ! こ、この光は?」

「じ、女王陛下! その鏡は、いったい?」

「崩壊したロマリア法王庁から我が国に寄贈された『始祖の円鏡』です。始祖ゆかりの品ということで、わたくしが使っていたのですが、これはまさか、ルイズ!」

「ええ! その鏡を、わたしに」

 アンリエッタは光り輝く鏡をルイズに向けた。するとそこには、ルーン文字でルイズにははっきりと新しい呪文が記されているのが見えた。

「これなら……サイト!」

「おう、ルイズ!」

 何かの確信を持ったルイズに、才人は迷わず答えた。ルイズは何かの勝機を得たのだ。だったら、おれは四の五の言わずにそれを信じるのみ。

 ルイズは才人の手を取り、呪文を唱え始めた。対して、スラン星人は始祖の円鏡の光に戸惑っているようだったが、自慢の速度でなんにでも対応できるように準備していた。

「なにをする気か知りませんが、あなたたちの力で私を捉えることは絶対にできませんよ!」

「それはどうかしら? あなたはもう、わたしからは逃げられないわ。いくわよ、『加速!』」

 その瞬間、才人とルイズは『テレポート』とはまったく違う形でスラン星人の眼前に現れていた。

「なっ!」

 言葉にならない呻きがスラン星人から、そしてそれを見ることのできた者たちの口から洩れた。

 刹那、才人のデルフリンガーがスラン星人を狙うが、スラン星人は寸前でそれをかわしてテントの別の場所に現れた。

「そ、その程度の攻撃な」

「それはどうかしら?」

 再び才人とルイズの姿はスラン星人の前に現れていた。しかも今度はテレポートではあるはずの実体化からのタイムラグもなく、かわそうとするスラン星人のギリギリを刃が通り過ぎていく。

 なんて速さだ。常人以上の動体視力を持つはずの銃士隊員やサーカス団の人たちも捉えられない速さで両者は移動している。いや、互角というよりは……。

「おっ、おのれぇっ!」

 スラン星人は逃げた。しかし、ルイズと才人は確実にスラン星人の後を追ってくる。サーカステントの天井からステージ上、観客席とすさまじい速さで出たり消えたりを繰り返して、もうギーシュやスカロンは目を回しかけている。しかも、次第にスラン星人のほうが余裕がなくなっていくように見えるではないか。

「ば、馬鹿な。私にスピードでついてくるだと!?」

「これが虚無の魔法『加速』よ。言ったでしょ、あなたはもうわたしから逃げられないって!」

「お、おのれ、奇妙な術を使ってくれますねぇ!」

「? ……さあサイト、あの思い上がった虫頭に思い知らせてあげなさい!」

「ああ、食らえぇぇぇーっ!」

 ルイズと同調した才人は、渾身の力でデルフリンガーをスラン星人に叩きつけた。

「ぐわぁぁぁーっ! ば、馬鹿なーっ!」

 スラン星人に、今度こそ会心の一撃がさく裂した。しかし残念ながら致命傷には届かず、倒すにはまだ至っていない。

 細身に見えて、なかなかしぶとい奴だ。『加速』の呪文が切れてステージ上に現れた才人とルイズは舌を巻いた。スラン星人はよろめきながらも、膝をつきはせずにまだ立っている。

 それでも、相当な打撃を与えられたのは確かで、もうさっきまでのような速さで動き回れはしない今がチャンスだと、銃士隊はいっせいに腰に下げているマスケット銃を抜いて構えた。だがスラン星人は自分に向けられた銃口が火を噴く前に、怒りにまかせて光線を乱射してきた。

「たかが人間が、私をなめるなぁーっ!」

 光線の乱射で銃士隊の隊列も吹き飛び、彼女たちの手からマスケット銃が取り落されて辺りに転がった。

 が、その一瞬でメイジたちも我に返って魔法で銃士隊を守ると同時にスラン星人への反撃をおこなおうとする。手傷を負ったスラン星人はこれを避けることはできまいと思われた。だが。

「く! だが外のウルトラマンさえ片付けてしまえば、お前たちにここから逃げる手立てはないのですよ」

 奴はまだ冷静さを失ってはいなかった。スラン星人は高速移動ではなく、テレポートで宇宙船の外まで逃げると、そのまま巨大化してジャスティスに襲い掛かったのだ。

「もらったァ!」

 そのころジャスティスは、宇宙船の中で才人たちが反撃に出たのと同時に戦闘を再開していた。一方的になぶられ続けていたとはいえ、必ずチャンスが来ると信じて待っていたから余力はじゅうぶんに残している。スラン星人を返り討ちにすることなどは造作もなく、猛反撃をかけてスラン星人を追い込んでいた。そのジャスティスの背後から、宇宙船から飛び出してきたもう一人のスラン星人が奇襲をかけたのだ。

 今はジャスティスの背中はガラ空きだ。スラン星人は短剣を降り下ろしながら勝利を確信した。だが、その刹那に輝いた青い閃光がスラン星人を吹き飛ばした。

「コスモース!」

 青い光は実体化し、ウルトラマンコスモスの姿となって吹き飛ばしたスラン星人の前に立ちふさがった。そう、あの瞬間にチャンスを掴んだのは才人たちだけではない。ティファニアもジャスティスを救うために、皆の注意がスラン星人に集中した一瞬にコスモプラックを掲げていたのだ。

「だ、大丈夫ですか?」

「心配はない。それより、お前も戦うつもりなら、こいつらには情けをかける価値はないぞ。その覚悟はあるのか、ティファニア」

「は、はい。わ、わたし……」

 ティファニアに厳しく問いかけるジャスティス。すると、コスモスがなだめるように間に入ってくれた。

「ティファニア、君の心はまだ命を奪う戦いを怖れている。ここは、私が引き受けよう」

「コスモス……ごめんなさい。あなたに力を貸してもらっているのに、わたし」

「謝ることはない。命を奪うことに恐れを持ち続けるのは大切なことだ。君の力を必要とする時は、いずれ必ずやってくることだろう」

 ティファニアはコスモスと一体化している。しかし、戦いを好まないティファニアのために、コスモスは自分が主導権をとって戦うことを決意した。

 コスモスはコロナモードにチェンジし、卑劣なスラン星人たちの前にジャスティスと共に並び立つ。

 対して、スラン星人たちはもう余力がなかった。二体とも重い一撃を受けている上に、ジャスティスもダメージを受けているとはいえコスモスは万全だ。

「おおのれぇーっ!」

 激高して二体のスラン星人は襲い掛かってきた。しかし格闘戦では簡単にコスモスとジャスティスに圧倒され、さらに奥の手の高速分身戦法を二体同時にかけてきたが、高速で輪を描いて包囲してくるスラン星人たちに対してコスモスとジャスティスは、まるでわかっていたかのように同時に一撃を繰り出した。

「シュワッ!」

「デヤァッ!」

 二人のウルトラマンのダブルパンチが分身の幻影を破ってそれぞれ本体に炸裂する。

「バカナァ!」

 たまらず吹き飛ばされるスラン星人たち。彼らは高速宇宙人としての自分たちの能力に自信を持っていたが、あいにくコスモスとジャスティスも高速戦闘は得意中の得意だ。コスモスの戦歴の中でも、目にも止まらない宇宙人との対決はいくつもあり、いまさらスラン星人の技程度で翻弄されたりはしない。

 追い詰められた二人のスラン星人。その様子を、あのコウモリ姿の宇宙人は愉快そうに見つめていた。

「そろそろ危ないですね。そろそろ切り札、使います? 使っちゃいますか?」

 スラン星人には、あらかじめ最悪の事態になったときのための切り札を与えてある。それを使えば、この状況をひっくり返すことも可能だろう。スラン星人がどうなろうと知ったことではないが、事態がさらに混迷化すればしびれを切らして”アイツ”が動き出すかもしれない。

 そして、ついに勝機がなくなったことを認めざるを得なくなったスラン星人は、預かっていた黒い人形を取り出した。

「こ、こうなったら、これを使うしかありませんか」

 まさに、黒幕の思い描いていたシナリオ通りに話は進もうとしていた。

 だが、人形にかけられていた封印を解こうとしたとき、意外にも粗暴なほうのスラン星人がそれを止めてきた。

「待てよ、そいつはアイツを倒すための切り札にしようって決めたじゃねえか。ここでそいつまで失っちまったら、俺たちの本来の目的はどうする?」

「ですが、このままではやられるのを待つだけですよ。アレを手に入れることもできずに引き下がっては、どうやってアイツを倒すというのですか?」

「……俺が囮になる。お前はそいつを持って逃げろ」

「ア、アナタ……」

 粗暴なほうが示した自己犠牲の覚悟に、慇懃無礼な話し方をするほうは思わず言葉を失った。

「俺がいるよりも、そいつをお前が持ってたほうが確実に強え。思えば、欲を出してアレを手に入れようなんてせずに、そいつを持ってとんずらすればよかったんだ。そして……俺が死んでも、仇をとろうなんて思わないでくれよ! じゃあな」

「ま、待ちなさい!」

 止める間もなく、粗暴なほうのスラン星人は雄たけびをあげながらコスモスとジャスティスに突進していった。

「ヘヤッ!?」

「ムウッ!?」

 まさかの特攻に、さしものコスモスとジャスティスもひるんだ。そして、そのわずかな隙に彼は叫んだ。

「行けえ! 行くんだクワ……うぎゃあぁぁっ!」

「ぐ、ぐぐ……あなたのことは忘れません。必ず、手向けに奴の首を約束します。トゥアッ!」

 コスモスはためらったが、ジャスティスのパンチが容赦なく炸裂した。しかし、粗暴なスラン星人が作ったその一瞬のチャンスに、もうひとりのスラン星人は血を吐くような誓いの言葉を残して消えた。

 しまった、逃げられた! 非道な宇宙人ではあったが、仲間意識は強かったようだ。まさか、こんな展開になるとはと、ウルトラマンや人間たちだけではなく、黒幕の宇宙人も悔しがった。なにしろせっかく与えた切り札を持ち逃げされたのである。いい面の皮どころではなかった。

 しかし、仲間を逃がしはしたものの、残ったスラン星人の命運は尽きようとしていた。コスモスは、もう勝ち目がないことを告げて降参するように警告したが、彼はそれを聞き入れなかった。

「降参だぁ? てめえらみてえな赤い奴に頭下げるくらいなら死んだほうがマシなんだよぉ!」

 どういうわけかスラン星人はコロナモードのコスモスとジャスティスに非常な敵愾心を持っていた。話をまるで聞く気はなく、自殺に近い攻め方をしてくるのでコスモスとジャスティスも手を抜くわけにはいかなかった。

 ならば、ルナモードのフルムーンレクトで鎮静させれば……しかし、コスモスがモードチェンジしようとしたときだった。暴れまわり過ぎて、ついに限界に達したスラン星人は、よろよろとよろめくと宇宙船に寄りかかるように腰をついてしまったのだ。

「こ、この大きさを保っているのも限界かよ。だが、せめて」

 すでに彼には宇宙船を叩き壊す力も残っていなかった。しかし、スラン星人は残ったわずかな力で等身大となって宇宙船の中にワープすると、まるでアンデットのような姿で人間たちの前に現れた。

「せめて、ウルトラマンどもと、あのクソったれ野郎に一泡だけでも吹かしてやる!」

 悲鳴をあげる人間たちを前にして、スラン星人は最後の悪あがきを開始した。最後の力で高速移動をおこない、人間たちに次々斬りかかっていく。

「きゃあぁぁーっ!」

「うおぉぉぉ! 死ねっ、みんな死ねぇぇ!」

 スラン星人も死に体とはいえ、その高速移動を人間が見切れないのは変わらない。

 戦えない者たちの前に銃士隊が盾となって防いでいるものの、めちゃくちゃに振り回される短剣で血しぶきが飛び、才人はルイズに叫んだ。

「ルイズ、もう一回『加速』だ!」

「わかってるわよ!」

 ルイズも焦って加速の呪文を唱えた。今、スラン星人を止められるのは自分たちしかいない。今度こそとどめを刺さなければ。

 だが、加速の呪文が完成しようとした、まさにその瞬間だった。スラン星人が銃士隊の決死の肉壁を蹴散らして、ついに無防備な女子供たちの中に飛び込んでしまったのだ。

「出てこぉいバケモノぉ! てめえのせいで俺たちはぁぁーっ!」

 スラン星人の短剣が孤児院の子供たちに振りかぶられる。だめだ、加速を使っても一歩間に合わない!

 才人とルイズは、自分の無力さを悔やんだ。さっさと最初にスラン星人を倒していればこんなことには。

 しかし、誰もがどうすることもできないとあきらめかけた、その時だった。悲鳴と怒号の響く虚空を、短く乾いた音が貫いた。

 

 パンッ!

 

 漫画であれば擬音でそう表現されるであろう音。それは一発の銃声……そして、スラン星人の頭部の球体に、小さな穴が開いていた。

「え、あ……ク……クワイ……がふっ」

 最後に、恐らくは仲間の名をつぶやきながらスラン星人は倒れた。その目から光が消え、命の灯が消えたことを銃士隊の隊員が近寄って確認した。

 けれど、周りでは誰も声を発さない。あまりにも唐突であっけない幕切れに、誰も頭が追いついていないのだ。

 才人とルイズも、加速の魔法が不発に終ってあっけにとられている。ギーシュなど、杖を握ったままでぽかんと口を開けたままでおり、ほかの水精霊騎士隊も似たようなものだった。

 いったい誰がスラン星人にとどめを? 正気に戻った者はスラン星人の正面……すなわち弾丸の来た方向に視線を向けた。そこにいたのは……。

「はあ。怖かったですわ」

 ほっとした声とともに、拳銃が床に落ちる音が鳴る。落ちた拳銃は、さきほど銃士隊が使おうとしてばらまかれたマスケット銃の一丁で、まだ銃口から薄く煙を吐いているそれを握っていたのは……ルビアナであった。

「ル、ルビアナ!」

 はっとしたギーシュとモンモランシーが震えているルビアナに駆け寄った。

「だ、大丈夫かい! 銃を撃つなんて、君の細腕でなんて無茶なことをするんだ」

「いえ、わたくしはメイジではありませんので、護身の心得として少しばかり覚えがありましたの。でも、怖かったですわ」

「怪我はない? でも、子供たちを守るためにやったのよね、ほんと見かけによらずに無茶する人ね」

「もうわたくしとティファニアさんはお友達ですから。わたくしより、子供たちに怪我がなくてよかったですわ」

 優しく微笑むルビアナに、子供たちは嬉しそうに懐いていた。それに、ティファニアもコスモスから変身解除して急いで戻ってきた。

「みんな、みんな大丈夫? ルビアナさん、本当に、本当にありがとうございます!」

「礼などいりません。わたくしは、あなたとこの子たちが好きだからやっただけです。それより、怪我をされた方が大勢いますわ。早く手当をしませんと」

 ルビアナが指差すと、何人かの銃士隊員が負傷して呻いていた。すでにアニエスの指示で応急手当てが始まっているものの、暴れ狂うスラン星人を身一つで止めたリスクは大きかったのだ。

 ティファニアははっとすると、わたしも手当てを手伝いますと言って駆け出し、モンモランシーも、自分も治癒の魔法ならできるからと言って続いた。 ギーシュは、水精霊騎士隊の仲間に、治癒の魔法が使える者は手当てを手伝うように指示を出すと、まだ怯えた様子のルビアナの手を握った。

「無茶をする人だ。けど、ぼくは貴女ほど勇敢なレディを知りません。騎士としても、ぼくは貴女を尊敬します。それでも、あまり無理はしないでくださいね」

「ギーシュ様、やはり貴方はとてもお優しい方ですわね。貴方を好きになれたこと、わたくしはとても名誉に思います」

 子供たちに囲まれ、ギーシュの手を握り返すルビアナの表情はどこまでも純粋で温かかった。

 

 しかし、ハッピーエンドのはずなのに、才人とルイズはスラン星人の死体を見下ろしながら、あることに違和感を拭えずにいた。

「こいつら、本当に虚無の力が目当てだったのかしら……?」

 スラン星人は、この中に特別ななにかを持った誰かがいるから、それを狙っていると言った。それを聞いて、てっきり虚無の力を持つルイズかティファニアを狙っているものだと思った。

 しかし、奴はルイズが虚無の名前を口にした時も、まるでまったく知らなかったかのような反応を返している。この中で、ほかに宇宙人が狙うような特別な人間なんかいないはずなのに。

 死んだスラン星人は何も答えず、才人とルイズはテントの中を見渡した。宇宙人の恐怖から解放されて、安堵した顔ぶれが続いている。宇宙人に狙われるような危険なものが混ざっているなど、とても信じられはしなかった。

 

 そして、奥歯にものが挟まったような気持ち悪さを感じている者たちがもう一組いる。

 銃士隊の負傷者の救護のほうもアニエスの指揮のもとで山を越えつつあった。しかし、戦死者は出なかったというのにアニエスの表情は明るくなかった。

「ミシェル、負傷者のほうはどうだ?」

「はっ、幸い軽傷ばかりで入院の必要な者はおりません。民間人のほうも、せいぜい転んで擦りむいたくらいです」

「そうか、皆よくやってくれた。女王陛下には特別手当を申請しておこう。だがそれはいいとして……ミシェル」

「はい……」

 アニエスの声が重くなり、ミシェルもわかっているというふうに短く答えた。

 二人の視線の先には才人たち同様に、放置されたままになっているスラン星人の死体がある。一見、なんの変哲もない屍のように見えるが、二人には共通の違和感があった。

「……見事に眉間の中央を撃ち抜いている。これが、護身術のレベルでできることなのか……?」

 銃士隊の使っているマスケット銃の命中精度はお世辞にもいいものではない。一発で相手の急所を撃ち抜いて倒すなどという真似は自分たちでも難しい。

 二人はさりげなくルビアナを見た。すらりとした細腕で、ナイフとフォーク以上に重いものを持ったことがないというふうな華奢な体躯。あれでは銃を撃つことすら難しそうなものだ。

 偶然当たったと言えばそれまでだ。ギーシュなら、ルビアナは天才だからと言って納得してしまいそうなものだが、アニエスとミシェルはどうしても納得することができずにいた。

 

 一方、不完全燃焼な終わり方に明確な不満を示す者もいた。そう、今回の件の付け火をした、あのコウモリ姿の宇宙人である。

「スラン星人、とんだ食わせ物でしたね。まったく、あれだけはっぱをかけてあげたというのにアレを持ち逃げしてしまうとは……あと少しで、奴を引っ張り出せたかもしれないというのに。どこかの宇宙で会ったら今度はきついお仕置きをしてあげなければいけませんね」

 本当なら、ここでさらに混戦に持ち込んで目的に近づくつもりだったのに、おかげで台無しだと彼は憤っていた。その場合、このド・オルニエール一帯が焦土と化していたであろうが、そんなことは彼には関係ない。

「仕方ありせんね。過ぎたことより先のことを考えましょう。なんとか、最低限の収穫はできました。後は、これをどう利用していくか……」

 彼は気を取り直して次の陰謀を巡らせ始める。その姿はいつの間にかド・オルニエールの空から消えていた。 

 

 テントの中は少しずつ落ち着きを取り戻してきている。後は外に脱出するだけだが、外でジャスティスが宇宙船の外装を引っぺがしてくれているので間もなく出られることだろう。

 ともかく、大変なハプニングだった。温泉旅行の最後で、まさか宇宙人にさらわれかけるなんて誰も夢にも思わなかった。

 けれど、さすがたくましいハルケギニアの人間たちは、土産話が一個増えた程度にしか思っておらず、ジェシカたちはこれ以上店を開けているとまずいわねと、すでに気にも止めていない。それに、公演を邪魔されて意気消沈しているかに見えたサーカス団の人たちも「我がパペラペッターサーカスはこれくらいじゃへこたれません!」と、団長は張り切って、まだ怯えていた子供たちを動物たちと触れ合わせて遊ばせてくれている。やはり、どん底から這い上がってきた人は強い。

 ステージ上では子供たちが調教師にライオンの背中に乗せてもらったりして喜んでいる。動物たちはみな人懐っこく、子供たちにも今回の件でトラウマが残ったりはしないだろう。

 なにはともあれ、重い怪我人が出なかったのが救いだ。気を張っていた者たちも、子供たちの笑い声を聞いて気を緩めつつある。

 と、そんな中でのことだった。舞台の隅で、サーカスの女性団員がじっとうずくまっているのが見つかった。

「エイリャ、おいエイリャどうしたんだい? 返事をしなさい」

「……」

 仲間のサーカス団員が呼びかけても、その女性団員は惚けたように宙を見つめるばかりで答えない。

 どうしたものかと団員たちが戸惑っていると、そこに急いだ足取りでルビアナがやってきた。

「まあまあ探しましたよ。さあ、こっちにいらっしゃい」

 すると、うずくまっていた女性団員の傍らから、幼体エレキングがぴょこりと飛び出してきてルビアナの胸の中に帰っていったではないか。

「あらあら、本当にわんぱくな子なんだから。よその人に迷惑をかけちゃダメでしょう」

 ルビアナがエレキングの頭を優しくなでると、エレキングは短く鳴き声を発した。

 そうすると、まるでそれが合図だったかのように、惚けていた女性団員がぼんやりと目を覚ました。

「あ、れ……あたし、どうして?」

「大丈夫ですか? ごめんなさい。この子ったら、気に入った相手を見つけると、すぐにじゃれついて行ってしまうの。許してあげてもらえるかしら」

「そう、その動物があたしにじゃれてきて……あれ? それからどうなったのかしら」

「きっと疲れがたまっていらしたのね。ゆっくり休んだら、きっとすぐ元気になりますわ。ふふ」

 夢うつつな様子の女性団員はふらふらと立ち上がると、「働きすぎなのかしら……?」と、つぶやきながらテントの奥へと入っていった。

 ルビアナは「お大事に」と微笑みながら見送り、抱き抱えているエレキングの頭を撫でている。エレキングはその腕の中で丸くなり、まるでぬいぐるみのようにおとなしく抱かれている。

「うふふ、可愛い子……ふふ、ふふふ……」

 

 

 続く



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第78話  アナタはアナタ(前編)

 第78話

 アナタはアナタ(前編)

 

 集団宇宙人 フック星人 登場!

 

 

 ハルケギニアの五大国の中で、ガリア王国はその最大の国として知られる。

 国力、領土面積、いずれも随一を誇り、大国として認めぬ者はいない。

 しかし、地方に目を向ければ、貧しい町村や、領主から見放されて荒れ果てた土地も多く、中央の富の届かない影の姿を見せていた。

 そして、首都リュティスから百リーグばかり離れた街道沿いに、そんなさびれた町のひとつがあった。

 町の名前はポーラポーラ。かつてはロマリアとの交易の結地として人口数万を誇ったこともあったけれど、さらに大きな街道の開通と同時にさびれはじめ、今では人口はわずか千人ばかり。荒れ果てた空き家ばかりが軒を連ねる悲しい幽霊街に成り果ててしまっていた。

 そんな町中に一軒の薄汚れた教会があり、固く閉ざされた戸を無遠慮にノックする者がいた。旅装束に、それに見合わぬ節くれだった大きな杖を抱えた小柄な少女。タバサである。

「誰だい?」

 中から返事があった。しかし、扉は固く閉ざされたままであり、明らかに歓迎されてはいない。だがタバサは顔色を変えずに、独り言のように扉に向かってつぶやいた。

「この春は暖かで、王宮の花壇は北も南もきれいでしょうね」

「……ヴェルサルテイルの宮殿には、北の花壇はないんだよ」

 暗号めいたやり取りの後、ガチャリと鍵の開く音がして、扉の奥からフードを目深に被った修道服姿の女が現れた。

「よくここを突き止めたね。腕は鈍ってないようだ。ええ? 北花壇騎士七号」

「思ったより手間はかかった。王女であるあなたが、こんなところでの生活を続けられているとは思えなかったから……けど、ようやく見つけた。イザベラ」

 互いに鮮やかな青い髪をまとった顔を見せあい、タバサとイザベラは再会を果たした。

 けれどイザベラは、招かざる客が来たと露骨に渋い顔をしている。その顔からは、王女として宮廷にいた頃の化粧は消えているが、気の強そうな目付きはそのまま残っていた。

「まあ立ち話も何だ。どうせ、帰れと言ったって帰らない気で来たんだろ? 入りなよ、茶ぐらい出してやる。出がらしだけどね」

 渋々ながら、イザベラはタバサを教会の中に招き入れた。

 「お邪魔します」と、タバサは礼儀なのか嫌味なのかわからないふうに言い、中に足を踏み入れる。中からは埃っぽさのある空気が流れてきて鼻をつき、礼拝堂や懺悔室は物置小屋に見えるほど荒れ果てていたが、奥の給湯室と浴室のあたりだけは生活臭を漂わせていた。

「あなたがプチ・トロワから姿を消したと聞いてずいぶん探した。最初は別荘地などを探したけど、ここまで僻地に逃れているとは思わなかった」

「フン、それでも見つかっちまったら同じことさ……あいつらから聞いたのかい?」

 イザベラが尋ねると、タバサは小さく頷いた。

「あなたに協力者がいたことを思い出せたおかげで、わたしもなんとかあなたの足取りをつかめた。信用してもらうのには随分かかったけど、イザベラ様をどうかよろしくと強く頼まれた」

「ちっ、まったくあのデブとメイドめ……せっかく一人暮らしを楽しんでたっていうのにさ」

 舌打ちすると、イザベラは足音も荒く廊下を曲がった。よれよれの修道服がはためいて埃が舞うが、当人は気にもかけていない。  

 タバサはその後ろ姿を見て、それにしてもあつらえたようによく似合っているなと妙なおかしさを感じた。今のイザベラを見て王女だとわかるものはごく近しい者しかいるまい。元々王女らしくなかったけれども、髪は動きやすいようにまとめてあるし、修道服の着こなしはだらしなく、ただの町娘と言って疑う者はいるまい。これならずっと見つからなかったのもうなづける。

「ずっと一人で暮らしていたの?」

「ああ、食べるものはたまにアネットのやつが届けてくれるし、道具はだいたいここに揃ってるからな。このボロ教会はド・ロナル家の持ち物だそうだから、訪ねてくる奴はまずいない。隠れ家にはいいとこだよ」

「でも、誰にも世話をしてもらえずに、よくあなたが我慢できた」

「そりゃ最初は面倒だったさ。けど、慣れてしまえば独り暮らしも楽しいもんさ。好きなときに食えるし寝れるし、何よりうるさい奴らがいない」

 イザベラは、気にもとめてない風に平然と言う。

 開き直ったときの思い切りのよさは、どこかキュルケに似ているなとタバサは思った。わがままで自分勝手だが、プライドの高さゆえに独立心も強い。

「ほらよ、こんなものしかないけど飲みたきゃ飲みな」

 元はシスターたちの更衣室であったらしい部屋に置かれたテーブルにタバサを座らせ、イザベラはひびの入ったコップに茶を注いで、地味な菓子を振る舞ってくれた。

 タバサは黙ってイザベラに従い、室内をざっと見渡した。すくなからぬ時間を過ごした形跡がある割には、掃除をする気なんかまったくないふうに散らかり放題で、テーブルも埃まみれではあったけれど、タバサにはそれのほうがなぜか安心できた。

 テーブルを挟んで、よく似た顔立ちをした従姉妹同士が向かい合う。

「いただきます」

 ぽつりと言い、タバサはコップに注がれたお茶に口をつけた。味も香りもほとんどせず、ただの色水に近い。

 けれど、温かみだけはあり、コクコクとタバサは数口飲んだ。イザベラは、「けっ、この悪食め」と呆れて見ているが、タバサは今日ここに来てよかったと感じていた。

「お願いがある」

 タバサは一息に切り出した。もとよりそのつもりで苦労して居場所を突き止めたのだ。

 するとイザベラは「そうら来た」と、ふてぶてしく椅子に体を寄りかからせた。しかしタバサが切り出した内容は、イザベラの想像を超えていた。

「ガリアの女王になって欲しい」

「……はぁっ!?」

 イザベラは思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。こいつのことだからとんでもないことを言ってくるとは思っていたけど、どこからそんなぶっ飛んだ話が出てくるというんだ?

「わたしの耳がどうかしちまったのかね。女王になれって聞こえた気がしたけど」

「空耳じゃない。ついでに言えば冗談でもない。あなたに、ガリアの女王になってもらいたい」

 タバサの口調は淡々としていながら、空気を重くするような真剣味が感じられた。

 イザベラは、重ねて突きつけられた信じられない要請を咀嚼しきれないながらも、プライドの高さから平静を保ってタバサに問い返した。

「気でも触れたのかい? ガリアはまだわたしの父上が健在だ。どうしてわたしが女王になれる?」

「ジョゼフの統治はもうすぐ終わる。わたしが終わらせる。なにより、ジョゼフ自身がもう在位を望んでいない。でも、ジョゼフがいなくなった後に速やかに空位を埋めなくては内戦になる。今、生き残っている王位継承者はわたしとあなたの二人だけ。そして、後継者としては前王の実子であるあなたのほうがふさわしい」

「建前ではそうだろうね。けどそれは、つまりお前が簒奪者の汚名を避けるための傀儡になれってことだろ?」

 イザベラはにべもなくヒラヒラと手を振って断った。そんな都合のために王位を押し付けられるなんて死んでもごめんだ。

 しかしタバサは邪な様子は一切見せずに続けた。

「わたしには別にやることがある。ガリアを短期に収めるには、表の権威と裏からの工作が必要」

「フン、自分から花壇騎士時代に戻ろうっていうのかい? けど、わたしが表からの権力で、昔みたいにお前を辱め始めたらどうする?」

「好きにすればいい。わたしひとりでガリアが収まるなら、安いもの」

「甘く見るなよ。わたしだって元北花壇騎士の団長だ。そんな正義じみたことを言う奴は一番信用おけないんだ。お前にわたしがやったことを思えば、恨んでいないほうがどうかしている」

 イザベラは馬鹿ではなかった。舌鋒鋭くタバサを問い詰めて来る。

 しかしタバサは表情を変えることなく、イザベラに言った。

「あなたに恨みはない」

「恨みはないだって? 言うにことかいてこれはお笑いだ! わたしの命令でお前は何回死地に放り込まれた? 何回人目の前で辱められた? 馬鹿にするのもたいがいに」

「でも、今のあなたはそれを後悔している」

 罵声をさえぎって放たれたタバサの一言に、イザベラは思わず言葉を詰まらせた。そして絶句するイザベラに、タバサは従姉と同じ色をした目を向けて告げる。

「わたしは、あなたの人形だった。物言わぬ、心持たぬ人形……だけど、人形であるからこそ、いつからか人間の心が見えるようになってきた。イザベラ、あなたはわたしの前で一度も心から笑ったことはない。そんなあなたに、わたしは恨みを抱くことはできなかった」

「恨まれるどころか、むしろ哀れまれていたというのかい……戦う前から……いや、戦いもしないうちにわたしはお前に負けっぱなしだ。ああそうさ! わたしはお前が憎かった。わたしにない魔法の才を、お前はじゅうぶんに持ち合わせているからね。けど、どんな無理難題を押し付けても、お前は一度も折れなかった。せめて一度でもお前がわたしに許しを請えば、わたしの気も晴れただろうにさ!」

「でも、今のあなたはそれも間違いだったと知っているはず」

「どうしてそう思う?」

「魔法では手に入らないものがあるということを、今のあなたは知っているから」

 その一言に、イザベラは思わず苦笑いした。友人と呼ぶにはまだ自信がないが、こんな自分がはじめて本音をぶつけ合うことができた、デブとメイドの顔が思い浮かぶ。

 悔しいが、タバサには自分の何倍もの友人がいるのだろう。そんなタバサからすれば、自分など恨む価値さえなかったとされてもしょうがない。

 なんとまあ、馬鹿馬鹿しいことかとイザベラは思った。自分は長い間、いつかタバサが復讐に来るかもという、ありもしない幻想に怯えていたのか。

「ハァ。考えてみれば勝者が負け犬を恨むはずもないね。けど、それと王座のことは別だ。わたしは別にガリアがどうなろうと知ったことじゃない。お前の都合のために、余計な苦労をしょい込むほどお人よしでもない」

「わたしも王位はどうでもいい。どうでもいいと思っていた。でも、わたしは任務の中で王家の争いに巻き込まれて不幸になった人を何度も見てきた。空位期間が生まれれば、その混乱の中でより大勢が不幸になってしまう」

「ならなおさら、お前が女王になるべきじゃないのかい? 今でもオルレアン公の人気は絶大だ。貴族どもは歓呼の声で迎えるだろうし、統治の才覚もお前のほうがあるだろう。裏の仕事なら、わたしだって専門分野だ」

「それでいいとも考えた。けど、トリステインのアンリエッタ女王を見ていて思った。わたしには、女王として必要なものが欠けている。だけど、あなたにはそれがある」

「これはまた、最高のお笑いを提供してくれたね! わたしのほうがお前より女王として優れているだって? お世辞にしたって限度ってものがあるよ。馬鹿にされるのは慣れてるつもりだけど、そこまで言われたら気分が悪いね」

 するとタバサは神妙そうに頭を下げた。

「ごめんなさい。侮辱するつもりはなかった。でも、今、この世界は安定しているように見えるけど、それは見せかけだけ。幻想が晴れるその時までにガリアを立て直しておかなければ、今度こそガリアは滅びてしまう。残念だけどその力は、ジョゼフにはない」

 タバサの態度に嘘偽りはないように見えた。しかし、イザベラはタバサの態度に違和感を感じていた。

「あんた、今日はずいぶんとよくしゃべるじゃないか。わたしには人の心は読めないけど、お前とは無駄に付き合いだけは長いからわかるよ。お前、焦ってるだろ? まだ何を隠しているんだい?」

「……それを言うならイザベラ。なぜあなたはガリアの王がジョゼフだと覚えているの?」

「え……?」

 イザベラは唐突なタバサの問いに答えることができなかった。それはイザベラにとっては当たり前すぎることであったから。

 しかし、タバサはイザベラを真っ向から否定するように告げた。

「今、ガリアの人間。いえ、ハルケギニアの人間のすべてはガリアにジョゼフという王がいることを忘れて、それが当たり前だと思って生きている。異常だけど、ある力によってそれが当たり前だと思い込まされている。けど、あなたは本来の世界の記憶を持ち続けている」

「お前……どういうことだい? この世界がおかしくなっちまった原因を、お前は知っているのかい」

「知っている。いいえ、世界中の人々の記憶に手を加えた張本人は、わたしだから」

 イザベラは椅子から立ち上がると、無言のままタバサの胸倉をつかみ上げた。だがタバサはイザベラのされるがままに身を任せており、イザベラは怒りを押し殺しながらタバサに言った。

「どういうことだい? 説明してもらおうか」

「……話せば長くなるからかいつまんで説明する。少し前に、ジョゼフに異世界から来たという者が接触してきた。あなたが前に召喚したと聞いたチャリジャと似たような者と思ってくれればいい。そいつは、ジョゼフとわたしを相手に、ある条件と引き換えに、ハルケギニアの人間すべての記憶を改ざんしてしまったの」

「そうか、ある日突然に誰に聞いてもお父様のことを知らなくなってたのはそういうわけか。まったく、わたしのほうが頭がおかしくなっちまったんじゃないかって狂いそうだったよ。それで、なんでわたしの記憶だけがそのままだったんだい?」

「もしも、わたしとジョゼフの両方に何かがあったときにガリアを託せるのはあなたしかいない。だから、あなただけは記憶操作から外してもらったの。でも本当なら、あなたにはこのまま穏やかに生活を続けていてほしかった。けど、状況が変わって、どうしてもあなたの力が必要になったの」

 イザベラはタバサの胸元から手を離すと、むかついている様子を隠すことなく吐き捨てた。

「チッ、つまりお前の尻拭いをわたしもやれってことじゃないか。ふざけるんじゃないよ。そんな理由で押し付けられた玉座なんか願い下げだ」

「悪いと思っている。でも、人々の記憶を改ざんしておける時間は、もう長くない。そのときにガリアが本当に滅亡するのを防げるのは、もうわたしとあなたしかいない。イザベラ、あなたしかいないの」

 タバサはイザベラに向かって頭を下げた。しかしイザベラは、懐疑的な目を緩めなかった。

「フン、お前がわたしに頭を下げるとはね。前だったら思いっきり高笑いしてやったろうね。けど、お前さっき言ったよな? 王座のことなんかどうでもよかったって。それがどうして、今さらガリアのためにそんな必死になってるんだ?」

 いまだに信用していないイザベラの視線は、タバサにまだ隠している問題の本質を明かすようにと強く訴えていた。タバサは、イザベラには隠し事はできないと覚悟を決めた。

「ガリアがここまで追い詰められてしまったのは、元をたどればわたしのお父様とジョゼフの確執が原因。娘のわたしには、その責任をとる義務がある」

「それだったら、責任はわたしの父上のほうにあるだろう。もう知っているよ。オルレアン公はわたしの父上に毒殺されたって。お前たち親子のほうは、むしろ被害者じゃないか」

「違う……あなたの言うとおりだと、わたしもずっと信じてきた。けど、真実は違っていた。罪人は、ジョゼフだけではなかったの」

 タバサは絞り出すようにそう言うと、懐から一冊の古ぼけた本を取り出してイザベラに差し出した。

「なんだい?」

「読んで」

 なかば押し付けるように差し出されたその本を、イザベラは受け取るとペラペラとページをめくった。どのページにも、人名や数字がびっしりと羅列してあり、よく見ると「何年何月にあの貴族に金をいくら贈った」とか、逆に「あの貴族からどこそこの名画や宝石を贈られた」などを細かく記した帳簿らしいことがわかった。

「なんだい、よくわからないけど、賄賂の記録じゃないのか? こんなもの、どこの貴族のとこを探しても出て来るだろう」

「……それが、わたしの父の書斎から出てきたのだとしても」

「なんだって……」

 イザベラは慌てて筆者を確認した。タバサは筆跡で書いた人間を特定したが、イザベラはそうはいかない。しかしイザベラは最後のページに、おそらくペンの試し書きで書いたと思われる落書きを見つけた。

「「僕は兄さんには絶対に負けない」か……」

 それが、誰が誰を指したものであるかはイザベラにもすぐにわかった。 

 三年前のあの当時、イザベラも子供であった。しかし、子供のイザベラの目から見ても当時のオルレアン公の人気は天を突くようで、反面『無能』の代名詞であったジョゼフの娘の自分はずいぶん肩身の狭い思いをしたものだ。

 だが、大人になった今、冷静にジョゼフとオルレアン公を比べてみれば、二人には魔法の才を除けば極端な差はなかった。王位は長子が継ぐべしという世の習いを思えばジョゼフを推す者も少なからずいたであろう。いくらオルレアン公が好人物で有名だったとしても、どこかおかしくはなかったか?

 イザベラはタバサの顔を覗き見た。いつもの無表情を装ってはいるけれど、どこか怯えているように見える。これまでどんな凶悪な怪物の退治を押し付けても眉ひとつ動かさなかったというのに。

「お前は、これをどう思ってるんだい?」

「信じたくはなかった。けど、生き残っているオルレアン派の貴族の何人かに探りを入れてみたら、間違いないとわかった。わたしは、娘として父の罪を償わなければいけない」

「これを、わたしの父上はもう知っているのか?」

「まだ伝えていない。今伝えたところでなにも変わらない。それに、ジョゼフのやった罪が消えるわけでもない」

 イザベラは、タバサの目にいまだ消えない執念の炎が燃えているのを垣間見て、ごくりとつばを飲んだ。

「なら、これからどうするつもりなんだい?」

「もうこれ以上、ガリアをわたしたち王家の犠牲にするわけにはいかない。わたしはその因縁を闇に葬るために、あえて奴の作戦を続けさせる。イザベラ、その後にガリアを治めるのは、一番罪に触れていないあなたがふさわしい」

「わたしが一番罪に触れていない、か……皮肉だとしても、これ以上のものはないね」

 イザベラは苦笑した。まったく、運命の女神というやつはよほど残酷で悪趣味な魔女であるに違いない。

「もし、わたしが嫌だと言ったら?」

「そのときは、わたしが全てにケリをつける。あなたには、もう二度と会うことはないと思う」

「どうしてそこまで一人で背負い込もうとするんだい? お前の責任感が強いのはわかったけど、お前が悪いわけじゃない。わたしみたいに何もかも投げ捨てて隠れ住んだほうがずっと楽じゃないか?」

 すると、タバサは短く宙をあおいでから答えた。

「このガリアには、この世界には、犠牲にするにはもったいないほど素晴らしい人たちが大勢いる。そんな人たちを、わたしは好きになりすぎてしまった。イザベラ、あなたもそのひとり」

「わたしが? わたしがいつお前に好かれるようなことをしたんだ? 恨まれるようなことしかした覚えはないよ」

「あなたが助けたあの少年とメイドから聞いた。イザベラさまは、本当は寂しがりやなだけで、本当は優しい方なんだってことを。わたしも、小さい頃はあなたによく遊んでもらったのを覚えている。あなたは、あの頃から変わっていない」

「ちっ、ほんとにあのバカどもめ。今度会ったらはっ倒してやる」

 照れながらもイザベラに嫌悪感はなかった。

 しかし、それとタバサに協力するかどうかとなっては話は別だ。このガリアという崩壊寸前の国を立て直すには想像を絶する困難が待っていることだろう。それは、イザベラがかつて経験したこともない重圧だった。

 でも、イザベラにも迷いはあった。ガリアという国は、自分にとってたいして愛着のあるものではないけれど、タバサと同じ様に守ってあげたい人たちはいる。なにより、かつて進んで死地に送り出していた時とは逆に、タバサを見殺しにするのは忍びないという心が生まれている。

「少しだけ考える時間をおくれ。今晩には答えを出すから、しばらく一人にしてくれ」

「……わかった。今晩、また来る」

 タバサは短く答えると席を立った。

 イザベラはじっと考え込んだ様子で、立ち去るタバサに見向きもしない。タバサはそっと廊下を歩むと、教会の外に出た。

 外は日が傾きだし、相変わらず人通りはまばらだった。

 まるで寿命を待つばかりの老人のような街だとタバサは思う。いやきっとガリアだけでなく、世界中にこうした役目を終えて滅びを待つだけの町はあるのだろう。

 しかし、まだガリアという国をそうしてはならないとタバサは思った。全てのものはいつか滅びるのが定めだとしても、ガリアほどの大国が倒れれば、ハルケギニア全体に少なくとも数年に及ぶ混乱が巻き起こる。そうなれば、近い将来本格的に動き出すヤプールに対抗するのは不可能になる。

 タバサは空を仰いで思った。お父様、あなたもいつかはこの空を見ながらガリアの行く先を思ったのですか? もしお父様が生きていたら、ガリアをどんな国にされたのでしょう? わたしは、この三年間そのことばかりを思ってきました。けれど、それは間違いだったかもしれません。

 人の上に立つ、国王として何が必要か? たぶん、多くのものが必要なのでしょうけど、お父様もジョゼフも一つだけ気がついていないものがあったのですね。でも、それをイザベラは持っています。イザベラ自身は気づいていないけれど、横暴な王女だったイザベラが誰にも頼らずに自分だけで茶を淹れてくれたことで、確信しました。

 タバサは物思いに耽りながら、しばらくの休息をとるために歩いた。なにかと多忙ではあるが、シルフィードのいない今の移動は時間がかかり、疲労も溜まりやすい。しかしその中で、何かの役に立てばとジョゼフの所有していた『始祖の円鏡』をロマリア名義で密かにトリステインに送っておいたことが功を奏したらしいと聞いた。まったくあいつは何を考えているのかわからない。

 こんな寂れた街でも旅人向けの宿は残っており、タバサは町外れの小さな宿に入ると食事もとらずに寝床に飛び込んだ。

 

 やがて日も落ち、夜がやってくる。

 ポーラポーラの街は酒場で賑わうような者すらもいなくなって久しく、日が落ちるとわずかな住人も家に閉じこもって街は静寂に包まれてしまう。

 夜道に響くのは野良犬の声ばかりで、街は本当に死んでしまっているかに見えた。しかし……その深夜のこと、タバサは妙な不快感を感じて目を覚ました。

「んっ……何?」

 頭の中に沁み込んで来るような、聞いたこともない高い音がタバサの耳に響いてきた。しかもそれは耳を塞いでも頭の中に執拗に鳴り響いてきて、タバサは直感的に危険を感じて呪文を唱えた。

『サイレント』

 音を遮断する魔法の障壁が張られ、タバサは不快音から解放されてほっと息をついた。

 いったい今の音は何? タバサはサイレントの魔法を張ったまま客室を出ると、まずは宿の様子を確かめた。 

「みんな、眠らされている……」

 宿の主や泊り客は皆、揺り起こしても何の反応もないくらい深く眠らされていた。あんな不快音の中でなぜ? と、思ったが、タバサは自分が風のスクウェアメイジだということを思い出してはっとした。

 なるほど、自分は風の脈動、つまり音に対して人一倍敏感だから、普通の人間とは逆の反応をしてしまったのだ。あの不快音は、恐らく普通の人間に対しては催眠音波として働くのだろう。自分もスクウェアにランクアップしていなければ危なかった。

 しかし、なぜこんな辺鄙な街でそんなものが? いや、考えるのはもっと状況を把握してからだと、タバサは直感に従って夜の街へと飛び出した。

 深夜の街は洞窟の中のように暗く不気味で、今日は月も大きく欠けている日だったので月光もほとんどなく、タバサは『暗視』の魔法を自分の目にかけて路地を進んだ。

 おかしい……昼間とは空気が違う。タバサは駆けながらも、ポーラポーラの街を流れる空気の異常に気付いた。昼間は寂れていながらも人の住んでいる街らしく、生ゴミの腐臭や生活の煙の臭いがかすかに嗅ぎ取れたが、今はまるで新築の家の中にいるような無機質な空気しか感じない。まるで街がそっくり同じ姿の箱庭に変わってしまったような。

 そのとき、タバサは人の気配を感じて物陰に隠れた。ぞろぞろと、こんな深夜には似つかわしくない大勢の足音が近づいてくる。

「あれは……」

 タバサはそれらの中の数人に見覚えがあった。ついさっきまで自分がいた宿の主や泊り客らだ。その誰もが操り人形のように虚ろな表情で歩いていった。

 彼らをやり過ごした後、タバサは疑念を確信に変えた。この街ではなにか異常な事態が起こっている。

 すると、さっき街の人たちが去っていった方向から足音がして、タバサは再度身を隠した。すると妙なことに、さっき去っていった街の人たちが戻ってきたではないか。

 だがタバサは違和感を覚えた。街の人たちの様子が変わっている。さっきは操り人形のようだった表情が、どこか悪意を感じる薄笑いに変わっていたのだ。

 操られているのか……それとも。タバサは考えたが、遠巻きに観察するだけでは確証を得るのは無理だった。いやそれどころか、タバサの目に信じられない光景が映りこんできたのだ。

「町が……動いている!?」

 思わず口に出してしまったほど、タバサの見た光景は常識を外れていた。さっきまでタバサの寝ていた宿の近辺の建物が動き出して地下に沈んでいったかと思うと、まったく同じ建物が地下からせり出してきて、パズルのように元通りはまっていったのである。

 自分の目はどうかしてしまったのか? だがタバサは冷静さを取り戻して確かめると、目の前で起きている光景が『暗視』の効果でのみ見えており、裸眼ではまったく見えないことを発見した。

 からくりが読めてきた。どういう狙いかはわからないけれど、何者かが普通の人間の目には見えない仕掛けを使って街をそっくり入れ替えてしまおうとしているようだ。こんなことができるのは、ハルケギニアの住人では考えられない……ならば。

 いや……タバサは探求心を押し殺して、現状で最優先させなければならないことを思い出した。街の異変も重大だが、それよりも急いで確認しなければいけないことがある。

「イザベラ……」

 タバサは足音を消して路地を急いだ。

 そして、昼間のボロ教会の前についたタバサは扉をノックして反応を待った。

「どなたですか?」

 確かにイザベラの声で返事が返ってきた。しかし、昼間よりも声色が暗く、何よりもタバサは風系統のメイジとして、その声にほんのわずかだが人間の声ではありえないノイズが混ざっているのを聞き取った。

「この春は暖かで、王宮の花壇は北も南もきれいでしょうね」

 昼間と同じ呼びかけをして返事を待った。しかし、相手から返答はなく、しばらくしてわずかに開いた扉のすきまからイザベラの顔が覗いた。

「どなたですか?」

 明らかにこちらを知らないという態度。それを確認した瞬間、タバサは脱兎のように素早く行動に出た。

 杖を扉の隙間に差し込んで一気にこじ開け、小柄な体でイザベラのような何者かに体当たりを仕掛けたのだ。

「ぐあっ!」

 イザベラそっくりのそいつは、こんな展開は予想していなかったようで、タバサの体当たりをまともに食らって教会の中の床に転がった。タバサはそのまま、相手が起き上がろうとするところへ腹を踏みつけて動きを封じると、杖の先に鋭い氷の刃を作って相手の首筋へ突き付けた。

「暴れると殺す、叫んでも殺す」

 短く脅しの言葉を放ち、タバサは相手が返事ができるようになるのを待った。

 イザベラのような相手は、腹を踏みつけられたことでイザベラそっくりの顔を歪めながら苦しんでいたが、やがて息を整えると、恐怖に震えた様子で言った。

「お、お前はいったい? 誰だ? なんのためにこんなことをする?」

 やはりこちらのことを一切知らない様子に、タバサはイザベラそっくりなそいつの腹をさらに強く踏みしめた。

「質問をするのはこっち。まずは正体を現して。それ以上、彼女の姿を騙ることは許さない」

「ぎゃぁぁっ、わ、わかった。わかったからやめてくれ」

 イザベラそっくりな相手の姿がぼやけたかと思うと、次の瞬間そこには大きな耳と筋だらけののっぺらぼうの顔をした宇宙人の姿があった。

 やはり……タバサは相手の動きを封じたまま、イザベラの姿を騙られた怒りを込めた声で尋問を始めた。

「あなたは誰? どこからやってきたの?」

「わ、我々はフック星人だ。ヤプールの差し金で、別の宇宙からやってきたんだ」

「目的は何? 侵略?」

「さ、最初はそのはずだったんだ。でも、アイツがやってきてからおかしくなっちまったんだ。お前、ウルトラマンどもの仲間か? 頼む、命だけは助けてくれ」

 フック星人はタバサに気圧されたのか、それとも元々小心なのか、みっともないくらい怯えながら答えた。

 タバサは、嘘をついている可能性は低いなと判断しながらも、油断なく尋問を続けた。

「おとなしく答えれば殺しはしない。イザベラは……この街の人たちはどこへやったの?」

「ち、地下の俺たちの基地だ」

「なぜ、街の人と入れ替わっていたの? ここで何をしているの?」

「俺たちフック星人は夜しか活動しないんだ。だから夜になったら街の人間と入れ替わって、街を偽物に入れ替えてごまかしてたんだよ。俺はただの下っ端で、地下で何をしてるかは隊長しか知らねえ」

「なら、その入り口に案内して。そうしたら解放してあげる」

 タバサはフック星人を立たせると、その後ろから死神の鎌のように杖をあてがって歩かせ始めた。

 地下への入り口は下水道のマンホールにカムフラージュされていた。タバサはそこでフック星人を気絶させて物陰に隠すと、地下へと降り始めた。

 気配を消しながらタバサは延々と続く階段を降りていった。地下はかなり深く、ざっと百メイルは降りたかと思った時、やっと平坦な通路へ出た。そして、その通路に空いた窓を覗き込むと、タバサはあっと驚いた。

「これは……表の街」

 ポーラポーラの街がそっくりそのまま地下の広大な空間に移されていた。鼻をこらすと、昼間感じた生活臭が漂ってくる。間違いなく、こちらが本物の街だった。

 なるほど……フック星人たちは、こうやって街と住人をそっくり入れ替えて侵略を進めていくつもりだったのかとタバサは思った。昼間はなんの異変もなく、夜な夜なこうして侵略地域を増やしていけば、人間に気づかれることなくいずれ地上を全部手に入れることができる。実際、かつて地球でもフック星人たちはこうしてウルトラ警備隊の目をあざむきながら侵略計画を進めていたのだ。

 きっと街の人たちやイザベラもこのどこかに……だがここでタバサは考えた。単純にイザベラを取り戻すだけなら、朝を待てば街は元に戻されるだろう。それが一番確実だ。

 いやダメだ。すでに自分は下っ端とはいえ、フック星人のひとりを倒してしまっている。気づかれるのも時間の問題だ。そうなれば、街が元に戻る保証はない。

 やはり、今晩のうちにイザベラを奪還するしか道はない。だがそう思った瞬間、通路にブザー音と非常放送が流れ始めたのだ。

「全隊員に告げる、侵入者あり。全隊員に告げる、侵入者あり。全隊員はただちに非常事態態勢をとり、侵入者を排除せよ! 繰り返す……」

 見つかった! タバサは思ったよりも早い敵の反応に焦りを覚えるとともに、通路の先から足音が近づいてくるのを聞き取った。

 数は数人、戦って倒すか? いや、敵の全容が掴めていないのに派手にこちらの存在を暴露するのは危険だ。タバサは思い切って、窓から眼下に広がる街へと飛び降りた。

 小柄な体が宙に舞い、青い髪がたなびく。振り返ると、飛び降りた窓から数人のフック星人がこちらを見下ろしているのが見えた。

『フライ』

 落ちる寸前に魔法で浮いて着地し、タバサは町並みの影に姿を隠した。

 これで少しは時間が稼げるはずだ。ポーラポーラの街は空き家だらけで身を隠す場所には苦労しない。と、そこでタバサは偶然にもこの場所が、本物のイザベラがいるであろう教会のすぐ近くであることに気づいた。

 ここからなら、百メイルも行けば教会にたどり着ける。しかし、敵の対応の速さはタバサの予測をさらに上回っていた。自分に向かって人間ではない足音が複数近づいてくるのが聞こえる。もう回り道をしている余裕はないと、タバサは呪文を唱えて空気の塊を巨大な砲弾にして発射した。

『エア・ハンマー!』

 スクウェアクラスの威力で放たれた空気弾は本物の砲弾も同然の威力で廃屋の壁を次々にぶち破りながら進み、その跡には家々の壁に丸い穴が続いた通路が出来上がっていた。

 よし、これで最短距離で直進できる。少々荒っぽいが、どうせみんな空き家なので勘弁してもらおう。タバサは飛びながら自分で作ったトンネルを急行し、そのゴールには目論み通り教会があった。

「アンロック」

 と、言いながらまたエア・ハンマーで扉をぶっ飛ばし、タバサは屋内でイザベラを探した。

 いた。イザベラは休憩室のソファーで寝息を立てていた。きっと、ソファーで考えながら眠ってしまったところを眠らされてしまったのだろう。

 タバサは杖を振り上げると、「起きて」と言って、思い切りイザベラの頭に振り下ろした。

「あがぐがびげがげ!?」

 熟睡していたところをぶん殴られて、イザベラは人間の放つものとは思えない声を叫びながらソファーから落ちて七転八倒した。

 しまった……ついうっかりいつもシルフィードにしてる起こし方をやってしまった。死んでないといいけど……。

「あがががが……な、なにが!?」

 よかった、どうやらイザベラもなかなか石頭だったようだ。多少目を回してはいるようだけども、起きてくれたならとりあえずよしだ。タバサは、次からイザベラを起こすときにはこの手でいこうと思った。

 しかし、のんびりしてもいられなさそうだ。フック星人の追っ手が迫ってきている気配がする。タバサはイザベラの首根っこを掴むと、勢いよくフライの魔法で飛び出した。

「ぐえええ……」

 首が締まってイザベラから苦悶のうめきが漏れる。が、悪いがかまっている余裕はない。タバサは全速で飛行しながら、時に追っ手に魔法を撃って退けつつ急いだ。

 やがて街はずれまで来て、ようやく追っ手をまいたタバサはイザベラを放した。イザベラはしばらく激しくせき込んでいたが、やがて顔を真っ赤にしてタバサにつかみかかってきた。

「お前やっぱりわたしを殺す気だろ! わたしが憎いならはっきり言ったらどうだい!」

「あなたに恨みはない」

「どの口でそんなことを言うんだよ!」

「しっ、声が大きい。敵に気づかれる」

「敵ぃ!?」

 タバサはいきりたつイザベラをなだめながら、今の状況を説明した。

 イザベラは殴りかかる寸前まで行きながらも、空が天井で封鎖されているのを見て状況を理解した。

「なるほどね。前は小さくされて捕まって、今度は街ごと捕まってしまったわけか。それにしてもお前、もう少し優しく助け出すことはできないのかい?」

「荒っぽい仕事ばかりやらせてたのはあなた」

「ぐぬぬ……で、これからどうするつもりなんだよ?」

「まずは出口を探す。最悪、あなただけでも逃がさないといけない。できるだけ静かにしながらついてきて」

 話を強引に打ち切ると、タバサはさっさと歩きだしてしまった。イザベラはまだ言いたいことはあったけれど、こんな状況ではタバサ以外に頼れるものはおらず、しぶしぶ後をついていった。

 街は住人がそれぞれの家で眠らされているようで、タバサたち以外には動く者はいない。だがフック星人の兵士があちこちで自分たちを探し回っており、ふたりは隠れ潜みながらじっくりと進んでいった。

「おい、なんであんな弱っちそうな奴ら、さっさと倒して行かないんだよ? 今のお前ならできるだろ」

 じれたイザベラが急かしてくる。しかしタバサはしっと口を押さえながら小声で返した。

「敵の総力がわからないままで、無駄な精神力は使えない。それに、彼らは目がない代わりに耳が発達してるようだから、へたに騒げば仲間がわっと集まってくる」

 もしフック星人がタバサの精神力を上回る戦力を持っていたらタバサに勝ち目はない。タバサは可能であればポーラポーラの街の人たちも助ける気でいたから、雑兵相手に無駄な戦いをするわけにはいかなかった。

 それに、敵を泳がせることで利用することもできる。タバサはフック星人の兵隊の動きを注意深く観察していた。彼らのパトロールの動きを読めば、ここの出入り口も読めるはず。案の定、廃屋のひとつが彼らの出入り口になっているのがわかった。

「あそこから別のところに行けそう」

 タバサはフック星人が去った後に、イザベラをともなって廃屋に入った。

 どうやら地下室への入り口が出入り口になっているらしい。敵の気配がないことを確認して、その入り口をくぐった。

 行く先は機械的な地下通路になっていて、まるで宇宙船のような作りのそこを、旅人服のタバサと修道服のイザベラが進んでいくのは、見る者がいればアンバランスだと思ったことだろう。

 この先はいったいどこにつながっているのだろう? 二人は息をひそめながら通路を進んでいく。

「おい、なんかどんどん下へ下へと下がっていってる気がするんだが、ほんとに出口に向かってんのか?」

 イザベラが抗議してきても、もちろんタバサにだって確信があるわけがない。しかし、いまさら引き返すというわけにはいかず、運を天にまかせるしかないのが本音だ。

 が、通路は果てがないくらい長く、イザベラが疲れて壁に寄りかかった。

「ちょ、ちょっと待っておくれよ。少し休憩していこうぜ、こっちはお前ほど歩き慣れてないんだ、うわぁっ!?」

「イザベラ!?」

 突然、イザベラの寄りかかった壁が回転したかと思うとイザベラは壁の向こうへ吸い込まれていってしまった。

 隠し扉!? タバサは慌てて壁の向こうへ消えたイザベラを追って自分も回転扉のようになっている隠し扉の先へと進んだ。

「う、いてて」

「イザベラ、大丈夫?」

「ああ、びっくりしただけだよ。それにしても、なんてとこに扉を作りやがるんだ。って……なんだいこれは!」

 イザベラとタバサは、隠し扉の先にあった部屋でおこなわれている光景を見て驚愕した。

 大きな部屋の中でベルトコンベアーとロボットが無人で稼働し、機械音を響かせながら何かを製造している。

 ふたりはしばらくその光景にあっけにとられた。ハルケギニアの人間の常識ではありえない光景……しかし、一時期を地球で過ごしたことのあるタバサは、これが工場であることに気づいて、ベルトコンベアーの上で何が作られているのかを覗き込んだ。

「これは、銃?」

 タバサは手に取った未完成品を見てつぶやいた。ハルケギニアの原始的な火薬式のものとは違い、全金属製だが木のように軽い未知の金属で作られている。恐らくは光線銃の類だろう。

 見ると、複数あるベルトコンベアーではそれぞれ違った兵器が製造されている。それぞれが手持ち携行可能なサイズの銃火器で、中には才人たちがド・オルニエールで見たウルトラレーザーも含まれていた。

 ここはフック星人の兵器製造工場かとタバサは考えた。異世界の武器がいかに強力かはタバサもよく知っている。できればここも破壊しておきたいがと思ったが、イザベラが急かすように袖を引いてきた。

「なに考え込んでるんだよ。こんなところに用はないだろ、早く出口を探そうって」

 確かに、今はそこまでやっている余裕がないのも確かだ。優先すべきはまず脱出、基地の破壊は準備を整えた後でもいい。

 タバサは元の通路に戻ろうと踵を返した。だがそこへ、あざ笑う声が高らかに響いてきたのだ。

「ハッハハハ! 出口なら永遠に探す必要はないぞ」

 はっとして振り向いた先の壁が回転して、大柄なフック星人が入ってきた。

 とっさに杖を向けるタバサ。しかし、タバサが呪文を唱え始めるよりも早く、壁の別のところや工場の物陰から何十人ものフック星人が現われてふたりに銃を向けてきたのだ。

「……くっ」

「ハハハ、いくらお前が優れたメイジでも、これだけの銃口に狙われてはどうしようもあるまい? さあ、後はわかるだろう? 俺に退屈な台詞を言わせないでくれよ」

 嘲るフック星人に対して、タバサは攻撃することができなかった。表情こそ変えていないが、内心では歯ぎしりしたいような悔しさが燃えている。やられた、捕まえやすいところへむざむざ誘い込まれてしまったのだ。

 もしタバサが魔法を使うそぶりを見せれば、四方からのレーザーがふたりを蒸発させてしまうだろう。タバサひとりならまだなんとかなるかもしれないが、イザベラまで守り通すのは不可能だ。タバサは仕方なく、杖を手放すと両手を上げた。

「おいお前!」

「今はこうするしかない。イザベラ、あなたも逆らわないで……さあ、これでいい?」

「そう、それでいい。話が早くて助かる。フフ……あとでゆっくりどこの回し者か聞き出してやるとしよう」

 大柄なフック星人はそう言って笑った。

 どうやら、このフック星人があの下っ端が言っていた隊長らしい。タバサは背中に銃口を突き付けられながらも、隊長に問いかけてみた。

「ここで侵略用の武器を作っているの?」

「侵略? フン、本当ならそのつもりだったんだが、あのお方の命令でな……でなければ、誰がこんなオモチャみたいな武器を作るものか」

「あのお方?」

「余計なことは知らなくていい。どうせお前らは二度とここからは出られないんだ。お前ら、尋問の用意ができるまでこいつらを閉じ込めておけ!」

 隊長が不機嫌そうに命令すると、タバサとイザベラの背中から別のフック星人が銃を突き付けて「歩け」と促してきた。

 タバサは黙ってそれに従って歩き出す。隣でイザベラが顔を青ざめさせているが、今のタバサにはどうしてやることもできなかった。

 

 だが、チャンスは必ず巡ってくる。タバサは逆転をまだあきらめてはいない。

 それにしても、フック星人の後ろにいるという、あの方とは何者か? 思案をめぐらせるタバサの後ろで、隠し扉の閉じる音が重く響いた。

 

 

 続く



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第79話  アナタはアナタ(後編)

 第79話

 アナタはアナタ(後編)

 

 集団宇宙人 フック星人 登場!

 

 

 タバサとイザベラはフック星人の基地の中を連行されていた。

 フック星人の作戦によってすり替えられてしまったポーラポーラの街。タバサはそこからイザベラを助け出し、さらにフック星人の兵器工場も発見した。

 しかし、罠にはめられて二人とも捕らえられてしまい、牢への道を歩かされている。

 杖は取り上げられ、背中には銃を突き付けられた最悪の状況。けれどタバサはまだあきらめず、虎視眈々と反撃のチャンスを狙っていた。

 

「わたしたちを、どうするつもり?」

「知りたいか? うちのボスはせっかちだからトークマシンでお前たちの頭を根こそぎかき出すつもりだろうぜ。まあ、トークマシンのフルパワーで頭をいじられたら廃人確定だろうから、いまのうちにせいぜい怯えてるがいいさ」

 タバサの質問に、彼女たちを連行しているフック星人の一人が答えた。今、タバサとイザベラの背中にはそれぞれ銃が突き付けられ、銃を持ったフック星人と、その上司らしいフック星人の計三人のフック星人がいる。

 対して、タバサとイザベラは杖を取り上げられて完全に丸腰。状況はまさに最悪と言えた。

 おまけにフック星人たちは、こちらを無事にすますつもりはまったくないようだ。トークマシンがなんのことだかはわからないけれど、話からして自白剤のようなものらしい。

 イザベラのほうを見ると、完全に血の気を失ってしまっている。無理もない……事実上の死刑宣告を受けてしまったら、普通の神経では耐えられないものだ。

「お、おい……わ、わたしたち、どうなるんだい?」

 怯え切った声でイザベラが問いかけてきても、タバサにはそっくりそのままを言ってやるしかできなかった。それを聞いて、さらにイザベラの顔が絶望に染まるが、嘘を言ったところでどうにかなるものでもない。

「ど、どうにかしてくれよ。お前、北花壇騎士だろ。いままで、わたしのどんな難題もこなしてきたじゃないか」

「無理、杖を取り上げられていてはどうにもならない」

 タバサはそっけなく答えた。その答えにイザベラがさらに青くなると、フック星人たちはおもしろそうに笑い声をあげる。

 だが実際、タバサの杖は少し離れた位置にいるフック上司が持っている。あれを取り返さなくてはまともな戦いはできない。それも、トークマシンにかけられるまでの、残りわずかな時間のうちにである。顔には出さないが、タバサも内心では焦っていた。

 と、歩きながらひとつの角に差し掛かった時、その先から別のフック星人が二人現れた。

「おう、そいつらが例の侵入者たちか。なんだ、意外とあっさり捕まえたんだな」

「まあな、けっこう暴れてくれたが、まあこのとおりよ。お前たちはこれから仕事か?」

「ああ、アレのノルマが迫ってるからな。いったいいつまで続くんだろうなこんな仕事。もうフック星に帰りたいぜ」

「まったくだ。隊長に言っても聞いてくれねえし、もうこんな星うんざりだぜ」

 フック星人同士の立ち話。それをタバサは黙って聞いていた。たとえ下っ端同士の愚痴だとしても、こちらからすれば重要な情報源となる。

 それに、話に気を取られれば隙も生まれる。タバサはこの瞬間を待っていた!

「おい、お前ら。無駄口はそのへんに、ん? 何っ!?」

 フック上司は一瞬何が起こったのかわからなかった。タバサの姿が消えたかと思った瞬間、部下の一人が足をすくわれて倒され、もう一人が反応するより速くタバサは横合いからフック部下の脇腹に肘打ちを打ち込んだのである。

「ぐふぅっ!」

 急所を打たれてフック部下が倒れる。そして、銃を持った二人が倒れたことで、タバサはイザベラが驚愕の眼差しを向けている前で、豹のように俊敏にフック上司に飛び掛かったのだ。

「ウワッ!?」

 フック上司はとっさに手に持っているタバサの杖で身を守ろうとしたが、それはタバサの思うつぼだった。タバサの手が杖にかかり、フック上司の手から取り上げようと引っ張りあげる。

「杖は返してもらう」

「こ、この小娘! な、なめるな」

 フック上司は杖を奪い取ろうとするタバサを力付くで振りほどこうと試みた。しかし、細身で小柄なタバサくらい簡単に振り払えるだろうと思ったフック上司の目論みは、杖から伝わってくる異常な強さの力で打ち砕かれた。

「こ、こいつのどこにこんな力が!? うおわっ!」

 まるで大男を相手にしているようなあり得ない力がフック上司を逆に振り回し、ついにフック上司は杖を手放して床に放り出されてしまった。

 むろん、それだけで終わる訳もない。タバサは杖を取り戻した勢いで、フック上司の頭に全力で叩きつけた。

「うわっ」

 思わずイザベラのほうが悲鳴をあげた。自分でも食らったからわかるがあれは痛い。そして、なぜフック上司が悲鳴をあげなかったのかというと、悲鳴をあげる間もなく気絶させられたからで、その時にはタバサは杖を振って次の魔法を唱えていた。

『蜘蛛の糸』

 それは空気から粘着性の糸を作り出して相手を絡め取ってしまう魔法で、あっという間に残り四人のフック星人も縛り上げてしまった。

「な、なんだこりゃ! ほ、ほどきやがれ」

「暴れるだけ無駄。心配しなくても、しばらくしたら消える」

 フック星人たちの抵抗を完全に封じたタバサは、気絶しているフック上司からイザベラの杖も取り戻して彼女に渡した。

「これはあなたのもの」

「あ、ああ、ああ。けどお前、前からそんなに強かったっけ? いや、メイジとしてじゃなくて、腕っぷしというかなんというか」

「最近ちょっと鍛えた」

 タバサはそっけなく答えたが、どう見てもちょっとどころの鍛え方ではなかった。

 まあ確かに鍛えすぎたかなとは思う。地球にいた頃、ハルケギニアに戻る準備ができるまではXIGの空中母艦エリアルベースでお世話になっていたのだが、借りた本も読み尽くし、やることがなくなって運動でもしたらどうかと薦められたとき、トレーニングルームでえらいのに見つかってしまった。

「おう、お前さんが噂の魔法使いか。自分からここに来るとは感心感心」

「別に、軽く体を動かすだけのつもりだから」

「そりゃいかんぞ。若いうちに体を鍛えておかないと、歳をとるのが速くなるってもんだ!」

 と、がたいのいい三人のおっさんに捕まったのが運のつき。あれよあれよという間に、本格的なトレーニングをすることになってしまった。

「あの、わたしはメイジで魔法で戦うわけだから……」

「わかってるって。チューインガムも最初はそう言ってたけどな、体を鍛えておいて損なんかねえんだから。まあ騙されたと思ってつきあいな」

 こうして、その当時は居候の身だったので無理に断れなかったタバサは、ちょっとした運動のつもりだったのが、本格的なトレーニングを受けることになってしまった。

 しかも、陸戦部隊だという彼らのトレーニングは、かなり手加減してはくれているそうだったが、物凄くきつかった。自分もガリアでイザベラから受ける任務の数々で人並み以上には鍛えているつもりだったけれど、数日は筋肉痛で死ぬかと思った。それに、重量挙げの重りの重さとか、今思えば女の子にさせていい重さではなかった。

 しかし、そうして鍛えたおかげで、今こうして魔法を使わずにピンチを切り抜けることができた。彼らチーム・ハーキュリーズには感謝している。それにもしかしたら、ハルケギニアに戻った後で過酷な戦いが待っているであろうことを見据えた、コマンダーの差し金もあったのかもしれない。

 それはそうと、これで戦力は回復できた。もう同じ手にかかるつもりはない。

 タバサは縛り上げているフック星人たちに寄ると、短く言った。

「あなたたちには、やってほしい仕事がある」

 その威圧のきいた声に、フック星人たちは息をのみ、イザベラは気色ばんだ。

「おっ、そいつらに出口まで案内させるんだな?」

 しかしタバサは意外にも首を横に降った。

「違う、作戦変更。わたしはこれから彼らのボスのところに行って、街を元に戻させる。あなたはこれから彼らを指揮して武器工場を破壊してほしい」

「はっ、はあぁぁーっ?」

 これにはイザベラだけでなく、フック星人たちも面食らった。

「おっ、お前何を言い出すんだよ。こいつらは敵だぞ、敵!」

「彼らの間には、現状への不満と帰郷心がくすぶっている。あなたたち、さっきそう言っていたね?」

「あ、ああ。だが、それでなんで俺たちが自分たちの基地を破壊しなけりゃいけないんだ?」

「基地が破壊されたとなれば撤退する立派な大義名分になる。責任は、隊長に押し付ければあなたたちは無罪。あなたたち、故郷に帰りたくはない?」

「う……」

 タバサのその提案に、四人のフック星人たちは顔を見合わせた。あの隊長は、あの傲慢な態度や、さっきの部下たちの不満げな会話から察したが、やはり人望はほとんどないようだ。

 しかし、フック星人たちは迷っていた。裏切りになるということはもちろん、その確実性についても疑問視していた。

「お前、この基地には何百というフック星人がいるんだ。その全員がその気になるとは限らないじゃないか」

 確かに、隊長に従う者もいるだろう。いくら現状に不満があるといっても、内乱になるよりはましだと誰もが思うであろう。

 しかしタバサは事も無げに、イザベラを指しながら驚くべきことを言った。

「心配はいらない。彼女はこう見えて、百万の兵を指揮する大将軍。きっとあなたたちに勝利をもたらしてくれる」

「はあぁ!?」

「な、なんだと!」

 別々の意味で驚くイザベラとフック星人。そして当然イザベラはタバサに食ってかかった。

「お前! 言うに事欠いて、口からでまかせにもほどがあるだろ」

「でまかせとはなんのこと? あなたはガリアの次期女王。つまりガリア王国軍全ての総司令官ということ」

 しれっと答えるタバサであった。もちろんフック星人たちも懐疑的な様子を見せている。しかしタバサは遠慮せずに無茶な説明を続けた。

「あなたたちは運がいい。この方はこれまでにも数々の難事件を優秀な部下を駆使して解決に導いてきた采配の達人でもある。特に、やる気のない部下をその気にさせるのは大得意で、わたしもずいぶん鍛えられた」 

「おい、お前」

「このお方の一喝にかかれば弱者は恐れおののき、強者も凍りつく。このお方を前にしたら、このわたしもなすすべなく言うことを聞くしかなくなる」

 そう言ってタバサはイザベラに膝まずいて見せた。

 もちろんイザベラは困惑する。だが、フック星人たちはタバサの仕草があまりに堂に入っていたので、すっかりその気になってしまった。

「あの強い奴が頭を下げるなんて、あっちの女はいったいどれだけすごいんだ!?」

「そんなすげえ奴なら、俺たちをこんな仕事から解放してくれるかもしれねえ」

 フック星人たちの声色が変わったのがイザベラにもわかった。彼らはこの仕事に心底うんざりしていたようで、目はなくても期待の眼差しを向けてきているのはわかる。しかし、イザベラにはそんな自信は到底無かった。

「お前、わたしをどうしようっていうんだ!」

「難しいことは何も言ってない。いつもわたしに命令していたみたいに彼らを使って目的を果たせばいい。彼らは今に限って、あなたの部下同然」

「バカな。わたしはただ命令していただけだ。お前のように、戦いの才能なんかないんだ」

 思わず弱音を吐くイザベラ。しかしタバサは彼女の目を見てきっぱりと言った。

「心配はいらない。あなたは伊達に北花壇騎士団を指揮してきたわけじゃない。いつものように、ふてぶてしく図々しく命令すればいいだけ」

「お前はわたしをなんだと思ってるんだ!?」

「なにも嘘は言っていない」

「嘘じゃなければ何言ってもいいってわけじゃないだろうが!」

 涼しい顔で言いたい放題を言うタバサに、ついにイザベラも堪忍袋の緒が切れた。しかし、タバサは落ち着いた様子でイザベラに告げた。

「わたしはあなたに嘘を言ったことはない。だから言う。イザベラ、あなたにはあなた自身、まだ気づいてない大きな才能がある。この戦いで、それを見つけてほしい。あなたなら、きっとできる」

 そう言うとタバサはイザベラが止める間もなく、風のように去って行った。

 残されたイザベラはあっけにとられたが、もう自分に選択肢がないことを認めざるを得なくなった。

 後ろには期待してくるフック星人たち。自分の実力では戦うことも逃げることも無理。かといって命乞いをするのはプライドが許さない。逃げ場がなくなったそのとき、イザベラの中で何かが切れた。

「ああそうかい。今度はお前が、わたしがお前にやらせてたことをやらす気だってんだな? わかったよ、お前にできることがわたしにできないわけないってことを思い知らせてやる。おいお前ら、今からお前らのボスはこのわたしだ。文句はないな!」

「ハイ!」

 プチ・トロワでメイドや兵隊を震え上がらせていた頃の、暴君としてのイザベラがここに再来した。

 しかし、以前とは違うことがひとつある。

「ようし、やるとなったら派手にぶち壊すぞ。一番でかい工場はどっちだ?」

「はっ、こちらであります!」

「ならお前ら、わたしについてきな!」

 以前のイザベラは、ふんぞり返って誰かに命令するだけだった。だが、今のイザベラは自分が先頭に立って走っている。かつて誘拐怪人レイビーク星人と戦ったときから、イザベラは他人の背中越しでは見えない世界があることを学んでいた。

 先頭に立ってのしのしと駆けていくイザベラに、フック星人たちも頼もしそうについてくる。

 そのとき、別のフック星人の一団と出くわした。

「な、なんだお前は!」

「あん? ちょうどいい。お前らもいっしょについてきな!」

「な、なんだと?」

「お前らのためになることしてやろうってんだよ。お前らも、うんざりする毎日が嫌ならついてきな。スカッとさせてやるよ」

 不敵に笑うイザベラに、鉢合わせしたフック星人たちは不審者が目の前だというのに捕まえることも忘れてしまった。しかし、仲間のフック星人から目的を教えられると、明らかな動揺を見せた。そんな彼らに、イザベラは告げる。

「今が嫌か? 自由が欲しくないか? なら、わたしといっしょに暴れてみないか?」

 その言葉の力強さに、やはり不満を持っていたフック星人たちも加わり、一同は一気に数を増やして突き進んだ。

 そしてこうなると、勢いを得た彼らは怒濤の勢いで突き進んで行った。あちこちで参道者を増やし、工場へなだれ込んでいく。

 もちろん、止めようとする職務に忠実なフック星人もいる。しかし、すでにイザベラに従う者のほうが圧倒的多数になっており、彼らは立ち塞がる者たちに抗議した。

「き、貴様ら、これは反逆だぞ」

「うるさい! こんなところでいつまでも穴蔵に籠ってるなんて、もううんざりだ。俺たちはもうフック星に帰りたいんだよ。邪魔するな!」

 反乱行為だが、つもりに積もったストレスの爆発に対しては、止めようとするフック星人も有効な説得はできなかった。そして、そんな彼らにイザベラはふてぶてしく言った。

「あーあ、クソ真面目クソ真面目。わたしの部下に欲しいくらいだよ。だが、その信念。本当にお前らは心から信じてるのかい?」

「なにを戯れ言を!」

「言われたことをやるだけならお前らは奴隷さ。だが、お前らだってやりたいことはあるだろう? それを我慢したままで死んでいくのか?」

「ふざけるな! 兵が気分で戦って、軍の規律が守れるものか!」

 フック星人は別名を集団宇宙人というくらい、個の弱さを集で補う星人だ。それゆえに小隊長クラスは規律に厳格ではあったが、イザベラは嘲るように言ってのけた。

「バッカだねぇ! 人の上に立つってのはさ。いつ寝首を掻きに来るかわからないやつを屈伏させるからおもしろいんだよ!」

 嗜虐的な光を瞳に宿らせながらイザベラは言った。抵抗しない相手なんかいじめてもすぐに飽きる。どうせ可愛がるなら、手を噛みに来る犬のほうがやりがいがあるというものだ。そう、例えばタバサのような。

 その、狂気一歩手前の迫力に、立ちはだかっているフック星人たちが気圧されて後ずさる。しかし、一番の変化は彼女の後ろで起こった。

「おおっ! なんていう器の大きさなんだ。うちのボスとはまるで格が違うぜ」

「この方なら俺たちを解放してくれるかもしれないぜ。今日から姐さんと呼ばせてもらいやす!」

「バァカ! わたしは女王だよ!」

「ハイ! 女王様」

 イザベラも調子に乗ってきて、軍勢に一体感が生まれてきた。規律に沿って動くフック星人にとって、型破りなイザベラのようなリーダーは新鮮だったのだ。

 だがそれにも増して、今のイザベラにはフック星人たちを引き付ける魅力があった。自分では歩けない道を切り開き、見れない景色を見せてくれる、そんな期待感を抱かせてくれる頼もしさが。

 そして、大多数のフック星人を味方につけたイザベラは、不敵な笑みを浮かべると手を振り上げて叫んだ。

「突撃ーっ!」

 待ちに待った命令を受けたフック星人たちは、雪崩を打って驀進していった。最後まで止めようとしていたフック上司たちも、これで止めようとすれば自分たちの身も危ないと悟って、棒立ちで傍観に移っていった。

 もはや反乱というより暴動に近い。しかし、それだけフック星人の中に鬱屈したものが溜まっていたということであって、それを解放したイザベラにはリーダーとしての非凡な才能があるということだった。

 イザベラを先頭に工場になだれ込んだフック星人たちは、自分たちが嫌々作らされていた兵器群を睨みつけた。それと同時に、ひとりのフック星人がイザベラにマイクを持ってきた。

「ほう、気が利くじゃないか。おい! ここにいるバカども全員、よく聞きな。こんなせまっくるしい穴倉で、いつ終わるかわからない仕事をさせられ続けてる自分をかわいそうだと思わないかい? だったらわたしが許す。全部、ぶっ壊してしまいな!」

 その一言は、フック星人だけでなく、これまで王宮という檻に閉じ込められてきたイザベラ自身への無意識のうちの宣戦布告であった。

 人間は、誰もが自分を縛って生きている。そうしないと、集団の中で生きていけないからだ。しかし、長い間強く締め付けられ続けると、マグマ溜まりのようにストレスは圧縮され、なにかのきっかけで爆発する。それは目に見えない爆弾として、ときおり社会のどこかで悲劇を生んでいる。

 フック星人たちは、人間とさして変わらない社会構造を持っている。しかも彼らは、本来の自分たちの目的とは違った仕事を押し付けられていた。その怒りは当然のもので、解放された彼らは暴徒さながらに兵器工場を破壊していた。

「壊せ壊せーっ! こんなクソッたれなもんとはおさらばだーっ!」

「帰るんだ。俺たちはもう星へ帰るんだ!」

 製造途中や完成品の兵器が製造設備ごと壊されていく。無数のウルトラレーザーやそれに相当する兵器もことごとく鉄くずと化していき、イザベラはそれを工場を見下ろせるクレーンの上から見ていた。

「いいよいいよ! 盛大にやっちまいな。こんな景気の悪い場所は、すっきりぶっ壊してしまいな!」

 イザベラの声に応じて、フック星人たちの勢いも増していく。フック星人のでこぼこの顔では表情はわからないが、彼らが喜びに沸いているのははっきりわかった。

 そして、フック星人たちの勇気の源泉になっているのがイザベラであるのも間違いはない。彼女が誰からも見えるところでふんぞりかえっているからこそ、彼らは安心して暴れることができた。

 工場の破壊は轟音をあげて進み、工作機械やベルトコンベアも煙をあげて止まっている。そんな様子をイザベラは満足そうに見下ろし、そしてそんなイザベラをタバサはモニターごしに見守っていた。

 

「そう、それがイザベラ、あなたの力。人の勇気を鼓舞して、軍団を率いる。わたしが持っていない、将としてのあなたの才能」

 

 タバサは少し羨望が混じった眼差しをイザベラに向けていた。

 確かにイザベラには王族としての気品や優雅さなどはない。だがその代わりに、人をその気にさせる口のうまさと、恐れや迷いを振り切らさせる堂々とした風格を持っている。それはアンリエッタが国民を鼓舞する際に度々見せる姿であり、いくら知力はあっても無口なタバサにはできないことであった。

 そんなタバサが見るモニターの中では、工場が次々に使用不能にされている姿が平行して映し出されている。ここは基地の指令室で、彼女の少し前には怒りで体を震わせているフック星人隊長がいた。

「ここはもう終わり。これ以上、このガリアで好き勝手はさせない」

「ぐぬぬぬ、貴様らぁ。よくも、よくも、俺の基地をメチャクチャにしてくれやがったな。俺の部下をそそのかして反乱を起こさせるなんて、汚い手を使いやがって」

「反乱を起こさせられるほど部下を掌握できていなかったあなたが悪い」

 タバサは隊長に冷断に言い放った。

 周りには、タバサに倒された隊長の護衛のフック星人が数人横たわっている。イザベラと別れた後、タバサは通りすがりのフック星人を尋問して素早く指令室の場所を聞き出し、安心しきっている隊長へ奇襲をかけて成功させていたのだった。

 今や、隊長に残っている護衛は二人のみ。そしてタバサは、彼らに対しては容赦をしないつもりでいた。

「あなたには、街を元に戻してもらう。そして、いくつか聞きたいこともある」

「しゃらくせえ! やってしまえ」

 激高したフック隊長は、部下二人とともに襲い掛かってきた。三人のフック星人は身軽な動きで、アクロバットのようにタバサを包囲してこようとする。彼らはタバサが強力な魔法使いだと知って、それを封じるために狙いを定まらさせない作戦にでたのだ。

 ヒュンヒュンと、高速で跳び回るフック星人がタバサの視界を次々と横切っていく。かつてはウルトラセブンも翻弄されたフック星人のフットワークはさすがで、さしものタバサも容易には魔法の照準をつけられずにいた。

 しかし、百戦錬磨の戦闘経験を持つタバサは、フック星人のこの戦法をどうすれば封じられるか、即座に対策を導き出していた。杖を床に向け、短く呪文を唱える。簡単な氷の魔法だが、タバサの力量で放たれたそれはあっという間に指令室の床を凍り付かせ、摩擦のないアイスバーンに変えてしまったのである。

「う、うわわっ!?」

 ツルツルの床の上ではフック星人のフットワークもなんの意味も持たず、三人はあっという間にすっ転んでしまった。

 タバサは転んでもがいているフック星人のうち、部下二人に素早くとどめを刺すと、隊長に杖の先を向けて宣告した。

「あなたの負け。観念して」

「うっ、ぐっ……お、恐ろしい娘だな。て、てめえ何者」

「ただの人間。そしてあなたの敵、それだけ」

 あくまでタバサは冷徹だった。イザベラが将なら自分は兵、その役割を果たすのみ。

「あなたはわたしたちの国を奪いに来た。なら、それ相応の報いを受けてもらう」

「な、なに言いやがる。てめえらこそ、まだなにもしてない俺の部下たちをメチャクチャにしやがって!」

 フック隊長は悪魔を見るように震えながらタバサを罵った。しかし、タバサは落ち着いてそれに言い返した。

「わたしたちは、イザベラはあなたとは違う」

 そう言って、タバサは工場が映し出されているモニターに目をやった。

 工場では、まだ暴動が続いている。その中で、フック星人の一団が、最後まで反乱に参加しようとしなかった仲間を集めてリンチにしようとしていた。

「よ、よせやめろぉ!」

「こいつら、隊長について俺たちをこきつかおうとしたクソったれだ。やっちまえ」

 あわや、フック星人同士の凄惨な殺戮劇になるかと思われた。しかし、それを彼らの頭上から鋭く止めたのはイザベラだった。

「やめな! お前たち」

「じ、女王さん。なんで止めるんだぜ。こいつらに思い知らせてやるんだ」

「抵抗できない相手をいたぶったら、いつか自分がピンチになっても誰も助けてくれなくなるよ。お前らは帰りたいだけなんだろ? ならつまんないことで業をしょいこむのはやめな。後できっと後悔するよ」

 それはイザベラの経験からきた心からの忠告だった。リンチにかけようとしていたフック星人たちは、ばつが悪そうに引き下がり、助かってほっとした様子のフック星人たちには、イザベラはこう告げた。

「お前らだって本心じゃ帰りたかったんだろ? お前らには納得いかない方法かもしれないけど、荒っぽくしなきゃ解決できないこともあるんだよ。だったらせめて黙ってな。それで誰か損するわけでもないだろ?」

 一転して穏やかに語りかけたイザベラに、フック星人たちは黙って頷いた。

 無駄な血を流すことなく、反乱は兵器と機械のみを狙って破壊していった。

 だが、かつてのイザベラなら、むしろ嬉々として逆らう者を虐殺しただろう。それをしなくなったのは、イザベラ自身が虐げられる苦しみを知り、誰かに助けられる喜びを知ったからだ。

 だからこそ、タバサはイザベラがガリアの次期女王にふさわしいと考える。確かに、女王という立ち振舞いには程遠い。むしろ、海賊の親分というほうがぴったりくるだろう。だがそれくらいでないと、弱体化し混乱するガリアをまとめあげ、立て直すパワーを発揮することはできないに違いない。

 いまや隊長以外の全てのフック星人がイザベラをリーダーだと認め、従っている。

 完全に孤立してしまったことを悟ったフック隊長は、タバサに杖を突き付けられながら、乾いた笑い声を漏らした。

「へ、へへへ……俺の軍団が、たった二人の小娘にやられちまうなんてな。いったい何が悪かったんだ?」

「地位を過信して、部下の信頼を軽視したのがあなたの間違い。答えて、街を元に戻す仕掛けはどれ?」

「ああ、それならそこのレバーだよ。もうなにもかも終わりさ、勝手にしやがれ」

 諦めた様子の隊長が、嘘を言っているとは思えなかった。だがタバサには、もう1つ聞いておかねばならないことがあった。

「もう一つ答えて。あなたたちは最初に侵略のために来たと聞いた。けど、それを投げ出して、なんのために武器を作っていたの?」

「ひ、ひひひ……それを言ったら、俺はあの方に殺されちまう。それを聞いたら、お前もあの方に殺されるぞぉ!」

 隊長の声色が恐怖に染め上げられ、ガクガクと震え始めた。タバサは隊長を押さえつけながら、さらに問いただす。

「あの方とは誰のこと? あなたたちとは別の宇宙人なの?」

「あ、悪魔さあいつは。俺はこの星に、今暴れてる奴らとは別に百人の精鋭を連れてきたんだ。けどあいつは突然現れて、たった一人で百人の精鋭を皆殺しにしちまったんだ。俺は生かしてもらった代わりに、あの方の奴隷さ」

「そいつの正体は? なにが目的なの?」

「も、目的なんて知らねえよ。俺はただ武器を作るよう命令されて、定期的にあいつの部下が取りに来てただけさ。けど、あいつの正体は聞かねえほうがいいぜ。お前だけじゃねえ、この星にいるっていうウルトラマンたちだって敵うもんか」

「御託はいい、質問に答えて」

 焦れたタバサは隊長の首筋に『ジャベリン』を当てて白状を促した。

 そんなに時間があるわけではない。すると隊長は、「そんなに知りたきゃ教えてやるよ」と、ある宇宙人の名前と、そいつがこの星で名乗っている名前を口にした。

「その名前……まさか」

 タバサは眉をしかめた。宇宙人の種族名は知らないが、そいつの名が、自分の知識の中のひとつの名前と合致したのだ。

 偶然かもしれない。しかし、詳しく知っているわけではないが、そいつはハルケギニアでは一定の知名度と影響力を持つ者と同じ名前をしていた。

「そいつの姿は?」

「わからねえよ。俺たちフック星人は、お前らと違って視覚は発達してないんだ」

「そう、ならもういい」

 タバサは、これ以上聞き出せる情報はないと判断して、フック隊長に引導を渡した。

 しかし、言葉にできない不安がタバサの胸中をよぎった。自分とガリアのことで手いっぱいで、世間からは遠ざかっていたけれども、ひょっとしたら大変な事態が起きようとしているのかもしれない。

 そのときだった。指令室にイザベラと数人のフック星人が、ぞろぞろとやってきた。

「おう、こっちも終わったようだね。どうだい? わたしの指揮でウチュウジンの侵略基地を落としたよ」

「見てた。たいしたものだった」

「たいしたもん、か。お前から言われるとなんか複雑だね。まあいい、わたしの仕事もこれまでさ。あとはこいつらが話があるんだってよ」

 イザベラが退くと、ひとりのフック星人がタバサの前に出た。

「君たちには感謝している。この工場の破壊された記録を持ちかえれば、星の者たちも我々を疑うことはあるまい。これより、我々は基地を破棄して撤退する。君たちは退去してくれたまえ」

「確認しておきたい。あなたたちが撤退した後、この街に悪影響が出ることはない?」

「その心配はない。工場は破壊したが、基地自体の基礎構造にまでダメージは出ていない。街を元に戻した後でも、数百年は影響は出ないだろう」

「そう……」

 タバサはひとまずそれで納得することにした。それだけ時間があれば、いかようにでも対策をとることはできるだろう。

 最後に、タバサはフック星人たちに言った。

「できれば、もう二度とここには来ないでもらいたい」

「頼まれても来る気はないというのが全員の意見だ。たった二人に負けた軍隊という汚名を広めたくはない。君たちには感謝しているが、すぐにここから退去してもらいたい。すぐにでも我々は出発する」

「わかった。あなたたちの旅路の安全を祈る」

「さらばだ、遠い星のクイーンたちよ」

 隊長代理とのあいさつをすませたタバサとイザベラは、ポーラポーラの街が元に戻されるのを確認すると、一人の兵士に案内されて地上に上がった。

 その際、多くのフック星人兵士たちが去り際のイザベラに歓呼の声で手を振っていた。

「女王! 女王! ありがとうございました」

「へっ、あいつら……お前らも元気でやれよ!」

 それこそ本当に海賊の大親分のように見送られて、イザベラは照れながらも手を振り返していた。

 タバサはそんなイザベラを見ながら、イザベラがこれで指導者として自信を持ってくれればいいなと密かに願っていた。

 

 二人が地上に上がったとき、すでに東の空は白んで、ポーラポーラの街にほのかな明るさが差し掛かっていた。

 街はまだ物音一つなく、タバサとイザベラは無言で並んで街の道を歩く。

 そして、東の空から太陽がちらりと見えたとき、街の一角から一機の円盤が飛び出して、空のかなたへと飛んでいった。

「終わったね。さて、これからどうするんだい? 今度は宮殿でも、奪いに行くかい?」

 もうイザベラも腹は決めていた。どうあがいても、自分はこのクソったれな運命から逃れられはしないらしい。なら、売られた喧嘩は買うまでのことだ。

 しかしタバサはかぶりを振って言った。

「まだ、もう少し準備がいる。あなたはそれまで、少し身を隠していてもらいたい」

「はいはい、未来の女王に向かって態度のでかい下僕だね。じゃあ、またあいつらに適当な隠れ家を見繕ってもらうか。お前はどうするんだい? 準備、か?」

「……それとは別に、調べておきたいことができた。場合によっては、計画の練り直しもあるかもしれない」

 フック星人を操って武器生産をおこなっていた者が、まだ残っている。そいつを無視したままでは、後でどんな不具合が出て来るかわからない。

 タバサには、まだ休息は許されない。この戦いが終わっても、またすぐに次の戦いが待っている。イザベラは、そんな疲れたそぶりも見せられないタバサの横顔を見て、ぽつりとつぶやいた。

「準備とやらが、どれだけかかるか知らないけどさ。くたびれたらうちに寄っていきな。今度は出がらしじゃない茶くらい出してやるからさ。エレーヌ……」

「ありがとう……」

 いつか、仲良く遊んだ幼い日。戻ることはできなくても、思い出すことはできる。

 タバサとイザベラは並んで歩きながら、少しずつ互いのことを話し始めた。そんな二人を、昇る朝日が明るく優しく照らし出していた。

 

 一方そのころ、地上を飛び立ったフック星人の円盤は、M87世界への次元跳躍のための最終調整を終えていた。

「隊長代理、エネルギー充填完了しました。あと三十秒で、次元跳躍可能です」

「ようしいいぞ、元の次元に戻ってさえすれば、あとはフック星まで一気に大ワープできる。もうこんな星とはおさらばだ。帰れるぞ」

 隊長代理、そして大勢のフック星人たちは、懐かしい故郷フック星を思って胸を熱くした。

 だがそのとき、突然警報音が鳴り響き、レーダー手が悲鳴のように叫んだ。

「た、大変です! 後方から未確認飛行物体が急速に本船に向かって接近中。数は四。五秒後に本船に接触します!」

「なんだと!? 識別確認、急げ!」

 思いもよらぬ事態に、隊長代理は動転しながらも指示を出した。円盤のコンピュータに入力された、知りうる限りの宇宙人や怪獣のデータと未確認飛行物体の照合がおこなわれる。

 そしてコンピュータは、最悪の形で彼らに答えを示した。

「た、隊長代理、これは」

「バカな、なんでこいつがこんなところに。に、逃げろ!」

「無理です! あっちのほうが圧倒的に速い」

 フック円盤が逃げる間もなく、追いついてきた四機の金色の奇怪な宇宙船は、あっという間にフック円盤を包囲してしまった。

「未確認飛行物体に高エネルギー反応!」

「次元跳躍で回避しろ!」

「駄目です! うわあぁ、間に合わない!」

「そんな、俺たちは帰る! 帰るんだあーっ!」

 だが、彼らが叫んだその瞬間、四機の宇宙船から一斉に破壊光線が放たれ、フック星人の円盤は大爆発を起こして消滅した。助かった者はただひとりもいなかった。

 フック星人の円盤が消滅したのを見届けると、四機の宇宙船は何事もなかったかのようにハルケギニアに帰って行った。しかし、その様を愉快そうに眺めていた存在があった。あの、コウモリ姿の宇宙人である。

「フフフ、裏切り者は即座に粛正ですか、怖い怖い。ですが、やはりあれを持っていましたか。あのときに、無理に対決しようとしないで正解でしたね。ですが、これでそちらの手の内も見えてきました。そして……」

 彼は満足げにそうつぶやくと、おもむろに手を掲げた。その手のひらから、様々な色の人魂のような発光体が現われて宙に浮く。

「『喜び』『妬み』『渇望』……思ったよりも障害が多くて、まぁだ半分というところですね。人間たちの持つ感情のエネルギー、強力なのはいいんですが、集めるのにお膳立てがいりますからねえ。でも、これ以上邪魔されるわけにはいきません。そろそろこちらも本気で排除にいかせてもらいますよ」

 そう言うと、彼はもう片方の手を掲げた。すると、彼の手に巻き付くように、黒いもやでできたヘビのような生命体が現れた。

「宇宙同化獣ガディバ。蘇らせるのに少々手間はかかりましたが、こいつは強力ですよ。かつてヤプールが繰り出した最強の力、これを相手にしてもコソコソ逃げ続けることができますかねえ?」

 暗い笑いが虚空に響く。この世界がおかしくなったとき、アブドラールスやエンマーゴなどの、一度倒されたはずの怪獣が現れた。それの意味することとは……。

 ハルケギニアを舞台にした、侵略者たちの身勝手な遊戯はまだ終わりを見せようとはしない。

 

 

 続く



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第80話  大怪獣頂上決戦

 第80話

 大怪獣頂上決戦

 

 古代怪獣 ゴモラ

 古代怪獣 EXゴモラ 登場!

 

 

「ウワアッ!」

「ヌオォッ!」

 ここはトリステインのさる地方都市。首都トリスタニアからも馬で丸一日かかるほど離れ、特に繁栄も寂れもしていないという穏やかな街である。

 しかし今、街は怪獣の出現により大混乱に包まれ、さらに駆けつけたガイアとアグルの二人のウルトラマンも、予想もしていなかった事態の発生によって大ピンチに追い込まれていた。

「なんて強力な怪獣なんだ。僕たちの攻撃がまるで効かないなんて」

「我夢、気をつけろ。あれはもう自然の怪獣じゃない。全力でいかないと、こっちがやられるぞ」

 ガイアとアグルに強烈な一撃を与え、なお彼らの眼前に立ちはだかる一匹の巨大怪獣。それは、古代怪獣ゴモラに酷似しながらも岩石のように刺々しく強固な体を持ち、白目に狂暴性を満ちさせた巨影。以前、エルフの国ネフテスを滅亡寸前に追い込んだ、あのEXゴモラそのものであった。

 だが、奴は確かに倒されたはずなのに、何故?

 事のおこりは数分前。ガイアとアグルは、この町に出現した変身怪獣ザラガスを食い止めようとし、フラッシュ攻撃に手を焼きながらも二対一で有利に戦いを進めていた。しかし、そこへあのコウモリ姿の宇宙人が突如として現れ、宇宙同化獣ガディバをザラガスに融合させてしまったのだ。

 すでに何度もヤプールが使って見せた通り、ガディバは他の怪獣に乗り移ってその肉体を変異させて、別の怪獣に作り変えてしまう能力を持つ。そして、このガディバにはヤプールがネフテスで使った、あのゴモラの情報が組み込まれていた。

「フフフ、知ってますよ。このガディバから生まれた怪獣が、ウルトラマンたちを追い詰めたことを。だからわざわざこいつを蘇らせたのです。そして私の力を持ってすれば、たとえヤプールほどのマイナスエネルギーが無かったとしても!」

 ザラガスの肉体にゴモラの遺伝子が組み込まれ、更に宇宙人の手が加わったことにより、ザラガスはEXゴモラへと変貌した。しかし、さすがにスペックの完全再現までは無理なようだった。

「ふむ、ヤプールが生み出したときの、ざっと七割、いや八割ほどのパワーですか。まあ仕方ありませんが、これでも十分ですね」

 残念そうな口ぶりだったが、実際オリジナルの実力が桁違いなので八割の再現率でも十分すぎるほどだった。

 凶暴な叫び声をあげたEXゴモラの尻尾が伸び、あらゆるものを貫くテールスピアーがガイアを狙い、ウルトラ戦士の光線技の威力を上回るEX超振動波がアグルを襲ってくる。むろん、ガイアも素早く身をひねってテールスピアーをかわし、アグルもウルトラバリアーでEX超振動波をしのぐが、どちらも一発でも食らったら危険な威力を感じ、守勢に回ったら負けると即座に判断した。

「ガイア、反撃だ!」

「よし!」

 攻撃は最大の防御! ガイアとアグルは一気に勝負を決めるべく、その身に赤と青のエネルギーを溜め、必殺の光線と光弾に変えて撃ち放った。

『クァンタムストリーム!』

『リキデイター!』

 どちらも並の怪獣なら粉々にするほどの威力の一撃がEXゴモラに叩き込まれた。しかし、なんということか。クァンタムストリームはEXゴモラの体でホースの水のようにはじかれ、リキデイターはEXゴモラの片手でボールのように受け止められてしまったのだ。

「ヘアッ!?」

「ムウッ」

 ガイアとアグルは愕然とした。バリアや超能力で防ぐならまだしも、単純な肉体の頑丈さだけで二人の同時攻撃をしのぐとは、なんて怪獣だ。さらにエネルギーの消耗により、ガイアとアグルの胸のライフゲージが赤く点灯を始める。

 このままでは、さすがのガイアとアグルでも危なかっただろう。しかし、宇宙人は満足げに頷いただけで、EXゴモラを回収してしまったのだ。

「実戦テストは上々。もう少し眺めていたいところですが、ウルトラマンさんたちには近いうちに別のご用をお願いする予定ですし、このあたりで止めておきますか。戻りなさい」

 彼が手を振ると、EXゴモラは転送されてその場から消滅した。以前、地底に潜らせたブラックキングが改造されてしまったことがあるので、念を入れての処置だった。それと同時に宇宙人もそそくさと消え去り、街は嘘のような平穏を取り戻した。

 ガイアとアグルは焦燥感を募らせていたところに肩透かしを食らい、思わず顔を見合わせた。

「あいつ、いったい何だったんだろう?」

「わからん。だが、どうせろくなことにはならないだろう。奴め、今度はなにを企んでいるのか」

 あの宇宙人がよからぬことを企んでも、今の自分たちはあの宇宙人を直接倒すことはできず、送り込んで来る怪獣を倒して被害を最低限に抑えることしかできない。そんなもどかしさに、二人は腹立たしさを感じてならなかった。

 ガイアとアグルは憮然としながらも飛び立ち、後には唖然とした街の人たちのみが残された。

 EXゴモラの攻撃の巻き添えで破壊された店の前で、店主が悔しそうにたたずんでいる。

「あーあ、せっかく新しく建てたってのに、あの怪獣野郎」

 いつの世でも、暴力の犠牲になるのは罪のない一般人だ。彼はEXゴモラの消えた空を恨めしそうに見つめ、やがて、まだ売り物になるものを探すためか、瓦礫をかきわけていった。

 だがやがてそんな光景も時に流されて消えていく。

 

 

 それが数日前の出来事。そして今回の物語は、久しぶりにトリステイン魔法学院のルイズの部屋から始まる。

「むー……」

 この日、ルイズは朝から機嫌が悪かった。

「ルイズー?」

「うるさい」

 才人が話しかけてもろくに返事も返してくれない。もちろん、なんで機嫌が悪いのか聞いても答えてくれないし、身の危険を感じた才人はギーシュのところへ逃げ込んでいた。

「まったくルイズのやつの気まぐれにも困ったもんだぜ。今度はいったいなんだってんだよ」

「サイト、レディにはいろいろあるんだよ。それを察せられないとは、君もまだまだだねえ」

「あっ、ひょっとして”あの日”か?」

「……どうしてそう君は火に油を注ぐようなことを的確に言えるのか感心するよ。今どきルイズが機嫌悪くする理由なんて、君のこと以外にないだろうに」

 とまあ、こんなやり取りがギーシュの部屋であったが、ギーシュの予想通り、ルイズの不機嫌の原因は才人だった。

「うー、あの浮気者。ほんっとに節操ってものがないんだから」

 事の原因は昨日のこと。水精霊騎士隊が学院の女子とイチャイチャしていたところに才人も居合わせた、というのが真相であった。

「キャー、ギーシュさま~。こっち向いてください~」

「わー、サイトくーん、こっち来て~」

 この間のエレキング戦とスラン星人との戦いの活躍で、彼らの株価はうなぎのぼりであった。さらに学院で噂に尾ひれがついて広まると、彼らは女子の間で一躍英雄扱いとなっていた。

 ギーシュやギムリは女子にチヤホヤされてもちろんデレデレ。そして、彼らといっしょにいた才人も女子の好奇の的になっていた。

「サイトくーん、君もお話し聞かせて。どうしたら貴族でもないのにそんなにがんばれるのー?」

「いや、貴族だとかそんなの関係なくてさ。そ、それより俺たちはやることがあってだなあ」

 とは言うものの、女子にベタベタされたら自然に鼻の下が伸びてしまうのが男の悲しい性というものであるが、独占欲の強いルイズにはそれが我慢ならなかった。

「ほんとにサイトったら、わたし以外の女にデレデレしちゃって最低。い、いいっしょにお風呂に入ったくせに。は、裸も見たくせに」

 正確には裸と言ってもタオルごしだし、そもそも昔は着替えを手伝わせていたのに何を今さらなことだが、ルイズにとっては重大だった。そこまでしてやったというのに、才人はあっさりと別の女の色香にフラフラしてしまったのである。

 エクスプロージョンで才人を爆破すれば憂さは晴れた。が、そうしたとしても才人の女癖は変わらないだろう。それに、ルイズは自分の容姿に少なからず自信がある。そこらの名も知らない女子に魅力で負けていると認めるような真似はプライドが許さなかった。

 が、それならどうするか? ということになるといい考えが浮かばない。

 イライラしているルイズの迫力はものすごく、授業中は教室が静まり返るし、放課後になったらなったで廊下を歩いているだけでも、以前『ゼロのルイズ』とルイズを馬鹿にしていた生徒たちも恐れて道を開けるほどだった。

 と、そんな物騒な散歩を続けるルイズの前で道を譲らない者がいた。見ると、同じようにイライラしながら歩いていたモンモランシーだった。

「ルイズ、もしかしてあなたも?」

「フン、少しは話が分かる奴がいたみたいね」

 ルイズもモンモランシーがギーシュのことを気にしているのくらいは知っている。そしてギーシュが最近女子の間でモテモテで気に入らないことも察して、二人は共通の目的を持つ同志となった。

「ほんっとに男って最低な生き物なんだから。わたしがあんたなんかのためにどれだけ気をつかってやったか、すこっしも理解してないんだもの」

「そうよそうよ、「君だけを見つめていたい」なんて、そのときだけなんだから。あの嘘つき、舌を抜いてやりたいわ」

 ひとしきり二人で愚痴をこぼし合った後、ルイズとモンモランシーはむなしくなって息をついた。

 それほど彼氏に嫌気がさしているなら、いっそ二人とも別の男子に乗り換えればいいんじゃないの? と、近くを通りがかった女子たちは思ったが、二人に言わせれば「人間はあきらめられないことがあるから生きていけるのよ」と、渋く答えるだろう。それが他人から見ればいかに無茶なことでも、自分にとっては大切なことなのだ。

「いったいどうすれば、あのバカ犬は浮気をやめるのかしら……」

「この学院、可愛い子多いからねえ。この学院で一番美しいのが誰か? なんて言われたら自信がないし」

「わ、わたしは自信あるわよ。このラ・ヴァリエールのルイズ様ほどの超絶美少女がいるもんですか! ……でもあいつ、あの銃士隊の副長といい、年上の女が好みなのよねえ」

 正確には才人の好みは年上の女ではなく、おっぱいの大きな女なのだが……。

 

 現実(おっぱい)

 対

 虚乳(ルイズ)

 

 この残酷な方程式に何度泣かされてきたか知れない。

 なんにせよ、ライバルたちに比べて自分たちがアドバンテージで有利に立てていないのは二人とも認めるところであった。もっとも、この自己分析を才人やギーシュが聞いたら首をかしげるかもしれないが、人間は自分のことは一番知っているようで知らないものだ。

 才人とギーシュに金輪際浮気させないようにするには、自分たちが他をぶっちぎる魅力的なレディになればいい。いくらお仕置きしても効果がない以上はそれしかないと結論は出ても、魅力なんてどうすれば上がるか皆目わからなかった。

 と、そんな二人に後ろから陽気に声をかけてきた相手がいた。

「はーい、おふたりさん。この世の終わりみたいなオーラを振りまきながらなにやってるの?」

 振り返ると、そこには学院一のモテ女がいた。褐色の肌が眩しく、いつもながら自信にあふれた笑みが憎たらしい。

「キュルケ、何の用? ツェルプストーなんてお呼びじゃないわよ」

「あら、つれないわね。さっきの話、聞こえてたわよ。彼氏に飽きられて焦ってるんでしょ? そんなあなたたちが可愛くて仕方ないから、このキュルケ様が恋の手ほどきをしてあげようと思って来たわけよ」

 彼氏に飽きられた、のフレーズでルイズとモンモランシーの心臓をエクスカリバーとグングニルが十文刺しにしていく。実際は才人とギーシュはいまでもルイズとモンモランシーにぞっこんなのだが、物事を最悪の方向にしか考えられない今の二人にはどんな罵声よりも深く突き刺さった。

「い、いい、いらないわよ、ツェルプストーの助けなんて!」

 必死に言い返したものの、声は震えて表情は崩れている。キュルケはそんな反応はもちろん織り込み済みだったようで、クスクス笑いながらルイズとモンモランシーの肩を抱いた。

「あら? そんな余裕こいていていいの? 女の情熱が熱しやすく冷めやすいように、男の愛情も移り気なものよ。た・と・え・ば、あたしがこれからあの二人にアプローチをかけたらどうなると思う?」

「だ、だめよ! キュルケ、あんたサイトはあきらめたんじゃなかったの! サイトだけはあんたには絶対に譲らないからね」

「ギーシュもよ。あんなのでも、キュルケなんかには渡さないわ」

「どうどう、ふたりとも落ち着いて。たとえばって言ったでしょ。今さらあの二人に手を出すつもりなんてないわ。でも、もしあたしに近い魅力を持った誰かがサイトやギーシュを気に入ったらどうする?」

 うっ……と、ルイズとモンモランシーは言葉を詰まらせた。二人の脳裏にそれぞれライバルとしている女の顔が浮かぶ。あれが本気で奪いにやってきたとしたら、勝利を確信することはできなかった。

 キュルケはにやにやとふたりを交互に見ている。ルイズは歯噛みしたが、こと恋愛の手練手管に関して学院でキュルケの右に出る者はいない。入学して以来、キュルケの虜にされた男子生徒の数は三桁と言っても誰も疑わないだろうし、なによりラ・ヴァリエールは先祖代々フォン・ツェルプストーに恋人を取られまくった家系なのだからして。

「ど、どど、どうすればいいっていうの?」

「話が早いわね。ルイズのそういう頭のいいところ、好きよ。でも、あなたたちの欠点はちょっと子供っぽすぎることなのよね。だから、そこを底上げするの」

「おしゃれをしろってこと? そんなのわたしだってやってるわ」

「ちっちっち、あなたたちのおしゃれなんて、子供のお化粧ごっこよ。まあ実例を見せてあげるからついてきなさい」

 そう言ってキュルケはルイズとモンモランシーを自分の部屋に連れ込んだ。そして数十分後、二人は自分たちの劣等ぶりを嫌というほど思い知らされることになったのだ。

 

 キュルケの部屋は彼女らしく非常に豪華な仕様で、大きな姿見や衣装ダンスが並び、絵画や美術品が宮廷のように陳列されていた。

 しかし、それらの美術品も、着飾ったキュルケの美貌の前には霞んで見えた。

「どう? これでも少し地味めを選んでみたんだけど」

「そ、そうね。た、たたた、確かに地味だわ」

 豪奢なドレスを身にまとい、キュルケは女王のようにたたずんでいた。薄い紫色のレースのような生地が怪しくはためき、煽情的という表現ギリギリなレベルでさらされた地肌がなまめかしく視線を誘う。それは女のルイズとモンモランシーから見てもよだれが出そうな美しさで、アンリエッタ女王のような清楚さとは正反対ながらも、男の視線を釘付けにするであろうことは疑いようもなかった。

 もし、今のキュルケを才人やギーシュが見たら、きっとニンジンをぶらさげられた馬のようになってしまうだろう。それほど、ドレスをまとったキュルケの美しさは、制服のときとは次元を異にしていた。

「どう? 衣装は女の鎧であり、最大の武器でもあるのよ。それなのにあなたたちときたら、私服といえば出入りの商人が適当にすすめるものしか買ってないんでしょ? そんなんじゃ、いくらいい香水をつけてても宝の持ち腐れよ、モンモランシー」

「う、うるさいわね。だ、だいたいギーシュなんて、何着てても同じような褒め方しかしないんだから」

「それはあなたが同じような服しか着てないからよ。もっと冒険してみなきゃ! というわけで、あたしが子供の頃着てた服をいくつかあげるわ。それならサイズが合うでしょ」

 盛大に傷つく言い草だが、確かにキュルケのお古はルイズやモンモランシーにはぴったりみたいだった。

 しかし、それらはかなり布地の際どい強烈なデザインばかりで、モンモランシーなどは顔を真っ赤にして叫んでしまった。

「不潔! 不潔だわ。こんなのを着て人前になんか出られない」

「わかってないわねえ。そういうのだから、男は夢中になるんじゃない。ルイズはどう? あなたも着る勇気がない?」

「あんた、子供の頃からこんなの着てたって、ツェルプストーの教育方針はどうなってんのよ? こんなはしたないのをうちで着てたらお母様に殺されるわ……あ、だからエレオノールお姉さまは行き遅れてるのね」

 さりげに売れ残りから返品に差し掛かっている姉をコケにしつつ、ルイズはよくあのお母様も結婚できたものねと思った。まあ、ちぃ姉さまだったら何もしなくても引く手数多でしょうけど、自分が真似できる気はしない。

 が、それは逆に返せば自分が成長しても眼鏡のないエレオノール姉さまみたいになるだけね、とルイズは思い当たった。そしてそのことをキュルケに告げると、キュルケもなるほどと納得した。

「そうね、モンモランシーはともかく、ルイズは足りないものが多すぎるわねえ。ぷ、くくっ……」

 キュルケはベビードールを着たルイズの幼児体系とのミスマッチを想像して笑いが漏れた。うん、さしずめスーパースペシャルグレートルイズ・ハイグレードタイプ2といったところか。

「ぷっ、くくく……わ、わたしも甘かったわ。ルイズの場合だと素っ裸で迫るのが一番かもね」

「キュルケ、わたしがエクスプロージョンを食らわせるのがサイトだけだと思ったら大間違いよ……」

「短気は損気よぉ。でも、わたしも言い出した手前、投げ出すようなことはしないわ。さあて、それなら方針を変えてみましょうか。考えてみたらサイトやギーシュにはちょっとズレた方向からアプローチしたほうが効果的かもね。でも、それだとわたしの手持ちじゃ合わないから、持ってそうな子のところにまで行きましょうか」

 そう言ってキュルケはさっさと着替えると、答えは聞いてないとばかりに先に部屋を出て行ってしまった。ルイズとモンモランシーは釈然としないながらも後を追う。

 キュルケは今度は何を考えているのだろうか? その答えは、女子寮の一年生部屋の中でも特に豪華な一室の持ち主にあった。

「それで、ヴァリエール先輩に合ったドレスをわたしが持っていないか聞きにきたわけですか」

「そう、クルデンホルフのあなたならドレスの手持ちくらいいっぱいあるでしょ。サイズもルイズやモンモランシーとも近そうだしね」

「遠回しに馬鹿にされてる気がするんですが……まあツェルプストー先輩のたってのお願いですし、ドレスくらい好きに見て行ってくださいな」

 突然乗り込んでこられたベアトリスは、こちらも釈然としないながらも、外国の貴族であるキュルケ相手には強く言うこともできずに納得してくれた。とはいえ、一応は名門のヴァリエールとツェルプストーに恩を売れるという打算もあったが、ベアトリス自身なにかおもしろそうだと思った一面もある。

 そして思った通り、ベアトリスは様々なドレスを持ち込んでおり、ルイズとモンモランシーは目移りするようなそれを前にして着替えにいそしんだ。

「あら? これちょっとかわいくない? ねえねえルイズ、これ見てよ」

「へえ、ブルーのラインがすっきりしてていいわね。こっちもどうよ? フワッとしたスカートがかわいいと思わない?」

 最初はしぶしぶだった二人も、様々な服に袖を通すうちにいつのまにか楽しくなっていた。ベアトリスは自分のものだけではなく、エーコたちやティラたち用のドレスも持ち込んでおり、その豊富な種類は年頃の少女たちを飽きさせなかった。

 やがては見ているだけだったベアトリスたちも加わり、室内はちょっとしたファッションショーの様相になってきた。ルイズはこれまでほとんど意識しなかったが、着飾った自分を友達と見せ合いっこするという、ごく普通の女の子らしい楽しみを知ったのだった。

 しかし、確かにベアトリスはいろいろと趣味のいいドレスを持ってはいたが、才人やギーシュの目を引くようなインパクトのある服。というのでは、納得のいくものがなかった。キュルケと違ってベアトリスは、あくまで感性は普通なのである。

 と、そのときだった。キュルケが洋服ダンスの隅で、畳まれている変わった色合いの服を見つけた。

「あら? これはこれは見たことないデザインね。ルイズ、モンモランシー、ちょっとこれ着てみなさいよ」

 キュルケは、お着替えに夢中になっている今のうちにと、ルイズとモンモランシーにその変わった服を渡した。案の定、二人は深く考えずに嬉々としてその服に袖を通した。

 しかし、その服は皆の思っていた以上に奇妙なデザインだった。

「なあにこれ。オレンジ色の……スーツ?」

 ルイズの着たそれは、どちらかといえば男性が着るようなネクタイ付きのシンプルな服だった。動きやすいのはいいけれど、控えめに言っても『可愛い』という感じではない。

 アクセントといえば、胸元に流星をかたどったバッジがついているけれど、これでお洒落かというとどうだった。

 そしてモンモランシーのほうはと言えば、こちらは灰色をした地味めな洋服だった。こちらの胸元にはS字に似た赤いワッペンがついている。しかしどちらにしても、派手好きなベアトリスが持つにしては地味めな服だとルイズはいぶかしんだ。

 するとベアトリスは言った。

「その服なら、この前トリスタニアに買い物に行ったときに、ティアとティラが「動きやすそうだから気に入った」と言うからから買ったものですわ。あの二人ときたら、すぐドレスをダメにするんですもの」

 なるほど、あの二人のだというなら納得だ。緑髪のティラとティアの姉妹のことは今では学院でも有名で、魔法が使えないからベアトリスの使用人という立場になっているが、その快活な性格や豊富な知識で、人気者になっている。

「なんでもごーせい繊維で衝撃や耐熱に優れていて大変レア、なんだそうよ。よくわからないけど」

「はーん……」

 ルイズたちにもよくわからなかった。あの二人はときたま突拍子もないことを言って皆を困惑させるので、一部では才人の女版などとも言われている。

 しかし、変わり者のティアとティラが気に入るなら、ただの服ではないのだろう。

 ルイズは服のあちこちを何気なく触っていたが、ズボンの裾先にチャックがついているのを見つけて引っ張ってみた。

 するとなんと! チャックを引いたことで生地が裏返り、オレンジ色のスーツは一瞬にして青地のブレザーに変わってしまったのだ。

「えっ? えええーっ!?」

「変化の魔法が仕込まれてたの?」

「いえ、違うわ。これ、服そのものにギミックが仕込まれてるのよ。そうだわ! 男の子って、こういう仕掛けが好きじゃない?」

 モンモランシーが言って、ルイズもはっとした。そうだ、あの鈍感たちには半端な色気より、遊び心に訴えたほうがいいかもしれない。

 そう、男なんて生き物はいくつになってもごっこ遊びに夢中になる幼稚な生き物だ。なら、そこを最大限利用してやろうじゃないか。誰かと仲良くなるためには、まず共通の話題を作ることが大事だというし。

 やる気になっている二人に、キュルケは呆れたようにつぶやいた。

「まあ、付け焼刃のおしゃれよりはあなたたちに合ってるかもねえ」

 考えてみたらルイズとモンモランシーも才人やギーシュと同じく、まだ「大きな子供」だ。大人の勝負に打って出るにはまだ数年早いかもしれない。それに、女の子から見れば「可愛くない」でも男の子から見れば「かっこいい」に映るかもしれない。

 そうとなれば、この奇妙な服も魅力的に見えてきた。可愛さではなくかっこよさで勝負! そうなったら、この服だけでは足りない。

「ベアトリス、この服ってトリスタニアのどこのお店で買ったの? えい、もう面倒だわ。明日あんたそこに案内しなさい!」

「えっ? ええぇーっ!」

 ルイズに強引に命令され、こうしてベアトリスの休日はつぶれることになってしまった。

 

  

 そして翌日、ルイズたちは絶好の晴れ間の中でトリスタニアについていた。

 

「ふーん、トリスタニアもずいぶんきれいに直ったものね」

 ルイズは賑わっているトリスタニアの市内を見てうれしげにつぶやいた。ここ最近、壊されては復興するを繰り返しているために、トリスタニアの街の回復速度はすさまじい速さになっている。ガラオンとジャシュラインに壊された跡はもう跡形もなく、さすがに……との大戦争の傷跡はまだ残っているが……。

「戦争? そんなものあったかしら?」

「ヴァリエール先輩、どうしたんですか? 行きますよ」

「え? 今行くわ」

 ちょっとした違和感を感じたが、一行はベアトリスに案内されてトリスタニアの大通りを進んでいった。

 今回やってきているのは、ルイズ、モンモランシー、キュルケに加えて、ベアトリスとベアトリスのお付としてティラとティアもいる。本当はエーコたちも来たがったが、人数が増えすぎるのでまた今度にしてもらった。

 なお、才人とギーシュをはじめ、男子は徹底的に撒いてやってきた。女子だけで出かけると告げると才人は「はいはい」と適当に承諾し、ギーシュはついてきたがったがモンモランシーが「来ないで!」と一喝するとしょぼんとして引き下がった。

 さて、いつもならば魅惑の妖精亭がある裏通りのチクトンネ街に向かうところだが、今回は表通りのブルドンネ街を一行は歩いていく。私服で来ている彼女たちは、清潔な通りをベアトリスに案内されながら歩いていき、温泉ツアーの広告の貼られた街灯の角を曲がると、そこにこじゃれた感じの服屋が建っていた。

「へーえ、なかなかいい雰囲気のお店じゃない」

「『ドロシー・オア・オール』。最近トリスタニアでも評判の、輸入物の衣類を売っている店ですわ。中もけっこう広いですわよ」

 慣れない敬語を使うベアトリスに先導されて、一行は衣料品店ドロシー・オア・オールに入っていった。

「うわぁ、まるで別世界ね」

 中に入った一行を待っていたのは、見渡す限りの服の海であった。学院の講堂より広くて明るい店内に、ハンガーにかけられた何百何千という衣服が陳列されている。それも、ちらりと見ただけでも素材の生地は上等で、縫製も丁寧なのがわかった。

 普段はトリステインを見下すことのあるキュルケも、これほどの店はゲルマニアにもそうはないわね、と驚いている。ルイズとモンモランシーなど完全におのぼりさん状態で、貴族の誇りなどはどこへやらでぽかんとしていた。

 しかしベアトリスは慣れたもので、お探しのような服はこの奥ですよ、とどんどん先に進んでいってしまう。

「ま、待ってよ!」

「置いて行かないでーっ!」

 先輩としての威厳はどこへやら。後輩の後を追いかけて、ルイズとモンモランシーは迷子になりそうなくらい広い店内を駆けていった。

 しかし、ドロシー・オア・オールの店内はびっくりするほど広く、品ぞろえも見事だった。紳士服から婦人服まで、それこそ子供用から大人用まで様々なサイズにも対応する商品が数十から陳列されている。しかもそれでいて貴族御用達の高級店というわけでもなく、平民でもそこそこの稼ぎがあれば買える額で趣味のいい服が数多く並び、もしここに才人がいればデパートのようだなと感想を述べたことだろう。

 左右の色とりどりな衣服を見回しながら店内を進んでいくルイズたち。と、ふとルイズは自分たち以外の客の中に、見慣れた人影が混ざっているのを見つけた。店内だというのに幅広の大きな帽子をかぶって、長い金髪に、なによりもどんな服を着ていようとも自己主張をやめない胸元の巨峰。

「ティファニア? ティファニアじゃないの」

「えっ? あっ、ルイズさん。それにモンモランシーさんにキュルケさんも。どうしたんですか? こんなところで」

「それはこっちの台詞よ。あんた、こんなところでなにしてるのよ?」

「あ、わたしは孤児院の子たちに少しでもいいものを着てもらいたいと思って。ルイズさんたちこそ、どうしてここに?」

 驚いているティファニアに、ルイズたちは簡単に自分たちの事情を説明した。

「そういうことですか。ふふ、お二人とも本当にサイトさんとギーシュさんがお好きなんですね」

「そ、そんなんじゃないわよ。それより、せっかくだからあんたの服も買ってあげるから来なさい! そんな出るとこ出過ぎてる服で歩かれたら目の毒よ」

「えっ? わ、わたしのこれはごく普通だと思うんですけど……」

 確かにティファニアの言う通り、彼女の着ている服はごく普通のものなのだが、ティファニアが着れば普通でなくなってしまうから問題なのである。

 ものにはなんでも例外というものがあるもので、普通はおしゃれをして足りない魅力を補い、足りている魅力をさらに引き立てる。が、ティファニアの場合はなにもしなくても魅力が最大値だから腹が立つ。この際だから少しでも隠れる服を買っておこうとルイズは思ったのだった。

 さて、思わぬ顔も増えたが、ようやく一行は目的の品が売っているフロアについた。陳列されている衣類の中には、昨日ベアトリスに見せてもらった二種類の他にも、見たことのないデザインの服が所狭しと並んでいる。

「ここね。よーし、いいの買っていくわよ」

 ルイズはやる気たっぷりに宣言した。続いてモンモランシーも、「ギーシュめ、待ってなさいよ」と気合を入れる。

 なにせ、目の前には目移りするくらいの服が陳列されている。女の子なら目を輝かせて当然の光景に、ようやくルイズやモンモランシーも本格的に目覚めつつあった。

 そんな二人の様子をキュルケは生暖かく見守っている。二人とも、その気になればもっといい男を捕まえられるだろうにまったく不器用なことだ。しかし、一人前のレディへの道は必ずしもひとつではないのも確かだ。

「そうねえ、せっかくだからわたしも新しい可能性を見繕ってみようかしら」

 わざわざ来たのに見ているだけなんて損だ。自分ならルイズたちとは違った衣装の活かし方もあるだろうと、キュルケも衣装の海へと飛び込んでいった。

 さて、そうなるとほかの面々もじっとしてはいられない。ベアトリスも、エーコたちや水妖精騎士団へのお土産にといろいろ見繕っている。一人、ティファニアがルイズに連れてこられたはいいものの、肝心のルイズがティファニアのことをすっかり忘れて自分の衣装選びに夢中になっているためおろおろしていたが、そんな彼女にベアトリスが声をかけた。

「あなた、ティファニアさんだったかしら? そんなところで何をしてるの。あなたも好きな服を選んだらいかが?」

「えっ? いえ、わたしはそんなに手持ちはないもので」

「なら、わたしがおごってあげるから好きなのを選びなさい」

「えっ! そ、そんな、悪いですよ」

「気にしないでいいわよ。借りっていうのは、作られるより作るほうがおもしろいものなんだから。気に病むというなら、あなた水妖精騎士団に入りなさい。あなた男子に人気があるから、うまくすれば水精霊騎士隊の連中をああしてこうして……うふふ」

「な、なにか怖いですよベアトリスさん」

「気のせいよ。うふふふ」

 悪だくみをはじめるベアトリスに、ティファニアは少し恐怖を感じて引いていた。

 しかし、これまであまり接点のなかったベアトリスとティファニアに交流が生まれ始めているのはいいことだ。二人ともいい子なので、きっとすぐに仲良くなれることだろう。

 ティラとティアも、「仲良くしましょうね」「んー? なんか前から知ってる気もするけど」と、人懐っこくじゃれてきている。人間とハーフエルフとパラダイ星人、友だちの間につまらない垣根などはない。

 そして始まる女だけのショッピング。ドロシー・オア・オールはかなり盛況なようで、このコーナーにもほかに何人かの客がいたが、その中でもルイズたちは抜きんでて目立っていた。

「んー……」

「むー……」

 穴が開くほど恐ろしい視線で陳列品を吟味している。女の子が休日にショッピングに来ているような姿ではとてもないが、二人には自分の姿を顧みている余裕はとてもなかった。

 その商品のほうだが、順番に様々なものが並んでいて目を引いた。全体的に見るとオレンジ色を基調にしたものが多いようだが、中には青や赤の円模様をしたド派手なものもあっておもしろかった。

 ルイズたちの反応の一例である。順列で四番目に来ているオレンジとグレーの服であるが、ルイズは奇妙な懐かしさを感じて涙が出てきた。

「これ、なんだろう……サイトにも買っていってあげましょう。きっと喜ぶわ」

 これに関してはむしろ中にいる人の影響が大きいだろうが、こればかりはしょうがない。

 モンモランシーはといえば、その隣の青と赤の鮮やかな服に見入っていた。

「なにかしら、この服を着てそうな人にシンパシーを感じるわ。なにかこう、いろんなものを調合したり、身内が愉快なことを考えたりする方向で……」

 もしも、水精霊騎士隊の連中がこれを着たらすごく強くなる気がする。いやダメだ! これ以上あの連中がお笑い集団化したら本当に貴族の誇りが崩壊する。でも、男女共用がほとんどの中で、これは女子用にミニスカートの可愛いデザインがあったので惜しい。いや、自分だけで着ればいい話か。

 この二人のオーラがあまりに強すぎるせいで、周囲からは一般客が引いてしまっている。しかし、このコーナーは大きく二つに分かれており、ルイズたちのいるコーナーとは別に設けられているコーナーではベアトリスたちやキュルケがショッピングを楽しんでいた。

 そのうちベアトリスとティラとティアは、水妖精騎士隊のユニフォームに使えそうな、可愛くて凛々しさを兼ね備えたものがないかと探していたところ、コーナーの終わりのほう付近に白と赤を基調としたツヤツヤした服を見つけて足を止めた。

「あら、この服は雰囲気が明るくていいわね。ティア、これはどう思う?」

「えーと、これはこうぶん……こうぶ……なんだっけティラ?」

「高分子ナノポリマー製ね。衝撃や防寒に優れているわ。ちょうど、ミニスカートものもあるし、まとめ買いしていきませんか?」

「いいわね。これで、水精霊騎士隊に見た目でも差をつけてやれるわ。ふふ、楽しみね」

 これで水妖精騎士団こそが最強・最速になるのよと、ベアトリスは胸を熱くした。その隣では、キュルケがマイペースに品定めをしている。

 一方でティファニアは、ベアトリスのところから少し離れたところで、青いつなぎのような服を見ていたが、その胸中は興味とは別のものが満たしていた。

「なにかしら、不思議な気持ち。懐かしいような、どこかあったかくなる気がするわ」

 見るのは初めてなはずなのに、この懐かしさはなんだろう? とても強い、しかし、とても優しく暖かみに満ちた一人の青年と、その仲間たちのイメージが流れ込んでくる。

「コスモス……これはあなたの記憶なの……?」

 ティファニアの問い掛けに、コスモスは答えない。しかし、コスモスはすでにテレパシーでエースと会話を始めていた。「ここは、おかしい」と。

 しかし、彼女たちにはなにがおかしいのかはわからない。それでも、ルイズはコーナーを順に巡っているうちに、ある一着に目を止めた。

「これ、アスカの着てるやつに似てるわね。まさか……ね」

 ルイズは、あいつと似たかっこうは嫌ね、と、通り過ぎたが、このときルイズは立ち止まって注意深く見ていくべきだったかもしれない。なぜならそれは、アスカのスーパーGUTSの制服に似ているというものではない、見た目だけならそのものだったからだ。

 そしてルイズは、コーナーの最後に陳列してある服を見たとき、頭の底から殴り返されるような感覚を受けた。

「これ、見たことある……でも、どこだったかしら……」

 黄色とグレーを基調としたスーツ。その胸元には翼をあしらったエンブレムがつけられている。

 ルイズは記憶の窯の中が煮えたぎっているのに蓋を開けられないような違和感を覚えた。自分はこれと同じ服を着た人と……いや、人たちと会ったことがある。しかし、それがどこでいつでどうしてだったかがなぜか思い出せない。

 どういうこと? なんで、たかが服一着を見ただけで、こんな気持ち悪い思いをしなきゃいけないの? 自分は、この服を着た人たちと、なにか大切な約束をしたような……。

 そのとき、ルイズの耳に、モンモランシーの呼ぶ声が響いてきた。

「ルイズ、なにやってるの? そろそろ買って帰りましょうよ」

「え? うん。ちょっと考え事してて」

「迷ってるなら全部買っていけばいいじゃないの。ヴァリエールのあなたなら、そんなたいした出費じゃないでしょ?」

 すでに品定めを決めたらしいモンモランシーたちに急かされて、ルイズは慌てて目の前の服を買い物かごに押し込んだ。

 清算は全員とどこおりなく終わり、レジを出たルイズたちは両手に買い物袋を抱えて満足そうにしていた。

「ふーっ、買ったわね。思ったより多くなったけど、これなら男子も連れて来ればよかったかしら」

 キュルケが荷物持ちにさせる気満々で言った。平成の日本のように「後日郵送でお届けします」が、ないトリステインではけっこうな苦労になり、北斗星治もこれには苦い思い出がある。

 が、それでもティラとティアがけっこう持ってくれるからマシではあった。なお、全員それなりの量を買い込んだが、一人だけ大貴族の娘ではないモンモランシーは財布を覗いてため息をついていた。

「これで来月のわたしのお小遣いはゼロね。来月があれば、だけど」

「なに落ち込んでるの。お小遣いくらい、ギーシュを落とせばあいつの財布からいくらでも出せるじゃないの」

「キュルケ、ギーシュの貧乏っぷりを知ってて言ってるでしょ? まあでもいいかしら。待ってなさいよギーシュ」

 やる気のモンモランシー。そのために無理して何着も買い込んだのだから当然といえば当然だ。

 衣料品店ドロシー・オア・オールは依然繁盛を続けており、客はひっきりなしに来ていた。しかし、これほどの店を短期間で作り上げるとは、オーナーはどこの誰なのだろう? ベアトリスに知っているかと尋ねると、彼女はわからないと首を降った。

「わたしもさっき店員に聞いてみましたけど、こちらのお店は支店で、本店はゲルマニアのほうにあるらしいですわ」

「ふーん、最近のゲルマニアは元気でいいことだわ。これは、アルブレヒト三世もうかうかしてはいられないかもしれないわね」

 キュルケが意地悪げにつぶやいた。血統を持たないゲルマニアでは実力が何より物を言い、それは皇帝も例外ではない。トリステインだって王に従わない家臣がいるというのに、ましてゲルマニアでは王様には従うものという前提自体が危ういものである。当然、キュルケもアルブレヒト三世が没落するなら助ける気など毛頭ない。

 さて、それはともかくそろそろ帰らなくては帰りが遅くなってしまう。一行はちらりと店を振り返ると、馬車駅に向かって歩き出した。

  

 

 ところが、その時である。突然、地面が大きく揺れ動いたかと思うと街の一角で砂煙があがり、その中から黒々とした巨大な怪獣が飛び出してきたのだ。

「あの怪獣って! 確かあのときの」

 ルイズやティファニアはその怪獣に見覚えがあった。いや、見覚えどころではない! あの鎧のような体躯と、蛇のような長い尻尾、そして白磁器のような冷たい目。自分たちはあの怪獣のせいで死ぬ目に合わされたのだ。

 EXゴモラ。ネフテスでのあのギリギリの死闘は忘れたくても忘れられるものではない。しかし、あの怪獣はあのとき確かに……。

「ルイズさん、あの怪獣ってエルフの国でやっつけたはずのやつですよね!」

「そうよ、間違いなく倒したはずなのに。サイト! ああっ、こんなときにいないんだから、あの馬鹿犬ぅ!」

「お、置いてきたのはルイズさんですよ。え、えっと、わたし孤児院のほうが心配なので、これで失礼しますぅ!」

「あっ、ティファニア!」

 一人でティファニアが駆け出したが、止めるわけにはいかなかった。

 いや、それどころではなかった。ルイズたちが悪態をつき終わるのと同時に、その怪獣……EXゴモラがぎょろりと恐ろしげな白眼でルイズたちを睨んできたのである。

「えっ?」

 驚いている暇もなかった。EXゴモラはルイズたちを見つけると、くるりと方向を変えて、建物を踏み壊しながらこちらに向かってきたのだ。

「なっ、なんでぇーっ!」

「と、とにかく逃げましょう」

 一行は慌てふためいて駆けだした。なにがどうとかを考えている暇もない。彼女たちと並んで、トリスタニアの住民たちも必死に走っている。平和だった街は一瞬にして、阿鼻叫喚の巷と化していた。

 EXゴモラのパワーの前には石やレンガ造りの建物などなんの障害にもならない。紙細工のように踏みつぶされ、粉塵と火炎がかつてのアディールの光景を再現していく。

 しかも、EXゴモラはルイズたちがどんなに道を変えてもピッタリと後ろをついてくるではないか。

「もう! なんであいつわたしたちの後をついてくるのよ」

「先輩方、なにかあいつにしたんですか!」

「そりゃ……もしかしてわたしたちに復讐するために戻ってきたとか?」

「まさか! でも、ありえなくもないんじゃないの?」

 ルイズ、ベアトリス、モンモランシーは走りながら話した。

 しかし、もちろんそんなわけはない。このEXゴモラを再生させ、操っている存在の目的はまったく違うところにあった。街を見下ろしながら、あの宇宙人は笑っていた。

「さあて、生かさず殺さず追いかけるんですよお。そいつらを追い詰めれば、たぶんあいつも出て来るでしょうからねえ」

 何を企んでいるのか。どうせよからぬことに決まっているが、人間の足で怪獣からいつまでも逃げられるものではない。

 息を切らし始めるベアトリスやモンモランシー。行く足はしだいに遅くなっていき、それを見たティアとティラは決意したようにベアトリスに言った。

「こりゃしょうがないねー。ティラ、ちょっとダンスしようか」

「姫殿下、わたしたちが囮になります。そのあいだに逃げてください」

「な、あなたたち何言ってるのよ! そんなの絶対に認めない。認めないんだからね!」

 緑色の髪をなびかせながら、いつもと変わらない笑顔で言うティアとティラを、ベアトリスは必死で引き止めた。

 ベアトリスは知っている。この二人は、自分が危なくなるとどんな危険を冒してでも助けようとしてくれる。それが、世話になった恩を返すためだと言うけれど、もう二人は自分にとって部下なんかじゃない大切な人なのだ。

 けれど、宇宙人は人間の情愛などは屁とも思わずにせせら笑う。

「ふふ、ではそろそろ一人くらい踏みつぶしちゃってもいいでしょう。ん? おっと、余計なお客さんも来てしまいましたか」

 宇宙人が面倒そうな声を発するのと同時に、EXゴモラの前に青い巨影が降り立った。

「シュワッ!」

「ウルトラマンコスモス!」

 ティファニアがさっき別れた本当の理由はこれだった。ここに才人がいない今、すぐに駆け付けられるウルトラマンはコスモスしかいない。

 コスモスは以前の経験から、EXゴモラに対してルナモードでは太刀打ちできないと考えて、即座にコロナモードへと変身した。コスモスの姿が青から赤に変わり、戦闘態勢をとったコスモスとEXゴモラが激突する。

「シュゥワッ!」

 コロナパンチがEXゴモラのボディを打ち、すぐさま回し蹴りでのコロナキックがEXゴモラの首筋を打つ。

 もちろんこの程度でどうにかなるとはコスモスも考えてはいない。しかし、二発攻撃を当てたことでコスモスは相手の力量をおおむね計っていた。このEXゴモラは以前ほどの強さはないと。

 が、多少の弱体化で弱敵になるような生易しい相手ではないことはコスモスもわかっている。ティファニアも、あのときにEXゴモラの恐るべき力を目の当たりにした恐怖が蘇ってきて、コスモスに呼びかけた。

〔コスモス……大丈夫ですか?〕

〔楽観はできない。だが、ここで戦わなければ多くの犠牲が出てしまう。私はそれを止めたい。君は、どうなのだ?〕

〔わたし……わたしも、友だちを守るためなら戦いたい〕

 戦いは好きではない。けれど、戦いから逃げて失うものへの恐れのほうが強かった。

 勇気を振り絞ったティファニアの意思も受けて、コスモスはEXゴモラに挑んでいく。

 むろん、それを快く思う宇宙人ではない。不快そうな声で、彼はEXゴモラに命じた。

「お呼びじゃないんですよ。ゴモラ、さっさと片付けてしまってください」

 宇宙人の命令を受けて、EXゴモラも攻撃態勢を強化した。全身が装甲のような体は接近するだけで十分武器となり、兜のような頭は軽く振り下ろすだけで鈍器となり、強烈なパワーを秘めた腕で殴られればコスモスも一発で吹き飛ばされるだろう。

 コスモスは致命打を受けないように、唯一奴に勝る要素である小回りの速さを活かして攻撃をかわしながらチョップやキックを打ち込んでいく。が、少しでも隙を見せればEXゴモラは必殺のテールスピアーでコスモスを串刺しにしようと狙ってくるので一瞬も気を抜けない。

 まさに、紙一重の攻防。その激闘に、ルイズたちも声援を送っていた。

「しっかりーっ! 今はあなただけが頼りなのよーっ」

「負けないでーっ! わたしたちはあなたを信じてるんだからーっ」

 負けない心がウルトラマンの力になる。少女たちの応援を受けて、コスモスは懸命に力を振り絞って戦った。

 それでも、コスモス一人で倒すには酷すぎる強敵だ。モンモランシーは空を仰ぎながら、祈るようにつぶやいた。

「誰か早く来て、助けて……」

 ギーシュはいない。自分の魔法は戦うことには向いていない。どうしようもなくなったとき、人は祈ることしかできない。

 しかし、誰も聞き届けるものはないと思われたか細い祈りに答えるように、新たな地響きがトリスタニアを襲った。今度はなんだと驚く人々の前で、街の一角から砂煙が立ち上り、そこから現れる土色の巨影。

「あれって、あの怪獣もアディールで見たわ!」

「確かサイトはゴモラって呼んでたわね。あの怪獣はわたしたちの味方よ。よーし、ニセモノをやっつけちゃって!」

 ルイズもうれしそうに叫ぶ。きっと、あのときのゴモラが助けに来てくれたんだ。コスモスひとりだけでは無理でも、ゴモラと協力すれば倒すことができるかもしれない。

 ゴモラは彼女たちを守るように背にかばいながら、引き裂くような鳴き声をあげてEXゴモラに向かっていく。あの三日月状の角は陽光を反射して輝き、太く長い尻尾は大蛇のように地を打つ。

 対して、EXゴモラも新たに現れたゴモラを敵と見なして遠吠えをあげた。むろん、あの宇宙人も愉快であろうはずがない。

「ええい、次から次へとうっとおしいですね。さっさと畳んでしまいなさい!」

 彼のいらだちに呼応するかのように、EXゴモラはゴモラの突進を迎え撃った。茶色と黒色の角同士がぶつかり合って火花をあげ、古代の肉食恐竜の対決さながらに爪と牙の肉弾戦にもつれ込んでいく。

 至近距離、互いに小細工など効かない間合いで、EXゴモラとゴモラは激しく殴り合った。互いの爪が相手の体を打って火花をあげ、双方超ストロングタイプのぶつかり合いは、それだけで衝撃波と暴風を周囲に撒き散らす。

 だが、やはりEXゴモラのほうがパワーでは上で、ゴモラは押され始めた。そこですかさずコスモスはEXゴモラの横合いからジャンプキックを決めてEXゴモラをよろめかせ、その隙にゴモラは大きく体をひねってEXゴモラに尻尾を叩きつけて吹き飛ばした。

「おのれこしゃくな!」

 宇宙人は怒りを吐き捨てた。彼にも焦りが生まれ始めている。このままでは、せっかく蘇らせたEXゴモラが役に立たない。

 それに対して、ルイズやキュルケたちはゴモラの勇戦にうれしそうだ。ティラとティアも子供のようにベアトリスといっしょにはしゃぎ、モンモランシーも「ギーシュよりかっこいいわ」と惚れ惚れしている。

 EXゴモラはその巨体が災いして、転ばされてもすぐには起き上がれずにもがいている。そこへゴモラは駆け寄ると、EXゴモラの両顎に手をかけて一気に引き裂きにかかった。

「うわっ、残酷」

 ティアが思わず口を押さえてうめいた。いくら追撃のチャンスだからといっても、これはないだろう。実際、さしものルイズやキュルケも顔をしかめている。

 けれど効果は絶大だったようで、さすがのEXゴモラも痛みに耐えかねてゴモラを振り飛ばした。

 転がるゴモラと、起き上がってくるEXゴモラ。すると今度はコスモスが追撃のチャンスを逃すまいと、EXゴモラに挑みかかっていく。

「ハアッ! セヤッ!」

 パンチとキックの猛打。コロナモードの燃えるような連撃がEXゴモラのボディを打つ。

〔いくら頑丈でも、少しずつ疲労は重なっていくはず。疲れさせたところでフルムーンレクトで鎮静させよう〕

 いくら邪悪な怪獣でも無為に殺すことはない。邪悪なエネルギーを取り除く、その可能性にコスモスはかけていた。

 そのころ、ゴモラもようやく起き上がって叫び声をあげていた。その視線の先がコスモスとEXゴモラに向き、鼻先の角にスパークを走らせるエネルギーが満ちていく。ゴモラ必殺の超振動波だ。

 コスモスは、ゴモラが超振動波の体勢に入ったことを見て、EXゴモラから距離をとった。そして、ルイズたちが「よーし、いけーっ!」と声援をあげる中で、ついにゴモラは超振動波を発射した。だが!

「グワアァッ!」

 ゴモラの超振動波はなんと、EXゴモラだけでなく、コスモスまでも狙ってなぎ払ったのだ。

 爆炎と粉塵が吹きあがる中、無防備なところに超振動波を受けたコスモスが倒れ込む。その光景に、思わずルイズは悲鳴のように叫んだ。

「なにしてるの! コスモスは味方よ。アディールでいっしょに戦ったでしょ。忘れたの!」

 しかし、愕然としているルイズたちの前で、ゴモラはかまわずに超振動波の第二波をコスモスに向けて放った。

「ヌワアァァッ!」

 ダメージを受けていて直撃を避けられなかったコスモスはもろに食らい、そのままカラータイマーの点滅さえも経由することなく、倒れ込むと同時に光になって消滅してしまった。

「コスモスーっ!」

 ルイズたちの絶叫がむなしく響く。ゴモラ、なぜこんなことを? それにコスモスは……ティファニアはどうなったのだろう。だが、それを確かめる間もなく戦いは続く。

 今度はEXゴモラが体勢を立て直し、そのボディにエネルギーを集中させていく。ゴモラの超振動波をしのぐ、EX超振動波だ。

 しかし、ゴモラは避けるそぶりも見せない。そしてEX超振動波は放たれ、ゴモラに直撃。ゴモラはひとたまりもなく吹き飛んだ……かに見えたが、なんとゴモラは何事もなかったかのようにその場に立っていた。

 唖然とするルイズたち。そしてあの宇宙人も、ゴモラのあり得ない耐久力に目を見張っていた。EX超振動波はオリジナルよりは弱体化しているとはいえ、ゴモラを粉砕するくらいの威力はじゅうぶんにあるはず。

「馬鹿な……むっ? あれは!」

 そのとき、彼はEX超振動波を浴びたゴモラの皮膚が破れて、その下から金属のボディが覗いているのを見て取った。

 同時にルイズたちも、あのゴモラが以前のゴモラとはまったく別物だということに気づいていた。

「あのゴモラもニセモノよ! 全身が鉄でできた作り物だわ」

 キュルケの叫びに皆もうなづいた。

 そう、そのゴモラは全身を宇宙金属で作られているニセゴモラだった。

 そして、ニセゴモラを操っている何者かは、ニセゴモラの正体がバレると、にやりと笑ってひとつのスイッチを入れた。

「ふふふ……メカゴモラの性能が、そちらのゴモラと同じと思ったら大間違いですよ」

 その瞬間、ニセゴモラの体を白い炎が覆ったかと思うと、炎が消えた後にはニセゴモラの代わりに巨大な鋼鉄の巨獣がそびえたっていた。

 息をのむルイズたちと宇宙人。彼らは、その圧倒的な威圧感に戦慄した。そう、コピーロボットの製造がサロメ星人の専売特許だと思ってもらっては困る。EXゴモラがガイアとアグルと戦った時に、すでにデータは採取していたのだ。

 シルエットはゴモラに酷似している。しかし、その全身は黒々とした金属で作られ、EXゴモラ以上に見る者に恐怖心を植え付ける。

 手首が回転した! 攻撃用マニピュレーターのテストだろうか?

 鋼鉄の顎が金属音をあげて上下する。その目には感情がない代わりに、敵を確実に抹殺することだけを目的とする凶悪な電子の輝きが宿っている。

 すごい奴がやってきた! ゴモラよりも強いゴモラ、メカゴモラの登場だ!

 

 

 続く



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第81話  世紀末覇王誕生

 第81話

 世紀末覇王誕生

 

 古代怪獣 EXゴモラ

 ロボット怪獣 メカゴモラ 登場!

 

 

 トリスタニアへ買い物に来ていたルイズたち一行は、かつて倒したはずのEXゴモラに襲われた。

 才人がいないのでウルトラマンAにはなれない。しかし、ティファニアの変身したウルトラマンコスモスがEXゴモラに立ち向かう。

 そのとき、地底からゴモラが現われてEXゴモラに挑みかかっていった。

 激突する二匹のゴモラ。だが、ゴモラは味方のはずのコスモスにまで攻撃を仕掛けて倒してしまう。

 明らかにおかしいゴモラの行動。さらに、戦闘ではがれ落ちたゴモラの表皮の中から機械のボディが現れた。

 偽物の表皮を焼き捨てて、その正体を表すメカゴモラ。

 圧倒的なパワーを振りまくメカゴモラにルイズたちは戦慄し、EXゴモラを操っている宇宙人も、まさかこんなものを繰り出してくるとはと愕然としていた。

 そして、メカゴモラを操っている何者かは、彼らの驚きようが実に楽しいと言わんばかりににこりと笑うと、我が子に語り掛けるようにメカゴモラに向けてつぶやいた。

「パーティをしましょうか、メカゴモラ」

 今、最強の座をかけて、二体の破壊神による最終戦争が始まる。

 

 睨み合う二体の偽物のゴモラ。その均衡を破ったのはメカゴモラのほうだった。

《ゴモラ捕捉。アタック開始》

 戦闘用コンピュータが稼働を始め、メカゴモラの巨体がEXゴモラに向かってゆっくりと前進を始めた。

 レーダーが照準を定め、その巨体に秘められた恐るべき武装がついに稼働を始める。

《メガバスター発射》

 メカゴモラの口が開かれ、その口内から虹色の破壊光線が放たれた。極太のビームがEXゴモラの巨体を打ち、激しい爆発と火花が飛び散る。

 しかし、EXゴモラの強固な皮膚は大きなダメージを受けることなく耐えきり、EXゴモラは健在を訴えるように叫び声をあげた。そしてEXゴモラは、自らの健在をアピールするかのように、大きく体を動かしながら前進を始めた。物見の鉄塔が蹴倒され、大きな火花があがる。

 だが、機械の頭脳を持つメカゴモラは臆さずに、さらなる攻撃を放った。

《メガ超振動波、発射》

 メカゴモラの鼻先からオリジナルを超える太さと勢いを持つ超振動波が放たれ、EXゴモラのボディに突き刺さって火花をあげる。

 だがEXゴモラの強固な表皮はこれにも耐えきり、逆襲のエネルギーがEXゴモラの体を禍々しく輝かせた。

「ゴモラ! もう一度超振動波です」

 宇宙人が命じ、EXゴモラの体から極太のEX超振動波が再び放たれてメカゴモラに突き刺さる。その着弾の衝撃と轟音だけで、周囲の建物のガラスは砕かれ、屋根さえ剥がされる家もある。

 まるで台風だ。ルイズたちは、吹き飛ばされないように踏ん張りながら、唖然と戦いを見守っている。

 並の怪獣なら、これだけでもう木っ端微塵だろう。けれどメカゴモラの超金属のボディはそれに耐えきり、さらなる武器を使おうとしていた。

《プラズマエネルギー・ON。ファイア、メガ・クラッシャー》

 メカゴモラの全身が発光したかと思った瞬間だった。メカゴモラの左胸に取り付けられているレンズ状の球体から、強力なエネルギー光線が発射され、EXゴモラを吹き飛ばしたのだ。

 なんという破壊力! 悲鳴をあげて倒れ込むEXゴモラを見て、驚愕した宇宙人は思わず叫んでいた。

「まさか、こちらの熱線を幾倍にも増幅して、撃ち返すことができるというのですか!」

「そんな機能はつけておりません」

 が、さすがにこれにはメカゴモラのマスターから苦情が入った。いや、本音を言えば、他にも絶対零度砲とかハイパワーメーサーキャノンとかいろいろつけたかったけれど、さすがに容量が足りなかったので断念したのだ。

 しかし、これでも十分に強力なことは間違いない。防御力と飛び道具の火力ではEXゴモラと互角。さらにこちらには、まだ見せていない武装もある。

 ならEXゴモラはどうする? ロボット相手に射撃戦を続けても不利なのはわかるだろう。なら、残った戦法は覚悟を決めて接近戦に打って出るか、それとも。

「ならば、こいつの本当の力を見せてあげましょう!」

 宇宙人が命令すると、EXゴモラは土煙をあげて地中へ潜り始めた。そう、EXゴモラもゴモラの進化体である以上、地中潜航能力は有している。地底に潜った初代ゴモラに科学特捜隊は散々苦労させられた。それを再現しようというのだ。

 高速で地中に潜っていったEXゴモラをメカゴモラは失探し、全方位をレーダーで探る。

 しかし、地中はレーダーの及ばない範囲だ。そして、警戒するメカゴモラに対して、EXゴモラはその直下足元から奇襲した。この奇襲は完全に成功し、メカゴモラの足元から砂煙があがり、地中からEXゴモラの腕が伸びてきてメカゴモラの足を掴む。  

 足元を突き崩され、メカゴモラはぐらりと揺らいで片膝をついた。まさに足元は地上に立つ生き物や構造物全てにとっての弱点で、堅牢無比な凱旋門や福岡タワーすらも、直下から怪獣に攻撃されれば崩れ落ちるだろう。

 地中に引きずりこもうとするEXゴモラに、メカゴモラはもがいて抵抗した。さすがのメカゴモラも真下に向けられる武装はなく、さらに飛行能力もないので脱出もできない。やはり飛行能力がないというのは大きな弱点のようで、この光景を見た宇宙人は高笑いした。

「ハッハッハ、飛べないロボットなど恐ろしくもありません。次からは合体できる飛行ロボットか、吊り下げられる飛行機でも用意しておくことですね」

 しかし、メカゴモラもやられっぱなしではなかった。EXゴモラを振り払えないとわかると、その口から吐き出す熱線を最大出力にして、その反動で浮遊したのである。

「と、飛んだ! メカゴモラが飛んだぁ!」

 熱線をジェット噴射にしてメカゴモラが飛んだ。EXゴモラもまとめて地下から引き釣り出され、空中で引きはがされた後に双方とも街中に落下する。

 もちろん、落下の衝撃くらいでどうこうなる両者ではない。初代ゴモラは高空から落とされてもなんともなかったことを思えば当然だろう。

 仕切り直しとなった両者のバトルは第二ラウンドへと突入した。

《ファイア・メガ・バスター》

「ゴモラ、超振動波です!」

 宇宙には、伝説の超宇宙人の血を引く怪獣使いがやがて現れてすべてを支配するであろうという言い伝えが残されている。彼はその伝説の怪獣使いになったつもりで高らかに命じ、そしてメカゴモラとEXゴモラの放った光線同士が空中でぶつかり合い、相殺して大爆発を起こした。

「うわあっ!」

「きゃああっ!」

 その爆発は先ほどの比ではなく、離れていたはずのルイズたちだけでなく、上空で待機していた宇宙人、さらにはメカゴモラとEXゴモラさえも吹き飛ばされて転倒するほどの爆風を発揮した。

 このままでは戦いの余波だけでトリスタニアが破壊されてしまう。ルイズたちは危機感を強くした。

「こんなことなら、荷物持ちでもサイトを連れて来るべきだったわ。どうしよう……このままじゃトリスタニアがめちゃめちゃになってしまうわ」

「ルイズ、あんたの魔法で片方だけでもなんとかならないの?」

「あんなのの戦いに割り込めって言うの? 近づくだけで死んじゃうわよ」

 ルイズが泣きそうな声で言うのを、キュルケは憮然としながら見つめていた。

 やっぱり、才人がいないとルイズはどこか不安定になる。いや、以前のルイズだったらしゃにむに敵に突撃していただろうが、今のルイズは守られることを知ってしまっている。それは決して悪いことではないし、あの二大怪獣の戦いに生身で割り込むことが自殺行為なのも当然で、キュルケも無理に駆り立てることはできなかった。なにより、こんな状況では虚無の力も半減してしまうだろう。

 トリステイン軍も出動してきてはいるが、手の出しようがない状態だ。竜騎士やヒポグリフも巻き添えを食わないように遠巻きに旋回するしかできないでいる。

 ルイズたちも、場慣れしているルイズたちはなんとか立っているけれど、ベアトリスはティラとティアにかばわれてなんとか立っているありさまだ。ルイズは、なんとかできる可能性があれば虚無を撃つ気でいたが、もう逃げたほうがいいのではないかと思い始めていた。

 しかし、なんというすさまじい戦いだろう。こんな戦いは初めて見る。そのすさまじさに気圧されたモンモランシーが、怯えたようにつぶやいた。

「い、いったいどっちが勝つのかしら……?」

「勝ったほうがわたしたちの敵になるだけよ」

 キュルケは冷たく言い放った。あれのどちらが勝とうと、次に人間に牙を剥いてくるのは間違いない。再び戦いが始まったときがトリスタニアの終わりの始まりだ。

 衝撃から立ち直って起き上がってくるEXゴモラとメカゴモラ。だが、すぐに戦いが再開されるかと思われたとき、メカゴモラに異変が起こった。突然、全身から蒸気を噴いたかと思うと、ガクガクと振動して停止してしまったのだ。

「壊れた?」

 メカゴモラを見ていたトリステインの人間たちはそう思った。事実、それは当たらずとも遠からずの状態で、あまりにも光線のフル出力を続けたために機体内の冷却が追いつかずにオーバーヒートを起こしてしまっていたのだ。

 つまり、冷却が済むまでメカゴモラは戦えない。無防備な状態ではいかにメカゴモラとてどうしようもなく、EXゴモラの勝利は決まったものと思われた。しかし、宇宙人はこの好機を別のものと見てEXゴモラに命じた。

「いまです。そんなやつに構わずに、最初の目的を果たしてしまうのです!」

 宇宙人にとってメカゴモラは、あくまで目的の前に立ちはだかる邪魔者にすぎなかった。倒すのはその過程の問題に他ならず、それが解消されたなら優先すべきは本来の目的である。その使命に基づき、EXゴモラは方向転換して本来のターゲットである、街の一角に立ち尽くす少女に狙いを定めた。

「えっ?」

 EXゴモラの冷たい目が再びルイズたち一行のほうを睨む。そして、その進撃方向が自分たちに向かい出したのを知ると、彼女たちは愕然とした。

「ちょ、どうしてまたこっちに来るのよ!」

「やっぱりあいつ、わたしたちを狙ってるのよ。逃げましょう!」

 モンモランシーが悲鳴のように叫ぶ。もちろん他の面々にも異論があろうはずがない。EXゴモラの威力は嫌というほど知っている。とても生身でかなう相手ではない。

 踵を返して走り出すルイズたち。振り返ると、EXゴモラの視線が真っすぐこちらを向いていて背筋が凍る。

 なぜ? どうして、あの怪獣は自分たちを狙ってくるの? いや、考えている余裕はない。確かなのは、あいつから逃げなければ殺されてしまうということだけだ。

 けれど、走って逃げきれる相手ではない。なら、フライの魔法で飛んでいくか? ダメだ。飛べば光線の的になるだけ。それに、ルイズの『テレポート』や『加速』も一度に数人しか運べない。

 ルイズの息が切れてくる。こんなとき才人がいれば、自分を背に背負って走ってくれるのに。いや、弱気になってはダメだ。なんのために才人と別れて長い旅をしてきたんだとルイズは自分を奮い立たせた。

「エオヌー・スール・フィル……」

「ルイズ? 何する気よ!」

「いちかばちか、全力のエクスプロージョンをあいつにぶっつけてみるわ。あんたたちはそのあいだに逃げなさい」

「ルイズ、あなた囮になって死ぬ気なの!」

 キュルケが叫ぶ。さっきはああ言ったが、ルイズの無謀な挑戦を認めることはできなかった。

 モンモランシーやベアトリスも、無茶よ、と止めようと言ってきている。確かに無茶はルイズにも分かっているけれど、誰かがやらなければ全員死ぬだけなのだ。

 だが、ルイズの悲壮な決断さえもすでに遅かった。ルイズたちの逃げようとしていた先の道からEXゴモラのテールスピアーが飛び出してきて道を崩してしまったのだ。

「なんてこと!」

 もう逃げ道はない。それに振り返れば、EXゴモラの超振動波の赤い輝きが自分たちを照らし出してきているのが見えた。ダメだ、もうルイズの魔法も間に合わない。

 ルイズは後悔した。こんなことなら、才人につまらない意地なんか張らなきゃよかった。ちらりと隣を見ると、悔しそうに歯を食いしばっているキュルケと、呆然としているベアトリスの顔が見える。キュルケは別にいいとして、後輩をこんなことに巻き込んでしまったのは悪かった。できることなら謝りたかった。

 そしてモンモランシーも、眼前に迫った死を前にして、以前にギーシュといっしょにタブラと戦った時などの冒険を走馬灯のように思い出していた。あんなにいつもいっしょだったのに、最後だけ離れ離れなんて、そんなの嫌だ。モンモランシーの瞳から涙がこぼれ、そばかすをつたって顔から落ちる。

「助けて、ギーシュ……」

 だが、涙が地に着くよりも早く、超振動波と彼女たちの間に黒鉄の巨影が割り込んできた。

 激震。しかし超振動波は彼女たちに届くことなく、小山のような壁にさえぎられた。

「ご、ゴモラ!」

 なんと、見上げた彼女たちの前にメカゴモラが割り込み、まるで盾になるようにして超振動波を防いでいたのだ。

 メカゴモラはオーバーヒートした機体を無理矢理動かしてきたらしく、全身からショートし、さらに超振動波を防いでいることで全身が悲鳴をあげているが、それでも彼女たちを影にして動こうとはしていない。その、懸命とも言える姿に、モンモランシーは思わずつぶやいた。

「このゴモラが、わたしたちを守ってる……」

 そういえば最初にメカゴモラが現れたタイミングも、まるで自分たちを助けようとしたかのようだった。なぜ? いったい誰がそんなことを?

 しかし、機械のメカゴモラはただひたすらに超振動波に耐え抜き、力尽きたようにひざを突いた。

「あ、あなた……」

 ルイズたちは呆然として、自分たちをかばってくれたメカゴモラを見上げていた。いったいどうして? という感想では皆いっしょだ。こいつはコスモスを攻撃したことから、人間の敵ではないのか? どうして自分たちだけを守ってくれるのだ? 

 だがそれにメカゴモラは答えることなく、全身から高温蒸気を噴き出して停止している。駆動音がすることからまだ動けるようだが、これ以上のダメージには耐えきれないことは誰から見ても明らかだった。そして、EXゴモラはそんなことにはかまうことなく、完全にとどめを刺そうと近づいてくる。

「結局は、ほんの少しだけ命が伸びただけね」

 キュルケがぽつりとつぶやいた。悔しい……わたしたちの冒険がこんなところで終わってしまうなんて。

 だが、そのときだった。メカゴモラの左胸についている球体が突然眩しく光ったかと思うと、目を開けたときルイズたちは薄暗く狭い小部屋の中にいたのである。

「えっ? ど、どこよここ!」

 見慣れない部屋にいきなり閉じ込められてしまったルイズたちは仰天した。周りの壁は鈍く明滅する機械で埋め尽くされており、座席も複数並んでいる。

 よくわからないけれど助かったの? ルイズやモンモランシーは、怪獣の姿が見えなくなったことでとりあえず胸をなでおろした。

 だが、ここはまさか! ルイズたちにはわからなかったが、パラダイ星人のティアとティラにはすぐにこの場所の役割がわかった。座席の前に並ぶ無数の計器にボタンやレバーなどの配置。しかしそれを口にする前に、部屋ごと一行はすさまじい揺れに襲われた。

「きゃああっ! 今度はなによ!?」

「これってやっぱりまさか! そ、そこの光ってるスイッチを押してみて!」

 ティラに言われて、ルイズは座席のひとつにしがみつくと、点滅しているスイッチを押した。すると、座席の前の大型モニターが点灯し、迫り来るEXゴモラの顔が大写しで映し出されたのだ。

「きゃあぁぁぁっ!」

「落ち着いてください! 本物じゃなくて映像ですよ。てかこれってやっぱり、ここはメカゴモラのコックピットよ!」

「コックピット?」

「機械のゴモラの体の中ってことですよ!」

「ええーっ!?」

 ルイズたちは床や座席にしがみつきながら愕然とした。冗談ではない。助かったどころか、最悪がより最悪になっただけだ。

 ともかく脱出しなくては。けれど出入り口のドアは機械でロックされており、アンロックの魔法も通用しない。

 なら、ルイズの『テレポート』の魔法でなら……と、思った時だった。青ざめた顔で服のあちこちを触っていたルイズが、震えた声で言った。

「ごめん……杖、落としちゃった」

「ええーっ!」

 なにやってんのよルイズ! とキュルケが怒鳴る。メイジの命である杖を落とすとは何事だ。さっきの揺れの時に落としたのかと、皆は座席の下や部屋の隅を探す。しかし、部屋が暗いせいか見つからない。

 しかも、その間にもEXゴモラはメカゴモラへの攻撃を休めることなく、コックピット内にも衝撃が伝わってきて計器から火花が溢れて彼女たちに降りかかってくる。これでは探すどころの問題ではない上に、コックピット内にトリステイン語の電子音声で警報が響いてきた。

《ダメージレベル3、ダメージレベル3。損傷によりメインコンピュータがダウン。手動操縦により戦闘を継続してください》

 悪いことに、メカゴモラはもう自力では動けなくなってしまったようだった。つまり、このままではEXゴモラに一方的にやられ続けることになる。もちろん、その中にいる自分たちも……そのことに震えたモンモランシーが悲鳴のように叫んだ。

「これじゃまるで動く棺桶に入れられちゃったものよ! いったいわたしたちどうなるの! ねえキュルケ!」

「豚の丸焼きって知ってる?」

「いやぁーっ!」

 最悪もいいところだった。これならまだ超振動波で蒸発させられたほうがマシというものだ。

 ベアトリスも、誰かここから出して! と泣き叫んでいる。無理もない。しかし、この中でキュルケは妙な冷静さが自分の中にあることを感じていた。

「こんなとき、あの子なら決してあきらめずに打開策を考えるはず……って、またこのイメージ? でも、確かに一矢もむくいずにやられるのはわたしらしくないわね。何か、何か打つ手は……? あら?」

 そのとき、キュルケは床の上にいつのまにか一冊の本が落ちているのを見つけた。

「これって……!」

 キュルケは急いでページに目を通した。これなら、もしかして! 

 だがその間にも、ダウンしたメカゴモラへのEXゴモラの猛攻は続き、倒れたメカゴモラはEXゴモラの尻尾で滅多打ちにされていた。あと数分もしないうちに、関節からバラバラにされそうな勢いだ。

 あの宇宙人は、EXゴモラがメカゴモラに攻撃を続けるのを今度は止めようとはしていない。先に、ルイズたちが特殊光線でメカゴモラの内部へと収容されるのを確認していたからだ。確かにあの状況では、メカゴモラの内部へ収容するしか彼女たちを救う方法はなかったに違いない。しかしそれは、わざわざ獲物が檻の中に飛び込んでくれたも同じことであり、しかもメカゴモラがこの損傷レベルではEXゴモラの相手にはならないとわかると勝利への確信に変わっていた。

「その調子ですよEXゴモラ。そのままその鉄くずごとそいつらを叩き潰してしまいなさい。そうすれば、あいつもさぞ悔しがることでしょう。さて、わたしはこの間に、と」

 宇宙人はなぜかメカゴモラの最期を見届けることなく消えていった。

 が、宇宙人の命令が途切れたからといってEXゴモラの攻撃が止むことはなく、メカゴモラの限界は近づいていた。

 EXゴモラは、尻尾での殴打を止めると、完全にとどめを刺すべくメカゴモラの首をもごうと腕を伸ばした。だが、その瞬間!

「ナックルチェーン!」

 メカゴモラの腕からロケットパンチの要領でパンチが飛び出し、無警戒に接近してきていたEXゴモラの顔面に直撃して吹き飛ばした。いかに頑丈なEXゴモラでもこれにはたまらず、数百メイルを飛ばされて昏倒する。

 しかしメインコンピュータがダウンしていたはずなのに、今の攻撃はどうやって? その答えは、いまだ計器のショートが続くコックピット内で、キュルケがひとつのレバーを引いたことで起こったのだった。

「ふう、ギリギリ間に合ったみたいね」

 キュルケが、ルイズにはない豊満な胸をなでおろしながらつぶやいた。彼女が土壇場で操作した方法が、ナックルチェーンを発射する方法だったのだ。

 ルイズたちは、汗だくになっているキュルケに駆け寄った。今の一発がなければ、間違いなくメカゴモラは破壊されて自分たちもただではすまなかっただろう。

「すごいわキュルケ。でも、いったいどうして動かし方がわかったの?」

「説明書を読んだのよ」

 と、言ってキュルケがさっきの本を掲げると、一同は揃ってずっこけた。

「説明書があったの!?」

「ええ、ご丁寧に図入りで解説してあるわね。動かし方から武器の使い方まで、細かく載ってるわよ」

 見ると、操作マニュアルがトリステインの公用語で綺麗に印刷されていた。しかもそれぞれの座席をよく見ると、一冊ずつマニュアル本が付属していた。

 なんという律義というか親切な……ルイズたちは一冊ずつマニュアルを手に取ってパラパラと目を通した。もちろんルイズたちは機械なんて一度も動かしたことはないけれど、図解入りで細かく説明されているのでなんとなく理解できた。さすが、ルイズとキュルケだけでなく、モンモランシーとベアトリスも優等生なだけはある。

 そして、当面の危機を脱するためにやらねばいけないことも理解できた。無茶苦茶というか狂気じみているが、ここを生き残って才人やギーシュにもう一度会うためにはそれしかない。ルイズは真っ先に空いている席に座ると、キュルケに問いかけた。

「キュルケ、わたしがこの説明書を読み終わるまで持たせることができる?」

「ルイズ、あなたやっぱりやる気なのね?」

「やるしかないでしょ! わたしたちがこのゴモラのガーゴイルを動かして、あのニセゴモラを倒すのよ」

 それを聞いて、ベアトリスは愕然とした。

「わ、ヴァリエール先輩、本気ですか!」

「本気も正気よ。こんなもの、ちょっと大きいだけのガーゴイルじゃない。土くれのフーケのゴーレムとたいして変わらないわ。あんただって土の系統でしょ? あんまり大きいものだから怖気ずいたの?」

 例えが無茶苦茶だが、ルイズが本気だということは恐ろしいほどわかった。ルイズは頑固で融通が利かないが、一度吹っ切れるとやると決めたことはてこでも曲げない。ベアトリスもルイズの本気の眼差しに、もうできるできないがどうこう言っている場合ではないと、涙目ながら覚悟を決めた。

「う、どうしてわたしがこんな目に。けど、こんなもの動かすのなんて初めてだし……そうだ! ティア、ティラ、あなたたちミスタ・コルベールのオストラント号を動かしたことがあったわね。だったらこの機械も使い方がわかるんじゃないの? 手伝ってよ」

「了解でーす。フフ、こんな大きなロボットを動かせるなんて、なんかワクワクしゃうわ」

「ティア、男の子じゃないんだからはしゃがないの。姫様、こっちでできるだけサポートします。心配しないでやっちゃってください!」

 ティアはいつも通りに軽口を叩いているが、やはり緊張からか語尾が少し震えている。しかし空元気でも、ベアトリスは、彼女たちが勇気を振り絞っているのに自分だけ怯えているわけにはいかないと涙を拭いた。

 そしてベアトリスは副操縦席、ティアとティラは機関部や兵装を管理するメンテナンス席に座った。これで、メイン操縦席に座ったルイズと火器管制席に座ったキュルケに加え、モンモランシーもレーダー席に座ることで配置は決まった。

 メインスクリーンには起き上がって近づいてくるEXゴモラがはっきり映っている。その殺意と怒りに満ち溢れた顔に、ルイズたちは息をのむ。この化け物を、これから自分たちだけの力で倒さなければならないのだ。しかし、魔法世界で生まれ育った少女たちが、こうしてオーバーテクノロジーのスーパーロボットに乗り込んで戦うなんて滅茶苦茶もいいところだ。

 けれども、彼女たちの目は杖を握って呪文を唱えている時と変わりはない。その心に秘めているものはいつもひとつ。

「こんなところで死んでたまるもんですか。あのバカ犬に、わたしを守るのはあんたの義務だってことを徹底的に叩きこんでやるんだからね」

「ギーシュ、あんたには約束した遠乗りの予定が山ほど詰まってるんだからね。全部守らせるまでは逃がさないんだから」

 ルイズとモンモランシーは、石にかじりついてでも生きて戻ろうと決めていた。魔法であろうが機械であろうが関係ない、彼女たちは愛のために戦っているのである。

 メカゴモラが手動操縦で動き始める。まだ全員がマニュアルを読み切っておらず、機体の復旧と冷却の真っ最中の有様だが、確かにメカゴモラに人間の血が通い始めたのだ。

 

 

 だが、いったいメカゴモラは何者が作り出して送り込んできたのだろうか?

 そのころ、トリスタニアのはるか地下にある地底空洞。以前は円盤生物が格納され、現在は誰からも忘れ去られていたそこには、一大科学工場が作られ、超近代設備の元で様々な超科学兵器が製造されていた。

 それは、わずかなデータだけでメカゴモラを短期間で制作できるほど高度な代物であったが、今この工場は火花をあげて炎上していた。そしてむろん、この破壊は工場の主の意思ではない。

「フッフッフッ、よく燃えてます。これでもう、この工場は使い物になりませんね」

 工場の爆発を眺めながら、コウモリ姿の宇宙人は愉快そうに笑っていた。彼が戦いの最中だというのに姿を消したのは、メカゴモラの出現点からこの工場基地を割り出して破壊するためだったのだ。

「こういうことは昔から私たちの得意技ですしねえ。これで多少は溜飲が下がりました。ざまあみろ、といったところですか。おや? おおっと!」

 そのとき、無数の銃弾が彼に襲いかかったが、襲撃を予期していた彼は余裕を持って銃撃をかわし、銃弾は工場の壁をえぐりとるだけで終わった。

 そして彼は、自分に銃撃を放ってきた相手を、工場の燃え盛る炎の中にたたずむ一人の人影に見据えた。しかし、燃え盛る炎の中に平然と立ち、その手に二丁の巨大な銃を持った姿は、明らかにまともな人間のものではない。

「遅かったですね。あなたの自慢の工場はこのとおり、もうただのガラクタになってしまいましたよ」

 彼は勝ち誇るようにそう告げた。どんな強固な基地も、かつて防衛チームMAT基地が崩壊したときのように、内側からの攻撃には脆い。初邂逅の時に殺されかけた仕返しだと、嘲り声を向けた。

 しかし……相手は低い笑い声を漏らすと、涼やかささえ感じる美しい声で答えた。

「う、ふふふ……人の留守中に空き巣火付けに入るなんてひどい方。やはりあなたはあのときに念入りに殺しておくべきでしたね」

 声色こそ穏やかだが、純粋な殺意のこもったその言葉は、気の弱い者が聞けば震え上がるのではというほどの凄味に満ちていた。

 片手で、普通の人間ならば持ち上げることさえ困難な大きさの銃を軽く玩び、その目は闇夜の猛禽のように宇宙人を睨んでいる。もしも宇宙人が少しでも隙を見せれば一瞬にしてハチの巣にしてしまうであろう殺気を放ちながら、そいつはさらに言った。

「でも、私は貴方に弁償していただきたいとは思っておりませんわよ。これくらいの工場はいくらでも替えができますわ。私が怒っているのはもっと別なこと……あなたは、私の大切な友人に手を出しました。わかっていてやったのでしょう?」

「もちろん。事前のリサーチは大切ですからね。昔、私の出来の悪い同胞が似たようなことをやったそうです。ですが、ウルトラ戦士や人間たちにはよく効く手段ですが、正直ここまであなたが怒られるとは思いませんでした。あなた、本当に”あの方”なんですか?」

「ええ、あなた方は勝手にそう呼んでおいでのようですが、私のことを正しく表現してはおりませんわね。まあ、私にはどうでもいいことですが、あなたは殺します。覚悟はできていますね?」

 二丁の銃口がコウモリ姿のシルエットを狙う。しかし彼も余裕ありげに言って返した。

「おあいにく、私もあなた同様に宇宙にそこそこの悪名を知られる星人の一角です。ふいを打たれでもしない限りは簡単にやられはしませんよ。それより、あなたの大切なご友人たちは、ほっておいてよろしいんですかね?」

「それなら心配いりませんわ。この星の方々は、あなたの思うよりずっと強いですわ。戦う武器を手にできれば、あなたの手下ごときにやられはしませんよ」

「……あなた、いったいこのハルケギニアで何がしたいんですか? 怪獣や武器をばらまいておきながら、一方では人間を守ろうとしている。あなたの目的はなんなんです?」

「ふふ……私は、この星の人間たちの自由と幸福を守りたいだけですわ……少なくとも、この星の人々を自分の目的のために利用しようとしているあなたの敵ではありますね」

 そいつは謎めいて答えた。少なくとも、嘘を言っている口調ではないが、コウモリ姿の宇宙人は、この相手の中にヤプールなどとはまた異なる、一種の狂気を感じ取った。

 工場の爆発の炎が二対のシルエットを照らし出す。片方は背中に黒いマントのような翼を持つ星人……もう片方は絵画の中から呼び出されたかのような美しい人間。

 いずれにせよ、この二者が互いを敵として認識しあったことだけは間違いない。そして、ハルケギニアにとっては二人とも危険な存在であることも違いなく、両者は睨み合った後に、コウモリ姿の宇宙人のほうがつまらなそうに言った。

「あなたほどの人が、どうして人間にそこまで肩入れするのかわかりませんね。確かに、人間という生き物は宇宙でも稀に見るほどの精神エネルギーを発生させられる生き物ですが、あなたはそれを利用する風でもない。けれど、そんなに人間を買っているのでしたら、あなたのメカゴモラに乗り込んだ人間たちが、私のEXゴモラを倒せるか、ひとつ賭けてみますか?」

「まあ、私が助けに行けないようにここで足止めするつもりですね。それでしたら、今度こそあなたには私の前から永久に消えていただきますわ!」

 その瞬間、二丁の銃口が同時に火を噴いた。コウモリ姿の宇宙人はとっさに回避したが、半瞬前まで彼がいた場所の背後の壁が信じられないほど大口径の銃弾によってえぐられて粉砕された。

 これではまるで小型のミサイルだ。彼はかわしはしたものの、相手が銃の重さや反動をまるで無視してこちらに照準を合わせ直してくるのを見て、生半可な力ではこれから逃げることもできないだろうと判断した。

「仕方ないですねぇ。ここまでしたくはなかったのですが、こちらも少々本気を出させていただきますよ!」

 彼の右手に両刃の剣が現れた。それと同時に、彼の左手に紫色の人魂のようなものが現われ、彼はそれを自分の体に押し当てるようにして取り込んだ。

「フウゥゥゥ……エンマーゴの魂よ。お前の力、いただくぞ……さあて、これでも私をさっさと始末できるかなぁ?」

「あら、なぶり殺しのほうがお望みとは趣味の良くない方。でも、そのくらいで私に太刀打ちできるでしょうか?」

 相手は口元を大きく歪めて、しかし目元には慈母のような優しげな笑みをたたえながら歩み寄ってくる。

 対峙する二人の宇宙人。彼らの横合いでは、ただひとつ残ったモニターが地上のメカゴモラとEXゴモラの戦いを映し続けている。

 

 生き残るのは誰だ? 張り詰めるメカゴモラのコクピットの中で、ルイズはEXゴモラを睨みながら怨念を込めてつぶやいていた。

「あんたのせいよあんたのせいよあんたのせいよ……サイトが浮気するのもせっかく買った服をなくしちゃったのもわたしより胸がおっきい女ばっかりなのも、みんなあんたのせいだって今決めたわ! よって死刑。死刑ね、死刑にしてあげるから覚悟なさい!」

 怒りのままに罪状を並べ上げ、ルイズの殺気がすさまじい勢いで増していく。その怒りのオーラがメカゴモラにも伝わったのか、心持たぬはずの鋼鉄の巨獣が生きているように吠えた。

 そんな殺気立つルイズに、ベアトリスやモンモランシーは気圧されて引くしかない。しかし、ルイズの殺気に当てられて落ち着きを取り戻したとき、モンモランシーの鼻孔を不思議な香りがくすぐっていった。

「え……この、香りって?」

 ほんの一瞬、鉄と油の匂いに紛れていたが、香水の異名を持つモンモランシーにはそれを感じ取れた。嗅ぎ覚えのある、ある人物の愛用している香水の香りが。

 しかし、迫り来る戦闘の緊迫感は、ゆっくり考える時間など与えてはくれなかった。モンモランシーは自分のついた席の役割を覚えるためにマニュアルに目を通す作業に戻させられる。

 メカゴモラvsEXゴモラ。今、史上空前のスーパー・バトルが始まる。

 

 

 続く



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第82話  砕け散るまで戦え!

 第82話

 砕け散るまで戦え!

 

 古代怪獣 EXゴモラ

 ロボット怪獣 メカゴモラ 登場!

 

 

 古代怪獣ゴモラ。ウルトラの歴史をかじった者であれば、その名を知らない者はいないと言っても過言ではない。

 かつて初代ウルトラマンを相手に大立ち回りを演じ、その後も時間や場所を変えてウルトラ戦士と互角に渡り合ってきた。

 攻撃力、防御力、スピードを非常に高いバランスであわせ持ち、さらにEXゴモラに象徴されるような高い進化のポテンシャル。ゴモラは『最強』の称号に限りなく近い可能性を秘めている怪獣であろう。

 ならば、そんなゴモラにとって最大の敵とはなんだろう? 最強の可能性を持つゴモラの最大の敵、それはまさにゴモラ自身かもしれない。

 そう! 最強の怪獣ゴモラをコピーしたメカゴモラこそ、ゴモラ最大の天敵なのだ。

 

 EXゴモラに対して、ルイズたちの乗り込むメカゴモラが迎え撃つ。

「そういえば呼び名がないとちょっと不便ね。機械の竜だから略して……」

「メカゴモラって説明書に書いてあるわよ」

「あ、そう。ならそれでいいわ」

 そうしたちょっとしたやりとりも挟みつつ、戦いは始まる。

 しかし、素人ぞろいのルイズたちでどこまでEXゴモラに食い下がれるものか。しかし、人間の心と命はどんな奇跡を呼び起こすかわからない。

 

 接近してくるEXゴモラの姿がメカゴモラのコクピットのモニターに映っている。時間を稼げるのは、武装のコントロールを握っているキュルケだけだ。しかし、兵装のほとんどには赤ランプが点っており、メンテナンス席のティラがキュルケに言った。

「ミス・ツェルプストー。主要兵装の冷却にまだしばらくかかります。それまでは実弾兵器で持たせてください」

「難しいわね! もっとわかりやすく言ってちょうだい」

「熱くなりすぎてて火を吐けませんから、冷えるまで鉄砲を撃ってごまかしてください!」

「わかったわ。体が火照っちゃって動けないなんてイケない子だけど、この微熱のキュルケさまが面倒みてあげるわね。じゃあまずは、メガフィンガーミサイル、発射!」

 余裕を見せるように艶かしく呟いたキュルケの指が操作キーを弾くと、メカゴモラの腕が上がり、そこから無数のミサイル弾がEXゴモラに向けて発射された。大口径の大型怪獣用ミサイルが火花のように飛び出し、巨大な爆炎でEXゴモラを包み込む。

「わぁお。綺麗な花火じゃない」

 火の系統のキュルケが絶賛するようにつぶやいた。なかなかいい火薬を使っている。自分の火の魔法ほどの美しさはないものの、威力に関しては見事なものだ。

 しかしEXゴモラはまだたいしたダメージを受けたようには見えず、炎を振り払いながら突進してくる。

 フィンガーミサイルでは本当に時間稼ぎがせいぜいか。これ以上の足止めは無理かとキュルケが苦笑したとき、メカゴモラの腕が勢いよく振りかぶられた。

「待たせたわねキュルケ! 今度はわたしの番よ」

 力強く持ち上げられたメカゴモラの腕がEXゴモラと真っ向から組み合う。操作レバーを握り、不敵な笑みを浮かべているのはもちろんルイズである。

「ルイズあなた、もう説明書読み終わったの?」

「こんな説明書くらい、長ったらしい虚無の呪文に比べたらメモ書きみたいなものよ。さあて、よくもやってくれたわね。今度はこっちの番なんだから!」

 とび色の瞳に闘志を漲らせ、ルイズがメカゴモラのレバーを握ると、それに応えるかのようにメカゴモラからパワーがみなぎってEXゴモラを押し返し始めた。

 驚くEXゴモラ。もちろんルイズはロボの操縦など生まれて初めてだが、彼女の操作の無駄な部分はメンテナンス席からティアがサポートしていた。

「要は宇宙船の姿勢制御と似たようなものでしょ。サポートならお手の物だし、思いっきり暴れちゃってください!」

 荒々しくコントロールパネルを操作する緑色の髪の少女は楽しそうに言った。地球よりも進んだ科学力を持つパラダイ星人の彼女たちにとっては、この程度の機械はなんということはない。本当なら彼女たちが直接操縦や火器管制をするのがいいのだろうが、そうすると機体の補正をする者がいなくなってしまう。それに、二人とも誰かのサポートをするほうが性に合っている。

 ルイズの操縦でパワーを増したメカゴモラは、咆哮と共に一気にEXゴモラを押し返した。そして、いつもルイズが才人に鞭を振り下ろすときのような勢いで、強烈なパンチをEXゴモラの顔面に叩きつけた。メカのパワーの前に吹っ飛ばされるEXゴモラ。しかし、容赦を知らないルイズはさらにパンチを繰り出させる。

「このこのこのこの! あんたのせいで! あんたのせいでせっかくいっぱい買い物したのに!」

 八つ当たりもかねて、ルイズは思うさまに怒りを爆発させた。そのあまりの剣幕に、モンモランシーやベアトリスは彼女の隣で声もかけられずに戦慄しているくらいだ。だがルイズの怒りを込めたメカゴモラのパンチで、さしもの岩のように頑強なEXゴモラの皮膚もしだいに欠け出し、その衝撃についにEXゴモラは悲鳴をあげだした。

「やった! 効いてるわよルイズ」

 キュルケがうれしそうに叫んだ。乗りこなしているというよりは暴れ馬といっしょに暴れているという感じだが、この攻撃力はさすがルイズ。

「当然! わたしにケンカを売ったことを後悔してから死なせてやるんだから。楽に逝けると思うんじゃないわよ!」

 まるで姉のエレオノールのようだが、怒っているときのルイズもそれこそ一晩中才人をしばき続けられるほど恐ろしく、翌朝には才人は傷だらけになっている。そのパワーがそのままメカゴモラに乗り移り、まさにルイズとメカゴモラでパンチパンチパンチ!

 が、EXゴモラも殴られっぱなしではない。その頑丈な体でラッシュを耐えきると、あえてメカゴモラの懐に飛び込んで鼻先の角でメカゴモラの脇腹を突き刺してきた。

「第32伝道パイプ破損! 歩行速度が10%落ちます!」

「この、暴れるんじゃないわよ!」

 メカゴモラはEXゴモラを引きはがすが、EXゴモラはさらにテールスピアーをメカゴモラの足へと突き刺して動きを封じようとしてくる。

「左足メインフレームにレベル2の損傷! ミス・ヴァリエール、メカゴモラの装甲はこれ以上の損傷には耐えられません。攻め手を緩めないでください」

 ティラが悲鳴のように叫ぶ。すでにメカゴモラの耐久力は痛めつけられ続けたせいで、通常の数分の一にまで下がっていたのだ。

 守りに入ったら負ける。攻め続けなければ勝てない!

「わかってるわよ! キュルケ、こいつの武器はまだ使えないの?」

「まだ冷却ってのが終わらないみたいなのよ。ティラ! なにか一気に冷やす方法とかないの? 水の魔法じゃダメ?」

「無理ですよ。この大きさなんですよ。冷却器がフルパワーで動いてますから、もう少しだけ待ってください!」

 人間が疲れると動けなくなるように、機械も動かしすぎると動けなくなる。メカゴモラにも大容量の冷却器はついているはずだが、冷却が追いつけないほどメカゴモラの火力がすごいのだ。

 全力で戦いたいのに戦えない。そんなじれったさがルイズやキュルケを責めたて、彼女たちの表情も焦りに歪んでいく。

 しかし、いくら焦りや怒りに心を染められてもルイズたちはルイズたちに変わりはなかった。EXゴモラの攻撃を受けながら、ルイズは必死に暴れ馬の手綱を掴むようにメカゴモラを操縦していたが、そのときレーダー席のモンモランシーが悲鳴のように叫んだ。

「ルイズ待って! あそこに子供が!」

「なんですって!」

 ルイズは愕然としてモニターを凝視した。確かに、EXゴモラのすぐそばに逃げ遅れたらしい幼い姉弟がうずくまっている。しかも、EXゴモラもそれに気が付いたと見えて、こちらの動きが鈍ったのをいいことに超振動波で姉弟を消し飛ばそうと狙いを定めたではないか。

 ママーッと叫ぶ子供たちの声が聞こえるようだ。ルイズたちは、熱くなっていた頭に冷や水を浴びせられたような衝撃を感じ、そして即座にやるべきことを導き出した。

「いけない! 助けないと。キュルケ!」

「ダメよ。武器を使えばいっしょに巻き込んじゃうわ」

「ああっ、間に合わない! こうなったら、飛びなさいぃメカゴモラーっ!」

 ルイズがレバーを無理矢理に操作すると、メカゴモラはその巨体からは信じられないほどにジャンプした。そしてそのまま太陽を背にして急降下すると、地面スレスレを水路の水を巻き上げながら突進し、EXゴモラに強烈なタックルを食らわせた!

 横合いからメカゴモラの二万二千トンの体重を猛スピードでぶっつけられてはさしものEXゴモラもたまらない。何百メイルもを軽石のように吹っ飛ばされ、土砂を巻き上げながら地面に突っ込んだ。

「よしっ! やったわ」

 ルイズは操縦桿を握りながら笑った。しかし、座席にシートベルトで固定されていたとはいえ、あんな機動をさせられてはほかの面々はたまったものではない。

「ル、ルイズ、あんたねえ……」

「し、死ぬかと思いました」

 モンモランシーとベアトリスが目を回しながら言った。あんな機動、本来なら無人機でしかできないようなGがかかるから中の人間はのびて当然だ。特に二人は髪型が特徴的なので振り回されてひどいことになっている。

 けれど、ルイズを責める者はひとりもいない。モニターには、二人の子供の無事な姿が映っている。どんなときでも、守るべきものを見失わない人の心を彼女たちは持っている。それが、冷たい兵器のメカゴモラにも伝わり、メカゴモラを見上げる幼い姉弟は、まるでヒーローを見るかのように輝いた眼差しを向けて、さらに「ありがとう」と言う風に手を振ってくるのを見て、ルイズたちは顔をほころばせた。

「バカ、早く逃げなさいよ」

 ルイズは照れながらつぶやいた。我ながら、まるで才人みたいなことをしてしまったと思って、そのほっぺたまで髪の色と同じようになってしまっているけれど、悪い気はしない。

 メカゴモラの手を操作して、早く向こうへ行けという風に振ってやると、姉弟は一目散に走っていった。その様子を見ることで、遠巻きに見守っていた竜騎士隊も少なからぬ戸惑いを見せていた。

「あの鉄の竜は、敵なのではないのか……?」

 誰も、ルイズたちがメカゴモラを動かしているとは知らない。しかし、急に動きが生き物らしくなってきたメカゴモラに違和感を感じ始める者も増え始めていた。

 しかし、ほっとしていられたのはつかの間に過ぎなかった。今の体当たりでメカゴモラのダメージもさらに大きくなり、当然EXゴモラがそれを見逃してくれるわけがない。動きの鈍ったメカゴモラにEXゴモラの体当たりが当たってメカゴモラは倒れ込む。

「きゃああっ!」

「やっ……たわねえ、お返しよ!」

 倒れたところからナックルチェーンを撃ち込んでEXゴモラを掴み、そのままアンカーにしてメカゴモラは起き上がった。

 よし、まだ戦える! しかし、メカゴモラの体から多量の蒸気が湧いている。またオーバーヒートかといぶかしるルイズやキュルケだったが、モンモランシーがそれを否定した。

「違うわ。今倒れ込んだところがちょうど酒屋だったのよ。見て、酒樽のかけらが落ちていくわ」

 確かに、メカゴモラの頭から酒樽の木片が落ちていくのがモニターに映っている。あの蒸気は頭から酒をかぶったのが機体の高温で蒸発したからだったようだ。

 紛らわしい。それによく見たらタルブ産などの高級酒も混じっているようで、ベアトリスは「あー、もったいない」とぼやいている。その年のいい酒は引く手あまたで、いくら金があっても運がなければ手に入らないというのに……

 しかし、酒を浴びたせいでもないだろうが、ちょうどそのとき兵装の冷却が済んだようで、待ちに待ったビーム兵器の解禁の時がやってきた。キュルケの席の兵装の赤ランプが青に変わり、ルイズに変わってキュルケが凶暴な笑みを浮かべる。

「次はわたしの番ね。ルイズの暴れっぷりを見てたらわたしも高ぶってきちゃった。モンモランシー、そっちのれーだーっていうので狙いを定めるみたいだから頼むわね」

「わかってるわよ。ってもう……なんでこんなに複雑なのよ。もっと単純なのないの?」

 ぼやきつつもの、モンモランシーが照準を修正し、キュルケのスタンバイする全兵装にロックオンがかかっていく。そして、派手好きのキュルケにふさわしいパーティの準備は整った。

「さあて、程よくアルコールも入ったことですし、火の本領を見せてあげるわ。酔っぱらうんじゃないわよ、メカゴモラ!」

 オール・ウェポン・ファイア! メカゴモラの全火器がいっせいに火を噴いた。

 口からの熱線、腕からのメガフィンガーミサイル、胸からの光線、さらに腹からもカッター状の光刃がEXゴモラに叩き込まれた。

 それはまさに破壊の奔流。これを花火ととらえるならば、この上ない華やかさと派手さに満ちていると言えよう。ただし、それを目の当たりにした者は、己の肌を叩きつける衝撃と、焼けるような熱波に体を貫かれる破滅の芸術でもあった。

 並の怪獣ならば粉砕を通り越して消滅していることだろう。しかし、EXゴモラは並どころの怪獣ではなかった。

「動いてる……あの怪獣、まだ生きてるわよ!」

 モンモランシーが絶叫する。EXゴモラはなおも健在で、弾幕の中を執念深く近づいてきているのだ。

 キュルケはそれを聞き、悔しそうにしながら撃ち方を止めた。これ以上撃ち続けたらまたオーバーヒートして長時間の冷却が必要になるからだ。

「わたしの炎で燃え尽きない殿方なんて、いつもなら歓迎するところだけど、今回は腹立たしいわね。ルイズ、あなたたちあの化け物と戦ったことあるんでしょ? なにか手はないの?」

「小細工が効く相手ならとっくにやってるわよ。っとに頑丈な奴ね。こうなったら……」

「なにかいい手があるの?」

 不敵に笑ったルイズに、一同の視線が集中する。だが、ルイズの作戦は、いい考えどころのものではなかった。

「決まってるでしょ。バカ犬の躾ってのは、音を上げるまで叩きまくるしかないじゃない!」

 ああ……やっぱりルイズはルイズだった、と全員がげっそりした。頭はいいんだけれども、根が単純なので追い込まれると発想が一直線に突っ走ってしまう。まあキュルケに言わせれば、そこが恋に一直線で可愛いところでもあるんだけれど。

「まったく、あなたはいつも力技なんだから。そんなだから、ほとんどの先生たちにも嫌われるのよ」

「ふん、先生気にして立派な貴族になれるものですか……ねえ、本当の貴族らしい働きを見せてやりましょうよ」

「やれやれ……わかったわよ」

 こういうところもルイズらしいとキュルケは思った。自分の信じる貴族の理想をどんなときでも揺らがせようとはしない。

 ほんとに無茶で一本気で可愛いんだから。これじゃ、助けてあげたくてしょうがないじゃないの!

「仕方ないわね。見せ場を譲ってあげるから頑張りなさい」

「ふん、メカゴモラ……ガーゴイルのあんたにこんなことを言うのも変かもしれないけど、サイトならこう言うかもしれないから言っておくわね。あんたが誰に作られたにせよ、今はあなたとわたしたちは仲間よ。力を貸して、メカゴモラ」

 鉄の塊に情が移ってくるなど、まるで才人かミスタ・コルベールのようだとルイズは内心苦笑したが、この操縦席はまるで自分にあつらえたかのようにしっくりときて、誰かの温かい心を感じられた気がした。

 ルイズは考える。このメカゴモラがゴモラを模して造られたなら、ビームやミサイルを撃ち合うだけが能じゃないはず。そうでなかったとしても、調教なら得意中の得意だ。

「はぁっ!」

 愛馬の腹を蹴るときのように声を上げ、ルイズの操縦の下でメカゴモラは再び動き出した。

 腕が上がり、鉄の顋から咆哮がほとばしる。

“いける!”

 メカゴモラの操縦に慣れてきたことで、ルイズは自信を持ち始めていた。良い馬が手綱を握るだけで自分の手足のように動いてくれるのにも似て、どうすればメカゴモラが動いてくれるのかが、文字通り手に取るようにわかる。

 がっぷりよっつに組み合うメカゴモラとEXゴモラ。よし、装甲は弱っても、パワーはまだ衰えてはいない!

 メカゴモラのパンチがEXゴモラの顔面を打ち、鋼鉄の角が先端を欠けさせながらもEXゴモラの皮膚を切り裂く。その野性味溢れる戦いぶりはティアを歓喜させ、モンモランシーは思わず叫んだ。

「すごいわ。これからルイズのことは『怪獣女王』と呼ぼうかしら」

「それサイトが聞いたら本気にしそうだからやめてよね」

 しかし、怒りを増していくのはEXゴモラも同じだ。並の怪力怪獣をはるかに越えるパワーで振るわれる爪はメカゴモラの装甲を火花とともに確実に剥ぎ取っていく。

「くっ!」

 ティアとティラが必死にダメージコントロールをしてくれているが、すでにサブコンピューター回路も予備動力源も限界に近い状態だ。

 特に装甲はもうあってないようなものだ。EXゴモラもそれを見抜いて、必殺のテールスピアーでメカゴモラの喉を串刺しにしてやろうと狙ってくるが、ルイズはこの瞬間を待っていた。

「同じ手が二度も三度も通用すると思うんじゃないわよ!」

 メカゴモラはテールスピアーを装甲を削られるギリギリで回避すると、その尻尾を掴んで力の限りに振り回し始めた。

 ジャイアントスイングだ。EXゴモラの巨体が浮き上がり、猛烈な勢いで大回転する!

 が、こんなことをすれば、ルイズはよくてもほかの面々はたまったものではない。ベアトリスやモンモランシーは目を回し、ルイズにやめてと懇願するものの、キュルケが諦めたように告げた。

「もう何を言っても無駄よ。ルイズを止めることはできないわ」

 そんな! と、二人とも絶望するが、調子に乗っているときのルイズはまさに無敵。

 見守っている竜騎士たちも、「なんという豪快な戦いぶりだろうか」と、戦慄しているほどだ。あの鉄の竜を操っているのはオーク鬼のようにごつい男に違いない。

 そして、まるで竜巻のように大回転した後、手を離されたEXゴモラは地上に投げ出された。その場所は以前にアボラスとバニラを暴れさせた、対怪獣用に設置された広場で、ここならばトリスタニアへの被害は最小限に抑えることができる。

「逃がさないわよ!」

「自分で吹っ飛ばしておいて何言ってるんですか先輩……」

 ノリノリのルイズに、ベアトリスが半泣きで吐きそうになっていながら呟くが、下手に突っ込むと怖そうなのでやめた。ベアトリスも、自分はけっこう横暴な自覚はあったが、この先輩ほんとに怖い。エーコ、ビーコ、シーコ助けて~、もう帰りたいよお。

 そしてメカゴモラも損傷した足を引きずりながら怪獣広場に踏入り、いよいよ戦いは最終局面を迎える。

「さて、あまり帰りが遅くなるとバカ犬がメイドに手を出すかもしれないから決着をつけさせてもらうわよ」

 なかば以上本気でルイズはつぶやいた。こういうことを考え始めると、自分の留守中に才人がいろんな女子とイチャイチャしている光景ばかりが頭に浮かんでくる。一刻も早く帰らないといけない。

 それに、現実的にもう戦いをこれ以上続けられない。ティアとティラが、もうあと何分もまともに動けないと訴えてくる。機体はガタガタでエネルギーは残り僅か。素人ぞろいの中でよくここまでやったと言うべきだが、もう限界だ。

「キュルケ、最後にフルパワーでいくわよ。灰になるまで奴を燃やし尽くしてね」

「誰に言ってるの? どんな形であろうと、微熱のキュルケが生焼けで満足することなんてないわ。あなたに合わせてあげるから、好きなだけ暴れなさい」

 ルイズとキュルケは目くばせして笑みを浮かべ合った。そしてルイズはベアトリスとモンモランシーにも告げる。

「ベアトリス、この子はいつ手足がもげてもおかしくないわ。わたしは手加減なんてできないから、あなたのほうで動きを補助してね」

「うう……なんでわたしがこんな目に。始祖ブリミルよ、わたしが何か悪いことをしたのでしょうか……?」

「泣いてるんじゃないわよ。上に立つ者は、烈風とまでは言わないけど、アンリエッタ女王陛下くらいいつでも毅然としてなさい。いえ、あんなのが増えても困るわね……とにかく、後でクックベリーパイ食べさせてあげるからしっかりなさい。それとモンモランシー、あなたのところでこの子の目をつかさどってるわけらしいから、最後まで持たせてよね」

「はいはい、ここまで来たらわたしも付き合うわよ。まったく、ギーシュたちよりルイズのほうがよっぽど無茶苦茶だってよーくわかったわ……そりゃサイトが優しい子にひかれるわけよねえ」

「なにか言った? ふん、サイトみたいなだらしないのに必要なのはわたしの厳しさのほうなのよ。さて……もう少し無茶をさせちゃうけど、頼むわねメカゴモラ……」

 そのとき、メカゴモラがルイズの言葉に応えるかのように、その機械の顎から鳴き声をもらした。それは大破寸前のメカの起こしたエラーが偶然に重なっただけかもしれないが、もしかしたら……。

 メカゴモラのボディは体中の装甲がはがれ、ショートする火花や煙が関節部から立ち上る満身創痍状態だ。だが、EXゴモラもダメージが蓄積し、状況はほぼ互角。ケリをつけるには今しかない。

 対峙するEXゴモラとメカゴモラ。そのわずかな沈黙のうちに、竜騎士隊や、王宮からはアンリエッタ女王も傷つき果てかけた二体の巨獣を見つめていた。

「これが間違いなく最後の戦いになる……」

 二頭は互いに引き合うように同時に動き出した。その光景は、かつてのアボラスとバニラの激突を思い起こさせ、誰もが死闘の予感に息を呑んだ。

 そして、ついに決戦の幕は切って落とされた。鋼鉄の咆哮と野生の咆哮の共鳴が最終ラウンドのゴングとなり、二大怪獣が激突する。

「ああああああーっ!」

 恐怖に打ち勝つためにも、叫ぶ。ルイズの小悪魔然とした声が響き、それを押し潰すほどの轟音が轟いた。

 再びがっぷりよっつに組み合うメカゴモラとEXゴモラ。だがメカゴモラは衝突の衝撃だけで破片が飛び散り、さらに激しいショートが舞う。

 それでも二体は止まらない。EXゴモラも追い詰められてキレているとみえ、鋼鉄のメカゴモラのボディに噛みついて、装甲ごとメカを食いちぎっていく。

「ルイズ!」

「わかってるわ。ドリルアタック!」

 ルイズの叫びとともに、メカゴモラの右手首のマニピュレーターが高速回転し、まるでドリルのような勢いでEXゴモラの傷口に突き立てられた。

 皮膚がえぐられ血飛沫が飛ぶ。この攻撃にはEXゴモラも悲鳴をあげ、あまりのえげつなさに仕掛けたルイズも顔をしかめたほどだ。

 だが効いている。EXゴモラがいくら頑強とは言っても、それは万全であればこその話。それに、えげつなかろうがなんだろうが、敵の弱点を突くのが戦いの鉄則だ。

 たまらず距離を取ろうとするEXゴモラ。しかしルイズは間髪いれずにキュルケに叫んだ。

「今よ! あそこを狙って」

「わかったわ!」

 キュルケも武門の貴族の出身。戦うからには容赦はしない。

 メカゴモラの胸からの破壊光線がEXゴモラの胸の傷口をさらに穿ち、だめ押しに口からの光線も叩き込まれる。

“いける!”

 一瞬、その考えが皆の頭をよぎった。しかしEXゴモラの戦意はまだ消えてはおらず、光線でできた死角からのテールスピアーがメカゴモラの左肩に突き刺さる。

「左腕が吹っ飛んだわ!」

「かまわないっ!」

 ベアトリスの叫びにもルイズは動じず、体勢を立て直そうともがかせた。が、EXゴモラはメカゴモラをテールスピアーの先端に突き立てて、そのままメカゴモラの巨体を投げ飛ばしたのである。

「きゃああぁーっ!」

 コクピット内に無数の火花が飛び散る。警報音が鳴り響き、さらにレッドランプが増え、ルイズたちも衝撃で全身が痛んだ。

 それでもまだメカゴモラは立ち上がろうとするが、EXゴモラは今度こそとどめを刺そうと、EX超振動波のエネルギーを溜め出した。

「ルイズ、避けて!」

「わかってる。っ!? だめよ!」

 敵の必殺攻撃が迫っているというのに回避しようとしないルイズ。その様にキュルケやモンモランシーは、早く動いてと急かしたが、ルイズは必死な声で拒絶した。

「射線を見て。こっちが避けたら後ろの王宮が直撃を受けるわ!」

「ええっ!?」

 確かに、メカゴモラの背後にはトリステイン王宮がそびえ立っている。元々メカゴモラにはもうまともに動くだけの力も残ってはいないが、もし少しでも弾道が流れたら王宮は木っ端微塵となってしまうに違いない。もちろん、そこにいる女王陛下も。

「動けない……ここだけは避けるわけにはいかないわ」

「ええっ! な、なに言ってるんですか先輩!」

 ベアトリスが絶叫する。しかし、ルイズは自身も全身をこわばらせながらも毅然と答えた。

「覚えておきなさい。トリステイン貴族たる者なら、どんなときであろうと王家を守護する使命を忘れてはいけないのよ!」

 それは誰にどんなに影響を受けようとも揺るぎはしないルイズの信念だった。

 メカゴモラは王宮を守るように仁王立ちになり、残った右腕を広げて、真っ向からEX超振動波をうけとめたのだ。

「うあああああーっ!」

 瞬間、コクピットを激震が襲い、モニターが真っ赤に塗りつぶされた。超振動波が直撃し、壁一枚隔てた先は地獄となり、ルイズたちの心は恐怖すらも通り越している。

 まるで激流を受け止めるダム。しかしそのダムは大きくヒビが入り、いまにも決壊しそうだ。

「もう、これまでなの……」

 終わり、かと思われた。だがそのとき、超振動波が弱まり、視界が開けた。

 なにが……? 見ると、EXゴモラも息切れを起こしていた。奴も蓄積したダメージがもはや限界に達しているのだ。

「ルイズ、今なら!」

 キュルケが叫ぶ。しかしルイズもそれに応えようとするが、もうメカゴモラは動けるだけでも奇跡的な有様で、装甲の大半は欠損し、スピードもガタ落ちしている。

“動け! 動いて!”

 だが、EXゴモラは息をついたことで、再びEX超振動波の体勢に入ってきた。あれを食らえば今度こそ確実にバラバラにされる。

 もう駄目なの? ルイズたちが発射寸前のEXゴモラの姿を睨んで諦めかけたとき、突然EXゴモラの頭で爆発が起こった。

「なんなの?」

 何が起こったのかわからなかった。自分たちはなにもしていない。しかし、EXゴモラは頭で起きた爆発に驚いて体勢を崩している。

 再びEXゴモラの頭で爆発が起きた。そしてルイズたちは、EXゴモラの頭上を乱舞する数十騎の竜騎士たちの雄姿を見たのである。

「隊長、本当によいのですか?」

「構わん」

 竜騎士の一人が戸惑いながら質問した。戦闘に参加するのはよい、しかしこれは。だが彼は決意した声で全軍へと通達した。

「火力を怪獣の頭部に集中し、あのゴーレムを援護せよ!」

 竜騎士隊の放つ攻撃魔法がEXゴモラの頭部へと次々に襲いかかり、爆発が巻き起こる。それはEXゴモラにダメージを与えるほどの効果は無かったが、意識を反らすには十分な効果を発揮した。

 彼は思う。

「貴君のおかげで、我が幼き民と女王陛下が救われた。その借りは返させてもらう」

 そして、彼らの援護によって、メカゴモラに本当の最後のチャンスが訪れた。

「ルイズ!」

「やあああぁーっ!」

 もう策も何もない肉弾特攻だ。メカゴモラは全身から部品を撒き散らしながらEXゴモラに突撃し、残った右腕を振るって遮二無二EXゴモラを攻め立てていく。

 兜のような頭部同士がぶつかり、互いの角が吹っ飛んでいく。

 メカゴモラの胸からのビームがゼロ距離発射でヒットした瞬間、EXゴモラの爪が発射口を破壊した。

 互いが驚異的なタフさを発揮して譲らない。しかしEXゴモラのテールスピアーがメカゴモラの右腕を串刺しにし、メカゴモラは動きを封じられてしまった。

「キュルケ!」

「もうどうなっても知らないわよ!」

 ルイズの意図を察したキュルケは、やけくそ気味にスイッチを押した。メカゴモラの口から熱線が放たれて、なんと串刺しにされたメカゴモラの右腕を根本から焼き切る。そして千切れた右腕は内蔵されたミサイルに誘爆し、EXゴモラのテールスピアーを道連れにして吹き飛んだ。

「ははっ、これでもう使える武器はなにもないわ。さあ、どうするのルイズ?」

 キュルケがお手上げだと、操作パネルから手を離して言った。今の熱線でエネルギーは尽きたし、使える武装はすべて壊れた。もうキュルケにできることは何も残っていない。

 いや、キュルケだけではない。もうメカゴモラの全身はズタズタで、ティアとティラのダメージコントロールでカバーできるレベルを超えている。モンモランシーの席もベアトリスの席もほとんどの操作ができなくなっており、唯一ルイズの席での操縦が残っているだけの状態だ。

 自然と、ルイズに全員の視線が集まる。

「やるわ。あいつと戦って倒す。最初に決めたはずよ」

 決意に満ちた言葉がルイズから返り、キュルケやモンモランシーは「勝手にしなさい」と苦笑した。

 まったく強情極まりない。人は成長することで変わるというが、その人間が”そいつ”であるという芯だけはどんなに生きても揺らがないらしい。

 しかしもはや両腕を失い、すべての武装を失い、エネルギーさえろくに残っていないメカゴモラにいったい何ができるというのか? 五人の視線の集まる前で、ルイズはじっと操縦桿をいつもの杖と同じように握っているだけである。

 対して、EXゴモラはテールスピアーこそ失ったものの、まだ健在な状態で立っている。しかし、EX超振動波を放つほどの力まではすでに無く、その体を憎悪で燃え滾らせて放つ超振動波の赤い輝きは行き場を失って二体の周囲を燃え上がらせていった。

 火炎地獄の中に立つ二体の死にかけの巨獣。竜騎士隊ももはや近寄ることはできずに、遠巻きにしながら見守るしかない。

 竜騎士の一人がこうつぶやいた。

「まるで、火竜山脈で二頭の巨竜が決闘をしているかのようだ……」

 どんなに傷を負い、血みどろになろうとも、どちらかの死を持って以外に決して終わることのない竜の決闘。噴火口の上で戦い抜き、敗者はマグマに落ちて骨も残さず燃え尽きるという火竜の決闘の光景を彼は垣間見た。

 しかし、片方の巨竜は角も牙も腕さえも失い、ただ立って死を待つ以外になにがあるというのか? EXゴモラは今度こそとどめを刺そうと、メカゴモラの首を狙って爪を振り上げた。

 火あぶりの中での斬首。敗死の運命がメカゴモラに迫る……だが、そのときだった。

「負けない……わたしはこんなところで絶対負けてなんかやらない!」

 ルイズの目に地獄の業火よりも赤い火が点る。その視線は、今まさに自分たちの命を刈り取ろうとモニターいっぱいになりながら迫ってくるEXゴモラの爪に向けられ、しかし一点の恐怖すらも浮かんでいない。

 そして、その瞬間……奇跡が起きた。

「見ろ! 炎が!」

 戦いを見守っていた全ての者がそれを見た。メカゴモラとEXゴモラを取り囲んでいた火炎が、まるで生き物のように渦を巻いてメカゴモラへと集まっていく。

 それは奇跡か、あるいはルイズのまだ見ぬ秘めた虚無の力が発動したのか。しかし、ルイズの闘志に呼応するかのように炎はメカゴモラへと収束していき、炎の鎧となってEXゴモラの爪をはじき返した。

 驚愕するEXゴモラ。そしてルイズは、すべてを終わらせるべく渾身の力を込めて叫んだ。

「わたしは勝つ。勝って、勝ってサイトのところへ帰るんだからぁーっ!」

 ルイズと共にメカゴモラも吠え、それと同時に炎がメカゴモラの失われた右腕にさらに収束して形となっていく。そう、炎でできた腕へと!

「わたしの帰る邪魔をするんじゃないわよぉーっ!」

 炎の腕を振りかぶり、メカゴモラが突進する。

 これが正真正銘最後の一撃! 灼熱の業火で形作られたメカゴモラの腕が、驚愕するEXゴモラの胴をぶち抜き、そして貫通した。

 こだまするEXゴモラの断末魔。それを最後に、解放されたエネルギーが大爆発を起こし、すべては白に染められた。

「……!」

 コクピットのモニターもホワイトアウトし、続いて襲ってきた激震でルイズたちはそこで意識を喪失した。

 EXゴモラ、メカゴモラ共に、赤を超えた白の炎の中に消えていき、周囲数百メイルに及ぶ大爆発がトリスタニアを揺るがす。後に巨大なクレーターだけを残し、二体の巨獣は完全にこの世から消滅したのだった。

 

 

 そして、その戦いの終結の振動は、深く地下で戦いを続けている二人の宇宙人にも伝わっていた。

「おや? 上のほうでは決着がついたようですねえ」

「そのようですわね」

 剣と銃での激突を経て、両者の決着はまだついていなかった。だが、元工場の壁や天井は弾痕や斬撃で破壊し尽くされ、この場所での戦いも、凄まじい激闘であったことを彷彿させた。

 メカゴモラとEXゴモラの最期を知って、いったん矛をおさめる二人。しかし、互いの目にはまだ鋭い殺気を宿したままで、コウモリ姿の宇宙人がまずせせら笑った。

「おやおや、あなたの自慢のロボット怪獣は壊れてしまいましたね。私の怪獣も道連れになってしまいましたが、元々使い捨てで甦らせたわけなので差し引きは十分です。悔しいですかあ?」

「いいえ、私の子は十分に役割を果たしてくれました。産みの親として、むしろ誇らしいですわ」

 相手は微笑みながら答えた。その眼には、変わらず慈しみに似た温かい光が浮かんでいる。しかし殺気は少しも収まってはおらず、その気味の悪さに彼は問いかけた。

「あなた、本当に何がしたいんですか? この街では様々な次元の地球の衣装をばらまくとか、ウルトラマンどもを挑発でもしてるんですか?」

「あれは私のただの趣味です。レディがファッションを広めようと思って悪いですか?」

「ああそうですか」

 まったく話が合わない。この強大な力にふさわしくなく、やることの目的がはっきりせず、まるで遊んでいるようにさえ見える。

 が、そんな食えない態度とは裏腹に、邪魔をしてきた相手への殺意は本物だ。この相手がまだ何かを隠しているという疑念はさらに強くなった。

「ですが私を甘く見ては困りますよ。あなたがこの世界のあちこちに兵器工場を建設しているのは調べがついているのです。本当はこの星の侵略を狙っているのではありませんか?」

「まあ怖い。私はそんな、野蛮なことはいたしませんわ。言ったはずですわ。私はただ、このハルケギニアの人たちが幸せになってくれることだけを願っているだけです。そのためにも、あなたのような人には消えていただきますよ」

 相手は再び殺気を高め、二丁の巨大な銃を持ち上げてきた。コウモリ姿の宇宙人も再び迎撃体勢をとるが、そのとたんに相手の銃が二丁ともガチリと鈍い音を立てて真っ二つに折れてしまったのだ。

「あら? あらあら。やっぱり試作品ではこんなものかしらね」

 相手はため息をつくと、無造作に壊れた銃を投げ捨てた。しかし、コウモリ姿の宇宙人は、相手が素手になったというのに手に持った剣で斬りかかる気にはならなかった。

 なぜなら、相手の放つ殺気は銃を持っているときから衰えていないどころか、むしろ勝っている。ほかに武器を持っている様子もなく、か細い体や腕などは少し殴りかかるだけで簡単に折れそうに見えるが、自分に憑依させているエンマーゴの魂も警告を発してきている。ここで進めば、地獄に落ちることになるのは自分のほうだと。

「あら? 私の首を取りに来られないのですか?」

「……フッ、どうやらこのあたりが潮時のようですね。あなたに飛び道具が無くなったことですし、今日は失礼させていただきますよ」

「まあ、自分からダンスに誘っておいて最低なお方。もう二度と誘わないでいただきたいですわね」

「そうはいきませんよ。あなたに好きにされるとこちらの邪魔になりますからね。それに、今回のことであなたという人が少しはわかりました。やはり、あなたは伝説のあの方で間違いなさそうだ。その殺気なら、あの星を壊滅させたという伝説もうなづけます。そんな殺気を持っているくせに、いい加減にこの星の人のためなんて戯言じゃなくて、本当の狙いを教えていただけませんか?」

 しかし、相手は困ったように首をかしげてつぶやいた。

「はぁ、物分かりの悪い方は困りますわね。私は嘘は嫌いですのよ。仕方ありませんので今回は見逃してさしあげますが、これだけは覚えておいてください。もし、また私の大切な人に手出しをするようなことがあれば……」

 そのとき、コウモリ姿の宇宙人は、燃え盛る工場の炎に囲まれているというのに、まるで極寒の雪原に放り出されたような寒気を覚えた。

「あなたには、その首で私の部屋のインテリアになっていただきますわ」

 どこまでも明るく朗らかな笑みで、この上なく残忍な言葉を吐くこの相手。そして、この寒気を幻覚ではなく現実とさえ感じる殺気を身に受けて、彼ははっきりと背筋の震えを覚えた。

「……仕方ありませんね。私もまだ命が惜しいですから。しかし、あなたの存在にはいずれウルトラマンたちも気づくことでしょう。そのとき、どうするつもりですか?」

「そのときは、私の理想をお話してきちんと相談いたしますわ。わたしの理想は、あなたのような野蛮な方とは違ってウルトラマンさんたちにとても近いんですの」

「理解できませんね……では、失礼いたしますよ」

 これ以上の会話は埒が明かないどころか命にかかわると、コウモリ姿の宇宙人は撤退していった。

 そして、燃え盛って崩壊していく兵器工場の炎の中に、もう一人のそいつも笑い声を残していつしか消えていった。

 

 トリスタニアの人々は、この日に繰り広げられた二体の巨獣の激闘が、二人の宇宙人の小競り合いであったことを知らない。しかし、宇宙人同士の争いには一応の蹴りがつき、トリスタニアは平和を取り戻した。

 メカゴモラとEXゴモラの戦った後は焦げたクレーターが残り、今ごろ王宮では復旧予算のために大臣たちが頭を痛めていることだろう。

 しかし、そのクレーターの一角に、黒焦げになりながらもしっかりと原型を保っている一個の脱出カプセルが転がっていた。カプセルのドアはすでに開けられ、周辺には大勢の人間が行き来した形跡が残されている。

 そして、日も落ちてしばらくした頃、トリスタニアの大病院の一室にルイズたちの姿はあった。

「う、うぅん……」

 病室のベッドの上でルイズは目を覚ました。ぼんやりした視界が次第にはっきりしてくると、そこには自分を心配そうに見下ろしてきている、よく知った少年の顔があった。

「ルイズ……大丈夫か?」

「サイト……? いったいどうしたの?」

「どうしたのじゃねえよ! お前がトリスタニアで怪獣と戦って病院に運び込まれたって知らせがあって、慌てて飛んできたんだぜ。医者の先生は問題ないって言ってたけど、体はもういいのか?」

 ルイズは体を起こして確かめた。どうやら痛むところなどはないようだ。しかしそれより、目の前の才人のこの情けない顔はなんだろうか。

「ほ、本当に心配したんだぜ。魔法使いのお前がロボットを使って戦うなんてなんて無茶するんだよ。あのばかでっかいクレーターを見たときは背筋が凍ったぜ。ほんと、ほんとによ」

 相当不安だったんだろう。才人がこんなにみっともない顔をしているのは見たことがない。おかしくなったルイズは、ぎゅっと才人の鼻をつまんでやった。

「バカ、このわたしがそう簡単に死ぬわけないでしょ。えいっ」

「いててて! や、やめろってルイズ」

「やめないわ。主人の前でだらしない顔を見せる使い魔にはおしおきよ。えいえいっ」

 笑いながらルイズは才人の鼻をつまみ続けた。

 それに、周りのベッドを見回すと、モンモランシーのもとにはギーシュがやってきていて号泣しているし、ベアトリスの周りにはエーコたちが来ていて、もう元気になっていたティアたちから百倍に誇張した武勇伝を聞かされていた。

 また、キュルケはティファニアと談笑していた。コスモスがやられてティファニアの身を心配していたが、どうやら大事にはいたらずに済んだようでホッとした。二人はのんびりと話を続けていたが、こちらが視線を向けると「よかったわね」と言う風にウインクをしてきた。

 そしてルイズは思った。せっかく買った服はなくなってしまったけど、それでよかった。なぜなら、自分たちには本当に危なくなった時には誰よりも心配してくれる人がこうしていてくれる。才人やギーシュの様子を見れば、どんなに鈍くたってどれだけ思ってくれているか丸わかりだ。それをこうして確かめられたのだから、もうなんの未練もなかった。

「ほんとにあんたは肝心な時にいないんだから。ご主人様を苦労させた罪は重いわよぉ、このこのっ」

「いででで! 来るなって言ったのはルイズだろ! なんでおればっかり!」

「いいのよ、元はと言えばサイトのせいなんだから。もっとつねらせない、このこのっ!」

 こんなルイズと才人の様子を見て、ベアトリスやモンモランシーたちも笑っている。病室に明るい笑い声がこだまし、それは医者に怒鳴られるまで続いた。

「もう、サイトのせいで怒られちゃったじゃない」

「いや、誰が見たってルイズのせいだろ」

「わたしがサイトのせいって言ったらサイトのせいなのよ。あら……?」

 頭をかいたとき、ルイズは髪の中に硬い何かが紛れ込んでいるのに気づいた。取り出して見ると、それは小さなネジで、それを見るとルイズは微笑みながらそっとつぶやいた。

「……ありがとう、メカゴモラ」

 今回、メカゴモラがいなければ自分たちはどうなっていたかわからない。コスモスを攻撃したことから全面的に感謝することはできないが、今思えば物の記憶を読み取る虚無の力が自然に発動したのか、操縦桿を握ったときにメカゴモラを作った誰かが、自分たちを絶対に守ろうとしてくれていた意志を感じ取れた。

 いや、もっとじっくり思い出してみれば、自分たちはというよりも……。

「モンモランシー、あなたメカゴモラに乗っていたとき、なんていうかその……懐かしさみたいなものを感じなかった?」

「えっ? 確かに……よく知っている誰かが近くにいるみたいな感じはしてたけど。でも、わたしの知り合いにあんなすごいものを用意できる人はいないわよ」

「そうよね。わたしの思い違いかしらね」

 だといいのだと、ルイズは思った。どこかに、自分たちのことを見ているものがいるのだろうか? 侵略者につけ狙われるなら望むところだが、自分たちを助けようとするのはわからない。

 しかし、今回に限っては一応は味方で、命の恩人には違いない。コスモスの件は言いたいことがあるが、もし顔を合わせることがあれば礼を言わなければなるまい。

 と、そのとき病室に清潔な衣服を着た男が入ってきた。

「失礼します。こちら、トリステイン魔法学院の生徒の方々のお部屋で間違いありませんか?」

「はい、そうですが?」

 モンモランシーが返事をすると、男は分厚い封筒を取り出して言った。

「初めまして、私はドロシー・オア・オール・トリスタニア支店の店長です。我らの店の総元締めから皆さんにお届けものがあってまいりました。我らの店とトリスタニアを守ってくれた皆さんを、今度トリステイン王宮でおこなわれる仮装舞踏会にご招待させていただきたいのです」

「えっ?」

 ルイズたち貴族全員の目が丸くなった。それはそうだろう、王宮での舞踏会となれば当然選ばれた貴族と一部の貴賓しか出席を許されない、ルイズやベアトリスから見てさえ雲の上の舞台だ。

 それへの招待? 目が覚めたばっかりなのに夢でも見ているのか? しかし、「お忙しいなら辞退されますか?」と聞かれると、キュルケを除く貴族の全員が即決で答えた。

「出ます! 出させてください!」

「わかりました。では、招待状をこちらに置いていきますね。日時は一週間後で、王宮で総元締めがお待ちしております。それでは」

 置いていかれた封筒にルイズやモンモランシーは飛びついた。中には人数分以上の招待状が収められており、トリステイン王家の花押も押されている。間違いなく本物だ。

 舞い上がるルイズたち。こうして、ルイズたちは王宮の仮装舞踏会への出場を決めた。そこで何が待っているのか、まだ誰も知らない。

 

 

 一方で、この世界の闇でなにかが起きていることを気づき始めている人間たちもいる。

 トリステインから遠く離れたゲルマニア。そこで、二人の人間が秘密に迫りつつあった。

「ちっ、やはりこの屋敷は普通じゃないな。まさかトルミーラの件にこんなところで行きつくとは思わなかった。ところでお前、やっぱりどこかで会ったことがあったか?」

「気のせい。それより、お出迎えがまだ来る。あなたの言う通り、この館の主はただの人間ではないらしい。一気に突っ切るけど、助けている暇はないからそう思って」

 不気味な館の中を、二人の魔法騎士が突き進んでいく。その行く手を異形の怪物が遮り、ふたりの剣と杖が閃く。

 なにがこの先に待っているのだろうか? ただひとつわかっていることは……戦いはまだ、終わってはいない。

 

 

 続く



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第83話  宝玉の光と影

 第83話

 宝玉の光と影

 

 誘拐怪人 ケムール人 登場!

 

 

 トリステインの東に、帝政ゲルマニアという国がある。

 ここはキュルケの母国であり、ハルケギニアの国の中でもガリアに次ぐ国力を持つ強大な国家である。

 しかし、その内情は無数の都市国家群の集まりであるため統一感に欠け、特に皇帝一族に始祖の血統がないために、ブリミル教の影響力が強いハルケギニアでは統治者としての求心力が乏しい。

 そのため、必然的に国内は実力至上の群雄割拠となり、その中で敗者となって泣いている弱者の姿も多い。

 ただ、ゲルマニアはガリアやアルビオンなどとは違い、これまでのヤプールをはじめとする侵略者たちからの目標の外にあり、怪獣の出現こそ続いているものの、大きな事件からは免れられていた。

 だが、本当にゲルマニアだけが例外とされているのだろうか? いや、見えないところで、すでに大きな異変は進んでいたのだ。

 

 とある大きな屋敷の絢爛な回廊。しかしそこは今や壁も天井も凍り付いた極寒の地獄となり、二人のメイジがそこを全力で走っていた。

「すごいな、お前の氷の魔法の威力は。ハルケギニアをまとめてさらっても、お前ほどの使い手はそうそういないぞ。噂には聞いたことのあるガリア王国花壇騎士の名は伊達じゃないようだな」

「あなたこそ、さすがは名にしおうトリステインの銃士隊。しかも、魔法と剣技の併用とはたいしたもの」

 ひとりは深い青髪の魔法剣士、ミシェル。もうひとりは澄んだ青髪の小柄なメイジ、タバサ。立場もなにもかも違う二人が、今は共闘して同じ道を駆けている。

 しかし、彼女たちの前に異形の影がいくつも立ちふさがってくる。見た目はヒョロヒョロとして頼りないが、その手にはハルケギニアにはあり得ない武器の数々を持っていて、二人は速攻でこれを叩いた。

『ブレッド!』

『ウィンディ・アイシクル』

 床から作り出した石の弾丸と、空気中の水分から作り出した氷の矢が邪魔をする敵を武器を使う前に打ちのめす。

 だが二人は倒した敵に一瞥もせずに、回廊の奥へ奥へと進んでいく。

「こいつらきりがないな。いったい何百体いるというんだ?」

「だからこそ、この先には絶対に通したくないということの表れでもある。公爵の部屋……すべての謎を解く鍵は、きっとそこにある」

 二人は一心不乱に凍り付いた回廊を駆けていく。ただ、ミシェルの表情には、戦いの緊張感の他にも、ある不安の色が覗いている。今、トリステインを中心に度々起きている不可解な事件の影には、何者かが糸を引いている形跡が見え隠れしている。しかし、その正体について彼女はここに来るまでにひとつの確信に近い予想を得ていた。

 まさか……だが、そうだとすれば。それを確かめるためにミシェルは急ぐ。

 そう、この屋敷とこの地方、そしてこの場所に関わるある人物。それらの情報の真偽を確かめて持ち帰る。そうでなければ、トリステインにかつてない危機が訪れるかもしれない。

 しかし、そうあって欲しくないという気持ちのほうが強い。あれほどの人物が……。ミシェルは、このルビティア領で体験したことを思い出し始めた。

 

 

 それは、一昨日のこと。ミシェルはトリステインを離れて、この地へやってきた。

 大国ゲルマニア。ミシェルも一人で足を踏み入れるのは初めてであり、途中通り過ぎる町並みの規模や繁栄には、小国トリステインから来た者として何度も感心を覚えるものがあった。

 しかし、それらの町々の繁栄も、目的地である地方の平和と豊かさに比べれば田舎町と言ってよかった。

 

 ゲルマニアの中でもトリステインにやや近い、緩やかな山岳地帯にその地方は存在する。

 小高い山の上に領主の屋敷があり、ふもとには町並みが広がって賑わっている。行き交う人々の顔はどれも明るく、清潔に整えられた街路には色とりどりの花も植えられていた。

 そんな町並みの中を、ミシェルは旅人姿で一人歩いていた。しかし、その眼光は鋭く、周囲を注意深く見渡している。

「噂以上に繁栄しているな。これだけ活気に溢れているところはトリステインやアルビオンにもそうはないぞ……ここがルビティア領か」

 通り過ぎる人たちの幸せに満ちた顔並みを見て、コートの中に銃士隊の長剣を隠しながら彼女はつぶやいた。

 むろん、彼女は観光やお使いでこんなところへ来たわけではない。

 以前、エレキングを倒すのに貢献したウルトラレーザーの出所。それを探るうちに、売りさばいている件の行商人が拠点にしているのが、このルビティア領である可能性が高いという調査結果が出て、直接探りを入れるために彼女はやってきたのだ。

「だが、調べを入れるだけならわたしが出張ることまではないんだが。サイトのたっての頼みとはいえ、わたしも甘いな」

 ミシェルは苦笑した。いまだに才人への思いを引きづっている自分にも呆れたものだ。才人に喜んでもらいたいと思うと、つい力が入り過ぎてしまう。

 ただ、それはそれとしてミシェルは仕事に手を抜くつもりはなかった。あのエレキングに大ダメージを与えたウルトラレーザーの出どころはミシェル自身も気にはなっていた。あんなものをこれ以上気楽にばらまかれたらたまったものではない。

 しかし、調査を進めるうちにこのルビティアの名前が挙がってきた時は驚いた。なぜならここは……。

 いや、まずはこのルビティア領のことを詳しく知らなくては始まらない。ルビティアのことはトリステインでできるだけ調べてはきたが、やはり実際に見て回るのとは違うと、ミシェルは銃士隊のノウハウを活かして聞き込みを開始した。

「すみません、旅の者なのですが、このあたりのことを教えていただけないでしょうか?」

「おや、ルビティアは初めてなのですね。いいですよ、このルビティア領はとてもよい所です。あなたもきっと気に入られることでしょう」

「ええ、とてもきれいなところで驚きました。この地方の人たちはとても働き者なのですね」

「はい、ルビティアの者たちはとても楽しんで毎日を働いております。こちらの領主さまはとてもよくできたお方で、この地の民は皆あの方を尊敬しているのです」

 通りすがりの老人はミシェルの話に快く応じてくれた。そして彼から様々なことを聞いたところ、この地方がうまくいっている最大の要因は、領主の采配がとても巧みであるということだった。

 しかし、それを聞いたミシェルは内心で複雑な思いを抱いていた。ルビティア領の領主とは、すなわち、あの……。

「このルビティアは昔からルビーの採掘で栄えてまいりましたが、以前の領主様たちは財を独り占めして、町には貧しい者が溢れていました。ですが、今の領主様と、その娘様は、我々のような下々の者にも気配りしてくださる大変お優しいお方なので、我々は皆、あのお方を敬愛しているのです」

「その娘様とは、あの噂に名高い……」

「はい、ルビアナ様でございます」

 老人は心から誇らしそうに語った。そう、ルビティアはあのルビアナの出身国になる。

 ミシェルはその後、いくつかの質問をした後に、老人に丁重に礼を言って別れた。そして、やはり噂は本当だったかと、ミシェルは丘の上に立つ領主の館を見上げて思った。

「トリステインで本人を見た時も思ったが、稀代の天才にして名君の器だという評判のとおりだな……」

 ミシェル自身はルビアナとの直接の交流は少なく、近くで見ていただけではあるが、それでも彼女が非凡な能力者であることは容易にわかった。気品や礼節、人当たりの良さに明晰な頭脳など、単純な才覚ではアンリエッタ女王もはるかにしのぐかもしれない。

 そう……わかっていたつもりだったが、こうして現地での繁栄や評判を見聞きしてみると、改めて実感できた。ただ、素直に感心できないでいるのは、ミシェルにはルビアナに対して、ひとつ引っかかっていることがあるからだ。

「慈悲深い稀代の天才……か。まあいい、ともかく調べを進めてから考えるか」

 ぽつりとつぶやくと、ミシェルは調査を続行した。あくまで怪しまれない程度に、普通の旅人を演じて聞き込みを続けていく。街の人たちは皆親切で、困っている旅人を演じているミシェルの呼びかけに気前よく答えてくれた。

 いや、むしろ誰もが親切すぎるほどで、それに対してミシェルは、民の心に大きな余裕があると感じた。単に豊かなだけではない。毎日の生活や、明日への不安が少ないからこそで、治世が隅々にまで行きわたっている証拠だった。

 聞き込みは簡単すぎるほどに進み、ある程度の情報を集めると、彼女は街の商工会議所にやってきた。

「すみません、トリステインからやってきた者なのですが、こちらへの登録をお願いしたいのですが」

 この時には、ミシェルは旅人姿から商人風の衣装へと着替えていた。もちろん、商人に成りすまして物流の流れを掴むためで、身分証も偽名は使っているがトリステイン発行の本物である。

 ここで、ウルトラレーザーなどの武器を取り扱っている人間の情報を仕入れて、後はそれを辿って大本を探り当てる。諜報を得意とする銃士隊にとっては基本的な作戦だった。

 だが、町民はともかく、さすがに商人たちともなると一筋縄ではいかなかった。

「あなたがルビティアの商人ギルドの元締めでいらっしゃるサン・マルノーセ様ですね。わたしはトリステインのド・モンゴメリー商店からやってまいりましたミリーと申します。我が主がこちらの噂を聞き、ぜひお近づきになりたいという使者として参りました」

「おお、それは遠路はるばるご苦労なことでした。ですが、あいにく我がギルドはハルケギニアのあちこちからの取引の依頼がごった返しておりまして。申し訳ありませんが、先に予約されている方々とのお話が終わるまでお待ちいただきたく願います」

 あいさつまでは行ったが、やんわりと懐に入ることは断られてしまった。ならばと、ほかの商人たちにも当たってみたが、取引相手ではない者に話すことはないと一様に口を閉ざした。

 しかし、何人かの外国から来ている商人からは話を聞くことができた。

「ルビティアの人はみんな親切だけど、商人たちは厳格ですよ。ま、それだけ厳しいからこそ、これだけこの地は儲かってるんでしょうけど」

「でも、取引にまで持っていけたら純度の高いルビーを下してもらえますよ。え、それ以外のもの? そうですねえ、ギルド子飼いの連中が妙な荷物を運んでいたのを見たことがありますが、それ以上は」

 やはり、何かがあるのは確かなようだ。ほかの商人たちはルビーに目がくらんでどうでもいいようだが、ルビーをおいてもよそ者に触れさせたくない商品とは、実に怪しい。

 が、真相に迫る前にこちらも怪しまれたら危ない。ミシェルは、まだ怪しまれてないうちに引き上げようと、商工会議所を後にした。

 時刻はすっかり午後を回り、太陽は西に沈み始めている。それでもミシェルは可能な限り情報を集めようと聞き込みに歩き回ったが、たいした情報は集められなかった。

「本当に平和そのものだな……住民は口を揃えて、領主さまのおかげと言うばかりだし。だがそれにしても本当に……平和すぎる」

 平和で豊かな街。しかしミシェルはなんとなく、居心地の悪いものを感じていた。

 むろん、平和は喜ばしいし、住民にも洗脳されているような気配は一切見えない。実際に治世がよく、豊かで幸福なのだろう。

 だが、あまりに平和すぎはしないか? ミシェルは、この街を警護する衛士隊の詰め所も覗いてみたが、そこでは衞士隊が暇をもて余していた。

「あーあ、やることないってのも苦痛ですねえ、衞士長」

 衞士の一人が事件の一つもないので、退屈しきった様子で呟いていた。すでに毎日の訓練も終えて、待機の間の武器の手入れも飽きてきて、マスケット銃を手の上で玩んでいる。

「銃で遊ぶとツキが落ちるぞ」

「遊んでるんじゃありませんよ。空気で磨いてるんです」

 こういうふうに、緊張感を失うほど事件らしい事件が起こっていないようだった。

 しかし、自らも治安維持の一翼を担う銃士隊の一員であるミシェルには、それが大きく不自然に見えた。いくら平和といっても、他の地方や外国から様々な人間が連日やってくるわけなのに、衛士隊がまったく暇なんてことはありえるはずがない。

 なにかある……自分の経験と勘がそう言っている。ミシェルはそう確信を持ったが、同時にその勘が外れていてほしいという思いもあった。

 なぜなら、ミシェルもルビアナの人柄には好印象を持っていたからだ。アンリエッタ女王陛下からも高い評価を受けているだけでなく、魔法学院の生徒たちや孤児院の子供たちともとても仲良くしていた好人物に裏があるとは思いたくなかった。

 だが、だからこそ、ということもあるのをミシェルは知っていた。そのいい例が、かつての自分だ。

「ともかく、今日はこのあたりが潮時だな」

 あまり長く聞き込みを続けたら怪しまれることになりかねない。ミシェルは、続きの調査は明日に回そうと、適当な宿を探すために街を散策した。

 けれど、さすがに賑わっている街だけあって、運悪く適当な部屋の空きのある宿が見つからない。

 そんな折、ある高い塀のある建物の前を通りがかったときのことである。ミシェルは、ボン、と、頭に何か柔らかいものが上から当たった感触がして立ち止まった。

「なんだ?」

 見ると、すぐそばに布でできた粗末なボールが落ちている。今のはこれが頭に当たった感触かと思うと、塀についている扉が開いて、そこからシワのよった老婆と数人の子供が出てきた。

「おお、これはまあまあすみませんでした。お怪我はありませんか?」

「いえ、このとおりなんともありません」

「わーい、ボールあったあった」

「これ! お姉さんに謝りなさい」

 老婆が叱ると、子供たちはしゅんとして「ごめんなさい」と頭を下げた。

 ミシェルは子供たちにボールを返すと、老婆に尋ねた。

「こちらは、学校ですか?」

「いいえ、しがない孤児院でございます。どうもうちの子供たちがご迷惑をおかけしました。おわびをしたいので、少しお寄りになっていってはいただけませんか?」

「いえ、別にたいしたことはありませんので、おわびなどとんでもありませんよ」

「これは失礼いたしました。ではせめて、少しだけ休憩してはいかれませんか? 東方由来のお茶というものもありますので」

 老婆に親切に勧められて、ミシェルは考えた。確かに歩き疲れているし、ここからも何かの話が聞けるかもしれない。

「わかりました。では少しだけ休ませていただきます」

「それはよかった。では、こちらへどうぞどうぞ」

 老婆に案内されて、ミシェルは孤児院の門をくぐった。そして少し驚いた。

 孤児院の中は意外ときれいで真新しく、数多くの子供たちが遊んだり勉強を教わっていた。

 その奥の、運動場に面したテラスで、ミシェルは簡単な茶と菓子をふるまわれた。

「申し遅れました。わたくし、この孤児院の院長をしておりますメリンダと申します。どうもすみません、騒々しいところで」

「かまいません、子供は思う様に体を動かさせてやるものです。ところで、見たところ百人ほどはいるようですが、彼らはみんな孤児なのですか?」

「ええ……このルビティアはルビーの採掘で栄えた土地ですが、採掘中の事故で親を亡くした子供たちが大勢おりました。かつては彼らは路地裏に放置され、物ごいをして命を繋いでおったのですが、領主様の娘様がこの孤児院を建ててくださり、ようやく人並みの暮らしができるようになったのでございます」

 老婆は、感極まったように涙をこぼしながら言った。その年齢や、子供たちに対する態度から察するに、恐らくずっと以前から孤児たちの面倒を見てきていたのだろう。しかし、個人の力ではどうにもできない現実に直面して苦悩していたところに手を差しのべてくれたのが……。

「ルビアナ嬢ですか」

「はい。ルビアナ様はここにいる子供たちみんなの命の恩人でございます」

 またルビアナか、とミシェルは思った。そういえば、トリステインの孤児院にもゲルマニアの誰かから資金援助があったと聞いたことがある。その誰かというのももしかしたら。

 老婆の感謝に満ちた笑顔を見ながら、ミシェルは思う。ここに来る前に街のあちこちでの評判もそうだったが、誰もがルビアナを褒め称えて感謝していた。彼女の治世者としての評価は百点満点と言ってよいだろう。

 その他の面でも、調べれば調べるほど美点しか見つからない人だ。しかし、そんな人間が本当に存在するのだろうか? どうしてもそう感じて仕方がない。

 けれど、孤児院の部屋の壁を見ると、子供たちが描いたルビアナの絵とおぼしきものがたくさん貼ってある。それを子供たちに尋ねると、彼らは皆うれしそうに言った。

「ルビアナおねえちゃんはね。ときどきここに来て遊んでくれるんだ。とっても優しくて、絵本を読んでくれたりもするんだよ」

「あたしはお勉強が苦手なんだけど、ルビアナさんが教えてくれるとすっごくよく分かるの。お勉強が楽しいってこと、ルビアナさんが教えてくれたんだ」

「ルビアナおねえちゃんはね。いろんなお話をいっぱい聞かせてくれるんだ。どんな難しいことだって知ってるし、みんなおねえちゃんが来るのを楽しみにしてるんだよ」

「わ、わたしが本のページで指を切っちゃったとき、ルビアナお姉さんが手当してくれました。あ、あんな優しくてきれいな人に、わ、わたしはなってみたいです」

 子供たちは口々にルビアナとの思い出や憧れを語った。その純粋な瞳を見ていると、疑っている自分がひどく汚れているような気にもなってくる。

 自分の考えすぎかな。と、ミシェルは思った。仕事がら、疑うことが第一に来すぎているのかもしれない。

 子供たちが、考え込んだ様子のミシェルに「お姉ちゃんも遊ぼ」と誘ってきた。そんな子供たちに老婆は、お客さまに失礼ですよと諭したが、考えが煮詰まっていたミシェルは快諾した。

「ようし、お姉ちゃんが遊んでやろう」

 ひとまず考えることを中断したミシェルは、新しい娯楽に飢えていたであろう子供たちの輪に入っていった。

 子供というものはとにかく新しいものには何でも目がないようで、わっと群がってくる。そして、なにをして遊ぼうかなと思った時である。ガラス張りになっている隣の部屋に、幼げな容貌だが、明らかに孤児たちとは雰囲気の違う少女が孤児たちに絵本を読んで聞かせているのを見つけたのだ。

「そして白いネコさんは言いました。ニャガニャガ、そこのイーヴァルディというお兄さん。そんな剣で私を切れるとお思いですか? ニャガニャガニャガ」

 慣れた様子で絵本を読み聞かせている青い髪の少女を見て、「ん……? あの少女、どこかで……」と、妙に引かれるものを感じたミシェルは、その少女に話しかけてみることにした。傍らに節くれだった大きな杖を置いた眼鏡の少女もこちらに気づき、視線を向けてくる。

「なに?」

「いや、君はここの子ではないと感じてな。わたしの勘違いならすまない」

 色合いは異なるが、同じ青い髪を持つ二人の女が視線を交差させる。すると、眼鏡の少女はぽつりと答えた。

「旅人」

「どうしてこの孤児院に?」

「通りすがりに頭にボールをぶつけられた」

「そちらもか……」

 ミシェルは苦笑した。どうやらここの子供たちは、たびたび塀を超えてボールを道に放り出してしまっているらしい。困った連中だ。

 だがそれはそれとして、こんな幼いなりをして旅人? と、ミシェルはいぶかしんだ。けれど、メイジの証である使い込まれた様子の杖や、つかみどころのない雰囲気に、この相手がただものではないことは察せられた。

「失礼した。わたしはミシェル、ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミランという。トリステインからやってきた。以後、よろしく」

「タバサ……ガリアから来た」

 そっけなく名乗った相手の名前に、ミシェルは、まるで犬猫につけるような妙な名前だといぶかしんだ。十中八九、偽名だろう。貴族が事情があって名前を偽ることは珍しいことではない。

 と、そんなことを考えていると、子供たちが「早く遊ぼうよ」と急かしてきた。

「ああ、ごめんな。じゃあ、外で遊ぼうか」

 タバサは絵本を読み聞かせているようだが、自分はどちらかといえば体を動かすほうが性に合っている。

 孤児院の運動場はこじんまりとしていたが、子供が遊ぶには十分な広さがあって、十数人がボール遊びに熱中していた。

 ミシェルもそれに参加し、キャッチボールやドッジボールのような遊びを子供たちと楽しんだ。久しぶりに、余計なことを考えず、ただ体を動かすだけの時間はよいリフレッシュになった。

 しかし、楽しい時間は唐突に奪われてしまった。子供たちが力いっぱい投げあげたボールが塀を越えて道に飛び出ていってしまったが、それが今度は面倒な連中に当たってしまったのだ。

「おらあ、なにを人にぶつけてくれてんだコラァ!」

 ドスのきいた声で、十数人のがらの悪い男たちが孤児院の中に乗り込んできた。

「こ、これは申し訳ありません。なにとぞお許しを」

「あんだあ? 人の頭にきったねえもんぶっつけといて、なめてんのかオラァ?」

 老婆や、ほかの教師たちが謝罪に行ったが、男たちはおさまらない。

 子供たちは怯えて、ミシェルは不快に目を細めながら男たちを見た。薄汚れた山賊のような風体から見て、この土地の者ではなく、よそから流れてきたならず者どものようだ。

 ミシェルは、他人の揉め事にはなるたけ関わらないつもりだった。しかし、ならず者どもはますます調子に乗っていき……。

「ああ? すみませんすみませんって、謝っただけでなんでも許されると思ってんのかあ?」

「申し訳ありません、申し訳ありません。なにとぞ、なにとぞご容赦を」

「わからねえババアだな。侘びを入れるってんなら、出すもんがあるだろ、ああ?」

「そ、そんな。うちはしがない孤児院でございます。お金なんて」

 とうとう金銭を要求しはじめた。そして、こちらが金を出せないとなると、奴らはついに暴れ始めたのだ。

「野郎共! こんなボロ小屋ぶっ潰して、金目のもんをかっさらえ!」

「お、おやめくだされーっ」

 ゲスな本性をむき出しにしたならず者どもは、孤児院の中を壊し始めた。子供たちを追い散らし、子供たちが作った絵や小物を容赦なく荒らしていく。

「おらおら、邪魔だガキども!」

「わーん、やめて、やめて!」

「助けて、怖いよお」

 逃げ惑う子供たち。そして、ならず者の一人が振り上げた足が、転んだ子供を踏みつけにしようとしたときである。

「がぶぅ!?」

 うめき声を漏らしたのはならず者のほうだった。その顔面にはミシェルの手が食い込んで、片腕だけで吊り上げている。

「おい、貴様ら。子供のやったことに、大の大人がぎゃあぎゃあと、恥ずかしいと思わんか?」

 ならず者どもよりはるかに威圧感のある声でミシェルが告げる。しかし、ミシェルは足下で踏みつけにされかけて震えていた子供に対しては、優しく穏やかに言った。

「危ないから離れていなさい」

 自分でも驚くほど優しく告げたミシェルは、子供が離れるのを見届けると、銃士隊員としての冷徹な目に戻って、吊り上げているならず者を見上げた。

「さて、できるならわたしが手を下したくはなかったが、お前たちはやり過ぎた。覚悟しろ」

「こ、このアマぁーっ!」

 ならず者は暴れてミシェルの手を振りほどこうとするが、ミシェルは容赦なく、ならず者の頭を掴んだままで後ろへ倒れこむようにして頭を地面に叩きつけた。

「貴様ごとき、腕一本で十分だ。食らえ!」

 高所から一気に頭を叩き落とす、ワンハンド・ブレーンバスターが炸裂し、ならず者は「がふぇ」と泡を吹いて失神した。

 これで一人片付いた。しかし、残ったならず者どもは仲間が倒されてしまったのを見ると、激昂して手に手に棒やナイフを持って向かってきた。

「ぶっ殺せ!」

 一度に襲いかかってくるならず者たちに、老婆や子供たちは「逃げて!」と絶叫するが、ミシェルは慌てもしていない。

 なぜなら、ならず者の動きくらいは銃士隊員として鍛え上げたミシェルから見れば止まっているようなものだ。

「遅い」

 あっさりと身をかわすと、ミシェルは一人の頭をわしづかみにし、アイアンクローで頭蓋骨を締め上げながら超特急で後頭部を床に叩き付けた。 

「げぼはっ」

 一瞬で白目を剥いて気絶するならず者。しかし、ミシェルの背を、ならず者が降り下ろした棒が襲う。

「お姉ちゃん危ない!」

 子供の一人が叫んだ。だが、ミシェルは背中に目がついているかのように軽々と棒を避けると、勢い余ったならず者の頭をまたも掴まえた。

「薪割りがしたいか? だが腰が入ってないな。手本を見せてやる」

「やっ、やめ!」

 だが、いまさら哀願しても無駄なこと。ミシェルは掴まえた男の頭を、立てた自分の膝に向かって叩きつけ、額を真っ二つに割って昏倒させた。

 崩れ落ちるならず者。そして、こうなると唖然とするのはならず者どもだけではない。

「お、お姉ちゃん、すごい……」

 子供たちは羨望の眼差しをミシェルに向けるようになっていた。怖い人たちを次々にやっつけてくれる。

 しかも、子供たちの中にミシェルを怖がる者はいない。それは、ミシェルが殺気を絞ってならず者どもにだけ恐ろしい姿を見せているからで、その様は研ぎ澄まされた一本の刀を思わせた。刃を向けた者に対しては恐怖を与えるが、他の面では美しい姿を見せるのみで、何物も傷つけることはない。かつての、触れるものを皆傷つける剣呑なナイフのようだった頃のミシェルとは明らかに違う。

「子守りとか手加減なんて、わたしの柄じゃないんだが……ふふ、サイトの甘さがとことん移ったな」

 しかし、ミシェルが強いことを知ったならず者どもは、まだ往生際悪くあきらめてはいなかった。ミシェル本人に歯が立たないことがわかったならず者のひとりが、棒立ちで戦いを見守っていた少女を人質にしようと、その首筋にナイフを突きつけながら脅迫してきたのだ。

「てめえ、それ以上抵抗しやがると、このガキがどうな、がふぅ!?」

 が、ならず者は脅迫文を言い切ることができなかった。一瞬で振られた大きな杖がハンマーのように男の頭を殴り飛ばしたのである。よりにもよってタバサを人質にしようとしたのが運の尽きであった。

「ゴミ掃除なら、手伝う」

「助かる。子供たちが遊ぶのに、こうも生ゴミが転がっていたのでは邪魔で仕方ないからな」

 それからの流れはまさに一方的なものだった。しょせん山賊くずれのならず者がいくら束になったところで、ミシェルとタバサにかなうわけがない。そんな二人を、子供たちは声を大にして応援しだした。

「がんばれー! お姉ちゃんたち」

「悪者なんかやっつけちゃえ」

 その声援に答えないミシェルとタバサではない。

 ミシェルは剣を使うまでもなく、体術だけでならず者を倒していく。特に、できるだけ子供たちに血を見せたくないと、さきほどのアイアンクローやココナッツクラッシュのような締め技や激突技を多用しているおかげで、下手に殴られるよりならず者たちには悲惨なことになっていた。

「お前がボスだな? さっきは金が欲しいと騒いでいたな。安心しろ、すぐに金なんか必要ないところに行かせてやる」

「ま、待て! 俺が悪かっ、うぎゃぁぁぁ!?」

 ならず者の首と足を掴んで、体を肩にかけるようにして一気に背骨を引き裂いた。悪党の悲鳴といっしょに背骨が鳴る小気味いい音がノックアウトを知らせ、ならず者のボスは泡を吹いて失神した。

 そして、残りの雑魚どももタバサに片付けられていた。こちらも、孤児院の中を魔法で荒らしてはいけないと、タバサは杖に『硬化』の魔法をかけて打撃で相手を黙らせていた。ナイフなど、ダイヤモンド並みの硬度になった杖の敵ではない。

「鉄はダイヤを砕けない」

 冷徹に言い捨てたタバサは、へし折れたナイフを持って絶望に染まっているならず者を、ダイヤとなった杖を振って容赦なく地に沈めていった。それはまるで時代劇の殺陣にも似て、華麗に舞うように杖を振るタバサに吸い込まれるようにして、ならず者たちが打ち倒されていく。

 やがて数分後、ならず者たちはことごとく叩きのめされて、うめき声をあげながら床に転がっていた。

「これで全部か?」

「数人外に逃げたよう。追う?」

「いいや、こういう連中は無駄に逃げ足だけは速いからな。それより、こいつらを縛り上げて衛兵に引き渡そう。あの腑抜けた連中でもそれくらいできるだろう」

 辛辣な言い様だが、タバサも否定はしなかった。

 その後、完全にのされたならず者どもは、荷車に山積みにされて衛士に連行されていった。もっとも、牢屋より医者のほうが先かもしれないが、そんなことを心配してやる義理はない。

 ならず者どもを引き渡して、ミシェルとタバサはほっと息をついた。見ると、早めに鎮圧したおかげで孤児院の中はたいして荒れていないし、ふたりが手加減したおかげで血の汚れもない。

 そして、孤児院を救ったふたりは子供たちからヒーローとして迎えられた。

「お姉ちゃんたち、すごーい。ありがとー」

「かっこよかったよ。お話で聞いたウルトラマンみたーい」

 多くの子供たちに囲まれて、ミシェルとタバサはもみくちゃにされてしまったが悪い気はしなかった。特に、ウルトラマンみたいと言ってもらえたことはなかなかに悪くはなく、こんな自分が誰もが認めるヒーローと同じに見てもらえたことは、明るくない世界で戦い続けてきた二人にとってはむずがゆかったものの、少し心が温かった。

 それからは、老婆や孤児院の教員たちからも厚く礼を述べられた。特に老婆のうれし泣きはこちらが恥ずかしくなるほどで、ミシェルもなだめるのに苦労した。

「何度も申し上げますが、礼を言われるほどのことはありません。強いて言えば、あなたからいただいた一杯のお茶のお礼にやったまでです。つまり貸し借りはこれでなしです。それでいいじゃないですか」

「おお、なんと心の広いお方なのでしょう。異国にも、このような方がおられたとは感激で感激で」

 かなりオーバーだが、それでも感謝してくれている相手を無下にもできなくて困った。それでも時間が経つとどうにか落ち着いてくれて、二人はそろそろお暇することにした。

 ところが、また困ったことに外はいつの間にか真っ暗になってしまっていた。これから新しく宿を探すにはまた骨が折れる。すると、老婆が親切に提案してくれた。

「よろしければ、お二人とも今晩はこちらにお泊りください。寝床だけはたっぷりとありますので」

「わかりました。では、お世話にならせていただきます」

「ありがとう」

 こうして、ミシェルとタバサは一晩を孤児院で過ごすことになった。

 それから夕食から寝静まるまでの間、ミシェルとタバサが子供たちにアイドル扱いされて大変な目に会ったことは言うまでもない。

 

 ただし、その気になれば野宿も苦にならない二人が、あえて容易にここに泊まることにしたのは、単に老婆に配慮したからだけではなかった。

 子供たちも皆寝静まり、日付も変わり、さらに夜も深く静かに更けた時間。孤児院は誰も起きておらずに静まり返り、皆が安心して夢の世界を楽しんでいる。そんな平和な時間。

 だが、そんな時間の中で、ミシェルとタバサは密かに目を覚ましていた。

「……おい、起きているか?」

「とっくに」

「やはりお前、普通のメイジじゃないな。後で話を聞きたいところだが……どうやらお出ましのようだ」

 ミシェルとタバサは素早く身支度を整えると、誰にも気づかれないように静かに孤児院を出た。

 むろん、別れがつらくなるからなどの感傷的な理由ではない。二人とも静かに殺気を押し殺しており、足音を消して孤児院の裏手に出た。

 物陰に隠れて気配を絶ち、様子をうかがう。すると、夜の闇の中からゴキブリのように数人の男が現れた。

「来た」

「さきほどの残党どもで間違いないな。思った通り、姑息な復讐にやってきたか」

 これが、二人が孤児院に残った本当の理由だった。散々痛めつけてやったはずだが、こういうクズどもの執念深さを二人ともよく理解していた。二人がここに残ったのは、それを阻止するためであった。

 ならず者どもの残党は、孤児院の壁にゴミや木片を積み上げている。放火をする気なのは一目瞭然で、二人は今度は手加減抜きでこいつらを始末することに決めた。

「芯から腐った奴らめ、今度は生かして帰さんぞ。ん? どうした」

「待って、なにか妙」

 そのとき、タバサが飛び出そうとしたミシェルを抑えた。ならず者どもは今にも火をつけそうだというのにどういうことだ?

 だが、すぐにミシェルもタバサの意図に気づいた。かすかだが、ならず者どもとは違う得体のしれない気配がする。しかも、すぐ近くだ。

 再び身を潜めて周囲を探るミシェルとタバサ。そして、最初に気づいたのは、優れた風の使い手であるタバサだった。

「あれ、塀の上」

「む……なんだ? 何かが動いている」

 二人とも目に『暗視』の魔法をかけてじっと見つめた。ならず者どもがゴミを積み上げている塀の上で、なにかが蠢くようにして確かに動いている。

「スライム……?」

 そのように見えた。ゲル状の奇妙なものが、じわじわと動いている。流れているわけではない証拠に、塀の上を水平に動いて、ならず者の上へと近づいていっている。

 そして、スライムがぽとりとならず者の頭上に落ちたと思った、その瞬間だった。

「おい、火だ。ん? アジュー? ど、どこ行った!」

 なんと、火種を手渡そうとした男にスライムが落ちた瞬間、男はフッと消滅してしまったのである。 

 ならず者は仲間が突然いなくなってしまったことで動揺して辺りを探し回るが、危険は彼にも迫っていた。塀の上からまたスライムがぽとりと落ちると、残った男もミシェルとタバサの見ている前で消滅してしまった。

「今の、見たか?」

「消えた。間違いない」

 二人も、自分の目を疑ったが、今起きたことは間違いなかった。空気の流れや地面の振動を追っても何も感じ取れない。ならず者たちは、この場所から霞のように消え去ってしまったのだ。

 いったい何がどうなっている? 二人はなおも意識を張り巡らせて周囲を探り続けた。まだ、怪しい気配は消えていない。

 冷や汗が流れ、一秒が一時間にも感じられる沈黙を経て、気配を殺し続けた二人の努力は報われた。闇の中から、明らかに異様な気配を撒き散らすやせぎすな男が現れたのだ。

「くく、排除完了。汚物はさっさと消してしまわないと街が汚れてしまうからな」

 短く笑いながらつぶやいた男は、服のすそから例のスライム状の液体を出して、今度はならず者どもが積み上げたゴミを消していった。

 もう間違いない。そして、これが普通の魔法や魔道具でできることではなく、さらにこのルビティアの街の何かに関わっている手がかりだとわかったとき、二人は間髪入れずに飛び出していた。

「おい、そこで何をやっている!」

「ファッ!?」

「聞きたいことがある」

 突然姿を表したミシェルとタバサに問いかけられ、男は大きく動揺した。

 さらに二人は左右に展開して、男を逃すまいとする。だが、男は二人を振り切って走って逃げ出した。

「待てーっ!」

 当然二人は追って走り出す。だが、健脚には自信のある二人が軽く引き離されていく。

「速い!?」

「あれは人間じゃない」

 タバサはそう呟くと、呪文を唱えて杖を降った。だが、特に攻撃魔法が発動した気配はなく、男は夜の闇に消えていってしまった。

「くそ、逃げられた」

「心配はいらない。逃げた先はわかる」

 そう言うタバサの手には、鈍く輝く細い糸がつままれていた。

「お前、いったい何者だ?」

「たぶん、あなたの同類。けれど、今は敵じゃない」

 タバサは、疑いの目を向けるミシェルに軽く答えると、行こうと促してきた。信じるか信じないかは任せる。タバサらしい簡潔な解決方法だった。

 ミシェルは少し考えると、走り出したタバサについていくことにした。危険な賭けだが、危険に飛び込むのは銃士隊の十八番だし、せっかく掴んだ手がかりを逃すわけにはいかない。なにより、子供たちを守ろうとしていたあの姿をわたしは信じる。

 そして、数十分後。二人はある建物の裏口にたどり着いていた。

「商人ギルドの商工会議所……か」

 まさかと思ったが、どうやら望んだ答えに行き着きそうでミシェルは苦笑した。

 一方でタバサは無表情のままで、扉を打ち破ろうとしている。そんなタバサに対して、ミシェルは問いかけた。

「待て、この先に何が待っているかわかっていて進む気か? お前の目的はなんだ?」

「わたしがあなたにそれを聞いたら、あなたは答えるというの?」

「もっともだな。しかし、お前こそ、わたしをそんなに簡単に信用していいのか?」

「かまわない」

 タバサの不思議な自信に、ミシェルは「まさかこいつ、わたしのことを知っているのか?」と、疑念を抱いたが、すぐに余計な考えを頭から追い出した。

 どのみち、尻尾を掴んだら、後は力付くで穴から引き釣り出すのが銃士隊流だ。ミシェルは、戦士の表情になって剣を抜いた。

 タバサの魔法が施錠された扉をぶち破り、二人は商工会議所の中に飛び込む。中で深夜の仕事をしていた人間の驚く顔を横目に通り過ぎ、二人がたどり着いた場所は、なんとギルドマスターの大会議室であった。

「いたな」

「ひっ!」

 二人は、ギルドマスターの横で縮こまっているさっきの男を見つけた。室内にはギルドマスターのほかに、数人のギルドの元締めが顔を並べている。そして、さっきの男はギルドマスターの秘書らしいたたずまいをしていた。

 無遠慮に室内に飛び込んできた二人の暴漢に対して、元締めたちの驚愕の顔が並ぶ。しかし、ギルドマスターと見られる壮年の男はさすがに威厳のある様子を崩さずに、紳士的に二人に問いかけた。

「これは、突然のお客様。本日はすでに業務を終えていますが、なんのご用ですかな?」

「そこで隠れている男に用がある」

 タバサが杖を突きつけて言った。男は震えるばかりで、それに対してギルドマスターはあくまで穏やかに答えた。

「お嬢さん、誰かとお間違いではありませんかな? この男は私どもの優秀な一員として懸命に働いている者です。後ろ暗いところなど、なにもありませんぞ」

 人違いだと語るギルドマスター。周りの元締めたちも、これ以上無礼を働くなら衛兵を呼ぶぞと詰めてくる。

 しかし、タバサは落ち着いて、その杖の先から伸びている極細の糸を見せつけ、ついで男に対して短く告げた。

「背中」

「なに!? あ、ああっ!」

 男は愕然として、自分の背中に小さな氷の破片が刺さり、そこから糸がタバサの手元にまで伸びているのに気付いた。そう、タバサはあのとき氷の破片に蜘蛛の糸の魔法をつけて飛ばし、発信機代わりにしていたのだった。

 動かぬ証拠を突き付けられて、男だけでなく元締めたちも驚愕が流れる。そして今度はミシェルが告げた。

「とうとう尻尾を出したな。その男が奇妙な術を使ってならず者を消したのが、お前たちがただの商人なんかではないことの証拠だ。やはり、トリステインに武器を流していたのは貴様らだな」

 その言葉に、それまで紳士的な態度を貫いてきたギルドマスターも、観念したように息をついた。そして、震えている男に向かって、怒りを表しながら言った。

「ヘマを踏みましたね。『悪人ではない者に、決して仕事を見られてはいけない』と、あのお方に厳命されていたのを忘れましたか?」

「も、申し訳ありません! 申し訳ありません!」

「謝ってすむものではありませんよ! この作戦には、我ら種族の悲願がかかっているのを忘れたのですか?」

 ギルドマスターの怒りに、男はひたすら縮こまった。しかし、元締めたちが叱責を遮るように言った。

「マスター、それよりもこやつらをどういたしましょう? どうやら完全に我らの作戦に気づいているようですが」

「むう、仕方ありませんね。非常事態ですので、この者たちもあそこに送り込んでしまいなさい」

「はっ」

 ギルドマスターの命令によって、元締めたちがミシェルとタバサを囲むように動いた。それに対して、二人は背中合わせに構える。

「本性を表してきたな。どうせ貴様らも人間ではないのだろう? 正体を見せろ!」

「ふぁっふぁっふぁっ、ならばこの世の見納めに見せてやる。ふぁっファッファッファッファッ!」

 元締めたちの声が不気味に変質し、その姿がぼけて変わっていく。

 二人が見たこともない亜人、いや宇宙人。黒々とした肌に長い頭部と頭頂の触覚、縦につながる黄色いラインと、斜めにずれた両の目。

 かつて地球でも人間消失事件を起こした、誘拐怪人と異名をとる宇宙人。ケムール人だ!

「我らの秘密を知った以上は生かしては帰さぬ。覚悟するがいい」

「まさか、ギルドの主要メンバーすべてが星人だとはな。本当に、サイトの予感はこういう方向によく当たるものだ」

 ミシェルは嘆息するとともに、外れていて欲しいと思っていた予想が確信に変わっていくのを感じていた。やはり、このルビティアには自分の想像を超える何かの陰謀が隠されている。しかも、ギルドが丸々隠れ蓑になっていたほどの規模の大きさから考えても、領主やその関係者が無関係とは思い難い。そう、つまりあの女とも。

 そしてタバサは、以前にフック星人から聞き出した情報を思い出していた。あのフック星人の隊長が言い残した、”あのお方”の名。それを頼りにしてこのルビティアの調査に来たが、予想通りこのルビティアにも同じような宇宙人が入り込んでいた。しかも、トリステインにまで影響を及ぼしているということは、敵の勢力はすでに相当に拡大しているのかもしれない。

 しかし、敵の目的がどうにも不明瞭なのは気にかかる。単純な侵略を目論んでいるわけではなさそうで、それにしては不可解な行動が目につき、ここでもケムール人に奇妙な厳命を与えている。だがこのまま放置しておけば、知らないうちにハルケギニア全体がそいつに乗っ取られてしまうかもしれないのは確かだ。そしてこうなると、”あのお方”の正体も明確に突き止めなくてはならない。でなければ、間近に迫ったガリアの命運を左右する最後の時を迎えることができない。

 

 背中合わせに構えるミシェルとタバサ。ケムール人は二人を囲み、不気味な笑い声を漏らしている。

 ガリアからもトリステインからも離れたゲルマニアのルビティアの地で、誰も気づいていないが、誰にとっても重大な戦いが始まろうとしている。だが、その果てに隠された秘密に迫るには、まだ多くの障害が待ち受けているに違いない。

 それでも、ひとつ確かなことがあるとすれば、真実に迫ろうとしている二人の意思を阻むことは、昇る朝日を押し返すことよりも難しいということだろう。

 ただし、その先に待っている真実がどんな残酷な形であったとしても。

 

 そしてその一方、ルビティアの地に急行している者がもう一人いた。

 高空を飛ぶ一機の戦闘機。そのコクピットに座るのは、ウルトラマンダイナに変身するあの青年。

「おいもっと速くいけないのかよ? せっかく我夢が貸してくれたってのに、これなら俺が飛んでいったほうが早いぜ」

「落ち着いてくださいアスカ。あまり人里の近くを飛んでは騒ぎになってしまいます。目的地はインプットしてあります。あなたが変身して行って、ついたとたんに時間切れになってしまっては意味がありません」

 XIGファイターEX。その目的地は帝政ゲルマニア・ルビティア領。敵の所在と、タバサの危機を知ったアスカはトリステインから急行の途にあった。

 しかし、なぜアスカがこれを知ることができたのだろうか。その答えは、さらに高みの空からファイターEXを見下ろすコウモリ姿の影にあった。

「フフ、私は手を出さないという約束ですからね。手は出していませんよ、口は出しましたがね。ま、あれの相手をするのはこちらもリスクが大きいですしねえ。地球ではこういうのを、火中の栗を拾わせるとか言うんでしたっけ? フフフフ」

 楽し気に笑う宇宙人。しかし笑っていたのは少しだけで、不安をこぼすようにつぶやいた。

「しかし、今回は私ともあろう者が本気で人助けをすることになりそうで非常に不愉快ですね。ですが、もしあれが出てきた場合には、あのお姫様は確実に殺されてしまいますからね。ウルトラマンさんには頑張ってほしいところですが、あの方どうも頭悪そうで不安ですねえ……ほんとはもう一組の知的そうな方たちのどちらかに来てほしかったんですが」

 自分の主義に反することでも止むを得ないと思うほど、彼は自分が戦ったあの星人の存在を警戒していた。

 果たして、ルビティアの地に隠されている真実とはなんなのか。そして、すべての根源とされる星人は、いったい誰にとっての敵で味方になるのか。

 

 

 続く



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第84話  隠された娘

 第84話

 隠された娘

 

 誘拐怪人 ケムール人

 殺戮宇宙人 ヒュプナス 登場!

 

 

「はい、どうも地球の皆さん、ご機嫌いかがですか? 最近どうにも苦労がたまっております私でございます」

 

「さて、これまでの顛末、ご覧になられましたか? ん? やることなすこと邪魔が入ってざまあみろ? おやひどい」

 

「でも、共通の敵がいるなら私はあなたたちに手を貸すこともやぶさかではないんですよ。そう、ハルケギニアで、暗躍する何者かの影を追って、奇しくも同時にゲルマニア帝国ルビティア領に潜入したミシェルさんとタバサさん。奇怪な人間消失を目撃し、それを追っていった二人の前に現れたのは、あなたたちの先輩方も戦ったというケムール人でしたね」

 

「ですが、手がかりにたどり着きながらもケムール人に囲まれ、絶体絶命の危機に陥った二人に、逆転のチャンスは訪れるのでしょうか? そして、そんなお二人に助っ人を差し向けてあげる私はなんて親切なんでしょう」

 

「……ただこの助っ人の人、おっちょこちょいぽいですけど大丈夫ですかねえ。ウルトラマンにもいろんな人がいるものです。さて、ここからは私も観客です。応援していますよ。世のため人のため、私のためにね」

 

 

 それぞれの思惑と利害が重なり、歯車は回り続ける。

 だが、誰がどんな陰謀を巡らせても、その帰結がどこに流れ着くかは終わってみなければわからない。なぜなら、どんな敗者も負けるまでは自分が勝者になるはずだと信じているに違いないのだから。

 果たして、このルビティアの地で求めるものを手に入れることができるのは誰なのだろう?

 ただし、ひとつだけ忘れてはいけない。たとえ望むものを手に入れることができたとしても、それが幸福をもたらすとは限らないということを。

 

 

 ルビティアの商人ギルドに突入し、ケムール人と対峙するミシェルとタバサ。二人は背中合わせに構えて、取り囲んで来るケムール人と睨み合っている。

 こちらが二人に対してケムール人は十人ほど。ケムール人自体はそんなに強力な星人ではなく、もしここに才人がいれば迷わず包囲網に突っ込んでいただろう。しかし、そんな前情報のない二人は警戒し、様子を伺っていた。

「こいつら、取り囲んでいる一方で仕掛けてこない……まさか、肉弾戦は弱いのか」

「それはありえると思う。戦闘に自信があるなら、わたしたち二人くらいとっくに倒すか捕えているはず。なにより、さっきの男がわたしたちから慌てて逃げる必要はない」

 それでも、さすが実戦経験の豊富な二人だけあって即座に冷静で的確な判断を下していた。実際、ケムール人は肉体的には人間よりは強いものの拳銃くらいでダメージを受ける防御力しか持っていない。まともにメイジと戦って魔法を食らうのはたまらないと、ケムール人たちも警戒していたのだ。

 このままミシェルとタバサが強行突破をはかればケムール人たちを蹴散らすことも十分可能だろう。ミシェルも当然そのつもりであったが、タバサが小声でささやいた。

「待って……を」

「正気か? ……いや、危険だが、それしかないか」

 ケムール人たちに聞こえないように、二人は小声で何かを話し合った。そして、二人はあえて構えに隙を作り、怯えているように演技をして見せた。

「フォフォフォ、命知らずの人間どもよ。軽はずみな行動を後悔するがいい。我らの秘密を知った以上、生かしては帰さない」

 ケムール人が不気味な動きで距離を詰めてくる。それは、確かに普通の人間ならば恐怖で発狂してもおかしくない光景ではあったが、ミシェルやタバサはまったく動じず、むしろ内心では隙だらけな動きに安心さえしていた。

 ここで逆襲に転じれば、ケムール人を全滅させることも容易いだろう。しかしそれでは手がかりの先を得ることができなくなってしまう。生かして捕らえて尋問する手もあるが、確実ではない。

 ではどうするか? 虎穴に入らずんば虎児を得ずのことわざに従うまでだ。

「ファファファ、恐怖するがいい。我らの崇高なる使命の邪魔をしようとした罪は重い。だが安心するがいい。お前たちはあのお方のために、死ぬまで働くことができるのだ」

「あのお方……?」

 そのとき、ケムール人の頭部の触角から、ゲル状の消去エネルギー源が二人に向かって吹き付けられた。

 避けることはできる。しかし、あえてそうせずに二人は消去エネルギー源を自らかぶった。

「ぐ……」

 視界が歪んでぼけていく。それと同時にケムール人たちからは二人の姿が発光して消滅していくように見えた。

「ファファファ……口ほどにもなかったな」

「どこの回し者か吐かせるのはあちらに任せよう。それにしても、これがあの方にバレていたらと思うとゾッとしますな」

「まったくだ。これからは仕事をするときはもっと慎重にならねば……ファふぁふぁ」

 ケムール人たちは再び人間の姿へと変身し、騒ぎになっている商工会議所の中を落ち着かせるために出ていった。

 

 しかし、ミシェルとタバサはどこへ行ってしまったのだろう?

 ケムール人の消去エネルギー源には触れた相手を転送させてしまう効果があり、かつてケムール人はこれを使って地球人をさらっていた。

 ならば、今回転送される先とは?

 

 ミシェルとタバサが気がついたのは、薄暗い洞窟然とした場所だった。

「ファファファ。ようこそ、生きる価値のないクズどもよ」

 声がした方を振り向くと、そこには大柄なケムール人が居丈高に立っていて、その左右には小銃のような武器を持った護衛のケムール人がこちらに銃口を向けている。

「ここはどこだ?」

「ファファファ、君たちの新しいふるさとさ。今日から君たちはここで世のため人のために働いてもらうことになるのだ。抵抗すればすぐに死んでもらうが、命が惜しいのならばついてきたまえ」

 おしゃべりなケムール人は、こちらの返事も待たずに左右の護衛兵を差し向けてきた。

 ミシェルとタバサは、目配せしあうと、黙って手をあげて降参の意を示した。そのまま杖と剣を差し出し、手を上げて完全に降参したと示すと、ボス格らしいケムール人は、愉快そうに頭を揺らした。

「ファファファ、今度の連中はなかなか聞き分けがいいな。いつもなら泣きわめくか、逆上して暴れるから少しお仕置きがいるんだが、お前たち向こうで何をした? まあいい、すぐに上から知らせがくるだろう。それまでここを案内してやろう」

 ケムール人は手慣れた様子で先導して歩き出した。ミシェルとタバサは、背中から護衛兵に銃を突きつけられながらついて歩いていく。

 しかし、二人は粛々と従う振りをしながらも内心は冷静そのものであった。理由は単純で、敵がわざわざこっちを懐に入れてくれたことであった。

「しかし、確かに敵を捕らえて尋問してから外から潜り込むよりは確実とはいえ、よくこんな大胆な手を思い付くな」

「時間がないから急いでるだけ」

 二人はあえて捕らえられることで、敵の核心まで一気に迫ろうと考えたのだった。リスクはこの上ないが、宇宙人という連中は人間を見下している傾向があるから、付け入る隙もある。タバサはそこに賭けたのだった。

 案の定、ケムール人は武器を取り上げた二人をまったく恐れる風もなく、フラフラしながらも揚々と歩いている。そして、惜しげもなく秘密を自ら明かしてきた。

「ファファ、見るがいい!」

 ケムール人が通路の窓を示すと、覗きこんだミシェルとタバサは息を飲んだ。

 なんと、岩天井の地下空間に、超巨大な近代工場が軒を連ねていた。しかもそれはタバサが見たフック星人の工場の何倍、いや何十倍もの規模を誇り、銀色の機械が何百何千台と無人で動き続けている。

 作られているものも、もはや複雑すぎて判別できない。だが、特に奥の方では金色のなにか巨大なものが組み立てられているのが見えた。

「これは……」

「ファファファ、この世の土産に見ておくがいい。これが、いずれこの世界を理想郷に導くという、あのお方の夢の花園だよ」

 妙に乙女じみた語りをするケムール人に言われるまでもなく、ミシェルとタバサは工場を凝視していた。その規模はもはや工場都市、いや工場要塞と言っても過言ではないだろう。 

 二人は即座に、この工場を自分たちだけで破壊するのは無理だと判断した。単に広さだけでもトリスタニアにも匹敵しそうで、とてもではないが手に負えない。

 だが、これほどの地下大空洞を一体どこに? 問題はその場所だ。

「ここで働けというの?」

 タバサは質問してみた。しかし、ケムール人は滑稽そうに笑った。

「フォフォ、まさか。この工場は完全に自動化されていて、人間の手など必要はない。お前たちにやってもらいたいことは、こっちにあるさ」

 ケムール人がそう言って案内した場所は、そこからエレベーターに乗ってさらに移動した階層だった。

 だがそこは、近代的な雰囲気とは様変わりした埃臭い坑道であった。

「フォファ、お前たちの仕事場はここだ。原始的に土を掘り続けるのに機械はもったいないからな。あの連中に混ざって今日から働くのだ」

 唖然としているミシェルとタバサに対して、ケムール人は働かされている人々を指差して告げた。

 坑道で働かされているのは、見る限り普通の人間で、ツルハシやスコップを使い、文字通り原始的な採掘作業に従事させられていた。しかも、彼らの回りにはドラム型のボディをしたロボットが徘徊して、休まずに働かせている。

「ひどいことを……」

「フォ? ひどい? いいや、これは罰であり、慈悲深き沙汰なのだ。なにせ、生きる価値のないクズ同然の連中を集めて役立たせてやっているのだからな」

 そう笑うケムール人の言葉に、タバサはミシェルに視線である方向を指し示した。

「あいつらは……」

 見覚えがあった。先ほど孤児院に放火しようとして消されたならず者どもだ。それに、昼間衛兵に引き渡した連中の顔触れも見える。

 いや、それだけではない。よく見ると、広域手配されている凶悪犯や逃亡犯の顔がそこここに見える。

 そういうことか……と、ミシェルとタバサは理解した。ルビティアで、衛兵が怠けるほど暇なのは、治安を乱す人間を根こそぎ消してしまっているからなのだ。

 そして、ルビティアで工夫を使って採掘されるものといえば。

「ルビーの原石を掘らせているんだな」

「フォーフォ、よくわかったな。クズどもでも、あのお方の理想実現のための資金源にはなれることを光栄に思うがいい。さて、では貴様らもさっそ、なんだ?」

 そのとき、別のケムール人がボスになにやらを報告した。するとボスは尊大な態度をあらためて、冷然と二人に言い放った。

「ファファ、お前たち、どうもいつもの罪人どもと違うと思っていたが、我らのことを探りに来た者たちだとはな。労働は後回しだ。どこの回し者だかを吐いてもらおうか」

「ならせっかくだ。お前たちの言う、あの方の正体も聞かせてもらいたいな。不公平だろ?」

「ファッ、あいにくだが、お前たちがどこかのスパイだとわかった以上は一切の質問には答えられん。すぐにトークマシンにかけてやるぞ」

 ミシェルが挑発してもボスは秘密を明かす様子はなかった。おしゃべりな割には指揮官としては無能ではないらしく、すでに護衛のケムール人が倍に増えてこちらに銃口を向けている。

 本当に、すぐにでも尋問を始めるつもりのようだ。わざと捕まって情報を引き出す作戦は、ここで完全に頓挫したと思っていいだろう。

 残った道は、なんとかしてここから脱出することだ。しかし、完全武装の兵士とロボットが固めた出口もわからない地下坑道からどうやって脱出すればよいのだろうか? 武器を取り上げられている状況で肉弾戦を挑んでもせいぜい数人を倒すのが関の山だろう。だが、抵抗できるのは今しかない。

 ミシェルは飛び出そうとした。しかし、それをタバサが制してささやいた。

「心配いらない。もう手は打ってある」

「なに……?」

 どういう意味だ? ミシェルも裏仕事では長くならしたベテランの自負を持っているが、そんな仕掛けをしていた風にはまったく見えなかった。タバサの眼鏡の奥の表情は微動だにしておらず、ハッタリかどうかすらわからないが、そんな二人に対してケムール人はいらだって「さっさと来い!」と、銃口を向けてくる。

 しかし、タバサは冷然と「断る」と返すと、愕然とするケムール人たちに向かって毅然と言い返した。

「悪いけど、こちらも同じ失敗を繰り返すつもりはない。ここは出て行かせてもらう」

 タバサがそう告げると、彼女の袖口からキラキラと光る粉のようなものが零れ落ちた。そして彼女がそれにフッと息を吹きかけて飛ばすと、粉は一粒ずつが大きな狼に変化して一斉に暴れ出したのだ。

「な、なんだぁ!」

「ど、どこから現れたんだ、このオオカミどもはぁ!」

 坑道の中が一気に大混乱に陥る。狼どもはケムール人といわずロボットといわず囚人といわずに襲い掛かり、しかもその数は十や二十を軽く超えている。

 もちろんケムール人たちもタバサとミシェルを連行するどころではなく、自分の身を守るだけで手いっぱいの有様だ。その隙を突き、タバサは自分の杖を奪ったケムール人に体当たりをして杖を奪取し、すぐさま魔法を使ってミシェルの剣と杖も奪還して彼女に投げ渡した。

「ありがたい、これなら戦える。しかしお前、こいつはマジックアイテムか?」

「『フェンリル』。ガーゴイルの一種で、隠し持てるのが売り。こんなこともあろうと、あの女から借りておいてよかった」

 タバサはフック星人に捕まった時の経験から、杖を失った時のための武器が必要だと考えて、シェフィールドから無断でフェンリルを拝借していたのだった。

 坑道の中は暴れ回るフェンリルのために阿鼻叫喚の巷となっており、タバサは逃げるなら今のうちだとミシェルをうながした。

「急いで。わたしはガーゴイルの扱いは慣れてない。無秩序に暴れさせるだけが限界で、向こうの混乱が収まったらすぐに制圧される」

「あ、ああ。しかし、肝心の出口だが、どちらに行けばいいのか」

「フェンリルの視界を通してここの坑道の構造はおおむね理解できた。出口の方向ならわかる。急いで」

 タバサはミシェルを案内して、坑道の出口へと急いだ。途中、何回かケムール人の警備兵や警備ロボットに阻まれたものの、散発的に襲ってくる程度ならば二人の敵ではない。

 ただし、捕らえられている人たちは遺憾ながら見捨てていくしかなかった。残念だが、とても助けている余裕はない。

 そして、いくつかのゲートを強行突破した末に二人が出たのは思った通り、ルビティア公爵家の所有するルビー鉱山の内部そのものであった。

「どけどけっ、邪魔だ!」

 入り口付近の普通の鉱山では、それこそ普通の工夫が普通に働いていた。二人が現れたのは、落盤で立ち入り禁止になっている閉鎖坑道の中からで、二人は驚いている工夫たちの間を縫って、とうとう地上に出ることに成功した。

「こんなに街の近くだったのか……」

 鉱山の入り口は、ルビティアの街から二リーグほどしか離れていない山の中腹にあり、二人は山からさっきまでいた街の景色を見下ろして驚いた。

 こんな人里のすぐそばに宇宙人の大基地があり、大勢の人間が捕らえられているなどとは誰も想像できないだろう。しかし、あれは夢でも幻でもなく、そしてここまで来た以上は、もうあの仮説を確信するしかなかった。

「主要鉱山にあんなものがあった以上、もうルビティア公爵家がこの件に関与していないといった線はなくなったな……」

 それはすなわち、あのルビアナにも何かがあるということで、ミシェルは気が重くなった。だが、まだ彼女が悪だと決まったわけではないと気を取り直すと、タバサに向かって問いかけた。

「さて、ところでお互いのことだが、ここまで来た以上は互いの情報を交換したほうがいいとは思わないか?」

「……わかった」

 タバサとしては、自分ひとりでもなんとかする覚悟はあったが、敵の規模を考えると戦力は多いほうがいいと考えた。

 それぞれ、トリステイン銃士隊とガリア花壇騎士の身分を明かし、それぞれがこの地に来た目的を明かした。もっとも、タバサのほうはある程度の情報はすでに知っていたが、それは隠しながらミシェルに最後にひとつの情報を明かした。

「わたしは、あなたより一日早くルビティアを調べていた。あなたも調べた通り、誰に聞いても領主とその娘の評判は最高であったけど、気になったことがあった。ここ一年ほど、娘はともかく領主の姿を見たという者は誰もいないらしい」

「なんだと? では、政はいったいどうなっているというんだ?」

「領主の娘がすべての命令を取り仕切っているらしい。おかしい話だけど、指示どおりにすればすべてがいい方向に動いたから誰も気にしていないらしい。実際、彼女の治世は成功してる。あらゆる方面で、完璧に」

「完璧だと?」

「そう、商業、農業、治安、福祉、どれをとっても非の付け所がない。人間技とは思えないほどに」

 タバサ自身も信じられないという風に説明した。はじめは何かトリックを使ってうまくいっているように見せかけてるのかと思ったが、調べたら本当に巧みな指揮と豊富な知識であらゆることを成功させたのだとわかった。

 希代の天才だという評判は聞いていた。しかし、その能力はもはや天才の域を超えている。同じく天才とうたわれたタバサの父のシャルル皇太子でさえ、ここまでのことはできないだろう。

 タバサは、まるで得体のしれない化け物のように不信感を語り、ミシェルも納得できることは多いとうなずいた。だがそれでも、直接会ったことのあるミシェルは信じたくないという思いがあった。

「わたしは以前、恩人だと信じていた人に裏切られたことがある。あの女も、そうだというのか」

「……わたしはその女に会ったことはないからなんとも言えない。けど、善人を装うのは悪人がよくやる手。それでも、真実を知りたいなら、道はひとつ」

 タバサが促すと、ミシェルは気を取り直して答えた。

「そうだな、確かめるしかない」

 いくら疑おうが信頼しようが、真実に迫ることはできない。真実を知るためには、覚悟を決めて自分の目で確認するしかない。

 しかし、とミシェルはタバサを見た。年齢的には大きく開きがありそうなのに、ミシェルがどこか幼げなところが抜けないのに比べ、まるであちらの方が年上に思える。

 実はよく似た人生を歩んでいる二人。だが、現実は二人にゆっくり話し合う時間も与えてはくれなかった。背後から急に強烈な殺気を感じ、二人は同時に魔法を放った。

『ウィンディ・アイシクル!』

『ブレット!』

 氷の矢と土の弾丸が背後の何者かに撃ち込まれ、その威力の前に、二人に襲いかかろうとしていた何者かは断末魔の悲鳴をあげて打ち倒された。

 その死体を検分する二人。だがミシェルは、絶命している怪物の姿を見て愕然とした。それはケムール人ではなく、ゴツゴツした頭部と鋭い爪を持つ怪人。以前にトルミーラとの戦いで見たヒュプナスそのものだったのだ。

「バカな、どうしてこいつがこんなところに」

 あのとき、あの地下基地は完全に破壊したはずだ。しかし、ミシェルはあのときにトルミーラが言い残した言葉を思い出した。そう、トルミーラも何者かの黒幕の存在を示唆していた。

 まさか、あの黒幕もここの黒幕と同じだというのか? だが、考えている余裕はなかった。殺気はこれだけにとどまらず、四方からさらに増えてくる。

「わたしたちを、確実に始末するつもりらしい」

 タバサが全方位を警戒しながら呟いた。考えてみれば当たり前だが、ケムール人たちをあれだけコケにしたわけだから、激怒させて当然だ。

 ミシェルも気合を入れ直して剣を構える。しかし、いくらなんでも何体いるかわからない数のヒュプナスを真っ向から迎え撃つのは無謀すぎる。今の一体は不意打ちで倒せたが、あいつは一体でも自分とサイトの二人がかりで手こずるような怪物なのだ。

 タバサとミシェルは短く目配せし合った。残った道は二つに一つ。今回は諦めて出直すか、それとも危険を承知で敵の心臓部に殴り込むか。ミシェルはすでに覚悟は決めていたが、タバサの答はさらに短かった。

「時間がない」

 そういうことだった。慎重にやっている余裕なんかはない。逃げて逃げ切れたとしても、次に来たときに同じ成果が得られるとは限らないのだ。

 ならば、目指す先はどこか? ケムール人のアジトの商工会議所か? 地下の大工場か? いいや、どちらも枝葉に過ぎない。事の真相にもっとも近いと見えるのは、街を見下ろす丘の上に建つ領主の屋敷、ルビティア公爵邸。

「飛ぶ」

「おう」

 タバサとミシェルは、ヒュプナスの包囲を突破するために、『フライ』の魔法を使って飛んだ。いくらヒュプナスが高い身体能力を持つモンスターでも、飛行能力までは持ち合わせていない。

 ヒュプナスの群れをやり過ごすと、二人はルビティア公爵邸へ真っ直ぐに向かった。

 むろん、大貴族の屋敷だから、その周辺にも厳しい警備が敷かれているが、二人もその道のプロである。番兵や番犬を騙す手口や、どこに罠が仕掛けられているかを見抜く眼力も十分に持ち合わせていた。

 そして、たどり着いたルビティア公爵邸は、周辺の警備の厳重さに反比例して異様に静まり返っていた。

 忍び込むならどこからか? 正面か、裏口か。いや、思案するまでもなく、正面玄関が開いて衛兵が飛び出してきたのだ。

「曲者だーっ! 出会えーっ!」

 まるで時代劇のワンシーンだが、実際そういうことを言っているわけだから仕方ない。

 しかし、ミシェルとタバサはうかつに迎え撃つことはできなかった。相手は衛兵。ケムール人が化けているのか、それとも普通の人間かがわからなくては下手な攻撃はできない。

 いや、タバサはともかく根っからの武闘派集団の銃士隊員のミシェルは決断が早かった。槍を持った衛兵の懐に瞬時に飛び込むと、あっという間に数人を殴り倒してしまったのだ。

「半殺しなら正体は関係あるまい」

「後で責任を問われたらどうするの?」

「後で考えるさ」

 この投げ槍ぶりであった。タバサは銃士隊のことはそんなに詳しくは知らないが、かの烈風と娘たちといい水精霊騎士隊といい、トリステイン人は面倒になったら力技で解決する伝統でもあるのだろうかと勘ぐってしまう。

 まあともかく、その判断は正しかったようだ。倒した衛兵は苦悶の声を漏らすとケムール人の姿に変わっていく。

「どうやら半殺しで済ませる必要もないらしい。ここの主はただものではなさそうだ」

「むしろ状況は悪くなったけれど」

 タバサは憂鬱に呟いた。ルビティア公爵邸の衛兵までが宇宙人だということは、もう黒幕はほとんど決まったと言っていいからだ。

 あとは、動かぬ証拠と敵の目的を突き止めるだけだ。二人は邸内に飛び込んで、一直線に公爵の部屋を目指して突き進んでいく。

「そら、お出迎えだ」

 四方の部屋や通路から、もう正体を隠す必要もなくなったケムール人たちが大挙して現れる。しかも手に持つ武器はレーザー銃などに変わっている。

「足を止めたら蜂の巣にされるぞ!」

「言われなくてもわかる」

 飛び道具ならこちらも魔法があるが、際限なく撃てるものではない。雑魚に関わっている余裕はない。

 しかし、敵の武器は銃火器だけではなかった。天井からの気配に気づいたタバサがミシェルに叫ぶ。

「上、避けて!」

 はっとしたミシェルが身を翻すと、天井からゲル状の消去エネルギー源が滴ってきて床を濡らした。

 危ないところだった。これに少しでも触れたら転送されてしまう。だがよく見れば天井のあちこちに消去エネルギー源がうごめいてこちらを待っている。これではまともに進むこともできない。

 が、足を止めさせたところを仕留めようというケムール人たちの企みはタバサの冷静な判断によって打ち砕かれた。タバサは杖を振るうと、氷の魔法を全開にして通路を丸ごと氷で覆いつくしてしまったのである。

「すごいな」

 これにはミシェルも感嘆した。決して狭くはない屋敷の通路を丸ごと凍らせてしまうとは、まさにスクウェアクラスの芸当に他ならない。

 けれど、これで進む上の問題はなくなった。消去エネルギー源はしょせん液体である以上、極低温にさらせば凍り付く。こうなればもう役には立たない。

「急ぐ」

「ああ、だがこれは寒いなあ」

 氷の扱いに慣れているタバサはともかく、軽装のミシェルは凍えるくらい寒かった。寒冷地で戦うなら、アルコール度の強い火酒を用意して体の中から温めるのが常道だが、今回はそんなものを用意してはいない。

 ただ、室温が一気に下がってまいったのはケムール人たちも同じだった。向こうも凍えて銃の照準が合わなくなったし、動きが鈍っている。なにより切り札の消去エネルギー源が使えなくなったショックが大きく、ケムール兵の一人がうろたえながら隊長格に言った。

「ファ、ファア。こ、これでは戦えません。このままでは、あの部屋にたどり着かれてしまいます」

「グァグァ。仕方ない、ヒュプナスどもを出せ。巻き添えを食わないように注意しろ」

 そのとたん、凶暴な唸り声がしたかと思うと、通路の先から数体のヒュプナスが飛び出てタバサとミシェルに向かってきた。

「やはりこちらでも出てきたか!」

 想定はしていたが、ケムール人とは比較にならないほど強力な敵の出現にミシェルの背が冷たくなる。ヒュプナスどもは人間を一撃で即死させられる爪を振り上げて、一直線に向かってくる。

 ただし、さきほどは広い屋外だったが今回は道の固定された屋内の戦闘。しかもヒュプナスは本能任せに暴れるだけで、知性を持ち合わせていないことをタバサは悟ると、突っ込んで来るヒュプナスの足元に向けて再び氷の魔法を放った。すると絨毯で覆われた床はスケートリンクも同然の状態になり、ヒュプナスはあっけなくすっころぷ。けれどこれではタバサたちも走れなくなるのではと思われたが、ミシェルが素早く土の魔法で砂をばらまいて、二人が走れるだけの道を氷の上に作り上げたのだ。

 そして、氷の上でもがいているヒュプナスに剣と杖を突き立てて素早くとどめを刺す。先のフック星人のときもそうだったが、肉弾戦を得意とするものにとって一番の弱点は足場なのである。

 ヒュプナスは確かに生まれついての狩人かもしれないが、タバサとミシェルは戦闘そのもののプロだった。

「やるな、お前」

「……」

 戦いの中で信頼を深めながら二人は走る。

 しかし、当然ながら敵の攻勢はこれで終わりではなかった。屋敷は広く、通路の先からは新手のケムール兵やヒュプナスが現れて襲い掛かってくる。

「ちっ、やはりこの屋敷は普通じゃないな。まさかトルミーラの件にこんなところで行きつくとは思わなかった。ところでお前、やっぱりどこかで会ったことがあったか?」

「気のせい。それより、お出迎えがまだ来る。あなたの言う通り、この館の主はただの人間ではないらしい。一気に突っ切るけど、助けている暇はないからそう思って」

 こういう屋敷の構図はだいたい決まっている。二人は公爵のいると思われる最奥の部屋を目指してひたすら突き進んだ。

 ルビティア公爵、その人となりや功績については二人ともあらかじめ調べてきてある。領地からのルビー鉱山の発見によって一挙に財を成したことは有名だが、現在の当主は統治者としては数年前まではかばかしくなく、名家としての名ばかりが残り緩やかな衰退にあると思われた。それが再び大きく世に出たのはほんの最近、あのルビアナが世に現れてからのことだ。

 しかし、ルビアナの経歴についてはいくら調べてもなにも分からなかった。公爵家の箱入り娘として、人目に触れずにこれまで育てられてきたというだけで、その幼少期については一切不明。公爵に娘がいたという記録だけははっきり残っているので実在はしているのだろうが、ほかの公的な記録がまったくないのである。

 いや、記録がないことについてはそこまでおかしくはない。タバサもミシェルも、公的には存在が抹消されている人間だ。貴族がなんらかの理由で記録を消すのは珍しいことではない。だが、疑念を晴らすにはその闇の部分を見なければならない。

 一心不乱に走る二人。それを阻もうと、ケムール人やヒュプナスが襲ってくる。

「邪魔だ! 手向かいするなら斬る!」

 手向かう者には二人とも容赦しない。ヒュプナスもかつて戦ったトルミーラほどの強さはなく、戦い慣れてきた二人にとってはいなすのはさほど難しくはなかった。

 それでも、ケムール人たちは次々に向かってくる。その戦いぶりは鬼気迫るものさえあり、斬っても魔法で吹き飛ばしてもなお攻めてくる様には、単なる危機感などとは違った使命感のようなものを感じられた。

「ヌォーッ! ひるむな、我らケムールの悲願を果たすためにはあの方の期待を裏切るわけにはいかんのだ」

 その防戦のすさまじさは、スクウェアとトライアングルクラスの手練れが揃っているというのに容易には前進できないほどだった。なにがケムール人たちをここまで駆り立てるというのか? 才人ならばなにか心当たりがあったかもしれないが、タバサやミシェルには察することはできず、ひたすらに突き進む。わかっているのは、これだけ激しく抵抗するということは、先に重要なものが待っているということだ。

 そして、妨害の数々を突破し、二人はついに屋敷の最奥の公爵の部屋へと踏み込んだ。

「ここだ!」

 ドアを蹴破るように飛び込み、二人は室内の様子を探った。

 室内はなかなか広く、左右に本棚がある品の良い作りになっていた。天井も高く、並べられた調度品も華美ではなく風情を持ったものばかりで、ここの主の趣味の良さを感じられる。

 けれど、よく清掃されて塵一つ落ちていないが、人が住んでいるという生活感に欠けていた。まるで大学の図書館のようだ。

「誰もいないのか……?」

 てっきり敵が待ち構えていると思っていたミシェルは拍子抜けした。

 いや、待ち伏せがないだけではなく、さっきまで激しく追いすがってきていたケムール人やヒュプナスも部屋に押し入ってくる様子はなかった。

 タバサは、この部屋の整えられた様子から、彼らにとってなんらかの聖域になっているのかと推測した。ディテクトマジックなどで調べてみたが、室内に罠が仕掛けられている様子はなく、危険な気配はなさそうだった。

 二人はうなづきあって、そのまま先に進むことにした。さっきのケムール人たちの必死さから感じると、彼らはこの中を荒らしたくはないらしい。なら、こちらも無茶をする必要はない。

 油断なく、二人は室内を進む。室内といっても、公爵の私室なのでいくつかに区切られており、高級ホテルをさらに大掛かりにしたものと思えばいいだろう。応接間、図書室、休憩室……いずれもきれいに整えられ、土足で進むのがはばかられるほどだった。

 と、そうして進んでいると、二人は壁に美術品とは違うおもむきの大きな絵が飾られているのが目についた。若い男性と女性が、にこやかに笑いながらひとりの少女と遊んでいる絵だった。

「公爵夫妻と、その娘の絵かな?」

 タバサは無言でうなづいた。まるで、自分の父がまだ健在だったころの自分の家族のような絵に、胸が締め付けられる。それにしても、この絵に描かれているのが若い頃のルビティア公爵と、ルビアナの幼い頃なのだろうか。

 だが、その絵の下に、我が妻マルガレート、享年24、没年……と寂しく書き足されており、公爵夫人が若くして亡くなったことが察せられた。

 お気の毒に……と、タバサもミシェルも思う。だが、それはそれだ。二人はさらに先へと進み、本当の最奥である、公爵の寝室へとやってきた。

「ルビティア公爵、失礼します」

 一応ドアをノックして、二人は礼に則りながら油断なくドアを開けて足を踏み入れた。

 寝室は裏庭へのテラスに面していて、思ったよりも広く、月明かりが差し込んで明るかった。

 しかし、やはり人の気配はしない。部屋の中で目立つのは二つのベッドだけで、タバサとミシェルはゆっくりと歩み寄ると、そこに横たわっているものを見て息を飲んだ。

「これは……」

 最悪の予想が当たっていたかと、二人とも目の前が暗くなる感覚を味わった。ルビティア公爵家はすでに……。そして、あの女はやはり。

 だがそのとき、テラスのほうからしわがれた老人の声が響いた。

「おや、これはこれは、お客様ですかな」

 はっとして二人が振り向くと、そこには深いしわを顔に刻んだ小柄な老人が、正装をまとって立っていた。

 二人はとっさに杖を抜こうとしたが、手をかけたところで自重した。殺気はない。それに、不意討ちをかけるならできたところで話しかけてきたということは敵意はないはずだと、ミシェルとタバサはそれぞれ貴族としての作法にのっとって礼を返した。

「不躾な参上をお詫びします。失礼ですが、貴方は?」

 すると老人は、テラスの掃除をしていたらしいホウキとちり取りを脇に置いて答えた。

「はい、わたくしめはルビティア公爵家に仕えております執事のバーモントと申します。今年で八十八になりました。ルビアナお嬢様のお友だちの方々ですかな?」

「はい、まあ……」

 バーモント老人には、先ほどの二人とケムール人たちとの戦いの騒動は聞こえていなかったらしい。二人が話を合わせると、バーモント老人は嬉しそうにしながら言った。

「おお、よろしくお願いいたします。あいにく、お嬢様はお留守ですが、精一杯もてなしをさせていただきます。といっても、もう公爵家に仕える人間の使用人は私一人になってしまいましたが」

「人間の……それはどういう?」

「ええ、ほかの方々は皆新しい仕事を見つけて出ていきました。わたくしはもう、この歳でよそでやっていくのは無理なので、掃除夫として残らせてもらっております。新しく入ってきたけむうるの方々も働き者ですが、やはり旦那様のお部屋の手入れはそれなりの作法がありますものでねえ。ほっほっほっ」

 楽しそうに語るバーモント老人。その恐れた様子もなく宇宙人を受け入れている姿に二人は唖然としたが、今度はタバサが尋ねた。

「人間じゃないものに囲まれてて、平気なの?」

「ほほ、この歳になりますと怖いものなど無くなりましてな。それに、あの方たちとはなぜか気が合いましてなあ」

「彼らがどうして人間に化けてここにいるか知ってる?」

「はあ、なんでもけむうるの方々は、お嬢様に叶えてほしいお願い事があるとかで働いているそうです。本当に仕事熱心な方々で、わたくしも大助かりですわ」

 あのケムール人たちの必死さはそういうことかと二人は理解した。だがそれにしても、宇宙人がそれほどまでに叶えたい願いを叶えられるルビアナとは何者なのか?

「あなたはルビアナを信頼しているようだけど、でも彼女は……」

「いいえ、あの方は正真正銘、このルビティアのお嬢様でございます。このバーモントが保証いたします」

 力強く語るバーモント老人の剣幕に、二人は気圧されるものを感じた。

 だがそれほどまでに愛され、尊敬される反面で、あの女は恐ろしい企みを次々におこなっている。単に悪事のカモフラージュにやっているにしては極端すぎる二面性に、タバサもミシェルもそれ以上の判断がつかなくなって困惑した。

 すると、バーモント老人はテーブルに二人を誘って言った。

「あなた方はお嬢様のお友だちではないようですな。ですが、悪い方というわけでもなさそうです。お座りください。わたくしどもと、お嬢様のなれそめをお話しいたしましょう」

「ご老人……ええ、我々はルビティアの秘密を探りに来た者です。それがわかっていながら、よいのですか?」

「ええ、お嬢様は常々、お友だちは多いほうがよいとおっしゃられていました。そのために疑われるなら、隠したいことはなにもないとも。ですから、お嬢様の名誉のために、わたくしは申し上げます」

「あなたは、あの方のことを信じているのですね」

「はい。確かに、お嬢様のやろうとしていることは、わたくしには理解しきれないこともあります。それでも、お嬢様はわたくしどもルビティアの民や、なにより旦那様には救い主であるのです。そして願わくば、お嬢様を助けてあげてくださいませ。お嬢様はきっと、自分を理解してくれる人を求めているのだと思うのです」

 バーモント老人は、そうしてゆっくりと語り始めた。

 

 

 そしてそれから数時間後、二人の姿はトリステインへ続く街道にあった。

「くそっ、もうなにがどうなっているのかわからん!」

 馬を急がせながらミシェルは吐き捨てた。その隣ではタバサが同じように馬を走らせている。

「あの老人の言葉を信じるの?」

「信じるも信じないもない。元々わたしは騙されやすいんだ。だが、こうなったらあの女に直接問いただすしかあるまい」

「なら、わたしも行く。そいつは今トリステインにいるのね?」

「ああ、今度王宮である舞踏会に招待されているはずだ。急ごう、馬の足ではギリギリ間に合うかどうかだ」

 二人は暗い道を馬を飛ばす。

 だが、無人の街道を急ぐ彼女たちを、月明かりとは明らかに違う輝きが照らし出した。

「なんだあれは!」

 空を見上げると、いつの間にか二人の頭上を巨大な四つの飛行物体が金色に輝きながら旋回していたのだ。

 あんなものは見たこともない。光沢から金属でできているのだろうが、四つのいずれも円盤や船とはまったく違った形で二人が戸惑っていると、飛行物体は二人の前方数百メイルで合体を始めた。

 まず、二股に分かれた機体が着地して足になると、その上に半球状になった機体がドッキングして腹と胸になり、最後の機体が最上部で頭と腕になって、ついには巨大な金色の人型ロボットへと合体を果たしたのである。

「くそっ、追っ手か!」

 巨大ロボットは完全に二人の行く手を遮るように立ちはだかっている。つまり、自分たちを帰す気はないということだ。そして巨大ロボットは、その太い脚を上げると重々しく歩きながら迫ってきた。タバサは、シルフィードがいないことを悔やんだが、かといってどうにもならない。

 しかし、二人が悲壮な決意を固めようとしたそのとき、西の空からもう一機の戦闘機が現れた。

 

「ダイナーッ!」 

 

 光芒が闇を裂き、大地に銀色の巨人ウルトラマンダイナが降り立った。

「なんとか間に合ったぜ。さあ、俺が相手だ。来やがれポンコツロボット!」

 ダイナは地上のタバサとミシェルをちらりと見下ろすと、眼前の巨大ロボットへと構えた。

 タバサとミシェルは、ウルトラマンの登場に、安堵と喜色を浮かべる。

 しかし、いかなダイナでもこの金色の殺戮兵器に勝てるだろうか? 冷たいボディの中に計り知れないパワーを秘めて、ロボットはうめくような機械音を響かせながら動き出す。

 東の空から太陽が登りだし、戦いのゴングのように、金と銀の巨影を照らした。

  

  

 続く



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第85話  不沈の巨人戦艦

 第85話

 不沈の巨人戦艦

 

 宇宙ロボット キングジョー 登場!

 

 

 ルビティア侯爵家に隠された秘密を知り、トリステインへと急ぐミシェルとタバサ。だがその行く手に、突然謎の巨大ロボットが立ちふさがった。

 金色に輝くボディ。太く強靭そうな手足、頭部に当たる部分や胸では内蔵されたランプが規則正しく明滅し、鳴き声のように特徴的な機械音を流し続けている。

 そこへ駆けつけたのは我らのウルトラマンダイナ。朝日が輝きだす中で、金と銀の巨人同士の戦いが始まる。

 だが、まだ誰もこの巨大ロボットの持つ恐るべき力を知らない。

 

 いや、一人だけ知る者がいた。それは、この朝日差す空には不似合いな姿で浮かぶコウモリ姿の影。彼は眼下のダイナとロボットを見下ろしながら忌々しそうにつぶやいた。

「やはり出してきましたね。宇宙最強とも言われるロボット怪獣、キングジョー……」

 そう。かつて、あのウルトラセブンでさえも自力ではついに倒せなかったほどのスーパーロボットだ。

 それが目の前で特徴的な駆動音を出しながら動いている。無機質に、重々しく、余裕さえ感じさせるほどゆっくりと。

 果たしてこのダイナというウルトラマンは勝てるだろうか? 彼にも確証はない。しかし、なんとかしてもらわなくては困る。

「頼みますよぉ、このままあれの好きにさせていては私の計画が台無しですからね。お膳立てはしてあげましたから、あとは期待していいですよねぇ」

 勝手なことを呟きながら、宇宙人はダイナとキングジョーへと視線を向け、戦いは始まった。

 

「デアァァーッ!」

 

 先手必勝、先に仕掛けたのはダイナだった。大きく振りかぶり、キングジョーのボディへ渾身のパンチを叩き込む。

 だが、ダイナのパンチはクリーンヒットしたというのにキングジョーは小揺るぎもせずに立ち続けている。いや、ダメージを受けたのはどちらかと言えば。

〔ってえーっ! この野郎、なんて硬さだよ〕

 思わず殴った手を振り回して、ダイナはアスカの素を出しながら叫んだ。

 とんでもない硬さだ。以前戦ったロボット怪獣のガラオンなんか比較にもならない強度で、まるでコンクリートの塀を殴り付けてしまったみたいだ。

 それもそのはず。キングジョーのボディはペダニウム合金という超金属で作られていて、かつて地球に現れたキングジョーはウルトラセブンのアイスラッガーの直撃を受けても無傷だったという恐るべき強度を誇るのだ。そのときはセブンが殴っていたが、キングジョーははるか昔から強化改良を続けられながら使われ続けており、セブンはその旧型と戦ったことがあるためとも言われる。

 しかし、時代は進む。見た目は同じでも、あの頃よりも未来のこのキングジョーが、同じ強度だとは限らない。

 そして、このキングジョーを送り込んできた者とは誰か? ケムール人ではない。そいつはケムール人から連絡を受けて、キングジョーに指令を送りながらつぶやいた。

「まあまあ、困った人たち。あれほどお仕事は慎重にするようにと言っておきましたのに。仕方ないですわね、あとはわたくしが引き受けますから安心してください」

 優しげに告げてきたそいつの声色に、報告を入れたケムール人はモニター越しに恐縮しながら答えた。

「も、申し訳ありません。とんだ失態をお見せしまして、なにとぞ、なにとぞご容赦くださいませ!」

 ケムールの司令官は必死に謝罪した。ミシェルとタバサを犠牲を顧みずに阻止しようとしたように、彼らには是が非でも成し遂げなければならない悲願があり、それが達成できないのなら死ぬのと同じなのだ。

 しかし、怯えるケムールを慰めるように、そいつはあくまで優しく告げた。

「顔を上げてください。わたくしは怠け者は嫌いですけれど、熱心に働いている人が少しくらいミスをしても怒ったりはしませんわ。それより、隠さずによく伝えてくれました。わたくしは誠実な方は好きですわよ」

「ファ、そ、それでは……」

「同じ宇宙人同士、仲間ではありませんか。あの方たちのことはわたくしに任せて、あなた方は今まで通り働いてください。大丈夫、わたくしは約束はちゃんと守りますわ」

 その穏やかで温かな声色に、ケムールの司令官もようやく安心したのか、フォフォというケムール人独特の声を残してモニターから消えていった。そしてそいつは、軽くため息をつくと、困ったようにつぶやいた。

「ふぅ、ケムールの方たちは真面目過ぎるのが困ったものですね。そんなに怖がらなくても、ちゃんと働けばそれくらい差し上げますのに。まあそれにしても、この星の方たちは情熱に溢れていて本当に素敵。ただ、少し誤解をなされているようなので、お茶に招待いたしましょうか。でも……」

 キングジョーのアイ・カメラには、立ち向かってくるダイナの姿が映っている。そいつはもう一度ため息をついてから言った。

「争いたくはないのですけれど、仕方ありませんわね。後日お詫びに伺いますから、少しだけお休みされていてください」

 与えられた指令により、キングジョーの戦闘モードの封印が解かれ、そのターゲットにダイナを定めた。 

 ゆっくりと、だが確実にキングジョーは両手を上げながらダイナに向かって歩き出す。対してダイナも気を取り直し、パンチやキックで迎え撃った。

「デヤッ! ダアッ!」

 ジャブ、ミドルキックの連続攻撃がきれいに決まる。しかし、それでもキングジョーに応えた様子はなく、何事もなかったように前進し続けている。

 その要塞とも言えるような防御性能の高さに、ミシェルやタバサも驚愕を隠せないでいた。

「あの金色のゴーレム、なんて硬さだ。ウルトラマンの攻撃がまるで通じてないじゃないか」

「まるでダイヤの硬度……いえ、それ以上かも」

 この世で一番硬い物質はダイヤモンドだと言われるが、理論上はそれより硬い物質がいくつか発見されている。もっとも、それらは実験室の中でのみ存在ができるような希少かつ少量しか存在しえないものばかりなので、実質的に最硬がダイヤだと言ってもよいだろう。

 ただし、それは今の地球人にとっての常識での話であり、地球人をはるかに超えるテクノロジーを持つ宇宙人は様々な超合金を生み出している。例えば西暦1957年に来襲した宇宙人が使っていたロボット怪獣の装甲金属は鋼鉄の二百倍の硬度を誇るとされ、西暦1974年と1975年に相次いで地球侵略を目論んだ宇宙人が有していた強力無比なロボット怪獣の装甲金属の強度は鋼鉄の十倍だという。また、ダイヤモンドにしても、エネルギーを一万倍にして跳ね返す合成ダイヤモンドミラーや、その発展系でブルーダイヤモンドコーティングというものも90年代に開発されており、今後の発達が期待されるといえるだろう。

 それに、ハルケギニアのメイジの使う『固定化』や『硬化』の魔法のように、物質の組成を変えずに強度を増させる手段も存在することから、現実的にどれほどの強度の金属が生まれても不思議ではないと言えるだろう。

 打撃をものともせずにダイナに迫ったキングジョーは、腕を上げると無造作に張り手を放ってきた。

「ヌワアッ!」

 なんと、軽くはたかれただけに見えるのに、ダイナは大きくふっ飛んで地面に叩きつけられてしまったではないか。むろん、ダイナが非力なわけではない。キングジョーのパワーがあまりにも強すぎるのだ。

 キングジョーはそのままダイナを踏みつけようと、巨大な足を振り上げてくる。ダイナはそれを間一髪かわしたが、キングジョーに踏みつけられた地面は大きくくぼみ、まともに食らえばウルトラマンでも無事ではすまないのは明らかだった。

「ウルトラマン、間合いをとれ。接近戦では危険だ!」

 ミシェルの叫びにはっとしたダイナはバックステップで距離をとると、腕を回転させて輝く光球を作り出して発射した。

『フラッシュサイクラー!』

 光球はキングジョーのボディを直撃した。だが、超合成獣ネオダランビアのバリアーを吹っ飛ばすほどの威力を持つこれをもってしても、キングジョーは紙風船をぶっつけられたかのように平然としている。

 だったらこれならどうだ! ダイナは両手を十字に組むと、必殺の光線を撃ち放った。

『ソルジェント光線!』

 数多の怪獣を粉砕してきたダイナのフェイバリットがキングジョーに炸裂する。

 だが、ソルジェント光線のエネルギー流は、まるで激流を割る巨石の光景のようにキングジョーのボディに弾かれてしまったのだ。

〔なんだとぉ!?〕

「バケモノか!」

「まったく……効いてない」

 まさしく鉄壁の防御だった。打撃でも光線でもまるで効いた様子がない。鉄板に生卵という言葉があるが、まさにそれだ。

 しかし、キングジョーは動きは鈍く、特に走るということができないらしく、ゆっくりと歩くペースはまったく変わっていない。

〔なんだ、要するに頑丈だけが取り柄のウドの大木かよ〕

 アスカは、強敵かと思ったけど意外とたいしたことないんじゃねえか? と、考えた。それが自分の悪い癖だというのに……。 

 確かにキングジョーは動きが鈍い。ただし、そんな欠点が欠点にならないところがキングジョーの真の恐ろしさなのだ。

 キングジョーの頭部、その点滅部分の下部左右の小さな突起から稲妻状の光線が放たれてダイナを襲った。

〔わっと! あぶねえ〕

 ダイナはかろうじてかわせたが、光線は外れた地点の地面をえぐって深い穴を残した。

「あいつ、飛び道具もあるのか!」

「あの機動力なら無いほうがおかしい。それに、あの威力は……」

 タバサは戦慄しながら、その光線の本質を見抜いていた。一見、大した威力はないように思えるが、地面に空けられた穴の深さから貫通力に優れているのが見てとれる。

 実際、この怪光線は岩を砕き、鉄を溶かし、生き物を殺すという三拍子揃った恐るべき殺人光線であり、神戸港で大惨事をもたらしている。

 だがそれでも、これぐらいなら並のロボット怪獣と変わらない。その証拠に、ダイナは光線の発射を見切り、二発目からは余裕を持ってかわしている。

〔ノロマ野郎、一度見せた球がそんなに通じるかよ〕

 野球でも、ピッチャーの持ち玉がカーブかフォークか判っていれば打つのは容易だ。ダイナは捕まらないようにしながら、間合いをとってキングジョーを牽制し続ける。

 だが、一喜一憂するダイナとは裏腹に、キングジョーはあくまでも無機質にダイナに接近し続けている。右へ左にかわされようと、なんの感情も見せずに淡々と歩を進める姿はまるでキョンシーのようで、最初は余裕を持っていたダイナも次第に焦りを感じ始めてきた。

〔こ、この野郎、いい加減しつけえぞ!〕 

 しかし、キングジョーはロボットゆえに焦らないし判断を変えない。ただひたすら、与えられた指令通りにダイナを狙うだけである。しかも、キングジョーに備えられた電子頭脳は単純なことしかできない低レベルではない。ダイナをスピードで捉えられないと判断した電子頭脳は、ゆっくりと屈むと、足下の岩盤を丸々引っこ抜くようにして持ち上げたのである。

「デュワァッ!?」

 ざっと十万トンはありそうな巨岩がキングジョーの頭上に持ち上げられている。レッドキングでもここまではしないだろうという怪力にさしものダイナも仰天し、ミシェルとタバサもあっけにとられた。

 なんという超パワー。だが、これこそがキングジョーのシンプルだが最大の武器なのである。かつて神戸港でも大型タンカーを軽々と持ち上げてセブンにぶっつけている。そして、この小山ほどもある巨岩をどうするかといえば当然。

「な、投げたぁ!」

 巨岩が宙を飛び、隕石のようにダイナに飛んでいく。それは破壊光線などとは段違いの迫力で迫り、避ける間もなくダイナをぺっちゃんこにしようとした。

〔じょ、冗談じゃねえーっ!〕

 いくらダイナでも、自分の十倍もありそうな巨岩を受け止めるなんてできない。あわや、ダイナもここで、一貫の終わりか?

 いや、それはノーマルのフラッシュタイプの場合ならばだ。ダイナの額のクリスタルが輝き、無双の強力を発揮するストロングタイプへとチェンジする!

「デヤアァーッ!」

 雄々しい叫び声とともに、筋肉奮い立つダイナの渾身のアッパーカットが巨大岩石に突き刺さり、次の瞬間、岩石に細かなヒビが入ったかと思うと、岩石は轟音をあげて粉々に砕け散ったのだ。

「すごい……」

 タバサも思わず呟くほど、ダイナックルのド迫力パワーの一発はすごかった。巨大岩石はバラバラになり、小石の雨となって降ってくる。

 しかし、ダイナが意識を岩石にそらした、そのわずかな隙をキングジョーは見逃さなかった。キングジョーの歩行速度は遅いが、背中のバーニアを吹かせて一時的に加速し、そのままダイナに体当たりを仕掛けてきたのである。

「ノワァッ!」

 突き飛ばされたダイナに、そのままキングジョーはフライングボディプレスのように一気にのしかかってくる。さしものダイナもこれはかわせず、まともに食らってしまった。

「ヌッ、ウアァァァァーッ!」

 巨大な鉄塊に真上からのしかかられてはたまらない。ダイナから苦悶の声が漏れる。

 その光景に、ミシェルとタバサは援護の魔法を放とうと構えた。しかしそれを、ダイナは手のひらを向けてはっきりとした態度で拒絶すると、苦しみながらも街道の先を指差し、構わずに行けと訴えてきた。

「ウ、ウルトラマン……」

「早く、彼の思いを無駄にしてはいけない」

 タバサは後ろ髪を引かれているミシェルを冷徹に促すと、乗っている馬の腹を蹴った。

 しかし、本心で後ろ髪を引かれているのはタバサも同じだ。走り出しながらも、ちらりと後ろを振り返ってダイナをみる。すると、それを察したダイナは、ぐっと力強くサムズアップを見せた。

「心配すんな、こんな奴はまかせてさっさと行けっ!」

 ダイナ、アスカはそう告げていた。そしてタバサとミシェルは自分の使命を思い返すと、前を向いて走り続けた。

 そしてダイナは押さえ込んでいるキングジョーの腕を掴むと、渾身の力を込めて押し返し始めた。

〔いつまでも、人の上ででかい顔してんじゃねえーっ〕

 ストロングタイプの力を発揮して、ダイナはマウントをとっているキングジョーを押し返し、ついに腹を蹴って脱出に成功した。

「ダアッ!」

 起き上がったダイナは、そのまま勢いと体重をかけて、必殺の右ストレートをキングジョーに叩き込んだ。フラッシュタイプでは効かなかったが今度はどうだ?

 しかし、やはりキングジョーのボディには傷ひとつつかず、キングジョーはダイナの腕を掴むと、ひょいと無造作に投げ飛ばしてしまった。

「ウワアァッ!」

 地面に強烈に打ち付けられ、ダイナから悲鳴があがる。しかもキングジョーは倒れたダイナを足蹴にすると、恐ろしいパワーで胸を踏みつけ始めた。

〔ぐぅぅっ、動けねえ。こいつ、なんて力してやがる!?〕

 ストロングタイプの力でもはね除けられない。ダイナのカラータイマーが点滅を始め、キングジョーは規則正しい稼働音を鳴らしながら、無情に踏みつけにする足に力を込め続ける。

 重すぎる。ダイナはもがくが、キングジョーはビクともしない。ダイナは、こいつがさっき思ったようなウドの大木ではないことを確信し、戦いを見守っているコウモリ姿の宇宙人も、その圧倒的な力に戦慄していた。

「聞きしに勝るものですね。パワーとタフネスだけに見えて、それさえ極めてしまえば十分と言っているような強さ……我々の美学とは相容れませんが、シンプルとは怖いものです」

 能力というものは、特別な手段を用いらなければ、なにを高めようとすればなにかを犠牲にする必要がある。車に例えれば、車体を頑丈にすれば重くなってスピードが下がるし、馬力を上げようとすれば燃費が悪くなるようなもので、ダイナのストロングタイプはスピードを犠牲にしているし、多くのウルトラマンのパワーアップ形態は通常時に比べてエネルギー消費が大きくなる弱点を抱えている。

 そしてキングジョーは、パワーと頑丈さの代償にスピードがない。しかし、スピードを犠牲にしたことによって得たパワーと頑丈さは全宇宙でもトップクラスであり、スピードの不足を補って余りある。なぜなら、何者にも傷つけられない鎧と、何者でも止められない怪力さえあれば、それを誰が阻めるというのだろうか? どんな障害も踏み越え、どんな力も力でねじ伏せる、まるで森林を荒れ地に変える巨象の行進のごとき思想を具現化した、恐るべき金色の要塞こそがキングジョーなのである。

 ダイナの見上げる先で、金色に輝くキングジョーのボディには傷一つない。ダイナの攻撃をあれだけ受けながら、ここまで無傷を貫いた敵はこれまでいなかった。

 いったいどうすればこいつを倒せるんだ? アスカは戦慄しながら考えた。ミラクルタイプのレボリウムウェーブならば異次元に飛ばして始末することができるが、あれも相手のパワーによっては脱出されることもあり、完璧ではない。つまりダイナの……いや、ウルトラマンの力では破壊することは無理だということか。まだ宇宙にはこんなとんでもない奴がいたとは。

 だが、今のアスカは怪獣を倒すことが全ての猪武者ではなかった。ヒーローとして、やるべきことは敵を倒すことではない。ダイナははね除けるのが無理だとわかると、逆にキングジョーの足を掴んで押さえつけにかかった。

「デアッ!」

 押さえつけられると、キングジョーは一転して拘束をはずそうともがき始めた。しかしダイナは逃すまいと手に力を込める。

〔どうだ、動けねえだろ! このままここで止まっていやがれ〕

 ここでキングジョーを倒せなくても、あの二人を逃せられれば目的は達せられる。この先は山岳地帯で、そこに逃げ込めれば空からでも簡単には見つからないだろう。

 アスカはもはや目先のことしか考えられない未熟者ではない。エネルギーの続く限りこいつを足止めしようと、腕に力を込めて耐え続ける。

 しかし、キングジョーはロボットの特性を活かしてアスカの想像外の行動に出た。なんと、上下に四機重なっている機体の内、腕と頭部となっている最上部の機体だけを分離させて二人を追い始めてしまったのだ。

〔ふざけんな! そんなのアリかよ!〕

 アスカは当てを外されて怒鳴るが、首なしになったキングジョーのボディは変わらず踏みつけてくるので動けない。押さえ込もうとした判断が完全に裏目に出た形だ。

 そして、分離したキングジョーの頭部パーツは飛行形体となって、あっという間にミシェルとタバサに追い付いてしまった。

「くっ、まずい!」

「二手に別れて、ああっ!?」

 策を弄する暇もなかった。ミシェルとタバサは、キングジョーの頭部のランプから放たれた光線を浴びせられると、光線の中を通ってキングジョーの中へと吸い込まれてしまったのだ。

〔ちきしょおっ!〕

 指をくわえて見ているしかできなかったアスカは悔やんだ。しかも、キングジョーはこれで用は済んだと言うように、残ったパーツも分離して空を飛んで逃げに入った。足のパーツだけはダイナが捕まえているが、それだけ持っていたところで意味がない。

 そして吸い込まれた二人はキングジョーの中の小部屋に閉じ込められて脱出不能に陥っていた。

「くそっ、出口がない。なんなんだこの部屋は!」

「うかつだった。最初から別行動をとっていれば……」

 先日にルイズたちが閉じこめられたメカゴモラのコクピットと違い、ドアや装置の類いはなく、幽閉のために用意されたのだということが嫌というほどわかった。

 自力での脱出は不可能。二人は自分達の無力さをなげきながら、一縷の望みをウルトラマンに託した。

 このままでは逃げられてしまう。だが、どうしようもないかと思われたそのときだった。空から青い光が舞い降りてきてキングジョーの行く手を阻み、そのまま弾き飛ばして、青い巨人となって大地に降り立ったのだ。

「デュゥワッ」

 海の青き巨人、ウルトラマンアグル。そしてその手のひらの上には、高山我夢が小型のバズーカのようなものを持って立っていた。

「ごめんアスカ、遅くなって」

〔我夢、いいところで来るぜ。けど、俺が回り道しながら飛んできたのに、なんでお前たちは真っ直ぐ来れたんだ?〕

「藤宮はこういうことが得意なんだ。それより、完成したよ、ライトンR30爆弾。あの宇宙人の言ったとおりなら、これならあのロボットを破壊できるはずだ」

 アグル、つまり藤宮博也はアグルの力を使って不法入出国を繰り返していた過去をほじられて複雑だったが、我夢に悪気はないと思って我慢した。

 それより、今はあのロボットを倒すほうが先だ。見たところ、ガイアとアグルが加勢したとしても簡単には破壊できそうもない装甲をしている。破滅招来体が送り込んできたロボット怪獣と戦ったことは何度かあるが、こいつはそれらにひけをとらなそうだ。

 だが、そのためにこれを作ってきた。あの宇宙人は自分たちの前に現れてタバサたちの危機を知らせた後で、急ごうとする我夢たちを引き止めて、今から行こうとしている場所で待ち構えている相手が持っている兵器はウルトラマンの力でも破壊できないだろうと警告し、ある兵器の製造方法を伝えた。それが、このライトンR30爆弾、キングジョーの装甲を成すペダニウム合金を破壊できる唯一の手段だ。

 つまり、我夢と藤宮がここに来られなかったのは、切り札であるライトンR30を作っていたからだった。ただ、いくら超天才の二人が揃っているとはいっても当時のウルトラ警備隊の総力をあげて完成させたライトンを完成させるにはこれだけ時間が必要だった。

 けれど、ダイナはライトンの仕込まれたバズーカを構えようとする我夢を止めた。

〔さすが我夢だぜ、こんなに早く完成させてくるなんてな。でもちょっと待ってくれ、あのロボットの中にお前のとこの嬢ちゃんが閉じ込められてるんだ〕

「わかってる、間に合わなかったけど見てた。だけど、それをどうにかするために僕らウルトラマンがいるんだろう?」

〔へっ、そうこなくっちゃな〕

 アスカと我夢は違う世界から来たはずなのに、まるで昔からの馴染みであるかのようにうなづきあった。

 やるべきことは二つ。キングジョーの内部からミシェルとタバサを救出し、その上でキングジョーにライトンを叩きこんで倒す。

 が、やるとなったら実際どうするべきか? アグルが加わったとはいえ、エネルギー切れ寸前のダイナに何ができるというのか。するとダイナは、いいことを閃いたというふうに我夢とアグルに言った。

〔ちょっとでいいから奴の動きを止めてくれ。俺があいつから二人を取り戻してやるから、そうしたらその新兵器でとどめを刺してくれ〕

 その自信ありげな言葉に、我夢とアグルは怪訝に思ったが、問い返しはしなかった。ダイナのどんな攻撃でもビクともしなかったキングジョーに、この上どんな対抗策があるというのだろう? いや、アスカの考えは考えるだけ無駄だ。それに、アスカはやると言ったら何があってもやりとげる男だ。

 アグル、藤宮はアスカとの親交はまだ浅いが、その心は決まっている。

「俺は我夢を信じている。ならば、我夢が信じた奴を信じるだけだ」

 藤宮にしては軽薄な考えとも見れたが、それは親友への深い信頼があるからこそだった。アグルもダイナを信じ、我夢を地上に下ろすとファイテングポーズをとった。キングジョーは、腕を上げた特徴的なポーズをとりつつ、行進するようにアグルに迫ってくる。

「ハアッ!」

 構えたアグルは右手から光の剣、アグルセイバーを引き出して切っ先をキングジョーに向けた。こいつとダイナの戦いはざっとだが見ていた、アグルの力でも真っ向からでは歯が立つとは思えない。動きは鈍いが、油断は禁物だ。

 そんなウルトラマンたちの姿を、ミシェルとタバサはキングジョーの中から、たったひとつだけあるモニターごしに見ていた。

「……すまない」

「……」

 もう、二人にはウルトラマンたちに頼るしかどうにかする手立てはない。しかも、自分たちが人質になって迷惑をかけていることも嫌というほどわかる。

 けれど、二人にはあきらめるつもりはない。今の二人にとって、一番大切なのは生きて帰って真実を伝えることにある。それに、ギリギリまでがんばって、ギリギリまでふんばって、それでもダメなときに誰かを頼ることは恥ではない。

「頼む」

 期待を込めて二人はウルトラマンたちを見つめた。

 そして、戦いはいよいよファイナルラウンドを迎える。いかなる攻撃にも動じない金色の不沈艦キングジョーを撃沈することは果たしてできるのか。

 なにか策を用意しているはずのダイナのために陽動を果たすべく、アグルはキングジョーを正面から迎え撃つことに決めた。その際、二人が捕らえられているのは頭部のパーツ。ならばと、アグルは胸部と腰部を狙って、小手調べもかねてアグルセイバーで斬りかかった。

「ドゥアッ!」

 一瞬のうちに五連撃の斬撃がキングジョーを切り裂く。しかし、普通の怪獣なら微塵切りになるような斬撃は、五回の乾いた金属音で跳ね返されてしまった。

「ヌオッ!?」

 アグルセイバーが効かない。むしろ、斬りかかったアグルのほうが手が痺れるほどの反動を受けている。

 こいつは強い。ほとんど無防備に近づいてくるだけはある頑強さだ。しかし、これで怯むアグルではない。

「ハアッ! デェヤッ!」

 アグルセイバーの連撃がキングジョーを襲う。胴体だけでなく、腕や足の間接部など、比較的弱そうな部分を選んでの攻撃で押し返し、流れるような光の剣閃が薄暗い朝焼けの中で美しく煌めいた。

 それでも、キングジョーのボディにはやはり傷ひとつつかない。しかし、五月雨のようなアグルセイバーの乱打でキングジョーのセンサーにも死角が生じてきた。

「藤宮は無駄なことはしないさ」

 我夢は確信を持ってつぶやく。

 そう、石灯籠を刀で切るのは愚かに見えても、その衝撃は精密機器には天敵だ。さらにアグルはキングジョーの正面から渾身の一刀を叩きつけ、その衝撃で飛び散った火花はキングジョーのセンサーを一瞬だが完全に麻痺させ、動きが止まったところについにダイナが組み付いた。

〔よっし捕まえた! もう逃がさねえぞ〕

 キングジョーの背後からダイナが羽交い締めにする。もちろんキングジョーも暴れてダイナを振り払おうとするが、ダイナもここぞとばかりにしがみついて離れない。

 だが、ここからどうするつもりだ? 捕まえただけでは解決にならない。我夢とアグルは、なにか策があるはずのダイナの次の行動を見守る。キングジョーはさらに暴れるが、ダイナはキングジョーを全力でうつぶせに押し倒した。

 轟音をあげて倒れ込んだキングジョーの上にダイナが馬乗りになる。まさか、これが作戦か? しかし、ダイナはキングジョーの頭を掴むと、そのまま逆ぞりにひねり上げ始めたのだ。

「ジュワアッ!」

 これは! 我夢とアグルは目を見張った。なんと、あの無敵に見えたキングジョーのボディが反り返ってミシミシと言い始めている。そして、逆エビ固めで極めるのを足から頭に変えたようなこの攻撃を、我夢は見たことがあった。

「この技は、確かキャメルクラッチ!」

 我夢は以前、ウルフファイヤーの事件でプロレスのジムに通っていたことがあり、その中で関節技のひとつとして見たことがあった。

「うまい! これなら相手にいくらパワーや頑丈さがあっても関係ない!」

 キャメルクラッチは、相手の背中に乗って首を引き上げるだけという簡単な技だが、相手は関節の構造上まともに反撃することができず、そのままだと背骨をヘシ折られてしまうという恐るべき残虐技なのだ。

 実際、キングジョーは手足をもがかせて抵抗しようとしているが、完全に背中から技を決めているダイナには手も足も出ず、ボディは無事だが機体の結合部からきしむ音を漏らし始めている。そしてダイナは、感心している我夢たちをちらりと見ると、得意げに言って見せた。

〔どうだ、お前らは頭が固すぎるんだよ。もっと俺のように柔軟にならなきゃな。さあ、このまま頭をもぎとってやるぜ!〕

 確かにキングジョーのボディは硬い。しかし、連結している機体同士の接合部分はそうはいかない。かといって分離しようすればこちらの思う壺だ。

 あのキングジョーのボディが悲鳴をあげている。この光景には、見守っている二人の宇宙人もさすがに驚いた様子を見せていた。

「関節技とは恐れ入りましたね。いやあ、これは痛そうな」

「あら、まあ」

 まさかキングジョーを関節技で破壊しにくる奴がいるとは誰も想像もしていなかったに違いない。しかし実際ダイナのキャメルクラッチは見事にきまっており、いくらもがけど脱出できないキングジョーの接合部からついに煙と火花が漏れだした。

「あとちょっとだ。ファイト、アスカ!」

「ダアァーッ!」

 我夢の声援を受けて、ダイナはストロングタイプの最後の力を振り絞った。

 キングジョーの頭部のランプの点滅が乱れて消える。そしてとうとうキングジョーは頭部機と胸部機の結合部から、巨木の倒れるような激しい音を立ててへし折れたのだ。

「やった!」

 ダイナはもぎ取ったキングジョーの頭部パーツを抱えて飛び退く。

 そして残るはキングジョーの胴体のみだ。頭部を失って停止しているキングジョーのボディをアグルが抱え起こすと、我夢はライトンの込められたバズーカの照準を定めた。

〔我夢、外すなよ〕

「わかってる。梶尾さんに笑われないくらいの腕は持ってるつもりだよ。発射」

 引き金を引いた我夢の狙ったとおり、ライトンR30爆弾は見事にキングジョーの胴体のど真ん中に炸裂した。

「やったぁ」

 爆弾は見事にキングジョーの装甲を貫き、全身から火花が吹き出し始める。そしてアグルが離れると、キングジョーはぴしりと足を揃えた姿勢をとり、そのままゆっくりとあおむけに倒れて爆発した。

 燃え上がるキングジョーの炎が我夢とアグル、そしてダイナを照らす。恐ろしいロボットだった……三人のウルトラマンたちは心底そう思った。これまで様々なロボット怪獣と戦ってきたが、ここまで単純に強さを突き詰めて作られた奴はいなかった。ただ頑丈さを極限まで高めるというだけでこれほどの強敵となるとは……あの宇宙人が教えてくれたライトンR30がなければどうなっていたか……。

 矛盾という言葉がある。最強の矛と盾は並び立たないと言う意味だが、裏を返せば最強の矛がなければ最強の盾は決して破れないということになる。不死身と無敵は同義ではないとも言われるけれど、こいつは限りなくそのどちらにも近かった。

 しかし、そいつも今はこうして燃え盛る鉄くずと化している。戦いは終わった……ダイナは肩で息をつくと、抱えていたキングジョーの頭部を地上に下ろした。

「アスカ、大丈夫かい!」

〔ああ、これくらいへっちゃらだぜ。見ててくれたろ、今日のMVPは俺だぜ。さあ、あとはまかせたぜ、我夢〕

「ああ、まかせておいてくれ」

 ミシェルとタバサの捕まっている部分は無傷で残った。後はこいつを解体して中の二人を助け出すだけだ。きっと中では、あまりに荒っぽい救出方法で二人とも目を回していることだろう。

 ダイナのカラータイマーはすでに限界で、飛び上がろうとしてふらついたところをアグルに支えられた。言葉はないが、ダイナの奮闘をアグルもきちんと認めてくれたようだ。

 

 戦いは終わった。あのコウモリ姿の宇宙人もその光景を空から見下ろし、ほっと息をついていた。

「やれやれ、なんとかすみましたね。これで、私の計画もなんとか続行可能に……はて?」

 そのとき、彼は自分に一瞬かぶさった影に、ふと空を見上げた。

 太陽の方向からなにかが降ってくる。そして、それの姿がはっきりしてくると、彼は普段の余裕ありげな声色を凍り付かせてつぶやいた。

「ちょっと、うそでしょう……」

 巨大な影が彼を素通りして落ちていく。そいつは大破したキングジョーの傍らに轟音をあげて着地すると、愕然としているウルトラマンたちを前にして、その冷たく輝く黒色の装甲から禍々しい機械音をあげながら動き始めた。

 モニターごしに戦慄するミシェルとタバサ。アグルは再びアグルセイバーを展開して構えを取り、我夢もエスプレンダーを取り出す。さらにダイナもエネルギー切れ寸前の身をおして立ち上がる。

 

 

 この日、トリステインとゲルマニアの国境の関所を、二人組の若い女性が通過したという記録は残されていない。

 

 

 続く



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第86話  開幕!エルムネイヤの舞踏会

 第86話

 開幕!エルムネイヤの舞踏会

 

 放電竜 エレキング 登場

 

 

 ”祭り”が、やってくる。

 祭りはなにも庶民だけのものではなく、貴族の間にもいろいろとかっこうをつけているが祭りのような行事がある。

   

 トリステイン王国。あのメカゴモラとEXゴモラとの戦いから一週間。首都トリスタニアは今日も好天に恵まれ、平和な空気な中で賑わっている。

 二大怪獣の激突で生じたクレーターもほぼ埋められ、市民たちは、もはや東京都民と同じくらいに慣れきってしまって何事もなかったように暮らしていた。

 しかしそのトリスタニアの中心にそびえる王宮はこの日、最高級の緊張感と活気に包まれていた。

 エルムネイヤの舞踏会……トリステインの貴族の他にもアルビオンやガリアなど各国の要人が招待され、仮装して正体を隠したうえで気兼ねなく交流するというものである。

 これは、貴族であればどうしても気にしてしまう身分や立場の壁を超えた上で親交を深めようというものであり、トリステイン魔法学院にも新入生歓迎のためにスレイプニィルの舞踏会という同様の仮装舞踏会が存在する。

 

 そして今年も、アンリエッタ女王陛下主催で、盛大な開催が王宮で予定されている。その縁で、街中でも絢爛な馬車が何台も王宮へと向かう姿が見られ、ちょっとしたパレードのような賑わいを見せていた。

 王宮の門を、見るからに身分の高そうな貴族が通っていく。ただ、そうした大貴族たちに混ざって今回は少し変わった客人たちも城門をくぐっており、その様子を王宮のテラスから楽しそうな様子で見下ろしている目が二対あった。その見下ろす先には、おろおろしている金髪の少年に率いられた一団がおり、その中には遠目でも見間違えようもない桃色のブロンドの髪をした少女も混ざっていた。

「うふふ、やっぱりみんな揃って来てくれましたわね。これで、今年の舞踏会も楽しいことになりそうですわ」

「ふふ、陛下も本当にお人が悪いんですから。さあ、それではお出迎えにいきましょうか。きっと、びっくりしますわよ」

 そう言っている一人は、もちろんアンリエッタ女王。しかしもう一人はアニエスや侍女とは違う、もっと気品があってアンリエッタと対等に近い話し方だ。

 だが、女王たるアンリエッタと対等となるとトリステインの人間ではない。二人がいる部屋のテーブルの上には、束になった羊皮紙がインクも乾いていないメモといっしょに置かれていた。そのすみにはルビーの原石とド・オルニエール産のワイン瓶もあり、ついさっきまで二人はここで貿易に関する話し合いをしていたようである。

 そして、商談の行方は二人の様子を見るに大成功。しかし、二人はそんなことはもうどうでもいいという風に、仲良さげに部屋を出て行った。

 

 さて、そんな風に見られているとは露知らない珍客たちは、やっとのことで城門を通り抜けたところだった。

「はい、招待状は本物ですね。失礼しました。グラモン家のギーシュ様と御一行様、入城を認めます、どうぞ」

「ど、どうも、任務ごくろうさま。さ、さあ諸君、行こう」

 門番の役人の疑わしそうな視線の横を、ガチガチに緊張しきった様子のギーシュに続いてルイズや才人、モンモランシーやキュルケなどの面々がぞろぞろと通り過ぎていく。

 彼らの手には、メカゴモラと戦った日に街を守ってもらったお礼として洋服店ドロシー・オア・オールから贈られた舞踏会の招待状が握られていた。それは間違いなくトリステイン王家の花押が押された本物なのだが、今回ばかりはギーシュだけでなくルイズやモンモランシーも、まるで戦場に出る前の様に緊張しきっている。

 いや、ある意味では戦場以上と言っても過言ではない。なにせ、このエルムネイヤの舞踏会は各国から数多くの招待客が来られる関係で、国内からは特に厳選された一部の貴族しか出席が許されない。具体的に言えば、以前にギーシュとモンモランシーも出席したラグドリアン湖での舞踏会よりも格式は上で、普通ならば当主と配偶者、成人した嫡男嫡女しか出席を認められることはない。

 これは、いくら身分を気にせずとは言っても、国の面子がかかっている以上は未熟者を出して国の恥を晒したくないという意味である。地球で言えば各国首脳や国王や王子だけを集めたパーティのようなものが近いか。

 そのため、どう見ても場違いな彼らの姿は完全に浮いてしまっていた。 

 今回、こちらに参加しに来ているのはルイズと才人のほかに、ギーシュとモンモランシーにキュルケと、ベアトリス一行の姿がある。あのときに招待状を受け取った顔ぶれの中ではティファニアの姿がないが、彼女はこういう席は苦手だということで学院に残っている。

 ただ、ティファニアの分を置いても招待状が余ったので、くじ引きで数人の水精霊騎士隊が選ばれてついてきていた。残念ながら、ギムリとレイナールは今回は留守番である。

 しかし、何度も訪れた王宮の中だが……今日はまるで別世界のように感じられる。国外の貴賓が大勢来ているせいで衛兵たちもピリピリしており、周りを通り過ぎていく国内の貴族たちも万一なにかあったら国辱ものだというので足早に去っていく。

 トリステイン貴族としてこの上ない名誉だと思って後先考えずにやってきたが、実はとんでもなく軽率な行動をしてしまったのではないかと後悔し始めていた。水精霊騎士隊の少年の中にはギーシュに、今のうちに帰らないかと弱音を吐く者もいる。しかし、プライドだけは人一倍のギーシュやルイズが怖気ずいて逃げるなどいう不名誉な選択をできるわけがない。

「な、何を言っているんだね。これはぼくらが一気に社交界にデビューするまたとないチャンスではないかね。いいかね、ここにいる者たちのほとんどはエルムネイヤの舞踏会に一生参加が許されない程度の家柄だ。君たちは、一生に一度かもしれないチャンスをふいにするつもりかね!」

「こ、今回だけはギーシュの言う通りよ。ヴァリエール家はそんな卑しい家柄じゃないけど、三女のわたしが出席するチャンスなんてまずないものね。に、逃げたい人は逃げればいいんじゃない? わたしは逃げないわ」

 と、言いながらもギーシュの足はガクガクと震えているし、ルイズも舌がもつれている。前にルイズは、逃げないものを貴族と言うのよと言ったが、ここまで腰が引けていては説得力は皆無だった。

 けれど、チャンスというものは同時に大きなリスクもともなうのだ。もし舞踏会でポカをしてしまえば、国辱はそのままその者の家の罪となる。もしそんなことになれば勘当ものだ。それでも、ギーシュは父や上の兄たちを見返したいという気持ちがあったし、ルイズも母やエレオノールに対して自分を誇れる手柄が欲しかった。

 平然としているのは、参加するわけではない才人と、ルイズたちを眺めて楽しむのが目的のキュルケくらいだ。

「大丈夫かよ、こんなんで……」

 才人にとってはどうでもいいことだけに、そんなに緊張するならやめとけばいいじゃねえかと思わざるを得なかった。しかし、やめろと言われるとかえってむきになるのがルイズである。

「さ、さあまずは招待状をくれたドロシー・オア・オールの支配人さんにお礼を言いに行きましょう」

「ルイズー、そっちは反対よ」

 先が思いやられるどころじゃないなと、才人もキュルケも呆れ果てていた。いつもならギーシュたちの尻を蹴飛ばすモンモランシーや、強気が服を着て歩いているようなベアトリスたちも固まってしまっているし、ルイズやギーシュは完全に意地になっている。

 これじゃわざわざ恥をかきに行くようなもんだぞと才人は思うが、意固地になったルイズが聞き分けるとは思えない。

 だが、そのときだった。ぎこちなく足を踏み出そうとしていた彼らに、聞きなじんだ二つの声がかけられたのは。

「ふふ、そんなに緊張しないでも大丈夫よ、ルイズ」

「ええ、ダンスは楽しく踊るのが一番ですわよ。ねえ、ギーシュ様」

 はっとして皆が振り向くと、そこにはアンリエッタとルビアナが笑いながら立っていた。

「じょ、女王陛下! け、敬礼!」

 自らの主君の前に、ギーシュたちは整列し、ルイズたちも姿勢を正した。

「じょ、ひょうお陛下におきましては」

「女王陛下におきましては、本日も、た、大変ごきげんうるわひぃく!」

 ギーシュが噛みながら挨拶しかけるのを押しのけたモンモランシーも噛みながら必死に挨拶した。温泉のときなどで女王陛下とは顔を合わせてはいるものの、プライベートですむときと違って、ここはピリピリしている王宮の中。無礼を役人に見とがめられでもしたら大罪になる。

 しかしアンリエッタはそんな彼らに、楽にしてくださいと諭すと、にこやかに告げた。

「ルイズとお友だちの皆さま、よくおいでくださいました。待っていましたわ」

「は、はい、参上つかまつりました。えっ?」

 そこで、いち早く不自然なことに気づいたのはアンリエッタと一番なじみの深いルイズだった。『待っていた?』、つまりアンリエッタはルイズたちが今日やってくることをあらかじめ知っていたということになるが、エルムネイヤの舞踏会に参加するということは自分たち以外の誰にも言ってはいない。

 それにどうしてルビアナがここにいるの? いや待って、ドロシー・オア・オールは確かゲルマニアに本店のある店だったはずよね。

 ルイズの頭の中で、目まぐるしくパズルが組み立てられていく。もろもろの不自然なことと、アンリエッタの性格とかけあわせると答えはひとつ。

「ま、まさか、この招待状を用意してくれたのってミス・ルビアナなの?」

「ええ、さすが聡明なルイズさん。お察しの通り、ドロシー・オア・オールの総支配人はこのわたくしです。いつぞやの温泉のお礼にあなた方をぜひ招待したく、一芝居うたせていただきました。でも、それだけじゃないことをもうわかっているのでしょう?」

 そう微笑みつつ告げるルビアナに、ルイズはアンリエッタに震えながら尋ねた。

「じ、女王陛下。いつのまにミス・ルビアナとそんなに仲良くなられたのですか……?」

「友情に時間は関係ありませんわ。ねえ、ルビアナさん」

「おかしいとは思わなかったのですか? どんなにトリステインで懇意にさせてもらっている貴族がいたとしても、十数人分もの招待状を用意できるわけがないではないですか」

 あ! と、ルイズ以外の者たちはそこでやっとカラクリに気づいた。王家の花押が押された招待状を簡単に用意できる人間といえば、この世にたった一人しかいない。舞踏会に出られることで浮かれて、招待状の出どころの不自然さに気づかなかった自分たちのうかつさに、アンリエッタはいたずらを成功させた子供のように微笑みながら言った。

「楽しいイベントは楽しいゲストがいてこそ盛り上がるものですからね。あなたたちが舞踏会でどんなダンスを見せてくれるか、わたくしもこっそり探させていただきますわ」

 完全にはめられた! 一同は自分たちが「誘われた」のではなく「おびき寄せられた」ことを知った。退屈が嫌いでハプニングを常に期待しているこの人によって、堅苦しい舞踏会に放り込む爆弾として用意されたのだ。

 それなら、いかにも場違いな自分たちが呼ばれたのも理解できる。しかし、いくら女王とはいえ国政行事にそんなことをしてもよいのかと、モンモランシーが震えながら尋ねた。

「お、恐れながら女王陛下。わ、わたくしどもは若輩の身にて、もし粗相がありましたら女王陛下の名誉に傷が」

「いいえ、わたくしはエルムネイヤの舞踏会を本当の意味で身分を気にしないですむ場所にしたいと考えています。その点、あなた方は英雄と呼ぶにふさわしい働きを何度もしてくださっていますから参加資格は十分ですし、なにか楽しいことを起こしてくれる可能性も申し分ありません。それに実を言うと、舞踏会の形骸化に対する不満は招待客の側からも年々大きくなっていますのよ。刺激を求めているのはわたくしだけではないのです。ですからむしろ、アクシデントを期待していますわ」

 すごくいい笑顔でそう告げるアンリエッタに、ルイズたちはもう絶句するしかなかった。

 確かに、形式にこだわる貴族は常にストレスを溜めながら生活しているようなものだ。その点、エルムネイヤの舞踏会も最初は貴族たちの息抜きのために始められたのだろうが、それに伝統という重しがついていって堅苦しくなっていったのだろう。

 しかし、伝統と格式ある行事を「ぶち壊せ」と言われて喜んでできるほどルイズやギーシュたちも度胸はない。ベアトリスなど論外で完全に血色を無くしているが、そんな彼らにアンリエッタは優しげに告げた。

「そんな顔をなさらないでください。それでは、ちょっとしたゲームをいたしましょう。言い忘れていましたが、今回の舞踏会にはわたくしもちゃんと参加しますわ。そこで、わたくしがどんなふうな仮装をしていたか、終わった後にこっそりお教えしますので、わたくしと踊ってくださった方には特別に恩賞を差し上げますわ」

「そ、それは本当ですか女王陛下!」

 一転して満面の笑みに変わったギーシュたちに、アンリエッタはどこまでも慈悲深い笑みで答えた。

「ええ、ですから頑張ってわたくしを楽しませてくださいね」

 そしてアンリエッタは、「では、舞踏会までごきげんよう」と言い残して踵を返し、ルビアナもギーシュに優雅に一礼した。

「それではギーシュ様、舞踏会でわたくしも見つけてくれることを期待してますわ」

「は、はいそれはもちろん! 騎士の名にかけてレディのご期待には応えますと、あいででで!?」

「ギーシュ、あなたわたしを一番に見つけるって言ってなかったかしら?」

 相変わらず無意識にモンモランシーの地雷を踏んでいるギーシュ。そんな二人をルビアナは微笑みながら、「わたしは二番でよろしいですわ」と告げてから、アンリエッタといっしょに去って行った。

 後に残されたのは、あっけにとられている一同のみ。その中で、蚊帳の外に置かれていたベアトリスが呆然としながら呟いた。

「わたしたち、女王陛下の手のひらの上で踊らされていたってわけ……?」

 トレードマークのツインテールが力なく垂れ下がっているほど、ベアトリスも今あったことが信じられなかった。温泉のときに直接会って、気さくなお方なのかなと親しみを覚えていたが、まさかこんな手の込んだ悪ふざけをされる方だったとは。

 そんなベアトリスに、ルイズが忠告するように言う。

「覚えておきなさい。あれがトリステインで一番敵に回してはいけないお方よ」

 そう言うルイズの顔もひきつっていた。昔からいたずら好きな性格だったけど、女王になって少しはしとやかになるかと思えば逆に好き放題しだしたしようだ。

 しかし、ルイズの中にあるのは女王への忠誠心だけではない。まんまとしてやられたことで、子供時代に張り合った記憶がまじまじと蘇ってきて、ルイズは怒りで震えながらつぶやいた。

「ふ、ふふ……女王になったからと思ってこれまで自重していたけど、そっちがその気ならこっちもその気にならせてもらいますわね」

「ル、ルイズ?」

 突然殺気を放ち始めたルイズに、モンモランシーやベアトリスは怯えて後ずさった。そのとき才人は、「あ、ヤベ」と思って適切な距離を置いたが、それができなかったモンモランシーとベアトリスはむんずとルイズに肩を掴まれていた。

「あんたたちも付き合いなさい。あの高慢な女狐に目にもの見せてやるんだから!」

「ル、ルイズ、女王陛下に対してなんて不敬な。てかあなた目が座ってるわよ」

「いいのよ、あの女の王冠の下にはドス黒いものが渦巻いているんだから。ここで黙っていたら次はどんな無茶苦茶を押し付けてくることか。だから先手をとって、この舞踏会で一泡吹かせてやるのよ。あんたたちも被害者なんだから手を貸しなさい! 売られたケンカは必ず買うのを貴族というのよ!」

「そんなルール聞いたことないわよ!」

 女王に仕返しをするという耳を疑うような計画に動揺するモンモランシーだったが、何かにキレて目を吊り上がらせたルイズは拒否権などないというふうに肩を捕まえてくる。

 アンリエッタの挑発に、ルイズもすっかり子供の頃のおてんば娘に返っていた。そして、ベアトリスもまたルイズから逃げられないでいた。

「あなたも協力するわよね? 温泉の時に同志だって誓い合った仲だものね?」

「すみません先輩、もう帰らせてください! やっぱり名誉よりなによりも命が惜しいです!」

「貴族が命を惜しんでるんじゃないわよ。心配しなくても、弱いものいじめよりずっと楽しいから病みつきになるわよ、強いものいじめってのはね」

「いやああ! エーコ、ビーコ、シーコ、助けてぇぇ!」

 ツインテールを振り乱しながら泣き叫ぶベアトリスに、彼女の忠実な僕である三人の娘も助けたいのはやまやまだけども絶対に助けられないことを本能的に悟って身をこわばらせていた。もちろん、その後おろおろしていた三人もルイズに捕まったのは言うまでもない。

 そんな彼女たちの様子を才人は「おお、美少女同士がくんずほぐれず!」と言って興奮し、キュルケは「なにかおもしろいことになってきたわね」と意地悪そうに見ていた。

 

 そして、諸悪の根源であるアンリエッタ女王はといえば、ルイズたちと別れた後に、またやってくる来賓の車列をテラスから楽しげに見下ろしていた。

「うふふ、皆さま続々といらっしゃいますわ。今年のエルムネイヤの舞踏会は、とても楽しいものになりそうですわね」

 王冠をかぶった髪の下の瞳を子供のように輝かせながら、アンリエッタはつぶやいた。

 日頃退屈な国政行事に飽き飽きしているアンリエッタにとって、前々から楽しみにしてきた数少ないイベントのひとつがこの舞踏会だった。なにせ仮装舞踏会だから女王の立場を気にせずに好きにふるまうことができる。去年まではそれも形式だけだったが、今回は本当に無礼講にするために手は打った。

 それに、アンリエッタにとってそれよりも楽しみなことが今日にはある。そのことを想像して、いわゆるルンルン気分でいるアンリエッタに傍らから声がかかった。

「ふふ、なにせ今日はアルビオンからウェールズ閣下がいらっしゃるものですものね。せっかくのご夫婦ですのに、それぞれの国の国王と女王なのでなかなかいっしょにいれないそのお気持ち、わかりますわ」

「ええ、ミス・ルビアナ。女王なんて本当に退屈。でも、もう少し落ち着きませんと、もしものことがあったときに大変ですものね。それまでは会える機会を大事にしないといけませんわ」

 トリステインとアルビオンは一見平和に見えるが、その内面にはまだ不安定な要素が残っている。今すぐ反乱を起こそうなどという馬鹿はいなくとも、自分の欲望のために国を弱体化させようという輩は尽きることはない。今は二国の王と女王が婚姻したという関係と、二人の強いリーダーシップで抑え込んでいるが、逆に言えば二人がいなくては成り立たないということだ。

 よって、二人が今おこなっていることは仲間を増やすことだ。といっても、古い貴族たちではなく、これからの世代を担える若い者たちだ。旧世代は滅びゆくが新世代はこれから立つ。この舞踏会の改革もその一環で、そのために自分も常に若々しい心を保っていようと心掛けている……というのはほとんど建前だが。

「ふふ、本当に女王陛下とウェールズ様は仲がおよろしいんですのね、うらやましいですわ」

「あら、ミス・ルビアナにもお気になっている殿方がいらっしゃるのでしょう?」

 そう返すと、ルビアナはぽっと顔を赤らめた。

「ええ、残念ながらわたくしの片思いですけれどもね。でも、恋っていいものですわね。思いが届かなくても、思うだけでも幸せになれますもの」

「純粋なのですわね。わたくしなら、思う人が自分のものにならないなら、どんなことをしてしまうかわかりませんわ」

 可憐な中に、ややすごみを感じさせる様子でアンリエッタは言った。彼女は清純に見えて、こと欲しいものを手に入れることに関しては手段を選ばないところがある。以前にトリステイン軍を引き連れて無理矢理アルビオンに乗り込んだときが最たるものである。あのルイズも独占欲の強いほうであるが、ことアンリエッタの前となると後ずさるところがあった。

 しかし、ルビアナはそんなアンリエッタを否定することなくうなづいた。

「女王陛下は情熱豊かなお方。わたくしも陛下のように情熱的な殿方に愛されてみたいですわ」

「あら? ミス・ルビアナほどのお人なら、殿方からは引く手数多なのではありませんか?」

「いいえ、わたくしにだって好みというものがありますわ。わたくしの憧れるのは、優しくて情熱的で正直なお方……そう」

「ミスタ・グラモンですね」

 そう指摘されると、ルビアナは恥ずかしそうに頭を垂れた。

「少しわかりますわ。彼はウェールズ様のような方とはまるで違いますけど、明るくて奔放で、それでいて自由で……わたくしたちにはないものを持っていますわ」

「ええ、でもいつかはあの方も大人になって自由でいられない日が来る。ですから私は、あの方を束縛したくはないのです」

「身分とはつまらないものですものね。玉座の風景など、裸足で駆け回る野々原の風景に比べたらどれほどの面白みがあるというのでしょう」

「でも、野々原を駆けまわる子供たちを守ることはできる。そのためにあなたは女王をやっているのでしょう?」

 ルビアナの言葉に、アンリエッタは照れくさそうにうなづいた。

「お見通しですのね。わたくしにはお祖父さまやお父様のような手腕はありませんが、それでもこんなわたくしに期待をよせてくださっている方々がおりますから……でも、それを言うならミス・ルビアナもそうでは?」

「ええ、あのルビティアの地は私のお父様が愛した土地です。そして、私もあの地で生きる人たちが好きです。あの方たちの笑顔を守れるなら、なにをしてもよいですわ」

 閉じた目をあげて陽光に白い肌を晒すルビアナの横顔は、どこまでも優しく美しかった。

「女王として、ミス・ルビアナからはいろいろ学ばせてもらいたいものです。でも、せめて今日はつまらないことを忘れて舞踏会を楽しんでいってください。きっとすてきな思い出ができますわ」

 アンリエッタはこのエルムネイヤの舞踏会に思い出があった。何年か前に開催されたとき、ウェールズと「互いに相手を見つけ合って、先に見つけたほうがなんでもひとつ言うことを聞かせられる」というゲームをしたのである。その結果がどうなったかについては、当の二人以外に知る者はいない。

 もっとも、そんな無邪気な思い出のころのままならよかったけれど、今のアンリエッタは当時よりもいろいろとたくましくなっていた。

「ふふ、本当にきっと楽しいことが起きますわよ。そのためにわざわざルイズを呼び寄せたんですから」

 アンリエッタが、ルイズの顔を思い出しながら愉快そうにつぶやくと、ルビアナも共感して微笑んだ。

「本当に女王陛下はお人が悪いんですから。あまり困らせるとミス・ヴァリエールがかわいそうですわよ」

「ルイズはいいんですわよ。昔からケーキでもお人形でもわたくしと取り合ってきた仲なんですから。きっと今ごろはどうやって仕返しをしようかと考えてるに違いないです。それを言うのなら、ミス・ルビアナもミスタ・グラモンのびっくりしたお顔を見てずいぶん楽しそうだったではありませんか」

「ふふ、好きな人だから困らせてみたいというではありませんか。わたくしも久しぶりに子供の頃を思い出して楽しかったですわ」 

「ミス・ルビアナの幼少の頃ですか。きっと、珠のように可愛らしい姫ぎみだったのでしょうね。そう、そういえば」

 そこでアンリエッタは表情を引き締めてルビアナに言った。

「ミス・ルビアナ、トリステインの孤児養護施設への援助、ありがとうございます。教会のほうから、ぜひにお礼をと報告が入っておりますわ」

「まあ、お礼などよろしいですのに。少しばかりのお金を寄付しただけで、わたくしは何もしておりませんわ」

「いえ、そのお金が大切なのです。子供というのは様々なことにお金がかかるものだそうで、とても助かったと聞いております」

 アンリエッタの心からの謝意はルビアナの心にしみじみと伝わった。トリステインも豊かになってきているとはいえ、財力には限りがあるし、ひとつ箇所だけをひいきにするわけにもいかない。有志の助力はとてもありがたかった。

「それはなによりです。昔はルビティアも身寄りのない子供が多かったもので、少しでもそうした子供が減ってくれるようにと願っての寄付でしたが、お役に立てたようでうれしいですわ」

「ミス・ルビアナは、本当にお優しい方なのですね」

「いいえ、わたくしはわたくしの目に入るところだけを救おうとしているだけですわ。この世界には、もっとたくさんの不幸な子供たちがいることでしょうけれど、見知らぬところで苦しむ人がいても、それに心を痛められるほど、わたくしは心が広くはないのです」

 悲しそうに顔を伏せるルビアナに、アンリエッタは優しく声をかけた。

「もし、この世のすべての人に慈悲を注げる人がいたとしたら、それは聖人ですらない怪物でしょうね。わたしたちは、人間としてやれる範囲でやればいいと思います。そうでなければ、壊れてしまいますよ」

「……そうですね。女王陛下の言う通りですわ」

「ふふ、ミス・ルビアナにはやっぱり笑顔のほうが似合いますわ。では、そろそろわたしたちも支度に参りましょうか。わたくしはウェールズ様といっしょに後から参りますから、ミス・ルビアナは先に仮装してお待ちくださいませ」

「ええ、では、また後で……」

 まるで昔からの友人の様に親しげにあいさつをかわして、二人はそれぞれの仮装をするために別れた。

 

 

 一方そのころルイズたちも、会場となるダンスホールへ向かって広い宮殿の中を歩いていた。

「王宮の中もずいぶん変わっちゃったものね」

 ルイズが感慨深そうにつぶやいた。バム星人のせいで炎上して以来、事あるごとに修復や改築を繰り返した結果、王宮の構造は数年前とは大きく違っていた。それはもう、新しく別の王宮を作り直したと言っても過言ではないほどの改築ぶりで、例えるならば毎年のように壊されては再建されるたびに高さが上下していた東京タワーみたいなものである。

 とにかく怪獣に壊される建物というものは修復速度がなぜかとてつもなく早い。防衛隊の基地に怪獣や宇宙人が攻め込んで派手に暴れても一週間もすれば何事もなかったかのようになっているくらいは当たり前で、東京なんか何回灰燼に帰したか数えきれないほどだ。

 まあそれはともかくとして、道順を尋ねながらもルイズたちは新築ぽい王宮の中を物珍しそうにしながら進んだ。この頃になると、モンモランシーやベアトリスもなかば諦めてついてきており、どうやってアンリエッタに仕返しをしようかと暗い笑みを浮かべているルイズの後姿をため息をつきながら見ていた。

 しかし、建物は変わっても人間は変わることはない。一行は途中で、会場の警備に当たると思われる銃士隊の一団の横を通った。その際、アニエスの姿も見つけて才人が声をかけたが、「今は仕事中だ」ときつい目で睨まれてしまった。

 ほかにもよく見ると、見知った顔がちらほらと目につく。マザリーニ枢機卿が不健康そうな顔で不安そうに役人たちから報告を受けているし、庭に目をやればド・ゼッサール殿のマンティコア隊が空からの侵入者に対して目を光らせている。

 つまりそれは枢機卿ほどの人が緊張でやせこけ、マンティコア隊が総出で護衛につくほどのイベントだということだ。それをおもちゃにしようというアンリエッタの度胸もすごいが、そこに参加できるのはやはりたいへんな名誉なのだと一行は誇りに思い出し、その先頭を肩を怒らせて歩くルイズの胸中は自信で満ち溢れていた。

「ふふん、見てなさい腹黒女王。小さい頃にあなたにさんざんほえ面かかせた相手が誰だったか、はっきり思い出させてあげるわ。それにエレオノールお姉さまにお母様にも、ルイズがもう一人前の貴族だって証明してあげるんだから」

 ルイズの思い浮かべるビジョンの中には、舞踏会の中で女王を抑えて燦然と輝いて注目を集める自分の姿がありありと浮かんでいた。

 城についた時こそ緊張でガチガチになっていたけれど、アンリエッタにだけは負けたくないという思いがルイズの自尊心を高ぶらせていた。

 あの女王にできることがわたしにできないはずがないわ。トリステインで一番の美少女はアンリエッタ女王ではなく、このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様なんだってことを思い知らせてあげる。と、ルイズは女王への忠誠心を記憶の井戸の底に放り投げて思った。

 ……もっとも、その直後にすれ違った女王の護衛隊の先頭に立つ鉄仮面の騎士に、仮面の下からちらりと睨まれると一瞬にして心臓を凍らせたが。

「ああああ、もうダメだわ。お母様があの目をしてたら必ずおしおきされるわ、殺されるわ。きっと火あぶりにされたあとで竜巻に放りあげられて宇宙遊泳させられてから砂に埋められたところにワニをけしかけられて血の海に沈められるんだわぁ」

「なにその地獄のフルコースメニューは……?」

 恐怖のあまりとんでもない妄想をしているルイズにモンモランシーやキュルケがドン引きしているが、全部実際にやられたことだと聴いてさらにドン引きした。さらに今が冬だったら新雪に埋められて氷付けにされるコースもあるという。

 けれど、ルイズの家庭の事情はともかくとして、賑やかな雰囲気を感じているとだんだんとわくわくしてきた。これは仮装舞踏会であるから、閉会まで誰が誰だか知られる心配はない。それでは多くの貴賓を呼ぶ意味があるのかと思われるが、相手が誰だかわからないからこそ、誰にでも礼儀正しくできる気品が求められ、かつ身分によるしがらみを忘れられるのだ。

 ただし、相手の正体を聞くのはだめだが、自分から名乗ることは許される。この時がお互いに貴族としての礼節をもっとも試されるときであり、格下ながら堂々とした態度で勇名を覇す者もいれば、相手が格下とわかったとたんに尊大な態度に出て評判を落とす者など様々いる。まさしくハイリスク・ハイリターンであり、名乗らずに終わる者も多い。しかし、舞踏会での印象が良ければ身分によらずに好印象を相手に与えられるこのチャンスを狙う者もまた少なくはない。

 そしてこの先の更衣室で仮装の支度をすることになる。学院でおこなわれるスレイプニィルの舞踏会では『真実の鏡』というマジックアイテムを使って仮装するが、こちらではフェイス・チェンジの魔法を応用した特別なネックレスを使う。これを下げると、顔つきや髪の色まで変わってしまうために、見た目ではまず見破られることはない。

 ただし、スーツやドレスのコーディネートや化粧は変わらないため、仮装した後の身だしなみは本人のたしなみがものをいうのである。参加者は二人一組で更衣室に入って、出てきたときには魔法で仮装して誰が誰だかわからなくなる。貴族ではない才人が入れるのはここまでだ。 

 二人一組のペアで仮装の支度をする意味もちゃんとある。万一途中で正体がバレることを防ぐために従者の立ち入りも禁止されるけれど、その相手にだけは自分が誰なのかを知っていてもらえる。つまり、もし何かあってもその相手に助けを求められるようにとの配慮だった。

 だが、ここで問題が出た。男子は才人を除いて偶数でちょうどよかったが、女子はペアにすると一人余ってしまうのである。

 特に、モンモランシーが問題だった。ルイズやベアトリスと違ってモンモランシーの髪型はいわゆる縦ロールという独特の形をしているので、そのままだと顔が変わっても簡単にモンモランシーだとばれてしまうだろう。それを防ぐには丁寧なセットが必要なのだが、これをいったん解いて別の髪型にセットし直すとすれば大きな手間と技術が必要になる。いつもならばモンモランシーが自分でセットしているが、滅多に別の髪型にはしないために髪にくせがついてしまっていて、髪型そのものまで変えるなら誰かの手助けがないととても舞踏会の開幕までに間に合わない。

 ルイズやベアトリスにはとても無理で、キュルケでも、「髪を痛めずにセットしなおすのは難しいわね」と難色を示し、困り果ててしまった。

「みんな、ごめんなさい。わたしは帰るから、みんなで舞踏会を楽しんできて……」

「な、なにを言うんだいモンモランシー! 君がいない舞踏会に、どうしてぼくが出られるんだ。髪のセットの手伝いならぼくにだって!」

「ギーシュ、あなた女子更衣室に入るつもり?」

 さすがに冷たい眼差しで睨みつけられ、ギーシュも口ごもる。それに、勢いで言ってしまっただけで、ギーシュに女性の髪のセットなどというデリケートな作業ができるわけがない。

 ペアのルールを調べてこなかったのは落ち度だった。それにモンモランシーも、自分が特徴的な髪形をしていることを忘れていたのはまずかった。無理に解いて形を変えればデリケートな女性の髪に深刻な痛みを与えてしまいかねない。

 しかし、そこに静かな足といっしょに救いの女神がやってきてくれた。

「あら、皆さま方?」

 そこに現れたのはルビアナだった。なぜ唐突にここに現れたかというと、彼女も招待客のひとりだからというわけで、連れがおらず一人で仮装をするつもりだったという彼女は、モンモランシーのことを聞くと快くペアを請け負ってくれた。

 そして、難題が片付くと、後は仮装に入るだけである。再び意気揚々としたルイズたち一行はドキドキしながら招待状と引き換えに更衣室のカギを案内の役人から受け取り、更衣室のドアに手をかけた。

「じゃあサイト、おとなしく待ってるのよ」

「はいはい、どっかのバカ貴族におだてられて舞い上がるなよ」

「バカね、一流の貴族はどんな時でもうろたえないのよ。むしろ、このルイズ様の高貴な雰囲気に虜になる貴族がかわいそうね」

 と、まっ平らな胸を張りつつ似合わない高笑いをするルイズを見て、才人やキュルケは、さっきまでガチガチに緊張してたり恐怖に震え上がってたのは誰だと内心で呆れ返った。

 都合の悪いことはきれいさっぱり忘れてしまえるのがルイズのいいところかもしれない。かと思えばつまらないことでいじいじしたりもするし、前向きなのか後ろ向きなのかわからない。

 いや、ただ単純で空気に流されやすいだけだな。才人は割とひどいことを思ったが、そういうタイプはもう一人。

「諸君! さきほどの女王陛下のお話は聞いたな? 恐れ多くも百合のように可憐な女王陛下が、この舞踏会には参加されるという。そして、我々のような下せんな身でも女王陛下と踊れるチャンスという素晴らしい恩賞をお与えくださった。このお気遣いに応えなくては臣下の名折れ。誰がその名誉に預かるかわからないが、今日を水精霊騎士隊の決戦だと思いたまえ!」

 相も変わらず薔薇の杖を掲げてきざったらしく語るギーシュの姿は、才人にはもう見慣れたものだった。それにしてもギーシュの台詞のボキャブラリーが貧困なのは知っているが、水精霊騎士隊にはいったい何十回『決戦』やら『正念場』やらあるのだろうか?

 そしてその一方で、どさくさに紛れて逃げ出そうとしていたベアトリスだったが、ルイズにあっさり首根っこを摑まえられていた。

「どこいくの? 女王陛下への礼節を先輩直々に教えてあげるんだから逃げちゃダメよ」

「いやーっ! クルデンホルフ家がお取り潰しになりますーっ! 帰らせてーっ!」

 ルイズは嫌がるベアトリスを引きずって入っていき、やれやれと言った感じでキュルケはエーコと、ビーコはシーコと入って行った。続いてギーシュたちも適当に連れだって更衣室に入っていく。

「また後で会おうぜ」

「会ってもわからねえけどな」

「正体を聞いたらダメなルールを忘れるなよ」

 賑やかな面々がドアの向こうに去ると、あたりは急にしんとして、才人は「終わるまで散歩でもしてっかな」と踵を返した。

 

 しかし、それぞれの更衣室では中で激戦が繰り広げられていたのである。

「痛い痛い痛いです先輩! 髪が抜けちゃう、そんなに引っ張らないでください!」

「おっかしいわねえ、三つ編みってこうこうしてこうすればいいんじゃなかったかしら?」

 壊滅的に不器用なルイズに髪のセットをされているベアトリスが泣き叫んでいる隣の部屋で、ギーシュも水精霊騎士隊の少年のひとりともめていた。

「ギーシュ隊長、もっとまともな服はないのかよ? こんなド派手なの着ていったら大恥かいちまうぜ!」

「なにを言っているのかね? これはぼくが今日のために選び抜いた究極のタキシードなのだよ。舞踏会ではまず注目を集めなければいけないじゃないか!」

「バカ言うな! こんなヒラヒラゴテゴテしたの着ていったら注目どころかドン引きされて誰も踊ってくれねーよ!」

 こういう具合で、舞踏会に参加する以前で無茶苦茶なことになっていた。舞踏会は日暮れと共に始められるのでまだ時間はあるけれど、こんな調子で間に合うのだろうか非常に不安なものである。

 しかし、静かに粛々と支度を整えているペアもいる。モンモランシーは化粧台の前に座って、後ろに立つルビアナに髪を解かしてもらっていた。

「モンモランシーさんは髪がきれいね。うらやましいわ」

 ルビアナの握るブラシが丁寧にモンモランシーの縦ロールを解かして寝かせていく。その手つきはとても優しく繊細で、プロの美容師にもひけをとらないだろう。

 このまま眠ってしまいたいほどの心地よさを感じながら、鏡ごしにそれを見ているモンモランシーは羨望と少しの嫉妬を覚えていた。

”どうしてこんなすごい人がギーシュなんかを好きになったんだろう……”

 自分には、とてもこんな繊細に髪を扱うことなんてできない。それだけで、ルビアナが女性として高いスキルを持っているのだとわかる。にもかかわらず、どうしてあんなバカで浮気性な奴を好きになったのかわからない。

「ねえ、ルビアナさんはどうしてギーシュを好きになったんですか? あいつ、今でも節操なく下級生に手を出すし、バカでお調子者でスケベで服の趣味は悪くてきざで間抜けで……ルビアナさんだったら、もっと立派な殿方をいくらでも見つけられるでしょう?」

 思いきって、一息にモンモランシーは訊ねてみた。我ながら、よくもまあ好きな男の欠点ばかり一気にあげられるものだと思う。しかしルビアナは笑わずに答えてくれた。

「モンモランシーさんは、ギーシュさまのことをなんでも知っていらっしゃるのですね」

「な、なんでもって、あいつは底の浅いバカだから簡単に全部わかっちゃうだけよ」

「でも、浅くてもとても広い器を持った方ですわ。そして、これから大人になろうとしていますが、少年の自由な心も忘れない方。私にはそれがとても眩しく見えているのですよ」

 しみじみと語るルビアナに、モンモランシーは”なによ、ルビアナさんだってギーシュのことしっかり見てるんじゃないの”と、劣等感を強くした。

 この人にはとても勝てない。家柄や美貌だけでなく、気品や知性、貴族としても女性としても、なんの才能をとっても一つとして勝てる気がしない。ギーシュだって、貧乏貴族の娘の自分なんかよりルビアナといっしょになったほうが幸せに違いないと思う。

 そう思うと、悔しさを通り越して悲しくなったモンモランシーは、思わず口に出していた。

「ねえ、ルビアナさん。もしわたしがギーシュのことを諦めたら、どうする?」

 そう訊ねると、ルビアナは髪をセットする手を止めて、モンモランシーの肩に手を置いた。

「そうですわね。モンモランシーさんがいなくなれば、ギーシュさまは私のもの。それもいいかもしれませんわね……」

 それはこれまで聞いたこともないほど凄みのきいた声で、モンモランシーは思わず体を震わせた。

「ル、ルビアナさん?」

 しかし答えはなく、肩に置かれた手がじわじわと首に近づいてくる。

”まさか、たとえばで言っただけなのに本気にしてないよね! ね!”

 だが問い返すにも喉が固まって声が出ず、体が凍ってしまって鏡を見ることも振り返ることもできない。

 そして、涙目になって震えるモンモランシーの喉にルビアナの手がかかろうとしたとき……。

「なーんて、冗談ですよ」

 笑った声とともに、ルビアナはモンモランシーの肩に顔を乗せてきた。

 モンモランシーがほっとしながら振り返ると、そこにはルビアナが優しい顔を見せていた。そのままルビアナはゆっくりと話し始める。

「モンモランシーさんがいなくなっても、ギーシュさまは悲しむだけ。ギーシュさまの心が私に向くことはありません。むしろ、ずっとモンモランシーさんを思い続けてつらいだけ。なんの意味もありませんわ」

「そんな! あいつは可愛い女の子を見つければすぐ口説こうとするし、わたしなんてそのうちの一人に過ぎないのに」

 自信をなくしてモンモランシーはルイズのようにうじうじとなっていた。そんな彼女に、ルビアナは言う。

「それでは聞きますが、ギーシュさまはその方々に自分と結婚して赤ちゃんを産んで欲しい、とまで考えていたのでしょうか?」

「えっ!?」

 いきなり飛躍した問いかけをしてくるルビアナに、モンモランシーの顔が赤くなる。

「そ、それは……あいつが、そんな深くまで考えてるわけないわ」

「ではギーシュさまに口説かれた人たちは、ギーシュさまと結婚して赤ちゃんを産んでもいい、と考えていたでしょうか?」

「それは……そこまでは、誰も考えてないと思う」

 当然である。いちいち男子に声をかけられるたびに、そこまで想定する女はいない。せいぜい結婚までで、その先など考えない。

「ではモンモランシーさんは、ギーシュさまと結婚して赤ちゃんを産んであげてもいい、と思っていますか?」

「……」

 そばかすまで染まるほどに顔を真っ赤にしての沈黙が、なによりの肯定の答えだった。

 ルビアナはにこりと笑うと、モンモランシーに言う。

「それが答えですわ。あなたのその覚悟に届くほどの思いを、誰も持ってはいません。それはいつか風化して消える遊び、永遠には続きません。あなただけが違う。だからあなただけが残る。もっと自信を持ってください。モンモランシーさんは間違いなく、ギーシュさまにとっての特別なのですよ」

「じゃあ、ルビアナさんはどうなの? ギーシュの赤ちゃんを産んでもいいと思ってるの?」

「喜んで。でも、ギーシュさまは私をそこまでは思ってくれてはいません。残念ですが、モンモランシーさんには勝てませんわ」

 モンモランシーは赤面しながら、本当に大人と子供の差があるなと思った。美しくて優しいだけじゃなくて、恋敵をこんなに応援する勇気や強さまで持っていて……自分にはとてもできない。

”理想のレディって、こんな人を言うんでしょうね”

 魅力的な女性ならアンリエッタ女王をはじめ、いろんな人を知っている。しかしルビアナのように、姉のような母のような、そんな深く広い慈愛の心を持った人はいなかった。

「ほんと、ギーシュなんかにルビアナさんはもったいないわ」

「いいえ、ギーシュさまはとても大きな夢をお持ちの方。水精霊騎士隊を世界一の騎士隊にしたいという夢を。あの方ならきっと、いつか成し遂げてくれますわ。モンモランシーさんには、夢はおありなのですか?」

「わたし、わたしの夢は……」

 言われてみれば、夢と呼べるものはなかったかもしれない。いや、いつか自立して香水のブランドを立ち上げたいと思いはしているけれど、それはまだ夢とさえ呼べない夢想かもしれない。

”そっか……ギーシュは夢を持っているだけでも、わたしより前を歩いてるんだ”

 あんな奴でも、夢を持って前進している。それに比べて自分はどうだろう? 悔しい。

「ルビアナさんには、夢はあるんですか?」

 答えられなかったので、思わず聞き返していた。するとルビアナはふっと微笑んで。

「お嫁さんになりたい……と、言ったらおかしいですか?」

「え?」

「心から愛し合える殿方と結ばれて、お腹を痛め、家庭を作り、家族でいっしょに生きていく。そんな人生を送ってみたい。それが私の夢ですわ」

 それは、一国の政治を動かすこともできる大貴族としてはあまりにささやかな夢で、モンモランシーはすぐに答えることができなかった。

 けれど、ルビアナの少し寂しそうな顔を見て、彼女は気がついた。そうか、この人は女性として自由な恋愛をするには大きなものを持ちすぎている。だから、同じ境遇の女王陛下と引かれあったんだ。

「すてきな夢だと思います。きっとルビアナさんなら、世界一すてきな花嫁になれますよ」

「ありがとう、モンモランシーさん。ギーシュさまとの結婚式には是非呼んでくださいね」

「う、あ、はい」

 ギーシュとの結婚式を想像して、また赤くなるモンモランシーであった。

 そんなモンモランシーを見て、ルビアナは再び優しく笑う。

「さあ、支度を続けましょう。早くしないと舞踏会が始まってしまいますよ」

「あ、は、はい!」

 すっかり忘れていたモンモランシーは、せっかくの舞台に遅刻したら大変と、気を引き締めて鏡に向かった。

 肩には、ルビアナのつけている香水が残り、ほのかな香りを漂わせている。その香りを嗅いで、『香水』の二つ名を持つモンモランシーは思った。

”淑やかで、とってもいい香り……どこのブランドかしら? もしかしてルビアナさんのオリジナルかも……いいなあ、わたしもいつかこんな香水を作ってみたい。あれ? でもこの香り、最近どこかで嗅いだような……どこだったかしら……”

 モンモランシーは思い出そうとしたが、髪をセットしてくれるルビアナの手がとても心地よくて、しだいにどうでもよくなっていった。

 やがて二人は化粧とドレスの着合わせを終え、フェイスチェンジの魔法のかかったネックレスを下げた。すると、ふっと二人の姿が映画のシーンを切り越えるように変化した。

「わあ」

「あらあら」

 目を開けると、モンモランシーはそばかすがすっかり消えて、きりっとした学者風な姿に。ルビアナは逆に童顔の容姿となっていた。

 これなら、たとえ家族でも本人と気づくことはできないだろう。世の中にはたいした魔法があるものだと感心するが、巷に流れれば盛大に悪用されるだろうから普段は厳重に管理されているのだろうと想像できる。

「さあ行きましょうか。もし私になにか困ったことがあったら助けてくださいね」

「ルビアナさんが困るようなことがあったらわたしじゃ手に負えないと思います。それより、わたしは急いでギーシュを探しますから、あいつが馬鹿やったときに助けてくださいね」

 まるで姉を頼るようにすがると、ルビアナは優しくうなづいてくれた。

 そしてカーテンをくぐってダンスホールに入ると、そこはきらびやかな別世界であった。楽団が美しい音楽を奏で、すでに入場していた数十人の男女が軽やかに踊っていた。

 あの中にギーシュやベアトリスたちもいるだろうか? いや、それを探るのがこの仮装舞踏会の醍醐味なのだ。

 素晴らしい時間がこれから始まる。きっとアクシデントもあるだろうけど、最後には楽しい思い出が残るだろうと、二人はその世界に足を踏み入れていった。

 

 

 しかし、舞踏会の賑やかさを一歩離れた会場の外では、しんとした中でのんびりした空気が流れていた。

「ふわーぁ」

 通路を歩きながら才人は大きなあくびをした。

 舞踏会が始まってみれば、城内は嘘のように静まり返っていた。才人もできればルイズと踊りたかったし、ルイズが自分以外の誰かと踊ることになるのはしゃくに触ったが、そこまで聞き分け悪くできるほど才人ももう貴族の常識を知らないわけではなかった。

 それにあの女王様のことだ。どうせ何かにつけてルイズをおもちゃにしようとするに違いない。ルイズには悪いがとばっちりはごめんだ。

「腹減ったなあ」

 従者に対してはもてなしがあるわけではないので、才人は腹を空かせていた。まったく、お付きは自分の食べるものは自分で持ち込みなどと、貴族も意外とケチなんだからなと愚痴りながらも、銃士隊の屯所で干し肉でももらおうかと向かうと、そこで聞き捨てならない話を聞かされた。

「ミシェルさんが、戻らない?」

「ええ、二週間ほど前にある特命を受けて出かけたんだが、いまだに何の連絡もないのよ。副長のことだから心配ないと思うんだけど……」

 待機していた隊員の一人がそう教えてくれた。

 才人は、まずいことを頼んでしまったかなと後悔した。宇宙人が絡んでいる以上、自分でなんとかするべきだったかもしれない。

 舞踏会が終わったらアニエスさんにも相談してみよう。そう考えるとじっとしておれず、才人はうろうろと城内を歩き回った。

 普通なら、王宮の中を平民が一人で歩いていたら牢屋ものである。しかし才人は銃士隊の準隊員のような扱いであるし、戸籍上は銃士隊隊長アニエスと副長ミシェルの身内である。ヴァリエール家息女の従者という名目上の立場を含めても、かなりの特権持ちと言えた。

 もっとも、当の才人は自分の身分の特殊さについて何の興味も抱いておらず、いつもどおりにアホ面を下げて深く考えずに歩いているだけである。

「早く帰ってシエスタの料理を食いてえなあ」

 そんなことも思いながらダンスホールの近くまで戻ってきたときである。従者の控え室のひとつから、暴れるような物音といっしょに悲鳴のような叫びが聞こえてきた。

「おい、そっちを持ってくれ! くそっ、おとなしくしろ」

「もう、お嬢様がいないとすぐこれなんだから! お願いだから暴れないでっス」

 なんだなんだ? と、才人が駆けつけると、そこでは二人組の若い男女が暴れているなにかを必死に捕まえようとしている姿があった。

「どうしたんですか? うわっ、エレキング!?」

 そこで暴れていたのは、子犬ほどのサイズのエレキングの幼体だった。

 捕まえようとしているのはルビアナの従者で、、ルビアナがド・オルニエールで保護した奴がいることを忘れていた。才人はそのままお人よしにも助けに入ると、さっとエレキングの逃げ道に立ちはだかって通せんぼした。

「大丈夫ですか? 手伝いますよ」

「ああ、あなたはミス・ヴァリエールのところの! ですが、こいつは触るとしびれさせてくるんで危ないッスよ」

 若い女のほうが助太刀に感謝しつつも妙な口調でそう教えてくれた。エレキングは幼体でもかなりの放電能力があり、CREW GUYSのマスコットキャラであるリムエレキングでさえ人間を気絶させるくらいのパワーは持っている。よく見たら二人ともゴム手袋のようなものをはめていた。

 才人も、エレキングの電撃の怖さは知っていたが、かといって引っ込むのもカッコ悪い。すると、背中のデルフがやれやれといった様子で教えてくれた。

「周りをよく見ろよ。そっちに予備の手袋が置いてあるだろ」

 はっとして見ると、確かに予備のゴム手袋が置いてあった。それを急いではめると、才人は暴れているエレキングに飛びかかっていった。

「このっ、おとなしくしやがれっ!」

 才人もなかなか体は鍛えているほうだが、エレキングの力はさすが小さくても怪獣で、才人が加わってもなかなか押さえつけることができなかった。

 だがそれにしても、こいつはこんなに凶暴だったかと才人は思った。そういえば、以前に見た時よりも少し大きくなっている気がする。いや、のんびり考えている暇はない。才人はなんとか隙を見てエレキングの尻尾を掴むことに成功した。

「ようし、これでもう暴れられないぞ!」

 いくらエレキングでも、三人がかりで押さえつけられたらもう動けなかった。そのまま三人はエレキングを絶縁体のガラスでできた檻の中になんとか放り込んで、ほっと息をついた。

「いやあ助かりました。お嬢様がいない間の世話を頼まれてたんですけど、こいつなかなか凶暴で。あなたは確か水精霊騎士隊のサイトーラさんでしたっけ?」

「サイトっす」

 日本人の名前はトリステイン人には発音しにくいのはわかっているが、なんだその怪獣みたいな名前はと才人は思いながら訂正した。

 それと、妙な口調が移ってしまった。もう一人の若い女のほうが、ポリポリ頭をかきながら謝ってきた。

「いやーごめんなさいっス。自分、最近やっとお嬢様のお付をさせてもらえるようになったんスけど、うっかり檻の鍵を開けちゃって。ほんとすまんかったっス」

「いや、別にいいですよ。それより大変な仕事ですね、まだお若いのにすごいです」

 見る限り、女のほうは才人より若そうだった。中学生くらいとまではいかないが、才人より少し背が低くて、八重歯が目立つ活発そうな田舎娘といった感じである。

 それに性格も純朴なようで、才人に褒められると照れくさそうに笑いながら答えた。

「いいえ、お嬢様のおそばにいられるなら苦労なんかへっちゃらっス。自分みたいなドジのノロマをちっさいときからかわいがってくれたのはお嬢様っス。ご恩返しができるなら、自分なんでもやるっスよ!」

 元気よく答えるその姿に、才人はルビアナが従者もとても大切にしているのだなと思った。

 まったく、その百分の一でいいからルイズも自分に優しくしてほしいもんだ。世の中不公平であると才人は思った。

「じゃあおれは行きますけど、お仕事がんばってください。あ、えーと……」

「あ、自分ラピスっス!」

「ぼくはジオルデです。よろしくお願いします」

 あいさつをかわし、才人は二人の従者の邪魔になってはいけないと去ろうとした。

 しかし、踵を返しかけたところで、才人はラピスが首から下げているペンダントに視線が吸い込まれて立ち止まった。

「すみません……そのペンダント、えっと、きれいですね、どこで買われたんですか?」

「あっ、これっスか? 最近うちのうちゅ……いや屋敷に住み込みしてる人からもらったんス。あー、なんスかなんスか、彼女へのプレゼントでも考えてるんスか?」

 ラピスは調子よく聞いてくるが、才人はそれどころではなかった。

 なぜなら、そのペンダントはそっくりだったからである。以前、才人がミシェルにプレゼントして、ミシェルが肌身離さず身に着けているものと。

「ちょっと、見せてもらえますか?」

 まさか、と思いながらも才人は無視できなかった。似たデザインのペンダントなど世間にごまんとあるだろう。しかし、そのペンダントの形や鎖の種類は自分の記憶にあるものと完全に一致する。

「いいっスよ。でも壊さないでくださいね」

 意外にも簡単にラピスはペンダントを手渡してくれた。

 緊張での手の震えを抑えながら受け取った才人は、爪を立ててロケットの部分を開けてみた。普通なら、家族の絵などを入れておく部分は空で、銀の土台だけが覗いている。

 ただし、このロケットには才人とミシェルしか知らない秘密がある。もしものときのためにミシェルが土の魔法で細工して、土台の部分も薄い蓋になっているのだ。

 爪を立てると、やはり二重底の蓋が外れた。その下からは一枚の紙片が出てきて、こう急ぎ書かれている。

『ウチュウジンニツカマッタ、キュウジョモトム、ミシェル』

 その一文を見たとたん、才人とラピスの顔色が変わった。

「そ、それは!」

「おい、お前ら! ミシェルをどこへやった!」

 激昂し、反射的に才人はデルフリンガーを抜き放っていた。頭に一気に血が上り、ミシェルにさん付けをすることも忘れているほど才人の怒りは凄まじく、今にも斬りかかりそうな殺気をラピスとジオルデに向けている。

「せ、先輩……っ」

「バカ! ヘマをやったな」

「す、すみません」

 蒼白になっているラピスを庇うようにしながら、ジオルデは才人の剣先の前に立っていた。

 そのジオルデも、才人が言い訳を聞いてくれる状況ではないことを感じて冷や汗を流していた。才人がここまで怒る相手は、他にはルイズだけだ。

「このままだと騒ぎになる。仕方ないが、やるぞラピス」

「ひいいい、ごめんなさいぃ」

 意を決したジオルデが合図すると、二人の姿が発光し、次の瞬間には二人はヘルメットを被った宇宙服のような姿に変わっていた。

「やっぱり宇宙人か!」

「悪いが少し拘束させてもらうぞ。今、我々の正体を知られるわけにはいかん」

 ジオルデの手にいつの間にか握られていた光線銃が才人を狙う。しかし才人は、まるでその銃口が見えないかのように突進していった。

 

 

 王宮からは明るい光が漏れ、城下町の平民たちも、今日は王宮で賑やかにやっているなと酒の肴にしている。

 しかし、平穏に見える街の空を、厳しい視線で見上げる男がいた。

「いる……見えないが、この空に」

 人間の目では見えない。しかし、ウルトラマンの透視能力をもってすれば見抜くことはできる。

 ギャラクトロンを改造した金属は、あの星人が使っていたもののはずだ。それの足取りを追ってきたが、なにかしらの異変があるごとに、かなりの確率で空に巨大な気配が存在していた。

 だがそいつは相当に高度なステルス機能を有しているらしく、これまで気配はあっても実体を捉えることはできなかった。恐らく、自分以外の者は気配に気づいてさえいないだろう。

 ただ、見えない宇宙船……バルタン星人の円盤やクール星人の円盤などいろいろいるが、こいつはそのどれとも違う。恐らくは、あの星の者だとしても、相当な知力と技術力がある者が作ったのだろう。そのために自分も、これまで気配を察知するだけで直接手出しをすることはできなかった。

 けれど、それも今日までだ。彼一人では無理でも、この世界に知恵者は彼だけではない。

「君たち、もう体はいいのか?」

「平気です。あの子がさらわれて、もう一週間も経つっていうのに、休んでられません。それに、あなた一人ではあれの相手は危険です」

「ああ、それにあれを動かしている奴の思想は危険すぎる。間違って、あれに感化されるやつが出てくると危ない。ここで止めるしかない」

 次元は違えど、天才科学者の肩書を持つ三人の男たちが並び立つ。彼らは、この夜で決着をつけるつもりでいた。

 少し離れた場所では、ファイターEXの整備をしているアスカがいる。この日のために、体調は万全に整えてきた。今度は……負けない。

 作戦開始の時間が迫る。しかし、負ける気はなくとも、絶対の勝算を持っている者はいなかった。なぜなら、敵にはキングジョーをも超える、あれがあるのだから。

 

 

 ダンスホールに煌めく輝きが満ち、美しい調べが流れる中を着飾った男女が楽しそうに舞踊っている。

 弾むステップ、途切れない笑い声。しかして、その素顔は魔法の仮面で隠され、誰も自分の前で踊っている相手の名前も知らない。

 これは仮装の舞踏会。誰もが本当の姿を隠して踊り、見知らぬ相手と一夜の夢を楽しんでいる。

 彼らは楽しく笑い合い語り合いながらステップを踏み、そこには身分やしがらみにとらわれる貴族の姿はない。

 こんな夢のような時間が続けばよかった。こんな楽しい日々が、明日からも続くと思っていた。

 けれど、夢はいつか終わる。仮面はいつかはがれる。そして、悪夢ならば目覚めれば消えるが、時として現実は悪夢よりも残酷なことがある。そのとき……。

 

 

 続く



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第87話  星から来た天使

 第87話

 星から来た天使

 

 放電竜 エレキング 登場!

 

 

 騒々しい昼の時間が終わり、日が落ちると夜がやってくる。

 夜が来ると、素顔を隠して夜の蝶が舞う時間が訪れ、エルムネイヤの舞踏会はアンリエッタ女王とウェールズ王の挨拶を持って盛大に開幕した。

「皆さま、ようこそおいでくださいました。トリステイン女王アンリエッタが心よりの歓迎を申し上げます。大変残念ですが、わたくしもすでに仮装してこの場に立たせておりますので録音で失礼いたしますが、わたくしもどなたからでのお誘いもお受けいたしますので楽しみにしておりますわ」

「アルビオン王国国王ウェールズである。今日は特段の招きをもらい、こちらに参加している。わたしたち夫婦に遠慮することなく声をかけてくれ。友人が増えることは我々も大歓迎だからな。では、ここに全国を代表して開会を宣言する。皆、時間まで思い思いに楽しんでいってくれたまえ」

 舞踏会は始まり、音楽に合わせてさっそくペアになった男女が踊り始める。

 今、自分の目の前にいるのは格上か格下か誰もわからない。もちろん、自分が誰かも誰にもわからないために、身分を忘れてダンスを楽しんでいる。

 もっとも、なんにでも例外はいるもので、どす黒いオーラを放ちながら張り付けたような笑顔で歩き回っている一人の貴婦人が周りから避けられて浮いていた。

「な、なんで誰もダンスを受けてくれないのかしら? も、もしかしてこれもあの女ギツネの策略かしら……フ、フフフ……」

 そんな貴婦人を、清楚そうな美少女と初老の紳士が見て。

「ウフフ、ルイズったら、あんなに殺気をむき出しで歩いてたら名札をつけてるようなものよ。ほんとにあなたは期待を裏切ってくれなくて大好きだわ」

「君も物好きだねえアンリエッタ。ぼくをすぐに見つけ出したと思ったら、こんな悪巧みを持ちかけてくるとはねえ。あの子もかわいそうに」

 と、ほくそえんでいた。

 その後、笑い声と悲鳴が何度もダンスホールにこだまして、舞踏会は別の意味で大いに盛り上がることになるのであるが、それはまた別の話。

 しかし、楽しい惨劇になっている舞台とは別に、温かく和やかな空気の中で踊っている者たちもいる。

「はい、もっと足を高く上げて。ワン・ツー・ワン・ツー」

「わっわっ、すっごーい。ルビアナさんの言うとおりにしたら、本当にすごく上手に踊れるわ」

「だから言ったろうモンモランシー。ルビアナはダンスを教えるのも天才なのさ」

 見知らぬ誰かと会うのが目的の舞踏会だというのに、あっという間に集まった見知った者たち。

 ギーシュの女性に対する嗅覚は本物だったようで、姿を変えているというのにまったく同時にモンモランシーとルビアナは見つけられてしまった。最初に見つけられたほうがダンスの相手になるという約束だったが、仕方ないので三人で踊ることになった。

 けれども、音楽に合わせてステップを踏み始めると、つまらない対抗心や嫉妬なんか吹き飛んでしまった。ルビアナにリードされて、ギーシュとモンモランシーは雲の上の様に軽やかに踊る。

「ダンスはテクニックではありません。ハートです。本当に相手のことを好きだと思って踊れば、自然に力が抜けて軽やかに踊れるものなのですよ」

「ぼくのモンモランシーとルビアナへの思いは、今咲き乱れるバラのように一片の曇りもないさ! モンモランシー、君もそうだろう?」

「ええ、ダンスってこんなに楽しいものだったのね。これも、好きな人たちと踊っているからなの? ギーシュ、それにルビアナさん。わたし、いつまででも踊っていられる気がする!」

「ええ、わたくしも楽しい。私もお二人のことが大好きですわ。さあ、もっと愉快に踊りましょう。舞踏会は始まったばかりですわ」

 あのときは二人、今は三人。けれど、楽しさは何倍にも。

 純真な少年と少女。そして、そんな二人を優しく導く娘の三人が輪になって、春の妖精のように光輝きながら舞い踊る。

 舞踏会とは、まさに現世から切り離された夢の世界。そこに響く笑い声は絶えることがなく、誰もが子供の心に戻って遊んでいた。

 

 だが、夢の世界の外では、白を黒に塗り替える悪夢もまさに胎動を始めていたのだ。

 

 王宮ではないどこか……。

 才人が気づいたときに目にしたのは、電灯の明かりと、清潔に整えられた小部屋の光景であった。

「こ、ここは?」

 ベッドから身を起こした才人は、なぜ自分がこんな見覚えない場所で眠っていたのだろうかと思った。

 記憶を順繰りに呼び戻してみる。仮装舞踏会に出るルイズのお付きで王宮にやってきて、それから……。

 けれど、才人が足りない記憶力を動員する必要はなく、傍らから聞き慣れた声がかかった。

「やっと目が覚めたな。そろそろ叩き起こそうかと思ってたぞ」

「えっ? あ、ミシェル、さん」

 顔を向けると、すぐ隣でミシェルが椅子に座ってこちらを向いていた。

「え、え? なにがどうなってるんだ?」

 事情が飲み込めずに混乱する才人。するとミシェルは呆れた様子で、枕元を指して言った。

「詳しいことはそいつに聞け」

「よう相棒、よく寝てたな」

 見ると、枕元ではデルフがカタカタ言いながら笑っていた。慌てて手に取り、事情を尋ねてみる。

「デルフ、俺はいったい?」

「覚えてねえのか? お前、あの宇宙人にカーッとなって飛びかかって返り討ちにされちまったんだよ」

「えっ、あ、そうだった……」

 それでやっと全部思い出した。

 ミシェルのペンダントを持っていた宇宙人に、思わずカッとなって斬りかかったはいいものの、そのまま宇宙人の持った光線銃を浴びてしまい、体がしびれてそのまま……。

「じゃあ俺も、捕まっちまったのか?」

「ああ、ものの見事にな。止める間もなかったぜ」

 どうしようもなかったと言うデルフの言葉に、才人はがっくりと肩を落とした。

 情けない……頭に血が上って、冷静な判断ができなかった。ガンダールヴの力があったときならまだしも、銃を持った相手に真正面から向かっていくなんて無謀が過ぎた。

 そんな才人の姿に、ミシェルは自分のために我を忘れるほど怒ってくれたのかと嬉しく思ったが、ここは心を鬼にして厳しく才人に告げた。

「銃士隊準隊員として失格だな。せっかくお前なら気づいてくれるだろうと思って、奴らの中で頭が足りなそうな者を選んでペンダントを渡しておいたのに、お前まで捕まったのでは無駄じゃないか」

「ということは、あのペンダントは奪われたんじゃなくてわざと……?」

「ああ、ここに閉じ込められている間に世話をしてくれている奴が外に行くと聞いたから、お前たちに連絡ができるかと思ってちょっとおだててな。まあ、やたら調子のいい性格の奴で、だますこっちのほうが気まずくなるような奴だったが」

 すると、部屋の外から調子の外れた声色で、幼げな女性の声が響いてきた。

「ひどいっスよ~、だますなんて~。自分、おかげでジオルデ先輩からすっごく怒られちゃったじゃないっスか~」

 その声に才人も聞き覚えがあり、ミシェルも眉をひそめた。

「ラピスか」

 それは才人を捕えた二人組の一人で、才人はあのときのことを思い出して怒鳴った。

「やいてめえ! おれたちをどうする気だ!」

「ひいっ! ごめんなさいっス。自分、悪気はなかったスから許してくださいっス~!」

「悪気も何も、てめえらミシェルさんをさらってるじゃねえか! なにを企んでやがる」

「なにも悪いことは企んでないっスよ~。撃ったことは悪かったっスけど、自分たちもお嬢様に怒られたくなかったんスよ~」

「撃っておいて何言ってんだ! ぶっとばしてやるから顔見せやが、いでっ!?」

 そのとき、怒鳴っていた才人の頭になにか硬いものがぶっつけられた。目の前に星が飛びながら、なにが当たったのかと足元を見てみると、それは拳ほどの氷の塊で、部屋の隅で壁に寄りかかりながら眼鏡をかけた少女が本を片手に杖をこちらに向けていた。

「うるさい」

 静かながらも怒りを込めた声で抗議され、才人は思わず黙らせられてしまった。

 才人が静かになると、その青い髪の眼鏡の少女はそれ以上なにも言うことなく、持った本に視線を戻した。才人は相手から敵意がなくなったことがわかると、ほっとしたようにミシェルに尋ねた。

「えっと、あれ、誰ですか?」

「わたしの同業者だ。見た目で甘く見るなよ、ああ見えて相当な使い手だ」

 なるほど……と、才人は思った。メイジに年齢は関係ないというが、確かにまったく気配を感じなかった。いや、自分が逆上していただけか。

 才人がある程度怒りを静めると、ほっとしたようにラピスの声がまた響いた。

「ほんとにごめんなさいッス。ともかく、お嬢様がお戻りになられてからご指示をあおぐンで、ちょっとそこで待っててほしいっスよ~」

 最後は涙声になりながらのラピスの叫びは、「あっ、それとこれはお返しするっス」と言う声で終わり、天井から例のペンダントが才人の手元に落ちてきた。

 それ以降は呼びかけても返事が来ず、才人はペンダントをぐっと握りしめてつぶやいた。

「あの野郎……」

「まあそう怒るな。あの娘は頭は足りないところがあるが、自分から悪事のできるようなタイプじゃない。あれでも迷惑をかけまいと精一杯やっているんだろう」

「自分を捕まえてる相手にずいぶん甘いじゃないですか、相手は宇宙人だぜ」

「一週間もいれば多少の人となりもわかるさ。それに、これでも銃士隊副長だから、あの年頃の娘の扱いは慣れている。似たようなタイプは部下に数人いるしな。ともかく、あの娘個人に限れば悪い人間ではないだろう」

 言われてみると、ラピスは悪意があるにしては演技とは思えないほど間が抜けていた。あれにこれ以上怒っても無駄だろう。

 しかし、だからといって気を許すのは危険だ。集団の中に多少善人がいたとしても、集団そのものの性質が悪ならば関係ない。

「それで、ミシェルさんは大丈夫だったのか? なんか、ひでえこととかされなかったか?」

 心配してくれる才人に、ミシェルは顔が赤くなるのを感じた。しかし、甘えたい気持ちをぐっと抑えて、毅然と答えた。

「心配はいらない。このとおり丁重に扱われていて、傷一つない」

「よかった。でも、どこかに調査に出かけて、そのまま連絡がないって聞いたけど、やっぱり」

「ああ、このありさまさ。お前からの依頼も含めて調査していたが、最後でヘマをしてしまってな」

 ミシェルは、よくあれから生きてられたものだと思い返した。

 ルビティアから帰るとき、キングジョーに襲われた二人はウルトラマンたちに助けられた。しかし、その直後に現れた漆黒の巨影。ウルトラマンたちはそれに立ち向かっていったが……それからは正直、思い出したくもない。あるのはただ、自分たちがこうして捕らわれてしまったという事実だけだ。

 それに、才人に話すのも余計なプレッシャーを与えるだけだと判断したミシェルは、その部分を避けて才人に事のあらましをざっと説明した。ルビティア領が怪しいと睨み、調査に出かけてタバサと会ったこと。ケムール人やヒュプナスとの戦いまでを。

「まさか、あの化け物まで……」

「結論を言うと、サイトの懸念した通りになった。ルビティアは、すでに宇宙人の巣窟になっていたよ」

「もうそこまで……つまり、ルビアナっていう女は……」

「ああ、宇宙人だ」

 ミシェルの答えに、才人は「くそっ」と、舌打ちした。才人にしても、あんな気のいい人物が宇宙人だなどと思いたくなかった。

 しかし、聞いた話ではルビアナこそがハルケギニアにウルトラレーザーをはじめとした武器をばらまき、ヒュプナスのような危険な生物を作り出していた黒幕なのは間違いない。

「ちくしょう、おれたちはずっと騙されてたのかよ」

 悔しげに才人は吐き捨てた。善人を装うのは侵略者の古典的な手段だとわかってはいても、やはり悔しい。

 だが、ミシェルは憮然としながら首を横に振った。

「いや、あの女の本性がどこにあるかはわからんが、これまでにハルケギニアに現れた侵略者どもとは違うとわたしは思う」

「なんでだよ? 現にこうしておれたちは捕まってるじゃんかよ」

 怒って抗議する才人だったが、ミシェルは沈痛な面持ちのまま続けた。

「聞かされたんだよ。捕まった後に、奴らがこのハルケギニアでなにをしようとしているかということをな……」

「え……?」

 ミシェルは、ここに捕まってから今日までになにを相手から見聞きしたのかを語った。それは、才人の想像をはるかに超えており、才人は寒気さえ感じるほどに愕然とした。

「そんなこと、本当にできると思ってるのか? ギーシュのホラ話のほうがまだマシだぜ」

「……わたしには奴らの言うことの半分も理解できなかったが、奴らの最終目的がそれだとしたら、これまでの出来事のつじつまが合う。少なくとも、計画はすでに相当なところにまで進んでいるはずだ」

 ハルケギニアの各所に作られてる基地工場。配下には多数の宇宙人がおり、おまけに公人としてトリステインに限っても相当な影響力をすでに持っている。

 少し考えれば才人でさえ、これが生易しい状況ではないのがすぐわかる。かつてヤプールがアルビオンにおこなっていた裏工作に匹敵する……いや、上回りかねない。こっちがのんびりしている間に、向こうはやるべきことを終えてしまっていた。

「でも、あんな穏やかな人が……やっぱり信じられないぜ」

 才人はあまりルビアナと交流があったわけではない。けれど、ド・オルニエールで温泉を作っていた頃、昼食に手作りのサンドイッチを差し入れてくれたことはよく覚えており、日本に居た頃のおふくろのおにぎりの味を思い出したものだ。

 ルイズもそういえば、ちぃ姉さまにどこか似てる人ね、と親しみを込めて呼んでいたことがあった。才人自身も、悪いイメージを持ったことは一度もない。だからこそ、それ以上にルビアナという人間の考えていることがわからなかった。

 これまで、ハルケギニアには数多くの侵略者がやってきた。そいつらのほとんどは私欲にまみれた悪党だったが、ワイルド星人のように、必ずしも悪意があったわけではないやつもいた。しかし、そのいずれもなぜハルケギニアにやってきたかの理由がはっきりしていて、こちらもそれが理解できた。

 けれど、ルビアナに対しては、その目的はわかっても理由がわからない。

 するとミシェルは、考え込む表情で、ゆっくりと才人に向かって話し始めた。

 

「奴の動機かはわからんが、ルビティアでこんな話を聞いた。あの女が、初めてルビティアに現れたときの話だ」

 

 あの日、二人はルビティア公爵邸に突入した。そして、その最奥の公爵の部屋で、二人は公爵の執事だったというバーモント老人から、ルビアナに関する話を聞かせてもらったのだ。

 バーモント老人は、二人をテーブルに招き、ゆっくりと語り始めた。

「このルビティアは、ルビーの鉱山を有していたことで栄えた地だということはご存じでしょう。代々の当主様は治世に尽力され、当代の当主様も三十年前に先代より後を継がれたときには、大変張り切っておいででした。美しい奥様を迎えられ、お二人の間には可愛らしいお嬢様も生まれられ、あの頃の旦那様は本当に幸せそうでいらっしゃいました……」

 遠い目をして話すバーモント老は、在りし日の出来事を昨日のように思い出しながら、懐かしそうに語った。

「しかし、二十年前……思えばあれがすべての始まりでした。奥様が突然の病で亡くなられたのをきっかけに、旦那様はおかしくなられ始めたのです。最愛の奥様を亡くされたショックで、一人娘のルチナ様を一歩も外に出さず、常に手元に置かれて育てるようになりました」

 それが、この部屋の直前の間に飾られていた絵に描かれていた、若くして亡くなった奥方と、その娘のことかとミシェルとタバサは理解した。

 公爵の娘を誰も見たことがなかったのは、それが理由だったのだ。そして、やはりルビアナは公爵の娘ではなかった。

「しかし、ルチナ様がいらっしゃる間は、まだ旦那様は正気を保っておいででした。ですが数年後、ルチナ様も奥様と同じ病にかかり、幼くして世を去られてしまったことで、旦那様は完全に心を病むようになってしまったのです。ルチナ様の遺体に防腐の魔法を施し、屋敷の奥に閉じこもったままで、ひたすら幸せだったころの思い出に浸り続けるようになってしまいました」

「……」

 悲し気に語るバーモント老の話に、ミシェルとタバサはじっと聞き入っていた。愛する肉親を突然失う苦しみは二人とも痛いほどよくわかる。

 二人が部屋のベッドに視線を送ると、まるで今にも目を覚ましそうな様子で幼い少女が横たわっている。しかし、その口元にはわずかな呼吸もなく、これを施した人間の心がすでに狂気に支配されていたことがわかる。けれど二人は、相次いで妻子を失った公爵がおかしくなってしまったとしても、それを責める気にはならなかった。

 

 しかし、領民がおかしくなってしまった領主を待つのは不幸以外のなにものでもない。

「それから、旦那様には政をおこなう気力は完全になくなり、ルビティアは荒れ果てていきました。役人や兵隊は鉱山からの収益を横流しして私服を肥やし、勝手に税金を上げたことで領民の暮らしは苦しくなっていったのです」

「街に数多くいた孤児たちは、そのときの……」

「ええ、現当主が健在な限りは領地が召し上げられることはありません。けれど、当主を交代できる親類縁者も旦那様にはおらず、わたくしどももどうすることもできないまま、かつてルビーの輝きのようであったルビティアはくすんだ石ころのような土地に変わっていったのです。そして、幾年もそんな月日が流れた、ある夜のことでした」

 バーモント老は、月光に照らされる庭を望んで目を細めた。

 ミシェルとタバサも、同じように夜の庭に視線を移す。輝く双月に照らされた静かな庭園は、幻想的なまでに美しかった。

「そう、あれもこんな晴れた静かな夜でございました。わたくしは、すっかり老け込んでしまった旦那様を車いすに乗せて、庭を散歩しておりましたのです……」

 

 それが、運命の時であったと、バーモント老は静かに語った。

 

 よく晴れて、風もないある日の夜。バーモント老は公爵に少しでも元気を出してもらいたいと、夜の散歩に連れ出していた。

「旦那様、本日は気持ちのいい夜です。お体にも、よろしいかと存じますよ」

「……ああ、マルガレート、ルチナ……そうだね。夜の散歩は蛍がよく見えてきれいだね。明日はなにをして遊ぼうか……久しぶりにみんなでピクニックに行こうか」

 呼びかけても、公爵は家族の思い出の中に浸ったままで、虚ろな表情で虚空を見つめているだけである。

 バーモント老はため息をつくと、疲れ切った様子で自分の仕える主人の横顔を見た。このお方に仕えることを決めて三十年……自分もずいぶん歳を取ってしまった。いや、それ以上に旦那様は歳を取られてしまったと彼は思う。

 今の公爵の年齢はまだ五十代半ばのはずなのに、八十を過ぎたバーモントと同じくらいに老いて見える。若い日は生気に溢れていた瞳はすっかり干上がり、足腰は自分の力では立つこともできないほど衰え果ててしまった。

「始祖ブリミルよ。いったい我らルビティアの民が何の罪を犯したというのでしょう?」

 涙ぐみながらバーモント老はつぶやいた。神よ、試練にしてはこれは残酷過ぎるではありませんか。

 すると、呆けていた公爵が戸惑ったように声を漏らした。

「あ、あ、あう、ば、バーモント? バーモント?」

「旦那様? は、はい。バーモントはここにおります」

「あ、う……バーモント……お前には、苦労をかけるなあ」

 今でもこうして、バーモントがいるときにだけ公爵はわずかに正気を取り戻すことがある。だからバーモントは、どんなに公爵がおかしくなっていっても公爵を見捨てることはできなかった。

 公爵の瞳からは、いつのまにか大粒の涙がこぼれ、バーモントは詰まる声で主人に言った。

「旦那様、バーモントは旦那様のもとにいつでもおりますですぞ」

「ありがとう、ありがとうよバーモント。お主は忠義者よの……ああ、妻と娘と最後にパーティをした夜も、お主はルチナに頭から紅茶をかぶせられて慌てていたなあ。マルガレータは怒っていたが、あの頃は本当に楽しかった……妻に会いたい、娘に会いたい。こうして目を閉じて開けたら、すべてが夢だったらどんなによいだろう……」

「旦那様。これが悪夢なら、このバーモントもどこまでもごいっしょいたしましょう。ええ、旦那様をけっして一人にはしませんとも!」

 バーモントは、残った人生のすべてを公爵のために捧げることを決めていた。たとえ、公爵の心が壊れていても、唯一自分だけは覚えてくれているこの方をどうして見捨てられようか。

 そのとき、公爵は涙を流しながら空を見上げた。空には、ハルケギニアの空を照らす青と赤の双月が明るく輝き続けていた。

「この空だけは、あの頃と変わらないのお……」

「はい、とても美しゅうございますね」

 老いた主従は、様々な思いを込めながら夜空を見上げ続けていた。

 世界はこんなに美しいのに、どうして自分たちにだけこんなに残酷なのだろう? 運命に立ち向かわなかったのが罪なのか? だが、運命を変えるためにはもう自分たちは歳を取り過ぎてしまった。

 二人は月を見上げ続け、もう決して手の届かない幸せだった過去に思いを寄せた。

 

 風は静かで、二人のしわばかりの顔も優しくなでていく。二つの月も何万年も前から変わらなかったであろう輝きで、そこにあり続けていた。

 しかし、ふと涙のせいか月の影が揺らいで見えたと思ったときだった。二人以外に誰もいないはずの庭園に……サク、サクと、芝生を踏みしめる足音が流れて、公爵とバーモントがそちらを振り向くと、そこにはいつの間にか一人の女性が立っていたのだ。

 

「こんばんは、よい月夜ですね」

 

 涼やかな鈴の音のような声が響き、月光を浴びながら風変わりな姿の女はそうあいさつした。

 年齢は二十代初め頃。金糸のような髪をツインテールにして左右に流し、糸目なのか瞳の色はわからないが、絶世の美女と呼んでよかった。

 ただ、衣服は奇妙なデザインで、見たこともないような光沢を放つ素材で作られていた。まるで、神話の世界から天使が降りてきたようにさえ感じる。

「あなたは……?」

「失礼、とても悲しげに空を見上げている方が見えたので、つい声をかけてしまいました。わたくしはルビアナ、通りすがりの旅の者ですわ」

 それが、ルビティア公爵家とルビアナの最初の出会いであった。

 優雅な仕草で名乗ったルビアナは、しずしずと公爵たちに歩み寄った。公爵とバーモントは、まるで魂を抜かれてしまったように視線を逸らせず、声も漏らせない。そして、ルビアナは車いすに座る公爵の前にひざまづくと、にっこりと微笑んだ。

「どうして泣いていたのですか?」

「……」

 公爵は答えない。いや、答えられない。バーモント以外の人間に向かって口にできる言葉は、とうの昔に失われてしまっていた。

 本来なら、ここでバーモントは主の前の見知らぬ人間に対して立ちふさがるべきだっただろう。しかし、なぜかバーモントは不思議な安心感を感じて動くことができなかった。

 すると、ルビアナは公爵の手を取って静かに言った。

「とても深い悲しみと絶望……失ってはいけないものを、あなたは失ってしまったのですね。わたしにそれを返してあげることはできませんが、少しだけあなたの悲しみを和らげてあげられるかもしれません。さあ、目を閉じて……」

 ルビアナの手が静かに輝きを放つ。そうすると、公爵の心になにかのイメージが流れ込んできた。

「お、お……おおおお」

 公爵の口から、感極まったような切ない声が流れ始める。そして、なにが起こったのかと驚くバーモントの心にも、公爵と同じイメージが流れ込んできた。

 それは、バーモントの心に言いようのない懐かしさと安心感を与えてくれるイメージだった。包み込むような優しさに溢れ、なんの心配も苦しみもない、そんな心地にさせてくれる。

 この暖かくて心地よいイメージはいったい……いや、自分はこの感覚を知っている気がする。バーモントは、確かに覚えているはずのそれを思い出そうと試みたが、その前に驚くべきことが起きた。なんと、公爵の口からはっきりとした言葉が流れたのである。

「な、懐かしい。これはいったい……私は、これを知っている?」

「だ、旦那様!?」

 信じられないことだった。公爵はもう何年も、バーモント以外の人間とは何も口をきけない状態が続いていたというのに、いったい何をしたのかと問うと、ルビアナはにこりと笑って答えた。

「わたくしの心に描いたイメージをお見せいたしました。この方が、大切なものを失うよりもずっと前……誰もが知っているけれども忘れてしまう、無償の愛と安らぎに包まれていた頃の記憶を呼び戻してあげたのです」

「あなた様は、い、一体どこのどなたで? こんな魔法、聞いたこともありませぬ」

「ふふ、あなた方の知らない遠い遠い星の彼方からやってきた、ただの通りすがりですわ。でも、目の前で泣いている人がいるのを見過ごせなかった、それだけです」

 ルビアナはそう答えると、もう一度公爵と向き合った。

「あなたの悲しみを癒してあげられなくてごめんなさい。けれど、少しは楽になられましたか?」

「あ、ああ……なんだろう……すごく懐かしい。子供の頃に帰ったような……そんな、そんな夢を見ていた」

 かすれかすれの声でとぎれとぎれに公爵は答えた。ルビアナは、公爵の枯れ木のような手を包み込むように握り、微笑みを返す。

「涙も枯れ果てるほど疲れたとき、まぶたを閉じて夢を見るのは罪ではありませんわ。悲しみは癒えなくても、残った何かを夢の中で見つけることはできるかもしれません」

「いいや……私はもう、空っぽなのじゃ……」

「いいえ、誰にでも一度は空っぽの時期があります。でも、そんな空っぽの器を外側から包み込んで愛してくれる、そんな方があなたにもいたということを思い出したでしょう? あなたは今でもまだ、愛され続けているのですよ」

 そう諭すルビアナの言葉に、公爵はなにかを悟ったのか、穏やかに息を吐いた。

「そうか、この暖かさはあの……」

「わかってもらえたようですね。私にできることはこれくらいですが、少しでも楽になってもらえたなら幸いです。あなたの人生に新たな実りがあることを、お祈りしていますわ」

「も、もし、いずこへ?」

「わたくしは旅の者。また、行く当てもない旅に出るだけですわ」

「ま、待ってくれ」

 初めて公爵が強い口調で言葉を発した。それは、まだしわがれていて弱々しいものだったが、立ち去ろうとしていたルビアナは足を止めて振り返った。

「どうしました?」

 足を止めて、にこりと微笑み返すルビアナ。その姿は、まるで月光の中に溶けて消えてしまいそうなくらい美しく儚く見え、公爵は呼び止めたはずなのに、その口からは「あ、あぅ……」と、言葉にならないうめきしか流れてこなかった。

 けれど、公爵に長年仕えてきたバーモントにはわかっていた。そして、ある確信を持って主人の代わりに口を開いた。

「もし、その旅というのは急がねばならないのでしょうか……?」

「いいえ、当てもなく期限もなく、仲間といっしょに終わりのない旅を続けております」

「で、でしたら、もう少しこちらにとどまりいただくことはできないでしょうか! もう少しだけでも、旦那様のおそばにいていただきたいのです」

 バーモントは、老いた喉から出せる精一杯の声で訴えた。本来の執事としての彼の立場なら、素性の知れない相手を主人から遠ざけようとするのが普通だろう。しかし、彼は確信していた。この方しか公爵を救ってくれることはできないだろうと。

 ルビアナは、バーモントの必死な呼びかけに少し驚いた様子を見せたが、公爵の眼差しがまっすぐ自分を見ているのを感じると、にこりと笑って答えた。

「わたくしなどを必要としていただけるのであれば、喜んで。しばらくのあいだ、こちらにとどまらせていただきます」

 そうしてルビアナが再び公爵の手を取ると、公爵は長らくバーモントも見たことのなかった安らいだ表情を見せた。

 

 これが、ルビアナがルビティアに現れた時の出来事と、公爵家にとどまることになった理由だと、バーモント老はしみじみとミシェルとタバサに語った。

 星から来たという謎の娘、それが彼女だった。

 しかし、バーモントの表情は穏やかで懐かしさに溢れ、彼はいとおしそうに続きを語った。

「それからルビアナ様は、本当にかいがいしく旦那様の看病をしてくださいました。どのようなことでも嫌な顔ひとつ見せず、いつも笑顔で旦那様のそばにいらして、本当に旦那様は楽しそうでした」

 それは、娘の死後止まり続けていた公爵の時間が、ようやく動き始めた瞬間だった。

 けれど、それは公爵が亡き妻や娘のことを忘れてしまったというわけではなかった。ある日、ルビアナがお茶をいれるために席を外したとき、バーモントは楽しみに待っている公爵にたずねてみたことがある。

「旦那様、最近はお顔の色もよろしいようでありますね。まるで、奥様が帰られてきたかのようです」

「ああ、このところは具合がよいのだ……だが、あれは妻とは違う。私の妻はマルガレートだけだ……彼女はそう……恥ずかしい言い方になるが……」

 ぽつりぽつりとこぼした公爵は、それからルビアナが淹れてきたお茶を飲みながら、彼女に妻子の思い出話をとつとつと語り、ルビアナもその話をうなづきながら聞いていた。

 そう、公爵の心の中にいるのは、妻と娘だけなのは動いてはいなかった。公爵は亡き娘の遺体を変わらずに愛で続け、その心根の狂気までは変わらなかった。

 それでもルビアナが公爵の心の支えであったことは間違いなく、彼女はそうあり続けた。公爵がどんなに常軌を逸した態度を示そうとも、それを受け入れてそっとそばにおり、そんなルビアナの示す無償の愛に、バーモントはこの方は始祖がつかわしてくれた天使に違いないと、心から感謝した。気づけば、バーモントも自分の心を占めていた悲しみが拭い去られ、ルビアナを新たな主のように慕っていた。

 また、ルビアナの旅の共だという者たちもとても気性が良く、屋敷のことを手伝ってくれるようになった。バーモントや、わずかに残っていた忠臣たちの間にも明るさが戻り、いつのまにか暗鬱な雰囲気に満たされていた屋敷の中には笑い声が甦っていたのだ。

 

 けれども、そんな時間は長くは続かなかった。

 いかに気力を取り戻したとはいえ、何十年という歳月で弱りきった公爵の肉体に、ついに終わりの時がやってきたのである。

 死期を悟った公爵は、枕元にバーモントとルビアナを呼んで、まずバーモントに長年の労をねぎらってからルビアナに語りかけた。

「やあ、ミス・ルビアナ……あなたが私のそばにいてくれたこの一月ほどの間……短かったが、とても楽しかった。だが、どうやら私はここまでらしい。私のような者のために、本当に感謝している……ありがとう」

「公爵様、わたくしも公爵様といれたこの時間はとても楽しゅうございました。公爵様は、どんなに年月を経てもご家族への愛情を忘れないお優しいお方、あなたのおそばにおれたことを光栄に思いますわ」

 まったく世辞を感じさせない穏やかな声色でルビアナは答えた。公爵はにこりとうなづいたが、その呼吸はしだいに弱弱しくなっているのがはっきりと感じられる。

 バーモントは、長年仕えた主人の最期を見届けようと、涙をこらえながら気をしっかり持とうと自分を奮い立たせた。そしてこの後に公爵とルビアナがかわした会話を、彼ははっきりと覚えている。

 ルビアナは、ベッドに横たわる公爵の耳元で、そっとこう呼びかけた。

「公爵様、公爵様もご存じの通り、わたくしにはあなた方の知らない特別な力がございます。死人を蘇らせることだけはできませんが、わたくしの力を使えば、公爵様のお体を治してあげることも実はできるのです。公爵様のお人柄を惜しんで尋ねます……もう一度若さを取り戻して、第二の人生を歩んでみるおつもりはありませんか?」

 それはまさに神の所業に近く、悪魔のささやきにも思える提案であった。しかし、公爵は驚くバーモントの前でゆっくりと首を横に振ってから言った。

「いいや、その気持ちだけで十分だ……私の人生は、妻と娘を失ったときにもう終わってしまっていたのだ……なのに私は、妻と娘の後を追って死ぬことさえできずにいた臆病者だった。だが、これでようやく二人のところへいける……それが楽しみでしかたないのだ」

 公爵の声には死へのおびえは微塵もなく、それを聞いたルビアナはそっと頭を下げた。

「余計なことをお聞きしてしまったようですね。お忘れください。公爵様がご家族と再会できることを、心からお祈りしておりますわ」

「すまないね……だが、ひとつだけ心残りがある。ルビアナ……私の最期の願いだ。あなたを見込んで、お頼みしたい」

「はい、わたくしにできることでしたら、なんなりと」

 快くうなづいたルビアナに、公爵は少しためらった様子を見せてから口を開いた。しかしその内容は、傍らで聞いていたバーモントが腰を抜かしそうなものであった。

「ほかでもない、我が領地、このルビティアのことだ……私は妻をめとり、我が子が生まれた時、妻と娘に、このルビティアをゲルマニアに……いや、ハルケギニアに誇れるすばらしいところにしようと誓い合った……しかし、私はこのざまで、ルビティアはいまや見る影もないほどに荒れ果ててしまった。身勝手なことだとはわかっているが、どうか私に代わってルビティアを治めてはもらえないだろうか」

「それは、私にこのルビティアの領主になれということでしょうか?」

 当然ルビアナは問い返した。その隣ではバーモントが青ざめた顔で何かを言いかけていたが、公爵は死にかけの体からは信じられないほどはっきりと言った。

「ルビティアを衰退させてしまったのは私の罪だ。だが、私にはもう罪をつぐなう資格も能力もない……あなたに不思議な力があるというのなら、どうかそれを私ではなくルビティアの民のために使ってはくれまいか」

「公爵様、私はあなたさまのためにはなんでもしてあげたいと思っております。ですが、私は外の人間です。勝手にこの土地の領主になるなんてできませんわ」

「それなら心配はいらない。私の娘だということにすればよい……幸か不幸か、私の娘がどんな姿をしているかを知る者は、私の周りの者たちしかおらんのだからな。この子が生きておれば、ちょうどあなたくらいの年頃になっていただろう……」

 公爵の隣には、娘ルチナの遺体が寝かされており、公爵はしわだらけになった手で、その頭を愛おしそうになでてから続けた。

「身勝手なことは、わかっている……しかし、私がいなくなってから、このルビティアがどうなるか……間違いなく、鉱山の利権を狙った奪い合いが始まるだろう。仮に私が領主として戻っても、もうルビティアを支える力はない。だが、あなたといっしょにいたこの一月で、あなたが大変に聡明な方だということがわかった。あなたにしか、頼めないのだ」

 公爵の訴えの必死さは、傍で聞いているバーモントにも痛いくらいにわかった。たとえ死期が間近に迫っても、公爵の心はろうそくが燃え尽きる前の最後の輝きのように、治世に燃えていた若い日に戻っていた。

 ルビアナは、公爵の訴えを瞳を覗き込みながらじっと聞いていたが、やがて公爵の手を取ると、真剣な表情をして答えた。

「わかりました。公爵様たちご家族の夢、わたくしが受け継がせていただきます」

「お、おお……ありがとう、ありがとう……これでようやく、思い残すことなく妻と娘のもとへ行けます」

 それが公爵の最期の言葉だった。それから公爵は昏睡状態に陥り、ほどなくして静かに息を引き取った。

 公爵の葬儀は、公爵に近しいものだけでひっそりとおこなわれ、公爵が亡くなったということは外には伏せられた。そして、公爵の遺体は娘の遺体と同じように永久保存された。

 ミシェルとタバサは、もう一度部屋の隅のベッドに視線を移す。そこでは、仲良さげに公爵とその娘が隣り合って今も眠り続けている。いつか、ルビティアが公爵夫婦の夢見た国に変わったときにあらためて埋葬するまで、この地を見守り続けていてほしいという願いを込めて。この屋敷は、そのものが公爵家族のための墓標だったのだ。

 

 そして公爵の死後、ルビアナは公爵との約束を守った。ルビアナにとって公文書の操作など造作もないことで、公爵の娘の立場にやすやすと成り代わった。そして彼女はその手腕を遺憾なく発揮して、公爵も想像していなかった速さでルビティアを動かしていったのである。

 その改革……いや、革命と呼ぶのさえおこがましいほどの変化は冗談としか呼びようのないものであった。ルビアナは政治の世界でも、その恐るべき力を使うことを躊躇しなかったのである。

「初手として、まずは腐った膿を出しましょう」

 彼女がそうつぶやいた後、ルビティアを仕切って暴利を貪っていた役人や兵隊が一夜にして文字通り消えた。それだけではない、街を闊歩していた賊や悪徳商人などの類もすべていなくなった。一夜が明けた後、住人たちは叫び声も悲鳴も聞こえない静かな朝が来たことに困惑し、何年振りかに朝日の美しさを思い出した。

 そう、ルビティアに平和が戻ってきたのである。それもたったの一日で……。

 だが、これだけなら政治の知識が無くても強力な異能さえあれば誰でもできる力技である。世間の人間は誰も異変の原因には気づいていないが、賊どもが「消えた」のではなく「消された」のは明らかであった。実際、ミシェルとタバサはこれがケムール人の仕業だということをすぐに察した。

 ルビアナがその本当の意味での異能を発揮したのはそれからである。

 邪魔者をあっさりと消し去ってしまったルビアナは、残った役人や兵隊を集めて領政府を再編した。ただ、彼らは腐敗しきった役所の中で数少ない真面目に仕事を続けていた人間たちだったが、昨日まで下っ端だった彼らがいきなり重職に引き上げられたところで何もできるわけがない。しかしルビアナは、右も左もわからないでいる新人の重役たちを見渡すと、優しく微笑んでこう告げたのだ。

「お集まりの皆さん、なにも心配することはありません。皆さんがなにをすればよいかは、すべて私が教えて差し上げます。あなた方は、これまでどおりに真面目で誠実に仕事にはげんでくれればよいのです」

 集められた新たな官僚や兵士長たちは、その日初めて会う新たな主君の言うことをなかば呆然としながら半信半疑で聞いていた。

 しかし、彼らはすぐにルビアナの恐るべき力を知ることになった。半信半疑で命令に従った彼らは、ルビアナの指示のそのすべてが狙い撃ったように正しかったことを知ったのである。

 とにかく分野を問わず、ルビアナの指示通りにして失敗したものはなかった。これがいかに非常識なことであるかは、彼女が指示した内容の専門分野がすべて違っていることで一目瞭然であろう。政治、商取引、工事、治安確保、貧民への福祉、その他どれをとっても何十人もの専門家の意見を聞いて、それでいて成功するかどうか保証のない分の悪い賭けなのである。古来、名君や賢王と呼ばれた統治者は数多くいたが、すべての物事を自分一人だけで決めて、かつそのすべてを成功させた王などいなかった。

 もしも、誰にも頼らずに一人ですべてを支配しようとすれば、凡百の愚王や独裁者たちのように失敗を認められないで国をめちゃめちゃにしてしまうだろう。が、ルビアナはそれをやすやすとやってのけた。しかも、あくまで指示を出すだけで、仕込みなどは何もしていない。当時、それをルビアナのそばで見ていたというバーモント老は、その脅威の手腕をこう賞した。

「あの方は、なにをどうすれば正解にたどり着けるのか、すべて知っているかのようでした。ええ、まるでこの世の英知をすべて身に着けているような……ルビアナ様ほどの賢者は神話の中にさえおらぬでしょう」

 それが決して誇張ではないことはミシェルとタバサにもわかった。ルビティアの街で聞き及んだルビアナの噂と完全に重なる……ルビアナが助言した事業はすべて成功し、多少のつまづきはあったものの、それはルビアナの指示を無視したり実行者のミスが原因で、彼女がさらに助言すれば解決した。

 こうしてルビティアは割れた窓ガラスが目立ち風の音寒い衰退した街並みから、道々に花が咲き子供がそこかしこで遊べる豊かな国へと短期間のうちに生まれ変わったのだ。ミシェルとタバサが立ち寄った孤児院のような救済施設も建てられ、今ではルビティアで貧困にあえいでいる者は一人もいない。当然、領地の民はルビアナを救世主のようにあがめ、圧倒的な支持を保っている。

 これがバーモント老やルビティアの人々がルビアナを救い主として感謝する理由だった。あらゆる悪災を取り除き、どうすれば豊かになれるかの道を示してくれる。むろん、豊かになれば堕落する人間たちも出て来るが、ルビアナはそうした者たちに対しても更生の道を適切に示し、あらゆる難題も彼女の采配の前では問題とならなかった。

 この話を改めて聞いたとき、ミシェルもタバサもまるで世間知らずの貴族の坊やの創作した英雄譚のようだと思った。タバサの愛読していたイーヴァルディの勇者にさえ、こんなでたらめなまでに万能な救世主は出てきはしない。

 が、いわばそんな「機械仕掛けの神」とも言うべき存在が実際にいる。話を聞いていた才人も、ルビアナがルビティアを乗っ取ったようなものだと思いながらも、実際に救いと恩恵をもたらして、さらにこれまでトリステインでも彼女の見せた善良な人柄を思うと、頭がこんがらがってわけがわからなくなった。

 

「畜生! おれの頭でそんなことわかるわけねえだろ! こんなときこそルイズや女王さんの知恵を借りたいってのに」

 才人は話が終わると、ぶつけようのない不満を吐き出すように叫んだ。完璧に万能で善良なる存在、そんなものがあり得るのか? どう考えても不審すぎるが、それを言えばウルトラマンの存在も否定することになる。

 なにかが引っかかって納得できない。そんな才人のいらだちに、ミシェルはなだめるように言った。

「落ち着けサイト。わたしの考えでも、ルビアナはまったくの善意でルビティアやトリステインに干渉してきているのだとしか結論できなかった。それは恐らく、間違いないだろう」

「なら、このままあの女のいいようにやらせておけばいいってのか?」

「ああ、そう思いたくなるくらい、あの女のやることは完璧だ。しかし、以前のわたしのように、善意というものは時に悪意よりも災厄をもたらすものだ。ルビティアだけならともかく、奴はトリステインにも影響力を伸ばしてきている。いや、舞踏会にはウェールズ陛下もいらしているから、アルビオンにも進出するのは時間の問題だ。そうなってからなにかが起こっても遅すぎる」

「良かれと思って~と、やって最悪のパターンになるってやつか。一番タチが悪いやつじゃねえか!」

「うむ、あの女のやることは単に”いい人”のレベルを超えている。あの女の善意の根幹になにがあるのか? それがわからんことには力づくで止めるにせよ話し合うにせよ判断がつかん」

 理性ある限り、理由のない善意も悪意もない。理由なく行動する狂人は別として、善人ならば愛情や恩義、悪人ならば恨みや欲がその行動の根幹になっている。才人やミシェルが善人でいるのも、家族から受けた愛情がその芯を成しているように。

 ならば、ルビアナの強烈すぎるほどの善性はなにが根幹になっているのか? それがわからない限りは、どうしても信用することはできない。なにせ、悪人だけとはいえ有無を言わさず強制労働に叩き込むという無茶をやっている。これが暴走した日には恐怖政治になることは火を見るより明らかだ。

「そのうち、あいつの気に入らない奴はハルケギニアにはいられない世界にされちまうぜ。くそっ、もし舞踏会でなにかあったらルイズも……こんなときこそあいつのそばにいてやらなきゃいけないってのに!」

「落ち着けと言ってるだろうサイト。あの女の性格からしてミス・ヴァリエールに手を出す可能性は低い。それに城には姉さんや烈風らの手練れも詰めている。簡単にめったなことは起こらんさ」

「あいつはそんな常識が通用する相手じゃないんだろ! だいたいルイズにしてもギーシュにしても火のないところに火事を起こす天才じゃねえか。もし余計なことしてやがったら今ごろ……」

「落ち着けと言ってるだろうが!」

 悪いほうに心配が加速して止まらなくなっている才人に、ミシェルは怒鳴りつけると同時に、その頬に熱いミルクの入ったカップを押し付けた。

「あっちぃ!」

 当然その火傷しそうな熱さにびっくりして跳び上がった。思わず怒りで頭がいっぱいになりかけたが、きっと睨みつけてくるミシェルの厳しい視線に気づいて気持ちを治めた。

「悪りい……俺だけ騒いでもしょうがねえってのに。やっぱおれは馬鹿だ」

「ああ、よく知っているよ。しばらく何も食べていないんだろう? イライラするのも仕方ないさ。まずはこれでも飲んで腹を落ち着かせろ」

 声色を穏やかに戻したミシェルにカップを手渡されると、才人は湯気を立てているミルクに口をつけてぐっと飲みほした。甘さが口の中に広がった後に、喉を通して温かさと充足感が胃袋を満たしていくのが感じられる。

「少しは落ち着いたか?」

「ああ、うまかった。ごちそうさま」

 腹が満たされると、落ち着きも戻ってきた。温かいミルクはやっぱり甘くてうまい……ミルク?

「あれ、ミルクなんてあったっけか?」

 この部屋にはキッチンのようなものは見当たらない。にも関わらず、温かなミルクが出てくるとはどういうことなのか? するとミシェルは空いている手をかざして。

「ああ、それはこの部屋の仕組みで、何かを欲しいと念じれば出てくるらしい。こんな風に」

 すると、なにもない空間からティーカップが出てきて、ミシェルの手に収まった。中にはさっきと同じように、ホカホカのミルクが注がれている。

「へーっ、こりゃ便利な」

 才人は素で感心した。どこかの星の技術だろうが、これなら部屋の中にあれこれなくても済むというものだ。

 見ると、タバサのほうも、読み終わった本を傍らに置くと、宙から次の本を呼び出している。すでにタバサの周りにはうず高く本の山が出来上がっており、ずいぶん熱心に読んでいるので才人はふと聞いてみた。

「なあ、どんな本を読んでるんだ?」

「異世界の書物……なかなか興味深い。今読んでるのは、正義の戦士たちが仲間を救うために七人の悪魔と戦う物語」

 小難しい本かと思えば、タバサ好みのヒーローものだったようだ。そういえば表紙の主人公の顔がどことなくウルトラマンっぽい気がする。

 才人は、邪魔したら悪いなと思って、視線をミシェルに戻した。

「ん? でもこれなら、脱出に使える道具が欲しいって念じればいいんじゃ?」

「ああ、それなんだが、もし危険なものを要求すると……」

 才人は試しに爆弾が欲しいと念じてみた。すると、代わりに頭上から水が降ってきてしたたかに濡れてしまった。

「……」

「と、ま、まあそういう具合だ。向こうもそこまで馬鹿ではないということだろう」

 そう言いながらミシェルは笑いをこらえていた。ちらりと見ると、タバサも向こうを向きながら肩を震わせている。悔しい。

 しかし、それは別として脱出は考えなくてはならない。けれど、それを言うとミシェルもタバサも首を振った。

「無理だ。わたしたちも杖を取り上げられなかったので、思いつく限りの手を試してみたが、扉も壁も天井も床もびくともせん。お前もそのなまくらを取り上げられなかったろ?」

 言われてみればそうだ。試しにデルフで扉を叩いてみたが、キズひとつつかず、逆にデルフのほうが「いてっ!」と悲鳴をあげるくらい固かった。

「ぶっ壊して出るのは無理か」

 宇宙金属か何かでできているのだろう。力づくで壊すのは物理でも魔法でも不可能だと思うしかなかった。

 ルイズの『テレポート』なら脱出可能だろうが、エースを介してテレパシーを送ろうにも、脳波さえも遮断されるようで通じない。

 そして、ルイズがこっちの異変に気づいて助けにきてくれるとしても、少なくとも舞踏会が終わるまでは無理だろう。あの単細胞は女王と張り合ってそれどころではないだろうし……。なにより、こちらの居所がわからなくては意味がない。

 と、なると、やはり自力で脱出しなくては。力づくでダメなら、相手に扉を開けさせようと才人は考えた。

 その作戦は……。

「うおーっ、いてーっ! 急に腹がいてーっ!」

 と、病人のふりをする古典的な手段だった。多分、前に漫画かなにかで見たのだろう。

 その、あまりにも見え見えな仮病の様にはミシェルもタバサも呆れ顔を見せている。ティファニアくらい純真なら騙されるかもしれないが、普通ならまずひっからないだろう。

 案の定、しばらく「いてててて」と言い続けていたら、才人の頭の上からラッパのマークの胃腸薬のビンが落ちてきた。おでこにしたたかに薬ビンを落とされて、才人は本気で「いってえーっ!」と悲鳴をあげるはめになってしまい、ミシェルとタバサもまたも笑いをこらえるのに苦労した。

「バカにされてるな」

 そんな古典的な手段が通じる相手ではないようだ。まあ才人の浅知恵が通用するような相手なら、ミシェルとタバサがとっくに脱出しているだろう。

「諦めろ、向こうのほうがお前より頭がいい」

「ずいぶん余裕じゃないかよ。このまま出られなかったらどうすんだよ?」

「だからこうしてチャンスを待ってるのさ。あっちにわたしたちを始末する気がないなら、いずれまた接触してくる。そのときに備えろ」

「ちぇっ、覚えてろよ!」

 才人は腹立ち紛れにドアを蹴飛ばすと、そのままベッドでふて寝に入ってしまった。

 どうしようもない。しかし、万一の場合になったら自分がなんとかしなければいけないと、才人は決意した。

「ミシェルさ……ミシェル、もし、あいつが手を出してきたら、おれが死んでもミシェルを守るからな」

「バカ、この中で一番弱いくせに無理するな。むしろ、お前を守るためにわたしが捨て石になるべきだろう」

「ちぇっ、ちょっとは頼ってくれよ。それに、俺だってそっちのちびすけよりはっ!?」

 言おうとした瞬間に才人の眼前を氷の矢がかすめていった。

「あなたより弱くはない」

「わ、わかった、悪かった」

 ちらっと睨んできたタバサに、才人は「こいつこんなに喧嘩っぱやかったかな?」と冷や汗をかいた。無意識に、タバサのことを前から知っていたようにして。

 タバサはまたそっぽを向いてしまい、才人はミシェルに向かってため息をついた。

「弱いってつれえなあ」

「バカ、確かに才人はそこいらの奴よりかは強い。けど、こちらはそういうのを何年も続けてきた『プロ』だ。そう簡単に追い付かれてたまるか」

 もっともだった。二人と才人では、修羅場をくぐってきた年期が違いすぎる。

 けれど、男として情けないと肩を落とす才人に、ミシェルはからかうように告げた。

「気を落とすな。お前はもう十分に水準以上の力は持っている。ただ、お前とわたしたちとでは力を使ってやるべきことが違うというだけだ。サイトがわたしを救ってくれたあの日、お前が戦ってくれたのは力があったからか?」

「……いいや、でも、おれだって男だぜ。女の子の前じゃちっとはかっこつけたいって思うよ」

「かっこ悪いかっこよさというものもあると、わたしはサイトから学んだと思っているよ。無理をしなくても、サイトのかっこよさはわたしが知っているから、焦るな」

 こういうとき、ミシェルはどうして自分は女性らしく振舞えないのかと情けなく思う。姉のように慰めることはできても、恋人のように甘えさせることはできない。

 そんな二人を、タバサはちらりと一瞥して、また読書に戻っていった。異世界の書物の続編……七人の悪魔を倒した後に現れたさらに強い六人の悪魔と、それを率いる完璧なる悪魔との戦い。今のうちにできるだけ勉強しておきたい。

 

 

 しかし、焦る才人の気持ちとは裏腹に、事態はすでに大きく動こうとしていた。

 トリスタニアの空に存在するはずの不可視の宇宙船に対して、行動を起こそうとしている者たち。総勢四人のウルトラマンの力を持つ者たちは、それを引き釣り出すための作戦を開始した。

「こちらアスカ、ファイターEX準備よし。いつでもいけるぜ」

「こちら東岸、セリザワだ。準備は終わった」

「俺のほうも完了だ。西岸、問題なし」

「こちら南岸、高山です。わかりました、ではただちに作戦を開始します。アスカ、頼む」

 街の上空と、東西南にそれぞれ配置した彼らは、この日のために一週間かけて用意してきた新兵器による作戦を開始した。

 まずは、上空のファイターEXでアスカがPALに指示する。

「よし、パイロットウェーブ照射!」

「リョウカイ」

 空中に静止したファイターEXの機首から、波紋状のパイロットウェーブが放たれる。

 これは元々は超空間波動怪獣メザードを通常空間に追い出す役目に使われるものである。だが、相手がなんらかの次元潜航をおこなっているのであれば、水面に石を投げるように揺らがせることはできる。

 思った通り、肉眼では確認できなくても、ファイターEXのセンサーやセリザワの透視能力では空中で揺らぎが発生しだした。そのおおまかな座標をファイターEXから指示されると、今度は残った光学迷彩を破壊するために、セリザワ、藤宮、我夢の三人は秘密兵器を作動させた。

「よし、今だ。スペクトルα線、放射」

「スペクトルβ線、放射」

「スペクトルγ線、放射!」

 三か所から放たれた特殊光線が一点に集中し、その収束点で黒々とした影が浮かび上がった。

 あれが敵の宇宙船か。セリザワは、王宮の大きさに匹敵しそうな、その巨大宇宙船をはっきりと目視して息を呑んだ。やはり、あの形状はあの星のものと酷似している。

 現れた宇宙船は、まるで空に浮かぶ要塞の様に巨体に月光を反射させて輝いている。これに比べたらファイターEXなどコバエのようなものだ。

「でけえ……」

 アスカの知っているところで言えば、スーパーGUTSの移動基地「クラーコフNF-3000」。我夢の知っているところではXIGの空中基地エリアルベースに相当する大きさだ。

 この規模なら、セリザワの知っている中では最大規模のUGMのスペースマミーすら悠々と収容できるだろう。それを誰の目にも触れさせることなく隠し続けていたのだから、敵の技術力は相当なものだ。

 だがそれにしても、このスペクトル線の放射装置はすごいものだとセリザワは思った。異なる波長の放射線を当てることで光の屈折を完全に無効化してしまう。これはかつて、科学特捜隊が棲星怪獣ジャミラの乗ってきた透明宇宙船のカモフラージュを取り除いたときのものと同系だが、当時の科特隊の開発者であったイデ隊員は掛け値なしの天才と言ってよく、セリザワも原理は知っていたが再現はできなかった。

 しかし、我夢と藤宮とウルトラマンヒカリの三人の天才科学者の協力で、ついに再現に成功した。それでも、我夢が向こうの地球から持ち込んだ機材を使って三人がかりで一週間近くかかったわけで、これを一晩でゼロから完成させたイデ隊員がいかに並外れた天才だったかということが思い知らされた。

「これほど高度な機械を、アルケミースターズでもない普通の人が一人だけで開発して組み立てたんですか? すごいなあ、やっぱり人間の可能性ってやつは、無限に上があるものなんですね」

 我夢も、スペクトル線装置の仕組みを聞いただけで、手放しでイデ隊員の功績を賞賛した。怪獣頻出期の初期に地球を守れていたのはウルトラマンだけの力では決してなかったのだ。

 偽装をはぎ取られた宇宙船は、悠然と上空に浮き続けている。動き出す気配や攻撃をかけてくる気配は今のところはなく、ファイターEXはその周りを旋回し続けている。

 なにかを仕掛けるなら今しかない。我夢はアスカと藤宮に向かって呼びかけた。

「よし、作戦の第二段階へ移ろう。アスカ、藤宮、突入してくれ」

 敵の姿は見えた。あとは内部に飛び込んで、捕らわれた二人を救出する。その役目は、経験のあるあの二人が適任だ。

 アスカと藤宮は、ウルトラマンの力を使って宇宙船に飛び込むべく、それぞれの変身アイテムを取り出した。

 だが、彼らにとってはまったくの想定外の事態が、まさに彼らの作戦を引き金にして起こっていたのだ。

 

 トリステン王宮。その一室で、絶縁体のケースの中に閉じ込められているエレキングの幼体。そいつはエネルギーを失ってじっとしていたが、パイロットウェーブとスペクトル線の余波の強烈な磁場を受けて、一気に覚醒した。

 ケースを破壊し、そのままどんどん巨大化する。巨体は王宮の一角を破壊して、月光の下にエレキングはその禍々しい姿を現したのだ。

「怪獣だぁーっ!」

 王宮の崩れる音を聞きつけて外に飛び出した者たちは、宮殿の中庭に聳え立つエレキングの姿を見て絶叫した。

 エレキングは角を回転させ、甲高い叫び声を上げながら、狂ったように手当たり次第に近場の建物を破壊し始めた。城壁を殴り倒し、尻尾で渡り廊下をへし折り、花壇を踏みつぶす。その凶暴さは、以前にド・オルニエールに現れたエレキングたちの比ではなかった。

 ほんの十数秒で、でたらめに暴れたエレキングは瓦礫を浴びながら王宮の一角を壊滅させていた。あまりに時間が短すぎて、王宮警護の騎士たちも対応することができない。

 そして、エレキングは何かに引き寄せられるかのようにダンスホールへと頭を向けた。

「いかん! 怪獣はダンスホールを狙っておるぞ。あそこには陛下と女王陛下が!」

「とっ、止めろ! ダメだ、間に合わん!」

 蒼白になる騎士たちの前で、エレキングの口が鈍く輝きだす。そして、電撃光線がダンスホールへと放たれようとした、まさにその時!

「シュワッチッ!」

 閃光の様に飛び込んできた青く鋭いキックがエレキングを吹き飛ばした。

 エレキングは体勢を崩して城壁に叩きつけられ、その傍らに青き騎士が颯爽と降り立つ。

「青い……ウルトラマン。彼は」

 ウルトラマンヒカリ。その姿を見て、駆け付けてきたカリーヌは安堵したようにつぶやいた。

 エレキングもすぐに起き上がってきて、王宮の一角でヒカリとエレキングが向かい合う。両者の戦いがどうなるのか、誰もがそれを想像してじっと見守った。

 が、ヒカリと三人のウルトラマンたちにとって、エレキングの出現は本当に唐突な事態であった。不測のことが起こるのは覚悟していたものの、ウルトラマンが一人出て行かなければならない事態がいきなり起こるのはやはり大きな逆風になる。

〔こいつは私が抑える。急げ! 奴らがあれを出してくる前に〕

 ヒカリが我夢に叫んだ。エレキングがなぜ現れたかはわからないが、こいつ一匹程度ならばなんとかなる。しかし、奴らが本気を出してあれを投入して来たらとても一人で抑えるのは無理だ。

 我夢はヒカリからの指示を受けてアスカと藤宮にも伝えた。

「二人とも急いでくれ! こっちは最悪僕がなんとかする。これ以上怪獣を増やされたら危ない」

「わ、わかった! 後は頼むぜ」

 アスカと藤宮はそれぞれウルトラマンの力を使い、光となって宇宙船に突入していった。

 残った我夢はさらなる不測の事態に備えて待機し、ヒカリはエレキングを倒すべく立ち向かっていく。

「セヤアッ!」

 科学者ではあるが、同時にウルトラ兄弟の中でも特に華麗な技を持つヒカリの俊敏なキックがエレキングの頭をはじき、続いて放たれたパンチがエレキングの腹にめり込む。

 悲鳴をあげるエレキング。しかし、エレキングはなおも暴れるのを抑えられないとでもいうふうに、ダメージを受けながらも長い尻尾を振り回してヒカリにぶっつけてきた。

「ハアッ」

 ヒカリはエレキングの尻尾を受け止め、そのままエレキングを被害の少なくなる場所へと投げ飛ばした。

 さらに城壁や建物がエレキングに押しつぶされて崩れるが、人の多くいるダンスホールからは遠ざけられた。ヒカリはエレキングが人のいるほうへと向かわせないように正面から立ちふさがり、エレキングはなおも頭部のアンテナを激しく回転させながら起き上がってくる。

 突然、なんの前触れもなく王宮の内部で始まった怪獣とウルトラマンの戦い。その轟音と激震は王宮全体をパニックに陥れ、笑い声に満ちていたダンスホールも、非常事態宣言をアンリエッタが出していた。

「皆さん、舞踏会は中止です! ですが安心してください。このダンスホールは怪獣でも簡単には壊せないよう、特別に頑丈に作られています。わたくしは最後までこちらにおりますゆえ、まずは皆さま落ち着くことをお願いいたします」

 その一言で、パニックになりかけていたダンスホールの中も冷静さを取り戻していった。女王が最後まで残ると言っているのに、体面を大事にする貴族が慌てて逃げ出すわけにはいかない。

 ダンスホールの窓が開けられ、ヒカリとエレキングの姿が貴族たちの目にも飛び込んでくる。戦慄が走る中で、ルイズは才人を探すために走り出し、ギーシュはモンモランシーとルビアナを守るように肩をいからせた。

「だ、大丈夫さ。ぼくがいる限り、二人には絶対に指一本触れさせないから安心したまえ。バラのとげは美しい花を守るためにあるってことを、み、見せてあげようじゃないか」

 杖を持っていないので明らかにビビりが隠せていないが、それでも逃げ出そうとはしていない姿をモンモランシーは呆れながらも頼もしげに見つめていた。

 そしてルビアナもギーシュの背中を同じように見つめていたが、すっと視線をエレキングへと流した。

「可哀想な子……」

 小さく哀しげなつぶやきは誰の耳にも届かず、エレキングはさらに暴れ狂っていく。ルビアナは、まるですべてを見通しているかのように、憂いを含んだ表情でじっとそのまま立ち続けていた。

 

 

 続く



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第88話  私の名

 第88話

 私の名

 

 放電竜 エレキング 登場!

 

 

 誰もが夢の一夜を楽しむはずであったエルムネイヤの舞踏会は今や、怪獣とウルトラマンの激闘を観戦する武闘会場へと変貌してしまっていた。

「一体どうしてこんなことに……あの怪獣はどこから……?」

 舞踏会に招待されていたアルビオンのウェールズ王が短くつぶやいた。宮殿のど真ん中に、なんの前触れもなく現れた怪獣。ここに集った大勢の貴族たちにとっても、それは共通の疑問であった。

 しかし、アンリエッタやルイズなど、以前のド・オルニエールの事件を知っている者たちにとっては、胸の中にぞっとするような不安が湧いてくる怪獣だった。

「あの怪獣はあのときの……もしや」

 エレキングが突然現れるなら、その可能性がひとつだけある。だがそれは……。

 アンリエッタは動けないが、アニエスらはすでに行動を始めているだろう。それにルイズも血相を変えて才人を探しに飛び出している。

 そして、疑惑の渦中にあるルビアナは、暴れ狂うエレキングを見上げながらじっと押し黙っている。そのそばでは、ギーシュとモンモランシーが血色を失ってルビアナを見つめていた。

「ル、ルビアナ、あの怪獣は、君の……」

「ルビアナさん……?」

 二人が呼びかけると、ルビアナはふっと振り返って悲し気な表情を見せた。

「ええ、わかっています。あの子になにかあってしまったようですね。私が目を離してしまったばかりに」

「い、いいや、ルビアナのせいなわけないさ! それよりぼくらも避難しよう。君もここにいると危ない」

「いいえ、わたくしはここであの子を見届けます。あの子は私にとって、あなた方メイジの使い魔のようなもの。あの子に万一のことがあったとき、わたくしが見届けてあげなくてはいけません。わたくしに構わず、ギーシュ様は女王陛下のために行ってくださいませ」

 ルビアナは一歩も動こうとはしなかった。そして、その強い決意を感じ取ったギーシュは、きっと襟元を正すと金髪をかき上げながら宣言したのだ。

「わかりました! ですが女王陛下の賓客であり、我が友人でもあられるあなたを置いていくこともまた女王陛下への不敬。事態が落ち着くまで、不肖ギーシュ・ド・グラモンがあなたをお守りいたしましょう!」

 その大げさにかっこうつけた宣言を見て、モンモランシーは「やっぱりこうなるのね」と予想通りすぎる展開に頭を抱えたが、むろん彼女もルビアナを置いて自分だけ避難する気にはならない。

 ルビアナは、自分のわがままに付き合ってくれるという二人の友人に対して、ありがとうございます、と優雅に会釈した。その微笑みの美しさに、ギーシュは心臓をわしづかみにされたような動悸の高鳴りを感じ、自分自身にも言い聞かせるように再度宣言した。

「あ、安心してくれたまえ。ぼ、ぼくの命にかえても、ルビアナにもモンモランシーにも傷ひとつつけさせないさ!」

 それは、これまで数多くの女子と付き合ってきたギーシュも感じたことのない感覚だった。以前、ラグドリアン湖の舞踏会の時に大けがをして、ルビアナとモンモランシーに手当てをしてもらったことが思い返されてくる。もうあんな無様は晒したくない! すると、そんなギーシュの焦りを悟ったように、モンモランシーがギーシュの手を握ってきた。

「なに一人で背負う気になってるのよ、このバカ。あの夜に誓ったでしょう? わたしたちは対等。あなたに守られるだけじゃなくて、わたしだってあなたやルビアナさんを守りたいの。ルイズやキュルケほどじゃないけど、女のわたしだって戦えるんだからね」

 そう力強く諭してくれるモンモランシーに、ギーシュは情けなさもあったが、それよりも強い安心感と心強さを感じるのだった。

「ああ、モンモランシー、ぼくが間違ってたよ。みんなで無事に帰ろう。そうして、舞踏会の続きを楽しもうじゃないか!」

 ルビアナはにこりと笑って戦いを見返した。

 そんな彼らのところに、仮装を解いたキュルケやベアトリスたちが、控室に置いたままにしてあった杖を持ってきてくれた。彼女たちはもちろん避難をうながしたが、ギーシュは先に行ってくれとかっこうをつけて答えた。

「いやあ、どうしてもぼくって男はレディの困っている姿は見逃せなくてね。本当に危なくなったら二人を連れて逃げるからさ、少しだけルビアナに付き合わせてくれよ」

「仕方ないわね。ギーシュにかっこうつけるなって言うのは、息をするなって言ってるのと同じだものね。わたしはひとまずこの子たちを安全な場所まで連れて行くけど、あなたも言った以上はがんばりなさいよ」

 キュルケはそう言って、ベアトリスたちを連れて去っていった。その背中に向かって、ギーシュはわがままを聞いてくれて感謝すると心の中で頭を下げた。

 ただし、一瞬後には盛大に下心で胸中は塗り替えられている。いわく、モンモランシーとルビアナに同時にいいところを見せるチャンス! 今回は手柄を分割する仲間はいないし、うまくすれば二人いっぺんにデートに誘うことも夢じゃない!

“ぼくとモンモランシーとルビアナで、一日中愛の詩を語って過ごそう。ああ、なんて素晴らしいんだ! きっと二人も喜んでくれるに違いない”

 都合のいい未来予想図を描き、それにためらいなく命を懸けられる男ギーシュ。そんな彼のうっとりした横顔を、モンモランシーは「またバカなこと考えてるわね」と、蔑んだ目で眺め、ルビアナはただじっとエレキングとウルトラマンの戦いを見守っているだけである。

 

 だが、人間たちの思惑など関係なくエレキングの暴走は続き、ウルトラマンヒカリはそれを止めるために否応なく戦いに挑まされていく。

「ヘアッ!」

 腰を落としたヒカリのストレートパンチがエレキングの腹に食い込んだ。さらにヒカリはエレキングがのけぞった隙を逃さずに、回転する角のある頭部へと回し蹴りを叩き込む。

「セイッ!」

 強風に舞う木の葉のような、目にも止まらぬスピーディな戦い方がヒカリの持ち味だ。それでいて、その一撃は重く、怪獣に着実にダメージを与えていく。

 さすがにスピードではタロウ、重さではレオにはかなわないものの、その中間ともいうべきファイトスタイルを駆使してヒカリはサラマンドラやベムスターといった強豪怪獣たちを撃破してきている。

 だが、今回もヒカリはその熟達した動きでエレキングと渡り合っていたが、戦いが長引くほどエレキングの異常性に確信を高めていった。

〔こいつ、なにかに怯えて……いや、怒っているのか?〕

 エレキングの暴れようは、まるで釣り上げられた魚のようにめちゃめちゃだった。手当たり次第に攻撃を繰り返し、こちらの攻撃が当たってもひるむ様子もない。

 明らかに何か異常な暴走をしている。ヒカリはそれをいぶかしんだが、彼はそれを考えるより先に我夢に叫んだ。

〔急げ! 何かがおかしい。今のうちに早く〕

「は、はい、わかりました」

 我夢ははっとして、目の前の機械を操作した。円盤を実体化させたら、後は逃がさないように妨害電波を流して足止めする。強大なテクノロジーを持っている相手にどこまで通用するかわからないが、ないよりはましだ。

「急いでくれよ、アスカ、藤宮……」

 いつまで時間を稼げるかわからない。一刻も早く捕らえられた二人を救出して脱出してくれと、我夢は祈った。 

 

 しかして、我夢の危惧した通り、円盤の中ではすでに激戦が繰り広げられていたのである。

「侵入者だーっ! 捕まえろーっ」

 通路に警報が鳴り響き、宇宙服のような装備を身につけた兵士が慌ただしく駆け巡っている。

 内部に侵入したアスカと藤宮のことは早々に察知されていた。二人は二手に別れて、敵を撹乱しながら通路を進んでいく。

「とてつもないテクノロジーの船だ……」

 藤宮博也は通路を走りながらつぶやいた。彼自身も天才集団アルケミースターズに籍を置いていた人間だが、この宇宙船に使われている技術は彼の理解を持ってしてもはるかな未来を行っていた。果たして地球人がこの規模の宇宙船を自力で作るとしたら、あと何百年、何千年かかるか想像もできない。

 しかし、科学で作られているのだとすれば、理解はできなくとも、ある程度の方向性は想像できる。具体的に言えば、どこに動力炉を配置してどこに居住区を置けば都合が良いか。レイアウトの合理性は不変だからだ。

「幽閉されているとすれば、向こうか」

 藤宮は今、アグルの姿をとってはいない。エネルギーを少しでも温存しなければならないし、藤宮は変身しなくてもアグルの力の一部を使って高速移動やバリアの発生などを駆使することで、雑兵程度は蹴散らせるのだ。

 一方で、アスカはそんなに頭がいいことできるわけがないので陽動専門だ。

「ほらほら、こっちだ、こっちだぜ!」

「待てえーっ」

 アスカを追って団体の警備兵が走ってくる。しかし、盗塁を狙うランナーのように、走ることは元球児のアスカの得意技だ。

 ただ、本来であればいくらアスカと藤宮でも円盤に侵入したとたんに兵士に囲まれてしまっていただろう。しかし今は我夢の流している妨害電波のせいで兵士たちの通信機器がマヒしているために、彼らは組織的な動きができなくなっていた。

 もっとも、それもいつまで持つかわからない。敵の混乱が回復する前に目的を達せられるか? まさに時間との勝負である。

 警備兵たちは藤宮とアスカの位置を正確に把握できずに人海戦術で走り回っている。数人くらいであれば、藤宮とアスカは殴り倒して突破し、拡大する騒動はやがて幽閉されている才人たちの耳にも届いていった。

「なんだ? なんか騒がしいな」

「……案外早くここから出られるかもしれんな」

 ミシェルがぽつりと呟くと、タバサも無言で杖を握り直した。才人はきょとんとしたが、騒ぎの元は次第に近づいてきているように彼にも感じられてきた。

 

 地上と高空で、それぞれ混迷を深めていく状況。まだ始まってから数分も経っていないというのに、戦火は一気に燃え上がり、轟音と閃光は人目を引き付けてトリスタニアの人々にも飛び火してさらに燃え広がっていく。

「ねえ、今のすごい音はなんなの? あっ、王宮を見て!」

「怪獣がお城で暴れてるぞ。おうっ!? そ、空を見ろ!」

「な、なんだあ。でっかい鍋ぶたが街に被さってるべえ!!」

 時が経つと姿を表した円盤も衆目に止まり、その隠しようもない巨体で騒ぎをさらに広げていく。

 むろん、円盤を操る者たちも必死になってステルス機能の回復に努めようとしているが、我夢たちが叡智を結集して造った妨害電波がそれを妨げている。

 円盤は隠れることも逃げることもできず、今はただトリスタニアの上に浮くことしかできない。ここまではなんとか我夢たちの作戦通りといってもいいだろう。

 しかし、トリスタニアにまるごと被さるほどの巨大宇宙船の主が、この程度のことで手詰まりになってしまうようなうかつな者なのだろうか?

「ふぅ……メインブリッジ、聞こえていますか?」

「あっ、はい! すみません、今こちらは」

「わかっていますよ、コントロールを奪われているのでしょう? 彼らなら、それくらいのことはやれるでしょうけど、本当に困った人たちですね」

「本当にすみません、まったく油断していました。今、復旧に全力を注いでいますので」

「それには及びません。船のコントロールを、こちらに渡しなさい。それと、お客様たちには丁重に。決して傷つけてはいけませんよ」

「は、ははっ!」

 思念波での短い交信の後、円盤の操縦者たちは言われた通りに円盤のコントロール権をそちらに移した。すると、円盤を動かしていたスーパーコンピュータからの膨大な情報がそのままその相手のほうに流れていく。

 普通なら、こんな膨大な情報を渡されても処理しきれずに押し潰されてしまうだろう。しかし、そいつはまるで小冊子を読むように情報を紐解くと、指揮者がタクトを振るように一瞬にして膨大な内容の指令を円盤に返したのだ。

 

 変化は即座に表れた。それまで機能不全に陥っていたはずの円盤の制御が急回復し、アスカと藤宮の進んでいた通路の先の隔壁が閉じだしたのだ。

「なにっ!?」

 唐突な円盤の機能回復に、藤宮は閉じかけた隔壁の隙間をアグルの力で超加速してすり抜けた。しかし、隔壁は藤宮の前で次々に閉じていく。

 一方、アスカのほうは閉じた隔壁にすでに閉じ込められていた。

「くっそお、ネオプラスチック爆弾がありゃあ」

 生身ではとてもこの宇宙船の隔壁は突破できなかった。かくなる上は、エネルギーがもったいないがダイナに変身して強行突破しかない。だが、そう思った瞬間に通路の壁から白いガスが吹き出してきた。

「ゴホゴホっ! さ、催眠ガスか」

 軽く嗅いだだけで頭がぼんやりとなり、リーフラッシャーを握る手が痺れてくる。息を止めてなんとか耐えるが、いくらアスカのど根性を持ってしてもどんどんと抵抗力が抜けていってしまう。

 それは藤宮のほうも同じで、行く手を阻む隔壁と作動するトラップに足止めされていた。閉じ込められたらウルトラマンに変身するであろうことを見越した素早い対応には、彼も我夢の妨害工作が破られたことを察するだけで手一杯だったのだ。

 タバサたちが捕らえられているであろう場所を間近にして、隔壁が無情に道を塞ぐ。才人たちは、助けが間近まで来ていることを察しながらもどうすることもできなかった。

 

 さらに円盤の機能はそれだけではなく、地上の宮殿で戦っているヒカリとエレキングに対しても動き出した。円盤から強烈な磁力線が照射されて、両者の動きを封じにかかってきたのである。

「フワァッ!?」

 ヒカリの体が突然鎖で縛られたように動けなくなり、同時にエレキングの動きも拘束される。むろん、エレキングもヒカリも脱出しようともがくが、電磁波の拘束はびくともしなかった。

〔なんという強力な拘束エネルギーだっ!〕

 初代ウルトラマンの技にあるキャッチリングにも勝りそうな拘束力だ。ヒカリの全力でも振りほどけず、ヒカリは膝を付いて上空の円盤を見上げた。

〔もうエネルギーの乱れは感じられない。あの短時間で復旧したというのか?〕

 円盤は完全に正常な機能を取り戻したようにしか見えなかった。一方で、妨害電波を送っていた我夢も、こんなに早く機能を回復するなんてあり得ないと驚愕していたが、円盤はそんな彼らをあざ笑うかのように、悠々と中と外で彼らを追い詰めていき、さらに円盤の姿がうっすらと消え始めた。ステルス機能も復活してきているのだ。しかも円盤はエレキングに半重力光線を照射して回収しようとしている。

 

 このままでは全てが水の泡になる! 事情を知らないアンリエッタや貴族たちは、エレキングが消えていく様に怪訝な表情を浮かべている程度だが、実態は最悪だ。しかも、ウルトラマンが実質四人もいるというのに完全に上手をとられてしまっているのだ。 

「怪獣を捕らえようとしている……ウェールズ様、あの空飛ぶ城は、敵ではないのでしょうか?」

「だが、ウルトラマンの動きも止めているではないか。アンリエッタ、油断してはいけない」

 以前にヤプールに散々利用されたウェールズは警戒心を持っていた。けれど、彼も事態の裏に隠された重大さまでは察することはできず、消え行く巨大宇宙船をじっと睨み付けていることしかできなかった。

 ただ、そうしているうちにもダンスホールからは大半の貴族たちは避難し、アンリエッタの懸念した各国の貴賓が巻き込まれるという最悪の事態だけは避けられそうであった。

 残っているのはアンリエッタとウェールズ夫妻に、ギーシュたち数名のみ。その彼らも事態を見て困惑していたが……。

「ルビアナ、君の怪獣が!」

「……」

 ギーシュが叫ぶのを、ルビアナはなぜかじっと聞いていた。その横顔は無表情に固まって、その胸中を推し測ることはできない。

 

 藤宮とアスカは円盤の中で身動きが取れず、ヒカリは円盤の磁力線に捕らえられて動けない。残っているのは我夢だけだが、彼も変身した瞬間にヒカリ同様に磁力線に捕らえられるということはわかっていた。

 まさに八方塞がり。我夢たちが叡知を尽くして用意してきた作戦も秘密兵器も、相手は軽々とそれを上回ってしまった。

 

 人質を取り戻すことさえままならず、トリステインの人間たちにも悠々と正体を悟らせず、円盤は再びその姿を消そうとしている。

 だが、円盤が完全に消えかけ、我夢ももうだめかと思った瞬間だった。円盤の内部から突然爆発が起こり、円盤の巨体がぐらりと揺れたのだ。

“何が!?”

 我夢とヒカリ、それに円盤を操っていた者もそう思った。自分たちは何もしていない。ならばアスカか藤宮が何かしたのか? いや、あの二人にもそんな余力はないはず。

 ならば何者が? そのときである。空に嘲るような笑い声と、闇夜に揺れるコウモリのような影が現れたのは。

「ハハハハ、まったくウルトラマンの方たちはどこの人でも真っ正直すぎて呆れてしまいますよ。そいつに、そんな真っ当な手段が通じるわけないでしょう。ですが、いい囮にはなってくれましたね。こういう破壊工作は星間戦争に馴れた我が一族の得意技です。ウルトラマンに手を貸すのは癪ですが、そいつへは私も恨みがありますからね。あとは頼みますよ」

 なんと、あの宇宙人の仕業だった。まさに、敵の敵は味方の理屈。彼は自らの屈辱を晴らすために、我夢たちを利用するつもりだった。

 だが、動機はどうあれ彼の横槍は大きかった。プライドを傷つけられた彼は、例え恨み重なるウルトラ戦士に味方することになったとしても構わないと、ライトンR30の製法を教えるに留まらず、ついに自ら実力行使に出たのだ。

 宇宙船は、どこか重要な機関を破壊されたらしく、姿を消せなくなって空中で煙を吹き上げている。当然、機能にも損害が発生し、アスカと藤宮はトラップから解放された。

「ガスが消えた!」

「我夢か? いや」

 トラップが止まればこちらのものだった。二人は捕縛に来た警備兵を蹴散らして、再び奥へと進んでいく。隔壁やトラップは完全にマヒし、しばらくは動き出す気配はない。

 もちろん、自動修復機構は動いている。しかしいくら円盤の操り手が優れていても、こうも立て続けに想定外の打撃に晒されれば短期に復旧するのは不可能であり、遠隔操作の限界を悟ったそいつはゾッと刺すような殺気を放ちながら呟いた。

「まったく皆さんでよってたかってひどいですわね。特にあなたは、あのときにちゃんと始末しておくべきでした」

 恨みや悪意とは違う、穏やかささえある純粋な殺意の波動。それは虚空を貫き、空のかなたのコウモリ姿の陰がぞくりと震えた。

 

 そして、円盤が機能不全に陥ったことにより、ウルトラマンヒカリとエレキングもまた解放されていた。

〔体が動く! よし、いまだ〕

 解放されたヒカリは、素早く構えをとるとエレキングに挑んでいった。エレキングも拘束から解放され、さらに怒り狂いながら電撃光線をヒカリに乱射してくる。

「ハッ!」

 しかしヒカリは即座にナイトビームブレードを展開すると、電撃光線を切り払いながら突進していく。

 消耗が続き、カラータイマーもすでに激しく点灯している。ヒカリは迎え撃ってくるエレキングの尻尾を回避すると、上段からエレキングの首を目掛けて光剣を降り下ろした。

「タアーッ!」

 一閃! だがエレキングは寸前で首を引っ込めたため、ナイトビームブレードはエレキングの頭を掠めて外れ、角の一本を切り落とすだけにとどまった。

「仕損じたかっ」

 ウェールズが悔しげにこぼす。しかし、角はエレキングの最大の弱点だ。レーダーの役割をするそれを破壊され、エレキングの動きが鈍っている。

 今だ! この機を逃すまいと、ヒカリは右手のナイトブレスを空に掲げ、その手に青い稲妻がほとばしる。

 が、しかし。エレキングは怒りと執念から凄まじいあがきを見せた。ナイトシュートのチャージが終わる前に、自分の周りを火の海にする勢いで電撃光線を乱射したのだ。

「フワッ!?」

 自分が火に飲まれるのも構わないほどのエレキングの抵抗に、さしものヒカリも困惑した。

 一体何が、このエレキングを自分の身も顧みないほどに暴れ狂わせているのだ? どんな凶暴な怪獣でも、最低限自分の体だけは守ろうとするものだ。それさえしないこのエレキングは、明らかに正気を失っている。

 しかし、エレキングの最後のあがきによる炎の海は突如天高く舞い上がった竜巻によってすべて吸い上げられてしまった。そして、その竜巻を起こしたのは、城の尖塔の上でマンティコアにまたがる仮面の騎士。その勇壮な姿を目の当たりにした外国の貴族たちは、避難することも忘れて感嘆の声をあげた。

「おお、あれが噂に名高いトリステインの『烈風』か!」

 今では生きる伝説として、トリステインの内外にその名が伝わっている正体不明の騎士の雄姿は、舞踏会がつぶれた貴族たちの悲嘆をも塗り返す威力があった。唯一、才人を探して駆け回っていたルイズひとりが、「げっ、お母様!」と青ざめているが、竜巻は同時にエレキングを空気の檻に閉じ込めて最後の身動きをも封じた。

「今だ、撃てウルトラマン!」

 カリーヌがヒカリに叫ぶ。二人はトリステイン魔法学院で短い間だが同じ釜の飯を食った間柄、共にそのことを意識をせずとも、ヒカリは戦士としての共感から今度こそ必殺の光波熱線をエレキングに向けて放った。

『ナイトシュート!』

 青く輝く光線がエレキングの巨体をうがち、その体表で爆発した。

 エレキングは悲鳴のような遠吠えをあげると、ふらりとよろめいていく。

 奴の最期だ……誰もがそう思った。だが、力尽きるかと思われたエレキングは、倒れずにそのまま小さく縮小し始めたのだ。

 そう、巨大化できるならその逆で小さくもなれる。エレキングの巨体はヒカリや城の騎士たちが見ている前でスルスルと小さくなり、最後には身長二メートルほどにまでなって、ダンスホールに現れた。

「アンリエッタ、下がって!」

 ダンスホールにはまだアンリエッタたちが残っている。ウェールズはとっさにアンリエッタをかばい、さらにダンスホール内におっとり刀でアニエスら銃士隊も駆けつけてきた。

「総員抜刀! 怪物を陛下に近づけるな」

 アニエスは表情を強張らせ、額に脂汗を流しながら部下たちに命じた。

 相手は二メートルほどに縮んだとはいえ、たった今までウルトラマンと渡り合っていた怪獣なのだ。銃士隊員たちもそれをしっかりと認識し、緊張しながらエレキングの回りに布陣していく。

 そして、最後に残ったギーシュたちも、ギーシュがルビアナとモンモランシーをかばうために杖を振っていた。

「ワルキューレ、二人を守るんだ!」

 彼の唯一無二の得意技と言える、戦乙女型の青銅ゴーレムが三体現れて壁となった。しかし、金属が電撃に対して壁にならないことはギーシュも承知していて、もし電撃光線が来た場合には自分の身を挺して二人を守ろうと覚悟していた。

 

 けれど、エレキングはすでに死に体なのは誰から見ても明らかだった。

 角は片方無くなり、ナイトシュートを受けた傷は黒焦げで致命傷にしか見えない。等身大になったおかげでウルトラマンヒカリは手を出せなくなっているが、銃士隊でもじゅうぶんにとどめを刺せそうだった。

 にも関わらず、エレキングは何かに憑かれたかのように、のし……のし、と、よろめきながら歩き始めた。その幽鬼のような様には、戦闘経験豊かな銃士隊も無意識に後ずさり、胆の太いアンリエッタも背筋に虫を這わせた。

 なにが、いったいなにがこいつをここまでさせているのだ? と、その場にいた者たちは思った。リムエレキングのような活発さはなく、ただ狂い暴れるゾンビのようなエレキングは、なぜ致命傷を受けても逃げようともせずにここにいる?

 そのときだった。包囲陣を敷いていた銃士隊の一人が、圧迫感に耐えかねて飛び出してしまったのだ。

「うわあぁぁーっ!」

「ま、待て! まだ突撃命令は出していない」

 アニエスが叫んだ時には遅かった。その銃士隊員の振り下ろした剣がエレキングの首筋に食い込んで血が流れ出す。

 だが、エレキングはそれでもまだ死なずに、長い尻尾を触手のようにしならせてその隊員の体に巻きつけてきたのだ。

「な、なにこれ、はっ、かっ!」

「カンナ!」

「よせ、近寄るな!」

 捕まってしまった仲間を助けようと、数人の銃士隊員が駆け寄った。しかし、異常に勘づいてアニエスが止めたのも間に合わず、その数人もエレキングのそばに近づいた瞬間、不気味なオーラに包まれたように見えたとたんに目の焦点を失って立ち尽くしてしまった。

 対してエレキングは、残った片方の角を回転させながら、銃士隊員たちからオーラを吸い取り始めた。

「生気を吸収しているのか! アニエス隊長、早く助けないと」

「ダメだ、これでは近寄ることさえできん。銃でも、この間合いではっ」

 銃士隊の装備であるマスケット銃は至近距離でしか命中が期待できない命中精度しかない。エレキングに意識を奪われない外から狙うとなると、エレキングに捕まっている仲間まで誤射する危険がある。むろんアニエスも隊員たちも銃の名手ではあるが、万一仲間に当たったらただでは済まない威力がマスケット銃にもある。

 それに、ウルトラマンヒカリもこの状況は見ているが、銃士隊員たちがエレキングと密着して人質にされているような有り様では手が出せなかった。

 と、そのときである。モンモランシーがはっとあることに気づいてギーシュに告げた。

「そうだ。ギーシュ、あなたのワルキューレなら」

「そ、そうか、ワルキューレならあいつに近づいても問題ない。よしワルキューレ! そいつからレディたちを助け出すんだ!」

 ギーシュは杖を降り、ワルキューレをエレキングに差し向けた。ワルキューレはその手に槍や盾を持ち、ギーシュの成長を示すように俊敏な動きでエレキングに斬り込んでいく。

 しかし、エレキングは銃士隊員たちから吸収したエネルギーで電撃光線を放ち、ワルキューレ三体を瞬く間に爆破してしまった。

「ああっ! ぼくのワルキューレ」

 青銅の破片とともにギーシュの悔しげな叫びが飛び散る。やはり、小さくなっても相手は怪獣だ。

 しかも、エレキングは電撃光線を撃った分のエネルギーをさらに銃士隊員たちから吸い上げている。

「このままでは彼女たちの命が吸い付くされてしまいます!」

 隊員の一人が悲鳴のように叫んだ。しかし、近づけないのではアニエスには打つ手がない。アンリエッタやウェールズも、自分たちの魔法では人質まで巻き込んでしまうと、手が出せなかった。

 そのときだった。硬直した空気の中に、規則正しい乾いた足音が響いたのは。

「皆さま、わたくしのきかん坊が迷惑をおかけして申し訳ありません」

 なんと、ルビアナがしずしずとエレキングに歩み寄っているではないか。

 そのあまりにも場違いで無謀な行動に誰もがあっけにとられ、ギーシュは血相を変えて叫んだ。

「危ない! そいつはもうあなたのペットじゃないんだ!」

「ええ、わかっていますわ」

 ルビアナの歩みは止まらず、彼女はエレキングの正面に出た。エレキングは狂ったように叫ぶと、その口を鈍く輝かせてルビアナに向ける。

「いけない! 奴はルビアナさんを吹き飛ばすつもりですわ」

 アンリエッタが叫ぶ。ワルキューレを粉砕したあの電撃光線を人間が受けたらひとたまりもない。

 最悪の展開を誰もが想像し、エレキングはそれに背かずに電撃光線を放とうとした。だが、次の瞬間ルビアナがそっとエレキングの頭に手のひらをかざすと、エレキングはびくりとして動きを止めてしまったのである。

「と、止まった?」

「アニエスさま、今のうちにお仲間を」

「あ、ああ」

 アニエスはわけがわからないながらも、部下に命じて捕まっていた隊員たちを救出させた。幸い、衰弱してはいるが命に別状はなさそうである。

 だが、ルビアナはいったい何を? すると彼女は、いまだ愕然としている面々にゆっくりと答えた。

「この子は、他の生き物の脳波エネルギーを吸って支配します。ですが、より強い精神力の持ち主は支配できないのですよ」

 つまりエレキングの精神汚染をはね除けて逆支配しているというのか? そんな真似が、人間にできるのか!

 ギーシュの心に、「ルビアナ、君はいったい……」と、初めて疑念が生まれる。そして唖然とする面々。だが、エレキングは完全に掌握されたかに見えて、まだうなり声をあげて抵抗しようとしている。その様を見て、ルビアナは悲しげに呟いた。

「私は、この子に刷り込まれた凶暴な因子を押し消して、平和に生きていけるように教育してきました。けれど、この子は大きくなるにしたがって、凶暴な衝動のほうに身を任せるようになっていきました。それでもなんとか、おとなしくするようにしつけてきたのですが……あなたは、そんな私を憎んでいたのですね」

 エレキングは、明確にルビアナに殺意を向けていた。保護者への愛情や感謝などは一欠けらもなく、一匹の怪獣として破壊衝動にのみ従って暴れ回りたいという本能的な欲求。それを押さえつけるルビアナは、このエレキングにとって最大の憎悪の対象でしかない。

 つまり、エレキングがこれまで見せていた奇妙な行動や凶暴性は、ただルビアナへの殺意だったのだ。可愛がられて育てられた子犬が、成長して主人を食い殺すこともある。それが野生のどうしようもない定めであった。

 悲し気な表情のルビアナに対して、今まさに電撃光線を放とうとするエレキング。その口が光り、ルビアナの華奢な体が悪意の輝きに照らし出される。

「危なぁーい!」

 ギーシュの、モンモランシーの悲鳴が響き渡った。とっさに走り出そうとするが、もう間に合わない。

 しかし、次の瞬間。ギーシュとモンモランシー、アンリエッタとウェールズ、そしてアニエスと銃士隊は信じられないものを見た。

 電撃光線の輝きに照らし出されるルビアナが、まるで舞うようにしなやかにステップを踏んだ。ドレスのスカートが舞い上がり、ターンする肢体が湖上の白鳥のように優雅にきらめく。

 それはまさに刹那で人々の心を魅了する天使の舞踏。焦燥に塗りつぶされていたギーシュたちの心は白く塗り替えられ、我を忘れて見惚れ入った。

 だが、さらなる刹那にルビアナの手には天使が持つには不似合いすぎる”武器”が現れていた。

「銃!?」

 それは木目と金細工の装飾が施されたマスケット銃。しかし、その銃身は子供の背丈ほどもある長銃身で、ルビアナはその銃口を、まるで畳んだ扇で差すようにエレキングにそっと向け……引き金を引いた。

「ごめんなさい」

 銃声……いや、大砲の咆哮にも思える轟音が鳴り響き、世界は硬直した。

 ギーシュとモンモランシーも、アンリエッタやアニエスも、目の前で起きたことが信じられなくて動けない。

 そのとき、ダンスホールに複数の新しい足音が響いた。それを見て、アニエスや、ダンスホールに戻ってきていたルイズは叫ぶ。

「ミシェルじゃないか!」

「サ、サイト!」

 そう、宇宙船から救出された才人やミシェルが、アスカや藤宮に伴われてダンスホールに現れたのである。さらに言えば、我夢とタバサの姿もある。

 そして、ウルトラマンヒカリも、セリザワの姿に戻ってここに来ている。しかし、彼らも目の前で起きたことの衝撃に言葉をつむげずにいたが、ぐらりと揺れてうめき声をもらしたエレキングが、時の凍結を溶かした。

「ごめんなさい……もう、あなたを止めるには眠らせてあげるしかできなくて」

 すまなそうにつぶやいたルビアナの視線の先では、胴体に大穴を開けられたエレキングの断末魔の姿がある。ナイトシュートも受け止めきったエレキングの体を、ルビアナの銃は貫通して致命傷を与えたのだ。

 エレキングはゆっくりとルビアナに向かって崩れ落ち、ルビアナの体に触れる直前に光の粒子になって消えた。

「おやすみなさい」

 エレキングの最期をみとったルビアナは、祈るようなしぐさを見せた後、いつもと変わらぬ穏やかな声色に戻って才人たちに語り掛けた。

「あなたたちは……あらあら、光の戦士の皆さんもおそろいですか。ふふ、そうですね。わたくしの見立てを上回る活躍、お見事でしたわ」

 この面々の正体を知っているはずなのに、ルビアナの声色にはまるで追い詰められた風を感じさせない。そのため、「このやろう!」と、怒鳴りつけようとしていた才人は出鼻をくじかれて言いよどんでしまった。

 代わりに、ミシェルが前に出てルビアナと対峙した。悠然としたルビアナに対して、ミシェルの目には決意が宿っている。

「ミス・ルビアナ……」

「ええ、よろしいですわよ。お好きになさってくださいませ」

 まるで世間話でもするようなルビアナの口調が、ミシェルに最後のためらいをぬぐわせた。

 ミシェルはアンリエッタに一礼すると、アニエスに敬礼して報告を始めた。

「隊長、申し訳ありません。任務の途中、敵に捕らわれて幽閉されていましたが、有士の手助けで帰還いたしました」

「そうか、結果を報告しろ、ミシェル」

 アニエスも、すでに流れを察してミシェルをうながした。いや、もうルビアナがただの人間ではないということは誰の目にも明らかになっている。あとは、その事実を誰かが告げるだけだった。

「ミス・ルビアナ……その女は……宇宙人です」

 その一言で、アンリエッタが、ルイズが凍りつく。

 しかし、もっとも激しい反応を示したのはやはりギーシュだった。

「は、はは、なにを言っているんだい、君。ル、ルビアナが、う、ウチュウ人だなんて、そんなことあるわけないじゃないか! いいかげんなことを言うとぼくが許さないぞ。ルビアナ、君も間違いだって言ってやりたまえ」

 猛烈に動揺し、舌をもつれさせながらギーシュは怒鳴った。彼の後ろではモンモランシーも顔色を失っている。

 するとルビアナは、いつも通りの優しい笑顔を浮かべながらギーシュに向き直って一言。

「事実ですわ」

「え……」

「ミシェル様のおっしゃったことは紛れもない事実です。わたくしは、このハルケギニアの外で生を受けた人間です」

 ギーシュのひざが崩れ、倒れかけた彼をモンモランシーが支えた。

「じゃ、じゃあ、ルビアナさん、あなたは何者なの? わたしたちを、騙してたの?」

「わたくしはわたくしです。私は姿を偽ってはいませんし、ルビアナという名前も本名です。わたくしはモンモランシーさんの見てきたルビアナそのもので、なにも間違いはありませんよ」

「なら、なんでいままで黙って!」

「聞かれなかったからです。もし誰かが私の素性を尋ねれば、わたくしは正直に答えましたわ。ただ、わたくしはルビアナ……私にとって、私はそれ以外の存在ではありませんわ」

 嘘をついている風は微塵もなく、当たり前のように話すルビアナに、モンモランシーも絶句するしかなかった。

 だがそのとき、話を聞いていたセリザワが、何かに気づいたように言った。

「ルビアナ? まてよ、どこかで聞いたことのある名だと思ったが、まさかあの古代宇宙伝説のルビアナか」

「あら、懐かしい思い出ですわね」

 これもあっさり肯定するルビアナ。才人がなんのことかと尋ねると、セリザワはとても信じられないという様子で話し始めた。

「俺たちの宇宙に伝わる伝説の一つだ。いや、おとぎ話と言ったほうがいいだろう。俺が生まれるよりはるかに昔、ある星に天才的な科学者が現れた……」

 セリザワの話を、才人たちや、アニエスたちもじっと聞いている。

 そして空の上でも、あのコウモリ姿の影が同じことを愉快そうに呟いていた。

「その科学者の生み出す科学力はまさに脅威的で、その星はまたたくまに全宇宙を席巻する巨大な勢力に成り上がったそうですね……ですが、宇宙制覇まであと少しというときになって、その科学者はなぜか姿を消しました。以後、その星は暗黒の星と呼ばれるほどに落ちぶれ、宇宙にはその科学者について、「もしその力を手に入れることができれば宇宙を我が物にすることができる」という伝説だけが残りました。その科学者の名こそが……」

 コウモリ姿の影は最後に、「まさか本当のことだとは思っていませんでしたがね」と自嘲し、セリザワも同じように締めた。

「だが、いずれにせよ大昔の話だ。伝説の真偽はともかく、そんな科学者が実在したとしても、とっくに死んでいると思っていたが……まさか存命していたとは驚きだ」

 話のあまりのスケールの大きさに、才人やルイズばかりでなく、アンリエッタたちや我夢たちまでもが言葉を失っていた。

 そしてルビアナは、そのすべてを肯定するように頷くと、全員に向かって優雅に会釈してから言った。

「懐かしいお話をありがとうございます。では、あらためて自己紹介させていただきましょう。ルビティア公爵家の娘というのは仮の身分……ですが、ルビアナという名前はわたくしの本名……わたくしの生まれた地は、あの星のかなた……」

 そのとき、上空の円盤のハッチが開き、地上に向かって巨大な物体が投下された。それは空気を切り裂いて落下し、ダンスホールの傍らに着地して轟音と土煙を巻き上げた後に、エレキングとは比較にならない圧倒的な威圧感を持ってそこにそびえ立った。

 それはまさに黒鉄の城塞。その人型の巨影の持つ特徴的なシルエットに、才人は思わず叫んだ。

「黒いキングジョー!?」

 金色の城塞とも呼べるキングジョーと違い、そいつは全身が漆黒の装甲で覆われていた。さらに右腕には巨大な大砲が備え付けられている。

 そしてルビアナは才人のその叫びを聞き、歌うように最後の句を紡いだ。

「ええ、私の同族が地球の方々にご迷惑をおかけしてしまったことがあるそうですね。そう、わたくしの故郷は今では暗黒の星と呼ばれているペダン星……わたくしのことはペダン星人ルビアナとお呼びください」

 黒いキングジョーの落下の風圧でドレスをはためかせ、片手に持った銃をパラソルのように弄びながら、ルビアナは微笑を浮かべて告げた。

 

 

 続く



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第89話  ドレスを着た神

 第89話

 ドレスを着た神

 

 策略宇宙人 ペダン星人

 宇宙ロボット キングジョーブラック 登場!

 

 

 かつて、宇宙では大きな戦いが幾度もあった。 

 光の国とエンペラ星人軍団が激突したウルティメイトウォーズ、ウルトラキーの創成に関わる星間連合との激闘。いずれも歴史に残る大事件として知らぬ者はない。

 だがそんな中で一つ、正史に語られないおぼろげな争乱の伝説が存在する。

 それは、ウルトラ兄弟が生を受けるよりもはるかな昔。ペダン星という惑星で一人の天才少女が生まれたことから始まる。

 その少女は科学者となり、次々に常識を覆す発明を生み出して、ペダン星の文明は大いに発展。ペダン星は複数の星系にまたがる大勢力へと成長したという。

 しかし、発達した科学力を得たペダン星人たちは野心を抱き、優れた科学力を強大な軍事力を変えて全宇宙の制覇に乗り出した。

 何万というペダン星艦隊が銀河に散らばり、星々に侵略の魔の手を伸ばしていく。むろん、攻撃を受けた星々も必死に迎え撃ったが、戦いの流れはペダン星人軍の圧倒的優勢で進んでいったと伝えられている。

 なぜなら、女科学者はペダン星人たちの期待に応えて次々と想像を絶する超科学兵器を作り上げ、いかなる星の戦闘用宇宙船も、怪獣兵器もこれには歯が立たなかったのだ。

 特にペダン星軍の強さを支えたのは、彼女が新発見した超合金で作られたロボット兵器軍団で、並の攻撃では傷一つつかないそいつらを止められる術は当時の宇宙には存在しなかった。

 かくしてペダン星軍は破竹の勢いを持って星々を支配していき、全宇宙がペダン星人に征服されるのも時間の問題だと思われた。

 だが……ペダン星人たちは疑念を抱いた。女科学者の作り出す兵器は際限なく破壊力と残虐性を増していき、もしこれが自分たちに向けられた時にはどうなるかと、疑念は恐怖に変わっていった。

 そして、ペダン星人たちは恐怖のあまり、ついに女科学者の拘束と抹殺を謀ったのである。

 昨日までの功労者に対する裏切り。しかしペダン星人たちは、いずれ女科学者が裏切って自分たちをその強大な科学力で支配するだろうという恐怖に耐えきれなかったのだ。

 ただし……それはあまりにも無謀な試みであった。

 同胞たちの裏切りに気づいた女科学者は、腹心の部下たちとともに宇宙船で脱出し、それを追ってペダン星人軍は総攻撃をかけた。

 しかし、圧倒的戦力で女科学者の宇宙船を狙ったペダン星人軍は、自分たちが扱うものよりもはるかに強力な超兵器による逆襲を受けて完敗……。

 これによって完全に恐慌状態に陥ったペダン星人軍は、宇宙に散っていた全軍を集結させて女科学者の宇宙船を攻撃させたが、結果は数万のペダン星人宇宙艦隊がたった一隻の宇宙船に全滅させられ、ペダン星そのものも壊滅状態になるという大敗北に終わってしまったのだった。

 こうして、ペダン星人はその勢力を一気に失い、全宇宙は解放された。さらにペダン星そのものも『暗黒の星』と呼ばれるほどに弱体化し、その後はバッファロー星に侵略の手を伸ばすなど勢力の再拡大を図ることもあったが、その頃には宇宙警備隊も活動を開始しており、近代になって地球防衛軍がペダン星に観測ロケットを打ち込むまでその存在はほとんど表舞台には出てきていない。

 一方で、女科学者の乗った宇宙船は宇宙のかなたへと飛び去り、その後にどうなったのかは完全に謎となった。

 この争乱の詳細については、その後に起こったウルティメイトウォーズの影響で記録が宇宙から霧散し、わずかな口伝だけが残っている。

 それは一言、宇宙のどこかに消えた女科学者を見つけて手中に収めることができれば、全宇宙を支配できる力を得ることができるだろう……と。

 そして、その女科学者の名は……ルビアナといった。 

 

 

 それが、今ではおとぎ話と同義とさえされている太古の物語。しかし、おとぎ話の人物が今この現実に存在している。

「本当に懐かしいお話ですわね。私が故郷を追われてから、もう随分長い時間が経ちましたわ」

 ペダン星人ルビアナ、それが彼女の正体である。そして、ウルトラの歴史をかじったことのある者ならペダン星人の名を知らないものはなく、苦虫を噛み潰したような顔をしている才人にルイズが尋ねた。

「サイト、そのペダンセイジンって、どんな奴なのよ?」

「強豪だよ。ちくしょう、こんなとんでもない奴と何ヵ月もいっしょにヘラヘラしながら過ごしてたなんて、おれはなんてマヌケだよ。しかも、あのデカブツは……」

 才人は、ダンスホールの外に現れた巨大ロボットを震えながら見上げた。宇宙ロボット、キングジョー……そのボディを漆黒に彩った同型機体。右腕が大砲に変わっているなど細部に違いはあるが、その巨体には不気味にランプが点滅し、あの特徴的な駆動音が規則正しく鳴り響いている。

 怪獣やドラゴンとは違う無機質な威圧感。さらに感情や慈悲を一切持たない圧迫感を感じて、才人はこいつがウルトラセブンを徹底的に痛めつけた記録を思い出した。

 はたしておれで勝てるのか? 強いプレッシャーが才人の心を蝕む。

 そしてそれは才人だけでなく、黒いキングジョーはアンリエッタたちや我夢たちも含め、この場の全員を巨体で威圧している。しかし、ルビアナはそんな黒いキングジョーを見上げて困ったように呟いた。

「あらあら、出撃の命令は出していないというのに、うちの方たちは本当に心配性なんですから」

 そうしてルビアナが軽く手を振ると、キングジョーは電池が切れたようにランプが消え、立ったまま機能を停止してしまった。

「では、これで落ち着いてお話ができますわね」

 唖然としている面々を見渡して、ルビアナはあくまで笑顔で告げた。

 その場にいる全員の視線がルビアナに集まる。ただ、常と変わらず微笑を浮かべ続けるだけのルビアナに誰も話しかけることができずにいたが、アンリエッタが意を決してルビアナの前に出た。

「ミス・ルビアナ……いえ、もうどう呼べばいいのか」

「ルビアナで大丈夫ですわ。わたくしは、本名で呼ばれることが一番好きです」

 その声は明るく快活で、アンリエッタの知っているルビアナそのものであった。アンリエッタは、ルビアナが宇宙人であることを知って騙されたと感じた一人だったが、まるで悪意を感じないルビアナの態度に、もう一度話し合ってみようと感じていた。

「では、ミス・ルビアナ。この場を代表して、わたくしがお話をお聞きします。よろしいですね?」

「ええ、なんなりと」

 アンリエッタの青く澄んだ瞳がルビアナを正面から見据える。彼女のその大胆な行動に、ウェールズやアニエスらが押し止めようとするが、アンリエッタは毅然として言った。

「向こうが武器を納めてまず話し合いをしたいと言うのであれば、こちらも杖を抜く前に一度は応じるのが礼儀です。大丈夫です、情に流されて甘言に惑わされたりはしませんわ」

 その女王としての威厳を込めた言葉に、ウェールズは無言でうなづき、アニエスはうやうやしく頭を垂れた。いくら本性はおてんば娘でも、アンリエッタはもう頭上の王冠に相応しい意思の強さを持ち合わせていたのだ。

 対して、ルビアナはアンリエッタが話し合いに応じる姿勢を示すと、まだ呆然としているギーシュとモンモランシーに。

「少しだけお待ちしていてくださいね」

 と、断りを入れ、我夢やタバサたちに対しては。

「あなた方とは先にお話しましたわね。少し、お時間をいただきますわ」

 この場にはウルトラマンが五人もいるというのに、まるで追い詰められた風を感じさせない態度。この落ち着きぶりには直情家なアスカや沈着な藤宮も一種の異様さを感じたが、ここはアンリエッタに話をしてもらうことが一番話を進めやすいと押し黙った。

 一方で、才人やルイズは何かを言いたげにしていたがタバサが押し止めた。

「今は黙っていて」

「なによあんた! 関係ないのは黙ってて」

「関係なくない。とにかく、今ルイズに騒がれると迷惑」

 有無を言わさず杖をかざすタバサに、なぜかルイズもそれ以上押し通すことができなくなってしまった。

 

 そして、場が落ち着いたことを確認したアンリエッタは、おもむろにルビアナに向かって切り出した。

「ミス・ルビアナ、あなたとこういう形でお話することになるとは、残念です」

「驚かせてしまったことはお詫びしますわ。けれど、わたくしが女王陛下に対して抱いている友情は、嘘偽りありませんことよ」

「わたくしも、貴女との友情を嘘にはしたくありませんわ。ですから、わたくしの質問に嘘偽りなく答えていただけますか?」

「ええ、わたくしに答えられることならなんなりと」

 すんなりと了承するルビアナに、アンリエッタがどう問いかけるのか全員の注目が集まる。するとアンリエッタはおもむろに、その胸中に湧いた疑問をぶつけた。

「では単刀直入にお尋ねします。ミス・ルビアナ、貴女がハルケギニアにやってきた理由、このハルケギニアで行おうとしている最終目的を教えていただけますか?」

 その言葉に全員が息を呑んだ。直球……言い逃れのできない直球の問いかけ。

 これに対して、ルビアナは生徒が満点を出した教師のように嬉しそうに微笑んだ。

「素晴らしいですわ。前置きを無視して、一気に核心を突く判断力。やはり女王陛下はとても聡明なお方です」

「先に答えのほうを、いただきたく存じます」

「失礼。目的と申すならば、私共はハルケギニアの皆様のお役に立ちたい、それだけが望みなのです」

「からかっているのですか?」

 アンリエッタの目付きが、おてんば娘でも恋する乙女でもない鋭さを宿してルビアナを睨む。しかし、ルビアナは一切顔色を変えずに答えた。

「からかってなどおりませんわ。先ほど、あちらの方々がおっしゃったとおり、私共は故郷を追われた流浪の民です。安住の地を求めて、このハルケギニアにやってまいりましたが、ただ住まわせてもらうだけではあまりにも忘恩はなはだしいので、少しでもハルケギニアの方々が幸せに過ごせるように、少しばかりの力を使っているだけです」

「では、あなたの行動はすべてが善意からだと、そうおっしゃるのですか?」

「ええ」

 それは何の邪気も混ざっていない、素直そのものの返答だった。

 アンリエッタはちらりとアニエスの顔をうかがったが、アニエスも嘘を言っている気配はまったく見られないと首を振るだけだった。

 銃士隊は単なる近衛隊ではなく、治安維持や諜報のための尋問や拷問のエキスパートでもある。特にミシェルが内通者だったことが判明した後は防諜にさらに力が入れられ、今では様々な兆候からあらゆる嘘を見抜けるように訓練されている。

 その彼女たちをしても、嘘の兆候を読み取れないとは、ルビアナは本気で善意のみで行動しているというのか? とても信じられないと愕然としているアンリエッタに、ルビアナはゆっくりと言った。

「信じられないのも無理はありませんわ。では、順を追ってお話いたしましょう。新しい故郷を求めて当てもない旅を続けていた私たちにハルケギニアのことを教えてくださったのは、あなた方もよく知っている侵略者のヤプールさんでした」

「ヤプール……!」

 忌まわしい悪魔の名前を聞き、アンリエッタと一同の表情が曇る。しかし、ルビアナは構わずにそのまま続けた。

「とはいえ、私共は亜空間ゲートを通ってこちらに導かれただけですけどね。ヤプールは、来るべき復活の日に備えて少しでもハルケギニアに混乱の種を蒔いておこうと思ったようですが、わたくしにそんなことに付き合う義理はありません。ハルケギニアの皆さんの迷惑にならないようにと、空からじっと人々を見守っていました。けれどそんな折に、どうしても見捨てて行くことのできない方を見かけたことから、わたくしの考えは決まりました」

「それが、ルビティア公爵か?」

 ミシェルが聞くと、ルビアナはそのとおりとうなづいた。

「わたくしはお義父さまの遺言を守り、ルビティアの復興に尽力しました。そのかいあって、ルビティアは今ではとても住みよい土地になったと、大勢の方からおっしゃっていただきましたわ」

 それは間違いない。手段はともかく、ルビティアは繁栄を取り戻した。だが、ルビアナの話はまだ終わっていない。

「そうして、様々な方々と触れ合ううちに、私はルビティアの人々、ひいてはハルケギニアの人間のことがとても好きになってゆきました……笑い、泣き、他者のために喜び苦しみ、花を愛で、愛を分かち合うことのできる、とても感情豊かで可能性に溢れた人たち。私が旅してきた中でも、これほど豊かな心を持った人間たちはそうおりませんでしたわ」

「それで、あなたは」

「はい。ルビティアだけでなく、ハルケギニアの方たちみんなが幸せを分かち合えるようになればいい。ハルケギニアの人々の自由と幸福を守るために、それを脅かすあらゆるものと戦いたい。それが私の抱いた思いです」

 晴れやかな笑顔でそう答えたルビアナ。その純粋さに皆があっけに取られる中で、才人は妙な既視感を感じていた。

”この感じ、どっかで……”

 しかし才人が答を思い付く前に、いち早く立ち直ったアンリエッタが切り出した。

「大変ご立派なお考えですわ。ですが、あなたは聞く話によれば故郷を追われたのは戦争に加担していたからとのこと。それがどういう心境の変化なのですか?」

「ふふ、あの頃の私は子供でした。ただ純粋に、私がなにかを作れば誰かが喜んでくれる。それだけを思って取り組んでいましたけれど、私を裏切って命を狙いに来た同胞を宇宙の塵にして、ようやく私には特別な力があると気づいたのです。そして、私を信じて共に来てくれたわずかな仲間を見て思いました。私の力は、人を幸せにするために使わなければいけないと」

 そのとき、上空の円盤から完全武装で十数人のペダン星人兵士が降りてきた。

「お嬢様ーっ!」

 たちまち、銃士隊が間に入って迎え撃とうとする。しかし、ルビアナは仲間のペダン星人兵士たちを手で制すと、武器を下ろすように命じた。

「大丈夫、私は心配ありませんから」

「お嬢様、は、はいっス!」

 規則正しく整列する兵士たちの中に一人だけ動きのテンポの悪い奴が混ざっているが、才人やミシェルにはマスクをつけていてもそれが誰かすぐにわかった。

 しかし、ルビアナの言う「特別な力」。アンリエッタらからすればセリザワの語った話は想像も及ばないおとぎ話のレベルだが、彼女は並外れた力をすでに様々な分野で見せている。宙に浮かぶ巨大円盤や、傍らにそびえるキングジョーを含め、ルビアナがその気になればハルケギニアを好きなようにできるだけの力を持っているのは間違いない。

 その力を、彼女は仲間を守り、良いことのために使いたいと言った。しかし、彼女のやってきたことはきれいごとだけでは済まない血なまぐさいものだ。

 その矛盾点を指摘しようと、ミシェルが口を開いた。

「あなたのやっていることは確かに素晴らしいかもしれないが、その裏で多くの血も流している。それをどう説明する?」

「あら? あなたはわたくしのことを色々調べ回っていたのでしたわね。よろしいですから、まだご存じない女王陛下方にも説明してあげてくださってもよろしいですわよ」

 その言葉通り、ミシェルはこれまでの調査で調べあげたことや、ルビティアで見聞きしたことをその場の全員にぶちまけた。

 ルビティアでの強制労働、兵器工場、ヒュプナスの人体改造工場。タバサの見たフック星人の地下工場も含めて、多数の宇宙人をも支配下に置いたその所業の数々は、アンリエッタや銃士隊の肝を持ってしても寒気を覚えるには十分だった。

 ルイズも、自分たちの知らないところでそんな陰謀が動いていたのかと冷や汗を流し、特にルビアナを信じたいと願い続けていたギーシュとモンモランシーは蒼白となっていた。

「……これらのことは、すべてあなたの手引きと見て間違いありませんか?」

「ええ、すべてわたくしの仕込みですわ。それらをすべて暴き出すとは、さすが銃士隊は優秀ですわね」

「言い逃れの一つもしないとはあなたも豪胆ですね。しかし、これほどの血を流しておいて、それでも自由と幸福のためと言うのか?」

「もちろん。わたくしの望みはハルケギニアの方々の自由と幸福を守ること。そのためにまず、ルビティアに潜伏していたケムールの方々を説得して、あの地に巣くっていた害虫を一掃しました」

「なんという無茶な」

「無茶? あのときルビティアでは大勢の善良な人が苦しめられていました。彼らを救うために、私は最短の方法をとっただけです」

 誇らしげに語るルビアナ。確かにそれは乱暴だが正論だ。時間をかけて、救えなかった命が出たときにはどう責任をとるべきかと問われてはっきり答えられる者はいるまい。

「では、あの兵器工場はどう説明する? しかも、罪人たちだけでなく他の宇宙人まで使って複数箇所で大量に生産していた。女王陛下もド・オルニエールでご覧になったはずです。あのすさまじい武器の威力を」

「ええ、わたくしも覚えています。その後の報告によれば、あれと同じような武器をトリステインのあちこちに販売していたとか。ミス・ルビアナ、なんの目的でこんなことを?」

「あなた方、ハルケギニアの人々を守るためです」

「な?」

 ころりと言ったルビアナの言葉の意味がわからずにミシェルが困惑すると、ルビアナはゆっくりと続けた。

「やがて遠くない将来に、ヤプールは復活します。そのとき、襲い来る超獣の群れに対して、人々に戦う力を持っていてもらえればより犠牲を減らせると思いませんか?」

 その言い方に、ミシェルよりも先にアンリエッタが反応した。

「あなたは、無顧の民を矢面に立たせようと言うのですか!?」

「ではヤプールが場所を選んで襲ってくれるというのですか? そして軍隊が到着したとしても、あなた方の貧弱な武器では毎回少なからぬ犠牲を出しています。一人の民、一人の兵士にもそれぞれ人生や家族がいることをわかっていますか?」

 そう言われてはアンリエッタも反論に窮した。しかし、女王としてここは丸め込まれるわけにはいかない。

「それでもわたくしは民を矢面に立たせるのは反対です。国を命を懸けて守るのは我々王族と貴族の使命です。それに……う、ウルトラマンさんたちの助けもあります」

「ウルトラマンさんたちですか……では、ある方々が常に言っている言葉をお贈りしましょう」

 そう言って、ルビアナはちらりと才人たちのほうを見た。そして、次に彼女が発した言葉はセリザワや、才人とルイズに一体化している北斗の心胆を寒むからしめた。

 

「その星の平和は、その星に住む人間自身が守ってこそ意味がある。違いますか?」

 

 それはまさしく、M78星雲のウルトラマンたちが地球を守る際に重要な心得としている言葉だった。

 ルビアナはさらに言う。

「どうしようもなく苦しい時に誰かを頼ることは罪ではありません。しかし、本来は自分の大切なものは自分で守るものです。ただ、人はそんなすぐに強くはなれませんから、強い武器をあつらえて差し上げることで手助けにしようと考えたのです」

 そのルビアナの物言いに、はっとしたのはルイズだった。

「強い武器をハルケギニアの人間に与えるって、まさかあのメカゴモラもミス・ルビアナが?」

「ええ、搭乗および自律稼働が可能な機動兵器の試作品ですわ。あの子には、あなたがたを守るようにとのプログラムをしていましたが、もしものときはミス・ヴァリエールたちなら乗りこなしてもらえると思いまして。ただ、人間を守ることを最優先させたあまりに、あのときのウルトラマンさんには悪いことをしてしまいましたわ」

「なにが悪いことよ。こっちは死ぬ寸前だったんだからね!」

「でも、いつもと違った充実感を得られたでしょう?」

「うっ」

 言われてみれば、確かにあのときは死ぬ瀬戸際だったが、ウルトラマンAに変身するときとは違った充実感があった。

 そう、自分の力で何かを成し遂げる興奮。無我夢中でメカゴモラを操って戦った時の気分は、決して悪いものではなかった。

 それに……と、アンリエッタやウェールズは思った。自分の弱さを補うために武器を揃えるのはむしろ当然なことで、アルビオン軍やトリステイン軍にもゲルマニア製の武器が多数使われているし、地球でも他国の兵器を輸入することは普通なことだ。

 けれど、武器は軍隊が持ってこそ秩序を保てるものだ。それを一般にばらまけば、それこそチブル星人のアンドロイド0指令にも似た惨事が起きかねない。

「ミス・ルビアナ、確かにヤプールに備えるのは大切なことですわ。けれど、身に余る強力な武器を手に入れてしまった人たちが良からぬことを企んだとしたら、あなたはどうするのですか?」

 そう、それが才人もずっと懸念している最悪の事態だった。しかし、ルビアナはなんでもないことのように答えた。

「それなら問題ありませんわ。悪いことを考えないような人にだけ販売しておりますから」

「何の根拠があってですか!」

 さすがにアンリエッタも語気を荒げた。悪い人間とそうでない人間を完全に判別するなど、できるわけがない。

 だが、ルビアナはあっさりと首を振った。

「マイナスエネルギー、女王陛下もご存じでしょう?」

「えっ……はっ!」

 アンリエッタは思い出した。ヤプールも口にしていたことがある、人間の憎悪や欲望といった負の感情から発生するエネルギー。つまり。

「察しがつかれたようですね。一定以上のマイナスエネルギーを発生させている人間を避ければ、おのずとトラブルは避けられます。強烈なマイナスエネルギーを発生させている者がいれば、消えていただくだけですわ」

 これには才人も驚いた。これまで忌むべきものだとしか思っていなかったマイナスエネルギーにそんな使い方があるとは。

 それで……と、ミシェルとタバサも合点した。ルビティアで、孤児院に放火しようとした野盗たちの前にタイミングよくケムール人が現れたのは、放火をしようという悪意のマイナスエネルギーを感知したからだったのだ。

 ルビアナは、これで納得していただけましたか? と言う風に微笑んでいる。すべて計算され、計画づけられている。一方的な、ということを除けばハルケギニアにとっては得しかない話だ。

 と、そこで呆然としていたギーシュとモンモランシーがようやく立ち直ってルビアナに寄ってきた。

「る、ルビアナ、ぼくは正直まだ気持ちの整理がついていない。しかし、君の話を聞いて、君がハルケギニアのために熱心に働いてくれていたのだということはわかった。ぼ、ぼくは君を信じるよ! 女王陛下、たとえハルケギニアの外から来た人間だとしても、我らの友だということには変わらないではありませんか」

 ギーシュの訴えの真剣さは、アンリエッタも無下にできなかった。ルビアナのやり方は強引だが、確かにルビティアを救っている。それは紛れもない事実だ。

 ルビアナが異界の者だということも、問題にはならない。ハルケギニアはウルトラマンらをはじめ、ハルケギニアの外からやってきた者たちにさんざん助けられているのだから。

 さらにギーシュはルビアナに向き合い、いつもの浮わついた様子はなく真剣に聞いた。

「ねえそうだろうルビアナ。君は悪い人間ではないはずだ。ぼくやモンモランシーと過ごしてきた日々の想い出は、嘘ではないはずだ」 

「ええ、もちろん。わたくしはギーシュさまやモンモランシーさんに、偽りを申したことは一度もありません。お二人も、女王陛下もわたくしにとって大切なお友だちです」

「ああルビアナ、君がどこの誰であったとしても、ぼくは君を貴族の誇りにかけて守るよ。ぼくは、君から多くのことを学んだ。きっと君はぼくなんかじゃ思いもよらないほどの大きなことを考えているんだろう。これからはぼくにも協力させてくれ」

 にこやかに笑い、手を取り合う三人。モンモランシーは、ギーシュがこんなに真剣な顔をしているのを見たことないわ、と思った。かっこつけた態度は少しもなく、ただ一心にルビアナを擁護しようとしている。

 そしてモンモランシーはそんなギーシュを見て、やっぱりルビアナさんがうらやましいなと、少し嫉妬を覚えもした。自分もルビアナからは様々なことを教わったし、世話にもなった。ましてや好意を寄せられていたギーシュは、実の姉のようにルビアナを慕っていたのはモンモランシーからもわかりすぎるくらいわかっていた。

 だが、必死でルビアナを信じたいと望むギーシュに対して、ミシェルは毅然としてさらに問いかけた。

「では、これも答えていただきましょう。しばらく前に、トリスタニアの牢獄から重罪犯トルミーラの一味が脱獄し、奴らは何者かにその肉体を怪物に改造され、さらにルビティアのあなたの屋敷で迎撃に現れたものたちの中にもその怪物の姿が見られました。これもあなたの手引きなのだとおっしゃいましたね? なぜ人々の自由と幸福を求めるのに、人間を改造するような恐ろしい計画が必要なのですか!」

「最終処分ですわ」

「最終処分?」

 思わず問い返したミシェルに、ルビアナはゆっくりと語り聞かせるように話した。

「鎖に繋いでもなお反省せず、改心の兆しが見えない者は、もう人ならざるものです。ならば、その姿形も心と同じ姿の番犬にしてあげたほうがいいとは思いませんか?」

 ミシェルやアンリエッタ、いや、その場にいた者たちは皆ゾッとした。盗賊を拉致して強制労働までならわかるが、これは。

「咎人には生きる権利も認めないというのですか? 罪人でも、同じ人間なのですよ」

 さすがにアンリエッタも声を荒げて抗議した。しかし、ルビアナは平然と答える。

「女王陛下はお優しい方。たとえ罪を犯した者でも、愛を持って接するべきだとおっしゃるのですね。ですが、世の中にはどんなに愛を注いでも変わらない者もいるのですよ」

「それでも、それは人に対するにはあんまりです」

「そうですわね。罪人であっても、最後まで人として扱う女王陛下のお心はとても尊いと思います。しかし、わたくしはこう思うのです。罪人に対して注ぐ愛があるなら、どうしてそれを罪人によって傷つけられ苦しめられている人々や、日々を懸命に生きている善良な人たちに与えられないのかと?」

「そ、それは……」

 アンリエッタは答えられなかった。しかし、愛する妻の窮地にウェールズも黙ってはいない。

「人は罪を犯したくて犯すばかりではない。仕方なく罪に手を染めたり、気づかないうちに罪を犯していることもある。私もかつて、重い罪を犯した。そのような人たちの更正の機会を奪ってよいのか?」

「もちろん、そういう可哀想な方々のこともわかっていますわ。ですから私が最終処分を下すのは、一定以上のマイナスエネルギーを発生させている者に限っています。労働を強いている者たちも、本気で改心したなら開放してあげますわ。過去の罪を償う気持ちのある人を、わたくしは見捨てたりいたしません」

 ウェールズの問いかけにも、ルビアナは少しも言い澱むことはなかった。けれどそこで、我慢の限界に来ていた才人が割り込んできた。

「待てよ、あの怪物のときにはおれもいたんだ。おれは見たんだぜ、あの悪党どもが子供たちをさらって怪物に改造しようとしていたのをよ。ええ!」

「あら、そうでしたわね。あれは本当に悪いことをしましたわ。お詫びいたします」

「なにが詫びだよ。それにそいつらの親玉は、怪物に改造した子供たちをばらまいて殺戮をおこなわせるって恐ろしい計画も白状したぜ。なにが平和だ、ふざけるなよ」

「いいえ、なにも矛盾してはおりません。私はあの者たちに、盗みを働くような悪童を捕らえよと命じておりました。悪党ならば浮浪児の行動にも精通していますからね。ですがあれらは指示を破って孤児院などを狙う始末。本来なら、改造した悪童をその元締めのところに送り返して全滅させるはずでしたのに、あれは完全にわたくしの見込み違いでしたわ。すみません」

 なにも悪びれずに答えるルビアナに、才人より先にアンリエッタが血相を変えた。

「なんという恐ろしい計画を。いたいけな子供にそのような所業は、悪魔の考えですわ」

「いたいけな子供、ですか。わかりました、では、あまり好きな言葉ではありませんが、ヤプールがこんな言葉を残していることをお教えしましょう」

 そう告げるとルビアナは一呼吸を置き、次に彼女が放った言葉はアンリエッタらの背筋を凍りつかせた。

「子供が純真だと思っているのは、人間だけだ」

 アンリエッタだけでなく、才人やルイズもその言葉に心臓を鷲掴みにされたように冷や汗が流れ出て止まらない。するとさらにルビアナは言った。

「女王陛下、それにミス・ヴァリエールにモンモランシーさん。貴族の世界に生きているあなた方ならわかるでしょう。幼少の頃から傲慢に染まり、平民に杖を向けて恥じない貴族の少年が大勢いることを」

 アンリエッタもルイズも返す言葉もない。

「ミス・アニエス、それにミス・ミシェル、あなたたちも知っているでしょう。街の暗がりに隠れる哀れな子供たちの中にも、盗み、騙し、傷つけることでしか生きていけない歪み切った者たちがいることを」

 アニエスもミシェルも否定はできない。幼少の頃に人格が歪んでしまった者の中には、その後どうしても真っ当な道には戻れない者も大勢いる。

 子供のうちに邪悪な魂を宿してしまった者は、容赦なく切り捨てるべき。一同は、ルビアナが人間に明確な線引きをしていることを理解した。すなわち、善人と悪人とに。

 そしてミシェルは、あらためてルビアナに向き合って言った。

「ミス・ルビアナ、わたしたちがあの黒い鉄巨人に捕らわれた日、あなたはわたしたちの前に現れて話してくれましたね。あなたの話のほとんどはわたしには理解できないものでしたが、あなたが目指しているというものだけは覚えています。あなたはあのとき、「ハルケギニアに理想郷を築きたい」と言いました。その手段がこれだと言うのですか?」

「そうです。ではここで皆さんに、わたくしの考えている将来のビジョンをお伝えしましょう。わたくしはルビティア公爵家の力を使って、ハルケギニアの国々を商業的に支援し、さらに罪なき人々に害を及ぼす悪を全世界から排除することで、飢える者や虐げられる者がいなくなる豊かな世界を築いてゆきたいと思います。ただ、政治的な介入はいたしませんので、それぞれの国をどう運営するかはウェールズ陛下やアンリエッタ女王陛下にお任せします。そうして、このハルケギニアをより素晴らしい世界にしていくために力を合わせてゆきたいと、そう思っているのですわ」

 それはまるで温厚な女教師がこんこんと幼い教え子に道徳を教え聞かすような、そんな慈愛に満ちた言葉だった。

 けれどそれは実質的にルビアナが裏からハルケギニアを支配すると言っているのにも近い。アンリエッタらからすれば、受け入れられるものではなかった。

「それではハルケギニアの国々は、あなたに喉元を抑えられているも同然です。それも一種の侵略ではありませんか」

「そういう見方もできますわね。しかし、国と国の関係とは多かれ少なかれそういうものではありませんか? ただ、わたくしはこのやり方でこれまでうまくやってまいりました。あなた方からすれば大変なことかもしれませんが、私のやっていることはすべて、経験から来る計算で成り立っているのですよ」

「それは、あなたはハルケギニアに来る前に、別の場所でも同じことをしていたというわけですか?」

「はい、わたくしは故郷を追放されてより、様々な星を渡り歩いて、その星の方々に進歩と繁栄をもたらしてきました。そしてこのハルケギニアにもまた、平和と繁栄をもたらしてあげたいと願っているのです」

「……それはもはや神の所業です。あなたに、わたしたちハルケギニアの民の運命を自由にしていいという法がありますか!」

 アンリエッタははっきりとルビアナに伝えた。いくら大きな力があるとて、ハルケギニアを勝手に作り変えてよいわけがなく、アニエスやミシェル、ルイズもそのとおりだとうなづいている。

 しかし、ルビアナは微笑を浮かべたままで、驚くべきことを口にした。

「神……ですか。そうですわね、あなた方から見れば、わたくしは限りなくそれに近い存在と言えるかもしれませんね」

「っ! なんの根拠があって?」

 自らを神と同等と言う。その傲慢とも言える口ぶりにアンリエッタが激高すると、ルビアナはほおに手を当てながら笑った。

「そうですわね。女王陛下、あなたは今おいくつでしたかしら?」

「は……18歳ですけれども」

「では、私はあなたの3129万と32倍を生きてきたと言えば納得していただけるでしょうか?」

 そのあまりにも突拍子もない数字に、アンリエッタは思わずぽかんとなってしまった。

 才人は両手の指を折って計算しようとしているが、自分の手のひらを見つめた時点で思考が停止してしまっている。そんな才人を見かねて、ルイズがほおをひきつらせながらぽつりと告げた。

「5億6322万580よ」

「あ、ああ、サンキュルイズ。五億六千三百……って、5億6322万580歳だってぇーっ!?」

 才人は絶叫した。無理もない、それほど馬鹿げている数字なのだ。

 アンリエッタらはもちろん、セリザワや我夢らウルトラマンたちも驚いている。

「馬鹿な、ペダン星人はそんな長命の種族ではないはず。まさか、貴様」

 するとルビアナは愉快そうにしながら告げた。

「あら、乙女の年齢の秘密を探ろうなんていけない方。様々なマルチバースを渡り、様々な星の文明の生死を見てまいりました。そうして数百数千の星々を渡り歩いているうちに、それだけの時が経ってしまいました。ふふ、信じるかは皆さんの自由ですけれどもね」

 からかうような口ぶりだが、それを冗談とも真実とも断言できる者はひとりもいなかった。

 だが、それほどの歳月を生きてきたのだとすれば、恐るべき科学力も、すべてを思い通りにいかせるような叡智を持っていることも説明がつく。

 呆然とする顔ぶれを前にして、ルビアナは言った。

「わたくしは様々な文明、様々な人々と触れ合ってきて、どうすれば人々がもっとも幸福になれるのかと考え続けてきました。その結果、人々が不幸になるのは、悪意あるものが力を持ってしまうことにあると考えるようになったのです。大きな力を持つものは、それを自分以外の幸福のために使うべきもの。そして、怒りと憎しみに囚われ、人々に害をなす悪は排除するべきなのです」

 非情とも言える揺るぎない信念の発露と、それに相反する慈愛に満ちた寛容さがルビアナの言葉にはあった。

 善なるものには無限の愛を、悪なるものへは地獄の鉄槌を。アンリエッタは、駆け出しながらも統治者のはしくれとして、圧倒されるものを感じて身震いした。この人は人々を幸せにするという一念において自らの手を汚すこともいとわない決意を持っている。悔しいが、国民の利益のために障害を排除するのに情を挟んではならないというのは政の基本中の基本だ。まるで自分が聞き分けの悪い子供になって母親に諭されているような錯覚さえ覚えた。

 すると、ルビアナの言葉に対してそれまで静観を守っていたセリザワが口を開いた。

「悪は徹底的に断罪する……やはり、数か月前にトリステインの港湾都市で暴れたロボットもお前の仕業だな。あのロボットの改造部品にはペダニウム合金が使われていた」

「ええ、そうですわ。あの町で、ひときわ強いマイナスエネルギーの波動を放つ人を感じたので、回収修復した機動兵器の生体パーツになってもらおうと思いまして。そうそう、ついでに申し上げますけれど、女王陛下、ギーシュ様、あなた方と最初に出会ったあの舞踏会の夜に暴れた改造怪獣もわたくしの仕込みですわよ」

「なんだって!」

「なんですって! なぜ、そんなことを」

 ギーシュもアンリエッタも愕然とした。あのときに暴れた改造ブラックキングのせいでギーシュは重傷を負わされたのだ。しかし、ルビアナの言葉に悪意はなかった。

「あそこには貴族たちの膨大なマイナスエネルギーが充満していましたので、少し数減らしをしようかと思いまして。それに女王陛下、今だから申しますが、あのときの貴族たちの中にはかつてのリッシュモン派の残党が混ざって、あなたの暗殺をもくろんでいましたのよ。踏みつぶさせておきましたけれどね」

 衝撃の事実だった。まさかあの舞踏会の裏でそんなことが企まれていたとは。

 けれどルビアナはすまなそうな表情で、深々と頭を下げた。

「ただ、ギーシュさまがわたくしたちのために大きな傷を負ってしまったことは本当に申し訳ありませんでした。ですが、わたくしの想像を超えたギーシュさまの勇敢さには、本当に胸が熱くなりましたわ」

 ギーシュはルビアナに微笑まれ、あのときのことを思い出して赤面した。そこにモンモランシーのひじてつを食らい、「こんなときになにデレデレしてんのよ」と、ツッコミが入ったことで少しだけ場が和んだ。

 もっとも、そうした時間はわずかで、ルビアナがすでに怪獣までも使ってハルケギニアで暗躍していたことが改めて明らかになると、アンリエッタは最後の決断をするためにルビアナと再度向き合った。

「ミス・ルビアナ、最後にはっきり教えてください。あなたはわたくしたちの敵なのですか? それとも味方なのですか?」

「味方ですわ。そして、あなたがたの友でありたいと切に願っています。皆様にないしょでいろいろとしてしまったことはお詫びいたしますが、それもすべてハルケギニアの人々の幸福のためとご理解ください」

 きっとそれに嘘はないのだろうとアンリエッタは思った。ルビアナは話の中で一度も言葉を濁したりすることはなかった。きっと、何億という悠久の時を生きているというのも……。

 一言でいうなら、超越者だ。人の身でありながら神に限りなく近づいた存在。今まで出会ってきた誰とも違う……この人が敵でなくてよかったと思うが、だが。

「もしも、わたしがあなたを受け入れたとしたら、あなたはこれからトリステインを……ハルケギニアをどうしたいと思うのか、もう一度教えてください」

「そうですわね。わたくしは裏方に徹しながら、ハルケギニアに巣食う悪を排除し、ハルケギニアの進歩を助けてゆきたいと思っています。そしていずれは、このハルケギニアを、幸福と平和に満ち、誰も悪に怯えることのない理想郷にしていきたいですわね」

「悪の存在しない、完全無欠な理想郷ですか……歴史上存在したことのない、夢のような世界ですわね」

 アンリエッタは皮肉気につぶやいた。子供が夢想する中にしか存在しないような、天国そのものな世界。

 そんなもの、作れるわけがないと、アニエスやミシェル、それにルイズや才人も顔をしかめていた。また、人間の業に挑戦してくる侵略者と戦い続けてきたアスカや我夢、藤宮も、そんな世界の実現は不可能だと思っていた。

 しかし……。

「存在なら、ちゃんとしていますよ」

「え?」

「ですから、女王陛下の言う、完全無欠な理想郷はこの世にちゃんと存在しているのですよ。正確には、こことは違った宇宙に、ですけどね」

 そう言うと、ルビアナは指揮者のようにさっと手を振った。するとなんと、彼らのいるダンスホールの風景がぐにゃぐにゃと歪み始めたではないか。

「きゃあ! なにっ!?」

「落ち着け、立体映像……幻だ」

 うろたえるルイズたちをセリザワが制した。ルビアナは、どうやらこちらになにかを見せようとしているらしい。

 やがて映像の揺らぎが収まり、なにかの街のような姿を形作り始めた。それを見て、この場の全員が息を呑み、そしてルビアナはしみじみとしながら語った。

「私は長年宇宙をさすらいながら、真の平和や繁栄は実現できるのかとずっと考え続けて来ました。そしてついにあるとき見つけたのです。そこに住む者の誰一人として悪意を持たず、繁栄を謳歌しながらも、その力で宇宙の平和のために尽力している人々のいる星を。わたくしは感動し、そして決意しました。どれほどの月日を重ねても、必ずこの理想郷と同じ世界を作り上げてみせると」

 ルビアナの見せる映像はダンスホールいっぱいにプラネタリウムのように広がり、一同は銃士隊の隊員ひとりにいたるまでそれに目を奪われた。

 眼前に広がるのはエメラルドグリーンのクリスタルでできた超巨大な都市。空は神々しく力強い光に満ち、トリステインの王宮をはるかに超えるであろう超巨大な建物がいくつも立ち並び、空中には幾何学的な巨大建造物が浮いている。

 この世のものとも思えないほどの超科学文明都市。これに比べれば東京の摩天楼や以前見たエルフの首都など積み木模型のようなものだ。

 そして、その都市を行き来する数多くの銀色の巨人たち。誰もがその光景に圧倒される中で、セリザワと、才人とルイズの中にいる北斗星司はわかっていた。いや、わからないわけはない。なぜならそこは、彼らの故郷の。

「M78星雲、ウルトラの国……」

 

 

 続く



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第90話  光を追いかけて

 第90話

 光を追いかけて

 

 策略宇宙人 ペダン星人

 宇宙ロボット キングジョーブラック 登場!

 

 

 人間たちの目は、ダンスホールに写し出されたホログラフィーに釘付けになっていた。

 それは、人類が今後数千年を経ても建造することはできそうもない超近代都市群。そしてそこを行き来する住人は……銀色の巨人たち。

 そう、ここはM78星雲のウルトラ戦士たちの故郷、ウルトラの星こと光の国。その光景を誇らしげに見せるルビアナに対して、ウルトラマンヒカリであるセリザワは警戒を向けながら言った。

「貴様、ウルトラの星にやってきたことがあったのか」

「ええ、姿を隠してこっそりと入国させてもらっていました。宇宙警備隊の皆さんにご迷惑をかけてはいけませんので名乗り出はしませんでしたが、いろいろなことを勉強させていただきましたわ」

 ルビアナは懐かしげに答えた。異星人であるルビアナが光の国に侵入していた、それ自体はよくあることではあるが、まさかここで光の国の存在が話に浮かんでこようとは想像もできなかった。

 光の国のあまりのスケールの巨大さに、アンリエッタもルイズも、才人やタバサらも完全に目を奪われて呆然としている。もしここに、エルフのルクシャナがいても同じ反応を示しただろう。そしてまだ光の国へは行ったことのないアスカや我夢らもハルケギニアの人間たちほどではないが衝撃を受けていて、ルビアナはそんな彼らを見渡して楽しそうに話しだした。

「どうですか皆さん? これが宇宙でもっとも平和で繁栄している星、M78星雲ウルトラの星、人は光の国とも呼ぶウルトラマンさんたちの故郷ですわ」

「ここが、ウルトラマンたちの故郷ですって」

「ええ、すべてのではありませんが、女王陛下もよく知っていらっしゃるウルトラマンAさんなどはこの星からいらっしゃった方ですわ」

 そう言って、ルビアナはちらりと才人たちのほうを見た。その視線で、才人は、こいつウルトラ兄弟のことも知ってやがるのかと感じた。いつの時代に潜入していたのかは不明だが、ルビアナの性格からして徹底的に光の国のことを調べ上げたに違いない。

 光の国は人間の都市のスケールをはるかに超えた光景を見せ、ロマリアが自称している光り輝く国などとは次元が違う。遊園地や学校までもが光り輝いている。そして都市は不思議で温かい光に包まれており、ルビアナはそれを楽しそうに説明した。

「美しいでしょう? 彼らの国には、ハルケギニアのような太陽はありませんが、代わりに人工的に作られた太陽、プラズマスパークがすべてのエネルギーをまかなっているのです。これが輝いている限り、光の国には永遠に冬は来ないのです」

「太陽さえも、作り上げたと……? この光溢れる都市を作り上げた、ウルトラマンたちとはいったい……」

「ふふ、皆さん驚かれたようですね。わたくしも初めてこちらを目の当たりにしたときは驚きました。彼ら、ウルトラ一族はこの光の国と呼ばれる星で繁栄を謳歌し、驚くことに何万年もの間、一度の犯罪もなく平和を保ってきたそうです」

「何万年も、一度も犯罪なしで?」

「ええ、宇宙一平和的な種族は間違いなく彼らでしょうね。それに彼らはそれにとどまらず、その強大な力を宇宙全体の平和に活かそうと、宇宙警備隊という組織を作って日夜戦い続けているのです」

 映像が移り変わり、空中に浮かぶ巨大な宇宙警備隊本部の外観から、さらに本部内で指示を出すゾフィーやウルトラの父の姿が映し出される。そしてさらに、ウルトラコロセウムで訓練生たちを指導するタロウの様子も現れる。

 その光景への反応は、才人やギーシュは興奮して目を輝かせ、アンリエッタや銃士隊の面々、ルイズやタバサは、ウルトラマンがあんなにたくさん……と、唖然としている。

 しかし、当事者のセリザワはこれに黙っているわけにはいかない。

「光の国を、ここまで調べあげていたのか」

「ええ、これはごく最近撮影したものですけれど、ウルトラの国の方々は本当にすごいですわ。何万年観察し続けても、一度の犯罪も……いえ、ワイルドなおじさまがやんちゃをしたあれを除けば一度も無かったのは素晴らしいですわ」

 ルビアナは、光の国の上空にぽつんと浮かぶ黒色のキューブを見て呟いた。

 セリザワは、こいつはあのことまで知っているのかと、警戒を強くした。光の国最大の汚点として伝わっているあの事件を……いや、この女の語った年齢が事実だとすれば、直に見ていたとしてもおかしくない。

 ウルトラの国のホログラフィーはその後も、クリスタルタウンやプラズマスパークタワーにも及び、ルビアナが本当にウルトラの国を研究しつくしていたことがわかった。それも相当な昔から……ウルトラの国に宇宙人が入り込むのは本当に珍しいことではないと言っても、これまで誰も気づかなかったとは……いや、それを言い出せば、地球の歴代防衛チームもメンバー内に宇宙人がいるのに気づかなかったのを毎年繰り返してきたわけだから人のことは言えないが。

 要は、あえて目立つことさえしなければ潜入自体はどこが相手でもそんな難しくはないということだろう。問題は、そうまでして調べたことでなにを目論んでいるかということだ。ルビアナは続けた。

「わたくしは、この光の国をモデルにして、宇宙に平和と安定をもたらしたいと願っています。かつて、わたしが故郷を追われたとき、力による支配がいかにもろいか知りました。しかし、光の国の方々は、支配など誰にもされなくとも繁栄を続けています。これに学ばずしてなんとするでしょうか?」

「確かに、光の国の存在は宇宙の歴史の中でもひとつの奇跡と呼べるだろう。だが、お前ほどの科学力があれば、光の国の複製はとうに可能なのではないのか?」

 セリザワは問い返した。同じ科学者同士として、ルビアナの技術力はこれまでのことでじゅうぶん把握できていた。ルビアナがその気になれば、ハルケギニアの空にプラズマスパークを輝かせることも可能だろう。

 しかし、ルビアナは悲しげに首を振った。

「確かに、形だけなら光の国の複製はできましょう。しかし、そこに住まう人間の心は別です。あなた方ウルトラマンさんたちは、宇宙でもまれに見る正義の人たちです。だからこそ、光の国は光の国であるわけで、それ以外の人々に光の国の文明だけを与えてもなんにもなりません」

 それはアンリエッタらハルケギニア人や、才人や我夢ら地球人にとっても耳の痛い問題だった。日々数多くの犯罪が繰り返され、外敵がいなくても真の平和には程遠いのが現実だ。

「だからこそ、わたくしは裏方に徹し、根本から世界を変えていこうとしているのです。すべての人の心を一度に変えることは無理でも、不純物を取り除いていくことで、善き人のみが生きる世界に近づかせていくのです。真なる理想郷とは、善き人が悪に怯えずに済む世界。皆が強きをくじき弱きを助ける正義の心を持つ世界。そうではありませんか?」

 その言い分には、一定の理があることを、皆も認めないわけにはいかなかった。

 悪いことさえしなければ、平和に不安なく暮らせる社会。なまじ物が満たされているよりも、住み良いのは間違いない。

 だが問題は、その手段が非常に強引なところだ。自らの思想を語ったルビアナに対して、口ごもるアンリエッタに代わって前に出たのは我夢の隣に立っていた藤宮博也だった。

「御大層な理屈だな」

 精悍な顔立ちに無表情を張り付けて彼は言った。

「あら、あなたは」

「藤宮博也。お前からすれば、ウルトラマンアグルと言えば早いだろう」

 自分からあっさりとウルトラマンの正体をばらした藤宮に、アンリエッタや銃士隊の中からどよめきが起こる。しかし、それを無視してルビアナは藤宮に礼を返した。

「まあまあ、あのときの青いウルトラマンさんですね。先日はご挨拶もそこそこに、大変失礼をいたしました」

「戯れ言はいい。一週間前、俺たちはそこの黒いロボットと戦い、取り逃した。その時に貴様は同じことを言い残したな? 自分の目的は、この世界から悪を消し去って善人だけの世界を作り上げると。それの手段がこれというわけか」

 あの日、キングジョーを撃破したアグルやダイナは、その直後に現れた黒いキングジョーと戦ったが、ただでさえも消耗していた上にライトンR30も失っていた彼らはまともに対抗することができなかった。

 しかし、黒いキングジョーはこちらの抵抗をあざ笑うかのように、ミシェルとタバサの捕まっている破壊されたキングジョーの頭部パーツを回収すると、あっさりと撤退してしまったのだ。

 その気になればウルトラマンたちをこの場で全滅させることもできたはずなのに、この余裕。すると去り際に、ルビアナは音声で我夢たちに言い残したのである。 

「本日は急につきこれで失礼いたします。後日改めてお茶にお誘いいたしますので、今度ゆっくりとお話いたしましょう。わたくしは、あなた方と同じく、恐怖と破壊無き世を目指しています。悪を追放した終わり無き平和な日々を築くため、あなた方の知恵もお貸しいただけたら幸いです。よければ参考までに、あなた方もわたくしのルビティアをご覧になっていってください。では、ごきげんよう」

 そう言い残してルビアナの声は消え、我夢たちはやむを得ず手掛かりを求めてルビティアを散策し、タバサやミシェルと同じ事を知った。しかし、地球人である彼らはミシェルたちとは違った結論を出し、こうしてルビアナの前に現れたのである。

「お前のやっていることは、地球でも数多くいた夢想家な王や独裁者の手法を規模を変えているだけだ。結局、お前の認めた者しか生き残れない世界になる以上のものではない」

 藤宮の糾弾は鋭かった。彼らアルケミースターズはかつて根源的破滅招来体から地球を守るためにあらゆる手を検証してきており、そのために蓄えた知識は科学分野だけではない。

 しかし、やはりルビアナは顔色を変えることなく答えた。

「そうですわね。確かに、そうした意味では私はかなりのエゴイストかもしれません。ですが、わたくしのやり方でルビティアの方々には大変喜んでいただけたと思っています。これよりも良い方法を、あなたは提示していただけるのですか?」

「俺は政治家じゃない。だが、人が変わるには、すべての人が過ちを理解しなくてはだめなことは知っている。お前の方法は即効性があるが、不満要素を排除して問題を先送りにしているだけだ。排除の論理では、今はよくてもいずれ同じ過ちが繰り返される。俺もかつて、そうした過ちを犯した」

 藤宮は自嘲げに言った。かつて藤宮は根源的破滅招来体の陰謀で、地球を破壊する人類さえ排除すれば地球は救われると考えていた。

 しかし、確かに人類がいなくなれば地球は自然を回復できるだろうが、ガンを切除しても再発するように、また新たに生まれる知的生命体が人類以上に地球を破壊するかもしれない。一時しのぎにしかならないのだと藤宮は気づいた。

 ルビアナは穏やかにうなづいて答える。

「わかりますわ。わたくしがこれまでに導いてきた星でも、善人たちの中から必ず悪い人は出てきました。どんなに豊かになっても、人の心には魔が差すものです。ですから、わたくしは人々の住まう環境を、ある方向に向けて改善していこうとしているのです。そうですわね……ウェールズ陛下、少しよろしいでしょうか? 新しい国作りに邁進している陛下にひとつお聞きしますが、民が心に魔が住まわせたりせず、皆が良心に従って生きられる世とはどういう形が適切だと思われますか?」

「難しい話だね。民が飢えることのない世界だということは前提として……僕は、民の心に常に大きな支えがあることだと考える。かつてレコン・キスタが勢力を伸ばしたとき、民は王家の危機を見ぬふりをした。それはそのとき、民にとって王家が無価値な存在であったということだ。もし王家が民の心を掴めていれば、あんな内乱は起こらなかったかもしれない。いやそれ以前からも、野盗の増加はアルビオンで始まっていた。それも、王家や貴族が民の模範であらなかったせいだ。だから僕は、王として民に誇りと正義を示し続けていきたいと思っている」

 それはかつての傀儡の王が自立し、一人の若武者となっての言葉だった。その若くも気高い姿にアンリエッタは涙し、ルイズやギーシュは貴族として尊敬すべきと胸を熱くした。

「その通りですね。あなた方ご夫婦のような立派な方が王で、国民もさぞ誇らしいことと思います。ですが、もうひとつ、民に良い意味での夢を持ってもらうことも大切なのですよ」

「夢、ですと?」

「ええ、人は漫然と生きるだけでは心がすり減ってしまいます。かといって欲望を満たし続けても底はありません。ならばどうするか? それは欲望を形のないものへと昇華させるのです」

 彼女の言っている意味がよくわからず、アンリエッタやウェールズは怪訝な表情をする。しかしルビアナは笑みを保ったままで続けた。

「人が生きる上では喜びが必要です。しかし、物質的な喜びは一時ですぐ飽きられますが、精神的な充足は続きます。人は、自分以外の誰かのために役立てたとき、もっとも満たされるものです。それも、家族や友人といった狭い関係ではなく、名も知らない大勢の誰かのために役立てたとき、人は己に存在価値を持てます。例えれば、パンを焼く仕事にしても、毎日漫然と焼き続けるか、焼いたパンが毎日数多くの食卓を支えているのかを思って続けるか、どちらが良いと思いますか?」

「それは、もちろん……」

「でしょう? 自分のやっていることが人の役に立っていると自覚できれば、人は自分自身に価値を見いだせます。そして自分の価値を自覚すれば、自然と人は自分を大切にし、道を外れることは容易にありません。暗愚な王はこれがわからず、ひたすら報酬を吊り上げれば人は満足すると考えますが、金銭欲だけ満たしても、もっともっとと求められ続けるだけです」

「……」

「ですから私はルビティアで事業を起こす際には必ず、この仕事はどういう風に役立つのかと理解してもらってから始め、街を歩くときも、迷える人と会えば自分の価値を知ってもらえるよう話しています。ルビティアを発展させたのは私ではありません。私はただ、ルビティアの方々の本来の力を呼び起こしただけです。そう、光の国の方々が宇宙の平和を守る誇りを胸にして戦い続けているように」

 目から鱗のような話に、執務室で書類を相手に政治をわかったような気でいたウェールズとアンリエッタは恥じ入った。

 だが本当に……まるで授業を受けているような感覚を覚える。誰が何を言っても、ルビアナは怒らないし否定しない。ただ、こちらの意見を肯定し、それ以上の答えを返してくるだけだ。

 そう、ルビアナはなんでも知っているし、すべてに適切な回答を持っている。それも理屈倒れではなく、自ら実践して結果を出している。ルビアナはもう一度手を降り、ホログラフィーは様々な星々の文明の光景に移り変わった。

「宇宙には様々な文明、様々な民族が住んでいます。わたくしはその中で幾億年と過ごしながら、人が平和に生きていける世界を作るにはどうすればよいのかを学んでまいりました。ですから、皆さまがご心配になられるようなことは、すべて織り込んでございます。ご安心くださいませ」

 ホログラフィーの中で、発展し、繁栄していく様々な文明や、そこで平和に豊かに暮らす星人たちの姿が映し出される。

 つまりは、ルビアナにとってハルケギニアでやっていることは、すべて過去の成功例を再現しているに過ぎないというわけなのだ。これでは、いくら我夢や藤宮でも欠点を突くことはできない。

 ルビアナは、アンリエッタをはじめとする一同に対して、これで信頼していただけましたか? という風に微笑んでいる。

 逆に、ルビアナを囲む一同は、ハルケギニア人も地球人も、そしてウルトラマンたちも、彼女の筋の通った信念に付け入る隙が無くて沈黙するしかなかった。

 確かにルビアナのやり方は強引だ。しかし、実際に人々が救われ、すべてが良い方向に動いている。まさに神の所業だが、ルビアナには神に等しいだけの知恵と力がある。

 ルビアナを受け入れ、彼女のやりたいようにやらせるのがハルケギニアの民のためになるのではないのか? アンリエッタやウェールズの心に、そんな考えが浮かんだとき、毅然とルビアナの前に歩み出した者がいた……ルイズだった。

「ルイズ……!」

「心配しないでタバサ、サイト、もう頭は冷えたから」

 そう言ってルビアナに歩み寄っていくルイズの姿に、タバサは胸の鼓動が高まっていくのを感じていた。

“ルイズ、あなたも……” 

 今は覚えていないはずなのに、迷わずに自分のことをタバサと呼んでくれた。その強い意志のこもった言葉に、タバサは罪悪感を感じるのと同時に、ひとつの不思議な期待感を感じ始めていた。

 ルイズはルビアナと向かい合い、頭ひとつ背が高いルビアナを見上げながら話し始めた。

「ミス・ルビアナ、わたしもあなたに友情を感じた一人として、少しだけあなたとお話をしたく思います。それで納得できたら、わたしはルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの名に懸けて、あなたに全面協力することを誓います。いかがですか?」

「大きく出ましたね。ですが私は最初から、あなた方に張り合おうとは思っていませんよ。ミス・ヴァリエールのご自由になさってください」

 真正面からルビアナに対してそう言い放ったルイズの、あまりにも無鉄砲な発言にアンリエッタや才人は仰天した。

 やっぱりまだ頭に血が上ってるんじゃないか!? 才人は、一度言い出したらルイズは頑として聞かないものだということを知っていながらも、ルイズを止めようと前に出かけた。しかし、才人の前にふしくれだった杖が差し出されて通せんぼをし、落ち着いた声が才人を遮った。

「……ここはルイズに任せてみよう」

「って! おい、なに言ってんだよタバサ。キュルケとの口げんかにも負けるルイズに交渉とかできるわけないだろ」

「だからルイズなの。理屈であの女に勝つのは世界中の誰でも無理。なら、ここは逆にルイズにかけてみるしかない」

「毒を以て毒を制すってわけかよ。どうなっても知らねえぞ」

 才人はやけっぱちにそっぽを向いてしまった。

 もちろんタバサにとっても賭けであることには違いない。下手をすればさらに話がややこしくなるかもしれないが、相手が話し合いの姿勢を保っている以上はこちらから手を出すわけにはいかない。

 それでも、自分たちにはなくてルイズにはあるもの。才人は身近すぎて気づいていないようだが、それはルイズの欠点でも武器でもあり、タバサは完璧人間であるルビアナの牙城を打ち崩すにはそれしかないと考えていた。

 皆が見守る中、ルイズがルビアナに対して口を開く。しかし、ルイズの唇から飛び出した言葉は、才人やタバサの不安をまさに的中させたものだった。

「ミス・ルビアナ、最初から申します。ルビティア領についてのあなたの治世は前領主からの委任であり、わたしの語る筋ではありません。しかし、トリステインに対するあなたの行為は侵略です。出ていってください」

 一気に場がどよめき、アンリエッタや才人は、「ル、ルイズ!」と、青ざめていた。だがルビアナは怒った風もなく、ルイズに答えた。

「はっきりものを言うのですね、ミス・ヴァリエール。わたくしに悪意はないというのは、きちんと説明したと思いますが、それでも侵略とおっしゃるのですか?」

「思います。ルビティアはともかく、このトリステインはわたしたちトリステイン人の国です。この国が栄えるも滅ぶも、わたしたちの責任ですることです」

 ルイズの鳶色の瞳とルビアナの閉じた眼の間で火花が飛び散っているように見えた。

「貴族のあなたはそれでもよいかもしれませんが、平民の方々はよろしいのですか? 人々が飢えて苦しんでいても、あなたはそれでよいと?」

「もちろんわたしたちの責任です。わたしたち貴族に怠慢なところがあれば、それは反省します。そのための助言や援助であれば、話し合って受け入れるでしょう。ただし、手を加えるのはあくまでトリステインの我らの手で、それが貴族たるものの責任です!」

 ルイズも一歩も引かずにルビアナに渡り合っている。その貴族として毅然とした姿勢に、ギーシュやモンモランシーはごくりとつばを飲み込み、ダンスホールがホログラフィーで覆われて中に入れなくなっていたカリーヌは、外から風の魔法で声を拾いながら頬を緩めていた。

「いつの間にか一丁前な口を聞けるようになって……」

 子供は知らないうちに大きくなる。うれしいが、同時に寂しくもある瞬間だ。

 ルイズとルビアナの舌戦は続く。

「それから、あなたはこれまで数々の文明を繁栄に導いてきたと言いましたわね。ではなぜあなたはそこを離れたのですか? なぜそこにとどまっていないのです?」

「……彼らは、自立したからですわ。文明が発達の極に至り、彼らは私に言いました。この星はもう、あなたの庇護がなくても立派にやっていけます、と。ですから私は再び旅立ち、新たな星に庇護を与えることを繰り返してきたのですわ」

「あなたは善意のつもりで、それを受け入れた人々がいるのは認めます。ですが、ここはトリステインで、それはわたしたちトリステイン人の誇りを踏みにじるものです。この国の悪はわたしたちが裁き、この国の歪みはわたしたちが正します。あなたにわたしたちトリステイン人の正義を無視する権利はないはずです」

「あなた方の了解を得ずに始めたことは重ねてお詫びいたします。けれど、あなた方の正義が履行されるまでにどれだけの時間がかかるのですか? 会議を始めて、実際に動き出すのを待っていたら、どれだけの取りこぼしが出ると思います?」

 迂遠な体制の問題点を指摘するルビアナ。しかし、ルイズも負けてはいない。

「それも改善点ですね。ですが、それを聞いた女王陛下は必ず制度を作り直してくれるはずです。ミス・ルビアナ、終わってしまったことを今更どうこう言っても仕方ありませんが、この国の正義を担うのは我々の使命です。批判も忠告も受けますが、手を下すのは我々であるのがトリステインのルールです。その領域に立ち入るのならば、いかなる理由があろうとも侵略です」

 ルイズはちらりとギーシュとモンモランシーにも鋭い視線を流して言った。

 貴族であるなら、どんなに薔薇色の提案をされても、自分の責任と正義から逃げるな。貴族は意味なく君臨しているわけではなく、国を守る正義と秩序の象徴なのだ。無能を指摘されたなら、かえって奮起するくらいでなくてどうする?

「理屈じゃないのよ。わたしたちはトリステインで貴族として生まれた。だからこの国を守る責務があるの。それに手を出されたらトリステインの秩序が崩れるわ。だから決して、わたしはあなたを受け入れられません」

 貴族であること。それがルイズをルイズたらしめている根幹だった。その領域に踏み込むならば、迷わずにそれを侵略と呼ぶ。

 アンリエッタやウェールズも、ルビアナの完全無欠な力の前に揺らいでいた誇りをルイズの言葉で思いだし、ルイズに賛同する様子を見せている。ルビアナに賛同する意思を見せていたギーシュやモンモランシーも、再び迷う表情を見せていた。

 トリステイン人としての正義を胸に、皆の誇りを取り戻させたルイズ。するとルビアナは、こくりとうなづいてから言った。

「そのとおりですわね。トリステインの誇り……私はあなたがたにとって大切なものを踏みにじっていたようです。すみません」

「ミス・ルビアナ、わかっていただけましたか……?」

「ええ、ミス・ヴァリエール。では、私からも最後に聞かせてください。例えば、あなたが異国に行って、飢えて死にそうな子供を見かけたとしましょう。あなたの手にはパンがひときれ、誰かを呼びに行っては間に合わない。あなたはどうしますか?」

 その問いかけに、ルイズは少し考えてから答えを返した。

「正直、その時にならないとわからないとしか言えませんが、わたしはあえて見捨てる判断も必要だと思います。そうしなければ、その国の将来のためにはなりません」

「そうですね。ですが私はそういうときにパンを差し出さずにはいられない人間なのです。それを、おわかりになっていただけますか?」

「はい……それならば残念ですが、答えはひとつですね」

 ルイズは一瞬目を伏せるとルビアナから一歩下がり、杖を取り出してルビアナに向けた。

「トリステインの秩序を乱す者として、ミス・ルビアナ、あなたを敵と認識いたします」

 ルイズの目にもう迷いはなく、いつでもエクスプロージョンを放てる姿勢に入っている。アンリエッタらも同様で、すでに銃士隊がペダン兵士と対峙しながら包囲陣形を組もうとしていた。

 唯一、まだギーシュはルビアナへ杖を向けることができずにあたふたしている。しかし、彼に構わずにアニエスはルビアナに剣を突きつけて宣告した。

「ミス・ルビアナ、申し訳ありませんがあなたを拘束させていただきます」

「ええ、とても残念ですわね……」

 ルビアナは微笑しながら立ち尽くしたままである。

 抵抗する素振りも見せないルビアナの左右から銃士隊員が挟んで、その腕を掴もうとする。だが……。

「なっ!?」

「う、動かないっ!」

 なんと、銃士隊の二人に腕を抑えられているというのにルビアナの体は石像のようにビクともしなかった。

「ごめんあそばせ」

 逆にそれは一瞬だった。ルビアナが二人の銃士隊員の腕をそれぞれ掴んだかと思うと、二人の隊員は紙人形のように宙に舞い上がり、そのままパーティ用のテーブルに放り投げられてしまったのだ。

「うわぁぁぁーっ!」

 テーブルの天板が砕け、料理を乗せた皿が派手に舞い散る。しかしテーブルがクッションとなったことで二人の隊員はたいしたけがもなく、それを確認したルビアナはにこりと笑った。

「申し訳ありません。わたくしもまだ、牢につながれるわけにはいきませんもので」

 それはいつものルビアナの笑顔だった。しかし、大の大人を片手で放り投げる怪力。アニエスは、やはりこの女は見た目通りの人間ではないと背筋を震わせた。

「抜刀を許可する! 油断するな」

 素手のルビアナに対して剣を手にした銃士隊が取り囲む。先ほどエレキングにとどめを刺した銃はいつの間にかルビアナの手から消えているが、その気になればいつでもあれを呼び出せるのは容易に想像できた。

 才人もデルフリンガーを抜き、セリザワもナイトブレスからブレードを抜き、ほかのウルトラマンらも臨戦態勢に入る。

 しかし、その前に両手を広げてギーシュが立ちふさがった。

「待ってくれ! 女王陛下、皆さん、ちょっとでいいから待ってくれ!」

 ギーシュの必死な呼びかけに、アニエスたちの足が止まった。

「グラモン、そこをどけ」

「いくらレディの頼みでも、今回だけは受けられません。ルビアナ、君がどこの人間であろうとぼくは気にしない。それに君の誠意もみんなに伝わったはずだ。ぼくらが争うなんて間違ってる。みんなはぼくが説得するから、今日のところは引いてくれ、頼む」

 黙っていれば美形のうちに入る顔が動揺で大きく歪んでいるが、ギーシュの訴えは真剣だった。忠誠、正義、道義、情、様々なものの中でどれにするかを決められなくて揺れ動いているが、それでもここは動かねばならないという強い意思が彼にはあった。

 それはモンモランシーも同じで、彼女もルビアナをかばうように前に出て来る。

「みんな、ギーシュの言う通りよ。わたしたちが争ってもなんにもならないわ。今は折り合えなくても、少しずつ擦り合わせていけばいいじゃないのよ!」

 モンモランシーも本気だった。いつもの彼女なら、女王陛下に意見するなど考えられないことだが、それほどモンモランシーにとってもルビアナとの思い出を嘘にしたくはないという強い思いがあったのだ。

 懸命に、我が身を張って争いを押し止めようとするギーシュとモンモランシーの姿に、銃士隊も足を止めざるを得ず、その隙に二人はルビアナを説得しようと試みた。

「ルビアナ、君には君の主義があるんだっていうことはよくわかった。だけど、ここはルイズの言う通りトリステインなんだ。残念だけど、ルイズの言うことは正しい。ぼくは女王陛下の臣として命に従わなくちゃいけないけど、君とは戦いたくない!」

「ルビアナさん、わたしの頭じゃ難しいことはわからないけど、ここで無理を押し通さなくてもいいじゃない。ゆっくり話し合って、お互いに受け入れられるところから始めていきましょうよ。わたしたち、ルビアナさんから教わることがまだいっぱいあるんだから」

 ギーシュもモンモランシーも、最悪の事態だけは避けたい一心でルビアナに訴えた。しかし、ルビアナは柔らかい口調で二人に告げた。

「ありがとう、ギーシュさま、モンモランシーさま、あなた方お二人と出会えただけでも、わたくしはこの星に来たかいがありました。ですが、ダメです。わたくしにも、どうしても引けない理由があるのです」

「なんです? その訳というのは」

 ギーシュとモンモランシーにはわからなかった。ほんの少しルビアナが譲歩すれば、争う必要なんかなくなるというのに。

 するとルビアナはこれまでの微笑から悲しげな表情に変わって、ホログラフィーをひとつの惑星に切り替えた。

「お二人とも、先ほど私が、多くの惑星の自立を見届けてきたと言ったのは覚えておいでですね?」

「はい……えっと、でもそのワクセイはみんな平和に繁栄して、ルビアナさんは安心して旅立ったんじゃないんですか?」

「そうです。ですが、私は旅立った後も、その星がその後にどうなったかをずっと見守り続けていたのです。しかし、彼らの自信に反して、真に自立を果たせた人々はいませんでした……」

 映像の中で、繁栄していた文明が次第に衰退し、やがて争いが起き始めた後に滅亡していく姿がいくつも再現された。そう、いくつも……無数に。

 文明の滅び行く様の凄惨さは目を覆わんばかりで、煌々と輝いていたビル群が廃墟となり、人々が死に絶えた後には何も残らない荒野だけが広がる。その残酷な光景に皆が愕然としている中で、ルビアナは深い悲しみをたたえながら言った。

「私は、私の手から離れた人々が自分たちの力で平和と繁栄を作り上げていくことをいつも期待していました。ですが残念なことに、私がどれだけ愛情を込めて人々を導いても、私の手から離れたら悪がはびこりだし、遅かれ早かれ衰退と滅亡の運命を辿ってしまうのです」

「どうして、あんなに平和だった世界がこんなことに」

「私も悩み続けました。そして、どれだけ清浄に整えたとしても、人々の心から悪を消し去ることはできないと悟りました。残る方法はひとつ……私が守ってあげなくては滅びるのであれば、私が永久に守り続けてあげればよいのです。そう、億年でも兆年でも永遠に私はあなた方を守護し続けましょう」

 どこまでも深い慈愛をたたえた笑みでルビアナは言った。それはまさに、神となるに等しい所業。それをなんの迷いもなく言い放つルビアナに、アンリエッタやルイズは一瞬「狂ってる」と思いかけたが、それは違うと思い直した。

”そう、たとえるならまさに『善意の怪物』ね……”

 正気でいて悪意はなく、どこまでも清らか。だが、だからこそおぞましい。そんなルビアナに、モンモランシーは髪を振り乱しながら首を振った。

「違う! そんなの絶対違うわ。ハルケギニアの人間が未熟なのはわかってるけど、わたしたちは自分で自分を滅ぼしてしまうほどに愚かじゃない。ルビアナさんから見れば未熟かもしれないけど、わたしたちは自分の力でも生きていける。豊かで平和なだけが、幸せじゃないはずよ」

「……わたくしが見てきた星々の方々もそう言っていましたよ。自分たちの力だけで生きていける、自分たちの力で未来を切り開いていける、だから安心してくれと。そう言い残して私の愛した99万9999の文明は塵となっていきました。私はこのハルケギニアを、100万目の墓標にしたくはないのです」

「で、でも、でも」

 納得できないが、かといってルビアナを説得する言葉も思い浮かばないモンモランシーは幼子のように涙ぐむしかできなかった。

 するとルビアナは慰めるようにモンモランシーの頭を優しくなでると、緊張してこちらを睨みつけてきているアンリエッタらに顔を向けた。

「それに、ハルケギニアを狙う巨大な闇はもうじき動き出します。待っている時間はもうありません。それまでの間に、ハルケギニアの人々にもっと力を持ってもらわなければなりません」

 巨大な闇、それがなにを意味するのか、わからない者はいなかった。アンリエッタは悔しさをにじませながら答えた。

「わたしたちの力では、あの悪魔には勝てないと……?」

「太刀打ちはできるでしょう。しかし大きな犠牲も生まれることは確実です……さて、お話はそろそろよろしいでしょう。あなた方がトリステイン人としての『誇り』と『正義』にのっとって生きたいというのでしたら、方法はひとつです」

 そう言うと、ルビアナは大きく手を広げた。ホログラフィーが消え去り、元のダンスホールの光景が蘇る。

 だがそれと同時に、ルビアナの両手には二丁の長大なマスケット銃が握られていた。その威圧感に全員がいっせいに殺気立ち、そしてルビアナは鈴のような声色で全員に対してこう告げたのである。

「私と戦い、打ち倒してごらんなさい。私の庇護が必要ない、私以上の存在であることを証明してみなさい。それができないのであれば、私はあえて侵略者となりましょう。あなたたち全員をアンドロイドと入れ替えてでも、私は今度こそ光の国をこの地に作り上げます。それが嫌だと言うなら、戦って私を超えてみせるのです!」

 ルビアナが叫ぶと同時に、静止していた黒いキングジョーも動き出した。独特の機械音をあげながら、のしのしとダンスホールに迫ってくる。

 それを見て、アスカ、我夢、藤宮の三人はそれぞれの変身アイテムを構えた。さらに、才人はデルフリンガーを構え、銃士隊も剣と銃を抜いてルビアナに向ける。

 話し合いで解決しようとする時間は過ぎた。これからは、力で存在を勝ち取らねばならない。

 無力感にひしがれるギーシュとモンモランシーの見守る前で、ルビアナの二丁の銃がガチリと鳴る。

「では、舞踏会の続きを始めましょう。ただし、今度はどちらかが倒れるまで終わらない死の舞踏をね」

 

 

 続く



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第91話  神鉄の乙女

 第91話

 神鉄の乙女

 

 誘拐怪人 ケムール人

 殺戮宇宙人 ヒュプナス

 策略宇宙人 ペダン星人

 宇宙ロボット キングジョーブラック 登場!

 

 

「ダイナーッ!」

「ガイアーッ!」

「アグルーッ!」

 

 三つの光が輝き、進撃する黒いキングジョーの前に三人のウルトラマンが立ちはだかる。

 ルビアナとの交渉が決裂し、ついに両者は実力行使に打って出た。

 不気味な黒いキングジョーに挑むのは、雪辱戦に燃える三人のウルトラマン。

 対して、才人とルイズ、銃士隊の総力の前にルビアナは十数人のペダン兵士を率いて立っていた。

「皆さん、どこからでもかかっていらしてください。わたくしは逃げも隠れもいたしません」

 悠然と立つルビアナに対し、才人や銃士隊は緊張で額に汗をにじませて包囲陣形を保っている。

 警戒すべきはルビアナの持つ二丁の長銃。エレキングの胴体を一発でぶち抜いたあれを人間が食らったらひとたまりもない。

「どうしました? では、こちらからいきますよ」

 動けない銃士隊に対してルビアナが先に動いた。二丁の銃が左右に展開され、閃光と轟音に続いてダンスホールの床が爆裂した。

「うわあぁっ!」

 銃弾は床を爆砕し、一瞬で四、五人の銃士隊員が破片と爆風に吹き飛ばされた。

「くそッ、なんて威力だ!」

 アニエスがたまらずに叫んだ。見た目はただのマスケット銃だというのに大砲のような破壊力。しかも、ルビアナは直接銃士隊員を狙わずに、爆風で数人まとめてなぎ払ってきた。それはつまり。

「気をつけろ! この女、戦い慣れているぞ」

「ええ、わたくしに遠慮なさることはありませんわよ。わたくしも本気で舞わせていただきますから、この首をかき斬るつもりでいらしてくださいませ」

 軽く挑発したルビアナが言い終わったと思った瞬間、その姿が消えた。いや、銃士隊でさえ目で追えないほどの速さで跳躍していたのだ。

「はっ、速!?」

「ごめんあそばせ」

 一人の銃士隊員の懐に一瞬で飛び込んだルビアナは、その隊員が剣を振りかぶった体勢から動く間さえ与えず、銃床を彼女のみぞおちに叩き込んだ。

「ぐ、はぁ」

 一撃で骨が折れ、内臓がえぐられて、その隊員は白眼を剥いて倒れた。

 なんという瞬発力だ。銃士隊員たちの中には、かつてツルク星人討伐に参加した者も混ざっていたが、あの星人よりも速いかもしれないと冷や汗を流し、そんな彼女たちを見てルビアナはにこやかに笑った。

「手加減は無用ですわよ。わたくしのことは、オーガやドラゴンのような化け物と思って攻めていらっしゃい。そうでなければ……みんな殺してしまいますわよ」

 ぞっとするほど優しい言葉での死の宣告に、勇猛果敢な銃士隊の中に、恐怖が無音の合唱となって響き渡った。

 

 

 その一方で、三人のウルトラマンと黒いキングジョーの戦いも、開始からいきなり容易ではない展開を見せていた。

「セヤァッ!」

「ドリャアッ!」

 接近してくる黒いキングジョーに対して、アグルのハイキックとダイナの気合いパンチが同時に炸裂したが、黒いキングジョーは小揺るぎもしない。

〔いってえーっ! やっぱり固てぇ〕

 殴ったダイナが手を抑えて痛がった。そんなダイナを見下ろして、アグルは呆れながら呟いた。

〔同じ失敗を二度するか? だが、前回はまともにやり合う余裕さえなかったが、やはりこいつのスペックは前に倒した奴と同等以上だ。我夢、油断するな〕

〔わかってる。恐らくこいつにはライトンR30も無効だろう。僕たちの地力で砕くしかない〕

〔おいお前ら、ちょっとは俺を心配しろ〕

 アスカが抗議しているが、自業自得に構ってやるほど我夢も藤宮も暇ではない。いや、本当にそんな暇などないのだ。黒いキングジョーの右腕の大砲が動くと、その砲口をすっとガイアに向けたのだ。

〔我夢! 避けろ〕

「シュワッ!」

 黒いキングジョーの砲口が火を吹き、間一髪で身を捻ったガイアの脇を掠めていった砲弾が、その後ろの見張り矢倉を粉々に吹き飛ばした。

 いや、それで終わりではなかった。砲口はさらに機関銃のように火を吹き、ガイアとダイナに次々に着弾したのだ。

「ヌワァッ!」

「グウッ!」

 避けたと思っていたところに弾丸を撃ち込まれ、ガイアとダイナは吹き飛ばされ、そこにさらに弾丸が降り注ぐ。凄まじい弾幕だ。

 だが、照準から外れていたアグルが二人を助けようとキングジョーの大砲に組み付いた。

「ドウァッ!」

 力づくで砲口を上に向けさせて照準を狂わせ、ダイナとガイアを救い出す。しかし、キングジョーは軽く腕を降るだけで簡単にアグルを振り払ってしまった。

 砲口が今度はアグルを狙い出す。だがアグルは素早く右手からアグルセイバーを引き出し、キングジョーの蛇腹状になっている腕の間接部へと降り下ろした。

「デヤァッ!」

 あらゆるものを切り裂く光刃が狙い違わず間接部に食い込み、すり抜けた。だが、鈍い金属音が響いた後に、苦悶の声を漏らしたのはアグルのほうだった。

〔ぐうっ、やはり関節も強化されているか〕

 バットでアスファルトを叩いた時のように、腕がしびれるのみで相手側には傷ひとつついていない。

 なんという固さだ。ガイアとダイナも弾幕から解放されて起き上がって来ているが、黒いキングジョーは頭部と胸部のランプを明滅しながらかすり傷ひとつなくそびえ立ち、まだ戦い始めたばかりだというのに肩で息をしているのは三人のウルトラマンのほうだった。

〔こいつ、シンプルに強い……〕

 ダイナが吐き捨てるように呟いた。パワー、防御力、火力、キングジョーはまだそれだけのスペックしか見せていないが、それだけで三人のウルトラマンと渡り合う実力を見せている。

 するとそこへ、からかうようにルビアナの声が響いた。

「フフッ、あなた方も手加減は無用ですわよ。その子、キングジョーブラックは、あなた方が先に戦ったキングジョーと同じ形をしていますが、能力はまったく比較にならないレベルにあります。フフ、ペダン星でも私の残したプロトタイプからずいぶん進歩させたようですが、まだまだオリジナルのこの子に追いつくにはあと数千年はかかりそうですわね」

〔なんだと! ってことは、キングジョーってやつは元々は〕

「ええ、私がかつて設計開発したものです。ですから、この子たちについて、私はすべて知り尽くしています。さて、あなた方も、人類の守護者を名乗るのでしたらこの子を倒して見せなさい。大丈夫、その子の右腕のペダニウムランチャーは山をも砕く威力があるという程度ですから」

 なにが大丈夫だとアスカは怒鳴りたくなった。あのキングジョーの強化形態だというだけで十分すぎるほど脅威だ。前回、通常のキングジョーを倒すだけでどれだけ苦労させられたと思っているのだ。

 ダイナがかつて戦ったことのあるロボット怪獣の中でキングジョーに匹敵するものといえば、一度は完敗させられた電脳魔人デスフェイサーがまず思い付くが、キングジョーにはあれほどの火力はない反面、装甲が薄い箇所などの弱点もなかった。そんなキングジョーに火力まで追加されたとなればたちが悪いどころの話ではない。

 けれど、だからといってウルトラマンがおじけずくことは許されない。なにより、今回は最初から頼もしい仲間がいるのだ。

〔へっ、いいぜやってやるよ。その分厚いバックスクリーンにボールをめり込ませてやろうじゃねえか〕

〔アスカ、君ピッチャーだったよね〕

 アスカが自分の存在意義全否定なことを言うのに我夢が呆れながら突っ込んでいるが、細かいことを気にしないのがアスカの流儀だ。

 はるかな強敵であるキングジョーブラックに対して、恐れを知らずに構えをとるダイナと、その隣でやれやれというふうに合わせるガイア。二人とも気負いはまったくなく、この強敵を相手にどう立ち向かおうかと、それだけを考えている。

 その一方、一歩引いたところでアグルはたたずみ、ダンスホールの中から見上げてくるタバサと目を合わせていた。

〔好きにすればいい。俺たちはこの世界の脅威が俺たちの世界に流れ込まないようにするために来ているから、お前の家のことには関われん。だが、お前がこの世界ですべきことはそれだけではないはずだ〕

「……」

 タバサは胸に罪悪感を抱きながら、ぎゅっと杖を握り直した。

“今、この場でわたしがやるべきこと……”

 みんなに迷惑ばかりかけている。今回のことだって元はといえば自分のせいだ。なのに、藤宮も我夢も怒りもせずに自分に合わせてくれている。

 それでも、今この場で自分にできること。

 タバサは目を開けてダンスホール内の惨状を見渡した。すでに十人近い銃士隊がルビアナに倒されて横たわっている。

「どうしました? まだわたくしの体にはかすりもしていませんわよ。これではダンスにもなりませんわね」

 余裕の笑みを浮かべるルビアナを、アンリエッタやアニエス、それにルイズや才人らは苦々し気に睨みつけていた。

 ルビアナの言う通り、彼女は銃撃をほとんど使わずに体技だけで銃士隊を次々に仕留めていた。銃士隊は伊達に近衛隊を任されているわけではなく、白兵戦となれば国内に並ぶもののないほどの手練れで構成されているにも関わらずである。

 今、銃士隊の半数はルビアナと対峙し、後の半数はペダン星人兵と戦っている。幸いあちらのほうは衝撃銃と防護服を着ている以外は銃士隊でも十分渡り合える実力しかなかったが、とにかくルビアナ本人が別格だ。

 だが、烈風カリンならば真っ向勝負で対抗できるかもしれない。それに城内には手練れの魔法騎士が舞踏会の警備のために、まだ何百人もいる。しかし、その烈風や魔法騎士たちは突然城中に現れたヒュプナスの大群との激闘に引きずりこまれていた。

『ウィンドブレイク!』

 カリーヌの放った風の魔法がヒュプナスを数匹まとめて吹き飛ばした。しかし、ヒュプナスは上空の円盤から次々と送り込まれ、倒しても倒してもきりがない。

 いや、カリーヌひとりならなんとでもなる。しかし、城には文官の貴族や各国から招いた貴賓も大勢おり、カリーヌが一人だけで無理をするわけにはいかず、今もマザリーニ枢機卿の護衛から離れられずにいた。

「烈風殿、私はよいからどうか陛下のもとへゆかれてくだされ。こんな老骨、どうなってもかまいませぬ」

「なにをおっしゃるマザリーニ殿。あなたにはまだ当分は老骨に鞭を打ってもらわねば困ります。あなたが陛下にお伝えすべきことは、たった数年で全部終わってしまうほど少なくはないでしょう」

 このやせぎすな老人が、どれほどトリステインにとって重要な要かを理解している者はそう多くはない。しかし、理解している一人として、カリーヌはこの老人を怪物の毒牙などにかけるわけにはいかなかった。

 しかし、ヒュプナスの相手は本来熟練の騎士でも簡単なものではない。城の各所では精鋭の魔法騎士たちが全力で戦ってこれを撃破し続けているものの、その鋭い爪にかかって倒されてしまう者も少なくはなく、戦況は予断を許さないばかりか、ダンスホールからやっとの思いで避難してきたベアトリスやキュルケたちも巻き込まれていた。

「いやああ、来ないでええぇぇ!」

「こら! 敵に背を向けたら殺してくれって言ってるのと同じよ。わたしから離れないで、ちゃんと杖を持ってなさい。まあわたしもたまには先輩らしいところも見せないとね。『フレイム・ボール!』」

 キュルケの放った火炎弾が一匹のヒュプナスを飲み込むが、さらに飛び込んできた別のヒュプナスに対してエーコ、ビーコ、シーコがベアトリスをかばいながら魔法を打ち込んだ。

 二体のヒュプナスが折り重なって倒れ、ベアトリスたちはほっとする。しかし、キュルケは火の系統ゆえに戦場の熱気がまだ収まっていないことを感じ取っていた。ベアトリスたちを守りながら戦い続けるのは無理だ。いったん彼女たちを安全なところまで送り届けなければいけない。

”ルイズたちは大丈夫かしら?”

 本当ならダンスホールに引き返したいが、戦い慣れていないベアトリスたちを置いていくわけにもいかない。キュルケはルイズたちなら心配はいらないわねと思いながらベアトリスたちを連れて城門を目指した。

 外では三人のウルトラマンとキングジョーブラックの戦いが続いている。三人のウルトラマンは相手の動きの鈍さに救われて互角に渡り合えているように思えたが、キュルケには相手のあまりの硬さに三人が攻めあぐねているように見えてならなかった。

「ウルトラマンが三人もいてやっと互角って、どんな怪物よ。これ以上悪いことが起きなければいいけど」

 いったい何が起こっているのかキュルケは知らなかったが、すごく悪いなにかが今起きていることだけは感じていた。

 本当にルイズたちは大丈夫だろうか? こんなときにあの子がいたら……キュルケは無意識に思いながら先を急ぐのだった。

 

 戦場と化してしまったトリステイン宮殿。その中心であるダンスホールでは、ルビアナが銃士隊をあしらいながら常と変わらぬ笑顔を見せている。

「皆さん、もうお疲れですか? せっかくのパーティだというのに、期待外れなら、早々に打ち切らせていただいても……あら?」

 その時、銃口をアニエスに向けようとしていたルビアナを無数の氷の矢が襲った。だがルビアナはさっと飛びのいて自分に魔法を放ってきた相手を見て微笑み、そしてルイズはその相手を見て驚きの声をあげた。

「タバサ、あんた!」

「あらあら、お姫様もダンスに参加ですか。どうぞ、歓迎いたしますわ」

「当面の敵はその女。加勢する」

 タバサは杖を構えながら言い放った。自分はこの場では部外者に近いが、それでも仲間の危機を見過ごすことはできない。

 しかし相手は、完全に不意を突いたと思った今のウィンディ・アイシクルも余裕でかわしてしまった。油断はできない。

「でもわたしひとりでは荷が重い。ルイズ、自慢の爆発魔法はどうしたの?」

「誰の自慢が爆発魔法なのよ! しょうがないじゃない。狙いを定めると、ルビアナはちらちらこっちを見るんだもの。まるで背中に目があるみたいだわ。って、なんで見ず知らずのあんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ」

「背中に目がある……案外、冗談じゃないかも」

 ルイズの錯乱に関わらず、タバサは呟いた。今の攻撃は完全に虚を突いたはずなのに避けられた。勘がいいというレベルの話ではない。

 それはミシェルも同じで、隊員たちがやられそうになる度に魔法で援護しようとしていたが、ルビアナは絶妙なタイミングで牽制してくる。これでは連携できない。さらに才人もで、ルイズの爆発魔法でルビアナが体勢を崩したところを狙おうと構えていたが、そのチャンスをことごとくつぶされて焦っていた。

 それというのも、ルビアナの持つ二丁の銃が問題だ。エレキングを一撃で殺した威力は全員の目に焼き付いており、どうしても懐に飛び込むのに躊躇してしまう。すると、皆の視線が銃に集まっているのに気が付いたルビアナが微笑んできた。

「おやおや、皆さん、恐れを知らない勇猛な戦士でしょう。そんなにこの銃が気になりますか?」

 言ってくれる、と誰もが思った。あの銃は見た目はただのマスケット銃だが、弾丸は当たれば軽々と石の床をえぐり、特殊な素材でできているようで剣と打ち合いをしても傷一つついていない。おまけにどれだけ撃っても弾切れになる気配さえない。

 あの銃がある限り、接近戦でも間合いを開けてもルビアナに隙はない。いったいあれはなんなんだと皆が思うと、ルビアナは片方の銃を掲げて語り始めた。

「気になるようなら教えて差し上げましょう。これは、わたくしの趣味で古風なデザインにしてありますが、わたくしの自信作で、キングジョーブラックのペダニウムランチャーを手持ちサイズまで小型化させたものです。当然、威力はこのとおり」

 そう言うと、ルビアナは一丁の銃口を外に向けて引き金を絞った。たちまち十数発の弾丸がはじき出され、外で戦っているダイナに襲い掛かって爆発した。

「ヌワアァァッ!?」

 突然背中から銃撃を受けてダイナが大きく吹き飛ばされた。当然、ダイナはなにが起こったのかわからないというふうにキョロキョロしていたが、ルビアナに撃たれたことに気が付くと猛抗議してきた。

〔この野郎、いきなりなにしやがるんだ!〕

「失礼、お三方の中でこういう役を任せられるならあなたしかいないと思いまして。地球ではこういうことを、芸風と呼ぶのでしたかしら?」

〔俺は芸人じゃねえっての!〕

 だがアスカの抗議に対してはっきりと賛同できる者はいなかった。なんというか、アスカがクイズ番組とかに出演したら珍回答を連発して人気者になりそうな、そんな妄想さえなぜか浮かんでくる。

 けれど、そうしてのんきに話していられるほど現状は優しくはなかった。

「ああ、そういえば後ろにはお気をつけなさって」

「ムッ? グワァァッ!」

〔アスカ!〕

 ダイナが気を取られた隙に、今度はキングジョーブラックのペダニウムランチャーが唸ってダイナを襲ったのだ。

 またも無防備なところに直撃を受けて倒れ伏すダイナ。背中から煙を舞わせながら、苦しい声が漏れる。

〔ぐ、ぐぅぅ……お、同じ威力だと……〕

「ええ、だから言ったでしょう? ペダニウムランチャーを威力をそのままで小型化したと。当たるとウルトラマンさんたちでもちょっと痛いので、皆さんも当たらないように気を付けてくださいませ」

 親切そうにとんでもないことを言うルビアナ。怪獣の武器を性能を保ったままで手持ちサイズに縮めるとは恐るべき科学力だ。もちろん、そんなものを人間が食らったらひとたまりもなく、銃士隊は弾丸が自分の体にめり込んで胴体や手足をもぎ取っていく様が脳裏に浮かんで背筋を震わせ、戦いを静観しているコウモリ姿の宇宙人も「この間はそんなものを私に撃ち込もうとしていたのですか……」と、戦慄していた。

 するとさらに皆の不安をあおるようにルビアナは続けた。

「それからもうひとつ。弾切れを待とうとしても無理ですよ。これのペダニウム弾頭弾はナノサイズにミクロ化させて詰め込んであるので、ざっと百万発は連射できます。あえて困難に挑戦したいというなら止めませんけれど」

 無邪気に絶望を振りまくルビアナ。外では、ダメージを負ったダイナをかばうようにガイアとアグルがキングジョーブラックへと攻勢をかけているが、ふたりのパンチもキックもキングジョーブラックにはやはり通用せず、反撃の糸口はまだどこからも掴めないでいた。

 その上、もしキングジョーブラックが危なくなればルビアナが援護射撃をしてくるだろうので、後ろにも気を配らねばならないのは大きなハンデになる。もちろんそうならないためにも人間たちの手でルビアナを止めなければならないのだが、彼女はたった一人で悠々とこの人数を翻弄している。ルビアナの周りには倒された銃士隊員たちがうめいていて、ルビアナはそんな彼女たちを見渡して笑いながら言った。

「でも、そろそろ舞台が狭くなってきましたね。その前に疲れた方々には退場していただきましょう」

 そう言ってルビアナが指を鳴らした瞬間だった。床に倒れていた銃士隊員たちが、ふっと溶けるようにして消えてしまったのである。

 むろん、アニエスやミシェルの顔色が一気に変わる。そして先に感情を爆発させたのはミシェルだった。

「貴様! わたしの部下たちをどうした!」

 その問いかけに対してルビアナは答えず、代わりにルビアナの傍らに細長い頭と触角を持った宇宙人が現れた。

「ルビアナ様、ご命令通りにあの者共は転送完了しております」

「ご苦労様。では引き続いて、戦闘不能になった方々の処理をお願いしますね」

 その宇宙人にミシェルとタバサは見覚えがあった。むろん才人も、その知識の中から対象を即座に見つけ出して叫んだ。

「ケムール人!」

「あらご名答。私の友人に彼らがいるということはすでに伝えてありましたよね。戦えなくなった方は、彼らの手で舞台上から退場していただきますから舞台が手狭になることはありませんわ。ご心配はいりません。安全なところで手厚い治療を受けていただいています。それから、健在な方には手を出させませんのでご安心を」

 つまり、全員が消されてしまえばゲームオーバーということか。しかも、ケムール人のリーダーに続いて、槍で武装した十名ほどのケムール人兵士までもが出現してきたではないか。

「我々も加勢させていただきたく願います。生え抜きの戦士を選んで参りましたゆえ、必ずや、お役に立ってご覧にいれましょう」

「ではご好意に甘えさせていただきますわ。でも、皆さんお年なのですから無理はしないでくださいね」

「ははっ」

 ケムール人兵士が散開し、銃士隊との白兵戦が再開された。ケムール人の素早い動きに銃士隊も翻弄され、また何人かの銃士隊員が倒されて消されていく。

 そしてケムール人兵士の一人がルイズを狙ってきた。才人はとっさにその前に立ちふさがってデルフリンガーでケムール人兵士の槍を止め、力づくで押し返しながらルビアナに向かって叫んだ。

「ケムール人も手下にしてやがるってのは本当だったのか。だけど、どうやってケムール人を手なづけやがったんだ?」

「簡単なことです。よく働いてくれたら、お礼に永遠の若さを得る方法を教えて差し上げると約束しただけですわ」

 なんでもないことのように言うルビアナに、一同は背筋が震えるのを感じた。人類の永遠の命題をそうも容易く。だが、ルビアナならできる。

 才人と鍔ぜりあっているケムール人は、血を吐くように言った。

「我らケムールの種は老化し、滅亡の危機に瀕している。なんとしてでも、あのお方から若返りの秘術を教えてもらわねばいかんのだ」

「そんなもん、体よく利用されてるだけに決まってんじゃねえかよ」

「そんなことはない! あの方は、老いさらばえ、一縷の望みをかけて人間狩りにやってきた我々に手を差しのべてくれたばかりか、再び生きる目標を与えてくれた。なにより、あの方は、我々も含めて一度も約束を破ったことはないのだ」

 そのケムール人兵士は、才人にもわかるくらいに声がしわがれて聞こえ、相当な高齢であることが察せられた。

 ケムール人が、才人たちもかつて会ったことのあるワイルド星人と同じように、種として老化して滅び行く宇宙人だということは才人も聞いたことがある。かつてケムール人はそのために地球人の若い肉体を狙って襲来したことがあるが、このハルケギニアでもそれをしようとしていたのを止め、なおかつ前向きに生きる希望を与えたのだとすれば、ルビアナは二重の意味で救世主ということになる。

 これが、ケムール人の忠誠心の理由か。才人はルイズを庇いながらケムール人を押し返すと、まだ呆然として戦いを傍観しているギーシュに向けて怒鳴った。

「おいギーシュ、お前いつまでボーッと見てるんだよ! お前も戦え」

「い、いや、でもやっぱりぼくは……」

 ギーシュはまだ、自分がどうすべきか迷っていた。モンモランシーもギーシュの傍らで、成り行きを見守るしかできないでいる。

「いい加減にしろ! いつも言ってる女王陛下への忠誠はどうしたんだ? 相手はもう億歳越えのババ、どうわぁあぁっ!?」

 その瞬間、才人の周りが爆発した。数十発の弾丸が叩き込まれ、才人は火花と粉塵に包まれたと思った次の瞬間に、立っていたわずかな床を残したクレーターの中に樹上に取り残された子猫のように腰を抜かしていた。

 そして、そんな才人にわずかにほおをひきつらせたように見える笑顔を向けるルビアナは、硝煙をあげる二丁の銃を下ろして告げた。

「才人さん、レディに向かって言っていいことと悪いことがあるんですわよ」

「な、ななな、なんだよ。お、おれはただ本当のことを言っただけじゃねえか!」

 涙目になりながら抗議する才人だったが、アンリエッタやアニエスら銃士隊、ギーシュやルイズたちも含めて全員が才人に白い目を向けていた。

「いや、今のはサイトが悪い」

 全員に同時に断言され、なお涙目になる才人の耳を激怒したルイズが引っ張ったのはそのときだった。

「このバカ犬! 今日ほどあんたをバカだと思ったことはないわ。そんなんだからあんたはもうミジンコ、ゾウリムシ、廃棄物以下なのよ」 

「ル、ルイズ、今こんなことしてる場合じゃ」

「うるさい! 今日という今日はあんたを去勢してやるから! それでちょっとは女心がわかるようになるでしょ」

 久しぶりに本気で切れたルイズが才人をひきずっていく。そんな二人を一同が呆れながら、タバサでさえゴミを見るような目で見送ると、ルビアナははぁとため息をついた。

「あらあら、少しお説教してあげようかと思ったのに、仲のよいことですね。あら?」

 そうして振り向いたルビアナの背後から一陣の塵風が襲い掛かった。豹のような俊足で床を蹴り、上段に振りかぶったアニエスの剣が光り、ギーシュの悲鳴が響き渡る。

「ルビアナーっ!」

 だがアニエスは容赦なく、ルビアナの背後から、その首筋へ向けて剣を降り下ろし、鈍い音が流れた。だが……。

「あらあら、少し油断してしまいましたわ」

「ば、バカな……切れん!?」

 なんと、アニエスの剣は確かにルビアナの肩口に当たっていたが、その切っ先はドレスをわずかに切り裂いたのみで、ルビアナの皮膚にはまったく食い込んでいなかったのだ。

 愕然とするアニエスとギーシュ、振り払おうともしないルビアナ。だがそのとき、今度はセリザワがナイトブレードで切りかかってきて、ルビアナはその斬撃を無造作に腕で受け止めてみせた。

「まあ、あなたも隙をうかがっていらしたのね。抜け目のない方」

「この手応え……やはり、貴様、サイボーグだったか!」

 セリザワが吐き捨てると、ルビアナは身をひねってアニエスとセリザワを弾き飛ばしてしまった。

 乱れたドレスを直し、無傷で立つルビアナ。アニエスも体勢を立て直していたが、弾かれて痺れる腕を震わせていた。

「くそっ、この剣には、鋼でも切り裂ける魔法がかけられているはずだぞ。さいぼおぐ? なんのことだ?」

「サイボーグ。生身の体を機械に置き換えた人間のことだ。奴が不老不死なのも当然だ。はっきり言えば、あの女の体の中には血肉ではなく鉄が詰まっている」

 セリザワも戦慄しながら告げると、アンリエッタや銃士隊の中にも動揺が走った。つまり、ルビアナは一種のガーゴイルだというのか? あの、人間離れした力もそのためであると。

 すると、ルビアナはアンリエッタらを見渡しながら、懐かしむように語り始めた。

「もう遠い昔のことになりますわ。わたくしの本来の体は、ペダン星を出たときの戦いで壊れてしまいましたの。以来、私はこの体に命と心を移し代え、生きてまいりました」

「自分自身までも、作り物に変えてしまったというのですか、あなたは!」

「そんなに驚かれることはないでしょう。あなた方の世界でも、大怪我をしたときには目や鼻、皮膚や臓器を作り物で代用することはすでにやっていることでしょう? それに、私のこの姿は、私が生身だった頃の姿を寸分違わぬよう再現したものです。私にとっては、生身だったころも今の自分も変わりありません。大切なのは、体に宿った心のほうではありませんか」

 平然と、整然としたその言葉に、アンリエッタもそれ以上言うことができなくなってしまった。

 しかし、ルビアナはギーシュとモンモランシーに向き合うと、寂しげな表情を見せた。

「けれど、できればギーシュ様とは同じ血の通う体で手を取り合いたかったとも思いますわ。ギーシュ様、こんな人形のような体の女で、嫌いになられましたか?」

 悲しく問いかけるルビアナに、ギーシュはぐっと立ち上がって、改めてルビアナの顔を見つめた。

 美しい……金糸のような髪をなびかせ、精巧な人形のようでいて、柔和な優しさもたたえた完璧な笑みがそこにある。初めて見たときから、まるで人形のようだと思っていたが、まさか本当に作り物だったとは……だけど。

「ルビアナ、ぼくは言ったよね。君がなんであっても、ぼくは君を信じると。見掛けがどうであっても、ぼくは君が美しい心の持ち主だと信じているよ」

「ありがとうございます。けれど、私はひとつギーシュさまに謝らねばならないことがあります。私はギーシュさまに、何一つ嘘を申してはいないと言いましたが、実はひとつだけ嘘をついておりました。私は目が悪いのでいつも眼を閉じていると申しましたが、実はよく見えているのです。ただ……」

 そう言って、ルビアナは固く閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。しかし、その下から現れた彼女の目の姿にギーシュは息を呑んだ。

「ひ、瞳が……ない」

 ルビアナの眼球は黒曜石のように黒一色で、瞳はなく、小さな光が明滅する異様なものであったのだ。

 その不気味な風貌に、モンモランシーやアンリエッタも悪寒を感じ、銃士隊も思わず後ずさる。だが科学者であるヒカリと一体になっているセリザワはルビアナの目の秘密を見抜いていた。

「レーダーアイか」

「正解です。この目のおかげで、私は右や左に後ろもいっぺんに見られるほか、姿を隠した相手でも察知することができます。ご覧の通り、醜いものであるので普段は目をつむって隠していますけれどね」

 そこまで言うと、ルビアナは再びまぶたを閉じていつもの顔に戻った。

「ごめんなさいギーシュさま。この目のことだけはお見せしたくなかったのですが、これで私があなたがた人間とは違うということをわかっていただけたでしょう」

「う、うん、正直びっくりはした。でも、ひとつ答えてほしい。君ほどの力があるなら、生身の体を取り戻すこともできるだろうに、どうして作り物の体のままでいたんだい?」

「ギーシュさま、わたくしたちが旅をしてきた宇宙とは厳しい世界なのです。鉄をも蒸発させる超高温、涙も凍り付く絶対零度の場所が無数にあり、恐ろしい怪物たちも数多く潜んでいます。わたくしには、そんな脅威から共に星を脱出した仲間たちを守る義務があったのです。そのため、あえて私は生身の体を捨てたのです」

「それじゃあ、あなたの仲間たちもみんな何億年もそうやって旅をしてきたのかい?」

「いいえ、その頃から生きているのは私だけで、今の仲間たちは当時の仲間たちの子孫です。この体でいるのは私だけですわ」

 つまり五億年以上も、ずっと一人で仲間を守りながら生きてきたというのか。ギーシュは心の底から戦慄し、とても自分にはできないと思った。そして、それほどの人が、どうして自分を”好き”と言ってくれたのだろう。

「ルビアナ、君が生きてきた時間の中では、ぼくよりも素晴らしい男性と会えることもあっただろう。しつこいかもしれないけど、なぜぼくを?」

「ふふ、私も何度も言いますが、わたくしの理想のタイプがギーシュさまだったのです。体は捨てても、女であることは捨てていませんわ。どれだけ時を重ね、兆や京の殿方を見てきても、ギーシュさまはこの世でたったひとりの存在です」

「ルビアナ……ぼくは非常に感動している。今なら歴史に残る傑作の愛の詩を百通りも書けそうだ。君の体が冷たい鉄であろうと、ぼくのこの手で温めようじゃないか」

「ぜひお願いします。けれど、私の体は大半が人工物に代わっていますが、生身の部分が残っていないわけではありませんのよ。たとえば、わたくしのここにギーシュ様のエキスを注ぎ込めば、赤ちゃんを作ることもできますわ。ふふ、試してみますか?」

 スカートをたくし上げる仕草をするルビアナの前で、ギーシュがタコのように赤面したのは言うまでもない。

 モンモランシーはそんなギーシュに、偉そうなことを言うくせに初心なんだからと呆れた。それにルビアナに対しても、どこまでも完璧なルビアナに唯一欠点があるとしたら男の好みだとも思った。もっともそれは自分にもブーメランなのが腹が立つが。

 ただ、モンモランシーはひとつ心にひっかかっていることがあった。ルビアナが、理想とする光の国を作ろうとしているのが本当だとしても、それだけのために悠久の時を生き続けられるものだろうか。もちろん、仲間のためだということも嘘ではないだろう。それでも、同じ女性として、ルビアナの中にはこれまでに語られたものとはまた別の何かがあるような感じがした。

 しかし、ルビアナはある一面においては厳しかった。いたずらっぽさを浮かべていた表情を引き締めると、ギーシュに対して問うたのだ。

「ですがギーシュさま、わたくしを信じてくださるということについてはよくわかりました。ただ、あなたはこれからどうしますか? わたくしの味方として私を守りますか? それとも貴族の義務に従い私を討ちますか?」

「い、いや、ぼくは女王陛下と君との争いを止めたい。どちらかを選ぶなんて」

「いいえ、話し合いで収まらないからこそ今こうして我々は戦っているのです。ギーシュ様も立派な貴族の子、頭ではわかっているのでしょう? 選ばなければいけないどちらも大切なものでも、選ばないで済む方法を探すというのは時には逃げでしかないのですよ」

 ギーシュは絶句した。確かに、もしこれが他人ごとならば、女王陛下の臣としてたとえ肉親とでも戦うのが正しいと威勢よく言っていただろう。ギーシュは自分の未熟さを恥じたが、決断の言葉はどうしても喉から出てこなかった。

 けれど、事態は語り合う時間をいつまでも与えてはくれない。

 キングジョーブラックはなお暴れ続け、三人のウルトラマンは健闘を続けるも追い詰められている。また、城のあちこちでも、王宮騎士とヒュプナスとの戦いは続いているが、いくら烈風や腕利きの騎士が揃っているとはいえ、数の力に押されつつある。アニエスは焦燥感に迫られて叫んだ。

「くそっ、何をしているお前たち。包囲して隙を誘え! この世で倒せない者などない」

「ギーシュ様……わかりました。傍観もひとつの選択ですね。すみません、ダンスのお誘いが来てしまいましたので、お話の続きはまた後で」

 戦闘は再開された。しかし戦況はまったく好転することはなく、相変わらずルビアナは余裕のままだ。

 なんとしても、全体を統括しているルビアナを止めなければじり貧で負ける。だが銃士隊の実力ではルビアナを止められず、アンリエッタはついに禁じ手にしていたあの魔法を使う覚悟を決めた。

「ウェールズ様、わたくしは友として認めた方をこの手にかけなければなりません。こんな罪深いわたくしを、あなたはお許しになってくれますか?」

「アンリエッタ、僕らはもう小さなことをいちいち伺う仲じゃない。だけど、それは君の力だけでは無理だろう。僕も正直、あの方には為政者として学ぶことが多くあった。そして僕らが、あの方に力を示せるとすればこれしかない」

 ウェールズも杖を持ち、アンリエッタと合わせる。普通の魔法ならば避けられるか耐えられる、しかしこれならば少なくともルイズの虚無に次ぐ威力がある。

 あとはどうにかして隙を作るか。だが、自らのすべきことをわかっている戦士たちは、すでに戦いに望んでいた。

 銃士隊の包囲陣を利用してタバサが杖を振るう。

『ウィンディ・アイシクル!』

『エア・カッター!』

 氷の散弾で隙を作ってからの空気の刃による二段攻撃。だがルビアナのペダニウムランチャーの銃弾はエア・カッターを正面から粉砕し、さらにタバサをかすめていった。

 だが銃士隊もアニエスに叱咤されて、気力を振り絞って立ち向っていく。

「足を攻めろ! 倒せずとも動きを封じるんだ」

 大型の幻獣を仕留めるときなどは、まず動きを止めることから始めるものだ。身動きさえ止めてしまえれば、ドラゴンであろうと料理する手はある。そしてルビアナは明らかにドラゴンより格上の相手だと、アニエスやミシェルは判断した。

 固定化の魔法で強化した鎖を使っての捕縛が試みられる。オークやトロルでも身動きできなくなる強度の鎖がルビアナの足に巻き付き、やったと思われた瞬間にルビアナの銃が火を吹いて鎖を切断し、さらに破片が散弾となって二人の隊員を打ちのめした。

 しかし、その一瞬のうちにルビアナの左右からタバサとミシェルが『ブレイド』をまとわせた杖と剣を振りかぶって急接近していた。

「もらった!」

 左右からの挟み撃ち。片方に集中すればもう片方に斬られる。どんな手練れでも回避不能な同時攻撃で、今度こそやったと思われたが。

「残念、惜しかったですね」

 なんとルビアナは左右どちらにも振り向かずに、両側からの斬撃を銃で軽々と受け止めてしまったのだ。

 しかも、それだけにとどまらず、背後からの奇襲を狙っていたセリザワに対しても牽制をかけている。完全に全方位に対して隙がなく、さらにルビアナはペダニウムランチャーを振るってミシェルとタバサを振り払うと、そのまま銃口をガイアに向けて引き金を引いた。

「グワアァッ!」

 ガイアが吹き飛ばされ、そこにできた隙にキングジョーブラックもペダニウムランチャーを放ってダイナとアグルもなぎ倒した。

「ウワアッ!」

「ヌオォッ!」

 ペダニウムランチャーの威力はものすごく、まるで重量級の怪獣に体当たりされたような衝撃がダイナとアグルを突き抜けた。

 地に倒れ伏すアグルを、キングジョーブラックは巨大な足で踏みつける。さらに、助けようとガイアが傷ついた体をおしながらキングジョーブラックに掴み掛かるが、キングジョーブラックの左手で首を掴まれて吊り上げられてしまった。

「グゥアァッ!」

 片手でのネックハンギングだというのに、ガイアのパワーでも外せない。だがそこへ、ダイナがストロングタイプにチェンジして決死の体当たりを食らわせた。

〔この野郎!〕

 ダイナのタックルがキングジョーブラックに正面から炸裂するが、信じられないことに小揺るぎもしない。ダイナはそれであきらめず、キングジョーブラックに組ついて投げ飛ばそうとするが、やはり根っこが生えているようにビクともしなかった。

〔ほんとにどうなってやがるんだこいつは!〕

 以前のキングジョーはある程度は格闘で渡り合えた。しかしこいつは、ストロングタイプの全力でも歯が立たない。

〔アスカ、上だ。上に攻めるんだ!〕

〔我夢? そうか、わかったぜ〕

 首を絞められながらも我夢の送ってくれたアドバイスに従って、ダイナは渾身の力でキングジョーブラックを上に持ち上げた。浮かせてしまえば相手がいかにすごいパワー持ちでも意味はない。

〔二人とも、今だ!〕

 浮かされたことでキングジョーブラックに隙ができた。足蹴にされていたアグルは脱出し、ガイアも渾身の力でキングジョーブラックの手を振りほどいて逃れた。

〔アスカ!〕

〔おう!〕

 二人が逃れたことでダイナはキングジョーブラックを放り投げた。しかし、思いきり地面に叩きつけてやるつもりだったのに、キングジョーブラックは背部のバーニアを噴かせて無事に着地してしまった。

 だが、このまま体勢を立て直されてなるかと、三人のウルトラマンは間髪入れずにそれぞれの必殺光線を放った。

『クァンタムストリーム!』

『フォトンクラッシャー!』

『ガルネイトボンバー!』

 金色と青白色の熱線と赤色の火炎球がキングジョーブラックに正面から直撃した。

 これならどうだ! 以前、ノーマルのキングジョーにソルジェント光線を弾かれたダイナは、いくら強化版でもここまでの攻撃なら無事じゃすまないだろうと、ガイアとアグルに対してサムズアップをして見せた。

 しかし、爆発の煙の中から鉄の足音が響くと、次の瞬間には完全に無傷のキングジョーブラックが黒鉄の装甲を輝かせながら現れたのだ。

 バリアもエネルギー吸収もなしに、装甲だけで耐え抜いたというのか。科学者である我夢と藤宮も、そんなこと物理的にあり得ないと呻くが、ルビアナはそんな彼らに楽しそうに告げた。

「驚くのも無理はありませんわ。そのキングジョーブラックの装甲材は、わたくしが数億年の研究の末に完成させた超々ペダニウム合金とでも呼ぶもの。いかなる物理的、エネルギー的な攻撃でも破壊は不可能です」

〔破壊、不可能な金属だって!?〕

「ええ、あなた方は『兵器』というものをどうお考えになられていますか?」

〔兵器、だと?〕

「そう。あなた方はウルトラマンとして、これまでに数多くの強敵と戦ってこられたことでしょう。星をも破壊するエネルギーを備えたもの、奇々怪々な超能力を発揮するもの。ですがそれらも、倒されてしまえば全て終わりです。派手な超兵器やギミックなどは必要ありません。本当に優秀な兵器とは、決して破壊されず、静止されず、無限永久に活動し、無限永久に敵に脅威を与え続ける、そんな存在ですわ」

〔それが、こいつだというのか?〕

 キングジョーブラックはかすり傷ひとつなくそびえ立ち、ルビアナは笑顔で肯定した。

「そうです。そのキングジョーブラックは、わたくしがペダン星を追われたときに追手の艦隊を撃滅してより、改良を重ねながらずっと私たちを守り続けてくれた、いわば私の分身です。通常機とは違い、分離機能は排除されていますが、その代わりに防御力は極限まで引き上げてあります。つまり、わたくしと同じ不滅の守護神……ふふふ、あなた方に打ち破ることができますか?」

 それは明確な挑戦であった。不滅、不死身と等しい存在をウルトラマンは倒すことはできるか? あらゆる手を尽くしてキングジョーブラックを破壊してみせろと。

 キングジョーブラックが再び動き出し、左手のパンチがガイアを弾き飛ばしてペダニウムランチャーの狙いを定める。そうはさせじとアグルがウルトラバリヤーでガイアをかばって弾丸をはじき、ダイナが突進するが、キングジョーブラックはペダニウムランチャーをハンマーのようにふるってストロングタイプのダイナを軽く吹っ飛ばしてしまう。ダイナを助けようと、ガイアは決死の突撃戦法をかけたが、キングジョーブラックのボディはガイアの特攻をも無傷ではじき返してしまった。

 本当に、不死身に近い防御力でウルトラマンたちを翻弄している。さらにそれだけではなく、ルビアナは手に持った二丁のペダニウムランチャーを掲げて三人のウルトラマンを見上げた。

「さて、それではこちらの方々ではわたくしのダンスの相手になる人はいないようですし、わたくしもそちらに参加させていただきますか……」

 人間たちでは自分を傷つけられないと見て、戦闘をペダン星人兵やケムール兵に任せてウルトラマン相手の戦闘に飛び込もうとしているルビアナ。

 だが、ルビアナが動きを止めた瞬間を、冷徹な戦士たちは見逃さなかった。

『ウォーターウィップ!』

 突然、ルビアナの周りを蛇のようにうねる水の触手が包囲した。その根元はタバサの杖につながっており、ルビアナはタバサに顔を向けると残念そうにつぶやいた。

「嫌ですわお姫様、アンコールにはまだ早いですわよ」

「あなたの戯言に付き合ってあげる義理はわたしにはない。実体のない水はいくらあなたの銃でも破壊することはできない。捕まえた」

 タバサの言う通り、水でできた鞭はペダニウムランチャーを撃ち込んでも一部が吹き飛ぶだけですぐにつながってしまう。しかし、所詮は水でしかないと笑うルビアナに対してタバサは即座に次の魔法を放った。

『アイス・ストーム!』

 無数の雹が混じった嵐がルビアナを襲う。むろん、雹程度ではルビアナの体に傷をつけることはかなわなかったが、強烈な冷気は水の鞭を凍らせて氷のつたとなってルビアナを拘束した。

「なるほど、さすがはスクウェアクラス。しかし、この程度の氷を私が砕けないとでも?」

「いいえ、少しでも動きを止められればそれで充分。元からわたしだけであなたを倒せるなんて思っていない」

 タバサが言い終わるのと同時に、ルビアナの四方から魔法のかかった鉄の鎖が飛びかかった。ルビアナは自分に取りついている氷を力づくで砕くが、それと同時に十数本の鎖がルビアナの体に巻きついた。

「まぁ」

「ようし、捕らえたぞ!」

 勝鬨をあげたミシェルの声に続いて、十数人の銃士隊員も一本ずつルビアナに巻き付いている鎖の端を持ちながら歓声をあげた。

 今、ルビアナは十数本の鎖で体を縛り上げられ、その鎖一本ごとを銃士隊員が引っ張って八方から締め上げている。その鮮やかな手並みを見て、ルビアナは感心したように言った。

「なるほど、銃士隊の皆さんがさきほどから妙に手ぬるいと思っていたのは、この仕掛けの準備をしていたからですか」

「そうだ。普通に鎖を放ったのでは、貴様には通じないのはわかっていたからな。だが、ミス・タバサのおかげでようやく貴様に隙を作れた」

「お見事です。と、言って差し上げたいところですが、なめられたものですね。硬化の魔法で強化された鎖のようですが、こんなものは私にかかれば」

 ルビアナが軽く体を動かしただけで強固なはずの鎖がきしみ、一気にひびが入り出した。最大級のドラゴンでも身動きできなくなるはずだというのに信じられない力だ。

 だが、アニエスやミシェルもこれだけでルビアナを無力化できるとは思っていなかった。

「今だ! 外に放り出せ!」

 アニエスの命令一過、銃士隊員たちは全力で鎖ごとルビアナをダンスホールの壁の裂け目から外に放り出した。

 むろん、それだけでは多少場所を移すだけの意味しかない。ルビアナは縛られたままですたりと外の芝生に着地し、鎖の拘束もすでに破ろうとしている。

 だが、外に場所を移した意味はこれからなのだ。そう、閉鎖空間ではなく、かつ味方を巻き込まない広い場所に移すことが。

「水のトライアングルと!」

「風のトライアングルよ!」

「「二つが合わさるとき、トライアングルは星となる。それすなわち極大六芒星ヘクサゴンスペル。今ここに嵐となりて顕現せよ!」」

 アンリエッタとウェールズが同時に呪文を唱え、合体魔法であるヘクサゴンスペルが発動した。膨大な魔力が渦を巻き、ルビアナを中心にしてタバサが作り出すよりはるかに凄まじい勢いを持つ竜巻が立ち上がったのだ。

 そう、タバサや銃士隊の作戦は全てがアンリエッタとウェールズにヘクサゴンスペルを成功させるためにあった。剣で切っても通じないルビアナには、今現在最大威力のこれしかなく、個人で繰り出せる魔法の規模をはるかに超えた竜巻に、初めて見る者は例外なく驚嘆のうめきを漏らしている。

 だが、並の人間なら巻き込まれたら粉々に刻まれてしまうであろう竜巻に飲まれてもなおルビアナは生きていた。

「ふふ、これが本命でしたか。確かに、なかなかの威力ですが、私の肌を傷つけるには少々足りないようですわね」

 まるで苦痛を感じている様子のないルビアナの声が竜巻の中から響いてきたとき、アンリエッタらや銃士隊の中に戦慄が走った。

「これでもまだ生きているというのか……」

「化け物め……」

 次いで、完全に鎖のちぎれ飛ぶ金属音が響いてきた。

 ルビアナは健在。そしてこれ以上強力な攻撃手段は、タバサにもアンリエッタらにもない。

 しかし、“自分ら”には攻撃手段はないということをアニエスは理解し、そしてウルトラマンたちに向かって叫んだ。

「今だ! こいつが動けない今しかない。こいつをやれ、ウルトラマン!」

 その叫びに、ガイア、アグル、ダイナははっとした。見ると、キングジョーブラックもルビアナが足止めされているせいか、動きが鈍っているように見える。やるなら、今しかない。

〔俺がこいつを抑える。ガイア、ダイナ、その隙にお前たちがやれ〕

〔わかった〕

〔よし、まかせとけ!〕

 三人は即座に反応した。三人の力を持ってしてもキングジョーブラックにはいまだまともなダメージを与えられていない。エネルギーも半分近くを消費し、これ以上泥沼の戦いを続ける余裕はない。

 アグルが正面から突進してキングジョーブラックの両腕を押さえつけた。キングジョーブラックはアグルでも押し負けそうなパワーで押し返してくるが、アグルも渾身の力でこらえ、その隙にガイアとダイナはキングジョーブラックの左右から挟み込んで持ち上げた。

「デヤァァッ!」

「ドリャァァッ!」

 漆黒の鋼鉄の巨体が胴上げの形で浮きあがる。もちろんこのまま地面に叩きつけたところで効果はないし、上空のペダン円盤に投げつけたら街中に墜落してくる。なら、落とすところは一つしかない。

〔お前ら、そこをどけーっ!〕

 ダイナの叫びとともに、ダイナとガイアはキングジョーブラックを放り投げた。

 巨体が宙に舞い、城に大きな黒い影がかかる。そしてその落ちてゆく先で、アニエスの全力の叫びが響いた。

「総員退避ーっ!」

 巨大な鉄塊が降ってくる。銃士隊員たちはいっせいに走り出し、銃士隊とつば競り合いをしていたペダン星人やケムール人も驚き慌てて逃げ出した。

 巨体はヘクサゴンスペルの竜巻をも上から押しつぶし、その直下にいたルビアナはふと空を見上げてつぶやいた。

「あら?」

 次の瞬間、キングジョーブラックは背中から墜落し、轟音と激震がダンスホールの中までも揺るがした。

 舞い上がった粉塵が視界を遮る。アンリエッタとウェールズは銃士隊員たちがその身を盾にしてかばい、ルイズは才人を肉壁にして防ぎ、そしてギーシュはモンモランシーを抱きかかえながら叫んだ。

「ルビアナーッ!」

 やがて粉塵が収まり、視界が開ける。

 そこには、庭園にあおむけに横たわるキングジョーブラックの巨体のみがあり、ヘクサゴンスペルの竜巻も、そしてルビアナの姿も消え失せて、不気味なまでの静けさに包まれていた。

 誰も、敵も味方も石像になってしまったかのように動けない。しかし、数秒の沈黙の後に、銃士隊の中から歓声が上がった。

「や、やったのか……?」

「そ、そうよ。やったのよ、勝ったのよーっ!」

 銃士隊の中から一気に勝どきがあがる。そしてその逆に、ペダン星人やケムール人たちはがっくりと肩を落とした。

「そ、そんな、お嬢様が……」

 まだ剣を握った銃士隊が目の前にいるというのに、ペダン星人たちは無防備な姿で立ち尽くしていた。

 彼らのそんな姿に、アンリエッタはルビアナがいかに仲間から信頼されていたのかを察し、悲しげな表情で祈りをささげた。

「ミス・ルビアナ、申し訳ありません。こうするよりほかにありませんでした……」

 ウェールズはアンリエッタの肩に無言で手を置く。

 アニエスやミシェルは、よくこんな作戦が成功したと胸を撫で下ろしていた。だが、これなら確実に生きてはいないはずだ。二人はウルトラマンたちを見上げると敬礼をし、ダイナやガイアたちも辛い勝利にやるせない思いを抱いていた。

〔やったな、我夢〕

〔うん、だけど……後味の悪い勝ち方だったね〕

 あれしか確実な方法が無かったとはいえ、ウルトラマンが等身大の相手を直接攻撃するというのはスマートなやり方とは言えなかった。似た例は、ウルトラセブンが猛毒怪獣ガブラにとどめを刺すためにシャドー星人の円盤を破壊したり、ウルトラマンジャックが等身大のブラック星人を粉砕しているが、やはり例外的な扱いだと言えよう。

 クールなアグルも、やはり気持ちいいものではなかったらしく憮然としている。結局、キングジョーブラックを自力で撃破することはできなかったのだ。

 ルイズもルビアナにはまだ思うところがあったようで、無言で祈りを捧げている。才人も、ルイズに説教されて多少は反省したのか、じっと手を合わせていた。

 そして、ギーシュは目に涙を浮かべながらモンモランシーに肩を抱かれていた。

「ぼくは、ぼくは……結局ルビアナになにもしてあげることはできなかった。彼女はただぼくらのことだけを思ってくれてたというのに。なにが水精霊騎士隊の隊長だ。ぼくは貴族として、グラモンの男として失格だ」

「ギーシュ……もういい、もういいのよ。あなたは、あなたが背負うにはまだ重すぎるものを背負おうと必死にがんばったわ。ルビアナさんも、わかってくれるわ……」

 モンモランシーはギーシュの無力感を察して懸命に慰めていた。

 

 キングジョーブラックは横たわったままで、動く気配は見せない。しかし、セリザワはじっと明滅を続けるキングジョーブラックのランプを睨み付けている。

“あの女が死んだなら、なぜ機能を停止しない?”

 嫌な予感が消えない。まさか……。

 そのことにガイアとアグルも気づいたようで、飛び去ろうとしているダイナを引き止めている。

 そしてアンリエッタは壇上からウェールズとともに降りて、皆に呼びかけた。

「皆さん、もうこれ以上の争いは無用です。ミス・ルビアナのお仲間の方々も降伏してください。わたくしの名にかけて決して悪くは扱いません。そして、皆で我々の友人のためにまずは祈ろうではありませんか」

 もとより憎しみがあっての戦いではなかった。譲れぬ主義主張のために杖を交えたとはいえ、アンリエッタのルビアナに対する友情は変わってはいなかったのだ。

 アンリエッタの指示に、銃士隊も粛々と従う。ペダン星人たちは落胆して戦意を失いながらも、それでも忠誠心を見せて敬礼をしようとしている。

 しかし、誰もが死者に敬意を払って頭を垂れようとした、その時だった。

「まあまあ、皆さん揃ってこんなに心配されては、少し照れてしまいますわ」

 聞こえるはずのない人間の声が聞こえ、皆が愕然として目を見張った。

 それと同時に、横たわっていたキングジョーブラックが浮き上がっていく。起き上がっていくのではなく、倒れたままで垂直に持ち上がっていっているのである。

 まさか……そんなはずがない。キングジョーブラックはその巨体で五万トンもの重量を持つのだ。それにつぶされて生きているはずがない。

 戦慄する面々の前でキングジョーブラックの巨体が金属のしくむ音を立てて持ち上がっていく。そして巨体が完全に持ち上がり、その下にいたものが姿を現したとき、誰もが悪夢を見ているかのように言葉を失った。

「ふふふ、お見事な連携でしたわ。これほどの衝撃を受けたのは久しぶりです。びっくりしましたわ」

 ルビアナは、片手でキングジョーブラックの巨体を人形のように持ち上げていた。そう、無造作に素手で五十五メートルもの巨体を持ち上げて宙に浮かせ、何も変わらない姿で立っている。

 アンリエッタは、ルイズと才人は、アニエスやタバサらも自分の目を疑い、背筋に止められない震えを感じる。そしてルビアナは、顔色を失って戦慄する面々に微笑みながら、こう告げたのだ。

「けど残念ですね。わたくしは幾億の歳月の中で、この体を改良し続けてまいりましたの。さあ、そろそろ舞台の次の幕に移ると致しましょう。最後までわたくしについて踊り続けることがあなた方にできますか?」

 疲労した銃士隊に向かってルビアナの銃が再び火を噴き、キングジョーブラックも再稼働してウルトラマンたちに狙いを定める。

 

 

 この世に不死身などはあり得ないと誰かが言った。だが、もし不死身に限りなく近い相手と相対したとき、不死身でない者はどう戦えばよいのだろうか。

 舞踏会は、まだ終わらない。

 

 

 続く

 



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第92話  聖女の怒る時

 第92話

 聖女の怒る時

 

 誘拐怪人 ケムール人

 殺戮宇宙人 ヒュプナス

 策略宇宙人 ペダン星人

 宇宙ロボット キングジョーブラック

 最凶獣 ヘルベロス 登場!

 

 

「では、まずは開幕のベル代わりにこちらをお返ししましょうか。もう一度、この子と遊んであげてくださいませ」

 ルビアナが持ち上げていたキングジョーブラックを無造作に放ると、巨体が重さを感じさせないくらいに軽やかに空を舞っていく。むろん、その飛び行く方向にあるのは三人のウルトラマンだ。

「ウワアッ!」

 巨体を受け止めきれず、ガイアが城の倉庫を巻き込みながら倒れこんだ。もちろんそれだけですむわけがなく、倒れこむついでにガイアのマウントをとったキングジョーブラックは左手をガイアの頭にかけて握りつぶしにかかってくる。

「グッ、ウアアッ!」

〔我夢!〕

 ものすごい握力で頭を締め付けられ、ガイアから苦悶の声が漏れる。だがすかさずアグルとダイナが駆け寄って、キングジョーブラックを引き剥がしにかかった。

〔我夢を離せ〕

〔このポンコツロボット!〕

 アグルとダイナでキングジョーブラックの左腕を押さえ込み、なんとかガイアへのアイアンクローは解除された。

 しかし、アグルとダイナ二人がかりでもキングジョーブラックは振り払い、まったく健在な様子で特徴的な稼働音を鳴らしながら立ち上がってくる。

〔こいつ、どうやったら倒せるんだよ〕

 ダイナの声色にも焦りが混じり出す。それに比例するように三人のカラータイマーとライフゲージも赤く点滅を始め、これ以上の消耗戦が危険であることを警告している。

 もちろんアスカに言われるまでもなく、我夢と藤宮も打開策を考えている。けれど相手は宇宙レベルの天才が数億の時を経て育んだ叡智から作られた存在。自分たちも天才だと自負してはいるが、たかだか二十年そこらの経験しかない知識で、そんな神に近い存在に太刀打ちできるのだろうか?

  

 しかし、物言わぬ相手に相対しているだけウルトラマンたちは楽だったかもしれない。

 なぜなら、この世のものとは思えないほどの力をまざまざと見せつけたルビアナに対し、銃士隊の隊員たちはその威圧感に耐えられずに次々と戦意を喪失していたからである。

「あ、あんな巨大な鉄塊を素手で……」

「ば、化け物だ」

 勇猛さで並ぶ者なく、巨大怪獣相手の戦いでも躊躇なく作戦に望める彼女たちをして、ルビアナの存在は常識を超えていた。いや、なまじ人間と同じ姿をしているからこそ、そこから感じる恐怖は強かったのだ。

 埃を払ったルビアナが、常と変わらぬ姿でしずしずと歩いてくる。しかし、銃士隊は剣を構えながらもその手は自然と震え始めていた。ルビアナが一歩近づくごとに戦士たちは冷や汗とともに後ずさっていく。

「怯むな! 戦列を組み直せ!」

 アニエスが叫んでも、胸の底から湧いてくる恐怖は抑えようがない。隊員の中でも気丈なアメリーや陽気なサリュアも一度怖じけずいてしまった足は頭が命じても前に動いてくれない。

 だが、戦闘のプロたちが尻込みし、誰もが止めようがないと思われた瞬間に、足を震わせながらもルビアナの前に立ちふさがる者がいた。

「る、ルビアナさん、こ、ここを通りたかったらわたしを、た、倒していってください!」

「モンモランシーさん……」

 なんと、モンモランシーが震えながらも杖を握ってルビアナの前に立ったのだ。

 もちろん、この突然の行動にギーシュは血相を変えて叫んだ。

「モンモランシー、君はなにを!」

「あんたは黙ってて! わ、わたしだってルビアナさんと戦いたくなんてないけど、ギーシュが煮え切らなくて迷ってるならわたしがやらなきゃいけない。誰かがルビアナさんを止めなきゃいけないのよ」

 そのモンモランシーの言葉に、ギーシュはうっと喉を詰まらせた。

 もちろん、モンモランシーもルビアナと戦って勝てるなどとは思っていない。涙目のモンモランシーに、ルビアナはすっと銃口を向けた。

「わかっていますかモンモランシーさん。戦うとなれば、あなたが呪文を唱えるよりも速く、私はあなたにあらゆることができるのですよ?」

 指は引き金から離されている。しかし、ルビアナがその気になれば撲殺も射殺も思いのままなのは間違いない。それでもモンモランシーは涙目をルビアナに向けて言った。

「もちろんわかってるわ。けど、いつもギーシュは男はとか男ならとか言ってるけど、女にだって負けるとわかっていても戦わなきゃいけないときだってあるんだから」

「残念ですわ。あなたは私の友人だと思っていましたのに」

「そ、それは違うわ! 友達だから、大切な人だからこそ、流されるんじゃなくて、間違っていると思ったら全力で止めるのが友情でしょう! ねえルビアナさん!」

 モンモランシーの必死の呼びかけに、ルビアナはすっと引き金に指をかけて、そして……。

「あなたも立派な誇り高き貴族ですね。では、私も敬意を込めてお相手いたしましょう……お覚悟」

 その瞬間、ルビアナの銃が火を吹いてモンモランシーの体は宙に舞った。

「モンモランシーぃ!」

 撃たれた!? ギーシュの絶叫が響き、折檻に夢中だったルイズやアンリエッタ、タバサらも愕然として目を見張った。

 そしてギーシュは銃声に弾かれるように飛び出し、モンモランシーの体が床に叩きつけられる前にその体を抱き止めた。

「モンモランシー! しっかりしろモンモランシー」

 ギーシュがモンモランシーの肩をゆすっても、モンモランシーは答えない。モンモランシーは髪を乱して横たわっているだけだ。

「モンモランシー! モンモランシー……そんな……ぐっ、うぅぅぅっ!」

 モンモランシーの体を抱きしめながら、ギーシュはこれまでしたことのないほど鋭い視線でルビアナを睨みつけた。

 しかし、そのとき。

「うっ、うう……」

「モンモランシー? い、生きているのかいモンモランシー!」

「ご心配なく。銃弾が頭をかすめたショックでしばらく体が麻痺しているだけですわ」

 つまり、脳震盪に近い状態を作ったらしい。モンモランシーが生きていたことで、ギーシュはモンモランシーを泣きながら抱きしめて喜んだ。

「モンモランシー……よかった。君を失ったら、ぼくは、ぼくは」

 モンモランシーも意識は戻ったらしく、頬を赤らめている。

 しかし、ルビアナはそんなギーシュを見下ろして冷たく言った。

「それでギーシュ様。あなたはこれからいったいどうされるおつもりですか?」

「え……?」

「モンモランシーさんは、ご自分の意思で私の前に立たれました。それだけではありません。ここにいるものは皆、それぞれの信念に従って戦っています。ギーシュ様は、このまま傍観者として終えるつもりですか?」

「ぼくは……」

「理想を口に出すのは簡単です。けれど、どんな場合でも自分の理想を貫く信念を持ててこそ、理想は現実に輝きます。そして……今あなたが私に対して抱いた怒りと憎しみこそ、戦いの本質です。さっき私がその気であれば、モンモランシーさんの頭を吹き飛ばすこともできました。そう、あなたが決断しなかったせいでモンモランシーさんは死んでいたのです」

 その言葉に、ギーシュは強いショックを受けた。

 ギーシュはこれまで、何度も命がけの戦場に立ってきた。しかしその相手は意思の疎通のできない怪獣だったり、自分と縁もゆかりもない敵兵だったりしたから気がねなく戦えた。

 だが戦場で相対するのはそれだけではない。見知った人、親しい人、場合によっては肉親と敵として会うかもしれない。そんなときにためらえば、死ぬのは自分の隣にいる者なのだ。

 もちろんそんなことは、頭ではわかっていた。しかし実際にそうなったとき、体は理屈では動かないことを嫌と言うほど思い知らされてしまった。

「ぼくは……」

 あと一歩の踏ん切りがつかないギーシュ。ルビアナは、そんなギーシュをじっと見下ろしていた。

 だが、モンモランシーの勇気を無駄にしてなるものかと、無謀にも真っ向から白刃を振りかざしてルビアナに突撃していく者がいた。

「だあああっ!」

 デルフリンガーの刀身がルビアナの銃で受け止められて火花が散る。

「あら才人さん。ふふ、あなたは勇敢なのですね」

「あいにく、こちとらルイズより怖いものなんてないんだよ!」

「そのようですね。ずいぶんルイズさんに鞭で打たれたようで、一瞬誰だかわかりませんでしたわ。と、もう一人恐れ知らずな方がいたようですね」

 反対方向から斬り込んできた杖を受け止め、ルビアナがそちらに視線を向けると、タバサがじっと睨んできていた。

「研ぎ澄ませた『ブレイド』の魔法を使っての急所狙いの奇襲。恐ろしい方ですねシャルロット姫」

「あなたにその名で呼ばれたくない」

「それは失礼、ミス・タバサ」

 才人とタバサが左右から押すが、ルビアナはびくともしない。だがそのとき、「二人とも離れて!」の叫びとともに空間が爆発した。

『エクスプロージョン!』

 ルイズの得意とする爆発魔法。その威力は最大で放てば巨大怪獣にさえ致命傷を与えられ、ルイズもこと戦闘においては信頼を抱いている。

 けれど、爆煙が晴れた後にルビアナは平然と立っていた。

「さすがの威力、感服しますわ。けど、少し惜しかったですね、炸裂する前に少し着弾点をずらしてみましたわ」

 いかに無敵のエクスプロージョンといえども直撃しなければただの爆発でしかない。ルイズは杖をぎりりと握りしめて悔しんだが、目に見えないエクスプロージョンの炸裂点までも回避するとは、ルビアナのレーダーアイの性能は半端ではない。しかし、その程度でめげないのがルイズだ。

「いいわ、なら次は吹き飛ばしてあげるから。サイト、次はちゃんと足止めするのよ」

「はいはい、主の魔法のサポートがガンダールヴの仕事なんだろ。デルフから耳タコだぜ」

 才人もそう言いながら、やる気でデルフリンガーを構えている。そんな二人を見て、ルビアナは「あきらめが悪いですわね」と苦笑したが、ルイズは毅然と答えた。

「逃げ出したら、わたしはその瞬間に貴族じゃなくて負け犬になっちゃうのよ。サイトは何回言っても聞き分けないけど、わたしがその誇りを捨てちゃったら、わたしはわたしじゃなくなっちゃうのよ」

「ああ、おれは貴族のなんたらなんて理解できねえさ。けど、理解できなくても向かい合わなきゃルイズを傷つけるだけだって、いろんな人から説教されたんだ。だからおれはこいつに付き合う。正しいのか間違ってるのか、そうしないとわからねえからな」

 才人も力強く吼える。二人のその堂々とした態度を、ルビアナはにこりと笑って賞賛し、戦意喪失していた銃士隊も勇気を取り戻して隊列を整え直し始めた。

 そして、迷いながらもついに戦場に立とうとする男が才人の横に歩み出てきた。

「ギーシュ……いいのかよ?」

「やりたくなんてないさ。けど、君だって今ぶつからなきゃわからないことだってあると言ったろ。それに、モンモランシーも、友情があるからこそ戦わなきゃいけないことだってあると教えてくれた。なら、逃げるのはルビアナに対する侮辱になるんじゃないかね」

 たとえそれがルビアナに恩を仇で返すことになるとしても、ぶつかることで何か見つかるなら、じっとしていてもどうにもならない。

「ワルキューレ!」

 薔薇の杖を振りかざしたギーシュの元に、四体の青銅の戦乙女が現れる。ギーシュも消耗しているので今はこれが限界だが、今見せるべきは勝機ではなく戦意だ。

「ぼくの全力でお相手する。ぼくと君と、どちらの正義が勝るか、これは決闘だ!」

「ええ、良い決断ですわ」

 微笑んだルビアナは、目で追うこともできないほどの速さで地を蹴った。たちまち、ワルキューレの一体が銃身で叩き潰されるが、ギーシュも一瞬遅れながらも杖を振っていた。

「やっぱり速いっ、けど」

 ギーシュも銃士隊に及ばないまでも、すくなからぬ量の訓練を積んできている。ワンテンポ遅れはしても、まだギリギリついていくだけの反射神経はあった。

 ギーシュの命令で、残った三体のワルキューレは陣形を立て直した。しかし、これまでのギーシュであれば突撃を命じていたところだが、決意した彼は冷静に、このまま挑んだところで一瞬で残りの三体も破壊されてしまうだろうと判断して間合いを保っていた。

 むろん、ルビアナがその気になればワルキューレが多少防備を固めても蹴散らすことは容易である。けれど、血気に流行らずに冷静に状況を見て行動したギーシュの成長をルビアナは喜び、銃士隊も負けてなるかと包囲陣を張り直す。

「総員、あのバカに後れを取るな! 銃士隊の名を辱しめてはいかん」

 銃士隊も数を減らしてはいるが、まだ戦える者は残っている。しかし、ルビアナの表情から余裕は消えない。

「皆さんの闘志には敬意を表します。けれど、また振り出しに戻っただけで、あなたがたにとって何も好転していないのではありませんこと?」

 アニエスやルイズは歯ぎしりした。確かに、このままでは遅かれ早かれこちらが押しきられる。ペダン星人兵やケムール人を抑えている別動隊も旗色がいいわけではない。ウルトラマンたちも防戦で精一杯だ。

 すぐにでもルビアナを攻略しなくては敗けは確定。だが、数億年に渡って生き続け、戦い続けてきた相手に、そんな明白な弱点などあるものだろうか?

 真っ向勝負では傷ひとつつけられず、拘束しようとしても力付くで抜けられる。どうすればと考えるも、いい案はなにも浮かばず焦燥感だけがつのっていったが……。

 

「ハーッハッハッ! どうやら、そろそろ私の出番のようですね! あなたから受けた数々の屈辱、晴らせるチャンスを待っていましたよ」

 

 誰もいない夜空で高らかに笑い声をあげるコウモリ姿の宇宙人。彼が空に手をかざすと、上空に黒雲状の次元の歪みが発生しだし、その中から蛇のようにうごめく細長いなにかが這い出してくる。

「さあお行きなさい! 私が次元の狭間で見つけ出してきた、とっておきのレア怪獣よ!」

 彼の声とともに、黒雲から現れた触手のようななにかは、鋭い槍のようになっている先端を振りかざして動き出す。その狙いは直下にあったペダン円盤で、勢いをつけたそれは一気に円盤を突き貫いた。

 たちまち爆発が起こり、ペダン円盤はがくりと傾く。その爆発音と閃光は戦闘に集中していたウルトラマンたち、地上で対峙していた人間たち全てに届き、彼らは空を見上げて目を見張った。

「なっ!?」

 円盤が炎上して傾きながら高度を落としていく。一体何が!? ルビアナは円盤の指令室に通信して原因を問いただしたが、通信は指令室からの悲鳴で途絶えてしまった。

 そして円盤の影から現れ、黒雲を背に降下してくる新たな怪獣。

「なんだ! あの怪獣は?」

 才人もその怪獣には見覚えがなかった。ガイアやダイナも同様である。

 犬か狼のような頭をした、肉食恐竜体形の怪獣だ。背中から頭にかけて刺々しい突起や角が無数に生えており、いかにも凶暴そうな印象を受ける。

 皆は当然、ルビアナがなにかしたのかと思って彼女を見たが、ルビアナは不愉快そうな表情をしながらつぶやいた。

「あの人は、よほど私の邪魔をしたいようですわね」

「なんだって! まだ誰かいるっていうのか」

「言ったはずです。この世界は狙われていると……あれは以前、私の力を利用しようと接触してきた者の仕業ですね。いずれ、あなたたちの前にも現れるでしょう」

 吐き捨てたルビアナの口から語られた、才人たちも知らない新たな敵。その存在に皆が戦慄する中で、新たな怪獣は凶悪な唸り声をあげて動き出した。

「あの怪獣の名はヘルベロス。ある宇宙で最凶獣と呼ばれて恐れられている凶悪な宇宙怪獣です。皆さま、お気をつけあそばせ」

 ルビアナの警告に、一同はごくりと息を呑んだ。

 ヘルベロスと対峙するガイア、アグル、ダイナ。キングジョーブラックもターゲットをヘルベロスへと移すが、ヘルベロスはこれだけの相手を前にしているというのに、まるで狂犬のように遠吠えをあげて背中に赤い光をともし出した。

「なにか来るぞ!」

 攻撃の予兆に、ウルトラマンたちが身構える。すると、その怪獣は背中の突起から赤色の光弾を何十発も空に向かって発射し、矢雨のように降り注いできた。

『ガイアスラッシュ!』

『フラッシュバスター!』

 ガイアとダイナがそれぞれの光線でヘルベロスの光弾を空中で相殺する。

 なかなか派手な奴だ。ダイナはヘルベロスに少しながら好感を持ちながら思ったが、この程度の攻撃ならばそこまでの難敵ではない。

 だが、三人がかりでさっさとケリをつけようかと思ったとき、アグルが焦りながら二人に言った。

「おいまずいぞ。円盤がこのまま高度を下げたらちょうど街の上に墜落する!」

「なんだって!」

 見ると、ペダン円盤は煙を吹きながらトリスタニアのど真ん中へと少しずつ落下速度を上げながら落ちてきている。本来ならば自己修復も可能なのだろうし、そもそもヘルベロスの攻撃を受けたりしないだけの防御機構も持っているはずで、実際に1968年に地球侵略を狙ってきた宇宙人の円盤は機体全体に炎をまとい、迎撃に出た国連所属の月ロケットを苦しめたという。が、いかんせん度重なるアクシデントで損傷した状態ではいかんともしがたかった。

 このまま、数百メートルの規模のある巨大円盤が市街地に落ちたら大惨事は間違いない。ガイアは迷ったが、すぐに円盤をどうにかする方が重要だと判断した。

〔藤宮、僕とアスカで円盤を安全な場所まで誘導する。君は怪獣を頼む〕

〔いや、ここにはお前が残れ。お前は少しでも余力を残しておくんだ〕

 アグルは、切り札を持っているガイアを残すことを強調し、ガイアもそれが正論であることを理解して不本意ながらも頷いた。

 そして、アグルとダイナは落下中の円盤に向かって飛び立っていく。

「シュゥワッ!」 

「デュワッ!」

 その間、ガイアはキングジョーブラックを牽制していたが、どうやらキングジョーブラックに二人を追撃する気配はなさそうだった。ならば、まずはヘルベロスをなんとかしなければならないと、ガイアは構えをとる。

 しかし、その一瞬の隙を突いてヘルベロスは動いた。ヘルベロスの頭部が鈍く輝き、稲妻状の光線がガイアを襲って吹き飛ばす。

「グワァッ!」

 不意討ち気味の一撃でガイアも対応しきれず、続いてヘルベロスの背中からの光弾が再び降り注いでくる。

〔しまった。間に合わないっ〕

 撃ち落とそうとするにも体勢を崩され、キングジョーブラックもペダニウムランチャーを空に向けて放っているが、連射速度が足りなくて撃ち落としきれない。

 誰かが「伏せろ!」と叫ぶと同時に、赤い光弾は王宮に次々と降り注いで周囲を朱に染め上げた。

 

 一方で、ダイナとアグルは墜落中の円盤に下から飛びついてなんとか持ち上げようと試みている。

〔ぐうぅっ、お、重えっ〕

 ストロングタイプのダイナのパワーをもってしても、巨大円盤の重量を跳ね返すのは無理だった。眼下の街では、トリスタニアの住人たちが必死に逃げ惑っているのが見える。

「うわあぁっ、鍋ぶたのお化けが降ってくるぞぉ! 逃げろ!」

「ぎゃあぁっ、潰されるぅ!」

 悲鳴が上がり、街はパニックに陥っている。この角度で墜落を許せばブルドンネ街もチクトンネ街も火の海だ。

 ダイナとアグルは懸命に、せめて市街地に落とすのだけは避けようと力を込め、アグルが南の牧草地を望んで言った。

〔おい、こいつを押し返すのは無理だ。なんとか、あそこに着くまで墜落を引き伸ばすぞ!〕

〔うおおぉっ、このフライだけはグラウンドには落とさせねえぇーっ!〕

 エネルギーを振り絞り、渾身の力を込める二人。カラータイマーが激しく鳴り続ける中で、二人の目に炎上する王宮の姿がちらりと映りこんできた。

〔我夢、悪い、後でそっちを助けに行くのは無理そうだ。せめてこっちはなんとかするから、後は頼んだ!〕

 巨大円盤は墜落寸前で落下角度を緩め、市街地から城壁を越えて郊外へと轟音とともに飛び去って行った。

 

 そして、王宮はいまや炎に包まれ、ヘルベロスの咆哮が無情に響き渡っている。

「皆さん、ご無事ですか?」

 アンリエッタが周りを見回しながら呼び掛けた。ダンスホールは先程のヘルベロスの攻撃で崩れ落ち、アンリエッタ自身はウェールズの魔法でかばってもらったおかげで無傷だったが、銃士隊やペダン星人兵はいくらか爆風を受けてしまって倒れている。

 ああ、また勇敢な戦士たちが……。アンリエッタは悲嘆し、元凶の怪獣を睨み付けた。ヘルベロスは狼が駆け出す前に前足で土を掻くように体を震わせ、ガイアとキングジョーブラックに向かって突進していく。

「デヤァッ!」

 まず迎え撃ったのはガイアだった。ヘルベロスの突進をキックで押し留め、さらにアッパーを顎に打ち込んでのけぞらせた。

〔よし、いける。戦えないほどの相手じゃない〕

 ガイアはヘルベロスのパワーやスピードが一般の怪獣のレベルを逸脱するものではないと判断した。油断できるものではないが、ガイアの力でなら十分に渡り合える。

 するとヘルベロスはガイアが強いことを知ると、狡猾にもキングジョーブラックへとターゲットを移した。

 が、これはヘルベロスにとって知らないことだったとはいえ、あまりにも無謀な判断だったと言えよう。

 ヘルベロスが振り上げた爪も牙もキングジョーブラックの装甲にはかすり傷もつけられずに跳ね返され、逆にキングジョーブラックが繰り出した張り手は無造作にヘルベロスを弾き飛ばしてしまう。

 当然のことだが、ウルトラマンが三人がかりで手に余るような相手を、少々強かろうが一匹の怪獣が太刀打ちできるはずがなかったのだ。

 しかし、ヘルベロスが真っ向勝負では不利になることくらいはコウモリ姿の宇宙人は最初からわかっていた。奴がヘルベロスに求めたのは、宇宙に悪名を轟かす悪辣な頭脳なのだ。

「さあ見せてくださいよ。最凶獣と呼ばれるその残虐性をね!」

 その宇宙人も悪党であるがゆえに、ヘルベロスが次に何を企むのか手に取るようにわかっていた。

 ヘルベロスの腕に赤い光が発生し、三日月型の光のカッターが生成されていく。ヘルベロスが得意とするヘルスラッシュという技だ。

 当然、攻撃を予想してガイアは身構える。キングジョーブラックは攻撃などはお構い無しで前進していくが、ヘルベロスは思いもよらない方向へヘルスラッシュを放ってきた。

「なっ?」

 ヘルスラッシュはガイアとキングジョーブラックを大きく外れ、王宮の建物に当たって爆発した。その勢いで大量の瓦礫が撒き散らされ、地上の人間たちの上に降り注いでくる。

「伏せろーっ!」

 アニエスの叫びが響き渡る。小さな破片でも、レンガ一つが当たるだけでも人は死ぬ。それが散弾のように降ってくる。

「ダアッ!」

 ガイアはとっさに跳んで自分の体を人間たちの盾とした。ガイアは以前超空間波動怪獣メザードが爆破された破片からも人々を守っており、人間にとって危険な破片もウルトラマンにとってはそこまででもない。

 しかし、そんなガイアに対してヘルベロスは口から火炎弾を吐いて攻撃をかけてきた。

「ヌワアッ!」

 避けられないところに攻撃を受けてガイアから苦痛の声があがる。もちろん、ガイアはすぐに反撃を試みようとし、キングジョーブラックもペダニウムランチャーの照準をヘルベロスに合わせるが、ヘルベロスはヘルスラッシュを人間たちの多くいる場所へと乱射してくる上に、わざと逃げ遅れた人間たちを背にして攻撃も封じてきた。

〔くっ、これじゃ光線は撃てない〕

 外してもヘルベロスを撃破しても確実に近くの人間を巻き込んでしまう。ガイアはヘルベロスの卑劣さに憤り、ルビアナも無言でキングジョーブラックの射撃を中止させざるを得なかった。

 ヘルベロスの攻撃は続き、ガイアは人間たちを飛び散る瓦礫から守るので精一杯で、瓦礫はさらにペダン星人兵やケムール人にも無差別に襲いかかり、その狂乱の光景を見下ろしてコウモリ姿の宇宙人は愉快そうに笑っていた。

「ハッハッハッ、いいですねえ実にいい。他人の舞台を台無しにしてやるというのはこの上ない面白さですねえ」

 これだけ人間がいるのだから人質に使わなければもったいない。正義を振りかざす人たちには、古今東西この手は有効なものだし、”正義”の意味が変わらない限り未来永劫使われ続けるだろう。

 自分は安全なところから高みの見物で、恨み重なる相手の大事なものが燃えていくのを眺めながら、彼の哄笑は続いた。

 だが、彼はまだ理解していなかった。自分がとてつもない虎の尾を踏んでしまったということを。

 

 ヘルベロスの悪辣な攻撃は続き、ガイアも反撃の糸口がつかめず、鈍重なキングジョーブラックではヘルベロスを捕らえることもできない。

 才人とルイズは、ガイアを救うためにウルトラマンAへ変身しようと試みたが、瓦礫といっしょに城内から飛ばされてきたヒュプナスがルイズに襲い掛かってきたのでやむなく防戦に入らざるを得なくなっていた。それも一匹だけではなく、セリザワやタバサもこのやっかいな怪物にからまれて自由に動くことができない。

 さらに降り注ぎ続ける瓦礫。アンリエッタとウェールズは自分の魔法で身を守れるからよいが、銃士隊の大半はそうはいかない。アニエスとミシェルが「総員退避」と叫び、負傷者に肩を貸しながら瓦礫の届かない物陰へと連れていく。

 そんな中で、ギーシュもモンモランシーを抱きかかえながら走っていた。

「モンモランシー、少しの間辛抱してくれ」

「ギ、ギーシュ、せめておんぶするくらいにして、は、恥ずかしいわ」

 お姫様抱っこで運ばれていくのを衆目にさらされてモンモランシーが赤面している。ワルキューレに背負わせれば簡単だと誰もが思うだろうが、愛しのモンモランシーを他人の手に預けるなどということがギーシュにできるわけがなかった。

 それに、お姫様抱っこにもそれなりの理由はある。瓦礫が降り注ぐ中で背負ったらモンモランシーに瓦礫がもろに当たる。実際、ギーシュの背中には細かな石つぶてがいくつも当たって、小さくない痛みが走っている。

 が、そんなギーシュの気づかいを無用にするような不幸が彼らに襲い掛かってきた。ヘルスラッシュの一発が王宮の尖塔に当たって、尖塔がそのまま二人の上に崩れ落ちてきたのだ。

「ギーシュ、後ろ!」

「あっ、あああ!」

 振り向いたギーシュは愕然とした。何百万リーブルもの重さがありそうな巨大な尖塔が自分たちに向かって降ってくる。

 とても避けられない。かといってギーシュの力ではモンモランシーを抱えたままフライの魔法で速く飛ぶことはできない。ワルキューレを呼び出して、だめだなんの魔法でも詠唱が間に合わない。それなら、できることはひとつしかないとギーシュは決断した。

「モンモランシー!」

「ギーシュ、あなたまさか! ダメ!」

 ギーシュが腕に力を込めるのを感じてモンモランシーは叫んだ。間違いない、ギーシュは尖塔が落ちてくる前に自分だけを放り投げようとしているのだ。

 でも、そうしたら確実にギーシュはつぶされる。モンモランシーの悲鳴にガイアも気がついたが、別の場所で人間たちを守っていたガイアでは間に合わない。才人とルイズも同様で、モンモランシーはギーシュのそでにしがみついて投げられまいとしたが、ギーシュは力づくでモンモランシーを投げようと振りかぶった。

 だが、そのときギーシュとモンモランシーに優しい声がかけられた。

「だめですよギーシュさま、若い人がそんなに命を粗末にしては」

 いつの間にか、ギーシュの後ろにはルビアナが立っていた。ふたりに背を向けたルビアナはちらりと微笑を向けると、二丁のペダニウムランチャーを崩れてくる尖塔に向けて構え、次の瞬間尖塔は粉々の石くれになるまで粉砕されていた。

「伏せてください」

 砕いたとはいえ、まだ一抱えほどもある岩が雨のように降ってくる。ルビアナはギーシュとモンモランシーを押し倒すと、ふたりに覆いかぶさるようにして瓦礫を一身に受け止めた。

「ル、ルビアナ!」

「大丈夫です。わたくしの体はギーシュさまたちとは違いますから」

 普通の人間なら即死するほどの岩に体を打たれても、ルビアナはふたりを守りながらじっと耐えていた。たとえ痛みがないにせよ、その我が身を顧みない強い意思を目の当たりにして、モンモランシーは心に強くあるものを思い浮かべてルビアナを見上げた。

「ルビアナさん、あなたやっぱりわたしたちのことを……ルビアナさんの夢って、本当は」

「ふふ、いけませんよ。いくら女同士だからといって、勝手に人の心を読んだりしては」

 そのとき、モンモランシーはルビアナの作り物であるはずの顔に、とても深い悲しみがよぎったように見えた。

 やがて瓦礫の雨も終わり、粉塵も風に流されるとルビアナは身を起こし、ギーシュとモンモランシーも顔を上げると、そこは瓦礫の海と化していた。

 ルビアナが砂塵にまみれたドレスをはたくと、雪のように砂煙が舞い散る。その姿はまるで雪原に立つ冬の妖精のように儚くも美しかった。

 と、そこへひとりのペダン星人兵が駆けてきた。ギーシュはとっさに身構えたが、そのペダン星人兵は銃を持ってはおらず、背中に負傷していると思われる小柄なペダン星人兵を背負っており、彼はルビアナの前にひざまづいてヘルメットを外すと頭を垂れた。

「申し訳ありません、お嬢様。怪獣の攻撃を受けて、我がほうは散り散り、宇宙船とも連絡がつきません」

「謝る必要はありません、ジオルデ。あなたたちはよくやってくれました。それより、その子は?」

 ルビアナが促すと、彼は背負っていたペダン星人兵を下した。ヘルメットを外すと、そこからはあどけなさを残した少女が苦しそうに息をついている顔が現れた。

「ラピス……」

 少女は瓦礫の破片をどこか急所に受けてしまったようで、才人と初めて会った時のような天真爛漫さは失われ、青ざめた顔で荒い息をつき続けている。

 ルビアナはラピスの頭をそっとなでると、ジオルデからラピスの体を受け取ってモンモランシーの前に横たえた。

「モンモランシーさん、勝手なお願いですが、この子の傷をあなたの魔法で治してあげてください」

「ええ……ルビアナさん、どこへ?」

「少し”野暮用”ができましたわ。ジオルデ、お兄さんとしてラピスを守ってあげなさいね」

「は、はい!」

 そう言い残し、ルビアナは歩いていく。しかし、その進んでいく先にヘルベロスがいるのに気が付くと、ギーシュは驚いて叫んだ。

「ルビアナ、なにをするんだい! いくら君だって、怪獣を相手になんて無茶だ!」

「ご心配なく、ギーシュさま。すぐ終わらせてまいりますから」

「やめろ! 戻ってくるんだ」

 ギーシュは叫び、薔薇の杖を握ってルビアナに駆け寄ろうとした。だがルビアナはすっと手のひらを向けてギーシュを止めると、寒気さえ感じる声で告げたのだ。

「ギーシュさまはここでお待ちください。いえ、しばらくわたくしに近づかないでくださいませ……わたくしにもたまに、怒りたいときがあるのですわ」

 ぞっとしたギーシュは、その言葉のすごみに体を動かすことができなくなっていた。

 ルビアナのこんな姿を見るのは初めてだ。ギーシュの見守る前で、ルビアナはヘルベロスの正面へと歩んでいく。

 

 城中の人間を人質にとりながら暴れるヘルベロスの前に、ガイアも反撃の糸口が見いだせず、誰もその暴虐を止めることはできないかに見えた。

 だが、アンリエッタがついに城を放棄する決断をしようとしたとき、ヘルベロスの前にひとりの人影が現われて目を見張った。

「あれは、ミス・ルビアナ? 危ない、逃げてください!」

 敵として争いはしたが、憎しみがあってのものではなかった。アンリエッタが叫び、ほかの者たちの視線もそちらに集中したとき、ついにヘルベロスが眼前のルビアナに気づき、コウモリ姿の宇宙人は喝さいをあげた。

「おやおやとうとう血迷いましたか? あなたの体の持つ力には驚きましたが、それもここまでです。さあヘルベロス、やっておしまいなさい!」

 彼の命令を聞いたわけではないが、ヘルベロスは眼下に立つ命知らずな小さな獲物に目がけて、円盤を串刺しにしたあの尻尾を降りたてて、槍のように突き刺してきた。

「危ない!」

 多数の人間の口から同時に同じ絶叫がほとばしった。いかにキングジョーブラックの巨体にのしかかられても無事であったとはいえ、今度は怪獣の本気の攻撃なのだ。

 だが、ヘルベロスの尾が巨大な槍のようにルビアナに迫った瞬間、ルビアナは無造作にヘルベロスの尾に手をかざし、そして受け止めてしまっていた。

「え?」

 今度は誰もがそんな間の抜けた声を漏らすしかできなかった。ルビアナに向かって音速で飛んでいたヘルベロスの尾は、ルビアナが軽く手を添えただけで静止画に変わってしまったかのように止まってしまったのだ。

 唖然、ないしは呆然、驚愕の表情が並び、ヘルベロス自身でさえもなにが起きたのかわからずに凶悪な顔を固まらせた。だがルビアナはまだ攻撃を受け止めただけで、彼女の”攻撃”はまだ始まってもいなかった。

「暴れるなら、場所をわきまえなさい」

 冷たく言い放ったルビアナがヘルベロスの尾を掴んだまま振った瞬間、ヘルベロスの巨体は宙を舞っていた。

 ルビアナが、あの細身の体でヘルベロスの巨体を投げたのだと皆が理解した時には、ヘルベロスの体は無人の城壁に叩きつけられ、ルビアナはさらにそれを追っていく。

 むろん、我に返ったガイアは怪獣と戦うのは自分の役目だと立ち上がるが、その前にキングジョーブラックが立ちふさがってくるではないか。それはまるで、邪魔をするなとでも言う風に。

 そして、ヘルベロスに向かってルビアナはまるでカーペットの上を歩むかのように優雅に進んでいく。だが、その手にはペダニウムランチャーもなく、立ち直ってきたヘルベロスは怒りの咆哮とともに火炎をルビアナに吐きかけた。

「ああっ!」

 再びあがる悲鳴。しかし、炎の中からルビアナは何事もなかったように歩みでて、ヘルベロスはさらに腕からのヘルスラッシュや頭部からの電撃をルビアナに浴びせかけていく。

 しかし、しかし……爆発の嵐、立ち上る炎。人一人を焼き尽くすにはあまりにも過剰な破壊の渦に包まれながら、ルビアナは平然と歩いていた。

 そして逆に、ルビアナが一歩一歩近づくごとに、ヘルベロスの唸り声には焦りと怯えの色が混じり始め、ついにヘルベロスの正面にまでルビアナが歩み寄ったとき、ヘルベロスはその手を大きく掲げてルビアナに爪を振り下ろし、その爪はルビアナの手に軽く受け止められていた。

「愚かな野獣。報いを受けなさい」

 そう言ってルビアナが爪を握ったまま手を引くと、次の瞬間ヘルベロスの腕は肩からもぎとられて宙を舞っていた。

 鮮血と悲鳴が同時にヘルベロスからあがり、目の当たりにしていた人間たちは目を疑った。いったい、どれほどの力と速さで引き抜けばあんなことができるというのか。

 さらにルビアナは両手にペダニウムランチャーを召喚すると地を蹴った。そのままヘルベロスの頭まで跳躍すると、銃身を振るってヘルベロスの頭部に生えている二対の刃物のような角を粉々に叩き割ってしまった。獣にとってプライドの象徴ともいうべき角を粉砕されたことで、ヘルベルスの目から春の雄鹿のように闘志が抜け落ちていく。しかし、ルビアナから立ち上る殺意はいささかも衰えてはいない。

「許してもらえると思いましたか?」

 哀願するような視線に応えたのは二つの黒い銃口だった。ヘルベロスの真上に跳躍したルビアナはそのまま真下に向かってペダニウムランチャーを乱射し、ヘルベロスの背中の突起を一つ残らず撃ち抜いた。

 そしてそのまま落下の勢いでヘルベロスの背中を踏みつけると、背骨がきしんで破壊される音と共にヘルベロスの口から血泡が噴き出す。それだけでも凄惨な光景だが、倒れ込もうとするヘルベロスにそうはさせないと、ルビアナはヘルベロスの下に跳んで、ペダニウムランチャーでヘルベロスの頭をかちあげるようにして殴りつけて無理やり立たせると、腹に蹴りを叩きこんで大量に吐血させた。

 もはやヘルベロスは死に体で、対してルビアナは無傷で息一つ切らしている様子はない。そんなルビアナの戦いぶりを見て才人やルイズ、タバサに銃士隊すら寒気を覚えた。

「あの女、我々と戦うときはまったく力を出してなんかいなかったのね……」

「まるで、人間の姿をした怪獣だ……」

 ミシェルは、以前ヒュプナスと化したトルミーラが怯えながら言い残したことを思い出した。

 才人やルイズも変身することをすっかり忘れ、ガイアも手出しなどとてもできる状態ではないことにただ立ち尽くしている。ギーシュとモンモランシーも、鬼神のようなルビアナの戦いぶりに呆然とするばかりだ。

 だがルビアナは瀕死のヘルベロスへの攻撃をいったん止めると、だらりと伸びているヘルベロスの尻尾の先端を手に取り、尻尾を腕同様に無造作に引きちぎった。そしてちぎった尻尾の先端を空に向けると、投擲槍のように思い切り投げ上げたのだ。その先には……。

「わっ、ひっ、わあーっ!」

 コウモリ姿の宇宙人は、自分に向かって猛速で飛んでくるヘルベロスの尾に度肝を抜かれて無様に叫びながら必死に身をよじった。しかし、こんな形での反撃はまったく予想していなかったので反応が遅れ、尻尾は彼の体をわずかにかすめて削り取っていった。

「ぐっ、くぅぅ、おのれぇぇぇ!」

 彼は怒りを込めてはるか眼下のルビアナを睨みつけた。まさか、いくらなんでも人間大のままで怪獣を倒すなんてことはできまいと思っていたのに、ルビアナの力は彼の予想をはるかに超えていた。そして、自分を冷たい笑顔で見上げてくるルビアナの唇が紡いだ言葉を読み取ったとき、彼の憤怒は頂点に達した。

「わたくしと遊びたいなら、もっと自分自身を鍛えてからいらっしゃい……貧弱な坊や」

 かつて感じたことのないほどの屈辱。母星のエリートとしてのプライドをズタズタにされ、彼は憎悪のままに叫んだ。

「おのれおのれぇっ! 私を、この私を侮辱したこと。決して許しませんよ。私は必ずいつか最強の肉体すらも手に入れて、必ず貴様をぉ!」

 奴はそう吐き捨てて消え、ルビアナはふっとつまらないものを見たかのように踵を返すと、横たわって虫の息のヘルベロスのほうを振り返った。

 ヘルベロスがもう長くないのは誰の目にも明らかであり、ルビアナを見るヘルベロスの目には恐怖と絶望の色がありありと浮かんでいる。だがルビアナは二丁のペダニウムランチャーの銃口をヘルベロスの顔に向けると、ためらいなく引き金を引いた。

「懺悔の時間は過ぎましたよ」

 重なる銃声ともに、無数の弾丸がヘルベロスの口に叩き込まれ、喉裏から破裂するように爆発した。

 舞い散る血飛沫が紅葉のように風に流れていく。ヘルベロスは絶命し、誰もあまりにも凄絶だった戦い……いや、惨殺の光景に言葉を失い、石像のように固まってぽかんと口を開けたままでいる。

 ルビアナの力がここまですさまじいものだったとは……彼女がサイボーグだと判明した時からある程度は予測はつけていたが、才人はもとより我夢の推測も大幅に超えていた。事実上の不老不死に加えて怪獣を力づくでねじ伏せるパワー……こんな化け物、人間の力でどうやって倒せばよいというのか。

 銃士隊の中から再び急速に戦意が消えていく。気丈にふるまおうとしていたアンリエッタや、彼女を支えようとしていたウェールズも人知をはるかに超えたルビアナの戦いぶりを目の当たりにして、膝が震え、心が折れかけていた。

 ヘルベロスを倒したルビアナは、それで怒りが収まったかのように二丁のペダニウムランチャーを傍らの地面に突き刺して、ふぅと息を吐いて立ち尽くしている。

 黄昏ているルビアナはうつむいたまま無表情で、なにかを考え込んでいるようにも、もしくは祈っているようにも見えた。その姿はまったくの無防備で、斬りかかっても撃ちかけても確実に命中するように思えたが、先の戦いの恐怖から誰も動くことは出来なかった。だが!

「うおぉぉーっ!」

「隊長!?」

 たった一人、誰よりも困難に挑み続けてきたアニエスだけは恐怖をねじ伏せていた。むろん、背後から狙ったとしてもルビアナにはすべて見えているし、当たったとしても効かないのは承知の上だ。

 それでも、アニエスは無謀な特攻を選ぶような女ではなかった。シュヴァリエのマントを翻し、真っ向切って突進していくその目には冷静な輝きが消えてはおらず、振り下ろされた剣は確実にルビアナの首を狙う。

 対してルビアナは動かずにアニエスの剣を待ち受けている。当たっても効かないのはわかっているはずなのに、それでも闘志を失わないのを讃えているのか? いや、アニエスは寸前で剣を手放すと、ルビアナの傍らに突き立てられているペダニウムランチャーの一丁を手に取り、その銃口をルビアナに向けて引き金を引いた。

 刹那、銃声に続いて。

「ぐああぁぁーっ!」

 響き渡った悲鳴はアニエスのものだった。生半可な苦痛では怯みさえしない女騎士が激痛のあまりのたうち回り、ミシェルをはじめとした銃士隊員たちが血相を変えて駆け寄っていく。

 だが、それと同時に。

「……久し振りですわ。痛いなどと感じたのは何万年ぶりでしょう」

 ルビアナの左腕が千切れ飛び、くるくると宙を舞いながら芝生の上に落ちた。

「ルビアナーっ!」

 ギーシュの絶叫が響く。ルビアナが傷を負った驚きよりも、心配が彼の口を動かさせ、ルビアナの傷口を注視する。

 しかし、ルビアナの左腕の傷口からは一滴の血も流れ落ちてはいなかった。代わりにギーシュの見たこともない機械部品が覗き、パチパチとショートの火花を立てている。その有り様で、ギーシュはあらためてルビアナが人ならざる者であることを認識させられて再び言葉を失った。

 けれど、ルビアナは片腕を奪われたというのに、喜び讃えるように笑ったのだ。

「お見事ですわ。ペダニウム合金で作られたわたくしの体を破壊できるのは、同じペダニウム弾頭の弾丸だけ。さすが名にしおう銃士隊の隊長様……ですが、その代償は大きかったようですね」

 ルビアナの視線の先ではアニエスがなおも苦痛に悶えていた。すでに隊員の中で応急手当に長けた者が駆けつけているが、アニエスの両手の有り様を見て愕然としていた。

「こ、この傷は。いったいどうしたらこんなことになるというの!」

 戦う度に死傷者を出している銃士隊隊員でも、今のアニエスの腕の傷は見たことがなかった。皮膚はめちゃめちゃに裂けて血塗れになり、関節はあらぬ方向へへし折られている。もし常人ならショック死してもおかしくないだろう。

 止血と鎮痛が精一杯で、とても治療などはできる状態ではない。するとルビアナはすまなそうな面持ちで告げた。

「そのペダニウムランチャーはサイズこそ小型ですが、反動はさほど軽減されてはいません。わたくしが撃つならともかく、普通の人が撃てば腕ごと吹き飛ばされてもおかしくない代物ですよ」

 つまり、文字どおり手持ちする大砲というわけらしい。そんなものを小枝のように振り回すルビアナが異常なのだが、ルビアナはアニエスの傍らに転がるペダニウムランチャーを奪い返そうともせずに、さらに問いかけてきた。

「けれどこれで、あなた方はわたくしを殺せる武器を手に入れたことになりますね。さあ、まだ挑んできますか?」

 その口調は煽るわけでもなく、かといって自殺願望をほのめかすわけでもなく、単に聞いてみたというだけのような淡々としたものだった。

 才人たちや銃士隊は、手酷い傷を負わされたというのに、今度はまったく怒る様子もなくこちらの出方を待っているルビアナの考えを図りかねて困惑した。

 それでも、ルビアナを倒せる可能性を見つけられたのは確かだ。ただし、アニエスでさえ腕がいかれてしまったほどの銃を誰が撃てるというのか? 皆が躊躇する前で、ついにルビアナが動き出した。

「決まりませんか? では名残惜しいですが、そろそろ終幕にいたしましょう。わたくしがあなた方全員を倒す前に、誰かがわたくしの心臓にその銃弾を撃ち込んでご覧なさい。期待していますよ」

 ルビアナの真意はわからない。しかし、ルビアナから放たれる殺気は傷ついてなお衰えず、キングジョーブラックもさらに激しい駆動音を鳴らして動き出す。

 

 猶予はもう残されていない。そんな中で、モンモランシーはギーシュに手を握られながら、ぐっとえぐられるような胸の痛みに耐えていた。

 モンモランシーだけが気づいてしまったルビアナの心の深奥。それはとても切なく、果てしなく悲しく。そして、永遠に等しい時間をかけても求めるほどに価値があるほど尊く。

 そのためにルビアナは生きてきたのだとすれば……それを叶えてあげるには……そして、自分の考えが正しいのだとすれば、ルビアナの心臓にあの銃弾を撃ち込むただ一つの方法を自分とギーシュはすでに知っている。

 モンモランシーは、自分の目からとめどなく涙が溢れてくるのを止めることはできなかった。

 

 

 続く



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第93話  愛を継ぐ引き金

 第93話

 愛を継ぐ引き金

 

 策略宇宙人 ペダン星人

 宇宙ロボット キングジョーブラック 登場!

 

 

「どうして、なぜ、平和を愛する者同士がこんなにも傷つけあわなければならないのですか……?」

 悲しい戦いが続く中で、アンリエッタは自分の無力さを嘆きながらつぶやいていた。

 王宮は半壊し、敵味方を問わず、傷ついた兵たちが倒れてうめいている。

 思い出すのはあの日のこと……ルビアナと初めて会ったのは、あのラグドリアン湖での舞踏会の夜。あの日、自分たちは水の精霊の前で友情を誓い合い、それからルビアナはアンリエッタにとってよき友人であり続けてくれた。

 そう、女王であるアンリエッタにとって、対等の友人というものはとても得難い。ルイズでさえ、臣下という立場からどうしても一線を引いてしまうが、ルビアナは会えた時間は少なくても穏和に壁なく接してくれて、まるでルイズが姉のカトレアを慕うようにアンリエッタもルビアナを慕ってきた。それは対立した今となっても変わってはいない。

 そして、あの日の誓いを思い出している者がもう一人。モンモランシーは、ルビアナとの思い出の日々や、そしてルビアナと夢を語り合ったあの時を思い返していた。

「私の夢ですか? ふふ、お嫁さんになりたいと言ったら、おかしいですか」

 モンモランシーは、ルビアナが冗談めかして答えたあのときの会話が心にひっかかっていた。ルビアナほどの人間が口にするにしては、あまりにつつましい願い……しかし、ルビアナは嘘は言わない。それに、モンモランシーは女同士、同じ男を愛した女同士だからこそルビアナが心の奥に秘めた本当の想いが見え始めていた。

 ルビアナが本当に欲しているもの。もしも、それが自分の思っているとおりだとすれば、ルビアナの行動のすべてがそこにつながってくる。それならば……ルビアナを納得させ、満足させてあげられる方法は……。

「ルビアナさん……わたし、やっとあなたが分かった気がするわ。あなたは誰よりも優しくて、わがままで、まっすぐで、強くて、そしてきっと……不器用で悲しい人」

 望めばなんでも叶えることができるだけの力を持つルビアナが唯一成し遂げられずにいる願い。恐らくそれが、ウルトラマンたちに敬意を持ち、光の国に執着する理由にもつながっているのだろう。

 だが、それゆえにその願いがルビアナを苦しめ、終わることのない旅路を歩かせ続けている。その無限回廊からルビアナを救ってやれる方法は……モンモランシーは、銃士隊員のひとりが持っているペダニウムランチャーを一瞥し、ギーシュに覚悟を込めて話した。

「ギーシュ……聞いてほしいことがあるの」

 たぶん、ルビアナの願いを叶えてあげられるのは自分とギーシュしかいない。そうしてあげなければ、ルビアナはまた果てしない長い道を歩き続けることになってしまう。

 ただし、そうすることでルビアナとの友情が壊れてしまうかもしれない。だがそれでも……あの人の思いを汲んであげたいと、モンモランシーは思った。もし自分があの人でも、そう願うと思うから……。

 

 

 再び始まったルビアナの攻撃は、これまでの遊ぶように手加減を含んだものから一転して、鬼気迫る苛烈なものへと変わっていた。

「ぐはっ!」

 ひとりの銃士隊員がペダニウムランチャーの銃身で殴り飛ばされ、血反吐を吐いて弾き飛ばされた。倒された隊員はうめきもせずに横たわり、生死は不明だが骨の数本はへし折られたのは確実だろう。

 左腕をもぎ取られて隻腕となったにも関わらず、ルビアナの動きの切れはいささかも衰えてはいない。その銃口を人間に向けこそしないものの、打撃戦だけで完全に銃士隊を圧倒していた。

「どうしました? そろそろダンスもクライマックスなのですから、皆さんももっと力を入れて踊ってくださいませ」

 ルビアナが煽るように言った。だが、銃士隊も長引いた戦いと先ほどヘルベロスが暴れた巻き添えで戦力の大半が負傷者に変わっており、まともに剣を握って立っているのは副長ミシェルをはじめ、もう数人でしかない。

 対して、ルビアナの軍勢ももうルビアナ本人しか残っていない。ペダン星人兵もケムール人もすべてが銃士隊との戦闘かヘルベロスの巻き添えで戦線を離脱しており、数人が負傷して戦いを傍観しているだけだ。あとは城内でヒュプナスがまだいくらか暴れているが、もう増援が送り込まれることはない以上、大勢に影響を及ぼすことはないだろう。

 だが、その残ったルビアナ本人が最大の壁であった。片腕を無くしているとはいえ、ルビアナにダメージを与えられるのはルビアナの手から離れたペダニウムランチャーしかなく、そのペダニウムランチャーは人間が使えば腕を吹き飛ばされてしまうような凶悪な代物だ。チャンスが来た時のために隊員の一人が持って待機しているが、ルビアナも黙って撃たれてくれるわけがない。それでも、わずかに見えた勝利の可能性に賭けるために銃士隊に続いて才人とセリザワも同時に斬りかかっていく。

「この野郎、サーシャさん仕込みの剣技をなめるなよ!」

「もう変身できるエネルギーは残っていないが、ウルトラマンがこのまま黙っているわけにはいくまい」

 デルフリンガーとナイトブレードで斬りかかり、少しでも隙を作ろうと攻め立てる。自らの腕を代償にして、突破口を開いてくれたアニエスの犠牲を無駄にしてはならない。 

 

 そして、ウルトラマンガイアとキングジョーブラックの戦いも佳境へと入っていた。

〔もう出し惜しみをしている場合じゃないな! いくぞ!〕

 ガイアは両手を頭上に上げてエネルギーを集中し、気合いの掛け声とともに地球の大地と海の力を全開にした強化形態に変身した。

『ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョン』

 本来ガイアやアグルは自分たちの地球以外の場所では力を発揮しずらいのだが、この世界にやってきたときに水の精霊の都を通ったおかげか、今ではこの世界の自然からも力を取り入れて十分なパワーを発揮できるようになっていた。

 がっちりとキングジョーブラックと組み合うガイア。これまでは力負けしたが、スプリームヴァージョンならば互角に渡り合える。

「ダアァッ!」

 渾身の力で投げ飛ばし、激しく大地に叩きつける。もちろんこんなことくらいでキングジョーブラックにダメージはないことは承知しているが、我夢は科学者であるがゆえに、実験の反復無しに発展などないことを知っていた。ひとつの理論、ひとつの発明は何万回という失敗の繰り返しの上に成り立っているのだ。

 この程度の反復を恐れているようでは、円盤の墜落を決死の思いで食い止めてくれたアグルとダイナに顔向けができない。あの二人でもきっと同じことをするはずだ。

 それでもやはり無傷で起き上がってきたキングジョーブラックは、右腕のペダニウムランチャーをガイアに向けてくる。砲声とともに放たれた無数の弾丸がガイアに迫る刹那で、ガイアは渦巻くエネルギーの壁を作り出して砲撃を防いだ。

『ウルトラバリヤー!』

 砲弾はバリヤーに弾かれてガイアには届かない。しかしガイアの狙いは単に防御するだけではなかった。バリヤーをそのまま押し出して、跳弾がキングジョーブラックに当たるように仕掛けたのだ。

「デュワアッ!」

 いかにキングジョーブラックの制御コンピュータが優れていても、エネルギー流に乱反射される跳弾の軌道まで計算することはできない。跳弾のいくつかはキングジョーブラックのボディに跳ね返り、大きく火花をあげて巨体が揺らいだ。

〔よし、効いた〕

 ルビアナの体をルビアナの銃でなら破壊できたように、ペダニウム合金のキングジョーブラックの装甲を破れるのは奴自身のペダニウムランチャーだけだった。

 だがそれでも重装甲のロボットだけあって弾丸は装甲を貫通するまでには及んでおらず、キングジョーブラックはかすり傷でガイアに向かい合ってくる。

 だけれども、今はこれで十分だとガイアは思った。

〔この世に完全無欠のものなんてない。決まりきった未来なんてないんだ〕

 ルビアナが99万9999回の実験の末に、文明の滅亡は不可避という結論を出したなら、百万回目でそれを覆す。学説というものは古来から新説の発見で塗り替えられることで発展してきたのだ。それを示すのが、科学者としての自分の義務だと我夢は固く決意した。

 

 ガイアの反撃開始の狼煙は、さらにその下で戦う人間たちにも勇気を送り返している。いままで絶対傷つけられないと思われていたキングジョーブラックにダメージを与えられる手段が存在したということは、闇夜に射した一筋の光明に等しかったのだ。

「でやああっ!」

「はっ!」

 デルフリンガーを振りかぶった才人と、ブレイドの魔法を杖にまとわせたタバサが上段と下段から同時にルビアナに斬りかかる。

「やりますね、さっきまでとは別人のようです」

 ルビアナが称賛しながらその攻撃を右手だけで受け止める。ルビアナが余裕なのは変わらないが、確かに士気はさきほどまでに比べて大きく変わっていた。

 希望を得るためにあきらめないのと、得た希望を信じて頑張ることは違う。人は、明確な目標のあるなしではやはり大きく士気が違ってくるものだった。

 才人とタバサ、それにミシェルや生き残りの銃士隊員も力を振り絞り、セリザワも彼らをサポートしてルビアナにヒットアンドウェイを繰り返している。

 そして、ようやくルビアナと互角に渡り合えているように見えたことで、アンリエッタは望みを込めてもう一度呼び掛けてみた。

「ミス・ルビアナ、もういいでしょう。もう互いに十分に傷つきました。これ以上戦い続ければ、取り返しのつかないことに」

「あなたはまだそんなことを言っているのですか!」

 意外にも、アンリエッタの言葉を遮ってルビアナから飛び出したのは叱責する声だった。

「女王陛下、この戦いには互いの主義主張の全てを賭けているとわかっているはずです。あなたが私だとして、多少追い込まれた程度で宗旨替えするほどあなたの信念は甘いものなのですか?」

「そ、それは」

「陛下の優しさは貴重なものです。ですが、戦争の最中に半端な情けをかければ、逆に味方を殺すことになるのですよ、このように!」

 言い終わるや否や、ルビアナが握ったペダニウムランチャーを棍棒のように一閃すると、その一撃はアンリエッタの声で気を緩めてしまっていた才人の肩口へ叩きつけられていた。

「っだあーっ! ってえーっ!」

「相棒!」

「サイト!?」

 才人が打ちのめされたことで、デルフリンガーとルイズの悲鳴が響いた。才人は相当重い一撃を受けてしまったようで、デルフリンガーを取り落として床に倒れこんで悶えでいる。

 さらに続いて、アンリエッタも「サイトさん!」と、その身を案じて蒼白になったが、ルビアナは落ち着かせるように告げた。

「ご心配なく、骨を砕くほどまではしていません」

 ルビアナの言った通り、才人は打たれた肩を押さえて悶絶していたが、すぐに駆け寄ったミシェルが患部を看て大事には至っていないことを確認した。

「大丈夫だ、脱臼しただけで骨や神経はいためられていない」

 才人が致命傷ではなかったことで、ミシェルとルイズはほっと息をついた。しかし才人がやられてしまったことでルイズは激昂し、とび色の瞳をいからせて杖をルビアナに向けたが、ルイズが呪文を唱える前にルビアナの銃口が唸っていた。

「えっ! つ、杖が!」

 ルイズの杖はペダニウムランチャーの弾丸の風圧に弾き飛ばされて、はるかかなたへ飛ばされてしまったのである。杖がなくてはいかなるメイジも魔法は使えない。愕然とするルイズにルビアナは告げた。

「蒼い髪のお姫さまと違って、ミス・ヴァリエールは隙が大きすぎますね。ミス・ヴァリエール、貴女が先程示してくれた気概は確かに受けとりましたが、この舞台のフィナーレを飾るには、あなた方は役者が違うようです。申し訳ありませんが、あなた方はここで退場して結末を見届けてくださいませ」

 そう告げられたルイズは怒りに震えたが、虚無の魔法が使えないルイズにできることはなく、ウルトラマンAに変身したとしても、才人のダメージがエースに引き継がれてしまってはガイアの足手まといにしかならない。

 できるとすれば才人についていてやるくらいで、肩の脱臼というのは並外れた痛みが走るため、才人はいつもの軽口を叩くことさえできずに脂汗を額一杯にしながら耐え続けている。

 しかし、ルビアナは役者が違うと言った、その意味はなんなんだろうとルイズは思った。ルビアナは、この戦いを舞台に例えた。舞台ならば、終幕を引くのは主演でなくてはならない。ルビアナが主演と認める役者、それは……。

 

 戦いは、才人とルイズも戦線離脱し、ルビアナの前に立っているのはミシェルとタバサ、もう数人に減ってしまった銃士隊のみとなっていた。正確にはセリザワも残っているが、彼は今、あることに気づいてあえて手出しを控えている。

 その残りわずかな手勢を突破されてしまえば、ウェールズとアンリエッタが無防備でさらされるのみである。城内には烈風も残っているものの、連戦で精神力を消耗した状態では満足に戦うことはできまい。

 ペダニウムランチャーを撃ち込む隙を狙っていたが、戦力をすり減らされるばかりで、隙を見つけることができないままでいる。そんな中、ペダニウムランチャーを持っていた隊員までもが倒され、ペダニウムランチャーは乾いた音を立てて床に転がってしまった。

 片腕を失っていても、ルビアナは十分すぎるほど強い。だが、そうして両者が残された力を削り合う中で、.落ちたペダニウムランチャーを拾い上げてルビアナの前に毅然として立った男がいた。

「諸君、すまないが、ここから先はぼくに……ぼく一人にまかせてもらいたいんだ」

「ギーシュ!」

 才人が横目で苦しみながらつぶやいた。ギーシュが、手に余る大きさのペダニウムランチャーを抱えながらモンモランシーといっしょに前に出てきた。

 もちろん他の皆も同様に、今更何しに出てきたんだと怪訝な表情を見せたが、ギーシュは緊張した様子ながらもはっきりと言った。

「みんな、無理を言ってるのはわかってる。けど、たぶんぼくならルビアナを、た、倒せる。だからまかせてくれないか」

 ミシェルやタバサは、何を言っているんだというような表情をした。これだけの手練れが揃って苦戦しているというのに、素人に毛が生えた程度のギーシュになにができるというのか。

 しかし、ギーシュに続いてモンモランシーも皆に向かって言った。

「みんな、お願い。信じられないだろうけど、わたしとギーシュはルビアナさんに勝つ方法を知ってる。だから、あと一度だけチャンスをちょうだい」

「女王陛下、銃士隊の諸君、これでもぼくは貴族の一員、中途半端な覚悟でこんなことは言わない。最初はモンモランシーが撃つと言い出したんだけど、さすがに彼女にそんな役を任せるわけにはいかないからね。ルビアナは……ぼくが止めるよ」

 頭を下げてそう頼むギーシュに、一同は確かな覚悟を感じ、才人やルイズも、ギーシュからいつもの軽薄な感じが消えているのを感じた。

 無言で道を開けた一同の前を通ってルビアナの前に出るギーシュ。ルビアナはそこで、じっと立って待っていた。

「お待ちしておりました、ギーシュさま。やはり、わたくしの最後のダンスのお相手はあなたしかいないようですね」

「ルビアナ……君はぼくたちが初めて会ったあの日から、今日こうなることを見越していたのかい?」

 そう尋ねるギーシュに、ルビアナは微笑みながら答えた。

「さあ、けれど念のために申しておきますが、私に破滅思想や自殺願望はありません。もしこの戦いで私が勝てば、女王陛下を始め王宮の人間全てをアンドロイド……ギーシュさまたちの言うガーゴイルに入れ換えて、トリステインを私の理想とする悪の無い光の国へ近づけていくための計画を続けていくことは断言いたしますわ」

「考え直してくれ、というのはダメなんだろうね」

「ええ、わたくしも昨日今日に思い付いたわけではありません。何万年、何億年も考え続けて出した答えなのです。私のことを間違っていると言うのであれば、私を力でもって打ち倒し、私の数億年よりもあなた方が勝っているということを証明する以外にありません」

 淀みの無いルビアナの言葉に、ギーシュは大きく息を吸い込んで吐き出すと、きっと顔を引き締めてペダニウムランチャーをルビアナに向けた。

「わかった。ぼくも男だ、覚悟を決めよう。本来レディに手を上げるのはぼくのポリシーに反するし、貴族は杖以外の武器を持つべきではないが、他ならぬ君と踊るためならば是非もない。ギーシュ・ド・グラモン、全身全霊を持ってお相手しよう」

「光栄ですわ、では……参ります」

 決意を込めたギーシュの表情に満足し、ルビアナは地を蹴った。すでに屋根も吹っ飛んで夜空に照らし出されるダンスホールの中央で両者は激突する。

 片腕を無くしていてもルビアナの素早さはまるで落ちず、ギーシュに向かってペダニウムランチャーが棍棒のように襲い掛かる。

「いかん!」

 ミシェルが叫んだ。ルビアナのペダニウムランチャーはまっすぐギーシュの頭を叩き割る軌道で飛んでいる。手心を加えるといった甘さは一切なく、一瞬後にはギーシュの頭がザクロのように弾け飛ぶ様が脳裏に浮かんだ。

 しかし、ギーシュは迫る攻撃を見切る動体視力などないにも関わらず、ミシェルの予想を超えた動きを見せた。

「アン……」

 ギーシュが一歩後ろへ下がった瞬間に、ルビアナのペダニウムランチャーがギーシュの頭があった空間を飛び去っていく。

 避けた!? ミシェルやタバサは、ギーシュができるとは思えない紙一重の回避に驚愕した。だがルビアナの攻撃は一撃で終わるわけはなく、次は勢いの軌道を曲げてギーシュの頭上から打ち下ろしてくる。しかし!

「ドゥ」

 なんとギーシュはこの攻撃も左にステップして回避してしまった。ミシェルとタバサ、それに遅れて目が追い付いてきた才人とルイズも目を見張る。

 もうまぐれではない。しかし、訓練を詰んだ銃士隊員でも避けきれないルビアナの攻撃を避けられる動きをどうしてギーシュはできるのだ?

 二回攻撃を避けられたルビアナは、今度は銃口をそのままギーシュに向けた。あれを受ければ人体なんて形も残らない。だがギーシュは落ち着いた様子でルビアナの動きを見ると、くるりと体をひねらせた。

「トロワ」

 ペダニウムランチャーの弾丸はギーシュの体をかすめ、彼の派手すぎる衣装の一部を千切っていくが、少なくとも彼自身にはたいしたダメージにはなっていない。

 今の一連の攻撃、ミシェルやタバサでさえ完璧に避けきれる自信はない。どうしてギーシュなんかが? しかし、ギーシュの動きを見るうちに、アンリエッタはあることに気づき始めていた。

「ミスタ・グラモンのあの動き……まさか」

 そしてモンモランシーも、それを肯定するように悲しげにつぶやく。

「避けかたを知っているんじゃないの。教えてもらったのよ……」

 その言葉の意味を皆が吟味しきれない前で、ギーシュは嵐のようなルビアナの攻撃を確実にさばいていく。

 その動きを、ミシェルたちは最初はただ避けているだけだと思っていたが、次第にギーシュとルビアナの動きに共通点があることに気づいてきた。

「あの二人……まるで踊ってるみたい」

「やはり、あれは舞踏会でミス・ルビアナとミスタ・グラモンたちが踊っていたダンスと同じ」

 アンリエッタが真っ先に気づき、ルイズやタバサもはっとした。

 そう……ギーシュとルビアナの動きは、武器を持っているかの違いこそあるが、舞踏会のダンスのリズムそのものだったのだ。

 連続攻撃を繰り出すルビアナを、ダンスのリズムで回避し続けるギーシュ。だがルビアナが手加減しているなどということは決してなく、ミシェルやタバサから見ても隙はまったく見えずに動きに無駄はない。

「もしかして、これまでの戦いも全てダンスのリズムに合わせて動いていたというの」

 タバサが信じられないという風につぶやいた。すると、それを聞き止めたルビアナはくすりと笑って答えた。

「ええ、ミス・タバサ。わたくしは最初から、いっしょに踊りましょうと皆さまに言っていたではありませんか」

 ミシェルやタバサは愕然とした。そんな言葉、ものの例えだとしか思わなかった。本当に言葉の通りだなんて、誰が思うだろうか。

 しかし、現実にルビアナの攻撃をギーシュは完全に回避できている。もはや疑いようはない。けれど……アンリエッタはその意味が矛盾することをルビアナに問いかけた。

「ですが、それですとあなたは自分を倒せる方法をわざわざ教えていたということですか? なぜ、なぜそんなことを?」

「ふふ、なぜでしょう? モンモランシーさんは気づき始めているようですが、女王陛下には少し早かったでしょうか」

 謎めいた言い回しをするルビアナに、アンリエッタは困惑したような表情を見せた。

 意味がわからない。そうしながらも、ルビアナとギーシュは対峙しながら言葉を交わしている。

「さすがはギーシュさま、もうこんなに見事に踊れるとは素晴らしいですわ」

「教師がいいからさ。けど、君とはもっと楽しく踊りたかったよ……」

「わたくしもそう思います。ですが、この秘密に気づいてくれたのはあなた方が初めてです。わたくしは、とても嬉しくもあるのですよ」

「自分を滅ぼされる方法を見破られて、嬉しかっただって?」

「ええ、この方法を知るには、わたくしの心の深奥に触れなければなりません。そして、人の心に共感し、自らの心に反映させることができる人こそ、うわべだけではない優しさを持ち、真なる理想郷を築き得る素質を持つと私が確信する者。私はそんな人を探し、そんな人を育てたいと願ってきました。そして、ついに見つけたのですよ」

「そんな、ぼくは君の心の奥底なんて……」

「ふふ、殿方のギーシュ様には少し難しいかもしれませんわね。けれど、モンモランシーさんはわかってくれました。そして、ギーシュ様はモンモランシーさんの願いを実現できる力を持っています……それでよいのですよ。男と女が違うように、それぞれの良さを組み合わせて完全に近づいていけば」

「ルビアナ、ぼくは君ほど完璧な人間を知らない。そんな君がぼくらを完全になれると言ってくれるのか?」

「ええもちろん。いえむしろ、あなた方だからこそ、私のような不完全な者などよりも、より高い完成に近づいていくことができると思っています」

「君が、不完全だって?」

「そうですよ。私は一人、ギーシュ様たちは二人。それだけでもあなたがたにはわたくしを超える可能性があるのです。さあ、もう少し難易度を上げますよ。ついてこられますか?」

 ルビアナの真意を聞ききれないままで、ルビアナの攻撃はさらにスピードを増していく。ギーシュは必死にリズムをとってかわしながら、ルビアナの言葉の意味を考え続けた。

 

 ギーシュとルビアナのダンスは続き、激しさを増していく。

 そしてそれに呼応するかのように、キングジョーブラックは主人を守ろうというのか、動きを増してガイアとぶつかり合っていた。

「ジュワッ!」

 ガイアとキングジョーブラックが組み合い、正面から押し合っている。互いにパワーを全開にして譲らず、筋肉のきしむ音と金属のこすれる音が共鳴している。

 両者の力はほぼ拮抗。ガイアのスプリームヴァージョンは変身時間が短い代わりに強大なパワーを誇るが、ガイアが力を増すにつれてキングジョーブラックもさらに力を増してくるように思えた。

〔こいつも、そうなのか……〕

 我夢は、キングジョーブラックが最初の無機質な動きから少しずつ生き物のように変わってくるように感じていた。どこと説明するのは難しいが、腕の振りがせわしなくなり、独特な稼働音にも焦っているかのようなリズムの乱れが生じている。

 もちろん、常識的に考えてロボットのキングジョーブラックにそんな変化が表れるわけがない。しかし、ルビアナが片腕を失ったときからキングジョーブラックに表れ始めた変化を、我夢は認めていた。

〔そうか、お前も主人を守りたいんだな〕

 我夢は科学者であるが、科学だけがこの世の全てだと思ってはいない。例え電子頭脳しか持たない冷たい兵器であっても、ルビアナと果てしない時を共にしてきたこのキングジョーブラックにもプログラム以上のものが芽生えても不思議ではないかもしれない。かつて、我夢の作った人工知能PALが我夢の危機に自らの判断で戦いに望んだときのように。

 だが、だからこそこちらも負けるわけにはいかない。守るべきものを背負っているのはこちらも同じなのだ。

「ジュワアアアァ!」

 ガイアは渾身の力を振り絞ってキングジョーブラックを持ち上げると大地に叩きつけた。その激震でギーシュとルビアナも一瞬宙に浮かび上がったが、二人はリズムに乗ってなお舞い続けている。

〔来い! お前の信念、僕が全力で受け止めてやる〕

 誰もが大切なものを背負い、己の信念に従って戦っている。そこに善悪の違いはなく、主張の差でしかない。

 そして、もはや戦ってでしか互いの優劣を決められないのであれば、敬意を持って全力で叩き潰すしかない。

「ダアッ!」

 なんとしてでもルビアナの元へ向かおうとするキングジョーブラックを、ガイアは残り少ない全エネルギーを振り絞って食い止める。ライフゲージの鳴りは限界に達し、もうあといかほども時間は残っていないはずだが、ガイアは一歩も下がらない。

 

 誰もが死力を尽くし切り、決着はギーシュとルビアナに託された。二人は躍りながら互いをぶつけ合い、ダンスはクライマックスへと近づいていく。

「こうしていると思い出しますわ。ギーシュ様たちと再会したド・オルニエールでの日々を。あの時はとても楽しかったですね」

「そうだね、ぼくもはっきりと覚えているよ。君と過ごした日々は、一日だって忘れてはないさ。本当に、毎日が輝いていた」

「女湯を覗こうとしたことも覚えておいでですよね?」

 リズムを少し崩したペダニウムランチャーの一撃が、かわしたはずのギーシュの金髪を少々削り取っていく。

「ぶはっ! い、今そのことは言わなくていいんじゃないかい?」

「殿方の不埒をいさめるのもレディの大切な役目ですわ。うふふ、ご覧になりたいならおっしゃっていただければ隅々まで見せて差し上げましたのに、きっとモンモランシーさんも拒みませんわよ」

 うっ、と、隅々まで……ということを想像して赤面するギーシュとモンモランシー。紙一重で死が待っているというのに、彼らの空気はいつもと変わりはなかった。

 思い出は色あせず、消えず、二人の口から語られる愉快な日々の記憶は、モンモランシーやアンリエッタ、才人やルイズの脳裏にも、あれらの日々の懐かしい思い出を蘇らせた。

 ド・オルニエールで再会し、エレキングと必死に戦った時。

 温泉を作るために血へドを吐きながら奮闘し、ルビアナの差し入れてくれた弁当に皆で舌鼓を打った日。

 温泉につかりながら、女同士で恋ばなを時間を忘れて語り合った時。サーカスで席を並べて興奮した時。

 どれも大切で、懐かしい。時は流れても、思い出は消えない。

 そして、思い出は人間たちばかりではない。ルビアナは語り口を変えると、ダンスを見守っている傷ついたペダン星人兵とケムール人を見渡してにこりと微笑んだ。

「本当に、ハルケギニアにやってきてからは色鮮やかでいろんなことがありましたわ。そうですわ、せっかくですから、ギーシュ様たちの知らないところでわたくしたちが体験したこともお聞きくださいませ」

 そう言ってルビアナは、宇宙人としてハルケギニアで暮らした思い出を語り始めた。

 ルビティア領での領民との触れあい、彼女の仲間のペダン星人たちも一生懸命働いてくれて、その中でドジな新人の子がいていろいろと手を焼いたこと。

「お嬢さま……うぅっ」

 ダンスホールの傍らで、一人の傷ついたペダン星人の少女が苦しそうに声を漏らした。その傍らでは、兄貴分のペダン星人が彼女を守っている。

 ルビティアでの様々な人たちとの出会いと触れあい。そんな中でケムール人の侵略を察知して、彼らを説得して仲間に加え、共に夢に向かって邁進していこうと誓ったこと。

 その他にもルビアナはハルケギニアのあちこちを飛び回り、時に破壊を、時に救いをもたらしてきた。その奔走ぶりはとても言葉では語り尽くせないもので、ルビアナが口だけではなく、本気でハルケギニアを守ろうとしていた姿が目に浮かんでくる。

  

 世界を愛し、人々を愛し、人々から愛されたルビアナの有り様に嘘はないことを誰もが信じた。

 

 しかし、ルビアナの提示する未来は若者たちの求める未来とは相容れないものであり、その決着をつけねばならない。

 ギーシュとルビアナのダンスは続く。だがそれは永遠ではなく、終局は必ずやってくる。

 そして、幾百にも及ぶ死と隣り合わせのステップを経て、ついにギーシュとルビアナの舞踏はその全ての幕を閉じて、二人は同時に歩を止めた。

「終わったね……ルビアナ」

「ええ、ええ、わたくしのダンスに本当に最後までついていらすことができるなんて、さすがギーシュ様。わたくし、心の底から感動いたしましたわ」

 ルビアナが、ダンスを終えたギーシュに喜びに満ちた賞賛の言葉を贈った。もし今ルビアナに両手があったら、迷わずに拍手を贈っていることだろう。

 だが、やり遂げたギーシュの表情に喜びや達成感はなかった。ギーシュの持つペダニウムランチャーの銃口は、まっすぐにルビアナの胸の中央……心臓にあてがわれていたからだ。

「勝負あり……だね」

「はい、わたくしの負けですわ、ギーシュ様」

 あっさりと口にしたルビアナに、死を前にした緊張感はなかった。むしろ、待ちに待った時がやって来たという安堵や喜びの色が浮かんでいた。

「君は、死ぬのが怖くないのか?」

「いいえ、そんなことはありませんわ。死んで、もうギーシュ様と会えなくなると思うと胸が張り裂けそうに恐ろしいです。ですが、死ぬことでこの幾億年の間に先に逝ってしまわれたお友だちや仲間にまた会えると思えば、寂しくはないのですよ」

「君はそうして、数えきれないほどの生と死に立ち会ってきたんだね」

「ええ、そうして通り過ぎ続けてきたわたくしは、もう壊れてしまった人間なのかもしれませんわね。それよりギーシュ様こそ、今になって引き金を引くのが怖くなったということはありませんか?」

 ギーシュは悲しげに首を横に振った。

「君とともに最後まで踊って、君が一番望んでいるのはこれなんだって確信できた……ぼくも男だ、二言はないよ」

「ありがとうございます、ギーシュ様。それから、アンリエッタ女王陛下」

 ルビアナはそっと顔をアンリエッタに向けると小さく頭を下げながら言った。

「この国、この世界の行く末はあなた方にお任せします。わたくしが届かなかった光の国の夢も、あなた方ご夫妻に託しますわね」

「……ミス・ルビアナ、わたくしの微力にかけて努力していくことを、約束します」

 アンリエッタとウェールズは、為政者として果てしない理想を追い求めたルビアナの志を継いでいくことを誓った。

「ミス・ヴァリエール、才人さん、いつまでも仲良くね。すみませんが、皆さんにはよろしくお伝えくださいませ」

 ルイズと才人は、最後まで優しさを失わなかったルビアナの姿を目に焼き付け。

「ジオルデ、ラピス、お別れです」

「お嬢さま、早まらないでくださいっ」

「心配しないで、あなたたちはもう私なしでもちゃんとやっていけます。これからは、私のためではなく、それぞれみんなのやりたいことのために生きなさい。でも、できればルビティアのこともよろしくお願いしますね」

「は、はいっ……お引き受けします」

「おっ、お嬢さまぁぁーっ!」

「あらあらラピス、あなたは最後まで泣き虫ね。私がいなくても、がんばるのですよ。そうそう、私のお部屋、片付けておいてくださいね」

 ペダン星人の若い二人は、ルビアナの最後の言葉を聞き止め、決して忘れまいと涙を流した。

「ケムールの皆さん、あなた方に必要な生体細胞の老化改善の化学式はあなた方の宇宙船に転送しておきました。ですが、種の寿命を回復した後に繁栄も取り戻せるかはあなた方の努力次第です。頑張ってください」

 ケムールの指揮官は無言でルビアナに対して敬礼した。

 そして、ルビアナは最後にモンモランシーとギーシュを交互に見て言った。

「モンモランシーさん……ギーシュ様を、お願いいたしますね」

「わ、わかってる! わかってるんだから……」

 モンモランシーは涙を浮かべながらうなづき、そして最後にギーシュとルビアナは視線を交わし、微笑を浮かべ……。

「ギーシュ様、あなたを……心から愛しております」

「ぼくもだ」

「ありがとう……そして、さようなら」

「さよなら、ルビアナ」

 その瞬間、ギーシュは引き金を引いた。

 轟音と閃光。ペダニウムランチャーが火を吹き、ペダニウム合金製の弾丸はルビアナの胸を穿ち、瞬時に背中までを突き抜けたばかりか、その衝撃でルビアナの身体を宙に舞いあげた。

 夜空に舞う妖精のようにペダニウム合金の破片の尾を引いて飛ばされたルビアナは、城の尖塔の壁に叩きつけられて、磔のようにめり込まされた。

「ルビアナーっ!」

 ギーシュの絶叫が響いた。ペダニウムランチャーの反動でギーシュの腕もへし折られてアニエスのとき以上にひどいことになっているが、痛みなどどうでもよかった。

 尖塔の石壁にめり込まされたルビアナが最後ににこりと笑ったかのように、ギーシュと、彼の腕を治そうと駆け寄ってきたモンモランシーは見た気がした。だが次の瞬間、尖塔の石壁に大きく亀裂が走り、尖塔はルビアナごと轟音をあげて崩れ去ったのである。

「ああ……」

 誰もが一歩も動けずに、巨大な尖塔が瓦礫の山に変わっていく光景を見ていた。

 そして、ガイアと押し合いを続けていたキングジョーブラックのランプから光が消え、駆動音もぴたりと途絶えた。

 ガイアはそっとキングジョーブラックから離れ、最後まで主人のために動き続けた忠実な機械に敬意を込めてXIG形式の敬礼を送った。

 しかし、完全に動力を喪失したかに見えたキングジョーブラックが、信じられないことにそのまま数歩動いたのだ。ガイアはこれに反応するのが遅れ、キングジョーブラックはふらりとバランスを崩すと、ルビアナの消えた瓦礫の山に向かって倒れこみ、大爆発を起こした。

「危ない!」

「伏せろ!」

 爆風と爆炎が迫ってくる。誰かが叫び、ウェールズやタバサが魔法の障壁を張り、ガイアが人間たちをかばってバリアを張った。

 だが、ギーシュとモンモランシーにとってそんな危険など視野にはなかった。立ち上がる炎に向かって、二人の届かない声が空しく響く。

「ルビアナーっ!」

「ルビアナさーん!」

 炎は天まで焦がすほど燃え盛り、何も答えてはくれない。

 その夜、赤々と燃える炎は王宮を照らし続け、戦いに疲れはてた戦士たちはその光景をいつまでも見つめ続けたという……。

  

 

 ……そして、三日の時が過ぎた。

  

 

 その日は雲一つない快晴で、トリスタニアの街もすでに落ち着きを取り戻していた。

 そんな平和な昼過ぎ時のこと。トリスタニアから少し離れた郊外に日当たりのよい墓所があり、ギーシュとモンモランシーはその端にある真新しい墓を訪れていた。

「ルビアナ、君に墓なんて一番似合わないものだと思うけど、一応これも礼儀だ。許してくれ」

 ギーシュが寂しげに小さな墓石に向かって告げると、傍らに控えていたモンモランシーが、花束を墓石のたもとに下ろした。

 墓石には墓碑銘もなく、無地の大理石が陽光を反射して輝いている。その磨かれた表面には、ギブスと包帯で両腕をぐるぐる巻きにしたギーシュの姿が写っていた。

「あの日のことを、夢だと思いたかったけど、この傷の痛みが現実だと教えてくれたよ。君はもう、本当にいないんだね」

 ペダニウムランチャーの反動はギーシュの腕をめちゃめちゃに破壊していた。魔法を用いてもとてもすぐに治すのは不可能で、あの戦いが終わった後にギーシュは三日間昏睡状態に陥り、モンモランシーはつきっきりで看病し続けた。手術にあたった医者が言うには、腕を切断せずにすんだのは奇跡だったらしい。

 しかし、ギーシュにとって腕の痛みなどどうでもよかった。腕の痛みはいつか消える。けれど、胸の奥には大きな穴が空いてしまっていたからだ。

 長い眠りから覚めたとき、ギーシュはモンモランシーからすべてが終わっていたことを聞かされた。

 

 戦闘終了後、残ったペダン星人兵はすべてが投降し、アンリエッタからの丁重に扱うようにとの厳命の下で現在拘禁されている。

 ルビアナが宇宙人であったことは、銃士隊を含めその場にいた者すべてに箝口令が敷かれ、ルビアナはルビティアに帰ったことにされたらしい。ルビアナがいなくなった後のルビティアをどうするのかについては、まだ検討中だそうだ。

 郊外に墜落したペダン星人の円盤も、今はどうこうする余力がないので周囲を立ち入り禁止にして放置されている。調査が行われるようになるには、まだしばらくかかることだろう。

 半焼した王宮も、再建は後回しにされることとなった。それよりも、女王にはやるべきことが多かったし、ウェールズも帰国を延期して助力してくれている。

 また、仮装舞踏会に集まった数多くの貴賓に対する詫びも山積している。アンリエッタとウェールズが毅然とした態度を示したおかげで表立って文句をつけてくる者はいなかったが、今後の外交にも影響を及ぼしてくるのは間違いない。

 そのほかにも、細かなものまで含めれば眩暈がするような問題が積みあがっていた。少なくとも、あと一週間は騒動は続くことだろう。聞くところによると、ルイズたちや水精霊騎士隊の皆も自発的に動いているらしい。

 だが、不謹慎ながらギーシュは後始末に追われるそんな人たちをうらやましいと思えた。多忙であれば、その間だけは胸の奥の喪失感を忘れることができるからだ。

 

 ルビアナは……もういない。ギーシュは目を覚まして真っ先にモンモランシーにルビアナの消息を尋ねたが、モンモランシーは悲しげに首を振った。一晩中燃え続けたキングジョーブラックの残骸が鎮火した後、瓦礫の山の底まで掘り返されたが、とうとうルビアナの遺体は見つからなかったのだそうだ。

 完全に燃え尽きてしまったのか、それとも……。確かなことは、あの夜以降、ルビアナの姿を見た者は誰もいないということだけである。

「今でも、君がどこかで生きているんじゃないかって、淡い期待を抱いてるよ。ルビアナ……でももう、君がぼくたちの前に現れてくれることは二度とないのだろうね」

 ギーシュの見下ろす先で、墓石に備えられた花束が風を受けて小さく揺れている。自然と目からは涙がこぼれてくるが、ぬぐいたくても手が動かない。

「ルビアナ、ぼくは本当に、こうすることでよかったんだろうか?」

 流れる涙を、モンモランシーがハンカチでぬぐってくれた。モンモランシーも墓石を見下ろしながら、寂しげにつぶやく。

「きっと、ルビアナさんは満足してくれているわ。ギーシュ、あなたがルビアナさんの願いをかなえてあげたのよ」

「ぼくにはわからないよ。ルビアナがそれを望んでいたのはわかるけど、どうしてぼくに討たれなきゃいけなかったんだ?」

「そうね……きっとそれが、ルビアナさんが何億年も生きてきて求め続けていた本当の理由。理想の世界、光の国、ルビアナさんは果てしない夢を追っていたように見えたけど、きっとそれらは本当に欲しかったもののための代わりだったんじゃないかしら」

「それこそわからないよ。ルビアナほどの人が求めても手に入らないなんて、そんなすごい宝があるのかい?」

 ギーシュは心からモンモランシーに尋ねた。永遠の命さえ手に入れ、全知全能に等しい力を持っていたルビアナでも手に入れられなかったもの。どれだけ考えても、ギーシュにはわからなかった。

 するとモンモランシーは目を伏せると、次に空をあおぎながらゆっくりと言った。

「ルビアナさんはきっと……お母さんになりたかったんじゃないかしら」

「え……?」

「ルビアナさんが教えてくれたの。自分の夢は、お嫁さんになることだって。あの人はずっと、なにかを愛し、育てることを続けてきたわ。それは、母としての在りようそのもの……だけど、ルビアナさんは自分の子供だけは持てなかった……あの人はずっと、産むことのできない自分の子供を探し続けていたんだと思うわ」

「そんな、ルビアナほどの器量なら婿になりたい男なんていくらだって」

 ギーシュが戸惑ったように言うと、モンモランシーはぎろりとギーシュを厳しい視線で睨み返した。

「子供のためだけに好きでもない男に抱かれろって言うの? わたしなら死んでもごめんだわ」

「う、それは……」

「覚えておきなさい。男はともかく、女にとって結婚は自分のすべてを捧げることなのよ。男の汚れた理屈なんかで女を軽く計らないで」

 モンモランシーから浮気した時でもこんなきつく言われたことはなかったので、ギーシュはひやりとしながらうなづいた。そういえば、アンリエッタ女王陛下も昔に政略結婚でゲルマニアの皇帝と縁談が上がりかけたことがあったが、そうして思えばどれほどの苦悩だったのだろう。

 だが、考えてみればそのとおりだ。ルビアナは、子供を産む体は残していると言っていたが、それだけ長い時を生きたにも関わらずに子供はいなかった。そして、ルビアナはその全能ゆえに、伴侶となりえる男子とだけは巡り合えなかったのかもしれない。それはきっと、とても悲しいことなのだろうとギーシュは思った。普通の人間なら誰しも持てるはずの幸せを、彼女は逆に手に入れられなかったのだ。

「すべてを愛していたけれど、本当に愛し愛されたい人にだけは巡り合えなかったのか……ルビアナ、君は本当に純粋な人だったんだね。一度でも、君を思いきり抱き締めてあげたかった。けれどモンモランシー、それとどうしてルビアナがぼくに討たれることがつながるんだい?」

「……わたしが魔法学院に入る前、お母様に言われたことがあるの。「モンモランシー、魔法学院で勉強して立派なメイジになるのよ。あなたが母よりも優れた人間になることが、母にとって一番の喜びであり恩返しだと思いなさい」って……親にとって最大の願いは、子供が自分を超えていくこと。ルビアナさんも同じ気持ちだったとしたら、きっとギーシュに倒されることで、この世界の人間が自分より優れているということを証明してもらいたかったのよ」

「……悲しいね。望みが叶う瞬間が、自分が死ぬ時だなんて。フッ、でもそれじゃぼくはルビアナの子みたいじゃないか」

「そうね。たぶんルビアナさんにとって、あんたは愛しい男性であると同時に手のかかる息子みたいなものだったんでしょう。それを、歪んでると思う?」

 モンモランシーが聞くと、ギーシュはさっきモンモランシーがやったのと同じように空を仰いで答えた。

「人間なんて多かれ少なかれ歪んでるもんさ。レディは、そこが愛しいんじゃないか。だけど、ぼくもまだまだレディに対する勉強が足りないね。モンモランシーだけがルビアナの思いに気づけたのも、きっとルビアナは君のことも妹や娘のように思っていたからなんだろうね」

「ええ、本当に誰よりも愛の深かった人……だからこそ、もっとも愛するものを突き放さなきゃいけなかったのよ」

 人は愛するものをずっと自分のそばに置いておこうとする。だが、親は子供のためにあえて試練を与えて親離れをうながさねばならない。

 ルビアナはこれまでにも、心血を注いで育ててきた星の人々が自立し、自力で繁栄できるように願ってきた。だが、皮肉なことにルビアナは優れすぎるがゆえに、星々の人々はルビアナの手を離れて生きることができなかった。

 籠の中のカナリアは、どんなに羽つやが良く、美しい声で鳴けたとしても籠の外では生きていけない。そう気づいてしまったルビアナは、籠の中を理想の世界、光の国にして、永遠に守り続けていこうとしていた。けれどルビアナは本心では待っていたのだ。籠の外に飛び出して、鷹やカラスとも渡り合っていけるような強いカナリアを。

 自分たちはそうして、ついに自立の証を立てた。ルビアナはそれを見届けた以上、親として退場しなければならなかったのだ。それが正しかったのかどうか、もう確かめる術はない。それでもルビアナは最後の最後まで、自分以外のもののために尽くそうとしていた。それだけは間違いない。

 最後にギーシュたちは目を閉じてルビアナのために祈りを捧げた。

「さようならルビアナ。君のことは永遠に忘れない」

「わたしたちがあなたの期待にどこまで応えられるかはわからない。けど、できるだけやってみるわ。あなたも愛してくれたこのハルケギニアを、守り抜いて見せるから」

 ルビアナの存在は確かにハルケギニアに混乱を招いた。しかし、同時に多くの人を救い、様々なことを学ばせてくれた。

 せめて、空のかなたからハルケギニアを見守っていてくれと二人は願った。ルビアナが夢見た、幸福な未来を築いていくためにがんばるから。

 祈る二人の傍らを、誰かの吐息に似た優しい風が通り過ぎていったような感じがした。

 

 そうして祈りの時間が過ぎると、ギーシュはモンモランシーを伴って帰路についた。

「さ、そろそろ帰ろうかモンモランシー」

「転ばないでよ。あなたの腕、これ以上痛めたら本当に切るしかなくなるんだからね」

 当分の間ギーシュは両腕が使えないため、日常生活でも食事でもモンモランシーの介助が必要になる。貴族のギーシュならば専属の看護婦を一人つけるくらいはできなくはないが、モンモランシーがぜひ自分がと譲らなかった。

「あんたみたいなのを一人で置いとけば病院の迷惑になるわ。このわたしが治るまでついていてあげるから感謝しなさい」

「モンモランシー! 君はなんてすばらしい人なんだ。さすがのぼくでもそれだけは恥ずかしくて言えないと思っていたのに。ああ、こんなバラ色の入院生活を送る患者なんてこの世にいていいのだろうか!」

 ギーシュは歓喜でモンモランシーの提案を受け入れた。もっともモンモランシーにとっては、ギーシュが浮気できない上に否が応でも自分に頼らなければならないなんていう状況、そうそうあるものではない。こんな大チャンスを逃す手はなかった。

 朝から晩までお互いにいっしょ。考えただけで二人とも興奮するが、モンモランシーは内心で、「待ってなさいよギーシュ。この機会にじっくり調教して、わたしのことしか見られないようにしてあげる」と、野心を燃やしていた。

 恋愛はあらゆる手段が正当化されるという。男を我が物にする最終手段として、両手両足ぶっちぎってその女なしでは生きられないようにしてやれという怖いものがあるが、その機会が向こうからやってきてくれたのだ。

「もしかしてルビアナさんはここまで見越して、わたしにギーシュを落とせと言ってくれているのかも。ルビアナさん、見守っていてください。わたし必ずギーシュをものにして見せますから!」

 ギーシュの肩を支えながら、モンモランシーは心の中で誓った。青空の上でルビアナが、そんな二人を応援するように優しく微笑んだ気がした。

 失った人は帰らない。しかし、いつまでもメソメソしてはいられないと、二人は努めて明るく今を生きようとしていた。

 

 

 だが、ハルケギニアのはるかな空の上から全てを見下ろして高笑いする影が一つ。

「アッハッハッハ! コォンプリートゥ! ついに手に入れましたよ。高純度で量もバッチリな『悲しみ』の感情のエネルギーを。ペダン星人さん、あなたには何度も煮え湯を飲まされましたが、最後だけは感謝しましょう。これで、私の実験を開始するには十分な数の素材が集まりました。あとは、あの感情さえ採集できればフル・コンプリート! そのためにも、最後に最高の茶番を期待しますよ。その暁には……フフフ、アーハッハッ!」

 我が世の春が来たと、コウモリ姿の影が揺れる。

 ついに邪魔者がいなくなった今、彼が狙うものとはなんなのか? グラン・トロワのはるか地下で、途方もなく巨大な何かが脈動を始めていたことを知る者は、まだ誰もいない。 

  

「フフフ、これからさらに賑やかになりますよ。そろそろ、あの方々にも登場していただきますか。フフフ、フッフハハ……」

 

 

 

 続く



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第94話  ルイズのパイ焼き大作戦

 第94話

 ルイズのパイ焼き大作戦

 

 鬼面宇宙人 きさらぎ星人 登場

 

 

 その小さな物語は、ルビアナとの戦いが終わった二日後の朝に始まる。

 朝日を浴びるトリステイン王宮。しかし、二日前までは壮麗な輝きを放っていた建物は半壊し、その大半はまだ片付けられずに放置されている有り様をさらしている。

 そんな瓦礫の散乱する王宮の中庭に、憂鬱な表情でルイズと才人がたたずんでいた。

「はあーぁ」

「またため息ついてるのかよ、今日で何回目だよルイズ?」

 才人がうんざりしたように抗議しても、ルイズの暗い表情に変わりはなかった。

 今、彼らは魔法学院から駆けつけてきた水精霊騎士隊の仲間たちと共に、王宮の警備に当たっている。本来なら本職の魔法衞士が務める役割だが、先日のルビアナとの戦いの折に宮殿内に放たれたヒュプナスとの交戦で多数の負傷者が出たために人手が足りず、彼らまで穴埋めに駆り出されている状態であった。

 しかし、比較的重要度の低い場所への配置であったため、最初は気を張っていた彼らも今ではすっかり私語をかわすほど緩んでいた。ただその中で、ルイズだけは沈んだ様子を続けて皆から浮いていた。

「いい加減にしろよルイズ。もう終わったことなんだ、これ以上気にしたって仕方ねえだろ」

「でもわたし、今度のことで何も役に立てなかったんだもん。ルビアナさんに啖呵切ったけど、杖を飛ばされてギーシュを見てるだけしかできなかったし……わたしが、もっと強ければルビアナさんも……はぁ」

 またため息をつくルイズを横目で見て、才人は「ルイズはクソ真面目だからなあ」としみじみ思った。責任感が強く頑固だから、自分に落ち度があると思うととことん突き詰めてしまう。

 だが、今回については才人もルイズの気持ちがわからないではない。

「ルイズ、あんまり気にするとルビアナさんに失礼だぜ。あの人は、きっとあれで満足してたんだ。おれたちだって、あのときできるだけのことはした。そうだろ?」

「そうだけど……わたしはこれでも、伝説の虚無の担い手なのよ。こんなときに役立てなきゃどうするの?」

「はぁ……お前って奴は。しょうがねえな、ここはおれが見てるから、ちょっとそのへん散歩して風に当たってこいよ」

「うん、そうするわ……」

 そう言ってふらふらと力なく歩いていったルイズを見送って、才人は「今回は重症だな」と、ため息をついた。

 そしてルイズがいなくなったことで、空気を読んでくれていたレイナールが隣にやってきて才人の肩を叩いた。

「お疲れさま、ルイズのご機嫌とらなきゃならないのも大変だね」

「今回はましなほうだよ。癇癪起こして暴れられるよりかは、ちょっとはな」

 疲れた様子で息を吐く才人を、レイナールは慰めるようにもう一度肩を叩いた。

 水精霊騎士隊の皆には、ルビアナが宇宙人であったことはまだ伝えず、話を濁している。こいつらの中には口の軽い奴もいるし、やはりショックが大きいと思ったからだ。

「そういえば、ギーシュはまだ目が覚めないのか?」

「モンモランシーがつきっきりで看病してるけど、容態はもう安定してるそうだ。今日明日には目が覚めるって聞いたよ」

「そうか、目が覚めたときあいつが一番つらいだろうな……」

 もうしばらくは、このことは伏せたままでいなければならないために、才人も気が重い。それに、ルイズの気持ちだってよくわかる。才人だって、今回はたいした働きができずにギーシュを見守るしかできなかったのだ。

 だが才人はある程度楽観的に切り替えることができるが、ルイズは引きずるほうだから始末が悪いのである。

「それもまあ、ルイズのいいところでもあるんだけどなあ……」

「君もよくあんなやっかいなご主人に仕え続けられるものだね」

「ルイズがめんどくさい女なのは最初っからさ。そういうレイナールこそ、気になってる子はいないのかよ?」

「えっ? ぼ、ぼくは」

 才人の反撃で眼鏡をずり下げさせてどもるレイナール。そうして面白そうだと集まってきた水精霊騎士隊の仲間たちも加わって、場は一気にコイバナ大会の様相を見せ始めた。

 そして、わいわいとばか騒ぎを始める悪友たちに混ざりながら、才人はルイズが早く立ち直れることを祈るのだった。

 

 

 そしてその頃、ルイズはとぼとぼと当てもなく宮殿の中を歩いていた。

「なによサイトったら、なにもわかってないんだから……」

 ぶつぶつ呟きながらルイズは足元の小石を蹴っ飛ばした。才人に対して愚痴るのも何回目になるかわからないが、言わずにはおれなかった。

「わたしはヴァリエール家のルイズ、女王陛下の杖なのよ。敵を倒せない杖なんて、そんなの何の価値もないじゃないのよ」

 ルイズは貴族として、そうあるべきだと信じ、そうなりたいと願ってきた。だが才人は違う、才人にも夢や目標はあるが、そこが自分と才人のどうしても埋めがたい溝だとルイズは思っている。

 これをアンリエッタが聞けば、そんなことはないと叱りつけるであろうが、今のアンリエッタは事件の後始末に追われてとてもルイズに会う余裕などはなかった。

 何度も自問自答しながら、気が晴れないルイズ。しかし、そんな折のルイズに突然話しかけた声があった。

「なるほど、それで落ち込んでたんだな」

「えっ! だ、誰!?」

 人気のないところでいきなり声をかけられ、ルイズは驚いて周りを見回したが、誰の人影もなかった。すると、今度はさっきよりはっきりわかる声がルイズの耳に響いた。

「ここだここ、俺の声を忘れたかい?」

「え、えっ? あ、その声はエース、いえ、ホクトさん?」

 それは才人とルイズに一体化しているウルトラマンAこと、北斗星司の声だったのだ。しかし、普段は北斗のほうから話しかけてくることは滅多にないためにルイズが戸惑っていると、北斗は少し申し訳なさそうに言った。

「驚かせてしまってごめんごめん。いつもは君たちのプライバシーに触らないように見聞きすることを控えてるけど、ずいぶん鬱屈した感情が伝わってきたからなにかと思ってね」

「は、はい、ごめんなさい……」

 エースではなく、北斗としての温和で優しい言葉で話しかけられて、ルイズは思わず謝ってしまった。そして、そんなにひどく落ち込んでいたのかと恥ずかしくなってしまった。

 けれど、これは自分の問題だからとごまかそうとしたとき、北斗はもう一度ルイズをどきりとさせた。

「よければ俺にちょっと話してみないかい? 一人じゃ答えが出せないんだろ」

「えっ? いえでも……ホクトさんは貴族じゃないし」

「貴族じゃなくても、伊達に君の倍以上生きてないさ。それに、話すだけでもだいぶ楽になるってよく言うだろ? 心配しなくても、才人くんに言ったりしないよ」

「うー……ほんとに、サイトに言ったりしないでよ」

 ルイズは迷ったが、考えが袋小路になっていたのも確かだったので、思いきって頼ってみることにした。これまでにも何度か北斗にはアドバイスをもらったことがあるし、才人に言わないというのが決め手になった。

 周りを見渡し、人影がないのを確認すると、ルイズは胸の内に溜め込んだ悩み……自分の力が今の戦いに及ばない悔しさを吐き出した。

 それは傍目から見たら一人言を言っているようにしか見えなかったろうが、話し終わったとき確かにルイズは少しスッキリする感じがした。そして、聞き届けた北斗の返した答えは、いかにも北斗らしいものであった。

「なら簡単だ、自分の力に自信がないなら鍛えればいい。君はまだ若いんだ、トレーニングする時間なんていくらでもあるじゃないか」

「えっと、いやそういうわけじゃないんだけど……」

 力業の解決方法が出てきてルイズは頭が痛くなった。魔法の訓練なら続けている。それでなお足りないと感じてるから悩んでるのに。

 こういうところは、さすが才人と気が合うだけはある。しかし北斗は、むずがるルイズにきちんと大人らしく諭した。

「なら、君の知っている強い人の中に、日々のトレーニングを怠っている人がいるかい? 俺たちウルトラ戦士だって、光の国にいるときはトレーニングを続けてる。やるべきことを続ける以上に強くなる方法なんてないさ」

「う……」

「俺たちの父さんも言っていたよ。実戦は出たとこ勝負だから、まずはどんな相手にも通じるように自分を鍛えろ、基本の力がなによりものをいうってね。強くなりたいなら、焦っちゃだめだ」

 北斗の正論に、ルイズは自分の未熟さをあらためて情けなく思った。周りは強い人ばかりなのに、自分だけ空回りしている。

 でも、欲しいのは今の力なのだ。

「わかったわ。けどホクトさん、いえミスタ・ホクト、強くなるためには他にできることはないの? わたしはもっと役に立てる杖になりたいの」

「そうだなあ、それなら戦う以外の経験もいろいろ積むことかな。君の言う杖というのは武器としてのものだろう? でも、杖はなにも戦うだけが能じゃないだろ?」

「そんなこと言っても、ヴァリエールは王家の騎士なのよ。戦う以外のことなんて」

「なら、君の知っている強い人たちはみんな、戦うしかできないような人ばかりなのかい?」

「う……」

 ルイズは言い返せなかった。母であるカリーヌは領地では父の不在時には為政者として辣腕を振るっているし、銃士隊も普段は治安維持のために捜査や取り締まりを行っている。

 誰もが、戦い以外でも役に立てる方法を持っている。そんなルイズを北斗は諭した。

「ひとつのことだけやって生きていけるのは、よほど器用な奴か、もしくはよほど不器用な奴だけさ。君はもっと、いろんな形で人を見たほうがいい。君の周りには、見習える大人がいっぱいいるんだからね」

「ホクトさんも、そうして見習ってきた人がいるの?」

「ああ、もちろんさ。父さんに、兄さんたち、まだまだ俺もみんなに比べたらひよっこさ」

 エースはウルトラの父の養子であり、幼いころはゾフィーに可愛がられてきた。それに北斗自身も孤児だった育ちもあり、人一倍人とのつながりにはこだわりがあった。

 懐かしそうに、北斗……エースは幼少時代を思い出していた。兄さんたち、きっと今頃は……。

 と、思い出にふけりかけていた北斗は、ルイズがまだ納得できていないのに気が付いて、ひとつ提案をしてみた。

「ルイズくん、君は誰かの役に立てない自分のことが許せないんだろう? なら、今はちょうど敵もいないし、戦う以外で役に立てる方法を探してみたらどうかな?」

「う、ううん、でもそんな急に言われても」

 ルイズにとって、魔法や勉強以外で知っていることといったら編み物くらいだが、これは毛糸の塊にしかならない代物で、自分ではよくできたつもりでも、それを見たシエスタが形容しがたい表情をしていたのが忘れられない。

 思えば、自分はずいぶんと無趣味だったんだなとルイズは思った。とび色の美しい瞳に悲しみがこもる。しかしその時、突然ルイズのおなかがキュルルとかわいらしく鳴いてしまった。

「あ……っ」

 突然のことでルイズは赤面した。そういえば朝から気が沈んでろくに食べていなかった。

 けれど、北斗は笑うどころか指をはじくようにうれしそうに言った。

「そうだ! ルイズくん、君の好きな食べ物はなんだっけ?」

「え? クックベリーパイ、だけど。それがどうしたの?」

 なんのことかと戸惑うルイズ。すると北斗はさらに驚くことを告げてきた。

「作るんだよ、君が自分の手で好きなものを。そうしてみんなにも食べてもらえば、好物も食べられてみんなにも喜んでもらえて一石二鳥だろ」

「えっ、ええーっ!? ちょ、ちょちょ待ってミスタ・ホクト! 突然そんなこと言われても、だいたい強くなることとなんの関係もないじゃない」

「なにかに迷ったときは、まずは好きなことから初めてみるのが近道さ。ぜんぜん関係ないことからヒントが見つかることだってある。それとも、こうしていじいじと歩き回って時間をつぶしているかい?」

 北斗の突拍子もない提案にルイズはためらったが、ほかに思いつくこともないのも確かだった。このままなんの変わりもなく才人のところに帰って呆れられたくはない。

「で、でもわたし食べ物をつくったことなんかないし……」

「それなら心配いらないって。なんてったって、俺はウルトラマンになる前はパン屋をやってたんだからな」

「ええっ? あ、あなたっていったいどんな人生送ってきたのよ?」

「ようし、じゃあ俺のTAC時代の思い出もついでに教えてやるよ。さあ、善は急げだ、ほらほら!」

 今日はやけにフレンドリーな北斗に押し切られる形で、ルイズは仕方なく城の厨房に向かって駆けていった。

 

 その後ろから、怪しげな視線を送っていた何者かがいることに気づかないまま……。

 

「まさかこんな簡単にキッチンを借りられるとは思わなかったわ……」

 十数分後、借りたエプロンを首から下げたルイズが複雑な表情で城の台所の一角に立っていた。

「いいことじゃないか、しばらくの間食料は城下街から仕入れるから厨房は使っていいって、ラッキーだったな」

「いえ、そういうことじゃないんだけど……はぁ、どうしてこういうときに限って」

 ルイズは北斗に乗せられてここまで来てしまったが、初めてキッチンに立つというのでやはりためらってしまっていた。だいたいこういうことは貴族がやるべきことではないはずだ。

 だが、ルイズがエプロンを脱ごうとしたとき、北斗は少し煽るように言った。

「おやあ、ここまで来て怖じ気づいたのかい? ヴァリエールの騎士というのは、パイを相手に敵前逃亡する人のことを言うのかな?」

「なんですって……上等じゃない! 逃げるなんて不名誉なことを貴族はしないって証明してあげるわよ! なによパイくらい、わたしにかかればそんなのチョイチョイなんだからね」

 煽り耐性が皆無なルイズはあっさりと挑発に乗り、生まれて初めてのパイ作りに挑戦することを宣言した。北斗はしめしめと、才人のやっていたのを真似したらこうもうまくいくものかと内心でほくそ笑んだ。

 食材は好きに使っていいと許可をもらってある。手を洗って三角巾をして、ルイズはまずパイ生地を作るために粉とボウルを集めた。

「えっと、言われた材料は集めたけど、これからどうすればいいの?」

「うん、材料は申し分ないな。じゃあ、俺の言う通りに材料を量って混ぜ合わせてくれ。ふふ、懐かしいな。神戸でコックをしていた頃を思い出すよ」

 懐かしそうに呟いた北斗の言葉とともに、ルイズの頭に賑わう厨房の光景がかいま見えた。

「今のって、ホクトさんの記憶?」

「ん? ああ、つい懐かしくてイメージが君にも届いてしまったようだ。お、計量はそれでいいよ。後はそれをボウルに移してかき混ぜるんだ」

「う、うん……こ、これけっこう力がいるのね」

「うんうん、なかなか筋がいいぞ。パイ生地は基礎だから多めに作っておかないとな」

「くぅっ、手が持つかしら」

 こんな大変なことをシエスタやリュリュは簡単そうにやっていたのか。ボウルの中で、パイ生地のもとがすごい抵抗でルイズの手に跳ね返ってくるが、今さら投げ出すのはルイズのプライドが許さなかった。

「がんばれ、きついのは最初だけで慣れてくると気にならなくなるよ」

「ううん、負けないんだから。なによパイ生地くらい、わたしは虚無のルイズなのよ!」

 根拠が不明な自信だが、日々才人をしばいて鍛えたルイズの腕力は小麦粉の反動によく耐えた。手つきは危なっかしいが、北斗は咎めることなくそれを見守っている。そしてルイズがエプロンを白いしぶきで汚しながらも慣れてくると、ルイズを褒めながら昔話をはじめた。

「うまいぞ、その調子だ。よし、ルイズくん、まだ時間がかかりそうだし、ウルトラマンAが……俺たちウルトラ兄弟が戦ってきた歴史を、そろそろ聞かせてあげようか」

「うん、ウルトラマンたち、光の戦士と呼ばれる人たちがどんな歴史を歩んできたか、勉強させてもらうわ」

 ウルトラマンたちがハルケギニアに来る前に地球でどんな活躍をしていたのか、才人や北斗からこれまで断片的に聞ける機会はあったけれども、時間をかけてじっくり聞かせてもらうのは思えばこれが初めてだった。

 どんな強敵を相手にしても、決して逃げずに立ち向かって平和を守る光の戦士、ウルトラマン。そんな彼らが才人の故郷”地球”でどう戦ってきたのか、ルイズは手を動かしながら耳を傾けた。

「長くなるからどのあたりから始めるかな。俺は元々パン屋に勤めてて、あの日もトラックにパンを積んで学校に向かってたんだ。けど、そのときに空を割って現れたのが、ヤプールが最初に送り込んできた超獣、あのベロクロンだったんだ」

 ただの人間だった北斗星司がウルトラマンAに選ばれて一体化し、超獣攻撃隊TACに入隊し、それから数々の超獣との戦いが始まっていった事実が、時折北斗の見せる記憶のビジョンに重なりながら語られていった。

 卑劣な策略で襲ってくるヤプールとの厳しい戦い。けれど、それに立ち向かって勝利していけたのはウルトラマンAの力だけではなく、共に戦うウルトラ兄弟たちや、TACの仲間ら人間の力。それらの歴史を、ルイズは手を動かしながら聞き続けた。

 

 だが、そうして時間を過ごすルイズの姿を物陰から不気味に見つめる怪しげな老婆の姿があった。

「キェッヘッヘッ、見たぞ見たぞ。ワシの目はごまかされんぞヒェッヘッヘッ、にっくきウルトラマンタロウの兄、ウルトラマンAめ。ここで会ったが百年目、あのときの仕返しをしてやるからなあ」

 見るからに普通ではないこの老婆、もちろんただの人間ではない。人間の老婆の姿に化けてはいるものの、その正体は悪質な性格のきさらぎ星人。彼女はルイズがウルトラマンAと一体であることを見抜き、邪悪な企みを胸にしていた。

 が、どうもこのきさらぎ星人はウルトラマンタロウに恨みがあるようだが、どうした因縁であろうか。

「忘れもせぬぞ、あの節分の日のことは。ウルトラマンタロウに宇宙に放り出されて、運悪くウルトラゾーンに引っかかってしもうた。そしてこの世界に落ちてきてからの苦節五十年。その恨みを思い知らせてくれるわ」

 わかりやすい独り言をどうもありがとう。

 つまり、このきさらぎ星人は昭和49年2月1日にウルトラマンタロウと戦ったきさらぎ星人本人ということになるわけだ。なるほど、あの時きさらぎ星人は捨て台詞に「来年の今日も来るからなーっ」と、言っていたのに結局来なかったのはハルケギニアに迷い込んでいたからだったんだね。

 さて、このきさらぎ星人。いったいどんな悪いことを企んでいるんだろう?

「ヒッヒッヒ、この世界にはワシの嫌いな豆はない。つまり怖いものはなあい。小娘め、今に恐ろしい目に会わせてやるぞよ」 

 不気味に笑うきさらぎ星人。もっとも、その着ている衣装は日雇いの掃除婦のおばちゃんのものであるからいまいち決まってない。宇宙人とはいえ、魔法使いがそこらじゅうにいるこの世界でタダで生活していくのは大変なんだね。

「おいバアさん! そんなところでサボってないで仕事しなさイ! 掃除する場所はいくらでも残ってるのヨ!」

「ハ、ハイィ今すぐぅ!」

 ごついおばさんのメイド長に怒鳴られて、きさらぎ星人は慌てて走っていった。世知辛い世の中は宇宙人でも甘やかしてくれないんだね、しょうがないね。

 はてさて、そんな悪巧みがすぐそばでされていたとは露知らず、ルイズは北斗星司の思い出話に聞き入っていた。

「それで、ヤプールを封印したはいいけど、ウルトラマンに戻る力を失ってしまった僕らは神戸という街にとどまってヤプールを監視しながら人間として生活することにしたんだ。で、俺は昔の経験を活かしてホテルのコックに就職してね。いやあ、あの頃は楽しかったなあ」

 それは戦士としてのものよりも、ひとりの人間北斗星司の人生そのものであった。

 笑いあり涙あり、出会いあり別れあり、それは北斗だけでなく彼の兄弟たちも同じで、それまで超人的な印象の強かったウルトラマンたちが皆、普通の人間と同じようにそれぞれの人生を歩んでいるということを教えていた。

 そして、そんな北斗の人生を見て、ルイズは率直に思ったことを尋ねてみた。

「ねえ、ホクトさん、どうしてあなたたちは、そんなに重い使命を背負ってるのに、そんなに普通に振る舞うことができるの?」

「ん? ああ、それで君は悩んでいるんだね。じゃあ逆に聞くけど、特別な人間は特別に振る舞わなきゃいけないなんていう決まりがあるのかい?」

「え? でも、特別な人間は持った力に応じた責任を背負わなきゃいけないわ」

「そう、責任は大事だ。でも、それで人生の全部を捧げなきゃいけないなんてことはない。俺も君も人形じゃあないんだ、笑って泣いて楽しんで休む権利はちゃんとある。自分で自分の心を檻に閉じ込めちゃいけないよ」

「心を檻に……でも、それは責任を果たせる人間に与えられる権利でしょ」

「その責任は君ひとりが負うべきものじゃない。みんなで分かち合うべきものだ。女の子ひとりに全部まかせて何もしないような世界なら滅んでしまったほうがいいだろ」

「ちょっ! それはいくらなんでもウルトラマンとして言い過ぎじゃない!?」

 ルイズが北斗の放言に慌てて突っ込むと、北斗は笑いながら撤回した。

「冗談だよ。でも、ウルトラマンだって無条件で人間を守ってるわけじゃない。君だって、単なる貴族の義務感だけじゃなくて、重い責任を背負っても守りたいものがあるからだろう?」

 北斗は豪快でおおざっぱな話し方をするが、話すことはルイズの閉ざされていた視野を少しずつ開いていく明るさを与えてくれた。そう、ルイズにとって、貴族の責務より守りたいものは……。

「はぁ、エレオノール姉さまみたいなのじゃなくて、ホクトさんみたいなお兄さんがいてくれればよかったのに」

「ははは、でも俺じゃあの厳しいお母さんのところじゃやってけないだろうな。あ、でもハヤタ兄さんやダン兄さんなら合うかもな」

「でしょうね。はーあ、わたしのところに来たのがホクトさんでよかったわ。真面目なお兄さんたちなら息が詰まってたかも」

「おいおい、それじゃまるで俺が適当みたいじゃないか。お、パイ生地の練りはそれくらいで充分だな。じゃあ、次に移ろうか」

 北斗の指導はさすがプロだけあって押し付けずに分かりやすく、お菓子作り初心者のルイズでもなんとか形にはなるように進められていた。

 パイ生地から焼き上げ、トッピングするフルーツやクリームを用意する。出来上がりの形が見えてくると、ルイズも口の中によだれがわいてきた。

 その間にも北斗の思い出話は続き、メビウスを助けるために月面でルナチクスと戦ったときや、太陽の黒点を消すために兄弟たちと宇宙に飛び立ったときなど、ルイズの想像を絶する話に驚かされた。

「暗黒の皇帝……すっごい敵と戦ってたのねあなたたち」

「ふーん、才人くんからけっこう聞いてるものと思ってたけど意外だな」

「あいつは興奮する上に話がわかりにくいのよ」

 でも、思えばちゃんと一度は聞いておくべきだったかもと思う。それもこれも才人が悪いとルイズは決めつけると、出来上がったパイの材料を並べて満悦した。

 色とりどりの具材。もちろんルイズの好物のクックベリーもあり、ワクワクがあふれ出してくる。

「はぅぅ、クックベリーパイぃ……一度でいいからお皿みたいなおっきなのを食べてみたかったのよね」

「じゃあ、後はトッピングするだけだね。どうだい? むずがらずに、なんでもやってみるものだろう」

「うーん、まだなんか騙されてるような気がするけど、まあいいわ。わたしだってちょっとした料理くらいできるのよ。これならサンドイッチだってクレープだってへっちゃらだわ」

 挟むものばかりだね、と言わないのが北斗の大人の優しさであった。

 けれど、こうしていると本当にTAC時代を思い出して懐かしくなる。TACの任務の傍ら、北斗は子供たちと触れ合う機会が多く、カイテイガガンのときやサウンドギラーのときなどに子供や若者を人生の先輩として導いてきた。

 エプロンと顔を白く汚したルイズは嬉々としてパイ生地の上にトッピングを始めた。もちろん形も不揃いで歪んでいるが、そんなことはどうでもいい。菓子作りに必要なのは、まず楽しむことだ。

「ちょっと味見を……んー、あまーい、おいしーっ」

 頬をとろけさせてルイズは微笑んだ。空腹のところに甘いもの、それは小さな悩みを吹き飛ばす威力を存分に持っていた。

 ここまでくればいくら不器用なルイズでもなんとかなる。北斗はルイズの機嫌がよくなっていくことに満足し、見守っていた。

 良かった、これで自信を取り戻してくれればいいが。北斗は、ルイズは生真面目すぎて道に突き当たると横道を探すということができないのを心配していたが、どうやらうまくいきそうである。

 ルイズは自分の好物のクックベリーパイを作ると、残った材料で皆に配る分を作り始めた。北斗は一応見ていたが、どうやらルイズはなにを作ってもなぜか生ごみになってしまうという不思議な特性はなさそうで、形は少し崩れているがなかなかおいしそうなパイが並んでいった。

 と、そうして手を動かしていたルイズの動きがふと止まった。

「そういえばサイトにも配るのよね。なら、日ごろのお礼もかねて……ふふ」

 なにやら含みのある笑みとともに、別の材料をトッピングしていくルイズ。包み紙もほかと間違えないためかひとつだけ銀紙でくるまれている。

「これで……うふふふ」

「なにを乗せたんだい?」

「秘密」

 ちょっと目を離していた北斗が尋ねても、ルイズは含み笑いをするだけで教えてくれなかった。

 それでも材料はいくらか余っていたので、パイ生地の残りを使ってルイズは作っていく。果たしてルイズは何を考えているのだろうか?

 

 だが、そのとき厨房にこっそりと忍び込んできた人影があった。誰だかもうわかるよね?

 

「きっひっひっ、ようやくメイド長をまいてきたぞよ。ワシがこんなことになったのも、すべておぬしらのせいじゃ、許さんぞぇ」

 そういうのを逆恨みというんだ。みんな知っているかな。

 戻ってきたきさらぎ星人は、物陰に隠れながらこそこそとルイズに近づいていく。ルイズはパイのトッピングに夢中で気が付いていないようだね。

「ひひひ、そろそろ頃合いじゃな。ひひ、ちょうどいいものがあるではないか。朝飯前とはこのことよ」

 こっそりときさらぎ星人はルイズに近づいていく。ルイズはまだ気づいてないよ。

 しかし、そのとききさらぎ星人の鼻をパイの甘い香りがくすぐった。

「うう、うまそうじゃ。そういえば働き詰めでろくに食っとらんかったで。ようし、せっかくじゃからひとつ……」

 そろそろと手を伸ばし、きさらぎ星人はテーブルの上に置かれていたパイのうち、一番立派そうに見えた銀紙に包まれたパイを盗み出した。

 醜悪な顔に笑みを浮かべ、大口を開けてかぶりつく。そして次の瞬間、厨房に大きな声が響き渡った。

「ぐぎゃあぁぁーっ!」

 形容しがたいすさまじい悲鳴。そのあまりの大きさで部屋の空気が震え、ルイズもびくりとして気が付いた。

 すると、床では見慣れない老婆が口を押えてのたうち回っている。何事かとルイズや北斗が驚いていると、床にかじられた跡のあるパイが転がっているのを見つけた。

「あっ! それサイトに食べさせようと思ってた特製パイじゃないの。あちゃあ、勝手に食べちゃったのね」

「なんかすごい苦しんでるようだけど……サイトくんに食べさせようとしてたって、何入れたんだい?」

「何って、タバスコと鷹の爪とハバネロとチリソースくらいだけど?」

「鬼だね、君」

 さらっと何のこともなしに聞くだけで体温が上がりそうなラインナップを並べるルイズに、さしもの北斗も才人に同情した。

 つまり、そんな爆弾のようなものを盗み食いしてしまったわけらしい。老婆は口を押えながらじたばたともがき苦しみ続けている。さらに地獄の底から響いてくるようなうめき声も続き、その苦しみが想像を絶しているのが察せられた。

「ルイズくん、助けてやったらどうだい?」

「いやよ、人のものを勝手に食べるのが悪いんじゃない。おかげでもう一回作り直さなきゃいけないわ」

 まだ才人に食べさせる気満々なルイズは、いったいどれだけ才人に恨みつらみがたまっているというのだろうか。

 しかし、このままではらちがあかないので、ルイズは仕方なしにのたうっている老婆に声をかけた。

「ちょっとあんた大丈夫? そこに水があるから飲んで落ち着きなさいよ」

 ルイズがうながすと、老婆は必死に水の入ったコップをひっつかまえて飲み干した。それで少しは収まったらしく、老婆は思いきり怒りにまかせてルイズに噛みついてきた。

「おほれほほひはくなほむふふめははほほはほほはふなはなをひはへるとはははひはろふのあにはけはあるな!(おのれこしゃくな小娘め、こんな卑劣な罠をしかけるなんて、さすがタロウの兄を宿しているだけはあるな)」

「は? なに言ってるのよあんた」

 思いきり宣戦布告を並べ立てているはずが、くちびると舌が真っ赤にはれ上がっていて言葉になっていなかった。哀れ。

 もちろんルイズは訳が分からずにしれっとするだけで、言葉が通じていないことに気づいていない老婆・きさらぎ星人はさらにまくしたてる。

「おおほほやつね、ほほひひのはへものをほい、以下省略(おのれこやつめ、毒入りの食べ物を置いてだまし討ちなんて鬼でもやらぬぞ。やはりウルトラ兄弟は裏切り者の卑怯者じゃ)」

「なによ怒ってるの。盗み食いなんかするあなたが悪いんじゃない」

「ははひほりおっへはあひくら、以下略(勝ち誇りおって、ああ憎らしい。おぬし、仮にも正義の味方として恥ずかしくないのか?)」

「ええ……もうそんなにしつこく怒らなくてもいいじゃない。そりゃまあ、サイトのデリカシーのなさにイライラしてたからちょっとこらしめてやろうと思ったけどさ、わたしだって日ごろからいっぱい我慢してるのよ」

 噛み合うようで噛み合っていない会話で、二人の間を微妙な空気が流れていく。ちなみに北斗には目の前の老婆は、地雷を踏んでしまったかわいそうなばあさんに見えていて、どうしたものかと考え中であった。

 けれど、さすがにルイズも悪いことをしたかなと思い始めた時だった。しびれを切らしたきさらぎ星人は、ついにルイズに実力行使に出た。

「へへひほほひは、以下(ええいこしゃくな。こうなればこうしてくれるわ、くらええい!)」

 怒ったきららぎ星人の口から白い糸のようなものが大量に吐き出されて、まるで網のようにルイズに絡みついた。

「きゃあっ! なによこれ、蜘蛛の巣? いやあっ」

 驚いたルイズは引きはがそうとするが、糸は粘っこいうえに絡みついてきて引きはがせない。しかも、どんどん増えてきてルイズをくるもうとしてくるではないか。

 そんなもがくルイズを見て老婆はうれしそうに笑い、しかもその顔はいつのまにか鬼の面のような恐ろし気なものに変わっていた。

「このばあさん、まさか宇宙人!」

 北斗はとっさの勘でそう気づいた。まさか、こっちの正体を知って襲ってきたというのか? まずい、才人がいない今は変身することができない。

 ルイズは頭から足まで白い糸にべったりと貼りつかれ、ミイラのようにされていく。杖を取り出そうとするがべたついてうまくいかず、きさらぎ星人は楽し気に笑いながら、もう一杯水を飲んで口の日照りをようやく落ち着かせると、やっと回るようになった舌で言った。

「ひっひっひ、ざまあみろじゃ、最初からこうすればよかったわい。どうじゃ動けまい、ひっひっひ」

「あ、あんた人間じゃないわね。人間に化けた、う、ウチュウジンでしょ!」

「今頃気が付いてももう遅いわい。そうれそれ、わしの糸にくるまれて、お前はだんだん繭になる。繭を叩いて丸めて握って、まるで豆のように小さくなる。そして小さくなったお前をこのパイ生地に包んで、ひょいっと食らってくれようぞ」

「じ、冗談じゃないわよ!」

 パイ生地を掲げて笑う鬼面のきさらぎ星人にルイズは必死で抵抗するが、どんどん体の自由が利かなくなってくる。

 これがきさらぎ星人の恐るべき能力で、かつてもこれでウルトラマンタロウの人間体である東光太郎を豆粒ほどに小さくしてピンチに陥れている。北斗はこれで、この老婆がきさらぎ星人であると気が付いたが、ここまでやられてしまった状態ではもうどうしようもなかった。

 ついに立っていることもできなくなったルイズはテーブルを巻き込むように倒れこみ、菓子の余りが周りに散乱した。

「ひぇっへっへっへ、もう少しでしまいじゃあ。小さくたたんで包んで、よーく噛み砕いて食ってやろう。小娘の肉はさぞ甘くてうまいじゃろうなあ」

 鬼そのものの形相で笑うきさらぎ星人。だが、このまま黙って食われてなるものかと、ルイズはかろうじて動けていた左手で、手近にあったなにかを思いっきり投げつけた。

「ええぇーい!」

「きぇっ? なんじゃこんなもの。む、ひ、ひぇぇぇ、豆ぇぇぇ!?」

 なんときさらぎ星人は自分に投げつけられたものに激しく驚き、信じられないほど狼狽したではないか。

 ルイズはそれを見て驚くとともに、自分がなにを投げつけたのかを見た。それは茶色いひとつまみほどの粒で、クルミの粉末を砂糖とともに練り上げた菓子だが、ぱっと見では炒り豆に見えなくもなく、それに気づいた北斗ははっとしてルイズに指示した。

「それだ! ルイズくん、それをあいつに向かってこう叫びながら投げるんだ」

「えっ! よ、ようしわかったわ」

 ルイズはきさらぎ星人が狼狽したからか拘束が緩んだ糸から脱出すると、その豆に似た菓子をつかんで立ち上がった。

 もちろんきさらぎ星人も我に返って襲い掛かってこようとする。しかしルイズは思いきり振りかぶると、北斗から教わった言葉を叫びながら全力で投げつけた。

「鬼はーっ、外ーっ!」

「いだだっ! 痛いーっ!」

「福はー、内ーっ!」

「いだだだだ! ひぃぃぃ、豆は、豆だけは嫌いなんじゃああ!」

 さすが、鬼に豆まきは効果抜群であった。本当は豆ではなくてきさらぎ星人の勘違いなのだが、鬼が豆を嫌いになった昔話でも鬼の勘違いが原因であった。要は気の持ちようなのだ。

「鬼はー外! 福はー内!」

「ひえええ、痛い痛い」

 ルイズも楽しくなってきて、さっきの仕返しもかえて歌うように叫びながら豆もどきを投げる。

 節分とは、厄を払って心身の健康と幸福を願う行事。時期が違っても世界が違っても、北斗もいっしょになって「鬼は外」と唱えて、確かに今ルイズは元気を取り戻しつつあった。

 やがて、投げる豆もどきもなくなってようやく豆つぶてが止んだとき、すでに決着はついていた。

「いててて、よくもやってくれたな小娘め。こうなったらワシの本当の姿を見せ、てぇ!?」

 きさらぎ星人は、自分の正体である巨大怪獣オニバンバの姿に戻ってルイズを踏み潰してやろうと振り返ったが、そのときにはすでにルイズは凛々しい表情で呪文の詠唱を終えてしまっていた。

「わたしの前に現れたことを後悔しなさい。鬼はーっ『エクスプロージョン!』」

 ルイズの十八番の爆発魔法が炸裂し、きさらぎ星人は変身する間もなく大爆発によってお空のかなたへとぶっ飛ばされたのであった。

「ちっくしょーっ、来年の節分こそは帰ってきてやるからなーっ。それまで覚えてろーっ」

 捨て台詞を吐いてお星さまになっていくきさらぎ星人。次に彼女がたどり着くのはどの星だろうか? もし君の町であやしいおばあさんを見かけたら、豆を用意しておくといいかもしれないね。

 そして、城の壁に大穴を空けるほどのエクスプロージョンできさらぎ星人をやっつけたルイズは、ふうと息をついて勝ち誇った。

「ま、ざっとこんなものよ」

 フフンと、無い胸を張ってつぶやくルイズ。ルイズはすっかり元の自信を取り戻していた。

 けれど、騒ぎのせいで厨房は無茶苦茶になってしまった。作ったパイのいくらかは難を逃れているものの、もう才人用特製パイを作ることはできなさそうで、ルイズは残念そうに顔をしかめた。

 すると、そこへ騒ぎを聞きつけた才人や水精霊騎士隊の少年たちが駆けつけてきて惨状に声を上げた。

「うわっ、なんだこりゃ!」

「ルイズ、お前今度はなにやったんだよ」

 レイナールやギムリをはじめとした顔ぶれが詰め寄ってきて、ルイズは思わず後ずさった。これはまずいわ、この状況だと自分が暴れて厨房を壊したようにしか見えないじゃないの。

「あ、えっと、あの」

 どうやっても弁解の余地のない状況にルイズは冷や汗を流しまくった。非常にまずい、もしイライラして城の一部を壊したなんてお母様に言われたら殺される。

 だがそこへ、北斗が才人の耳にひそひそと耳打ちして、才人はみんなに聞こえるくらいびっくりした大声で叫んだ。

「ええっ、なんだって! ルイズ、お前城の中に忍び込んでいた宇宙人をやっつけてたのかよ!」

「えっ、ええっ!?」

 突然の才人の叫びに、ルイズは心臓が止まるほど驚いた。だが才人はそのままルイズの前までやってくると、誇らしげな顔でルイズの肩を掴んで言った。

「危なかったな、そんなときに傍にいてやれなくて悪りい。けど、ひとりでも宇宙人を倒せちまうなんて、さすがルイズだ。すげえじゃねえか!」

「あ、あぅぅぅ……」

 才人に思いもよらない優しくて力強い言葉をかけられて、ルイズは顔から湯気が出そうなほど赤面するばかりだった。

 水精霊騎士隊の少年たちも最初は困惑していたが、才人の自信たっぷりな言い方で、もともと根が単純な連中ばかりなのでやがて信用して、口々にルイズをほめたたえてきた。

「すごいなルイズ、おれたちの知らないところで一人でパトロールしてるなんてさ」

「一人でウチュウジンを倒せるなんて信じられないけどすげえぜ、どんな奴だったんだ? なんだサイト? え、鬼みたいな奴だった? 鬼でもルイズにはかなわないってことか」

 こんなにみんなから褒められたことなんかないルイズは、どうしていいかわからずにおろおろするばかりだった。

 しかも才人はテーブルの上に並べられたパイに目をつけると、ひょいとひとつ手に取ってパクっといったのである。

「おおっ、こりゃうまいな! ルイズ、お前がおれたちのために用意してくれてたのか。お前にこんな特技があったなんてな、見直したぜ!」

「あっ、それはそのっ! えっと……そ、そうかホクトさんね、サイトに変な入れ知恵してるのは」

 妙に饒舌な才人に違和感を持ったルイズがはっとして指摘すると、北斗はしれっとした様子で答えた。

「君たちのパターンだと、ちょっと後ろから押す程度がちょうどいいと思ってね。どうだい? 変に特別を目指したりしなくても、普通のパイだけでじゅうぶん喜んでもらえるだろう」

 悔しいけど返す言葉がなかった。ルイズの作った不格好なパイで才人は美味いと喜んでくれていて、いたずらで作った激辛パイではこうはいかなかっただろう。

 才人は北斗から、今は大げさでもいいから誉めてやれと言われていたが、そんなこと言われなくてもルイズが自分のために手作りのパイを作ってくれたというだけでうれしかった。

「ルイズ、お前ってけっこう器用だったんだな。よかったらまた作ってくれよ」

「か、勘違いしないでよね。これは、わたしが食べるために作った、そのついでなんだから! あんたのためじゃないんだからね!」

 必死にごまかしながらも、もうルイズの表情には自信を失っていた時の暗い影はなかった。才人に続いてみんなもパイをつまんで食べて喜び、うまいとほめてくれる。

 自分の信じる道を突き進むことは大事だが、道はなにもそれだけではない。ルイズは、自分にはできないと決めつけていたが、こんな誰にでもできそうなことでも才人やみんなは喜んでくれる。

 普通……それはつまらないことに思えるが、実はとても大切なことだとルイズは理解した。それと、悔しいけれども自分にはまだ新しく始められることがあると教えてくれた北斗には感謝した。

 

 ルイズも才人たちに囲まれながらいつのまにか笑っていた。北斗はそんなルイズたちを見ながら、そっとルイズと才人の中へと帰っていき、そして最後に青空を仰いで思った。

「ゾフィー兄さん、彼らを見ていると俺たち兄弟の子供のころを思い出します。本当なら、彼らのような若者には戦ってほしくはないですが、彼らは自分の故郷のために命をかけようとしています。俺たちは彼らを助けなければならない。兄弟のみんな、みんなもきっと……」

 空の雲は流れて、二度と同じ形には戻らずに崩れて消えていく。しかし、雲はどこからか流れてきて、今は晴れていてもいつか曇って雨を降らせる。

 世界に雨が降り始めたとき、傘となるのは誰か? 風に湿り気が混じり始め、その時が近いことを北斗は感じ取っていた。

 

 

 

 その後……?

 

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 続く



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第95話  オスマン学院長の平穏な日常

 第95話

 オスマン学院長の平穏な日常

 

 誘拐怪人 レイビーク星人 登場

 

 

 その日はのどかで暖かい朝日から一日が始まった。

 緑に覆われた平原の中に、石造りの壮麗な輝きを放ってトリステイン魔法学院はそびえ立っている。

 そこはトリステインの首都トリスタニアから馬で三時間ほどの僻地にあり、周囲の環境は良好で、きれいな水と空気に恵まれたここには、トリスタニアで起きている大事件の騒ぎも届かない。 

 生徒は国内中から貴族の子弟が爵位に関わらずに集まり、国外からの留学も受け入れる名門校として知られている。

 そして、数百人の貴族の子弟を預かるこの学校をまとめるのが、齡数百を数えると噂される老齢のメイジ、オールド・オスマン学院長である。

 立派な白髭を蓄え、ローブをまとった姿は威厳たっぷりであり、いまだ衰えない眼光を見た新入生はすべからく彼に尊敬を抱くという。

 では、才人やルイズがギーシュたちといっしょに出かけて不在のある日を選んで、あまり知られていないオスマン学院長の華麗なる一日を紹介することにしよう。

 

 

 オスマン学院長の日課は、まず朝の学院長室での執務から始まる。

「やれやれ、また生徒の父兄からの要求書かの。爵位ごとにクラスを分けろなど、この学院の意義がまーだわかっとらん者がおるのう。こっちは王宮からの書簡か、また予算についての文句じゃろう。またわしが一筆しなければならんじゃろうなあ」

 うんざりした様子で数々の問題を決裁していくオスマンの姿は、一見威厳とは無縁でどこにでもある光景に見える。だが、名門校ということは相応に様々な問題が集まってくるということであり、それが問題として表面化しないのはオスマンの手腕あってのことだった。

 そのオスマンの隣には眼鏡の美人秘書であるミス・ロングビルが立ち、山積みになっている書類を整理して渡している。

 まさに知的で有能な老紳士の一幕……と、ここまでなら誰もが思うだろう。しかし、オスマンには毎回ロングビルを辟易させる、あるどーしよーもない悪癖があった。

「ほれどうした、ミス・ロングビル? はよう次の書類を取ってくれい」

「学院長、書類はあなたの目の前にあります。それより、書類を探してるふりしてどこをまさぐってるんですか?」

 ひきつったロングビルの声の下で、オスマンの右手はロングビルのスカートの中で上下しており、それを指摘されたオスマンはにやけた顔をしながらしれっと答えた。

「おお、これはこれは。年を取ると目が悪くなるもので、つい手があらぬ方向へ。ひょひょ、それにしても相変わらずいい尻をしておるのうミス・ロングビル」

「くぉんの、エロジジイがぁ!」

 ロングビルはオスマンの腕を掴んで宙に飛び上がり、そして……。

 と、そのとき執務室のドアがノックされて、部屋に黒髪のメイドのシエスタが入ってきたが。

「失礼します、朝食のブレッドとホットワインをお届けに、あら?」

「召喚されし書物で覚えた殺人技のひとーつ! 五所蹂躙絡みーっ!」

「ゲェーッ!」

 シエスタが見たのは、ロングビルに謎の技をかけられて血反吐を吐いている学院長の姿であった。

 しかし、シエスタは動揺した風も見せずに軽食を乗せたおぼんを持ったまま技をかけているロングビルに歩み寄ると、明るく朝の挨拶をした。

「おはようございます、ミス・ロングビル。”また”ですか」

「ええ、”また”よ」

 ロングビルは技を解き、オスマンはあおむけに床に崩れ落ちる。二人はそんなオスマンを冷たく見下ろしていたが、オスマンは寝転がったままシエスタを見上げると嬉しそうに口元を緩めた。

「おお、おはようシエスタくん。うむうむ、今日もスカートからのぞく君のお美脚は健康的で素晴らしいのう。ほっほっほっ」

「ありがとうございますぅ。ではこのホットワイン、冷めないうちにお召し上がりくださいね」

 そう固まった笑顔で言ったシエスタは、熱々のホットワインの入ったカップを傾けて、寝転がっているオスマンの顔にだばだばと注ぎかけた。

「あっづうーっ!」

 顔面を押さえてのたうち回る老紳士を、ロングビルとシエスタはゴミを見るような目で見下ろしているだけである。

 ここまで見ればお分かりであろう。このオスマンという老人は、若い女性に対して非常にお盛んなエロジジイなのである。

 覗き程度は日常茶飯事。場合によっては平気で触りにくる、老いてなお盛んどころではないセクハラ癖は学院で知らない者はいなかった。

 しかしこんなのでも学院長は学院長である。ロングビルはオスマンの首根っこを掴まえると無理矢理執務机につかせた。

「はい、書類は溜まってるんです。あと一時間で済ませますよ」

「むぅ、きっついのうミス・ロングビル。もう少し仕事に優しさがあってもいいじゃろう」

「うるっさい! こっちは育ち盛りのガキを何人も抱えてるから、こんな仕事でも惜しいのよ。働かないならこの無駄な髭をむしりとってカツラ屋に売り飛ばすよ」

 イライラしているロングビルに無理矢理うながされて、オスマンはしぶしぶ執務に戻るのだった。こうなるとしばらくは執務室に缶詰めだろう、シエスタはそそくさと執務室を後にした。

 

 だがメイドの仕事も負けず劣らずにハードである。ではここで、オスマンが動けない間にメイドの日常を少し紹介することにしよう。

 

 オスマンに朝食を届ける仕事が終わったシエスタは、すぐに洗濯物を片付ける仕事のほうに向かった。なにせ洗濯物と一口に言っても魔法学院数百人分の衣類に加えてシーツなどもあるから膨大な量に昇る。もちろん学院には何十人もメイドが勤めているけれど、急がなければならない仕事に変わりはなかった。

 だけれど、シエスタにとって仕事は決して苦痛ばかりではなかった。彼女に割り当てられた仕事場には、後輩と呼ぶべき仕事仲間が二人待っていたからだ。

「おはようございます、シエスタさん」

「おはよう」

 一人は太陽のように明るい笑顔で、もう一人はぶっきらぼうに挨拶をしてきて、シエスタもにこりと笑顔を返した。

 二人ともシエスタと同じくらいの若い娘で、鮮やかな金髪と美貌を持ち、お揃いのメイド服をまとっている。だがそれ以上に目を引くのは、二人ともぴんととがった耳を持っていることだ。

「おはようございます。ティファニアさん、ファーティマさん」

 この二人を指導することがシエスタの最近の仕事であった。もっとも、ティファニアはいつもは王立魔法アカデミーでルクシャナの手伝いをしているが、空いたときに入ってもらえるアルバイトみたいなもので、本命はもう一人のほう。そう、元鉄血団結党団員で、今は一介のエルフの騎士ファーティマをメイドとして鍛え上げることである。

「さてファーティマさん、何度言えばわかるんですか? あいさつはもっと明るくはきはきと、これはすべての基本なんですよ」

「ぐうぅ、なぜ私がこんなことを」

 心底嫌そうなファーティマを、シエスタは怒らずに指導していた。

 しかし、なぜ彼女がこんなところでメイド見習いなどをしているのだろう? 彼女の本意ではなさそうだが。

「私は、私には大切な使命があるのだ。こんなところでこんなことをしている場合ではないのだ!」

「じゃあ、その使命というのは?」

「ぐ、お、思い出せん……」

「でしょう? 路頭に迷っていたところをわたしがたまたま拾ってあげなかったらどうなっていたか。食べ物はタダじゃないんですから言うことを聞いてくださいね」

 ファーティマは悔しそうに頭を下げるしかなかった。そんな彼女にティファニアは優しく声をかける。

「大丈夫ですよ、きっとすぐに思い出せますから。それにファーティマさんの働いてるところ、可愛いって評判なんですから」

「くうぅ、嬉しくないぞ。だいたいここの蛮人どもはおかしいぞ、なんでエルフを見ても平気でいられるんだ」

 するとシエスタが首をかしげて言った。

「えっと、どうしてエルフを怖がらなくちゃいけないんですか?」

「そ、それがおかしいんだ。エルフと蛮人どもは昔から……昔から」

 なにかがおかしい、なにかが間違っていると思っても、それが何か分からなくてファーティマは顔を赤くした。

 けれど、食い扶持がなければエルフも生きられない。背に腹は変えられないファーティマに、シエスタはぱっぱと告げた。

「さあ、時間はありませんよ。みんなで分担してお洗濯はじめです!」

 手を叩いて合図し、水場で洗濯桶を並べて仕事は始まった。

「はいはい、手をリズミカルに動かしてください。一枚に時間をかけてはだめですよ」

「くうぅ、どうして私がこんな新兵みたいなことを」

「と言いつつ上手じゃないですかファーティマさん。てきぱきしてて、わたしより速いかもしれませんね」

「当然だ、自分のことは自分でできるように新兵時代に叩き込まれた。ティファニア、お前も……いや、なんでもない」 

「ふふ、お二人とも仲が良くていいですね。あ、そうそう、ちょっとした注意というか気になることなんですが……」

 話しつつ、時間内に三人のメイドは洗濯を終わらせて干し上げた。風にそよいで無数の洗濯物が舞う姿はなんとも素朴で美しい。

 シエスタは、二人の仕事ぶりに満足すると率直に誉めて、二人も照れ臭そうにうなずいた。

 しかし、メイドの仕事はまだまだこれからである。洗濯の次は掃除に食堂の準備など、やることは山ほど残っており、彼女たちは急いでそちらへ向かった。

 忙しさが嵐のようにやってくる。けれども、それは決してつらいことばかりではなかった。メイドの友達とのなにげない談笑、食堂ではシェフ見習いのリュリュの作った創作菓子の味見をさせてもらえるなど、この仕事ならではの役得もいろいろあり、はじめはかたくなだったファーティマの顔にも徐々に笑顔が浮かぶようになっていた。

 

 

 そしてこの頃になるとオスマンも執務を終えて、校内の見回りを始めていた。

「ほっほっほっ、生徒諸君、元気そうでなによりじゃ」

 年甲斐もなく達者な腰つきで校舎の中を歩くオスマンに、通りすぎる教師や生徒がお辞儀をしていく。

 オスマンは校長室に閉じこもって動かない象牙の塔の巨人というわけではなく、時には生徒と同じ目線に降りて見守る現場主義者としての面も持っている。

「生徒たちの生の姿を見て、若いもんと触れあうのが長生きの秘訣じゃて、ほっほっほっ」

 楽しそうにオスマンは傍らのロングビルに笑いかけた。

 だが、これを才人やギーシュが聞いたら不思議に思うことだろう。なぜなら、才人やギーシュは散策中のオスマンに会ったことなどはほとんどないからで、それを聞いたロングビルは心底呆れた表情で答えた。

「そりゃそうでしょうね、女子が実習しているところばかり見回りしてれば」

 これもオスマンの隠された特技で、彼は長年の勘と、使い魔のネズミのモートソグニルの偵察を駆使することで、男子を避けて女子の授業だけを観察することができるのだ。

「うんうん、最近の女子は発育が良くて素晴らしいのう。ちょっと遅れとる娘も二三年後には、むひょひょひょ」

 緩んだ顔で女子の授業を見つめるオスマンはどう見ても不審者であったが、女子たちももう慣れっこなのか自然と無視しているようであった。

 ロングビルは、それはそれで問題だなと思ったが、腐っても学院長なので生徒たちに近寄りすぎないように引き止める程度にしておいた。

 が、このエロジジイがはいわかりましたと自重するわけがない。ロングビルがちょっと目を離した隙に、痩せた老人の姿は影も形もなく消え失せていた。

「あれっ? オスマン学院長、どこへ? ちいぃっ! また逃げやがったな、あのクソジジイ!」

 ロングビルの激怒する声を聞いて授業中の生徒たちは、「ああ、またなのね」と思うのだった。そしてその時に教鞭をとっていた風の担当教諭のミスタ・ギトーは不健康そうな顔でため息をつきながら、転職先を探したほうがいいのかもしれん、と半ば本気で悩んでいた。

 

 そして、オスマンがどこへ逃げたのかと言えば当然女の子のいるところである。

「うひょひょ、やはりここはええのう、地上の楽園とはこのことじゃ」

 学院のある場所で、オスマンは小声で呟いていた。

 彼の目の前では女子たちがあられもない姿を無防備に晒している。ほどよく成長した乳と尻の肌色の天国。それが見れる場所は学院に二ヶ所、その一つは女子風呂だが、そこは強固な魔法の防犯装置が備わっており、オスマンでも侵入は不可能である。

 そしてもう一つ。男子なら誰もが夢見るエルドラド、以前オスマンはそこを覗こうとして失敗しているが、このエロジジイが一度の失敗で諦めるわけがない。その禁断の楽園の名は、女子更衣室である。

「むひょひょひょ、モートソグニルに一ヶ月もかけて壁に穴を開けさせてよかったわい。これじゃから教師はやめられんのう」

 と、教師として最低なことをのたまいながら、更衣室に開けた穴から女子生徒の着替えを興奮して覗くオスマン。視線の先では女子たちが何も知らずに下着姿をさらしており、中にはルイズのクラスメイトの姿もある。

 ああ、まさしく女の敵。邪悪の所業。このまま乙女の柔肌が、染み一つないふとももが、健康的な鎖骨が色欲に満ちた目にさらされ続けるのだろうか?

 だが、悪は長くは栄えない。覗きに夢中になって壁に張り付いているオスマンの背後から怒りに満ちた声が響いた。

「オースマーン学院長ぉ」

「はっ、ミ、ミス・ロングビル! なぜここに!?」

「状況判断ですわ。学院長の行きそうなところを考えれば、その行く先で最有力となるのは女子更衣室。できればそれくらいは自重する良心があってほしいと思ってましたが、覚悟はよろしいでしょうね?」

 ミス・ロングビルが盗賊フーケ時代でもしなかったような凄絶な笑みを浮かべて指を鳴らすと、更衣室内にいたはずの女子生徒たちが一斉に現れてオスマンを取り囲んでしまった。当たり前だが数十人の女子全員の顔が怒りに燃えている。

「ひょ、ひょほ、これはみんなで年寄りをいたわってくれるのかのう。マッサージでもしてくれるのかい?」

「ええ、気持ち良くてそのまま天国に行ってしまいそうなマッサージをたっぷりとね。背中、両腕、両足、頭、内臓、それに首を念入りに破壊してあげますね。さあ皆さん、やってしまいなさい!」

 冷や汗が髭にまで流れ出ているオスマンに、ロングビルはためらいなく死刑宣告を下した。たちまち殺意に満ちた女子生徒たちが殺到し、破壊の渦の中でなにかが叩きつけられる音やなにかがヘシ折られる音がいつまでも流れ続けたという。

 

 そしてその数十分後、放置されボロ雑巾のようになったオスマンのそばをシエスタたち三人が通りがかっていた。

「あら、こんなところにゴミが落ちてますね。焼却炉に持っていきましょうか」

「あの、シエスタさん? これ、オスマン学院長さんなんじゃないんですか」

「おい、これは一応お前たちの上司だろう。いくらなんでもそこまで無下に扱うのはどうかと思うが……」

 完全にモノを見る目付きのシエスタに耐えかねて、ティファニアとファーティマが抗議したが、シエスタは眉も動かさずに手に持っていた掃除用のバケツの水をぶっかけると踵を返した。

「この方にはこれでじゅうぶんです。さ、行きますよふたりとも」

 シエスタの冷酷な態度にティファニアとファーティマもそれ以上言えずに、言われるままついていくしかなかった。

 そしてさらに三分後、休憩してきたロングビルが戻ってくると、オスマンはむくりと起き上がった。

「あー、死ぬかと思ったわい」

「死ねばよかったのに。さ、行きますよ、まだ仕事はたっぷり残ってるんですからね」

 ロングビルが言うと、オスマンはよっこらしょっと、けろっとした様子で立ち上がった。

 そうして、何事もなかったようにオスマンは公務に戻っていった。ロングビルにとってはもう慣れたもののようである。

 

 しかし、真面目な話学院長の公務は中々に忙しいものである。ロングビルが読み上げる今日のスケジュールは、みっちりと詰め込まれていた。

「まずは生徒たちが壊した寮の修理の見積り、昼食を挟んで午後からはアルビオンの魔法学院の教頭との会談、続いて学院のスポンサーであるアルフ伯爵の歓待です」

 これらをこなさねばならないのだから楽なわけがない。だが、仕事となるとオスマンはさすがに老獪な姿を見せ、要人の歓待などもそつなくこなす様はロングビルも感心するものがあった。

 けれど、そうしたわずかな隙をついてセクハラに走るのがオスマンである。今度もロングビルがちょっと目を離した隙をついて、水の系統の授業で魔法に失敗してずぶぬれになった女子生徒の透けた制服を遠見の魔法で覗いていた。

「うひょひょ、見えるか見えないかの絶妙な透け具合がまたええのう」

 物陰に隠れてニヤニヤしている様はまさしく変態以外のなにものでもなかった。そこをたまたま通りがかったシエスタとティファニアとファーティマに見られていたが、ファーティマが呆れながらシエスタに尋ねた。

「なんという最低な男だ。なぜ、あんな奴が学院長を勤め続けられるんだ? 多少仕事ができようとも、普通なら訴えられて解任されるだろう」

「あら、ファーティマさんはまだこの学院のことが理解できていないようですね。この学院に、訴えるとか泣き寝入りするとかみたいな軟弱なことをする子なんていませんよ。ほら、見ててください、そろそろですよ」

 シエスタが言うと、覗きをしているオスマンの気配に気づいてか、ひとりの女子が大声をあげた。

「きゃーっ! 痴漢よ。あそこに痴漢がいますわよーっ!」

 その声を合図に、残りの女子生徒たちもはじかれたように飛び出してオスマンを包囲した。そして命乞いをするオスマンに構うことなく、制裁という名のリンチが始まった。

「変態よ変態よ、ぶち殺しあそばせ!」

「変態は殺しても罪になりませんことよ!」

 そのころ、例によって袋叩きに会っているオスマンをロングビルはニコニコしながら眺めていた。

 そして、シエスタはぽかんと眺めているティファニアとファーティマにこう言うのだった。

「破廉恥な殿方は即座に処刑するのが魔法学院の今の流儀なんですの。少し前まではギーシュ様たち男子が幅を利かせていましたけど、サイトさんがギーシュさまを成敗したり、キュルケさまが男子を手玉に取ったりするのを皆さんが見ているうちに、男子に遠慮するなんて馬鹿馬鹿しいじゃないかなと女子の皆さんも思うようになったみたいです」

「た、たくましいですね、皆さん」

「淑女とはいったい……」

「特に最近は図書室で見つかった新しい召喚されし書物がブームなんです。それにはいろんな必殺技が載ってまして、皆さんそれぞれの彼氏に使う前に覚えたての殺人技や残虐技を試してみたくてしょうがないみたいですよ」

 そう言って、シエスタは懐から一冊の小さな本を取り出して見せてくれた。絵物語風で字は読めないけれど、シエスタが「わたし、この人のファンなんです」という仮面の騎士が相手を肩に担ぎ上げて背骨折りをかけていた。

 ティファニアとファーティマはよく似た美貌を引きつらせて、見守っているばかりである。よく見れば、オスマンに制裁をかけている女生徒たちも魔法をぶっつけるだけでなく、前後からラリアットをかけたり首にニードロップをしたりと格闘技もぶつけている。

「だが、魔法学院なのに魔法を使わなくていいのか?」

「健全な魔法使いは健全な肉体の持ち主だとかで、ミス・ロングビルも奨励しているみたいですよ。ダイエットにもなって殿方も懲らしめられて、一石二鳥だとか」

 けれどこのままでは本当に殺してしまうのではとファーティマとティファニアは心配したが、ひとしきりオスマンを痛めつけて満足した女子生徒たちが去って行って、ロングビルが倒れているオスマンの頭を踏んづけると、オスマンはむくりと起き上がって何事もなかったようにローブの埃を払った。

 その後は、「あー、死ぬかと思ったわい」の一言。今度こそファーティマも呆然とすると、シエスタが冷たい目で言った。

「あのジジ……いえ、学院長は長生きで治癒の魔法が得意なのか知りませんが、どんなにボロボロに痛めつけても数分で復活してくるんですよ。一日で五、六回くらいは殺されて生き返ってるんじゃないですか? おかげで今では使い減りしない魔法の的として重宝されているくらいだそうです」

「あのジジイは本当に人間か……?」

 エルフの治癒魔法を使ってもここまでしぶとくはないぞとファーティマはぞっとした。

 だが、オスマンにそれを問いただせば「わしはただのジジイじゃよ」と、笑いながら答えるだろう。彼に言わせればギーシュなどはまだまだひょっこであり、婦女子のすべてを愛でるために死をも乗り越えるのが真の紳士なのだと。

 考えてみれば才人も日ごろからルイズの爆発魔法を食らいながらたいしたケガもないのだから、そういうものなのかもしれない。

 

 まあ、なにはともあれ騒々しく一日は過ぎていく。

 昼の内はオスマンの悲鳴が何度も聞こえた学院も日が暮れたら静かになり、さすがにオスマンも女子寮に忍び込むほど外道に手を染めてはおらず、やっと女子たちも静かな時間を迎えていた。

 

 平和な夜がやってくる。だが……。

 これまでも、若いメイジの集まるこの学院は様々な形で狙われてきた。今は平和に見えても、その闇の中ではなにが蠢いているのかわからない。

 仕事終わりに、オスマンはロングビルとある打ち合わせをしていた。

「ミス・ロングビル、すまんが頼むわい。明日には片をつけたいからのう」

「わかっています、テファを危険な目に合わせるわけにはいかないわ。そのためなら、また危険な橋だって渡ってやりましょう」

 なにかの決意を込めたロングビルが、怪盗フーケだった頃の目に戻って執務室を出ていく。その後ろ姿を、オスマンは厳しい目で見つめていた。

 

 なにかが、静かに起こっている。それはまだ学院で表面化してはいないが、学院の中でひとつの噂となってささやかれていた。

「ねえ、今日もネイティは休み? あの真面目な子が珍しいわね」

「そういえばパーラも今日はいないわね。なにか最近、ズル休みする子が多くない?」

「いやーねえ、サボり癖まで破廉恥な水精霊騎士隊に移されたのかしら」

 最近授業に出てこない生徒が増えている。しかし、元々貴族は気まぐれで身勝手な者が多いために、教師も生徒もあまり気にしてはいなかった。

 また、メイドたちの間でも奇妙な噂が立っており、シエスタとファーティマは仕事終わりにティファニアを部屋に送っていった帰りに、そのことを話していた。

「ですから、近頃メイドの友達が突然いなくなることがあるんです。それも、可愛い子ばっかりで、拐かされたんじゃないかって言われてますから、ファーティマさんも気をつけてください」

「ふん、わたしを誰だと思ってるんだ。蛮人の暴漢やメイジごとき、何人来ようがものの数ではない」

 ファーティマの自信は間違ってはいない。人間とエルフでは魔法の威力に大きな差があり、よほどのことがない限りはエルフが人間に負けることはないと言えた。

 ただしそれは、相手が人間であればの話である……。夜の闇に隠れて、人ならぬ影が二人に近づきつつあった。

「だから、お前は馴れ馴れしいぞ。仕事の上司だから従っているが、もう少し離れろ」

「えーっ、だってわたしに初めてできた後輩なんですもの。サイトさんはあまり帰ってきてくれないし、このたぎる情熱をどこにぶつけろっていうんです? ほら、先輩って呼んでくださいください」

「ほとんどお前の私欲じゃないか! ええい、誰が先輩などと呼ぶか。離れろ離れろ!」

 美少女同士がじゃれあっている姿は色っぽくも微笑ましい姿ではあったが、邪悪な影は確実に二人に迫り来ている。その殺気に気づいたとき、ファーティマは反射的にシエスタを突き飛ばしていた。

「離れろ、先輩!」

「きゃっ!」

 シエスタは、てっきりファーティマが怒って突き飛ばして来たのかと思ったが、体を起こしてファーティマの殺気だった表情が闇の先を睨んでいるのを見て違うと気づいた。

 ファーティマはそのまま早口で攻撃用の魔法を詠唱し始めた。しかし、ファーティマが最後の句を詠み終わる前に、闇の中から青い光が放たれたかと思うと、シエスタの目の前でファーティマの姿はかき消えてしまったのだ。

「う、うぁーっ!」

「ファーティマさん!?」

 瞬きひとつする間に、ファーティマの姿はどこにもなかった。シエスタは、これは尋常ではない一大事と、助けを求めるために駆けだそうとする。

 しかし、闇の中からシエスタの後ろにカラスのような頭をした怪人が現れて、その背に銃のような機械を向けたのである。

「あ、キャーッ!」

「フッフフフフフ……」

 怪人は、シエスタも消えたことを確認すると闇の中へと再び消えた。

 だが、怪人の背後からさらに一対の目がその後を追っていることに、奴はまだ気づいてはいなかった。

 

 そして、怪人はそのまま他の生徒や教員の目を避けつつ、今は使われていない学院の地下倉庫へとやってくると、周囲を確認し、人の気配がないことを確かめて中に入った。

「フフフ、今度もなかなか上々な収穫だったな」

 そいつは部屋の中のテーブルに置かれた箱に近づくと、手に持っている機械を操作して中のものを箱の中に放り出した。

「きゃっ」

「うわっ」

 シエスタとファーティマが投げ出されたのは、妙にだだっ広い見慣れない部屋だった。

「くっ、なにが起こったんだ?」

「ファーティマさん、ここは……?」

 薄暗さに目が慣れないので部屋の輪郭くらいしかわからない。シエスタは部屋を見渡して、そこに何人かの人影があるのに気がついた。

「誰? そこに誰かいるんですか?」

「シエスタ? シエスタじゃないの。あたしよ、ウィリナよ」

「ウィリナ? あっ、あなたたちはスキアにネリェ、あなたたちどうして!」

 そこにいたのは、最近になって姿が見えなくなったシエスタの同僚のメイドたちであった。それに、目が慣れてきて見渡すと、他にも学院の女子生徒たちらしき人影がいる。

「シエスタ、あなたも捕まってしまったのね」

「捕まった? それってどういうことなの?」

「……ああいうことよ」

 彼女たちが上を見上げてシエスタとファーティマも釣られて上を見て絶句した。そこには、黄色い目をした鳥のような頭の巨大な怪物がこちらを見下ろしていたからだ。

「きゃああっ!」

「なっ! か、怪獣か!」

「ゲッゲッゲッ、俺が怪獣? 違うな、お前らが小さくなってるんだよ」

 その鳥頭の怪物はそう言って笑った。確かに、よく見ると床の木目の大きさなどが明らかにおかしく、自分たちが小さくされてしまったというのが納得できた。どうやら、一抱えほどの木箱の中に五サントほどの大きさに縮められて閉じ込められてしまったらしい。大変なことになってしまったと、シエスタは才人の顔を思い出した。

 だが、あざ笑われるように見下されてプライドに火のついたファーティマは、シエスタが止める間もなく鳥頭の怪人に向かって怒鳴りつけた。

「貴様、何者だ! わたしにこんなことをして、ただではすまさんぞ」

「ゲッゲゲゲ、生きが良くてけっこうけっこう。売り物は鮮度がよくないと高値はつかんからな」

「売り物……だと?」

「そうだ、俺らはレイビーク星人。しばらく前には、ガリアという国で奴隷狩りをおこなっていたのだが、仲間がヘマをやってしまってな。今はこうして、人間の雌を集めて好事家どもに売り飛ばす仕事をしているのさ。この縮小光線銃を使ってな」

 レイビーク星人。正確には、以前ガリアでタバサたちに倒されたレイビーク星人の残党ということになる。あの時、ほとんどの星人は宇宙船ごとウルトラマンジャスティスによって葬られたはずであったが、たまたま外に出ていて宇宙船に乗り損ねていた個体が一体だけいたのだった。

 売り物にされると聞いて、ぐっと息をのむシエスタ。彼女は気丈にもレイビーク星人を見上げて言い返した。

「あ、あなたなんかすぐにサイトさんが来てやっつけてくれるんですからね」

「フッハハハ、誰が相手だろうと気づかれなければ怖くはないわ。ここから人が消えていることはまだ騒ぎにはなっていない。あとはせいぜい二、三匹狩ったところで騒ぎになる前にこんな場所とはおさらばさ。ゲッゲッゲッ」

 下衆に笑うレイビーク星人を見上げて、シエスタは悔しそうに奥歯を噛み締めた。レイビーク星人は小悪党らしく、足がつかないように注意を払っていた。確かに、誰であろうと異変に気づけなければ意味がない。自分たちだって、もしかしてと思うくらいでまともな警戒はしてなかったのだ。

 そして、売り飛ばすという言葉に、シエスタは身震いするおぞましさを感じた。その相手が人間か宇宙人かはわからないが、女の子を金で買おうとする奴にまともな奴がいるわけがなく、同じように拐われてきたシエスタの同僚たちや女子生徒たちも怯えた表情をしている。

 その一方、嘲笑されて怒りに燃えるファーティマは、レイビーク星人に向けて先住魔法を放った。

「風よ、我が声に応えて敵を穿て!」

 メイジの『エア・ハンマー』を大きく凌駕する、砲弾ほどの威力の空気玉が放たれる。それはレイビーク星人の頬あたりに当たったが、レイビーク星人は当たったところをポリポリとかくだけでせせら笑った。

「効かないなあ、そんなもの」

「くっ、おのれっ」

 普通の大きさだったら一撃で倒せていただろうが、二メートルほどの身長のレイビーク星人と今のファーティマでは四十倍もの差がある。それに比例して魔法の威力も悲しいほどに減少していたのだ。

 だが、攻撃されたレイビーク星人は不愉快そうにファーティマを見下ろすと、鍵爪状になっている手を伸ばしてきた。

「だが生きが良すぎるのも問題だな。お前は売り物にするのは止めて、カタログ用のサンプルになってもらおうか」

「サンプルだと!? 貴様、何をする気だ!」

「蝶の標本を知らないかね。固めて板に貼り付けて、そういうコレクションが好きな金持ちもいるんでな」

 狼狽するファーティマに向かってレイビーク星人はどんどん手を伸ばしてくる。逃げようにも、周りは板壁に囲まれていて逃げ場はないし、先住魔法も威力が大幅に弱体化させられていて役に立たない。

「や、やめろ、来るな!」

 たちまち板壁に追い詰められてしまったファーティマは、もうだめかと諦めるしかなかった。勝気な彼女も、無残な未来を想像して目をつぶった。

”同志の皆、こんなところで果てるわたしを許してくれ”

 ファーティマの脳裏に、故郷サハラの光景が浮かぶ。まだ使命半ばだというのに、こんなところで……。

 だが、その前に気丈にもシエスタが立ちふさがってファーティマをかばったではないか。

「ま、待ってください。生贄が必要なら、わ、わたしを!」

「お、お前!」

 シエスタのとっさの行動に、ファーティマは愕然とした。非力な蛮人の、それも平民がなにをしようというのか。

 けれどシエスタは震えながらも、目の前のレイビーク星人に向かって叫んだ。

「わ、わたしは彼女の教育係です。彼女が無礼を働いたなら、わたしが責任をとります」

「ほぉお」 

 レイビーク星人は興味ありげに手を止めた。しかし、身代わりになろうとしているシエスタにファーティマは怒鳴る。

「やめろ! あいつは本気だぞ。本気で人間標本を作ろうとしてるんだ、どんな目に合わされるのか、お前にだってわかるだろう」

「それでも、わたしはあなたの先輩です。後輩を見殺しになんて、できません。それに、もうサイトさんにもミス・ヴァリエールにも顔向けできなくなっちゃいます」

「意地でどうにかなる相手じゃない。本当に殺されるんだぞ、わかってるのか」

「わかってます。怖いです、怖いですけど、サイトさんやミス・ヴァリエールが教えてくれたんです。怖いからって立ち向かわなかったら、ずっと怖いままだって。ひっかいてやります、かみついてやります。平民だってやれるんです。わたしは生徒じゃないですけど、それがわたしがこの学院で学んだことなんです」

 それは、フライパンを振り回してドラゴンに挑むような蛮勇ではあったが、シエスタの勇気は死線をくぐってきたはずのファーティマをも圧倒するなにかがあった。

 すると、シエスタに続くかのように、シエスタのメイド仲間たちもシエスタに並んで立ち上がってきた。

「シエスタだけにいいかっこさせてられないわ。メイド長やマルトーさんに怒鳴られちゃう」

「ええ、トリステイン魔法学院のメイドがそこらのメイドとは根性が違うってところを見せてあげましょう」

「みんなでひっかいて噛みついてやるわ!」

 勇気をシエスタにもらって、メイド仲間たちも覚悟を決めていた。気まぐれな貴族たちに仕え、いつ首をはねられてもおかしくない仕事を続けてきた彼女たちも、一度腹を決めれば強かった。

 それだけではない。メイドたちが立ち上がったのを見て、おびえていた女子生徒たちも杖を手にメイドたちの前に立ったのだ。

「へ、平民が戦ってるのに貴族が逃げてはいれないわよね。平民を守るのは貴族の義務よ」

「自慢話ばかりしてる不埒な男子たちに、女子だってやれるって証明して、や、やるんだから」

 貴族育ちで実戦経験のない彼女たちも、震えながら必死で杖を握っていた。本当はこんなことをしたくはないけれど、怪獣を相手に奮闘する水精霊騎士隊の活躍を見てきた記憶が、彼女たちに自分たちもやればできるというひとかけらの勇気を持たせてくれていた。

 いつしか、ファーティマの前には分厚い人の壁ができていた。

 こいつらはどうして……と、ファーティマは思った。どうしてこいつらは、エルフに比べたらはるかに弱っちい生き物なのに、こんなに勇気が持てるんだ……いや、そうか、だからティファニアもあのとき。

 勇気が持つ本当の力を、ファーティマも感じ始めていた。しかし、少女たちの反抗に興味を通り越していら立ちを覚えたレイビーク星人は、少女たちに向けてこぶしを振り上げた。

「ごちゃごちゃとうるさい虫けらどもめ! 傷ものにならない程度に、痛い目に会わせてやる!」

 人形も同然の大きさの少女たちを殴り飛ばそうと振りかぶるレイビーク星人。少女たちに防ぐ手段はなく、シエスタたちは覚悟を決めて目をつむった。

 だがその瞬間、地下室にのんきな老人の声が響いた。

「ほほお、学院にこんなとこがあったのか。しばらく使ってないんですっかり忘れておったわ。これは秘密基地にはちょうどいいのう」

「っ! 誰だ」

 反射的にレイビーク星人は縮小光線銃を地下室の入り口に向かって構えた。

 そして、少女たちもその声の主の登場に驚いていた。聞き覚えがあるどころではない、魔法学院に暮らす者なら知っていて当然の人物の登場に、誰からともなくその名を口にしていた。

「オスマン学院長……」

 そう、天下御免のエロジジイ、オスマン学院長がやってきたのだ。この予想外の乱入者に、レイビーク星人もうろたえていた。

「き、貴様、どうしてこの場所を?」

「ほほ、ジジイの夜の散歩のついでに寄っただけじゃよ。しかしお前さん、やってくれたのう。この学院の大切な若百合たちを勝手に摘んでもらっては困るのう、返してもらおうかい」

 とぼけた態度をとりながらも、その言葉には確かなすごみが込められていた。その威圧感を間接的に感じるだけで、いつものセクハラジジイとしてのオスマンしか知らない女生徒やメイドたちは息を呑み、すぐに縮小光線銃の引き金を引こうとしていたレイビーク星人もためらった。

 オスマンはレイビーク星人の銃口の前に身をさらして飄々と杖を突きながら立っている。

「じゃが、話は聞かせてもらったよ。哀れな置いてけぼり君にせめてもの慈悲じゃ、このまま生徒たちを返せばよし。さもなければ、トリステイン貴族に手を出した報いというものを味わってもらうことになるぞ」

「クッ、ジジイが! だが知っているぞ。こんな狭い地下室みたいな場所では、お前たちメイジは自由に魔法を使えないってな。いいのか、こいつらも巻き添えになるぞ」

 レイビーク星人は傍らに生徒たちの入っている木箱を置き、人質にしていた。しかし、オスマンはまったく動じることなく言う。

「やれやれ、ウチュウジンの年齢はわからんが浅はかじゃのう。確かにワシはジジイじゃが、年を取るというのも悪いことばかりではなくてのう……例えば」

「ケッ! 消えやがれ!」

 威圧に耐えられなくなったレイビーク星人は縮小光線銃の引き金を引いた。だが、その瞬間を待っていたとオスマンは叫んだ。

「今じゃ! ミス・ロングビル」

 すると、レイビーク星人の見ていたオスマンの姿がぐにゃりと歪んで消えたかと思うと、次の瞬間にはレイビーク星人自身の姿がそこにあった。

「なっ!?」

 意味を考える間もなく、レイビーク星人の指はすでに引き金にかけられ、青い縮小光線が目の前のレイビーク星人に向かって放たれた。

「うわぁぁ!」

 縮小光線を浴びせられ、レイビーク星人は縮小光線銃を残して消えてしまった。

 いったい何が起こったのだろうか? すると、入り口の隅からオスマンが、そして入り口の正面から大きな姿見を抱えたロングビルが現れた。

「なんとかうまくいったわね。けど、ギリギリで心臓が止まるかと思ったわよ」

「ご苦労じゃった、ミス・ロングビル。部屋の薄暗さで、ワシの姿が姿見に映った虚像じゃと奴が気づかないでくれてよかったわい。しかし、狙い通り鏡で跳ね返せる光線で助かったわ。生徒たちを元に戻すために、どうしても生け捕りにせんといかんかったからのう」

 オスマンにとっても大きな賭けであった作戦だが、成功したことで二人とも胸を撫で下ろしていた。

「でも、本当にギリギリだったんですからね。私がこいつのアジトを突き止めたまではよかったけれど、ろくな打ち合わせもなしで作戦開始だもの、ヒヤヒヤしたわ」

「すまんの、ミス・ロングビルならできると思うたからつい無茶を言ってしもうた。ま、可愛い生徒たちが危なかったんじゃ、堪忍してくれ」

 そう言ってオスマンは木箱の中の少女たちを見下ろした。その表情は色欲に満ちたエロジジイのものではなく、穏和な好好爺の笑顔で、シエスタたちは緊張を解いて安堵した。

 そして、ロングビルは床に落ちた縮小光線銃を取り上げた。中の物を出す方法は、先ほど見てわかっている。小さくなって放り出されたレイビーク星人を、オスマンは魔法で浮かせて捕まえた。

「さて、これで勝負ありじゃの。生徒たちを元に戻す方法を教えてもらおうか」

 オスマンに宣告されて、レイビーク星人はじたばたと暴れたが、レビテーションの魔法で宙に浮かせられたのではどうしようもなかった。

 しかし、奴はなおも往生際悪く抵抗を諦めていない。

「へっ、誰がしゃべるかよ。こいつらは大事な商品なんだぜ」

「ほう、商品とな?」

 オスマンの眉がぴくりと動く。するとレイビーク星人も危なさを感じたのか、アプローチの方向を変えてきた。

「あ、いや、じゃあ取引をしようぜ! 俺がこいつらを売った金を半分、お前にやるよ。大口の顧客の目処が立ってるんだ。な、悪い話じゃねえだるほおっ!」 

 オスマンの返事は、念力の魔法での骨が折れるような締め付けであった。

「お主、自分が取引などできる立場じゃと思っておるのか? そういえばさっきは話が途中じゃったな。年を取るといろいろ知恵がつくものでな、その中にはろくでもない知識も色々あるものじゃが、しゃべる気のない者に無理矢理口を割らせる方法とかの、試してみようかい?」

「ぎゃああぁっ!」

 レイビーク星人に選択の余地はなかった。

 

 その夜、行方不明になっていた少女たちは無事に寮に帰り、事件は公になることなく解決した。

 

 翌日には生徒たちはまた授業に出席し、メイドたちは仕事に精を出す。

 いつもと変わらない一日の始まり。そしてオスマンも変わらずにミス・ロングビルのスカートの中を覗く。

「やっぱり死ねぇ! このクソジジイが」

「ゲェェーッ!」

「決まったぁー! これはまた殺意の塊みたいな技ですねえ」

 ミス・ロングビルの放った必殺技がオスマンの全身を破壊し、オスマンだったものに変えられる。その様をシエスタが実況者のように叫び、その後ろでファーティマとティファニアは 技をかけられるオスマンを眺めながらドン引きしている。

 昨日助けられたお礼を言うためにやってきたが、早朝からまたこの調子だった。昨日、命を助けられたことなどはまったく感じられないその態度に、ファーティマは心底呆れた様子でため息をついた。

「まったく、昨日あれだけのことがあったというのに、本当にあれは昨日と同じ人物なのか?」

「あら、このくらいでおとなしくなってたら魔法学院では生きていけませんよ。ファーティマさんも、そのうちわかります」

「あまりわかりたくない。まったく、似たような老人を一人知っているが、まだ合理的な思考をなされるぞ。あの色欲はどこから出てくるのか」

 たぶん、それは永遠の謎だろう。男がなぜエロを求めるかといえば、本能だとしか言いようがないのである。

 けれど、オスマンを冷たい目で見ていたシエスタが、少しだけ視線を緩めて言った。

「いつかファーティマさんにも、自分の全てを捧げてもその人の全てを奪いたいと思う人ができたら少しはわかりますよ。人はそうなったとき、自分でも抑えられないくらい変わっちゃうんです」

 その言葉に、ティファニアは母を思い出した。一人で人間の土地に嫁いできた母も、きっと……。

 シエスタの目には、確かな信念が浮かんでいる。それは才人と初めて会った日から続く、熱く純粋な思い。その感覚をまだ知らないファーティマは、シエスタに問いかけた。

「恋……というやつか。だが、それならお前はどうして、そんなに平然としていられるんだ」

「だって、無理にサイトさんに着いていってもわたしじゃ足手まといになっちゃいます。でも、サイトさんやミス・ヴァリエールがいつでも安心して帰ってこられるようにここで待って、疲れて帰ってきたときにわたしの傍らでゆっくり休んでもらうことはできます。だから学院を守り続けるのがわたしの役目であり、恋の戦いなんです」

 にこやかに微笑んで、ティファニアをともなって仕事に向かうシエスタは、まるで港で船乗りの夫を待つ妻のようでもあった。

 いつか帰るあの人のために、学院を変わらずに平和に保つ。そのときに、お帰りなさいを言ってあげるために。

 

 その一方で、今度は生徒たちに覗きを見つかって袋叩きにされているオスマンを見て、ロングビルは昨日までとは少し違う思いを抱いていた。

”普通の貴族なら、自分の手柄を大々的に公表するだろうに、このじいさんときたら……”

「公表? そんなことをしてなんになる。いたずらに生徒たちの不安をあおるだけじゃ。つまらんことを考えるでない」

「でも、学院長の活躍を知れば、生徒たちもあなたを見る目が少しは変わるのではないの?」

「こんなジジイの世間体などどうでもええわい。今回のことは、若者たちの元気に煽られたジジイの年寄りの冷や水。それだけじゃ、ほっほっほっ」

 英雄になれるチャンスを放り投げて水煙草を吸うオスマンの顔は、子供のように無邪気だった。

 しかし、もしレイビーク星人の暗躍を公表していれば、こんなのんきな朝はやってこなかっただろう。オスマンの器の大きさを、ロングビルは少しだけ見直していた。

「ぐおぉぉっ、そ、その殺意と憎悪から放たれる技のキレ、昨日よりさらに威力を増したようじゃわい」

「お望みとあれば明日も明後日も食らわせて差し上げますわ。ちょうど新開発中のツープラトンもありますわよ」

 女子生徒たちもどこか楽しんでいるようであった。もちろんセクハラはいけないことだが、ここの生徒たちはそんなものに負けないくらいたくましく、日々そのたくましさを磨いていく。

 そう、変化することは大切だが、変わらないことが大事なものも中にはある。

 それが日常。変わらない日常の中で、若者たちは安心して成長し、変化していく。たとえば、学院のある曲がり角でばったり出会ったメイドと女子生徒の一団のように。

「あ、う……き、昨日はありがとうございました。貴族の方々に庇ってもらえるなんて思わなかったです」

「い、いいのよあんなこと。あなたたちこそ、貴族でもないのにあんな立派に戦えて、その……良ければ今度、いっしょにお茶でもしましょう」

 小さな友情の芽生えという変化を残して、この事件はなんの記録にも残ることなく終息した。

 今日もまた、にぎやかで騒々しい魔法学院の一日がやってくる。外でなにが起ころうとも、卒業のその日まで魔法学院を生徒たちの安住の地であり続けさせるために、オスマン学院長の華麗なる一日は変わらない。

 

 

 続く



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第96話  あの日から始まった夢

 第96話

 あの日から始まった夢

 

 二面凶悪怪獣 アシュラン

 サーベル暴君 マグマ星人

 わんぱく宇宙人 ピッコロ 登場!

 

 

 トリステイン王宮を半焼させ、トリスタニアを震撼させたあの事件が終息してから四日あまりが過ぎた。

 その爪痕は大きく、今でもトリスタニアでは事件の後始末に追われていることだろう。

 しかし、辺境の地へ移ればその騒ぎも届かず、ラグドリアン湖近辺の村々は静かで平和な空気に包まれている。

 そして対岸のガリア王国、旧オルレアン領。そこにひっそりと朽ち果てた様子を晒すオルレアン邸跡に、タバサは無言で立っていた。

「……ここも変わってしまった」

 ぽつりとタバサはつぶやいた。旧オルレアン邸はいまでは住む人もなく、ギーゴンの暴れた跡も自然に飲み込まれて消えていき、あと数年もすれば建物も原型がわからないほど草木に飲まれて消えていくことだろう。かつて、ここに自分たち家族が住んでいた思い出とともに……。

 あの戦いが終わった後、タバサはそっと王宮を後にした。もうあの件でやるべきことは終わっていたし、ガリアに戻ってやらねばならないことも山積していたからだ。

 だが、ガリアに帰る前に、いつの間にか足がここに向いており、もう何もないことがわかっているのに来てしまったことをタバサは後悔していた。

「やっぱり、来なければよかった」

 もうここには風化していく残骸があるだけで、心を癒してくれる何物も残っていない。それでも、ここに足が向いたのは、拠り所を持たない今の自分の心の弱さであるのか。

 いや、拠り所を自ら捨てたのは自分だとタバサは自嘲した。あの日、自分はここでジョゼフとともに悪魔のささやきに乗った。そのことを今更後悔してはいないが、失ったものが心に開けた穴に吹く隙間風は止まない。

 もうここには二度と来ないことにしよう。タバサはそう決めて、オルレアン邸跡を立ち去ろうと踵を返した。しかし、視線を戻したその先に意外な人物が待っていた。

「やあ、君とここでこうして会うのは、二度目だったかな」

「あなたは……ミスタ・モロボシ」

 そこには、ウルトラセブンことモロボシダンが、使い慣らしたテンガロンハットを被った風来坊姿で立っていた。

「なぜ、あなたが?」

「我夢君たちに頼まれてね。今、自分たちは手が離せないから、代わりに君のことを見てきてほしいと」

「そう……」

 余計なことを、とは言えなかった。自分が一方的に迷惑をかけてしまっていることはわかっている。

 タバサは立ち止まると、ダンに目を伏せながら詫びた。

「申し訳ないとは、思ってる。悪いのは、みんなを裏切ったわたしだから」

「裏切ってなどないさ、君は今でもみんなを大切な仲間だと思ってる。だから命がけであのペダン星人と戦ってくれたんだろう? 今回、私は力になることができなかった。君にはむしろ感謝しているよ」

 ダンはそう言うと、昔を懐かしむように空を見上げた。

「ペダン星人か、私も昔戦ったことがあるが、そんな人格者も中にはいるのなら、いつかは私も友達となれる誰かに出会いたいものだ」

 ダンのペダン星人に対する思い出は決して愉快なものではない。しかし、ダンは悪事を働くなら容赦するつもりはなくても、未来まで含めて諦めてしまっているわけではなかった。

 タバサは、まるで世間話をしに来たようなダンの空気に触れて、ダンが自分の行動を咎めるでも制止するでもなく、ただシンプルに心配なので様子を見に来てくれただけだということを理解した。

 その気遣いが胸に刺さる。しかし、タバサには話に乗る余裕はなかった。すでに賽は投げられている。その先に、破滅の崖しかないとしても。

「心配してくれることには素直に感謝する。けど、今ここでわたしが止めたらガリアが滅んでしまう。事が済んだ時には、どんな形でも責任はとる。だから、もう少し放っておいてほしい」

 わがままな言い分だとわかっていたが、タバサはもう立ち止まるわけにはいかなかった。そして、責任を負うということの重大さも、ルビアナの最期を見て痛感した。その思想に共鳴はできないけれど、彼女は自分の理想と信念を貫くために己の命をさえ懸けたのだ。

 でもきっと、この言葉をキュルケが聞いたら叱り飛ばされるだろうとタバサは思う。しかし、ダンはタバサを叱ることなく穏やかに答えた。

「君を頭ごなしに叱れる人間はいない。それに、あのときには私たちにも選択の余地はなかった。責任というなら私たちも同罪だ。あのときは、残念だが奴の狡猾さが我々を上回っていたんだよ」

 そう、すべての元凶はあのコウモリ姿の宇宙人だ。奴はまさに絶妙のタイミングでハルケギニアに現れ、ジョゼフに取り入り、ウルトラマンたちの動きを封じ込め、世界を変えてしまった。その手並みの鮮やかさは、敵ながら見事と言わざるを得ない。

 つまり、奴は周到に計画を練り、入念な下調べをした上でハルケギニアにやってきた。そうまでして奴がしようとしている目的はまだ明らかではないけれど、奴の計画がルビアナの存在で妨害されてきた以上、その障害が無くなった今こそ加速していくのは想像に難くない。過去にハルケギニアに襲来した宇宙人は数多くいたが、奴は目的の底知れなさに関してはほかと違うとダンは言う。

「奴は、我々の宇宙でも悪名の高い種族だ。遅かれ早かれどこかで事件を起こしていただろう。今回も、君もまだ知らない何かを企んでいるのは間違いない。しかし、奴がこの世界に目をつけてしまったことは我々にも非がある。申し訳ない」

 最初は小さな偶然だった。だがそれが今ではここまで大きなうねりに変わってしまったことに、ダンはこのハルケギニアが宇宙人たちにとって地球と同じくらい魅力的な星であると再認識していた。

 

 

 始まりとなったのはあの時。以前、地球とハルケギニアが日食で繋がり、ウルトラマンメビウスとヒカリがハルケギニアに渡ってから少し経った頃まで遡る。

 強化ドラコを倒し、才人はハルケギニアに残ることを選択し、メビウスとGUYSは地球に帰還した。そして異次元ゲートは閉鎖され、再びゲートを開くためにGUYSが研究を始めたことまではすでに語られている。

 だが、すでに事態が地球人とメビウスたちだけの手には負えないことは明白であり、宇宙警備隊も全力で解決に当たることがウルトラの父とゾフィーの合意により決定した。

 それに当たり、メビウスには異世界での情報を詳細に報告してもらうために光の国への一時帰還命令が下され、GUYSの仲間たちに見送られながらメビウスはフェニックスネストを出発した。

「ミライ、道中気をつけてな」

「寄り道しないで真っ直ぐいけよ」

「ミライくん、早く帰ってきてね」

「私のバイクでも、さすがに光の国までは送ってけないからね。光の国のお土産、お願いね」

「ウルトラマンたちの土産物ってどんなサイズだよそれ? ともかくミライ、お前が留守の間の地球は俺たちがしっかり守ってるから、ウルトラ兄弟によろしくな」

「あはは、皆さん大げさですよ。報告を済ませたらすぐに戻ってきます。では、行ってきます」

 サコミズ総監やGUYSの皆に見送られて、ヒビノ・ミライはウルトラマンメビウスに変身して空へ飛び立った。

 帰還の道中、パトロールもかねて太陽系内を飛行し、異常がないことを確認したメビウスは、後ろ髪を引かれながらも太陽系を後にした。

 ここから先は外宇宙となり、本格的に光の国への進路となる。本来ならばこれから先の何もない空間はトゥインクルウェイを使ってショートカットすべきなのだが、メビウスはハルケギニアで見聞きしたことを報告するために思い返しておこうと、あえてそのまましばらく飛び続けた。

”美しい星だったな……”

 短い時間だったけれど、ハルケギニアでの思い出は鮮烈にメビウスの中に焼き付いていた。エース兄さんが守ろうと頑張っているのも、とてもよくわかる。また行ける日が楽しみだとメビウスは思った。

 そうして何光年飛んだ頃だろう。飛び続けるメビウスに、突然子供のような明るい声がかけられた。

「おーい、そこの君ーっ!」

「えっ! 誰、僕を呼んでいるのは?」

 いきなり声をかけられて、メビウスはびっくりして周りを見回した。こんな外宇宙で、いったい誰が? すると、メビウスの上のほうからもう一度同じ声が聞こえてきた。

「ここだよここ、そこのウルトラマンくん」

 見ると、頭上を大きな彗星が飛んでいて、声はその彗星の尾に乗っているピノキオのような姿の宇宙人からだった。

 メビウスは怪訝に思ったものの、その宇宙人は木彫りの人形のような顔ながらも無邪気に手を振ってきており、敵意がないと判断したメビウスは親しみを込めて聞き返してみた。

「君かい? 僕を呼んだのは。僕はウルトラマンメビウス、僕に何か用なのかい?」

「ああ、やっぱり君がメビウスか。君の活躍は噂に聞いてるよ、ウルトラ兄弟の期待のホープだそうじゃないか。えっへん、俺はピッコラ星雲のプリンス、ピッコロだ。ちょっと、有名人の君を見かけて興味が湧いたのだ」

「プリンス? 君が?」

 尊大だけども子供っぽいピッコロに、メビウスが戸惑いながら答えた。するとピッコロは、プライドを傷つけられたのかプンプンと怒り出してしまった。

「なんだと、ばかにするのか! 許さないぞお前!」

「い、いや、僕はそんなつもりじゃ」

 大きな木槌を振り上げて怒るピッコロに、メビウスは困ってしまった。怒らせるつもりはなかったし、メビウスはピッコロのことを何も知らないのだ。

 けれど、仕方なくメビウスがピッコロに謝ろうとしたとき、今度は温厚な壮齢の声が響いてピッコロをたしなめた。

「これこれ、ピッコロくん。それくらいのことで短気を起こしてはいけないよ。呼び掛けたのは君の方なのに、メビウスくんが困っているじゃないか」

「うっ、むむむ」

「えっ? 今の声は?」

 メビウスは誰もいないはずなのに声が聞こえて困惑して見まわしたが、周りには誰もいなかった。すると、今度はその声がメビウスに向かって呼び掛けてきた。

「ははは、メビウスくん、君の目の前に私はいるよ。ほら、ピッコロくんの足元さ」

「えっ? もしかして、その彗星があなたなんですか?」

「そうだよ、人は私をハーシー大彗星と呼ぶね。なあに、旅好きなだけのただの彗星さ」

 まさにビックリ仰天の事実だった。宇宙に星は数あれど、意思をもってしゃべることもできる彗星がいるとはまさに驚きであった。

 驚いているメビウスを見て、ピッコロは楽しそうに笑う。

「ははは、俺の友達はすごいだろう。これで、俺がプリンスだってわかったか」

「う、うん、びっくりしたよ」

「これこれ、そんなに威張ってはいけないよ。ピッコロくんはメビウスくんにお願いがあるんだろう? だったら、礼儀正しくしないとね」

「う、うむ。わかったよ」

 ハーシー大彗星にたしなめられるピッコロを見て、メビウスは彼は悪い奴じゃないなと安心した。

「僕にできることがあるなら、言ってもらえるかな。役に立てるなら、うれしいよ」

「う、うーん、そう丁寧に言われるととちょっと迷っちゃうな。俺は旅が好きで、たまにこのハーシー大彗星に乗せてもらって旅をしてるんだけど、人の話を聞くのも嫌いじゃなくてね。なんでも、最近地球ではでっかい騒ぎがあったそうじゃないか、よければその話を聞かせてもらいたいんだ」

「え、うーん。僕、ちょっと急いでいるんだけどなあ」

 ピッコロの要件が急ぐものではないとわかってメビウスは困った。光の国への帰還命令の途中なので、寄り道をしている余裕はないのだ。

 けれどピッコロは、わかっていると言う風に、どんと胸を叩いて言った。

「もちろんタダでとは言わないさ。俺はいろんなところを旅して、宇宙のあちこちを見聞きしてきた。今、宇宙で起きていることの噂もいろいろ聞いているから、代わりにそれを君に教えてあげるってのはどうだい?」

「本当かい。情報が増えれば大隊長も……うーん、でも時間が」

 光の国につくのが遅れればそれだけ地球に帰るのも遅れてしまう。メビウスは惜しいと思いながらも断ろうとしたが、ハーシー大彗星がそれを見越したように言ってきた。

「時間なら心配しなくてもいいよ。ちょうど今は光の国のある方向へ向かっているところだから、途中まで乗せていってあげよう」

「本当ですか、それは助かります。でも、そこまでしてもらえていいのかい? ピッコロくん」

「大丈夫さ、ハーシー大彗星は速いんだから。それに、今じゃ君の兄さんになってるウルトラマンタロウには、ちょっと昔借りがあってね。さあさあ、乗って乗って」

「そういうことなら、失礼します」

 メビウスは一言断って、ハーシー大彗星の上にピッコロと同じようにまたがった。

 乗り心地はけっこう良い。彗星は氷の塊だというけれども、やはりこのハーシー大彗星は普通の彗星とは違うようである。ハーシー大彗星は「遠慮しなくてもいいよ」と言ってくれるけれども、やっぱり驚いてしまった。

「さあさあメビウス、話を聞かせておくれよ。君はいったい、どんな冒険をしてきたんだい?」

「うん、じゃあ僕が行ってきた不思議な世界の話をしてあげるよ。ハルケギニアっていう、不思議な魔法使いの国なんだけどね」

 わくわくしているピッコロに、メビウスはハルケギニアでの思い出を語っていった。こことは違う宇宙にある、不思議な世界のお話に、ピッコロは興味津々で聞き入っていった。

 もちろん、ピッコロのほうも約束はきちんと守り、話ひとつごとに自分が宇宙で見聞きしたいろんなことを教えてくれた。その中には、悪名高い宇宙人のいくつかが不穏な動きを始めているものもあり、メビウスは宇宙の平和がまた乱されつつあるという危機感を覚えた。

 けれど、熱心に冒険の話を聞いてくれるピッコロを見て、宇宙には友達になれる誰かもまだまだいるんだとうれしくもなった。そうして話に花が咲き、二人は楽しげに語り合い続けた。

 だが、やがて話が終わりに近づきかけたときだった。二人の頭上から、突如聞き慣れない第三者の声が響いたのだ。

 

「うーん、なるほどなるほど。なかなか有益な話を聞かせていただきました。ふっふっふっ」

「っ! 誰だ!」

 

 不快な気配を感じ、メビウスは即座に臨戦態勢をとった。空耳ではない、さっきまでは感じなかった気持ち悪い空気が周りに漂っている。

 一方で、戦士ではないピッコロは声は聞こえても気配を感じるまでは無理なようで、メビウスの剣幕に驚いてうろたえていた。

「メ、メビウス、どうしたんだい?」

「ピッコロ、気をつけて。誰かが僕たちの話を盗み聞きしてたんだ。出てこい! 何者だ」

 メビウスは周囲に神経を巡らせながら叫んだ。すると、メビウスたちの周囲に浮いていた小さな岩塊の陰から、等身大の宇宙人が現れた。

「盗み聞きとは人聞きの悪い。私はたまたまここにいて、立ち聞きしただけですよ。ふっふっふっふ」

「お前は……どこの宇宙人だ?」

 嘲るように笑うその宇宙人にメビウスは見覚えがなかった。スマートな姿で、コウモリのようなマントをまとっているが、少なくともメビウスが地球で戦っていたころに地球に現れた宇宙人の中にはいなかった。

 しかし、そいつの姿を見たピッコロが指を指して叫んだ。

「あっ、メビウス、そいつは!」

「えっ、知っているのかいピッコロ」

「なに言ってるんだいメビウス! こいつはウルトラの星に攻め込んだこともあるって有名なやつじゃないか」

「えっ? ええっ?」

 すごいことを言われてメビウスはうろたえてしまった。そんなすごい経歴のある宇宙人なら、少なくとも訓練生時代に習っていておかしくないはずなのだが、思わず二度見してみたけれどもまったくわからない。

 ウルトラの星に攻め込んできたほどの強豪というのならテンペラー星人やガルタン大王などがいるが、どう見てもぜんぜん似ていない。また、ウルトラの星に攻めてきた宇宙人の中では特に有名なあの宇宙人も想像してみたけれど、こんなイケメンな容姿とは似ても似つかない不細工なものだから絶対違うだろう。

「ええと、すみません、いったいあなたはどこのどなたでしょうか?」

 こういうときに素直に下手に出て礼儀正しく聞いてしまうのがメビウスのクソ真面目なところだろう。ピッコロが呆れているが、その宇宙人が仕方ないというふうに名乗った名前を聞いてさらにびっくりした。

 さすがのメビウスも冗談かと思ったけれども、ピッコロがそうだと言っているので無理矢理納得し、気を取り直して目の前のコウモリ姿の宇宙人に問いかけた。

「ハルケギニアのことを知って、いったいどうするつもりだ!」

「さあ? どうするかはいろいろ考えつきますが、今宇宙でちょっとした話題になっているハルケギニアに、私のようなか弱い者が侵略に行っても厳しいですねえ。私は平和主義者ですから、ヤプールとやりあうのも利用されるのもごめんです」

 いかにも信用できない軽口で嘯くそいつに、メビウスは危険なものを感じた。侵略でなくとも、宇宙人が平和を乱す理由なんていくらでもあるのだ。

 後ろでは、ピッコロが「そんな奴やっつけちゃえ」と騒いでいる。メビウスは好戦的なほうではないが、ピッコロの言う通り、こいつを放っておけばハルケギニアに災いが起きると直感した。

「お前、ハルケギニアに行くつもりだな?」

「ふふ、どこにあるかもわからない平行世界にそう簡単には行けませんよ。ヤプールに頼めば連れていってもらえるらしいですが、私はそんな独自に平行世界を渡れるような優秀で素晴らしい種族ではありません……おや、信じてませんね?」

 信じろというほうが無理な慇懃無礼ぶりだった。それに、独自にマルチバースを渡れる力がないならこんな話を持ち出す意味がない。メビウスは決意した。

「お前を、このまま帰すわけにはいかない」 

「おやおや、こんな小さくてひ弱な私を倒すと言うのですか?」

「いっしょに来てもらう。宇宙保安庁に引き渡して、お前たちが何を企んでいるのか、聞き出してもらう」

「ふふ、でもそうはさせませんよ。さあ、出番ですよ、宇宙ストリートファイターの皆さん!」

 そいつがそう叫ぶと、メビウスの頭上から火炎とビームが襲い掛かってきた。メビウスはその気配に気づき、ピッコロとハーシー大彗星を守るためにバリアーを張った。

『メビウスディフェンサークル!』

 光の壁が火炎とビームをしのぎ切る。しかし、捕まえようとしていたコウモリ姿の宇宙人はその隙にそそくさと逃げ出してしまった。

「では私はこのあたりで失礼しますよ」

「待て!」

「私もこう見えて忙しいものでしてね。それより気をつけたほうがいいですよ、ウルトラ戦士を倒して名を上げたいっていう腕自慢の人たちがあなたを狙っていますからねぇ」

 コウモリ姿の宇宙人はそう告げて消えていき、代わってメビウスの頭上から強烈なエネルギーを放つ気配が近づいてくる。

「まずい、このままじゃハーシー大彗星も危ない。シュワッ!」

「メビウス!」

「ピッコロ、君はハーシー大彗星といっしょに逃げてくれ。僕はこいつらを引き付ける!」

 メビウスは敵の目をハーシー大彗星からそらすために飛び立った。案の定、敵のビーム攻撃もメビウスをめがけて追撃してきており、ハーシー大彗星からは離れていっている。

 背後から狙い撃ってくるビームや火炎をかわしながら、メビウスは近辺のアステロイド帯に逃げ込んだ。後ろを振り向くと、敵と思われる二体の影もこちらをめがけて追ってきている。

 いいぞ、お前たちの相手はこの僕だ。メビウスはアステロイド帯の中に浮かぶ大きめの小惑星の上に着地すると、追ってきた二体の怪獣と宇宙人に相対した。

「グァグァグァ、追い詰めたぜえウルトラマンメビウス。はじめましてぇ、そして永遠にグッナイッ」

 強烈な殺気を放ちながら現れたのは右手にサーベルを装備したスマートな人型宇宙人と、奇怪なことに体の前後が赤と青でまったく同じ姿の鬼のような怪獣だった。

 宇宙人のほうには記憶がある。以前ウルトラマンレオが地球に来たときにGUYSの資料で見たことがあるサーベル暴君マグマ星人で、双子怪獣を率いて東京を水没させた凶悪な星人だ。

 もう一体の怪獣のほうは同じくGUYSの資料のなにかで見たような気がするが思い出せない。しかし、メビウスが問いかけるより先に、マグマ星人は高らかに歓声をあげてきた。

「今日はついてるぜえ、ウルトラ兄弟の一人を倒したとなれば俺たちマグマアシュランの地獄組タッグの名は宇宙一ソウルフルになるってもんよ。それも、一番よわっちい新顔を狩れるたあ、なんてラッキーなんよ!」

「お前たち、あいつの手下か?」

「手下ぁ? 俺たちはあいつから情報を買っただけよ。そんなことより、うざってえジャシュラインのいなくなった今、宇宙ストリートファイト連勝街道爆進中の俺様マグマと相棒アシュランの顔と名前を冥土の土産に覚えておきな、行くぜ!」

 叫び声をあげてマグマ星人と怪獣アシュランはメビウスに襲いかかってきた。メビウスは、この両者の説得は不可能と見なして迎え撃つ。

「ヘヤッ!」

 タロウに仕込まれた、左手を前に付き出すファイティングポーズをとり、メビウスはまずサーベルを振り上げて向かってくるマグマ星人に相対した。

「死ねえ!」

「セイッ!」

 振り下ろされるサーベルをかわし、メビウスはマグマ星人に右手で突きを繰り出した。喉元を突かれて姿勢を崩したマグマ星人にそのままミドルキックをお見舞いして倒し、返す刀で背後から襲いかかってきたアシュランに肘打ちをかけてのけぞらせる。

「来いっ! 宇宙のならず者たちめ」

 メビウスは列泊の気合いを込め、アシュランのまさに阿修羅のような恐ろしい顔をにらみ返した。

 対してアシュランも悪鬼の彫像のような姿をいからせ、腕を振り上げて向かってくる。メビウスはジャンプしてアシュランの頭に飛び蹴りを浴びせると、そのままアシュランの後ろに出た。ところが。

「セヤアッ! ヘアッ?」

 アシュランは正面の赤い顔にキックを受けてのけぞりながらも、体を起こすと背中側の青い顔から猛烈な火炎を吹き付けてきたのだ。メビウスは右に転がってかわすと、青い体でそのまま向かってくるアシュランを見据えて唖然とした。

「こいつ、体の前後で同じ動きができるのか」

 これがアシュランが二面凶悪怪獣と呼ばれている所以であった。アシュランは怪獣の中でも極めて特異なことに、体の前後が色を除いて完全に同じ姿をしており、相手に後ろに回られても後ろのほうの体で即座に反撃できるという能力を持っている。もちろん関節も前後どちらにでも曲がるようにできているので、前後どちらが正面でもまったく支障はない。それに、相手の攻撃でダメージを受けても反転すればノーダメージの状態で戦うことができるため、相手からすれば非常にめんどうな能力といえた。

 メビウスは、こいつは油断できない相手だと気を引き締めた。実際、アシュランの同族はパワーや耐久力にも優れ、ウルトラマンジャックを一度は撤退に追い込んでいる。

『メビュームスラッシュ!』

 牽制で撃ち込んだ光刃が当たってもアシュランはあまりひるまず、振り下ろした腕の一撃はメビウスのガードの上からでもかなりの衝撃を与え、反撃のメビウスキックを受けてもわずかに後退するだけでメビウスも舌を巻いた。

 まさに戦神阿修羅の名を関しているのは伊達ではない。余談だが、実際の阿修羅神は善神と悪神の両方の伝承を持っており、ほかにも戦神でも平和の神でもあり、はてはあるときは男性だったり別のところでは女性だったりとなにかと二面性を多く持っている神である。

 しかし、このアシュランは阿修羅っぽい見た目をしているだけのただの凶悪怪獣だ。さらに敵はアシュランだけではない。

「俺様を忘れてもらっゃ困るぜ!」

「くっ!」

  サーベルを振りかぶったマグマ星人の攻撃が割り込んできて、メビウスは後ろに跳んでそれをかわした。さっきは素手でもいけたが、サーベルを持つマグマ星人はリーチの面で有利だ。メビウスも左手のメビウスブレスからメビュームブレードを展開し、激しく剣撃を繰り広げた。

「テヤアッ!」

 光の剣とサーベルが打ち合い、無数の斬撃が宙を舞い、無数の火花が舞い散る。

 一見互角。しかし、斬り合いが続くと、地球で数々の経験を積んだメビウスと、しょせんケンカ剣法でしかないマグマ星人の差は大きくついてきた。

「こ、この、ひよっこのはずじゃなかったのかよ!?」

「その情報は、一年遅いよ!」

 今のメビウスの実力はほかのウルトラ兄弟とも遜色はなく、マグマ星人がなめてかかれるようなレベルをとうに超えていた。

 剣撃を制したメビウスはマグマ星人のサーベルを大きく弾き上げた。そしてそのままメビュームブレードを収納し、電撃エネルギーをメビウスブレスにチャージすると、一気にマグマ星人目掛けて解放した。

『ライトニングカウンター!』

「ほわあぁっ!」

 マグマ星人はライトニングカウンターのエネルギーに吹き飛ばされて岩盤にめり込まされ、がっくりと倒れた。死んだかはわからないが、これでしばらくは動けないだろう。

 だが、まだアシュランが残っている。メビウスは青い体を前にして攻めてくるアシュランを迎え撃つ。

「ヘアッ!」

 アシュランの張り手をかわし、ボディにパンチを打ち込む。さらにチョップの連打を首筋に浴びせるが、頭突きを繰り出してきたアシュランに押されていったん後退した。

 鋭い牙をいっぱいに生やした口から凶暴な叫び声をあげてアシュランが突っ込んでくる。その勢いのままに突き飛ばされて、メビウスは背中から小惑星に叩きつけられた。アシュランはすかさず馬乗りになって攻めてこようとするが、メビウスは巴投げにしてアシュランを弾き飛ばした。

「こいつ、なかなか強い」

 メビウスは投げ飛ばされてもたいしてダメージを受けたように見えないアシュランに、やっかいな相手だという印象を受けた。単純な強さならマグマ星人なんかより数段上だ。

 負けるとは思わないが苦戦は免れない。それに、エネルギーの残量も気になる。まだ余裕はあるが、ここは太陽からはるかに離れた外宇宙、エネルギー切れになってしまえばおしまいだ。

 一方、アシュランはまだまだ元気いっぱいというふうに眼から破壊光線を放って攻撃してきた。

「ウワッ!」

 メビウスはとっさに飛びのいてかわしたが、破壊光線の威力は強烈で、大きな岩石が粉々になってしまった。

 これはいよいよ厳しい相手だ。メビウスは、こんなときにテッペイのアドバイスがほしいと心の中で一瞬弱音を吐いたが、ここは一人で戦うべきときだと自分を叱咤した。だが、そのとき。

「助太刀するぞおメビウス!」

 なんと、アシュランのメビウスから見て後ろに大木槌を握ったピッコロが降り立ったのだ。その大木槌を振り回し、ピッコロはやる気満々とポーズをとるが、どう見ても強そうには見えないピッコロをメビウスは慌てて制止しようとした。

「ピッコロ、危ない! 敵は僕に任せるんだ」

「へへん、なめてもらっちゃ困るぞメビウス。宇宙を股にかけて冒険してきた俺様の実力、そんじょそこらの奴になんか負けるもんか。行くぞぉ!」

「ああっ、もう仕方ない!」

 言うことを聞かずに突撃を始めたピッコロに、やむをえずメビウスもアシュランに向かっていった。赤い面をピッコロ、青い面に向けてメビウスが同時に突っ込んでいく。

 当然アシュランは前後を同時に見れる体を使って、メビウスとピッコロの攻撃を一度にさばくかと思われたが……。

「あ、あれ?」

「当ったりー!」

 なんと、受け止められるかと思ったメビウスのパンチはアシュランの腹にめり込み、ピッコロのハンマーはアシュランの頭にクリーンヒットしたのである。

 アシュランは体の両面にダメージを受けて苦しそうに体をよじらせた。その様に、メビウスはどういうことかと思った。自分はともかく、ピッコロの攻撃は素人そのものだったというのに、なぜ避けも受けもできずに食らったのだ?

 けれど、ピッコロが追い立てるようにさらにハンマーでポカポカと殴り付けると、アシュランも怒ってピッコロに迫った。

「危ない!」

 しかし、そこにメビウスが攻撃をかけると、またも驚くほど簡単にキックが決まった。それは、顔はこちらを向いているのにまるでメビウスが見えていないようで、その反応からメビウスはついにアシュランの弱点を悟ることができた。

「そうか、顔は二つあっても考える頭は一つしかないんだ!」

 そう、顔が二つあることで騙されてしまうが、アシュランの脳は頭の中にひとつしかない。これがパンドンのような多頭怪獣なら、頭がそれぞれ別々の行動をとれるが、脳がひとつなら一人の相手に集中するのが精一杯となる。

 例えるなら、テレビを二台並べて別々のゲームを一人でやるようなものだ。いくら両方をいっぺんに見れても、プレイに集中できるのは片方ずつになってしまうだろう。いや、むしろ混乱してどちらもまともにプレイすることはできなくなる。

「ピッコロ、挟み撃ちだ!」

「よしきた、まかせとけ」

 思わぬ形で得たチャンスだが、アシュランが二対一に慣れる前にカタをつけねばとメビウスは攻撃を強化した。

 メビウスがアシュランの頭にハイキックを食らわせて注意を引くと、ピッコロがアシュランのつま先にハンマーを振り下ろす。

 痛がって跳ね回るアシュラン。文字通り悪鬼の形相でピッコロに向かって火炎を吹き付けるが、ピッコロはあちゃちゃと言いながら逃げて頭にかぶっていたつば広の帽子を手に取った。

「よくもやったな。くらえ、八つ裂きハット」

 ピッコロがフリスビーのように帽子を投げると、帽子はウルトラマンの八つ裂き光輪のように白いエネルギーの刃をまといながらアシュランに襲い掛かった。

 これはたまらんと身をかわすアシュラン。しかし、避けられた帽子をメビウスが白羽取りしてアシュランに向かって投げ返し、避けきれなかったアシュランの腹に切り傷を作ってピッコロの手元に戻った。ピッコロはひょいと帽子を被り直し、さらにピノキオのような鼻からロケット弾を発射してアシュランを攻撃する。

「はっはっはー、どうだ俺は強いだろう」

 ロケット弾攻撃でアシュランを爆発で包み、ピッコロは腰に手を当てて得意気にふんぞり返った。

 なんともはや調子のいいものだが、なかなかの多芸ぶりにはメビウスも感心した。前にウルトラマンタロウとも戦って、さすがにかなわなかったもののけっこう苦戦させた(本人談)というのはまんざら嘘ではないかもしれない。

 ピッコロのロケット弾で姿勢を崩したアシュランをメビウスは掴まえて思い切り投げ飛ばした。

「テェイヤッ!」

 赤いほうの頭から地面に叩きつけられてアシュランは地を這う。それでもしぶとく起き上がろうとするが、挟み撃ちで受けた精神的ダメージもかなり大きかったようで、メビウスとピッコロのどちらと戦ったらいいのかとうろたえている。

 今なら倒せる! メビウスはとどめを刺す好機だと、メビウスブレスに右手を当ててメビュームシュートの体勢に入った。だが、そのとき。

「待ちなメビウス! そこから動いたらこいつの命はねえぞ!」

「っ!? マグマ星人!」

 なんと、倒したと思っていたマグマ星人がいつの間にか目を覚まして、ピッコロを後ろから羽交い締めにして喉元にサーベルを突きつけていたのだ。

「ひ、ひええ、メビウスぅ」

 ピッコロを人質にとられ、メビウスは仕方なくメビュームシュートの体勢を解除した。それを見て、マグマ星人は下品な笑い声をあげる。

「ガハハハ、それでいいんだ。こいつの命が惜しかったら言うとおりにしなよ」

「くっ、卑怯だぞマグマ星人!」

「ひっひっひっ、勝てばいいんだよ勝てばよお! これが俺達が無敗で勝ち進めた秘訣なのさ。さあアシュラン、メビウスをぶっ殺しちまえ!」

 マグマ星人の卑怯な戦法で動けないメビウスに向かってアシュランが突進し、怒りを込めた張り手が猛烈な勢いでメビウスを張り倒した。

「ウワァッ!」

「メビウス!」

 殴り倒されたメビウスを見て、ピッコロが思わず悲鳴をあげた。だが、その首筋に冷たいサーベルがあてがわれる。

「おっと、てめえも命が惜しかったら動くんじゃねえぞ」

「うう、メビウス! 俺にかまわずにそいつをやっつけちゃってくれ」

「そ、そうはいかないよ。君はタロウ兄さんの友達だ。僕が守らなきゃ」

 よろよろと立ち上がってくるメビウスに、ピッコロは涙を流さずにはいられなかった。

 しかし、卑怯なマグマ星人はアシュランにさらに攻撃の手を強めさせる。

「ひゃっはっは、正義の味方はつらいねえ。アシュラン、さっきやられた恨みだ、もっと徹底的に痛め付けてやれ!」

 アシュランは抵抗できないメビウスに、情け容赦のない攻撃を繰り返した。殴り、蹴り、倒れたところを何度も踏みつける。

「ウアァァッ!」

 足蹴にされたメビウスのカラータイマーが鳴り出し、メビウスの苦悶の声が流れた。

 いくらメビウスでも戦えなくてはどうしようもない。アシュランは抵抗できないメビウスを思うさま踏みつけまくって満足すると、メビウスの首根っこを掴んで引き起こし、顔面を力いっぱい張り付けて吹き飛ばした。

「ウワアッ!」

「メビウスぅ!」

 ピッコロの悲鳴がこだまする。メビウスはなんとか立ち上がろうとしているが、もう力尽きかけているのはどう見ても明らかだった。

 あと一撃でメビウスはやられる。アシュランは勝利を確信して遠吠えをあげ、マグマ星人も愉快そうに高笑いした。

「ヒャッヒャツヒャツ、天下の宇宙警備隊もたいしたことねえなあ。ようしアシュラン、もうそろそろとどめを刺しちまえ!」

 マグマ星人の命令で、アシュランはとどめの火炎放射をメビウスに浴びせるために大きく口を開けた。真っ赤な火炎が蛇のように伸びてメビウスに襲いかかる。メビウスには、もうバリアを張る力も残されてはいない。

 マグマ星人とアシュランは、勝った! と確信した。メビウスの最期の光景に、涙目のピッコロの絶叫が響いた。

「メビウスーっ!」

 地獄の業火がメビウスを焼き付くさんと迫り、あと一瞬で悪の勝利が決定する。だが、その瞬間、宇宙のかなたから白い閃光が走った。

 

「デュワッ!」

 

 流星のように飛び込んできた閃光はメビウスに迫るアシュランの火炎に真っ正面から突っ込み、これをたやすく真っ二つに切り裂いてメビウスを救った。そればかりか、驚愕するアシュランとマグマ星人の回りを縦横に飛び回り、一瞬の隙をついてマグマ星人のサーベルを根本から切り落としてしまったのだ。

「あ! 俺様のサーベルが!」

「いまだ、ええい!」

 突き付けられていたサーベルが無くなったことでピッコロはマグマ星人を振りほどいて脱出した。

 人質に逃げられて慌てるマグマ星人は、もう一度ピッコロを捕まえようと手を伸ばす。だが、そのときピッコロとマグマ星人の間に赤い正義の戦士が降り立った。

「マグマ星人、それ以上の非道は許さん」

「お、お前は……!」

 愕然とし、怯えて後ずさるマグマ星人。宙を舞っていた白い閃光、アイスラッガーがその戦士の頭に舞い戻って銀の輝きを放ち、アシュランはうろたえ、メビウスとピッコロは歓喜の叫びをあげた。

「セブン兄さん!」

「ほ、本物のウルトラセブンだぁーっ!」

 ウルトラ兄弟№3、セブンがメビウスを救うべく颯爽と戦場に駆け付けたのだ。

「立てメビウス、戦いはまだこれからだぞ」

「はい! でもどうしてセブン兄さんがここに?」

「ゾフィーに念のためにと迎えに行くよう指示された。不幸なことだが、今宇宙に大きな動乱の兆しがあるというゾフィーの危惧が当たってしまったようだ。メビウス、こんな奴らにやられている場合ではないぞ。お前にはまだやらねばならないことがあるはずだ」

「そうでした。こんなところでひざを折っていたらリュウさんに叱られちゃいます。うおぉぉぉぉっ!」

 メビウスはGUYSの仲間たちとの絆を思い出し、赤く燃える炎をまとった新たなる姿へと転身した。

『ウルトラマンメビウス・バーニングブレイブ!』

 絆から生まれた炎の勇者。その雄姿に、ピッコロも大喜びで歓声をあげた。

「おおおーっ、かっこいーっ!」

 力を取り戻したメビウスを前にして、アシュランは臆したように後ずさった。アシュランは知能が高く悪賢いが、相手が自分より強そうだとわかるととたんに戦意を失くしてしまう気の弱さも持つ。

 しかし、だからといってアシュランのような極悪人を宇宙警備隊のメビウスが逃がすわけがない。逃げられないと悟って逆上して向かってくるアシュランを、パワーアップしたメビウスのパンチが迎え撃つ!

「イヤァッ!」

 力を込めたメビウスの右フックがアシュランの腹を打ち、アシュランは黄色い血反吐を吐きながらよろめいた。メビウスはさらにアシュランの腕をつかみ、思い切り振り回して岩盤に投げつける。

『ジャイアントメビウスゥイング!』

 岩盤に巨大なクレーターを作って叩きつけられるアシュラン。しかし当然、メビウスの攻撃はこれで終わりではない。

 そして一方、マグマ星人も進退窮まったことを悟って狼狽していた。

「じょ、冗談じゃねえ。ウルトラセブンが来るなんて聞いてねえぞ。こ、ここは」

「どこへ行く気だ?」

「ヒッ!」

 逃げ出そうとしたマグマ星人の前に腕組みをしたセブンが立ちふさがる。

「お前たち二人には宇宙Gメンからも手配がかかっている。観念するがいい、今までの悪事を償う時が来たのだ」

「く、クソッ! 野郎、ぶっ殺してやる!」

 宇宙牢獄に捕まるなんてごめんだと、マグマ星人はへし折れたサーベルの代わりに左手にフックを出現させてセブンに向かっていった。が、そんなものがセブンに通用するわけがない。 

「ジュワッ!」

 すさまじい速さと重さで放たれたセブンのパンチがマグマ星人の顔面を文字通り粉砕した。

「がはっ……」

 鼻をつぶされるほどの一発を食らい、マグマ星人はよろよろと足踏みした。

 たったの一撃で意識が朦朧とするほどのダメージを受けて、マグマ星人は本能的に自分たちが井の中の蛙であったことを悟っていた。しょせんは卑怯な手で宇宙ストリートファイトを勝ち進んだだけの小悪党、本物の強者にかなうはずがなかったのだ。

 しかし、捕まれば宇宙のあちこちを荒らしまわっていたマグマ星人に待っているのは宇宙牢獄での終身刑のみだ。マグマ星人はやけくそになってフックを振り回し、哀れな目でそれを見るセブンはそれでも容赦のない一撃をマグマ星人に叩き込んでいく。

 

 さらにメビウスとアシュランの戦いも佳境へと入っていた。

「がんばれーメビウス、やっつけろー!」

 ピッコロの応援を背に受けて、メビウスはアシュランを攻め立てていた。

 タロウから直伝されたボクシングから来る連続パンチ。そこから発展させて、ローキック、エルボーを組み合わせた連続攻撃が炸裂する。

 アシュランはもうフラフラだ。マグマ星人同様に、卑怯な手で戦うことに慣れていたアシュランはメビウスの底力を見誤っていたことに気づいたが、もう後の祭りだった。

 だが、アシュランも終身刑は絶対嫌だと最後のあがきを繰り出した。体の前後の顔から同時に火炎とビームを放射して、周囲一帯を破壊すべくグルグル回りだしたのだ。

「ウワッ!」

 まるで火を噴くスプリンクラーだ。メビウスはその火勢に押されて後ろに跳び、ピッコロも慌てて岩陰に隠れた。

 このままでは近づけない。いや、唯一の死角はあそこだ。メビウスは大きくジャンプすると、アシュランの真上で同じように大きく体を回転させ始めた。

「テヤアァァァ!」

 コマのように超高速回転するメビウスの体が紅蓮の炎に包まれていく。メビウスはアシュランの炎をはるかに上まわる真紅のドリルとなってアシュランに突撃した。

『バーニングメビウスピンキック!』

 GUYSの仲間たちとの特訓の末に生み出したメビウスのオリジナル必殺技がアシュランの直上から炸裂し、小惑星に巨大な爆炎とクレーターを作り出した。

 岩陰から顔を出したピッコロは、炎の中から現れたメビウスの雄姿を見て大きく万歳をした。アシュランの姿はもう欠片もない。

「やったやったぞ! メビウスの大勝利だ」

 

 そして、アシュランの最期の炎を見て、マグマ星人もいよいよ蒼白になっていた。

「あ、あ……」

「年貢の納め時だ。お前たちが殺めてきた者たちへ償いをするのだ。心を入れ替えて奉仕すれば、いずれ自由に戻れる日も来るだろう。投降しろ」

 セブンは重ねて勧告した。マグマ星人はボロボロになるまであがいたが、セブンには傷一つつけられていない。しょせん、双子怪獣もいないマグマ星人が万全の状態のセブンに勝てるはずがなかったのだ。

 しかし、セブンの最後の温情もマグマ星人には通じなかった。

「い、嫌だぁ!」

 マグマ星人は背を向けて飛び立った。だが、逃げられるわけがない。セブンは逃げていくマグマ星人の背を残念そうに見つめると、一転冷たい眼光に変わって頭の宇宙ブーメランに手をかけ投げつけた。

『アイスラッガー!』

 白熱化して超高速で飛ぶ正義の剣。それは逃げるマグマ星人に瞬時に追いつき、股下から頭部にかけて一刀で両断した。

「はがぁ!?」

 切り裂かれ、左右にズレるマグマ星人の体。セブンは戻ってきたアイスラッガーを受け止めると、額に指をあててとどめの一閃を解き放った。

『エメリウム光線!』

 白色の稲妻が突き刺さり、マグマ星人は一瞬炎上し、爆発して消滅した。

 宇宙を荒らしまわっていた無法者の、自業自得な最期であった。

 

 その後、セブンはメビウスと共にピッコロをハーシー大彗星のところにまで送っていった。

「ピッコロくん、無事でよかったね。メビウスにセブン、私からもお礼を言わせてもらうよ。私の友達を助けてくれてありがとう」

「いえ、これが僕らの使命です。お気になさらないでください。ピッコロ、次はもっとゆっくり話をしたいね」

 物腰柔らかなハーシー大彗星の言葉に、メビウスは少しサコミズ隊長のことを思い出しながらピッコロにさよならをした。

「うん、結局迷惑をかけちゃって悪かったねメビウスにセブン。俺、次に会うときはもっといろんなところを旅しておもしろい話を聞かせてやるからな。じゃあ、バイバーイ!」

 明るく手を振りながら、ピッコロはハーシー大彗星といっしょに宇宙のかなたへと去っていった。

 セブンとメビウスはハーシー大彗星が見えなくなるまで見送ると、光の国を目指して飛び立った。

「さあ帰るぞメビウス。大隊長と兄弟たちがお前の報告を待っている」

「はい!」

 もう光の国へはすぐだ。その途中で、メビウスはセブンにさっきの宇宙人のことを話していた。

「すみませんセブン兄さん、僕の不注意でハルケギニアのことをあいつに知られてしまいました」

「気にするな。地球では、壁に耳あり障子に目ありという言葉がある。ああいう奴は、知ろうと思えばどんな手を使ってでも探っていただろう。それよりも、これからのことを考えろ」

「はい、奴はきっとハルケギニアへの侵略を企むでしょう。なんとしてでも防がないと、僕の責任です」

「メビウス、お前の責任は兄弟である我々の責任でもある。兄弟とはそういうものだろう? 必要ならば、一人で背負い込まずに我々を頼れ。お前はもう立派なウルトラ兄弟の一員だ、遠慮することはない」

 セブンに諭され、メビウスは心の中に刺さっていた焦燥感が薄れていくのを感じていた。

 そしてその後、帰還したメビウスから話された情報を元に宇宙警備隊は総力で事態の解決に当たることを決定した。しかし、次元を越えることはヤプールの妨害に合って失敗し、今に至るのがかつての真実であったのである。

 

 

 それをタバサに語り、ダンはタバサに改めて詫びた。

「ヤプールは我々の世界からこちらに来て、さらに我々の世界から来たあいつが君たちを苦しめている。本当にすまない」

 しかし、タバサはゆっくり首を横に振ってそれを否定した。

「このハルケギニアにも、わたしたちガリア王家にも、あんな奴らに付け入られる隙があったのがそもそもの原因。家の中で醜い争いに明け暮れ、戸締まりも忘れていた家に強盗が入っても、それは間抜けと言われるだけ。あなたたちに責はない」

 以前アルビオン王家はヤプールの内部工作によって滅亡寸前まで追い込まれた。だが、トリステイン王家は何度もスパイに侵入されながらもいまだに健在を誇っている。それはトリステインにはアンリエッタ女王を中心に、有能で、かつ情熱を持った家臣が揃っているからだ。

 けれど、ガリアはそうではなかった。有能な人材はいれど、ジョゼフが支配する今のガリアのために情熱を燃やそうという人間はいない。その虚無に、あいつはつけこんだ。それはガリア王家をそんな風にしてしまった自分たち王族の責任に他ならない。

 立ち去ろうとするタバサに、ダンはもう一度声をかけた。

「これからどうするのかね?」

「いずれすべてが元に戻るとき、ガリアをまとめられる人間が必要。わたしはガリアに戻ってそれに備える……それに、わたしもわたしなりにガリアという故郷を愛している。できれば、滅ぼしたくないから」

 最後に本心を告げ、タバサは旧オルレアン邸を後にした。もう、二度とここに戻ることはないという決意を込めて。

 門をくぐると、最後にあと一度だけ振り返ろうかという欲求が足を止めた。だが、未練を振り切ってラグドリアンの湖畔に出て、考えをまとめるようにガリアとトリステインの国境である湖畔を歩き続けた。

 

 このラグドリアンの湖畔も、幼い頃には父や母といっしょに何度も遊んだ。もっと幼い頃には、まだ仲のよかったイザベラといっしょに泳いだこともある。

 思い出は尽きない。あの頃は、将来こんなことになるなんて夢にも思わずに、未来は明るさに満ち満ちていた。

「でも、もう時間がない。この茶番の時間が終わったとき、ガリアは必ず大混乱になる。そのとき、王冠を頂くべきなのは……」

 少し前まで、本来ガリアの王冠にふさわしいのはたった一人だと長く信じてきた。しかし、今は違う考えを持っている。ただ、それを実現するためにはまだしばらくの準備がいる。

 その計画を立てつつ、タバサが湖畔の小さな町に近づいたときである。トリステインの方角から、土煙をあげながら馬車がやってきてタバサの前に止まった。

「おお、そこのお嬢ちゃん。ちょっと聞くけど、こっからはもうガリア王国かい?」

 慌てた様子でタバサに尋ねてきたのは商人風の男だった。タバサは男のそんな様子にいぶかしみ、油断せずに相対した。だが、彼から返ってきた答はタバサの想像を超えるものであった。

「そうだけど……何か、あったの?」

「ああ? なんだまだ知らねえのか。どうしたもこうしたもねえ、トリステインにガリア王国軍が攻め入ってきたんだよ!」

「え……そんな、まさか!?」

 タバサは耳を疑った。なぜ、という前に意味がわからない。

「どういうことなの? どうしてガリアが!」

「おれも詳しくはわからねえけど、ガリアが突然トリステインに宣戦布告してきたんだよ。ここと反対の国境付近じゃすでにガリアの大軍勢が進軍中らしい。三日後には確実にトリスタニアまでやってくる。国内の貴族には緊急動員がかけられたって話で、俺たちみたいな身分のは逃げ出すので精一杯さ!」

「……なんてこと」

 タバサは、事態が知らない間に勝手に加速していたことを理解した。見ると、トリステインの方向から同じような避難民の馬車や列が続々とやってくる。

 だがどうしてジョゼフは? しかもこんなタイミングで? 偶然だろうか……まさか。いや、考えている時間はないと、タバサは商人の乗ってきた馬車を引いている二頭の馬の一頭の綱を魔法で断ち切ってその背に飛び乗った。

「この馬はもらっていく」

「お、おい冗談じゃねえ! この馬を買うのにどれだけかかったと思ってんだ」

 商人の抗議にタバサは答えず、金貨の詰まった財布を投げつけると馬の腹を蹴った。

「はっ!」

 馬は一声いなないて走り出す。馬を走らせると、トリステインから逃げてきたと思われる者たちといくつもすれ違った。こんな僻地でこうなっているということは、トリスタニアあたりは大騒ぎになっていることだろう。

 そうなれば当然みんなも……タバサは残してきた友たちを思い出して呟いた。

「キュルケ、ルイズ……」

 彼女たちがおとなしく避難しているとは思えない。もしガリア軍と相対することになれば、今度こそは。

 タバサは、やはり無駄な寄り道などするんじゃなかったと後悔した。一刻も早くガリアに戻ってジョゼフに問いたださねばならない。

 けれど、果たして間に合うだろうか? こんなことならガリアから出るのではなかった。

 シルフィードがいればひとっ飛びの街道を、タバサはひたすらに駆け続けた。手遅れになる前に、ジョゼフを止めなければならない。

「やめてジョゼフ、あなたは間違ってる。こんなことをしても、あの日は……帰ってきはしない」

 すべては四年前のあの日から始まった。このままでは、またあの日の過ちが繰り返されてしまう。タバサは自分の見通しの甘さを呪いながら、ただひたすらに急いだ。

 

  

 しかしそのころ、両国の国境。さらにトリステインに続くガリアの街道では、商人の言った通り何万というガリア軍の兵士たちが国境を目指して行進を続けていた。

 目指す目標は当然トリスタニア。そして進軍するガリア軍の傍らを、逆方向に向かって旅人に扮したイザベラは足を急がせていた。

「バカ親父……なんて早まったことをっ」

 イザベラは苦渋を浮かべながら怒りに胸を焦がしていた。ジョゼフも追い詰められているのはタバサから聞いて察していたが、まさかこんな無茶に出るとは。

 いったい何を考えているのか。ガリアがトリステインに戦端を開けば、自動的にトリステインの同盟国であるアルビオンとも開戦となり、ゲルマニアも介入に出てくる。つまりはハルケギニア全体が混乱に包まれて、誰も先が読めない混沌に陥る。そうなれば、すべてが元に戻った時にガリアは……。

 道をイザベラは急いだ。こういうとき、面倒ごとを押し付けたタバサは今はいない。自分の力なんてタバサに比べたら塵も同然のものだということもわかっている。しかし、でも、だからこそ。自分にしかできない自分だからこそできることを命をかけてすべきだと覚悟を決めて、ある場所へと向かっていた。

 

   

 だが、ガリアの中核にあって、ジョゼフの暴走はもはや歯止めの効かないところにまで及ぼうとしていた。

 首都リュティスから進軍を始めたトリステイン征服軍の第二陣二万を見送ったジョゼフは、冷たいほど澄みきった青空を見上げながらつぶやいた。

「なあシャルルよ、お前が死んでから俺はいろいろと好き勝手に馬鹿をやってきたがな、そろそろ飽きてきたよ。親父どのに叱られもせず、お前に呆れられずもせず、一人遊びというのは虚しいものだ。だが、これまではそれでも退屈しのぎにはなったんだがな……」

 ジョゼフのガリア王族の証である青い髪が風に揺れる。しかし、空色の象徴であるその色とは裏腹に、その表情は暗くよどんでいた。

「退屈しのぎはしょせん退屈しのぎだ。どうしても、何かが足りない。すぐに冷めてしまう。だからな、シャルルよ、我が弟よ。最後に思い切り盛大に馬鹿騒ぎをして、それでガリアをお前に返そうと思う。待っていろ、もうすぐ、もうすぐだ。この無能王が最後に世界を驚かせてやるからな!」

 世界に拒絶されて未来を捨て去った男の、暗い哄笑が空に消えていく。その後ろでは、シェフィールドがじっと控えて主の命を待っている。

「ジョゼフ様、どこまでもあなたのお側に……」

 彼女の懐には各種の魔道具と異界の品が出番を待ち、その手には一握りほどの石が握られ、まるでジョゼフとシェフィールドの暗い思念に共鳴するかのように不気味に輝いていた。

 

 

 

 

 最終章へ続く

 



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最終章
第1話  ガリア来る


 第1話

 ガリア来る

 

 猛禽怪獣 グエバッサー 登場!

 

 

 M78星雲のある宇宙とは次元を隔てた異世界ハルケギニア。そこでは数々の異変や事件が起こり、戦い、そして解決されてきた。

 その中心にあったのは、才人やルイズたち勇敢な少年少女。この世界の心ある人々、彼らを助けてきた光の巨人たちの活躍だった。

 しかし、悪の因果は消えず、絡まり、次第に太くなって闇から襲い掛かってくる。長い間ハルケギニアの裏で暗躍し、舞台をかきまわしてきた勢力がついに全面攻勢に出てこようとし始めたのだ。

 

 

 その日は朝から雲一つない澄みきった晴天で、多くの人々は平和な一日がやってくることを疑わなかったという。

 しかし、天気で世の平穏が決まればどんなに幸せなことであろうが、この日に人々が耳にしたのは対極の凶報であった。

 そしてそれを第一に見る栄誉に不幸にも預かったのは、国境付近で地質調査に当たっていたトリステイン王立魔法アカデミーの一団だった。

「ふう、ふう、せんぱーい、ちょっと待ってくださーい」

「なによだらしないわね。若いんだからもっとしゃんとしなさい」

 荒れた山道を、ブロンドの髪に眼鏡をかけたきつい目付きの女に続いて、華奢な金髪の少女が追いかけていく。

 一団の数は二人を含めて十名程度。山登りの用意はしてきたようだが、知力や魔法力よりも体力の求められる山道にはなかなか苦戦しているようであった。

「せんぱーい、こんな地味な仕事嫌ですよ。もっと古代の神秘とか、ロマンのある研究しましょうよ。エレオノール先輩ったら」

「うるっさいわねルクシャナ! 私だってほんとはこんな地味な仕事はしたくないわよ。けど仕方ないのよ。始祖の業績の研究だけしてればよかった昔とは違って、実になる成果もあげないとアカデミーもどんどん予算を削られちゃうんだから。まあ今回は我慢しなさい、ここで新しい土石の鉱脈を発見できれば、理事長も当分私たちに文句言えなくなるからね」

 言い合っているのは今や王立魔法アカデミーの名物コンビとして有名なエレオノール女史とルクシャナ助手の二人である。この二人は国中から優秀な学者が集まるアカデミーの中でも、その頭脳が突出しているだけでなく、たぐいまれな美貌を持つ才女たちとして名声を高めている。

 もちろん、二人に続いて山道を行く八名の一般研究員たちも彼女らのファンで、あわよくば求婚の機会をという野心を抱いていた。

 と……いうのが全体の建前であるが、実際は半分だけ正しいと言える。確かにファンは多いが、それは片方だけで、もう片方は怒りを買うのが恐ろしいので持ち上げているというのが正解である。

 もっとも、その片方にも一応婚約者がいて、しかもなかばほったらかしにされているわけだが、知らぬは当人たちばかりである。

 そんな彼女たちの今回の仕事は、やりがいは薄いが簡単なものであるはずだった。しかし、軽い気持ちで裏山道を行く彼女たちの耳に突然山津波のような轟音がして、驚いて山林を抜けた先にある表街道を覗いた彼女たちの見たものは、道を埋め尽くして行進する大軍勢の姿だったのだ。

「わあおっ、なになに? お祭りかしら?」

「バカ! 隠れるのよ、ルクシャナ!」

 血相を変えたエレオノールがルクシャナを木陰に引きずり込んだ。能天気なルクシャナはともかく、エレオノールは一目見ただけで、その軍勢が掲げていた旗印がどこのものであるかに気づいてしまったのだ。

「ガリア軍……どうしてこんなところに」

 ここは国境のすぐそばといえ、トリステインの領内なのだ。そこにガリア軍が大挙しているなどありえない。

 が、もしありえる理由があるとすればそれは一つしか考えられない。エレオノールは青ざめている研究員たちを見渡すと、母親譲りの毅然とした態度で指示を下した。

「これは、ガリアの侵略よ。あなたたち、今すぐトリスタニアに飛んで女王陛下にこのことをお伝えしなさい」

「は、エレオノール女史はどうされるのですか?」

「私は別に行かなきゃいけないところができたわ。いい、あなたたち、もうどこにガリアの斥候がいるかわからないからバラバラに走るのよ。ルクシャナ、留学生のあなたはトリステインの有事に関わる義務はないわ、事が収まるまでどこかに隠れてなさい」

「む、先輩、私がそこまで自分さえよければいいと思われてるとはさすがに傷つくわね。確かに私はこの国には義理はないけど、この国の中に守りたいものはあるのよ。先輩も……気をつけて」

 ルクシャナはいつもの気楽な表情を引き締めると、真っ先に駆け出して行った。

 こういうときの切り替えの早さと決断力はさすがである。また、エレオノールも非常事態だというのに取り乱しもしないで指示を出しており、その胆力に男たちは彼女を見る目を変えていた。

「あんたたち何ボサッとしてるの! ことは一刻を争うのよ!」

「は、はいっ!」

 一括され、研究員たちは思い思いの方へ駆け出して行った。

 それを見届けて、エレオノールも走り出す。フライの魔法で飛べば速いが、それはガリア兵に見つけてくださいと言っているようなもので走るしかない。

 とにかく一人でも王宮にたどり着き、女王陛下にこの危急を伝えてくれれば。エレオノールは祈りながら、自らもある方角へ向かって急いだ。

 

 

 そして、結果としてエレオノールの指示は適切で、何人かの研究員が王宮にたどり着いて凶報を伝えることに成功した。

 この時、王宮はルビアナとの戦いによって受けた被害の復旧にかかりっきりであり、足りなくなった警備に水精霊騎士隊までも駆り出している有り様だった。それゆえに、他の事柄にはほとんど注意が払われていないようで危機意識はまるで感じられず、それだからこそ、そんな時に飛び込んできたこの凶報は王宮を激震させた。

『ガリア軍、国境を越えて大挙浸入』

 もちろんアンリエッタもこれをいきなりは信じられなかったが、名誉あるアカデミーの研究員が嘘を言うとも思えず、念のために飛竜を飛ばしてみた。すると、時をおかずに大軍勢の移動が発見され、続いて各所から同様の報告があがり、とどめにガリアからの宣戦布告文書が届くにいたってアンリエッタは戦争の勃発を確信した。 

「すぐに国内のすべての貴族を召集しなさい。信じられないことですが、戦争です」

 これをもって時間は現在となり、トリステイン王宮の一室では緊急会議が開かれていた。

「ともかく詳しいことは調査中ですが、ガリア軍が国境を越えてこのトリスタニアへ向かっているのは事実です。現在の進軍速度だと、トリスタニアへの到達は三日後でしょう。これより、トリステイン王政府は戦時体制に移行します。皆様には、自由に対策を論議していただきたく願います」

 集められた大臣たちの役職や爵位は様々だが、皆一様に事態を飲み込めていないというのは共通していた。だが、あまりにも非常識な事態であるので無理はない。

「女王陛下、とにかく訳がわかりません、なぜガリアが我が国を? 彼の国は宣戦布告文でなんと言ってきたのですか?」

 一人の大臣がそう質問した。当然のことである。戦争とはそう簡単に起こせるものではなく、一国が何か月も、場合によっては何年も入念に準備してやっと起こせる国家行事なのだ。その目的がわからなければ対応のしようがない。

 だがこれに対して、アンリエッタの隣に控えたマザリーニ枢機卿が苦渋をにじませながら答えた。

「残念ながら、ガリアからの宣戦布告文にはこうとしか書かれておりませぬ。『うたかたの夢のことゆえ、軽くお相手願いたい』と、だけ……」

「なんだそれは! ふざけているのか?」

 当然の反応だった。戦争を仕掛けて来ているというのに、大義名分の欠片もない意味不明な一文しかない。

 しかし、宣戦布告文が送られ、軍隊がやってきていることは事実だ。現実的に、選択肢はざっと三つしかない。すなわち、降伏か、戦うか、逃げるかである。

「戦わずして降伏など、トリステインの先霊に申し訳が立ちません。しかし、戦うとなると、軍のほうはどうなっているのですかな?」

 大臣の一人が尋ねると、軍の代表として席についていたド・ゼッサールが立ち上がって答えた。

「結論から言うと、とても無理です。すでに烈風どのを中心に軍編成は始められていますが、あと三日、いや実質二日で軍を編成するにはなにもかもが足りません。兵士を集めるにも、指揮官となる貴族を召集して任命するにも一週間は最低必要です。ほかの物資や兵糧のことも考えれば気が遠くなるようなものです。無理です」

 はっきりとした不可能の現実が突きつけられ、大臣たちは色を失った。

 軍隊は平時においては金食い虫であるため、対立している国がなければ最低限に抑えるのが基本だ。特に兵士は莫大な維持費がかかるため、戦時だけ傭兵を雇ったり、主力となる貴族たちも平時は自分の領地で普通に暮らしている。

 これに呼び掛けて集めるだけでも莫大な手間がいる。その後の手間も考えれば、ド・ゼッサールが悲鳴をあげるのも当然のことであった。

 と、なれば同盟国の援助も危うい。大臣の一人がアルビオンのウェールズ王が来ていたはずだがどうしたのか尋ねると、アンリッタは苦悩しながら答えた。

「急ぎアルビオンに戻り、軍を率いて救援に来るとおっしゃられてウェールズ様はすでに立たれました。ですが、到着までは早くても十日はかかります。なんとかそれまで粘れればよいのですが、どうですゼッサール卿?」

「編成可能な戦力は、トリスタニアに常備している兵力をすべて集めても千……雑多な顔ぶれも集めても二千が限度です」

 たった千や二千の兵力で数万のガリア軍と当たっても、巨竜に生卵をぶつけるようなものだ。別の大臣がいきり立って叫んだ。

「そもそもどうしてこんなことになるまで気づかなかったのだ! 国境警備はどうなっている?」

「連絡不通です。恐らく、早いうちに奇襲を受けて無力化されたものと思われます」

「ゼッサール殿! これは軍の責任問題ですぞ!」

 場が一気に険悪になり、他の大臣たちもこれに追従しかけたが、そこにアンリエッタの一喝が入った。

「あなたたち! 今はそんなことを問題にしている時ではありません。トリステインのためになる話ができないというのであれば、今すぐ爵位を捨ててガリアに駆け込みなさい。このわたしがトリステイン軍の先頭に立って無能者の首を取りに行きましょう!」

 大臣たちはびくりと身を正し、不毛な罵り合いになるのだけはなんとか避けられた。

 落ち着けば、彼らもまたトリステインの重職を任ぜられる人材である。それぞれが知恵を働かせ、会議はやっと前へ動き出した。

「女王陛下、打てる手がわからないときは、あらゆる手を打っておくべきです。軍事のことはおまかせするとして、このトリスタニアに籠城すれば国内の経済が大混乱します。恐れながら、女王陛下にはトリスタニアを出て、いずこかの城に陣を張っていただくのがよろしいかと思います」

「このトリスタニアはトリステインのシンボルですよ。女王のわたくしにそこを捨てろというのですか?」

「恐れながら、あと二日では街の住民を避難させることも不可能です。それに、トリスタニアを灰燼にして仮に勝ったとしても、その後のトリステインの復興はどうするのですか?」

 財務卿デムリの正論に、アンリエッタも返す言葉がなかった。準備期間がもっとあればトリスタニアは難攻不落の要塞と化すが、今のトリスタニアはほとんど裸でしかない。

 残念だが、トリスタニアは無防備化してガリアの良識にまかせるほかはないだろう。略奪がおこなわれるかもしれないが、少なくとも決戦場になるよりかはマシだ。

「仕方がありません。移動する城の選定はド・ゼッサール卿、お願いします」

「はっ、それならばゲルマニアからは遠く、アルビオンの支援を受けやすいラ・ロシェール近辺のいずこかがよろしいでしょう。すぐに軍の移動準備にかかります」

 ド・ゼッサールはそこで退席していった。彼は地味だが有能な軍人であり、任せて問題はないだろう。

 しかし、最悪の事態に備えるとしても、まだやれることはあるはずだとアンリエッタは残った大臣たちを見回した。

「皆さん、猶予はあと三日しかありません。しかし、見方を変えればまだ三日あるとも言えます。なんとか外交的手段で、戦争を食い止める、または遅らせる手段をとれませんか?」

「そのためには、やはり使節を送って交渉にあたるしかありますまい。ガリアの……?」

 その大臣はなぜか言葉の途中で口を止めてしまい、アンリエッタの隣で話をうかがっていたマザリーニは先をうながした。

「どうしたのですか? 続きをおっしゃってくだされ」

「い、いや、その……ガ、ガリア王の、その」

「しっかりなされ、まさかガリア王の名を忘れたと申すわけではあるまい!」

 マザリーニに叱責され、その大臣は恐縮して「ど、度忘れかもしれませぬ」と申し開きをして頭を下げた。言いたいことは最後まで言われずともわかるが、大臣ともあろうものがいざというときにこれでは情けない。

「ともあれ使者は送るべきですな。交渉になるかはともかく、あの……あの?」

 すると、今度はマザリーニが口ごもってしまい、アンリエッタが問いただした。

「枢機卿? どうなさったのです」

「あ、いや、歳のせいでしょうか。すみませぬ、ガリア王の名はなんといったでしょうか?」

「はぁ、枢機卿は働きすぎです。ガリア王の名は……え?」

 アンリエッタは口を開こうとして愕然とした。当たり前に出てくるはずの名前がまったく浮かんでこないのだ。

 これはどういうこと? アンリエッタは、まさかと思って席を並べた大臣たちに向かって尋ねてみた。

「誰でもかまいません。ガリア王の名前を知っている者がいれば、手を挙げて答えてください!」

 それはまったく奇妙な質問だった。大臣と呼ばれるような立場の者がどうして隣国の国王の名前を答えられないということがあるだろうか。

 当然、居並ぶ貴族たちの誰もがそんな質問などわかって当たり前だと笑ったが、すぐにどの顔も困惑へと変わり、そして誰一人手を挙げられる者はいなかった。

「これは……いったい」

 奇妙、いや、奇怪を通り越しておぞましい感覚が皆の体を包んだ。なぜ、誰もが知っていて当たり前のことを誰一人答えられない? それに名前だけでなく、ガリア王の顔も人となりもなにも思い出せない。

 誰かが「し、資料をここへ!」と叫んだ。だが、アンリエッタら誰もが不気味な寒気で顔を青く染めていた。知らないうちに誰かに頭の中をいじられていたような……一刻を争う事態だというのに、誰も会議を進めることができないまま時間だけが過ぎていった。

 

 そして、一歩遅れながらもトリスタニアにもガリア軍が攻めてくるという情報が入って街は大混乱となっていた。

「ガリアが来るって、せ、戦争なのかぁ!」

「ここが戦場になるのか? 逃げろって、どこへだ!」

「ともかく荷物をまとめろ。急ぐんだ」

 怪獣が襲ってくるなら一時避難ですむが、軍隊が来るとなれば話は別である。城砦が落ちるとき、略奪、殺戮、凌辱、破壊はつきものだ。アンリエッタやウェールズであれば軍にそれは禁止させるだろうが、相手がそうしてくれるという保証はどこにもない。そうでなくとも戦火の巻き添えを食らって死ぬ可能性はじゅうぶんにある。

 一般人は、田舎がある者はそこへ、金のある者は外国か僻地へでも逃げようとやっきになって、路上はいっぱいに溢れてしまっている。『かつて』の戦争の記憶も失っているトリスタニアの人間には、再び戦おうという気持ちも無くなってしまっていたのである。

 しかし、逃げるという選択肢があるだけ彼らはマシであったろう。城に残されている兵士たちは逃げるわけにはいかず、城の中庭では水精霊騎士隊が集まって相談していた。

「みんな、よく集まってくれた。突然のことでわけがわからないが、戦争となればぼくたち貴族はトリステインのために参戦するのが義務だ。しかし、その前になにかいい案があれば今のうちに出しておきたい。貴賤のない意見を聞かせてくれ」

「その前にギーシュ、お前まだその腕じゃ何もできないだろ。寝てなくていいのか?」

 ギーシュの腕はまだ包帯ぐるぐる巻きで、完治にはまだ当分かかる。モンモランシーの助けがなければ歩くこともままならない状態で、体の調子を心配するギムリの言葉ももっともだった。

「まだ口を動かすことはできるさ。貴族として、這ってでも戦場には出る……と、言いたいところだけど、ね」

 最初、ギーシュは水精霊騎士隊の隊長として参戦するつもりであった。しかし、その以前に才人に止められていた。

「いや、どう見たって足手まといだろお前。それにお前が出てくるならモンモンも戦場に引っ張り出すことになるけどいいのかよ?」

「サイト、ほんとに君はズケズケと無礼になんでも言うね。だが、無礼な平民を手打ちにすることもできない今のぼくじゃどうしようもない。わかったよ」

 ギーシュは心底悔しかったが、聞き分けずにだだをこねるほど愚かでもなかった。ただし、腕が治ったら一発殴るからなと才人に約束した上でではあるが。

「一応、隊長としておおむねの方針は立てるまではやるさ。その後は代理にレイナールとギムリに引き継いでもらう。指揮官が二人になるというのはあまり良くないが、ぼくの代わりをするには二人分くらいでちょうどいいからね。それに、すべては女王陛下のためにという水精霊騎士隊のモットーに従って、みんなうまくやってくれるとぼくは信じている」

 組織で上の統率が変わると、功績争いや仲間割れが頻発するが、ギーシュは前もって釘を刺しておいた。この戦争は個人の手柄をどうこう言える次元のものではない。負ければなにもかも奪われる、守りの戦いなのだ。

 その中で全員合わせて半人前の水精霊騎士隊に何ができるか。才人やギーシュをはじめ、計画性のない顔ぶればかりの水精霊騎士隊の中で、数少ない頭脳担当のレイナールが口を開いた。

「みんな、聞いてもらいたい。考えてみたんだけど、ぼくらがガリア軍に正面から立ち向かってもかなうわけがない。前提条件で、それはみんなに納得してもらいたいんだが、いいかな」

 少年たちは不服そうにうなづいた。訓練はしてきたが、戦争となると烈風や魔法騎士団、クルデンホルフの空中装甲騎士団も今回は出兵を断れないだろうから、水精霊騎士隊は二番手三番手で、彼らが倒された後に勝ちに乗ったガリア軍に蹂躙される未来しかあるまい。

「そこでだけど、ぼくらは正規の部隊じゃないからこそできることをやろうと思う。あまり愉快な方法じゃないけど、これしかないと思う」

 少年たちはレイナールの案をもとにして打ち合わせを始めた。彼らにも、どんな手を使ってでもトリステインをガリアなんかに渡したくないという意地があった。

 その一方、彼らから一歩引いて話に参加せずにいる才人とルイズは、この戦いが単なる戦争にはならないだろうという奇妙な確信を抱いていた。

”ガリアがただの戦争なんか仕掛けてくるわけねえ。テファをさらったときにガリアの王様は怪獣まで出してきたんだぞ”

”そうよ。サハラに行く時だって、ガリアを通ったときに怪獣に襲われたことは忘れないんだからね」

 二人は以前に痛い目に会わされた苦い思い出を噛み締めて、ジョゼフの放ってくるであろう怪獣との戦いになることを覚悟した。

 しかし、二人は自分の意気込みとは裏腹に、ガリアが危険という認識はあったはずなのに、なぜその脅威を認識せずに今の今までのほほんと暮らしていたのかという矛盾には気づいていなかった。

 北斗は何も語らないまま、じっと二人の中で時を待ち続けているのみである。

 

 さらに、破滅を避けるべくウルトラマンたちも動き始めようとしていた。

 トリスタニアの郊外で、我夢と藤宮は墜落したぺダン星人の円盤を調べていた。だがそこへ、アスカがガリアが動き出したという知らせを持ってくると、彼らはすぐに行動に移ることを決めた。

「俺たちは、この世界のことに関わるべきじゃない。けど、後ろに宇宙人がいるなら話は別だよな?」

「ああ。なにより、戦争が始まるなら、あいつが僕たちに約束した取引は反古ということになる」

「初めから信用などしていなかったがな。だが、気をつけろ。こうするからには当然奴も我々が動き出すことは想定しているはずだ。これは奴の宣戦布告と言っていい。必ず俺たちにも仕掛けてくるぞ」

 三人は、戦うべき時が来たことを確認しあった。アスカと我夢たちでは戦う理由が違うが、この平和な世界をあんな奴の好きにさせたくはないという気持ちはひとつだ。

 恐らく、今ごろはこの世界のウルトラマンすべてがなんらかの行動を始めているだろう。

 

 だが、藤宮の懸念は不幸にも当たっていた。混乱に陥っているトリスタニアの上空を旋回する鳥型のガーゴイル。それはシェフィールドが放った偵察ガーゴイルであったが、ジョゼフの大望を成就させることを望む彼女は、ガーゴイルにある仕掛けを施していた。

「ジョゼフさまは此度の戦にすべてのチップを賭けるつもりでおられる。巨人たちめ、ジョゼフ様の最後のゲームの邪魔はさせない。お前たちは私と遊ぶのよ」

 シェフィールドの邪念が飛び、ガーゴイルが破裂するとともに内部に仕込まれていたカプセルが破壊され、封印されていた怪獣が外界へと解き放たれた!

「やれ、異界の魔鳥よ。虫けらどもを吹き飛ばし、ジョゼフ様の敵をいぶりだせ!」

 シェフィールドの叫びとともに、街中に突如出現した白い始祖鳥のような怪獣は、翼を羽ばたかせて家々を吹き飛ばしながら暴れ始めた。

 快晴の空の下で台風のような突風が吹き荒れ、荷車が舞い上がり、家が瞬時に骨組みに変えられる。その猛威は一瞬にしてトリスタニア全体に知れ渡ってパニックに拍車をかけ、あのコウモリ姿の宇宙人はそのパニックをシェフィールドといっしょに遠見の鏡で眺めながら愉快そうに笑っていた。

「ほう、猛禽怪獣グエバッサー。私も名前は聞いたことはありますが見るのは初めてです。こんなレア怪獣を温存していたとは、なかなか食えない方ですねえ」

「……」

 宇宙人からの煽りにもシェフィールドは耳を貸さない。彼女にとって、世界とはジョゼフひとりだけであり、それ以外のなにものも存在しないからだ。

 ただじっとシェフィールドは憎悪を込めたまなざしで映像の先のグエバッサーの暴れようを見守っている。ジョゼフのためならば、ハルケギニアのすべてが死に絶えようとも彼女にとってはどうでもよかった。

 

 

 突風を操るグエバッサーの猛威は普通の怪獣の比ではなく、突風は大きく離れた王宮の窓ガラスも揺さぶり、進まない会議を続けていたアンリエッタたちの元にも飛び込んで心胆を寒からしめた。

「大変です! 市街地に怪獣が出現して暴れています。すでに被害は甚大な模様」

「なんですって!?」

 どうしてこんなときに、という思いがアンリエッタの脳裏をよぎった。

 すぐに軍隊を、と命令しかけて思いとどまる。今のトリスタニアにいる部隊はまともに怪獣と戦えるほどの戦力はなく、それにここで怪獣相手に戦力をすり減らしたらガリア軍と戦えなくなってしまう。

 だが、そう思ったのも一瞬だった。民を守れずしてなんの王家か、後のことは後で考えればいい。ルイズならそう言うと、アンリエッタは決めた。

「すぐに出せる部隊は全部出しなさい。一人でも多くの民を救うのです!」

 たとえ自分の決断がトリステインの滅亡を招くとしても、目の前の民を救えない女王になんの価値があるだろうか。

 そしてその頃には当然水精霊騎士隊も飛び出し、彼らからこっそり離れたルイズと才人は暴れまわるグエバッサーを睨んで吐き捨てていた。

「もう! この大変なときに。いったいどこから現れたのよ、あのニワトリ!」

「どうせこれもガリアの王様の仕業だろ。ちっくしょう、いつか羽田で照明弾食わしてやる。ルイズ、やるか?」

 二人はグエバッサーの猛威がすごい勢いでトリスタニアを破壊し、さらにその進行方向にジェシカたちもいるチクトンネ街があるのを見て、すぐに変身を決意した。

 しかし、才人も見たことのない怪獣だ。どんな武器を持っているかわからないから油断をしたら痛い目を見るかもしれない。例えば、才人は機嫌の悪いルイズにうかつに話しかけては毎回八つ当たりを食らっているように、相手の出方を考えずに行動するのは愚の骨頂でしかない。

「サイト、行くわよ!」

「よっしゃあ!」

 ウルトラリングが輝いて、二人はその光を一つに合わせる。

「ウルトラ・ターッチッ!」

 虹色の閃光が迸り、輝きの中から銀の戦士が現れる。

 宇宙の平和を守るウルトラ兄弟の5番目の勇者、ウルトラマンAここに参上! 翼を振り回すグエバッサーの直上から、ウルトラマンAは急降下キックをお見舞いする。

「テヤアアッ!」

 鼻先をはじき、グエバッサーはきりきり舞いして倒れた。そして大地に降り立ち、グエバッサーを睨んで構えをとるエースの勇姿を見て、トリスタニアの市民たちから歓声があがった。

「おおっ、ウルトラマンAだ!」

「わーい、エースが来てくれたーっ」

 大人は安堵し、子供たちは歓喜の叫びをあげた。しかしグエバッサーは起き上がり、魔物のようなおぞましい叫び声をあげてきた。

 エースはグエバッサーに組み付き、エースを敵と認識したグエバッサーも激しく暴れてエースに抵抗する。グエバッサーは腕は小さいが、その分巨大な翼を鈍器のように振るい、長く鋭いくちばしを勢いよく振り下ろしてくる。

〔おっと! やるな、手強いぞ〕

 エースのチョップやパンチを受けてもあまりこたえた様子はなく、果敢に反撃してくることから、エースはグエバッサーが並以上の怪獣であると判断した。

 グエバッサーが濁った鳴き声をあげながら白い巨大な翼でエースを殴打してくる。エースはとっさに腕でガードして防いだが、衝撃はガードの上からもエースの体を突き抜けた。

「ヌオォッ!」

 エースも思わずうめき声を漏らした。こいつはパワーについても申し分ない。あの翼は立派な凶器だ。

 実際、鳥類は美しく華奢な見た目に反して力が強く凶暴で、小動物やヘビを爪やくちばしで仕留めて捕食し、中には翼で獲物を殴り殺す種類もいる。小さなカナリアや文鳥に手出しをして痛い目を見せられた思い出のある人もいるだろう。

 だが考えてみれば当然だ。鳥類は飛ぶという重力に反した行為をするために、進化の過程で体を筋肉の固まりにし、構造を徹底的に合理化してきたのだから。それが怪獣になったものが弱いわけがない。

 だがエースも負けまいと、グエバッサーに組み付いて喉元にチョップを入れ、下腹に膝蹴りを加える。その急所への連続攻撃にはグエバッサーも苦しそうな鳴き声をあげ、戦いを見守っているアスカや我夢たちも感心して見ていた。

「やるな」

 エースの戦い方はダイナやガイアとは異なり荒々しく容赦なく、エースが超獣という情けをかける必要が微塵もない相手と戦ってきたのだということが察せられる。だが、それが歴戦の戦士だということをも示し、格闘技主体の彼らとは違う戦いぶりを学べるものがあった。

 しかし、グエバッサーもダメージは受けはしたもののスタミナも低くはなく、エースの攻撃に耐えながら、エースの身長四十メートルに対して五十五メートルという体格の差を生かして押し潰そうと迫ってくる。

「トアッ!」

 エースは間合いを取り直そうと、大きくジャンプしてグエバッサーの背後に着地した。グエバッサーも反転してくるが、それが終わる前にエースはグエバッサーの頭に向かって突き出した手から三日月型の光線を放った。

『ムーン光線!』

 光線はグエバッサーの横っ面を叩き、小さくないダメージを与えたようだった。しかし、ひるませはしたが同時に怒りもかきたててしまったようで、グエバッサーは翼を羽ばたかせて凄まじい突風を浴びせてきた。

「ムオォッ!」

 一瞬で台風もかくやという暴風が生み出されてエースを襲い、何万トンもあるエースの体が押され、半身がよろめく。

〔なんて突風だ!〕

 翼を持つ超獣カメレキングも突風を起こして攻撃してきたが、ここまでの威力はなかった。この突風に対しては前進することもできず、踏みとどまって耐えるだけで精一杯だ。

 だが、エースは突風に耐えることができるが市街地は別だ。土台から建物が引き剥がされて宙に舞い上がり、人も家畜も吹き飛ばされ、おっとり刀で駆けつけてきた竜騎士やヒポグリフ隊もはじき飛ばされてしまった。

〔まずい! このままではトリスタニアが全滅してしまう!〕

 アウト・オブ・ドキュメントにある古代怪鳥ラルゲユウスが現れたとき、上空を通過するだけで突風で街が破壊され、電車が横転するほどの被害が出ている。またそれ以前でも、昭和三十一年に九州に現れた翼竜の怪獣は羽ばたきだけで福岡をほとんど同じような光景で壊滅に追いやっている。

 地上で戦い続けるだけで街が危ない。そうなれば、不利だが戦う場所を移すしかないと、エースは空を目指して飛び立った。

「シュワッチ!」

 空に飛び上がったエースを追ってグエバッサーも空に舞い上がってくる。これで、街への被害は抑えられる。

 雲を背に、戦いの舞台は空中戦に移った。

 エースの飛行速度はウルトラ兄弟の中でも随一を誇り、空を裂いて鋭く飛び、音が後からついてくる。

 しかし、翼のあるグエバッサーはさらに風を味方につけて飛び、巨大な翼を広げて飛翔する巨体は雲を真っ二つに切り裂き、巨体からは思いもよらない旋回力でエースの背後を狙ってくる。

〔やっぱり鳥を相手に空中戦は無茶だったんじゃないの?〕

 ルイズが、エース以上の機動性を見せるグエバッサーを見て焦りながら言った。しかし、トリスタニアを犠牲にしてまで地上で戦い続けるわけにはいかない。

 決着は、地上に影響を出さない高度一万メートルのこの上空でつける! グエバッサーは空飛ぶ要塞のように縦横に空を飛んでエースに体当たりを仕掛けようと突撃してくる。その急激な気流の変化は気圧をかき乱し、晴天であったトリスタニアの上空に黒雲でできた巨大な積乱雲を作り出した。

「まるで竜巻だ!」

 以前に戦ったバードンやテロチルスとも空中戦を繰り広げたが、こんなことにはならなかった。しかも奴はエースでさえ流されそうになる乱気流の中を平然と飛んでいる、間違いなくグエバッサーは飛翔能力でいえばバードンらよりも上だ。

 地上の王宮やトリスタニアの街からは、街の上空に生まれた巨大な雲を人々が呆然としながら見上げている。王宮ではアンリエッタや銃士隊、水精霊騎士隊が、街では魅惑の妖精亭や裏路地の武器屋の店主が、それぞれエースの勝利を祈っていた。

 黒雲の中には雷鳴も轟き、高さ数千メートルにも及ぶ巨大渦巻の中でウルトラマンAとグエバッサーの空中戦は続く。

『メタリウム光線!』

 虹色の光芒がグエバッサーを狙って放たれて追尾するが、グエバッサーは黒雲の中に飛び込んで姿をくらませてしまう。

 どこだ? 上か? 下か?

 見失ったエースは竜巻の中で目を凝らすが、グエバッサーは背後の黒雲から突然現れてエースの背中にカギ爪を突き立ててきた。

「ヌッ、グアァッ!」

 後ろだと!? グエバッサーは猛禽怪獣の名に恥じない強靭で鋭い爪でエースの背中に傷をつけたかと思うと、さらに槍のようなくちばしを突き立ててくる。エースはとっさに身をひねってそれはかわしたが、グエバッサーはあっさりと上空へと飛び上がってしまった。

〔逃がすかよ!〕

 才人は北斗と息を合わせてグエバッサーを見上げると、エースは金色の目に映った敵にめがけて、広げた両手からの切断光線を放った。

『バーチカルギロチン!』

 白く輝く光の刃がグエバッサーの翼を切り落とすべく飛ぶ。しかしグエバッサーはその巨体からは信じられないくらいに、まるで鳩のように軽々と身をかわして避けてしまった。

〔嘘でしょ!?〕

 ルイズも驚いた。五十メイルはゆうに超える巨体であんなひらりと飛ぶなんて、烈風カリンの使い魔のラルゲユウスでも無理だ。

 完全にエースの上をとったグエバッサーは鈍く鳴くと、その翼を振って羽を雨のように降らせてきた。羽には起爆する性質があるらしく、エースに当たったものは爆発して少なからぬダメージを与えてきた。

〔くっ、ここは完全にあいつのホームグラウンドか〕

 わかってはいたが空の上は鳥の独壇場だった。奴に類似するなんらかの能力がなければどんなウルトラマンでも苦戦は免れまい。

 だが、かといって地上に降りるわけにはいかない。それに飛行速度からして、バードンとテロチルス戦でやった空気の薄い上空に誘い出す手は追いつかれてしまって使えない。

 カラータイマーが鳴り出し、もう時間がないことを知らせてくる。すると、地上でエースのピンチを感じ取ったアスカたちが加勢を申し出てきたが、北斗はこれを退けた。

「北斗さん、俺たちも戦うぜ」

〔いや、君たちは来るな。敵の怪獣がこいつ一匹で終わりなんてことはないはずだ。こいつだけのためにウルトラマンが複数消耗させられるのはまずい。こいつは俺、俺たちだけで倒す!〕

 北斗は熱血だが馬鹿ではなく、グエバッサーが敵のほんの先兵でしかないことを察していた。アスカは悔しいながらもそれを認めてリーフラッシャーをしまい、我夢と藤宮もエースを信じてエスプレンダーとアグレイターを下した。

 だが、どうやって縦横に飛び回るグエバッサーを捉えればよいのか?

 追いかけても乱気流の中では速度や旋回力で敵わない。光線技も避けられる。

 ならば……エースに残った技はあれしかない。しかしそれはエースにとっても危険な賭けであり、北斗は懇願するように才人とルイズに言った。

〔二人とも、あいつを倒す方法が一つだけある。だが、それをやると君たちに今まで以上の負担をかけてしまうかもしれない。それでもいいか?〕

〔なにを今さら、水くさいぜ。嫌だってならとっくに言ってるよ。苦しくても、おれたちもうずっといっしょにやってきた仲間だろ。どんとこいよ〕

〔覚悟はとっくにできてるし、死ぬような目には散々会ってきたじゃない。いつまでも子供扱いしないで〕

 二人の決意と信念に裏付けられた即答は、二人のために遠慮していた北斗に決心を与えてくれた。

 チャンスは一度、それで確実に奴を捕まえる! エースは竜巻の中で腕を組んで高速回転を始めた。

〔回転して空気の裂け目を作り、そこに敵を封じ込める。ただし、こいつはエネルギーを大量に消費するから何度も使えない。だからこそ、確実に奴を捉える! いくぞ〕

 

『エースバリア!』

 

 エースの超高速回転によって作り出された真空渦巻が乱気流を割き、竜巻の中に刀で切られたような断層を作り出した。

 音速で飛んでいたグエバッサーは風の異常に気付く。しかし、気づいた時にはすでに遅く、まるで力強く飛んでいたトンボがクモの巣に飛び込んでしまったときのように、真空断層の中に引っかかってしまった。

〔いまだ!〕

 真空断層の牢獄であるエースバリア内に閉じ込められてしまったグエバッサーは、エースの眼前で磔にされたように完全に動きを封じられている。才人の脳裏にミシェルに木刀でボコボコにされながらつけてもらった稽古で教わった教訓が蘇る。

「戦場で一度逃した勝機が二度来ると思うな。ひとつのチャンスに全力を注いで、確実に敵の息の根を止めろ」

 忘れてないぜ。今が、そのチャンス! エースは才人の意志を受けて、両腕を頭上に上げてビームランプにエネルギーを溜め、腕を水平に下すと同時に頭と腕と胴から四本の光のカッターを発射した。

 

『マルチ・ギロチン!』

 

 四本の斬撃はグエバッサーの首、翼、そして胴を直撃。厚い羽毛に包まれた体もさすがにこれの直撃に抗することはできず、グエバッサーは断末魔の叫びを残して五体をバラバラに分断されて宙に砕け散った。

〔やった!〕

 バラバラにされたグエバッサーの残骸は、自らが生み出した竜巻の風に飲まれて吹き飛ばされていく。恐ろしい怪獣だったが、これでもう奴も終わりだろう。

 才人は心の中で、稽古では心を鬼にしてしごいてくれたミシェルに感謝した。もっとも、ほんとに忘れられないのは稽古の後で照れながら生傷に薬を塗ってくれた時の顔だと言ったら怒るだろうが。

 しかし、ここで倒せてよかったとエースやルイズは心底思った。あいつを放っておけばトリスタニアだけでなく、世界中の町や村が瓦礫に変えられていたかもしれない。もしあれがもっと力をつけていたら、魔王のごとき恐るべき脅威となっていただろう。

 と、そのときエースの目に、飛び散っていくグエバッサーの残骸から黒いもやのようなものが離れて消えていくのがちらりと見えた。

〔あれは、奴の邪念の残留思念か?〕

 追おうかと思ったが、すでにエースにそこまでする余力は残されていなかった。

 力場を発生させるものがいなくなったために竜巻は次第に勢いを無くしていき、エースは自由落下に近い形ながら、なんとかトリスタニアの一角に着地した。

 ウルトラマンAが黒雲から戻ってきたことで、怪獣が倒されたことを確信した住人達から歓声があがる。だが、エースはそれに答えることなく、よろめくようにしながら姿を消していった。

「ム、オォォ……」

 そして王宮の一角に汗だくになった才人とルイズが投げ出されていた。

「ハァ、ハァ……ち、力が入らねえ」

「な、なに……? まるで、一日中走り回った後みたい。あ、そうか、忘れてたわ。あはは」

 才人は泳いだ後のように額も髪の毛もずぶ濡れで、ルイズはシャツが濡れて下着が透けて見えるほど疲労していたが、やっとこれがエースバリアを使用した代償だと気が付いた。

 なるほど、エースが使用を渋るわけだ。二人とも地面に大の字になって息をつくだけで精いっぱいで、立つ力もろくに残っていない。こんな技を使わなければ勝てなかったとは、本当に恐ろしい敵だった。

「でもルイズ、おれたち勝ったんだよな?」

「い、今こっち見たら殺す。で、でも……ちょっとだけならいいかも」

「え? マ、マジ?」

「き、今日だけは特別なんだから!」

 しかし、すぐに気分だけでも元気を取り戻しているのは若さゆえか。才人は、いろいろあってもう見慣れているはずなのに興奮してしまうのは、あのオスマンといい勝負である。

 

 

 けれど、グエバッサーを倒してほっとできていた才人たちやトリスタニアの民たちに、災厄はさらに容赦なく襲い掛かろうとしていた。

 グエバッサーが倒されたことを偵察用ガーゴイルの映像を通して見ていたシェフィールドは、ちっと舌打ちをすると、額のミョズニトニルンのルーンを輝かせながらつぶやいた。

「さすがの力ね、ウルトラマン。けれど、勝ち負けなんてどうでもいいわ。ジョゼフ様のお望みが果たされるまであと少し、それまでお前たちには私のすべてをかけてもじっとしていてもらう。さあ、私の最後の駒たちを見せてあげるわ!」

 あらゆる魔法道具を操れるミョズニトニルンの力で、トリステインの各所に放たれていたガーゴイルがいっせいに自爆し、その中に封じられていた怪獣や、地下で眠りについていた怪獣の眠りを呼び起こした。

 魔法学院、タルブ村などに向かって怪獣たちが進撃を始める。

 その異変はトリステインの上空で偵察を行っていた我夢のXIGファイターEXに捕捉され、すぐさま我夢はアスカと藤宮に怪獣たちの一斉出現を知らせた。

「タルブ村だって? ちっくしょう……悪い、俺はちょっと行ってくるぜ」

「我夢、俺たちも手分けして怪獣たちに対処するしかないな」

 アスカは鉄砲玉のように飛び出し、我夢と藤宮もそれぞれ飛び出そうと身構えた。

 だが、事態は最悪という言葉でもまだ生ぬるい方向へと舵をとろうとしていた。シェフィールドの呼びだした怪獣軍団を見て気分を良くしたコウモリ姿の宇宙人は、楽しそうにこれに割り込んできたのだ。

「ほほほぉ、なんと素晴らしいパーティではないですか。これだけの光景、私の宇宙でもそうそう見られるものではありませんよ。これは見ているだけでは、損、損ですね。よろしい、私もこれだけは残しておこうと思っていたとっておきのとっておき、あのヘルベロス以上の一番の超レア怪獣でお手伝いしてあげましょう!」

 手伝いとは口実で、今がウルトラマンたちを追い詰めるには最大の好機と見たコウモリ姿の星人は、トリスタニアの地下に向かってシグナルを送った。たちまち、大地震がトリスタニアを襲って、土煙をあげながら地下から巨大な何かが這い出して来る。

「もしもに備えて眠らせていた最強の怪獣のお披露目をこんな形ですることになるとは思いませんでしたが、盛り上げどころで目立てない屈辱に比べればなにほどでもありません」

 それは彼にとっても、ある宇宙で偶然に眠っているところを見つけただけのジョーカーだった。本来なら、強大な力を持った何者かのためのものだったかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。シェフィールドが冷めたまなざしで興味を示していなくとも、彼にとっても自分のことだけが大事なのだから。

 トリスタニアの人々は、才人とルイズは、出発しようとしていた我夢と藤宮は、地底から突如現れたその怪獣の巨体に息を呑んだ。

「冗談きついぜ……」

 全身を土色の装甲で覆われ、普通の怪獣よりも一回り以上大きな巨体。そして、その威容を見た北斗星司は愕然としてつぶやいた。

「そんなバカな。どうして、あいつがこんなところに! 奴は確かにあの時、宇宙の歪みとともに倒したはずだ」

 かつて、ウルトラ五兄弟の力をもってしてもかすり傷ひとつつけることのできなかった最強の怪獣とそっくりの威容。それが今、トリスタニアの中心で雄たけびをあげている。

 

 いったい、ハルケギニアはこれからどうなってしまうのだろうか。ウルトラマンAはすでに力尽き、怪獣たちの数はトリステインを埋め尽くさんばかりである。

 この場にいないヒカリやコスモス、ジャスティスの元にも、嵐はすぐに届くだろう。ガリア軍がトリステインを戦場とするまで、あと三日。それは果たして、ウルトラマンたちにとっても最期のカウントダウンと化すのであろうか。

 

 

 続く



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第2話  明日無き怪獣地獄

 第2話

 明日無き怪獣地獄

 

 超怪獣 スーパーグランドキング 登場!

 

 

「やあやあ皆さんこんにちは。お元気でしたか? どうも突然、失礼いたします」

 

「おやおやお怒りですか? これはお取り込み中申し訳ありません。けれど皆さん、私をお待ちだったのではありませんか? そう、私です。今ハルケギニアで起きている異変の黒幕をやっております、私ですよ」

 

「いやあ、こうして皆さんにお話をするのもずいぶん久しぶりな気がします。最近は、あのペダン星人の方に主役をとられて、お話しする暇もありませんでしたからねえ。どうも連絡もなしにすみませんでした」

  

「ですが、本来この舞台の脚本家はこの私ですからね。これからは本来の筋書きに戻って進めてゆきますよ」

 

「ん? 余計なことをしないでハルケギニアから出ていけですか? ごもっともですが、私にもある方との約束がありましてねえ。約束を破るのは地球でもいけないことでしょう?」

 

「さて、前置きはこのあたりにして、皆さんもハルケギニアがこの後どうなるのかのほうが見たいでしょう?」 

 

「ジョゼフ王さまがトリステインに攻めこんで、ハルケギニアに再び戦乱の火の手が上がりました。もちろん、そうはさせじと動き出す方々がおりますが、ジョゼフさんの忠実な部下のシェフィールドさんは先手を打って怪獣を放ったのでした」

 

「まずはトリスタニアをグエバッサーが襲いましたが、エースさんに倒されました。ですがエースさんもダメージは大きく、しかもシェフィールドさんはさらにたくさんの怪獣をばらまくつもりです」

 

「これは楽しくなりそうですね。そこで私も、少しばかりお手伝いをさせてもらうことにしました。かつて、あの宇宙帝王も使ったという超怪獣のレプリカ……ふふ、私って太っ腹でしょ?」

 

「果たして、ウルトラマンさんたちはこの危機をしのげるのでしょうか? 見逃してもリプレイしませんよ」

 

 

 

 そう、災厄は動き出した。

 進撃するガリア軍がトリスタニアに到達するまで、あと二日。それをなんとか食い止めるべく、ウルトラマンたちも背後で暗躍する宇宙人を倒そうと立ち上がった。

 だが、シェフィールドはジョゼフの邪魔はさせないと、まずはトリスタニアを猛禽怪獣グエバッサーに襲わせ、グエバッサーはウルトラマンAによって倒されたものの、エースは力を使い果たしてしまった。

 これを幸いと、宇宙人はトリステインの各地で怪獣を目覚めさせ、さらにシェフィールドも、残ったすべての駒をトリステインに惜しげもなく解き放った。

 シェフィールドはその胸中で、これが自分の最後の仕事になることを確信していた。そして、うまくいこうがいくまいが、自分がジョゼフを破滅に導くことをわかっていた。

 けれど、それでいい。そうすれば、そのときだけはジョゼフは自分を見てくれる。すべてはジョゼフの大望のために、純粋で独り善がりな自身の愛のために。

 シェフィールドの放った怪獣はトリステインに散らばり、さらにトリスタニアには宇宙人の放った巨大怪獣が迫る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

〔あれは、グランドキング。宇宙中の怪獣の怨念の塊と言われ、かつて俺たちウルトラ兄弟が総がかりでやっと倒した怪獣だ〕

 北斗が戦慄した声で言った。その言葉を聞いて、立ち上がる力も残っていない才人とルイズも息を切らせながら答えた。

「なんだって! そんなすげえ奴がいるのかよ。って、どうしてそんなラスボスみたいな奴がこんなとこで出てきやがるんだ」

〔少なくとも、かつてグランドキングを生み出した元凶は我々が倒したはずだ。それに、あいつは以前のグランドキングと似ているが……少し違っている〕

「じゃあ、他人の空似かもしれないってこと? それなら、そんなに強くないんじゃない」

〔いや、確かに見た目は異なっているが、この巨大なエネルギーの圧迫感はただものじゃない。少なくとも、今のウルトラマンAではとても勝てないだろう〕

 万全の状態ならばともかく、エースバリヤーまで使って消耗しきった今の状態では勝ち目はないと北斗は見た。才人もルイズも、最低数日は休養をとらなくては元の状態には戻れない。

 あれだけ苦労して一体倒したばかりだというのに、またもとてつもない相手が出てきたことに悔しがる二人。しかし、平和を守るために戦おうとするウルトラマンはエースだけではない。

 

「ガイアーッ!」

「アグルーッ!」

 

 真紅と群青の光が輝き、グランドキングの前に二人の戦士が土砂を巻きあげて降り立つ。

 大地の巨人、ウルトラマンガイア。海の巨人、ウルトラマンアグル。二人の勇者はスーパーグランドキングの進行に立ちふさがり、力強く言った。

〔こいつは僕たちが引き受けます。あなたたちは休んでいてください〕

〔こんな奴が連続して出てくるとは、敵は総力戦のつもりらしいな。こちらも戦力を温存と言ってられる場合ではないようだ。一気にケリをつけるぞ〕

 街はグエバッサーの被害を受けたばかりで、混乱して避難も終わっていない。あんなデカブツに自由に動き回られたら大勢の人が踏み潰されてしまう。

 そして、立ち向かう二人に北斗は残った力でテレパシーを飛ばして警告した。

〔気をつけろ、その怪獣は普通の何十倍ものパワーを持っている。かつて、俺たちの宇宙でウルトラマンが六人がかりでやっと倒せた奴とよく似てる〕

〔わかりました。注意します!〕

 北斗からそう聞いても、我夢と藤宮に臆するところはなかった。強敵とは今までも散々戦ってきた。それに、それほどの怪獣だというならば、ここで倒さなければいずれ我夢たちの地球にまでやって来るかもしれない。

 スーパーグランドキングが前進を開始し、ガイアとアグルはそれを止めるべく、真っ正面から組み合った。

「ジュワアッ!」

「ムオォッ!」

 二人がかりで組み合っても、スーパーグランドキングに対してガイアとアグルは子供のように小さく見える。それほどの体格差で押し込まれ、二人の足が土をかいて尾を引いた。

〔なんてパワーだ!〕

 メカニカルな外見の通り、スーパーグランドキングの馬力はガイアとアグルの二人を上回っていた。あのキングジョーブラックの出力にも匹敵する。いくらこの二人でも押し返せるものではない。

 だが、スーパーグランドキングの反撃はこれからだった。機械の顎から巨大工場の稼働音のような鳴き声を発し、巨大な腕を振るっただけで二人のウルトラマンは軽々とはじき飛ばされてしまった。

「ウワアッ!」

 大きく吹っ飛ばされ、二人は背中から地面に叩きつけられる。腕力もものすごい、軽く腕を振っただけでこれか。

 その強豪ぶりを見て、タルブ村に向かおうとしていたアスカが振り返って、自分も力を貸そうかと言ってきたが、我夢ははっきりと拒否した。

〔いや、いくら強敵とはいえ一匹の怪獣に三人ものウルトラマンが拘束されるわけにはいかない。アスカは他の怪獣のところに向かってくれ。君にとって大事な場所なんだろう〕

「くそ、すまねえ我夢。ダイナーっ!」

 アスカはリーフラッシャーを掲げ、光となってタルブ村の方角へ飛んでいった。

 

 まだ攻撃らしい攻撃すら見せていないのに、ウルトラマン二人を相手に圧倒的存在感を示すスーパーグランドキング。その絶望的な光景に、トリスタニアの人々はグエバッサー撃破の喜びも冷め切って呆然と立ち尽くしていたが、そこに街全体に響くアンリエッタの声が活を入れた。

「皆さん、立ち止まってはいけません! 今、未曾有の危難がトリステインに迫っていますが、まずは今の危機から逃れるべき時です。日頃の訓練通りに、安全な場所まで避難してください。逃げ遅れた人は竜騎士が空から助けあげます、だから決して立ち止まらないで急いでください」

 城のバルコニーから風の魔法で増幅されたアンリエッタ女王の声がトリスタニア全域に響き、人々はハッとして歩みを再開した。街中に怪獣が現れたときのために、市民には避難訓練を徹底させてあるから一度動き始めれば大丈夫であろう。

 だがこうなったら、ただでさえ弱体化しているトリステイン軍にはなすすべがない。烈風カリンを投入すればまだなんとかなるかもしれないが、彼女は本当にどうしようもなくなったときのための最後の切り札だ。

 民を守るべきときに戦えず、ウルトラマンにすべてを託さなければならない状況に、アンリエッタの胸中は歯がゆさでいっぱいになる。あの人に、ハルケギニアを守っていくと誓ったばかりだというのに。

 せめて、自分にルイズの虚無の魔法のような強い力があれば。そんなことさえ考えてしまうが、夢想に逃げても意味はないと思い直そうとしたとき、アンリエッタのもとに息せききって一人の兵士が駆け込んできた。

「女王陛下に至急に申し上げます!」

「え?」

 その報告に、アンリエッタは鼓動を早めてバルコニーから駆け出して行った。それはアンリエッタを困惑させると同時に、この戦いを大きく左右させることになる判断を彼女に与えることになる。

 

 だが、そうしているうちにもスーパーグランドキングが待ってくれることなどはない。

 超重量の戦車のようにスーパーグランドキングは家々を文字通りぺしゃんこにしながら前進してくる。ガイアとアグルはそれを食い止めようとパンチとキックを放ったが、コンクリートの塀を殴ったように手応えはない。

 なら、これはどうだ! 出し惜しみはなしだとガイアとアグルは後ろに跳んで、それぞれの必殺光線を放った。

『フォトンエッジ!』

『リキデイター!』

 ガイアの額から放たれる光線とアグルの放った光球が立て続けにスーパーグランドキングに炸裂して爆発を起こす。

 やったか! と、見守っていた人々の中にはこれで勝利を確信した者もいた。だが、スーパーグランドキングはわずかに装甲に焦げ目をつけた程度で、何事もなかったように雄叫びをあげて再度動き出したのである。

〔くそ、エネルギー攻撃でもだめか〕

〔どんな超合金でできているのか、まだ宇宙には俺たちの知らない新元素があるらしいな。もっとも、こんな使い方は感心できないが〕

 アグル、藤宮博也は憮然とつぶやいた。破滅招来体に踊らされていた頃には思いもしなかったけれど、どんな優れたテクノロジーを持っても、それをろくでもないことに使うのは人類だけではない。

 宇宙には、間違えた進化をした生命が数多くあり、人類はそれを反面教師にしなければならない。そして間違えた進化をたどった、人類を含むそんな脅威から地球を守るためにこそ地球はウルトラマンの力を自分たちに与えてくれたのかもしれない。

 けれど、感傷に浸れた時間は一瞬だった。猛牛のように突っ込んでくるスーパーグランドキングに対して、ガイアとアグルはこれを押しとどめようとしたものの、二人がかりでもやはり食い止めるのが精いっぱいで押し返すことはできない。ガイアは相手の勢いを利用して投げ飛ばそうと試みたものの、奴の体重はあのスカイドンをもしのぐほどあり、持ち上がらなかったばかりか逆にスーパーグランドキングの右腕についている巨大なハサミがガイアを挟み込んで持ち上げてしまったのだ。

「ウワアッ!」

 まるでクレージーゴンにつままれた車のように、ガイアの体が軽々と持ち上げられている。アグルはガイアを助けようと、アグルセイバーでスーパーグランドキングの腕を斬りつけた。

「セイヤアッ!」

 光の剣で斬りつけたことで火花が散り、スーパーグランドキングはガイアを離した。しかし奴の装甲自体にはまったくダメージはなく、アグルは脱出したガイアとともに敵の装甲の厚さに呆れ返った。

〔大丈夫か、我夢〕

〔ごめん、油断したよ。あの怪獣、このあいだの奴にも負けない頑丈さだ。まずいな、まだこっちの準備ができてないっていうのに〕

 我夢と藤宮は科学者である。キングジョーブラックに歯が立たなかった経験から、ウルトラマンの攻撃でも破れない超装甲を有する敵がまた現れたときのために研究をおこなっていた。だが、この世界では研究に必要な設備も資材も足りず、なにより時間がなかったことから研究はまだ実を結んではいなかった。

 しかし、今の二人は理論がなければ動けない頭でっかちではない。

〔悩んだところで意味はない。今の俺たちでできることをやるまでだ、我夢〕

〔ああ、こうなったらできることを片っ端からやっていこう!〕

 相手は強敵、こんなことは今まで何度もあった。だからといって引き下がるわけにはいかない。

 強固な装甲を破る方法。どんな頑強な金属にだって、破壊できる方法は必ずあるはずだ。

 スーパーグランドキングはまさしく鋼鉄の巨竜という威圧感で、赤く輝く眼から血のような光を迸らせ、首から股下まで連なるランプを点滅させながら、一歩ごとに地面を超重量で陥没させつつ迫ってくる。  

 しかし、その前進を許すわけにはいかない。ガイアはスーパーグランドキングに向けて、伸ばした手の先から冷凍光線を発射した。

『ガイアブリザード!』

 極低温の凍結光線を頭から浴びせられて、スーパーグランドキングの動きが鈍り出す。だが、いつもならこれで止めるところだが、ガイアはさらにエネルギーを込めて光線を照射し続けた。

〔凍れえっ!〕

 長時間の冷凍光線の照射で、スーパーグランドキングは周囲の水蒸気が凝結した氷の彫像と化していく。

〔よし、いいぞガイア!〕

 アグルも応援し、街の人たちも氷の像と化していくスーパーグランドキングを逃げながら呆然と見ていた。

 しかし、単に凍らせただけでは一時的に動きを止めても倒すことはできまい。ならばなぜエネルギーを消費しても凍らせるのかといえば、もちろん理由はある。

〔どんな金属でも極低温にさらせば脆くなる。絶対零度まで下げれば原子崩壊を起こすけど、そこまでできなくても〕

〔破壊できる可能性は大きく増す!〕

 これが二人の狙いだった。液体窒素につけた薔薇が粉々になるのはよく知られているが、それはなにも生き物だけでなく金属にも当てはまる。

 台風でもびくともしない鉄塔が吹雪で折れたり、雪原の戦車戦において通常なら砲撃を受けても耐えられるはずの装甲が割られることが起きる。その状態になればいくらスーパーグランドキングの装甲でもと、アグルはエネルギーを渦巻く光球に握り固め、凍り付いたスーパーグランドキングに向けて撃ち放った。

『フォトンスクリュー!』

 かつてロボット怪獣Σズイグルのボディを貫通したときよりもエネルギーを込めたアグルV2の必殺技が飛んで、動きの止まったスーパーグランドキングに直撃する。その瞬間に氷片が弾け飛び、トリスタニアに一瞬の吹雪が吹いた。

〔これならどうだ?〕

 ガイアとアグルだけでなく、見守っている才人やルイズもこれで決着することを祈った。少なくとも、並の怪獣なら木っ端微塵になっているはずだ。効いていないなんてことは……。

 だが、スーパーグランドキングを包んでいた白いもやがゆらりと動いたと思った瞬間、赤黒い破壊光線が放たれてガイアとアグルを吹き飛ばしてしまった。

「グワアッ!」

「ムオォッ!」

 強烈な威力の破壊光線を受けて地面に土砂をあげて叩きつけられる二人。そしてもやを吹き払って、スーパーグランドキングは無事な姿を現したのである。

〔だめかっ!〕 

 奴は体についた氷の破片を振り払いながら再度前進を始めた。その装甲には損傷の後は見受けられず、我夢と藤宮の策が通じなかったことを思い知らされた。

 けれど、まだあきらめるには早すぎる。第一の試行が失敗したら第二の試行へ、科学はそうして進歩してきた。

 立ち上がり、次の作戦に移ろうと試みるガイアとアグル。しかし、その胸のライフゲージは赤く点滅を始め、二人に残された時間はわずかであることを知らせていた。

 

 まるで山が動いているかのように、スーパーグランドキングは眼前の障害をことごとく蹴散らし、家々を瓦礫に変える進撃を止めない。

 ガイアとアグル、ウルトラマン二人の力を持ってしても足止めさえろくにできない。その危機を見て、才人とルイズはまともに体が動かないにも関わらずに歯を食いしばって立ち上がろうとしていた。

「く、くっそう……まだやれる、まだやれるはずだ」

「そ、そうよ、このくらいで……うう、なんでわたしの足は動かないのよ」

 グエバッサーとの激戦とエースバリアの反動は、二人に容易には回復できないダメージを与えてしまっていた。

 けれど、無理に立ち上がろうとして倒れる二人に、北斗星司は穏やかに告げた。

〔二人とも、無茶はするな。ただでさえエースバリアを使った後は消耗が激しいんだ〕

「北斗さん、でも、このままじゃガイアとアグルがやられちまう」

 才人はデルフリンガーを杖にして、額に脂汗をいっぱいにして立とうとしていた。今ここで無理してでもやらなければ、他に誰がいるというのか。しかし、北斗は意外にも落ち着いた様子で才人を止めた。

〔いや、その必要はないかもしれない。見ていたが、あの怪獣は以前のグランドキングとよく似てはいるが、強さはあのときほどではないように感じる〕

 その言葉を聞いて才人もルイズも愕然とした。今でさえガイアとアグルが手も足も出ないというのに、それならオリジナルのグランドキングはどれだけ強かったというのか。

「でも、ミスタ・ホクト。あの怪獣があなたの知っている奴ほどじゃないとしても、あの二人のウルトラマンの攻撃が通用しないのよ。このままじゃ」

〔いや、彼らはまだ諦めてはいない。俺も昔、タロウのピンチに飛び出していこうとしてゾフィー兄さんに何度も止められた。仲間を信じるのも、大切なことだ。それに、戦っているのは彼らだけじゃない……〕

 北斗は、あのグランドキングの装甲を破れるかもしれない手を一つだけ思いついていた。そして、彼らなら今ごろは。

 才人とルイズは北斗の真意を図りかねながらも、どっときた疲れに負けて折り重なるように倒れこんだ。

 

 かつてのキングジョー同様にありとあらゆる攻撃を受け付けず。いや、あのキングジョーは無意味な破壊はしなかったが、スーパーグランドキングは建物を踏み潰し、破壊光線で火の手を広げながら暴れ続けている。

 対して、すでにガイアとアグルの力は限界に近づいている。パワーや光線には対抗できないわけではないが、とにかくあの装甲がやっかいだ。

〔あの、装甲さえなんとかする方法があれば〕

 ひざをつきながらも力を振り絞るガイアとアグル。二人で戦ったときのこのくらいのピンチは、根源破滅海魔ガグゾムとの戦いの時もあった、まだまだ諦めるには早い。 

 そのときである。追い詰められた二人の耳に、街の外に不時着している宇宙船から脳波シグナルにも似た声が響いたのは。

「ウルトラマンガイア、ウルトラマンアグル、これからこの船の主砲でその怪獣を狙撃します。射線上から待避してください」

 その声に、ガイアとアグルははっとして街の外を振り向いた。すると、半壊した城壁の隙間から、郊外で残骸をさらしているペダン宇宙船の一部が開き、巨大な砲門がせりだして来るのが見えたのだ。

〔あの宇宙船の主砲。つまり、ペダニウムランチャーか!〕

 我夢は、自分も苦しめられたキングジョーブラックの武装の威力を思い出した。しかも、宇宙船の兵装だけあって口径は数十倍はある。もしかして、あれならば。

 けれど、ペダン宇宙船はルビアナの死後、残ったペダン星人たちは全員王宮で軟禁され、宇宙船には調査のためのアカデミーの人間数人しかいないはずなのに、どうやって?

 そのころ、ペダン宇宙船の損傷著しい指令室では、やや憔悴した様子を顔に張り付けたペダン星人の隊長が、部下に機器を操作させながら報告を受けていた。

「エネルギーのバイパスはまだ生きています。接続でき次第、使用はできますが……本当にいいのですか? 我々は……」

「ジオルデ、我々はこれまで、ルビアナお嬢様の命に従い、お嬢様のために生きてきた。だがこれからは、我々は我々自身のために生きねばならん。この星を新たな故郷に定めてな。だから私にもお前たちに命令する権利はない、不服ならば去るがいい。それも自由だ」

「いえ、生きる場所を残してくれたお嬢様のご恩を裏切ることはできません。ですが、自由とは不安を伴うものですね」

 そのペダン星人の隊長は、まったくだと苦笑した。

 ルビアナが生きていた頃は、なんの心配もなかった。しかし、もう頼ることはできず、自分で考えて行動することには不安が尽きない。

 けれども、ルビアナは彼らを命令が無ければ何もできない無能には育ててはいなかった。アンリエッタが対策に窮して悶々としていたとき、彼らペダン星人が進言してきたのだ。

「我々の船の武器ならば、あの怪獣を倒せるかもしれない。我々にも戦わせてほしい」

 この要請を聞いたとき、もちろんアンリエッタは驚いた。ペダン星人の武器の威力は直接戦ってよくわかっている。だが、つい先日まで敵だった彼らをそのまま信じることはできず、マザリーニ枢機卿も厳しい表情で見守る前で、彼女は緊張して問いかけた。

「あなた方を信用できるという、証を立てることができますか?」

「……我々が、あなた方の神に誓いを立てても意味はありますまい。我々は、我々を遠い昔から守り続けてくれたあの方のためにのみ、生きてきました。ですが、あの方はもういない……けれど、あの方は我々に生きろと言ってくださいました。我々が何をすべきかはまだわかりませんが、今はあの方が最後に愛したこの地とあなた方を守るために戦いたいのです!」

 生き残りのペダン星人を代表した彼の言葉に、アンリエッタはルビアナの優しい笑顔を思い出した。そう、友すら信じられなくて何が女王か。

「わかりました。責任はわたしが取ります、マザリーニ枢機卿。彼らが必要な人数の拘束を解き、すぐに送ってください」

 そうして、数名のペダン星人が解放され、ヒポグリフで宇宙船に送られた。

 だが、アンリエッタには絶対の自信があったわけではない。厳しい視線を向けてくるマザリーニ枢機卿に、彼女は苦慮をにじませながら言った。

「わかっていますよ、わたくしも女王です。この世には、信じるべき人間と信じてはいけない人間がいるのですよね。そして、裏切られたときの苦味もわかっているつもりです。でも、もっとも愚かな王とは誰も信じられない孤独な王でしょう」

「ふふ、女王陛下、悩まれなさい。その悩みが貴女を王にふさわしく育てるでしょう。ですが、本当に道を誤りそうになったときにはこの身に代えても止めますぞ」

「そうならないよう、胆に命じます」

 どんな名君でも、臣下の裏切りから無縁ではいられない。自分が人を信じても、人が信じてくれるとは限らない。でも、それで終わってはあまりに寂しいではないか。

 

 そして、ペダン星人たちはアンリエッタの思いに応えて、ペダニウムランチャーの照準をスーパーグランドキングへと向けていた。

「エネルギーバイパス接続完了。しかし回路の損傷が激しく、撃てるのは恐らく一発だけです!」

「構わん! 砲撃用意」

「レーダーが復旧不能。自動照準装置が動きません!」

「ならば手動照準だ。お前が撃て、ジオルデ」

「私が? ですが」

「お前はお嬢様の遺言を直接聞いたのだろう? それに、お前はラピスの本当の兄さんになってやると決めたのだろう。その覚悟を見せてみろ!」

「ぐう、隊長も人が悪い。了解です!」

 ペダン星人たちの間でも、未来をそれぞれが生きていくための戦いが始まっていた。

 大型ペダニウムランチャーにエネルギーが供給され、砲口にエネルギーの粒子が集まっていく。

 しかし、放てるのは一発が限度。外したら後はないし、いくらスーパーグランドキングが大きな的であるとはいえ、動き回っている相手に命中させるのは容易ではない。

 直撃させるためには、発射まで奴の動きを止めておく必要がある。ガイアとアグルはうなづき合うと、スーパーグランドキングの左右から羽交い絞めに入った。

「ダアァァァッ!」

「トアァァァッ!」

 渾身の力を込めて、二人のウルトラマンはスーパーグランドキングの巨大な腕を抱え込んで抑えつけた。

 だが、当然スーパーグランドキングは暴れて二人を振り払おうとする。二人とも、日ごろから鍛錬には励んでいるが、体格差がありすぎてまるで関取に挑む空手家だ。それでも、二人はここが正念場だと力を振り絞る。

〔藤宮、がんばれ!〕

〔それは俺に言ってるつもりか? うおおっ!〕

 藤宮は熱血をやるタイプではないが、力をここで使いきってもいいと、二人のウルトラマンの筋肉が張り詰める。そしてその時、スーパーグランドキングの動きが完全に止まった。

 今だ! ペダン星人の隊長は宇宙船の真っ正面にきたスーパーグランドキングを見て叫び、ジオルデは息を飲んで手動照準器のグリップを握った。

「ターゲットスコープ・オープン。電映クロスゲージ明度20」

「エネルギー充填、120パーセント。シアーロック解除」

「発射十秒前、対ショック、対閃光防御。5、4、3、2、1、ゼロ。発射!」

 その瞬間、宇宙船の砲口からキングジョーブラックのものとはまったく違うエネルギーの太い束が放射され、ガイアとアグルに押さえつけられているスーパーグランドキングの胸部へと突き刺さった。

 刹那、スーパーグランドキングから凄まじい絶叫の咆哮が響き渡る。これまで何をしてもかすり傷もつけられなかった奴から、初めて苦痛の声が漏れたのだ。

 ペダニウムランチャーの直撃した箇所を覆っていた煙が晴れると、そこには溶鉱炉のような傷口が広がり、装甲が煮えたぎって溶解しているのが見えた。そう、どんな頑強な装甲でも、その強度を上回る破壊力を叩きつければ壊せるという絶対の法則が勝利したのだ。

 だがスーパーグランドキングは胸元に大穴を開けられながらもなお生きていた。狂ったように叫び声をあげ、光線をところ構わず乱射して暴れ狂っている。

 奴を倒さなければ! そして、あの傷口が奴の唯一のウィークポイントだ。ガイアとアグルは光線技を放つ余力はなく、飛び上がると両手を鋭く突き出した体勢で高速回転し、その体そのものを巨大なドリルと化させて突っ込んだ。

『ガイア突撃戦法!』

『アグル突撃戦法!』

 惑星に落ちる流星のように、二人のウルトラマンの身を挺した弾丸はスーパーグランドキングの胸を貫いて背中まで突き抜けた。

 ガイアとアグルは回転を止めてスーパーグランドキングの後ろに着地する。そして、振り返らず立ち尽くす二人の後ろでスーパーグランドキングのボディに空いた風穴を中心に全身に亀裂が走ると、その巨体は膨れすぎた風船のように爆裂して果てたのである。

「や、やった! やったんだ!」

 戦いを見守っていた才人は、ついにスーパーグランドキングを倒したガイアとアグルに歓声をあげて飛び上がり、すぐにまた限界が来て倒れこんだ。

 スーパーグランドキングは完全に粉々になり、奴のいた場所は噴火口のように煙が上がり続けている。黒煙の中で、奴の精神体の残沚のマイナスエネルギーが黒いもやとなって空に昇って行ったが、いずれ散って溶けて消えてしまうだろう。

 しかし、今回は人々からあがる歓声はまばらで、アンリエッタから街の人々にいたるまで、喜びよりも安堵や脱力感のほうが大きく、ホッと息をつくだけの人が多く見られた。それだけ、グエバッサーからスーパーグランドキングにいたる脅威は災害のように人々の心を圧迫していたのだった。

 

 そして一方、見事勝利の立役者となったペダン宇宙船では、無理な砲撃で限界を迎えたペダニウムランチャーの砲身がへし折れ、指令塔内のすべての機器もショートして機能停止していた。

「全電源喪失……ありがとう、我々の船」

 それは彼らが流浪の旅への未練を絶ち切り、この地へ根を張って生きていかねばならないということへの区切りであった。

  

 二大怪獣の猛威を打破し、トリスタニアはなんとか壊滅を免れた。かに、思われたが……その代償は今回も決して小さなものではなかった。

「グゥゥッ……」

「オアァァッ……」

 スーパーグランドキングの装甲を貫くための渾身の突撃戦法で、エネルギーだけでなく体力も使い果たしたガイアとアグルは倒れこむようにして消滅し、元の姿に戻った我夢と藤宮は瓦礫の中で荒い息をついていた。

「ハァ、ハァ……大変な相手だった。意識を失わないだけ、ゾグのときよりマシか。藤宮、大丈夫かい?」 

「フゥ、少なくとも、お前よりはマシだ。だが、光をほとんど使いきってしまった。互いに、しばらく変身は無理だな」

 二人はエスプレンダーとアグレイターに宿っている光が相当弱まっているのを確認して、勝てたものの戦略的にはかなりまずい状態になってしまったことを感じ取っていた。

 ウルトラマンAが力尽き、今度は自分たちが。もし敵がウルトラマンが再度現れるまでのインターバル中にすべてを片付ける作戦であったなら……。

 

 しかし残念なことに、我夢と藤宮の懸念は最悪の形で当たっていたのだ。 

 グラン・トロワの一室で、力を使い果たして消えるガイアとアグルの姿を遠見の鏡で覗き見ながら、あのコウモリ姿の宇宙人は愉快そうに笑っていた。

「エェエクセレント! 敗れはしましたが、実質ウルトラマン二人を道連れにしてくれるとはさすが宇宙の帝王の使い魔。これが本物でなかったのが残念です」

「……ずいぶんご満悦ね。貴様にとって最強の手駒なのではなかったの?」

 五月蝿さに苛立ってシェフィールドが尋ねても、宇宙人は気にした素振りを見せずに答えた。

「手駒など、また拾ってくればいいだけですよ。あなたもそうしてきたでしょう? 魔道具使いのミョズニトニルンさん。そ、れ、に、死んだら死んだで生き返らせるという手もあるでしょう? 生き返らせるというね、ホッホッホッ」

 耳にさわる笑い方をするそいつに、さしものシェフィールドもわずかに眉を動かした。ジョゼフのためが思考の最優先であるとはいえ、シェフィールドも人間であり、それにも限度がある。

 うっとうしそうに立ち上がったシェフィールドは、彼に背を向けて部屋の出口に歩き出した。

「おや、どちらへ?」

「お前に説明する義務はないわ」

「おお、怖い怖い。では、私もあなたに秘密を作って構わないんですね」

 つくづくカンに障る奴だとシェフィールドは紫色の唇を歪めてむかつきを抑えた。本来ならこの場で八つ裂きにしてやりたいが、ジョゼフの願いのためにはこいつの協力が絶対必要であるから、シェフィールドは振り向かないまま奴の問いかけに答えた。

「ジョゼフ様のお望みをかなえるためには、あれにしばらくおとなしくしてもらわなければならない。今ごろはこのことを知って慌ててこちらに向かっているはず、捕らえるには今がちょうどいい」

「お忙しいことで。ですがあれも相当な使い手ですが、怪獣をすべて使いきってしまったあなたに捕まえられるんですか?」

「……あれに一番有効な駒は既に私の手中にあるわ。怪獣なんて必要ない。私の邪魔だけはしないで」

 部屋の扉が乱暴に閉められる音がして、宇宙人は芝居がかったしぐさで肩をすくめた。

「やれやれ、どこの星でも女性というのはどうしてこうなんでしょうね。大宇宙究極の謎ですよ……ですが、フフ……人間というのはたまに我々よりもえげつないことを考え付くものですねえ。参考にさせてもらいましょうか。フフフ……」

 宇宙人は、自分の計画が大勢の人間を動かしているということに高揚感を覚えながらつぶやいた。

 計画は順調に進んでいる。向こうはこちらをまったく信用していないようだが、最上の計画とは相手をいかに乗せるかではなくて、相手をいかに乗らざるを得ない状況に持っていくかなのだから関係ない。

「そんなに警戒しなくても、約束を破る気なんかありませんし、破る必要なんてないんですがねえ。ま、私が直々に出ていくまでにはまだ時間がありますし、もうしばらくウルトラマン方の戦いを楽しませていただきましょう。おや、次はこの方がご登場ですか」

 

 

 所はトリスタニアから遠く離れ、地方の農村であるタルブ村へと移る。

「怪獣が出たぞーっ!」

 村人が大声で叫ぶ声が響き渡る。この村に怪獣が現れるのは初めてではなく、村人たちは怪獣の足音の地響きに慌てながらもパニックにはならずに避難を始めようとしていた。

 しかし、今回の怪獣はタルブ村にとって一番大事な場所に現れていた。

「大変だ。あの怪獣、貯水池を狙ってるぞ」

 ブドウを栽培し、ワインを生産して収入を得ているタルブ村にとって水源は死活問題である。あそこを破壊されたら村人が助かったとしても村としては死んでしまう。

 だが、鍬や鎌を手にする村人たちに対して怪獣はあまりにも巨体であり、その進撃を止めるには悲しいほど非力であった。

 けれども、小さな叫びが邪悪な暴力に押しつぶされそうなとき、必ず彼らはやってくる。

 

「ダイナァーッ!」

 

 光とともに怪獣の眼前に勇ましく銀の巨人が降臨する。対して、貯水池を目指していたタツノオトシゴに似た怪獣は焦点の合っていない目でウルトラマンダイナを睨みつけ、興奮したように体を震わせた。

 たとえ罠であろうとも、その罠を踏み越えて先に進む。アスカ・シンはいつだってそうやって戦ってきた。

 そんなダイナを、村人たちに交じって一人の初老の婦人が頼もしそうに見つめていた。

 

 

 続く

 

 



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第3話  甘酸っぱい宝石

 第3話

 甘酸っぱい宝石

 

 水異怪獣 マジャッパ 登場!

 

 

〔まさかまたここで戦うことになるなんてな。佐々木さんよ、俺にとっちゃついこないだのことだけど、あんたもうひ孫までいるんだってな。また会えないのが残念だけど、あんたといっしょに守ったこの村はもう一度俺が守ってやるぜ!〕

 ウルトラマンダイナ、アスカ・シンの胸中に三十年前のタルブ村でのギマイラとの戦いの思い出が蘇ってくる。あのときから時空を超えて旅をしてきたアスカとの間には三十年の時間差が生まれ、今のタルブ村はアスカの知っているタルブ村とは大きく変わってしまっているが、それでもここが戦友と命をかけて守ったあの場所なのは変わりない。

 対して、ダイナの前に立ちふさがるのはタツノオトシゴのような頭を持つ水生生物ぽい外見をした奇妙な怪獣だ。細長い鼻と、死んだ魚のような目が特徴的で、アスカも見たことがない奇怪な野郎だ。

 しかし、奇怪な怪獣と戦うのはダイナにとって元の宇宙にいたときからよくあった。変な奴といえば、ゾンバイユやメノーファ、ユメノカタマリみたいな訳のわからない連中に比べればこいつはまだマシなほうだ。それよりも、こいつはタルブ村で一番大事なところを狙っていることが許せない。

〔佐々木さんが心血を注いで育てたブドウ畑をつぶそうなんて。お前! ただじゃすまない覚悟はできてるんだろうな〕

 怪獣はタルブ村の命とも言えるブドウ畑の貯水池を狙っている。水生型怪獣ならば当然と言えるかもしれないが、もし水源が汚染されでもしたらブドウ畑が壊滅してしまう。

 指をゴキゴキと鳴らしながら怒るダイナに対して、怪獣はつぶれたカエルのような聞き苦しい鳴き声をあげながら首を振っている。だが、考えていることが読めない奴ではあるが、貯水池に向かうのをやめるつもりはないようだ。ブドウ畑と貯水池を守って立つダイナに、タルブ村の村人たちからのエールが送られる。

「おおっ、ウルトラマンだ。はじめて見るウルトラマンだぞ!」

「頼むぞーっウルトラマン! 俺たちの村を守ってくれ」

 応援の声を送ってくれる村人たちの中にはシエスタの弟妹たちもおり、ダイナは気取って答えることはしなかったが、心の中で気合を入れなおした。ダイナがここで戦うのは二度目だが、多くの村人たちはそれを知らない。だがそんなことはいい。守りたいという気持ちが変わることはない。

 怪獣は相変わらずとぼけた様子で、こちらを抜く機会をうかがっているようである。そっちがその気ならこっちも容赦はしないと、ダイナはこぶしを振りかぶって攻撃にかかった。

「デヤァァツ、ノワッ!?」

 だがダイナが殴りかかろうとしたとき、怪獣は口を開けて黄色いガスをダイナに向かって吹きかけてきたのだ。そのゲップのような攻撃にさしものダイナもひるみ、ガスを少し吸い込んでむせてしまった。

〔ゴホッゴホッ、なんだこの匂いは!?〕

 黄色いガスは毒ガスではないようだったが、特殊な成分が含まれているらしく、体がしびれてきた。だが、このくらいでまいるほどダイナは繊細な神経はしていない。体のしびれを根性で抑え込んで、怪獣の顔面にストレートパンチをお見舞いした。

「デュワァッ!」

 アスカ必殺の剛速球にも似たパンチが怪獣の左顔面を見事にとらえた。どうだ! しかし、ブヨブヨしたスポンジのような怪獣の体は衝撃にあまりこたえた様子はなく、逆に太い腕を振るってダイナを張り倒してきた。

「ウワッ!」

 けっこう力が強く、ダイナはよろめいて軽く頭がフラフラしてしまった。しかも、この野郎! と思っても怪獣はヘラヘラとするだけで、こっちの怒りも空回りしてしまう。

 

 いったいなんなのであろうかこいつは? 実はトリステインのある古文書に、その名が記されていた。

『その獣はマジャッパ。悪しき意思にて水を独占せんとする、あってはならぬ魔物』

 その古文書がいつの時代に誰の手で書かれたのかは誰にもわからない。しかし、その古文書にはこれの他にも数多の怪獣の記述が細かに記されており、世に出れば多くの役に立つことだろう。

 惜しむらくは、王立図書館の倉庫深くに仕舞いこまれて完全に忘れ去られていることであるが……。

 

 しかし、名前や正体がどうであろうと、マジャッパがタルブ村に災いをもたらす存在であることだけは確かだ。

 マジャッパは、ダイナがあくまで貯水地に向かうのをジャマする気だとわかると、今度は向こうから攻撃を仕掛けてきた。長く伸びた鼻先から高圧水流が噴き出して、鞭のようにダイナに襲いかかってくる!

〔おおっとお!〕

 ダイナは右に跳んでかわした。高圧水流はそのまま地面をえぐって、地面に大きな傷跡を残した。

 危ない危ない。水もここまでの水圧をかければ破壊光線と変わりない。

〔こりゃあ、こっちもペースとられてる場合じゃねえな〕

 ダイナも気を取り直し、親指で唇をぬぐうしぐさで気合を入れなおす。白い眼に闘志を込め、前かがみになったダイナは得意の真っ向勝負でマジャッパに体ごと突っ込んでいった。

「ダアアッ!」

 小細工なんかなにもない。肉弾と化してのショルダータックルに、マジャッパは吹っ飛んで背中から草原に叩きつけられた。

 どうだ! 出塁で鍛えたこの脚力と体の頑丈さは伊達ではない。野球は球を投げて打つだけではない、いやすべての球技は殴り合わない格闘技。土と泥と血と汗の中で鍛え上げた体をなめるな。

 ダイナは転倒したマジャッパの尻尾を掴むと、渾身の力を込めて振り回した。

『ハリケーンスウィング!』

 ダイナの青と赤のラインが走る腕の筋肉が張り詰め、グルングルンと豪快にマジャッパの体が回転する。そしてダイナは、暴れるならもっと広い場所でやろうぜと、マジャッパを以前にウルトラマンヒカリとエンマーゴが戦った村の広場へと放り投げた。

「ドリャアッ!」

 マジャッパは宙を舞い、地面に顔面から叩きつけられた。だが、軟体じみた体で衝撃を吸収して、あまりダメージを受けた様子無く起き上がってくる。

 上等! こんなもので参るようなへっぽこ怪獣でないことはもうわかっている。ダイナもジャンプで追ってマジャッパの前に降り立ち、戦いは第二ラウンドへと突入した。

 

 ダイナの額のクリスタルと、マジャッパの金色のとさかが日を反射してきらりと光り、両者は再び激突する。

 至近距離から高圧水流を浴びせようとするマジャッパに対して、ダイナは懐に飛び込んで屈んだ姿勢からフラッシュチョップをお見舞いする。

「ヘヤッ!」

 マジャッパの脇腹に決まったチョップから火花が飛び散り、のけぞって後退するマジャッパ。

 しかしこの程度でまいるわけもなく、再びしびれる効果のある黄色いガスを浴びせようとしてくるが、そうはさせじとダイナはマジャッパの顎を掴んで無理矢理口を閉めさせた。

〔マナーの悪い奴はコウダ隊員に叱られるぜ!〕

 人にゲップをかけるなんてとんでもない奴だ。ダイナはさらにキックをくわえてのけぞらせ、体格で上回るマジャッパに下からアッパーカットを食らわせた。

 そのダイナミックな戦いぶりに、特に村の子供たちはおおはしゃぎだ。

「わーい! すっごいぞ、かっこいいーっ」

「がんばれーっ、怪獣をやっつけろーっ」

 シエスタの弟たちも、近所の友だちといっしょに大興奮している。なにせ、テレビもネットも漫画もない、平民はほとんど文盲だから物語といえば親や祖父母からの語り聞かせしか存在しない彼らの前に、現実の大スペクタクルが繰り広げられているのだ。

 だが、実戦は筋書きのないドラマである。悪者だってすんなりやられてくれるわけがない。マジャッパはダイナ必殺のダイナックルを腹に受けると、げほりと吐いて後退した。そこに追撃のキックを打ち込もうとしたダイナだったが、マジャッパは空気に溶け込むようにして消えてしまったのだ。

「フッ!?」

 キックが空振りし、ダイナはきょろきょろと左右を見回した。

 まさか、あんな間抜けな面してテレポートか? だがダイナの勘は外れていて、なにもいないはずのところから、いきなりダイナの後頭部に打撃が入った。

「ウワッ!?」

 びっくりして振り向いても何もいない。にも関わらず、またもダイナの真横から強烈な一撃が繰り出されて、ダイナは思い切り吹っ飛ばされてしまった。

「ウワアァッ!」

 背中で物置小屋を潰しながら倒れこむダイナ。見守っている村人たちは何がなんだかわからないでおろおろしていたが、発想が柔軟な子供たちはすぐカラクリを見抜いていた。

「あの怪獣、体を水みたいに透けさせるんだ。水みたいに見えなくなっちゃうんだ!」

 そう、つまりは透明化能力であった。姿を消し、死角から不意打ちをかけてくる。単純だが厄介な能力だ。

 村の大人たちも子供たちの声でそれに気づき、見えない相手なんかどうやって戦えばいいんだと困惑している。しかし、この程度のこけおどしで参るダイナではない。相手が特殊能力で来るなら目には目をだ。

「フゥゥゥン! ダァッ!」

 気合の掛け声とともにダイナの額のクリスタルが輝き、その体の色が青へと変わった。

『ウルトラマンダイナ・ミラクルタイプ!』

 超能力戦を得意とする青い姿。この姿に変わったからには小細工なんて通用しない、ダイナはウルトラアイを集中させて、マジャッパの実体を探した。

『ウルトラスルーアイ』

 ダイナの透視能力が透明になっているマジャッパの実体を見破る。

”そこか!”

 後ろから殴りかかってこようとしていたマジャッパの攻撃を察知したダイナは、逆に目にもとまらぬスピードでマジャッパの後ろに回り込んだ。

 速い! タルブ村一番の猟師の目でもその動きを捉えることはできなかった。ミラクルタイプはスピード戦術も得意とし、並の怪獣では目で追うこともできない。

 マジャッパに振り返る隙さえ与えずの、ミラクルキック、ミラクルチョップの連続攻撃。火花が飛び散り、透明化が解除されて巨体が揺らぐ。

「すげえ!」

 村人たちから歓声があがる。ダイナはさらに追撃をかけようとしているが、村人たちの中で一人だけ心配そうに見守っている女性がいた。

「ああ、ダメダメ、調子に乗っちゃ」

 彼女がそう言ったとたん、マジャッパの尻尾が振るわれてダイナの横っ面を弾き飛ばしてしまった。

「ムワアッ!?」

 不意打ちの一発はダイナも避けられず、クリーンヒットをもらってしまった。ミラクルタイプはスピードは上がるがパワーは減少してしまうため、攻撃に耐えたマジャッパは反撃に出ることができたのだ。

 さらにマジャッパはとぼけた顔とは裏腹にバカではないようで、今のダイナにパワーが欠けていることに気づくと、両手のひらをダイナに向けて、その腕にタコのようについている吸盤から猛烈な勢いの吸引をおこなってダイナを吸い寄せてきた。

〔なんだっ! ひ、引っ張られる!?〕

 踏ん張って耐えようとしても、伸びきったゴムをつけられてしまったようにグイグイ引っ張られてしまう。まるでブラックホールだ、耐えきれない。

「ヌアァッ!」

 ついにダイナは吸引に負けてマジャッパの腕の中に捕まってしまった。マジャッパはダイナを両腕でガッチリと抱き締めて、鯖折りのように締め上げてくる。

「ムアアッ!」

 ダイナの体の骨がきしみ、苦悶の声が漏れる。ギリギリと締め付ける力は強くなってきて、ミラクルタイプの力では振りきれない。

 テレポーテーションを。だけどこんなに締め付けられていてはと、ダイナが焦りを感じ始めたその時だった。

「がんばってーっ! アスカさーん。あなたの力は、こんなものじゃないはずよ」

 その声を耳にしたとき、ダイナの胸に懐かしい思い出が蘇ってきた。あのギマイラとの戦いのとき、短い間でも苦楽を共にした仲間の声。

「あなたは一人じゃない。私だって、おじいちゃんだって今でもあなたといっしょにいるわ。だからがんばって! 本当の戦いは、これからでしょう!」

 ダイナの目に、シエスタを少し老いさせたような初老の婦人がこちらを向いて、アスカの得意なサムズアップをしているのが映った。

〔レリアちゃん……そうか、そうだったぜ〕

 佐々木さんはいなくなったが、まだ君はいてくれたんだな。アスカは、あれから長い時が経っていたことを知り、タルブ村に近づくことを避けてきたが、時が経っても自分のことを覚えてくれている人がまだいたことを知った。

 あのとき、盗賊に襲われていた時に佐々木さんに助けられ、その後にカリーヌにも会った。そして強敵ギマイラに力を合わせて挑み、ガンクルセイダーを飛ばし、みんなで寄せ鍋を食った。そうした後の死闘……。 

 そうだ、あの日の戦いに比べたらこのくらいなんてことはない。俺にはまだ、超能力よりも先に頼れる武器があるんだった。

「ムンッ、ダアアァァーーッ!」

 ダイナはマジャッパに掴まれたまま、奴の腰をとって全力で力を込めた。

 確かにミラクルタイプはパワーが弱い。だが、限界を超える武器をアスカは持っている。一瞬でいい、その一瞬で全てをかけてこいつを倒す。人間なら誰もが持っている、根性という武器で。

 なんと、マジャッパの体がダイナに吊り上げられて宙に浮いた。そしてそのままダイナは後ろに倒れこむようにして、マジャッパの頭をフロントスープレックスの要領で一気に地面に叩きつけたのだ!

「ドリャアァッ!」

 ミラクルタイプらしからぬ豪快な力技。しかしそのインパクトは抜群で、見ていた村人たちは喝采をあげ、さすがに頭を自分の体重ごと強打されたマジャッパは白目をむいて泡を吐いた。

 そして、起き上がったダイナは、声援を送ってくれた彼女。かつて共にギマイラと戦い、今ではシエスタの母となっているレリアに向けて、グッとサムズアップを見せて返した。

”ありがとう”

 けれど、マジャッパはしぶとくもまだ起き上がって向かってこようとしている。しつこい! ダイナは手裏剣を投げつけるように光弾をマジャッパの頭に向けて発射した。

『ビームスライサー!』

 光弾はマジャッパに見事に当たり、消耗していたマジャッパは今ので痺れたのか、へたりこんで動かなくなってしまった。

〔へっ、まいったか〕

 面倒な怪獣だったが、ダイナがやられるほどの相手でもなかった。カラータイマーはまだ青のままで、あとはレボリュームウェーブで消滅させてしまえばダイナの勝ちだ。

 グロッキー状態のマジャッパを見て、村人たちも勝利を確信して肩の力を抜いている。しかし、いざダイナがレボリュームウェーブを放とうと構えをとったときだった。レリアは突然寒気のようなものを感じて空を見上げ、悲鳴のように叫んだ。

「あっ、あれは何? 何か、何か変なものが近づいてくるわ!」

 はっと皆が空を見上げると、青空を背景に黒い何かが近づいてくる。雲? 鳥の群れ?  いや、黒いもやのような不気味なものが、蜂の群れのように意思を持ってやってくる。しかも、二方向から二つも!

〔なんだありゃ、気味悪い〕

 ダイナも戸惑って空を見上げた。なんだか分からないが、とても嫌な感じがする。一体なんだ!?

 二つの黒いもやは、吸い込まれるようにしてマジャッパに向かっていく。実はそれは、この場にいる誰も知る由もなかったが、先ほどエースとガイアたちによって倒されて霧散したはずのグエバッサーとスーパーグランドキングの邪念の残留エネルギーであり、そして二つのそれは意思を持っているかのようにマジャッパの体に飛び込んでいった。

「ヘヤッ!?」

 ダイナの見ている前で、マジャッパの体が変化していく。それはガディバに寄生された怪獣のようにも思われ、体から青みがかった体色が消え、頭部に赤い禍々しいクリスタルが装着された。

 これは一体!? 戸惑うダイナの前で、マジャッパは元気を取り戻して鳴き声をあげながら起き上がってくる。さらに復活したマジャッパはダイナを見据えると、その口を広げて再び黄色いガスを吹き付けてきた。

〔なんだまたこんなもの……って、なんだこりゃ、臭ぇ!〕

 なんと、ガスには先ほどのマジャッパのものにはなかった強烈な臭気が加わっていた。それは直接吸い込まなくても感じるほど強烈なもので、かなり距離をとっていたはずの村人たちも異臭を感じて鼻を押さえて悲鳴をあげた。

「うわっ、なんだこりゃ! 夏場のオヤジの手拭いみたいな匂いだ」

「いいや、洗ってない馬のケツみたいなひでえ匂いだ」

「いやいや、生乾きの煙草を燃やしたみたいな匂いだよ!」

 要するに、様々な腐敗臭や刺激臭が混ざり合った悪臭ということで、村人たちは口と鼻を抑えて一目散に逃げて行った。

 レリアもせき込みながら必死に耐えているが、目から涙もあふれて苦しんでいる。ダイナは、これは臭がっている場合じゃねえと、強化されたマジャッパに向かっていったが、近づいたときの奴の臭いはさらに半端ではなかった。

「グ、グエェェッ……」

 ウルトラマンでも吐きそうになる臭さ。以前にゴミの塊から生まれた怪獣のユメノカタマリと戦った時も多少は異臭がしたが、これは比べ物にならない。眩暈がしてくる。

 ダイナは組み付くのをあきらめた。とてもじゃないが嗅いでいられるもんじゃない。

 距離を取り、臭いから離れるともう一度ビームスライサーを放った。しかし、奴は防御力も相応に強化されているらしく、ビームスライサーを体のヒレではじき返すと、反撃に鼻から水流を放ってダイナを吹っ飛ばしてしまった。

「ノワアアッ!」

 水流の威力も上がっている。銃弾で撃たれたようだ。ダイナはすぐに起き上がれず、さらに時間経過でカラータイマーまで赤く鳴り出してしまった。

〔く、ちくしょう、こんな臭いなんかにやられてたまるか〕

 アスカは気合を入れるが、痛みに耐えるのとは違って、臭いというのはたとえばタマネギを切っているときに涙をこらえようと思っても無理なように、感覚にダイレクトに来るものだからこらえられない。人によっては単なる悪臭でも体調を崩す人がいるように、強烈な臭いはウルトラマンの体さえもマヒさせてしまった。

 思うように体を動かせないダイナに、奴は悠々と近づいて蹴り飛ばし、ダイナは地面の上に転がった。

「グウゥゥ……ッ」

 いくらダイナでも、毒ガスの中にいるような状態ではまともに戦えず、奴の悪臭でめまいはするし視界は歪むしで避けることもできなかった。

 このままだとやられるっ! しかし、さらに追い討ちをかけてくるのかと思われた強化マジャッパはダイナをぷいと無視すると、またもブドウ畑の貯水地に向かい始めたのだ。

「けほけほ、い、いけない。あんなのに近づかれたら村のブドウが売り物にならなくなっちゃうわ!」

 レリアは咳き込みながら走り出した。タルブ村のブドウ畑は村の生命線、あれをやられたら税金も払えなくなって村がつぶれてしまう。

「怪獣! こっちよ、こっちに来なさい!」

 レリアは怪獣に向かって大声で叫んだ。もちろん、その無茶な行為に村人たちはやめろと叫んでいるがレリアはやめず、うるささに気づいたマジャッパはレリアのほうを向いて立ち止まった。

 まずい! 奴はレリアに狙いを定めている。あの高圧水流を受けたら人間なんか粉々で欠片も残らない。ダイナも「逃げろ」と叫びそうになったが、それを遮ってレリアの声が響いた。

「行かせません! タルブのブドウ畑はおじいちゃんが精魂込めて育てた人生の結晶。そして、これからシエスタたちに受け継がされる大切な財産です。あなたなんかの近づいていい場所じゃありません。出ていきなさい!」

 怪獣相手に啖呵を切るその姿は、村人たちや彼女の子供たちも一瞬圧倒されるような迫力を秘めていた。

 そしてアスカは、あのときは幼かったレリアが年月を経て大人に、立派な母親になっていたことを知って胸を熱くした。

〔じいさん、あんた死んでなんかいなかったんだな。へっ、かっこいいぜ〕

 まるであの日の佐々木さんが生き返ったみたいだ。あの人の勇敢な魂は、確かに孫娘に受け継がれていたのだ。

 しかし、強化マジャッパは感情を感じさせない目をぎょろりとさせると、無情に高圧水流の狙いを定めた。

 危ない! 村人たちは叫び、ダイナは体の痺れを振り切って走り出そうとしたその時だった。突然、無風の青空に突風が吹きすさび、台風のような空気の奔流が強化マジャッパを横から吹き飛ばしたのである。

「!?」

 誰も、なにが起きたのかわからなかった。こんないい天気の日に、急に突風が起きるわけがない。

 何故? 理由を求めて風上を見た人々は一様に愕然とした。そこには、タルブのブドウ畑を背にして、一羽の巨大な怪鳥が翼を羽ばたかせていたのである。

「ま、また別の怪獣かあ!」

「いえ、違うわ。あれは……カリーヌさんの」

 驚く村人たちとは別に、レリアにはわかっていた。あれは、カリーヌの使い魔のラルゲユウス。そう、間違いない。

 ラルゲユウスはその翼を大きく振り、強化マジャッパに突風を送り続けている。強化マジャッパも反撃しようとしているが、ガスも高圧水流も吹き返されてしまうだけだ。

 そして、ダイナ……アスカもすべてを察していた。カリーヌはあの頃より重い地位につき、今ごろはトリスタニアから動けないはず。けれどタルブ村と親友の危機を黙って見過ごせず、使い魔だけでも助けに差し向けてくれたのだ。

〔なんだ、あのときと同じじゃねえか……〕

 アスカは、目頭が熱くなる思いを感じた。あのときから一世代ほどの時間が過ぎているというのに、あのときと同じ者たちが形を変えてもここに揃っている。

 いや、正確にはエルフの少女ティリーだけはいない。しかし彼女もこの世界で信念を貫いて生き抜き、今は娘が立派に頑張っていると聞いている。意思は受け継がれ、決して消えることはない。

 突風で悪臭も吹き飛ばされ、ダイナも新鮮な空気を吸って元気を取り戻した。今だ! ダイナ!

「デュワッ!」

 ダイナは力強く立ち上がると、腕を組んで残ったエネルギーを解放した。額のクリスタルが輝き、ダイナの力をフルに使える基本形態に立ち返る。

『ウルトラマンダイナ・フラッシュタイプ』

 ミラクルタイプで失っていたパワーを取り戻したダイナは、ラルゲユウスの風に乗って走った。体が軽い、それに風が守ってくれている限り悪臭も怖くはない。

「ダアアッ!」

 ダイナは強化マジャッパに組み着くと、風の勢いのままに押し倒して足を掴んだ。もう一度この技を食らえ! ダイナは怒りの全パワーを発揮して強化マジャッパをぶん回した! 

『ハリケーンスゥイング!』

 風で勢いを増し、まるで風車のように凄まじい速さでマジャッパの六万トン超の体が振り回される。マジャッパは目を回し、ダイナは最後に渾身の力で奴を上空目掛けて放り投げた。

「ダリャァッ!」

 遠心力のままに、マジャッパは見上げる村人たちの首が痛くなるほどの高さまで風に乗って飛んでいく。そして、奴がタルブ村に影響を及ぼさない距離にまで離れると、ダイナはその手を十字に組み、青い稲妻のような必殺光線を撃ち放った!

 

『ソルジェント光線!』

 

 光の軌跡は一直線に強化マジャッパを貫き、紅蓮の大爆発とともにその身を消し飛ばしたのだった。

 勝った……しかし、喜びにわく村人たちとは裏腹に、ダイナは消し飛んだマジャッパから、三つの邪悪なエネルギーが抜け出して空に消えていくのを確かに見ていた。あれはマジャッパを含めて倒された三匹の怪獣の残留思念か……いったい何の関連性があったのかは分からないが、まるで何かに呼ばれていったかのように、次元のかなたへ消えていった。

 別の宇宙のどこかに、あいつらを利用しようとしている邪悪ななにかが存在するのかもしれない。この宇宙から消えていった以上、もう追うことはできないが、少なくともこの宇宙で暴れるのはあきらめたのかもしれない。

 ダイナは気持ちを切り替えると、笑顔で手を振ってきているタルブの村人たちに、得意のサムズアップのサインを見せて礼をし、空を見上げて飛び立った。

「シュワッ!」

 銀色の光があっというまに雲のかなたへと消えていく。その颯爽とした姿に、村の子供たちはいつまでも手を振り続けていた。

 

 そして、少し経ったタルブ村の草原に、変身を解いたアスカは大の字になって寝転んでいた。

「あーっ、疲れた」

 実質、怪獣と二連戦したのはきつく、体力バカのアスカもさすがに汗だくになっていた。

 もうしばらく、動ける気がしない。本当なら、我夢たちのところにすぐに戻らなくてはいけないけれども、少し休ませてもらいたい。

 寝転んでいると、晴れた空に涼しい風が吹いて額を心地よくなでていく。怪獣のまき散らした悪臭は風がすべて運んで行ってくれて、青草の暖かい香りが鼻孔をくすぐって、遠くには無傷に済んだブドウ畑が見える。そうしていると、平和なタルブ村をもう一度守り通せたんだという実感がわいてきた。

 そうしていくらか体を休めていると、アスカの頭の上から草を踏みつける足音が近づいてきて、見上げるとそこには懐かしい顔がこちらを見下ろしていた。

「お久しぶりです、アスカさん。お変わりないですね」

「よう、レリアちゃん。君も変わらないね」

 再開を軽く済ませられるだけ、二人ともすでに子供ではなかった。まるで昨日ぶりだったくらい簡単にあいさつを交わすと、レリアはアスカの隣にすっと腰を下ろした。

「ありがとうございます。あなたのおかげで、またタルブ村は救われました」

「俺はたいしたことはしてねえよ。それよりも、この村はずいぶん大きくなったなあ。君たちのやったことのほうがずっとすげえって」

「ええ、あれからいろいろなことがありました。私もすっかりおばさんです。でも、一番はやっぱりおじいちゃんです。山を切り開いて畑を起こし、木を植え……この村は、おじいちゃんの姿見です」

 しみじみと語るレリアに、アスカもそれらの日々を想像してうなづいた。

 この世界に骨をうずめることを決めて、この村に残った佐々木さん。あんたはきっと、最後まで走りぬき、そして満足してあっちに行ったんだろうな。

 思いにふけるアスカに、レリアは傍らに持ったかごからひとふさのブドウを差し出した。

「どうぞ。きっとおじいちゃんも、あなたに食べてもらいたかったと思います」

 アスカはそのブドウを受け取ると、一度日にかざして眺めてみた。色合いも形も鮮やかで、陽光を浴びて一粒ずつが紫色の真珠のように輝いている。

 いただきます。口に含んだアスカは、一粒を噛み潰して出てきた果汁のあまりの甘さに思わず叫んだ。

「うめーっ!」

 脚色ないストレートな表現しかない、疲れた体に染み渡ってくる瑞々しい甘さだ。タルブ村のブドウを使ったワインは名産品だと話には聞いていたが、なるほど納得である。

 これが佐々木さんの人生の結晶……これだけのブドウを育てるためには、どれほどの改良や工夫をこらしたことだろうか。まさに、ダイヤで研磨されたダイヤのように、このブドウは佐々木さんの人生で研磨された宝石なのだろう。

 そう、人生は磨き砂だ。人はその一生でなにかを磨き続けている。それが石ころで終わるか宝石に磨きあげられるか、アスカの父も宇宙飛行士として、宇宙に羽ばたくネオフロンティア時代の道筋を輝かせた。アスカの道のりは、まだまだこれからだ。

「佐々木のじいさん、あんたの輝きはしっかり受け取ったぜ。だから、俺もいつか追いつくその先で待っててくれよ。俺も、まだまだ走り続けるからよ」

 未来は無限だ。しかし、人にはそれに手を届かせる可能性が秘められている。諦めず、夢を追い続ける限り。

 だが、疲れたときは立ち止まり、足を休ませることも大切だ。レリアは、アスカにもうひとふさブドウを差し出して笑いかけた。

「もう少し食べますか? それと、あれから後にカリーヌさんたちとなにがあったか、お聞きになりますか?」

「おっ、もちろんいただくぜ。それにカリーヌのやつ、今じゃすっかり偉くなったみたいだけど、あいつのことだからあれからもいろいろあったんだろ?」

「ええもちろん、秘密だって言われてますけど、特別に教えちゃいます」

 そうして、二人はブドウをつまみながら何十年ぶりの思い出話に花を咲かせていった。

 アスカに変身する力が戻るまでにはまだ時間がかかる。しかし、焦らずに今は体と心を休めるがいい、君にはその資格がある。

 談笑するアスカとレリアの頭の上を文鳥サイズに戻ったラルゲユウスがくるくると回り、やがてトリスタニアの方角へと飛び去っていった。タルブ村とその周辺に、もう怪獣の気配はない。

 

 

 タルブ村の危機は去った。しかし、トリステインに迫る危機はまだ去ってはおらず、今こうしている間にもガリア軍はトリステインの領土を蹂躙し続けている。

 もはや戦端が開かれるのは時間の問題。その破局を前にして人々は慌て、諦め、あるいは抗おうとしている。

 だが、この戦争が単なる戦争の枠に収まるものではないことに気づいている者も現れ始めていた。

 トリステイン王宮の謁見の間に、才人とルイズを含む水精霊騎士隊は突然呼び出されていた。そして今、玉座に座るアンリエッタの前に、ギーシュらは訳もわからないまま恐縮してひざまづいている。

「じょ、女王陛下におきましては、ご、ご機嫌うるわしく」

「ミスタ・グラモン、あなたの怪我は存じておりますから楽にしていただいて大丈夫です。他の方々も、時間がありませんのであいさつは省略します」

 アンリエッタの切羽詰まった様子は鈍い彼らにもよくわかった。けれど、戦争が始まっているのだから当然とはいえ、なぜ自分たちのような二軍三軍の者たちが呼ばれたのか、緊張しているギーシュたちに代わってルイズが尋ねた。

「女王陛下、火急の事態につき、わたしも無礼を承知でお尋ねいたします。この非常時にあって、陛下は我々に何をお求めでお呼びになられたのですか?」

「ルイズ……その前に、どうしたの? ずいぶん具合が悪そうに見えるのだけれど」

「す、少し疲れただけです。すぐ治ります。それよりも、ご用件のほうをお願いします」

「……わかりました。では、単刀直入に申します。この中の誰でも、今からする質問に答えられる人がいれば手を上げてください」

 そのアンリエッタの真剣な表情に、ルイズたちは何を問われるのかと息を呑んだ。だが……。

「ガリア王国の、その王の名前を答えられる方はいますか?」

「は……?」 

 意味がわからなかった。いくらまだ学生だからといって、隣国の王の名を知らないなどとなれば馬鹿にも程がある。

 当然、すぐに全員の手が上がるかと思われた。しかし……。

「どうしました? なぜ誰も手を上げないのですか?」

 アンリエッタの問いに、答えられた者はいなかった。ギーシュもモンモランシーも、レイナールもギムリも目を白黒させて頭を抱えている。

 もちろんルイズもで、顔を手で覆って思い出そうとしているが、脂汗が流れるばかりで何も浮かんでこないのだ。

「な、なんで……思い出せない」

「……やはり、皆さんもなのですね」

「陛下、それって……」

 沈痛な面持ちのアンリエッタに、ルイズたちはなぜ自分たちが呼ばれたのかを悟った。

 頭の中にあって当たり前と思っていたところにぽっかり穴が開いている。しかもそれは自分だけではなく、皆の記憶の一部がまるで何者かに狙って削り取られたような。

 そして、自分たちはこのことに何の違和感を感じることなく何ヵ月も生活してきた。それはつまり、記憶に異常をきたしているのはここにいる面々だけではなく、まさかトリステイン、もしかしたらハルケギニア全土で……。

「なんなの……気持ち悪い」

「ルイズ、皆さん、お気を確かに。信じたくないことですが、言葉にできないほど恐ろしい何かが起こっているのは確かです。しかもこれは、ガリアの侵攻と無関係とは思えません。そこで、あなたたちに折り入ってやってほしい仕事があるのです」

 アンリエッタは水精霊騎士隊を見渡し、ある任務を言い渡した。

 そして、自分も記憶の一部が欠落していることに気づいた才人は、大勢の記憶が同時に同じように改竄されているこの状況に、強い既視感を覚えていた。

「これって、もしかして……」

 才人はエースバリアの疲労とは違う冷や汗で背中が濡れていくのを感じていた。

 

 

 だが、才人たちの不安をよそに、敵の手はさらに先手をとって動いていた。

 トリステインとガリアの国境を越え、深夜になってもリュティスに向かって馬を急がせるタバサ。一刻も早くジョゼフに会って戦争を止めさせようと焦るタバサを、双月を背にした空からシェフィールドが狙っていた。

「フフ、お姫さま。悪いけれど、今ジョゼフ様はとても忙しいの。あなたには時が来るまでしばらくおとなしくしてもらうわ……力ずくでもね」

 エイ型のガーゴイルに乗って夜空に浮くシェフィールドのさらに上空では、大きな何かが月を背にしながら翼を羽ばたかせている。その目は殺意と狂気に満ち満ちて、タバサを見下ろしながら怪しく輝いていた。

 

 

 続く



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第4話  風の再契約

 第4話

 風の再契約

 

 双頭怪獣 パンドン 登場!

 

 

 トリステインの各所で同時に起こった怪獣の連続発生。それは、戦争という極限状態に追い込まれたトリステインの人々にとって最悪の追い打ちとなった。

 むろん、ウルトラ戦士たちも果敢にこれに立ち向かい、グエバッサー、スーパーグランドキング、マジャッパが撃破された。

 しかし、怪獣たちも強く、ウルトラマンA、ウルトラマンガイア、ウルトラマンアグル、ウルトラマンダイナが、それぞれ勝利はしたものの当分再変身できないほどの消耗を強いられてしまった。

 そうしている間にもガリア軍は国境を越えて進軍を続けている。トリスタニアまで、あと二日。

 

 怪獣の出現はまだ続き、ラグドリアン湖近辺でも怪獣が暴れていた。

 昨年の水の精霊による増水による水没未遂に襲われた小さな村に迫る、赤い串カツに手足が生えたような怪獣。頭には顔はなく、くちばしだけが左右についている。ドキュメントUGに記録のある、ウルトラセブンが戦った最後の怪獣、双頭怪獣パンドンだ。

 

【挿絵表示】

 

 このパンドンは、以前チャリジャがとある火山の中から発見し、シェフィールドのもとに置いていった怪獣の一体である。

 さらにこの場所はトリステインからガリアにいたる街道のひとつであり、避難民が殺到すると読んだシェフィールドによって配置された。案の定、村と街道に列をなして馬車が通りがかっていたところにパンドンが迫り、人々はパニックに陥っている。

 だが、そんな暴虐を許すまいと、通りすがりの風来坊が立ち上がった。かつて苦杯を舐めさせられたパンドンに対して、モロボシ・ダンのカプセル怪獣の一体が迎え撃つ。

「ウインダム、行け!」

 渦巻く光の中から、メタリックに輝くボディを持つカプセル怪獣ウインダムが現れた。

 登場したウインダムは、両手を上げた独特のポーズで、古風な機械にも似た硬い音をたてながら前進していく。むろん、パンドンも身構えて威嚇の声をあげ、二体の怪獣の激突が始まる。

「ウインダム、パンドンを村から遠ざけろ」

 ダンの命令を受けてウインダムはパンドンに両手を振り回しながら突進し、思い切り体当たりをしかけていく。対してパンドンはこの不格好な突進を見てあなどったのか、正面から受け止めにかかった。

 だが衝突の結果を制したのはウインダムだった。なんとパンドンは受け止めきれずに弾き飛ばされ、木々をへし折りながら倒れこんでもだえる。

 よし、いいぞ。ダンは満足そうに頷いた。ウインダムはミクラスやアギラと比べて華奢だが、ロボット生命体だけあってパワーも決して低くはないのだ。

 吹っ飛ばしたパンドンに、ぎこちない動きながらも接近していくウインダム。だが、パワー勝負でやられたパンドンは、起き上がれないふりをしながら左の口をウインダムに向けると、不意打ちで真っ赤な火炎を吹き付けてきた。

「むっ」

 卑怯なパンドンの攻撃に、ダンは短く唸った。しかし、心配はしていない。ウインダムのメタルのボディを見くびってもらっては困る。火炎を食らいながらウインダムは前進を続けて、パンドンを蹴っ飛ばした。

 パンドンはまたも吹っ飛ばされ、ウインダムのボディには軽く焦げ目がついただけだ。確かにペダニウム合金のような超合金には及ばないかもしれないが、ウインダムはロボットではなくロボット生命体であり、そのボディも成長とともに強くなっていくのだ。

 ウインダムは前回のアークボガール戦での雪辱を晴らさんとしているかのように、さらにパンドンに対して張り手やタックルなどで攻撃していく。パンドンも殴ったりして反撃するが、元々重病のセブンにも負けた程度の実力しかないパンドンのこと、当時のウインダムならばともかく40年の歳月を経たウインダムにはかなうわけもない。

 パンドンが殴りかかってもウインダムのメタルの体にカチンといってはじかれ、ウインダムの張り手はパンドンの体に確実にめり込んでいく。

「ようし、決めろウインダム!」

 パンドンがじゅうぶん弱ったと見たダンは、とどめを刺すように命じた。ウインダムは動きの鈍ったパンドンの体を豪快に頭上に抱え上げた。

『岩石落とし!』

 ひょいと放り投げ、パンドンは頭から地面に叩きつけられた。パンドンのとげとげした体がぐにゃりと曲がり、パンドンは左右のくちばしから泡を吹いている。

 好機は今だ!

「ウインダム、レーザーショット!」

 ウインダムは腕を上げて直立すると、頭部のランプから白色の光線を発射した。その一閃はパンドンの喉元あたりに突き刺さり、パンドンはゆっくりと仰向けに倒れて爆散した。

 勝った。ウインダムはダンの期待に応えられたことを喜ぶように一声鳴いて、ダンも満足げにうなづいた。

「よくやった。戻れ、ウインダム」

 光の渦に包まれて、ウインダムは縮小すると小さなカプセルに戻ってダンの手元に帰った。

 パンドンは完全に消し飛び、後には黒煙がたなびいている。そこから、パンドンの残留思念が空に昇って行って、見慣れない光景にダンは眉をしかめたが、今は追う方法もないことから心に留めておくにとどめた。

 襲われかけていた村は多少パニックが残っているが、パンドンを倒した以上は長居は無用であろう。ダンはテンガロンハットをかぶりなおして通りすがりに紛れ込むと、そのまま村を後にした。

 街道はいまだにトリステインから逃れようとする行列でごった返しており、事態の重さが嫌でも感じ取れた。

 なぜガリアは突然……そしてガリアといえば、彼女は今。

「こんなことなら、あのとき無理にでも引き留めておくべきだったな。無事でいてくれればいいが……」

 ダンは、タバサがこのことを知ればガリアに急いでいるはずだと当たりをつけていた。責任を感じて戦争を止めるつもりなのだろうが、無茶をしてなければいいが。

 できれば助けに行ってやりたい。しかし、こうも怪獣の出現が連続すればまだ戦う力を残している自分がトリステインを離れるわけにはいかない。

「だが、相手が宇宙人や怪獣ならともかく、敵が人間では我々が助けになれることは少ない……気をつけるんだ、執念に狂った人間というのは、時にどんな怪獣よりも恐ろしい」

 人間は素晴らしい可能性を秘めているが、その可能性を間違った方向へ向けた時は恐ろしい災厄を生むこともある。ダンは、かつて栄光を求めすぎるがあまり、大きな犠牲とともに己の才能をも散らせてしまった一人の男の悲劇を思い出しながら、タバサの無事を祈った。

 

  

 しかし、運命の女神ほど残忍な嗜好をした者はいないかもしれない。ガリアを目指すタバサの前に、シェフィールドが立ちふさがって襲いかかってきたのである。

 そこはガリアの街道の横道。リュティスを目指すには近道であるが、険しく人通りは少なく、さらに日も暮れて月明かりの下の荒野にタバサとシェフィールド以外の人影はない。

「そこを、どいて」

「それはできない相談ですわ、シャルロット王女様。申し訳ありませんが、あなたはここでしばらく拘束させていただきます。やれ、お前たち」

 シェフィールドの命令で、魔法の騎士人形であるアルヴィーと、狼型のガーゴイルであるフェンリルの軍団が一斉に襲い掛かった。その数はタバサの四方八方からざっと五十体以上。それが槍や剣、爪や牙をむき出しにしてタバサに殺到してくる。

 全方位の集中攻撃。しかもアルヴィーやフェンリルは、それぞれが熟練の戦士や訓練された猟犬並の強さを持っている。普通の人間ならば、メイジだろうが瞬時に肉塊にされ、ミノタウロスでも細切れにされてしまうだろう。

 だが、タバサはすでに並とは一線を画する実力を身につけていた。

『アイスストーム』

 身じろぎもせずに杖を振るったタバサを中心に氷の竜巻が巻き起こり、飛びかかろうとしていたアルヴィーとフェンリルを一瞬にしてすべて飲み込んだ。

 そして、タバサが杖を下ろすと同時に氷の竜巻は消滅し、後には氷の槍で串刺しにされて機能停止した残骸が無惨な山となっていた。タバサはその中心で悠然とシェフィールドを睨んでおり、その眼光はシェフィールドさえ怖じけさせる圧を持っていた。

「へぇ……」

 シェフィールドは余裕を保った風を装っていたが、想定を超えるタバサの強さに冷や汗を流していた。

 強い……タバサの力は、以前のオルレアン公邸での戦いを基準に考えていたが、そんなレベルではない。元から類まれな才能の持ち主だったが、彼女は今がまさに成長期というわけか。それに、今のタバサから感じられる殺気は尋常なものではない。

「今、あなたに関わっている時間はない。これが最後の警告。どかないなら、殺す」

 怒っている。魔法の力は精神の力、その種類に関わらず感情の高ぶりによって威力を増していく。タバサは一刻も早く行かねばならないという焦りと、自分のために今の事態を招いてしまったという自責の念、さらにはシェフィールドの顔を見ることで沸騰し、魔力と容赦のなさを底上げしていた。

 今のタバサはハルケギニアでも五本の指に入る実力者だろう。もはや、アルヴィーやフェンリルなどを何百揃えたところで無駄であるとシェフィールドは悟った。さらにどかないのなら、タバサは容赦なくシェフィールドを殺すだろう。

「さすがね。これが、天才と呼ばれたオルレアン公の血筋というわけなのかしら。でも、私もジョゼフ様の使い魔ミョズニトニルンとして引くわけにはいかないのよ!」

「あなたと話している時間はない」

 時間を潰すつもりは一切無いと、タバサはジャベリンをシェフィールドに向けて放った。シェフィールドはとっさに残していたアルヴィーを盾にして防いだが、アルヴィー三体がまとめて太い氷の槍に粉砕され、タバサが本気で殺しにかかってきているのがわかった。

「くっ!」

 苦渋の表情を見せるシェフィールドを、タバサは冷たい目で睨んでいる。それはもはやシェフィールドをなんの障害とも見なしていない目で、シェフィールドは屈辱に身を震わせたが、まともに戦ってシェフィールドに勝ち目がないのは明白だった。

 メイジ風情のくせに! 私はジョゼフ様の虚無の使い魔たるミョズニトニルンなのよ…………だから、フフ……”切り札”を用意しておいてよかった。

 その時、シェフィールドの歪んだ表情が一転して不敵な笑みに変わったのをタバサは見た。

 この女は、まだ何か手を残している! 狩人の勘でそう感じたタバサの背に冷たいものが走る。ならば発動する前に潰すのみ! タバサは杖を振るい、必殺の魔法がシェフィールドに放たれる。

『エア・カッター!』

 斧のように巨大な真空の刃が真一文字にシェフィールドを両断せんと走る。今度は手加減はなく回避は不可能、アルヴィーを盾にしてもアルヴィーごと切り裂く。

 シェフィールドは、非情な戦士となったタバサの姿に、ジョゼフ様と血は争えないものねと走馬灯のように思った。だが、まだジョゼフ様のためにも死ぬわけにはいかない。ジョゼフ様のためなら、私はどんな手でも使う!

 笑ったシェフィールドの額にルーン文字が輝き その手に不気味な紫色の光が瞬く。

 だが、今さらどんな魔道具を出しても遅い。タバサがそう思った時だった。突如、頭上からタバサのエア・カッターに匹敵する風の刃が撃ち下ろされ、シェフィールドに迫っていたエア・カッターを相殺してしまったのだ。

「えっ!」

 さしものタバサも想定外だった。今の自分に匹敵するほどの使い手など早々にいるはずがないというのに、誰が?

 タバサが上を見上げると、夜空から月を背にして黒い影が降りてくる。さらにその影から、先ほどと同程度の真空の刃がタバサを目掛けて降ってきた。

「くっ!」

 タバサがフライの魔法でかわした次の瞬間に、真空の刃は地面を切り裂いて大きな三日月状の跡を深く刻んでいった。

 できる! タバサは今の攻撃の威力に、敵が自分と同等の攻撃力を持っていることを認識して緊張した。再び見上げると、敵は月光を背にした逆光状態となってシルエットはよくわからないが、かなり大きく、人間ではなさそうなように見えた。

「ガーゴイル?」

 以前に才人たちを襲ったというヨルムンガントの一種かとタバサは推測した。ならば、やはり使い手のほうを倒すのみと、タバサはシェフィールドを攻撃しようとしたが。

「いいのかしら? よそ見したら可愛いお顔が二等分よ」

「くっ!」

 シェフィールドに狙いを定めようとすると、上空からの攻撃に晒された。雨あられと降り注いでくる真空の刃を避けるのに精一杯で、とてもシェフィールドを狙うどころではない。

 残念だが、頭上をとられている状態では不利すぎる。なら、まずは上空の敵を倒すまでと、タバサは上空に向けて風の魔法を放った。

『ウィンドブレイク!』

 魔法の突風が断崖の上昇気流のように立ち昇り、相手の真空の刃を飲み込みながら上空の影へと迫った。相手はまだ空中に静止したままで、今から動き出しても回避は間に合わない。

 だが、タバサが仕留めたと思った時、その影は首をもたげて強烈な吐息を撃ち返してきたのだ。

「ブレス!? ドラゴン?」

 タバサのウィンドブレイクは相手のブレスに押し返され、逆にタバサが突風にさらされた。

 こちらの魔法との打ち合いで相手のほうもかなり威力が減殺されているはずなのに、嵐のような風圧がマントをなびかせスカートをはためかせていく。その突風の中で、タバサは杖を地面に突き立てて耐えながら、相手を見上げて危機感を募らせていた。

 まさかドラゴンまで使役しているとは。確かに各国の軍で竜騎士は当たり前の存在だが、それは騎乗用に調教された大人しい個体で、単独で戦えるような強力で賢いドラゴンなどいない。

 火竜山脈で野生のドラゴンでも捕まえてきたのか? いや、かまいたちを放ってきたことや、今のブレスが突風であったことからして、相手は火竜ではなく風竜だ。だが、スクウェアクラスのウィンドブレイクに押し勝つほどのブレスを吐ける風竜など聞いたことがない。それこそ、絶滅したと言われる伝説の風韻竜でもない限り……。

「まさか!」

 タバサははっとして、上空の敵のシルエットを見直した。まさか、そんなはずはない。あの子に、そんな強力な力などあるわけがない。

 だが、それを前提にして見ると、相手のシルエットも大きさも、自分の知っている彼女のものと一致する。

「ミョズニトニルン! あなた、あの子に」

「あら、ようやく気がついたようね。じゃあ、そろそろ私の新しい下僕のお披露目をするとしましょうか」

 シェフィールドの左手に再び怪しい紫色の光が瞬いたかと思うと、上空の影が急降下して、シェフィールドの傍らにその巨体を舞い降りさせた。

 砂ぼこりが立ち上がり、軽い振動が足に伝わってくる。そして、タバサは愕然とした目にその相手を映していた。青い体をした風竜、しかし、それはタバサにとってもっとも信頼する使い魔の姿そのものだったのだ。

「シルフィード……」

 間違えようはなかった。シルフィードの姿形は使い魔として共にいたこの約一年の間に記憶している。翼の大きさ、足の形、風竜を百匹並べたとしても見分けられる。

 けれど、あどけなさを浮かべていた瞳は血走って殺意に溢れ、口元からはきゅいきゅいという愛らしい声ではなく、狼のようなうなり声が漏れている。

 そして何より、あれは自分の使い魔であるとメイジの本能的にわかるのに、使い魔に対して主人が共有できるはずの感覚の同調ができない。まるで、何かに遮断されているかのようだ。

「どうしたの? 離れ離れの主従の感動の再開よ。あなたが見捨てた使い魔を探し出して、こうしてわざわざ連れてきてあげたんだからもっと喜びなさい」

「ミョズニトニルン、シルフィードに何をしたの!」

 タバサは激昂して叫んだ。するとシェフィールドは、タバサのその顔が見たかったと言う風に薄ら笑いながら答えた。

「フフフ、説明するよりも、聡明なシャルロット姫ならこれを見れば理解できるのではないかしら」

 そう言って、シェフィールドは指にはめている不気味な輝きを放つ指輪をかざした。

「アンドバリの指輪……」

 タバサは苦々しく呟いた。

 水の精霊の秘宝で、以前に盗まれたという強力な水を操るマジックアイテム。生命の根幹たる水を操ることは、その精神に干渉することもできるという。その効果でシルフィードを洗脳したというのか。

「けど、まさか韻竜であるシルフィードを洗脳することができるだなんて」

「フフ、虚無の担い手に必要に応じて呪文が授けられるように、虚無の使い魔にも必要に応じて新たな力が目覚めるのよ。今の私は、ミョズニトニルンとしてアンドバリの指輪の力を限界まで引き出すことができるわ。さあ、自分の使い魔を相手にしてもさっきみたいに戦うことができるかしら? ジョゼフ様の元に引き出す前に、たっぷりお返しさせてもらうからね!」

 シェフィールドのアンドバリの指輪が光ると、シルフィードは大きく吠えてタバサに眼光を向けた。翼が大きく開き、羽ばたきからかまいたち混じりの突風がタバサに襲いかかってくる。

「くぅっ、シルフィード! わたしよ、やめなさい!」

「無駄よ。アンドバリの指輪は死者さえ操るわ。あなたの声なんか届いてはいないわ」

 シルフィードへの呼びかけは通じず、タバサはやむを得ず防衛のために魔法を放った。

『ウィンドブレイク!』

 魔法の突風がシルフィードの起こす突風に激突し、拮抗する。今度はさっきとは違い、今のタバサに放てる全力だ。

 シルフィードには悪いが、これで吹き飛ばしてしばらく気絶していてもらおう。タバサの魔法が徐々に競り勝っていく。しかし、シルフィードは竜の口を開くと、タバサの魔法を軽く貫通するほどの強力なブレスを吐いてタバサを弾きとばしてしまった。

「ぐぅっ、うっ!」

 地面に転げさせられ、苦痛の声がタバサから漏れる。とっさに魔法で障壁を張って防御したが、そうでなければ腕の一本くらい持っていかれたかもしれない。

 この攻撃力はなんなの? タバサはシルフィードとは思えない攻撃の威力に疑念を抱いた。いやそもそもシルフィードはブレスなんて使えなかったはずなのに。

 しかし、考える暇もなく、今度はシルフィードのほうからの攻撃が始まった。シルフィードの正気を失った目が光り、竜のあごから口語の呪文がこぼれる。

「我に従う風よ、枷となりて我の敵の自由を奪え」

 その瞬間、タバサの周囲の空気が粘土のように重くなり、タバサは体を自由に動かせなくなってしまった。

「こ、これは……先住魔法!?」

 そんな馬鹿なとタバサは思った。確かにシルフィードは韻竜であるから先住魔法は使っていたけれど、それは自分の姿を人間に変えるような大人しいもので、戦闘に使えるようなものなどなかったはず。

 身動きのできないタバサに、シルフィードがとどめを刺そうとブレスの照準を定めてくる。あれを受けるわけにはいかない。風を操るならタバサも得意技であり、ウィンドブレイクの応用で固形化した空気を動かしてなんとか脱出すると、疑問の答えを確かめるために杖を振って魔法を放った。

『ライトニング・クラウド!』 

 風の魔法の中でも最上級格の電撃魔法がタバサの武骨な杖の先端から放射されてシルフィードを襲う。タバサの知っているシルフィードなら、このままなすすべもなく感電して失神してしまうはずだ。

 だが、シルフィードの対応はまたもタバサの知らないものだった。

「土よ、我に仇なす悪意から我をかばえ」

 シルフィードの呪文に従って、シルフィードの足元から土砂が壁となって立ち上り、電撃を完全に防いでしまった。

 もう間違いない。タバサはシェフィールドへの怒りで体を震わせた。シルフィードはエルフ並みに先住魔法を操っている。しかも風竜とは相性が悪いはずの土を操る魔法までも。

「あれはもう、シルフィードであってシルフィードじゃないっ」

「理解できたようね。このアンドバリの指輪のさらなる効力で、風韻竜の脳の中に眠っていた潜在能力を引き出してやったのよ。さすが伝説の絶滅種、そこらの竜とは比べ物にならない力を秘めていたわ」

「シルフィードをおもちゃにして……お前だけは必ず、殺す!」

「あら、ペットを捨てたのは誰だったかしら?」

「黙れ!」

 怒るタバサの魔法がシェフィールドを襲うが、シルフィードの張った風の障壁に遮られる。ダメだ、詠唱の短いトライアングルクラス程度の魔法では、あの障壁は破れない。

 タバサの魔法が軽く弾かれたのを見て、シェフィールドはニヤリと笑ってアンドバリの指輪を掲げた。

「いい様ね。さあ自分の使い魔に痛めつけられる屈辱をたっぷり味わうといいわ!」

 アンドバリの指輪が輝くと同時に、シルフィードが狂犬のような叫びをあげて飛びかかってきた。

「シルフィードっ!」

 もう相手がタバサだと認識などできていないただの獣と化したシルフィードに、タバサは苦悶の表情のまま迎え撃たざるを得なかった。

 シルフィードの前腕が振り下ろされ、タバサが飛び退いた地面を粉砕する。さらにシルフィードは尻尾を振り回して、目の前にあった二メイルはある大岩を弾いてタバサにぶつけてきた。

『エア・ハンマー!』

 巨岩をカウンターで吹き飛ばし、破片を浴びながらタバサは戦慄した。先住魔法やブレスの威力だけではない。肉体のパワーも比較にならないほど引き上げられている。

 どうすれば……タバサは迷いながらも、なんとかシルフィードをおとなしくさせようと睡眠の魔法を使った。

『スリープクラウド』

 睡魔を誘う魔法の煙がシルフィードの頭を覆う。しかし、シルフィードはまったく意に介さずにタバサに向かってくる。

「ぎゅいーっ!」

 シルフィードの本来の声が混ざった叫び声がタバサの胸を締め付ける。無邪気だった面影はなく、目を吊り上がらせ、牙をむき出しにした様は、絵本の中でイーヴァルディの勇者に退治される悪竜のようだ。

 変わり果ててしまったシルフィードを前に、タバサは詫びるようにつぶやいた。

「ごめんなさいシルフィード。わたしがあなたを遠ざけたことでこんなことに……でも、わたしはあなたをこれ以上わたしたち王家の愚行に巻き込みたくなかった」

 自分はガリア王家の血筋に縛られているが、シルフィードまでその呪いに付き合うことはない。そう考えたタバサは、世界が変わったあの日にシルフィードの記憶も消して野に放った。

 しかし、タバサのその懺悔にも似た独白を風竜の優れた聴覚で聞き付けたシルフィードは、目を鋭く尖らせて狂ったようにタバサに食らいつこうとしてきたのである。

「シルフィード! シルフィード!?」

「なっ、この馬鹿韻竜、なにをしているの!  殺してしまっては意味がないのよ!」

 まるで飢えた獣のように、牙をむき出しにして飛びかかってきたシルフィードをタバサは寸前でかわし、シェフィールドは慌ててアンドバリの指輪で制御しにかかった。

 だがシルフィードはアンドバリの指輪で縛られているというのに、なおも狂暴性を抑えきれずにタバサに向かってブレスを放ってきた。超高圧の空気からなるブレスはタバサの後ろの岩石を砕き、タバサはその破片を浴びて顔に切り傷を作った。

「くっ!」

 狙いが甘かったからかろうじて助かった。シルフィードは制御しようとするシェフィールドに抵抗するようにもがいている。タバサは、逃走するなら今がチャンスかと思ったが、シルフィードの口から漏れた小さな言葉がタバサの耳を捉えた。

「お、ね、え、ざま」

「シルフィード? シルフィード!」

 確かにシルフィードは、小さくだが自分のことを呼んだ。もしかして、シルフィードの意識はまだ完全に支配されてはいないのかとタバサは呼び掛けたが、タバサを睨む目に宿っているのは強い殺意と憎悪そのものでしかなかった。

「シルフィード……?」

「お、ね……ま……殺す!」

 ついにシルフィードは憎悪にたぎった目を燃やしながらタバサに再び襲いかかってきた。もはやアンドバリの指輪の力でも押さえきれないようで、シェフィールドも諦めたように叫んだ。

「ええい、愚図な竜め! いいわ、もう生きていれば頭だけになっても構わない。小娘を叩きのめすのよ!」

 シルフィードの放つブレスがタバサの体をかすめ、翼から放たれる無数の真空の刃が迫る。タバサはもう、手加減など考えたらその瞬間に殺されると、本気の魔法で弾幕を張った。

『ウィンディ・アイシクル!』

 もっとも得意とする氷嵐の魔法がシルフィードの攻撃を相殺する。けれどシルフィードは怯まずに魔法の吹雪に向けて逆に突進を仕掛けてきて、間合いを詰められたタバサは大きく杖を振るって、さらに強力な一撃を放った。

『ジャベリン!』

 太く鋭い氷の槍が放たれてシルフィードの翼を串刺しにせんとする。だがシルフィードはジャベリンの氷の塊を口で噛みついて受け止めると、そのまま地面に叩きつけて粉砕してしまったのだ。

「そんな……」

 愕然とするタバサ。するとなんと、シルフィードはそんなタバサの顔を見て、得意げに笑って見せたのである。

「む、だ……おねえさま、の……まほ、う……なんか……きかない、のね」

「シルフィード! あなた意識が。わたしの声が聞こえるならやめて、あなたはわたしの使い魔よ」

「シルフィ……そう、つかい、ま……つよい、だから……おねえさま、より、つよいのねーっ! ぎゅいーっ!」

 一瞬、理性が戻ったかもと思ったのもつかの間、シルフィードの目は狂気に塗り潰されてしまった、襲い来るシルフィードに対して、必死に防戦するタバサ。

 風と風、魔法と魔法がぶつかり合って、さびれた街道が荒野と化していく。いまやスクウェアクラスに到達したタバサの力でも互角に持っていくのがやっとな今のシルフィードの前に、タバサの体は切り傷と砂塵に汚れて、肩で息をするほどに消耗していった。

 いや、本当に傷ついているのはタバサではなかった。荒い息をつきながらもまだ立って杖を構えるタバサの前で、シルフィードは全身を傷だらけにし、青かった体を赤い血に全身を染めた無残な姿に変わってしまっていたのだ。

「お、ねえさま……」

「シルフィード、もうやめて。これ以上は、あなたの力にあなたの体が耐えられない」

 タバサは血を吐くように訴えた。シルフィードに、タバサの魔法は一発もまともに当たってはいない。しかしシルフィードはタバサ以上に全身をズタズタに傷つけ、口からも血を流しながらあえいでいる。

 なぜなら、今シルフィードの振るっている力は、本来シルフィードがこれから何百年何千年もの時間をかけて少しずつつちかっていくべき力なのだ。成竜や古竜と呼ばれるくらいに年月を経てやっと身につけられる力や魔法を幼竜の体で無理矢理使えば、肉体も脳もついていけなくなる。小学生にトライアスロンや高次方程式の暗算をさせるようなものである。

 アンドバリの指輪で強制的に引き出されたシルフィードの潜在能力は、貪欲にシルフィード自身の命を蝕んでいっていた。

 このまま戦い続けたらシルフィードが死んでしまう。タバサは苦悩した。かといって少しでも手を緩めたら自分が殺されてしまう。どうすればいいの……。

 シルフィードを殺すことはできない。何か方法は……考えるタバサの目に、シェフィールドの持つアンドバリの指輪の光が映り、それが最初に比べて小さくなったように思えてハッとした。

 アンドバリの指輪が消耗している? そうか、いくら水の精霊の力の宿るアンドバリの指輪でも、韻竜のシルフィードを操るには相当な無理をしているのだろう。それならば、アンドバリの指輪の魔法石が溶けきるまで耐え抜けば、シルフィードの洗脳も解けるかもしれない。

「でも、それまでわたしの……シルフィードの命が持てばだけど」

 シルフィードの放った真空の刃をエア・ハンマーで撃ち落としながら、タバサは分の悪すぎる賭けに自嘲してつぶやいた。シルフィードは、全身を傷だらけにしながらも、痛みなど感じていないように怒り狂う咆哮をあげながら攻め立ててくる。

 けれど、アンドバリの指輪で操られているとはいえ、この狂暴性はいったいなに? シルフィード、あなたは決して自分から人を傷つけるような子じゃなかったはずなのに、なににそんなに怒っているの?

 タバサは、心を通じることはできなくなっても、シルフィードから押さえきれない怒りの感情が自分に向けられていることを感じていた。やっぱり、捨てていったことを怒っているの?

 だが、タバサがそう自分を責めて一瞬の隙が生まれた時だった。シルフィードはタバサの魔法に体ごと特攻して打ち破ると、無防備な状態のタバサを太い前脚で捕らえて、そのまま地面に叩きつけたのだ。

「はっ、がっ!」

 小柄なタバサの胸の上に、数百キロはあろうかというシルフィードが前脚に体重をかけて押しつけてくる。タバサの体は地面にめり込み、人間の力では身動きひとつできない。

「シルフィード、や、やめて……」

 か細いタバサの声はシルフィードには届かず、シルフィードはさらに体重をかけてタバサを押し潰そうとしてくる。杖はかろうじて握っているが、とてもシルフィードを跳ね飛ばすほどの集中はできない。

 わたし、ここで死ぬの……?

 タバサは体が押し潰される苦しみの中で、迫ってくる死を確実に感じた。いつでも、どんな死に方をするのも覚悟してきたつもりだったけど、最後の最後で突き付けられたのが自分の使い魔に殺されることだったなんて。

 いや、シェフィールドの言からしてギリギリで殺されはしないかもしれない。しかし、目が覚めた時はすでにすべてが手遅れになってしまっているだろう。

 シルフィードが敵に利用されるなんて考えなかった自分のせいだ。ごめんなさいシルフィード、せめてあなただけは助けたかった。

 薄れゆく意識の中で、タバサはシルフィードの前脚を力なく掴んだ。シルフィードの前脚も自身の血で染まり、タバサの擦り傷の入った手のひらに感触が伝わってくる。

 だが、そのときだった。混ざり合った二人の血を通して、シルフィードの心がタバサの中に流れ込んできたのである。

 

「おねえさま、おねえさま……」

「これ、は……」

 

 それは水の使い手としても優れたタバサの才能か、それともシルフィードの韻竜としての隠された力か、使い魔との契約によって生まれた奇跡かはわからない。しかし、タバサの心に、シルフィードの秘めてきた思いが確かに伝わってきたのだ。

 

「おねえさま、シルフィの大好きなお姉さま……イルククゥに、シルフィードっていう素敵な名前をくださったお姉さま」

 

 心に響くシルフィードの思いの声を、タバサは意識を叱咤して聞き入った。

 

「お姉さまはとっても強い、とってもかっこいいのね。いつも本ばっかり読んでシルフィにそっけないこともあるけど、とっても大切なお仕事をされてるのね」 

 

 それはシルフィードの深層意識に刻まれた、消しきれなかった記憶であった。タバサはじっと耳を傾ける。

 

「お姉さまは悪い奴に命令されてるのね。あの高慢ちきな王女、お姉さまに偉そうに命令して! いつか噛みついてやるのね、きゅいきゅい」

 

 イザベラに仕えていた北花壇騎士時代は、シルフィードにもずいぶん不愉快な思いをさせてしまった。しかし、イザベラにも彼女なりの事情や苦悩があったのだ。

 理不尽な命令に怒ったことはある。けれど、憎んだことはない。シルフィードにはそうした心の機微を理解するのはまだ難しいと思って黙っていたが、自分のために純粋に怒ってくれるシルフィードの優しさには、口にはしなくても感謝していた。

 

「シルフィとお姉さまはいろんな冒険をしてきたのね。辛かったけど、思い出せば楽しかったのね。お姉さまは、シルフィに竜の巣にいたときには知らなかったいろんなことを教えてくれたのね」

 

 そう。シルフィードを召喚して以来、彼女はいつも自分のそばにいた。シルフィードがいなければ、たぶん自分は今生きてはいないに違いない。

 タバサの中にも、思い出が甦ってくる。だが、懐かしさと親愛に満ちたシルフィードの心の声に、突然曇りが生じたのだ。

 

「でも、シルフィはお姉さまが心配なのね。お姉さまはいつも、任務に成功しても傷だらけになってるのね。お姉さまはなんでもない顔をしてるけど、韻竜と違って人間の体はとても弱いのを知ってるのね。それなのにお姉さまは無茶を続けるし、シルフィは本当に心配なのね」

 

 わかっている。それはわかっているとタバサは思った。

 けれど、自分の前には回り道もやり直しも許されないギリギリの道しかなかったのだ。母を救うためには、一度の失敗も許されなかった。

 シルフィードに心配はかけている。だけど、シルフィードもそれらの任務や戦いが必要なものだとわかってくれていると思っていた。

 しかし……。

 

「シルフィは、お姉さまが傷つく姿は見たくないのね。だから、お姉さまの役にもっと立ちたいのね。シルフィだってがんばるから、もっとシルフィを頼って、もっと自分を大切にしてほしいのね。なのにお姉さまはシルフィの言うことをぜんぜん聞いてくれない。シルフィがどれだけ心配してると思ってるのね」

 

 シルフィードの声は、少しずつ怒りや苛立ちが混ざりだし、そして……。

 

「お姉さまは、シルフィのことを本当は大切じゃないのかね? そんなはずないはずだけど、お姉さまはシルフィの言うことなんかちっとも聞いてくれない。お姉さまはなにを考えているのね? シルフィのことが大切なら、どうして何も教えてくれないのね? そんなにシルフィが頼りないの? そんなにシルフィを弱いと思ってるの! お姉さまの……馬鹿」

 

 それはシルフィードが心の奥に隠してきたタバサへの不信であった。そう、いくらシルフィードが純真な心の持ち主だとしても、いや、だからこそ……シルフィードはタバサとの間にどうしても超えられない心の壁を感じていたのだ。

 タバサは、シルフィードが内心で不満を持っていることは理解していたつもりでいたが、直接心に流れ込んでくるシルフィードの本心の声に胸が締め付けられる思いがした。シルフィードの心から響くその声は、まるで糾弾するかのようにタバサの心を揺らす。

 

「きっとお姉さまはシルフィがいなくなっても困らない。なら、シルフィはなんのためにいるのね? シルフィはお姉さまの助けになんかならないの?」

 

 違う! それは違うとタバサは否定した。あなたはこれまで十分に役に立ってくれた。

 だが、タバサはすでに気づいていた。それは自分の一方的な、都合のいい思い込みで、シルフィードには伝わるわけなどなかったのだということに。

 

「シルフィは誇り高き風韻竜の末裔。そんなシルフィがこんなに思ってるのに応えてくれないお姉さまなんて嫌い! 嫌い嫌い嫌い、だから、だから……きゅいーっ、お姉さまなんかいなくなっちゃえなのねーっ!」

 

 泣き叫ぶような声を最後に、シルフィードの心の声は途切れた。

 現実のシルフィードは狂った叫び声をあげながら、目から涙のように血を流し、その赤い雫はタバサの顔へ滴っていく。だが、涙を流しているのはタバサのほうもだった。

「シルフィード、あなたの心の闇は、わたしが作ってしまったのね……ごめんなさい……わたしはあなたのことを、理解したつもりにだけなってた。あなたはあんなにも、素直に訴えてくれていたのに」

 かわいさ余って憎さ百倍という言葉がある。シルフィードはタバサを慕い、タバサを助けようと純粋に頑張ってきたのは間違いない。

 しかし、シルフィードも心がある以上、認められたい、誉められたい、必要とされたいという欲求は必ずある。シルフィードは優しい子だから、その不満は小さなくすぶりに過ぎなかったのだろうが、アンドバリの指輪によって、そんな押さえ込まれていた心の闇……すなわち、自分を認めてくれないタバサへの憎悪が一気に解き放たれてしまったのだ。

「まだ、死ねない……」

 タバサは力を振り絞って杖を握りしめた。

 こんなところで倒れるわけにはいかない。シルフィードの主人として、苦しんでいる使い魔を救う義務がある。そして、目を背けてきたシルフィードの本心に向き合って応えるのが、家族としての務めだ!

「ラナ・デル……」

 呪文とともにタバサの体から魔力がほとばしる。シルフィードは、もう力尽きかけていると思い込んでいたタバサから凄まじい魔力の波動を感じて、一瞬押さえ込んでいる力を緩めてしまった。そこにタバサの渾身の魔法が炸裂する。

『エア・ハンマー!』

 砲弾のような圧縮空気の塊がタバサの杖から至近距離で放たれ、シルフィードの巨体が空中に吹き飛ばされた。

「ぎゅいーっ!?」

 悲鳴をあげて空中できりもみするシルフィード。しかし、風韻竜のシルフィードはすぐさま体勢を立て直して地面に着地する。

 だがその時にはタバサも立ち上がって杖を構え、シルフィードをその青い目で見つめていた。

 対峙するタバサとシルフィード。シェフィールドは完全に勝負が決まったと思っていた様からのタバサの復活に、「あの小娘は不死身なの?」と、激しく狼狽しているが、もうタバサの目には入っていない。

 アンドバリの指輪の効果はまだ続いており、シルフィードの目から殺気は消えていない。だがタバサは、怒り狂う凶竜と化し、すぐにでもタバサを粉砕しにかかってくるであろうシルフィードに向かって、穏やかに語りかけた。

「シルフィード、少しでも心が残っていたら聞いて。わたしはあなたにとって、良い主人じゃなかったかもしれない。叩いたりごはん抜きにしたり、今思うとルイズを笑えない。あなたを子ども扱いしていたこと、謝る。でも……」

 タバサの青い瞳が輝き、その身からさらなる魔力が噴き出す。それはタバサの髪を逆立たせ、風が渦巻き、まるで光をまとったかのように見えるタバサの姿に、さしものシルフィードも気圧されてたじろいだ。

「ぎゅ、ぎゅい……」

「あなたが召喚できてから今日まで、あなたのことを忘れたことは一日もなかった。あなたがいてくれたから、わたしは今日まで生きてこられた。ありがとう」

「ぎゅ、きゅ、きゅい」

「シルフィード、あなたはあなた自身が思っているとおり、とても強い。まだ幼竜なのに、人の言葉を理解し、魔法を操り、本当にすごい。そして今も、大人になれば、こんなすごい竜になれる才能だって持ってる。あなたはわたしの誇り……でも」

 その時、タバサからさらに強大な魔力の奔流とともに風が大きく渦を巻きだし、シルフィードは身構えた。

「シルフィード、わたしはあなたに……」

 風の流れはさらに速くなり、タバサの言葉を聞き取ろうとしていたシェフィールドの耳を風の音が遮った。シルフィードはタバサの言葉に耳を立てて、じっと威嚇の姿勢をとり続けている。

 やがてタバサとシルフィードの魔力は共鳴しあい、二人を直径数十メイルの巨大な竜巻の壁として包み込んだ。そしてそれから数秒、荒れ狂う竜巻の中でタバサとシルフィードはじっと対峙していたが、均衡を破ってシルフィードが雄叫びをあげると同時に、タバサの魔力を吹き飛ばすほどの強大なエネルギーがシルフィードの口に集まりだしたのだ。

”来る!” 

 タバサは確信した。あれが間違いなく、シルフィードの最大最後の攻撃だ。シルフィードの全力を込めたドラゴンブレス、あれを打ち破ればアンドバリの指輪も力を使い果たしてシルフィードは元に戻る。

 ただし、打ち破れればの話である。伝説のドラゴンに匹敵するほどの力を持つ今のシルフィードの全力のブレスは、スクウェアクラスの魔法も涼風のように打ち抜いてしまうだろう。むろん、回避など不可能に違いない。

 つまり、タバサが生き残る術はただ一つ。

「シルフィード、伝説の風韻竜たるあなたに敬意を持って、わたしも限界を超えて見せる。そして、この一撃を、あなたとわたしの新しい使い魔の契約にする!」

 タバサは凛々しく言い放った。その心には、幼い日に父から聞いた竜退治の物語が甦る。竜を従えるため、勇者は人の身で竜と戦って打ち倒した。ドラゴンを従えるためには、ドラゴンより強くなくてはならない、それが竜を従えるための試練だ。

 この一撃でシルフィードを救い、そして主従の絆を取り戻す。

「我が名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。契約の証を持って、この者を我の使い魔となせ……」

 タバサの唇から、コントラクト・サーヴァントと同じ呪文が流れる。しかし、それはコントラクト・サーヴァントではない。タバサの贖罪と覚悟が込められた、誓いの言葉。

 タバサの無骨な杖に、彼女の持つ全魔法力が込められていく。杖の先端が輝き、ルイズの虚無の魔法に匹敵する力が収束していく。

 対して、シルフィードも傷ついた体を奮い起こしながらブレスのエネルギーを溜めている。シルフィードが本来ならば数千年後に会得するであろうそのブレスは、城すらも一撃で粉々に粉砕するであろう。

 互いの全力をかけた最後の一撃。無限に近い詠唱と溜めの時間を経て、ついにそれは解き放たれた。

「ぎゅが、ぎゅぃーっ!」

『カッター・トルネード!』

 シルフィードのフルパワーのドラゴンブレスと、タバサの風系統最強の真空竜巻がぶつかり合う。

 天まで届く巨大竜巻と、魔力を凝縮したエネルギーの束の激突は激しい余波を生み、空が荒れ、轟音は百リーグ離れた村にまで届いたという。真空竜巻に吸い込まれた岩石は一瞬で砂にまで砕かれ、ドラゴンブレスは周囲の空気をさえプラズマ化させて燃え滾る。

 その純粋な破壊の衝突の暴虐の前に、シェフィールドは近場で観戦することさえ許されず、彼女はガーゴイルに掴まって離れるだけで精一杯であった。

「ば、化け物たちめ」

 シェフィールドは、まさかタバサがここまでやるとは思っていなかった。いくら類まれな才能を持つとはいえ、こんな力がどこから……いや、きっと。シェフィールドの胸をえぐるような痛みが走った。

 タバサは己の才能の限界を超え、烈風カリンのものさえしのぐ超高圧竜巻を維持するために精神力を振り絞る。対してシルフィードも全身の傷を燃え上がらせ、吠え続ける。

「うあぁぁぁーっ!」

「ぎゅいぃーっ!」

 もはや、この二人の間に割り込むことは神でさえ許されない。だが、均衡は一瞬にして破られた。両者の激突によって生じたエネルギーが崩壊し、大爆発を起こしたのである。

 白い閃光がほとばしり、竜巻もブレスも飲み込む爆発が二人の中心から膨れ上がる。そして、タバサとシルフィードは閃光の中に消え、火山の噴火にも似た破壊が周囲を薙ぎ払っていった。

 

 それから十数分後……ようやく爆発の余波が消えたことを確認したシェフィールドは、エイ型の飛行ガーゴイルに乗って空からタバサを探していた。

 地上には直径百メイルを超える巨大なクレーターが穿たれ、まだあちこちで煙が上がっている。

「なんていう力なの……」

 シェフィールドは焦土と化した地上を見下ろしながらごくりと唾を飲んだ。

 まさかこんなことになるとは想像もしていなかった。だけど、こうなった以上、死体だけでも持ち帰らなければならない。死体だけでもあれば、ジョゼフ様はご不満であろうけど最悪用事は済ませられる。

 空から目を凝らして地上を探し回ったシェフィールドは、クレーターの一角に青い髪の小さな体が倒れているのを見つけて降下した。

「よく焼け残ったものね……ふん、どうやら死んではいないようだけど、とんだ手間をかけさせてくれたね」

 シェフィールドは気を失っている様子のタバサをアルヴィーを使って飛行ガーゴイルの上に運び上げると、忌々しげに吐き捨てた。

 だがこれで、任務は完了だ。あとはこいつを連れ帰れば……と、シェフィールドが考えた時、ふと彼女の目に地上でなかば土に埋もれて横たわっているシルフィードの姿が映った。

「きゅ、きゅい……」

「ふん、お前も生き残ったようね。まったく主従そろってしぶといこと。あら……」

 シルフィードの目から殺気が消えていることに気づいたシェフィールドは、自分の手にはまっているアンドバリの指輪を見た。指輪は本体である魔法石が溶けて土台だけになっており、洗脳の効果が切れたことを知ったシェフィールドは、見上げてくるシルフィードをあざ笑うように告げた。

「本当にお前のご主人はたいしたものね。おかげで、このアンドバリの指輪はもう使い物にならないわ。けど、無駄な努力だったわね。お前はもう、指先一つ動かす力も残っていないでしょう?」

 シルフィードの体は無理な力を使い続けた代償で、全身がズタズタに傷つき、目に宿った命の光も今にも消えそうなほど弱弱しく瞬くだけだ。

 それでも、シルフィードの口がわずかに動き、消えそうな声がシェフィールドの耳にわずかに届いた。

「お姉さまを……かえせ、なの、ね」

「おや? 記憶を取り戻したのね。でも残念だけど、お姫様はお城に呼ばれているの、従者はお呼びではないわ。餞別をくれてあげるから、お前はそこでおとなしく獣の餌食になっていなさい」

 笑いながらシェフィールドは土台だけになったアンドバリの指輪を外すと、ゴミのようにシルフィードに投げてよこした。

 身動きのとれないシルフィードの見ている前で、シェフィールドとタバサを乗せたガーゴイルは無情に飛び去って行く。シルフィードはそれを、どうすることもできずに見つめているしかできなかった。

 やがて周囲は夜の静寂に包まれ、傷だらけのシルフィードの体をさらに冷たく冷やしていく。ガーゴイルの姿はもう見えず、シルフィードは自分の手足の先から少しずつ凍っていくような感じを覚えていた。

「きゅ……」

 もう声も出せない。死んでいくという感じはたぶんこれなんだと、シルフィードはぼんやりした頭で考えていた。

 なぜ自分はこんなところで死にかけているんだろう? 寒い、眠い……意識が薄らいできて、もうそれもわからなくなってきた。

 シルフィードの閉じかけた目と耳に、闇の中から近づいてくる獣の目の輝きと唸り声が入ってくる。狼の群れか、腹をすかせた熊か……シェフィールドの言った通り、このままここでただの肉として獣たちの腹に収まるのだろうか。

 獣の足音が近づいてくる。シルフィードにはもう動く力も吠える力も残っていない……シルフィードが覚悟して目を閉じかけた時、突然突風が吹き頭上を黒い影が覆った。

「きゅ……?」

 何かが空から近づいてくる。それと同時に獣たちが悲鳴をあげて逃げていく音が聞こえ、そこで力尽きたシルフィードは意識を手放した。

 

 

 続く

 

 

 

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第5話  憎悪の緑

 第5話

 憎悪の緑

 

 バリヤー怪獣 ガギⅢ

 植物もどき怪獣 ゾラ 登場!

 

 

 トリステインの各地で怪獣が暴れ、ガリア軍の侵略が迫る中で、トリステインは最大の危機にさらされていた。

 シェフィールドやコウモリ姿の宇宙人によって解き放たれた怪獣はトリステインの平和を乱し、ウルトラマンたちは罠だとわかっていながらも人々の命を守るために立ち向かっていく。

 すでにトリスタニアは甚大な被害を受け、タルブ村やほかの辺境でも被害が出ている。家や仕事場を失った人々からは怪獣への怨嗟の声が立ち上っていた。

 

 けれど、明らかに人間への悪意があって暴れていたグエバッサーやスーパーグランドキングらはともかく、すべての怪獣が悪なのだろうか? 怪獣はその存在自体が人間にとって恐怖となるが、そもそも自然の生き物に善も悪もない。

 人里に現れた熊のように、それが人命の危機に繋がるならば駆除の対象となるのはやむを得ない。しかし、相容れない者同士の結末は、弱肉強食でなければならないのだろうか?

 人間と敵対しない怪獣との共存は、すでに様々なところで芽吹いているが、怪獣との対立も終わってはいない。

 そして逆に、人と相容れぬ者たちは人のそんな心の機微をどう思うのだろう? 矛盾をはらみながら、現実は人にそれを突きつけてくる。

 トリステインの危機の中で、ジョゼフの引き起こした嵐がそれぞれに迫り来る。その中で、嵐に隠れて、ある邪悪な意思がウルトラマンコスモスの守るトリステイン魔法学院に迫っていた。

 

 その日、学院は戦争勃発を受けて休校措置がとられていた。すでに高級貴族や外国からの留学生には帰省の指示が来ていたが、一般の貴族の子弟たちはむしろ学院のほうが安全だろうと、大半の生徒が寮や学内にいた。そこに地震が起こり、学院近くの森の地底から一匹の怪獣が現れたのだ。

「おわーっ! 怪獣だ、怪獣が出たぞーっ!」

 学院の尖塔の掃除をしていた用務員がいち早く気づき、学院中に非常の鐘が鳴り響く。その数分後には学院の外壁の外に広がる草原を踏み荒らして、怪獣が学院に向かってくる姿が、フライの魔法で空に飛び上がった教師や生徒たちの目にも映った。

「なんだあいつは!」

 その怪獣は、教師や生徒たちにとって初めて見る怪獣であった。しかし、メイジである教師や生徒たちと視角を共用する彼らの使い魔の幻獣や獣たちにとっては、その刺々しい体や太い鞭の生えた腕などは、まだ記憶に新しい相手だった。

”おいおい、ありゃあシルフィードのやつがからまれた、あのときの奴じゃねえか”

 使い魔のバシリスクが、使い魔仲間たちに人間では理解できない言葉で言った。

 そう、そいつは以前に学院近くの山に巣を作り、シルフィードと仲間たちに最期を看取られたバリヤー怪獣ガギの同族であった。

 こいつはあの時に親のガギがオーク鬼を餌にして育てていた子供の最後の一体で、前にジュリオがこの巣からガギを繰り出したときには、一番未熟であったから使えないと見なされて放置されていた。しかし後にその存在を知ったシェフィールドによって、この時間に目覚めるように仕掛けられていたのである。

 現れたガギは、周囲で一番目立つ建物である魔法学院に向けて一直線に進んでくる。

「ミス・ロングビル、すぐに全校生徒を避難させたまえ」

 女子更衣室の盗撮から頭を切り替えたオスマン学院長の指示で、学内の生徒たちに避難警報が出された。

 生徒たちの慌てふためく声が学院に響き渡る。教師たちはその間時間を稼ぐために出動を命じられるが、学院の教師たちは戦いには向かない者が多く、実戦経験者であるミスタ・コルベールは今ある理由で学院にいなかった。

 学院に近づいていくガギは、校門から校外に逃げていく生徒たちに目をつけて方向を転換した。目覚めたばかりで空腹のようで、動くものへと一直線に向かい、捕獲用の道具でもある両手の鞭を伸ばしていく。

 こんなとき、一番に飛び出す水精霊騎士隊のような命知らずな連中は今いない。教師や少数の勇敢な生徒たちの魔法では怪獣は止められず、逃げ惑う生徒たちやメイドにガギの触手が届こうとしたときだった。

 

「コスモース!」

 

 この学院でできた友達を守ろうと、ティファニアは迷わず駆け出した。戦い傷つく恐れなどは少しも考えず、自分に一体化しているウルトラマンコスモスの力をコスモプラックを掲げて解放し、ガギの前に天から光が降り注ぐ。

 この光は!? 驚く生徒たちとガギの間に、その光の中からふわりと降り立つ青い巨人、ウルトラマンコスモス。突然の乱入者に、ガギは驚いて後ずさり、青い姿のルナモードは手のひらを広げて太極拳に似た構えをとった。

「シュワッ」

 学院の生徒たちを背にして、ガギに「これ以上近寄るな」と牽制するコスモス。しかし、空腹のガギは引く気配はなく、両手の鞭を振り回しながら威嚇してくる。

 残念だが戦闘は不可避。それを覚悟したティファニアは、コスモスの身を案じて言った。

〔コスモス、大丈夫? あなたの体はまだ〕

〔心配することはない。私のダメージはすでに癒えている。戦いは私に任せて、君は君の戦いを考えなさい〕

 コスモスは以前、メカゴモラに手酷いダメージを与えられて、ティファニアはそれを心配していた。だが、コスモスは自身の回復をティファニアに優しく伝えた。

 そして、コスモスは意識を眼前のガギへと向ける。ティファニアは戦闘にはまったく向かないので、以前に地球に居たときとは違ってコスモスの意思が完全に主導権を持って戦いに臨む。

「がんばってーっ! ウルトラマーン!」

 真っ先にシエスタたち学院メイドの声援が背中を押し、構えるコスモスは向かってくるガギを押し返す。

「シュゥワッ!」

 両手を前に構えてガギの胸を突き、進撃を阻んだコスモスは、ガギの振るってきた鞭を手刀ではじいて懐に飛び込んだ。そしてそのまま掌底を連打してガギをじりじりと押し返していく。

 だがガギも餓えていて必死だ。押し返されてばかりでなるものかと、くるりとトゲだらけの背中を見せながら尻尾をぶつけようとしてくるが、コスモスは尻尾を掴むと勢いを利用して逆にガギを投げてみせた。

「デヤッ」

 ガギの体がくるりと回転して背中から地面に落ちた。ガギは攻撃したはずなのに逆に投げられて、地面でもだえながら目を白黒させている。

 相手の力を利用して返すのがルナモードの基本戦法だ。がむしゃらに突っ込むだけでは、よほどパワーがある怪獣でない限りは攻撃の力を受け流されて消耗するだけなのである。

 それでもガギは起き上がると、菓子を欲しがる幼児のように暴れながらコスモスに向かってくる。

 いや、それは暴れ方だけでなく、このガギはよく見れば以前に現れたガギとはかなり違っていると、使い魔たちは気がついていた。

”あの怪獣、まだガキなんじゃないか?”

 カラスの使い魔がそう言うと、スキュラやパグベアたちもうなずいた。

 それは洒落ではなく、落ち着いて見てみれば前に見たガギよりもざっと十メイルばかり背が低い。それにガギの特徴である鼻先の長い角も短く丸っこく、両手にあったはずの巨大な鍵ヅメも短くて武器に使えそうもなかった。

 明らかに成長が間に合っていない未成熟な個体だ。また、ガギの必殺技であった角からのビームや代名詞のバリアもいっこうに使ってくる気配が見えない。本来ならば、地中でもっと時間をかけて成熟してから地上に出てくるべきだったのだが、シェフィールドに無理矢理起こされたせいで不完全な体で暴れざるを得なくなっていたのだ。

 使い魔たちは正門から出たあたりで、生徒たちとは別にグループを作って戦いを見守っている。そうしながら使い魔たちは、暴れるガギの叫び声を聞くうちにそれが泣き声であることを悟った。

”あいつ、腹をすかせてるだけじゃねえ。怖がって泣いてやがるのか?”

”いいえ違うわ、ただなにもわからないから暴れてるだけ。本当に生まれたばかりの赤ちゃんなのよ”

 雄のバジリスクの言葉に、雌のスキュラが答えた。

 彼ら使い魔は人語を話すことはできなくとも人語を理解できるほどの知能を持っているが、野生で生きていたときの本能までは忘れていない。種族が違っても、鳴き声がどんな感情から来ているのかはなんとなく理解できる。

 幻獣で最強を誇るドラゴンでさえも、幼体の時は親の庇護を必要とする。生まれてすぐ自立する生き物も多いが、そういうものは生まれてすぐに大人と同じ力を持っているか、もしくは大量に産んで99パーセントが1パーセントが生き残るための犠牲になることを前提としているかのどちらかだ。今回のガギは親怪獣も兄弟もすでに亡い未熟児である。

 頼るものもなく、自分自身の力も中途半端。自然界ならば、自力で生きられないならば死んでほかの生き物の餌となれというのが鉄則だ。使い魔として召喚される前は厳しい自然の中で生きていた彼らは、当然そうなってしかるべきだと考えていた……が、人間と長く暮らした彼らの中には、ガギの不運を他人事のようには思えないものもいた。

”なんで死んで当たり前の奴だってのに、こんなに見てて気持ち悪いんだよ”

 ヤマネコの使い魔が吐き捨てるようにつぶやいた。

 もちろんそれで自分たちを食いに来ている奴を許す理由にはならない……けれど、必死に生きようとしているガギの気持ちは、厳しい自然の中で生きてきた彼らにはよくわかった。

 戦い方の下手なガギは体力をどんどん消耗し、もう立っているのもやっとなくらいふらふらになっている。それでも唯一まともに使えている両手の鞭を振ってコスモスを攻撃しようとしているが、最初の手合わせでガギの力量を確認したコスモスには通じず、鞭を掴んで軽々と放り投げられてしまった。

『ルナ・ホイッパー』

 ふわりと宙に浮いたガギは、自分になにが起こったのかもわからないままに地面に墜落した。そのまま芝生と土で体を汚しながら、ガギは赤ん坊のように起き上がろうともがいている。

 もうガギがコスモスに勝てないのは誰の目にも明らかな姿に、学院の生徒やメイドたちは喝采をあげていた。

「やった! そのままどーんとやっちゃってください」

 シエスタをはじめとしたメイドたちは万歳し、生徒たちも杖を振り上げて我が事のようにはしゃいでいる。

 ガギは起き上がろうとしていたものの、ついに疲れ果てて、完全にのびてしまったようにへたりこんでしまった。もうウルトラマンの勝利は確実、あとはとどめを刺すだけだと、皆が歓声をあげてそれを期待している。

 地面に倒れ、もう立ち向かっても無駄だとあきらめてしまったガギは、弱虫が「来るな来るな」と棒切れを振り回して泣きわめくように、無意味に手足をじたばたさせるだけで隙だらけだ。ここで光波熱線を撃てば、一瞬でかたはつくだろう。

 しかし、コスモスは立ちながらじっとガギを見下ろし続けている。その瞳はティファニアが子供たちを見守るものと同じで、なにかを待っているようであった。

 動かないコスモスに、生徒たちもいぶかしんで歓声がおさまっていく。すると、使い魔たちが主人の命令なしで歩みだしてきて、コスモスに向かって吠え出したのだ。

 それはワンワンやニャンニャンなどのほか、ウォンウォンやウッホウッホなどの様々な鳴き声が混ざっていたが、なにかをコスモスに訴えているのは人間たちにもわかった。

「おいお前たち、いったいどうしたんだよ?」

 ひとりの生徒が自分の使い魔の狼に尋ねると、使い魔の狼は主人にもなにかを訴えるように吠えて、主人の顔を見上げてきた。その視線は主人も見たことないくらいに真剣で、使い魔たちのそんな姿を初めて見る生徒たちは、自分たちになにか落ち度があったのではないかと困惑したが、使い魔たちが言葉を返すことはなかった。

「お前ら……なにが言いたいんだよ……?」

 使い魔の契約が結ばれても、人間の主人に人語を話せない動物や幻獣の本心を知ることはできない。けれど、初めて見せる使い魔たちの無言の訴えを、生徒たちは真剣に考えた。

 そのときである。弱ったガギがすがるように弱々しく鳴いた声に、使い魔たちの食事の支度も仕事にしているメイドたちははっと気づいた。

「あの怪獣……もしかして。ねえ!」

「うん。ウルトラマンさーん! やめて、その怪獣さんを殺さないであげてくださーい!」

 シエスタやメイドたちが叫び、生徒たちは何を言い出すのかと騒然とした。けれど使い魔たちは逆に喜ぶように吠え、それを聞き届けたコスモスは光のエネルギーを手のひらに集め、ガギを優しい光のシャワーで照らした。

『フルムーンレクト』

 興奮を鎮める鎮静効果のある光線を受けて、発狂していたガギの表情が和らいでいく。

 そうして、やがてガギが落ち着いておとなしくなると、コスモスはガギの前に膝をついて優しく頭をなでた。するとガギは子犬のように喉を鳴らしてコスモスに身を任せ、その素直になった姿に生徒たちは唖然とした。

 ……どういうことだ? すると、メイドたちが使い魔たちを見ながら言った。

「やっぱりあなたたち、あの怪獣が戦いたくないって言ってるのをわかってたのね」

「えっ? どういうことだい君たち!」

 ひとりの生徒が戸惑いながら問いかけると、シエスタが振り返って物おじせずに答えた。

「あなた、それでも使い魔の主人なんですか? 使い魔の世話をちゃんとしてるんですか?」

「な、なにを、無礼な」

 その生徒は平民に言われて腹を立てかけたが、メイドたちは今では前ほど貴族を恐れてはおらず、また生徒たちも、短い間だが教師として学院に在籍したカリーヌに「平民に対して貴族は凛とすることを揺るがすなかれ」と教育を叩き込まれていたのを思い出して無礼打ちを思いとどまった。

「あの怪獣はですね、たとえば使い魔の子たちが召喚されてすぐのころには、主人以外からはエサをもらいたがらずに逃げちゃうでしょう? それと同じですよ。突然知らないところで目が覚めて怯えてただけなんです。使い魔は自分にだけは懐くからって、飽きたらほったらかしにする人のためにわたしたちがどれだけ苦労してると思ってるんです?」

 確かに、と生徒たちは気まずくなった。使い魔を召喚してすぐは物珍しさもあって大事にするが、飽きて世話を忘れるものもいる。それは前々から問題になっていたが、人間がそれだけで変われれば苦労はない。

 一部の使い魔たちからの非難の視線を受けて、一部の生徒たちが反省の色を表す。そしてほかの者たちも落ち着いて、あの怪獣も使い魔たちと同じように生き物だから暴れて、使い魔たちはそれをわかって止めようとしたんだと理解した。

 そういえば前に、ベアトリスが連れてきた怪獣の子供を取り戻すために親が乗り込んできた事件を、生徒たちは思い出した。怪獣も生き物、懸命に生きようとし、人と同じように心を持っている。

 悪意がない存在ならば、殺すまでの必要はない。しかし、今は良くても怪獣はいずれ成長して肉を求めて暴れるようになる。そうなれば殺すしかないと思われた時、コスモスはガギを救うために金色に輝く奇跡の光を解き放った。

『コスモリダクター』

 コスモスの手から放たれる光線はガギの細胞を縮小させていき、みるみるうちに身長一メイル程度の子犬サイズにまで縮めてしまった。

 そして少し大きめの人形くらいにまで小さくなったガギに、使い魔たちが駆けよっていく。ガギは、最初は使い魔たちに囲まれて怯えていたが、ヒュドラの使い魔が干し肉を差し出すと、恐る恐るながらそれを口にして小さく鳴き、それを使い魔たちの後ろから見ていた女の子たちはハートをわしづかみにされたように叫んだ。

「かわいいーっ!」

 さっきまでのことはどこへやら、女の子たちは硬い肉を一生懸命に食べるガギを見て、すっかり小動物を愛でる表情になっていた。

 それを見ると使い魔たちも、ここぞとばかりに可愛いアピールをして場を盛り上げた。幻獣たちだけでなく、猫やゴリラなどの一般的な動物も主人以外の生徒にも媚びて緊張を解きほぐし、そうして女子が盛り上がると、男子も自然とガギへの敵愾心を薄れさせていった。やがて場からは恐怖心などが消えてなくなると、使い魔たちは顔を見合わせてひそひそと話し合った。

”これでいいかな。まったく、なんで俺たちがこんなことしなきゃならないんだか”

”まあいいじゃねえか。俺たちもそれだけ人間に毒されたってことだろ。前にも、こんなことはあったしな”

 使い魔たちは、以前にガギの巣に捕まった人間の子供を助けるために一致団結した時のことを思い出した。利益もなく他者のために働くなど、自然界ではあり得ない。使い魔となった今も、主人以外のために働くなんてなんの益にもならないはずなのに……だけど、こうして種族もごちゃごちゃでわいわいやっている楽しさは自然界で今日を生きるのに精一杯だった頃には考えられもしなかった。

 小さくなったガギは、使い魔たちに囲まれてまだ少し戸惑っていたが、人の良さそうなゴリラにバナナを渡されて、少しずつではあるが使い魔たちを仲間と認識し始めたようである。

 それをメイドたちは温かく見守り、生徒たちは使い魔たちに一本とられてしまったことに複雑な思いはあったが、使い魔たちが主人への気遣いを忘れずにいてくれたことで、使い魔たちとの絆を再確認して多くの者が思うところを得ていた。

 そして、その光景を見て、コスモスとティファニアは穏やかに語り合っていた。

〔どうやら、受け入れてもらえるようだ〕

〔よかったわ。でもコスモス、本当にこれで正しかったのかしら?〕

〔あの怪獣はどうやら雄だし、繁殖する危険はない。それに、時間があれば問題を解決する方法も見つけることもできる。希望は、明日へ繋げてこそ意味があると、私はある若者から教わった〕

 ティファニアは、異なるものが交わるには大きな困難も伴うことを知っていた。今は受け入れられても、様々な問題が襲ってくるかもしれない。

 けれど、コスモスは今すぐベストの答えを出さなくても、時間をかけて解決していけば良いとティファニアを諭した。かつて、ひとりの若者が苦難を乗り越えて怪獣との共存の夢を果たしたように。そして、ティファニアもまた苦難を乗り越えて今日を掴んできたから、コスモスの言葉を受け入れて、あの小さな怪獣の未来に幸あれと願った。

 

 事件は解決し、コスモスの役割は終わった。コスモスは後を人間たちに任せ、飛び立つために空を見上げる。

 

 だが、実はその光景を最初からずっと見つめ続けてきた視線が他にもあったのだ。

 それは学院から数百メイル離れた小さな丘の上。そこにフードを目深に被った怪しい人影が立っていた。そいつはガギが学院を襲い、コスモスに縮小化されるまでをじっと見守り続けていたが、小さくされたガギが生徒や使い魔たちに受け入れられるのを見ると、憎々しげに呟いた。

「ウソつき……」

 それは人間とは思えない音程の外れた声だった。そしてそいつは、手を上げると憎悪を込めた声で歌うように唱えたのである。

「顔出せ、芽を出せ、悪の種。芽を出せ、ツル出せ、暴れて壊せ!」

 すると、コスモスのそばの地面から緑色の植物の芽が生えたかと思うと、それはまるで動物のようにみるみる茎とつるを伸ばして巨大に成長していった。

 そしてそのとき、コスモスはちょうど飛び立とうとしていた。だが、空を見上げて飛び上がろうとした瞬間、コスモスの足にツルが絡み付いてコスモスは地面に引き倒されてしまったのだ。

「ムワアッ!?」

 突然のことに、なにが起こったのかわからないコスモス。ガギや使い魔たちとの戯れに夢中になっていた生徒たちも驚いて、倒れたコスモスに目を移すと、そこには地面から伸びてきた大量の植物のツルがコスモスに巻き付いていっている光景があった。

「なっ、なんだありゃあ!」

 男子生徒が叫んだ。地面から這い出してきた不気味なツルはどんどん増えて、コスモスだけでなく生徒たちにも伸びてきた。コスモスはそれを防ごうと、腕を使って生徒たちの前に身を乗り出した。

「ヘヤアッ!」

 コスモスが体でかばったおかげで、ツルは生徒たちの前で食い止められた。

 しかしツルはさらに伸びてくる。コスモスは生徒たちを振り返って「逃げろ」と促し、生徒やメイドたちは使い魔たちといっしょにいっせいに駆けだした。

「みんな逃げて!」

 シエスタが叫んで、メイドたちも駆けていく。ガギはゴリラが背負って、生徒たちに向かうツルを食い止めようとコスモスは必死にこらえた。そして生徒たちがある程度離れると、コスモスは体に巻き付いたツルを引きちぎって立ち上がった。

「イヤッ!」

 コスモスは生徒たちを背にして、正体不明のツルの塊に向かって構えた。

 すると、ツルもコスモスから離れて集まっていき、小山のように盛り上がったかと思うと、ツルを寄せ集めて人型の塊にしたような怪獣に変化したのである。

〔な、なに? これ〕

 ティファニアはあまりの気味の悪さに戸惑った。コスモスも見たこともないが、見た目から恐らく植物生命体の一種だろうということは推測できた。

 だがなぜこんな場所に? それを考えるまでもなく、怪獣は襲い掛かってくる。

「ハッ!」

 コスモスは怪獣の突進をかわし、振り回してくるツルを避けようとした。しかし、なんと驚いたことに怪獣はコスモスが避けるために身をかわすと、植物のくせにジャンプしてコスモスに飛びかかってきたのだ。

「ウワッ!」

 思ってもみない攻撃に、コスモスは頭を叩かれて弾き飛ばされてしまった。

 生徒たちが、「ウルトラマン!」と叫んでくる声が聞こえるが、怪獣はさらにジャンプしてドロップキックをかけてきた。ツルで覆われた植物がトランポリンでも使ったように軽やかに飛んで向かってくる。

 なんなんだこいつは! 本当に植物か!

 コスモスだけでなく、生徒たちや使い魔たちも、怪獣の体操選手のようなアクロバティックな動きには目を丸くしていた。確かに、植物怪獣の中にもケロニアのようにアグレッシブな奴もいるけれども、こいつはいかにも鈍重そうな見た目とはまるで正反対だ。

 驚くコスモスを翻弄する怪獣は、さらにツルを鞭のように振るってコスモスを攻め立ててくる。コスモスもしだいに相手の動きに慣れ、鞭攻撃を手刀でさばいて体制を立て直そうとしていたが、戦いを風下で見守っていた生徒たちの何人かが突然倒れ始めた。

「うう……」

「お、おいどうした?」

 急に気を失っていく生徒たち。さらにそれを助け起こそうとした生徒やメイドも同じように倒れていき、使い魔たちが怪獣に向かって吠え出した。

 あの怪獣がなにかしているのか? コスモスは攻撃をさばきながら怪獣を観察したが、特に毒ガスを出しているようには見えない。

 しかし、怪獣の周囲の草が枯れ出しているのを見てはっとした。生徒たちの症状は酸欠に酷似し、植物の枯れ具合は以前にエレキングが二酸化炭素を放出した時に似ている。

〔この怪獣は、植物とは逆に酸素を吸って炭酸ガスを吐き出しているのか!〕

 まさしくそのとおりだった。植物に見えるが植物とは正反対の特性を持つ、いわば植物もどき。かつてウルトラマン80が戦った植物もどき怪獣ゾラこそがこいつの正体であった。

〔コスモス、あの怪獣のせいで、みんな死んじゃうの?〕

〔そうだ、あれは思ったより危険な怪獣らしい。ここで止めなければ〕

 ティファニアとコスモスは、ゾラがガギ以上に危険な怪獣だと認識した。こいつがいるだけで、周囲から酸素が奪われて生き物はみな窒息死していく。なんとしても止めなければならない。

 コスモスは左右から襲ってきたツルの攻撃をはじき返すと、ルナキックでゾラを押し返した。間合いが開いたことで、光線を撃つ余裕ができると、コスモスはゾラを沈静化させようと、再び癒しの光を放った。

『フルムーンレクト』

 光の雨がゾラに降り注ぎ、ゾラの動きが一瞬止まったように思えた。しかし、ゾラはすぐに動き出してコスモスの首にツルを巻き付けてきてしまった。

「ウェアァッ!」

 首をツルで絞められてコスモスから苦悶の声が漏れる。ゾラのツルの威力は強烈で、ウルトラマン80もこれでかなり苦しめられた。

 フルムーンレクトが効かなかったということは、こいつには心がないということか。いや、それだけではない。かすかだが、こいつを邪悪なオーラが覆っているのを感じる。この気配はどこかで……。

 だが、考えている余裕はなかった。ゾラが呼吸を続けるせいで風下にいる生徒たちが倒れ続けている。メイドや使い魔たちが助け出そうとしているが、彼らも次々に酸欠で倒れていき、シエスタの悲痛な叫びがこだました。

「ウルトラマンさん、このままじゃみんなが……うぅ」

 だが、危機を訴えるシエスタも酸欠で倒れ、もはや一刻の猶予もなくなった。コスモスの目を通じて、ティファニアの目にも仲良く共にメイドの仕事をしたシエスタが苦しげな表情で倒れたのが映り、その焦りのままにコスモスは燃える戦いの姿へとチェンジした。

『ウルトラマンコスモス・コロナモード』

 ツルに掴まれたままコロナにチェンジしたコスモスは、そのパワーでツルを一気に引きちぎった。

「ハアッ!」

 コロナの力には二重巻きにしたツルもかなわず、火花をあげて千切れ飛ぶ。すると、動物なら腕に当たる部分を破壊されたことでゾラは痛みでのけぞり、その隙をついてコスモスはゾラの胴体に当たる部分に気合を込めた左と右の両拳を炸裂させた。

『サンメラリーパンチ!』

 コスモスの鉄拳でゾラの巨体が押し返され、コスモスはさらにパンチを連打してゾラを押し込んでいった。

 ゾラとの距離が離れたことで、酸欠状態になっていた生徒たちにも風が送られていく。だがまだ不十分だ。コスモスはパンチの連続でゾラを押していくと、ゾラの頭部に向かって鋭くキックを繰り出した。

「デヤッ!」

 強烈なコロナキックがゾラの頭部に炸裂する。しかしゾラもさるもので、命中したキックをツルでからめとってコスモスを捕まえようとするが、コスモスは掴まれた足を起点にしてさらに逆の足でのキックを叩き込んだ。

「デワアッ!」

 頭部への連打でゾラもふらついて倒れこむ。そこへコスモスはゾラの足を掴んで思い切り投げ飛ばした。

『コロナ・レイジホイッパー!』

 重さが消滅してしまったような強烈な投げ技で、ゾラは紙細工のように飛んで行って、学院から離れた場所に墜落した。

 これで生徒たちが酸欠に陥ることはない。しかしゾラは緑色の体を土に汚しながら、ツルを振り乱してまだ起き上がってくる。

 まだだ! コスモスはゾラに向かって手裏剣を投げつけるように、手から矢じり型の光弾を放った。

『シャイニングフィスト!』

 連続発射された光弾はゾラに当たって小爆発を起こした。しかしゾラはそれでもまだダウンせず、なおも半分千切れたツルを振りかざして襲ってくる。

 迎え撃つコスモスは、ゾラにチョップを加えてダメージを与え、さらに中段蹴りを浴びせた。しかしゾラも狂ったように暴れながらコスモスに応戦してくる。

「テェヤッ!」

 ゾラのツルで体を打たれながらも、コスモスは回し蹴りでゾラを吹っ飛ばした。

 さらに追撃にかかるコスモス。しかし、ゾラは掴みかかってくるコスモスに向かって口から黄色い花粉をスプレーのように吹き付けてきた。

「ムォォッ!」

 花粉には毒が含まれていたらしく、花粉を浴びてしまったコスモスは口を押さえて苦しんだ。

 形勢逆転と、ツルを掲げるゾラ。しかも、ついにコスモスのカラータイマーが点滅を始めてしまった。ウルトラマンコスモスが活動できるのは、約三分間だ。「がんばれ! ウルトラマンコスモス!」。

 生徒たちの声援を受けて、膝をつきながらも立ち上がるコスモス。そこへゾラはさらに花粉を吹き付けようとしたが、コスモスは両手を前に突き出して金色に輝くバリアでそれを防いだ。

『サンライト・バリア!』

 バリアに遮られて花粉がコスモスの手前で食い止められた。しかしそれだけでは終わらない。コスモスはバリアをそのままゾラに向かって前進させて、花粉をゾラに向かって逆流させたのだ。

 吐き出した花粉を逆に全身に浴びせられて、ゾラはその毒にのたうって苦しんだ。フグは自分の毒で死ぬ、特に植物もどきのゾラにとって自分の毒は有効だった。

 動きの止まったゾラに対して、コスモスは空高くジャンプした。そしてそのまま空中で軌道を変えるとゾラに向かって超高速のキックをお見舞いした。

『ソーラーブレイブキック!』

 マッハ9の超高速で繰り出されたキックでゾラの頭部が吹き飛ぶ。しかし、なおもしぶとく生き残って攻撃の意思を見せてくるゾラに対して、コスモスはとどめの一撃の体勢へ入った。

 鳥のような構えをとったコスモスの体が輝き、胸の前で腕を回してエネルギーを集めていく。そして、固めたエネルギーの塊をゾラに向かって圧縮波動として解き放った。

『ブレージングウェーブ!』

 超高熱エネルギー波が直撃し、ゾラの体が一瞬で燃え上がった。ツルの一片、細胞の一かけらにいたるまで邪悪なパワーを焼き尽くされ、ついにゾラは大爆発して塵一つ残さず燃え尽きたのだった。

 

「よぉし! やった!」

 

 生徒たちから歓声があがり、コスモスは酸欠に陥っていた生徒やメイドたちを見渡した。

 どうやら、ゾラを倒すのが早かったおかげで命に別条がある者はいなさそうだ。使い魔たちも、すっかり仲間入りしたガギとともに勝利をはしゃいで祝っている。

 気を失っていた生徒やメイドたちも意識を取り戻し、シエスタもメイド仲間たちといっしょに手を振ってきている。

 良かった、悪いことにはならなかったようだとティファニアはほっとした。だがその時、一瞬ぞっとするような視線を感じた気がしたが、その方向には誰もいなかった。また、コスモスは感覚を集中して周辺を探ってみたが、これ以上怪獣が現れそうな気配は無かった。

 なにか引っかかるものがある……けれどエネルギーの残りもこれ以上は危ない。コスモスは空を見上げて飛び立った。

「シュワッチ!」

 コスモスの姿が空へと消えていく。その姿を、生徒やメイドたちは眩しい眼で見上げていた。

 しかし、空へ消えゆくコスモスの姿を、遠く離れた丘の上から冷たく見守っていた人影があったことを誰も知らない。

 

「今日はこれくらいにしてあげるね。お姉ちゃん……クスクスクス」

 

 もう怪獣が出てくる気配は無くなり、騒動は終わった。

 生徒たちは校舎に戻っていき、同じように仕事に戻っていくメイドたちに向かってティファニアは手を振りながら駆けていった。

「シエスタさーん」

「あっ、ティファニアさん。どこに行ってたんですか、心配してたんですよ」

「ごめんなさい、うっかり反対の方向に逃げちゃってて。でも、みなさんご無事でよかったです」

 どうにか怪しまれないように合流できたティファニアは、シエスタや友達のメイドたちと談笑しながら歩いて行った。

 と、見ると使い魔たちが列をなしてついてきている。どうやら餌を求めているようで、シエスタはメイド仲間たちと顔を見合わせて微笑んだ。

「もう、仕方ないわね。今日から一匹分追加ね、今マルトーさんのところから持ってきてあげるから待っててね」

 使い魔たちは喜びの声をあげ、その中で小さくなったガギはゴリラに肩車されながら同じように吠えていた。

 ティファニアも、手伝いをするためにシエスタたちといっしょに駆けていく。

「でもシエスタさん、小さくなったといっても怪獣がいて、その……大丈夫なんですか?」

「えっ? んーん、まあ大丈夫だと思いますよ。平民のわたしにはわかりませんけど、使い魔の皆さんって普通じゃない生き物がいっぱいいますから」

 シエスタは肝の座った顔で答えた。確かに使い魔たちには普通の動物や幻獣の他に、人ほどの大きさのカマキリやヤゴ、コウモリっぽい鳥みたいなどこから召喚されたのかわからないものも多く、使い魔になったことでおとなしくはなっていても平民の彼女たちは当初かなり怖がったものだった。

 けれど、今度は先程のことを反省してか、自分の使い魔に自分で餌をやろうとして来ている生徒の姿も見られる。いつまで続くかはわからないが、ひとまずは良い兆候と言ってもいいだろう。

「でも、一度に二匹も怪獣が出るなんてびっくりですよね。こんなこと、もうたくさんですよ」

「はい……大変でしたね」

 ティファニアはシエスタに合わせて笑いながらも、安心することはできずにいた。

 今回、学院が怪獣に襲われたのは悪意のある何者かのためだ。すでにトリステインのあちこちに怪獣が現れだしたという知らせは学院にも入り、純真なティファニアでも学院がその一環で狙われたのだということはわかる。

 しかし、ガギを出現させた者と、ゾラを出現させた者は違うとティファニアは感じていた。なんとなくだが、ゾラにはコスモスに……いや、自分に対する憎悪が宿っていたように思えてならない。

 そして、あの心の底から冷えきったような悪意はもしかして……ティファニアは、近い将来にその本人と対峙しなければならない日が来るかもと、かなたの空を見上げた。

 

 

 学院に一応の平穏が戻った。だがその一方、学院の戦いを遠くに見ながら街道を急ぐ者たちもいたことをここに付け加えておこう。

「学院で、なにか起こったようだな」

「急ぎましょう。もうどこでなにが起きても不思議じゃないわ」

 街道を急いでいるのはファーティマとルクシャナの二人である。彼女たちは学院の方向から煙が上がっているのを見て不安になったが、戻ることはなくトリスタニアの方向へと歩を進めていった。

 

 そして別の街道では、ゲルマニアの方向へと向かう馬車に乗って、キュルケが憂鬱な表情を見せていた。

「なにかしら……どうしてか、このまま帰ったらだめな気がおさまらないわ……」

 実家からの帰省命令に素直に従った自分を、キュルケは自分じゃないように感じて仕方がなかった。

 ルイズたちを置いて自分だけ安全な母国に帰るのは恥ずかしい。しかし、それを別にしても、いつもだったら必ずとどまる理由がある気がしてならない。けれどいくら考えてもそれがわからず、あえて帰省命令に従ったものの、焦燥感がつのるばかりであった。

 馬車の窓から覗くキュルケの表情はいつもの快活さはなく、ゲルマニアとの国境が近づくほどに焦りばかりが強くなっていく。

「違う、なにかが違う。なに? わたしはなにを置いてきたっていうの? なんなの? なにか、なにか大切なものが……っ。教えて、フレイム……」

 わからない。こんな気持ちになることは前からあった。何か、あって当たり前だった何かを忘れているような気持ち。これまでは気のせいと流してきたが、トリステインを離れようとしている今、どうしようもなく激しく心から「行くな」という声が響いてくる。

 それなのに、心の中の何かは正体を掴ませてくれない。キュルケにとって大切だった、何かが……。

 キュルケの使い魔のサラマンダーは、主人の問いかけには答えられない。だがそれでも案ずるように、大型犬にも勝るたくましい体を彼女の足元で丸ませながら喉を鳴らしてじっとしていた。

 そして、とうとうトリステインの国境を超えようとした二日目の夜のことだった。うとうとしかかっていたキュルケを、突然のフレイムの吠える声が叩き起こしたのだ。

「きゃっ! フ、フレイム、どうしたの? 落ち着きなさい!」

 急に騒ぎ出したフレイムは、ドラゴンのように激しく吠えながら、狭い馬車の中をキュルケの制止も聞かずに暴れまわっている。

 どうしたのだろう? フレイムが言うことも聞かずにこんなに興奮するなんて初めてだ。困惑するキュルケの前で、フレイムは馬車のドアに何度も体当たりを繰り返している。

「外になにかあるの、フレイム?」

 フレイムが外に出たがっていると感じたキュルケは、馬車のドアを開いた。するとフレイムはすぐに馬車から飛び降り、続いてキュルケも馬車を止めさせて降りた。フレイムは馬車から降りてすぐにその場にとどまって、夜空を見上げながらじっとしていた。

「フレイム、急にどうしたのよ?」

 キュルケが問いかけても、フレイムは首を上げて夜空を見上げているだけである。その、見ろと言っているような態度に、キュルケも夜空を見上げてみた。

「もうすぐ双月の満月ね……」

 その夜は二つの月が天頂に輝く美しい夜だった。周辺には他の馬車や人影はなく、街道を静かに月光が照らしている。

 だが、一瞬月光に見とれてはいたが、夜空にはフレイムが興奮するような相手は見当たらなかった。てっきり竜でも通りかかったのかと思ったのだが、それにしては殺気のひとつも感じない。

 だがキュルケが、「なによフレイム、なにもいないじゃない」と、言おうとしたその時だった。突然フレイムが一鳴きしたので反射的に空を見上げると、月を横切って巨大な何かが飛び去っていったのである。

「何? 今のは……竜? いえ、違う?」

 火の系統であるキュルケは夜目が利かない。目をこすって夜空を見上げてみても、そこにはもう何もいなかった。

 今のは何? 幻? いいえ、一瞬だったけど確かに見えた。それに、あのシルエットはどこかで……。

 そのときだった。呆然としているキュルケのおでこに、空からなにかが落ちてきてコツンと当たったのだ。

「痛っ? 今度はなによ、もう!」

 落ちてきたのは小さな固いもので、それはキュルケの額で一回跳ねると、ぽよんとキュルケの豊かな胸に受け止められた。キュルケは少し腹を立てながらも、谷間に挟まっているそれを取り出して月光にかざしてみると、それは何の変哲もないガラクタのようなものだった。

「なあに? 宝石の外れた指輪の土台じゃない。こんなもの、一スウの価値だって……」 

 ゴミだと思ってキュルケはそれを捨てようとした。しかし、投げようとしたときに、指輪の土台に残っていた小さな宝石の欠片がキュルケの指に触れると、キュルケの頭の中に電流のように何かが走ったのである。

「あっ! うっ、ああぁぁ……ら、らぐ、あれは……そう、そうだったわ」

 思い出した。あの日、あのとき、誓った。あのことを……あの子と!

 それはキュルケの求めていたビジョンのわずかな一ピースだったが、それで十分だった。

 なんで忘れていたんだろう。あの子のことを……でも、まだ名前も顔も思い出せない。思い出さなきゃいけない。その答えは、あそこにある!

 キュルケは馬車に駆け戻ると、行者のガーゴイルに迷わずに叫んだ。

「行き先変更よ! ラグドリアン湖へ、全速でとばしなさい!」

 馬車は来た道をUターンし、キュルケの命じたラグドリアン湖へと夜道を疾走し始めた。

 ゲルマニア国境からラグドリアン湖まではトリステインの反対側になる。間に合うか……キュルケは焦りながらも、自分の足元で安心したように寝息をたて始めたフレイムを優しく見下ろしていた。

「ありがとうフレイム……あなたはやっぱりわたしの最高の使い魔ね」

 キュルケの手の中には、一見ガラクタにしか見えない指輪の土台がぎゅっと握られている。だがこれがあれば、無くしていた大切な何かを取り戻すことができる。

 焦りと共に希望を抱きながら、微熱のキュルケはその瞳に本来の炎のような情熱を蘇らせていった。

 

 

 続く

 



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第6話  清水の人魚姫(前編)

 第6話

 清水の人魚姫(前編)

 

 幻覚宇宙人 メトロン星人 登場!

 

 

 トリステインの各地で怪獣による騒乱が起こり、今トリステインはその存亡をかけた危機の渦中に置かれていた。

 首都トリスタニア、王立魔法学院。国内の名所が襲われ、さらにガリア軍の進撃は確実にトリステインの領土を侵している。

 今やトリステインの首都圏からは避難民が続々と地方に脱出している。タルブ村や、あの温泉の豊かなド・オルニエール地方も今では騒乱と無関係ではいられず、逃げ出してきた民で少なからぬ混乱を呈していることだろう。

 だが、そんな騒乱の中でも、人は人としての生き方を止めることはない。

 ある地方において、闇の中で巨大な邪悪がひとつ生まれた。それはかつて地球人も辿った過ちの道で、その光景を見たひとりの女は無表情のまま憮然とつぶやいた。

「人は星は違っても、同じ愚行を繰り返す」

 それは文明の性か。かつて、ある星の人間は愚行の末に滅亡し、後にある昆虫が進化した生命体に乗っ取られてしまったという。

 ハルケギニアも、その一歩目に足を踏み入れかけている。そして、その歩みは戦火が迫る中でも止まることはなく、この騒乱の中にあっては小さく、しかしトリステインの将来に対しては大きな足跡を残していったことを付け加えておこう。

 

 トリステインの地方領のひとつ、クルデンホルフ大公国。そこはヴァリエール家に次ぐトリステインの実質二位の大領主国であり、その位置が海岸線に面するという利点を活かし、ゲルマニアなどとの交易によって多大な富を蓄えてきた。また、幸運にもガリア王国との国境線の反対側に位置しているために、この騒乱からも直接の影響は受けずに一定の安定を保っている。

 けれど、一見蚊帳の外に置かれていると思われたクルデンホルフ大公国に、この日大きな惨劇が起きようとしていた。

 領主の館の門の前に、一台の豪勢な馬車が停車する。その扉が開くと、金髪をツインテールにした小柄な少女が降りてきた。

「ふわぁ、よく寝たわ。久しぶりに帰ってきたわね。お父様は本当に心配性なんだから」

 少しうんざりした様子でつぶやきながらベアトリスは馬車を降りた。彼女の傍らにはいつものエーコ、ビーコ、シーコの三人が控えて、馬車の前に赤じゅうたんをひいてムードを盛り上げている。さらにその後ろでは、パラダイ星人のティアとティラの姉妹が立っているが、ティアは長旅の疲れで立ったまま居眠りしてティラに肩を揺さぶられていた。

 そんな、部下であり友人でもある五人をベアトリスは呆れながらも温かい目でちらりと見ると、目の前の自分の屋敷を見上げた。そう、ここはベアトリスの故郷。戦争勃発を受けて、彼女はすぐに呼び戻されて帰ってきた。しかし、自宅を久しぶりに見る彼女の表情はうかなかった。

「姫殿下、まだ帰りたくなかったって不満なんですか?」

 ビーコがくすんだブロンドの髪をかきながら呆れたように言うと、ベアトリスは仕方ないでしょと言いたげにしぶしぶ答えた。

「今帰ったら、まるで逃げ帰ったみたいで嫌じゃないの。お父様の気持ちもわからないでもないけど……」

 本音を言えばベアトリスはみんなといっしょに学院にとどまりたかった。けれど、先日王宮での仮装舞踏会で事件に巻き込まれたということもあり、今回ばかりは両親の帰宅命令を断れなかったのだ。

 落ち着いたらすぐに戻るつもりでいるけれど、まったく気まずい。跡取りの一人娘なのだから大切にしてくれるのはありがたいけれど、いつまでも子ども扱いしてほしくないわね……と、昔の空中装甲騎士団をはべらせていた頃のベアトリスでは思いもしなかったことを考えつつ、彼女はまず両親へのあいさつをすませた。

 ベアトリスの両親は相変わらずで、熱烈な愛情を込めて彼女を迎え入れてくれた。だが、その溺愛っぷりはベアトリスもうんざりするほどで、これじゃ子ども扱いどころか赤ん坊扱いじゃないじゃないのと、ベアトリスは適当に理由をつけて早々に引き上げることにした。ただ、去り際に「お前が驚くものが待っているよ」と、意味ありげな言葉をかけられたのが少し気になったが、それ以上に彼女はくたびれていた。

 そうして、家族との対面を終えて戻ってくると、屋敷のホールではエーコたちが同じように疲れた様子で待っていた。

「お待たせ。もう、本当にお父様の話は長いんだから」

「あはは、でもそれって娘のことをちゃんと気にしてくれているって証拠ですよ。ちょっと……うらやましいです」

 そう言ってエーコが少しうつむくと、ベアトリスは彼女たちが両親を失っていることを思い出して、悪いことを思い出させてしまったと反省した。そして、つとめて明るく彼女たちに言った。

「よし、じゃあせっかく帰ってきたわけだもの。みんなにわたしの国を案内するわ。早めに来た休暇だと思って楽しみましょう」

「やった! わーい」

 さっそく一番遊び好きなシーコが食いついてきた。エーコとビーコは咎めようかと少し眉をひそめたが、彼女たちもまだまだ遊びたい盛りの少女である。結局は欲求に負けて、ベアトリスについていくことを承諾した。

「あれ? そういえばティラとティアはどうしたの?」

「ええと、待ちきれないから街を散歩してくるって、さっき出ていっちゃいました」

「はあ、しょうがない子たちね。じゃあ二人を探すついでにわたしたちも行きましょう」

 本当なら、戦争が起きていて、このクルデンホルフも一週間後にはどうなっているかわからない。しかし、だからといって今を楽しむのをやめてしまっては心が死んでしまう。

 今隣にいる人が明日もいるとは限らない。以前にエーコたちを失いかけたベアトリスは、かけがえのない友となった彼女たちをできるだけ大切にしようと誓っていた。

 

 しかし、なにげなく故郷の風景を見て回ろうとしたベアトリスは、見慣れているはずの海辺の城下町の、あまりの変貌ぶりに愕然とした。

「なによ、これ……」

 街は、ベアトリスが慣れ親しんできた、海産物や輸入品を扱う明るい港町ではなくなっていた。あちこちに工房のような建物が並び、山の方から大量の土砂がひっきりなしに馬車で運び込まれてきている。

 さらには街を貫く河や運河には土砂が流し込まれて黄色く染まった流れが海まで続き、町の空気は砂塵が立ち込めて息苦しい。

 街は、ベアトリスの知っている明るく豊かな雰囲気は無くなり、全体が暗く汚れた囚人街のようなものに変わってしまっていたのだ。

「姫殿下、ここって本当にクルデンホルフの街なんですか?」

 ビーコが戸惑ったように尋ねた。クルデンホルフのことはベアトリスから言葉では聞いたことがあるが、とても賑わっていて明るい、トリスタニアにも負けない最高の街だと聞いていた。

 しかし今は、道行く者も少なく、わずかな通行人も汚れた空気を避けるように大きくフードをかぶってうつむいて歩いていく。

 いったいどうしてこんなことに? ベアトリスは、通りすがりの平民の老人を捕まえて問いただしてみた。すると、驚くべき答えが返ってきた。

「へえ、実は先日山の方で新しい土石の鉱脈が発見されたんでございまする。しかも、かつてない埋蔵量だとかで、精錬して世界中に販売するとかで、領主さまは街を大きく作り替えられたのでございまする」

 まさに仰天の事実だった。精霊の力の結晶と言われる土石や風石などの魔法石は、魔法の触媒や練金の材料として大変な価値がある。その大規模な鉱脈が見つかったのなら、クルデンホルフ家はまさに金の湧く泉を手に入れたようなものだ。

 お父様の言っていたことはこれだったのね。クルデンホルフを世界一の貴族にするという野心を持つベアトリスは、期待に胸が熱くなるものを感じた。

 しかしそのとき、ベアトリスの前で老人が咳き込んでうずくまり、エーコが慌てて助け起こした。

「ごほっ、ごほごほっ」

「ちょ、ちょっとあなた、どうしたの。大丈夫?」

「も、申し訳ありませぬ。老いぼれの身には、今の街の汚れた空気は厳しいようで」

 その後、ベアトリスは老人の背中をさすって帰すと、ティアたちを探す前に今の町長に会いに行った。町長の屋敷は昔にベアトリスも行ったことはあるが、品性のある大理石の建物という雰囲気は無くなり、薄汚れた廃屋のような見た目に変わり果てていた。

 当然、ベアトリスたちはよい感触を持たなかったが、意外にも町長は快く面会を受け入れてくれた。

「おお、これはこれは姫殿下様。こんな下詮な場所においでくださるとは望外の極みです」

 町長は恰幅のよい中年の男だった。聞くところによれば、元は鉱山を探す山師の出だったそうだが、土石の鉱脈を発見して大きく名を上げ、さらに石炭や銅の鉱脈なども次々に発見した功績によって、クルデンホルフ公爵より直々に町長への任命と、町の開発を託されたのだという。

「新たな鉱脈の開発により、公国の収益は昨年の倍にもなる公算でございます。さらに新たな鉱脈の開発計画も進んでおり、公爵様には大変喜んでいただいておりますです」

 町長は誇らしげに自分の功績を語り、さらにベアトリスにも新たな開発への協力を要請してきた。

 しかし……ベアトリスは悪い話ではないと思いながらも、なぜかこの男を信用することができなかった。

「おもしろいお話ですわね。ですが、長旅で少々疲れていますので、詳しい話は後日あらためて伺いいたしますわ」

「もちろんですとも。では、よいお返事を期待しております」

 未熟ながらも優雅に礼をして、ベアトリスは退室した。町長は気分を害した風もなくにっこりと笑って見送ってくれ、それがまたどうにも癇に障った。

 エーコたちも、なんとなく町長にはよい印象を持たなかったようで、ベアトリスにぽつりとつぶやいた。

「妙な男でしたね」

「お父様は、昔から儲けられる人材には細かいことを要求しないのよ。それが、体面にこだわるほかの貴族と違って我が家が隆盛できた理由でもあるけど、たまにああいうのも混ざるのよ」

 良く言えば実力主義、悪く言えば節操が無い。やり方としてはゲルマニア人に近いところがクルデンホルフの特徴だとベアトリスは自嘲げに語った。

 ベアトリスが昔まとっていた傲慢で高圧的で高慢な雰囲気も、裏を返せばそうした有象無象になめられないようにするために教育された一面もある。

「行きましょう。ティラたちを探さないと……」

 

 町長の屋敷を出た四人は、ティラとティアを探しつつ、同時に街の現状をもっと見ておこうと方々を歩き回った。

 途中、街の宿や酒場で話を聞いたところによると、確かにクルデンホルフの収益は上がったらしい。そのおかげで民の懐も潤うようになり、世界中から商人が集まってくるようになったという。

 しかしその反面、街を去る者もいることをベアトリスは目にした。荷車を引いて街を出ようとしている家族を見て声をかけたところ、一家の主の男は悲しげにこう答えた。

「あっしらは代々この海で漁師をしてまいりましたが、海が街から流れ出てくる土砂で汚れて、もう魚がおりませんのです」

「おとう……いえ、公爵様にそのことを訴えないのですか?」

「訴え出ました。ですが公爵様は、魚は儲けた金でよそから買ってきてやるから、お前も土を掘れとおっしゃるばかりで。ですがあっしらは海を捨てられません。残念ですが、どこかあっしらを受け入れてくれる海を探します」

 そう言って元漁師の一家はつらそうに去っていった。ベアトリスは、公爵の娘であるということは知られなかったが、父である公爵があの漁師に言ったという言葉が強く胸に刺さっていた。

 父の言ったことは、恐らく間違ってはいない。領主として、増収に最短の道を選ぶのは当然のことだ。自分が領主でも、漁師の生活よりも採掘の収益を選ぶだろう。

 けれど、理屈ではそれが正しいと思っても、胸の奥にはなにかもやもやしたものが残って気持ちが悪かった。

「お父様……」

「姫殿下……公爵様は、街のことはこれでよいと思われているのでしょうか?」

「たぶん、知っているけど構っている余裕がないんだと思うわ。国中の貴族に借財を出してるし、投資している事業も少なくない。それで動くお金の額に比べたら、領地のことなんか微々たるものよ」

 クルデンホルフにはグラモン家をはじめ、多くの貴族が借金をしている。それに、怪獣に頻繁に国土が荒らされる今は、復興のために金が動く。

 儲かるほうに重点を置くのは当然のことだ。お金よりも大切なものがあると人は言うが、実際に世の中においては金が無いのは首が無いのと同じ。

 けれど、漁師に向けられた冷たい言葉は、ベアトリスの心に刺さって抜けない。

「お父様、悪気はなかったんだと思うわ。でも……」

「わかってますよ。公爵様がいい人だってことは、わたしたちみんな知ってますって」

 シーコが慰めるように言った。エーコたちは以前に、バキシムの策略でクルデンホルフが彼女たちの親の事業を盗んだと思いこまされてベアトリスを狙ったが、実はクルデンホルフ公爵は事業に失敗したエーコたちの親をできるだけ援助してくれようとしていたのだった。

 エーコたちがそれを覚えてくれていたことを聞いたベアトリスの頬にわずかに赤みが戻った。

「まったく、どっちが主人かわかりゃしないわ。さっ、行くわよ」

 気持ちを切り替えるようにベアトリスは言った。そして、そんなちいさなベアトリスの背中を見て、エーコたちは「姫殿下、変わったね」と、微笑みながら小さくささやきあっていた。

 

 街はどこへ行っても粉塵で薄暗くて息苦しく、まるで砂嵐に襲われた砂漠の街のように思えた。酒場やカフェも戸を閉めきって開いているのかすらわからなかったり、市場に行っても品物を厚い麻で覆っているような有り様だった。

 明るく聞こえてくる声は、やれ相場がなんだ取引価格がなんだといったものばかりで、昔に聞こえていた商店の客引きや買い物客などの声はほとんど無くなっていた。

 そこかしこから、山から運んできた原石を加工している音は聞こえる。しかし、それは東方号を建造した街で職人たちが良いものを作ろうと一生懸命に働いていた時の音とは、なにかが違うように思えた。

「お金が動いているのは感じる……けど」

 儲かればそれでいい。昔の自分なら迷わずにそう言ったはずだ。けれど、今は……

 ベアトリスたちと通り過ぎて、衛士隊の一団が走り去っていった。彼らの話し声を横に聞くと、どうやら儲けの取り分を巡って争いが起きたらしい。

 耳をすませば、加工の音に交じって「その原石は俺のだ」「この泥棒」のような争う声も聞こえてくる。街の人たちの心も、昔に比べて荒れ果てていた。

 それに、山からこれだけの鉱石を運んできているということは、山岳部に住んでいるパンドラやオルフィといった怪獣たちも棲み家を荒らされているかもしれない。

 やがてベアトリスは、海沿いにある公園にたどり着いた。

「ここも、変わってしまったのね」

 幼い頃、ベアトリスはこの公園に父や母に連れてきてもらってよく遊んだ。まだ跡継ぎのことなど考える必要なんてなく、この公園は昔は木々が程よく日差しを遮り、若草の上で子供が駆け回るのにはもってこいの美しい公園だった。その当時は公爵家もまだもっと下の爵位で、それほどの力を持ってはいなかったクルデンホルフ家は平民との境も薄く、幼い頃のほんのひとときだが、平民の子供たちといっしょに駆け回ったこともある。

 それが、すっかり灰色の砂漠に変わって、今では一人の子供の姿もない。砂に埋もれた芝生の上を足跡をつけながら歩いて公園の端まで行くと、そこからは海を一望できたが、かつては青かった海は泥に汚れた黄色い汚水の溜まりへと変わり果ててしまっていた。

「海まで……」

「これじゃ、もう魚はとれませんね……」

 エーコたちも、汚れきった海の光景に呆然とするしかなかった。海に流れ込む川は異様な色に染まって、鼻が痛くなる臭いが漂ってくる。なんでも、鉱石から一度に大量に魔法石を取り出すために石を溶かす薬品を使って、その廃液が垂れ流しなのだとか。

 ラグドリアン湖では、水の精霊の怒りを買わないようにするため、汚水を流すことが厳しく制限されている。けれど、そうした制約のないところでは、人間はここまで水を汚し尽くすことができるものなのか。

 そのときである。立ち尽くす彼女たちの隣から、悲しげな声が聞こえた。

「海が、泣いていますね」

 見ると、そこには緑色の髪を長く伸ばして小さな丸眼鏡をかけた美少女が寂しげに立っていた。

「ティラ、あなたいつの間に」

「ティアが、せっかく海に来たから泳いでいきたいとごねるから来てみたんですが、これではとても泳げませんね。ティアはすねてどこかへ行ってしまいました」

 苦笑しながら答えたティラに、ベアトリスたちはやれやれと肩をすくめた。

 ティラとティアの緑髪の姉妹は、有能さについては疑う余地がないが、たまにティアの無軌道な行動には振り回されてしまう。そろそろ、けじめをつけたほうがいいかもしれないとベアトリスは思った。

「しょうがないわね。そう遠くには行ってないでしょうからみんなで探しましょう。ちょっと、おしおきが必要みたいだものね。ふ、うふふふ」

 ベアトリスは呆れながら言って、最後に笑った。主に勝手に遊び歩くとはしょうがない部下だ、見つけたらじっくりお説教してやると、目尻が吊り上がって口元がサディスティックに歪む。

 さらにベアトリスにつられてエーコたちも意地の悪い笑みを浮かべ、ティラはティアが夕食抜きにされて泣いて謝る姿が目に浮かんで嘆息した。

「あーあ、知らないわよティアったら、久々に姫殿下らしい姫殿下に戻っちゃったわ」

 最近は丸くなってきているとはいえ、ベアトリスの本質は高慢だ。特にこの頃は発散する機会が乏しかったこともあって、避雷針役は大変なことになるだろう。

 ティアのことだから、きっと海沿いにぶらついていることだろうと、ベアトリスは肩を怒らせて海沿いの道を歩いた。

 海沿いには、漁港と貨物船の港の二つがあり、ベアトリスたちが歩いているのは漁港のほうになる。しかし、貨物船の港のほうは遠目に見ても大きな船が出入りしているのに対して、漁港は昼間だというのに閑散としていた。

「人がほとんどいないわね……」

「仕方ないわよ。こんな海で獲れた魚を食べようっていう人はいないでしょうし」

 エーコとビーコが口を手のひらで押さえながらつぶやいた。

 近くで見ると、海の水はドロドロに汚れ、放置された漁船の中には干からびた魚が腐臭を放っている。あの漁師の言った通り、クルデンホルフの漁業は壊滅状態にあるのは明らかだった。

 けれど、問題はそれだけではないようだった。放置されている船を見ると、なにか大きな力で傷つけられたり破壊されたりした跡があるものがちらほら見え、それを見たティラは思い出したようにベアトリスに言った。

「そういえば、街の人から聞いたんですけれど。姫殿下、あまり海には近づきすぎないようにお願いします」

「え? どういうこと」

「ちょっと信じられない話なんですけど……海沿いを歩いていた人が……」

 だが、ティラがそれを言い終わる直前だった。彼女たちの耳に、港の先の方から大きな悲鳴が聞こえてきたのだ。

「今の、誰かの悲鳴よね!?」

「近いわ、あっちよ!」

 悲鳴の大きさからしてただ事ではないと判断したベアトリスたちは走り出した。

 港は桟橋に積み上げられた物資や陸揚げされた漁船などで意外と見通しが悪かったが、悲鳴の元はすぐに見つかった。陸揚げされた漁船のそばにいた漁師の夫婦に、海から海草のような触手が無数に伸びて襲いかかっていたのである。

「うわあーっ、助けてくれぇーっ!」

 ベアトリスたちは、目の前の事態が飲み込めなくて一瞬立ち尽くした。だが、それは夢でも幻でもなかった。

「な、なによあれ!」

 汚染された海から、コンブやワカメに似た海草がヘビのように伸びて漁師たちを海に引きずりこもうとしている。その悪夢のような光景に、ティラは先ほど言いかけた続きを急いで話した。

「最近、海沿いで船が壊されたり人が海に引きずりこまれる事件が頻繁に起きてるらしいんです。でもまさかこんな」

「言ってる場合じゃないわ。助けないと!」

 漁師の夫婦は全身に海草を巻き付けられながらも、船にしがみついて必死に耐えている。

 昔のベアトリスなら見捨てたかもしれないが、東方号の母港で働いている平民たちと触れ合い、今は魔法学院でも多くの友達を持っているベアトリスは迷わず平民を助けることを選んだ。

「姫殿下は下がっていてください。ビーコ、シーコ、やるわよ!」

 ベアトリスは土の系統のメイジであるから海沿いでは力が出せない。エーコの指示で、ビーコとシーコはそれぞれの魔法を触手に向けて放った。

『エア・カッター!』

『ファイヤー・ボール!』

 風の刃と炎の球が海草の触手を切り裂き、焼き切った。そしてその隙に、エーコとティラは夫婦に駆け寄って助け出そうと試みる。

「大丈夫ですか? おじさん、おばさん」

「お、おお貴族さま。こ、これはなんとお礼を言えば」

 壮年の漁師夫婦は貴族が助けてくれるとは信じられずに驚いていた。

 だがエーコとティラは、とにかく話は後だと海草を引き剥がそうと急いだ。けれど海草は油にまみれているようにベタベタして、しかも毒物も含んでいるらしく、手が焼けるように痛くなってくる。

「なんなのよ、この気持ち悪い触手は!」

 エーコたちは毒づきながらも、なんとか触手を夫婦から引き剥がすことに成功して、そして、急いで海から離れようとした。

 しかし、すべての触手を除去したと思ったその一瞬の隙を突かれてしまった。一本だけ生き残っていた触手が夫婦の夫の足に絡みついて一気に海に引き釣りこんでしまったのだ。

「うわぁーっ!」

「あなたーっ!」

 悲鳴を残して海中に沈んでいく夫の姿に妻の絶叫が響いた。

 しまった! エーコたちは悔やんだが、相手が海の中ではこれ以上どうすることもできなかった。いや、ティラが責任を感じて飛び込もうとしたが、ティラの手をシーコが掴んで止めた。

「離してくださいシーコ先輩、わたしなら海の中でも」

「だめだよ! こんな海に飛び込んだらいくらティラでもただじゃすまないって!」

 確かに、汚れ切って腐った魚の浮く海に飛び込めば無事にすむ保証はない。けれど、ほかに海の中にまで助けに行ける者はない以上、ティラはシーコの手を振り切って飛び込もうとした、その時だった。

「ティラ、お先に!」

 短く切りそろえた緑色の髪を持つ少女が風のように飛び込んでくると、皆があっけにとられている前でためらいなく海に飛び込んでいってしまったのだ。

「ティア!」

 あの不敵な横顔は見間違えようが無かった。ティラの双子の姉妹は海中にしぶきを残して消え、濁った海ではもはや海上からは様子をうかがうことさえできず、残ったベアトリスたちはただその無事を祈るしかなかった。

 一方、飛び込んだティアは海生宇宙人パラダイ星人の能力によってイルカのように速く泳ぎながら、さらに濁った海の中でも引きこまれた漁師の位置を掴んで追いついていた。

「間に合った! けど、なんて汚れた水なんだ。こりゃ、あたしでも長居はできないな」

 漁師の体を掴まえたものの、まるでオイルの中にいるようで、泳ぎにくい上に体がしびれてきた。本来ならパラダイ星人は海中で無制限に行動可能だが、こんな毒水の中ではあと数分が限度だ。

 ティアはパラダイ星人の能力で爪を鋭く伸ばすと、漁師の足を捕まえていた触手を切断した。

 これで逃げれる。けれど触手はさらに深海から伸びてきて、今度はティアの体をからめとろうとした。胸や腰に触手がからみついて深海に引きずり込もうとしてくる。ティアは触手に含まれている毒に体を焼かれながらも、渾身の力で触手をまとめて切り刻んだ。

「このっ! 気持ち悪いんだよぉ!」

 触手を振りほどいて、ティアは漁師の体を掴んだまま陸地に向かって全力で泳いだ。

 後方からはしつこく触手が伸びてくるが、パラダイ星人の遊泳速度には追い付けない。やがて追いつくことをあきらめて触手は引き下がっていったが、ティアは深海に巨大ななにかの存在を最後に感じ取っていた。

「ぷはあっ!」

 水面から顔を出したとき、海上で心配していたベアトリスたちはすぐにティアと漁師を『レビテーション』の魔法で桟橋の上にまで引き上げてくれた。

 そして桟橋の上に漁師とティアは横たえられ、体の具合を確かめられた。漁師のほうは幸いにも気絶したおかげであまり水を飲まなかったらしく、少しの介抱で意識を取り戻した。だが、ティアの容体がそれから急に一変したのである。

「ううう、ああ、熱い! 体が熱い熱い熱いぃっ!」

 ティアは錯乱して暴れだし、ビーコとシーコが慌てて抑えつけた。さらにエーコがティアの額に手を当ててみると、やけどしそうなほどの熱を持っていた。

「ひ、ひどい熱だわ。どうしちゃったのよティア?」

「あの触手だわ。これの持っていた毒にやられちゃったのよ」

 ティラがティアの服に残っていた触手の残骸を取り除きながら答えた。汚れた海中で長時間動き続けたのもあって、大量の毒素を吸収してしまったのだ。

 ティアは熱い熱いと叫びながらもがき続けている。手足を抑え込んでいるビーコとシーコが力を緩めたら、そのまま自分の服を引き破って海に飛び込んでしまいそうな狂乱っぷりで、顔を青ざめさせたベアトリスはティラに言った。

「ど、どうしよう。そ、そうだわ、早く医者の所に連れて行かなくちゃ!」

「無理です。種類もわからない毒を浴びたんじゃ、医者に見せても手の施しようがないわ」

「じゃ、じゃあどうするの? わたしたちの誰も解毒や治癒の魔法なんてろくに使えないし、このままじゃティアが!」

「ともかく毒を洗い流さないと。水を、きれいな水をください!」

 ティラの言葉に、ベアトリスは皆を見渡した。

 だが、もちろん水を持ち合わせている者などいない。漁師の妻にも尋ねてみたが、この近くでは井戸水も腐ってしまったとかで、きれいな水が手に入るところは近くになさそうだった。

 と、なれば後は魔法しかない。しかし、ベアトリスの系統は土、エーコも土、ビーコは炎でシーコは風、水系統の使い手はいない。水系統の初歩で空気中の水蒸気を固めて水を作る『コンデンセイション』なら、水に近い風系統のシーコなら使えるけれども、ドットメイジのシーコには今必要な分の水を作るのは難しかった。

「『コンデンセイション』……やっぱりダメ。わたしの魔法じゃ、ほんのちょっぴりの水しか作れないわ」

 シーコが杖を握りながら泣きそうな声で言った。シーコが空気中から作れた水は一回でコップ半分程度、とても足りない。

 けれど、今はシーコの魔法しか頼るものはないのだ。ティラは必死にティアに呼び掛けて正気を保たせようとしており、見守るしかできないベアトリスも必死にシーコに頼んだ。

「お願いよシーコ、がんばって。わたしにできることならなんでもするから」

「はい、ここは海沿いですから水蒸気はあるんです。でも、何もないところから水を作るのは難しくて……せめて、少しでも真水があればそれを媒介にして水を増やせるんですが」

 無から一気に大量の水分を集めるのは、タバサ級のメイジでなければ難しい。

 しかし、ドットからラインクラスへの昇級でさえ、学生のレベルでは大変に困難なことだ。シーコが劣っているのではなく、タバサやキュルケといった顔ぶれのほうが異常なのである。

 それでもシーコは友達のために、涙をぬぐって杖を握りしめた。くすんだ緑色の髪の持ち主で活発なシーコは、ティアとは気が合って仲がよかった。絶対に死なせない、たとえ自分の力では無理でも、最後までやるだけやってやると魔法を唱えようとした。

 だが、そのとき。シーコの傍らに、乾いた音を立てて一本の水筒が放り投げられてきたのだ。

「使え」

 はっとして振り向くと、そこにはいつの間にか黒い服をまとった黒髪の女が立って、こちらを見下ろしていた。

「だ、誰よ!」

 見知らぬ女の出現に、ベアトリスたちは警戒して杖を向けた。けれど黒髪の女は眉一つ動かさずに背を向けると、短く告げてきた。

「早くしないと、助かる命も消えてしまうぞ」

 突きつけられた言葉に、ベアトリスたちは顔を見合わせた。

 もう一刻の猶予もできない。シーコは水筒の蓋を取ると、水をティアの体に振りかけて魔法の呪文を唱えた。

「お願い、成功してっ!」

 必死の祈りを込めた魔法がシーコの杖から輝き、その祈りは通じて大量に増殖された水が、数十杯のバケツで一気にぶっかけたような奔流となってティアの全身を洗い流した。

「ゲホゲホッ! あ、あれ、あたし……」

 水で毒素が流され、ティアは飲み込んでしまった水を咳き込んで吐き出しながら正気を取り戻した。さすが宇宙人であり、人間よりは強靭な体をしている。

 けれど正気に戻ってすぐに、ティアは感極まったベアトリスやシーコたちに抱きつかれて押し潰されてしまった。

「ティア、よかった! ほんとに生きてるのよね」

「ぐあああっ、姫殿下、みんな、重い、重いですってえ!」

 ベアトリスたちはみんな小柄だが、数人がかりでのしかかればそりゃあ重い。

 今度は別の意味で苦しむティアを、ティラはほっとした眼差しで見つめ、水筒を渡してくれた女の姿を探した。しかし、すでにどこにも見当たらず、仕方なくあの女が残していった水筒を見ると、簡素な木製の筒の裏側に名前らしきものが書いてあった。

「ウェストウッド……って、学院で働いてるエルフのメイドの子の名字じゃない……偶然よね」

 もしまた会えればお礼を言おうと、ティラは水筒を大切にしまった。

 

 そして、ベアトリスたちは助けた漁師の夫婦からもお礼を言われることとなった。

「ありがとうごぜえました。まさか貴族さまがお助けくださるとは、このご恩は一生忘れませんです」

「いいのよ、領民を守るのは貴族の務めだもの。それより、今は海沿いは危ないって言われてるのに、なんでこんなところにいたのよ?」

 子供とはいえ、こんなに大勢の貴族を前にして恐縮している漁師にベアトリスがたずねると、漁師の夫は朽ちかけた漁船を指差して答えた。

「あの船は、今はもうあんなオンボロになっちまいやしたが、あっしの親父の代から受け継いできた大事な商売道具なんでやんす。こんな海じゃもう漁には出られないんで、息子たちは出稼ぎに行き、漁師仲間たちは次々に廃業していきますが、あっしはどうしてもこのオンボロを見捨てられませんで」

 よほど思い入れがある船なのだろう。苦笑いしながら言った漁師の言葉どおり、その漁船はよく見ればあちこち継ぎ接ぎの補修がされた跡が残っており、帆だけは真新しい布が畳まれていた。

 また、夫に同調して漁師の妻もゆっくりと言った。

「もう、魚の獲れる海は戻ってこないかもしれないと思っても、わたしらにはこの船で若い頃からやってきた思い出しかありませんで。もしかしたら明日はと……あきらめきれないのでございます」

 寂しげに語った漁師夫婦は街中で出会った漁師よりも顔に深くしわを刻んでおり、とてもほかの海でやり直していくような力が残っているふうには見えなかった。

 希望が無くても、せめて最後まで故郷の海といっしょにいたいという思いは、まだ未熟なベアトリスたちの胸にも突き刺さり、ベアトリスは自分が公爵の娘であるということは伏せて、一つ尋ねた。

「この海をこんなにした……クルデンホルフ公爵を恨んでる?」

 罵声が返ってくるのを覚悟でベアトリスは聞いた。けれど、漁師の老人から返ってきた言葉はずっと穏やかであった。

「いいえ、時はうつろうものでございます。私らだって、何もないところに港を作り、魚を獲ってまいりました。我々が不要となり、新しい街が必要というのであれば、それも仕方のないことでしょう」

「あなたたちはそれで……それで本当にいいの?」

「寂しくないといえば嘘になりましょう。けども、年寄りは若いもんのために、その助けになることが役割です。あっしらも若い時分には、親父やじいさんに苦労をかけやした。けどそのおかげで、あっしは女房に会えて息子たちも生まれ、たっぷり楽しい夢を見ることができやした。この街が新しい夢を見たいと言っているのでしたら、あっしに止める権利はござんせん」

「夢……」

 ベアトリスはその言葉を聞き、以前にある男から聞かされた、夢にまつわるある一言を思い出した。

『どうせ夢を見るならば、みんなのハートがあったかくなる、誰もがいっしょにハッピーになれる、そんな夢を見たいものだと思うね』

 みんなが幸せに……夢とは本来そういうものであるべきではないのか?

 けれど、今のクルデンホルフの人々の見ている夢はどうなのだろうか? みんな、石ころを磨くことにだけ必死になって、街が汚れていくことすら気にも止めていない。

 エーコたち三人、ティラとティアもベアトリスを見つめる。そして、ベアトリスはきっと決意すると、漁師夫婦を正面から見据えて言った。

「夢……いいえ、今のクルデンホルフのみんなが見ているのはただの悪夢よ。こんなことを続けていたら、クルデンホルフはいずれ人間の住めない土地になってしまうわ。でも、今ならきっと元のクルデンホルフを取り戻せる! わたしがそうさせてみせる」

「あなたさまは、いったい……」

「そのうち嫌でもわたしの顔を見るようになるわ。だから、少しだけ待ってて。みんな! お父様のところに戻るわよ!」

 意を決したベアトリスは、五人を率いて急いで屋敷に戻っていった。

 足音も荒く公爵の部屋に乗り込んだベアトリスは、公務をおこなっていた公爵から喜んで迎えられた。

「おお、戻ったか。どうだ? 我らの領地の発展は、見事であったろう?」

「お父様、それについてお話があります」

 公爵は、大規模に発展した領地のことを誇るように娘に聞いてきた。やはり、領地のことは上がってくる書類や屋敷からの遠景くらいでしか知らないらしい。

 そして何も分かっていない風の公爵に向かって、ベアトリスは思い切り切り出した。

「お父様、単刀直入に申します。領内で進めている土石を含む鉱物の大規模採掘を中止していただきたく願います!」

「な、何を言い出すか。ベアトリス、我が娘ともあろう者が狂したか!」

 当然、公爵は烈火のごとく怒って叱りつけてきた。しかし、ベアトリスは一歩も引かず、無茶な鉱石の採掘がどれだけ領地を汚しているのか、どれだけ多くの人間がそのために苦しめられているかを丁寧に訴えた。

 このままではクルデンホルフは人の住めない土地になってしまう。そうなる前に、煤煙や汚水の流出を止めなければならないと。

 けれど公爵も単に感情的にはならず、今は多くの人間が努力すれば金持ちになれる機会に恵まれている。貧乏な者が這い上がるチャンスや、クルデンホルフがさらなる富を得る機会をふいにするのかとベアトリスに問いかけてきて、ベアトリスは苦悩しながらも答えた。

「お父様、わたしはクルデンホルフの外に出て、この者たちや多くの人々に教えを受け、自分がいかに小さな世界に生きていたのかを知りました。1スゥや1ドニエに悩み苦しむ人が大勢いて、そうした人々にとってお父様の鉱山開発が救いになっているということはわかります。けれど、それはあまりに性急に過ぎて、クルデンホルフは毒に侵された死の土地になろうとしているのです。もはやこれは、寒いからといって自分の家を燃やして暖をとるような暴挙です」 

 ベアトリスは父の圧力に怯みながらも理路整然とした反論を行い、怒っていた公爵もしだいにうなりだした。

 また、ベアトリスの姿勢に勇気をもらい、エーコたちも、街は土石を精錬する粉塵にまみれて息をするだけで喉が痛み、川や海は流れ込んだ汚泥によって毒沼と化している。自分たちはそれをこの目で見てきた。今はまだよくても、遠からず病人や死人が続出すると訴えた。

「公爵様、一代で公爵家をここまで大きくし、さらに上を目指しているあなた様の志は尊敬しております。ですが、今のあなた様は上がってくる書類には目を通しても、街に足を運んでそこがどうなっているのかを見ておられるのですか? そう、公爵様のお膝元では、もうコップ一杯の水さえ容易に手に入らないような惨状になっていることをご存知なのですか?」

 エーコの突きつけたその言葉に、公爵はすぐには反論することはできなかった。

 公務のためとはいえ、清潔な屋敷にこもり、外出はほかの貴族や商人との交渉にばかりかまけてきた。

 なぜなら、領地の経営よりも貴族たちへの金貸しの方が儲かる。そして得た資金でゲルマニアやガリアと交易すればさらに儲かる。領地のことは家臣に任せることが多くなり、すぐ近くの町さえ足を運ばなくなって久しかった。ベアトリスの想像したことは正しかったのだ。

「そうだな、私は確かに足元をおろそかにしていたのかもしれん」

 公爵は、自分の非を認めた。けれど、非凡な才覚で公爵家をのし上げてきたその眼は厳しく我が娘を見据えていた。

「だが、ベアトリスよ。この採掘の利権を放棄することで、どれほどの損失が出ると思う? それで我が家が傾くようなことになったらどうするのだ?」

「なにもすべてを放棄しろと言っているわけではありません。山に火をかければすべて焼き尽くすだけですが、少しずつ薪に変えれば暖炉で家を温めてくれます。それに、これほどの調子で採掘を続ければ、何年も経たずに掘りつくしてしまいます。そうなったときに取引先を失い、荒れ果てた領地しか残らない反動のほうが恐ろしいです。ですから今は損失を呑んででも、土石の採掘を少量ごとに切り替えるべきとわたしは考えます」

「……ふむ」

 公爵は考え込んだ。ベアトリスの言ったことは正論だ。娘がそこまで未来を見据えたことを言ってくるとはと、公爵は嬉しさを感じた。

 けれど、実業家としては別だ。公爵は感情を顔に表さないようにして、もう一度自分の娘に尋ねた。

「よいだろう。だがベアトリスよ。採掘を止めれば元に戻すために多くの金が要る。失業者も出る。糾弾の声が上がり、クルデンホルフの資産も評判も大きく減るだろう。お前はこの私に、その責を負えと言うのか?」

「いいえ、その責はこの私が負います!」

「な、なんと!?」

 公爵は、ひるむかと思っていた娘がそれどころか真っ向からぶつかってきたことに驚愕した。そしてベアトリスは、青い瞳に公爵に負けない強い光を宿して答えた。

「魔法学院を中退し、わたしが領地の立て直しをおこないます。人々には、わたしが公爵様に独断で事業を止めたことにし、お怒りになる方々には私が土下座して回ります。それで何年かかるかわかりませんが、このクルデンホルフを元の水の豊かな平和な土地に戻します!」

 その言葉に、エーコやティラたちからも、「姫殿下! 何をおっしゃるのです」と動揺した声があがる。だが公爵は落ち着いた体を保ち、さらに娘に問うた。

「それでお前の夢、私の後を継ぎ、クルデンホルフをさらに成長させるという目標はどうするのだ?」

「もちろん忘れてはおりません。ですが、わたしは瓦礫の塔の頂上で裸で笑う愚か者にはなりたくありません。どれだけ時間がかかっても、わたしはわたしのやり方で登り切り、たとえ頂点に立てなくても、信頼するこの者たちに囲まれて笑っている……そんな道を歩みたいのです」

「……甘い夢だな。お前がそんなことを言うようになるとは思わなかったよ」

「そうかもしれません。けれど、わたしはわたしのやり方で多くの知己を得ました。わたしとお父様のやり方は違いますが、わたしはこのやり方でお父様と同じ頂点を目指す覚悟です。遠回りになるかもしれませんが、わたしが届かなかったその時はわたしの子がそれを継ぎます。だから、お父様にも長生きしていただけるような、住みやすいクルデンホルフであってもらわなければいけないんです」

 真っすぐ言い放ったベアトリスを、公爵は同じように見つめ返し、やがて緊張を解くように息を吐いてから告げた。

「お前を送り出してから、たった一年ほどなのに、よくぞ変わったものだ。一年前、お前はよく言って私の写し絵だった。それが、よくぞ大きくなったものだ」

「お父様」

「可愛い子は旅に出せとはよく言ったものよ……ベアトリスよ、学院を辞める必要はないぞ。お前が初めて示したクルデンホルフの未来、私が代わって確認してみせよう」

 娘の肩を叩いて告げた公爵の言葉に、ベアトリスはぱっと顔を明るくした。

 そうして公爵は屋敷の窓を開け、汚れた空気を身に浴び、灰色になった街を見渡してから振り向いた。

「お父様、それじゃあ」

「いずれ、この国はお前のものとなる。そのお前が判断した道がどこにたどり着くのか、私も見てみたくなった。それに、クルデンホルフあってこそのクルデンホルフの繁栄であるべきだな。お前に譲り渡すのなら、きれいな姿で渡したいものだからな……心配するな、久しぶりに大損をするのも悪くはない」

「お父様……大好き!」

 ベアトリスは満面の笑みを浮かべて父の腕の中に飛び込んだ。公爵は成長した娘を抱きかかえて嬉しそうに微笑み、エーコたちはそんな親子を温かく見つめていた。

 

 だが、この場所に突然ありえない声が響いた。

「おやあ困りましたね。せっかくここまでお膳立てしてあげたのに、親馬鹿とはこのことですか」

 はっとして一同がそちらを見ると、そこにはいつの間にかあの町長が立ってこちらを見ていた。

「何用か? お前を呼んだ覚えはないぞ」

 公爵が威厳を込めて威圧するが、町長は顔色一つ変えずに悠々と立っている。その余裕は不気味でさえあり、なにかを察したエーコたちやティラとティアはベアトリスを守るように前に立ちふさがった。

「姫殿下、お気をつけください!」

「え? え?」

 意味がわからないベアトリス。それに対して、町長はティラとティアを見て、合点したように言った。

「ほう、そちらのお嬢さんたちはやはり。これはもう、隠しておくのは無理そうですな」

「やっぱりあなた……人間じゃないわね!」

「くく、はーっはーっはっ!」

 その瞬間、町長のシルエットがぐにゃりと歪むと、赤い頭部が体と一体化した星人の姿へと変わった。

「な、なんと!」

「メトロン星人……!」

 公爵は驚愕し、ティラがその特徴的なシルエットを見て呟いた。

 幻覚宇宙人メトロン星人。GUYSのドキュメントUGに記録があり、宇宙ケシの実の幻惑作用で人類を同士討ちさせて地球侵略を企んだ宇宙人だ。他にはドキュメントTACにメトロン星人jrが登録されており、ヤプールと手を組んで地球の壊滅をもくろんでいる。

 そしてメトロン星人はその作戦の傾向として、何かを利用して間接的に人類を滅ぼそうとしてきた。今回は……メトロン星人は顔の両側に並んでいる発光体を規則的に光らせながら言った。

「フン、公爵をそそのかして環境を破壊させ、やがては世界中を人間の住めない土地に変えて死に絶えさせて乗っ取ってやるつもりだったのに。娘に説得されたくらいで考えを変えてしまうとは情けない」

「なんだと、そんなことのために貴様!」

 公爵は激昂するが、メトロン星人は余裕を崩さない。

「欲に駆られた人間ほど騙しやすいものはない。本当ならハルケギニア全土に汚染を広げるところまでやってほしかったが、まあいい……少し早いがお前たちにメトロンの勝利の火を見せてやる」

 そう言うとメトロン星人の姿は揺らいで消え、外から地響きが聞こえてきて皆は窓に駆け寄った。

「外よ! あいつ、巨大化して街に!」

 見ると、メトロン星人は五十メートル級に巨大化して、屋敷から見下ろせる街の一角に立っていた。

 街の人々が悲鳴をあげて逃げ出していく。しかしメトロン星人は足元で逃げ惑う人々には目もくれず、その手を街に向かってかざすと、なんと街のあちこちの建物が観音開きになり、その中から巨大なミサイルが次々にせり上がってきたのである。

「あれは!」

「ファファファ、この街で作り出された汚染物質を満載したこのミサイルをハルケギニア全土に撃ち込んで、一気に人間を消毒してくれる。この星は、我々がふさわしい支配者として生まれ変わるのだ!」

 メトロンが腕を振り上げると、無数のミサイル発射台が仰角を上げていく。ベアトリスたちは「やめろ」と叫ぶけれども彼女たちにはどうすることもできない。

 猛毒を満載したミサイルなんかがばらまかれたら、ハルケギニア全土がここと同じように荒れ果ててしまう。クルデンホルフの……人間の生み出した汚染物質のせいで。

 だが、ミサイルが発射されようとしたとき、海に巨大な水柱が上がり、海中から巨大なものが姿を現した。

「なっ、なによあれは!」

 ベアトリスたちは愕然とした。汚染された海から、小山のような……いや、手足のようなものがついているからあれは巨大な生き物だ。

 全身が深緑色の海草のようなものでびっしりと覆われてうごめいている。あの海草はさっきの! ベアトリスたちは、海で襲われた海草のような触手があの怪獣の体毛だったのだと気が付いた。

 その姿は、メトロン星人と同じく地球のアーカイブドキュメントの中のドキュメントMATに登録されているヘドロ怪獣ザザーンに酷似している。あの怪獣もメトロン星人が? だがベアトリスたちの察しとは裏腹に、メトロン星人は狼狽した声を漏らした。

「な、なんだこの怪獣は! 知らないぞこんな奴は!」

 メトロン星人のしわざではないのか? だがメトロン星人がうろたえている前で、ザザーンのような巨大な海草の怪獣はつぶれたカエルのような鳴き声をあげて上陸してきた。

 陸上に上がったザザーンは、メトロン星人へと向かっていく。その巨体からはボタボタと泥が滴り、それを浴びた家屋は次々に腐食して崩れ落ちていく。

「く、来るな!」

 メトロン星人は向かってくるザザーンに向けて両手からロケット弾を発射した。しかし、ロケット弾は怪獣の表皮の海草を剥ぎ取りはしたが、その奥の泥の塊には食い込むだけで通用しなかった。

「こ、こいつは全身がヘドロの塊なのか! や、やめろ、おあぁぁぁぁ!」

 メトロン星人は瞬間移動で逃れようとしたが、狼狽したせいで一瞬遅れ、怪獣にのしかかられてしまった。

 もう逃げることはできず、全身をヘドロの怪獣に覆いつくされてしまったメトロン星人の悲鳴が響き渡る。ベアトリスたちや公爵は屋敷からその光景を呆然と眺めているしかできなかったが、悲鳴が消えてザザーンがその場を動いた時、後には特徴的なバナナ状の白骨をさらして溶かしきられたメトロン星人の屍だけが残されていた。

 とんでもない猛毒のヘドロだ。愕然とする一同の見ている前で、ザザーンはメトロン星人が残した発射されなかった汚染物質ミサイルを腕で掴むと体の中に取り込んでしまい、ティラとティアは愕然として言った。

「ミサイルの汚染物質を、食べてる!」

「まずいよ! ミサイルは街中に配備されてるのよ。あんなのが街中を動き回ったりなんかしたら」

 ティアの言った通り、ザザーンはミサイルを求めて動き出した。その巨体がうごめくごとに全身からヘドロがまき散らされ、呼吸をするごとに白い霧のようなガスが流れ出し、それを浴びてしまった人々は一瞬にして全身の肉を溶かされた骸骨となって死屍を転がしていった。

「硫酸の霧……しかもすごい濃度よ!」

 クルデンホルフを死の土地に変えつつ、怪獣はさらなる餌を求めて徘徊を続けていく。

 人間が生み出した猛毒の塊、ヘドロ怪獣……動き続けるうちにその体を覆っていた海草がメトロン星人のロケット弾を受けたところから剥がれ落ち、灰色のヘドロの表皮と、赤く輝く巨大な目玉があらわになっていった。

 このままクルデンホルフは滅ぼされてしまうのだろうか……破壊されていく街の惨状を、ある高い建物の屋上から、あの黒衣の女はじっと見つめ続けていた。

 

 

 続く



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第7話  清水の人魚姫(後編)

 第7話

 清水の人魚姫(後編)

 

 ヘドロ怪獣 ザザーン 登場!

 

 

 クルデンホルフの驚異的な発展は、それによって発生する環境汚染で人間を抹殺しようというメトロン星人の陰謀だった。

 だが、メトロン星人の作戦はメトロンも予想していなかった副産物を生んでいた。

 海から現れた汚染物質の塊であるヘドロ怪獣ザザーン。その猛毒の体でメトロン星人を溶かし殺してしまい、メトロン星人がハルケギニア侵略のために作った汚染物質を満載したミサイルを求めて猛毒をまき散らしながら街を徘徊する。

 山から掘り出された鉱石から魔法石を取り出す際に使われる薬液が川から海に垂れ流され、その廃液を濃縮した強酸の霧は人も建物もかまわずに骨に変えていく。

 その地獄のような光景を、黒衣をまとった一人の女が冷然と眺めていた。

「かつてサンドロスは自分が住み好い世界に変えるために環境を破壊したが、人間は自分で住み好い世界を破壊していく。愚かなものだ」

 人間は宇宙でもまれな恵まれた惑星を与えられながら、それを自ら破壊していく。それが自らをも破壊することだとも気づかずにと、彼女は憮然として立ち続けていた。

 

 だがこのままではクルデンホルフは猛毒に覆いつくされて全滅してしまう。ザザーンに街が破壊されていく様を屋敷から見下ろしながら、ベアトリスは悔しげにつぶやいていた。

「クルデンホルフが……わたしの故郷が」

 街が燃えていく。いくら汚れ果ててしまっても、そこは彼女にとってかけがえのない故郷なのには変わらない。

 だが、怪獣をこのままにはしておけないと、公爵は旗下の精鋭部隊に出撃を命じた。

「空中装甲騎士団、出撃せよ。あの怪獣を倒すのだ!」

 クルデンホルフ大公国の誇る最強の竜騎士隊である空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)が鎧に身を固め、騎乗する竜の翼を羽ばたかせながら街の空に軍団の雄姿を現した。

 風竜、火竜にまたがる重装騎士たちの数はざっと五十。彼らは空中から忠誠を誓う公爵に対して見事な敬礼を捧げ、ベアトリスも彼らの練度が上がっているのを認めた。彼らは以前にベアトリスの前で失態を見せてから、祖国に帰って修行をしなおしていたはずだが、どうやらあれからの時間を有効に使っていたようだ。

 空中装甲騎士団の団長は、クルデンホルフの街を破壊していく怪獣を見据えた。動きはあまり速くないが、全身が猛毒のヘドロでできている以上、接近戦はできない。メトロン星人の無惨な白骨が、捕まったときの末路を想像してゾッとなる。しかし……。

「者ども、臆するでない。我らが命を預けてきた鎧と、鍛え上げた魔法の腕が毒から身を守ってくれようぞ。よいか、無為に近づかず、四方より魔法を浴びせ続けるのだ。奴が泥の塊ならば、千の破片に砕いてやれ。続け者共!」

 騎士団長の命令を受けて、空中装甲騎士団は飛竜の翼を翻して前進を開始した。一列に隊列を組み、一糸乱れぬ飛翔の見事さは、以前に彼らを叱りつけたベアトリスから見ても見事と感じるものであった。

 そして彼らは一列で円を作り、土星の輪のようにしてザザーンを包囲した。ザザーンと竜騎士たちとの距離はザザーンの手が届かないギリギリを計算しており、そこから騎士団長は指揮仗を振り下ろして命じた。

「撃てい!」

 たちまち、空中装甲騎士団の精鋭メイジたちは戦闘杖を振るい、分厚いプレートメイルを身に付けているとは思えない軽やかな動作からそれぞれの得意魔法を放った。

 赤、黄、青、他にも様々な光芒と共に火炎や雷、突風や氷弾が舞ってザザーンに突き刺さる。これぞ、空中装甲騎士団が汚名返上のために特訓した戦法のひとつであり、元はメイジがオークやトロルなどの大物を相手にする際、複数のメイジが一定の距離を保ったまま相手を包囲し続け、魔法で遠巻きに相手を弱らせていく戦術の拡大である。

 ザザーンは攻撃を受けて身もだえるが、ザザーンを中心に円を描いて回転しながら攻撃を続ける空中装甲騎士団は、常に反撃を受けない距離を保ち続けているのでザザーンの振り回した手には当たらない。

 そうするうちに、無数の魔法の炸裂でザザーンの体表が少しずつ削れ始めた。ザザーンの体表の海草が千切れ、本体のヘドロも砕けてザザーンの体が少しずつ崩れていく。

「ようし、いいぞ。いくら巨大な怪物でも、絶え間なく攻め続ければいつかは力尽きる」

 騎士団長は自信ありげに呟いた。ベロクロンのようなミサイルや火炎でも持っていれば話は別だが、見たところあの怪獣には飛び道具らしい武器はない。これならば、いずれ必ず勝てると空中装甲騎士団の騎士たちは確信を持った。

 だが、体を削られていくザザーンは、くるりと方向を変えると、そこにあった土石の精錬工場に覆い被さった。そして、工場に山積みにされていた廃棄物を取り込んで、さらに質量を上げてしまったのだ。

「大きくなった!?」

 空中装甲騎士団の隊員たちは、削った質量があっという間に元通りになってしまった様を見て愕然とした。

 そう、ザザーンはヘドロが集まってできた怪獣。体の元になるヘドロがあれば、それこそ粘土をくっつけるようにいくらでも体積をかさ上げしていける。そしてこの街には材料となるヘドロが町中にいくらでもあった。

 元気を取り戻したザザーンは、再びヘドロの体を揺らしながら前進を始めた。

 

「あいつは不死身なのか……!」

 

 自信を持っていた空中装甲騎士団も、ダメージをあっという間に回復してしまったザザーンには少なからぬショックを受けていた。体を削っても、体の材料になるヘドロはいくらでもある。空中装甲騎士団はいずれも優れたメイジであるが、魔法を使うための精神力はそう長くは続かない。

 下手な攻撃はこちらが消耗するだけ。しかもザザーンは土石入りの廃棄物を吸収したことで進化したのか、周りを飛ぶ竜騎士たちを巨大な目玉で見据えると、灰色のヘドロの体を揺らして体のヘドロを弾丸として撃ち出してきた。

「よけろ!」

 砲丸並みの大きさのあるヘドロの塊が飛んでくる。竜騎士たちは反射的に竜の手綱を引き、急旋回してかわした。

 しかし、大半はかわせたものの、完全にかわしきれなかったヘドロ弾が数発竜に当たってしまった。たちまち、その猛毒と強酸によって悲鳴をあげる間もなく骨となって溶け散る竜と、落下していく騎士たち。

 空中装甲騎士団は散り散りになり、ヘドロ弾の届かない距離にまで離れるので精一杯であった。

「なんという奴だ……」

 公爵や、空中装甲騎士団の騎士団長はザザーンの生命力に舌を巻いた。まるで、巨大なスライムだ。しかもスライムなら凍らせて固めるなどの方法もあるが、あの巨体を凍らせてしまうなど不可能だ。

 そうして手をこまねいているうちに、ザザーンはさらに汚染物質ミサイルを取り込んで巨大化し、次のミサイルの場所に向かい始める。近づくことさえ簡単にできず、多少削ったところで再生してしまう。

 どうすれば……だがそのときだった。次のミサイルを食らおうと前進しているザザーンの姿に、ティラがひらめいたように叫んだ。

「そうだわ! あのミサイルをエサに使えば、怪獣を町の外にまでおびき出せるかも」

 それは魅力的な提案のように思われた。怪獣を今すぐ倒すことはできなくても、少なくとも被害の軽減と避難の時間稼ぎはできる。

 公爵もそれを了承し、すぐに上空の空中装甲騎士団に伝達されて彼らは動き出した。

 しかし、巨体の怪獣が動き回るそれだけで街は破壊されていく。いてもたってもいられなくなったベアトリスは、自分にも何かできないかと苛立ったが、窓枠を掴む手をエーコに握られて諭された。

「我慢してください姫殿下。ここは騎士の方たちに任せて、姫殿下は見守っていましょう」

「ええ、わかってるわ」

 大将は動かずに、どっしりと戦況を見ているのが定石だ。全員で突撃していくアホな水精霊騎士隊と自分たちは違うと、ベアトリスは自分に言い聞かせた。

 ところがである。そうしようと思った矢先にティラが周りをきょろきょろ見回しながら動揺して言った。

「あ、あれ? どうしたのかしら、ティアがいないわ」

「えっ? そ、そういえばいつの間にかシーコも姿が見えない……も、もしかして」

 ベアトリスたちの背中に冷や汗が流れる。

「あの……バカ!」

 顔を青ざめさせてベアトリスたちは走り出した。公爵が引き止める言葉ももう耳に入らない。

 

 街は、混乱の巷と化し、その人の波を逆走してシーコとティアは走っていた。

「いくわよ! わたしたちで手柄をあげて、姫殿下にほめていただくんだから!」

「先輩、おーっ!」

 考えるより先に体が動くタイプのシーコと、考えるけれどもノリが優先のティアの緑髪コンビは、いち早く手柄を立てようと抜け駆けを狙っていたのだった。

 街は粉塵と硫酸ミストが漂って息をするのも苦しい。そんな中を、シーコの魔法で体を守りながら進む二人は、ミサイルではなくある場所を目指していた。

「ところでどこに行けばいいんだっけ?」

「町長の屋敷よ。たぶんそこに、あのメトロン星人がミサイルの制御装置を置いてるはず。それを使えば一気にミサイルを街の外に発射できるわ」

 二人は、その後ろからベアトリスたちが血相を変えて追ってきているのを知らずに急ぐ。

 確かに、彼女たちが考えていることを実行に移せば、空中装甲騎士団がミサイルを運び出すよりも確実にミサイルを処理することができるだろう。だが、彼女たちはまだ事態を甘く見て、二つのことを見落としていた。

 その一つは、ザザーンのヘドロから発生する毒素の強さは、近づくにつれて彼女たちの予想をはるかに超えて二人の体を蝕んできたのだ。

「こほっ、こほっ。先輩……目が、喉も」

「ティア、こほっ、わたしの魔法じゃこれ以上は……」

 町長の屋敷の近辺には高濃度の硫酸ミストが充満していて、魔法の防御程度で耐えられるレベルを超えてしまっていた。

 そしてもう一つは、彼女たち自身の心にあった。

 硫酸ミストに耐えかねて引き換えそうと試みるシーコとティア。彼女たちは必死に硫酸ミストの薄い場所を目指したが、その途中で倒れている老人を見つけた。

「ぐ、うう……」

「お、おじいさん、大丈夫ですか?」

 二人はまだ息のある老人を見捨てられず、二人で左右の肩に担いで避難しようと試みた。

 けれど、そうすればどうしても足は遅くなる。しかも硫酸ミストの濃度はどんどん高くなっていき、目を開けていることさえ苦しくなっていった。

 体力も奪われ、足取りは重くなり続ける。それでも、老人を放り出して二人だけならば逃げ切れただろうけれど、二人にはそれはできなかった。盲目的に使命や我が身を大事にはできず、困っている人がいれば情に流されてしまう。二人は、自分たちがそういう人間だということを忘れていた。

 足が鉛のように重い。だがそのとき、硫酸ミストの揺らめきの先から、ようやく追いついてきたベアトリスたちが姿を見せた。

「あなたたち、大丈夫? よかった、なんとか間に合ったわ」

 慌てて駆けてきたので、ベアトリスの二本にまとめた豊かな金髪は乱れて、顔もすすけてしまっている。そんな主人の必死な様に、シーコは「姫殿下のために頑張らなきゃいけないのはわたしたちですのに」と詫びたが、ベアトリスはシーコの頬をはたいて言った。

「バカ! 何度も言うけど、わたしは使える部下は欲しいけど奴隷はいらないのよ。さあ、早く逃げるのよ」

 君臨はするけど虐げたいわけではないと、主人の思いを受け取ったシーコとティアは、老人をティラとビーコに預けて頭を垂れた。

 さあ、あとはとにかく逃げなくてはいけない。エーコが先頭になり、ビーコは釣り目と顔を左右に振りながら、安全な方向を探した。

 だが、彼女たちが引き換えそうとした道には、黒い川がうねりながら立ちふさがっていたのだ。

「ヘドロが、もうこんなところにまで!」

 ザザーンの体から溢れ出たヘドロは道路を伝わってベアトリスたちの行く手を塞いでしまっていた。硫酸の煙を吹きながらうごめくそれは、生物を一瞬で溶かす猛毒の塊。とても突破できるようなものではない。

「別の道を!」

 迂回しようとひとつ前の十字路まで引き返した。しかしそこもヘドロが流れ込んできており、一行は完全に閉じ込められてしまった。

「ど、どうしよう。フライで跳ぶにしても、あんなヘドロの上なんか飛べないよ。ティラ、あなたたちの瞬間移動術は?」

「こんな人数を抱えてなんて無理ですし、なによりティアが……」

 十字路の真ん中で、ベアトリスたちは四方をヘドロに囲まれて孤立してしまった。空から空中装甲騎士団に拾い上げてもらいたくても、頭上には硫酸ミストが滞留している。

 逃げ場を失ったベアトリスたちに、ヘドロは四方からじわじわと近づいてくる。いや、ここだけではない。すでに街のあちこちでは無限に増殖し続けるヘドロによって逃げ遅れた人々が追い詰められていた。

 人間が、自分で作り出した汚物に呑まれようとしている。

 だが、人間はそのような愚かな面だけではない。目前に死が迫りながらも、ベアトリスたちは互いをかばいあい、はげましあっている。

「みんな、あきらめちゃだめよ。必ず、みんな揃って帰るんだからね!」

 自分の命の危機にあっても、自分以外の者を救おうという心を彼女たちは持っていた。

 そして、その尊い心を持ち、過ちを正そうというものがまだいることを示したとき、この地の人間たちのおこないをじっと見守っていた黒衣の女ジュリは、この人間たちを宇宙正義に照らして救う価値があると判断した。

 毒ガスの中に平然と立つジュリは、胸のブローチ・ジャストランサーを手に取った。その片翼の翼が両翼に現れ、溢れ出す光が彼女をウルトラマンジャスティスへと変えていく。

「シュワッ!」

 眩い光の中から降臨した赤い光の巨人。その名は宇宙の正義の守護者、ウルトラマンジャスティス。

 崩壊していくクルデンホルフの街の中に身長46メートルの巨体を現し、ジャスティスは街を見下ろした。その偉容を目の当たりにし、空中装甲騎士団の面々は鎧の下の顔を戸惑わせ、怪獣も巨大なエネルギーの出現を関知して立ち止まる。

 だがジャスティスは怪獣にも人間たちにも構わずに振り向くと、そのまま街の水源である運河の上流に向かって、突き出した拳から光弾を放った。

『ジャスティススマッシュ!』

 光弾は運河を破砕し、埋まった運河から溢れた水は街中へと流れ込んだ。まだ汚染されていない川水の奔流はヘドロを押し流し、慌てたベアトリスたちが魔法で数メイルだけ飛び上がってやり過ごした後には、ヘドロは洗い流されてきれいになくなってしまっていた。

「助けてくれた……ありがとう、ウルトラマン」

 飛沫で顔を濡らして呆然としながら見上げるベアトリスたちの前で、ジャスティスはゆっくりとうなづいた。

 一方、ヘドロ怪獣はジャスティスの巨大なエネルギーに反応して襲い掛かってくる。その姿は完全に海草が剥がれ落ちて、むき出しになったヘドロの体の上に海坊主のような巨大な頭部と、左右に割れたような形の巨大な両眼を持つ、元のザザーンとはかけ離れたおぞましい姿になっている。

 だが、ジャスティスは怯まない。自然の理から外れ、死と破壊を撒き散らすだけの化け物を消し去るべく、勇敢に巨悪を迎え撃つ。

「デェイアッ!」

 ジャスティスのハイキックがヘドロ怪獣の頭部を捉え、バランスの悪そうな大きな頭を大きく揺さぶった。

 さらに間髪いれず、ジャスティスは強烈なパンチを繰り出して、ザザーンの体にへこみを作り出す。ヘドロを撒き散らすザザーンの体だが表面は乾いて固くなっているらしく、打撃技が通用するようだ。

 しかし、ヘドロの体に打撃は効果が薄く、ザザーンはジャスティスを見下ろすほどの巨体についている大きな目でジャスティスを睨み、メトロン星人を白骨化させたように、その巨体でのしかかり攻撃を仕掛けてきた。

「シュワッ!」

 だがジャスティスもメトロンの無惨な最期は見ていた。同じ目に合ってたまるものかとバク転でのしかかりをかわして間合いをとる。

 やはり動きはそんなに速くはない。うかつに近づきすぎなければ飲み込まれることはないだろう。

 だが、打撃でダメージがいかないのではこいつを倒すことはできない。ならどうする……? ベアトリスたちや空中装甲騎士団が見守る中で、構えを取るジャスティスは動いた。

 先ほど、空中装甲騎士団が攻撃を仕掛けたときには表面を削ることはできたが、奴は減った質量を補充することで回復してしまった。ならば、一気にすべてを吹き飛ばすしかないと、ジャスティスはエネルギーを集中し、両腕から金色の破壊光線として撃ち放った。

『ビクトリューム光線!』

 これまで数々の怪獣を粉砕してきたジャスティスの必殺光線がヘドロ怪獣の体の真ん中を貫いた。

 いや、貫きすぎた。光線はヘドロの柔らかい体をそのまま貫通してしまうと、怪獣の体に大きな穴を開けて素通りしてしまったのだ。

「やったか! ……い、いや!」

 空中装甲騎士団は、大穴を開けられた怪獣の姿を見て喝采を上げかけたが、すぐに違うと気が付いた。

 並の怪獣ならそれで決着がついていただろう。だが、ヘドロ怪獣は体に大穴を開けられても、ヘドロの体に開いた穴をうごめかせると、粘土状の体を使って穴を塞いでしまったのだ。

 ベアトリスたちは、ウルトラマンの光線をまともに受けてもびくともしていない怪獣を見て愕然とした。あんな怪獣、どうやって倒せばいいというんだ?

 しかしジャスティスは、笑うように体を揺らすヘドロ怪獣を前に静かに構えを取り直した。冷静な目で相手を見据えて考える……この怪獣は弱い衝撃では吸収するか表面が削れるだけで、強い衝撃は貫通してしまう。正真正銘のヘドロの塊だということか。

 普通の攻撃では倒せない。ジャスティスは強敵を覚悟したが、ヘドロ怪獣はそんなことにはかまわず、一度は体に風穴を空けられた報復か、ヘドロの体を揺さぶって猛毒のヘドロの塊を弾丸として発射してきた。

「シュゥワッ」

 ジャスティスは身を捻ってかわすが、外れたヘドロ弾は建物に当たり、石造りのそれをドロドロに腐食させてしまった。

 むろんそれで終わらず、ヘドロ怪獣は道路の上を滑るように突っ込んでくる。ジャスティスは正面から受け止めるのを避けて、すれ違い様にヘドロ怪獣にパンチをお見舞いしたが、攻撃性とともに毒性を増したヘドロの体に触れた瞬間に、ジャスティスの拳は音を立てて溶かされてしまったのだ。

「フッ、オォォッ!」

 ジャスティスの右手から白煙が上がり、ジャスティスは右手をおさえて苦悶の声を漏らした。さすがにウルトラマンの体は触れただけで溶かしきられるということはなかったものの、皮膚を強烈に犯すその酸性はアボラスやムルロアの吐き出す溶解液のそれを上回っている。

 片腕を奪われたも同然のジャスティスに、ヘドロ怪獣はじりじりと迫っていく。これはまずいと空中装甲騎士団が援護の魔法を放つが、やはり表面のヘドロを少々削ぎ落とすだけでほとんど効果がない。

「おのれっ!」

 騎士団長はカイゼル髭を汗に濡らしながら吐き捨てた。ドラゴンでも皮膚を傷つければ弱るが、こいつはいくら表面を削ってもむだだった。

 ジャスティスが牽制で放ったジャスティススマッシュも、わずかな爆発で少しの間足止めするのが精一杯だ。

 その間にも、ヘドロ怪獣は街中の廃棄物や汚染物質ミサイルを取り込んでさらに巨大化していく。今でもざっと身長60メイル強、ジャスティスを軽く見下ろせるだけの体はさらに大きくなり続けている。

 どうすればこいつを倒せるんだ? 息の根を止めるためには、ヘドロの体を丸ごと消滅させるしかないが、強力な攻撃では貫いてしまうだけだ。ヘドロ怪獣は自分の体の不死身さに自信を持っているのか、巨体を無防備にじりじりとジャスティスに迫らせて来る。ジャスティスはヘドロをまともに受けないように後ずさりして時間を稼ぐので精一杯だ。

 すぐにでもなんとかしなくては。ジャスティスや空中装甲騎士団は懸命に打開策を考えた。ヘドロの弱点……しかし、戦いながらでは早々いい考えも浮かばないでいたとき、エーコがふと自分のツインテールについていた泥が乾いているのを見てつぶやいた。

「そうだわ、泥の塊なら乾かせばいいんじゃないかしら?」

 その言葉に、皆ははっと気がついた。そうだ、いくら猛毒のヘドロでも、乾いてしまえばただの土の塊にすぎないのではないか!

 しかし、口で言うのは簡単だが、実行するとなると簡単ではない。無茶を言わないでと、ビーコが苦言を漏らした。

「でも、あの山のような怪獣をどうやって乾かすのよ? 街に火でもかけろっていうの? そんなことしたら怪獣どころじゃなくなるわ」

 もっともだった。あのヘドロ怪獣に含まれる水分はそれこそ何万トンということになろう。それを蒸発させる熱源なんて火のスクウェアメイジ、たとえばキュルケが百人いたって用意できっこない。

 けれど、エーコの言葉でベアトリスは別の方法を思い付いていた。彼女は自分の親衛隊であった空中装甲騎士団の戦術はおおむね頭に入れている。火を使わなくても、自分の竜騎士たちならばできると、彼女は上空を旋回している騎士団長を魔法の光で気づかせると、そのまま信号を送って何かを伝えた。

「姫殿下、軍用の信号なんてよくご存知ですね」

「知らないの? 誘拐されたときのために、令嬢の間では隠れた必須知識なのよ。こんなことに使うことになるとは思わなかったけど、彼らなら……きっと」

 ベアトリスは一度は三下り半を叩きつけたものの、まだ空中装甲騎士団への期待を失ってはいなかった。これが成功すれば彼らの名誉挽回にもなる、がんばってねと心の中でエールを送った。

 そして、ベアトリスから策を授かった空中装甲騎士団は、ヘドロ怪獣を隊列で囲んで飛竜を高速で円運動させ始めた。

「怪獣め、我ら空中装甲騎士団が空の覇者であることを見せてやる」

 魔法は通じない。しかし、空中装甲騎士団の強さは魔法だけにあるわけではない。鍛えぬいた飛竜と騎士のコンビネーションからなる人騎一体の精鋭が、さらに一個の竜の群れとして狩りをおこなう鉄の統率力こそが最大の武器なのだ。

 高速で飛翔する数十騎の飛竜はその高速で空気を裂くことによって気圧の差を作り出し、気流の流れを生んだ。それはあのグエバッサーの竜巻ほどの勢いには及ばないが、強い風を発生させることによって、ヘドロ怪獣の表面から一気に水分を奪い取っていったのである。

「そっか! ものを乾かすなら火だけじゃなくて風っていう方法があったんだ!」

 シーコが、気づいてみれば簡単だったと手を叩いて言った。天気の悪い日でも風が強ければ洗濯物は早く乾くのと理屈は同じだ。

 ヘドロ怪獣の表皮は強くぶつかってくる風に水分を蒸発させられ、ヌメヌメした光沢がなくなって白い泥のようになってきている。いやそれだけではなく、ヘドロ怪獣自身も自分の体が乾いて崩れだしたことに慌ててもがきだしたのだ。

「やった! 効いてる、効いてるわ!」

「フフン、さすがクルデンホルフの誇る最強部隊ね。見直したわ」

 ベアトリスたちも、初めてヘドロ怪獣に効果的な攻撃ができたことに歓声をあげた。

 かつての失態から長く、空中装甲騎士団はついに名誉挽回に成功したのである。騎士団長は主君の期待に応えられたことに涙腺を緩ませながらも、部下たちに気を緩めるなと激を飛ばす。

「皆の者、ここが正念場ぞ! 我らの力で、祖国を荒らす怪物を葬り去るのだ!」

 騎士団長の声に、騎士たちも「おおっ!」と、強い士気を込めた叫びで答えた。

 ヘドロ怪獣の体からは、乾燥した泥が剥がれ落ちて少しづつ小さくなっていく。さらに空中装甲騎士団の作り出す突風の効果はそれだけではなく、街に飛び散っているヘドロも乾燥させ、ヘドロ怪獣が吸収しようとするのを防いでいる。そして自己再生が阻害されたことでヘドロ怪獣は苦しみだし、ジャスティスは体勢を立て直す間を持つことができた。

 見事な戦法だ。ジャスティスは空中装甲騎士団の活躍を見て、人間が知恵を駆使してウルトラマンが敵わないほどの怪獣に挑めるという良き可能性を感じた。

 ヘドロ怪獣は灰色の巨体を震わせ、濁った両眼をぐりぐりと動かしながら抵抗し、ヘドロ弾を自分の周りを飛ぶ空中装甲騎士団に向けて放っているが、空中装甲騎士団も同じ手を食うほど愚かではない。ひらりひらりとかわしながら、さらに風を送り続けている。

 このまま行けば奴をただの土の山に変えられる! ベアトリスたち、空中装甲騎士団、見守っている公爵やジャスティスも、このまま順調に進むことを願った。

 しかし、何万トンという質量を持つヘドロ怪獣の水分をそうすぐに抜き取ることは不可能だった。まだ体内に大量の水分を持つヘドロ怪獣はその質量をわずかに減少させはしたものの、まだ十分に余力が残っていることを認識すると、進路を変えて海に向かいだしたのだ。

「いけない、あいつ水を補充するつもりだわ!」

 ベアトリスたちは、ヘドロ怪獣の考えを悟って走り出した。海に入られてしまっては、今度こそ倒す手段が無くなってしまう。

 途中、街の外からおっとり刀で駆けつけてきた救助の衛士隊に助けた老人を預けて、ヘドロ怪獣の後ろ姿を見上げた。海に向かうヘドロ怪獣をウルトラマンも空中装甲騎士団もなんとか食い止めようとしていたが、やはりヘドロのつかみどころのない体を相手に苦戦を強いられていた。

「デュアッ!」

 ジャスティスのキックがヘドロ怪獣の乾いた体表を打ち、わずかに後退させた。だが、体表が乾燥したおかげで即座に溶かされることはなくなっても、やはり打撃では内部が軟体のヘドロ怪獣には数秒の足止めにしかなっていない。

 また、空中装甲騎士団は、回収したメトロン星人の汚染物質ミサイルをまとめてエサにすることで足止めしようと試みていたが、これもうまくいっていなかった。

「化け物め、お前の食い物はこっちだぞ。くそっ、なんで言うことを聞かないんだ!」

 もうヘドロ怪獣はミサイルに見向きもしなかった。確かに奴は飢えていたが、それ以上に渇きを覚えていた。

 海までの距離はすでに一リーグに近づいていた。空中装甲騎士団による風乾燥作戦は続いているものの、やはり決定打にはなっていない。表面が乾いても内部はいぜん健在で、身長もジャスティスよりも大きいままだ。

 それでもジャスティスはあきらめず、パンチやキックを連打して少しでも足止めをしようとしていたが、それを疎ましく思ったヘドロ怪獣は大きなヘドロ弾をジャスティスの顔に向かって吐き出してきた。

「グワアッ!」

 とっさに頭を振って避けようとしたが、大型のヘドロ弾は避けきれずにジャスティスは左目をヘドロに潰されてしまった。視力を半分奪われてジャスティスはよろめき、ヘドロ怪獣はあざ笑うかのように前進を続けた。

 食い止めきれない! 誰もがそう思ったときだった。ジャスティスは意を決してヘドロ怪獣に組み付いたのである。

「ジュワアッ!」

 ジャスティスの我が身を徹した突貫で、ヘドロ怪獣の進行が止まった。ジャスティスはそのまま両腕でヘドロ怪獣を抱え込んで抑えつけようとする。しかし、ヘドロ怪獣の体から発せられる強烈な毒素は容赦なくジャスティスの体を犯し始めた。

「グワアアッ!」

 ジャスティスの体から白煙が上がり、強酸が体を溶かしていく。カラータイマーは点滅を始め、ジャティスの全身には耐えがたい苦痛が走っていることだろう。

 しかし、それでもヘドロ怪獣の動きは止まった。その決死の行動に、騎士団長はこの機会を逃してはなるまいと、騎士団全員に死力を振り絞るように命じた。

「風を! もっと風を」

 空中装甲騎士団の翼も折れよとばかりの飛翔で、ヘドロ怪獣の体が乾いていく。このままジャスティスと空中装甲騎士団が力尽きるのが先か、ヘドロ怪獣が乾ききるのが先か。ベアトリスたちは、少しでも早くヘドロ怪獣が力尽きてくれるようにと必死に祈っていた。

 けれど、ヘドロ怪獣はその体積を削られながらもなおもかなりの余力を残していた。ジャスティスに組み付かれたまま、その体から強烈な酸を滲み出させると、周囲の地面を侵食していった。すると、ジャスティスの立っていた地面が沼のように波打ちだし、周辺の建物ごとジャスティスの足を取って沈ませだしたのだ。

「フオォッ!?」

 さすがのジャスティスも、いきなり足場が沈みだすなんて想定できるわけがなく、一気に腰までを沈められてしまった。もがくものの、その沼はヘドロが溜まったもので、もがくほど沈んでいく上にジャスティスの体をしびれさせて飛行する力さえも奪っていった。

「そんな、毒で地面まで溶かしたっていうの!」

 ベアトリスたちは愕然とし、空中装甲騎士団も、毒沼に落とされたジャスティスの姿をどうすることもできずに見守るしかできなかった。

 ヘドロ怪獣は毒沼の中でもがくジャスティスを見下ろしてあざ笑い、さらに海に迫っていく。もう距離は数百メイル、海に戻られたらヘドロ怪獣を倒すことは永遠にできなくなる。

 なにか方法は? 誰もがそれを考えた。だが、空中装甲騎士団の全力でなおも乾燥させきれないヘドロ怪獣をこれ以上乾かすような風や熱源なんて、この期に及んでどこにあるというのか?

 

 いや……ひとつだけ方法がある。ティラとティアは、パラダイ星人の自分たちならそれができると思った。だけど、それをやれば自分たちは……それでも、ふたりは顔を見合わせて笑いあった。

「ティア、これが最後になっちゃうかもしれないけど、いい?」

「水くさいわね、ティラ。あとのことは姫殿下がやってくれるわ。この美しい水の星を守れるなら本望だよ」

 覚悟を確かめあい、ティラの眼鏡とティアの八重歯が少し悲しげに光った。

 そしてそんな二人を、ベアトリスはこんなときになにをこそこそしゃべっているのかと叱りつけた。だが、二人はベアトリスに向かっていきなり深々とお辞儀をすると、あっけらかんと言ったのだ。

「姫殿下、今まで大変お世話になりました!」

 まるで別れのあいさつのようなその言葉に、ベアトリスたちは一瞬あっけにとられた。しかし、ティアとティラの二人はすっと顔を上げると、そのまま海へと走り出したのである。

「ま、待って! あなたたちどこへ行くの? そっちは、そっちは!」

 ベアトリスたちは慌てて追いかけたが、人間より身体能力に優れたパラダイ星人の二人には追いつけない。

 二人はなにをしようというのか? その先には、海しかない。ヘドロで汚染された、あの海しか。

 まさか、やめて、そんなことをしたらあなたたちは。だが二人はそのままヘドロ怪獣を追い越して波止場までたどり着くと、ためらいなく海へと飛び込んでしまった。

「ああっ!」

 ベアトリス、エーコたちの悲鳴があがる。茶色く濁ったこんな海に飛び込むなんて、自殺行為だ。二人はいったい何を? 何もできずに見ていることしかできないベアトリスたちの前で、ヘドロ怪獣はもう少しで海へと届くところまで迫り来ていた。

 けれど、ティラとティアは決して身を投げたわけではなかった。

 人間には不可能な速度で泳ぐ二人。ヘドロの海の毒が体に染みて痺れてくるが、そんなことはどうでもいい。そして彼女たちは沖合いまで来ると、泳ぐのをやめて海中で手を取り合った。

「やりましょうか、ティア」

「うん、今のあたしたちにできる全力で、やろう」

 手をつないだ二人を中心に、海が渦を巻きだした。彼女たちパラダイ星人の大人は、二人が合体することによって星獣キングパラダイに巨大化変身することができるが、まだ少女の二人にはそれはできない。それでも、水棲宇宙人として水と語り合うことはできる。

「ハルケギニアの海よ、そこに住むすべての命のみんな、わたしたちの声を聞いて。青い海を取り戻して、もう一度輝くために力を合わせて立ち上がろう!」

「人は過ちを知りました。今こそ海に住むみんなのために! わたしたちといっしょに、悪魔を打ち払う力を!」

 二人の祈りに応えるように海が動き出した。パラダイ星人は人間にはない超能力をいくつか使えるものの、未熟な二人にはまだ荷が重い。けれど、一部の人間が動物と心を通わせられるように、二人はこのヘドロの海でも懸命に生き残っていた魚などの海洋生物に呼び掛けて、クルデンホルフの広大な海に波のうねりを作り出した。

 その光景は陸地からもはっきりと見え、ベアトリスたち四人は海が生き物のように動いていくのを目の当たりにして息を呑んだ。 

 あれを、あの二人が? 海は嵐のように波を立てて、港につながれている船は木の葉のように揺れている。荒れ狂う海でヘドロ怪獣を飲み込もうと言うのか? けれど、そのくらいであの巨大なヘドロ怪獣を溶かしきれるのか? エーコたちはティラたちの考えを読めずに困惑した。

 そしてついにヘドロ怪獣は港の岸壁にまで到達した。荒れる海をまったく気にすることもなく飛び込もうとしている。

 もうだめか! だが誰もがそう絶望したその瞬間こそ、ティラとティアが待ち望んだタイミングであった。

「今よ、海のみんな!」

「波をひとつに、光をひとつに!」

 二人の呼び掛けに応えて、荒れ狂っていた海は動いた。今までの動きはただの慣らし、ティラとティアが狙っていたのは、波の高さと角度を揃えることによって太陽光を屈折させ、その照準を一点に集約させること。

 その瞬間……海は輝いた。

 

「うわあっ! まぶしい!」

 

 空中装甲騎士団は、海から発せられたとてつもない光量の輝きに目を焼かれてたじろいだ。それは、まるで海全体が太陽になったかのような輝きで、白い光が視界を満たし、目を開けてさえいられない。

 地上でもそれは同様で、ベアトリスたちもたまらずに目を覆っていた。

「あの子たち、海そのものを巨大な鏡に変えたっていうの?」

 エーコがツインテールの影から細めた目で覗きながらつぶやいた。水は光を通すが、ある角度にずらせば光を全反射する鏡となる。

 そして、湾内すべてから集められた光はその眩しさに増して焦点を絞り込むことによって、灼熱の太陽から生まれた力を一気にヘドロ怪獣に注ぎ込んだのである。

 刹那、ヘドロ怪獣からつぶれたカエルのような叫び声と共に噴火のような水蒸気が立ち上る。そして、そこから発生したとてつもない熱波は、まるで目の前に溶鉱炉があるような錯覚を空中装甲騎士団やベアトリスたちに覚えさせた。

「熱い! 燃えちゃいそう!」

 怪獣とは百メイル以上は離れているはずなのに、やけどしそうな熱が肌を焼いてくる。ベアトリスの白い肌は直火に照らされたように痛み、ビーコやシーコが体を傘にしてかばった。

 太陽光とは自然の恵みであると同時に、強力なエネルギーを秘めた破壊光線でもあり、虫眼鏡で集めるだけで簡単に紙や木を焼き切れるし、複数の鏡で集中させたら金属でも溶かせるほどの熱を持つ。

 この街の空は煤煙で汚されているが、それでも湾全体から集められた光は莫大な熱をヘドロ怪獣へと注ぎ込み、汚れた肉体を焼き尽くしていく。ティラとティアの命をかけた作戦は、この海全体を反射板にしてヘドロ怪獣を乾燥しつくそうというものだったのだ。

 けれど、汚染された海の中で長時間力を行使することはティラとティアの生命力を急激に消耗させていった。

「もう……そろそろ、いいかな」

「うん。きっと、姫殿下もほめてくれるよね……」

 力を失って、ふたりは海の底へと沈んでいった。それと同時に、鏡面化していた海面も収まってただの水面へと戻った。

 港の一角はあまりの高熱のために焼けただれ、わずかな時間の照射であったが、太陽というものが持つすさまじいパワーを人々の目に知らしめていった。

 しかし、ここまでのすさまじい高熱で焼かれながらも、ヘドロ怪獣はまだ生きていた。高熱で焼かれてレンガのように固まってしまった外皮を破って、中から一回り小さいヘドロ怪獣が這いずり出てくる。

「まだ生きているのか!」

 恐るべき生命力だった。ここまでやっているのに大きさを削るだけで精一杯なのだ。ヘドロ怪獣の本体は真っ黒いクラゲのようなつぶれた姿で這いずり、太陽光攻撃の残熱で動きを鈍らせながらも、なお海へと向かおうとしている。

 それでも大きさは最初の三分の一程度まで小さくなった。今なら勝機はあると、空中装甲騎士団の騎士団長は、炎と風を使った総攻撃を指示する。

『フレイム・ボール』

『ウィンド・ブレイク!』

 効果があると思われるありったけの魔法が竜騎士たちの杖から放たれてヘドロ怪獣をさらに削った。

 しかし、それでもまだ削りきれない。あと一歩、決定力が足りないのだ。長期戦で飛竜も騎士たちも疲れきり、これ以上の力は出せそうもない。

 でも、今しかチャンスはないのだ。皆が知恵と力を使いきってヘドロ怪獣を追いつめた。このチャンスだけは逃せない……ベアトリスは両手を握り、祈るようにつぶやいた。

「ウルトラマン……助けて」

 その声は、ヘドロの沼の中で苦しんでいたジャスティスの耳に届いた。そして、ジャスティスは助けを求める声を聞き、よくぞここまで戦ったと、人間たちの奮闘を心の中で称えた。

 ジャスティスはただ沼地に囚われていたわけではない。脱出に苦戦しながらも人間たちの頑張りは見届け、彼ら人間が自らの過ちに気付き、それを正すために必死になる姿を認めていた。

 今の人間たちは救うべき価値がある。いや、救わなければならない。かつてコスモスに教えられた希望と同じものを持っている人間たちのため、ジャスティスは決意した。

 だが、ウルトラマンの動きすら封じるヘドロの沼から脱出するにはどうすればいいのか? 乱暴な方法だが、これしかないと、ジャスティスはエネルギーを集中し、真下に向けて撃ちはなった。

『ビクトリューム光線!』

 大破壊力の光線が沼地を吹き飛ばし、ジャスティスはその反動をあえて制御せずにまともに受けることによって、一気に毒沼から脱出することに成功した。

 そして光線の反動で、飛ぶというより吹き飛ばされる形で後ろ向きに飛んで、ジャスティスは最後に空中でバク転しながらヘドロ怪獣の前に着地した。ヘドロ怪獣は地面に這いつくばりなから、毒々しい目玉でジャスティスを見上げてくる。

”ここを通すわけにはいかない”

 立ちはだかるジャスティスの目はそう言っていた。生命の価値は平等であるべきでも、他者に害を与えるものは倒さねばならないのだ。

 海への道を塞ぐジャスティスに、小さくなったヘドロ怪獣はカエルのようにジャンプすると、ジャスティスに飛びかかってきた。その体に残った毒素を使って、スライムのようにジャスティスを溶かそうというのだ。

「危ない!」

 誰もが叫んだ。だがジャスティスはヘドロ怪獣の飛びかかりを避けずにがっぷりと受け止めた。当然、強酸に焼かれてジャスティスの体が腐食される。しかしジャスティスはそれに構わず、そのまま空を見上げて飛び立ったのである。

「シュワッ!」

 ヘドロ怪獣を抱えたまま、ジャスティスは空高く上昇していく。

 いったい何を? ベアトリスたちは呆然とし、空中装甲騎士団の騎士団長は唖然としながらもウルトラマンの意図を察した。

「そうか、あいつを地上で倒しても小さな破片から生き返るかもしれない。だからウルトラマンは、奴を安全な場所まで運ぶつもりなのか」

 それでも、ヘドロ怪獣が二十メイル程度にまで小さくなった今でなければジャスティスでも持ち上げることは不可能だっただろう。ヘドロ怪獣はジャスティスに抱えられたまま、雲のはるか上の空へと運び去られていく。

 そして間もなくして、なにも見えなくなった空の一点が輝き、それがヘドロ怪獣の断末魔の叫びなのだと人間たちは知った。

「終わった……のか」

 疲れはてたように、騎士のひとりが言った。

 本当に……本当に恐ろしい相手だった。空中装甲騎士団はどんな敵でも決して恐れることはないと自負してはいるものの、もう二度と戦いたくない敵だった。

 しかし、あんな化け物が生まれたのは、元はと言えばクルデンホルフの人々が欲に駆られたから起きたのだ。空中装甲騎士団の団員たちは、それぞれ騎士として高い教育を修めた英才でもある。彼らは、今戦った怪獣がどうして生まれたのかを理解し、海を見ながら憮然として言った。

「あの怪物が、最後の一匹とは思えない。我々が水を汚し続ける限り、第二、第三の化け物がまた……」

 そんな日は遠くないかもしれない。そしていつかは、ウルトラマンでも倒せないようなとてつもない怪物が……。

 これは単なる始まりにすぎないのかもしれない。けれど、ひとまず今は戦いは終わった。ヘドロ怪獣の残った破片は完全に乾燥してはいても、後で念入りに焼却しなければならないだろうし、ヘドロで汚染されてしまった街の復興にも恐ろしく手がかかることを思えば気が遠くなるが、戦いだけは終わったのだ。

 けれど、ほっと息をつく空中装甲騎士団とは違い、ベアトリスたちは沈痛な空気に包まれていた。

「ティラ、ティア……」

 海を前にして、ベアトリスとエーコたちは力なくうなだれていた。クルデンホルフは救われた……でも、ティラとティアの二人は帰ってこなかった。

 ふたりが命をかけて動かした海は穏やかな波に戻り、何事もなかったかのように潮風を漂わせている。大きく海水をかき混ぜたことによって、少しだが海水が浄化されたようだった。でも、そんなことはなんの慰めにもならなかった。

「死んでいいなんて許可を出した覚えはないわよ。あなたたちがいなくって、どうしてわたしが喜べるっていうの……二人とも、ほんと馬鹿なんだから」

 大切な人を失うことの痛み。もう二度と味わいたくないと思っていたのに、もう誰も失わせないって、決めたのに。

 ベアトリスの澄んだ瞳から涙がこぼれ、小さなほおを伝ってこぼれていく。エーコたちも皆、涙を流していた。シーコなんか、大きな声を上げて泣いていた。

 それもすべては、クルデンホルフの人々が欲に目がくらんだせいだ。街ではヘドロ怪獣のために数多くの犠牲者が出たであろうが、どんなに富を集めたところで命は買えない。そんな簡単なことを忘れていたがゆえに、多くのものを失ってしまった。

 だが、いつまでも悲しんでいても始まらない。エーコはベアトリスの肩に手を置いて、立ち上がるようにうながした。

「さ、姫殿下、悲しんでばかりいてはティラたちに笑われますよ。行きましょう」

「うん……あれ? ねえ、あれ何かしら」

 ふと、ベアトリスが沖合を指差して、三人はそちらを見た。

 凪に近くなった海面の向こうから、小さな波が近づいてくる。魚? にしては大きい。まさか、まだヘドロ怪獣の生き残りが? 

「いけない! 姫殿下、お下がりください」

 とっさにビーコが前に出て杖を握った。彼女たちに扱える魔法なんてたかが知れているが、ティラとティアを失った以上、命に代えてもベアトリスを守らねばと三人は思った。

 だが、目の前にまでやってきた波はベアトリスたちの直前で大きなしぶきを上げて跳ね上がった。

「きゃあっ!」

 なにが起きたのかわからなかったが、目の前の海中から飛び出てきたのはヘドロ怪獣などではなかった、人間より一回り大きな魚? いや、そこから宙に流れるしなやかな髪を見て、ベアトリスはぽつりとこぼした。

「人魚……?」

 そして、謎の影は宙でくるりと一回転して海に戻り、その正体を知ったベアトリスたちは仰天した。

「シャチ……って、あなたたち!」

「えへへ、死に損なっちゃいました」

 なんと、大きなシャチの背中にティラとティアが乗せられていたのだった。

 なにがあったのかと、泣きながら問い詰めるシーコに、ティラは照れ臭そうにメガネをかけなおしながら答えた。

「あのとき、力を使い果たして死ぬと思ったんですけど、沈んでいく途中でこの子たちに救われたんです。この星の海の仲間たちに」

 まさに奇跡。いや、海を守ろうとするふたりの姿に海も答えたがゆえに起きた必然であったのかもしれない。

 シャチの背中からよろめきながら降りたティラは、駆け寄ってきたベアトリスたちにもみくちゃにされてしまった。

「ティラぁ、生きてたあ、よかったぁ!」

「ちょ、姫殿下、みんな、もう疲れてヘトヘトなんですから、やめてください」

「なによそんなの。泣き虫の姫殿下に心配かけた罰よ。もう勝手なことしたら先輩のわたしたちが許さないんだから」

 友の生還を喜んで、彼女たちは思う存分に泣いた。

 一方、シーコはティアのまたがっているシャチに近づいて、ワクワクしながら見つめていた。

「すっごーい、これシャチっていう生き物でしょ。ティア、あなたが友達にしたの?」

「へっへん、かっこいいでしょ。それに、かっこいいだけじゃなくてとっても頭もいいのよ。先輩、見ててくださいね」

 湿っぽいのが苦手な二人はもう遊び始めていた。ティアは疲労困憊のはずなのに、シャチにまたがりなおしたとたんに元気になってシャチといっしょに曲芸をはじめてしまった。

「ジャンプ!」

 ティアの合図でシャチはティアを乗せたまま大きく飛び上がった。そしてそのまま宙で一回転して水面に舞い戻り、激しく水しぶきをあげた。

 雨のようにしぶきが舞い散り、シーコだけでなくベアトリスたちまでずぶ濡れになってしまってティラの怒声が飛んだ。

「ティア! なにやってるのよ。姫殿下様たちに心配かけてしまったばっかりだってのに」

「ごめーん! でも、せっかく命拾いしたんだもの。しんみりするより遊ぼうよ! 新しい友達もできたんだしさ」

 そう笑い返して、ティアはまたシャチといっしょにジャンプした。その愉快な様子に、今度はシーコがはしゃぎながら「わたしも乗せて乗せて」と言って、いっしょに遊び始めてしまった。

 シャチに乗って、ティアとシーコの緑色の髪が濡れて舞い散る。そんな二人に、ティラとエーコが叱りつけようとしたが、ベアトリスがやんわりと引き留めた。

「いいわ、遊ばせておきなさいよ」

「姫殿下? でも、甘い顔をしたらあの子たちは調子に乗りますよ」

「いいのよ、今日くらいは。それに、あの子たちが笑ってることもできないような世の中じゃ寂しすぎるじゃない。生きてるからこそ、笑えるんだから」

 その言葉に、エーコたちも「仕方ないわね」とため息をつきながら苦笑した。

 そう、人が笑えなくなる世界なんてものがあれば、それはきっと地獄というに違いない。なぜなら、笑えるということは幸せを感じられるということで、幸せなしで生きてなんの意味があるだろう。

 ティアとシーコは友達になったシャチといっしょに、海原の上でおもいっきり遊んだ。

「よーし、次は三回転にチャレンジよ」

「わーい! ゴーゴー!」

 水しぶきをあげて宙を舞うシャチと、ふたりの少女。水しぶきが小さな虹を作り、まるで人魚の姉妹が楽しそうに遊んでいるように見えた。

 まだ決してきれいな水であるとは言えない。しかし、自然の生き物の生命力というものは人間の思うより強いようで、ふたりの笑い声に誘われるように別のシャチも集まってきて、数匹でダンスを始めた。

 まるで人魚姫のカーニバル。それを眺めて笑いながら、ベアトリスは思った。このダンスが終われば、シャチたちはまた遠い海に帰って行ってしまうだろう。けれど、シャチだけじゃない。いろんな生き物が戻ってこれる、元のきれいなクルデンホルフの海を取り戻そうと。

「青い空を取り戻したら、青い海を取り戻したら、今度は学院のみんなも呼んでいっしょに遊びましょう。そしていつか、エルフの都にも負けないすごい街を、ここに作ってみせるわ」

 みんながハッピーになれる未来を創る。そんな夢をベアトリスは抱いた。

 発展を目指すことは悪いことではない。話に聞いたエルフの首都アディールは、自然と大都市が調和した素晴らしい景観を築いているという。

 しかし、欲が行き過ぎて発展の速度を上げすぎると、その歪みは人間に牙をむく。人間の可能性は無限大だが、力は大きくなればなるほど諸刃の剣となって自分に返ってくる。自制という言葉を知らず、自分の力を過信して自滅した人間の汚名は後世の人間たちの反面教師として嘲笑されるだけだ。

 ベアトリスも、いつまでも純粋な気持ちを保ったまま歪まずに大人になれるとは限らない。無数の愚者たちと同じ道に滑り込むかもしれない。

 それでも、未来は不確定であり無限大だ。それに、今のベアトリスの周りには、苦楽を分かち合う仲間がいる。自分の野心だけではなく、彼女たちの幸せを願う心がある限り、夢は濁りはしないだろう。

 いつの日か、澄んだ水と空の下で、少女たちが人魚のように遊ぶ日がこの地に戻ってくる。その道は険しくとも、人間たちは水を汚す愚かさを悟ったのだ。

 

 いつしか、ベアトリスやエーコたちもティアやシーコといっしょにシャチたちと戯れていた。

 その様子を、ジュリは遠くから傷ついた体を推して見守っていたが、やがてふっと消えていった。

 

 

 クルデンホルフを襲っていた危機は去った。だがトリステインに迫るガリアの脅威はまだ消えていない。

 皆が笑って過ごせる平和は戻るのか。戦いはまだ、これからなのだ。

 

 

 続く

 

 

 

 

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第8話  赤い炎の青い女

 第8話

 赤い炎の青い女

 

 人魂怪獣 フェミゴン(フェミゴンフレイム) 登場

 

 

 危機、それは言葉で表せば一瞬であるが、それを解決するためには膨大な努力と時間が必要とされる。

 多くの者の心に深い傷を残したエルムネイヤの舞踏会の事件は、より大きな事件の引き金となった。事件の傷が癒える暇もなく、トリステインを襲ったガリア王国の宣戦布告と怪獣軍団の襲撃は、わずか一日で多くの人々に深刻な衝撃を与えた。

 それだけではなく、クルデンホルフを襲ったメトロン星人やヘドロ怪獣のように、ハルケギニアは常に危険を内包し、それがいつ吹き出すかもしれないということを証明した。

 だがここで、時系列はクルデンホルフから少しさかのぼり、始まりとなった日の終わりから語らねばならない。

 

 トリスタニアが二大怪獣に、トリステイン魔法学院がゾラに襲われ、タバサとシルフィードが激闘を繰り広げた激動の初日。

 

 その動乱もようやく静まり、日付がひとつ増えようとしている深夜のトリステイン王宮。天空から万億の星々が照らし出す宮殿の中では、ある者は眠れぬ夜を送り、ある者は疲れ果てて床で眠り込んでいた。

 王宮からは、すでに先んじて使用人らの退去が命じられていて、明日には大臣ら役人も避難し、最後には女王を連れて全ての人間がここを引き払う予定だ。むろん、戦争が終わるまでの一時的な退避にするはずだが、城門から後ろ髪を引かれる思いでメイドや料理人が出ていくごとに、王宮は廃屋のような静けさに包まれていった。

 そんな夜の中、避難民とは別に王宮から旅立とうとしている者たちがいた。城門近くで二つの集団が馬車に忙しく荷を積み込み、旅立ちの支度を急いで汗を流している。

「各員、偽装に気をつけろ。剣と銃は念入りに隠しておけ、あくまで平民に扮して行動するんだ」

「みんな急いでくれ! 街道が使えるうちにトリステインを出るんだ。早くしないと間に合わなくなってしまうぜ」

 片方は農婦の一団に扮した銃士隊、もう片方は同じく農民に変装した水精霊騎士隊の一団で、彼らはこの夜のうちに、ある特務のために王宮を出発しようとしていた。

 銃士隊小隊長格のアメリーが指揮し、その隣ではギムリが仲間の少年たちを急かして、自分も食料の入った木箱を馬車に積み込んでいた。魔法を使えば軽いが、これから先精神力は可能な限り温存しておく指示が出ている。

 積み込んでいる物資は、しばらく行動するための食糧や様々な衣服、金子などだ。それを水精霊騎士隊と銃士隊が自分たちの馬車に積み込んでいる。ただし、王宮も少なからぬ被害を受けているので、残っている物資をかき集めるだけでも一苦労で、先行きへの不安はこの時点で漂っていた。

 だがそれでも、彼らは行かねばならなかった。けれど、全員が出るというわけではない。先のルビアナとの戦いで銃士隊は死者こそ出なかったが多数の負傷者を出し、馬車に乗る支度をしているのは銃士隊も水精霊騎士隊も全体の二割ほどの人数に過ぎない。

 水精霊騎士隊は頭数だけはあるものの、今回の任務は隠密性が重視される上、隊長のギーシュは腕の怪我がまだ治っていないので、残念そうに準備を進めている仲間を見つめていた。

「残念だ。本当ならこんな重大な任務に、ぼくがでなくてどうするっていうのに。情けない」

「ギーシュ隊長、たまには部下に手柄を譲るのも騎士のつとめですよ。隊長は余計なことは考えずに、残るみんなと女王陛下を守っていてください。でないと、その残った腕も彼女に引きちぎられますよ」

 レイナールが包帯グルグル巻きのギーシュの両腕を見ながら言った。杖も握れないのにこれ以上でしゃばったら、本当にモンモランシーにベッドに貼り付けにされてしまうだろう。

 今回、任務を受けて水精霊騎士隊で出発するのはギムリを暫定リーダーにした若干名でしかない。その中に才人とルイズも入るものの、十人にも満たないだろう。

 けれど、今回の任務は無事に帰れる保証はない。スーパーグランドキングの襲撃が終わった後に水精霊騎士隊を玉座の間に呼び、この任務を命じたときの女王陛下のすまなそうな表情は皆の心に刺さったが、若輩なれど貴族として、水精霊騎士隊は全員が命を捨てる覚悟はできている。それでも、無理に全員で行って全滅したら目も当てられないゆえの、レイナールの苦肉の策だった。

「準備はあと一時間くらいかな。けれど、これがひょっとしたら本当に水精霊騎士隊の最後の任務になるかもしれない……」

 この戦争の相手は、ハルケギニアで一番の大国だ。普通に考えて、トリステインは風前の灯火……それでも、母国の命運を少しでも伸ばすためには危険でもやらなければならないと、皆は心に決めていた。

 

 

 だが、ルイズはそんな彼らから離れて、一人で星を見上げていた。

「こんな時だっていうのに、月や星には関係ないのね」

 ここには荷積みで忙しい声も聞こえてこない。ルイズのいる場所は城門から出て城壁沿いに少し歩いた見晴らしのいい場所だった。トリステイン王宮はトリスタニアの街を見下ろす小高い丘の上に立っており、ここからなら城壁を背にしながらトリスタニアの全景を眺めることができる。

 けれど、ルイズの見下ろすトリスタニアの夜景は、家々に明かりが減り、大通りには夜のうちにトリスタニアを出ようとする人々のカンテラの灯りがうごめいているいびつなものになっていた。それは、ちらりと上を見上げるだけで見える星空が今日も変わらないのとは対照的で、いかに人間というものが宇宙に比べたらちっぽけかという皮肉な証明のようにも思えた。

 夜風が吹いて、ルイズのブロンドの髪を流していく。そうしてルイズはじっと夜空を見上げ続けていたが、そこにふと聞き覚えのある女の声が響いた。

「一人かな、ミス・ヴァリエール」

「……珍しい客が来たわね。ここにサイトはいないわよ」

 傍らに立っている青髪の女騎士の姿を横目で見て、ルイズは表情を変えずにつぶやいた。だがそんなルイズのそっけない態度に気を悪くした様子もなく、ルイズの恋敵でもあるミシェルは、ルイズの傍らの芝生に腰を下ろして尋ねてきた。

「体は、もういいのか?」

「歩くくらいなら問題ないわ。明日にはなんてことなくなってるでしょうよ」

 強がるルイズを見て、ミシェルは歩くだけでもまだきついだろうにと思ったが、口にはしなかった。

 女王陛下に呼び出されたとき、才人とルイズが異常に疲労していたのは誰の目にもわかった。ミシェルの目から見て、数日程度で全快できるような具合ではない。本来なら、女王陛下の特務からも外されるはずであったが、ルイズはこの非常時に女王陛下のお役に立てないくらいなら死んだほうがいい、置いていくなら一人で馬に乗って行くと固持して参加が決まったくらいだ。

 そんな頑固なルイズのことである、不機嫌なことはミシェルも承知していた。

「何の用よ? サイトはどうしたの?」

「あいつも体がきついだろうに、無理に積込を手伝おうとしていたから魔法で眠らせて馬車に放り込んである。まったく、誰かさんのためには律儀な奴だ」

「……」

 ルイズは、今度も自分の無茶につきあってくれた才人のことを思って胸を苦しくした。しかし、ミシェルはそのことでルイズを咎めるようなことは言わず、間が悪くなったルイズはミシェルに問い返してみた。

「……じゃああんたはどうなの? 指揮官がこんなところでぼんやりしてていいの?」

「水精霊騎士隊の半人前どもと違って、銃士隊にいちいち命令しなきゃ動けないぼんくらはいない。わたしは今のうちに、お前と話しておきたいと思っただけさ」

「わたしに、あなたが?」

 ルイズは怪訝に思ったが、ミシェルはさっきまでのルイズのように星空を見上げながらゆっくりと言った。

「今度の戦争は、勝っても負けてもただですむとは思えない。ガリアの狙いはまだわからないが、多くの命が失われるだろう。わたしもそのことでさっき、姉さ……アニエス隊長と話してきたところだ」

 ミシェルは、今では上官としてだけではなく家族として信頼している義姉の名前を愛しげに呟いた。

 

 これから始まる特務は、可能であればアニエスが指揮をとるべきものであった。しかし、アニエスはギーシュと同じくペダニウムランチャーを撃った反動で両腕に重傷を負ったままで、とても軍務をおこなえる体ではなかった。

 剣を握れないのでは女王陛下の護衛もできないと、負傷兵とともに避難を決められたアニエスに、ミシェルは沈痛な面持ちで別れを告げていた。

「では姉さ、隊長……行ってまいります」

「そうか、ガリアはまだ何を考えているかわからん。気をつけて行くんだぞ」

 両腕をギブスで固定されたアニエスは、副長として銃士隊を率いて出立しようとしているミシェルを気遣いつつ、見送りの言葉を送った。

 アニエスが負傷した以上、隊の全権は副長であるミシェルに移される。しかしミシェルは大役を任されたというのに浮かない表情で、なかなか踵を返そうとしない様子に、アニエスは他の隊員たちを人払いさせてから、優しくミシェルに話しかけた。

「どうした? 恐ろしくなったか?」

「隊長……いえ、そういうわけでは」

「気負うな。ここには私とお前しかいない。ミシェル、お前が私の妹になってもうずいぶん経つな。お前のことは、もうこの世にいる誰よりもわかっているつもりだ。姉に向かって、格好つける必要はないぞ」

 そんなアニエスの諭すような言葉に、ミシェルは声を詰まらせるようにして話した。

「……本当は、わたしは怖いんです。前の戦いでも大勢の仲間が傷ついて、今度の戦いも得体の知れない何かが蠢いています。わたし自身が傷つくなら覚悟はできています。けれど、わたしの指揮で、部下たちを失ってしまったら……」

「部下を失うことを恐れていては指揮官は務まらんぞ?」

「わかっています。ですが……」

 アニエスの言うような指揮官としての基本は、当然ミシェルにはわかっていた。指揮官は兵を駒として扱い、最後の最後まで戦場に残り続けるのが鉄則だ。

 前はそうすることができた。けれど今は、それに迷いが生ずるようになってきている。すると、アニエスはミシェルにこう告げた。

「それはミシェル、お前の中で人間として大切なものが残っている証拠だ」

「え?」

「普通の指揮官なら、部下が死ねば死ぬほどそれに慣れていく。当たり前のことだし、それが望ましいことだ。だがなミシェル、我々銃士隊は騎士などとは言っても、しょせん正規の貴族ではないはぐれものの寄り合い所帯だ。そんな連中が危険を承知で着いてきてくれるのは、女王陛下への忠誠もあるが、私やお前の正義を信じてくれているからだ」

「わたしの……正義?」

「我々は正確には正式な軍隊とは言えん。食い詰めて入ってきた者は多少の無茶も聞くだろうが、もし危険な命令ばかりを連発すれば、たちまち離反者多数になるだろう。だが、隊のみんなはここまで着いてきてくれて、今も危険な任務にも関わらず、旅立とうとしている。それはミシェル、お前が隊の皆の痛みのわかる指揮官だから、皆はついていこうと思うんだ」

「買い被りです。わたしはそんなたいした器じゃありません」

「以前のお前ならそうだったろう。しかし、今のお前は真に守るべきものを知って大きく変わった。私が保証しよう」

 もしアニエスの両手が動かせたら、ミシェルの肩に手を置いて励ましていただろう。ミシェルは、自分自身の変化について困惑した様子だったが、アニエスはミシェルにさらに諭すように言った。

「それになミシェル。お前が皆を想っているように、皆もお前の幸せを願っている。それは、わかるだろ?」

「はい、まあ、過剰なくらいには」

 ミシェルは、隙あらば余計なおせっかいを焼こうとする隊のメンバーのこれまでの悪行の数々を思い出して苦笑いした。

「そういうものさ。隊の上も下も互いを思いやる、こんな部隊はそうはないぞ。だから、お前が皆を傷つけたくない思いはわかる。だがな……私たちの仕事は汚れ仕事だ。そしてこれは、女王陛下直属の比較的自由な立場の我々しかできない」

「それは、わかっているつもりです……」

「そうだな。世の中をきれいにするためには、誰かが手を汚して汚いものを取り除かないといけない。それに危険はつきものだ、私もお前も明日どうなっているかはわからないのが我々の仕事だ……だがな、お前の苦しみはお前だけのものじゃない、銃士隊の誰もが、仲間を傷つけたくないと願っている。もちろんお前のこともな。だからミシェル、肩の力を抜け。お前は一人じゃない、皆がそれぞれを助け合える銃士隊は強い組織だ」

 ミシェルはいつしかぐっと拳を握って涙をこらえていた。

「ミシェル、お前は優しい娘だ。もし貴族の娘としてそのまま育っていれば、花のような可憐な令嬢として女王陛下のように愛されていただろう。お前はその花を鎧で隠して生きてきたが、花は太陽があればどんな過酷な場所でも咲くものだ。お前の鎧を壊して、花を開かせた太陽はなんだ?」

「それは……その」

 今度は赤面したミシェルを、アニエスは楽しそうに笑いながら見た。

 銃士隊ができたばかりのころのミシェルは、それこそむき出しのカミソリのように触れるものすべて傷つけるような人間だったが、今ではこのとおりの乙女らしさも見せるようになった。かといって弱くなったかといえばそんなことはない。そのきっかけになったのが恋であり、ミシェルにそれを与えたあいつの間抜け顔を思うと、さらにアニエスの口元も緩んだ。

「その顔が本当のお前だ。そんなお前を助けたくて、うちの馬鹿どもは張り切っている。だがそれでも、櫛の歯が欠けるように仲間を失う日は必ず来るだろう。だが、その者たちにお前が必要以上に詫びる必要はない。皆、それは覚悟している。それに、私たちはこの体を失ってもそれで終わりではない。力尽きたその後は、先に始祖の元に召された仲間たちが温かく迎えてくれるだろう。そして、皆で空から我々を見守ってくれる。生きても死してももはや銃士隊に孤独はない。いいな?」

「はい、姉さん……」

 死は終わりではない。悲しいだけのものでもない。終わりであり悲しいのは、それがそいつが一人であるから。アニエスはそう語り、ミシェルも言葉を詰まらせながらうなづいた。

「ただし、簡単に死ぬなよ。せめて、お前の結婚式くらいは見ないとあの世の連中への土産話が足りないからな」

「……む、それなら妹より姉のほうが先と相場が決まっていますよ」

「そうさ。だから私の夫が務まるような男を紹介するためにも、立派に行って帰ってこい。ミシェル……私の自慢の妹よ」

 それから数分の姉妹の交流は、他人が詮索するには野暮というものだろう。ただ、覗き見をしていた銃士隊員数名が赤面していたことだけ付け加えておこう。

 その後、アニエスに励まされたミシェルは、危険な旅路へ向かう覚悟を決めてここに来た。

 

 話を語り終え、ミシェルはルイズの隣でふうと息を吐いた。ルイズはその話をじっと聞いていたが、少しほおを緩めて口を開いた。

「変ったわね。あんたたちも、あのアニエスも」

「ああ、サイトの馬鹿がみんなにうつった。そう言うお前はどうなんだ? ミス・ヴァリエール」

 そう言われてはルイズも返す言葉なく目をそらすしかなかった。二人とも、才人がいなければまったく違った人生を歩んでいたことは間違いない。そして、才人と出会わなかった運命を良いと思ったことはない。

 思えば似た者同士ということか。そうして、二人は才人に関する思い出を語り合った。

「サイトったら、わたしがおしゃれをして見せても何も反応しないのよ。顔と胸しか見てないのかしら、ほんと失礼しちゃうと思わない?」

「ふーん、だがわたしと買い物に行った時に古着屋で水兵服を見て妙に興奮していたがな。銃士隊の夏服に採用してみようかと言ったら涙を流して喜んでいたが、サイトはああいうのが好みなんじゃないのか?」

「水兵服? あいつったら何を考えてるのかさっぱりわからないわ……ちょっと待ちなさい。いつミシェルとサイトがいっしょに買い物に行ったのよ。そういえば昨日、サイトが街の見回りだって出て行った後に妙にホクホクしてたのは! いえ、考えてみればド・オルニエールの前後あたりからサイトが水精霊騎士隊の訓練だとか言って夜まで帰ってこないことが度々あったけど、あんた連れ出してたわね!」

「さて何のことやら? だが水精霊騎士隊どもが銃士隊に稽古を頼んできたとき、たまたまわたししか手が空いてなかったことなら何度かあるな。そのときの休憩時間に何をしてもこっちの勝手だろう?」

「あ、あのバカ犬! というか、ギーシュたちまでいっしょになってこいつに加担するってどういうことよ! 後で全員粉々にしてやるわ」

 それに関しては、お互いの人望の差としか言いようがない。普段のおこないというものは本人の知らないうちに効いてくるものなのである。

 負けたくないルイズは、自分はこの間サイトに手作りのパイを食べさせたと自慢し、対してミシェルは自分はこの間サイトと密室で長い時間いっしょに過ごした(タバサもいたことは置いておいて)と返してルイズを悔しがらせた。

 二人は互いにポイントを稼ぎ合い、互いが油断ならない相手であることを再認識した。

 単純に才人といっしょにいる時間ならばルイズが圧倒的に上回る。しかしミシェルは会える機会が限定される分、会う毎の時間の密度が濃く、それにルイズに味方がほとんどいないのに対してミシェルは銃士隊のメンバーの強烈なバックアップがついている。

 現状はほぼ互角。まあかといって好感度を稼げていると自信を持てないのが才人という鈍感野郎なのだが……。

 ルイズとミシェルによる乙女談義は飽きることなく続いた。二人とも、対等に恋愛について話せる相手がほとんどいないこともあって、その様子はライバル同士でありながら実に楽しそうなものであった。

 そういえば、こんなふうに二人で話したことがあった……。

「ねえ覚えてる? あの砂漠の日の誓いのこと」

 ルイズは夜空の月を見上げながら、サハラでの戦いの後にミシェルと二人で誓い合ったことを尋ねた。

「忘れるものか。互いに自分を犠牲にしたりせず、二人とも必ず幸せになる……そう誓ったな」

 ミシェルも答えた。見上げれば、夜空には星々の中でひときわ強く輝くウルトラの星が瞬いて見える。

「わたしたち……今、幸せかしら?」

「それは、お互いの顔を見ればわかるんじゃないか?」

 確かにそうだった。ルイズもミシェルも、その顔には誰かを愛し愛されることを知った喜びと充実感が満ちていて、孤独であった頃の影はすっかり消えていた。

 それだけではない。二人とも、今では昔持っていなかった自分の芯を持っていた。

「わたしは虚無の担い手。いえ、それよりも、わたしがいなくなったら誰がサイトたちみたいな馬鹿どもを止められるのよ」

「銃士隊副長、今なら胸を張ってそれを名乗れる。我々が女王陛下を守り、それがトリステインの平和につながる」

 人が一番悲しいことは、世界の中に自分の居場所がないことだという。その人の存在がなくても、誰も困らないし誰も気にしない。昔は二人ともそうだった。だから必死に尖って暴れて、自分の存在を周りに認めさせようとした。

 ……今はそうではない。ルイズもミシェルも、いるべき自分の場所を魂に刻み、そこにしっかり足を下ろしている。

 ただ、いつまでもこの状況に満足していてはいけないとも思う。

「なあ、今度の戦い……生きて帰れる可能性は低い。だが……」

「わたしもあなたも、無駄に死ぬつもりはない。でしょ?」

「お見通しだな。だがそうなると、我々にはやらなければならないことがある……」

 この戦いに生きて帰る。ガリアの野望も粉砕する。それがいかに絶望的な道だとしても。

 そして、ガリアとのいざこざが片付けば、トリステインを巡る国際情勢も落ち着くであろう。その暁には、そろそろ……。

 

「決着をつけようじゃない!」

 

 二人は同時に同じ言葉を相手にぶつけた。

 もう互いに準備期間は十分なはず。ルイズとミシェル、どちらが才人をとるか、白黒はっきり着けるべき時期である。

 そしてそれが決まった瞬間……二人の脳裏に、相手に絶対的な差をつけるためには、一線を越えることも、ある……かもという危機感が稲妻のようによぎった!

「い、言っておくけど、サイトはわたしの使い魔よ。主人に許可なく手を出したらどうなるかわ、わかってるんでしょうね!」

「そ、それならサイトは銃士隊の準隊員だからわたしが好きにする権利がある。いくら主人だからってすべての時間をサイトから奪う権利はないぞ!」

 さっそくつばぜり合いが始まった。これまでは小手調べできたが、次の間合いへ入るとなると一刀で相手を切り伏せられるかの勝負になる。ルイズもミシェルも余裕をかなぐり捨てて、火花をぶつけ合った。

「そそ、それだけは許さないわよ。あ、あ、あの乳メイドのものに触ってもツェルプストーの露出に見とれても許してきたけど、それだけはダメよ。あれはその、貴族たる者は、ちゃんと式をあげてからじゃないといけないものなんだからね」

「ふ、ふん! そうやって理屈をつけて逃げようとしてるだけなんじゃないのか? そっちが貴族の体裁にこだわるというなら、トリステインの民はすべからく女王陛下の僕だということを忘れてはいまいな。女王陛下がよしと言えば使い魔の一人くらい下賜することになっても仕方ないよな?」

「あ、あんた。騎士のくせになりふり構わないつもりね。女王陛下を持ち出すなんて卑怯よ!」

「ふん! 自分の武器を使えるときに使って何が悪い! 女王陛下は臣下の幸福に心を傾けるお優しいお方、きっと暖かいご裁断を下してくれるだろう」

 ミシェルはアンリエッタ女王陛下への信頼を込めた風に語ったが、アンリエッタと幼なじみのルイズにはわかっていた。こういうとき、アンリエッタは絶対にルイズの味方なんかしない。天使のような悪魔の笑顔でこう言うだけだ。

 

「では公平を期すために、ルイズとサイトさんがこれまで一緒にいた時間だけ、ミシェルとサイトさんを二人っきりにしてあげましょう」

 

 そうなればルイズは絶望だ。そして、愕然とするルイズの顔を見てアンリエッタは太陽のような笑顔を浮かべるであろう。

 なぜかって? ルイズとアンリエッタの間には不動の友情があっても、二人はライバルでもある。アンリエッタにとってルイズをおちょくって、激昂したルイズと対決することこそが最大の娯楽なのだから。

 もっとも、完全にミシェルの味方というわけでもない。あのお堅いルイズが、本気で崖っぷちに追い詰められたらどうするかという発破も混じっているのである。

 いずれにせよ、既成事実という強制的なゴールを互いが認識してしまった以上、もはや二人に余裕はなかった。しかし、これは決して汚いことではない。恋はその成就のためにはこの世の全ての事柄に優先される。

 アンリエッタもシエスタもキュルケも、本気でその気になればためらわないだろう。あのティファニアやタバサだって、本気で恋をすれば相手を手に入れるために変わるかもしれない。

 恋とは、ある意味もっとも泥臭い仁義なき戦いなのだ。どんなに気持ちが純粋だろうが出遅れてしまえばすべてを失う。今、ルイズとミシェルには覚悟が求められていた。

「わ、わたしは卒業したら小さなお屋敷を買ってサイトと二人で暮らすって決めてるんだからね!」

「それがどうした! わたしなんかもう一度はサイトにこの身を捧げようと思ったくらいだ。あのときは断られてしまったが、仲間たちが教えてくれたんだ。食ってもらえないならこっちから食いに行けばいいとな!」

「い、言ったわね! このアバズレ騎士モドキ!」

「黙れ! そっちこそ万年まな板根性なしのくせに!」

 聞くに耐えないとはある意味このことであった。乙女が純粋に恋を語り合っていたのはどこへ行ったのか? いや、なりふり構わないこの原始的な姿こそ、互いがわかりあった証拠であり、恋愛のあるべき姿……なのかもしれない。

 取っ組み合いのケンカになりかけた二人。だがその二人を止めたのは、ミシェルの胸からこぼれた銀色のペンダントであった。

「あっ……」

「それって……」

 それは、ミシェルが才人に買ってもらって以来、肌身離さず大切に持っているペンダントだった。決して高価なものではなく、銀のロケットの表面には細かな傷がたくさんついているものの、切れたチェーンを何度もつなぎ合わせた跡は、ルイズにもそれが大切に使われていることを察することができた。

 そして、はずみで開いたロケットの蓋から見えた肖像画。ミシェルは慌ててすぐに閉めてしまったが、そこに描かれているのが誰なのか、ルイズにははっきりわかった。

「その絵、あんたとサイトね?」

「……ああ」

 ミシェルは観念したように、一度は隠したロケットを開けて中の絵を見せた。そこには、真新しい絵の具でミシェルと、少し凛々しく改竄された才人が並んで描かれていた。

「ちょっと美化したって、サイトの間抜け面はすぐわかるわよ。その絵、新しいけど……そっか、この間サイトを連れ出したのはそのためだったのね」

「察しがいいな。つい最近まで、このロケットの中身は空で、わたしも当分なにも入れるつもりはなかったんだが、部下たちにもったいぶったままだと幸運まで逃すと言われてな。それでサイトを誘って街の絵師のところまでこないだ行ってきたんだ……」

 ミシェルの横顔が朱に染まるのを見て、ルイズはそのときの光景が容易に想像できた。二人並んだ肖像画が描かれているということは、つまりモデルとして才人とミシェルは長時間くっついていたということになる。そのときにこの二人がどれだけハチャメチャなことになったのか、後でたっぷり才人を絞り上げなくてはなるまい。

 けれど、ルイズはミシェルのペンダントを取り上げようなどという考えは起こさなかった。思い出はその人ひとりだけの宝物。うらやましいという気持ちはあるが、奪ったところでそれが自分のものになることはない。でも……やっぱりうらやましい。

「サイトったら、わたしにプレゼントなんかくれた試しがないじゃない」

「サイトなら、ミス・ヴァリエールがせがめば何でもプレゼントしてくれると思うがな。だが……これはわたしだけのものだ」

 ミシェルは愛おしそうにペンダントのロケットを手の中で弄んだ。銀のロケットが月光を反射して何度も美しくきらめく。

 だが、そうしていると、ふと反射する月光が目を刺した。そして空を見上げると、静かにきらめいていたはずの月が不自然な発光で明滅しているのが見えたのだ。

「月、が? おい、見ろ! あれを」

「なに? え、月が歪んでる?」

 二人は目を疑った。見慣れた大きな月が、そのシルエットを水面に映した影のように揺らいでいるではないか。

 これはいったいどういうこと? 今日は晴れ、蜃気楼が起きるような天気ではない。二人は、自然では起こり得ないような奇っ怪な光景にしばし我を忘れた。

 だが、空間を歪めるような、こんな異常な現象を誰が起こせる? 二人のこれまでの戦いで培ってきた勘が警報を発する。もしや、こんなときに!

「まさか、超獣!?」

 そんなと思いたかった。けれど、歪んだ空間を通って何かがこちらの世界にやってくる。ルイズとミシェルは身構えた。

 二人とも杖を握り、額に汗を浮かばせて臨戦態勢で待ち受ける。歪んだ月からの怪しい光が二人を照らしながら強くなる、果たして鬼が出るか蛇が出るか。

 しかし、空が割れて超獣が出現するかと思った二人の想像は外れた。月の歪みと怪光は唐突に消え、空は何事もなかったように元の静かな姿に戻ったのである。

「は……?」

 二人はあっけにとられてしまった。これまでの経験だと、こういう異常事態が起きた後は、必ずと言っていいほど怪獣が現れたものなのに……。

 目の錯覚だったのか? いや、バケツの水に映った月をかき混ぜたようなあの異常な光景が錯覚や自然現象であるわけがないとルイズとミシェルは思った。

 何かが起こったのは確かだ。けれどそれがわからないのは? まさか見えなかったからとでも。

 そのときである。虚空を見上げる二人の目に、赤く輝く火の玉のようなものが浮かんでいるのが映ったのは。

「なあに? あれって」

 ルイズは怪訝そうに呟いた。火の玉はルイズたちの数十メイル頭上でぽつんと小さく浮かんでおり、ゆっくりメラメラと燃えている。ハルケギニアにはその文化がないのでしょうがないが、才人が見たら墓場に浮かぶ人魂のようだと思うだろう。

 一方ミシェルも、人魂の正体を掴もうと目を凝らして見上げていた。どこかのメイジが打ち上げたファイヤーボールかと思ったが、宙でじっと浮かんでいるのは妙だ。

 人魂の方も、揺らめきながらこちらを見下ろしているような気がする。そう、まるで生き物のようにと思った瞬間だった。人魂が輝いて、空に怪獣のシルエットを映し出したのだ。

「あれは!」

「か、怪獣!?」

 それは、赤いとさかと竜のような頭を持つ怪獣であった。正式名称は人魂怪獣フェミゴン。ドキュメントMATに記録を持ち、GUYSとも交戦した宇宙怪獣の一種である。

 愕然とするミシェルとルイズの前で、フェミゴンは空中に浮いていた。いや、半透明の姿は存在感がなく、浮遊するというよりも重力を無視して空中に止まっているというほうが正しいだろう。

 フェミゴンの目が下を向き、ルイズと目が合う。その視線を感じたルイズは反射的に杖を振り上げていた。

「こ、この、驚かすんじゃないわよ!」

 ルイズは先制攻撃とばかりに無詠唱の爆発魔法をぶつけた。けれど爆発の爆風はフェミゴンのシルエットをすり抜け、なにもない空間に飛び散ってしまった。

「魔法が効かないわ!?」

「あの怪獣、幻影なのか?」

 ミシェルの推測は半分正しかったと言えるだろう。なぜなら、フェミゴンは人魂怪獣の名の通り、自分の肉体を持たない霊体怪獣なのである。そのため自分自身だけではなにもできず、他の生物に憑りつくことで初めて実体を持つことができる特異な生態を持っているのだ。実際、過去二回の例ではそれぞれ人間の女性に乗り移ることで怪獣として活動を始めている。

 そう、フェミゴンは人間を狙ってくる。フェミゴンの幻のシルエットが薄らいで消え、再び赤く燃える火の玉になった。そして人魂化したフェミゴンは降下を始めると、まっすぐルイズに向かってきたのである。

「えっ、えっ? なんで、どうしてこっちに来るのよ!」

 戦慄するルイズに向かって、人魂は一直線に降りてくる。慌てたルイズは爆発魔法をぶつけるが、やはり実体を持たない人魂には効果がない。

 魔法が通用しないとわかったルイズはきびすを返して逃げ出そうと試みた。テレポートの魔法の詠唱を始め、少しでも時間を稼ごうとするが、人魂のほうが速い、間に合わない。

「あっ、あっ、助けて、サイトーッ!」

「危ない! ミス・ヴァリエール!」 

 人魂がルイズに憑りつこうとした、まさにその瞬間、ミシェルがルイズを突き飛ばして間に割り込んだ。そして人魂はミシェルの体に飛び込み、次の瞬間ミシェルは全身を真っ赤な炎に包み込まれたのである。

「うっ、あぁーっ!!」

「ミ、ミシェル!」

 ミシェルは体内に飛び込んだフェミゴンの霊体の放つ炎に包まれて、まるで松明のように全身を燃やしていた。だがすぐそばにいるルイズに熱さは伝わらず、ミシェルの衣服にも焦げる気配もないことから、それは霊的な炎であると察せられた。

 しかし、熱量はなくともミシェルは体内に入り込んだ異物が暴れて悶え苦しんでいた。必死に異物を拒絶しようとするが、炎はミシェルの体に染み込むように浸透してくる。

「ミ、ミシェル……」  

「ぐあぁ……ま、負けるか……え? こ、これって……?」

 恐怖に顔をひきつらせるルイズの前で、炎がミシェルの体の中に戻っていく。その刹那で、ミシェルの表情が和らいだように見えた気がしたが、すぐにミシェルからただならぬ気配を感じてルイズは身構えた。

「ミシェル……あなた、ミシェルよね?」

「……」

 立ち尽くしたミシェルから返事はない。だが、ミシェルの目から人ならぬ妖光が漏れ出しているのを見て、ルイズはとっさに杖を突き付けた。

「う、動かないで」

 冷や汗を流しながら杖を構えるルイズ。ミシェルは棒立ちのまま動かない……と一瞬油断した瞬間だった。ミシェルはその鍛えぬいた雌鹿のような脚力で地を蹴って、一足飛びにルイズに飛び掛かってきたのだ。

「うあぁっ!」

「ひゃ、あぁ!? エクスプロージョン!」

 自己防衛の本能に従って、ルイズは弾かれるように魔法を放った。悪く思わないでとは思うが、ミシェルを傷つけたくはなくとも、今は自分の身を守ることが先決だ。

 だが、ルイズの魔法の発動を見たミシェルの青い瞳が赤く染まった。そして腕を振ると炎の壁が巻き起こり、エクスプロージョンの爆発を受け止めてしまったのである。

「うそ! 魔法を弾き返した!?」

 今度の炎には実体がある。さらにルイズが動揺した瞬間、炎の中からミシェルの手が伸びてきてルイズの肩を捕まえてしまったのだ。

「し、しまった!」

 やられたと思った瞬間には、ルイズの両肩はミシェルの手でがっちりと押さえ込まれてしまっていた。こうなると杖を振ることもできず、腕力で劣るルイズにミシェルを振りほどく術はなかった。

 ルイズから見えるミシェルの表情は炎が照り返して、まるで悪魔の用に恐ろしげに見えた。普段薄い青に輝いている瞳も赤く染まり、ルイズを睨み付けてくる。

”やっぱりあの火の玉の怪獣に操られているの?”

 ルイズは怯えながら思った。人間に怪獣が憑依した例はこれまでにもあった。ルイズは、才人に助けを求めるために声を張り上げようとしたが、その前にルイズの唇を柔らかいものがふさいでいた。

「んっ!? んんんんーっ!」

 ルイズは一瞬なにが起こったのかわからなかったが、すぐにミシェルの顔が自分の目の前に来ているのが見えてすべてを悟った。さらにいつの間にかミシェルの両手はルイズの後頭部に回って逃げられないよう押さえつけられていた。

「んーっ! んんーっ! んーっ!」

 ルイズは顔を真っ赤にして、目を見開いてもがいた。やめて、わたしにそんな趣味はないと言おうとしても、力でルイズがミシェルに勝てるわけがない。

 もしここに才人がいたら鼻血を吹いていたかもしれない。美少女同士の熱烈な接吻、ミシェルはおかしくなってしまったのだろうか? いや、ルイズは最初はパニックになったものの、ミシェルから唇を通して何かが自分に流れ込んでくるのを感じた。

”なに? 熱い、わたしの中に何かが? これってあの怪獣の炎の一部? やだやだ、入ってこないで!”

 自分もおかしくなってしまうのかと、ルイズは必死で抵抗しようとした。けれど、ふと目に入ったミシェルの表情に、ルイズは心が穏やかになるものを感じた。

”あれ? ミシェル、微笑ってる……? それに、この炎、少しも嫌な感じがしない。いえ、それどころか何か聞こえてくる……これ、これって”

 炎を通して、ルイズの中に声が伝わってくる。それは怪獣の鳴き声ではなく、はっきりとした人の声だった。

 

 

《よって、先に打ち上げたカプセルからの信号により、ハルケギニアのある異世界の座標はほぼ推定できています。ですが、今あちらへの空間トンネルは……によって閉鎖され、いかなる物質、エネルギーであろうと進入は不可能となっています》

 

《それはわかってる。物質もエネルギーも送り込めないんじゃ、どうやって助けに行けばいいっていうんだ?》

 

《そこです。物質もエネルギーも通れないけれども、それ以外のものだったらどうでしょう。例えば、霊体とか》

 

《霊体って、幽霊ならってこと? ちょっと、非科学的な冗談はやめてよ》

 

《ちっちっちっ、冗談ではありませんよ。みんな、忘れましたか? 僕らの戦った怪獣の中に、そういうやつがいたでしょう》

 

《わかったぜアミーゴ。そいつには手こずらされたものな、しかも、そいつ用のメテオールならもうあるってわけか》

 

《でも、その怪獣はすでに僕が倒してしまってます。いったいどうすれば?》

 

《心配無用です。レジストコード、最強超獣ジャンボキングの例から、大気中には倒された怪獣の残存エネルギーが滞留していることがわかっています。その粒子をスピリットセパレーターを逆転させることによって集め、バーニングブレイブの炎で増幅再生させます》

 

《待ってください。それだと復活したフェミゴンに取り付かれてしまう危険があるんじゃないですか?》

 

《僕を信頼してください。僕と、君の先輩みんなの絆の炎は、怪獣の邪念なんかに負けたりはしません》

 

《すみません。後輩として、しっかり勉強させていただきます》

 

《おっほん。では、作戦の続きを説明しますね。バーニングブレイブで再生させる過程で、増幅した霊体にはミライくんの記憶を通じてメッセージを刻み込みます。そしてメビュームバーストの応用で発射された霊体は一切の妨害を無視してハルケギニアに到達。再生に使われたエネルギーと同質の存在、つまりウルトラマンを見つけて寄っていくというわけです》

 

《ううん、でもそれってあっちからすればすごくビックリしちゃわない? 目の前にいきなりオバケが現れて襲ってくるってことでしょ》

 

《そ、そこまでは配慮できませんよ。普通にメッセージを送れないからの苦肉の策なんですから。それでこの作戦、どうですか総監》

 

《私はここではオブザーバーだ。私に気を遣う必要はないよ。さて、あまり分のいい賭けとは言えなさそうだが、どうするかい? 隊長》

 

《やる。幽霊だろうとなんだろうと、俺たちの炎はきっと他の世界にだって届く! やるぞみんな!》

 

《G.I.G!!》

 

 それは、フェミゴンの霊体に刻まれた強い記憶だった。そして、それに続く異世界からのメッセージをルイズは受け取り、呆然としながらもミシェルと離れた。

「そうか、わたしが狙われたように思えたのは、そういうことだったのね。あんたも、それで……」

「さあ、わたしはあの炎が消える前に、お前にあれを伝えなきゃと必死になっただけさ。見えたイメージの意味はわたしにはよくわからん。だが、お前にならわかるんだろう?」

 口を拭いながら答えたミシェルに、ルイズはその気遣いは自分には難しいなと苦笑した。

 しかし、これで絶望的な明日にわずかな光明が見えた。自分たちには、倒さなければならない敵がいる。そして、送られてきたメッセージを、この世界で戦っているほかのウルトラ戦士たちに届けなければならない。

 ただし、ルイズはこのメッセージが幸か不幸か自分にやって来た意味を考えていた。

”このことは、サイトにはまだ秘密にしておいたほうがいいわね”

 むしろ才人だからこそ秘密にしておいたほうがいいとルイズは思った。しかし、ほかのウルトラマンたちに知らせるにはどうすればよいだろう? 自分たちはこれから、重要な任務で出発しなければならないというのに。

 すると、ルイズの考えを察してミシェルが言った。

「心配することはない。この世界の危機を見過ごせない者たちは、自然とあの地に集結することになるだろう。我々はただ、今を全力を尽くせばいい」

「そうね。けど、その時が来るまでにわたしたちが全滅している可能性だってまだ大きいわ。道は厳しいわね」

 希望は見えた。けれど、敵はそれを全力で潰しにくるだろう。こちらの勝機は乏しいままだ。

 それでも、自分たちは進むしかない。このまま座していても、ガリアによってトリステインが滅亡させられる未来が待っているだけなのだから。

 が、それはそれとして……。

「ねえミシェル、さっきのあれ。急いでたのはわかるけど、キ、キスまでする必要は、あああ、あったの?」

 ルイズがさっきのことを思い出して赤面しながら尋ねると、ミシェルは不敵に笑いながら答えた。

「ん? ああ、必要なら手を握るだけでもよかったかもな。だがせっかくだし……サイトのはじめてを奪った唇というのを確かめておきたくてな」

「ミ、ミシェル、ちょっと目が怖いわよ。わたしたち、女同士じゃない」

「女同士だからこそわかる世界もあるさ。銃士隊は女だけの組織だからな、いろんな奴がいろんな世界を教えてくれる。わたしにとってサイトが一番なのは変わりないが、お前も可愛いな。どうだミス・ヴァリエール……わたしの二番になってみないか?」

 冗談めかして言ってはいるが、ミシェルの吸い込まれるような眼差しに、ルイズは背筋に寒気が来るものを感じた。

 そういえば聞いたことがある。銃士隊の夜の怪しい話を。ただの愚にもつかない噂だと気にも止めずにきたが、まさか本当に女だけで夜な夜な……まさかまさかと考えると冷や汗が止まらなくなってくる。

 だが、ミシェルは舐めるような眼差しから一転して、おもしろそうにルイズを笑った。

「ぷっはっはっ、サイトもそうだがお前たちは本当に乗せやすいな」

「あっ、むむむ、からかったのね!」

 ルイズは今度は別の意味で顔を赤くしたが、ミシェルはニヤニヤと笑うばかりだった。ルイズはカッカッと怒りながら、どうして自分の回りにはキュルケといいシエスタといいアンリエッタといい、腹の立つ女ばかりなのかと憤慨した。

 けれど、それがいい。張り合う相手がいるのは楽しい。それで自分を高めていける喜びは何にも代えがたいものだ。

 ルイズとミシェルは互いに目を合わせて笑いあい、改めて「死ぬな」と誓った。決着は生きてつける、死人から譲ってもらうようなみっともない勝ち方はしない。

 

 二人は、そろそろ馬車の支度もできる頃だと歩き出した。空にはまだ、月と星々が美しく輝いている。

 だが、この星空の下のどこかには悪が息づいている。夜明けと共に、また長い一日が来るに違いない。ルイズは、ウルトラマンAの回復がまだの今は自分の虚無の魔法が切り札だと気合いを入れ直した。虚無の魔法は不安定だが、使いこなせばウルトラマンたちに劣らない威力を発揮することができる。

 一方でミシェルは優れた魔法騎士であるとはいえ、しょせん人間の域を越えているわけではない。ガリアの一個軍団にでも当たればひとたまりもないだろう。

 けれど、ミシェルはルイズのそんな心配を見透かすように、指を鳴らして手のひらに炎を浮かび上がらせて見せた。

「わたしのことなら心配いらない。この通り、お前に負けない”力”なら備わっている」

 ミシェルの手から凄まじい勢いで炎が立ち上り、それは固まって不死鳥のような燃え盛る鳥の形へと変わったのだ。

 驚くルイズ。熟練した火のメイジでも炎の形をこうも簡単に操ることは難しい、ましてミシェルは土のメイジなのだ。これは、まさか。

「あの怪獣の力は、わたしの中にまだ残っている。無尽蔵に使えるというわけではなさそうだが、気休めくらいにはなるだろう」

 なにが気休めだとルイズは思った。一部とはいえ、怪獣の力を人間が使えることが弱いわけがないではないか。

「あっちの連中、とんだプレゼントをよこしてくれたものね」

「ああ、会ったら礼をしなければな。そのためにも、わたしたちは行かねばな。そして、この王宮のこの月夜の元に帰ってこよう」

 ミシェルは小鳥を放つように、炎の不死鳥を空に飛ばした。

 不死鳥は火の粉を振り撒いて羽ばたきながらゆっくりと空に舞い上がり、やがて空に吸い込まれるようにパッと火の粉を散らして消えた。

「きれいね……」

 ルイズは無意識にそうつぶやいていた。

 かつてのフェミゴンがまとっていたのは邪悪な青い炎だった。だが、今は清んだ赤い炎を放っている。

 力は使う者次第で変わる。ミシェルの胸に輝くペンダントにはいつの間にか、才人との絆を示すように燃える炎のエンブレムが刻み込まれていた。

 

 

 だがその一方で、夜の闇に隠れて暗躍する者も手を緩めてはいない。

 トリステインから遠く離れたある地で、月光を背にしてコウモリ姿の宇宙人が浮かんでいた。

「フッフッフッ、順調順調……と、思っていたところですが、あの方々が余計なことをしてくれましたね。ちゃーんと後で出番は用意してあるというのに……ま、こっちはこっちで次の役者の招待を済ませてしまいますか」

 彼は遠い地で起きた異変を察知したようだったが、特に慌てた様子を見せずに眼下の古戦場を見下ろした。

 大勢の兵士が戦った跡がまだ生々しいそこには、大きな爆発でできたクレーターの中に、パラボラを空に向けた兵器の残骸が静かに横たわっていた。

 

 

 続く

 



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第9話  暴走するガリア軍。トリステイン軍決死の出陣

 第9話

 暴走するガリア軍。トリステイン軍決死の出陣

 

 黒煙超獣レッドジャック 登場!

 

 

「おや? おやおやおや、あなたたちの出番はもっと先なのに先走ったことをしてくれましたねえ」

 

「おっと失敬、こんにちは皆さん。あなたたちの大嫌いな宇宙人さんのお出ましです」

 

「いやひどいですねえ抜け駆けするなんて。あなたたちが退屈しないように実況を続けてあげていたというのに」

 

「おかげでちょっと予定が狂っちゃったじゃないですか。ま、許容の範囲内ですけどね」

 

「フフフ、まあハプニングがあったほうがお祭りは楽しいものです。これから始まる第二幕、まだまだ楽しませていきますよ」

 

「ま、ちょーっと、刺激的な幕開けになるかもしれませんがね……」

 

 

 トリステインにとって、大きな激動の始まりとなった日から一夜が過ぎた。

 その間、多くの者にとって眠れぬ夜となったが、真に脅威なのは戦争ではなく、戦争を隠れ蓑にしてガリアが企んでいる『何か』であることを知る者は少ない。

 そう、ジョゼフにとってトリステインの征服などなんの価値もなく、真の目的を果たすための舞台装置に過ぎない。ただ、そのために発生する無数の犠牲も無視して進むため、それを止めようとするものを妨害するべくシェフィールドはトリステインの各地に怪獣たちを放って人々を恐怖に陥れた。

 それが見え透いた陽動であることはわかっている。それでも、失われていく命を見捨てることはできないと、ウルトラマンたちの決死の働きによって怪獣たちは倒されていった。

 だが、ウルトラマンたちの力も着実に削られていき、すでにエース、ガイア、アグル、ダイナ、コスモスが大きなダメージを受けてしまった。

 

 果たして、ジョゼフがこうまでの手を尽くす目的とは何か? そして、一見ジョゼフに力を貸しているかのように見えるコウモリ姿の宇宙人の真意とは? ガリア軍が近づく今、それが明かされる時も近づいている……悪夢をともなって……。

 

 ガリア軍はすでに国境線を大半が超え、トリスタニアへ向けて一直線に進んでいるという偵察からの報告がトリステイン王宮に頻々に届く。

 アンリエッタ女王は一縷の希望にかけて朝を迎えたが、朝食も早々に、落胆した様子を会議場に見せていた。

「やはりガリア軍は総力でトリスタニアを陥落させようという目的に違いはないようですわね」

 その否定のしようのない言葉に反論できる者はいなかった。トリステインは自他ともに認める小国で、攻めるとなれば首都トリスタニア以上の戦略目標はない。友好国アルビオンの支援があれば話は別かもしれないが、あまりにも突然だったガリアの宣戦布告に対応できずに、とても救援は間に合いそうもなかった。

「女王陛下、もはやこうなれば当初の策通りに、いったんトリスタニアを放棄して辺境の城に籠城してアルビオンの救援を待つしかございますまい」

 悩むアンリエッタに、マザリーニ枢機卿が老いた顔にそれ以上の苦悩と疲労を張り付けて、一刻の猶予もないと促した。

 アンリエッタももちろんそれはわかっている。トリステインが今動かせる実働兵力は数千がいいところ、数万の大軍のガリア軍に挑める力はない。だが一度は決めたことだといっても、若い女王にこの決断は酷だった。

「どうしても、この城と街を、民を見捨てて行くしかないというのですか? 祖霊から受け継いだかけがえのない宝を捨てるしかないのですか?」

「残念ながら、何度作戦を立ててもトリスタニアにとどまって勝機は万にひとつもなく、それどころか民を巻き添えにしてしまいます。ですが屈辱に耐え忍べば、トリスタニアを奪還する機会はありまする。女王陛下、もう迷っている時間はありません。屈辱と汚名は我々も平等に被りましょう。ご決断を」

 覚悟していた答えがそのまま返ってきたことに、アンリエッタはこれ以上表情を濁すことはしなかった。

 わかっている。そんな簡単ではないことは……昨夜、この状況を打開するために銃士隊と水精霊騎士隊に、ある特命を与えて送り出したが、その結果が出るのはまだ何日も先になる。

 今は、自分が選択しなければならない時だった。

「……準備は、整っているのですか?」

「避難に適当な城の手配は昨晩の内に完了し、部隊を動かす手はずはすでに。国内の貴族たちへの伝令も飛ばし、女王陛下の下知がありしだい、一時間後には全兵を乗せて飛び立てます」

 あとはアンリエッタの決断を待つだけ。だが、それは実質決まった書類にサインするだけのことに等しい。アンリエッタは凛とした宣言をすることもなく、マザリーニと将軍や大臣たちに短く命じた。

「わかりました。すべて手はず通りにお願いします。では、半刻後にまた」

「もし、女王陛下、いずこへ?」

「この城を放棄するのでしたら、もうひとり許可をとらなければならないお方がいます。それをお願いできるのは、わたくししかいませんでしょう?」

 そう告げて退席していったアンリエッタを引き止められる重臣はいなかった。忠義心なら皆持っている、けれどどんなに忠節を尽くしても、最後には年端もいかない女王に重責を負わせなければならない無力感に、彼らは肩を落とすしかなかった。

 

 アンリエッタが向かったのは、王族が居住する最奥の間で、そこでアンリッタは初老の貴婦人と会っていた。

「方針は決まったようですね、アンリエッタ」

「お母さま……」

 その方はアンリエッタの母で、先代トリステイン国王の妃だったマリアンヌ太后だった。安楽椅子に身を沈めて、娘に譲り与えた美貌を残して穏やかに微笑んでいる。

 しかし、娘の年齢からしてもまだ老け込むには早い年頃なのに、その顔には浅からぬしわが刻まれ、表情には憂いが漂っている。実際、マリアンヌ太后はほとんど隠居に等しい身分で、ベロクロンの強襲によって王宮が最前線になってからずっと地方の直轄領に引き込んで、今ではめったに表舞台に出てくることはなくなっていた。今回も、仮装舞踏会がつぶれてしまった娘への慰労のためにと、昨日久しぶりにやってきただけである。

 それでも、前王妃ということで影響力はまだ強い。王宮と王都を放棄するというトリステイン開闢以来の決断を前に、無視するわけにはいかなかった。

 アンリエッタは叱責されるのを覚悟で、会議の決定を母后に報告した。けれども、マリアンヌの返答は静かだった。

「そうですか。悲しいことですが、それがあなたの決断したことであるならわたくしも従いましょう。母はまた辺境に戻り、あなたのことを見守っています」

「お母さま……あの、王宮を捨てるというわたしの判断を、お咎めにならないのですか?」

「咎める? 何を言いましょう。すでに政より身を引いて久しく、まだ未熟なあなたに重荷を背負わせたこの愚かな母が、なんの苦言を与える資格があるでしょうか。唯一の心配ごとは、あなたが無事に身を固められるかどうかだけでしたが、それも果たされた以上は、枯れた百合は静かに土に帰るのを待つのみです」

 そう答えたマリアンヌ大后の表情は、まるで死期を悟った病人のそれのようであった。

 しかし、マリアンヌ大后はまだ老齢というには早すぎ、肉体的にも健康そのものである。それなのに気力だけが欠如しているその様に、アンリエッタは悲しげに言った。

「お母さま。どうしても、あの傷は癒えないのですか?」

「ええ……わたくしの時間は、前王……あなたの父上が亡くなったあの時から、ずっと止まったままよ」

 消えそうに呟いた母の姿に、アンリエッタは慰める言葉を見つけられなかった。

 本来なら、国王が亡くなって跡継ぎが年齢的に未熟であれば、国王妃が代理につくのが普通だ。しかしマリアンヌは夫の死後は喪に服したまま見るかげもなく生気を失って塞ぎこみ、やむを得ずアンリエッタが王位を引き継がなくてはならなくなってしまっていた。

 だがそうなっても、アンリエッタは母を恨んだことはない。むしろ、そこまでひとりの夫を一途に愛せた母の愛の深さを尊く思い、またマリアンヌも一人娘に対する情愛までは枯れ果ててはおらず、時おり助言や忠告という形で娘を助けてきた。

 けれど……会うたびにやつれていくように見える母に対して、アンリエッタは自分の無力を歯がゆく思い続けてきた。

「お母さま、今回の戦いばかりはわたくしも自信がありません。ですが、最後まであきらめることなくトリステインの誇りを守り、この城にトリステインの国旗を立ててみせましょう。ですからお母さまもそれまで、どうかご自愛なさってくださいませ」

「立派になりましたねアンリエッタ。あなたはもう、誰に恥じることのない女王です」

「そんな、わたくしなどまだ、先王様……父上の足元にも及びません」

 先代の国王、つまりアンリエッタの父は名君と呼ばれていた。もし健在であれば、今の自分よりもはるかに力強く国難に挑んでいたと思うと、アンリエッタの自信はなくなる。

 そんな娘に、マリアンヌは静かに、しかし芯のこもった言葉で諭した。

「いいえ、この国難にあって、あなたが女王として選ばれたこともまた始祖のお導き。アンリエッタ、自信をお持ちなさい。あなたはもう、先王の成せなかった様々な仕事を果たしたのですよ」

「ですがわたしの力など、まだとても父上には届きませぬ」

「それでよいのです。人は、その人生をかけて親という壁を乗り越えるもの、あの人の背中はそんなに小さくはありません。それでもあなたには、それを補ってくれる有能な臣下がいます。昔はしがらみにとらわれて、臣下を無能な貴族の中から選ぶしかありませんでしたが、あなたはそのしがらみを完全に取り去ってしまった。母は、そんなことをすれば貴族たちの恨みを買うだけだと、できるわけがないと思っていたのですよ」

 親の想像を子供が超える。それはとてもうれしいことなのだと、マリアンヌは微笑んだ。

「きっと、あの人も天国から褒めてくれるはずです。それでも不安だと言うなら、このだめな母からの、これだけは正しいと思う助言を授けましょう。アンリエッタ、いいこと? ……より多くの人を、愛するようにしなさい」

「より、多くの人を……ですか?」

 怪訝な表情をする娘に、マリアンヌはゆっくりと語った。

「そうです。人が人として生きるためには、人を愛する喜びが足を進め、人に愛される喜びが背中を支えてくれます。ですが、わたくしはひとりの人を愛しすぎ、その人を失ったときに、立ち上がる力もなくしてしまいました」

「お母さま……」

「アンリエッタ、愛する心は強く尊いものですが、同時に儚いものです。あなたが自分の人生を豊かなものにしたいのであれば、信頼する臣下や民を多く愛しなさい。そうして心の中に花畑を作れば、一輪二輪の花が枯れても、残った花の蜜があなたの心を癒し、母のように心を枯れさせることはないでしょう」

 寂しそうに告げたマリアンヌは、自分の時代には小さな花畑しか作れなかったとこぼし、あなたはとても恵まれていると言い残して帰っていった。

 

 母を見送ったアンリエッタは、一人だけになった王族の間で、自分の中にあるという花畑のことを思った。

 友であるルイズ。アニエスら信頼する家臣たち。今のアンリエッタの中には色とりどりの花が咲き乱れており、その彩りの豊かさを自覚すると、それらを失ってしまったがゆえに自らも枯れさせてしまったという母の気持ちも想像できた。

 そして、夫であり最愛の人であるウェールズ。彼がいる限り、自分は華やかに咲けると自信を持てる。だけどもし……いいえ、そんなことは絶対にないと、アンリエッタは自分に言い聞かせた。

「わたしはトリステインの女王。絶対に、倒れるわけにはいかないのです!」

 自分が折れたら、これまで自分のために尽くしてきてくれた多くの人の思いが無駄になる。大丈夫、この危機を乗り切れば、きっと平和にみんなと過ごせる日々が戻ってくる。

 誰もいない中で、アンリエッタは自分を叱咤し、励ました。望んでなった女王ではないが、女王である自分でしか守れないものもある。苦難があっても、失いたくないものがある。

 そうするうちに、約束した一時間が近づき、アンリエッタは大臣たちの元に戻ろうと腰を上げた。

 ところが、誰もいないはずの王族の間に足音が響き、人の気配を感じたアンリエッタはとっさに杖をとって叫んだ。

「誰! マザリーニ枢機卿ですか? 答えなさい!」

 気のせいではないはずだった。戦い慣れしてはいないがアンリエッタも優秀な水のメイジである、風のメイジほどではなくとも、水の塊である人間の気配は微弱ながら察知できた。

「……違うようですわね。女王の部屋に無断で入るとは無礼な。今すぐ顔を見せなければ人を呼びますよ」

 脅しではない。アンリエッタが合図をすれば、警護の銃士隊が秒でここに駆けつけてくるだろう。

 だが、呼び掛けに応じてふっと姿を現したその人物を見て、アンリエッタは息を呑んだ。

「あなた方は……」

 

 

 それから十数分後、アンリエッタは大臣たちの待つ会議室へと戻ってきた。入室する直前、どこか心ここにあらずという虚ろな表情をしていることを警護の銃士隊員に尋ねられて、表情を引き締め直して入室したが、会議室の中は女王が入ってきたことに誰も気づかないほどの混乱に包まれていた。

「どうしたのです、騒々しい。何事ですか!」

「お、おお女王陛下。今、お呼びにあがろうとしていたところです。前線の斥候から報告が入ったのですが、一大事であります」

 普通の慌てようではなかった。悪い知らせを覚悟してアンリエッタはその先を話すよう促したが、聞かされた報告はアンリエッタの想像を最悪の方向で超えていた。

「大変なことです。ガリア軍は我がトリステインの領内に侵入後、進行方向にある町や村をことごとく焼き払いながら進んでいるということなのです」

「な、なんですって!」

 まさか、信じられない暴挙だった。間違いではないのですかと聞き返すと、震えながらの答えが返ってきた。

「残念ながら、偵察のすべてが同じ報告を持ち帰っております。ガリア軍は手向かいしないと宣言した町にも容赦なく火をかけ、兵士はみな「トリスタニアを焼き払え」と叫んでいたとのことです」

 冗談にしても性質が悪すぎ、アンリエッタは呆然とした。戦争において、略奪や殺戮はつきものだが、占領後に相手国の住人の敵愾心を高めすぎないようにある程度で止めなければならない。焦土と化した土地や復讐心に燃える住人を手に入れても得にはならないのである。

 なのに、いったいなにを考えているのだ? 傭兵くずれや盗賊集団ならともかく、そんなことはガリア軍は正規の軍隊であるから承知しているはず。トリステイン軍ならいくら王が命じても、前線の指揮官や将兵だって貴族の誇りは持っているから、そんな命令には抵抗を持つだろう。なぜ?

 すると、偵察から戻ってきたという竜騎士が、戦慄した様子でアンリエッタに報告した。

「私の見ましたところ、ガリア軍の兵は皆、鬼気迫る表情で尋常ではありませんでした。恐らく、なんらかの魔法あるいは薬物で兵の正気を奪っているのではないかと」

「なんということです……」

 それでは和平交渉どころか降伏すらありえない。アンリエッタは、当初の終戦に向けた計画が崩れていく音を聞いた。

 いや、それを考えている余裕すらなくなったことをアンリエッタは悟った。

「いけない、そんな正気を失った軍隊をトリスタニアに入れたら!」

 アンリエッタの脳裏に最悪の未来の光景がよぎった。

 もし本当にガリア軍が占領地に対する破壊略奪を公認どころか全面的におこなっているとしたら、トリスタニアに残っている数万の人々が犠牲になってしまう。

 こうなったら荷物を持たせずに強制的に退去させましょうか? アンリエッタはそう思ったがすぐに取り消した。人だけをトリスタニアから無理矢理追い出したところで、街道はパンクするし周辺の町や村もパニックに陥る。それにそれだけの人数を居住させる設備も水も食料もない。

 馬車などの乗り物を持っているのは一部だけで、大半の平民は徒歩で避難しなければならない現状、とても無理だとしか言えない。

「ド・ゼッサール殿、ガリア軍がトリスタニアに達するまで、改めてあとどれくらいですか?」

「は……トリステインに入ってから、落とした街を焼き討ちする手間から進行速度は落ちています。それでも……確実に三日後にはトリスタニアに到達してしまうでしょう」

 三日……当初の想定から一日伸びたが、たった一日でしかない。それを聞いて、アンリエッタはマザリーニ枢機卿に向き直った。

「今のトリスタニアの市民を、安全な場所まで逃すにはあとどれほど必要ですか?」

「どう急いでも四日はかかりまする……」

 枢機卿らしい簡潔で無情な答えだった。つまり、どう急いでも確実に犠牲は出る。それも膨大な数の。

 けれど、アンリエッタはなぜかそれ以上のパニックに陥ることはなかった。この最悪な状況こそ、さきほどアンリエッタの前に現れた人たちの言っていたことなのかもしれない。

 なら、ここで行動に起こすべきことは……アンリエッタは数秒迷った末に決意を込めてド・ゼッサールに尋ねた。

「ゼッサール殿、今の我々の兵力で、ガリア軍を一日食い止めることはできますか?」

「女王陛下? い、いや不可能です。そのような馬鹿な考えはおやめくだされ」

 ゼッサールはアンリエッタの考えを察して止めたが、アンリエッタは強い眼差しでゼッサールに問い詰めた。

「女王の命令です。今の我々の戦力でガリア軍に立ち向かって、どれほどの時間持ちこたえられますか?」

「ううむむむ……地の利を得て、奇襲に成功し、烈風殿に奮戦していただき、敵将がおじけずき、ありとあらゆる天運が我らに味方してくれたとして半日……いや、数時間が限度でしょう」

「数時間、ですか」

「はっ、我らが二千がやっとに対して敵は数十万……敵軍はただ、損害を無視して突き進むだけで事がすむでしょう。こんなことを仕掛けてくるガリア軍のこと、兵が削れることを躊躇するとは思えません」

 アンリエッタは噛み締めた。トリステイン軍がどんなに奮戦して、奇跡的に一万や二万の敵兵を仕留めたとしても、ガリア軍はそれを切り捨てて前進するだけですむ。指揮官が統制にこだわるならば混乱を回復してから前進を再開するだろうが、恐らく今のガリア軍に常識は期待できまい。

 ド・ゼッサールや大臣たちはアンリエッタの考えを察して、軽率な行動はおやめくだされと引き止めた。決死の覚悟で食い止めに向かったとしても、大木に生卵をぶつけるようなものだ。

 けれど、アンリエッタは毅然とした表情で諸衆に命じた。

「出陣の用意を。ガリア軍に対してこちらから打って出ます」

 当然、枢機卿らから「陛下、乱心されましたか!」という声が響いたが、アンリエッタは正気だった。

 そして皆を落ち着かせると、アンリエッタは臣下たちに向かって驚くべきことを告げたのだった。

 

 激動が加速するトリステイン。寡兵のトリステイン軍で、アンリエッタはなにをしようというのであろうか?

 流れる風は何も語らない。そして、風の流れる王宮の尖塔の上では、鉄仮面の騎士が一人立って、祖国に仇なすものへと目を光らせている。

 騎士の名は『烈風』カリン。だが祖国の危機にあって、彼女の憂いているものは国のことだけではなかった。

 カリンのもとへ、彼女の使い魔たる一羽の小鳥が舞い戻ってきた。その足に括りつけられていた紙片に書かれていた一文へと目を通すと、彼女は今は王宮を遠く離れて旅をしているはずの娘へと心を痛めた。

「ルイズ……無事に帰ってくるのですよ。私の娘たち……」

 

 一方その頃……この戦争の火を放ったガリア王国もまた、混乱のるつぼにあった。

 突然の開戦はガリア国民にも事前に知らされることはなく、一週間ほど前に大軍を動かすための人や物がいきなり大量に徴用された。それは単純に言えば、数十万人分の食料や物資が市場から取り上げられたということで、ガリアの物流や経済は現在大混乱の真っただ中に放り込まれていたのだ。

 町中の食べ物が全部軍隊に取り上げられてしまった。あっても運ぶための人足も軍隊に取られてしまった。そして物資を盗賊や暴徒から守るための兵隊もいないから運びようもない。

 平民たちは食べ物が無くなるかもしれない不安から流言蜚語が飛び交いだし、町中の店から残った食料が買い占められて消えた。そうなると平民たちの間で食料を巡った暴動が起こり始めたが、平民たちを抑えるはずの貴族たちも男手を軍隊に引き抜かれてしまって、なすすべもなかった。

 そして平民たちの怒りの矛先は、当然のように原因となった王政府へと向けられていた。

「食い物をよこせ!」

「王様は俺たちを殺す気か!」

 首都リュティスはトリスタニアとは逆に内向きの混乱に包まれ、大勢の市民がヴェルサルテイル宮殿の前に渦を成していた。

 普段ならば、平民は貴族に逆らうことはない。しかし、食べ物がなくなるという根源的な恐怖は貴族への恐れさえも怒りで打ち消し、宮殿の前で怒りの声を張り上げる群衆の数は次第に増しつつあった。

「出てこい! なんとか答えやがれ貴族ども!」

 城門に詰めかける平民たちは、数千という数の力を頼りにして声を張り上げている。時間が経つにつれて大きくなり続けるその声は宮殿の中にも届き、今は王宮警護の騎士隊が城門を守っているけれども、いつ城門を破ってなだれ込んでくるかもしれない圧力に、王宮の奥で大臣たちは震えあがっていることだろう。

 けれど、そんな破滅が迫ってきているというのに、最大の当事者であるジョゼフ王はグラン・トロワの一室で優雅にグラスを傾けながらくつろいでいた。

「賑やかになってきたようだな。やはり、余のような無能王には怨嗟の声がよく似合う。それも今回は余の引退セレモニーをかねた祭りだ。ガリアの民たちにももっと楽しんでもらわねば困る。そう思わないか? 余のミューズよ」

「は、ジョゼフ様の主催の祭典に、ガリア国民は大反響のようで、私も大変嬉しく思います。民の怨嗟の声はリュティスを超えて広まり、貴族たちも突然の出兵による出費で、王政府への不満の声は高まる一方でございます。これで、増税の勅命を下せばガリア国民は総じて反乱の大火を起こすのも、すぐでございましょう」

「はっはっはっ、ガリアの民は元気があってけっこうなことだ。祭りと言えば、ついこの間にロマリアの阿呆どもの遊びに乗ってやったときのことを覚えておるか? あの時、民たちは余の臭い芝居を信じて余を英雄王と称したが、あっという間に暴君扱いよ。これを愉快と呼ばずしてなんと言おうか」

 ジョゼフはシェフィールドに酌を受けながら呵呵大笑した。

 今、城門を抑えている王宮警護の騎士隊の数は決して多くはなく、群衆が王宮内になだれ込んでくることがあれば、グラン・トロワまであっという間であろう。そんな考えられる最悪の状況も近いというのにジョゼフに焦りはなく、むしろその瞬間を待ちわびているかのようですらあった。

「まあ城門はあと数日くらいは持つだろう。それくらいを考えて、騎士団を残したわけだからな。その後は……クハハハ、平民どもの怒りに燃えた顔がどう変わるのか、最高の見ものになるであろうな」

「はい、仕込みはすでに。ジョゼフ様の最初の贈り物はすでに奴らに届いている手はずでございます。そして、本命も明日にいよいよ……その暁には、万人が初めて火を見た猿のように驚くことでありましょう。このような素晴らしいショーを思いつかれるジョゼフ様の知恵には感服いたします」

「なに、ロマリアの奴らの受け売りだよ。あの国の連中は民を踊らせることに関しては右に出る者はないからな。今のロマリアは教皇がいなくなったおかげで相当もめているようだが、奴らはもうどうでもよい。それより……フン、相変わらず人の部屋に入る礼儀を知らん奴だ」

 なにかを言いかけたジョゼフが視線をそらすと、そこには部屋の影に溶け込むようにして、あのコウモリ姿の宇宙人がマントを翻して立っていた。

 相変わらず手を背中に回してふてぶてしい態度をとるそいつは、やはり慇懃無礼な口調で話し始めた。

「どうも失礼。ドアをノックしろと言われてはおりましたが、王様には朗報をお耳に入れるほうが喜ばれると思いましたので。例の件、役者の方々は無事に配置につきましたよ。なにもかも予定通り、明日が楽しみですねえ」

「ほお、ご苦労であったな。だがそのくらいの手際は期待して当然のことであろう。騎士団に入りたての新兵でもあるまいに、それで余に誉められるとでも思って忍び込んできたのか?」

 ジョゼフが意地悪そうに返答すると、宇宙人は愉快そうに肩を揺らした。

「まさか、子供の使いをするほどピュアじゃありませんよ。次の舞台の幕開けにはまだ時間がありますので、ちょっとした前座のショーが見られるということです」

「ショーだと? ほう、また何か仕組んだのか?」

「いいえ、私もそこまで暇人じゃありません。想定外のちょっとしたハプニングですが、リュティスの空をご覧ください」

 そう言われて、ジョゼフとシェフィールドはテラスからリュティスの上空に目をやった。

 今日の天気は晴れで、風もたいしたことはない青空が広がっている。しかし、リュティスの街の上空にいつの間にか不審な黒雲が立ち込め、それは徐々に大きくなっているように見えた。

「あれは……?」

 シェフィールドはいぶかしんだ。今日の天気にしては不似合いな黒雲、それもいくら微風とはいえ他の雲は動いているのに、その黒雲はじっとリュティスの上空にとどまり続けている。もちろん、リュティスにはそんな大量の黒煙を吐き出すような工場などはない。

 対して、ジョゼフは猟師が森を見るような目でつぶやいた。

「あの雲、何かが潜んでいるようだな。違うか?」

「ご明察、そこに気づかれるとはさすが王様」

「はっ、山へ狩りならばシャルルとよく行ったからな。あいつは樹上や茂みに隠れた獣を鋭く探しだし、いつも俺より大きな獲物を捕らえたものよ。で、あれはなんだというのだ?」

「怪獣ですよ。ガリアの人間たちの怒りの感情に反応して呼び寄せられたみたいですねえ。このまま放っておけば街に降り立って暴れ始めるでしょうが、どういたしますか?」

 嫌らしく尋ねてきた宇宙人に、ジョゼフはわずかに眉を潜めた。

 今、このリュティスに怪獣と戦える兵力は残っていない。怪獣が街中に出現すれば、好き放題に暴れて甚大な被害が発生し、ジョゼフの計画にも支障が発生するだろう。

 かといってシェフィールドの手持ちの怪獣にもすでに予備はなく、ジョゼフの虚無の魔法ならば排除できるかもしれないが、今形だけとはいえジョゼフがガリアの民を救ってしまうのはまずい。

「招かざる客だな。幹事としてはどう対処するかね?」

「おや、丸投げですか? それはあんまりじゃありませんかねえ」

「戯れ言を。自分の力を見せびらかしたいから、わざわざ現れそうになるギリギリまで待って言いにきたのであろう。お前が一番、暇潰しをしたくてしょうがないという態度をしておるわ」

 ジョゼフがそう嘲ると、宇宙人は口元を押さえて笑った。

「ウッハッハッ、これは一本取られました。王様の洞察力、見くびっていたことを本気でお詫びいたしましょう。では、責任をとって、あの怪獣は私が始末しましょうか」

「最初からそう言えばよいのだ」

 呆れたようにジョゼフは言った。シェフィールドも、怒鳴り付けたいのを我慢して頬をひくつかせている。

 どうにも、こいつと話していると勘に触る。あからさまに見下してくる態度というなら別に気にも止まらないが、なんというか……あえて幼児性を強調してくるような様が腹立たしい。

 もちろん、こいつの力がこれからの計画に必要な得がたい能力だということはわかっている。かといってご機嫌をとる気には毛頭ならなかった。

「それで、そこまでもったいぶるからには、それなりのものを見せてくれるのでしょうね? つまらないものでジョゼフ様の眼を汚せば、代わりに足の一本をいただくわよ」

 シェフィールドの脅迫は本気だった。こいつを信頼してはいけない。いくら必要な奴だとはいえ、少しでも隙を見せてはいけない。ジョゼフ様の最後の望みをかなえるまでは、我が身に代えてもジョゼフ様を守らねばとシェフィールドは固く決意していた。

 ミョズニトニルンのルーンがシェフィールドの額で輝き、紫色の瞳が宇宙人を睨みつける。怪獣の予備はなくとも、虚無の使い魔としての能力で操れる無数の魔道具は別だ。裏切るそぶりを見せれば、たちまち宇宙人を四方八方からガーゴイルが襲って八つ裂きにするだろう。

 そうして、自分に向けられている敵意を知ってか知らずか、奴はペースを変えることなく手を広げて言った。

「ええ、退屈はさせませんとも。それはそうと、倒すにしてもまずは雲の状態から実体化させないといけませんね。街中に下ろすわけにもいきませんから、このお城の庭園をお借りしますがよろしいですか? ああもちろん、特殊なバリアーを使って城の中の光景は外には見えないようにしますのでご心配なく」

「よかろう、好きにするがいい」

 ジョゼフが投げやりに答えると、宇宙人は片手に黒く渦巻く不気味なもやのようなものを呼び出した。

「この星の人間たちから集めたマイナスエネルギーの塊です。もっとも、必要なエネルギーを抜いた後の、不純物が多くて何の役にも立たない絞り滓ですが、撒き餌にするには最適でしょう」

 そう説明すると、宇宙人は黒い塊を王宮の中庭に位置する広大な花壇に向けて放り投げた。

「さあおいでなさい。あなたの欲しいパワーはここにありますよ!」

 圧縮されていたマイナスエネルギーの塊が花壇に落ちるのと同時に解放され、黒い霧となって吹き出した。その光景は例えるならば、真っ黒に染まったキャンプファイヤー。

 邪悪なエネルギーは花壇の花を瞬く間に枯らし、冷たいオーラを周囲に撒き散らしていく。そしてその波動は上空の怪獣の魂もここに呼び寄せた。空の黒雲が生き物のように動き出して宮殿の上空へと移動していき、黒雲は重力を無視するように舞い降りてきて、その中から青い体と鋭い赤い角を持つ巨体が姿を現した!

 

【挿絵表示】

 

「おや? 怪獣かと思ったら超獣でしたか」

 そいつはぽつりとつぶやいた。そう、現れたのは怪獣ではなく超獣であった。

 ベロクロンのような強靭な巨躯に、頭の鼻先には一角獣のような角を生やし、頭部から背中にかけて大きく真っ赤な背びれが生えている。その目はらんらんと黄色く輝き、狂気以外のなにものも映してはいない。

 かつてヤプールの死後に現れ続けた超獣の一匹。黒雲に紛れて無差別に暴れまわるだけの狂暴な超獣、黒雲超獣レッドジャックが強烈なマイナスエネルギーに誘われて現れたのだ。

 完全に実体化したレッドジャックは喉に詰まったような鳴き声をあげてさっそく暴れ始めた。口から激しく燃え盛る炎を吐き出して美しい花壇を焼き払い、噴水を踏みつぶして獲物を探し回っている姿を見て、ジョゼフは自分の宮殿が破壊されていくのを気に止めた様子もなくつぶやいた。

「ほお、なかなか生きのいい奴だな。それで、あれをどうやって止めるつもりだ?」

「まあまあ、焦らない焦らない。あれだけ狂暴な超獣なら実験台には申し分ないです。ジョゼフ王様、ミス・シェフィールド、あなたたちは幸運ですよ。あなたたちの協力でこの星でついに一号機が完成した、『宇宙最強』の称号をその目で見れるのです!」

 そう言うと、宇宙人は大きく手を振った。すると、庭園の一角から青色の風船のようなものが膨れ上がっていき、見る見るうちに五十メートルほどの巨大な卵のような姿へと変わった。

 当然、レッドジャックもこの異様な物体に気づいて近づいていく。しかし、レッドジャックにもし知性があればここで逃げ去るべきだっただろう。なぜなら、そこに潜んでいるものとは……。

 そのときだった。臨界まで膨れ上がった球体が発光したかと思った瞬間、大爆発を起こして、中から巨大ななにかが姿を現したのだ。

「あれは!?」

 シェフィールドは爆発の後にたたずむ巨大な人影を見て叫んだ。爆発の炎をものともせずに、黒い巨大な影が立っている。

 その巨影に向かって、レッドジャックは威嚇するように吠えた。だが黒い影は微動だにせず、ただ王宮の花壇の中にじっと立ち続けていた。まるで、自分以外のすべての存在がとるに足りないものだとでもいうように。

 そして、馬鹿にされたと感じ、レッドジャックはいきり立って黒い影に突進を始める。だがその様子を、宇宙人はあざ笑いながら冷たく見つめていた。

「フッフッフッ、いいじゃないですかいいじゃないですか。こうでないとおもしろくありません。さあさあ、いよいよお目にかけましょう。宇宙でもっとも優秀な我々のテクノロジーが生み出した芸術品、そのほんの一端をね!」

 まるでサーカスの司会のように高らかに宣言したそいつの言葉を皮切りに、戦いは始められた。

 火炎を吐き、光線を放って攻め立てるレッドジャック。その暴れように、王宮内の役人たちは震えあがっていることだろう。

 けれど、彼らは、そしてジョゼフたちはこれから知ることとなる。これまで彼らが見てきた怪獣たちとは次元の違う、本当の力というものを。

 

 レッドジャックの攻撃を軽くいなし、黒い怪獣が動き出す。ついに始まる恐怖のショー……実体を持った絶望の化身による破壊の宴。

 それは、宇宙の中でも一部の選ばれた星人にしか使いこなすことを許されない力。だが、凡百の者が使っても並の怪獣と同程度にしかならず、紛い物ではない真の力を引き出せるのは選び抜かれたエリートのみという。

 今、奴は隠し続けてきた切り札の一枚をついに白日にさらした。それはつまり、奴の企むなにかの完成が近いということに他ならない。

 激動広がるハルケギニア。しかし、嵐の中核は一点に向かって収束していく。嵐が運んでくるものはなにか……すべてが明かされる時は、近い。

 

 

 続く



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第10話  雪風の元に集う者たち(前編)

 第10話

 雪風の元に集う者たち(前編)

 

 友好巨鳥 リドリアス 登場

 

 

 トリステインが激動の火中に投げ入れられてから、早くも二日が過ぎた。

 時間の流れるのは速く、一日目は怪獣たちとの交戦でウルトラマンA、ガイア、アグル、ダイナが力尽き、二日目はクルデンホルフ領でジャスティスが戦い傷ついた。

 それと同時に各所で様々な交流や戦いが起こったが、それらもすべて飲み込んで時間は進み続ける。その流れの中では、人間の運命など細い糸のようでしかない。

 けれど、時間という大河に流されながら、それでも希望を紡ぐ細い糸は切れずに伸び続けてゆく。流されながらも切れずに絡まり、流されることのない太い綱へと変わる時のために。

 

 激動の二日目の中で、トリステイン軍はガリア軍へ向けて決死の出撃を決めた。それでも、ガリア軍と相対するのは翌日となるだろう。

 不安を人々の心に宿しながら二日目の太陽は西の空に沈んでいく。次に東の空から太陽が昇るときには、必ずトリステインの命運が決まるだろう。

 だがその前に、この夜の中で新たな糸が生まれようとしていた。絆という名の糸が……。

 

 

「きゅい……あ、れ……? ここは?」

 シルフィードが目を覚ました時、そこから見えたのはどこかの深い森の中だった。

 体を動かそうとして、翼の付け根がずきりと痛んで再び寝転がる。首を動かして周りを見回すと、立ち並ぶ木はそれぞれが船のように太く、天にも届くくらい高くそびえ立っていて、その巨木を使った樹上の家がいくつも並んで町を作っている光景が見えた。そのはるか上に見える夜空には月が輝いている。

 落ち着いてみると、自分はその森の中の町の中央に開けている広場の中で、柔らかいわらで作られたベッドに寝かされていた。

「きゅい……?」

 しだいに目が覚めて頭がはっきりしてくると、どうやら自分は助かったのだとわかった。けれど、狼の群れに襲われかけていたあの時にいったいどうやって……?

 すると、頭の上から澄んだ女性の声が響いてきた。

「ああ、よかった。目が覚めたのですね」

 視線を上に向けると、空から女の人が降りてくるのが見えた。ただし、その背中には白い翼が生えており、翼人だということがすぐわかった。

 彼女はシルフィードのすぐそばに着地すると、シルフィードの体の様子を確認したようだった。よく見ると、身体中にあった傷にも手当てが施されていて、まだ痛みはするものの、動けないほどではないようだった。

 けれどそれよりも、自分を看てくれているこの翼人の女性の顔に見覚えがあるような気がする。そう思ったとき、彼女のほうからシルフィードに話しかけてきた。

「お久しぶりです、韻竜様。その節では大変にお世話になりました」

「きゅ? え、ええと、お前は……」

「お忘れですか? アイーシャです。以前、韻竜様とタバサ様とキュルケ様に助けていただいた翼人の村の」

「あ、ああ、ああ! 思い出したのね!」

 それで、既視感の正体もはっきりして、シルフィードは飛び起きた。そして体に走る鈍痛でまた倒れ伏すことになったが、頭ははっきりして、以前のエギンハイム村でのタバサの任務を思い出していた。

 そう、もうだいぶ前のことになる。エギンハイム村の人間たちと、森に住む翼人の対立。それにつけこんで襲ってきたムザン星人との戦いのこと……そういえば、この樹上の村は翼人たちの住み処だった。そして、このアイーシャは翼人の長の娘で。

「久しぶりなのね。ヨシアとはあれから、仲良くやっているのかね?」

「思い出していただけたのですね。はい、あれから夫とは助け合いながら幸せに暮らしております。それもすべて皆様のおかげです」

 アイーシャの笑顔はあのときと変わっていなかった。翼人の村のほうも、あのとき怪獣たちが暴れた被害からすっかり回復したようで、前より立派になっているようにさえ見えた。

 けれど、なぜ自分はここに? シルフィードは改めて尋ねてみた。あのとき、自分は動く力さえ失って、狼に食われるのを待つだけだったというのに。それにあそこから翼人の村はかなり離れているから、翼人たちが見つけて運んでくれたとも思えない。

 すると、アイーシャは空を仰いでシルフィードに答えた。

「私たちではありません。『あの方』が、あなたを連れてきてくださったのです」

「あの方……? きゅいっ!?」

 シルフィードが首を傾げたとき、突風が吹いて森の木々を揺らした。

 何事かと空を見上げたシルフィードの眼に、視界を埋め尽くすほどの巨大な影が月を背にした姿が見えた。

 あれは! と、見覚えのあるそのシルエットにシルフィードは目を見張った。そして、村の広場に降りてきた青い巨鳥に、アイーシャは膝をつき頭を垂れて一礼した。

「リドリアス様」

 そう、彼は翼人の村で伝説の神鳥としてあがめられていた怪獣リドリアスに他ならなかった。

「ここに、戻ってきていたのね」

 あのとき、ガギとムザン星人を倒した後に飛び立ったリドリアスは、遠いどこかにいなくなったものと思っていた。実際、はるか遠くのサハラでの戦いに力を貸してくれたこともあるのだが、シルフィードはそこまでは知らない。

 そして、リドリアスの姿を見てシルフィードは理解した。気を失う前のあのとき、空から降りてきた影の正体はリドリアスだったのだ。

「ありがとうなのね。命の恩人と、大いなる意思に感謝するの」

 シルフィードが礼をすると、リドリアスは無言のままでうなづいて見せた。その巨大だが穏やかな姿に、シルフィードは竜の巣を出て以来会っていない母竜の姿を思いだし、懐かしさを覚えた。

 けれど、ほっとしていられたのもそれまでだった。アイーシャが、どうしてシルフィードだけで傷ついて運ばれてきたのかを尋ねてきたのだ。

「ところで韻竜様。あなたのご主人のタバサ様はいかがされたのですか?」

「あ……」

 シルフィードはすべてを思い出した。

 タバサの意思で記憶を消されて暢気にさまよっていたこと。シェフィールドに操られて、タバサと血みどろの戦いを演じさせられ、結局タバサに助けられてしまったことなど……すべてを。

「あ、あ……」

 悲しみと悔しさが溢れて、涙がこぼれ落ちてきた。そうだ、自分はなんということをしてしまったのだ。

 魔法で、ブレスで、タバサを痛め付けてしまった記憶がありありと甦ってくる。アンドバリの指輪で自我を支配されていたとはいえ、シルフィードの風韻竜の力は幸か不幸か、その支配に逆らって一切の記憶を保持させてしまっていた。

「お、お姉さま……シルフィの、シルフィのせいで……」

 あのとき、タバサの命をかけた魔法でシルフィードの洗脳を解くことはできたが、タバサも力を使いきってシェフィールドに連れ去られてしまった。それを、自分はただ見ていることしかできなかった。

 滝のような涙を流すシルフィードに驚いて、アイーシャは狼狽しながら呼びかけてきた。

「韻竜様!? どうしたのですか韻竜様! 私が何か、まさかタバサ様に何か?」

「ううん、お前のせいじゃないのね。みんな、みんなシルフィが悪いのね」

 アイーシャはぐずるシルフィードをなだめて、なんとか事情を聞き出した。そして、主人と相打つことになったのは驚いたけれども、それはあなたのせいではないと慰めてくれた。

「韻竜様、敵は我らと同じ精霊の力を味方につけた者でしたのでしょう。残念ですが、敵のほうが今回は上手だったということです。あまり、ご自分を責めないでください」

「ううん、シルフィがしっかりしてれば、あんな人間なんか一口にしてやったのに。結局、お姉さまに迷惑をかけただけで何もできなかったのね……」

 無力感にうちひしがれて、シルフィードは頭を抱えてうずくまってしまった。

 こんなことなら、あのとき死ねていればとシルフィードは思った。よりにもよって、この世で一番尊敬しているお姉さまに牙をむけてしまうなんて、完全に使い魔失格なのね、と。

 だが、自己嫌悪に陥って泣きじゃくるシルフィードにアイーシャが狼狽えていると、じっと見守っていたリドリアスが首を伸ばしてくちばしから何かをシルフィードの傍らに落としてきた。

「きゅい?」

 見ると、それは獲れたばかりの丸々と太った大きな魚であった。

 これを獲るためにどこかに飛んで行っていたのか? 食べろと言っているようなリドリアスの視線に、シルフィードはそんな気分ではと突っぱねようとしたが、空腹と魚の潮の香りの誘惑には勝てず、むしゃむしゃとかぶりついていった。

「ふう……ごちそうさまなのね」

 腹が満たされると気分も少しは落ち着き、シルフィードはアイーシャに謝った。

「ごめんなさいなのね。興奮して恥ずかしいとこを見せちゃったのね」

「いえ、お気になさらないでください。大切な人を失ってしまったら、きっと誰でも取り乱してしまいます。私も、もしヨシアを失ったら、きっと」

 憂えるアイーシャを見て、シルフィードはあのときと変わらない純粋な人なのねと思った。

 そう、思い返せばもうだいぶ前になる。異種族間での恋愛という、狂気に近い感情を持ちながら、宇宙人や怪獣の襲来という極限状態の中で、勇敢にも仲間や村人たちを鼓舞して立ち向かい、しがらみを越えて結ばれた彼女たちのことは忘れられない。

「ヨシアは、旦那さんは元気なのね?」

「はい、それはもうとても。結婚してからというもの、日々疲れを知らないように仕事をがんばっています。今では翼人のしきたりにも詳しくなって、新しく翼人と人間の架け橋になろうと日々頑張っていますわ」

「そう、アイーシャの人を見る目は正しかったのね」

「お恥ずかしい限りです。人間と翼人が分かりあって共に生きる。もちろん、まだ納得がいっていない人はどちらにもいますが、人間と翼人はそんなに異質な存在ではないと私は信じています。ヨシアのお兄さんのサムさんとも、少しずつ仲良くなれているんですよ」

 アイーシャの嬉しそうな顔はとてもまぶしく見えた。

 異種族の融和は簡単なことではない。単に知恵があるというだけでは解決できず、それぞれの生態、文化、伝統、譲り合いだけでは解決できないものが数多くあり、それは縄張りの住み分けという形でしかどうしようもない。人間と翼人は生き物として比較的近しかったからできた例外かもしれないが、それでもここに確かな幸せがあるのは嬉しかった。

 けれど、幸せに浸ってばかりはいられないと、アイーシャは空を仰いでその目に憂いを浮かべた。

「ただ、この村を囲む世界になにかが起こっていて、もうこの村だけ平和ではいられないとも感じております」

 アイーシャはシルフィードに、タバサたちに救われて後に起きた事件のことを語った。

 空が謎の暗黒に閉ざされた日、突然空から降ってきた大きな船。東方号というその船の人たちとの交流、そして突然襲ってきた鉄の巨人とウルトラマンAとの戦いのことを。

 それを聞き終えたシルフィードは驚くとともに、それが自分がジョゼフに捕らえられていて、かろうじて脱出したときと同時期だったと思い出した。

「あのとき、こっちでもそんなことが」

 大変なのは自分だけだと思っていたシルフィードは、みんないろんなところでがんばっていたんだと知った。

 そうだ、あのときもキュルケやタバサの母を救うために必死にがんばった記憶が甦ってくる。あのときにがんばれたのに、今回あきらめていいわけはない、けれど……。

「シルフィが張り切っても、お姉さまの邪魔になっちゃうだけなのかも……」

 自信を無くした様子でシルフィードはつぶやいた。

 これまでは、誇り高い風韻竜の血統である自分に絶対の自信を持っていた。様々な種族の中でも知恵と力を併せ持つ選ばれた血統だと、そんな自分を召喚したタバサを含めて疑ったことはなかった。

 けれど、タバサは自分の記憶を消して放逐してしまった。それはもう役に立たないと見なされたということなのかとシルフィードは思ってしまう。前のときも、タバサは結局シルフィードの助け無くして自力で帰ってきてしまった。

 なにより、操られたとはいえ主人に牙をむけてしまった自分にタバサを助けに行く資格があるのだろうか。のこのこ出ていっても、足手まといになってしまうだけなのではないのか?

「お姉さまは、風韻竜たる自分を倒してしまったのね。お姉さまは、お姉さまはシルフィよりずっと強い。なのに、弱いシルフィがどうやってお姉さまのお役に立てるの……?」

 タバサにとって、自分はどれだけ力になれるのか? 背中に乗せて空を飛ぶくらいしかないのではないか? それなら別の竜でも事足りる。

 自分の限界にぶち当たってしまったシルフィードに、アイーシャはなにも言ってあげることができなかった。 

 けれどそのとき、二人を見つめていたリドリアスがゆっくりと鳴いた。

「きゅ?」

「リドリアス様……?」

 それは人間の耳にはただの鳥の鳴き声にしか聞こえないものだったが、翼人と韻竜である二人には言葉として聞き取ることができた。

「迷ったなら……自分の思い出に聞いてみればいい……?」

 シルフィードはつぶやいた。リドリアスはそれだけを告げるとうずくまって目を閉じてしまい、シルフィードは戸惑いながらも、自分も目を閉じて心を落ち着けた。

 自分の思い出……シルフィードは、タバサに召喚されて今日までのことをひとつずつ思い出していく。

 出会いは使い魔召喚の儀の日。はじめは生意気な小娘かと思ったけど、すぐにすごい魔法使いだということがわかって、こんなかっこいいお姉さまといっしょに、どんな楽しい未来が待っているのかとワクワクした。

 そして、タバサとの日々はその期待を裏切らなかった。タバサに与えられる北花壇騎士の任務の中で、シルフィードは竜の巣では絶対に知ることのできなかった多くのことを体験した。

 もちろん、楽しいことばかりではなかった。タバサに居丈高なイザベラにはいつも腹が立ったし、無茶な作戦をとるタバサにはいつもハラハラした。なにより涼しい顔で自分にも死ぬかもしれない無茶ぶりを命じてくるタバサには、いつも怨めしく愚痴をこぼしていたりした。

 それからも、トリステインにヤプールが侵略をかけてきたときには、タバサは自分には得にならないにも関わらずに戦いに望み、シルフィードも初めて見る超獣や怪獣との戦いを経験した。

「この世に、竜よりも強い生き物があんなにいるなんて夢にも思わなかったね。でも、お姉さまはそれでも変わらずに立ち向かっていったのね」

 怪獣や超獣を相手にしても立ち回れるタバサの姿はまぶしかった。自分も、怖かったけれどもそれでも憧れるタバサのためにとがんばった。

 そして、ずっとそうしてこれたのも、タバサに文句を言いながらも付き合ってこれたのも、タバサがときおり見せる優しさのおかげだった。

「お姉さまは一人でいるときはずっと本を読んでばかりだけど、忘れたころにシルフィのことも気にかけてくれる不思議な人だったのね」

 扱いは酷かもしれないけれど、ぶっきらぼうな態度で、困ったときにはなぜかいつもやってきてくれた。

 スチール星人にさらわれたとき、タバサは怒った様子で助けに来てくれた。それに、ガギからニナを救うために戦った時は、タバサは追いかけてきてくれて、叱られたけれども、一人でがんばったのを認めて誉めてくれた。

 そうだ、あのときは誉めてくれた。自分のがんばりを認めてくれたのだ。タバサは、自分のことを便利な乗り物でも駒でもなく、自立した一人として扱っていてくれたのだ。

「お姉さま……」

 悲しさで、こんな大切なことを忘れてしまっていた。タバサとはもうとっくに、ただのパートナーではない関係になれていたというのに。

 それからも、タバサとは協力しながら戦い、ウルトラマンの危機を救うような活躍もしてきた。タバサの活躍の中で、自分が決して無価値ではなかったということは、自分自身が一番知っていた。

 でも、それならどうしてタバサは自分を置いていってしまったのだろう。あのとき、ジョゼフとオルレアン邸で会ったときからの記憶はない。シルフィードは静かにそれから後、タバサとの別れからのことを思い出した。

 野良の竜になって、しばらくはあまり不自由はしなかった。記憶は無くしても、元々竜は自然の中で暮らすものだし、竜の餌場に手を出そうとする生き物はまずいないから、食べるのにもそんな困りはしなかった。

 けれどそんな折、たぶん無意識にオルレアン邸の近くへと寄り付いてしまい、ジルと互いがわからないまま再会を果たした。そして、現れた超獣ギーゴンとの戦いでは、タバサははるばる助けに来てくれた。おまけに、久しぶりにタバサを背中に乗せて戦うことができた。

 こんな最近のことまで忘れてしまっていたのね……シルフィードは、悲しみはこんなにも心を曇らせるものだと思った。タバサは自分を捨てたわけではない。ちゃんと覚えて見守っていてくれた。そのときはタバサのことを忘れていたけれど、心の底のほうから充実感がわいてきたのは、使い魔の絆が切れていなかったからだ。それなのに、タバサはそれでも自分を連れていってはくれなかった。どうして……?

 シルフィードは、その答えを知るために、覚悟を決めて息を吸い込んだ。思い出したくない記憶……シェフィールドによってアンドバリの指輪で洗脳されて、タバサと戦わされたときのことを。

「きゅ……っ」

 思い出そうとしただけで虫酸が走る。あのジョゼフの手先の女は、こともあろうに精霊の力を悪用して韻竜たる自分の心をもてあそんできたのだ。それもよりによってタバサを捕らえるための手駒兼人質として、こんな屈辱が他にあるだろうか。

 いや、それ以上に許せないのは、怒りと憎しみに呑まれてタバサを嬉々として痛めつけてしまった自分自身だ。確かにタバサに対して不満はくすぶっていて押さえ込んでいたつもりではあったけど、あの凶暴な姿は心のどこかでこうしたいと思っていた真実のひとつだったのだ。

 屈辱に耐えながら、額に汗を浮かべて思い出そうとするシルフィードを、リドリアスとアイーシャはじっと見守っている。

 操られていた時の記憶はおぼろげで、正気を失っていたときの自分のやったことを思い出すだけでも不快極まりない。それでも、様々な魔法やブレスを使ってタバサを圧倒していたことはかすかに思い出せてくる。自分にまさかこんな力があったとは……年月を経た父竜や母竜を見てきたけれども、自分のことながら信じられない。

 それでも、タバサは人間の身で食いついてきた。傷だらけになりながら、人間の身を超えるほどの力で、立ち向かい続けてきた。

 やっぱりお姉さまはすごい……シルフィードは、今のタバサには父や母、大人の風韻竜でも簡単には勝てないと感じた。いや、タバサはシルフィードを殺すまいとかなりの手加減をしていたはず。もう戦闘に関しては、タバサに勝てる者は韻竜の中にもいないかもしれない。

 やがて、シルフィードはタバサがなぜそこまでして自分を救おうとしたのか、タバサの本心の言葉を聞いた。

「シルフィード、少しでも心が残っていたら聞いて……」

 それは、いままでシルフィードが聞きたいと思っても聞けなかったタバサの本心だった。こんな形で聞きたくはなかったけれど、心の底に刻み込まれたタバサの言葉が蘇る度に、シルフィードは涙を流した。

 そして、全力をかけたシルフィードのドラゴンブレスとタバサの最大魔法がぶつかる暴風の渦中。その刹那の瞬間に、タバサがシルフィードに向けた最後の言葉が蘇った。

 

「シルフィード、わたしはあなたにわたしの意思を継いでほしかった。わたしたち人間の寿命はせいぜい百年。けれどあなたには数千年の時間がある。あなたはわたしなんかより、はるかに多くの人を助けられる可能性がある。だから生きて……そのためなら、わたしの命も惜しくはない!」

 

 その言葉と決意を込めたタバサの眼差しを最後に、すべては光の中に消えた。

 タバサの真意、それを知ったときにシルフィードの目から流れる涙は、もう悲しくてなのか嬉しくてなのか自分でもわからなくなっていた。

「シルフィは、シルフィは、本当にばかだったのね」

 過去を悔やむというような話ではなかった。シルフィードの想像していたような小さな次元ではなく、タバサはずっと先の未来のまで見てシルフィードのことを考えてくれていた。

 単純に、今の評価しか考えていなかった自分のスケールの小ささが情けない。だが、そんな自分をこんなにまで高く評価してくれていたことがたまらなく嬉しい。

 そんなシルフィードに、アイーシャは困惑したような表情を浮かべていたが、涙をぬぐったシルフィードは毅然として言った。

「もう、大丈夫なのね。タバサお姉さまはシルフィの知ってる通りの、いいえずっと立派な人だったのね」

 シルフィードの顔から憂いが晴れたことを見ると、アイーシャはほっとしたように笑顔を見せた。

 そしてシルフィードはリドリアスのほうを向くと、できる限りの敬意を込めて頭を下げた。

「ありがとうなのね。あなたの言ったとおり、答えはもうシルフィの中にあったのね」

 リドリアスはなにも答えずに、静かに視線をシルフィードに流し続けているだけである。

 しかし、そうとわかればシルフィードのやるべきことは決まっていた。まだ痛む翼を広げようとし、慌ててアイーシャに止められる。

「お待ちください韻竜様! どこへ行かれようというのですか?」

「もちろん、お姉さまのところなのね。お姉さまは、自分の使命を犠牲にしてまでシルフィを助けてくれたのね。それなのに何もしなかったら、シルフィは二度と自分を韻竜だって誇れないのね!」

「しかし、まだあなたの体は飛び立てるような有り様ではありません!」

 アイーシャが止めるのも当然だった。シルフィードの体は死んで当然だった状態をかろうじてつなぎ止めただけで、先住魔法でも完全な治癒にはまったく及んでいない。いくら生命力と回復力に優れた竜であっても、一週間は絶対安静が必要な重傷なのだ。

 それでも、シルフィードは包帯に血をにじませ、翼をきしませる激痛に耐えながら飛ぼうとする。

「こ、こんなの、お姉さまはシルフィを助けるために、もっと痛かったに違いないの。シルフィは、えーと、そう、黒髪のチビの言ってた、ど根性がある子なの!」

 アイーシャだけでなく、気がついてやってきたほかの翼人たちも止めようとしているが、シルフィードは翼を羽ばたかせようとするのをやめない。アイーシャはすがるようにリドリアスのほうを見たが、なぜかリドリアスは赤いとさかの下の穏和な眼を細めてじっと見ているだけだった。

 けれど、このまま黙って行かせるわけにはいかない。アイーシャは先住魔法でシルフィードの動きを止める前に、もう一度シルフィードに呼び掛けた。

「お待ちください。敵は一国そのものなのでしょう? あなたお一人でどうするのですか?」

「う……そ、それなら、タバサお姉さまには他にも強いお友達がいるのね。その人たちに助けてもらえば、きっと……」

 シルフィードはキュルケやジル、学院にいる才人たちのことを思い浮かべた。自分の力だけでは及ばなくても、みんなの力を借りられればきっと。

 だがそう言いかけたとき、シルフィードの目にじっと見つめてくるリドリアスの瞳が映った。

”それで、いいの?”

 シルフィードは、リドリアスが自分にそう言っているように感じて、言葉を詰まらせた。

”本当に、それでいいの?”

 リドリアスは語りかけてきたわけではない。ただじっと座り込んだまま見つめてきているだけなのに、シルフィードは心の中にその響きを感じて、翼を止めた。

 それで、いいの? お姉さまを助けに行くのに、また誰かの力を借りてしまって? シルフィードの心にその疑問が湧く。

 思えば、これまでずっと誰かの力を頼ってなにかをやってきた。タバサがぐんぐん力を上げていくのに、シルフィードの力が目立って上がらなかったのは竜種ゆえの成長の遅さだけが原因ではないだろう。

 シルフィードは、自分の中に”困ったときは誰かに助けてもらえばいい”という甘えがあったことを自覚した。タバサは一人でも戦える……いや、一人になっても戦い続けるという覚悟の元で力を渇望し、常に自分を追い込んでいた。だからこそ、タバサの魂はその才能を死線の中で開花させていったのだ。

 かつてリドリアスも、果敢にムザン星人やガギに挑んでいったことをシルフィードは思い出す。勝ち目がうんぬんとかではない、やらねばならない使命があったから飛んだのだ。

 人の力をあてにしていたのでは何も生まれない。自分もかつてガギにさらわれたニナを救うために仲間の力を借りた。けれど、もし借りられなかったら自分一人で立ち向かう覚悟があった。あの覚悟を、もう一度……。

「わかったのね。シルフィは今こそ、誰の力も借りずに一人前にならなきゃいけない時なのね?」

 シルフィードがリドリアスの目をまっすぐに見て言うと、リドリアスはそうだと言う風にゆっくりとうなずいた。リドリアスのその顔は温厚だが、目には長い時間を生きてきた者だけが持っている凄みが宿っていた。

 ただの子供から脱皮する時は今! 覚悟を決めたシルフィードは翼を大きく広げ、今度は傷の痛みなんか気にせぬ強い決意で羽ばたく。

 もちろん、アイーシャはシルフィードを止めようとする。けれど、先住魔法を使おうとしたアイーシャたちを、リドリアスが強く鳴いて制止した。

「リドリアス様!? なぜ? 韻竜様、いけません!」

「アイーシャ、ありがとうなのね。でも、シルフィは行かなきゃいけない。お姉さまのためだけじゃない、シルフィ自身のためにも。シルフィが、大人になるためにも」

「韻竜様……わかりました。大いなる意思のご加護があらんことを、お祈りしております」

「そんな顔しなくても大丈夫なのね。お姉さまが、あのちびすけができたことがシルフィにできないはずはないのね。きっとまた、お姉さまといっしょに遊びにくるから、それまでちょっとだけさよならなの。じゃ、行ってくるのね!」

 シルフィードは翼を広げ、アイーシャとリドリアスの瞳に見送られて飛び立っていった。

「大いなる意思よ、どうかあのお方をお守りください」

 アイーシャは心を込めて祈った。シルフィードの行く先は間違いなく戦場になるだろう。韻竜といえど、帰ってこられる見込みは少ない。それでも、そこに待っている人がいる限りゆくのだ。

 シルフィードの去った空を見上げ続けるアイーシャ。その元に、木の葉を踏みつける足音が近づいてきた。

「アイーシャ」

「ヨシア」

 そこには、彼女の夫である青年ヨシアが、兄のサムといっしょに立っていた。

「アイーシャ、お疲れ様。君たちのおかげで、あの方は自信を取り戻したみたいだね」

「ヨシア、見ていたの?」

「うん、助けに出ようかと思ったけど、僕たちより君の方があの方は安心すると思ってね」

 ヨシアがばつが悪そうに頭をかくと、傍らのサムも肩に背負っていたものをどっかと下ろして苦笑した。

「ま、俺もヨシアも理屈立てて話せる学はねえからな。あのドラゴンさんが腹を減らしているだろうと思って大物の鹿を仕留めてきたんだが、無駄になっちまったのは残念だ」

 木こりで鍛えた体のサムの傍らには、まるまる太った大きな鹿が転がっている。これをシルフィードが見たら大喜びで平らげただろうが、まあ村人と翼人たちで肉を分ければいいだろう。

 シルフィードはすでに遠くまで行き、もう羽音も聞こえない。アイーシャは愛する夫に、不安げな様子で尋ねた。

「ヨシア、私、これでよかったのかしら?」

 このまま送り出して、死地に飛び込ませたのではないかと罪悪感をぬぐえないでいるアイーシャに、ヨシアは微笑みながら優しく肩を抱いて答えた。

「アイーシャ、心配いらないよ。あの方たちは強い。それは君も見てきただろう? それに、僕たちも以前、大切なものを守るためには恐怖を乗り越える勇気を出さないと奇跡は起こらないんだって、あの方たちから教わった。あの方は、今度は自分がそれを示そうとしている。だから大丈夫、僕たちの始祖も君たちの大いなる意思も、決してあの方を見捨てたりしないさ」

 勇気を出して困難に挑めば、きっと道は開かれる。奇跡は起きると諭すヨシアに、アイーシャはほっとしたように表情を緩めた。

 また、ヨシアの兄のサムも弟より少し強面の顔を引き締めながら言った。

「人生にゃ、いつかどっかで無理だと思っても勝負しないといけねえ時ってのが来るもんさ。それで逃げたら、一生自分を負け犬と思って生きていかなきゃいけなくなる。あのドラゴンさんは、今こそ男になろうとしてやがるんだ!」

「兄さん、あの方はメスです」

「う……」

 かっこいいこと言ったつもりで弟に的確に突っ込まれて赤面するサムを見て、アイーシャはくすくすと笑った。

 そしてリドリアスは、そんな微笑ましい人間と翼人たちの姿を見ながらじっと物思いにふけっている。今の時代に生きていても、リドリアスは六千年前の大厄災の住人……あの時代から思えば、今こうして異種族が安寧に暮らせている光景は夢のようにさえ思える。

 だが、闇はまだ深く、運命は若者たちに試練を与え続ける。本当の平和はいつ来るのか……リドリアスは、遠い過去にともに空を駆けた愉快なメイジと女剣士の二人のことを思い出した。

 君たちの目指した理想の世界にはまだ届かない。けれど見てくれ、世界はこうして進歩している。そう、きっとあの子も大丈夫だとリドリアスは信じていた。

 若者の作り出す奇跡は、いつだって老人の想像を越えて行く。古い世代の役割はそれを助けること……そういえばもうひとつ。リドリアスはシルフィードを救った後、思い出にある匂いをたどって撒いた種は芽吹いただろうかと、別の方向の空へと思いを馳せた。

 エギンハイム村と翼人の里に星は降り、この村から旅立った小さなドラゴンがこれから何をなすのか、期待するかのように瞬いていた。

 

 

 一方そのころ、リドリアスの蒔いたもう一つの種も、目覚めに向けて急いでいた。

 ガリアから一路離れたトリステイン。その夜更けの道をひた走る一台の馬車があった。

「急いで! 間に合わなくなる前に、もうすぐだから!」

 馬車に乗っているのは一人。御者のガーゴイルを叱咤し急がせているのは、夜目にも鮮やかな炎のような赤い髪をなびかせたキュルケだった。

 街道には戦争から逃げのびようとしている人々が列を作っていたが、馬車が身分の高い貴族のものだとわかると道を譲っていく。そしてキュルケの馬車は街道から外れた脇道に入っていった……その先には、かつてタバサといっしょにスコーピスと戦ったラグドリアン湖の湖畔が静かに広がっていた。

「着いた、のね……」

 馬車から降りたキュルケは、気が抜けたようにしばし立ち尽くした。目の前にはラグドリアン湖が静かな湖面をどこまでも連ねていく雄大な光景が広がっている。

 周りに人はおらず、湖畔にはキュルケひとりしかいない。こんな裏道の奥の場所などには、戦争が迫った今となっては釣り人さえもいなくなっていた。

 ラグドリアン湖は夜空の月を映して明るく輝いており、キュルケの心はそれを見て揺れた。

「どうしてわたしはこんな場所を知っているの? あの子と一緒に空から見たから……? あの子って、誰? その答えが、ここにあるの?」

 キュルケは胸元から小さな指輪を取り出した。それは昨日の夜に空から落ちてきた指輪の台座で、そこに残っていた魔法石の小さな欠片に触れた時、キュルケの中に一瞬だが強い何かが蘇った。

 そして、蘇った記憶のビジョンはこのラグドリアン湖へ行けと促していた。それに導かれて、一日中馬車を走らせてやっとここにたどり着けた。ここに、自分の失った何かがある。それを取り戻すために、キュルケは指輪を強く握りしめた。

「さあ、あなたとの約束通り、このアンドバリの指輪を持ってきてあげたわよ。姿を現しなさい! 水の精霊よ」

 キュルケは思い切り指輪を湖に向けて放り投げた。指輪はくるくると舞い、やがて水面に小さな水柱を立てて落ちて沈んだ。

 これで……キュルケは指輪の消えた湖面をじっと見つめて待った。けれど、波紋が消えてしばらくしても何も起こらない。

 だめ、だめなの? と、キュルケが落胆しかけたときだった。湖に大きな水柱が立ち、その中から人の姿をかたどった水の塊……水の精霊が姿を現した。

「よく来たな。かつて我と誓約した単なるものの、そのひとかけらよ」

「やっと現れてくれたわね。水の精霊、あんまり遅いものだから寝てるかと思ったわよ」

「我にとって眠りも覚醒もさしたる違いはない。しかし、お前たちとかわした誓約は覚えている。よくぞ、我の秘宝を取り戻してくれた。礼を言う」

 そう答えた水の精霊の体の中にはアンドバリの指輪が透けて浮かんでおり、どうやら喜んでいるらしいということはわかった。

 これなら、水のメイジでない自分でも水の精霊と交渉ができるかもしれない。キュルケはそう期待していたのがうまくいきそうなことに、心の中で喝采した。

「水の精霊、その指輪を取り返してきてあげたんだからお願いがあるの。聞いてもらえるかしら?」

「単なる者よ。お前が誓約を果たしたことにより、お前は報酬を受ける権利を得、我はそれに応える義務を負った。言ってみるがいい、善き願いには善き報酬を、つまらぬ願いにはつまらぬ報酬を与えよう」

 さすが話が早くて助かるとキュルケは思った。水の精霊は純粋ゆえに言葉を濁したりはぐらかしたりはしない。

 だが純粋ゆえに気まぐれだ。今はよくても一つ機嫌を損ねるだけで台無しになってしまう。ここからが正念場ねと、キュルケの額から汗が褐色の肌を流れていく。

「水の精霊、あなたに人の心を操る力があるというなら、わたしの心の中にあるはずの本当の記憶を取り戻して! あの子との、大切なはずの思い出を取り戻したいの」

 キュルケの魂からの叫びが湖の水面を揺らしたように見えた。

 望みは届き、偽りの記憶からキュルケは解き放たれることができるのか。懸命に呼び掛けるキュルケの姿を、彼女の使い魔のフレイムがじっと見つめ続けていた。

 

 

 続く



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第11話 雪風の元に集う者たち(後編)

 第11話 

 雪風の元に集う者たち(後編)

 

 月怪獣 ぺテロ 登場

 

 

 失われた記憶を求めてラグドリアン湖の水の精霊の元を訪れたキュルケ。アンドバリの指輪を返還したことで水の精霊からの報酬の約束を取り付け、記憶を呼び戻してもらうことを頼み込んだ。

 だが、気まぐれで気難しい水の精霊からの協力を本当に取り付けることができるのだろうか……。 

 

「記憶を呼び戻せとは、いったいどういう要求なのか?」

「水の精霊、あなたは人間の世俗のことなんか関係ないから知らないかもしれないけど、今この世界にはなにか大きな異常が起きているようなの。その証拠に、わたしの記憶に大きな穴が空いてるみたい。いいえ、わたしだけじゃない……あんなにみんなのためにがんばっていたあの子のことを誰も覚えていない。その記憶に、謎を解く鍵があるわ」

 キュルケは包み隠さず答えた。水の精霊にごまかしはきかない、かといって自分も男を口説くならともかく、交渉事のプロではない。真摯さ以上に訴えられるものなど他になかった。

 すると水の精霊は何回か考えるようにぐにゃぐにゃと動くと、キュルケにこう答えた。

「結論から言えば可能だ。記憶とは、生物の脳に刻まれた刻印のようなもの。それは見えないように隠すことはできても消し去ることはできない。お前の記憶を呼び起こすことを妨げているものを我の力でどかせば、お前の記憶は蘇るだろう」

「ほ、ほんと? そんなに簡単にいくの?」

「単なる者の心は単純なものだ。お前たちは我が心を操るのを恐れるようだが、心など土を水が覆うように上書きしてしまえば簡単に姿を変えられる。ならば、土を覆う水を取り除くこともまたたやすい」

 子供の遊びのように簡単に告げる水の精霊に、キュルケは期待感を増してうなずいた。

 だが、なら早速と言いかけたときだった。水の精霊は、さらにこう注釈したのである。

「ただし、水の引いた土地が沼と化すように、お前の心を覆うなにかを取り除いたときに、お前の心がそのまま保たれる保証はない」

「な、なによそれって!」

「要はお前の心の強さ次第だ。お前の心に刻まれた記憶が水に沈んで形を失う泥か、水に沈んでなお己を保ち続ける岩かどうかということだ。お前の記憶を心の底に沈めた水を我が取り除くことはできる。だが、水が自然にひくならともかく、吸い上げれば水底はかき回される。それにお前の心が耐えられるかどうかは我の関するところではない」

 水の精霊らしい無情な宣告だった。

 キュルケは考え込んだ。恐らくは世界中の人間をいっぺんに洗脳したような未知の力を無理に取り除いて、自分の心は耐えられるだろうか? 記憶の混乱、最悪の場合は廃人になるかもしれない。水の精霊の力とはそれほど人間にとっては強力で、かつ水の精霊はそれを無慈悲に実行するであろう。

 けれど、迷ったのは一瞬だけだった。

「やるわ。こうしている間にもあの子はもっと危険な目に会ってるかもしれない。これくらいのことに怯えてたら、どのみちあの子を守ってあげられないわ」

 その決断と決意は、火種を得た油が一気に燃え上がるが如しであった。

 本気を見せたキュルケに、水の精霊もうなずいて、手招きをしてきた。

「ならば我に触れるがよい。お前の水と我の体が触れることによって、お前の脳の異常を取り除く。せいぜい気を確かに持っておくことだ」

 味気ない言い草にキュルケはかちんときたが、水の精霊は嘘をつかない。やると言ったら必ずやる。

 覚悟を決めたキュルケは、湖の中にそのまま足を踏み入れた。もちろん服は濡れるが、いくら相手が水の精霊とはいえこんなところで脱ぐ気にはならない。

 すると、膝まで水に浸かったキュルケの足に水が生き物のようにまとわりついてきた。どうやらこちらを調べているらしい。気持ち悪いと思ったキュルケは、どうせ見られるならままよと頭から水に飛び込んだ。

「はあっ!」

 息を吸い込んで水に潜ったキュルケは、目を開けると夜の水底の世界を見た。水面から月光が差し込んできて幻想的な光景が広がっているが、底のほうには光が届かずに永遠に続くかのような闇が続いている。

 光に照らされながら、その本質は闇の底……まるで今の自分みたいねとキュルケは思った。しかし、その闇の中から本当の自分を取り戻さなければならない。

 そのとき、全身を粘膜で包み込まれるような感触がして、キュルケは「来たわね!」と気を引き締めた。いよいよ水の精霊が本格的にやってきたのだ。

”あうっ! 身体中の、全部から水が入ってくる!? なによ、なによこれ! 見られてる。あたしのすべてが見られちゃってるぅ!”

 水の精霊の浸透力はキュルケの想像を超えていた。キュルケの褐色の身体中の穴という穴、口腔から毛穴にいたるまでのあらゆるところから水の精霊の体が入ってくる。これまで惜しげもなく披露してきたプロポーションの隅から隅ばかりか、あらゆる奥の奥まで陵辱されるような感覚にキュルケの理性は崩壊しかけた。

 だが、放心しかけたキュルケの耳に響いてきた水の精霊の声は、一切の低俗さを持たない無感情なものであった。

「つまらぬ抵抗をするな。我は水、水は流れ行くのみ。川の流れに身を任せるように、力を抜き、ただ己を保ち続けろ。お前は我が体内にいる。お前の肉体は今や我の一部、肉体に囚われず心を解放せよ。お前の求めるものはその先にある」

 その冷たい言葉に、キュルケは我を取り戻した。水の精霊を拒むのをやめて、身体を水の精霊のするがままにゆだねた。

 すると、それまで気が狂うようだった全身の不快が消え、逆に雲の中に浮かんだような心地よい浮遊感に包まれた。

「ふわぁ、これって、すごく気持ちいい……わ」

「眠りたいのなら止めはせぬが、意識を閉ざせばお前の精神はそのまま消滅するぞ」

「なっ! そういうことはもっと早く言いなさいよね!」

 一気に目が覚めて、さすが水の精霊の試練、悪辣極まりないとキュルケは思った。不快と快楽、どちらに負けても死んでしまう。

 耐え抜く方法はただ一つ。心を強く保ち続けること……そう、心こそがすべて。心を自由に、それでいて堅固に。心を操る力に対抗するには、強い心で立ち向かうしかない。

 改めて覚悟を決め、キュルケは水の精霊に身を任せた。

 水の精霊の体は水そのもの。人の体はそのほとんどが水であり、水の精霊にとっては人間の脳も積み木の城程度にしか過ぎず、積み木の中に紛れた余分なブロックを取り除くなとたやすい。だが、しっかりと積み木が立っていなければ、余分なブロックを取り除いた衝撃で積み木の城そのものも崩れてしまう。

 水の精霊の与えてくる不快にも快楽にも己を奮い立たせて耐えるキュルケ。体が肺の中まで水に満たされているはずなのに、不思議と息苦しさは感じず、時間の感覚も無くなっていく。

「上も下もわからない……わたし、どうなっちゃうの…………え……? あれって……」

 どれくらい時間が経ったのかわからない。闇が無限に続いていくかと思えた中、少しずつ鮮明さを増しながら、キュルケの目の前に一つの光景が浮かんできた。

「あれは、トリステイン魔法学院……?」

 それは記憶が水中に投影されているのか、見知った学院の光景がはっきりとキュルケの目の前にあった。食堂には大勢の生徒たちが集まり、わいわいと騒いでいる。その中にキュルケは昔の自分の姿を見つけ、これがいつの光景であるのかに気づいた。

「これは、学院の入学式の日……?」

 そう、それはゲルマニアから留学してきて、魔法学院に最初の一歩を踏み入れた日の光景だった。

 隣国とはいえ異国のただ中にありながら、燃えるような赤い髪と女神が嫉妬するようなプロポーションを惜しげもなく堂々と晒すキュルケの姿は当たり前のように新入生たちの中でも輝いていた。その色香に目を奪われる男子や、嫉妬の眼差しを向ける女子の視線を心地よく受けながら、過去のキュルケは悠然と座っていた。

 だがそんなキュルケの席の隣で、反対に地味に小さく目立たないでいた少女がいた。式の真っ最中だというのに我関せずと本などを読んでいたその青髪の小柄な少女に、ふと興味を持ったキュルケは、ちょっとした悪戯心で彼女から本を取り上げてみた。

「なにこれ……『風の力が気象に与える影響とその効果』ですって? わっけわかんない。あなた、こんな高度な魔法使えるの?」

 それが自分が彼女にかけた最初の言葉だった。思い出してみれば恥ずかしい。思えばよくこんな子供じみた命知らずな茶々を入れたものだ。

 それに、返してくれと手を伸ばしてきた彼女に次に自分が言った言葉は。 

「ねえ、人にものを頼むときには、名乗るのが礼儀よ。ご両親からそんなことも習わなかったの?」

 まったくももって子供じみた煽り方だ。いや、この程度の煽りに言い返せないような意気地無しには生きる価値は無いと思うキュルケのポリシーからすればたいしたことではないが、問題は我ながら本当に、このときの自分には人を見る目がなかったと思う。

 そうだ、そうだったわね……こうして見れて、記憶が泉のように甦ってくるのをキュルケは感じた。心の奥底に塞き止められていた記憶が昨日のことのように思い出せてくる。眼鏡をかけたおとなしそうなこの子が、自分に匹敵する力を持っているなんて、このときは思ってもみなかった。そして、その少女が仕方なさそうに答えた名前こそ。

「タバサ」

 その瞬間、記憶の中の暗い雲は吹き飛んだ。タバサ、タバサ。思い出したくても思い出せなかったあの子の名前がここにある。

 空色の髪と瞳、あどけなくも無愛想な表情。姉妹だったようによく知っているタバサの顔もここにある。そう、初めて会ったとき、タバサはこんな顔をしていた。それは当然だ、その次にキュルケが言った言葉ときたら。

「なにそれ! トリステインでは随分へんな名前をつけるのね!」

 これである。キュルケはこうして見せられると、つくづくタバサに悪いことをしてしまったなと、過去の自分を燃やしたくなった。

 第一印象は互いに最悪。あのとき自分は腹をかかえて笑っていたが、下手をすればあのときタバサに打ちのめされても不思議ではなかった。まったく命知らずにも程がある。

 しかし、タバサが怒る前に幸い横槍が入った。その相手ときたら……笑ってしまう。

「そこのあなた! 今、先生方が大事なお話をされてるのよ! お黙りなさい!」

「あなた誰?」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あんたみたいな子がいるなんて驚いちゃうわ!」

 本当にこれである。キュルケは運命など信じるほうではないが、初日にこの顔ぶれと揃うなど、いくら同じ学年でいるとはいえ、面白いものだ。

 もちろんその後、キュルケもツェルプストーの名前を明かし、積年の宿敵同士であるルイズとの間で火花が散ったのは言うまでもない。しかし、ここでルイズが割り込んでくれなければ、今のタバサとの関係もきっと違ったものになっていただろう。なにせ、互いの第一印象は見事に最悪……キュルケはタバサのことを陰気な本の虫としか見ておらず、タバサもキュルケを能天気でわずらわしい女としか見ていなかったに違いない。そのまま真っ向からぶつかっていれば、それこそどちらかが叩きのめされるまで続いて、友情など生まれなかった可能性さえある。

 結局ルイズのおかげで水入りとなった入学式のその後しばらくは、キュルケとタバサは関係なく学園生活を送った。キュルケは男漁りに夢中だったし、タバサも他人に無関心だったからだ。

 それが変わったのは少しした後の新入生歓迎会のことであった。パーティに参加しているキュルケのドレスが風の魔法でズタズタに切り裂かれて、衆目に全裸をさらされてしまうという事件が起きた。その犯人がタバサらしいという告げ口を受けたキュルケは怒り、またタバサも留守中に自分の部屋の本が焼かれるという惨状に会い、二人は怒りのままに決闘することになった。

 実はこれはキュルケとタバサに恨みを持つ他の生徒たちが二人を同時に始末しようと仕組んだ策略だったのだが、互いにトライアングルクラスのメイジである二人は即座に相手の魔法と自分が被害を受けた魔法の質が違うことに気づいて決闘は止まった。

「参っちゃったな……勘違いみたい」

 照れながらそう言った言葉が、キュルケがタバサにかけた初めてのまともな言葉だったように思える。

 そうして冷静になり、互いにはめられたことに気が付いたキュルケは陽気に笑い、それにつられてタバサも微笑んだ。その可愛らしい笑顔に、キュルケは思わずこう言った。

「あなた、そうしてたほうが可愛いわ」

 このときは、キュルケは自分を誉めたかった。そう、その素直な一言でよかったのだ。

 その後、尻に帆かけて逃げ出そうとする犯人の生徒たちに制裁を加えようとするタバサを、キュルケは軽く制して言った。

「本くらいなによ。あたしが本の代わりに友達になったげるわよ。でもあたしがかいた恥は……代わりになるものが見つからないわ。あなたの仇も、まとめて討ってあげるから見てなさい」

 その言葉を受けたとき、タバサは少しはにかみながら「一個借り」と答えた。そのときのタバサの表情は、他人にはいつもと変わらないように見えたかもしれないが、今の自分ならわかる。

 あのとき、タバサは嬉しそうだった。楽しそうだった。そして、初めて自分に心を開いてくれた。

 そうして、犯人たちにママより怖いおしおきを与えて懲らしめ、キュルケとタバサはそれからよくつるむようになった。とは言ってもタバサは相変わらずの本の虫だったので、キュルケが一方的に絡むか連れ出すかしていたのだが、タバサは無表情のままキュルケに付き合った。

 時には本を読むタバサの隣でキュルケが愚痴をこぼし続け、時には鍵をかけたタバサの部屋にキュルケが押し入って無理矢理連れ出し。

 それが友情というものなのか、よくはわからない。ただ、キュルケが何をしてもどんなことを話しても、タバサは他の相手のように魔法で追い返したりはしなかった。また、飽きっぽいキュルケも無反応なタバサにいくらそっけなく返されても絡むのをやめようとはしなかった。

「楽しかったものね。あたしたち、人に合わせるようなタイプじゃなかったけど、いっしょにいたらなぜか落ち着いたもの」

 二人は正反対の性格ながらも、だからこそ不思議と安心できたのかもしれない。

 そうしているうちに、キュルケはタバサの考えていることがなんとなく理解できるようになっていき、二人の世界は次第に広がっていった。キュルケはタバサの気を引くために、自分の興味のないことにも首を突っ込むようになり、タバサもときどき付き合うようになっていった。

 思えば、ルイズにちょっかいを出すようになったのも、タバサといっしょにいるようになって気持ちに余裕が持てるようになったかもしれない。そうでなければ、キュルケにとって学院はつまらない男とつまらない女しかいない退屈な場所であったかもしれない。

 なんでもない平穏な日々も、タバサがいればつまらなくはなかった。

 そしてヤプールの侵略が始まって平穏が破られ、後に始まる冒険の日々。ルイズや才人、ギーシュやモンモランシーらの賑やかな仲間も加わり、アルビオンからガリアまで飛び回った。

 けれど、キュルケの隣にはいつもタバサがいた。タバサといっしょにいろんな戦いに飛び込み、時に共に血を流し、苦難を分かち合ってきた。

 タバサのガリア王家に連なる重荷を知った後も、変わらず接してきた。タバサがガリアの策略で異世界に飛ばされ、その生存も帰還も絶望視されたときも、タバサを取り戻すために力を尽くした。

 信じた。あたしのタバサはどんな運命にも負けないとキュルケは信じて戦い続け、タバサはついに異世界からさえ帰ってきた。

 しかし、再会を喜ぶ時間もなく、トリステインとロマリアの戦いから続いて、トリステインとガリアの戦争が始まるかと思われたその時……タバサは。

「あなた、あたしに何も言わないで行っちゃうなんてひどいじゃない。あなた、また一人でなにもかも背負い込むつもり? それとも……いえ、あなたはもうそんな浅はかじゃないわね。その理由、聞きに行かせてもらうわよ!」

 決意。その瞬間、キュルケの中の闇は完全に晴れた。

 過去の幻想は消え、失われていた記憶はすべて蘇り、頭の中にすっきりとした輝きが満たされる。しかし、水の精霊の治療が終わったことで体も現実に引き戻され、水中に放り出されたキュルケは溺れかけて慌てて水面に飛び出した。

「げほっ、げほっ! も、もう、アフターフォローがなってないわね。死ぬかと思ったわ」

 もがきながら立ち上がったキュルケは、咳き込んで水を吐き出しながら抗議した。幸い岸から近く足のつく深さで、記憶を取り戻して早々に溺死しないではすんだようだ。

 水の精霊は、キュルケから少し離れた水面に変わらずに浮いている。そして返ってきた言葉も変わらずに冷淡なものだった。

「お前の記憶を取り戻して、その後の手助けをするまでは契約に入っていない。必要だというなら、先に言っておけばよかったのだ」

 意に介さないという風に答える水の精霊に、キュルケは「ああそうですか」と、ふてくされるしかなかった。まったく可愛げがない、同じ無表情でもタバサとはえらい違いだ。

 けれど、これで欲しかったものは取り戻せた。キュルケは濡れた髪を背中に流すと、空の月を望んで思った。

 タバサのことをはじめとした、ガリアの記憶があのときから一切トリステインの人間の頭から削り取られていた。それも、単に忘れただけにとどまらず、最初からガリアとの戦争なんかなかったというふうに思い込まされていた。タバサがこれを了承した上でおこなっていたとすれば、よほどの理由があるはず。

「お世話になったわね水の精霊。いい仕事だったわ、これで貸し借りなしだけど、感謝してるわ」

「それで納得できたなら良い。お前の頭の中の水の流れは正常に戻った。弱い精神の持ち主ならば、幻に囚われたまま水底に沈んでいたであろう。見事であった」

「やめてよ、水の精霊に誉められたりしたらその気になっちゃうじゃない。それじゃ、ありがとね」

 キュルケは礼を言うと、岸に上がろうと平泳ぎで波をかき分けていった。彼女の赤い髪が群青の水に揺れ、赤い鱗の人魚のように月光に映えた。岸辺には、彼女の使い魔のサラマンダーのフレイムがちろちろと口から火の粉をこぼして主を待っている。

 しかし、キュルケが水から上がろうとしたときだった。水の精霊が、キュルケを呼び止めてきたのだ、

「少し待つがいい、単なる者よ。お前の探そうとしている者は、この湖の近辺に住んでいた個体で間違いないか?」

「っ!? どうしてそれを! いえ、わたしの頭の中をいじったなら見ていて当然ね」

 タバサのことを言い当てられたキュルケは一瞬うろたえたものの、すぐに理由に気づいて余裕を取り戻した。その上で、覗き見なんて趣味が悪いわねと嫌味を飛ばすが、水の精霊は、あれだけ強くイメージしておいて見るなというほうが無理な注文だと返して、キュルケは気恥ずかしさでわずかに頬を染めた。

「それで、それがどうしたというのよ?」

「その者なら昨日にここを通って行った」

「へー……って!? なんですって! どうしてそれを早く……いえ、どっちに行ったかわかる?」

 カッとなったものの、水の精霊に責任を追及しても無駄だと思ったキュルケは、とにかく行く先を尋ねてみた。運命のいたづらか、タバサは思ったより近くにいるかもしれない。

 すると思った通り、水の精霊は「その者ならば、お前たちがガリアと呼ぶ地へ向かっていた」と答え、キュルケは急いでタバサを追おうと踵を返した。

 だが、水の精霊はさらにキュルケを呼び止めてきた。

「少し待て。我から、もう一つお前に話がある」

「なにかしら。水の精霊は無駄話はしないと思うけれど、急いでいるから手短にお願いしますわ」

 キュルケの言葉は、場合によれば水の精霊を怒らせるかもしれない不敬なものであった。しかし水の精霊は怒ることなく、キュルケも驚くほど穏やかな声色でこう言ってきたのである。

「……お前や、お前と連なる者たちによって、お前たちがラグドリアンと呼ぶこの湖は何度も悪しき者たちから救われてきた。我はこの湖に住まう者として、お前たちの言葉で敬意……そう、敬意と呼ぶに値するものをお前たちに感じている」

「……へえ、意外ね。悠久の時を生きるあなたにとって、わたしたちは刹那のような小さな存在だと思っていたけれど」

「お前たち単なる者の存在は確かにか細い。だが、お前たちはその刹那さゆえに必死に生き、その力は幾度も我さえ救った。それは我にはできなかったこと。ゆえに、我もこれまでの我では考えなかったことをしてみたくなった」

 すると、水の精霊の足元の水中から小さなガラス瓶が浮かび上がり、ゆっくりと飛んでキュルケの手に収まった。

「受けとるがいい」

「なにこれ……? なにかの薬?」

 キュルケの受け取った小瓶は、瓶そのものは湖の底に沈んでいたゴミのようだったが、中に入っている液体は黄金色の不思議な輝きを放っていた。一見、水の精霊の涙かもと思ったが、輝き方が違って見える。

 すると、水の精霊はキュルケの疑問に答えて驚くべきことを明かしたのだ。

「それは、以前にお前たちの仲間の動物の体内の水の流れを狂わせた薬を再現したものだ」

「えっ!? それって確かギーシュの使い魔のモグラを巨大化させたっていう」

 思い出した。もうかなり前になるが、モンモランシーが偶然作り出してしまった薬でギーシュの使い魔のモグラのヴェルダンデが巨大化してしまったことがあった。才人いわく、ハニーゼリオンだとかいう特殊な薬品で、モンモランシーにも再現は不可能だったというが、そういえばあれの材料に水の精霊の涙があった。

 けれど、こんな危険なものをどうしろと? 愕然としているキュルケに、水の精霊は淡々と告げた。

「我にもお前たちの持つ可能性があるものか、試してみたくなった。しかし我はここから動けぬ身、ゆえの我の欠片を力に変えてお前に託す。どう使うかは好きにするがいい」

「じょ、冗談じゃないわ。怪獣を作り出せちゃう薬なんて、こんなもの」

 さらに事態を悪化させてしまうだけだ。いくらあたしでもこんなものを使えるわけがないと、キュルケは薬を突き返そうとした。ところが水の精霊は。

「だが、それを使うかどうか、お前の使い魔はとうに決めているようだがな」

「えっ?」

 驚いて振り向くと、そこには自分をじっと見つめてくるフレイムの真っすぐな視線があった。

 あなたまさか……キュルケは思った。だめよ、いくらあなたがいい子でも、そんな危険なことはさせられないわ! いえ……それじゃ、いけないのね。

「フレイム、あなたこれがどんなに危険なことかわかっているの?」

 使い魔の答えは、一回のうなづき。しかしはっきりとした決心のこもった一回だった。

「わかったわフレイム。あなたがわたしのためにそこまで覚悟をしてくれるというなら、わたしも主人として決意に報いるわ。水の精霊、あなたのご好意、ありがたくいただいていくわね。けれど、本当に危なくなった時にだけ使わせてもらうから」

「それでいい。使うも使わないも、どんな使い方をするかもお前の自由だ。さあ行くがいい。単なる者の時は短い」

「ありがとう、水の精霊。今度はわたしの友達を連れて、また来るから」

「友達……友情か。我にはわからぬ感情だ。そんなものを力にできる、お前たち単なる者とは不可思議な存在だ。その奇妙な力が今度はどんな奇跡を起こすか、見せてもらうとしよう」

 水の精霊に見送られ、キュルケは勇躍旅立った。

 ラグドリアン湖を後に、目指すはすべての元凶ガリア王国。今のガリアには簡単に入れないかもしれないが、キュルケは以前にタバサから気まぐれにガリアへの秘密の近道を教えてもらったことがある。馬車を急がせ、忠実な使い魔を連れ、強い決意とともに彼女は行く。

「待っててタバサ、今度は返しきれないほどのでっかい貸しをあなたに作ってあげるからね。行くわよフレイム、ガリア王国にこのわたしを敵にしたことの報いを思い知らせてやるわ!」  

 業火のような闘志を燃やし、本来の自分を取り戻したキュルケは急ぐ。本当に大切なものを今度こそ取り返すために。

 

 夜のとばりの中でも、物語の時計は進む。

 だが、人間たちがそれぞれ動き始める一方で、誰の目にも止まりようがないところで進みつつある異変があった。

 

 それはハルケギニア……それを遠く離れた宇宙。地上の喧騒も、この真空の世界を騒がせることまではない。

 しかし、沈黙の世界の中でも生命はどこにでも息ずいている。地上から二色の幻想的な光景に見えるハルケギニアの月。そこは地球の月と同じく空気のない荒野が広がっているが、その氷点下の過酷な世界においてうごめいている巨大な影があった。

 それは、いくつかが連なった巨大なマリモのような姿。ブヨブヨと体を揺らしながら、月の荒野をゆっくりと移動している。

 

【挿絵表示】

 

 こいつの名は月怪獣ぺテロという。れっきとした生物であり、地球の月にも同族が住み着いていて、過酷な環境に適応するために、こんな軟体の体に進化したのであろう。

 かつてウルトラセブンと交戦した記録も残っており、もし才人が見たらこういう風に解説するかもしれない。

「膨れたモチみたいな変な奴だけど、こう見えてウルトラセブンを倒しかけた隠れた強豪でもあるんだぜ」

 嘘みたいな話だが本当である。ぺテロは月面の極寒の世界に住むために、ダンゴのような体は非常に丈夫にできており、セブンの肉弾攻撃も受け付けなかった。その上で、極寒の月面、かつそのときは夜だったために寒さに弱いセブンを持久戦に持ち込んで苦しめている。地の利を活かして防御に徹するのも立派な戦術という一つの例であろう。

 ただ、このときはウルトラ警備隊全滅を狙うザンパ星人に操られていたため、本来のぺテロには自分から他者を攻撃するような狂暴性はない。そもそも荒涼とした月面で獲物を求めて動き回るなどという真似をしていたら、エネルギーをあっという間に使い果たしてしまう。

 基本はほとんど動かず、わずかな水分や養分を蓄えて生存する。ぺテロは緑色のマリモのような姿からして、地球のサボテンに近い生き物なのかもしれない。ぺテロがウルトラ警備隊の前に現れるまで地球人に存在を知られなかったのも、動かないぺテロは岩と見分けがつかないからに違いない。

 けれど、今この月面では、滅多に動かないはずのぺテロがあちこちでうごめいている姿を見せているという、雨後のキノコの増殖を見るかのような異常な事態が起こっていた。

 なぜか? ぺテロが自分から動かなければならないことがあるとすれば、生存に関わることだけだ。ぺテロたちの住む月から望まれる宇宙……人間には虚空にしか見えないそこに、彼らはなにかを感じ取っていた。

 ハルケギニアを含むこの星系の外苑部。そこはこの世界の天文技術では観測できないかなたであったが、そこに外宇宙から人知れず侵入してきたものがあった。ぺテロたちはその本能で、そこからの強烈な力を感じて恐怖を覚えていたのだ。

 その風貌はとてつもなく巨大かつ異様な物体……けれど”それ”は確かな意思を持って、その進路をゆっくりと、しかし確実にハルケギニアに定めて動き出した。

 このままの速度と進路で進めば、外惑星軌道からハルケギニアまで数日。当然、いくら巨大であるとはいえ、天文台さえないハルケギニアでそれの接近を知る術はなく、よしんば気づけたとしても戦争中の騒乱の中で気に止められることはないだろう。

 だが、どうしてこのタイミングで? 偶然とは思えないこれには、やはり糸を引いている者がいた。

「おやおや、ようやくご到着ですか。間に合わないんじゃないかと心配してましたが、あの星の方々はまったくどこでも扱いがめんどうくさい」

 ぼやいた口振りを見せたのは、つい先程までガリアにいたはずの、あのコウモリ姿の宇宙人だった。彼は宇宙空間で呆れたポーズを見せ、彗星とすれ違いながら航行を続ける”それ”を眺めながらほくそ笑んだ。

「ま、ちょっと焚きつけるのに苦労はしましたが、そのぶんハルケギニアの皆さんにも盛大な花火を見せてあげられるでしょう。そして……あの方々にもとっておきのお出迎えができますねぇ……フフフ」

 彼がジョゼフにも秘密で企んでいる計画。それが何を目的としているのか、謎の物体は虚空を移動し続けている。

 

 ガリアは本来、先王が亡くなった時に生まれ変わるべきであった。水は流れ続けなければ腐ってしまうが、王家に渦巻くどす黒い欲望や怨念がガリアという巨大なダムを詰まらせ、溜まりに溜まりきったそれがジョゼフにより一気に決壊させられ、運命の激流がすべての者を押し流そうとしている。

 ガリアで最後のゲームに興じ、その時を待っているジョゼフ。彼とともにさらなる恐ろしい何かを目論んでいるコウモリ姿の宇宙人。

 アンリエッタの命を受けて、危機に立ち向かうため旅立ったルイズたち。

 暴走するガリア軍に対して、何かの疑念を抱きながらも出陣しようとしているアンリエッタ。

 信じるもののために自らの意思で立ち上がったシルフィードやキュルケ。

 

 それぞれの道で、人間たちの思いを写しながら時間の川は流れる。激動の二日目も終わりを迎え、時はさらなる三日目を迎える。

 

 

 続く



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第12話  魔の国を目指せ

 第12話

 魔の国を目指せ

 

 大羽蟻怪獣 アリンドウ 登場!

 

 

 トリステインとガリアの戦争が始まって三日目の朝が来た。

 ガリア軍はトリステインの領内に入って猛進を続け、対してトリステイン軍はアンリエッタのなんらかの考えの元で出陣した。

 両軍の激突の時は近づいている。このままガリア軍の蹂躙を許せば、トリステインが灰燼に帰すのも時間の問題であるが、ガリア軍に比してはるかに弱体なトリステイン軍を率いるアンリエッタに一体勝算はあるのだろうか?

 トリステイン領内は戦火を逃れようとする人々でなお混乱が続き、混沌という言葉しかない窮状をなおさらしている。

 だがそんな人々の中にあって、この絶望的な状況を変えるために道を急ぐ者たちがいた。

 

 トリステインの東南。ガリアとの国境近くに岩山が続く小さな地方領があることを知る者は少ない。

 この地方はド・オルニエール領などと同じく目立った売り物が無く、代官も不在で人口もわずか。今では、岩山に住む鹿を狩る猟師くらいしか住まうことはない忘れられた地であった。

 けれど、普段ならば旅人さえ寄り付かないこの地方に足を踏み入れている奇妙な一団がいた。

「ほんとに何もないところね。トリステインにこんな地方があったなんて知らなかったわ」

「まるで火星みたいなとこだぜ。けど、確かにこれなら誰の目にも止まらずにガリアに入れるかもしれねえな」

 一見すると戦火を逃れてきた農民のような姿をした彼らの正体は、変装したルイズや才人たちに水精霊騎士隊の一団だった。

 彼らは前日にトリスタニアを旅立ってから、国内の混乱を避けてこの地にやってきた。トリステインの外れ……ガリアとの境にあるここにやってきた目的はただひとつ、ガリアに潜り込むことである。

 眼前に立ちはだかる荒れた山々を見上げながら、ルイズは怖気ずいている水精霊騎士たちを叱咤するように告げた。

「あんたたち、わかってるでしょうね。女王陛下のご命令を? わたしたちの記憶がどこかおかしいのは、きっとガリアがなにか未知の魔法を使っているせい。それを調べてなんとかするっていう大切な任務をいただいたでしょう?」

 ルイズのその言葉に、不安をよぎらせていた少年たちはきっと表情を引き締めた。

 この戦争がただの侵略行為ではないことは、ルイズたちも気づいていた。なぜなら、アンリエッタに告げられてようやく意識することができるようになったが、自分たちの記憶からガリアに関することが欠け落ちていたからだ。

 誰も、ガリアの王様が誰であるのか、ガリアの詳しい国情について思い出せない。それが書かれているはずの資料を引っ張り出してきても、肝心な部分が黒く染められているように見えてわからない。

 これを、アンリエッタは当初ガリアがトリステインを侵略するに当たって、なんらかの魔法でトリステイン人の記憶を操作したものと推測した。しかし、一国の人間をまるごとマインドコントロールする手段があるのなら、わざわざ派手な戦争など仕掛けなくともトリステインを奪えるはず。なぜそうしない……?

 不可解なものを感じたアンリエッタは、ガリアに間諜を送ることを考えた。けれど、今すぐに動かせる人間は、水精霊騎士隊と銃士隊だけ……困難な任務にアンリエッタは迷ったが、これまで数々の戦いをくぐり抜けてきた彼らの力量を信じて送り出したのだった。

 ただし、ガリアに入るルートは戦争によって限られている。正面の街道はガリア軍によって封鎖されているだろうし、裏ルートも見張られているだろう。かといってゲルマニアなどから迂回していては時間がかかりすぎる。もちろん、空から東方号などを使う手は目立ちすぎて論外だ。

 けれど、ここからでならガリア軍の警戒をすり抜けてガリアに入れる可能性がある。

「確かにこりゃ、竜でも乗らないと越えられそうもない山だな」

 ギムリがぞっとしないというふうにつぶやいた。

 この岩山地帯は標高は低いものの、巨大な岩がごろごろと転がっていて見通しが悪く、道らしい道は存在していない。メイジならば魔法で難所は飛んで行けるかと思いきや、『ある理由』があって、密輸する悪党どもも敬遠するルートとして、トリステイン側にも国境警備の部隊は置かれていない。

 つまり、それほどまでの難所として知られる場所なのだが、このルートがガリアに気づかれず、かつ最短の距離でガリアの首都リュティスを目指せる道なのだ。

 ただ、いくら勇気があっても彼らだけで山越えを目指すのは無謀だ。昔、日本で山岳訓練をおこなった陸軍部隊が現地のガイドを断った結果、遭難して全滅するという惨事が起きている。この山を越えるには、山に慣れた先導者がどうしても必要……その役目を引き受けてくれたのは、片足を義足にした妙齢の女性だった。

「ガリアへの道案内なら、あたしに任せなとは言ったが、あんたらも無茶なルートを選ぶね。言っとくけど、ついてこれなくなったら置いていくから、あたしを恨まないでおくれよ」

 自信をただよわせながらも、冷たく不遜な態度をとった彼女は、ガリア出身だという猟師だった。まだ若くて美人といっていい顔立ちを持っているが、着こんだ革製の服からはがっしりした体格が伺え、背中に背負う弓と矢には使い込んだ風格が宿って見えた。さらに、美貌とは裏腹に、アニエスら銃士隊にもひけをとらない眼光は、単なる猟師とは違う何かも秘められているように感じられてくる。

 そしてここから先は彼女の先導なしでは進めない。全員の命を預けることになる相手に、ルイズはいぶかしげに尋ねた。

「ミス・ジル。本当に大丈夫なんでしょうね? 遭難して餓死なんてごめんよ」

「自然を相手に絶対なんてない。信用できないなら好きにしたら? あたしは言われた仕事をするだけだよ」

 そっけない答えにルイズは癇癪を起こしかけたが、才人になだめられてぐっと抑えた。ジルと呼ばれた女は気にしたそぶりもなく、山を見つめて飄々としている。

 まったく、なぜこんな無礼な協力者に頼らなければならないのかと、ルイズはいまいち彼女を信用できずにいた。ガリアまでの案内役が必要なのはわかるし、今は自分たちも農民に変装してはいるものの、雇い主に対して敬意のけの字もないところが気に入らない。

 それでも、このルートの案内人は彼女しかいなかった。途中の村で、この難所を案内してくれる者を探してみたが、誰も引き受けてくれなくて困っていた時、奇妙な女が声をかけてくれたのだ。

「あなたたち、あの人食いと呼ばれる山を越えようというのですか? では、私たちといっしょにまいりませんか? このジルさんでしたらガリアに詳しいですし、私どももお仲間が多いと心強いですわ」

 そう誘ってくれたのは、自分もガリアに逃げるところだという女だった。身分を隠すためか、頭からすっぽりフードを目深にかぶっているため容姿はわからないが、物腰柔らかで高貴な物言いから、どこかの貴族夫人かということは察せられた。

 水精霊騎士隊にとって、これはまさしく渡りに船。隊長代理のギムリは喜んで誘いを受け、その夫人が雇ったというジルとともにここまでやって来たのである。

 しかし、あくまでここはスタート地点。これから自分たちはこの難所を越えて、敵地に潜入せねばならないのだ。

「さあ行くぞ! 死にたくなかったら、私のあとを一列に続いて決して離れるな!」

「おおっ!」

 ジルの号令一過、一行はついに人食いの山越えに向けて歩き出した。

 今日中にはこの山を越えて明日にはガリアに。そしてガリア王がトリステインにかけた魔法をつきとめて打ち破る。

 ただ、山を登り始めたとき、ジルと彼女の雇い主の貴婦人が密かに話していたのに、気づいた者はいなかった。

「……あたしがこんな大勢の子守りをする羽目になるとはね。さて、何人が生きて山向こうまでたどり着けるやら」

「うふふ、そう言いながらジルさんは、かわいい騎士さんたちの一人一人に目を配ってらっしゃいますね。厳しい言葉の裏で、まるでお母さんかお姉さんのような方」

「やめてくれ。あなたにそう言われるとむず痒い。それにしても、ガリアに、か……あの日からあたしの頭の中にこびりついて離れないあの子のことも、ガリアに帰ればわかるのかね……?」

「動物は自分の知らないことでも、時に本能で察知して危機を脱することがあります。人間も動物のうちとすれば、あなたの心の底からの呼び声は、きっと重要なものなのですよ……」

 なにかに迷う様子のジルに、フードの貴婦人は優しく穏やかに、姉のように諭していた。

 先頭を行くジルがちらりと振り向くと、使命感を燃やしながら、山越えに乗り出した水精霊騎士隊一行が見えた。そんな顔なので怪しさいっぱいだが農民に扮しているため魔法は封印し、自らの足だけで斜面へと挑戦している。

 しかし、人のほとんど通らない岩山には道と呼べるものはなく、人間の何倍もありそうな巨岩が無数に転がって行く手を遮っている。一行はその岩のすきまを縫って山を登っていっているのだが、その過酷さは想像を絶していた。

「おういみんな! だ、大丈夫かあ!」

「だ、大丈夫ですう!」

 まだ登りはじめて一時間も経ってないというのに、ギムリ隊長代理の声に答える仲間たちの声はかすれていた。

 これは本当に、冗談抜きできつい。才人はさっき、ここは火星のようだと思ったけれど、足を踏み入れてみれば、大地震で壊滅した瓦礫だらけのビル街のようなものだ。ゴツゴツした岩ばかりで、まともに足を下ろせる場所さえろくにない。

 そしてなにより驚いたのは、そんな小山のような巨岩が転がる山肌を、ジルはカモシカのように軽々と最短のルートを見つけて登っていっていることだった。

「どうした小僧ども。もう泣きべそか?」

「ま、まだまだ!」

 息を切らせた様子さえないジルに、実力をいぶかしんでいたルイズも今では舌を巻いていた。

 しかもジルは片足が木製の義足。大きく不自由なはずなのに、まるでそれを感じさせないくらいに足取りは軽やかに見える。

 さらにである。皆がジルに唖然としたのは、ジルは弓矢などの装備を持ちながら、さらに雇い主の貴婦人を背中の背負い式の椅子で運んでいるのであった。

「みなさーん、がんばってくださいね」

 ジルに背負われている貴婦人が、フードの下から明るい声で応援してくれたのに笑い返すのもつかの間、ジルはどんどん先に進んでいく。片足が義足に加えて、背中の貴婦人を含めた荷物は百キロ近くはあるはずなのに、信じられない体力だ。

「あの人、ほんとにただの猟師か? 身分を隠した、どっかの国のコマンドーとかじゃねえのかよ?」

 才人たちは、ジルがどんな半生を送ってきたのかを知らない。知ればさらに驚愕するだろう。

 山道は登るにつれてさらにきつくなっていき、才人やルイズは、以前にシャプレー星人のせいで大陥没を起こした火竜山脈跡を歩いたときのことを思い出した。

 あのときは……そういえば、どうして火竜山脈なんかに行ったのかよく覚えていないが、完全に崩壊した山脈を歩くのは大変だった。けれど、ここはさらにきつく感じられる。

「ルイズ、気をつけろよ。足を踏み外したら大ケガするぜ」

「バカにしないでよ。こんなところ、社交ダンスより簡単なステップだわ」

 そう言いながらも恐る恐る岩場を越えていくルイズと、万一ルイズが足を滑らせたときのために抱き抱えられるよう構えながら才人は進んでいる。そんな二人を見て、成長したものだなあと後続の水精霊騎士隊はしみじみ思うのだった。

 やがて日が高く昇る頃には、なんとか山の中腹までたどり着いて休憩をとり、この調子であれば暗くなる前に山頂を越えることはそう難しくないのではと思われた。

「なんだい、人を食う山なんていうから身構えてたけど、案外普通の山登りと大差ないじゃないかい」

 水精霊騎士隊の少年の一人が弁当を頬張りながら言った。確かに険しい山登りだが、彼らも騎士として銃士隊に厳しく鍛えられた経験がある。東方号の艦橋をダッシュで登り降りする訓練を思えば、山歩きのコツさえ掴めばスタミナ切れするほどではなかったようだ。

 女子のルイズも、疲れは見せながらもまだへたばってはいない。そんな意気軒昂な少年少女たちの様子に、ジルは少しはやるなというふうに呟いたが、すぐに厳しい声色でこう告げた。

「お前たち、楽勝と考えてるなら今のうちにそんな考えは捨てておけ。これから先は、油断すると本当に……死ぬぞ」

 刺すような視線と、重い声色のその言葉は、腹ごしらえをしていた少年たちの背中に冷たいものを走らせた。

 けれど、山を見上げても、岩以外にはこれといって危険なものも見当たらない。ジルはなにを警告しているのかと、ギムリが代表して尋ねた。

「そう言われても、険しいけど今のところただの岩山じゃないですか。ミス・ジルは、この山を越えられたことがあるんですよね?」

「ああ、子供の頃に父に連れられてな。父が、『その頃は』用心深い猟師だったから助かったが、下手をすれば私も死んでいた」

 むしろ、この山を無事越えるという偉業を成し遂げたために、父はその後ファンガスの森という危険地域に住み着いたあげくキメラドラゴンに食い殺されるという悲劇に見舞われたのかもしれないと、ジルは内心で思った。

「そろそろあれの領域に入ってくるはずだ。鼻を効かせてみろ、なにか臭わないか?」

「なにって、なにがあるっていうんです? あれ、この臭いって……硫黄?」

 言われたとおりにしてみて、皆はわずかだが、火薬に使われる硫黄のつんと来る臭いを感じ取った。つまり、この山は噴煙こそ出ていないが火山というわけなのだろうか。なるほど、それならまったく草木の生えていない岩だらけの山肌もうなずける。

 けれど、それだけで人食いの山と恐れられるほどだろうかと才人たちは思った。確かに硫黄ガスは有害だが、窪地にガスが溜まるなどの悪条件がなければめったに致死量になったりはしない。

 しかし、ジルは違うと首を振ると、くっとあごである方向を指した。少年たちがその先を見ると、百メイルばかり離れた先に小川が流れており、その周辺には少ないが緑が生い茂って、花のようなものも咲いているのが見えた。

「なんだ、水があるんじゃないかよ」

 小川を見た才人は、山登りで張った足を冷やすために喜んで駆け出した。ほかの少年たちも同じように水を求めて勇んで駆け出す。だが、その足をジルの怒声が凍り付かせた。

「行くな! あそこに近寄ったら、死ぬぞ」

「え、えっ?」 

「目を凝らしてよく見てみろ」

 そう言われて、少年たちは足を止めて遠くの小川を見つめてみた。よく見ると、小川の周囲にその辺の岩とは違う白いなにかが無数に散らばっているのが見える。

 才人やルイズの視力では、それ以上は見えなかった。だが、遠見の魔法をこっそり使った少年が、背筋も凍るようなことを叫んだのだ。

「お、おい。あれって全部、白骨じゃねえか?」

 なんだって!? と、一同は騒然となった。

 白い散乱物は小川に沿って延々と散らばっており、あれが人間にせよ動物にせよ、白骨だとすれば百人や二百人の数ではすませられまい。

 だが、いったい誰があれだけの死骸を? すると、小川の周辺の岩が、よく見ると不自然に動いているのがわかった。

「あれ、岩じゃない、生き物だ! 虫……でっかいアリみたいな虫の群れだ!」

 なんと、おぞけの走ることに、仔牛ほどもありそうな巨大なアリが何百も小川の周りに群がっているのだった。

 ルイズはあまりの気持ち悪さに口を押さえて青ざめてしまった。動かないでいる巨大アリはぱっと見には岩と見分けがしにくく、あれに気づかずに近づいてしまえばたちまち巨大アリの大群に食い殺されてしまっていただろう。

 才人はあることを思い出して、携帯しているGUYSメモリーディスプレイを取り出して巨大アリを検索してみた。すると、思ったとおり巨大アリはドキュメントZATに記録のある、大羽蟻怪獣アリンドウの幼体であることがわかった。

 アリンドウは普通のアリが特殊な建材の副作用で突然変異を起こして巨大化したアリの群れが、さらに合体して誕生した怪獣で、東京の市街地にかなりの被害を出したとして記録されている。

「サイト、あれ知ってるの?」

「ああ、怪獣の元だよ。下手に手を出すなよルイズ。ドカーンなんてやったら合体してでかくなっちまうぜ。けど、ここじゃどうしてあんなもんが?」

 ハルケギニアにはアリを怪獣に変えるような化学物質は存在しないはずだ。しかもあのアリは記録にある巨大アリがせいぜいペットボトルサイズだったのに比べて五倍は大きい。

 と、そのとき才人は巨大アリたちが小川の周りに生えている植物の花から蜜を吸っているのが目に入り、その花の形に見覚えがあった才人は花を再検索してみたところ、やはり。

「やっぱり、ありゃミロガンダだ」

 戦慄したように才人は呟いた。

 ミロガンダ。ドキュメントSSPに記録があり、地球ではオイリス島という島だけに生息している植物である。特殊なケイ素を養分とし、幼年期には自ら動き回って生き物を補食する恐ろしい食肉植物でもある。その一方で、ミロガンダには他の植物を巨大化させる酵素も含まれており、これを使って野菜を増産しようと日本に持ち込まれたミロガンダが実験で突然変異して、植物怪獣グリーンモンスと化して暴れたという。

 けれど、見たところミロガンダは成熟した花ばかりで、動き回っている幼体は見当たらない。

 恐らく、この火山からはオイリス島のものに似たケイ素が川に流れ出しており、それを栄養にしてミロガンダが育った。そしてミロガンダの蜜を舐めたアリが蜜に含まれる成分で巨大化して動物を狩るようになり、ミロガンダはそのおこぼれをもらうことで共生関係をとるようになった。動き回る必要がなくなったミロガンダは幼年期の姿を捨てて、より蜜を多く出すように進化したのであろう。

 この険しい山を越えようとする旅人は、水を求めて自然と小川に近づいたあげくに巨大アリとミロガンダの餌食にされていったのだ。ジルが止めてくれなかったら、自分たちもあの白骨の仲間入りだったと、水精霊騎士隊の一同は背筋を震わせた。

 けれど、それだけでは人食い山の謎は解けない。唖然としている少年たちの横で、ショックから立ち直ったルイズがジルに疑問をぶつけた。

「ねえ、人食いアリが住んでいるのはわかったわ。けど、メイジならあんなの飛び越えていけるはずよ?」

「ああ、そう思ったメイジどもも大勢いただろうさ。だが……ちょうどいい、おあつらえ向きに馬鹿がやってきたぞ」

 ジルが空を指差すと、一頭ぶんの竜篭が山を越えようと飛んでいるのが見えた。どうやらどこかの貴族がトチ狂って、敵国であるガリアに逃げ込もうとしているらしい。

 しかし、無謀な貴族の行動は実らなかった。なにが起こるのかと見上げるルイズたちの耳に、突然甲高い咆哮が聞こえてきた瞬間、山頂からなにか巨大な物体が飛び出してきたのだ。

「えっ!? と、鳥?」

 ルイズの目にはそう見えた。太陽を背にとてつもない大きさの翼を広げるなにか。だが大きすぎる! ルイズの母カリーヌの使い魔のラルゲユウスと同等か、それ以上に大きい。

 巨大な鳥の影は、ゆっくり飛んでいた竜篭を逃げる間もなく巨大な鍵爪で竜ごと鷲掴みにしてしまった。乗っていたであろう人間が逃げ出せた様子はなく、巨鳥はそのまま獲物を山頂へと連れ去ってしまった。

 まさにあっという間の出来事。ぽかんとする水精霊騎士隊は、巨鳥の後ろ姿を見送るしかできなかった。

「あれって、鳥? いやでも、羽毛も毛もない、ワイバーンみたいな、あんな鳥がいるのか?」

 一行のほとんどは呆然として、今見た巨大な鳥のことが信じられなかった。先日トリスタニアを襲ったグエバッサーでさえ、まだ鳥らしい姿をしていた。鳥のようなくちばしを持つ頭はしていたが、全身は茶色で翼はコウモリのような被膜が張っていた。

 水精霊騎士隊も、ジルでさえ、今見た巨鳥の一瞬だがすさまじい存在感と、残していった衝撃波が肌を叩いていった余韻に体を震わせている。しかし、才人だけはわかっていた。それが鳥ではないことを。

「翼竜……プテラノドンだ。あれって、もしかして、あの、あれなのかよ」

 才人は、地球防衛のある記録……いや、以前にTVの再現ドラマで見たある事件を思い出していた。

 1956年。科学特捜隊ができるよりもずっと昔……九州、阿蘇で起こった炭鉱の異変。そこから出現した古代翼竜の生き残りにより、福岡が壊滅したことがある。

 そいつは、1954年にビキニ環礁の核実験で水棲爬虫類が突然変異して出現した怪獣と同じく、核実験の影響で古代生物が復活変異したものと言われているが、あれが核を受ける前の姿なのかもしれない。

 その折、翼竜により人間や家畜が食害される被害が起きたというが、なぜかルイズはは懐かしそうに翼竜の去った先を見ながらつぶやいた。

「あれって、そっか、あの鳥、ハルケギニアにもいたんだ……」

「ルイズ、知ってんのか?」

「うん、前にね……」

 ルイズは、欠けた記憶の中にも残っていた思い出のひとつを才人に語った。

 以前、才人と離ればなれになって別宇宙をアスカと旅していた時、ある惑星の湿地帯で巨大なトンボの群れに襲われたことがあった。そいつらが異常に凶暴で数が多く、逃げても逃げてももうだめかと思ったときだった。

「空からあの鳥が降りてきて、トンボを全部食べちゃってくれたの。別に助けようとしたわけじゃないでしょうけど、わたしにとっては命の恩人なのよ」

「なるほどな。そりゃあルイズには食うところがねえから、あだっ!」

「だ、誰の胸も尻もないですってえ。あんたはどうしてそういつも一言多いのよ!」

 激怒したルイズにしばかれる才人を見て、一行はよくもまあこんなときにまで漫才を続けられるものだと呆れ果てた顔を並べるのだった。

 ……だがその端で、フードの貴婦人が嬉しそうにくすくすと笑っていたことを誰も知らない。

 ともあれ、これで人食い山の謎はおおむねわかった。飛んで山を越えようとすれば翼竜の餌食になり、かといって歩いて越えようとすれば、慣れない者は巨岩だらけの地形で確実に道に迷い、水に引き寄せられて巨大アリのエサにされる。

「でも、どうしてあんな巨大な鳥がいるのに、いままで知られていなかったんだ?」

「たぶん、生息圏が南のほうなんじゃないかな。噂じゃ、ロマリアから海を渡ったずっと南には、人を寄せ付けない暗黒大陸なんてのがあるっていうから」

 少年たちも推測はするけれども、本当のことはわからない。ただ、テロチルスといいバードンといい、火山は巨大怪鳥にとって不思議と住みやすいところなのかもしれない。

 一行は休息を終えると、ジルの「さあ行くぞ!」という声を合図に進みだした。

 一定の標高を超えると山肌はさらに荒れ具合を増していき、足場として使えるところも減っていって、ほんの数メイル進むだけで体力を削っていった。

「サイト、息が切れてるわよ。なんならわたしがおぶってあげましょうか?」

「へっ、ルイズの肩を借りるほどヘタれちゃいねえって。それに、今頃ミシェルさんたちはもっと危険なはずなんだ。こんなことで弱音を吐いていられっか」

 硫黄交じりの空気は余計に体力を消耗させたが、才人は別ルートで旅をしているはずのミシェルと、銃士隊のみんなのことを思った。ガリアで起こっていることの詳細を少しでも早く確実に突き止めるため、彼らはあえて別行動をとる道を選んだのだ。

 あっちの道では……と、才人は考えかけてやめた。自分たちよりずっと強いミシェルたちならきっと大丈夫だ。それより、こっちはこっちでこの山を越えることに全力を尽くすべきだ。

 山肌のあちこちには白骨が散らばり、あの巨大アリに襲われて無念の最期を遂げた人間たちの亡霊が近くにいるような不気味さが漂っている。また、それとは逆に食いちぎられたりバラバラになった巨大アリの死骸も散乱しており、あの翼竜がこの山での絶対的な捕食者であることも察せられた。

 ジルはその用心深さと勘の鋭さで、アリのいないルートをかぎ分けて一行を先導していった。そのため遠回りになることもあるが、少年たちが良いと思ったルートを避けて登り、標高の高いところから見下ろせば岩影にアリが群生していたりと、ジルの勘の正しさを、最初は疑っていたルイズも認めるようになっていった。

 それはまさに、クモの巣をかいくぐって進むような慎重で紙一重な行進だった。アリには耳がなく、視力も弱いことを除いても、ジルがいなければとてもこの山を登れはしなかっただろう。

 山頂まであと少し、そこを越えればあとは降りるだけ。少年たちはそれを目指し、気力を振り絞って岩山を登った。

 

 だが、先頭をゆくジルは心の底から警鐘が響いてくるのを感じていた。

「順調すぎる……」

 

 そして、その予感は不幸にも的中することになった。山頂の直前、一行の前にアリの大群が横一列に並んで立ちふさがってきたのである。

「待ち伏せか!」

 ジルはほぞを噛んだ。安全に進めていたと思わせて、罠にはめられてしまったというわけか。

 いや、アリにそんな知能があるとは思えない。だが、本能によって山の稜線で待ち構えれば必ず獲物が通ると学習していたのだろう。

 一度見つかってしまったが最後、アリたちはフェロモンを撒き散らして一気に仲間を呼び寄せて一行を囲んできた。

 こうなったらもう変装がどうとかは言っていられない。隊長代理のギムリは杖を振り上げて仲間たちに命じた。

「水精霊騎士隊全員、杖取れぇーっ!」

 その声に応じて、少年たちは勇敢な雄叫びを上げていっせいに杖を振り上げ、また才人も隠していたデルフリンガーを抜いた。

「ルイズ、俺の後ろに隠れてろ。デルフ、やるぞ!」

「おう、やっと俺の出番か。存分に暴れさせてくれよ相棒」

「サイト、一人で手柄を立てようなんて思わないでよ。時間さえ稼いでくれたら、わたしが一気に吹き飛ばしてあげるから!」

 頼もしいルイズの言葉を背に受けて、才人は気合を入れた。

 いつもならこういうときはギーシュが命令を出すが、今の隊長代理はギムリだ。ギムリはギーシュとは特に仲が良く、お調子者や助平なところなどいろいろ似ているが、こうして本格的に一人だけで指揮をとるのは始めてだ。いつもは緑色のぼさぼさ髪の下にけだるげな眼を並べている顔を引き締め、ギーシュならどうするかと考えて指示を出した。

「全員、ご婦人方を中心に円陣を組め。大きな塊になるんだ!」

 それは、アニエスが見たとしたら、まずは及第点を出す指示だった。完全に敵に取り囲まれているときにとれる陣形は、被害覚悟で一点突破を図る楔型陣形か、防御に隙のなくなる円陣しかない。

 水精霊騎士隊の少年たちは、隊長代理の命令に従ってさっと円陣を組んだ。日頃の訓練の成果もあるが、ギムリも仲間たちから信頼されている証拠だろう。

 ただ、ギムリは内心で、皆の命が自分の指示ひとつにかかっているというプレッシャーに心臓をわしづかみにされていた。ギーシュはいつもこの重圧に耐えながら指揮をとっていたのかと、軟派なところばかり見てきたけれど、ギムリはギーシュの肝の太さに心から尊敬の念を抱いた。

”隊長、あんたすごかったんだな。今度おれの秘蔵の割引券で妖精亭に招待するぜ!”

 感謝の仕方が斜め上だが、少年たちはギーシュに恥じないようにと、じりじりと迫り来るアリを睨み付ける。

 そんな彼らの背中には、ジルとフードの貴婦人が庇われている。平民であろうと、名も知らない誰かであろうと、ご婦人をお守りするのは男の、貴族の、水精霊騎士隊の信念である。

 けれど、ジルは一行が貴族だとわかっても素知らぬ顔をしている。てっきり、驚かれるかと思っていたギムリたちは、ジルの目が訓練中のアニエスと同じだとわかって察した。弓を手に取り、他の何にも興味がないという眼光で、ただ敵だけを見据えている。

 となると、守るべき対象はフードの貴婦人だけだ。その方は、ジルの影でフードを抑えてじっとしており、少年たちはか弱いご婦人を是非にも守らねばと誓った。

 そして、円陣を組んで待ち構える少年たちに、ついに巨大アリたちはいっせいに襲いかかってきた。小さなサイズでも犬ほどもある巨体で鋭い顎を鳴らせながら突っ込んでくる黒い大軍に、少年たちの魔法が放たれる。

『ウィンドブレイク!』

『エア・ハンマー』

『ブレット!』

 種々の魔法。それらは彼らの努力によって、今ではラインクラスの威力を誇るようになっていた。

 だが、人間であれば全身を鎧で覆っていてもただではすまない威力の魔法を受けても、巨大アリの外骨格には効果が薄く、アリたちは死を恐れずになお向かってくる。

「う、うわああっ!」

 魔法が効かない敵に、数人の少年がパニックに陥りかける。ギムリはなんとか落ち着かせようとしたが、その前にジルの怒声が飛んだ。

「うろたえるな! 目や関節の急所を狙えば仕留められる」

 そう言って放たれたジルの矢が、巨大アリの眉間を見事に射ぬいて息の根を止めた光景に、ギムリたちは士気を取り戻して再度の魔法攻撃を加えた。

 風や石の弾丸が巨大アリの足の関節や、唯一柔らかい腹部を切り裂いて動きを止めていく。しかしそれでも一部は傷を受けながら円陣に迫ってきて、接近してきたやつには才人がデルフリンガーを振りかざして応戦した。

「でやあぁっ!」

 気合い一閃。極限まで磨ぎきった刃が巨大アリの首を宙に舞わせ、才人はデルフといっしょに歓声をあげた。

「すげえ、豆腐みたいによく切れるぜ。デルフ、お前の言うとおりに研いでおいて正解だったぜ」

「ああ、ふとサーシャが俺を研いでいたときのこと思い出せてよかったもんだ。だが相棒、間違ってもアリの体に刃を当てるなよ。あれに当たったら刃こぼれしちまう」

 才人の今の剣術の腕前は、そこらの騎士なら問題にならないレベルに達していよう。それに加えて、良い武器があれば鬼に金棒である。

 水精霊騎士隊が魔法で防戦し、それでも近寄ってくるアリを才人が斬り倒す。そして、時間を稼いだ間にルイズの虚無の魔法が完成した。

『エクスプロージョン!』

 切り札の特大の爆裂が頭上に炸裂し、アリの大群を一気に吹き飛ばした。

「やったか?」

 爆発の衝撃波と粉塵で咳き込みながら才人が言った。

 相変わらずすごい威力だ。百メイルには及ぶのではないかと思われた爆発が通りすぎた後には、巨大アリの群れが腹をさらして延々と転がっている光景が広がっていた。

 だが、ルイズが勝ち誇ろうとしたときだだった。周囲の地面が盛り上がり、地中からまたアリたちがおびただしくはい出してきたのである。

「ええっ!? なんなのよこいつら!」

「あははは、そりゃアリだもんな。地面からいくらでも出てくるっちゃそうだよな」

 才人が乾いた笑いをしながら言った。ひどいことに、この山の地下は巨大アリどもの巣らしい。ミロガンダの蜜をエサに、火山の地熱で昆虫にはめっぽう過ごしやすい環境で大繁殖したというわけだ。

「もしかして、今の奴等って単なる露払いだったりしたわけ?」

 ルイズがすっとんきょうな悲鳴をあげたが、渾身の思いで放ったエクスプロージョンが実質空振りになってしまった以上は仕方がないだろう。

 砂糖に群がるようなアリでも、大群ともなれば地面に落ちたセミを食い殺してバラバラに解体してしまう。徹底した数の暴力の片鱗を見た前に、意気込んでいた才人や水精霊騎士隊の少年たちも、こんな奴らとこれ以上戦えるかと浮き足立っていた。

「ギムリ隊長代理、まじめにやりあうだけムダだよ! また取り囲まれる前に、フライで一気に飛び越えていこうぜ!」

 少年のひとりがそう叫んだ。三十六計逃げるにしかず、アリを相手に名誉の戦死とか冗談にもならない。

 もちろんギムリにも異存はなく、フライを使っての強行突破を指示した。だが、少年たちがフライの魔法で浮かび上がった瞬間、アリの群れの中から羽を広げて同じように飛び上がってくるものが現れたのである。

「羽アリかよ!」

 才人が仰天して叫んだ。春などに街頭に群がってくるあれだ。小さくても気持ち悪いが、大きければなお気持ちが悪い。

 空を飛ぼうとしていた少年たちは羽アリが襲ってくる素振りを見せると慌てて地面に降りた。魔法は基本、一度に一つしか使えず、空を飛びながら攻撃魔法を使うにはタバサ並みの優れた才能や修練がいるのだ。

 これで空から逃げるルートも絶たれた。いや、そればかりか、事態はさらに最悪な方向へと動いた。今のエクスプロージョンの爆音で機嫌を損ねたのか、火口からあの翼竜が再び舞い上がって今度はこちらに襲いかかってきたのである。

「まずい、伏せろ!」

 ジルが叫んで、皆は慌てて地面に伏せた。間近で見ると翼竜はとんでもなく大きく、翼長は軽く百メートルは超えて、空に傘をかぶせてしまったかのようだ。

 だが、才人はその翼竜を見て恐ろしさだけでなく、翼がまとった被膜の鉄板のような分厚いたくましさや、頑強なくちばしから後頭部の三本角まで続くスマートな流線を描く頭部に、精悍な美しさを感じた。バードンやテロチルスのような狂暴な怖さとは違う、いうなれば、王者の風格とでも言おうか。

「かっけえ……」

 そんな場合ではないというのに、才人はぽつりとそうこぼした。理屈抜きで人間の心に訴えかける何かをもつもの、それが怪獣なのだ。

 けれど、危機的状況には何も変わりない。翼竜のくちばしが振り下ろされると、子牛ほどもある巨大アリが数匹まとめてついばまれ、硬い殻をなんなく噛み潰して破片を才人たちの頭上に降らせてくる。

 あれに捕まったら最後だ。だが、逃げようにも周囲は巨大アリに囲まれたままで逃げ場がなく、巨大アリは仲間が倒されようが食われようがお構いなしに数を頼りに包囲を狭めてくる。

 どうすればいい? 才人とルイズは考えた。最大級のエクスプロージョンを撃つには時間がかかる。テレポートでは全員は逃がせない。

 となれば、残った手は……。

「もう仕方ねえよ、変身してみんなを抱えて飛んでいこう!」

「サイト、あんた正気!? この状況で変身したら、確実にみんなにバレるわよ! それに、まだエースの傷は癒えてないのに」

「けど、ほかにどうしろってんだよ?」

 才人の問いにルイズは答えられなかった。今のところは皆地面に伏せているから翼竜に目をつけられずにいるけれど、頭を上げて立ち上がったりすればどうなるかわからない。

 だが、ルイズは前の戦いでエースバリヤーを使ったエースのダメージを心配していた。また無理をさせれば、今度こそ。

 それでも、ルイズに今の状況を変えられる方法は思いつかない。あきらめてウルトラマンの力に頼るしかないのか? 本当に万策尽きたのか?

 ルイズは、とび色の瞳に苦渋を浮かべて迷った。けれど、近づいてくる巨大アリを前に、ついにあきらめて才人に手を伸ばそうとしたそのときだった。二人の耳に、この切迫した状況には不似合いなのんびりした声が聞こえてきたのだ。

 

「あらあらまあ。あんなにいっしょうけんめいパクパクついばんで。よっぽどお腹が空いているのね。もっといっぱい食べられるご飯があればいいのにねえ」

 

 その声に二人ははっとした。今の声、まさか! 

 いや、確かめている余裕はない。ルイズは才人に杖に代わって鞭を突きつけて怒鳴った。

「サイト、あなたあのアリは怪獣の元だって言ったわよね。だったら……」

「お、おいマジかよ。だけど、うまくいくかどうか」

「そんなこと、やってみなきゃわからないじゃない! サイト、あなたいつから始める前からあきらめる意気地無しになったの? あんたの辞書に沈着とか自重とか書き込んでも似合わないでしょ!」

 それは罵倒なのか叱咤なのか、しかし才人はルイズのその言葉で自分を見直した。腹が立つが、自分は頭脳労働タイプじゃない。怪獣やウルトラマンが好きで詳しいだけで、思い付いたら一直線、インテリぶるなど柄じゃない。

「言ってくれたなルイズ、そこまで言われたからには、お前にも手伝ってもらうぞ」

「何度も言わせないで、逃げない者を貴族と呼ぶのよ」

 ルイズの決意した目に、才人は腹を決めた。ルイズにエクスプロージョンの詠唱を始めるように頼むと、伏せて震えているギムリに向かって叫んだ。

「おうい隊長代理! おれに考えがあるんだ。合図したら、火の魔法をみんなで放ってくれないか!」

「ひ、火の魔法だって!? 馬鹿言うなよ。火山に住んでるやつに火が効くわけがないだろ」

「いいから、説明してる時間はねえけど、うまくいきゃ助かる。地面に這いつくばったまま死んだら、ギーシュに笑われるぜ」

「ギーシュ隊長……わかった。信じるぜ、サイトオンディーヌ副隊長どの!」

 これで決まった。だが、まともに詠唱をしている時間はほとんどない。

 目の前にはもう数メイル先まで来ている巨大アリ。さらにそのアリを追って翼竜のついばみも目の前まできている。

 チャンスは一度、才人は叫んだ。

「いまだ! あのアリが集まっているところに向けて撃てえぇっ!」

「ああ、『ファイヤーボール!』」

 水精霊騎士隊の渾身の力を込めた炎の魔法が飛ぶ。だが、伏せながらの詠唱なのでその狙いはバラバラ……ではない! 一本の火矢がアリの群れの中心に落ち、それを目印に皆のファイヤーボールが集中したのだ。

「子守りは慣れてる……なぜかな?」

 ぽつりとつぶやいたジルのおかげで、水精霊騎士隊の魔法は散乱することなく一点に絞り込めた。そして、その点をめがけてルイズの第二波が炸裂した。

『エクスプロージョン!』

 詠唱未完だが、可能な限りの精神力を込めたルイズの爆発魔法がファイヤーボールの集中した中心に炸裂した。それは単純な威力では先ほどの完全詠唱版にはとても及ばないものだったが、ファイヤーボールの熱を吸収拡散して、巨大な火の玉となって燃え上がった。

 紅蓮の炎の中で巨大アリが燃え、翼竜はその炎に驚いて飛び上がった。しかし、才人とルイズの狙いはアリを倒すことではない。

 かつて、ドキュメントZATには巨大アリを駆除するために空中に群れを誘き出して火炎で焼き付くそうとしたところ、逆にエネルギーを吸収して合体巨大化してしまったという。

 いちかばちか、みんなの魔法とルイズの虚無の力を喰らえ! そのエネルギーの中で、巨大アリはさらなる成長と進化を遂げ、ルイズたちの眼前にまで迫ってきていたアリたちも、吸い込まれるようにしてエネルギー体に融合していく。

 そうして巨大アリたちは周囲の同族をまとめて取り込み、数千匹が黒い塊へと集合。そのすべてが合体することにより、ついに身長六十二メートルにも及ぶ大羽蟻怪獣アリンドウへと変身したのである。

「出やがった!」

 現れたアリンドウは、得た自らの巨体を喜ぶかのように雄叫びを上げて暴れだした。当然、その足元近くにいる才人たちは踏み潰されそうになり、ギムリが悲鳴を上げる。

「わああっ! おいサイト、なにが考えがあるだよ。死ぬ、おれたち死ぬって!」

「いいや、作戦どおりだよ。ほら、あっちから喜んで来やがったぜ」

 土煙で周囲が煙る中、才人は顔をひきつらせながら空を指差した。

 大空から翼竜が急降下してくる。鋭いくちばしを振りかざし、猛スピードでアリンドウの巨体をさらに上回る巨体で体当たりを食らわせ、アリンドウは山肌に叩きつけられた。

「うわぁっ!?」

「いまよ! みんな走って!」

 衝撃で周りがめちゃくちゃになる中でルイズは叫んだ。

 これがルイズの考えた作戦。アリどもを合体させて一匹の怪獣にすれば、翼竜はそっちを狙うかもしれない。そして二匹の怪獣が争っている隙に山を越える。それしかない!

 水精霊騎士隊はフライの魔法で飛び上がり、数人がかりでジルとフードの貴婦人を抱えて飛んだ。精神力を使いきってしまったルイズには才人が肩を貸し、恥ずかしがってる場合かと掛け合いながらおんぶして走った。

 山の峰まではほんのあと数十メイル。そこさえ越えればあとは滑り落ちてもいい! しかし、振り返って見えた二匹の怪獣の激闘は筆舌に尽くしがたいものであった。

「すげえ……」

 これまで数々の怪獣の戦いを見てきた才人でさえ、そう呟くのがやっとだった。

 アリンドウは巨大化したことで、それまでエサにされてきた自分達に代わって、向こうをエサにしてやろうといきり立っていた。体当たりから即座に起き上がり、コンクリートをも噛み砕く顎からよだれを垂らしながら、発達した前腕で殴りかかろうと突進する。

 しかし、翼竜はアリンドウに対して、くちばしを槍のように激しく突き立てまくり、巨大な翼で粉塵をあげながら叩き返して応戦した。その勢いはものすごく、攻めこんだはずのアリンドウのほうがひるんでしまったほどだ。

 それは少し想像してみればいい。自分に向かって他人が箸やスプーンをがむしゃらに突き立ててくれば、それがいかに危険で恐ろしいかを。

 カラスでさえ、ごみ袋に群がればあっという間にバラバラに食い散らかしてしまう。スズメから鷹まで、くちばしは鳥類共通の強力な槍でありナイフだ。しかも執拗に眼を狙ってくる攻撃に、アリンドウは苦悶の声をあげながら口から白い霧を吹き出して翼竜の顔面に浴びせかけた。

「蟻酸だ!」

 才人は叫んだ。アリの持つ酸の一種だが、アリンドウのそれはビルをドロドロに溶かしてしまうほどの威力を持つ。そんなものを顔に浴びせられたらさしもの……と思われたが、なんと翼竜はわずかに嫌がったそぶりを見せたが、かまわずそのままアリンドウの頭をつつき続けたのである。

 アリンドウの複眼がくちばしで突き破られて緑色の血が吹き出る。そればかりか、ひるんだアリンドウの体や腕にも翼竜はくちばしを突き立てて、強固なはずの外骨格にまでひびを入れ始めたのだ。

「うそだろ、アリンドウの体はタロウのストリウム光線にも耐える硬さのはずなのに」

 むしろ翼竜のほうが頑丈な体のようにさえ見えた。実際、地球に過去に現れた個体やその同族は、自衛隊のミサイル攻撃はおろか、ほかの怪獣の熱線や光線を浴びてもたいしたダメージは受けずに交戦を続けている。

 戦闘は、アリンドウが有利かもという才人の予想を覆して、圧倒的に翼竜の優勢で進んでいた。大きくなろうが、しょせん虫は鳥のエサなのか。

 二匹の怪獣の激闘。翼竜の羽ばたきから起こる突風にあおられながら、水精霊騎士隊は山越えを急いだ。のんびりしている暇はない。なぜなら、怪獣はこちらに来なくても、巨大アリは全部がアリンドウに融合されたわけではなく、地中からさらにはい出して追いかけてくるのだ。

 やがて、フライの魔法で飛んだ水精霊騎士隊が先に山頂につき、残るは才人とルイズだけとなった。その背後から巨大アリが迫ってくるのを見下ろしながら、ギムリたちは全員で必死に叫んだ。

「サイト急げ! あとちょっと、あとちょっとだ!」

 ここまでくればアリを魔法で追い払ってやれる。ルイズを背に抱えた才人はデルフをうまく振れない。

 だが、あと一歩となったところで、巨大アリが追い付いて才人のズボンの裾に噛みついてしまった。たまらず転倒した才人とルイズに巨大アリがいっせいに群がってくる。

「うわあぁっ!」

「きゃああっ!」

 まさに砂糖に群がるアリのように才人とルイズに巨大アリの大群が迫る。ギムリは杖をかざして二人を助けようとしたが。

「サイト! 今助けるぞ」

「待ってくれ隊長代理。今撃ったらサイトとルイズまで傷つけちまう!」

「なっ、だけど!」

 訓練を積んだ成果で、水精霊騎士隊の魔法の威力はラインの中級くらいには上がっている。無防備な人間を殺すには十分すぎる威力だ。しかし当てないように手加減して精密に撃つなんていう器用な真似は、普通のメイジにはできない。

 それでも、才人とルイズを見殺しにはできないと、ギムリは魔法を放とうとした。だが、ギムリの杖に誰かの手が優しく被さり、穏やかな声が少年たちを止めた。

「お待ちになって、優しい騎士さんたち。あなたがたのお友だちは、助かりますから安心なさって」

 振り返ったギムリの目には、フードから覗く笑みを浮かべた口元と、その傍らに輝く小さな杖が映っていた。

 そのとき、巨大アリに群がられた才人とルイズは、食われまいと必死にもがいていた。だがアリの体重はかなり重く、のしかかられて動けなくなり、もうだめかと思ったそのときである。二人に群がっていたアリたちがいっぺんに引き剥がされて、空が見えた。

「えっ? な、なにが?」

「サ、サイト? サイトが助けてくれたんじゃないの? あっ、あれは……」

 才人とルイズの視線の先には、二人のそばの地面から生えている土のゴーレムの姿があった。体格はざっと三メイルほどでゴーレムとしては巨大なほうではないが、とぼけたような温和そうな顔つきと丸っこい体を持つそのゴーレムが巨大アリをわしづかみにして、次々に二人の周りから投げ捨てていた。

 こいつが助けてくれたのか? けど誰が? 才人は今の水精霊騎士隊のメンバーにそんな使い手がいたかといぶかしんだが、ゴーレムのその姿に、ルイズは見覚えがあった。

「こ、このゴーレムってまさか! あっ、きゃあっ!」

 驚くルイズがそれを確かめる間もなく、ゴーレムは二人の襟首を掴むと、そのままひょいと山頂のギムリたちのほうへ放り投げたのである。

「どわああったあ!」

「うおっとお!」

 レビテーションを使う間もなく、飛んできた才人とルイズをギムリたちは体でキャッチした。

 間一髪だった。山頂まで来てしまえば、翼竜の縄張りのためアリどもはもう追ってこない。ほっとして、一行は翼竜とアリンドウの戦いに目を戻すと、戦いはまさに終結するところであった。

 翼竜のくちばしは鉄板でも軽くぶち抜けそうな鋭さで、アリンドウの全身を見る間にズタズタにしていった。アリンドウは最後のあがきに火炎を吐き出したがこれも通じず、翼竜は頭の角に稲妻を発生させ体を赤熱化させると、赤色の熱線を吐き出して浴びせ、とうとうアリンドウを倒してしまったのだった。

 断末魔の叫びをあげて倒れ伏すアリンドウ。翼竜はアリンドウの死骸に近寄ると、今度はそのくちばしをナイフのように使って解体を始めた。

 それは最初から最後まで、食うか食われるかだけの動物の殺しあい。少年たちは、その理性も知性も入り込む余地のない戦いに、ただ呆然と震えるのみだった。

「おれたち、よく生きてられたもんだ……」

 ぞっとする。こんな地獄のような山を、よくも全員生きて登りきれたものだ。

 見ると、アリンドウを解体した翼竜は、肉片を咥えると山頂に戻ってきた。山頂は100メイルはありそうな巨大な火口になっており、その中に巣が作られている。

 才人たちは巣に近づかれた翼竜が襲ってくるのではと身構えた。しかし、翼竜はもう人間には興味がなくなったのか、見向きもしないで巣の真ん中に降りると肉を下した。

 すると、火口の巣の影から小さな……といっても人間より数倍大きいのだが、幼い翼竜が這い出してきて肉をついばみだしたのだった。

「あれって」

「ああ、ヒナだ……」

 才人やギムリたちは、死の淵に立っていた今までのことが嘘だったかのような、そんな感覚を味わった。

 翼竜のヒナはまだ翼が未発達でうまく動かないのか、体をいっぱいにじたばたしながら肉をついばんでいる。親はその傍らにじっと立って、大きな翼でヒナを守りながら力強く見守っている。

 少年たちは、死とは反対の生命が育まれる光景に見入った。人を食う山、この山には無数の死が転がっているが、同じところで新しい生命がつむがれている。不思議だが、なんて神秘的な光景だろうか。

「これで、彼がどうして山に飛んでくるものを許さなかったのかわかりましたわね。ふふ、あんなに可愛い子供がいれば当然かしら、ふふ」

 そう微笑みながら言ったのは、あのフードの貴婦人……いや、もうその正体はルイズにはわかっていた。

 背格好といい上品な立ち振る舞いといい、そして何よりも動物の心を理解する純粋な心。ハルケギニア広しといえども、そんな人間はルイズの知る限り一人しかいない。

 才人もなんとなく感じていたようだが、ルイズはそもそも付き合った時間が違う。まさかと思ったが、もうそのまさかしか考えられない。ルイズは緊張の中に喜色を浮かべながら、こちらを試すようにフードを向けている彼女に問いかけた。

「もう、お顔を見せていただけてもいいと思いますわ。本当にいたずらがお好きなんですから……ちぃ姉さまは」

「フフ、ルイズならすぐ気づいてくれると思っていたのよ。ドキドキしたわ、お久しぶりねルイズ」

 さっとフードをとって見せたその素顔に才人たちは仰天した。ルイズと同じ桃色のブロンドの髪と柔和な笑顔、それは紛れもなくルイズの姉の。

「カトレアさん!」

「ええっ! ルイズのお姉さん!?」

 信じられなかった。どうしてこの人がここに? いつもは自分の領地で暮らしているはずなのに。

 呆然とする才人に、カトレアは以前に会った時と変わらない暖かな笑みを見せて言った。

「お久しぶりですね、勇敢な騎士さん。あのときの約束通り、ルイズを守っていてくれてありがとう」

「は、はい。おひさしし、ぶりです!」

 才人は緊張してしどろもどろになりながら答えた。それまで衣装で隠していたが、ルイズとは正反対に慈愛に溢れる笑顔とルイズとは真逆にふくよかなスタイルとおっぱいは才人の好みの直球を貫いて目が離せない。ただ、同時に以前殺されかけたことも思い出せてしまい、本能的に冷や汗も湧いてくるというちぐはぐなことになっていた。

 ルイズはそんな才人の顔面に裏拳を一発叩き込んで鼻血を吹かせて吹っ飛ばすと、あらためてカトレアに問いかけた。

「ちぃね……いえ、カトレアお姉さま。どうしてここに?」

「お母さまから手紙をもらったのですよ。戦争が始まったとエレオノールお姉さまが私のところにやってきてから少しして、「ルイズが危ない任務につこうとしている。今度ばかりはあの子たちだけの力では手に負えないだろうから、あなたたちで助けてあげて」とね」

「お母さまが……え? 「あなたたち」って」

 驚くルイズに、カトレアはにこやかに笑いながら、西の方角を望んだ。

 

 

 一方そのころ。ルイズたちのいる山から西方のトリステイン南方部でも、ひとつの戦いが起きていた。

 ガリア軍がトリステインに侵入してくる街道において、ガリア軍の後衛部隊とミシェルの率いる銃士隊小隊が対峙している。

「灯台下暗しでガリア軍の傍らをすり抜けていこうと思ったのは、やはり甘かったかな」

「副長、ここは我々が食い止めます。先に行ってください!」

 抜刀するミシェルたちの前には、彼女たちの数倍の数の武装兵士が立ちふさがっている。

 彼女たちは、ほかの街道の関所がつぶされているだろうことを考え、あえてガリア軍のそばを逆走してガリアに入ろうと試みた。ガリア軍はなんらかの魔法で意識を狂わされ、むしろここがもっとも警戒が甘いだろうという見込みがあったからだ。

 しかし、すでにトリステインに入った本隊とは違い、後続の補給部隊は正常だった。そして農婦に化けてやり過ごそうとものの、こういう後方支援部隊というものには目鼻の利く奴がひとりやふたりいるものである。

 怪しまれて検閲され、やむを得ず戦う羽目になった。だが、後方部隊にも本隊ほどではないとはいえ護衛がついている。数ではとてもミシェルたちはかなわない。

「副長、早く! せめてあなただけでも」

「無理だ、もう逃げ道はない。くそ、できるだけ無用な犠牲は出したくなかったが、こうなればできるだけ暴れたほうがサイトたちは安全にガリアに入れ……む?」

「これは? 副長、敵兵がどんどん倒れていきます!」

 ミシェルがやむを得ず、あの力で活路を開こうと決意しかけた瞬間、それは起こった。銃士隊を囲んでいた敵の兵隊が次々と倒れていき、あっという間に立っているのはミシェルたちだけになってしまったのである。

 まだ何もしていないのにこれは一体? 剣を下ろして呆然としているミシェルたちの前に、補給隊の馬車の影から一人の人影が現れた。

「まったく、意識を飛ばすご禁制の魔法薬なんて危ないものをいきなり使わせてくれるなんて、話に聞いていた以上に世話の焼ける連中みたいね」

「誰だ!」

「安心しなさい、味方よ。エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールと言えばわかるかしら? 『烈風』の命令を受けて、あなたたちに加勢しに来たわ」

 

 試練を乗り越え、いよいよ舞台はガリアへ移る。

 そこで待つのは光か、それとも闇なのか。

 

 

 続く



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第13話  不名誉墓地の騎士道

 第13話

 不名誉墓地の騎士道

 

 怨霊鬼 登場!

 

 

 人を食う山を超え、ガリアへと入った才人たち一行。

 途中、ジルとカトレアが参入するという驚きの事態こそ起きたが、心強い味方を得た一行は歩を進めていた。

 

「いやあ、まさかそれにしてもカトレアさんが来てくれるとは思わなかったなあ」

 ようやく険しい山道を超え、安心して歩ける道を行きながら、才人がしみじみと言った。なかば特攻隊のような気持ちでいたところに、この援軍は本当にありがたい。

 カトレアは事のあらましをざっと語った。戦争が始まった時、ガリア軍を発見したエレオノールは王宮へ通報すると同時に、カトレアにもそれを伝えて守ろうとラ・フォンティーヌ領へやってきた。そこへカリーヌから、ルイズがガリアに向かおうとしているから手助けせよという手紙を受けたカトレアは、ミシェルたちへの手助けをエレオノールに託した後、旧知のジルを誘ってルイズたちの先回りをしていたというわけである。

「ふふ、トリステインの大事に、私もお役に立てることがあるならうれしい限りです。及ばずながら、よろしくお願いいたします」

 カトレアの優しげな笑顔に才人はぽっとなった。ルイズからトゲを抜いて大人にしたようなカトレアの包容力は破壊力ばつぐんで、水精霊騎士隊の中には鼻血をこらえている奴さえいる始末だ。

 だが、カトレアの魅力はその圧倒的な母性力だけではない。まずはおっぱい、ティファニアには及ばないが、豊満で形がよく柔らかそうなおっぱいの美しさは才人のランキングの中でも上位に入る……と、考えるのはルイズが睨んでいるからここまでにして、冗談抜きで土系統の強力なメイジであるカトレアの実力は、あのフーケも軽くしのぐくらいのすごいものであるから心強い。

 そして、カトレアがやってきてくれたことで一番喜んでいるのは、彼女を幼い頃から慕ってきたルイズに違いない。隠しようもなく頬をほころばせていたが、とうとう我慢しきれずにカトレアのそばに寄っていった。

「ちぃ姉さま、わたし」

 けれど、再会を喜ぼうとするルイズの眼差しは、親愛する姉の厳しい一言で止められた。

「ルイズ、私はお母さまの命であなたたちを手助けにやって来ました。あのお母さまが私を手助けに寄こすほどのことがどういうものか、わかっているのですか?」

「え? それは……その、大変なことだと……」

「そう、大変なことです。でもあなたたちは、まだ危機感が足りていません。その証拠に、あなたたちはじゅうぶんな下準備もなしに難所越えに挑みました。もし私たちが来なければどうなっていたと思いますか?」

「はい……」

 厳しい指摘に、ルイズだけでなく、才人やギムリたちも反省してうなだれている。

「ルイズ、一人の力だけではなにもできないのはあなたもよくわかっていますね。けど、仲間の力だけでも限界があるのよ。無理を感じたら、外にも力を借りなさい。手遅れになってからでは意味がないのですよ」

 カトレアが病弱だった頃、父の侯爵はありとあらゆる手段で医者を探してくれた。結局完治にはいたらなかったけれど、なりふりかまわず手を尽くしてくれなければ、延命さえできずにカトレアはルイズが物心つく前にこの世を去っていたかもしれない。

 ルイズはカトレアの助言に納得してうなずき、カトレアは微笑んだ。

「私はこれから、あなたの姉ではなく、一介のメイジとしてあなたたちの仲間に加わります。あなたもそのつもりで、よろしいですね、ルイズ?」

「はい、ち……カトレアお姉さま」

 甘えるための愛称で呼ぶのは戦いが終わるまで封印だとルイズは決心した。優しいだけではなく、筋を通す芯の強さを持つカトレアの姿は、ルイズにとって憧れそのもの。貴族として目指すべき目標だった。

 カトレアは、ルイズの決心を確かめると、無言ながらもそれでいいのですと言う風に、いつもの優しい笑顔を見せてくれている。

 本当に、お母様もお姉さまも強くて、美しくて、気高くて、素敵で、遠く高いところにいる。こんなレディになりたい……いつかはなれるのだろうか?

 けれど、カトレアのそんな優しさと強さを併せ持った気品に魅了されたのは、男どももいっしょであった。

「ル、ルイズのお姉さん! 自分、ジョージアと申します。感動しました。ぜひぼくにもお姉さまと呼ばせてください」

「ずるいぞ抜け駆けすんな! わたしはハンス、水精霊騎士隊でも一二を争う炎の使い手であります。この胸に溢れる情熱を詩にして今すぐあなたに贈りたい」

「ひっこめお前ら! わたし、隊長代理をしておりますギムリと申します。この野獣どもから必ず麗しいあなたをお守りいたしますので、どうかご安心を」

 こんな調子で口々に口説きに当たっている。元々、水精霊騎士隊自体、徒党を組む目的が正義感と忠誠心の次に「モテたい」という不純なものが多々混じっている連中なので、当然といえば当然なのだが。

 もちろん、これでルイズの機嫌が良かろうはずがない。「あんたたち、わたしにそんな態度したことあったかしらぁ?」と、一人でキレかけている。

 一方で、ルイズに巻き込まれたくない才人はデルフとひそひそ声で、「そりゃルイズと違って優しいし、おっぱいの魅力はすげえもん。おれはレモンちゃんもメロンちゃんも大好物だよ。でもプリンプリンの無限の柔らかさにもときめくんだよ、わかるかデルフ?」「ああ、ブリミルの野郎も、大きくなれ大きくなれって毎晩毎晩サーシャのそこばっか攻めてたからな。ほんとおめーらは何千年経っても変わらねーな」などと最低な会話をしていた。

 そんな馬鹿どもを、カトレアはあらあら大変と受け流していたが、見かねたジルが割り込んできた。

「それで隊長代理とやら、ガリアには入れたが、これからどうするつもりなんだ?」

 その一言で、場は水を打ったようにしんとなってしまった。

「それは、リュティスに乗り込んで、ガリア王の秘密を暴こうと」

「どうやって? まさか王宮に乗り込むつもりか? 自殺行為もいいところだぞ」

 呆れ返っているジルに、ギムリたちやルイズも言葉に詰まってしまった。

「けど時間が無くて、真実を掴むにはこれしかないんです。万に一つでも可能性があるなら、命は惜しみません」

 覚悟は皆揃っていることを少年たちは示した。けれど、成功しなければどんな決意も信念も意味がない。

 特に、ルイズはカリーヌの期待もかかっていることを知って気負いすぎているところが見られ、カトレアはルイズといっしょに少年たちも諭すように言った。

「ルイズ、それに皆さん。さっきルイズにも言いましたが、どんなにがんばっても、仲間の力だけでは限界があるのよ。もう一度尋ねますが、もし私たちが来なければ、あなた方は先ほどの山をさえ越えられたでしょうか?」

「それは……」

「わかったようですね。女王陛下は、あなた方に名誉の戦死をさせるために任務を与えたわけではありません。達成して、帰還してこそ陛下はお喜びになられるでしょう。だから無理を感じたら、外にも力を借りなさい。わかりましたね?」

 そして、カトレアはジルとともに、そのために私たちが来たのですよと告げた。

 真剣な表情でカトレアの言葉を聞こうと、ルイズと水精霊騎士隊は身構えた。果たしてカトレアにどのような策があるというのだろうか……?

 

 

 そして数刻後、一行の姿はガリア辺境の小さな農村にあったが、一行はそこで思いもしていなかった歓迎を受けていた。

「これはこれはカトレア様、ようおいでくださいました。相変わらずなんにもないところですんが、どうかごゆるりとなさっていってくださいませ」

 村長から親しげに挨拶を受け、ほかの村人たちもよそ者にとても友好的な雰囲気であった。

 普通、こういう村であればよそ者に排他的であろうに、真逆の雰囲気である。宿屋で休憩をとることにした一行は唖然としていたが、それにカトレアは穏和に答えた。

「この村と私は古い付き合いなのですよ。この村では牧畜が盛んなのですが、土地柄なのでしょうか、家畜からのたたりをとても恐れる風習があるもので」

「そうか、お姉さまのラ・フォンティーヌ領で放し飼いにされている牛って、この村のものだったのね」

「ええ、老いた牛や乳の出の悪い牛を私の領地で引き取っているのです。その代わりにヴァリエール領にはミルクやチーズを格安で売っていただいている契約を結んではいますが、こちらの村民の方々とは良い仲なのです」

 カトレアの意外な人脈に、ルイズは「知らなかったわ」と感心していた。

 けれど、村人の歓迎と村の牧歌的な雰囲気に気を緩めかけていた一行に、カトレアは釘を刺すように言った。

「それで、あなた方は、この村のことをどう思います?」

「は? そりゃ、豊かそうでいいところだなと。いでで!」

 のんきな答えを返したギムリの耳をジルがつねりあげた。

 なにをするんだと騒然となる水精霊騎士隊。そんな彼らに、カトレアは呆れたように告げた。

「わからないのですか? ここはもうガリア。そして彼らは、トリステインに敵愾心のないガリア人なのですよ」

 皆が、「あっ!」といった表情で固まると、カトレアはゆっくりと続けた。

「お父様から聞いたことがあります。敵地に入るのなら、まずそこに協力者を求めなさいと。このようなことのために作った友人ではありませんが、女王陛下のために、今は心を鬼にせねばいけないときです。あなたがたにその覚悟はおありですか?」

 その瞬間、ルイズはカトレアの横顔にカリーヌの面影を見た。

 やはり、血は争えない。ルイズは姉が優しいだけの人ではないことを再認識して息を呑み、一行は今が戦争の真っ最中なのだと気を引き閉め直した。

「この村はガリアの中では辺境に位置していますが、酪農を通じて国の中央との交易もなされています。なにか益になる話が聞けるかもしれません。がんばってみてください」

 そう告げられた一行は、才人やルイズも含めて蜘蛛の子を散らすように村中に散っていった。

 今は一刻を争う戦時。体裁など構っていられないのはわかっていたはずだけれど、やはりわかっていたつもりだけだったことに皆は気づいた。祖国トリステインのため、なにより敬愛する女王陛下のため、カトレアが自分の主義を曲げてまでお膳立てをしてくれたのに、自分達が役立たなければ忠義が泣く。

 カトレアはジルといっしょに宿に残って、少年たちの活躍を待った。ほっておいてもよいのかと尋ねるジルに、カトレアはホットミルクを口にしながら答える。

「あくまでも、この任務の主役はあの子たちですから、私は助けなければいけないとき以外は助けませんわ」

「穏やかな顔をして、スパルタなものね」

「お母さまからの伝統ですの」

 少年たちはルイズも含めて、少しでもなにか有益な情報がないかと、村人たちに頭を下げて聴き込みをして回った。

 やがて半刻ほどして、宿屋に帰ってきた一行は聞き込んだ情報を公開しあった。カトレアの言う通り、こんな辺境でも首都からの情報は流れ込んできているようで、ガリア内部の混乱を知った一行は一様に驚いて顔を見合わせていた。

「食料を取り上げられて、王政府に対して暴動が起き始めてるとか……ガリアの王様は何を考えてるんだ?」

「それよりも、あちこちの領主が食料を狙った難民が入り込まないようにって、関所を封鎖してるってよ。これじゃ、リュティスに入れないぜ」

 村人から話をいろいろ聞いたところ、ガリアの中央は相当に混乱しているらしかった。戦争を仕掛けてきた当事者の国がこれとはと、外からではまったくわからなかった。

 そして、大きく気になる噂がひとつ。

「いくらか前から、王様の周りに怪しい人影がうろつき始めたって話があるそうだ。よくわかんないけど、王様は大臣も騎士もそばにおかずに、その怪人となにか話してるのを見たって人がけっこういるみたいだぜ」

「怪人って。まさか、宇宙人か?」

 適当に言ったわけではない。怪獣を次々と繰り出してくるガリアの所業は人間ができることをはるかに上回っている。その影には黒幕がいると思っていたが、ハルケギニアの侵略をもくろむ宇宙人がガリアの王様を傀儡にしているとすれば説明はつく。

 つまりは最悪、その宇宙人をぶっ飛ばせばいいわけだ。

 しかし、このままでは元凶のリュティスに向かえない。何万というガリア軍にトリステイン軍がいかに持久戦に持ち込んだとしてもたいした時間は稼げないという今、足踏みをしているわけにはいかない。

 一行はまだ、アンリエッタがガリア軍に対して出撃を命じたことは知らない。けれどそれを置いても、こんな辺境の農村で遊んでいるわけにはいかないと焦りかけたときだった。水精霊騎士隊の少年の一人が、恐る恐るながらもあることを口にしたのだ。

「なあ隊長代理、情報って言えるかわかんないんだけどさ……」

「どうしたんだ? こんなところで足踏みしてるわけにはいかないんだし、この際なんでも言ってみてくれよ」

「ん、ああ、ちょっと妙な噂を聞いたんだが……」

 こうしている間にも、国に残してきたギーシュたちにも危険が迫ってきているかもしれないと、藁にもすがる思いで一行はその”噂”に耳を傾けた。

 

 

 どんな形で過ごそうとも、時間は容赦なく関係なく流れていく。

 さらに数刻が過ぎ、太陽は西の空に消えて三日目の夜が来た。そして一行の姿は、村を出て数里を行った街道の先にあった。

「うすっきみ悪い道だな……」

 才人がぞっとしたようにつぶやいた。かろうじて月明かりで前は見えるものの、街道の周りにはほかの家もなく、両脇は森になった真っ暗闇が続いている。本当なら、夜には絶対歩きたくない道だ。

「なによあんた、ここ、怖がってるの?」

「へ、へへっ、やせ我慢するなよルイズ、お前だって震えてるぜ」

 暗い夜道、聞こえてくるのは風で木の葉が擦れる音や、フクロウや獣の声ばかり。肝試しをするならばうってつけのシチュエーションに、才人やルイズだけでなく、お調子者のギムリや水精霊騎士隊たちも落ち着かずにそわそわしている。

 平然としているのはカトレアとジルくらいだ。だが、今さら夜道が怖いなんていう年ではない彼らを怯えさせているもの、それはこの先にあった。

「見えてきたぜ……」

 ギムリが冷や汗をぬぐいながらつぶやいた。

 森の中から姿を現したもの。それはこんな辺境には似つかわしくない、見渡す限りの広大で豪華な霊園……つまりは墓地だった。

 入り口の門には、ガリア王国の紋章が刻まれている。また、霊園の中に立ち並んでいる立派な墓石にもすべて、貴族や騎士のものであることを示す紋章が刻まれており、月光に照らされるその光景を見て、少年たちは戦慄しながら言った。

「これが……」

「ああ、ガリア王国の……不名誉墓地だ」

 一行は息を呑みながら、霊園の中に足を踏み入れていった。

 霊園の中は静まり返り、いっそう不気味な雰囲気を醸し出していた。人の気配はまったくなく、道の左右に立ち並ぶ墓石に見られているような中で、一行の足音だけが響いている。

 ルイズは無意識に才人に体を寄せ、ギムリたちも道の真ん中に寄って、墓石に近づくまいとしている。まったく肝試しそのままだ……そんな沈黙に耐えられなくなった才人が、周りの墓石を見回しながらぽつりとこぼした。

「そ、それにしても変な墓地だな。貴族の墓だっていうのに、供え物も花のひとつも見当たらないぜ」

「あ、当たり前だろ君、ここは不名誉墓地なんだぜ!」

 少年の一人が才人を咎めるように叫んだ。

 不名誉墓地……その名が流れたとき、一行の中に再び戦慄が走る。

 すると、最後尾を歩いていたカトレアが、ひとつの苔むした墓石を指して告げてきた。

「ルイズ、あの墓石の方の名前。わかりますか?」

「は、はい!? え、か、カイン男爵……歴史の教科書で読んだことがあります。トリステイン出身の騎士で、五百年前に当時のガリアの第二皇太子と共謀して簒奪を企み……ざ、斬首になったと」

 ルイズが震えながら答えると、才人や水精霊騎士隊の皆も、一様に顔を青ざめさせた。

 そう、これが不名誉墓地の正体。ここには、ガリアの王族や貴族の歴史上、反乱、犯罪、抗争など、様々な理由で処刑、謀殺による不名誉な死を遂げた人間たちが葬れているのである。

 献花のひとつも無いのも至極当然。しかし、なぜこのような恐ろしいものが作られたのか? 理由はちゃんとある。

「墓石の家紋の周りを見てみなさい。五百年前に使われていた魔除けの刻印がびっしり刻まれています。よほど、カイン男爵の霊に復讐されることが怖かったのですね」

 哀れむように言ったカトレアの言葉には、どこかエレオノールのような嘲りも混じっているようにルイズは感じた。

 これがその答え……不名誉な死を遂げた者は、それが正当であれ不当であれ、必ず怨みを残していく。特に、政争による非業の死へと追いやられた者の怨みは尋常ではなく、その怨霊による報復を避けるため、昔の人間たちは死者を僻地に封印するように弔ったのだ。

 いわばここは、ガリアの数千年の暗黒の象徴……もっと言えば、政争の勝者たちの羞恥心の墓場といえた。

 近隣の村がたたりに敏感なのも、ここの影響だろう。ここには、非業の死を遂げた数え切れない魂が渦巻いている。気丈なルイズでさえ、その怨念の気配を感じ取って身震いが止まらず、平民のジルも吐き捨てるように呟いた。

「ほんとに、貴族ってやつは大昔からつまんないね」

 貴族の跡目争い、そこに何かムカムカとひっかかるものを感じる。だが、それが何かは思い出せない。

 けれど、一行は歴史の勉強をしにこんな場所にやってきたわけではない。『ライト』の魔法で足元を照らした一人が、地面に残った轍の跡を見つけて言った。

「みんな、荷車か何かが通った跡だぜ。まだ新しいみたいだ」

「そうだな、それに轍の深さからしてけっこう重いものを運んだみたいだ。どうやら話は本当だったみたいだな」

 墓地の奥へと続いている轍の跡を見つめながらギムリが言った。

 噂とは、普段は近隣の村の者でさえ滅多に足を運ばないこの不名誉墓地に、数日前に奇妙な一団が出入りしていったのが目撃されたという話だった。

 むろん、それだけならただの埋葬かもしれない。しかし、おかしなことに、入っていくときではなく、出ていくときに大きな荷物を運んでいるような感じだった。それも、何人もの鎧姿の騎士に護衛され、まるで火薬を運ぶような物々しさだったという。

 怪しい……けれど、足を運ぶにはまだひとつ足りなかったところ、話の続きにこうあった。そのとき、好奇心から覗いていた村人は一団の中に、人間とは思えない奇っ怪な風貌をした者がいたと証言していたのだ。

「もしかしたらそいつ、ガリアの王様といっしょにいるっていう宇宙人かもしれねえ」

 才人はそう直感した。まさかこんなところでと思ったけれど、その尻尾を掴んだかもしれない。

 また、その一団を指揮していたのは、若い女のようだったとも聞いた。若い女……? それって、あのときの!

 才人とルイズは以前にラ・ロシェールでゾンバイユを繰り出し、ルイズのことを虚無の担い手だと告げていった女のことを思い出した。

「シェフィールド!」

 あのとき、不敵に挑発していった女はそう名乗っていた。そいつが、ガリア王の手足として陰謀をおこなっている役割の奴だとすれば、確証はまだないが、怪しさはさらに増す。

 ギムリたちもあのときのことを思い出し、半死人にされた恨みを晴らしたいと決起した。しかし、勢い込んで来てはみたものの、夜の墓場とは想像以上に気味の悪いところであった。

「……まだ、奥まで行かないとダメか?」

「当たり前だろ。な、なんのためにここまで来たと思ってるんだ?」

 覚悟を決めて、一行は墓場の先へと進んだ。

 轍の跡は墓場のさらに先へと伸びており、それにともなって、葬られている人間の身分も上がっていった。

「おい、この先って……」

「ああ、王族の領域だぜ」

 最奥部、ガリアの王族が葬られている領域まで踏み込むことになり、一行はつばを飲んだ。不名誉墓地でもなければ、本来なら恐れ多くて近づくことなど許されないところだ。

 サムソン三世、アルムート七世、歴史の教科書に出てくるような暗殺された暴君、不意の事故死を遂げた皇太子の名前が彫られた墓石が次々に見えてくる。中には正式な王家の陵墓に埋葬されているはずの王の名前も散見され、ガリアの歴史の裏側を見たようで、一行は吐き気さえ覚えた。

 そして、轍の跡はひとつのさして古くない墓の前で止まった。その墓石に刻まれていた名前は……。

「オルレアン公シャルル……」

 確かにそう読め、没は四年前となっていた。

 誰か知ってる奴はいるか? という問いが流れるが、答えられる者はルイズを含めていなかった。歴史上の人物ならともかく、今のガリアの貴族を事細かに覚えてはおけない。だが一介の貴族ならともかく、隣国の王族に連なる者のことを誰も知らないというのはどういうことだろうか? それにオルレアン……なにかひっかかる名前だ。

 しかし、場所からして王族に連なる誰かということは確かなようだ。どんな経緯でここに埋葬されることになったのかは知らないが、ここに埋められることになった以上はろくな死に方をした人間ではあるまい。

「いったい、ここに来た連中はこの墓になんの用があったのかしら?」

 ルイズがつぶやくと、一行の中に嫌な空気が流れた。そして才人が仕方なく、こういうことには天然なルイズにぼつぼつと答えた。

「そりゃあお前、お墓の中にあるものっていったら、アレじゃないのか?」

「アレって、そそ、そんな不謹慎な!」

「じゃあアレ以外に何があるっていうんだよ?」

「そそ、それを調べに来たんでしょ? サイトあんたちょっと行って見てきなさいよ」

「嫌だよ! いくらなんでもそんなおっかないことできるか! お、おいギムリ、お前ら女王陛下のためならなんでもできるんだろ? ちょっと見てこいよ!」

「ええっ!? い、いやいやいくら他国のものだからって王族の墓に手をかけるのは始祖ブリミルへの不敬になるからしてその」

 こんな感じに、少年たちの間で「お前行け、いやお前が」と、押し付けあいが始まってしまった。勇敢さでは大人の騎士に負けないと自負する彼らであっても、やはり怖いものは怖かった。

 結局、らちがあかないということでジルがやれやれと前に出た。才人たちは、女の平民に勇敢さで負けてどうすんのよというルイズの冷たい視線を前に、ばつが悪くうなだれている。

 対してジルは貴族への遠慮はほとんど持ち合わせておらず、ランタンと短刀を手に墓石に近づいていき、ほどなくして異常を見つけ出した。

「やはり、つい最近墓石を動かした跡があるな。そいつらはここから、何かを持ち出して行ったらしい」

「何かって、やっぱりアレでしょうか?」

「そこまで知らん。だが、墓に財宝を隠すという与太話ならよく聞くし、今から掘り返してみてもからっぽだろう。問題は、ここから何かを運び去っていった連中が何をするか、だろう?」

 ジルがそう言うと、一同もうなづいた。

 宇宙人のような奴にガリア王につながりのありそうな奴が、墓場から何かを持ち去っていった。何のため? どうせろくでもないことだろうが、それが問題だ。しかし、戦争を起こしている真っ最中にいったい何を?

 考えてもわからない。やはり、謎を解くには無理をしてでもヴィルサルテイル宮殿に殴り込むしかないのだろうか。

 せめて、この墓の主であるオルレアン公シャルルという人の詳しいことがわかれば……。

「ほんとに、オルレアンだか誰だか知らないけど、おかげでこっちは大迷惑してるんだぜ」

「まったくだ。どうせほかの墓地の連中みたいに、ろくな奴じゃなかったんだろうぜ。名誉を貴ぶ我らトリステイン人では考えられないよ」

 口々に、そうだそうだと愚痴が流れていった。誰かが口火を切ったことで、溜まっていたガリアへの不満があふれ出してくる。

「そもそも、ガリアがしっかりしてれば世は平穏だったんだ。んっとに、ハルケギニア一の大国のくせして、こんなに不名誉な人間を出すとはみっともない。きっと、墓を暴かれるのだって、ひどい悪党だったからだろう。ざまあみろだ」

 知らないとはいえ、言いたい放題の極みであった。ブレーキ役のギーシュやレイナールがいないために暴言はエスカレートしていき、さすがにルイズも眉をひそめて止めようと思った。

 だが、まさにそのときであった。

 

「我らの主君を、侮辱するものは許さん」

 

 突如、背筋も凍るようなおどろおどろしい声が響いた。

 空耳ではない。全員がびくりとし、罵声の波はぴたりと止んだ。

 だ、誰だ? だが、そう問いかけるまでもなく、声の主は姿を現した。不名誉墓地の無数の墓石から不気味な光の塊が飛び立ち、群れをなして宙を舞い出したのだ。

「ひ、人魂だぁ!」

 才人が腰を抜かしながら叫んだ。同じようにルイズも顔を真っ青にしてへたりこみ、ギムリたちも腰を抜かしたり悲鳴をあげたりしている。

 かろうじて杖を握り、気丈にしているのはカトレアと、弓を空に向けているジルだけだ。その二人も、この世のものとは思えない光景に戦慄して顔色をなくしている。

 数十の人魂は彼らの頭上で生き物のように旋回し続けている。

 いったいこれはなんなんだ!? 震える彼らの前で、人魂たちは宙で集まって巨大な塊になっていく。

 彼らは忘れていた。この墓地には、粛清され葬られた王族と同様に、その家臣たちも埋められていることを。

「我らの主君を侮辱したな」

「許さん」

「許さん」

「許さん」

 怨念に満ちた声が響き、人魂の塊は少しずつ形を成していく。そして、怨念の塊はついに見上げるばかりの巨大な鎧姿の騎士の亡霊となって、この世に現れ出でたのである。

「この怨み、晴らさでおくべきかぁ……」

 巨大な騎士の兜の下の骸骨から、身も凍るような声が響く。

 墓場の中に立つ、数十メイルはあろうかという巨大な騎士の怨霊。その骸骨のくぼんだ眼窩から殺意に満ちた視線が足元の少年たちに注がれ、絶叫が轟いた。

「ば、バケモノだあ!」

 まさしく怨霊の鬼。闇の底から呼び覚まされた亡霊は、現世への怒りのままに雄叫びをあげる。

「この怨み、晴らさでおくべきか!」

 怨霊鬼の腰からレイピア状の杖が抜き放たれ、ギムリたちの頭上へと振り下ろされた。

「逃げろ!」

 才人が叫び、我に返ったギムリたちは必死でその場から飛び退いた。その次の瞬間に、巨大なレイピアの先端が地を打ち、墓石が粉々に吹き飛ばされる。

「あいつ、おれたちを殺す気だ!」

 確かめるまでもなかった。怨霊鬼の眼光は怒りと怨みで満ち、一人も逃がさないと輝いている。

 死ぬ、バケモノに殺される。軽口を叩いていた少年たちは恐怖で縮こまり、今にも泣き出しそうな有り様だ。

 だが、少年たちが恐怖に押し潰されそうになったとき、毅然とルイズの声が闇に響き渡った。

「杖を取りなさい、あんたたち! 仮にも騎士を名乗るなら、女王陛下のために命を捧げた誓いを最後まで果たしなさい。い、いくわよサイト! お化けでも妖怪でもかかってらっしゃい! わたしたちには、やらなきゃならないことがあるんだから」

 腰が引けているのを必死で奮い立たせてはいるが、ルイズの叱咤は皆に勇気と使命感を思い出させた。

 ギムリたちは杖を握り、才人もルイズを守りつつデルフを引き抜く。そしてルイズも杖を掲げて戦いのはじまりへと吠えた。

「お姉さま、お下がりください。トリステイン貴族、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール、参ります!」

 亡霊とはいえ相手は貴族。作法に乗っ取って名乗りをあげ、仲間たちも続く。

『エクスプロージョン!』

 さっそく、ルイズの得意の爆発魔法が飛んだ。怨霊鬼の頭部で爆発が起こり、兜が爆炎に包まれる。

「やったか?」

「さすがルイズ」

 歓声があがり、ルイズも唇を歪ませた。頭へのクリーンヒット、これは効いたはず。

 だが、カトレアの「油断してはいけません!」という声とともに、怨霊鬼は爆炎の中から何事もなかったかのような姿を現した。

 レイピアを振り上げ、ルイズを叩き潰そうと狙ってくる。愕然としているルイズを、才人が抱き抱えてかろうじてかわした。

「あぶないルイズ!」

「きゃあっ!」

 腕のなかで可愛らしい悲鳴をあげるルイズに才人は動悸を上げ、ルイズは才人の腕のなかで額を赤くした。

 エクスプロージョンが効かない!?  ならばと、ギムリたちはいっせいに魔法を放つ。

『エア・ハンマー!』

『ファイヤー・ボール』

『ジャベリン!』

 夜の闇を裂き、十数の魔法のつぶてが怨霊鬼へと撃ち上がった。

 今度こそ! しかしなんということか、魔法は炎の玉も氷の矢も、まるで雲に触れたように素通りしてしまったのである。

「魔法が当たらない!?」

 どういうことだ? さらに、ジルが狙いすませた矢を放つけれども、それも怨霊鬼の体を素通りしてしまった。

「あいつ、実体がないのか?」

「ひっ、ひえええ! やっぱり幽霊なんだよぉぉ!」

 だが、怨霊鬼の振り下ろしたレイピアは、そのまま地をえぐって石くれを撒き散らしてくる。

「畜生! 向こうの攻撃は通るのかよ。インチキだ!」

 どういう理屈かはともかく、怨霊鬼の攻撃は物理的にこちらにダメージを与えられるようであった。

 対してこちらはルイズの虚無の魔法でさえ通じない。相手が幽霊なのだから、普通の攻撃は通じなくても当然と言えばそうなのだが、あまりの理不尽さに才人はデルフに愚痴をこぼした。

「くそっ。おいデルフ、お前も剣に宿ったお化けみたいなもんだろ、なんとかしてくれよ」

「バーロー、それを言い出せば、お前らだって肉に宿ったお化けだろうに。あれはお前らの将来のお化けの先輩みたいなもんだろ、頑張って先輩に追いついてみやがれ」

 さすがはデルフ、毒舌も才人より一枚上手であった。

 才人は言い返す暇もなく、ルイズに向かって飛んできた石くれをはじいているけれど、ガンダールヴの力なしではいつまでも持たない。

 いや、それ以前に、本物の幽霊なんかどう倒せというのだ? 怪獣の中にはエンマーゴなど妖怪じみた奴はいるけれども、ちゃんと実体は持っていた。触れることもできないのでは打つ手がない。

 こうなったら、ウルトラマンAに変身して活路を開くべきかと、才人とルイズは視線を合わせた。やっと回復しかけたエネルギーをここで使ってしまえばまた後がきつくなるけれども……いや。

「サイト、苦しい相手だけど、まだやれる?」

「ちぇっ、まだおれたちはギリギリまで頑張ってないってんだろ? しょうがねえな、お前のお姉さんにいいところを見せようか」

 かなわないように見える相手でも、知恵と勇気を振り絞れば活路への扉が開く。先のアリンドウの戦いではそう教わった。カトレアは、そんなふうに励まし合う二人を見て、にこりと笑みを浮かべるのだった。

 幽霊に対抗するにはどうすれば? 塩でも撒くか? だが考えをまとめるよりも前に、怨霊鬼の口から唸るような呪文が唱えられたのだ。

「らぐ、ウォー……イサ、じゅーヌ」

 まさかこの怨霊は魔法まで使えるのか!? 才人たちの間に戦慄が走る。しかし、怨霊鬼はレイピアをそのまま一行の頭上に振り下ろしてきた。

「だああ! 普通に殴ってきやがったあ!」

「ありゃあ生前に使ってた呪文をただ繰り返してるだけだ。もうまともな理性なんか残ってないんだよ!」

 よく聞けば呪文のスペルは様々な系統の呪文がごっちゃになって、声色も呪文の節ごとに違う。複数の人間の怨霊が一体となっているために、本能にまかせて暴れるしかできないのだろう。

 けれど、怨霊鬼の口から漏れる恨み言は、一致していた。

 

「我らの主君は、オルレアン公こそ王にふさわしいのだ。侮辱する者は許さない、許さない」

 

 発する言葉はオルレアン公に関するものだけで、断片的な言葉から少しずつ事情がわかってきた。

「よっぽど臣下に慕われた君主だったのかね。臣下が死んでもここまで尽くしてくれるなんて」

「さあな、ガリアの騎士道なんて知らないよ。けど、王にふさわしかったとか、おいおい、おれたちひょっとしてとんでもない当たりを引いたんじゃないか?」

 追い詰められた状況でも軽口が出てくるのは、彼らの隊長の精神的汚染あってのものだろうか。もはや恒例と化してきている光景ではあるが、彼らが粘ったおかげで少しずつ情報が集まってきた。

 だが、それはそうとしてどうやって怨霊鬼を倒す? こちらの攻撃は通用しない。墓場から逃げ出せれば簡単なのだろうが、怨霊鬼が現れたときから墓場に結界のようなものが張られてしまったのか、墓場の外に出ようとすると押し返されてしまう。

 ルイズのテレポートでも全員は連れ出せない。このまま朝を待とうにも、まだ日付すら変わっていないのに無茶だ。

 幽霊を相手にするという非常識な出来事に、ルイズたちもなかなか打つ手が浮かんでこない。すると、苦悩するルイズたちを見て、カトレアがルイズにこうささやいた。

「ルイズ、ルイズ、力で征するだけが騎士の在りようではありませんよ」

「お姉さま、そんなこと言われたって。あの亡霊に交渉を持ちかけろとでも言われるのですか?」

「そうです、話し合ってみなさい」

「はえっ?」

 思わずルイズの口からすっとんきょうな声が出た。そんなバカなと話を聞いていた才人やギムリたちも思うが、カトレアは彼らを諭すように告げる。

「もとはと言えば、あなたたちが彼らの主君を侮辱したから怒らせてしまったのでしょう? 怒る正当な理由はあちらにあります。そういうとき、潔く謝罪するのが立派な騎士道ではありませんか?」

 う……と、調子に乗って無駄口を叩いていた少年たちは返す言葉に詰まった。

 しかし、正論で悪いとは思っても、彼ら水精霊騎士隊は誇り高さの反面、若さの悪癖として同じくプライドが悪い意味で高すぎるところがある。自分が悪くても、自分から謝ろうとするのは自分を許せなかった。

 そうしているうちにも怨霊鬼の攻撃は彼らの頭上に落ちてくる。そんな、ギムリたちが踏ん切れないなか、真っ先に頭を下げたのは才人だった。

「すみませんでした! 許してください!」

 深々と頭を下げ、大きな声で才人は謝った。この姿に、ルイズやギムリたちはあっけにとられたが、才人は頭を上げない。

「こいつらちょっとバカなだけで悪い奴らじゃないんです。おい、お前らも謝れって!」

「さ、サイト。ぼくらはトリステインの名誉を背負っているんだぜ。君には誇りはないのか?」

「下げたくねえ頭なら死んでも下げねえけど、下げなきゃいけない頭ならおれのでよければいくらでも下げるさ。使い魔が頭下げて主人が助かるなら安いもんだろ!」

 それは才人なりのプライドの発露だった。才人にだって譲れないラインはちゃんとある。けれど、それでルイズを救えるなら答えは決まっている。

 そして、そんな才人の覚悟の詰まった言葉は、怨霊鬼にも届いた。なんと、才人に向かってレイピアを向けていた怨霊鬼の動きが止まっていたのだ。

「マジか……は、話が通じるっていうのかよ」

 信じられないことだったが、本当に攻撃は止まっている。怨霊鬼の眼光はいまだ鋭く、レイピアは止まったままでいつでも振り下ろせる状態のままだが、暴れ狂い続けていた怨霊鬼が止まっているのだ。

 迷いが水精霊騎士の中に生じる。プライドを捨てるか否か、だが一番最初に小さなプライドを切り捨てたのは、意外にも一番プライドに固執しそうな者であった。

「ガリアの騎士よ、我々の非礼をお詫びします。どうか、お怒りをお静めください」

 なんとそれはルイズだった。貴族としての気品と礼節にそった上品なふるまいに、いつものルイズを知る者たちにも胸の高鳴りが走る。

 けれどルイズは感動の目を向けてくる才人に、照れながらいつものように言った。

「べ、べつに、あんたに合わせるわけじゃないんだからね。これはわたしの誇りの問題なんだから」

 それでも、あのルイズが自分から頭を下げるなんてよほどのことだ。しかし、やはりこの二人だけでは弱かったのか、怨霊鬼は唸り声をあげながらレイピアを振り下ろしてきた。

「いけない! 『クリエイト・ゴーレム』」

 頭を下げていた才人とルイズの反応が遅れていたところに、カトレアが作ったゴーレムの手が割り込んで二人をかっさらった。怨霊鬼はなおも呪詛の言葉を吐きながら、足元の人間たちを叩き潰そうとレイピアを振り上げてくる。

「砕かれた、ワレラノ夢。セモテモノ眠りであったのに! オノレ、忌まわしき無能王メ! カエセ! オルレアン公を返せ!」

 記憶が錯乱している!? このままでは、暴走が大きくなるばかりだ。カトレアのゴーレムの腕に抱かれながら、ルイズの目がギムリたちに走る。

”あんたたちはまだ煮え切らないの?”

 しかも、怨念の力が周囲の関係ない悪霊をも活発化させているのか、邪悪なオーラが周囲に渦巻き、魔法の力までもが弱まり始めた。

「ゴーレムを、維持できないっ」

 カトレアほどの力の持ち主であっても、何百何千という悪霊の力には抗いがたく、ゴーレムがぼろぼろと土くれに戻っていく。才人とルイズはなんとか逃げ出せたが、もう魔法で反撃することも不可能だ。

 そしてなんということか、怨霊鬼は怒りのままに、カトレアに向かって手を伸ばしてきたのである。

「お姉さま!」

「危ない!」

 ルイズが悲鳴をあげ、ジルがカトレアをかばおうと割って入った。だが、怨霊鬼の手はジルの矢も体を張った盾も煙のようにすり抜けると、むんずとカトレアの体をわしづかみにして持ち上げてしまったのだ。

「ああっ!?」

 魔法が使えなければカトレアはただの人間だ。戦いの経験はあっても、彼女の生まれついてのふくよかな体は戦いのダメージに耐えるようには向いていない。体を締め付けられて、カトレアの口から苦悶の声が漏れる。

「うああっ!」

「お姉さま! やめて! あなたたちそれでも貴族だったの? 貴族は、決して卑劣に手を染めないから貴族と名乗れるんじゃないの?」

 ルイズの叫びが響き、怨霊鬼がびくりとする。だが手を離してくれる様子はない。さらに、怨霊鬼は今度はルイズに手を伸ばしてつかみ上げてしまった。

「きゃあっ、サイトぉ!」

「ルイズ!? ちきしょお、その手を離しやがれえ!」

 激怒した才人は怨霊鬼の足に斬りつけるも、怨霊鬼の体はデルフさえ素通りしてしまってまるで効果がない。

 これではウルトラマンAへの変身も不可能だ。手が届かず歯噛みする才人の見上げる前で、怨霊鬼はルイズに呪詛を吐いていく。

「ワレラガ卑劣? 違う、これはガリアをヨイ国ニスルタめに必要なのだ。我らは悪くナイ! ワルクない!」

「な、なにを言っているの?」

「我らの誇りを汚したのはオマエタチ、死ね! まずは邪魔なお前たちからつぶれろ」

「ぐぅあぁっ! わ、わたしは負けないわ。死んでもわたしの誇りは曲げない。女王陛下と祖国のために己を捨てても尽くすのが、わたしの信じるトリステイン貴族なのよ! だからお願い、あなたたちにも貴族の誇りが残っているなら、わたしたちの言葉を聞いて!」

 毅然とした姿をあくまで崩さず、ルイズは吠えた。

 そして、ルイズのプライドを殺して頭を下げ、それでいて誇りを捨てていない光景に、ギムリたちもついに決意した。

「ギーシュ隊長、これは決してトリステイン貴族の名を汚す行為ではないと信じます。す、すいませんでしたぁ!」

「すいませんでした! 悪口言ったりして、ごめんなさい!」

「おれたちが悪かったです。だから、その二人だけは助けてください! お願いします」

 口々に、軽はずみな侮辱を述べたことへの謝罪が口を出る。その悲鳴にも近い声が届いたのか、怨霊鬼の動きが鈍くなっていく。

 聞こえているのか? これで、やっと……。

 怨霊鬼の骸骨の目の光から狂気が薄まり、ルイズとカトレアを締め付ける力が弱くなっていく。

 しかし、甘かった。怨霊鬼はおとなしくなったと思った瞬間、またも雄叫びをあげて暴れ始めたのだ。

「ぐぅおおお! おがあぁぁぁ!」

 自分たちのものであるはずの墓石さえ踏み潰して荒れ狂っている。ギムリたちも闘牛場に転がり落ちた観客のように逃げまどい、もうなにがどうするとかいうレベルではない。

 せっかくうまくいきかけていたのに? 才人は逃げ回りながらデルフに問いかけた。

「おい、どうなってんだよデルフ? 謝って許してくれそうだったじゃねえか」

「ありゃあ、時間をかけすぎちまったようだな。墓場中の関係ない霊まで集まってきて暴走してやがる」

「なんだって! じょ、冗談じゃねえぞ。こんなの、いったいどうしろっていうんだよ」

 荒れ狂う無数の悪霊の渦。こんなもの、ウルトラマンでさえどうにかできる次元の話ではない。

 気を抜くと、無数の人魂として辺りを飛び交う悪霊たちに取りつかれてしまいそうだ。ギムリたちは、もっと早く謝っておけばよかったと後悔したが、もうどうすることもできない。

 このまま悪霊にとり殺され、墓場を舞う怨霊の仲間入りをすることになるのだろうか? ルイズやジルも強い精神力で耐えているが、長くは持ちそうもない。

 悪霊の邪悪なオーラにあてられて、次第に気が遠くなっていく。皆が倒れていくなか、カトレアは祈るように呟いた。

「始祖ブリミルよ、未来ある子供たちをお守りください。そして、怒れる先人の方々よ。どうか、この私の魂で彼らを許したまえ……」

 自らの命と引き換えに、カトレアはルイズたちの助命を願い出た。だが、錯乱する怨霊鬼には届かない。

 それでもカトレアは祈った。そして、カトレアがまさに握りつぶされようとしたとき、突然カトレアの体がまばゆく光輝き始めたのだ。

「ぎゃあおぉっ!?」

 墓場を照らし出す神々しい光に、怨霊鬼がひるんで悲鳴をあげる。

 なんだ? なにが一体? 悪霊にとり殺されかけていた才人たちも、カトレアから湧き出す光で悪霊たちが吹き飛ばされ、我に返ってカトレアを見上げた。

「ちぃねえさま……? この光、とっても暖かい」

 ルイズは怨霊鬼の手からこぼれ落ち、才人が寸前でキャッチした。

 カトレアは祈りながら、不思議な光を放ち続けている。その輝く姿は天使……もしくは女神。

「この……光は?」

 カトレア自身にも、溢れる光がなんなのかはわからない。しかし、なぜかとても懐かしいような感じがする。

 そして、輝きの中からカトレアを守るようにして、一羽の巨大な鳥が姿を現したのだ。

「あの鳥! いや、怪獣はまさか!」

 才人は驚いた。カトレアの光の中から現れたその鳥は才人も知っている。かつて地球にも現れ、人々を守るために戦ったという怪獣頻出期最初期の怪獣。

 カトレアは涙を浮かべた顔でその鳥怪獣を見ていた。なぜなら、それはカトレアにとって忘れることのできないあの。

「リトラ……」

 そう、かつてフォンティーヌ領でカトレアといっしょに過ごしながら、凶悪怪獣ギャビッシュからカトレアを守って散った、あのリトラだったのだ。

 リトラは火の鳥のように輝きながら、カトレアをゆっくりと地上に下ろすと、その全身から光を放った。その輝きはまるで昼間のようで、傍若無人を誇った悪霊たちが溶けるように消えていく。

「お、おおぉぉっ!」

 怨霊鬼もまた、光を受けて溜め込んだ怨念を浄化されていった。

 そう、怨霊に対して現世の力は通じなくとも、同じ霊魂の力ならば効く。そしてリトラはひときわまばゆい光を放っていななくと、不死鳥のように輝く全身で怨霊鬼に正面から突っ込んだのである!

「ヌグワアァッ!」

 リトラの光の特攻を受けて、怨霊鬼の騎士の鎧のどてっぱらに風穴が空けられた。

 こうなってはさしもの怨霊の集合体もたまらない。バラバラの人魂に戻って、飛び散って消えていく。

 そしてリトラはカトレアの頭上でくるりと旋回すると、懐かしそうに一声鳴いてから空へと昇って行った。輝く翼から光がこぼれ、濁っていた夜空を晴らしながら天へと消えていく。カトレアはその後ろ姿を見送りながら、感極まっていた。

「あなたはあのときからも、ずっと私を守っていてくれていたのですね……」

 リトラが成仏し、天に帰っていく。それは、カトレアにはもう共に歩める仲間がいることに安心して、役目を終えたかのように穏やかで幸せそうな羽ばたきだったように、ルイズたちにも見えたという。

 すべては幻だったかのように怨霊鬼の悪夢は消え、不名誉墓地に静寂が戻った。

「みんな、無事か?」

 才人が尋ねると、ギムリたちも皆、悪夢から覚めたように集まってきた。どうやら幸い、呪われたりした者はいないようだ。

 ルイズは、リトラの消えた空をじっと見上げ続けているカトレアに歩み寄って話しかけた。

「ち……カトレアお姉さま」

「ルイズ、私は大丈夫、ええ、大丈夫よ」

 涙をぬぐって、カトレアは凛として答えた。ルイズはそんな姉の表情を見て、なにがあったのか聞くのをやめた。肉親といえど、無遠慮に踏み込むのは野暮でしかない。

 リトラのおかげで怨霊は飛び散り、墓場を囲っていた結界も消えたようだ。これで先へ進める。しかし、あの怨霊鬼の言っていたことは……ギムリは隊長代理として、頭をひねって考えた。

「どうやら、オルレアン公という人物が鍵みたいだな。だけどいったい……」

 と、そこまで言ったときだった。完全に散ったと思っていた人魂のひとつがまた現れて、わっと驚く一同の前で止まると、人魂が揺らめいて、半透明の初老の貴族の姿が現れた。

「ありがとうございます、勇敢な少年たちよ」

「わっ、お化け!」

 一同は驚いて身構えた。しかし、貴族の幽霊からは敵意はなく、杖を下ろした彼らを前に、彼は穏やかに話し始めた。

「ありがとうございます。怨霊の塊となってしまい身動きがとれなかったところ、あなたがたのおかげで解放されることができました。慎んで、お礼申し上げます」

「あ、いや、それは元はおれたちが……」

 気まずくなったギムリたちは言葉を濁らせた。しかし、ルイズは貴族の幽霊の前に歩み出すと、毅然とした態度で尋ねた。

「礼をしてくれるというなら教えてほしいの。今、ガリア王国はトリステインに攻めこんで戦争になっているわ。しかも、ガリア王の後ろには人間とは思えない何者かが糸を引いているの。このガリアで、なにが起こっているのか知っているなら教えて!」

 すると、貴族の幽霊は悔しげにうなずいて答えた。

「そうですか、あの愚か者め、とうとう……お教えしましょう。事のはじまりはかつてこの国の前王が亡くなられたときのことです。当時、王位継承候補は二人おりました。二人の兄弟、兄のジョゼフと弟のオルレアン公シャルル……我々は、オルレアン公に仕えていた者だったのですが……」

 幽霊から、ルイズたちはかつてのガリアで起きた血みどろの王位継承争いのことを聞いた。

 当時、次期国王は優秀で人望があったオルレアン公だと誰もが思っていた。しかしオルレアン公は謀殺され、ジョゼフが王位についた。その結果……。

「我々、オルレアン派の重鎮は粛清の憂き目に会い、公と同じこの不名誉墓地に葬られました。おのれ、あの無能者め……ですが、せめて眠りだけは安らかにあろうとしていた我らのもとに、きゃつらが現れたのです」

「奴ら?」

「奇っ怪な連中じゃった。そいつらは突然やってくると、オルレアン公の棺を掘り出して持ち去っていったのじゃ。わしらは抵抗しようとしたが、強い魔除けの護封印を持ったあやつらには手が出せず、見送るしかできなかった……」

「それで、そいつらはどこへ行ったの? ほかに何か言ってなかった?」

「そやつらが何者かはわからぬ。だが、率いていた女はジョゼフのもとへと運ぶと言うておった。異国の人よ、恥を忍んでお頼み申す。我らは魂をこの地に縛られて動けぬ身。あの愚か者ジョゼフは必ずやよからぬことを企んでおります。どうか、どうか我らの主を取り返してくだされ」

 幽霊の貴族は頭を下げて頼み込み、ルイズはギムリに目配せすると、彼に力強く答えた。

「わかったわ。わたしたちはあくまでトリステインのためにジョゼフ王を止めに行くけれど、あなたたちの見せてくれた忠義に、貴族としてできる限り応えてあげる」

「おお、おお、あなたがたに始祖ブリミルのご加護があらんことを」

 貴族の幽霊は安堵したのか、少しずつ消え始めた。だが消え行く彼に、カトレアが前に出て、もうひとつ質問をした。

「お待ちを、さきほどのあなた方は、少し気になることも言っておりましたわね。自分たちは悪くない、と、もしかしてあなた方も?」

「……申し訳ありませんが、それは我らの主君の名誉のために答えられませぬ。ですが、我らの主君オルレアン公は、ガリアの国の行く末を心から案じていた善き方だったのは間違いありません。そして、いくら怨もうとも、もはや我らはこの世にあらざる者……せめて、安らかな眠りだけが望みであります。どうか、どうか」

 彼の姿はゆっくりと消えていく。ルイズたちは彼が消えていくのをじっと見つめていたが、ギムリが思いきったように飛び出した。

「あ、あの。さっきはおれたち、あなたたちの主君を悪く言ってすみませんでした。貴族としてあるまじき醜態です。どうか、許してください!」

 オルレアン公の悪口を並べていた他の少年たちも、ギムリに並んで口々に謝罪し、頭を下げた。

 彼はそんな少年たちの姿を見回すと、ふっと微笑んで最後にこう告げていった。

「もう、いいのですよ。あなたがたは己の過ちを悔いて、それを形にした。私たちはそれで満足です。人は誰しも過ちを犯すもの……ですが、過ちを認めてそれを正すということの、なんと難しいことでしょう。その気持ち、ゆめゆめ忘れなきよう……さもなければ、いずれ我々のように……」

 彼の姿は消え去り、今度こそ墓場に静けさが戻った。

 顔を見合わせる一同。完全ではないが、いろいろなことがわかった。

 ガリア王国の王の名はジョゼフ。かつて弟を謀殺して王位を奪ったろくでもない奴で、今度はその弟を利用してなにかを企んでいる。

 それがトリステインに戦争を仕掛けるのと、どういう関係があるのかはまだわからないが、どうせまともな神経で思いつくようなことではあるまい。しかし、これでジョゼフのもくろみを潰せるかもしれない可能性が生まれた。才人が視線で促すと、ギムリが隊長代理として、ギーシュを真似たしぐさで皆に宣言した。

「諸君! ぼくたちの目的は決まった。ガリア王ジョゼフの野望を砕くために、奪われたオルレアン公の棺を奪還する。困難な道だが、行こう、奪われた棺のあるリュティスへ!」

「おおっ!」

 皆は杖や剣をいっせいに掲げ、決意を固めあった。

 自分で殺した弟の遺体を使って悪事を目論む、顔も見たことはないが、ガリア王ジョゼフへの怒りが皆の心にふつふつと沸き上がってくる。

 必ず野望を砕いてやる。そして、才人は月を見上げて、別行動をとっているはずの銃士隊の皆のことを思った。

「ミシェルさん、無事だといいけど……」

 あの人に限って万一の事はないとは思うが、やはり心配でしかたない。けれど才人は不安を振り払うと、おれたちよりずっと強くて頭もいい人たちなんだからきっと大丈夫、おれたちはおれたちのできることをしようと自分に言い聞かせた。

 

 更けていく夜道を、一行はリュティスに向けて歩み始めた。夜空だけはいつもと変わらない美しい姿を見せて、彼らを見守っている。

 しかし、変わらなく輝き続けているように見える月の影から、得体のしれないなにものかが近づいてきていることを、まだハルケギニアの誰も知らない。

 

 

 続く



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第14話  ウルトラ丁半三本勝負!(前編)

 第14話

 ウルトラ丁半三本勝負!(前編)

 

 反重力宇宙人 ゴドラ星人 登場!

 

 

 カトレアとジルの助けを受けて、ガリアへと入った才人たち一行。

 一方その頃、別ルートでガリアを目指していたミシェルたち銃士隊もガリア軍に迫られていたが、エレオノールに助けられて無事ガリア潜入に成功していた。

「先ほどは助かりました、ミス・エレオノール。あなたが来てくれなかったら、流血沙汰は避けられませんでした」

「まったく、銃士隊は諜報のエキスパートだと聞いていたから追いつけないんじゃないかと心配していたけど、とんだ見込み違いだったわね。オンディーなんとかっていうバカたちの影響受けてるんじゃないの?」

「面目ない」

 早くもエレオノールからの辛口の批評を受けながらも、銃士隊一行は国境の危険地域を抜けてガリア領内へと入ることができた。

 ガリアに入ってからも街道は軍隊によってあちこちの関所で閉鎖されており、足止めを食らっている商人の隊列に、この戦争がガリア王国にとっても突然のことであることが察せられた。

 本来であれば、厳重に閉鎖されている表街道は避けて、回り道をしてリュティスに向かう算段であった。だが、エレオノールのおかげで驚いたことに関所を正面から通り抜けることができた。

「海警大臣ラキニッツ侯爵の家の者よ。公務につき通してもらうわね」

「こ、これは確かに侯爵の紋章。はっ、お通りくださいませ」

 役人の横を衛兵に敬礼をさせて堂々と、エレオノールを先頭に銃士隊は通り抜けていった。

 しかし、もちろん普通ならこんな簡単にいくはずがない。するとエレオノールは、不愉快な表情をしながらタネ明かしをしてくれた。

「おととしに、ラキニッツ侯爵のご子息とお見合いをしたときに、なにを慌てたのか家紋章を忘れていってしまったのよ」

 そういうわけであった。貴族の身分証は普通ならば偽造が効くようなものではないので、ミシェルもその手を使うことはあきらめていたのだが、本物があるのならば話は別だ。

 ただ、だからこそ貴族にとって身分証は大事なもののはずなのだけれど、そんなものを忘れていくものか? 忘れたとしてもすぐに取り返しに来るだろうに。と、ミシェルは思ったが、尋ねるのはやめておいた。

「ほんとに、なにが怖くて「ヴァリエール家には二度と近づきたくない」なのかしらねぇ。ほほほほほ」

 一日にも満たない付き合いで、王立魔法アカデミー主席研究員エレオノール女史がどういう人物なのかを嫌というほど理解した銃士隊の面々であった。

 

 こうして関所を堂々と越え、エレオノールと銃士隊一行は恐ろしいほどあっけなくリュティスに到着した。

「まさか一日で来れるとは。こんなことならサイトたちと別行動をとるのではなかったかもな」

 拍子抜けする思いでミシェルはつぶやいた。案ずるよりなんとかという言葉があるが、それにしてもイージーすぎる。ミシェルの部下の銃士隊員たちも、死ぬ覚悟で来たのにと気が抜けたような顔をしているが、本番はこれからだった。

「それで、これからどうするつもりなの?」

「ガリアの闇ルートにいくつかのあてがある。そこから探りを入れてみるつもりだが、一時にせよどこかに拠点が必要だな」

 エレオノールに尋ねられて、ミシェルはこれからの計画を答えた。アニエスにせよミシェルにせよ、元々は明るくない世界の出身、その彼女たちの元で訓練を積んできた銃士隊員たちも、裏社会には精通している。だがその前に拠点代わりの宿を探そうというミシェルに、エレオノールはなるほどねというふうにうなづいた。

「やっぱりね。あらかじめこっちに手紙を飛ばしておいてよかったわ。隠れ家にできる場所なら手配してあるから、ついてきなさい」

 そう言ってエレオノールはどんどんとリュティスの町を勝手知ったるとばかりに歩いていく。ミシェルたちは怪訝に思ったが、戦時となって混乱し、まともに宿屋も開いていないリュティスでどうやって宿をとるつもりかと、興味ありげについていった。

 そして、着いた場所は人気も色気もない住宅街。ただし平民が住むようなところではなく、上でも下でもない中途半端な身分の貴族が住んでいるような場所の中に、これまた中途半端な古さの三階建ての集合住宅が建っていた。そして、その門の前に黒髪を伸ばしてメガネをかけた妙齢の女性がそわそわしながら待っていたのだ。

「あっ、エレオノール! ようやく来たのね」

「待たせたわねヴァレリー。手紙がちゃんと届いていたようでよかったわ」

「なに言ってるのよエレオノール。急に戦争なんかが始まっちゃって、こっちはトリステインに帰れなくなって気が気じゃないってときに、あなたのほうからこっちに来るなんてどういうつもりなの?」

「まあまあ、あなたがガリアのアカデミーに出張に出ていてこっちは助かったのよ。おかげで、誰も普段は入りたがらないこの出張官舎を誰にも怪しまれずに使えるわけなんだから」

 そういうことだったのかとミシェルたちも納得した。エレオノールはアカデミーの同僚がガリアにたまたま居ることを思い出して利用したというわけか、さすが抜け目がない。あのヴァレリーという研究員には迷惑千万な話かもしれないが、ここは利用させてもらおう。

「申し訳ない、ミス・ヴァレリー。女王陛下直属銃士隊の者です。女王陛下の勅命により、不本意と思いますが協力をお願いしたい」

「は? 銃士隊? エレオノール、あなたどんなやっかいごとを持ち込んで来てくれたのよ。ああもう、私は一介の学者に過ぎないのよ」

「怪獣を丸焼きにした武勇伝を誇らしげに語ってた人が何を言うの? ほら、立ち話もなんだから入って入って」

 同僚の抗議に耳も貸さず、エレオノールは無遠慮に官舎に入っていった。それに続いてミシェルたちも「お邪魔しまーす」と、才人を真似た態度で入っていく。

 ヴァレリーはまだ何かを言いたい様子であったが、ついにあきらめたように肩を落としてつぶやいた。

「ほんとに、エレオノールと関わるとろくなことがないわ。昔から……わっ、きゃあ!」

 いきなり後ろからワンワンという鳴き声が響いてきて、振り向くと野良犬がヴァレリーに向かってけたたましく吠えていた。

 ヴァレリーは、ほんとにろくなことがないわ……と、逃げるように官舎の中へ入っていったのだった。

 

 アカデミーの官舎の中は、簡易の研究室のようにもなっていて、水のメイジであるヴァレリーの部屋にもフラスコや試験管などのポーションの実験装置が並べられていた。

「もう一度単刀直入に申しましょう。トリステインの興亡がかかっています。ミス・ヴァレリー、ご不満はあると思いますが、協力を願います」

 薬品の香りで鼻が曲がりそうな部屋の中で、ミシェルはヴァレリーに要請した。ヴァレリーはそれでも、自分の分野じゃないと拒絶していたが、エレオノールに、トリステインが無くなったらアカデミーも無くなるんだから力を貸しなさいと強引に説得されて、しぶしぶ協力することを了承してくれた。

「ほんとにもう、ただし荒事だけは勘弁してね。私は武闘派のヴァリエールと違って争いは苦手なんだから」

「ヤバいポーションを作らせたらアカデミー一番の問題児がよく言うわよ。ともかく、まずはあなたの知ってる限りでいいから、今のガリアのことを教えて。トリステインからじゃほとんどわからないのよ」

「そうは言ってもね。私だって、まだなにがなにやらわからないことだらけなんだから。これ見てよ」

 そう困ったように言ってヴァレリーが差し出したのは、昨日の日付の新聞の束だった。見出しには、『突然の開戦! リュティスは大混乱』『両用艦隊で反乱か』『見た! 王国中枢にゲルマニアの陰謀の影』など、一般紙からゴシップまで情報が錯綜しているようであった。

「こっちのアカデミーもいきなり研究員を軍隊に取られたりで、大混乱で無期限休止になってるわ。っていうか、トリステイン人の私が拘束もされてないことで、こっちのパニックぶりもわかるでしょ?」

 ヴァレリーの言うには、ガリアのアカデミーの評議会には、王政府にパイプを持っている者もいたそうだが、トリステイン侵攻はみんな寝耳に水だったという。

 それらを聞いて、エレオノールは眼鏡を押し上げながら呟いた。

「やっぱり、前々から厳重に秘匿されて開始された軍事行動だったみたいね。これだけ誰にも気づかれずに行動を起こしてるなら、ガリア王のトリックをあばくのは難しいかもね」

「いや、そうとばかりも言えないかもしれんぞ」

 と、割り込んできたのはミシェルだった。彼女はエレオノールの言う通りだと前置きした上で、こう続けた。

「どんなに隠したとしても、何万という人間が使う物資や食料がなにもないところから出てくるなんてことはない。話によると、戦争が始まる直前に物資が徴用されたそうだが、軍隊が使う専用の備品はもっと前から動かしているはずだ。恐らくは裏ルートでな。そこで相当な金も動いているだろうから、元締めを叩けばかなりの情報が引き出せるだろう」

 元はリッシュモンの下で汚れ仕事をしていただけに、ミシェルはそういう事柄には詳しかった。物の動くところには必ず金も動いている。

 主要な軍需物資が裏ルートからなら、そこを叩けばガリア軍の動きを抑制できるかもしれない。そこまでいかなくても、物資の調達役や、その金の出所など、握ればトリステインを救えるかもしれない情報はいくらでも思いつく。

 ただし、時間はない。ミシェルはそれを「今日中に」と、付け加えて皆を驚かせた。

「ちょっとあなた、正気? リュティスといっても広いのよ。その中から、裏ルートの元締めを探し出して締め上げるって言うの? もうとっくに昼過ぎよ」

「のんびりやってる時間はない。それに、探し歩くような面倒はいらないよ。ミス・ヴァレリー、あなたなら知ってるんじゃないですか? アカデミーの理事たちがリュティスに出張にきたら、必ずどこに出かけていくのか」

 ミシェルに冷たい視線を向けられて、ヴァレリーは背筋を凍らせた。どうしてそのことを? と、震えながら聞き返すが、ミシェルは、大魚を釣り上げるときのために小魚を泳がせているだけですよ、と冷たく答えた。

 エレオノールは意味がわからないでいたが、ミシェルに視線でうながされたヴァレリーは、ため息をつくと仕方なげに話した。

「エレオノールは真面目だからみんな誘わなかったけど、アカデミーには暗黙の了解がひとつあるのよ。万年金欠のうちが、どうしてここへの出張費用だけ気前よく出していたと思うの?」

 そこまで言われてもエレオノールは、「?」というふうな顔をしていたが、説明している時間も惜しいために、すぐに出かけることになった。

「ミス・ヴァレリー、道案内を頼む」

「はあ、これで上に睨まれたら、うちのところの予算を削られちゃうかなあ。とほほ」

 ヴァレリーは乗り気ではなかったが、今さら抜けられるわけもないので仕方なくミシェルたちを案内することにした。

 向かう場所に合わせて、今度は全員寄宿舎にあった貴族用の外行き衣装を拝借。万一にも怪しまれないために、念入りに外の様子を確認してから門を出たけれど、またも出たところで野良犬に吠えられてしまってヴァレリーは悲嘆で涙を浮かべた。

「もう、ガリアの犬は下品なんだから! エレオノールのせいで今日は厄日だわ!」

 たまらず怒鳴ったヴァレリーであったが、その『厄日』……それが始まったばかりであることを、彼女はまだ知らない。

 

 そうして一行は、ヴァレリーに案内されるままに、リュティスの繁華街へとやって来た。途中、なかば暴徒と化した市民を避けつつ、宮殿のほうをうかがってみたものの、宮殿の周りには市民やら軍隊やらが行き交っていてとても近寄れた雰囲気ではない。

 当然、繁華街の店店も固く戸を閉ざしていたが、その中でヴァレリーは一件の宝石店の前へと一行を案内した。

「ここよ、でも閉まっているみたいだけど……」

「なに、大方の見当はついているさ。こっちだ、着いてこい」

 もしや店の戸を蹴破るつもりかと冷や冷やしていたヴァレリーは、平然と踵を返したミシェルに慌てて着いていった。ミシェルはまるで勝手を知っているかのように裏通りに足を踏み入れ、一行の姿は建物の隙間の闇の中へと消えていった。

 

 リュティスは広い。しかし、その暗がりの世界に巣食う者たちにとっては狭い。

 先の宝石店の地下。そこには高級ホテルをそのまま沈めたような広大な空間が張り巡らされており、その特に広く、贅を尽くした一室で、数人の男たちがせわしなく金品を袋詰めしていた。

「急げ、持っていける限りのものを詰め込むのじゃ。もう時間がないぞ」

「ですが旦那様、本当にここをお捨てになられるのですか? せっかくここまで……」

「構わぬ! もうじき王国はひっくり返る。そうなったとき、血迷った客どもがここに押し掛けてきてからでは遅い。くそっ、あやつらめ……こんなに早く行動を起こすとは」

 主人と見える40くらいの恰幅のよい男が、使用人たちに命じて急がせていた。すでに並べられた袋には現金や宝石、そのほかの金品が詰め込まれており、その総額は軽く城が建つほどのように見受けられた。

 しかし、彼らの逃亡計画はあと少しというところで中断を余儀なくされた。突然、部屋の外からドタバタと争う音が聞こえてきたかと思うと、ドアが乱暴に蹴破られたのだ。

「なにごとだ!」

「だっ、旦那様、侵入者……ぶべらっ!」

「久しぶりだな、ギルモア」

 手下を足蹴にして無礼に入り込んできたその青髪の女に、ギルモアと呼ばれた中年の男は口元をひきつらせた。

「ミシェル……貴様、生きていたのか。このリッシュモンの腰巾着め」

「懐かしい呼ばれかただ。貴様こそ、ケチな薬の売人だったくせに偉くなったものだな。だが、低くて狭いところが好きなところは変わらんようだな、ギルモア」

 侮蔑を隠そうともしないミシェルと、憎しみを思い切り向けてくるギルモアと呼ばれた男の間に火花が散った。

 ギルモアの周りには使用人たちがナイフを手に護衛の姿勢をとり、対してミシェルの周りにも銃士隊員たちが構えをとりながらささやいた。

「副長、この男と知り合いなのですか?」

「昔、ちょっとな。だが、金に目ざといしかとりえのない小悪党だが利用のしがいはある。まあ見てみろ、ここでどれだけの貴族から金を巻き上げてきたことか」

 促されて室内を見回すと、散らかってはいるがカードやルーレットの台、それに使うチップやコインが落ちており、ここまで来れば鈍いエレオノールでもここが何なのか理解することができた。

「地下カジノね」

「ああ、どこでも金と暇をもて余した連中が流れ着くのはギャンブルと相場が決まっている。そういう奴らが世間体を守って遊び狂えるところを作れば、カモはいくらでもやってくるさ」

 ミシェルが吐き捨てると、エレオノールも嫌な顔をした。ただでさえ少ないアカデミーの予算が、評議会のヒヒジジイどもの遊び金として使われていたわけだ。

 けれど、今はそれは置いておくべきだ。ミシェルはギルモアを睨み付けながら、不遜な態度で切り出した。

「さて、わたしたちは別に遊びに来たわけじゃない。ギルモア、貴様にはいろいろと貸しがあったな。この機会に返してもらおうか」

「なんだ、金か?」

「貴様のように金の風呂に入る趣味はないよ。ここにはガリア中の富の数割が集まっていただろう? なら、情報も同じくらい集まる……そして、欲深いお前がカジノの稼ぎだけで満足するはずがない」

「な、何が言いたい?」

「この戦争、貴様も支度に一枚噛んでいたのだろう? 吐いてもらおうか、貴様がここの有り余る金を使って買いあさった物資を軍の誰に売ったのかを」

「貴様、女王の犬になったか!」

 ギルモアは悲鳴のように叫びながら懐から小型拳銃を取り出そうとしたが、早撃ちでミシェルに勝てるわけがない。ギルモアが狙いをつけるよりはるかに速く、ミシェルが隠し持っていた拳銃が火を噴いてギルモアの手から銃を弾き飛ばしていた。

「無駄な抵抗はやめろ。次は貴様の手のひらに風穴を空ける」

「く、わしがそう易々と口を割ると思うのか」

「お前の意思に関わらずに口を割らせる方法なんていくらでもある。久々に見るのも悪くないかもなあ、昔のお前の得意技は額が擦り切れるほどの土下座だったよな?」

 頬を歪めて思いっきりガラが悪く挑発するミシェルに、ギルモアたちは気圧され、ミシェルの部下の銃士隊員たちも若干引いていた。

「ふ、副長、ちょっと怖いです」

「ドブネズミにはドブネズミなりのしつけ方があるんだよ。覚えておくことね、ここの業界用語では「こんにちは」はこういう風に言うのよ」

 迫力満点に告げるミシェルに、まだ銃士隊に入って日の浅いその隊員は身震いしながらうなずいた。

 さすが、普段はクールだが、その気になると名にしおう銃士隊の副長の名は伊達じゃない。新人隊員はそう思って戦慄し、古参の隊員は、本当は尽くすタイプなんだけど気に入らない男にはキツいのよねと、反対の感想を抱くのだった。もっとも、副長が気に入る男なんてほんのわずかなんだけれども。

 ミシェル率いる銃士隊は、無駄話は終わりだと、ずかずかとギルモアへ迫っていった。カジノの警備程度の相手など銃士隊の敵ではなく、エレオノールやヴァレリーは荒事は任せるというふうに後ろで見物している。

 しかし、簡単にギルモアを捕らえることができると思ったとき、ギルモアの配下たちの中からウェイター風の優男がギルモアをかばって立ちふさがった。

「旦那様に手出しはさせません」

 ナイフを手に立ちふさがる優男を前に、ミシェルは足を止めた。

 できる……平民のようだが、かなりの場数を踏んでいる気配を漂わせている。ミシェルは、戦ったら勝てるとは思ったが、それが確実ではないとも見た。自分も含めて、いわゆるメイジ殺しといわれる人間は、自分よりはるかに格上のメイジを仕留めるための『何か』を隠し持っているものだ。

「ドブネズミにはもったいない忠犬だな」

 ミシェルは相手の実力を正当に評価した。確かに腕は立つようだが、しょせんは一人、ほかの使用人たちには戦える者はいないようで、十数人の銃士隊の敵ではない。

 となれば、残った手段はギルモアを連れて逃亡するのみ。が、そんなことをミシェルは許すつもりはなく、メイジ殺し相手に殺さずに寸止めなんていう危険なことをするつもりはない。

 じりじりと、互いの隙をうかがいあう。一触即発、先に動くのはどちらか?

 だが、緊張が決壊する寸前に、部屋の中に調子っぱずれな声が響いた。

「あらなんてことでしょう! わたくしのカジノに田舎くさいおイモがこんなに! 貧乏ですわ、貧乏のにおいがいたしますわ!」

 驚いてそちらを振り向くと、いつの間にかそこには体のラインを強調するドレスを着た薄いクリーム色の髪の女が高飛車な笑いをしながら立っていた。

 誰だ? するとギルモアが顔を真っ青にして、その女の足元に膝まずいた。

「こ、これは姉さん、いつ戻ってらしたのですか?」

「そんなことはよろしくてよ。それよりあなた、わたくしの大切なカジノを放り出して逃げようとしていましたわね。誰のおかげで今日まで当局の網にもかからずに、安心してお金もうけができたと思っていますの?」

「い、いえ、私はこのままではあなた様のカジノが危ないと、一時的に引き払おうとしていただけで」

「言い訳はけっこうですわ」

 その女は冷たく言い捨てると、指をパチンと鳴らした。すると、ギルモアの頭上から突然透明な円筒形のカプセルが落ちてきて、ギルモアをすぼんと閉じ込めてしまったのである。

「!!」

「ほほほ、なーんにも聞こえませんわ。その中にいれば、あなたのダミ声も届かなくてよ。いい気味ですわ」

 カプセルの中ではギルモアが必死に暴れているが、カプセルはびくともしていない。先の使用人たちが外から開けようとしても、カプセルはナイフでも傷ひとつついてはいなかった。

 だが、ギルモアをこのまま連れていかれるわけにはいかない。ミシェルは高笑いをしている女に、威圧を込めて呼びかけた。

「待て、貴様がこのカジノの本当の主か?」

「あら? これは貧乏くさい方々、まだいらしたのですか?」

「答えろ、そのギルモアというドブネズミのボスは貴様かと言っているんだ」

 ミシェルの問いかけの迫力は、気の弱い男なら震え出しそうなものだった。しかし女は高飛車な態度を崩さずに、ギルモアが閉じ込められているカプセルに手を置きながら答えた。

「ボス? ご冗談を。私はこのドブネズミからこのカジノを譲り受けるために、ちょっと手を貸していただけですわ。あなた方はこいつにお金でも借りにいらしたのかしら?」

「それこそ冗談だ。このカジノの所有権がどうなろうが我々には関係ないが、そいつにはまだ聞きたいことがある。それともお前に聞いてもいいんだがな」

「あら、わたくし貧乏なお方とお付き合いする趣味はなくってよ。でもそうですわね。カジノらしく、わたくしと勝負して勝ったらあなたの言うことを聞いてあげてもよくってよ」

 その女は不敵に笑うと、そばのカードの卓を指差した。

 だが、もちろん時間がおしているミシェルたちに勝負に乗るメリットはない。

「ふざけるな、金持ちの道楽に付き合うつもりはない。貴様が笑った通り、こちらは貧乏人の流儀で行かせてもらうぞ」

「あら、乱暴はよくなくってよ」

 女がそう言った瞬間だった。身構えていた銃士隊員数人の頭上からもカプセルが落ちてきて、あっという間に閉じ込められてしまったのだ。

「副長!」

「お前たち! くっ、貴様」

「おっほっほっほ、そのカプセルは人間の力ではどうにもならなくってよ。無駄なことはおよしにしなさいな」

 ミシェルはとっさに剣に手をかけたが、相手の「乱暴なことをすれば、カプセルの中のお仲間がどうなっても知りませんわよ」と脅されて引き下がらずを得なかった。

「貴様、何者だ? なにが目的だ?」

「あらあら、わたくしに質問なんて何様のおつもりかしら? あなたたちこそ、お客様でなければ、このドブネズミにどんなご用だったのか話していただかないと」

 そう言って、女はギルモアの閉じ込められているカプセルをコンコンと叩いた。

 ミシェルは相手に主導権を取られていることに歯噛みしたものの、仲間を人質にとられている上に、万一ギルモアを始末されでもしたら手がかりが途絶えてしまう。

「くっ……我々は、あるお方の命で、この戦争を止めようとしている者だ。この戦争を始めるために誰が裏で準備をしていたのか、そいつに聞かねばならない」

「ふーん、なるほど。ああ、そういうことでしたか。わかりました、正直でけっこう、これは面白くなってきましたわね」

「どういうことだ? お前はなんなんだ!」

 なにかを察したように意地悪そうな笑みを浮かべる女に、ミシェルは怒鳴った。

「うっふっふっ。わたくしはある方に誘われてこのガリアにやってきたのですが、つまらないお仕事を命じられてやる気がなくなってしまいましてねえ。それで、こちらで見つけた、カジノのオーナーというゴージャスで優雅なお仕事で悠々自適に暮らしていきたいと思いましたの。このドブネズミにはこんな美しいカジノなんて似合いませんから、金儲けの手伝いをする代わりにカジノの権利を譲るように契約をしていました、それだけの関係ですわ」

「金儲けだと? カジノ以上の金儲けとはなんだ? まさか……」

「正解ですわ。ちょちょいっと、この男に新しい取引先を紹介してあげましたの。それで、わたくしの元々の依頼人もトントンにしてくれて、みんな万歳というところでしたのに、この男ときたら最後の最後で臆病風に吹かれてくれて」

 女はカプセルの中のギルモアをからかうようにカプセルのガラスをこづいた。

 だが、ミシェルは断片的な言葉からでもある程度の情報を組み立てていた。こいつは当たりだ。カジノらしく例えたら初手でリーチがかかったようなラッキーだ。しかし、だからこそこれからの危険も大きい。

「お前、知っているようだな、ガリアの中枢でなにが起きているのかを」

「ふふふ、ええ。それに、あなた方のこともちょっと聞いておりましたわよ。トリステインという小さなお国に、なかなかの手練れの方々がいらっしゃるとか。たしか先日は、あのペダン星人まで倒したとか」

「貴様! やはり」

 やはり、こいつは黒だった。ルビアナの正体は、あのときあそこにいた者か、もしくは同類しか知りえない。

「我々の名はゴドラ。うふふ、お見知りおきあそばせ、うふはハッハッハッ!」

 その瞬間、女の姿が白い光に包まれたかと思うと、その姿は長い頭部の先端に目を持ち、白い網目状の体と、両手には黒いハサミをつけた宇宙人へと変わったのだ。

「うわあっ!?」

 たちまち、カジノの使用人たちは散を乱して逃げ惑い、ギルモアはカプセルの中で腰を抜かした。

 地球ではドキュメントUGに記録されている反重力宇宙人ゴドラ星人。ウルトラ警備隊を壊滅させようとした狡猾な宇宙人だ。

 しかし、驚く一同をよそにゴドラ星人は数秒だけ正体を見せると、また元の女性の姿に戻ってしまった。

「おっほっほっ、だらしないですわねえ。わたくしは別に何もしませんことよ。あなた方も、そんな物騒なものを向けるのはやめてあそばせ」

 ゴドラ星人が化けた女はやれやれと首をかしげると、剣を抜いて構えているミシェルたちに笑いかけた。

 もちろんミシェルたちは宇宙人を相手にいぶかしむ。けれど相手は特に武器を構える様子もなく、ミシェルは切っ先を下げてゴドラ星人に問いかけた。

「貴様、何を考えている?」

「あらあら、怖い怖い。さっきも言ったでしょう、わたくしはこのカジノが欲しいだけ、元の依頼人もこのドブネズミもあなた方も等しくどうでもいいのですわ。でも、あんまりこの世が荒れるとカジノのお客さんも来なくなってしまいますから、あなた方にチャンスをあげましょう」

「チャンス、だと?」

「ええ、さっきも言った通り、わたくしとゲームで勝負して、勝ったらあなた方の好きな話を聞かせてあげますわ」

「嫌だと言ったら?」

「なら、カプセルごとこのドブネズミもあなた方のお仲間も海にでもポイしてさしあげますわ。ここはカジノ、ゲームをしない冷やかしにはお帰り願うだけのこと、いかがですの?」

 ゴドラ星人からの怪しげな視線の挑戦に、ミシェルは決断を迫られた。

 敵陣でのギャンブル、不利この上ない。ヴァレリーは真剣に、やめましょうよと訴えてきているが、かといって実力行使に出ても事態が好転する保証はない。

「いいだろう、あえてお前の領域で戦ってやる。だがお前が勝った場合はどうする?」

「そうですねえ。私はあなたがたから欲しいものなどありませんから、あなた方は持っているものを好きなだけ賭けてよろしいですわよ」

「なに? ……チッ、このキツネめ」

 ゴドラの自信に満ちた表情を見て、ミシェルは相手の腹の内を見抜いた。

 それは一見、こちらが勝てるまではいくらでも再チャレンジできる分のいいゲームに思えるが、本当はその真逆だ。カジノに縁は無くとも勘の鋭いエレオノールも、食えない女ねぇ、ときょとんとしているヴァレリーの隣で眉をひそめている。

 ミシェルの胸中を察した銃士隊員の一人が、やっぱり危険すぎますと進言してきたが、ミシェルは毅然と答えた。

「いや、やろう。どのみち危険は覚悟だったんだ。ここで引いてもほかに当たっている時間があるわけじゃない」

「しかし、奴が約束を守る保証はありませんよ」

「守るさ、あいつは楽しみたいだけだ。こちらに求めていることは、どれだけ楽しませてくれるかだけで、元の雇い主への義理や義務感なんかは持ち合わせてないタイプだ」

 むしろ、カジノの存続のためを思えば積極的に情報を渡そうとしているくらいだ。だが、タダでというわけにはいかない、武器も魔法も使わない戦い……それに勝てればの話だ。

 交渉成立と見て、ゴドラは指を鳴らした。もっとも、手は星人のままなのでハサミを鳴らしてだが、カチンという音と共にゴドラは嬉しそうに告げた。

「では、さっそくゲームの開始とまいりましょうか。ショウ・タイムの始まりですわあ!」

 すると、いかなる仕掛けかカジノの照明が輝き、乱雑だったテーブルの上にカードやチップが並べられて現れた。

 室内には品のよい音楽が流れだし、ゴドラはミシェルを挑発するように告げた。

「さあ、サービスで舞台は整えましたわ。どのゲームでも選んで、プレイしてくれて構わなくてよ」

「これは親切なことで嬉しいね。ミスター・ゴドラ、いやミセス・ゴドラ?」

「あら失敬な。こう見えても、あなた方と同じくらいの乙女ですわよ。気軽に、ゴドラちゃんと呼んでくれてけっこうですわ!」

「は、はぁ、ゴドラ……ちゃん?」

 なんか妙なところで自信たっぷりに言われて困惑したが、確かに変身している姿は十代半ばくらいの少女である。高飛車っぽい顔をしているが、なかなか可愛いと言っていい。変身している姿も、元のゴドラ星人の赤いジャケットを着こんだような姿を模したものでよく似合っており、さっきまで悲鳴をあげていたカジノの使用人たちの中には見惚れている者もいるくらいだ。

 元が怪獣なのに、美少女になったらときめいてしまう。これは、人間の許されがたい性なのだろうか?

 だが、台はあっても平民上がりがほとんどの銃士隊にはギャンブルの経験のある者などほとんどいない。すると隊員たちの困惑を悟ってか、ミシェルがエレオノールとヴァレリーに向けて尋ねた。

「ミス・エレオノール、ゲームのご経験は?」

「まあ、たしなみ程度にはね」

「ミス・ヴァレリーは?」

「わ、わたしは付き合いで入るくらいで、一人でやってきたことなんかは」

「よし、ではわたしも含めた三人でいこう」

 後ろからヴァレリーの「ちょっとぉ!」という悲鳴が聞こえてくるが、ミシェルは聞こえないふりをしてゴドラに答えた。

「ダラダラときったはったを続けている暇は無いんでな。三人で三回勝負で決着をつけるのでどうだ?」

「ええ、そのほうがゲームに締まりが出ておもしろそうですわね。では、こちらは私と……この二人でいきましょうか」

 ゴドラが手を上げると、ギルモアを閉じ込めていたカプセルがすっと消滅した。ほっとしてへたりこむギルモアに、さっきの腕利きの使用人の若者が駆け寄って無事を確かめるが、その二人にゴドラは冷たく告げた。

「助かりたかったら、ゲームのプレイヤーとしてわたくしを楽しませなさい。もし失望させたら、本当に海に捨てますわよ」

「ひっ、お、お慈悲をありがとうございますぅ!」

「……承知いたしました」

 無様なギルモアに対して、若者は胆が座った一礼を返した。

「さあ、これで準備はよいでしょう。まずは一番手、どなたが参りますか?」

 ゴドラの尋ねられ、一同は顔を見合わせた。

 ミシェル、エレオノール、ヴァレリーのトリステインチーム。対するは、ゴドラ、ギルモア、使用人の青年のカジノチーム。

 まずは初戦、できるなら取っておきたいところでミシェルが出ようとしたが、そこで意外にもエレオノールが名乗り出た。

「先鋒は私がいくわ」

「ミス・エレオノール? いえ、ここは確実に勝ち星を得るためにも、わたしが」

「大丈夫よ。あなたの考えてることはわかってるわ。私たちにあいつらの手口を見せようっていうんでしょ。でも、あいにく長々と待たされるのは嫌いなの」

「しかし!」

 ミシェルは食い下がるが、エレオノールは一頷だにしない。けれどエレオノールはどっかとゲームのテーブルにつくと、眼鏡の奥の眼を冷たく輝かせて言った。

「まあ見てなさい。カジノには興味ないけれど、ゲームにはちょっと心得があるわ。さて、ゴドラちゃんとやら、ゲームはこちらが決めていいのよね?」

「ええ、お客さまに選択権があるのは当然ですわ。カード? ルーレット? なんでもありますわ」

「ならダイスで」

 そっけなく答えたエレオノールの前に、使用人たちがダイス、つまりサイコロを使ったゲームの支度をしていく。

 しかし驚いたことに、エレオノールに相対してゲームのテーブルについたのは、なんと敵の大将だった。

「では、お相手はわたくしが務めさせていただきますことよ」

「あらゴドラちゃん、いきなりボスが出陣とは光栄ですこと。それともなめておいでかしら」

「とんでもない。そちらが自信たっぷりですから、ついワクワクしてしまいましたの。ご心配なさらずとも、ちゃんとフェアに勝負してさしあげますわ。フフ」

 さっそくエレオノールとゴドラの間で火花が散る。どちらも負ける気なんか欠片もないような殺気を飛ばしあいに、ミシェルはこういうところはさすがミス・ヴァリエールの姉だなと思った。

「ミス、ゲーム前に杖を預からせていただきます」

 イカサマ防止用に、ボーイがエレオノールに告げてきた。エレオノールはちらりと視線を流すと、自分の杖を無言でひょいとボーイに差し出した。

「ありがとうございます。では、皆さま方にも当カジノの決まりをご説明しておきます。本来であれば、入店前に杖はすべてお預かりいただくことになっております。これはもちろん魔法を使っての反則を防ぐためで、我々従業員も杖を所持している者はおりません。もし我らの運営に疑問があれば『ディテクトマジック』を使用していただいてもけっこうですが、こちらからも監視をさせていただいています。もしも『ディテクトマジック』以外の魔法が使用されているのが確認されましたら、その時点であなた方の反則負けになりますので、ご了承ください」

 念の入ったことだが、貴族相手のカジノとあっては当然のことだろう。もっとも、こちらで魔法を使えるのはミシェル、エレオノール、ヴァレリーの三人しかいないのだが。

 ただし、魔法でできるイカサマなんていうのはたかが知れたものしかない。杖を持ち、呪文を唱えなければ魔法は使えないので、監視されている中でやるのは無理がある。また、イカサマなんていう緻密なことをバレないように魔法でやるためには並外れた技能と集中力がいる。なによりやれたとしてもディテクトマジックに引っかかる、手間とリスクが大きすぎるのだ。

 ただし、それは客がやる場合という註釈はつくが……。

 やがて、テーブルの準備が整い、両者に同じ数のチップが配られた。テーブルの両端に座るそれぞれのプレイヤーの周りには、ミシェルら銃士隊と、ギルモアと使用人たちが立って、勝負を見守っている。

「ルールはシンプルに、アンハンドローダイスでよろしいですか?」

「構わなくてよ」

 ルールの確認も済み、いよいよゲームが開始された。

 シューターが赤・青・黄に色分けされた三つのダイスを持ち、それをカップに入れてかき混ぜ始める。ルールは簡単で、ダイスの出目を予想してチップを賭け、出目の数が合っているかと、出目の組み合わせでチップが増減される。対戦の場合は先にどちらかがチップをすりきるか、一定の額を達成すれば決着だ。

 エレオノールの手がチップに伸びる。その表情には彼女らしい傲岸不遜なまでの自信しか浮かんでいないが、ヴァレリーが不安そうにエレオノールに問いかけた。

「ちょっと大丈夫なの? あなたダイスなんて、アカデミーで暇つぶしにやっただけで、ルールくらいしか知らないでしょ?」

「ヴァレリー、あなた私を誰だと思ってるの。まあ見てなさい、なんであろうとヴァリエール家の人間に勝負を吹っ掛けるということがどういうことなのか、見せてあげるから」

 ヴァレリーには、エレオノールの自信がどこからやってくるのかわからなかった。婚活には執念深いが、それ以外には思慮深い性格だったはず……だが、エレオノールは根拠なく自信を持つ愚かな人間ではない。いったいなにを考えているのか、ヴァレリーは固唾をのんで見守ることにした。

 やがて、シューターがダイスの入ったカップをテーブルに裏側で置き、レディと合図する。ここから数を宣言し、チップを賭けて勝負に出る。宣言する順番は交互に変わり、後から同じ数字を宣言することはできない。

「挑戦者に、先攻の権利はありますわ」

「大のキ、賭け5」

 短くエレオノールは言った。これはサイコロの合計数が中間点より大きく、出目が奇数、チップを5枚賭けるという意味だ。ちなみにそれぞれに配られたチップ数は10枚である。

「あらあら、最初から手持ちの半分を賭けるとは大胆ですわね。ではわたくしは、小のグウ、賭けは10ですわ」

 ゴドラの宣言に場がどよめいた。いきなりチップ10枚全賭けである。外せばこの時点で負けが確定する。

 しかし、ゴドラの表情には余裕が溢れている。そして、「コール」の言葉とともにカップを開けてダイスの出目を見ると、「222」で、見事に小の偶数で当たっていた。

「おっほっほっほ、まずはわたくしの一勝のようですわね!」

 高笑いするゴドラの前にチップが積まれていき、対して外したエレオノールのチップは無情に回収されていく。

 しかも、この場合はそれだけにとどまらない。

「うふふ、出目は「222」の三桁のゾロ目。この場合ですと、通常の勝ち数にさらに三倍が加算されるんですわよ」

 つまり、賭けたチップの数十枚を倍にした二十枚をさらに三倍にし、計六十枚がゴドラの取り分ということになる。対戦ルールでは百枚が勝利ラインとなるから、ゴドラはいきなりリーチをかけたことになる。

 場にどよめきが起こり、ヴァレリーなどは顔面蒼白となっている。

 だが、初手で全賭けで大当たりとは、いくらなんでもできすぎではないだろうか? 銃士隊員たちが騒然としている中で、ミシェルは目を細めて忌々しげにつぶやいた。

「なにがフェアに、だ。いきなり恥ずかしげもなく仕掛けてくるとはな」

 間違いなくイカサマだろう。しかし、タネを明かせなければ反則をとることはできない。

 このままでは早ければ次のコールで敗北が決まる。ゴドラはすでに勝ち誇った様子で、ミシェルたちに告げた。

「おっほっほっほっ、口ほどにもありませんわね。そういえば、あなたたちから欲しいものはないと申しましたけれど、勝負に罰ゲームは必要ですわね。おきれいどころが揃っているようですし、バニーガールとしてうちのガジノで働いていただきましょうか」

 ぬなっ! と、銃士隊一同は愕然とした。そんな破廉恥なかっこうをさせられるなんて屈辱だ。いやでも仲間たちのバニーガール姿なら見てみたいかも。

 ヴァレリーは蒼白から顔を真っ赤に変えてエレオノールに詰め寄った。

「ちょっとエレオノール、どうしてくれるのよ! そんなかっこうさせられたら私、お嫁に行けなくなっちゃうわ」

「ヴァレリィ? 私の前で、その死の呪文を唱えるのをやめてくれるかしら? 心配しなくても、私は負ける気なんてこれっぽっちもないわよ」

 不機嫌になりながらも、エレオノールの自信は揺らいではいなかった。

 いったいその自信はどこから来ているの? エレオノールの視線は鋭く卓上に向かい続けている。ミシェルはその後ろ姿に、ここからがミス・ヴァリエールの姉のお手並みを拝見ねと微笑を浮かべた。

 だがゲームは続き、再びサイコロがカップの中で降られる。今度先に数を宣言するのはゴドラのほうだ。

「大のグウ、賭けは20ですわ」

 もう一度大賭け。とどめを刺しに来たなと一同は感じた。しかも、同じ数字を宣言するのは許されない。ゴドラの宣言が正解ならば、完全に積みだ。

 しかし、エレオノールは落ち着き払って宣言した。

「小のキ、賭けは5」

 逆張りの全賭け。一同が息を呑む中でエレオノールも勝負に出た。仮にゴドラが外したとしても、自分も外していたらチップ0でそのまま負けとなる。

 そして、運命のコール。果たして、カップの中から現れた数字にその場の全員の視線が釘付けとなった。

「123……小の、キ!?」

 エレオノールの口元が勝利の笑みに歪んだ。次の瞬間、銃士隊の中から歓声が上がり、対してギルモアたちカジノの者たちの顔に「まさか?」という色が浮かぶ。

 その瞬間、ゴドラの鋭い視線が狼狽しているシューターを睨むと、エレオノールの不敵な声が流れた。

「どうしたのゴドラちゃん? そのシューターさんは、ちゃんとお仕事をしていたわよ」

「あなた……チッ、やってくれますわね」

「なにを白々しい。それより、このゲームでは並び数字で勝ったときには特典があったのを忘れてはいないでしょうね。そう、相手の手持ちを半減させるというね!」

「くっ!」

 これで一気に10対30にまで差が縮まった。まだ不利とはいえ勝負の行方がわからなくなり、銃士隊の中からさらに喜びの声が湧く。

 けれど、イカサマを仕掛けられて敗北必至だったのにどうやって? するとエレオノールはヴァレリーにこうささやいた。

「言ったでしょ、私は負ける気なんてないって。勝ちは、自分の力で引きずり込むものなのよ」

「エレオノール、って、もしかしてあなたも!?」

「さあ? けど、たとえばツェルプストーは恋の駆け引きでは手段を選ばないとか豪語しているらしいけど、ヴァリエールは戦で勝つためには手段を選ばないのよ」

 獣のようなとさえ見える笑みを浮かべてエレオノールは言い、続いて後ろで見守っていたミシェルを振り返って問いかけた。

「どうかしら副長さん? 私の手並み、気に入ってくれたかしら?」

 ミシェルは無言でうなづき、エレオノールは不敵な笑みを浮かべた。そして、ゴドラも満足げな笑顔を浮かべながらエレオノールに拍手を送った。

「ブラボーですわ。お見事な腕前。そして、どうやらゲームのルールをきちんと飲み込んでおられるようで、感服いたしましたことよ」

「ふん、それよりあなた、こんな言葉をご存じ? 『貴族たる者、常に礼節を忘れるべからず。ただし犬をしつけるには鞭を振るえ』とね」

「ふふ、フフフフ」

「おほ、おほほほほ」

 視線をぶつけて乾いた笑い声を浴びせ合う二人。その殺意に満ちた光景を見て、ヴァレリーは理解した。

”これはもう、ギャンブル対決なんてお行儀のいいものじゃないわ。イカサマで相手を叩き潰すだけの、ただの戦争よ!”

 冷や汗で襟を濡らしながら、ヴァレリーの眼鏡がかたかたと震える。

 これが、ヴァリエール家の戦い。しかし、エレオノールはどうやって相手のイカサマに対抗したのだろうか? 魔法は使っていないはずだし、特に怪しいそぶりも見せなかった。

 いいや、魔道具の開発ではアカデミー随一のエレオノールのことだ。どこになにを隠し持っているかわかったものじゃない。あのネックレスか? 爪に塗ったマニキュアか? いずれにせよ、エレオノールがこの中の誰にも気づかれずに何らかの方法でサイコロの目を操ったのは確実だ。

 ただ、相手もいずれエレオノールの手を看破するだろうし、イカサマの方法は一つではないはずだ。エレオノールはそれに対抗できるのだろうか? いいや、もうこうなったらエレオノールを信じるほかない。

 シューターが交代し、間もなく三回目の勝負が始まる。その猶予中に、エレオノールはミシェルを手招いて、不機嫌そうに言った。

「見てたでしょ? この旅の間、私はあなたたちを全力でサポートしてあげる。だから絶対に、生きて任務を果たして生還しなさい。絶対によ」

「あ、ああ。ですが、どうしてそこまで我々のために?」

 エレオノールの鬼気迫るようなまなざしに、ミシェルは少し気圧されながら尋ねた。女王陛下への忠義? ヴァリエール家の名誉? だが、エレオノールから帰ってきた返答は、まったくミシェルの想像を斜め上に裏切るものだった。

「あなた、うちの妹の使い魔に惚れてるそうじゃない」

「は?」

 突然の訳の分からない言葉に、ミシェルの頭が凍り付く。次いで才人の顔を思い出して頬が赤く染まるが、そんなミシェルにエレオノールはそのまま続けた。

「それでね。ルイズも、その使い魔に惚れているっていうわけよね? このままだと、あのルイズが私よりも先に結婚することになるかもしれない。あのルイズが、あのルイズが私より先によ! ねえ、わかる? わかるかしらあなた!」

「は、はぁ……」

「はっ! と、とにかく、誇り高きヴァリエール家の血統に、平民なんかを混ぜるわけにはいかないわ。い、いいえ、ルイズに先を越されたりしたらお母さまに何をされるか……というわけであなた! なにがなんでも、その平民の小僧をものにしなさい。そのためなら、どんな手でも使うわよ……ふふふ」

 悪魔とはこういうものを言うのだろうかとミシェルは戦慄した。たぶん、そういう焦っているところが婚期を逃す一因だろうと思うけれど、言わぬが花であろう。

 するとエレオノールは片方のイヤリングを外して、ミシェルに手渡した。

「これ、あげるわ」

 受け取ったミシェルは、イヤリングを間近で見つめてみた。一見、小さな宝石が下がっているように見えるが、よく見ると宝石の中に液体が入っているようだ。

「これは?」

「その平民に飲ませてやりなさい。あなたしか目に入らないようになるわよ」

「な、それってご禁制のほ……」

「そんな生ぬるいものじゃないわよ。発情率は三倍、永遠に効果が切れない上に中和剤もないわ。それ一滴だけで、アカデミーが吹っ飛ぶほどのポーションが詰まってるんだから、ウフフ……」

 ミシェルはぞっとした。そして、すぐにこんなものはいらないと突き返そうとしたが、エレオノールはドラゴンも睨み殺せそうな眼光で言った。

「なにを甘いことを言ってるの! そんな腰が引けてるから、ルイズなんかに遅れをとるのよ! 男なんて元々バカなんだから、頭が飛ぼうが飛ぶまいが同じよ。たかが男一人を手に入れるのに法や道徳がなんだっていうの。奪われるほうが悪いのよ奪われるほうがねえ!」

 憎悪と怨念で血走った目を見開くエレオノールに、ミシェルは圧倒されて薬を受けとるしかなかった。

 そこまで言うのなら自分がこの薬を使えばよかろうにとミシェルは思うが、それができないのがエレオノールのダメなところなんだろう。しかし……もしこの薬を使えば発情したサイトがわたしに……想像してしまったミシェルはつばを飲み込んでもじもじとしてしまったが、気を取り直してエレオノールにささやいた。

「そのためにも、まずは勝ってくださいよミス・エレオノール!」

「ふん、言われなくてもそのつもりよ。あの小娘、泣くくらい搾り取ってやるわ」

 動機には問題があるが、強力なチームが誕生した。

 果たして、ミシェルとエレオノールらはゴドラを倒し、ガリアの秘密を暴けるのだろうか? 

 勝利の女神がどちらに微笑むのか、まだ誰も知らない。

 

  

 続く



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第15話  ウルトラ丁半三本勝負!(後編)

 第15話

 ウルトラ丁半三本勝負!(後編)

 

 反重力宇宙人 ゴドラ星人 登場!

 

 

 ガリア王国の秘密を暴くため、ガリアへの侵入を試みたミシェルら銃士隊一行はエレオノールの協力を得て入国に成功し、現地で協力者のヴァレリー女史と合流した。

 そのまま戦争を起こすに当たって流れたであろう金銭の源流を調べるために、地下カジノへ突入したミシェルたちは、カジノのオーナーであるギルモアと対峙する。

 だが、真のカジノの主はギルモアを操っていたゴドラ星人であり、ゴドラは情報と引き換えに自分とゲームをして勝てと要求してきた。

 慣れないギャンブルに困惑するも、情報のために受けて立つ一行。三本勝負の一番手にエレオノールが名乗り出るも、ゴドラはいきなりのイカサマで大差をつけてきた。

 絶体絶命。だがなんと、エレオノールは相手のイカサマに対してさらなるイカサマでねじ伏せるという方法でゴドラに対抗。勝負を一気にひっくり返すことに成功する。

 けれど、勝負はまだ始まったばかり。敵はまだどんな汚い手を隠しているかわからない。

 剣も魔法も使わない戦いは、これからが本番なのだ。

 

 

「コール……651、大のキ、挑戦者の……当たりです」

「これで110対13で、私の勝ちね。なかなか楽しませてもらったわ、ゴドラちゃん」

 力無く結果を報告したシューターに続いて、エレオノールの勝利を告げる勝ち誇った声が響いた。

 この瞬間、三本勝負の一本目は銃士隊チームの勝利が決定し、隊員たちの中からいっせいに歓声があがった。

「やったあ!」

「勝ったのね」

「よし、まずは一勝だわ!」

「さすが、名門ヴァリエールともなるとそこいらの貴族とは違うものね」

 最初は相手のイカサマの前に、どうなることかと思われた勝負であったが、エレオノールのおかげでまさかの逆転大勝利となった。口々にエレオノールを賞賛する声があがり、エレオノールは「当然でしょ」と言わんばかりに会心の笑みを浮かべている。

 しかし、隊士たちと違ってミシェルはまだ喜んではいなかった。その証拠に、負けたはずのゴドラから拍手の音が響くと、余裕に満ちた賞賛が贈られてきたのだ。

「おめでとうございます。素晴らしいゲームでしたわ。まさか、このわたくしがこうも一方的な敗北を喫するとは思っておりませんでした。これで、次からのゲームも楽しみになってきましたわ」

 そうだ。戦いは三本勝負の一本目が終わったに過ぎない。勝つためには、あと一回勝利しなければならない。

 エレオノールはゴドラに目を向けると、挑発しかえすように言った。

「リーチがかかったというのにずいぶん余裕ね。あなたのちんけな仕掛けなんか通じなくてよ。それとももうあきらめたのかしら? ゴ・ド・ラちゃん」

「とんでもない。わたくしはあくまでカジノのオーナー、遊びのついでに、あなたたちがわたくしたちと戦うにふさわしいかどうか確かめさせてもらいましたの。でも、お遊びはここまで。これからは本気でおもてなししてあげますわよ」

 ゴドラの殺気は少しも衰えてはいなかった。やはり、敵はこれ以上の手を隠し持っている。

 必然、二番手の責任は重大だ。ミシェルはためらわずに名乗り出た。

「では、さっそくお手並みを見せてもらおうか。次はわたしが相手をしよう」

「そちらは大将さんですか、相手にとって不足はないですわ。トリステインの銃士隊の勇名はかねがね。ええと、隊長のアニエスさんでしたかしら?」

「それはわたしの姉だ。銃士隊副長、ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン、参る」

 騎士としての堂々の名乗りをあげ、ミシェルは決戦の卓についた。

 対して、ゴドラも今度は相応の手駒で確実に勝ちに来ようと、思っていた通りの対戦者を出してきた。

「ではこちらは、彼に出ていただきましょう。当カジノの誇る、有望かつ有能な若手ですわ」

「トマと申します。普段はお客様のお相手係をさせていただいておりますが、オーナーのご命により、お相手つかまつります」

 やはり、先ほど手練れの片鱗を見せていた青年だった。一見優男風だが、切れ長の瞳は冷たく輝き、ミシェルが睨みつけても変化がない。

 相当に修羅場をくぐってきた人間と見て間違いないとミシェルは思った。戦って負けるとは思わないが、強い者が勝つとは限らないのが裏社会の戦いだ。

「では、ゲームの選択をお願いします」

「カードで」

 ミシェルは、もっともオーソドックスなタイプの勝負を選んだ。別にそれが一番得意というわけではないのだが、もっともイカサマのネタが豊富にあるゲームだ。向こうがイカサマで来ることがわかりきっているなら、一番やりやすいゲームがいい。

 用意されたカードにエレオノールがディテクトマジックをかけて調べるが、当然反応はない。こんなタイミングでバレるようなヘマをする馬鹿がいるはずもなく、テーブルや近辺も無反応だ。

 しかし、バレないようにするのがイカサマだ。完璧な防止策などあるはずがなく、ここからはミシェルの洞察力が試される。

「では、挑戦者側にシャッフルをお願いします」

 ミシェルは手渡されたカードの束をじっくり観察した。地球のトランプに似た、どこにでもあるようなカードの束だ。

 念入りにシャッフルを繰り返す。手触りにも違和感はなく、細工が施されている気配も見えない。逆に、こっちが仕掛けをするならこのタイミングだ。

 ならば仕掛けてくるのはゲームの途中からか? ミシェルは警戒心を解かないままディーラーにカードを返すと、互いの前に五枚のカードが配られた。

”いい手札だ。だが……”

 ミシェルの手には、同じ炎の柄のカードが四枚揃っていた。ここから互いに山札からカードを交換していき、役が揃えば勝負に出る。才人が見れば、ポーカーのようなゲームだと理解するだろう。

 今の手札なら、あと一枚炎の柄を揃えれば同色の役、ポーカーでいうフラッシュの役が完成して勝負に出られる。強い役ではないが、速攻で出るのも手だ。

 けれど、定石ならばそうだとしても、相手がイカサマを仕掛けてくるとすれば話は変わる。ミシェルは相手の表情を観察してみたが、トマはまったくのポーカーフェイスで何も読み取れない。やはりこの男、かなり場慣れしている。

 ならば……。

「交換はなさいますか?」

「ああ……全部で」

 その瞬間、観戦していた銃士隊員たちからどよめきが漏れた。わざわざ勝負を捨てに行くようなものだからだ。だがそれ以前に、ミシェルは相手側で観戦しているギルモアの目が光ったのを見逃してはいなかった。

 ミシェルが捨てた手札に代わって五枚のカードが配られる。今度は絵柄はバラバラであったが、数字は22551と、同じ数字が二つ来ている。いわゆるツーペアの役で、さっきよりは弱いが役の完成だ。

 そして今度はトマの交換の番となったが、トマは交換を断って、開札がここで決定した。

「オープン!」

 互いの手札が明かされる。ミシェルはツーペア、対してトマの手には風の絵札の並び数字の役ができている。いわゆるストレートフラッシュである。

「では、まずはわたくしの勝ちですね」

「ああ、そのようだな」

 すました顔で告げたトマに、ミシェルは淡白に答えた。

 ……思った通り、トマの手札には最初からこちらより上の役が完成していた。あのまま慎重にカードを揃えていたとしても無駄だったというわけだ。しかも、ご丁寧にこちらより一つ上の役が。

 観戦している隊員たちも押し黙り、エレオノールも厳しい表情になる。ヴァレリーなどは早々に青ざめているが、ミシェルは冷静に考えていた。

”奴は自分の手札がこちらの手札を上回っていることを確信していた。覗き見られた? いや、最初からそういう並びになるようにカードを配置したとしか考えられない。いずれにせよ、奴はカードを何らかの方法で操れる、それは確かだ”

 まったくもって、ここまで露骨にイカサマを仕掛けてくると笑うしかない。人の良さそうな顔をして、奴は容赦なくこちらを叩き潰しにくる腹だ。

「ご消沈なさらぬよう。まだゲームは始まったばかりです」

 トマが人懐っこい笑顔を浮かべながら言った。もちろん、その目までは笑っていないことをミシェルは見逃してはいない。

 このカード勝負の場合、互いのチップは七枚。つまり先に七勝したほうが勝利となる。確かにゲームは始まったばかりだが、奴のイカサマを見抜くためには時間があるとは言いがたい。

 ただ、黙ってやられるつもりはないのはこっちも同じだ。

「その余裕、いつまで持つかな?」

 第二戦が開始された。

 配られたカードはバラけて役になっていない。ミシェルは三枚取り替えて役になりかけたが、トマが揃えたことでやむを得ず勝負に出て敗北した。

 その際のトマの手札はツーペア。やはりこちらより一つ上で、もはや隠す気もないようだ。

 ただ、どう仕掛けたのかはわからない。ミシェルはトマの動きを観察したものの、特に怪しい動きをした様子はなかった。なら、別の誰かが細工をしているのか? いや、部屋の中には銃士隊の皆が神経を張り詰めて目を光らせている。怪しいそぶりをする者、仕掛けの類があれば誰かが気づく。

”なら、もっと探りを入れていくだけさ”

 ミシェルはあきらめてはいなかった。耐えるのは得意だ。物乞いの頃も、奴隷時代も、間諜をさせられていた頃も、ひたすら耐えに耐えてきた。

 ただ、それらと今で違うのは、耐え抜いた後で相手をただでは済まさないという点だ。

 三戦目で、ミシェルは配られたカードを観察しなおしてみた。やはり、どこにでもあるようなシンプルなカードで、なにかしらのマジックアイテムであるようには感じられない。

”ミス・エレオノールの作品のように、マジックアイテムの反応のないアイテムなのか?”

 可能性としてはあり得る。ギルモアが有り余る財力にものを言わせて、どこかに作らせたか横流し品をかっさらったか、もしくはゴドラが何らかの未知の力を貸しているのか……? もし宇宙人の手助けによるものだとしたら対処が困難だ。

 ミシェルは、鎌を掛けるように、楽しそうに観戦しているゴドラを睨み付けた。しかしゴドラはあっけらかんと嘘を言っている気配なく答えた。

「あら、あたくしをお疑いでしたらハズレですわよ。ゲームというのは、有利な状況は楽しめても、絶対勝てるとなったらとたんに興ざめいたしますもの。あなたが何に手こずっているのかは、私も知りませんわ」

 こいつめ、と思ったが、ミシェルは今のゴドラの言葉からも小さくない情報を得ていた。

 ゴドラはイカサマのタネを知らないのに、さっきのダイス勝負ではゲームをこちらが指定したにも関わらずイカサマができていた。つまり、イカサマはプレイヤーが仕掛けているのではないということだ。

 イカサマのタネは、外部の人間、もしくは部屋か道具の仕掛けにある。後は、その可能性を絞っていけばいい。

「では、四回目に入ってよろしいですか?」

「待て、その前にディーラーを変えてもらおうか」

「は? ええ、では、お客様のご希望通りに。なんでしたら、お客様の誰かがディーラーをつとめてもらってもよろしいですよ」

 ミシェルからのストレートな突っ込みにも、相手側に慌てた様子はなかった。ギルモアも平然としており、ディーラーがタネである線も薄い。

 案の定、今度は銃士隊員の一人がディーラー役を買っておこなったが、結果は同じことになった。

 これで四敗。そろそろ余裕が無くなってきたきたことで、銃士隊の中からも「副長……」と、不安げな言葉が漏れる。だが、ミシェルは恐れを感じさせない言葉で彼女たちに答えた。

「心配するな。まだまだ大丈夫だ」

 その言葉の力強さは、まるでアニエスのように心強い安心感を隊員たちに与えるものだった。

 隊員たちに落ち着きが戻り、彼女たちの顔に自信が蘇ってくると、ミシェルは改めてトマと相対した。その空色の瞳には勇気がふつふつとみなぎっている。

 次からは、後半となる第五戦……しかし、身構えたそのときだった。それまで張り付けた笑みしか浮かべていなかったトマが、ぽつりと話しかけてきた。

「慕われているのですね」

「ん?」

 唐突なことだったので、ミシェルはすぐには彼の言葉の意味がわからなかった。けれど、トマがそれまでとは違い、本音で語りかけてくるような目をしていたことで、ミシェルも少々の警戒を解いて答えた。

「……まあな、やつらとは短くない付き合いだ。それなりの関係にもなるさ」

「いえ、羨ましゅうございます。私もここの仕事で、貴族や豪商の連れ合いを何組も見てきましたが、あなた方ほど仲が良く見える方々はおりませんでした」

「ふん、闇カジノなんかに入り浸る連中と比べるな」

「ごもっともです。ですが、おっしゃる通り、ここは裏社会のカジノ。あなた方に勝ち目はございません、どうかここは、引いていただけないでしょうか?」

「なに?」

 思いもよらない降伏勧告に、ミシェルは眉をひそめた。しかしトマは冗談ではないという風に続ける。

「今なら、頭を下げれば旦那様もお許しくださるでしょう。ですがこのまま勝負が決まれば、あなた方は二度とここから出られなくなってしまうかもしれません」

 その言葉が脅しとは思えなかった。ギルモアはどうとでもなるが、ゴドラのあの不思議なカプセルに捕まれば脱出はできなくなる。その後で、人間を見下している宇宙人が自分たちをどう扱うのか、考えるまでもなくわかる。

「奇妙だな。なぜ奴らの仲間のお前がそんな忠告をする?」

「あなた方のことは私は存じませぬ。ですが、あなた様たちが悪い人とは思えません。互いのためにも、ここはどうか……」

 その言葉が嘘だとは思えなかった。捕虜の尋問をしてきた経験から、相手が嘘を言っているかどうかの声色の微妙な変化はわかる。いやそれ以前に、圧倒的に有利なこの状況で試合放棄の選択肢を選ばせる理由がない。

 ちらとギルモアのほうを見ると、余計なことを言うなと怒鳴りかけていたところをゴドラにうるさいと黙らされていた。

 こいつは、このトマという青年は本気だ。本気で、善意で自分たちを助けようとしている。しかし……。

「解せんな。なぜカモに情けをかけるようなやつが、こんなところで働いているんだ?」

「わたしは、ギルモア様に拾われたのでございます。以前の主を失い、ごろつきのような生活をしていた私をギルモア様はお救い下さり、読み書きを教え、ここでこうして働かせてくれております。そのご恩に報いるために、私は金を余らせた貴族たちからほんの少しの額をいただいてきましたが、あなた方のような人たちと敵対はしたくないのです」

「……」

 ミシェルは心中で、騙されているなと看破した。ギルモアという男のことはリッシュモンの下にいたころから知っているが、端的に言って金の亡者、人間のクズだ。そんな男が浮浪者を拾うなどとしたら、まずもって手駒として利用するためとしか思えない。

 けれど、トマはギルモアのことを心底から信頼しているようであった。妄信というべきか、そんなトマの姿にミシェルは胸がちくちくとなる痛みを覚えたが、毅然として答えた。

「降参はできん。悪いが我々にも、なさねばならぬ使命がある。こんなところで足踏みしているわけにはいかん」

「それでしたら、私は心を悪魔にしてあなたがたに恥をかいていただくことになりますが」

「できるのならな」

 ミシェルの目から闘志は消えておらず、リッシュモンの手先だった頃と同じ冷徹な眼差しを前に、トマもそれ以上の説得は無理だと感じた。

 五戦目が始まり、カードが配られる。だがこのとき、ミシェルはひとつのイカサマを仕掛けていた。前の勝負に使われたカードを返す際に一枚かすめ取っておき、入れ換える手段だ。手口としては陳腐だが、ミシェルの手並みであれば見破るのは困難だ。

 これにより、本来ならば揃わない高貴なる水の役が完成した。かなり上位に位置する役で、トマが元の役の一段上を持っていたとしても上回る。

 これなら……ミシェルは手札をオープンした。トマも、顔色を変えないままで手札を公開する。その役は、高貴なる風、ミシェルの高貴なる水を一段上回る役だ。

「ちぃっ……」

 初めてミシェルが舌打ちした。カードを取り換えてもこの展開、敵はカードをなんらかの方法で操っている。しかも、ほぼ自動でである。もう間違いない。

 だが、その方法がわからない。それがわからなければ、奴に勝つことは不可能だ。

 やはり何らかの魔法が使われているのか? しかし、魔法アカデミーの英才であるエレオノールも目を光らせているというのに尻尾も掴ませないとは、どんな方法を使っているのか?

 チャンスはあと二回。その中で相手のイカサマの手段を見抜かなくてはならないとは……さっきはああ言ったものの突破口が開けず、ミシェルは焦りを噛み殺して必死に冷静さを保とうとしていた。

 六戦目のカードが配られる。ミシェルの手札は水と風と火の女王のカードが三枚あり、スリーカードの役としては完成している。だが、これまでのパターンからいけば、トマの手にはストレートが完成しているに違いない。カードを入れ換えて役の強さを上げても、向こうはさらに強い役に変わるだけだ。

 あらためてカードを調べてみる。魔力など一切感じない、本当にただのカードだ。しかしどうやってただのカードを気づかれることなく入れ換えているのだ?

 考えてもわからず、そうしているうちに手持ちの時間が過ぎて勝負に出るしかなくなってしまう。 

 やむを得ず、カードを開く姿勢に入るミシェル。そのときだった、それまでハラハラしながら見守っていたヴァレリーが、我慢しきれなくなったようにミシェルに詰めよってきたのである。

「ねえちょっとあなた、負けそうじゃないどうするのよ!」

「まだ負けると決まったわけじゃない。落ち着いてください、ミス・ヴァレリー」

「これが落ち着いていられるわけないじゃない。カジノでバニーガールなんかさせられたのが知れたら、アカデミーでの私の立場が。実家に知れようものなら身の破滅だわ。お願いよ、降参して帰りましょうよ」

 半分パニックになっているヴァレリーは、よほど恥ずかしい思いをするのが嫌なようだった。気弱そうに半泣きになりながらミシェルの腕に抱きついてくる。

 だが無理もない。常であればエレオノールと並んでマッドな研究者ぶりも見せるヴァレリーだが、あくまで彼女は無理矢理参加させられた一般人なのである。

 ミシェルはだだっ子のようなヴァレリーをなだめながら、エレオノールを呼んでヴァレリーをひっぺがそうとした。

「ほら、ヴァレリー、子供じゃないんだから、あなたも貴族なら腹をくくりなさい」

「いやあだあ! そんな恥ずかしい思いするくらいなら死んだ方がましよお」

「ちょっと、ミス・ヴァレリー、離してください! カードが折れてしまいます」

 カードを取り上げられそうになりながらも、なんとかエレオノールと銃士隊員たちによってヴァレリーはミシェルから引き離されていった。

 ゴドラたちはそんな様子を笑いながら見ていたが、トマは冷たくゲーム再開の宣告をしてきた。

「賑やかでけっこうですが、時間です。お手を拝借」

「ちっ、わたしのカードはこれだ」

 渋々ミシェルは手札を公開した。トマの手を見ると、やはりストレートの役が完成している。

 またダメか。残り少ないチャンスを無駄にしてしまったことに、ミシェルは歯噛みした。残った二枚のチップの一枚が失われてしまう。

 だが、待っても掛け金のチップが持っていかれないことにミシェルは怪訝に思った。

 どうしたんだ? 見ると、ディーラー役の隊員がびっくりした顔をして、ミシェルの手札を指差している。それに、トマもポーカーフェイスを崩して驚愕の表情が漏れており、ミシェルは眼前の自分の手札に目を落として驚いた。

「なっ!?」

 なんと、ミシェルの手札はQQQ37の五枚でスリーカードだったはずなのに、そこにはQQQ77に変わったカードが揃っていた。つまり、トマのストレートよりも強いフルハウスの役が完成していたのである。

「だ、第六ゲーム、しょ、勝者ミシェル副隊長!」

 唖然としているトマの手からチップが一枚取り上げられる。だがそれよりも、ミシェルは今の出来事の意味を考えていた。

”どういうことだ? わたしの手札は確かにスリーカード止まりだったはず。ずっと手に持っていたから入れ替わったはずはない。ならカードの絵柄が変わった? だがどうして? 奴らは完全にカードを操っていたはず、どこでイレギュラーが起きた?”

 今の勝利があちらの想定外だということはギルモアやトマの狼狽ぶりからも明らかだ。奴らにここで勝ちを譲る利点などはない。

 問題はなにが引き金になったかだ。さっきの自分とヴァレリーのやり取りが知らない間に奴らのカラクリのスイッチになっていたのか? どこだ? カードには自分以外触れていない。光? 音? 匂い? だめだ、考えをまとめるには時間が足りない。

 一勝を得たものの、こんなまぐれ当たりでは次が続かない。ミシェルは考えるのは後にして、最低限の手を打っておくことにした。方法はまたもシンプルで、爪でカードに小さな傷をつけて目印にするイカサマである。狙うのは、さっき3だったはずなのに7に変わっていたカードだ。カードをディーラーに返す際に、7のカードに偶然を装って爪を立てた。しかし。

「痛っ!?」

 指に鋭い痛みがして見てみると、血がにじんでいた。ミシェルはカードのふちで切ったのかと思ったが、切れた傷ではなく何かに噛まれたような傷痕だった。

”噛まれた?”

 まさか、とミシェルは思った。だが、指先からは血が滴っている。傷口を口に含んで止血して見ると、確かに小さいが何かの牙のような痕がついている。

 ただ、噛んだと思える生き物はどこにも見えない。なら、この傷をつけた奴はどこから現れてどこに消えたというんだ? ここにはカードしか……。

 非現実的な答えが頭をよぎったが、ミシェルはカードを返した。そうだとすれば……しかし、意図的にカードに傷をつけることは反則負けとなる。リスクが大きい……なら、いや、それならさっきのは。

 ミシェルの前に、次の対戦のカードが配られる。ミシェルは考えながらその手を見ると、今度はなんの役にもならないブタだった。

”奴ら、焦りだしたな”

 まだタネが割れたわけではないが、手の内に異常が生じて平静を失っているとミシェルは見破った。トマはなんとか隠しているけれど、ギルモアは苛立ちが顔を見ればバレバレだ。

 ただ、答えにたどり着くにはこちらも一手足りない。相手に合わせて手札を開いてみると、こちらはブタに対してあちらは高貴なる風が揃っていた。勝負を焦っているのが露骨すぎて笑ってしまうほどだ。

 しかし、ミシェルに残されたチャンスはあと一回。あまりにも余裕が無さすぎる。それなのに、不敵に勝利を諦めていないミシェルの姿に、カードのシャッフル中にトマが再び話しかけてきた。

「まだやるというのですか? なにかを掴んだようですが、残りのチップは一枚、もうあなたに勝ち目はありませんよ」

「……わたしはギャンブルのことは知らんよ。ただ、わたしの恩人が「最後まで諦めず、不可能を可能にする!」と、よく言ってるものでな。あやかってみてるのさ」

「恩人、ですか」

 その言葉に、トマの表情が少し変化したようだった。ミシェルは、話す義理はないと思いつつも、純粋そうな若者に向かって続けた。

「もっとも、リッシュモンのことではないぞ。あいつはとうに見限った。本当の恩人は、わたしを暗い闇の中から引き上げてくれた。こんな地の底ではない、日の当たる明るい場所にな」

「それで、その方のためにあなたは働いているわけですか」

「ああ、その点では貴様と同じかな。だが、わたしは自分の仕事に誇りを持っている。国のため、仲間のために働けることの喜びに疑いはない。貴様はどうなのだ?」

 その問いかけに、トマは一瞬逡巡したようだったが、きっと顔を上げて答えた。

「わたくしも、この仕事には誇りを持っております。お教えしましょう、この賭博場は喜捨院なのです。富める者たちからお金を巻き上げ、貧しい人たちに配る。あなた様が探っている仕掛けも、お金持ちの方から確実にいただくためのものなのです」

「それを、貴様は本気で信じているのか?」

「……はい」

 その答え方に、ミシェルはこの青年の真実を見た気がした。

 正直に言えば、言葉で揺らがしてミスを誘うことはできる。しかしミシェルは、彼に自分に似たものを感じた。恩義のために自縄自縛に陥ってしまっている。昔の自分と同じように。

 やがてカードが配られ、ミシェルは自分の手を見て苦笑した。見事にブタ、対してトマの手札には最強の役が完成しているに違いない。

 トマはカードの交換を選ばず、ミシェルはカードを取り替えを選んだがまったくの無意味だろう。

 しかし、オープンまでの短い持ち時間の中で、ミシェルはトマに呼び掛けた。

「お前はこんな仕事を、いつまで続けていくつもりなんだ?」

「わたくしは旦那様からのご恩を返すまで、そのそばにあり続けるだけです」

「立派なものだ。だがもし、ギルモアがお前の親だったとしたら、お前は同じようにするかな?」

「なにをおっしゃりたいのですか?」

 意味がわからないというふうなトマに、ミシェルは諭すように続けた。

「子供が悪さをすれば叱りつけるのは親の役目だ。逆に、親が道を踏み外したとき止めるのは子の仕事。それは当たり前の世の常だろう。なら、恩人がバカをやったら、貴様はどうする?」

 親子というこの上ない大恩の関係でもそうなのに、考えてみろとミシェルは言っていた。

 これ以上の手の打ちようもなく、オープンされたカードの結果はミシェルの惨敗で終わった。これにより、カード対決はミシェルの敗北となり、三本勝負は一勝一敗の互角となる。

 しかし、ミシェルは負けたという無念さを感じさせない堂々とした姿で席を立ち、その威風堂々とした様に、銃士隊の皆も敬礼で答えた。

 向こうでは、ギルモアが「トマ、なにをやっていたのだ」などと騒いでいるが、目には入らない。ミシェルはそのまま自陣営に引き上げようとしたが、その背中にトマが呼びかけた。

「あなたは義を通すために、大切なものが壊れるかもしれないとしたら、どうなさるのですか?」

「義を曲げなければ守れないものなど、ろくなものではないよ。腐った木を守ってなんになる? 斬り倒した後にこそ、花は咲くものだろ」

 以前、自分が過去を振り切れなくて苦しんでいた時、才人は殴ってでもそんなものに囚われることはないと言ってくれた。後で銃士隊の仲間に聞いたら、そういうときは優しく抱きしめて慰めるのが紳士ですよと呆れていたが、その不器用さが才人らしい。それに、自分で言うのもなんだが、溜め込んでしまうタイプの自分はあれで吹っ切れた。

 トマはそんなミシェルの背中を少しの間見つめていたが、やがてふっと息を吐いてこう告げた。

「あなたはお強いですね。ですが、賭け事は夜の路地のように一足先は何があるかわからないもの。隠れた悪童も脅かせば顔を出すやもしれません。お気をつけて」

 そう言い残して、トマもまた席を立っていった。ミシェルはちらりと振り返ると、ふんと軽く口元を歪めてから仲間たちの元に帰った。

「すまん、負けてしまった」

「副長、頭を上げてください。最高の戦いでした」

「そうです。イカサマにひるまずに最後まで堂々と戦って、かっこよかったでした!」

 古参も新人隊員も、ミシェルを非難する者はいなかった。エレオノールはその様子を横目で見て、甘い連中ねえと呟いているが、表情に暗さはなかった。

 唯一、状況にパニックを起こしているのはヴァレリーだけである。

「ちょっとお! あなたたちが勝ってくれて終わるはずじゃなかったの? これじゃつまり、もしかして」

「ああ、ミス・ヴァレリー、あなたに戦ってもらうしかなくなったようだ」

「無理無理無理! 冗談はよして。私はギャンブルなんてできないし、ましてイカサマを見抜くなんてできっこないわ」

 当然のことであるが、ヴァレリーは完全に怖じ気づいてしまっていた。次の勝負でも敵は必ずイカサマを仕掛けてくるだろうが、素人のヴァレリーには見破る手段がない。

 しかし、ミシェルは泣きべそをかきそうなヴァレリーの耳元で確信深く言った。

「心配しなくても、もう決着はつきました。我々の勝ちです」

「はぁ? あ、あなた何を言って」

「すぐにわかります。あなたはちょっと行って、ケリをつけてくるだけでいい」

 軽くウィンクして、茶目っ気ある笑顔を見せたミシェルにつられて、ヴァレリーはそれ以上言うことができなくなってしまった。

 いったい全体、ミシェルはなにを知っているというのだろうか? するとミシェルはヴァレリーの耳元に顔を寄せて、なにかをつぶやいた。

「えっ? そ、そんなことでいいの?」

「ええ、それだけで十分です。保証しますよ」

 自信ありげに告げたミシェルに背を押されて、ヴァレリーはおずおずと卓に向かう。その向かい側では、すでに相手の大将であるギルモアが笑みを浮かべながら待っていた。

「おや、これはお美しいレディがいらっしゃいました。どうか、お手柔らかにお願いいたします」

 ヴァレリーが素人だと知ってか、侮っている様子がありありとわかった。その態度に、戦意のなかったヴァレリーもカッと怒りを覚えたが、ギルモアが合図をして使用人たちに持ってこさせたものを見てぞっとした。

「ご覧の通り、決着後の準備はもう整っておりますよ。罰ゲーム用のバニーガール衣装を人数分。いやあ、お客様方の中にうちのおもてなし係の衣装を欲しがる人がおりますので、多めに用意していてよかったです」

 好色そうな口ぶりでそう告げたギルモアに、ヴァレリーは心底おぞけを覚えた。

 バニーガール衣装は当たり前なことだが、体のラインを隠すどころか際立たせるデザインで、へそだしの穴や網タイツもきっちりついている。貴族なら絶対に着ないようなものだ。

 銃士隊も、いざあれに着替えさせられるとなったら頬を染めている者も見られた。しかし中にはひそひそと何かを相談してほくそえんでいる者もいる。ミシェルはあえて無視しているが、絶対にろくなことを企んでいないだろう。

 ともかくこれで、完全に退路は絶たれた。ヴァレリーは、負けるくらいなら死んだ方がマシよと開き直り、テーブルを拳で叩いて気合いを入れた。

「も、もう覚悟を決めたわ! さ、さあ、私があなたをこてんぱんにしてあげるわよ!」

「ははは、愉快なお嬢さんだ。では、最後のゲームを選択していただきましょうか」

 ギルモアには自信があった。先ほどは思わぬアクシデントに焦ったが、彼には数多くの貴族をイカサマでカモにしてきた実績がある。まして相手はどう見ても素人、負ける理由はなかった。

 だが、ヴァレリーの選択を聞いたときに、ギルモアの中に動揺が走った。

「カードよ」

「な、なんですって?」

「カードよ。二度もいわせないで、さっきと同じやつで勝負するの」

「う、うむ」

 ギルモアには意外だった。このカジノでできるゲームは多岐に渡るが、カードの駆け引きは素人には難しい。むしろ運任せのダイスなどのほうがまだ勝ち目がある。もちろんギルモアはそれらでもイカサマを仕掛けるつもりであったが、同じゲームを選択するということはつまり。

”まさか、わしの仕掛けが見破られた? いいや、そんなはずがない。あれは人間には暴くことができないはず”

 けれど、選択権は挑戦者にある以上、ギルモアは受けるしかなかった。そして卓に着いた以上、仕掛け人のギルモアといえども一人で勝負せざるを得ない。ゴドラはどっちが勝ってもおもしろいというふうににやにや笑いで見ているだけだし、トマやほかの部下たちは銃士隊が目を光らせていて近づけないようにさせられている。

 やがて、先ほどと同じカードが用意されて、先ほどと同じように配られる。そして、ギルモアの手には強力な役が自動的に完成した。

”あとはこれを公開すれば勝てる。わしの仕掛けに間違いはないはず!”

 不安を圧し殺すようにギルモアは手札を公開した。相手の顔色をうかがってみると、自分の手札を見つめたまま目を白黒させている。これなら勝てると開いた役は水のカード四枚からなるフォーウォータ、相手の手は役になっていないブタのはず。

 しかし、ギルモアはヴァレリーの公開された手札を見て愕然とした。

「ほ、炎のエースの五枚で、こ、これって役になるの?」

「ば、ばかな!」

 思わず叫んでしまったが、それも当然である。トランプでもエースは四枚あるが、四種類の四枚であって、ダイヤのエースもクラブのエースも一枚しかない。なのに、同じ絵のエースが五枚など、あり得るわけがないのだ。

 ギルモアは、イカサマだと叫びかけたが声に詰まった。こんなでたらめな目にするイカサマなどあるわけがない。第一、イカサマはイカサマを証明しなくては意味がない。

 なら、何が起こったというのだ? どうして仕掛けが狂った?

「お前、いったい何をした!」

「し、知らないわよ。私はただ、本当に普通に」

 狼狽しているのはヴァレリーも同じだった。彼女はただ、ミシェルからカード勝負を選択して後はなにもせずにいればいいと言われただけで、小細工もなにも身に覚えがないのだ。

 イカサマを疑われたヴァレリーは、いったん卓に置いたカードを取り上げた。まじまじと見つめるが、特に変わった様子はない……いや、なんとヴァレリーの見ている前で、カードの絵柄が狂ったように動き出したではないか!

「いゃあっ!」

 驚いたヴァレリーはカードを放り出した。舞い散ったカードは卓上に散らばるが、カードはなおも絵柄を変えながら、さらに風もないのにピクピクと動いている。その異様な姿はもう誰の目にも明らかで、ギルモアは青ざめ、銃士隊員たちは「カードがひとりでに動いてる!?」と、戦慄している。

 このカードはいったいなんなんだ? だが、誰も動けないでいる中でミシェルがヴァレリーの傍らに歩み出ると、卓上のカードに手をかざしながら残酷な笑みを浮かべた。

「おやおや、カードのくせに勝手に動き回るとはいけないやつらだ。そんな不良品は、燃やしてしまおうか!」

 瞬間、ミシェルの手から紅蓮の炎が吹き上がった。昨日の夜に身につけたフェミゴンの炎だ。

 炎はカードを舐めるように燃え、その瞬間カードは次々に小さなイタチのような動物に変わると、悲鳴をあげて逃げ出したのである。

「きゃ! な、なんなの!?」

「やっぱりな、カードそのものが変身した別の生き物だったというわけか」

 うろたえるヴァレリーをなだめながら、ミシェルは手の炎を消して言った。

 カードはすべて小さな動物に変わり、部屋中を悲鳴をあげながら逃げ惑っている。そのうち一匹が椅子の足に頭をぶつけて気絶すると、見下ろして観察したエレオノールが思い出したように告げた。

「これ、幻獣の図鑑で見たことがあるわ。確か、エーコーだかエコーだかいう小型の幻獣の一種よ。小さくても知能が高くて、先住魔法まで使えるそうだけど、カードに化けるよう調教してたってわけね」

 なるほど、それならいくらでもカードの柄を変えられる上に、先住魔法はメイジの魔法と根本から違うからディテクトマジックにも引っかからないはずだ。

 ギルモアが絶対の自信を持つのもわかる。こんなタネのイカサマなんて、普通は想像もできないだろう。しかしまだ謎は残る。ギルモアはミシェルに睨まれて、屈辱で顔を真っ赤にしながら問いかけた。

「な、なぜだ。なぜ、こいつらはミスを犯したんだ? これまで何人の貴族を相手にしても、役を間違えたりしなかったのに」

「ああ、それはたぶんこういうことだ」

 ミシェルはエコーの一匹をわしづかみで捕まえると、そのままヴァレリーの近くに持っていった。すると、エコーは狂ったような悲鳴をあげながら首を振って暴れまわり、毒を吸い込んだように激しく咳き込んで苦しんだのだ。

「どうやら、ミス・ヴァレリーの香水はこいつらにはきつすぎるらしい」

 それを聞いて、ぽかんとしているヴァレリーに代わってエレオノールが合点して答えた。

「そういうことね。ヴァレリーは水の秘薬を得意にしている研究員。常日頃から様々な秘薬を扱うヴァレリーの体には、その匂いがたっぷり染み付いてる。人間にはなんとも感じない匂いだけど、動物の鼻には耐え難い悪臭になるってことなのね」

「ご名答、わたしの近くにミス・ヴァレリーが近づいたときにカードの柄が変わったのも、その匂いに苦しんで判断力がなくなったからでしょう。まして、匂いの大元のミス・ヴァレリーの手に持たれたら、息をすることさえできなかったでしょうね」

 そう言われて、ヴァレリー本人も、自分がよく犬に吠えられるのはそのせいなのねと納得した。

「だが、どうしてカードが生き物だなどと確信できた? カードへの意図的な損壊行為は、お前のほうが反則負けになるリスクもあったのに!」

「わたしたちは常識の通じない生き物と頻繁にやりあっているんだよ。あとはそう……女の勘かな」

 ミシェルはトマにちらりと視線を流して、そうごまかした。タネの割れた手品同様、バレてしまったイカサマは商売道具にはならない。ギルモアがイカサマ師として荒稼ぎするのは当分無理になるだろうに、それでもヒントをくれたトマの胸中を語るのは無粋であろう。

「さて、イカサマのタネが割れた以上、貴様の反則負けだなギルモア」

「ぐ、ぐぐっ! くそっ」

「おっと、その鉄砲は使わないほうがいいぞ。この距離なら、ノロマなお前が狙いをつける前にわたしの投げナイフがお前の好きなところに突き刺さる。目を潰そうか? 耳を切り落とそうか? 鼻を二つにしてやろうか?」

 ミシェルの言葉は脅しでもなんでもなく、ギルモアは脂汗を流して固まるしかなかった。悪知恵が働くだけの小悪党と、本気で血風を浴びてきた者の差である。

 自力では逃げられなくなり、追い詰められたギルモアはトマに助けを求めた。しかし。

「と、トマ、こいつらをやってしまえ!」

「旦那様……もう無理です。あきらめてください、我々の負けです」

「な、なんだと! お前、この私を見捨てるのか。この裏切り者が!」

「裏切るつもりはございません! ですが、こんなことを続けていたのでは遅かれ早かれ破滅は訪れたでしょう。わたくしもお供いたしますゆえ、どうか罪を償う道を」  

 トマは懸命に説得したが、ギルモアは逆上してトマに銃口を向けた。しかし、引き金が引かれるより早く、透明なカプセルが一瞬でギルモアを試験管の中の小虫に変えてしまった。

「うるさいですわね。償いなら、させてあげますわよ。わたくしのもとで一生タダ働きという形でね」

「ゴドラ……」

 ゴドラカプセルに閉じ込めたギルモアに冷たい視線を向けると、ゴドラはミシェルたちへ向き直って優雅に拍手を贈った。

「おめでとうございます。お見事な戦いぶりに感服いたしましたわ。主催者として、あなたがたの勝利を心から祝福させていただきます」

 ゴドラの手はハサミだったが、任意に人間の手にすることもできるようで、パチパチという音が部屋に響いた。

 人間の少女に変身したゴドラ星人は、楽しかったという風に、笑顔でミシェルたちを見つめている。しかし、ミシェルたちが欲しいのは賞賛ではなく、それを察したゴドラは椅子にゆるりと座ると、率直に告げた。

「では、約束通り、勝利者の権利として、なんでもお尋ねになってくださいな」

「その前にゴドラ、そのクズを口をきけるようにしろ」

「ご心配なく、今度はちゃんと音が通じるカプセルにしてありますわ。それと、ゴドラちゃんと正しく呼んでくれなくてはお話を聞いて差し上げなくってよ」

 じろりと睨んできたゴドラ……もとい、ゴドラちゃんに、ミシェルはめんどうくさいなあと思いながらも訂正した。

「じゃあ、ゴドラ、ちゃん。その男に質問させてください、ませ」

「おっほっほっほ、よろしくてよ。さて、あなた。その中で一生を終えたくなかったら、ハキハキ答えなさいな」

「ひっ、ひぃっ!」

 水槽の中のメダカに等しくなったギルモアに、選択の余地は残されていなかった。

 

 そうして、ミシェルはギルモアから聞き出せる限りの情報を引き出した。

 やはり、ガリアのトリステイン侵攻は、水面下で入念に準備されたことだった。ギルモアは思った通りそれに乗じてカジノの収益を利用して物資を買いあさっては軍に売り飛ばしてさらに巨額の利益を得ていたわけだが、話を聞くうちに、ミシェルたちは奇妙なことに気づいた。

「それで、その女に買い集めた武具を渡したのだな?」

「そ、そうだ。言い値で買ってくれたから、思いつく限り集めて売った」

「ほかの食料や医薬品などは?」

「その女が買い取ってくれた」

「……その女のほかは誰がいた?」

「い、いない。どんな取引の時でも、顔を見せるのはその女だけだったわい。本当だ!」

 いくら話を進めても、ギルモアの口からガリア政府の要人や軍の将軍の名前は出てこなかった。代わりに出てくるのは、ガリア王の代理と名乗る奇怪な女の存在一人であり、そいつが物資の調達から各部への根回しまですべてやっていたというのだ。

 どういうことだ? 王につながる中心人物の動向を知りたいと思ったが、たった一人とは解せない。まさか、戦争準備をたった一人でできるとは思えないが。

 いや、常識は捨てろ。今の異常な状況で、普通の反応を期待するほうが間違っているとミシェルたちは思いなおした。

「それで、そのガリア王の代理と名乗った女の名は?」

「本名は知らん。ただ、シェフィールドと呼べとだけ聞いていた。青白い顔の不気味な女で、わしは言われた通りにしただけで、それ以上のことは知らん。信じてくれ!」

 必死に哀願するギルモアの言葉に、いまさら嘘が混じっているとは思えなかった。なら本当に……。

「ここに来るまでのガリア軍を見ても思ったが、ガリア軍は操られているだけで、王政府の者も無関係なのか? すべては、ガリア王と側近だけで計画したこと?」

 まさか……と、ミシェルや銃士隊の皆も思った。ガリア王政府はそこまで機能不全になっているのか? いいや、ヤプールにほぼ完全に掌握されていたアルビオンの前例もある。

 一行は、エレオノールやヴァレリーも含め、ガリア王国が予想以上に蚕食されていたと感じた。となれば、シェフィールドとかいう女を探し出して締め上げるしかないか……そう思った時だった。それまで他人事のように見守っていたゴドラが、愉快そうに割って入ってきたのだ。

「うふふ、だいぶ真相に近づいてきたようですわね。さすが名高い銃士隊の方々。でも、そんなにのんびりしていてよろしいのかしら?」

「どういう意味だ?」

「あなた方の推測はほとんど当たっていますわ。ガリアの王様は独りぼっち。この国のすべては、孤独な王さまのための箱庭なのですわ」

「なに? それはどういう……」

「わたくしも、この茶番の賑やかしに呼ばれたと言ったでしょう? 趣味に合わないのでお断りいたしましたが、触りの内容くらいなら聞いてますのよ。ゲームの勝者の権利でそれも、ふふ、教えてほしいかしら?」

「当然だ! すぐに教え……うぐ……お、教えてください、ゴドラちゃん、様」

 ゴドラの挑発的な視線に、ミシェルは屈辱を感じながらも頭を下げた。するとゴドラは気をよくして、高飛車に笑いながら答えた。

「おっほっほっほ、よくってよ、よくってよ。では、教えてさしあげますが、あなた方はこの戦争を止めようと必死なようですが、王様には戦争をするつもりなんて最初からないのですよ。ですから、放っておいてももうじきおさまりますわ」

「なんだと? こんな、こんな大規模な兵力を動かしておいて、兵を引くというのか?」

 冗談にしてもひどすぎだった。いくらガリア王が狂人だとしても、無駄使いにもほどがある。

 だが、ゴドラはかぶりを振って続けた。

「もちろん、無意味に騒ぎを起こしたわけではありませんわ。あのガリア王さんは、我々ほどじゃありませんけど頭のよさそうなお方でした。第一の目的は「できるだけ大きな騒ぎを起こして世界の耳目を集めること」。それに都合のいい手段が戦争を起こすということだったというだけですわ」

「そんなことのために……いや、戦争を起こしてまで注目を集めたいこと?」

 ミシェルはエレオノールやヴァレリーにも視線を送って尋ねた。すると、二人は顔を見合わせて考えてから答えた。

「注目を集めて起こすことといえば、要は大道芸人みたいに、見られることで何か自分が得をするための『宣伝』かしらね」

「あとは、大勢に何かを伝えるための『宣言』ということも。うーん」

 アカデミーの才女でも、そこまで推測するのがやっとだった。しかしゴドラは再び嬉しそうに手を叩いて二人を褒めたたえた。

「素晴らしいですわ。まさに、中核を射抜いてますことよ。そう、ガリア王の本当の目的は、宣伝と宣言……で、なにを人々に見せようとしているかというと……」

 ゴドラは楽しそうに、自分がなにをガリア王に求められたのかを語った。

 そして、その恐るべき計画が明かされた時、ミシェルもエレオノールも震えるほどの戦慄を抑えることはできなかった。

「ガリア王は、本当に狂っているのか? そんなことをして、自分はどうなると」

「さあ? 私が聞いたのは途中までで、お断りしたから最後にどうするかまでは聞いてませんわ。でも、彼は本気でそうするつもりですし、彼にはそれができるだけの協力者がおります。たぶん今頃は私の代わりになる誰かを雇って計画の第二段階へと進めているのではないかしら」

 ミシェルはぞっとした。もし、今聞いた話が本当だとすれば、一刻も早くアンリエッタに知らせなければならない。

 いや、それだけでは足りない。ガリア王がこれから起こそうとしている嵐はアンリエッタだけでは止めきれないかもしれない。なら、これから宮殿にガリア王を暗殺しに向かうか? 不可能だ。

 どうするべきかと自問自答するミシェル。けれど、そこへエレオノールが胸倉を掴まんばかりに詰め寄った。

「考えてる場合じゃないでしょ! このままじゃ、私たちのトリステインはいい道化じゃない。すぐに引き返すのよ!」

「ああ、しかしガリアをこのままにしては……」

「この国にはルイズたちも来てるんでしょ。あっちには私の妹が助っ人についてるはずだから、ちょっとやそっとのことなら大丈夫よ」

 そうだったとミシェルは思い返した。才人たちもこの国に来ている。彼らなら、きっと自分たちにできないこともやり遂げてくれるはずだ。

 急いでトリステインに向かおうと踵を返すミシェルたち。しかし出口から、外の見張りについていた銃士隊員が息を切らせて駆け込んできた。

「ふ、副長、大変です! トリステインで、トリステインでとんでもないことが。街ではもう、信じられない騒ぎになってます!」

「なっ!」

 遅かったか! 蒼白となるミシェルたちを横目で見ながら、ゴドラは愉快そうにつぶやいた。

「うふふ、おもしろいことになってきましたわね。あなたたちの命運が吉と出るか凶と出るか、本当の勝負はこれからですわね。わたくしはここでこの下僕どもをこき使いながら、楽しみに見せてもらいますわ」

 

 

 風雲急を告げる陰謀の嵐。トリステインとガリアの運命をもてあそびながら、邪悪な計画は加速度を増していく。

 混乱に陥っている街の人々の声をグラン・トロワで聞きながら、ジョゼフは計画の本番がトリステインで発動したという報告を聞いていた。

「そうか。すべては予定通りというわけだな。トリステインの小娘は、うまく乗せられているのか?」

 彼らしくもなく真剣な面持ちで尋ねた言葉に、あのコウモリ姿の宇宙人は軽く答えた。

「ご心配なく。ゴドラ星人さんには断られてしまいましたが、あの方々もその道では知られた宇宙人です。それに、今度はちゃんと首に縄を付けてありますから、ご心配なさいますな」

「ならばよい」

 これから始まることは、ジョゼフにとって決して愉快なことではない。それどころか、傷口をえぐるようなものといえるが、それもこれから果たそうとしていることに比べれば、些細な痛みであろうとジョゼフは思った。

「おや、もしかして緊張しておいでですか?」

「まさか、楽しみでしょうがないだけよ。だが、酒の味がわからなくなったのはガキの頃以来かな」

 強がりではない。だがあの日以来、自分にはもう心から楽しめることも、悔やめることもないと思っていた。それなのに今、それらとも違う、ヂグヂグとこの胸に走る感触のなんと不快なことよ。

 けれど、それももうすぐ終わる。これが成功すれば、もうガリアや世界を使って一人遊びをする必要もなくなる。そのときにこそ、すべてが終わった最後の時に。

「そのときにこそ再び、俺は心の底から歓喜できるかもしれん」

 そうつぶやき、ジョゼフは一息にグラスの酒を飲み干した。

 自分には今さら、希望や奇跡にすがる資格などないことはわかっている。しかし、それでも手の届かないものを握れるチャンスがあるなら、なんでも喜んで捧げようではないか。

 終わりが始まろうとしている。ジョゼフの傍らに控えていたシェフィールドは、次なる報をじっと待つジョゼフの横顔を見つめながら、心の中で告げていた。

「ジョゼフ様、たとえなにが起ころうとも、私だけは最後までお供いたします……」

 

  

 続く



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第16話  生きていたオルレアン公?

 第16話

 生きていたオルレアン公?

 

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

  

 ガリア王国による突然のトリステイン侵略が始まって、早くも三日の時が流れた。

 最初の一日には電撃的に怪獣軍団がトリステイン各地を襲い、エースをはじめとするウルトラマンたちが迎え撃つも、そのエネルギーを使い果たしてしまった。

 二日目は、迫り来るガリア軍に対抗するために行動を起こし、三日目はガリアに潜入したふたつのチームがそれぞれ貴重な情報を手に入れることに成功した。

 誰もが、やがて来るであろうガリア軍との決戦をなんとかするために必死に頑張っている。しかしもし、何かの目的のためにトリステインに攻め込んできたという前提そのものが間違っていたとしたら?

 

 ルイズたち一行と、銃士隊一行がガリアに潜入してそれぞれ重要な情報を集めていた頃、トリステインでは信じられない事態が起こっていた。

 ジョゼフはその光景をグラン・トロワから遠見の水晶を使って眺めていたが、その表情は忌々しげに歪んでいる。

「許せよ……」

 必要なことであるが、その光景はジョゼフにとって一番大切なものに自ら泥をかけるような暴挙であった。ジョゼフは、良心などとうに失ったと思っていた自分が、あれほど望んだ胸の痛みが帰ってきたというのに、喜びを覚えることもできず、らしくもない詫びの言葉を漏らすことしかできなかった。

 だが、ジョゼフがそんならしからぬ行為に走らねばならないほどのものとは何なのであろうか。すべては、この数時間前にさかのぼる。

 

 太陽が頂点を目指している時間。トリスタニアから百リーグほど南下した平原において、アンリエッタ率いるトリステイン軍は侵攻してきたガリア軍と正面から対峙していた。

「これはまた、聞きしに勝る大軍勢ですわね……」

 敵軍はまだ数リーグ先と遠いけれども、その全容を目の当たりにしたアンリエッタの口からこぼれたのは、率直のままに表現するしかない壮絶な光景であった。

 人間が流れてくる……例えるなら、床に流したコップの水がじわじわと広がりながら浸食してくるように、万や十万では利かない人間の大集団が地を覆い尽くすように迫ってくる。

 これが、大国ガリアの総力。アンリエッタはかつて、アルビオンでレコン・キスタの軍勢と対峙したときのことを思い出したが、これはあのときよりもさらに強大だと一瞬で理解した。

「ド・ゼッサール将軍、もし我がトリステインが百万の兵を集めたら、このような光景を作ることができるでしょうか?」

「無理ですな。兵の頭数だけは揃えられても、それに与える武具や食料、率いる士官の絶対数が足りませぬ」

 冷たいほどにバッサリとド・ゼッサールは答えたが、アンリエッタは悔しいとさえ思えなかった。トリステインにも優秀な兵やメイジはたくさんいる。しかしそれを軍団としてまとめ、戦場に投入できるかは別の問題だ。つまりはそれが、国力の差というものなのだろう。

 対して、こちらが持ち込めた兵力はわずか千五百でしかない。本来なら二千まで用意できたはずだが、やはり急ゆえの輸送手段の不足や、敗北が決まった絶望感ゆえの脱走で五百もの兵力が欠けてしまった。もっとも、敵軍十万以上から見れば誤差の範囲でしかないが。

「ですが、ここで彼らを止めなければ、トリスタニアから逃げられずにいる大勢の国民が犠牲になります。そのためにも……信じてよいのですね?」

 アンリエッタは、少し離れた場所に控えている二人の貴族に問いかけた。その二人はいかにも身分の高そうな衣装を着込んでいるが、顔だけは他人に見せられないという風に深々とフードをかぶっていた。

「はい、これ以上女王陛下とトリステインに迷惑をかけるわけにはまいりません。我々は、そのために今日までを耐えてきました」

「ジョゼフの愚かな野望によって歪められた世界を、今日から正しく作り直すのです。それがあのお方の望みであります」 

 真摯に答える両者に、アンリエッタは無言でうなづいた。

 この両名は、先に王宮でアンリエッタの前に突然現れた者たちである。本来ならば、そんな怪しい者たちは即座に捕縛されてしかりなのだが、彼らのもたらしたある話が、アンリエッタを動かしたのだ。

「姫殿下、いや今は女王陛下でしたな。トリステインの爵位を捨てた我々が今さらお願いすることは筋違いだということはわかっておりますが、どうか、少しの間で良いのでガリア軍をこの場に釘付けにしてください。そうすれば……」

「我々は、この日のために幾年もの月日を堪え忍んできたのです。トリステインへのご恩を返すためにも、必ずやジョゼフの鼻をあかしてみせましょう」

 そう訴える二人の襟にはガリア王国の貴族章が縫いこまれていた。だが、彼らがまとう古ぼけたマントにはトリステインの百合の紋章があしらわれている。

 二つの国の紋章を持つ意味は、彼らが元はトリステイン貴族で、なんらかの理由でガリア王国へと帰化した人間だというわけだ。けれど、アンリエッタが彼らを重視しているのはそこではない。アンリエッタは目を細めると、迷っている様を気取られまいとするように尋ねた。

「城に残ったマザリーニ枢機卿が死にそうなほど驚いていましたね。あなたがたは、四年前にガリアで死んだはずだと……」

「マザリーニ殿には悪いことをしました。ですが、驚かれて当然……我々は五年前に、ガリアの次期国王に確実と言われたあのお方とトリステインを結ぶ綱となるべくガリア貴族と婚礼し、ガリアの貴族となりましたが、あのお方がジョゼフの罠にはまったのに続いて粛清の憂き目に合い……」

「ですが、我々は自らを死んだことにし、恥を忍んで生き延びていたのです。すべてはあのお方を救出し、ジョゼフを倒す日のために!」

 熱烈に語った彼らに、アンリエッタはうなづいてみせた。ジョゼフ、その名を彼らから聞いたとき、アンリエッタや彼女の家臣たちの中に電光のように記憶が甦ってきたのだ。

 そう、彼らは皆が記憶を失っている理由をこう語った。

「ジョゼフ王は、トリステインを侵略する日のために、エルフの魔術を使ってトリステインの人間の心をむしばんできたのです。我々は地下に潜んでそのカラクリを調べだし、記憶を戻す方法を持って参りました。これで、我らの言っていることが真実だとおわかりいただけましたでしょうか?」

 失われた記憶の復活、それが彼らを信用する要素となった。ジョゼフという名前に次いで、その男に関する知識も蘇り、ジョゼフという王はガリアで無能王と呼ばれている評判の悪い男だということも思い出した。そのジョゼフが我欲のままに、トリステインを侵略しようとしているという彼らの訴えは納得できるものだった。やはり、すべてはガリアの仕組んだ巨大な陰謀だったのだ。

 アンリエッタはこれを受けて、ガリアへの反攻に出ることを決めた。すでに旅立たせてしまったルイズたちには申し訳ないが、呼び戻している時間はない。ただ……記憶が戻ったという喜びの中で、アンリエッタらはひとつの違和感が心の底にひっかかっていることを忘れてしまっていた。もっとも単純な……"思い出せたのは、それで全部なのか?"ということを。

 とはいえ、ガリア軍の侵攻を止めねばならないのは現実に最優先の問題である。なりふりを構わないというならば、『烈風カリン』に思い切り暴れてもらえば、いかにガリア軍でも足を止めざるを得ないだろうが、いかに彼女でも精神力は有限である。

 それに、使いの二人からは「できるだけ兵の死傷者を出さないようにお願いしたいのです。操られているとはいえ、彼らもジョゼフの被害者なのです」と頼まれている。そしてそのために、彼らはアンリエッタにあるものを託していた。

 そうしているうちにも、ガリア軍は少数のトリステイン軍など目にも入らないとばかりにじりじりと進軍してくる。アンリエッタは、負傷療養中でここにはいないアニエスに助言を求められないのをもどかしく思いながらも、やむを得ないとド・ゼッサール卿に命じた。

「ゼッサール殿、お願いできますか」

「子供だましも極まるというものですが……ご命令とあらば、やってみましょう」

 ゼッサールは気が乗らないという感じではあったが、部下のマンティコア隊に命じて飛び立たせた。随伴してこれたのはわずか六騎にすぎないが、ゼッサールも将来を期待する精鋭たちだ。

 むろん、ガリア軍に突撃させたところで、進軍するガリア軍には数十騎の竜騎士が頭上を守っているので衆寡敵せず叩き落されてしまうのが落ちだろう。アンリエッタもゼッサールも、そんな無謀なことを命じるつもりはない。

 マンティコア隊は、トリステイン軍の頭上で旋回し、隊列を組み始めた。もちろん、その光景はガリア側からもはっきりと見えた。

「なんだ、奴らなにをするつもりだ?」

 ガリアの兵士たちは行進を続けながら怪訝に思った。彼らは洗脳されているとはいえ、完全に自我を消滅させられているわけではなく、命令への絶対服従と破壊行為への極度の興奮を刷り込まれているわけで、意識自体ははっきりしている。

 彼らは、トリステインと戦っていることは理解しても、なぜトリステインと戦っているかまではわかっていなかった。今も迷わずトリステイン軍を殲滅すべしと考えてはいても、それ以外の理性は正常に、当たり前な目でトリステイン軍の動きを見ている。

 すると、マンティコア隊は数騎が協力して、折り畳まれている大きな布のようなものを広げ出した。それはみるみるうちに大きく広がっていき、支えきれなくなると待機していた別の騎が支えに入り、ついに見渡す限りもある大きな旗になってガリア兵たちの眼前に姿を表した。

「あ、あれは、あの杖を交差させた紋章は!」

「なんということだ。あれは我がガリア王国の国旗ではないか」

 そう、それはガリア国民であらば平民でも知っている母国の紋章であった。それが巨大な旗となってトリステイン軍の頭上になびいている光景には貴族平民問わずに動揺して、さらに指揮官たちにも波及した。

「むうう、トリステインの者どもめ。我らを愚弄するつもりか、全軍で一思いに揉み潰してくれよう」

「しかし、司令官どの。このままきゃつらを攻撃すれば、あの大旗にも魔法が当たってしまいまする。それでもよろしいでしょうか?」

「ぬ、ぬうぅっ、そんなことができるか! おのれえっ、全軍いったん進撃中止!」

 司令官は苦渋の思いで命令を下した。自国国旗への汚損は国への忠誠を最大の使命とする貴族にとって最大の不名誉となる。意図的でなかろうとも汚点は残り、出世の道は狭くなる。

 理性を残した洗脳であるがゆえに有効な手と言えた。しかし、相手の誇りを人質にしたような姑息な手段であり、ド・ゼッサールが気乗りを見せなかったのはこれが理由である。

 だが、手段の是非はともかく、これでガリア軍の前進は止まった。津波のようだった軍団は足を止め、不気味などよめきを見せている。

 ただし、それもわずかな間だけだ。態勢を整えたら、怒る敵将の苛烈な攻撃が一瞬でトリステイン軍をもみつぶしてしまうであろう。トリステイン軍に同行していた水精霊騎士隊の少年たちは、数分後に迫った確実な死に背筋を震わせ、アンリエッタも杖を懸命に握りしめている。

 数分が過ぎ、ガリア軍が再び隊列を揃えた。今度は杖を構え、槍を並べ、突撃体型をとっている。もはやこれまでか……アンリエッタが自分の決断を後悔しかけた時、二人の貴族が空の一角を指差して我を忘れたように叫んだ。

「おお、女王陛下、あれを、あれをご覧くだされ!」

「ついに、ついにおいでくださいましたぞ!」

 はっとして東の空を見上げたアンリエッタたちの目に、それは飛び込んできた。遠くの空から、一隻の風石船がこちらに向かって飛んでくるのが見える。

「あれが、あれがそうだというのですか?」

「そうです。おお、我らの旗を目印に! ここです。ここにおいでくださいます」

 将兵たちの目にも、こちらへ向けて猛スピードで飛んでくる船の姿が映り、彼らも等しく指差してどよめいている。

 そしてガリア軍のほうも、トリステイン軍があらぬ方向を指して騒いでいるのを見て接近してくる船影に気付き、司令官は突撃命令を呑み込んで空を見上げた。

「空からだと? バカな、トリステインの艦隊が動いたとは聞いていないぞ。ええい、対艦戦闘用意だ!」

「お待ちください司令殿! 近づいてくるあの船の帆に描かれている旗は、我がガリアのものです!」

「なにい!?」

 司令官は愕然とした。援軍か? だが、空中艦隊が出撃したとは聞いていない。となると、あの旗のようにトリステインの謀略か?

 想定外の事態に司令官は混乱した。敵か味方かわからない船が近づいてくる。味方ならよいが、敵だとしたらいかに何万という軍団でも軍艦の砲撃には無事に済まない。敵とみなして先制攻撃しようにも、もし本当に味方だったら責任問題となる。

 その迷いが彼に命令を下す時間を奪った。風石船はものすごいスピードでこちらに向かってくる。いや、あれは船の速さではない、あれは。

「風石の炊きすぎで暴走している。いかん、こちらに落ちてくるぞーっ!」

 気づいたときにはもう何をするにも遅すぎた。風石船はブレーキをかけることもできないようなスピードで、帆や船体を千切りながら落ちてくる。ガリアの司令官とアンリエッタがほとんど同時にほぼ同じ命令を放った。

「総員、伏せろーっ!」

 ほかにできることはなかった。貴族も平民の兵も吸い込まれるように地面に伏せ、次の瞬間風石船はトリステイン軍とガリア軍の中間の地点に墜落した。

「うわーっ!」

 船が落ちた衝撃で、舞い上がった土煙と船の破片が雨のように降ってくる。船は五十メイルばかりのたいして大きくない船だったが、落着で船底が大きくひしゃげ、船体はくの字にへし折れている。

 呆然と落ちてきた船を見上げる両軍の兵たち。いったいこの船はなんなんだ? すると、傾きながらも雄々しくそびえ立っているマストの下から、帆に描かれたガリア王国の紋章を背負うようにして、一人の凛々しい男が現れた。

「我が忠勇なるガリア王国の臣民たちよ、今日まで大義であった!」

 彼は眼前に居並んだガリア軍の将兵たちに、風の魔法で増幅された澄んだ声で呼びかけた。

 たちまちどよめくガリア軍。無論すぐに、司令官から「何奴だ!」という叫びが届くが、そこにトリステイン側からあの二人の貴族の怒声が響いた。

「無礼者! ガリア王国元帥ダウリン侯爵、控えるがいい!」

「このお方をどなたと心得る!」

 その声に、攻撃しろと命じかけていた司令官は言葉を失った。

 どういう意味だ? その場にいるすべての人間の視線と意識がその男に注がれる。

「侯爵、私の顔を見忘れたかね?」

「なに? なっ、バカな、あなたはまさか。そのお顔は、その青い髪はまさか!」

 司令官の目と顔が驚愕に歪み、その場にいるほかの貴族たちも、その男の姿に記憶を呼び起こされて愕然とした。

 そんな馬鹿な、ありえない。しかし、あの凛々しいお姿、何よりガリア王族の証である空色の髪は確かに。

 

「聞け! すべてのガリアの民たちよ。我が名はシャルル、シャルル・ド・オルレアン。ガリア王家の血を引く、真の王位継承者である!」

 

 猛き宣言が空を震わせ、数万の人間の驚愕がそれに続いた。

 オルレアン公? あの、聡明で知られ、かつては次期国王には確実と呼ばれたオルレアン公シャルルだって? いや、しかし。ガリア軍の司令官は激しい動揺をなんとか圧し殺しながら、シャルルと名乗った男に問いかけた。

「そんな、そんな馬鹿な。オルレアン公は前王の死の直後に反乱の疑いで……」

「そう、処刑された。だがそれは表向きのことで、私は捕らえられて幽閉されていたのだ。恐らくはゲルマニアの王のように、王家の血をなにかに利用するつもりだったのだろう。しかし、潜伏して機会を待っていた同志たちによって私は助け出され、我がガリアが危機にあると聞いて飛んできたのだ!」

「し、しかし、まさか……」

「信じられないのも無理はない。ならばこの身を好きに調べてみるがよい。私は逃げも隠れもしない」

 そう告げるオルレアン公に、司令官は軍医の水のメイジを呼び出して、あの男を調べよと命じた。

 命令されたひげ面の老齢の軍医は護衛の兵に付き添われて船に上がり、オルレアン公に一礼すると、様々な魔法で彼を調べ始めた。彼は本物のオルレアン公と会ったこともあり、水のスクウェアメイジとしても名の高い人物であるため、その診断には信頼がおけた。

 ディテクトマジックや体内の水の流れなどを確認し、他人が変装している可能性を確認していく作業を、誰もが固唾を飲んで見守った。これだけの手を尽くせば、どんなに念入りに化けたとしても尻尾をつかめるはず。

 そして、軍医は最後の検査を終わると、彼の前でひざまづいて深々と頭を垂れた。

「おお、おお……本当に生きておいでだったのですね、オルレアン公」

 その言葉に、ガリア軍の将兵たちに衝撃の波が伝った。あのオルレアン公が帰ってきた、これは夢だろうか? しかし、まだ信じられないという顔をしている者たちに向かって、彼はこう告げたのだ。

「諸君、信じられないのも当然だ。だが、私は諸君らに私が正統な王位継承者である証拠を示すことができる。さあ、ガリア王国軍の諸君、『目を覚ますのだ!』」

 言葉が電光となり、その瞬間ガリア軍すべての耳から衝撃となって頭の中を駆け抜けた。

 将兵たちの脳裏にかかっていたもやが晴れ、彼らは一様にひとつの”当たり前”を思い出した。

「俺たちは、どうしてトリステインと戦争なんかしているんだ?」

 将兵たちの胸に困惑と、トリステインの町や村を蹂躙してしまった罪悪感が浮かんでくる。しかしオルレアン公は将兵たちの混乱が実体化する前に、皆に聞こえるように告げていった。

「諸君、戸惑うのももっともである。だがそれは、ジョゼフが諸君らにそうした暗示の魔法をかけて操っていたからで、諸君らに罪はない。そしてジョゼフは魔法が解かれないように、解除の手段は王家の人間の声によってのみおこなわれると設定していたのだ。しかし、王家の血を引く者はここにもいた。どうかね諸君、これでも私が本物のシャルルかと疑う者はいるか?」

 返答は、ガリア軍全体から立ち上った巨大な歓声であった。

「シャルル! シャルル!」

「オルレアン公万歳!」

 名君とうたわれたオルレアン公が生きていた。それも、悪辣な無能王を倒すために帰ってきてくれたという感動は貴族と平民の垣根を超え、歓喜と興奮となって沸き上がっていた。

 オルレアン公はしばらく歓呼の声を送るガリア軍の将兵たちに手を降って答えていたが、やがて手を下げて将兵たちを静まらせた。そして船から降りるとトリステイン軍のほうへやってきて、アンリエッタの前で深々と頭を下げて詫びた。

「お初にお目にかかります、アンリエッタ女王陛下。突然のことと、そして我が兄ジョゼフの暴挙によって貴国に多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたことを、深くお詫び申し上げます」

 それは作法に則った、一分の隙もない陳謝の礼であった。

 アンリエッタを始め、トリステインの将軍も士官も一人たりとてオルレアン公を責めることなどできなくなっている。それほどに気品に溢れた振る舞いを目の前の美々しい男は見せ、そんな彼の姿に涙を流しながら、あの二人の貴族はオルレアン公に駆け寄った。

「おお、シャルル様。生きてこうしてお会いできるとは夢のようでございます」

「この日のために、我ら一同耐え忍んでおりました。あなた様とともにジョゼフを倒し、ガリアをあるべき姿へと戻しましょうぞ」

 感涙しながら忠誠を示す二人の家臣に対して、オルレアン公は二人の肩に順に手を置くと、優しくねぎらいの言葉をかけられた。

「今日のこの日を始祖ブリミルに感謝しよう。君たちの忠誠は城いっぱいの金塊にも勝る宝である。私も諸君らのことを牢獄の中から忘れたことはなかった。私の全身全霊をもって皆の期待に応えることを約束しよう」

 まさに、王たる者の鑑と呼べる振る舞いに、それを見ていたトリステイン側からも感嘆の声が無数に流れた。

 そしてオルレアン公はあらためてアンリエッタに向き合うと、情けを乞うかのように頭を伏した。

「女王陛下、ガリアがトリステインにおこなってしまった罪は、お詫びのしようもありません。それも、兄ジョゼフの暴走を止められなかった私の罪、どうか、いかようにでもお裁きください」

「……オルレアン公シャルル殿、どうか頭をお上げください。わたしも正直、まだ気持ちを整理しきれないでいます。けれど、あのガリアの民の声を聞けば、あなたがガリアを良き方向に導ける方だということはわかります。過去に何があろうと、それで未来までも閉ざしてはいけない。そうではありませんか」

 アンリエッタは言外に、何の責任も問うつもりはないということを示していた。オルレアン公はアンリエッタに再度一礼し、青い眼差しを向けながら口を開いた。

「さすが、噂に名高いトリステインの新女王陛下。あなたのご活躍は、牢内にあっても度々耳にしておりました。女王陛下、私はこれよりこの者たちとともに、ガリアを本来のあるべき姿にしていくため、ジョゼフの元へ向かおうと思っています。その結果がどうなるかはまだわかりませんが、もしも私たちの理想が花開くことがあれば、ガリアを貴国の友好国にしていただけるでしょうか?」

「それは、つまりあなたはご自分の兄上を屠ることになってもよいとお考えなのですか?」

「できれば兄上が説得に応じてくれることを願っております。ですが、幽閉されている中で私も考えておりました。実の弟に対してこれほどの仕打ちをする兄に情けをかけることが、果たしてガリア王国の将来のためになるのかということを。最善は尽くす所存でありますが、もしも兄が譲ってくれないのであれば、私は兄を排除する覚悟を決めています」

 それが王族に生まれた人間の宿命なのだと語るオルレアン公に、アンリエッタは自分に兄弟がいなかったことは幸運だったのかどうかと自問した。もし自分に姉や妹がいて、国のためにその首を手にかけねばならないとしたら自分は耐えられるだろうか。

 王族としての責務と誇り。夫のウェールズらを通してさらに学んできたつもりであったが、まだまだ自分は未熟であったようだ。ならばこそ、目を背けるわけにはいかない。

「オルレアン公、ことはトリステイン一国にとどまるものではないため、この場で確約はできません。ですが、わたし個人としては、悪意なく手を差しのべてくる人に対しては、喜んでその手を取りたいと考えています」

「慎重なご配慮、噂通り貴女は賢明なお方らしい。私は、決まっていない未来を手形にするなど浅慮でありました。では、隣の国に住まう者同士の友情として、私がこれから差し出す手とは握手していただけるでしょうか?」

「喜んで」

 アンリエッタ女王と、次期ガリア国王であるオルレアン公は歩み寄ると、固く握手をかわした。

 その光景に、トリステインとガリアの両陣営からは空を震わせるような大歓声が鳴り響く。

「アンリエッタ女王陛下、万歳!」

「シャルル国王陛下、万歳! 万歳!」

 すでにガリアの者たちの中ではシャルルが王ということで決まっていた。ジョゼフの元々の不人気ぶりもあるが、オルレアン公がたった今見せた気品と威厳ある振る舞いがガリアの人間たちの心を捉えたのだった。

 まさに熱狂。貴族も平民も区別なく、共通の喜びを甘受し、共通の夢に思いをはせている。

 トリステインの側からも、アンリエッタとオルレアン公をたたえて万歳が繰り返されている。軍の片隅では水精霊騎士隊の少年が、ここにいないギーシュに「隊長、おれたちは歴史が動く瞬間に居合わせましたよ」と、涙ながらにつぶやいていた。

「ガリアとトリステインに、平和と栄光を」

「いいえ、平和はアルビオンにも……いえ、ハルケギニアすべてに必要なものです」

「では、ハルケギニアに平和と、新しい栄光を」

「栄光を」

 この瞬間、まだ正式にはなっていないが、トリステインとガリアの同盟が実質的に締結された。むろん、ガリア本国に残っている兵力はこの場にいるものをはるかに上回る強大さであるが、そんなものを恐れている者はこの場に誰もいなかった。

 一日も経てば、オルレアン公の生還とガリア遠征軍の離反は世界中に轟くだろう。新聞はこぞって書き立て、人々の口から口へと津々浦々にあっという間に知れ渡る。

 そうなったとき、世界は民からあっさり見放されたジョゼフを見限り、人望豊かなオルレアン公に近づくに違いない。ジョゼフ派の貴族も少なからず存在しはするけれど、ガリアの多くの国民がどちらに味方するかは火を見るより明らかだ。

 

 この日、人々は始祖の遣わした奇跡の瞬間を見たと、生涯の記憶に鮮烈に刻み込んだ。

 誰もが、これから来るオルレアン公によるガリアの解放と、ガリア国王となったオルレアン公による善政を夢見て幸福に酔いしれた。

 

 だが、希望に満ちた未来を信じる人たちの光が増す一方で、その影を追って走る者たちがいた。

 オルレアン公の復活から半日を経たガリア王国、北方地帯。リュティスから離れたそこで、トリステインを目指して急ぐ一団の姿がある。

「走れ! 一刻も早く、このことを女王陛下にお知らせするのだ」

 馬車の車軸が吹っ飛びそうなほど馬を走らせて、ミシェルたちの一行は必死に来た道を戻っていた。

 もはや、関所がどうだなど関係はない。第一、関所の軍隊や役人もオルレアン公帰還の報で仕事どころではなくなっている。まさに、オルレアン公という人物はただの一人でガリアを根底から揺さぶるほどの衝撃をガリア国民に与えたのだ。

 それほどの人物がかつてガリアにいたということには、ある意味羨望を禁じ得ない。いつの世も、大衆が望むのは有能な統治者である。ミシェルたちは今のガリアを見て、現国王がそこまでの暴君だとは思わなかったが、それだけかつてのオルレアン公は民衆の期待値が大きかったのだろう。

 ただし、それも本当に死んだはずの人間が帰ってきたなどということが起こったらの話だ。地下カジノでゴドラ星人からジョゼフの恐るべき計画を聞いたミシェルたちは、なかば強奪ぎみに馬車を手に入れるとリュティスを飛び出してきた。

「くそっ、遅い。もっと速くできないのか」

 ミシェルは額に汗をにじませながら吐き捨てた。空飛ぶ乗り物は軍隊に抑えられている。伝書鳩系の動物連絡もパンク状態の上に、使えたとしても確実性がない。自分たちで直接伝えるしかないのだ。

 しかし、十数人を乗せた馬車は重い。考えてみればリュティスに継続調査要員として半数くらい残せばよかったが、焦っていて思いつかなかった。

「いやああ! 私はもう無関係でしょ、おーろーしーてえぇぇ!」

「うるっさいわね。もうここまで来たら乗りかかった船でしょヴァレリー! あなたもトリステイン貴族なら国の大事に覚悟しなさい!」

 別の意味でやかましいのが二人いるが、先のこともある、何かの役に立つかもしれないから連れていたほうがいいだろう。

 行きのときの大変さを思えば、恐ろしいほど簡単に国境を越えられた。このまま走って、トリステイン軍へと飛び込んで報告する。そうしなければ……。

「女王陛下、早まらないでくださいっ」

 アニエスが一線を離れているのも痛かった。思えば、女王陛下を一人にしてしまったのが最大の失敗だったかもしれない。

 見慣れた道を駆け、山を越えていく。しかし、二つ目の峠を越えようとしたときだった。馬車の幌の中に、馬の手綱を引いていた銃士隊員の悲鳴が響いたのだ。

「きゃあぁっ!」

「どうした!?」

 悲鳴を聞き付けたミシェルはとっさに剣をとって飛び出した。すると、手綱を握っている隊員を、大きな鳥のようなものが襲っているではないか。

「このっ!」

 ミシェルは剣を振り、隊員を襲っていた鳥を斬り落とした。だが、落とした鳥の姿を見たミシェルは愕然とした。

「大丈夫か? うっ、こいつは!?」

 それは流線型の姿をした、鷺のように鋭く長いくちばしを持つ異形の鳥だった。こんな姿の鳥はハルケギニアのどこにも生息してはいない。しかし、ミシェルはこの鳥に見覚えがあった。

「まさか、うっ、あれは!」

 馬車の上を、巨大ななにかが飛びすぎていく影が通っていった。それと同時に、上空から今のと同じ鳥が無数に襲いかかってくる。

「ひっ、ひいっ!」

「だめだ止まるな! 駆け抜けろ!」

 怯えて手綱を引きかけた隊員を叱咤し、ミシェルは杖を構えて呪文を唱えた。すると、馬車の周囲から石が宙に飛び出して、弾丸となって鳥の群れを撃ち落とした。

「や、やりました!」

「まだだ。まだ来るぞ、全員で迎撃態勢をとれ!」

 油断せずにミシェルは命じた。見上げた空には、まだ多数の怪鳥が旋回してこちらをうかがっている。

 命令を聞いて、銃士隊員たちは剣をとっていつでも飛び出せるように構え、エレオノールとヴァレリーも遅ればせながら杖を手に取った。

「なに? どうしたって言うの?」

 ヴァレリーが不安そうに尋ねてくるが、そんなの決まっている。これは敵襲だ。自分たちをこれ以上進めないための、待ち伏せに違いない。

 そして、攻撃を仕掛けてきた奴は……この肌がざわつくような悪寒、思い出したくもない。

 そのとき、太陽が黒い影で隠されて、上空に居座る巨大な影が一行の目に入ってきた。

「副長、あの怪鳥、あの怪獣は確か!」

「そうだ、アルビオンのときの。だが、あれは確かにあのとき倒されたはずだ」

 ミシェルは苦虫を噛み潰したように言った。

 今襲ってきた小型の怪鳥をそのまま巨大化させたような、細長い体と鋭いくちばしを持つ巨大怪鳥。円盤生物サタンモアだ。

 だがあの怪獣は、そう、確かにあのとき……そのときだった。サタンモアから、二度と聞きたくなかった男の声が響いたのだ。

「はっはっは、久しぶりだね、銃士隊のレディ」

「やはり、貴様か……!」

 その気取ったヒゲ面は忘れようが無かった。とっくに地位をはく奪されているグリフォン隊の衣装をきざに着込み、見下ろしてくる顔はエレオノールにも見覚えがある。

「ワルド……貴様、城の地下牢に幽閉されていたはず!」

「あいにく、親切な人に助け出してもらえてね。こうして、恨み重なる君たちに復讐する機会をもらえたというわけさ」

 ワルドはサタンモアの背で高笑いしながら杖を振り下ろした。

 因縁と呼ぶにはあまりにも陰湿なワルドとの戦いがまたも始まる。不愉快極まりないが、奴を切り抜けなくてはこの先へは進めないようだ。

 憎悪に燃えた眼差しで見下ろしてくるワルド。しかしエレオノールは、ワルドは昔からいけすかない男ではあったけれど、あんなに復讐に燃えるような感情的な男だったかしらと、わずかな違和感を覚えていた。

 けれど、ワルドなどに時間を取られているわけにはいかぬ。ミシェルは、ワルドを忌々しく見上げていた目を街道の行く先へ向けると、まだ長い道のりに焦燥を込めてつぶやいた。

「女王陛下、どうか我々が行くまでは……そのオルレアン公は、そのオルレアン公は……」

 

 

 続く



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第17話  ジョゼフ包囲網結成

 第17話

 ジョゼフ包囲網結成

 

 円盤生物サタンモア 登場

 

  

 その日、ハルケギニアはトリステインから発せられた一報で、衝撃というのも生ぬるいような激震に見舞われた。

 かつて、暗殺されたと噂されるガリアの皇太子、オルレアン公シャルルの生還。それにより、オルレアン公のガリア王権奪取が始まるという宣言は、貴族も平民も混乱の巷に叩き込んだ。

「もう野望のために民を利用する兄ジョゼフを許してはおけない。ガリアの臣民よ、私に力を貸してほしい」

 この言葉を聞いたガリアの国民たちは歓喜した。そして、突然の出兵で食料や物資が取り上げられ、不満が爆発寸前であったことが後押しし、我も我もとオルレアン公を支持することを表明した。

 人々は名君として大いに期待されていた頃のオルレアン公を思い出し、その治世に今から大きく夢を抱いている。また、現在の王政府の主流派であるジョゼフ派からは反発が予想されたが、オルレアン公は彼らにもこう明言していた。

「私は始祖に誓って約束する。たとえ今は兄に仕えている者でも、心を入れ換えて新ガリアに尽くすのならば、私は友人として迎え入れる。また、私とともにある者たちは我々に降る者を決して妨げたり虐げてはならぬ。これを全ハルケギニアの前で誓約せよ」

 ここまで堂々と宣言されては、排除される恐怖にかられたジョゼフ派の貴族たちにも迷いが生じる。もちろんテレビもラジオもなく、新聞と口述が最速の世界なのでまだデマを疑う者はいるが、すでに大きな流れは止めようもなく拡大し続けている。

 トリステインに侵攻していた軍隊は、すでにオルレアン公によって洗脳を解かれて傘下に加わったという。数日とせずに引き返してガリアに姿を見せるのは間違いない。そうなれば、うねりは怒涛となってガリアを覆いつくすことだろう。そのときに義勇兵としてオルレアン公の陣営にはせ参じようと武器を取った者も、早くも数百を超えようとしていた。

 

 むろんそれは、ハルケギニアの他の国にとっても重大なことである。初めに接触したトリステインは言うに及ばず、アルビオンやゲルマニア、いまだ政争が続くロマリアにあっても、大国ガリアとの関係は国政上無視できない案件である。

「即刻、オルレアン公に味方を表明するか」

「現ガリア王を正統とみなしてオルレアン公を認めないか」

「はたまた、大勢が決するまで様子見をするか」

 いずれを選ぶかによって、自国のその後は大きく変わる。これからガリアを相手にどういう態度を示すべきかということは、各国にとって緊急の命題になっていた。

 オルレアン公は軍門に下ったガリア軍とともにガリアに帰る。恐らくガリア王はオルレアン公の帰還を許さずに軍を動かして内戦になるが、それは長くは続かない。そして戦争は、やってみなければ勝敗はわからない。

 まず間違いなく、この数日がガリアの、いやハルケギニアの歴史の転換点になると、各国の王は決断に迷い、世界中の注目がガリアに集まっている。

 

 だが、それらのすべては表面上のものでしかないことを、人々は知らなかった。おとぎ話の勇者のように劇的に現れたオルレアン公が本当は何者であるのか、その裏で本当は何が企まれているのか。

 真実を知れた者たちは、それを暴くために急ぐ。しかし、そうはさせてなるものかと、悪の使いたちが立ちふさがってきたのだ。

「ふはは、諸君らには残念だが、ここを君たちの墓場にさせてもらおう。鳥葬できれいな骨になって逝くがいい!」

 円盤生物サタンモアを駆り、帰路のミシェルたちを襲撃したのは大罪人として幽閉されているはずのワルドだった。サタンモアはその腹部から、自らの分身である小型円盤生物リトルモアを無数に繰り出し、地上で馬車を急がせるミシェルたち一行を襲わせる。

「くぅ、ワルド貴様。その怪獣はあのとき確かに倒されたはずだ。いったい何をした?」

「これから死ぬ者がそんなことを知っても意味があるまい。お前たちから受けた痛みの数々、忘れはせん。まずは貴様の心臓からえぐり出してやる!」

 ワルドは問答無用とリトルモアの大群を差し向けてきて、飛ぶ術のないミシェルたちはリトルモアから馬車を守るだけで精一杯であった。

 しかし確かに、あの怪獣……サタンモアは倒されたはず。それにワルドも、ラ・ロシェールの戦いでアニエスが心臓を貫き、変貌した怪獣も倒されたはず。

 いや、それを言うなら死んだはずのワルドが再び現れたことをわたしは知っていたはずなのに、なぜ今まで忘れていた? あれは確か……。

 だが、槍のように次々に高速で落ちてくるリトルモアの途切れない襲撃が、ミシェルに考える暇を与えてはくれなかった。剣を振り、杖を振るってリトルモアを打ち落とし、銃士隊の仲間たちも懸命に剣を振ってリトルモアを叩き落としている。

「くそっ、せめて馬だけは死守しろ。足を奪われたらおしまいだ!」

 ミシェルはこのままでは長くは持たないと思って命じた。馬ならまだしも、人の足であの怪鳥から逃れるのは無理だ。すでに馬車の幌はボロボロ、車体もいつまで持つかわからない。

 けれどワルドはそんなミシェルたちの苦境を嘲笑うかのように、サタンモアの口からロケット弾を放って攻撃してきた。赤黒い爆炎が馬車の前に立ち上がり、馬が怯えて急停止しかかるところを、ミシェルは馬の背に飛び乗って手綱を引く。

「ハイヤーッ! 止まるな、そのまま駆け抜けろ!」

 ミシェルの力強い命令に、馬ははっとしてブレーキをかけるのをやめた。しかしこの馬車は二頭立てで馬はもう一頭いる。だがそこへ、ミシェルに続いてエレオノールが空いている馬に飛び乗って手綱を握ったのだ。

「はあっ! 怯えるんじゃないわよ。いい子だから私に従いなさい」

「ミ、ミス・エレオノール!?」

「なによ、ルイズに馬術を教えたのはこの私よ。これくらいのことは、ヴァリエール家じゃ必須技能なんだから」

 想像以上の巧みな手綱捌きはミシェルも感心するほどであった。名騎手二人に率いられた二頭の馬は目が覚めたように勇敢に爆風を突っ切り、無事にその先に躍り出た。

「抜けたっ!」

「よしよし、いい子ね」

 もし止まっていたら逆に爆発をもろに食らったかもしれない。二人は命令に従った馬を誉めた。強奪同然に乗ってきた馬車だが、馬はどうやら当たりだったようだ。くすんだ赤毛と深い青毛のたてがみを持つ二頭の馬は、疲れを知らないように駆け続ける。

 その様子を、ワルドは感心したかのように見下ろしていたが、余裕の笑みを浮かべながらサタンモアの背を蹴った。

「こうでなくてはな、ウサギの生きがよくなくては狩りは面白くない。では、次の追い込みをかけようか」

 すると、サタンモアから今度は何かを抱えたリトルモアが数機出撃した。すると、そいつらは馬車の行く先に降下すると、それを地面に投下した。

 なんだ? ミシェルたちが怪訝に思う前で、それは卵から孵った生き物のように膨れていき、人間大のサイズからさらに変化して、見覚えのある怪物の姿へと変わったのである。

「ヒュプナス!?」

「ツルクセイジンじゃないの!」

 二人が驚くのも無理はなかった。ミシェルが何度も戦った人造生命体、それにミシェルたちが倒した後にアカデミーに死体がサンプルとして持ち込まれた通り魔宇宙人がそこにいた。

 現れたヒュプナスとツルク星人は、馬車の正面から突っ込んでくる。ミシェルは反射的に手綱を引きかけたが、エレオノールの怒声がそれを打ち消した。

「違う! 走るのよ!」

 ミシェルははっとした。そうだ、以前苦戦させられた経験から腰が引けてしまったが、ここで止まったら袋叩きにされてしまう。ミシェルは覚悟を決め、馬の腹を蹴った。

「突っ込め、爆炎のロッソ!」

「蹴散らしなさい、俊足のブル!」

 赤毛と青毛なので即興でつけた馬の名前を叫び、馬車はさらに加速した。

 ヒュプナスとツルク星人は馬車の直前でジャンプして空中から襲いかかってくる。ミシェルとエレオノールは杖を握り、呪文を唱えて迎え撃った。

”果たしてこいつらに、こんな状況で勝てるか?”

 かつての苦闘を思い出してミシェルの心に霜が降りる。しかし迷いを振り切って放った二人の魔法は、一発で二体を真っ二つに切り裂いて地面に叩き落としたのだった。

「やった!」

「さすが副長」

 銃士隊員たちから歓声があがる。かつての強敵をあんなに簡単に撃破してしまうとは。

 だが、ミシェルはかぶりを振って叫んだ。

「違う! 手応えが軽すぎる。こいつらは……」

 その答えは、地面に落ちた二体の死骸を見てわかった。ゴロゴロと転げながら金属音を立て、やがてただの鎧になった様に、エレオノールやヴァレリーは唇を曲げながら言った。

「スキルニル……魔法人形の一種ね。道理でもろすぎると思ったわ」

 つまり本物の星人ではなく化けさせていただけというわけだ。そのやり口に、彼女たちはワルドの狡猾さを見た。過去のトラウマを利用して怯えさせて足を止めさせようという目論み、汚いが効果的だ。

 危うく引っかかりかけたことに、ミシェルは怒りを込めて空のサタンモアとワルドを見上げた。

「ゲスが、地獄から這い出てきても性根がネズミなところは変わらなかったようだな」

「誉め言葉と受け取っておこう。君たちのようなすぐ噛みつく獣を狩るには知恵を使わないといけないのでね。さらに追い込みを続けさせてもらうよ」

「獣か、だが今のわたしは女王陛下をお守りする誇り高い番犬だ。ドブネズミめ、今度は二度と生き返らないように、引きずり下ろして細切れにしてやる!」

 それは比喩でもなんでもなく、確実に息の根を止めるためにはなんでもやるつもりだった。

 しかしワルドも憎悪を込めて言い返す。

「おもしろい。平民風情が調子に乗るのもこれまでだと思い知らせてくれる。徹底的に恐怖を味わわせてから皆殺しにして、貴様らの生首を犬に食わせてやるぞ!」

 ワルドから立ち上る怒りと憎しみの気配は、離れているミシェルやエレオノールの肌をも震わせるくらいのどす黒い熱さがあった。奴は本気で、ミシェルたちへの復讐を果たそうとしているようだ。

 しかし、エレオノールはやはりワルドのそんな様に違和感を覚えていた。ヴァリエール家とワルドの実家は長年の付き合いがあり、エレオノールもワルドをかなり昔から知っている。ワルドは満点とまでは言えなくとも、模範的な貴族としての風格は身につけていた男だったはずだ。たとえその態度がルイズを婚約者としていただくための演技だったとしても、じっくり時間をかけて念入りに行動する思慮深い男だったはず。いくら自分をさんざん邪魔してきた相手だからといって、得にもならないのにこうまで執拗に追い回すものか?

 確かにあれはワルドだ。しかしどこかおかしくて本来のワルドらしくない。

 その答えは、実はワルド自身も知らないうちにワルドの頭の中に仕込まれていた。そう、ワルドを幽閉から助けだした”親切なお方”によって、人々が特定の記憶にだけ異常を起こしたのと同じく、知らないうちに。

 アニエスやミシェルたちによって一度殺されたワルドの中には、無念と怒りが根付いたのは間違いない。だが、正常ならば理性で抑え込めた憎悪を、今は過剰に引き出されてしまっていた。

 

 馬車をどんなに飛ばしても、まだ何時間も走り続けなければならない。それまで逃げ切ることができるだろうか?

 そして、自分たちがこうして追われているということは、こちらの動きは敵に筒抜けだということ。ということは、他の者たちのところにも……。

 不幸なことに、ミシェルのその懸念は最悪な形で的中していた。

 トリステインの各地では、三日前の戦いで力を使い果たしたウルトラマンたちがエネルギーの回復を待っていた。しかし、ようやく再変身ができそうなくらいに溜まってきた彼らのもとにもスキルニルの軍団が襲いかかっていたのだ。

 

 トリステイン郊外、墜落したペダン星人の円盤の近辺で、我夢と藤宮の元にも怪しい刺客が現れていた。

「ウルフファイヤー? どうしてこんなところに!」

 十数体の獣人に囲まれて、我夢は困惑した声を漏らした。

 狼に似たサイボーグ獣人ウルフファイヤー。我夢も戦ったことのある相手だが、なんの前触れもない唐突な現れ方をして、円盤の調査中だった我夢を襲ってきた。間一髪、藤宮が勘づいてくれなければ危なかったかもしれない。

「油断するな我夢、くるぞ」

 藤宮が告げると同時に、二人を取り囲んでいるウルフファイヤーたちが襲い掛かってきた。

 ウルフファイヤーは人間以上の身体能力を持っているが超越しているわけではない。訓練された人間なら十分対抗できるレベルで、特に藤宮博也ならば複数が相手でも互角以上に戦えると我夢も見積もっていたが、戦い始めるとすぐに二人は違和感に気づいた。

「こいつら、この動き、以前戦った奴らとは違う」

「ああ、獣というより人間のような。我夢!」

 違和感の正体を確かめるために、藤宮は一体のウルフファイヤーを蹴り飛ばした。そして姿勢を崩したウルフファイヤーに向けて、我夢はジェクターガンの引き金を引いた。レーザーが突き刺さり、ウルフファイヤーの姿が消えて鎧人形が転がる。

「こいつら、ニセモノだ!」

「擬態させたデク人形か。化けさせたのは俺たちを混乱させるためか、あるいはイヤガラセか」

 藤宮は忌々しそうにつぶやいた。

 ガイアもアグルも、ニセモノには嫌な思い出がある。我夢は相手が生き物でないなら構わないとジェクターガンで次々にスキルニルを仕留め、藤宮もXIGから借りてきたジェクターガンでスキルニルを破壊していった。

 しかし、スキルニルはウルフファイヤーの姿をとったものだけでなく、魚人を模した者なども次々に現れて二人を辟易させた。

「こいつら、やっつけてもやっつけてもキリがない」

「自動人形はこっちの世界では貴族なら特に珍しくもない代物らしい。それなりの資産がある奴ならいくらでも用意できるだろう」

「それってつまり、彼女のところの」

「どこまで関係しているかはわからんがな。ただ、この鉄屑どもを差し向けてきた意図は想像がつくだろう?」

 藤宮のその問いかけに我夢はうなづいた。たいして強くもない、数だけは多い雑兵どもをこのタイミングで送りつけてくる理由、それは。

「時間稼ぎだね」

「そうだ。その王様どうやら、この数日で本気ですべてを終わらせるつもりらしいな」

「それに、そんなことを許すということは、”あいつ”も準備が終わって動き出したってことかも。くそっ、わかっているはずなのに、こっちは後手に回ってばっかりだ」

 我夢の言葉には悔しさがにじみ出ていた。これだけの数のウルトラマンがこの世界にはいるというのに、敵の企みをなにも予防できないでいる。

 しかし、藤宮は落ち着いて我夢に告げる。

「それは昔からだ。俺たちはどうしても守りの戦いを強いられている。破滅将来体のときからずっとな。焦って無理に反撃しようとしたらどうなるかは、お互いにわかっているだろう?」

 その言葉に、我夢もうなづいた。侵略者は一方的にこちらに攻撃を仕掛けてくる。それは腹立たしいものだが、かといって手の届かないところへ無理に手を伸ばせば、地球怪獣たちの混乱を招いたアグルの失敗や、ワームジャンプミサイルの攻撃を逆用されたG.U.A.R.D.の過ちをまた招くことになってしまう。

 守りながら攻めるほど難しいものもない。それでも、守るべき大切なもののためにウルトラマンは戦うのだ。

 だが、スキルニルの軍団をなんとかいなしていた我夢と藤宮の足元から、不気味な地鳴りが近づいてきた。

「あれは!」

「魔法人形もああまで大きいと怪獣だな」

 二人の前に姿を現したのは、以前にロマリアで才人たちが戦ったヨルムンガントの同型機であった。

 ただし、大きさは以前が二十メイル以上あったのに対して十メイル以下ほどまで小型化している。量産性と取り回しの良さを優先した後継機であろうが、それでも全身に鋼鉄の鎧を着こんでおり、人間から見れば強敵である。ジェクターガン程度では、破壊できなくはないが苦戦させられそうだ。

 ヨルムンガントの巨体を前にして、我夢も藤宮も無意識にエスプレンダーとアグレイターに手が伸びかかる。けれど我夢はぐっと我慢して藤宮に言った。

「わかっているよ藤宮。あいつは僕たちのなけなしのエネルギーを無駄遣いさせようとしてることくらい」

「だが、あからさまでも奴らは俺たちが変身せざるを得なくなる状況に追い込もうとしている。恐らくウルトラマンになれば、あっという間に勝てる。しかしまたしばらくの間、俺たちは必要なエネルギーを失うことになる」

 そうなれば敵の思うつぼ。しかも敵はそうとわかっているからこそ、人間の力では勝てないギリギリのラインを見極めて最低限の攻撃を仕掛けてきている。

 効率的だが悪辣な。シェフィールドの知性の高さを証明するような攻撃の仕方であった。だが、知恵比べなら我夢と藤宮も負けてはいない。

「だがこんな効率重視の攻撃を仕掛けてくるってことは、裏を返せば向こうも出せる手が尽きてきてるわけだ。敵も、焦ってきている」

 我夢と藤宮は顔を見合わせてうなづいた。そういつまでも敵のやりたいようにやらせるわけにはいかない。そのためにも、このヨルムンガントをなんとかする方法を考えねば。

「あのときの取り引きでおとなしくしてやるのもこれまでだ。そろそろ、返すものを返してもらいにいくか」

 こちらだって伊達に何ヵ月もハルケギニアにいたわけではない。いつまでも好き勝手に事を進められると思うなと、二人は思いを共にした。

 

 だが一方、大ピンチに陥っている奴もいる。ウルトラマンダイナことアスカ・シンは、タルブ村からトリスタニアに戻る途中でスキルニルの軍団に襲われていた。

「って、おいぃ! ディゴンにナルチス星人にチェーン星人って、俺は夢でも見てんのかあ!?」

 こちらのほうも、かつて戦った敵に化けたスキルニルに追われていた。タルブ村での滞在に後ろ髪を引かれつつもトリスタニアに戻ろうとしていたが、その途中でいきなり襲われたアスカは大慌てで逃げていた。

 だが、もちろんスキルニルを用意したシェフィールドはアスカの前歴などは知らない。これについてはあのコウモリ姿の宇宙人がこれだけのためにアスカの宇宙まで行ってわざわざ調べ上げたものなのだが、彼曰く「人の嫌がることのためにする努力というものは格別の味がするものでしてねえ」とのことである。

 しかしオモチャにされているアスカにとってはたまったものではない。彼もダイナに再変身する力は溜まりかけているが、ここで変身してしまえばすべて台無しだということはわかっている。

「くっそ、こんなことならガッツブラスターを我夢にメンテに出しっぱなしにしとくんじゃなかった!」

 おまけに運の悪いことに、タルブからトリスタニアまでの道は避難民が大勢いるので大通りに飛び込むわけにはいかず、脇道を逃げるしかない。アスカはやっぱり歩いて帰らずに我夢に迎えをよこしてもらえばよかったと後悔したが後の祭りとはこのことである。

 ただ、アスカはいろいろあって走ることが多かったおかげかスタミナはある。追い付かれないまま安全なところまで逃げ切ろうと考えていたが、ふと前にもこんなことがあったなと思い出した。

「待てよ、もしかしてこいつら、幻なんじゃないのか?」

 SUPER GUTSで戦っていたときに現れた恐怖エネルギー魔体モルヴィアは人間の記憶にある恐怖の対象の幻影を出現させることができた。今回もあのときのように、いるはずのない星人が大挙現れているから、もしやと思ったアスカは立ち止まって振り返ると、迫り来る星人軍団を睨み付けて叫んだ。

「さあ来い、幻め。俺はお前らなんか恐くねえぞ!」

 それは勇気ある決断であった。しかし無謀だった。迫ってきたゾンボーグ兵に殴られたことで、アスカは相手が幻なんかではないことを嫌でも納得させられた。

「本物かよおーっ!」

 また逃げ出したアスカを、星人に化けているスキルニルが追いかけていく。

 足はアスカのほうが速いが、スキルニルは疲れというものを知らない。端から見たらそれは一人の人間と多数の星人の鬼ごっこというシュールな光景だった。しかし。

「ちくしょう、こうなりゃいちかばちか!」

 さしものアスカもスタミナが危なくなり、戦うしかないかと足を止めた。ここでエネルギーを浪費してしまえば、また当面はダイナになれなくなる。そんなときに怪獣が襲ってきたらお手上げだが、このままだとこっちが殺されてしまう。

 なんとかエネルギー消費を抑えて、最低限の力で奴らを倒す。エネルギーが削られるのは仕方ないが、もう他に手はない。

 星人たちはガシャガシャと鎧の音を立てて迫ってくる。落ち着いて考えればそれが星人の足音ではないと気づけたかもしれないが、焦っているアスカには無理な話だった。

 リーフラッシャーを構え、意識を集中するアスカ。ダイナは等身大変身もできる。変身してすぐに奴らを片付ければ、エネルギーの消費は最低限に抑えられる……はず。

 だが、アスカが変身しようとした瞬間だった。タルブ村への抜け道で、使う人の少ないはずのこの道の反対側から、車輪が石を跳ねあげる音が近づいてくるのが聞こえ始めたのだ。

「やべえ、挟み撃ちかよ!」

 逃げ場を失って焦るアスカ。前と後ろから迫るものたちは、確実にアスカに近づきつつあった。

 

 陰謀の真実を暴こうとする者、光を持つ者たちへと刺客が迫り来る。果たして、他の者たちはどうなっているのか……敵の手は次々と彼らの行動を封じ、口を封じるために打たれてくる。

 残りの者たちはどうなっているだろうか。いずれにせよ、執念深いシェフィールドが見逃すことはないだろう。しかし、手持ちのすべてを枯らすほどの攻撃を仕掛けてくるほど価値のある、その先にあるものとは……?

 

 

 トリステインの中央平原。そこでは数時間前までトリステイン軍とオルレアン公に下ったガリア軍が対峙していたが、ガリア軍はオルレアン公に率いられてガリアへの帰途へとつきはじめていた。

「まるで、歌劇を見ていたようですわね」

 夢から覚めたような、虚ろなアンリエッタの声が流れた。

 トリステイン軍はアンリエッタとともに、ガリア軍の去り行く後ろ姿を見送っている。隊列を整え、粛々と、万を越える人間が行進して遠ざかっていく背中を眺めることなどそうはないだろう。

 こんな光景を見ることになるとは、半日前には夢にも思わなかった。国土を蹂躙するガリア軍からトリステインの民を守るための決死の出撃をしようとして、全員が今日死ぬことを覚悟していた。

 だが、事態はオルレアン公の登場で180度ひっくり返った。清廉にして勇壮、あのような立派な貴族を見たことが無い。彼はその威光でガリア軍の心をわしづかみにし、全軍を己の物へと変えてしまった。侵略軍は一瞬にして正義の解放軍へと裏返ってしまったのだ。兵たちは興奮が覚めると現実味を感じられずに呆けている者もいるが、仕方ないことだろう。

 そして今、オルレアン公はガリア軍の先頭に立ってガリアに逆に攻め込もうとしている。その姿はもはやここからは見えないけれど、アンリエッタらの目には彼の猛々しい姿がくっきりと焼きついていた。

「ですが、自らの兄を討伐せねばならないなんて、なんて悲しい人なのでしょう」

 哀れみを込めてアンリエッタは呟いた。

 諸悪の根元である悪王ジョゼフに天誅を加えること。それはガリアの民みなが望むことではあろうが、血を分けた家族を討たなければならない宿命のなんと過酷なことであろう。アンリエッタの傍らに控えるド・ゼッサール卿も、勇壮に去り行くガリア軍を複雑な面持ちで見つめていた。

 だが、憂えるアンリエッタに、うやうやしく進言した者がいた。オルレアン公の命でトリステインに大使として残された貴族である。

「女王陛下、ご無礼を承知で申し上げます。我が主、シャルル・オルレアンは近い将来必ずやガリアの王となられるお方、しかしジョゼフもこのまま黙っていることはないでしょう。公はああ申されましたが、どうか公をお助けいただけないでしょうか」

 その真剣な訴えに、アンリエッタは即答したいのを抑えて、真剣な面持ちに戻って答えた。

「それは、わたくしの一存では決められません。おわかりでしょう、事はもう貴国と我が国だけで済む問題ではないのです」

 オルレアン公を助けたい気持ちはアンリエッタにもある。オルレアン公本人にも、友好的な態度は示したのは確かだが、女王の責務としては、あれで最大限の外交辞令であった。

 なぜなら、他国の内戦に関与するというのはよくも悪くも後への影響が大きい。アンリエッタにその気が無かったとしても、他国から領土拡張の野心を疑われたり、無償で助けても、別のところが「だったら自分たちも助けてくれ」と言い出してきたりもする。国と国との関係とは、そうしたエゴイズムのバランスゲームなのだ。

 もしここでアンリエッタがオルレアン公派との同盟などを約束すれば、城に残ったマザリーニ樞貴卿が烈火のごとく怒るのは目に浮かぶ。しかし、大使は首を横に振ると、真摯な面持ちで続けた。

「女王陛下のお気持ちはよくわかります。なによりすでにガリア軍の手によってトリステインに少なからぬ被害が出てしまっている以上、この上トリステインに軍の派遣や資金援助をお頼みすることはできません。むしろ戦後にそれらを賠償させていただく所存です」

「ではあなた方は、トリステインに何をお望みになると?」

「そのことです。ガリアのことは、我々ガリア人の手で解決するつもりでありますが、万が一ジョゼフやその派閥の者が国外に逃亡するようなことがあれば、戦火が飛び火し、内戦が長期化する恐れがあります。そのため、トリステインには国境をしばらく厳重に封鎖し、誰も逃さぬようにしていただきたいのです」

「それは、望むべきところです。しかし、我が国はともかく、ゲルマニアやロマリア方面に逃亡される可能性もありますわよ」

 むしろ、始祖の血統を欲しているゲルマニアに逃亡される可能性がもっとも高いと思われた。トリステインに逃げ込むのは、進退極まったジョゼフ派の貴族が亡命してくるくらいで、ジョゼフ本人が逃亡先に選ぶとは思いがたい。

「その点は心配ありませぬ。ゲルマニアにも我らの使者がすでに飛び、オルレアン公が王位を得た暁には、ガリア宗教庁からの法命でジョゼフを始祖の血統から除外すると伝えてあります。もしゲルマニアがジョゼフを保護すれば、それは異端と認定されます。それをゲルマニアのブリミル教徒は許さぬでしょう」

 その手回しのよさにアンリエッタは驚嘆した。ゲルマニアの皇帝がいかに悪賢く利に聡い人物であっても、異端というハルケギニアで生きるにして最悪の汚名を着てまでやるとは思えない。残るロマリアはジョゼフが逃げ込んでも後ろ楯になる有力者がいないので、そのまま追っ手を出せばよい。

「わかりました。国境をふさいで逃がさぬようにするだけで、戦火の拡大は防げるのですね」 

「はっ、そして逃げ場を無くすことで、ジョゼフも観念しやすくなるでしょう。あれも命は惜しいはずですからな」

「そういうことでしたら問題はありません。トリステインの空軍と騎士隊を持って、国境はネズミ一匹通しはしないと約束しましょう」

 アンリエッタが了承の意を表したことで、大使は膝まずいて涙を流した。

「おお、おお、ありがとうございます。女王陛下のご期待に答えるためにも、我らは必ずや王位を奪還し、トリステインとともに平和なハルケギニアを作ることを約束いたします」

「頭をお上げください、大使どの。平和を望むことは、王として当たり前のことですわ。それよりも、このくらいのことでしかお助けできないわたくしをお許しください」

「いいえ、まるで百万の味方を得たようでございます。こうしていただくだけで、オルレアン公の正しさを世界が認めたということが万民に知れ渡ります。そう、ハルケギニアによるジョゼフ包囲網ができあがるのです」

「ジョゼフ包囲網、ですか」

「そうです。ハルケギニアが一体となって悪を打つ、私利私欲で王になると罰が下るということを世界に示すのです。そうすれば、ジョゼフのような無能王が玉座に座ることもなくなります。世界は、あるべき姿になるのです」

 力説する大使に、アンリエッタは空を仰いで夢を抱いた。自分も至らないことは多々あるけども、せめて悪い王にだけはならないようにと努めてきた。アニエスやミシェルの境遇を知り、同じ悲劇を繰り返させないために。

 しかし、他国の王にまでは手を出せない。隣の国でどんな悪政が行われていても、民を助けることはできないのだ。それが、こうして悪王を出さないように世界を良い方向に変えられるなら、なんて素晴らしいことだろうか。

「世界にこれから、良き未来が訪れるのですね」

「そうです。オルレアン公は知勇徳を合わせ持った類まれなお方、必ずやジョゼフを大決戦で打ち破ってくれましょうぞ」

 誇らしげに言う大使の言葉に、アンリエッタは頭の片隅がずきりと痛んだような感触を覚えた。

 決戦……ガリアと……前に、こんなことが……?

 奇妙な違和感と、不安が浮かんでくる。これはいったい……? しかし、ド・ゼッサールの「どうなさいました陛下?」という呼びかけで我に返ると、アンリエッタは笑みを見せて皆に告げた。

「いいえ、なんでもありません。それより早く城に戻ってこのことを国民に知らせて、もう戦争はないのだと安心させてあげなくては。そして、素晴らしい知らせを伝えてあげましょう」

 アンリエッタの心に、平和が戻ってくるという喜びが湧き上がってくる。早くこの喜びを皆と分かち合いたい。見ると、兵たちも同じように希望に満ちた表情をしている。

 転進の命令が下され、トリステイン軍は踵を返した。やってきた時とは気持ちも反対に足取り軽く、トリスタニアを目指していく。

 まだ気を抜くわけにはいかないが、オルレアン公という未来の英雄が現れた。ガリアに名君が生まれれば、トリステイン、アルビオン、ガリアの三国同盟も可能だ。そうなれば、ゲルマニアも完全に抑え込んで、大きな戦争は根絶される。

 そのためにも、当分の間ガリアからは目が離せない。いや、おのずと全世界の注目はガリアの動向に集中するのは間違いない。

「ルイズ、あなたにも早く教えてあげたい。いえ、それとももうガリアで知って驚いてるころかしら、ふふ」

 アンリエッタは、まだ目の前で起きた出来事しか知らない。それは当然であり何の罪でもないことであるが、その浮かれゆえにアンリエッタたちは大使がひっそりと邪悪な笑みを浮かべていたことに気づけなかった。

 

  

 ガリアでもうすぐ、嵐が起ころうとしている。それもただの嵐ではなく、誰も体験したことのないような巨大な嵐だ。

 オルレアン公のことを知った人々は、その嵐をどう受け止めるかに銘々走り回っている。そしてリュティスの王宮、グラン・トロワでも、嵐を待ちわびてジョゼフが愉快そうにつぶやいていた。

「嵐か、嵐が来るのを楽しみにするなどガキの頃以来よ。シャルルと二人で揺れる窓や雷の轟音にはしゃいで乳母に叱られたものだ。ミューズよ、知っているか? 嵐はなにもかもを壊していくが、去った後は澄んだ空気と豊富な水で恩恵を与えてくれるそうだ。まさに、今のガリアにはふさわしい」

 饒舌に語るジョゼフは、明日に遠足がやってくる子供のように無邪気な笑い声をあげていた。

 だが、傍らに控えているシェフィールドの表情は晴れない。いや、むしろ青白い顔色がさらに血の気を失って冷や汗をかいているようで、ジョゼフは声色を平常に戻して尋ねかけた。

「どうしたミューズよ? 震えているぞ、なにか心配ごとか」

「い、いえ、ですが、ですが……」

「かまわぬ、ここまで来たのだ。もはやなにを恐れるものか」

 責めるつもりなど無いというふうに促すジョゼフに、シェフィールドは躊躇していたが、ついに土下座も同然にあることを告白した。

「も、申し訳ありませんジョゼフ様! 大望を目前にして、私は万死に値する失態をしてしまいました!」

 謝罪を混ぜつつ、シェフィールドは震えながら、あることを白状していった。

 ジョゼフのためであれば死も恐れないシェフィールドであるが、今回ばかりはその場で処刑されることも覚悟していた。いや、自分の首など惜しくもないが、ジョゼフに無能と罵倒されて切り捨てられることをシェフィールドは心底から恐れていた。

 しかし、激怒されると思っていたシェフィールドは、逆にジョゼフの呵呵大笑を聞くことになった。

「ふはは、ふははは! なるほど、さすがさすが。これは一本とられたわ! はっはっはっ! なんと見事よ。傑作ではないか」

「ジョ、ジョゼフ様?」

「ミューズよ、詫びる必要はないぞ。責任は、この期に及んでまだあれを侮っていた俺にある。いやはやまったく、俺が無能王だということを思い知らされる。かなわんなあ」

「申し訳ありません。すでに、手は打ってあるのですが……」

「気にするな。嵐はすでに起きた。山が動いたところで嵐を食い止めることなどできん。いまさらどうしたところで、嵐に吹かれ流されて、あるべきところに落ち着くだけよ」

 怒る様子などかけらもなく、ジョゼフは楽しんでいる様子さえ見せていた。

「それよりミューズよ、そろそろ腹が減ってきた。もう何度も食う機会は残っておらんだろうし、厨房に持ってくるよう伝えてきてくれんか」

「は、御意に!」

 下僕に命じるような用だというのに、シェフィールドは喜んで飛び出した。

 しかし、ドアの向こうに去ろうとしたシェフィールドを、ジョゼフは呼び止めてこう付け加えた。

「言い忘れていた。三人分……用意させろ」

「は、はいっ!」

 ジョゼフの言葉の意味を理解したシェフィールドは、春の花畑で蝶を見つけた少女のように目を輝かせて行った。

 広い居室に一人となったジョゼフ。シェフィールドが戻ってくるまでには、まだしばらく間があるだろう。

 顔から笑みを消し、無表情となったジョゼフは部屋の奥のほうへと歩いていった。そこには王家の紋章の描かれたヴェールをかけられた、ひとつの棺が置かれていた。

「シャルルよ、見ているか。今の俺を見て、お前は笑うか、それとも怒るか。どちらにしろ、バカな兄はもうすぐいなくなるから安心しろ。そうだ、俺がいなくなればすべてうまくいく。世の中はあるべき姿に戻るんだ。だからな、驚くがいい……そして、そしてな……」

 

 狂気か、夢か、それとも虚無か。止まらない嵐がガリアを飲み込んでいく。 

 

 

 続く



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第18話  血に刻まれた宿命

 第18話

 血に刻まれた宿命

 

 友好宇宙人 ファンタス星人 登場

 

 

 この世に、ミスを犯さない人間などいない。完璧な人間などいやしない。

 そのことを問えば、おそらくほとんど全ての人たちが「当たり前だろう」と、呆れたように答えるだろう。

 だが、こんな間違えようのない常識を、人間たちは『ある特定の人たち』に対しては、当たり前のように例外であることを求める。

 その愚かな思い込みが、その人たちを、ひいては自分たちをも破滅に導くことにも気づかず……。

 

 

「う……」

 タバサが目を覚ますと、そこには見たことのない天井が広がっていた。うっすらと目を開けると、どこかの山小屋のような簡素な部屋の光景が瞳に入ってくる。

「メガネ……」

 窓から差し込んでくる光に目がくらんで、タバサは愛用のメガネを求めた。別に、ないとなにも見えないほど目が悪いわけではないけれど、長年かけているものだから無いと落ち着かない。

 幸い、メガネはベッドの枕元の棚に置いてあり、かけるとさっと視野が広がった。

”ここは……? わたしはどうして……?”

 考えようとしたが、頭がぼんやりしてまだよくわからなかった。ここは自分の知っている場所ではない。なら、気を失う前に自分はどうしていたのか?

 けれど、考えがまとまる前に部屋の入り口の戸が開くと、見覚えのない黒いドレスを着た少女が入ってきた。

「あら、お目覚めのようね。傷はわたしたちの魔法で治しておいたけど、ひどく衰弱してたから目が覚めるのに時間がかかったみたいね。どう、元気になった?」

 無遠慮にまくしたてた黒いドレスの少女は、ベッドに座るタバサに歩み寄ってくると、バイオレットの髪の下に輝く翠眼をタバサに近づけて言った。

「ふーん、後遺症はなさそうね。あれだけのダメージを受けたら、普通は傷はふさがっても体力が戻るのにはかなり時間がかかるはずだけど、さすが元北花壇騎士だけはあるわね」

「っ! あなた、何者?」

 タバサは緊張して身構えた。北花壇騎士の名は、裏社会でも限られた者しか知らないはず。ただ者ではありえない。

 とっさに杖を探したが、手の届くところには見えなかった。杖がなければタバサはただの無力な少女でしかない。だが、目の前の見知らぬ少女はタバサのそんな焦りようをクスクスと笑うと、危害を加えるつもりはないというふうにしながら答えた。

「心配しなくてもいいわよ。わたしはジャネット。あなたと同じ、元北花壇騎士団で、今はただの傭兵をやってるわ」

「傭兵……なら、あの女の?」

 北花壇騎士という忌むべき名を耳にしたおかげで、一気にタバサの記憶がはっきりとしてきた。

 そう、自分はガリアを目指す途中で、シェフィールドに操られたシルフィードの襲撃を受けた。懸命に戦ってシルフィードの洗脳を解くことだけはなんとか成功したと思ったが、その後は気を失って。

 あの後、シェフィールドが自分を見逃したとは思えない。となると、自分はシェフィールドに捕まって……しかし、タバサがそこまで推測したとき、ジャネットは愉快そうに笑った。

「残念ながら、ハ・ズ・レ。わたしはあのシェフィールドとかいう顔色の悪いおばさんとは何の関係もないわ。わたしたちは、元素の兄弟。知ってる?」

 タバサは無言で首を横に振った。

「あら、けっこう名前を売ってるはずなのに、ダミアン兄さんががっかりするわね。ま、花壇騎士なんてみんな自分のことしか考えてない連中だから仕方ないか。あ、わたしたちは家族で傭兵やってるんだけど、外に体のおっきなジャック兄さんと騎士もどきのドゥドゥー兄さんというのがいるわ。心配しなくても、あなたの柔肌はわたししか見てないわよ」

 聞かないことまでしゃべるジャネットの言葉に、タバサは自分が着替えさせられていることに気づいてぞっとした。

「だってしょうがないじゃない。あなたの服、もうボロボロで直せそうもなかったんだもの。女同士だもの、気にしない気にしない」

 その着替えさせた後の服はどうしたのかとタバサは聞こうとしたが、ごちそうさまと言っているようなジャネットの笑顔を見て思いとどまった。この女は危険だ……。

 タバサは、舌を出しながら顔を近づけてくるジャネットを押し返しながら尋ねた。

「どうして、わたしを?」

「ウフフ、そう興奮しないで、可愛い顔が台無しよ。わたしたち、今はあるお金持ちの専属なんだけど、その方は払いはいいけどあんまり仕事を回してくれないのよ。だから、暇を利用してちょっとした小金稼ぎをね」

「ち、近寄らないで!」

 ジャネットはしゃべりながら体をすり寄らせてきて、タバサはぞっとした。やっぱりこの子、普通じゃない。吐息が耳にかかってくるし、片手が胸に伸びてくる。しかも華奢に見えて力が強くてはねのけられない。

 このままだと何をされるかわからない。タバサは必死に抵抗しながら、一番肝心なことを聞き出そうとした。

「あ、あの女の差し金じゃないのなら、誰の命令でわたしを助けたの?」

「あーら、依頼人の素性は傭兵の守秘義務よ。それより、あなた可愛いわ。助けてあげたんだから、ちょっとだけでいいから味見させて」

「やめて!」

 暴れても杖がなければタバサもただの少女でしかなかった。どんな怪物と戦っても怖気づくことのないタバサの背中におぞけが走り、組伏せられたタバサのパジャマのボタンにジャネットの手がかけられる。

 だがそのときだった。外から、ジャックとドゥドゥーが誰かと言い争う声が聞こえてきたかと思うと、部屋の扉が乱暴に開け放たれて、青い人影が現れたのは。

「なにやってるんだい小娘が! その子をお人形にしていいのはわたしだけだよ」

 その顔を見てタバサは驚いた。見覚えがあるどころではない、平民用の粗末な衣服こそ着ているけれど、その傲慢が服を着て歩いてるような目付きは忘れようがない。

「イザベラ、どうしてあなたが?」

「なんだいシャルロット、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔をしてさ。いいねえその顔、お前のその顔がずっと見たかったのさ! あははは、ほんとはわたしの人形だった頃に見たかったけど、いやあスッキリしたわ」

「イザベラ!」

「ふん、わたしを呼び捨てにできる立場じゃないだろ。誰がお前を助けてやったと思ってるんだ?」

 その言葉で、タバサははっとした。そしてイザベラはジャネットを押し退けると、ベッドの縁にどっかりと腰を下ろした。

「ちょっと、いいところだったのに邪魔しないでよ」

「うるさいよ変態が。そんなに舐めたけりゃわたしの靴下でも口につっこんでやろうか。いいから黙ってな」

 不満げなジャネットを淑女とはほど遠い暴言で黙らせると、イザベラはタバサにニヤリと笑いかけた。

「よう、どうしたよいつもの人形面は? わたしの顔がそんなに珍しいかい?」

「……どうして、あなたがわたしを?」

「おいおい、そりゃないだろ。人に女王になれとか言っておいたくせに。わたしもこれで、ガリアの様子には注意してたのさ。で、少し前から父上がなにかとんでもないことをしでかそうとしてると感じて、北花壇騎士団長だった頃のつてを使ってこいつらを雇ったんだ。お前のことだ、どうせ一人で行き詰まってるだろうと思えば案の定だ」

「……そうだったの。でも、わたしにはまだ何がどうなったのか、まだ」

「ま、こいつがまともな説明なんかするわきゃないね」

 イザベラはジャネットを睨みつけた。ジャネットは退室するそぶりも無く、ふてぶてしくベッドに寝ころんだままでふたりを見上げている。イザベラは外のジャックとドゥドゥーが呆れたようなため息をしたのを聞くと、タバサに事のあらましを語った。

 実は、タバサが操られたシルフィードと戦っていたあの時には、すでに元素の兄弟はそばにいた。しかし、あまりの戦いの激しさに手を出しかねていたが、最後にタバサとシルフィードの攻撃が衝突した時の爆炎を利用して、倒れていたタバサを偽物とすり替えたのだ。

「そうか、スキルニルを……」

「ああ、わたしが隠し持っていたやつをこいつらにね。ただ、いつまでもごまかし続けられるもんでもないから、もうバレてるかもしれないが」

「そうだ! シルフィード、シルフィードは?」

「悪いが、そこまでは手が回らなかったそうだよ。自分の命があっただけ喜びな」

「……」

 タバサは肩を落とした。だが、イザベラの言う通り、自分だけでもシェフィールドに囚われなかっただけ運がよかったかもしれないのだ。それに、主人と使い魔は一心同体、もしシルフィードが死ねば自分にもわかるはず。どこでなにをしているかまではわからないが、生きていることだけは確かなはずだ。

 タバサはイザベラの隣に腰を落ち着かせた。もしシェフィールドの手に落ちていたら、すべてが終わるまで幽閉されて本当に手の打ちようが無かった。だが、まだやれることはある。それを与えてくれたイザベラに、心から頭を下げた。

「……ありがとう、イザベラ姉さん」

「よしなよ……今さら調子が狂うじゃないの。いつもの人形みたく普通にしてろよ」

 まだ頼られ慣れていないイザベラは照れて赤面するしかなかった。その様子を見たジャネットは顔を抑えて「きゃー、尊ーい」と喜んでもだえていたが、二人は意識して無視した。

「けど、城を出た今のあなたに、どうして傭兵を雇えるようなお金があったの?」

「わたしをなめるなよ。現金こそ持ち出せなかったけど、わたしに逆らったバカな貴族どもから没収した預金や不動産なんかはきっちり確保してあるんだ。城が買えるくらいの金ならすぐに用意できるさ」

 高慢そうに告げたイザベラだったが、タバサはそれもかなり無理をしてひねり出したんだろうと察した。城を出たイザベラにとって、金は最後の武器だ。それを、自分のために使ってくれるとは。

「まあそういうわけだ。お前がいないとわたしも身が危ないんでね。あのオルレアン公、どうせ偽者なんだろ、さっさと始末してくれよ」

「オルレアン公!? どういうこと?」

 タバサは愕然として尋ねた。イザベラは怪訝な表情をしたが、タバサが眠っている間に起きたことを知らないと気づくと、オルレアン公と名乗る男が現れて、ガリア軍を掌握してガリアに逆に進撃してきているという現状を教えた。

 顔を青ざめさせるタバサ。小さな唇から「もうそんなところまで……」と、嘆く言葉が漏れた。

「寝すぎた。早く行かないと、本当に取り返しのつかないことになる」

「お、おい待ちなよ。今度はこっちがさっぱりだよ。お前は知ってるんだろう。父上は……ジョゼフ王はなにをしようとしてるんだ?」

「……」

 答えられないでいるタバサに、イザベラは冷たく言い放った。

「何も言えないってなら、お前の代わりに女王になってやるって話もなしだよ」

 突き放すように言われて、タバサはためらいなからもイザベラに向き合った。

「……わかった。ジョゼフは、わたしたちはこのガリアを、あの悲劇が起こる四年前に戻すつもりだったの……」

「戻す? 例の記憶操作ってやつでかい?」

「違う。記憶操作はただの準備のための時間稼ぎ。ジョゼフは、元々前王から王位継承を約束されていた。それなのにわたしの父を殺したのは、二人の間の確執が爆発したから。ジョゼフは元々、王の座が手に入るとは思ってなかったそう……」

 タバサはぽつりぽつりと、あの日にジョゼフから告白された彼の内心を彼の娘に伝えた。もちろんそれでジョゼフを許したわけでは決してないが、ジョゼフの告げたさらなる計画はタバサの心を揺るがした。

「ジョゼフは王の座を弟が継ぐべきだと考えていた。そうなっていれば、すべてがうまくいっていたはずだと。だから、四年前にほとんどのガリアの民が望んでいた通りの分岐点にガリアを戻そうとしてる。つまり、ジョゼフではなくてわたしの父がガリア王になったように、歴史を修正するの」

「歴史を修正って、お前ら、気は確かか?」

 狂人を見るようなイザベラの眼差しも当然であった。彼女もチャリジャなどを通じて宇宙人の科学力のすごさを目の当たりにしてきているが、時間を戻してやり直すなど、気が触れているとしか思えない。

 以前、才人が過去に飛ばされてしまった例はあるが、それは偶発的な事故である、

 しかしタバサは首を横に振ると、自分は正気だとしながら続けた。

「直接時間を戻すわけじゃない。要は、世界中の見ている前でジョゼフからオルレアン公への王位移譲を果たせばそれでいい。その劇的な既成事実を作るためだけの、戦争はただの舞台装置でしかない」

「そりゃまた大げさな……だけど、嘘はでかいほうが見破られにくいっていう……けど、どんなにうまくこしらえたって、あのオルレアン公は偽者なんだろ? 今は騙せても、いずれなにかでバレるのは時間の問題じゃないか?」

 確かに万能の天才と呼ばれたオルレアン公の才覚はイザベラも知っている。もし彼が王になっていたら、ガリアは今とは比べ物にならないくらい繁栄していたであろうことは、悔しいがジョゼフの娘のイザベラも認めざるを得ない。

 だが、どんなに精巧な偽者を作ったとしても、死者の完全再現なんか不可能だ。多くの人間が見れば、どこかに不自然なところが見つかっていつかはバレる。しかしタバサは苦悩しながら、イザベラにあることを明かした。

「その偽者は今だけの代役。時が来れば、最後には……」

「……なんだって。お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか!」

 イザベラは口調を荒くしてタバサに詰め寄った。時を戻すことすら生易しいような狂気、それをこいつは。

「嘘じゃない。わたしたちは、『本物』のオルレアン公を仕立てあげるつもりだった。それができる証拠を、ある人間を使った実験で見せられた。だから」

「だから、世界中を裏切ったっていうのかい!」

 そう怒鳴って、イザベラは大きく後ろめたさを覚えた。自分はそんな立派なことを言える人間じゃない。けど、こいつはそんなことはしないと思っていたのに。

 答えないタバサを、イザベラはカッとして顔に平手打ちを食らわせた。よろめいて頬を赤く染めたタバサに、イザベラははっとして言葉を失い、タバサの暗い声が響いた。

「あなたにはわからない。あなたには、家族を奪われる悲しみはわからない」

「なんだと……? おい、もう一回言ってみなよ!」

「……離して」

「ふざけるんじゃないよ! お前こそ、わたしの何がわかるっていうんだ! 生まれてこれまで、遊んでもらったことも、頭を撫でてもらったこともない。いい子の一言を言ってもらったこともない。お前なんかになにがわかるんだ!」

 タバサの胸ぐらを掴んで激昂するイザベラと、苛立ちをつのらせるタバサ。そのまま二人が殴りあいになろうかとしたとき、止めたのはジャネットだった。

「はあい、それまでそれまでよ」

「っ! 邪魔するな!」

「いいえ、いくら依頼人さまでも見てられませんわ。かわいい子は愛でないと。増して美しい青い髪の乙女はこの世にお二人だけ。ケンカで傷つけるなんてもってのほかですわ!」

 心底もったいなさそうに言うジャネットだったが、タバサとイザベラは頭に昇っていた血が下がって、罪悪感に胸を締め付けられた。

 そうだ、もう王家の血筋を引く者はほとんど残っていない。タバサの母は元気だが、今は陰遁状態。ジョゼフはもう、生きるつもりそのものがない。ここにいるこの二人が、実質最後の家族のようなものなのだ。

「ごめんなさい。つい、我を失って……」

「取り繕うなよ。ふふ、今のがお前の本音か。ちゃんと言えるじゃないか。はっはっはっ、ばーか、わたしのあんな臭い演技に騙されやがって。やったぜ。ついにお前を怒らせてやったよ」

「嘘つき……あなたはそんなに器用じゃないくせに。目が濁っていたのはわたしも同じだけど……それにしてもあなたって、いじわる」

「当たり前だ。泣きもわめきもしない人形を泣かそうとしてきた女だぞ、わたしは」

 憎まれ口の叩き合いであったが、確かに二人の間に敵意は消えていた。

 ジャネットはそんな二人を見て、「うんうん、仲良いのは美しいわ。ついでにそのまま服を脱いでもっと愛を深めてくれない?」などと抜かしていたので、二人揃って「だまれ」と脅しておいた。

 ちなみに部屋の外ではドゥドゥーとジャックが、ため息をつきながら。

「女ってわからないね」

「お前はジャネットとコンビが多いから毒されすぎだ。あれを基準にするな」

 ジャネットのせいで、ろくな女が寄りつかない元素の兄弟であった。

 しかし落ち着くと、タバサの中に再び焦燥感がわき上がってきた。本来ならあのときでもう自分は終わっていたはずだけれど、まだチャンスはある。ただし、もう時間はない。

「イザベラ、わたしの杖と、あれはあるの?」

「あれ? ああ、あの本か。大切に『固定化』のかかった布にくるんであったから無事だよ。で、やっぱり行くのか?」

「行く……行かなきゃ、いけない。その前に、あるだけのパンと水も欲しい」

「ちゃっかりしてるね」

 真面目な顔で食い物を要求するタバサに、イザベラは呆れつつも食事の用意をジャックに頼んでやった。

 本当ならタバサは今すぐに出かけたかったが、丸一日以上眠っていたわけだから、怪我はともかく体力が落ちきっている。空腹のままではとても戦えない。

 タバサが目を覚ましたときのためにと用意してあったパンやチーズ、干し肉やミルクが並べられて、タバサはその小さな体のどこに入るんだという勢いで平らげ始めた。まるで食べているというより口の中に吸い込まれているというような光景にジャックやドゥドゥーも唖然としていたが、ジャネットがイザベラに確認するように尋ねた。

「それで、元お姫様。わたしたちはこのままお姫様の用心棒をすればよいのかしら?」

「ああ、そのつもりだが?」

「なら、ねえ、お兄さま方?」

 ジャネットが視線を流すと、ジャックが腕組みをしながら答えた。

「そうだな。王家の跡目争いなんてもんに首を突っ込まされるなら、まだ追加料金をもらわないと割に合わないな」

「なっ、お前ら!」

「おっと、悪く思わないでくれよ雇い主様。俺たち傭兵は自分の命を売って金を稼いでるんだ。危険が増すなら高い金を貰うのは当然、俺たちにはそれだけの価値があるからな」

 確かな自信に裏打ちされたプロの物言いに、イザベラは怒りを覚えたが、もうイザベラに追加で報酬を出す余裕がないのはタバサにもわかった。

「追加料金が出せないなら、契約はこれで終わりだね」

 ドゥドゥーもキツネ目を笑わせてイザベラをからかった。それでも無いそでは振れないイザベラが歯ぎしりをしていると、タバサが口元の食べ残しをぬぐって言った。

「なら、今度はわたしがあなたたちを雇う」

「ん? そりゃ構わないが、報酬は前渡しで頼むぜ。王座を取ってからの後払いなんてのはダメだ」

 ジャックはドゥドゥーやジャネットとは違い、現実的な対応を求めた。イザベラはタバサに何か言おうとしたがタバサに止められ、タバサはジャックの巨体を見上げながら、あの本からページを一枚破り取って差し出した。

「この貴族には、前王の死の直前に20万エキューの現金が送られている。ジョゼフの即位後すぐに一家全員が粛清に会ったから、廃屋になっている屋敷の中にまだ隠されているはず。あなたたちならそれくらい見つけるのは容易」

「ほお、20万エキューとは破格に出たね。だけど、それが確かという証拠は?」

「わたしも元北花壇騎士、その場しのぎの嘘はつかない」

「ふむ」

 ジャックは少し考え込んだ様子を見せた。長男のダミアンが司令官なら次男のジャックは現場責任者に当たる。身一つのタバサやイザベラが今すぐに現金を用意できるわけもないのはわかっているが、20万エキューは魅力的だ。問題はそれがリスクと釣り合うか、自分の裁量で決めていいかということだ。彼はジャネットやドゥドゥーのような短絡さはなく、プロの傭兵らしく思慮深かった。

 ダミアン兄さんならどうするか……ジャックがそう考えていると、タバサは続けて訴えた。

「このままオルレアン公が勝てばガリアは平定される。そうすれば、傭兵が稼げる機会も減る。割りのいい仕事なんてなくなる」

「……やれやれ、仕方ありませんな。ただし、報酬と割に合わないほど危なくなったら追加料金をもっといただきますよ」

「構わない。契約は成立」

 タバサは紙とペンを要求すると、素早くサインを羊皮紙に書き込んでジャックに渡した。ジャックも受け取って自分のサインを書き込む。

 ドゥドゥーはジャックの決断に、ダミアン兄さんに聞いてからでなくていいのかい? と、以前に勝手な仕事を受けてこっぴどく叱られた経験から尋ねたが、ジャックは責任は俺が取ると一言だけ返した。

「さて、これで俺たちはしばらくお姫様に従うわけだが、どうするんだい? やっぱり王宮への殴り込みかい?」

 契約金としていただいた紙片を大事に懐にしまいこんだジャックがそう聞くと、タバサはフルフルとまた首を横に振った。

「違う、王宮へはわたしひとりで乗り込む。あなたたち兄弟は、わたしが決着をつけるまでのあいだ、イザベラを助けてあげてほしい」

「ん?」

 ジャックやイザベラがどういう意味かと怪訝な表情をすると、タバサはイザベラに向き合って、真剣な目で告げた。

「あなたにも、やってもらわなければならないことがある」

「なんだい……ま、お前の言うことからしてろくなもんじゃない予感しかしないけどね」

 不安そうに答えたイザベラに、タバサはあることを頼んだ。すると、イザベラの顔色が青ざめてからみるみる紅潮し、カッと食って掛かった。

「わたしに死ねっていうのかい!」

「事態を収めるには、ジョゼフを抑えるだけでは足りない。燃え上がった火を鎮めるために、水をかける誰かが必要。それに、人望の無いあなたがガリアの女王として認められるにはこうするしかない」

「言ってくれるね。だけど、失敗したらどうするんだ?」

「失敗したら、ガリアは人形の国になって、いずれは分裂するか、内乱に陥るかくらいの未来しか残っていない。ゲルマニアのような国にガリアはなれない。正当なるガリアの王として求められる唯一無二のものは始祖の血統。それを受け継いでいるのはもうわたしとあなたしかいない」

「……」

 イザベラは黙りこんだ。ハルケギニアで王が王として認められる外せない条件が、始祖の血脈であるということ。始祖ブリミルの子孫であるからこそ、ハルケギニアを統治する正統性が認められる。それがなければどんなに優れた人間であろうとも、貴族も教会も民も『王』とは認めない。始祖の血脈を持たないゲルマニアの皇帝は格落ちの存在と見られ、力で押さえつけてはいても精神的な崇拝とは無縁で、ゲルマニアの内情は常に不安定だ。

 もしガリアから始祖の血脈が途絶えれば、力のある貴族たちが小国を作って割拠する戦国時代となる。その後に残るのはゲルマニアの劣化の強権国家でしかなく、長らく安定を欠いた時代に民は苦しめられる。

「わたしに、英雄になれる才能なんてないよ」

「英雄になろうと思ってなる人なんていない。でも、人はいつか今の自分とは違う何かにならなきゃいけない。今、ガリアの人々に、頼るものの無い空白を与えてはいけないの。自信を持って、あなたにはわたしにない大きな才能がある」

 タバサの言うことは無理難題ではあったが、何度も死地を乗り越えてきた者が持つ強さがにじみ出ていた。

 イザベラは考えた。これからどうする? ふんぞりかえっていれば周りが片付けてくれた時期は過ぎた。持ち出した財産も無くなり、タバサのように一人で生きていく魔法の才もなく、あるものと言えば王家の血筋のみ。

 生きていくために、変わらなければならない、そのときが来たとイザベラは理解した。

「なあ、ひとつ答えてくれよ。わたしが女王になって、ガリアがまともになってくとどうして思えるんだい? 無能王の娘で、こんな無能なわたしを」

 するとタバサはまっすぐにイザベラの目を見て答えた。

「あなたは無能じゃない。人の上に立つ人間として、とても重要な能力を最初から持ってる。それはわたしなんかより、何倍も大きな強さになる。あなたは自分の力を使いこなせば、多くの人を幸せにできる立派な王になれる」

「なあ、お前はわたしの何を見てるんだい? わたしのどこに、そんなすごい力があるっていうんだ?」

「……その答えは、あなた自身が気づかないと意味がない。でも、あなたはもうその力を発揮してる。思い出して、前の時もその力に助けられた」

 そう言われても、イザベラにはこれといって思い当たる節は無かった。産まれてこの方、人に指図するだけの日々を送ってきた自分に、タバサがうらやむような才能なんて本当にあるのだろうか。

 しかし、迷っている時間は無かった。タバサは出された食べ物をあっという間に平らげると、杖を持って旅立とうとしている。

「行く」

「お、おい待てよ。わたしはまだ引き受けるなんて」

「無理を頼んでるのはわかってる。だから、やってくれるかどうかはあなた次第。もしダメだったら、またなんとか考えてみる」

 それだけ言うと、タバサはまたいつものような無表情になって、散歩に出るかのように小屋の入り口まで歩き出した。

 だが、イザベラにもそれが無茶なことはわかっている。なんとかジョゼフを止められたとしても、残るのは王位の空白状態。タバサがオルレアン公の娘として女王に名乗り出たとしても、後ろ楯の無いタバサではどこまで貴族たちを抑えられるものか。

 だからこそ、タバサはイザベラに女王になれる秘策を授けた。しかし。

「わたしは、お前の道具じゃないよ」

「そう、そのとおり……わたしもあなたに花壇騎士の任務を与えられていたころはそう思ってた。でも、たとえ望まないことだったとしても、そこに行くことで見えてくる景色もあった。美しいものも、醜いものもたくさん。あなたは……今と違った景色を見たいと思ったことはないの?」

「わたしは……」

 変わりたいとイザベラは思った。無力で無価値な自分から、タバサのように自分の力で今を変えられる自分に。

 しかし、イザベラが答えを出す前に、タバサは入り口のドアの直前で弾かれたように杖を構えた。それと同時に、ドゥドゥーが窓のそばで外の様子を伺って言った。

「どうやら小細工がバレたみたいだね。外は追っ手でいっぱいさ」

 ドゥドゥーが楽しそうに口元を歪めながら言うと、いつの間にかジャックとジャネットも杖を持って戦闘態勢をとっていた。

「ご心配なく、お姫様。金をもらってる間はきっちり御身はお守りいたします。ドゥドゥー、敵の数と配置はどうなってる?」

「ざっと五十ほどかな。全部ガーゴイルで人間の気配はないね。人型が二十で狼型が三十、ぐるっと小屋を取り囲んでるよ」

 ガーゴイル、つまりシェフィールドの手のものということだろう。恐らくは狼型ガーゴイル・フェンリルに匂いを嗅がせて追ってきたのだ。

 イザベラはごくりと唾を飲んだ。この中で戦闘力が無いのは自分だけ、これから戦いが始まっても、守ってもらわなくては生き残りようがない。

 一方、ジャックは外にまだ気づいていないよう思わせるために気配を殺しながら、外を魔法で探っているドゥドゥーに聞いた。

「ボスの姿は見えるか?」

「いいや、人間の気配はさっぱりだね。ここに来ているのはガーゴイルだけらしい」

 つまり、シェフィールドも今自らが動くことはできない状態というわけで、事態は大詰めに近づいている証拠だ。ドゥドゥーは戦う気満々な様子だが、ジャネットはつまらなさそうに言った。

「もう、無粋なガーゴイルの相手なんて、せっかくのドレスが汚れてしまいますわ。ジャックお兄さま、相手が陸戦型のガーゴイルだけなら、飛んで逃げてしまいましょうよ」

「いや、ジャネット、面倒を避けたいのは俺も同じ考えだが、敵もそこまで馬鹿じゃないな。空をよく探ってみろ」

「あら、なにかしら? 蝶が、たくさん?」

「小型のガーゴイルの一種だ。飛んで逃げようとすれば、あれが寄ってきて『ボンッ』ていう寸法だろう。やっかいだな」

 つまり、逃げ道は塞がれたということらしい。切り抜けるなら、正面から包囲網を破るしかなさそうだ。

 だが、敵の動きはこちらに作戦を立てる隙をさえ与えてくれなかった。フェンリルが鋭い牙をむき出しにして小屋に迫り、そこかしこに噛みついてかじり出したのだ。

「おおっと、これじゃこんな小屋なんか、あっという間に食い尽くされちゃうよ」

「はしゃぐなドゥドゥー。仕方ないな、小屋がつぶれる瞬間に飛び出して応戦するぞ。ジャネットはお姫様を守ってやれ。で、雇い主様はどうしますね?」

 タバサは杖を構えながら、迷いの無い声で答えた。

「あれを全滅させない限り、どのみち道はない」

 捕まれば王宮まで連れていかれるかもしれないが、事が終わるまで幽閉されるのが落ちだ。ジョゼフの元には自分の足で乗り込んでいく。

 小屋は柱がきしんで天井が揺れている。これまでだと、一行は天井が落ちてくるのを合図に壁を破って飛び出した。

『エア・ハンマー!』

『ウィンドブレイク!』

 強力な魔法がフェンリルを吹き飛ばし、狼型のガーゴイルは粉々になって飛び散った。

 しかし、フェンリルは心を持たないガーゴイルらしく、仲間の残骸を浴びながらも飛びかかってくる。ジャックやジャネットの魔法がそれも打ち砕くが、さらにその後方から次が向かってくる。

「面倒だな。ダミアン兄さんのアレがあれば、むう」

 ジャックは愚痴ながら魔法を放った。護衛は元素の兄弟にとって、専門外に当たる仕事だ。イザベラはジャネットがドレスでかばいながら戦っているが、足手まといがいるのはやりづらい。本職の謀略や暗殺なら得意なのだが。

「まあ、仕事を選んでいるような贅沢はできんか」

 ジャックは気持ちを切り替えた。彼ら元素の兄弟は、ある目的のために大金を求めている。これまでにも、貴族の資産の二、三件分の金は稼いだが、まだ足りない。

 迫り来るフェンリル、槍や剣を振りかざしてくるスキルニル。しかし、元素の兄弟は魔法や体術を使って危なげなく敵をさばき、撃破していく。

 メイジとしても、戦士としても、タバサも元素の兄弟もハルケギニアで有数の使い手だ。いくら高性能なガーゴイルでも、相手が悪かったと言えよう。数だけの雑兵など、恐れるほどではない。

『ウィンディ・アイシクル!』

『ライトニング・クラウド』

 強力な魔法が炸裂し、十数体がまとめて吹き飛ばされた。

 すでに敵の数は半減している。しかし、スキルニルは動かさないときは手のひら大の人形、フェンリルは花びらのような種として持ち運べるので、倒した個体の残骸から新しいものが出現して襲ってきだした。

「やっぱり、物量戦で来た」

 タバサはぽつりとこぼした。シェフィールドはタバサの実力を知っている。この程度のガーゴイルでは歯が立たないのを承知だから、数で埋め合わせに来るのは当然のことだ。

 もちろん、元素の兄弟のことは想定外であっただろう。それにしても、一体を倒したら三体が現れるような手駒が枯れ果てるような使い方は、シェフィールドの焦りを象徴するものかもしれない。

『ライトニング・クラウド!』

『ライトニング・クラウド』

 タバサとドゥドゥーの雷撃がフェンリルをまたまとめて粉砕する。いくら数を揃えようと、元素の兄弟が加勢した時点でスキルニルたちの勝ちはないと決まっていた。

 しかし、勝ちが決まっているようなこの状況で、イザベラは焦りを感じ始めていた。

「まずい、まずいんじゃないか、これは」

「あら、どうしたのお姫様? どう見ても優勢なのに、なにを心配してらっしゃるのかしら?」

 緊張感なく答えたジャネットの言う通り、タバサたちはなんの苦戦もなくスキルニルやフェンリルを破壊していっている。だが、イザベラは脂汗を浮かべながら叫んだ。

「おおいバカ野郎ども! お前ら、これから大仕事をしようってときに、そんなにバカスカ上級呪文を連発してどうする! それじゃすぐに精神力が尽きちまうだろ!」

 言われて、さらに上級魔法を使おうとしていたタバサたちは手を止めた。遊び半分のドゥドゥーはまだしも、タバサにとって魔法の使用残量は重要な問題だ。いくらスクウェアクラスでも、湯水のように吐き出せばあっという間に精神力は尽きる。

 タバサは急ぐあまり、手間を省いて一掃しようとした自分を叱った。一方のジャックも、タバサほど真剣ではないが、無駄遣いを指摘されたことで舌打ちして攻撃を止め、イザベラに嫌味っぽく問い返した。

「それは申し訳ない。ですが、メイジに魔法を使うなとは酷なこと、それともお姫様がこいつらと戦いますかな?」

 ジャックはスキンヘッドの強面の巨漢で、そんな奴にドスのきいた声で話されたら、普通の女の子なら縮み上がってしまうだろう。しかし、イザベラは普通ではなかった。

「うるさいよ! デカブツのくせに屁理屈をこくな。精神力を節約できる魔法なんていくらでもあるだろ。『ブレイド』で切り捨てな! 大事の前に草刈りで働いてるアピールしてんじゃない。それでもプロか!」

「……く」

 ジャックの目尻にしわが浮いた。ここまで言われては適当にあしらうわけにはいかない。それに、イザベラの言っていることは正論だ。こちらの内心にある、リスクを抑えて仕事をしたいという魂胆を見抜かれた。

 そしてイザベラはタバサにも遠慮なく怒鳴る。

「お前もだ! 前は面が人形、今は頭が人形かい? 肝心なときに魔法が使えなくなって、それで国をひっくり返そうなんてバカを考えてるのか!」

 その叫びは、タバサの体を一瞬固まらせるほどの威厳に満ちていた。以前の、プチ・トロワでふんぞり返っていたときとは違う、自分の意思を込めた声に、タバサは無言で杖を構え直した。

『ブレイド』

 杖を剣に変える魔法を唱え、タバサの杖の一撃がフェンリルを縦に両断した。魔法の力は本人のクラスに比例する。タバサほどの力のあるメイジの唱えたブレイドならば、鉄すらも軽々と切り裂くのだ。

 さらに、それを見たジャックとドゥドゥーも、ためらいながらも『ブレイド』でタバサに続いた。彼らにもプライドがある。タバサほど若いメイジが杖一本で戦っているのに、こちらだけドンパチやるのは恥があった。

 だがそれも、慢心を打ち砕いたイザベラの一喝あってのことだった。声は凛として眼差しは鋭く、無視しようという気持ちを貫いて頭の奥に響いてくる。

“この小娘、以前とはなにか違う”

 ジャックはダミアンといっしょに何度か王女の頃のイザベラから依頼を受けたことがある。その頃は単に威張り散らすだけの世間知らずのお嬢様そのもので、ただの金づるとしか思っていなかったが、今のイザベラには空威張りとは明らかに違う凄みがあった。

 ジャネットも、毅然としたイザベラの姿を見て、驚きの表情を見せている。イザベラは戦い方を変えた元素の兄弟に、にやりと笑みを見せて告げた。

「ようし、やればできるじゃないか。ああ、おいでかいの! お前は力があるんだからスキルニルを叩き潰せ。キツネ目のお前はフェンリルを刈り取っちまえ!」

「むう、あまり仕事に口出しをしないでもらいたい!」

「誰がキツネ目、失礼だな! くそっ、仕事でなければ首を飛ばしてやるところなのに」

 ジャックもドゥドゥーも悪態をつかれて腹を立てるが、イザベラの言うことが正しいのはわかっている。あえて無視してやるのも手だが、仕事に手を抜いたことがダミアンにばれたら後が怖い。

 やむを得ず、二人はイザベラの言う通りに戦った。イザベラはそれだけではなく、やれ腰が浮いているだの足元に注意しろだのうるさく怒鳴ってくるが、それ以上に腹立たしいことは、プロの視点からしてもそれらのすべてが正しいということがわかってしまうからだった。

 イザベラの命令で、ジャックとドゥドゥーは不本意ながらも精神力の消費を最小限にした上で、効率よくガーゴイルを撃破でき始めたことを認めざるを得なかった。その様子をすぐ近くで見ていたジャネットも。

「この子、お兄様たちを手足みたいに操ってる……どうなってるの?」

 そう戦慄しながらつぶやいていた。どうして、素人のはずのお姫さまに戦いの的確な指示ができるのか?

 だが、それを目の当たりにした者たちの中で、タバサだけはそれがイザベラの本当の力の一端だということを見抜いていた。

「そう、それがイザベラあなたの力。あなたの歩んできた道は無駄じゃない。王女として、北花壇騎士団長として、あなただからこそ得て来たものがあなたを守ってくれる」

 そしてそれは、自分には無いもの。だからこそ、タバサはイザベラを次期女王としてふさわしいと確信していた。あとは、イザベラにそれに気が付くきっかけがあれば。

 イザベラの指揮で、タバサと元素の兄弟は消耗を抑えながらガーゴイルを駆逐していった。けれど、敵はどうせ今度が最後の捨て駒だからと、ガーゴイルの数はきりがない。よく見ると変形が不完全で手足の欠損したものも混ざっていて、本来なら廃棄される不良品までかき集めて送り込んできたことが察せられた。

「こりゃあめんどくさくなってきたね。いくら精神力を節約しても、これだけ長引かせられたんじゃ元も子もないってね」

 ドゥドゥーがうんざりしてきたというふうに吐き捨てた。苛ついているのがはっきりわかるくらい、もう何十体フェンリルを切り捨てたか覚えていない。一方のジャックもで、こんなに張り合いの無い仕事はないと毒ずいている。

 タバサも息を切らし始め、イザベラは際限の無い物量作戦がいかにやっかいかを噛み締めていた。

「こんなところで足止めを食ってる場合じゃないってのに」

 間に合わなくなってもすべては終わる。そう焦り始めたときだった。

 

「ふふ、お困りのようでしたら、手伝って差し上げましょうか?」

 

 突然、不気味な声が響いた。その瞬間、タバサは背筋に氷の棒を差し込まれたようにびくりとし、続いて新たな敵かと身構える元素の兄弟の見ている前で、空間転移で次々とジャガイモのような頭の怪人が転送されてきたのである。

「な、なんだいこいつら!?」

 ドゥドゥーは狼狽した。見たこともない亜人、いや亜人と言っていいのか? 平民とは違うメイジの感覚で探るが、こいつらには生き物の気配がしない。それはジャックも感じていたようで、敵かどうかと即断できずに手を出しかねている。

 すると、奇っ怪な怪人たちは油の切れた時計のように聞き苦しい音を立てながらスキルニルやフェンリルに突貫し始めたのである。

 唖然と見守るイザベラや元素の兄弟の前で、スキルニルやフェンリルは襲いかかってくる怪人から身を守るために剣や牙を振るった。けれど怪人たちは反撃を体に浴びてもひるまず、組み付いて殴り付けていく。だが動きは圧倒的にスキルニルやフェンリルのほうが上で、一体の怪人が数体のスキルニルに槍で突き刺されて動きを止めた。するとなんと、怪人はスキルニルを巻き添えに自爆して、機械部品を辺りに撒き散らしたのだった。

「こいつらもガーゴイルか!」

 見ると、他の怪人もスキルニルやフェンリルを道連れに次々と自爆攻撃をかけていた。辺りには両者の金属片や魔法粘土の残骸が飛び散り、凄惨な景色へと変わっている。

 しかし我が身を省みない自爆攻撃の乱発で、スキルニルやフェンリルは急激に数を減らしていった。

 いったい誰がこんなことを? けれど、タバサは最初に声が響いたときにわかっていた。この人を馬鹿にしきったような声は忘れようもない。

「出てきて、いつまで悪趣味な見せ物を続けるつもり」

「おや、これはご無体な。せっかく助け船を出してあげましたのにねえ」

 すると、宙からあのコウモリ姿の宇宙人が手品のように現れてタバサの前に降り立った。

 すぐさま身構えるジャックとドゥドゥー。二人もこいつがただ者ではないことを見抜いて殺気をぶつけたが、宇宙人は元素の兄弟は無視して愉快そうに残骸の山を見渡して言った。

「うっふっふっ、中古で買ったファンタス星人のサイボーグボディも少しは役に立つものですね」

 笑いながら彼はファンタス星人の残骸を踏み砕いた。友好宇宙人ファンタス星人、かつては知的で平和的な文明宇宙人として名声を知られていたが、実は自ら作り出した自分達に似せて作った労働用アンドロイドの反乱で滅ぼされ、今ではアンドロイドのほうがファンタス星人を名乗って君臨している。

 しかし、奴隷狩りとして地球侵略を目論んだ作戦がウルトラマン80に阻まれて、ロボットの星であるという正体が知れ渡ってからは他の宇宙人からは快く思われておらず、想像力を持つ人間を失ったアンドロイドたちの文明は衰退の途にある。そんなアンドロイドたちの老朽化したボディはスクラップとして他星に売却されて、アンドロイドたちに必須なレアメタルの購入にあてられているという。

 だが、そんなことはタバサにはどうでもいい。彼に杖を突きつけながら尋ねた。

「どういうつもり?」

「どういうつもりもなにも、あなた方の望みを叶えることが私の約束ですからね。そのために手を貸すのは当然のことです」

 うそぶく宇宙人。タバサは警戒を緩めずにさらに告げた。

「わたしはもう、あれをあなたに頼むつもりはない。ハルケギニアから手を引いて」

「それはいけません。あなたはそうでも、王様は私を必要としていますからね。約束を守るのがあなたたち人間の美徳でしょう?」

「実力でも、それを阻止すると言ったら?」

 タバサの杖に魔力がこもる。だが宇宙人はせせら笑った。

「あなたは撃てませんよ。なぜなら、まだあなたはあれの実現を心の中で望んでいるからです」

「……」

「うふふ、つらいですねえ、人間の情というものは。王宮で待っていますよ」

 そう言い残して、コウモリ姿の宇宙人は消えていった。タバサは杖を下ろしてうなだれ、そんなタバサにイザベラは背中から声をかけた。

「撃てなかったな、お前」

「……わたしは」

「言い訳なんか聞きたくないよ。でも、奴らを止められるのはお前だけなんだろ。ならさっさと行くがいいさ、それでどうなろうと、ガリアはわたしがもらってやる」

「……ごめん」

 タバサは振り返らないまま、リュティスを目指して駆け去っていった。

 残されたイザベラは、ジャック、ドゥドゥー、ジャネットの三人の元素の兄弟を見渡して告げた。

「さて、これから先は地獄だけど、お前らも逃げるなら今のうちだよ」

「……これは馬鹿にされたものだな。元雇い主様なら知っていよう、俺たち兄弟は報酬を受けて引き受けた以上は、しくじった仕事はないぜ」

「ぼくの趣味じゃないけど、やめたらジャック兄さんにもダミアン兄さんも叱られそうだからね。やるよ、やりますよ」

「おもしろそうだからわたしは着いていくわよ。ジャック兄さんがいるなら大抵のことは大丈夫そうだし……少し、お姫様に興味が出て来たわ」

 信用できる連中ではない。しかし、味方であるうちはこの上なく頼もしい者たちを得たイザベラは、自らの怯えをも嘲笑するように大きく口元を歪めて笑いながら言った。

「なら、行くよ。ふふ、あははははは!」

 イザベラは笑った。これまで、タバサに数々の困難な仕事を押し付けてきた自分が、最後になにより困難な仕事をタバサに押し付けられる。これを笑わずにいられようか。

 

 

 そして数刻後、場所はガリアの軍港サン・マロン。海沿いに作られた巨大な軍港では、百隻を超える大艦隊が出港を間近にしていた。

 その中心となるのは大型戦艦『シャルル・オルレアン号』。正確にはシャルル・オルレアン二世号だが、以前にタルブで沈没したものは無かったことにされ、密かに二番艦に名前を襲名することで将兵にはタルブでの汚名を隠されていた。

 甲板では、艦隊司令のクラヴィル卿と艦隊参謀のリュジニャン子爵が出撃の話し合いをしている最中である。

「物資の積み込みはほぼ完了しました。火薬と砲弾が間に合わなかった旧型艦を置いていっても、反乱軍を打ち砕くには十分な戦力があります」

「うむ、ご苦労。祖国に反旗を翻すとは忘恩の徒らめ。だが、空の守りの無い陸兵がどうなるかを教えてくれる」

 この大艦隊。海を圧し、風石で空に昇れば大空を支配するガリアの力の象徴は両用艦隊と呼ばれ、無かったことになっているロマリア攻撃で多数の艦を失っているとはいえ、まだ相当の戦力を保持していた。

 彼らは王宮からの命を受け、オルレアン公に寝返って反乱を起こした陸軍を討伐に出発するところであった。もっとも、それも最初から記憶をジョゼフに仕組まれていることで、オルレアン公の前に出ればたちまち記憶の鍵が外れてオルレアン公の傘下に入るようにされている。

 だが、まさに全艦隊出港を命じようとしていたときだった。クラヴィル卿の下に一陣の風が吹き込むと同時に二人は床に引き倒された。そしてクラヴィル卿は這いつくばりながら動かぬ体から顔だけを上げると、自分を見下ろしてくる翠色の眼差しを見たのだった。

「お、お前は……い、いや、その髪とお顔。あ、あなた様は!」

「悪いけど、この艦隊はわたしがもらうよ」

 人生最大の勝負に挑もうとしているイザベラ。その行く先の空には、嫌味なまでの快晴がどこまでも続いていた。

 

 

 続く



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第19話  朝日の射す影で

 第19話

 朝日の射す影で

 

 円盤生物 サタンモア

 戦闘円盤 ロボフォー 登場!

 

 

 明けない夜はないと言われる。

 長かった闇を太陽の輝きが塗り替えていく様は美しく、人々はつらい境遇の終わりなどを夜明けに例えて古来から愛してきた。

 しかし、朝日が射し込むとき、日差しの裏では夜より深い闇が生まれていることを知る者は少ない。

 

 

 ガリアの港町サン・マロンを出撃した両用艦隊。大小合わせて百隻に及ぶ大艦隊の先頭を行くのはガリアの誇る新造戦艦シャルル・オルレアン号。

 勇壮な光景に、なにも知らない人々は喜んで手を振り、この光景を後世に残そうと絵筆をとった画家もいたという。

 しかし、艦隊は決して揚々と飛び立ったわけではなかった。旗艦シャルル・オルレアンのブリッジでは、提督を従えたイザベラが憂鬱な面持ちをしていた。

「とうとう飛び立っちまったか……わたし、こういう船に乗るの初めてなんだよな……」

 地上が遠くなっていく様を見て、イザベラは身震いする感触を覚えていた。彼女の周りには兵に指示を出している艦隊司令のクラヴィル卿と参謀のリュジニャン子爵が並び立ち、傍らには護衛として元素の兄弟のジャックが控えている。ドゥドゥーとジャネットもいるが、二人とも船の運航には興味なさげで暇そうにしていた。

 まさか王女の自分が強盗みたいなことをするはめになるとは。まあ、国のものは王族の自分のものと言えなくもないが、一国の王女が転じて宿無しから強盗で艦隊司令官を経て女王に返り咲こうとしている。三流の劇作家に銀貨一枚で叩き売りたいシナリオだ。

 そこへジャネットがやってきて微笑みかけた。

「あら、お姫様は高いところはお苦手?」

「まさか、これからもっと高みを目指さなきゃいけないんだ。このくらいで弱音を吐いていられないよ」

「ふーん、空元気も時には立派ですわ。けど、よくこの艦隊の将兵は簡単に従いましたわね」

「ああ、わたしのこの眼と髪が、こんなに役に立つとは思わなかったよ」

 イザベラは苦笑しながら呟いた。

 この艦隊を掌握しようとしたとき、流血沙汰になることも覚悟していた。しかし、シャルル・オルレアン号から全艦隊に向かって指揮権をもらうことを宣言したイザベラの張った啖呵が動揺する各艦の艦長たちを鎮めたのだ。

「わたしのこの眼と髪を見ろ。神より与えられし、始祖の血脈がお前たちの前にある。王権に弓引き、始祖に杖を向ける覚悟がある者はかかってくるがいい!」

 実際は、イザベラにとってタバサからの入れ知恵を元にした一か八かの賭けだった。しかしそれは思った以上にうまくいき、艦長たちはイザベラに承服した。

 もちろん、責任を押し付けるのや、土壇場で裏切ることも艦長たちが計算に入れているのは間違いない。だがそれ以上に、始祖の血を引く王族の権威というものが民の間でいかに絶対なのかということを、イザベラは肌で感じ取っていた。

「……それで提督、目標の予想時間はいつになるんだい?」

「はっ、オルレアン軍がガリアに戻ったところを襲撃しますので、接触は明朝以降ということになります」

「そうかい」

 艦隊で一番偉い提督でさえ、王家の威光の前には小娘相手にこれである。イザベラは、以前ならばそれを当然と思ったであろうが、今は複雑な思いになっていた。

 しかし、良し悪しはともかく、だからこそ始祖の血を引く王家の威光がガリアをまとめる一筋の希望になり得るのだろう。

”これもお前の思惑のうちか、シャルロット? だが、ここまで来たら乗ってやるよ。けど、こっちが仮にうまくいったとしても他はどうなんだ? ガリア以外のことは、わたしは知らないよ”

 イザベラははるかな空の彼方を望んで思った。

 世界をペテンにかけるこの陰謀。ジョゼフを倒し、ガリアを平定するだけでは恐らく収まらない。だが、他国にまで手を伸ばす余裕なんてこっちにはない。

”ま、それも頭のいいお前のことだ、なんとかしちまうんだろ。なら、まかせてやろうじゃないか”

 わたしに何度も吠え面をかかせてきた手並み、また見せてもらおうかとイザベラは思った。もっとも、すべてが終わったときに自分が生きていたらの話だが。

 そのとき、空を望むイザベラの視界の端に、奇怪な飛び方をする銀色に光った何かが映った。それは、何だと思う間もなく飛び去り、いぶかしんだイザベラはそれが消えた方向を参謀に尋ねた。

「おい、あっちの方角には何があるんだ?」

「はっ、あちらは……トリステインの方角になりますが」

「はっ、そうか……なるほどな」

 どうやらこの陰謀、自分が考えているほど単純ではないらしい。次にはなにが起きることか。イザベラは思いにふけりながら、ふっと笑みを浮かべた。

 

 そして、イザベラの考えに訂正を加えるとしたらひとつ。タバサはガリア国外での事態まで解決しようという考えは持っていなかった。いくらタバサでも、そこまでをする余裕などはなかったのだ。

 ただし、無視しているわけでもない。トリステインには、タバサの信頼する多くの友がいる。目を覚ましたタバサは、また仲間たちを信じてみることにした、それだけだった。

 

 所を変え、トリステインのトリスタニア。そこは一刻前の切羽詰まった様相から一転して、お祭りムードに包まれていた。

「シャルル新国王万歳! ハルケギニア共同体万歳!」

 数日もせずに誕生するであろう隣国の新国王を祝福し、ハルケギニアがひとつになる夢に心を踊らせる人々が万歳三唱し、酒を持ち出して道路で乾杯しあっている。

 トリスタニアからはすでに半数近くの住民が避難していたが、それでも多くの人々が喜ぶ声は、丘の上にそびえる王宮にも届くほどである。

 そんな中に、いったん王宮から負傷兵として避難していたアニエスの姿もあった。アニエスは避難先で女王の一行がガリア軍と相対して帰ってきたという報を聞き、いてもたってもいられなくなって王宮に帰還し、アンリエッタに拝謁して驚愕していた。

「そんなことがあったのですか。肝心なときにお役に立てず、申し訳ありませぬ」

 アニエスは介添えの銃士隊員に支えられながら頭を下げた。ルビアナの小型ペダニウムランチャーを奪って撃った時の反動の傷は、まだアニエスの両腕をギプスで覆われたままにしており、回復の兆しは立っていない。

 しかしアンリエッタはアニエスとの会話を喜んでくれた。一度は今生の別れを覚悟して出立したわけで、こうしてまた一番の腹心と言えるアニエスと言葉を交わせるのは望外の喜びに違いなかった。

 アンリエッタはガリア軍との衝突の際に起きた出来事、オルレアン公の登場やその清廉潔白な人柄を詳しく語ってみせた。アニエスはその内容を黙って聞いていたが、オルレアン公の素晴らしい人柄に関する部分では、顔がしかめそうになるのをぐっとこらえていた。ミシェルを欺いていたリッシュモンなどの件もあって、善良そうな貴族というものに関してつい拒否反応が生まれてしまう。

 女王陛下の御身を守るためにはそれも必要と思いつつ、アニエスはアンリエッタに不快な思いをさせてはいけないと、話題を変えることにした。

「しかし、昨日の今日でこのお祭り騒ぎはどうかと存じます。民の混乱を避けるために、もう少ししてから公表したほうがよかったのではありませんか?」

 アニエスの苦言に、アンリエッタは申し訳なさそうにうつむいた。せっかくトリスタニアから避難民を出そうとしていたところにこれでは、トリスタニアに戻ろうとする民でごったがえす危険もある。

 すると、いつもはアンリエッタに厳しく忠言する立場のマザリーニ枢機卿が、アンリエッタをかばうように言った。

「アニエス殿、あまり陛下を責めてくれますな。陛下も私も、最初は民を落ち着かせてから公表しようと思っていたのです。それが、あのオルレアン公の大使めが勝手に触れ回りおったもので、この始末なのです」

 マザリーニ卿の苦々しい表情からも、心底余計なことをしてくれたという色がにじみ出ていた。

 これでは騒ぎは当分収まらないだろう。人間は、抑圧された後の解放に弱い。むしろお祭り騒ぎは国中に広がっていく一方と思われた。

 その大使とやらは良かれと思ってやったのだろうが、なんという軽率な。アニエスも一言文句を言いたくなり、その大使がどこにいるのかを衛士に尋ねると、しかし意外な返事が返ってきた。

「それが、どこへ行ってしまったのか、姿が見えないのです。城に戻られて、お部屋に案内したところまではいらっしゃったのですが」

「なに……?」

 アニエスはいぶかしんだ。大使としてやってきているというのに、あきれた怠慢と無用心ではないか。けれどアンリエッタは大使を擁護するようにアニエスに言った。

「きっと、オルレアン公の威光を伝えるために飛び回っているのでしょう。あれほどのお方のためになるのであれば、疲れを忘れて東奔西走する気持ちもわかりますわ」

「……は」

 高くオルレアン公を評価している様子のアンリエッタに、アニエスはそれ以上言うのはやめておいた。

 アニエスは介添えの隊員に支えられながらアンリエッタの前を退き、病室への帰途についた。いくら女王の腹心であり銃士隊の隊長といえど、今はまだ復帰できていない身、あまり長居はできない。

 けれど、アニエスの直感はなにかこのまま終わりそうもないと、チクチクひっかかるものを感じていた。病室に戻る前に、銃士隊の詰所に寄って話を聞く。

「ミシェルや、ミス・ヴァリエールからの連絡はまだないか?」

「ありません……なにかあれば、すぐに隊長に報告するつもりなのですが」

「いや、わかった。ご苦労、そのまま警戒を続けてくれ」

 当直の隊員のすまなそうな様子をねぎらうと、アニエスは詰所を後にした。

「遅い……」

 ミシェルたちが旅立って二日になるのに、まだどちらの組からも一報もない。確かに非常に危険な任務ではあるが、二組同時に全滅したとは思いがたく、そろそろなにか言ってきてもいいはずだ。

「この腕さえ使えれば……」

 本当なら、自ら助けに行きたかった。しかし、剣を握れない剣士にできることはなにもない。城に残っている銃士隊も手が足りているわけでもない。ルビアナとの戦いでまだ入院中の隊員も数多く、ギリギリの人手でなんとか機能している始末なのだ。

 祈るしかできないのがこんなに歯がゆいとは。なんとか無事に戻ってきてくれと、アニエスは窓から天を仰いで願った。

 

 

 だが残酷なことに、トリステインに真実を持ち帰ろうとしているミシェルたちは今、悪の魔の手によって口封じをされようとしていたのだ。

「どうしたどうした? もう息切れとは張り合いがない。 トリステインの騎士も平民を入れて腑抜けてしまったようだね」

「ほざけワルド! なら、その平民の刃をもう一度貴様の心臓に突き立ててやる」

 上空のサタンモアに乗るワルドの攻撃を、ミシェルたち一行は馬車を駆りながら必死にかわしていた。

 すべては、ガリアで掴んだオルレアン公の秘密をアンリエッタになんとしてでも伝えんがため。対してワルドはそうはさせぬと攻撃を続けてくる。追撃戦は空から見下ろすワルドが圧倒的に有利で、すでにミシェルたちの乗った馬車は幌が吹き飛んでぼろぼろになってしまっている。

「副長、このままでは持ちません。奴は我々をいたぶって楽しんでいるんです」

 隊員のひとりが悲鳴のように言ってきたが、そんなことは最初からわかっている。ワルドはこちらの数百メイル上空におり、こちらからは何の攻撃も届かない。こちらをなぶれるだけなぶってから、人里が見えて希望を抱いたところを吹き飛ばすつもりなのだろう。

 下衆な本性を隠そうともしていない。元々レコン・キスタに国を売り飛ばそうとした奴だから今さら何をいわんやだが、ミシェルはかつてわずかでもあんな奴と肩を並べたことにおぞけを覚えた。

 だが、今はただ、あのひげ面の似非紳士をなんとかする……いや、地獄に送る方法を考えなければならない。アニエスならこんなときどうするか、そう考える間にも、サタンモアから無限に射出される小型怪鳥円盤リトルモアがくちばしを突き立てて襲ってくる。

「ええいうっとおしい!」

 リトルモアは銃士隊の隊員くらいの技量があれば恐れることはなにもない相手ではあったが、やはり無限の物量というものには抗しがたい。疲労は蓄積し、ほぼ全員が荒い息をついて汗で体を濡らしていた。

 しかもそれだけではなく、リトルモアの中には倒されたら体内からスキルニルを投下するよう仕掛けられているものもあり、倒したと思ったら騎士人形やフェンリルが飛び出してきて、あわやという場面が何回かあった。

 陰険にだが確実にこちらの力を削いでくる。サタンモアは防衛チームMAC壊滅後の記録であるアウトオブドキュメントにおいても、空からリトルモアの大群を繰り出して街中の一般人を殺戮したとある、その再現のようだ。

「ワルド、貴様も騎士のはしくれなら、降りてきて勝負したらどうだ!」

「ハハハ、幼稚な挑発には乗らないよ。貴族が平民を仕置きするのに、どうして同じ地にはいずらねばならん?」

 正々堂々という意識は欠片もないようだ。ミシェルは、こうなったら最後の手段だが、あの力を使うしかないかと覚悟した。しかしそのとき、それまで消極的に自分の身と馬を守ることだけに専念していたエレオノールが、ミシェルにささやくように言った。

「ねえ、あなた。あいつにひとつ、吠え面をかかせてやる方法があるんだけど協力しない?」

「なんですって! ……そんなことができるのですか?」

「ここにはアカデミーの首席が二人もいるのよ。あなたたちが条件を揃えてくれさえすれば、1分もあれば十分。でしょ? ヴァレリー」

「い、命がかかってるならなんでもするわよ! うう、死んだら化けて出てやるんだから」

 戦いは苦手なヴァレリーは嫌々な風だったが、杖を握って構えている。確かに、普通なら研究室でなければできないようなことでも、この二人が揃っているなら即席でできるかもしれない。

 ミシェルは賭けてみることにした。あのミス・ヴァリエールの姉、そのさらなる実力を見せてもらうとしよう。

 ワルドは相変わらず頭上からリトルモアを差し向けてくる。なんとかの一つ覚えめ、だがその余裕もすぐ終わりにしてやる。

 ミシェルは、リトルモアたちを一見先ほどと変わらないように打ち落とし、スキルニルを破壊していった。その一方で、銃士隊員たちはその身を影にしてエレオノールとヴァレリーがワルドから見えないように立ち回る。

「円陣を崩すな、みんながんばれ」 

 ただでさえ疲れている中での防衛戦は銃士隊をさらに疲弊させた。だが、何倍にも長く感じた一分間が過ぎたとき、彼女らの粘りにエレオノールとヴァレリーは見事に応えてくれたのだ。

「準備できたわ。そのまま派手に戦い続けていて」

 奴の注意をもう少し引き付けておいてという指示に、銃士隊は額の汗を鎧に垂らしながらうなずいた。

 そして、そんな彼女たちの企みを知らないワルドは、はるか上空からどうやってむごたらしくとどめを刺そうかと思案していたが、それが致命的なミスになった。

 自動的に繰り出されていくリトルモア。それはサタンモアから射出されるとそのまま地上の獲物をめがけて降下していくはずだが、サタンモアの背に乗っているワルドからは見えないはずのリトルモアが視界の端に映ったのだ。

「うん?」

 見間違いか?

 しかし、その油断で気を抜いた一瞬の隙に、一匹のリトルモアがワルドに飛びかかってきた。むろん、ワルドは反射的に熟練した杖さばきで考えるより速くリトルモアを切り捨てたが、なんと切られたリトルモアが爆弾のようにワルドの至近で大爆発を起こしたのである。

「ぬがああっ!?」

 爆風と破片で全身を切り刻まれて絶叫するワルド。

 なんだ、何が起こった? なぜ忠実なしもべのはずのリトルモアが反逆を? 

 激痛の中で自問するワルド。すると、爆風で体に突き刺さった破片が生き物のものではなく、スキルニルの金属片だとわかって激昂した。

「き、貴様ら! 私のスキルニルを奪ったのか」

 ワルドは眼下の馬車に怒鳴った。その無様な姿に、エレオノールが得意気に笑って答える。

「やっと気づいたのね、鈍い男。そうよ、私たちを誰だと思ってるの? 完全に破壊されていなければ、私の土魔法でスキルニルを復元して内部を火薬に変え、ヴァレリーの水魔法で怪鳥の血を使って手駒に変えるなんてお手のもの。そんなことも思いつかないからあなたはダメなのよ」

「おのれっ、ならば貴様らもいっしょに葬ってくれる!」

「あら、そんな月並みな悪者の台詞を言ってる暇があるかしらね?」

 エレオノールの鋭い瞳が眼鏡の奥で光り、ワルドが「しまった」と思ったときには手遅れだった。そう、リトルモアに化けさせたスキルニル爆弾は一発ではない。ワルドが慌てたときはすでに、サタンモアのリトルモア射出口にスキルニル爆弾が潜り込んでいたのだった。

 大爆発がサタンモアの下腹部で起こり、サタンモアは引き裂くような悲鳴をあげた。サタンモアは地球防衛軍のミサイル攻撃も寄せ付けないほど頑丈な体を持つが、体内に潜り込まれて爆発されてしまったのではたまらない。白煙をあげながらサタンモアは高度を落としていく。大きなダメージを与えたのは確実で、銃士隊の中から歓声が上がった。

 しかしサタンモアとワルドはまだ死んではいなかった。思いもよらぬ反撃を受けて傷つきはしたが、それでもまだ余力を残していた。

「よくも、またしてもこんな屈辱を! うぬがぁ!」

 逆上したワルドの怒りのままに、サタンモアは首をミシェルたちのほうへ向けると口からロケット弾を発射した。それは怒りにまかせためくら撃ちだったために一発も命中せずに、馬車の周りに火柱をあげただけに終わったが、それがむしろワルドの上った頭の血を下げる働きをした。

「い、いかんな、俺としたことが。奴らめ、意外とやる。い、いや、俺はなぜこんなことを? ここは、ひとまず……」

 本来のワルドは執念深くあるのと並んで、自分が不利となる戦いには深入りしないドライさもあわせ持っている。それが本来のワルドのスタイルで、彼は人並みの感情は持ち合わせているが、報復に傾倒するほど狂ってはいないはずだった。

 感情が膨れ上がった結果、ワルドにかけられていた暗示が弱まり、ワルドは戦意を失って引き上げようと考えた。こんなところで命をかけても意味はない。なぜこんなことをしていたのか意味はわからないが、命があったのは幸いに、本来の目的のために姿を隠して……。

 だが、ワルドが正気に戻りかけたとき、邪悪な声が彼の裏切りを許さないと響いた。

 

「おやあ、いけませんよお。悪役がつまらない心変わりなんかしちゃあ。あなた、望んで悪役の道に入ってきたんでしょう? だったら最後まで自分の役柄を貫かなきゃ」

 

 上空から特殊な電波が放射され、ワルドの脳を支配した。それはワルドが逃げ帰ってからやろうとしていたことを忘却させ、代わりにワルドの中で押さえ込まれかけていた憎しみを再燃焼させた。

「ぐぅぅ……おのれ、殺してやる、殺してやるぞ」

「そうそう、それでいいんですよ。捨てゴマが中途半端な欲なんて出しちゃいけません。右に左にどっちつかずな生き方をするくらいなら、派手にパッと燃え尽きちゃったほうが好印象です」

 ワルドの心をもてあそぶことに何ら罪悪感を持たず、そいつは楽しげに笑った。

 そして、なかば暴走したワルドはサタンモアの背を蹴り、黒煙をあげるサタンモアをミシェルたちにめがけて降下させていく。

「殺してやる。貴様たちは殺してやる!」

 サタンモアの口からロケット弾が放たれ、高度が下がったことからも今度は馬車の至近で爆発した。

「きゃぁっ!」

「副長、ダメです。もう馬車が持ちませんわ!」

 銃士隊員が悲鳴のように叫ぶ。馬車は今の攻撃の衝撃で車軸までやられ、もうバラバラに分解しようとしている。固定化の魔法で補強しても無理だと判断したミシェルは、二頭の馬を馬車から切り離して叫んだ。

「みんな、飛び降りろ!」

 馬から切り離されて速度の落ちた馬車から、銃士隊の一同はめいめい飛び降り、ヴァレリーもフライの魔法で泣きながら飛び降りた。

 ここからはもう、各人徒歩しか方法はない。そして、ワルドの襲撃が終わっていない今、ミシェルは自分が囮になろうと、一頭の馬の背に飛び乗り、皆を見渡して告げた。

「みんな、バラバラになってトリスタニアへ急げ。一人でも生き残って、隊長と女王陛下に真実を伝えるんだ」

 そう言うと、ミシェルは隊員たちが止めるのも聞かず、馬の腹を蹴って目立つように走り出した。

「はっ! こっちだワルド!」

「おのれネズミが!」

 頭に血を上らせて追撃してくるワルド。やはり、今の奴の精神状態はまともではない。

 だがそれでいい。たとえ自分がやられても、銃士隊の一人でも生き残って報告を届けられれば勝ちなのだ。

 それに、ミシェルもむざむざやられるつもりはない。サタンモアが高度を落としてくれれば存分にアレが使える。サタンモアが顎を開き、近距離からのロケット弾をミシェルに浴びせようとした瞬間、それを待っていたとミシェルの手から真っ赤な炎がほとばしってサタンモアに襲いかかった。

「くらえバケモノ!」

「なにいっ!?」

 ミシェルが土系統のメイジだと思っていたワルドは反応が遅れ、炎はまさにサタンモアから発射されようとしていたロケット弾を包み込んで誘爆に追い込んだ。

「ひっ、ぬわぁぁっ!」

 ワルドはとっさに風魔法で防壁を張ったが、爆炎は容赦なくサタンモア上のワルドをも飲み込んだ。

 サタンモアはさらにダメージを受け、フラフラとしながら高度を落とし続けている。思い知ったか外道め、切り札は最後までとっておくものだと、ミシェルはほくそ笑み、先ほど外野からワルドを煽った宇宙人も、意外な展開に感心していた。

「ほほお、人間のくせにおもしろいことをしてくれるじゃあないですか。先ほどまでの粘りといい、あの男なんかよりよほど興味深いですね……」

 生身の人間がいくら魔法を使っても円盤生物に対抗できるとは思っていなかった。しかし現実に、ワルドとサタンモアは大きなダメージを受けている。宇宙人の興味の目は、踏み潰そうとしたカマキリが鎌を振り上げて立ち向かってきたのを見たような、敬意のかけらもない冷たい関心ではあったが、なにかを思いついたように鈍く光った。

 けれど、燃え上がるサタンモアを見て銃士隊員たちが「やったの?」と歓声をあげかけたとき、墜落していたサタンモアが首を上げ、その背から強力な電撃の魔法が放たれた。

『ライトニング・クラウド!』

 数十の雷の触手が宙を舞い、馬上のミシェルを撃ち据えた。

「ぐああっ! ぐぅっ、ワルド!」

「まだ死なん、こんなもので俺は死なん! 今度死ぬのはお前たちだ!」

 かつて死んだ恐怖と絶望が憎悪と生存本能を煮えたぎらせていた。また殺されないためには、目の前の敵を殺すしかない。それがワルド自身の不義理から出た自業自得でも、生きるためにはそんなことは関係ない。

 が、生きるために必死なのはミシェルたちも同じだ。電撃のダメージに耐え、同じように感電でしびれ苦しんでいる乗馬に話しかける。

「ごめんな、でもあと少し、もう少しでいいから走ってくれ」

 ワルドが弱っているので、今のライトニング・クラウドは致命傷となる威力はなかったけれど、それでも馬にも大きなショックを与えていた。こんなありさまでも振り落とさずに走り続けてくれるこの青いたてがみの馬は本当に利口に思う。

 本当なら逃がしてやりたいが、そうもいきそうにないことを許してほしい。しかし、このままワルドを引き離せば、奴に銃士隊の部下たちにまで攻撃の手を回す余裕は無くなるだろう。そうなればこちらの勝ちだ。

「さあ来い、お前だけは、わたしの……わたしのこの手で葬ってやる!」

 ミシェルにとって、ワルドは過去に自分が犯した罪を呼び起こす亡霊のようなものだった。同じように国を裏切り、仲間を裏切った……しかしミシェルが過ちを悔い、罰を受け、罪を償おうとしているのに対して、ワルドは悪行を重ね続けている。

 自分が辿ったかもしれない最悪の末路。それを見せつけられる限り、胸の奥から苛立ちが甦ってくる。いつまでもつきまとってくる亡霊は、今度こそここで始末をつける。

「逃がさんぞ、消えろぉ!」

「消えるのは貴様だワルド!」

 真後ろから迫ってくるサタンモアに、ミシェルは炎のエネルギーを手に込めて、火炎弾として投げつけた。エネルギーの元の持ち主であったフェミゴンが使っていたのと同様の高熱の火球がサタンモアを迎え撃つ。

 だが、ワルドはニヤリと笑って杖を振るった。

「侮られたものだ。そんな単調な攻撃がこの俺に通じるか!」

 強力な風の防壁がサタンモアを包み、気流の滑りで火球を弾いてしまった。

「見たか、風は火を煽り、火を鎮める。火は風のしもべなのだ。風のスクウェアである俺に、そんな炎で立ち向かうなど片腹痛いわ」

「おのれ、こしゃくな真似を」

 ミシェルは舌打ちをしたが、実際相性が悪いのは否めない。それにミシェルは元々土の系統なのであって、火の扱いは専門外。風のベテランであるワルドに錬度で及ぶべくもない。

 なら、残った手は……だがワルドは待たずに再度強力な呪文を放ってきた。

「とどめだ! 『ライトニング・クラウド!』」

「しまっ」

 思考の一瞬の空白を突かれた。さっきより強力な電撃が来る、今度は耐えられないと思ったその時だった。

「まったく、これ以上トリステイン貴族の恥をさらすんじゃないわよ」

 大きな土壁がミシェルの後ろから盛り上がり、ライトニング・クラウドの雷を防ぎきってしまった。

 愕然とするワルド、そして唖然とするミシェル。その後ろから赤毛の馬を駆って追いついてくるブロンドの令嬢。

「確かに風は火を支配するわ。けど、どんなに風が吹こうと大地は揺るがない。これも魔法の真理のひとつね」

「ミス・エレオノール!」

「情けないわね。あなたも最下級のシュヴァリエとはいえ、トリステイン貴族を名乗ることを許された身なら、あんな外道に遅れをとるんじゃないわよ」

 エレオノールは厳しく言い放つと、ミシェルと馬を並走させつつ、サタンモア上のワルドを見上げた。ワルドはエレオノールの姿を見ると、また口汚くなにかを叫んでいるようであったが、エレオノールは一言も聞かずに眉を潜めて、眼鏡の奥の視線をミシェルに向けた。

「いいこと、私が援護するから、次の一撃でワルドを仕留めなさい」

「は、はい。しかし、ミス・エレオノール」

「勘違いするんじゃないわよ。前にも言ったでしょ、あなたには是が非でも生きていてもらわなきゃ困るの。それに……」

 エレオノールは険しい表情に一瞬だけ哀しそうな影を浮かべると、ちらりとワルドを振り向いてから言った。

「ジャン・ジャック・ワルド……あいつのことは子供の頃から知ってるけど、昔はあれほどひどい男じゃなかった。なにがあいつをあれほどの醜態をさらすまでに変えてしまったのかは知らないけれど、昔のあいつを知っている者として、かけてやれる情けがひとつだけ残っているわ」

「わかりました。終わりにさせてやりましょう」

 ゆっくりとミシェルはうなづいた。

 トリステイン貴族として、王家と国に仇なす者はなんであろうと切り捨てる。この百合の紋章を与えられたということは、そういうことだ。

 勝負は次の一撃。しかし、トライアングルクラスの魔法では、怪獣の上に乗るワルドごと倒すことはできない。頼みはやはり、ミシェルの得た炎の力。

「燃えろ、わたしの中の炎よ……」

 ミシェルの体から陽炎のようなオーラが溢れだす。怪獣フェミゴンの持っていたエネルギーが実体化しようとしているのだ。しかしそのオーラの強さを見て、エレオノールは厳しく告げた。

「ダメね。その程度の炎じゃ、トライアングルクラスと大差ないわ。それじゃ、あいつには通じないわ」

「そう言われても。わたしは元々、炎の扱いには慣れていないものですから」

「イメージなさい。形のないものを操るには、イメージの強さが基本にして奥義よ。あなたが持つ一番強いイメージで……私が奴を押さえられているうちにね!」

 その瞬間、背後からロケット弾が襲いかかってきて、エレオノールはとっさに土の防壁を繰り出してこれを防いだ。

 しかし、戦闘機すら撃墜するロケット弾をそのままでは防ぎきることはエレオノールにもできない。エレオノールはとっさにロケット弾の前に二枚の土の防壁を作り、一枚目に当てて爆発させ、二枚目で爆風を防いだが、それでも2人の背にはしのぎ切れなかった爆風と破片がいしつぶてのように当たって、ワルドは高笑いした。

「ふははは、いいざまだ。地を這いずれ、みんな醜く死ぬがいい」

「あいつめ、もう貴族の品位も残っていないみたいね」

 人間、一度堕ちれば再び這い上がるのは難しい。増して、もう戻る意思のない人間は堕ちていく一方だ。

 サタンモアは、かなりのダメージを与えたのは確かだが、まだ墜落する様子はなく飛び続けている。撃墜するには、やはりレオのシューティングビーム並の威力が必要なようだ。

 エレオノールは懸命に土の防壁を作り出して電撃やロケット弾を防いだ。しかし、それもすぐ限界を迎えそうだ。そのわずかな時間に、ミシェルはイメージを高めていった。

「強い炎のイメージ……火山。いや、そんなものじゃダメだ。わたしの知ってる、もっとも赤く、熱い……刃のように研ぎ澄ましたイメージを」

 ミシェルに宿った炎の力は本来異物。使えば減っていって必ず無くなる。ならばこそ、最大のイメージで一撃で片をつけなければならない。

 そして、自分にとって一番強いイメージは、やはり刃だとミシェルは思った。銃士隊という家族の中で、皆と磨き上げてきた剣こそが自分の誇り。炎を……刃に、そうか!

 その瞬間、ミシェルの中で歯車が噛み合い、炎のオーラが一気に強くなった。それを感じて、エレオノールも笑みを浮かべる。

「どうやらできたみたいね。あなたにとっての最強のイメージが」

「ええ、けれどここからじゃやはり位置が悪い。なんとか、奴に近づけさえすれば」

 ワルドもこちらからの反撃は警戒しているはずだ。確実に攻撃を当てるには、サタンモアの前か、できれば上から攻撃したい。しかし、フライの魔法のスピードではワルドから見れば止まっている的みたいなものだ。

 だが、そうつぶやいた瞬間だった。

「よろしい、ではその望みを叶えて差し上げましょう」

 芝居じみた声とともに、ワルドのサタンモアを黒い丸い影が覆った。

 なんと、いつの間にかサタンモアの真上に空飛ぶ円盤が現れていた。そして、円盤はその下部をせり出させると、唖然としているワルドに向かってミサイルを放ってきたのだ。

「な、なんだ! うおぉお! ええい、また俺の邪魔者が!」

 ワルドは混乱しながら吐き捨てた。ミサイルの照準は甘く、サタンモアやワルドに被害を与えるものではなかったが、すでに苛立ちが限度に来ていたワルドはサタンモアに命じて、目から放つ破壊光線で円盤を攻撃させた。

「落ちろ!」

 サタンモアの光線は円盤に命中し、円盤は爆発してぐらりと揺れた。その様子を見て、ワルドはざまあみろと哄笑したが、円盤を送り込んだ主は平然と嘲笑っていた。

「あらあら、福袋セールの詰め合わせ品じゃこんなものですねえ。ファンタスのアンドロイドさんたち、こんなスクラップ寸前の宇宙船しかギルドに出品できないとは、いよいよ持って先が無さそうですねぇ」

 この円盤は、先にタバサたちの前に姿を見せたファンタス星人が使っている戦闘円盤で、通称ロボフォーと呼ばれている。本来であればウルトラマン80もてこずるほど強力な兵器ではあるのだが、ファンタス星の衰退による老朽化と旧式化によって、今では飛んでいるだけでやっとなほどガタがきてしまっている。

 だが、宇宙人の目的はロボフォーでサタンモアを倒すことではなかった。

「最後の仕上げの時のために、あまり王様の計画で強い人たちを消され過ぎても困りますからね。さて、ちょっと手助けしてあげますけど、王様に言い訳が立つように頑張ってくださいよ」

 ロボフォーは煙を吹きながら墜落していく。その姿をワルドは笑いながら見下ろしていたが、ロボフォーは愕然としながら見上げているミシェルたちの側で降下を止めると、外部のランプを光らせて、まるで「乗れ」とでも言っているかのように上昇を始めたのである。

「これは……?」

「味方、なの?」

 状況からすれば渡りに船だ。しかし、突然のことに飲み込みきれないミシェルやエレオノールは迷った。

 どうすべきか? いや、どのみちチャンスはない。なら、いつものように、前に進むことに賭けるのみ! ダメならそのとき考えればいい。

「ミス・エレオノール!」

「ええ!『レビテーション!』」

 物を浮かす魔法の力で、ミシェルはロボフォーの天井まで飛び上げさせられた。

 ロボフォーはミシェルを上に乗せたまま、半重力で風船のように浮き上がっていく。ワルドは「なにいっ!」と、ミシェルとエレオノールの阿吽の呼吸が起こした芸当に驚愕するものの、気づいたときには遅かった。

 そのままロボフォーはサタンモアの正面斜め上、絶好の位置取りに浮いている。チャンスは、この一瞬! ミシェルの全身から、真紅の炎のオーラが立ち上がる。

「ワルド、貴様になにがあって、どうして自ら堕ちていく道を選んだのか、今となっては知る由もない。だが、貴様のやったことは……許されないことだ」

 正義を気取るつもりはない。しかし、もはやどん底まで落ち、なおも罪を重ねて恥じないワルドへの情は尽きた。

 かくなる上は是非もなし。騎士として、かつては誇り高い騎士であったお前に最後の餞別をくれてやる。

「炎を集中して、形を与える。硬く、鋭く、熱い、あの刃のように……」

 ミシェルはイメージした。何物にも屈っさず、弱きを守り、悪を切り裂く光の剣。

 炎のオーラが収束し、ある物の形へと変わっていく。赤い炎が密度を増して白い輝きへと昇華していき、すべてを切り裂く巨大な白熱の刃へと。

 銃士隊の隊員たちの何人かは、その刃の形を見て記憶を蘇らせた。あれはそう、かつて悪逆の限りを尽くした超獣バキシムと赤いウルトラマンが戦った時に、バキシムの首を一刀で切り落とした必殺の刃。

 ミシェルは大きく振りかぶると、作り出した光の刃をワルドとサタンモアへ向けて投げつけた。

 

『アイスラッガー!』

 

 ウルトラセブンの必殺武器を模した炎の刃が正眼に飛んで、サタンモアを頭から真っ二つに切り裂いていく。そして、その背のワルドにも容赦なく迫り、ワルドは避けることも忘れて光刃の前に悲鳴を上げた。

「うぉぉぉぉぉっ!」

「ワルド、次に生まれてくるときは……」

 ミシェルはぽつりと、あったかもしれない自分のもう一つの未来の姿に哀悼の意を表しようとした。だが、これまでのワルドの所業を思い出すとその気も無くなり、逆にぽつりと吐き捨てた。

「いや、二度と生まれてくるな」

「あああぁぁぁぁーっ!」

 ワルドの体も縦に二分割され、サタンモアごと両者は落下して大爆発を起こした。

 因果応報……かつて守らなければならないものを捨てて踏みにじったことで命脈を絶たれた男は、その過ちを顧みることなく二度目の死を迎えたのであった。

 もう二度と顔を見ることはないだろう。さらばだ、過去の亡霊よ。ミシェルは爆発して跡形もなく吹き飛んだサタンモアのなれの果てが上げている黒煙を見ながら思った。

 だがそのとき、ロボフォーも異音を立ててぐらりと傾いた。

「なっ、こっちもか!?」

 傾いたロボフォーはエンジンが完全に止まってしまったらしく、みるみるうちに落下していく。

 このままじゃ巻き込まれる。ミシェルは杖を取り出して『フライ』の魔法で脱出しようとしたが、落下の風圧でうまく杖を取り出せない。

”まずいっ!”

 このままではロボフォーごと地面に叩きつけられる。だが、なんとか杖を持とうと焦るミシェルの耳に、部下たちの必死に叫ぶ声が聞こえた。

「副長、こっちです。こっちに飛んでください!」

 みんな! その声に勇気づけられたミシェルは全力でロボフォーのボディを蹴ると、声の聞こえたほうの空へと飛び出した。

 風が体を覆い、上下の感覚が無くなる。風のメイジならばこんなときでも天地がわかるそうだが、ミシェルは反対の土のメイジ、空の上ではなにもできない。

 ただ無力に落下し、地面が近づいてきていることだけがわかる。しかしそれでもミシェルに恐怖感はなかった。空耳ではなく、仲間たちの確かな声が落ちながらも聞こえていたからだ。

「こっちこっちこっち、こっちに落ちてくるわ!」

「右、あとちょっと右。早く!」

「来るわよ。みんな、せーの!」

 ミシェルは体が柔らかいものに触れ、ぐぐっと勢いを殺した後で、反動でまた宙に放り出されるのを感じた。目を開けると、部下たちが大きな布をみんなで引っ張って、トランポリンのようにして自分を受け止めてくれたのを見た。

 そうして何度か跳ねて地面に下ろされたミシェルは、まだフラフラしているところを部下に肩を貸されながら立ち上がると、皆に向かって礼を言った。

「みんな、感謝する。おかげで命拾いした」

「いえ、わたしたちなんか。それより、ミス・エレオノールがご自身のマントを錬金の魔法で広げてくれなかったら、どうしようもなかったです」

 そうしてエレオノールに視線を向けると、彼女はきまりが悪そうに視線をそらしながら言った。

「勘違いしないでね。レビテーションを使えば早かったけど、私も精神力が限界でね。まったく、貴族のマントをこんな使い方させるなんて、平民なら打ち首ものよ」

「それでも、感謝いたします。ミス・エレオノール」

 簡潔な礼が一番だろうと、ミシェルは短く頭を下げて話を切り上げた。 

 見渡すと、墜落して炎上を続けているサタンモアとロボフォーから上がる煙の柱が見える。

 あの円盤はなんだったのか? いったい誰が助けるような真似をしてくれたのか? ミシェルやエレオノールは考えるが、答えは出なかった。ただひとつ言えることは、この陰謀劇は一筋縄ではいかないということだ。

 まだ何かが起こる。それも想像もしたくないような恐ろしいことが。見上げた空は美しく透き通るが、何も答えてはくれない。

「けど、わたしたち人間はそんな汚い陰謀なんかに負けはしない。さあ、みんな帰るぞ! 女王陛下に真実をお伝えし、トリステインを救う!」

 部下たちも拳を上げて「おおっ!」と応え、その意思を確かめ合った。

 

 邪魔者が消えた今、トリスタニアはもうすぐだ。急いで、悪魔の謀略から祖国を救わなければならない。

 しかし、それだけでは足りない。これほどの陰謀を砕くためには、もっと多くの力を集めなくては。別ルートでガリアに入った才人たちは何か掴んだだろうか? こちらがここまでの妨害を受けたということは、恐らく向こうも……。

 トリステインの空は、もはや残酷なほどに美しく晴れ渡っていた。

 

 

 続く



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第20話  亡霊の正体

 第20話

 亡霊の正体

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

 オルレアン公の帰還にともなうガリア王国の騒乱が始まって、早くも一日が経っていた。

 知らせは風よりも早く世界を伝わり、あらゆる人間たちがガリアの動向を注視している。

 そんな中で、この騒動の裏に仕組まれた真実を知らせるために、ミシェルたち銃士隊は宿敵ワルドの妨害を退けてトリステインへと帰還した。

 

 一方、ガリアに侵入したもうひとつのチームである才人やルイズたち水精霊騎士隊組は、不名誉墓地で聞かされた事実を確かめるために一路リュティスを目指していた。

 一行が最初にたどり着いたガリアの辺境からリュティスまでは遠く、さらに戦時ということもあって、街道のあちこちは封鎖されていて通ることはできなかった。それでも、土地勘のあるジルが見つけた裏道を通ることや、時にはカトレアが現地の動物を手なずけて乗せてもらうことで、彼らは大きく時間を節約することに成功し、彼らはリュティスまであと一歩のところにまで迫っていた。

 しかし……。

 

「くそっ、出せっ! 出しやがれ」

「無理よ。固定化のかかった牢屋だわ。杖を取り上げられちゃったからディスペルも使えないし、お手上げだわ」

 

 才人とルイズは今、暗い鉄格子の中に囚われてしまっていた。脱出は、まず不可能……二人は暗い獄舎の中で地団駄を踏むしかなかった。

 どうしてこんなことになったのか。それは、この数時間前へとさかのぼる。

 

 ガリアの国内を旅する中で、才人たち一行は様々なものを見た。戦争に怯える人たち、あきらめて日常を送る人たち、逆に戦争を喜んでガリアの勝利を願って祝杯をあげる者。それは善悪区別なく、人の営みが止まることは無いという証であった。

 けれど、真実を露知らない人々も、やがて自分も嵐からは逃げられないことを知ることになる。まずは明るく、甘く……穏やかに。嵐はそうやって油断させて飲み込むものであるから。

 物語の続きは、ガリアのとある町から。そこで才人が発したすっとんきょうな叫びから始まる。

「なんだ、まるでお祭りじゃないか!」

 才人たち一行は、たどり着いた街の光景を見てあっけにとられていた。

 ここはリュティスまであと少しというところにある大きな街。一行は急ぎに急いでようやくここまで到着していたが、ここで思ってもみなかった街の賑わいに直面して、彼らは足を止めてしまった。

「おお、よそから避難してきた人かい? 安心しなさい、この街は安全だよ。食料もたっぷりある、ゆっくりしていくといい」

 町人にきさくにあいさつされて、一行の唖然とした顔が並ぶ。確かに一行は目立たないように避難民に扮してここまでやってきたが、こんな歓迎を受けるとは夢にも思わなかった。なにせ、仮にも戦時だというのに、この街は平和な活気に満ちていて、町人たちは食べ物を抱えて普通に道を歩いているし、いくつもの露店が開いていて、安値で食べ物を販売している。

 ガリアの食料品は軍隊に徴用されていて、民衆は今日食べるものにも事欠いているという話とはまるで違うではないか。これまでの町々で聞いてきた話とは反対の光景に、ルイズは首を傾げた。

「どうなってるのよ、この街は?」

 粗末なフードの下から街の様子を見回す限り、戦争が近づいているという悲壮感や不安はどこにも見えない。これまでに通過してきた町や村は、兵隊に金や食料を奪われるのではと戦々恐々していたのに。この街に入った途端にまるで別世界だ。

 才人も、リュティスに近づくにつれて危険になるだろうと考え、いざとなったらルイズを守って戦おうと気を張っていただけに、夜のサバンナから遊園地に放り出されたような感覚にきょとんとするほかなかった。

「おれたち、道を間違えたんじゃないのかデルフ?」

「それはねえだろ。つか、うだうだ考えるくらいなら話を聞いてみりゃいいだろうがよ」

 それもそうかと、才人たちは道行く人をつかまえて、なぜこの街はこんなに豊かに賑やかなのかと尋ねてみた。すると。

「オルレアン公ですよ。先日お帰りになられたオルレアン公の臣下の方々がこの街にいらっしゃいまして、お金や食べ物を運び込んでくれたのです」

「オルレアン公?」

「おや? ああ、その風体からして田舎から出てこられたからまだご存じないのですね。実は先日……」

 その町人から、かつて謀殺された名君オルレアン公シャルルが実は生きていて、救世主として帰ってきたことを才人たちは初めて知らされた。

 もちろん目玉が飛び出そうなほど驚く一行。そして町人は楽しそうにこう説明した。

「兄であるジョゼフ王の愚行を償うために、民のためになる政をしてくださるそうです。なんと素晴らしい方ではないでしょうか!」

 熱烈に語り、町人は去っていった。残された一行は、その話の内容に驚いたのはもちろんのこと、話に出てきた『オルレアン公』に覚えがあった。

「おい、確かオルレアン公って、不名誉墓地から棺が持ち出されたっていう人だよな」

「ええ、確かに死んでるはずの人よ。それが、救世主になって帰ってきたって、どんな冗談よ? これって」

 嫌な感覚が一行を駆け抜けた。死体を持ち去られた人間が救世主として人々の前に蘇ってくる。これに悪寒を感じない人間なんていない。

 少年たちは、かつてのガリアを知るジルに尋ねてみた。

「ミス・ジル、オルレアン公というのは、平民がこれほど熱狂するほどの貴族だったのかい?」

「……わたしはその当時、人のことに構っている余裕なんて無かったからあまり知らないよ。ただ、買い出しのときなんかに多少噂は聞いたな。もうすぐガリアにはすごい名君が即位するだろうとか……」

 平民の間でそれほどの期待値が出る貴族は珍しい。逆に言うならば、オルレアン公が即位できなかったことでの平民の落胆も大きかったということも容易に想像がつき、カトレアはルイズにつぶやくように言った。

「手に入れようとして手に入らなかったものは、その価値以上に惜しく感じるものです。それが戻ってきたとなれば、喜びもひとしおでしょうね」

 ルイズもうなづいた。平民たちはまさにその通りに舞い上がってお祭り騒ぎをしている。

 ただし、それが本当にオルレアン公ならばの話だ。オルレアン公は間違いなく死んでいるのだから。

「怪しい……ってか、どう考えても偽者だろそれ」

「そうよね。けど、なんのためにそんなことするの? 棺を持ち去ったのがジョゼフのしわざなら、なんで自分が不利になるようなことをさせるの?」

「へっ、そんなの、希望を与えてからのほうが絶望が深くなるとかそんなとこじゃないか? 悪い奴のよく考えることだぜ」

 最初に自分たちを救世主に見せかけてきた侵略者なら、ドキュメントSSPの凶悪宇宙人ザラブ星人や、ドキュメントTACの水瓶座第3星人、ドキュメントUGMの友好宇宙人ファンタス星人などに前例がある。

「おい、この街に来てるっていうオルレアン公の臣下って奴の正体、暴いてやろうぜ」

 才人は鼻息荒く提案し、ルイズも「そうね、異国とはいえ王族の名を騙るなんて冒涜だわ」と、やる気になっている。

 けれど、それは軽率ではないかと一人の少年が反対した。

「待てよ、おれたちは一刻も早くリュティスに向かうところだったんだぞ。こんなところで時間をつぶしてる暇はないだろ」

 もっともな話だった。彼らはまだトリステインとガリア軍の和睦を知らず、単にオルレアン公と名乗る人が現れたという漠然としたことしか知らない。リュティスに急いでジョゼフの周りを探ることのほうが優先されて当然である。

「だけど、持ってかれたオルレアン公の棺桶を探すなら、城に乗り込まなきゃいけないぜ。この街にいるっていうオルレアン公の臣下ってやつなら何か知ってるんじゃないか?」

 それも一利ありだった。より危険が少なく手がかりが手に入るならそれに越したことはない。

 このまま街を通りすぎてリュティスに向かおうとしていた一行は迷った。すると、ジルがいらだったように義足をカチカチと鳴らしながら言った。

「お前たち、頭数があるのにみんな揃わなきゃ何もできないのか? やりたい奴だけここに残ればいいじゃないか」

「あ、なーるほど」

 なにが「なーるほど」だとジルは呆れた。この連中、勇敢だがやはり馬鹿だ。

 では、誰がこの街に残るべきか。すると、ルイズと才人だけが手を上げた。

「わたしとサイトだけでいいわ。この街を調べたらすぐ追いつくから、先に行ってて」

 自信ありげに言うルイズに、カトレアがじっと視線を向ける。しかしルイズはひるまずに、姉の目を見返して言った。

「ご心配には及びません。わたしにはサイトがおります。ですから皆をお守りくださいませ」

 カトレアはルイズの目に確かな覚悟を見ると、無言でうなずいて視線を外した。

 才人はルイズの言葉に感激していたが、ルイズに「あんたはわたしの盾でしょ」と、しごくもっともなことを言い返されて落胆した。

 こうして、才人とルイズだけが街に残って調べを進めることになった。とはいえ、目標は街に来ているというオルレアン公の臣下とやらを探るだけで、特に難しいことがあるわけでもなかった。

 

 そう、才人もルイズも思っていた。そのときまでは……。

 探し求めるオルレアン公の臣下の居場所は、町長の屋敷だとすぐに突き止められた。早速足を伸ばし、人混みをかき分けて顔を拝みに行く。

 見つけるのは容易だった。ちょうどそのとき町長の屋敷の前で、段に登って町民を相手に演説をしている最中だったので、数メイル先の人混みの中から二人はその顔を拝むことができた。だが、その顔は。

「えっ! サ、サイト、あの人って!」

「み、見間違いじゃねえよな。あの人って、昨日の夜に会った幽霊の」

 目を疑うしかなかった。それは、あの初老の貴族の顔。不名誉墓地で自分たちにオルレアン公の棺の捜索を頼んできた、あの幽霊の姿と一致していた。

 これはどういうことだ? 混乱する才人とルイズの前で、初老の貴族はオルレアン公を支持するように民衆に訴えており、その声もあの時と同じだった。

「我が主君、オルレアン公シャルルはガリア国民すべての味方です。ジョゼフの取り上げた食料は我々がお返しします。どうか街の皆さん、新しいガリアの未来のためにオルレアン公とともに歩もうではありませんか!」

 彼の演説に、大衆の中から大きな歓声が上がった。けれど、才人とルイズはとても耳に入らない。

 他人のそら似か? いや、それにしては。二人が混乱していると、老貴族は段から降りて民衆と触れ合いを始めた。

「皆さん、ありがとうございます。皆さんのご期待に答えるために、我らは戦い抜く所存です」

「おおっ、がんばれよオルレアンの! 俺たちは応援するぜ」

 平民にも気さくに応対し、平民たちも貴族の尊大さは見せない彼の態度に感動して受け入れているようだ。

 才人も、ありゃあいい人なんじゃないのか? と、幽霊のことは別にしても平民たちに囲まれる彼の姿に好感を持った。しかし、逆にルイズは強烈な違和感を彼に感じていた。

「気持ち悪いわ」

「は? なに言ってんだよルイズ。あんないい人のどこが気持ち悪いってんだ」

「サイト、あなた調子に乗るのもたいがいにしておかないと、いつか無礼打ちに会うわよ。水精霊のバカたちやミスタ・コルベールみたいなのは例外中の例外なのよ。貴族というのは平民を統治するもの、そう育てられてそれを誇りにして生きるものなの。あんなに平民にベタベタする貴族なんて、おかしいわ」

 ルイズに厳しく諭されて、才人はたまに自分のいるところがハルケギニアだと忘れがちになることを自分に戒めた。ここは地球とは違う論理の世界なのだ。

「けど、だったらやっぱりあれは……」

 才人はつばを飲んだ。意図はわからないが、死んだ人間が現れて平民たちを甘言でまとめあげようとしている。悪い予感しかしない。けれど、まさかいきなり斬りかかるわけにもいかずに才人がじれていると、ルイズが才人にささやくように言った。

「サイト、あいつと話して注意を引いておきなさい。その間にわたしが……」

「どうすんだ?」

「もし、ジョゼフの手下が化けてるんだとしたら、わたしの魔法で解除できるはずよ」

「なるほど、あの魔法か」

 合点した才人は指をパチンと鳴らして、人混みの中をそそくさと進んでいく。ルイズはその背を見つめながら「ドジ踏むんじゃないわよ」と呟いて杖を取り出して呪文を唱え始めた。

「その化けの皮を剥いでやるわ」

 一方で、才人はオルレアン公を歓迎する平民のふりをして、初老の貴族の前に出て挨拶した。

「はじめまして、オルレアン公ばんざい。ガリアをどうかよろしくお願いします」

「おお、これは元気そうな少年よ。安心しなさい。オルレアン公はとても賢くて優しいお方です。きっと君の期待に応えてくれるでしょう」

 彼は才人の顔を見ても特に何の反応も見せずに、にこやかに手を握ってきてくれた。

 やはり、あのときの幽霊の人とは違うのか? 才人は顔を合わせて会話したはずの相手が無反応なことに、下手な作り笑顔をしながら猜疑心を深めた。だとすれば、死んだ人の姿を利用するなんてとんでもない奴だと怒りをたぎらせる。

”見てろ、正体を暴いてやるぜ”

 どんな手で化けているのか知らないけれど、ルイズのあの魔法ならばどんな魔法でも打ち消してしまう。ガンダールヴの力が無くなっても、ルイズが魔法を使うとなると心が踊る。

 才人は相手に笑い返して、いつでも背中に隠し持っているデルフリンガーを抜けるように身構えた。そして、背中からルイズの声であの呪文が響いてきた。

『ディスペル』

 あらゆる魔法をゼロに戻してしまう虚無の光。それを受けて、なにかが起こることを期待した。だが……。

「おや、どうしました? 私の顔になにかついていますかな」

「え!?」

 才人は愕然とした。変化、なし。相手の姿にも周囲の光景にもなんの変化もない。

「す、すいません」

 才人ははっとして謝ったが、背筋には冷や汗がどっと湧いていた。魔法を使って変装してなかったのか? でも、ハルケギニアで魔法に頼らないなんて、そんな。

 後ろのほうではルイズもあてが外れて戸惑っている。魔法が解けないなんて、そんな馬鹿な。なら、魔法以外のもので? それって、まさか!

 二人は、魔法が使われて当然という思い込みをしていたうかつさに気づいた。しばらく無かったから忘れていたが、化けるということに特別さがない奴がいるならば。

 しかし、その思考の空白の一瞬のうちに、初老の貴族の目が怪しく光ったのを二人は見逃してしまった。その隙に、才人の横から若い男性が割り込んできた。

「はい! ガリア東新聞です。オルレアン公帰還へのご期待について一言お願いします!」

「えっ? ええっ!?」

 才人は目を白黒させた。ハルケギニアにも新聞はある。平民の間の識字率は高くない世界だが、それでも大きな街となれば商売などで読める者も多く、新聞記者もいるわけだ。

 突然のインタビューを受けて、才人は完全にパニックになって目を白黒させた。それを見て、たまりかねたルイズが才人の前に出たが、記者は今度はルイズにインタビューを向けた。

「おや、少年の彼女さんですか。あなたも一言お願いします」

「えっ、わたわた、わたしはかのかの、彼女なんかじゃじゃ!?」

 ある意味ルイズのほうが相性が悪かった。顔を真っ赤にして照れるルイズは、才人がこんなときなのに「可愛いな」と思ってしまうくらい愛らしかった。

 だが、二人のその思考の空白を縫って、一発の銃声が響き渡ったのだ。

「ぐわあ!」

 銃弾は初老の貴族の腹をえぐり、彼はうめき声をあげてうずくまった。続いて周囲から悲鳴が上がり、場はパニックに包まれた。

「きゃあぁっ!」

「あ、暗殺だあ!」

 広場は騒然となり、貴族の周りからさっと人の波が引いた。

 才人とルイズも突然のことに頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしてしまう。それでも、二人が我を忘れていたのは数秒ほどだったであろうが、その間隙に細工されたことに才人は気づけなかった。

「ああっ、こいつが鉄砲を持っているぞ。犯人はこいつだ!」

 群衆から叫んで指差された才人は、はっと腰をまさぐって愕然とした。いつの間にか、ベルトのすきまに硝煙をあげているマスケット銃が引っかけられていた。

「ちっ、違う。これは」

「なに言ってやがる。それにそんなでかい剣をぶら下げてるくせに。捕まえろおっ!」

 無個性な台詞で言い訳しようとしても手遅れだった。才人とルイズに向かって、数人の男が飛びかかってくる。才人はとっさに背中のデルフリンガーに手をかけたものの。

「どうした相棒?」

「だめだ、抵抗したら余計に誤解が解けなくなる」

「そんなこと言ってる場合かよ!」

 デルフの言うことももっともだったが、抜いたとしてもみねうちでここを突破することは無理だったであろう。大人の男数人がかりで才人は道路に押し倒され、ルイズも呪文を唱える暇もなく取り押さえられて杖を取り上げられていた。

「離して、離してよ! 杖を返しなさい。サイト、サイト!」

「お前たち、無能王の手下だな。子供のクセに暗殺なんてとんでもない奴らだ」

「違う、誤解だ。おれたちはジョゼフの手下なんかじゃない!」

「その鉄砲が動かぬ証拠だろうが。このまま牢屋にぶちこんでやる」

 弁解を聞いてもらえるわけがなく、武器を取り上げられた才人とルイズは なすすべなく連行されるしかなかった。

 どうしてこんなことに……二人は後ろ手で捕らえられて連れていかれながら、撃たれた貴族を振り返った。広場はまだ騒然としているが、撃たれた貴族は命には別状なかったようで、立ち上がって無事を民衆にアピールしているようだった。

「皆さん、今の光景が真実です! ジョゼフは手段を選びません。このようなものが王であると……」

 演説の声は民衆の歓声に掻き消され、二人の耳に届いたのは、その後のオルレアン公を称える万歳の嵐だけだった。

 

 そうして才人とルイズは町外れにある尖塔の牢屋にぶち込まれてしまったのだった。

「その中でおとなしくしてろよ。後でたっぷり泥を吐かせてやるからな」

「おい待てよ。話を聞けって! くそっ!」

 才人の叫びもむなしく、二人を牢にぶちこんだ男たちはさっさと行ってしまい、残された二人には焦燥だけが募った。

 デルフも杖も取り上げられ、ただの人間になってしまった二人には牢を破る方法がない。それでも、あきらめられない才人は牢の扉に何度も体当たりを続けていた。

「このっ! 開け。開けよ」

 何度力一杯ぶつかっても、鉄格子の扉は金属がきしむ音を立てるだけでビクともする様子は無かった。それでもまた助走を着けて体当たりしようとする才人に、ルイズが制止の言葉をかけた。

「無理よ。ここはメイジの罪人を捕らえておく特別な牢だわ。そんなものじゃ、百年経ったって出られやしないわよ」

「なんだよルイズ、ずいぶん余裕じゃないか。このまま出られなかったらおれたち罪人だぜ。どうするんだよ?」

「だから、こうやって脱出する方法がないか考えてるんじゃない。魔法が使えないんじゃ、わたしにできるのは考えることだけだもの。追い詰められた人間が最後までできることは、考え続けることだけでしょ!」

 毅然と答えたルイズに、才人はやけっぱちになっていた自分の頭を冷やした。そうして、無駄なあがきはやめると、厳しい表情をしているルイズに話しかけた。

「なあ、本当にこの牢屋、どうやっても出られないのか?」

「無理ね。こういうところの牢って、天井も床下も固定化で固められてるわ。少し壁を削ることくらいはできても、すぐ硬い芯に突き当たるから掘って脱獄するのも無理よ」

「完全にかごの鳥ってわけかよ。でも、どっかに隙くらい……」

 才人は牢屋についている小さな窓を覗きこんだ。ここは40メイルくらいの塔の最上階の牢屋なので、町の半分が見渡せる。ずっと遠くに見える大きな街はリュティスだろうか。

 しかし、窓にも頑丈な鉄格子がはめてあり、才人の力でどうにかできそうなものではなかった。

「みんな、今ごろはリュティスに向かってるっていうのに。おれたちはこんなところで」

「それだけど、わたしたちがあのオルレアン公の臣下の前に出たときに都合よく暗殺騒ぎに巻き込まれるなんて、偶然だと思う?」

「おい、それってまさか」

 才人はぎくりとした。自分たちはこれまで、誰にも正体を知られずに行動してきたと思っていたけれど、もしそれが泳がされていただけだとすれば。

 うかつにも、敵の喉笛に食いつくつもりが、釣り針付きの餌に飛び付いてしまったのかもしれない。となれば、もうおとなしくしている余裕はない。

「後のこととか考えてる場合じゃねえ。変身してここを切り抜けようぜ」

「ええ、後のことは後で考えましょう」

 ルイズも同感だった。敵の仕業だとすれば、ここにいたら破滅が待つだけだ。かつてウルトラセブンもビラ星人の策略でモロボシ・ダンが投獄されたとき、セブンに変身して牢を破っている。

 だが、二人がウルトラタッチしようとした、そのときだった。

「早まったことはやめたほうがいいですよ。ウルトラマンエース」

「!?」

 はっとして牢屋の外を見ると、そこには見覚えのある顔の男が立っていた。

「お前は、さっきの新聞記者」

「はい、先ほどはインタビューありがとうございます。ですがそんなことよりも、あなた方ももうお察しのことなんでしょう?」

 嫌らしい語りかけをしてくる記者に、才人もルイズも口元を歪めた。特にルイズは肩を震わせ、杖を持っていたらすぐに爆発させそうな勢いだ。

 けれど才人は自分も怒りたいのをぐっとこらえて、記者の姿をした何者かに問いかけた。

「お前、宇宙人だな。いったいどこの何星人だ?」

「フフン、ここから出られないお前たちに教える必要はない。それより、お前たちにいいことを教えておこう。ここを無理矢理脱出するのはやめておいたほうがいいぞ」

「なんだと」

 聞き捨てならないことではあったが、相手の余裕寂々な態度が爆発を押さえさせた。すると、相手は才人とルイズに驚くべきことを告げてきたのだ。

「ここはお前たちを閉じ込めておくために特別に改造しておいた牢だ。もしも、無理に破って出ようとすれば、この監獄塔そのものが崩れるように仕掛けられている。中の人間たちや、周囲の町を巻き添えにな」

「なん、ですって。卑怯よ、あなたたち」

「騙されるほうが悪いのだ。まあ、お前たちは下手に殺そうとするより閉じ込めておいたほうが安全だから、しばらくゆっくりしていけ。お前たちたちへの恨みは、その後でたっぷり晴らしてやる」

 恨み? 才人とルイズは怪訝に思った。こいつ、どこかで自分たちと戦ったことがあるのか? 

 だが、問いただすより先に、宇宙人は出口の階段へと歩き去ってしまった。

「では失礼。我々にはやるべき仕事がまだたくさん残っているんでね」

「ま、待て! お前たちは何者だ? なにを企んでやがる?」

「教える必要はないと言っただろう。だが、我々は人間たちが知らない間にお前たちの間に入り込む。楽しみにしていろ、ふふふ」

 そう言うと、宇宙人は新聞記者の姿から、一瞬でオルレアン公の臣下の姿に変わると、続いて何人かの人間の姿にも化けてみせた。

 絶句する才人たち。やはり、変身を得意とする宇宙人か。だけど、これまでに戦ってきた宇宙人の中でも該当が多すぎて見当がつかない。

 塔の階段を下りていく宇宙人の足音が無情にこだまする。才人とルイズは鉄格子を握り締めながら悔しがるしかできなかったが、階段の下から宇宙人の嘲笑うような声が響いてきた。

「ああ、そうそう。お前たちの仲間は、先に始末しておいてやろう。そこから見えるかもしれんから、気が向けば見るがいい」

 それを最後に、塔の階下の扉が閉まる音がした。

 二人はすぐさま血相を変えて顔を見合わせる。しまった、自分たちの正体がバレているとすれば。

「まさか、みんなのところに」

「ちぃ姉さま!」

 二人は窓に飛びついた。すると、リュティスを望む街の郊外の街道付近で、ひとつの廃屋の屋根を突き破って土色の巨大な影が現れたのだ。

「怪獣だわ!」

「あの怪獣、ありゃあサラマンドラじゃねえか!」

 遠くから後ろ姿だけでも才人にははっきりわかった。あのドレッドヘアのような特徴的な頭、櫛のように分かれた尻尾。間違えるわけがない。

 と、同時に才人は悟った。サラマンドラは、あのときに倒したはず。そしてGUYSの勉強でドキュメントUGMで見た記録だと、あのときは姿を見なかったが、サラマンドラを操っている奴がサラマンドラと同化していたとしたら。

 だが、わかったからといってどうにかなるというものではない。才人とルイズは、サラマンドラの足元にいるはずの仲間たちへ向かって必死に叫ぶしかなかった。

「みんな、逃げて!」

 そして、才人とルイズの恐れた通り、先に進んでいた水精霊騎士隊の仲間たちはサラマンドラの猛威に絶体絶命となっていた。

「うわああ、怪獣だああっ!」

「水精霊騎士隊、杖と……やっぱり無理だろぉぉっ!」

 鼻から火炎を吹いて迫ってくるサラマンドラを相手に、少年たちの拙い魔法でどうこうなるような状況ではなかった。

 彼らは必死に、前の街とリュティスをつなぐ街道を走る。街道には他の旅人や市民も通っていたが、サラマンドラは水聖霊騎士隊にだけ狙いを定めてきている。

「ガリア軍は、ガリア軍は出てこないのか?」

「ばっか、戦争中だぞこの国は。軍隊はみんな戦場に行ってるよ。てか、おれたちが狙われてるってことは助けが来るわけないだろ」

 彼らもまた才人たちと同じように、敵に泳がされていたことに気づいた。そして、怪獣に踏み潰された運の悪い旅人として葬り去られようとしている。

 誰かが苦し紛れに『エアハンマー』の魔法を放ったが、サラマンドラの皮膚にはかすり傷もついていない。

 サラマンドラは細身の体から来る機敏な足取りで水精霊騎士隊との距離を詰め、火炎やロケット弾を放って一行を追い詰めていく。リュティスは目の前だが、とても人間の足で逃げ切れる距離ではなく、空を飛べば火炎のいい的でしかない。

「こんなところで……っ!」

 ギーシュ隊長に合わせる顔がない。そう思ったとき、ジルに背負われていたカトレアが杖を振った。

『クリエイト・ゴーレム』

 カトレアの魔法力が杖から地面に注がれた瞬間、地面が盛り上がって巨大な土の人形がせりあがってきた。その土の巨人はみるみるうちに膨れ上がって立ち上がり、ついに身長四十メイルほどの超巨大ゴーレムとなって、サラマンドラの前に立ちふさがったのだ。

 サラマンドラは一瞬戸惑ったように後退りしたが、すぐに立ち直ってロケット弾を放ってきた。カトレアのゴーレムは体を削られながらも少年たちの盾となって立ちふさがり続け、その合間にカトレアは少年たちにこう告げた。 

「あなたたち、ピンチになっても最後まで婦女子に助けを求めないのは立派な騎士ですね。でも、あなたたちの力ではここを乗り切ることはできません。この場はわたしにまかせて、あなたたちは行きなさい」

「そ、そんな。レディを残して敵に背を向けるなんて。そんなのは騎士ではありません」

「いいえ、あなたがたには女王陛下から与えられた大切な使命があるでしょう。それを果たさぬうちに、死に急いではいけません。それに、あなたたちにも国に残してきた大切な人がいるのでしょう?」

 カトレアの言葉に、何人かの少年は顔を赤らめさせた。そうでない少年も、片想いの誰かの顔を思い出したのか、気まずそうな様子になっている。カトレアはそんな初な少年たちに、優しくうながした。

「その子ともう一度生きて会うためにも、今はこらえて逃げなさい。もしも、その子たちを悲しませるようなことをしては、それこそ騎士ではありませんよ」

「申し訳ありません。ご、ごぶ、ご武運を!」

 少年たちは悔しさで顔をいっぱいに歪ませながら、不揃いな敬礼をして走り去っていった。

 残されて、杖を掲げるカトレアにジルは言う。

「子守りも大変だな。しかし、助っ人をするにしても少し過保護すぎはしないか?」

「彼らは大事な陛下の赤子ですから。それより、あなたも無理に私に付き合うことはないのですよ」

「なに、私も子守りより大物食いをしたくなったのさ。それに、こういう状況になると、なぜか胸の奥がうずいてくる。まるで私の中に何かが閉じこめられているような、この感覚の正体を確かめたい」

「わかりました。では、共に参りましょう」

 まるでピクニックに行くような穏やかな声色で、カトレアは杖を振るった。

 二人の盾となっていたゴーレムが動きだし、大きく振りかぶるとサラマンドラに強烈なパンチをお見舞いした。空気を揺さぶる激震と共に、サラマンドラの巨体が後退する。

 しかし、サラマンドラは痛がるそぶりはまるで見せず、爪を振りかざしてゴーレムの土の体を大きく削り取ってしまった。

「……硬いですね」

 サラマンドラの皮膚は柔らかそうな土色の見た目に反して硬度指数350、これは地球防衛組織UGMがまともな方法での攻略をあきらめたほどの硬さを誇る。

 カトレアは、これは以前戦ったガメロットよりも頑強だろうと、一人で戦うことを決めたのを少々後悔した。しかし、後に引くわけにはいかない。病床に臥せっていたころに切望した自由は、自分のわがままのためにあるのではない。生まれたときから背負っている、貴族の責務を果たすためにあるのだ。

「お母さま、お守りください」

 かつて『烈風』と呼ばれた母には遠く及ばず、勇猛さは姉には及ばないが、恥じ入ることなく最後まで義務を果たそう。ルイズが見たら、優しいちぃ姉さまがそんなことしちゃいけないと言うかもしれないけれど、これは貴族として生を受けた人間が逃げてはいけない責務なのだ。

 魔法の力で崩されかけたゴーレムを再生させるカトレア。だがサラマンドラはビルをも粉砕するパワーでゴーレムを砕き、カトレアの力でも再生が追いつかなくなっていく。

「ルイズ……」

 砕かれたゴーレムの破片が雨のように降る中で、カトレアは別行動をとっているはずの妹の名をつぶやいた。

 

 しかし、ルイズは牢獄に監禁され、ゴーレムの姿でカトレアが戦っていると察しても、どうすることもできずにいた。

「ちぃ姉さま! なんとか、なんとかできないの!?」

「牢屋は壊せない。この周りにいる人たちを巻き込むわけにはいかない、ちくしょう!」

 監獄塔の窓から見下ろす景色では、街の子供たちがなにも知らずに遊んでいる光景が見える。この監獄塔が崩壊すれば確実に巻き込んでしまう。いくらウルトラマンAでもその全員を守ることは不可能だ。

 武器も杖もない。なんでもいい、方法はないのか?

 二人の焦りとは裏腹に、現実は無情に『打つ手などない』ということだけを突きつけてくる。

 

 このまま全滅するしかないのか? ほんの一刻前までは希望と情熱に溢れていたのに、自分たちの油断が原因とはいえ、あんまりではないか。

 悔しさのあまり石壁を殴りつけた才人のこぶしから血が滲んだ。

 

 

 ガリアの陰謀から世界を守ろうと奮戦する者たちがいる。しかし同時に、陰謀を進める者たちはそれを邪魔させまいと、懸命に妨害をする。それは人と人とが戦う限り、当然のことである。

 ジョゼフは命じる。遠くない日に訪れる、宿願の日のために。

「祭りを盛り上げよ。これはガリア国民どものための祭りだ。盛大に、派手に賑やかしく、誰にも止められない嵐のような祭りをガリアに広めるのだ。新王即位の前祝いだ。遅れがあってはならぬ、一人の取りこぼしもあってはならぬぞ!」

 ジョゼフの勅命が地を駆け、ガリア国内ではオルレアン公帰還による祝賀ムードがどんどん強くなっていく。それに対して、ジョゼフを倒すべしという声も高まっていき、ガリアは破裂するのを待つ風船のように膨れ上がり続けていた。

 破局の時が迫っている。

 焦る者たちは急ぐ。しかしその考えはまだ甘く、いまだに嵐の外側に差し掛かったに過ぎない。

 その中心に隠されているものがなんなのか、まだ眠っている強大すぎる絶望の正体を、この星の人間たちはまだ誰も知らないのだから。

 

 だが、絶望のあるところに希望の種もまたある。

 偶然か必然か、この街に誰にも注目されずに緩やかに近づいている小さな光があった。それがどんな波紋をもたらすのか、神すらもまだ知りはしない。

 

 

 続く



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第21話  飛びたて!裸のわんぱく妖精

 第21話

 飛びたて!裸のわんぱく妖精

 

 再生怪獣 サラマンドラ 登場!

 

 

 モニターに灯が点り、聞くだけで癇にさわる声が聞こえてくる。

「ハロゥ、皆さん。私の実況するハルケギニア大乱物語も、もう残り少なくなってまいりました。皆さんとのお別れの時が迫っているのは残念ですが、残りの時間を私が楽しむためにも今回も始めるとしましょう」

 もったいぶった台詞に続いて、モニターにガリアの街の光景が浮かび上がる。

「さて、今宵はあの勇敢な少年たちの冒険譚の続きですね。彼らの奮闘には私も感心してきましたが、今回は脱獄不可能な牢に押し込められて、さすがにチェックメイトでしょうか? あの方々は、人間を陥れることに関してはプロフェッショナルですから、相手が悪かったですねえ、ウフフ」

「……!」

「そうですね。まだ、決まったわけではないですね。ですが、ここからどうやって逆転に持っていくのか。残念ながら私の貧弱な想像力では思いつきません。では、続きを見ましょうか。こうしてのんびり観賞できるのも、あとわずかですからね」

 嫌味っぽく告げるコウモリ姿の宇宙人。奴は見物人を気取りながら何を考えているのか。

 隠謀家の目論見はまだ知れず。しかし、これは演劇ではない。チップも払わないタダ見の観客の期待になんか応えてやる必要はないのだ。

 

  

 人間に化けた宇宙人の策略で、脱獄したら街の人々を犠牲にしてしまう監獄塔に閉じ込められてしまった才人とルイズ。

 再生怪獣サラマンドラから水精霊騎士隊の少年たちを逃がすために、殿として残ったカトレアとジル。

 どちらもこれ以上の打つ手を失い、残された時間の中で詰みに近い状況になっていた。

 しかし、盤上の戦いと違うのは、現実の戦いは、世界の中のすべてに参加する資格があるということだ。

 

 サラマンドラの猛攻にカトレアのゴーレムが防戦一方となり、才人とルイズがその苦戦を見て歯噛みしている頃の少し前に、街の一角で別の騒動が起きていた。

「うわあーっ! ドラゴンだ!」

「逃げろ、食われるぞ! な、なんでこんな街中にドラゴンが!?」

 平和だった街の中に、いきなり空からドラゴンが飛んできて住民はパニックに陥っていた。ドラゴンといえば、奥地に生息する凶暴な幻獣の代表で、火を吹いて人を食うと恐れられている。

 住民は逃げまどい、軍隊がいない街の衛士隊は怯えながらもおっとり刀でドラゴンの現れた現場に駆けつけた。

 だが、衛士隊が現場で見たのは、想像していた暴れまわるドラゴンとはかけ離れたものだった。

「なんだ、ずいぶん弱ってるぞ?」

 青いドラゴンは道の真ん中に座り込んで荒い息をついていた。そのまま動き出す気配も見られず、衛士たちが近づいても襲ってくる気配を見せなかった。

「きゅい……」

「弱った竜が群れからはぐれたのか? ともかく、これなら我々でもなんとかなるかもしれん」

 胸を撫で下ろした衛士隊の隊長は、部下に命じて頑丈なロープを用意させた。今のうちに縛り上げておけば、回復されても動きを封じておくことができる。

 男たちが数人がかりでロープを投げつけ、ドラゴンの体に絡ませていった。メイジがいれば拘束の魔法が使えたろうけれど、主だったメイジは軍隊に引っ張られていって、街にはドット程度のへっぽこメイジしか残っていないから仕方ない。

 ドラゴンはきゅいきゅい鳴きながら抵抗したけれど、ここまで飛んできた疲労が相当なものだったのか、意外とあっさり捕まえられた。

「きゅい……」

「ようし、これでもう暴れられまい。とりあえず、後の始末は竜籠の業者にでも頼むか」

 飼いならした竜で人を運ぶ竜籠の業者なら、野生の竜もなんとかできるかもしれない。金はかかるかもしれないが、それはそれだ。

 ドラゴンはロープを引きちぎって逃げようと試みたものの、身体中をがんじがらめにされたのでは逃げようがなかった。

 これで仕事はだいたい終わりだ。隊長は部下たちに、ドラゴンを運ぶための台車とメイジの手助けを借りに行かせた。そして安堵して、ドラゴンに背を向けてタバコに火をつけて一服し始めたが、そのせいでドラゴンがぼそぼそと小声でなにかを呟いたのを聞き取れなかった。

「われをつつむかぜよ、われのすがたをかえよ……」

「ん?」

 ふっと妙な感じがして、隊長は振り返った。振り返った。そして彼は自分の目を疑った。

「なっ! い、いない?」

 なんと、ついさっきまで縛られていたはずのドラゴンが煙のように消え去っていた。隊長は驚愕のあまり口からタバコを落とし、飛んで逃げたのかと空を見渡すが、どこにも見あたらない。

 そんな馬鹿な、あれだけ弱っていたドラゴンが一瞬で縄脱けして逃げたというのか? 長くても十秒ほどしか目を離してないんだぞ。

 隊長は、夢でも見ていたのかという思いと、逃がした責任をとらされるという恐怖で動揺し、哀れなほどに激しく狼狽し続けていた。

 

 けれど、ドラゴンが煙のように消えるなんてあるだろうか? もちろんタネはある。

 ドラゴンの消えた現場のそばにある狭い路地の中に、青い髪を伸ばした妙齢の女性が立ち尽くしていた。全裸で。

「もう、これだから人間は野蛮で嫌なのね。シルフィみたいな高貴な種族を見て怯えるなんて失礼極まるの。もう、ただでさえ疲れてフラフラだったのに、こんな窮屈なかっこうまでさせて、きゅい……お腹すいたの」

 そう、ドラゴンの正体はシルフィードであった。翼人の里を飛び立ってから、昼夜兼行でリュティスを目指して飛んで、ようやくここまでやってきたのだ。

 しかし、傷が癒えていないシルフィードではいつものようにひとっとびにリュティスに着くことはできずに、やっとの思いでかなり遅れて隣街に飛んできたまでで力尽きてしまったのである。

 ちょっと休ませてもらったらすぐ出ていくつもりだった。それなのに、野蛮な野生の竜なんかといっしょにされて網を打たれたことを、シルフィードはプンプンに怒っていた。

「でも、この姿ならあんな縄なんかすり抜けられるの。あの偉そうな人間、ざまあみろなのね」

 シルフィードは物影から思い切りあかんべーをしてやった。このかっこうなら捕まらない、しばらく休んであいつらがいなくなったら風韻竜に戻って飛んでいこうと、シルフィードはほっと息をついた。

 けれど、裸に抵抗のないシルフィードは、自分の今のかっこうが人間の社会ではいかに非常識かを忘れていた。

 たまたま通りかかった通行人が、全裸のシルフィードの姿を見て叫んだ。

 

「痴女だぁーっ! 痴女が出たぞぉーっ!」

 

 その叫び声を聞いて、周囲の人間たちも続々集まってくる。

「なにぃーっ、痴女だと、許せねえ!」

「あまつさえ、靴もはいてないでやがるぞ」

「げぇーっ、ほんまもんの痴女だぜ。逃げたぞ、追えーっ!」

「きゅいーっ!?」

 こうして、不幸なシルフィードは街の人々に追いかけられて全裸で逃げ惑うはめになってしまった。

「変態だ変態だ、ぶっ殺せーっ!」

「変態は殺しても罪にならねーぞ!」

「待ちたまえ、私も変態だ! いっしょに茶でも飲まんかね?」

「なにをゆーとるんじゃ、お前は!」

「うぇーん、なんでシルフィばっかりこんな目に」

 泣きながら懸命に逃げたシルフィードであったが、元々ヘトヘトだったこともあって逃げ切れるものではなかった。

 そもそも人間の姿で走り回ること自体に慣れてないのであっさり捕まり、す巻きにされて担ぎ上げられてしまった。

「きゅいーっ! シルフィをどうするつもりなのね?」

「安心せい、ゲルマニアや東方に売り飛ばしたりはせん。だが変態は変態にふさわしい変態の都に連れていってやろう」

「な、なんなの?」

 意味はよくわからないが非常に悪い予感をシルフィードは覚えた。

 そして神輿のように男たちに担がれて、放り込まれたのは牢獄塔であった。本当ならばよほどの罪人しか入れられないはずのところだが、痴女はよほどの罪人に当たるらしく、えっほえっほと塔の階段を登った後で、最上階の空いている牢屋に投げ入れられてしまった。

「ここでしばらくおとなしくしてろ」

「きゅう! 冗談じゃないの。シルフィはこんなところにいる暇はないの。出すの、出さないなの! もーっ!」

 暴れたシルフィードだったが、やはり牢屋の鉄格子は人間の体ではどうにもしがたい。

 こうなったら、本当の姿に戻って牢屋をぶっ壊してやろうと思ったが、空腹で腹が鳴ってへたりこんでしまった。

「きゅう……おなかへったの」

 翼人の里を飛び立ってからろくにものを食べていなかった。運の悪いことに途中には大きな川もないので魚も捕れず、獣を狩るだけの元気もなく、もちろん人や家畜を襲うことはタバサに頭の底まで厳禁されていた。

 理不尽に捕まえられた上に腹も減って、シルフィードはだんだんと頭にきはじめた。元に戻る力は無くても、シルフィードの中でイライラが膨れ上がっていき、ついにシルフィードは牢屋の中でこれまでのうっぷんを思い切り吐き出し始めた。

「もう! これというのも全部あのおちびのせいなのね! シルフィがいっつも心配してるのに勝手なことばっかりして、おまけに高貴な風韻竜のシルフィをこきつかうなんて生意気なのね。シルフィは優しいから我慢してきたけど、今度という今度は反省させておにくをいっぱい食べさせさせるの! おーにくおにくにくにくにくにくなのーっ!」

 あまりに大声で叫んだので、隣の牢屋から「うるせーっ!」と、文句を言われてしまった。

「? きゅい、今の声、どこかで聞いたような……」

 はっとしたシルフィードは、鉄格子から頭を乗り出して隣の牢屋を覗いてみた。すると、間が抜けてそうな少年がやはり鉄格子から顔を乗り出してこちらを見ていた。

「うるさいんだよ、こっちは今大変なとこなんだから静かにしてやがれ!」

「なにお、それはこっちの言う台詞なのね。シルフィだって今たいへ……あ、あれ、お前、どうしてこんなところに?」

 シルフィードは才人の懐かしい顔を見て驚いた。しかし、対する才人の反応はシルフィードの思うそれとは違っていた。

「なんだよお前、おれとどっかで会ったっけか?」

「な、なんなの失礼ね。このシルフィの顔を見忘れ……あ……!」

 そこでシルフィードははっとした。

 そういえば、付き合いは長いけれど、こいつの目の前で人化したことがあったっけ? いや、知らなくても知っていても今は……。

 シルフィードは才人がきょとんとしたことで皮肉にも冷静になることができた。そして、聞くのが怖いと思いながらも、恐る恐る才人に尋ねた。

「お前、タバサおねえさまのことを覚えてるのね?」

「タバサ? 誰だよそれ、聞いたこともねえよ」

 ああ、やっぱりこいつらもまだ”治ってない”のね。と、シルフィードは胸が締め付けられる思いをした。あんなに何度も冒険をしたこいつらでさえ、まだタバサおねえさまのことを忘れたままでいる。

 けど、それはまだチャンスが残っている証だともシルフィードは思った。なぜなら、皆の記憶が戻ってないということは、あの計画は完了していないということでもあるからだ。こんなところになんで才人やルイズがいるのかはわからないけれど、これがチャンスならタバサは必ず生かすはずだとシルフィードは思い立った。

「お前、シルフィはすぐここから出ないといけないの。ちょうどいいから助けるの!」

「はあ? なんで今会ったばっかの奴の言うこと聞かなきゃいけねえんだよ!」

「今会ったばっかりじゃないの。お前は忘れてるかもしれないけど、シルフィは何度もお前たちを助けてやったことがあるの! 大恩人のシルフィのために尽くすのはお前たちの義務なのね!」

「なに言ってんだ、こいつ?」

 才人はおかしなものを見るように顔を背けるばかりだった。無理もない、今の才人とルイズはタバサもシルフィードのことも忘れたままでいる、話が通じるわけがないのだ。

 ルイズは言い争いを続ける才人に、「そんなことしてる場合じゃないでしょ! はやくなんとかしないとちぃ姉さまたちが」と、牢の奥に引っ張り戻した。 

 やっぱり話を聞いてもらえない。シルフィードは悲しくなった。どうして、どうして、シルフィは正しいことを言っているのに聞いてくれないのね? ……いいえ、それは甘えなのねと、シルフィードは思いなおした。せっかく、誰にも頼らずに強くなろうと誓ったばかりじゃないの。あんな頭の固いとんちんかんたちには頼らない。自分の力でこんなとこ出ていくのね!

 シルフィードは決意すると、人間の体のままで思いっきり鉄格子に体当たりした。

「どりゃあなのね!」

 激しく金属がきしむ音が鉄格子から響く。もちろんそんなことで壊れるようなことは絶対にないが、シルフィードにとってはまず実践することが大事なのだ。

 だが、その音を聞いて血相を変えたのは才人たちだった。隣の鉄格子から震えた声で叫んでくる。

「おお、お前! なにとんでもないことしてんだよ!」

「ふん、お前たちみたいなわからずやなんて知らないのね。見てるのね、こんなせまっ苦しいところ、すぐに出ていってやるのね!」

「だめだめ止めなさい! この牢屋は無理にこじ開けようとしたら爆発するんだから」

「きゅい爆発!? お前の魔法みたいになっちゃうのかね!」

「なんで惨劇でわたしの魔法を一番に連想するのよ! って、なんでわたしの魔法が爆発だって知ってるの?」

 シルフィードからしたらもはや見飽きた光景だったが、ルイズは初めて会う相手に自分の魔法について言い当てられて怪訝に思った。

 本当に、この妙な青髪の女とどこかで会ったことがあるんじゃないのか? でも、こんな一度見たら忘れられないような変な女とどこで?

 頭をひねる才人とルイズを、シルフィードは「しょせん百年も生きてないお子ちゃまはそんなもんなのね」と、小馬鹿にして才人とルイズは「なにを!」とむきになる。もちろんそんなことをやっている間にも、街の郊外ではカトレアがサラマンドラを必死に食い止めているのだが、二人とも持って生まれた地の性格は変えがたかった。

 しかし、不毛な言い争いが続くかと思われたとき、いつの間にか牢の前にひとりの少女が盆を持って立っていた。

「あのぉ……お食事をお持ちしたのですが……」

「あん?」

 困った顔で立っている少女は囚人の給仕役らしく、手に持った盆にはパンなどの食べ物が並んでいた。

 だが才人たちはとても食べている余裕なんかはない。けれどシルフィードは別で、食べ物を見ると目の色を変えて飛びついていった。

「やった! ごはんなのね、ごーはーん!」

 引ったくるようにして盆を取りあげ、食べ物にかぶりつくシルフィード。その行儀も知ったことではないというふうな態度にルイズはあきれ返ったが、本当にシルフィードは空腹だったのだ。

 一心不乱に出された食事をほうばるシルフィードを才人とルイズは呆れた眼差しで眺めていたが、ふと食事を運んできた給仕の少女がシルフィードの顔を見つめてつぶやいた。

「あの……以前にお会いしたことがありませんか?」

「きゅい? お前なんかシルフィは知らないのね」

 今度はシルフィードが首を傾げる番だった。すると少女は恐縮しながらシルフィードに告げた。

「お忘れなのも無理はないです。わたしはナーニャというのですが、一年ほど前に、わたしが人さらいに売り飛ばされそうになったとき、あなたが竜に変身して助けてくださいました」

「あ、ああ、思い出したのね。あのときの娘たちの中にいた子なのね」

 シルフィードはパンと手を叩いて笑みを浮かべた。

 もうかなり前のことになる。シルフィードがタバサに使い魔として召喚されてすぐの頃、お使いに出されたシルフィードは人間社会のことがわからずに、迷った末に人さらいの馬車に乗せられて連れ去られてしまったことがあった。

 そのとき、馬車の中には同じようにさらわれてきた少女が何人か乗っていた。さすがに名前も聞いていないし顔も覚えていないのだけれど、トリステインからガリアまで国境を超えようとしたとき、賄賂で人さらいの一団を見逃したガリアの関所の役人たちの悪辣さに怒って、シルフィードは人化を解いて大暴れした。そのときのことを、この少女は見ていたのだろう。

「人間が竜に変わるなんてあるわけないとみんな言いますけど、わたしは信じます。あのとき、あなたが助けてくださらなかったらわたしは奴隷として売り飛ばされて、どうなっていたか」

「そ、そう頭を下げられると困っちゃうのね。きゅう……あのときは、本当は……るーるーるー」

 実際のところ、シルフィードは感謝されて気恥ずかしかった。確かに暴れはしたけれど、そのあと人さらいの一団の中にいたメイジの魔法で捕まってしまい、結局駆けつけたタバサが一団を捕まえてくれたのだ。

 この子はタバサに助けられたこともシルフィードのおかげと思うようにされているのかもしれないが、やってない仕事で得意気になるほどシルフィードも図々しくはない。褒め殺しのような居心地の悪さに気まずくなったシルフィードは、とっさに話題を変えようといた。

「そ、それでナーニャ、あのとき捕まってた子はみんなおうちに帰ったはずだけど、どうしてあなたはこんなところにいるのね?」

「はい、わたしもトリステインへ返されるはずだったのですけれど。わたしはある商家の妾の娘で、売り飛ばされるのも嫌ですが、家に帰るのもためらわれていたとき、彼が声をかけてくれたんです」

「彼?」

「はい、こちらの……」

 すると、階段の影から若い看守が現れて、シルフィードに向けて頭を下げた。

「はじめまして、ぼくはここで働いているチボーといいます。実はあのとき、ぼくもあの関所に見習いとして居ました。あの関所で不正がおこなわれているのは知っていましたが、勇気のないぼくは見ているしかできない日々が続いていました。けれど、ぼくもあきらめて腐り始めていたあの時にあなたが教えてくれたんです。正義は必ず勝つんだって」

 若い看守が眼を輝かせながら言うのを、シルフィードはあっけにとられながら聞いていたが、それで事の次第を理解したルイズが続きを言った。

「ふーん、それであなたは困ってるこの子に声をかけたってことなのね」

「はい、もう役人には嫌気が差しました。ですが、正義のために働くのはぼくの夢だったんです。ですからこうして、この街でナーニャといっしょに一からやり直しています」

 そうして幸せそうに肩を寄せ会う二人を見て、ルイズはぷいっとほっぺを膨らませてそっぽを向いてしまい、シルフィードは「熱々なのねーっ」と、体をよじらせながら興奮している。

 しかし、思出話にひたってばかりはいられない。彼らは牢に入れられているシルフィードに、鍵を取り出しながら告げた。

「今なら、誰にも気づかれずにここから出してあげられます。逃げてください」

「きゅい? あ、ありがとうなのね!」

 出られるとわかったシルフィードは飛び上がって喜んだ。だが、それを見たルイズは怒ったように遮った。

「ちょっと待ちなさいよ。いくら恩人だからって、こんな怪しい奴を簡単に外に出していいの? あなたたち、自分の仕事に誇りを持ってないの!」

 その訴えはもっともなものだった。看守という大事な仕事に私情を持ち込んでいいはずはない。それでは形は違うが賄賂を受けていた役人たちと同類だ。

 ルイズの糾弾に、シルフィードはこんなときに余計なこと言うんじゃないのねとプリプリ怒っているが、筋を通さないことはどうしても許せないのがルイズという人間なのだ。

 すると、チボーはこう答えた。

「ぼくはここをクビになるかも、もしかしたらぼくが投獄されるかもしれません。けど、この人が投獄されなければならないような罪を犯したとはどうしても思えないんです。ぼくは、たとえこの仕事の役割からは背くとしても、ぼくに戦うことの大切さを教えてくれたこの人を信じます」

 一途な少年の眼差しは、恐れを知らない若々しさで満ち満ちていた。

 ルイズは、はぁとため息をついた。なんのことはない、この少年も才人やギーシュたちの同類らしい。本当にもう、男というやつはどいつもこいつも、まともなやつはいないんだろうか。

 チボーの鍵で牢の扉は開けられた。だがシルフィードはそのまま外に出る前に、ルイズと才人の牢も指差して言った。

「お願いなの、こいつらも出してあげてほしいのね」

 その頼みに、二人は戸惑った。彼らにとって才人とルイズはオルレアン公の臣下を暗殺しようとした極悪人である。しかしためらう二人にシルフィードは言った。

「大丈夫なの、こいつらは変な顔してるけど中身は正義の味方なの。頭が悪いからきっと悪いやつの罠にはめられちゃったから、助けてあげるの。ほら、お前たちもお願いするの」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 言いたい放題言われてキレかかる才人とルイズであったが、一部は本当である。それに、こうして出してもらう以外に脱出の方法はない。二人は理不尽さに腸が煮えくり返る思いをしながらも、頭を下げて頼み込んだ。

「お、お願いします」

「わたしたちは、決して悪人ではありませんから出してください」

 屈辱を呑んで、二人はおとなしく頭を下げた。土下座とまではいかないが、かなり角度をつけて頭を下げており、その必死な様にはチボーとナーニャが驚くほどであった。本当ならそこまで頭を下げなくてもよかったかもしれないが、ちょっとでも頭を上げたらシルフィードのドヤ顔を見てしまいそうで本気でイヤだったのだ。

「わ、わかりました。わかりましたから、頭を上げてください」

 チボーは戸惑いながらも鍵を開けてくれた。

 鉄格子の扉が開くとき、二人は一瞬息を呑んだが、牢屋は爆発して崩れ始めることもなく静かにたたずんでいる。才人とルイズは喜色を浮かべてガッツポーズをした。

「やった! ざまあみろ」

「ちゃんと鍵で開けたら仕掛けは発動しないのね。あいつらも、外から開けられることまでは考えてなかったんだわ」

 なんのことかわからないチボーとナーニャは首を傾げるばかりだが、才人とルイズが凶悪犯らしく暴れることもないとわかると、ほっとしてうながした。

「さ、早く。ぐずぐずしていたら誰か来るかもしれません」

「あ、待ってくれ。その前にデルフ……おれの剣とルイズの杖を取り戻さないと」

 それなら下の倉庫にあるだろうと言われ、才人は真っ先に走り出した。ルイズも続き、シルフィードも「出してやったのにお礼もなしなのね?」と、騒ぎながら追っていく。

 そして願った通り、脱出不可能だと奴らは自信を持っていたのか、デルフとルイズの杖はそこにあった。

「うかつだぜ相棒。俺も今回はダメかと思ったけど、おめえは本当に運がいいらしいや」

「ああ、ブリミルさんのご加護かもな。ともかく急ごう」

 そのまま監獄塔を駆け降り、才人たちは外に出た。さすがに入り口には見張りがいるかもと思ったが、遅ればせながら街の郊外に現れたサラマンドラのことが知れ渡ったようで、役人たちは出払ってしまっていた。

 ラッキーだ。才人とルイズはうなづきあった。今なら追手がかかることもない。

「よし、急ごうぜルイズ」

「待ちなさいよ。走ってたらとても間に合わないわ。ここはわたしの『テレポート』で……」

「おい待て待て、怪獣と戦う前にお前の精神力が切れたら元も子もないだろ」

 才人の言う通り、対怪獣戦となったらルイズの虚無の魔法は切り札だ。精神力の消耗は少しでも避けておきたい。しかし、間に合わなかったらそれこそ意味がない。

 だが、ルイズが才人の反対を押しきってテレポートを唱えようとしたとき、シルフィードの高笑いが詠唱をさえぎった。

「あっはっはっなのね! お困りのようなのねチビ人間ども、今こそこのシルフィードさまの出番なのね!」

 高らかなシルフィードの宣言に、才人とルイズは当然嫌な顔をして、今はそれどころじゃないんだと怒鳴った。

 しかし、シルフィードは怯みもしないで胸を張っている。お腹も膨れて元気いっぱい、そして今こそ自分の働くべき時なのだから。

「見るのね、このシルフィードさまの本当の姿を!」

 変化の魔法を解除したシルフィードの姿が光に包まれ、才人たちが目をつぶった一瞬のうちに、そこには元の風韻竜の姿に戻ったシルフィードが座していた。

「うわぁっ、ドラゴン!?」

「ふっふーん、驚いたかのね?」

「ド、ドラゴンが、ドラゴンがしゃべったぁ!」

「むふふ、いいねいいのね。本当なら高貴な韻竜種のわたしへの無礼に怒るところだけど、そのびっくりした顔に免じて許すのね。おっとっと、こんなことしてる場合じゃなかったのね。早く乗るのね」

 愕然としている才人とルイズにシルフィードは背中を見せた。けれど、シルフィードとともに戦った記憶を無くしている二人がためらっているところに、シルフィードは喝を入れるように叫んだ。

「なにしてるのね! いくらお前たちがシルフィのことを覚えてなくても、タバサお姉さまといっしょに戦った日々が無くなってしまったわけじゃないのね。お前たちを何度も助けたタバサお姉さまのことを、本当に全部忘れてしまったというのかね!」

「誰よタバサって……って。タ……バサ?」

 初めて聞く名前のはずなのに、異様に胸がざわつくこの気持ちはなんなんだろう。ルイズの脳裏に、風竜に乗って空を飛ぶ誰かのビジョンが一瞬走り、才人も同じように頭を押さえていた。

 これはなに? タバサ……まるで犬猫につけるようなおかしな名前だが、この名前の誰かが、自分たちのそばにいた。けど、どうしてそれを思い出せないの?

 動揺するルイズと才人。しかし、悩んでいる場合じゃないと、シルフィードはさらに叫んだ。

「ああもう、ぐずぐずしてるんじゃないの! シルフィも忘れてたけど、だったら自分を信じればいいの!」

「自分を……わかったわ。サイト、このドラゴンを信じましょう」

「ルイズ、いいのか?」

「サイトもわたしと同じものを感じたんでしょう。タバサって子が誰なのか思い出せないけど、悪い気はしないわ。それに、人が自分を信じれなくなったら終わりじゃない!」

 才人を召喚する以前、学院で孤立している時でも、貴族の誇りを胸に決して自分を見捨てることだけはしなかったのがルイズだ。それが虚勢であっても、自分で自分を支え続けたからこそ今の自分がいる。

 ルイズの決意した眼差しに才人もうなずいた。この目、この気高い目をしたルイズが才人の心を震わせるのだ。

「よし、乗せてもらうぜ。ええっと」

「シルフィードさまと呼ぶがいいのね」

 才人が先にシルフィードの背中に登り、ルイズに手を貸して引っ張り上げた。

 その様子をシルフィードは黙って見ていたが、ふとチボーとナーニャの二人が自分を見上げているのに気がついて首を動かした。

「風竜さま、あなたはやはりあのときの風竜さまだったのですね」

「そうなの。本当は風韻竜という偉くて特別な種族だけど、今回はあなたたちに助けられたのね。チボー、ナーニャ、ありがとうなのね」

「そんな、わたしたちは、そんなたいしたことなんて」

「ううん、たいしたことなのね。二人とも、お幸せに。そして誇るといいのね。お前たちは今日、世界を救ったんだからね」

 そう告げると、シルフィードは力強く翼を広げた。まだ傷が癒えきっていない鈍痛が走るが、今は気にもならない。

「行くのね!」

 翼を羽ばたかせ、シルフィードは疾風と砂ぼこりを残して飛び上がった。その弾丸のように空へと消えていく後ろ姿を見送って、チボーとナーニャは不思議そうにつぶやいていた。

「どうしてだろう……あの日あの時に、もう一人誰かがいたような、そんな気がする」

「うん、わたしもよ。あの日、わたしたちをさらった傭兵団の団長を倒したのって、もしかして。ううん……ご武運を」

 二人も胸に渡来する違和感を感じながら、今はただシルフィードの無事を始祖に祈った。

 お前たちは世界を救ったというシルフィードの言葉の意味を、この二人が理解できる日は来るのか? だが、いずれにせよ遠い日の話ではない。そして、タバサにとっては行きがけの成り行きでおこなったにすぎない善行がシルフィードと才人たちを救った。その人の世の縁が生み出す力がどれほど強いのかを、これから彼らは証明しなくてはならないのだ。

 

 

 飛び立ったシルフィードは馬などとは比べ物にならない速さで空を飛び、あっという間に郊外で暴れているサラマンドラの近くへとたどり着いた。

「速い速い、すごいなお前」

「当然なのね。本当ならお姉さまの許した人しか乗せないのに、このわたしの背中に乗れるのを光栄に思うといいのね」

「はしゃいでる場合じゃないわよ。よかった、ちぃ姉さまたちはまだ無事よ」

 カトレアの作り出した土ゴーレムはかろうじてサラマンドラの攻撃に耐えていた。しかし、すでに形を保つのが限界なくらい全身がボロボロにされており、ジルもカトレアをサラマンドラの放つミサイルからかばって息も絶え絶えに疲弊している。

 飛翔するシルフィードにサラマンドラの注意が移ったことで、ジルは背負っていたカトレアを下ろして息をついた。

「どうやら、少しばかり命を長らえたようだね。竜……? あの竜は……」

「ルイズ、気をつけて……その怪獣には、どんな攻撃も効かないわ」

 精神力の限界にきていたカトレアは、いつもは温和な美貌をやつれさせながら弱々しくつぶやいた。カトレアは土のスクウェアメイジとしてトリステインでも有数の力を持つが、その彼女の巨大ゴーレムの放つ打撃も束縛もサラマンドラには通じなかったのだ。

 まさにギリギリの瀬戸際で間に合った。シルフィードから見下ろすカトレアの姿は、何度もサラマンドラの火炎攻撃を受けたと思えてひどく汚れており、一刻の猶予もないことを覚悟した。

「すぐに助けなきゃ。サイト、あの怪獣の弱点って」

「ああ、喉だけだ!」

 再生怪獣サラマンドラは強固な皮膚で全身を覆っているだけでなく、喉から発せられる再生酵素がある限りは木っ端微塵にしても蘇る不死身の能力を持っている。

 つまり中途半端な攻撃はまったく無駄。カトレアのゴーレムは相当な力を持つのに追い込まれているのはそこにある。

「じゃあ喉にエクスプローションを当てられればいいけど、ここからじゃ見えないわ」

 サラマンドラはシェパードのように尖った頭を持ち上げてこちらを見上げてきている。しかし、喉だけはたくみに隠してこちらに見えるようにはしていない。

 こいつのさらにやっかいなところは、喉が自分の唯一の弱点であることを知っていることだ。敵に対しては常に喉を隠すようにし、攻撃のチャンスを得るのは至難の技と言える。

 今回は前のように超兵器もない。やはり戦うには変身するしかないのかと才人とルイズは覚悟した。だがそんな二人の決意に水を差すように、シルフィードが茶々をいれてきた。

「おまえたち、なにをのろのろしてるのね。あんな怪獣、お姉さまならちゃちゃっとやっつけちゃうのね。シルフィは忙しいんだから、早くかたづけてくれないと困るのね」

 その言いぐさに才人たちもカチンとくる。

「こいつめ、あの怪獣がどれほどやっかいな奴か知らないからそんなことが言えるんだ。前におれたちがサラマンドラを倒すのに、どれだけ苦労したか」

「ふん、そんなのお前たちがへっぽこだからいけないのね。タバサお姉さまは、自分よりずっとでっかい怪獣だってやっつけてきたすごい人なのね。『雪風』ってかっこいいあだ名まで持ってるのね、悔しかったら頭を使うといいのね」

 才人はぐぬぬと殴りたくなる気持ちを抑えた。お前にだけは頭を使えとか言われたくない。

 それに『雪風』だって? かっこいいじゃないか! かっこいいあだ名は男子の憧れなんだぞ。ん……雪……風?

 才人はふとピンとくるものを感じた。雪と風、それぞれ違うもの……頭を、頭を使う?

「サイト、なにをぶつぶつ言ってるの?」

 ルイズが突然考え込み始めた才人にいぶかしんで話しかけた。今は一刻を争う時なのだ。

 だが、才人はなにかを閃きかけていた。

 そう、サラマンドラの弱点は本当に喉だけなのか? 確かにサラマンドラは喉を潰さない限り、どんな攻撃も無意味だ。

 しかし、それはミサイルやレーザーで攻撃する場合の話。ここはハルケギニア、地球ではできない戦い方がある。

 サラマンドラの特徴を才人は思い出す。サラマンドラはただの怪獣ではなく、宇宙人が一体化して操っているタイプの怪獣だ。もし融合している宇宙人を攻撃することができれば……地球の武器では無理だが、ここでなら。

「ルイズ、確かお前のエクスプロージョンって……」

「え? ええっ! そんなの、いくらなんでも。わたしの虚無でも、やったことないし、そこまでできるかはわからないわ」

 ルイズは才人の提案してきた作戦の突拍子もなさに驚いて自信無げに答えた。それは、確かに理論上は可能だが、あまりに無茶ぶりが過ぎるように思えたからだ。けれど、才人はルイズを励ますようにまっすぐにルイズの顔を見据えて言った。

「できるさ。ルイズの魔法がハルケギニアで一番すげえのはおれが誰よりもよく知ってる。それに、おれのガンダールヴの力はおれが心を震わせるほどに力を貸してくれた。なら、なら虚無の魔法だってそうに違いないぜ。だろ? デルフ」

「ああ、虚無の魔法も感情が鍵だってことには変わりねえさ。やってみろよ娘っこ、おめえに眠ってる力を呼び起こすのは、おめえの勇気以外にねえ」

 デルフにも励まされ、ルイズはぎゅっと杖を握りしめて決意した。

「わかったわ。や、やってみる」

 しかしサラマンドラは悠長に待ってはくれない。旋回するシルフィードに向かって、尖った鼻から放射する真っ赤な高熱火炎が延びてくる。

「ひゃわわわ! お前たちいつまでごちゃごちゃしゃべってるのね。危うく丸焼けにされるところだったのね!」

 寸前で火炎を回避したシルフィードが悲鳴を上げた。さらに、サラマンドラは鼻からミサイルを放ってこちらを撃ち落とそうとしてくる。シルフィードは必死に身をよじってかわすが、シルフィードの機動力でなければとても避けきれなかっただろう。

「は、早く、本当に早くなんとかしてなのねーっ!」

 シルフィードが叫ぶ。乗っている才人とルイズも、自分たちが狙われているのを理解して叫んだ。

「やべえ! 奴め、おれたちが逃げ出したことに気づいたな。ルイズ、魔法が完成するまで絶対呪文を途切れさせるなよ」

「誰にもの言ってるの? あんたこそ、呪文が完成するまでにドジ踏んだら殺すからね」

 二人は目配せしあい、それぞれの役目へと移っていった。ルイズは呪文を唱え、そして才人はシルフィードの耳元で告げる。

「おい、シルフィードって言ったよな。いいか、あの怪獣はこっちを狙うときでも自分の弱点の喉だけは絶対にこっちには向けないはずだ。そこが死角だぜ」

「きゅい、簡単そうに言ってくれるのね。でも、見せてやるのね。雪風の相棒の『風の妖精(シルフィード)』の速さを」

 シルフィードの誇り、タバサからもらった名前に恥じないためにも、こんな奴に撃ち落とされるわけにはいかない。瞳を鋭く光らせ、サラマンドラの放つ攻撃の射線を先読みしてかわす。

「右なの!」

 高熱火炎がシルフィードのすぐそばをかすめて行った。その間に、ルイズは精神力を込めて虚無の呪文を詠唱する。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンクルサ・オス・スーヌ……」

 天使の旋律にも似たルイズの詠唱が流れる。才人はそれを聞き、ガンダールヴの力を失って久しくとも胸の奥が熱くなるのを感じた。

”頼むぜ、ルイズ”

 けれど相手は巨大怪獣。詠唱を完全にして精神を狙いに集中した一撃でなければ効き目はない。しかし虚無の詠唱は長く、完成するためには時間が必要となる。

 そこへ、サラマンドラは今度は鼻先からのミサイルを放ってきた。シルフィードはそれを懸命にかわすが、今度は弾幕が濃くて避けきれない。そこへ、才人がシルフィードの耳元で叫ぶ。

「上だ! 奴の上に逃げろ!」

「きゅい? なに言ってるのね。真上なんて、すぐ狙われちゃうのね」

「いいから、そこしか逃げ場はねえ!」

「えーい! もう破れかぶれなのねーっ!」

 シルフィードは才人の言う通りに、いちかばちかサラマンドラの真上へと飛んだ。

 むろん、サラマンドラは真上へきたシルフィードに対して、首を持ち上げてミサイル弾幕を放って……こなかった。

「きゅい? ど、どうしてなのね?」

「やっぱりな。真上を向けば、奴は弱点の喉をおもいっきり晒すことになるからな。言っただろ、奴はトラウマになるほど自分の弱点を晒すことを嫌がってるんだ」

 普通の怪獣ならば多少のダメージを受けるリスクを覚悟で攻撃に来る。だがサラマンドラはなまじ不死身ゆえに、さらに今はかつて唯一の急所を狙われて倒されたことから臆病すぎるほどに急所を守ってしまう。その精神的な落とし穴がサラマンドラのもうひとつの弱点だったのだ。

 そして、才人とシルフィードの稼いだ時間のおかげで、ついにルイズの虚無の魔法の詠唱は完成した。ルイズは詠唱とともに研ぎ澄ませた意思を込めて、サラマンドラに向かって杖を降り下ろした。

 

『エクスプロージョン!』

 

 ルイズのもっとも得意とする破壊の爆裂魔法の魔力がサラマンドラに吸い込まれる。

 刹那、その内部に浸透した破壊のエネルギーが漏れだし、サラマンドラはイルミネーションのように輝いた。フルパワーの虚無の魔法の威力は系統魔法の威力を大きく越えており、その巨大な魔力の奔流には、スクウェアクラスのメイジであるカトレアでさえ戦慄して見とれてしまったほどだ。

 しかし、不死身のサラマンドラにはこれでも致命傷にはなり得ない。ただし、今回のエクスプロージョンはサラマンドラを直接倒すことを狙ったものではなかった。

「やったか?」

 才人が叫ぶ。その手には精神力を使い果たして疲れきったルイズの肩が抱かれている。今の一発でルイズの力は使いきった。これでだめならば後はない。

 そのときであった。それまでどっしりとそびえ立っていたサラマンドラの体がゆらりと揺らぐと、目が白目にひっくり返り、悲鳴のように叫びながら倒れこんだのである。

「やった!」

「す、すごいのね。いったいなにをやったのね?」

 サラマンドラはそれまでの不死身ぶりが嘘のように倒れこんで泡を吹いている。死ぬほどではないようだが、すぐには動けないくらいの大ダメージを与えたのは確実なようだ。

 でも、あの不死身の怪獣にどうやってダメージを? すると、いぶかしんでいるシルフィードに才人が得意気に説明した。

「ルイズのエクスプロージョンは、ただぶっ壊すだけの魔法じゃないのさ。サラマンドラの細胞の中に隠れた、操っている宇宙人を狙って攻撃したんだよ」

「きゅいっ? よ、よくわからないけど、すごいのね」

 戸惑うシルフィードに、ルイズも誇らしげに口元を歪めてみせた。

 虚無の魔法は始祖ブリミルいわく、小さき粒を成すさらに小さな粒に影響を与える力だと言う。初歩の初歩であるエクスプローションもその内に入り、単純な攻撃魔法としての使い方の他に、ルイズの意思に応じて狙った対象物だけを破壊するという隠れた効果を持つ。これを使えば、たとえば船の中にある風石だけを狙って消し去るという芸当も理論上は可能なのだ。

 今回も、サラマンドラの細胞と融合した宇宙人だけを狙って攻撃したわけだ。司令塔である宇宙人がダメージを受ければ、いくら入れものであるサラマンドラが不死身でも動けなくなる。地球の科学力でもウルトラマンの力でも不可能で、ルイズの魔法ならば可能な攻略法。ルイズを信じた才人のひらめきの勝利であった。

 けれど、サラマンドラは死んだわけではない。サラマンドラの体内の宇宙人たちもダメージでの混乱が収まれば再生能力で復帰してくるだろう。

 ならば、こちらがとるべき道は一つしかない。

「奴がグロッキーのうちに逃げるぜ!」

「きゅいっ!?」

 シルフィードは驚いたが、才人は今度はルイズといっしょにシルフィードの耳元で叫んだ。

「今は怪獣退治をしてる場合じゃねえ。あいつがオルレアン公の使者なら、今ガリアでこれ以上暴れられねえだろ」

「そうよ。逃げるのは悔しいけど、あいつはただの尖兵だわ。倒さなきゃいけない親玉、陰謀を巡らせている黒幕はリュティスの王宮にいるはずよ!」

 その言葉に、シルフィードもはっとした。そうなのね、王宮、あそこにきっとお姉さまも。

 シルフィードは納得すると、下降して着陸してカトレアとジルも背中に乗せた。そしてそのまま離陸し、眼前に見えるリュティスの街へと翼を向けた。

「へへーん、追いつけるものならやってくるがいいのね」

 ここぞとばかりにシルフィードが勝ち誇るが、サラマンドラはまだ倒れて痙攣したままで追ってくる様子はない。けれど、もうすぐすれば回復して撤退していくだろう。

 ただし、今回は引き分けに終わったが、次に会うときには戦わねばならないだろうと才人とルイズは覚悟した。ここまでして準備された陰謀の結末がただで済むとは思えない。奴らは必ず立ちふさがってくるに違いないのだから。

 リュティスの街の目立たない一角に着陸体勢に入ったシルフィードの背で、ルイズはつぶやいた。

「ついに敵の足元まで来たわね。ここまで来たら、必ず無能王の陰謀を暴いてみせるわ。本物のオルレアン公の名誉のためにも……」

 民を守るべき王族が、死んだ弟まで利用してなにを企んでいるのか。ルイズは憤りを禁じ得ない。家族を自分の欲のために利用するなんて、ルイズには想像もできないことだ。

 許せないという強い怒りがルイズの胸に再来する。そんなルイズの胸中を察してか、カトレアがルイズに優しく告げた。

「焦ってはなりませんよルイズ。敵は一国の王、本来なら私たちなどではとても太刀打ちなどできません。あなたには、どんな力があるのか、よく考えてから挑みなさい」

 そう諭すカトレアの顔にルイズは、母カリーヌや姉エレオノールの面影を見た気がした。家族の中では一人だけ雰囲気が異なるとよく言われるカトレアであるが、やはり魂の根っこの部分ではよく似ている。

「わかりました、ち……お姉さま。大丈夫です。わたしにあるのは虚無の魔法だけではありません。サイトやお姉さまたちや、それにトリステインにも頼りになる仲間がいるのですから」

 国に残ったアンリエッタ女王らも、何かの行動を起こしていることだろう。それに才人も、別行動しているミシェルたちのことを思い出していた。

 また、シルフィードはタバサのことを思っている。このリュティスに来れば、必ず会えるはずだと。そのために、来たのだから。

 

 

 そうだ。どうなろうと、ガリアの未来を決めるための決着は、このリュティスでつけることになる。

 オルレアン公の軍勢は一直線にリュティスを目指し、ジョゼフはそれを待ち受けている。

 果たして数日もせずにリュティスに起こることとは何か? ただ一つわかることは、陰謀を進めようとする者も、止めようとする者も、このリュティスに集結するに違いないというのみだ。

 ガリア王国にとって、その瞬間が新たな日の出となるのか、滅亡という日没となるのか、知る者はまだ誰もいない。

 

 

 続く



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第22話  魂なき生命

 第22話

 魂なき生命

 

 戦車怪獣 恐竜戦車 登場!

 

 

 ガリアから端を発した奇怪な戦争。

 それはオルレアン公の登場でひっくり返り、世界の目は政変確実と言われるガリアへと向き、新国王の誕生へと期待を寄せている。

 だが、ヒロイックな英雄譚が生まれようとしている真相は、すべて現ガリア国王ジョゼフが糸を引く陰謀であった。

 決死の思いでガリアへ潜入した才人やミシェルら一行の活躍で、ジョゼフの陰謀の一端は知ることができた。そしてミシェルらはワルドの妨害を切り抜け、陰謀の真相を持ってアンリエッタの待つトリステインに帰りつくことができた。

 しかし、無能王と呼ばれながらも、その実非常に計算高いジョゼフの陰謀がこの程度で終わるものだろうか? そう簡単に崩されるような脆いプランを、ジョゼフが一世一代の舞台で組むものか?

 

 ワルドとの戦いから日も落ちた深夜、ミシェルたち銃士隊の調査隊はトリスタニアの王宮へと帰還を果たしていた。

「女王陛下、ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン以下11名、ただ今任務を果たし、戻りまかりこしました」

「ま、まあまあ、いったいなにがあったのですかミシェル。皆傷だらけではありませぬか。すぐに水のメイジの手配を」

「いえ、このくらいはかすり傷です。それよりも、女王陛下に火急のお知らせをせねばなりませぬので、どうかお人払いを」

 アンリエッタはボロボロの有り様で戻ってきたミシェルたちの姿に仰天したが、ミシェルたちが持って戻ってきた情報にはさらに愕然とした。

 今、世間を賑わわせているオルレアン公はジョゼフの用意した偽者で、戦争が始まってからこうなるまで全てガリア王ジョゼフの思惑通りだということ。それらを聞くごとにアンリエッタは顔色を失っていったが、オルレアン公と直接会ったアンリエッタはすぐには信じられなかった。

「そんな……オルレアン公は何十万という群衆の前で潔白を証明したのですよ。昔の彼を知る水のメイジが念入りに調べても、本人だという結果しか出なかったのをわたくしは見ました」

「それも、人々を信用させる罠なのです。実際にわたしたちは、ジョゼフ王の依頼を受けたという、どんな人間にでも変身できるウチュウジンと会いました。女王陛下も、奴らの人間に化ける力のすごさはご存じでしょう。今、オルレアン公に化けているのは、それよりさらに優れた者どもなのです」

 そう言われて。アンリエッタはかつてこの王宮に忍び込んでいたバム星人のことを思い出した。奴らも正体を現すまではまったく人間と疑われずに王宮に侵入していた。そいつらよりも変身と演技がうまい宇宙人がいたとしても何の不思議があろうか。

 アンリエッタは眩暈さえ感じて力なく玉座に座り込んだ。そのまましばらくしゃべる気力さえ失せていたが、マザリーニ枢機卿の「陛下、お気を確かに」という声を聞いて顔を上げた。

「そういうことでしたのね。確かに、あまりに劇的にすぎた出来事でしたが、すべて茶番でしたのね……ですが、ガリア王はなにを目的にそんな大がかりなことを?」

「そこまではわたしにも。ですが、ガリア王が多数の人ならぬものを配下に収めていることは確かです。我々も帰還の途中に、怪獣の襲撃を受けました。もしかしたらガリア王はすでにこの世のものではないのかもしれませぬ」

「なんということです……」

 昼までの希望に満ちた空気が虚構であったと知ったアンリエッタの落胆は大きかった。アンリエッタのそばには怪我を押してミシェルの帰還を出迎えたアニエスも控えているが、すぐには声をかけることができないでいた。

 けれど、アンリエッタは流されるだけの愚鈍の王ではない。一時のショックを乗り越えると、平和を愛する女王の顔から、幼少時にルイズといっしょに悪戯を楽しんだ時から発した策謀家としての面を蘇らせて、頭脳をフル回転させた。

「恐ろしい話ですが、ミシェルたちが帰還してくれたのは幸いでした。おかげで際どいところですが対策を打つことができます。わたくしの推測ですが、ジョゼフ王、もしくはジョゼフ王を操っている何者かは、大衆や他国の信頼を受けるオルレアン公という新王を傀儡にして、ハルケギニア全土への影響力の行使を狙っているのではないでしょうか?」

 その仮説は一応の筋が通っており、アニエスらをうなずかせた。暴君を倒した英雄が実は暴君の手下だったとすれば、人々は自分から暴君のしもべになっていくのと同じだからだ。

「ともかく、早急に対応を決めなければなりません。まず、トリステインに連れ帰ってきた、オルレアン公の臣下の者たちは今どうしていますか?」

「は、彼らは日中は市街で民衆にオルレアン公派への支持を呼びかけ、今は街の宿に宿泊しているようです」

「王宮から離れているのが幸いでしたね。アニエス、その者たちの監視を」

 アニエスは「御意に」と答えて、部下に指示を与えた。

 けれど、監視にとどめるというその指示に、ミシェルがすぐに身柄を抑えるべきではないかと異論を述べると、アンリエッタは難しそうに答えた。

「わたくしも最初はそう考えました。けれど、人々にすでに「救世主オルレアン公」のイメージが強く刷り込まれてしまった今それをしてしまうと、我々のほうがジョゼフ王にたぶらかされた平和の敵という印象を民に与えてしまいかねません」

「そういえば……逆に、ジョゼフ王の思うつぼになってしまうということですね」

「そうです。この陰謀の恐ろしいところは、陰謀に気づいてもそれに乗り続けるしかないということです。少なくとも、オルレアン公が人間ではないという確実な証拠が上がらない限りは、こちらから大きく動くことはできないでしょう」

 残念そうに告げるアンリエッタに、ミシェルらはジョゼフの陰謀家としての能力の高さを思い知った。いくら陰謀を暴こうとも、それを世間に周知させられなくては意味がない。

 つまりは、オルレアン公の臣下らがトリステインに来てからの異様に熱心な宣伝活動も、そういう意味があったというわけだ。アニエスは、あのときにもっと怪しんでおけばと後悔したが、それを言ってももう仕方がない。

 現状、この事実を知っているのはアンリエッタとマザリーニ枢機卿。それにアニエスら銃士隊とエレオノールとヴァレリーだけになる。

 いや、もう一組。階下で計らずも聞き耳を立てている二人組がいた。

「ふーん、なるほどね。先輩たち、またおもしろそうなこと始めるつもりなのね。ふふ、新しい発見の報告のために来たら思わぬフィールドワークができそうね」

「お前、近頃蛮人に染まりすぎだろう。精霊の力で盗み聞きなどと、そろそろ看過できんぞ」

「進歩の機会を逃す方が冒涜よ。さーて、そうと決まれば先回り先回り。今から間に合わせるとなったら、あそこね」

 コソコソ立ち去っていった二人組がどこへ行ったのか、もちろんアンリエッタたちは知る由もない。

 いや、普通の魔法では盗聴不可能な謁見の間での会話が盗み聞きされていると考えるほうが酷だろう。アンリエッタたちは、事態が一刻を争うとして行動の具体目標を立てようとしていた。

「このことは、しばらくは他言無用です。ですがもちろん、早急に対抗措置も始めねばなりません。ミシェル、帰国してすぐで申し訳ありませんが、もう一度ガリアに赴いてもらえますか?」

 むろん、ミシェルに不服のあろうはずがない。それに、いまだに連絡のない才人たちのことも気になる。

 ミシェルは疲労の大きい部下を何名か入れ換えて、新しいガリア潜入隊を結成した。エレオノールもカリーヌの命なので同行するが、ヴァレリーは断固として拒否した。

「もうイヤ! あなたたちといっしょにいたら、命がいくらあっても足りないわ」

 と、至極もっともな理由で拒絶する彼女に、それ以上無理強いはできなかった。むしろ研究室の中が本分のヴァレリーがよくぞこれだけ手伝ってくれたと感謝すべきだろう。

 ミシェルはヴァレリーに礼を述べると、さっそくまた旅立つことにした。ただし、今度は敵も警戒を強めるであろうから、アンリエッタの案で一計を加えることにした。

「こっそり忍び込んでも見つかるなら、いっそ堂々と赴いてはいかがでしょうか? ちょうど、わたくしの避難のために残していた小型の風石船が王宮に係留したままです。これを用いて、トリステインの使節団という体で装って国旗を掲げて行けば、そうやすやすと撃ち落とされはしないでしょう」

 開き直った、とも取れるアンリエッタの発案だったが、アニエスは意外にも悪い顔はしなかった。

「少なくとも、民に余計な混乱を与えることはないでしょう。それにもう、馬で行くのでは間に合いません。今すぐにでも出発しなければ、ガリアに着いた頃には何もかも終わってしまっています」

 オルレアン公の軍勢は明日にはガリアに雪崩れ込み、リュティスを舞台に決戦となる。そうなってから追い付いても戦闘に巻き込まれるか、着いたときには手遅れの可能性もある。

 なんとか明日のうちにジョゼフかオルレアン公のどちらかをなんとかせねばならない。可能ならば、オルレアン公の化けの皮を……しかしそれをどうやって?

 たどり着くだけではなんにもならないとミシェルが苦悩していると、アンリエッタは宝物庫から大きな銀鏡を持ってこさせた。

「これは?」

「ロマリアに伝わっていた始祖の秘宝の一つの、始祖の円鏡です。いくら見かけを完璧に見せかけても、始祖の血統とともにあり続けたこの鏡ならば」

 アンリエッタが水のルビーの指輪をつけて鏡に手をかざすと、円鏡はぼんやりと光を放った。

「ミシェル、この鏡をあなたに託します」

「感謝いたします。必ずお役に立てることを約束いたします」

 ミシェルが一礼すると、アンリエッタはなんらかの呪文を唱えて円鏡を懐に入る手鏡サイズに縮めた。始祖の秘宝だけあって何かの未知の魔法がかけられているらしく、ミシェルは一瞬目を丸くしたが、水のルビーとともに円鏡を丁重に預かった。

 ともかく時間がない。急がないと夜が明けてしまう。すぐに風石船の出港準備が命令させる中で、わずかな時間を使ってアニエスとミシェルは話していた。

「すまないな……こんな大事にお前にばかり役目を押しつけてしまって」

「まったくです。この仕事が終わったら休暇をいただきますよ。それで、みんなで誰もいない海にでも行きましょう……そこで、いろいろ話したいこともあります」

 銃士隊は働きすぎだと冗談めかして笑うミシェルに、アニエスは少しでもミシェルたちに神のご加護があれと願うしかできなかった。

「それにしても、サイトたちはどうしているのか。しぶとい奴らだから無事だとは思うが、本当はなによりもサイトを助けに行きたいのではないか?」

「……いえ、トリステインの平和がなければ誰の幸せもありません。サイトなら、あいつならきっと大丈夫、大丈夫です……」

 自分に言い聞かせるように答えるミシェルに、アニエスは、昔は自分以上に堅物だと言われていたこの子にこんな健気な顔をさせるようになるとは、サイトは罪作りな男だと思った。

 人は変わる。それが良い方向にも悪い方向にも。

 サイトはミシェルを良い方向に変えてくれた。今では私のかわいい妹……願わくば、最後まで良い方向に続いて欲しいものだが。

 アニエスはミシェルを励まし、必ず帰って来るようにと伝えるのと同時に、もし才人がミシェルを泣かせたら、五、六十発はぶん殴ってやろうと心に決めた。

 

 しかし、心を繋ぎ、光の中を歩み続ける者たちがいる裏で、闇に囚われて悪夢を見続ける者もいる。

 黒い嵐の元凶たるガリア。その中心で人生最後の陰謀をめぐらせるジョゼフは、来るべき時を待ちながら、遠い昔に過ぎ去った思い出に身を浸していた。

「シャルルよ、もうすぐだ。もうすぐ、お前をガリアに返し、お前にガリアを返してやれる。お前の力があれば、どんなことでもガリアを良くすることができるだろう。お前はあらゆることで頭がよかった。たかが模型の船を浮かべるようなお遊びでも、お前の出来が賞賛を浴びないことはなかった。そうだ、どんなささいなことでもな」

 記憶の中の弟はどんなときでも凛々しく強く美しく、そして兄である自分は常に負けて日陰者だった。

 いつだって、いつだって、そうだった。しかし、それでもよかったんだと気づいた時には、弟に向かって毒矢を放ってしまった後だった。

 過去の自分と対話するように、ジョゼフは思い出の中で何度もループし続ける。

 だが、そうした怒りでも憎しみでもないが、ジョゼフから沸き上がる暗くて黒い感情は、やがてある種のエネルギーの形をとりつつあった。

 ただし、それは普通の人間であれば時間とともに霧散して、ほとんど影響を及ぼすことはない。マイナスエネルギーが事件を起こすには、大勢のエネルギーが時間をかけて蓄積する必要がある。

 けれど、一人の感情であっても、それがよほどに強烈であった場合か、もしくは“なんらかの触媒となる物”があった場合は巨大なパワーを発揮することがある。

 ジョゼフの持つ謎の魔石は静かにジョゼフの暗い情念を集め、そのエネルギーを凝縮して密かに放出していた。

 目に見えないエネルギーはハルケギニアの空に舞い上がり、気まぐれな雲のように広がりながらさまよった。さらに、空をただよう生き物のようなエネルギーは、かつての怪獣頻出期のときのように、ただそこに充満する波動だけで地の底に眠る生物にまで影響を与えていったのだ。

 それはジョゼフの意思とは関係ないが、蝶の羽ばたきが嵐を起こすとも人は言う。ハルケギニアの地底深く、太古の地層で誰にも知られることなく埋もれていた何かが動き出している。

 災厄に呼ばれて、災厄が蘇る……。

 

 夜が明ける前に、ミシェルたちを乗せた風石船は王宮を飛び立った。目指すは、偽のオルレアン公が率いているガリア軍。

 進撃の速度によっては、もう国境を超えてガリアに入っているかもしれない。大きくトリステインの国旗を掲げて、風石船は急ぎに急いだ。

 だが、夜明けが近づき、国境地帯の岩山に差し掛かったときのことである。前方を警戒する銃士隊員の目に、山あいに立ち上る黒煙の柱が映ってきたのだ。

「副長、前方に煤煙が。何者かが戦闘しているようです!」

「なに? こんな場所にガリア軍がいるわけがないぞ。な、なんだあれは!?」

 盗賊が町を襲っているのかとでも思ったミシェルは驚いた。確かに山あいの町は襲われていた、しかしそこで暴れていたのは異形の怪獣だったのである。

「鉄の車の上にトカゲが乗ってる!?」

 そうとでも言わなければ表現できない相手だった。ばかでかいキャタピラ付きの車体の上に、これまたさらに巨大な恐竜の体が乗っている。

 全長は尻尾を別にしても軽く四十メートルは超えているだろう。まるで地上で戦艦が動いているようだ。砂ぼこりと轟音を上げて進撃するそのキャタピラの下に踏み潰されていく家々などは、子供の積み木のようにさえ見える。

 戦車怪獣恐竜戦車! ここに才人がいればそう飛び上がって叫んだだろう。ウルトラセブンを苦しめたキル星人の動く要塞が彼女たちの眼前にいた。

 恐竜戦車はその巨大なキャタピラで建物を蹂躙しながら町の中を縦横無尽に暴れまわっている。石造りの建物は砂場の城のように軽く崩され、逃げ惑う人々の背中から迫っていく。その進撃を止めることは、人間の手にできることではなかった。

 だが、それも当然のことである。恐竜戦車、ウルトラセブンの戦史を紐解いたことのある者ならば知らぬ者はない。セブンが戦った数々のロボット怪獣の中でも、キングジョーやクレージーゴンに次いで知名度の高さを誇る怪獣だ。

 とにかく、その見た目のインパクトで他に類を見ない。巨大な戦車の車体の上に、巨大な恐竜が乗っただけという「これが怪獣か?」なデザインながら、強いものと強いものを足せばもっと強いものになるだろうというキル星人のワイルドなセンスが見るものの心をぐっと掴む。

 それだけでなく、もちろん強さも本物で、戦車と恐竜のパワーによる突進でウルトラセブンを圧倒し、キャタピラで轢き逃げしていったのは特に有名だ。

 ミシェルたちは、その光景を風石船から唖然と見下ろしていたが、やがて一人の銃士隊員が叫ぶように問いかけてきた。

「どうします副長! このまま見ているのですか? なんとか助けないと」

 だが! と言いかけてミシェルは言葉を詰まらせた。今は大事な任務に向かう最中なのだ、寄り道をしている余裕は一時もない。

 それにこの風石船は元々女王陛下の避難用の非武装船で、大砲の一門も積んでいない。とても怪獣と戦う力なんてない。

 しかし何とかしなくては、山あいの町をだとはいえ千人ほどは住人のいるであろう町は壊滅してしまうだろう。すると、船のへりから怪獣の様子を見守っていたエレオノールがミシェルに言った。

「救命用の小型ボートがあったわよね。私が降りてあいつを止めておくから、あなたたちは先に進んでなさい」

「なっ? ミス・エレオノール、死ぬ気ですか!」

 無茶なことを言い出したエレオノールに、銃士隊員たちは当然止めようとした。しかし、エレオノールは乱心した様子は微塵もなく言った。

「あの怪獣、見たところ半分は機械でできてるようね。ああいうタイプの奴は、アカデミーでも以前から研究していたわ。年寄りどもには理解の埒外だから異端のそしりも受けない代わりに押しつけられたようなものだったけれど、今日までにある程度は解析したの。私なら止められる可能性が少しあるけど、どうなさるかしら?」

 かつてトリスタニアに出現したメカギラスから、最近に現れたメカゴモラまで、アカデミーは残骸を回収して解析を試みてきた。

 むろん、地球の科学ですら解明しきれない宇宙人のメカニックをトリステインの人間の知識で解析できるわけがない。だが、機械の知識が無くても車やテレビを扱えるように、時間をかけていじりまわしているうちに、“そういうものだ”という感覚を体で覚え込めたのだ。

「お一人で、大丈夫ですか?」

「うちのお母様の教育を受けてると、生きるか死ぬかなんていう境界があいまいになるのよね。大丈夫よ、あなたたちのこれからの仕事に比べたらね」

 だがそう言っているうちに、恐竜戦車はこちらに気づいて恐竜の上体を起こして、車体に装備された三連砲を撃ちかけてきた。

 危ない! 船体をかすめて砲弾が飛び去っていって胆が冷えた。距離があったので幸い命中はしなかったが、飛び道具まで備えた恐竜戦車に、こんな船では近づけもしないのは証明されてしまった。

「じゃ、オルレアン公のほうは頼んだわよ」

 エレオノールはメガネを光らせると、何の気なしに風石付きの救命ボートに乗り込んだ。

 固定用の綱が切られ、救命ボートはゆっくりと降下していく。このボートは小さな帆もついていて、短い時間ではあるが自由に飛ぶこともできる。それと同時に、ミシェルたちの残った船は舵を切って恐竜戦車から遠ざかる進路を取り始めた。

「ご武運を……」

「そっちは私向きの仕事じゃないから、しっかりやりなさいよ」

 エレオノールはボートの帆を操りながら、恐竜戦車の注意を引かないように背後に回り込むようにしてボートを滑空させていった。

 しかし、でかい。そして、すごい。エレオノールは恐竜戦車が近づくにつれて、その圧倒的な偉容に息を飲んだ。

 巨大な鉄の車体についているキャタピラが目に入る。

「長い鉄の帯を輪にした導体を回してる。あれならどんな荒れ地でも進めるってことね」

 普通の車輪なら乗り越えられないような障害物も容易く踏み潰していく力強さに目を見張り、その上に乗っている恐竜の狂暴な迫力にも惚れ惚れする。

「筋肉の塊みたい。あの竜だけでもハルケギニアのどんな竜より強力でしょうに、それをさらに鉄で強化するなんて。あれをサンプルにできたらさぞ素敵でしょうね。欲しい、あれ欲しいわ」

 エレオノールは子供の頃から人形で遊ぶよりも、男の世界に自ら飛び込んで生きてきたタイプだ。男に面食いなところはあるが、知的好奇心は強く、男性的な嗜好を理解できるところは大きい。

 増して、恐竜と戦車は男性的な魅力の集合体だ。才人がここにいたら大興奮していたことだろう。エレオノールもそこまでではなくとも、強くて大きいものに牽かれる心はある。そして、知的好奇心と男性的嗜好の塊のような娘がもう一人。

「さーて、そこにいるのはわかってるのよ出てきなさい。私があれを独り占めにしてもいいのかしら」

「なんだ、もうバレてたのね。さすがは先輩」

 すると、ボートの床に敷かれた帆布の下から、エルフ耳を上下させながらなんとルクシャナが現れた。隠れていたのでホコリまみれになっているが、相変わらず、悪びれない様子で「どうしてわかったんですか?」と問いかけてくる。そんなルクシャナに、エレオノールは呆れながら答えた。

「私ひとりしか乗ってない割には妙に舵の利きが悪かったのよ。それで、こんなボートに密航するような物好きなおバカは世界中探しても、あなたひとりしかいないでしょ」

「あらら、さすがの洞察力というか、私ってそんな風に見られてたのね。ま、いいわ。乗ってしまえばこっちのものだし。わーっ! すごーい。生き物と機械の融合なんて、私たちエルフにも鯨竜艦ってものはあるけど、あのパワーにスピード、うーん、調べたーい!」

「こらこら、あんたみたいな雑な子に大切なサンプルを壊されたらたまらないわ。尻尾をくれてあげるからおとなしくしてなさい」

「それは横暴というものよ先輩。自然の恵みはきちんと分け合わないと大いなる意思に失礼だわ。そんなだから結婚できないんです」

「なんですってえ! ぐっ、こ、ここは聞かなかったことにしてあげるわ。だ、大事な時だし、私は寛大ですからね」

「さっすがあ。ささ、サンプルは山分けに、早く捕まえにいきましょう」

 動く要塞の恐竜戦車も、学者バカのエレオノールとルクシャナにとっては好奇心沸き立つ研究材料でしかないようだった。

 ボートが降下するごとに恐竜戦車の巨体は近づいてくる。相変わらず巨大なキャタピラは立ちふさがるものを踏み潰し、恐竜の大きく裂けた口からは狂暴な咆哮がほとばしって山々を震わせる。

「間近で見るとすごい迫力ね。で、先輩、あれをどうやって止める気なの?」

 さすがにすぐそばまで降りてくると、ルクシャナにもふざける余裕は無くなってきたようである。恐竜戦車はたった二人しか乗っていない救命ボートなど目に入らないという風に、地上にあるものをすべて破壊し尽くす勢いで進撃し続けている。

 エレオノールはルクシャナの問いに、恐竜戦車の戦車の車体を見下ろしながら答えた。

「操縦室を探すわ」

「操縦室?」

「そうよ。あれだけ大きいんですもの、止めておくときに乗り込んで点検するための部屋がどこかにあるはず」

 メカギラスの残骸を調べた際、ボディのあちこちに明らかに人が入るための空間、つまりはメンテナンスブースがあることが確認された。メカゴモラも、ルイズたちが乗り込んでいたと聞いている。

 そこに入り、手動で停止操作をすれば止められるかもしれない。エレオノールはそう読んだのだ。

「それで、どうやってその部屋を探すわけよ?」

「そりゃ、乗り込むしかないでしょ」

「あんなに激しく動き回ってるものに?」

「分の悪い賭けよね。なんとか動きが止められればいいんだけど、もしものときはカンオケに一人で入らなくてすむからあんたが来てくれて助かったわ」

「いーやーッ!」

 ヴァリエールの人間にからむとロクなことにならないということを、今更ながら知ったルクシャナであった。

 

 勝算はゼロでは無いといっても、爆走する恐竜戦車に飛び移ろうという危険極まりない作戦。

 動きを止められればまだしもというが、ウルトラセブンでさえ突進を止めきれない恐竜戦車をどうしろというのか?

 だが、まったくの偶然ながら、恐竜戦車を止めようとやってきた『科学者』は彼女たちだけではなかったのだ。

 

「入力コマンド、1m2279m49。前進しろ」

 藤宮博也がヘッドマイク型の機器を通じて命令すると、恐竜戦車に向かって甲冑姿の人形が走り出した。いや、ただの人形ではない、その体高は十メイルの巨人で、しかも三体いる。

 藤宮は命令に従って動いていく三体の甲冑巨人を町外れから見守りながら、憮然としてつぶやいた。

「どうやらあの騎士人形、三体まとめてでもパーセルで動かすのは可能のようだな。本来、こんな使い方をするために稲森博士が作られたものじゃないが」

「人間は、いつだって道具の本当の使い道じゃないことをさせて悪用してきた。僕たちだって、その例外じゃない。やむをえなかったという、言い訳といっしょに」

 共に見守っている高山我夢も、愉快ならざるというふうに答えた。

 彼らが使っているのは、対怪獣操作機パーセル。そして操られている騎士人形は、先日我夢と藤宮を襲ったシェフィールドの巨人ゴーレム、ヨルムンガンドであった。

 あのとき、我夢と藤宮はウルトラマンに変身するエネルギーを浪費するのを避けるために、襲ってくるヨルムンガンドの弱点を探った。そこで、ヨルムンガンドが単なるゴーレムではなく、生体部品を使った一種の人造人間でもあることを突き止め、ならばパーセルで操れるかもと試して、見事襲ってきた三体のヨルムンガンドを無力化することに成功したのだった。

 だが本来ならばパーセルは怪獣が人里に出て被害を出す前に誘導するのが正しい使い方だ。こうして操った対象を戦わせる兵器としての使用法は、本来の理念とは反対の邪道になる。

 それでも、ウルトラマンに変身することを事実上縛られた彼らにとって、手に入れたヨルムンガンドはまたとない戦力だった。

「我夢、これっきりだ。俺は、道具は使う者次第だなんて言葉で、自分を正当化するつもりはない」

「僕も、このことをXIGに報告するつもりはないよ。コマンダーやみんなは信頼できても、この報告を聞いて将来よからぬことを考える人が出てこないとも限らないからね。でも、それだけに今回は」

 怪獣の迎撃を成功させて、かつヨルムンガンドを使い潰さないといけない。と、我夢は考えていた。

 三体の甲冑巨人は恐竜戦車に向かって三方向から進んでいく。しかし、全高三十メートルある恐竜戦車に対しては、あまりに小さく見える。まるでゾウとライオンの差だ。

「気にせずに突っ込んでくるな。だが、甘く見るな」

 恐竜戦車はヨルムンガンドを引き潰そうと、猛然とばく進してくる。だが、藤宮がパーセルを操作すると、ヨルムンガンドはなんとジャンプした。

 それは小柄とはいえ巨体からは信じられない身軽さだった。甲冑を着た十メイルものゴーレムがサルのように飛び上がるとは、並のメイジが見たら目を疑うだろう。だが、それがシェフィールドの自信作であるヨルムンガンドの性能だった。二十メイル級でもかなり人間に近い動きができたところを半分にまで小型化したわけだから、その身軽さはゴーレムの常識を超えていた。

 正面から突っ込んだヨルムンガンドはジャンプして恐竜戦車の首に飛びつき、横合いから突っ込んだ別の二体は尻尾へと飛び移った。もちろん、飛びつかれた恐竜戦車は暴れて振り落とそうとするが、ヨルムンガンドも兵器として作られたゴーレムの意地でしがみついて離そうとしない。

 気が付くと、恐竜戦車はヨルムンガンドを振り落とすために首と尻尾を振り回しながら信地旋回を繰り返している。我夢と藤宮はこのままヨルムンガンドでロデオのように恐竜戦車を人里から引き離すつもりだったが、恐竜戦車が一点にとどまっている現状は我夢たちには不本意だが、空から乗り移ろうとしているエレオノールたちには絶好の状況だった。

「いまよ、このまま奴の胴体近くに飛び移るわよ!」

「わあ、近くまで来るとさらに一段とすごいわね。あのお人形がなんだか知らないけど、あっちも研究したいわね」

 恐怖が一定を超えると感じなくなるのか、ルクシャナも興奮しながら急降下していくボートのへりを掴んでいる。

 もちろんその様子は我夢や藤宮からも見えていた。

「なんだあいつらは、死にたいのか?」

「いや、あの人たちは。彼女たちも、あれを止めようとしてるんじゃないかな?」

 交流が多いというわけではないが、ペダン星人の円盤の調査などで同席してエレオノールの顔を知っている我夢はそう推測した。

 もちろん、どう止めようとしているかについては察しようがないが、少なくとも、あの二人がなんの考えもなしに怪獣に飛び乗ろうなんてしているとは思えなかった。

「藤宮、怪獣の動きを止めさせられないか?」

「難題だな。そこまで細かい操作はパーセルにはできないぞ」

 パーセルはその目的上、怪獣の脳に簡単な指令を出せるようにしかできていない。ヨルムンガンドはシェフィールドの命令を受けとるための、簡素な神経節が脳の代わりをしていたために、そこに子機を打ち込むことで支配の上書きはできたが、細々とした指令のコマンドがそもそも無いのだ。

 しかし、かといって「できない」とは藤宮は言わなかった。どうせヨルムンガンドは鹵獲したもので、こんな兵器の記録を残すつもりはないので惜しくもなんともなく、尻尾に取り付いてくる一体に仕込んでおいた自爆装置をためらうことなく作動させた。

 刹那、自爆して飛び散るヨルムンガンド。恐竜戦車は突然尻尾のほうで起こった爆発に驚いて動きを止めた。次いで電子頭脳がパニックを起こしたのか、三連主砲から火花を散らして遠方の山肌を吹き飛ばすが、派手さとは裏腹に完全に無防備と化している。

「いまよ!」

 ボートをギリギリまで恐竜戦車に寄せたエレオノールはルクシャナとともに恐竜戦車の車体に飛び乗った。フライの魔法で姿勢を制御しながら、壁のように巨大な恐竜のボディに恐怖心をあおられつつも、二人の革靴の底が鉄の車体を踏んで乾いた音がする。成功だ。

 けれど、恐竜戦車がおとなしく止まっていてくれるわけもない。再び残った二体のヨルムンガンドを振り落とそうと暴れだす。

 恐竜戦車の恐竜部分は戦車の車体に固定されていて、手足はほとんど使い物にならない。もちろん、のたうつなんてことも不可能なのだが、長くて太い尻尾は別だ。手足の代わりに体に叩きつけ、邪魔物を振りほどこうと荒れ狂う。

「伏せなさい!」

 戦車にしがみつきながら、エレオノールはルクシャナの頭を下げさせた。頭の上を巨木のような尻尾が通りすぎていく。あんなものが当たったら人間なんか跡形も残らずに粉々だ。

 少し車体の外に目をやると、景色が猛烈な勢いで流れていく。ブルドーザーの上にアリが乗るとこんな景色が見れるのだろうか。

「先輩、それでその点検する部屋って、どこにあるっていうの!」

「バカ! あなたも学者のはしくれなら考えなさい。あなたがこいつを作ったやつなら、どこに入り口を作るのが適当かって」

 エレオノールは叫び、車体のあちこちを慎重に見回した。どこかに入り口はある。きっと。

 誰が作ったか知らないけれど、こんなでかいものが万一故障したとき、内側からも修理できるスペースがないわけがない。

 そして、エレオノールとルクシャナが恐竜戦車の中に入ろうとしていることを、我夢と藤宮も気がついていた。

「無茶なことを考える人たちだな。確かに、あれほどの大きさならメンテナンスブースはあるかもしれないけど」

「この世界の人間たちは、バイタリティーの面では地球人より上だな。だが、彼女たちがうまくいけば、あの恐竜タンクを戦わずして無力化できる」

「藤宮、あの怪獣を町の外に誘導しつつ、あの人たちを振り落とさないように暴れないようにさせられないかな」

「次々に無茶を言ってくれる。しかし我夢、あの怪獣はどう見てもサイボーグだ。どうして、あんな奴が地中に埋まっていたと思う?」

 パーセルを操作しながら、意趣返しのように問いかけてきた藤宮に、我夢も恐竜戦車の機械と生き物の混ざったボディを見つめながら答えた。

「多分、この星に恐竜が生きていた何億年も前に、この星を訪れた宇宙人が改造したサイボーグ恐竜だと思う。けど、この星に氷河期が来て宇宙人は引き上げ、サイボーグ恐竜だけが置き去りにされた」

「おおむねそんなところだろうな。しかし……」

 我夢と藤宮は、彼らの地球で恐竜を滅ぼしたという絶対生物ゲシュンクを思い出した。地球では恐竜は地球の意思ともいうものに滅ぼされ、こちらでも原因は別だが絶滅している。

 星が異なってさえ、恐竜は絶滅し、人間が繁栄しているのは生物としての宿命なのだろうか? 言葉に表せない不条理さに胸が重くなる。

 恐竜が滅びた原因には様々な説が唱えられている。隕石衝突、哺乳類の台頭、未知の宇宙線、しかし、あまりに繁栄しすぎて巨大化しすぎたという点では多く共通する。

 彼らは環境が良すぎて知性を発達させなかったために滅びたのか? だが、知性を発達させて繁栄した人類は地球の環境を破壊し、あまたの生命を絶滅させる暴挙を犯している。果たして生命の形に正解というものはあるのだろうか。

 そのひとつの姿が目の前のヨルムンガンドと恐竜戦車だと我夢と藤宮は思う。

 ヨルムンガンドはパーセルからの命令通り、恐竜戦車にしがみついて離れない。やっていることは単純だが、暴れまわる恐竜戦車から引き剥がされないように重心移動などを生物の本能的におこなっているのは、見事な性能と言える。

 実際、奪ったヨルムンガンドの動きをテストした際には、破滅招来体のロボット怪獣を見てきた我夢や藤宮でさえ動きのスムーズさには感心したものだ。

「地球でもまだ、これほどなめらかに動けるロボットを作るのは難しいだろうね。無機質を骨格にして、人工の筋肉で覆ってるのか。これなら、やりようによったらロボットにも応用できる……けど、そうしたとき、それはいったいなんて呼べばいいんだ……?」

 我夢はヨルムンガンドの技術の発展性に感じるものはあったけれど、生き物の肉体をパーツに組み込んだそれをロボットと呼んでいいものか迷った。ヨルムンガンドはこの世界ではゴーレムと呼ばれる。人間が神を真似て作った人間の複製品がゴーレム……すると藤宮は憮然としながら我夢に言った。

「ロボットさ、ただ部品にタンパク質を使っただけのな」

「藤宮」

「生き物の定義はなんだ? 有機体であること? 生命活動を行っていること? 神が作りたもうたことか? 俺は、そうして人間が地球や自然を人間の知恵というちっぽけな枠におさめて考えることこそ、傲慢な間違いだとかつて知った。だが少なくとも、人形に肉を張っただけのこいつを、生き物とは認められない」

「そうだね。逆に、サイボーグ……人間の体を機械に置き換える研究も進んでいる。だけど、体のすべてを機械に置き換えた人間はまだ人間であり得るのか? 人間が、生命と機械の融合を進めていった先には。破滅招来体の怪獣兵器たちのような、恐ろしいものを作り出すかもしれない」

 技術の進歩が銃を作り、ダイナマイトを作り、毒ガスを作り、核を作った。技術の進歩は悪意がなかったとしても新兵器を作り出すことに等しくなる。我夢はそれをいつでも危惧している。

 藤宮は表情の晴れない我夢に告げた。

「我夢、こいつの技術は俺たちがしゃべらなくても、いつかこの世界の人間たちも、地球の人間たちも同じものに気が付く。そうなったとき、人間が足を踏み外さないようにするためのものはなんだ? 今、お前がそうして胸を痛めているその心じゃないのか? 我夢、その気持ちを忘れるな。誰かが愚かな行為を始めた時、その心を持つ者が抑止力になれる」

「藤宮……君の言う通りだ。かつて核が世界に広まった時、多くの科学者たちが抵抗した。偉大な先人たちの足跡を、僕が止めちゃいけないんだ」

 友の心強い励ましに、我夢は未来永劫終わらないであろう邪悪なテクノロジーとの戦いをあらためて決意した。

 そして今、我夢と藤宮の目の前には、生き物と機械を混ぜ合わせた強力な兵器、恐竜戦車が荒れ狂っている。

「あれほど巨大な恐竜をサイボーグ化させる科学力があれば、不毛の惑星を人が住めるように改造することもできるだろうに」

「だが、形はどうあれ、絶滅した生物を現代まで生きながらさせたことは事実だ。あの恐竜にとって、それが良かったか悪かったかは彼にしかわからないが、我夢、イザクを覚えているだろう? 俺たちがあいつにしてやれることはひとつだ」

 我夢は黙って頷いた。

 暴れまわる恐竜戦車は藤宮の誘導で次第に町の外へと引っ張り出されていく。恐竜戦車の頭の上ではヨルムンガンドが恐竜戦車の頭を右に左にと動かして操ろうとしているが、さしもの人工筋肉も疲労が来て壊れそうだ。

 そして一方、エレオノールとルクシャナはようやく恐竜戦車の車体前部にハッチらしきものを見つけていた。

「ここから入れそうね。『アンロック』で開けばいいけど」

「この中に、未知の技術がぎっしり詰まってるのね。いいわ、隅から隅まで観察してあげちゃうんだから」

「うふふ、私の目の前に現れたのが運のつきよ。さあ、解剖の時間よ!」

 誰も見たことの無い光景への一番乗り、億の財宝を並べても手に入らない発見が目の前にある。それを独り占めできるという興奮が、二人から恐怖を忘れさせていた。

 むろん、二人がいくら恐竜戦車の現物を研究しても、その科学力を再現することはできないだろう。しかし、その概念というゴールを得れば、無から出発していつか追い付くことができる。日本が欧米の飛行機の模倣から独自の技術の零戦を生み出したように。

 今は無理でも、将来いつかはハルケギニア製の恐竜戦車が作り出される可能性は十分にある。エレオノールやルクシャナは、その第一歩を踏み出すのに十分な力量を持っている。

 ただし、それがどう使われるかは作り出す人間にはわからない。今はただ、将来の輝かしい栄光のみが目の前にある。かつて地球で、ノーベルと呼ばれた男がそうであったように。

 

 この局所の戦いが、ハルケギニアの歴史に光をもたらすか、それとも影の元となるのか、今の時点では誰にもわからない。

 いやそれよりも、今はハルケギニアの歴史がここで止まるか否かの瀬戸際に立っている。

 エレオノールたちと別れたミシェルたちの乗る船は、急いでオルレアン公の軍隊へ追いつこうと急いでいる。しかし、ミシェルたちとは反対方向から、艦隊を率いてオルレアン公を正面から出迎えようとしている少女がいた。

 ガリア王立両用艦隊。その眼下には十数万という大軍勢が列を成しているが、艦隊の砲列が火を噴けば瞬く間に散り散りにできるだろう。しかし、そうはできない。いや、この艦隊にはオルレアン公の軍を攻撃しろと言われて従う人間はほとんどいないことを、艦橋に立つ少女はよく知っていた。

「オルレアン公の軍勢から手旗信号です。『ガリアの正統なる王の歩みを遮る逆族の名を答えよ』」

「……お前の姪がやってきたと答えてやれ。さて、シャルロットにはああ言ったが、今日がわたしの命日かねえ。まあ、逃げ回って死ぬも戦って死ぬも、負け続きのわたしの人生にはあんまり変わらないか。ならせめて、派手に負けてやるとするかね」

 イザベラの瞳に覚悟の光が宿る。

 むき出しの甲板の上に立つイザベラをかばおうとする者はいない。提督たちは腫れものを触るようにさりげなく遠巻きにしており、護衛に雇われた元素の兄弟の三人のうち二人も深入りは避けるという風に気の無い表情で眺めているだけである。

 しかし、一陣の風が甲板を吹き抜けていったとき、蒼い髪をなびかせたイザベラの横顔を見たジャネットは目を見張った。

「え……?」

 その横顔にジャネットの記憶の中のある人物が重なった。いや、それは封印されている記憶の中との一瞬のフラッシュバック。それの名前を思い出すことは、今のジャネットにはできなかった。

 

 

 続く



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第23話  たったひとりの宣戦布告

 第23話

 たったひとりの宣戦布告

 

 月怪獣 ペテロ 登場

 

 

 広大な草原の上で、同じ旗を掲げる二つの軍隊が睨み合っている。

 北に陣取るのは、オルレアン公シャルルに従うガリア陸軍主力。対して南に並ぶのはガリア両用艦隊。ただし宙空にあってこそ強大な力を発揮する艦隊はすべて地上に降り立ち、海兵たちは船から下りて整列をしている。

 そして、両陣営の正面には、同じ青い色の髪をした男と少女が数百メイルの間隔を置いて相対していた。

「兄上の娘、懐かしいねイザベラ嬢。大きく、美しくなったものだ。だけど、私の行く手を遮るとは、どういうつもりなのかな?」

「ほざくなよ、デクが。このガリアはわたしの国だ。わたしの許しなく、勝手させるわけにはいかないからね」

 紳士的に語りかけるオルレアン公と、対して海賊の頭のように啖呵を切るイザベラ。

 しかし、両者の存在感の差は明らかであり、オルレアン公が何人もの精強そうな将軍たちに傍らをがっちり守られているのに引き換え、イザベラは少し離れたところに元素の兄弟が目立たないように待機しているくらいで、提督も海兵も遠巻きにしているだけで、誰一人イザベラのそばを守ろうとしている者はいなかった。

 まさに、どんな鈍い愚か者にでもわかる人望の差。あまりのアウェーぶりは、イザベラが気の弱い少女だったら泣き出してしまうだろう。だが、イザベラは他人に屈するようなおとなしい人間ではなかったし、なによりとっくに腹をくくっていた。

「その面、どこで手に入れやがった? 気色が悪いねえ。死んだ人間の顔を見せられるってのはさ」

「私を偽者と疑うのかい? だが、私は正真正銘のシャルル・ド・オルレアンだ。すでに、本物であるという証明は、ここの将兵みなに見せているよ」

「ふん、自分が偽者だと言う偽者なんているわきゃないものね。いいよ、百歩譲って、あんたを本物だってことにして話すのを許そうじゃないか」

 その、尊大極まるイザベラの物言いに、オルレアン公派の者たちは憤りと苛立ちを沸き上がらせていった。

 兵たちの中から次々に「黙れ」「無能王の娘のくせに」と野次が飛ぶ。しかし高慢な笑みを崩さないイザベラに、オルレアン公はあくまで穏やかに告げた。

「君も変わっていないね、イザベラくん。兄は子供には無関心な人だったけれど、本当に君に王族としての教育を受けさせなかったようだ。哀れに思うよ」

「大きなお世話だよ。確かにわたしはあんたの娘のシャルロットに比べたら出来は悪いさ。だけど、王族の勤めなら心得てるよ。お前みたいな奴に、ガリアの王冠をくれてやるわけにはいかないのさ」

「おかしなことを言う。今の王冠の所有者は、君の父だ。私は君の父に不当に奪われた王冠を取り戻しに行くのに、君の許しはいらないよ」

「いいや、いるさ。王座についたのが正統だったか不当だったかなんてどうでもいい。現王の指名がないなら、後継者の第一候補は長子が世の習いだ」

「つまり、君が次期ガリアの女王になろうというのかい?」

「当然だよ」

 その言葉に、今度は両陣営から笑い声が上がった。身の程知らずめ、親の七光りだけで威張ってきたくせにと、貴族から平民の兵にいたるまで、数え切れないほどの嘲笑の声がイザベラの全身に浴びせかけられる。

 しかし、イザベラは顔色を変えてはいない。むしろ、これが当然のことなのだと清々しくすら受け入れていた。

“おうおういいねえ、民どもの本音の声ってのは。よくまあか弱い女の子ひとりをよってたかって笑い物にできるよ。ま、かばってもらえるようなことはしてきちゃあいないけどさ。これでも北花壇騎士団長としてけっこうガリアのために働いてきたんだぜ”

 民の無責任さややるせなさが胸に湧くが、それでもこれが疑う余地のない民の評価なのだとわかる分すっきりする。以前にアストロモンスに襲われたときに誰も助けてくれなかったときから心の底ではわかっていたが、ようやく直視しないようにしてきた自分のありのままの姿と向き合うことができた。

 だがあのときと違うのは、今度はウルトラマンの助けはなく、自分の力でこの窮地を乗り越えなければならないということだ。

「やりたいやりたくないの問題じゃないんだよ。ガリアの王座につけるのは、始祖の血を引く青い髪の人間だけって相場が決まってんだ。わたしを笑うってことは、わたしに青い髪を授けた始祖ブリミルを侮辱することだが、異端となる覚悟ありと見ていいんだな!」

 その言葉で笑い声に包まれていた場が一気に静まり返った。ハルケギニアの人間にとって、異端者と認定されるほど恐ろしいことはない。

 だが、これはイザベラにとって虎の威を借りたようなもの。この先はあくまで自分の力でオルレアン公に打ち勝たねばならないのだ。

「私は女王になる。我が父、ジョゼフ王は今、何者かの傀儡と化して国政をないがしろにした結果、このような闘争を起こした。それを鎮めるために、私は王族の宿命に従って父上に王位を禅譲させる。だがその前に、王位を掠め取ろうとするこそ泥を許すわけにはいかないね」

「言ってくれるものだ。だが私から見れば、私から王位を奪い、私に返すまいとしている君たち親子のほうがよっぽど盗賊に見えるものだよ」

「父上のことはわたしは知らないよ。第一、父上が素直に王冠を明け渡してくれるなんてわたしは思っちゃいない」

「ほう、ならば君は王位をどう手に入れるのだい?」

「もちろん、王冠は奪い取るのさ! わたしはそれが許された、地上でただひとりの人間だからね!」

 拳を掲げて傲慢なまでに宣言したイザベラに、それを聞いていた人間たちは絶句した。

 無能王の娘で、いい噂はひとつも聞かない名ばかりの王女と貴族たちは侮り、平民たちはそもそも名前も知らない者もいるくらい無関心な存在だったのがイザベラだった。それがこうして、何十万という群衆の前で堂々と簒奪を宣言している。

 大馬鹿かヤケか、それともとんでもない大器か。思ったことは違うにしても、この一瞬だけは確かにイザベラは群衆を圧倒し、さらにオルレアン公が反論する前に勢いを殺さずに続けた。

「わたしは女王になって、このくだらない争いを終わらせてやる。わたしの国で、これ以上バカどもに好き勝手されてたまるか! この国は、わたしのものだ!」

「君は、ガリアを兄上ジョゼフのように私物化しようというのか?」

 これにはさすがにオルレアン公も困惑したように言った。これだけの大衆を前にしたら、無難な平和論を唱えるのが普通だ。しかし、イザベラは暴君ともとれるその態度を崩さずに、さらに胸を張る。

「王ってのはそういうもんだろ。わたしはあんたみたいな、なんでもできるお優しい王様にはなれない。だけどな、わたしだってわたしなりにガリアを見てきたんだ。ガリアは元から平和で豊かでいい国だ。だけど、外からも中からも平和を乱そうとするバカどもは涌いてくる」

 イザベラは北花壇騎士団長として、これまで扱ってきた事件の一端を語った。

 村村を荒らす野盗、不正をする役人や貴族、暴れる幻獣どもなど、そうした奴らをタバサや北花壇騎士に頼ってだが、叩き潰してきたことを。

「花に群がってくるのは蝶だけじゃない。ハエやアブラムシみたいな汚ならしいのもやってくる。わたしが目指すのは、そんな害虫どもからガリアという花を守る、戦う王だ!」

 そう宣言したイザベラに、少なからず群衆がどよめいた。

 貴族も平民も、イザベラの言うような野盗や幻獣の被害に遭った者や、不正に苦々しい思いをした者は少なくはない。逆に不正をしてきた貴族や、野盗くずれの傭兵たちは甘そうなオルレアン公に甘えようと考えていたので、その動揺を周囲に見透かされて一部に騒ぎが起こった。

 だがいずれにしても、この瞬間、侮られる一方だったイザベラがさらに大衆を揺らがしたのは事実だった。その戦う王という宣言に、ドゥドゥーとジャネットも、これはいい稼ぎ先ができるかもと、少しイザベラよりの考えを深めた。

 むろん、オルレアン公もそのまま黙ってはいない。

「戦う王か、ただのハッタリではなさそうだね。よくぞ吠えたものだとほめてあげるよ」

「わたしだって、考えなきゃいけないことは考えてるのさ。王様が考えることをやめたら終いだろ」

 これが、タバサに王になることを頼まれて、昨晩船の中で考えて出したイザベラの答えだった。

 どう逆立ちしたって、自分にはタバサたち親子のような天才にはなれない。それなら、自分にあってタバサにないものはないか? 自分の人生をベッドの中で揺られながら思い返して、探しに探して出せたたったひとつの自分の取り柄は北花壇騎士団長だった経験だった。

「わたしには、政治を見る力はない。人に好かれる力もない。できるのは、嫌な奴を見つけてぶっとばさせることだけだ。なら、それでいい。政治は大臣たちにさせて、わたしはろくでもない奴を見つけて始末する。父上だって、普段は大臣たちに任せきりなんだ」

 だが意外なことに、イザベラにこの構想を固めさせたのは父ジョゼフの執務態度だった。無能王と呼ばれている通り、ジョゼフは国政をほとんど大臣たちに丸投げしている。それでも国が傾かないくらいガリアの大臣たちが優れているなら、そのやり方を踏襲して何が問題あるか?

 たとえ顔を会わせなくとも、親子はどこか似てくる。イザベラにとって、どうあろうとジョゼフはそういう存在であり、イザベラは王になることへの自信を持つことができた。

 いまだに大勢はオルレアン公から動いてはいない。イザベラが吠えても、多くの人間たちは多少イザベラへの評価を改めこそすれ、オルレアン公こそ次期国王にふさわしいという考えは揺らいではいない。

 けれど、捨てる神あれば拾う神ありという風に、味方はどこから現れるかわからない。いまだに孤立無援なイザベラの耳陀に、空の上から称賛の声が送られた。

 

「よくぞ吠えられた。その気高さこそ、まさに始祖ブリミルの末裔の証!」

 

 誰だ? オルレアン公やイザベラをはじめ、ガリア両軍の将兵たちは空を見上げた。すると、北のトリステインの方向からやってきた船から法衣を着た女が現れて、両軍に伝わるように拡声のマジックアイテムを通じて告げた。

「わたしはトリステインのアンリエッタ女王から遣わされたオルレアン公への使者である。オルレアン公への応援のメッセージをお伝えに来たが、思わぬことに始祖ブリミルの血を引く者たちの輝きを見せていただいた。オルレアン公シャルル殿、イザベラ姫殿下、いずれに正統性があるかどうか、トリステイン宗教庁大司祭の名の元に公正に見定めさせていただこう。存分に争われるがよい!」

 一気にまくし立てられたその言葉に、群衆は唖然となるばかりだった。

 しかし、異論を返す者はいない。たとえ異国のものだとしても、ブリミル教の宗教庁の権威は絶対で、逆らえば異端の認定を食らってしまう。あの船はトリステインの王家の旗を掲げている、高位の人間しか乗ることを許されない御召し艦、疑う者はいなかった。

 もっとも、それは真っ赤な偽物であったのだが。

「副長、無茶をしますね。宗教庁の名を騙るなんて、バレたら火あぶりものですよ」

「後のことは後でなんとかごまかすさ。お前たちは命令に従っただけということにしておけ」

 なんと、大司祭だと大言を吐いたのは法衣を着て変装したミシェルだった。

 彼女たちは、恐竜戦車の処理をエレオノールに任せて別れた後も全速力でガリア軍の後を追ってきた。そして、ガリア軍と両用艦隊が対峙している現場にたどり着いたが、割って入れる空気でもなく、遠見と集音のマジックアイテムを使って様子を見ていたところ、イザベラの啖呵を聞いてミシェルがひらめいたのだ。

「あの小娘、利用できるな」

 ミシェルはイザベラのことは名前くらいしか知らない。銃士隊としての冷徹な思いつきであったが、オルレアン公を止めに来た以上、敵の敵は味方である。

 そこで、王族の使う船なので積んである法衣服を引っ張り出してきて、一芝居打ったというわけである。もちろん言ったことは全部ハッタリだし、バレたら心配された通り死刑ものである。

 しかし、あのニセのオルレアン公を合法的に止める方法がこれしか無かったのも事実だ。ミシェルは、裏社会を歩んできた自分でも、これは最大級の危ない橋だと内心で震えている。

「いざとなったら、女王陛下より預かった始祖の円鏡が頼りだな……」

 始祖の末裔ではない自分には、円鏡の権威を利用するしか方法はない。それでも、自分のハッタリでオルレアン公がガリアに入るのが少しでも遅れるならばやってやると、ミシェルは覚悟を改めるのだった。

 

 そして、ミシェルの介入はイザベラへの援護射撃として、予想以上の影響を及ぼした。この介入者を見て、イザベラも不本意だがブリミルの権威をさらに利用できることに気がついたのだ。

「おや、これは面白いね。どうやらわたしたちは始祖ブリミルの御前で、後継者の証を立てなきゃならないわけだ。どうするんだい? お・じ・さ・ま」

 挑発するイザベラに、オルレアン公、いやオルレアン公に化けた何者かは表情こそ穏やかなままだが、心中では焦りを強くしていた。

"なんだこの小娘は! こんな奴が出てくるなんて聞いてないぞ"

 彼はオルレアン公になりきるためにあらゆる情報を与えられていた。もちろんイザベラについても教えられていたが、こんなところで現れて邪魔に来るとは想定外である。

 なんとかアドリブでつないできたが、あまりに長引かされると思わぬところからボロが出ないとも限らない。なんとか短いうちに収めてしまわねばと、彼は急ぐことにした。

「証だなどと、こうして大勢の民が私が王座につくことを願ってくれている。それ以上のものがあるかね?」

「はあん? それはおかしいな。ここに一人、あんたの即位に反対の人間がいる。あんたが本当にガリアを統治するにふさわしい器だってなら、小娘のひとりくらい説き伏せてみなよ」

「くっ……」

 冗談ではない、問答などしたらそれこそボロが出る可能性が高くなる。なにせ相手は本物のオルレアン公を知っている人物、こちらの知らない情報を知っていておかしくない。

 彼は部下にひそかに命じて、リュティスのジョゼフに指示を仰がせた。なにせ相手はそのジョゼフの子供というから、下手なことはできなかった。

「いいかげんにしてくれないかなイザベラくん。私は急いでガリアに赴かねばならないんだ。こんなところで時間を潰している暇はないんだよ」

「新しい王様がどうなるかってことのほうが大切だろ。ガリアに必要なのは、玉座に新しく座る誰かで、前に座っていた人間は関係ないはずだ」

「むう、だが私は兄上の娘の君とまで争いたくはないのだ。罪を背負うべきは兄であって、君にはなんの咎もないだろう」

「罪なんて関係ないよ。わたしは、次の王位継承候補者としてここに立ってるんだ。証を立てられないってなら敗北宣言しなよ。始祖ブリミルの御前でね」

「ぐ……」

 イザベラは確実にオルレアン公の弱いところを突いていた。このままでは、ガリア軍の将兵たちの中からも本物のオルレアン公ではないと疑う者が出始めるかもしれない。

 たが、追い詰められた偽オルレアンが焦りを強くしたところで、ジョゼフからの返答が入ってきた。

「なんと……そうか、よし……」

 偽オルレアン公は心の中でほくそ笑んだ。どんな返答が返ってくるか不安だったが、許可が下りれば問題はない。しかし、まともな人間ではないと思ってはいたが、ここまでとは。

 彼は部下にあることを命じた。そして、オルレアン公とイザベラが対峙する間に、数名の騎士が割り込んできた。

「待たれよ! 我が君よ、このような無能王の娘などにこれ以上御身の大切な時間を使うわけにはいきません。ここは我らがかたづけまする!」

「なっ!?」

 杖をイザベラに向ける騎士の一団に場が騒然となった。

 あれはオルレアン公の現れたときに、真っ先にガリア軍から忠誠を誓うと申し出た者たちだ。その突然の乱入者に、将兵たちの中から困惑の声が上がる。

「バカな、神官の御前での横槍など磔に処されるぞ!」

 神をも恐れぬ行為に震え上がるガリア軍の将兵たち。そんな将兵たちに答えるように、オルレアン公は騎士たちに向けて怒鳴った。

「やめたまえ君たち! これは私とイザベラ嬢の問題だ。手出しはまかりならん」

「申し訳ありませんが、従うことはできません。あなた様がガリア王に一刻も早くなられるならば、この素っ首、断頭台のつゆと消えても構いませぬ!」

 制止も聞かずにイザベラに杖を向ける騎士たち。そんな彼らの悲壮な姿に、ガリア軍の中から大きな歓声が上がった。

「いいぞ、無能王の娘なんかやっちまえ」

「お前たちこそ真の忠臣であるぞ!」

 貴族も平民たちも感動していた。イザベラの見せた一時の旋風は掻き消え、名君オルレアン公をたたえる声が空間に満ちていた。

 むろん、頭上の船からは神官に扮したミシェルが止まるように叫んでいる。しかし、何十万ものうねりの前にはさしもの宗教庁の権威も無力だった。

 だが、そんな四面楚歌の渦中にあってもイザベラは異様なほど落ち着いていた。

「茶番だねえ……ま、こうなるとは思ってたが、わたしにしちゃ粘ったほうか」

 イザベラは最初から、自分のゼロに等しい人徳でオルレアン公に太刀打ちできるとも、偽物のオルレアン公をたとえ論破できたとしても、おとなしく従ってくれるなどとも思っていなかった。

 では何故、勝ち目のない戦いにイザベラは挑んだのか。それは、王女という責務から目を背けてきた自分に対する、イザベラなりのけじめをつけるためであった。

「さんざんシャルロットに無理難題を仕向けて全部クリアされてきたんだ。これでシャルロットの頼みから逃げたら、わたしは永遠に負け犬じゃないかよ」

 タバサに負けに負け続けてきた自分の人生。だが、勝ちたいという気持ちだけはまだ失っていないつもりだ。

 そして、たぶんこれがタバサをぎゃふんと言わせてやれる最後の機会だということがわかっている。これでダメなら完全に折れてタバサの従者になってやってもいい。しかし、まだ勝てるチャンスがあるというなら、とことんまで今の自分で戦い抜いてやる。

 冷笑を浮かべるイザベラに、騎士がレイピアの杖を向けて迫ってくる。

「汚らわしい無能王の娘に、神の御技たる魔法はもったいない。これで素っ首落としてくれるわ!」

 魔法さえ使わない愚弄。いや、使えないんだろうなとイザベラは察した。どんなにうまく人間に化けても魔法の才まではコピーできない。それをごまかすための演技だ。

 それでも、魔法の才に乏しいイザベラにとっては脅威だ。悠然とだが棒立ちのイザベラの首を狙って刃が迫ってくる。だが、その瞬間。

「ありがたいねえ、傭兵の働きどころを作ってもらえまして」

 飛び込んできた大きなメイス状の杖が騎士を殴って吹き飛ばし、次いで二対の風の魔法が後続の騎士たちをもたじろがせた。

 そしてイザベラの傍らに立った坊主頭の巨漢と、気障な衣装の少年に黒いドレスの少女。イザベラは彼らを横目で見て、ニヤリと笑いながら言った。

「いい仕事だね、元素の兄弟。この大軍を見ておじけづいたんじゃないかと心配だったよ」

「いやいや、金をもらった以上は仕事を果たすのは俺たちのルールでね。お姫様こそ、首を刈られそうになってもまだ笑っているとは、少し見直しましたぜ」

 次男のジャックがイザベラに不敵に答えると、イザベラは「これでも修羅場はくぐってきてるのさ」と笑い返した。

 また、ドゥドゥーとジャネットもそれぞれイザベラに向かって感心したように言った。

「てっきり泣き叫んで助けを乞うと思ったのにねえ。そんなのを見捨てて笑うのが楽しいのに、これじゃぼくらが動かなかったらバカみたいじゃないか」

「プチ・トロワから命令を飛ばしてきた頃は、なんの魅力も感じてなかったけど、今のあなたはなかなか素敵よ。あなたに恩を売っておけば、ダミアン兄さんの夢にも近づくかも。おもしろくなってきたわあ」

 二人とも、軽口を叩いてはいるものの、その立ち振舞いには隙はない。そんな彼らに、イザベラは複雑な笑みを向ける。

「お前たちこそいいのかい? 傭兵って言っても、お前たちは裏の世界の仕事人だ。こんな明るいところで、四対二十万なんてアホな戦争に首突っ込んじまって。お前らもお尋ねもんだよ」

「いやいや、金になるのならどんなことでもやるのが俺たちの流儀でね」

「それに、たかが人間相手、勝てばいいだけの話だろう?」

「ちょっと最近ヒマで太り気味でしたから、ダイエットにちょうどいいくらいかしら」

 平然と答える元素の兄弟に、イザベラは口の中で小さく「化け物どもめ……」と、呟いた。過信でもやけっぱちでもなく、本気でこいつらはこの雲蚊のような大軍を相手に生き残るつもりでいる。

 味方にすれば頼もしいを通り越しておぞけの走る連中だ。だが、ガリアの女王になるというなら、こいつらをも手なずけなくてはならない。イザベラも覚悟を決めて、杖を取り出した。

「どうやら偽オルレアン公め、やっと問答無用でわたしを始末する気になったみたいだな。フン、悪党のくせに判断が遅いんだよ」

 イザベラたちの前には、ガリア軍が隊列を敷いているのが見えた。後のことは気にせず、力ずくで邪魔物を排除するつもりだ。

 やはり、ガリアの民にとって、幻の名君オルレアンの影響力は絶大だ。それどころか、イザベラたちの背後の両用艦隊の将兵たちも、襲いかかってこそこないが、槍を構えて退路を塞ぐ様子でいる。

 まさに四面楚歌。ガリアの全部が自分に死ねと言っている状況に、イザベラは虚しさよりも高揚感さえ覚えた。

「これはすごい光景だね。ここまでの危機はシャルロットも体験したことないだろう。これであいつを見返せば、あいつはわたしに頭が上がらなくなるわけだ」

「言うはよいですが、どうするおつもりで? 給料分は働きますからご命令を」

「簡単だよ。オルレアン公の前までわたしが行ければいい。あとはわたしが一対一でかたをつける」

「勇敢なことで。ですが、我々は道を切り開くことはできますが、安全なエスコートは期待しないでください。死ぬのが怖くないのですかな?」

 ジャックが口元を歪めながら問うてくると、イザベラは杖や槍を向けて正面から向かってくる軍勢を見ながら答えた。

「死にたくはないさ。けど、わたしにだって死ぬより嫌なことはある。心残りはないわけじゃない」

 つぶやいて、イザベラは胸元を抑えた。

 こんな自分でも、別れたくない奴らも少しはいる……だからこそ、逃げ回り続けてきた負け犬の自分とは今日でおさらばしなければならないのだ。

 だが、目指すオルレアン公はすでに遠い。オルレアン公を死守せんとするガリア兵たちは、我こそとは前に出てくる。

「オルレアン公、お下がりください。ここは我らにおまかせを!」

 数千、いや万を超える人の壁。これを越えなければならない。笑えるほど絶望的な壁だが、わずかな希望があるのは前だけだ。

「行くよ、露払いはまかせたよ」

 退く道はもう無い。イザベラは覚悟を決めて、敵へと一歩を踏み出した。

 もちろんガリア軍は平然としながら前進してくる。小娘一人を葬るには十分すぎる量だが、元素の兄弟は歯牙にもかけなかった。

「人間の雑兵なんて、準備運動にも退屈だよ」

 ドゥドゥーがせせら笑うのと同時に魔法が放たれ、十数人の兵士を吹き飛ばす。

 もちろんガリア軍の中にいるメイジも魔法を放って迎え撃ってくるが、巨漢のジャックも軽々と相手の魔法をかわし、ジャネットが踊るように放った魔法はプロのメイジの放った魔法を押し返して相手にぶつけた。

 一瞬のうちにガリア軍の隊列に穴が穿たれ、兵士たちに動揺が走る。

「な、なんだあいつらは、人間の動きじゃないぞ!」

「体になにか特別な魔法でもかけてるのか? くそっ、オルレアン公に近づけるな。進め進め!」

 だが兵士たちの忠誠心も見事なものと言ってよかった。次々に吹き飛ばされても、数を頼りにどんどんやってくる。

 このままでは元素の兄弟がいかに強くても人の波に呑み込まれてしまうだろう。そうならないためにはひたすら前へ、前へ、前へ!

 イザベラも正面から向かってくる槍兵へ向けて、渾身の魔法を放った。

『ウォーター・ウィップ!』

 杖に巻き付いた水が鞭となり、槍兵を打ち据えて地面に引きずり倒した。

 しかし、イザベラの稚拙な魔法の威力では平民の兵ひとりを倒すだけで精一杯だ。その後から続く兵にまでは対応が間に合わず、剣を振りかざした兵隊数人がイザベラに迫る。

「その首、もらった!」

「あ、あああぁーっ!」

 迫る白刃にイザベラの喉から悲鳴にならない叫びがあがる。しかし、兵士たちは側面から飛んできた空気の塊にまとめて吹き飛ばされ、黒いドレスをなびかせながらジャネットがふわりと目の前に現れた。

「危なっかしいですわね。お姫さまは弱いんですから、かっこうつけずにおとなしくついてきてくださる?」

「うるさい。それよりも、こいつらはこんなでもガリアの民だ。できるだけ殺すなよ」

「あら、お優しい姫様。でも手加減って優雅じゃありませんから、あまり期待しないでくださいね」

 そう言いながらもジャネットは兵士に致命傷を与えるのを避け、弾き飛ばして失神させる程度に済ませている。舌を巻くような器用さだ。

 一方でジャックやドゥドゥーはそこまで優しくはなく、兵士たちは打撃や斬撃で次々に倒されている。こちらも、目を見張るような魔法の腕前だ。対するガリア軍の兵士やメイジも十分に訓練を受けた凄腕のはずなのに、彼らはたった三人でそれを圧倒している。味方ながら恐ろしい連中だ。イザベラは、彼らひとりひとりがタバサに匹敵する力を持っていると感じると、杖を持つ自分の手を見つめて悔しげにつぶやいた。

「なんでだ……わたしとシャルロットには同じ血が流れてるはず。なのになんで、わたしには同じ力が無いんだ」

 魔法の力は鍛練にも寄るが、その血統にも強く依存する。つまり、王族の自分は生まれながらにして魔法のエリートとしての素質が充分にあるはず。なのになぜ、これほど絶望的にタバサとの差があるんだと悔しさが止まらない。

 わたしに魔法の才が人並みにでもあれば、こんなにシャルロットを憎まなくてもよかった、こんなに世界を憎まなくてもよかった、こんなに自分を憎まなくてもよかった。始祖ブリミル、これがあなたの思し召しだというなら、あまりにひどすぎるじゃないか。

 返ってくるはずのない答えを求めて、イザベラはひたすら死地を走る。

 

 始まってしまった戦いを、上空のミシェルたちは、もう成り行きを見守るしかないというふうに傍観するしかなかった。

「副長……」

「もう、あの狂乱のちまたには神の代理人の声すら届かん。こうなったら、イザベラ姫に期待するしかないが……」

 それが実質不可能であることを、上空からガリア軍の陣形を俯瞰したミシェルはわかっていた。オルレアン公のいる本陣は常にイザベラたちから遠ざかるように動き、その間には無数の兵が常に埋めるように動いている。

 これではいくら元素の兄弟が強くとも、いずれは力尽きて飲み込まれてしまう。元素の兄弟でも、そこまでの突破力を持っているわけではなかった。

「そんな力があるとすれば……」

 だがそれは、あり得ない可能性だ。だが、ミシェルはがむしゃらに走るイザベラの姿に、なぜか心がざわつく何かを感じていた。

 始祖の円鏡は静かに輝き、地上を砂塵を浴びながら走るイザベラを映し続けている。

 

 一方、その絶望的な戦いを、イザベラの父であるジョゼフは冷たい笑みを浮かべながら遠見の魔法を通して眺めていた。

「イザベラ……黙って隠れていれば人並みの生をまっとうすることもできたかもしれぬのに、わざわざ俺の邪魔をしに来るとは愚かなやつめ」

 人の気配の無くなったグラン・トロワの一室に、ジョゼフの嘲りの声が流れた。

 少し前までは宮殿に詰めかけていた群衆の興味はオルレアン公の来訪を待ち望むことへと移り変わり、嘘のように波いっていた外からの罵声は消え失せている。

 それでも、もしものための防備はシェフィールドが張り巡らせていたが、そのシェフィールドは沈痛な面持ちで頭を垂れていた。

「申し訳ありません。シャルロット姫が、まさか元素の兄弟などを味方につけるとは。重ね重ねの失態、本当になんとお詫びすればよいことか」

「よいよい、相手はシャルロットなのだ、すべて計画通りにいくと考えるほうが愚かだ。これくらいのことをしでかしてくれないと、むしろ心配になるというものよ」

「は、しかし、イザベラ様を……始末して構わないなどと、本当に返信してよかったのですか」

 恐縮しながら尋ねたシェフィールドに、ジョゼフはつまらなさそうに答えた。

「なぜだ?」

「……それは」

「前にも言ったかもしれんが、親は無条件に子供を愛するものなどという幻想は、少なくとも俺には当てはまらん。いや、むしろ関心が無いからこそ、シャルロットのように追い詰めずに、やりたいように放置してきたと言ってもいい」

 冷めきった親子関係に、シェフィールドもそれ以上口を挟むことはできなかった。しかし、ジョゼフは肘掛けに面杖を突くと、イザベラの姿を見ながらつぶやいた。

「だが……シャルロットになにを吹き込まれたか知らんが、この俺に牙をむいてくるようになるとは、子供というものは親の思った通りには育たんものだ。この不快な感じが俺に少しでも残っていた親心だというなら、イザベラの首が胴から離れたとき、少しは後悔できるのかだけは興味がある」

 いかに元素の兄弟を味方につけたとしても、しょせんドットの下に過ぎないイザベラが生き残れる確率はゼロに等しい。そしてジョゼフは、自分の邪魔をしに出てきたイザベラを助けようなどとは露も考えてはいなかった。

 

 しかし、そうして戦況を冷たく見守るジョゼフを、もっと冷たい眼差しで見守っている目があった。

 すべての元凶、あのコウモリ姿の宇宙人は、ジョゼフのそんな姿を人知れず観察しながら、満足げに笑っていた。

「いいですねえ、本当に計画通りに熟成が進んでいますねえ。この調子、この調子、計画は完璧に進んでいます。さあて、そろそろあの方々もやってくる頃……これからもっとにぎやかになりますよ」

 なにを企んでいるのか、ジョゼフとも違う良からぬなにかを目的にしながら、宇宙人は時が満ちるのを待ち続けている。

 

 そして、地上に皆の目が集中しているからこそ誰も注目していない空から、恐るべき脅威が間近に迫ってきていた。

 数日前に星系に侵入してきた謎の巨大物体。それは真っ直ぐにハルケギニアの星を目指していた。

 ただ、まだハルケギニアの星の星域に到着するまでには少しの間がある。しかし、そこから三体の影が現れて、ハルケギニアの月に降り立った。

「アノホシカ?」

「アレダ。マチガイナイ」

「ナント、ウツクシイホシダ」

 月面に降り立った三体の影は、青く輝くハルケギニアの星を見上げて感嘆とした声を漏らしていた。

 いったい彼らは何者か? 彼らはしばらく見とれるようにハルケギニアの星を見上げていたが、やがて自分たちの立つ月面の岩石の荒野に、うごめく巨大な生物がいることに気づいた。

 丸っこく、ブヨブヨしたマリモのような生物。地球の月にも生息している月怪獣ぺテロだ。

 しかし、じっとしていれば岩石と見分けがつかないような肌色をしているぺテロは、威嚇するように激しく身をよじらせている。するとなんと、三体の影のうちの一体から青白い光線が放たれてペテロに突き刺さり、一撃で爆死させてしまったのである。

「カトウセイブツメ」

 ペテロが粉砕された後に残った爆炎と粉塵を眺めながら、光線を放った一体は侮蔑するように吐き捨てた。

 だがそれにしても、ウルトラセブンも倒すためにはワイドショットを使ったほどに頑丈なペテロを簡単に爆殺してしまうとは、非常に強力な光線だ。その威力を確かめて、残った二体が口々に言った。

「ナカナカノパワーアップダ。コレダケノチカラガアレバ、モハヤオソレルモノハナイ」

「ソウダ、アノホシニハヤツガイル。コンドコソ、ワレワレコソガタダシイトイウコトヲショウメイシテヤルノダ」

「ワレワレノウケタクツジョク、イマコソハラスベキトキ。ソレニ……フフ、コンドハキリフダモアル」

 不気味に笑い合う三つの影。災厄の終焉はいまだ、その兆しさえも見せてはくれないでいる。

 

 

 続く



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第24話  真祖覚醒

 第24話

 真祖覚醒

 

 原始地底人 キング・ボックル 登場!

 

 

 広大な平原。二十万以上の将兵が埋め尽くし、今や戦場となっているそこを、イザベラは戦塵を浴びながらひた走っていた。

 周りは見渡す限り、敵、敵、敵。元素の兄弟が味方についているとはいえ、これほど絶望的な状況は他にないだろう。

 どうしてこんなことになっちまったんだろうな……イザベラは走りながら、自分が歩んできた道を思い返し始めた。

 

 王族に生まれた自分は、生まれた時から姫だった。だけど、それを自覚し始めたのはいつからだっただろうか……?

 

 いつだったか、平民の間では、お姫様というのは憧れの的だと聞いた。

 その時は、「そうだろう、わたしはお前ら平民とは違う特別な存在なんだ」と、得意になったが、今だったら、「ふざけるな、平民ふぜいが気楽なことを言いやがって」と、怒るだろう。

 確かになんでも飲み食いできるし、好きなように着飾れる。どいつもこいつもかしづいてへりくだる。それがおもしろいかといえばおもしろかった。

 だけど、てめえら平民どもは知らないだろう。お姫様ほど平民どもに値踏みされる立場は無いってことを。

 やれ、清楚に淑女に王女らしくなんやらと、周りの大人が期待するのはそれだけだ。そんなことに応えてやって、わたしになんの得がある? なんのおもしろみがあるっていうんだ? 第一お前ら、そんなもの見て何が嬉しいってんだ?

 そんなくせして、わたしが淑女らしくない態度とやらをとったら、メイドどもさえカーテンの影でコソコソと陰口を叩きやがって。そんな奴らには、身分の違いを体に教え込んでやった。ざまあみろだ。

 だが、それだけなら別になんてことはなかった。わたしの体には、誰にも奪えない始祖の血脈が流れてる。それがある限り、わたしが王女であることは揺るがないからだ。

 我慢ならないのは、とっくに王位継承権から外されている、反逆者オルレアン公シャルルの子、あのシャルロットがいつまで経ってもわたしの前に立ちふさがってきたことだ。

 シャルロットの家系は反逆者として、あいつの母は薬で気を狂わされていた。シャルロットはそんな母の身の安全と引き替えにわたしに服従していたが、あいつは欠片も媚を売ることなく、可愛いげなくいつも毅然としてやがった。

 あいつは頭がよく、魔法の才覚が優れている。逆にわたしには魔法の才能がほとんどない。そんなあいつにムカついて、泣かせてやろうと人形と呼ばせ、不可能同然の無理難題をぶつけてやったが、それでもあいつは屈しなかった。

 わたしのやってきたことはなんだったんだ? 王女ってのは、たかがひとりの小娘も自由にできないほどつまらないもんか?

 しかも、あいつはそんなわたしに情けをかけ、女王になれとまで言ってきやがった。

 どこまで人をコケにすれば気が済むんだ? だが……やってやるよ。お前に馬鹿にされたまま終わるのだけは、死んでも我慢ならない。

 そして……わたしが女王になったら、あいつらは喜んでくれるだろうか……なあ? 

 

 つかの間の自問自答が終わり、イザベラの意識は再び戦場に引き戻された。

『ファイヤー・ボール!』

「!」

 敵のメイジの放ってきた火球の閃光が、イザベラを現実に引き戻した。初級の火の魔法だが、人一人を焼き殺すには十分な大きさの火球が迫り来るのに、イザベラは水の魔法を唱えて迎え撃った。

『ウォーター・ウィップ』

 水の鞭が火球にまとわりついて対消滅させた。炎に対して水が有利なのは自明の理だ。

 だが、戦場に出るほどのメイジがファイヤー・ボール一発しか撃ってこないなんてことはあり得ない。相殺された一発の後ろから、二発目三発目の火球が次々に飛んでくるが、イザベラにはこれを撃ち落とすような余力はない。しかし!

『ウィンド・ブレイク』

 イザベラの傍らから強烈な風の魔法が放たれて、敵の火球を押し返して相手にそのままお返しした。

 その勢いでさらに開かれた道を前にするイザベラのそばに、この戦場にあってまるで戦塵を浴びてないドレスを舞わせながらジャネットが降り立った。

「ダメですわよダメですわよ。お姫様が死んでしまったら、わたしたちの経歴に傷がついてしまいますわ。もうそろそろ、おとなしくわたしたちの後ろに隠れていらしてよ」

「……うるさい、女王に命令すんじゃねえ」

 突っぱねたイザベラだったが、その声は震えていた。それを聞いたジャネットは、生まれたばかりの小鹿を見たようににっこりと微笑み、「それは失敬」と優雅に詫びながら魔法を放って道をさらに開いた。

 こんなとき、シャルロットなら『ウィンディ・アイシクル』で道を切り開くだろうか。いや、『エア・ハンマー』一発で十分かもしれない。あいつの魔法の威力は並のメイジの比ではないのだから。

 畜生、どいつもこいつも化け物め。どうして、わたしの上にはこんなにうじゃうじゃ大勢いやがるんだ!

 シャルロット……お前はわたしに、女王としての素質があると言った。けど、それも力がないんじゃ意味がないんじゃないか? お前もしょせんは、力が無い者のことがわからない、見下す者なんじゃないのか?

 心の中のタバサにイザベラは問いかけるが、幻のタバサが答えを返してくれることはない。

 できることは、ただ前へ前へと進むのみ。答えがあろうとなかろうと、生きて未来を掴める可能性は前にしかない。

 

 だが、いかな刹那的な突撃だとはいえ、彼らの突撃はオルレアン公らにぬぐえない圧力を与えていた。

「まずい、このまま奴らにここまで攻め込まれたら」

 オルレアン公の本陣の周りは手練れのメイジが固めているので、いくら元素の兄弟でも突破は容易ではない。しかしそのはずでも、彼らの勢いはまさかの心配を呼び起こすものであった。

 あいつらを止めなくては。偽オルレアン公の胸に危機感がつのるが、兵隊やメイジでは奴らは止められない。だがそうして焦りはじめたとき、彼の足元から伝わってきた振動が彼にあることを思い出させた。

「そうだ、こいつがいたな……」

 彼は内心でほくそ笑んだ。それは、直接的な戦闘力は低い彼らが正体を明かせないときのために、あのコウモリ姿の宇宙人が護衛につけていたものだった。

 正直、逆に監視をつけられているようで不愉快だったが、今は都合がいい。人間にはわからない方法で地底に潜むそいつに指示が届き、そいつは活動を開始した。

 

 激戦が続く戦場。しかしそこは元素の兄弟の独壇場であったが、異変は前ぶれなく起こった。

 まずは、全体から見て三本の槍のように突進している元素の兄弟の左側で暴れているドゥドゥー。その足元に突然地割れが起こってドゥドゥーは足をとられてしまった。

「うわっ! なんだいこれは?」

 ドゥドゥーは足を取られて転びそうになりながらも、なんとか踏みとどまった。プロの傭兵として、足元には常に気を配っていたつもりだったが、最初は見えない裂け目にでもつまづいたのかと思った。

 しかし、足を抜こうとしたとき、裂け目は生き物のように片足を掴んで離さなかった。彼らの体は特殊な魔法で強化され、たとえ木の根につまづいたとしても木の根を引きちぎることができるほど力があるというのにだ。

「罠か!?」

 ドゥドゥーは咄嗟に看破してキツネ目の下から冷や汗を流した。まずい、そこらのメイジなんかはいくらかかってきても問題じゃない自信はあるが、身動きができないのでは……。

 案の定、ドゥドゥーが立ち止まったのを見て、敵軍はいっせいにドゥドゥーに向けて集中攻撃をかけてきた。

「うわっひょおーいっ!」

 間抜けな叫び声をあげたドゥドゥーに、これでもかという数の魔法や矢玉が飛んでくる。ドゥドゥーの力量ならばすべてさばききることは不可能ではないにしても、ここから動くことは当面できそうになかった。

 そして、反対側の右翼で戦っているジャックも無事でとはいかなかった。初めは、あの馬鹿なにを遊んでいるんだと怒りを覚えたが、すぐにドゥドゥーの様子がのっぴきならないことに気づき、警戒を強くした。

「なんだ? 何が起きている」

 ジャックの戦士としての勘が危険を知らせていた。この戦場のどこかに得体の知れない何かが潜んでいる。そいつがドゥドゥーに何かを。

 どこだ、どこから何が来る?

 全方位に神経を張り巡らせるジャック。彼は戦いを楽しんでも年長であるぶん、ジャネットやドゥドゥーより思慮深い。

 だが、ジャックの洞察力を持ってしても地の底からの攻撃は察知しようがなかった。ジャックの周りの地面が裂け出すと、そこから赤い煙が吹き出し始めたのだ。

「むっ? これはいったい」

 毒ガスか? はたまた未知の魔法か? 身構えるジャックの前で、赤い煙の中からガリア兵が飛び出してきたが、その目が正気を失っていることをジャックは即座に見抜いた。

「ちっ、面倒だな」

 洗脳された兵など一人二人なら敵ではない。しかし軍勢となれば、その死を恐れない濁流を相手にするのは酷となる。彼らも常人をはるかにしのぐとはいえ精神力は有限である以上、雑兵には恐怖を叩き込んで道を譲らせるのが得策であるからだ。

 いくらなんでも兵隊全部を始末する余裕はない。ドゥドゥーとは別の方向で、ジャックも防戦に回らざるを得なくなった。

 

 そして、三本の槍の左右二本が折れてしまったことで、中央の一本であるイザベラとジャネットにも危機が迫っていた。

「お兄様たち、どうしたのかしら。ドゥドゥー兄さまはともかく、ジャック兄さままで様子がおかしいわ」

 ジャネットの位置からでは二人の兄の詳しい様子まではわからないが、闇の仕事で培ってきた危険を察知する感覚が、ジャネットに警報を鳴らしていた。

 何か、普通じゃないなにかがこの戦場に潜んで自分たちを狙っている。一体なにが? ふざけていたジャネットの目が鋭く引き締まり、全方向を警戒する。

 だがそれにしても、自分ひとりならともかくまるきり素人のイザベラがお荷物だ。当のイザベラはといえば、潜んでいる敵の気配などにはまったく気づかずに、ひたすらしゃにむに走り続けている。

「まるで怖い夢の中で必死に逃げる子供ね。こういう泥臭くてスマートじゃないのは好みじゃないんですのに……でも」

 この戦場の中で吹けば飛ぶような非力な少女が必死にがんばっている。ジャネットは、タバサとイザベラの間にあった確執なんて興味はないけれど、タバサほど才能に恵まれた親類が近くにいて、必死になってこの程度の実力しかないイザベラがどんな感情を持ったかは容易に想像できた。

 なのに、イザベラは安全と財産を捨ててまでタバサを助けることを元素の兄弟に依頼し、今はタバサに頼まれるままに夢想に近いガリアの王座を目指すという無茶に命をかけている。

「あきれたお人好しね。それこそ王族らしくないわ。プチ・トロワでふんぞり返っていた頃のほうが王族らしかったのに、なにがあなたをそこまで変えたのかしら? 少し興味が湧いたじゃないの……っ! 危ない!」

 一瞬の殺気を感じ、ジャネットはイザベラのそばに飛びこんだ。

 刹那の間を起き、銃声が響き、ジャネットの腕から鮮血が舞い散った。

「くぅっ!」

「お、お前!」

 撃たれたジャネットを見て、イザベラは悲鳴のように叫んだ。しかしジャネットは流血をドレスに滴らせながらも、イザベラをかばうように傍らに寄り添いながら告げた。

「心配なさらないで、たいした怪我じゃないわ。それより、これはただの弾丸じゃないわ」

 治癒の魔法を使えば銃創なんか軽くふさげる。しかし元素の兄弟の体はそもそも特殊な魔法で強化されており、銃弾なんか当たったところで跳ね返せるような強度を保っているのに貫通された。

 明らかに、なにか特殊な弾丸と銃だ。体を強化している自分だから怪我ですんだが、イザベラが食らえば即死の威力がある。

 ジャネットは戦場の混沌の中から射手を探そうと試みた。だが、相手は人の波、しかも傷を負って、かつ攻め込んでくる兵隊を魔法ではじき返しながらではさすがのジャネットでも集中力が持たない。

「姑息な真似を……くうっ!」

 さらに銃声が響き、ジャネットの体にさらにいくつもの鮮血が飛び散った。

「お前!」

「騒がないで、たいした傷じゃないと言ってるでしょ。そこね!」

 今の一瞬で、ジャネットは弾丸の飛んできた方向を遡って、射手のだいたいの位置を推測した。渾身の魔法を放って、周囲一帯ごと相手を吹き飛ばす。やったかはわからないが、これで無傷だったら化け物だ。

 しかし、ジャネットは苦しそうにしながらその場にひざを突いた。その様子に、イザベラが慌てたように呼び掛ける。

「おい、大丈夫なんじゃないのか?」

「騒がないで。頭を撃ち抜かれでもしない限り、わたしたちは死なないわ。弾が飛んでこなくなったところを見ると、どうやら撃ち手を倒せたようよ。けど、足をやられちゃって、しばらくは動けそうもないわ」

 ジャネットの力なら傷の治癒なんかあっという間だ。しかし、絶えず迫り来る敵を退けながらというほど器用な真似はできない。しかもイザベラをかばいながらでは何分かかるものか。

 しかし、それを聞いたイザベラは、ジャネットに信じられないことを告げてきた。

「わかった。じゃあお前はここで身を守ってな。ここから先はわたしひとりで行くよ」

「は? あなた、気は確かですの! この軍勢の中を、並のメイジ以下のあなたが、生きて進めるわけがないでしょう」

 ジャネットはイザベラがついに『名誉ある死』を選ぼうとしているのかと思った。イザベラの力では平民の兵隊数人程度を相手にするのが限界で、自殺行為以外のなにものでもない。

 だがイザベラはやけを起こした様子はなく、落ち着いて答えた。

「心配するな。わたしだって、死にたいわけじゃない。でもな、わたしは女王なんだ。女王は、いつでも頂点に君臨してなきゃいけないんだ。誰かの背中に隠れてたら、もう女王じゃなくなるんだよ!」

「生きて進める可能性は、ゼロなのよ」

「わたしは、その可能性ゼロの中から何度も帰ってきた可愛げのない奴を一人知ってるよ」

 本気だ、という目をするイザベラに、ジャネットはあきらめたようにため息をついた。そしてイザベラの手を掴むと、短くなにかの呪文を唱えた。

「わかったわ。なら、せめて餞別を持っていきなさい」

「なんだって? これは、なんだ? わたしの体になにかが流れ込んでくる」

「わたしたち元素の兄弟の体を強化している特別な魔法の効果をあなたに移してあげる。普通の人間の体には短い時間しか効かないけど、関節を鹿のように、皮膚を鋼のようにできるわ」

「お前、だけど魔法の効果をわたしに移せばお前は」

「勘違いなさらないで。依頼はどんな手段を使っても完遂するのが元素の兄弟のポリシーなの。これで、ゼロの可能性を1パーセントくらいにはできるわ。それと、わたしの名前はお前ではなくてジャネット。また品の無い呼び方をしたら許さないわよ」

 高飛車な笑みを見せるジャネットに、イザベラも不敵な笑みで持って返した。

「ああ、借りは必ず返してやるよ、ジャネット」

 愉快そうに笑ってイザベラは駆け出していった。それはまるで、夕方に友達に向かって「また明日な」と約束して帰っていく子供のようで、ジャネットはこれまで依頼人はほとんど金づるとしか思ってこなかったが、自嘲したように頬をほころばせた。

「いけないわね。ドゥドゥー兄さまといい、できの悪い子を甘やかしちゃうのはわたしの悪い癖だわ、でも……ほっとけないのよねえ、ああいう子って」

 理屈で考えたら、深く関わってはダメなタイプだとわかる。それでも、なぜか助けてあげたくなる何か不思議なものがイザベラにはあるように感じてならなかった。

 孤立したイザベラと、足の止まったジャネットに向かって兵士たちがいっせいに攻めてくる。しかし、遊ぶのをやめたジャネットは、タバサのそれと遜色のない爆風のような『ウィンド・ブレイク』で軍勢を吹き飛ばした。

「ここから先は、「痛い」じゃすまないと思ってくださいね。さあ、行けるものなら行ってみなさい女王様。あなたが”本物”だというのなら」

 我ながら、らしくない。けれど、自分が感じたこれが錯覚なのかそうでないのか、自分はなぜか無性に知りたいと思っている。

 

 そして、ついに一人となったイザベラは、オルレアン公の逃げたほうに立ちふさがる軍勢へ向けて身一つで突貫していた。

「うぉぉぉぉぉ! どけえぇぇぇ!」

 もはや頼るものもなく、ただ自分の足だけを信じて走っていく。だが彼女とオルレアン公の間にはまだ数千の人の壁があり、その光景はまさに鉄板に卵をぶつけるに等しい。

 隊列を組んで迎える兵士たちも、元素の兄弟に守られていない子供ひとりなどもはや恐れるに足りずと、盾を構えるだけで無警戒に待ち受けている。

『エア・ハンマー!』

 至近距離に迫ったとき、イザベラは魔法を放った。しかし並のメイジ以下のイザベラの魔法では盾を構えた重装兵を吹き飛ばすことはできず、わずかに揺るがせたにとどまった。

 だが、そうなることはわかっていた。イザベラは迷うことなく、揺らいだ重装兵のすきまへと飛び込んだ。

「うわあぁぁーっ!」

 奇声をあげながら隊列に飛び込んできたイザベラを捕まえようと、四方八方から手が延びる。しかしイザベラは兵士の屈強な手で体や髪を掴まれながらも、拳を振り上げてそいつらを殴り飛ばしていった。

「さわんじゃねええーっ」

 兵士たちは顔面や腹を殴られて転がり、イザベラはさらに進んでいく。もちろんさらにイザベラを取り押さえようと兵士たちはかかってくるが、イザベラはそいつらもがむしゃらに殴ったり蹴ったりして、その思わぬ抵抗に兵士たちは混乱した。

「なっ、なんだこの女!」

「まるで野良犬じゃないか。ええい、もう生け捕りはなしだ。やってしまえ」

 予想外の抵抗に驚いた兵士たちは剣を抜き、むき出しの白刃が戦場の狂気に染まった眼差しと共に突き立てられる。しかし。

「邪魔すんじゃねえって言ったろうがぁ!」

 なんとイザベラは振り下ろされてきた剣を腕で受け止めてへし折り、さらに剥き身の剣を素手で掴んで握りつぶした。

 愕然とする兵士の顔面を殴り飛ばし、さらにイザベラは進んでいく。左右からは別の剣や槍が突き立てられてくるが、イザベラの体に当たっても石のように跳ね返されるばかりだ。

「化け物か!?」

 ジャネットから譲られた魔法の効力が発揮されていた。イザベラの腕力を引き上げて、体を鉄のように頑丈にしている。これなら、いけるかも。

「どけえーっ!」

 もはや体裁もなにもない。髪を振り乱して、市中に現れた暴漢のように手当たり次第殴り付けながら進んでいく。

 その誰も予想だにしていなかったばく進劇は空の上からも見え、風石船上ではミシェルたち銃士隊が呆然とそれを見下ろしていた。

「すごい……なんなんだ、あの娘は」

 一騎当千とはよく聞く言葉だが、実際にそんなことができる化け物は数えるほどしかいない。何万という軍隊を相手に素手で飛び込むこと自体が狂気だが、それでいて前に進んでいる。

「これは、もしかしてもしかするのでは」

「がんばれ、がんばれ」

 銃士隊はプロ集団である。このくらいのことで戦況を変えられるほど、戦争というものは甘くないことは承知しているが、もはや手の出しようが無くなってしまった彼女たちは、そうして祈り、応援することしかできなかった。

 ミシェルはアンリエッタから預かった始祖の円鏡を取り出した。あのイザベラという小娘……最初は適当な利用価値があるくらいかと思ったが、あの堂々とした態度や、こうして一歩も引かずに強大な敵に挑んでいく姿を見ているうちに、なにか心の中に熱いものを感じてならない。

 始祖ブリミルの秘宝のひとつ、始祖の円鏡。使い方はわからないけれど、ただミシェルは本物の司祭のように一心に祈った。

「神よ、どうかあの娘をお守りください」

 あえて、始祖ではなく神へと祈るその胸中はいかようなものか。しかし、いざというときに、よくわからないが"あの"ブリミルに頼りたくないという気持ちが湧いた。

 だが、意表をついての快進撃は長くは続かなかった。ガリア軍の指揮官たちも訓練されたプロである。イザベラに剣や槍が効かないとわかると、すぐさま頭を切り替えてきた。

「魔法だ、メイジの部隊を前に出せ!」

 メイジの兵は平民の兵に比べて絶対数は少ないが、その代わり状況に応じて任意の場所に動けるようになっている。指揮官の要請に応じて動きだし、イザベラの前へと瞬時に展開した。

「あれを止めろ! 殺してもかまわん」

 たちまち、エア・カッターやウィンディ・アイシクルの魔法が飛んでくる。人間の手足くらい切断できる魔法の刃や、鉄板をも射抜く氷の矢がイザベラを襲うが、イザベラの魔法には相殺する威力も回避する速さもない。

 一身に魔法が集中し、イザベラは紙のように吹っ飛ばされた。

「くあああっ!」

 地面に叩きつけられ、全身に痛みが走る。ジャネットの魔法がなかったら五体がバラバラにされていただろうが、それでも元々鍛えてなどいないイザベラの手足は耐えがたいほどの苦痛にさらされた。

「い、てぇ……」

 全身が引き裂かれそうだ。それでも、痛みを感じれるだけマシだったといえるだろう。死んだら痛みすら感じなくなるのだから。

 イザベラは、許されるならのたうち回って泣き叫びたいのを我慢して、あえて不敵に笑ってみせた。

「ふ、うふははは……ざまあみろシャルロット。いくらお前でも、ここまでの、苦痛は体験したことないだろう。これで、お前への貸しはチャラだ。あははは」

 体の痛みを無理矢理無視してイザベラは立ち上がった。その、あれだけの魔法を受けてなお立ってくる様に、さしものメイジたちの中からも動揺と戦慄が走る。

「ば、化け物か?」

 生きていられるような攻撃ではなかったのに、なぜだ?

「へ、へ、なにを驚いてやがる。高貴な女王様は、不死身なんだよ」

 強がって見せても、イザベラの足は震えていた。全身の痛みに加え、猛烈なめまいや吐き気が襲ってくる。

 このまま気を失ったらどんなに楽だろうか。だが、それでは、ここまで来た意味がない!

「いくぞ……そこを通してもらうからな」

 イザベラは再び走り出した。いや、その足取りはおぼつかず、どうひいきめに言っても駆け足がせいぜいという速さだ。

 今ならメイジでなくとも、平民の兵でも仕留められる。そう考えた一人の浅はかな平民の兵が、周りが手を出しかねているにも関わらず、剣を振り上げてイザベラの首をとろうと飛びかかろうとした。しかし。

「どけ」

「ひっ!」

 イザベラに眼光鋭く睨み付けられると、その兵士は金縛りにあったように震えて剣を取り落とし、腰を抜かして逃げ出していってしまった。

 そして、イザベラのその眼を見た貴族たちは思い出した。

「あの眼、そうだ。私は王宮で一度だけ見たことがある。あの無能王がしていた、どこまでも冷たくて、得体の知れないなにかが宿っているような、あの眼だ!」

「悪魔だ、やはりあの娘は悪魔の子だ。ええい、なんとしてでも息の根を止めるのだ!」

 恐怖にかられたメイジたちは、遠巻きからではなく、確実に始末しようと向かってきた。

 数十メイルの近距離から、エア・ハンマーやファイヤー・ボールが放たれる。イザベラにはそれを避けるような力はなく、とっさに地面に伏せてやり過ごした。

「熱い……くそっ!」

 背中と髪を炎が焼いて通りすぎていくのがわかった。しかし寝てはいられない。イザベラは近くにあった石を拾って、目についたメイジの顔面に投げつけると、ひざを付きながらなお立ち上がった。

「どけ、わたしは、進むんだ!」

「おのれ往生際の悪い。ならばわしがその首を取ってくれる。『ブレイド!』」

 壮年のメイジが杖を刃に変える魔法を使って、イザベラに挑みかかった。もはやフラフラのイザベラを押し倒し、彼女の細い首をブレイドの魔法で切断しようと杖を振り下ろした。

「覚悟!」

 だがイザベラは杖が首に食い込む前に、メイジの腕をとってギリギリで防いでいた。

「そう簡単に、首をやれるか」

「ちょこざいな、忌まわしい無能王の子め、お前は生きていることそのものが罪なのだ!」

「うるさい、神様気取りかゲスが。いいか、わたしに罪を問う資格があるのは、この世でたった一人なんだよ」

「なっ、なんだこの力は?」

 イザベラは自分の倍くらいの体格で押し倒してきているメイジを押し返していた。それはジャネットの与えた魔法の力、いやそれだけではなく、死んでなるものかというイザベラの火事場のバカ力だったのかもしれない。

「どけって言ってんだよ、このスケベ野郎!」

「のわあっ!?」

 なんとイザベラはメイジの男を巴投げのように放り投げてしまった。

 男はそのまま頭を打って気絶し、イザベラはなおも震えが止まらないひざを杖にしながら立とうとする。

「行くんだ……先へ、この先へ」

 すでに歩くのがやっとで、空色だった髪はすすけ、ドレスは破れ、顔も手足も泥で汚れている。ジャネットの渡した強化魔法の効果も切れかけているのか、傷つかないはずの体のあちこちから血がにじんでいた。

 けれど、幽霊も同然なくらい傷ついていても、イザベラの眼だけは光を失うことなく、オルレアン公のいる先を見つめ続けている。

 一歩、また一歩、亀にも劣る速さになっても己の足でイザベラは進む。だが、そんなイザベラの姿に恐怖を覚えたメイジたちは、さらにイザベラに殺意を向けてきた。

「おのれおのれ、者ども、小娘はもう死に損ないぞ。魔法を放て、これ以上オルレアン公に近づけてはならん」

 オルレアン公の名を聞いたとき、メイジたちの胸に忠誠の火が灯った。正直、あんな死にかけの子供を撃つことにはためらいを覚えている者もいたが、主君を守るためであれば是非もない。

 たちまち、炎や風、土のつぶてが無防備なイザベラに叩きつけられる。そして、ぼろきれのように地面に投げ出された凄惨な姿にはガリアの兵士たちの中にも眼を背ける者も現れ、銃士隊からも悲鳴のように叫びがあがった。

「やめて! もう、やめてあげて」

 イザベラに、すでに戦う力は残っていないのは明白だった。

 元素の兄弟はそれぞれの場所で束縛されて動けず、イザベラを助けに来ることはできない。

 完全に孤立無援なイザベラ。だが、イザベラの息はある意味残酷なことに、まだ絶えてはいなかった。

「もう……痛いっていう感覚も無くなってきたね……こんなになっても、死ぬことも、気を失うこともできないなんて、人間って生き物は、不便にできてるもんだ……」

 目を開け、まだ手足がつながっているのを確かめたイザベラは、力を振り絞って立ち上がろうとし始めた。

 その様子に、ガリア兵からは「ま、まだ立とうというのか」と、動揺が走り、絶好のチャンスだというのに、もうイザベラを襲おうという者は現れなかった。

 しかし、イザベラにはもう自力で体を支える力も無かった。手をついて体を起こそうとしているが、美しかった顔も体も砂ぼこりにまみれ、身体強化の魔法も先ほどの攻撃を耐えたことでほとんど切れてしまっている。

 杖も、さっきの攻撃でどこかへ飛んでいってしまった。もっとも、イザベラにはろくな回復魔法も使えないが、ふとイザベラの目に、すぐそばにさっきの兵士が落としていった剣が転がっているのが見えて、イザベラはそれを杖がわりに立ち上がろうと試みた。

「ぐ、ううぅ、剣ってこんなに重いのかよ。ふざけんな、わたしはスプーンより重いものを持ったことないんだぞ」

 憎まれ口を叩きながら、イザベラは剣を地面に突き立てて、すがりながら立とうと試みた。少し力を込めるだけでもめまいがして吐きそうになる。だがそれでも、立とうとするイザベラの目だけは死んでいない。

「苦しいなあ、そういえば、前にもこんなことがあったなあ」

 つぶやきながら、イザベラは以前に体験した不思議な冒険を思い出した。

 レイビーク星人に縮小して拐われ、ネズミのように小さくなってしまった体で脱出のために悪戦苦闘したこと。そこで出会った風変わりなメイドのアネットと、まるでダメなお坊ちゃんのオリヴァンを交えて、怪獣モンスアーガーと戦わされた。

 あのときもまあ、打ちすえられたり散々痛めつけられた。だが、向こうも等身大に縮小されていたとはいえ、自分たちは勝った。生身の人間で、怪獣に勝ったのだ。

「あいつら、元気にしてるかねえ……」

 オリヴァンの家はガリアの名門を誇っていた。だがジョゼフの統治下で名門を誇れるということは、いわずもがなでジョゼフ派に属することを意味する。自分がプチ・トロワから逃げ出した後で隠れ家を世話してもらったまでは連絡をとっていたが、この争乱の中ではどうなっているか、わからない。

 オルレアン公はジョゼフ派でも断罪しないと発表している。しかし、そんなものが簡単に信じられるとも通るともしないのが世の中の常だ。

「ったく、自分が死にそうだってのに、なんでわたしは他人の心配なんかしてんのかねえ!」

 声を張り上げ力を振り絞って、イザベラは立った。剣を杖に寄りかかりながらの無様な姿ではあるが、それでも立った驚くべき様に、ガリア軍の中からどよめきが流れる。

 だが、立ちはしたものの、イザベラにはもう一歩も歩く力は残されていなかった。

 息を切らせながら、それでも顔を上げて前を向く。すると、草原とメイジの軍勢を挟んだ数百メイル先に、オルレアン公が護衛の兵に守られながらこちらを見ているのが見えた。

「よう、やっと顔を出したな臆病者」

「イザベラ嬢……」

 満身創痍になりながらも、ここまでたどり着いたイザベラに、オルレアン公は驚いたようにつぶやいた。

 いや、本当に驚いていた。生身の人間が何万の軍団を突破し、彼の仕掛けた罠も乗り越えてここまで来た。どんな優れたメイジでも突破できないはずだったのに、どんなトリックを使ったのか、イザベラはここまで来たのだ。

 だが、それもここまでだ。イザベラはもはや剣に寄りかからなくては立てないくらい弱っている。オルレアン公は慈悲深い名君を装いながらイザベラに言った。

「よく、ここまでやってきたね。正直、びっくりしている。さすが君も王家の血筋だ。だけど、もう無理だろう。おとなしく降伏してくれたまえ、誓って悪いようにはしないことを約束しよう」

 それは嘘ではあるまいとイザベラは思った。オルレアン公の名声に比べれば、イザベラなどとるに足りない存在だ。むしろ、ジョゼフの娘が軍門に下ったとなれば宣伝に使える。

 だが、それを飲むわけにはいかなかった。

「冗談じゃない。お断りだね」

「そうか、君はあくまでも名誉ある死を望むというのだね」

「そんなんじゃないよ。いまさらわたしに付け足してマシになる名誉なんて無いことは、わたしが一番よくわかってる。けどな、それでもわたしの中から、王家の血っていうやっかいなものが無くなることはないんだ」

「王家の血脈ならここにもある。私が君の重荷も背負ってあげよう」

「ふっ、あははは……あぁ、やっぱりお前じゃ無理だ」

「なに?」

 笑って否定するイザベラに、オルレアン公は眉をひそめた。そしてイザベラは愉快そうに言う。

「たかが王様一人の背に背負えるほどガリアって国は軽くないよ。むしろ、王様なんかいなくても、国は勝手に動いていく。ちちう……ジョゼフが好き勝手やっても、三年も倒れてないくらいガリアは頑丈さ」

「それでは、王なんていらないと君は言うのかい?」

「そうじゃない。わたしも、ずっと王宮で政を見てきて気づいたことがある。国ってのは、木と同じさ。何もしなくても勝手に枝を伸ばしていくし実もつける。けど、ほっとけばいびつに伸びるし実もまずくなっていく。木を背負うなんて誰にもできやしないけど、伸びた枝を切ったり害虫を取ったりしてやることはできる。そうさ、お前がどんなに優れた奴でも、背負おうなんて考えてたら、いずれガリアって大木はお前を押しつぶすだろうよ」

 そのイザベラの言葉は、幾人かの貴族の心に微震を生んだ。彼ら貴族もそれぞれの家の中では王と言ってもいい。当主として家という国をどう守っていくか、やり方はそれぞれ違うが、家が大きくなるほど当主一人で管理することは難しくなっていくのは誰もが心の中ではわかっている。増して国ともなれば……。

「今のガリアは、わたしの父上のジョゼフ王が管理を放り投げていたせいで、ずいぶん弱ってしまった。それを立て直すには、お前みたいなお優しい王様じゃいけないよ」

「君は、逆らうものは粛清すると言っているのだよ。そんな罪深いことで、さらにガリアの民を苦しめるというのか?」

「何言ってんだ? 言ったはずだよ、枝を切ったり害虫を取ったりするってね。わたしは知ってるんだよ。どの貴族がどんな悪事を働いたのかも、そんな中でも割りを食いながら真面目に貴族の責務を果たしてたのが誰かってのも。それをあるべきように処して、なにが悪いというんだ? それともお前は、みんな許して平等に役職を与えようってのかい?」

 それは極論だったが正鵠を突いてもいた。ジョゼフの治世で悪事を働いていた者をどうするのか? おとがめなしにしたら、それこそ不満が爆発するだろう。

「わたしにはできる。必要なら、腐った枝を切り落とすことができる。なにせ、わたしは北花壇騎士団の団長をやっていたんだからね」

「北花壇騎士団! ガリアの汚れ仕事を請け負うという影の騎士団か。だが、君こそそんな非情さだけで王をやれるとでも思っているのかい?」

「今さらわたしに慈悲深い女王の化粧なんて似合わないさ。けど、わたしにだってガリアは生まれ故郷だ。それに……こんなわたしでも、そう……と、トモダチになってくれる奴はいたんだ。そいつらが安心して住める国にする力がわたしにあるなら、誰にも譲るわけにはいかないね! さあ、王座が欲しいなら来いよクソ野郎。わたしは、逃げも隠れもしない!」

 そう叫び、イザベラは剣を構えようとした。しかし剣先は重くて浮いてさえいない。

 だが、イザベラのその目。ジョゼフ譲りの冷たい中に揺るがぬ決意を秘めた目だけは輝き続けている。

 もうこれ以上、イザベラひとりのために時間をロスすることは許されない。オルレアン公はイザベラを排除するために、臣下の騎士に命じた。

「そうか、ではいたしかたない。君の名前はガリアの歴史に私が刻むことにしよう。さらばだ」

 騎士数人が杖を振り上げ、直径十メイルにも及ぶ巨大な火の玉が生み出された。

『フレイム・ボール』

 トライアングルクラスのメイジ数人によって生み出された太陽のような火球は、そこに触れるすべてのものを焼き尽くすであろう。

 オルレアン公に忠誠を誓ったメイジたちは、ためらうことなくイザベラに向かって杖を振り下ろした。そして火球は燃え盛りながらゆっくりと動きだし、イザベラに向かって一直線に進みだしたのである。

 イザベラには当然、避ける力なんてない。だが、イザベラは目の前に確実に迫ってくる死を、異様に落ち着いた心で眺めていた。

「ちくしょう……やっぱり、わたしはシャルロットのようにはなれないのか……」

 恐怖よりも悔しさが心に湧いてくる。シャルロットなら、きっとこんな危機も自分の力でなんとかしたんだろう。

 これまでだってそうだった。自分がどんなに無理難題な任務を与えても、シャルロットは涼しい顔で片づけてきた。

 自分には逆立ちしても手に入らない強大な力。それを持つあいつのことが、悔しくて、憎らしくて、うらやましかった。

 だけど、そんなふうにうらやんだところで、無意味だということもわかっていた。だから、シャルロットからの女王になれという依頼を受けた。あいつと同じ条件で成功させれば、あいつのようになれると思った……けれど。

「そんな都合のいい奇跡は起こるわけないね。ああそっか、やっとわかったよシャルロット……わたしはバカだ。いろいろ言っても、わたしはただ……寂しかった、だけなんだ」

 火炎が目の前に迫り、イザベラは静かに目をつぶった。

「ずるいよ、始祖ブリミル。こんな簡単なことを今ごろ気づかせてくれるなんてさ。ごめんな、シャルロット……」

 全部終わる。これでもう、全部闇に帰る……。

 だがその瞬間、イザベラの耳に懐かしく陽気な声が響いた。

 

 

〔ようやく、自分の気持ちに素直になれたみたいね〕

 

 

 はっとして目を開く。すると、イザベラの目に見える景色は一変していた。

「えっ?」

 眼前にあったはずの大火球は無くなっていた。そればかりか、体にはどこも焼けた痕はなく、心臓もまだちゃんと動いている。なぜ? どうしてわたしは生きてるんだ?

 わけもわからず周りをキョロキョロと見回すイザベラ。見ると、自分を遠巻きにしていた軍勢はそのままいたが、それらの兵士たちも唖然とした表情をしている。

 オルレアン公たちは? まさかあいつらが何かやったのかと思ったイザベラが正面を見返すと、オルレアン公や側近の騎士たちも変わらずにそこにいた。しかし、そいつらもまた唖然とした表情を見せていて、騎士たちの一人が放った言葉がイザベラの耳朶にさらなる衝撃を与えた。

「あ、あれだけの火球を”切る”なんて、貴様いったいなにをしたんだ?」

 切った? 私が? あの火球を?

 身に覚えがないことに、イザベラは混乱した。だが足元を見てみると、草が自分の立っている場所から後ろに向かってV字状に焼け焦げているのがわかった。まるで、火球が真っ二つになって後ろに飛んでいったかのようだ。

 そして”切った”って、何で? とイザベラが手を見ると、寄りかかっていた剣が左手に握られていた。しかし、この剣は重くて持ち上げることもできなかったというのに、今は羽根のように軽々と片手で持てている。

 すると、なんとイザベラの左手の甲が突然まばゆい金色の輝きを放ち出したではないか。

「うわぁっ、なんだ? なんなんだよ!」

 訳のわからないことへの恐怖に、イザベラは悲鳴のように叫んだ。

 イザベラの左手は、困惑する本人の意思を無視して強烈な輝きを放っている。その輝きにガリア軍も圧倒され、上空のミシェルたちも何事かと動揺していたが、一人の銃士隊員がミシェルの持つ始祖の円鏡を指差して叫んだ。

「ふ、副長、鏡が!」

「なっ、これは!?」

 なんと、始祖の円鏡がイザベラの左手と同じ輝きを放っていた。そして始祖の円鏡から地上のイザベラに向かって一筋の光束が差し、イザベラの耳に先ほど聞いた優しく力強い女性の声が響いてきた。

 

〔ブリミルなんかに祈る必要なんか無いよ。あんたには、もっとすごい力があるんだからね〕

 

 誰? 誰なんだ!

 戸惑うイザベラは、声の主を探した。聞いたことのない若い女性の声。だけど、自分はこの声をどこかで知っている気がする。

 だが、その答えが出るのをガリア軍は待ってくれなかった。先ほどの騎士たちが再度杖を振り上げ、震えた声で叫ぶ。

「おのれあやかしめ! ならば今度こそ、跡形も残さず消してくれるわぁ!」

 さらに巨大で強力な魔力を込めた火球が生み出されてイザベラに向かった。今度はさらに数人のメイジも加わり、スクウェアクラスをはるかに超えた、ガリア精鋭騎士団にふさわしい大魔法となっている。

 けれど、そんな大魔法を間近に見ても、なぜか今度はイザベラに恐怖心は微塵もなかった。そればかりか、心と体にふつふつと力が湧いて、それを解き放つかのように、あの声がイザベラに指示した。

〔さあ、構えて。心配することはないわ。あなたはもう、その使い方を知っているはずだから!〕

 そして、まるで”知っている”かのようにイザベラは頭上に剣を掲げた。さらに、イザベラの左手の甲の光が収束し、イザベラの左手に輝く古代文字のルーンが浮かび上がる。その形を見たミシェルは、弾かれたように叫んだ。

「あの文字は! 以前サイトの手にあったものと同じ」

 その瞬間、イザベラはかっと目を見開き、雄々しい叫びとともに一直線に剣を振り下ろした。

「だぁぁーーーっ!」

 超音速の剣擊は衝撃波と真空波を生み、太陽のような巨大火球を真っ二つに切り裂いた。

 火球はコントロールを失い、二つに割れて草原を燃やしながら消えていく。その炎の中から無事な姿を見せるイザベラにオルレアン公たちは愕然とし、上空の船ではルクシャナに連れられて密航していたファーティマが、見惚れたようにつぶやいていた。

「聖者、アヌビス……」

 そう、それは伝説の再来。そしてその名はもうひとつ。イザベラは自らの傍らに幻のように立つ、金髪をなびかせたエルフの少女を見た。

〔うん、まずは合格点。さすが私の子孫〕

「お前は……そうか、あなただったんだね。ようやく分かったよ。わたしの、王族の中に流れているのは始祖ブリミルの血だけじゃない。あなたの血もあるんだって! なあ、ご先祖様!」

〔そうよ。それが私の血の力、あなたの本当の力! あなたの守りたいものを守るための、最強の盾の力。ガンダールヴよ!〕

 その瞬間、イザベラの中に熱く燃える炎が生まれた。ガンダールヴ、かつて始祖ブリミルに仕えた四人の使い魔の一人の名前。あらゆる武器を操り、千の兵にも匹敵したという。

 そして、原初のガンダールヴであるエルフの少女サーシャ。その力がブリミルの虚無の魔法と同じように血脈を通して受け継がれ、今ここにイザベラを通して顕現したのだ。

「さあ、いくよ!」

 剣を手に、イザベラは地を蹴った。

 受けた傷の痛みはまったくない。それどころか、鉄の剣にまるで重みを感じず、体が信じられないくらい軽い!

 もちろんそれを見て、あれを止めろと四方八方から兵が攻め立ててきた。けれど、イザベラは恐れはまるで感じず、人の壁に真正面から斬り込んでいった。

「遅い、遅すぎるよ!」

 まるで兵士の動きが止まっているかのように見えた。イザベラは大きく踏み込んで、一閃で三人の兵士を切り倒し、そのまま後方へと駆け抜ける。その動きは、やっと包囲網を抜けてきたドゥドゥーでさえもかろうじて目で追うのがやっとだったほどだ。

「信じられない。あれは、ぼくよりも速い!」

 人間のスピードをはるかに超えている。いや、ただ速いだけなら手練れならば対応もできるであろうが、同じように包囲網を抜けて、遠目ながらそれを見たジャックも驚嘆のうめきを漏らしていた。

「なんという剣技だ。あの身のこなし、数十年剣を振り続けたメイジ殺しでもああはいかんぞ」

 イザベラは、技量でも兵士たちを圧倒していた。

 剣や槍の腕に覚えのある歴戦の兵士の反撃を余裕を持ってかわし、まったく無駄のない動きで相手の防御のすきまに斬り込んでいく。

 まるで、戦場の渦中にあって舞っているようだ。一足の跳躍で五メイルは跳び、瞬き一回する間に三回は剣を振るっていく。

「いやぁぁぁっ!」

 イザベラの剣が重装兵の盾を切り裂き、次いで歩兵隊長の槍を弾き飛ばした。

 接近戦では勝ち目がないと悟った兵士たちは、マスケット銃を持った狙撃兵小隊を前に出してきた。

「狙えーっ! 撃てーっ!」

 火薬が弾け、数十の鉛玉がイザベラをめがけて飛んでくる。

 けれど、イザベラは笑っていた。

「遅いねえ……まるで指でつまめそうだよ」

 銃弾のスピードさえ、今のイザベラは問題にしていなかった。軽々と飛び越え、弾込めに手間取っている狙撃兵たちの頭上を意にも介さずに飛び越える。

 まさに圧倒的。だが、ジャネットはその光景を追いかけながら見守っていたが、速さだけではこの先は通じないと焦りを覚えていた。

「いけないわ。平民の兵だけなら速さでなんとかできても、メイジには通用しないのよ」

 その通り、なぜメイジが平民に比べてはるかに数が少ないのに絶対者として君臨できるのか。それはメイジの魔法がまさに神の御術なほどの力を持っているからなのだ。

 イザベラの行く手をさえぎってメイジの一隊が陣を組む。そして揃えられた杖先から、白色の電光がほとばしった。

『ライトニング・クラウド!』

 大威力の雷撃魔法。しかも十数人による一斉攻撃は地上に雷雲が落ちてきたかのような電光を撒き散らし、平民の兵ならば数千を一瞬で黒こげにするだろう。

 その光景に、イザベラはぞっとして足を止めかけた。けれど、サーシャの幻影は力強くイザベラに呼びかける。

〔恐れることはないわ。あなたは、どんな魔法への対処もすでに知っているんだからね!〕

 そう、この魔法も元々はブリミルが作ったもの。その使い魔であるサーシャの血の中に隠された記憶には、そのすべての対処法が記されている。

 イザベラは剣を掲げ、精神を剣に集中させた。

「魔力の流れを剣とひとつに……人の作るものはすべて、自然と精霊の中にあるだけのものだから」

 構えるイザベラに電光の嵐が直撃した。

 メイジたちはその光景に、「やったか?」と、勝利を喜んだが、次の瞬間彼らが見たのは、電光の嵐の中で悠然と立つイザベラの勇姿だった。

「ば、バカな! なぜ電撃が効かない!」

 メイジたちは驚愕する。しかしこれは、ブリミルの魔法を生涯かけて知り尽くしたサーシャにとっては当然の理屈だった。

〔魔力を空間と同調させて、抵抗を無にすれば電撃の魔力はただ通りすぎていくだけになるわ。そして逆にほんの少しの魔力でも、行き先を無くした電撃に道を作ってやればどうなるか? さあ、やっちゃいなさい〕

「えええーいっ!」

 イザベラは言われた通り、自分の乏しい魔力の中からさらにわずかな力を込めてメイジたちに向かって剣を振り抜いた。すると、イザベラの周囲に帯電していた電撃は、風船に針を刺したときのように出口に向かって一気に吹き出し、メイジたちを一瞬で飲み込んだのである。

「で、電撃を跳ね返し、ぎゃああぁーっ!」

 散弾のように広範囲に飛び散った電撃は周囲の平民の兵を飲み込みながら、まとめて全員を失神させた。

 それらの様子を上空から見ていたミシェルや銃士隊たちは、あまりの驚愕で呼吸することさえ忘れかけていた。元素の兄弟もすごかったが、今のイザベラはそれよりすごい。

「あのルーンは確かに以前のサイトのものと同じ……だが、あの強さはサイトをはるかに超えている!」

 同じガンダールヴのはずなのに、この差は一体? 

 また、強大すぎる力に驚いているのはイザベラも同じだった。どうしてここまでの力が自分にと信じられないイザベラに、サーシャの幻影は楽しそうに説明した。

〔本来なら、ガンダールヴはその時代の虚無の担い手の作り出す一人しか存在しないわ。けど、そのガンダールヴはあらゆる武器を操る力は与えられるけど、戦闘経験なんかはゼロから始めるまっさらの赤ちゃんなの。でも、血筋を通じて目覚めたあなたは、私が生涯かけて培ってきた全ての技量と知識を使えるのよ〕

「つまり、これがご先祖様の本物の……真祖……真祖ガンダールヴの力」

〔真祖ね、なかなかかっこいい呼び方してくれるじゃないの。けどね、あなたは特別なの。本来なら、私たちの子孫にはほとんどブリミルの要素だけが表れるの。ゆーせーいでんってやつらしいけど、何十代かに一度のごく希に、私の因子を色濃く受け継いだ子が生まれるの。それがあなたよ〕

「先祖帰り、というあれか」

〔そう、あなたが魔法をうまく使えなかったのも、私の因子が強かったから。あなたは才能が無かったんじゃなくて、むしろ逆。何百人という私の子孫の中でたった一人の、選ばれた人間だったのよ〕

「わたしが、選ばれた者……」

 イザベラは目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。そうか、自分は劣等生なんかじゃない。シャルロットと同じかそれ以上の才能を持って生まれていた……あいつを羨む必要なんて、最初から無かったんだ。

「ずるいよご先祖様、こんなすごい力があるのに、なんで今まで使わせてくれなかったんだ?」

 コンプレックスに押しつぶされそうな人生を送ってきたイザベラは、涙で詰まった声でサーシャに問いかけた。するとサーシャの幻影は優しく微笑み、イザベラの頭をなでるようにしながら答えた。

〔それはね、今までのあなただったら、この力をきっと間違ったことに使ってしまったから。だから私は待っていたの。あなたが自分の心の闇に負けないだけの強い心を持てるようになるまで。本当の勇気と愛と優しさを持った、一人前の人間になれるときまで。だから、この力は正真正銘あなたのものよ。真祖ガンダールヴの力、あなたの好きなように使いなさい〕

「ふん、勝手なこと言いやがって。誰が思い通りになんかなってやるもんか。わたしはわたしだ。意地悪で卑怯で、バカで臆病で……だけど、シャルロットやトモダチが大好きなだけの、ただのイザベラだぁーっ!」

 体が軽い、それ以上に心が軽い。長い間、自分の心を苦しめてきた嫉妬や憎悪がきれいさっぱり消え、世界が目がくらむくらい明るく輝いて見える。

 心を縛っていた鎖は千切られ、自由な心とともにイザベラは駆ける。

 それを見届けたサーシャの幻影は、愛すべき自分の子孫に向かって優しく笑いながら消えていった。

〔がんばりなさい、私の遠い遠い娘。私はいつだって、あなたを見守っているわ〕

「ふん……ありがとう……わたしの、遠い遠いお母さま」

 真祖の力を得たイザベラの進撃は止まらない。

 歩兵も、銃兵も、メイジの防衛線も突破してイザベラは青い髪をなびかせながらオルレアン公の陣に迫る。

 もはや距離はわずか。オルレアン公の周りの兵士たちは、来させてなるかと数千の弓兵から一斉に矢の雨をイザベラに降らせる。

「これならどうだ!」

 空を埋め尽くすほどの矢の雨。逃げ場はどこにもない。

 しかし、イザベラは無言のままで剣を構えると、降り注いでくる矢へ向かって目にも止まらぬ速さで剣を振るった。次々と矢が剣に当たってはじかれ……いや、それだけではないことを兵士たちは気づいて愕然とした。

「なっ、はじいた矢でさらに別の矢を撃ち落としているだとぉーっ!?」

 いったいどんな神業を使えばそんな真似が可能だというのか? だが実際にそれは起きている。

 数千の矢はついにイザベラにかすり傷一つなく打ち払われ、ついにイザベラとオルレアン公を遮るものは数十メイルの空間のみとなった。

 イザベラは鋭い目でオルレアン公を睨み、一直線に駆ける。

 だが、オルレアン公にはまだ最後の切り札が残されていた。

「うっ!? なんだ?」

 突然、イザベラの周囲の草原から赤い蒸気が吹き出し始めた。

 これは、さっきジャックが足止めされたときのものと同じ! 危険を察知したイザベラは足を止め、周囲を警戒した。

「どこから、なにが来る?」

 赤い蒸気は完全にイザベラの周りに立ち込め、もう外側からイザベラは見えなくなっているだろう。

 もちろんイザベラのほうから外も見えない。蒸気を振り払って強行突破してもいいが、そういえばジャックの場合以外にも元素の兄弟を妨害した奴がまだいるはず。敵に策を残したままでオルレアン公に肉薄するのも危険だ。

 剣を握って身構えるイザベラ。もし誰かが襲ってくれば、背中から銃撃されても跳ね返せる構えだ。

 だが、攻撃は予想外の形で始まった。突然、イザベラの耳に頭が割れそうなほどの不協和音が響いてきたのだ。

「うわああぁっ、なんだこの音。頭がぁっ!」

 まるで頭を鐘の中に入れられたようだ。強烈な頭痛に立っていることもできなくなり、耳を押さえるためにうっかり剣を取り落としてしまった。

 すると、それを待っていたとばかりにイザベラの足元の地面が崩れた。足元に大穴が開き、ズブズブと足から地面に引きずり込まれていく。

「し、しまった!」

 ガンダールヴの力は武器を持たねば発動できない。並の人間の体力に戻ってしまったイザベラの周りの地面はどんどん沈んでいき、このままでは生き埋めにされてしまう。

「ちくしょう、誰のしわざだ。出てきやがれ!」

 すると、イザベラの前に何もないところから、顔のない奇妙な人型の怪物が現れたのだ。

「な、なんだこいつ!?」

 イザベラは戦慄した。そいつは人間なら顔のあるところに白い半球状のパーツがついたのっぺらぼうで、頭の上には二本のアンテナがくるくると回転している。

 こんな亜人、聞いたこともない。まさかレイビーク星人のような宇宙人かとイザベラは思ったが、それは当たらずとも遠からずだった。

 正式には、地底人キング・ボックル。地下三十キロに住む高等生命体で、地震や地割れを起こしたり、赤色ガスや人間を催眠状態にする超音波を放つこともできる。

 さらに相当に知能が高く、かつて地球に出現したキング・ボックルは車の運転をしたり、銃弾を偽造したりといった技術力も見せている。人間とコミュニケーションをとろうとこそしないが、人間以上の生命体だと言って過言ではない。

 今回の個体は、すべての計画が完了したら地上の一部割譲を条件に、あのコウモリ姿の宇宙人からオルレアン公の護衛を請け負ったのだった。

 キング・ボックルは等身大のままで、沈み行くイザベラを見下ろしている。イザベラはすでに腰まで地面に埋まり、このままでは脱出は不可能だ。

「くそっ、剣さえあれば」

 手を伸ばしても剣には届かない。武器が無ければガンダールヴがいくらすごくても何の意味もないのだ。

 だがイザベラはあきらめてはいなかった。こんなときタバサなら、シャルロットならどうやって切り抜ける? 

 イザベラはキング・ボックルを観察した。頑丈そうな体には半端な攻撃は効きそうもない。しかし、あの頭の上でくるくると回転しているアンテナのような触覚ならなんとかなりそうだ。イザベラはさっき打ち落として周りに散らばっていた矢の一本を手に取った。手の届く範囲にあるのはその一本だけ、イザベラは左手にガンダールヴの力を込めると、渾身の思いで投げつけた。

「いっけぇぇぇ!」

 投げられた矢は弓で撃つより速くキング・ボックルの触角をかすめた。

 外した? イザベラは失敗したかと思ったが、その効果は思った以上に高かった。触角をかすめられたキング・ボックルは大きくうめき声をあげて苦しみだしたのだ。

 なんだ? ちょっとかすっただけなのに、あんなに効いてるなんて?

 イザベラはいぶかしんだが、キング・ボックルは地底深くに住んでいる地底人。そこには光は無く、キング・ボックルは目がほとんど見えないほど退化している代わりに、コウモリのように音で周囲を探って行動している。あの触角はその送受信のためのアンテナで、キング・ボックルにとってアンテナを傷つけられるというのは人間が目に指を入れられたようなものだ。

 キング・ボックルは怒りの唸り声をあげながらイザベラに向かってきた。自然に埋まるのを待たずに押しつぶしてしまうつもりなのだ。

 だが、それがイザベラにとって好都合だった。ガンダールヴの力は発揮できなくても、掴みかかってきたキング・ボックルの腕を取って体を起こし、奴の触角へ思い切り噛みついたのだ。

「んがーっ!」

 もはや気品も体裁もない野蛮さだが、イザベラに今さら格好を取り繕おうとする気はなかった。

 大事な触角に噛みつかれたキング・ボックルはイザベラに組みつかれたまま狂ったように暴れた。その勢いで埋まりかけていたイザベラは地上に飛び出て、振り落とされたイザベラはすかさず落ちていた剣を拾ってキング・ボックルに立ち向かった。

「でやあぁぁっ!」

 ガンダールヴのルーンが輝き、動転したままのキング・ボックルに斬りかかる。

「くらえぇっ!」

 急所へのさらなる一撃。下からの斬擊は見事にキング・ボックルの片方の触覚を切り落とした。

 だが、感覚をつかさどる触覚を失ったキング・ボックルは苦痛のあまりに逆上した。影からオルレアン公を護衛しろという命令も忘れて、本来の50メートルの巨体に戻ってイザベラを踏み潰そうと巨大化しはじめる。

 それに対し、イザベラは剣を正眼に構えて、真っ直ぐにキング・ボックルを見据えた。

「恐れるな……恐れないことが、前に道を作り出す」

 太古のハルケギニアで数多くの怪獣とも戦ったサーシャの遺伝子が呼びかけてくる。

 相手が巨大化するというなら対処法は一つ。そのためには、恐れず飛び込んで一刀を放つのみ!

「はあぁっ!」

 気合いとともに、イザベラは巨大化中のキング・ボックルへと跳躍した。恐れることはない、自分を信じてこの一太刀に懸けるのみ。

 一閃、振り下ろした剣に手ごたえあり!

 次の瞬間、キング・ボックルの頭から股下にかけて裂け目ができ、キング・ボックルは7メートルばかりに大きくなった勢いのまま真っ二つに裂けて崩れ去った。

「……ふん」

 そのころ、赤いガスの外側では、中に入ったままのイザベラがどうなったのか、兵士たちが遠巻きにしながら憶測を飛ばしあっていた。

 いったい何が起こったのか、多くの兵士たちは知るよしもない。けれど、オルレアン公は落ち着いていた。いくら強くなったとしても、今ごろはキング・ボックルによって生き埋めにされて窒息死していることだろう。あとは、適当なことを言って兵士たちをまとめ、進軍を再開すればいい。

 だが、それはかなわぬ夢だった。たちこめる赤いガスが剣圧で吹き飛ばされ、晴れたガスの中から無事な姿のイザベラが現れると、今度こそオルレアン公の顔に、どうあがいてもどうしようもないものを見てしまったことへの恐怖が浮かんだのである。

「あ、あああぁ……」

 なんの命令も出すことのできないオルレアン公にイザベラは走りよった。もはや、イザベラの前を遮るものはなにひとつない。

 腰が抜けてへたりこんでしまったオルレアン公に、イザベラはその正面に立って剣先を突きつけた。

「よっ、長いピクニックだったけど、ここが山頂だね叔父様」

「あ、ああ」

 オルレアン公は冗談めかしたイザベラのあいさつに答えることもできなかった。本性が人ならぬものだとはいえ、それほどイザベラの見せた戦いっぷりは常識を越えていたのである。

 貴族も兵士も、体が石のように固まって動くことができないでいる。割り込んだところで、今のイザベラに勝てないことを本能的に嫌というほど思い知らされてしまったのだ。

「さて、ゴールまでついたご褒美だ。ガリアの王冠は、わたしがいただくよ。文句はないね」

「そ、それは」

 認めるわけにはいかなかった。裏切れば、自分たちは奴に始末される。

 こうなれば、自分がオルレアン公ではないことがバレてしまっても、正体を表してイザベラを倒すしかないか。オルレアン公に化けた者とその仲間たちは、破れかぶれの最後の手段に打って出ようとした。

 だが、そんなオルレアン公に、イザベラは静かに言った。

「お前は、それでいいのか?」

「な?」

 何を言っている? 戸惑うオルレアン公に、イザベラは翠に透き通った瞳を向けて問いかけてきた。

「お前たちが何のためにこんなことをやっているのか、わたしは知らない。けど、なにもかもうまくいったとして、お前たちの望むものをあれは与えてくれると思うのかい?」

「ぐっ、それは」

 明言はしていないが、あれとはジョゼフを指しているのに間違いなかった。ジョゼフは欲すればなんでも与えてくれるが、それはすべてに興味がないからだ。

 なんでもくれるが、同時に放り投げられて壊される。イザベラはジョゼフの適当な恩賞で逆に破滅した貴族を何人も知っていた。

「お前たちもバカじゃないんだろ。なんでわかって従ってる? ……首を取り返すためか?」

「そ、そうだ」

 隠語にしているが、命を握られているのかという問いにオルレアン公は答えた。見抜かれたなら、もう隠す意味もない。

 しかし、なぜそんなことを聞く? するとイザベラは剣を傍らの地面に突き立てると、手をさしのべながらこう告げたのだ。

「なら、わたしといっしょに来い。お前たちの知識と力は、わたしの役に立つ」

「な、なに!? 正気で言っているのか!」

 オルレアン公は信じられなかった。この星の人間は愚かだと思ってはいたが、この状況でこれを言い出すか?

 けれど、イザベラは表情を崩さずに、強い口調で述べた。

「本当に大事なものは、立ち向かわないと絶対に手に入らないよ。犬に与えられるのは地面に落ちたエサと次の仕事だけさ。このまま犬として生きて永遠の灰色を見続けるか、それとも、あるかもわからないけど虹を見るために飛び出すか、今ここで選びな」

「愚かな。我々にはすでにそのための計画が……」

「見抜かれてないとでも思うかよ? 鎖に繋がれた犬がどう暴れるかなんて、飼い主はお見通しだよ。よっぽど馬鹿な飼い主ならともかく、お前らの主はそんな馬鹿なのか?」

 かつては、そのよっぽど馬鹿な飼い主だったイザベラの言葉に、オルレアン公は押し黙った。確かに彼らもジョゼフやあのコウモリ姿の宇宙人への謀反は考えていたが、冷静に考えればそんな企みは最初から計算の内としか思えない。

「わたしはあっちの計画にとってイレギュラーだ。あっちの計算を覆せるならそれしかない。それでお前たちがあらためてわたしの敵になるなら相手になってやる。だけど、お前たちももうさんざん見てきただろう? これ以上、誰が支配者なんて終わりのない戦いを続けて何になる? だが、お前たちもこの茶番を終わらせたいというなら、わたしも力を貸してやる。この国の、女王の名において」

「……」

 オルレアン公は、いや、オルレアン公に化けている者は、確かにこの瞬間、目の前の年端も行かない小娘に圧倒された。

 器が違う……自分の心が折れる音をオルレアン公は聞いた気がした。周りでは、彼の身を案ずる貴族や兵士たちが見守っている。今の会話のほとんどは彼らには聞こえていないはずだが、オルレアン公はイザベラの手に手を返しながら、すべての人に聞こえるように言った。

「私の負けだ。ガリアの新女王は、君だ」

 その瞬間、ガリア軍の中から動揺とともに巨大な歓声があがった。彼らは詳細はわからないが、イザベラがオルレアン公に温情をかけ、オルレアン公もそれを受け入れたということはわかった。

 今日起こったことは、兵士たちからすればわからないことだらけである。しかしオルレアン公は無事で、イザベラが見せた奇跡や、女王として語った確かなビジョンは民の心を捉えていた。

 イザベラはオルレアン公の手をとって立たせ、杖の代わりに高々と剣を掲げた。それを合図にしてガリア軍から歓声が巻き起こり、これをチャンスにミシェルは再び神官になりきって高らかに宣言した。

「見よ! 今ここに始祖ブリミルはガリア王国の後継者を決められた。新女王イザベラ殿、万歳!」

 たちまち万歳の声が唱和され、広大な草原を満ち満ちさせた。

 始祖の円鏡は再び古ぼけたただの鏡に戻り、鈍い光を放っている。しかし、始祖はいつでも自分たちを見守ってくれているんだと、銃士隊は感謝を込めながら虚空へ向けて祈った。

 そんな歓喜の光景を、元素の兄弟は一歩引きながら、しかし笑みを浮かべて眺めていた。

「これはまた、俺たちはとんだ掘り出し物ところか大変な金鉱脈を堀当ててしまったらしい。クルデンホルフのスポンサーと合わせれば、ダミアン兄さんもきっと喜ぶぞ」

「すごいなあアレ。うーん、斬ってみたいねェ」

「はああああ……素敵。こんなに胸がドキドキする子に会ったの、初めてだわ。ううん、こんなに次々に可愛い子たちに会えるなんて、今年はなんて豊作なのかしら」

 それぞれの思惑は違う。けれど形は違っても、イザベラに着き続けたら面白そうだと感じたのは同じだった。

 そしてイザベラは、自分に向かって歓呼の声を送る群衆を見つめながら、静かに思いにふけっていた。

「これでよかったんだよな。シャルロット……」

 蔑まれる一方だった自分が、これほどの歓呼の声を浴びている。そのために、元素の兄弟やご先祖様のくれたガンダールヴの力があったことは間違いない。自分は自分らしく、我を通しただけだ。

 けれど、それだけではあのときジャネットもあそこまでして助けてはくれなかったろう。今のこの声も、単に勝者に媚びているだけと思うほど彼女はひねくれてはいなかった。

 なにより、ご先祖様は言ってくれた。今の自分はガンダールヴの力を正しいことに使える人間になれたから、力が目覚めたんだと。

「少しわかった気がするよ。これがお前の言っていた、わたしだけの力なんだろ? なら、やれるだけやってみるさ」

 戦うための力よりも、もっと大事な『王』としての力の意味をイザベラは知りつつあった。その表情は、彼女の空色の髪と同じように、呪縛から解き放たれて優しく穏やかに輝いていた。

 

 

 だが、光の中へとイザベラが歩みだそうとしている中で、ジョゼフは自ら闇の中にあって、さらに深い闇に進もうとしていた。

「ふははは、イザベラめやりおるわ。はははは、わははははは!」

 王座の間にジョゼフの哄笑が響き渡る。その傍らではシェフィールドが蒼白となって、ジョゼフに震えながら進言した。

「ジョゼフ様、ま、まさかイザベラ様にこのような力が眠っていたとは。これでは、計画に重大な支障が」

「ふはは、なあミューズよ。俺は今日の今日まであいつを見下していた。俺の悪いところばかりを受け継いだ、俺のできの悪い複製品だとな。前のレイビークのことでは少し見直したが、それでもここまでやってくるなどとは思っていなかった。それがどうだ! まるで本物の女王のようではないか」

「それは、恐らくはシャルロット様がなにか入れ知恵を……」

「はは、たとえシャルロットがなにかしたとしても、それだけでこんなことができるわけがなかろう。これは間違いなく、イザベラの才覚だ。それは素直に認めようではないか」

「し、しかし……」

 笑うジョゼフとは裏腹に、シェフィールドの心は悔恨でいっぱいだった。正直、イザベラのことなどまったく計算に入れていなかった。なのにイザベラに偽のオルレアン公ごとガリア軍をまるごと奪われるとは、失態どころではすまない問題だ。

 けれど、ジョゼフは自嘲するように淡々とシェフィールドに言った。

「まあ聞け。俺はイザベラのことが大嫌いだった。俺の娘には違いないが、あまりにも出来が悪いあいつのことを見ていると同族嫌悪が巻き起こるのだ。ろくに親として育てなかった俺が偉そうに言える立場ではないが、今日ここであいつを始末できればさっぱりするとさえ思っていたのだ。それがどうだ? あいつは、イザベラは血反吐を吐きながらも立ち上がり、神の奇跡とさえ呼べるような力さえ手にしてしまった。俺はとうとう、一番見下していたはずの自分の娘にさえ負けてしまったのだ」

「ジョゼフ様……」

「しかも、だ。そうやって立ち上がって、自分の力で事を成して周りを見返すことは、本来なら昔に俺がやらなければならなかったことだ。ああ、思えばあの頃に死ぬ気になってシャルルに張り合っていれば、何か勝てるものがあったのかもしれん。しかし悲しいかな、俺にはもう時間がない」

 大人になってどんなに後悔しても、子供の頃の間違いはやり直せない。自虐するジョゼフをシェフィールドは声をかけられないまま見つめていたが、ジョゼフはおもむろに顔をあげた。

「だが、もっとも悲しむべきことに俺はまだ生きている。神はまだ俺に苦しめと言っているようだ。ミューズよ、計画は続けるぞ。この俺の手で、ガリアの民をさらにあっと驚かせてやるぞ」

「ですが、計画の要である偽のシャルル様が」

「なにも慌てることはない。シャルルが健在であるということをハルケギニアに知らしめるという役割を果たしてくれた時点で、あれの目的はほぼ果たし終えている。こちらには『本物』がいるのだ。調整などいくらでも効く。ここから腕の見せ所だぞ? はははははは」

 アドリブを利かせるのも脚本家の醍醐味だぞと語るジョゼフに、シェフィールドは「御意に」と頭を下げるのだった。

 

 そして、その様子を覗き見していたコウモリ姿の宇宙人は、いつでも握りつぶせるようにしていた偽オルレアン公たちの命を弄びながら笑っていた。

「ふむ、そういうことならあれらにはもうしばらく偽者を演じてもらったほうがいいですか。運のいい方々ですねえ」

 イザベラの睨んだ通り、彼は偽オルレアン公たちが裏切れば即座に始末するつもりでいた。そもそも悪党同士の間に信頼なんて言葉はない。

 それでも、彼の計画にとってもジョゼフの計画がもうしばらく順調に進んでもらわなくては困る。その点、ジョゼフの諦めの悪さは都合がよかった。

「まったく、人間という生き物の感情の強さには私もしばしば驚かされますよ。ですが、そのパワーを浪費させるのはとてももったいないですからね。有効活用させてもらいますよ。まだまだね」

 ヴェルサルテイル宮殿の地下で、巨大な何かが胎動している。その鼓動は日に日に大きくなり、孵化寸前の卵のように誕生へのカウントダウンを今や遅しと刻み続けていた。

 

 

 続く



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第25話  邪神の胎動

 第25話

 邪神の胎動

 

 熔鉄怪獣 デマーガ

 地底怪獣 テレスドン

 古代怪獣 ゴメス 登場

 

 

 陰謀という言葉の功罪は大きい。

 なにかしら不可思議な事件が起きたとき、人は陰謀を疑い推理を巡らせる。

 しかし、そのほとんどは徒労に終わる。なぜなら、そんな簡単に見破られては陰謀の意味がないし、なにより最初から陰謀なんか無かったことが大半だからだ。

 

 だが、今このガリアではまさにその大陰謀劇が繰り広げられていた。

 ジョゼフの策謀で混乱に陥るガリアと、それを食い止めようとする者たちの間で攻防戦が繰り広げられ、イレギュラーを重ねながらもジョゼフは諦めずに目的に向かって邁進している。

 けれど、陰謀を巡らせているのはジョゼフだけではなかった。あのコウモリ姿の宇宙人は、ジョゼフに様々な助力を与えながら、自らもまた何かを企んで暗躍を続けていた。

 これだけの人、ウルトラマンを敵に回してまで狙っているものとは何か? 確かなことは、ジョゼフの陰謀が終幕に近づくにつれ、それの陰謀もまた目的に近づいている。それだけだった……。

 

 ただ、その予兆は静かにガリアを蝕みつつあったのだ。

 

 いまや外にも内にも大混乱のガリア王国。その混乱を避けて、荒れ野が続く山道をひた走る一台の馬車があった。

「さすがの大国ガリアも、これだけ田舎に回ると静かなものね」

 馬車の窓から顔を覗かせたのはキュルケだった。揺れる田舎の山道に辟易した様子が見えるが、行く先を見るその眼差しは眠っていない。

「急がば回れとは言うけど、タバサってばこんな裏道をよく知ってたものだわ」

 ラグドリアン湖を出発してから、キュルケはタバサを追って一路ガリアへ入った。しかし主要な街道は封鎖されており、銃士隊のように関所をすり抜ける手もないキュルケは、以前にタバサから気まぐれに教えてもらったことのある裏道を使っていた。なんでも、シルフィードを召喚する以前に使っていた道らしい。

「地図にも載ってない道だから早いって言ってたけど。これほど寂しい道だとはねえ。ま、あの子らしいかしら」

 道らしいものはあるものの、路肩を離れると枯れた雑草が生い茂っていて、遠くを見渡してもツタの絡まった貧相な立木がちらほらとしか見えない殺風景な眺めが続いている。

 これが表の街道だったら、旅人の休息場となる飲食店が軒を連ねていたり、山賊やたまに旅人を狙って人里に近づいてくるコボルトやオーク鬼を警戒した衛士の見回りも目にするものだが、ろくにすれ違う人間もいない。人家もちらほらと、見ないわけではないけれど、本当に知る人ぞ知る裏道のようだった。

「よくもこんな場所に人が住んでるものだわ。前に行ったタルブ村もここに比べたら都会ね。フレイム、道が悪くて気持ち悪いでしょうけど、もう少し我慢してね」

 キュルケは荒れた道で車酔いしている使い魔のフレイムを気遣いながら、リュティスに着いた時のことを思案し続けた。

「待っててね、タバサ……」

 リュティスではきっと、これまでにない厳しい戦いが待っているに違いない。けれど、それを乗り越えなければタバサを助けることはできない。

 そして、タバサを助けることができなければ、借りっぱなしになっている数々の恩も返せないし、お説教してあげたいことも伝えることができない。

 キュルケは、ツェルプストーの女に燃やせない壁なんて無いことをタバサに絶対見せてあげようと念じながら、いつ果てるともわからない道の先を望み続けた。

 

 しかし、リュティスに着くまでは安心だろうと思っていたキュルケの期待は思いがけない形で裏切られる形となった。

「フレイム、今の聞こえた? 悲鳴、よね」

 こんな山深い場所で? キュルケはいぶかしんだが、風に乗って確かに聞こえた。それに、空耳ではない証拠にフレイムも頭を上げて唸り声をあげている。

 キュルケは御者のゴーレムに、馬車のスピードを上げるように命じるのだった。

 

 そして、結論から言えばキュルケの聞いた悲鳴は空耳では無かった。

 裏街道の一角にある少し開けた場所で、一台の馬車が十数人の暴漢に取り囲まれていたのだ。

「どうかお見逃しくださいませ! お金なら差し上げますでございます」

 その馬車は、キュルケの乗っているものに比べたら質素なものの、貴族用に家紋のついた立派なものだった。馬車の前には、執事風の老人が手を広げて馬車に乗った婦人と幼い兄妹をかばい、必死に暴漢たちに呼び掛けている。

 しかし、馬車を取り囲んだ薄汚い姿の暴漢たちは、相手が貴族と承知しているかのように弓で四方八方から狙いながら怒鳴った。

「うるせぇい! はした金なんかいらねんだよ。こんなとっから逃げようとしてるってことは、おめえら王様の仲間だろ。ってことは、オルレアン公に差し出せばたんまり恩賞を受け取れるって寸法じゃ」

 田舎者丸出しの下品な物言いで迫る暴漢たちに、執事はとても話し合いができる相手ではないと絶望するしかなかった。

「これだけの矢に狙われたら貴族もいちころじゃろ。それ、馬車から引きずり出しちまえ!」

 リーダーらしい男の命令で、暴漢たちは一斉に馬車に襲いかかってきた。

 止めようとした執事は軽く振り払われ、馬車の中で震えていた婦人と幼い兄妹に汚い手が迫る。

「こないで、こないでください。ああっ!」

 婦人は杖を持っていたが、荒事などしたこともないようで、あっという間に馬車の外に腕を掴まれて引き出されてしまった。

 そして婦人の抱いていた、まだ五歳くらいの幼い兄妹も暴漢たちに捕まって泣き叫ぶ。

「うわーん、おかあさまーっ!」

 暴漢たちは子供たちも容赦なく乱暴に扱い、執事と婦人は悲鳴のように叫んだ。

「おやめくだされ! 無体なことはおやめくだされ!」

「お願いです。私はどうなっても構いません。どうか子供たちだけは許してください!」

 悲痛な叫びがこだまする。婦人は涙まで流し、必死に我が子を助けてくれるように懇願していた。

 ここで少しでも真心のある者ならば、いかに身分は違えども我が子を思う母の心に感じるものがあっただろう。けれど、恩賞という妄想に取りつかれた落武者狩り気取りの暴漢たちは、目をギラギラさせながらあざ笑った。

「お貴族様が許してくださいだとよ! 笑わせんな、お前ら俺たちの稼ぎをかっぱらっていい暮らししてたんだろうが」

「おい、恩賞と引き換えに突き出すのは女だけで十分だろ。ガキどもは別に売り飛ばしたほうが儲かるぜ。ひゃはは」

 恐ろしいことを平然と言う暴漢たちに、婦人は顔を青ざめさせながら子供たちを取り戻そうとして、無力にも押さえつけられてしまった。

「お願いです。子供たちには何の罪もありません。お慈悲を、どうかお慈悲を」

 涙を流しながら許しを請う婦人の姿に、婦人と同じように取り押さえられてしまった老執事は「奥さま……」と嘆きながら歯噛みするしかできなかった。

 だが、暴漢たちは自分たちが振るう暴力に酔いながら、さらに残忍な所業に手を染めようとした。

「金目のものもいただくぜ。おっと、ガキつきのババアかと思えば、まだいける年頃じゃねえか。せっかくだから味見といくか」

「ひっ、ひぃっ!」

「そりゃいいぜ、回せ回せ」

「めんどうだ、まとめて三、四人いっぺんにいけ!」

 非道極まる所業。縛られた子供たちも「お母さま!」と号泣しているのに、暴漢たちは「うるせえ!」と怒鳴り返すのみである。

 けれど、暴漢たちは自分たちにとって最悪のタイミングで愚行に臨もうとしていることに気づいていなかった。

 彼らがその畜生そのものな行為に及ぼうとした時、猛烈な勢いで飛んできた火の玉が婦人を押し倒していた暴漢を吹き飛ばしたのである。

 

『ファイヤー・ボール!』

 

 火炎弾は婦人を傷つけない絶妙なコントロールで暴漢を焼きながら吹き飛ばし、暴漢の「ぎゃあ」という耳障りな絶叫が流れた。

「だっ、誰でい!」

 焚き火のように燃え上がる仲間を背にした暴漢どもの月並みな台詞。だが、彼らは振り返らないほうが幸せだったかもしれない。そこには、微熱ではなく灼熱の怒りを燃えたぎらせたキュルケが立っていたからである。

「欲に目がくらんだ人間の醜さというのは、貴族も平民も変わらないものね。あまりこういうことはあたしらしくないけれど……特別にお仕置きしてあげるわ」

「こっ、こいつも貴族だ。射て、射殺しちまえ!」

 キュルケがメイジだと知った暴漢たちは、慌てて矢を射かけてきた。普段は熊などの獣射ちに使っているのであろう武骨な弓から、木を削り出して作った矢が何十と射たれてキュルケに迫る。

 しかし、ドットやラインのへっぽこメイジだったら矢の多さに対応しきれずに食らってしまったであろうが、キュルケは数多くの死線をくぐった戦闘のプロであった。

「ウル・カーノ」

 初歩の『発火』の魔法を唱え、キュルケは杖をぐるっと円状に動かした。すると、杖先からほとばしった炎は炎のリングを形作って一気に燃え上がり、炎の盾となって矢を焼き尽くしてしまったのだ。

「これでおしまい?」

「ひっ、ひええ!」

 炎の壁の向こうから冷たい視線を向けてくるキュルケに、暴漢たちは相手が場馴れしたメイジであることを知って怖じ気づいた。

 当然、怯えた彼らはとっさに二の矢を次ぐことができず、その隙にキュルケは反撃の魔法を放った。

『ファイヤー・ボール』

 火炎弾の魔法が今度は三発同時に放たれて、三人の暴漢を飲み込んだ。

「ぎゃああ! あっちいい!」

 髪や粗末な服に燃え移ってのたうち回る暴漢たち。残った暴漢たちの半分はそれで戦意を喪失して逃げ出したが、キュルケは今度は五発のファイヤー・ボールを逃げ出した連中に向かって放った。

「逃げて許されるようなことをしたと思ってるのかしら?」

 人間が走るよりもはるかに速い魔法は簡単に追いつき、逃げた暴漢たちもさっきの奴らと同じ目に会った。

 体を燃やされて悲鳴をあげながら七転八倒する暴漢たち。残ったリーダー格と数人の仲間たちは、逃げられないことを悟って婦人と子供たちに刃を向けた。

「うっ、動くなあ! こいつらを殺すぞ!」

「今度は人質? どこまでも腐りきった人たちね」

「うるせえ! 杖を捨てろ。こいつらを殺すぞ、本当だぞ」

 婦人と子供たちの喉元にナイフを突きつける暴漢たちに、キュルケは心底見下した目を向けた。

 しかし、意外なことにキュルケはあっさりと杖を地面に放り投げた。

「ほら、これでいいんでしょう?」

「は?」

 あまりにも簡単にキュルケが杖を手放したので、暴漢たちはあっけにとられてしまった。するとキュルケは、何人もの男子生徒を虜にした悩ましげな笑みを向けながら男たちを誘った。

「どうしたの? 丸腰の小娘ひとりに腰が引けちゃうネンネちゃんたちなの?」

 それは明らかな挑発だったが、胸元をさらして舌なめずりをするキュルケの妖艶さが男たちの冷静さを失わせた。

「うおおお!」

 欲望の塊になった暴漢たちは、人質を放り出してキュルケに襲いかかろうとした。

 だが、そんな野蛮で不潔な連中にキュルケが肌を触れさせるのを許すわけがなかった。

「フレイム」

 キュルケが呼ぶと、キュルケの横から猛烈な火炎がほとばしり、一気に暴漢たちを飲み込んでしまったのだ。

「はぎゃああーっ!」

 火だるまになる暴漢たち。キュルケの傍らで伏せながら主を守っていたサラマンダーのフレイムが、その炎のブレスを浴びせかけたのだった。

「よくやったわね、えらいわフレイム」

 比較的軽度で残ったのはリーダー格の一人のみ。キュルケは素早く杖を拾うと、もだえているリーダー格の男を蹴り飛ばして杖を突きつけた。

「チェックメイトよ。観念しなさい」

「お、お許しを……」

 怯えて媚びる男だったが、いまさらキュルケが情けをかけるわけもない。

「あなたたち、どれだけひどいことをしようとしたかわかってるの? 親子を引き裂いて売り飛ばそうなんて、わたしは正義の味方じゃないけど、醜悪すぎて吐き気がしたわ」

「お、俺たちもやりたくてやってたわけじゃないんです。俺たちはこの先の山で果物を作って売ってたんですが、急に山の木がみんな枯れ出して、金が無くなって、つい」

「どんな理由があろうと、やってはいけないことは変わらないのよ。なにより、笑っていたでしょあなたたち。人を苦しめて笑える人を、わたしは人間と認めないわ」

 キュルケは容赦なく魔法を放ち、残った一人も火だるまにした。

 

 周囲に他に隠れている気配はなく、キュルケはふうと一息ついて杖をしまい、襲われていた親子に歩み寄った。

「もう大丈夫よ。わたしはゲルマニアのフォン・ツェルプストーの者ですわ。差し出がましいかと思いましたが、義憤により手を出させていただきました。お怪我はありませんこと?」

「ありがとうございます。私どもはリュティスのしがない下級官僚の一家にございます。おかげさまで、私も子供たちも無事で、なんとお礼を申していいことか」

 貴族の礼に則ってあいさつしたキュルケに、婦人は子供たちを抱き締めながら感謝してくれた。

 どうやら、誰にも怪我はなさそうだ。二人の子供も、怖かったと母親の腕の中で泣きじゃくっているが、傷つけられた様子はない。

 無事に済んで良かったと告げるキュルケに、もう一人無事だった老執事もお礼を述べてきた。

「ありがとうございます。まさかこのようなところで異国のお方に救われるとは、ここにおられない旦那様に代わって感謝申し上げまする」

「いいのよ。単なるあたしのおせっかいなんだから気にしないで。ところで、あなたたちはこんなところでどこへ行こうとしてたの?」

「は、それは……」

 老執事が口ごもると、婦人は、言っても構わないという風に首を振った。

「実は私どもの旦那様は、今のジョゼフ王様に仕えている身なのです。とはいえ、戦場に出るなどとんでもない温和なお方で、派閥争いに関わることも避けておいででした。今回の戦争も、軍隊に駆り出されることなくすんでいたのですが……」

 執事が言いにくそうにしていると、婦人が代わって後を次いだ。

「そこへあの、オルレアン公が現れてしまったのです。国の貴族たちは大混乱になり、逃げ出す者が続出しました」

「オルレアン公……」

 キュルケもここへ来る途中で買い求めた新聞で、オルレアン公が生還したという話は知っていた。もっとも、ゲルマニア人のキュルケはガリアの英雄が帰ってきたなどという話にはなんの感銘も持たず、むしろそんな都合のいい話があるものかしらと疑念のほうを強く抱いていた。

「オルレアン公は、ジョゼフ派を保護すると宣言しましたが、リュティスでのジョゼフ派への風当たりは一気に冷たくなりました。でも、私どもの夫はジョゼフ派とは申しましても、政務には一切関わらずに地道にお城と銀行の間の会計に励んできただけの、真面目で優しい、本当に優しいだけが取り柄のような人なんです。それなのに、それなのに、誰もわかってくれなくて……」

「ご主人を愛してらっしゃるのね。わかりますわ」

 悔しさで震えながら語る婦人に、キュルケはハンカチを差し出した。

「ありがとうございます。そして、ついに私たち家族にも追及が延びてくるようになり、夫は私たちを親戚の元でかくまってもらえるよう、手配してくれたのです」

「今は、そこへ向かう途中だったのね。それで、旦那様は?」

「リュティスに残りました。あの人は、「自分が逃げ出せば、せっかく民が納めてくれた税金が失われる。自分はガリアの金庫番なんだ」と……ううっ」

「尊敬いたします。素晴らしい旦那様ですわ」

 涙をこらえきれなくなった婦人に、キュルケは貴族として最大限の敬意を込めた礼を送った。

 キュルケにはひとつのルールがある。それは、ツェルプストーの伝統として恋愛には情熱的に、たとえ誰かの恋人だとしても堂々と奪ってやるほど奔放に生きよ。ただし、うわべだけでない本物の愛情がそこにあったら決して手をつけるべからず。キュルケは久しぶりに、貴族の中で胸のすくようなよいものを見た気分を味わった。

 そしてキュルケは、婦人の胸に抱かれている幼い兄妹の頭をなでて、諭すように話しかけた。

「いい、あなたたちも今のお母さんのお話をよく覚えておきなさい。あなたたちのお父様は、自分の仕事に誇りを持って国のために一生懸命働いている人。とてもとても偉い人なのよ」

 きょとんとしている兄妹に、キュルケは「大きくなったらわかるわ」と前置きして、兄から順に声をかけた。

「いい、あなたも男なら、次からはあなたがお母さんと妹を守れるように強くなりなさい。男の子は、自分より弱い誰かを守るためにいるのよ」

「えっ、う、うん」

 答えながらも意味がわからないでいる兄に、キュルケはしょうがないわねと微笑んでもう一言付け足した。

「強くなったら、お姉さんみたいな女の子にもモテモテよ」

「う、うん! ぼく、強くなる!」

 幼いくせに現金なものだとキュルケは思ったが、続いて妹のほうにもキュルケはささやいた。

「いい? これからお兄ちゃんがくじけそうになったり調子に乗ったりしそうになったら、思いっきりお尻を蹴っ飛ばしてあげなさい。いい男を乗りこなすのはいい女の特権よ」

「とっけん?」

「女の子は男の子より偉いってことよ。そのためにも、まずはお母さまの言うことをよく聞いて、同じくらい立派な淑女になりなさい。そうすれば、いつかお姉さんみたいなレディにもなれるわよ」

 ウィンクしたキュルケに、妹は「はい」と元気よく答えた。

 さて、おせっかいはここまでだ。キュルケは一歩下がると婦人に一礼して言った。

「どうも失礼をいたしました。ここからの道には特に危ないこともありませんでしたわ。お気をつけて向かわれませ」

「本当にありがとうございました。このご恩は、一生忘れません。もし、あなたはいずこへ行かれるのですか」

「リュティスに、友達が待っているもので」

「まさか、今からリュティスに入るのは危なすぎますわ。特に外国人のあなたは、戦乱に巻き込まれるやもしれません」

「お心使い、感謝いたします。でも、どうしても行って助けてあげなくちゃいけないんです。それがわたしの、決めたことですから」

「そうですか……ではどうか、ご無理をなさいませぬよう。あなたに、始祖のご加護があらんことをお祈りしております」

「道中のご安全を、お祈りいたします」

 そう言って、キュルケは婦人家族と別れた。

 小さな馬車が自分の走ってきた方向に見えなくなるまで見送り、キュルケはさわやかな声色でフレイムにつぶやいた。

「気持ちのいい人たちだったわね」

 優しい婦人に素直な兄妹、誠実な執事。貴族としての爵位が高くなくても、ああいう『人間』に触れるとほっとする。本当に、あの一家を守れてよかった。

 ああいう人たちがいるからこそ、タバサもどんな理不尽な目に遭ってもガリアを守ろうとするのかもしれない。ゲルマニア人の自分にとってガリアがどうなろうと正直知ったことではないけれど、あんないい人たちが平和に過ごせるように、少しくらいおせっかいしたくなる気もする。

「さあ、あたしたちも急がないとね」

 キュルケはフレイムとともに馬車に乗り込み、再びリュティスを目指す旅路に着いた。

 

 だが、しばらく馬車を走らせていくとキュルケの前に奇怪な風景が流れてきた。

「どうしたのかしら。冬でもないというのに、木に一枚も葉がついてないわ……」

 延々と、枯れ木と枯れ草だけが続くはげ山が広がっている。これまで通ってきた場所も、決して肥えた土地だったわけではないが、それなりの緑があった。

 また、道沿いにはいくらかの集落もあったが、そこの畑や果樹も枯れていて、村人がやつれ果てた様子で座り込んでいた。そこに生気はまるでなく、キュルケはふとさっきの暴漢たちが最後に言っていたことを思い出した。

「村の果樹園が使い物にならなくなったって、あながち嘘じゃなかったみたいね」

 確かに農作物が全滅したら、こんな数十人しかいないような集落は全滅だろう。それに、木々がこんな有り様では獣もいないに違いない。

 もっとも、飢饉に見舞われたことが本当だったとしても、山賊に堕ちたことを同情する気は一切ない。しかし、リュティスに近づくにつれ、山野の荒れ具合がひどくなってくるのを感じて、たまらずキュルケは馬車を止めて外に飛び出した。

「フレイム、ここにいなさい。ちょっと上から様子を見てくるわ」

 キュルケは『フライ』の魔法を唱えて空に飛び上がった。

 十メイル、二十メイルと高く上がっていく。風のメイジではないキュルケはタバサのように高くも自由にも飛べないが、今はとりあえず垂直上昇できれば十分だ。

 そして、目も眩むような高さに昇り切って下界を見下ろしたキュルケは、そこに広がる光景を見て唖然とした。

「なにこれ、野にも山にもひとつも緑がないじゃない」

 見渡す限り、草木一本にいたるまで枯れ果てて、茶色のカーペットが延々と続いていた。まるで真冬の山野……いや、たとえ真冬だとしても、草木には一年中緑の葉っぱをつけている種類もあるから、一本残らず枯れ果てるなんて事態は起こるはずがない。

 ひたすら続く死の荒野の寒々しさに、キュルケは言い知れぬ悪寒を感じて身震いした。

 けれど、いくら不気味でも自然現象ではないのか? 今年はたまたまひどい凶作だったのではとキュルケが思ったとき、彼女は少し離れた山あいの盆地に異様な影を見つけて目を細めた。

「あれって……仕方ないわね。飛ぶのはそんなに得意じゃないけど、行ってみましょう」

 高度を活かして、滑空するようにキュルケはフライの魔法を制御してそこへ向かった。風を読むのは専門外だが、単純なランクではすでにスクウェアに相当するキュルケは力に任せて逆風も切り抜けた。

 そして、街道から数リーグ離れたそこに到達したキュルケが見たものは、枯れ木をなぎ倒して横たわっている二つの巨体だったのである。

「怪獣……死んでるわ」

 キュルケは一本の枯れ木の上に着地し、ぞっとした様子で屍と化した二体の巨体を見下ろした。

 一匹は、土色の体に太い手足を持つ地底怪獣テレスドン。その近くには、黒々とした皮膚を持つ爬虫類の原始怪獣ゴメスが倒れている。

「見たところ、死んだのはごく最近みたいね。けど……」

 死骸はまだ腐敗しておらず、恐らくはこの数日中に死んだものと思われた。しかし、二匹の死骸には争った跡もなく、どうして死んだものかとキュルケは不思議に思った。

 けれど、キュルケが思案を巡らせようとした時、彼女の立っていた大木がいきなり揺れだし、キュルケは慌てて宙に飛び出した。

「なによ! 地震?」

 地面が激しく揺れ、枯れ木ばかりの森の木々がどんどん倒れていく。そして、地中から土煙を上げて、黄色い角を光らせた巨影が姿を現した。

「あっちっちっ! また別の怪獣!?」

 怪獣の出現と同時に吹き出してきた熱気に当てられて、キュルケは悲鳴を上げた。

 今度出てきた怪獣はゴメスと同じような肉食恐竜型だが、背中に大きく鋭い背鰭が並び、頭部には黄色く光る角が輝いている。

 だが、それにも増して近くにいるだけなのに真夏の太陽のように熱い。信じられないような高熱を発している。

「まるで焼けた岩、生きた溶鉱炉みたいだわ!」

 熱さにたまらなくなったキュルケは飛んで離れた。火のメイジである自分でさえ耐えられないような高熱を発する怪獣って。キュルケを驚かせたこいつは、全身が溶けた鉄でできている、その名も熔鉄怪獣デマーガであった。

 デマーガは地上に現れると、鳥と獣を混ぜ合わせたような遠吠えを空に向かって放った。また、デマーガの高熱の体温により、周辺の木々も自然発火を始めている。

 とてもこんな奴の近くにはいられない。キュルケは急いでデマーガから距離をとろうとした。だが……。

「えっ?」

 なんと、暴れだすかと思っていたデマーガは、ふらりとよろめくと、そのまま倒れ込んでしまった。

 そして、唖然と見つめているキュルケの前で、デマーガは苦しそうに数回うごめくと、そのまま動かなくなってしまったのである。

 その、あまりに予想外のことにキュルケはしばらく動けないでいた。しかし、デマーガからの熱気が弱まり、倒れたデマーガの生気を失った目を覗きこんだことで、冷や汗をかきながらもようやく事態を理解することができた。

「死んでる……」

 信じられないが、間違いないようだった。デマーガはほかの二匹同様完全に死骸と化し、もうぴくりとも動かなくなっている。

 なぜ、突然……? 三匹もの怪獣が死骸を並べている光景に、キュルケは理解が追いつけるわけもなく、ただ呆然と立ち尽くした。

 もしも、タバサならばこの状況でも何かを掴めただろうか? キュルケはそう思いながら見ると、死んだデマーガから魂のような半透明のエネルギー体が抜け出て、どこかへと飛んでいってしまった。

「あの方向は……リュティス? どうやら、あたしはまだ敵を甘く見てたみたいね。なにが起きてるか知らないけど、タバサ、あたしが行くまで無茶しちゃダメよ」

 キュルケは敵の凶悪さをあらためて肝に命じると、フレイムの待つ馬車へと急いで戻っていった。

 ジョゼフと、彼に力を与えている何者かは、人知の及ばないような恐ろしいことをきっと企んでいる。いくらタバサでも、一人の力ではどうにもならないだろう。

 だからこそ、自分が行く。なぜって、理由は簡単だ。

「タバサ、あなたと友達になってあげるって言った、あの日の約束を忘れたとは言わせないわよ!」

 タバサがなんと言おうと、自分はそう言った。だから行く。文句があるなら直接聞く、だから行く。

 キュルケはリュティスへの旅路を再び急ぎ始めた。そこにどんな恐ろしい敵が待っていようと、そこにタバサがいるのだけは間違いないから。

 

 だが、リュティスで起ころうとしているのは、キュルケの想像をさらに上回る恐ろしいことだった。

 追いつめられ続けているかに見えるジョゼフは、リュティスに迫る様々な者たちの足音を聞きながら、悠然とせせら笑っていた。

「ふはは、来る来る。招いた者たちも、招いてない連中も続々集まってきよる。祭りとはこうでなければおもしろくない。さて、役者が揃ってきたところで、そろそろ主演にふさわしい舞台作りをせねばなるまい」

 ジョゼフはその手に赤く輝く魔石を乗せて念じた。それは、ムザン星人の残したムザン星の邪悪な魔石、そこから溢れ出す邪悪なオーラは王宮を満たし、さらにリュティスの市街地へと見えない霧となって流れていった。

 これで準備は万端。イザベラに乗っ取られたガリア軍がリュティスに近づくころには結果が表れていることだろう。

「踊れ、ガリアの民どもよ。新王即位のための盛大な祭りだ。そしていよいよだ。いよいよ、ガリアは本来のあるべき姿へと戻る……すまなかったなシャルル、俺のせいで長い間悪い夢を見せてしまって。だが、目が覚めたときにはお前にふさわしい世界ができあがっている。楽しみにしていろ」

 ジョゼフが視線を流した先では、シェフィールドが棺に向かってなにかしらのマジックアイテムを使い、難しそうな操作をしていた。

 料理を美味しく仕上げるには、どれだけ下ごしらえに時間をかけるかが重要だという。その点で言えば、この最後の祭りには可能な限りの準備をかけた。

「もうすぐだ。もうすぐ、もうすぐ……」

 もう誰にもこの流れは止められない。ジョゼフは悲願が成就する時が迫っていると、子供のように時を刻み続けた。

 そしてシェフィールドも、そんなジョゼフの言葉を聞きながらひとつの決意を固めていた。

「ジョゼフ様……ジョゼフ様の悲願の成就は必ずやこの私が……たとえ、この身に代えることになったとしても」

 

 しかし、すべての仕掛人である、あのコウモリ姿の宇宙人は、そんな世界やジョゼフを眺めながら不敵な笑いをこぼしていた。

「フフフフ、約束は守りますよ。私は紳士ですからね。でも、私にも私の目的がありますからねえ」

 彼はリュティスに蔓延しようとしている邪悪な空気を透かし見ながらほくそ笑んだ。

「ウフフ、よい土壌によい肥料をまいてくれました。これは、孵化のいい栄養になりそうです。私のこれも、よく育ってはくれてますがしょせんは試作品。完成品なら惑星中の生命を吸い取れるはずですけど、このガリアの一部からしか吸えないので栄養不足に困っていたところです」

 王宮の地下深くで脈動を続けている"何か”。それは雑草が根を広げて土地の養分を吸い尽くすように、ガリアの土地から生命力を奪いながら成長を続けていた。

 しかし、まだ足りない。最後に与えられるべき栄養を待ちわびて、漆黒のその影はあとわずかであるに違いないまどろみの時をたゆとっていた。

 

 

 続く



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第26話  魔都と化すリュティス

 第26話

 魔都と化すリュティス

 

 黒い宇宙植物 メージヲグ

 生物兵器 メノーファ 登場!

 

 

「さて皆さん、ジョゼフ王様の一世一代の大活劇もいよいよクライマックスに近くなってまいりました」

 

「おや? あいさつが遅れまして失礼おば。最近いろいろありまして、わたくしの解説も少なくてさみしかったでしょう。おおお、相変わらずあなたの怒る顔は怖いですねえ」

 

「いやいや、なにぶんこの世界の人たちも頑張りますものでねえ。そのたびに軌道修正で忙しかったものでして」

 

「でももう大丈夫です。この先はもう何があろうと長引いたりはしませんよ。なにせ、もう役者はみんな、このリュティスに集まってきていますから」

 

「さて、ジョゼフ王様は皆さんをもてなすために盛大なお祭りを企画されているみたいですよ」

 

「というわけで、まずはお祭りをご鑑賞ください。とと、後であなた方にも参加していただくかもしれませんから、準備はお忘れなく」

 

 

 ガリアの運命が決まる日が目の前に迫っている。それは確かで、もう後戻りも引き延ばすこともできないに違いない。

 ただし、それがどういう帰結にたどり着くかまではまだわからない。現実とは、演者のすべてが脚本家なのだから。

 

 動乱の日々が始まってすでに幾日。その日も、当たり前のように朝はやってきた。

 王都リュティス。そこはガリアの名実ともに中心であり、その中心の宮殿に座する者が、あと数日もせずに入れ替わるであろうことは、国民のほとんどの共通する認識となっている。

 だが、その考えを誰より強く念じているのが当の国王本人だということには、国民は誰も気づいていない。

 王宮は亀のように厳重に封鎖され、静まり返っている。つい先日までは王を弾劾しようという市民たちが大勢詰めかけていたが、ガリア軍が近づいてくると、巻き添えを避けるために逆に人々は王宮から遠ざかるようになっていった。

 もうすぐオルレアン公に率いられたガリア軍が戻ってきて、無能王を追い出してくれる。そうすれば、生活も楽になっていい暮らしができる。多くの市民はそう楽観的に考えていた。

 しかし、ジョゼフはそんな退屈な王位交代劇を演出しようとは思っていなかった。英雄の登場はもっと華々しく、そうでなければせっかく戻ってくるシャルルに申し訳が無い。

 

 リュティスに音もなく浸透していく邪悪なオーラ。その中に仕込まれた『ある物』が発芽するのに、長い時間は必要としなかった。

 その始まりは、リュティスの街のすみっこ。なんの変哲もない路地から始まった。

 この路地を、一人の酔っぱらいが歩いている。

「ういーっ、ひっく。なんでいなんでい、親方がなんだってんだ、カカアがなんだってんだ。おれは怖いもんなんかねえぞチクショウ」

 この男、仕事場でも家庭でもよほど不満が溜まっているのか、こんな時間だというのに酒をかっくらってふらついていた。戦争の真っ最中だとしても、こういう輩はどこにでもいるものである。

 彼は世間の騒ぎなど知ったことかとぶつくさ言いながら千鳥足で歩いていたが、ふとなにかを思い出したように立ち止まった。

「おれあ怖いもんなんかねえぞぉ。カラスなんか、カラスだけは怖いんだぁ」

 震えながら男はつぶやいた。実は、彼は以前のレイビーク星人の誘拐事件の被害者の一人であり、その時のことが原因で今でもカラスがトラウマになっているのであった。

 しかし、レイビーク星人は全滅し、唯一の生き残りも魔法学院で捕らえられた今、もうハルケギニアでレイビーク星人に出くわすことはありえないはずである。だが、ぞっと背中に人の気配を感じて振り返ると、そこには。

「ひっ、そこにいるのは誰だ!」

「クケェ!」

「う、うーん、カラス人間……ぐふっ」

 目の前に現れたトラウマのレイビーク星人に睨み付けられて、酔っぱらいは泡を吹きながら気絶してしまった。

 だが、いないはずのレイビーク星人がなぜここに現れたのか? 男が気絶すると、レイビーク星人の姿は崩れるように消え去ってしまい、後にはチューリップに似た黒い花が不気味に揺らいでいた。

 

 そして、同じような事件は同時刻からリュティスの全域で起きていたのだ。

「うわぁあ! バケモンだあ」

「きゃああ、お化けえ」

「かあちゃん勘弁!」

 あちらこちら、ところ構わず人々の前に怪物が現れては驚かす事件が多発していた。

 現れるものはバラバラで、レイビーク星人のような宇宙人もいれば、コボルトやオークのような獣人もいた。他にも得体の知れない怪物がいくつも現れ、、街は阿鼻叫喚の巷に変わっていた。

 リュティスは一夜にして怪物たちの巣窟になってしまったのだろうか。人々は慌てふためき、右往左往するが、怪物たちはどこにでも現れた。恐れて家の中に閉じこもろうとしても、怪物たちは戸締まりした家の中にまで現れてきた。

「ひっ、ひいい、い、命ばかりはぁ……がくっ」

 一人の若者が、目の前に牙をむいて迫ってきた吸血鬼を前にして気絶した。

 しかし、ここに限らず、怪物たちは被害者が気を失うか逃げ出すかすると、崩れるように消えて実害を及ぼすことはなかった。若者を気絶させた吸血鬼も、その後すぐに崩れて消えてしまい、そしてその傍らには観葉植物の鉢に生えている黒い花と、本棚から落ちた吸血鬼の小説本が転がっていた。

 

 むろんその頃街中では、兵士や衛士が走り回って騒然とした雰囲気になっている。その兵士たちも、なにがなにやらわからないまま、ひたすら目の前の怪物に斬りかかったりしていったが、それらも攻撃を当てても手ごたえがなく、怪物はすぐに消えてしまう。

「ど、どうなってるんだ?」

 困惑しても、確かにいたはずの怪物は影も形もなく消えてしまっていた。兵士の同僚も戸惑うばかりだが、彼らの傍らに生えていた黒い花が揺らめくと、またも彼らの前に怪物が姿を現したのだ。

「うわっ、またか。なんでこんなところにコボルトが!」

「なにい? ありゃどう見ても野良グリフォンだろ」

「いや、あれはコボルトですよ」

 だが、なぜか人によって見える怪物の姿に差異があるようだった。

 どうしてそんなちぐはぐなことになっているのか? 兵士や逃げ惑う街の人たちには考える余地もなかったが、街角から騒ぎを冷静に観察している者たちは違った。

「なあ、あそこに見えるのってスラン星人だよなあ」

「いや、俺にはケムール人に見えるけど、ルイズは?」

「わたしには、エレ、じゃなくてフォーガスに見えるわ」

 ルイズや水精霊騎士隊の少年たちは、そっと街の様子を見守っていた。

 彼らも最初は次々に現れる怪物に仰天していたが、街の人たちと違って怪獣や宇宙人との遭遇経験の豊富な彼らはさほど時間をおかずに、怪物たちが直接襲ってはこないことに気づいた。そして観察しているうちに、どうやら人によって見える怪物の姿が違うことに思い当たったのである。

「あれはたぶん、幻覚だな。どんなタネがあるかは知らないけど、見る人の心にある怖いものが見えるんだろう。たぶん」

「ああ、街中に昨日は見えなかった黒い花がやたらと咲いてるから、たぶんアレじゃないか」

 誰かがそう口にすると、ルイズやほかの皆もうなづいた。

 地球と違い、ハルケギニアでは魔法や魔法薬を使えば幻覚を見せることはさして難しいことではない。平民にはその知識はないけれども、魔法学院の生徒である彼らはそのことをわきまえていた。

 彼らは近づいてくる怪物や宇宙人が幻覚だと自分に言い聞かせながら、街の混乱を観察し続けた。けれど、サラマンドラの追撃を振り切ってようやくリュティスにたどり着いた彼らがどうしてまだこんなところでモタモタしてるのだろうか?

「しかし、王宮に入れなくて手間どってたら、ついに向こうから仕掛けてきたわけか。くそっ、王様め、気が早いんだっての」

「なにせ、そっちの韻竜に乗って城壁を越えようとしても、ルイズの魔法で城壁をすり抜けようとしても、なにかに押し返されるみたいに失敗するんだろ?」

「きゅいい、韻竜って失礼なの。シルフィなの。なにか気持ちの悪い力がお城を囲ってるのよ。お前たちには見えないだろうけど、あんなのに突っ込んだら息が詰まっちゃうの」

「なにか防衛策は打ってると思ってたけど、これは厳しいわね。たぶん、ちぃ……カトレアおねえさまのゴーレムで殴っても城壁は破れないわ。もっとも、普通ゴーレムくらいで城壁は破れないけど」

 シルフィードとルイズがふてくされながら答えた。彼女たちは一刻も早くジョゼフに会って、偽オルレアン公の企みを阻止するつもりだったので、足踏みには激しく苛立っていたのだ。

 しかし、焦ってはいけない。無言で見守っているカトレアの眼差しに、一行は冷静にならねばと自制し、敵の企みを見破ろうと少ない頭を働かせた。

 

 だが、ジョゼフの策謀は一行に悠長に考えをまとめる時間さえも与えてはくれなかった。街の混乱がピークに達しようとした時、街中に大きくよく響く声が通ったのだ。

「そうだ、オルレアン公だ。オルレアン公にお願いして助けていただこう!」

 その声が、人々の思考を一気にまとめあげた。

 オルレアン公だ。そうだ、我々にはまだ救世主オルレアン公がついているんだった。

 恐怖におののいていた人々の顔が一転して希望に満ちた。歓声が沸き起こり、街の空気が一気に変わる。

 対して、ルイズや水精霊騎士隊は、まるで放送のように聞こえてきた不自然な声に違和感を感じ、慌てて周りを見回した。

“なに? なんだ?”

 誰が今のを言った? 町中の人間が怪物に怯えて震えている中で、今の声は本当に録音のように明瞭だった。

 そんな声を出せるような奴がこんな混乱の中にいるのか? だが、見つけ出すことができないままに、さらに人々のその喜びを後押しするように放たれた次の言葉で、街は一気に熱気に包まれた。

「オルレアン公はもうリュティスの近くまで来ているはずだぞ。さあ、みんなでオルレアン公にお願いにいこう。ジョゼフを倒してくださいとお願いにいこう!」

 沸騰した熱気はその言葉で流れる先を与えられ、人々は一気に動きだした。

「オルレアン公、助けてくださいオルレアン公」

 怪物たちの出現は続いている。だが人々は怪物に恐れおののきながらも、オルレアン公なら助けてくれるという希望に我を忘れたかのように駆けていく。それこそ、老若男女の別ないくらいに。

 異様な人の洪水。その流れを見てルイズたちは気づいた。これはジョゼフの策略だと。

「街の人たち、どうかしちゃってるわ。オルレアン公、オルレアン公って、みんなで熱にうかされてるみたいよ!」

「無理もないよ。おれたちは慣れてるからいいけど、ただの平民が怪物に囲まれたら正気でいるなんて無理だ」

 平民には幻覚を見抜く知識も、立ち向かう魔法もない。そんな人たちに未知の恐怖はたやすく浸透し、そこに逃げ道を作ってやれば大衆をたやすく操れる。

 そのとき、街の人々をきょろきょろと見回していたシルフィードが、いきなり通行人のひとりに向かって飛びかかった。

「きゅいい! 見つけたのね。お前が怪しいのね!」

「ちょ、あんた、町の人になにしてるのよ!」

 いきなり通行人を押し倒したシルフィードに、ルイズたちが慌てたように止めに入る。しかし、シルフィードは構わずに相手を押さえ込みながら怒鳴り返した。

「邪魔しないでなのね。こいつ、感じが悪いのね。きっと犯人に違いないの!」

「もう、なに言ってるのよ。恥ずかしいでしょ!」

 こんなときに遊んでるんじゃないと、止めようとするルイズたち。

 だがすると、シルフィードが押さえつけていた通行人の男の首がポロっともげて転がってしまったではないか。

「きゃあっ!」

「い、いや見ろ。こりゃ、人形だ」

 水精霊騎士隊の一人が、もげた首を足で恐る恐るつつきながら言った。なるほど、確かに人間によく似せてはいるが、ただの人形だ。

 シルフィードは、どんなもんだいと言いたげに得意気な顔をしている。さらに、人形の胴体から、「そうだ! オルレアン公だ、オルレアン公に助けていただこう」という、さっき聞いた声が流れてくると、一同もようやく合点した。

「これ、ガーゴイルか?」

「いいや、見た目はよくできてるけど、ガーゴイルなんて上等なもんじゃないよ。歩く機能だけのゴーレムに録音のマジックアイテムを組み込んだだけの安物のオモチャだ」

 人形はシルフィードがのしかかっただけでぐしゃりと潰れてしまっており、安普請さが露になった。

 だがこれほどの大仕掛けの小道具にしては粗末なものだと一同は不思議がる。それは、この人形を用意したのはもちろんシェフィールドなのだが、タバサの活躍などもあって手持ちのガーゴイルがもう底をついていた。その上に、この作戦も偽オルレアン公がイザベラの軍門に下ってしまったがために急遽計画を変更せざるを得なかったことによるもので、一晩で町中にばらまく数を間に合わせるには仕方ないことだったのだが、彼らがそれを知るはずもない。

 けれど、子細はともあれジョゼフのおおまかな作戦は読めた。それを、カトレアといっしょに見守っていたジルがまとめて言った。

「怪物の幻を見せて人々の恐怖をあおり、頂点に達したところで救世主の名前を出してまとめて動かす、か。さすが王様だけあって庶民を踊らすのはお得意みたいだね。こりゃ、もしオルレアン公が偽者だなんて知れたら大変なことになるねえ」

 他人事のように言うジルだが、水精霊騎士隊は真剣だった。ただでさえ殺気立ってるリュティスの市民がオルレアン公の軍隊と衝突するようなことにでもなれば。

 今、行動するべきか? 彼らはトリステインに残ったギーシュの顔を思い浮かべながら考えた。

「ヤバいな。ものすごくヤバい。これ、どうするべきだろうか?」

「どうするもこうするも、どうにかするためにおれたちは来たんだろ。ピンチなときこそチャンスだって言うじゃないか」

「ああ、ギーシュ隊長なら迷わずにチャンスだ! って言ってるな。けど、おれたちで町の人たちを止めるなんて無理だろ。どうする?」

「いや、町の人がいなくなれば王宮の周りも手薄になるかも。どこかに入れる場所が見つかるかも」

「よし、決まりだ!」

 ギーシュやレイナールといった中核のメンバーがいなくても、水精霊騎士隊の少年たちもそれぞれ成長しているのだった。

 ルイズは、そんな彼らの姿に「こいつらの行動力だけは頼もしいわね」となかば呆れ半分に感心していたが、自分も気合いを入れ直すように声をかけた。

「ほんとにこいつらは、頼りになるんだかならないんだか。ほら、わたしたちも行くわよサイト! サイト?」

 だがそこで、ルイズはこの場に才人の姿がないことに気がついた。いつもなら、真っ先に気勢を上げるくせに珍しい。

 ルイズは、そういえばさっきまでの話し合いにも才人がまったく絡んでなかったと思って才人を探すと、才人はすみっこのほうで目を手で覆ってじっとしていた。

「ねえちょっとサイト、あんたなにやってんのよ。この大事なときにふざけてるの?」

 不機嫌になったルイズがそう詰め寄ると、才人は気まずそうに答えた。

「いやさ、今回ばかりはちょっと。その黒い花の幻って、目を開けたら、怖いものが見えちまうんだろ?」

「なにを今さら言ってんのよ。わたしだって我慢してるのよ。それに幻だってわかってるでしょ?」

「いや、幻でも、アレが見えちゃうのはヤバいというかマジで」

「はぁ?」

 どうも才人にしては歯切れが悪い。こういうことなら、いつもならば多少オーバーにビビっても、真っ先に立ち直るような単純さが持ち味だというのに。

 すると、水精霊騎士隊のみんなや、カトレアやジルもかたくなに目を開けようとはしない才人をいぶかしんで集まってきた。

 それでも、決して目を開けようとはしない才人。じれたルイズはエクスプロージョンでぶっ飛ばして目を開けさせようと呪文を詠唱し始めたが、そこをカトレアがまあまあとなだめて才人に呼びかけた。

「無理はしないで。きっと昔に、とても怖いことがあったのね。でも、怖がってばかりではいけないのよ。まずは、なにがあったか話してみて。そうすれば、ひとりで抱えるより楽になるかもしれないわ」

「カトレアさん……はい」

 優しく語りかけるカトレアに、才人も少し緊張を緩めた様子だった。

 ルイズは、才人に大好きなちぃ姉様を取られたようで内心は煮えくり返っていたが、反面これほど才人が怖がっているものは何かと気になってきた。

 それは水精霊騎士隊の少年たちもいっしょで、才人のトラウマになるようなものは一体なんだと好奇心にかられて耳を立てている。

 それを聞かないほうがよかったとも知らず……。

 

「小さい頃に見た映画で……人間の残像現象を固定して……画面いっぱいに巨大な……」

 

 それを聞いた瞬間から、ルイズや水精霊騎士隊の顔から血の気が引いた。

「あ、あんたなんてもの聞かせてくれてるのよ!」

「知るかよ! お前らが勝手に聞いたんだろ。知らない、おれは知らないからな」

「ま、待てよ。おれたちもう、それを聞いて思いっきり想像しちゃってるよな。てことは……」

 皆の顔が蒼白になる。すでにみんな、それへのイメージができあがってしまっているということは。

 はっとすると、彼らの近くに眼鏡をかけた男と子供が立っていた。

「ま、まさか……」

 悪い予感が駆け巡る。

 そして、彼らの影がすっと伸び、建物の壁に彼らの影が黒々と大きく映し出されたその姿を見て、一同は悲鳴をあげて逃げ出した。

「うわぁぁぁーっ!」

 もはや貴族の誇りも体裁もなかった。人間の本能的な嫌悪と恐怖を呼び起こすその形。最恐最悪、うごめくGの姿。

 後悔してももう遅い。才人ももう置いて行かれないように目を開けて走るしかなく、カトレアもこれには寒気に凍えながらつぶやいた。

「わ、わたしも、こ、これだけは……これだけは」

「ちぃ姉さまーっ!?」

 涙目で腰を抜かすカトレアをルイズが火事場の馬鹿力で背負って走り出す。もちろんルイズだって嫌だ。クローゼットからブラウスを取り出そうとして、カサカサッと奴が現れたときの恐怖は忘れられない。

 理屈ではなく本能的な恐怖。パニックに陥った才人やルイズたちは、幻だとわかっているはずなのに逃げ惑い、その後ろからはシルフィードとジルが呆れながら追いかけていった。

「きゅいい、あいつらなんで逃げてるのね?」

「まったく、これだから育ちのいい連中は」

 

 巨大な黒光りするGに追いかけられて、ひたすら幻から逃げ惑うルイズたち。

 相手が幻だとわかっていても、カサカサカサという不快な足音が背後から迫り、振り返るとそのヌメヌメした光沢が嫌でも目に入ってくる。その度におぞけが走り、いくら逃げても無駄なのに、足を止めることができなかった。

 そんな彼らを、路上に咲く黒い花が無言で見送っていく。だが、リュティスの街には似合わない黒い花を踏みにじりながら、才人たちをじっと見守っている人影がひとつあることに、慌てる彼らは気づいてはいなかった。

 

 そして、狂奔して街から逃げ出したリュティスの人々は、ついに郊外にまでやってきていたガリア軍の前へと殺到しつつあった。

「オルレアン公! オルレアン公!」

 ひるがえるガリアの旗へ向かって、多くの人が取るものもとりえずに駆けてくる。

 その異様な光景はガリア軍からも当然見えており、その雰囲気に、近づかせてはまずいと前衛の兵たちが槍を構えて警告する。

 しかし白刃と、「止まれ」という命令でも狂奔する群衆は止められなかった。仕方なく、風のメイジが逆風を起こしてやっと群衆の歩みを止めることに成功した。

 将軍から群衆へ向かって、「何事か! ガリアの軍旗の前に立ちふさがるとは不貞であるぞ」と、怒声が飛ぶ。すると、群衆から口々にリュティスに起こった異変が話され、群衆に代表者がいないので要領を得るのに手間はとったが、リュティスが怪物の巣窟と化したらしいことはガリア軍も把握した。

 その上で、オルレアン公に助けを求める声が響き渡る。しかし、今のガリア軍の主はオルレアン公ではない。さらに、オルレアン公は自分に助けを求める市民が続々と集まっていると聞いて狼狽していた。

「し、知らない。こんなことが起きるなんて、私は何も聞いていないぞ」

 彼がジョゼフから聞いていた筋書きでは、あくまで救世主として堂々リュティスに入城できるはずであった。

 けれど、すでに覚悟を決めていたイザベラは冷静だった。

「やっぱりな。このまますんなり入城できるわけないと思ってたけど、こんな手できたかよ」

「お前、お前はこうなることを予想していたというのか?」

「自分の親だからね。まともに会えなくても、近くにいれば少しは人となりがわかるさ。性格の悪さはさすがあたしの父上だ。でも、あたしもここで止まるわけにはいかないからね」

「どうするというのだ?」

「女王様が国民から逃げるわけにはいかないだろ。一応、神様のお墨付きももらったことだしね」

 ちらりと目線を流した先には、神官の法衣を着て清楚なふりをしている女たちの姿がある。むろん、イザベラは神のご加護を信じるタイプではないが、使えるものはなんでも使うというポリシーで、この自称女神官とはシンパシーを感じるものがあった。

 もちろん、利用価値のあるものに例外はない。

「当然だけど、お前も手伝えよオルレアン公様、アドリブは役者の腕の見せ所だろ」

 自分も矢面に立たされることになって愕然とする偽オルレアン公を見て笑みを浮かべられるほど、イザベラには余裕が生まれていた。自分は最初から背水の陣。覚悟さえ決めてしまえば、命を懸けるなんてこんなに簡単なことはない。

 イザベラは、側近の騎士っぽく変装して傍らに控えている元素の兄弟にも目配せした。なにがあるかわからないから、いつでも動けるようにと。

 けれど、主役を張らなければならないのはあくまでイザベラ自身。そして今度は戦うための力ではなく、言葉で心を動かす力が求められており、イザベラにとって初めての群衆に対する演説が始まろうとしていた。女王になるならば、民に身をさらして語るのは逃れられない義務。前回の戦いはいわば予備試験、今回のこれこそ本試験と言うに値する。だが、イザベラは死ぬ覚悟を決めて捨て鉢になってしまったわけではなく、その頭は冷たく冴え渡りながら、自分の力だけでは限界があることも理解していた。

〔さあて、こっから先はどうするんだいシャルロット? まさか王宮に向かって軍隊を攻め込ませるわけにはいかないよね。あたしがこっちを抑えてるうちに、そっちでなんとかしておくれよ〕

 かつてあれほど疎んで任務にしくじることを望んだタバサの成功を祈らなければならない皮肉。だが、味方にすればこれほど頼もしい者もいない。

 頼むよシャルロット。女王にここまでやらせたんだから、今度はお前のお手並みを見せてもらおうじゃないか。

 

 ジョゼフの策謀を止めようと、多くの者たちが懸命に努力しているにも関わらず、事態はいまだにジョゼフが主導権を握ったままで、対抗しようとする者たちは振り回され続けている。

 そして、世界のほとんどの人々は、自分たちがジョゼフの手のひらの上でもてあそばれているとも知らず、期待を込めてオルレアン公の凱旋の一報を待ち望む。

「新聞は、号外はまだか? オルレアン公が新国王になった記事はまだか」

 英雄の帰還というドラマティックな物語のクライマックスは、大衆にとって政治的はもちろん、またとない娯楽だった。

 国王たちも、ゲルマニアではアルブレヒト三世が今後の利権について無邪気に思案を巡らせ、アルビオンではウェールズが事態の急変についていけずにアンリエッタと連絡をとろうと躍起になっており、唯一真実を知るアンリエッタも民の混乱を恐れて行動に移せずにいた。ほとんど内乱状態のロマリアが蚊帳の外に置かれていたのは幸せなのかどうなのか。

 だが、まだ終わってはいない。ジョゼフの思う通りに終わらせるわけにはいかないと、抗う者たちはまだいる。

 

 幻の怪物たちに追い立てられて街の外へと向かう人たちの流れは、逆に言えば必然的に街の中央にある王宮周辺の人気が無くなることを意味する。

 そうして、ゴーストタウンとなった王宮周辺の街角から、すっとにじみ出るようにタバサが城門の前に現れた。

「とうとう、この機会が来た」

 タバサは、すでにリュティスにやってきていた。しかし王宮の厳重な警備や王宮を覆う不可視の結界のために手をこまねいていたが、周囲から人がいなくなった今がチャンスだ。

「普通にやったら、この結界はわたしの力では破れない。でも……そこで見ているんでしょう?」

「おや、さすが勘が鋭い」

 タバサが呼びかけると、何もない空間から、あのコウモリ姿の宇宙人の声が響いた。

「御託はいい。わたしを中に入れて」

「ええ、王様はあなたをお待ちですよ。でも、ちょっと不愉快そうな方がいらっしゃるようですね」

 その言葉に、タバサは城門の上を見上げた。

 言われるまでもない。こんな強烈な殺気、気づけないほうがどうかしている。額のルーンを輝かせ、シェフィールドがこちらを見下ろしていた。

「邪魔しないで」

「残念だけど、ジョゼフ様は今大切な儀式の詰めをおこなわれているの。今は通すわけにはいかないわ。代わりに私が遊んであげるわよ」

 シェフィールドがそう告げると、タバサの周辺の地面が盛り上がり、中から十数体のスキルニルやフェンリルが這い出してきた。

 杖を構えるタバサ。スキルニルはそれぞれメイジ殺しの能力を付与されているようで、隙のない動きで剣やナイフを操っている。

 タバサを取り囲んで、スキルニルとフェンリルは一斉に襲いかかってきた。全方位からの同時攻撃、並のメイジならばクラスが高かろうともとても防ぎきれるものではない。

 しかし、タバサは眉を動かすこともなく、体をくるりと舞わせながら小さく呪文を唱えた。

『ウィンディ・アイシクル』

 次の瞬間、スキルニルとフェンリルはすべて氷の矢で胴体を串刺しにされて地面に転がっていた。

 タバサはそれらの残骸には目もくれず、門上のシェフィールドに向けて言った。

「今さらこんなものでわたしは倒せない」

「でしょうね。さすがの魔法の冴えだわ。お前のおかげで私のガーゴイルたちもほとんど全滅して、私のミョズニトニルンの力も今や意味がないわ。けどね、そんなことは関係なく、お前をここから進めるわけにはいかないのよ」

 シェフィールドがそう告げると、異変が起こった。

 タバサの周囲にも咲いている黒い花。いや、町中に咲いている黒い花から黒い粒子が空へと立ち上ぼり始めていく。

「!?」

 異様な光景を見てタバサは身構えた。するとシェフィールドは、空に集まって塊になっていく黒い霧を見上げながら愉快そうに話した。

「教えてあげるわ。この黒い花は、奴が異界から持ち込んだ種子から発芽したもの。そして、この花の栄養は人間どもの恐怖」

「恐怖? だから、それぞれの人に恐ろしい幻を見せて」

「そうよ。あなたはどんな幻を見たのかしら? 動揺してないのはさすがだけれど、これからもっといいものを見せてあげる。この花は成熟すると、自分で集めた恐怖のエネルギーを使って実体を現すわ。でもね……」

 シェフィールドはニヤリと笑い、タバサに向かって果てしない憎悪を向けながら言った。

「思えば、お前のおかげで何度私はジョゼフ様の前で恥をかかされたことか。その借りをここでまとめて返してあげる。ひれ伏すがいいわ。この花はジョゼフ様の御力でさらに改良され、こんなこともできるのよ。さあ、集められたリュティスの人間たちの闇の力よ、最強の兵器となって姿を現しなさい!」

 その瞬間、空に集まった巨大な黒いエネルギー体が、シェフィールドに向かって一気に落下した。

「くっ!」

 タバサはとっさに飛び退いて距離を置いた。

 いったい何が? 黒いエネルギー体は王宮の城門を覆いつくすほどのもやとなって蠢いている。

 シェフィールドは黒いエネルギー体に押し潰されてしまったのか? いや、そんなわけがないとタバサは甘い考えを振り払った。

 そして、悪い予感はすぐさま現実のものとなった。黒いエネルギー体の中から心臓のような鼓動が流れると、まるで紫色のスライムのようなものが盛り上がってきて、泡立ちながら膨れあがっていく。

 あれは一体? タバサはその巨大な物体の腫瘍のようなおぞましさに戦慄しながら思った。それは紫色をした巨大なスライムか肉塊としか言いようがなく、異形のなにかは城門や城壁を飲み込み、さらに街のほうへと肥大化を続けている。

「フフフ、アハハハ!」

 そのとき、異形の中からシェフィールドの笑い声が響いた。そして目を凝らすと、巨大な肉塊の一角からシェフィールドの上半身が浮き出ている。

「ウフフ……いい気分、とてもいい気分だわ」

「……取り込まれたの!?」

「取り込まれた? 違うわ。私がこの強大なエネルギーを支配したのよ。尽きることのない力が湧いてくるわ。恐怖とは、生きようとする渇望そのものの感情……それを集めて塊にした、この生物兵器メノーファの力、ジョゼフ様のための私の最後の力、思い知らせてやる!」

「……まるで忠実な犬」

「ほざきなさい! お前さえいなければ、お前だけはこの手で八つ裂きにしてくれる」

「わたしも、シルフィードをもてあそんだあなたを許しはしない」

 タバサも杖を構え、メノーファと相対する。長く続いた因縁もそろそろたくさんだ。今日この場所でさっぱりと終わらせると、シェフィールドとタバサのどちらも決めていた。

 元凶たる黒い花を踏みにじり、花よりももっと黒い殺意を込めて二人の女がぶつかり合う。その光景を、自分が黒い花やメノーファの種を渡したくせに、コウモリ姿の宇宙人は愉快そうに眺めていた。

「絶景かな絶景かな。いいですねえ、人間という生き物は。これだからこそ、多くの宇宙人が興味を持つというものですよ。ですが、そろそろ事前に消耗させたウルトラマンの方々も力を取り戻しかけてる頃ですね。もうしばらくこちらの邪魔をしないでいただくために、こちらもそろそろ特別ゲストに登場いただきますか」

 彼はそうつぶやくと、はるか空のかなたの宇宙を見上げた。空にはまだ雲以外の何の影も見えない。しかし彼には、そのかなたからすぐそばまで来ている巨大ななにかが見えていたのだ。

 

 ジョゼフの悲願が成就する瞬間は近い。タバサは、才人たちは間に合うのだろうか? 残された時間は少なく、敵の手の内はまだ未知のヴェールに包まれている。

 

 そんな中に残った希望の光は、この世界にはまだ他にも悪の策謀を阻止しようという意志のある者たちがいることだろう。

 そのうちの一人、ウルトラマンダイナことアスカ・シンは、タルブ村からトリスタニアへ向かう道を、小さな馬車に揺られながら旅していた。

「いやあほんと、あのときは助かったぜ。宇宙人どもに追われて、もうダメかって思ったときに店長さんたちに助けられるなんてな」

「うふん、店長じゃなくてミ・マドモアゼルって呼んで。私たちもあのときは驚いたわねえ。妖精亭をしまってみんなでシエスタの実家に避難しようとしてたら、常連のあなたが追われてたんだもの。びっくりしたわあ」

 馬車にはアスカの他にスカロンや魅惑の妖精亭の少女たちが乗っていた。

 あのとき、ダイナの戦った宇宙人に化けたスキルニルに追われていた時、たまたま前から魅惑の妖精亭の一同の乗った馬車がやってきた。もちろん、一本道だったのでどちらも驚いたのは言うまでもないが、アスカが驚いたのはその先であった。

「まさか店員のみんながフライパンやお鍋で宇宙人をやっつけちゃうとは思わなかったぜ。てんちょ……み、ミ・マドモアゼルなんか素手でレイビーク星人ぶっとばしちまうしさあ」

「うふふ、女の子は宇宙最強の生き物なのよ。うちのみんなもいろいろ体験して強くなってるし、そんじょそこらのクレーマーなんかに負けたりしないわ。ねえ、ジェシカちゃん」

「もちろん。もう貴族だろうとなんだろうと、うちの店で偉そうにさせないわ。だから安心してうちをひいきにしてくださいね、アスカさん」

「お、おう」

 女はどこの世界でもたくましいぜ、とアスカは冷や冷やした。アスカ自身は元の世界に待たせている人がいるので下心で妖精亭を利用したことは無いが、これは今後気を付けなければいけないなと思った。

 さて、今のことであるが、スカロンたちに助けられたアスカは疲れたこともあっていったん皆についてタルブ村に戻った。その後、ガリア軍が引き上げてトリスタニアが安全になったという連絡を受けたので、いっしょにトリスタニアへと戻る途中であった。

「なんだかよくわからねえけど、平和になったならそれでいいんじゃねえ?」

 オルレアン公の本性など、陰謀の詳しい事情を知らないアスカはのんきそうに考えていた。それに、ダイナに変身するためのエネルギーもだいぶ回復できてきている。なにか起きても対処できるという自信があった。

 ジェシカたちとたわいない雑談をしつつ馬車は進む。このトリステインに限って言えば、もう事件が起こりそうな空気は感じられなかった。

 だが、そうして何事もなく旅が続くかと思われたときだった。突然、アスカの持つスーパーGUTSの通信用端末であるW.I.Tに通信が入ってきたのだ。

「なんだ? 誰からだ?」

 アスカはいぶかしんだ。元の世界から飛ばされた時から肌身離さず持っているスーパーGUTSの装備だが、もちろんスーパーGUTSと連絡をとることはできない。それでも、捨てることはできずに持ち歩いているそれに外部から入電があったのだ。

 誰からだ? 我夢か? アスカは考えながらも、開くとGの字の形になるW.I.Tデバイスのスイッチを入れた。すると、デバイスの画面には砂嵐が映り、途切れ途切れに声が聞こえ始めた。

〔誰か……を……早く……この通信を……聞いて〕

「お前は誰だ? どこから話してるんだ?」

 アスカは呼び返した。通信を送ってきている相手は送信状態が悪いのか、声も音割れして男か女かもわからない。しかしこちらから返信したことは届いたようで、声色が変わって、明らかに必死さが増した声が入り始めた。

〔早く…………が、あなたたちの星に…………大変なことに……お願い〕

「おい、お前は誰だ! なにを伝えたいんだ? はっきり言え!」

 相手ののっぴきならない様子を感じ取ってアスカは叫んだ。この端末に呼びかけてこれるということは宇宙人か? だが、なんの目的で?

 その様子に、ジェシカたちも何事かと寄ってきた。アスカはなんとか相手と会話しようと額に汗しているが、通信状態は一向によくなる気配を見せない。

〔わたしたちは……の、目を盗んで……を使って…………のことは構わないで……もうすぐ、そっちに〕

「わからねえよ! お前は誰だ? なにがこっちに来るってんだ?」

 断片的な言葉から、なにか大変なことを伝えたいのはなんとかわかったけれども、肝心のことがノイズでかき消されてわからない。

 何度も聞き返すも、ノイズが収まる気配はない。どうやら向こうの通信用設備が不安定らしく、出力が足りてない様子だった。

〔早く……早く……〕

 やがて通信は弱まり、ついに切れてしまった。

 いったい誰が呼びかけてきていたのか、なにをこちらに警告しようとしていたのか、結局わからないままだった。

 だが、アスカは決意した。どこの誰かは知らないけれど、あんなに必死に呼びかけてきてくれた以上、ただごとではないはずだ。そして、自分にはわからなくとも、わかるかもしれない知り合いならいる。

 アスカはスカロンに頼み込んだ。

「店長さん頼む、トリスタニアへ急いでくれ。なんか、すげえ悪いことがまた起こりそうな気がする」

「アスカちゃん。うーん、私にはなにがなんだがよくわかんないけど、ジェシカちゃんは?」

「お父さん何をためらってるのよ。困ってる人がいるなら、助けるのが妖精さんたちの心意気でしょ。常連さんのお願いならなおさらじゃない。というわけで、ドルちゃんたち、全速前進よ」

 ジェシカが指示すると、馬車の手綱を任されていたミジー星人の三人はざわざわと愚痴をこぼしあった。

「おんのれえ、なにが悲しくてよりによってダイナを助けないといけないんだ」

「しょうがないわよ。彼、店長やみんなに人気があるし、お給料減らされちゃったら大変よ」

「どこへ行っても世知辛いよなあ。早くお金を貯めて自分の店を持ちたいよ」

 ミジー・ドルチェンコ、カマチェンコ、ウドチェンコの三人はすっかり落ちぶれた自分たちの様に嘆いていた。

 とはいえ、彼らの場合は自業自得。多くの侵略者が失敗して散っていった中で、生きていられただけありがたいと思ったほうがいいくらいだ。

「ハイヤー」

 馬に鞭を入れて馬車は急ぐ。アスカは馬車の行く先を見つめながら、さっきの通信のことを考えていた。

 誰かが何かを警告しようとしていたことだけは確かだ。内容はわからなかったけれど、あれだけ切羽詰まった様子からして、すぐにでもその何かがやってくるのだろう。

「来るならきやがれ、俺が相手になってやるぜ」

 相手が誰でも、平和を乱す奴には正面から受けてたつ。ウルトラマンが、ダイナがいる限り悪の思い通りにはいかないんだってことを、わからせてやるとアスカは燃えた。

 

 さらにその頃、さっきの通信を傍受していた者たちはもう一組いた。

 トリステインとガリアの国境付近。恐竜戦車が沈静化されたのを見届けた我夢と藤宮も、我夢の持つXIGの腕時計型通信機XIG-NAVIを使ってアスカが聞いたのと同じ警告を聞き、危機感をつのらせていた。

「これも、奴の策略の一端なんだろうか?」

「無関係と思うべきではないし、必ず関与していると断言すべきでもないだろう。破滅招来体との戦いの時も、一番怖かったのは俺たち自身の『思い込み』だった」

 敵が未知であるほど、先入観で行動するのは危ない。二人は破滅招来体との戦いからそれを嫌というほど学んできていた。ましてや今の敵は十重二十重の策を巡らせてくる宇宙人、冷静さを失ってはならない。

 だがそれにしても、事前に警告を寄越すとは、敵の中に裏切り者がいるのか? それとも何かの罠か?

 確かなことは、何かが来る。それも恐らくは……空から。

 我夢と藤宮は空を見上げた。

 空は、地球の空と同じように青く穏やかに晴れ渡っている。だが、そこから招かざる何かがやってこようとしている。

 いくらウルトラマンが何人もいるとしても、果たして守りきれるのだろうか? いや、それは傲慢だろう。ウルトラマンがいかに外敵を退けたとしても、ガリアという国、そしてハルケギニアという世界を平和にできるかは、この世界の人間次第でしかないのだから。

 

 

 続く



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第27話  因縁の対決、タバサ対シェフィールド

 第27話

 因縁の対決、タバサ対シェフィールド

 

 黒い宇宙植物 メージヲグ

 生物兵器 メノーファ

 恐怖エネルギー魔体 モルヴァイア 登場!

 

 

 タバサにとって、ジョゼフは父の仇である。シェフィールドにとって、ジョゼフは守るべき主君である。

 運命に翻弄され、形を変えてタバサとジョゼフは幾度も戦い、シェフィールドはジョゼフの手足としてタバサの前に立ちふさがってきた。

 そして、このリュティスで両者の最後の戦いが始まろうとしている。

 数々の戦いを経て、スクウェアクラスの最上位まで才能を開花させたタバサに対して、シェフィールドは自らの身を捨てて生物兵器メノーファと化して挑む。

 どちらにも引けない理由がある。互いに何度も苦杯を飲まされた憎しみも込めて、決着を付ける時が来た。

 

 その光景を、冷笑しながら見下ろしている邪悪な眼差しがあったとしても。

「フフ、どちらが勝っても構いませんよ。すでに計画の大事な部分は完成していますからねえ。結果は同じ……そう、私はちゃんと王様との約束は守りますからね」

 陰謀に陰謀が重なり、混沌が増していく。最後に笑うのは、いったい誰か……?

 

 リュティス中に広がった恐怖のエネルギーを集めて作り出されたメノーファは、汚泥から沸き上がるあぶくのようにおぞましく脈動しながら膨れ上がっていく。そしてその中心に同化して操っているシェフィールドは、街ごと巨体でタバサを押し潰す勢いで迫っていった。

「くははは、私の中に信じられないくらいの力が溢れてくるわ。最初からこうしておけばよかった。お前を、このくだらない街ごと踏み潰してやる」

「それは奇遇……わたしも、あなたをもっと早く片付けておけばよかったと後悔しているところだから」

 タバサも、敵意をまったく隠さずに杖を振るって迎え撃つ構えだ。

 二人はこれまで、何度も戦いを繰り広げてきた。タバサがシェフィールドの関与を知らなかった場合もあるが、タバサはこれまでに起きたことの多くにシェフィールドが絡んでいたであろうことは気づいていた。

 膨張を続けるメノーファに向けて、タバサは杖をかざして得意の魔法を放った。

『ウィンディ・アイシクル』

 鋭い氷の弾丸が無数に放たれてメノーファの全身に降り注ぐ。しかしメノーファの体はゴムのように氷弾を受け止めると、無傷で柔らかく跳ね返してしまった。

「無駄よ、無駄」

 シェフィールドはあざ笑う。けれどタバサも、未知の相手には最初は様子見だ。相手はぶよぶよのスライムのような怪物、ウィンディ・アイシクルの物理的攻撃は通用しなかった。なら形のない攻撃ならばと、今度は人間なら即死するレベルの電撃を放った。

『ライトニング・クラウド』

 タバサの杖からほとばしった電撃が無数の光の鞭となってメノーファに突き刺さる。しかし、メノーファは電撃も吸い取るように体に吸収すると、タバサに向かってそっくりそのまま打ち返してきたのだった。

「くっ」

 自分の放った電撃のお返しを、タバサはとっさに空気のシールドを張ってやり過ごした。空気の断層に電気を通しやすい層を作って流してしまうというわけである。もっとも、こんな器用な芸当ができるのはタバサくらいのものだ。

 タバサは、目の前のグロテスクな怪物が難敵であることを認識した。物理攻撃もだめ、エネルギー攻撃も効かない。これは、気を引き締めて当たらないといけない。

 メノーファは、タバサの二度の攻撃もものともせずに膨張を続けている。肉塊でできた体は手足も頭もないが、その膨らみ続ける肉体はどんどんとタバサへ迫り、手出しができないでいるタバサにシェフィールドは愉快そうに笑った。

「あははは、もう手詰まりかしら? いいざまね、あなたの力なんてしょせんその程度のものなのよ」

「……」

「あら、負け惜しみのひとつも言えないのかしら? それから、このメノーファが図体だけのでくのぼうだと思わないことね!」

 メノーファのこぶが怪しく光ると、毒々しい色をした光弾が発射された。タバサがとっさにかわした後ろで、建物が爆砕されてレンガの破片が飛び散って行く。

 吸い取った感情の力を圧縮したエネルギー弾だ。まともに食らえば人間の体なんかひとたまりもないだろう。タバサは眉をしかめたが慌てはしなかった。あのシェフィールドの切り札だ、これくらいやってこなければおかしいというものだ。

 無表情で杖を構え直すタバサを見て、シェフィールドは忌々しげにつぶやいた。

「どこまでも腹立たしい奴。お前が、お前たち親子がいなければ、ジョゼフ様が苦悩することも無かった。お前たちは、生まれてきたことが罪なのよ!」

「そうかもしれない。王族というのは、そうした罪深い業を背負っているということはわかってる。けれど、わたしはお前たちのおかげで多くの人と出会ってわかった。人間は誰でも違った業や宿命を背負って生きている。誰もが特別じゃない」

「ハハ、言い訳のつもりかしら?」

「そうじゃない。業も宿命も、誰かに与えられたとしても、選ぶのは人の自由に委ねられている。人はその選択しだいで、罪でさえ光に変えることができる」

 タバサは吠えた。タバサももう昔のタバサではない。異なる世界でも勉強を重ね、人としての生き方を学んできた。

 誰しも間違う。逃れられない重圧の中で間違いを繰り返す。それはどんな人間でも、ウルトラマンでも例外ではない。けれど、それで終わりではない。その先へ進む決意があるのなら。

「わたしもまた、罪深い身。自分のために、多くの血を流してきた。その罪を無駄にしないために、あなたたちの行いは止める」

「勝手なことを。お前もまた、加担した身ではないか。それを今になって、この裏切り者め!」

「そう、わたしは間違っていた。けれど、今は正しい選択をしていると確信している。その自信を、イザベラが与えてくれた」

「なに?」

 シェフィールドは困惑した。なぜ、ここでイザベラの名前が出てくる? しかしタバサは哀れむような声で告げた。

「言っても、あなたにはわからない。歯車であることに満足している、犬のようなあなたには」

 痛烈な皮肉だった。タバサはジョゼフと行動を共にした期間、シェフィールドのことも見ていた。

 タバサから見て、シェフィールドは忠誠心だけは見事なものだ。だが、タバサにとって忠誠心はたいした評価にはならない。むしろ、厚すぎる忠誠心は目を曇らせる害悪とさえ見ている節さえある。

 かつて、忠誠心に厚いと言っていた父の臣下たちは、いざというときに何の助けにもならなかった。それ以来、タバサにとって他者との信義とは、自分の力と態度で示すものだとして、シルフィードにもキュルケにもそうしてきた。

 だがしかし、タバサのそうした見方はシェフィールドの逆鱗に触れるものであった。

「殺す、殺してやる!」

 シェフィールドにとって、それは自身を全否定されるのと同じだった。シェフィールド自身のマイナスエネルギーも加わって、メノーファはさらに肥大化を早めていった。

 メノーファの巨体は肥大化するそれだけでリュティスの街並みを押し潰していく。タバサは自分に雪崩のように迫るメノーファの巨体を飛んで避けるが、このまま無秩序な肥大化を許したらリュティスが飲み込まれてしまう。

「逃げ場は無いよ。リュティスの人間どもから絞り出した恐怖のエネルギーは無尽蔵にあるんだからね!」

「そんなことをすれば、あなたたちの計画も台無しになる」

「心配はいらないよ。リュティスなんかどうなったところで、ジョゼフ様ならどんなことでも必ず取り繕ってくださる。だから安心して死ぬがいい!」

 シェフィールドは顔までメノーファの体に埋没し、もう完全に一体化している様子だ。リュティス中の人間たちの恐怖のマイナスエネルギーを受けて、それでもなお自我を保っているのはシェフィールドの強烈な悪念のなせる業か。

 タバサはメノーファの肥大化を少しでも食い止めようと、さらにジャベリン、ウィンドブレイクを放つが、まるで応えた気配はない。

 それを見てあざ笑うシェフィールド。しかし、タバサは危機感は持っても無闇に焦ってはいなかった。

 どんな強い獲物でも、必ず隙を見せるときはある。そこを逃さずに必殺の一矢を打ち込めば倒せないものはない、そのチャンスを冷静に待って逃すなというジルの教えは今でも確かにタバサの中に息づいていた。

 それに、タバサは一人で戦っているわけではない。巻き込むのは不本意だったが、このリュティスには自分のほかにも何人もの仲間が来ているはず。彼らも必ず、状況になにかの変化を与えてくれるはず。

 

 人頼みになるのかと言われればその通りだ。皆には、後で土下座して謝っても足りないけれど、自分たち王族の犯した過ちはなんとしてでも、ここで精算しなくてはならない。

 そう、決して望んで王族に生まれたわけではないけれど、王族としての責務を果たすことが、守りたい人たちを守ることに繋がる。なら、それを受け入れよう……あなたは答えを見つけたの? イザベラ……。

 

 タバサの心の呼びかけに答えるかのように、その頃イザベラも目の前の新たな試練に望もうとしていた。

「それにしても、リュティスってこんなに人間がいたんだねえ。これが全部わたしの国民か、感激できるねえ」

 ふざけた様子でうそぶいているが、自分が女王になるのならば、この視界を埋め尽くす何万という群衆も御せなくては話にならないことをイザベラは自覚していた。

 しかも、この群衆はあくまでオルレアン公を目当てに集まってきている。自分はお呼びではないところを、自分への支持に変えなければ女王にはなれない。そのために、ここからはハッタリだけではだめだ。

「さて、それじゃお話の時間といきますか」

 イザベラは腰を上げて、演説する台を用意するよう命じた。

 そんなイザベラを、オルレアン公、いや偽オルレアン公は不安げに見つめている。

「どうする気だ? こんなことになるなんて予定はなかった。我々には、もうどうすればよいかわからん」

「なんだ? 台本が無かったらアドリブも不安になるタイプか。情けないねえ、役者魂を見せなよ」

「なにを無責任な。我々は、お前の軍門に下れば命は助かるというから従っているのだぞ。どうしてくれる!」

「慌てるなって。どうしてかはわからないけれど、わたしは今自分でも信じられないくらい落ち着いてるんだ。女王になるのを受け入れたおかげかな? 相手が何万だろうが何億だろうが、まるで怖い気がしない。どころか、フフ……」

 そのとき、イザベラの横顔にオルレアン公は戦慄した。一見すればただの生意気な小娘にしか見えないイザベラから一瞬、背筋の寒くなる悪魔にも似た何かを感じた気がしたのだ。

 いったい、なにを根拠にイザベラはこんなに落ち着いているのだろうか? 開き直ったわけでもやけになったわけでもない。けれど、ゲーム盤を前にしたジョゼフと同じようにその眼は勝利を確信し、獲物を目の前にした猛禽と似た輝きを放っている。

 けれど今度は前回のように未知の力が突然目覚めるみたいな奇跡は望めない。なら、どうするのか? すると、イザベラは少し離れて待機していたトリステインの神官団……つまり、変装したミシェルら銃士隊を呼び寄せると言った。

「お前たちにもちょっと協力してもらうよ」

「我々に、始祖の代行者として正統の証明をしろとのことでしょうか?」

「違うよ、それはもう十分だ。わたしが見るところ、お前ら顔を隠してはいるけどみんないい女だ。ってことは、フフフ」

「はい?」

 イザベラの考えていることの意味がわからず、ミシェルたちは戸惑った。しかし、イザベラから企みを明かされると、ミシェル以外の銃士隊員たちは眼を輝かせて色めき立った。

 銃士隊員たちはトリステインから乗ってきた船に必要なものを取りに跳んでいき、すぐさま支度を開始した。

 数人の銃士隊員がイザベラを囲んでなにやらしている。それをミシェルは、意味があるものなのかと懐疑的な眼差しで見守っていたが、一人の隊員に「だから副長はサイトを捕まえられないんです」と、呆れたふうに言われて憮然とした。

 かかった時間はざっと五分ほど。短いが、救いを待つ群衆を待たせるには長く貴重な時間を費やした後、それは完成した。

「なっ、なんと……」

 そこには、興味を示していなかったミシェルでさえ思わずうなってしまうものができあがっていた。それを見て、周りの兵士たちも大きくどよめきだしている。

 それにたずさわった銃士隊の隊員たちも、思った以上の出来映えに惚れ惚れしているほどだ。例外は人類とは美的感覚が違う偽オルレアン公一団だけだ。

 果たして、イザベラの秘策とは何なのか? それが吉とでるか凶と出るかの答えの時はすぐに来る。

 

 群衆は、恐ろしい怪物たちに街を追われて逃げてきて、精神的にすでにかなり追いつめられていた。軍隊に槍を向けられてギリギリの理性で止まっていたものの、これ以上じらされれば耐えきれずに理性を失って軍隊に突進していってしまうだろう。

 そうなれば多くの犠牲が出るのは間違いない。そんな決壊寸前の瀬戸際に、とうとうオルレアン公はリュティスの市民たちの前に現れた。

「恐れることはない、我が民たちよ。私はここにいる!」

 風の魔法に乗った声が響き渡り、人々は足を止めた。

 TVもラジオも無いハルケギニアでは、平民のほとんどはオルレアン公の顔も声も知らない。けれど平民たちは、このもし地球人が聞いたとすれば変声機を使ったように感じたかもしれないくらいに澄み渡った声の持ち主こそオルレアン公だと確信した。

 オルレアン公の名を呼ぶ唱和が群衆からこだまする。続いて群衆から見える壇上に姿を現したオルレアン公は、人々に向けて落ち着くように諭すと、自分たちがガリアを救うためにやってきたことを語った。

 たちまち群衆から歓声があがる。救世主オルレアン公を歓迎する熱量は、つい先日まで同じように熱狂していたガリア軍の将兵から見ても熱気を感じるほどであった。

 しかし、今のオルレアン公は前座でしかない。主役が変わっていることを知らないリュティスの民たちに、それをどうやって受け入れさせるか。偽オルレアン公は群衆をなだめ、そして言われた通りにイザベラへ渡すように話を移した。

「民よ。君たちに降りかかった災厄を私は見過ごしはしない。だがその前に、君たちに嬉しい知らせがあるので、聞いてもらいたい。私と同じく始祖の血脈を継ぎ、私以上に才覚に溢れた我が姪のイザベラ王女を紹介しよう!」

 大業に称え、偽オルレアン公は群衆に注目を促した。彼は内心では、これでしくじったら一味もろとも破滅だと恐々としていた。

 彼にはイザベラの考えがわからない。どれだけ人間に似せても人間の価値観まではコピーのしようがない、それが限界であった。

 しかし、呼びかけに応じてイザベラが群衆の前に姿を現したとき、その瞬間起こったのはオルレアン公の登場の時以上の歓声であった。

 

「おおおおおおおォォォォ!!」

 

 言葉にならない感情の津波が押し寄せて荒れ狂う。その大半は歓喜で、さらにはガリア軍の中からさえもあがっていた。。

 その光景を、偽オルレアン公は理解できないながらも最低限の威厳を保つよう心がけながら見つめていたが、群衆の中から次第にある言葉が流れ始めて彼の耳にも届いた。

「きれい。きれいな方だわ」

「美しい、なんて美しい姫だ……」

 口々に讃える言葉が漏れ聞こえる。

 そう、今のイザベラは純白の法衣を身に纏い、十分な化粧をして人々の前に立っていた。もちろん王女であるイザベラはプチ・トロワに住んでいた頃から日常的に化粧はされていたけれど、その頃は常に眉間にシワをよせるような生活をしていたので、せっかくのドレスも化粧も台無しになっていた。

 だけれども、今は違う。化粧の質こそ現地で短時間でこなした簡易なものだけれど、イザベラの表情は強い意志に満ち満ちて、生来の美貌をこの上なく輝かせていた。

「ガリアの民たちよ、聞くがいい! わたしは始祖の血を引く正当なる後継者。お前たちの胸に、イザベラという名を刻みつけることをまず命ずる!」

 高らかに宣言したイザベラの声に、人々は雷に打たれたかのように衝撃を受けて固まった。

 一瞬にして大群衆から声が消え去り、どよめきや野次さえもない。それだけ、決然と放たれた今のイザベラの声に込められていた威厳は強かった。

 まるで、無秩序なハイエナの群れがライオンの一吠えで縮みあがってしまうかのような光景。リュティスの民のほとんどはオルレアン公同様にイザベラの姿も知らないけれど、この一声だけで彼女を王族かと疑う者はいなくなった。

「民たちよ。わたしはお前たちを苦しめているジョゼフ一世の一子である。しかし、わたしは父のやり方を認められず、ここにこうして推参した。心苦しいことであるが、わたしは父を国王から廃することを決意した。その果てに、先々王のような平和で豊かなガリアを再興することをわたしは志す。ガリアの未来を憂う勇気ある者はわたしの掲げる旗を仰ぐがいい!」

 この声に群衆からさらなる歓声があがった。

 ジョゼフの子だということなどは聞き流され、新しい救世主の登場に人々は興奮している。群衆の中には、以前のイザベラを知っている元メイドなども混ざってはいたが、あれが本当に昔見たイザベラと同一人物かと眼を疑っていた。声は同じだし顔立ちもそのまま……しかし、まるで別人だ。

 女王としての着こなしと立ち振舞いを披露するイザベラの姿は、あっという間にオルレアン公から人気を奪い取っていた。いつもの意地悪げな笑みを張り付けた顔は凛々しく引き締まり、そのあまりの変わりようにはジャネットさえ自分の目を疑っている。

「あら、まぁ……磨けば光る子なんじゃないかしらとは思ってたけど、まさかここまでとは、ね」

 ドゥドゥーやジャックも、人間ここまで変わるものかと驚いていた。

 イザベラの父ジョゼフも、風貌では美丈夫と称される容姿の持ち主。イザベラにもその美貌は十分に受け継がれていたが、これまでのイザベラにはその自覚が足りなかった。

 その自信に気づかせてくれたのは、イザベラにとって仇敵であった他ならぬタバサだった。数年前、イザベラはタバサを北花壇騎士の任務で呼びつける度に王宮で晒し者にしてきたが、メイドも衛士どももそんなタバサを嘲るどころか尊敬の眼差しで見つめていた。その意味を当時の自分はいら立つだけで知る由もなかったけれど、今ならわかる。

 王の威厳とは何よりも己の強い意志にある。見た目が貧相だろうが、何者にも屈せずに”自分はここにいる”という意志が、太陽や月のように輝きを放って人を引き寄せる。だが、本当に貧相なままでは雲がかげった月のようなもの、身なりを整えればそれは星を従えた満月のようになれる。

 イザベラは、知らないうちにタバサから様々なことを学んでいたことを腹立たしく思ったものの、自分の中に間違いなく王族の資質が眠っていたことに胸を熱くした。こうなることもタバサの思惑通りだとすればさらに腹が立つが、文句を言ってやるのは後だ。

 見渡す限りを埋め尽くす大海のような群衆を見渡し、イザベラは言葉を継いだ。

「我が民よ。今のガリアは大きな災いに直面している。わたしはそれを救うためにここにやってきた。お前たちの欲する平和を必ず取り戻すために、わたしはここにいる」

 イザベラの一声一声に群衆は歓声で答える。けれどイザベラは彼らに対して、都合のいい救世主になるつもりはなかった。

 北花壇騎士団長の頃に得た経験。民衆というものは、単に災厄を取り除いてやっても、すぐに同じことを繰り返す。オーク鬼に襲われていた集落に騎士を派遣してやったら、退治後に安心しきって別のオーク鬼に襲われて全滅した例があった。このままガリアを救ったとしても、ガリアの民はまた変わらぬ安穏とした姿に戻り、王様ひとりの気まぐれに振り回される日々が未来に再現されるかもしれない。

 過ちを繰り返さない唯一の方法は、痛みの記憶を刻み込むことだけ。けれど、民たちに戦えと言うわけにはいかないイザベラは、ひと呼吸おいてこう告げた。

「民たちよ。わたしはこれからジョゼフ王に戦いを挑む。ただし、王には凶悪な魔物がついている。その戦いは恐らく、想像を絶するものになることだろう。だからお前たちに先んじてひとつ命じる……これから起こることを目を逸らさず見届けよ。その果てに、このガリアに生きるとはどういうことか、誰がこのガリアの王だるにふさわしいかをお前たちは知ることになるだろう」

 これは予言ではない。もうあと数刻を待たずして、このリュティスは戦場になる。それはもはや避けられない運命だ。

 本来ならば民を安全な場所まで逃がすべきなのだろう。しかしそれでは、与えられた平和を漫然と享受するだけで、なにひとつガリアそのものの成長はあり得ない。

 もっとも、それもこれも都合よく生き残れたらの話だが。

 イザベラは魔都と化したリュティスを望みながら、すでに潜入しているはずのタバサが無事障害を取り除いてくれることを祈った。

 

 しかし、リュティスの状況は悪化の一途を辿るものであった。

 巨大化を続けるメノーファ。その巨体は小山のようになり、街を押し潰している津波のような進撃で、まだ街に残っていた人々も血相を変えて逃げ出している。

 そしてその中には、役立たず状態で逃げ惑っていたルイズと才人たち一行の姿もあった。

「ちょちょ、ちょっと待て。あれ見ろ、あれ!」

「なんだありゃ? でかい肉の塊か? あれは幻じゃない、街が壊されていくぜ」

「まずい、逃げろ!」

 水精霊騎士隊は急いで逃げ出し、才人とルイズもその後を追った。

「なあ、あれもジョゼフのしわざだと思うか?」

「わかんないわよ。けどたぶんそうでしょ。サイト、変身に必要な力はもう溜まってたっけ?」

「だいぶ来てるはずだけど、まだあとちょっとだ。だけど」

 グエバッサーと戦った際に大きく消耗した回復は、八割ほど完了していた。しかし、今変身してしまってはそれを使い果たすことになってしまう。まだジョゼフの顔も拝んでいないというのに、こんなに早く切り札を使ってしまっていいのかという問題もあった。

 しかし、あんな巨大なものをどうにかするのに他にどうしろというのか? エクスプロージョンをフルパワーで撃っても氷山の一角しか削れそうにない。しかしこのままでは、膨張していくあれに街も自分たちも押しつぶされてしまう。

 せめて、十分なエネルギーが戻っていたら。そう思ったときだった。二人の眼に、建物の影でうずくまっている誰かの姿が入ってきた。

「うぅっ……」

「ちょ、あんただいじょうぶか!」

 二人は急いで駆けつけて、その男を助け起こした。

「ああ、どこのどなたかは存じませぬが、かたじけない」

 その男は、痩せた気弱そうな中年だった。身なりでかろうじて下級貴族だとわかるものの、平民に混ざっていても誰も気に止めないかもしれない。

 彼は痩せた体には不似合いな大荷物を持って疲れはてていたが、才人が肩を貸すと頭を上げて礼を言ってくれた。才人はそんな彼を支えながら、先に行った水精霊騎士隊のみんなを追って急ぐ。

「なんで、こんなところにまだいるんですか? 早く逃げないと、あのでかいのにつぶされちまうんだぜ」

「すみませぬ。私も逃げようとしていたのですが、どうしても置いていけない仕事がありまして」

「そんなの、死んだら元も子もないじゃないですか」

「いいえ、私がこれを放り出して逃げたら、大勢の人が困るのです」

 見ると、男がしっかりと抱き抱えている鞄にはぎっちりと書類が詰め込まれているようだった。会計士かなにかの仕事だろうかと、才人はサラリーマンだった父のことを思い出した。

 ともかく、男は頑固に荷物を手放そうとはしないので、才人だけでは支えきれずにルイズも反対側から肩を貸して歩き出した。

「おもっ! もう、わたしにこんなことさせるなんて、本当ならありえないんだからね」

「本当に、どちらの良家のご夫妻か存じませぬが、ありがとうございます」

「ふ、夫妻!? って、そ、そんなわたしたちはそんなんじゃないわわわ」

 思わぬ一言にルイズは思いっきり動揺した。確かにハルケギニアではルイズくらいの年頃で結婚しているのは珍しいことではないが、こんなところで不意打ちぎみに言われたのでうろたえてしまった。

「それは失礼しました。とても仲良さげに見えたもので、つい。実は私にも妻と子がおりまして。あなた方のように健やかに育ってくれればと願っております」

「マイペースなおっさんだな! 今そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

 才人も呆れたように叫ぶ。そりゃまあ、ルイズと夫婦扱いされたのはまんざらではなくてルイズに肘鉄されたものの、グロテスクな肉塊が後ろから迫っている中でへらへらできるほど色ボケちゃいない、はず。

 だが、心なしか巨大肉塊の膨張する速度が早まっているように見える。なぜ? すると、膨張する肉塊が、いたるところに生えているあの黒い花を飲み込む度に膨らむ速度を早めているように見えた。

「まさか、黒い花を食ってエネルギーに変えてるのか?」

「冗談じゃないわよ。黒い花は町中に咲いてるのよ!」

 最悪だ。つまり巨大肉塊には巨大化の歯止めがないということになる。こんなもの、どうやって止めればいいんだと、二人が絶望感に囚われかけた時、男が顔を上げて、走馬灯を見たかのようにつぶやいた。

「ああ、そろそろお迎えのようです。田舎に逃がしたはずの妻と子たちが見える……」

「は? おっさん、それも幻覚だよ。だいたいこの幻覚で見えるのは、見る人の怖いものだけの、は、ず……」

 才人は男を励まそうとして逆に言葉を失った。なぜなら、才人の目の前にも。

「父さん、母さん……!」

 地球にいるはずの、才人の両親が立っていた。だが目を擦り、自分にあれは幻だと言い聞かせるが、ルイズも別のものを見ていた。

「お、とうさま?」

 学院に入学以来、ほとんど会えていない父親のヴァリエール侯爵をルイズは見た。もちろんルイズも才人同様に、あれは幻だと自分に言い聞かせているが、肉親の姿を目の当たりにした衝撃は簡単に収まるものではない。

 けれど、警戒する二人に対して、今度の幻覚はこれまでのように襲いかかってきたりはせずに、彼らの家族の幻はじっとたたずんだまま、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 懐かしい……才人たちの胸に暖かい気持ちがわきあがってくる。けれど、いったいどうして? すると、彼らの見ている家族の幻たちは、すっと男の持っている荷物を指差した。

「えっ? もしかして、これですか?」

 男は荷物の中から、一輪の花を取り出した。それは、町中に咲いている花と形はいっしょのものに見えたが、ひとつ大きく違っているところがあった。

「白い? ほかの花はみんな黒いのに、これだけ白いわ。きれいね」

「ああ、キラキラしててまるで雰囲気が違うな。なあ、この花をどこで?」

「はあ、私の仕事場の鉢植えにいつの間にか生えていましたので、置いていったらかわいそうだと思い」

 白い花は光の粒子を静かに舞わせながら輝いている。それは黒い花の不気味さとはまったく異なり、見ていると心が落ち着いてくる美しさを放っていた。

 いったい、この花は? 才人たちが見とれていると、白い花から放たれる粒子が周囲に広がり、さらにそれが膨張し続けている巨大肉塊の動きを鈍らせたように見えた。

「そうか、この白い花には黒い花の力を押さえる働きがあるんだ」

「それに、この花を見てるとなんだか力が湧いてくる気がする。いける。サイト、今ならいけるわよ」

「ああ、やろうぜルイズ!」

 黒い花が恐怖を吸って育ったなら、恐怖を吸わせずに育てたならどうなるのか? まるであらゆる邪悪が飛び出したパンドラの箱の中にひとつだけ希望が残っていたように、白い花から放たれる清浄なエネルギーを得て、二人は手のひらを重なり合わせた。

 

「「ウルトラ・ターッチッ!」」

 

 虹色の光芒の中から、銀の巨人が姿を現す。

 そのカラータイマーは青く戻り、ウルトラマンAは先に逃れていた水精霊騎士隊の元に才人たちの連れていた男を優しく下ろした。男は唖然としていたものの、水精霊騎士隊の少年たちは、彼が逃げ遅れていた市民だと知ると彼を保護した。

「やっぱすげえなあ。おっさん、あれがウルトラマンAだよ」

「ウルトラマンA、本当にいたんですね」

 エースの勇姿を見上げて頼もしそうに歓声をあげる少年たち。そうだ、ウルトラマンはいつでもこうして人々に希望を与える存在でなくてはいけない。

 そして、偏った感情のまま暴れる怪物は決して許してはおけない。エースは彼らや、いっしょにいるカトレアらの期待する視線を背に受けながら、迫り来るメノーファの巨体へ向かって立ち向かっていった。

「テェーイ!」

 ダッシュ一閃。エースはメノーファの巨体を目掛けてキックを放った。狙うところはどこでもいい、相手がでかすぎるのだからどう攻撃したって必ず当たる。

 渾身のキックがメノーファのぶよぶよした巨体に突き刺さった。その感触はまるでゴムで、エースのキックの衝撃を豊かな弾力性を持って吸収してしまった。

 いや、それ以前に巨大化しすぎたメノーファからすれば、エースの攻撃など蚊に刺されたような規模でしかないだろう。

”まったく効いてないのか!”

 才人とルイズは、そう落胆しかけた。だが、そのときだった。エースの攻撃した場所から白い光が零れ、メノーファの巨体がまるで水をかけられた角砂糖のようにしぼみ出したのは。

〔溶けてく、崩れてくぞ!〕

〔そうか、エースの体にあの白い花の効果が残ってるんだわ。今なら勝てるわ。思いっきりやっちゃいなさい!〕

 勝機、ここにありとルイズも勇敢に叫ぶ。

 もちろん、それに応えないエースではない。

「ムウン!」

 この場で一番有効な手はなにかと選び、エースは念力を集中させて、その手に一振りの白刃を呼び出した。

『エースブレード!』

 輝く剣を手に、エースはメノーファに斬りかかった。

 袈裟懸け、唐竹、斬る、斬る、斬る! 斬りまくる。

 滅多切りに斬りまくり、斬られたところからメノーファの肉塊はバターに熱したナイフを通したように溶けていく。

 しかし、そんなふうに斬りまくられて、メノーファと一体化しているシェフィールドもただですむわけがない。

「ぐああぁ! お、おのれぇ、こしゃくなウルトラマンめ。もう力を取り戻したのか。だが、邪魔はさせぬぞ! 貴様にはこいつの相手をしていてもらおうか」

 憎悪を込めて、シェフィールドはメノーファの一部を切り離した。それはじぐじぐと萎んでゆくと、やがて牡牛と悪魔を掛け合わせたような恐ろしい姿の怪獣へと姿を変えたのだ。

「ゆけ、モルヴァイア。ウルトラマンAを血祭りにあげよ」

 現れた怪獣は、格闘家のように構えをとると、猛然とエースに襲いかかってきた。

 これこそ、黒い花の本来の姿である恐怖エネルギー魔体モルヴァイア。黒い花は恐怖のエネルギーを集めていくと、本来ならばそのエネルギーを集めて実体を持つ活動体である怪獣モルヴァイアを作り出すが、シェフィールドはそのメカニズムをメノーファを作り出すために利用した。しかし、エネルギーがメノーファに十分集まった今ならば、分身のようにモルヴァイアを生み出して使役することもできる。

 エースは襲ってくるモルヴァイアに対して、自身も構えをとって相対した。

 睨み合う一瞬。

 モルヴァイアはその巨体に似合わない身軽さでジャンプし、猿のように空中から襲いかかってくる。それに対して、エースも大地を蹴って跳び上がって迎え撃つ。

「シュワッチ!」

 空中回転し、ジャンプキックを放つエース。宙を突進してくるモルヴァイアと空中で交差し、両者は同時に地面に着地して対峙した。

〔こいつ、できる!〕

 今の衝突で、エースはモルヴァイアが単なる怪獣ではないと理解した。

 元は人間の恐怖のエネルギーから生まれた怪獣。それゆえか、モルヴァイアはまるで人間のように拳法じみた構えを見せている。

 だが、ひるむ理由にはならない。拳法ならば、宇宙警備隊きっての拳法の達人レオとの組手も経験してきた。獅子の瞳の輝きに比べたら、悪魔の眼差しなど恐れるに足りない。

「ヘヤァッ!」

 拮抗は簡単に破られ、エースの18番であるチョップがモルヴァイアの頭に叩きつけられ、間髪入れずにショルダータックルからの接近戦に移行した。

 しかしモルヴァイアも黙ってはいない。悪魔のような角を振り立て、爪を振りかざしてエースの首を狙ってくる。

 

 エースとモルヴァイアの戦いは激しさを増してゆき、リュティスの街並みを揺るがしていく。

 そして、王宮への門を巡って続くシェフィールドとタバサの戦いも、また新たな局面を迎えようとしていた。

「ええい忌々しい。次から次へと邪魔ばかり入って!」

「当たり前のこと。誰も、あなたたちを本気で助けようとする人はいない。けれど、わたしたちには、多くの仲間がいる」

「戯言を! 自分でそれを捨てたくせに」

「そう、わたしは捨てた。だから、こんなわたしでも拾ってくれようという人たちまでわたしは裏切れない。あなたたちは、わたしが止める」

「黙れえ! やはり、やはりそうだね。ジョゼフ様に同意したふりをして、土壇場で裏切った。お前は、お前たち親子はジョゼフ様のお慈悲にたかる寄生虫だ。絶対に生かしてはおかない!」

「なら、なぜあなたはその寄生虫を呼び返そうとするジョゼフに従うの?」

「それがジョゼフ様のお望みだから。私にとってはそれで十分! ジョゼフ様のお喜びこそ我が喜び、ジョゼフ様の願いこそ私の願い。それがジョゼフ様に支えるミョズニトニルンとしての私のすべて! 犬と呼びたければ呼ぶがいいわ。誰にも私とジョゼフ様の関係はわかりはしない」

 狂気のままに、シェフィールドはメノーファの巨体を操ってタバサを攻め立てる。エースの攻撃とモルヴァイアを分離したせいで膨張は止まっているものの、その巨体で王宮の前に立ちふさがり、怪光線でタバサを狙い撃ってくる。

 タバサは怪光線をフライの魔法を使ってたくみにかわし、外れた光線が建物を破壊して爆発が連鎖する。対してタバサの魔法はやはりメノーファには通じず、シェフィールドは愉快そうに笑った。

「あはは! いい様ねプリンセスタバサ。お前の精神力はあとどのくらい持つのかしら? なんとか言ってみたらどう?」

「……」

「チッ、その顔、何度つぶしても、自分は特別な存在だって言ってるようなその顔が腹が立つのよ!」

 あきらめる様子のないタバサに、シェフィールドはさらに苛烈な攻撃をかける。並みのメイジならとても避けられないような怪光線の弾幕、それをスレスレでかわしながら、タバサは無表情のままシェフィールドに言った。

「あなたのことは、少しわかる」

「なに!」

「あなたとわたしは、それにジョゼフは似ている。手に入れたいけど届かなくて、それでもあきらめられないものを追い続ける乾いた獣。でも、同情はしない」

 勝つ手段があるかわからないというのに、毅然と言い放つタバサに、シェフィールドはさらに怒りを増すのだった。

「すぐにそのすました顔を恐怖に染めてやるわ。お前には、私を倒す方法なんかないのだからね」

「いいえ、その兵器の弱点は、もうわかっている」

 激闘は、続く。

 

 しかし、時間稼ぎをするという一点において、シェフィールドはその役目を完璧に果たしていた。

 ヴェルサルテイル宮殿のはるか地下。そこには巨大な空洞があり、そこではあのコウモリ姿の宇宙人が愉快そうにほくそ笑んでいた。

「フフフフ、実にいい具合ですねえ。役者の皆さんがこちらに集まってくれているおかげで、そろそろフィナーレの幕を上げられますよ。自分たちのやっていることが、最強の破壊神の栄養になるとも知らないで……さあ、これが終わりの始まりです。たっぷり食らいなさい!」

 そう言うと、宇宙人はこのリュティスの地下に張り巡らせた血管のようなエネルギー導管の弁を開いた。すると、地上での戦いのあらゆるエネルギーの余波が水が高きから低きに流れるようにして、導管を通じて地下空洞に安置されて鼓動している巨大な繭のような物体へと注ぎ込まれていく。

 すると、巨大な繭が心臓のように発光して、鼓動していた繭がさらに鼓動を速めていった。それを見た宇宙人は、楽しそうにさらに笑った。

「いいですよいいですよ。やはり、人間の感情のエネルギーに着目した我々の目は間違っていませんでした。かなり不純物が多いのは仕方がないところですが、これだけあれば何でもできますよ。なんでもねぇ!」

 彼は、まさに思い通りに事が進んでいると狂喜して叫んだ。すべてはこの時のため、敵も味方も、そのすべてがここに集まってくれることが最初から目的だったのだから。

 だが、喜びに沸く彼に、後ろから暗い声がかけられた。

「なら、その集めた膨大な力を使って、そろそろ一仕事してもらおうか」

 そこには、表情を押し殺した様子でジョゼフが立っていた。宇宙人は振り返ってジョゼフを一瞥すると、子供をあやすように語りかけた。

「わかってます、わかっておりますよ。私は約束はちゃんと守る男です。では、準備もよろしいところで始めましょうか」

 そう言うと、宇宙人はジョゼフの隣に置かれている棺に歩み寄った。

 豪奢な作りをしている棺は一目でやんごとなき身分のために作られたということがわかる。宇宙人はその棺に手をかざすと、繭から棺に向けてエネルギーが流れ込み始めた。

「フフフ、一時だけ動かせればいい捨て駒と違って、ちゃんとした形で蘇らせるのはデリケートですからね。さて、あのお姉さんのおかげでご遺体の修復状態は良好。少しお待ちくださいね。もうすぐ会えますよ。フフ」

 

 

 続く



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第28話  目覚めしものはホロビ

 第28話

 目覚めしものはホロビ

 

 黒い宇宙植物 メージヲグ

 生物兵器 メノーファ

 恐怖エネルギー魔体 モルヴァイア 登場!

 

 

「弱点だと? 戯れ言を。このメノーファに弱点などないわ」

 ヴェルサルテイル宮殿前で続く、タバサとメノーファと融合したシェフィールドの戦いは熾烈化の一途を辿っていた。

 無限に近いエネルギーを使ってタバサを攻め立てるメノーファ。怪光線の連射、連射、連射の雨。タバサはこれを巧みにかわしながら、メノーファから視線をそらさずに立ち回り続けている。

 しかし、タバサの魔法ではまったくダメージを与えられないメノーファに対して、タバサはどんな策があるというのだろうか。

「あなたとこれ以上遊んでる時間はない。そろそろ終わらせてもらう」

「苦し紛れもいいかげんにおし。もはや不死身と化した私に向かって、打てる手があるというなら見せてみるんだね」

 シェフィールドにタバサは答えない。しかしその代わりに杖を振るって氷の嵐を叩きつけた。

『ウィンデイ・アイシクル』

 小さな城なら丸ごと真冬に変えられそうな吹雪がメノーファを一瞬でつららの塊に変えた。しかし、冷気は表面の水分を凍らせただけで、すぐにメノーファは氷を振り払って紫色のおぞましい姿を再び現す。

「無駄と言うのも飽きてきたわね。お前の魔法がトライアングルだろうとスクウェアだろうと、今の私には蚊に刺されたほども感じないのよ」

 実際、タバサの攻撃はメノーファにまったくダメージとなっていなかった。このメノーファはダイナのいた宇宙でナルチス星人によって開発されたものであり、その際もダイナのソルジェント光線を受けてさえ通用しなかったほどの頑強さを誇る。

 単純な力による攻略では突破は不可能。そして、メノーファに対して特効を得たウルトラマンAも、モルヴァイアとの戦いに拘束されてメノーファを攻撃するどころではない。

 けれどタバサは手詰まりに追い込まれたようなこの状況にも関わらず、焦った様子もなくシェフィールドに言った。

「哀れな人。あなたがどんなに命を削って尽くしても、ジョゼフがそれに感謝することはない。犬でさえ、主人に頭をなでられるというのに」

「くっ、この小娘が!」

 タバサの言葉に、シェフィールドはカッと頭に血を昇らせた。

「言ったはずよ。私はジョゼフ様のためならどうなっても構わない。私はジョゼフ様の忠実な使い魔、ただの道具なのだから」

「なら、なぜあなたは心も道具にならないの? 道具は怒らない、悲しまない。どうせジョゼフに無視されるなら、そのほうが幸せでしょう」

「それは、それが私の忠義だからよ。ジョゼフ様のお役に立って、見返りなんかなくても私はそれだけで嬉しいのよ」

「嘘。本当に無償の忠義を尽くすなら、喜びさえも自分から捨てるもの。人間は、無関心に耐え続けられるほど強くはない」

「ぐぅう、なにが言いたいというの!」

 耳をふさごうと思っても、今のシェフィールドにはできなかった。心をえぐるようなタバサの言葉を聞くまいとしても聞こえてくるそれが、シェフィールドの胸に突き刺さる。

「あなたはジョゼフに愛されたいと思っている。けれどそれを拒絶されて、今の関係が壊れてしまうのが怖くて何も言い出せないでいる、どこにでもいるただの臆病者」

「ハハ、殺してやる。お前はここで捻り殺してやるわ!」

 激昂したシェフィールドは、もはや理性をかなぐり捨ててタバサへの攻撃を激化させた。

 怪光線の乱射だけでなく、軟体状のメノーファの体をタコの足のように伸ばしてタバサを捕らえようとしてくる。その力は、外れた触手が石造りの建物を粉々に粉砕してしまうほどで、タバサを骨の一本まで潰してやろうというシェフィールドの殺意が込められていた。

 タバサの体を触手がかすめて、頬から血が飛び散る。しかしそれでもタバサは構わずにシェフィールドに言い続けた。

「あなたは臆病者。自分を見てほしいと尻尾を振り続けているけど、いくら媚びても無駄だと本当はわかっている負け犬。負け犬であることをわかっていても、今を壊したくなくて告白すらできない臆病者。そんなに失恋するのが怖いの?」

「その口を閉じなさい! 恋も知らないような小娘が、知った風な口ばかりを!」

「わたしの友達が、あなたみたいな人をよく笑っていた。一度の玉砕で消えてしまうような恋なんて、しょせんニセモノ。何度拒絶されても、自分を磨いてやり直せばいい。相手が自分に振り向いてくれないなら、相手が無視できないような大きな人間になればいいだけなのにって」

「そんな、そんな町娘の手ほどきみたいなものを聞きたくなんかないわ!」

 シェフィールドは怒り狂い、タバサを叩き潰そうとあらゆる攻撃を叩きつけた。

 しかし、それでもタバサは倒れなかった。どんな攻撃も紙一重でかわし、シェフィールドに呼びかけ続ける。

「その怪物は、リュティスの人たちの恐怖心でできてるとあなたは言った。そして、恐怖心とは生きようとする強いエネルギーだと。でも、あなたの恐怖心はただの怯え。そこからはなにも生み出されはしない」

「私はそれで構わない。私のつまらない意思で、ジョゼフ様の大望の邪魔をするほうがよほど怖いわ!」

 シェフィールドは己の信念にすがって叫び返した。どんなことがあろうと、ジョゼフのために全身全霊を尽くすのは決めたこと。けれど、タバサはそんなシェフィールドを哀れんだように告げた。

「あなたは、ジョゼフのことを何もわかっていない」

「な、んですって」

「ジョゼフがあなたの好意で目的を曲げるような、意志の弱い人間だと思っているの?」

「くっ、うう……」

「そしてあなたの恋心は、一度振られたらそれでジョゼフをあきらめる程度のものなの?」

「ぐ、うぅぅっ!」

 図星を刺され、シェフィールドは言い返すことができなかった。そして、シェフィールドは気づいていなかったが、シェフィールドが精神を乱したことで、シェフィールドとメノーファのつながりが弱まってきていた。

 メノーファの攻撃の精度が荒くなり、勢いも落ちてきた。それを見逃さず、タバサはだめ押しの一言を放った。

「あなたはジョゼフを愛していない。ジョゼフの影を愛してるふりをしてる。そんな女に振り向く男がいるはずがない」

「こ、の、クソガキがぁっ!」

 ついに完全にシェフィールドは切れた。目を血走らせ、メノーファの巨体そのものでタバサを押し潰そうとのし掛かってくる。

 だが、シェフィールドが我を失った今このときこそタバサの待っていた瞬間だった。フライの魔法で飛び上がり、メノーファから半身を乗り出したシェフィールドへ向けて、タバサは杖を向けて一つの呪文を唱えた。

「あなたへの始末は、この魔法がふさわしい」

 タバサの杖から風を物質化したロープが放たれて、シェフィールドの体に絡みついた。そして、タバサはそのまま力任せにシェフィールドをメノーファから引きずり出したのである。

「えいっ」

「なっ、なああぁっ!?」

 メノーファから引き抜かれたシェフィールドは我に返ったが、そのときにはすでに遅かった。

 シェフィールドはタバサの拘束の魔法の風のロープで体を縛り上げられたまま、タバサの杖先に宙吊りにされてしまっている。

「お前、最初からこれを狙っていたのね!」

「そう、その怪物がいかに完璧でも、操るあなたは完璧じゃない。そして、どんな攻撃も届かなくても言葉は届く。あなたはしょせん、道具に頼ってしか戦えない人。自分の手で決着をなんて考えたときから、こうなることは決まっていた」

「き、貴様……」

 悔しがっても、もうシェフィールドにはタバサに抗う方法はなにも無かった。タバサのさじ加減ひとつで煮るも焼くも自由。

 しかしタバサは攻撃の魔法を唱えるでもなく、睨み付けてくるシェフィールドに静かに言った。

「でも、あなただけじゃない。手に入らないものを求めて苦しむのは、すべての人間の性。わたしもそうだった。だからそれであなたを憎むつもりはない」

「お前、何を言っているの?」

「あなたが本当にほしいものを手に入れたいなら、たぶん一度だけチャンスがある。そこであなたがどうするかまではわたしは知らない。そして……」

 タバサは言葉を切ると、シェフィールドを拘束していた風のロープを消した。

 すると、十数メイルの中空で宙吊りにされていたシェフィールドは支えを失って落下を始めた。当然、愕然と恐怖に顔をひきつらせるシェフィールドだったが、タバサは杖を振り上げると、落ちてゆくシェフィールドの顔面へと向かって樫の大杖をハンマーのように叩きつけたのだった。

「ぎゃああぁ……」

 額を叩き割られ、悲鳴をあげて転落していくシェフィールド。タバサは息を切らせながら、憎っくき仇敵へと吐き捨てるようにつぶやいた。

「時間がないから、シルフィードの貸しはこれで勘弁してあげる」

 物静かに見えて、受けた恨みはきっちり返すくらいにはよい子ではない。むしろ、そういう面ではキュルケと同じくらい、内に熱いものを秘めているのがタバサだった。

 タバサは息を落ち着かせると、落ちたシェフィールドがどうなったかは確認せずに王宮に視線を向けた。

 まさか、キュルケに飽きるほど聞かされた恋愛談に助けられる日が来るとは思わなかった。人間の人生は、なにがどこに繋がってくるのかわからない奇縁でできていると言えるだろう。

 けれど感傷に浸ってはいられない。メノーファは操るシェフィールドがいなくなったことで動きを止め、もう王宮への道を邪魔するものはなにもない。

 タバサは、まだ戦いを続けているウルトラマンAとモルヴァイアを一瞥すると、エースの勝利を信じて王宮へと急いだ。

 

 

 その頃、王宮はすでに普通の人間の生きていられる場所ではなくなっていた。

 内部には瘴気が毒ガスのように立ち込め、最後まで残っていた大臣たちも兵士たちもついに耐えかねて逃げ出してしまい、宮殿の中に生きた人間は残っていない。王宮の象徴であった広大な花壇もことごとく枯れ果て、かつてジョゼフが滅ぼした旧オルレアン邸にも似た廃屋の様相をまとわせていた。

 ジョゼフが玉座に鎮座していたグラン・トロワ、イザベラが住んでいたプチ・トロワのいずれも無人の廃墟と化している。

 そして、その瘴気は王宮の地下深くの空洞から沸き上がってきており、そこに王宮に残った最後の人間となったジョゼフが、あの宇宙人とともに計画の仕上げの段階に入っていた。

「ようやくか。ようやく、俺はこのクソのような人生から解放されるのか」

「おや気が早い。まだこれからが大事だというのに早まってはいけませんよ。なにせ、待ちに待った弟君との再会が叶うのですからね」

「ああ、そうだ。シャルル……ようやくこの手にかけてしまったお前を、この世に呼び戻してやることができるのだな」

 ジョゼフの前には大きな棺が置かれていた。その中身は、もはや語るまでもない。

 これが、ジョゼフがずっとこの宇宙人に協力し続けてきた理由だった。

「ですが本当に長かったですね。あの日、初めて私が王様とお会いしたあの日のことも、もう懐かしいものです」

 宇宙人は、棺にエネルギーを吹き込みながら楽しそうにつぶやいた。             

 あの日……トリステインとアルビオンの連合とロマリアとの戦争が終わり、次に戦場になるのはロマリアと同盟していたガリアに違いないと世界が動いていたあのとき、コウモリ姿の宇宙人はジョゼフの前に現れて言った。

「私はこの世界でどうしても実験しなければいけないことがありまして、ぜひ王様に協力していただきたいのですよ。もちろん、タダとは申しません。協力していただけたらその代わりに、王様が死なせてしまったことを悔いている弟君を生き返らせてあげましょう」

 この誘いに、さしものジョゼフも驚いたものの、最初は当然断った。チャリジャを通じて、異世界の奇々怪々な品々や芸当を見てきたジョゼフでも、死者を甦らせるなどという神をも恐れぬ所業、そんな非現実的なことが可能にできるとは思えなかった。それに、正誤に関わらず、シャルルのことに触れられるのはジョゼフの逆鱗に触れるものだった。

 だが、宇宙人はジョゼフの命を受けて攻撃を仕掛けてきたシェフィールドを軽くいなすと、気分を害した風もなく笑った。

「これはこれは、第一印象は最悪ですか。一番喜んでいただけると思った贈り物だったのですがねえ。まあ落ち着いて考えてみてくださいませ。我々にとってみれば、怪獣を操るのに比べたら人間を生き返らせるなんて難しくもないことです。我々はあなたがたの、数千年は先を行っているわけですからねえ」

 確かに、落ち着いて考えてみれば死者を蘇らせることができないというのはしょせんハルケギニアの常識だ。ハルケギニアの水魔法でも、死者を蘇生させることはできない。先住の力を秘めたアンドバリの指輪のようなものでも、あくまで生前を再現したゾンビにするに過ぎない。

 ……しかし、ジョゼフの明晰な頭脳は、ハルケギニアよりはるかに進んだ宇宙人の技術ならば、完全な死者の蘇生も可能とするのではないかと想像をつけてしまっていた。あのチャリジャが見せたように、宇宙人には人間の想像を超えた恐るべき力がある。思えば、なぜ自分はあれほどの不可思議を実現するチャリジャに、シャルルを生き返らせる可能性を聞かなかったのだろうか? ジョゼフは自分の中に、まだシャルルから逃げたがっている自分が残っていることを自覚した。

 そして奴はデモンストレーションとして、以前に殺されたワルドをあっさり生き返らせてしまった。それを見せられると、さしものジョゼフも迷いを隠せなくなっていった。ジョゼフのこれまでの行動は、そのすべてが弟シャルルを亡くした喪失感に基づいている。その埋めようのない心の穴を塞ごうとしてきたあがきが彼の原動力だったわけだが、逆を言えばシャルルが生きてさえいればジョゼフの苦悩はその根本からすべて消滅する。

 今までどれだけ望んでもあがいても満たされることのなかった渇きを癒す方法が目の前にある。けれどこれは誰が見ても悪魔のささやきであったが、たぐいまれな頭脳の持ち主であったジョゼフといえども、二度と訪れないであろうこのチャンスの誘惑には抗しきれなかった。

 しかし、その場ですぐにとはいかない。宇宙人はシャルルを甦らせるに当たって、いくつかの準備を要求してきた。

「ただ生き返らせるならすぐにできますが、それは私の力で命をつないでいるゾンビのようなものです。完璧に蘇生させるなら、肉体も生前に限りなく近く元通りにしておかねばなりません。おわかりになられるでしょう?」

 シャルルは四年以上も前に死んだ人間だ。当然、遺体は土に返っている。ジョゼフはシェフィールドに命じてシャルルの遺体を不名誉墓地から回収させ、水魔法とマジックアイテムを使って遺体の復元に当たらせていた。

 そして、宇宙人はジョゼフとの取引として、チャリジャにやったようにハルケギニアでの行動の全面的な許可を与えられ、これまで様々な暗躍をおこなってきたらしい。もっとも、なにをやっていたかまではどうでもよかったので深く追及してはいないが、だいぶんハルケギニアをいじりまわしていたらしい。たとえば……。

「待って!」

 だがそのとき、物思いにふけっていたジョゼフの意識を、悲鳴のような叫びが現実に呼び戻し、ジョゼフは顔を上げてその相手を見た。

「シャルロット……」

 そこでは、タバサが肩で息をしながら立っていた。この地下空洞まで全力で駆け降りてきたのだろう……ジョゼフはその弟の面影を残すタバサの顔を見下ろしながら話しかけた。

「遅かったな。だがちょうどいいところに来た。シャルルが帰ってくる瞬間は、お前こそ見なければならんのだから」

 ジョゼフの表情は、タバサから見ても信じられないほど穏やかだった。本気で、弟を蘇らせて時計の針をあの日に戻すつもりなのだ。

 けれど、タバサは首を横に振りながら苦渋を込めて言った。

「違う。そうじゃない……父様を、父様を生き返らせちゃいけない」

「違う? なにが違うというのだ? シャルルを蘇らせて、ガリアをあるべき姿に戻すことに、あの日からお前も同意したであろう」

 ジョゼフの問いに、タバサは唇を噛んだ。

 確かに、その通りだ。それは、蘇ったワルドを倒した後、タバサはジョゼフからの呼び出しに応じて旧オルレアン邸へと駆けつけた。

 

 オルレアン邸ではジョゼフが直々にタバサを出迎え、タバサに父が生き返れるかもしれないことを提案した。むろん、ジョゼフ同様タバサも最初は拒絶した。こんな危険な臭いしかしないような提案、みすみす乗るほうがどうかしているレベルである。

 しかし、ジョゼフは自分に向かって杖を向けるタバサに言った。

「動揺しているな。杖が震えているぞ」

「っ!」

「お前らしくないことだなシャルロット。だが恥じることはない。当然だ、恥ずかしながら俺もそうだった。今でも、痴人の夢、冒涜的な大罪と万人が俺を罵倒するに違いない。だがあえて言おう。シャルロットよ、シャルルをこの世に呼び戻す企てに協力してもらえぬか?」

「痴人の夢を、信じられるわけがない。ワルドを生き返らせたことくらいでは、トリックでどうにでもなる」

 タバサは断固拒絶する態度を示したが、その声が震えているのは自分でもわかった。

 ジョゼフが自分をこの屋敷に呼び出して何を言おうとも、問答無用で父の仇をとるつもりでいた。けれど、どんなに非現実的で倫理に外れたことだと理性では思っても、誰よりも愛していた父とまた会える方法があると思うと心臓が言うことを聞かず、杖を持つ手から力が抜けていく。

 それでも自分を奮い立たせてジョゼフに呪文を放とうとしたとき、あのコウモリ姿の宇宙人がタバサの目の前に現れた。

「おやおや、疑り深いお姫様ですね」

「誰!」

「あなた方が先日まで戦っていた教皇やヤプールと同じく、この世界の外から来たものですよ。自己紹介は王様にしたので省略いたしますが、我々の科学力を持ってすれば、人間のような単純な生物を蘇らせるなど造作もないことです」

 宇宙人はそのまま、なんならお望みの誰でも生き返らせてあげますよとうそぶいた。

 その言葉は恐らく真実であろう。タバサは否定できなかった。アンドバリの指輪などで蘇生する死者のことは自分も書籍などで知っている。ハルケギニアの魔法でも、生前の記憶を保持したゾンビは作り出せるのだから、はるかに優れた宇宙人の技術が完全な死者の蘇生ができたとしても不思議はないと、タバサもジョゼフと同じ結論にたどり着いた。

 タバサの理性は、ここで容赦なく魔法を放ってジョゼフも宇宙人も始末することが最良と警告していた。だが、タバサは脂汗で全身を濡らしながらも、喉が凍って呪文を唱えることができなかった。

「なぜ、わたしを引き込むの? お父様を生き返らせたければ、あなたが勝手にやればいい」

「ああ、その通りだ。だが、シャルルを生き返らせても、ガリアの民どもはなんとでも言いくるめられるが、お前はそうはいかん。いきなり生きたシャルルが目の前に現れたら、お前も困るだろう。それに、シャルルにガリアを返すとしても、俺が引っかき回したガリアをそのまま渡すわけにはいかん。あいつが治めるに始めやすいくらいに、整えておく必要はある。それにはお前の協力がぜひ必要なのだ」

 この言葉で、タバサはジョゼフが本気だと知った。けれど、この怪しいことこの上ない宇宙人の言うことを鵜呑みにするのは危険すぎる。

「あなたは何が望み? もしハルケギニアに災いをなすつもりならば、わたしはすべてを投げ打ってもあなたを倒す」

 これもタバサの本音だった。父が戻ってくることが確実だとしても、キュルケや仲間たち、大勢に危険が及ぶようなことには決して乗るわけにはいかない。

「実験ですよ。ある兵器の実験に、このハルケギニアがすごく適していると探査結果が出たのです。おっと、別に私はハルケギニアを欲しいとか滅ぼしたいとかは考えてませんよ」

「でも、市勢の人たちに被害が出るかもしれない。認められるわけがない」

「そりゃあ実験ですからね。ある程度の被害は仕方がありません。私の計算によれば、この世界にそんな大きな影響は与えずに終われるはずですよ」

 悪びれずにそう告げる宇宙人に、タバサは明確な敵意を抱いた。無関係な第三者を危険にさらすなど、ジョゼフは平気でも自分が許せるわけがない。

 こいつは危険だ。タバサの中で危機感が燃える。父様を生き返らせられるというのは本当だろうが、それ以上の災いをハルケギニアに呼び込むことになる。

 タバサは、父様に会いたいという渇望を必死で抑え込み、魔法を唱えようとした。だが、タバサの詠唱よりも速く、宇宙人の言葉が彼女の耳朶を貫いたのだ。

「今から始まろうとしているガリアとトリステインの戦争を、私なら止められるとしたらどうです?」

 その瞬間……タバサの思考は真っ白に塗りつぶされた。

 

 そして、すべては今へと至る。

 あの日の判断が間違っていたのかどうか、それはわからない。しかしあの時にあれ以外の選択をし得たかといえば恐らく否となる。

 けれど、だからこそこれ以上の悲劇の上塗りは避けなければならないのだ。タバサは理解できないという風をしているジョゼフに向かって、懐から一冊の本を取り出しながら言った。

「違う。わたしは、わたしたちはみんな最初から大きな間違いをしていた。わたしはあなたに、伝えなければならない父様の真実を持ってここに来た」

「真実だと?」

 怪訝な表情をするジョゼフ。シャルルの実の兄である自分ですら知らないような真実があるというのか? しかしシャルロットは意味のない嘘をつくような娘ではない。

 タバサが差し出した本に手を伸ばすジョゼフ。だが、そのときだった。エネルギーを注ぎ込まれていた棺が大きく揺れ動きだし、宇宙人ははしゃぐように叫んだのだ。

「おおお! いよいよですよ。念願叶う、弟君の復活の時ですよ、ご注目ください!」

 くっ、しまったとタバサは思った。まさかこんなに早く準備が整ってしまうとは。

 タバサはとっさに杖の先を棺に向けた。だが、ジョゼフが冷たくタバサに告げる。

「無駄なことはよすがいい。お前にシャルルを撃てるわけがない」

「……」

 悔しいがその通りだった。あの棺の中にいるのが生きた父かと思うと、どうしても攻撃魔法の詠唱ができない。

 手をこまねいているしかできないタバサの見ている前で、王族用の豪奢な棺は生き物のように揺れ動いていたが、やがて糸が切れたかのようにぷっつりと動きを止めた。

「ど、どうなったのだ?」

 ジョゼフがらしくもなく、間の抜けた口ぶりで漏らした。

 成功か……それとも失敗したのか?

 タバサもジョゼフも、棺に触って確かめる勇気が湧かずに立ち尽くした。しかし、ふと棺の蓋がガタガタと揺れ動くと、蓋が中からずらされて横に落ちた。

 中から手が覗く。ジョゼフもタバサも動けない。石像のように固まった二人の前で、棺からむくりと人影が体を起こしてきた。

「う、ううん……」

「シャルル……?」

「お父様」

 ジョゼフもタバサも、今見ているものが夢ではないことを自分に言い聞かすだけで精一杯だった。

 高鳴る心音を抑え、息を落ち着かせて相手の顔を確認する。そして、相手が間違いなくオルレアン公シャルルその人であると確信を持つと、抑えきれない喜びを込めて駆けよっていった。

「シャルル、シャルルよ!」

「お父様、お父様!」

 意図がなんであろうと、二人にとって会いたくてたまらなかった大切な人であることには変わらなかった。

 近くで見ると、シャルルはまさにジョゼフとタバサの記憶の通りの姿でそこにいた。あれからざっと四年も経つけれど、何年経とうが忘れることなどあり得ない。

 けれども、シャルルからの第一声を待ちわびた二人に、シャルルは期待通りの声をかけることはできなかった。

「ぼくは、いったい……森で、それから」

「シャルルよ……むう、まだ意識がはっきりしておらぬのか」

「お父様……」

 頭を抱えて困惑し続けるシャルルを、ジョゼフとタバサは見守るしかできないでいる。

 無理もない。彼にとっては四年前に射殺されてから今日まで眠り続けていたも同然なのだ、記憶を整理するには少し時間を置く必要があるだろう。

 

 だが、ジョゼフもタバサも忘れていた。宇宙人は親切心でシャルルを生き返らせてくれたわけでなく、壮大な実験の一端であるということを。

 シャルルが生き返ったことを確認した宇宙人は満足そうにうなづくと、両手を目の前の巨大な物体に掲げて高らかに宣言したのだ。

 

「さぁ、お約束も果たしたところで私の実験も最終パートに入りますよ。この大地の力を吸って育った姿を、今こそ衆目にさらす時がやって来ましたのです!」

 シャルルにエネルギーを送っていた巨大な物体は、その中央部を黄色く光らせながら動き始めた。

 東京ドームほどもある地下空洞いっぱいに詰まっていた巨体が動き出した影響で、天井の岩盤が崩れだしてタバサたちの近くにも落ちてくる。

『エア・シールド!』

 タバサは魔法で空気のドームを作って自分たちを防御した。だが崩落はさらに激しくなっていき、ジョゼフは宇宙人に向けて怒鳴った。

「貴様、我々もまとめて潰す気か!」

「いえいえ、私はそこまで薄情ではありませんよ。言い忘れていましたが、そちらの横穴からなら安全に地上に出られます。では、私は少々忙しくなりますので、また後で」

 宇宙人がそう告げると、巨大な何かは天井の岩盤を砕きながら上昇を始めた。奴は地上に出る気なのだ。このままでは生き埋めにされてしまう。

 助かる道は宇宙人の言い残した横穴だけ。しかしタバサはエア・シールドで落ちてくる岩塊をしのぐので精一杯。まだ自失状態のシャルルまで運ぶ余力はない。

 すると、ジョゼフはシャルルに肩を貸す形で彼を持ち上げてタバサに言った。

「ゆけシャルロット、シャルルは心配するな」

 タバサは無言のまま、エア・シールドで自分を含めた三人を守りながら駆け出した。

 言いたいことは山ほどある。しかし、ジョゼフの迷いないその姿は、ただ一人の兄であろうとする人間に他ならなかった。

「シャルルよ、お前は体を使った遊戯でも俺を下し続けたな。だが、俺はこれでも勤勉なのでな。日々の鍛練を続け続けた今ならお前に力比べで負けはせん。だがそんなものより、これからお前にはびっくりするものを見せてやるさ」

 瓦礫が降り注ぐ地下空洞の横穴へと、三人の姿は闇の中へ消えていった。

 

 一方その頃、地上ではウルトラマンAとモルヴァイアの戦いもクライマックスに入ろうとしていた。

 メノーファからの膨大なエネルギーを受けて、モルヴァイアは高いパワーと俊敏さを身につけ、ヤギのような角を生やし、獣のような体と鋭い牙を振り立てた姿は、まさに恐怖から生まれた悪魔と呼ぶにふさわしかった。

「トォーッ!」

 エースの仕掛けたジャンプキックに、モルヴァイアも跳躍して迎え撃ち、空中で両者の蹴りが激突して両者ともに弾き飛ばされる。

 モルヴァイアはその獣然とした姿とは裏腹に、連続バック転をすら軽々とおこなえるほどのアクロバティックな身軽さを持ち、かつて現れた別個体もウルトラマンダイナを格闘戦で翻弄したほど強かった。

 そして今度のモルヴァイアもエースと互角に渡り合い、身軽さを活かしてスラッシュ光線やパンチレーザーを避けるほどの手強さを見せつけた。だが、白い花のエナジーを得て特効を身につけたエースはモルヴァイアの攻撃を耐え凌ぎ、一瞬の隙をついて投げ飛ばすと、身をひねって必殺光線をお見舞いした。

『メタリウム光線!』

 三色の光芒が突き刺さり、モルヴァイアの邪悪なエネルギーを浄化して消し去っていく。そしてモルヴァイアは、その悪魔を具現化したような体を崩れ落ちさせながら爆発したのである。

「やったぜ!」

 遠巻きに見守っていた水精霊騎士隊の少年たちも喝采をあげた。

 モルヴァイアは四散し、メノーファもコントロールする頭脳であるシェフィールドが抜けたせいで停止したままでいる。あとはメノーファの残骸を始末すれば王宮は丸裸だ。

 そう、もはや王宮を守るものは無いに等しい。しかし、すでに王宮を守る必要などは無くなっていることを彼らは知らなかった。水精霊騎士隊といっしょに喜んでいたシルフィードが、真っ先にぞくりとする悪寒を覚えた。

「きゅいっ!? な、なんなのね、この気持ち悪い感じ。何か、何か怖くて悪いものが近づいてきてるのね!」

 野生の勘が、シルフィードに蛇の前に立ったネズミのような恐怖と危機感を感じさせていた。

 人間たちはまだ何も感じられない。けれど、リュティスの上空にはあのコウモリ姿の宇宙人が浮いて待ち、ついに訪れた終わりの始まりの瞬間の幕を高らかに上げた。

「さあ、地上には美味しい餌が待っていますよ。今こそ、その姿を能天気な人間どもにお見せいたしなさい。邪神の卵よ! アハハハ」

 リュティスを突如激震が襲い、窓ガラスが割れ、脆い家屋も崩れ去った。だが、そんなものに気をとられている暇はない。

 王宮の地底から黒々とした巨大な昆虫の脚のような触手が何本も突き出してくる。それは地上で止まっていたメノーファを抱き抱えると、丸ごと吸収し始めたのだ。

 その光景に、ウルトラマンAも脅威を感じて身構える。メノーファも巨大だったが、その触手はさらに巨大だ。こんな触手の元になる奴はどんなに巨大なのか? 才人とルイズも、新たな敵の出現に緊張を高めた。

〔一難去ってまた一難かよ。ったく、ボスラッシュなんて勘弁してくれってんだ〕

〔ワケわかんないこと言ってる場合じゃないでしょ。元から素手で竜を討つようなつもりで来たんじゃない。素手じゃないだけ恵まれてると思いなさい〕

 軽口を叩く才人と、貴族らしく毅然とした佇まいを崩すまいとするルイズ。その二人の見つめる前で、メノーファを食いつくしたそれはついに恐るべき巨体を地上に現した。

〔あ、あれはそんな!〕

 才人はその巨影に見覚えがあった。王宮をも見下ろすメノーファ以上の巨体。その表層はメノーファに似た薄紫色の皮膜で覆われているが、透けて見える巨大怪獣の特徴は才人もよく知るある怪獣と一致していた。

〔サイト、あれ知ってるの?〕

〔じょ、冗談じゃねえぞ。あんなでかいのが動き出したら〕

 戦慄するどころの話ではなかった。大きさこそ才人の知っているそれとは桁違いだが、あの頭部の特徴的な角と体の発光体は間違いなく奴だ。だが、あんなばかでかい奴がいるなんて聞いたこともない。

 間違いない。あれが敵の切り札だ。あれから感じられるとてつもない気配は、これまで戦ってきた怪獣たちの非でない。

 こいつは、とてもウルトラマンA一人で対処できるような相手ではない。と、そのときだった。巨大怪獣の頭部が動いてこちらを見た。そしてその眼前に真っ赤な火の玉を形成していく。

〔そんな! あんな繭みたいなかっこうで、もう動けるというの?〕

 ルイズが悲鳴同然に叫んだ。しかし怪獣の動きは止まらず、チャージされた火球は容赦なく放たれ、バリアで食い止めようとしたエースもろとも街を炎に包み込んでいく。

〔こいつを放っておいては、ハルケギニアが。いや、宇宙が危ない! 仲間たちよ、集まってくれ〕

 爆炎に吹き飛ばされていくウルトラマンAから、必死のウルトラサインがハルケギニア各地のウルトラの仲間たちへと飛んでいった。

 しかし、飛んでいくウルトラサインの光を見ながら、コウモリ姿の宇宙人は愉快そうにほくそ笑んでいた。

「想定通り想定通り。そうきますよねえもちろん。いくらウルトラ兄弟の一人でも、一人だけじゃこいつを倒すのは無理というものです。ですが、こいつの熟成にはもうひと手間必要ですから邪魔はさせませんよ。ウルトラマンの皆さんには、この時のために手間をかけて呼び寄せたゲストの方々と遊んでいていただきましょう」

 空を見上げ、宇宙人は笑い続けた。

 街の一角は炎に包まれ、巨大怪獣は王宮の半分を押し潰してなお不気味に脈動を続けている。

 その恐ろしい光景を、町中の水精霊騎士隊、郊外の市民たちやガリア軍も背筋を震わせながら見上げていた。

 こんな化け物、人間の力でどうしろっていうんだ? だが彼らは、この恐怖と絶望が始まりに過ぎないのだということを知らなかった。

 

 

 そして、所を変えてトリステインのある場所では、我夢たちとの合流を目指すアスカが馬車を急がせてもらっていた。

「走れ走れーっ、もっとスピード出ないのかよ」

 御者のミジー星人たちを急かしても、馬の足では車のようにはいかないのはもどかしかった。

 そんなときである、アスカは空にウルトラマンAからのウルトラサインを見た。ダイナはM78出身のウルトラマンではないが、読み方は教えてもらってある。とてつもない怪獣が現れたという緊急連絡を目にして、アスカは予定を変更してすぐにリュティスに向かおうとリーフラッシャーを取り出した。

 だが、変身しようと馬車から飛び出そうとしたアスカはあり得ないものを目にして止まった。輝くウルトラサインの隣の空に、真っ昼間だというのに月が浮かんでいる。

「なんだありゃあ?」

 空を見上げるアスカにつられて、ジェシカやスカロンたちも空を見上げていぶかしんだ。

「なんでこんな時間に月が出てるの?」

「待ってジェシカちゃん。あの月、色が変よ。青でも赤でもないわ。あれは、月なんかじゃないわ!」

 そう、ハルケギニアの月は赤か青のはずだ。つまり、あれは月ではなく、月に見えるくらい巨大ななにかが空に浮いているということになる。

 いったいあれは……?

 唖然とするアスカたち。だが、敵は考える暇を与えてはくれなかった。アスカの頭にテレパシーのようなもので、強烈な敵意が叩き込まれてきたのである。

”ミツケタゾ、オマエガウルトラマンダイナカ”

 その声が聞こえた瞬間、月のような何かからこちらへ向かって飛んでくるものが見えた。

「なんだあれは」

 大きい、しかも速い。それはアスカたちの見ている前でみるみるうちにこちらにやってくる。アスカはとっさにみんなに向けて叫んだ。

「まずい、馬車を止めろ! みんな、伏せろ」

 アスカが叫んだ瞬間、何かは平原にその巨体を土煙と地響きをあげて着地してきた。馬車はスピードを落としたおかげで転倒は免れたものの、衝撃で激しく揺さぶられて、アスカは馬車から体を乗り出させながら、身長五十メートルはあるそいつを見上げながら言った。

「宇宙人? まるで虫みたいな奴だ」

 そうとしか表現のしようがなかった。昆虫……まるでセミのような顔、クワガタの角のような頭部、そして両手の大きなハサミ。

 そいつは両手のハサミを持ち上げて笑うように体を揺らすと、地上のアスカへハサミを向けて、開いた。

 

 また、同じことは山岳部にいる我夢と藤宮の元にも起きていた。

 空から突然現れた巨大な異星人。そいつは二人がウルトラマンガイアとアグルだと知って襲いかかってきて、二人は敵の意図を即座に読み取った。

「今度は間違いなく、あいつの差し金だね。僕たちをここで足止めか、あわよくば始末するのが目的だろう」

「だが、俺たちがそれに付き合ってやる義理はない。奴の計画が終わって、この世界が白昼夢から目覚めるなら、こっちも存分に動けるようになる。我夢、時間をかけずに切り抜けるぞ」

 敵の力は未知数だが、ウルトラマン二人を相手に差し向けられるなら並みの相手であるわけがない。ここを抜けてリュティスに行けるか、それとも足止めされて手遅れになるか……。

 

 そして、宇宙人の攻撃の標的とされたのはもう一ヶ所……それは戦火から遠いと思われていたトリステイン魔法学院へと向けられていた。

「きゃああっ、怪獣よ!」

 学院のメイドたちが突然現れた宇宙人に驚いて逃げ惑っている。学院の生徒たちの中には杖を手に取る者もいるが、宇宙人は人間たちをオレンジ色に輝く目で一瞥すると、手のハサミから発射する光線で校舎を破壊しながら、慌てて飛び出してきたティファニアたちの見上げている前で叫んだ。

「デテコイ、ウルトラマンコスモス! キサマニヤブレ、コドモノオアソビヘトダラクシテシマッタワレワレノクツジョクトイカリ、イマコソキサマニオモイシラセテヤル!」

 憎悪のこもったその声に、ティファニアはぞっと寒気を覚えた。

 あの怪物は、コスモスを狙ってやってきた? 彼女はコスモプラックを取り出すと、自分の中のコスモスが憮然とつぶやいた声を聞いた。

〔バルタン星人……〕

 

 

 続く



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第29話  襲来!宇宙忍者

 第29話

 襲来!宇宙忍者

 

 宇宙忍者 バルタン星人 ベーシカルバージョン

 カオスウルトラマン

 カオスウルトラマンカラミティ 登場!

 

 

「さあて皆さん、いろいろと賑やかになってきましたねえ。盛り上がっていますか?」

 

「私のプロデュースした一大ショーもいよいよ後半。そろそろ私が彼らにも名乗るときも近そうです。楽しみですねえ」

 

「この日のためにじっくり育てた私の自信作をリュティスの皆さんにまずご覧になっていただきましたが、さすが王宮より大きいだけに驚いてもらえてよかったです」

 

「ですが、まだ完成にはもうひとつ足りませんので、ウルトラマンの皆さんにはしばらく彼らの相手をしていていただきましょう」

 

「そう、あなた方も知っている事でしょう。遠路はるばるご招待いただきました、バルタン星人の皆さんをご紹介します!」

 

 

 そう、バルタン星人。誰もが一度はその名を聞いたことがあることだろう。それはウルトラマンの歴史を紐解くには欠かすことのできない存在である。

 栄光の初代ウルトラマンが初めて地球で戦った宇宙人であると同時に、ウルトラマンの滞在中に合計三回、ウルトラマンジャックの時期に一度、そしてウルトラマン80に二度に渡って挑戦してきたという、種族としての襲来回数では一番の多さを誇っている。

 セミのような姿に似合わず、強力な破壊光弾バルタンファイアーや、光波バリヤーやスペルゲン反射鏡を開発する科学力も侮れない。

 ただしそれはウルトラ兄弟のいるM78世界のことだ。しかし、様々なマルチバースに様々な地球があり、様々なウルトラマンたちがいるように、異なる世界にもバルタン星人が存在する。

 そう、それはこの宇宙においても。

 

 トリステインの三ヶ所に現れた三人のバルタン星人。彼らはそれぞれウルトラマンを抹殺せんと、攻撃を仕掛けてきた。

 郊外の平野でアスカが、山岳部では我夢と藤宮が襲われ、トリステイン魔法学院にもバルタン星人が現れて破壊活動を始めている。

 このままでは、リュティスに現れたという巨大怪獣を止めることはできない。この宇宙でも、バルタン星人は邪悪な侵略者の一派なのだろうか? それとも……。

 

 バルタン星人がハサミから放った青色の光線が魔法学院の外壁を破壊する。

「デテコイ、ウルトラマンコスモス! ココニイルノハワカッテイルノダ」

 トリステイン魔法学院を襲ったバルタン星人の声が、悲鳴の流れる学院に響き渡る。

 その様子を、コスモスに体を貸しているティファニアはコスモプラックを通してコスモスと会話しながら見上げていた。

「コスモス……あの、ウチュウジンはあなたを狙ってやってきたの?」

〔そう、私はかつて、彼らの同族と戦ったことがある。バルタン星人……彼らに間違いはない。しかし、彼らが争いを起こす理由は、もうないはずだが〕

 コスモスも、バルタン星人がここに現れたことは予想外だったようだ。だが、バルタン星人はコスモスの名を呼びながら学院を破壊し続けている。

 分厚い外壁や、魔法を加えて練り上げられた頑丈な校舎も、バルタンの放つ破壊光線の前には無力で次々に風穴を開けられて炎上している。

「学院が! ルイズさんやみんなが帰ってくるための、大切なところなのに」

 ティファニアが悲鳴のように叫んだ。学院は生徒たちにとって第二の家のようなものだ。どんなに外で辛いことがあっても、学院に戻ってくれば元の学舎の生活が帰ってくる。

 その大事な場所を壊されたくない。彼女の純粋な思いを感じ取ったコスモスはティファニアに促した。ティファニアも、自分たちの大切なものを守るために、コスモプラックを空に掲げて彼の名を大きく唱える。

 

「みんなを守って、コスモース!」

 

 虹色の輝きが花開き、ウルトラマンコスモスへとティファニアは変身した。

 バルタン星人の光線が校舎の壁を砕く。破壊されて飛び散った瓦礫が、ドットのメイジくらいではどうにもできない弾丸となって生徒たちを襲った。そのとき。

「ショワッチッ!」

 青い閃光が割り込み、瓦礫を払い飛ばした。その閃光が青と銀色の巨人を形作り、バルタン星人から学院を守るように立ち上がる。

「ウルトラマン、コスモス」

 生徒たちは自分たちを助けてくれた彼の名を嬉しそうに呼んだ。

 ルナモードで現れたコスモスは、バルタン星人の前までゆっくりと歩んでいく。そしてバルタン星人の前に立つと、毅然として問いかけた。

〔バルタン星人、なぜこの星にやって来た?〕

「知れたこと、かつてお前に敗れた同胞の屈辱を晴らすためよ」

 バルタン星人は忌々しげに答えた。コスモスを通したおかげか、カタコトに聞こえていたバルタン星人の言葉もはっきり聞き取れるようになっている。

 それにしても穏やかではない。ティファニアはコスモスの話にじっと耳を傾けた。

〔お前たちが争う理由は、もう無くなったはずだ。新たな母星に移り、流浪の旅を終えられた今、私と戦ってなんになるというのだ?〕

「そんなことはどうでもいい。我らバルタンの歴史に汚点をつけた、貴様コスモスへの恨みは、貴様への復讐を持ってしか鎮まりはせんのだ」

〔バルタン……〕

 ハサミを向けて威嚇してくるバルタンの言葉には、はっきりとした憎悪が込められていた。いったいコスモスとバルタンの間に何が?

 

 一方、時を同じくして、別の場所でバルタンの攻撃を受けていたアスカや我夢たちの元へ、再びあの通信が入っていた。

〔ああ、とうとう始まってしまった。この星の人たちに迷惑をかけてしまって、すみません〕

 その声に、バルタンの攻撃をかわし続けていたアスカが反応した。

「おい、お前は誰だ! どこから話してる? あいつの仲間なのか?」

〔申し訳ありません。やっと周波数を安定させることができました。わたしたちは、あなたがたから見上げた先にいる宇宙船の中から話しています〕

「宇宙船? あの、月みたいなやつのことか?」

〔そうです。時間がないので手短に事情をお話しします。わたしたちバルタン星人は……〕

 通信の声は、アスカや我夢たちに、自分たちになにが起こったのかを語った。

 

 それは何年も前のこと。バルタン星人は本来の母星を失い、バルタン星の一部を切り出した宇宙船”廃月”を作り出し、新天地を求めた長い旅に出た。

 その旅の先で、バルタン星人たちは見つけ出した地球を侵略しようとしたが、ウルトラマンコスモスに阻まれた。

 しかし、バルタン星人たちも決して好き好んで争いを仕掛けていたわけではなく、次の世代に新天地を残そうと必死だっただけなのだった。

 そして再び旅に出たバルタン星人たちは、ようやく新たな母星となる惑星を見つけて移り住むことができた。本来ならそれで、バルタン星人はもう戦うこともなく平和に過ごせるはずであった。

 だが、バルタン星人の中には少数だが、コスモスに敗れたことのみに執着している過激派もいたのである。そんな彼らに、あのコウモリ姿の宇宙人が接触し、コスモスの居場所と自分たちの強化改造の手ほどきをしたのだ。

 その結果、彼らバルタンの過激派は、すでに役目を終えていたはずのバルタンにとってのノアの方舟であった宇宙船廃月を強奪し、コスモスへの復讐のためにここにやってきたというのだ。

 その話を、バルタンをジェクターガンで牽制しながら聞いていた我夢は半分納得したように言った。

「逆恨みじゃないか。でも、コスモスはともかく、どうして僕たち他のウルトラマンまで標的にされるんだい?」

〔彼らは、自分たちがウルトラマンに負けたということが我慢ならないんです。だからコスモスだけじゃなくて、ウルトラマンをみんなやっつけて、自分たちが優れているのを証明しようとしてるんです〕

 あまりに身勝手な理由に、藤宮も眉をしかめた。

「子供のケンカか。我夢、どうやら話し合いでわかり会える相手じゃないようだぞ」

 相手が知的生命体ならもしかしてと淡い期待をしていた我夢と藤宮も、そんな連中に和解を持ちかけても無駄だと決意した。

 戦うしか、ここを突破する方法はない。我夢はエスプレンダーをいつでも握れるように構え、藤宮も合わせた。

〔お願いします。わたしたちのせいで、これ以上よその星に迷惑をかけたくないのです〕

「その前に、君は誰なんだい? 奴らの仲間じゃないのか」

「わたしたちは……」

 相手が答えようとしたとき、また通信機に何かあったのか、急激にノイズが入ると通信は切れてしまった。

 だがこれで、おおまかな事情はわかった。バルタン星人の過激派、そんな奴らにこの星で好き勝手されるわけにはいかない。我夢と藤宮は戦うことを決意し、エスプレンダーとアグレイターを起動させた。

 

「ガイアーッ!」

「アグルーッ!」

 

 W変身。地球の光が輝き、ウルトラマンガイアとウルトラマンアグルが地響きを立ててトリステインの大地に降り立った。

 二人の胸のライフゲージは青く輝き、たとえ星は違っていてもリナールの光を通じて地球の光は二人に力を貸してくれている。なぜなら、この星は時空をまたいだガイアたちの地球の双子星とも言える惑星だ。この星が滅びれば、恐らく時空を超えて繋がっている地球もただではすまないだろう。

 そう、宇宙は広く狭く、繋がっていてまた隔たっている。その複雑さは、人間の叡知などでは計り知れるものではない。

 ただし、自然の理に比すれば小さな人の理に照らしても、理不尽な暴力は決して許されない。ガイアとアグルはバルタン星人に対して、力強く構えをとった。

 

 そして、コスモスもまたバルタン星人との戦いに否応無く巻き込まれていた。

〔バルタン星人、無益なことはやめて星へ帰れ〕

「ならば死ね、ウルトラマンコスモス! ウルトラマンを根絶やしにして、我々は軟弱者どもとは違う繁栄をこの星に築き上げるのだ」

 バルタン星人のハサミから放たれる破壊光線、ドライクロー光線がコスモスを襲う。コスモスはとっさに青いカーテン状の光の膜を張って攻撃を受け止めた。

『ムーンライトバリア』

 ドライクロー光線はバリアに阻まれてコスモスには届かない。しかし、コスモスは受け止めた光線から、かつて戦ったバルタン星人のそれ以上の圧迫感を感じた。

”以前よりパワーアップしている。だが”

 コスモスは渾身の力でドライクロー光線を弾き返すと、さばいた光線が自身の周りで起こす爆発に照らされながら毅然と宣言した。

〔侵略を前提にした正義など、ありはしない。私は、この星を守る〕

「ほざけ!」

 バルタン星人はハサミを刃物のように振り立ててコスモスを攻撃してきた。コスモスはそれを手刀や掌で防ぎ、掌底を当てて押し返していく。

「ヘヤッ、セイッ」

 バルタンがハサミを突き出してくれば手刀を当てて横へ流し、振り下ろしてくれば手を添えて力に逆らわずに身をそらす。流れるようなコスモスの動きがバルタン星人の攻撃を受け流し、その姿はまるで達人の演舞を見ているかのようだ。

 想像してみるとよい、刃物を持った暴漢が殺意むきだしで襲ってくるのを、素手で相手取れるものか? コスモスはそれをやっているのである。

 それを見守る教師や生徒、使用人たちも息を呑んでいる。泰然としているのは、校長室で水煙草を吹かしているオスマン学院長くらいのものだ。

 だが、コスモスに余裕があるわけではない。学院の近くで戦っては、生徒たちを巻き込むかもしれない。コスモスはバルタンの一瞬の隙を突いて、学院の外の草原へ向かって投げ飛ばした。

「シュゥワッ!」

 バルタンの体が軽々と宙を舞う。しかしバルタンは背中の昆虫のような被膜を広げることで、難なく草原に着地を決めた。

 もちろんコスモスも即座にジャンプして追う。

「シュワッチッ」

 コスモスも草原に降り立ち、太極拳に似たルナモードの構えを再度とる。それに対して、バルタンは、ご挨拶はこれまでだと言うようにせせら笑った。

「コスモス、まだ我々をなめているのか? ならば今の我々の力がどれほどのものか、その身で味わうがいい」

 バルタンは両腕のハサミを下げて開いた。すると、ハサミの中から眩しくきらめく光の粒子が吐き出されてくる。それを見て、コスモスは肩を震わせた。

〔あれは……〕

「フフフ、見覚えがあるだろうコスモス。我々は、貴様の戦いをずっと観察し続けていたのだ。そして、我々の科学力はついにカオスヘッダーの疑似的な複製に成功したのだ。見るがいい!」

 光の粒子が集まって形を成していく。そして光は人の姿を成し、ついに二体の黒い巨人となって実体化した。

 一体はコスモス・コロナモードに酷似しているが、全身が黒く染まった巨人。もう一体は、誰も見たことはないけれど、やはりコスモスに似た雰囲気を持つ漆黒の巨人。その二体を見て、学院の生徒たちは口々にうめくようにつぶやいた。

「黒い、ウルトラマン?」

「ウルトラマンの、偽物?」

 まさしくその通りであった。それは、かつてコスモスが地球で戦っていた時にカオスヘッダーがコスモスをコピーして生み出したカオスウルトラマンと、その強化体のカオスウルトラマンカラミティそのものであったのだ。

 何度も苦しめられた強敵の再来に、コスモスも焦燥感に震える。するとバルタンはコスモスの苦悩をあざ笑うかのように告げた。

「驚いたか。カオスヘッダーの持つコピー能力のみを再現したのだ。カオスヘッダーも今や我々の忠実な操り人形のようなもの。さあ、自分自身によって、苦しみあえぎながら死ぬがいい!」

 バルタンの命令で、二体のカオスウルトラマンはコスモスに向かってきた。

 これの相手はルナモードでは無理だ。カオスウルトラマンの強さを誰よりも知るコスモスは、解放した赤いエネルギーの炎に包まれて戦いの姿へとチェンジした。

『ウルトラマンコスモス・コロナモード』

 変身したコスモスは、まずカオスウルトラマンと相対した。カオスウルトラマンはコロナモードのコスモスをコピーした姿であるため、拳を前に突きだしたコロナモードと同じ構えをとり、コスモスと同じ技を繰り出してくる。

「ハアッ!」

「ジュウワッ!」

 コスモスのパンチに対してカオスウルトラマンはハイキックを放ってきて、コスモスがキックを放てばカオスウルトラマンはコスモスと同じガードで受け止めてしまう。

 スピードもパワーもカオスウルトラマンはコスモスと互角以上。しかも、コスモスの相手はカオスウルトラマンだけではない。カオスウルトラマンに対峙するコスモスの隙を突いて、カオスウルトラマンカラミティが掬いばらいをかけてきたのだ。

「オワァッ!」

 足を払われて倒れ込んだコスモスに、カラミティは頭を踏み潰そうとストンピングをかけてきた。コスモスは寸前でそれをかわし、なんとか立ち上がる。

 だが、カラミティはコスモスが体勢を整える間もなく、宙に浮き上がっての連続キックを加えてきた。コスモスはなんとかそれも捌こうとするものの、連続キックでガードをこじ開けられ、胸に強烈な一撃を受けてしまった。

「ウオォッ!」

 コスモスがよろめいたことで、カラミティは腰を落とし、コスモスのサンメラリーパンチに酷似した追撃のダブルパンチを繰り出してくる。コスモスもそれに合わせて、カウンターのパンチで迎え撃つ。

 激突するパンチとパンチ。しかし、カウンターで繰り出したはずなのに、打ち負けたのはコスモスのほうであった。

「ウワァッ!」

 弾き飛ばされたコスモスが背中から地面に叩きつけられる。それを見た生徒たちは「本物が打ち負けた!?」と愕然としているが、それも道理である。カラミティはコスモスが変身することのできた更なる強化系をコピーしたカオスウルトラマンの完全なるパワーアップ版、コロナモードでは分が悪すぎる相手なのだ。

 さらに、カラミティにやられたコスモスへカオスウルトラマンも襲いかかってきた。倒れたコスモスを無理矢理引きずり起こすと、頭部へチョップを加え、カラミティへ向かって突き飛ばす。

「ムワアッ!」

 濁った掛け声をあげて、カラミティのキックがコスモスを再度吹き飛ばした。

 倒れるコスモス。カオスウルトラマンとカラミティは、余裕綽々とばかりにゆっくりとコスモスに歩み寄っていく。

”強い……”

 コスモスは、この二体の強さがバルタンのハッタリではないことを確信した。カオスヘッダーの自我がないとはいえ、パワーやスピード、戦闘スキルは本物に匹敵する。しかも、一体でも手強いというのに、二体もいる。

 倒されながらも、膝を突いて立ち上がろうとするコスモス。だが、コスモスの後ろからバルタン星人のドライクロー光線が襲いかかった。

「グアアッ!」

 背中に光線を受けて爆発が起こり、倒れるコスモス。それを見てバルタンは楽しそうに笑うのだった。

「馬鹿め、私が黙って見ているだけなわけがあるまいに」

 不意を打っただけのくせをして、勝ち誇るバルタン。それでもコスモスのダメージは甚大で、すぐに立ち上がれないでいるコスモスに、カラミティは手から破壊光弾を放ってきた。

【ブレイキングスマッシュ】

 赤色の光弾はコスモスをさらに打ちのめし、苦しむコスモスを見下ろしてバルタンは嘲笑い続ける。

「どうしたコスモス? さきほどまでの威勢はどこへいった」

「グウゥ……」

 コスモスは膝を突き、苦しそうに呻いた。

 これはもはやまともな戦いではない。一体ずつならまだしも、いくらコスモスが強くても分が悪いにも程がある。戦いを見守ってきた生徒たちも、憤りのあまり大きく叫んでいた。

「三対一なんて卑怯だぞ。正々堂々と戦え!」

「ウルトラマン、がんばって!」

 バルタンには野次が、コスモスには応援の声が届けられる。

 その声を、バルタンは嘲笑い、コスモスは感謝を込めて受け取っていた。

”ありがとう。私はまだ、戦える”

 コスモスは膝を突きながらも立ち上がり、バルタンとカオスウルトラマンたちに向かって力強く構えをとった。

「シュワッ!」

 コスモスの勇姿に、生徒たちから歓声が上がった。がんばれ、がんばれウルトラマン。

 コスモスの闘志は折れない。それは同時に、ティファニアのみんなの大事な学院を守りたいという強い意思でもある。

”ルイズさんたちは、森の中では知れなかった、多くのことをわたしに教えてくれたわ。ルイズさんたちの大事な学院を、壊させたりしない”

 コスモスは渾身の力を込めて、エネルギーを集め始めた。体の前で円を描く手から炎のようなエネルギーがほとばしっていく。

 だが、バルタンは少しも慌てる様子はなく嘲ってきた。

「愚かな。なら力の差をはっきり思い知らせてやろう」

 バルタンのハサミがコスモスに向かって開かれる。それと同時にカオスウルトラマン二体もそれぞれ構えをとってエネルギーを放出し始め、黒色のエネルギーがコスモスを模した構えから吹き上がってくる。

 そしてコスモス、バルタンとカオスウルトラマンたちは同時に必殺の光線を撃ち放った。

 

『ネイバスター光線!』

【ドライクロー光線】

【ダーキングショット】

【カラミュームショット】

 

 激突する正義と悪の光線。だが、拮抗したと思えたのはほんの一瞬に過ぎなかった。あまりにも、残酷に、エネルギーの絶対量が違いすぎる。

 あっという間にコスモスの光線は押し切られてしまい、三倍の黒い光の束となった悪の光線はコスモスを直撃した。

「ウワアアッ!」

 コスモスの周囲でエネルギーの余波による爆発が連鎖し、コスモスは激しく背中から叩きつけられた。大きなダメージを受け、地に伏すコスモスのカラータイマーはついに点滅を始めた。

 もはやエネルギーさえコスモスにはろくに残っていない。いくら力を振り絞っても、あまりにも、あまりにも戦力に違いがありすぎた。

 とどめを刺そうと、バルタンのハサミが再びコスモスを向く。コスモスはそんな中でも生徒たちからのがんばれという声援を聞き、立ち上がろうと必死に手を突き、戦おうとしている。

 がんばれ、立つんだ。ウルトラマン!

 バルタンはコスモスのカラータイマーに狙いを定め、冷たく宣告した。

「さらばだコスモス、我らバルタンの繁栄の礎になるがいい」

 逃げ場はない。仮にバルタンの攻撃をしのげたとしても、すぐにカオスウルトラマンたちの攻撃がコスモスを襲うだろう。

 見守る生徒たちも、自分達の無力を痛感するしかできないでいる。どうすれば……だが、バルタンが攻撃を放とうとした瞬間、彼らのもとへ空気を伝わって未知の振動が伝わってきた。

「なんだ?」

 何か、強い気配が近づいてくる。自分たちやコスモスの仲間ではない。もっとシンプルで原始的なものだ。

 その得たいのしれなさに、バルタンは攻撃を中断してそちらの方向に視線をやり、生徒たちも釣られてそちらを見た。

 視線の先には、学院の郊外に広がる広大な森林が広がっている。一見、何もないように見える。だが、見続けていると、森の向こうから木々を蹴散らしながらなにかが近づいてくる。

「今度はいったいなんなんだよ? って、か、怪獣だ!」

 生徒たちは悲鳴をあげた。森の向こうから、エリンギのような頭をした奇妙な怪獣が、のしのしと一直線にこちらに向かってくるではないか。

 ただでさえ状況が最悪なのに、さらに怪獣まで出てくるなんてどうなってしまうんだ! 生徒たちは絶望感に、とうとう腰を抜かしてしまう者も現れた。

 しかも、である。

「ん? おい、怪獣の頭に誰か人が掴まってるぞ!」

「マジか。って、ありゃおいレイナールたちじゃないか」

「水精霊騎士隊の奴ら、こんなときになに遊んでやがるんだ!」

 思いもよらない乱入者。レイナールたちは、いったい今までどこでなにをしていたのだろうか? そして、なぜ怪獣といっしょにいるのだろうか?

 怪獣は、なにかに引き寄せられるかのように、ひたすらにまっすぐに近づいてくる。一方バルタンは、相手の正体が怪獣だとわかると、わずらわしそうに視線を逸らした。

「大事の前に、野良怪獣などに構っている暇などない。片付けろ」

 バルタンの命令で、カオスウルトラマンが怪獣の前に立ちふさがった。怪獣は進路を変えずにそのまま向かってくる。

 コスモスと同等以上の能力を持つカオスウルトラマンに対して、並の怪獣ではとても太刀打ちできない。だが怪獣は、敵意をむき出しにするカオスウルトラマンにまるで臆することなく近づいていく。

 いったい、怪獣はなにを目的にやってきたのだろうか? 突然の乱入者によって、魔法学院前の戦いは混迷の度を深めていく。

 

 

 そして、世界に混乱の種がばらまかれた中、混乱の中心地であるガリアのリュティスでは、なかば廃墟と化した町の一角で才人とルイズが水精霊騎士隊の仲間たちとようやく合流していた。

「おうい、みんな無事だったか」

「サイト、ルイズ。お前らどこ行ってたんだよ。はぐれて焦ってたんだぞ」

「悪かったわ。ちょっとサイトが落ちてたパンを拾い食いしてお腹壊しちゃってて、ね?」

「い? おま、そ、そうなんだよ」

 ルイズにとんでもない言い訳でごまかされても、ジロリと睨み付けられては才人に反論の余地は無かった。水精霊騎士隊の「えぇ……」という冷たい視線が痛い。

”ちくしょう、覚えてろよルイズ。今度洗濯したときパンツのゴム切っといてやる”

 どう考えてもその後のさらなる復讐のほうが恐ろしくなるであろう報復を心に決めつつ、才人は無理矢理話題を変えることにした。

「けど、みんな無事でよかったぜ。そういや、お前たちにあず……ウルトラマンが預けたように見えたおじさんはどうしたんだ?」

「その人なら、街の様子を見に来たガリア軍の人に預けたよ。お前たちも、なんか疲れてるみたいだけど、休んでから行くか?」

「い、いや、大丈夫だって」

 疲労を指摘されて、才人は慌てて取り繕った。あまり無理はしなかったつもりだけれど、さっきの戦いの疲れが顔に出ていたらしい。

 ルイズもカトレアに、顔色が悪いですよと指摘されてごまかしている。いつもならそんなでもないはずだけれど、最近無理をしてきたのがたたったのか。

 すると、ジルが二人の顔色を交互に見回して、黒い丸薬を二人に手渡してきた。

「休むのが嫌だというなら、それを飲んでおきな」

「なによこれ? なんかちょっと臭いし」

「ただの気付け薬だ。そんな不景気な顔は見ていたくないから、黙って飲め」

 そう言われると、二人とも有無は無かった。疲労が溜まってるのは事実だし、ちょっとでも回復できるならありがたい。

 才人とルイズは、丸薬を口に含んで一気に飲み込む。しかし。

「うえっ!」

「に、苦っ! 渋っ、辛い!」

 丸薬は、二人が涙目になるほどとんでもなく不味かった。それはもう、口の中が痛いほどで、水精霊騎士隊のみんなが心配そうに見ているくらいだ。

 ルイズは涙目で咳き込みながら、何が入ってるのよと尋ねたが、ジルはニヤニヤ笑いながら「聞きたいのか?」と問い返すので、ルイズは青ざめて聞くのはやめておいた。

 恐ろしいことだが、元々キメラ専門の狩人であるジルの携帯薬なのだから、絶対にろくなものは入っていない。ジルは、まだ顔をしかめている二人を楽しそうに見ながら言った。

「貴族ともあろうものが情けないな。シャルロットは我慢してちゃんと飲んでいたぞ」

「誰よシャルロットって?」

「誰って……誰って……」

 ジルの顔から笑顔が消えた。なんだ、今自分は誰のことを思い出していた?

 そういえばまただ。ときたま起こる、知らないはずの誰かの顔や名前が浮かぶこと。それも今回は、かなりはっきりと思い浮かんだ。なんだ? あと少しで思い出せそうなのに、自分はなにを忘れてるというんだ?

 苦悩するジルに、ルイズたちはかける言葉がない。すると、シルフィードがじれたように一行に怒鳴った。

「もう、お前たち、いつまでそこでぐずぐずしてるのね。早くお城に乗り込んでお姉さまを助けにいくのね!」

「あっ、そ、そうだった」

 うっかりしていた。時間はもう切迫している。一行は、このリュティスに来た目的を果たす時が来たことを悟った。

「急ごう。あの怪獣が現れたおかげで、王宮の守りはがら空きだ。今なら一直線でジョゼフ王のところまでたどり着ける」

 それであの怪獣も止めさせて、すべての馬鹿騒ぎを終わらせるのだ。

 成すべき時は、今だ。才人たちは最後の戦いを決意してヴェルサルテイル宮殿へと足を向けた。

 だが、走りだそうとしたその瞬間、彼らの耳に聞きなれない不気味な声が響いた。

 

「お城に行っても、もう誰もいませんよ」

 

 その声に、「誰だ!」と一同は緊張した。

 反射的に円陣を組み、才人はデルフリンガーを抜き、あとの一同は杖を構えて周囲を警戒する。

 しかし、声の主はそんな緊張する彼らをからかうようにあっさりと姿を現した。少し離れた空中から彼らに影をかぶせつつ、あのコウモリ姿の宇宙人が現れたのである。

「久しぶりですね。いいえ、今のあなた方にとってははじめましてでしたね。いやあ、よくぞここまでやってきてくれました。さすが、何度もこの世界を救ってきた人たちだけはあります。よくぞいらしてくれました、歓迎いたしましょう!」

 楽しそうに告げる宇宙人を、才人たちは当然ながら大いに怪しんで見上げていた。

 なんだこいつは、突然現れて馴れ馴れしく……いったいどういうつもりだ?

 宇宙人の目的がわからず、かといってこちらから攻撃を仕掛けるのもはばかられて困惑していると、宇宙人は警戒を解いてと言う風に手を広げて続けた。

「まあまあそう固くならないでください。私はあなたたちと争うつもりはありません。あなたたちが無駄足を踏まないように、ちょっとご忠告に来ただけですよ」

「無駄足って、王宮に王様がいないってことか。どういうことだよ!」

「どういうもこういうも、お城が崩れたときに王様は別のところに避難されました。だからあそこに行っても誰もいません。それに、あれに下手に近づいたらあなたたちも取り込まれてしまいますよ」

「あれって、あのでかいのはお前が作ったのか!」

 才人が王宮の半分を押しつぶしている巨大怪獣を指して叫んだ。

「ええ、私は王様に協力する代わりに、王宮の地下であれを育てさせていただいていたんです。おかげさまで、ずいぶん栄養を集めることができましたよ」

「それで、育てたあれを使ってハルケギニアを侵略するつもりだってことかよ」

「侵略? いえいえ、私はこんな星なんか少しも欲しくはありません。あなた方は宇宙人と見れば、すぐに侵略者と思い込む。それはとてもいけないことですよ。私はただ、善意で行動しているだけだというのに悲しいことです」

 慇懃無礼に追及をかわす宇宙人の口ぶりは、心底癇に障る物であった。ルイズなどは、今にも爆発してエクスプロージョンをぶちこみたい気持ちでいっぱいになっている。

 しかし、宇宙人の後ろで視界を埋め尽くすほどにうごめいている巨大怪獣の威圧感が、軽率な行動に出ることを許さなかった。

 下手に刺激して、あれを暴れさせられたら大変なことになる。だが同時にルイズたちは、一つの確信を得ていた。この余裕ある立ち振舞い、こいつはこれまでに見てきた陰謀の手足となって動いている下っぱ宇宙人とは違う。黒幕、少なくとも黒幕に限りなく近い奴に違いない。

 ルイズは、この中で一番権威ある家名の者として、小さな体から精一杯の威厳を発して問いかけた。

「名乗りなさい。貴族に失礼を問うのなら、まずは自分が誠意を見せるのが礼儀というものよ」

「おや、これは失敬しました。あなたがたは、今は私のことを知らないのをうっかりしていましたよ。まあ、その効果もあと少しですが、いいでしょう、名前くらい何度でも名乗ってあげましょう」

 大仰に手振りを加えながら、コウモリ姿の宇宙人は答え、才人たちは息を飲んだ。

 ついに、ジョゼフを操っていた黒幕との対面だ。しかし、これまでしでかしてきたことから、ただものではないのは確実だが、才人も見たことのない姿をしている。

”こんな宇宙人、GUYSのデータベースでも見たことねえぞ。だけど、仮面をつけた騎士みたいな姿はスマートでちょっとかっこいいし、きっと名のある宇宙人に違いねえ”

 才人はつばを呑み込みつつ、少しだけワクワクした。この状況では不謹慎だが、未知の強豪宇宙人の名前を初めて聞くという新鮮な喜びは何にも変えがたいものだ。

 そして、宇宙人は大きく手を広げて高らかに名乗りをあげた。

 

「我が名は、バット星人グラシエ!」

 

  

 続く



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第30話  大怪獣大激震!

 第30話

 大怪獣大激震!

 

 触角宇宙人 バット星人グラシエ

 宇宙恐竜 ハイパーゼットン コクーン

 宇宙忍者 バルタン星人ベーシカルバージョン

 カオスウルトラマン

 カオスウルトラマンカラミティ

 天敵怪獣 マザルガス

 恐竜戦車マークⅡ 登場!

 

 

「バ、バット星人グラシエ!?」

 才人は仰天して叫び声をあげた。

 ついに明かされたコウモリ姿の宇宙人の本当の名前。それはなんとバット星人であった。バット星人といえば、ウルトラマンジャックが最後に戦った宇宙人であり、あの宇宙恐竜ゼットンを引き連れていたことでも有名な、GUYSへの入隊希望をしている才人からすれば知らないはずがない宇宙人だ。それが目の前に現れたというのだから、驚くのは当然と言える。

 しかし……今回の事情は少し違っているようだ。唖然としている才人に、グラシエは得意げにしながら言った。

「んー、どうしました? そんなに驚かれるとは意外ですねえ。まあ、我々は宇宙でも有名なほうに入りますから、当然といえば当然かもしれませんが」

「い、いやそうじゃなくて。あんた、本当にあのバット星人?」

「だからそう言ってるじゃないですか。何度も人の名前を聞くなんて失礼ですよ」

 不機嫌そうにグラシエは答えた。だが才人にはどうしても、それを確認したい理由があった。

 才人の動揺を見て、ルイズも「サイト、あんたあいつを知ってるの?」と尋ねてくる。だけれど才人としては、そりゃ知ってることは知っているけれど、それを自信を持って言えない理由があった。なぜなら……。

 

「だって、おれの知ってるバット星人って……これだもの」

 

 才人は服のポケットからGUYSメモリーディスプレイを取り出して、初代バット星人の姿を映し出した。しかしその姿は、目の前のグラシエとはあまりにもかけ離れたものであったのだ。

 まず、グラシエがスマートで端正なスタイルをしているのに対して、初代バット星人は腹の出た寸動な姿をしている。それに、顔つきもグラシエが鉄仮面のようないかめしいものに対して、初代バット星人は牙と角のあるじいさんみたいな形をしていて、とても威厳とは無縁なものだった。

 ルイズや水精霊騎士隊の仲間もその映像を見て口々に言ってくる。

「うわあ、なによこの酒場でつぶれてる平民みたいなウチュウジンは」

「いや、これが本当のバット星人なんだって」

「おいおい、ものすごく弱そうじゃんよ。まるでおっさんになったマリコルヌじゃん」

「隣にいるのもなんかブヨブヨしてて変だし、美的センスの欠片もありませんな」

「かっこ悪い」

「それに頭も悪そうだし」

 数々の容赦ないダメ出しが初代バット星人にぶつけられた。

 だがそれも仕方がない。かつての初代バット星人は、MAT基地を壊滅させる戦果を上げてはいるが、戦いとなったら意外なほどあっさりと倒されてしまっている。それに、MAT基地壊滅の戦果も、MATの出動中に忍び込んでというセコい方法だったので、とてもまともな方向での強豪とは数えられない奴だったのだ。

 すると、同胞への無慈悲なツッコミの数々に耐えられなくなったのか、グラシエが悲鳴のように叫んだ。

「そ、その同胞のことはそのくらいにしておいてください。私はそんな奴とは違います。そいつはただの戦闘員、私はバット星のエッリートなのです!」

「いや、そう言われてもほとんど共通点ないじゃん。人間とゴリラを同種族って言うくらい無理があるって」

 横に並べて見ても、初代バット星人とグラシエを同種族だとわかる人は誰もいないだろう。それくらい両者はあらゆる見た目で隔絶していた。

 先代と見た目が異なっていた宇宙人ならば、テンペラー星人やナックル星人の前例もある。しかしそいつらは同種族とわかるくらいには先代と特徴が一致していたけれど、初代バット星人とグラシエの間には、強いて言って触角の形くらいしか共通点がない。いったいどうしたら同じ種族でここまで違った姿になれるのか? 美容整形でもやったんじゃないだろうか。

「とにかく! あの同胞のことは忘れてください。そんなことより、私に言うべきことがあるんじゃないんですか?」

「あっ、はい……ガリア王を操って、戦争まで起こさせた黒幕はお前だったんだな、バット星人グラシエ!」

 正直、まだ言い足りないけれども、気を取り直して才人は怒鳴った。するとグラシエも機嫌を戻したようで、陽気な声色で才人たちに答えた。

「んっんーんっ、半分正解ですね。私と王様は、お互いwinwinの関係で付き合ってきただけで、戦争を起こしたのは王様の勝手です。私の目的はただ、あれを育てることだけなのですから!」

「あれ……あの、ばかでかいゼットンのことか!?」

「そうです。見てください、ゼットンの養殖に関しては宇宙一を誇る我々の科学力を結集して作り上げた、次世代型のゼットン。その名も、ハイパーゼットンの最新実験台です!」

「ハイパー……ゼットンだって」

 才人は背筋を震わせた。

 ゼットン……その名は現在でもあらゆる怪獣を差し置いて畏怖を向けられている。栄光の初代ウルトラマンを相手に、あらゆる必殺技を受け付けずに完全勝利をおさめた最強の怪獣。

 グラシエの後ろに見える巨大怪獣は、巨大な繭のような姿をしているものの、ゼットンの特徴である角や、黄色く明滅する発光体を持っている。あれが本当にゼットンの繭だとすれば、いったいどれほど恐ろしいものが生まれてくるというのか。

 だがグラシエはかぶりを振ると、残念そうに続けた。

「ですがまあ、安心してください。あれはまだ研究中の試作品のひとつに過ぎません。まだとても兵器として使い物になるものではないですよ」

「はあ?」

「いかに我々といえど、ゼットンの品種改良は容易なものではないのですよ。あなた方人間が牛や豚の品種改良に何十年もかけるように、新種のゼットンの完成には何百年何千年という実験の繰り返しが必要なのです」

 気軽に怪獣の要素の合成のできる機械でもあれば別だが、今のところそういった便利なアイテムはない以上、地道に交配と育成を重ねるしかないのだという。

 だが、そんな試作品を育成するために、わざわざこれだけの暗躍をハルケギニアでおこなってきたわけではないはずだ。そのことをルイズが指摘すると、グラシエは手を叩いて褒め称えた。

「聡明なお嬢さん。いやあ、素晴らしい理解力です。あなたが我々の同胞でないのが実に惜しい。お察しの通り、私がここでおこなってきた実験が成功すれば、ハイパーゼットンは大きく完成に近づくはずなのです」

「なんですって。でも、なぜ? なぜ実験場にハルケギニアを選んだのよ?」

「いや、本当に賢いお嬢さんですね。いいでしょう、教えてさしあげます。本当のことを言いますと、このハイパーゼットンのプロジェクトは私の担当ではないのですよ。実は私の同胞の中に、ハイパーゼットンを使って大きな計画を立てている者がおりましてね。彼のプロジェクトの成功率を上げるためのデータを集めてあげようと思いました私は、予備実験のできる星を探しておりました。すると、彼が計画の実行場所として算定している惑星と、このハルケギニアが環境や住民的に比較的近かったのを発見したというわけなのですよ」

 いけしゃあしゃあと話すグラシエに、ルイズだけでなく、才人やほかの少年たちも腸を煮えくらせた。つまり、グラシエがハルケギニアの侵略に興味がないというのは本当でも、それはハルケギニアを噛ませ犬ですらない踏み台としてしか見ていないということだからだ。

 ルイズは怒りのままに杖をグラシエに向けて呪文を唱えた。

『エクスプロージョン!』

 何もない空間から爆発が起こってグラシエを襲う。しかしグラシエは爆発が起きるのを予期していたように、ひょいと爆心地をかわしてしまった。

「おやおや、危ない危ない。こんなものを受けたらただではすみませんね」

「どうして? まるで、わたしの魔法を知ってたみたいに」

「フフフ、事前のリサーチは大切ですからね。それより、私を倒してももうハイパーゼットンは止まりませんよ。手がかりを消してしまってもいいんですかな?」

「この、卑怯者!」

 ルイズは怒ったが、確かにこの場でグラシエと戦うのは得策ではない。腹は立つが、奴はこちらをゼットンを育てるためのおもちゃとしか見ていないようなので、ペラペラと企みをしゃべってくれる。奴の手のひらの上だとしても、ここは情報を引き出さなくてはならない。

 頭に血が上っているルイズを、カトレアが落ち着きなさいとなだめた。普段温厚な彼女も、ハルケギニアをもてあそぶグラシエには怒りをこらえているようだ。

 今に見ていろと怒りを押し殺して、ルイズに代わって才人がグラシエにたんかを切った。

「調子に乗るなよ。おれたちが、今に必ず吠え面かかせるやるからな」

「俺たち? ふふふ、それはどうでしょうね。言ったはずですよ、事前のリサーチは大事ですってね」

「お前、まさか他のところにも!」

 グラシエの高笑いが肯定の証拠だった。

 この世界に散ったウルトラの仲間たちのところにも。グラシエの手が? しかし、ここからではどうすることもできない。

 才人たちにできるのは、なんとか仲間たちが無事に切り抜けてくれるよう、信じることだけであった。

 グラシエは、そんな才人たちの狼狽様を見下ろして愉快そうにしながら、ちらりと空を仰いで自分の計画の順調さに惚れ惚れとした。

”フフフ、いい具合に困った顔をしますねえ。ほんとに、何も知らない人にネタばらしをするのは最高ですよ。といっても、まだ半分もネタバレしてはいないんですがね。さて、あちらはどうなっていますかね? ハイパーゼットンが熟すまでのあとひと仕込みができるまで、しっかりウルトラマンたちを足止めしていてくださいよ”

 果たして、未完成のハイパーゼットンを完成させるためにグラシエが狙っているものとは何なのか? それを止められる確実な手段は、ハイパーゼットンが繭の状態のうちにウルトラマンたちの力を合わせて撃破してしまうことだが、それを見越しているからこそグラシエはこれだけ手間をかけて妨害してきているのだ。

 ただし、妨害はあくまで最低限の目的であり、できるならば倒してもらってもいっこうに構いはしない。なぜなら、それだけ足止めをできるのならば、そもそもウルトラマンを倒せるほどの力がなくては無理だからだ。

 とはいえ、そのくらいの危機を乗り越えるくらいの地力と運がなければ「宇宙の平和を守る」なんていう大言壮語は吐けまい。グラシエは、ウルトラマンたちがこの危機をどうやって切り抜けるものかと、むしろ応援に近い感覚で楽しんでいた。

 

 

 そして、そのうちのひとつ。トリステイン魔法学院ではバルタン星人が復活させた二体のカオスウルトラマンによってコスモスが窮地にさらされていたが、そこに乱入してきた一匹の怪獣によって事態は大きく動こうとしていた。

「うわああああ、待て待て待て、止まれええええ!」

 学院に向かって突進してくる頭がエリンギのような形になった奇妙な怪獣。それの体にしがみついたレイナールと数人の少年たちが悲鳴も同然に叫んだ。

 学院からそれを見つめている大勢の生徒たちも唖然としながら「お前らなにやってんだ!」と叫び返す。

「こ、これには訳があああ!」

 レイナールは眼鏡を無くさないように抑えながら叫び返すが、学院の生徒たちに訳が分かるわけがない。

 そもそもあいつら水精霊騎士隊はギーシュに率いられて王宮に行っていたはずじゃなかったのか? それがどうして怪獣に乗っかってるのだ? そもそもあの怪獣はなんなのだ?

 バルタン星人は、たかが怪獣一匹と侮って、配下のカオスウルトラマンを差し向けて歯牙にもかける様子はない。

 しかし、今まさに倒される寸前であったコスモスは、その怪獣の姿を見て、驚きとともにほのかな喜びも感じていた。

〔マザルガス……同族が生きていたのか〕

 コスモスはその怪獣を知っていた。そして、コスモスはその怪獣マザルガスがどういう怪獣なのかも知っていた。

 とはいえ、なぜにレイナールたちがマザルガスにくっついているのか? その理由は少しばかり時をさかのぼる。

 

 そもそも、王宮で才人やギムリたちがガリアに向かって旅立った後、王宮にはまだ水精霊騎士隊のメンバーはレイナールをはじめそれなりの数が残されていた。

 もちろん、国の大事に遊んでいるという選択肢はない。残留組の半数はトリステイン軍と合流し、残る半数はさらなる同志を呼びかけるためにいったん学院へと戻ることになった。

 その学院に戻る組をレイナールと数名の少年が請け負うことになったのだが、ここで思わぬ手違いが起こってしまったのである。

 トリスタニアから学院までは馬を使えば数時間ほどでたどり着ける。ただし途中に何もないまっすぐな道というわけでもなく、街道でいくつかの町や村を経由する。その途中の村の一つで、レイナールたちは素通りしようとしたところ、村人たちに呼び止められてしまったのだった。

「おねげえでございますだ貴族様。わしらの村の森の中に、昨晩火の玉が落ちてきたのです。このままでは若い衆がおっかなくて畑仕事も手につきません、どうか様子を見てきておくれませ」

 村の老人に囲まれて、レイナールたちは進めなくなってしまった。普通、平民は貴族には遠慮するが、お迎えの近い老人は恐れを知らない。

 レイナールたちは無理に押し通ることもできたが、この村は学院に野菜や牛乳を届けてくれる大事なところで、以前のライブキングの件以来、学院とは懇意にしている。それに、怪獣に度重なって壊される学院の修繕費や、前の戦争で王国から学院への予算が大幅に減額されたこともあって学食も削減されがちで、ここでこの村からの食材の購入が滞ったりすれば。

「やばいんじゃないかレイナール。おれ、もうゲルマニア製のまずい粉ミルクは嫌だよ」

 仮にも貴族たる者がワインすら飲めず、平民でも飲まないような粉ミルクを飲まされる。いくら女王陛下のためと思っても限界があった。

 ここで村人の頼みを断ったら、下手すれば学院全体から恨まれかねない。レイナールたちはやむを得ず顔を見合わせた。

「仕方ない。森の様子を見てくるだけだっていうから、急いですぐすませよう」

 そう決めて、レイナールたちは何かが落ちたという森へ向かった。

 しかし、そういう「すぐに解決しそうな問題」は往々にして「すぐに解決しない」というのが世の常であることを彼らは知らなかった。

 すぐに片付けるつもりで森へ向かったレイナールたち。しかし彼らはその気軽さに反して、あまりにもあっけなく本命にぶつかることになってしまった。

「怪獣だぁーっ!」

 森の中にのっそりと、その怪獣は鎮座していた。しかも、怪獣がいることなんか考えてもなかったレイナールたちは無警戒のまま鉢合わせしてしまって、パニックに陥ってしまった彼らは後先も考えずに魔法を放ってしまった。

『ファイヤーボール!』

「まっ、待て! 早まるな!」

 レイナールが止めた時にはもう魔法は放たれてしまっていた。怪獣に下手に攻撃を加えて怒らせてしまったら大変なことになる。レイナールは最悪の結果を想像してメガネの奥の顔をひきつらせた。

 しかし、怪獣はキノコの傘のようになった頭を開くと、向かってくる魔法をその中に吸い込んでゴクリと飲み込んでしまった。

「はぁ?」

「ま、魔法を食べちまった」

 彼らは茫然とした。これがマザルガスの能力で、第二の口を持つ怪獣はベムスターを初め割といるが、マザルガスもその一種であり、頭から様々なエネルギーを吸収することができるのだ。

 レイナールたちはマザルガスからの反撃を覚悟して身構えた。しかし、マザルガスはじっと空を見上げたような姿を続けているだけでレイナールたちには見向きもしない。

 どうやら、少年たちの魔法くらいは攻撃とさえ思われていないらしい。レイナールたちはほっとして、これは自分たちの手に負えるものじゃないと、引き返そうと踵を返した。

 しかし、急いで村に戻ろうとした彼らは思わぬ事態に直面してしまった。

「あ、あれ? この道はさっき通ったような」

 さして時間をかけずに村に戻れるはずが、いくら歩いてもたどり着けない。これは何かおかしいと思った彼らはフライの魔法で森の上に出ようとしたが、なにか不思議な力で押し返されてしまった。

「この森、なにか魔法がかけられてるぞ!」

「そんな馬鹿な! なんでこんなところに?」

 彼らは愕然としたが、それは間違っていなかった。彼らの近くにある倒壊しかけた山小屋……それは以前に、あの盗賊フーケが隠れ家にしていたアジトのひとつで、フーケが足を洗ってとうの昔に放棄されていたのだが、侵入者を迷わすために仕掛けられていたマジックアイテムはまだ動き続けていたのだった。

 運悪くそれにひっかかってしまったレイナールたち。彼らはそれを知りようもないので、どうにかして脱出しようと迷い続けたが、どうしようもなかった。村を出る時にもらったお弁当で食いつなぎつつ頑張ったものの、何日も同じようなところでさまよい続け、怪獣と同居し続ける日々か続いた。

「なあ、おれたちここで死ぬのかな? 今頃、ギムリたちはガリアで華々しく手柄を立ててるんだろうなあ」

 憔悴した様子で誰かが言っても、もう言い返す気力も彼らからは失われていた。

 怪獣は相変わらず空を見上げたままでじっとしている。最初は、いつ襲ってくるかと恐々としていた彼らも、疲れたせいで逆に怪獣を観察する余裕が生まれていた。

「ぜんぜん暴れ出す様子が無いな。顔はおっかないけど、おとなしい怪獣なのかな」

「ずっと空を見上げ続けてるけど、何かを待ってるような……まさかな」

 このまま干からびていくしかないのか? だが、彼らがそうあきらめかけ、ついに幻覚が見え始めてきたのか、空に昼間だというのに月が見えた瞬間、怪獣は突然立ち上がって動き出したのだ。

 それまでの動かなさが嘘のように、怪獣はレイナールたちの前から離れていく。レイナールたちは、しばらくその様子を呆然と見つめていたが、はっと気づいたレイナールが皆に叫んだ。

「そ、そうだ。怪獣に、あの怪獣にしがみついていけば森から出られるんじゃないかな?」

「なに? 正気かよ、相手は怪獣だぜ!」

「なら他にどうしようっていうんだ? もう食料もないんだよ。このままここで飢え死にしたいのかい」

 選択の余地はなかった。幻惑の魔法も怪獣には通じまい。それに、自分たちも空腹で、もう体力が限界だ。

 レイナールたちは最後の力を振り絞ってフライの魔法を使い、立ち去ろうとしているマザルガスの体へと飛びついていった。

「うわああっ!」

 マザルガスはレイナールたちなど気にもせずにどんどん歩いていく。いったいこの先に何があるというのか? 少年たちは、迷いの森からは首尾よく抜け出せたものの、怪獣の進んでいく方向に何があるのかと気がついて愕然とした。

「お、おい、この先にあるのって、もしかして」

「魔法学院だあ!」

「とっ、止まれええぇっ!」

 とまあ、こういうわけなのであった。

 もちろん学院の生徒たちはそんなことわかるわけがなく、唖然とするばかりだ。

 突進を続けるマザルガスにレイナールたちは必死にしがみつき続けていたが、彼らの体力は本当に限界だった。ついに力つきて、振り落とされて真っ逆さまに落ちていく。

「あっ、危ない!」

 学院の生徒たちは悲鳴のように叫んだ。レイナールたちは魔法を使う余力もないらしく、頭から落ちていく。

 だが、彼らが地面に激突する寸前、コスモスが矢のように飛び込んで手のひらで掬い上げた。

「シュワッ!」

 間一髪。レイナールたちはコスモスに助けられた。

 コスモスは、ほっとしている生徒たちの元へレイナールたちを降ろした。バルタン星人は余裕を見せているのか、邪魔をする気配はない。すぐに生徒たちが駆け寄ってきて、弱っている彼らを運んでいった。

「急いで保健室に連れていきましょう」

「ひどいわ、こんなに痩せこけるまで、いったい何があったのかしら」

 まさかの不運に見舞われたことまではわかるわけがないが、彼らはなんとか一命をとりとめた。

 だが、戦いは終わってはいない。バルタン星人は怪獣の乱入で意表を突かれたものの、それも一時の余興に過ぎぬと命じた。

「怪獣一匹、さっさと片づけてコスモスにとどめを刺すのだ。やれ、カオスウルトラマンども!」

 二体のカオスウルトラマンはバルタンの命じるままに、コスモスと同じ構えから黒い火炎球と漆黒の刃を放った。

『カオスプロミネンス』

『カラミュームブレード』

 コスモスの必殺技を模した闇の一撃がマザルガスを襲う。カオスウルトラマン二体の必殺技をまともに受けたら屈強な怪獣でも粉々になってしまうであろう。

 その光景をコスモスの目を通して見たティファニアは叫んだ。

〔いけない、あの怪獣が!〕

 自然の中で育ったティファニアにとって命に差はない。無為に命を奪われようとしている者への悲嘆……しかしコスモスは穏やかにティファニアに告げた。

〔心配はいらない。あの怪獣は〕

 コスモスが知る通りなら、なにも心配はいらない。そしてティファニアや生徒たちは、その言葉の意味をすぐに自分の目で確かめることになった。

 二体のカオスウルトラマンの攻撃に対して、マザルガスは頭頂部の蓋を開いた。すると、カオスウルトラマンたちの必殺光線はマザルガスの頭の口に吸い込まれて、モグモグと咀嚼するように飲み込まれてしまった。

「こ、光線を、食べてしまわれたのですか?」

 生徒たちはあまりの光景に開いた口がふさがらない。だが、本領はこれからだった。マザルガスが光線を飲み込んでしまうと、瞬殺を見込んでいたバルタンもあてが外れて叫んだ。

「おのれ、そういう能力を持っているのか。ならば、肉弾戦で叩き潰してしまえ!」

 カオスウルトラマンとカラミティはその命令を受け、濁った唸り声をあげながらマザルガスに向かっていった。

 二体のカオスウルトラマンはコスモスの格闘技術を完全にコピーし、そのパワーとスピードは本物を上回る。本物のコスモスが倒されてしまったほどの驚異的な強さは、光線技を使わなくても変わらない。

 バルタン星人は、これで片付くと信じて疑わなかった。対してマザルガスはまるで無警戒に突っ込んでくる。

 瞬く間に決着。いや、そうはならなかった。マザルガスが頭を開いてカオスウルトラマンに向けると、カオスウルトラマンから金色の粒子が盛れ出してマザルガスの口に吸い込まれ始めたのだ。

「あれは!?」

 マザルガスは金色の粒子をさぞ旨そうにゴクリゴクリと飲み続け、対してカオスウルトラマンは粒子を吸われて苦しみ出している。

 エネルギーを? いや、あの粒子はカオスウルトラマンを構成している人造カオスヘッダーに違いない。ということは、つまり。

〔あの怪獣は、カオスヘッダーを食べることができるんだ〕

 コスモスが落ち着いていたのはこれが理由だった。マザルガスの別名は『天敵怪獣』といい、その体内にカオスヘッダーを無力化できる酵素を持っているため、カオスヘッダーを好んで補食する。まさにカオスヘッダーの天敵なのであった。

 カオスウルトラマンはマザルガスに接近するだけで体を構成するカオスヘッダーを吸いとられ、体をねじりながらもだえ苦しんでいる。反撃しようにも、近づくほどにマザルガスに多くカオスヘッダーを吸いとられてしまうのだ。

 一方的な捕食者、これこそ天敵怪獣。逆に、愕然としたのはバルタンだ。簡単に片づくと思っていたのに、切り札のカオスウルトラマンを脅かされ、はっとしたようにマザルガスの姿を見て思い出した。

「あの怪獣は、しまった! コスモスの戦闘データに確か」

 バルタン星人は、コスモスのデータを採集する中でマザルガスのことも観測していた。しかし、コスモスと対峙した怪獣の中で特別強力だったというわけではないので注意していなかったのである。

 よく考えればカオスウルトラマンを戦力にするに当たって、絶対的なウィークポイントになるのがマザルガスだ。だがこんなところでピンポイントに出くわすなどあり得ないと、考慮にも入れていなかった。

 このままではカオスウルトラマンはマザルガスに食い尽くされてしまう。バルタンはマザルガスを排除するために、ハサミを向けて開いた。

「死ね!」

 ドライクロー光線が食事中のマザルガスに向かって放たれる。しかし、その攻撃に対して割り込んできたコスモスが光線を素手で弾き飛ばした。

〔させはしない!〕

「おのれコスモス!」

 立ち直ったコスモスと、激昂したバルタンの戦いが再び開始された。

 サンメラリーパンチでバルタンを押し返し、よろめいたところにコロナキックが命中して火花をあげる。バルタンもハサミを振り上げて反撃し、コスモスもさらなる技で迎え撃つ。

〔バルタン星人、もう無益な戦いは止めるんだ〕

「おのれコスモス。あんな怪獣が偶然現れるとは、悪運の強いやつめ」

〔偶然ではない。マザルガスは、お前たちがカオスヘッダーを持っていることを本能的に知って、この星に先回りしていたのだろう。お前たちがいくら力を誇ろうとも、自然には調和を乱す者を修正する力が働くのだ〕

 自然にはどんなに進化した科学でも計り知れない力を持っている。それを忘れてしまったとき、自然は容赦なくしっぺ返しを食らわせてくる。

 コスモスは、宇宙の平和を守る戦いの中で、何度もそれを見てきた。

〔科学は自然の脅威をひとつずつ克服して進歩する。しかし、進歩のスピードを間違えたとき、待っているのは破滅だけだと、バルタン星人、お前たちはわかっているはずだ!〕

「ほざけ」

 バルタン星人はかつて、母星のバルタン星を環境破壊で失い、宇宙を放浪することになった。その過ちを繰り返してはならないと告げるコスモスの説得は悲しくも拒絶された。

 だが、一対一ならコスモスとバルタン星人は互角だ。ハサミを突き出してくる攻撃をかわしてアッパーを繰り出し、よろめいたところをコロナホイッパーで投げ飛ばす。

「ムアッ!」

 力強いコスモスの技が炸裂し、バルタン星人は背中から地面に叩きつけられた。

 立ち上る砂煙。原始的な打撃にはバルタンの科学力も関係ない。小さくないダメージを受けたバルタンは、このまま一対一で戦いを続けたら分が悪いと考えた。

「コスモスめ、あれだけのダメージを受けたはずなのにしぶとい奴。カオスウルトラマンどもよ、そんな怪獣はもういい、コスモスを倒すのだ!」

「ヌッ!?」

 呼び戻され、カオスウルトラマンとカラミティは瞬時にバルタンに従ってコスモスの前に立ちはだかった。両者とも、カオスヘッダーをかなり抜き取られたものの、まだ十分に余力を残した姿をしている。

 今のコスモスの力ではカオスウルトラマンたちは倒せない。攻めこむことができないコスモスに向かって、二体のカオスウルトラマンは容赦なく必殺光線の構えをとった。

 しかし、今度もバルタンの思い通りにはいかなかった。バルタンがカオスウルトラマンに攻撃の命令を下そうとした瞬間、横合いから光弾が飛び込んできてカオスウルトラマンたちの至近で爆発し、姿勢を崩させたのだ。

「なにっ?」

〔マザルガス……〕

 今の攻撃はマザルガスが口から放つ破壊光弾『マザルボム』だった。マザルガスは口からマザルボムを連射し、マザルボムはカオスウルトラマンたちの周りで花火のように爆発して焼夷性の粒子をばらまく。

 この攻撃にはバルタンとカオスウルトラマンもたじたじとなった。マザルボムは当たらなくても広範囲に火花を撒き散らすから防御するのが難しい。

「ええい、こざかしい!」

 それでもバルタンはダメージを受けるのを構わずにカオスウルトラマンに攻撃の命令を下した。バルタンに忠実なカオスウルトラマンは体に火の粉が降りかかるのも構わずにコスモスに光線を放ってくる。

『ダーキングショット!』

 迫る黒色の光線。コスモスがバリアを張ったとしても、完全に防ぎきることは不可能だろう。

 だが、マザルガスが鈍重そうな見た目を裏切ってダッシュした。そして光線とコスモスの間に割り込むと、カオスウルトラマンの光線を頭部の口を開いて飲み込んでしまったのである。

「なっ!?」

 まさかのことに言葉を失うバルタン。

 そして、学院の生徒たちも驚いていたが、彼らの脳裏にかつてパンドラやオルフィが学院にやってきた時のことが蘇った。

「そうよ、怪獣だってわたしたちの使い魔と同じような生き物だわ。ウルトラマンが自分を助けようとしたのをちゃんとわかってるのよ」

「動物の本能で、ちゃんと戦うべき敵がわかってるんだな」

 傷ついたコスモスを守るようにマザルガスはカオスウルトラマンたちを威嚇し、今度はカオスウルトラマンたちのほうが攻め入ってこれない状況となった。

〔マザルガス……〕

 コスモスは、味方についてくれたマザルガスを熱い視線で見つめた。

 かつて、コスモスはマザルガスの同族を救うことができなかった。それがこうして、共に戦うことができている。この光景を、できるなら彼に見せたかったものだ。

 しかし、まだ形勢が好転したわけではない。カオスウルトラマンにとってマザルガスは天敵に違いないが、カオスウルトラマンはコスモスを上回る強敵。バルタン星人もやがて対抗策を考えるだろう。

 なにより、これでもまだ二対三でしかない。それでもコスモスは臆することなくバルタン星人に告げた。

〔バルタン星人、無益なことはやめて自分の星へ帰れ〕

「コスモス、貴様はまだ我々を下に見るのか。だが、我々が貴様を倒すためにこの程度の準備で来たと思うなよ。お前たちを倒すための手札はまだあるのだ。今ごろは他の場所でも、ウルトラマンどもが血祭りにあげられていることだろう」

 あくまで復讐と侵略をあきらめるつもりはないというバルタンに、コスモスはやむなしと言う風に構えをとった。

 バルタンは悪しき執念に突き動かされてここにいる。その恨みが自分一人に向くものであるならば、あえて受けることもできようが、さらに無関係な人たちも巻き込む野心も燃やしているのであれば是非はない。コスモスは、ティファニアに確認するように言った。

〔ティファニア、君はこれから、戦いの中でつらいものを見ることになるかもしれない。それでもいいかな?〕

〔大丈夫です。わたしも、みんなのためにがんばるって決めたんです。つらくても戦わなくちゃ、失っちゃいけないものがあるから!〕

 優しいだけでは、なにも守れない。ティファニアも厳しいハルケギニアで生まれ育ってきた者、悪意に無抵抗はなんにもならないことを知っている。

 あの悲しみを繰り返さないためには手を汚すしかないのなら、迷わない。無情に再開される戦いの炎の中へ、正義と悪の魂が飛び込んでゆく。

 

 しかして、戦いはバルタンの言った通り一ヶ所ではない。

 ハルケギニアに降り立ったバルタン星人は全部で三体。そのうち一体は山岳部で高山我夢と藤宮博也を襲い、ウルトラマンガイアとウルトラマンアグルと対決をしていた。

『クァンタムストリーム!』

 ガイアが腕をL字に構えて発射した光線がバルタンに突き刺さって炎上させた。

 やったか? だがバルタンは炎上した外皮を脱皮して切り離し、まったくのノーダメージに変えてしまった。

〔やるな、一匹で俺たちに挑んできただけはある。雑魚ではなさそうだ〕

 アグルがバルタンの再生能力を見て感心したようにつぶやいた。

 ガイアとアグル、二人のウルトラマンに対して、バルタン星人はそのトリッキーな能力を使って渡り合っていた。二人がコスモスとは違ってバルタン星人との戦闘経験が無いことを差し引いても、ここに来たバルタンも腕利きの個体だということがわかる。

 けれどそれでも、ガイアとアグルには十分な余裕があった。二対一だということもあるが、ガイアもアグルも頭脳タイプのウルトラマン。相手の手札がわかれば即座に対処は思いつく。

 両者のライフゲージはまだ青で、このまま戦えばエネルギーをさほど消耗することなく勝利できるだろう。だが、そんなガイアとアグルの余裕を察したバルタンは不敵に告げた。

「もう勝ったつもりでいるのか。ならばお遊びはこれまでで、お前たちが退屈しない相手を出してやろう」

 そうするとバルタンはハサミを開いて、少し離れた場所で機能停止していた恐竜戦車へと向けた。

 危ない! 恐竜戦車の中には、まだ作業をおこなっているエレオノールたちが残っているのだ。だが間に合わず、バルタンのハサミから放たれた光線が恐竜戦車を包むと、恐竜戦車の肘や背中に金色に輝く結晶体が現れた。

 なんだ? すると、恐竜戦車の巨体がさらに巨大に膨れ上がっていき、停止していた恐竜戦車の目が開いて咆哮した。完全に、再起動だ。

〔これは、信じられないくらい膨大なエネルギーだ。あの結晶体が放っているのか?〕

 ガイアが巨大化した恐竜戦車の威容を見上げて言った。

 ただでさえ大きい怪獣をさらに巨大化させるパワー。常識では考えられない。自分たちの知らない未知のエネルギーかといぶかしむガイアとアグルに、バルタンは得意気に語った。

「驚いたか。これは、ある宇宙で原産されるプラズマ鉱石のパワーだ。何倍にも増幅された怪獣を前に、まだ余裕でいられるかな?」

 恐竜戦車は巨大なキャタピラを高速で回転させながらガイアとアグルへ向けて突っ込んでくる。進路上にある岩石も樹木も無いも同然に砂煙を上げながら進撃する恐竜戦車に、果たしてガイアとアグルは勝てるのだろうか?

 そして、恐竜戦車の中に取り残されているはずのエレオノールとルクシャナは無事なのだろうか? プラズマソウルの輝きがさらなる闘争を呼ぶ。

 

 

 続く



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第31話  大怪獣ラッシュ!砕け、四つのプラズマソウル

 第31話

 大怪獣ラッシュ!砕け、四つのプラズマソウル

 

 恐竜戦車マークⅡ 登場!

 

 

 あまたある平行世界、マルチバース。

 その一つ一つでは様々な宇宙人たちが生き、数えきれないほどの文化を生み出している。

 そのうちのひとつに、プラズマギャラクシーと呼ばれる宇宙が存在する。

 そこでは、プラズマソウルという特殊な鉱石が重要な資源となっており、極めて高値で取引されるものとなっている。

 しかし、プラズマソウルは地中に埋まっているような資源ではなく、それはプラズマ怪獣と呼ばれる怪獣たちの体についているものなのだ。

 つまり、プラズマソウルを手に入れるためにはプラズマ怪獣と戦って倒す必要がある。しかしプラズマ怪獣はプラズマソウルのエネルギーで大幅に強化されているので、どんな強い宇宙人でもおいそれと手を出せるものではない。

 そこで、宇宙人たちは手を組み、三人一組のハンターチームを結成してプラズマ怪獣のハントに命を賭けている。その、男たちが一攫千金の夢を掴める時代を、彼らは大怪獣ラッシュと呼んだ!

 

 だが、プラズマギャラクシーは戦いが行われているハルケギニアとは関わりのないマルチバースの話だ。それに、並の宇宙人がプラズマギャラクシーに渡っても、とても通用するものではない。

 それでも、グラシエは少量とはいえプラズマソウルを確保して実験材料としてバルタン星人に提供した。

 別の世界の怪獣に対してもプラズマソウルは効果を発揮するのか? 効果を発揮したとして、その有用性はいかに?

 ウルトラマンガイアとアグル。この二人を相手にした実験ならば、さぞ有益なデータが得られるに違いない。

 プラズマ怪獣と化して数倍に巨大化した恐竜戦車は、その超重量をまるで感じさせない軽やかなスピードを発揮している。

 時速はざっと70数キロか? 出力は数千万馬力だろうか。要塞が生きて驀進してくるような圧倒的な威容を前に、ガイアとアグルさえ人形のようだ。

〔信じられない。あんな大きさじゃ、自重で自己崩壊するはずなのに〕

〔魔法の世界に来ていて今さら物理法則もあるまい。反物質の無限式、こういう形でも見せられるとはな〕

 自分たちに向かって突っ込んでくる恐竜戦車を、ガイアとアグルは飛び退いてかわした。

〔反物質の無限式と言っても、君はよく簡単に受け入れられるね〕

〔お前より多少はこの世界には長いからな。お前はまだまだ頭が固いようだぞ、我夢〕

〔藤宮は前からけっこうロマンチストだったものね〕

 戦いの最中だというのに、のんきに科学的な考察にふけれるのは二人の知的好奇心ゆえにと言うべきか。

 なにせ、本職が科学者である二人にとって、この世界は新発見の連続であった。既存の概念が通用しないのは根源的破滅招来体も同じだったが、この世界ではさらに地球では考えられないようなでたらめな法則がまかり通っている。

 まさしくファンタジー。しかし現実に存在する非現実的なそれを説明するのに、我夢と藤宮は反物質の無限式という仮説を立てた。

 知っての通り、反物質は我々の世界の常物質と繋げると対消滅を起こしてしまう相容れない存在てある。これを事象に例えると、Aの世界では火は熱く、Bの世界では火は冷たいという法則に支配されているならば、この二つの世界は反物質よろしく交わることはできない。まさに水と油の関係である。

 しかしここで、水と油をせっけんで混ぜることができるように、反物質と常物質の共存を可能にできる架空の存在Xを仮定しよう。これによりAXBという世界ができあがれば、熱い火も冷たい火もある不思議な世界ができあがる。

 また、比率を変えれば世界の形も変わる。Aの世界4に対してBの世界が1の比率で混ぜ合わせれれば、Aの世界に極めて近いものの、Bの世界の要素が少し混ざった世界となる。見た目はほとんど地球だけども、人々が車の代わりにドラゴンに乗っている世界があると思えばよい。また、比率を逆にすれば、ハルケギニアでなぜかみんな自動車に乗っているような世界もできあがる。

 要は異なる金属を比率を変えて混ぜ合わせることで異なる合金を作るようなものだ。しかし金属と違って反物質と常物質は混ぜられないし、概念や法則も混ざらない。

 だが、もしも反物質と常物質を合金化することができたら、それは無限の可能性となる。それのヒントとなりうるのが、魔法が実在し、地球の法則が通じないハルケギニアで、その無限の可能性への敬意を込めて反物質の無限式と、そう仮称された。

 ガイアとアグルを睨み、山肌を震わす咆哮をあげる恐竜戦車。機械と生物の完璧な融合だけでなく、あれだけの巨体が自重で潰れることもなく軽々と動いている。まさに地球の物理法則で言えば反物質と常物質の合金のごとくありえない光景。だが、それがあり得るという光景は学者の心が震える。しかし。

〔この世界のことを、大学のみんなにも教えてあげたいよ。けど今は、こいつを倒さないと!〕

 知的好奇心を満たすのは平和な時にすべきだと、ガイアは恐竜戦車を破壊する決意を定めた。それはアグルも同じ。いかに魅力的な対象でも、それが平和を乱す脅威となるならば排除する。

 ガイアは空中に飛び上がり、恐竜戦車への攻撃姿勢をとった。だがその背後からバルタンが狙いをつけるのを、アグルが割り込んで妨害する。

「デュワッ!」

「グォッ!」

 アグルに高速で体当たりされ、バルタンは大きくはね飛ばされた。

 空中戦ならばアグルも得意とするところ。ガイアの邪魔はさせないと、アグルはバルタンに高速飛行しながらアグルスラッシュを連射し、バルタンも飛行形態になって対抗する。

〔お前の相手は俺だ〕

「望むところよ!」

 目にも止まらぬ速さで、まるで二匹の猛禽のようにアグルとバルタンはドッグファイトを繰り広げた。そしてアグルがバルタンを引き付けてくれているうちに、ガイアは恐竜戦車へ突撃をかける。

「デヤアアッ!」

 肩から突っ込む全力の体当たり。それが恐竜戦車の横腹に命中して、恐竜戦車は大きく叫び声をあげた。

 一見するとガイアらしくない知性からはかけ離れた肉弾戦法。しかし、ガイアもこれで勝とうとは考えていなかった。

 プロレスでは、本格的な勝負に入る前に組み合って力比べから入ることもあるという。プロレスの見聞のある我夢は、まず恐竜戦車が見た目どおりの奴かどうかということを試そうとしたのだ。

〔重いっ、全力でぶつかってみたけど、やっぱりこれくらいで揺らぐ奴じゃないか。うわっ!〕

 手応えはあったが効いた気配がまるでない。それどころか、恐竜戦車はその場で左右のキャタピラを逆回転させて超信地旋回すると、大木のように長く太い尻尾をガイアに叩きつけてきたのだ。

「ウワァッ!」

 尻尾の一撃が、ガイアを小虫のようにはね飛ばした。ガイアは山肌にめり込むほど叩きつけられて大きなダメージを負い、すぐには立ち上がれないでいるガイアに向かって、正面を向いた恐竜戦車の三連主砲が照準を定める。

 口径はさらに上がって戦艦の主砲、いや列車砲クラスか? いくらウルトラマンでもまともに食らえばひとたまりもないような巨砲が上下し、砲炎とともに巨弾が放たれる。

 ガイア危うし! そのとき上空からガイアの危機を察知したアグルが急降下してきて、その身そのものを盾に立ちはだかった。

『ボディバリヤー!』

 我が身そのものをバリヤーと化すアグルの豪胆な防御技が砲弾を弾き、二人の周りは砲弾の炸裂が引き起こす爆炎に包まれた。

 しかしそれは恐竜戦車からも二人が見えなくなるということを意味する。アグルはガイアを助け起こすと、恐竜戦車から離れた場所へと飛んだ。

〔大丈夫か?〕

〔ありがとう。あいつ、想像以上の強さだ。パワーでならゾグより上かもしれない〕

〔ああ、見ていた。接近すれば尾の一撃。離れれば強力な砲撃。おまけにあの機動力か。やっかいだな〕

 様々な破滅招来体の侵略兵器と戦ってきた二人から見ても、恐竜戦車マークⅡは並々ならぬ強敵と映った。いやむしろ、ガイアとアグルが戦ってきた破滅招来体の怪獣は波動生命体や自然コントロールマシンや、ブリッツブロッツやゼブブのようなやっかいな特殊能力持ちのものが多かっただけに、逆に恐竜戦車のようなひたすらパワーに全降りな怪獣のほうが慣れてないかもしれない。

 そんなガイアとアグルを見下ろして、バルタンは余裕の嘲りを向けるのだった。

「ちっぽけだなウルトラマンどもよ。せいぜい無駄な知恵を絞り合うがいい。お前たちがこいつと戦わないならば、怪獣は人間どもを踏みつぶし続けるだけのことだ」

 バルタンにとってはハルケギニアの人間たちなど虫けらも同然のもののようだ。以前に地球に来襲してコスモスと戦ったバルタンは過激派ではあったが、まだしも地球人と共存可能か確かめようとする配慮があったのに、こいつはそれにも劣る。

 ガイアとアグルは、内心に「許せない」という強い怒りを覚えた。人類は地球人もこのハルケギニアの人たちも、まだ決して褒められた生き物ではないが、どんなに優れた文明を築き上げたとしても、暴力をよしとするのならばそれは野蛮人でしかない。科学は平和と幸福を追求するために存在する。そうでなければ、そもそも生き物が知恵を持った意味がないではないか。

〔ガイア、あいつはなんとしても倒さなければいけないぞ〕

〔わかってる。あいつが都市部に出る前に、この山岳部で破壊しよう〕

 あのバルタンは、かつて藤宮も懸念した科学を間違った使い方をして自ら破滅へ突き進む人類の姿のひとつの形だ。我夢にとっても藤宮にとっても、決して認めるわけにはいかない。

 再び戦いを挑もうとするガイアとアグル。バルタンは恐竜戦車の頭上に浮き、さらに嘲り続ける。

「フハハ、この兵器を破壊するだと? やれるものならやってみるがいい。ちっぽけなウルトラマンどもめ」

 方向転換して恐竜戦車はガイアとアグルに迫りつつある。その巨体に比べたら、ウルトラマンといえども本物の戦車と人間のようだ。

 けれど、人間は原人だった頃から知恵を使って自分よりも何十倍も大きいマンモスを仕留めてきたような動物だ。大きいことに安心しきっているバルタンのほうがむしろ原始的だと言えるかもしれない。

 見ていろ、すぐにそのデカブツをスクラップにしてやる。手を加えられた生命への同情は変わらずあるが、それで為すべきウルトラマンの使命を忘れはしない。

 恐竜戦車を倒すための作戦を立て、恐竜戦車へ対峙するガイアとアグル。逆に巨体を利して力任せにウルトラマンを叩き潰そうと爆進してくる恐竜戦車。

 死闘が始まる。だが、その瞬間であった。

 

「ちょっと、お待ちなさーい!」

 

 その場にいた全員がびくりとした。

 スピーカーで増幅したような大声。誰だ? いや、この威圧感さえ感じさせる声をした女性は一人しかいない。

 そう、トリステイン王立アカデミー主席研究員エレオノール女史。その声が恐竜戦車から聞こえてきたのだ。

 唖然として動けなくなるガイアとアグル。確かにあの中には恐竜戦車を止めるためにメンテナンスブースへ乗り込んだエレオノールとルクシャナがいることは知っていたし、まずは助け出そうと思っていたのだけれど、まさか呼びかけてくるとは思っていなかった。スピーカーを見つけたのか? だが、考えるまもなくエレオノールの声が続けて響いた。

「こいつを破壊するなんて冗談じゃないわ! こいつにくっついた鉱石を調べてみたら、風石や火石なんかとは比べ物にならないパワーを秘めてるじゃないの。ただ壊すなんて許さないわ、これは世紀の大発見になるのよ」

「ちょ、先輩落ち着いて!」

 ルクシャナの声も聞こえてきた。だがどうも様子がおかしい。ガイアとアグルは恐竜戦車の突進をひとまず飛んでかわすと、さらに二人の言い合う声が聞こえてきた。

「離しなさいルクシャナ。これだけのエネルギーがあれば、動力不足で頓挫してたあれやこれも動かせるようになるのよ。あはは、あははは」

「ねえ、なんか変なスイッチ入っちゃってない!?」

「わたしは正気よ! アカデミーで目立った成果が無くって予算を削られそうだとか、そんな役に立たない仕事より結婚しなさいだとかお母様に言われてたりは決してないんだからね!」

 ああ、そういうことかと聞いていた一同はげんなりした。ルクシャナは、そういえば戦争が起こる直前の土石の鉱脈探しの時でも、予算がどうとか言っていたなあと思い出した。責任者というものはつらいものだ。

 我夢と藤宮も研究員だからわからなくもない。ただ我夢と藤宮は世界的な研究者団体であるアルケミースターズの所属だったから国際機関から予算は出ていたし、藤宮は今ではフリーランスだけれども自分の発明品の特許料でお金に不自由してはいない。

 しかし、一般的な学者や研究員にとって莫大な経費がかかる研究予算の確保は死活問題だ。予算を出してもらいたくば成果を、成果を出したければ予算をという堂々巡りのジレンマとなる。

 我夢と藤宮は考え込んだ。二人はエレオノールのことは多少の面識がある程度で、別に親しい間柄というわけではない。しかし、この世界でも指折りの優秀な学者であり、様々な発明や発見に貢献した人物だということくらいは聞いていた。

 ただ、苛烈な人柄というので余計な摩擦を避けようとしてきたが、こうして聞くと同類としての共感も少しながら湧いてきた。

〔我夢、なにを考えている? まさかあれに同情して生け捕りにしようなどと考えたわけじゃあるまいな〕

〔いや、そんな無理はできないってわかっているよ。でも、あの中で彼女たちが自由に動けているというなら、別の方法もあるんじゃないかな?〕

〔別の方法だと? とっ!〕

 話すガイアとアグルへ向けて、恐竜戦車の口から真っ赤な高熱火炎が放たれた。

 とっさに回避した二人のいた場所を、太陽のプロミネンスにも似た奔流が空気を焼き尽くしながら通り過ぎていく。これもすごい威力だ。砲撃のような精密さや超射程はないようだが、発射の早さでは勝っている。

〔奴の中距離射程用武器か? 我夢、あれでも別の方法があるというのか?〕

〔ああ、あいつは一度は彼女たちがメンテナンスブースに入って操作することで止まった。今は暴走しているのがあの鉱石の力なら、あれを砕けば止まるかもしれない〕

 つまりエネルギーの過剰供給状態を止めるということか。確かに、怪獣を丸ごと粉砕するよりかは難易度は下がるかもしれないが、それも簡単な話ではない。怪獣は動く要塞同然の危険物、バルタンも邪魔してくるのは間違いない。

〔なにより、どうやって俺たちの考えを怪獣の中に二人に伝える?〕

〔パーセルを使おう。あれを使って、怪獣の内部の機械に文字信号を送信するんだ〕

〔なるほどな。わかった、それだけ具体的にまとまっているなら悪くない作戦だ。だがそのぶん、お前は単独であいつを引きつけてもらわなきゃならんぞ。できるか?〕

〔君なら、僕が無理になるほど時間はかからないと思ってるよ〕

 アグルの顔が、一本とられたという風に小さく揺れた。

 だがこれで話は決まった。怪獣の暴走を止め、コントロールを奪い返す。それを察したバルタンは、ドライクロー光線でガイアを狙い打ちしながら吐き捨てた。

「バカめ、怪獣のプラズマソウルのみを狙うというのか? いくらウルトラマンでも、そんなことができるものか」

 プラズマ怪獣そのものはグラシエも捕獲をあきらめたほど強力で、わずかなプラズマソウルの確保が精一杯だった。それを、いくら本場のものより小さいとはいえ、ウルトラマンでもぶっつけ本番でハントできるとは思えない。

 しかし、だからなんだというのだ。

〔そんなの、やってみなくちゃわからない!〕

 無根拠な精神論ではない。あの怪獣の行動パターンは分析している。その上で、勝ち目があると判断したからこそ戦いに望んでいる。

 しかし、いくら綿密に計算しても絶対ということはない。だからこその、やってみなければわからないであり、それは用心に裏づけられた自信を意味するに他ならないのだ。

 恐竜戦車マークⅡは確かにでかいが、狙うべきプラズマソウルはすべて露出しており、狙うのはたやすい。ガリアは飛行しながらプラズマソウルへ向けて手の先から矢じり状のエネルギー弾を放った。

『ガイアスラッシュ!』

 光弾は狙いたがわずプラズマソウルへ突き進む。だが恐竜戦車は命中前に尻尾を振ってプラズマソウルへの着弾を防いでしまい、それを見たバルタンは勝ち誇って笑った。

「バカめ、プラズマ怪獣をただ大きいだけのでくの坊と思うなよ。その知性もまた、溢れるエネルギーで高められているのだ」

〔そうかな? お前は気づいていないのかい。あんな小技でも反射的に防御したということは、プラズマソウルというもの自体はすごく脆いんじゃないかい?〕

 その推測は当たっていた。プラズマ怪獣は強豪宇宙人がチームを組んでもなお危険なほど強いけれども、攻撃を当てさえすればその種類によらずに砕けるほど脆いものなのである。

 その分析に、バルタンは一瞬うろたえたが、すぐに落ち着きを取り戻した。砕けるとわかっただけで砕けるなら誰も苦労はない。虎穴から虎児を得るのも、猫の首に鈴をつけるのも、実行は難しいからことわざになるのだ。

 もっとも、我夢は猫の首に鈴をつけるのを諦めるネズミとは違う。恐竜戦車の動きをよく読み、その正面の地面へ向けて、組んだ腕からオレンジ色の光線を発射した。

『クァンタムストリーム!』

 光線は恐竜戦車の眼前に着弾し、猛烈な砂煙を巻き上げた。勢いのままにその粉塵に突っ込んで視界を失う恐竜戦車。

 今がチャンスか? いや、視界がなくなっても肉体の大部分を機械化された恐竜戦車にはレーダーも搭載されている。粉塵の中にあって自分以外の移動物体を正確に探しだし、それに向けて方向転換して砲門を向ける。ファイア!

 砲弾は正確に空中の移動物体を捕捉して直撃、爆発した。それを上空から見ていたバルタンはやったかと思ったが、飛び散った破片からそれがガイアではないと知って愕然とした。

「なっ、岩だと!」

 そう、ガイアは完璧に機械化された恐竜戦車が視界だけに頼っているとは思わず、粉塵で視界を奪うとすかさず急降下してレーダーをやり過ごした。そして怪力で岩石を投げ上げてレーダーを騙したのだ。

 そしてこの一瞬、恐竜戦車の背後はがら空きになった。地面に伏せてやり過ごしていたガイアは砲撃の爆風で粉塵が吹き飛ばされると、無防備になった恐竜戦車の左側面のプラズマソウルに向けて二発目のクァンタムストリームを放った。

〔よしっ!〕

 パキンという乾いた心地好い音を立ててプラズマソウルは砕けた。残るプラズマソウルは、背中、腰、右脇の三ヶ所。

 これが、知恵を駆使してやってみた結果だ。難攻不落の動く要塞といえども、必ず隙はあるものだ。

 一方その頃、アグルは等身大となって、パーセルの機能を使って恐竜戦車内部のエレオノールたちに連絡をとろうとしていた。

〔さて、成功すればいいが〕

 元々パーセルはこういうことに使うための道具ではない。我夢の発想には感心したが、うまくいく可能性は決して高くはない。それでも、恐竜戦車のボディに打ち込まれたパーセルの子機を通じて、恐竜戦車のメンテナンスブースにアクセスをとる。すると、結論から言えばそれは意外なほどうまくいった。

 パーセルの機能上、文字を一字ずつ入力するという迂遠なやり方ながら、どうやらメンテナンスブースのモニターを通じて意味を伝えることには成功したようだとアグルは判断した。この際にはエレオノールとルクシャナとの間に喜劇めいたやり取りがあったが、それは割愛する。

『これから怪獣のプラズマソウルを砕く。そうしたらそこから怪獣のコントロールを奪い返せ』

 それを伝えたアグルはさっさとパーセルのスイッチを切り、ガイアに加勢するために飛び立った。おざなりにしたわけではない。この程度で理解についてこれないような学者は相手をしてやるだけ無駄だからだ。

 

 一方的に通信を受け、一方的に通信を切られたメンテナンスブース。そのメッセージを受け取ったエレオノールとルクシャナは、ウルトラマンからの要請という内容に少なからず驚きながらも、その意味を噛み締めていた。

「ウルトラマンって、話せばわかってくれるんだ……でもこれで、ウルトラマンの戦いをじっくり観察できるのね。おもしろくなってきた……あれ? エレオノール先輩」

「っざけるんじゃないわよ。俺たちに任せて、私たちは後始末だけやってればいいっていうの。この私をなめてくれたものね……」

「せ、先輩?」

 エレオノールから立ち上る邪気のようなものを感じてルクシャナは戦慄した。まずい、これはまずい。自分も大概だがそれ以上の、エルフの自分には理解しがたい蛮人の欲深い執念のようなものを感じる。

 逃げなくちゃ、あ、逃げ場所なんてないんだったわ。最悪の展開を予想してしまったルクシャナの肩に、エレオノールの手が鉛のように置かれた。

「ルクシャナ、あなた学者よね。欲しいものができたら、どうするかしら?」

「ま、まあ手に入れようとするわね」

「私は最近悟ったのよ。本当に必要なものっていうのは、待ってたり人頼みじゃ手に入らないものだって。ルクシャナ、あのプラズマソウルとかいう鉱石は私たちが手に入れるわよ」

「ええっ、でもどうやって?」

「ウチュウジンやウルトラマンになくて、私たちにあるものは何? 私たちは、学者でしょ。あなた、最近ちょっとおとなしくなりすぎてるんじゃなくって?」

 叱咤されてルクシャナははっとした。そうだ、自分はなんのために船に密航してまでここに来たのだ? さらには何のために蛮人の国まではるばるやってきたのだ? ネフテスでは味わえない刺激や発見を得るためではなかったのか?

 それが今はどうだ? すっかり怖じ気付いてしまっている。これが自分かとルクシャナはぞっとした。人間世界に慣れすぎて、鈍感になってしまったらしい。

 だがそれにしても、エレオノールのなんという向上心の高さか。ルクシャナは、ふと人間とエルフの文化の違いを思い出した。

 エルフは人間より高度な文明を有している。ただしその文化は、文献が『記録』に終始しており、人間でいう『物語』のような曖昧なイマジネーションからの創作物はない徹底した理知合理主義にもとずき、これは人間からは異様に感じられる。これに限らず、エルフは全体的に理性的で合理主義、人間は感情的で衝動的と称される。人間から見たビダーシャルが宇宙人的な得体の知れなさを感じるのがいい例で、エルフの中では蛮人かぶれの変わり者と言われるルクシャナも、その例には漏れずにどこか人間とは違う雰囲気を持っている。

 この両種族の精神性の差について、ルクシャナはこんな仮説を立てたことがあった。

「わたしたちエルフは、大いなる意思という絶対的な『全』に統一されているから、そこに曖昧な感情が入り込む余地がない。対して、蛮人は始祖ブリミルや国王や祖国に忠誠を誓っていても、最終的には自分が来るしかない『個』の生き物。そこに精神面の違いが出てくるのかも」

 実際、エルフと人間に知性面の差は大きくない。ならば精神面を左右するのは後天的な何かということになるが、人間世界で育ったティファニアが人間そのものなメンタルを持っていることからしても、人間とエルフを分ける精神文化の差は、大いなる意思を頂くかどうかということくらいしか考えられない。

 だがそれは今はいい。問題は、人間の大いなる意思をも恐れない個の力。一言で言うなら、エルフでは考えられないほどの目的のために手段を選ばない欲深さ。エルフから見たら野蛮にしか見えないそれに、閉塞したエルフの文化を打破できるものを感じたのじゃなかったのか?

「目が覚めたわ。わたしとしたことが、危険のなかにこそ新しい発見があるんじゃないの。あんなのになめられていられないわ!」

「その意気よ。わかってるじゃない。さあ、わたしたちがここにいるってことの意味を教えてやろうじゃないの」

 マッドサイエンティスト二人が燃えた。いや、魔法使いだからマッドマジシャニストだろうか? まぁそれはどうでもいいが、ある意味ハルケギニアでもっとも危険な二人が覚醒してしまったことを知る者は誰もいない。

 しかし、いくら卓越した頭脳と有数な魔法の才を持つとはいえ、たった二人の人間とエルフが、このウルトラマンと怪獣の戦いにどう影響してこようというのだろうか。追い詰められた時の人間がなにをしでかすのか、それは誰にも予想できない。

 

 その一方で、アグルは二人のことはすでに忘れてガイアの救援を急いでいた。

 重ねて言うが、薄情なわけではなく、戦場ではそれぞれの役割を果たすことが何より大事である。他人のことに気を配ってられるような優しい戦場は滅多にない。

 それに、実際ガイアだけでは恐竜戦車の相手は早くも荷が重くなりつつある。

「ジュワァッ!」

 四ヶ所あった恐竜戦車のプラズマソウルのひとつを破壊することに成功したガイアだったが、それは恐竜戦車の怒りを買うことに直結していた。恐竜戦車は一ヶ所が破壊された程度では弱った様子を見せず、残り三ヶ所となったプラズマソウルへの攻撃など思いもよらないほどの猛攻を仕掛けてきた。

〔くっ、なんて弾幕だ!〕

 恐竜戦車の正面に立つと、三連主砲と火炎の猛攻。それを避けようとしても、ちょっと軸線をずらしたくらいでは超信地旋回で射角に戻してくる。まるでXIGの大型戦車バイソンを何倍にもしたかのような火力に機動力。しかもさっきは奇策が通じたが、恐竜戦車は生き物の思考力も持つから同じ手は通じない。

 ガイアを弾幕で圧倒しつつ、そのまま巨体で押しつぶさんとキャタピラをうならせて進撃する恐竜戦車。この時、アグルが横合いから手を出さなければガイアも危なかったかもしれない。

『リキデイター!』

 アグルの放った青い光弾が恐竜戦車の側面に命中して爆発した。その衝撃で恐竜戦車は驚いてガイアへの攻め手を緩め、ガイアは反対方向へ飛んで脱出することができた。

 だが、アグルはガイアが助かったのを喜んでばかりもいられない。なぜなら、今のリキデイターは戦車の装甲では比較的薄いはずの側面部に当たったはずなのに貫通できていない。今のアグルのリキデイターは破滅魔虫ドビシの群れを一掃することができるほどの威力があるというのにだ。

〔こいつは、並の技ではかすり傷も負わせることはできないか。なら、プラズマソウルとやらを全て砕くか、あるいは〕

 アグルはちらりと頭上のバルタンを見やった。流れ弾を恐れているのか、かなり高度をとって見下ろしてきている。不意打ちには警戒すべきだが、降りてくる気配は今のところ見えなかった。

 馬鹿な奴め。ああいう、浅い考えで大事を起こしたくせに、そのくせ自力ではどうにもできなくなる輩が一番質が悪い。人間特有の悪癖かと思っていたが、宇宙人もそうだというなら、なるほど宇宙が平和にならないわけだ。

 つくづく、宇宙への人類の憧れを打ち砕いてくれる。アグルは憤りを覚えた。宇宙に、ああいう生命体が溢れているのならば、地球がガイアとアグルの光を自分たちに預けてくれた理由まで邪推してしまいそうだ。

 いや、それは今考えるべきではない。宇宙に悪があるのならば、なおさら人類は地球の美しさを守らねばならないのだから。

「フゥワッ!」

 アグルはリキデイターを連射した。恐竜戦車の装甲は貫けなくとも、まずはガイアを救えればいい。爆発が連続し、わずらわしく感じた恐竜戦車の視線がこちらを向き、キャタピラをうならせて方向転換してくる。

 いいぞ、それでいい。お前の相手はこっちだ。アグルは恐竜戦車の攻撃パターンをすでに見切っている。主砲の砲身を向けてくる恐竜戦車に対して、アグルは右手から細身の光のサーベルを伸ばして対峙した。

『アグルセイバー』

 恐竜戦車の主砲が唸り、巨弾が音速を超えて飛んでくる。

 しかしアグルは悠然と立ち、人間を超えた動体視力で砲弾を見切って光の剣を一閃させた。

「トゥアッ!」

 超音速の、目にも映らないアグルの剣技。それは三発の砲弾を見事に捉え、アグルに当たることなくすべて爆散させてしまった。

 怒り狂う恐竜戦車。さらなる砲撃がアグルを狙うが、アグルはそれらの砲弾をも切り裂いていく。

「フゥワッ! デヤッ!」

 まるで雑兵の間を駆ける牛若丸のようだ。しかし、恐竜戦車は砲撃しながら距離を詰め、その太い腕でアグルを直接なぎはらおうとしてきている。

 しかし、それはアグルの想定内だった。恐竜戦車の注意がアグルに向いた隙に、ガイアは体勢を立て直して、さらなる力を発揮する姿へとチェンジした。

『ウルトラマンガイア、スプリーム・ヴァージョン!』

 力の出し惜しみをして止められる相手ではない。ガイアは背中を向けている恐竜戦車へ向けて、エネルギーを凝縮した巨大な光刃を投げつけた。

『シャイニングブレード!』

 高速で回転する光のカッターは恐竜戦車の背中に命中して大爆発を起こした。今の一撃で、あわよくばプラズマソウルにも打撃をと期待したが、高速で動く目標にそれは難しかったようだ。

 だが、これで終わりではもちろんない。恐竜戦車は背後の脅威にも気づき、一瞬動きを止めた。そこを見逃さず、ガイアはアグルに叫んだ。

〔アグル、コンビネーション戦法だ!〕

〔おう!〕

 ガイアとアグルは飛んだ。単独では恐竜戦車の火力とパワーにはとてもかなわない。しかし、二人でなら別だ。

 砲撃の標的にならないよう、二人で恐竜戦車の周りを高速でグルグル飛び回る。恐竜戦車は撃ち落とそうと狙いを定めようとするが、高速で飛ぶ二人にはうまくロックオンができず、しかも半分が生き物であるため目を回しそうになっている。

 やるのは今だ! ガイアとアグルは恐竜戦車が混乱した隙を見逃さず、飛行しながら体をドリルのように高速回転させだした。そして、ガイアは恐竜戦車の背中、アグルは恐竜戦車の腰についているプラズマソウルへ向かって矢のように体当たりをかけた。

『ガイア突撃戦法!』

『アグル突撃戦法!』

 二人の超高速での特攻がさらに二つのプラズマソウルを砕いた。残るは、右脇についている一つのみ。

 だが、後が無くなったことでついに恐竜戦車はキレた。火炎を空に向かって吐き散らし、狙いもつけずに放たれる砲弾は宙をまたいで遠方の町や村のある地域にまで落下し始める。

〔大変だ、暴走を止めなくっちゃ!〕

 このままでは被害が広がる。ガイアは、恐竜戦車に残った右脇の最後のプラズマソウルに狙いを定めた。

『クァンタムストリーム!』

 光線は一直線に最後のプラズマソウルを狙う。しかし恐竜戦車は前足を動かして光線の盾にして、そのままガイアへ向かって火炎を吐きかけてきた。

「ジュワッ!」

 とっさに飛び立って火炎をかわすガイア。残ったプラズマソウルはあと一つ、あれさえ砕ければ。

 アグルも同調し、再び恐竜戦車に隙を作って攻撃しようとガイアに続く。だが、今度はさっきとは状況が変わっていた。

〔奴め、なんて弾幕だ!〕

 陽動しようとしたアグルを迎えたのは、砲弾と火炎のまさに壁だった。恐竜戦車は狙いをつけられないなら空一面を焼き付くしてしまえばよいとばかりに、高速で超信地旋回しながら火炎と砲撃を連射してきたのだ。

「ウワアッ!」

「グァッ!」

 たまらず撃ち落とされ、ガイアとアグルが大地に叩きつけられる。

 あの弾幕を掻い潜るのは無理だ。そう判断した二人は、立ち上がるとエネルギーを集め、巨大な光刃と青く輝くエネルギー球に変えて投げつけた。

『シャイニングブレード!』

『フォトンスクリュー!』

 狙いは正確だ。奴がいくら高速回転していても、必ず最後のプラズマソウルに当たるはず。

 だが、恐竜戦車の頭脳も馬鹿ではなかった。残ったプラズマソウルが一つなら、それだけを徹底的に守ればいい。恐竜戦車は太い腕で右脇の最後のプラズマソウルを抱き抱えるようにしてがっちりとガードし、シャイニングブレードとフォトンスクリューさえも回転の勢いで弾き返してしまったのだった。

〔しまった。守りやすい場所を最後に残してしまったんだ。背中か腰のやつを最後にすればよかった〕

〔今さら言っても始まらないぞ。なんとかして、あの最後のプラズマソウルを砕くしかない。だが……〕

 アグルが苦渋をにじませながら呟いた時、ついに二人の胸のライフゲージが赤く点滅を始めてしまった。長引く戦い、高速飛行に大技の連発が響いてしまったのだ。

 残された時間はあとわずか。それで、暴れまわる恐竜戦車のプラズマソウルを砕けるのだろうか? ガイアとアグルの余力は無くなり続けていく。

〔せめて、奴の足さえ止められれば〕

 だが、あの何十万トンという動く要塞をどうやって止めろというのだ? 戦艦大和で体当たりしたって不可能だ。二人の焦燥に反比例して、時間は無情に過ぎて行く。

 

 けれども、そこで今こそエレオノールたちは動こうとしていた。

「足を止めろですって。やってあげようじゃないの」

 エレオノールとルクシャナはメンテナンスブースからさらに下った先にあるエンジンルームにやってきていた。どういう理屈かは知らないが、恐竜戦車がどんなに激しく動いても内部には伝わってきていない。もしこのカラクリがなければ二人ともとっくにミンチになっていたことだろう。

 二人は恐竜戦車のエンジンを見渡した。巨大な鉄の塊が轟轟と音を立てて稼働しており、科学には浅い二人にも、これがとてつもないパワーを生み出す機械だということは容易に想像がついた。

 しかし、二人にはこのエンジンを停止させる仕組みを探る時間も無いし、破壊しようとすれば自分たちも巻き込まれてしまうのは明白だった。

 ならどうするか? エレオノールはルクシャナに、その秘策を伝えた。

「どう、できる?」

「できる? じゃなくて、やれ、でしょ。確かにこの装置は、プラズマソウルという石から取り出した力を推進力に変えるものらしいから、その力の流れに乗せれば恐らく」

「私の考えたものに間違いがあるわけないでしょ。それじゃやるわよ。呼吸を合わせなさい」

「はぁ、もう一生分言ってる気がするけど、このようなことに精霊の力を使うことをお許しください」

 覚悟を決めて、二人は魔法の呪文を唱え始めた。

 恐竜戦車ほどの超巨体を止めるなんて、人間でもエルフでも不可能だ。魔法とて万能ではない……しかし、不可能に可能性という光明を加えられるものこそが知恵だ。二人の魔法は恐竜戦車の車体に影響を及ぼせるほどの力はない。けれども、プラズマソウルの力を拝借してエレオノールの『錬金』の魔法と、ルクシャナの地の精霊への祈りが恐竜戦車の車体を通じて地面に染み渡っていく。すると。

 ガクン、そういって超信地旋回を続けていた恐竜戦車の車体が揺らいだように見えた。砲撃を耐え忍んでいたガイアとアグルは、一瞬なにが起こったのかわからなかったが、あれだけ激しく動いていた恐竜戦車の動きがみるみるうちに止まっていき、そして沈んでいっているような様になっているのを見て理解した。

〔奴の下の地面が泥沼になっている!〕

 そういうことだった。エレオノールとルクシャナは魔法をプラズマソウルのエネルギーを利用して増幅し、恐竜戦車の足場を底なし沼に変えたのだ。いくら恐竜戦車がケタ外れの馬力を誇ろうが、キャタピラで動いている以上は足場の状態に支配される。そしていくらキャタピラが不整地の移動に適していようとも、底なし沼ほど軟弱になってしまっては進むことはできない。

 恐竜戦車は咆哮をあげながら必死にキャタピラを回転させてもがいているが、かえってどんどん沼にはまっていく一方だ。もちろん砲撃も完全におこなえなくなっており、この有様がエレオノールとルクシャナの二人が何かした結果だと気づいたアグルは、感心したようにうなづきながら言った。

〔この世界の学者もやってくれるじゃないか。ガイア、今だ!〕

〔おう!〕

 このチャンス、逃せばこちらが学者の名折れだ。ガイアは恐竜戦車の上空へと飛び上がり、その姿を恐竜戦車の内部からモニターを通じて見たエレオノールは不敵に笑った。

「さあ、足は止めてやったわ。後はまかせたわよウルトラマン」

 これで貸し借りなしだ。ラ・ヴァリエールの女の意地は、誰が相手でも怖気ずきはしない。

 今こそ、恐竜戦車にとどめだ。それを察したバルタンが慌てて邪魔に入ってもアグルが食い止め、狼狽しているバルタンの眼前で、ガイアは恐竜戦車の死角となる真上から足を赤熱化させながら急降下キックを最後のプラズマソウル目がけて叩き付けた。

『スプリームキック!』

 強烈な最後の一撃。ガイアのキックで最後のプラズマソウルも砕け散り、恐竜戦車はついにそのエネルギー源のすべてを失った。

 苦しげに咆哮する恐竜戦車の体内でエレオノールたちがすかさず停止操作をおこない、恐竜戦車は沼地の中で停止し、魔法で作られた底なし沼もただの地面へと戻った。

 恐竜戦車のプラズマソウル、ハント完了。

 残るはバルタンただ一人。しかし、切り札を失ってしまった以上、もはやガイアとアグルの二人を相手に勝機などあるわけもなく、捨て台詞を吐いて逃亡していった。

「こんな馬鹿な。クソッ、だがお前たちもこれ以上戦うエネルギーは残っていまい。さらばだ!」

 逃げていくバルタンをガイアとアグルは追わなかった。実際にライフゲージの点滅の通り、追う余裕が無かったのだ。

 悔しいが、足止めという目的であればバルタンの目論見は成功したと言える。それでも、あの恐竜戦車相手に負傷も無く勝利することができたのはよくできたほうであろう。だが、ガイアとアグルがこれからのことを考えようとしていると、恐竜戦車の中から高揚したエレオノールとルクシャナの声が響いてきた。

「あははは、やったわ。見なさいよ、あの散らばったプラズマソウルの山を。あれを持ち帰れば、アカデミーの歴史に残る一大壮挙よ。次期室長なんか目じゃないわ」

「半分はもらうわよ先輩。あれがあれば、ネフテスの石頭たちにも精霊に頼らない力の存在を認めさせることができるわ。でも、プラズマソウル……こんな素晴らしい鉱石なのに、これだけしか残らなかったのは残念ね」

 ここまでだったら向上心に溢れる学者のことで済んでいただろう。しかし、エレオノールはさらに未来を見ていた。

「なに弱気なことを言ってるのよ。プラズマソウルがここに無いのなら、あるところに行けばいいだけの話じゃない。ちょうど、ここじゃない世界から来た連中が目の前にいることだしね」

 そう、エレオノールの意識はウルトラマンたちにも向いていた。ガイアとアグルがぎょっとする暇も無く、エレオノールの声はガイアとアグルに向けられた。

「聞いているんでしょうウルトラマン! あんたたちがハルケギニアの外からやってきたのはわかってるんだから。いつか必ず捕まえて、外の世界へ連れて行ってもらうわ。そうして、プラズマソウルだけじゃない。この世のあらゆる発見を私のものにしてみせるわ。外の世界のサイエンスがいくらすごかろうと、私たちメイジの魔法は決して劣っていないのを見ていたでしょう!」

 貪欲な学者の執念。教会に閉塞されていた頃には味わえなかった、未知を暴くことへの無限の喜びを知った学者の魂の叫びだった。科学と魔法、方向は違っていても、発見から進歩へとつなぐ道のりは変わらない。

 そしてついでに、エレオノールはあのカリーヌの子でありルイズの姉だった。

「そうよ。異世界だったら、トリステインみたいに軟弱じゃない男だっているはずだわ。狩ってやろうじゃないのよ何もかも」

「えっ、ちょ? ハントするのはプラズマソウルでしょ!?」

「お黙りなさい! 私より先に恋人のいる勝ち組が偉そうにするんじゃないわよ。言ったでしょ、この世は欲しいものは手に入れたもの勝ちだってねえ」

「ひえー、また暴走してるわこの人ぉ!」

「なんとでも言いなさい。でも、私はどんな手を使ってもすべて手に入れてみせるわよ。プラズマソウルも、彼も、そしてまだ見ぬ宝も。あなたがいらないっていうなら、全部私がもらうわよ?」

「むう、それは許さないわ。わたしだって、蛮人の道具集めで満足する安い女で終わるつもりはないわ。プラズマソウルも異世界の宝も、ネフテスに一番に持ち帰る栄誉は誰にも譲らないわ」

「なら、私に着いてこれるかしら? 異世界を開拓する。並みのメイジじゃ務まらないわ。私はもちろん、ラ・ヴァリエールの人間だから簡単だけど」

「蛮人が調子に乗らないで。精霊の加護のあるわたしたちエルフに行けない場所なんてないんだから」

「言ったわね。ならどちらがハルケギニアの歴史に名を残すか、勝負よ」

「望むところよ!」

 同僚からライバルへ。栄光は誰の手に? もちろん自分のものだ。

 エレオノールとルクシャナ。異世界の不思議を数多く見た彼女たちの好奇心と野心はハルケギニアを離れて、その外へと向いている。しかし、次元の壁を超えることは並の人間にできることではない。

 そのためには。

「そのためには、ウルトラマンたち。まずはあなたたちをハントしてあげるから楽しみにしてなさい。このハルケギニアのどこに隠れても、必ず捕まえてあげるわ!」

「そうよ、楽しみにしてなさい。それで、わたしたちとあなたたちで組んで、この世の神秘を独占しましょう。きっと楽しいわよ」

 勝手にとんでもないことを言い出すエレオノールとルクシャナ。アグルとガイアはなかば呆れながらそれを聞いていたが。

〔どうする我夢? GUARDに留学でもさせてやるか〕

〔さすがにコマンダーに怒られるよ。でも、少し見習うところはあるかも。あれくらい向こう見ずなほうが、進歩のためにはいいのかもしれないね〕

 貪欲な人間はかつて地球を壊し、生き物を殺して環境を汚染してきた。しかし、その貪欲さが科学の発展を促し、自然と人間が調和する技術を作り上げてきたのも事実だ。

 アクセルとブレーキのバランスを、人は長い経験から学んできた。だがそれは、安全運転に慣れて、アクセルを踏みっぱなしの世界を忘れてしまったということでもある。バスやタクシーならともかく、F1やバギーがそうであってはいけない。学者とは、常に人々の先頭を、道なき道を切り開く者のことなのだから。

 果たして、この二人のかっとんだ野望が叶う日は来るのだろうか? もっとも、我夢と藤宮は、この二人には今後近寄らないようにしようと決めていた。

 そしてこの数年後……アルケミックマジェスターズという風変わりなハンターチームがプラズマギャラクシーを騒がすかは……さだかではない。

 

 

 しかし、ハルケギニアをいまだ包む戦雲は、数年後どころか今すぐにでも世界を滅ぼさんとしている。

 その仕掛人、バット星人グラシエは成り行きを楽しそうに見守りながら、いまだに懐のすべてを見せようとはしない。

「それで、王様はもう宮殿にはいないって、どこへ行ったんだよ?」

「さあ? 私は別に王様の行動を縛ったりはしてませんから、どこへ行ったかまでは存じませんね。探してみてはいかがですか、私は止めませんよ」

「この野郎!」

 焦る才人は毒づいたが、グラシエは意にも介さない。

 そうしているうちにもハイパーゼットンは脈動を続け、破滅の力を解き放てる瞬間を待ち続けている。リュティスの最後までのカウントは、もう多くはない。

 

 

 続く

 



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第32話  ジョゼフとシャルル

 第32話

 ジョゼフとシャルル

 

 異次元獣 スペクター 登場

 

 

 古来、古今東西、王国というものに玉座が二つあるということはまず無い。

 それはしごく、権力者の数だけ国は割れるという人の業に従っている。

 国が国として存在するためには玉座はひとつ、王は一人。その原則は動かない。

 しかし、そのたった一つの玉座。たったひとつの権力の座は悪魔的な引力を持って人の運命を狂わせる。

 特に、権力を世襲する権利を持って生まれてきた王族の、その兄弟親類間での骨肉の争いはそれだけで辞書のような歴史書を書けるほどだ。

 そして、このガリアにも王族に生まれてしまったがために不幸な定めを背負うことになってしまった兄弟がいた。

 数多くの悲劇がそのために撒き散らされ、その因縁はまだ終わっていない。兄ジョゼフは忌まわしい因縁を断ち切るために奔走したが、因縁とはそう簡単に断ち切れるものであろうか。

 次に起こるのは、またも悲劇か? それとも……。

 

 行方がわからなくなってしまったジョゼフの居場所の手がかりを探るため、才人たちは姿を現したバット星人グラシエから情報を引き出そうと悪戦苦闘していた。

 だがグラシエはのらりくらりと追及をかわし、肝心なところでは要領を得ない。才人やルイズたちの我慢もそろそろ限度に達しようとしている。

「それで、王様はもう宮殿にはいないって、どこへ行ったんだよ?」

「さあ? 私は別に王様の行動を縛ったりはしてませんから、どこへ行ったかまでは存じませんね。探してみてはいかがですか、私は止めませんよ」

「この野郎!」

 焦る才人は毒づいたが、グラシエは意にも介さなかった。それで見つかるならとっくにやっている。広大なリュティスの中からノーヒントでたった一人を探し出せなんて無茶ぶりもいいところであった。

 リュティスよりずっと狭いトリスタニアでも抜け道や地下道が網の目のように張り巡らされていた。リュティスに初めてやってきた彼らにとってはリュティスは大迷宮に等しい。シルフィードは、「きっとタバサお姉さまもいっしょにいるのね。お姉さまの匂いならすぐにわかるのね」と言っているが、匂いがわかるほど近くにいかなきゃいけないのでそれも意味がない。

 いや、問題はジョゼフだけではない。あのハイパーゼットンもだ。あんなものが本格的に動き出したらガリアどころかハルケギニアが壊滅する。いくら言っても馬耳東風のグラシエに、ルイズはとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「だったら、まずはあんたを締め上げてあのでかいのを止めさせてやるわ!」

「おや、私から聞きたいことはもう無いのですかな?」

「どのみち大事なことを聞いてもはぐらかすでしょ。なら、杖で決着をつけるしかないじゃない。サイト!」

 ルイズに目で訴えられて、才人はルイズの意図を悟った。グラシエはルイズのエクスプロージョンを知っている。普通に撃ってもかわされるだけだ、ならば。

 ルイズが唱えた呪文はエクスプロージョンではなかった。エクスプロージョンを撃つと見せかけて、才人といっしょにグラシエの後ろに瞬間移動したのだった。

『テレポート』

 緩急のない一瞬の移動。これなら見切ることは不可能だ。

 才人はデルフを振り上げ、思い切り振り下ろした。自信あり、必ず当たる!

 だが。

「おっと、その手は食いませんよ」

「なにぃぃっ!?」

 なんと、グラシエは後ろに目があるように才人の斬撃をあっさりと身をかわしてしまった。なぜ? 今の攻撃は避けられるわけはなかったのに。

 渾身の一撃を外してしまった以上、さらに振り回しても宙を飛べるグラシエには当たらない。水精霊騎士隊の仲間もあまりの早業についていけていない。愕然としている才人たちに、グラシエは愉快そうに告げた。

「ふふふ、甘い甘い。同じ手は二度と通じませんよ」

「同じ手ですって? 馬鹿言わないでよ。あんたにテレポートを使ったのは今回が初め、て?」

「お、おいルイズどうした? うっ!」

 突然頭を抑えたルイズを気遣った才人は、自分も突然頭に強い痛みを覚えて顔をしかめた。

 なんだ? 何かが頭の中に沸き上がってくる。

 

「『テレポート!』今よサイト!」

「おっしゃあ!」

 

 なんだ!? 今、頭に浮かんだビジョンは?

 あれは自分たち? でも、あんなことをやった覚えはないぞ。なんでそんなものが見えるんだ? 前に自分たちはグラシエと戦ったことがある? そんな馬鹿な。

 だが、グラシエは困惑している才人やルイズを見下ろしてあざ笑うのだった。

「おやおや、タイムリミットが近いようですね。フフフ、どうですか? ありえない記憶に翻弄される気分というのは」

「なん……ですって。あんた、わたしたちに……何を?」

「ンフフフ、私が説明しなくてもすぐにわかりますよ。それまでもう少しこの前座を楽しみましょう。焦らなくても必ず来るのですから」

 前にも、前からもこんなことはあった。けれど、今回はそれとは違う。まるで、重い蓋で閉じ込められていたものが吹き出しかけているような。

 いったい、いったいこれはなんだっていうの? 自分たちの中に、別の自分がいるような違和感。才人とルイズの困惑を、グラシエはまさに思い通りといった風に見下ろしている。

〔ふふふ、楽しいですねえ本当に。さて、そろそろ王様たちのほうも次の段階に移っている頃でしょうか。仲直り、できるといいですねえ弟君と〕

 全ては予定調和。そう、こうなることは最初から決まっているのだから。

 

 

 誰しもが自分の意思で決断し、自分の意思で行動していると信じている。

 だが、もしその意思に他者が介入していたら? それは、考えるだにおぞましい。

 

 ヴェルサルテイル宮殿の地下から脱出したジョゼフたち。彼らはその後、地下の抜け道を使い、シャルルを背負ったジョゼフはタバサの灯す灯りだけを頼りに闇のなかをひた駆けた。

 行く先はわからない。戻る道は崩れはて、西も東もわからない地の底を走り続けた彼らがたどり着いた場所は、リュティスの一角にあるとある貴族の屋敷の地下室だった。

 どうして宮殿の地下とこの屋敷がつながっていたかはわからない。いつかの時代の国王が緊急時の抜け道で掘らせたと考えるのが自然であろうが、今はそれはどうでもいい。この屋敷もすでに住人が逃げ出していたために、ジョゼフは走っているうちに気を失ってしまったシャルルを適当な寝室のベッドに寝かせると、部屋を出てタバサと向き合っていた。

「こんなに走ったのはガキの頃以来だが、息を切らせるようでは俺も歳かね」

「……」

「そんな目で睨むなシャルロットよ。今更どこにも逃げたりはせん。それより、シャルルについてやらなくてよいのか?」

 ジョゼフの言葉や表情にけんはなく、純粋に思いやって言ってくれているのだろうとタバサは思った。

 恐らくこれが、自分やイザベラが生まれるよりも前のジョゼフの姿なのだろう。タバサは、自分の知らないジョゼフの狂気に染まる以前の姿を目の当たりにして、この兄弟の確執の深さを感じ取った。きっと昔は、ただの仲のよい兄弟でしかなかったに違いない。それを命を奪ってしまうほどの憎悪に駆り立てたのは王族として生まれたが故のいびつな環境……それは、今なら自分にもわかる。

 けれど、ジョゼフはシャルルを殺してしまったことで、自らシャルルに死に逃げをさせてしまった。ジョゼフが王になってからしてきたことは全てその穴を埋めるための悪あがき……むろん、理由が何であれ無実の人々を苦しめてきたことは決して許されはしないけれども、すでに命を持って償う覚悟を決め、シャルルにすべてを譲って消え去ろうとしているジョゼフの表情は本当に穏やかだった。

 だが、タバサは伝えねばならない。超獣ギーゴンと戦ったあの日、旧オルレアン邸の秘密の地下室で見つけた父の秘密を。タバサはあの帳簿をジョゼフに手渡して読むように告げた。

「これは? ああ、そういえば”真実”がどうとか言っていたな」

「そう。もうこうなってしまった以上は仕方がないけれど、お父様が目を覚ます前に知っておいてほしい。あなたたちが、もうすれ違ったままでいるのは見ていられないから」

「ふむ」

 タバサの悲痛さも浮かぶ様子に、ジョゼフは素直に帳簿を受け取った。もとより死さえ覚悟している。今さら何を知らされたところで決意が揺らぐことはない。

 ページをめくっていくジョゼフ。だが、その表情は次第に険しさを増していった。

 まさか、これはどういう……いや、そうとしか考えようがない。ほかの可能性を検討しようと思っても、明晰なジョゼフの知性は甘えを許してはくれなかった。

 そこに書かれていたのは、多くの貴族たちへの献金の記録。その名義はシャルルからであり、それはつまり、シャルルと貴族たちとの間に贈賄の関係があったということを示していた。しかも、帳簿の分厚さや日付の古さから、その根は相当に広く深いものであったこともうかがい知ることができた。

 読み進めるジョゼフ。すると、かつてシャルルを次期国王にとひときわ強く推していた貴族たちの名前が並び、その者たちには朱線まで引いて、より多額な金銭や美術品をどれだけ贈ったかや、将来大臣や重職に取り立てる約束をしたことなどが克明に記録されていた。

「シャルロット、これは……?」

「わたしの屋敷の、秘密の地下室で見つけた」

「これは間違いなくシャルルの字だ。これはつまり、そういうことなのか。シャルルの、あいつの人気は作られたものだったということか? 金を使い、凡百の貴族どもや平民のように不正に買っていたのだと、あの誰よりも高潔で善良だった、あのシャルルがか?」

「確かめた。間違いない」

 タバサが断言したことに、ジョゼフは気が遠くなる思いで絶句した。

 シャルロットがシャルルに関して嘘をつくことなど絶対にありえない。それにシャルロットは自分の知る限りでもっとも頭の良い人間だ。そのシャルロットが確認して、間違いないと言うのだから間違いがあるわけがなかった。

 シャルルは生前、自分の人気取りのために不正なことをしていた。何のために? そんなもの、王族であるシャルルがそうまでしないと手に入らないものなど、玉座以外にあるわけがない。

「シャルロットよ教えてくれ。俺は臆病な男だ。頭が考えることを、認めることを拒絶してしまっている。お前はもう、あいつの子であるお前はもう答えを出しているのだろう?」

「お父様は、あなたの弟は、ガリアの次の王になることを画策していた。そのために、不正な金銭を使っても自分の支持者を増やし、王位継承者としてふさわしいとアピールしようとしていた。世間に……なによりお祖父様、前国王陛下に」

「だが、父上は俺を後継者に指名してしまったというわけか。しかし、なぜだ。そんなことをわざわざしなくても、人徳も魔法の才もすべてがシャルルは俺を上回っていた。なぜこんなことをしなければならなかったというのだ?」

「あなたはわかっていない。長男というそれだけで、王位継承のなによりの資格になる。それにあなたは自分のことを卑下するけど、優秀とうらやむ弟に曲がりなりにも対峙できていたのはあなただけ。つまりあなたも十分以上に優秀なの。実際、この四年間のガリアは揺らぐことはなかった。無気力に統治をしてそれができたあなたは非凡以外の何者でもない。お父様は、近くで見ていたからそれを誰よりわかっていた。もちろんお祖父様だってそう。そんな兄がいるのに、次男が王位継承者に指名されるのには、ただ優秀なだけでは無理。きっと、お父様はそう思ったの」

 ジョゼフはひざを折りそうになるのを必死にこらえた。

 なんということだ。俺が優秀? それをよりにもよってシャルルの娘から聞かされるとはなんという皮肉か。もちろん今のことはすべてシャルロットの推測だ。だが筋は通っている。俺は父上が王座にいたころから父上にはシャルルに比べてないがしろにされていると感じてきたが、父上も優秀な王だった。あのとき「次王はジョゼフとする」と言った遺言を、俺は父上が死に際で乱心したためだと思い込んでいたが、それが正気だったとしたら? シャルルの後ろ暗さを見抜いていたとしたらどうだ?

 だが、そのくらいでジョゼフの信念も変わるものではない。

「残念なことだ。だが、それでもシャルルは『王族らしいこと』をしていただけではないのか? 俺は人気取りをする知恵もないくらい無能だったのだからな。なにより、それでもシャルルが王になったほうが俺が王でいるよりずっとマシではないか」

「本当に、それでいいと思うの?」

「……ああ、そうだ」

 俺が王になってシャルルよりましなことなどひとつも無い。それを思えばたいしたことではないはずだ。

 けれども、もうひとつ。

「だが、シャルルは俺が王に指名されたときに言ったのだ。「兄さんおめでとう。兄さんが王になってくれて嬉しいよ。二人でこの国をもっとよくしていこう」と。俺はあのときのことを昨日のように思い出せる。いったい、あれはなんだったというのだ?」

「それは……」

 タバサは答えようとした。だが、答えるのはタバサにもつらかった。それに、ジョゼフほどの頭脳の持ち主が察せられていないわけがない。

 わかっていても認めたくないことはあるものだ。直接見たというなら認めざるを得ないだろうが、こうして間接的に証拠を突きつけられても人間の心は防衛本能を働かせる。

 それでも、認めなければならない。タバサがそう思って言葉を紡ごうとしたときだった。シャルルを寝かせている部屋から物音がして、タバサとジョゼフはびくりと体を震わせた。

「シャルル、目を覚ましたのか」

「どうする? あなたが、説明するはずだったのでしょう」

「……少しだけ時間をくれ。情けない話だが、頭が回らん」

「今さら……」

「恥を忍んで頼む。決して逃げたりはせん。だが、本当に少しだけ落ち着く時間を作らせてくれ」

 ジョゼフはおぼつかない足取りで洗面所のほうへ歩いていった。

 まるで親に叱られるのを引き伸ばそうとする子供だ。タバサは、ジョゼフのそんなみじめな姿を見たいと思ってきたのに、空しさとやるせなさしか湧いてこない自分の心を恨んだ。

 逃げ出したいのは自分のほうだ。確かに、父が帰ってくるならばと、グラシエの誘いに乗ったのは自分だ。けれど、いざこうなってみるとどんな顔をして会えばいいのかわからない……。

 けれど、生き返って右も左もわからない父を一人でほっておくわけにはいかない。タバサは、あれほど会いたかった父との対面だというのに、緊張しながらドアを開けた。

「……失礼します」

 ドアの向こうでは、父シャルルがベッドから上半身を起こしてこちらを見ていた。

 父様が、生きた父様が目の前にいる。タバサの動悸が早くなる。シャルルはタバサを見つめて、怪訝そうな様子で口を開いた。

「君は……誰だ?」

 タバサは頭をハンマーで殴られたようなショックを覚えた。父が、自分をわかってくれない。

 だが無理もない……あれからもう四年。幼かったタバサも立派に成長し、容姿は大きく変わっているのに、シャルルの時間は四年前で止まってしまっているのだ。タバサは息を落ち着かせると、眼鏡をとって答えた。

「父様、信じられないかもしれませんが、あなたは戴冠式のあの日から四年間も眠らされていたんです。わたしは、わたしはシャルロット、あなたの娘です」

「シャルロット? まさかそんな。だが、その顔は……すまない、もっと顔をよく見せておくれ」

 タバサは父に歩み寄ってかがみこんだ。その顔をシャルルはまじまじと見つめると、感極まったように言った。

「おお、おお、シャルロット、本当にシャルロットなのか。大きく、大きくなったなあ」

「父さま、父さま……っ」

 タバサは感激をこらえきれず、ボロボロと涙をこぼした。シャルルはそんなタバサに、いたわるように言った。

「長い間、とても長い間眠っていたような気はしていた。だが、そんなに長い時間が経っていたとは。シャルロットよ教えてくれ。いったい、私が眠っていた四年間になにがあったのか?」

「それは……」

 タバサはためらいながらもとつとつと話し始めた。四年という時は大きい。しかし、どんな理由でも再びこの世の人となってしまったシャルルをこのままにしておくことはもうできない。

 だが、これでよかったのだろうか? タバサは、父の所業を知ったとき、このまま父を生き返らせてはいけないと決意した。だがそれでも、父が戻ってきてくれたのは嬉しい。それに、父が不正をしていたのは事実でも、別に誰かを傷つけたりしたわけではないではないかと、心の中から別の自分が呼びかけてくる。

 こうなった以上、どんな強引な方法を使っても、ジョゼフの思惑に乗ることになったとしても、シャルルの生還を既成事実化するしかないのか。タバサはその選択肢にこらえがたい誘惑を感じた。父とのあの楽しかった日々が帰ってくる……そのあまりの甘美さに、このままで終わるはずがないという狩人としての勘が鈍っていることに気づかず。

 

 たとえどんな選択肢であろうと、一度選んでしまった結果にやり直しはきかない。だから人は分かれ道で迷う。

 そして分かれ道は次々に現れて人を迷わせる。それの例外になる人間はおらず、その頃、ジョゼフは洗面所で鏡を前にしながら独語していた。

「俺が、こんなに臆病な男だったとはな……」

 シャルルが生き返ったら、喜んでシャルルに王位を譲り、それで終われると思っていた。そのために、シャルルの生存をでっち上げるための偽物を用意するなど手を回して、それはすべてうまくいっていたはずだった。

 けれど今は、シャルルにどんな顔をして会えばいいのかわからない。シャルルが不正を多少していたところで、そんなもの貴族なら誰でもやっていたことではないか。あいつが俺より優秀だったのは間違いないのだし、迷わず王位を明け渡すのに何の躊躇がいるのか?

 鏡の向こうの虚像の自分に言い聞かせるも、何かが躊躇させる。なぜだ? なぜ俺はあれほど望んだシャルルとの対面を拒もうとしている? 俺は何を恐れている?

 結局俺は、シャルルの心どころか自分の心も理解していなかったということか。まったく笑わせる、やはりこんな俺は王になどふさわしくない……む?

 ふと、ジョゼフは違和感に気がついた。目の前の洗面所の大鏡に映っていた自分の姿が水面のように揺らめくと、見たことのない砂丘のような風景が映った。

「なんだ? なにかのマジックアイテムか?」

 貴族の屋敷には一般の調度品に見せかけて魔法の仕掛けがされていることが珍しくない。危険を感じたジョゼフが鏡から離れようとしたとき、鏡にひびが入った。

 世界が虹色に変わり、上下の感覚がなくなる。そのままジョゼフは鏡の中へと吸い込まれていった。

「なっ! うおおぉぉ……」

 ジョゼフの叫び声を聞いて、タバサとシャルルも弾かれるように飛び出した。

「ジョゼフ!」

「兄さん!? 兄さんがいるのかい」

 だが飛び込んだ洗面所にはすでにジョゼフはおらず、タバサとシャルルもそのまま鏡の中へと引きずり込まれていった。

「うわぁぁ……」

 悲鳴も鏡に吸い込まれるように消えていく。やがて、無人となった屋敷では割れた鏡の破片だけが鈍く輝き続けていた。

 

 

「こ、ここはどこだ?」

 ジョゼフが気がついた時、彼は広大な砂丘の中にたたずんでいた。

 周りは砂以外何も見えない。少なくとも、リュティスのどこでもないようだ。

「シャルル! シャルロット!」

 叫んで二人を探しながら、ジョゼフは考えた。さっき、鏡に吸い込まれたまでは覚えている。となると、あの鏡を通して別のどこかに送り込まれてしまった可能性が高い。

 問題はどうしてそんなことに? あの屋敷にあった魔法装置を偶然自分が動かしてしまったのか? いや、偶然にしてはできすぎている。となれば、こんなことを仕掛けてくる奴は一人しか思い当たらない。

「奴め、そろそろこの俺も用済みだということか」

 心乱されようとも、ジョゼフの頭の切れは衰えてはいなかった。しかし悔しくはない、奴とは別に盟友でもなく、こういう場合は引っかけられるほうが間抜けなだけだ。

 だが、何のためにこんなことを? 始末するだけなら簡単なはずだが……いや、どうせろくなことではないから考えるだけ無駄だろう。成り行きに身を任せるしかない。

 すると、砂丘の中腹に倒れている人影をジョゼフは見つけた。その背格好に、シャルルだと気づいたジョゼフは駆け寄って助け起こした。

「シャルル! シャルルよ」

「に、兄さん……兄さんなのかい?」

 気がついたシャルルの顔も声も、自分が毒矢で射る前のシャルルのそのままで、ジョゼフはこみあげてくる何かをぐっとこらえた。

「そうだ、俺だよ。シャルルよ、俺がわかるのか」

「ああ、シャルロットから聞いたよ。僕が奇病に倒れている間にガリアを一人で支えてくれたんだってね。やっぱり兄さんはすごいや」

「あ、ああ……」

 ジョゼフの心に忘れていた罪悪感が蘇ってくる。なぜだ、俺はこの心の揺らぎを取り戻したくてこれまでしゃにむに駆けてきたというのに、なぜこんなに苦しい。

「ともかく、ここから動こう。シャルル、立てるか?」

「あ……ごめん兄さん、ちょっと、腰が抜けちゃって」

「なに、仕方のない奴だ。ほら、立たせてやる」

 ジョゼフはシャルルに肩を貸して歩き出した。

 砂丘の砂にさくさくと足音が響き、他にはなにも聞こえない。空も風も実感がなく、ここがまともな世界ではないことを肌で感じることができた。

「ごめんよ兄さん、僕が情けないばかりに」

「なにを言うんだ。俺は兄貴だぞ、これくらい軽いものだ」

 遠慮がちなシャルルに、ジョゼフはなかば強がって言ってやった。偉丈夫なジョゼフにとって、細身なシャルルの体を支えるなんて簡単だが、こうして自分が殺した相手の顔をすぐそばで見るのはつらい。

 シャルロットはシャルルに俺がシャルルを殺したことを言っていないのか。その気づかいがまた胸に刺さる。

「シャルロットはどうした? あいつもいっしょだったはずだろう?」

「それが、確かにいっしょにいたはずなんだけど、鏡が光った後はなにもわからなくて」

「そうか、ならばまずはシャルロットを探さねばならんな」

 あてなどないが、ジョゼフはそのまま歩き続けた。止まれば、見えないなにかに背中を掴まれそうな、子供のような恐怖がジョゼフを突き動かしていた。

「シャルルよ、まだ足は動かんか?」

「うん、さっきよりはましだけど、まだうまく力が入らなくて」

「そうか、無理はするな。だが……こうしてお前と二人だけで歩くのは、いつ以来だろうな」

「お互い、大人になったらどうしても人の目があるものね。大人になるのって、あっという間だったね」

 シャルルもジョゼフと同じように、遠い思い出に心をはせて遠く目を細めた。

「覚えてる兄さん? 父さんの王冠の中にトカゲをしこんでやったときのことを」

「もちろん覚えているとも。あのとき、大臣どもの前で慌てふためいた親父どのの顔はけっさくだったなあ、はっはっはっ」

「あはは。思えば、子供の頃の僕らはまったく王子らしくない王子だったね」

「ああ、二人で思いつく限りの悪事を働いて、何度親父どのに雷を落とされたか数えきれん」

「兄さんがドジなせいだよ」

「お前の逃げ足が遅いからだ」

 二人は顔を見合わせて笑いあった。

「だが、ガキでいられる時間は短い。意地の悪い家庭教師を何人もつけられ、やれ学問だの作法だのを押しつけられる」

「父さんはそれだけ、兄さんに期待していたんだよ」

「どうかな。だが、俺が伸び悩むのに比べて、お前はメキメキと才能を表した。魔法でも、学問でも、お前を褒め称える声を聞かない日は無かった」

「大げさだよ。家庭教師の奴ら、半分以上はおべっかだったさ」

「いや、お前が優秀だったのは変わらない。お前の魔法の才は突出していた。大人でも覚えるのが難しいような魔法を、お前はあっという間に覚えてしまう。学問でもそうだ。お前は若くして風と水の真理を解き明かした。俺はそれが、うらやましくてたまらなかったよ」

「あれくらいのこと、もしも他の貴族たちと同じように魔法学院に通っていたら、僕くらいの成績の子はたくさんいたさ。兄さんが劣っていたなんてとんでもない。周りの奴らは、派手な結果ばかり見たがるけれども、基礎を固めて堅実な論文を作ったりするのは兄さんのほうが得意だったじゃないか」

「それでも、俺はお前に勝ちたかったのだ」

 シャルルの気づかいに満ちた言葉も昔のままでジョゼフはつらかった。昔はこれで嫉妬に狂い、嫉妬は憎悪に変わった。だが、今は憎悪の先に何もないことを知っている。知っているからこそ、蘇ってきたやり場のない劣等感がつらかった。

 二人の間に沈黙が流れる。だが行けども行けども、砂丘の風景は変わりない。まるで同じところをグルグル回っているような感覚が、二人に黙り続けることを許さなかった。

「兄さん、聞かせてよ。今は兄さんがガリアの王なんだろう。僕が眠っている間に、ガリアはどう変わったんだい?」

「そうたいして変わってはいないさ。やはり俺は王には向いてない男だったらしい。今を持たせるのに精いっぱいで、世間では無能王なんて俺を呼んでいるようだ」

「それは、ひどいね」

 シャルルは目を伏せ、憤ったようにつぶやいた。

 その様子を見て、『シャルルよ、やはりお前は……』と、ジョゼフの胸に昔は気づかなかったある確信が浮かぶ。

「まあ俺のことはどうでもいい。俺などよりも、シャルロットにはもう会ったのだろう。あいつはすごいぞ。さすがお前の娘だけあって、聡明で魔法の才にも優れている。おかげでずいぶん俺も助けられたものよ」

 その言い草はタバサも怒るだろう。確かに結果的にタバサはジョゼフの治世を助けたことにはなるけれども、それは脅迫そのものの北花壇騎士としての役割であってだ。とはいえ、方便も必要だ。こんなときに、お前の娘をこき使って死なせかけていたなんて言えるわけがない。

 すると、シャルロットのことを褒められたのが嬉しかったのか、シャルルの顔に喜色が湧いた。

「そうだろうねえ。さっき見た時はびっくりしたよ。あの小さかったシャルロットがあんなに立派になって。でも、シャルロットにも苦労をかけて、申し訳ないことだ」

「気に病むな。シャルロットは、お前のためにこの四年間を頑張ってきたのだ。もっと誇りに思ってやれ、あれは本当にたいしたものだ」

「そうだね。僕も鼻が高いよ。シャルロットはいい子だ。さっきちょっと見たけれど、あの子に流れている魔力はすでに僕を超えているよ。軽くスクウェアクラスかな。あの小さかったシャルロットがだよ。ねえ兄さん、シャルロットはすごいだけじゃなくて賢くて……いやいやそれだけじゃなくて、とても優しくて可愛いんだ。天使というものがいるとすればシャルロットのような子を言うのかな。あの小さな体で大きな杖を振るのがとても愛らしくて」

「わかったわかったよシャルル。お前にそんな顔があったとは初めて知ったぞ」

 ジョゼフはシャルルの親ばかぶりに少しげんなりしながらうなづいた。

 まあ確かにシャルロットのような利発な娘を持てば親ばかになってもおかしくはない。比べて自分はといえば……いや、比べるだけ無意味か。あれを今さら俺の娘だなどというのは恥知らずにもほどがある。

「やれやれ、このままお前の娘自慢に付き合わされたらかなわん。さっさとシャルロットを探さねば……むっ?」

 ジョゼフは突然強烈な違和感を感じて立ち止まった。

 なんだ? 殺気? なにかが俺たちを狙っている。

「兄さん? どうしたんだい」

「しっ、どうやらお遊びは終わりらしい……来るぞ! 怪獣だ」

 ジョゼフが叫んだ瞬間、砂丘の砂煙の向こうから地響きを立てて怪獣が現れた。網目状になった全身は銀色に光輝いていて、鏡を全身に貼り付けたような、いや鏡そのものの鏡の怪獣だ。

 異次元獣スペクター。身長59メートル、体重3万9千トン。マザラス星人が操っていた怪獣で、全身が鏡になっているような特異な体を持つ。その巨体に、初めて怪獣を見るシャルルはすくみあがってジョゼフに問うた。

「に、兄さん。なんだいあの怪物は?」

「どうやら、あれが俺たちをこの妙な世界に引きずり込んだ犯人らしいな。シャルル、もう一人で歩けるだろう? 俺があれを引き付ける。お前はその隙に反対方向へ逃げろ」

「な、何を言うんだい。僕だって」

「馬鹿め。杖のない今のお前に何ができる。ともかく逃げろ。逃げていればそのうちシャルロットに拾ってもらえるだろう。さあ、ゆくぞ。『エクスプロージョン!』」

 ジョゼフが杖を抜いて呪文を唱えると、巨大な爆発が起こってスペクターを吹き飛ばした。ルイズが使うものと同じ虚無の初級呪文。だが、ほとんど魔法を使わずに生きてきたジョゼフの精神力は蓄積されており、その威力は上回る。

 スペクターは吹っ飛ばされて転倒し、その威力にシャルルは目を丸くした。

「す、すごい。でも、今の魔法はいったい? 兄さん、兄さんはいったい何の系統に目覚めたんだい?」

「聞きたいか? 虚無だ、虚無の系統だよ。すごいだろう? 始祖の使っていた伝説の魔法だぞ」

「虚無? 虚無だって! 兄さんが、あの伝説の系統に目覚めたというのかい」

「そうとも。さあ、わかったなら早く行け」

「でも、奴は今の兄さんの魔法で」

「怪獣があんな程度で死ぬわけがあるまい」

 チャリジャやグラシエの連れてきた怪獣たちを見てきたジョゼフは、いくら虚無の魔法といえど、よほどのことがなければ怪獣に致命打を与えることはできないと知っていた。それが正しい証拠に、スペクターはまったく無傷のままでむくりと起き上がってきた。

「見ての通りだ。さあ行け、今のお前では足手まといにしかならん」

「し、しかし、それじゃ兄さんが」

「馬鹿やろう、俺は兄貴だぞ。一度くらい弟の前でいいかっこうつけさせろ!」

 そう叫んで、ジョゼフは杖を握ってシャルルを押し退けた。

 正直に言えば、シャルルを連れたまま逃げる方法も存在する。しかしここはあの怪獣の箱庭のようなもの、中途半端に逃げ回っても意味がない。

 それになにより、ジョゼフにも意地があった。これまでさんざん知謀を巡らせてきたが、自分の手で何かを成し遂げたことはない。自分の手を汚さないゲームでの勝利ではなく、一生に一度くらい自分の力だけでやったことをこの世に残しておかなくては男が廃る。

 

 人生で恐らくは最初で最後の真剣勝負に望まんとするジョゼフ。その前に、鏡の世界の支配者である怪獣スペクターが雄叫びをあげて迫りくる。

 だが、ジョゼフとシャルルを鏡の世界に閉じ込めた意図はどこにあるのだろうか? そしてタバサは……?

 同じように鏡の世界に飛ばされていたタバサは、必死にジョゼフとシャルルを探し回っていた。しかし鏡の世界は砂煙で見通しが悪く、風の流れも現実世界とは違っていて読めない。

 そんなときだった。焦るタバサの元へ戦いの唸りが伝わってきたのは。

「これは……誰かが魔法を使った? ジョゼフっ」

 メイジは杖を持たねば魔法を使えない。シャルルは杖を持っていないから魔法を使えるのはジョゼフしかいない。しかも、こんなに強い気配を持つ魔法を使うのはただごとではないと、タバサは弾かれたように飛び出した。

「早まらないで! ジョゼフ」

 なにか、とてつもなく悪い予感がタバサの中に沸き上がってきていた。確かな根拠があるわけではない。だが、戦いを始めるようになってから何度となく感じてきた危険を知らせる狩人の本能が、タバサにこれから起ころうとしている惨劇の未来を伝えていた。

 

 

 続く



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第33話  黒よりも黒きもの

 第33話

 黒よりも黒きもの

 

 異次元獣 スペクター 登場!

 

 

 リュティスの街を見下ろす巨大すぎる怪獣ハイパーゼットン。

 あれが本格的に動き出せば、ガリアを、いやハルケギニア全土を灰に変えてしまうこともたやすいことだろう。

 それを防ぐために、才人とルイズたちはすべての黒幕であるバット星人グラシエとの戦いを始めた。

 だが、グラシエはなにも心配することなどないと言う風にほくそ笑む。

「ウフフフ、いいですねえ一生懸命に頑張る人間というのは。自分のやることが明るい未来につながるんだと疑っていませんから」

 才人とルイズの攻撃を、わかっているかのようにかわしながらグラシエはハイパーゼットンを見上げる。

 確かに今のハイパーゼットンは未完成だ。巨大なエネルギーを内包してはいるが、周囲にビームを放つ程度が精一杯で、そのエネルギーを効率よく使う術を持たない繭でしかない。

「我々のこれからの課題は、いかにしてハイパーゼットンをコクーンから次の形態に進化させるか。それに必要なきっかけを見つけることでした。なにせ、これだけのエネルギーを秘めた怪獣にさらなる形を与えるためには並ではない刺激が必要になりますから。でも、それももうすぐ手に入りますよ。もうすぐね」

 もう誰にも止められない。計画は最終段階に入って、後は待つだけ。

 まあせいぜい楽しんでください。やがて全宇宙を滅亡へと導くであろう究極の邪神の実験台になれるとは、この上ない栄誉でありますよ。

 

 

 果たしてグラシエの待つ最後のきっかけとはなんなのであろうか? 邪悪な企みを知らぬまま、鏡の世界でジョゼフはシャルルを守るために怪獣スペクターへと立ち向かおうとしていた。

『エクスプロージョン!』

 ジョゼフの唱えた虚無の魔法が爆発でスペクターを揺るがす。しかしスペクターはさしたるダメージも見せずにのしのしと進撃を続けてくる。

「ちっ、このくらいで倒せたら苦労はしないか。硬い奴だ」

 ジョゼフは毒ずいた。今のエクスプロージョンは、単純な破壊力で言うならタバサでも苦戦するような大型のドラゴンでも倒せるくらいの威力があったはずで、ジョゼフも多少の自信を込めて放っていた。

 けれど、スペクターは全身が鏡になっているような外見どおり硬い体を持っている。かつては戦闘機マッキー二号のミサイル攻撃にも動じず暴れ続けていたほどで、いくらエクスプロージョンが強力であってもそれだけで倒すのは困難というものだった。

 スペクターはジョゼフに近づき、手の先から青色の毒ガスを放って襲ってくる。しかしジョゼフは逃げながら尊大に叫んだ。

「こっちだ! この俺がじきじきに遊んでやる。感謝しろ」

 砂地で足をとられるとはいえ、ジョゼフはそこらの騎士がやせぎすに見えるような壮躯の持ち主だ。常人ならば足をとられてしまうような砂地でも体をしっかりと保って走っていく。

『エクスプロージョン!』

 逃げながらジョゼフは再度攻撃を仕掛けた。スペクターの頭近くで爆発が起こり、スペクターは嫌そうに頭をよじるが、やはり効いた様子はなかった。

「自信をなくすぞ。シャルルに大口を叩いたばかりだというのに、これでは兄の沽券に関わる。少しは痛いふりくらいしろ」

 ジョゼフは、つまらない演劇の大根役者に不平を述べるようにつぶやいた。なにせこちらは人生最初で最後の見せ場なのだ、悪役には主役を立ててもらわなくては困るというものだが。

 スペクターの蹴りあげた砂丘の砂が雨のように降ってくる。どうやらあちらには空気を読むつもりは無いらしい。無粋な奴は気に入らんが、そういうことなら主役自ら場を盛り上げてやらねばなるまい。

「シャルルはうまく離れたかな? む、あいつめまだあんなところでこちらを見ておるか。ならば、少し驚かせてやるとするか」

 ジョゼフは少々いたずら心をわかせた。昔とは違い、今の自分にはシャルルの知らない力がある。

 迫るスペクターに対して、ジョゼフはあろうことか立ち止まった。もちろんスペクターは構うこと無く突き進んでくる。そのあまりにも無謀なジョゼフの行動を見たシャルルは愕然として叫んだ。

「なにをしてるんだい兄さん! 怪物が、怪物が来るよ!」

 だがジョゼフは聞こえてないというふうに無防備に立ち尽くしている。そしてスペクターは足を振り上げて、ジョゼフの頭上へと勢いよく落とした。

「ああっ、何てことだ。だから言ったのにどうして」

 シャルルはジョゼフの姿が怪獣の足の下に消えて悲痛な声を漏らした。しかし、次の瞬間。

「なんだ? 誰がどうなったというのだシャルルよ」

「えっ!」

 なんと、ジョゼフの姿はスペクターのはるか後ろにあった。シャルルは当然我が目を疑って、ジョゼフがなにをしたのかと考える。

「風の偏在? い、いや、兄さんがそんな高度な。それに、いくらなんでも速すぎる」

 ジョゼフはそんなシャルルの困惑顔を眺めて愉快そうに笑った。

「どうした怪物よ。俺はここだ、ここにいるぞ」

 ジョゼフをつぶしたと思いこんでいたスペクターは、まさかの出来事に慌てて再度ジョゼフへ向かっていった。だが、ジョゼフはやはり逃げるそぶりもなくスペクターの攻撃を受けると、また忽然と姿を消してしまったのだ。

「ま、また消えた……」

 シャルルは呆然とするしかなかった。古今東西のあらゆる魔法の知識を学んできた自分の知る中でも、こんなことができる魔法は思い当たらない。いや、自分が知らない魔法があるとしたら。

「兄さんは、虚無の系統に目覚めたと言っていた。虚無の魔法なんておとぎ話と思っていたけど、まさか」

「察しがいいな、さすが俺の弟だ」

 すぐ隣から声がして、シャルルはぎょっとして振り向いた先にジョゼフはいた。ジョゼフはシャルルの驚いた顔を見て、手品の種明かしをしたくてたまらない子供のように無邪気に説明した。

「これは俺の覚えた虚無魔法のひとつでな。『加速』というが、効果は名前の通りだ。お前から消えたように見えたのは、俺がそう見えるほど速く動いた、ただそれだけのことでたいした魔法じゃない」

 軽く語るジョゼフに、シャルルはなにが大したこと無い魔法かと愕然とした。メイジの目にも止まらぬほど速く動ける魔法があるとしたら、どんなことでも自由自在になる。そんなすごい魔法を、兄さんが?

 信じられない思いをするシャルル。そんなシャルルを見て、ジョゼフは内心で「お前のその顔を、もっと早くに見れていたらなあ。そうすれば、俺たちはこんな殺風景なところで駆け回ってたりすることはなかったのに」と思った。

 確かに俺は血を吐くほどにそれが欲しかった。だが、冬になってから野菜の苗を手に入れても空しいだけだ。欲しかったものを今頃になって手に入れさせてくれる、運命の神というやつほど悪趣味で残酷な神はいるまい。

「ああそうだ。ついでに神とやらは人の不幸を『試練』という言葉で美化したがるな。ただの迷惑だというのに」

 ジョゼフがつぶやいたとき、スペクターは水晶のように白くトゲだらけの頭をジョゼフとシャルルに向けて、そこから白色の破壊光線を放ってきた。

「ちっ」

 舌打ちしたジョゼフは再び『加速』を唱える。その効果でジョゼフの時間感覚が鋭敏になり、ジョゼフから見てスペクターもシャルルも止まっているようになり、光線さえもスローに見える特別な空間にいるように感じ始めた。

 まさに神の御業としか言い様の無い魔法。虚無の魔法は物質の最たる極小の粒に影響をもたらすものだと言うが、ジョゼフの脳の働きや身体能力を司る粒の動きを一時的に超スピード化しているのだろうか。

 だが、魔法学者が見たら腰を抜かすような神技を我が物にしながらも、ジョゼフの心は重かった。ジョゼフの見下ろす前で、シャルルは彫像と化したように固まっている。今なら煮るも焼くも自分の思うがまま。今の自分の力の前ではこんなにも非力なシャルルに、自分は長年嫉妬して劣等感に苛まされていたのか。

 優越感を超えて、馬鹿馬鹿しいとさえ言えない虚しさが湧いてくる。こんなくだらない感情のために、自分は長年を苦しんできたのか? だが、このままこの場所にシャルルを置いていけばスペクターの光線をまともに食らうことになると、ジョゼフはシャルルを肩に担ぎ上げた。

「軽いな」

 ジョゼフの筋力からすれば。いや、そんなことは関係なく、肩に伝わってくる重さは小さかった。

 もちろん、自分が重いだなんて思ったりはしていない。自分が王になってやったことの重みなんて、ほとんどが他人任せの手柄だ。その意味では、王をシャルルが継ぐべきだという考えには変わりがない。シャルルならば、あの無能な大臣どもなどいなくても立派に国政を担っていけるだろう。

 そのはずなのに、心にひっかかるものがとれないのはなぜだろう……?

「このあたりでよいな」

 スペクターから十分に距離を取ったと判断したジョゼフはシャルルを下ろして加速の魔法を解いた。

「はっ、ここは……兄さんが、僕を?」

「そうだ。わかったら今度こそ離れていろ。あいつを倒せば、もしかしたら元の世界に戻れるかもしれん」

「そ、それが……こ、腰が抜けちゃって立てなくて」

「なんだ、だらしない奴だ。まあいい、震えてるならこれでも羽織ってじっとしていろ」

 ジョゼフは自分のコートをシャルルに羽織らせてやった。そのコートは王家の者が身につけるにふさわしい高級で美しいもので、そうして見ているとシャルルが王になったように見えた。

 そうだそれでいい。王冠も玉座も本来はシャルルのものになってしかるべきもの、俺には似合わないものだ。俺はシャルルが王になるための捨て石でいい。

「精神力の溜め込みだけはあるのだ。怪獣よ、お前がくたばるまで魔法を食らわせてやるぞ」

 ジョゼフは猟で鹿を見つけた時のような狂暴な笑みを浮かべた。どのみち生き延びるつもりはない。シャルルを生還させるために刺し違えるなら望むところよ。

『エクスプロージョン!』

 爆発が起こり、スペクターがひるむ。今度は腹を狙ったが、やはり効いた様子はない。

 だがジョゼフはあきらめてはいない。この世に完全なものなど存在しないのだから、弱点が見つかるまで攻撃をし続けるまでだ。

「それに、これくらいであきらめていたら、無理強いを続けてきたシャルロットにも顔向けできんしな。シャルルだけならまだしも、あいつの娘にまで負けっぱなしではかっこうがつかなさすぎるわ」

 命はいらないけれど、男の意地までは捨てたくない。かっこうつけることまでやめてしまったら、男には老いしか残らないではないか。

 スペクターはジョゼフの抵抗にいらだってか、迫り来ながら頭から破壊光線を撃ってくる。それに対してジョゼフは加速の魔法でかわし、位置を変えてはエクスプロージョンで攻撃を繰り返した。

 連鎖する爆発と暴れまわる怪獣の轟音。まだ始まってから十分と経っていないはずなのに、シャルルはまるで神々の戦いを見ているかのように呆然とそれを見つめ、圧倒され続けていた。

「すごい。あんな巨大な怪物と互角に戦ってる。兄さんが、あんなにすごかったなんて」

 目にも止まらない瞬間移動と弾道の無い爆発の組み合わせ。シンプルだが、こんな戦い方ができるメイジに勝てる者などいるまい。仮に自分が対峙したとしても、捉えようもなくかわしようもないのだ。

 虚無の魔法……あれに比べたら、自分の魔法なんて木の葉のようなものだ。シャルルの心に、例えようもない虚しさと何かが浮かんでくる。

 そう、兄さんにあんな魔法なんて……。

 シャルルは兄のコートを握りしめて思った。そのコートの中で、熱い別の何かも膨れ始めていることに気づかないまま……。

 だが、戦いは決してジョゼフの有利に進んでいるというわけではなかった。確かにジョゼフはスペクターの攻撃を食らわずに攻撃を続けている。しかし、いくら虚無の担い手とはいえ人間だからという弱点が表れてきた。

「ハァ、ハァ……ちっ、いい加減応えたフリくらいしろ。こっちはもう若くないのだぞ」

 息を切らせ、額から汗を流しながらジョゼフは愚痴をこぼした。

 もうエクスプロージョンを何発撃ち込んだかわからないのに、スペクターは弱った様子も見せない。それに対して、ジョゼフは心身ともに消耗していく一方だ。

 これは一体……? シャルルは思ったが、結論を出すのに長い時は必要としなかった。

「そうか、加速の魔法とやらは瞬間移動するわけではない。いわば、時間を止めて自分だけ動けるようにするようなものだから、長時間使うほど精神力以上に体力が失われていくんだ」

 まさしくそれが『加速』の魔法の弱点だった。ルイズの使う『テレポート』に比べれば詠唱時間が短くて細かな調整も効くが、反面移動するのはあくまで自分自身の足でなので長距離移動には向かず体力の消耗も大きい。移動の魔法としては相互互換の関係にあると言ってもいいだろう。

 このまま戦いが長引けば、いくらジョゼフが鍛え上げた壮躯の持ち主だとしても疲れはてて限界が来る。対して、スペクターはいくら動き回っても疲れる気配さえない。実はジョゼフは知らないことだが、スペクターは四十時間も動き続けて疲れないという驚異的なスタミナを持っているのだ。

 長期戦となればスペクターにかなうものはいない。ジョゼフの体力もそう長くは続かない。さしものジョゼフも、これはまずいなと焦り始めたその時だった。

『ジャベリン!』

 砂嵐の中から飛んできた氷の槍がスペクターの頭に鐘のような音を立てて命中した。スペクターはその一撃に悲鳴をあげながらのけぞり倒れる。

「あの魔法は!」

 砕けた氷柱の氷の破片を見上げながらジョゼフとシャルルは叫んだ。そして、砂嵐の中から飛び出す青い影。

「シャルロット!」

 間一髪。戦いの気配を辿って駆けつけてきたタバサが間に合ったのだった。

 タバサは場を見渡して現状を理解した。ジョゼフが父を守って必死に戦ってくれていたという現実は、一昔前なら夢想だにせず唾棄したであろうが今は違う。

「ありがとう。あとはわたしがやる」

 ジョゼフに対して礼を言うなんて、これもありえるわけがないことだった。だが、現実とは時として太陽が西から昇るよりでたらめなことが起きる。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ……」

 タバサは運命など信じない。だがもし運命の筋書きを書く神がいるとしたら、それはジョゼフ以上に殺意をもよおす相手となるだろうと確信を持っている。その苛立ちを込めて、タバサは起き上がろうとしているスペクターの鏡の体へ向けて死の吹雪を放った。

『ウィンディ・アイシクル』

 無数の鋭い氷のナイフが飛翔してスペクターの全身を切りつけた。その威力はものすごく、ジョゼフやシャルルも一瞬見とれてしまったほどだった。

 いくら強力な怪獣でもこれならば……。ジョゼフとシャルルはタバサの力のすさまじさに、驚嘆しながら思った。しかし、その淡い期待は数秒と持たなかった。スペクターは全身に貼り付いた氷を振り払うと、叫び声をあげながら全身の鏡に傷ひとつない姿を現したからだ。

「っ、なんて固い怪獣」

 タバサも、さすがに無傷でしのがれるとは思っておらず舌を巻いた。なるほど、虚無の担い手であるジョゼフが手を焼くわけだ。

 いったい、この怪獣を倒す方法はあるのか? タバサは眉をしかめた。他に使える攻撃魔法はまだある。しかし、ウィンディ・アイシクルで無傷の相手に対して、もっと強力な氷風の魔法で攻撃して仕留めきれなかったら、いくらタバサが豊富な精神力を持つと言っても息切れが怖い。

 スペクターはタバサに標的を変え、頭部の髪のような異次元水晶から破壊光線を撃ってくる。タバサはフライの魔法で飛んでかわすが、スペクターは容赦なく迫ってくる。

「考えている時間はない」

 となればあとはライトニング・クラウドのような電撃魔法か。鏡という鉱物質な相手に効く目算は低いけれど、試すしかない!

 だが、タバサの戦いを見ながらジョゼフは別のことを考えていた。

「なぜだ? 俺の虚無でもシャルロットの吹雪でもびくともしなかった奴が、不意打ちだったとしても最初のジャベリン一発でああも悲鳴をあげて倒れたのだ?」

 殺傷力ではウィンディ・アイシクルのほうが強かったはずだ。なのに奴はウィンディ・アイシクルではダメージを受けなかった。その違いはなんだ? その違いに、奴を倒すヒントがあるとジョゼフは考え、そしてスペクターの鏡のような体を見て、自分たちがここにさらわれてきたときの、鏡が砕けた光景を思い出した。

「そうかわかったぞ、俺の爆発も効かないわけだ。シャルロットよ聞け! その怪獣の体をいくら傷つけようとしても無駄だ。そいつは鏡の化け物だ、鏡を割るように固い衝撃をぶつけるしかない」

 ジョゼフの叫びにタバサもはっとした。なるほど、それならジャベリンの大きな氷塊をぶつけられたときにだけ悲鳴をあげたのも納得ができる。固いものは傷つきにくい反面、衝撃に対してはもろい。

 実際、かつてのスペクターもMACの攻撃は通用しなかったが、ウルトラマンレオの手刀ハンドスライサーの一撃でバラバラに砕かれてしまっている。鏡ゆえの長所と鏡ゆえの短所である。

 タバサは、それがわかれば奴を倒す方法もあると、助言をくれたジョゼフに小さく礼をした。本当に、ジョゼフに助けられることになるなんて、なんという皮肉だろう。しかし、味方にすればその智謀は実に頼りになる。タバサは、自分が幼いころには優しかったジョゼフを思い出して、わずかだが笑みを浮かべた。

 だが、タバサとジョゼフが怪獣に意識を奪われているうちに、シャルルの中でどす黒い何かが渦を巻き始めていた。

「ああ、シャルロット。いつの間に兄さんとそんなに仲良くなったんだい? シャルロットは、私だけのいい子なのに」

 シャルルの表情が嫉妬に歪む。それと同時に、シャルルは無意識にあるものを握りしめていた。それはシャルルの手の中でコートごしに鈍い輝きを放ち始めている。

 けれど、目の前の怪獣を倒す。それができなくては最低限の道も開けない。タバサとジョゼフは全身全霊をあげて、スペクターを倒すために意識を集中していた。

「強い衝撃を与えたら恐らくこいつは砕ける。けど、こんな巨大な怪獣を倒せるほどの衝撃なんて……」

「俺とシャルロットの精神力も、そう何発も大技には耐えられん。なんとか一撃で致命傷を与えねば」

 タバサはジルから学んだ狩人の心で、ジョゼフはシャルルと張り合ってきた悪知恵で、それぞれスペクターの攻略法を考えていた。

 強い衝撃、言うのは簡単だがミサイルすらはじき返す固さのスペクターの体を砕くくらいの衝撃となれば半端なものではダメだ。それこそウルトラマンの必殺技くらいの威力がいるものでなくてはならないが、それをこの二人は人間の身で発揮せねばならない。

 考えている間にも、スペクターは減らないスタミナで暴れまわり、飛んで逃げようとすれば破壊光線を放ってくる。並みの人間ならば集中できずに逃げ回るだけで精一杯であろうが、そんな中でもタバサとジョゼフの肝は据わっていた。

「ジャベリンをぶつけて効果があったなら、岩でもなんでも叩きつけられるものがあればいいのだが」

 見渡しても、鏡の世界はどこまで行っても砂ばかりで、スペクターにぶつけられるような固いものはどこにも見当たらなかった。

 ここはスペクターの安全地帯というわけである。ジョゼフは相手の悪辣さに愉快ささえ覚えた。転んでも石ひとつない砂地であれば、鏡の怪獣がいくら暴れても安全というわけだ。

 だが、安全地帯にいる奴には必ず隙がある。なにか固いものがあれば、そしてその固いものに怪獣をぶつけられれば勝てる。もっとも、そういうのを世間一般では『無理難題』と言い、これまでジョゼフがタバサにさんざんやらせてきたことなのだが。

「因果応報というのはロバ・アル・カリイエの言葉だったかな。まったく、悪いことはするものではないなどと、今さらになってわからせられても困るわ」

 神は本当に性悪だ。悪事の報いを受けて思いしらされるくらいなら、最初から人間が悪事を働かなくてもいいようにしてくれればいいものを。

「だがまあ、シャルロットにも叔父らしいことを一度はやっておかねば地獄の席も狭かろうな。さて、周りには砂以外になにもない。頼りになるのは俺とシャルロットの魔法だけ……ここからどうやってチェックメイトを決める? ジョゼフよ」

 かつて何度もシャルルと対局したときのように、ジョゼフは頭脳をフル回転させた。少ない手駒、短い持ち時間の中で最適手を見つけ出す。かつてはそれでもシャルルには勝てなかったものだが、今は四年の経験の積み重ねがある。これで勝てる手を打てないようなら、自分に価値は本当にないことになる。

 リミットはタバサが怪獣を食い止めていられるわずかな時間だけ。そうしている間にも、タバサは突破口を開こうと、スペクターに大技をぶつけた。

『アイス・ストーム』

 氷の竜巻がスペクターを飲み込み、その全身を凍結させた。これならさすがに……だが、スペクターの無機質な体は冷気を寄せ付けず、すぐに体中の氷を砕いて動き出してしまった。

「だめ……」

 凍結させて動きを封じる手も通じないのかとタバサは歯を食い縛らせた。いくらタバサでもそんなにあと何度も大技は使えない。だが、そのときだった。

「でかしたぞシャルロット!」

「!? ジョゼフ?」

「今のお前の一手で詰みへの筋が見えたぞ。シャルロットよ、お前が凍らせるべきはその化け物ではない。そして俺の魔法はそいつを吹き飛ばせる。あとはわかるな!」

「ええ……わかった」

 タバサは即座にジョゼフの考えを理解した。確かに、それしかこの怪獣を倒す手段はない。

 スペクターはなかなかつぶせない二匹の虫にいらだったのか、さらに激しく暴れ狂っている。この状態の奴は危険だ。だがだからこそ、最後の一撃を決めるための隙ができる。

 タバサは最大限の精神力を込めて呪文を唱える準備に入った。そのために意識を集中して動きの止まったタバサにスペクターは狙いをつけるが、その時にはタバサはすでに対策を打っていた。

「ラグーズ・ウォータル……」

 呪文を唱えるタバサへ向け、スペクターは頭を向けて破壊光線を放った。その一撃は一直線にタバサを貫き、大爆発を起こした。

 スペクターは喜び、踊っているようにステップを踏んだ。だが、ジョゼフは悠然として嘲笑いながら言った。

「バカな獣め、本物のシャルロットは後ろだ」

 そう、さっき爆破されたタバサは魔法で作られた分身だった。風の『偏在』、高等な魔法を同時に使うことは今のタバサには難しいことではないが、無駄な精神力を使わないようにし、かつ片方の魔法は最大級で発動という難しい調整のできる器用さは凡人のなせるところではない。

 偏在に気を取られてスペクターはタバサに背中を向けている。常なら魔法を叩き込む絶好のチャンスだが、タバサはあえてスペクターの周囲の砂丘へ向けて魔法を解き放った。

『アイス・ストーム!』

 氷の嵐がみるみるうちに砂丘を凍結させていく。そうだ、柔らかい砂といえども凍ってしまえば氷そのものだ。硬く固まってしまった周囲にスペクターは戸惑っている。

 しかし、スケートリンクで尻餅をつくような生易しいショックで許してやるつもりはない。ジョゼフは今こそ渾身の力を込めて魔法を放った。

『エクスプロージョン!』

 スペクターの頭上で特大の爆発が起こり、その強烈な爆風はスペクターを氷河と化した砂丘に叩きつけた。

 衝撃で、ガラスが割れるのを何百倍にしたような轟音が鳴って氷が砕けた。だがそれ以上に強烈なショックを加えられたスペクターは瞬時に全身に亀裂が走り、次の瞬間には床に落としたコップのように粉々に砕け散ったのだった。

「倒した……のか?」

 ジョゼフは自分のやったことがすぐには呑み込みきれなかった。幼い頃からシャルルと競いあっては負け、王族ゆえに他の貴族の子弟も本気になっては相手をしてくれない立場だった自分が、勝ったのか……? 怪獣を、倒したのか?

 確信の持てないジョゼフは、ふとタバサのほうを見た。すると、タバサはジョゼフに対して、杖を構えて貴族がとるべき高位の礼をジョゼフに示した。それは、タバサがジョゼフの功を認めたことの証、いまだにジョゼフに対して恨みの念が消えたわけではないけれど、一人のメイジとして正しく評価しているというそれを見て、ジョゼフはようやく自分がやったことの実感を持つことができた。

「そうか、これが達成感というものか……悪くないものだ」

 これまで陰謀や策略を成功させたことはある。だが、そうした暗い喜びとは違う、自分の手と汗で成し遂げるさわやかな心地よさ。子供のころから久しく忘れていたそれを、初めて味わうようにジョゼフはしばらくかみしめていた。

 人は自分に自信がなければ生きていけない。その、自信を得る方法は人によって様々だが、自分を褒められるようにすることが第一だ。よいことをして自分を褒められれば自分に自信を持てる。逆にどんなに悪いことで成功して悪人や愚者から賞賛されようとも、それでは自分を心から褒められないから人はどんどんすさんでゆく。ジョゼフはやっと、昔の自分が欲していたものの一端に気づくことができたのだった。

「俺はせめて、親父の肩くらい叩いてやればよかったのかもしれんな。とっくに手遅れだが、まあ最後の最後にシャルルとシャルロットを救えたからよしとするか。さて、怪獣を倒したから、元の世界へ戻れるか……?」

 そのまま元の世界に帰される様子はない。ならばと、スペクターが倒された場所を見てみると、スペクターの残骸の周りに妙に空間の歪んでいる様子が見えた。

「あれが元の世界への扉というわけか」

 わかりやすくていいとジョゼフは苦笑した。怪獣相手に大立ち回りして疲れているというのに、この上さらに謎解きなどまでさせられてはたまったものではない。

 空間の歪みにはタバサも気づいたようで、急ぐようにジョゼフをうながしてきた。

「早くして。少しずつ歪みが小さくなってきている。早くしないと、この世界に取り残されてしまうかも」

「ああ、わかっている」

 ジョゼフにしても、こんなところで死ぬのはごめんこうむりたい。シャルルが王位につくのを見届けて、大罪人として処刑台に上がって死ぬためにこれまで手を尽くしてきたのだ。

 そのシャルルはどこだ? ジョゼフが見まわして捜すと、シャルルは砂丘の一角でうずくまっていた。

「大丈夫かシャルルよ。心配はいらん、怪物はもう倒した」

「……ああ、兄さんが、倒したんだね」

「まあな。それより急がなくてはならん。立てるか? むう、仕方がないな。俺の肩に掴まれ」

 立ち上がろうとしないシャルルをジョゼフは手を貸して起こさせ、なかば無理やり背に担いで歩き出した。

 急がなくては、空間の歪みはあと何分も残っていないだろう。歪みの直前ではタバサが急ぐように促してきている。ジョゼフは足を速めた。自分もタバサもさっき精神力を一気に吐き出しすぎたおかげで、すぐに魔法を使う余力がない。だがこれなら、なんとか間に合いそうだと思ったとき、背のシャルルが話しかけてきた。

「兄さん、すごかったね。兄さんがこんなにすごいなんて、驚いたよ」

「そうだ、そうだぞ。虚無だ、伝説の虚無の系統だぞ。お前は昔、兄さんは目覚めていないだけなんだと言ってくれたが、その通りだったぞ」

「そうだよ、僕はずっと言ってたじゃないか。兄さんは本当はすごい人なんだよって」

 シャルルを背負いながらジョゼフは急いだ。こうしてシャルルと語り合える日が来るなんて、なんと喜ばしいことだろうか。しかも、シャルルからの世辞ではない賞賛まで得られている。

 このまま時が止まればいい。あるいは、このままであの日に戻れたらどんなに幸せだろうか。だが、けじめはつけねばならない、どんな理由があろうとシャルルへの償いは自分の命を持ってつけるしかない。

 走るジョゼフの前に、次元の歪みがあと少しに見えてくる。これなら余裕を持って間に合うだろうと思えたとき、背負ったシャルルが再び話しかけてきた。

「兄さん、虚無の系統だなんてすごいね。伝説の魔法まで使われたんじゃ、もう僕はとてもかなわないよ」

「なにを言うシャルルよ。魔法など抜きでも、お前はあらゆるもので俺をしのいでいたではないか」

「そうだね。でも、どんどん追いついてくる兄さんに勝ち続けるために、僕がどれだけ努力してきたかは知らないでしょう。どんなに引き離しても僕の後ろには兄さんがいたんだよ。そんな僕の気持ちがわかるかい?」

「シャルル?」

 ジョゼフはシャルルの声にピンと違和感を覚えた。シャルルは何を言おうとしている? こんなときに何を言い出すのだ?

「僕はね、生まれたときから努力するしかなかったんだ。だってそうだろ? 兄さんは兄さんだから生まれたときから王になることが決まってるけど、僕は生まれた時から兄さんの予備だ。僕が認められるには実力を示すしかないじゃないか、どんな方法を使っても」

「シャルルよ、だからか? だからあんなことにまで手を染めたというのか? 馬鹿者め……そんなことをしなくても、俺はお前こそが王にふさわしいとずっと思っていたのだ。さあ戻るぞ、ガリアに帰ればいよいよお前が国王になるのだ」

「そうだよ、僕は王様になるためにずっと努力してきたんだ。そして、王様になるためにどうすればいいのか、やっとわかったよ」

「シャル、ぐっ!? がっ!」

 答えようとしたジョゼフは、突然背中に激痛を感じて言葉を失った。視界がぐらりと歪み、全身から力が抜けて、巨躯が砂の上に崩れ落ちる。

 なにが起きた!? 体の自由がきかなくなり、ジョゼフは必死に自分がどうなったのか知ろうと試みた。

 手を背中に伸ばし、痛む個所に触れると、べったりと血がついていた。それと同時に、タバサの悲鳴が響き渡る。

「ああああ、お、お父さまぁ!」

 まるでらしくもない動揺しきったタバサの声。だがそれでジョゼフは確信した。シャルロットが、こんなに取り乱す相手など一人しかいない。そして必死に首を後ろに向けると、そこには血まみれの鏡の破片をナイフのように持って立ち尽くしているシャルルの姿があった。

「シャ、シャルル?」

「兄さんが悪いんだよ。兄さんさえいなければ、全部に優れた僕が玉座についてすべて簡単におさまっていたはずなんだ。あは、あははは、最初からこうしておけばよかったんだ!」

「シャルル、お、お前っ、シャルロットの前でこんなことを」

「はは、あははは、あはははは! 知らないよ、僕は悪くない。これがガリアのためになるからね! はははは!」

 哄笑するシャルルを見上げて、ジョゼフとタバサは愕然とした。

 シャルルがまさかこんなことを。タバサは父のあまりの凶行に思考が止まってしまって、言葉を出すことさえできずに震えながら立ち尽くしている。だが、ジョゼフはシャルルの狂気に染まった目を見上げて気づいていた。

”違う! あの残酷な目はシャルルのものではない。シャルル、何がお前に起こったというのだ!”

 シャルルの口にしたコンプレックスが本当だとしても、シャルルはこんな凶行に出るような浅はかな人間ではないはずだ。ジョゼフは苦しい息の中でシャルルを見つめた。傷は思ったより深く、気を抜くと意識が飛んでしまいそうだ。

 すると、シャルルが羽織ったジョゼフのコートの中から、オレンジ色に輝く不気味な石が取り出された。

「兄さんごめんよ。でも、まるで始祖の啓示のように僕の心に声が響くんだ。我慢するな、お前の欲しいものを手に入れろって、この石がとても気持ちよく本当の僕を呼び起こすんだよ!」

「その石は! し、しまった」

 ジョゼフは自分のうかつさを呪った。あれは、かつてエギンハイム村の事件の際に回収したムザン星人の魔石。邪悪なエネルギーが満ち、そのエネルギーを目当てにずっとジョゼフが持ち続けていたあの魔石にはジョゼフ自身の怨念もたっぷりと染みついているはず。元から善悪のこだわりを捨てているジョゼフにはほとんど影響がないから気にもしていなかったが、シャルルは魔石の邪悪さにあてられてしまったのだ。

「シャルル、それを捨てろ。お前はその石に操られている!」

「兄さん、馬鹿なことを言わないでよ。こんなに気持ちよくてすがすがしい気持ちが嘘なわけないじゃないか。ああ、兄さんさえいなければ僕の人生はバラ色だったんだ。この石がそれを気づかせてくれたんだよ」

「正気に戻れ! お前は、お前はそんなことを言う男ではない」

「兄さんに僕のなにがわかるのさ。さよならだ兄さん、とどめを刺したいけど時間がないようだから、このままこの砂漠で朽ち果てておくれ」

「待て! 待てシャルル」

 呼び止めようとしてもシャルルは聞かず、失血の多い体は立ち上がることさえできなかった。

 時空の歪みに飛び込もうとしているシャルルの前にタバサが立ちふさがる。

「お父さま、元のお父さまに返って」

「シャルロット、いけない子だ。でもお前に私が討てるかい?」

 タバサは呪文を唱えられなかった。当然だ、いかにおかしくなっていようとタバサに父を攻撃できるわけがない。

 動けないタバサにシャルルは歩み寄っていく。そこに、ジョゼフが必死の思いで叫んだ。

「シャルロット! 石だ、その石を奪え。その魔石さえ手放させれば」

「わかった!」

 タバサは承知し、杖を振り上げた。石だけを奪うくらいは、今のタバサにはそう難しい問題ではない。

 だが、魔石の影響で好戦的になったシャルルの動きはもっと早かった。

「いけない子だ。おしおきが必要だね」

 シャルルは魔石を掲げると、そこから禍々しい電光が放たれてタバサを襲った。

「あぁぁぁっ!」

「シャルロット、夢だ。父さんの長年の夢にもうすぐ手が届くんだよ」

「だ、め……そんな夢は、間違ってる」

「お前まで私の邪魔をするのか。おのれ……王の座は、王冠は僕のものだぁぁぁっ!」

 シャルルは狂ったように時空の歪みの中へと飛び込んでいった。杖に寄りかかってかろうじて立つだけのタバサは、その背中に必死に呼びかけるしかできなかった。

「だめ! 行かないでお父さま。お父さまぁーっ!」

 タバサの叫びも虚しく、シャルルの姿は時空の歪みの中へと消え、次いで歪み自体も消滅してしまった。

 

 

 シャルルは歪みを通り、現実世界へと帰還した。だがその場所は、今のシャルルにはふさわしくも残酷な場所であったのだ。

「はははは、リュティスが箱庭のように見渡せるぞ。これが今日からすべて私のものなのだ。ふははは!」

 今のリュティスにあって、リュティス全体を見渡せるような高い場所はただひとつ。そう、それはハイパーゼットンの頭の上であった。

 地上百メートル以上はある巨大怪獣の頭に乗っているシャルル。普通ならそれだけで発狂しそうなものだが、すでに狂気に呑まれてしまっているシャルルはけたたましく笑い続ける。

 そして、シャルルの登場を持って、ルイズたちをからかい続けていたグラシエの計画も完成段階に入ろうとしていた。

「フフフ、来た来た、来ましたねえ。待っていましたよこの時を!」

「何よ、何が来たっていうの! 答えなさい」

 ルイズが戦いの最中に笑いだしたグラシエへ怒鳴った。するとグラシエは実に嬉しそうに語り始めた。

「ウフフフ、ハイパーゼットンを成長させるためには強烈な感情のエネルギーが適しているのだという研究テーマまではできていたのですよ。ですが、そこまで強烈な感情は常人ではそうそう得られるものではありません。そこで、育てていたのですよ、この瞬間に爆発するように調整した人材をね」

「あなた、そのためにジョゼフ王を!」

「Win-Winの関係だと言ったでしょう? まあ、本来は王様にそうなってもらえればと思っていたのですが、これはこれでいいでしょう。では、私は仕上げがありますのでお話はまた後で」

「待て! 待ちやがれ」

 才人たちを軽くあしらってグラシエは消えた。

 練り上げた計画は貴重なデータを残し、待ちに待った最終実験段階に入る。

 ハイパーゼットンの頭部にテレポートしたグラシエ。そこではシャルルがハイパーゼットンの身体の中に吸い込まれるように取り込まれていこうとしていた。

「私のガリア……私の王国、私の王冠……私、私こそが王になる……」

 ムザン星人の魔石の光に包まれながら、シャルルはハイパーゼットンの中へと埋没していった。もはや、妄想と執念の夢うつつの中に惚けているシャルルには正気はない。だが、その執念と欲望から生まれるある感情だけは健在で、グラシエはそれを得ることのできた歓喜に打ち震えた。

「実にワンダフル! 望もうとも手に入らないものを求め続け、手に入ったとしてもそれは無価値……まったくの無から生じる、その感情こそ”虚無!”。無意味であろうとあがかずにはいられない、その強い感情こそがハイパーゼットンの成長を測るための重要なキーだったのです! 元々はジョゼフさんこそが、虚無の感情を誰より強く宿しているから協力をお願いしたかったのですが、いやはや血は争えないものです。良かったですねえシャルルさん、あなたも兄上と同じ立派な虚無の担い手だったのですよ。そして今こそあなたはガリアの王になるのです。もっとも、ガリアを滅ぼす恐怖の大王にですがね」

 シャルルの放つ底知れない虚無の感情を受けて、ハイパーゼットンは禍々しい輝きを放ちだしている。

 

 

 こんなはずでは……今や現実世界から隔絶されてしまった鏡の世界で、ジョゼフはやり場のない憤りに胸を詰まらせていた。

 俺がシャルルの本心を見抜けていなかったように、シャルルも俺のことを誤解していた。俺はシャルルのことを完全無欠な天才と思い込み、あいつが陰でしていた努力や不正を想像もできなかった。シャルルは俺みたいな奴を強敵だと思い込み、自分を偽って天才を演じながら幻と戦っていた。どちらも互いの本心に気づこうともしなかった、その結果がこれだ。

 この砂以外になにもない鏡の世界は、まさに俺とシャルルの心の中のような虚しいだけの世界だとジョゼフは思った。強く風は吹いてはいるが、ただ砂を巻き上げる以外になにも起こらない無意味な世界。

「俺の死に場所にはふさわしい……か」

 あのときこうしていればと考えるのも虚しい。俺たちはずっと自分の世界からだけ相手を見ていて、気づくことなどできようもなかった。

 背中の傷からは血があふれ、倒れ伏すジョゼフから血の気が失せていく。

 もう何分も生きてはいられまい。ジョゼフがすべてをあきらめ、目を閉じようとしたとき、彼の目の前にタバサが立っていた。

「ジョゼフ……」

「シャルロットか……ちょうどいい。お前たち親子から奪ってしまったものを返してやろうとあがいてみたが、このざまだ。俺は、どこまでも最低な兄だった。さぞ俺が憎かろう。こんなものしかないが、俺の首をとっていくがいい」

 もはやそれ以外にジョゼフに償いのできる方法は思いつかなかった。

 シャルロットの魔法にかかって無様に散る、最低な俺の人生の結末らしい。自分が生まれてきたことを神に呪い、ジョゼフは裁きの瞬間を待った。

 だが、待っても氷の刃で貫かれる感覚も風で切り裂かれる感覚も来ない。それどころか、背中の痛みが和らぐ心地よさを感じて目を向けると、そこにはなんと自分に治癒の魔法をかけているタバサの姿があったのだ。

「シャルロット? お前、なにを」

「……あなたの罪が、死んで償えるような軽いものだと思わないで」

 ジョゼフを見下ろすタバサの目には、怒りと悲しみ、だがそれにも増してジョゼフを許さないという強い決意が込められていた。

「あなたと……お父さまのために多くの人が傷ついた。あなたには、どれだけ生き恥をさらそうともその後始末をする義務がある」

「だが、俺にもはや何ができるというのだ?」

 ジョゼフにはわからなかった。しかし、タバサはその青い瞳に怒りのあまりに涙すら浮かべながら、ジョゼフの胸倉を掴まん勢いで叫んだ。

「できるできないじゃない! あなたは兄なのでしょう。兄なのに、弟が苦しんでいるのを見捨てて逃げようというの? お父さまにも非はあった。だからこそ、兄であるあなた以外に誰がその罪を叱ってあげられるというの! わたしは絶対にあなたに償わせる。だから死に逃げなんて絶対に許さない」

 タバサとは思えないほど感情をむき出しにしたその叫びは、あきらめようとしていたジョゼフの心に一点の火を灯した。

「そうか……俺は王としても人間としても最低な男だったが、最低でもまだ兄貴ではあったのだな。なるほど、弟がバカをやったときに兄貴が叱りに行くのは当然だ」

「お父さまが狂ったのは、あの魔石のせい。でも、お父さまの心に後ろ暗いものがあるままだったら、王になれてもいつかは道を踏み外していた。だからお願い……お父さまを、お父さまを救えるのは、もう、あなたしかいない」

 大粒の涙をこぼすタバサを、起き上がったジョゼフは優しく頭をなでた。タバサの治癒は強いものではなく、傷口はふさがってはいないが、こんな傷よりも何倍もタバサの心は痛いはずだ。

 自分たちは世界で一番愚かな兄弟だ。だが、このままでは終われない。兄として、まだできることがあるのならば。そしてタバサへの償いのために。

「わかったぞシャルロット。ともに行こう、シャルルのもとへ。そして思いきりシャルルをひっぱたいて、ごめんなさいと言わせてやろう。ああ愉快だ、シャルルを叱りつけるなどという、こんな愉快なことがあるとは知らなかった。だが、いっしょに俺もあいつに謝ろう。シャルロットよ、見届けてくれるか?」

 タバサがうなづくのを見て、ジョゼフは杖を構えた。

 待っていろシャルル、王の座などもうどうでもよい。ただ一人の兄として、俺はお前に会いに行く。

 

 

 続く



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第34話  滅亡の黒き軍勢

 第34話

 滅亡の黒き軍勢

 

 宇宙恐竜 ゼットン 登場!

 

 

「ウフフ、さあて皆さん、前回までのお話はいかがでしたでしょうか? まさか、稀代の天才と謳われていたシャルル皇太子が実は腹黒い人だったなんて、人間って本当におもしろい生き物ですねえ」

 

「そして、ついにこのわたくしことバット星人グラシエのハルケギニアを股にかけた大計画もいよいよ終盤へと差し掛かりました」

 

「ハイパーゼットン、なんと美しい響きの言葉ではありませんか。我らバット星人の栄光を約束する神が、新たな進化へと踏み出したこの時は歴史に残る瞬間ですよ」

 

「シャルルさん、彼もハイパーゼットンの稼働キーになれて大変光栄なことでしょう。聞くも涙の力と栄光を求め続けた人生が報われて、こうして究極の力の一部になれたのですから」

 

「フフ……でも、まだこれで驚いてはいけませんよ。いずれ宇宙を席巻する滅亡の邪神の実験は、まだまだテストすべきことがたくさんあるのですから」

 

 

 愉快に語りかけるグラシエ。大筋どおりに計画が運び、それを目の前のものに語るのが楽しくてたまらないというふうに笑う。

 だが、グラシエの喜びようも無理ないこととも言えよう。ハイパーゼットン……その威容は「山が動いている」としか形容できず、これを人間の力でどうこうできるかなどという意思を最初から砕いてくる。

 唯一の救いは、まだハイパーゼットンはこの繭の状態までの進化が限度の未完成品であるということだった。しかし、次なる進化への起爆剤として、魔石で内なる悪意を目覚めさせたシャルルを取り込んでしまった以上、もはやどうなるかはわからない……。

 

「ハハハ、わからないからこそおもしろいんじゃないですか」

 

 けれど、それでも抗うことをあきらめない者たちはいる。

 大都会リュティスの中央にそびえ立つハイパーゼットン。王宮をはるかに越す巨体が動き出し、街にゼットン特有の電子音が鳴り響く。そんな中でも、才人とルイズは膨らみ続ける巨影を前に立ち続けていた。

「悪夢って言って、これ以上のものがあったら教えてほしいもんだぜ」

「ああもうっ! ただでさえイライラしてるってのに次から次へと。あんなのが動き始めたらガリアだけで済むわけがないじゃない。止めなきゃ、止め……」

 だが、ルイズは杖を振り上げようとしたところで疲労感でめまいを起こして膝をついた。才人に背を支えられて気を張ってはいるが、虚無の魔法の連発による精神力の吐き出しすぎに違いなかった。

「ルイズ」

「大丈夫よ。余計な心配しなくていいわ」

 額の脂汗を拭いながらルイズは答えた。才人は、大丈夫じゃねえだろと思ったが、こちらが気を遣えば遣うほど強がるのがルイズだ。

 それに、才人も今はルイズに同感だ。我が身第一を言っている場合じゃない、なんとしてでもあれを止めないとすべてが終わりになってしまう。

 だがどうやって? あんなもの、フルパワーのエクスプロージョンをぶつけてもかすり傷がせいぜいだろう。軍隊を持ってきたところで太刀打ちできるとは思えず、すでに水精霊騎士隊には絶望感が広がっていた。

「あ、あ、もうだめだ。今日で世界は終わりなんだ」

「ギーシュ隊長、すみません。皆で女王陛下から勲章をいただけるような戦功をあげようという約束、俺たちは殉職でいただくことになりそうです……」

 突撃して名誉の戦死を選ぶ気力さえも目の前の巨影は奪っていた。彼らとは違って、カトレアやジルは毅然とした態度を保ってはいるが、彼女たちにも打つ手はなく、傍観すること以外にどうしようもないという辛さがにじみ出ていた。

 こうなったら、無茶を覚悟でもう一度ウルトラマンAになるしかない。才人とルイズは、連続変身で自分たちにどんな反動があるかと躊躇ったが、もうそんなリスクを怖がってられるような状況ではなかった。

 あとは野となれ山となれ。二人は皆の目から逃れて変身するために、ルイズのテレポートで場所を移そうとした。

 だが、それを見ていたグラシエはハイパーゼットンの頭上から二人に向けて、お見通しですよといわんふうに告げてきた。

「おやおや、まだあきらめていないのは素晴らしいですね。でもでも、いきなりショウの主役に手をかけるのはマナー違反ですよ。そんなあなた方のために、もっとおもしろいものを見せてあげましょう」

 そう言ってグラシエは目の前に手をかざすと、グラシエの手のひらの上に四つの人魂のような光の玉が浮き上がった。

「わかりますか、これがなにか?」

「知らねえよ! どうせろくでもねえもんだろ」

 才人は怒鳴り返した。グラシエの手の上で、四つの光の玉はそれぞれ別の色に輝きながら回っている。その揺らめきはまるで生き物のようだ。

 なんて不気味な……ルイズも光の玉の揺らめきにただならぬものを感じて息を呑んだ。すると、グラシエの手の上の光の玉が、不気味な輝きを強め始めたではないか。

「フフフ、私が漫然とハイパーゼットンの育成だけしていたと思いますか? ノンノン、先ほども申した通り、人間の感情はとても強いエネルギーを秘めています。ですが、感情には怒りや悲しみなどいろいろ種類がありますからね。だから集めていたのですよ、どの感情のエネルギーがゼットンを育てるのにもっともふさわしいかを確かめるために!」

 その瞬間、グラシエから光の玉が離れ、四つの感情のエネルギーはハイパーゼットンの中へと吸い込まれていった。

「さあ、これからもっとおもしろいことが起こりますよ!」

 ハイパーゼットン・コクーンの中で、取り込まれた感情のエネルギーが膨れ上がっていく。さらに、ハイパーゼットンの細胞と複合したエネルギーがしだいに形を成していく。

 それはまるで、ハイパーゼットンという巨大な繭の中で別の繭が生まれているような光景であった。そして、戦慄している才人たちの前で、成長しきった四つの繭はハイパーゼットンから勢いよく飛び出し、その中のひとつが才人たちの目の前に降り立ったのだ。

「こいつは!」

 繭を破ってそいつは姿を現した。

 二足で立ち、黒々とした体に顔と胸に黄色い発光体。そして頭部には二本の角。ルイズと才人を見下ろす表情を持たない顔は、間違いなく。

「サイト、これが……?」

「宇宙恐竜、ゼットン」

 強烈なパワーを感じる威容にルイズは息を呑んだ。こいつは、才人が緊張するくらいなのだから、よほど強力な怪獣なのだろう。

 だが……。

「ブモー」

 牛のような豚のような鳴き声に、ルイズは緊張感が緩んでしまった。それに、体も太ましくて角もだらんと下がっている。見ると、才人も「えーっと……」と言う風に気まずそうな顔をしていた。

 ほんとにこいつは強いの? ルイズが才人にそう尋ねようとしたとき、グラシエが面白そうに告げてきた。

「おやおや運のいい人たちだ。どうやら”喜び”の感情で作ったゼットンはハズレのようですね」

「喜び、ですって?」

「そう。よいゼットンを作るためには、感情のエネルギーをさらに厳選して与える必要がありますからね。さっきも言ったはずですよ? ハイパーゼットンに与えた四つのエネルギーは、それぞれ別の感情を特別に抽出したものです。ついでにお教えすれば、この喜びの感情はあなた方魔法学院の生徒方の遠足の時に採取させていただきました。いやあ、あのときは新しいワイン酒に舌鼓を打って、実に嬉しそうで私まで嬉しくなってしまいましたよ」

 まあ強いて言えば回収に失敗してしまった感情もあるが、別件でそれにも増して強烈な感情を補充できたのだからそれはよい。

 思い通りにならなかったことも多いが、計画の大筋には問題ない。さすが私とグラシエは悦に入っていたが、衝撃の事実を聞かされたルイズたちは顔色を失っていた。それって、あのアラヨット山での遠足の時? そんな前から陰謀が巡らされていたのかと愕然となるルイズたち。

 もしかして、さらにそれより前から? 前、前っていったら。

「うっ、うううっ」

「ルイズ、どうした!」

「前、前って……アラヨット山の遠足の前に、わたしたちはなにをしてたの……」

「なにって、そりゃあ、そりゃあ……」

 なんだ? どうして思い出せないんだと才人も頭を抱えた。ずっと前、エルフの国から帰ってきて、アラヨット山の遠足に行くまでの間になにをしていたんだ? そんな長い期間のことを、どうして思い出せない?

 才人は、お前らは知っているか? と尋ねかけるが、答えられた者はいなかった。

 さっきもそうだ。グラシエとは今回初めて会ったはずなのに、まるでそれ以前に戦ったことがあるような感じがあった。才人は、まさか……これはと日本にいた頃の記憶を呼び起こしてグラシエに叫んだ。

「この感じは、あのときのあれと同じ……お前、もしかしてメフィラス星人のアレを!」

「ンフフ、答える必要も意味ももはやありませんよ。それよりも、のんびりしてて踏みつぶされても知りませんよ」

「なっ、ゼットン!?」

 考えるのに夢中になっているうちにゼットンは間近まで迫ってきていた。ゼットンはその指先を才人たちに向けて、指先から小型ミサイル『ゼットンナパーム』を放ってきた。

「あちっ!」

「きゃあっ」

 ゼットンナパームの爆発に包まれ、才人たちは炎に身を焼かれながら逃げまどった。かつて、防衛チームMATはゼットンナパームの炎の中でもひるまずに戦い続けたというが、さすがに真正面からは分が悪すぎる。

「てっ、撤退ーっ!」

 水精霊騎士隊の誰かが叫んだが、言われるまでもない。逃げるという言葉が大嫌いなルイズも、歯を食い縛りながらゼットンに背を向けた。

「スカートに髪も焦げちゃったじゃない。必ず後で思い知らせてあげるから覚えてなさいよ!」

「言ってる場合かよ。これ被ってろ、走るぜ」

 才人はルイズの髪が燃やされないように、自分の上着をルイズに頭から被せてやった。その気づかいに、ルイズは「サイトの服、サイトの匂い、わわわ」と顔を赤らめている。その顔を才人が見たら、あまりの可愛さに新語を発明したかもしれなかったが、頭から被せられているおかげで才人に見られなかったのは幸いだったか不幸だったか。

 しかし、ゼットンの攻撃はさらに苛烈さを増していく。人間の足の速さで怪獣から逃げきるのは難しく、ついに至近距離からゼットンナパームで狙われたルイズを才人が身を呈して守ろうとした、まさにその時だった。

「シェヤアッ!」

 空のかなたからマッハで飛んできた青い光が巨人の姿となって、才人たちを狙い撃とうとしていたゼットンを矢のようなキックで吹き飛ばした。

 ゼットンは強烈なキックで数百メイルを飛ばされ、レンガ作りの建物を巻き込みながら地に落とされる。そして、才人たちの傍らに降り立った青い巨人は、彼らを見下ろしながら言った。

〔すまない、遅くなってしまった〕

「ウルトラマンヒカリ!」

 まさかの救援に才人たちは驚いた。そして駆けつけたヒカリは才人たちを守るように立ち、ハイパーゼットン上のグラシエへ向けて言い放ったのだ。

〔バット星人グラシエ、お前の茶番も今日までだ。これ以上は、この世界をお前の勝手にはさせん!〕

「おやおや何をおっしゃることやら。その私を今日の今日まで野放しにさせていたのはどなた様たちでしたでしょうか?」

〔ああ、我々にとって耐え難い屈辱だった。だが、お前との約束も今日までだ。お前がそのゼットンでこの世界を破壊しようとするなら、ここでお前を倒す!〕

「ハハハハ、いいでしょう! そうこなくては、せっかくこれだけゼットンを作ったかいがありませんからね」

 高らかに笑うグラシエに、ヒカリは怒りを込めて拳を握りしめた。

 しかし話のおいてけぼりは才人たちだ。ヒカリとグラシエの意味ありげな会話に、才人は「いったいおれたちに何があったんだよ、教えてくれ!」と叫ぶが、ヒカリはつらそうに首を振った。

〔すまない、説明している時間はないんだ。私は、奴の動向を探り続けていた。残念ながら、ハイパーゼットンを止める方法まではわからなかったが、奴の拠点だけは突き止めることができた〕

「拠点?」

〔そうだ、君たちがそうなり、世界がこうなった原因がそこにある。その場所を私は今日まで探し続けていた〕

 ヒカリの言葉は、才人とルイズに事が自分たちの想像以上に深刻だということをあらためて伝えるものだった。

「なんで、なんでそんな大事なことをこれまで教えてくれなかったのよ!」

〔そのことも、今は説明している時間はない。奴を止められなかったら、あの戦争を止めたことすら無駄になってしまう〕

「あの戦争? あの戦争って……うぅっ!」

 またこれだ。なにか、それを思い出してはいけないと頭の中にふたがされているようなこの感覚。

 けれど、考える時間さえ敵は与えてはくれない。瓦礫を押し退けて起き上がってくるゼットンと共に、グラシエは煽るように告げた。

「フフフ、そうそう、考えるだけ時間の無駄ですよ。それより、ハイパーゼットンに与えた感情のエネルギーは全部で四つだったことを忘れてはいませんか? それはまだしもとして、ハイパーゼットンに加えて残りの三体のゼットンも果たして倒せますかね?」

 ウルトラマンたちが連戦で疲れきっているこんなときに、あと三体もゼットンが!? 才人たちの絶望感を感じて、グラシエは愉快そうに笑い続ける。

 

 

 そして、グラシエの言った通り、ハルケギニアの各地では解き放たれたゼットンが暴れ始めていたのだ。

 その第一の場所はトリスタニア。幾度も怪獣に襲われ、人々に怪獣への恐怖が染み付いたこの場所には特に怪獣を呼び寄せる妖気が漂っているのだろうか?

「怪獣だぁーっ!」

 突如街中に現れたゼットンに人々は逃げまどった。やっと戦争の恐怖から解放され、安堵して自分の家へと戻っていた町民たちは、ささやかな平和を、その意味すらわからないままに踏みにじられていく。

 ゼットンはその独特な”ゼットォーン”という鳴き声を漏らしながらゆっくりと動き、ときおり顔から白色の火炎弾を放って街を焼き払っていく。

 街中にから聞こえる「軍隊はどうしたんだ!」という悲鳴と怒号。しかし、そんな中でも弱い命を守るために懸命に働く者もいる。

「ほらこっちだよ。はぐれないようちゃんと私についてきな」

 路地を子供たちを連れて急ぐグリーンの髪の女性。ロングビルことマチルダは、戦争が始まりそうになった時、ティファニアに代わって元ウェストウッド村の子供たちを守っていた。

「お姉ちゃん、今度はいつおうちに帰れるの?」

「わっかんないね。けど、必ず帰れるさ。テファやテファの友達たちだってきっと頑張ってるはずさ。お前たちが弱音を吐いたら、あの子が悲しむよ」

「う、うん、テファお姉ちゃんのためにあたしも泣かない」

 子供たちを励まし、子供たちも必死に強がる姿を見て、マチルダは絶対にこの子たちだけは死なせてなるものかと自分を奮い立たせた。

 大人の庇護を失った子供は、死ぬか、自分のように盗人に身を落とすか、人買いに拐われていくしか道はない。運良く他の孤児院にたどり着けても、この孤児院の神父やシスターのようにいい大人のいる場所とは限らない。

 なにより、子供たちの不幸はティファニアをひどく傷つけるだろう。それだけは許せないと、彼女は強く思うのだった。

「テファ、お前は今どうしてるんだい? 私もお前もずっと奪われ続ける人生だったんだ。私はもういいけど、お前はもう何も奪われちゃいけない。これからはどんどんもらっていく番なんだ。死ぬんじゃないよ」

 ティファニアの幸せだけが、一度は魔道に手を染めてでも守りたかった自分の人間としての最後のよりどころだった。それが残っていたから、後からまたいろいろ付け加えられて自分は人間に戻れた。

 この街の多くの人間たちにとっても、なにか大切な心のよりどころがある。あの怪獣はそれを奪っていこうとしている。決して負けるわけにはいかない。

 子供たちの目がマチルダを見上げてくる。彼女はかつて盗みに使っていた魔法を、自分以外の誰かが奪われないことに使いながら足を速めていった。

 

 

 しかし、どんなに勇気を振り絞って戦っても、悪の力も果てしなく強力である。

 いまだにバルタン星人との戦いが続くトリステイン魔法学院。

 ティファニアが変身したウルトラマンコスモスは、怪獣マザルガスの助けでバルタン星人の送り込んできた二体のカオスウルトラマンとも互角に渡り合っていた。

 だが、バルタンもこの程度のことであきらめてはいない。コスモスへの逆恨みをつのらせたバルタンはまだその手の内をすべて晒してはいない。バルタンの逆襲は、始まったばかりなのだ。

「シュアッ!」

 コスモスのサンメラリーパンチが消耗したカオスウルトラマンを吹き飛ばした。カラータイマーを鳴らしながら倒れ、もがくカオスウルトラマンにマザルガスが近づいて頭の口を開ける。

 いよいよ食事の時間だ。カオスヘッダー分解酵素『カオスキメラ』を持つマザルガスの口に吸いこまれ、カオスウルトラマンの体が崩れてカオスヘッダーの粒子に戻ってどんどんと食べられていく。

「いけーっ! そのまま飲み込んじまえーっ!」

 学院の生徒たちからも応援の歓声が高らかに上がる。むろんバルタンはそれを邪魔しようとしたが、コスモスは素早く動いてバルタンと、バルタンの指示を受けられないでいたカラミティを食い止めた。

 カオスウルトラマンの青黒の体が金色の光の粒子に変わって、完全にマザルガスの口の中へと消えていく。そして、マザルガスが頭の蓋を閉じてゴクリと飲み込んだ時、生徒たちから今度は喜びの叫びが響き渡った。

「やったーっ! やっつけたぜ。強いぞ、キノコの怪獣」

「すっげえ。ほんとにニセウルトラマンを倒しちまうなんて」

「いいわよ。そのままもう片方も食べちゃって!」

 男子も女子も、ユニークな姿ながら悪の巨人をやっつけてしまったマザルガスの活躍にすっかり心をわしづかみにされていた。万歳三唱し、貴族だとか関係なく純粋に喜んでマザルガスをたたえている。

 マザルガスはキノコのような姿をしていて、おせじにもかわいいとかかっこいいと言われる見た目ではない。しかし、かっこよさとは見てくれだけで決まるものではない。どんなに不細工な人間でも、フルマラソンを走りぬけば誰もが彼を勇者とたたえるだろう。見てくれだけにこだわるということは、一万円の高級酒のラベルを貼った百円の安酒を呑んでいい気分になれる愚か者でしかない。

 かつてコスモスを倒したこともあるカオスウルトラマンを撃破するという大きな戦果をあげたマザルガス。マザルガスにとってはただ食事をしにきただけで、平和を守るという大義があったわけではないにせよ、コスモスを救い、邪悪な者に対してほえ面をかかせてやったという事実は素晴らしい。生命とは本来そうして知らないうちに助け合い、共生していくのが正しい姿なのだ。

 カオスウルトラマンが倒されてしまったことで、バルタンも「こ、こんなバカなことが……」と、動揺を隠せない様子でいる。

 けれど、「このままもう一匹の黒い巨人も食べちゃえ」という生徒たちの希望は叶わなかった。マザルガスはフラフラと舟をこぎだすと、そのまま座り込んで寝息を立てだしてしまったのだった。

「ね、眠っちゃった」

「お腹、いっぱいになっちゃったのね」

 生徒たちも、のんきに寝込んでしまったマザルガスにあっけにとられてしまった。

 マザルガスのその寝顔を見て、コスモスと一体化しているティファニアも別れて暮らしている子供たちのことを思い出して胸をなごませた。

 このまま戦いが終わってくれればいいのに……ティファニアは切に思った。切り札であるカオスウルトラマンの片方を失い、バルタンがこれで思いとどまってくれればとティファニアだけでなくコスモスも祈った。

 しかし、バルタンはこれでもまだ戦意喪失するどころか、なおも怒りを燃やしてきたのだった。

「おのれコスモス。だがまだ勝ったと思うなよ。まだ決着はついていないのだからな」

〔バルタン星人、こんな戦いを続けていったいなにになるというのだ? 今からでも遅くはない。武器を納め、星に帰るのだ〕

「たわ言を言うな。より強い力を持ち、より強力な武器を行使することこそ優れた生命体である証。我らはそれを証明するために来たのだ!〕

 コスモスのあきらめない説得にもバルタンは聞く耳を持たなかった。残るカオスウルトラマンカラミティを奮い立たせ、さらに戦うつもりでいる。

 その戦い続けることへのバルタンの執念に、幼少期から森の中で隠れ過ごしてきたティファニアは、なぜ平和に過ごすことができるのに自分から戦いを始めようとするのかと、心から理解できない悲しみを感じた。

〔どうして……アルビオンには、平和に生きたくてもできなくて死んでいく人がたくさんいたのに。どうして〕

 単なる好戦的な悪人ならティファニアも見てきた。けれど、バルタンたちは平和を憎み、戦うことが正義だと確信していることがティファニアには理解できない。

 そのティファニアの苦悩に、コスモスはあえて答えない。純粋なティファニアにはまだ難しいかもしれないが、この世には正義や悪の概念がそっくり裏返った反対人間が数多くいる。悪人とはまた違うそれの存在を理解することは、ティファニアが大人になるために必要な試練なのだから。 

 しかし、たとえ相手が何者であったとしても、秩序を破壊し暴力を押し付けてくる存在とは戦わなければならない。コスモスの説得を聞かず、バルタンから立ち上る怒りのオーラはさらに強くなっている。

 戦いは終わらない。残る敵はバルタンとカオスウルトラマンカラミティ。マザルガスのおかげでカラミティは消耗しているが、コスモスも消耗しており、いまだにバルタンのほうが有利である。。

「コスモス、貴様のエネルギーはもうわずかだろう? 貴様こそあきらめて我々のひざまづくがいい」

 バルタンはこのままコスモスを消耗戦に引き込んで倒すつもりか。いや、むしろ後がないコスモスをいたぶるのを楽しむ嗜虐心のほうが強いか。

 窮地に追い込まれるコスモス。カラータイマーは点滅を速め、バルタンがカラミティにコスモスを襲うように命じようとした、だがまさにその時だった。

「正義が悪に屈することなど、絶対にない」

 空から力強い声が響いた瞬間、太陽の方向から隕石のように二つの影が降りてくる。

 あれはなんだ? コスモス、バルタン、それに生徒たちは目を見張った。先に落ちてくるほうは二体目のバルタン星人だ。だがきりもみしながらバルタンのほうに叩き落され、砂塵にまみれてもがきながら「ど、同志……」と、弱弱しくつぶやいて、最初からいたほうのバルタンは狼狽した。

 そして、続いてコスモスの側へとゆるやかに降りてくる赤い精悍なウルトラマン。いまやコスモスの盟友であるその名を、コスモスは信頼を込めて呼んだ。

〔ジャスティス〕

〔コスモス、状況は把握した。私も共に戦おう〕

 ウルトラマンジャスティスが、コスモスの危機を察知してはるかクルデンホルフの地から駆けつけてくれたのだった。

 ジャスティスの助けに、ティファニアも安堵して「ジュリ、ねえさん、ありがとう」と胸をなでおろした。ウェストウッド村でのサボテンダーの一件以来、ジャスティスはティファニアや子供たちにとって恩人であり憧れでもある。そしてジャスティスはコスモスがエネルギーを消耗しているのを見ると、コスモスに自らのエネルギーをオーラに変えて分け与えた。

『ジャスティスアビリティ』

 ジャスティスも先日のクルデンホルフでの戦いを経ているが、元々こちらの宇宙のウルトラマンである彼らはこの惑星への適応力も高く、かつ他のウルトラマンたちと違って惑星に常駐する必要もないジャスティスは早めの回復を遂げていた。

 エネルギーを回復したコスモスのカラータイマーが青に戻る。二人のウルトラマンが揃った光景に、学院の生徒たちの歓声もさらにヒートアップした。

 対して、バルタンのほうでも、ジャスティスに叩き落されたバルタンが起き上がり、リーダー格のバルタンに謝罪していた。

「同志、すまない。ウルトラマンガイアとアグルの抹殺は失敗してしまった。プラズマソウルの力を持ってしても、奴らは倒せなかった」

「なんだと? 貴様、バルタンの戦士として逃げ帰るなど恥ずかしいとは思わんのか!」

「待ってくれ同志よ。倒せなかったが、ガイアもアグルもしばらくは戦えないはずだ。私はせめて同志に加勢するつもりで戻ってきたのだが、途中で奴に見つかってしまい」

「ウルトラマンジャスティスか……コスモスの同胞。いずれは奴とも戦わねばならぬならば、確かにこれはちょうどいい。切り札もまだあることだ。失敗の汚名は奴の首を取って晴らすがいい」

 リーダー格からチャンスを与えられ、部下のバルタンはやったとばかりにハサミを振り立ててリーダー格の横に並んだ。

 これで、コスモスとジャスティスに対して、バルタン星人二体とカラミティが対峙する。

 宇宙の平和と正義を守るウルトラマン。それに反する、力で秩序を作り替えようとするバルタン。相容れることはなく、決着は戦いによるもの以外にはありえない。

 コスモスは思う。この世の誰をも敵になどしたくはない……けれど、暴力で平和を乱そうとすることだけは絶対に許されない。

 ジャスティスは思う。このバルタンたちは悪だが、バルタン星人という種そのものは悪ではない。だからこそ、多くの善良なバルタン星人たちのために悪は滅ぼさなければならない。

〔バルタン星人、お前たちのやっていることは、決して正義ではない〕

〔宇宙正義の名において、お前たちの行為を悪と断ずる〕

 悪はほっておいても無くなることは決してない。それどころか、悪は次々に犠牲を生み、犠牲を栄養に無限に増殖していく。このバルタンたちの悪を止めなければ、将来さらなる悪行が犠牲者を生む。コスモスとジャスティスの新たな戦いの幕は切って落とされた。

 

 

 けれども、この戦争がそもそもはガリアが突如トリステインに宣戦布告したことから始まったということを人々は覚えているだろうか?

 それからオルレアン公が現れ、イザベラが乱入し、状況は目まぐるしく二転三転してきた。それらの転換を、ジョゼフやグラシエのような仕掛人たちは当然把握している。才人たちのような真相を追及する者たちも、ある程度は把握できているだろう。

 しかし、状況に翻弄される多くの市民たちにとっては、真相などまさに雲の上の話である。何十万、何百万というハルケギニアの民たちは、グラシエの存在もジョゼフとシャルルの確執のことも知らない。

 リュティスの中心に出現した、山のようなハイパーゼットン。リュティスの外に布陣するガリア軍の人間たちは、その正体を何もわからずに恐怖を込めて見上げることしかできず、軍を率いるイザベラや偽オルレアン公は動揺する軍の統率に苦慮していた。

「皆、落ち着くがいい! あんなものはこけおどしだ。いくら大きくても、先ほどからまるで動かないではないか。恐れることはない。こちらには私と、始祖の祝福を受けた聖女がいるのだぞ」

 偽オルレアン公の演説でガリア軍からときの声が上がった。さすが、偽者とはいえオルレアン公に完全に見せかけるよう差し向けられた連中だけはあり、その本物に勝るとも劣らない精悍さに、イザベラは小声で嫌みったらしくささやいた。

「おうおう、かっこいいじゃないか。その調子で頼むよ」

「馬鹿を言うな。こんなこと、少しの時間稼ぎにしかならない。お前こそどうするつもりだ、我々はもう、この先どうなるかなんてわからないぞ」

「ビビるな、みっともない。こうなったらもう、なるようになると思ってその場しのぎを楽しめ。考えるだけムダだ」

 イザベラはもう覚悟を決めていた。自分ごときの浅知恵をいくらしぼったところでたいしたことはできないのは、タバサへの数々の嫌がらせの失敗で骨身に沁みている。なら、自分にできることはその場その場で全力を尽くして場を整えて繋ぐこと。こざかしく考えることは他の誰かがやってくれる。

 最初から、イザベラにとって事態の解決はタバサに託すしかなかった。自分は運命をシャルロットの考えにすべてベットし、ルーレットはすでに回り始めてしまっている。

 しかし、なにを無責任なと偽オルレアン公はうろたえてイザベラに詰め寄ってくる。このままやけを起こされてもことなので、イザベラは不器用な笑顔でつとめて優しく答えてやった。

「心配はいらないよ。わたしだって鬼じゃない、わたしの手の届く範囲にいたらちゃんと守ってやるさ。大丈夫さ、この世で一番頼りになるやつが動いてるんだ、必ずうまくいくよ」

 あいつを信じて待つ。昔は考えられなかったことだ……昔はなんとしてでもシャルロットのほえ面が見たくて意地を張ってきたが、今となってはなんと無意味なことをしていたんだろうかと自嘲で口元が歪んでしまう。

 だが、イザベラにはゆっくり状況が変わることを待つことさえ許されはしなかった。ハイパーゼットンの覚醒により生じた莫大なエネルギーは四体のゼットンを生み出すだけでなく、その余剰エネルギーでさらなる悪魔のしもべをも生み出していたのだ。

「うわっ、地震かっ!」

 突如大地が揺れ、ガリア軍は騒然となった。だがもちろん、それはただの地震などではない。

 リュティスを望むガリア軍とリュティスの中間から土煙が噴出したかと思うと、地中から巨大なアリジゴクのあごが突き出し、さらに磁力怪獣アントラーが地上にその巨大な姿を現したのである。

「か、怪獣だぁーっ!」

 現れたアントラーは驚きひるむガリア軍の前で、その巨大なアゴをギチギチと言わせながらゆっくりと動き出した。

 対してガリア軍は訳が分からないながらも、慌てて戦闘陣形を組んでアントラーに立ち向かおうと杖や弓を構えだす。

 だが、何かがおかしい。イザベラはなんの前触れもなく現れた怪獣に驚きながらも、その様子が異常であることにすぐに気がついた。向かってきているのは確かだが、腕をだらんとさせ、フラフラと体を振っていてまるで生気を感じさせない。

「なんだあれは? まるで人形かゾンビじゃないか」

 怪獣らしい溢れるような生命力が見えない。死体を動かしているような様に、イザベラはたとえようのないおぞましさを感じて身震いをした。

 そして、イザベラの感じた悪寒はそのまま正解だった。現れたアントラーと迎え撃とうとするガリア軍を見下ろしていたグラシエは、イザベラのつぶやきに感心したように言ったのだ。

「ほお、勘のいいお姫様ですね。いやいや、百点をあげましょう。そのとおり、その試作型怪獣兵器アントラーはまさに、アントラーの死体を利用して作り出したものなのですからね」

 試作型怪獣兵器、それがそのアントラーの正体だった。

 この世界でアントラーはかつてサハラに現れて撃破された。しかし、その残骸をグラシエは回収して、再生処置をおこなっていたのだ。

 もっとも、ただ死んだ怪獣を蘇らせるだけならグラシエにはその能力がある。だがグラシエは、自分以外のバット星人も死んだ怪獣の再利用がおこなえるよう、かつてウルトラマンダイナの宇宙で猛威を振るっていた不定形生命体の宇宙球体スフィアを捕獲して、その能力を利用して怪獣の蘇生を研究していた。

「スフィアには、無機物でも怪獣でも融合してスフィア合成獣という怪獣に変化させてしまう能力がありました。これをうまく使えれば、怪獣の死骸も立派な怪獣兵器として使えるはずです。まー、まだまだ試作段階なので、言うことを聞かせるために大幅に下方調整したスフィアを起動させるためにはハイパーゼットンのエネルギーを借りる必要がありますし、ほとんど意思のないゾンビでしかありませんが、人間どもに対してならこれでも十分でしょう」

 アントラーの体にはスフィアが寄生して、まるで死体をつぎはぎしたフランケンシュタインの怪物のようにアントラーの体を繋ぎとめているようだ。まさしく怪獣ゾンビ、命を弄ぶ許しがたい所業だが、相手が人間であれば巨体が動き回るだけで脅威なことに変わりはない。

「近づかせるな。撃て! 撃てーっ!」

 ガリア軍から将軍の怒声が響き、魔法、弓矢、大砲などが当たり構わず撃ちまくられてアントラーに炸裂した。

 本来のアントラーなら、強固な外骨格でこんな攻撃はものともしなかっただろう。しかし不完全な再生で無理矢理動かされているアントラーはぐらりと揺らぎ、あまりにもあっけなく倒れていく。

「や、やったのか」

 ここまであっさりと倒せると思っていなかったガリア軍から戸惑いの声が流れた。だが、同じくその様子を見ていたグラシエは気にも止めずに言う。

「あれあれ、いくら試作型とはいえ、ここまで脆いとは。これは改良に相当の余地がありですな。でーも、質でダメなら量で勝負って言いますよねえ」

 その言葉の通り、アントラーに続いて地震とともに噴き出した第二第三の土煙。その中から新たな怪獣兵器が飛び出してくる。

 驚愕するガリア軍。さらにアントラーも完全に死んだわけではなく、スフィアに突き動かされるように起き上がってガリア軍に向かっていく。

「ハッハッハ、怪獣兵器は一体や二体ではないのですよ。ハイパーゼットンのエネルギーはいまや無尽蔵、果たしてあとどれだけの怪獣兵器が誕生するのか、楽しみですねえ!」

 つまり、ハイパーゼットンがいる限り怪獣兵器も増え続けるということだった。

 そして、ハイパーゼットンのエネルギーを受けて生まれたゼットンは各地に散らばってしまっている。ということは……。

 墓場から湧き出すゾンビそのものに現れる怪獣兵器。ガリア軍は恐れおののき足並みが乱れ始めている。このままでは恐怖が全軍に伝播し、一気に総崩れとなってしまうことだろう。イザベラはそうさせてなるものかと、全軍に向けて檄を飛ばした。

「恐れるな! 相手の見た目に惑わされるんじゃない。全軍、後退しつつ陣形を組みなおせ。わたしが前に立つ!」

 そう叫び、イザベラは小姓から受け取った剣を抜いて掲げた。

 イザベラの左手の真ガンダールヴのルーンが輝き、剣にきらめいて神秘的な光を放つ。その輝きは動揺していたガリア軍の目から心へと刺し込み、落ち着きを取り戻させた。

 そうだ、我々には始祖の与えたもうた奇跡の力がついている。心のよりどころを取り戻したガリア軍は将軍や中隊長らの指揮の下で乱れた隊列を立て直してゆく。世界最強のガリア軍の威容は伊達ではなく、後方には両洋艦隊も事態の急変に備えて待機している。いくら相手が怪獣でも、そう簡単にこの十数万からなる陣形を崩せはしない。

 しかし怪獣兵器たちは心を持たないゾンビたちである。軍隊蟻の群れに無警戒に近づく牛のように、アントラーをはじめとする怪獣兵器たちは待ち構えるガリア軍へと近づいていく。

 アントラーが巨大なアゴを地面に突き立て、首を起こす勢いで土砂を掘り起こしてガリア軍めがけてぶちまけた。土砂とはいえ、人の頭ほどもある岩も多数混ざって、軽く人の命を奪える死の雨がガリア軍へ散弾のように襲い掛かる。

「防御魔法を!」

 将軍の指示で、落石から身を守るための風の防壁が展開された。魔法を使えない平民の兵たちは頭上に盾を構えて身を低くする。

 だが、軍団から一歩突出しているイザベラたちを守るものはない。岩石交じりの土砂が迫り、偽オルレアン公がすくみ上っている目の前で、イザベラは構えた剣を気合とともに振り下ろした。

「てやあぁぁぁっ!」

 一閃。ガンダールヴの力で空気が裂かれ、迫り来ていた土砂の雨は剣圧で生じた真空波に押し返されて、大幅に勢いを弱めた。

 そうなれば、スピードの落ちた石ころなどはガンダールヴから見ればふわふわ落ちてくる紙風船のようなもの。舞うように剣を振って石つぶてをすべて叩き落し、イザベラは後ろに控えた偽オルレアン公を振り返って不敵に笑った。

「言ったろ? 守ってやるってね」

「あ、ああ……」

 偽オルレアン公は呆然としながらうなづいた。その様は見ようによっては臆病ともとれるが、イザベラは喉まで出てきた嘲りの言葉をぐっと飲み込んだ。彼らの切り札は不死身だが、彼ら自身は変身能力以外には戦うすべのない脆弱な星人に過ぎない。目的のためなら死を恐れない使命感はあれど、死ぬことになんの意味もない場所での戦いに勇敢になれなくても当たり前ではないか。

 その意味を、イザベラもおぼろげながら理解し始めていた。人の命はただ漫然と日々を浪費するためにあるのではない。プチ・トロワにふんぞり返っていた頃の自分は、日々をなんの成長も高揚感もなく過ごしていた。対してタバサは母の治療とジョゼフへの復讐のために心を燃やし、とてつもない勢いで成長していた。

 人は善悪に関係なく、己の果たすべき使命と見つけた何かのために命を燃やすために生きている。ゆえに、他者の命を守るということはなによりも尊く輝く。イザベラにとって、自分が命をかけてまでやりたいことはまだ見つからない……けれど、こうして自分から前へ出ていればそれが見つかる気がしてくる。少なくとも、退屈以外に何もなかったプチ・トロワの中よりはずっといい。

「さあ、何をしてるんだい? 生き延びたかったら、お前も考えて動きなよ。小娘の背中が居心地がいいっていうなら甘えててもいいけどね」

 イザベラの煽る言葉に、おびえていた偽オルレアン公のプライドが刺激された。彼らとて人類よりも高等生命体であるという自負がある。下に見られ続けるのは我慢していられるものではなかった。

「なめるな小娘め。ガリアの民たちよ! 無能王のおぞましい悪あがきなど恐れる必要はない。これは始祖の与えたもうた試練である。正義を信じて杖を取れ! 勝利を信じて剣を持て! 神のご加護は我らにあるぞ」

 偽オルレアン公の会心の檄がガリア軍を駆け巡り、何十万というときの声となってとどろいた。

「オルレアン公万歳!」

「聖女イザベラ殿下万歳!」

 嘘も方便。せっかく救世主の出現に救われているのだ。このことに関しては民たちは最後まで真実を知らないほうがいい。

 イザベラも、自分の身を守るだけならまだしも、剣で怪獣を倒せるとまでは思っていない。ガリア軍の士気と統制をいかに保っていくか、演技力とハッタリ……そして、勇気が試されている。

「全軍、ここをなんとしても死守しろ! 奴らも無限なわけがない。敵は叩いて叩いて叩き潰す! それまで、わたしが先頭に立つ!」

 剣を高く掲げ、イザベラは宣言した。その戦乙女を彷彿させる雄姿に、ガリア軍から空を揺るがす歓声が立ち上る。

 これがガリア王国の底力。王族や貴族がどうであろうと、ガリア王国という巨大な国を数千年にわたって支え続けてきた”民”の力は、いったん眠りから覚めるとすさまじい雄たけびとなって地を満たした。

 その怒涛のうねりを見て、随伴していた銃士隊の面々は思う。

「女王陛下、よほど気合を入れてかかりませんと、十年後には戦争などしなくてもトリステインはガリアに飲み込まれているかもしれませんよ……」

 国の力は民の力、その民の力を引き出すのは王の力。ハルケギニアの国々にとって、強大なライバルが出現したことを彼女たちは知った。

 だがそれも、この戦いという試練を乗り越えてからの話だ。イザベラを先頭に、ガリア軍は一歩も引かない構えで怪獣兵器たちを迎え撃っていく。

 怪獣兵器の進む激震。それを食い止めようと放たれる魔法と弓、弩、砲。メイジや弓兵を守って盾を構える歩兵の壁。

 猛攻に怪獣兵器が倒れ、怪獣兵器の吐く炎や蹴り上げられる石つぶてに兵が傷ついていく。怪獣兵器はボロボロの体をなおも起こし、さらなる怪獣兵器も現れてくる。

 激戦は続いた。果ての無いように……だがその混乱の中を一頭の馬が駆け抜け、戦塵に隠れてリュティスに飛び込んでいったのを誰も気づいてはいなかった。

「待っててねタバサ、わたしがすぐに行ってあげるからね!」

 燃えるような紅い髪をなびかせて、キュルケと使い魔のフレイムはついにタバサのいるリュティスへとたどり着いたのである。

 

 

 続く



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第35話  あの日の真実

 第35話

 あの日の真実

 

 宇宙恐竜ゼットン 登場!

 

 

 今、世界は大いなる危機にさらされていた。

 ハイパーゼットンの出現。さらにハイパーゼットンに感情のエネルギーを与えて生まれ、分かれて散った四体のゼットン。

 そのうちの一つ『喜び』のゼットンは、その感情の源泉であるルイズたちに引き寄せられたかのようにリュティスにとどまった。

 しかし、残りの三体のゼットンたちは違った。それぞれが別方向に飛び、暴れ始めたのだ。

 『妬み』から生まれたゼットンは、その持ち主であるトリステイン貴族たちの思念渦巻くトリスタニアに現れて破壊活動を続けている。

 続いて、シャルルの残した『渇望』のエネルギーによって生まれたゼットンは、かつての旧オルレアン邸のあるラグドリアン湖に現れた。

 そのゼットンはシャルルの王への欲求を象徴するかのように長身で、眼下を見下ろして火炎弾であらゆるものを焼きつくしながら街へと向かっている。

 そして、『悲しみ』の感情から生まれたゼットンは、思い出に呼び寄せられたかのようにド・オルニエール地方に現れた。

 住民たちや、戦火を逃れてきた人々がほっと心を落ち着かせているところを襲ったこのゼットンは、ゼットンらしからぬ機敏さで動き回りながら破壊の手を広げている。

 しかも、このゼットンはほかのゼットンとは大きく形が違っている。手足はトゲが生えて太く頑強になり、頭部の角も鎌のように太く巨大になっていた。まるで熊のように巨体ですべてを蹴散らしながら進むそのゼットンを止められる者は、ここに誰もいなかった。

 死と破壊をまき散らす黒い恐怖の軍団。さらに恐怖ははそれだけにとどまらず、三体のゼットンが暴れながら撒き散らす膨大なエネルギーにはスフィアの因子も含まれていた。それはその地方で倒された怪獣たちの残肢と結合することによって、新たな怪獣兵器へと変貌させていったのだ。

「わああ! また別の怪獣だぁ!」

 すでにラグドリアン湖ではスフィアに再生された怪獣兵器ブラックキングが出現した。このまま時間が経てば、怪獣兵器はさらに増え続けることだろう。そうなればもはや、誰にも止めることはできなくなる。

 怪獣たちから逃れようと、人々は必死に逃げまどう。だが、それと同時に人々の中に奇妙な現象が起こり始めていた。

「このままじゃ、この世界はどうなっちまうんだ……あれ? なんか、前にもこんなことがあったような」

 戦火を逃れようとする中で、頭の中に浮かんでくる覚えのない記憶。人々は気のせいだと自分に言い聞かせるものの、それがハルケギニア全土で起こっているなどとは知る由もない。

 けれども、偽りはいつまでも続かない。勝者によって改ざんされた歴史が後世の研究で暴かれるように、メッキが剥がれる時はすぐそこまでやってきている。

 

 ゼットンを操ることを宇宙一の得意とするバット星人。だが、その本領はゼットンだけにとどまらず、目的のために二重三重の計画を張り巡らせる周到さにも発揮される。

 今、そのすべての糸が絡み合い、世界滅亡へのカウントダウンは始まった。

 

 それを止めるにはハイパーゼットンを。ハイパーゼットンの核となってしまったシャルルを止めるしかない。

 いや……止めなければではなく、止めてやりたい。血を分けた兄弟に取り憑いてきた、兄弟同士の嫉妬という呪いからシャルルを解き放ち、たとえ手遅れでも今度こそ兄弟でわかり会うために。そのために、ジョゼフはタバサとともに鏡の世界から帰ってきた。

「ぬおっ!? ここは、リュティスの上空か?」

「落ち! なぜこんなところに出口を!」

「知るか。『世界扉』の呪文は習得はしたが一度も成功したことが無かったんだ。無事に元の世界に繋がっただけありがたいと思え」

「くっ! 『レビテーション!』」

 数百メイルの上空に開いたゲートから、ジョゼフとタバサはリュティスへと帰還した。しかし、無理に出口を開けたことへのイレギュラーで、出口の場所は大きくずれてしまったようだった。

 落ちて行くジョゼフとタバサ。タバサは悪びれないジョゼフに憤慨しながらも浮遊の魔法を唱えて二人の体を浮かせた。

「このまま下まで降りる」

「向こうはどうやら見逃してはくれないようだがな」

「!?」

 見ると、浮いている二人を外敵と見なしたのか、ハイパーゼットンの触手の一本が二人へと伸びてきていた。鍵爪のついた触手の先にはエネルギーがスパークしており、身の危険を感じたタバサはとっさに杖を水平に向けて魔法を放った。

『エア・ハンマー!』

 圧縮された空気弾を打ち出す魔法の反動で、タバサはジョゼフを連れたまま大きく水平に自分たちを弾かせた。

 そして次の瞬間、ハイパーゼットンの触手から暗黒火球が放たれ、二人のいた空間を焼き焦がしていった。

 間一髪……だが、タバサには冷や汗をぬぐう暇もありはしなかった。触手はさらにタバサたちに再照準してくる。一回は避けれたが、この数百メイルの上空で逃げ場所がない状況では、ジョゼフを連れたままかわし続けられるものではない。それに気づいたウルトラマンヒカリが助けに入ろうとしたが、そこへあの太り気味のゼットンが起き上がって攻撃を仕掛けてきた。

〔くっ、邪魔をするな!〕

 ゼットンの頭部から放たれる白色光弾がヒカリを襲い、ヒカリは回避と迎撃に意識を向けざるを得ず、向かってくるゼットンとの戦いに引きづりこまれていった。

 どうすれば? タバサも打開策が浮かばずに焦りかけたとき、タバサの放った魔法を察知して迷わず飛び出した竜がいた。

「きゅいーっ、あれはおねえさまの魔法なのねーっ!」

 びっくりしている才人たちに見送られ、シルフィードは胸を喜びでいっぱいに満たして飛んだ。

 ずっと会いたいと思っていたタバサおねえさまにやっと会える。翼を広げて、風よりも速く飛んでタバサのもとへ駆けつけた。

「おねえさまーっ!」

「っ! シルフィード」

 シルフィードが来たことを知ったタバサはとっさに口笛を吹いた。その音だけで何を命じているのか察したシルフィードは、さらうように落下中のタバサとジョゼフを瞬時に背に乗せて飛び去った。

 タバサとジョゼフのいた空間を、再びハイパーゼットンの暗黒火球が焼き尽くしていく。シルフィードが来ていなかったら今度は危なかっただろう。

「シルフィード……よく来てくれた」

「おねえさま、やっと会えたのね。シルフィ、もう、もう嬉しくて、う、嬉しくて」

 感涙して飛びかたがフラつくシルフィード。それでもさらに撃ちかけられてくる暗黒火球を危なげなく避けられているのは彼女の成長のたまものであろう。

 そんなシルフィードに、ジョゼフは感心したようにつぶやいた。

「ほう、これがお前の使い魔か。たいしたものだな」

「きゅっ!? おねえさま、こいつは!」

「始末は後でつける。今は考えなくていい」

 タバサといっしょに拾ったのが仇敵のジョゼフだと気づいて動揺するシルフィードをタバサはなだめて、目の前のことに集中させた。ハイパーゼットンの攻撃はなおも続き、はっとしたシルフィードは暗黒火球を避け続けて、街中へと急降下した。

 すると、空を飛んでいない物体は脅威にはならないと思われたのか、ハイパーゼットンの追撃は止んだ。シルフィードはそのまま低空飛行を続け、ルイズたちの元へ着地した。

「あんた急に飛び出してどうしたのよ? あっ、あんたはこのあいだの王宮でのときに! あのときはいつの間にかいなくなってたけど、今度は何してるのよ」

「きゅい、タバサおねえさまを連れてきてやったのに恩知らずなのね! お前たちがどれだけおねえさまに」

「やめてシルフィード。今は言っても無駄だから」

 憤るシルフィードをタバサは抑えた。今のルイズたちにはタバサがわからない。それはとても悲しいことだけれど、やむを得なかったことだ。

 タバサはルイズたちに対して、初対面であるかのように彼女たちの前に立った。タバサの顔を見ても、ルイズも才人も他の皆もいぶかしむ様子しか見せない。本当に悲しいことだ、今のルイズたちはタバサの名前も思い出せない。

 いや、タバサの顔を見て、何かがひっかかるように眉を潜めてはいる。けれどそれを自力で思い出すのは無理なのだ。

 タバサはそれでも、ハイパーゼットンに取り込まれたシャルルを取り戻すために協力を頼もうとした。だが、そのとき、水精霊騎士隊と同行してきたジルが、フラフラとタバサの前に歩み出てきた。

「シャル……シャルロット……シャルロットなのか?」

「ジル、あなたもここに!? わたしが、わたしがわかるの?」

 驚いたタバサは、ジルの顔を見上げて問い返した。

 ジルは、タバサの顔を見ると、その瞳から涙を流しながら答えた。

「わから、ない。わたしは、お前のことを知っていないはずなのに……でも、お前の顔を見ると、シャルロットって名前が浮かんで、胸が痛くて、涙が止まらないんだ」

 ジルはいつもの凛々しい狩人の顔ではなく、まるで幼子のように顔を抑え、涙を滝のように流してタバサの顔を見ていた。

「お前はあたしを知っているんだろう? 教えてくれ。お前は誰なんだ? それを知りたくて、あたしはここまで来たんだ」

「ジル……ごめんなさい。それはまだ、わたしからは言えない」

 苦悩するジルに、タバサは答えることができなかった。

 見ると、才人やルイズたちも、何かを言いたげだが言葉にすることのできない困惑に頭を抱えている。

 タバサと特別関係の深いジルでさえ完全には思い出せない。ルイズたちにしても、漠然と違和感を感じることはできるが、それ以上はどうしてもわからないでいる。

 苛立ったルイズは、タバサに「あんた何か知ってるなら教えなさいよ!」と怒鳴った。その剣幕に才人が割って入ってなだめるが、才人もタバサの顔を見ると激しい頭痛に襲われているように頭を抑えて顔をしかめている。デルフリンガーに聞いても、悪いが俺には答えられねえよとなぜかはぐらかすばかりだ。

 今のルイズたちとの大きな溝に、タバサは強い罪悪感を感じた。やはり、自分たちだけでハイパーゼットンへ挑むしかない。タバサはシルフィードに命じて、ハイパーゼットンへ向け飛び立とうとしたが、それをルイズが引き止めた。

「待ちなさいよ。あんた死にに行く気! あんたが死にたいのは勝手だけど、隠してることを明かしてからいきなさいよ」

「離して。わたしがいなくなっても、あなたたちの知りたいことはわかる」

「なら余計気になるでしょ! どんな都合悪いことがあるか知らないけど、話すまで逃がさないからね」

 ルイズは無理に逃げるつもりならエクスプロージョンで撃ち落とすことも辞さない剣幕だった。また、シルフィードも無謀極まりないタバサの焦りように、命令に消極的な態度を示している。

 そんなルイズたちの強情ぶりにタバサが困らされるのを見て、ジョゼフは面白そうに笑いながら言った。

「ほう、そいつらがシャルロットの仲間どもか。なるほど、直接見ると思っていたより若いな」

 突然割り込んできたジョゼフに、才人たちは「誰だ?」と怪訝な表情を見せた。探し回っていたジョゼフ本人が目の前にいるというのだが、写真などまだないこの世界ではジョゼフの顔を詳しく知っている外国人などほとんどいないので、それも当然の反応である。

 才人たちは薄笑いを浮かべながらこちらを観察するように見つめてくるジョゼフを気味悪がって、腰が引けている。しかしそんな才人たちにいらだったシルフィードが、我慢できずに金切り声で怒鳴ってきた。

「きゅいい! なにやってるのね、そいつがジョゼフなのね、悪の親玉なのね、早く捕まえるのね」

「なっ!」

「ええっ! こ、こいつがジョゼフ!?」

「いかにも、俺がガリアの王、ジョゼフ一世だ」

 まさかの大ボスの登場に仰天する才人たち。ジョゼフは悪びれもせずに腕組みをしながらからかうように答え、にわかには信じられないでいる才人たちを眺めていた。

 本当にこいつがジョゼフなのかと、才人や水精霊騎士隊は半信半疑で動けないでいる。すると、ルイズがジョゼフを指さしながら叫んだ。

「そいつは本物のジョゼフ王よ! 四つの王家の証である土のルビーの指輪をつけてるわ。サイト、早く取り押さえなさい!」

「ええっ!? よ、よしわかったぜ」

 トリステイン王家の水のルビーを見知っているルイズは、ジョゼフの持っている土のルビーも一目見て本物であると確信があった。

 ルイズにうながされて、才人と数人の少年がジョゼフに飛び掛かっていった。魔法を使われたらやっかいだが、今のジョゼフは杖を手にしていない。ならばこちらも数人がかりの力づくでなんとかなるだろうと、才人たちは武器も魔法も使わずに向かっていったのだが、ジョゼフは涼しい顔で受け止めてきた。

「なかなかお目が高いレディだ。ナイトたちも実に勇敢ではある……が、思慮が足らんな」

 次の瞬間、ジョゼフにつかみかかろうとしていた才人の体は宙を舞っていた。胸倉をつかまれたと思ったら、目にもとまらぬ勢いで投げ飛ばされてしまっていたのである。

「わっ、わあぁぁっ! ぎゃっ」

 才人は石畳の上に背中から落とされて悲鳴をあげた。ほかの数人の少年たちも同様で、軽く投げ飛ばされて転がっている。

 すごい力だ。才人はせき込んで起き上がりながら、王様のくせにめちゃめちゃケンカ慣れしてるじゃねえかと信じられない思いを感じていた。

 魔法も使わずに、訓練された男数人をこんなあっさりと。ルイズも王族と言えばウェールズのような線の細いイメージを持っていただけに才人がやられたことに目を丸くし、ジョゼフは笑いながら言った。

「なにぶん余は無能王なのでな。仕事がないときは体を動かすくらいしか暇つぶしがなかったのよ。お前たち、一直線すぎて狩りの猪より簡単に手玉にとれたぞ」

「な、なにをーっ!」

 小ばかにされて、才人は思わずデルフに手を伸ばした。だが、ジョゼフは軽く手をかざして殺気立つ少年たちを制した。

「まあ焦るな少年たちよ。俺の首でも手足でも、欲しければ後で好きなだけくれてやるから今は落ち着け。その前に、どうしても話をつけなければならない奴がいるからな」

 ジョゼフはすっとハイパーゼットンを見上げ、才人たちもはっとした。

 ハイパーゼットンを止めることが現在の最優先課題。ルイズはジョゼフにハイパーゼットンを止めるように要求したが、ジョゼフはあれは自分にはどうしようもないこと、弟のシャルルが正気を失って消えてしまったことを告げた。

「落ちているときに気づいた。あの魔石の気配は、あの怪物の中にある。奴め、やはりそういう腹で俺に手を貸していたわけか」

 シャルルが今では核としてハイパーゼットンに取り込まれてしまったことをジョゼフは察した。タバサも、グラシエがああなったシャルルを利用するならそれしかないと結論し、父を取り込んでしまったハイパーゼットンを憎々し気に見上げている。

 このままではハイパーゼットンが完全にシャルルを取り込んでしまう。だがルイズたちとの確執は解けず、にっちもさっちもいかない状況にタバサはさらに焦りを深めた、その時だった。

 

「いいじゃないですか。そろそろ種明かししちゃっても」

 

 はっとして顔を上げると、そこにはまたいつの間にかグラシエがこちらを見下ろしながら浮いていた。

 すぐさま構えるルイズたちにタバサ。だがグラシエは気にした様子もなくタバサに言った。

「これ以上続けてもつらくなるだけでしょう? すでに当初の目的は完了しているのですから、お友達に教えてあげてはいかがです。それとも怖いのですか?」

「……っ」

 タバサは我慢できる限度に近い憎悪を覚えた。なぜあろう、すべての仕掛人であったくせにいけしゃあしゃあと……それになにより、図星であったから。

 そのとき、ゼットンと格闘を続けていたヒカリがゼットンを投げ飛ばして一時的に無力化すると、空に向かってナイトシュートを放った。

〔見ろ! これがすべての元凶だ〕

 青い光線はリュティスの上空へと伸び、ある一点で何も無いはずの空に”当たって”炸裂した。だがグラシエはエネルギーが拡散して電光が散り、それを隠していたバリヤーが破れるのを止めるでもなく、笑いながら感心したように見上げていた。

「ほほお、けっこううまく隠してきたつもりでしたのに。さすがは光の国で最高と名高い科学者」

〔お前たちに褒められても嬉しくはない〕

 ヒカリとバット星人には浅からぬ因縁があった。かつて初代ウルトラマンがゼットンに倒された時にゾフィーが光の国から持ってきた「固形化された命」の生成法を発明したのがヒカリであり、それを知ったバット星人は強奪すべく光の国への戦争を仕掛けてきた。戦争自体は光の国の勝利に終わったのだが、その影響で当時地球の守りについていたウルトラマンジャックが光の国に帰還しなくてはならない事態も招いており、歴史に与えた影響は大きい。ヒカリにはなんの咎もないことではあるけれども、愉快な思い出というわけでもない。

 ナイトシュートを受けた空中の何かはそれを耐えきったものの、そこが限界でバリアーは破壊された。そして、余剰エネルギーで光学迷彩も解除されて現れたものを見て、才人は目を見開いた。

「あの円盤は、やっぱりメフィラス星人の!」

 パンケーキ型の円盤の中央から角のように円錐が突き出たフォルムは、間違いなく才人がドキュメントSSPの資料で見た姿と同じだった。強いて言えばセミ人間やバルタン星人の円盤とも酷似しているが、違いのわかる男を自称している才人には確信があった。

 だが問題は円盤そのものではない。それに搭載されている物が問題なのだ。その正体を才人はもう直観し、それを知っているグラシエは当然のように才人を見下ろして嘲笑った。

「そこの地球人の少年はもちろんご存知ですね。なにせ、あなたにはこれで二度目なのですから」

「キリアンリプレイサーだな!」

 才人はこの上なく忌々しげに吐き捨てた。

 それは才人にとっては新しい記憶のこと。彼がハルケギニアに来る少し以前に、ウルトラマンメビウスとエンペラ星人の決戦が行われた。その前哨戦とも言えるエンペラ星人の配下、暗黒四天王のメフィラス星人が使ったのがキリアンリプレイサー。端的に言えば記憶改竄装置である。

 これを使い、メフィラスは人々の記憶からメビウスに関するものを自分とすり替え、メビウスとGUYSの共倒れを狙うという悪辣な作戦をおこなった。

 それと同じものがあの円盤にもあるとすれば、タバサたちの記憶だけが皆から消されていた? 才人はそう推理したが、グラシエは違いますよと指を振った。

「甘いですねえ。それだけのために、これだけ大がかりなことをするわけないでしょう」

「なにを、だったら何が目的でおれたちの記憶を操ってたんだ!」

「それは話すと長いことなが……おっと」

 グラシエがもったいぶりながら説明しようとした時、空に浮かぶ円盤を外敵と見なしたハイパーゼットンは触手を伸ばし、暗黒火球で円盤を粉々に粉砕してしまったのだ。

「なっ!」

「あーあーやってくれましたねえ。あれけっこう高かったんですよ。けれどまあ、どのみち効果の持続力ももう限界に来ていましたし、これであなた方が求めていた真実が手に入りますよ。さあ存分に思い出してください。あの日、あなた方にいったい何があったのかをね」

「……!」

 グラシエの宣言とともに、才人とルイズ……いや、その場のカトレアやジル、水精霊騎士隊の仲間たち。ガリアの人々、さらにはハルケギニアの人々の意識は白く塗りつぶされた。

 キリアンリプレイサーが破壊されたことで記憶の呪縛は解き放たれ、抑圧されていた記憶がそれぞれの持ち主の心へと戻されていく。だがそれは膨大な情報量が一気に頭の中に叩き込まれるに等しく、人々は一様に失われたあの日までの自分に返って、その情景を追体験した。

 

 そう、すべてはあの時から。

 トリステインとロマリアとの戦争が終結し、ロマリアと同盟していたガリアとトリステインの戦争が避けられないという状況があったことを、人々は思い出した。

「戦いは望みません。ですが、ジョゼフ王をこのままにしていては、また同じことが起こるでしょう」

 戦争継続に消極的であったアンリエッタ女王もガリアへの派兵を認めざるを得ないほど、当時の民衆のジョゼフへの不信感と憎悪は高まっていた。根源的破滅招来体の手先と組んで人々を欺いていたのだから当然である。

 なにより、当時トリステインに派兵されていたガリア軍はシャルロット王女の威光に屈して軍門に下っており、彼らは一様にシャルロット王女がジョゼフ王を倒すことを望んでいた。

 ガリアとの戦争になれば、また数多くの犠牲が生まれる。しかし、もはや大きな流れとなってしまった戦争へのうねりを止めることは誰にもできず、まさに大軍勢がガリアへと攻め込もうとしていた、その直前の日のことだった……死んだはずのワルドが倒したはずのサタンモアとともに現れるというありえないことが起きたのは。

 死者が生き返ってくる。そんな異常な出来事にアンリエッタやルイズらは困惑した。だが何の謎も解けないまま、今度は突如ジョゼフからタバサへの呼び出しがかかり、タバサは血相を変えて飛び出し、才人とルイズも急いでその後を追った。

「そうだ、それでそれから……」

 才人はタバサの後を追ってからのことを思い出した。

 シルフィードの速さに追いつくのは容易ではなく、やっとタバサを追ってオルレアン邸に着いたときにはすでになんらかの話は終わってしまっていた。

 それでも、才人とルイズはタバサとジョゼフといっしょにいる宇宙人を見つけて、迷わず挑みかかった。

「このやろう!」

「タバサから離れなさいよ」

 そのとき、なぜタバサが仇のジョゼフを討とうとせずに、いっしょにいたかと疑問に思うべきであったかもしれないが、急いで追ってきて焦っていた二人はそれを考える余裕を失ってしまっていた。

 宇宙人は二人がかかってきたのを知ると、ひらりと宙に身をかわす。才人も見たことのない星人だったので先手必勝を狙ったが、向こうもなかなか手慣れているようだ。

 才人の剣をかわし、人を食ったような余裕な声で言う。

「おや乱暴な。せめて、動くな手を上げろくらい言ったらどうです?」

「ふざけるな! ヤプールの手下か、それとも教皇の野郎の残党かよ」

「どちらもハズレですよ。ああもう、乱暴な人たちですねえ」

 その宇宙人。もちろんグラシエのことだが、血気にはやった才人の攻撃はなかなか当たらない。

 けれど才人の攻撃でできた隙をルイズは見逃さず、放たれたエクスプロージョンの一撃はグラシエの至近で炸裂した。

「ぐあっ、やりやがったなあ! いやいや、おっと私としたことが。今のが話に聞いていた魔法ですか、さすがに油断しすぎましたが、それだけで私を倒せると思わないでください」

 ダメージを与えたが、まだ浅い様子に才人とルイズは追い打ちをかけ始めた。しかしグラシエもルイズのエクスプロージョンの威力を知ると、ルイズの挙動から攻撃の瞬間を先読みしてかわしてしまう。

 まともな攻撃では当たらない。そこで才人はルイズの『テレポート』の魔法を使ってグラシエの死角から奇襲をかける作戦をかけ、背後からグラシエに一刀を浴びせることに成功した。

「ぐうっ!? しゅ、瞬間移動ですか。やりますね」

「どうだ。おれたちを甘く見るなよ」

「そうよ。わたしたちは強いんだから。わたしたち二人を相手にしたことを後悔しなさい」

 才人とルイズは、先の教皇との戦いの終盤まで、過去と異世界に飛ばされていて長い間離れ離れになっていた。だからこそ、二人で存分に力を振るえるこの機会に乗りに乗っていたのだった。

 しかし、攻撃しようと構えた瞬間だった。二人とグラシエの間に突然氷の壁が立ちはだかり、二人の行く手を阻んでしまったのだ。

「これって、アイスウォールの呪文? タバサ、なんで!」

「どうしちまったんだよタバサ。なんでおれたちの邪魔をするんだ!」

 ルイズと才人は氷の壁越しに杖を向けてくるタバサに向かって叫んだ。

 しかしタバサは二人に答えず、代わりにグラシエがタバサに向かって言った。

「助かりましたよ、お姫様。さて、そういうことはつまり、私の提案に同意いただいたということでよろしいのですね?」

 グラシエの問いに、タバサは無表情のまま短くうなづいた。

 ルイズと才人が氷壁の向こうで「なに言ってるのよタバサ!」「操られちまってるのか?」と叫んでも、タバサはじっと動かない。

 そして、業を煮やしたルイズたちが氷壁を爆破して来ようとしたときだった。タバサから了承を得たグラシエは空へ向かって手を広げ、高らかに宣言したのだ。

「ブラァーボゥ! 貴女は素晴らしい選択をされました。では、約束どおりまずは貴女方が切望してやまない『平和』をもたらしてあげましょうではありませんか!」

 その言葉が、才人とルイズの最後の記憶になった。

 氷壁を爆破して突破しようとした二人に、空の上から放たれた光。それを浴びたとたん、糸が切れたように二人は気を失って倒れこんだ。

 いや、二人だけではない。タバサとジョゼフを除く、トリステインの人間すべて……さらにはガリア、アルビオン、ロマリア、ゲルマニアでも一様に人々が気を失っていた。

 トリスタニアでは街が静寂に包まれ、人っ子一人立っていない。王宮ではルイズたちの身を案じていたアンリエッタが窓際で気を失い、アニエスや銃士隊も倒れている。

 魔法学院、ラ・ロシェール、タルブ村も同じだ。ルクシャナやファーティマのようなエルフも例外ではなく倒れ、学院の生徒たちの使い魔も、知性あるものはすべて意識を失っている。

 兄から小言を受けていたドゥドゥーとジャネットもそのまま眠りにつき、ある教会でシスターとして懺悔を受けていたリュシーも何かを話そうとした途中で倒れた。

 戦争の用意をしていたトリステイン兵、アルビオン兵、ガリア兵も同様に眠りに落ちている。ゲルマニアでは大臣を怒鳴りつけている途中だったアルブレヒト三世が臣下とともにテーブルに突っ伏した。

 いまやハルケギニアで立っている人間はタバサたちを除いて一人もいない。いや、正確にはただ一人、この状況を笑いながら観測している女がいた。

「あらあら、大胆ないたずらをする子がおりますわね。ウフフ、いずれお会いすることもあるでしょう」

 糸目を空に向けて、優雅に午後の紅茶をくゆらせながら彼女はつぶやいた。

 あらゆる外的脅威に対応できるよう改造されつくした彼女のボディには、さしものこの装置の威力も効果がなかった。グラシエの想定にもなかった彼女の存在がトリステインに嵐を呼ぶのは、少し先の話である。

 だがそんな例外は別として、ハルケギニアのありとあらゆる場所から人の声が消えた。

 そして、ここからは才人とルイズではなく、才人たちと同化している北斗星司の視点と記憶である。グラシエはハルケギニアの完全制圧を確認すると、自身の円盤にタバサたちのほか、若干名を招待した。

 それはグラシエがあらかじめ対象から除いていた者たち。すなわち、モロボシ・ダン、セリザワ・カズヤ、アスカ・シン、高山我夢、藤宮博也、ジュリ、最後に才人とルイズにティファニア。つまりはハルケギニアに現在いるウルトラマンたち全員であった。

「ようこそウルトラマンの皆さん、歓迎しますよ。私はバット星人グラシエ。こんなそうそうたる顔ぶれを前にできるとは、またとない体験にわたくし喜び震えております。お茶は出せませんが、どうかごゆるりとされていってください」

 実質ウルトラマン八人を前にしているというのに、余裕たっぷりにグラシエはまくしたてた。

 むろん、対峙しているウルトラマンたちの誰もが、この怪しいことこの上ない慇懃無礼な宇宙人を警戒している。いや、実際は才人とルイズにティファニアは気絶させられたままで円盤の床に寝かされており、それにアスカが抗議するとグラシエはオーバーに困ったというアクションをとりながら答えた。

「そちらのお子様たちは、大人の話し合いをするには少し感情的すぎると思いましてね。申し訳ありませんが除外させていただきました」

 話にならない相手とは話せないというグラシエに、才人たちを知る者は納得せざるを得なかった。すると、才人の体を借りて北斗星司・ウルトラマンエースが表へ出てきた。

「そういうことなら、代わりに私が話そう」

 北斗が出てきたことに、ダンもそれならば大丈夫だろうとうなづいた。北斗は熱血漢だが馬鹿ではない。ヤプールや星人の企みをTACの皆に先がけて読み、解決へつなげてきた洞察力もかねそろえている。

「エース、才人くんたちの意識は?」

「今は強制的に眠らされている状態です。命には別条ありません」

 その答えに、少なくともハルケギニアの人々も生命の心配はないことは確実とわかって、一同はほっとした。

 だが、問題はなぜハルケギニアの人間全員を眠らせ、ウルトラマンたちを集めたのかということである。グラシエはそれを問い詰められると、隠す様子もなく得意げに話した。

「では単刀直入に申しましょう。私はこれから、この惑星を使ってゼットンの養殖のための実験をおこなおうと思っています。そこであなた方ウルトラマンには、実験が終わるまで手を出さないでいてもらいたいのです」

 もちろん、その図々しいにも程がある要求を彼らが飲むわけがなかった。北斗やアスカは「ふざけるな」と憤り、ダンやセリザワも眉をしかめている。

 しかし、要求がふざけているからこそ、その裏に何かが隠されていることは容易に想像がついた。一同の中で藤宮が我夢と目配せをしあい、グラシエに向けて問いかけた。

「そんな条件を、どうやってお前は俺たちに飲ませる気だ? 脅迫か? 懐柔か?」

「フフ、話が早くて助かります。強いて言えば両方ですね。あなた方が私の実験を黙認してくださるのならば、今この世界を二分しようとしている戦争を止めてさしあげましょうじゃありませんか」

「なに?」

 グラシエが指を鳴らすと、壁が透けて円盤内部に搭載された装置が彼らの前に姿を現した。

「キリアン・リプレイサー。この装置を使えば、人間の記憶を広範囲に自由に改ざんできます。つまりは、人間たちにこれから始めようとしている戦争のことを忘れさせることもできるというわけですよ」

「……悪魔の機械だな」

 人間の心を軽々と操れるという機械の説明に、我夢と藤宮は本気で嫌悪感を示した。ほかのウルトラマンたちも、同じ科学者のヒカリをはじめ、いい印象は感じていない様子だった。

 だがグラシエはうそぶくように言う。

「それはどうでしょう? 覚えていて不要なものを忘れられるなら、それはこの上ない幸せな人も世の中にはいるのではないですか? それより、私は実験でこの世界の人間たちには『できるだけ』被害を出さないように立ち回るつもりですが、このまま戦争を放置したら何万、何十万という生命が失われることになるはず。それに比べたら些細なことではありませんか?」

 正論ぶってうそぶくグラシエだが、それこそまさに悪魔のささやきと言うべきだった。

 こいつは絶対に信用できない。全員がそう認識する中で、ダンとセリザワが冷静に問題点を指摘した。

「だが、それですべてが解決するわけではないだろう? 人々の記憶を操作したところで、それは一時的なものだ」

「そうだ。キリアンリプレイサーは、記憶は消えるわけではなく抑え込んで上書きするだけだ。維持ができなくなれば、記憶は戻る」

 一時的に戦争を忘れさせても、それはわずかに先延ばしにするだけだ。根本的な解決にはならない。

 だがグラシエは、その指摘は想定内だというふうに、「お姫様、出番ですよ」と、それまでじっと控えていたタバサを前に出させた。

 タバサは目の前にいるのがこれまでハルケギニアを守ってきてくれたウルトラマンたちだということを知って息を呑んだ。だが、その瞳に一筋の決意を秘めて、驚くべき考えを述べたのである。

「ハルケギニアの人々の記憶を消している間に、わたしの父……オルレアン公シャルルを彼の力で蘇らせて王位についてもらう。そうすれば、もう戦争は起こらない」

 ざわりと、場の空気が動いた。

 タバサには洗脳されている様子はなく、それがタバサの意思から出た言葉だということははっきりしていた。しかし、そのあまりに禁忌に触れる選択に、タバサが異世界に飛ばされて以来の交流のある我夢が問いかけた。

「君は、自分がなにを言っているかわかっているのかい? 人間を、死んだ人間を生き返らせようなんて」

「わかってる。わかって、る……」

 返す言葉に切れがないのも当然といえた。タバサにも、タブーに触れているという後ろめたさはあるのだ。

 藤宮もとがめるようにタバサを見ているが、タバサは下を向いて視線を合わせられないでいる。ほかのウルトラマンたちも同様に、グラシエが吹き込んだのであろう悪魔の取引を否定する様子でいた。もしルイズの意識があったら怒鳴りつけていることだろう。

 けれども、苦悶しているタバサを擁護するように、グラシエは居並ぶウルトラマンたちの刺すような視線をあざ笑うように言った。

「おやあ、おかしいですねえ。一度死んだ怪獣を生き返らせるくらいのことは、私に限らず宇宙ではよくおこなわれていることでしょう? それに、あなた方ウルトラマンこそ死んでも生き返るのを何度も繰り返してきてますよねえ。それで人間だけいけないなんて、ずいぶんずるい話だと思いませんか? 特に、そこのウルトラマンヒカリさん」

「……」

 これに関してはぐうの音も出なかった。命を固形化する技術を開発したヒカリだけでなく、死者を蘇生させる話でいえば、ウルトラマンたちは死んだ人間と一体化することで生き返らせるということを初代ウルトラマンやジャックやエースはやっている。ウルトラの父も直接死者を蘇らせるということをしたことがあるし、少なくとも死者を蘇らせることのタブーに関してウルトラマンたちが物申すのは明らかに不利だった。

 しかし、シャルルを生き返らせるとして、それをやろうとしているのは明らかに腹に一物持っているグラシエである。しかしグラシエは自分が信用されていないことも計算づくで、平然と話した。

「私が約束を破ると、疑っておいでなのでしょう? フフフ、とんでもない。たかが人間ひとりを生き返らせるくらい、私には造作もないことです。まあずいぶん前に亡くなられた方なので、死体の修復などにそこそこの手間はかけますが、これだけのウルトラマン方を相手にそんなリスクを取りませんって」

「だが、オルレアン公を生き返らせて貴様になんのメリットがある?」

「それはもちろん、ハルケギニアの平和ですよ。平和が来るのなら、あなた方も私に敵対する必要がなくなりますからね。安全第一が私のモットーでして。それとも、平和のために働く善良な宇宙人をウルトラマンは追い出すというのですか?」

 ダンが鋭く指摘しても、グラシエは平然たるものだった。

 確かに、いくらうさんくさかろうと、まだ悪いことをしていない奴を退治することはできない。だが、グラシエはすでにアブドラールスとサタンモアを蘇らせて被害を出しているではないか。だがそのことを指摘してみても、グラシエは余裕を崩しはしなかった。

「あれは私の力を早く理解してもらうためのデモンストレーションですよ。力を示さないと人間は信用してくれませんからね。もしこの世界を侵略しようとか考えていたら、もっと何十体もの怪獣で総攻撃していますよ、違いますかな?」

 言外に、「その気になったら何十体もの怪獣で総攻撃できる」と言っているに等しいグラシエの返答を押し返すには、先の教皇との戦いで疲弊しているウルトラマンたちには難しかった。

 グラシエの言うとおりにすれば、確かに目前の戦争は止められる。しかし、どう考えてもその後によりまずい状況がやってくるのは馬鹿でもわかる。

 やはりここは、グラシエの提案を蹴って追い返すのが最善。ダンとセリザワに我夢と藤宮はこれ以上の交渉は無用と判断し、才人の体を借りている北斗も今にも殴り掛かりそうな剣幕で、アスカは最初から不信感むき出しでいる。ずっと無言のジュリも、宇宙正義に反する交渉は認められないと最初から決めていた。ティファニアは気を失ったままでいるが、コスモスも当然同じ気持ちであろう。

 悪魔との取引には応じられない。ウルトラマンたちの決断に追い詰められたかに見えたグラシエであったが、なぜか不遜な余裕の態度は変わっていなかった。

「おやおや嫌われたものですが、私をここで帰したら後悔しますよ。皆さん、私に頼らなくても、できるだけ犠牲を少なく戦争を終わらせればいいとお考えなのでしょうが、それは甘いですよ。ねえ、お姫様」

 そううそぶいてグラシエはタバサに話をうながした。そして、悲痛な面持ちのタバサの口から話されたのは、ある意味で戦争よりもさらに恐ろしいことであったのだ。

「お願い、しばらくの間、彼の言うとおりにさせてほしい。さもないと、このままではジョゼフが降伏したとしても、ガリアで現王政府に対する大虐殺が始まってしまう」

 驚くウルトラマンたち。そして、これこそタバサがジョゼフと直接話すことで、自分の甘さを思い知ったことだった。

「ガリアはこの三年間、ジョゼフの下で統治されてきた結果、特権を享受してきたジョゼフ派と、抑圧されてきた反ジョゼフ派に二分されて憎悪が積みあがっている。もう、ジョゼフがいなくなったとしてもジョゼフ派の貴族たちは既得権益を守るために兵を動かす。そしてわたしたち反ジョゼフ派が勝利したとしても、長年抑圧されてきた反ジョゼフ派によるジョゼフ派への復讐は止められない。最悪は内戦になって、より多くの血が流れてしまう。残念だけど、わたしが女王になったとしても、それを止められる力は……ない」

 力による王座交代とはそういうことだとタバサは苦悩していた。

 かつて絶大な支持を持っていたシャルル皇太子の嫡子であるタバサに対するガリア国民の期待は大きい。しかしそれは裏を返せばジョゼフ派への復讐の旗手としての期待でもある。もしもタバサがジョゼフ派への寛容さを示せば、その求心力は大きく減退することだろうが、若輩のタバサにはそれをカバーできる統率力や政治力はない。

 また、タバサには強い後ろ盾もなかった。歴代の各国の王位継承者たちは、ブリミル教の教皇の承認というお墨付きを得ることで、王位継承への異議を持つ者は異端者であるとして教会の権威を借りることができたが、教皇は死んで教会の力は激減している。タバサは始祖ブリミルご本人からの承認を得たという錦の御旗はあるものの、肝心の異端審問で反対者を狩れるという教会の実行戦力が無ければ脅しの威力は小さい。

 戦争を最小の犠牲でとどめて勝利し、タバサが玉座についたとしても、必ずジョゼフ派だった貴族やその周りに対する弾圧や虐殺が始まる。復讐の快感と、ジョゼフ派が有していた特権や財産を奪えるという欲望が必ずそうさせる。そしてその犠牲者になるであろう者たちの中には、ドノヴァンなどのタバサと親しい者や、罪のない者たちも数多く含まれてしまう。そのことを、地球の歴史もよく知る我夢や藤宮はよく理解して、言葉をかけられずにいた。

 それを止められるとすれば、よほど求心力と統率力を兼ね備えた卓越した指導者だけだ。それが可能な人間は、死んだオルレアン公シャルル以外には存在しなかった。

 最悪の未来がもたらすであろう惨劇を人質にして、グラシエはさらに愉快そうに告げるのだった。

「だから言ったじゃないですか、私は本気でこの世界を救ってあげるつもりなのですよ。それともなんでしょう、これから死んでいくであろう数万ですか、数十万人ですか、それだけの人命を見捨てても、あなた方の信じる”正義”の重さには釣り合わないというなら私もあきらめましょう。さて、では最後にもう一度だけ確認いたしますよ。私のささやかな実験をこのハルケギニアでおこなうことを、黙認していただけますか?」

 YESかNOか? 返答を迫るグラシエに、歴戦の勇者であるはずのウルトラマンたちも即答することができず、怒りを押し殺して睨み返すことしかできなかった。

 アスカが、「この卑怯者!」と怒鳴っても、グラシエはせせら笑うだけで意にも介さない。ダンやセリザワは瞑目し、北斗は「才人君……すまない」とつぶやいた。我夢と藤宮も敗北を悟り、ジュリは泰然としているが、もう一人だけではどうしようもなかった。

 返答を迫るグラシエ。だがもはや、選択の余地は残されてはいなかったのである。

 

 

 これが、ずっと続いていた不可解な現象の真相だった。

 戦争を止めるために、ハルケギニアの人間たちの記憶からタバサとジョゼフの存在をはじめ、不都合な記憶が消し去られていた。そして不要なことを忘れさせられた人間たちは、与えられた平和を何も知らないまま今日まで享受しつづけていたということだったのだ。

 目が覚めて、すべてを思い出した才人とルイズは、目の前の青い髪の少女の名前を呼んだ。

「タバサ……」

「ルイズ……思い出したのね」

 ルイズはタバサを確信を込めた目で見つめ返した。

 ようやく思い出せた、その顔と名前。そして、なにより大切なその思い出。

 そしてそれはルイズたちだけではない。タバサの顔を見るジルの目に大粒の涙が浮かび、ジルは妹のように愛してきた少女を嗚咽しながら抱き締めた。

「シャルロット……シャルロット。無事で、無事でよかった」

「ジル、ごめん、ごめんなさい」

 タバサも、実の姉のように慕ってきたジルを苦しめ続けてきた罪悪感から、涙を流しながら詫び続けた。

 だが、感動の再会に与えられる時間は少ない。ルイズはタバサを懐かしさだけではない厳しいまなざしで見つめながらつぶやいた。

「ええ、そう……そういうことだったのね」

 北斗の見た記憶を与えられ、ルイズと才人も事の真相を知った。

 偽りの世界の中で、自分たちは何も知らずに平和に浸ってきた。記憶を消されていたとはいえ、なんて自分たちはおめでたかったのだろう。

 それでもウルトラマンたちは、それが悪魔の掌の上だとしても、無言で自分たちを守ってきてくれていたのだった。

 

 だが、すべての記憶は持ち主たちのもとに帰った。

 悪魔との本当の戦いが今こそ始まる。ルイズは、今度こそ正義の名のもとに本当の平和を取り戻そうと、グラシエを強くにらみつけるのだった。

 

 

 続く



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第36話  あの頂を目指して

 第36話

 あの頂を目指して

 

 宇宙恐竜 ハイパーゼットン 登場!

 

 

 夢は覚めた。

 平和な世界は、お膳立てされたゆりかごのまどろみでしかなかった。

 人々は思い出した。ついこのあいだに世界を二分した大戦争が起きていたことを。

 なぜこんな大切なことを忘れていたのか? 宇宙人の仕業とは知らない人々は戸惑い、世界中が混乱の巷に巻き込まれていた。

「俺はなんでこんなところにいるんだ? これからガリアに攻め込むはずじゃなかったのか?」

 あるトリステイン兵は頭を抱えてつぶやいた。今までの記憶と、急に戻ってきた過去の記憶が混在して混乱を生み、心の弱い者は心身を保てないほどにさえなっている。

 

 しかし、夢から覚めれば誰でも否応なく現実の中で生きていかねばならない。

 たとえ悪夢から覚めた現実が悪夢以上の地獄だとしても、人はゆかねばならない。本当の心地よき眠りは現実に思いきり立ち向かった者にしか訪れないのだから。

 

 誰もが記憶の混乱に苦しんでいる中でも、ゼットン軍団やスフィア再生獣からなる怪獣兵器たちの破壊は続いている。トリステインでは、その戦火を王宮から目の当たりにして、アンリエッタがマザリーニ枢機卿に命じていた。

「民を、民を守るのです! すぐに動ける兵のすべてで逃げ遅れた民を救い出しなさい」

「い、いけませんぞ女王陛下。今我々の身に起きているこの不可思議な現象は敵の策略かもしれませぬ。ここはまず何が起きたのかを確かめませんことには」

「そのようなことは後で考えなさい! 今そこで民が苦しめられているのですよ。今働けなくて、なんのために杖を預かっているのですか。ならばよろしい、わたしが騎士を率いて城下に降ります」

 アンリエッタの決意に、枢機卿は慌てて残っていた騎士団に出動するように命じた。若さゆえに猪突の癖があるアンリエッタを沈着に歯止めしてきた枢機卿であったが、いざというときの決断力ではかなわないようだ。

 民を救えという一点の命令を与えられて、混乱していた兵たちも頭を切り替えて動き出した。火中に飛び込み、混乱したまま動けなくなっていた街の人々を助け出していく。

 

 一方ガリアでも、記憶を戻されたガリア軍が怪獣兵器の群れを前にして棒立ちになるという最悪の状況に陥りかけていたが、イザベラの一括で立て直すことに成功していた。

「うろたえるな! お前たちの敵はここにいる。惑わされるな、前を見ろ! わたしはお前たちの前にいる。お前たちの目に映っているわたしが現実だ!」

 イザベラは自分の姿を誇示し、持ち直したガリア軍はアントラーをはじめとする怪獣兵器軍団への反攻を再開していった。

 必死に撃ちかけられる魔法や飛び道具が炸裂し、不完全なゾンビに過ぎない怪獣兵器が崩れ落ちてゆく。その光景に、イザベラはこの戦いの前にタバサに言われたことを思い出していた。

「シャルロット、とうとう世界にかけていた呪いを解いたんだね」

 タバサから事前に真相を聞かされていたイザベラは、こうなることをわかっていた。あの時、タバサは自分がグラシエの甘言に乗ってしまったことを悔い、その上でイザベラに混乱するであろうガリアの民をまとめる芯になってほしいと願った。

 なにを勝手な、とは思う。けれど、そうまでして会いたい父がいるということは、正直うらやましくもあった。

「父上……」

 生まれてこれまで、愛情を注がれた思い出はなくとも、イザベラにとって父はジョゼフひとりだけだった。

 ジョゼフは恐らく、すべてを清算した後には死ぬ気でいるとタバサは言った。そうなったとき、あの父は自分のことを少しでも思い出すだろうか? いや、考えるまでもない。

 それでも、それでも一度くらいは……。

 イザベラは、あの魔都と化したリュティスで、もはや生きているかもさだかではない父のことを思い呟いた。

 

 

 そして、元に戻された時間の歯車が回り始める中で、タバサはルイズたちを前にして、改めてすべての引き金を引いたことを告白していた。

 バット星人グラシエの誘いに乗って皆の記憶を消していたこと、それが今解けたこと。それを話すと、タバサはこちらの反応を待つように神妙な面持ちで立ち尽くし、そんなタバサに才人たちはなにから話しかけるべきか迷い、顔を見合わせながら短い沈黙が流れた。

 沈黙をほどなくして終わらせたのはルイズだった。ルイズはタバサの前に出て、厳しい様子で問いかけた。

「理解したわタバサ、あなたがやらせたことだったのね。死んだ自分の父を生き返らせるために」

「ええ、そう。戦争を止めるためにも、ほかに仕方がなかった。いいえ、戦争を止めるためというのは口実……わたしはただ、死んだお父さまにもう一度会いたかった。ただ、それだけのわがままだった」

「それで、なにかわたしたちに言うことは無いの?」

「……ごめんなさい」

 実際、タバサに言えることはそれしかなかった。理由はどうあれ、ルイズたちの記憶を奪い、欺き続けていたのは事実だからだ。

 タバサが神妙に謝っている姿に、才人や水精霊騎士隊の少年たちは、事情があったんだからしょうがないよと同情的に受け止めようとしていた。だが、慰めの言葉をかけようとした才人たちを止めて、ルイズはタバサにさらにこう問いかけた。

「その”ごめんなさい”は誰に向かって? わたしたち? それとも選択を誤った自分に対して?」

「え? それは……選択を誤って、みんなに迷惑をかけたこと」

 ルイズの質問の意味を図りかねたタバサは、自信なさげにそう答えた。すると、ルイズはわかったというふうにタバサの頬を思い切り平手打ちした。

 パンという乾いた音が鳴り、タバサは体をよろめかせた。そのルイズの仕打ちに、才人たちはなにをするんだと慌てたが、ルイズは毅然としたままタバサに言った。

「時間がないからそれでけじめにしてあげる。でも、なんでぶたれたかわかる? タバサ」

「ええ、わたしのしたことは、許されることじゃない」

 うなだれるタバサ。そんなタバサにシルフィードは「おねえさまは悪くないのね」と必死にかばおうとしているが、タバサはシルフィードには構わずに頭を下げ続けている。

 けれどルイズはタバサの前にかがみこみ、その目を下から真っ直ぐに見つめ、強く否定した。

「違うわ。確かに勝手に記憶を取られていたことは腹が立ったけど、それで戦争が止められたならそれは誇ってもいいことでしょう。それに、死んだ家族に会えるなんて、そんな誘惑に心が揺れない人間がいるわけないじゃないの。わたしが本当に腹が立ったのは、あなたがそんな弱気な顔で詫びになんか来たからよ」

「え……?」

 ルイズの言葉の意味が理解できないタバサ。それに才人たち。唯一、カトレアだけが静かに見守っている中で、ルイズの強い意思のこもった言葉が続く。

「間違ったことをしたら反省して謝るのは当然だわ。でも、あのときはあれが選べる最良の選択肢だったのでしょ? だったら、そんな顔で自分を否定するのはやめて。少なくともその時あなたは正しい選択をしたんだから」

「けれど、結果的にわたしはこの事態を止められなかった」

「結果がなんだっていうのよ。後知恵で後悔して、それで何か変わるっていうの? あなたも貴族でしょう。いいえ、それどころか王族に連なる者なんでしょう。重要な選択なんて、これからも何百何千とすることになるわ。それが失敗する度にそんな深刻な顔するわけ?」

「けど……」

「けどじゃないわ! 実際、あなたの選択のおかげで戦争は止まって大勢の人が助かった。わたしももしかしたら戦争で死んでたかもしれない。なのにそんな顔されたら助けられても腹が立つだけよ!」

「う、うん」

 ルイズの剣幕に、タバサは呑まれかけていた。これまでイザベラに何度脅されても眉ひとつ動かさなかったタバサが、ルイズの迫力に圧されている。

「失敗なんてこれからも山ほどあるわ。でもね、人間はその時目の前にある選択しかできないのよ。それでその時にとれる最良の選択をしたと思うなら、それを自分で誇りに思いなさい。それで成功すれば自分を誇って、失敗したら反省した上で、その時にできる限りのことをした自分を誇ればいいの。それを否定したら、その時にした苦悩や努力も無駄になっちゃう。なにより、あなたの選択で影響を受けた人に対して失礼よ」

「ルイズ……」

「貴族は平民を、王は全ての民を導く者よ。「私が悪かった、ごめんなさいごめんなさい」なんて言ってる王に誰もついてきたりしないわ。「私のミスだった。次は失敗しない」って誇りを保てる者にだけ、貴族や王としての資格があるのよ」

 ルイズの語る貴族の有り様に、タバサははっとした。

 それは、ルイズの生きざまそのものだった。何度失敗しても卑屈にならず、次の成功を確信して前向きにぶつかっていく。

 使い魔召喚の儀以前のルイズは魔法をいくらやっても成功せず、ゼロのルイズと侮蔑され、普通の人間ならとっくに折れているほどに打ちのめされても学院に登校し、魔法に挑戦することをあきらめなかった。もちろんルイズもくじけそうになるほどのつらさを味わうことはあっただろうが、ルイズは少なくとも弱みを他人に見せようとはしなかった。そんな貴族の誇りと責任感を常に抱いて生きてきたルイズから見たら、めそめそとして責任に押し潰されそうなタバサはさぞいらいらして見えたに違いない。

「ルイズ、あなたは……強いのね」

「当たり前よ。わたしを誰だと思ってるの? ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール、トリステインで王家の次に責任ある家名を背負ってるのよ。そしてあなたは、このガリアで一番尊い存在の名前を背負っているんでしょう。あなたが王になるかどうかは知らないけど、一回の失敗くらいでなよなよするような恥ずかしい真似はわたしが許さないわ!」

「ルイズ……そう、そうね。わたしには、懺悔をしているような暇なんてなかった」

 ルイズの叱咤に、タバサは胸の奥に熱いものが沸いてくるのを感じた。罪悪感にさいなまれていた弱い心がみるみる小さくなっていく。失っていた誇りが蘇ってくる。

 また、才人もそんなルイズを見て、やっぱりルイズはすごい奴だと思っていた。生意気だけど曲がったことは許せなくて、誇り高くて自分を曲げない頑固者。それでいて素直になれないけど優しくて可愛い素敵な女の子……もっともこんなめんどくさい女を好きになるのは自分くらいだろうけども。

「もう、ごめんなさいなんて言わないわよね、タバサ」

「ルイズ、ありがとう。あの怪獣を止めるために、協力してほしい」

 タバサの顔にもう影はなかった。ルイズや才人は、もちろん協力すると喜んで答え、ジョゼフはそんな若者たちを見て自嘲げに呟いていた。

「友人、友情というやつか。まったく、俺たちにも一人くらいそんな奴がいればなあ」

 悲しく笑うジョゼフの視線の先には、シャルルを呑み込んでうごめくハイパーゼットンの姿がある。

 だがどうやるか? シャルルに呼びかけるのであれば、ハイパーゼットンの頭に近づかなければならない。正直に飛んでいけば暗黒火球で迎撃される。ならばテレポートの魔法で近づくか? それが確実かと話がまとまりかけた時、グラシエが横から口をはさんできた。

「ああ、テレポートとやらで近づくのはやめたほうがいいですよ。ハイパーゼットンの周りは強烈なエネルギーのせいで空間が歪んでいますからね。下手をすれば一生亜空間の迷子になるかもしれませんよ」

 呪文を唱えかけていたルイズはびくりと体を凍らせた。異次元巡りはルイズにとってトラウマである。いつ戻れるかもわからない異空間をさまよって、ある星では巨大な包丁に追い回され、特にゴ〇ブリみたいな宇宙人のいた星には死んでも二度と行きたくない。

 別の方法で近づきましょう! ルイズの鶴の一声で、正攻法で接近することに決まった。だが、迎撃をかいくぐって接近するためには作戦がいる。グラシエに立ち聞きされているのが気になるが、グラシエは心配無用というふうに笑った。

「ご心配なく、私は邪魔しませんよ。私を殺しても、もはやハイパーゼットンも怪獣兵器も止まりませんからあなた方と私は戦う意味はありませんし、私はよい観察結果が見れれば満足ですからね。むしろあなたがたにどんどんがんばってもらいたいところですよ、ええ」

 相変わらず一言一言がしゃくにさわる。しかし構っている暇はない。が、もっとしゃくにさわることにジョゼフが仕切ってきた。

「あれの近くまで行ければ俺のエクスプロージョンで風穴を開けて、奴の中にいるシャルルのところまで行ける。だが俺の精神力も残り少ないのでな、俺を楽に運ぶ方法を考えろ小僧ども」

「こ、のっ! 誰のせいだと思って」

 才人や水精霊騎士隊の少年たちはぶっ飛ばしたい気持ちでいっぱいになったものの、ルイズとタバサにたしなめられて必死に我慢した。このおっさん、必ず後でぶっ飛ばす。もっとも、最初から生き残るつもりのないジョゼフを相手にしては無為な目標ではあったが。

 だがルイズはジョゼフに「まさか虚無の担い手の一人が本当にジョゼフ王本人だったなんてね」と、うんざりしたようにぼやいた。それを聞いたジョゼフは「なんだ、信じてなかったのか」と呆れたように返した。以前、教皇が自分を利用しようとしたときに打った芝居で、ジョゼフこそが虚無の担い手でありガリアの救世主だと大々的に宣伝していたはずだろう。が、ルイズはつまらなさそうな表情のまま答えた。

「直接見たわけじゃないから半信半疑だったわ。けど、前の教皇との戦いの時もほかの虚無の担い手は助けに現れなかったし、それならきっと敵だろうくらいは思ってた。それでも、王様本人だとはまさかだったけれどね。担い手をタバサみたいに手下にしてるって考えるほうが自然じゃない」

「ははは、お前は小僧どもよりは頭がいいようだな。だが安心しろ、俺がいなくなれば虚無の力は他の誰かに宿るはずだ。それが誰かはわからんが、まあ俺よりはまともなやつだろう」

 ジョゼフは虚無の力にまったく未練など無い風につぶやき、ルイズもそれには少し共感した。この力を授かったことを誇りには思うけれども、決して望んで得た力ではない。むしろ、与えられたことの引き換えに押しつけられた重い宿命を考えれば、自分のようなほうが異常なのかもと、あのタバサでさえ責任に負けそうになった姿を見たルイズは少し思った。

 ただしルイズにジョゼフに同情するつもりはない。これまでにもさんざん自分たちに悪辣な策略を仕掛けてきた張本人なのだ。今は仕方がないからハイパーゼットンを倒すための道具として利用してやるが、生きていたら必ず裁きの場へ引きづりだすつもりでいる。

「簡単には死なさないけど勘違いしないでね。なあなあですませたら、あなたに拐われたことのあるティファニアを始め、苦しめられた大勢への申し訳が立たないんだからね」

「ああ、覚悟しておこう。だが無駄話はそろそろ終わりにしろ。シャルルがあれと完全に同化されてしまったらもはや打てる手はないぞ」

 スペクターとの戦いで消耗しているジョゼフやタバサの魔法には頼れない。となれば二人を乗せてハイパーゼットンへ向かうシルフィードの安全を確保するのはルイズたちの肩に委ねられることになる。

 方法は? ハイパーゼットンに対抗できる可能性のあるのはルイズの虚無しかない。ルイズは一度深呼吸して気持ちを整えると、待ちわびている才人やタバサたちに考えを披露した。

「タバサたちはシルフィードで可能な限りあれに近づいて。それから先はわたしがなんとかするから」

「なんとか? 具体的に言ってほしい」

「詳しくは説明できないわ。でもタバサ、あなたは知っているはずよ。虚無の魔法の本当の力がどんなものなのか」

 ルイズの言うことを、タバサは最初どういう意味かわからなかった。虚無の魔法の本当の力? だがその言葉の意味に気づいたとき、戦慄してルイズに問い返した。

「ルイズ、まさかあれを!?」

「そうよ、もうあれしかないわ。できれば使いたくはなかったけど、でもあれなら確実に通用するはず。それでも倒すのは無理だと思うから、動きを止めたところに突入しなさい。たぶんそれでわたしの精神力はカラになると思うから」

 タバサはうんと答えることができなかった。ルイズのしようとしていることは、恐らくあの巨大な怪物に有効なたった一つの手だろうが、同時に結果がどうなるかまったく未知数な危険な方法だ。

 しかし代案はタバサにもない。タバサは無言でうなづくと、ジョゼフをうながしてシルフィードの背に乗った。ジョゼフはいぶかしげに見つめてくるが、すでにこちらに運命をベットするのは決めているというふうに口出ししてくる気配はない。

 そしてタバサは最後に悠然と見下ろしてきているグラシエを睨みあげた。

「フフフ、心配しなくても私は見てるだけですよ。約束ですからね、手出しはしませんとも」

 すべての種を蒔いておいて高見の見物。だが責任の半分はこちらにある。人を憎む前に、まず自分の責任をとらなければならないと、タバサは自分に言い聞かせた。

 目標はハイパーゼットンの頭部。シルフィードの素早さなら、遠くからの攻撃はかわせる。近づいてからは……ルイズを信じるのみとタバサは決断してシルフィードを飛び立たせた。

 風が舞い、蒼い妖精が空に舞い上がっていく。その背をジルは見送り、感慨深げに瞳をうるわせていた。

「帰ってきたと思ったら、またすぐに出かけていくのか。お前はあっという間に、あたしの助けなんかいらないくらい強くなっていたんだな」

 血のつながらない妹のように感じていたが、いつの間にか自分の手じゃ抱えられないほど大きくなっていた。がんばりなよシャルロット、たぶんこの戦いでお前の長年の因縁には片が付く。そうして、本当の意味で自由になったお前の姿を見せてくれ。

 タバサの越えなければならない最後の壁は大きい。しかし、タバサはまだ自分でも気づいていないが、雄大な愛が彼女を包んで守っている。

 あとはタバサ自身がそれに気づいて応えるだけだ。命令してもいないのにここまでやってきてくれたシルフィードに、タバサは心からの謝意を込めて言った。

「シルフィード、ありがとう。私のわがままのために」

「きゅいい、お礼なんておねえさまらしくないのね。シルフィはただ、おねえさまに喜んでほしいだけなのね。ねえ、おねえさま? シルフィはおねえさまの使い魔、でもそれだけで頭を下げるほど風韻竜の誇りは安くないの。覚えてる? シルフィと初めて会ったときのこと」

「ええ、よく」

「そうなのね。おねえさまは強くてかっこよくて、シルフィはこの人となら見たことない空を飛べると、どんな空でも飛ばせてあげたいと思ったの。さっきあのちびっこも言ってたのね、おねえさまはもっと胸を張っていいのね。だから命令して、シルフィは必ずそれに応えてみせるのね」

「シルフィード、あなたも本当に強くなったのね。わかった……あなたの主人として命じる。風より速く飛んで、あの怪物に肉薄して」

「おやすいごようなのね!」

 勇躍し、シルフィードは翼を羽ばたかせた。もう、残っていた傷の痛みなど消え去った。タバサが前のように背中に乗っているという実感が、何よりの幸せとなって胸の奥から沸き上がってくる。

 だが飛翔したシルフィードに向かって、ハイパーゼットンの触手が伸びてくる。暗黒火球で撃ち落とそうとしてくる触手の攻撃に、シルフィードは翼を力強く広げて吠えた。

「どこからでもかかってこいなのねーっ!」

 シルフィードの目が暗黒火球を睨み、翼が無意識に最適な回避ができるように動く。

 今のシルフィードはもうただの幼竜ではない。どんな老大竜も経験したことのないような戦いを潜り抜けてきた経験が自然に体を動かし、さらにタバサがいっしょにいるという心強さが巨大な死の化身を前にしても無限の勇気を与えてくれる。

 もう怖いものなどなにもない。おねえさまが行きたいところがあるのなら、シルフィがどこへでも連れて行く。

 

 そして、タバサたちが無事ハイパーゼットンにたどり着けるかどうかを背負ったルイズたちの戦いも始まろうとしていた。

「いい? これからわたしが呪文の詠唱を終えるまで、誰もわたしに近づかせないで」

「ちょ、ちょっと待てよルイズ。いったい何を始めるつもりなんだ?」

 才人や水精霊騎士隊の少年たちにはわからなかった。ルイズはときおり前触れなく大変なことを言い出すが、今回は特にわからない。

「説明してる時間はないのよ。サイト、あなたも知ってるはずよ。あの魔法を使うわ」

「あの魔法って、お前にエクスプロージョン以外にそんなもん……おい!? まさかブリミルさんが使いかけたあれか!」

「そうよ。『生命』の虚無魔法よ」

 ルイズの言葉に才人は愕然とした。その魔法は、たった今思い出した記憶にある。ロマリア戦後にブリミルが見せてくれた過去のビジョンでブリミルが使いかけた最後にして最大の虚無魔法。

 そのときに見た光景では、街ひとつを一瞬で消滅させ、そのまま膨張し続ければ星全体の生命を飲み込んでいたとされる、まさに禁断の超魔法。

「バカかルイズ! あんなもんを使えばこの街も、いやお前だってどうなるか」

「わたしだって危険なのはわかってるわ。でも、他にあれに通用しそうな手はないのよ!」

 ルイズの決意は固かった。才人は反論できず、それでもルイズがあまりに危険だと止めようとしたが、ルイズは心配しないでと才人をなだめて言った。

「たぶん始祖ブリミルが使ったようなことは起きないわ。わたしの精神力の残りはたかが知れてるし、きっと不完全な発動で終わるはず。それでもどうなるかわからないから危険な賭けだけど、やる価値はあるはず」

「ルイズ……わかったぜ。お前がそこまで考えて決めたことなら、おれはもう止めねえ。そこまで言ったからには絶対に成功、いや失敗すりゃいいのか? ともかく魔法に食われてミイラになるなんてことするなよ」

「わたしを誰だと思ってるの? あんたこそ、ちゃんと仕事はあるんだからね。わたしが詠唱を終えるまでの間、わたしをああいうのから守ってもらうんだからね」

 ルイズが指さした先を見て才人ははっとした。ゼットンがヒカリとの戦闘で押されながらもこちらにゼットンナパームの照準を向けてきている。発射されたロケット弾から才人はルイズをかばい、煙でむせながら毒を吐いた。

「ちくしょう、あのぶよぶよゼットン野郎。まだやられてなかったのかよ」

 こっちに夢中ですっかり忘れていたが、ウルトラマンヒカリならとっくに倒していたと思っていた。実際このゼットンは見掛け倒しもはなはだしく、ウルトラマンジャックとの戦いではバット星人が横槍を入れなかったらジャックに劣勢であった。

 原因はあれだ。ヒカリとゼットンとの間に巨大な花を体につけた怪獣が立ちふさがって邪魔をしている。才人はその怪獣を見て、一目で名前を口走らせた。

「アストロモンス!?」

 それはかつて宮殿に現れてティガと戦ったアストロモンスが怪獣兵器として再生した姿であった。

 むろん、怪獣兵器としては不完全な再生ゆえに、目に光はなく動きはゾンビのように緩慢だ。だが怪獣はその巨体がそこにいるだけでも脅威であり、ヒカリはナイトビームブレードを伸ばしてアストロモンスへ袈裟懸けに斬りかかった。

「テヤアッ!」

 一瞬の出来事。アストロモンスはヒカリの剣の前に一瞬で両断され、もろくも崩れ落ちていく。

 やったぜ! 才人はヒカリのあざやかさに手を叩いて喜んだ。だが、再びゼットンに挑みかかっていくヒカリは、喜ぶのは早いと才人に向けて警告する。

『まずいぞ。街の中を見ろ、怪獣兵器どもが街中にまで現れ始めている』

「えっ!」

 才人たちはまさかと思ったが、ヒカリの言ったことは本当だった。怪獣兵器たちが、まだ数は少ないもののリュティスの街中にまで入り込んできてさ迷い歩いている。

「これじゃあハイパーゼットンの前に、世界中がゾンビ怪獣に埋め尽くされちまう」

 怪獣兵器は弱いが本物のゾンビのように湧き出してくる。このままではジリ貧だ、早く元凶のハイパーゼットンを倒さなければならない。

 ルイズは才人にうなづき、水精霊騎士隊にも向けて要請した。

「みんな、今からわたしがあいつに大きなのをぶつけるから、呪文を唱え終わるまでわたしを守って!」

「えっ、ええっ!?」

 生命の魔法を知らない少年たちは困惑した。ルイズがあの見上げるようなハイパーゼットンに効くような魔法を使えるとは思えず、おかしくなってしまったのかとさえ思っている。

 そんな中で、一人カトレアだけは何も言わずにじっとルイズを見つめてきていた。ルイズはカトレアに向き合い、母カリーヌと同じ目で自分を試すかのように見ている姉に決意を告げた。

「お姉さま、うまく説明はできませんが、わたしはこれからハルケギニアのために命をかけます。どうか、見届けてください」

「ルイズ、あなたが貴族として責務を果たそうとしていることを私は誇りに思います。きっと 、お母様もそうおっしゃるでしょう。でもねルイズ、命をかけることと命を捨てることは違うことを決して忘れてはなりませんよ。がんばりなさい」

「はい!」

 最後に愛情に満ちた言葉を贈ってくれたカトレアの笑顔を見て、ルイズは胸の奥から力が湧いてくるのを感じた。

 才人からもらえる力とはまた違った力。尊敬する姉にいいところを見せたい。いや、ずっとかわいがってくれた姉に、自分が成長したことを見せて喜ばせてあげたいという家族愛から来る思い。虚無魔法の強化のために必要な力とは違うかもしれないが、カトレアはさらに一言ルイズに付け加えた。

「でもルイズ、かっこいいところを見せるなら、私よりも未来の旦那様に見てもらえるようにがんばりなさい、ね」

「へっ、だんなさまって……へええぇぇっ!」

 その瞬間、ルイズの顔面は沸騰した。

「そ、そんなちぃねえさまねわたしとこいつはべつにそんなんじゃ!」

 才人のほうをちらちらと見て反論しているが舌がもつれて説得力はない。そんなルイズに、カトレアをはじめ水精霊騎士隊の面々も「なにをいまさら」な顔をしているが、そんなルイズに才人は叫んだ。

「おいルイズ! なにやってんだよ、早くしないとタバサたち行っちまうぞ」

「ああ、あんた! ここ、これは大事な……ああわかったわよ、やるわよ! やればいいんでしょ! あんたたちもちゃんと働かないとぶっ飛ばすからね!」

 八つ当たりで才人を爆発で吹っ飛ばしながらルイズは怒鳴った。その剣幕に、水精霊騎士隊の少年たちもとばっちりを受けてはたまらないと、ルイズを囲んで杖を抜いた。

「いくわよ。始祖ブリミル……どうか力をお貸しください。虚無の魔法の終点、『生命!』」

 ルイズは杖を掲げ、呪文を唱え始めた。呪文の全文は知らないけれど、始祖の血に刻まれた記憶がそうさせるのか、ルイズの口からは流れるように呪文が紡ぎだされていく。

 才人は爆発から立ち上がり、一心に呪文を唱えるルイズを見つめた。

「ルイズ、がんばれよ」

 本来、これほどの魔法を個人で使えるのはブリミル一人のはずだ。それをルイズだけでやるのはあまりに荷が重く、そして危険である。それでも、ルイズが決めたことならおれはそれを信じると才人は思った。どんなに強引でも、今のルイズは自分の名誉のことしか頭になかった頃とは違う。

「さあ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれ」

 デルフリンガーを構えて、才人は不敵に笑って見せた。虚無の担い手が呪文を唱える時に主を守るのがガンダールヴの役割。だが、おれはルイズを守りたいから守るだけだ。

 だが、盛り上がる才人の頭を冷やすようにデルフが言った。

「おい相棒。張り切ってるのはいいけどよ、ちゃんと前を見ないと危ねえぜ」

「え? どわぁぁぁ!」

 なんとどれかの怪獣に蹴り飛ばされてきたのか、大岩ほどの巨大な瓦礫がこちらに向かって飛んできていたのだ。

 デルフで弾くか? いやさすがにでかすぎて無理だろ。焦った才人はパニックになって体を動かせずにいたが、そこへ大きなゴーレムの手が割り込んできて瓦礫を弾き飛ばしてしまった。

「ナイトさん、張り切るのはけっこうですけれど、もう少ししっかりしてくださいね。わたしはルイズを守ってくれるのであれば多くは求めませんが、あまりふがいないとルイズのために少しはわたしも厳しくしますよ」

 杖を振ってゴーレムを操るカトレアからの言葉に、才人は以前にヴァリエール領に行ったときに手荒い試験を受けさせられたことを思い出した。

 背筋がぞっとして、才人はテンション上がっていた自分の気を引き締め直した。

「こりゃ、マジでやらないと死ぬ。つか殺される」

 ヴァリエールの基準の”少し”が言葉の通りではないことを才人は知っていた。カトレアさんは優しい人だけど、それは甘やかしてくれるという意味ではないのだ。

 才人はデルフを握りしめ直し、ちらりと振り返って呪文を唱えているルイズを見た。ルイズは初めて使う最高位の虚無魔法のために一心不乱に詠唱を続けており、まったくの無防備な状態である。

 けれど、ルイズの懸命な姿を見た才人の心には熱く燃えるものが再び沸き上がってきていた。才人の中にある「好き」の半分はルイズの道を切り開きたいという思い。それが才人がガンダールヴに選ばれた理由だったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 たとえ河原でたまたま拾われた1個の石ころが自分だったとしても、ここにこうして立っているのは自分の意思でだ。まだこれが恋なのか愛なのかはわからないけれど、この胸のドキドキだけは嘘であるわけがない。あってなるものか。

「ルイズ、お前がどんなに無茶を考えても、おれはお前の全部を認めてやる。だから安心してなんでもしやがれ。おれがルイズの最終防衛線、こっから先は誰も一歩も通さねえ!」

 才人は吠えた。水精霊騎士隊の皆には、危なくなったら逃げる権利がある。しかし、自分はたとえ怪獣が来ても、踏みつぶされる瞬間までここにいる。それがおれだけの義務であって権利だ。

 だが才人はルイズを見て心が高ぶるのと同時に、もうひとつ自分の中から呼びかけてくる強いものの存在に気づいていた。自分の心をドキドキさせてくる、もう半分の「好き」。今こうしている間にも、それが「忘れないで」と儚げな声で願ってくるのが胸に響くたびに、また別の熱い思いがこみあげてくる。

 絶対に忘れたりなんかしない。忘れたくなんか無いけれど、近い未来にこの二つの思いに決着をつけなければならない時が来ると、才人は気づいていた。

 その答えだけは運命なんか関係なく、自分の気持ちで必ず……。

 

 空の上ではシルフィードが攻撃をかわしながらハイパーゼットンへと向かい、地上ではウルトラマンヒカリが怪獣兵器に手を焼きながらもゼットンを追い詰めている。

 だがまだゼットンは三体も残り、ウルトラマンたちの数を上回っている。

 激闘が続く魔法学院でのバルタン星人との戦いも、まだこれからどう転ぶか予断を許さない。

 その全ての元凶であるグラシエは、ハイパーゼットンの頭上で世界中を俯瞰しながら悦に入っている。

「にぎやかでたいへんけっこうですねえ。この日のために地道に努力してきて本当によかったですよ。おかげで、ハイパーゼットンの研究をしている彼にもいいデータを送れそうです」

 普通、これだけの実験を宇宙警備隊に邪魔されずにおこなうのは非常に難しいはずだ。しかし、別宇宙でこれらを行うことによって実験は最終段階まで妨害されることなく到達することができた。

 ことによってはハイパーゼットンのデータよりも、この結果のほうが貴重かもしれないとグラシエは思った。考えれば簡単なことだが、ウルトラマンのいない宇宙でならウルトラマンに邪魔されることはない。この経験則はこれからのバット星人がハイパーゼットンの研究を進めるうえで大いに役立つことだろう。

 けれど、まだ足りないとグラシエは考える。

「せっかくここまで来たんです。これまでは妨害されたくありませんでしたが、実戦データをとるにはこの程度ではなく、もっともっと激しく最大限に抵抗してもらわないと意味がありません。ウルトラマンさんたちが”最大限”に戦ってもらえるために、最後のあれの封印を解く時も近そうです。それでこの世界がどうなろうと知ったことではありませんからねえ……我々バット星人が味わわされた”あの時”の屈辱、その恨みをこの機会に晴らさせていただこうじゃありませんか」

 グラシエは空を仰ぎながら、ご満悦気に肩を揺らしていた。

 空には太陽が輝き、夜であればそこに月が輝いているであろう当たり前の光景が広がり続けている。

 

 

 続く



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第37話  友達だからここに来た 

 第37話

 友達だからここに来た 

 

 宇宙恐竜 ゼットン

 宇宙恐竜 EXゼットン

 宇宙忍者 バルタン星人

 超古代怪獣 ゴルザ

 超古代竜 メルバ

 宇宙ロボット キングジョー 登場!

 

 

「お前も不器用な娘だな、シャルロット。やりようによっては俺もシャルルも排除して、お前がガリアの女王の座に収まることも不可能ではなかろうに、情を捨てきれずにこんなところにいるとは。ガリア古来の王のなり損ないどもが墓の下で憤慨しているぞ」

「王冠はしょせん道具。そんなこともわからなかった人たちの祝福なんてほしくない。王冠は、王冠よりも素晴らしいものを知っている人が、それを守るために被るべきもの。でも、わたしにとって大切なものを守るための方法は、王になることではなかった」

 寒風が身を切る。しかし、はるかに熱い暗黒の炎がかすめていく死の空をシルフィードは飛び、その背で揺られながらジョゼフとタバサははるかに見えるハイパーゼットンの頂を目指している。

 あそこにいるのはジョゼフの弟、そしてタバサの父のシャルル。王になるという執念を利用され、いまやハイパーゼットンの核にされてしまった哀れな道化。

 だが、そうなってしまったのはシャルルだけのせいではない。ジョゼフとタバサは残されたわずかな時間をシルフィードの背で語り合いながら、あそこでシャルルとともに待っているはずの、自分たちガリア王家が煮詰めてきた負の歴史に思いをはせた。

「思えば、我らガリア王家はまさに王族らしい王族だったわけだ。シャルルはそんな腐ったドブの中に生まれた清流のはずだったのになあ」

 ジョゼフとシャルル。中心になったのはこの二人でも、兄弟の間を取り持つことをしなかった前王、忠誠という盲目を言い訳にして権力争いの旗手としてしか二人を見ていなかった貴族たち。それら一つずつは小さくても、長年積み重なった結果ガリア王家は歪みに歪み、いまや自らの手でガリアを滅ぼさんとするほどにまでなってしまった。

 当時まだ幼かったタバサにはとがはない。けれど、自分にもその危険な因子の一端があったことは自覚していた。

「わたしも以前は自分のことだけを考えて生きていた。そのまま宮廷に上がっていたら、わたしもどう歪んでいたかわからない」

 イザベラも幼い頃は優しかった。王宮というところはどんな善良な人間でも黒く染めてしまう魔窟だ。

 だがそれらの実体は、ガリア王政府が長年かけて溜め込んできた濁った空気である。大国であるから大きな危機がないことが続いたため、いつの間にか権威主義と利己主義が加速し、外面を塗り固めるのが何より重要だと誰もが思い込んでしまっていた。相手の内面を深く見ようとしなかったというその点では、シャルルに妄信に近い忠誠を持っていた騎士カステルモールを始めとする忠臣たちや、ジョゼフもシャルルもそしてタバサも同類だ。

 そんな因習を、今度こそ完全に断ち切らなければならない。今度こそ絶対に。

 

 しかし目の前の壁は厚い。今でこそシルフィードはハイパーゼットンの攻撃を避けられているが、近づくほどそれは困難になる。

 そのために、今ルイズがなんらかの魔法を唱えてくれている。タバサはその魔法が発動したら恐らくハイパーゼットンにも大きなダメージを与えられるものと期待していた。

 だが虚無の魔法の発動には時間がかかる。そしてその間にも状況は変動を続け、予断を許さない。

 

「シェヤッ!」

 ウルトラマンヒカリの鋭いキックがゼットンの角をかすめて火花をあげた。

 グラシエの集めた四つの感情のうち、喜びの感情から生まれたこのゼットンは二代目ゼットンに似て、パワーとタフネスはあるが動きが乱雑で隙が多い。切れ味鋭いスピード戦術を得意とするヒカリにかかれば、攻撃を当てることは造作もないことだ。

 だが、有利に戦いを進められていると見られていたヒカリとゼットンの戦いは、時が経つにつれてそんな簡単にいくものではないということが思いしらされてきた。

〔こいつ、これでもまだ弱る兆しがないのか!〕

 ゼットンには攻撃が通る。手ごたえもある。だがそれでもまともに弱った様子を見せないしぶとさは驚異的だ。伊達に、かつての個体がバット星人が倒された後もジャックと戦い続けただけはある。

 むろん、不死身というわけでは決してないはずだ。スペシウム光線が当たれば爆散したように、耐久力を上回る打撃を与えれば倒せる。

 だが、それとて口で言うほど簡単ではない。知られたとおり、ゼットンにうかつな光線技は厳禁。ジャックは使わせずに倒したが、このゼットンにもバリヤーはあるはずだ。焦って光線を撃てば初代ウルトラマンの轍を踏むことになる。

 それでも、ヒカリにとってそこまで苦戦する相手というほどでもない。それなのに時間をかけられているのは、ゼットンのしぶとさだけが原因ではなかった。

〔くっ、また増えたか!〕

 リュティスの街中から突如吹き出す土煙。ハイパーゼットン、さらにゼットンから溢れる膨大なエネルギーを使ってスフィアと融合した再生怪獣が続々と現れては襲いかかってくるのだ。

 ゼットンに攻撃をかけようとするヒカリを遮るように、地中からスフィアに寄生されたゴルザとメルバがゾンビのようにはい出してくる。

「怪獣兵器ゴルザ」「怪獣兵器メルバ」

 咆哮をあげ、たくましい巨躯を震わせるゴルザ。鋭くいななき、翼を広げてくちばしを突き出すメルバ。どちらもかつてこのガリアで倒された怪獣だが、スフィアによって再生を果たした。

 だが未完成の怪獣兵器である両者は欠損部分をスフィアによって補っているものの、目に光はなく体はつぎはぎのようにボロボロで、まさにゾンビそのものだ。その異様な姿を見たヒカリは、ナイトビームブレードを構えながら苦々しく呟いた。

〔こんな形で命をもてあそぶ。どんな優れた技術があろうと、これは許されることではない〕

 ヒカリは、かつてバット星人に命を固形化する技術を渡さなくて本当によかったと思った。命の尊厳に対する敬意のない者が、命に手を出した時のおぞましさ。それは言葉で表せるようなものではない。

〔今、もう一度眠らせてやる〕

 意を決し、ゼットンをかばうように立つゴルザとメルバにヒカリは挑む。こんな利用のされ方は、きっと彼らも望んではいない。

「シュワッ!」

 ジャンプし、一文字にナイトビームブレードをゴルザの脳天めがけて叩きつける。だが両断はできずに火花があがり、ゴルザはよろめきながら後退した。

 そこを狙って槍のようなくちばしを突き出してくるのはメルバだ。ヒカリの背中を田楽刺しにしようと迫るがそうはさせず、ヒカリは体をひねって回し蹴りで弾き返した。

「シャッ!」

 頭を蹴り飛ばされ、メルバの首があさっての方向を向く。しかし痛覚のないゾンビのメルバはそのまま鋭い鎌になっている腕を振り上げてくる。

〔生き物だったらあり得ない動き。だがそうはさせん!〕

 ヒカリはナイトビームブレードを振り抜き、回転斬りの要領でメルバの攻撃を弾いた。その程度ではヒカリの首は取れはしない。

 だが、ヒカリはこの二体はほかの怪獣兵器ほどもろくはないと認識した。

〔個体差か、それともスフィアとなじみがよかったのか、いずれにしても難敵だ〕

 このゴルザとメルバは生前ほどではないが強い。さらに後方のゼットンも火球攻撃を仕掛けてくる。手強い相手だ。

 まさか、このゼットンや怪獣兵器は戦いながら進化しているのか? ヒカリの胸中にぞっとする予感が走る。いや、今は仮説に不安になっている時ではない。

〔私はあのときゾフィーと勇者の鎧に誓ったのだ。どんな敵にも決してあきらめはしないと! ここは私がなんとしても切り開く。各地の仲間たちよ、君たちもがんばってくれ〕

 ヒカリは戦う。ゴルザの超音波光線をかわし、メルバの翼を剣の一閃で切り裂いてゼットンに肉薄する。

 

 だが、ヒカリの懸念は不幸にも当たってしまっていた。各地に散ったゼットンは短時間でその戦力を増して、猛威を振るい始めていた。

 ここにいるゼットンが証明したように、どんな姿に変わってもゼットンは「最強の怪獣」の称号を冠される強力無比な怪獣。並の怪獣とは違う。

 そんな恐るべき黒い軍勢に対抗できる力がまだこの世界には残っているのか? この世界の生き抜くための生命力が試されようとしている。

「ウワァッ!」

「ヌァッ!」

 ウルトラマンガイアとウルトラマンアグルが撥ね飛ばされて倒れた。山岳地帯からほど近いド・オルニエール地方に巨大なエネルギーを持った怪獣が現れたことを察知した我夢と藤宮は、まだエネルギーが消耗したままの状態ながらも急行し、そこで暴れていたゼットンと対峙したのだが、ここのゼットンの強さは二人の予想を超えていた。

〔なんだこの怪獣は? 体格からはまるで信じられない身軽さじゃないか〕

 最初、ガイアとアグルは自分たちが消耗しているとはいっても、二対一なら十分に戦えると踏んでいた。しかし、その予測が覆されるのは一瞬だった。

 ここに現れたゼットンは、もっともゼットンの姿からはかけ離れている。スマートであった初代ゼットンと比べて熊のように太く屈強な体を持ち、ゼットンの面影は頭部の角と黄色い発光体くらいだ。

 これは、ガイアたちは知らないことではあったが、後の時代にEXゼットンと呼ばれることになる強化型ゼットンの一種である。初代ゼットンと比べて体格が一回り大きくなったものの、敏捷な格闘能力も備わっている純粋なパワーアップ形態である。

 EXゼットンは、ゼットン特有の声を漏らしながら二人のウルトラマンを悠々とパワーで圧倒し、叩きのめして見下ろしている。こいつは強い! ガイアとアグルは、バルタン星人との戦いで消耗した分を差し引いても、このゼットンが強敵であることを認めた。

〔どうする我夢? もう俺たちのエネルギーはほんのわずかだ。利用できるものもここにはないぞ〕

〔この世界の人たちの記憶も戻ったようだね。あいつ、とうとう僕らを懐柔するのをやめて実力行使に出たわけか〕

 二人もグラシエとの偽りの平和の期間が終わったことを悟った。こうなった以上、グラシエとは敵同士でしかない。

 EXゼットンは二人にとどめを刺すべく接近してくる。あの太い腕でこれ以上殴られたらひとたまりもないだろう。

〔僕たちは、奴が育てた怪獣の実験台といったところだろうね。でも、そう簡単にモルモットになってやるものか〕

〔なにか考えがあるのか?〕

 二人の胸のライフゲージの点滅は限界に近い。変身を維持することもできなくなるのはすぐだ。

 だが、我夢はあきらめてはいなかった。この星は地球ではないけれど、同じように命が息づく緑の星だ。宇宙は、生命はつながっている。すべてを守るのは無理でも、この星の生命を守ることは地球を守ることにもつながる。身勝手な理由の実験で壊されるなんて、絶対に許せない。

 むろん、精神論や根性論ではない。もちろん信念や根性も大事だが、それは自分たちよりもっと別のウルトラマン向けの言葉だ……我夢は藤宮からの問いに答えられるだけの名案は無かったけれど、代わりに信じられる友の名前は知っていた。

〔僕たちにはまだ、頼りになる仲間がいるだろう〕

 ガイアがそう告げた瞬間だった。二人にとどめを刺そうとしたEXゼットンに天空から銀の光が突き刺さり、EXゼットンは不意を打たれて爆発とともに吹き飛ばされた。

 あの光線は! それとは対照的にガイアとアグルを照らす力強い輝き。そして、二人の間に新たな銀色の巨人が降り立った。

〔よっ、待たせたな。お前たち〕

 陽気に決めたウルトラマンダイナのサムズアップが陽の光に輝き、その光を浴びてガイアとアグルのエネルギーも戻った。

〔君ならきっと来ると思っていたよ。けどちょっと遅かったんじゃないかな〕

〔しょうがないだろ。俺のとこだってバルタン星人に襲われてたんだ〕

 アスカは自分のところでもあった襲撃についてさっと語った。

 魅惑の妖精亭の馬車に同乗してトリスタニアに向かっていたとき、バルタン星人の襲撃を受けた。あの通信が切れるまで馬車でなんとか逃げていたが、馬車ではとても巨大宇宙人から逃げきれるものではなく、ウルトラマンダイナに変身する以外に打つ手はないとアスカも覚悟を決めた。

 だが、リーフラッシャーを取り出そうとした時だった。バルタン星人の放ったドライクロー光線が魅惑の妖精亭の皆の乗った馬車の近くで炸裂し、馬車は横転してみんなは外に放り出されてしまった。

「きゃああっ」

「うわっ、おいみんな大丈夫か!」

 SUPER GUTS時代の訓練のおかげで受け身をとって無事だったアスカは、投げ出されたジェシカたちを気づかって叫んだ。スカロンは心配するまでもないし、ミジー星人の三人はどうでもいいが、ジェシカたちは普通の女の子だ。

「だ、大丈夫」

 幸いなことに大きなケガをした子はいないようだった。

 しかし、バルタン星人はとどめを刺そうとハサミを向けて光線を放とうと狙ってくる。その時である、変身を決意したアスカの耳に、美しい音楽が聞こえてきたのは。

「あっ、お母さんからもらったオルゴールが」

 それは少女たちのひとりが持っていたオルゴールが転がったはずみから奏で始めた音色だった。田舎から出てきて都会で一人寂しい思いをしないようにと、平民には高価な品であるオルゴールを持たせてくれた母親や村人たちの思いが込められたオルゴールの音色は優しく美しく、戦いに殺気立っていたアスカの心にも不思議な安らぎをくれた。

 けれどもバルタン星人はすぐそこにいる。アスカは今度こそ変身しようと身構えたが……そこでバルタン星人がじっと固まっていることに気がついた。

「えっ……?」

 最初はどうしたのかと思った。しかし、オルゴールから流れる音色に合わせてバルタン星人も体を揺らしているように見えて、ジェシカがはっとした。

「もしかして、音楽に聞き惚れてるの?」

 まさか? と思ったが、そうとでも思わなければ絶好のチャンスに動きを止める理由がつかない。また、それを聞いていたミジー星人のドルチェンコが、泥に突っ込んでみじめな格好になった様で物知顔に言った。

「むむ、そういえば聞いたことがあるぞ。一部の宇宙人や生物には、人間の作る音楽が特殊な作用をすることがあると」

 そう、実はそれが正解だった。この宇宙のバルタン星人は、人間の音楽が非常に心地よく感じるという、海底原人ラゴンに似た性質を持っていた。

 バルタン星人はさきほどまでの剣呑さが嘘のようにじっと音楽に聞き入っている。しかし、いくら種族として音楽への感性が高くても、元の精神が殺気立っていればその効果は薄いはずである。このバルタンが音楽に聞き入ったのは、リーダー格らとは何かが違ったゆえか? それはわからないが、バルタン星人はやがてまぶたを閉じると横になって寝息を立て始めてしまった。

「あら、眠っちゃったわ」

 カマチェンコが呆れたように言った。いくらそういう生体だとしても、命を狙いに来た敵の前で眠りこけるとはと、アスカも「のんきな奴だぜ」と呆れてしまっている。スカロンなどは、「意外と寝顔はかわわいじゃないの」なんて言う始末だ。

 だがこれで、アスカが変身する必要もなくなった。非情に徹するならば眠っているうちに倒してしまうのが一番いいのだろうが、ぐっすりいびきを立てて眠っている姿を見るとアスカにはできなかった。

「じゃ、今のうちに行っちゃいましょう」

 ジェシカがしつこい客が帰った後のようにさっくりと言った。オルゴールはゼンマイが切れて止まったが、バルタン星人はまだ熟睡している。確かに長居は無用だと、一行は横転した馬車を起こしてそそくさと立ち去ったのだった。

 これがアスカのほうで起こったことの顛末だった。その後アスカは魅惑の妖精亭の皆と別れた後に我夢たちの危機を感じ、ダイナに変身してこのド・オルニエールまで飛んできたというわけである。

〔さあて、じゃあ力を合わせて、まずはこいつを片付けようぜ〕

 ダイナは指をボキボキと鳴らしながら起き上がってきたEXゼットンを見据えた。これまで戦闘に参加していなかったのでダイナのエネルギーは十分にある。

 だが意気込むダイナに、ガイアは彼の肩を抑えながら告げた。

〔いや、アスカ。こいつは僕とアグルで倒すから、君には別にやってほしいことがある〕

〔なんだって? ……何か、まだあるってことか〕

〔僕の考えが当たってたら、これから君がどう動くかが鍵になる。恐らく……〕

 我夢の頭脳を信用して問い返したアスカに、我夢は自分の推測を説明した。

〔なるほどな。そりゃほっといたらマズいことになるってわけだ。だけど、お前たちだけで大丈夫かよ?〕

〔なんとかするさ。それよりそっちを放置しておくほうが危ない。だから頼む!〕

 我夢が答えた瞬間だった。EXゼットンが一瞬の隙を突いて攻め込んできたのだ。

 とっさに散開する三人。EXゼットンは太みの体からは信じられないような身軽さで掴みかかってくる。ダイナは防御の構えをとろうとしたが、その前にアグルがアグルセイバーを展開してEXゼットンの攻撃を受け止めながらダイナに告げた。

〔行け! この戦いは、ひとつつまずいても勝てない。そしてここで俺たちが負ければ、こいつらは次に俺たちやお前の地球を狙ってくる。今が食い止められる唯一の機会だということを忘れるな〕

〔く、わかったぜ。お前たちも、必ず勝てよ!〕

 後ろ髪を引かれる思いながらも、ダイナは苦渋を噛み締めて背を向けた。

「シュワッ!」

 ダイナは飛び立ち、追い討ちをかけようとするEXゼットンの前にガイアとアグルが立ちふさがった。

 だが、エネルギーの補充ができたとはいえ、強力なEXゼットンを相手にどこまで戦えるものか。勝利への可能性を天秤にかけて、自分たちは決死の覚悟で挑もうとするガイアとアグル。その勇姿を、ド・オルニエールの人々は必死の祈りを込めながら見守っている。

 

 

 だが、ド・オルニエールの人々はウルトラマンが助けに来てくれただけ、まだ運がよかった。なぜなら、もうこの世界にこれ以上戦えるウルトラマンはいなかったからだ。

 トリステインの首都トリスタニアに現れたゼットンは、なんの妨害を受けることもなく街を破壊し続けている。家を踏み潰し、白色火球で焼き払い、その黒い進撃の行く先の市民は逃げ惑うしかできない。

「助けてくれ! 軍隊は、軍隊はどうしたんだ」

「それより、どうして怪獣が暴れてるのにウルトラマンは来てくれないの? もう私たちは見捨てられてしまったの?」

 トリステイン軍はまだまともに戦う力はなく、ウルトラマンたちも必死に戦っているのだが、なんの力も持たない市民にそんなことを知る術はない。 

 逃げ惑う人々を、わずかばかりの衞士隊が誘導していく。日頃避難訓練を義務化していなかったら多くの犠牲が出ていてしまったろう。その光景を王宮からアンリエッタは見て、自らの無力に胸を焦がしていた。

「なにか、なにか民を救うためにできることはないのですか? もう本当に騎士も兵もいないのですか!」

 アンリエッタは血を吐くように叫んだが、トリステイン軍の余力は本当の本当に残されてはいなかった。今残っている兵はすべて出したが、その数はほんの数百。王宮を守るにはよくても、トリスタニアという街をカバーするには少なさ過ぎる。

 だがこれでも昨日まではもう少し兵の数はいたのだ。これまでの激動に振り回され続けていたトリステイン軍は兵も騎士も疲弊しきり、再編成のために所領に戻されたりしており、その空白期間の今ここに残っているのは本当に最小限の者たちでしかない。

 マザリーニ枢機卿は、今すぐに散った兵を呼び戻すにしても一日はかかるだろうと答えるしかなかった。だがそんなに待てばトリスタニアは灰燼に帰してしまう。

 一日の差。明日になれば、諸侯からの兵もようやく集まってきて、やっと軍の体裁も整うはずだったのに。最悪のタイミングでの敵襲に、マザリーニ枢機卿は、軍の再編を女王陛下にすすめた自分の判断を呪った。

 かくなる上は……痩せた老骨は、せめてトリステイン王家の血統だけは残さなければならないと悲痛な決意を固めた。

「女王陛下、今のうちに王宮から女王陛下だけでもご避難くださりませ。今ならまだ馬車を走らせることができまする」

「なにを言うのですか枢機卿! 民を置いて、真っ先に王家が敵に背を向けることなどできますか!」

「今の王宮の防備では女王陛下をお守りすることさえできません。このようなことになったのは私のせいです。自分は責任をとって王宮と運命をともにすることで民に詫びましょう。陛下の御身だけは絶対に守らねばならないのです!」

 汚名はすべて被ってトリステインのために散る覚悟の枢機卿に、アンリエッタは絶句した。

 だがそれもできない。小言がうるさい人ではあるけれど、常に常識の範囲から正論を与えてくれる彼の存在は若輩の自分にはまだ必須なのだ。

「枢機卿、頭をお上げなさい。犠牲になることはわたくしが許しません。我がトリステインはまだまだ小国、一時しのぎのために誰かを切り捨てるようなぜいたくは許されません」

「陛下、わがままを申されますな。どのみち、この老骨が役に立てる時間は長くはありません。ですが女王陛下さえ生き残っておられればトリスタニアが無くなってもトリステインは立ち直れるのです」

 枢機卿の決心は固かった。それに、アンリエッタにもそれが現状取れる最良の手段であり、王たる者は時には非情な決断をしなければならないことも承知している。

 だが、苦渋の決断をアンリエッタが下そうとしたその時だった。謁見の間の扉が勢いよく開け放たれて、メカニックなスーツを着た男女が飛び込んできたのだ。

「お待ちください女王さま!」

「あなた方は……」

 アンリエッタは彼らのことを知っていた。あのルビアナの同胞、ペダン星人の生き残りたちだ。

 先のスーパーグランドキングとの戦いでは円盤を失うことを覚悟で勝利に貢献してくれたことを認め、今は暫定的にトリステイン市民の身分を与えてある。しかし、彼らの円盤は先の戦いで機能を失い、もう戦う力は残っていないと聞いている。それがどうして、誰がここに通したと問いただそうとしたアンリエッタより速く、八重歯の少女が元気よく言った。

「女王さま! こんなこともあろうかと、アタシたちはあの戦いの後に作ってきたものがあるんス。アタシたちをこの国に住むことを許してくれた女王さまのご恩に報いるためにも、ここはアタシたちにお任せくださいっス!」

 幼い姿から溢れてくる熱意はアンリエッタにも伝わった。けれど、アンリエッタはかぶりをふって拒絶した。

「いけません! あなたたちはあの方から預かった大切な身です。それにあなた方は先日すでに我々のために十分力になってくれました。これ以上、トリステインの問題に巻き込むわけにはまいりません」

 身なりからして、彼女たちが今度は自ら戦いに赴こうとしているのは伝わってきた。本来部外者である彼らにまた頼ることもそうだが、八重歯の少女は自分よりもずっと幼く見える、そんな子供まで戦いに駆り出すのは認められなかった。

 だが、彼らをかばうように現れた烈風カリンの姿がまたもアンリエッタを驚かせた。

「カリン殿」

「女王陛下、この者たちの力と献身は信用してよいかと存じます。このところ、私なりにこの者たちを観察しておりました。短い期間の見極めでしたが、この者たちはトリステインの同胞として頼るべきだと、まだこの目は曇っていないつもりです」

「『鉄の規律』を棟とする貴女とは思えないお言葉ですわね、カリーヌ殿」

 皮肉気味にアンリエッタが告げると、カリーヌは気分を害した風もなく答えた。

「私は自分の信念に背いているつもりはありません。彼らは今では紛れもない女王陛下の臣下。それに、私ももう若くはない老いゆくのみの身です。連日の戦いでこの老体は悲鳴を上げて、若い者たちのようについていくことはできません。女王陛下のお力となれる次代の者たちを用意するのは臣下として当然の責務」

 カリーヌはあくまで事務的に答えたのみであったが、言っていることは正しかった。烈風カリンといえども一人の人間、いつまでも頼っているわけにはいかない。今は誰もが自分ができることを必死にやっている。アンリエッタは、女王である自分がすべきことは決断であると、少女の目を見て問いかけた。

「あなた、確かラピスともうしましたね。本当に、あなた方の故郷ではないこのトリステインのために命をかけてくださるのですか?」

「女王陛下、アタシたちは良かれと思って、この国に迷惑をかけちゃいました。でも、アタシたちもこの国を新しい故郷にしようと本気だったんです。アタシたちはルビアナお嬢様に比べたらずっと弱いですけど、戦えます、戦いたいんッス! 何より、お嬢様はこの世界が大好きでした。だからアタシたちも、お嬢様の愛したこの国のために働きたいんッス」

 幼い姿で必死に訴える少女の熱意に、アンリエッタは今は亡きルビアナに、死んでなお同胞をここまで動かすとはなんという人だと羨望すら覚えた。

 肉体は死しても、その意志は、魂は後継者に伝わって残り続ける。それが王として理想の姿ではあるまいか。

「わかりました、あなた方に我々の未来を託しましょう。始祖の……いいえ、あの方に代わり、あなた方の勝利を祈ります。けれど、決して死んではなりませんよ。あの方はあなたたちに死ねとは教えなかったはずです」

「はいっ! 必ず帰ってきまっス」

「本来、国と名誉のために死ぬのは自分たち貴族や王族の誇りなのですが、せめてあなたたちの生還を見届けるまで、わたくしはここを動きません。枢機卿も、それでよいですね?」

 これが最後の賭けだ。勝利か、それとも多くを失うか。アンリエッタの決断に、死を覚悟していたマザリーニ枢機卿も、御意に、と頭を垂れた。

 けれどいくら彼らがペダン星人だとしても、ゼットンを相手にどんな手段があるというのか? 彼らの宇宙船は先の戦いで無理にペダニウムランチャーを撃った反動で、使い物にならなくなっているというのに。

 いや、そのころペダン星人たちは驚天動地の一手を用意していたのだ。

 アンリエッタから許可をいただいたラピスは、そのままカリーヌの使い魔に乗せられてペダン星人の円盤の残骸へと送られた。そこでは彼女を待っていた仲間たちによって、秘密兵器が起動しようとしていた。

「復旧率50パーセント。こんな状態で動かすなんて、正気の沙汰ではないのだがな」

「大丈夫っス! あとはアタシが、なんとかしてみせるっス」

「ラピス、お嬢様が作られたこの機体は、女性のお前が一番操縦に適しているとはいえ、相手はあのゼットンだ。いざとなったら機体は捨てて逃げろ。絶対に無理はするな」

「先輩、ありがとうっス。アタシ、この戦いが終わったら先輩に言いたいことがあるから必ず帰ってくるっス。じゃあ、行ってきます!」

 その瞬間、完全に動力を失っていたはずの円盤の格納庫の扉が開き始めた。

 いったいどこからエネルギーが? いやそんなことよりも、内部から何かが轟音をあげて動き出す音が響き、金属製の足音が鳴り始めた。

 そこから現れようとしているなにものかの気配を感じて、街を破壊していたゼットンも足を止めて振り返る。

 そして、格納庫の闇の中からまず姿を見せたのは金色の機械龍の頭。かつてワイルド星人が使っていた宇宙竜ナースの姿だが、ナースが足音など立てるわけがない。しかし、続いて現れたのはキングジョーの胴体であった。なんと、ナースの体はキングジョーの右腕があるべき場所から生えていたのだ。

「やっぱりアタシたちは、こいつといっしょが一番落ち着くっス。お嬢様、見ててください。パーフェクトキングジョー(仮)出るっス!」

 右腕にナースの頭部を生やし、背中に巨大な大砲を背負った異形のキングジョーが出撃する。しかしその全身は亀裂まみれのつぎはぎだらけで、一目でまともな機体でないのは明らかだった。

 それでもキングジョーは動く。もう、この先行ける星はないペダン星人たちが新たな故郷と定めたこの星を守るために。

 

 

 そしてもう一ヶ所。

 渇望の感情から生まれ、ラグドリアン湖に現れたゼットンは身長五十メートル平均のウルトラマンの常識から考えても見上げるほどの巨躯を誇り、あらゆるものを見下ろし睥睨しながら進んでいた。

 その様は『王』という究極の高みを欲したシャルルの願望の表れか。身長九十九メートルの超巨体、だがその威容は王として国に安寧をもたらそうとしたシャルルの願いとは裏腹に、目に付くものを顔からの火球で焼き尽くし、ただ破壊の化身となって進み続けている。

 そしてゼットンの行く先にはまだ人の大勢いる町がひとつ。このままでは、ゼットンの進撃で多くの犠牲が出てしまう。その歩みに立ちふさがるのは、テンガロンハットを被った風来坊。

「行け! ミクラス、アギラ、ウインダム」

 モロボシ・ダンの誇るカプセル怪獣の総出撃だ。

 相手はゼットン、一体ずつではとても勝ち目がない。総力戦で立ち向かうカプセル怪獣たちと、ゼットンは正面からぶつかった。

 一番の力自慢のミクラスが体当たりをかける。だがゼットンは軽く腕を振るうだけでミクラスを弾き飛ばしてしまった。

「ミクラス!」

 ボールのように転がされるミクラスの様にダンが叫ぶ。そこへ、今度は身軽なウインダムとアギラが左右から吶喊するが、二匹のタックルをまともに受けてもゼットンは転倒さえせず耐えきって、二匹を掴まえて放り投げてしまう始末だ。

「むう、なんという強い怪獣だ」

 ゼットンの圧倒的なパワーに、ダンはもし自分がセブンに変身できても容易な相手ではないと、大きな脅威を感じた。

 ゼットンは、何事もなかったかのように巨体をゆっくりと前進させ続けている。

 だが、今ゼットンを食い止められるのはカプセル怪獣たちしかいない。ダンは、カプセル怪獣たちの奥の手を使うことを決めた。

「ミクラス、ウインダム! お前たちの新しい力を見せてやれ」

 その瞬間、二匹のカプセル怪獣に変化が起こった。

 ミクラスの角に電光が走り、ウインダムの左手に銃器が装備された。これは、GUYSのマケット怪獣、エレキミクラスとファイヤーウインダムの姿だ。

 実は数日前の夜、ミシェルにフェミゴンフレイムの炎が贈られたように、ダンの元へもカプセル怪獣をパワーアップさせるデータが送られていたのだった。

 しかし、パワーアップした力が使えるのは一度だけ。その一度を、ダンはゼットンを食い止めるために使うことを決意した。

「ミクラス、お前の怪力でその怪獣を抑えつけろ!」

 ダンの指示でミクラスは再度ゼットンに組み付いた。さっきまでであればゼットンのパワーで軽く振り払われるところであろうが、今度はミクラスは電撃を流してゼットンをしびれさせ、ゼットンの体が初めてぐらりと揺れた。

 ”ゼットン……” という独特の鳴き声を苦しげに漏らしながらふらつくゼットン。その隙を逃さず、ダンはさらに命じた。

「いまだ! 行け、アギラ、ウインダム!」

 アギラが身軽な身体を活かしてゼットンの頭に飛びつく。ゼットンの感覚をつかさどるゼットン角を抑え込んで動きが止まったところで、ウインダムがゼットンの背中へ向かって、装着されたファイヤーアタッチメントから火炎弾を発射して攻撃した。

 爆発がゼットン種の弱点である背中で連続して起こり、さしもの巨大ゼットンの威容も無敵ではないと証明するかのようにぐらついた。

 だが、この程度ではゼットンにまともなダメージにはとてもならない。ゼットンは顔に張り付いているアギラを引き剥がすと、もう許さないと言うように顔の発光体を輝かせて威嚇した。

「ミクラス、アギラ、ウインダム、勝負はこれからだぞ」

 ダンの激に、カプセル怪獣たちは気合いを入れ直すかのように吠えた。勝ち目があるかなんて関係ない、彼らカプセル怪獣も平和のために戦う立派なウルトラの仲間たちなのだから。

 

 各地で始まったゼットン軍団との死闘。いずれも大きく不利でありながらも、諦めるという言葉を知らず敢然と立ち向かっている。

 侵略者との戦いは、諦めない心が最初にして最後の武器。すべてはそこから始まり、そして絶望で終わらせない。

 だがそれら、各所でゼットン軍団を食い止めている彼らの善戦も、リュティスでのハイパーゼットンとの戦いに勝利できなければ水泡に帰してしまう。鍵は、タバサとジョゼフが無傷でシャルルの取り込まれているハイパーゼットンの頭部へたどり着けるか否か。

 二人を乗せたシルフィードは縦横にハイパーゼットンの触手による攻撃をかいくぐりながら接近を試みていた。成長したシルフィードはタバサが驚くほど巧みに飛べるようになっており、触手の動きに慣れたことで最初に思ったよりもハイパーゼットンに近く長く接近できるようになっていた。

 音速で飛ぶ戦闘機でさえ撃ち落とされるような暗黒火球の弾幕の中をシルフィードは自在に飛翔する。しかし、これ以上近づくのは無理だ。それに、シルフィードの体力にも限界がある。

「きゅい! 桃色の魔法はまだできあがらないのね!?」

 一秒が一時間にも感じられる中で、シルフィードにも疲れが見え始めた。ルイズも急いでいるに違いないが、初めて使う虚無の魔法の奥義、なにが起こるかわからない。ジョゼフはどうなろうとすでに運命はタバサに預けたという風に泰然としているが、預けられるほうはたまったものではない。

「あと、少しっ!」

 シルフィードを駆るタバサの額にも大粒の汗が流れている。シルフィードが回避を続けられているのは、タバサが必死に風を読んでシルフィードに指示していることも大きい。まさに人竜一体、ルイズの『生命』が発動した瞬間に突入することに精神のすべてを集中させていた。

 だが、そのわずかな余裕もないほど研ぎ澄まされ切っていた集中が仇になった。死角とはすなわちハイパーゼットンの攻撃の外側、ウルトラマンヒカリと戦っていた怪獣兵器メルバが突如攻撃の矛先をシルフィードに変えて向かってきたのだ。

「避けられない!」

 タバサは、くちばしを突き出して突撃してくるメルバに、今からどんなことをしても回避は無理だと悟った。ヒカリはゼットンとゴルザに邪魔をされて助けに来られない。

 命を顧みない怪獣兵器となったメルバは暗黒火球の巻き添えになることも構わずに特攻してくる。タバサに残された手段は、無駄だと知りつつも風の防壁を張って耐えようとすることだけだった。

 やられる! タバサは眼前に迫ったメルバに目をつぶった。だが、タバサの道が閉ざされようという時に、彼女が黙っているわけがない。

『ファイヤー・ウォール!』

 猛烈な火炎がメルバを横から飲み込む。その勢いでメルバは翼を焼かれて墜落していった。

 そして、廃墟と化した街を颯爽と馬で駆けてやってくる赤毛の影。

「さすが、ゾンビだけあってよく燃えるわねえ」

「キュルケ!」

 まさかの姿にタバサは愕然とした。そして当然、どうしてここにと問いかけようとしたが、キュルケは驚いている空のタバサを見上げて得意げに告げた。

「「どうしてここに?」なんて言わないでよね。タバサ、わたしたちは友達でしょ?」

 タバサは涙が湧き出るのをこらえられなかった。本当に、本当に、だれもかれもみんな、皆の記憶を消してまでみなのためにしようとした自分の努力をなんだと思っているのか。

 そんなタバサの顔を横目で見たシルフィードは、人間も少しうらやましいのねと胸を暖かくした。

 キュルケは馬から降りると、使い魔のフレイムに視線を下ろしながら杖を妖絶に構えた。

「さて、タバサといろいろお話したいところだけれども、まずはお邪魔虫を片付けないとね。フレイム、頼りにしてるわよ」

 タバサに手を出す奴は全部焼き尽くす。キュルケの魔力が熱を帯びて渦巻き始めた。

 

 しかし、後半戦は互いに役者が集まり、切り札を次々場に出し始めたが、まだ本番はこれからだ。

 ハイパーゼットンは絶対にこれ以上成長させない。その決意を込めて、ついにルイズは杖を天に向かって高く掲げた。

「できた。今のわたしじゃ、始祖ブリミルのそれとは似ても似つかない紛い物だけど、それにぶつけるには充分でしょ。いくわよタバサ! 虚無の魔法……『生命』」

 

 

 続く



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第38話  二匹の使い魔。意地と奇跡の大変身

 第38話

 二匹の使い魔。意地と奇跡の大変身

 

 超古代怪獣 ゴルザ

 超古代竜 メルバ

 超古代闇怪獣 ゴルバー

 宇宙恐竜 ゼットン 登場!

 

 

「いくわよタバサ! 虚無の魔法『生命』」

 ルイズの杖から光がほとばしり、膨大な白い輝きが空間を埋めていく。

 それは虚無の系統の最終魔法。完全な状態で放つことができれば、神にも悪魔にも等しい力を発揮できるとされている禁断の秘術。

 しかし、今のルイズの力量ではとても扱える魔法ではなく、かつ他の虚無の担い手や使い魔の補助もない。本来の威力には遠く及ばないものでしかない。

 でも、それでいい。ルイズが今求めているのはそんな大それた力ではない。友達の、タバサの道を切り開く、それだけの力があるものを探してたまたま当たったのがこれだったというだけだ。

 空を満たした『生命』の魔法の光、その輝きが収束してハイパーゼットンに吸い込まれていく。

「すげえ」

 ハイパーゼットンの巨体を包み込んだ魔法の光を見て、才人が驚嘆したようにつぶやく。だが、驚くのはこれからだ、その威力は!

 魔法の光がハイパーゼットンの細胞を分解していき、ハイパーゼットンが巨大な首を左右に苦しそうに振りながら咆哮をあげた。ルイズの『生命』は単なる攻撃魔法でしかなく、本来の魔法の形とは違うけれども、虚無の魔法とはこの世の全てを作る小さな粒のさらに極小の粒に影響を与える魔法、効かないわけがない。

 タバサたちを狙っていた触手にも光がまとわりついて力なく倒れていく。今なら、ハイパーゼットンは無防備だ。

「シルフィード!」

「はいなのねーっ!」

 チャンスはこの瞬間しかない。シルフィードは残った力を振り絞って一直線に飛んだ。

 『生命』の威力はものすごく、あれほど執拗に邪魔をしてきた触手は秋のヒマワリのようにしおれていた。しかし、風の中の木の葉をも見分けるシルフィードの目は、大きなダメージを受けたはずのハイパーゼットンがみるみるうちに生気を取り戻していっているのが見えてしまった。

 ぞっと背筋を凍らせるシルフィード。今のルイズの魔法は人間を下に見ているシルフィードから評価してもなかなかだったと思ったのに、敵怪獣はあっという間に治癒を始めている。なんという生命力、なんというエネルギー量、この一瞬を逃したら今度こそ近づくチャンスは永久に巡って来ないとシルフィードは力の限り飛んだ。

 目指すはハイパーゼットンの頭部、その半透明の発光体。ここまで来たらもう止まることすら不可能だ、タバサは目の前までハイパーゼットンが迫った瞬間にジョゼフを連れて飛び降りた。

 一兆度の火球を発射できるハイパーゼットンの顔がみるみる近づく。その中央へ向かって、ジョゼフは残った精神力を込めて杖を振るった。

『エクスプロージョン!』

 爆発で黄色い発光体にヒビが入り、中に入れそうな穴が開いた。そしてそのまま音速に近い勢いでハイパーゼットンの発光体に突入する。入れるか? もし失敗したら鉄板に卵をぶつけるも同然の惨事が待っているしかない。けれど、タバサは心の中で信じていた。

「お父さま……」

 どんな姿になろうとタバサにとって父に変わりはなかった。幼い日に父の腕の中に飛び込んだように亀裂の中に突入してゆき、そして受け入れられるかのようにタバサとジョゼフはハイパーゼットンの中へと吸い込まれていった。

 しかし。

「きゅいーっ!?」

「シルフィード!」

「どうやら入場資格があるのは俺たちだけのようだな」

 タバサは最後の瞬間に、シルフィードだけが跳ね返されるのを見た。だがもはやどうしようもない。タバサにできることは、このままハイパーゼットンの深部へ向かいながらシルフィードの無事を祈ることだけだった。

 シルフィードはハイパーゼットンが拒絶するように張った一種のバリアーによって大きく跳ね飛ばされ、きりもみしながら墜落していっていた。

「きゅわーっ!」

 いくらシルフィードでも猛スピードできりもみして感覚を完全に失った状態では姿勢を取り戻すことは無理だった。目を回して悲鳴をあげながら墜落していき、このままでは地面に激突してしまうその寸前である。

『レビテーション!』

 間一髪で魔法の力が墜落寸前のシルフィードを持ち上げた。そして目を回していたシルフィードは、酔った頭を必死に目覚めさせると自分を助けてくれた相手を見た。

「お、お前、に、赤いの」

「久しぶりね、シルフィード。あなたがたまたまわたしの近くに落ちて来てくれてよかったわ。タバサはよくわからないけど、あの化け物を倒しに行ったんでしょ? あなたもがんばったわね」

 キュルケが微笑みながら立っていた。その隣にはキュルケの使い魔のサラマンダーのフレイムが煙を吹きながらこちらを見て笑い、幻獣種の先住言語で話しかけてきた。

”久しぶりだな青いの。うちのご主人に感謝しろよ”

「赤いの、お前まで来てくれたのね」

”主人が大切なのは、お前さんだけじゃないってことよ。学院で留守番も、いいかげん飽きたしな”

 フレイムはシルフィードが驚くのが実に楽しいというふうに、口からボッボと火を噴いた。

 使い魔の契約をしたことでただのサラマンダーであった彼らは韻竜に準する知能を得ている。しかし発声器官はそれに追いついていないので、使い魔たちの声は人間には唸り声にしか聞こえない。もちろん韻竜であるシルフィードには問題なく聞き取れた。

「お前が来てくれたら心強いのね。お前たちの炎は頼りにしてるのね」

”おいおい、お前さんが世辞が言えるようになったとは成長したもんだねえ。あの頭のいいご主人の影響かい? ま、ご主人のレベルで言えば確かにうちのほうがずっと立派だけどな”

「きゅいい、そんなことないのね。タバサおねえさまのほうがすっごいのね」

 フレイムに煽られて、シルフィードはきゅいきゅい言いながらムキになった。キュルケはそんな二匹の様子を眺めていたが、恐る恐るといった風にシルフィードに尋ねた。

「シルフィード、もしかしてあなた、フレイムと話ができるの?」

「きゅ? もちろんなのね。こいつったら、お前のほうがタバサおねえさまよりできがいいって言い張って生意気なのね。きゅいきゅい」

「まあフレイムったら。なんて賢くて良い子なのかしら。言葉がしゃべれなくったって関係ないわ、あなたはわたしの最高の使い魔よ」

 感激してフレイムを抱き締めるキュルケに、シルフィードは使い魔が使い魔なら主人も主人なのねとあきれた。もっとも、シルフィードもおねえさまも少しは甘やかしてくれてもいいのにねと、うらやましく感じているのでどっこいどっこいである。

 しかし、のんびり遊んでいる時間はない。ゼットンと怪獣兵器たちの鳴き声が響いてくると、キュルケたちは表情を引き締めた。

「さて、あっちの大きいのはタバサに任せるとして、タバサが戻ってくるまで外をきれいにしておきましょうか。シルフィード、まだ飛べるわよね?」

「きゅい、お前に借りを作るなんてまっぴらなのね。今回はまた特別に乗せてやるから、せいぜい大砲代わりにがんばるといいのね」

 キュルケを乗せるのは初めてではないが、こうしてちょっと憎まれ口を挟まないと妙に落ち着かないのが彼女たちの間柄だった。友人だが、タバサを間に挟んだある意味ではライバルなのだ。

 そして一人と一匹を乗せて、シルフィードは軽やかに空に飛びあがった。

 警戒していたハイパーゼットンからの攻撃は体内でタバサが抑えてくれているおかげか今はない。だが市街地ではいまだにウルトラマンヒカリとゼットン、さらに怪獣兵器たちの戦いが続いている。ヒカリはゼットンに対して力量では優位だが、怪獣兵器どもが特攻じみた妨害を仕掛けてくるため本来のペースで戦えずに苦戦しているのだ。

 ヒカリの苦戦を見て取ったキュルケは、シルフィードとフレイムに即座に作戦を指示した。

「あのでぶっちょはウルトラマンにまかせましょう。わたしたちは周りのゾンビ怪獣たちを始末するわよ」

「わかったのね!」

 シルフィードは理解し、翼を羽ばたかせた。

 まずは敵の物量を削ぐことが大事だ。タバサならきっとそうすると思い浮かべ、シルフィードは手近にいた怪獣兵器の一体、建物に力なく寄りかかりながらもヒカリに向かって光線を放とうとしていた再生ノーバの背後に回り込んだ。

「いまなのね!」

「ええ、フレイム!」

 絶好の射点に潜り込んだシルフィードの合図で、キュルケはフレイムに火炎を吹くように命じた。サラマンダーの口から放たれる業火はノーバに触れると一気に燃え上がり、ノーバをその体の赤以上の真紅で包んで燃やし尽くしてしまった。

「やったわ、アルビオンの時のようにはいかないわよ」

 キュルケが快哉を叫んだ。やはり、炎で燃やし尽くすのは正しいやり方だったようだ。この点については風と水を得意とするタバサではとてもこうはいかなかったろうと、シルフィードも認めざるを得ない。

 しかしまだ一体倒したに過ぎない。ゼットンは健在だし、怪獣兵器の中でもゴルザと、翼を焼かれてもなお起き上がってくるメルバのこの二体が特に執拗にヒカリを攻め立てている。

「あのごついのと、ヒョロいのがやっかいそうね。あーあ、嫌だわあ。わたしはもっとスマートで紳士的な方が好みなのに」

「そうやって選り好みしてると、いつの間にか行き遅れるタイプなのね、お前」

「あら、どこでそんな言葉覚えたの? 残念だけど、近いうちに運命の出会いがあると予感がしてるの。ツェルプストーの勘はよく当たるのよ」

 根拠のない自信でも大いに勝ち誇れるキュルケにシルフィードは、お前に卵を産ませたがる物好きなんてろくなもんじゃないのね、と言いたくなったがぐっと我慢した。

 それより今は自分たちの仕事に勤めるべきだ。

「ふん、ザコを一匹燃やしたくらいでいい気にならないでほしいの。おねえさまの代わりをするなら、この十倍は働いてもらうの」

「あらやだ、わたしがそのくらいもできないと思ってるの? あらあら、またわたしの武勇伝が増えちゃうわね。ねえフレイム?」

”そのとおり。貴女こそハルケギニアで一番の大魔法使いですとも”

 本当にこの主人と使い魔はと、シルフィードはかつてルイズがキュルケに感じていたものと同じようにイラっとした。

 ただ、キュルケは見かけ通りにはしゃいでいたわけではない。この三人の力をどう合わせたところで場をひっくり返すだけの決定打にはならないことはわかっていた。メイジとして、使い魔としてどれだけ力量を上げたとしても、敵は人知を超えた怪獣軍団なのだ。少しのミス、一瞬の油断が即、死につながると、平然を装うキュルケの額を一筋の汗が流れた。

「まあ、無理を承知でみんなが頑張らなきゃ世界が終わっちゃう瀬戸際だものね。それにしてもさっきの輝き、ルイズがやったみたいだけど、あの子大丈夫かしら……? わたしが心配することじゃないわね」

 自分に心配されたなんて知ったらルイズはますます怒るだろう。そういう子なのだ。

「フレイム、シルフィード、これからが本番よ。あのゾンビたちをみんな丸焼きにするまで気を抜いちゃダメよ!」

 努めて明るく宣言するキュルケに、二匹はそれぞれ勇ましく鳴いて答えた。

 ここからは接近戦だ。できるだけ近づいて炎を見舞わないと、強い奴には効果がない。キュルケは自分の精神力を絞り尽くしたとしても、タバサの帰るべき国にゾンビなんか一匹も残させないと燃える。

 それに……できることならフレイムにあれは使わせたくないと、キュルケはポケットにしまった小瓶のふくらみを確かめて思った。

 シルフィードはゴルザとメルバに肉薄して、キュルケとフレイムの炎であぶっていく。その援護のおかげで、多勢に無勢で苦戦していたヒカリも持ち直して、ナイトビームブレードで斬りかかっていく。

「シャッ!」

 一瞬の早業でゼットンの胸板にXの印が刻み込まれた。たまらずよろけるゼットン、本領を発揮できるのなら、ヒカリはゼットンが相手でも負けはしない。

 

 その光景は少し離れた場所の才人たちからも見えていた。

 シルフィードに乗り、炎を舞わせる赤毛の少女の姿は遠目でも間違えたりしない。水精霊騎士隊の少年たちは、その空を駆ける勇姿を指差して口々に叫んでいた。

「おい、あれってキュルケじゃないか?」

「なんでここに? そうか、タバサを助けに来たんだな」

 タバサとキュルケが仲がいいのはみんな知っている。キュルケがここに来た理由をすぐに察した彼らは口々に声援を送った。少年たちの中にはキュルケに求婚してけんもほろろに振られた苦い経験をした者もいるが、若気の至りのあやまちをいつまでも引きづるほど彼らも湿っぽくはない。

 しかし、いつもなら真っ先に声援を送るはずの才人の声はそこにはない。なぜならルイズが、虚無の魔法の秘技である『生命』を不完全とはいえ発動した代償は、決して安いものではなかったのだ。

「ヒッ、ヒッ、ハァ、ハァ、ハァ……」

 ルイズは石畳の上に横たえられて、必死に荒い息をついていた。全身は脂汗に濡れ、心配そうに見下ろす才人の呼びかけにも答えられない。

「おいルイズ、ルイズ大丈夫か? しっかりしろよ。誰か、誰かルイズに回復の魔法をかけてくれ! カトレアさん、お願いします」

「サイトさん、それは回復の魔法では治りません。精神力を、一度に使いすぎた反動がきているのです」

「そんな、ルイズは、ルイズは大丈夫なんですか?」

「普通の魔法では、そこまで精神力を使いすぎることはまずありません。尽きたとたんに使えなくなるだけですから。でもルイズのことですから、やはり無理をしてしまったのですね。残念ですが、しばらく様子を見るしかありませんわ」

「ちくしょう、いつもいつもこいつは……」

 ルイズが苦しんでるのを見守るしかできない才人はつらかった。

 けれど、『生命』を成功させたとはいえ、才人とルイズにはまだウルトラマンAとして戦う使命がある。このまま戦線離脱するわけにはいかない。

「がんばれよルイズ、おれがついてるからな」

 声が届いているかもわからないほど、過呼吸を続けてあえぐルイズを、才人は我が身のように心を痛めながら励まし続けた。

 ただしこの場でずっとのんびりしてはいられない。ルイズの回復はルイズのがんばりにまかせるしかないが、ここはまだ戦場なのだ。また流れ弾が飛んでくるかもしれないし、不測のなにかが起こる可能性もある。

「いったん安全な場所まで下がるほうがいいな」

 ジルが激化していく戦況を鑑みて言った。やるべきことをやった以上、ここに居続ける意味はない。いつまでも同じところにいる間抜けな獲物はハンターのカモになるだけだ。

 才人はルイズを背中に担ぎ上げた。ルイズは反応することもなく荒い息をつき続けている。せめて「エッチ!」とでも言って殴りかかってくれば救われるものだが、それすらもできないでいるルイズに、才人は自分の無力さを呪った。

「ほんとに手のかかるご主人さまだぜ!」

 悪態をつきながらも、才人は代われるなら代わってやりたいと思っていた。いつもは生意気なくせに、いざというとき手がかかる。それでいて、苦しんでる顔までとびきり可愛いときているんだから始末に負えない。

 ほんとにおれってやつは、こんな顔した女の子に弱いんだからあきれちまう。そういえば日本にいたころ、不良にからまれてた女の子を助けるなんて無茶したこともあったような気がする。もう名前も顔もよく思い出せねえけど、向こうも覚えてなんかいないだろうな。

 人間というのは不思議なもので、こんな大変なときに限って普段思い出さないことが頭に浮かんだりする。それが極限までゆくと走馬灯というものになるのだろうが、あいにくまだ本物を見るつもりはない。

「頼むぜキュルケ、おれたちもすぐに戻ってくるからな!」

 炎を操り、怪獣兵器たちへ大立回りを演じるキュルケに才人はエールをおくった。

 才人たちは街の外へ向かって走り始めた。外にはガリア軍が来ているはずだから確実に安全とは言い難いが、少なくともここよりはマシだろう。そこでしばらくルイズを休ませる、それまでなんとかキュルケたちに頑張ってくれと、才人は祈った。

 

 だが才人の心配とは裏腹に、キュルケたちは絶好調で怪獣兵器どもとの戦いを進めていたのである。

『フレイム・ボール!』

 特大の火炎弾とフレイムの放った火炎放射がゴルザの頭を焼き焦がす。すでに一度死して生命活動をおこなっていないゾンビの体はきっかけ一つで燃え上がり、大きなダメージを与えることに成功していた。

 だが、軍隊の攻撃でもある程度は耐えられた怪獣兵器がなぜ? それはつまり、燃やし方の問題だった。薪にマッチを投げつけても燃えないが、数秒マッチの火で炙り続ければ薪の温度も上がって燃え始める。火のメイジであるキュルケはその加減をお手のもの、なによりキュルケとフレイムの炎の威力は非常に優れている。

 頭を燃やされたゴルザが頭をかきながらもがき、キュルケは続いてメルバへ向かうように指示した。すでにメルバは翼を焼かれて機動力を失い、鋭いくちばしを突き出してシルフィードを狙ってくるが、シルフィードの目から見たら止まっているようなものだった。

「遅い遅い、遅すぎるのねっ!」

 先にかいくぐったハイパーゼットンの触手からすれば緩慢すぎた。生前のメルバであったらシルフィードでも簡単には近寄れないほど俊敏であるのだろうが、しょせん図体しか取り柄のない不完全な怪獣兵器の限界だ。

「シルフィード、奴の背中!」

「わかったのね!」

 キュルケの指示で、シルフィードはメルバの後ろに回り込んだ。その背中に向かってキュルケとフレイムは火炎をぶつけ、メルバの背中が勢いよく燃え上がる。

「やったのね」

”どうよ、俺たちはすげえだろ”

「ふん、少しは認めてやるのね」

 シルフィードにとって、タバサ以外を認めるのは不快だったけれど、シルフィードとフレイムは目配せしあい、まるで一頭の火竜になったかのように翼を翻した。

 そして、ゴルザとメルバをキュルケたちが食い止めたことで、ウルトラマンヒカリとゼットンの戦いも一気に進展していた。

「セエイッ!」

 ヒカリのミドルキックがゼットンの脇腹に炸裂する。ゼットンは頑丈な体で耐え、その恐るべきパワーでヒカリを掴まえようとしてくるが、ヒカリは素早く立ち回ってそうはさせない。

〔このゼットンは力とタフネスはあるが知能とスピードはたいしたことはない。一対一にさえなってしまえば、冷静に対処すればそれで十分だ〕

 完全にヒカリはこのゼットンの攻略法を見つけていた。ただのパワー馬鹿ほど扱いやすいものはなく、パワーだけなら怪獣界トップクラスのレッドキングが戦闘巧者のウルトラマンに手も足も出ず負けたのがいい例だ。反面、特殊能力と素早さもあわせ持っていたベムスターに苦戦した自信の経験が、ヒカリに強さのなんたるかを教えてくれる。

 ゼットンの間合いにうかつに飛び込むのは避け、ヒカリは素早いキックやチョップのヒットアンドウェイで確実にダメージを積み上げていった。

「シェアッ!」

 ジャンプしての回転蹴りがゼットンの角を打って大きくのけぞらせた。かつてウルトラマンジャックはゼットンの角を掴んで蹴りを食らわせており、目がほとんど見えずにレーダーの役割をしている角に感覚を頼っているゼットンの共通の弱点のひとつだ。

 フラフラと酔っぱらいのように足取りがおぼつかなくなるゼットン。ゴルザとメルバはキュルケたちに足止めされてきりきりまいさせられており、とてもこちらを邪魔しにこれる状況ではない。

 やるなら今だ。ヒカリはとどめを刺しにかかろうとしたが、そこに振り返りざまの才人の声が響いた。

「待ってくれヒカリ! ゼットンに光線技はまずい」

 その言葉でヒカリもはっと思いだした。ゼットンには強力なバリアーや、初代ウルトラマンを倒した光線逆襲能力がある。おおやけにはなっていないがGUYSのマケット怪獣テストにおいて、マケットゼットンはマケットメビウスの発射したメビュームシュートを撃ち返してあっさり勝利したこともあり、このゼットンも腐っても同じ能力を持っているとすれば正面からの光線は危険だ。

 まったく、そのことはちゃんと知っていて先ほどまで警戒していたはずだというのに、戦いで優勢に立って冷静さを欠いてしまうというのは恐ろしい。だが頭を冷やしたヒカリは、すぐさま最良の攻略手を導き出した。

〔ならば、先人の経験に学ばせてもらう〕

 ヒカリはセリザワとしての記憶で、二代目ゼットンがどうやって倒されたかを思い出した。

 ゼットンの背後に回り込んだヒカリ。するとヒカリはゼットンの巨体を渾身の力で思い切り持ち上げたのだ。

「ジョワァァッ!」

 ヒカリはパワー型のウルトラマンではないが、GUYS譲りの根性は失われていない。持ち上げたゼットンの体を風車のように大回転させる。

 ウルトラマンジャックはかつて二代目ゼットンに反撃を許さずに倒すために、空中高く投げ飛ばす『ウルトラハリケーン』で宙に舞いあげた後でスペシウム光線で追撃して倒した。いくらゼットンでも、空中できりもみさせられては防御体勢をとることはできない。

「デアッ!」

 投げ上げたゼットンへ向かって、ヒカリはナイトブレスからほとばしった光を正義の矢に変えて解き放った。

『ナイトシュート!』

 十字に組んだヒカリの手から放たれる必殺光線。青い光芒が空中で無防備となったゼットンに突き刺さり、その胴体を見事貫通した。

 そして同じころ、キュルケたちが相手取っていたゴルザとメルバとの戦いも決着に入ろうとしていた。

 ゴルザとメルバはすでに体のあちこちを焼かれて、燃え朽ち続ける屍となっている。だがそれでも二匹は生命なきゾンビとして立って動き続け、シルフィードを叩き落とそうと狙ってくる。

「このまま炎で炙り続けてもらちが開かないわね。シルフィード、今ならあいつら二匹を一度に倒せる方法があるけど、わかるわよね?」

「きゅい、おねえさまならきっとそうするのね。しくじるんじゃないのね」

 シルフィードも同意し、シルフィードはゴルザとメルバの周りをハエのように飛び回った。

「ほうら、こっちよこっち。見事、この微熱を捕まえてごらんなさい」

 キュルケもファイヤーボールを撃ちながら挑発する。もちろんそんな攻撃の仕方では有効なダメージを与えることはできないが、右に左にと二匹の視線を揺らして集中力を削り、いらだった二匹が互いの必殺技の溜めの瞬間に入ったときキュルケは合図した。

「いまよ!」

 その瞬間、シルフィードは急旋回してゴルザとメルバの中間に躍り出た。そしてシルフィードに向かってゴルザの頭部から放たれる超音波光線と、メルバの目から放たれるメルバニックレイが襲い掛かる。だが、この瞬間こそ彼女たちが待ちわびた瞬間だった。命中直前、フレイムの火炎放射を即席のブースターにして一瞬だけ加速したシルフィードは紙一重で光線をかわし、目標を逸れた超音波光線とメルバニックレイは空中で交差して、それぞれ反対側のゴルザとメルバに突き刺さって爆発したのである。

「やったのね!」

「見事同士討ちだわ。人間の知恵を甘く見るなってね」

 魔法の攻撃には耐えられても同格の怪獣の攻撃には耐えようがない。ゴルザとメルバは生涯二度目の断末魔の叫びをあげながら、前のめりになって重なるように崩れ落ちたのだった。

 まさしく、知恵と勇気の勝利。そしてシルフィードたちの奮闘に応えるように、ナイトシュートに撃ち抜かれたゼットンも空中で爆散し、その破片を舞い散らせたのだった。

「あーらら、早くも一体やられちゃいましたか」

 一部始終を見守っていたグラシエがつまらなさそうにつぶやいた。善戦したほうだが、特に新しいデータがとれたわけでもなく普通にやられてしまった。しょせん失敗作はこんなものか。

 だが、グラシエがあきらめて他のゼットンの観察に移ろうとしたその時だった。空中で爆発したゼットンの破片がハイパーゼットンの体に当たったかと思うと、ハイパーゼットンの体が紫色に光りだし、空に稲光とともに次元の裂け目が発生しだしたのだった。

「これは! 倒されたゼットンの怨念がハイパーゼットンのエネルギーと呼応しているというのですか?」

 グラシエは驚き、まさかの光景にヒカリやシルフィードたちも何が起こっているのだと目を見張っている。

 そしてハイパーゼットンの巨大なエネルギーを媒介にして、ゼットンの怨念に呼び寄せられるかのように次元の裂け目の中から半透明の怪獣のエネルギー体が現れた。その怪獣の姿に、走りながら振り返った才人が驚愕で目を見開く。

「あれは、こないだトリスタニアで倒した鳥の怪獣!?」

 それはまさしく、先日ウルトラマンAが苦闘の末に倒した鳥の怪獣グエバッサーの亡霊に違いなかった。いや、それだけではない。次元の裂け目からはさらに。

「スーパーグランドキング? なんで!」

 ガイアとアグルに倒されたはずのスーパーグランドキングのエネルギー体。それに続いて、才人は見ていないがマジャッパのエネルギー体も降りてくる。

 かつて倒した怪獣たちの亡霊、なぜそんなものがいまさらやってくる? 才人やヒカリ、キュルケたちやグラシエもこれから何が起こるのかわからずに見守る前で、怪獣たちのエネルギー体はハイパーゼットンに集まってゆき、巨大なエネルギーを糧にして倒されたゼットンの破片を再生させ始めたではないか。

 破片だったゼットンがみるみるうちに形を成していく。それも元の太ったゼットンの姿ではなく、初代ゼットンに近い精悍な姿に。そして最後に再生しきったゼットンの体の中に怪獣たちのエネルギー体が入り込むと、蘇ったゼットンはその恐るべき力を誇示するかのように膨大なオーラをまとわせながら市街地に降り立ったのだ。

〔これは……!〕

「青い、青いゼットンだって?」

 現れたゼットンの姿にヒカリや才人は絶句した。姿かたちは初代ゼットンのそれとほとんど同じだが、普通のゼットンなら黄色に光っているはずの胸部の発行体が青く染まっている。それゆえに、青いゼットンという印象そのものな容姿は不気味この上なく、身構えるヒカリも並々ならぬ威圧感を感じ取っている。

 だが、青いゼットンはこちらに観察する余裕を与えてはくれなかった。一声鳴くと、顔の正面に巨大な火球を形成してヒカリに向かって発射してきたのだ。

「ムオォォッ!」

 火球の威力を受け止めきれずに大きく吹き飛ばされてしまったヒカリ。建物を貫通して後ろの建物にぶつかるほどの衝撃を浴びてやっと止まったが、そのダメージは大きく、体に力が入らず意識がもうろうとする。しかし一つだけ確かなことは、このゼットンはこれまでとはまるで違う。

〔この、破壊力は……〕

 どんな理屈かは不明だが、ほかの怪獣たちのエネルギーを吸収して再生したことで大幅に強くなっている。まさかの出来事に、グラシエも興奮を隠せないように叫んだ。

「いい、いいですよ。これは想定していませんでした。私も見たことのないゼットンの新しい可能性! いいじゃないですか」

 過去のデータには無かった事象に大喜びのグラシエ。

 だがこのままではヒカリが危ないと、才人は背負ったルイズを振り返ったが、ルイズはまだ荒い息をつくだけで目を覚ます様子が無い。

「ルイズ、ちくしょう」

 ルイズがこんな状態ではウルトラマンAへの再変身はできない。才人は悔しさに歯噛みするしかなかった。

 青いゼットンは倒れたヒカリへ悠々と近づいてくる。火球での追撃もテレポートも使う様子もない余裕ぶりだ。だが、ヒカリの危機を見て取ったキュルケがシルフィードとともにゼットンの前に躍り出てきた。

「ウルトラマンが危ないわ。シルフィード、あいつの気をそらすわよ」

 わざと青いゼットンの前に出て注意を引くようにシルフィードは飛び、キュルケはフレイムとともに魔法を放った。

『ファイヤー・ボール!』

 フレイムの吐く火炎放射にまとわせるように炎の弾を連射して、相乗効果で強化した火炎がゼットンに突き刺さる。しかしなんということか、青いゼットンは分厚い鉄板でも一瞬で焼き切るほどの火炎を体に受けながらも、まるで動じることなく前進を続けるではないか。

「わたしたちの攻撃がまるで効いてないっていうの?」

「なんて頑丈な怪獣なのね」

 二人は愕然として叫んだ。キュルケのメイジのクラスはいまやスクウェア、致命傷にはならなくともまったく効かないということはまず無いはずなのに信じられない頑強さだ。防御力も先のゼットンとはまるで次元が違う。マルス133の攻撃に動じなかった初代ゼットンのそれに近い。

 このままではヒカリがやられる。しかしキュルケも、今の攻撃が通じなかった以上、自分の魔法では青いゼットンの気を引くことすらできないことを痛感してしまっていた。

 どうすれば……だがその時である。キュルケの焦りを感じたフレイムが、キュルケの懐から小さな小瓶を咥え出したのだ。

「フレイム、待ちなさい! それは」

”ご主人、すみません。ですが今こそ水の精霊から預かった力を使うときです”

 キュルケにはフレイムの声は単なる唸り声にしか聞こえないが、フレイムは決意を込めて言った。危険は承知、だけどもこの小瓶の薬を使えば怪獣とも戦うことができる。

 瓶を咥えて噛み砕こうとするフレイム。ところがそこへ、聞き捨てならない単語を聞きつけたシルフィードが首を伸ばして覗き込んできた。

「ちょ、ちょっと待つのね。水の精霊からってどういうことなのね?」

”フフ、聞いて驚け。水の精霊は俺の偉大なご主人を認めて、前にヴェルダンデのやつを巨大化させたのと同じ魔法薬を作ってくれたんだ。俺が大きくなってあいつを倒すから、お前はそこで見てるといいぜ”

「なっ、自分だけずるいのね。シルフィにもよこすのね!」

 自慢するようなフレイムの態度に怒ったシルフィードは首を伸ばしてフレイムから小瓶を奪おうとした。

”こら、これは俺のものだ!”

「独り占めはよくないのね。火トカゲよりシルフィが大きくなったほうが強いに決まってるのね」

”言ったなこの青トカゲ! これは絶対に渡さないぞ”

 空の上でぎゃあぎゃあとくだらない争いを繰り広げる二匹。言葉のわからないキュルケはなだめることもできずにおろおろするしかなかったが、ふとしたはずみで小瓶がフレイムの口から転げ落ちてしまった。

”しまった!”

「なにやってるのね。シルフィが拾うのねーっ!」

「シルフィード、ちょまっ落ちっ、きゃああーっ!」

 落ちた小瓶を追って急降下するシルフィードと、そうはさせるかとしがみつくフレイム。キュルケは振り落とされて、慌てて『フライ』の魔法で体を浮かせた。

 小瓶は真っ逆さまに落ちていく。あれが地面に落ちて割れてしまったらすべてが台無しだ。

 必死に追いかけるシルフィード。そしてシルフィードのくちばしの先が小瓶をつまみ上げようとしたが、運の悪いことに小瓶はつるりとすべってくちばしから零れ落ちてしまった。

「しまったのね!」

”ばか! なにやって、うわあ落ちる!”

 急降下していたシルフィードはそのまま小瓶を追い抜いて先に落下してしまった。

 引き起こす暇もなく墜落するシルフィード。二匹は落ちたショックで体を痛め、顔をしかめながら起き上がってきた。

”いてて、おい大丈夫か青いの?”

「ぺっぺっ、うー、痛いけど下がなんか柔らかかったから助かったのね。これって……かっ!」

”かっ、かい!?”

「怪獣の上なのねーっ!?」

 なんとそこは先ほど倒したゴルザとメルバが折り重なっている死骸の上だったのだ。

 そのおかげでショックが半減して助かったわけだが、気味が悪いことには変わりない。シルフィードはすぐに飛び立とうとしたのだが。

”いてっ? あっ!”

 フレイムの頭に何かが落ちてパリンと割れた。それがあの小瓶だったと気づくも、慌てる間もなく飛び散った魔法の薬は気化して二匹を包み込んでいく。

「こっ、これってなんなのね?」

”俺が知るか! わっ、わぁぁぁ!”

 もうもうと立ち込める魔法の煙はあっという間にシルフィードとフレイムを飲み込んでしまうと、さらにゴルザとメルバの死骸にもまとわりつきながら広がっていく。そして何十メートルもの巨大な煙の柱にまで大きくなったその中から、シルフィードとフレイムの声が響いた。

「う、うーん、どうなったのね?」

「どうなったって……あれ? 地面が遠い、お前いつのまにまた飛んだんだ?」

 その声を、近くの建物の屋上に着地していたキュルケは怪訝な表情で聞いていたが、煙が晴れてその中から現れたものを見たとき、腰を抜かすほど驚いた。

「シルフィは飛んでないのね。それよりお前、いつの間に人間の言葉をしゃべれるようになったのね?」

「なに? あ、ほんとだ。おお、そこにいるのはご主人様。あれ? ご主人様、どうしてそんなに小さくなったのですか?」

 地上五十メイルくらいの視線から見るキュルケの姿は人形のように小さかった。いやキュルケだけではなく、町全体もおもちゃのように小さく見える。

 ということは大きくなることに成功したのか? そう思ったとき、キュルケが震えながらこちらを指さして言った。

「フ、フレイムにシルフィード。ああ、あなたたちのその恰好は」

「ん?」

 言われてふと自分の手を見るフレイム。すると、その手は自分のものではなく、太く鋭い怪獣の腕と手になっていた。

 まさかと視線を背中にやったシルフィードも、その翼もしっぽも韻竜のものではなく、荒々しく野性的な翼竜のものであることに気づいた。

 そして極めつけに、壊れた建物から転げ出ていた姿見に映してみた自分の姿。二匹はそこになんと、ゴルザの体にメルバの体を乗せたような合体怪獣の姿を見たのだった。

 

「「な、ななななな、なんなのだこれはー(なのねーっ)!!!???」」

 

 愕然とする二匹の声が怪獣の咆哮となって響き渡り、キュルケや才人たち、グラシエまでもが開いた口がふさがらないと唖然とする。

 果たしてこれは神の悪戯か悪魔の奇跡か。本来ならば遠い宇宙の闇の巨人たちが使役するはずの超古代闇怪獣ゴルバーが、リュティスの街に顕現した。

 

 

 続く



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第39話 フレイムとシルフィード、友情のタッグバトル

 第39話

 フレイムとシルフィード、友情のタッグバトル

 

 宇宙恐竜 ゼットン

 超古代闇怪獣 ゴルバー 登場!

 

 

 ハルケギニアの人間たちは、バット星人グラシエによって見せられていた長い夢から覚めた。

 だが、グラシエが遠大な陰謀の果てに育て、今やグラン・トロワを押しつぶしてリュティスの街を睥睨する巨大なハイパーゼットンの繭がある限り、ハルケギニアの未来には破滅しかない。

 それを防ぐためには、グラシエによって蘇生され、今やその怨讐ごとハイパーゼットンに取り込まれてしまったシャルルを止めるほかにない。

 ジョゼフとタバサは、今度こそ素顔のシャルルと向き合うためにシルフィードに乗ってハイパーゼットンへ向かう。

 しかしその間にも、ハイパーゼットンをさらに成長させる実験として世界中にばらまかれた種々のゼットンの実験体と怪獣兵器たちは人々を脅かしていた。

 『歓喜』の感情で作られたゼットンはウルトラマンヒカリが抑えているが、残る『妬み』『渇望』『悲しみ』から生まれたゼットンは手ごわい。

 それでも、ウルトラマンガイア、アグルは戦う。この世界を第二の故郷に定めたペダン星人たちは、不完全なキングジョーに賭けて戦う。モロボシ・ダンとカプセル怪獣たちも死力を尽くしてゼットンに挑む。

 さらに、魔法学院を舞台にしたウルトラマンコスモスとジャスティス対バルタン星人の戦いも激化し続けている。

 一滴の余裕もなく力を振り絞った総力戦の様相。ひとつでも負ければそこからゼットンのエネルギーを得た怪獣兵器の群れが世界を埋め尽くしてしまうだろう。

 そんな彼らの努力を無駄にしないためにもハイパーゼットンを目指すタバサを救うため、タバサの親友キュルケも駆け付けた。

 そしてルイズは無茶を承知で禁断の虚無の魔法『生命』を発動してハイパーゼットンに大きなダメージを与え、不完全さの反動で気を失うものの、見事タバサらの道を切り開いた。

 キュルケもシルフィードと協力して怪獣兵器ゴルザとメルバを撃破し、ウルトラマンヒカリも『歓喜』のゼットンを粉砕。形勢逆転ののろしが上がったかに思われた……が。

 倒されたゼットンの残留思念がハイパーゼットンの巨大なエネルギーを使って異空間から怪獣の思念体を呼び出し、融合したことで未知の青いゼットンとして復活してしまった。

 青いゼットンの破壊力に追い詰められるヒカリ。それを見たキュルケの使い魔のフレイムは水の精霊から与えられたハニーゼリオンで巨大化しようとしたが、シルフィードの割り込みで二匹まとめて被ってしまった。さらにその際、なんの偶然か二匹のいたところにあったゴルザとメルバの死骸を取り込んでしまい、なんと二匹は合体してゴルザとメルバの特徴をあわせ持つ怪獣ゴルバーになってしまったのである。

 

「「な、ななななな、なんなのだこれはー(なのねーっ)!!!???」」

 

 二匹は自分の姿を見て仰天した。

 こんな馬鹿な。だが、そんな馬鹿なことが起こってしまってるんだからしょうがない。

「合体事故、というやつですか。単独で細胞分裂して大きくなるところを、手違いでゴルザ細胞とメルバ細胞までも合成してしまって、と。いやいや、こんなことが起こるとは、私も初めて見ましたよ」

 グラシエまでも感心したようにつぶやく。才人やキュルケたちは、フレイムとシルフィードが合体して怪獣になってしまったのはわかったが、かといってどうすることもできずに見ているしかできない。

 しかし、敵は待ってはくれない。青いゼットンがヒカリに迫っているのを見たフレイムとシルフィード、いやゴルバーは青いゼットンへ向かって突進した。

「「うおおおぉーっ(なのねーっ)!!」」

 フレイムは元はサラマンダーなので二足歩行には慣れてなく、見るからに不格好な走り方だがどてどてと突撃してゼットンにぶつかっていく。そしてヒカリに至近距離から火球を放とうとしたゼットンに強引にタックルをお見舞いする。

 けれどゼットンはレーダーになっている頭部のゼットン角でゴルバーのタックルを寸前でかわし、その腹部に蹴りを入れてきた。

「ぐはっ!」

「お、おい、しっかりするのねお前?」

 腹を打たれて苦しむフレイムにシルフィードが声をかけた。

 ゴルバーはゴルザにメルバが乗っかったような姿をしているが、どうやらゴルザ部分の感覚はフレイム、メルバ部分の感覚はシルフィードに分かれているようだ。四つになった目も半分ずつ請け負っている。

 フレイムはシルフィードに「大丈夫だ」と答えたものの、実際はかなりの痛みを受けたことに、ご主人のために格好つけて無茶してしまったなと思っていた。たった一発でこんなに痛いとは、怪獣との戦いをなめていた。

 だけどもここまで来たら後には引けない。フレイムにも男の意地がある。どんなに痛くても、ご主人やこの青二才の韻竜にかっこ悪いところを見せるくらいなら死んだほうがマシだ。

「こんなもんなんでもねえ。さあて反撃だ、いくぜおらぁっ」

「わっ、ちょっと待つのね!」

 やせ我慢してフレイムはゴルバーをゼットンに突進させた。だがやはり二足歩行に慣れてないので不安定な前傾姿勢になってしまい、よろめきながらの突進ではゼットンには通用しない。簡単にゼットンに避けられ、ゼットンはなんとゴルバーの首を片手で締めながら持ち上げてしまったのである。

「ぐぁぁぁっ、なんて力だ。は、離しやがれ」

 フレイムの苦悶の声に答えるのは、無機質な「ゼットォーン」という鳴き声と電子音でしかない。

 ゴルバーはもがいて逃れようとするけれど、怪力を誇るゴルザの腕で掴んでもゼットンの手はなかなか離れない。怪力に機械のような無慈悲さ、あのでぶっちょのゼットンとは違う、これが本物のゼットンの力だった。

 このままではゴルバーはゼットンに片腕で吊り上げられたまま絞殺されてしまっただろう。けれどゴルバーのメルバ部分を担当しているシルフィードがそうはさせないと、目からメルバニックレイを発射してゼットンを攻撃した。

「これでも食らうのね!」

 断続発射される光弾がゼットンの頭に当たって火花をあげる。シルフィードには目から光線を放つ能力などはないが、ゴルバーとなってメルバの体を手に入れたことで、本能的にメルバニックレイの使い方がわかったようだ。

 だが頑強なゼットンの体は、メルバニックレイの直撃を受けても傷つけられた様子はない。が、わずかに力が緩んだ隙にゴルバーはゼットンの手を振りほどいた。

「ゴホゴホ、この馬鹿力め」

「お前みたいな力任せじゃダメなのね。怪獣との戦い方のお手本をみせてやるのね」

 シルフィードは、何度もタバサといっしょに怪獣と戦ってきた自負からメルバの翼を羽ばたかせて飛び出した。ゴルバーの体が浮き上がり、完全に浮遊するとまではいかないが、ホバーのように浮きながらゼットンへ向かって突進していく。

「それっ、やっつけてやるのね」

 空から体当たりする感覚でシルフィード操縦のゴルバーはスピードを上げてゆく。だが、いっしょに突撃の弾にされているフレイムのほうはたまったものではない。

「うわぁ! バカ、おい、やめろおれはやると言ってない」

 じたばたと手足を振り回すが、翼のほうの主導権はシルフィードにあるので宙に浮いたままフレイムはどうすることもできない。もちろん、そんな無様な姿だろうがゼットンが黙って待っているわけがない。

”ゼットン!”

 感情があるようにも機械的にも聞こえる声で鳴き、ゼットンは動いた。突っ込んでくるゴルバーに振りかぶると、まるで虫を払うかのようにゴルバーの顔面に掌底を叩きつけてきたのだ。

「ばわあっ!?」

 張り飛ばされて、ゴルバーは建物を数搭巻き添えにしながら地面に打ち伏せられてしまった。ゴルバーの体のベースはゴルザのものだから並みの怪獣より頑強なはずなのに、こんなにダメージを受けるとはなんというパワーか。

 いやそれよりも、またも自分だけ痛い思いをする羽目になってしまったフレイムはカッとなってシルフィードに食って掛かった。

「バ、バカ野郎! なにが手本を見せてやるだ。お前だって力任せじゃないか」

「きゅいい! お前が重すぎるからいけないのね。シルフィだけだったらスイスイ飛んで、あいつの頭を蹴っ飛ばせたのね」

「なにを! お前こそ背中が重いんだよ。おれだけだったらあいつをぶん殴れてたものを」

「へん、負け惜しみなのね」

「はん、青いちびっこのおまけみたいなもんのくせして」

「カチン! お、お前、言ってはいけないことを言ってしまったのね」

「なにを!」

「きゅい!」

 ついにシルフィードとフレイムはゴルバーの上と下で大喧嘩を初めてしまった。

 シルフィードはメルバの翼でゴルザの体をひっばたき、フレイムはメルバの頭をひっかく。だがそれは外から見たら自分で自分の体を傷つける一人相撲をしているようにしか見えず、その滑稽を通り越して無様そのものな姿に、キュルケは泣き出したいような声で叫んだ。

「ああ、なにしてるのよあの子達。やめなさい! 今そんなことしてる場合じゃないでしょ」

 キュルケの声も、ケンカに夢中な二匹には届かない。ぎゃあぎゃあとわめく二匹は、すっかり今がどういう状況なのかすら忘れてしまっていたが、そんなことをしても敵が見逃してくれるわけがない。

 隙だらけのゴルバーに向かって、ゼットンの特大の火球がチャージされる。そうそう当たることのない大技のはずだが、ケンカに夢中な二匹は気づかず、やっとキュルケの「逃げて」という叫びが届いた時には遅かった。

「うわああっ!」

「きゅいいいっ!」

 青紫色に光るゼットンの火球がゴルバーに直撃して爆発し、ゴルバーは二匹の悲鳴とともに吹き飛ばされてしまった。

 火球のあまりの破壊力による痛みで苦しみのたうつフレイムとシルフィード。だがそれでもゴルバーの防御力に救われたほうなのだ。並の怪獣だったら痛みを感じる間もなく粉々になってしまっていたであろう。

 体と頭を燃やしながらのたうつゴルバーに、ゼットンは目障りなものは消してやると言うふうに顔の発光体を点滅させながら近づいてくる。大きなダメージを受けたフレイムとシルフィードには逃げる力はありはしなかった。

「きゅうぅ……」

 シルフィードの目に、とどめの火球をチャージしているゼットンの姿が見えた。もう一度あれを受けたら今度こそ燃え尽きてしまうだろう。

「動いてっ、動いてなのシルフィの体!」

 こんなやられ方をしたらタバサに会わせる顔がない。シルフィードはゼットンの火球から逃れようとメルバの羽根を羽ばたかせようとしたが、ダメージで麻痺した体は言うことを聞いてくれなかった。

 赤黒い火球がフレイムとシルフィードの視界いっぱいに広がって、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。

 

「っ、シルフィード!?」

 そのとき、タバサは胸騒ぎを感じてシルフィードの名前を呼んだ。この場所では使い魔との感覚の共有はできないらしく、やろうとしてもシルフィードがどうなっているのかはわからない。それでも何かが伝わってきたような感じがしたのだが、そんなタバサにジョゼフは咎めるように言った。

「シャルロット、人の心配をしているような場合ではないぞ。この場所は、まるで得体が知れんのだからな」

「……わかってる」

 タバサは気を引き締め直した。シルフィードのことは気になるが、今は心配してもどうすることもできない。

 それより、今はここを進むことだ。今タバサとジョゼフは、長いトンネルのような暗闇の中を落ち続けた先にたどり着いたハイパーゼットンの体内にいた……しかしそこは想像していた「生物の体内」とはまるで違い、不可思議に揺らめく極彩色の空の下に、見果てぬような砂漠が果てしなく広がる異様な空間となっていたのだった。

「どうやら、あの怪物の中は別の世界へと繋がっていたようだな。フン、まあもはやこの程度では驚きもできなくなったがな」

 ジョゼフが自嘲げに呟いた。

 確かに、今の自分たちは普通の人間が体験する百倍以上もの驚異と脅威を体験してきている。こんな、並みの人間なら発狂するような光景の中にいても平然とできているのだから、慣れとは恐ろしい。

 けれど、のんびり観光しにきたのではない。どこまでも続く砂漠の世界を歩く二人の視線の先にあるものは決まっている。

「この世界のどこかに、お父様が」

「ああ、間違いなくな。この歳になってかくれんぼをすることになるとは思わなんだが、シャルルよ、今度は俺が勝たせてもらうぞ。お前がこの世界の奥の奥まで隠れても必ず見つけ出してやる」

 ジョゼフは不敵に笑った。そんなジョゼフを横目で見て、今度はタバサが咎めるように言う。

「ジョゼフ、こんなときだというのに、楽しんでいるの?」

「む? ははは、すまんすまん。不謹慎だと言うのだろうが、シャルルとまたゲームができると思うとどうしても胸が高鳴ってな。いい年した大人がかくれんぼとは情けないが、あいつとは幼いころにはよく……ぬっ!」

 ジョゼフはとっさに杖を持って構え、タバサも自分の杖を両手で握って油断なく構えた。なぜなら、二人の行く先の空間が突然歪み、二人が通れそうな黒い穴がトンネルのように口を開いたのである。

「出迎えか……? いや、何も出てこないな。ということは、だ」

「わたしたちに、「入れ」と言っている。どうするの?」

「どうするもこうするも、愛しい弟からの招待だ。喜んで行くだけだ」

 ためらいなく答えたジョゼフに、タバサは心中で「愛しい兄からの誘いでお父様は殺されたのよ」と眉をしかめた。だが、それを口にしてもなんの益もないことはわかっている。それに、どのみち罠だろうが行くしかない。

 口を広げる黒いトンネルに、タバサとジョゼフは同時に足を踏み入れた。すると、その先に広がっていた光景は……。

 

「そんな、ここって……!」

「どういうことだ、俺の部屋ではないか?」

 

 まさかのグラン・トロワにあるはずのジョゼフの寝室に出たことに、タバサだけでなくジョゼフもさすがに困惑をかくせなかった。

「外に出されてしまったの……?」

「いや、そうではあるまい。俺の部屋はグラン・トロワといっしょに、あのハイパーゼットンとやらに押し潰されて跡形も無くなっているはずだ。それに、よく見てみたらこの状態は……」

 ジョゼフは室内を見回し、懐かしむように眉を緩めて部屋の中央にあるベッドを見た。

 ガリア古来から受け継がれてきた調度品のほとんどは何百年も姿を変えていないけれど、そのベッドだけは違った。今ならば豪奢な王族用の布団が敷かれているはずだが、そこにはあえて子供用の小さな布団が大きな寝台にアンバランスに置かれていたのだ。

 こんな光景があったのは、もう三十年近くは昔の話……それを口にしようとしたとき、室内に活発な声とともに一人の男の子が入ってきた。

「ここかな、兄さん?」

 その子の顔を見てジョゼフとタバサは目を見開いた。年頃はほんの五歳くらいだが、その面持ちはまさしくシャルルのものだったのだ。

「シャルル、お前」

 弾かれたように幼いシャルルの肩を掴もうとしたジョゼフだったが、その手はスッとシャルルの体をすり抜けてしまった。

「幻か」

「あっ、待って!」

 唖然とする間もなく、部屋から出ていってしまった幼シャルルを追って二人は駆け出した。

 それは幻でもかつてのヴェルサルテイル宮殿そのものの光景で、きらびやかで平穏、花壇の花は美しく咲き誇り、平和と繁栄を謳歌していた。

「同じだ、親父が生きていた頃の、あの未来に何の不安もなかった頃と」

 やがて、幼シャルルはある部屋に入った。そこは小姓の待機部屋のひとつで、今は誰もいないようであったが、幼シャルルは部屋の中を一回りすると、呪文を唱えて杖を振るった。すると、小姓用のチェストがぴかりと光り、幼シャルルはそのふたを開けた。

「見つけたよ、兄さん」

「お前、よくここがわかったな!」

 チェストの中から顔をのぞかせたのは、なんと幼少の頃のジョゼフだった。唖然としているジョゼフとタバサの前で、幼シャルルと幼ジョゼフの兄弟は楽しそうに話している。

「えへへ、ディテクト・マジックを使ったんだ。そしたらここが光った。これ、マジックアイテムだったんだね」

「お前、もうディテクト・マジックを覚えたのか? なんてやつだ!」

 得意げに笑う幼シャルルと、驚いた様子の幼ジョゼフ。その様子を見て、ジョゼフははっと思い出したように言った。

「そうか、これはあのときの。シャルルとかくれんぼをして遊んだ、あの時の」

「これは、あなたたちの思い出の光景だというの?」

 タバサは、本当に楽しげな子供たちの遊ぶ姿に、これが後のジョゼフとシャルルだとは信じられないというふうだった。ジョゼフも、胸が締め付けられるのをぐっと押し殺しているように歯をかみしめている。しかし、思い出にただ見とれてはいられない。タバサは冷静さを保つよう心掛けながら、ジョゼフに問いかけた。

「でも、どうしてこんな光景を見せるというの?」

「さあな、こんな他愛もないかくれんぼの思い出など……かくれんぼ? そうか、そういう”ルール”か」

「ジョゼフ?」

 なにかに気づいた様子のジョゼフにタバサが呼びかけると、ジョゼフはタバサを見下ろして思いがけないことを言ってきた。

「シャルロット、なんでもいいからシャルルとの思い出を思い浮かべろ。なんでもいい」

「えっ?」

「わからんか? さっき砂漠を歩いているとき、俺がなにげなくかくれんぼと言ったら、昔の俺とシャルルがかくれんぼをしていたこの世界につながる扉が開いた。つまりは」

「! わかった」

 タバサは理解し、父との思い出を心に蘇らせた。

 あのとき、お父様と……。すると、タバサとジョゼフの前に、再びあの黒いトンネルが口を開けた。そこをくぐった先に今度あったものは……。

「わあいドラゴンケーキだ。ありがとうおとうさま!」

「約束したものね。お誕生日おめでとう、シャルロット」

 それはタバサが九つの誕生日の思い出の光景だった。屋敷の大広間に大好きなドラゴンケーキを注文してもらい、父と母がいっしょに祝ってくれた、この日のことは忘れない。

 嬉しそうにケーキに刺されたろうそくの火を吹き消す幼い日の自分を見ていられず、タバサは溢れる涙をこらえながら目を伏せた。

 対してジョゼフは、じっと無表情にその光景を見つめていたが、やがてとつとつとタバサに告げた。

「これで間違いないな。この空間は、シャルルの記憶と繋がっている。俺たちがシャルルの思い出をたどれば、その扉が開くというわけだ」

「記憶の迷宮……つまり、この先に」

「ああ、記憶の奥底に必ずシャルルはいる。くっくっくっ、なるほど……これは俺たちでなければ攻略は不可能なゲームだ。しかも……なんという底意地の悪いゲームを仕掛けてくるか。シャルルよ、お前は本当にたいしたやつだよ!」

 乾いた笑い声をあげたジョゼフに、タバサは前途の苦難さを理解して胸元を握りしめた。

 この先へ進むには思い出をたどればいい。しかしそのためには、ジョゼフはシャルルに負け続けた記憶を、タバサは父との懐かしい思い出を思い浮かべ、見続けなければならない。そのどちらもが、どれほど互いの心を削ることか。

 父は、なにを思ってこんな迎え方をしてきたのかとタバサは考えた。自分たちを拒絶しているのか? それとも……いや、迷っている時間はない。

「行こう。わたしたちは行かなきゃいけない」

「よいのかシャルロット、この先は俺よりもお前のほうがつらいことになるかもしれんのだぞ?」

「わかってる。でも、わたしたちは見届けなくちゃいけない。いえ、思い返さなくちゃいけない。わたしたちの辿ってきた道を、お父さまの本心を確かめるためにも」

「シャルロット……そのとおりだな。俺はずっと目を逸らしてばかりいた。ならばゆくか、シャルルよ、俺ももう逃げはしないぞ」

 決意を込めてジョゼフが念じた前で、新しい記憶の世界へのトンネルが開く。

 あといくつ記憶をたどればいいのか、それはわからない。けれど、タバサは覚悟を込めて足を踏み出す。

「人は過ちを犯す、だが過ちを償うこともできる。過ちを償うことをやめない限り、人でいられる。そうですよね……チーフ、コマンダー……」

 思い出はただの過去ではない。なによりも人を強くする糧なのだと信じて、異世界での思い出を胸にタバサは進む。

「キュルケ、シルフィード、わたしは必ずこの怪獣を止めるから、どうかそれまで耐えていて」

 外でがんばっているはずの大切な友と使い魔の無事を祈り、タバサは次なる記憶の世界へと消えていった。

 

 だがその頃、シルフィードはフレイムとともに最大のピンチを迎えていた。

「きゅうぅぅ……」

 身動きできないゴルバーにゼットンの巨大な火球が迫ってくる。ダメージを受けている今の体で受けたら耐えられないと、シルフィードは覚悟して目を閉じようとした。

 だが、その瞬間に青い閃光が火球とゴルバーの間に飛び込んできた。

「セエヤァッ!」

 ウルトラマンヒカリのナイトビームブレードが一閃し、火球を縦に真っ二つに切り裂いたのだ。

 愕然とするシルフィードとフレイム。「すごい」と感じて、自分たちの命を救ってくれたその背中を見つめていた。

 しかし、いくら剣の達人のヒカリでもゼットンの火球を両断してただで済むはずはなかった。反動はヒカリの右腕を激しく襲い、ヒカリは苦悶の声を漏らしながらナイトビームブレードを維持できなくなって、刀身が光になって消えてしまう。

 そんなことはお構いなしに、ゼットンは火の海の中を青い体を不気味に輝かせながら迫ってくる。だがヒカリは痛む腕を上げて、果敢にゼットンに対して立ち向かっていった。

〔お前たちは下がっていろ!〕

 ゴルバーに言い残し、ヒカリとゼットンは刹那に激突する。

 ヒカリのミドルキックがゼットンの脇腹を鋭く狙うが、ゼットンは即座に腕を盾にして受け止めてしまう。お返しとばかりにゼットンの太い足が振り上げられてヒカリを狙い、ヒカリはすんでのところで後ろに跳んで回避した。

「ヘヤアッ!」

 ”ゼットン!”

 ヒカリの気迫のこもった声と、ゼットンの鳴き声が交差する。

 短距離ジャンプしたヒカリはゼットンの頭にパンチをお見舞しようとしたが、ゼットンはそれを読んでいたかのようにヒカリのパンチを受け止めて、そのまま地面に引きずり下ろしてしまった。

「グアアアッ!」

 地面に叩きつけられたヒカリを、ゼットンは虫けらにするように容赦ないストンピングで追い打ちした。

 何度も踏みつけられて苦しむヒカリ。脱出しようにも上を取られている上に、力もゼットンのほうが上だった。踏みにじられるヒカリのカラータイマーが激しく鳴り響き、彼の限界が近いことを知ったかのように、ゼットンは再び電子音とともにゼットンと鳴いた。

 

 窮地のヒカリ。彼を助けようにも、ゼットンを相手に有効な攻撃のできる者はここにいない。

 いや、一匹……正確には二匹。シルフィードとフレイムはヒカリがピンチの姿を見て、ヒカリをそんな風に追い込んでしまった自分たちに、果てしない怒りを煮えたぎらせていた。

「赤いの、お前の言うとおりに飛んでやるのね。だからお前の力で怪獣をやっつけてほしいのね」

「痛いのはおれが全部受けてやる。お前は心配なく飛び回れ、おれたちは、おれたちは足手まといなんかじゃあない」

 シルフィードは渾身の力でメルバの翼を動かし、フレイムはゴルザの体に力を貯めた。

 さっき、ウルトラマンは自分も傷ついているというのに、自分たちに「下がってろ」と言った。それはつまり、こんな強い力を得ても自分たちは戦力外だということ。

 どうしてそうなったか? 答えは考えるまでもない。二匹はそこまで馬鹿ではない。ライバル心が行きすぎた。それが傷ついたウルトラマンをさらに追いつめてしまったのなら、反省してとるべき行動はひとつしかない。

「いくのね!」

「ああ、まっすぐだ!」

 二匹は息を合わせて突撃した。ゴルバーはゴルザの足で走り、メルバの翼で加速する。

 その時、ゼットンはヒカリのカラータイマーを踏み砕こうと足を振り上げていたが、そこへゴルバーは全力の体当たりを叩きつけた。

「どりゃあーっ!」

 ゴルバー七万トンの体当たりが決まり、ゼットンは大きく弾き飛ばされた。

 地響きとともに着地するゴルバー。だが、次いで威嚇するように咆哮するゴルバーを、ヒカリは苦しい息の中で静止した。

〔やめろ、ゼットンはお前たちのかなう相手ではない〕

「そんなもの、やってみなきゃわからないだろ」

「お前はそこで休んでるといいのね。わたしたちだってやれるってことを、見せてやるのね」

 フレイムとシルフィードは覚悟のこもった声で答えた。ゴルバーもダメージが蓄積していて、これ以上やられたら持たない。ここから巻き返す方法はひとつだけしかない。

 ゼットンは今の体当たりのダメージも感じさせないほど、悠々と立ち上がってくる。それを見てシルフィードとフレイムは、先手必勝と叫んだ。

「桃色の使い魔が言ってたのね。えーっと」

「攻撃は最大の防御なりだ!」

 ゴルバーはゼットンに火球を撃たせる隙を作らせてなるかと突進した。もちろん、ゼットンも先のとおり接近戦にも隙のない怪獣だ。さっきと同じようにゴルバーを捕まえようと手を伸ばしてくる。

 このままではさっきの二の舞だ。そのときフレイムがシルフィードに合図した。

「青いの、ジャンプだ」

「きゅい!」

 メルバの翼が開いて羽ばたき、ゴルバーはゼットンの直前で大きく跳び上がった。

 空を切るゼットンの手。その隙を逃さず、落下の勢いをプラスしてゴルバーのキックがゼットンの顔面に炸裂する。

「どりゃあ!」

 さしものゼットンもこれにはたまらずよろめかされる。だが着地したゴルバーは追い打ちをかけようにも、フレイムが二足歩行に慣れてないせいで殴りかかることができなかったが、そこにシルフィードがアドバイスした。

「赤いの、腰ね、腰で踏んばって立つのね」

「腰? ようし、こんなもんかぁ!」

 腰に力を入れて体を支えたゴルバーは、そのまま前進してゼットンに殴りかかった。まだぎこちない部分はシルフィードが羽を使ってバランスをフォローする。

 超古代怪獣ゴルザの鋭い爪攻撃がゼットンに当たって火花を立てる。接近戦のパワーでならゴルバーのほうが上のようだ。

 だが、ゼットンはメルバの翼がゴルバーの機動力の要と見て、威力をセーブして速射力を高めたゼットン光弾を放ってきた。

「青いの、翼をたため!」

 とっさに気づいたフレイムの指示で、たたまれた翼に被弾しないでは済んだが、代わりにゴルバーの体に無数の光弾が着弾してしまった。小爆発が連続し、フレイムがうめき声をあげる。

「ぐああっ!」

「お、お前、大丈夫なのね?」

 いくら威力を抑えた光弾だったとはいえ、元がゼットンの攻撃だから威力は並みなものではない。シルフィードだけでなく、見守っていたキュルケからもフレイムの苦痛の声に心配する声があがったが、フレイムはやせ我慢をにじませながら言った。

「言っただろ、痛いのはおれが引き受けるってな。気を抜くな、まだ来るぜ」

 ”ゼットン!”

 ゴルバーが侮りがたい強敵だと証明したことで、ゼットンも戦法を変えてきた。ゴルバーに比べて可動域の広い関節を活かして、中距離からキックを繰り出して攻めてくる。下半身を攻められてバランスを崩しかけたフレイムは、ならば近づこうと火トカゲ・サラマンダーのように飛び掛かった。

「くらえっ!」

 この体当たりなら元から自分の得意技だ。ぶつかってそのまま押し倒してやろうとフレイムは考え、ゴルバーの巨体はゼットンに迫ってゆく。だが、ぶつかるかと思った瞬間、ゼットンの姿は煙のようにかき消えてしまったのだ。

「消えた? ど、どこいった!」

 体当たりをかわされてうろたえるフレイム。ゼットン得意のテレポートを知らないフレイムが狼狽しているうちに、ゼットンはゴルバーの背後に出現した。そのまま無防備な背中に襲い掛かろうとするゼットンだが、そうは問屋が卸さない。

「後ろなのね!」

 鳥類の目は前後に広い視野を持つ。ゴルバーにはゴルザの顔の後ろにメルバの顔もついているから、注意してさえいればほとんど死角は無いのだ。

 はっと気づいたゴルバーの太い尻尾が唸って、ゼットンを丸太の一撃のようにぶっとばした。

 瓦礫の山の中に転がっていくゼットン。フレイムはゴルバーを方向転換させながら、シルフィードに「ありがとよ」と礼を言い、シルフィードも「どういたしまして」なのねと答えた。

 だが、ゼットンに巨大なエネルギーが集中していることに二匹は気づくのが遅れた。ゼットンは抜け目のないことに、吹き飛ばされている途中からエネルギーチャージを始めていたのだ。起き上がると同時に火球を精製し始めるゼットン。二匹はやっと気づいたものの、間合いが開いたために今からでは接近も回避も無理だ。

「どどど、どうするのね!?」

「落ち着け青いの。おれが火竜山脈でタチの悪い火竜にインネンつけられたときも逃げられなくて焦ったが、こうなりゃやることは一つしかねえ。気合入れろ」

「うう、ええいわかったのね。おねえさま、力を貸してなのね!」

 巨大なゼットン火球が放たれ、ゴルバーに向かう。回避も耐えるのも不可能、残された方法は一つ。

 ゴルバーの口が開き、後頭部のメルバの目が赤く輝く。そしてゴルバーは口からの超音波光線と、目からのメルバニックレイの同時発射でゼットン火球を迎え撃った。

「うおおおお!」

「きゅいいいい!」

 空中で激突してエネルギーをほとばしらせる光線と火球。ゼットン火球の勢いはものすごく、光線ごしでもすさまじい反動が返ってくるのを二匹は感じた。

 パワーとパワーのぶつかり合い。だがこちらには二匹分の力と根性がある。全力で押し切った末に、とうとうゴルバーの光線はゼットン火球を相殺して大爆発を引き起こした。しかし爆風が襲ったのはゼットンで、その勢いで吹っ飛ばされたゼットンを見て、フレイムとシルフィードは息を切らしながら笑い合った。

「やるじゃねえか、見直したぜ青いの」

「お前こそ、見直したのね。さっきのお前、ちょっとかっこよかったのね」

 一匹ではダメでも、二匹の力を合わせればあんな強い怪獣とだって戦うことができる。フレイムとシルフィードは、協力して戦うことの有意義さと、なにより嬉しさをかみしめていた。

 だが、ゼットンはまだ倒れてはいなかった。気が抜けていたゴルバーの前にテレポートでいきなり現れてきたのだ。

「んなっ!?」

 いきなりすぎて反応が追いつかないゴルバーに手を伸ばしてくるゼットン。だがゼットンの魔手を、高速で割り込んできた青い閃光が弾き飛ばした。

「セアッ!」

 ウルトラマンヒカリの鋭いキック一閃。ゼットンはよろめきながら後退し、ヒカリはゴルバーの横に並んで構えをとった。

「ウ、ウルトラマン」

「お前たち、見事な戦いぶりだった。共に戦おう」

 ヒカリからの共闘の申し出に、フレイムとシルフィードは胸を打たれた。ウルトラマンが足手まといではなく、戦力として自分たちを見てくれている。もちろん、二匹に異存のあろうはずがない。

「やってやるぜ、勝とうぜ青いの」

「シルフィたちを頼りにしてくれていいのね。この世界は、わたしたちが守るのね」

 ゴルバーの咆哮がリュティスにこだまする。ゼットンの火球よりも熱い友情の炎が、ハルケギニアを守らんと燃えていた。

 

 

 続く



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第40話  高度一万フィートの魔法使い(前編)

 第40話

 高度一万フィートの魔法使い(前編)

 

 宇宙戦闘獣 コッヴ 登場!

 

 

 タバサとジョゼフは、シャルルの記憶の迷宮をひとつひとつ、糸を手繰り寄せるようにして進んでいた。

 ジョゼフにとっての弟シャルル。タバサにとっての父シャルル。幾十年にも及ぶそれらの記憶、思い出が二人の目の前に立体映像のように次々に再現されていく。

 鮮明に蘇る過去の光景は、ある時は懐かしく、ある時は苦い。それはジョゼフとタバサがシャルルという人間と過ごしていた日々が確かにあったということに他ならず、二人は一つ一つを確かめるように見ていった。

 ある思い出では、ジョゼフはシャルルが若年にして水の真理を理解した時の光景を見た。その時、ジョゼフはシャルルの背中を悔しげに見つめていることしかできなかった。だが、ある日に父王が隠していた昔の恋文を偶然見つけてしまい、シャルルと二人であごが外れるほど笑い転げたこともあった。もっともすぐに父王にバレて、兄弟二人でメチャメチャに怒鳴られた有り様には、ジョゼフは笑いをこらえながら胸を詰まらせた。

「シャルルよ、俺はずっとお前に負け続けた。だが、そんなことは関係なく、俺たちはずっと兄弟であったのだなあ」

 ジョゼフは自分の中のシャルルの思い出が、決して敗北の悔しさの記憶だけでは無いことを改めて見て感じた。

 別の記憶では、魔法薬学についての論文でシャルルの後塵を拝した時のものだった。その時もジョゼフは表彰を受けるシャルルをじっと見つめるばかりであったが、この時はただ悔しかっただけの光景も、シャルルの重ねてきた人知れない努力を知った今でなら違う見方ができる。

「俺はずっと、お前のことを天に最初からすべてを与えられた天童だと信じて疑わなかった。俺は本当に間抜けだったよ、それにさえ気づいていればなぁ」

 気づくチャンスなど山のようにあったはず。自分の思い込みが原因で、シャルルも自分と変わらず苦悩していたことに思い至らずに、打ち解ける機会を逃してしまった。

 シャルルの努力を認めて褒めてやれていれば……大人になる前にそうできていれば、もしかしたら。いや、悔やむのはもういいはずだ……だがジョゼフは、覚悟の決まっている自分はよいが、シャルロットはどうかと心配していた。

「今度こそ、ちゃんと話そうぞシャルルよ……しかしシャルロットよ、くどいようだがこの先はお前の見たくないものを見るはめになるやもしれんぞ。ここまで来てなんだが、お前にもしものことがあったら俺は今度こそシャルルに上げる頭がなくなってしまう」

 ジョゼフらしくもない弱気な言葉に、タバサは「この人にこんな顔ができたんだ」と心の中で驚いた。

 けれど、タバサは静かに首を振る。

「心配はいらない。お父さまがやっていたことは、わたしもショックだったけれど……でもそれで、お父さまもただの人間だったと気づけた。お父さまを救うためには、わたしも本当のお父さまの顔を知らないといけないから」

「シャルロットよ。そうか、お前もだったか」

 シャルルに対して幻想を抱いていたのはタバサも同じだったとジョゼフは理解した。いや、世の中の人間はすべからく、自分のよい幻想を他人に植え付けようとし、他人に勝手な幻想を抱いて信じ込むものだ。シャルルは、王族であるがゆえにそれをやりすぎてしまった。そして、シャルルが自分を見失うほど幻想で自分を塗り固めさせてしまったのは、シャルルの本心に気づいてやれなかった自分たちの責任だ。

「だがシャルロットよ、お前は本当にシャルルの奴を許せるのか? あいつの歪みようはもしかしたら、俺以上かもしれんぞ」

 その言葉はタバサを怒らせるかもしれなかったが、間違いではなかった。今のシャルルは長年押し殺してきた悪意や野心をムザン星の魔石によってむき出しにされている。けれど、それでもタバサの決心は揺らがなかった。

「大丈夫、悪に囚われても、優しかったお父さまもお父さまの本心なことは変わりない。人の心が残っていたら、道を誤っても人はやり直せるということを、わたしは友達と……外の世界で、ある人たちに教わった」

「ある人たち? そうか、お前は異世界にしばらく飛ばされていたのだったな。その時のことはお前は黙して語ろうとしなかったが……せっかくだ、もう話してくれてもよいのではないか?」

 ジョゼフにねだられたタバサは、一度空を仰いでからうなづいた。

 そしてタバサはジョゼフに、そしてシャルルにも聞かせるようにおもむろに語り始めた。

 

 

 それはタバサが体験した時空を超えた冒険譚の一ページ。

 ハルケギニアの外の世界。地球と呼ばれる星で出会った人々との、かけがえのない思い出の日々。

 

 

 かつて、タバサはギジェラとの戦いの後に、月食に開いたワームホールに吸い込まれてハルケギニアから消えた。

 ワームホールとは、無限に広がる多次元宇宙への扉。そこに計算もなく迷い混んでしまった者のほとんどは、永遠に宇宙の果てをさ迷い続けるしかない。

 だがタバサの命運は尽きてしまったわけでは無かった。別の場所で才人やルイズがワームホールに吸い込まれた後に過去のハルケギニアや別宇宙に飛ばされたように、タバサも運良く人間が生存できる星にたどり着いていたのだ。

 否、偶然というより必然であったと言うべきかもしれない。なぜならそこはウルトラマンガイアが守ってきた地球で、すぐに高山我夢と出会えたのだから。

 我夢とタバサのあいだにはあれこれの紆余曲折があったが、本筋ではないので割愛する。しかしタバサの示したいくつかの証拠から、彼女が地球人ではないと確信した我夢は、タバサの身柄を保護することに決めた。

 

 そして後日。タバサから可能な限りの情報を聞き出し、地上基地ジオ・ベースでの基礎調査のデータを得た我夢は、タバサを大学の友人たちに預け、一人で空にやってきていた。

「間違いないのか? その子が、地球外から来た人間だということは」

 太平洋上の赤道上空。雲海よりさらに上に浮かぶ対根源破滅地球防衛連合G.U.A.R.Dの実戦部隊、特捜チームXIGの空中基地エリアルベース。正確には二代目エリアルベースと呼ぶべき場所のコマンドルームで、我夢の報告に何人かの士官が怪訝そうな様子を見せていた。

 今、我夢に確認をとったのはXIGの指揮官である石室コマンダー。いかにも厳格そうな男性だが非常に柔軟な思考を持ち、全隊員から信頼されている。むろん我夢も例外ではなく、コマンダーの質問に落ち着いた様子で返答した。

「間違いありません。彼女の毛髪から採取した遺伝子データは、地球上のいかなる人種とも合致しないものでした。なにより、彼女の見せた魔法という力、あれはトリックでもなんでもありません」

 コマンドルームのモニターに、タバサが杖を振るだけで物を浮かせたり氷を出現させたりする様が映し出された。

 それを見て、オペレーターの佐々木敦子隊員とジョジー隊員は「すごーい」と素直に感心した様子を見せているが、G.U.A.R.Dから出向してきている千葉参謀は、すぐには納得せずに懐疑的な様子で我夢に尋ねた。

「確かに普通の人間ではないのは間違いないようだ。だが、街中で異世界人が君と偶然遭遇するとは、少しできすぎてはいないかね?」

「もっともなお考えです。それについては仮説ですが、この絵を見てもらえますか。彼女をワームホールに飛ばしたという、怪獣の絵だそうです」

 我夢はモニターを切り替えた。そしてそこに映し出されたタバサの描いた絵の怪獣。骸骨のような体に、頭に縦に長い黄色い発光体を持つ怪獣の姿を見て、一同は息を呑んだ。

「こいつは」

「ビゾームか」

 実戦指揮官の堤チームが唸るようにつぶやいた。我夢はうなづいて、説明を再開する。

「ビゾームの情報は一般には公開されていません。なにせ、僕とキャサリンしか見た人間のいない怪獣ですから。XIGにも僕たちが提出したわずかなデータしかない怪獣を、ただの子供が知っているなんてありえないことです。そして、ここからは根拠に乏しい推測ですが、かつてビゾームと戦った僕に、ビゾームの気配のようなものが残っていたとしたら、あちらの世界でビゾームの開いたワームホールが、僕の近くに出口を作ったという可能性も」

 我夢の推測に、一同は完全ではないがうなづいた。だが石室コマンダーはそれだけにとどまらず、我夢に話の続きをうながした。

「彼女がこの世界に来た仮説までは飲み込めた。だが我夢、大事なのはそれより先の推測だろう?」

「はい。我々はガグゾムの殲滅を最後に、根源的破滅招来体の攻撃は停止もしくは休息に入ったと判断してきました。ですが、破滅招来体の尖兵であるビゾームがまだ存在していたということは、破滅招来体がまだ活発に活動している証拠で、さらにこれまでにない大規模な攻撃の可能性を示唆しているかもしれないということです」

「それはいったいどういうことかね!」

 千葉参謀が驚いたように尋ねてきた。我夢はモニターにこれまでの破滅招来体との戦いの記録を映し出しながら、説明を続けた。

「破滅招来体は、これまであらゆる手段を使って攻撃をかけてきました。特に、コッヴやバズズのいる惑星と地球を繋げたりするなどの、宇宙の彼方と地球をつなぐワームホールで怪獣や兵器を送り込んでくる戦法は、彼らのもっとも多用する手段でした。彼女のいた星でも、怪獣が暴れて現地の人間の生活を脅かしているそうです。破滅招来体がその星を前線基地に変えてしまえば、ワームホールを通してまた地球はかつてと同じ脅威にさらされます」

 かつての破滅招来体との戦いは苦闘の連続だった。少なからぬ犠牲も払ってようやくつかんだこの平和がまた崩されるかもしれない……千葉参謀の表情が曇る。しかし、我夢は力強い声色で言った。

「いえ、悲観するのはまだ早いです。もう一枚、彼女の描いたこの絵を見てください」

 モニターが切り替わり、映し出されたイラストに一同は目を見開いた。だがそれは悲嘆ではなく歓喜に近いもので、ジョジーと敦子が興奮した様子で次々に言った。

「wao! ウルトラマン!」

「でも、ガイアやアグルとはちょっと違うね」

 そこに描かれていたのは、ハルケギニアで戦うウルトラマンたちの姿だった。それを確認してもらい、我夢はコマンダーとチーフに対して自分の考えを述べた。

「ウルトラマンが星を守っているのは、地球だけではなかったんです。もし、その星のウルトラマンと連絡をとって協力できれば、破滅招来体への対抗に大きな力になります」

 力説する我夢の言葉を、コマンダーはじっと聞いていた。だが堤チーフは難しい様子で我夢に尋ねた。

「だが我夢、壮大な話だが具体的にはどうするつもりだ? 我々はまだ、ワームホールの向こう側にさえ一度も行ったことはないんだぞ」

「ひとまずは、彼女を元の星に戻すことを第一にして考えます。異なる世界への旅行は、僕も研究を続けてきたことです」

「アドベンチャー号か。だがあれは試作機の喪失の後は制作を中断していたはずじゃなかったのか?」

「はい。かつてスペースシャトルが宇宙送還機を目指しながら不完全に終わったように、異世界との往復のリスクは僕の想像を超えていました。ですが、あの頃に比べてデータの蓄積は進んでいますし、今度はアルケミースターズのみんなにも協力を要請して、安全な超空間移動の方法をきっと突き止めて見せます」

 やる気はある、任せてくれという我夢の姿勢が本物だということは誰の目にも明らかだった。だがそれでも、コマンダーは我夢に厳しい視線を向ける。

「我夢、お前は破滅招来体との戦いにおいて、常に科学的根拠に基づいた確証を提示し続けた。しかし今度のお前は、確実性を担保できないあいまいな目標しか示せていない。いくらお前の言葉でも、そんな不確かなものにXIGの責任者として許可を出すことはできん」

「わかっています、無茶を言っているということは。それでも違う世界から迷い込んできた人はいて、僕なら助けてあげられる可能性がある以上、黙って見ていることはできません。ですから、これは僕の私的研究ということで進め、XIGには一定の成果が出たのちにあらためて協力を要請します」

「できるのか? お前でさえ成功の確証を出せない研究を」

「ワームジャンプの基礎研究はできています。後は、シミュレーションを繰り返して最適の方法を探っていくだけです。それが何万回、何十万回必要になるかは未知数ですが、成功させる答えがあるものならば必ず。時間は必要ですが、今度こそ、ワームジャンプを人類にとっての希望となるものとして形にしてみせます」

 G.U.A.R.D.はかつて、破滅招来体への対抗を焦るあまりに稚拙な準備によるワームジャンプミサイルによる反撃を行おうとして、逆に破滅招来体に利用されて窮地を招いた。その愚を繰り返さないよう、万全を尽くしたいという我夢の気持ちはコマンダーにも伝わった。

 だがそれはそれとして、我夢は少し申し訳なさそうにコマンダーに頼んだ。

「ただ、それとは別件でお願いしたいことがあるんです。僕が今保護している少女、タバサのことなんですが、彼女が地球外生命だということは確実なので、しばらくの間エリアルベースで保護してもらいたいんです」

「なぜだ? 保護するというのならジオ・ベースのほうが確実ではないか。リザードの監視下にも置きやすい」

「あ、いえ、瀬沼さんたちを信用しないというわけではないんです。ただ、女の子なので地下にしばらくいてもらうというのも何ですし、マコトたちにも相談したら「やっぱ我夢の近くにおいとくのが一番だろ」と、言われちゃいまして」

 なるほど、とコマンダーも納得した。確かにジオ・ベースは地下施設だから閉塞感は大きい。それに、エリアルベースのほうならば女性隊員も多いので、彼女も親近感を持てるだろう。

「わかった。我夢、一週間……いや、半月の猶予を出そう。その間、その少女の乗艦を許可する。それまでに結果を出して見せろ」

「了解、ありがとうございます! コマンダー」

「その少女の滞在中の面倒は、敦子、ジョジー、それにチーム・クロウで分担してみることにしよう。それでいいか?」

 もちろん敦子たちに異存があるはずもなく、話はまとまった。

 千葉参謀はまだ少し納得していない様子だったが、堤チーフはコマンダーが了承したこともあり「我夢はこれまでやると言ったら必ず実現してきました。今回もやらせてみる価値はあると思います」と説得してくれた。

 だが、我夢にとってはこれから一気に忙しくなる。一礼して我夢はコマンドルームを退出し、エリアルベースから地上を結んでいる送還機であるダヴ・ライナーに乗り込もうとした。

 ところが、ダヴ・ライナーの出発時刻を待っている我夢をコマンダーが呼び戻し、展望室でコマンダーは我夢に尋ねた。

「先ほどはあえて聞かなかったが、今回の件はお前だけの考えではないのではないか?」

「あの、どうしてそう思われたのかを先にお尋ねしても」

「千葉参謀と同じだ。お前の発案にしては飛躍しすぎている。なにか、あらかじめお前の考えを補強する、誰かの助言を受けてきたんじゃないか?」

「はい、まいりました。実は、僕も最初は半信半疑だったんですが、悩んでた僕のところに藤宮がやってきて、彼も以前に並行世界に関する事件に関わっていたことを教えてくれたんです」

 我夢は、藤宮博也がかつて並行世界への一時的なジャンプを経験し、それを聞いたことを話した。コッヴが現れる少し前の時に、ある森が別次元のどこかと入れ替わる事件が起きたことがあった。藤宮はそれを調査し、人知れぬうちに解決したのだが、その時に記録した次元跳躍のデータと近いものを我夢の近くで観測し、警告に来てくれたのだと。

 そして藤宮も驚いたことに、タバサこそそのときに藤宮が助けた異世界人その本人だった。この偶然と呼ぶには重なりようがない二つの事実に、二人はタバサから聞き出した情報を総合し、破滅招来体がまだ暗躍していることも重く見て、事前に対策を打つことに決めた。

 しかしまだ、具体的には雲をつかむような話であるし、それ以前に大事なのはタバサを元の世界に帰してやることである。そこで藤宮は、自分はまだ独自に調査を続けるとして、我夢もXIGで実行力を整えることにしたのであった。ちなみにタバサを預かることについては藤宮にあっさり断られたのは言うまでもない。以上が、我夢がらしからぬ行動に出た真相であった。

「そうか、藤宮博也、彼も関わっていたのか」

「すみません、藤宮は以前にいろいろありましたし、しばらく伏せていたほうがいいかなと」

「いや、責めているわけじゃない。彼と我々とは確かにいまだにデリケートな関係ではあるが、皆が皆同じ方法で地球を守る必要はない。彼には彼のやり方があることを、少なくとも私は尊重したいと思う。だが我夢、藤宮に気を遣うのはわかるが、そうすることで余計に彼と我々の間に壁を作っているのではないか?」

「はい、僕が軽率でした」

「わかってもらえたならいい。我夢……次の戦いはさらに厳しいぞ」

「はい!」

 コマンダーは簡潔に話を済ませ、我夢を見送ってくれた。まだ若い我夢にとって、XIGは見習うべき人生の先輩がたくさんいるが、その中でも石室コマンダーは我夢のよき理解者だった。我夢がその卓越した頭脳を十全に生かせるのも、ガイアとして戦うことができるのも、コマンダーが陰に日向にバックアップしてくれなかったらありえなかったことだ。

 だからこそ、その期待には全力で答えたいと我夢は思う。

 

 そして、我夢の多忙な日々が始まった。

 アルケミースターズのネットワークで協力を要請することはできるとしても、まだ誰も安定して成功させた者のいない別世界への移動技術である。クリアしなければならない課題は山積みで、大学のカリキュラムもある始末、我夢の友人たちがあれこれ手伝ってくれなかったらまた休学するはめになっていただろう。

 それに、アルケミースターズでなくとも我夢の友人たちも優秀な人材である。彼らとの交流は思考が硬直化するのを防ぐことにもなる。なにより大学生活は楽しい。

 また、我夢がハルケギニアへの移動手段を模索する間に、タバサのエリアルベースでの生活も始まった。

「はじ、めまして、よろしくおねがいします」

 XIGの女性隊員服に身を包んだタバサは、学んだばかりの拙い日本語であいさつした。

 タバサの立場上は、海外のG.U.A.R.D.支部からの研修生ということで取り繕っている。G.U.A.R.D.は世界的な組織であるし、タバサの青い髪の色を見れば疑う者はいなかった。

 ただし、タバサの滞在時の監督者役を命じられたオペレーターズとチーム・クロウ(XIGの戦闘機小隊・ファイターチームの部隊のひとつ。女性パイロット三人で構成されたチーム)は真相を知らされていた。そして、彼女たちの勤務の合間を縫って、タバサの日本語教育もかねた交流がおこなわれたが、これでタバサは目を白黒させることになった。

「やーん、なにこの子、カワイーイ!」

「もうジョジー、私たちは我夢から大事な仕事を頼まれたんでしょ。建前上でも、ちゃんと研修生向けの講義をしないと」

「ノンノン、ステイの第一は友情を育むことから始めるものよ。ねえタバサ、あなたパフェ好き? 今度いっしょに食べに行かない?」

「え、あの、その」

「ジョジーったら、タバサちゃん困ってるじゃないの。タバサちゃん、私がしっかりXIGの準隊員にふさわしいようなんでも教えてあげるからね」

「は、はい」

 異世界の軍事組織ということで借りてきた猫のように身を固くしていたタバサは、ジョジーの陽気さと敦子のお姉さんぶりに意表を突かれてしまった。

 だが、地球のことはまだほとんど知らず、日本語もまだつたないタバサにとって、二人の気楽さは不安を和らげてくれた。それに、まともに子ども扱いされたのはタバサにとって本当に久しぶりで、キュルケやシルフィードと別れて傷心だったタバサは、まるでお母様といたときのようと心が安らぐのを感じた。

 けれど、タバサは学ぶことは決しておろそかにしなかった。ハルケギニアに戻れるかはまったく未知数だが、絶対に帰るつもりでいる。その時のために、なんであろうと知識はとにかく蓄えようと、タバサは懸命に日本語を学び、二人から地球のことや根源的破滅招来体についての知識を吸収した。

「この世界では月はひとつ……でも、わたしが見上げるべき夜空は、月がふたつある世界」

 初日が終わった夜、展望室から地球の夜空を見上げたタバサはつぶやいた。ハルケギニアに戻ってなさなければならない使命、ジョゼフへの復讐が自分を呼んでいる。

 けれど、それだけではいけないともタバサは思っていた。

「ハーイ、タバサ。ランチに行こう」

 誘いに来てくれたジョジーに、タバサはうなづいた。

 自分を受け入れてくれたこの人たちに何か恩返しをしたい。貴族として、帰る前にその責務は果たしてからハルケギニアに戻りたい。そのためにも我夢がハルケギニアに行く方法を見つけるまで勉強に励み、機会が来たときにはそれを逃すまいと、タバサは決心した。

 けれど、身構えるタバサを翻弄するようにエリアルベースでの日々はタバサの予想を超えてきた。

「あなたが我夢の言ってたタバサって子? ふーん、私はチーム・クロウの稲城、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあ私たちはこれから演習だから、あなたは展望室から見てたらいいわ」

「え? え?」

 さしものタバサも二度聞きしてしまった。イザベラの無茶振りならなんであろうと流せるが、なんとチーム・クロウの三人はタバサを置いてそのまま演習に出てしまったのだ。

 彼女たちの乗る戦闘機、XIGファイターの演習用黄色塗装機がエリアルベースから発進していく。置いていかれたタバサは、言われたとおり展望室からチーム・クロウの演習を見学しているしかなかった。

 しかし、いざ演習が始まるとタバサは息を呑んで目を見張った。

「すごい……」

 チーム・クロウの三機のファイターは、すさまじいスピードで追いつ追われつのドッグファイトを繰り広げ、時に見せる変幻自在の空中機動はタバサをしても目で追うのがやっとだった。

 シルフィードに乗って飛ぶときでさえ、すごい風圧と加速度が体に襲いかかってくる。ましてやシルフィードの何十倍もあろうスピードの中で縦横に変化する重力に耐えながら機体を操るとは、ただ者ではない。

 タバサは以前に見たGUYSのガンフェニックスを思い出した。あれもすごかったが、ファイターは小型な分だけ機動力はさらに秀でている。

 これが異世界の空中戦……しかも、自分がハルケギニアに戻って戦わなければならない宇宙人たちは、さらにこれ以上の性能を持つ宇宙船を持っている。学ぶべきことは多いとタバサは改めて感じた。

 そして演習後、チーム・クロウはカフェテリアで演習の成果を話し合っていたが、稲城リーダーはふと同席させていたタバサに問いかけてきた。

「ところであなた、さっきの演習見てたのなら、ここのところで私がこうやって樹莉を追い詰めたとき、あなたならどうやってかわすかしら?」

「……」

「遠慮しなくていいわよ。我夢から聞いたけど、あなた別の世界ではドラゴン乗りだったんですって? 率直に言ってみてくれればいいから」

「でしたら……」

 タバサは言われた通り、自分だったらこの空中戦でどう動くかと考えて、テーブルの上に置かれていたファイターの模型を動かしてみた。

「ふーん、なかなかやるじゃない。なら、こっちがこう動いたらどう?」

 タバサは眉をしかめた。その動きはこちらの逃げ道を大きくふさいでくるものだったからだ。次の一手で巻き返さないと確実に撃墜される。

 まるで詰め将棋。プレッシャーを感じながらタバサは考え、最良と思われた機動で模型を動かしたが。

「やるわね。でも、動きが固いわ、こっちがこうしたらどう?」

 稲城リーダーが模型を動かすと、タバサのファイターは稲城リーダーのファイターに完全に頭を押さえられてしまい、まだ落とされてこそいないけれど勝ち目はさらに低くなってしまっていた。

 ここから逆転するのは神業でしかない。タバサはあきらめて、「降参……」と、短くつぶやくしかなかった。しかし稲城リーダーはくすりと笑い、チームの三島樹莉と多田野慧がテーブルの上にラジカセを置いて言った。

「もっとリラックスして。肩の力を抜いてリズムに乗ればいいのよ。こんなふうにね」

 再生ボタンが押されると、陽気で賑やかなロックの音楽が流れ始めた。それはタバサは初めて聞くタイプのミュージックで、不思議と明るい気分になれる気がした。

 見ると、チーム・クロウの三人も陽気にリズムを踏んでいる。そして、リズムが乗ってきたところで、タバサにもう一度模型が手渡された。

「今のあなたならどうするかしら?」

 そう言われても、そんなすぐにいい考えが浮かぶわけがない。しかしリズムが胸に沁み込み、心が軽くなってきたタバサは何か違うことができる気がしてきた。冷静さを失ってはいけないのは狩人の鉄則だが、今の立場は追われて仕留められかけている獲物のほうにある、なら生きるためには逃げるよりもいっそ。

 タバサは思い切って模型のファイターを稲城リーダーの機に突撃させる機動をとらせた。それはタバサらしくない強引で無謀にも思える動きだったが、稲城機がそのままの機動でタバサ機に銃撃を敢行すれば、タバサ機は落とせても勢い余って空中衝突の危険性があったので稲城機は回避した。

 結果、まだ不利なことに変わりはないがさっきよりはだいぶマシな戦況に立て直すことができた。その出来栄えを見て樹莉と野慧は拍手し、稲城リーダーはタバサを褒めた。

「そう、その感覚よ。あたしたちパイロットはいつでも死と隣り合わせ。でも、広い空で可能性がゼロになるなんてことはない。だからいつでも前向きでいないとね」

 その言葉でタバサははっとした。そして、この人たちは敦子たちとは逆で、最初から自分を一人前と見て、その上で自分たちなりのやり方で鍛えてくれようとしてるのだと理解した。

 どちらが良い悪いというわけではない。人にはそれぞれやり方がある。そのやり方で、身元も確かでない自分を受け入れてくれている。タバサは、このXIGという組織の人たちへの信頼が心に芽生えるのを感じた。

 そして一週間が過ぎる頃、タバサはコマンダーの私室でチーフや参謀とともに『茶道』というものでもてなしを受ける機会があった。

「ここにはもう慣れたかな?」

「はい」

「それならばよかった」

 コマンダーはあまり多くを語る人ではなかったが、彼が隊員たちから深く信頼されているのはタバサにもわかった。

 組織を束ねる者に必要なのは、何より『信頼』だ。巨大な組織というものを動かすのに、上が細々と指示していては間に合うわけがない。むしろ上はどっしりと構えて、重要な命令だけを間違えずに出し、あとは下を自由に動けるようにする。言うだけなら簡単だが、この人に任せれば間違いはないという信頼を得るのは並大抵のことではない。

 つまりそれだけ、XIGという組織が激戦を潜り抜けてきた練達の部隊だという証拠である。この茶道という文化も、礼節の中で語り合いの場を設けるという、ガリアには無かったものだ。わびさびというらしいが、なかなかユニークな文化だと思う。ただ、派手でせっかちなハルケギニアの貴族には合いそうもない、キュルケなど5分で音を上げそうだ。

 湯呑茶碗を回しながら、タバサはこれまでのことと、これからのことに静かに思いをはせた。

 

 そして時は経ち、さらに数日が過ぎた。

 何事もなく日々は過ぎ、タバサは日常会話程度なら日本語を話せるようになっていた。しかし我夢の研究は思うように成果が上がらず、約束の期限である半月まで時間が圧し始めていた。

 そんな、ある日のことである。それまで平和が続いていたエリアルベースに突如警報が鳴り響き、緊張が全隊員を駆け巡った。

「G.U.A.R.D.アメリカからの緊急連絡です。場所は北アメリカ、カナダの未開発地域。映像出ます」

 コマンドルームのモニターに送られてきた映像が映ると、駆けつけてきたコマンダーらは眉を潜めた。

「コッヴ……」

 堤チーフが重く呟いた。

 モニターに映し出されていたのは、針葉樹の森林地帯を木々をなぎ倒しながら進撃する二足歩行の怪獣。腕が鎌になり、鋭く伸びた頭部を持つ、かつて破滅招来体の生物兵器として何度も地球を襲ってきた、宇宙戦闘獣コッヴの姿に間違いはなかった。

 コッヴは雪をかぶった森林をものともせずに太い足を振り上げながら爆進を続け、その以前と変わらない容赦ない破壊ぶりに千葉参謀は「なぜまたコッヴが現れるんだ?」と困惑したように言った。

 しかし、呆然としてばかりはいられない。暴れるコッヴを前に、XIGの脳髄が動き出す。

「これも破滅招来体の新たな攻撃か?」

「奴はどこから現れた? ワームホールの発生状況は?」

 コマンダーと堤チーフが問いかける。だがコンピュータを操作していたジョジーがそれを否定した。

「いいえ、ワームホールの兆候は一切確認されていません」

「ワームホールから送り込まれてきたのではないとすると、あのコッヴはいったいどこから現れたんだ?」

 怪獣が何もないところから理由もなく現れるわけがない。チーフの疑問に、過去の記録を分析していた我夢が答えた。

「あの場所は、以前に破滅招来体が送り込んできたコッヴの製造工場『ヴァーサイト』が墜落した地点の近くです。あのとき、ヴァーサイトの内部にいたコッヴは幼体も含めてすべて処理したものと考えていましたが、地中に逃れて生き延びていた個体がいたということです。そして我々に知られないまま成長して成体となり、ついに地表を自分のテリトリーにしようと動き出したんです」

 我夢の分析にコマンダーとチーフはうなづいた。しかし場所は現状G.U.A.R.D.アメリカの管轄区内、勝手な手出しはできないと思われていたところ、そのG.U.A.R.D.アメリカから緊急連絡が入った。

「コマンダー、コッヴの進行方向に人口密集地が。G.U.A.R.D.アメリカの戦車隊の展開が間に合わず、こちらに支援要請が来ています」

「わかった。我夢、あのコッヴの処理について、お前の意見はどうだ?」

「……あのコッヴは地球で生まれて育ったとしても、地球から見れば外来種です。やがては北アメリカに生息している地球怪獣たちとも衝突を起こすことは確実と思われます。速やかな、駆除が最善の選択であると僕は判断します」

 言いづらそうに答えた我夢の心境を、皆はわかっていた。怪獣とはいえ、無闇に命を奪うことを我夢は好まない。しかし、元々地球の怪獣ならまだしも宇宙怪獣を置いておける場所など地球にはない。地球の平和を守るためには心を鬼にしなければならない時もある。

 コマンダーは何もいじわるで聞いたわけではない。再建途上にあったXIGで我夢がもっとも実戦の空気から遠ざかったことで、戦う人間としての意思が揺らいでいないか確認したのだ。そして、我夢もXIGの一員として確たる覚悟を持っていることを認めたコマンダーはチーフに決然と命じた。

「チーム・ライトニング、チーム・ファルコン、出動」

「了解」

 XIGの誇る精鋭戦闘機チーム二部隊に出撃が命じられた。

 二つのファイターチームの計六名と短いブリーフィングが行われたのち、エリアルベースの中のシューターを通って六つの六角柱型のコンテナが基地外へと射出されていく。すると、空中に放り出されたコンテナが変形して戦闘機の姿へと変わっていくではないか。

 これがXIGの誇るコンテナメカのギミック。XIGの戦闘用メカの多くは平時は六角柱型のコンテナに畳まれていることでスペースを最小化し、整備や輸送などに対応しているのだ。

 コンテナモードから展開して戦闘機形態に変わった指揮官用の青いXIGファイターST二機と、追随する赤いXIGファイターGT四機。二チーム計六機のファイターはカナダを目指して飛んでいく。それを見送って、堤チーフもコマンダーに敬礼しながら言った。

「私も、ピースキャリーで現場に向かいます」

「我々にとって久々の実戦だ。任せたぞ」

 続いてエリアルベースの上部発進口が開き、巨大なレドームを持つ指揮管制機ピースキャリーも発進していく。

 コッヴ一体には過剰すぎる戦力だが、XIGはガグゾムとの戦い以来実戦経験が不足している。訓練は欠かさず続けていても、やはり実戦の感覚から遠ざかっていたのは無視できない。この機会に実戦の勘を取り戻すことも一つの目的であった。

 ピースキャリーがファイターを追って飛んでいく後ろ姿がコマンドルームからも見える。それを見送りながら、コマンダーは我夢に問いかけた。

「今度のコッヴの出現は、破滅招来体とは無関係だと思うか?」

「今のところは。ですが、突発的な事象に便乗して、何かを仕掛けてくる可能性は捨てきれません。コッヴの殲滅まで、油断は禁物かと」

 破滅招来体の仕掛けてくる手はいつもこちらの想像を超えていた。いくら備えても常に後手後手に回らざるを得ず、その底はいまだに知れない。

 また、時には破滅招来体とは関係なく現れる脅威もあった。それらまで換算するととても予測しきれるものではなく、こうなった以上、我夢は何事もなく終わってくれることを祈るしかなかった。

 本当に、杞憂で終わればいいのだが……。

 一方、そのころタバサはファイターチームが出撃していくのを、チーム・クロウといっしょに待機所で見送っていた。

「あーあ、久しぶりの実戦なのに留守番部隊なんてついてないわね」

 置いてけぼりを食ってクロウの面々がふて腐れている。しかし、本当によほどの事態でなければファイターチーム全ての同時出動はないのだから仕方がない。場合によっては別の場所で事件が起こる可能性も捨てきれないのだ。

 タバサは借りてきた本のページをめくりながら、戦闘が始まったという空気に神経を張り巡らせている。

 この世界に来て初めての実戦、その顛末は記憶しておきたい。ただ、事件が起こった場所はここから遠く離れており、こちらに類が及ぶことは考えられないが、タバサはなんとなく妙な胸騒ぎを覚えていた。

「なにも起こらなければいいけど……」

 ただの勘でしかない。それに、何かあったとして自分に何かできるわけでもない。

 それでもタバサの胸の奥には、何か腐臭を放つものが近くにあるような不快感がちくりと残り続けていた。

 

 

 ファイターは高速で飛行し、あっという間にエリアルベースのある赤道直下からカナダまでやってきた。

「目標を確認。間違いない、コッヴだ」

 先頭を飛ぶチーム・ライトニングの梶尾リーダーが、眼下の森林地帯を進撃するコッヴを見下ろして言った。

 コッヴの進路は変わらず、相変わらず人口密集地を目指して進んでいる。ファイター六機は上空で旋回し、続いて到着したピースキャリーが情報を統合して指示を出した。

「ファイター各機へ、G.U.A.R.D.アメリカの戦車隊が配置を完了するまで足止め、あるいはコッヴの方向転換を要請されている。攻撃を許可する」

 攻撃命令が出たことで、ファイター編隊は上空で攻撃態勢へと入った。ライトニングの梶尾リーダーとファルコンの米田リーダーが作戦を話し合う。

「コッヴの頭から撃つ光弾は正面にしか撃てなかったはずだ。常に奴の後ろから狙っていけばいい」

「では梶尾リーダー、こちらがコッヴの注意を引きますので、ライトニングは背後から攻撃してください」

「手柄を譲られるみたいで釈然としませんが、その案乗りました。ようし、北田、大河原、何度も戦った相手だ。俺たちだけで片付けるつもりでいくぞ」

 空戦体制に切り替え、ふたつのファイターチームは一気に急降下した。

 まずはチーム・ファルコンの三機がコッヴの正面に回り、機関砲のように連続発射されるレーザービームを撃ちかける。たちまちコッヴを包むように起こる小爆発。コッヴも雄たけびをあげて威嚇してきて、ファイターを敵だと認識したようだ。

 コッヴは両手の鎌を合わせると、頭部から黄色の破壊光弾をファルコンに向けて放ってくる。しかし、コッヴがその攻撃をしてくるとわかっているファルコンは余裕を持って回避し、その隙を突いてコッヴの背後からライトニングが一斉攻撃を仕掛けた。

 レーザーバルカンの集中砲火は硬い外殻に覆われたコッヴの体にもダメージを浸透させ、背中で起きた爆発にコッヴは悲鳴をあげてよろめく。

 さらに怒るコッヴはライトニングへ向かって攻撃しようと頭を向けてくるが、そこへ横合いからファルコンの射撃が炸裂する。

 トップガンの腕前を誇るライトニングと、最高のチームワークを持つファルコンの連携攻撃。死角から連続して撃たれてふらつくコッヴの頭上で、すれ違いざまに梶尾リーダーと米田リーダーは手信号で素早く互いを称え合った。

 しかしこれで終わりではない。ライトニングとファルコンは再びフォーメーションを組み、急降下してコッヴへと挑みかかる。

 ファイターSTから放たれるレーザービームに続いてファイターGTから放たれるレーザービームの弾幕がコッヴに突き刺さる。初めてコッヴと戦った時に彼らが乗っていた前世代機のファイターSSやファイターSGの火力ではコッヴにはたいしたダメージを与えられなかったが、STとGTの装備しているリパルサーチャージャーから放たれるレーザービームの威力ははるかに進化しており、コッヴの装甲をもやすやす貫通することができた。

 コッヴは右を見れば左からライトニングに撃たれ、左を見れば右からファルコンに撃たれと常に翻弄され続けて、めったやたらに光弾を撃って悪あがきすることしかできていない。リパルサーリフトを装備し、従来のジェット機とは次元の違う機動を得意とするファイターを自在に操るチーム・ライトニングとチーム・ファルコンの連携は、まさに雷光と隼を同時に相手にするかのごとくである。

 ピースキャリーから堤チーフは油断なく戦闘を観察しているが、もはや誰の目から見てもファイターチームの優位は明らかである。すでに戦車部隊の到着を待たずともコッヴを倒せるだろうとは火を見るようなものだった。

 

 その様子はリアルタイムでエリアルベースにもモニターされていた。

「なんだ、心配したほどじゃなかったようだな」

 千葉参謀がほっとしたように言った。今のファイターチームの戦力ならばコッヴくらいならば問題ないのはわかっていたが、実戦というものはそう都合よくはいかないものだ。しかし今回は順調にいっている。

 さすがにコマンダーは気を抜いてはいないが、我夢も考えすぎだったかなと、破滅招来体の介入も起こらなさそうな様子に安堵し始めていた。これなら、もしものときにガイアに変身して駆けつける必要もなさそうだ。

「さすが梶尾さんに米田さんだなあ」

 ファイターの動きに追随できず、コッヴはすでにフラフラだ。このままいけば、あと数度の攻撃で撃破できるだろう。

 弱ったコッヴにライトニングとファルコンが同時攻撃の体制に入る。そして、とどめの収束ビーム砲を発射した、その時だった。

「なにっ!」

「消えた?」

 なんと、ビームが命中する寸前、コッヴは煙のように消えてしまったのだ。

 梶尾リーダーと米田リーダーは驚いて周囲を見回すが、コッヴの姿はどこにもない。ピースキャリーでも堤チーフが血相を変えていたが、レーダーからもコッヴの反応は完全に消失してしまっていた。

 一体何が? エリアルベースのコマンドルームでも、まさかの出来事に分析が急がれている。

 敦子とジョジーが、何度記録を再生しても、ワームホールが開いた形跡はおろか何の反応も無いまま突然コッヴが消えたとしか思えないと報告する。また、我夢も急いで分析を進めるが、満足のいく仮説すら見つからなかった。

「ありえない。コッヴに空間を移動する能力なんて無いはず。誰かが移動させたにしても、何か痕跡が残るはず、いったいどうやって?」

 分析不可能な事態に我夢も焦りを隠しきれない。だが我夢は冷静さを保とうと自分に言い聞かせ、見落としている可能性がないか必死に考えた。

 今コッヴが消えたのはタイミングから考えて明らかに避難だ。だがコッヴ自身の能力とは思えない、あの時のコッヴにそんな余裕は無かったはずだ。なら何者かの意思によるものか? 誰が?

 コマンダーはぽつりと「これも破滅招来体のしわざか?」と、つぶやいた。それは間接的な我夢へのアドバイスだったかもしれない。我夢は破滅招来体のせいかと考えてみた。これが破滅招来体の攻撃の一環だとすれば、どんな意図があって?

 だが、その瞬間だった。コマンドルームに、突如おどろおどろしい声が響いたのだ。

 

「ふははは。残念じゃが、もう手遅れであるぞ」

 

 誰だ! と、聞きなれない声にコマンドルームに緊張が走る。

 しかし声の主を探そうとしたとき、部屋全体を地震のように激しい揺れが襲った。

「どうした! 原因はなんだ」

 エリアルベースはリパルサーリフトで浮遊しているから揺れるなんてありえないはずだ。つまり、基地の機能に異常が生じたことを意味する。

 慌てて機能をチェックする敦子とジョジー。しかし、青ざめた様子でコマンダーに報告した。

「大変です。メインコンピュータが何者かのハッキングを受けています。基地の機能が奪われました」

「なに! すぐサブコンピュータへ切り替えろ」

「だめです、こちらからの操作を一切受け付けません」

 なんの反応も示さなくなったキーボードに、敦子とジョジーの絶望した声が響く。

 同時に我夢の操作していた小型端末も操作を受け付けなくなっており、我夢は信じられないというふうに言った。

「そんな、エリアルベースのコンピュータは世界最高レベルのセキュリティが組まれているのに。クリシスゴースト級のハッキングを受けても耐えられるファイヤーウォールを一瞬で破って基地の機能を奪うなんて、不可能なはず」

 破滅招来体のしわざだとしても不条理すぎる。だがそこへ、再び先ほどのおどろおどろしい男の声が響いた。

「そんなカラクリを操るなど造作もないことよ。我が呪術の偉大さにかかればな」

「誰だ!」

「ふははは、ふはははは!」

 コマンドルームに不気味な声が響き渡る。だがコマンドルームには自分たち以外には誰もいない。

 敦子とジョジーはきょろきょろと室内を見回し、コマンダーは鋭い目で虚空を睨んで何者かを探している。千葉参謀はうろたえてはいるが、いざとなったら我夢たちの盾になろうと身構えていた。

 そして我夢は、響き渡る笑い声を聴きながら、この声をどこかで聞いたことがあると既視感を覚えていた。あれは……まさか! その正体を思い出した我夢は虚空に向かって叫んだ。

「何者だ! 姿を見せろ!」

「ふははは、よかろう」

 笑い声がやみ、コマンドルームの中央の空気がぐにゃりと歪んだ。

 すると、何もない空間からけばけばしい衣装をまとった男が幽霊のように浮かび上がってきたのだ。男はふわふわと空中に浮かび、驚愕している面々を順に見渡すと、最後に恐ろしげな視線を我夢に向けて口を開いた。

「久しぶりよのう、小僧。わしのことを覚えておるか?」

「忘れられるもんか。魔頭……鬼十郎」

 

 

 続く



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第41話  高度一万フィートの魔法使い(後編)

 第41話

 高度一万フィートの魔法使い(後編)

 

 宇宙戦闘獣 コッヴ

 奇獣 ガンQ 登場!

 

 

 タバサが地球に流れ着き、我夢に保護されてエリアルベースで一時預かりになってしばらくが過ぎた日。大きな事件が起こった。

 突如カナダに現れた宇宙戦闘獣コッヴ。これに対して、XIGはチーム・ライトニングとファルコンを派遣した。

 しかしとどめを刺そうとした瞬間、コッヴは煙のように消えてしまった。

 それに続いてエリアルベースで起こる異変。コンピューターが支配され、基地の機能が完全に奪い取られてしまう。

 そして高笑いとともに現れた事件の黒幕。それはなんと、かつてガイアに倒されたはずの男、魔頭鬼十郎だったのだ。

 

「魔頭だと?」

「いかにも。我は魔頭鬼十郎、この世で最高の呪術を極めし男よ」

 コマンダーのいぶかしげな問いに、魔頭は尊大な態度で答えた。

 魔頭鬼十郎。戦国時代の呪術者で、その呪術を使って戦国武将たちを操り、天下を支配しようとした男である。

 だが野望を看破され、魔頭は討伐されて果てた。しかし魔頭は死の直前に自らに呪術をかけてこの世ならざる存在へと転身し、現代へと蘇ってきた。

 予知能力も持っていた魔頭は、この時代に根源的破滅招来体が現れることも予期しており、それに便乗して現代で自らの野望を果たそうと画策した。

 けれども、邪悪な野望は我夢とガイアによって阻止され、魔頭は死んだ。いや、すでに死んでいた魔頭は消滅したはずなのに、なぜ再び現れた?

 幽霊のように宙に浮かぶ魔頭は、お前は死んだはずだと糾弾する我夢に憎々しげに答えた。

「わしは不滅じゃ。小僧、貴様のせいで潰えた我が野望を再びこの手に掴むために地獄から舞い戻った。じゃが、その前に我が野望を遮る貴様らを始末しに参ったのよ」

「魔頭、もう天下を巡って争うような時代じゃないんだ。無謀な野望は捨てて成仏しろ」

「世がいくら移り変わろうが、愚民が地を埋め尽くす世相は変わらぬ。今こそ天下がわしを必要としておるのよ。この城は我が呪術により完全に支配した。もう何をやっても無駄じゃ」

 魔頭はジェクターガンを向けてくる我夢たちを見下ろして言い放った。事実、コマンドルームの機械はすべて操作を受け付けなくなっており、この様子ではメインコンピュータを含めてエリアルベースの全機械が同じことになっているだろう。

 だが、XIGを全滅させたいならばリパルサーリフトを止めてエリアルベースを墜落させれば簡単なのに、それをしないということは別の目的があるということだ。

「いったい、エリアルベースを奪って何をする気だ?」

「フフフ、先の件では我が五百年の野望をよくぞ打ち砕いてくれた。あのとき小僧、貴様さえ余計なことをしなければ我が大望は成就していたものを。だが同じ過ちは二度とせん。先んじて邪魔者をまとめて始末してくれようぞ。わからぬか? もう始まっているのだぞ」

 魔頭の言葉に我夢ははっとした。そのとき、敦子が悲鳴のように叫んだ。

「大変です。エリアルベースが動いています!」

 確かに、外を見るとエリアルベースの位置する雲上の景色がすごい速さで後方へ流れていく。普段は静止している赤道上空から移動を始めているのだ。するとさらに、モニターに予想航路が自動で映し出された。このまま進めば、日本……そして、そこにあるものを察したコマンダーが言った。

「ジオベース……エリアルベースをジオベースにぶつける気か」

「その通り! 貴様らの拠点が二つあるのは知っておる。だが城をまとめて二つ失えば、もはや貴様らも何もできまい。残りの時間、たっぷりと恐怖を味わうがよい。それが我が復讐よ」

「哀れな奴め、それほどの力を人のために使えば、まさしく英雄になれただろうに」

「ふはは、蒙昧な民の喜ぶ顔など反吐が出るわ。力とは、己のためにのみあるべし。そして己のために力を振るう最大の意義こそ、己の国を作ることにあるのだ」

 その傲岸な言葉で、コマンダーや我夢は魔頭の説得が不可能であること、戦国時代の人間の魔頭と現代人の自分たちとの価値観の断絶を感じた。

「お前たちはここで指を咥えているがいい。わしがいる限り、この城でお前たちの自由になるものは何もないのだ。ふっははは!」

「待て! 魔頭」

 呼べど空しく、魔頭の姿はすっと空気に溶けるように消えてしまった。

 まるで悪夢を見ていたような体験だった。しかし、夢ではない。機械類は相変わらず操作を受け付けないし、エリアルベースは進み続けている。このままでは魔頭の目論みどおりにジオベースと激突させられ、XIGは全滅だ。

 なんとかしなければならない。しかし、堤チーフを始め、実働部隊の半分は出動した状態でいる。ジョジーが悔しげな様子で言った。

「よりによって、ライトニングもファルコンもいないこんなときに」

「いや、そうではあるまい。あのコッヴも最初から魔頭の差し金だったんだ。怪獣でXIGの戦力を分断し、我々が気を取られている隙にエリアルベースを乗っ取る。見事にはめられてしまったというわけだ」

 コマンダーの推測に我夢もうなづいた。破滅招来体の攻撃は警戒していたが、まさか魔頭鬼十郎が甦ってくるとは誰も想定していなかった。呪術が相手なら、エリアルベースのセキュリティも役に立たないわけだ。

 だがそれでもあきらめるには早いと、千葉参謀は我夢たちを励ました。

「しかしまだこちらにも人材はいる。日本にたどり着くまで時間も充分に残っている。エリアルベースを取り戻すことは可能なはずだ。違うかね?」

「はい、まだ可能性はあります。梶尾さんたちも、こちらと連絡が途絶したことで引き返してきてるはずです。魔頭の思うとおりにはさせません」

 我夢の言葉に、敦子とジョジーもうなづいた。皆のやる気が衰えてないことを見て、コマンダーは言った。

「ともかくメインコンピュータを取り戻すことが先決だ。ここからの操作ができないのなら直接メインコンピュータのところまで行くしかない。敦子、ジョジー、また行けるか?」

「えーっ、あそこは行くだけで大変なんですよ」

「そう言わない敦子、私も行くから」

 二人は以前、アグルによってエリアルベースの機能がダウンした際にメインコンピュータに直接アクセスして回復させたことがある。ただしメインコンピュータは安全のため、巨大な中空のスペースに吊り下げられるように配置されているので、はしごを降りて行くだけでも高所恐怖症お断りな場所なのだ。

 それでも敦子は行くことを決意した。メインコンピュータを奪い返さなくてはエリアルベースのすべての機能は使えない。後のことは行ってから考えればいい。

 しかし、反撃ののろしを上げようとしたのもつかの間、魔頭の呪術はそんなに甘くないことを突き付けられることになった。

「っ、ドアが開きません!」

「オートロックもダウンさせられているんだ。止むを得ん、敦子、どけ」

 コマンダーは非常事態ゆえの措置と、自動ドアの電子ロックパネルにジェクターガンを向けた。

 破壊すればドアは開くはず。しかしコマンダーが引き金を引いてもジェクターガンはカチカチと鳴るばかりで、ビームが発射される気配がなかった。

「馬鹿な、こんなときに故障か?」

「違います。魔頭の呪術が基地の計器だけじゃなくて、携帯機器の機能まで止めてしまっているんです。僕のジェクターガンやナビも動きません」

 我夢の言った通り、我夢のXIG-NAVIの液晶画面は真っ暗で何も映っていない。確認すると、全員の手持ち機器もそうなっていた。魔頭の自信は、単にメインコンビュータを支配したというだけでは無かったのだ。

 火器が使えなくてはロックされたドアを開けられない。かといって雲上にあるエリアルベースの窓は開かないし頑丈な特殊ガラスだ。つまり、完全に閉じ込められたということになる。

 もはやこうなった以上、残った手段は一つしかない。我夢はエスプレンダーを取り出し、コマンダーに許可をとる。ウルトラマンガイアに変身して強行突破するしか方法がない。

「我夢、頼む」

 コマンダーも、安易にガイアの力に頼ることになるのは不本意なようだが、他に方法がない。敦子たちや千葉参謀は、こんな近くで我夢の変身を見るのは初めてなので息を呑んでいた。

 エスプレンダーを構え、我夢はガイアの光を解放するためのスイッチを入れる。

「ガイアーッ!」

 ……だが、輝くはずのガイアの光はいっこうに解放されない。これにはさすがの我夢も慌ててエスプレンダーを確認した。

「そんなまさか、エスプレンダーの機能まで止められてしまってるなんて」

 動揺する我夢の声に、愕然とする空気がコマンドルームに流れた。

 ウルトラマンガイアに変身できない。つまりコマンドルームの外に出ることは完全に不可能であるということだった。

「魔頭の自信の源は、これだったのか」

 エリアルベースごとXIGとウルトラマンガイアを無力化してまとめて葬り去る。相手が呪術ではXIGの科学兵器は役に立たず、ガイアの力も封じられてしまった以上、もう本当に打つ手が無くなってしまった。

 我夢も打開策が浮かばずに冷や汗を流しながら考えこんでいる。敦子とジョジーは不安そうに我夢を見守るしかできず、コマンダーも深刻そうに宙を睨んで押し黙っている。そんな押し潰されそうな空気の中で、千葉参謀が望みを託すようにつぶやいた。

「こうなったら、堤くんたちが一刻も早く戻ってきてくれることを祈るしかないか」

 出動しているライトニングとファルコンだけが自由に動けるXIGの唯一の戦力だ。彼らが戻って来ることだけが、わずかな希望だった。

 しかし、その頃ファイターチームもまたのっぴきならない状況に追い込まれていたのだった。

「エリアルベース、応答せよ。エリアルベース……だめか」

 ピースキャリーから必死に連絡をとろうとしていた堤チーフは、無念そうに通信を切るしかなかった。

 エリアルベースとの連絡が突然切れたことは、当然こちらでもすぐに気づいていた。なんとか連絡を回復しようと試みてみたが、あらゆる可能性を加味してみても故障はあり得ない。そうなれば、エリアルベースに何かがあったとしか考えられず、堤チーフは全機に帰投を命じた。

「ライトニング、ファルコン、ただちにエリアルベースへ帰還せよ」

「チーフ、エリアルベースになにが……?」

「わからん。我夢もいるからめったなことがあるはずがないが、ともかく急いでくれ」

「了解、急行します」

 梶尾リーダーはいぶかしみつつも、とにかく機首を巡らせた。米田リーダーのファルコンもライトニングに続く。

 だが、帰還を急ぐ途中にジオベースからの緊急連絡が入ってきたのだ。

「エリアルベース、エリアルベース、応答されたし! こちらジオベース、現在コッヴの襲撃を受けて応戦中」

 ジオベースからのSOSを受信し、驚いた堤チーフはすぐに回線を開いた。

「ジオベース、こちらピースキャリー。現在太平洋上空を飛行中、こちらもエリアルベースと連絡がとれない。状況を説明してくれ」

「おお、堤チーフ。こちらも混乱しているところだが、とにかく突然コッヴが出現して暴れはじめたんだ。防衛兵器で応戦しているが、砲台だけでは手に負えない。救援を乞う」

「了解した。だがエリアルベースとの連絡がとれないのも気がかりだ。そちらで何かつかんでいないか?」

「……エリアルベースは現在、すべての応答が途絶したままで太平洋上から移動を始めている。このままでは、約一時間後にこのジオベースに衝突するコースだ」

「なんだって!」

 何がどうなっているんだと堤チーフは苦悩した。エリアルベースに何かが起きた、ジオベースの状況から考えても、恐らくは敵対意思のある何者かの攻撃だ。

 しかしエリアルベースがそんな簡単に陥落するものか? 防衛軍きっての戦術家と呼ばれた堤チーフも急には事態を整理しきれなかった。だがチーフの迷いを断ち切るように、ファルコンの米田リーダーの声が響いた。

「ジオベースのコッヴは我々とライトニングで何とかします。堤チーフは急いでエリアルベースに戻られてください」

「米田リーダー……了解した。ジオベースのほうはお任せします、エリアルベースの状況がわかり次第、すぐに連絡する」

「了解。いいですか梶尾リーダー?」

「わかってますよ米田リーダー。ライトニング、これより全速でジオベースに急行します」

 こうして太平洋上でピースキャリーとファイターチームは別れ、ファイターチームはジオベースへと急行した。

 ジオベースにも敵襲を受けた時のための防衛設備は用意されているが、砲台やミサイルランチャー程度の火力では足止めがせいぜいだ。それに、ジオベースの武装はエリアルベースの再建が優先されて一時的に手薄になってしまっていた。

 ジオベースが落ちれば破滅招来体に関する研究データや貴重なサンプルが台無しになってしまう。防衛砲台がのきなみ破壊され、ジオベースの真上へコッヴが到達しようとしたとき、ギリギリでファイターチームが駆けつけた。

「全機一斉攻撃、これ以上進ませるな」

 ファイターからのレーザーバルカンが炸裂してコッヴを押し返した。しかしコッヴは攻撃して後方へ回ったファイターへ向けて振り返ると、頭部からの黄色破壊光弾で応戦してきた。

「なんでだ、あんまり効いてない」

「大河原、よく見ろ! あいつはさっきまでのコッヴじゃないぞ」

「なんてこった。超コッヴになってるじゃないか」

 そう、そこにいたのはただのコッヴではなかった。コッヴより頭部が鋭角になり、体格も一回り大きくなったコッヴの強化体である超(スーパー)コッヴへとパワーアップしていたのだ。

 超コッヴはファイター各機の攻撃にもひるまずに光弾で反撃をかけてくる。このパワーアップも魔頭の呪術のなせる技か。ライトニングとファルコンは自分たちも早くエリアルベースの救援に向かいたいがジオベースを見捨てるわけにもいかず、焦る気持ちを抑えながら超コッヴへと向かっていった。

 そうしている間にも時間は無情に過ぎ、エリアルベースがジオベースと衝突するまであと一時間を切った。エリアルベースでも、なんとかしようと必死に努力が続けられていたが、機械類が完全に止められた状態では我夢でも両手を縛られてるも同然のありさまでしかなかった。

「高山くん、なんとか、扉のロックは開けられないかね?」

「急いでます、この奥の配線にたどり着ければ……」

 千葉参謀が見守る前で、我夢は扉の電子ロックを外すために、操作パネルを分解しようと四苦八苦していた。しかし急なのでドライバーなどの工具もほとんどなく、普通ならあっという間の作業も思うにまかせない。

 敦子やジョージも心配そうに我夢の作業を見守っている。

「我夢、がんばってね」

「わかってるよ。ジョジー、ヘアピンを一本貸してくれないかな」

 我夢はありあわせの道具でも諦めずに電子ロックの解体を急いでいる。

 だが、我夢は額に汗を浮かばせて、手を止めずに作業を続けながらも根本的な問題に気づいていた。時間をかければコマンドルームの扉は開けられても、エリアルベースの扉はあちこちに無数にあるということを。

”この様子じゃ、エリアルベースの扉は全部ロックされてるはず。残りせいぜい一時間足らずで、メインコンピュータまでの扉を一つ一つ開けていって間に合うわけがない”

 絶望的だった。どう計算しても、メインコンピュータまでのどんなルートを想定しても絶対に間に合わない。あきらめないという気持ちが手を動かしてはいるが、時は刻々と破滅へ近づきつつあった。

 だが、そのときだった。固く閉ざされていた扉の向こうからガンガンと鉄を叩きつけるようなけたたましい音が響いてきたと思うと、扉の隙間からバールのようなものが付き出してきた。そして驚いている我夢たちの見ている前で、頑丈な扉がミキミキと鈍い音をあげながらこじ開けられ始めたのである。

「えっ、えっ、なに、なんなの?」

「敦子落ち着いて。我夢、これってもしかして……」

「うん、こんなことできるのはあの人たちしかいないよ」

 後ずさった我夢たちの見ている前で、ついに扉がこじ開けられてヒゲ面の屈強な男が顔を見せた。

「よう、助けに来たぜチューインガム」

「志摩さん! それに、吉田リーダーに桑原さん。扉を無理矢理こじ開けるなんてもしかしてと思ったら」

「そうよ。俺たち、チーム・ハーキュリーズ!」

 三人の強靭な筋肉を持つ男たちが、マッスルなポーズを決めた。

 彼らこそ、XIGの陸戦部隊であるチーム・ハーキュリーズ。伝説の英雄ヘラクレスの名をチーム名に冠する彼らは、矢尽き刀折れても怪獣に生身で立ち向かう、そのたくましさにおいて右に出るものはいない猛者たちだ。

 我夢も彼らにはいろいろもんでもらった思い出がある。しかし、こんな窮地にハーキュリーズほど頼りになる男たちはいない。

「助かりました。でも、どうしてここへ?」

「俺たちも待機所で閉じ込められたんだ。そこで困ってたらチーム・クロウとこの嬢ちゃんが来てな」

 すると、通路の奥からクロウの面々に続いて杖を持ってタバサがやってきた。

「タバサちゃん」

「異変が起きてから、風の魔法で音を集めて様子を探ってた。本当は『アンロック』の魔法でここまで来るつもりだったけど、ここの扉には通じないみたいだから、この人たちに協力してもらった」

「そうだったのか。ありがとう、これで間に合うかもしれないよ」

 我夢は希望が見えてきたことで、笑みを浮かべてタバサに礼を言った。そして、我夢や敦子たちに、バールを掲げてチーム・ハーキュリーズの面々が頼もしく告げた。

「さあ、ぐずぐずしてられないぞ!」

「メインコンピュータに行くんだろ? 邪魔な扉は俺たちが開けてやる」

「早く行こうぜ。俺たちに任せな」

「はい、ありがとうございます吉田リーダー! コマンダー、では行ってきます」

「ああ、任せたぞ」

 コマンダーと千葉参謀に見送られて、我夢たちはコマンドルームを飛び出して行った。

 後は我夢たちに任せる他はない。コマンダーは我夢たちを見送ると、静かになったコマンドルームでそっと息を吐いた。

 そのとき、窓からエリアルベースの周囲を旋回するピースキャリーの姿が見えた。着艦口が開かずに様子を見ているようだったが、窓から合図を送るとこちらに気づいたようで、モールス信号で呼びかけてきた。

 コマンダーもモールスで返し、互いに外と中の状況を知った。事態は容易ならざり、残り時間は少ない……コマンダーは最悪の事態を避けるため、ピースキャリーの堤チーフに命令した。

「どうしてもエリアルベースの軌道を変えられなかった場合は、ジオベースに落ちる前にエリアルベースを撃墜しろ」

「コマンダー! しかし、それでは」

「最悪の場合になればやむを得ない。だが、我夢たちが今復旧に急いでいる、彼らなら……」

 どんな絶望的な状況でも、XIGはそれを乗り越えてきた。今度もきっと……自分たちは責任をとることだけを考えて、待っていればいい。

 そう、こんなピンチはこれまで何度もあった。閉ざされたエリアルベースの扉をチーム・ハーキュリーズの協力でこじあけながら進む我夢たち。我夢は先を急ぎながら、心強い仲間が駆けつけてきてくれたのを感じていた。

 ジオベースで、強化された超コッヴに苦戦するファイターチーム。レーザーとミサイルで超コッヴに猛攻を加えるも倒すにはいたらず、ついにジオベースに超コッヴの攻撃がかかろうとした時、閃光が閃いて超コッヴを吹き飛ばした。

『フォトンクラッシャー!』

 青い光線に貫かれて、悲鳴をあげて倒れる超コッヴ。そして戦塵の中から現れて悠然と立つ青い巨人に、梶尾リーダーは驚きの声をあげた。

「アグル……」

 まさかアグル……藤宮博也が助けに来てくれるとは思わなかった。だがどうしてアグルが? 我夢もアグルが現れた気配は感じて不思議に思っていたが、藤宮に言わせれば簡単なことだった。

〔あれだけ大騒ぎしていれば誰だって気がつく〕

 情報が命なのはXIGもだが、単独で動いている藤宮はなおさらだ。ネットワークを駆使して何度もXIGを出し抜いてやったことのある藤宮には、今のXIGの状況を知るなどたやすいものだ。

 相手が破滅招来体ではなくとも、地球に害をなすのならば是非もない。アグルは呪いで暴れる超コッヴへ敢然と立ち向かって行く。

「ハアッ!」

 ジャンプしたアグルの爪先が超コッヴの頭を蹴りあげ、よろめいた超コッヴの腹に着地したアグルの肘打ちが食い込む。

 後退する超コッヴ。しかしまだ致命的なダメージは受けていない。アグルも、フォトンクラッシャーに一度は耐えたことからも宇宙怪獣のしぶとさは重々承知の上だ。

 超コッヴは鎌を振り上げて激しく威嚇してくる。しかしアグルは落ち着いて悠然と立ったままで、手のひらをクイッと振って挑発し返した。

 さっさと来い、と余裕を見せるアグルに激昂する超コッヴ。呪いの力で暴走する巨体を恐れずに、アグルは正面から立ち向かう。

「ハアァッ!」

 突っ込んでくる超コッヴに、アグルは前転からのキックで応戦した。助走のついた高速の蹴りが超コッヴの体を揺るがし、その隙を逃さずに垂直ジャンプしたアグルは直上からのかかと落としを叩きつける!

「フアッ!」

 頭部へ強烈な一撃をもらった超コッヴは前のめりに倒れ込んだ。

 地響きがジオベースの内部にも響き渡る。スピード、パワー、今のアグルはその両方で確実に超コッヴを上回っている。

 それでもしぶとく起き上がる超コッヴ。魔頭の狙いからすれば、アグルがエリアルベースを助けに行けないように引き留める囮の役割も担っているのだろう。

 だがそんなことは問題はない。藤宮は、恐らくは我夢がエリアルベースで手こずっているのは予測できているが、我夢なら解決できると疑っていない。

〔苦戦しているのか、我夢。だが、思い出せ。いつでも解決のための切り札は気づきにくいだけで俺たちの手札の中にあったはずだ。お前なら気づけるはずだぞ〕

 我夢が、あの俺の生き方を変えさせたほどのあいつがこんなくらいのことで負けるわけがない。

 アグルに焦りは微塵もなく、破壊されて燃える防衛砲台を背に、着実に超コッヴにダメージを積み重ねていく。

 

 そしてその頃、我夢はチーム・ハーキュリーズのおかげでメインコンピュータまであと扉ひとつというところまでやってきていた。

「よっしっ! ここで最後だな。いくぞ、せえのおっ」

「「「どおりゃああ!!!」」」

 三人の屈強な筋肉がうなり、扉に差し込まれた鉄棒がミキミキと音を立ててロックを破壊していく。その光景は我夢の知識とはまた違った形の人間の底力で、本当に頼もしいことこの上なかった。

 やがて、バキンといって扉が開いた。後はこの先を降りたところがメインコンピュータの端末で、ハーキュリーズの吉田リーダーは汗に濡れた額をぬぐいながら我夢たちに言った。

「俺たちにできるのはここまでだ。あとは頼むぞ、幽霊野郎に目にもの見せてやれ」

「はい、ありがとうございます」

 ハーキュリーズは力自慢のチームだが脳筋ではない。自分たちの仕事を最大限にこなし、終わったなら信頼を込めて後に託す。その心意気を受け取った我夢は、敦子たちとともにメインコンピュータへの梯子を降りていった。

 しかし、我夢にはまだ懸念していることがあった。魔頭の怨霊は間違いなくメインコンピュータに寄生しているだろうが……。

 やがて、広大な円筒形の空間の中に吊り下げられた巨大なメインコンピュータの前に一行はやってきた。

「敦子、お願い」

「うん、やってみる」

 ジョジーにサポートされながら、敦子はメインコンピュータの回路を直接繋ぎ変えて操作を始めた。直接コンピュータを操作する手腕に関しては敦子は我夢以上で、我夢も固唾を呑みながら見守る。

 そして、メインコンピュータの機能をサブに移す命令を出すよう回路を繋ぎ変えた。しかし。

「だめ、なにも反応しないわ」

 敦子の落胆する声が響いた。やはり、メインコンピュータを直接操作しても魔頭の呪術にはかなわなかったかと、我夢も苦虫を噛み潰したかのように唇を歪める。

 そのとき、勝ち誇るかのように魔頭の声が響いた。

「はははは、無駄なことよ。お前たちがいくらあがいたところで、我が呪術の前では塵芥も同然。もはやこの城が落ちるまであとわずか。歯ぎしりして最期を待つがよい」

「魔頭……」

 近代科学の粋を極めたエリアルベースを乗っ取り、我夢たちの抵抗を嘲笑う魔頭の野望の成就は目前に迫っていた。

 だがまだ我夢はあきらめてはいない。魔頭は間違いなく目の前にいる。科学兵器は使えず、ガイアの光も封じられているが、まだ何か方法があるはずだ。

 何か、もっと別の力……そのとき、メインコンピュータの空洞にクロウの稲城リーダーの声が響いた。

「我夢! なにしてるの。こんなときこそ、この子の魔法を使うときじゃない」

 空洞上部の入り口から、タバサが顔を出して覗き込んでいる。客員であるため勝手に動けないが、杖を握って待ちわびている。

「そうか! タバサちゃん、メインコンピュータに、そこの大きな柱に雷を浴びせてくれ」

「わかった」

 タバサは短く答えて上部の入り口から飛び降りた。同時に『フライ』の魔法を唱えて体を浮かせると、続いてあの呪文を唱えて、杖の先をメインコンピュータへと突き付けた。

『ライトニング・クラウド』

 強烈な電光が巨大なメインコンピュータを包み込む。猛烈なスパークの嵐。タバサの放った電撃魔法はメインコンピュータの耐電能力をも超えて内部にまで浸透し、各所でショートの火花が吹き上がった。

 本来ならコンピュータにこんなことをするのはとんでもないことだ。だが、今回に限っては違う。ショートして異音を上げるメインコンピュータから苦しげな絶叫が響き渡った。

「ぐあぁぁーっ! ま、まさか、この時代にも妖しの術を使う者がいるとは。お、おのれえ! あと少しのところで」

 メインコンピュータが妖しく光り、人魂のような形になって外へと飛び出していった。魔頭が耐えきれずに逃げていったのだ。

 それと同時に基地ががくんと揺れ、停止していた各所の機能も回復していく。しかしメインコンピュータが破損したため基地を浮かせているリパルサーリフトも機能に異常をきたし、エリアルベースが落ち始める。

「エリアルベースが!」

 このままでは海に墜落する。我夢はとっさに復旧作業に当たろうとしたが、敦子とジョジーに止められた。

「我夢、メインコンピュータは私たちでなんとかするわ。あなたはガイアとして、やるべきことをやって」

「そうよ。あのゴーストを逃がしたら、またどんな悪巧みをするかわからないわ。ハリー! 我夢」

「敦子、ジョジー……わかった。行ってくるよ」

 二人の言葉に意を決した我夢は、エスプレンダーを取り出して構えた。ガイアの光が解放され、我夢を光の巨人へと変えてゆく。

 

「ガイアーっ!」

 

 ウルトラマンガイアへと変身した我夢は、逃げる魔頭の人魂を追って飛びたった。

「シュワッ!」

 これだけのことをした魔頭をもう許してはおけないとガイアは追う。魔頭はタバサの魔法で受けた衝撃がよほど堪えたのか、姿を消すことも忘れてひたすら逃げていく。ケリをつけるなら今しかない。

 一方、エリアルベースはメインコンピュータがダウンしたために、解放された各種機能に異常が生じ始めていた。敦子とジョジーが回路を閉じて応急修理を始めているが、とても間に合うものではない。

 だがメインがだめになるのはエリアルベースの設計の際から想定に入っている。基地の機能が回復した時、コマンドルームに駆け付けてきた非常勤オペレーターの鵜飼彩香がすぐさま操作していた。

「メインダウン。サブコンピュータに基地機能を移行します」

「よし、リパルサーリフト再起動。すぐにエリアルベースを元の軌道に戻せ」

「了解」

 切り替え作業がおこなわれ、エリアルベースはサブコンピュータの制御下で完全に機能を取り戻した。

 艦首が反転し、ジオベースに向いていた進路が元の赤道上へと帰ってゆく。同時に通信も回復し、外のピースキャリーから堤チーフの心配した声が響いてきた。

「こちらピースキャリー。エリアルベース、大丈夫ですか?」

「こちらはもう心配ない。我夢たちがよくやってくれた。堤、だが魔頭をこのまま逃がすわけにはいかん。ガイアが追っている、お前も後を追ってくれ」

「了解」

 ピースキャリーが反転し、ガイアを追って飛んでいく。そしてそれと同時に、コマンドルームにチーム・クロウの三人が駆け込んできた。

「コマンダー、私たちにも行かせてください。このままやられっぱなしですませたら気が済みません」

「いいだろう。チーム・クロウ、出動」

「了解!」

 勇躍し、エリアルベースからクロウの三機のファイターも出撃していく。

 逃げる魔頭を追うガイア、ピースキャリー、チーム・クロウ。

 その行く先は? いや、もう魔頭にあてなどひとつしか残っていない。

 ジオ・ベースで戦うアグルと超コッヴの傍らに魔頭の人魂は墜落した。猛烈な砂煙が吹き上がり、その中から巨大な目玉に手足が生えたような不気味な怪獣が出現した。それを見て、追いついてきたピースキャリーの堤チーフがうめく。

「出たな、ガンQ」

 笑い声のような鳴き声をあげながら歩き出す巨大な目玉。魔頭鬼十郎の怨霊が実体を得た奇獣ガンQだ。

 ガンQは超コッヴへ向けて進みだした。大きなダメージを受けた魔頭は超コッヴに与えた分の呪力を吸収して再起をはかろうとしているのだ。しかし、そんなことは許さない。ガンQの行く手を防ぐように、ガイアが巨大な土煙をあげて着地する。

「デアッ!」

 迎え撃つガイアの姿にガンQがひるんで後ずさる。今のガイアは様子見なしで、最初からスプリーム・ヴァージョンだ。

 真正面から突っ込んできたガイアの鉄拳がガンQを吹っ飛ばした。かつて我夢はガンQの不条理さに恐怖を抱いたこともあったが、今の我夢に恐れは一片もない。

〔やっと来たな、我夢〕

〔待たせてごめん。さあ、いこう!〕

 アグルの茶化すような軽口に力強く答え、二人のウルトラマンは並んで構え、勇躍して戦いに望む。

 対して、もう小細工はしても無駄だということを思い知らされた魔頭=ガンQも超コッヴを率いて攻撃を開始した。

 ガンQの目から放たれる怪光線と、超コッヴの頭部から放たれる光弾が無数の弾幕となって襲い来る。しかし、ガイアとアグルは臆することなくその真正面から突撃し、爆炎の上がる中を突っ切った二人は同時にガンQと超コッヴを殴り飛ばした。

「デュワアッ!」

「ジュアッ!」

 ガイアの鉄拳がガンQを吹っ飛ばし、転倒したガンQの上に飛び乗ってマウントから巨大な目玉を何発も殴りつける。

 アグルの鉄拳は超コッヴの巨体を揺るがし、反撃しようと超コッヴが鎌を振り上げたのを気にも止めずに超コッヴの体を階段のように駆け上がり、無防備の頭に強烈なかかと落としを叩きつけた。

 むろんそれで終わるわけがない。ガイアはガンQを抱え上げて反対側へ叩きつけ、アグルは超コッヴとすれ違いざまに首筋に手刀を加えてよろめかせ、戦う相手を交代した。

 フラフラと起き上がろうとしたガンQをアグルが容赦なく蹴り飛ばす。超コッヴの鎌に対して、ガイアはかつてアグルの力を受け継いだときに使用可能になったアグルブレードを右手から引き出し、青い光の剣で鎌も装甲もものともせずに超コッヴの全身を切り刻んだ。

 ガンQは起き上がりながら、体についている小型の目玉を飛ばしてアグルに向けてきた。小型の目玉は空中を自在に飛びながらアグルを包囲しようとしてくる。これはかつてガイアも苦しめられた、小型目玉円盤による全方位攻撃だ。

 しかし、それを知っているガイアは腕を伸ばしてアグルの頭上へと冷凍光線を発射した。

『ガイアブリザード!』

 極低温のエネルギーを浴びて目玉円盤の動きが鈍り、アグルはそれを見逃さずに撃ち落とす。

『アグルスラッシュ!』

 青い小型光弾がアグルの指先から放たれ、回避もできない目玉円盤は全機撃墜された。

 奥の手をコンビネーションで簡単に破られ、ガンQは明らかに尻込みしたように後ずさる。あるいは、魔頭にとってここが逃げだす最後の好機であったかもしれない。しかしアグルの見下すようにさえ見える悠然とした姿勢が魔頭のプライドを刺激し、ガンQはその巨大な目から切り札の体内吸収光線をアグルに向けて放った。

 赤色の光線は一度捕まったが最後、かつてガイアもガンQの体内にある魔空間に囚われて苦しめられたガンQ必殺の攻撃だ。だが、波動生命体を始め、根源的破滅招来体の卑劣極まる精神攻撃を受けてきたアグルは臆することなく、右手から輝く光の剣を引き出して斜めに一閃させた。

『アグルセイバー!』

 光剣から放たれた光の衝撃波は三日月型の刃となってガンQの体内吸収光線を切り裂き、そのまま直進してガンQに袈裟懸けの斬撃を叩きつけた。

 苦しみもがくガンQ。アグルの冷静沈着な戦いぶりの前に、恐怖を煽るガンQの存在はこけおどしにさえなっておらず、アグルの勇姿にエリアルベースでも安堵の空気が流れていた。

「さすがだな、藤宮博也」

 コマンダーが危なげないアグルの戦いに感心したように呟いた。前回のガグゾムとの戦いからアグルにも多少のブランクが発生してもおかしくないのに、まるで昨日まで戦い続けていたかのような戦闘巧者ぶりは、彼が鍛練を欠かしていない証だった。

 コマンドルームのモニターから見るアグルはガンQに対して圧倒的優位に立っている。だがそこへタバサが戻ってきて、モニターのアグルを見つめながらコマンダーに問いかけた。

「あの青いウルトラマンの彼は、かつて人間を裏切ってあなたたちの敵だったと聞いた。なぜ今は信じられるの?」

「……彼には、ウルトラマンという大きな力を授かってしまったがゆえの、誰にも頼ることのできない責任感と苦悩があっただろう。もちろんそれが免罪符になりはしない。だが、彼は間違いに気づき、やり直そうとしてきた。そんな彼に助けられた人間は大勢いる、我々もその内だ」

 タバサは幼い日に、偶然ハルケギニアと地球がつながってしまったときにアグルに助けられたことがある。その時のことを覚えていたタバサは、この世界でアグルがしてきたことを知って驚いた。

 もちろんタバサがアグルに対して抱いているのは感謝だけだ。しかしタバサは、アグルによってこの世界が受けた被害のことを知ると、この世界の人々がアグルに対してどう考えているのかを尋ねずにはいられなかった。

「でも、その前に彼のために傷を負った人は消えない。それでも?」

「確かに、過ちはいくら償っても消せないかもしれない。傷つけられた者は彼を許さないかもしれない。それでも、そこで歩みを止めてしまったら何も変えられない。人は誰しも過ちを犯す可能性を持っているが、君は過ちを犯したら、一生罰を受け続けるだけで償うかね?」

「それは……」

 コマンダーのその問いにタバサが返せないでいると、千葉参謀が後に続けた。

「人の心とはそんなに簡単ではないさ。だけれど、たとえ敵対してしまった相手でも、その人間を理解することで、憎しみとは違う何かを思えるのが人間というものではないかな」

「理解……?」

 諭すように千葉参謀は話した。

「君が元の世界で何を体験し、元の世界に戻って何をしようとしているか、詳しいことは私は知らない。だが、君が戦うことになる相手を少しでも理解しようとする気持ちは忘れないでほしい。理解して、それでも戦うべきならば仕方がない。けれども、理解することで別の方法を見つけられることもある」

「……」

「我々はかつて、アグルのために苦渋を受けたことが少なからずあった。しかし我々はアグルに助けられたことも数多くある。今では、アグルはガイアと同じ、地球を守る仲間だと思っている」

「償うなら、相手を許すことも必要だと?」

 タバサの中に煮えたぎる憎しみをこの世界の人たちは知らない。けれど千葉参謀の言葉は染み入るようにタバサの中に入ってきた。

「少なくとも私は、償わない人間より償う人間を信用したいと思っている。償うということは、人間としての羞恥心や良心を持ち続けているということだ。人間でい続けているということだ。戦う前に一歩足を止めてその相手を見極め、許すべきか許さないべきかを決めてほしい。それはたぶん、これからの君の人生で何度も起こることだろう。あとで、堤くんにも聞いてみるといい。ここには、君にとっていい話をしてくれる者がまだまだ大勢いるからな」

 本当は堤チーフは子供が苦手でさぞ困るであろうが、ちょっとした茶目っ気というやつだ。コマンダーも軽く苦笑している。

 タバサは無言でうなづいた。自分にとってのこれまでの人生の意味は復讐……あのジョゼフが償いなどするとは到底思えない。しかし、ジョゼフを倒した後も自分の人生は続いていく。千葉参謀の言うとおり、まだまだこの世界で学ぶべきことはたくさんあるとタバサは思った。

 その後、ハルケギニアに戻った後でタバサは自分とジョゼフの関係が想像もしていなかった方向へ進んでいくことをまだ知らない。

 そして、戦いはいよいよクライマックスへ入ろうとしている。

「そろそろ決めよう! アグル」

「ああ、ガイア」

 ガイアとアグルが超コッヴとガンQに突進する。

 地響きと土煙の二重奏を奏でながら突き進むガイアとアグルを止める術はもう二匹にはない。そしてガイアの光をまとった鉄拳ガイアパンチが超コッヴに爆裂し、アグルの下から突き上げる鋭い蹴りアグルキックがガンQを空中高く吹き飛ばし、追ってジャンプして追い越したアグルは上からのキックで真っ逆さまにガンQを地面に大激突させた。

 もちろんそれで終わりではない。ガイアとアグルは倒れてもがいている二匹に駆け寄ると、ガイアがガンQの、アグルが超コッヴの足を持ってジャイアントスイングのように振り回す。

「ダアッッ!」

「ジュォォッ!」

 二体の怪獣の巨体が軽々と空を切り、猛烈な風圧が砂塵を巻き上げる。

 目を回して目玉が渦巻きになるガンQ、すでにグロッキーの超コッヴ。ガイアとアグルは二体を同時に放り投げ、二匹は折り重なるようにして地面にまたも叩きつけられた。

 息も絶え絶えの二匹。いや、ガンQは元々死んでいるけれども、魔頭はこのままでは二人のウルトラマンにどうやっても勝てないと思い知らされた。

「おのれ、か、かくなるうえは」

 もはや勝機なしと悟った魔頭は、起き上がると超コッヴをガイアとアグルに向けて突き飛ばした。そしてガンQはくるりと踵を返して逃げ出していく。超コッヴがやられている隙にとんずらするつもりなのだ。

 だが、そんな姑息な真似はXIGが許さない。ガンQの逃亡を見て、上空のピースキャリーから電光のように堤チーフの命令が全ファイターチームに飛んだ。

「全機ガンQへ総攻撃! 魔頭を逃がすな」

「「「了解!」」」

 その命令を待っていたとばかりに九機のファイターは翼を翻した。

 先頭を切るチーム・ライトニング。梶尾リーダーがレーザーバルカンのトリガーを押しながら吠える。

「さんざんコケにしてくれた借りを返させてもらうぜ!」

 続くチーム・ファルコンも米田リーダーの指揮の元でガンQの退路を塞ぎにかかる。

「我々XIGは呪いなどに負けはしない。いくぞ」

 さらにチーム・クロウの放つミサイルも次々とガンQに炸裂し、稲城リーダーの元で踊るようにガンQをきりきりまいさせる。

「私たちを甘く見るとこうなるのよ。たっぷり反省させてあげる」

 縦横無尽に飛び回る三つのファイターチームの放つレーザーとミサイルの十字砲火。ガンQの周囲は爆発と煙に包まれ、絶え間なく浴びせられる打撃でガンQは混乱して姿を消して逃げるどころではない。

 そして、XIGの作ったこの好機を逃すようなガイアとアグルではない。ガイアの手のひらに赤い光が集まり、アグルの腕に青い輝きが集中していく。

 発狂して突進してくる超コッヴ、そしてガンQが我に返った時にはガイアとアグルはそれぞれの最強光線を放っていた。

『フォトンストリーム!』

『アグルストリーム!』

 真紅と群青に輝く必殺光線は超コッヴをガラスのように貫通すると、同時にガンQに突き刺さった。

 地球の大地の光と海の青い光。大いなる母なる星の力の前では呪いの力など陽炎に等しい。魔頭の怨霊は邪悪なエネルギーを焼き尽くされ、超コッヴもろともガンQは魔頭の野望と断末魔とともに粉みじんに吹き飛んだ。

「やった!」

 ファイターチーム、エリアルベースで歓声があがる。

 二匹の怪獣は赤黒い炎をあげなから粉々になって飛び散り、煙となって天に消え去っていく。それを見て、コマンダーは満足げにつぶやいた。

「これでもう、魔頭も二度と蘇ることはできないでしょう」

 その言葉に、千葉参謀も笑みを浮かべながらうなづく。

 エリアルベースは救われ、ジオベースも救われた。勝利の余韻でたたずむガイアとアグルの頭上をファイターチームは祝福するように旋回し、二人のウルトラマンは共に青空を目指して飛び立った。

「ショワッ!」

「ショオワッ!」

 戦いが終わった空をウルトラマンが帰ってゆく。ここに、戦国時代から続いた邪悪な呪術師魔頭鬼十郎の野望は完全に敗れ去ったのだった。

 

 エリアルベースにピースキャリーとファイターチームも帰還し、コマンドルームにも平穏が戻った。

「堤、被害状況は?」

「メインコンピューターの損傷率は40%、しばらくサブコンピュータに頼るしかありませんが、現状基地機能に問題はありません。乗員たちはチーム・シーガルが救助に回り、閉じ込められて軽い熱中症にかかった数名が医務室で治療を受けています」

「そうか、今回は皆がよくやってくれた。さすがは、我々G.U.A.R.Dの精鋭たちだ」

 魔頭の怨霊という想定外も極まる脅威に、それぞれのチームが全力を出して立ち向かっていなければ、今頃エリアルベースはジオベースもろとも全滅していたに違いない。損害を受けたエリアルベースの復旧にはまだしばらくかかるだろうが、犠牲者を出さずに解決できたのは彼らの力が魔頭の想像を上回っていたからに他ならない。

 そしてもう一人……コマンドルームに我夢に連れられてタバサがやってくると、コマンダーはタバサを自分の前に呼んだ。

「今回の事件の解決には、君の功績が大きかった。XIGコマンダーとして、あらためて礼を言いたい」

「……わたしは少し手伝いをしただけ、誰もが全力を尽くしていたあの時に、功績の大小なんて関係ない」

「そのとおりだ。だが、君は本来なら部外者であるところを、率先して我々に協力してくれた。そこははっきりさせておきたい。そして、君がよければだが、XIGの臨時隊員として正式に迎え入れたいと考えているが、どうだね?」

 コマンダーのその要請に、タバサは息を飲んだ。

「いいの? わたしはこの世界の人間ではないのに」

「君が我々に友好的だということは、今回の件ではっきりした。むろん、君が元の世界に帰るまでの間で構わないが、明日や明後日に実現する話ではない以上、君も我々とともにいたほうが手がかりを見つけやすいだろう。もちろん、正式な隊員となる以上は客員扱いではなく、こちらの指揮下に入ってもらうことになる」

「わかった。けど、ハルケギニアへ戻るための方法はまだ見当もついていない。ガム……」

 正式な身分が手に入るのはありがたいが、なし崩し的にここに居座るわけにはいかない。タバサは我夢に、残り期限の少ない時空移動の研究が滞っていることを尋ねたが、我夢はにこりと笑ってひとつのデータをスクリーンに映し出した。

「先ほど、藤宮から僕宛てにこのデータが送られてきました。地球上で、ワームホールを開きやすい時空のひずみのある地点をまとめた地図情報です。単独での時空移動は困難でも、これと組み合わせれば可能性は大きく広がります」

 そこには有名なバミューダ海域を始め、地球各地の時空が不安定な場所のデータがそれぞれ詳細に記されており、もしこれを発表すれば世界中の学会がひっくり返るだろう。

 そして、これほどのデータは他でもない藤宮が集めてくれたとしか考えられない。タバサの世話を我夢に丸投げしたように見えて、実は我夢がもっとも必要になるであろうデータをなにも言わずに集めてくれていたことに胸を熱くした。遠いあの日、ファンガスの森で自分たちを助けてくれたウルトラマンアグルの頼もしい背中が思い出される。

 我夢はコマンダーとタバサに言う。

「確かに明日や明後日に実現できるものではありません。ですが近い将来に必ず時空移動の具体的な方策は完成させられる目途は完全に立ちました。そして、彼女を元の世界に帰すだけでなく、彼女の世界を根城にしている破滅招来体の尖兵に攻撃を加えることも可能になります」

 コマンダーはうなずき、タバサの目に光がともった。

 ハルケギニアに帰れる。しかしタバサの明晰な頭脳は、それはつまり、この世界にいられる時間もまた有限になったということを理解した。

 この世界にいられる時間はそう長くはない。この世界で学ぶべきことはまだ多く、なによりも、こうして自分のために手を尽くしてくれる我夢や藤宮やXIGの人たちに恩返しをしないままでは貴族の誇りが傷つく。タバサは決意した。

「わたしで役に立てることがあるなら、ぜひ」

「歓迎しよう。今後、破滅招来体や、今日の魔頭のような妨害があるかもしれん。そのときは君の力にも頼らせてもらう」

「わかっ……了解」

 こうしてタバサのXIG隊員としての日々が始まった。

 XIGの制服に身を包み、来たるべき戦いへの研鑽と訓練、そして前触れなく襲ってくる脅威に共に立ち向かっていく。それはタバサにとって、間違いなく得難い経験になっていった。だがそれだけではなく、時に休日には街に繰り出してチョコレートパフェに舌鼓を打ったりと、楽しい思い出も重ねた。

 本当に、夢のような毎日だった。あの世界の思い出の数々は、ハルケギニアに戻って来てからも一日たりとも忘れたことは無い。

 

 しかし、ハルケギニアに戻ってからもタバサはシャルルを生き返らせられるという誘惑に抗しきれずに過ちを犯した。それでも我夢や藤宮はタバサを責めはせずに見守り続けてくれた。その恩には今度こそ報いねばならない。

 

 そして現在……。

 タバサはジョゼフに思い出の一節を語り終えると、目の前に現れたシャルルの記憶を見た。すでにタバサの記憶もジョゼフの記憶も振り返り尽くした先にあったのは、予想どおりシャルルが秘密にし続けてきたシャルル自身の記憶の光景だった。

「どうかこれで、次期国王には兄ではなく私を父に推薦していただきたい」

 そこにはシャルルが王国の貴族と密かに会い、金銭や美術品を渡して支持を約束してもらっている光景があった。

 それはとても高潔で謳われたシャルルの姿とは似ても似つかない俗物臭に満ちた小物の有様で、昔のタバサが見たら目を背けて受け入れるのを拒否していただろう。

 しかし、今のタバサはじっとその光景を見つめている。その上で、自分の知らなかった父の姿を受け入れていた。

「おとうさま、わたしにこの姿を見せなかったのはわたしが子供だったせい……? だったらなぜ、子供に見せたらいけないものだとわかっていることをやり続けたの? お父さまも、他人に自分の何がわかるなんて言葉で自分をごまかしてたの?」

 タバサの言葉は辛辣で、隣にいるジョゼフのほうが顔をしかめるくらいだった。

「耳が痛いな。聞いているかシャルルよ。俺に比べればだいぶんマシだが、子供というものはあっという間に親を超えていくものらしい。その点、俺たちは親父殿にはいまだに追いつけんダメ兄弟だなあ」

「わたしは、わたしだけの力でここまで来たんじゃない」

「そうだな。今のお前の話だけでも、お前が異世界で出会ったシグとかいう組織の連中から多くを吸収したのがわかる。俺たちの数十年のうわべだけの学問は、お前の数か月の冒険に遠く及ばないつまらないものだったというわけだ。かわいい子には旅をさせろ、か……は、は、は。もし俺が優しい叔父だったらどうなっていたかなあ?」

「それは違う。お父さまがどうだろうと、あなたがどうだろうと、今のわたしはわたしが歩んできた中で選択してきた道。不幸も幸福も、失敗も成功も、全部わたしの欠かせない一部。誰のせいでもない。あなたはまだ、自分たちの不幸を誰かのせいにするの?」

「ああ、まったくだ。俺は贖罪のためにここにいる。誰もが認める大悪党な俺だが、せめて心臓が動いているうちは罪滅ぼしをしよう。どうだシャルロット、俺は少しは人間に戻れたかね?」

「わたしは、あなたの死に逃げを許さないだけ。でも、あえて言うなら、わたしの目の前には、とても無様に、かっこう悪く……不器用に意地を張り合ってる、ただの”兄弟”が見えるだけ」

「そうか……シャルロットよ、すまんな。俺たちの意地に付き合わせて、本当にすまん」

 ジョゼフは、シャルロットが復讐をすら乗り越えて本当に大きくなったものだと感じた。自分たちのようなバカ兄弟の茶番に、これ以上付き合わせるわけにはいかない、いかないよなぁ。

「さあてシャルルよ。これ以上どんな茶番を見せてもシャルロットの心は折れはしないぞ。なにせシャルロットは俺たち二人を合わせたよりはるかに価値のある記憶が心を支えているのだ。そろそろ顔を見せろ、いやだと言ってもこちらから行くがな」

 ジョゼフとタバサはずんずんとハイパーゼットンの深部にあるシャルルへと迫っていく。

 

 しかし、そうしている間にも外での激戦は続き、強力なゼットン軍団の猛攻は一瞬も衰えることはない。

 滅亡への谷底へ足を踏み出しかけているハルケギニア。空では、真ん丸な太陽だけがいつもと変わりなく輝き続けていた。

 

 

 続く



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第42話  不屈・勇戦vs卑怯・卑劣

 第42話

 不屈・勇戦vs卑怯・卑劣

 

 宇宙恐竜 ゼットン

 宇宙ロボット キングジョー

 宇宙忍者 バルタン星人 登場!

 

 

「おやおやまったく、本当にハイパーゼットンに自ら飛び込んでいくとはなんと無謀なんでしょう。大丈夫ですかねえ王様にお姫様? いやはやこれですから、人間というものは見ていて飽きないものですよ。ねえ、皆さん?」

 

「おや? あちらもこちらも賑やかで、私のことを忘れておいででいらっしゃったのではありませんか? いやいや、バット星人グラシエ! この私のおかげであなた方もこの最高のショウを見物できるのですから、ちゃんと覚えていてくれなくてはいけませんよ」

 

「ノンノン、不機嫌な顔はいけませんよ。このショウは、瞬きしている暇もないのですからね。ほらほら、天気もちょうどよくなってきて、もうあまり時間はないことですしね」

 

「とはいえ、こちらの人間たちのお相手はどれもゼットン。そのわずかな時間すら耐えられるかどうかもわかりませんねぇ」

 

「それに、私の呼んだゲストの方々も、そろそろ奥の手を出さないといけないあたりでしょうか。さてさて、このゲームがおもしろくなるのはこれからですが、そこまで何人が生き残れるでしょうね? ああ、ただ待つのもなんですし、せっかくですから、いっしょに様子を見にゆきましょうか」

 

「ではまずは、トリスタニアのゼットンとペダン星人の生き残りの方々の戦いを見物しましょう。ルビアナさんにはずいぶん振り回されましたが、ほかのペダン星人の生き残りは凡人ばかり。キングジョーがあるとは言ってもどこまで戦えるか? フフ、頑張ってもらいたいですね」

 

 

 グラシエの気まぐれで、視点はトリスタニアを俯瞰する空へと移る。

 トリスタニアの街はゼットンの放つ火球で炎上し、何十か所から煙を立ち昇らせている。

 かつて科学特捜隊基地を炎上させたときのように、黒々とした巨体から電子音を鳴らしながら、ゼットンは無機質に炎に照らし出されている。その前に立ちふさがるのは金色の巨人キングジョー……だが、その姿はよく言って満身創痍で、自慢の装甲は傷だらけのつぎはぎだらけ、スクラップがかろうじて動いているようなひどい有り様である。

 いや、それだけならまだしもキングジョーの右腕には失った腕の代わりに以前トリスタニアでエースに撃破されたナースの首が接続されており、背中のブースターの代わりに大砲が据え付けられている強引な改造が施されていた。

 とてもまともな状態ではない。それでも、キングジョーの中に無理矢理増設されたコクピットに座る幼げな少女は意気軒高だった。

「やっぱりアタシたちは、こいつといっしょが一番落ち着くっス。お嬢様、見ててください。パーフェクトキングジョー(仮)出るっス!」

 以前ダイナに破壊されたキングジョーを回収して修復したが、時間も設備の余裕も無くて修復率はわずか50%。本来ならばとても出撃させるなど無理な状況だ。いや、ほとんど自殺行為に等しい。

 キングジョーは歩くだけでもぎこちなく、関節や修復個所からギシリギシリと鈍い音を立てている。まともに歩けてさえいないキングジョーに、ゼットンはキングジョーよりも機械的に無言で火球の照準を合わせた。万全のキングジョーのペダニウム装甲ならばゼットンの火球も跳ね返せるだろうが、穴だらけのこの状況では一発食らっただけで終わりだ。

 だが、コクピットの少女は八重歯をむき出しにして笑いながらレバーを押し込んだ。

「キングジョーウィップ、食らうっス!」

 するとなんと、キングジョーの右腕に取り付けられたナースの首が伸びてゼットンに飛び掛かったではないか。ナースの金色の竜の頭がゼットンの頭部に激突し、不意を打たれたゼットンは仰向けに倒れ込む。

「やったっス! ペダンの科学力を思い知ったか」

「まだだラピス! ゼットンがそんなもので死ぬはずがないだろ」

「あっハイ!」

 浮かれたところに飛び込んできた通信で叱責され、ラピスと呼ばれた少女は慌ててレーダーを見た。

 確かにゼットンのエネルギー数値はぜんぜん減っていない。すぐに反撃が来ると身構えるラピスが操縦桿を握り直した瞬間、強烈な閃光とともにキングジョーに衝撃が走った。

「わあっ! なにっスか!」

「うろたえるな! ただの目眩ましだ」

 ゼットンは火球を発射せずに、そのままエネルギー放射をおこなったのだ。元が一兆度の火球なのでエネルギーは強力で、余波だけで周辺の建物が炎上している。キングジョーにダメージを及ぼすほどではなかったがセンサー類にショックを与えるには十分で、動きが止まった隙にゼットンはキングジョーの至近にテレポートして掴みかかってきた。

「ラピス、動け!」

「でも、まだモニターが」

「違う! レーダーを見ろ」

 言われてラピスはレーダーに映ったゼットンへ向けて右手のナースハンドを動かした。ナースの頭が動いてゼットンを狙うが、ゼットンは二度は喰らわないとばかりに払いのけてしまう。ゼットンの手がキングジョーのボディを軽く打っただけで激しく揺さぶられ、コクピット内のラピスも振り回された。

「きゃああっ!」

 急造のコクピット内で火花が散る。本来のキングジョーでならば何でもないような衝撃でも、最初から満身創痍のこのキングジョーにとっては十分に致命傷になる威力だった。

 早くも関節や装甲のヒビから煙を吹き始めるキングジョーに、ゼットンは容赦なくウルトラマンをも吹っ飛ばせるチョップを打ち込んで地に這わせ、無慈悲なストンピングを繰り返して追い込んでいく。

 その、あまりにも早い一方的な展開に、城から見守っていたアンリエッタはやはり行かせなければよかったと後悔し、グラシエは呆れたようにため息をついていた。

「おやおやこんなものですか。少しは期待したのですが、ミス・ルビアナなしではしょせん烏合の衆ですか。眠い戦いですねえ」

 踏みつけられ続けるキングジョーは全身からスパークを発し、もういつ爆発してもおかしくないありさまだった。だがそれでも、コクピットの中の少女はあきらめずに操縦桿を握る。

「アタシは、アタシはまだ負けてないっス! お嬢様、見ててください」

 寝返りを打ったキングジョーの背中に装着されている砲塔の砲身がストンピングを続けようとするゼットンを向き、直径36センチの巨弾を至近距離から4発お見舞いした。

 バリアも張れない距離の反撃にゼットンは砲弾をもろに食らって爆発に吹き飛ばされる。もちろんこの程度ではゼットンにはたいしたダメージになっていないが、その隙に起き上がったキングジョーの中のラピスは荒い息をつきながら、まだ折れない闘志を瞳に燃やしていた。

「痛い……けど、負けない、負けないです。よーし、こうなったら最終兵器を見せてやるっスよ!」

 頭をぶつけて額から血がにじんでいる。口の中もあちこち切って鉄の味がする。けど、それでも笑顔を絶やさずに明るくにこやかに。尊敬するあの人のように。

 しかし今さらキングジョーにどんな手が残ってるというのだろう。いや、キングジョーにはまだ誰もが知っている最強の武器が残っている。接近してくるゼットンに対して、キングジョーは足元に隠していた巨大ななにかを抱えあげて丸太のように叩きつけた。

「どっせーいっ!」

 ゼットンはキングジョーの振り回した何かに殴られてよろけた。それを見たトリスタニアの人々のほとんどは、それがなんなのかを理解できなかった。だが、ごくわずか、東方号を見たことがある者たちは、それがなんなのかを察することができた。

「船……?」

 そう、船だった。それもただの船ではなく、ハルケギニアの木造船とは大きさも次元の違う鋼鉄製の地球の船、戦艦である。

 構わず迫り来るゼットン。しかしキングジョーは抱えた巨大な戦艦を大きく振りかぶって、思い切りゼットンを殴りつけた。

「チェストォーッス!」

 ゼットンは受け止めようとするものの、何万トンという大重量の激突には耐えられずに吹き飛ばされて煉瓦の建物に叩きつけられる。

 まさか! こんな原始的な攻撃でゼットンに会心の一撃を加えたことに、グラシエは唖然とした。そしてキングジョーは抱えた戦艦を倒れたゼットンに押し付けるようにしてマウントから押さえつけにかかった。

 もだえるゼットンは振りほどこうとするものの、押し付けられてくる船体が邪魔になって手が届かない。そのまさかのゼットンが苦しめられている光景に見ているものたちが唖然とする中、ラピスの陽気な声が辺りに響いた。

「どおっスかあ! これぞ、キングジョー最強の武器、タンカー投げっスよ」

 それを聞いて、かつてのウルトラセブンとキングジョーとの戦いを知る者たちははっとした。神戸港を破壊したキングジョーは、セブンとの戦いで停泊していたタンカーを持ち上げて武器にしたことがある。さしものセブンも自分の体重よりも重い船舶をキングジョーの怪力で振り回されては大変で、弾き飛ばされたり押さえ込まれたりして、キングジョーがタンカーを持ち上げるのを懸命に阻止しようとしていた。

 だが、なんとまさか。グラシエは驚くのと同時に、いくらなんでもそれはないでしょうと呆れた。

 しかし、実はこれは多くのペダン星人たちの考えではない。円盤に残ったジオルデ他のペダン星人たちも、「そんなの知らんぞ」とうろたえている。なんとラピスは自分の独断でこの戦法を考えていたのだ。

「ふっふーん。夜も寝ないで昼寝して資料ビデオをガン見したアタシに隙は無いっス! 分析の結果、ウルトラマンに一番効果があった武器はこれで間違いないっス」

 確かに効いてはいるが、ちょっとそうじゃないだろうと全員が心の中でツッコミを入れた。

 だが調子に乗ったラピスは抱えた戦艦を盾にしてキングジョーを前進させていく。

 なお、この戦艦は元々はラグドリアン湖に沈んだバラックシップの一部であった戦艦を引き上げてキングジョーを修復する資材の足しにしたもので、名前をプリンス・オブ・ウェールズというイギリスの戦艦である。主砲は36センチ四連装2基と連装1基の十門で、四連装主砲の1基は取り外されてキングジョーの背中に取りつけられ、良質な鋼材も取り出されてほぼスクラップと化していた。ただ時間が無くて船体はそのまま放置されていたのにラピスが目を付けたのだ。

「ちぇーすとーぉっ!」

 大太刀を振り上げる薩摩武者のようにキングジョーは戦艦でゼットンを殴りつける。満身創痍とはいえキングジョーのパワーで振り抜かれた巨大な船体は、今度もゼットンの防御をものともせずにぶっ飛ばした。

 再び唖然とする観戦者一同。そこに追い打ちをかけようと、キングジョーは独特の稼働音をあげながらゼットンへ向かっていくが、ゼットンも三発目を食らってはなるかと瓦礫に半分身を埋めながらも顔からの白色光弾を放ってきた。

「お見通しっス!」

 しかしキングジョーは白色光弾を船体を盾にして防ぐ。余談だが、この戦艦プリンス・オブウェールズはキング・ジョージⅤ世級戦艦の二番艦である。キングジョーとキング・ジョージ……どこか似ているのは運命であろうか?

 余談閉幕。ゼットンの白色光弾は盾にされたプリンス・オブ・ウェールズの装甲をはがしはしたものの、貫通はできずに防がれた。さすがは浮いていた頃は不沈戦艦と呼ばれただけはある頑丈さだ。キングジョーはおかえしにと、頭部にある突起から破壊光線デスト・レイを発射してゼットンにお見舞いする。

 小爆発。ゼットンにはたいしたダメージにはなっていないものの、余裕ぶって戦っていたゼットンのペースが乱されているのは確かだ。最初は呆れてこんな原始的な戦法などとと思っていたグラシエも、少しは認識を改めていた。

「なるほど、キングジョーのパワーを活かすのならシンプルなほうが合理的なのかもしれませんねえ。思えば、ルビアナさんのキングジョーブラックとも思想は同じ……いや、ラピス嬢は単純なだけでしょうねえ」

 素人の率直な発想が最良の選択に行きついたわけか。なんとかと天才は紙一重とはよく言ったものだ。

 ゼットンは迫り来るキングジョーに、接近戦は不利だとテレポートで距離をとった。するとキングジョーも戦艦を左手に持ち掛けて、右腕のナースヘッドをゼットンに向かって伸ばす。

「くらえっス!」

「いやあゼットンも馬鹿ではありませんよ。ほら、光波バリアーです」

 グラシエの言った通り、直立したゼットンの周囲に発光する透明の壁が現れてナースヘッドを弾いてしまった。八つ裂き光輪も粉々にする頑強なバリアーの前には力押しの攻撃など無力……と思われたが。

「押してダメなら、もっと押すっスよ!」

 なんと、弾かれたナースヘッドを鞭のように振るって第二撃、第三撃を叩き込み、それでもバリアーが破れないと四発目、五発目をバリアーに叩きつけ続けた。

「いやいや、そんな力任せなことで……」

 ゼットンのバリアーが破れるわけがない。しかし、諦めずにラピスはさらにナースをゼットンのバリアーにぶつけ続ける。

 キングジョーのボディがきしみ、ナースの頭部も度重なるバリアーとの激突で欠け始めた。無駄なことを……と、グラシエは思っていたが、グラシエもひとつ見落としていることがあった。攻撃を受け続けている以上は、いくらゼットンでもバリアーを張り続ける他には何もできないということを。

「せありゃあーっ!」

 二十発目の攻撃がゼットンのバリアーに当たって跳ね返されると同時に、直立不動を保っていたゼットンがぐらりと姿勢を崩した。バリアーを張り続けるのが長くなりすぎて保ちきれなくなってきているのだ。

 そして二十一発目のナースヘッドの攻撃がバリアーに当たった瞬間に大きくひびが入り、二十二発目の攻撃で戦艦の船体をバットのように振るった一撃が遂にバリアーを粉砕。ゼットンは巨大な鉄塊に正面からぶち当てられてぶっ飛んだ。

「しゃあーっ! やったあーっス!」

 ラピスの喜ぶ声が町中に響き渡る。まさか、ゼットンのバリアーを本当に正面からの力技だけで突破してしまうとはと、グラシエも本気で驚いている。

 バリアーを長く張りすぎて消耗していたゼットンはキングジョーの戦艦バットをもろに喰らってダウンし、まだ死んではいないものの、独特の電子音を弱らせている。

 さすがは腐ってもかつてウルトラセブン単独では勝てなかったスーパーロボット。半壊の状態でもここまでやるとはと、グラシエは驚いた。

 キングジョーはダウンしたゼットンをプリンス・オブ・ウェールズの船体で押し潰そうと上から押しつけている。このままいけば本当にゼットンをKOできるのではないか? 思いもよらぬ戦いの流れに、アンリエッタやペダン星人たちが希望を持ち始めていた、その時だった。

「正直驚きましたよ。素朴な発想も勉強になります。ですが、そのゼットンをただのゼットンと思っていてはいけませんよ」

 グラシエがそう言った瞬間、キングジョーの背中に黒い光弾が命中して爆発した。

「きゃあっ! な、なにっスか?」

 衝撃でキングジョーが揺らぎ、ゼットンへのマウントが外れてしまう。モニターを操作して攻撃した相手を探すと、いつの間にかキングジョーの後ろにサソリのような甲殻怪獣が現れていたのだ。

「い、いつの間に! これでも食らえっス!」

 キングジョーの背中に装備された四連装主砲が旋回し、砲撃をその怪獣に浴びせた。その砲撃で、怪獣はもろくも倒れて爆発の中に消える。

 やったのか? ずいぶん簡単に……しかしそこへジオルデの声が悲鳴のようにコクピットに響いた。

「ラピスまだだ! 左右にまだ二体いる」

「えっ!?」

 ラピスはモニターを見て愕然とした。なんと、今倒したのと同じ怪獣……二匹の怪獣兵器スコーピスがこちらを狙っていたのである。

 いったいどうなって? 混乱するラピスやペダン星人たちを嘲笑うようにグラシエは言った。

「このゼットンたちはハイパーゼットンの莫大なエネルギーを分け与えることで、死んだ怪獣たちを怪獣兵器として蘇らせることができるのですよ。それにしても、かつては悪名高いサンドロスの怪獣兵器であったスコーピスを自分の怪獣兵器にするとは、このゼットンもなかなか人が悪い」

 この場所ではまだ怪獣兵器が現れていなかったために、ラピスたちは怪獣兵器のことが頭に無かった。怪獣兵器は生前に比べれば非常に弱いが、それでも能力は残されている。二匹のスコーピスの頭部から黒色の破壊光弾フラジレッドボムが放たれてキングジョーを爆発が包んだ。

「あああぁっ! こ、こんのぉっ!」

 火花が弾けるコクピットの中で、ラピスは必死にレバーを押し込んでナースヘッドの一撃でスコーピスの一体を弾き飛ばした。生前は強靭な生命力を有していたスコーピスも、怪獣兵器としてゾンビ化した今では一撃で耐久力が尽きて爆発四散してしまう。

 ラピスは伸ばしたナースヘッドを引き戻し、もう一体のスコーピスも狙おうとした。だが。

「お嬢さん、そんな雑魚にかまっていていいんですか?」

 キングジョーの背後から突き出された強烈な掌底が攻撃体制のキングジョーを突き飛ばした。

「うあぁっ! うぅっ、ゼ、ゼットン……」

 ノイズでかすむモニターに、体勢を立て直したゼットンが映っていた。

 ラピスは体のあちこちを打ち付けて痛むのを歯を食い縛って我慢する。そしてゼットンに再びタンカー投げをぶつけようとキングジョーを振りかぶらせ、戦艦を思い切り振り回した。

 だが、度重なるダメージでさらに動きの鈍ったキングジョーのタンカー投げは、今度はゼットンに完全に見切られていた。プリンス・オブ・ウェールズの船体はゼットンに受け止められ、そればかりかゼットンは船体を逆に振り回してキングジョーを打ち据えたのである。

「きゃあぁっ!」

 コクピットに火花が散り、ショートした機械から焦げ臭い臭いが充満する。もはやオートでのダメージコントロール機能も限界で、ひび割れた装甲や関節から火花を散らすキングジョーは、いつ爆発してもおかしくないような有り様だった。

 いや、キングジョーだけならまだしもパイロットも限界だった。狭いコクピット内で何度も体をぶつけて、ラピスは額から血を流し、小柄な体はもう数えきれないほどのところが痛んでいる。

 だがそれでも、それでもラピスは操縦桿から手を離そうとはしなかった。

「まだ、まだっス……お嬢様は、ルビアナお嬢様は、あきらめろなんて教えてくれなかったス……お嬢様の意思は、アタシたちはここで生きていくんス! パーフェクトキングジョーは、伊達じゃないっスよ!」

 満身創痍のキングジョーは、奇跡としか言いようがないような再起動を果たした。傷だらけのナースヘッドをゼットンに構え、背中の砲門をスコーピスに向ける。しかし、もはや勝ち目があるようにはとうてい見えず、全身から白煙と火花を噴き上げる悲壮な姿に、アンリエッタは涙を流しながら止めていた。

「もう、いいです。もう、やめてください」

 これ以上親しい者たちが傷ついていくのを見るのはたくさんだ。だが戦う力はもう残っておらず、始祖に祈るしかできない自分の無力さを呪った。

 あのキングジョーが勝つことは、もはやどんな手段をもってしても不可能だろう。それを確認して、グラシエは最後まで見ることなく踵を返した。

「よく頑張ったとほめてあげたいところですが、凡人はしょせんここまでですね。さて、それでは次に気になっているところは、と」

 

 グラシエの姿がトリスタニア上空から掻き消え、別の場所にワープする。

 次に現れた場所は、トリステイン魔法学院の上空。そこから見下ろす先ではウルトラマンコスモスとジャスティスが、二体のバルタン星人とカオスウルトラマンカラミティを相手に激闘を繰り広げていた。

「さあて、場を盛り上げるためにわざわざ呼んだ特別ゲストですからね。もうちょっと楽しませてくださいよ」

 自分の仕込みで他人が右往左往するのが楽しくて仕方ないというふうにグラシエは笑った。

 グラシエにとってハルケギニアは使い捨ての実験場、どうなろうと構いはしない。だが、この場に生きる目的を持つ者たちにとっては、それが正でも邪でも真剣勝負の場であることに変わりない。平和と正義を守るコスモスとジャスティスに対し、侵略者バルタンの戦いは激しく燃え上がる。

〔バルタン星人、お前たちのやっていることは、決して正義ではない〕

〔宇宙正義の名において、お前たちの行為を悪と断ずる〕

「ウルトラマンジャスティス、コスモスに与するのならば貴様もいっしょに葬ってやる。やるのだ、同志よ!」

「おおうっ!」

 バルタンのリーダーは聞く耳を持たず、部下のバルタンとカラミティを引き連れて挑みかかってくる。

 そんな、あくまで暴力をもって事をなそうという悪を、ウルトラマンは許さない。

「シュワッ!」

 コスモス・コロナモードの目にも止まらぬ超高速移動がバルタンの背後をとる。エネルギーを回復したコロナモードのスピードは瞬間移動にも近しいもので、二体のバルタンが振り向く隙も与えずに、回し蹴りでまとめてふっとばす。

「シェアッ!」

 強烈な一撃に続いてコスモスの攻撃は止まらない。一体のバルタンが起き上がる直前にタックルをぶつけ、さらにもう一体へと流れるような動きからアッパーをお見舞いする。

 バルタンはコスモスの動きについていけずに翻弄され、またも地を舐めることになった。

「お、おのれ」

 本来ならばバルタンはコスモスに対して、二体のカオスウルトラマンを擁することで圧倒的に有利に戦いを運べるはずだった。しかしカオスウルトラマンの一体は倒され、残るカラミティもジャスティスによって追い詰められている。

〔コスモスの贋作か……心を持たない力など、是非もない〕

 ジャスティスはカラミティに対し、無感情そのものの声色で言った。ただ姿形を似せただけの人形、こんなものに比べれば、まだ自身の悪意で動いていたサンドロスのほうがましだ。

 コスモスによく似た構えからパンチを繰り出してきたカラミティの攻撃を、ジャスティスは軽く手のひらで受け止めた。カラミティは困惑したようにつま先を蹴り上げてくるが、ジャスティスはわかっているようにかわす。

〔コスモスの戦法ならすでに承知している。よくできたコピーだ〕

 皮肉げに言い、ジャスティスはカラミティの腕をとると引き倒すように地面に叩きつけた。

「セエィッ!」

 受け身もとれずに背中から叩きつけられ、カラミティから苦悶の声が漏れる。だがジャスティスはそんな人形の反応などには目もくれず、倒れたカラミティの胸に鉄拳を叩き込み、さらに腕を掴んで力づくで引きづり起こして投げ飛ばす。

『ジャスティス・ホイッパー!』

 強烈な投げ技が炸裂し、カラミティが地面に叩きつけられる振動で学院も揺れる。

 しかし恐怖のないカラミティはなおも立ち上がり、ジャスティスに向かってキックを放とうとする。だが、ダメージを受けてなおさらスピードの鈍ったそんな攻撃をジャスティスが受けるわけもなく、身をひねって受け流すと、そのままカラミティの背後に回って強烈な裏拳を後頭部に打ち込んだ。

「デアッ!」

 貫くような赤い拳の衝撃を受けて、カラミティは自身を構成している人工カオスヘッダーがブレて、砂像のように一瞬形を崩れかけさせた。

 それでもなんとかカラミティは姿を元に戻すとよろめきながらジャスティスに向き直る。だがもうカラミティはウルトラマンの姿を保っているだけでやっとなほど不安定化しているのは明白だった。これがオリジナルのカオスヘッダーの作ったカラミティであればエネルギーは無尽でジャスティスも手こずらされたであろうが、意思無く制御された人工カオスヘッダーではマザルガスに吸収された分を補う知恵も無ければ、ましてや諦めずに戦う意思などあろうはずもない。

 ジャスティスの攻撃は一撃ごとに確実にカラミティのパワーを削り取ってゆく。いくらカラミティが恐怖の無い戦闘マシーンだとしても、ジャスティスの攻撃は一撃ごとが非常に重い必殺の拳打だ。宇宙正義を守り、悪を打ち砕くその重みに加わっているものはからっぽの人形などには決して持てない。

「セヤァッ!」

 ジャスティスのキックがカラミティを大きく弾き飛ばした。

 同時に、コスモスも二体のバルタンを一体は投げ飛ばし、一体は拳打で吹っ飛ばす。

 その壮観な光景に、戦いを見守っていた学院の生徒たちからも歓声があがる。

「いいぞ、いけーウルトラマン!」

 上級生下級生男女問わず、みんながウルトラマンを応援していた。その声を背に受けて、二人のウルトラマンはそれぞれの必殺光線の構えに入る。

 コスモスの手に太陽のコロナのような燃えるエネルギーが荒ぶり、ジャスティスの両拳に黄金のエネルギーが輝く。そしてコスモスとジャスティスはそれぞれの渾身の一撃を撃ち放った。

『ネイバスター光線!』

『ビクトリューム光線!』

 赤熱と金剛の奔流が二体のバルタンを狙い撃つ。

 だが、これでバルタンも終わりだと誰もが思った瞬間、なんとリーダーのバルタンはカラミティの背に回って光線の盾にしてしまったではないか。

「わ、私は死なぬゥ!」

「ド、同志ィィィ!?」

 手下のバルタンとカラミティは焼き尽くされて大爆発を起こした。

 しかし、カラミティを盾にしたリーダーのバルタンはなんとか爆発に吹き飛ばされながらも生き延び、ほうほうの体ながらも起き上がった。

「グ、グヌゥゥ……」

 ハサミを杖にしてやっと立ち上がったバルタンは肩で息をつき、しかしなおコスモスたちへ憎悪の視線を向けてくる。

 むろん、部下を見捨てて自分だけ助かったリーダーバルタンに、コスモスもジャスティスも冷たい視線を返し、もはや甘い対応をするつもりはない。

 今度こそとどめをと、ジャスティスが再度エネルギーをチャージする。バルタンにかわす術はなく、今度こそ終わりかと思われたが、上空で観戦していたグラシエが愉快そうにつぶやいた。

「さあ、もうプライドにこだわっている時ではありませんよ。あなた方もこちら側に来ると決めたのでしょう? なら、それらしく振る舞いなさいよ。さもないと、このまま犬死にですよ」

 まるで悪魔のささやきのようなグラシエの言葉。それはリーダーバルタンの耳には届かなかったが、リーダーバルタンはそれまで軍人や武人としての最後の良心で使わないで残していた切り札を解き放つことを覚悟した。

 ジャスティスが光線を放とうとしたその瞬間、リーダーバルタンは空に浮かぶバルタンの宇宙船『廃月』をハサミで指して叫んだ。

「待て! あれを見るがいい」

 すると、廃月の前の空間が歪み、なにかが映し出され始めた。

 ホログラフィでの空間投影だ。だが今更なにを見せようかという前で、映し出されたものにコスモスとジャスティスは驚愕した。

〔あれは、バルタン星人の子どもたち!〕

〔閉じ込められているのか。なんということを〕

 廃月の中には、小さなチャイルドバルタンたちが何百人も押し込められていた。チャイルドバルタンたちは廃月の中の空間を不安げに飛び回っているが、彼らの閉じ込められている広間の中央には心臓のように鼓動する何らかの装置が置かれている。リーダーバルタンはそれを指し、憎悪にたぎった声で告げた。

「ファファファ、廃月をバルタン星から持ち出したとき、他の連中が手出しできないように人質として連れ込んでおいたのだ。貴様らが抵抗すれば、あの爆弾を爆発させてガキどもを皆殺しにしてやるぞ」

〔なんだと……かつてお前たちバルタン星人は、子どもたちの未来のために命をかけて戦ったではないか。お前は、同じバルタンとして恥ずかしいとは思わないのか〕

 コスモスも憤りを込めて言う。かつて地球を侵略しようとしたバルタンは、自分たちが泥をかぶっても子供たちに未来を残せるならばと必死の信念があった。だからこそコスモスも一定の理解と敬意を持っていたのだが、自分のために子供たちを利用しようとするとは、かつての同胞たちの犠牲さえ足蹴にする行為だ。

 だが、追い詰められたリーダーは吐き捨てるように言った。

「うるさい! それがどうした! ハハハ、それがどうした。負ける以上の恥などあるか! ガキどもなどいくらでもいるのだ。勝利こそがすべてだ」

 錯乱したように怒鳴り散らすバルタンに、コスモスもジャスティスも送る言葉は残っていなかった。

 人質の映像を見せびらかしながら、バルタンはハサミを開いてドライクロー光線をコスモスとジャスティスに放った。

「ウワァッ!」

「ウオッ!」

 光線をまともに浴びてコスモスとジャスティスは吹き飛ばされた。避けようと思えば避けられたが、人質を見せつけられては動けない。

 戦いを見守っている学院の生徒たちも、バルタンの卑劣さに怒りをあらわにする。

「卑怯だぞ! 正々堂々と戦え」

「そんなやり方で勝つなんて盗賊のやることよ」

 貴族の世界にも決闘に敗れた者などを使う人質というものはある。しかし身代金を払うなどすれば解放されるルールが設けられた一種の儀式要素が強いもので、人質を盾にこんなあからさまな脅迫をするものではない。

 戦いにも、戦争にも一定のルールはあっていいはずだ。それを無くしてしまえば、もはや獣同士の闘争しか残らない。高等生命体を名乗る資格を失う。

 だがそれでも、勝てばそれでいいとバルタンは抵抗できないコスモスとジャスティスを攻め立てる。ドライクロー光線がさらに炸裂し、爆発がコスモスとジャスティスを痛めつけた。

〔ジャスティス、このままでは〕

〔だが、今はどうすることもできん〕

 無防備で攻撃を受け続けたらウルトラマンといえども長くはもたない。だが、仮にどちらかが人質を救出しに向かえばバルタンは人質を爆破してしまうだろう。

 なにか方法はないか? なんとかしなければ……コスモスとジャスティスは必死に考えた。しかしバルタンは容赦なく二人を光線で痛め付け、倒れたコスモスを足蹴にして勝ち誇った。

「どうだコスモス、これが真理だ。負けたものは全てを失う、だからどんな手を使っても勝たねばならないのだ」

〔それは違う。負けたからこそ知れるもの、負けたからこそ得られる大切なものがある。お前たちバルタンは、それを見つけたはずなのに〕

 コスモスもかつて、カオスヘッダーとの戦いで何度も傷つき倒れ、敗北の地にまみれた。しかし敗北の中から立ち上がり、新しい力を模索して強くなっていく人間たちとともに歩むことで、コスモスも新しい力や未来をあきらめない心を得てきた。

 負けることは恥ではない。負けから学ばずに成長できないことこそ恥なのだ。バルタン星人は地球侵略失敗の挫折から立ち直り、ようやく新天地となる星を見つけてこれからだという時なのに、そのバルタンの中にもこんな頑迷な者がいたとはと悲しくなる。

 だが、このバルタンが守ろうとしているものはまったく次元が違った。

「そんなもので、貴様らが傷つけてくれたバルタンの誇りは取り戻せん。我らの受けた屈辱、怒り、恨み、敗者に甘んじた平和などで癒せるものか!」

「グアアッ!」

 バルタンはコスモスの脇腹を思いきり蹴り上げた。

 力によって他者を優越する以外の価値観を持てない、彼らはそんな人種だった。こういう類の者たちは、人間からエルフ、亜人、宇宙人から果てはウルトラの一族にも、どんな種にでも多かれ少なかれ存在する。残念だが、大切に思うものが根本から違うのだ。

 このバルタンを納得させるには、勝利による優越を得る他にない。しかし、そんなことは絶対に許されないから戦うしかないのだ。

 バルタンはコスモスとジャスティスが抵抗できないのをいいことに、彼らを踏みつけ、さらにドライクロー光線を浴びせて痛めつけ続けた。その暴力に酔う様に、グラシエは手を叩いて賞賛を送る。

「エクセレント! いやいや素晴らしい。正義を名乗る方々にはこの手は本当によく効きます。手段を選ぶなんてやめて正解だったでしょう?」

 最初から多勢に無勢で挑むなどバルタンも立派に卑怯だったが、本当の悪党から見たら卑怯の度合いが違うのだと言わんばかりの哄笑だった。

「これでこちらは片付くかもしれませんね。もしもダメでしたらと思いましたが、私が手を貸すまでも無かったようですね。さあこれで後戻りはできませんよ。ようこそ、今日はあなたの新しい誕生日です」

 バルタンが「こちら側」に来たことを歓迎して、グラシエは再度拍手を送った。

 

 人質を盾にされて手出しができないコスモスとジャスティス……バルタンの憎悪のこもった攻撃は二人の命を刻一刻と削り取っていく。だが、そんな絶望的な光景を見つめている目が、グラシエも気づいていないうちにもう一組増えていた。

〔我夢の心配した通りになったな。ちっくしょう汚いまねしやがって。子どもたち、今助けに行くぜ!〕

 人間サイズに縮小することでエネルギー消費を抑えていたウルトラマンダイナは、空に浮かぶ廃月を見上げて腕を組んだ。

 ダイナの額のクリスタルが輝き、ダイナの姿が超能力を発揮する青い戦士へと変わる。

『ウルトラマンダイナ・ミラクルタイプ!』

 

 

 続く



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第43話  超合体、栄光を求めた果てに

 第43話

 超合体、栄光を求めた果てに

 

 ゼットンバルタン星人 登場!

 

 

 コスモスとジャスティスに追い詰められたバルタン星人のリーダーは、卑劣にも同胞であるバルタン星人の子供たちを人質にとって脅迫してきた。

 子供を人質にとられたのではコスモスとジャスティスも手が出せない。そしてバルタンは抵抗できない二人を容赦なく痛めつけていく。

 なんとかしようにも、子供たちが捕らえられているバルタン星人の宇宙船『廃月』には簡単には乗り込めない。

 だが、卑怯なバルタンの野望を阻止するために、ウルトラマンダイナが密かに駆けつけていたのだ。

 

『ウルトラマンダイナ・ミラクルタイプ!』

 

 変身したダイナはすぐさま廃月の内部へとテレポートした。人質の押し込められている広間の場所まではわからなかったので、テレポートした先はどこともわからない通路だったが、そんなことでダイナは止まらない。

〔なんとなく賑やかそうなほうに向かえば大丈夫だろ!〕

 お気楽なノリで決めてダイナは通路をダッシュした。

 乗組員はあのバルタン三人と人質の子どもたち以外にはいないらしく、無人の通路をひた走る。しかし元は民族移民船であっただけに広く、迷いかけたとき、突如ダイナに不思議な声が呼び掛けてきた。

「危ない、その先には罠が作動しています」

〔んなに? おおっと!〕

 ダイナが反射的に足を止めた瞬間、床から無数の刃が飛び出してきてダイナに向かってくるではないか。

〔侵入者避けのトラップってわけか。へっ、こんなものにやられるかよ〕

 ダイナはそのままコマのように回転し、向かってきた刃をすべてスピンで弾き返してしまった。周りが砕かれた刃の破片で埋まる中で、またさっきの声が呼びかけてくる。

「よかった。この船には、まだ今のようなトラップが生きてるところが残ってるんです」

〔その声、俺たちに通信を送ってきたのはお前だな。お前……いや、君もバルタン星人なのか?〕

「そうです。みんなでさらわれてきましたが、わたしだけがなんとか抜け出して通信室からメッセージを送っていました。この星に迷惑をかけて、ごめんなさい」

〔謝らなくてもいいさ。君が悪いんじゃない。悪い奴は、俺たちがささっとやっつけてやるから心配すんな。なんたって、俺はウルトラマン、ウルトラマンダイナだからな〕

「ありがとうございます。ここからはわたしがナビゲートします。その先を右に曲がってまっすぐ進んでください」

〔よっしゃ! まかせろ〕

 ダイナは案内に従って通路を走った。迷路のような宇宙船の中を右に左にと駆け、やがて大きな扉の前に出た。

「その先が、皆が閉じ込められている大広間です。急いでください、コスモスさんたちが」

〔よおっし、すぐにみんなを助けてやるぜ。こんな扉くらい、どりゃぁぁぁ!〕

 ダイナのパンチが扉を吹っ飛ばした。ミラクルタイプはパワーが下がるものの、アスカの熱い根性をもってすれば扉の1枚くらい問題にならない。

 広間に飛び込んだダイナは、驚き慌てて跳び回っているチャイルドバルタンたちの中を駆け抜けて、中央部に据え付けられている爆弾のもとにたどり着いた。

〔こいつが爆弾か〕

 爆弾はまるで生物のように赤い光を放ちながら脈動している。アスカでも一目見て、これはヤバいという雰囲気をビンビン放っていた。

 すると、そのとき外でコスモスたちと戦っていたリーダーバルタンがこの様子に気づいた。

「まだウルトラマンがいたとはな。だが、その爆弾は少しでもショックを与えたらその瞬間に起爆する。解除方法は私しか知らんのだ、人質といっしょに吹き飛びたくなかったら、貴様もそこでおとなしくしているがいい」

 リーダーバルタンは勝ち誇って笑った。彼の足元には大きなダメージを受けて横たわるコスモスとジャスティスの姿がある。

 確かに、ほかのウルトラマンなら打つ手が無かっただろう。だが、ダイナ・ミラクルタイプは違う。ダイナは臆した様子もなく首をコキコキと鳴らすと、爆弾へ向けて構えた。

〔触っちゃダメなら触らなきゃいいんだろ? こんなでっけえボール、場外まですっとばしてやるぜ〕

 ダイナの手にエネルギーが集まる。リーダーバルタンはそれを見て「なんだと! やめろ」と叫んでいるが、もちろんダイナに自爆する気などさらさらない。そしてダイナの手から放たれた光線が爆弾の周囲の空間を捻じ曲げた。

『レボリュームウェーブ!』

 マイクロブラックホールを作り出して対象を別次元に消滅させる光線が、爆弾をそのままの状態でこの次元から消し去ったのだった。

 これでチャイルドバルタンたちへの脅威は消えた。ダイナは喜び祝福するチャイルドバルタンたちに囲まれながら、コスモスたちへ言った。

〔さあ、もう心配はいらないぜ。コスモス、遠慮しないでその悪党をやっつけちまえ〕

 ダイナの心強い言葉がコスモスとジャスティスを勇気づける。そして、枷から解放された二人の放った強い怒りがリーダーバルタンをたじろがせた。

「う、あ……」

「シュワッ!」

「ごあっ!」

 赤い電光のように放たれたコスモスの鉄拳がリーダーバルタンを吹き飛ばした。コスモスが慈愛の戦士と呼ばれるとはいえ、これだけの卑劣を重ねておいてまだ許しが得られるわけがない。

 超えてはいけない一線をこのバルタンは超えた。この先はもう、彼が望んだとおりの展開しかない。バルタンは苦し紛れにドライクロー光線を放つが、コスモスはジャンプでかわしてキックを打ち込む。

 むろん、ここまで情状酌量の余地を無くしたバルタンにはジャスティスも断罪一択だ。コスモスから逃れようとしたバルタンの退路を塞ぎ、音速を超えた拳が轟音とともに打ちのめした。

「デアッ!」

「ぎゃあっ!」

 バルタンは片方のハサミをもぎ取られて倒れる。これで光線は片手でしか撃てないし、受けたダメージから飛行やテレポートで逃げることも不可能。

 チェックメイト……バルタンは逃れられない死を意識した。人質は奪還され、カオスウルトラマンのような手駒ももう無い。数秒後に介錯されるのを待つだけだろう。

 だが、それでもバルタンの中には渦巻く恨みの炎が燃え上がっていた。

「こんなところで死ねん。我らバルタンは最強でなければならんのだ」

 強さのみに価値を見いだし、強さのみに誇りを抱いてきた者にとって、敗北は絶対に認められなかった。なんのために仲間を裏切ってまでコスモスに復讐に来たのか? コスモスを倒し、安穏な平和に甘んじて屈辱を忘れている連中に思い知らせるのではなかったのか?

 嫌だ、こんなところで死ぬのは嫌だ。あんな軟弱な連中に笑われるのは嫌だ!

 とどめの光線を放とうとしてるジャスティスを前に、バルタンの中からとめどなく呪いの言葉が涌き出てくる。

 だが、その時だった。死を前にしたバルタンの頭の中に、グラシエの嘲る声が響いたのは。

「あーあー、みっともないですねえ。せっかくパワーアップのお膳立てまでしてあげたのにその体たらく。そんなものですか? あなた方の強さというものは」

「この声は! 貴様、テレパシーでささやいてまで、我々を笑おうというのか」

「いえいえ、私は負け犬には興味ありませんよ。ウルトラマンを倒すのは、それが誰であろうと利益の大きいこと。その点、あなた方を見込んで同盟を結んだのは間違いとは思っていませんよ。ですから差し上げに来たのですよ、ウルトラマンたちを倒せる圧倒的な力をね」

「なに! なぜ今さら?」

「本当はこの力は私が一人占めしていたかったのですがねえ。あなた方に負けられても困るので、出血大サービスというやつです。さあどうします? 今ならタダで差し上げますよ」

 グラシエの提案が美しい毒花のように甘美な匂いでバルタンの思考をくすぐった。普通に考えればそんなうまい話はないと思う。しかし、バルタンはまさに死の一歩前に追い詰められ、断れば後は死しかない。

 このまま死ぬくらいならば……バルタンは、誘いに乗ることを決めた。

「いいだろう。よこせ、その力を!」

「わかりました。では差し上げましょう、ハイパーゼットンから我々バット星人の技術で抽出濃縮した、この新鮮なゼットン細胞の力をあなたに!」

 グラシエの言葉とともに、バルタン星人の体内に空間転送されたゼットン細胞が送り込まれた。そしてゼットン細胞はその強力な生命力で瞬く間にバルタン星人の全身に増殖していったのである。

 バルタン星人の体が膨れ上がり、異常に気付いたジャスティスは光線を撃とうとしていた手を止めた。コスモスも驚いて見つめる前で、バルタン星人の体が変化していく。

「ヲヲヲヲ、感ジルゾ。スゴイ、モノスゴイパワーガ! ガ、ガガガガ、ガ」

 紫色の光を放ちながら変化していくバルタン星人。コスモスとジャスティスは、学院の生徒たちは唖然としてそれを見守るしかない。

 そして、二つの存在はついに統合を果たした姿を彼らの眼前に現した。

 

 ゼットン!

 

 バルタン星人!

 

 超合体

 

 ゼットンバルタン星人!!

 

「フォフォフォ……ゼットォーン……」

 バルタン星人とゼットンの声。

 見上げるような巨体はベースはゼットンのものだが、頭部にはバルタン星人の三角形の角が突きだし、腕にはバルタン星人のハサミがついている。体の各所にもバルタン星人の意匠が見られ、紛れもなくそれがゼットンとバルタン星人の合体怪獣だということを証明していた。

 ゼットンと同じ頭部の黄色発光器官を上下に点滅させながらコスモスとジャスティスを見下ろすゼットンバルタン星人。グラシエはその黒き威容を見下ろして、腹を抱えながら笑っていた。

「ウハハハ! 素晴らしい。まさかこんなにバルタン星人とゼットンの親和性がよいとは、最高のデータが取れますよ。ゼットンバルタン星人、さあ、その力はいかほどに?」

 グラシエが言い終わるのと同時に、ゼットンバルタン星人は動いた。いや、消えた。瞬時にテレポートして移動したのだ。

 コスモスとジャスティスははっとして周囲を見渡す。

 どこだ? どこに消えた? だが二人が気配を探ろうとした瞬間にゼットンバルタン星人は二人の背後に現れて、ハサミで二人を同時に殴打した。

「ゼットォーン!」

「ヌァッ!?」

「ウォァッ!?」

 死角から後頭部や背中を打たれて倒れこむ二人。しかし二人は決して油断していたわけではない。

〔なんという速いテレポートだ〕

 ジャスティスは驚きを隠せずに言った。

 テレポートにも精度の差というものがあり、例えば予備動作やエネルギーの集中、消えて現れるときの空間の変化などを見切れば避けることも可能だ。だがこのゼットンバルタン星人のテレポートには予備動作も空間の変化も一切なく、本当に瞬間的に空間を移動した。

 これは見切れない。ゼットンとバルタン星人、共にテレポートを得意とする両種族が合わさったその精度は完璧だ。

 だがむろん、それだけであるはずがない。ゼットンバルタン星人のハサミがおもむろに上がり、ハサミの中から強烈な青い光線が放たれる。

〔避けろ! コスモス〕

〔この光線は、はるかにパワーアップしている!〕

 かわした先で大爆発が起こる。すごい威力だ。

 二人はゼットンバルタン星人の恐るべき破壊力を目の当たりにして、その危険さを認識した。こいつは、ここで止めなければ! 反撃の光線がゼットンバルタン星人へと向かう。

『ブレージングウェーブ!』

『ライト・エフェクター!』

 二人の必殺の一撃が赤い二閃の光芒となって突き進む。

 だが、ゼットンバルタン星人は腕を垂直に立てると体の周囲にゼットンシャッターに似たバリアーを張り巡らせた。

 光線がバリアーに当たって轟音が響き、閃光が飛び散る。二人のウルトラマンの光線は、通常のゼットンのバリアーであればそのまま押しきって破れるほどのパワーを込められていたが、ゼットンバルタン星人のバリアーはついにひびも入ることなく二人の光線に耐えきってしまった。

〔く……っ〕

 ジャスティスが光線に全力を注いだ疲労でひざを突いた。

 あの一撃で揺るぎもしないとは……グラシエは予想以上の結果に狂奔を感じた。が、しかし。

「素晴らしい素晴らしい、予想を超えています。どうですかお気持ちは? バルタンさん?」

「……ゼットン」

 ゼットンバルタン星人はグラシエからの呼び掛けに応じることなく、コスモスをハサミで殴り付けた。

「ヌアァッ!」

「フォフォフォ!」

 苦悶の声をあげるコスモスを、ゼットンバルタン星人はさらに殴り付けていく。それを止めようとジャスティスが組み付いても力任せに振りほどき、二人まとめて乱打する。その行為には知性は感じられず、グラシエはははあと納得して顎をなでた。

「あらあら、ゼットン細胞の力に負けて自我が食われてしまったようですね。これは今後の課題になりますか。けれどまあ、お望みどおりにウルトラマン以上の力を持てたんですから本望でしょう」

 まるで良いことをして気分がいいようにグラシエは笑った。

 ゼットンバルタン星人はゼットンの破壊本能と、バルタン星人の怨念だけを受け継いだかのようにコスモスとジャスティスへ襲いかかる。

「ゼットン!」

 ゼットンバルタン星人のハサミがコスモスの首を捕らえて吊り上げた。苦しそうな声を漏らしてもがくコスモスを助けようと、ジャスティスが組み付く。

〔ぐぅっ、なんという力だ!〕

 ジャスティスが全身で力を込めてもゼットンバルタン星人は揺るがないほど強力だった。それでもエルボーを当てて拘束を緩ませてコスモスを助け出す。

 だが、ゼットンバルタン星人の顔面の発光体が光ると、ジャスティスは炎に包まれて吹き飛ばされてしまった。

「ムアアァッ!」

〔ジャスティス!〕

 ゼットンの一兆度の火球の直撃を受けてしまったのだ。その威力はものすごく、ジャスティスは大きなダメージを受けて立ち上がることもできずに苦しんでいる。

 さらにゼットンバルタン星人はハサミをジャスティスに向けて追い討ちをかけようとしてくるではないか。いけない! コスモスはジャスティスの前に立って、全力のバリアを張った。

『サンライトバリア!』

 金色に輝くバリアがゼットンバルタン星人の光線を受け止める。だが、通常のドライクロー光線であれば十分に受けきれたはずが、光線はバリアを押しきってコスモスまでも弾き飛ばしてしまった。

「ウアァッ!」

 バリアのおかげで直撃だけは免れたものの、衝撃はコスモスの体を貫いて、コスモスはジャスティスの傍らに倒れこんでしまった。

「ムッ、ウアゥッ……」

 体をよじり苦痛に耐えるコスモスの胸でカラータイマーが再び点滅を始める。ティファニアもコスモスの中から「コスモス、しっかりして!」と呼びかけてくるが、コスモスのダメージは甚大だ。

〔コ、コスモス……〕

 ジャスティスが苦しげな息で立ち上がろうとしている。しかしジャスティスのカラータイマーも点滅を始め、肉体のダメージはコスモスよりさらにひどそうに見える。

 そこへ、とどめを刺さんとゼットンバルタン星人は頭部を輝かせて、再び一兆度の火球を放ってきた。巨大な火球が二人に急速に迫りくる。その瞬間だった。

〔ウルトラマンは、ここにもいるぜ!〕

 ダイナがテレポートで火球の前へと割り込んできたのだ。目の前に迫った火球に対して、ダイナはブラックホールを生成する技術を応用して火球のエネルギーを吸収圧縮し、ゼットンバルタン星人へ向けて撃ち返した。

『レボリュームウェーブ・リバースバージョン!』

 撃ち返されたエネルギーがゼットンバルタン星人を襲うが、再び光波バリアーを張られて防がれてしまった。

 だが、その反撃はコスモスとジャスティスが体勢を立て直す貴重な時間を稼いでくれた。よろめきながらも立ち上がり、ダイナに並んだコスモスはダイナに礼を言った。

〔ありがとう。君に助けられた〕

〔礼にはおよばねえって。それより、こっからは俺も戦うぜ、こいつは半端な力じゃ勝てなさそうだ〕

〔君の言うとおりだ。あれに勝つためには、我々の力をすべて出しきるしかない〕

 ジャスティスも同意し、彼らは眼前のゼットンバルタン星人を見据えた。

 バリアを解き、無傷のゼットンバルタン星人は発光体を点滅させながら三人のウルトラマンを見下ろしている。

「ウル、トラマン……」

 わずかに残ったバルタン星人の意識か、それともゼットンの遺伝子に刻まれたウルトラマンと戦う本能か。一言つぶやいたゼットンバルタン星人は、再び電子音を鳴らしながら三人のウルトラマンへと歩みを始めた。

 

 ハルケギニアを覆う戦塵。ゼットン軍団との一進一退の攻防は続くも、その戦況はいずれもかんばしくはない。

 ゼットンはもとより『ウルトラマンを倒すために生み出された怪獣』。ウルトラマンの能力を分析し、そのすべて上をゆくべく育てられた力は数多の強豪怪獣が記録される現在なお”最強”の名を冠せられていささかも恥じるものではない。

 

 ガリアの首都リュティスでハイパーゼットンの見元で行われている、ウルトラマンヒカリとゴルガーの変則タッグと青いゼットンとの戦いも決して容易なものではなかった。

「シュウワッ!」

 ジャンプしてナイトビームブレードでヒカリは青いゼットンに切りかかった。だが、必殺の気合を込めたにも関わらず、青いゼットンは腕で光剣を受け止めてしまった。

〔なんという強固な体だ!〕

 ハイパーゼットンと怪獣たちの怨念のエネルギーを得たことで、このゼットンの身体能力も素体とは比較にならないほど強化されていた。

 それは単純な防御力だけの話ではない。シルフィードとフレイムの息が合うようになったゴルバーが突撃をかけても、青いゼットンはゴルバーの頭を掴んで止めてしまう。

「どっせーい!」

「なのねーっ」

「ゼットン!」

「ぬわっ、こいつっ!」

「すごい力なのねっ」

 青いゼットンはゴルバーの頭を掴んだまま振り回し、そのまま放り捨ててしまった。

 打ち倒され、痛みで体をよじるゴルバーをかばってヒカリが傍らに寄り添って油断なく構える。幸い重傷にはいたらなかったが、ゴルバーの二匹は悔しそうに言った。

「いてて、あいつなんなのね? なぐってもなぐってもピンピンしてるなんてずるいのね」

「いやぁ、それだけじゃねえぞ。あの野郎、俺たちの攻撃が当たりにくくなってやがる」

 フレイムはキュルケ譲りのクレバーさで、青いゼットンの戦法が変化してきているのに気づいていた。その言葉にはヒカリも同意して、二匹に注意するようにうながした。

〔確かに、あのゼットンはこちらの攻撃を的確に防御するようになってきている。恐ろしい学習能力を持っている〕

「それってつまり、こっちの攻撃はどんどん効かなくなってくってことかい?」

〔そうだ。闇雲に仕掛けても効果は薄い、一気に大ダメージを与えるつもりで攻めなくては。できるか?〕

「そうはいっても、シルフィたちだって疲れてきてるのね……」

 戦いは長引き、ヒカリはもちろんゴルバーにも疲労がたまってきていた。対して、ゼットンはハイパーゼットンのそばなおかげかエネルギーの減少は見られない。

 戦況はどう考えても不利そのものである。しかも、この青いゼットンを倒した後にさらにハイパーゼットンをも倒さなければならないのだ。

 無茶もいいところ……しかし、フレイムとシルフィードが絶望感と焦燥感を抱き始めている前で、ヒカリは毅然とした姿勢を保ち続けていることに、フレイムは怪訝に思って尋ねた。

「よう、青いウルトラマンのあんちゃん、あんたずいぶん落ち着いてるけど、なんか勝算でもあるのかい?」

〔そんなものはない。ただ、私の仲間はこれよりもっと厳しい戦いを乗り越えたことがある。それを知っているだけだ〕

 落ち着いて答えたヒカリに、フレイムとシルフィードは驚いた。これよりもっと大変な戦い? いったいどんなものか想像もつかない。

 ヒカリは思い出していた。かつてのメビウスの地球での戦いの最終決戦で、エンペラ星人は並の怪獣よりはるかに強いロボット兵器の無双鉄神インペライザーの大軍勢で地球を襲ってきた。一体ごとが桁違いに強く、やっと倒しても次々に新しいインペライザーが転送されてくる絶望的な戦況でも、満身創痍のメビウスもGUYSも決してあきらめずに戦い抜いた。

 あの時の傷だらけのメビウスを思えば、このくらいのことで音をあげられない。それに、勝ち目がないわけではないことを、ヒカリは二匹に告げた。

〔我々がここで持ちこたえれば、ハイパーゼットンの内部から攻撃が始まるかもしれない。そうだろう?〕

「そ、そうなのね! きゅい、おねえさまならきっとやってくれるのね」

 シルフィードは思い出した。ハイパーゼットンの中ではタバサが必死に戦っているであろうことを。タバサが帰ってくるまで、ここでがんばろうと決めたんじゃないかと。

 タバサの苦労に比べたらこのくらいでへこたれてどうするのか。

「おねえさま、シルフィはがんばるのね」

 シルフィードの心意気に、ヒカリも〔その意気だ〕と頷いて答える。一方で、フレイムはやや疎外感を感じていたが、それを察したようにキュルケが叫んだ。

「フレイムーっ、その姿も素敵よ。わたしがここで見てるから、わたしの誇りのあなたのかっこいいところを存分に見せてちょうだい」

「うぉぉ! おれはやるぜぃ!」

 キュルケの檄にフレイムもその名前のように燃えた。あの火竜どもと延々縄張り争いをするほかに何もない火竜山脈から拾い上げてくれたご主人への忠義を今こそ見せる時だ。

 気合を入れなおしたゴルバーの正面から向かってくる青いゼットン。我こそは強者だと誇るように悠然と進んでくるゼットンに、シルフィードとフレイムは息を合わせてメルバニックレイと超音波光線の同時発射で迎え撃つ。

 驀進する光線と光弾。青いゼットンは得意の光波バリアーを張り、余裕で受け止めてしまった。

 しかし、これはヒカリにとって予想できたこと。バリアを張っている間はゼットンも動けない上にバリアーに邪魔されてレーダーになっているゼットン角の機能も鈍る。ヒカリは空高くジャンプして、バリアの空いている頭上から急降下キックをおみまいした。

「セアッ!」

 すれ違いざまに火花が散り、弱点でもあるゼットン角へ攻撃を受けたゼットンはバリアを解いてよろめく。かつてメビウスがマケットゼットンを相手に使った流星キックでの攻略法だ。

 強力な力を持つものはその力に自信を持つと同時に慢心を抱き、それが隙となる。隙ができたゼットンにゴルバーは全力で体当たりを喰らわせる。

「だりゃあっ!」

 頭からの力任せの体当たり。だが体勢を崩していたゼットンはまともに食らって建物を巻き込みながら吹き飛ばされた。

「やったのね!」

 シルフィードは喝さいをあげた。いける、この状態でもまだ十分戦いようはあると。

 しかし追い打ちをかけようとした直後、ゼットンは上体を起こして顔の発光体からの白色光弾で攻撃をかけてきた。

「うわっ!」

 白色光弾は火球ほどの威力はなかったものの、突進を阻まれてゴルバーが足を止めた隙にゼットンは起き上がってしまった。 

〔いかん!〕

 ゴルバーが逆に追撃を受けそうになっているのを見たヒカリは、ナイトビームブレードを振って矢じり状のエネルギー弾を飛ばした。

『ブレードシュート!』

 光弾は攻撃を察知したゼットンがはたき落とすようにしてかき消されてしまった。だがそのおかげでゴルバーは姿勢を取り直し、なんとか追撃を避けることはできた。

 今度は前後からゼットンを挟み撃ちにする形で構えるヒカリとゴルバー。もちろん、テレポートを持つゼットンに挟み撃ちは意味がないことくらいわかっているし、ゼットンも悠然と立っていた。

 さすがはゼットン。ヒカリとゴルバーはゼットンと再び対峙し、また振り出しに戻ってしまった。

 いや、状況はいっそう悪くなったと言うべきか。隙を突いて打撃を加えたものの、与えたダメージはさして大きくはなく、同じ手は二度と通用しないに違いない。さらにヒカリとゴルバーの体力も削られている。

 やはり戦況をどうにかするには……シルフィードは自分もがんばると決めたが、懇願するようにタバサに向けて祈った。

「おねえさま、急いで……」

 

 

 ゼットン軍団は数多くの勇士達の懸命の戦いにも関わらず、その威容を維持し、その力で希望を押し潰そうとしている。

 なにより、その根元たるハイパーゼットンがいる限り、危機は決して去りはしない。

 そのハイパーゼットンの体内に広がる異空間に飛び込んだタバサとジョゼフ。二人はハイパーゼットンのエネルギー源にされたシャルルを止めるべく、シャルルの心が具現化した記憶の迷宮をひた進んだ。

 楽しかった思い出、悲しかった思い出、シャルルが兄と娘に隠してきた暗部の記憶、ジョゼフに対するシャルルの嫉妬と憎悪が二人の前に幾度も繰り返された。

 それでも、二人は足を止めなかった。二人が信じてきた完全無欠な天才であり清廉潔白な人格者というシャルルの虚構が剥がれ、俗人としての素顔を見ることになっても迷宮を進み続けた。

 そして見せる記憶も尽きたとき、ついにタバサとジョゼフは心の迷宮の最深部で待っていたシャルルのもとへとたどり着いていた。

「とうとうここまで来たんだね。兄さん、シャルロット……」

「ああ、俺は執念深いのでな。チェスは勝つまでやらないと気が済まないたちだ」

「おとうさま、帰りましょう。おとうさまは、利用されているだけなのです」

 やってきたジョゼフとタバサを、シャルルは苦々しそうな表情で迎えた。

 心の迷宮の最深部……そこはシャルルの心を映すように真っ暗な空間だった。

 空も床もひたすら黒一色で、互いの姿ははっきり見えるのに他に何もない。シャルルはその真ん中で、幽鬼のように立っている。

 タバサの呼びかけにも、シャルルはじっと押し黙っていた。ここにいるシャルルは実体なのだろうか……? タバサがそう考えたとき、ジョゼフがずかずかと大股でシャルルの前に歩み寄った。

「お前の仕掛けたゲーム、なかなかおもしろかったぞ。ここまで来たということは、俺たちの勝ちでいいのだな?」

「本当に、よく来たね。さすが兄さんだよ。僕ももう逃げも隠れもしないよ。けど、ゲームはこれからだよ」

 真正面からにらみ会うジョゼフとシャルル。タバサはその威圧感に圧されて、この二人の間に割り込めないものを感じた。互いに火花を飛ばしあう二人……その口火を切ったのは、またジョゼフのほうだった。

「まだゲームは続くか、それは嬉しいことだ。せっかくのお前との勝負が簡単についてはつまらん。せっかく、お前も本音を出せるような道具を手に入れたことだしな」

「ああ、これのことかい」

 シャルルはそう言うと、オレンジ色に不気味に明滅する魔石を取り出した。

「これは素晴らしい。僕のなかにあったもやもやしたものがすっきり無くなっていく感じがする。言えなかったことも、隠したかったことも、全部さらけ出していいんだって……ガリアの王の座は僕のものだって、ずっと兄さんが邪魔だったんだって」

 ムザン星の魔石でむき出しにされた憎悪を向けられても、ジョゼフは薄笑いすら浮かべながら答える。

「ああ、聞いたよ。光栄なことだ、俺のような非才の身がお前のような天才の目の上の瘤だったとはな。お前のその悔しそうな顔、フフフ、それがずっと見たかったよ」

「っ、僕は、僕はずっと我慢してきたんだよ。どんなに引き離しても、兄さんは必ず僕のそばにいた」

「どうしても追い抜けなかったがな。その度に俺は悔しがってやったからおあいこだろう。さて、前置きはここまででよかろう。俺を始末しようと思えば簡単だったはず、わざわざここまで通したお前の考えを聞こうか?」

「簡単だよ。兄さんに僕の恨みをすべてぶつけた上で、対等な条件で決着をつけることさ。兄さん、僕はあなたに決闘を申し込む」

 その言葉を聞いた時、ジョゼフは大きく目を見開き、タバサは悲鳴をあげんばかりに顔をひきつらせた。

「決闘! ほほうなるほど、王族が玉座を賭けてゲームするのに、確かにこれ以上の方法はないなシャルルよ」

「兄さんは汚い手を使って一度僕の命を奪ったんだ。僕は正々堂々戦ってあなたからガリアを奪い取る。そして僕は兄さんの呪縛から解放されるんだ」

「それは高く買ってもらったものだ。だが、奪わなくともガリアはお前にくれてやると言っただろうに」

「それではダメなんだ! 兄さんにも見せた通り、僕は考え付くすべての方法を使っても父上に僕を後継者と認めさせることはできなかった。こうなったからには、父上が認めた兄さんを僕の手で倒す以外に僕が王にふさわしくなる方法はないんだよ」

「それがお前の心の中の埋まらない穴、か。いいだろう、ガリア王ジョゼフ、この決闘受けて立ってやる」

 ついに杖を抜いたジョゼフに、タバサは血相を変えて叫んだ。

「や、やめて! おとうさま、やめてください。こんな決闘に、意味なんてない」

 タバサは二人の間に割って入り、父は魔石に操られているだけだから決闘なんて無意味だと止めようとした。しかしジョゼフはタバサの肩に手を置き、そっとだが断固として力強く脇にどかさせた。

「さがっておれシャルロット。王位継承者同士の決闘には、たとえお前でも入る権利はない」

「なにを馬鹿なことを。決闘なんてしても、またあの日の繰り返しになるだけ」

「そうではない。あそこにいるのは、シャルルがずっと隠してきたシャルルの中の悪魔そのものだ。魔石のせいでもない素顔のシャルルだ。倒さねばならん。それに、これは俺たち兄弟がけじめをつけるための最後の機会だ。兄である俺しかできないことだ。シャルロット、お前はそこで見届けていろ」

 有無を言わせぬジョゼフの命令に、タバサは返す言葉を封じられてしまった。

 威圧感……いや、ジョゼフが放った今のものは、タバサが初めて感じた”王”の……そう、威厳というべき堂々たる風格。認めたくはないけれど、そう感じずにはいられないものだった。

 杖を抜き合い、視線を交差させる二人の王族。この瞬間、ジョゼフとシャルルは王子であった頃に戻って、ただ力のみが結果を左右する真剣勝負の舞台に立った。

 

 初めは素直になれなかった兄弟の、ただの意地の張り合いにすぎなかったことが、世界を揺るがす戦火に繋がろうとは誰が想像できただろう。

 

 ただし、悲劇を利用して邪悪な野心を果たそうとしている奴は別だ。バット星人グラシエとゼットン軍団は人間たちと光の戦士の力で倒さなければならない。

 ゼットンと怪獣兵器に襲われているもうひとつの場所、ラグドリアン湖では長身のゼットンがモロボシ・ダンの操る三体のカプセル怪獣と戦いを続けていた。

 ダンの命令の元で、チームワークを駆使して立ち向かうミクラス、アギラ、ウィンダムのカプセル怪獣たち。しかし、エレキミクラスやファイヤーウィンダムにパワーアップした力を駆使しても相手はゼットン。すべてのポテンシャルにおいて圧倒的な差があり、善戦するも軽く腕を払うだけでカプセル怪獣たちは弾き飛ばされてしまい、こちらでもじわじわ追い込まれ始めていた。

「アギラ、しっかりしろ。お前はまだやれるはずだ」

 ダウンさせられたアギラをダンが叱咤する。対してゼットンにはまだ目だったダメージは見えない。シンプルにカプセル怪獣の攻撃力ではゼットンの防御力を貫けないのだ。

 やはりウルトラマンくらいの力でなければゼットンとは正面から戦えない。ダンにもわかっているが、このままゼットンの進撃を許せば町で大きな犠牲が出る。光の戦士の使命は勝利することではない、尊い命を守ることなのだ。

 ダンは三匹への指揮を駆使してゼットンの進行を遅らせようと指示を飛ばし続ける。そんな折、額の汗が流れて目に入ったダンが目をぬぐったとき、彼の視線をふっと横切ったものがあった。

「太陽……?」

 生きとしいけるものの源の太陽。今日もそれだけは変わらず輝き続けている太陽が、一瞬ふっと違った光を放ったように見えた。

 

 

 続く。



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第44話  あの日言えなかった悪口

 第44話

 あの日言えなかった悪口

 

 宇宙恐竜 ハイパーゼットン・ギガント 登場

 

 

「兄さんさえいなければ僕の人生はバラ色だったんだ。今日こそ僕が兄さんよりすべてにおいて上なんだということを思い知らせて、僕の前から消してやる」

「言いたいことはそれだけか? 能書きはいいからかかってこい」

 シャルルの呪詛を、ジョゼフは空気のように受け流した。

 互いに杖を構えてにらみ会う二人。一応は王族の礼に則った気品のある形をとっているものの、そこにあるのは純粋な殺気のみ。かつて王位継承者として争ったが、不完全燃焼に終わった決着を今度こそつけるため、今……決闘が始まる。

 見守るタバサの前で、先に動いたのはシャルルだった。決闘を申し込んだ挑戦者の立場としては当然ではあるものの、シャルルの杖から放たれた激しい雷光にタバサは愕然とした。

「『ライトニング・クラウド』!?」

 風系統のトライアングルスペルで、タバサも使える強力な魔法だ。しかし搦め手もなくいきなり決闘の初太刀になど、勝ち方にこだわる決闘の作法としては下に当たる。

 つまりは、シャルルは本気でジョゼフを殺すつもりなのだ。ライトニング・クラウドが当たれば生身の人間は黒こげか即死か、よくて重傷を免れない。しかし、稲妻が当たる直前、ジョゼフの姿はかき消えてシャルルの後ろに立っていた。

「久しぶりに見たが、やはりお前の魔法は美しいな。だが俺などにそんな高等な魔法を使ってもらえるとは、高く買ってもらえて光栄で涙が出るぞ」

「『加速』だったかな。兄さんの覚えたという虚無の魔法……僕のライトニング・クラウドがかわされたのは初めてだよ」

 互いにこうなるのは想定内だという風にジョゼフとシャルルは言った。タバサは驚いたが、よく見ればジョゼフもシャルルもその殺気とは裏腹に落ち着いている。お互いに相手の手の内を知っているから? いや……そこまでタバサが考えた時、シャルルが2度目の魔法を放った。

『エア・ハンマー!』

 今度は圧縮された空気の塊がジョゼフを狙う。だがジョゼフはこれも『加速』で瞬間移動したように回避した。

「これもすごい威力だな。平地で使えば小さな屋敷くらいは吹き飛んでしまいそうだ」

「血のにじむような鍛錬で得た魔法さ。誰にも知られてはいないけどね。兄さんこそ、虚無なんてすごい魔法を手に入れるなんてすごいじゃないか。もう一つあるんだろ? あのエクスプロージョンとかいう魔法で攻撃してきたらどうだい?」

「馬鹿を言え、お前の詠唱の速さは誰より知っている。お前の目の前で攻撃魔法の詠唱などしようものなら……」

 自嘲げに笑ったジョゼフの唇が動いたと見えた次の瞬間、シャルルの魔法が再びジョゼフのいた場所を砕いていた。

「この通り、俺がエクスプロージョンを放つより先にお前の魔法が俺の体を微塵にしてしまうだろう。お前はそういう手加減の無い奴だからな」

「兄さんこそ、普通の騎士なら最初の一発で終わるのに、用心深くて疑り深いから僕の手を的確に読んでくる。チェスでも、僕を相手にそこまで粘れるのはあなただけだった」

 シャルルも苦々しく答えた。それでタバサははっと気づいた。この二人は単に相手の手を知っているというものではない。長い時間を共に歩んで相手の癖などは知り尽くしているがゆえに、戦いにくさを感じてしまっている……まさに、兄弟であるがゆえの奇妙な落ち着きだったのだ。

 しかしこれでは……と、タバサが思った時、ジョゼフが困ったように唸った。

「だがまいったな。これでは俺は攻撃できないしお前の攻撃は当たらない。このまま千日手にもつれこむかね?」

「いいやその心配はないよ。千日手なんてならないさ。その加速の魔法、単に逃げ回るだけしか使えないわけじゃないんだろう?」

 シャルルがそう言うと、ジョゼフはニッと笑って懐からナイフを取り出した。それを見て、シャルルはやはりねとうなづく。

「兄さんが加速している間、僕は兄さんを認識できない。つまりどんなに適当な攻撃だろうと僕は身を守れないということだ」

「こんな平民ですらオモチャと呼ぶようなナイフでもな。というわけで、降参するかね?」

「フッ、まさか」

 不敵に笑い返したシャルルの不遜な態度に、ジョゼフはそれがハッタリではないと感じた。

 しかし見えもせず防ぐこともできない攻撃にどう対処するというのか? 戦いを見守っているタバサにも想像がつかず、ジョゼフも警戒するが、シャルルは特に防御の魔法を使う気配もない。

 なにを考えている……? しかし何もしなければジョゼフに勝つ方法はない。ジョゼフは決意した。

『加速』

 ジョゼフの周囲が時間が止まったように遅くなる。タバサも、そしてシャルルも彫像のように固まって身じろぎ一つしない。

 この中で自由に動けるのは呪文を唱えたジョゼフ一人だけ。ジョゼフはナイフを手に持ってシャルルに歩み寄る。

 やろうと思えばそのまま心臓を一突きにもできる。しかしジョゼフはあの日と同じ過ちを繰り返す気はなく、シャルルの喉元にナイフを突きつけてこの決闘を終わりにするつもりだった。

 歩み寄り、手を伸ばす。だが、あと一歩まで迫った時、はじかれたようにジョゼフは強い衝撃を受けた。

「ぐぁっ!?」

 伸ばした手に激痛を感じてジョゼフは後ずさった。それと同時に加速の魔法も解除されて、痛む手を押さえて痛みに顔を歪めるジョゼフをシャルルが悠然と見下ろしていた。

「どうしたの兄さん? 僕はこのとおり無傷だよ」

「ぐぅ、この衝撃は……なるほど、そういうわけか」

 近くでシャルルの姿を見たジョゼフはその理由に気がついた。離れているときや加速している間は気がつかなかったが、シャルルの周りを小さな電光が飛び交っている。

「その雷……雷を体にまとうことで身を守っているというのだな」

「そのとおりだよ兄さん。兄さんがどれだけ速くなったところで、雷の速さは光に匹敵する。止めることは不可能なのさ」

「だが、いつの間にそんな仕掛けを……そうか、最初のライトニング・クラウド、あれは攻撃のためではなく、自分に雷をまとわせるための伏線だったのか」

 その言葉でタバサもはっとした。あの時はただ速攻で勝負をかけにきただけかと思ったが、そんな理由が。だがそれはつまり、シャルルは戦う前からジョゼフの虚無の魔法への対策を考えていたということになる。

「僕は兄さんのその未知の魔法を見た時から、その応用や破り方をずっと考えてきた。だって当然だろう。僕が兄さんに負けるなんてあってはいけない。兄さんに負けたくないとずっと思ってきたんだから。さあこれで兄さんの唯一の勝ち筋は潰したよ。どうするんだい兄さん?」

 勝ち誇って見下ろすシャルル。加速の魔法の優位点もさえなくなり、ジョゼフにはこのまま精神力が尽きるまで逃げ回るしか手が残されていない……だが、そんな状況だというのにジョゼフの口からこぼれたのはシャルルの期待した苦悩の声ではなかった。

「ハッ、ハハハハ、ハッハハハハ!」

「兄さん、笑ってるのかい? 絶望のあまりおかしくなったのかな」

「いいや、俺は正気さ。嬉しい、実に嬉しくてな。ハッハハハハ!」

 狂ったように笑いだしたジョゼフの哄笑の意味を、タバサもシャルルもわからない。しかしあまりに高笑いするジョゼフに、シャルルは苛立って怒鳴った。

「ふざけるな、なにが可笑しい!」

「うん? いや、俺は実に真剣だよ。俺をこんなに早く詰ませるとは、やはりお前との勝負は楽しいなあ。それになにより、お前が俺に勝つためにそんなに真剣に考えてくれたのかと思うと嬉しくて嬉しくて。ああ、こんなに心から笑えたのは久しぶりだ」

 ジョゼフは子供のように無邪気な笑顔を見せた。

 そうだ、ジョゼフがずっと渇望していたのはこれだったのだ。シャルルとの、手加減抜きの真剣勝負……そこで、シャルルが本気を出してくれているとわかってこれ以上の喜びがあろうか。

「わかっていないのかい? 兄さんはこれから負けるんだよ。いつものように、僕に負けるんだよ」

「いいや、勝負は最後までわからんさ。お前はひとつ、見落としていることがあるぞ」

「負け惜しみを!」

 苛立つシャルルはジョゼフに『エア・ハンマー』の魔法を放った。もちろんジョゼフは加速でかわし、シャルルへの言葉を続ける。

「いいなあこの追い詰められる感覚。シャルルよ、お前との戦いはいつも俺に最高のスリルをくれる。もっとも、いつもはそのまま俺が負けて悔しい思いをするばかりであったが、それでも俺は楽しかったのだとお前を失って初めてわかったよ」

「なら、今度は僕が兄さんを失う番だ。僕は惜しんだりしないけどね」

「いいや、お前が勝つとは限らんぞ」

 不敵に笑うジョゼフにシャルルは魔法を放ち、ジョゼフはまたかわす。

「無駄だというのがわからないの? 兄さんの精神力とその魔法の消費量の目安はついてる。確実に兄さんのほうが先に精神力が尽きるんだ」

「さすがの眼力。それも俺に勝つために磨いたものか?」

「ああそうさ。僕は次男で兄さんは長男。兄さんを王に推す奴は、たったひとつでも兄さんが僕に勝るものがあればそれを口実にする。だから僕は全部で兄さんに勝たなきゃいけなかったんだ」

「大変な苦労だったろうな。そんな苦労をお前は子供のころから……」

「ああそうさ! 王族の次男はしょせん長男の予備にすぎない。そんな僕が自分の居場所を得るには、ほかにどうしろっていうんだ」

「シャルル、お前……そうか、お前も子供の頃に周りの奴につまらんことを言われたな。『しょせんシャルルぼっちゃんは兄上になにかあったときのための代わりでしかないのに、おかわいそうに』そんなところを盗み聞きしたか?」

 その瞬間、シャルルの顔が真っ赤に変わった。

「し、死ねーっ!」

 エア・ハンマー、ライトニング・クラウド、エア・カッターが次々に放たれる。ジョゼフは避けては撃たれ、避けては撃たれを繰り返し、その粉微塵にしてきそうな猛攻を息を切らしながらもなんとか避けきった。そして同じように息を切らしているシャルルに向けて、ニッと笑いかけながら言った。

「図星のようだな。別に隠すことでもなかろう。俺に心を読まれたのがそんなに恥ずかしいか?」

「うるさいうるさい! 兄さんになにがわかる」

「わかるさ、俺も同じだったからな。王族のくせに魔法のひとつも使えない無能無能と使用人からも蔑まれ、あれはきつかったものだ」

「……」

「城の奴らは真面目顔をしていながらも裏ではどいつもこいつも勝手なものだ。こっちが見ていないと思うと、カーテンの向こうや厨房でもどこでも適当な噂話を叩きよる。王族がお前たちを食わせるのにどれだけ苦労してるかも知らずにな」

「よく言うよ。苦労していたのは父上だろ?」

「くっくっくっ、まったくな。だが、悪口というものはおせじの万倍も心に響く。子供の頃ならなおさらだ。平民の陰口が王族を動かすとは、なんという滑稽なことだろうな」

「……そうかもしれないね。僕は、そんな陰口を無視するべきだったかもしれない。でも、僕が王族として得るかもしれなかったものを、兄さんが先に生まれたというだけで奪っていったのは事実だ!」

 シャルルは吠えて、ジョゼフもそれを否定しなかった。確かに、もし兄と弟が逆であったらどんなにうまくいったことだろうか。ボタンの些細なかけ違えをした運命の女神を恨むところだが、ジョゼフは「つまらんな」という風に頭をふって言った。

「奪った、か。だが返すと言ってもお前は納得せんようだし、そろそろ決着をつけるとするか」

「決着? とうとう死ぬ覚悟を決めたのかい」

「シャルルよ、言ったはずだぞ。お前の弱点は読めているとな」

 その瞬間、シャルルの表情が再び曇った。

「僕に弱点。そんなもの、あるわけがない。ましてや兄さんなんかに見つけられるわけがない!」

「いいや、ある。もっとも、俺も気づいたのはごく最近なのだがな。もちろんここでしゃべるわけはないが、シャルロットをこれ以上待たせるのも気の毒だ。ケリをつけようではないか」

 小馬鹿にするように告げるジョゼフに、シャルルはぎりりと歯軋りをして構えた。

 息を呑んで見守るタバサ。しかし一体ジョゼフにどんな勝ち目があるものかと、タバサも必死に考えるがわからない。

 強いて言うならシャルルは優れたメイジではあるけれど、戦闘に関しては素人同然なのは歴戦の戦士であるタバサから見れば隙だらけなのがわかる。だが攻撃魔法を封じられた状態で、あの雷のバリアーをどうするというのか? 杖を握りしめるタバサの手に力と汗がこもった。

 ジョゼフとシャルルが十歩ばかりの距離を置いて対峙する……そして、ジョゼフはおもむろにこの決闘の最後の魔法になるであろう呪文を唱えた。

『加速』

 物質をつかさどる極小の粒に影響を与える虚無の魔法によって、ジョゼフの動きと神経伝達速度が加速する。それはジョゼフ一人だけが時間の止まった世界で動けているようなもので、シャルルもタバサもぴくりとも動かずに静止している。ジョゼフは自分以外の全てが止まって見えるそんな空間の中で、ふっと自分の人生を思い返した。

 王族の自分の周りにはいつも無数の人間がいた。しかし、心を通わせられた者は誰もおらず、誰もいないも同然だった。周りに誰かがいても人形も同然のこの魔法を自分が習得したのは神の嫌味か……いや、神がなんと言おうと、今まで散々自分たちの足をひっぱってきた忌まわしい”過去”という魔物をぶちのめすのは今だ。

 

 シャルルとタバサにとっては一瞬。ジョゼフにとっては永遠に近い時間が終わって『加速』の魔法が終わった瞬間。タバサの目に飛び込んできたのは、全身を焼けこげさせながらもシャルルに馬乗りになって、首を締めあげているジョゼフの姿だった。

「がっ、ああ!? に、兄さん」

「お、俺の言った通りだったろう。お前の魔法を破ったぞ」

「うぐぐっ、ま、まさか、雷を受けながらそのまま突っ込んできたと?」

 シャルルはジョゼフに抑えつけられながら、信じられないというふうに言った。見ると、ジョゼフの服や髪は焼け焦げ、皮膚も火傷や一部炭化するほど傷を負っている。だがジョゼフは普通ならのたうち回るほどの傷を受けているというのに、愉快そうに笑った。

「お前の雷はさすがに痛かったぞ。だが、痛みを我慢さえすれば通り抜けられるわけだ」

「そ、そんな無茶苦茶な。ライトニング・クラウドの雷に生身で突っ込むなんて、あ、ありえない」

 実際ジョゼフは重傷を負っていて、一歩間違えばそのまま感電死していたはずだ。タバサも愕然として、自分も様々な危険な戦い方をしてきたが、ジョゼフがまさかこんな力任せの強引な手段に出るとは思わなかったと目を疑っていたが、ジョゼフはなにを驚くことがあると、タバサにも聞こえるように言った。

「そうだ、シャルルよ。お前の弱点はその頭が良すぎるところだ。俺はいつも、お前に知恵で対抗しようとするから負けてきた。だが、こうした馬鹿げた振る舞いなら、お前は『ありえない』として考えにも入れないだろう?」

「お、王族ともあろう者が、決闘に、そんな野蛮な方法なんて恥ずかしくないのかい!」

「王族? それがどうした! 俺はお前に勝てればそれでいいのだ! お前はそうやって、いつもかっこうばかりつけようとするから人の心がわからんのだ!」

 ジョゼフはシャルルの顔面を力一杯に殴り付けた。

「ぎゃあっ!」

「俺も人の心なんてわからなかった。いいや、わかったつもりになって、お前のいない間にいろいろ悪いこともやったわ。だがな、俺がいくら悪巧みをしても、なぜか俺より力のないはずの者たちにつぶされていった!」

「ぐあっ!」

 もう一度殴り付け、ジョゼフは叫び続ける。

「俺はそれが、俺が無能なせいだと思ったよ。だが違ったのだ。どう考えてもチェックメイトな形に追い詰めても、そいつらはあきらめない、信じられないくらいにあがく、粘る、食らいつく。そして最後には盤ごとひっくり返してしまう」

「がっ!」

「俺はわからなかった。何度も何度も、なぜ弱い奴が強い奴に勝てる? なぜ奇跡のようなことが何度も起こる? それは俺がお前にやりたかったことだ。なら俺には何が足りない? それがなにかわかるか!」

「に、兄さん、もうやめ、ぐあっ!」

 殴られ続けて、シャルルは必死で顔をかばおうとするがジョゼフはやめない。そしてジョゼフは渾身の一発とともに叫び放った。

「現実ではチェックメイトはゲームセットではないからだ! どんなにこざかしい知恵を巡らせたところで、俺は結局自分の心を守ることしか考えてなかった。そんなちっぽけな心が、死んでもあきらめない奴や、心が裸のバカに勝てるわけがなかった。俺とお前の子供たちが教えてくれたことだぁーっ!」

「がはぁっ!」

 ジョゼフの全力のパンチで、シャルルは顔面が歪むほど殴りつけられた。

 息も絶え絶えでダウンしているシャルル。シャルルの杖は今の騒ぎで手元から離れ、まだ杖を持つジョゼフの敵ではない。勝負ありのはず……しかしジョゼフは杖をしまうとシャルルを引きづり起こして言った。

「さあ、まだ勝負はついていないぞ。かかってこい」

「兄さん、も、もう……」

「なにがもうだ。お前は俺が憎いんじゃなかったのか? お前は杖をなくした。だから俺も杖なしで対等に戦ってやる。それとも杖がなければ俺が怖いのか! この、臆病者の負け犬め!」

「う、ぐぐぐ……う、うぁぁぁーっ!」

 絶叫と共に振り上げたシャルルの拳がジョゼフの顔面をとらえる。ジョゼフはそれを避けもしないでまともに受けると、鼻をこすって不敵に笑った。

「なかなか効いたぞ。野蛮なことも、お前もやればできるじゃないか」

「こんな、こんな無様なことを、王家の者が、王族として恥じることを」

「馬鹿が! なにが王家だ。なにが王族だ。この期に及んで、まだそんなことを気にするか。お前がそんなにこだわりたいなら、俺はこの場で王家なんぞやめてやる。その代わり勝負は俺の勝ちだ。お前は負け犬だ。それでいいんだな?」

「僕が、僕が負け犬……そんな、そんなこと、絶対にいやだ!」

「ならかかってこい。お前の敵は、ここにいるぞ!」

「う、う、うおぁぁーっ!」

 悲鳴のように叫びながら、シャルルはジョゼフに飛び掛かっていった。

 それは格闘の基本もない、本当に無様なただの殴りかかり。しかしジョゼフは満面の笑みを浮かべながらシャルルのパンチを喰らい、返す刀での一撃を見舞った。

「痛いぞ。そういえばガキのとき悪さをして騎士団長にげんこつをもらったことがあったな。こんなふうに!」

「がっ! あれは兄さんが言い出したことじゃないか。僕は止めたのに!」

「ぐふっ、ああ、あの頃はお前も俺の言うことを聞いてくれるかわいげがあったな。今はすっかりかわいくないっ!」

「いつまでも子供みたいなことを続ける兄さんが悪いんだよ。僕がどんなに恥ずかしかったことか!」

「ぐあっ! ガキのくせに勉強ばかりのお前を気づかってやった兄の気持ちがわからんか」

「ぐっ! 兄さんはやることが派手すぎるんだよ。兄さんに怒り心頭の父上を何度僕がなだめてあげたのか知らないくせに」

「それは知らなかった、恩に着るぞ。だが、お前が12の時に解いた魔法理論、お前は見てすぐにわかったと言っていたが、実は前もって予習していたな嘘つきめ!」

「うっ、そうさ。あんなの、前知識なしで解ける人間がいるわけないよ。むしろ、予習してないのにその後すぐに僕と同じ答えを出してくる兄さんが異常なんだよ」

「つまり俺は本当なら勝っていたというわけか! ふははは! なら模型の船で競争した時もなにかズルをしただろう」

「人聞きの悪い! あれは兄さんが速くしようと船を細くしすぎたのがいけないんだ。バランスが悪くなるよって忠告してあげたのも忘れてるだろ!」

「がぐっ、今のは効いたぞ。そうか、あれは俺がバカだっただけか。だからな、そんなバカな俺に張り合ってお前が手を汚す必要などなかったんだ!」

 ジョゼフの強い怒りのこもった拳がシャルルの顔面をとらえる。たまらずよろめくシャルルに、ジョゼフは血を吐くように言った。

「お前は清廉で、お前は完璧で、お前は最高の王の器だった。俺はそう信じていたし、お前には間違いなくその才能があった。見させてもらったぞ、お前はその才能を高めるよりも、己の支持を金で買うつまらん政争に費やした。お前がさらに己を高めていたら、まさに歴史に残る神童になれていたろうに!」

「っ! 兄さんは、兄さんは何もわかってない!」

 シャルルも怒りで返し、シャルルのパンチを受け止めたジョゼフはさらに叫び返す。

「ああわかってなかったさ! だがわかりたくもないこともいっしょにある。お前が有り余る才能を持ちながら邪道に逃げたことには変わりない。俺はお前の才能が羨ましくて妬ましくて、だがお前は俺の憧れであり目標だった。それが汚された俺の気持ちがわかるか!」

「正道じゃあどうしても『優れた弟』以上のものになれないからじゃないか。だから兄さんに見せたんだよ、ガリアの貴族たちにどれほどたくさんの金をばらまいても、まだ王には届かなかったことを! 兄さんこそ、どうして僕に食らいつける程度の才能を持って生まれたんだい? 僕よりずっと劣等だったらすんなり僕は王になれた。僕より優秀だったら僕は王になろうなんて最初から考えなかっただろうに!」

「知るか! 俺は俺の才能の中で精一杯やっただけだ。だがお前は俺より優れた才能がありながらそれを捨てた。それが俺には許せん!」

「兄さんこそ、王になれる生まれでありながら、王になろうという意欲を見せなかった。僕には兄さんのそんなところが我慢できないんだ。才能があろうがなかろうが、兄さんはいつも堂々としていたあの頃の兄さんでいてほしかったのに!」

「ぐっ……そうか、そうだな。確かに俺はいつしか、お前に対して兄らしくあることをやめてしまったようだ」

 ジョゼフの表情が曇り、ジョゼフとタバサは、シャルルの心の中の虚無の根源を知った。幼い頃、若い頃までは仲良かった兄弟も、大人になるに従ってシャルルの才能に恐れを抱いたジョゼフが距離をとるようになっていった。それは、ジョゼフがシャルルを失って無限の虚無感に囚われ続けていたように、シャルルも幼い頃のジョゼフに対して抱いていた、頼れて尊敬できる兄というものへの思いを失ったことで迷走していたのだ。

 もしもジョゼフがシャルルに才能で敵わなくても、兄らしく褒め、叱り、愛してやれる存在のままでいたらシャルルも歪まなかったかもしれない。だが、それならなおさらここで引くわけにはいかないとジョゼフは己を鼓舞して声をあげる。

「最初に義務から逃げたのは俺か。すまなかったシャルル……だが、今こそ俺はお前の腐ってしまった性根を叩き直してやる!」

「なにを偉そうに!」

 シャルルのパンチをジョゼフは避けない。シャルルはジョゼフを殴り付けながらさらに叫ぶ。

「十年前の降臨祭で僕と兄さんが始祖に捧げる歌を作ることになったとき、どちらが一番に選ばれるのかを決められるときの兄さんの諦めきった顔はなんだい! 僕はそんな無気力な人の予備でしかなかったのか!」

「ああ……俺はいつからか、お前に張り合っているつもりで、内心では諦めていたのかもしれん」

「それでも兄さんは王位継承の一番で、僕は二番だったんだ。それなのに」

「ああ、俺は王位継承者の自覚が無かった。だが、お前は俺を慰めるだけで、どうして兄さんは間違ってると言わなかったんだ!」

「ぐぁっ! い、いまさら、あ、兄が弟に甘えるっていうのか?」

「そうだ、俺が兄らしくできなくなっていたなら、なぜそう言ってくれなかった? 俺がいつか元に戻ってくれると思っていたのか? そんなこと言われなくてわかるか!」

「がっ! 兄さんこそ、僕が悩んでいたのをずっと気づいてくれなかったくせに!」

「ばっ、ぐぅ、そうだ、俺はお前のような完璧な奴が悩むわけないと思っていた。馬鹿だったのは俺だ……だから聞いてやる。お前のような甘えん坊の弟は、兄貴がいなければダメなようだからな」

「なにが兄貴だよ! 今さら年上面するな」

「なら年下面してやろうか? シャルルおにいちゃん」

「気持ち悪いんだよ馬鹿兄貴!」

 本気で怒って口調まで荒くなったシャルルがジョゼフを殴りまくる。屈強な肉体を持つジョゼフの顔にも傷が増えていくが、血反吐を吐きながらもジョゼフはいつしか……笑っていた。

「ふっ、はは、ふはははは!」

「なにがおかしいんだ! 死ぬときくらいまじめにふるまえないのか」

「いや、俺は大まじめだ。ずっと本音を隠していたお前がこんなに感情むき出しで俺に向き合ってくれている。嬉しくてたまらないからな」

「なら、僕への謝罪をこめてここで死んでくれ!」

 首をへし折るほどのシャルルのパンチがジョゼフの顔面を狙う。しかし、ジョゼフはそれを手のひらで受け止めてニヤリと口元を歪めた。

「あいにくだがまだそれはできんな。なぜなら、お前にどんな言い分があろうが、お前が俺を騙していた時の迷惑には不満たっぷりなのでな!」

 殴り返したジョゼフの一発でシャルルはよろめく。だがそれでシャルルの怒りが止まるわけはない。

「なにが迷惑だ! 元はと言えば兄さんのせいなのに」

「それはそれだ。お前が自分の欲に負けてしまったのも事実。なら、そんな心の弱い弟を兄として制裁してくれようぞ」

「ぐわっ、か、勝手なことを!」

「勝手はどっちだ! 馬鹿兄貴ひとりが怖くてわいろをばらまくような臆病者のくせに」

「ぼ、ぼくは臆病者なんかじゃない! すべてはガリアのためを思っ、ぐあっ!」

「嘘をつけ! お前はそんな立派な男じゃない。王になれない自分は無用になるのが怖いか? 無用になって忘れられるのが怖いか? もうバレているんだぞ」

「うう、兄さんがそんなだから僕は!」

「そうだお前が悪い。反省しろ弟よ」

「兄さんだって、兄さんだって悪いじゃないか」

「もちろん俺は悪党だ。だがお前の兄だ!」

「いまさら、兄さんなんて、兄さんなんか……馬鹿野郎だーっ!」

「ああ馬鹿さ。俺たちふたりとも、出来の悪い馬鹿息子だ」

「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 兄さん、に、兄さんっ」

「さあ来いシャルル、俺はもう逃げんぞっ」

 いつの間にか、ジョゼフとシャルルの二人は大粒の涙を流していた。泣きながら、子供のように泣きじゃくりながらそれでも殴り合いを続けていた。

「兄さんが、兄さんが悪いんだ!」

「いいやお前が悪い! このバカ弟め」

 まるで子供のケンカのようだとタバサは思った。

 いや、まさしく子供のケンカなのだろう。ジョゼフとシャルルは、道を間違える前の子供の頃に戻って、今度こそやり直しをしようとしている。裸の感情をそのままぶつけ合うふたりを見守りながら、タバサもいつの間にか涙を流していた。

 お前が悪い、兄さんが、弟のくせに、お互いに好き放題に言い合って殴りあって、つねりあって引っかき合って、最後には取っ組み合いになって転がりあった末に、ついに疲れ切って二人とも床に大の字になって横たわった。

「ぜぇ、ぜぇ……」

「ハァ、ハァ……」

 まるで遊び疲れた子供のように、息を切らして横たわるジョゼフとシャルル。

 やがて息が整うと、ジョゼフは穏やかに言った。

「本当にいろいろ、すまなかったなシャルル」

「もういいよ。殺されて生き返らされて、許せるわけがないけれど、なぜかもうどうでもよくなったんだ……あんなに憎かったのに」

 そう言ってシャルルはムザン星の魔石を取り出そうとしたが、それはいつの間にか粉々に砕けてしまっていた。

「なぜ……?」

「さあな。俺が殴ったのが当たったのか、それとも……どちらにせよ、お前も俺と同じ気持ちなのではないか?」

「……やっぱり兄さんにはかなわないや。僕のほうこそ、いろいろ悪かったよ兄さん」

「ああ、お互いずいぶん長い間くだらんことで意地を張り合っていたな。だが、スッキリしたな」

「スッキリ……したね。シャルロット、お前や母さんにも僕らのせいで迷惑をかけてしまったようだ。すまなかった、ごめんよ」

「お父さま……はい、おかえりなさい、おとうさま」

 やっと、やっと幼い頃に甘えていた本当の父が帰ってきた。タバサも涙をこらえきれずに、服のそでを濡らしながらぬぐい続けていた。

 一度刻まれた溝は深く、違えた道は遠い。けれどこのとき、確かに彼らは昔のあの日の姿に戻れたのだった。

 やがてジョゼフは立ち上がり、シャルルに手を差し出した。

「さあ、戻るぞシャルル。こんな陰気くさい場所にもう用は無い」

「兄さん……」

 シャルルもジョゼフの手を取ろうと手を伸ばす。だが、シャルルの手がジョゼフの手に触れようかという、その瞬間だった。

「あ、うっ!」

「どうしたシャルル?」

 突然、シャルルが胸を押さえて苦しみだしたのだ。ジョゼフは、そしてタバサはシャルルに何か起こったのかと案じて駆け寄ろうとするが、シャルルは二人を手で制して苦しげに言った。

「ダメだ……僕はもう、この怪物とひとつになりすぎた。戻れない」

 見ると、なんとシャルルの足が床の中へと沈み込んでゆこうとしている。ハイパーゼットンにとってシャルルは核に当たる。まるで逃すまいとしているかのような光景に、タバサは即座に杖を構えた。

「おとうさま、今助けます!」

「無理だ。この体は、兄さんと決着をつけるために作り出した仮の肉体に過ぎない。僕の本当の体はすでに……」

「そんな」

「シャルル、なんとかしろ!」

 ジョゼフも焦りだすがどうすることもできない。シャルルは弱まりゆく声で、絞り出すように二人に告げた。

「僕の意識が残っているうちに、二人を外に飛ばす。ふ、二人だけでも逃げてくれ」

「何を言う。お前を置いていけるものか」

「おとうさま、おとうさまを連れ帰るためにわたしは来ました!」

「ごめん、本当に最後の最後にごめん……さよなら」

 シャルルが手をかざした瞬間、ジョゼフとタバサはシャボンのような大きな泡に包まれた。そして二人はシャルルの元から異空間の外へと一気に飛ばされていった。

「シャルル! 馬鹿者がーっ!」

「おとうさまーっ!」

 悲鳴のように叫ぶ二人の視界の中からシャルルの姿が消えてゆく。

 こんなことってあるか。せっかく歪んだ歯車を直せたというのに、ここまで来て手遅れだったなんてあんまりではないか。二人は残酷な運命を呪って叫び続けた。

 

 

 そして、ハイパーゼットンはシャルルを吸収し、熟成期間を経たことでついに変態を果たそうとしていた。

 繭・コクーン状態だったハイパーゼットンが激しくうごめきだす。

「見ろ! 怪物が動き出した」

「脱皮……しようってのか」

 町で見守っていた才人や水精霊騎士隊の見ている前で、ハイパーゼットンを覆っていた半透明の被膜が破れて内部の甲殻類のような巨大なゼットンが表に出てくる。コクーンを破った、新たなハイパーゼットン・ギガント。

 あれがハイパーゼットンの進化体……その進化の巨大なエネルギーを感じて舞い戻ってきたグラシエは、異様に膨れ上がっていく巨体を見下ろして歓喜の叫びをあげていた、が……。

「コングラッチュレーション! ついにハイパーゼットンが新しい進化を果たしました。人間の感情の力とはなんと素晴らしいエネルギーを秘めていますこと。これはゼットンの歴史に残る記念日に……むっ?」

 グラシエの笑みが止んだ。彼の見下ろす先で、ハイパーゼットンは巨大な首を苦しそうに振りまわしながらもだえ声を上げると、甲殻類のように鋭角だった巨体のすきまから液体を垂らしながら、腐り始めたように弱りだしたのだ。

「これは、エネルギーが不安定に……むう、やはり虚無の感情はパワーはすさまじいですが安定性に欠けるようですね。ハイパーゼットンの未成熟な肉体がその強弱の触れ動きに耐えられなかったわけですか。もっと別の感情で代替すべきか……想像以上にうまく進んだほうですが、この実験ではここまでが限界のようですね」

 腐食崩壊を始めたハイパーゼットン・ギガントを見下ろして、グラシエは残念そうに言った。膨大な手間を費やしてギガントへの進化へと進めることができたが、ギガントの完成や”その先”への進化のためにはさらなる研究と時間が必要なことだろう。

 もっとも、ハイパーゼットンの進化が止まったからとて、ハルケギニアへの脅威が減ったわけではない。

「いいえ、もっとひどいことになりそうですねえ」

 肉体が腐食してゆくハイパーゼットンからエネルギーが漏れだし始めている。グラシエは、この実験は失敗だけれども『副産物』で、もう少し楽しめそうなことが起こる気配を感じてほくそ笑んだ。

 グラシエの見下ろしているハイパーゼットンから漏れだしたエネルギー。それは地面に吸い込まれているように見えるが、グラシエにはそれが地中を通して猛烈な勢いでリュティスの外からガリア全体へと拡散していくのが見えた。

 それは、つまり……。

「ウアッ!」

 突然、青いゼットンと組み合っていたウルトラマンヒカリが弾き飛ばされた。それと同時に、ゴルバーにも白色光弾が撃ち込まれるが、正面からならなんとか耐えられたはずのそれを受けたゴルバーの皮膚は焼かれて爆発し、大きなダメージを受けてしまったではないか。

「うわあっちっちっちっ! なんなのねなんなのね?」

「なんだ!? あの怪獣、またいきなり強くなりやがったぞ」

 ハイパーゼットンに溜め込まれていたのは、宇宙最強の怪獣を生み出すために、ハルケギニアの大地の力をも吸収して集めた莫大なエネルギーだ。それが放出されれば、ただでさえハイパーゼットンのエネルギーを受けて強化されているゼットンや怪獣兵器はどうなるか。

 

 場所を少し移し、リュティスの郊外で続いていたガリア軍と怪獣兵器との戦い。イザベラが先頭に立って軍を指揮していたが、ハイパーゼットンから漏れだしたエネルギーによる影響はゼットンだけでなく、怪獣兵器にも及び始めていた。だが。

「なんだ? あの怪獣、いきなり動かなくなったぞ」

 ゼットンを強化したエネルギーは怪獣兵器たちにも注ぎ込まれた。だが、意思なき操り人形である怪獣兵器はエネルギーを自分のものにすることができず、パワーアップではなく変調をきたし始めた。

「うわぁ、あっちの怪獣は急に暴れ出したぞ!」

 怪獣兵器の反応は大きく二つに分かれていた。すなわち、注ぎ込まれたエネルギーに耐えられなくて活動停止してしまうか、耐えられてもエネルギーの過剰によって暴走を始めるかである。怪獣兵器は元々がゾンビ、肉体がまともでない上に自我も失われている状況ではまともに動くわけもない。壊れた機械にいくら電池だけ強力なものをつけても無駄なのだ。

 暴走を始めた怪獣兵器から離れろと将軍の声が飛ぶ。暴れ狂う怪獣兵器アーストロンは右も左もなく吠え猛り、でたらめに放たれるマグマ熱線から兵士たちは大慌てで逃げていく。

 リュティスの中でなにかが起こったな……イザベラはそう直感した。ここからでも遠目に見えるハイパーゼットンの巨体、遠くて詳しくはわからないが、あれが大きく動いた後で怪獣たちに異変が起こった。恐らくはタバサが何かやったのだろう。

「このまま様子を見るか? いや……」

 イザベラは思案して自嘲した。そうやって行動を起こさなかったから、自分はタバサに大きく差をつけられてしまったのではないか。イザベラは決断すると、近くにいた将軍に尋ねた。

「おい、怪獣があの様子なら距離をとれば安全か?」

「は? 確かに積極的にこちらに向かってこないのならば被害は防げるものと思われますが」

「ならここは任せた。馬を借りるぞ」

「はっ? なにを」

 イザベラは馬にまたがって走り出した。それを見て、将軍たちや兵士たちにどよめきが走るが、イザベラは彼らを振り返って叫んだ。

「わたしは王と決着をつけてくる! お前たちはここで待て……いや、見届けていろ!」

 その後ろ姿に、群衆から困惑や歓声など様々な感情が沸き上がる。将軍たちは引き止めようとするが、暴れる怪獣兵器に対する指揮を投げ出すわけにはいかず、見送るしかないと思われたとき、一斉に飛び出した者たちがいた。

「姫殿下、我々が護衛します」

 それはミシェル率いる銃士隊の一団だった。指揮系統の異なるトリステイン所属の彼女たちであれば、ガリア軍は関係ない。いや、正確にはもう一組、銃士隊に拉致されるように連れていかれている一団があった。

「我が親愛なる民よ、そこで待っていてくれたまえ! これ以上愛する民に犠牲を出さないために、必ずや兄ジョゼフを倒してガリアに平和をもたらしてこようぞ!」

 偽シャルルと彼の側近のゴルゴン星人の一団である。彼らは案内役兼、残しておくと再度裏切る可能性を考慮したミシェルの判断で、背中に短剣を突きつけられて半ば脅迫される形で馬上からガリア軍に演説を説いていた。

 しかし偽物とはいえシャルルの言葉の威力は絶大だった。イザベラを追ってリュティスに向かっていくシャルルに対して、ガリア軍から何万という歓呼の声が贈られる。「おーおーおー! シャルル皇太子万歳! イザベラ王女殿下万歳!」

 士気を上げた兵たちは、疲労した体に鞭を打って怪獣兵器に立ち向かっていった。しかし、不死のゾンビたる怪獣兵器に対して生身の人間たちの生命力はあまりにもちっぽけだ。もはや長くは持ちこたえられないだろう。

 イザベラは民が自分を見る像が虚影かもしれないことを知っている。それでも人々の期待を背負ってリュティスへと急ぐ。誰かが変えてくれるのを待つのではなく、自分の手で未来を掴むために。

 だが、この胸の妙な胸騒ぎはなんだろう。シャルロットに限ってしくじるとは思えないが、なにか、まだ、何かが起こりそうな胸騒ぎがぞわぞわとして止まらない。

 あそこにはシャルロットがいる。そして恐らく、お父様も……お父様。一度もまともに話したことのない、お父様。会えたとして、いったいなにを言えばいいんだろう……イザベラの心に不安がよぎる。

 そんなイザベラの胸中を具現化したかのように、彼女の目指すリュティスの街で爆発が起こり、大きな火柱が上がった。

 

 

 ハイパーゼットンのエネルギーはガリアを越えてトリステインからハルケギニア全土へと拡散していく。ゼットン軍団は、有り余るパワーをさらに増大させて滅亡へのクライマックスアワーを大きく奏で続ける。

 そして、不完全な進化を遂げてしまったハイパーゼットンはどうなってしまうのか……? あらゆる努力も希望も嘲笑うように終焉が迫る中で、ルイズは才人の腕の中で死んだように眠り続けている。

 

 

 続く



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