イマドキのサバサバ冒険者 (埴輪庭)
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脱退

空模様が怪しい。

この分だと明日は雨だろうなとヨハンは表情を曇らせた。

 

術師ヨハンは冒険者の街ウルビスで活動しているとある冒険者パーティに所属している。

メンバーは剣士のロイ、癒師のマイア、斥候のガストン、そして術師のヨハン。

ロイ、マイア、ガストンは以前からの知り合いで、ヨハンは後から加入した形だった。

 

まあロイ達には与り知らない事情で加入しているのだが……。

 

それはともかく、彼等は予定ではウルビス南方の森の剣山大鹿を狩る事になっている。

 

雨の中で森林地帯で狩り等、ヨハンの常識ではありえない事だった。

特にリーダーであるロイは気分屋な所がある。

純戦闘能力は兎も角、精神面ではヨハンの基準では到底冒険者足り得ない。

 

それでもヨハンが彼等を見捨てて来なかったのは、彼等を仲間と思っているから…等ではなく、今日この時まで純戦闘能力の“合格基準”に達していなかったからだ。

 

精神的な面が疎かになっていいわけではないが、その辺を鍛え上げるには誇張抜きに身内に死人がでるとか、自身が半殺しになるかでもしないと心というのは磨かれないのだ。

 

だがそういった手段で彼らを鍛えることはくれぐれもやめてくれとギルドからは言われている。

 

「同じパーティとしては最後のクエストになるだろうが…精々犠牲者が出ないよう勤めるとするか」

 

 

だが翌日、ロイが北の山へいくと言い出した時は前日まで胸の奥で僅かに燃えていたやる気の炎がしおしおと鎮火していくのをヨハンは感じた。

 

あそこはワイバーンが多く生息しているため危険だ。

まあこのパーティなら問題はないのかもしれない。

 

パーティに加入したのが1年前。

それから考えると彼等の実力は相当あがってる。

当初の彼らは小鬼相手にもビビり散らしていた。

それが今や飛竜狩りとは。

 

貴族の三男坊のお遊びとはいえ、ここまで階梯を昇れば親も満足することだろう。

だが、とヨハンは思う。

 

「俺は行かない。ここでお別れだ」

 

ヨハンのシンプルな拒絶、そして決別の宣言に、ロイ達は一瞬ポカンとしていた。

 

1年前。

パーティメンバーを探していた彼等にギルドからヨハンを紹介され、そして同じパーティで苦楽を共にしてきて以来、ヨハンという男は苦言こそ呈するものの、最終的には自分達を支えてくれてきたではないか。

自分達の油断で奇襲を受けた時、身を呈して庇ってくれたではないか。それは自分達を仲間だと思ってくれていたからじゃないのか?

 

ロイは何故だか酷い裏切りに遭った様な気がしていた。

 

 

「なっ!?どういう事だ?確かに変更は悪かったと思っている…でもこの前だって君は……」

 

――君は文句を言いながらも付いて来てくれたじゃないか

 

ロイが言い募ろうとすると、ヨハンは温度を感じない視線を彼に向け、やがて黙って背を向け去っていった。

その背から強い、非常に強い拒絶の意思を感じ、ロイ達はヨハンに声をかける事もできなかった。

 

 

ヨハンはただの一度たりともロイ達を仲間等と思った事はない。

 

それでも彼等に冒険者のイロハを教え、時には励まし、時には叱咤し、危地に遭った際はその身を盾とすらしたのは、それが仕事だったからだ。

 

彼等の教導。

それが冒険者ギルドから依頼された仕事の内容である。

その依頼をヨハンは十二分に果たした。

小鬼に撲殺されかねない雑魚を、飛竜殺しまで狙える様な猛者へ鍛え上げたのだ。

 

ロイには貴族の三男坊という背景がある。

冒険者に憧れ、家を飛びだした無謀な餓鬼。

それがロイだ。

だが、そんなロイを実家は見捨てる事は無かった。

陰に日向にロイを支援してきた。

 

その支援の1つがヨハンによる彼等の教導だった。

だが、彼による指導と言うのは通常のルートでは断わられるだけだろう。

 

術師ヨハンは十把一絡げの冒険者などではない。

連盟と呼ばれる術師集団に所属していた。

所属する数こそ少ないが、連盟の術師といえば少なくともこの西域では恐れられるべき存在だ。

 

そんな彼がロイ達の教導を引き受けたのは、以前ひょんな事からヨハンがとある貴族の依頼を受けた事が影響している。

 

レグナム西域帝国の貴族との繋がりはヨハンとしても悪いものではなかった。

 

そしてロイはその貴族の親友の息子だった。

貴族繋がりでヨハンの業前が評判となり、今回の依頼に繋がってくるというわけだ。

 

 

(仕事は十分に果たした。ギルドも貴族も文句は言わないだろう)

 

最後のひと悶着は予定外だったが、まあそれも過ぎた事だ、とヨハンはやり切った様子で宿で眠りにつく。

 

 

翌朝。

ヨハンがギルドにいくと元パーティメンバーのマイアがいた。

目礼だけして通り過ぎようとすると、裾をつかまれる。

用件をきくと、パーティ脱退の件らしい。

 

「ヨハンさん、なぜ抜けたのですか!?」

 

ヨハンも理屈ではわかるのだ。1年付き合いのある仲間が急に抜けてしまったら気になるだろう。

適当にごまかしても同じ事の繰り返しになるだろうから、ヨハンはここでしっかり説明することにした、思っていることを全部。

 

「長くなるかもしれないが、きいてくれるか?」

 

ヨハンは真剣な表情でマイアの瞳を覗き込み、確認をとった。マイアは覚悟する。

ヨハンがこれを聞くということは本当に長いのだ。

 

「ええ、言ってくださいっ…このままじゃ…納得できない!私達、仲間じゃなかったのですか!?」

 

ヨハンは居住まいを正し、マイアの目を真っ直ぐに見つめて口を開いた。

 

「…そうだな。森の探索をするという話だったのに、当日山の探索になってしまったからだ。率直にいって凄く面倒くさかったんだ。森が山にかわるだけで荷物の準備をやり直さなければいけない。荷解きして、つめなおして。前日になぜいえない?…当日にいわれてしまって、俺はもう面倒くさくなってしまったんだよ。あと、ロイや君たちのことも面倒くさかった。冒険が終わればみんなで食事に行こうとか、そういうのはちょっとしんどかったんだ。俺は冒険がおわればさっさと帰って眠りたい。でも、報酬の配分はみんなでご飯をたべたあとに、なんていわれたら参加せざるを得ないじゃないか。それと公私混同も面倒くさかったんだ。例えば男女の色恋だ…ロイと君がいい雰囲気なのはどうでもいいが、そこにガストンが絡んでくるのが面倒なんだ。ガストンは君をきにしてるだろ?野良犬だってそんなことは見れば分かるんだ。だが、君とロイは気にせずイチャコラする。街じゃあ無く現場でだ!俺はどうでもいい…だがそれでガストンが苛々して中途半端な仕事、雑なミスをするとなったら話がかわる…そのせいで俺は傷を負ってしまったことがある…君をかばって。かすり傷じゃあないぞ。骨折だ。正直他人のために怪我するなんていやなんだ…、ましてや骨折だなんて。冒険中イチャコラする君なんて庇いたくはなかったんだが、でも君は癒術師じゃないか、万が一があれば困る。本来はロイかガストンが怪我をすべきなのに、彼らは私情で頭が一杯なのかあの時は俺しか気づけなかった。教えておくがな、パーティには死ぬ順番ってものがある。その役割の重要さから命に格差がつくんだ。そういう意味で俺や君の命の価値、肉体を保全しなければならない優先度は前衛よりも上だ。それがなんだ?ほっぺにキスで奇襲に気づかないだと?己の役割を果たそうと努力した上で奇襲されたならそれは仕方ないさ。文句は言わん。でもチュッチュしてたからわかりませんでしたなんて、納得出来るわけないだろ?誓ってもいいが、次はアレでもおっぱじめて奇襲されてお前らを庇った俺は無惨にくたばるだろうな。あの時から俺はこのパーティから脱退することを考えていたんだ。分かってくれるかい?」

 

マイアのちっぽけな覚悟は木っ端微塵に吹き飛んでしまった。ヨハンの言葉は一言一句、マイアの心にザクザクと突き刺さり、マイアは心が大量出血しているのを感じた。

 

「ご、ごめ、ごめんなさい…」

 

マイアは謝罪しながらグシュグシュと大粒の涙を零す。

立っている事すらも出来なくなりその場に蹲ると、ヨハンがその腕を取って近くの椅子に座らせた。

 

そして清潔な布を取り出し、マイアの涙を拭く。

そんなヨハンを見て周囲の者はドン引きを禁じえない。

自らの手で半殺しにした者相手に「怪我は大丈夫かい?」などと言える者が何処にいるのだろうか?

ここにいた!

 

 

マイアは布を握り締め、不思議そうにヨハンを見上げた。

まあ無理も無いかもしれない。

容赦の無い説教をされたかとおもえば涙を拭いてもらって……マイアにはヨハンの真意が良くわからなかった。

 

そんなマイアにヨハンは僅かな笑みを浮かべながら話かける。

「時と場所を選べということだ。あんなことを続けていたらいつか必ず死ぬ。いつまでも甘ったれていては駄目だ」

 

そうしてヨハンは踵を返し、ギルドを出て行った。

 

もはやマイアは仮初の仲間ですらない。

だから死のうが生きようが知った事ではない…とまではヨハンには思えなかった。

1年苦楽を共にすれば多少の情も湧こう。

死ねば残念くらいには思う。

だから最後に何となく声をかけてしまった。

 

そういえば連盟の“家族”達にもちょろいとからかわれていたな、とヨハンは苦笑した。

 

 

 

マイアとのひと悶着(?)の後、ヨハンは宿に帰り愛用している手帳の表紙を磨いた。

 

使い込まれた革の表紙は色気すら感じる程の艶がある。

この手帳にはヨハンの術の要ともなる触媒が仕舞ってあるのだが、ヨハンは手帳そのものにも非常な愛着を抱いていた。

もしも不埒なスリが手を出そうものなら、その場で縊り殺してしまうほどには大切にしている。

 

一頻り磨いた後、ヨハンは枕元に手帳を置き眠りについた。

 

そして翌朝。

ヨハンはこの日、商隊の護衛の依頼を受けた。

といっても水の補給係としてだ。

 

 

こういった場合、仮に襲撃などがあった際はギルドの契約上では戦う義務を持たない。

戦闘はそれを契約に含めた者が行うというのが規定だ。

勿論その辺りは現場の判断が優先される事が殆どだが。

 

(まあ頭数もそれなりにいる。この人数に襲撃をかけてくる様なならず者はこの辺にはいないだろう)

 

 

道中、野盗がでた。

ヨハンは“余計な事を考えてしまったかな?”等と思いつつも、自身を害そうとする者だけを処理していく。

 

「黄土に咲く貴婦人を見る者。皆その美しさの前に平伏し、口を紡ぎ大地へ四肢を投げ出す」

 

ヨハンは黄色い花を一輪取り出し、唄う様に呪言を練りあげた。

すると彼に向かおうとしていた野盗達は全て倒れ、四肢を震わせている。

 

「単なる麻痺の呪いだよ。安心しろ。命に別状はない筈だ。その麻痺も長くは続かない。まあこれからお前達を殺すから命も長くは続かないのだが」

 

ヨハンは腰から短刀を引き抜き、倒れた野盗達の喉を掻き切っていった。

 

「とはいえ、まだ数はいるか。少し苦戦している様だが…サリヴァン殿、良ければ俺も手を貸そうか?ただし、自衛以外の戦闘は契約外だ。向こうの連中はまだ俺を殺そうとはしていないから、俺が手を出すという事はすなわち自衛以外の戦闘と言う事になる。その際の触媒の料金は受け取りたいがいかがか」

 

商隊の主がこのサリヴァンと言う男だ。

そのサリヴァンはヨハンの提案に対し、激怒を持って応えた。

 

「こんな時に何を言っている!貴様も戦え!」

 

ヨハンは首を傾げながら言った。

 

「俺の仕事は水の補給だ。戦闘は仕事に入っていない。だが、こういう状況だ。実費を払うなら追加業務として受けてもいいと思っている。術の行使には触媒がいる。触媒はタダじゃあない。金がかかる。その金を出すのか、出さないのか、という話だ。出すなら俺も援護する。出さないなら俺は自分を護るだけしかしない」

 

そこまで言うと冒険者の1人が剣で突かれた。

あの位置は余りよくないかもしれないな、とヨハンは他人事の様に思った。

それを見たサリヴァンは大慌てでヨハンに向き直る。

 

「ああ!?わ、わかった!わかった!!!支払う!支払うからお前もたたかってくれ!!!」

 

サリヴァンの頼みをヨハンは快諾する。

「良し」

 

ヨハンは手帳を開き、ぱらぱらと頁を捲り…三日三晩墓場で夜気を吸わせた千寿菊を取り出し、朗じた。

 

「苦楽を共にした仲間も、家族も恋人も。皆全てが死に絶えた。お前は真に孤独となり、もはや孤立する事すらも出来ない。お前の周りには最早誰もいないのだから」

 

ヨハンが酷く陰気な呪言を唄いあげると、野盗達が一斉に動きを止める。

その呼吸は荒く、目はきょろきょろと周囲を見渡していた。

胸に手をあて、膝を突いているものすらもいる。

 

悲哀の呪いだ。

野盗達は今一瞬にして親しいもの全てを失った悲しみと絶望を味わっている。

四肢に力が入らず、可哀想に震えてさえいるではないか。

 

そんな野盗を見渡し、ヨハンは笑みすら浮かべながら告げた。

「哀しいのかい?大丈夫だ。お前達もすぐに家族のもとへと送ってやろう」

 

ヨハンは野盗を1人ずつ殺していった。

喉を掻き切って。

それを見ていた冒険者達は震え上がる。

ヨハンの所業もそうだが、何より恐ろしいのは殺されていっているはずの野盗の顔に感謝の念が浮かんでいたからだ。

そう、野盗達は感謝をしていた。

胸を引き裂く様な悲しみから救ってくれるヨハンに。

 

 

ヨハンがそれなりに高級な触媒を使ったことで商隊は無事だった。

だが刺された護衛の冒険者が1人死んだ。

そしてその仲間と思しき者から、あんなことが出来るならなぜ最初からやらない、とヨハンは責め立てられる。

 

他の冒険者達は口を出さない。

なぜなら先ほどの悍ましい、それでいてどこか神聖にすら感じられるヨハンの所業に完全に気圧されていたからだ。

そのヨハンは責めてきた冒険者に向かい合うと、少し困った様な表情を浮かべながら口を開いた。

 

「触媒の金を出すなら業務外の事ではあるが手を貸そう、と依頼主に伝えた。しかし依頼主は触媒の値段をきき断わった。だから俺もなにもしなかった。君の友人が死んでから依頼主は触媒代を出すといってきた。だから俺は術をつかって君たちを助けた。なむなむと呪文を唱えれば術が発現するわけではない。術を発現させるための呼び水、火種が必要だ。それが触媒だ。自腹切って触媒をつかえなんていうまいね?そこまでしてやる義理はない。君と俺は友達でもなんでもないじゃないか。例えばだが君は俺が明日死んだとして、涙を流して悲しんでくれるかい?悲しまないだろ?気の毒に、くらいは思うかもな。でも次の日には忘れるだろ?俺にとっても君の友人はそんなかんじなんだ。貶めているわけじゃない、残念だなとはおもってる。しかし、そこは分かってほしい」

 

ヨハンは長々と話したが、要するに「お前とは友達でもないんだから金を出さないんだったら助ける義理もない」と言う事だ。

あんまりにあんまりな言葉ではある…だが、金さえ積むなら赤の他人であっても助けようという事でもある。




こんなのと何で1年、みたいな事言う人多いので活動報告に少し追記します。


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ガストン

 ■

 

 次の日ヨハンがギルドへいくとガストンが待っていた。

 その表情は硬い。

 

「ツラ貸しな」

 場末の酒場のチンピラの様な言葉に、ヨハンはややげんなりとしながらも答えた。

 

「断わる。用件があるならここで言ってくれ」

 用件は分かってはいたが付き合う義理もない……と言うのがヨハンの考えだ。

 

 するとガストンは顔を真っ赤にしてヨハンを睨みつけながらいった。

 

「……っ! ……マイアを泣かせたそうじゃねえか。昨日! 目を赤くして帰ってきたから、事情を聞いたんだ。マイアは……マイアはお前に謝りたいと言っていた。アイツは良くやっていただろ! 癒師として、お前も怪我を癒してもらったりしたはずだ! なんでアイツを責める!」

 

 ヨハンはげんなりした気持ちに更にげんなりした気持ちが重なり、げんげんなりなりとしてしまった。

 

 ──じゃあ聞くが、お前はパーティメンバーが危地だというのに盛り出して、案の定奇襲を食らって、それを庇って骨折しても何の文句もないのか? 

 

 と言いたくなるが堪える。

 ヨハンはガストンが悪い人間ではないとは思ってはいたが、言葉で説明するよりはぶっ飛ばして説明した方が通じるクチであると見做していたからだ。

 

「そうか、悪かった。俺はこの町をでていくよ。レイチェル嬢、聞いていたな。俺はウルビスを出る。ギルド移動の手続きを頼む」

 

 やや投げやりな口調でヨハンが告げた。

 レイチェルとはウルビスの冒険者ギルドの受付嬢である。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりいわれましても」

 

 レイチェルは慌てて答えた。

 ヨハンの背景はギルド上層部からも伝えられている。

 こういう形で去られては後々問題視されるのは確実だった。

 だが展開が早すぎて……というかヨハンの判断が早すぎてついていけていなかった。

 

 ともかくも、気の利いた慰留の言葉でも……とレイチェルがこれまで冒険者を誑かしてきた数々の言葉を思い返そうとした時、ヨハンが駆け引きも糞もない無味乾燥な言葉の剣をレイチェルに突き刺した。

 

「冒険者ギルド総則4条の第2項。所属する冒険者は自由意志で主とするギルドを移動する事ができる」

 

 レイチェルは呻き、俯く。

 それを見届けたヨハンが踵を返しギルドを出ようとした、その時。

 

「待てよ!」

 

 ガストンがヨハンの肩を掴んだ。

 空いている方の手は拳が握られている。

 

(お前の気持ちも理解は出来る。共感はしないが。詫び賃として一発は喰らってやろう)

 

 案の定ガストンが拳を振るってきたので、ヨハンは頬でそれを受け止めた。

 仮に殺し合いをすればヨハンは3秒でガストンを挽肉に出来るだろう。

 そこまでの実力差が両者にはある。

 だが、それはそれとして殴られれば痛いのだ。

 

 ■

 

 だがガストンは一発では満足しなかった。

 殴られても無表情のヨハンを見て、少し力が弱かったか、などと調子に乗ってしまったのだ。

 調子に乗る事にかけてはガストンと言う男はヨハンのそれに迫るものがある。

 

 ヨハンは素早く上衣の物入れから硝子石の破片を取り出した。

 そして空いた手でガストンの拳を受け止め、ぼそりと呟く。

 

 ──雷衝(ライトニング・サージ)

 

 術の系統としては協会式の近接攻勢雷術だ。

 普段ヨハンが使う術は連盟式と呼ばれる一種の呪術なのだが、術師の嗜みとしてこういったものも使えなくはない。

 他にも法術やら精霊術やら、ともかく様々な系統があるが、ヨハンは主に連盟式と協会式の術を佳く使う。

 

 雷衝は触媒を惜しまずに使えば巨大な熊でも即死させるが、今回ヨハンが触媒につかったのは屑石であるため少し痺れる程度であった。

 仮にガストンが剣を抜いていたらヨハンは彼を殺していただろう。

 だがガストンは拳を振るっただけであるし、なによりヨハンもガストンはアホだが悪辣な馬鹿ではない事は理解しているので、殺害する程の事態にはならないだろうとは分かっていた。

 

「ぎゃっ!」

 

 腕を抑えヨハンを睨むガストン。だがそれ以上突っかけようとはしなかった。

 ガストンもヨハンに教導を受けた身だ。

 格闘技術でも自身がヨハンに及ばない事は分かっていた。

 それでも拳を振るったのはマイアへの想い、そしてやはりヨハンを仲間だと思っていたからであろう。

 

 ロイと同様に、ガストンもまたヨハンに裏切られた様に感じていたのだ。

 

 腕を抑えるガストンにヨハンは近づき、声をかけた。

 

「殴る時は腰と背筋が大事だと教えただろう。お前より上手く拳を打てる生き物が海に居る。海老に似た奴を探して教えを乞うて来い。ああ、それと触媒代は貰っていくぞ。銅貨5枚だ」

 

 ごそごそとガストンの懐に手を突っ込み、銭袋から銅貨を取り出して去っていく。ガストンは体が痺れていて動けない。

 

 去ろうとしているヨハンの背を見て、ガストンは大きくため息をついた。



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魚とエール、チンピラ日和

 ■

 

 それからヨハンは港町イスカへと向かった。

 特に目的があって旅をしているわけではない、心の赴くままに世界を放浪しようとヨハンは考えている。

 

 それに、とヨハンは焼いた魚とエールを夢想した。

 港町と言うだけあってその手の食材は質がいい。

 

 馬車で揺られる事暫し。

 イスカへとたどり着き、ギルドの冒険者証を見せ、町へと入っていった。

 町並みは特にどうということもない普通の港町だ。

 海に面している為、やや磯臭い。

 町行く人々は日に焼けた者が多かった。

 特に男性は船乗りが多く、体つきも良い者が多い。

 だからイスカは治安と言う意味では多少物騒な面もある。

 なにしろ喧嘩っ早い者達が多いからだ。

 

「とりあえず宿を探すか。昔はこれを怠って野宿した事もあるからな……」

 ヨハンの脳裏に未熟だった頃の過日の記憶が蘇る。

 

 ■

 

 宿探しは何という事もなく済んだ。

『潮騒亭』だ。

 宿の名前と言うのは、その土地の特色にちなんだ物が多い。

 

(潮騒の如くうるさい……と言うわけではないだろう、多分)

 

 それでも若干不安になりながらも潮騒亭で一晩明かすが、幸いにもうるさくて眠れない……と言う事はなかった。

 やや鬱陶しかったのは隣室の者が春を鬻ぐ女性を部屋に呼んでいた事だったが、港町ならば仕方あるまい、とヨハンは自分を納得させた。

 

 例えば戦を生業とする者が多い町等では内鍵と外鍵がそれぞれ二つずつあったり、魔術都市等では鍵を無理やり開けようとすると攻勢魔術が起動したり、宿一つとっても都市の特色が出るものだ。

 

 それらは全てレグナム西域帝国の都市なのだが、帝都ベルンではどうなのかというと意外にも何の特色もない普通の宿が多かったりする。

 

 ■

 

 翌朝目覚めたヨハンは朝は宿でゆっくり過ごした。

 イスカの朝は極めて早い為、ヨハンが起きる時間には大分落ち着いてはいるが……

 

(何も急ぎの旅と言う事でもないからな)

 

 窓を開けてシーキャットのにゃあにゃあと言う鳴き声を聞きながら触媒を眺めて朝を過ごした。

 ヨハンは草花を触媒とする術を佳く使うが、雑に扱っていると乾燥で砕けて散ってしまう。

 手帳には適度な湿度を保つ術をかけてはいるが、術と言うのは一度かければ恒久的に維持されるものでもない。

 

 ■

 

 昼過ぎ頃になってようやくヨハンは行動を始めた。

 食事を済ませ、ギルドへ。

 町は朝の喧噪が収まり、平時と言っても良い位であった。

 雲一つない青空にヨハンは目を眇める。

 

「陰鬱で暗い気分でないと良質の術が使えないのだがな」

 

 ぼそりと呟くヨハンの言葉は冗談でも何でもない。

 だが別に上等な理由があるわけでもない。

 単にヨハンが曇り空が好きというだけだ。

 だが、所謂連盟式の術と言うのは本人の心持ちなどが術の出来にも多少関わる為、それなりに気にする者もいる。

 

 ギルドへ入るとその場の冒険者達の目が一瞬ヨハンへと向くが、各々はまたすぐ依頼掲示板を眺めるなり仲間達と何やら相談をしたりし始めた。

 

 ヨハンは真っ直ぐ受付のカウンターまで足を運ぶ。

 そこには命知らずの冒険者達を死地へと誘う美貌の受付嬢が……居なかった。

 低級の冒険者程度ならば殴り殺してしまえそうな逞しいガタイの中年親父がどっしりと鎮座している。

 

(珍しいな。冒険者ギルドの受付嬢は大体女性なんだが。その方が男共は喜んで死にに行くからな)

 

 そんな事を思いながらも用件を伝える。

 ウルビスから移動してきた事。

 こちらで活動する事。

 期間は特に決めている訳ではない事。

 

 この町移動の報告と言うのは、別に義務ではない。

 だが、この様に報告しておくと当人の足取りが追いやすくなる。

 すると何がメリットかと言えば、不慮の事故に遭った時等に救援を出してもらいやすいのだ。

 デメリットは特にないが、強いて言うならば犯罪を犯して追われている者等は報告はお勧めしない……と言う事位であろうか。

 

 手続き自体はすんなりと済み、ギルドの親父から"どんな依頼を受けたいか"と質問される。

 これもまた珍しい。

 依頼掲示板で本人が選んだものをギルドが受け付けて……と言う流れが本流なのだが、まあこのギルドはそういうやり方なのだろう、とヨハンは望む依頼を伝えた。

 

「なるべく命の危険がないものがいいな」

 

 特に金に困っているわけでもないヨハンとしては至極当然な要求だった。

 それならなぜ冒険者稼業等をするのかといえば、それは彼の一種の哲学というかポリシーによる所が大きい。

 

 ──仕事とは車輪に似ている。動かしていなければ錆びつく。そして再び動かそう思った時、必要以上の力が要るのだ

 

 要するに、無職のままだと精神が腐って仕事し無ければいけないと思った時には苦労するぞ、と言う事だ。

 

 だがそれを後ろで聞いていた他の冒険者は揃ってヨハンを嘲笑した。

 冒険者が命を惜しんでどうするんだ、と。

 それも一理ある。あるのだが……

 

 ヨハンはそんな嘲弄にも構わず、酒場の水樽の補充の依頼を受け、ギルドを出て行った。

 

(……2人か)

 

 ■

 

 ギルドを出たヨハンは酒場へとは向かわず、薄暗い路地へ入っていった。

 お世辞にも治安が良いとは言えない場所だ。

 かがみ込み、石をいくつか拾い、先へ進む。

 気配が追ってくるのを確認しながら奥へ奥へと向かっていく。

 

 やがて、少し開けてはいるものの、それ以上はどこへ行くことも出来ない行き止まりへとたどり着いた。

 

 ヨハンは広場の中心で足を止め、ゆっくりと振り返る。

 視線の先には2人の冒険者の男。

 

 足元から頭までじっくりと眺め、ヨハンが口を開いた。

 

「おはよう。恐喝かい? 一応先に言っておく。逃げるなら追わない。得物を抜いたら殺す。だが君達が俺を殺すつもりまではない、というならそれなりに斟酌してやろう」

 

 ■

 

 ヨハンの言葉を聞いた冒険者達は揃って口元を歪めた。

 

「それはこっちのセリフだぜ。兄さん。アンタ術師だろ? この距離でまともに戦えるのか? 殺す積りはねぇが、触媒を置いていきな。宝石とか持ってるんだろう?」

 

 ヨハンはその言葉を宣戦布告と見做し、おもむろに投石した。

 狙いは目だ。

 怯むのは一瞬だが、その一瞬と言う刹那の時間は近接戦闘では命取りになる。ヨハンは身を低くして、冒険者の一人の腰から下へ組み付き、押し倒した。

 もう1人はまだ唖然としている。

 この一事を持ってしても彼らの業前の低さが窺えた。

 

 ヨハンは掌で鼻を叩き潰すように打撃を加えた。

 

(後頭部と地面に隙間をあけておく事が肝要だ)

 

 ハンマーと金床戦術と言う、古くはレグナム西域帝国の一都市、闘都ガルヴァドスのコロッセオで闘う闘士達が編み出した技術である。

 打撃の衝撃と地面への激突の衝撃の両方を加える事で、より効率的に人体を壊せるのだ。

 

 ヨハンは組み付いた男が脱力したのを確認し、次は立ちすくんでいる方へ駆け寄ると、蹴り上げる。

 何処を? 

 勿論男にとって非常な重要な器官をだ。

 

 跪き呻く男の腹を更にヨハンは蹴り上げた。

 

「水に濡れ、凍え震える小鬼を見たら君はどうする。俺の師……ルイゼ・シャルトル・フル・エボンはこう言った。腹を蹴り上げ、更に弱らせなさい、と。俺も同感だ。敵手が弱っている時は様子等見たりせずに一気呵成に攻めたてるべきだ」

 

 そんな事を話ながらもヨハンは男の顔面を蹴り、腕を踏みつけ、指を踵でガンガンと踏みつけていた。

 

「酷いとおもうかい? でも君らは俺の触媒を奪おうとした。術師にとって触媒とは命綱だ。つまり君らは俺を殺すつもりだった……という事か?」

 

 ヨハンの質問に、このままでは殺されると勘違いした冒険者が答えた。

「こ、こ、殺すつもりなんてねえよ! そんなことは! ただ、金を、とろうと……しただけで……やめてくれ、もう……やめてくれ……痛いんだ……ほ、骨が折れちまって……」

 

 ヨハンは眉を顰め、やや怒りを浮かべながら男に言い返した。

「君は俺の手際を疑うのか? 骨なんか折るわけがないだろう。痛めつけているだけだ。君らも俺がおとなしくしていれば痛めつけるだけで済ませてくれる積りだったんだろう? だから俺もそうしている。大人しくしておけ。悪い様にはしない」

 

 悪い様にはしない、と言いながら暴力を振るってくるヨハンに、男は完全に気圧されてしまった。

 

(こ、こいつ頭がおかしい……っ!)

 

 男は頭を抱えてヨハンの暴力をひたすら耐え忍んだ。

 もはやどちらが被害者で、どちらが加害者だかわからなかった。

 やがてヨハンは加害を止め、男の肩に手を置いて口を開く。

 

「報復はやめておく事だ。数の暴力と言う言葉がある。もし君達が数を揃えて俺を襲ってきた場合、俺は君達を殺す。逃げても追って殺す。身を隠せばレグナム西域帝国の貴族とのコネを使ってでも見つけて殺す。ああ、そうだ。君達の財産を半分だけ頂いておこう。俺からカツアゲするつもりだったのだろう? 本来は全て頂くのだが、治療費として残しておいてやる。俺は家族から甘い、甘いと言われているのだがね、情けは人の為ならず、と言うじゃないか。良かったな、俺が優しい男で」

 

 報復の件は忘れない様に、と言い残しヨハンは去っていった。

 男は倒れ伏す悪友の様子を見るが、幸いにも生きてはいるようだ。

 

 男は自身の身体も確認するが、本当に痛みだけを与えられたと知って、今後町で見かけたらすぐに逃げようと誓った。

 

 ■

 

 ヨハンは路地裏を出ると酒場へと向かった。

 

「ギルドから水樽の補充の依頼を受けました」

 

 ヨハンが酒場の主人へそう告げると、主人はヨハンを店内へ招き入れた。

 

「ええと、5樽あるんだ……出来るだけでいいから頼めるかな?」

 

 ヨハンは頷き、上衣の物入れから青い石を取り出す。

 これは青晶石の原石だ。

 高級な物でも珍しい物でもない、川でも海でも、水のある場所ならどこでも見つかる石である。

 加工すると脆いが透き通った青い宝石となる。

 ただし、時間経過で濁ってしまうので宝飾品としての価値は無い。

 

 ヨハンはそんな石を握りしめ、口を開いた。

 

「砂漠で旅人は飢え、乾き、倒れ伏す。意識は虚ろに、今際の際に視たものは」

 

 協会式の術で水を生んでも良かったのだが、ヨハンは敢えて連盟式の術を選んだ。青晶石はオアシスにもあり、こういった触媒は使い勝手が良い。

 

 ヨハンの詠唱が終わると、空だった水樽にたちまち水が満ちていった。

 酒場の主人は鼻をひくつかせる。

 不思議な芳香……と言うわけではないが、満たされた水から何か本能に訴えかける様なものを感じるのだ。

 

「何か害があるわけではないが、この術で生み出された水は……そうだな、例えるなら砂漠で彷徨い歩き喉がカラカラになった者にとって、水が満たされた杯はどう感じるか、という事を考えてみてほしい。さぞや魅力的に映るだろう。この水は本能の一部にそういった印象を与える。といっても、この水少し美味そうだな、くらいの印象に過ぎないが」

 

 それをきいた酒場の親父は喜び、ヨハンに食事をご馳走した。

 この酒場はそれからしばらく、客足が途絶えなかったという。



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チンピラ術士

 

水樽への補充を終えたヨハンは依頼票にサインを貰い、ギルドへと戻った。

するとどうにも騒がしい事に気付く。

見れば、見知らぬ少年が何か切迫した様子で受付の親父に訴えかけていた。

 

「お願いします!!姉さんが、姉さんが…!」

 

親父はまるで、目の前の真っ白なパズルを15分以内で解かないと給料を半分に減らすと言われたような表情をしている。

要するに困りきっていると言う事だ。

 

ヨハンはそんな光景を見て思った。

(よくわからないが肉親がなにかの危機に瀕しているのだろう。大変そうだな)

 

周囲の冒険者達も複雑そうな表情をしているものの少年に手を貸そうとはしなかった。

(つまり、困難さに比して碌な報酬を提示できなかったという事だろう)

 

関わる義理も無ければ義務もなし、とヨハンは少年の横を素通りし、親父に依頼票を渡しながら言った。

「依頼は完了だ。あの手の依頼は歓迎だ、またあれば受けるぞ」

 

そういって報酬を受取り、ギルドを去ろうとする。

だがそんなヨハンの上衣の裾を掴む小さな手があった。

 

「お、お願いします、姉さんを…姉さんを助けてください…」

 

 

対するヨハンの態度は冷淡なものだった。

掴んだ手を叩き落とす…とまでは流石にいかないが、離しなさい、とだけ口にするヨハンを少年は涙の浮かんだ目でじっと見つめた。

 

ヨハンはため息をつき、ギルドのカウンターへと戻っていく。

それを見た少年は表情を明るくさせるも、またすぐに暗くなった。

 

「ギルド内で個人間の契約を勧誘する行為は違反だろう。さっさとギルドで依頼の仲介手続きを取るなり、放り出すなりしてくれ」

 

そんなヨハンをギルドの親父は苦虫を噛み潰す様な表情で見つめた。

親父にはヨハンが一分の隙も無い正論を語っている事は分かっている。

分かってはいる…分かってはいるのだが…

黙り込む親父は、やがてゆっくりと口を開いた。

苦渋という飲みものが本当にあるのなら、それをガブガブと飲み干した後の表情であった。

 

「ヨハン…イスカへ来たばかりのお前にこんな事を頼む筋合いはないのかもしれんが…依頼を受けてやってほしい」

 

ヨハンは鼻白んだ様子でそれを聞き、内容と報酬は?と尋ねた。

 

「イスカから北方へ、馬車便で2日程の場所にアズラという村がある。そこの村の娘さん…そこの少年の姉が質の悪い流行り病に罹った。その病を癒す薬は、アズラの近くにある黒森という森林の奥に咲く花だ。これを採取してもらい、アズラの薬師へ渡してほしい。報酬は……銅貨5枚だ。それに、俺が個人的にお前に恩を感じるだろう。今後、色々と便宜を図ってやれるかも知れん。だが断わるならば…俺はお前が良識ある冒険者としては認めない、かも知れん」

 

 

ギルドの受付をしている親父…ルドルフは情に厚い男だ。

元船乗り、嵐で船を失い、生還して…海が怖くなった。

だが仕事をしなければ生活はできない。

 

そんなルドルフは友人から冒険者になる事をすすめられた。

ルドルフは元船乗りと言うだけあって力は強い。

そしてタフだ。

力強くタフであるなら冒険者として日々の生活を送る程度の金を稼ぐ事くらいは出来る。

ルドルフはそうした。

 

そして意外な程の適性を見せたルドルフは瞬く間に中堅の冒険者へと成り上がる。

そこでルドルフは冒険者を引退し、ギルド職員となった。

冒険者として誠実に、堅実にやってきたルドルフ、町の者から兄貴分と慕われてきたルドルフをギルドは歓迎した。

 

冒険者稼業は大きな危険を伴うが、職員ならばそれほどでもない。

彼が危険を厭い安全を追い求めたのは、結婚をしたという事も影響したのかも知れない。

そして妻が子供を産んだというのも影響したのかもしれない。

 

ともあれギルド職員となったルドルフは、本人なりに公平・公正に働いてきたのだ。

少なくとも今日この日までは。

 

急に現れた少年の依頼はルドルフの基準からしても困難なものだった。

困難な依頼には高額の報酬を。

当たり前の理屈である。

 

問題は少年にはその当たり前の報酬が出せないと言う事だ。

それも銅貨5枚。

こんな子供にとってはそれなりの額なんだろうが、そんなものは何の釈明にもならない。

 

そんな依頼、普通なら断わる。

だが情に厚いルドルフには出来なかった。

ルドルフにも子供がいる。

息子、そして娘。

自身の命に勝る子供達。

そんな子供達の影を、依頼を持ち込んできた少年に見てしまった。

 

 

ヨハンは鼻で笑った。

全く話にならなかったからだ。

 

アズラも黒森も知っている。

病に効くという花の事も知っている。

だが黒森には猿が魔物化した魔猿が多く出没するのだ。

猿というのはただでさえ人間を凌駕する身体能力を持つ。

小型のそれでさえ大人の男の手を握り潰す程の膂力がある種もいる。

そんなものが魔物化すれば、その脅威はどれ程のものかを知らない親父ではないだろう。

 

「銅貨5枚。そして貴方が恩に着る、か。俺の事を情に訴えれば平気で危地へ飛び込む間抜けだと思ってるのか?貴方は、いや、お前は俺を舐めてるだろう。ウルビスからイスカに来たばかりの新顔、前パーティはそれなりに名前が知られているパーティ。依頼を遂行するだけの能力はありそうだ、と。そして、新米なら今後のギルドでの活動を盾にすればハイと頷くとでも?そうだな、長年イスカで活動している冒険者に頼むというのはやりづらいものな。俺の経歴上、すぐにイスカを去りそうだから脅しまがいの依頼を強要しようとしたのか。ところで俺には家族がいてな、ヴィリという口が悪い女…メスガキなのだが、彼女が言っていたんだ。舐められたら殺せと。俺もそう思う。なあ、何かないのか?お前が俺に恩を着るだけじゃなく、俺が依頼を受けるに足るものだ。何か積んでくれ。さもないと……」

 

 

ルドルフの中堅の冒険者としての生存本能が大音量で警報を鳴らした。

答え方を間違えると死ぬという事が分かった。

周囲の冒険者達も助けにはならないだろう。

 

「……ッ!報酬は増額できん!!少なくとも、ギルドの規定では職員が個人的に金を出すことはできない。だが……こ、この様な悪条件でも依頼を受け、子供の家族を救うべく尽力したということならば、信頼できる冒険者として……イスカの、認可冒険者として推薦する事が出来る!」

 

それを聞いたヨハンはドロドロとした殺気を収め、何か考える様子でルドルフの目を視た。やがて1つ頷き“受けよう”とだけ答えた。

 

認可冒険者。

これは要するに、この冒険者の人品は町が責任をもって保証しますよ、というものだ。

普通は長年真面目に冒険者として働いてきた者が推薦される。

推薦はほぼほぼ素通り…とまではいかないが、推薦した者に信用があれば大体は通る。

 

これは単なる名誉称号ではない。

例えば金を借りるにせよ、限度額が優に5倍は変わる程の社会的な信用度が変わる。

少なくとも、この依頼に適正とされる報酬を倍にした所で認可冒険者という称号の価値には至らないだろう。2倍が5倍でも10倍でも同じだ。

 

だからヨハンはルドルフの提示を是とした。

むしろ、非常に自分を買っているものと判断した。

 

ヨハンの“家族”である連盟のとある術師は言う。

「彼は連盟でもっともちょろく、俗で、敵にまわしたくは無い術師ですよ」と。

 



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少年の依頼

 ■

 

 ルドルフから依頼票を受取ったヨハンは少年を一瞥し、そして再度ルドルフの顔を見て口を開いた。

 

「違えるなよ」

 

 ルドルフが頷くと、ヨハンは背を向けギルドを出ていこうとした。

 そんなヨハンの背に少年が声をかける。

 

「ね、姉さんの名前はマリーベルと言います! お願いします、姉さんを助けて下さい……っ」

 

 ヨハンは振り向き愛想のかけらもなく言った。しかし不愛想に過ぎるそのいい様であるのに、少年はなぜかとても心強く感じた。

 

「最善を尽くす」

 

 ■

 

 ヨハンは旅支度もそこそこに、馬車便をつかまえた。倍の運賃を渡し、アズラへ出来る限り早く向かってくれと頼む。

 

 更に道中は獣除けの術まで使い、できる限りの懸念を取り除いた。

 獣などはどうと言う事は無いが、それで万が一馬がやられたりでもしたら間に合うものも間に合わなくなる。

 

 まあ経費だけで銅貨5枚などはとうに超過しているし、認可冒険者への推薦だって確実に通るかどうかも分からない。最悪、依頼を成功させても報酬は銅貨5枚だけ、と言う事もありうる。

 

 それくらいはヨハンにも理解は出来ている事だったが、自分の意思で受けると決めたのならば、払える代償は全て支払ってでも遂行しなければならない、とヨハンは考えている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 暫しの馬車行が続き、ヨハンはアズラの村へ着いた。

 そのまま村長宅へと向かい、事情を話す。

 旅の後だからといって休んでいる暇等は無かった。

 

 村長はヨハンの話を聞いて非常に驚いていた。 どうやら少年がイスカまで来た事は預かり知らぬ事だった様だ。少年は行商の馬車へ忍び込み、単身イスカへと向かったらしい。

 

 銅貨5枚しか出さなかったのではない、子供1人の財産では銅貨5枚しか出せなかったという事だ。

 

 とはいえ、仮にルドルフが認可冒険者への推薦と言う札を出さなかった場合、ヨハンは少年の事情を知って居ても依頼を受けなかっただろう。

 

 そして、ルドルフにも手を掛けていた筈だ。

 殺しはしなかったまでも死ぬほど脅迫したに違いない。ヨハンという男は脅迫が大の得意であるために。

 

「マリーベルを……宜しくお願い致します」

 

 村長が頭を下げ、ヨハンに目に見えない何かを託した。

 

 特効薬の原料となる花は黒森の奥に咲いているが、村人ではとても採取しに行けるものではない。

 村長としても忸怩たる思いで居たのだ。

 かといって冒険者ギルドに依頼をするとなると非常な高額となってしまう。

 その額は滅多な事では手をつけてはいけない金にも手をつける必要がある程の額だった。

 

 その辺りの事情を少年は何も知らなかった。

 知らなかったからこそ、無謀にも依頼を出すという選択肢を取れたのだ。

 

 ヨハンは頷き、一言だけ答えた。

 

「最善を尽くす」

 

 ■

 

 ヨハンは我ながら語彙力がないなと思いながらも、まあそれしか答えようがないしな、などと考えていた。

 実際そうだ。

 最善を尽くす以外に答えようが無い。

 

 次に向かうのは黒森……ではなく、村長から聞いたマリーベルの家だ。

 

 もし既に死にそうだという事であれば、マリーベルの何か大切なモノ……本来の寿命だったり、身体の部位であったり、そう言うものを使ってでも延命させる積もりだった。病自体を術で癒す事は出来ない。

 

 なぜなら治療法が確立されてしまっているからだ。 そういった病は概念として既に固まってしまっている。

 

 原因不明の謎の奇病……であるならまだヨハンの術でどうにか出来たかもしれないが、治療法が確立されている病なら法術の類ならばともかく、ヨハンの術ではどうにもならない。

 

 ■

 

 マリーベルの家はすぐ見つかった。

 家の木壁に炭で怪し気な紋様が描かれていたからだ。

 

【挿絵表示】

 

 ──病除けの(まじな)いか

 

 この世界には様々な術体系があるが、大抵の術体系には元締めのような個人、組織が存在する。例えば協会式魔術ならば魔導協会、連盟式ならば連盟、法術にも様々な流派があるが、最大勢力の中央教会のそれが一般的だろう。

 

 だが、それらのいずれにも属さない土着のおまじないのようなものも存在する。病除けの呪いとはそういった類のものであった。

 

「微弱だが柔らかい絹の様な魔力の波動。…まあ効果がないとは言えないな。傷口を清拭する程度の効果はあるだろう」

 

 ヨハンは呟き、ノックも無しに扉を開ける。

 そして、クンと鼻をひくつかせ、家の奥までずんずんと進み、もう一つ扉を開けた。

 

 ──辛気臭い匂いはこっちからする

 

 扉の向こうには布切れに藁を詰め込んだ布団に横たわる少女の姿があった。ヨハンはすぐに彼女の身に死の気配が絡みついている事に気付く。

 

「あ、あなたは、だれ…」

 

 マリーベルの誰何にヨハンは端的に説明し、冒険者としてのプレートを見せた。

 

(体の衰弱もそうだが、心の衰弱が問題だ)

 

 体というのは栄養のあるものなり、間に合わせの薬を飲ませるなりで死に至るまでの時間稼ぎが出来るが、心と言うのはそうはいかない。

 そして心が弱りきってしまえば、体もまたそれに引っ張られてしまう。

 

「……そうですか、あの子が……」

 

 ヨハンが少年の事を告げると、マリーベルは寝床に横になったまま俯いた。

 声にも力がない。

 

 マリーベルは生来聡明で、だからこそ自身の病についての知識もあった。

 そう、マリーベルはもう半ば以上自身の生を諦めてしまっていた。

 

 そんな彼女にヨハンは淡々と言う。

 

「見た所、もって三ヶ月ももたないな。この冬は乗り越えられないだろう。しかし俺が依頼を遂行するまでには数日あれば十分だ。あなたは治る。森は危険だそうだな、魔物化した猿がでるのだとか。だが俺は視線1つで人間を石にかえる悪魔も殺したことがある。猿がなんだというのか。問題はない。だから悪化させないようにしっかり休んでいることだ」

 

 これは本当の事だ。

 

 ヨハンはかつて、悪魔と呼ばれる存在と対峙した事がある。その時はとある貴族の娘に憑依した悪魔を、中央教会の聖騎士達と協働して祓った。

 

 正しく、死闘であった。

 

 勇敢な聖騎士の幾名かは物言わぬ石像と化し、しかし最終的にはヨハンが術の根幹を看破し打ち破る事に成功したのだ。

 

「私……助かるのでしょうか……?」

 

 マリーベルがか細い声でヨハンに聞く。

 ヨハンは大きく頷き、少女の手を握った。

 

「当然助かる。最短で1日以内、遅くても4日、5日といったところだな。どうあれ1週間もかかるまい。消耗をさけ、養生をする。きつい労働をするとかではなく、しっかり数日寝ているだけで治る。簡単な事だ。出来るな?」

 

「は、はい!」

 

 病は気からという。

 これは迷信ではなく、実際にそうなのだ。

 

 他者を害するもっとも単純な呪いは、対象に自身が呪われている事を伝える事だ。

 例えば悪口。悪口を聞かされたら嫌な気持ちになるだろう。それが延々と続けば体調を崩す事もあるだろう。

 

 これが原初の呪いである。

 

 優れた術師はその逆も出来る。

 自身の言葉に説得力を持たせ、その気にさせる。

 どれだけの説得力を持たせる事が出来るかは本人の生き方が反映される。

 自身が確固とした信念に基き、誰に憚る事のない振る舞いをしていると自覚していればその分強い力が宿る。その効果は詐術と言うには余りに大きかった。

 

 事実、マリーベルはヨハンの言葉で心を励まされ、暫し容態が安定した。

 

 マリーベルは運がいい。

 もしもこれで少しも時間が稼げなかった場合、彼女の自慢の髪の毛は頭皮が見える程にばっさりと刈られ、触媒とされて延命の手段に使われていたのだから。

 

 ■

 

 ヨハンが黒森に足を踏み入れてすぐに魔猿の襲撃があった。その様子にヨハンは妙なものを感じる。

 魔猿とは狡猾だ、それゆえに慎重でもある。

 

(様子見なりなんなりがあると思ったのだが)

 

 ともあれ、早々に始末させてくれるなら都合が良いと手帳から触媒を取り出そうとしたその時。

 

 ヨハンは弾かれる様に横に飛び、地面に転がってソレをかわす。その額には冷や汗が浮かんでいる。

 

「……ちィッ! こいつら! ふざけやがって!」

 

 ヨハンは魔猿の危険度を過小評価してはいなかった。

 

 道具も使えば罠も使い、身のこなしは野生の猿を遥かに凌駕し、魔力を循環させる事で強化された肉体強度は、例えばその辺の一般人が包丁等で突いたとしても傷を負わせる事は出来ない程に強靭だ。

 過小評価など出来よう筈もない。

 

 しかしそれでも。

 

 ヨハンは走りこみ、時には木を盾にしてソレを防ぐ。

 べちゃりと音がする。

 木にそれがぶつかったのだ。

 続いて悪臭が振りまかれる。

 

(に、匂いとは微細な粒が鼻に……つまり、俺の体内にアレが……。こ、殺す!!)

 

 そう、糞である。

 魔猿はよってたかって樹上からヨハンに糞を投げつけているのだ。正面切って殺し合いなら魔猿が手強いとはいえ、遅れを取るヨハンではない。しかし投げつけられる糞に相対するというのは、殺し合いとはまた別種の強さを求められる。

 

 盾としていた木に魔猿が回りこんでくる。

 背後から投げられればひとたまりもない。

 

 ヨハンは木の影から駆け出し、別の場所へ移動しようとした。そして転んだ。

 

 罠だ。

 地に生える草を輪にして編んだ原始的なものだが、焦ったヨハンは見事に引っ掛かってしまった。

 

 転んだ拍子に懐から手帳が落ちてしまう。

 そこへ糞弾が飛んできた。

 

 ヨハンは自身の背で手帳を庇った。

 背に感じる生ぬるい感触。

 

 ■

 

 無表情になったヨハンは木の影で手帳を出し、親を亡くした娘の涙をしみこませて90日間月光を浴びせた待雪草を取り出した。

 

 ヨハンが使おうとしているのは希死の呪いだ。

 第2級禁忌指定。

 使用がばれれば魔導協会が追っ手をかけてきかねない。レグナム西域帝国も黙ってはいないだろう。

 

 連盟は関知しないだろうが。

 ともあれこの術は余りにも死を無差別に振りまく。

 

 もしこの術が発動すれば、魔猿のみならず黒森の生態系が崩壊してしまうだろう。だがそれで良いと、いっそ森を滅ぼしてしまうほうが世の為人の為であると今のヨハンは本気で思っていた。

 

 希死の呪いは術者が本心からどれだけ怨念を、怒りを、悲しみを、やるせなさを抱いているかにより効果を大きく上下させる。

 

 その思いが真摯であればあるほどに、呪いはよりおぞましくなっていく。

 

 ■

 

 いまはもう無い国の話だ。

 

 その国の王太子はとある公爵令嬢と婚約をしていた。

 公爵令嬢は王太子を佳く支えられる妃になろうと厳しい王妃教育も頑張ってこなしていた。

 

 王太子は日々頑張り結果を出す公爵令嬢を次第に疎ましくおもっていった。

 なぜなら周囲は公爵令嬢の頑張り、健気さばかりを賞賛し、自分の事を見てくれないからだ。

 

 だが体面もある為、二人は表面上は非常に仲睦ましかった。

 

 しかし王太子の内心は令嬢への羨望、嫉妬、それらが次第に憎悪と形をかえていく。

 

 そしてある日、内に一物抱えた男爵令嬢が王太子に粉をかけてしまう。

 

 紆余曲折はあったが、結局王太子は男爵令嬢に転び、男爵令嬢は王太子を都合の良いように動かし、公爵令嬢を貶めた。

 

 そして悲しいことに王太子の両親……王と王妃は間抜けだった。

 悪賢い男爵令嬢にまんまと操られた王太子の言をまるっと信じてしまった。

 

 事態は公爵令嬢の排斥にとどまらず、どんどんどんどん大きくなり、やがて公爵家そのものの取り潰しにまで話がすすんでしまう。

 

 公爵は王に談判にいくが、それを叛逆と捉えられ縛り首とされた。

 

 更に追い討ちをかける様に、叛逆罪は基本的に連座。

 公爵令嬢の母親、幼い弟も……。

 

 捕らえられ処刑を翌日に控えた公爵令嬢は王太子を、男爵令嬢を、王を、王妃を、王国民を、王国すべてを呪った。

 

 夜半、血の一滴をグラスへ垂らし、血混じりの水に語り掛ける……元はといえば市井のお遊びのようなものではあるが、そんなものにしかすがれなかった公爵令嬢の哀れさたるや。

 

 だが彼女は真剣だった。

 この時、公爵令嬢に術師としてのたぐいまれな資質があった事が災いしたのかもしれない。

 

 資質はある。

 ならば後は作法だが、呪いというモノで一番大事なのは、どれだけ純度の高い真摯な想いを込められるか、である。

 

 公爵令嬢は己の血涙をグラスに垂らし、ありったけの思いで呪った。

 結果としてその王国は国民の1人にいたるまで、目から血を流し、爛れて死んだ。

 

 この哀しくも悍ましい話は何度も劇として演じられたり、吟遊詩人がうたいあげたりする事で多くの者達が知っている話だ。

 

 この様に、“誰もが知っている話”と言うものは一種の集合意識と言える。

 術師とはそこから力を引き出す者達の事だ。

 力を引き出すには、有形無形の触媒……例えるならば、集合意識と言うモノが入った箱を開ける為の鍵を使わねばならない。

 

 この触媒はヨハンが多用する草花、鉱石の様な分かりやすいものや、あるいはもっと特殊な形での触媒と言うのも存在する。

 

 希死の呪いに必要な触媒は待雪草だ。

 この白く小さな鐘の様な花を咲かせる可愛らしい花は、かの滅びた王国の国花である。

 その花言葉は“あなたの死を望みます“。

 

 ■

 

「乙女の涙は毀れ、粉雪に混じる。刑場の落首、頬に伝うは恨みの血。砕けよ心。凍てつけ魂。命よ絶えて、咲け、白鐘の……」

 

 ──花

 

 と言いかけた所で、ヨハンは正気に戻った。

 森を滅ぼしたら依頼対象の花も枯れるではないか、と言う事に気付いたのだ。

 

 だが術の副次効果だろうか? 

 悍ましい気配は森を駆け巡り、魔猿達は退散していった。

 

 上衣の背が糞塗れになるといった大きな犠牲は出たものの、探索行はスムーズに進んでいった。

 

 そして無事に奥地にたどり着き、目的の花を見つける。

 濃い紫色の、薔薇にも似た花弁を持つ美しい花が一面に広がっていた。

 

 ヨハンはほんの僅かその美しさに見惚れるも、必要分採取をして森を引き返していった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 村へ帰還したのはその日の深夜だ。

 門番に事情を話し村へ入れてもらったヨハンだが、流石に時間も時間なので、馬小屋を借りて眠りにつく。村に宿泊場がないわけではないが、時間的にも部屋を取る事ができないからだ。

 なお上衣は処分し、予備の物を着込んでいる。

 

 翌朝、ヨハンは村長へ会いに行き依頼の達成を伝えた。

 村長は大喜びで薬師を呼び…………

 

 ■

 

「……これで大丈夫です。あとは十日程継続して薬を飲めば治りますよ」

 

 薬師の説明にマリーベルは笑顔を浮かべて頷く。

 彼女の気持ちが落ち着いたと見るや、ヨハンは依頼票を差し出し、マリーベルにサインを貰った。

 

 頭を下げ、礼を言い続けるマリーベルを押し留め、ヨハンはほんの僅かな笑みを浮かべながら言う。

 

「まだ治った訳ではない。無理はしない事だ。それと、花は十分な量を採取したから君の分は足りるだろうが……仮に、また流行り病にかかって今度は別の者の為に花を、と言う事なら次からは銀貨50枚を貰う。これは相場よりやや安い」

 

 マリーベルは目をぱちぱちと瞬かせ、真剣な表情で頷いた。薬師は困ったように笑っている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 イスカに戻ったヨハンはそのままギルドへ直行し、依頼の達成を伝えた。

 

「早いな。確かに受取った。これがまず銅貨5枚。もちろんこれだけじゃない。イスカ冒険者ギルド認可冒険者の推薦状の控えだ。原本は俺が持っている。依頼の達成を確認したらギルドマスターへ提出する。恐らく推薦は通るだろう。認可冒険者について説明が必要か?」

 

 ルドルフの言葉にヨハンは首を振って答えた。

 

「不要だ」

 

 姉の病に嘆く少年も病魔に冒されている少年の姉も、認可冒険者そのものにもヨハンは余り興味が無かった。

 自身の働きが正当に評価される事、ヨハンにとってはそれが一番大事な事なのだ。

 

 だから仮に認可冒険者の推薦が通らなかったとしても、その事をもってルドルフに隔意を持つことはないだろう。

 

 ヨハンの態度は大人ではなかったかもしれないし、良識的ではなかったかもしれない。

 しかし自身が舐められたまま、波風を立てない為にそれを良しとする事は、自身のみならず自身を評価してくれている者達への冒涜に等しいとヨハンは考えている。

 

 そんな冒涜を犯す位なら死んだほうがマシだが、自身が死ぬよりは舐めてきた相手を殺してしまうほうが楽だし話も早い、それが術師ヨハンの思考だ。

 

 彼の所属する魔術組織、『連盟』が人殺し集団だのなんだのと言われるのは、連盟所属の術師達が皆非常に個性的だからという理由が大きい。

 

 彼らは独自の理念、ルールの様なものを持ち、それらに非常に重きを置いている。

 これは極端な例えだが、例えば目の前で左手を使ってほしくないというルールを持つ連盟の術師が居た場合、彼あるいは彼女はそれを周囲の者へ知らしめる努力はするだろう。だがそれが守られなかった場合、その彼あるいは彼女はいとも容易く人を殺めるのだ。例え子供であっても平気な顔で殺害してしまうだろう。

 

 ■

 

 ヨハンはその日の夜、ベッドに横になりながら手帳を眺めていた。彼の持つ手帳は元はといえば彼の母の私物だった。

 

 家族の事を想うとヨハンは父への憎悪と母への思慕で散り散りになってしまいそうな圧力が心にかかり、心と言う目に見えないものが軋んでいくのを感じる。

 

 父親の喉を掻き切り、浴びた血の熱よ!

 あの時ヨハンはそれまで凍りついていた心が父親の血熱で溶けていく様を、どこか達観した様子で見ていた。

 

(叶うならば何度も、何度でもあの男を殺してやりたいものだが。ジャハム老ならばあの男に再び命を宿す事も可能だっただろうか)

 

 ジャハム老とは連盟の術師だ。

 人業遣いのジャハム。

 人を業とし、業を器に押し込め、仮初の命を与え使役する。ジャハムは彼の孫である少女…の人形を常に連れており、その人形は人形と言われなければ気付けない程の精巧さだ。キワモノ揃いの連盟術師の中でも比較的温厚な老人である。

 

 ■

 

 翌朝、ヨハンはギルドへと向かった。

 金銭的な意味では昨日の依頼は全く実入りがないと言っても良かったからだ。

 

(金に困っているわけじゃないが、油断をするとすぐ懐が寒くなるからな…イスカは酒と飯が旨い。つい遣いすぎてしまう)

 

 酒精中毒と言うわけじゃないがヨハンはそれなりに酒を嗜む。酒精は頭が緩くなり、良い意味で脱力させてくれるからだ。自身の気質は物事を陰鬱に捉えてしまいがちだということをヨハンは自覚している。

 

 時折、堅苦しく、そして殺伐とした自身の気質を緩めてやらなければいずれは好んで破滅的な決断をする程に心がささくれるだろう、だからこその酒だ…

 

 とヨハンは考えている。

 

(酒を飲む理屈をこねくり出しているだけだろうと“家族”から呆れられた事もあるが…確かにそうかもしれない。ともあれ、旨い酒と旨い飯は人生の彩りだ。それらを買う種銭を稼ぐには労働をしなければならない)

 

 出来るだけ報酬が良く、そして面倒が少ない依頼はないか…と依頼掲示板を見ていると背後から声がかかった。

 

「あなた、その格好は術師さんかしら」

 

 ヨハンが振り向くと、赤毛の女性が笑顔を浮かべ立っていた。

 

「私はセシル。ちょっと助っ人を探しているのだけど…話を聞いてくれない?」

 

 ■

 

「……成程、単眼大蛇か。それにしても指名依頼とはね。あの蛇は弾力に富み、それでいて強靭だ。剣やナイフだと分が悪いだろう。セシル、君達の中に術師がいないのならば依頼主はなぜ相性の悪い獲物を振ったんだろうな」

 

 ヨハンが腑に落ちないという表情で言うと、セシルの横に座っていた少女が憤懣やるかたないといった様子で答えた。

 

「依頼を振ってきたのはブラヒ商会の豚よ!あいつ、セシルに一目惚れして色々ちょっかいかけてきてさ!セシルにその気がないって分かったら嫌がらせをしてくるようになったのよ!この指名依頼だって、うちら向きじゃないって分かってる筈なのに!」

 

 濃紫の髪を振り乱し叫ぶ少女の名前はリズ。

 セシルのパーティで斥候をしている。

 

 その隣には大柄で浅黒い肌の女性が頭を掻きながら苦笑している。光の加減ではピンク色にも見える様な不思議な髪色であった。彼女の名前はシェイラ。パーティの重火力役と言った所か。大ハンマーが得物との事。

 

 セシル、シェイラ、リズ。

 女性三人組のパーティだった。

 

 セシルに話を聞いてほしいと乞われたヨハンは、セシルがホームとしているギルドハウスへと移動した。

 そして彼女の仲間…シェイラ、リズも同席して助っ人依頼の詳細を聞いているというわけだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

(ブラヒ商会ね…ブラヒ…ブラヒ…)

 

 ヨハンは脳裏に図書館を思い描く。

 そして、ブラヒ商会なるものを過去に耳にした事があったかを調べた。

 

 術師や学士にはよく見られる手法だが、これは所謂記憶術とよばれるものだ。

 ヨハンの様に伝承や逸話から力を引き出すタイプの術師には必須の技能と言っても良い。

 なぜなら世界には何百何千という物語が転がっているが、それらを記憶する為には普通のやり方では無理だからだ。

 

 記憶した事柄を一冊の書物と見たて、脳内で構築した仮想の図書館に仕舞ったというていにする。

 そして必要に応じて情報を取り出す…。

 ヨハンの場合はこのような覚え方をしていた。

 

 勿論この記憶術には様々な方法がある。

 例えばとある学士などは体の部位…指などに記憶しておくというていで物を覚えたりする。

 左手の人差し指を右回りに一度回すと、これこれこういう記憶がひっぱりだされる…という風に条件付けておくのだ。

 

「ブラヒ商会か、すまないが聞いた事がないな。話を聞く分では碌な商会ではなさそうだが」

 

「はあ?イスカの冒険者の癖にブラヒ商会を知らないとかモグリ?セシルの話だとそこそこできそうな術師だって話だけどさ、なんだかあんまり期待出来なそうね」

 

 ヨハンの言葉にリズが“こいつ頭正気かよ“と言う様な目をしながら返事を返す。

 だがガストンより格下の自称斥候の小娘に腹を立てるほどヨハンは狭量ではなかった。

 

「随分生意気なメスガキだな。セシルやシェイラはどういう教育をしているんだ?もしここが町ではなく荒野だったらぶち殺して野犬の餌にしていた。筋肉の付き方、立ち居振る舞い…まごう事無き雑魚。2秒で殺せる。このメスガキは可食部分が少なそうだが、その点だけが野犬に申し訳ない」

 

(まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ)

 

 ヨハンは狭量ではないから建前を言う位は出来る。

 しかし本音と建前を間違えてしまった。

 ヨハンは目を見開き失態を悟り、慌てて言い直した。

 

「すまない、本音と建前を言い間違えてしまった。先ほどの発言は本音だ。“まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ”…これが本来言おうとしていた建前だ」

 



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単眼大蛇討伐へ、そして

 ■

 

 ──この術師の青年に声を掛けたのは早計だったのかもしれない

 

 そんな思いを抱きながらも、セシルは仲間と共に単眼大蛇の巣食う森へと足を踏み入れた。

 

 勿論ヨハンもいる。

 

 だがセシルの懸念とは裏腹に、森でのヨハンの振る舞いは経験を積んだ冒険者とはかくあるべしと言った様で不安どころか頼り甲斐すらも感じるものだった。

 

「ねえ、リズ。どう?蛇の痕跡はあった?」

 

 セシルがリズへ話しかけると、リズは難しい顔をしながら首を振った。だが、単眼大蛇の痕跡が見つかりづらいと言うのは分かっていた話だ。

 

 単眼大蛇は勿論大地を這って移動もするのだが、樹木を伝い移動する事もある為だ。

 樹上からの奇襲に対応できずに絡みつかれて、絞め殺される冒険者も毎年必ず何人かは居る。

 

 危険な存在なのだ。まあ危険でなければセシル達に依頼などはおりてこないのだが。

 

 彼女達はこれでイスカの認可冒険者である。

 元はといえばセシルとシェイラの二人組のパーティで、リズは後から加入した形だった。

 

「蛇の痕跡はない…ないんだけど…」

 

 だけど?とセシルが先を促すと、リズは周囲を見回した。

 その様子はどこか不安そうだ。

 

「人の足跡…みたいなものがあるんだよね。複数…。森の、こんな奥地に冒険者は来ない…とは言わないけど、ここまで来るのって私達みたいに単眼大蛇を狩りにきたって事でしょ?でもギルドではそんな依頼はおりてないはずだよ…」

 

 それを聞いたセシルはヨハンをちらりと見た。

 ヨハンはその視線を受け、1つ頷く。

 

「探知を打つか?半径10キロメル程度だな。ただし、お前達の誰かが触媒を寄越すなら別だ。処女であるならなお良い。50キロメル位までは拡大できるだろう」

 

 未通女の拗れ歪んだ情愛と執着を術に乗せ、対象の存在をねちっこく捜索する探知術である。

 

 ■

 

 結局探知は打たなかった。

 リズが強く拒絶したからだ。

 

「そういうのは私の仕事だから!あんたは蛇を倒す時の為に雇ったんだからでしゃばらないでよ!」

 

 リズもリズなりに必死だったのだ。

 セシルとシェイラに比べて自分は弱い。

 努力はしていても、認可冒険者とはとても言えない程には弱い。

 

 しかし、セシル、シェイラと同じパーティに所属している事で自身まで認可冒険者として扱われている。

 

 その事にリズは忸怩たる思いを抱いていた。

 だから、ヨハンが自分の仕事に手をかけることに強い拒否反応を抱いてしまったのだ。

 

 そんなリズをヨハンは冷たい目で眺め、口を開いた。

 

「ああ、分かった」

 

 ──こいつは早死にするタイプだな

 

 今度は本音と建て前を取り違えずに済んだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 探索は続く。

 

 1時間、2時間…周囲に気を配りながら森を探索すると言うのは心身共に非常に疲弊する。

 

 リズは勿論、セシルもシェイラも表情に疲れが滲んでいる。

 

 平気そうな顔をしているのはヨハンだけだった。ヨハンはじっとセシル、シェイラ、リズを見つめている。

 

 ヨハンの凝視めいた視線の言わんとする事はセシルにだって分かっていた。

 

 だがリズの気持ちを優先した。

 ヨハンは一時的な仲間に過ぎないが、リズはそうではない。

 

 まあヨハンは別にセシルに圧力をかけているわけではなく、その疲労度を量っていただけに過ぎないのだが。

 

(もう暫く付き合って、それでも見つからなければ時間切れだな)

 

 夜間に単眼大蛇と戦闘するのは、ヨハンは良くても他の者にとってはよろしくない。最悪、死人が出る可能性があった。

 

 ヨハンとしてはパーティに死者を出したくない。それは人道的な理由からではなく、自分の仕事に瑕をつけたくないという利己的な理由からの思いである。

 

 ■

 

「あった!これ!単眼大蛇の這いずった跡よ!」

 

 リズが喜びを滲ませた声で叫んだ。

 セシルとシェイラが見ると、確かに大きな蛇が這いずった様な跡がある。

 

(やった!私はちゃんと自分の仕事が出来た!)

 

 まだ蛇を見つけたわけでも倒したわけでもないのに、リズは何かを成し遂げたかの様な達成感を抱きながら喜んだ。しかし、そんなリズに冷や水が浴びせかけられる。

 

「違うな。それは大山主だ。大きさだけなら単眼大蛇に匹敵する蛇。温厚で、牙はあれども毒性はない。下草を見てみろ。べったりと潰れているだろう。オオヤマヌシは温厚ゆえに鈍間だ。移動速度は遅い。遅いがゆえに、その下敷きとなる草もそこまで潰れてしまうのさ。単眼大蛇は非常に素早い。よって地面を這いずった跡の下草もそこまで潰れたりはしない。大体、単眼大蛇が地を這いずる時は周囲に樹木等がない時だ。この辺の様子だと…まあ木を伝って移動するだろうな」

 

 リズはヨハンの言葉を聞きたくなんてなかった。

 

 だが聞いた。

 話している内容は有益だとリズも分かっていたからだ。

 

 名状しがたい苛立ち、悔しさ、怒り…そんなモノを押し込めてリズは手を握り締めてヨハンの話を聞いていた。

 

 だが

 

「そうなの?教えてくれてありがとう、ヨハン」

 

 セシルがヨハンに礼を言った時、リズの中で何かがパァンと音を立てて破裂した。

 

 ──セシルは、私よりアイツの方が…

 

 理性もなにも吹き飛んで、リズはヨハンに向かって駆け出……せなかった。

 

 なぜならヨハンの目を見てしまったから。

 

「シェイラ、リズを抑えておけよ。そいつが襲い掛かってきたら殺す。最低でもその右手に握ったナイフは没収しておく事だ。殴りかかってくるだけなら殺さずに済ませてやるが、それを握って向かってくるなら殺す。仮に止めようとするなら、止めようとした者も殺す。お前達が3人とも掛かって来るなら3人共殺す。この距離で近接戦闘職3人を同時に相手にするのは苦労しそうだから、できれば俺の言葉を聞いてくれると有難いのだが」

 

 ヨハンの目は冷たくも熱くもなかった。ただ、話すべき事を淡々と話す、そんな様子であった。一切の感情も感じられないヨハンの無機質な視線に、リズは今度こそ折れた。

 

「…うっ…うう…」

 

 膝をつき、涙を流すリズに痛々しそうな視線を向けるセシルたち、そして"なんなんだかな"と言いたげなヨハンの表情には酷い温度差がある。

 

 ■

 

 結局その場は仲間同士の殺し合い…とはならず、相当にギクシャクした雰囲気を残しながらもその場は収まった。

 

「まあまあ、ヨハンもそうピリピリしないで!リズが不作法でごめんよ、強く言っておくからここは、ね?…こらぁ!リズ!いきなり襲い掛かるなんて本当に殺されても仕方ないんだよ!おばか!」

 

 ごちん、とリズの頭にシェイラのゲンコツが落ちる。リズは頭をおさえてウウウと唸り、再びしゃがみ込んだ。

 

 そしてヨハンを見ると、まるで自分の下唇が世界で一番おいしい食べ物であるかのようにむちゃむちゃと歯でこねくり回す。

 

「ご、…ごめんなさい」

 

 そんな様子にヨハンも毒気を抜かれ、蹲るリズの姿にフッと鼻を鳴らして短く言った。

 

「良い」

 

 敵意を見せた時点で始末すべきだなどという野蛮人の様な冒険者もいるが、常識的に考えて敵意を見せた時点で殺すなどただの犯罪者的思考である。

 

 冒険者はならず者ではあるが、犯罪者ではない。リズの振る舞いは確かにチンピラめいていており品に欠けるが、それを言うならヨハンとて育ちは路地裏のチンピラだ。目があっただけで暴行を振るった事などいくらでもある。

 

 仲間の制止を振り切って襲いかかってくるならばそれは排除すべき敵となるが、短気を起こしただけならゲンコツが精精と言った所であろう。

 

 ヨハンもリズが謝罪したことで水に流す事にした。何事も筋が大事なのだ、と彼は常々考えている。誤ったならば謝罪、これは人として当然の筋だ。有害鳥獣ではなくて人扱いされたいのならば筋を通すべきだと言うのがヨハンの主張だ。

 

(助かったわ、シェイラ……)

 

 それをみたセシルは内心でほっと安堵の息をつく。先程のヨハンは本気で殺し合いも辞さない様子だったからだ。恐らくはシェイラも分かっていただろう。

 

 それで致命的な事になる前に場を収めてくれた。

 

(とりあえず何とかこの雰囲気で…)

 

 と、その時、ヨハンの目が鋭くギラついた。

 視線はシェイラ、そしてリズに向いている。

 ヨハンの視線に気付いたシェイラとリズもヨハンを警戒している様だった。

 

「ね、ねえヨハン。なんでそんな目でシェイラ達を見ているの?」

 

 ヨハンは軽く舌打ちするとセシルを無視してシェイラに言った。

 

「奇襲だ。シェイラ、そこをどけ。左右どちらでもいい。リズ、死にたくなければさっさと立て。後ろだ!…糞!鈍間が!」

 

 ヨハンは全速力でシェイラ達へ駆け寄る。

 え?とシェイラとリズが後ろを振り返ると、背後の草むらからキリリという音が聞こえ……

 

 ■

 

 ヨハンはシェイラを蹴り飛ばす。そしてリズの首根っこを掴んで、自身の背後へ乱暴に引っ張った。

 それと同時にヨハンの肩へ矢が突き刺さる。

 

 ヨハンは努めて無表情でナイフを取り出し、突き刺さった部位ごと肉を抉り切った。

 刺さると同時に発生した強い眠気はしかし、肉を抉った痛みで吹き飛ばされる。

 

「ヨ、ヨハン!」

 セシルが駆け寄ろうとする。

 

「要らん。周囲を警戒しろ。囲まれてるぞ」

 ヨハンが気だるそうにセシルを制止した。

 

 セシルがあわてて周囲を見ると、ガサガサと音を立てて周囲の草むらから人影が現れた。

 男4、女2。

 合計で6人。セシルには分かる。いずれも手練だ。

 

 シェイラはリズに手を貸し、立ち上がらせ周囲をにらみつけて言った。

「ブラヒ商会のお抱え冒険者…。成程ねぇ…邪魔なあたしらを始末して、セシルをさらっていこうって事かい」

 

 シェイラの言葉に集団のリーダーと見られる男がニヤリと笑った。

 

 ・

 ・

 ・

 

「なあ、兄さん。俺はゲイリーってんだ。兄さん、随分乱暴な手で睡毒を抜いたじゃねえか。そこのお嬢様方らには出来ねえ事だ。あんたは警戒に値するな。でもよ、あんたはお嬢様方らと余り良い関係じゃなさそうだよな?どうなんだいそこんところは」

 

 ゲイリーの言葉をヨハンは肩の手当てをしながら聞いていた。そして、その質問に答える。

 

「そうだな、俺は警戒に値する男だ。そして、彼女達については余り良い印象がない。特にそこのメスガキについては思う所が山程ある」

 

 ヨハンの目がちらりとリズを見ると、リズの肩がびくりと跳ねた。

 

 それを聞いたゲイリーは重々しく頷き、まるで世界最高の提案だとでも言う様にヨハンへ話しかけた。

 

「だったらよ、俺達の方につかねえか?報酬は……おい、リエラ」

 

「ええ」

 

 ゲイリーがリエラと呼ばれる女冒険者へ声をかけると、リエラは妖艶な笑みを浮かべ、その豊満な胸の谷間から金貨を1枚、2枚、3枚と取り出す。

 銀貨にして300枚だ。

 

 それを見てヨハンは片眉をあげた。

「随分太っ腹じゃないか。お前達は俺達をいつでも始末できるのだろう?シェイラとリズを殺すのも、俺とシェイラとリズを殺すのも、大して変わらないんじゃないのか?」

 

 ヨハンの問いかけにゲイリーは首を振った。

 経験豊富なゲイリーには分かっている。

 そう簡単にはいかないと。

 目の前の術師を殺すなら、少なくない犠牲が出るとゲイリーの勘が告げていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 良いだろう、と答えたヨハンをセシルは、シェイラは、リズは絶望的な気持ちで見つめる。

 

 そんな彼女達をヨハンは鼻で笑い、金を受取るべくリエラに近付く。ヨハンの視線は金貨に吸い込まれており、観察力を働かせなくとも金に目が眩んでいると分かるものだった。

 

(こりゃあそこまで警戒しなくてよかったか。まあいい。女二人を殺したら、次はこの男を……!?)

 

 ゲイリーの思考は途切れる。

 なぜなら……

 

 ■

 

「俺は警戒に値する男だ、と言った筈だが」

 

 ヨハンのナイフが、その柄までリエラの目に突き刺されていた。ヨハンは柄をぐりぐりと捻り、刃がリエラの決して損なわれてはならない部分を容赦なく破壊していく。

 

 リエラは失禁し、舌を出し倒れた。

 何処からどう見ても死んでいる。

 

 その場の全ての者が呆気に取られていると、ヨハンは拳を突き出し取り囲む冒険者達の1人へ向け呟いた。

 

「雷衝・穿」

 

 バチン、と弾ける様な音、そして閃光。

 肉が焦げる嫌な匂いが辺りに立ち込める。

 見ればヨハンの拳から煙が出ていた。

 

 雷衝・穿は通常の雷衝に指向性を持たせた術だ。

 この術は重大な欠陥がある。

 それは、雷撃を狙った場所へ当てると言う事は非常に難しいと言う事。

 

 そして、これはヨハンが悪いのだが触媒となる鉱石を収めるスタッフなりがないため、素手で撃たなければいけないと言う事。

 

 ガストンに放ったものは子供騙しだ。

 ちょっと痺れる程度に過ぎない。

 しかし、殺傷力を持たせたそれを放つとなると…

 

「ヨハン、その手!すぐ手当てをしないと!」

 

 焦った様な叫びをあげるシェイラに、ヨハンは呆れた様な視線を向ける。

 

「全員殺してからだ。あと4人。数だけは互角だな。しかし狙いがそれた。そこのすばしっこそうな彼を狙ったんだ。斥候だろう?手練の斥候は暗殺者みたいなものだからな。先に殺して置きたかったが、隣の女性を殺ってしまった」

 

 ヨハンの放った雷撃に撃たれた女冒険者は倒れ、動かない。

 死んだのだ。

 

 ■

 

「て、てめぇ…!裏切りやがったな…!」

 ゲイリーは怒りで顔を歪め、ヨハンを睨みつける。

 

 ヨハンは心外だとでも言う様に困惑そうな表情を浮かべて答えた。

 

「裏切るも何もないだろう、ゲイリー。お前達は敵で、彼女らはパーティメンバーだよ。正直言ってこの距離でお前達と殺り合うのは分が悪いと思うんだが、契約は契約だ。おい、セシル、シェイラ、リズ。早く正気に戻ってくれ」

 

 ヨハンの言葉にセシル達は慌てて構える。

 

「ね、ねえヨハン…」

 

 ――何故裏切らなかったの?

 

 そんな質問がセシルの喉から出そうになるが、今がどういう状況かも理解出来るため黙る。

 

「お前達は男だけだな。こちらは俺を除いて女が3人だ。なあ、セシル、シェイラ、リズ。お前達は怒らないのか?今回こんな仕儀になったのは元はと言えば男の欲望が原因だろう。好き放題されて悔しくないのか?」

 

「怒ってるに決まってるだろ!」

 

 ヨハンの煽りめいた言葉に、シェイラがキッと眦を吊り上げて答えた。リズもセシルも表情は厳しい。

 

 そんな3人の様子を見てヨハンは“では復讐だな”と頷いて朗じた。その2本の指には荒野狼紫茄子が摘まれていた。

 

「"場"を整える事が大切なのだ。因と果をその場に揃えなければ正しく術は使えない。愚かな男の欲望が原因で酷い目にあった…あるいはあいそうになった女がいる。女達は復讐を望んでいる…。そんな"場"が存在して、はじめてこの術を使う事ができる」

 

 ヨハンの口上を、ゲイリーはなぜか中断させることができなかった。まるで舞台装置の一つであるかのように、ヨハンの言葉をきかなければならない、そんな強迫観念に囚われていた。

 

 ──哀れ、釣鐘の貴婦人は打ち捨てられた。永遠の愛は泡沫の夢。優しげな相貌は憎悪に彩られる。ならば殺せ、忌まわしき男を

 

 荒野狼紫茄子の花言葉。

 それは『男への死の贈り物』…

 

 ・

 ・

 ・

 

 ふわりと、甘い匂いが辺りに広がる。

 

 ──香?

 

 ゲイリーの鼻をかぐわしい芳香が擽り、そしてすぐに異変に気付いた。体が言う事をきかないのだ。

 

「何をした……?」

 

 ゲイリーが低い声でヨハンに問う。

 ヨハンは苦笑しながら答えた。

 

「ゲェェイリィィ、子供じゃないんだ。自分で考えなさい。まあすぐに分かるさ……」

 

 ヨハンはナイフをクルクルと手元で回し、無造作に男達へ歩いていった。

 セシル、シェイラ、リズはそれを見て慌てて男達へ向かっていく。男達も各々の得物を構えてそれを迎え撃とうとするが……

 

「な、ァ……ッ!?」

 

 ゲイリーの、男達の膝が地に落ちた。

 その手は痺れ、冬とはまだ程遠い季節であると言うのに妙に寒い。体の震えが止まらない。

 そんなゲイリー達をヨハンはニヤニヤしながら見つめていた。

 

「辛いかい? その症状はとある毒を術で再現していてね。少し前まではよく使われた毒だよ。妻が夫を毒殺する時に使われていたんだ……。お前達も知っての通り、少し前の時代は男尊女卑と言うのかな。西域での女性の社会的地位が著しく低かった。当時はなんというか、女性は奴隷同然だったそうだよ。だがね、女達だってずーっとそんな扱いされていれば怒って当然だろう? 一時期、そういう怒った妻達が傲慢で暴力的な男性を毒殺しまくったんだよ。不思議だと思わないか? そんな毒、それ以前には使われた事もなかったのに。ただ、当時帝位についたレグナム西域帝国7代皇帝ハナーは帝国史上初の女帝だったのだが、彼女は継承権を持つ男の親族全員を毒殺してね、丁度彼女が帝位につく少し前に件の毒が……ってああ、もう声も聞こえないかな?」

 

 機嫌が良さそうにべらべらしゃべり狂うヨハンの肩をシェイラがぽんぽんと叩く。

 

「……なんだ? 邪魔しないでくれよ」

 シェイラの方を振り向いたヨハンは機嫌が悪そうだった。

 

「わ、悪かったよ。でも、こいつらはどうするんだい? もし何だったらイスカの衛兵へ引き渡したいんだけど……ほら、元凶の商会について証言させたいし……」

 

 シェイラの言葉に、ヨハンは深刻な表情を浮かべるのみだった。

 

「え……もしかしてこいつらは助からないのかい……?」

 

 シェイラが恐る恐る問いかけると、ヨハンはやや引きつった笑みを浮かべ答えた。

 

「いや、大丈夫だ。今すぐ解毒をすれば……」

 

「で、でも血を吐いてるよ……」

 

 ヨハンは沈痛な表情を浮かべ、倒れ伏す男達へ目を向けた。

 

「大丈夫だ……1人くらいはきっと生かしておける……はずだ。参ったな、俺は殺すのは得意だが癒すのは苦手だぞ……」

 

 ブツブツ言いながら男達に手当てをするヨハンを、セシルもシェイラもリズも不安そうに見つめていた。

 

 ■

 

 紫狼の呪い。

 

 これは実際の所、余り使い所がない。

 特定条件でのみ起動する呪毒の術なのだが、まず敵対者が男で仲間が女である必要がある。

 

 そして女の方が心からの怒りを……理不尽への叛逆の炎を胸に燃やしている必要がある。

 

 男達も男達で、自身の欲望というか、そういう私利私欲を傲慢に女へ押し付けていなければならない。

 

 単純に敵に男がいて、味方に女がいればいいというものではなく、様々な条件が設定されており、その条件を全て満たした場合にのみ起動する。

 

 その者に毒物の耐性があってもそれを貫通するという利点はあるのだが、ただただ敵対していた場合では理不尽へのなんたらかんたら等の条件を満たす事はできない。

 

 だが、連盟式の術とは少なからずこのように使い勝手が悪い部分があり、ヨハンは連盟式の術式のどこか不器用な部分が気に入っている。

 



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イスカ出立

 ◇◇◇

 

 ゲイリー達はギルドへ引き渡された。

 冒険者ギルドは同胞殺しを決して許しはしない。

 

 ゲイリーらは拷問にかけられ、やがてはそのバックにいる商会も芋づる式に引きずり出されるだろう。たかが一港町の有力商会などは冒険者ギルドという巨大組織の前では木っ端にも等しい。

 

 ギルドのメンツに傷を付けた以上、ゲイリーらが娑婆に戻れる可能性は極めて低い。

 

 ■

 

 あれから1日がたった。今日ヨハンは仕事を休むつもりでいる。触媒を補充しておく必要があるからだ。

 

 術を行使するには基本的に触媒が必要で、触媒抜きに術を使うとなると心身に大きな悪影響を及ぼす場合がある。例えば視力と引き換えにだとか、例えば体内を流れる血液の一定量と引き換えにだとか。

 

 多かれ少なかれ、代償が求められるのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 イスカの街には一つしか術師の触媒を売っている店がない。木造のボロい家屋である。

 

 店には名前もなく、街には魔女の店などと呼ぶ者もいる。

 

 ヨハンが扉を開けると、どこからどうみても魔女!というような老女が歯の無い笑顔をみせた。

 

「術師さんかい…。花とか草ばっかりじゃなくてもっと高いものを買っていっておくれよ」

 

 その店の主がこの老女であった。

 

「そうだな。良い品が揃っていると見える。高いものか…"石"はあるかな?使い道が広いものがいいな」

 

 石というのは触媒に使う水晶やら宝石の事だ。呪術の類ではなく、より直接的な術の触媒に適している。

 

「ひっひ…そうこなくちゃね。ただ…まぁ…使い道が広い、というと…ふむ」

 

 老女は腰をあげ、緩慢な足取りで棚へと向かった。そしていくつかの石を取り出す。

 

 老女がヨハンに示したのはいくつか水晶欠片だった。水晶には特定の逸話がなく、様々な術の触媒となる事で術師からは人気がある。勿論そういった触媒は用途が限定されているような触媒と比べると効果は薄いが。

 

「濁りも少ない。良い品だ。買わせてもらおう」

 

 ヨハンが言うと、老女はニタリと笑った。

 

 

 ■

 

(ヨハン視点)

 

 店を出ると、メスガキ…違う、リズが所在なさげにたっていた。

 

 何の用だ?

 

 リズが口を開いた。目線は合わない。俯いているからだ。

 

「ヨハン…あの、さっき歩いてたら見かけて…助けてくれたこと、改めてお礼をいいたくて」

 

「そうか、その礼は受け取ろう。まあ無事でよかったよ。それじゃあな」

 

 俺はそういって去ろうとしたが、ローブが引っ張られる感覚。

 

「待って…お礼をしたいから、でもどうすればいいのかわからなくて…それで、オヤジさんに相談したら、本人と話してみろって…」

 

 俺は俯いた。

 礼は受け取ったといったのにリズが話をきいていなかったからだ。

 

 そして、難しいな、とおもう。

 ニンゲン関係とは難しい…

 コイツは要するに、言葉だけじゃ気が済まないんだろう。

 

 なにか行動で示したいわけだ。

 だが、それはあくまでこいつの欲を満たす行為であって、俺のための行為といえるのだろうか?いいや、言えないね。

 

 とはいえ善意か、あるいは善意に似たなにかを基にしての言動であるということもわかる。

 

 それらを鑑みれば…

 

 俺は別に好んでメスガキを傷つけたいわけではないのだ。

 

 ならば…

 

「そうか。じゃあ情報という形で礼をいただこうか。俺はこの町にきてまだ浅い。安い宿、飯が美味い店、品質がいい武具店…知っていたら教えてくれ。武具は術師向けがいいな。そのへんを調べたらまた今度会ったときに教えてくれ」

 

 俺がそういうと、リズは尻尾をふっている犬のような様子でわかったといい、駆けていった。

 

「獣から人へ。これが進化の過程か。感慨深い」

 

 俺はリズの成長ぶりに感動はしなかったが、それなりの気分でギルドへと向かった。

 

 ■

 

 ヨハンはギルドにつくなり、ルドルフの元へ一直線にむかっていった。

 

「親父、街を移ることにした。知り合いから助けを求められてな。力を貸して欲しいとのことだ。俺も男だ、友から助力を求められて無視なぞできようもない。傭兵都市ヴァラクへ向かう。移動の手続きを頼むぞ。夜馬車にのって出立する。じゃあな、世話になった」

 

 ルドルフは暫時目を見開き、そしてあわてて言い募る。認可冒険者として通そうとしたものがそんなにすぐに街を出ていくというのはルドルフとしても面目が立たないのだ。

 

 だがこの時、ヨハンとしてはもはやイスカに残るつもりもなかった。理由は色々とある。

 

「な?!お、おい待て!理由はわかったが、ちょっと待て!」

 

 ヨハンの耳に何か聞こえるが、黙殺した。

 

 ──友よ、待っていてくれ。すぐに向かう

 

 いもしない友を脳内で作り出したヨハンは早足で待合馬車の乗り場へと向かい、あっというまにイスカを去っていった。まるで借金取りから逃げているかのような性急ぶりである。

 

 ■

 

 夜馬車に揺られ、街道沿いの木々を見ながらヨハンは思う。

 

 ──面倒事からはさっさと退散するに限る

 

 勿論ヨハンはヴァラクに友人がいる訳では無い。少し派手に立ち回ってしまったので粉をかけられるのが嫌だったのだ。

 

 特にゲイリーである。それなりに名が知れている冒険者とのことで、ヨハンは警戒した。仲間達の仇討ちだのなんだのと巻き込まれる可能性が0とも言えない。

 

 あとはセシル、シェイラ、リズである。

 

 ──セシルは今後商会の残党などと揉め事があるかもしれないし、リズは変な懐き方をしてきて鬱陶しい。シェイラは……彼女は普通か。 ともあれ、関係の清算には丁度良い

 

 ヨハンはうん、うん、と大きく頷き、懐の手帳をローブの上から撫で、そして座ったまま眠りについた。

 

 

 



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殺伐酒場

 ■

 

【挿絵表示】

 

 傭兵都市ヴァラクはその名の通り、傭兵業を主産業としている。

 各地から傭兵が集まり、周辺諸国へ戦力を提供。報酬などの条件交渉は傭兵ギルドが取り仕切っている。

 

 傭兵と冒険者は似ているが、前者は国家間の戦争にも積極的に干渉している点が後者との違いか。

 冒険者ギルドは中立を保ち、戦争に関係する依頼は受けない。ただし、これは人類間の戦争に限るが。

 もちろんヴァラクにも冒険者ギルドは存在し、傭兵と冒険者を兼業しているものもいる。

 

 

 そんなヴァラクへたどり着いたヨハンはやや心が浮き立つのを覚えた。

 なぜならこのヴァラクにはとある著名な傭兵団が居て、その団長と言うのがヨハンにとって……というより連盟の術師にとって特別な存在であったからだ。

 

「まあ、滞在していれば見える事もあるだろう。とりあえずは宿か」

 

 ヨハンはふらりと大通りを行き交う雑踏に混じる。

 

 ■

 

 ヨハンは手斧と血飛沫亭という宿屋を見つけた。 物騒な名前だが、ヴァラクの民間施設は全て物騒な名称なので問題はない。

 

 例えばだが、この手斧と血飛沫亭の向かいには流血シチュー庵という飯屋がある。トマトシチューが売りなのだが、名称のセンスには普段殺伐としているヨハンも辟易するものがあった。

 

 首尾よく宿屋を見つけ、暫しの滞在料を支払うと、ヨハンは冒険者ギルドへと向かった。

 ロビーにはパラパラとまばらに冒険者たちがいる。

 余り盛況そうには見えないが、活気がないという感じではなかった。

 

 聞けば、ちょうど大きめの依頼があり皆それを受けて出払っているとのことだった。

 ヨハンは受付カウンターに座っている受付嬢にギルド移籍について伝えて手続きを済ませる。

 最近は短期間に立てつづけてギルドをうつっているので余計な事を聞かれるかとヨハンは少し懸念していたが、特に問題はなかった。

 

 ■

 

 ヨハンは依頼票が貼り付けてある大きな木製の掲示板を見上げた。

 そこには多くの依頼票があるのだが……

 

(討伐系ばかりか)

 

 そう。依頼内容は討伐系が多い。というよりそれしかない。

 この討伐系の依頼で肉を産出しているというわけだ。魔獣の肉と言うのは加工の仕方に工夫が求められるが、十分食肉として通用する。

 ヴァラクの食糧事情はやや特殊で、交易と魔獣の肉、そしてレグナム西域帝国からの支援によって日々の糧を得ている。帝都ベルンとヴァラクは距離的にも遠くなく、帝国中央からしてみればヴァラクは外敵に対しての矛のような存在なのだ。ある程度の自治権をあたえているヴァラクに対して帝都が支援をするというのは、矛を磨く行為に等しいと言える。

 

 ともかく、その魔獣の肉を得る為に大事なアクションの一つが、冒険者ギルドに発注する魔物の食肉を得る為の依頼となっている。ただ今の時期は個人で受けられるものは余りなく、合同討伐形式のものが多い。

 

 合同討伐。

 これはそれなりにまとまった数の冒険者を一気に輸送、魔物の群れかなにかをみつけたら狩猟をするという形のものだ。

 

 地脈の関係でヴァラクはすぐ魔獣が湧いてくる。この沸いてくるという表現の解釈には諸説あるのだが、まさに地の底から生えてくるといわんばかりに魔獣が湧いてくるのだ。

 ただ、これは常にそうだったわけではない。

 ここ10年ほどの話である。

 

 ヨハンはその話を聞いた時、何か嫌な予感のようなものを覚えた。

 彼の経験上、魔獣がわらわらと湧いてくるという状況は最終的にろくでもない事に直結するからだ。

 

 ともあれヴァラクの行政府もその状況をまんじりと見ていたばかりではない。

 冒険者ギルドへ、そして傭兵ギルドへ、要するにヴァラクの軍事力のリソースを魔獣討伐へ注ぎ込み始めた。

 

 ヨハンはその辺りの事情を冒険者ギルドの日焼けした受付嬢から聞いて、明日辺りから仕事を始めようと決めた。

 

 到着してすぐ魔物狩りというのは彼をしてやや負担が過ぎる。

 

 ■

 

 ヨハンが街をうろつき、店を見分すること暫し。

 良さげな店をいくつかみつける。

 ヴァラクほどの規模の街となると、案内を生業とする者がいるものだ。

 

 例えばスラムの孤児などである。

 とはいえヴァラクはその辺は行政が手を入れているらしく、飢えた子供などは見当たらない。

 と言うのも、ヴァラクは傭兵都市であり、女であろうと男であろうと捨て子などはどこかしらの傭兵団が拾いあげ、戦力として鍛え上げてしまうからだ。

 

 まあこれはどうしても捨て駒だとか肉の壁だとかを連想してしまうものの、ヴァラクの上位……要するにレグナム西域帝国の国是としてそういった阿漕な真似は許可されていない。

 

 一昔前は非常に殺伐としたレグナム西域帝国であったが、今上帝サチコの代となってからは非道さはナリを潜めるようになった。

 

 今上帝サチコはまだ幼いが、宰相である帝国宰相ゲルラッハが佳く補佐しているのだろう。

 

 ■

 

 ヨハンは1つの立て看板に目を留めた。

 そこにはこうある。

 

≪魔狼肉大量入荷≫

 

 全く飾り気がないその文言の言わんとするところは明らかであった。

 

「魔狼肉か。癖も強いが俺は嫌いじゃないな。ここにするか」

 

 ヨハンは孤児の出であるので食には貪欲だが味にはうるさくはない。なんだったら道端に落ちた肉もぺんぺんとはたいて食える程である。

 

 更に言えば、生肉だってまあいけなくはない。

 以前、ヨハンがロイ達のパーティに所属していた時、森で猿の魔物に組み付かれた事があった。

 普段はそこまで接近を許すヨハンではないのだが、その時はガストンを庇ったのだ。

 

 組み付かれたヨハンと魔猿の戦いは一瞬で終わった。ヨハンが魔猿の首筋に食いつき、首元の肉を食い千切ったのである。

 

 モニュモニュと肉を咀嚼し、血飛沫と共にもだえ苦しむ魔猿の顔面へそれをふき掛け、手にした短刀で首を引き裂いた。

 そうして口の中に残った猿の肉を噛み、飲み下したのであった。

 

 その後ヨハンはガストンに盛大に説教を始め、冒険者たるものは魔物の肉だろうが貪り食えるほどに全身、内臓も含め鍛えねばならないと懇々と諭した。

 

 まあ話がずれたが、ヨハンはその程度には野蛮で好き嫌いがない正しい冒険者なのだった。

 それに、ヨハン自身肉は好きだ。

 魔狼の肉は独特の風味があるが、この風味をエールで胃の腑へ落とし込むというのがヨハンのお気に入りの食い方である。

 

 ・

 ・

 ・

 

 その肉料理が今、ヨハンの足元にぶちまけられていた。エールも零れている。

 シュワシュワという炭酸の音が耳を擽る。

 ヨハンの耳にはそれは天に座すナントカとかいう神がこの有様の原因を凄惨にぶち殺す事を許可しているかの様な神託に聞こえていた。

 

(嗚呼。師よ。ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。貴方はこんな時、俺に何をしろと教えてくれたのでしたか)

 

 ヨハンが心で師に問うと、心の中の師は薄い笑みを浮かべつつヨハンに答えた。

 

 ──購わせるか。あるいは殺しなさい。ただし、殺すに足る理由を相手に作らせた上で

 

 ■

 

「てめぇ! この野郎! 何しやがる!」

 ヨハンの足元に転がってきた男が立ち上がり店の奥に向かって凄む。

 

 男の仲間らしき者も2名。怒りの表情を浮かべている。

 ヨハンに向けてではない。

 それは彼の真正面、店の奥に佇む誰かに向かってへの怒りであった。

 

『ふふ、馴れ馴れしい野良犬を撫でてやっただけだ。撫でただけで吹き飛ぶとは、鍛え方が足りないんじゃないか?』

 

【挿絵表示】

 

 その姿かたちが、というより雰囲気がまるで一本の鋭い刀剣の如くきりりと引き締まっていた。

 凛としているといえばいいのか、少なくともなよなよしい雰囲気は微塵も感じられない。

 ヨハンはその女性に柔軟でありながら、確実に敵を突き殺す突剣の意思を見た。

 

(が、鍛え方が足りているはずの貴様は何故周囲に配慮しない?)

 

 ヨハンは首を傾げた。

 

『それと私の名前は野郎ではない。ヨルシカと呼べ』

 

 ヨルシカと名乗る剣士はツカツカと男へ近寄り、その股間を蹴り上げた。

 

「ぐぇっ……!!! ぐ、う……て、めぇ……」

「お前! どうなるかわかってるんだろうな!?」

「冒険者がデカい顔しやがって!」

 

 三人組がそろってキャンキャン吠えるも、麗人殿は動じていない様子。

 

 酒場の他の客は皆ヨルシカと男達を見つめていた。だがヨハンだけは俯いて零れた飯を見つめている。ローブの裾。酒がかかり、濡れていた。

 そこに怒りはない。悲しみも失望もない。

 疑問だけがあった。

 

(この三人組も、ヨルシカと名乗る女剣士もなぜ俺を無視するんだろう。すまない、だとか、この金で新しいものを頼んでくれ、とかないのか? だが興奮状態で俺に気付いていない可能性もある……ならばしっかり状況を、俺の気持ち、提案を伝えなければな。 気持ちは伝えてこそだ、黙っていて察してもらおうなんて都合がよすぎる。そうだ、伝えるのだ)

 

 ヨハンはヨルシカと男達の間に割って入り、正当な要求をした。

 

「なあ、取込み中すまない。初めまして、俺の名はヨハン。旅の術師だ。ところで見てくれ。俺の飯が床にぶちまけられてしまった。酒もだ。そこの男がぶつかってきたからこぼれてしまったんだ。だがそいつをふっとばしたのは彼女だろう? 個人的には両方悪いとおもう。食事代は銅貨26枚だ。とりあえずどちらかが支払ってくれないか? どちらも支払ってくれないとかなら双方に13枚ずつ支払ってもらうが。それもいやだというなら無理やり支払わせる。無理矢理だから恐らく諍いになるだろう。ひ弱な術師1人どうとでもなると思わないほうがいいぞ。俺は術師だが研究畑ではなく戦闘畑を佳く学んでいる。先日、依頼中に野盗が出たが、呪いで動けなくしたあと一人ずつ首を掻っ切った。正当な殺人なら忌避感を覚えないタイプなんだ。だから諍いが度を越し、武器を抜かれたら多分殺すと思う」

 

 ■

 

 ヨルシカは闖入者にぎょっとした。

 そしてしまった、と思った。

 そういう手合いだったか、と。

 

 状況はこうだ。

 傭兵の一人が、ヨルシカが冒険者だというのを見下してタカろうとしてきた。

 だからヨルシカはそれを拒否し、男がつかみかかってきたから跳ねのけた。

 吹き飛んだ先に店の客……ヨハンがいて、彼の食べていた料理が床へ落ちてしまった。

 

 ヨルシカもどちらかといえば短気であるせいか、男達の無礼にカッとなってしまい、ヨハンへの対応が遅れてしまったのだ。

 

 ヨハンの言う事が脅しではない事は、ヨルシカならば目を見れば分かる。

 彼女はこう見えて手練だ。

 ヨハンの目には感情がこもっていなかった。

 ただ事実だけを言っている目だ。

 

 たかが銅貨払いの料理で、ともヨルシカは思うが、ヨハンにとっては額などどうでもいい事なのだろう事は彼女にも分かる。

 

(接し方を間違えると危険だ。たかが銅貨26枚だ。私が全部支払ってもいい。というかそうしたい。彼は理由があれば人を殺しても良いと思ってる。人を殺しても仕方がない、ではなくて、良いと思ってるのだ。だから理由を作らせたくない。だが、このまま私が全て支払うと傭兵は頭に乗って私を舐めるだろう。コイツ1人に舐められる分には我慢できるかもしれないが、組みしやすしと思われたらとことんまで絡まれる。弱みにとことんつけこむ。仕事柄なのだろうな、傭兵とはそういう連中なのだ。だからこの傭兵が13枚の銅貨を支払ってくれればいいのだが……そうすれば私も支払い、丸く収まる。幾ら私でもこんな小銭で命までは賭けたくはない……)

 

 ヨルシカは悩みに悩んだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 だがヨルシカの悩みは一瞬で解決した。

 悪い方へ、だが。

 

「あァ? なんだコイツ。お前も冒険者か?」

 

「ああ。最近ヴァラクへ来たばかりだ」

 

 吹き飛ばされた男の仲間と思しき一人がヨハンへ尋ね、ヨハンは頷いてそれを肯定した。

 すると男達の表情に侮蔑の気配がちらつく。

 

「なぜ傭兵をやらない? それとも両履きか?」

 

 両履きとは、傭兵と冒険者の二足の草鞋を取るものである。とはいえヴァラクに限らず、こういう形をとる者は珍しくはない。

 〇〇兼冒険者、のような。

 冒険者一本でやっていくというのはやはり不安定が過ぎるのだ。

 

「冒険者が性に合っているんだ」

 ヨハンはそれだけを答えるに留めた。

 

「つまり根性なしってことか?」

 男はそんなことをヨハンに言う。

 それを見ていたヨルシカは表情をやや青褪める。彼女とて修羅場の1つや2つは潜ってきた。その彼女の本能が警鐘をガンガンと鳴らしている。

 

「自分ではわからないな……それで支払ってくれるんだよな? ろくに口をつけないままこの有様だから腹が減ったんだ」

 

 いまや男達はヨルシカには目もくれずに、ヨハンの方をみてニヤニヤしていた。

 

「根性なしに金を払うと思ってるのか? どうしても金が欲しいなら力づくでやってみたらどうだ?」

 今度は吹き飛んできた男が、口元に笑みを浮かべながらヨハンにそう言ってきた。

 

「割りに合わないだろう、そんな事は……。俺は何か無理なことをいったか? 台無しにした飯に使った金を返してくれと言っているだけだろう」

 

 ヨハンは心底疑問であった。

 大金が絡む話でもなし、なぜこのようなイザコザへ発展してしまっているのか、彼にはわからなかったからだ。

 まあそれはヨハンが殺すだのなんだのとのたまったからというのもあるのだが、彼は性格が殺伐しているため自身の言動が敵意を誘発する者である事に気付いていない。

 

「お前そんなに金がないのか? 確か術師だったな。貧乏術師殿、飯代にも事欠く様でかわいそうだなァおい!」

 

 男は木ジョッキについだ酒をもって、ツカツカとやってきて、それをヨハンの頭に注いだ。

 

「どうだ。銅貨50枚の酒だ。うまいだろ? これでいいか?」

 

 ヨハンは唇まで滴ってきた酒を舌で舐めとる。

 確かにこれまで飲んでいた酒より味がいいかもな、とヨハンは思うが同時に疑問が更に1つ。2つ。3つ。

 

 ──なぜ俺の頭に? 

 

 なぜ? 

 なぜ? 

 なぜ? 

 

 ヨハンは自問を続けるが、答えは得られない。

 なあ、とヨハンは男達に問いかけた。

 

「挑発しているんだよなきっと。でもわからん。なぜこんなことになっているのだろう。俺は完全な被害者じゃあないのか? なのになぜ一方的に被害をうけてそれを我慢しなければいけないのだろう。俺に落ち度があったということか? 吹き飛んできたお前をかわせなかったからいけないというのか? それとも俺が冒険者だからか? だが俺が冒険者ということでお前達になにか迷惑をかけただろうか。かけていないはずだ。俺はこの街にきたばかりだし、お前達とであったのも今日が初めてだ。なのに飯をぶちまけられ、挑発……侮辱され、我慢しろというのか? 本当に分からん、なぜこんな事になっているのか……。たかが銅貨26枚だ。はした金と言える。なのに、そんな事が理由で今俺はお前達を殺してやりたいとおもってる。なあ。剣を抜いてくれないか? お前達が先に剣を抜いて俺を殺そうとするなら、俺はお前達を殺していいということになるだろ?? 飯を台無しにされた、頭に酒をかけられた。これでお前達を殺すのは理由としては弱いんだ。過剰防衛になってしまう。それは駄目だ。物事には公平につりあっていなくてはならない。罪には正しき罰の総量というものが定められている。だから剣を抜いてくれ。抜いた瞬間、全員まとめて」

 

 

【挿絵表示】

 

 ━━縊り殺してやる

 

 

 ヨハンは懐に手を差し入れ手帳を取り出し、ぱらりと頁を捲り、そこに押してある首吊り花の花弁を一枚千切りとった。

 

 

 ■

 

 ━━もはやこれまで! 

 

 ヨルシカは察する。

 ヨハンが取り出した花、その花弁。

 術の触媒だろう。

 こんな場所で殺傷力のある術を起動させるなどイカれていると言う他はないが、事ここにいたってはプライドは捨てようと腹を据えた。

 

 ヨルシカは銭入れを取り出し青年に突き出した。小銭をかぞえている時間はない。

 馬鹿が何かやらかす前に行動しなければならないと彼女は考える。

 

(あの馬鹿の分まで払いを持つのは癪だが、彼のいう全員まとめて、の全員の部分に私もはいっているのだろうから仕方あるまい)

 

 青年はきょとんとヨルシカの顔と袋をみつめている。

 

「すまないな、詫びが遅れてしまった。私も興奮していてな。銅貨26枚だったか? それ以上はいっているとおもう。被害を与えてしまった私がかぞえるのも信用できまい。君の手で気の済む額を取って行きなよ。ああ、これはまだ使っていない布だ。よければその頭も拭くといい」

 

 そういって新品の布切れを取り出し差し出すと、青年は、ヨハンはヨルシカに礼をいって頭を拭っていた。

 

 傭兵の男達はヨハンの異様に吞まれていたようだったが、我にかえったようでまたぞろ余計な事を言おうとその口を開きかける……だが、何かを口に出す前にその後頭部にジョッキが叩きつけられた。

 

 木製のジョッキは鈍い音と共に割れ、乾いた音をたてながら床に落ちる。

 男の後ろに、周囲の者と比べても一際大柄な男が立っていた。

 その両隣には黒髪の男女。

 

「げぇッ……ラドゥ傭兵団の……ダッカドッカだッ」

 

「左剣のジョシュアに右剣のレイアまでいやがる……討伐任務から帰ってきたのか……」

 

「そういえば奴等、ラドゥ傭兵団の新入りだったか……終わったな」

 

 周囲からざわめきが起こる。

 ヨハンは“ラドゥ”という言葉を聞いて、何かを得心したように頷いた。

 その名の持ち主には1度会ってみたかったからだ。

 

 だが、とりあえず殺意は収めてラドゥ傭兵団の者達に話を聞いてみようとヨハンが声をかけようとするが、その試みは失敗に終わる。

 

 なぜなら大男……ダッカドッカが怒りの大音声で不埒な男達を打ち据えたからである。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

「誰かれ構わず噛みついてンじゃあねェ!!! てめェは野良犬か? あァ? 部下から報告をうけて飛んできたら何してやがる!!」

 

「いつも兄貴から言われてるよなァ!?」

 

 大男の蹴りが倒れた男の腹を蹴り上げる。

 ━━ガァッ……! ぐっ……う……

 

「ラドゥ傭兵団の!!!」

 呻く男の口元に蹴りがはいる。白いものが飛んだ。歯だ。

 ━━うぎっ! あ、ガ……歯、俺の……

 

「団員として恥ずかしくないように!! 常に紳士たれってよォ! 礼節と忠義を大切に!! 品行方正であれってよォ!」

 大男が男を踏みつける。何度も何度も踏みつける。

 ━━ぐっ……! ……っ……! …………

 

「なァ! 言ってるよなァ!? てめェの行いは紳士的なのか、アァ!?」

 大男はかがみ込み、男の髪の毛を掴んで床へたたきつけ始めた。

 …………

 

 先ほど狂気的な威容を見せていたヨハンもポカンと大男を見ている。

 

 

「ラドゥの兄貴の話を!! 聞いてなかったのかテメェ!! 紳士になれねェなら!! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!!」

 

 大男の血走った目が他の2人にも向けられ、大きな拳が怯える男達の鼻っつらを叩き潰す。

 

「危害を加えていいのは敵だけだ!!! 敵は殺せ!! 奪え!! そして俺達の敵を決めるのはラドゥの兄貴だけだ!! だがてめぇらは!! 誰に断わって!! ラドゥの兄貴に泥を塗るンじゃねェ!!」

 振るわれる拳、蹴り上げられる脚。

 

 男達がぴくりともしなくなり、それでもダッカドッカは振り上げた足を勢いよく倒れた男の腹へ叩き込もうとした。

 

「そこまでです、義父さん……じゃない、副団長。死んでしまいます」

 

【挿絵表示】

 

 ダッカドッカの振り下ろした足の下に黒い鞘が当てられている。

 差し出しているのは黒髪の女性であった。

 いつのまにかダッカドッカの横に佇んでいたのはラドゥ傭兵団、切り込み隊長の右剣のレイアである。

 勢いよく振り下ろされた足の勢いを、片手で差し出した鞘で完全に吸収した。

 これは術によるものではなく、剣の技術によるものだ。

 右剣のレイアの剣術は技巧の極みにある。

 

 彼女に一刀両断にされた野盗がその体を半分にしながらも、自身の死に気付かずそのまま歩こうとしたという話はヴァラクでは有名だ。

 その野盗は体が半分になっているため歩行は侭ならず、そのまま崩れ落ち、その時初めて彼は自身の死に気付いたという。

 

「……レイアッ! だがよう! こいつらは!」

 

 ダッカドッカが表情を歪ませるが、レイアは黙って顔を振った。

 “否”である。

 

「ジョシュアァ! なんとか言ってくれ! 俺ぁ、こいつらを鍛えあげなきゃなんねぇんだ……」

 

 ダッカドッカが黒髪長髪の青年に泣きつくが、青年もまた首を横にふった。

 

【挿絵表示】

 

「僕は姉さんの味方だよ、副団長。知ってるでしょう?」

 

 右剣のレイアの剣が技の極みであるなら、その双子の弟である左剣のジョシュアの剣は力の極みといえる。

 身体強化の術に長けるジョシュアはその出力を身体全体ではなく、身体の一部位に集中させるという技術を得意としていた。

 そんな彼の振るう剛剣の出力は、比喩抜きに建築物を真っ二つにする程である。

 

 まあその2人を同時に相手にして、なおも完勝するのがダッカドッカという男であるのだが、彼はどうにもこの双子には弱い。

 

 と言うのも、ヴァラクに捨てられていた双子の赤子を育て上げ、可愛がってきたのはダッカドッカだからである。

 妻と子を流行り病で一気になくし、生きる気力すらもなくしかけていた彼に捨て双子の養育を任せたラドゥは何かを見通していたのだろうか? 

 

 ともあれダッカドッカの再起は叶い、双子は彼の教育、指導の元強力極まる剣士へと育った。

 

 ちなみに彼の所属するラドゥ傭兵団はヴァラクでもかなり大きい規模の傭兵団である。

 団長のラドゥは亡国の元騎士であった。

 

 オルド王国。

 いまはすでにないその国では、騎士道精神の十全な体現者を紳士と呼んだそうだ。

 

 いずれにしても彼らは常備軍顔負けの練度を誇り、周辺諸国で戦争となれば真っ先に声がかかるような連中だ。

 

 やがてダッカドッカは荒い息をはきながらヨルシカ達の方を向いた。

 血まみれの拳。革鎧にも赤黒いものが飛び散っている。

 思わずヨルシカは身構えてしまったが、ダッカドッカは凄い勢いで頭を下げた。

 レイアとジョシュアもぺこりと頭を下げる。

 

「すまねェ!! うちの若いモンが迷惑を掛けた……やつら最近入団した連中でよォ……まだ教育が足りてなかったみてェだ。この後しっかりケジメを入れておくからよ、ここは預けてくれねぇか? そこの兄さんもよ、おっかねえ気配を出していたが、なんとかここは俺の顔を立ててくれねえか?」

 

 大男は懐に手をいれ、銭入れから何か取り出すと、ヨルシカ達の前でその大きな手を開いた。その手のひらには銀貨が10枚のっている。

 

「これで詫びになるかわからねェが、おさめてくれねェか?」

 

 ヨハンとヨルシカは目が合い、お互い何の合図もしていないのになんとなく気持ちを共有した。

 

 ヨハンは頷き、その銀貨をうけとると一枚ずつ数えて5枚を私に差し出してくる。

 

「受取ってくれ。ヨルシカだったか? あなたも彼らに迷惑をかけられていただろう。この金はその分の詫び金だ。俺の分は十分受取ったから問題ない」

 

 状況の激変に気疲れしたヨルシカは特に何を言うこともなくそれを受取り、手にもっていた自分の銭入れも懐へ仕舞う。

 

 それを見ていたダッカドッカは、近くにいた彼の部下らしきものに倒れている三人組を運び出すように指示をした。そして再びヨルシカのほうを向くと自己紹介を始めた。

 

「俺はダッカドッカだ。ラドゥ傭兵団の副団長をやっている」

 

「私はレイアと言います。ラドゥ傭兵団の切り込み隊長です」

 

「僕はジョシュア。姉さんの弟だ」

 

 1人自己紹介がおかしい者がいるが、ヨルシカとヨハンは取り合わず、自分達も名を告げた。

 

「私はヨルシカ。冒険者だ。アシャラ都市国家同盟から来た」

 

 ヨルシカはちらりヨハンを見る。

 ヨハンはヨルシカへ視線を返し、口を開いた。

 

「ヨハン。連盟の術師。旅をしながら冒険者をしている。ウルビス、イスカと移動をしてきた」

 

「おお、そうか! アシャラもイスカも行った事があるぜ! ウルビスは行った事がないけどな! ヴァラクも良い街だ。それにしても旅か、旅人ってェのはなかなかいいな! ラドゥの兄貴も諸国を遊歴したそうだ。俺も引退したらあちこちまわってみてもいいかもなァ!」

 

「ラドゥか。それは俺の知っている男でいいのかな? 重い波のラドゥ。北方の雄、オルド王国の騎士だ。オルドはもうないが、各地に散ったオルド王国の元騎士達はみな精鋭だったという」

 

 ヨルシカもラドゥの名は知っていた。

 というより西域、あるいは東域に散っていった旧オルドの騎士達は皆各所で勇名を轟かせている。

 

「む!? 兄貴をしっているのか? そうだ! そのラドゥで間違いない!」

 

「連盟の術師なら皆知っているだろうな。死人穢しの大罪人、『パワーリッチ』ラカニシュを殺したのは彼とその隊だ。ラカニシュは連盟の恥晒し。連盟は当時彼にどういった恩賞で報いるべきかと紛糾していたよ」

 

 それを聞いたダッカドッカはご機嫌よろしく、マスターに酒を頼むとヨハン達に勧めた。

 

 ■

 

 翌朝、ヨハンは全身から漂う酒精の匂いに顔をしかめながら、それはそれは素晴らしい気分で目覚めた。

 

「法を犯さず、また、俺達が報復感情を抱かない手段で俺達を殺害しようというのなら、ダッカドッカの採った策は上策といわざるを得ない。傭兵も侮れないな、そう思いませんか?」

 

 宿屋の女将にヨハンが話しかける。

 女将は頭のおかしい人間を見る目でヨハンを見ながらも、黙って水の入った木盃を手渡してきた。

 

「ありがとう。……ああ、クソ、あの大男……ヴィリと相性が良さそうだな。アイツも酒が好きだった」

 

 ヨハンは礼を言いながら生ぬるい水を一気に飲み干す。

 

「……ヴィリ?」

 

 女将の短い問いに、ヨハンは空の木盃を返してから答えた。

 

「ええ、妹みたいなものです。血は繋がっていませんが」

 

 あら、と女将がこぼす。

 そこでようやく目の前の変な事を言う青年も、自分と同じ人間だという事に気づいたような様子だった。

 

「妹さんはお酒が強いんですね」

 

 ヨハンは頷き、その目に僅かに優しさと懐郷の念のようなものが宿る。家族を想う目つきだ、と女将は思い、“妹は元気かしら。今度エル・カーラまで行ってみようかしらね”などと考えた。

 

「離れてくらしているんですか?」

 

 女将のそんな質問に、ヨハンは何か妙な勘違いをされているなと思いつつも肯定した。

 

「ええ。まあ居場所も分からないんですが。最後に会った時はいつだったか……手頃な邪教徒を見つけたから始末してくる、とは言われたのですが。まあヴィリの事だから元気でやっているでしょう」

 

 ヨハンがそういうと、女将は“あ、やっぱり変な人だった”と思い生ぬるい視線をヨハンに注ぐのだった。

 

 ■

 

 ギルドに到着したヨハンは依頼掲示板を見た。

 やはり討伐、討伐、討伐である。さまざまなモンスターが記載されているが、中でも魔狼討伐依頼が特に目立っている。

 

 これは合同討伐形式のものだ。50名まで参加ができ、そこから小隊単位に分割。それを周辺の魔狼群へぶつけ、各個撃破するというものだ。報酬は出来高でその額は悪くはない。

 

 ──だが、魔狼か。高機動、高火力、連携も抜群だ

 

 ヨハンは迷う。小隊単位といっても、その中身はパーティの寄せ集めみたいなものだろう。1人きりで参加するものは少ないと思われる。そういう場でソロというのは、場合によっては囮のように扱われることもある……と、ヨハンの心は既に魔狼討伐を敬遠していた。

 

 他に何かないものかな、とヨハンが掲示板を精査すると、“火喰い蜥蜴の生態について”という実に平和な依頼を見つけた。

 

 火喰い蜥蜴はヴァラクの近くの荒野に生息する爬虫類だ。

 大人でも体長1メートルぐらいで、赤褐色の鱗に覆われている。

 火を食べて生活している……と言われているが、実際は違う。

 ただ鱗が赤っぽいだけだ。

 しかしなぜか火を食うと誤解されており、火喰い蜥蜴が火を食うか食わないかで論争が起きたこともある。

 

「どれ……なるほど。火喰い蜥蜴が実際に火を食う姿を確認してほしい……、か。そもそも火は食わないはずだから成功する見込みはないのだが、失敗したらしたでそれでも報酬は出る……これだな」

 

 ヨハンは依頼票を剥がそうとしたが、いやまてよ、と思いとどまった。荒野で活動するという事は、魔狼との遭遇もありうるという事だからだ。

 

「魔狼討伐を避け、火喰い蜥蜴の生態調査の依頼を受け。単独で荒野にノコノコ行った俺は、運悪く魔狼の群れと遭遇し、触媒をいくつか使ってこれを撃退する……という阿呆な未来が待っていると俺の霊感が告げている……どう思う? ヨルシカ」

 

 ヨハンはいきなり後ろを向いた。

 目をまん丸く見開いたヨルシカが立っている。

 

 ・

 ・

 ・

 

「……なるほどね、確かにそれは君らしくないと思うよヨハン。君は素行は悪いけど頭は悪くないように思えるんだ。良く依頼を受ける前に気づけたね、偉いっ」

 

 ヨルシカの賞賛をヨハンは黙殺するが、二人の関係は良好だ。

 先だってのダッカドッカ開催の飲み会で親しくなった……というほどでもないが、ヨハンもヨルシカも酒で潰された仲であるので、そのあたりの経験が二人の間にちょっとした気安さを生んでいた。

 

 ■

 

「なあヨハン。君がどうしても蜥蜴を眺める事が好きでたまらないというわけではないのなら、私と組んで魔狼討伐ツアーに参加してみないかい? 報酬は折半にしよう。もちろん触媒にかかる費用を差し引いた額を折半でいい。……これは笑わないで聞いてほしいのだけど、このヴァラクに来てからなんだかソワソワしちゃってさ。厭な事が起きる気がしてならないんだ。私は……うん、ちょっと特殊な生まれで、少し勘が働くんだよ」

 

 どこか不安そうなヨルシカに、ヨハンは頷いて言った。

 

「構わない」

 

 即答だ。

 

 いいのかい? と聞いてくるヨルシカにヨハンは再度頷く。

 

「君と組む分には問題なさそうだ。剣士と術師、バランスも良い。実力も問題はないだろう。銀等級の上澄みか、それ以上か……それに……」

 

 それに? とヨルシカが促すと、ヨハンはやや情けない表情を浮かべて苦々しく言った。

 

「互いのゲロを見た仲だ。同じ依頼を受けるくらい何だというんだ」

 

 ヨハンの言葉に、ヨルシカも“うん……”と元気なく頷いた。



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合同依頼

 

移送馬車に乗っている彼らは、魔狼出没の報告が多いとされるヴァラク北西の赤砂荒野へ向かっている。

彼ら以外にも、いくつかの小隊が向かっているはずだ。

現地に着いたが何もなかったため、虚しく無駄足に終わった…そういう事も珍しくはないがしかし、彼らの場合はそんな心配は必要ないようだ。

 

なぜなら、点在する岩陰に隠れるように、獣らしき影がちらちら見えているからだ。

 

おそらくは偵察であろう。

狼は、それが魔に染まったものであっても、社会的な性質が抜けているわけではない。

 

それぞれの個体にはそれぞれの役割が割り振られている。

そして彼らは自分たちの役割に忠実だ。

そのため、はぐれということは考えにくい。

 

つまりは…

 

 

馬車からヨハンが外の一点を指差して言った。

 

「見えるか?ヨルシカ。あれは恐らく魔狼の偵察だろう。備えておけよ。相手は襲撃のタイミングを窺っているぞ」とヨハンは言った。

 

ヨルシカは目をこらして外を見た。

 

「なあヨハン、魔狼というのは森狼などとはどう違うんだ?いや、資料などは読み込んだが、イマイチ実感がわかなくてね」

 

ヨルシカの質問にヨハンは少し長くなると前置きして口を開いた。

その口元にはなにか本人でも自覚しない程度の喜色が滲んでいる。

彼は術師だし知識を披露するのが楽しいのだろうな、とヨルシカは思い、ヨハンの言葉に耳を澄ませた。

 

「取り込んだ魔力にもよるが、個体差が非常に大きい。森狼も個体差はあるだろうが、その比ではない。ヨルシカ、君は剣をつかっていいものとして、その剣技を持たない6歳になったばかりの子供と戦って殺せるか?君を侮辱しているわけではない。つまり、そういうことだよ。ピンの魔狼とキリの魔狼では、それほどの差があるということだ。強力な個体はとことん強力だ。有名な例では、200年前に存在が確認された月魔狼フェンリークだろうな。月神の加護を受けたとされるその個体は、眷属を引き連れ、7つの街と15の村を滅ぼしたとされている。まあそこまで強大な個体は滅多にいないだろうがね... とはいえ、油断はしないことだ」

 

魔狼とはそこまで厄介なのか…とヨルシカは慄然とする。

ただ、ヨハンの表情はどこか悪戯めいている。

 

きっと油断をしないように警告しているのだろう。

ヨルシカは「脅かさないでくれよ…」とボヤいたが、ヨハンとしては油断するよりは警戒してくれるのならば、それに越したことはない。

 

「注意すべき点はあるかい?」とヨルシカが真剣な表情でヨハンに尋ねた。

 

ヨハンは頷いた。

 

「連中が襲ってきた場合、容易く殺せると思ったならば深追いはするな。罠の確率が高い。逆に、今攻め込むのは難しいと思ったなら踏み込め。一頭で襲いかかってきた場合、それは誘いだ。誘引されるなよ。追っていった先には十中ハ九群れが待ち構えているぞ」とヨハンは言った。

 

しかし、一番大事なのは、とヨハンは続けた。

 

「ナメられないことだ。ビビるな。君に絡んでいた傭兵共と同じだ。弱味をみせればカサにかかってくるぞ。心理的優勢を取られると厄介だ。殺れるときは出来るだけ無残に殺せ。目玉を剣の切っ先で抉りだし、首を搔っ切って引き千切ってしまえ。君が恐ろしい存在だとやつらに知らしめるんだ。そうすることで連中の足は竦み、得意の機動力には翳りが出るだろう。食いついてくる牙には迷いが混じる。そうなればもはや魔狼ではない、ただの野良犬だ」

 

 

この青年はどこか物騒な雰囲気が漂っている、とヨルシカは思った。

 

さりげなく周囲を見渡せば、他の冒険者たちは、引いた様子はあるものの、口出しはしていない。

もし誤った情報があれば、それは小隊の命に関わることなので、すぐに口出しするだろうとヨルシカは考える。

 

ヨハンの言っていることは正しい。

魔獣の類を相手取る時は、概ね気勢で優越されないことが肝要である。

 

ヨルシカ自身、銀等級でも上位の冒険者であるため魔獣を相手にするのは初めてではない。

しかし魔狼は初めてであったのでやや気負うものがあったことは否めなかった。

 

「無残に殺せ」というヨハンの言葉に、ヨルシカ苦笑を浮かべながらも“やるだけやってみよう”と腹を括る。

 

そして、時を置かずにヨルシカは自身の肌に刺すような殺気を感じた。それは人間のものではなく、もっと荒々しいものだった。

 

ヨハンが言う通り、襲撃が近づいているようだ。周囲の冒険者たちも、刺々しい雰囲気を漂わせている。

隊全体の雰囲気が臨戦のそれにかわる。

それはまるで、毒性を持つ生物が危険を察知し体色を瞬時に変容させるような光景を想起させるものだった。

 

馬車が停止する。

冒険者でもある御者が交戦の場をそこに決めたということだ。岩や木も少なく、地の面も荒れていなかった。

 

皆が馬車から降りる中、ヨハンがヨルシカの横に立って言う。

 

「来るぞ」



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会敵

 ◆

 

「正面から1匹。左右からそれぞれ2匹。周り込んでいるのが3匹だ」

 

 ヨハンは周囲の者たちに向かって言った。

 

 正面から来るものは、派手な動きとともに唸り声や威嚇を交えながら迫る。

 ヨハンは左右に素早く目を配った。

 大回りに走りこむ影。

 

(正面は囮か。この相手はスラムのチンピラよりも賢そうだ)

 

 他の冒険者達も魔狼の意図を見抜いたようで、忌々しげに鼻を鳴らすもの、不敵な笑みを浮かべているもの、無表情のまま獲物を構えて待ち構えているものと様々な様子で佇んでいた。

 

 ヨルシカは剣を抜いた。

 細剣だ。

 軽快で素早いが脆い。

 魔狼の皮を突き通せるだろうか?

 

 ヨハンはやや疑念を抱いたが、次の瞬間にその疑念は消えた。正面から来る魔狼の踏み込みは浅く、おそらくは軽く牽制するつもりだったのだろう。しかしヨルシカは魔狼の浅い踏み込みを深く踏み込み、細剣を前へ投げ出すように軽く突き入れた。

 

 剣は魔狼の左眼を抉り、素早く引き戻された切っ先には貫かれた目玉が残った。ヨルシカは悶える魔狼に冷笑を浮かべ、引き抜いた目玉を踏み潰していた。

 

 ――お見事。残酷で強い冒険者の鑑だな

 

 ヨハンは心中でヨルシカに賞賛を捧げる。

 

 左右、そして後ろから回り込んでいた魔狼の足並みが乱れた。

 

 ここだ、とヨハンの霊感が囁く。

 

 ヨハンは手帳を取り出し、一輪の黄色蓬菊を左手の甲に置き、右手の人差し指と中指で押さえた。

 

 それはとある小国同士の小競り合いの跡地の土で育てた黄色い花だ。たいした規模の戦場ではないが、この数ならこの触媒で十分だとヨハンは思う。

 

 

 ◆

 

「加護を使う。身体能力向上、30秒」

 

 ヨハンが短く告げると周囲の冒険者たちは頷いた。

 余計な質問がないのはやりやすくて良いと思いながら、ヨハンは取り出した触媒を万力を込めて握り締めた。

 

 ヨハンは両眼を大きく見開き、総身に戦気を漲らせた。

 握り締めた手からは血が滴っており、触媒を鮮血で濡らす。

 血に濡れた拳をヨハンは眼前に掲げ、静かに呪言を唱えた。

 

 宣戦布告の加護。

 

 ――飛沫けよ血潮。いくさ火の、けぶる灰煙を仇に供ふ

 

 滴る血が熱され蒸気があがり、それが空気に溶け拡散し、その場の者達に染み入り肉体と魂魄を賦活する。

 

 これは30秒に限り、加護の対象者の戦意や身体能力、思考能力の全てを、その者の最も良い時期の状態へ引き上げるというやや特殊な加護だ。

 

 何もかもがうまくいく、自分にならやれるという万能感を感じる黄金の時が誰にでもある。

 この加護はその黄金の時を僅かな時間だけ取り戻すことができる。

 

 万能感に酔わせ狂戦士に仕立てるわけではなく、攻め際も退き際も、本人にできる限りの最善を尽くせる状態へ引き上げる。心も体も全てが完璧に仕上がった状態というのは人生でもそうあることではない。

 

 黄色蓬菊の花言葉は『あなたとの戦いを宣言します』というものである。

 

 ■

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 ヨハンが術を使ったと思えば、急に視界が広くなる。

 頭が冷たいような、あるいは熱されているような。

 宙を舞う埃、砂粒の1つ1つまで認識できるような。

 魔物との殺し合いだというのに、恐れは感じない。不安も感じない。

 

 自分の体をどこをどう動かせばどんな結果が生じるかが分かる。

 

 私は後方へ駆け出した。

 まわりこんできた魔狼を迎撃するのだ。

 

 見れば、同じ小隊の冒険者達も駆け出している。

 まるで疾風のような速さだ。

 

 槍を構えた中年の男が魔狼に向けて突きを放つ。

 一撃ではない、一呼吸のうちに三段突き…いや、四段突き!

 引き槍の手が見えないほど素早く、中年の男は魔狼を葬り去っていた。

 中年男は自分の手で成したことであるはずなのに、眼をむいて驚いている。

 

 他の者も似たようなものだ。

 

 稲妻のような切返しで多段斬りを放つ男は魔狼を斬殺ではなく惨殺していた。魔狼のバラバラになった頭、手、足。血の匂いがあたりに広がるが、その匂いは戦意をことさらに増大させる。

 

 両の手の得物をまるで生き物のようにうねり、くねらせ、まるで舞のように振るう女がその動きを止めると、その瞬間に魔狼は全身から血を噴き出していた。

 

 私も術師からの身体能力向上の加護を受けたことがあるが、これはそういうものではない。

 身体能力向上は、あくまで身体能力のみが向上するのだ。

 上昇した能力に振りまわされることだって多々ある。

 最悪、能力は上昇したはずなのに弱くなってしまうことだってあるのだ。

 

 だがヨハンのそれは違う。

 手足が完全に自分の意のままに動く。

 自分はこうあるべきだ、こうありたいという動きが思うがままに出来る。

 

 今もそう。

 魔狼が体勢低く突っ込んでくるのを酷く冷静に見ている自分がいる。

 魔狼の目線、力の入れ方、空気の流れは次に自分がどう動くべきかを教えてくれる。

 

 私は剣を宙へ差し出す。

 そして魔狼は、その剣の切っ先に心の臓を貫かれて死んだ。

 剣をそこへ置いておけば、奴が飛び込んでくるとなんとなく分かったからだ。

 

 それぞれの冒険者がそれぞれ魔狼と対峙して、そのすべてを鎧袖一触に葬り去った。魔狼とはこんなものか?森狼のほうがよほど手強いのではないか?

 

 私がそう思っていると、不意に体がなんとなく重くなり、いや、元に戻り、それまで感じていた万能感は溶けてきえてしまっていた。

 体調が悪くなったというわけではない、

 だが、もう同じ事はできないだろうという予感があった。

 

「30秒たった。残敵もなし。お疲れ様」

 

 ヨハンが言う。

 魔狼狩りはまるで弱った野良犬を駆逐するかのようにあっけなく終わってしまった。

 

 ◆

 

 一行はギルドに帰還した。手際よく片付けた結果、彼らは討伐隊の内で帰還が一番早かった。

 ヨハンとヨルシカはギルドで少し話して、また機会があれば一緒にいこうと口約束をして解散した。

 

 ヨハンはそれなりの触媒を使ったが、その費用は報酬からまかなえたため、最終的には黒字になった。

 トラブルもない。

 誰もが自分の仕事を過不足なくしていたためだ。

 

 ともあれ無事に帰れてよかった、とヨハンは寝床に横になりながら考え、そしていつの間にか眠ってしまった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 夢の中、ヨハンはどこかの部屋の中にいた。

 

 広々とした部屋に大きなソファが置かれている。窓際には鉢植えが並んでおり、風もないのに葉がそよぎ、やさしい音色を奏でている。

 

 ドアを叩く音がして、ヨハンは扉の方へ歩いていき、それを開いた。

 

 途端に冷たい風が入り込んでくる。

 しかしその寒風はまるで“目を覚ませ”と言っているような気配を風中に漂わせていた。

 

 ――この風は、北に吹く風

 

 ■

 

 翌日、目覚めたヨハンは昨晩みた夢について思案を巡らせた。

 

「警告。忠告。…そんな感じでは無かったが」

 

 まあいいか、とギルドへ向かった。

 騒がしいが朝のギルドなんてそんなものだろうと依頼掲示板を眺めているヨハンの肩が叩かれる。

 

 振り向けばヨルシカが笑顔で立っていた。

 表情は柔らかいが、瞳には懸念の色がさざめいている。

 

「やあ、ヨハン。おはよう。ところで聞いたかい?昨日結局帰還したのは私達ふくめて4部隊だけだったそうだ。9部隊中の4部隊だ」

 

 朝一番で聞くにしては余り明るい知らせではないな、とヨハンは思った。

 

 もう一つ。

 

 今朝までは特に厭な予感はなかったのだが、ヨルシカと顔を合わせたヨハンは何かピースが嵌る音がしたような気がした。

 

 



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異変

 

ヨハンはほんの僅かな時間で家族友人恋人が事故で死に、また。自分自身も不治の病であると宣告されるかもしれない…というような顔をしながら言った。

 

「どう考えても厄ネタだ。絶対関わらない。関わりたくない。どうもここ最近の俺の星の巡りは余りよくない気がする」

 

ヨルシカは苦笑しながらヨハンの肩を叩きながら言った。

共に依頼を魔狼を血祭りにあげたゆえだろうか、その振る舞いには若干の馴れ馴れしさがある。

 

「…まあ君が逃げたくなる気持ちは分かるけれどさ。ねえ、もしかして君があの時、月魔狼がどうとか話したからじゃないのかい…?その凄く強い魔狼が現れた…とか?ほら、そういうのあるじゃないか。絶対にあってほしくないことが、口に出してしまったばっかりに…みたいなの」

 

ヨルシカがヨハンに言うと、ヨハンは眼をカッと見開いて地面に唾を吐いた。

 

汚いな、とヨルシカが苦情を言うが、ヨハンには唾棄すべき事を聞いた時には地面に唾を吐き捨てるというポリシーがある。

 

「馬鹿な!そんな非現実的なことがあるわけがないだろう。ヨルシカはもっと現実を生きるべきだ…いいか?月魔狼フェンリークは200年前に討伐されている。昼は姿をくらまし、夜にしか行動せず、月の出ている夜は不死であった月魔狼だったが、新月の夜にロード・アリクス…遥か東方、後のアリクス王国の初代国王が諸国を遊歴中に討たれているんだ。かの大狼ほどの大物はもう現れないだろう」

 

ヨハンはヨルシカに説明するが、当のヨルシカはフゥン、と胡乱気だった。

 

その態度を不服に思ったか、ヨハンはやや表情を引き締める。

まるで親が子供に怖い話を聞かせる時のような表情だ。

 

「いざという時は覚悟しておくことだ。これはまずい、とこのヴァラクから脱出するとしても…」

 

「…するとしても?」

ヨルシカが尋ねた。

 

「移動には馬車なりを使うとしても、どうあがいたって周辺の地域を抜けないとならないだろ?空を飛べるわけではないんだ」

 

ヨハンが言い、ヨルシカが頷いた。

 

「…ああ、なるほどね…。もしヴァラク周辺が危険地帯と化しているなら、私達も巻き込まれる可能性があるってことか…」

 

「その通りだ。いくつかの小隊にわけ各所へ同時に散った、その小隊が複数未帰還ということは、街周辺が危険な状態にあるということだ。帰還の小隊がそれぞれどのあたりを探索していたか、は今更参考にはなるまい。何が潜んでいるかは知らんが、それだって移動くらいはするだろうからな…」

 

「…それって、最悪じゃないか」

ヨルシカが辟易した様子で項垂れた。

 

だがヨハンの追撃は止まない。

 

「そうだな。そして考えられる最悪のケースは、なにがしかの脅威が街周辺に潜んでいるとして、それがこの街の実力者でも到底敵わない存在で、そんなものがいたら流通はどうなると思う?当然止まる。商人はヴァラクへ入る事が出来ず、この街は徐々に枯渇していく。ヴァラクは傭兵産業が盛んだ。自給自足率はそう高くはない。まあ近隣に森などはあるが、そもそもヴァラクから出ることそのものが危険なら、森があろうが湖があろうが同じことだ。街は渇き、飢え、治安は悪化し、そうなれば暴動がおき、血で血を洗うような内戦状態となるだろう。親は子を殺して喰い、子は親の血をすするような事態になる。飢えは人を狂わせるからな。しかもこの街には傭兵団が多く存在するんだ。戦を生業にした連中が相争う戦場に巻き込まれたら無事ではすまないだろう」

 

ヨハンはとても嬉しそうにヨルシカを脅しつけた。

ただ、彼の言う事はそこまで的を外れたものではない。

 

「話が長い!長いし怖いよ、でも言いたいことは分かるよ。じゃあどうすれば良いと思う?ヨハン、君ならどうする?」

 

ヨルシカは彼に尋ねた。

よく聞いてくれた、とヨハンはヨルシカに邪悪な笑みを向ける。

 

「カナリ鳥作戦だ。鉱山などでカナリ鳥を飛ばすだろう?有毒な気体はないかとか息を吸うことは出来るかの確認のために。それと同じことをする。死刑囚なり、あるいは死んでも良さそうな犯罪者なりを飛ばして」

 

ヨハンの不穏な提案をヨルシカは遮る。

 

「大丈夫、いいたいことはわかったよ…普通の方法はないのかい?」

 

話を遮られた事にヨハンは不服そうにしながら、しかし小首をかしげて質問に答える。

 

「…そうだな、今の段階では調査が必要だな。そもそも脅威が何なのかもわかっていないからな。とはいえ、そのへんはギルドが調査部隊を派遣するだろうさ。場合によってはヴァラクの街を仕切っている連中も重い腰を動かすかもしれない。だから今は様子を見るほうがいい。そして、街の外に出るような依頼は受けないことだ。俺がとっととヴァラクから逃げ出さないのもそういう理由だよ」

 

ヨハンはそう言いながら依頼掲示板を見た。目当てのものを見つける。酒場の水樽への補充だ。

 

「術師の特権だな。俺は平和を愛する男だからこういう依頼が好きなんだよ」

 

そんなことを言いながら依頼票を剥がすヨハン。

 

「…君が平和を愛しているようには見えないけれど、まあ私も大人しくしてようかな…」

 

ヨルシカはそんな彼に胡乱な視線を注ぎながら元気がなさそうにボヤいた。まあ街が不穏な空気に包まれている、今後もヤバい事があるかもしれないとあっては、元気なほうがおかしいくらいだが。

 

そんなヨルシカの言にヨハンは頷いた。

 

「それがいい。まあお互いなにか分かれば共有しよう」

 

ヨルシカは心なしか肩を落としてギルドを出て行き、ヨハンもギルドにそれ以上用事はないので酒場へと向かった。

 

 

その夜。

 

無事に水の補充も終わり、ヨハンは酒場の主人からもらった燻製肉をかじりながら木窓を開けて星を眺めていた。

 

「それにしても行く先々で何かしらあるな。東方では災厄を引き寄せる魔剣だとかがあるそうだが、何かそういう曰くつきのものでも拾ってしまったのだろうか?」

 

そして翌朝。

 

(今日も水補充しよう。危険は最小限に。得られる利益は多少黒が出る程度でいい。冒険者は堅実でなければならない)

 

冒険者としては余りに弱気な誓いを立てつつ、ヨハンはギルドへ向かった。

 

 

「…というわけで、ラドゥ傭兵団の皆さんと協働して頂き、冒険者未帰還の原因を突き止めて頂きたいと考えているのです。事態は冒険者未帰還だけに留まりません。今朝方到着予定の商隊までもがまだ到着していないのです。我々冒険者ギルドは最悪の事態を想定し…」

 

ヨハンは踵を返した。

1日働いたのだから、1日休む。

それがあるべき形だからだ。

しかし、踵を返す前に彼を呼び止める声があった。

 

「おお!兄さんはヨハンか!この前の魔狼討伐の帰還部隊にいたそうだな!」

 

声をかけてきたのはダッカドッカだった。

その両脇には眉目秀麗な2人の剣士…ジョシュアとレイア。

 

 

「ラドゥの兄貴も今回の件は重くみてンだよ!肌がヒリつくらしいぜ。いまは冒険者ギルドのお偉いさんと話しているとこだ!ヨハン、あんたのことも兄貴に紹介しなきゃァな!兄貴にアンタの事を伝えたらよ!是非力を貸してほしいって言ってたぜ!」

 

それを聞いてしまうとヨハンとしては固辞することもできない。

冒険者ギルドを介してならば助力を拒む事はできる。

だが直接的に頼まれればヨハンにそれを断る事はできない。

ヨハンの気質が許さないのだ。

 

(ラドゥは連盟の恩人のようなものだからなぁ)

 

「分かった。行こう。必要なら助力する」

 

 



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ラドゥ

 ◆

 

 階上から降りてくる偉丈夫を見たヨハンは、それがラドゥその人であることを即座に理解した。

 

 人となりなぞ目をみれば分かる。

 その中年男の瞳は理知的な光をたたえ、かつての騎士としての誇りと、現在の自分への自責の念とが混じりあった複雑な色をしていた。

 

(オルドが滅びたのは彼のせいではあるまいに)

 

 ヨハンはそう思い、同時に羞恥にも似た感情を覚えた。オルド王国を滅ぼしたのはヨハンのかつての同胞だからだ。

 

 ──“パワー・リッチ”ラカニシュ

 

 連盟術師2名をその身の内に取り込んだ男はオルド騎士団、及びレグナム西域帝国の討伐軍の合同軍と相打った。

 

 帝国としてはオルドを吸収するのにちょうどよかった…とは一言では言えまい。

 結局オルド騎士団と帝国の討伐軍ではラカニシュを討伐することができなかったのだから。

 

 彼らはラカニシュに封印を施し、大きな地脈が流れている北方領域に封印した。

 

 ヨハンを含む“連盟”の術師達は、再びラカニシュが復活したならば今度こそ“家族”の手で引導を渡してやりたいと思っている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 全身からほとばしる精気により、ラドゥの白髪はまるで銀髪に見えるほどに色艶があった。

 

 ヨハンもこういう風に年を取りたいと思い、膝をつく。

 彼らしくもない態度だと、ヨハンを余り知らない者は言うだろう。

 だがヨハンを知るものならば、というより…連盟を知る者ならば、連盟の術師がオルドの騎士へ一定の敬意を払うのは不思議ではない事だった。

 

「連盟の友。サー・ラドゥ。拝謁できて光栄です。仮初の永遠に魅入られ、我らが同胞を貪りし忌なる魂喰らいを屠った偉業。我々はその恩を決して忘れません。此度のヴァラクの危機、微力ながらこの私も杖を合わせましょう」

 

 ◆

 

 ヨハンの態度に真っ先にダッカドッカが喚いた。

 

「おいおい!ヨハン!いきなりどうしたァ!?確かに兄貴は凄ぇ人だけどよ!」

 

 凄くうるさいダッカドッカの事はヨハンに黙殺される。だが、その場の傭兵達もまたヨハンの態度にはいぶかしげな視線を向けていた。

 

「…“連盟”の外道術師にしては殊勝じゃないか」

 

 “左剣”のジョシュアがヨハンに言い捨てた。それを聞いたヨハンは、顔だけジョシュアの方を向いて言う。

 

「口を慎め。俺が頭を下げているのはラドゥであってお前らじゃあない。だからお前がその言葉を吐くのは不適切だな…」

 

 ヨハンの言葉に、ジョシュアは倦んだ目で“慎まなかったら?”と尋ねた。

 左手は腰に当てられている。

 

 ヨハンは俯き、次の瞬間。

 ジョシュアがその場から跳ね、後方へ飛んだ。

 

 ジョシュアの表情が険しく歪み、さっきまで立っていた場所を睨みつけ、ついでやはり膝をついたままのヨハンを睨みつけた。

 

「…貴様」

 

 ジョシュアの低い声には多分な殺気が込められている。

 

 そんなジョシュアにヨハンは口元だけで嗤いながら言った。

 

「どうした?脚が引き千切られるとでも思ったか?突然植物のツタが床をぶち抜いて、お前の脚に絡みついたりする幻でも視たのかい?」

 

 ひゅう、と誰かが口笛を吹いた。

 

 ──やれやれ!この距離で剣士とやりあって勝てると思ってやがるぞ!

 

 ──殺し合いはまずいな、お前ら!素手で殴りあえよ!

 

 ──おいおい、術師サマには分が悪すぎねえか?

 

 傭兵たちが二人をはやしたて、ラドゥも何も言わない。ダッカドッカに至っては自分も混ざりたそうにしている始末だ。

 “右剣”のレイアだけは呆れた様子で二人を眺め、そして口を出した。

 

「ジョシュア、先にアナタから挑発した癖に、貴様…じゃないわよ。彼は別に入団希望者というわけではないのだから、試しなんか不要だわ。“連盟”の術師を名乗っただけである程度保証されているようなものよ。連盟を騙った者がどうなるかくらいは有名な話だから知ってるでしょう?…ヨハンさん、弟がごめんなさいね」

 

 レイアに取りなされたヨハンは頷くが、その立ち居振る舞いから感じるものは、弟の方よりも一枚、二枚は上だろうという予感だった。

 

(準備もなしに真っ当に殺りあえば敢え無く殺されるだろうな)

 

「あら、戦力評価?」

 

「ああ。サー・ラドゥの力量に不服はないが…他の者たちの事は知らないものでね…だが、少なくとも君とは正面からはやりあいたくはないな」

 

 それを聞いたレイアは目の端に少しばかり挑発の色を浮かべて言った。

 

「ふうん、じゃあ何でもありならどちらが勝つかしら」

 

 レイアがそう問うと、ヨハンは他意を感じさせない様子で答える。

 

「俺だ。サー・ラドゥを含め、何でもありならこの場の者たちを一鐘音以内に皆殺しにできる……少し言い過ぎたな。準備をさせてくれれば、と付け加えさせてくれ」

 

 ◆

 

 その場の空気がどろりと変質する。

 ラドゥ傭兵団の団員達は自分達の事ならなんと言われようが我慢…できるとはかぎらないが、しろと言われればできる。

 

 だが、彼らが敬意を向けるラドゥを軽侮されたとあっては話が別だった。

 友好的だったレイアまでもがピリピリとした雰囲気へと変じている。

 

 ──ひ、ひひ。そうかい?なら、試してみるかい?

 

 ヨハンの背後からかすれた声が聞こえた。

 

 “カジャの兄貴!”と誰かが叫び、ヨハンはその時初めて背後に誰かが立っている事に気づいた。

 

「カジャ…“背虫”のカジャか」

 

 斥候、それも上級斥候と呼ばれる者たちは凄腕の暗殺者と同一視される。

 そんな彼らに背後を取られると言う事ほど剣呑な事は余りない。

 

 だがヨハンは構わず、ラドゥを正面から視た。睨みつけているのとは違う、しかし視線には不可視の力が込められている。

 

 それを真正面から受け止めたラドゥは薄い笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「言うじゃないか。だが若い者はそうでなくてはな。ところで、連盟の術師なら杖に名を戴いているだろう?命を預けあう事になるのだ。教えてくれないか?」

 

 ラドゥの問いかけに、ヨハンはゆっくりと立ち上がり、懐に手を差し入れる。

 その振る舞いにそれまでにぎやかだった周囲の傭兵たちが静まりかえった。

 

 臨戦態勢すれすれの戦気を放出する傭兵たち、カジャは物理的な殺傷力を持ったかと錯覚するほどの殺気をヨハンの背にぶつけている。

 

 そんな中で、ヨハンはゆるりと懐から何かを引き抜いた。それは…

 

「…花?」

 

 レイアがぽつりと呟いた。

 ヨハンが取り出したものは淡い紫色の花弁だった。

 

 人差し指と中指で優しくつままれた花弁は、ひらりひらりと宙を舞いながら床に落ちる。

 

 宙を舞う花びらを注視し、追うのは案外に難しいのだが、その場の者たちは僅かな時間花弁に気を取られ、動きを追い、そして気づく。

 

 宙を舞う花弁がみるみるうちに枯れていく事に。

 瞬間、その場者たちはヨハンに対する敵対心がふっと晴れたように感じられた。

 

「極東からわたってきた植物でしてね、グィボシといいます。花言葉は“落ち着き”。今この場に必要なものでは?…そして、杖の銘は見ての通り。我が銘は"枯花"(かればな)…私は…俺は、これまで色々な者達から喧嘩を売られてきた。剣士、魔術師、斥侯、チンピラ、貴族、魔族、悪魔。しかし最期は皆枯れていったのです」

 

 剣士と口に出した所でヨハンが横目でジョシュアを見た。

 ぴくり、とジョシュアの頬がひくつく。

 沈静化した敵愾心が再び燃え上がったかのようだった。

 

 それを見てラドゥは苦笑する。

 

「物騒な銘だ。しかし今はそれが頼もしい。所であの一瞬で全員に術をかけたのか?危険な真似をするものだ。銘に違わぬ術師の様だな。よし、手を借りよう。調査隊を編成する。三方へ。私、ダッカドッカがそれぞれ一隊を率いる。君は最後の一隊を率い北へ向かえ」

 

 ラドゥはギルドの受付嬢から地図を手渡されると、それを広げ地図の一点を指し示す。

 

「北西の赤砂荒野から北東を流れる失せ川まで洗ってくれ。危険があれば対処。対処できねば撤退。情報を持ち帰る事を優先してくれ。出発は明朝。一の鐘の後すぐに」

 

 そして、とラドゥはつづけた。

 

「優先順位は情報、命。君は極力生き残る事。だが君の命を使わざるを得ない時は、手段を選ばず脅威へ痛打を与えよ。最悪土地が死んでも構わん。調査が完了し、脅威への対処が済んだ時は報酬を出す。満月草の夜露に三晩浸した処女の側髪でいいか。女の方は既に殺されてしまっていたが」

 

 ヨハンは頷いた。

 報酬に不服はない。

 

「話が早くて助かる。よし。ダッカドッカ! 後の仔細は任せる。私は町長殿の元へいく」

 

 それじゃあな、と手を振りさっていくラドゥを見送ると、ダッカドッカがドスドスと駆け寄ってくる。

 

 バンバンバン! と背中や肩を叩いてくる巨漢に辟易しながら、ヨハンたちは調査隊の振り分けを進めていく。

 振り分けだけではなく、物資の調達なども人を走らせ、あれやこれやと片付けていった。

 

 ダッカドッカは意外にも細やかな調整なども得意のようで、ヨハンは少し驚かされた。

 

 (チンピラを半殺しにしながら紳士紳士と叫ぶ得たいの知れない男だったのだが、さすがに有力な傭兵団の副団長を任されるだけはあるか)

 

 

 ■

 

 夜半。

 

 振り分け諸々が済み、一同は解散した。

 宿への帰路、ヨハンは酒場の明かりに目を奪われるが後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、そのまま帰った。

 ヨハンは基本的に受けた依頼には忠実でありたいとおもっているので、"仕事"の前日に酒を飲んだり女を買ったりする事はしないのだ。まぁ、基本的には、だが。 

 

 

 夜が更け、ヨハンはぐっすりと眠り込む。

 ──その夜、ヨハンは赤い月が中天を煌々と照らしている夢をみた

 



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調査隊

 ■

 

 夜明けが訪れ、未だ一の鐘が鳴る前の静寂な空気が漂う中、ヨハンは朝食に向かった。薄暗い光の中、パン、スープ、果実汁が豪勢に盛られたテーブルに腰を下ろすと、彼は街の厳しい状況を思い巡らせていた。食事の味わいは期待には程遠いものであったが、少なくとも食糧供給には困っていない様子だった。しかし、未だ商隊が到着しない理由は謎のままだった。

 

 商隊が何らかのトラブルに見舞われ、遅れているだけであれば、今朝にでも到着する可能性があるだろう。食事を終えた後、ヨハンはやや重々しい気持ちでギルドへと足を運んだ。

 

 しかしながら、ギルドでの情報収集も何の成果も得られなかった。一の鐘が鳴る直前に到着したヨハンは、受付嬢に情報を聞いたが、未帰還の冒険者たちもまだ戻ってきていないという。

 

 やがて、ラドゥたちもギルドに集まり、彼は冷静かつ重厚な口調で任務の概要を説明した。

「今回の任務は調査だ。未帰還冒険者の所在、顛末、そして商隊が到着しなかった理由を探る」

 

 ラドゥは冒険者たちに対し、探索・調査の際には彼らに先んじて奮闘し、必要に応じて情報を持ち帰ることを優先するよう命じた。彼の言葉に、荒くれ者たちも一時的に兵隊のような覚悟を見せた。オルドの騎士が敵に回すべきではないと言われているだけはある。

 

「撤退できないほどに負傷したものは肉の壁となり他の者を逃がせ。私もそうする。指揮系統は崩すな。上職が死んだならば、次席が指揮を執ること。各隊は準備が出来次第出発だ。魔針は持ったな?暗くなる前には成果に関わりなく撤退だ。よし、行け!」

 

 ラドゥの力強い声に応えるように、野太い声が朝焼けの空に幾度も響いた。ヨハンも、仲間たちとともに出発の準備を整えた。

 

 ■

 

 朝日が徐々に街を照らし始める中、冒険者たちは各々のグループに分かれ、任務へと向かった。ヨハンたちは、荒涼とした大地を進むこととなる。彼らの目的は、未帰還の冒険者たちと商隊の謎を解き明かすこと。その場には緊張感を帯びた空気が漂っていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ラドゥからの話が伝わっているだろうと、ヨハンは改めて自己紹介を始めた。「ヨハンだ。今回は冒険者としてではなく、連盟の術師として参加しているつもりだ。お前たちもそのつもりでいてくれ」

 

 男たちは無言だったが、彼らの目に反発心は見えなかった。

 ラドゥ傭兵団の団員は平時ならともかく、こういう場で文句を垂れるほどの素人ではない。

 

「では出発」

 

 

 ■

 

 馬車隊のルートは北西から北東へ、半円を描くように進んでいた。ヨハンは手帳をぺらぺらとめくり、押し花…触媒を確認していた。杖などはない。

 ヨハンは杖などを持たず、自身の精神を魔術の起動具としている珍しいタイプの魔術師だった。

 

 魔術師が杖やその他の術の起動具を所持する理由は、さまざまな背景がある。

 

 杖は力強い風が古木の枝を揺らすように魔術師の魔力を増幅させ、一つの方向へ導く役割を果たす

 杖といった起動具は、魔力というとりとめのない不定なエネルギーを、特定の事象の発現という結果に向けて導く。

 

 微かな灯火が闇夜を照らすように、杖を用いることで魔法の発動が安定し、失敗のリスクが薄れるのだ。

 

 また杖や魔法具は、高貴な血筋を示す家紋のごとく、魔術師の身分や地位を示す象徴としても機能する事もある。その独特な杖や魔法具は魔術師の力や技量を示すものであり、見る者に対してその地位を瞬時に認識させることができる。

 

 これはいわゆるマウント行為なのだが、魔術師にとって相手より心理的に優越するというのは非常に大きな効果を持つ。

 

 例えば大きく力量がかけ離れた二人の魔術師A(大)、B(小)がいたとして、しかしAの認識がBよりも格下というものであるならば、実際の力量がかけなはれていたとしても、術を比べあえば伯仲するだろう。魔術師にとって自身の精神的な在り方というのは非常に重要なファクターである。

 

 しかしヨハンの様に自身の精神に強固な自信を持つ者は、起動具を所持しないということもままある。だがそんな彼らとて触媒は必要だった。

 

 数多の触媒は時に乱雑に魔術師の鞄などに納められ、危急の際に適切に取り出す事が出来ずに死ぬということがままある。整理整頓ができなかったために死ぬ術師がいるのだ…──それも沢山!

 

 ちなみにこの情けない死に方は、術師の死に方の中でもトップ5に入るほど多い。

 

 ◆

 

 

(それにしても何も起こらない。ある程度覚悟はしてきたつもりだが、不穏な気配もない。不穏な気配がない…それ自体が不穏だ)

 

 ヨハンの心には、彼が歩む道の先々に漂う仄かな不穏さが、暗雲が空を覆うように重く横たわっていた。

 

 調査が進む中、彼は魔獣一匹すら現れない異常事態に、心の奥底で疑念が渦巻いていた。

 

 見えない敵に対する不安が、ひそかに蠢く影のように忍び寄ってくる。ヨハンは無言でその先の闇を見据え、続く道に立ちはだかるであろう困難に備えていた。

 

 結局、馬車隊は半円の軌道の8割まで進んでしまった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 調査隊の一行の前方に失せ川が見えてきた。それは季節によって現れたり消えたりする川だ。雨期と乾季によって変わる。そういう類の川はヴァラク周辺だけでなく、各地に存在している。休憩にはちょうど良い場所だろう。

 

「大休憩を取る」とヨハンが言うと、彼らは迅速に休憩の準備と警戒要員の振り分けを行っていった。ラドゥ傭兵団の練度の高さは、ラドゥが軍隊のように厳しく仕込んでいるからだと言われている。ダッカドッカもそんな話をしていた。

 

 ヨハンの経験上、このような気の緩みが一番魔物を引き寄せるものなのだが、油断をするな、と声をかける必要はなかった。彼らが十分すぎるほどに警戒しているのはよくわかるからだ。

 

 しかし休憩中にも何も起こらなかった。

 不穏な気配は感じられないまま、馬車隊は休憩を終え、再び出発することになった。

 

 彼らは次の目的地へと向かって進んでいく。とはいえ、いつ何が起こるかは分からない。ヨハンも含め、彼らは油断せず、警戒を怠らないように気を引き締めていた。

 

 しかし驚くことに、何も起こらずに彼らは半円を巡り、街へと帰ってきてしまった。

 結局彼らはギルドへ戻った。まだ他の隊は帰ってきていない。

 

 ■

 

「やばい気がする」と、不安げに目をきょろきょろさせながらカナタが言った。ヨハンはそれを聞いて、ため息をつきたい気持ちでいっぱいだった。彼の抽象的な意見に失望したのではなく、彼自身が危険だと言っているからだ。

 

 カナタの後ろには潰れた片目のノノ、しきりに唇を舐めまわしているアウォークン、爪をカリカリ噛んでいるタネーウェがいる。全員そわそわしていて、それは喜劇的にも見えるが、事態は悲劇に近づいているかもしれない。

 

「そう思うか、カナタ、ノノ、アウォークン、タネーウェ」とヨハンが尋ねる。

 

 彼らは斥候働きを行う者たちだ。女と酒が大好きで、借金までしてまでそれらを手に入れるろくでなしではあるが、仕事自体はきちんとやり、成果も上げているため選ばれたのだ。

 

 斥候というのは一種の才能が必要だとヨハンは思っている。それは目に見えないものだ。筋力があるだとか知性が高いとか、そういうものではない。勘が何よりものを言うのだ。

 

 特にこの斥候4人組のリーダー、カナタは頭は悪くて足も遅く、力もなく、さらに借金があるというどうしようもない社会不適合者だが、『なんとなく』という理由だけでコインの裏表を11回連続で当てるということまでやらかしたことがあるらしい。

 

 ノノ、アウォークン、タネーウェも似たような者たちだ。もちろん彼らのような異能がない斥候もいるし、むしろそれは大多数と言えるが、そういった者たちがどれほど業を磨いても『勘』頼みの者たちとの立場がひっくり返ることはない。

 

「……魔狼が出なかったな。一匹も」

 

 そうヨハンが言うと、カナタたちは黙ってうなずいた。

 

(そうだ、今はあれだろう?魔狼祭りだろう?やたら犬のような魔物が増えて、飯屋の料理が魔狼肉ばかりになる祭りだ。なのに一匹も出ない?)

 

 表面的には周囲は安全になったはずだが、未帰還者が続々出ている。

 こういう状況は本当に厄介だとヨハンは思う。

 不幸や不運といったものが本気になる時は、襲いかかる前に力を溜める。あるいは同類を呼び寄せて集団で襲ってくるからだ。

 

 この静けさはその前兆だろう。

 

 こういう時は大抵人が死ぬ。

 運が悪ければ、たくさん死んでしまう。そう、たくさん…。

 




連盟は互助会です。才能ありそうなガキを仕込んだりします。
組織の目的は特にないです。
強いて言えば、変な人たちだってひとりぼっちは寂しいからなんとなくより集まってるかんじです。
我々がTwitterとかで同じ話題共有できそうな人をフォローしたりするのに似てるかもしれません


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閑話:ダッカドッカ隊

 ■

 

 ダッカドッカ率いるダッカドッカ隊は、深い森のほとりで通常の魔狼よりもはるかに巨大な足跡を発見した。その足跡は三回りも四回りも大きく、森の闇の奥へと続いていた。彼らが見つめるその足跡からは、重苦しい空気が立ち上り、ダッカドッカの心に刃物のような緊張感が走った。

 

「でけぇな」

 

 ダッカドッカは短く言うと、素早く周囲を見渡し、気配を殺して一行に迫ってきているモノがないかを確認した。

 

「でけぇ。そして、やばい」

 

 ダッカドッカは街へ帰還することを考え、すぐにそれを打ち消した。

 ある種の予感を覚えていたからだ。この足跡の主は非常に危険な存在であり、可能な限り速やかに滅ぼさなければならないというある種の危機感だ。

 

 ──今ならば、ぎりぎりで“間に合う”かもしれない

 

 それは優れた戦士特有の嗅覚と言えるだろう。

 あと一撃で相手を斃せる、今が攻め時だ、そういう類のものだ。逆に、ここを外すと“敵”は手に負えない存在になるかもしれない。

 

 なによりも、ダッカドッカが敬愛する“兄貴”とこの周辺で落ち合う事になっているのだ。ダッカドッカが帰還し、そして兄貴が、ラドゥがこの足跡の主と会敵したらどうなるか?

 

 ・

 ・

 ・

 

 兄貴に戦わせるわけにはいかねぇな、とダッカドッカは冷えた頭で思った。彼はラドゥを敬愛しているが盲信しているわけではない。

 戦士として心身が充実している今の己と、既に老境に至り旬を過ぎたラドゥとでは、己の方が殺し合いの業は上だと理解していた。

 その自分がやばいと感じる相手にラドゥが勝てるだろうか?

 

 歴戦の戦士であるダッカドッカはその自問に否と判断を下す。

 

 ダッカドッカ隊の戦士たちも、その足跡に対する緊迫感を感じ取り、互いに目を見つめて無言の確認を交わした。

 

「旦那、行くんですかい?」

 

 ダッカドッカ隊の副隊長、“盲”(めくら)のヘイザがダッカドッカに尋ねる。

 

 ヘイザは細身の中年男性であり、極東の出自だ。

 極東はこのイム大陸そのものの東部に位置する島国で、さほど大きくもない面積であるにもかかわらず大小様々な国がひしめいており、年中島全体で殺し合いに明け暮れているという修羅の世界だ。

 

 ヘイザはそんな極東の頭のおかしさに辟易して島抜けしてきた一人で、ヘイザのような者はこの大陸にそれなりにいる。

 

 ヘイザは字名の通り、盲目の剣士であった。しかし、その実力は並みの剣士を遥かに凌ぐものであり、“右剣の”レイアに剣術を教え込んだのは彼である。

 

 ヘイザは"気"と呼ばれる魔力とは異なる力を操ることで、周囲の状況を緻密に把握し、盲目でありながらも他者を圧倒する戦いを繰り広げる。

 

「自分ってェのをうすぅく、広げていくカンジなんですねェ」と言うのはヘイザの言だ。

 

「そうだな…ヘイザはどう思う?俺の勘はここでこの足跡の主を殺っちまわねぇとやべえって言っている。だが殺りに行ったら行ったで、タダで済むとも思えねぇ」

 

 ダッカドッカがそういうと、ヘイザも頷いた。

 

「アッシもそう思いますねェ。やれやれ!行くも地獄、退くも地獄ですかい」

 

「俺たちに似合いですぜ!」

 

「やだなぁ、隊長のヤバいは本当にヤバいからなぁ」

 

 様々な声が隊から聞こえてくる。

 

「隊をわけるって選択肢もあるがよ、戦力を分断するってのも考えものだよなァ…」

 

 ダッカドッカが頭を掻きむしると、隊の者たちはやんややんやと声を上げた。

 

「隊長らしくねぇよ!こういう時“紳士”ならどうするんでしたっけ?全員でとっととホシを始末しちまいましょうよ!あの岩喰いがビビってるってこたぁねぇよなァ!?」

 

 ダッカドッカはその声に太く攻撃的な笑みで応えると、森の奥へと足跡が消える方向に目を向けた。

 

 暗く薄暗い闇が広がっている。ダッカドッカ一行は自らの運命に身を任せ、森の中へと踏み込んでいった。

 

 ■

 

「ヘイザ」

 

 ダッカドッカは森に踏み入るなり、短くヘイザの名を呼んだ。

 

 へい、とヘイザがダッカドッカの前に出る。

 

「失礼しやして…」

 

 ヘイザが腰に差している片刃の長剣を取り出し、抜刀し…勢いよく納刀した。

 

 周囲に甲高い音が響き渡り、森に染み入っていく。

 ヘイザは瞼を閉じ、納刀の姿勢のまま動かない。

 ダッカドッカ隊の荒くれ者たちも黙り込んでいる。

 

 聞こえるのは木々のざわめきのみだ。

 

「……1000、いや、800歩…程の距離から小さな群れ。数は10か、やや上か…」

 

 ヘイザの言葉を聞くなり、ダッカドッカは一同に告げた。

 

「早速のお出迎えだ!戦闘準備!」

 

 応と太い声が上がる。

 

 接近してくる集団を感知したのはヘイザの“聴剣”だ。納刀音は空気中を伝わり、周囲の物体に当たる。そしてその反響がヘイザの耳に戻ってくる。ヘイザはそのようにして物体の位置や形状、距離を把握する事ができる。

 

 ダッカドッカの声が響くと、傭兵たちは瞬時に動き出した。弓矢を構える者、槍を振り回す者、魔術を詠唱する者…森の戦場は一気に熱気に包まれる。

 

「おいおい、これはどういう事だ?」

 

 ダッカドッカは迫ってきた魔狼の群れを見ていぶかしげな声をあげた。

 

 どの個体にも戦意…というより恐怖心が浮かんでいる。魔狼は高度な社会性を持つ賢い魔獣だ。

 人間とみるや何でもかんでも襲い掛かるような魔獣ではない。獲物を見つけても、それが集団であるならば偵察隊を派遣してくるような知恵を持つ。

 

 そんな魔狼が狂奔していた。

 口の端に泡を浮かべ、瞳は見開かれ、そう、まるで…

 

 ──何かに追われているような…

 

 とはいえ、魔狼の群れはダッカドッカ隊を障害物とみなしたようで狂気交じりの敵意をぶつけてくる。

 

 ダッカドッカはにやりと笑い、腰に括りつけた二本の片手斧を構え、腰を捻って左手に持つ斧を魔狼の群れ目掛けて投擲した。

 

 ただの斧投擲ではない。

 斧には彼の魔力が込められている。

 

 業前優れた魔術師ならば、ダッカドッカの手と斧の間に魔力のラインが繋がっているのが見えたかもしれない。

 

 ダッカドッカの手から放たれた魔斧は唸りを上げ、回転しながら魔狼の群れに襲いかかった。

 ダッカドッカは更に腰を捻り、右手の斧も投擲する。

 

 両斧の小さい死の回転半径に巻き込まれたモノは、例え魔狼だろうが樹木だろうが、全てをなぎ倒されていく。

 

 もちろん魔狼も背後に迫っているモノ、自分達を“喰らおう”と追ってきているモノは恐ろしいが、現在進行形で自分達を害してくるモノも恐ろしい。

 ゆえに回避行動の一つや二つは取るのだが、ダッカドッカがそれを許さなかった。

 

「戻れェッ!」

 

 大声疾呼、ダッカドッカは叫び、そして両手の拳を握りしめ、まるで何かを引き寄せるかのような動作を取る。

 

 すると魔狼に襲い掛かり、そして森の奥に消えていったはずの二本の手斧がダッカドッカの手目掛けて戻ってくるではないか。

 

 魔狼は魔力を持つ狼で、その肉体を魔力により強化している。

 それがどれほどの強化具合かと言えば、例えば特に魔力などを持たない一般人が包丁を両手で握り渾身の力で腹部を刺しても、先端が少し食い込む程度の強化具合だ。

 

 そんな魔狼がまるで襤褸切れのようにズタズタにされていく様子は、まさに圧巻の一言であった。

 

 魔狼の群れの後背から襲い掛かる二本の斧は、彼らに無慈悲かつ躊躇のない死を与えていった。

 

 ■

 

 今現在でこそ“岩喰い”ダッカドッカは生粋の傭兵だと思われているが、実際は違う。

 

 ダッカドッカには傭兵としての顔のほかに、元金等級冒険者…それも“黄札”としての顔もあった。

 黄札というのは札付き、つまり冒険者ギルドから要注意、警戒対象として見られているという事を指す。なお、赤札というのもあり、これは抹殺対象として認識される。

 

 冒険者としてのダッカドッカは若く熱い血潮に駆られる青年で、冒険者としての生活に対する情熱に溢れていた。また彼は大胆な性格であり、危険なクエストに挑むことを何よりも好んでいた。そのため、彼の周りには危機的状況が絶えず付きまとうような状況であったが、彼はその度に危機を乗り越えていった。そして強くなり、金等級という実質的に冒険者としての階位の頂点に立った。

 

 実質的というのは、金等級の上に黒金等級という特殊な階級があるためだ。

 黒金等級冒険者の一人、“禍剣”のシド・デインなどはギルドの子飼いで、その役割は赤札の上位冒険者を抹殺するというものだったりする。

 

 ただこの黒金等級冒険者というのは西域、東域をあわせても3名しかいない為、この金等級が実質的に冒険者達の最上位であるとみなして良いだろう。

 

 しかし、彼が冒険者として活躍する中で、彼の粗暴な振る舞いや無茶な行動が周囲に悪影響を与えることが徐々に増えていった。その結果、彼は冒険者ギルドから黄札として認識されるようになる。しかし彼はその立場を受け入れ、自分の行動を振り返ることはなかった。

 

 だがそんな日々は唐突に終わりを告げる。

 貴族と揉めたのだ。

 もちろんいきなりダッカドッカが貴族に喧嘩を売ったわけではない。経緯というものがある。

 

 レグナム西域帝国の大貴族が、とある特殊な素材を求め依頼を出し、ダッカドッカがそれを受けた。

 

 報酬は膨大。

 ダッカドッカを含め、仲間全員を一代貴族としても余りあるものだった。

 それも当然だ、なにせ求められている素材というのは竜の牙なのだから。

 

 しかもそんじょそこらの木っ端竜ではなく、氷竜グラノラの牙だ。

 

 竜とは基本的に強大な生物ではあるが、その竜にもピンキリはある。氷竜グラノラは間違いなくピン寄りの竜であった。

 氷竜グラノラは傭兵都市ヴァラクの後背、万年雪が積るピレクス山の山頂を住処としており、しかしめったに山から降りてこないために危険度はさほどない。ただ、それでも竜は竜であるためにギルドでは常に討伐依頼が張り出されてはいた。

 

 ダッカドッカ達が危険な竜殺しに挑んだ理由は、彼らが血気にはやる勇敢な冒険者であったから、という理由だけではない。

 

 ダッカドッカは辞め時を探していたからでもある。

 恋人と共に冒険者を引退し、そして違う人生を送る…冒険者というのは自由だが死と隣り合わせだ。

 守るものが出来た者から先に去っていく。

 

 そこへきての巨大な報酬というのは、彼らの目を眩ませてしまった。

 ダッカドッカ達といえど、一体どれほど冒険に時間を費やせばそれほどの財を成す事ができるだろうか?10年?20年?その間ずっと生きていられるのだろうか?

 

 否だった。

 彼の仲間たちもダッカドッカの決断に賛同した。

 

 冒険者であるダッカドッカは当時の仲間たちと共に竜殺しに挑み…そして多くの犠牲を払いながらもそれを成功させた。

 

 しかし払った犠牲は決して小さくはない。

 その犠牲の中に、当時の彼の恋人がいたのだ。

 

 悲しみに暮れるダッカドッカだが、依頼を放置することはしなかった。

 

 小貴族に氷竜グラノラの牙を納め、報酬を受け取ろうとした。しかし当の貴族が報酬を出し惜しんだ。一応の理由はある。激戦であったため、牙の状態があまりよくはなかった。

 基本的にこのような討伐部位は、損傷の度合で報酬が増減されることがままある。

 

 ダッカドッカも常ならばそのあたりの道理を理解したに違いない。

 

 だがその時のダッカドッカにとってそんな正論はクソの役にも立たない戯言だった。

 

 振るわれる暴力。

 

 レグナム西域帝国の大貴族を半殺しどころか、殺害一歩手前に追いやった彼は、当然のごとく捕縛された。

 

 確かにダッカドッカは強いが、最強ではない。

 帝国の依頼を受けた旧オルドの騎士、ラドゥがヴァラクで結成した傭兵団の精鋭を連れてダッカドッカを捕縛しにいったのだ。

 

 そして激戦が繰り広げられ……今に至る。

 

 旧オルドの騎士という肩書は帝国では特別な意味を持つ。それはラカニシュの一件に発するもので、帝国側としてもオルドの犠牲には多大な功があると判断している。

 

 ゆえに、ラドゥがダッカドッカの身柄を預かり、監督するという提案を大貴族自身は拒んだものの、その大貴族のさらに上が受け入れた。

 

 大きな力を持つ個人を身のうちに取り込み、首輪をつけておけるならば、それを担うのがオルドの騎士であるなら問題はないと考えた。

 大貴族のプライドなどは帝国上層部にとってはどうでもいい話なのだ。

 

 帝国は“人と魔が相争うであろう少し先の未来”を見据えて戦力を拡充しなければいけないと考えていたからだ。

 

 ■

 

 魔狼の群れというのは本来はとても恐ろしい。

 冒険者たちがチームを組んで、合同で討伐に当たるべき存在だ。

 

 そんな群れをただの一人で半壊に追い込んだ今のダッカドッカは、かつて金等級冒険者だった頃の彼よりも強かったかもしれない。

 

 それでもダッカドッカの表情からは緊張…戦気が晴れない。

 その視線は森の奥に注がれていた。

 

「感じるなァ、気持ち悪い視線を。なるほど、あの犬ッコロどもを追っていたのは、あの足跡の主は……お前かァッ!!」

 

 ダッカドッカはそこまでいうと、大きく目を見開いて両の手に握った斧を振るった。

 

 一閃、二閃、三、四、五閃。

 瞬きほどの間に振るわれたそれが叩き切り落した“それ”は赤黒い色をした何かだった。

 

 女の腕の太さほどの赤黒い触手…先端が尖り、槍のようなそれがダッカドッカ達に襲いかかったのである。

 

 ダッカドッカはちらりと隊の他の者たちを見遣ったが、すぐに視線を前方に移した。

 

 奇襲めいた攻撃ではあったが皆対応したようだったからだ。ヘイザなどは片刃の長剣の柄に手を掛け、ぽつねんと佇んでいる。

 

 周囲には赤黒い肉片が散らばっていた。

 

「丁度いいッ!お前はここで殺す!兄貴の手を煩わせるまでもねぇッ!お前ら!陣形を組め!」

 

 ダッカドッカは指揮を飛ばし、森の奥から姿を見せるであろう“それ”を待ち受けた。

 

 







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帰らぬ男

 

ギルドで他の隊の帰着を待っているヨハンは、見知った顔を見つけた。それはヨルシカだった。彼は彼女が調査隊に選ばれていなかったのかと疑問に思った。ヨハンの目から視ても、彼女は十分に実力があると思われたのだが。

 

「やあヨハン。調査隊を任せられたんだって?」ヨルシカは尋ねた。

 

ヨハンは彼女が調査隊に参加していない理由を知りたかった。

 

「ん?ああ、調査隊?私は断ったんだよ。提示された報酬はよかったのだけどね。君があんなに脅かすから怖くなっちゃってね。ただ、君が調査隊をまとめるのだったら私も参加してもよかったかもしれないな」

 

「君は長生きするタイプだな。まあ興味があるならそのうち他の隊も帰ってくるだろうから聞いてみるといい。俺も口を利くよ」と彼は提案した。

 

“前向きに考えてみるよ”といい、ヨルシカは顔見知りと思しき女冒険者に声をかけに行った。彼女は前回一緒に組んだ双剣の女だ。

 

「ヨハン、し、知り合いかい?」とカナタがそわそわしながら話しかけてきた。

 

「ああ。ヴァラクへ来てから少しな。……その目はなんだよ。…ああ、紹介はしてもいいが、君のことを必要以上に持ち上げたりはしないぞ。“彼の名はカナタ。勘に優れる斥候だ。彼は危険を察知することに敏で、斥候を求めるなら必ず役に立つだろう。だが人柄は信用するな。彼は女と酒を買うためにゴロツキ共から借金をしている男だ”と紹介する」とヨハンは冗談めかして言った。

 

カナタは後半の説明が必要かと尋ねたが、彼の質問はヨハンに無視された。

 

その後も、彼らはくだらないこと(金利の安い金貸し・性病予防・混ぜ物をしている酒屋の話など)について話し続けた。そして気づけばそろそろどこかの隊が帰着してもおかしくない時間となっていた。

 

カナタが突然黙り込む。

ヨハンが彼の様子を尋ねるが、カナタはそれに答えずにギルドの木製の扉を見つめていた。

ヨハンの目にはカナタのぽっちゃりした顔についている2つの目が、まるで硝子玉のように見えた。

 

ややあって、カナタはぽつりと一言だけ呟いた。

 

「帰りたくなってきちゃったな。なんだか嫌な予感がするんだ」

 

 

ラドゥ隊が帰着した。

 

彼はギルドへ入るなり、ぎょろりと周囲を見渡し、彼の顔を見つけると近寄ってきた。

 

「無事か。ダッカドッカの隊は帰ってきていないのか?」

 

ヨハンは首を振り、調査結果を報告した。

ラドゥの表情は険しい。

 

「そうか。私の隊の報告もしておく。私は南西から南東に向かい調査を進めていた。ダッカドッカ隊は南東から南西だ。調査の過程で足止めを受けるようなことがなければ、私はダッカドッカと合流し、2隊で街へ帰着するつもりだった。君の隊の負担が大きいように思えるが、これは赤砂荒野の魔狼討伐依頼の結果を含み置いての判断だ。あの地についてはある程度調査済みと考えている」

 

ヨハンは頷いた。

すでに頭にはとある不穏な考えが思い浮かんでいるが、口には出さない。

 

「しかしダッカドッカの隊とは合流できなかった。だが、想定していた合流場所…森の近くに血と思われる跡が残っていた。何頭かの魔狼の体の部位。」

 

これを、とラドゥが袋を取り出す。

中身を見れば土だ。

 

「血と思われる跡が付着していた土だ。掘り返してきた。これは人のものかそれ以外か、分かるか?」

 

分からないこともないが…、とヨハンは思う。

しかし専門ではない。

 

「錬金術師の領分でしょうね。この街にもいるでしょう。調べに出しますか?ただ、結果は明日になるかもしれませんが」

 

ラドゥは“それでは時間がない”というので、ヨハンはそれなりに高い触媒を使うことになるが、と前置きする。

 

ラドゥは躊躇う事なく答えた。

 

「構わん。言い値で払おう」

 

 

「術それ自体はそれほど難易なものではないのですが、触媒の用意が面倒でして。手間がかかるタイプの触媒は総じて高額なのです」

 

そんな事を言いながらヨハンは手帳に押してある革質の緑葉を取り出した。葉はやや先端がとがった楕円形をしている。月下樹という常緑性の小さい樹木から採った葉だった。常緑性ゆえに1年中いつでも葉自体は手に入るのだが、手間がかかるのだ。本来は濃緑の葉なのだが、これはどことなく赤黒い。

 

ヨハンは葉の先をつまみ、袋に落とした。

 

この葉は手間をかけずに使う場合は食物の保存などに役立つ術の触媒になる。

 

花言葉は『私は死ぬまで変わらない』

 

ここから紡がれる不変の誓いは、保存食を作る際などに重宝する。

 

しかし、腐らせた人血…人血は犯罪者…できれば人殺しのそれが良い…にこの葉を浸し、冷水で洗い流し…という工程を経てから乾燥させた葉は別の術の触媒になる。

 

━━糜爛する命、滲めよ腐り血

 

不変は転じて、腐変となる。腐り血の呪いは、その名の通り対象の血液を腐敗させる。

 

まあ争いごとには使えない。手に届く範囲の血しか腐らせられないし、ジワジワと腐敗させていくため、仮に戦闘などに使っても相手を殺す頃には自分も死んでいるだろう。大体、これは人間の血液にしか効果がないため、使い所はさらに限られてしまう。

 

じゃあ何に使うのかと言えば、犯罪者の拷問などには非常に使える。犯罪者の血が推奨されているのも元はと言えば刑場用に作られた術だからだ。身も蓋もない言い方をすると、この術は人間の犯罪者をじわじわと苦しめるための術である。

 

 

・ヨルシカ

 

ラドゥさんとヨハンのやり取りを聞いているけれど、本当に物騒なことになった。ダッカドッカはあの時の大男だろうか?

 

殺したって死ぬようなタマではなさそうなのだけど…

 

ヨハンが術を使うのを見たのは二度目だが、おどろおどろしい気配が立ち込めてきて気分が悪くなってきた。

 

ヨハンが陰鬱に何かを唄いあげ、暫く沈黙が続く。何も起こらないが、失敗したのだろうか?だがラドゥさんの表情は変わらない。袋の中を注視しているようだが…

 

だが、嫌な匂いが漂ってきた。これは、何かが腐った匂い…

 

 

「人のものですね」とヨハンは、袋の中で異臭を放っている土を見ながらラドゥに伝えた。

 

土はドロドロと泥というほどではないものの粘り気を帯び、顔をしかめたくなる腐臭がそこから漏れている。

 

土に含まれていた血が腐れ果て、土に混じっているのだ。

 

ラドゥは暫し瞑目していたが、やがて静かに口を開いた。

 

「明朝。再度調査へ向かう。私と君の両方の隊で」

 

ヨハンは頷いた。



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見つけたモノ

 ■

 

 出発は明朝、一の鐘で落ち合う約束をして解散。ラドゥは町長と話す事があるらしい。

 

「……というわけだヨルシカ。君も来るか?」ヨハンは彼女に尋ねる。

 

「…………うぅん……なあヨハン。何が起こっているか、私なりには理解出来ているつもりなんだけど……」

 

「だけど?」ヨハンは先を促す。

 

「ん……そうだな、曖昧な質問になってしまって申し訳ないが、率直に答えて欲しい。どれくらいやばいんだ?」

 

 これにはヨハンなりの考えがないわけでもない。

 

「少しだけ長くなるが聞いてくれるか?」

 ヨハンの確認に、うん、とヨルシカが頷いた。

 

 ■

 

 ヨハンはスゥーッと大きく息を吸い込んだ。

 それを見たヨルシカは内心身構える。

 短い付き合いながら、ヨハンという男の話の長さは尋常ならざるものがあると理解していたからだ。

 

「ラドゥはオルドの騎士だ。肩書きでは元騎士だが、ヨハンが言うのは地位としての騎士じゃない。精神性の話だ。騎士たる精神性とは何か。原則としては武勇に優れ、忠誠心に富み、謙虚であって女子供には献身的であれ、というものだ。しかし細かく見ていけば国ごとに違う。亡国オルドは忌憚のない言い方をさせてもらえば縄張り意識が非常に強い。オルドの騎士は君主に忠誠を誓うというよりは、その土地に忠誠を誓っている。ここはオルドの地ではないが、縄張り意識とは自分が根付く地への所有感情のことだ。ラドゥはこのヴァラクという街を第2の故郷と見做している……そう思って差し支えないだろう。でなければわざわざ手間のかかる軍事教練染みた真似を荒くれ者たちに仕込むものか。街周辺に脅威があるとしても、それがどのようなものかが分かっていない内にラドゥ傭兵団が出張ってきたというのも、彼の縄張り意識の発露だろう。オルド騎士の異名は知っているか? オルドの番犬だ。番犬は縄張りを侵されると荒れ狂う。そういう男が“脅威から逃げられないようなら手段を選ばずこれを排除しろ”という。“土地が死んでもいいから”と。これはよくよくの事だぞ。ヨルシカ、君は家族愛が強いか? ……そうか、なら君のそのかわいい弟の命と引き換えに家族全員の命が助かるかもしれないとしたらどうする? 怒るなよ、だがそういう事なんだ」

 

 要するに、とヨハンは息継ぎも兼ねて口を休めた。

「……要するに?」ヨルシカが促す。

 

 ヨハンは最後だけは短く纏めた。

 

「とてもやばい」

 

 ・

 ・

 ・

 

 もし参加するなら覚悟はしておけよ、という意味も兼ねてヨハンはヨルシカを散々脅しつけたが、結局ヨルシカは調査隊へ志願する事になった。

 

「君らが総出でかかってだめなら街も遅かれ早かれ駄目になるのだろうし、それからじゃ頑張っても意味はないからね。今参加して何か成果を出せば、報酬は期待できるんだろう?」

 

 とはヨルシカの言だ。

 

 ■

 

 翌朝。

 

 遅刻者もなく、全員がギルド前に集合していた。

 とはいえヨハンの隊とラドゥの隊のすべてが参加するわけではない。

 流石に多すぎるし、街の守りの問題もある。

 

 そこでラドゥは精鋭を連れての首狩り戦法を選択した。ラドゥ本人、カジャ、レイア、ジョシュア、ヨハン、ヨルシカ、カナタ、そして数名の傭兵達。

 

 カナタの戦闘能力は気の荒い猫以下だが、彼特有の異能はそれを補ってあまりある。

 向かう先はダッカドッカ隊が消息を絶ったと思われる南東部だ。

 

 カナタが嫌な予感がする方へ進んでいけばいい。

 

 爽やかなはずの朝焼けが、ヨハンの目にはなにやら血の色に見えた。

 

 ■

 

 ヨハン達は南東部へ向かいながら、自分たちがどのような脅威に立ち向かっているのかを考える。

 

 ヨルシカは不安そうな顔をしていたが、彼女は勇気を振り絞り、ヨハンの横に立って歩いていた。他の隊員たちも、表情は硬いが臆している様子はない。カナタ以外は。

 

「ら、ラドゥさん~…本当にこの依頼をこなせば借金を持ってくれるんですよね?」

 

 情けない声でラドゥに話しかけるカナタに、傭兵達の視線は冷たい…という事もなかった。

 “幸運男”カナタには、単に勘がいいという話では済まされないような逸話が山ほどあり、その全てが事実であることを傭兵達は皆知っていた。

 

「うむ。約を違えるつもりはない。安心して死地へ先導せよ」

 

 ラドゥがそういうと、カナタは泣きそうな様子で一同の先を歩いて行った。

 歩くたびにぽちゃ、ぽちゃという音が聞こえてきそうなほどにカナタはぽっちゃりで、ジョシュアなどは苛立たしそうにカナタの揺れる腹肉を見ている。

 

「ジョシュア、殺気を飛ばさないで。カナタはそういうのに敏感なんだからすぐ逃げちゃうわよ。彼は脚が遅いけど、もし逃げようとしたら絶対に追いつかないわ。よくわからないけれどそうなっているの。ジョシュアも知っているでしょ?」

 

 レイアが訳の分からない諫め方をする。

 しかしこれは事実である。

 もし本気でカナタがラドゥ達から逃れようとしたならば、都合よくどこかから魔獣がわいてきたり、追手の腹具合が悪くなったりして最終的には逃げられてしまうだろう。

 

「…そうなのかい?」

 

 そんな話を聞いていたヨルシカは、横で歩くヨハンに尋ねてみた。

 

 ヨハンは頷き、少し小首をかしげながらカナタの背を指さす。

 

「ああ…見てくれ、あの背を。無防備だろう?まるで屠殺寸前の子豚の背だ。あの背を見て俺は思うんだ。背後からナイフを投げても、カナタは一切気づいたりはしないだろう…ってね。ナイフはどうなると思う?…そう、刺さる…はずなんだ。だが俺にはどうにもナイフが刺さる気がしない。霊感がそう告げている。何かが彼を護っている…そんな気がしてならない。君はどうだ。剣士としての勘のままに答えてくれ。背後から彼に斬りかかったとして、そのまま始末できる自信があるかい?」

 

 ヨハンの言葉にヨルシカは一瞬その瞳の温度を零下にまでさげカナタを見つめた。

 だが…

 

「ん~…そうだね、ちょっとよくわからないな。しくじりそうな気がする」

 

 そう、ヨルシカもまたカナタを殺れる自信がなかった。

 

 なお、周囲の傭兵達はヨハンとヨルシカの酷い会話に少し引いていた。

 

 ■

 

 調査隊はちょっとした痕跡を見つけ、馬車を停めて調査を進めることにした。

 

 彼らが見つけたのは点在するどす黒い血の染みだった。砕けた爪や牙も散らばっており、魔狼によるものかもしれないと推測された。また、毛のようなものもパラパラと散っていたが、人間のものではなく、魔狼のものだろう。質感が違うからだ。

 

 しかし、彼らは疑問に思うことがあった。それは、なぜ人間の痕跡が全く見つからないのかということだった。

 

「サー・ラドゥ。人間の部品はなかったのですか?」ヨハンがラドゥに尋ねた。

 

「む……? ……部品……? ああ、うむ。そういったものはなかった」とラドゥは答えた。

 

「そうですか。食われたのかもしれませんが、それにしたって痕跡が血痕のみというのは少し考えづらいですね。血の痕跡があり、死体も死体の部品もない。ダッカドッカ氏の実力を鑑みるに、敗色濃厚、撤退も不可能となれば何かしらのサインくらいは残すでしょう」

 

 ヨハンがラドゥを見ると、ラドゥの目に僅かな疲れが滲んでいた。

 

「……そうだな……。奴は魔狼程度に遅れを取る男ではない」

 

 ラドゥの言葉に、ジョシュアとレイアは頷く。

 この麗しき双子はダッカドッカに拾われたのだ。

 彼はいわば二人の義理の父とも言える。

 特に剛剣を得意とするジョシュアなどは、ダッカドッカに師事もしていた。

 

 その時、カナタが会話に割り込んできた。

 その様子は恐慌の一歩手前といっても過言ではなく、よほどの恐怖を覚えている様だった。

 

「らららら!ラドゥさん…僕、あの森は…行きたくない、です…」

 

 カナタの指は森の入口を指している。

 つまり行くべき場所が明確になったということだ。

 

「ここでなにがあったにせよ、森で何が起こるかにせよ、ろくでもなさそうです」とヨハンが言うと、ラドゥが“全くだ”と苦笑して、すぐに表情を引き締める。

 

「カナタ、引き返して良い。ご苦労だった。報酬は期待してかまわんぞ」

 

 ラドゥがカナタにそう声をかけると、それまでの歩行速度は何だったのだと思うほどの俊敏さでカナタは去っていった。

 

「あ、ああ、あ、…アレで俺より格が上だって、いうんだから、ひどい、話です」

 

 カジャがやるせない様子でボヤく。

 

「まぁそういうな、あの気質でここまでついてきてくれたのだ。それに、戦力としてはカナタほど無力な者もいないだろう」

 

 ラドゥがそういうと、一同は確かに、と頷いた。

 

 ■

 

 調査隊は森へ踏み込む。

 血痕が点々と地面にのこっており、それを追いながら慎重に進んでいた。周囲の木々が影を落とし、緊張感がただよっている。

 

「ひ、ひ、ひ、引きずるようなちちち血の痕。さささ誘い、です、ね」

 

 カジャがにやりと笑いながらラドゥに言った。

 彼はラドゥ傭兵団でも古株の紳士で、特技は舐めた態度を取った相手の背骨を引きずり出すことだ。

 

「分かりやすい誘い、挑発か。結構なことだ。勝手に侮ってくれるのならば、これほどやりやすいことはない」とラドゥが答える。

 彼の目を見れば、口ほどに楽観していないことは分かるが、それは皆承知の上だろう。しかし、彼の態度は他の傭兵たちに勇気を与えていた。

 

 目の前には、木立というにはやや密に過ぎる樹の群れが広がっていた。引きずった痕跡はその奥まで続いていた。

 

 調査隊は森の奥へ足を踏み入れていった。

 確かな業を有し、心はタフ。

 それがラドゥ傭兵団…なのだが、そんな彼らを絶句させる光景が眼前に広がる。

 

「戦闘痕だね」

 

 ヨルシカが乾いた声で言う。

 木々がなぎ倒されており、そこかしこに血がまき散らされている。

 さらには折れた剣、槍。

 衣服の切れ端、鎧の破片。

 

 だがそれらが勇壮なダッカドッカ傭兵団の表情を青ざめさせたわけではない。

 

「と、義父さん…」

 

 何かを見つけたレイアがふらふらと前方へ歩いていった。

 

「姉さん!」

 

 ジョシュアがそれを制しようと駆け寄る。

 だがそのジョシュアも“何か”に気づき、地面を凝視して動かない。

 

 ラドゥ達がレイアの方へいくと、その視線の先にあるものが落ちていることに気づいた。

 

「腕、か」

 

 ラドゥが呟く。

 太い指、太い手首、分厚い掌。

 腕にはラドゥ傭兵団の証が彫られている。

 

 その腕が誰のものであるかはラドゥには、レイアには、ジョシュアには、いや、ダッカドッカ傭兵団の者であるならば明らかだった。

 

 

 ラドゥの目が爛々と燃えている。

 ヨハンには彼の怒りが静かに燃え上がるのが感じられた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 俺にも家族はいる。

 仮初だが家族は家族だ。

 だから彼らの気持ちが分からないでもない。

 ダッカドッカ程の戦士がむざむざ討たれたならば、討たれるだけの理由があったはずだ。

 

 あの時ラドゥは言っていた。

 “合流する予定だった”と。

 

 であるならば、ダッカドッカが残り、戦いを選んだのは…。

 

 俺はそういうモノには弱い。

 だから久々に殺る気が出てきた。

 

 ・

 ・

 ヨハンの目に澱んだ殺気が揺れる。

 



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成れの果ての月(上)

 

 ヨハン

 

 俺たちはソレが残していったと思われる痕跡を追い、道無き道を進んで行く。

 血の匂いが濃くなっていく。

 ヨルシカを見ると、やや青褪めた様子であるもの目にはまだまだ力があった。

 ラドゥは勿論傭兵たちも不敵な様子だ。

 士気は十分か。

 

 ラドゥが足を止めた。

 

 前方にはやや拓けた広場のような空間が広がっている。

 “小休憩でも取りますか? ”等とは言うまい。

 まあ、全てが終わってからなら取っても良さそうだが。

 全員分休むだけの広さはある。

 

 だが、そのためにはアレが邪魔だな……

 

 ■

 

 それを見たラドゥは激昂するでもなく、慟哭するでもなく、ただただ凪いでいた。

 

 赤い、辛うじて狼のように見えるソレ。

 魔狼の形をしたモノを赤黒く脈打つナニカが覆っているかの如き異相であった。

 

 ヨルシカが、歴戦の傭兵達もまた表情を凍りつかせる。

 だが動揺は一瞬だ。

 彼らもまた歴戦の猛者、即座に体勢を立て直す。

 

 ラドゥが背負った大剣を一息に引き抜き、前方に向けて勢い良く振り切る。

 

 ボトッと何かが音をたてて地に落ちた。

 赤く太い触手だった。

 先端は鋭く、白い針のようなものがついている。

 

 迫り来る音無しの死を、ラドゥは見事に見切り、その禍々しい先端を切り裂いたのだった。

 

 触手の根元は、と見れば怪物の背から伸びている。

 魔狼は確かにその身を魔に浸してはいるが、断じてこの様な真似はして来ない。

 

 ラドゥの表情が険しくなり、身体が自然と力む。

 だが連盟の術師…ヨハンは違った。 

 

「サー・ラドゥ。その白い針のようなモノは恐らくは骨ですね。動物のモノではない。人のそれでしょう。ふ、ふふふ。化け物の癖に人間の身体を使わねば殺人1つ出来ないというのは何とも情けない事です。その様な出来損ないはさっさと始末しましょう」

 

 侮蔑混じりの声を発したのは連盟の術師ヨハンであった。

 相変わらずの毒舌にラドゥの緊張が解け、口の端が苦笑で歪む。

 

 ひとしきり化け物を小馬鹿にした後、術師ヨハンは何かを歌い上げ、赤い小さい花を一輪ずつ双子の傭兵へ渡していた。

 別れの手向け、と言う訳ではあるまい。

 彼はもっと性格が悪い。

 

 ラドゥは柄でもなく神らしき何かへ祈った。

 ━願わくば、彼の性格の悪さが憎き仇を死に至らしめん事を。

 

 ■

 

「アレはこちらが突っかけるのを待ってるのでしょうね。ドグ、君が最初に突っ込むんだろうが、あの手の怪物は強力な反撃手段を持っているだろうから気をつけろよ。…それはともかく、仕掛ける前に軽く仕込んでおきましょうか」

 

 ヨハンの気軽な語調に、ラドゥは“仕込み?”と怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「ええ、仕込みです。おい、貴様。俺に喧嘩を売った長髪の剣士」

 

 ヨハンが語調を変え、粗雑な様子でジョシュアに声をかける。

 だがジョシュアは疎ましそうな様子でヨハンをにらみつけるばかりだ。

 

「なんだその目は。やるのか?まあいい、生き残ったら喧嘩を買ってやる。だが耳を貸せ。秘策がある。…ああ、それとレイア殿も話を聞いていただきたい」

 

 ヨハンはジョシュアの返事を待たず、二人を呼び寄せ何事かを呟き、表情を変えたジョシュアとレイアに何かを手渡した。

 

「強力な術ではある。だが、使いどころが限られるのでね。触媒代は全て終わったら返してくれ。効果はちゃんとある。俺の手際は長髪が知っているだろう?」

 

 ヨハンが言うと、ジョシュアは苦々しそうに表情を歪めた。

 ジョシュアはヨハンの言葉に答えることはかったが、彼の表情が何よりの答えであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「何を話していたのだね」

 

 ラドゥが尋ねるが、ヨハンは“秘するが花という言葉もあります”だけ答えて取り合わなかった。

 

 ■

 

 ラドゥが手をあげる。

 親指と人差し指を立て、ハンドサイン。

 親指は自分を意味し、人差し指は対象の後方という意味だ。

 

 背虫のカジャの気配が消えた。

 

 同時に、左右から傭兵達が切り込む。

 双子の剣達者、左剣のジョシュア、右剣のレイア。

 正面からはジョシュア、レイアには劣るものの、タフで粘りのある戦いを得意とする盾剣士ドグ、そしてラドゥ。

 

 後方にはラドゥ傭兵団きっての射手、“星穿ち”フェンバオと魔術師のマフゥがおり、彼は既に魔術行使の準備をしていた。

 

 ヨハンとヨルシカは遊撃として行動する。

 傭兵団の連携は洗練されており、ゆえに部外者が連携に割り込めば不協和音となる恐れがあるからだ。

 

「君の事は私が守ってあげるよ。見知った仲だしね」

 

 ヨルシカが軽い様子でヨハンに言い、ヨハンは苦笑を浮かべる。

 

「助かる。しかしあの怪物は確かにちょっと強そうだが、ダッカドッカがアレに敗れるというのは考えづらいな。その辺の銀等級冒険者程度では不覚を取るかもしれないが、俺の目から視てもダッカドッカは金等級の域に達している。アレとダッカドッカが戦えば俺の見立てでは後者が勝つが…するとマトモじゃない相手ということか。何がマトモじゃないのかな?少し視え辛いんだ、“色々と”重なっている。ヨルシカ、それとフェンバオやマフゥも達人だろうから知っているだろうが、マトモじゃない奴とマトモに殺りあえば大体負ける。つまりは…ははぁん、種があるんだな。自慢じゃないが、俺はそういうのを暴いてぶち殺してやるのが大好きでね」

 

 ニタニタと戦場を眺めるヨハンの口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 

「おい、連盟の術師、お前も何かしろよ…」

 

 フェンバオはけだるそうに、そして呆れながら言うが、そんな様子で引き絞る弓は空間ごと纏めてきしませているかのごとき異音を立てていた。

 

 そして出血。

 フェンバオの両の腕は血管は切れ、腕のそこかしこからは出血が見られる。

 

「無駄だ、フェン。俺は昔、連盟の術師と仕事をしたことがある。ラドゥに雇われる前の話だが。まあ大概な性格をしていたよ」

 

 マフゥが陰気な声で言うがヨハンは黙殺し、フェンバオに返事をする。

 

「分かっているさ、フェンバオ。だが機を見ている。そして考えているんだ、奴の始末の仕方をな。君は素晴らしい弓手だが、アレを簡単に殺れるとは感じていないだろう?達人だからな、なんとなく分かるはずだ。そういうのを殺れるように仕立てる、それが俺の仕事だと思っている。所で君のそれすごいな。星穿ち?確かに星でも落とせそうだ。そこに至るまでに磨いてきた業の煌めき、眼福と言っても過言ではない」

 

 それを聞いたフェンバオは、あっそ、と言いながら妻手を離した。

 

 

 ■

 

 後背から唸りをあげて迫る気配を察知したドグは大声で叫んだ。

 

「フェンバオの嚆矢だ!敵は体勢を崩すぞ!ジョシュア!レイア、頼んだぞ!団長!“溜めて”ください!俺があいつの攻撃を受け止める!」

 

 盾剣士ドグが大盾を構えて突っ込み、ラドゥがドグの後ろから剣を構えて突き進む。

 

 ドグは“体勢を崩す”と言ったが、それだけでは済まなかった。

 フェンバオが放った一矢は、秒速1300メートルの速度で赤魔狼に突き刺さると同時に小規模な魔力の爆発を起こし、赤魔狼の頭部を吹き飛ばしてしまった。

 膨大な魔力と体力を費やすが、その一撃は飛翔する竜種をも地に叩き墜とすと謳われている。

 

 しかし、その場の誰も表情を緩めない。

 首無しの巨狼からはいまだ衰えぬ殺意の滾りが迸っていたからだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ドグが盾ごと突っ込む。シールドチャージ。

 全力疾走する二頭立ての馬車に衝突した際と同じ程度の運動エネルギーが赤魔狼に叩きつけられた。

 いくら魔狼といえども通常個体ならばそれで轢死する所だが…

 

 ──お、重いッ!

 

 ドグが表情を歪める。

 まるで数十、いや、数百もの魔狼の群れと押し合いをしているような手ごたえをドグは感じた。

 

「ドグ!!下がれ!」

 

 ラドゥが叫ぶが遅かった。

 赤魔狼の全身がどろりと溶けたかと思うとドグを吞み込んでしまった。

 

 ドグという男は盾剣士というだけあって、盾に並々ならぬ愛着を寄せている。この世界では思いの丈に見合った力というものが与えられるために、ドグの盾の護り、あるいは盾を使った攻撃というのは非常に強力だ。だから赤魔狼の攻撃といえども、ドグが本気で盾を使って防ごうとしたならば難なく受け止められるはずであった。

 

 しかし、相性というものはある。

 要するに、液状化しての攻撃というのは盾を迂回してしまうために、ドグとは相性が悪いのだ。

 

 ドグを包み込んだ液状の赤魔狼は、瞬時にその身を再び固形化した。その瞬間に、ドグは赤魔狼の体内で押しつぶされ、ひしゃげ、当然の如く死んだ。

 

 フェンバオに頭を吹き飛ばされたはずの赤魔狼は固形化と同時に頭部を再生した。

 その口は耳まで裂け、釣りあがっている。

 嘲笑っているのだ。

 

 そこへ左剣のジョシュアが赤魔狼の狂相にも怯まずその腹に長剣を突きいれた。

 

(再生も無限ではないだろう)

 

 ジョシュアはそう考えた。

 

 しかし、貫いた腹部の傷口から赤い触手が生えてくる。

 それはジョシュアの眉間めがけて素早く伸びた。

 

 軌道は眉間、受ければ即死。

 それをジョシュアは頭を振る事で回避した。

 触手の先端がジョシュアの頬を抉り、生来の美麗な相貌が血に染まう。

 

 しかしジョシュアは怯むことなく大剣の切っ先を赤魔狼に突き立て、左腕から魔力を流し込んだ。

 螺旋状に回転する魔力だ。

 それは彼の得物に伝わり、ジョシュアの大剣は死の回転掘削機と化した。

 

 “穿ち”と名づけられた彼の魔剣は、ジョシュアの魔力操作が続く限り回転を続ける。魔力を物体に伝導させて操る業はダッカドッカの薫陶による。単純威力ならばラドゥ傭兵団随一の破壊力を持つのがジョシュアの魔剣であった。彼に勝る破壊力を出せるのはラドゥその人の秘剣しかない。

 

 しかし代償もある。剣を握るジョシュアの掌は摩擦により時間とともにボロボロになっていく。

 

 だが、そんな彼の魔剣も赤魔狼相手にはやや勝手が違うようであった。

 

「…ッ硬い!」

 

 ジョシュアが呻いた。

 高速回転する大剣は赤魔狼の腹部に食い込んではいる。

 しかし食い込んでいるだけで貫く事は出来なかった。

 金属のように硬質なわけではない、極めて高反発の肉に包み込まれたかのような感触は、ジョシュアをして経験したことのない斬り味であった。

 

 動きを止めたジョシュアに赤魔狼が巨腕を振り上げ、爪を突き立てようとする。すかさず離れようとするジョシュアだが、先ほどの頬への一撃が骨に伝わっていたようで、一時的な脳震盪を起こして素早い動きができない。

 

「ジョシュア!」

 

 ジョシュアへの致死の一撃を受けたのがレイアだった。

 長剣の切っ先を振り上げられた巨腕の手首に軽く突き込み、引っ掻く様に逸らした。そればかりか、軌道をずらされた赤魔狼の引っ掻きは、自身の脚を傷つけてしまう。

 

 赤魔狼がレイアを僅かに見遣ったかと思うと、腕が二つに、いや、四つに裂け二閃の死の軌跡が左右からレイアに襲い掛かった。

 

 レイアは冷や汗を流しながらも、左から迫る二閃の片方に狙いを定め、剣先を引っかける。僅かな力を込め、それを裂けたもう片方の腕に衝突させると、軌道が変わり、それは右方から迫る攻撃に衝突し…結果としてレイアはただの一度の攻撃とも言えない突き一つで、左右合わせて四閃の攻撃をしのぎきってしまった。

 

 ■

 

「一人死んじゃったか。援護に行きたいけれど、少し難しいかな」

 

 ヨルシカは呟き、瞬き程の間に三度の突きを放ち、赤い人形は両の腕と頭部を弾けさせ、どろりと形を崩した。

 

 ヨハン、ヨルシカ、フェンバオ、マフゥは遊んでいたわけではない。先行するラドゥ達を援護しようとしたが、それを阻む者達がいたのだ。

 

『唸れ、回り、捻り、殺せ!』

 

 マフゥが両の掌を掲げ、まるで何かを捻るかのような動作をする。

 すると赤人形達の周辺の空間が渦巻き、赤人形達の肉体が引き千切られた。

 

「あれは魔術というよりは念動…原初の力だな」

 

 ヨハンがぼそりと言い、首吊り花の花弁を風に舞わせた。

 

「過ぎ去りし楽しき日々、家族の愛、仲間との絆。全てを失い、孤独に沈む君に残された救い。垂れる縄の輪よ。ゆらり揺れる弧に君は最期の微笑みを思い浮かべる」

 

 これはヨハンがヴァラクにたどり着き、チンピラ染みた傭兵に絡まれた時、先に手を出させてヨルシカもろとも縊り殺そうと考えた際に使おうとした魔術である。

 

 効果としては至って単純で、敵対者の精神を汚染し、道具があればその道具を使って、道具がなければ自身の手で自主的な絞殺を促すというものであった。

 

 惨い魔術にも思えるが、精神汚染の段階で被術者は自殺に救いを見出すようになるため、その点を鑑みれば人道的な術と言える。

 

 ただ、この術は精神汚染が必須となるために、心が強い者や極めて鈍感な者には効果を及ぼさない。もちろん意思を持たない存在に対しても。

 

 ゆえに、赤人形という意思を持たぬ殺戮人形にもヨハンの術は効くことはなかった。

 

「やはり意思がないか。では──」

 

 ヨハンは外套のポケットから小さい赤い石を取り出して放り投げた。投石術…とはとてもいえないアンダースローからの投石は、当然赤人形には何ら痛痒を与えない。

 石の悉くは赤人形の胴体に呑み込まれてしまう。

 

 ──炎衝・閃

 

 だがヨハンが短く唱えると、赤い石は赤人形の体内で激しく燃え上がり、短く激しい閃光をあげて小爆発を起こした。

 

 この世界の魔術は様々な体系が存在している。

 魔導協会の協会式魔術がもっとも有名だ。

 だが中央教会と呼ばれる組織では法術と呼ばれる魔術を教えており、ヨハン達連盟の魔術師はいかなる体系にも属さない特別な魔術を扱う。ちなみに植物を触媒としての呪術は連盟術師特有の魔術というわけではない。

 

 マフゥが扱ったモノは分かりやすく言えばサイコキネシスである。

 人の意志や思考だけで物体を動かす、形状を変える、あるいは他の物理的な影響を与えるとされる超自然的な能力であり、この大陸では“原初の力”と呼ばれていた。

 

 いずれにしても共通するのが、“想いを力を成す”ことであり、術体系は様々あれど、それらは所詮プロセスが違うだけで、求める所は一致しているのである。

 

 そして“〇衝”、と始まる魔術は比較的新しい魔術体系に属し、協会式魔術のように紡ぐ詠唱に事象発現の想いを込めるのではなく、言葉そのものを事象と直接的に結びつけた実戦的な魔術であった。

 

 協会式魔術と比べて、詠唱時間は極短で、しかし魔術の発現規模は協会式ほどではない。また、触媒の消費が激しいため長期戦には向かない。

 

「液体生物なのかな?いや、生物ですらないのか。何の液体だ、とは考えるまでもなさそうだ。血だな、どう考えても。さて、しかし誰の血なのだろう…ところでフェンバオ、先の一撃は見事だったが、一発でヘタれるのはどうなんだ?」

 

 ヨハンが言うと、フェンバオは苦笑いを浮かべながら座り込んでいた。フェンバオの周囲をヨハン、ヨルシカ、マフゥが囲んで彼を赤人形達から護っている。

 

「いやあ、済まないな、それとさっきの言葉は撤回するよ、連盟の術師殿。守ってくれて助かる。だが…」

 

 フェンバオの言葉が陰を帯びた。

 

 マフゥが苦々しく吐き捨てながら言う。

 

「ああ、数が多すぎる。斃しても斃しても、増え続けていくからな。急所の概念がない。放置もできん。今はまだ余力があるからいいが、こいつらは一体一体がそれなりにやるぞ。ぬるい攻撃をしようものなら反撃されて手傷を負う」

 

 ヨハンはちらりとラドゥ達を見て言った。

 

「あっちもあっちで大変そうだ。特性はこの人形共と同じか」

 

「そうだね、それにしても狼か。そういえば月魔狼フェンリークの話をしてくれたっけね。あいつとどっちが強いのかな?」

 

 ヨルシカがややげんなりした様子で言った。

 疲労はまだ大丈夫なようだが、剣に付着したねばつく血液のようなモノを厭な顔をしながら振り落している。

 この血液のようなものも問題で、得物の切れ味を著しく低下させるのだ。

 

「フェンリーク…、か。なるほど。魔狼の消失。不死性…のようなモノ…血か。血は確かに呪術的な利便性に長ける。だが魔狼の血というのは…ああ、いや、まて。魔狼の血だけじゃないのか、奴が取り込んだのは」

 

 ヨハンがブツブツ言いながら赤人形の攻撃…腕を硬化させた振り下ろしの一撃を半身になって避けた。

 ヨルシカがすぐにその個体を切裂いてバラバラにしてしまう。

 

 ──中々の太刀筋だ。あれならば…

 

 ヨハンはヨルシカの評価を更にあげて、一つの閃きを得る。

 

「ヨルシカ、マフゥ、フェンバオを護るついでに俺の事も少し護ってくれよ。ちょっといいことを思いついたんだが、少し段取りがいるんだ。ああ、そうだ、マフゥ。君のその見事な念動で俺の左手をへし折ってくれないか?ヨルシカは刃物が得物だし、フェンバオはヘタれている。自分でやるのも良いが、加減が難しくてね」




この回の挿し絵はすべてMidjouneyで生成しました。


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成れの果ての月(下)

 

 レイアには剣の天稟があった。

 とにかく眼が良かったのだ。

 

 例えば巨岩を前にしても、どこを突けばそれを崩せるかが一目で分かった。急所…勘所といってもいい、そういうものが良く分かる。だから赤魔狼が様々な方向からレイアを八つ裂きにしようと触腕を振るおうと、そのどこをどうすればどうなるかが分かってしまう。降り注ぐ矢の雨を、剣の一本で数本弾き飛ばすだけで数十、あるいは百に届くかのような矢に影響を与えて回避してしまうなんて真似も彼女には難しい事ではなかった。

 

 ──ジョシュアの“穿ち”でも貫けなかった

 ──なら、団長のアレしかない

 ──団長は?まだ?

 

 背後から伝わる裂帛の闘気からは、もう少しで“成る”とレイアに思わせる凄まじいものだった。

 

 ラドゥの秘剣はジョシュアのそれを遥かに凌駕するが、溜めの時間が膨大だ。

 

 レイアは雨の様に降り注ぐ連撃を丁寧に、丁寧に捌いていった。

 時間を稼げばラドゥがどうにかしてくれると信じて。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ──まだ、もう少し持ちこたえられる

 

 レイアの集中力は針の様に尖り、赤魔狼のあらゆるアクションに精密に対応していった。

 

 だがその精密行動は突如として停止する。

 なぜなら…

 

「と、義父さ…ん」

 

 呆然と呟くレイアの前に立つのは血の似姿。

 勇猛な戦士、ダッカドッカ。

 

『ず、ずまねぇな、れいあァァ…お、れ、ぐわれぢまっだ…よ、ひゃ、ははは、は』

 

 真っ赤な人型は、その肌の色以外正確にダッカドッカの容貌をコピーしていた。だが声は水におぼれているかのようにくぐもっている。

 ()()は当然ダッカドッカ本人ではない。

 しかし、それでもレイアの動きは一瞬停止してしまった。

 

 あ、とレイアは上を見上げる。

 眼前に一本の、先端に硬質な白い骨の針を持った触手が迫って…

 走り込んできたジョシュアがそれを頭部で受けた。

 

 ジョシュアとレイアの視線が交わる。

 それはほんの僅かな時間だったが、その瞬間に交わされた二人の想いは千の言葉を費やしても余りあるものであった。

 

 レイアの喉がひゅっと鳴り、息が詰まる。

 しかし得たいの知れない妖気が速やかに思考を正常なものへ強制的に戻した。レイアの脳裏に不景気面した術師の青年…ヨハンの顔が浮かんで、消えた。

 

『良いか、長髪、そしてレイア殿、これは相死相愛の呪いという。愛し合う二人の最期の復讐の誓いだ。──相手は強敵。であるなら死を覚悟する場面もあるだろう。もちろんそれを凌げるのならばそれが一番いい。しかしそれが叶わない時もある。どちらかが死に、復讐を誓うだろう?復讐が叶うならばいい。だがかなわなければ?無為に死んでいくのか?それは厭だろう。…だから……の時は、……しろ。分かったな。しかし、この術はお前たち二人の死を前提としたモノだ。発動されることがないことを願うよ。特に長髪。俺はお前が嫌いだが死んでほしいと思うほどでもない。せいぜいお前の愛する姉に男が出来たらいいなと思う程度だ。くやしさで眠れぬ夜を過ごすお前のツラを肴に酒を呑みたいよ』

 

 ・

 ・

 ・

 

 愛する双子の弟が脳をぶちまけて死ぬ様を横目で見たレイアは、尋常な手段では敵わぬと判断する。

 そして、ならばやはり尋常ならざる手段を取るべきだ、とも。

 

 ──どの道、ジョシュアがいないなら生きている意味はないのだから

 

 レイアは静かな声でラドゥへ告げる。

 ──もう一呼吸、時間を作ります

 

 ラドゥは頷き、同じ墓へ入れよう、と答えた。

 

 レイアはニコリと微笑むと、それではお先に、と駆けていく。

 そして、近付くやいなやおもむろに剣を放り捨て、両手を左右へ広げる。

 触手は当然彼女の全身を貫くが、彼女を貫いた部分と同じ箇所の穴が赤魔狼に空いた。

 

 剣達者が全力を込めた一撃でも有効なダメージを与えられなかった赤魔狼であったが、突如空いた全身の傷孔を見つめると

 

 “────ッ!!!? ”

 

 声に成らぬ絶叫をあげた。

 

 連盟の術師ヨハンが彼等双子に施した相死相愛の呪い。

 

 起動条件は2つ。

 愛する者を殺される事。

 愛する者を殺した憎き仇に自分が殺される事。

 

 愛する者を殺された者が、己の何もかもを捨て去ってでも復讐を誓った場合のみ起動できる報復の呪い。

 

 愛は障害を乗り越え成就させるものと相場が決まっている。

 従って、この報復の呪いは相手が如何なる防御策を講じてようと、その一切を無視して自らを害した相手に同じだけの報復を為す。

 

 レイアは全身を貫かれてなお即死には至らなかった。

 最期の力を振り絞り、這いずる。

 そして愛する弟の死骸の傍まで行くと、その手を握ってから死んだ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

「…馬鹿め」

 

 ジョシュアとレイアの惨死を見たヨハンは苦々しそうに呟く。

 

 ■

 

 ラドゥは赤魔狼の身体が生まれる触手の雨を捌く事で手一杯となっていたが、ジョシュアとレイアが生み出した痛撃は赤魔狼の攻め手を確かに緩める。

 

 2人の勇敢な傭兵が作り出した絶好のチャンスをラドゥが見逃す筈もなかった。

 

「おお!」

 

 ラドゥは叫ぶと大剣を大上段に振りかぶり、赤魔狼の頭部目掛けてその頭蓋を叩き割らんと一閃させた。

 傷を負い怯んでいた怪物はしかし、その両手を掲げ剣を受止める。

 極めて硬質で、しかし弾力のあるなにかに刃を立てているような感触をラドゥは覚えた。

 

 だが

 

 ラドゥの大剣が細やかに震動する。

 震動は波が押し、引くが如く独特のリズムで剣を伝わっていく。

『はつり』と同じだ。

 物体を切り裂くのではなく、高速震動をもって物体を叩き壊す。

 

 海はその波を持ってして長い年月をかけ岩礁を削りとるというが、重き波のラドゥがかけるのは長い年月ではなく瞬間であり、削り取るのは岩礁だけではなくあらゆるモノを削り取る。

 重量級の大剣がズブズブと赤魔狼の腕に食い込んでいく。

 

 堪らず赤魔狼の全身が波打ち、液状化の兆候を見せた、その時。

 

 背虫のカジャがぬらりと赤魔狼の背後に現れ、その背に鋸のような形状の特殊なナイフを突きいれた。

 

 弟のようであったジョシュアが、密かに想いを寄せていたレイアが死んでも一切動かず、じっとチャンスを待っていた。

 だが、決して何も感じていなかったわけではない。

 

 カジャの目は恨みと憎しみで血走っている。

 あらゆる負の情念を込めた短刀が、ゾブリと音を立て赤狼の体へ沈み込んだ。

 

 ■

 

 背虫と呼ばれるナイフの名手が突きこんだ短刀は何の抵抗もなく赤魔狼へ沈み込んだ。

 何の抵抗もなく。

 当たり前だ、液状化しつつあるのだから。

 しかし、その液状化がにわかに沈静化した。

 

 カジャがニタリと笑う。

 彼の短刀からは“凝固剤”が滴っていた。

 刃に溝が彫られており、これは毒を伝わらせやすくする為の溝で、暗殺者の類がよく使う形状の短刀であった。

 

 凝固剤というのは、主にスライムや水精といった液状生物を仕留める時に使うもので、場合によっては人間相手に使うこともある。

 液体を凝固させる、すなわち血液を凝固させられるというのは生物にとって致命的な現象だからだ。

 毒物に耐性があるモノは多くとも、血液の凝固に耐性を持つモノというのはそうそういない。

 

「血腥ぇ、な、ひひっ…でもよぅ、ちちち、血のバケモノなら、堪らんだ、ろ?くくくく、苦しんで、し、し死ねッ!」

 

 急速に固形化していく赤魔狼の肉体を前方からラドゥが、後方からカジャが削っていく。

 

 カジャの短刀が凝固した赤魔狼の体内で蛇のようにうねり、内部をズタズタに引き裂いていった。

 

 カジャは言い方は悪いが殺しに慣れている。

 自身の刃が刺したモノの命に届いているかいないか、それくらいは分かる。

 

 そんなカジャの感覚は確かに一つの命を吹き消したのを感得した。

 熟練の斥候のバックアタックは、確かに一撃で赤魔狼の命の一つを吹き消したのだ。

 

 ──こ!殺した!殺した!

 

 表情がどろりとした喜びで歪むカジャだがしかし、すぐに愕然としたものになった。

 

 ──馬鹿な! 確実に殺したはずだ!

 

 カジャの掌は吹き消したはずの命の炎が、更に勢いを増して燃え上がるのを感じていた。

 先ほど液状化を防いだにもかかわらず、再び液状化の能力を復活させ、背から伸びる悍ましい肉の触手がカジャの両腕に食い込んでいく。

 

 肉に侵食されながらも、カジャの頭は疑念に満ちていた。

 

 ──なぜ死なない?いや、殺した。なのに蘇った…のか?

 

 ──死ぬには死ぬ、だから不死ではない。俺は複数の命を感じた。複数の命、消えた魔狼、調査隊!…そ、そうか

 

  ──嗚呼!ダッカドッカ…あんたが削ってくれたんだな

 

 カジャは空いた手で予備のナイフを取り出し、それを首に当て叫んだ。

「だだだ団長! 奴は、命を喰う!魔狼も、調査隊も!奴が喰った!でででも!ダッカドッカが削ってくれた!だだだから!」

 

 ラドゥが頷いたのを見て、カジャは己の首を搔っ切った。

 

 肉を取り込むなら、命を吸うのなら、どうせ己は死ぬのだ。ならば命の源泉たる血を一滴たらず流しつくしてやろう。

 カジャの、最期の抵抗であった。

 

 

 カジャが事切れたのを見たラドゥは剣を引き、後方へ駆け出す。

 

 ■

 

 ヨハン

 

 

「ヨハン。奴は命を盗む。肉を食い、血を吸い、自分の命へと変えている。無限の命をもつ訳では無い。不死身でもない。命は使えば失われる。しかし、死体を取り込むことで補充が出来るようだ」

 

 駆け込んできたラドゥがそんな事をいってきた。

 彼と、その仲間たちに深く感謝する。

 

 俺はぐちゃぐちゃに崩れた肉の塊を見やる。

 肉の塊はやがて狼の姿を取った。

 魔狼を模した怪物は、遠めからでも嗤っている事が分かる。

 俺たちを嗤っているのか。

 自分が食い殺した連中をあざ笑っているのか。

 しかしなるほど、やはりお前は狼の姿を取るのだな。

 

 ラドゥから聞いた事、奴の行動……これらを知ってようやく奴というモノの本質が見えた。

 相手の正体が分からないとどうしようもないのだ、こういうのは。

 勇敢な戦士達がいなければ、そしてコイツが度し難いほどの低脳でなければ敗れていたかもしれないな。

 

 ヨルシカが俺の前に立つ。

 俺を護るつもりでいるのだ。

 かわいそうに。

 護るつもりでいたら、これから頼むことが少しやり辛いかもしれないぞ。

 気持ちは嬉しいが。

 

「ありがとう、ヨルシカ」

 

 §§§

 

 ────ッ

 

 よくわからない何かが断続的に聞こえて来る。

 嗤っているのか。知能は高そうだ。

 それにしても、なぜこいつは勘違いをしているんだろう? 

 

 俺はヨルシカにあることを告げ、腕をおさえて前へ進んで行った。

 

「憧れの存在に近づけて楽しいか? 野良犬。だがお前はフェンリークにはなれない」

 

 フェンリークの名を出すと赤魔狼はあざ笑うようなナリを潜め、敵意に溢れた様子で俺を睨みつけてくる。

 目玉もないくせに偉そうな犬だ。

 

「お前の姿、能力。お前はフェンリークになりたいんだろう? 冷たい月の牙、月魔狼フェンリークに。だからどんな姿を取れるにもかかわらずその姿を取り続けるんだろう? お前が命を増やそうとするのは、月の在る夜は絶対の不死性を誇っていたフェンリークのそれへの憧れだろう?」

 

 だが、と俺は続けた。

 

「でもお前1匹だけじゃ大した事ができない。だから喰ったんだろ? 仲間を。仲間を食い散らし、それでも飽き足らずに今度は人間様を食い散らした。本来はそんな事したって命の嵩なんぞ増えないのだが……。真摯なる思いは力となる。お前に作用している力はある種の呪術なのだろうな。そうだな、名づけるならば月の呪いか。良かったじゃないか、野良犬。憎い人間を食って命を増やして、仲間を食って命を増やして……それで? 近づけたのか? 美しく強いフェンリークに。近づけていないよなあ、野良犬。お前はそんなにも醜く、臭く、忌まわしい。おかしくないか? お前は命をいくらでも補充できるのだろう? ならそれはもはや不死と同じではないか。それなのになぜフェンリークに近づけない? 答えを教えてやろう。お前が間抜けだからだ。頭が悪いんだ。フェンリークの上っ面だけを見て、その生き様を見ようともしなかったド低能の犬コロよ、なぜ間抜けなのか教えてやろう」

 

 俺は手帳を取り出し、月下樹の葉を取り出す。この行動は息継ぎも兼ねている。雷衝の逆流の影響で肺活量に悪影響が出ている。

 

 だが赤魔狼は全身これ殺気という様相で俺へ瞳の無い目を向けていた。

 怒っているのか? 襲ってこないのは、お前がなまじ知恵が回るからに相違あるまい。仲間を殺された俺たちを嗤うほどの知恵があるほどの魔であるならば、俺の言葉はわかるだろう。

 

「フェンリークは、その多くの眷属と共にヒト種へ敵対をした。しかしなぜ彼女は……ああ、フェンリークは雌だ。まあいい、とにかく彼女がなぜヒト種へ敵対したのか分かるか? 簡単だよ、仲間を養うためだ。仲間に、家族に、友に飯を食わせるために人と敵対したのだ。200年前は大飢饉があったそうだからな。食料が足りなかったんだろう。俺が言いたい事が分かるか?」

 

 ニタァ~っと嗤いかけてやる。

 特に理由はない。

 嫌がらせだ。

 

「お前の出来損ないの不死性を担保するのは、お前の“フェンリークになりたい”という願いが呪術へと昇華したものなのだが、そのフェンリークはお前と違い、仲間を、友を守る為に戦った。お前とは逆の生き方をしているよな。さて、ここで疑問なのだが、お前、その呪術を使い続けることでフェンリークに近づけると思うか?」

 

 いいや! と俺は叫び、笑う。

 低脳のあまりに愚かな勘違いが本当におかしかった。

 

「はははははははは!! 馬鹿め!! 大馬鹿め!! ならない! ならないよお前! お前が呪術を使えば使うほど、お前はフェンリークとは違う、おぞましい化け物へ変わって行くのだ! お前は最初から間違っていたのだ! お前は不死になりたいわけじゃないんだろ? フェンリークになりたいんだろ? はァ──ははははははは! どうした、震えて。怒っているのかな? ふ、ふふふ。怪物殿よ、そこまで呪が進行しているならば、もうお前はやりなおすことすらできないよ、俺たちを殺しても、お前はずっとずっとそのままだ。哀れな、フェンリークどころか魔狼にすらなりきれぬ世界の逸れモノよ。いつかフェンリークのように美しく強くなれると信じていたかもしれないが……ふふふ、無駄な努力、おつかれさん」

 

 俺が言いおえるのと同時に、赤魔狼は絶叫をあげながら襲い掛かってきた。

 

 “GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!! ”

 

 赤魔狼は俺の傷ついた腕に食いついてきた。

 分かっていた。

 憎い俺が傷をかばっているのだ。

 そこを攻めたくなるよな。

 お前は化け物だが、魔狼でもある。

 出来損ないだが。

 

 なら弱味を狙いたくなるよな。

 俺の腕が欲しければくれてやろう。

 

「ああ、なるほど。餌をより美味くするために俺に傷つけさせたのか」

 

 マフゥが呆れたように呟いた。

 

 §§§

 

 連盟の術師ヨハンの腕に赤魔狼が食いついたその瞬間に、ヨルシカが疾風のごとく駆け寄り剣を一閃させた。

 

 赤魔狼を狙ったものではない。

 狙うは、ヨハンの腕だ。

 予めいわれていた部分を正確に切断した。

 

 赤魔狼は腕に噛み付き、咀嚼し、飲み下す。

 

 ヨルシカの脳裏に、ヨハンがギルドでつかっていたある術が思い起こされる。

 

 異変はすぐに顕れた。

 異臭だ。

 度し難い程の。

 

 赤魔狼の動きが止まる。

 両の手を広げ、愕然とした様子で眺めている。

 赤魔狼の手のひらから煙が立ち上っていた。

 

 §§§

 

「やあ! 間抜けな怪物。低脳の野良犬殿。不思議か? 何が起こっているか教えてやろう」

 

 俺は喜んで赤魔狼へ話しかけた。

 もっとも相手はそれどころではなさそうだが。

 

「仮初とはいえど不死たるお前ではあるが……痛いだろ? 苦しいだろ? 今。そうだろうな。なぜならお前は疑念を抱いてしまったからな。己の不死の根源たる呪いに。お前の体は今、内から腐り爛れていっている。沢山血と肉を取り込んだ醜い身体が、内側からドロドロと腐っていっているんだ。なぜかって? それは俺が自分の腕に腐り血の呪いをかけていたからさ! 本来のお前であるならば、こんなものは跳ね除けていただろう。不死なのだから! でも、なあ……くっくっくっく……」

 

 俺の前で赤魔狼の身体がみるみるうちに変色していく。

 

「術師の先輩として教えてやろう。術とは世界を騙し、改ざんし、自らのルールを敷く者だ。必要なのは己への絶対的な信頼だ。世界のルールより、自分のそれが優越するのだと、そう心から信じられないものに術は使えん。然るに、お前はどうだ。自らの存在意義を見失ったお前に術の神は微笑まない。もうお前は不死ではないよ。ただの、腐りかけた野良犬さ……サー・ラドゥ!」

 

 さすがにこのままラドゥを蚊帳の外に置いたらヴァラクに帰還後打ち殺されかねない。

 

「……ああ、しかし本当に君は話が長いな……だが感謝する」

 

 ラドゥが苦笑しながら大剣を構えなおし

 

 悶え苦しむ魔狼の成れの果てを

 

 とろけた頭部めがけて一刀両断に振り下ろした。



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エル・カーラへ

 

 ■

 

 ギルドへの報告、報酬の受け取り。

 死者たちの弔い。

 そんな諸々が済んだのはヨハン達がヴァラクへ帰還して数日後の事だ。

 

 ヨハンはヨルシカを見送る為に馬車の待合場所へ来ている。

 

「ヨハン、私も本当は君についていきたいのだけれど。1度都市同盟の…お世話になった人たちにこのお金を届けたくってね」

 

 ヨルシカが目を伏せて言うと、ヨハンは軽く頷いて答えた。

 

「家族へ仕送りかい?アシャラはなぁ…確かに自分の手で届けたいところだ。ギルドに依頼を出すにせよ、配達便を使うにせよ、最低でも銀等級の中程度は腕がある奴じゃないと、道中の魔獣に食い殺されかねないからな」

 

 腕の事がなければ自分が付き添ってもよかったが、とヨハンはぼやいた。あの後、腕は止血、手当としっかり措置した上、鎮痛作用のある術や薬で痛みを誤魔化しているが、このまま放置していいものだとは流石のヨハンも考えていなかった。

 

「俺は義手を調達しにエル・カーラへ行かなきゃならないからな。

 パーティはここで解散だ。まあお互い冒険者だ、生きていればまた逢う事もあるだろう。じゃあな、ヨルシカ。君は良い同僚だった」

 

「あっさりしているなぁ。私たちは良い仲間だったと思うんだけれどな。命も預けあった仲じゃないか…ってちょっと馴れ馴れしかったかな、ごめん。でも同僚って、どうにも他人行儀すぎやしないかい?」

 

 やや不満そうなヨルシカの様子に、ヨハンは苦笑を浮かべる。

 

「君も知ってるだろう?冒険者と友達になってはいけないって。なぜなら…」

 

「親しくなってもすぐ死ぬから」

 

 ヨルシカの答えにヨハンは満足げに頷いた。

 ヨハンもヨルシカも冒険者仲間というものが出来た事はある。

 あるが、そのほとんどがもう故人だ。

 

 当然その辺のちんぴら紛いを仲間と認める彼等ではない。

 だが死んだ。

 事故で、病気で、あるいは殺されて。

 

「でも、そうだな。次会う事があれば、その時は…まあ…仲間という事でよろしく頼むよ」

 

 それはヨハンなりの“また会おう”という意思表示だ。

 ヨルシカもその意味するところを十全に汲み取り、淡い笑みを浮かべる。

 

「あ、馬車が来たみたいだ。見送りありがとう。君の旅路に幸運がありますように」

 

 ヨルシカはそういうと、ヨハンに背を向けて去っていった。

 彼女が馬車に乗り込む所を見届けると、ヨハンもまたその場を去っていく。

 

 ヨハンは翌日の馬車便を利用する予定だった。

 便数としてはアシャラへ向かう馬車よりもエル・カーラへ向かう馬車の方が多いのだが、宿の引き払いでやや手間取ってしまったのだ。

 

 ■

 

 翌日、ヨハンは馬車の待合場所へと向かう。

 西域の、特にレグナム西域帝国の領内では馬車のネットワークが発達しており、時間さえあるならば帝国領土内の隅から隅まで馬車だけで移動する事は難しくない。

 

 ヨハンが乗る予定の馬車はいわゆる高級馬車だ。

 乗車賃はレグナム銀貨20枚を必要とし、通常の馬車の運賃が銀貨1枚である事を考えると大変な価額である。

 しかしその分居住性や警護の面で優れており、馬車は帝国に所属する警邏隊の隊員が警護しつつ並走する。

 

 彼等は冒険者階級でいうなら銀等級の中程度の業前を持ち、これは分かりやすくいえば、力自慢な街のちんぴら数名に囲まれても、得物が短刀以上であるなら数分で皆殺しに出来る程度には鍛えられている。

 

 当然魔獣などとの戦闘経験も豊富で、高級馬車に乗り込むような貴人を警護するにはうってつけの人材と言えた。

 

 といってもヨハンが乗る予定の高級馬車は相席のため、貴人などが居たとしても下級貴族が精々だろうが。

 一言に高級馬車といってもその中でのランクもある。

 ランクがあがれば乗車賃も文字通り桁が一つあがる事も珍しくはなかった。相席馬車は高級馬車のカテゴリ内ではランクが低い方だ。

 

 ヨハンは馬車が到着すると、恭しい態度の御者に一礼をされ、車内へと案内された。

 

 外観は美しい彫刻や装飾が施された光沢のある木材で作られており、馬車の車輪は魔術で強化されている。これによって乗り心地が非常に滑らかで、まるで空中を浮かんでいるかのような感覚が味わえる。窓は流石にガラスなどは張っていないが、防風も魔術がかけられており、雨天に窓を開け放しても雨が入り込んでくることもない。

 

 馬車の中は広々としており、既に一名の先客がいた。

 赤いローブを纏った少女だ。

 柔らかいクッションが敷かれた座席に座って本を読んでいる。

 

 室内は暑くもなければ寒くもない。

 これは魔術によって温度や湿度が制御されているからである。

 

 ■

 

(いい馬車じゃないか。座席もいい)

 

 ヨハンは生まれが貧しいので、基本的には成金思考である。

 高ければ高い程良いという俗な信念があり、高級馬車をいたく気に入った。

 

(到着までは長い。少し眠っておくか)

 

 ヴァラクでの戦いで心身も些か疲労しているという事もあり、座席に座るなり腕を組み、目を瞑る。

 

 完全に寝の態勢に入ったヨハンだが、そんな彼の意識を甘くも甲高い声がズタズタに引き裂いた。

 

「あら、貴方その格好は術師かしら? 腕はどうしたの? 実験で失敗でもされて? 師はどちら? わたくしの師は魔導協会所属準1等術師“麗然凍景”…かの!!!有・名な!ミシル・ロア・ウインドブルームですのよ。わたくしは今は4等術師ですけれど、来年には3等まで上がるつもりですわ。でも聞いてちょうだい? わたくしは4等ではあるのですけど、爆炎弾の術式が使えるのです。炎の遠隔攻勢術式はわたくしの得意とする所ですのよ。ところで貴方は何等術師なのかしら。得意属性はなに? あら! わたくしったら、つい名乗るのを忘れてしまいましたわ……わたくしの名前、気になりますわよね? ええ、わたくしの名はアリーヤ…………」

 

 ヨハンの磨き抜かれた可殺眼は眼前の少女に対して3秒という数字を割り出すが、当然それは実行に移さない。

 ちなみに可殺眼とは“殺せるかどうか”を判断する眼力の事で、西域の冒険者界隈では皆が日常的にそのような目で相手を判断している。

 

(初対面ならばよろしくとか初めまして、とかそういう文言があるべきだとおもうのだが、文化の違いだろうか?)

 

 ヨハンは内心首を捻る。

 ちなみに魔導協会は連盟とは別組織である。

 彼の所属する連盟は本部もなければ支部もない、なんだったら組織内での階級などというものも存在しない、魔術組織というより同好会のようなものなのだが、魔導協会はその点大きく異なっている。

 

 魔導協会はイム大陸の西域と東域の両域にまたがる広大で影響力のある魔術組織である。

 多くの魔術師が集まり、研究し、魔術という難解な芸術に関する知識を交換する中心的な役割を担っている。

 協会本部はレグナム西域帝国の首都、帝都ベルンにあり、帝国の支援により建てられた大アルケイン図書館は、常に新しい発見と魔術研究の飛躍的な進歩で更新され、魔術の階梯を昇ろうとする人々の主要な目的地となっている。

 

 この組織は五名の一等術師達が属する評議会によって統治されており、組織の活動と方向性を監督している。彼らは魔術の実践が倫理的かつ安全であることを保証するために、厳格な規制とガイドラインを維持する責任を負っている。

 

 魔導協会は学習と協力の場を提供するだけでなく、各国の政治にも食い込んでいる。邪悪な呪術師、闇の儀式、危険な魔獣などの対処するため、さまざまな王国や政府と協力することも多い。

 

 ヨハンはそういった魔導協会の在り方を否定しないが、熱心に肯定することもなかった。

 

 黙ったままのヨハンに、アリーヤの眉間に暗雲が立ち込めた。

 無視されていると思ったのだろう。

 

 ■

 

「すまない、ちょっと考え事をしていたんだ。無視していたわけじゃない。そうか、アリーヤだな。よろしく。俺も自己紹介をしよう。少し長くなるが構わないかい?」

 

 よろしくてよ、とアリーヤが言う。

 

「よろしく。俺はヨハンだ。連盟の術師。連盟には等級制度はない。かわりに杖名を与えられている。だが、それは身内か親しいものにしか明かしてはならないとされている。悪いが君とは知り合ったばかりだから言えないよ。それと腕だが、これは魔物にくれてやった。中途半端で愚かしい不死の真似事をして遊んでいたからな。根源を破綻させ、術を破ったのさ。そして自分の腕に腐り血の術を仕込んで食わせてやったんだ。腹の中から爛れさせて盛大にぶち殺してやったとも。もっともとどめは俺が刺したわけじゃないけれどな。重い波のラドゥがさした。オルドの偉大な騎士だ。俺は余り人に敬意を払うタイプではないのだが、彼は尊敬に値するとおもっているよ。当然彼が率いる勇敢な戦士たちもだ。まあ殆ど死んでしまったが。1人は頭をぶち抜かれて。もう1人は相殺の呪いを抱え、腐れ野良犬に自分を殺させた。もう1人は糞野良犬の不死性の秘を暴き、見事に自分で喉を搔っ切って自殺したよ。死ぬべきときに死ぬことが出来る……それが優秀な戦士の条件だと思わないかい? ……だが!!」

 

 ヨハンは息継ぎをして続ける。

 

「こんな事を言えば死した者達に怒られてしまうかもしれないがね、あのような腐れ愚物に彼等の様な傑物が命を使ってしまうというのはとても残念で悲しいことに思えるんだ。君もそう思うだろう?」

 

 ──もしそう思わないなら

 

 アリーヤはヨハンの裏の言葉を読み、内心で震えた。

 

 ごくり

 何かを飲み込む音が馬車に響く。

 

「そ、そうですわね……」

 

 アリーヤはそれだけを言った。

 馬車酔いか?とヨハンがアリーヤを気遣うが、アリーヤとしてはそれどころではない。

 

(れ、連盟…)

 

 アリーヤはもう一度ごくりと唾をのみ込んだ。




・アリーヤちゃん

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・遥かに臨む、エル・カーラ

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エル・カーラへ②

 

アリーヤ

 

連盟!!!連盟!?!?

本当だったらヤバすぎますわ!!!

術師界隈の殺し屋集団、善人も悪人もブッ殺す狂人集団…

でも、連盟の術師は目についたものを片っ端から殺すようなことはしないはずですわ…。多分、きっと…。

 

そもそも本当に彼は連盟の術師なのかしら。

連盟の術師は冷静にイカれてるってお師匠様が仰っておりましたわ。

さあ、彼の目をみなさいアリーヤ!

術師たる者、目を見れば人となりは分かるものですわ。

 

私の目からみて、彼は……イカれてますわね!

でも、これはヤバいけどどちらかというとヤバくない感じのイカれ方とみました。理由があれば結構平気で人殺しをするタイプですわ…。

まあそれはわたくしもなのですが…

 

つまり、まだチャンスはありますわね。

思い出しなさい…お師匠様がいっていたことを…!

…連盟は理念で動く、そして理念はそれぞれ形が違う、でしたか?

 

では、その理念とは!!

理念とは普段の言動に滲み出るものですわ。

だから話を思い出せばわかるはず。

彼の理念の形が!

ええと、さっきの話を思い出すに……

 

彼が見ている。

まだだ、まだ時間が欲しい。

術師たる者、適当な事を言えばすぐにそれと察しますわ。

わたくしが適当な事を言って、それが分かればどうなりますの?

そう…死にますわ!

 

だったらどうするか?

それは適当な事を言わなければいいのです!

わたくしは4等術師にして既に爆炎弾を放てる不世出の天才術師…

齢12の頃には6人の野盗を地の影とした事さえある…

ならば出来るはずですわ。

 

「ち、ちょっと待ってくださるかしら?今まとめていますの。そう!考えをね、貴方も術師であるならば、言葉の大切さは分かるでしょう?分かりますわよね!?」

 

勿論だ、と彼が頷いた。

 

なるほど、つまり…彼等は……

 

 

「なるほど!術師ヨハン、貴方の言う事がわかりましたわよ。確かに仰る通りですわね…命を賭けねば打倒し得ない強敵でこそあっても!それはあくまでも能力だけの話であり!心が伴っていないそれであったと!そのようなゴーレムが如き存在との戦いが!勇士達の最期の戦いであるというのは余りに悲しいことではないかと!彼等ならば!もっと誉れのある戦場もあるだろうにと!そういうことですわね?わたくしも……ええ、改めて考えれば…確かに同感いたしますわ…ッ!」

 

ヨハンはアリーヤと名乗った協会の術師の目を見ていった。

 

「術師アリーヤ、連盟と協会は確かに余り良い関係とはいえないが、俺は君の尊い品格に敬意を払おう。エル・カーラまで短い道中だが、宜しく頼むよ」

 

アリーヤは大きく頷き、顔布で汗を拭い取る。



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魔導都市エル・カーラ

 

「…という訳だ。エル・カーラはその手の導具が手に入りやすい事で有名だからな」

 

ヨハンはアリーヤに目的を伝える。

彼の考えは、使い果たした触媒を新たに調達することだった。

エル・カーラは魔導協会の影響力が強い地域で、協会は連盟に対して含む所がある…というのをヨハンは知っている。

しかし、敵対するという所までは行っているわけではないし問題はないだろうとも考えていた。

 

アリーヤは指を頤に当て、少し小首を傾げながら言った。

あざとい仕草にヨハンは内心で"魔女らしくて何より"と賞賛する。

可愛らしい仕草で相手を油断させ、時には騙し、時には背後から刺し殺すというのは女性魔術師として納めておくべき基本的な技能であることは言うまでもない。

 

「事情はわかりましたわ。成程、魔導義手…ただ、あの手の物は相応のお値段がしますわよ?術師ヨハン、その辺は大丈夫なのかしら?」とアリーヤは問う。

 

ヨハンはその事実を認識している。普通なら手が出せない値段だが、今は違う。ヨハンは鞄から銭袋を取り出し、アリーヤに見せつけた。

 

「見ろ、これを。金が唸っているぞ。宝石もある。傭兵都市ヴァラクで俺は相応の仕事をし、相応の報酬を受取った。魔導義手も余程高望みをしなければ十分購入は出来るはずだ」

 

アリーヤは袋の中身を覗き込むと、フンフンと頷く。

ちなみに彼女はレグナム西域帝国の貴族の息女であり、祖父は帝都ベルンを守護する四将軍の一人である為、ヨハンの財産などは木っ端も同然であったりする。

 

「…良さそうですわね。それだけあるなら高名なマイスターの作品にも手が届きそう…ん?ん~…?…そうですわ、ちょっと腹案がありますの。聞いてくださる?」

 

ヨハンは頷き、先を促した。

 

「わたくしの師は先刻言った通り、魔導協会所属準1等術師【麗然凍景】のミシル・ロア・ウインドブルームなのですが、師ミシルには魔導技師としての側面もありますの。協会で名を成すには功をあげる必要がありますが、師ミシルはエル・カーラでも有数の業前を誇っておりますわ。そして師ミシルはここ最近、特に魔導義手の作成には力を入れています。非常に評判が良く、作り出すものはどれもが造形的な美と機能的な美を兼ね備えていると高評価を受けていますわ」

 

ヨハンは興味深そうにアリーヤを見つめる。

「それは良さそうだな。ということは、その師匠の元で魔導義手を作ってもらうということか?」

 

アリーヤは頷く。

 

「そういうことになりますわ。ただ、師匠の制作は本当に素晴らしいものばかりですから、自然と希望者も多くなっています。ですので、場合によっては順番が来るまでには時間がかかることをご了承くださいませ。まぁ、わたくしも口添えは致しますけれども…」

 

それは仕方ない、とヨハンは苦笑しながら言う。

 

「素晴らしいものを手に入れるためには、時間がかかるのも当然

だ」

 

 

アリーヤはヨハンの言葉に微笑んだ。

 

「お言葉、感謝いたしますわ。それでは、術師ヨハンの魔導義手を師に任せることといたしましょう。きっと、術師ヨハンが満足する素晴らしい魔導義手を作ってくださることと思いますわ」

 

──素晴らしい、か

 

ヨハンの脳裏に素晴らしい魔導義手が描かれる。

それは軽く、硬く、更に意のままに動かす事が出来、近接戦闘の際には鋭い刃が飛び出し、掌を敵にかざせば竜種の様に炎の息吹が放出される義手だ。

 

「ちなみに!基本的に多機能にすればするほどに耐久性に難が出てきますわよ。そのあたりは先にお伝えしておきますわね」

 

「ああ…分かっているとも…」

 

そう答えるヨハンの表情は明らかに落胆したもので、アリーヤは釘を刺しておいて良かったと思った。

 

ちなみに彼女にはヨハンには伝えていない思惑もある。それは別に陰謀の類などではなく、様はツテを得る事だ。

悪名高い連盟の魔術師とのツテは色々な事に使える。

特にアリーヤは貴族の息女である為、他貴族との権力争い、勢力争いも経験することになるだろう。

その際に強力な鉄砲玉を手中に納めておくことは大きなアドバンテージとなる。

 

その後アリーヤはヨハンの要望をすべて聞き出し、それを一つ一つ記録していく。

 

 

アリーヤの話では師匠であるミシルからの言いつかった仕事のために町を離れていたようだ。しかしヨハンはそれ以上は詮索しない。この世界では詮索を宣戦布告と捉える殺伐した気質の者も少なくないのだ。

 

ヨハンはエル・カーラについてアリーヤから色々と情報を得ていた。訪れるのは初めてではないものの、明確に目的を持って訪れたことは一度もない。ヨハンは世界中を転々と旅している為に、都市を訪れる目的というのは大抵が行きがかりといった偶然によるものだったりする。

 

アリーヤはヨハンにお勧めの宿泊施設、飲食店、さらには触媒などを販売している魔術店を色々と教えていった。

エル・カーラはレグナム西域帝国の魔術研究分野に置ける重要都市であるため、基本的には治安がよく、ぼったくりといった被害に遭う事は少ない。しかし完全な安全が担保されている都市など、この世界の何処にもないのだ。

 

そして、次にアリーヤが口にした情報で治安の良さという安心な側面は消え去った。

 

「これは…エル・カーラの恥部になるのですが、伝えておくべきだと思うので…。昨今、都市内に不審者が出没するのです」

 

不審者?とヨハンが小首を傾げた。

一般人と魔術師の比率が大きく後者へと偏る様な場所で、都市の治安を乱す様な不審者とは中々どうして肝が据わっているものだ、などと思いつつ話を聞く。

 

アリーヤの話では、不審者という言葉の響き以上に不穏な連中が跋扈しているとの事だった。エル・カーラ魔導学院の生徒達を狙った人攫いとくれば、これはもうレグナム西域帝国に対しての挑戦状と捉えられてもおかしくない。

 

(そういえば、帝国式と呼ばれる新体系の魔術を開発中だったか。その不審者たちの目的がどうであれ、随分とまあ命知らずな事だ…しかし、となると目的はなにがしかの儀式だろう)

 

さらには魔導学院の生徒の中には帝国貴族の子弟も少なくない。

血統的に恵まれており、魔術の才にも優れたるとあればこれはもう良い"触媒"となる。

 

「なるほど、不審者の素性はどうもその辺のチンピラなどではなさそうだが…。穏やかならざる儀式の触媒として人体を使うとしても、ここまでのリスクを冒すというのはどうにもな。余程忌まわしいものでないかぎり、大抵は時間と手間さえかければ触媒を手に入れる事は出来ると思うのだが。確かに悪魔召喚なり、自身を不死者として再構築したりといった魔術にはそういった触媒は必要だろうが、そんな真似を出来る術者ならば人体調達などもっとうまくやれそうにも思える」

 

ヨハンの言葉にアリーヤは頷く。

 

「仰る通りですわね。都市側でも帝国と連携をとって事態を調査してはいるのですが…っと、こんな暗い話ばかりではせっかくの大口のお客様を逃がしてしまいますわね。では別の都市へ行こうなどと言われてはわたくしが師に叱られてしまいますわ。ともかく、ご安心くださいませ…とは中々言いづらいですが、かの連盟の魔術師に手を出すほど彼等も愚かではないでしょう」

 

来るなら来るで構わないが、とヨハンは思うが口には出さない。

 

「まあ、仮に巻き込まれる事があれば協力しよう。術師アリーヤが連盟の魔術師である俺になにがしかのツテを作りたがっているように、俺も高名な魔導技師の弟子である君にツテを作るなり、もしくは帝国に対して恩を売るなりするというのは明確な利益となる。帝国宰相ゲルラッハは連盟をそこまで敵対視していないが、かつては連盟を潰そうと帝国が盛んに追手を差し向けたりしていた時代もあったらしいからな。現に、そう遠くない過去には元連盟術師ラカニシュが旧オルド王国で暴れたという事もあった事だし…」

 

あぁとアリーヤは苦笑し、そこで一旦は不穏な会話はお開きとなった。

 

そして他愛ない話をしているうちに、馬車はエル・カーラに到着する。

 

 

「さあ、都市に到着したのは良いですが、術師ヨハンも準備があるでしょう。…あれが見えますか?大魔針というのですが。あの長い針が右回りに三回進む頃にこの広場に来てくださる?この都市では大きな鐘を鳴らすことはありませんの。研究者が多いので、その辺は配慮されているのですわ」

 

アリーヤが指差した方向を見ると、似たような建築物が街のあちこちに建てられていた。

 

そして、改めて宿とギルドの場所をアリーナに確認した後二人は一度別れる事になる。

 

ヨハンは奇を衒う事なくアリーヤが勧めた宿へ泊る事にした。

 

"銀の月"という小綺麗な宿だ。

街の中心部にあり、各所へのアクセスも良い。

宿泊費はやや高めだが、今のヨハンの懐具合ならば何の問題もない。

 

そして荷物を置き、ギルドへと向かい手続きも済ませた。

ヨハンはギルドが定める等級制度によるところの銀等級冒険者であるため、可能な限りはその足取りをギルドへ申告しておくことが推奨されている。

別に申告しなくても罰則などはないのだが、申告しておくことでギルドから些細だが様々なサポートを受けられるのだ。例えば手続きなしで資料室を利用できたり、あるいは死んだ時に関係者へ訃報を伝えてもらったりといったサポートを。

 

それからしばらくヨハンはギルドの資料室で読み物をしていた。

地味だが大切な作業である。

特に魔術師にとっては知を積み上げる事は魔術の階梯を昇る事に等しい。

 

──生活を充実させるには金を、恋を充実させるには時間を、魔術を充実させるには知を積みなさい。ただし、暴力は全てを解決します

 

ヨハンの師、ルイズ・シャルトル・フル・エボンの言葉だ。

最後の言葉で台無しだが、真理の一端をついているとヨハンは思う。

金は暴力で奪えばいいし、思い人も暴力で従わせればよい。魔術は脅威だがこれも暴力の一種なので、より大きい暴力でねじ伏せるべしというのは酷くシンプルで合理的で、ヨハン好みの思想であった。

 

 

やがてアリーヤとの約束の時間が近づいてきた。外は夜に近づいているが、この都市には街灯がある。

 

アリーヤが言っていたように、この街灯のおかげで広場は夜間でも人が多い。

1つ1つの声は小さくても、集まればそれなりになる。

面した場所にある宿などでは、神経が繊細なものは明かりと人の気配で落ち着かないだろうなとヨハンは思った。その点、"銀の月"ならば路地裏にあるため静かで、明かりにも人の囁き声にも悩まされる事はない。




誤字報告助かっています!ぺこぺこ


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術師ミシルとの出会い

 ■

 

 ヨハンが広場へ行くとアリーヤらしき人影はなかったが、指定された時刻へ針が触れる前には彼女が姿を現した。服装は変わらず朱に染めたローブだったが、よく見れば刺繍や装飾の類に差異がある。

 

 ヨハンは自身の衣服を見下ろして、アリーヤに対してやや引け目を抱く。彼のローブは"安定"の加護が施されており、耐刃、耐熱、耐寒と旅装としては十分な性能を持つが、礼装という意味では十分とは言えない。

 

(もう一着位は見栄えを意識したものを用意しても良いかもしれないな)

 

 ヨハンという男は人並みには見栄張りではあるが、決して綺羅を飾る様な服装を周囲に見せつけたい訳ではない。みすぼらしい恰好は殺し合いのきっかけとなってしまうのだ。魔術師界隈に詳しくない者はそんな事で殺し合いになるのかと驚くが、一端の魔術師であるならそこはむしろ殺し合わなければならない。

 

 1.みすぼらしい服装を舐められる

 2.舐められた側はそれを敵対と判断する

 3.敵は殺害しなければいけないので、当然先制攻撃をする

 4.攻撃された側も応戦し、殺し合いが成立する

 

 蛮族の見本のような思考と振る舞いだが、この世界の人間はとある事情で沸点が低い者が非常に多い。これは性格云々の問題ではなく、種族的な特性であるため仕方がない事なのだ。

 

 ■

 

「時間通りですわね。わたくしも師ミシルへ帰参の報告を入れ終わりましたわ。ああ、術師ヨハンについての口利きについても了承を頂きましたから早速向かいましょう」

 

 物事が進行するスピードに、ヨハンは満足した。良き魔術師は即断即決というのが彼のポリシーである。考える時間が足りないというのならば、素早く考えればいいだけの話だとヨハンは思っている。

 

「ところで師ミシルについてはご存知かしら?」

 

 アリーヤがそう問いかけると、ヨハンは名前だけは、と答えた。協会の術師は非常に多いが、流石に高位の者の名前くらいは知っている。

 

「まあそうでしょうね。帝国魔導技術の向上に少なからぬ貢献をしてきた方ですし。魔術師でありながら師ミシルを知らないというのはモグリというものですわね」

 

 ヨハンの目にはアリーヤの鼻頭が心なしか高くなっているように見えた。

 

「帝国魔導には興味がある。というより、俺も世話になっているよ」

 

 ヨハンが便利使いしている雷衝は帝国魔導の研究課程で生み出された魔術だ。

 協会にも所属している帝国の魔術師がこれを考案し、世に広めた。残念ながら帝国魔導と協会式魔術の合いの子の様な"雷衝"は巷の魔術師からは余り人気がない様だが。

 

 "雷衝"には基本となる型と様々な派生形が存在し、基本型は非常に安いコストで使用ができるが、これは超接近でしか使用することができないような代物で、派生型は制御が難しく、なおかつコストが跳ね上がる。

 

 帝国は昨今、帝国魔導と言う新たな魔術体系と、帝国魔導技術という科学と魔導の融合技術に多額の予算を投じている。研究の副産物は一部では既に実戦投入もされているのだ。

 

 例えば帝国魔鎧と呼ばれる帝国魔導技術により創り出された特別な鎧がレグナム西域帝国第3軍、第1師団~第3師団に配備されている。

 

 これは全身の各所に配置された宝石が魔術の触媒として機能し、特定の符丁により風の魔術を起動させる。すると後背部から強力な風が吹き出し、着用者は高速で移動することが可能となる。

 

 現行モデルは時速45kmもの速度で、最大55分間稼働可能だ。戦場においては一瞬で前線に突撃したり、危険な状況から即座に脱出するなどの利点を持つが、コストや継戦能力に難があるため日々研究が進められている。

 

 ■

 

 ヨハンとアリーヤは術談義などを楽しみながら連れだって歩き、やがて大きな屋敷が見えてきた。

 

 ヨハンは基本的に金がない。

 金を稼ぐ能力は十二分以上にあるのだが、あればあるだけ使ってしまうのだ。

 呑む、打つ、買うことに消えているわけではなく、多くが触媒を購入する代金に消えている。

 余った金があっても、高級な宿にとまったり高級な馬車で移動したりと節操がない。

 これはヨハンの育ちの貧しさの反動だと思われるが、兎にも角にも彼はいつも金がないのだ。

 現在のヨハンは報酬の金で懐が温かい。

 しかしその金もすぐに尽きるだろうと彼は予想していたし、彼の予想は大抵当たる。

 

 対して術師ミシルはどうか?とヨハンは屋敷を眺め、経済力での完敗…どころか勝負にすらなっていない事を認めざるを得なかった。

 

 アリーヤがぼそりと呟く。

 

「師は…術師として非常に純粋な方で…なんと言うのかしら、下品な言い方ですけれど、ナメられる事がとてもお嫌いなんですの。術師ヨハンは礼節わきまえていらっしゃる方に見えますので、わざわざ言う必要はありませんけれど…くれぐれも協会の術師風情が、なんていわないで下さいましね。以前、同じ協会の魔術師が師に対して、引きこもり女が男に股を開いてその地位を得たのか…というような事を言ったのですが…」

 

 ヨハンはアリーヤの話に興味をそそられ、その魔術師がどうなったのかを聞いた。

 

「タマを一つ失う事となりましたわ」

 

 なるほど、とヨハンは思う。

 どうやら心優しい淑女の様だ、と。

 

 ■

 

 ヨハンが屋敷に通された先に待っていたのは、蒼い髪の女性だった。彼女の容貌は若々しく見えたが、術師の年齢は見た目だけでは判断できないものだ。表情は殆ど無表情だが、一種異様な威圧感を放っている。

 

「術師ヨハン。連盟の28番目の杖ですね。連盟の者にしては血の匂いが薄い。場合によっては釘を刺そうかと思いましたが、貴方ならば余り問題はなさそうです。私はミシル・ロア・ウインドブルームです。私の長々とした肩書きは覚えなくても宜しい。さて、弟子アリーヤより話は聞いております。1つお尋ねしますが、腕は何故無くしたのです?」

 

 ヨハンの説明を聞き、ミシルは深く頷いた。

 

「腕を切断してから体や精神に異常などは?…そうですか。業前優れ足る剣士だったようですね、その女性は。生半な者であるなら残った腐血が胴体、四肢、頭に回って死んでもおかしくはありませんが。まあ宜しい。であるならば金貨2000枚にて仕事を承りましょう」

 

 ヨハンは内心で唸った。2000枚の金貨。それは爵位を買うくらいの金額だ。確かに彼は今の所はかなりの金を持っていたが、2000枚という金貨は流石に予想を超えていた。

 

「言っておきますが、連盟の術師に手を貸したとなると、うるさく口を出してくるものが10や20ではききませんからね。彼等を黙らせる、そして文字通りの最高傑作とも言える義手であるので相応の値段だと思います。私が貴方の義手作成を引き受ける理由は、弟子アリーヤの紹介であるからです。アリーヤはあれで見る目がそれなり以上にありますからね」

 

 ■

 

 ミシルの言葉にヨハンは懊悩する。目の前にいる彼女は大した人物だとは分かる。きっと良いものを作ってくれるだろうとも。だが、ないものはない。所持するあらゆる触媒を手放せば、と一瞬考えたが、すぐにその愚かな案を打ち消した。

 金に困って触媒を売り捌く魔術師は珍しくはないが、そんなものは例えるならば飢えて自身の鋏を食うカニのようなものである。

 

「その顔はお金が足りない様ですね。銅貨1枚たりともまかりませんよ。しかし、労働で不足分を埋め合わせる事は可能です。具体的に言いましょう。魔導院の臨時教員をしてください。期間は当座の所は90日とします。義手作成もそれなりの時間が掛かりますからね。私も院で教員をしております。分からない事などはサポート致します」

 

 木机がコツコツとミシルの指先に叩かれる音が響く。

 

 ヨハンはミシルの意図が読めず、困惑する。

 

 ──教員?俺がか?疑問を抱きつつヨハンがミシルの顔を見ると、ギリギリギリという音が鳴り響く。その音はミシルの口元から発せられていた。

 

 歯軋りだ。

 傍に控えていたアリーヤを見ると、彼女の顔色は真っ青になっている。

 

「ここ最近、このエル・カーラで不遜極まる邪道の徒共…恥知らずのドチンピラが、魔導院の生徒をかどわかしております。一端の術師であるならばその様な不逞の輩など血祭りにあげてやれるのでしょうが、奴等も足りない頭なりに考えているのか、未熟な生徒を狙っております。ドブネズミの如き連中でありますから、隠れる事は得意の様子…」

 

 ミシルの歯軋りは益々激しくなり、コツコツという音はゴツゴツと変わり、彼女の爪が割れて血が滲み出る。すでに彼女は指ではなく、拳そのもので木机へたたき付けている。

 

「体の!」

 ミシルの指はすでに血まみれだ。

 

「一部しか!!」

 血が飛び散り、ヨハンのローブへと付く。

 

「帰ってこなかった生徒もいるのです!!!…舐めた真似を…許さない…ッ…」

 

 ヨハンはミシルの手を取り、彼女からの説明を求める。

 

「つまり術師として最低限自衛できる程度に指南せよ、と。可能ならば不逞の輩から生徒を守れ、と。そういう事でしょうか、術師ミシル」

 

 ミシルはぼうっとヨハンの顔を見て、ややあって頷く。

 

「はい。協会の術師は温い。それは私も含めてです。アリーヤの話を聞いた時、私の霊感は術師ヨハン、貴方の手を借りろと囁きました。力を貸して頂けますか?報酬は義手の作成代金を免除する事。そして私への貸し1つです」

 

 ■

 

 ──最高級の義手がタダだと?

 

 金貨2000枚分が無料というのは良い。だが、問題があるとすれば相応の依頼をこなさなければならないという事だ。それに、貸しが1つというのは具体的にどの程度の事を意味するのだろうか。協会の準一等術師への貸しは、大きなものなのか、それとも小さなものなのか。彼の内心では損得勘定がまるで天秤のように揺れ動いていた。

 

「術師ミシル。受けましょう」

 

 交渉もやろうと思えば出来たかもしれないが、ヨハンは交渉無しで呑み込もうと決めた。

 自身の中に蓄積する師ルイゼからの教訓の数々を後世に伝えるためにも、この仕事は面白そうだと思ったからだ。

 

 

 

---------------

 

だらだらと改稿を進めています。

基本は視点の変更、そしてちょっとした加筆です。

急いでやってるわけではないのでいつ終わるかわかりません。



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依頼を提案されたり指導をしたり

現在のヨハンの腕は仮の義手を装着しています。
安くは無いですが、満足出来る性能ではありません。
また、前話の後書きか前書きにも書いていますが、主人公画像は挿し変わっています。
画像は第1話前書きにあるので宜しければ…


 ◆◇◆

 1日目

 

 SIDE:生徒ルシアン

 

【挿絵表示】

 

 

 その教師がやってきたのは1週間前の事だった。

 講堂に生徒が集められ、好奇の視線を浴びながら1人の男性が壇上へ上がっていく。

 

 教師ミシルの肝いりらしい。

 若いのか、それとも若くないのか年齢が分かりづらいが、その殺伐とした目つきがいやに印象的だった。

 片腕を抑えているのか? 庇っているのか? 

 分からないが、彼の片腕は動きがぎこちない。

 義手だろうか? 

 

「俺は連盟の術師ヨハン。術師ミシルの依頼により、暫し君達を指導する事となった。昨今発生している術師攫いの事件を鑑み、君達に自衛の術を教える予定だ。宜しく頼む」

 

 連盟の術師……悪い噂と怖い噂を聞いた事がある。

 悪い噂の方は、彼等連盟の術師は非常に怠惰で、術を私利私欲に使い、業前を向上させる事には興味も欠片もない。連盟の術師っていうのは術師としては落第者で、協会に所属出来ない落伍者の集まり……っていうものだった。

 

 怖い噂は、殺し屋集団だとか所属の術師は全員狂ってるとか……。

 でも教師ヨハンを見ると確かに目つきは怖いけど、人殺しがすきそうだったり頭がおかしいようには見えない。

 

 だったら怠惰な術師なんだろうか? 

 それも違うように思える。

 だって教師ミシルの紹介なら、変な人は来ないはずだ。

 協会の準一等術師の肩書きは伊達じゃない……筈。

 

 それにキチっと言う音が聞こえる位しっかり下げられた頭、曲げられた腰は、彼がちゃんとした人間だっていう証明に思えた。

 これは結構珍しいことだ。

 術師が頭を下げるなんて……少なくとも僕は魔導院の教員が僕等に頭を下げるところなんて一度も見た事がない。

 

 だから、なのかな? 

 隣の席のドルマがニヤニヤ笑いながら教師ヨハンを見ていた。

 その隣のマリーもだ。

 いや、クラス全体が教師ヨハンを見下しているように見えた。

 

 その日は結局面通しだけで終わったが、僕には一波乱来るようにしか思えなかった。

 

 ◆◇◆

 2日目

 

 SIDE:生徒ルシアン

 

『君達が普段使う術を見てみたい』

 

 と教師ヨハンが言うので、模擬演習場へ向かう事になった。

 炎弾の術式など危険な術は、この演習場じゃないと使用出来ない決まりだ。

 僕等は1人ずつ得意とする術を的へ放っていった。

 

 火属性の術式が得意なマリーが高らかに詠唱を唄いあげる。

 

『燃ゆる魔弾 疾く往きて 其を焼き焦がせ! 炎弾乱舞』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 マリーの持つスペル・スタッフの先端に取り付けられている水晶が紅く光を放ち、小さい火種が周囲に灯る。

 火種は見る間に大人の拳のそれより一回りほど大きく膨れ上がり、的へと飛翔し……

 

 ……

 ……

 ・

 

 炎弾は一発も過たず的に命中し、的はゴウゴウと燃え上がった。

 流石マリーだ。

 卒業生に爆炎弾を使える事で小炎姫と異名がついている術師がいるけれど、マリーの才能は彼女に匹敵するんじゃないだろうか? 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:生徒マリー

 

【挿絵表示】

 

 

「私の炎弾……どう思いますか? 教師ヨハン」

 

 私がそう訊ねると彼は淡々と

 

『対人には向かないが、使い方次第だ。優れた前衛、あるいは肉の盾が居るなら攻勢の切っ掛けにはなる。とはいえ突発的な……そう、例えば今エル・カーラで起こっている事件への備えにはならない。魔物の類に対し、パーティで対峙するという様な場合には有効な一手となりうる』

 

 と答えた。

 私はそれで頭に血が昇る。

 対人には向かない!? 

 私の炎弾を受けて無事で居られるとでも?! 

 怒りに任せて啖呵を切ってしまう。

 

「ッ……! だったら! 教師ヨハンが私にお手本を見せてくださいな! 対人に向く術の指導を求めます! 連盟の術師がどの様な術を使うか興味があります。ですよね、皆様!」

 

 皆も頷いている。

 やれるというなら見せてもらいたい。

 

 教師ヨハンは頷いて静かに私の事を見た。

 

「よろしい。では、生徒マリー。君に対人戦の指導をしよう」

 

 私はなぜか、良くない事が自分の身に降りかかる気がして……

 

 ■

 

 足元の砂をマリーへ向けて蹴り上げる。

 同時に、駆け出し肉薄。

 ポケットから水晶の欠片を取り出し、握りこむ。

 中指が飛び出すように拳を形作るのがポイントだ。

 

 砂で怯んだマリーの喉仏目掛けて拳を突き……込まない。

 死んでしまうから。

 軽く叩くに留める。

 術師が相手なら本来はここで喉を潰す。詠唱を封じる為に。

 術師が相手でなくても喉を潰す。助けを呼ばせない為に。

 

 喉を軽くはたかれたマリー。

 だがそれでもマリーは激しく咳き込んだ。

 

 咳き込むマリーの髪の毛が抜けないように優しく掴み、顔を上げさせ、目の前に拳をもっていき見せつけ……

 

 ━━雷衝(ライトニング・サージ)

 

 マリーの目にも俺の拳が紫電に覆われているのが分かるだろう。

 文字通り、目と鼻の先なので、空気が焦げる匂いもするかもしれない。

 

 俺は目をカッと見開いているマリーの目を覗き込んだ。

 

「生徒マリー。この指導の要諦を伝える。少し長くなるが聞いて欲しい」

 

 マリーの返事はない。

 少し声が小さかったかもしれない。

 

「生徒マリー。この指導の要諦を伝える。少し長くなるが聞いて欲しい。返事は?」

 

【挿絵表示】

 

 

 マリーは涙を目の端に浮かべながらはいっ、はいっと頷いていた。

 

「誘拐犯は君達の目の前で“今から誘拐するので襲いますね”などとは言わない。恐らくは奇襲に近い形で君達を襲撃する。今の俺と同じように。先ほどの奇襲についてだが、本来は砂で怯ませた後、撃った拳で喉を潰す。我々術師は声を出せなくなればその戦力は激減するからな。最後に撃った雷衝は後詰の一撃だ。喉を潰されても抵抗を試みる者は少なくない。そういう勇敢な者に電撃を食らわせる。目に叩き込む。なぜなら目は水分を多く含むからだ。電撃は非常に有効」

 

 マリーがしっかりと聞いているかを確認する為に目を覗きこむ。

 ……しっかりと聞いてくれているようなので続ける。

 

「魔導都市エル・カーラが誇る魔導院……そこに所属する生徒が攫われている事は君達も知っているだろう。その数はこの1年で15名に達している。これは俺の調べではなく、協会の準一等術師ミシルの調べだ。君達は未だ学びの途上であるが、それでも人を容易く殺める程の力を持っている。それなのにこうも易々と凶手の手に落ちるというのは、君達に対人戦闘というものの経験が不足しているからだと術師ミシルは考えた」

 

「だから彼女はとあるツテから俺に依頼したのだ。臨時教員となり、君達へ指導をするという依頼を。君達も連盟と協会が最悪ではないにしても良いとは言えない関係である事は知っているな? 術師ミシルは俺を魔導院に招き入れた事で、多くの厄介事を抱える事となるだろう……しかしそれでも彼女は君達の身を案じ、俺に依頼した」

 

「だから俺は君達を教え、導き、鍛え上げよう。君たちの事を学院や術師ミシル、そして俺は全力で護るつもりではある。しかし、最後の最期に自身の身を護るのは自分なのだ。安心して欲しい。君達は強くなる。俺はかつてその辺の子鬼にすら殺されそうなガキを3人、飛竜殺しが狙えるまで鍛え上げた事もある。暴漢が何だというのか。誘拐等という卑劣な真似をする者達に良い様にされて、術師としてのメンツが立つのか? 仲間が酷い目に遭わされて、許せるとでも言うのか? 生徒マリー!」

 

 俺がマリーへ声をかけると、彼女は大きい声でひゃいと言った。

 

「暴漢共をぶち殺したい、と言いなさい」

 

 俺はマリーへ言う。

 言葉とは口に出すことで願いとなる。

 そして願いはそれがどれほどに幽けきモノだったとしても、強固に、より多くの願いが集まる事で形を成す。

 術師ならば俺の言っている事が分かるはずだ。

 

 マリーはしゃくりあげながら少しずつ言葉を紡いで言った。

 

【挿絵表示】

 

「ぼ、ぼうかんどもを、ぶちころしたい、です」

 

 良し。

 俺は大きく頷く。

 まずは第一歩。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:生徒ルシアン

 

 とんでもない事になってしまった……

 




今日の更新はおしまいです


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指導をしたり、しっかり指導をしたり

生徒ドルマです

【挿絵表示】

生徒マリアーテは絵を当てません。死ぬからとかじゃなくてMOBだからです…


 ◆◇◆

 

 3日目

 

 SIDE:ルシアン

 

 

【挿絵表示】

 

 

 僕らは、教師ヨハンが教室で講義をしているのを聴いていた。

 初日に漂っていた彼を見くびるような雰囲気は既に欠片もない。

 皆教師ヨハンを恐れている様だった。

 だが同時に、隔意の様なものを感じる。

 教師ヨハンが示した模擬戦闘の様なものは、術師らしくないといえば確かにそうだったからだ。

 

 僕は……僕は教師ヨハンの教えたい事はなんとなくわかるが……。

 僕らが術師として誇り高く向かい合おうとしても、相手もそうとは限らないということなのだろう。

 

「俺は君達に流儀を変えろとは言わない。つまり、協会のやり方は不味いから連盟のそれへ変えろとは言わないという事だ。何故ならそれは例えるならば剣造りに人生を捧げて来た鍛冶屋に対し、"お前は明日から装飾品を作れ"と言う様な事だからだ。それは君達協会の術師への侮辱である」

 

 教師ヨハンの言葉に何人かの生徒が頷く。

 まあそうかもしれない。

 砂を蹴り上げて喉を潰してなんて街の喧嘩屋みたいじゃないか。

 でも、手段を選ばずに僕らをどうこうするというのなら……教師ヨハンの言った事、やった事は筋が通っている。

 

 では何を教えてくれるんですか? と誰かが質問すると、教師ヨハンがピッと指を3本立て、3つある、と言った。

 

「1つ目は心構え。2つ目に君達の流儀……つまり協会式の術に合わせた些細な戦闘技法。最後に、この2つを組み合わせたモノ。1つ目の心構えについては、触り…要するに重要な根幹部分のみは先日生徒マリーへ教えた。……生徒マリー、質問だ。暴漢はどのような手段で君達を狙ってくる?」

 

 ひゃい!! という声が響く。

 傲慢で可愛いマリーはいなくなってしまった。

 今のマリーはまるで影に怯える子犬みたいだ。

 僕はそんなマリーも好きだけど。

 

「ぼ、ぼうかんは! いきなり……襲ってきます……。合図とか……しません。き、奇襲! きしゅうします……?」

 

 教師ヨハンはマリーを硝子玉のような目でじっと見つめる。

 マリーの顔からは汗がだらだら流れ始め、流石にまずいとおもい僕は手をあげようとした。

 

「その通りだ。生徒マリー。よく話を聞いていた。偉いぞ。そうだ……暴漢共は奇襲をしてくる。不穏な気配を感じたなら奇襲を想定しなさい。そして、脱兎の如く逃げだしなさい」

 

 皆、え? という表情で教師ヨハンを見た。

 逃げ出すって……

 でも僕達は続く言葉に納得した。

 

「なぜなら、暴漢共が君達を奇襲しようと決め、いざ実行に移す時。既にある程度の段取りは組まれているだろうからだ。不利な状況で仕掛ける馬鹿はいない。君達は襲われる時点で既に不利な状況へ陥っている」

 

 確かにそうだ……

 でも……じゃあ逃げ切れなければどうするんだろう? 

 やはり戦うのか……

 

「ここまでがポイントの1……心構えだ。そして逃げ切れなければどうするか。足を動かしても、大声で助けを求めても駄目ならばどうするか……2つ目のポイントを覚えているかな、生徒ルシアン」

 

 うおおお僕だ! 

 

「はい! 教師ヨハンは戦闘技法を教えてくださると言っていました。その技法で状況を変えるという事でしょうか?」

 

 僕が言うと、教師ヨハンは頷いた。

 

「良し。理解が早いな、生徒ルシアン。そうだ、状況を変える。だが状況は簡単には変わらないだろう。わかるかね。君達はただでさえ不利な状況だ。怒鳴っても殴りつけても効果は薄いだろうな。相手も荒事には慣れている筈だ。怒鳴られたり、殴られたり……そんな事は日常茶飯事。だがそんな彼らにも一つだけ慣れていない荒事がある。分かるかね、生徒ドルマ」

 

 コツ……コツ……という教師ヨハンの靴の音が教室に響く。

 ごくり、という唾を飲み込む音がする……。

 

 ドルマはこう言ってはなんだが悪たれだ。

 父親が名の有る商会の会頭で、そこへ世話になっている生徒達の親も多い。

 つまり権力があるっていうことだ。

 だから彼も父親の権力を笠にきて、学院では結構好き勝手にやっている。

 教師達だってドルマには強く言えない……言えないはずなのだが

 

 そんな彼が完全にビビっていた。

 

「わ、わからね……わかりません……教師……ヨハン」

 

 先日のマリーへの指導だけじゃない。

 上手く言えない……上手く言えないのだが、僕らは、全員ここで死ぬ気がしてならない。

 

 教師ヨハンはドルマの前に立つと、かがみ込み目線を合わせた。

 そして……

 

「生徒ドルマ、いや。ドルマ。お前を殺す。冗談ではない。本当に殺す。お前はこれから俺と戦闘技術を学ぶ為の模擬戦を行う。そこで俺に殺される。それは事故として処理されるだろう。熱が入れば力加減を誤ってしまう事もあるからな。お前は初日、俺を侮っていたな? たかが連盟の、うらぶれた術師だと……侮辱していただろう……? だから殺す。連盟は殺し屋集団だという噂を聞いた事があるか? その通りだ。俺は人殺しが好きだ。特に……貴様の様な生意気なガキを惨たらしく殺してやるのが大好きだ。お前の首は引きちぎり、首を親の商会へ投げ込んでやろう。ドーラ商会だったな? そこは連盟の術師が贔屓にしている商会だ。知らなかったか? お前の親はお前とは違って連盟の術師がどういう者達か理解しているはずだ。お前が俺を挑発したのだ。だからお前は殺される。親も悲しむだろうが、納得はするだろう……さあドルマ。言え、遺言を。さあ、どうした。震えて口が聞けないか? 大丈夫だ、お前の震えはすぐに止まる。永久に」

 

 ■

 

 ドルマの目の端に涙が浮かんだ事を確認した。

 震え方も激しい。

 呼吸は? これも過呼吸気味だ。

 十分に恐怖している。

 良し。

 

 そこで俺は"本当に殺そうとおもった事"をやめた。

 殺気というのは、脅しで出すものではないのだ。

 本当に殺すつもりでなければある程度階梯を上った者には通らない。

 だから俺はあの瞬間本当にドルマを殺すつもりだった。

 もう少し長く殺そうと思い続けていた場合、俺は間違いなくドルマを殺していた。

 

 空気の緩みを感じたか、ドルマを始め、教室の空気が弛緩していくのを感じる。

 

「……わかったかね、生徒ドルマ。答えは死だ。暴漢は確かに荒事には慣れているかもしれない。君達が怒鳴り、叫び、ちょっとした攻撃を加え負傷をさせた所で効果は薄いだろう……だが、そんな恐るべき悪党でさえも、一部を除いては死には慣れてないのだ。生徒ドルマ。君はこの学院でそれなりに暴虐的だったそうじゃないか。暴力なども振るった事があるんだろう? だが先ほど君は恐怖した。生徒ドルマ、君は死にたいか?」

 

 俺はドルマへ尋ねた。

 

「……ない!!!! 死にたくないです!! 俺は……教師ヨハン……殺されたく、ないです!! 俺は……殺されたくない!!」

 

 良し。

 

「そうだ。生徒ドルマ。君は殺されたくないと叫んだ。赤心を暴き立てるような真似をしてすまない。謝罪しよう。そして……それは暴漢共も同じなのだ。彼らだって死にたくはないと思っているはずだ。単刀直入に言おう。君達がもし暴漢共と対峙する時が来たならば!!!」

 

 バンと机を叩く。

 生徒達がビクリと肩を跳ね上げる。

 驚かせてしまったか。

 

 柄ではないがかなり熱くなっているようだ。

 俺は路地裏で死にかけた野良犬の様な子供時代を送っていた。

 連盟に拾われなければ死んでいただろう。

 学院? まともな教育などは受けられなかった。

 

 そんな俺が教師という役を任せられ……そう、柄にもなく少しやる気になっているようだった。

 

「真面に戦おう等とは思うな。1人……狙いを定めて殺せ。惨たらしく! 恐怖させろ! 俺が君達にそうしたようにだ。そうすれば君達は助かる可能性が大幅に上がる! 仲間が惨たらしく殺されて平然でいられる者がいるだろうか! いや、いない! いたとしてもそんな奴は生徒攫いなどという仕事はしないだろうよ。……最後のポイントを覚えているかね、生徒マリアーテ」

 

「は、はい。教師ヨハン。さいごの、最後のポイント、は……心構えと戦闘技術を、組み合わせたもの……でしょうか……?」

 

 俺はマリアーテの瞳をのぞき込んだ。

 虚偽は見抜く。

 ……心から理解できているようだ。

 口先だけではない。

 

 俺は大きく頷く。

 協会の術師の卵達、金と時間をかけているだけあって覚えが早い。

 

「そうだ、生徒マリアーテ。俺は君達にそれを教えよう。君達を鍛え上げると誓う。君達は殺される側ではなく、殺す側になるのだ。俺に任せておくといい。君達を強くする……いいか? 次に誘拐事件が起こった時、死ぬのは誰だ? 暴漢か? 君達か? 生徒ルシアン!」

 

 生徒ルシアン。異様な気迫。

 成程、麒麟児という奴かもしれないな。

 業は未熟でも、急速に醸成されていっているのが分かる……。

 

「……次に死ぬのは、暴漢達です」

 

 ルシアンが静かに答えた。

 良し。

 

「生徒ルシアン。正しい答えだ。考課に加点をしておこう」

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ルシアン

 

 大変な事になってきた……




誤字脱字報告毎回ありがとうございます!
うれシーサーです~(*˘꒳˘*)


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しっかり指導をしたり、注意されたり

もう少しくどい展開が続くかもですね。
その分更新頻度は上げます。


 ■

 

「きょ、教師ヨハァァン!!! き、き、貴殿は生徒達に一体全体何を教えているのですかな!?!? 教師ミシルの紹介であるからと信用しておれば!! 聞きましたぞ!! ここは魔導院です! 術を教える場所ですぞ!! 連盟仕込みの喧嘩殺法を教える場所ではございませんぞ!!」

 

 教員室で教師コムラードが大声で叱責をしてきた。

【挿絵表示】

 

 パンと張った太鼓腹にたるんだ顎、テカる頭に青筋を立てて、叱責というより大激怒だった。

 

 だが俺の答えは決まっている。

 まずは挨拶。

 そして本題。

 

「お早う御座います、教師コムラード。生徒達の命を護る(すべ)を教えております。仰りたい事は分かります。俺のやり方は協会のモノとは違う。恐らくは……思想汚染を懸念していらっしゃるのでしょうな。だが心配はご無用です。連盟は孤独で寄る辺の無い者達が、密やかに肩を寄せ合っているだけの小さな団体です。思想などというものはない。あるのはただ1つ、家族と呼ぶべき同胞を大切にする事、それだけです」

 

 ですがなあ、とコムラードは言い募ってくる。

 こういう状況はある程度想定は出来ていた。

 これは大きい仕事だ。

 だから多少理不尽だと思える事であっても、不機嫌な態度を表に出すなどと言った情けない真似はしない様に気をつけよう。

 

「ですがなぁ、教師ヨハン。連盟は過去にその大切な同胞とやらからリッチなどと言う生命への冒涜者を出してしまっているではありませんか! 連盟でも被害は出たと聞いておりますよ! 例え理念は違えど、魔導の階梯を昇る同志が魂魄(こんぱく)を貪られたと聞いた時には激昂しましたとも!! 連盟は何をしておるのかと! その様な失態は協会では起こりえませんよ! 連盟の方針に問題があるのでは……教師ヨハン? どうされましたか? 教師ヨハン?」

 

 生命への冒涜者。

 パワーリッチ・ラカニシュの事か。

 力と命を求め、家族を手に掛けた男。

 あの時は俺も未熟どころかまだまだガキであり、力が及ぶ所の話ではなかった。

 だが、仮に今、奴と対面したならばその魂魄をバラバラに引き裂き、嬲り殺しにしてやろう。

 

「教師ヨハン……失言は謝罪します。軽率な言葉でしたな。ただし! 我輩は貴殿がマトモな講義を行っていないという判断を翻すつもりはございませんぞッ……!」

 

 他の有象無象を食い散らかすまでは良い。

 赤の他人だ、関係ない。

 知らない女でも、知らない子供でもなんでも好きなだけ食べてしまうがいいさ。

 だが、家族を……? 

 

 握り締めた拳から血が滴る。

 以前、ラドゥを前にして奴の名前を出した時は是ほどの激昂は覚えなかったはずだが……。

 奴を殺したラドゥへの感謝の念が、俺の怒りを塗り潰したのかもしれないな。

 

 ああ、しまった。

 コムラードを無視した体になってしまっていたか。

 

「失礼、教師コムラード。少し考え込んでおりました。謝罪を受け取ります。とはいえ、方針は変えてはならないと考えます。勿論、連盟の術を仕込もうなどという事はありませんよ。ですが、心構えと最低限の戦闘技術位は身につけておく必要があると思います。術師の体を欲するなど、ただの人身売買で終わる話ではないでしょうな。放っておけばろくでもない事になるのは目に見えております……」

 

 俺がそういうと、彼はグウウとかムウウなどとうめき声をあげていた。北方に生息するトゥードの様だなと益体もない考えが浮かぶ。連中は『ムグー!』と鳴くのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 別に馬鹿にはしていない。

 トゥードは恐るべき魔物だ。

 普段は穏やかだが、一度激昂したならば合金混じりの肌にモノを言わせて、凄まじい速度で突進してくる。

 ちょっとした岩壁などぶち抜いてしまうだろう。

 

 話が逸れた。

 

 まあ彼だって彼なりに現状に苦しんでいるというのは分かっている。

 結局それはそれ、これはこれ、という話でしかないのだが、コムラードが単に権威主義的な愚物であるとも俺は思っていない。

 何度か言っているが術師たるもの、目を見れば人となりなんて分かるものなのだ。

 その原理? 勘だ。

 

 まあ複雑な問題なのだこれは。

 何よりも大事なのは自分の命であるから手段は選ぶな……という理屈は分かり易いが、矜持というか生き様というか、そういうものを場合によっては命より大事にする者もいる。

 

 術師はその在り方を考えると、拘りが強い者が非常に多くいるわけだ。

 状況やら意見やらに振り回されて自分を持てない者は率直に言って術師としてはポンコツも良い所である。

 

 別に根性論的な事を言っているわけではない。

 実際に弱くなるのだ。

 人の頭ほどの大きさの炎弾を生成できる術師が、拳大ほどの火球しか生成できなくなるなどザラにある。

 

 ■

 

「まあまあ……教師ヨハンもその辺にしましょう。教師コムラード、貴方が生徒達の事よりメンツが大事などとは誰も思っていませんよ。教師ヨハンも生徒達の身を案じて指導されているのです。それは教師コムラードもお分かりでしょう? 我々協会はその柔軟さを以て術師の組織として拡大してきました。もっと柔らかくいきましょう? ね?」

 

 パンパンと手を叩く音と共にやってきたのは、フェアラートだった。この学院で信仰系の術を教えている。

 妙齢の淑女。瞳の色は……薄い赤。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 信仰系の術とは要するに奇跡の類を術で再現する術の事である。

 極まったそれになると神や悪魔の類といった超越存在に仮初の肉体を与え、降臨させることも出来る。

 もっともそういった存在を御せる者等そうはいないが。

 

「……ええと? 教師ヨハン。どうされましたか? そんなに私の目をみて。なにかついていますか?」

 

「いいえ、フェアラート先生。我々は諍いをしていたわけではありません。ちょっとした流儀の違いについて議論をしていただけです。とはいえ、お気遣い感謝いたします。生徒達にも人気があるのではないですか? 貴方の外見は非常に美しい」

 

 リップサービスではない。

 放った言葉に嘘はない。

 

「あら? いきなり口説かれるとは思っておりませんでしたわ。無愛想なお方と聞いておりましたけれど、お上手なのですね」

 

 コムラードを見ると先ほどまでの苦悶の表情が嘘の如く凪いでいた。

 

「フェアラート先生の仰る事ご尤も。我輩も熱くなっていたようです。不躾な糾弾、謝罪いたしますぞ、教師ヨハン。とはいえ、我輩は貴殿のやり方が学院にそぐわないものである、という自論を曲げる積もりはありませぬ」

 

 教師コムラードは頭を下げた。

 彼はもしかして頭を磨いているんだろうか? 

 俺の辛気臭い顔も写ってしまっている。

 

「いえ、教師コムラード。こちらこそ生意気を言いました。しかし俺も同じく、この学院の生徒には危機感が足りないと考えており、迫り来る危機に対しての備えを指導しなければいけない、という考えは変えません」

 

 それにしても本当に頑固な親父だ……。




教師コムラード
怒コムラード⇒
【挿絵表示】

穏やかなコムラード⇒
【挿絵表示】


フェアラート先生

【挿絵表示】


トゥード(トドの魔物)

【挿絵表示】


画像についてはワイフラボ及びmidjouneyで出力しました。
コムラードの差分画像はたまたま生成できたので折角だから載せておきます。


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注意されたり、課外授業をしたり

 ■

 

 その日の晩、俺はミシルに会いに行った。

 ちょっとした懸念もあるので、学院では突っ込んだ話はしたくなかったからだ。

 

 ミシルは俺を待っていたようで、夜分遅かったにも拘らずすんなりと屋敷へ通された。

 

 彼女とは色々な話をした。

 

 生徒への教育については、必要な事だとは理解していますが程ほどにしてくださいね、と釘を刺されてしまったが。

 

 それと義手製作の進捗も聞いておきたかった。

 壊れず、軽く、触覚があり、意のままに動かせる。

 そして手首を曲げると……まあ()()()()()()()()()もある最高級の義手だ。

 

 今間に合わせで使っているものはやはり違和感がある。

 これもこれで高級な作品なのだが……。

 意識に動きが追いつかないんだよな……。

 

 ■

 

 一通りの情報交換を終え、俺は義手の作成は順調かどうかミシルへ尋ねた。

 

「……という訳です。術師ヨハン。貴方の要望は満たせそうですよ。とはいえ繊細なものである事には変わりありません。貴方は滅茶苦茶な使い方をしてすぐ壊しそうで心配です。私の作品は私の息子であり娘でもあります。大切に扱ってくれないと困ります。注意してくださいね」

 

 眉をハの字型にして心配されてしまう。

 多分大丈夫だろう、あの赤魔狼は大物だったがあんなモノがポイポイ現れる筈がない。

 

 無い、はずだ。

 思えばあの時、ヨルシカへ講釈を垂れたとき、月魔狼の話題なんて出してしまったのがいけなかったのかもしれない……。

 そう言えば彼女は何をしているだろうか。

 義手を作り終えたらアシャラ都市同盟まで行って見よう。

 

「それで貴方の言う実戦訓練とはどのような内容なのですか? ええと……なるほど、まとめてあるのですね……。うん……え? 術師ヨハン! もう少しマトモなモノはないのですか!? 効果がある事はわかるのですが……いえ、やはり駄目です。彼等は学生ですよ? 処刑人ではないのです! ……そうですね、その辺りが無難でしょう。それでも反対意見は出るでしょうが。そこは私が黙らせます。はい、ええ。ではその様に。今後もきちんと相談をしてくださいね」

 

 いくつか提案はあったのだが、ミシルに却下された。

 生徒たちは確実に成長すると判断して提案してみたはいいものの、俺もこの案は無いかもしれないなと思っていたので構わない。

 

 コムラード辺りが知れば殺し合いになってしまいかねない所だし……。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ルシアン

 

 この日、僕等は中庭に集められた。

 だがクラス全員じゃない。

 7人だけだ。

 ドルマとマリーもいる。

 

 どういう事だろう? と見ると、一つ気付いた事がある。

 教師ヨハンはショート・スペルスタッフを持っていた。

 見る限りでは特別高級品という訳でもなさそうだった。

 そういえば教師ヨハンがスタッフを持つのは初めて見るなぁ。

 

 僕等が時間通りに集合すると、教師ヨハンはぐるりと見渡し軽く頷き、今日の講義について説明を始める。

 

「……というわけだ。従って本日は課外授業とする。全員1度は多すぎるので、日と人数をわけて実施していく……。今日は君達が課外授業を受ける番だ。本来は君達に死刑囚を殺させるつもりだった。これは暴漢に逆撃を加え、死に至らしめる際の忌避感に慣れて貰う為だ。ついでに都市のダニを死刑執行まで公金で養う必要もなくなり、非常に有益なものだと思っていたが……しかしその案は教師ミシルにより却下されてしまった。まあ俺自身も少しそれは駆け足に過ぎる気がしていたが……」

 

 

 本当にありがとう御座います教師ミシル! 

 

 

 ちらっとマリーを見ると、彼女は深く目を閉じ聖句らしき祈りを呟いていた。神への感謝の祈りだろう。

 この場合の神は教師ミシルだ。

 

 ドルマは無表情で教師ヨハンの話を聞いていた。

 ここ最近の彼は以前まで浮かべていたような不敵な笑みを浮かべたりする事はなく、愛想がよくなったとはとても言えないけれど悪ぶったりもしなくなった。

 

 教師ヨハンの講義は意外といったら失礼かもしれないけれど、想像していたより普通なものが多かった気がする。

 走って体力をつけるようにと言われたのが印象的だった。

 

 “逃げる為には走る必要がある。分かるな? ”

 “追い詰めて殺す為にも走る必要がある。分かるな? ”

 “だから君達は生きる為に、そして敵を殺す為に走りなさい”

 

 あの硝子玉の様な瞳で無感情に言われると、背筋がゾクゾクしてしまう。あのドルマさえも文句を言わずに走っていた。

 

「……というわけで順序良く行こう。今回の標的は子鬼だ。彼等は総じて人へ敵意を持ち、手段を選ばない狡猾さも兼ね備えている。矮小な体躯は奇襲に有利だ。だが注意すれば彼等の非力さゆえ、重傷は避けられるし、耐久力も高くはない。良い教材だ。しかし油断はしないように。彼等が最も多く新米冒険者を殺している事実を忘れてはならない。ちなみに生息地は調べてある。そう遠く無い為、徒歩で行く。7名、1人につき最低でも1匹の子鬼を殺害しなさい。出来るだけ、無残に。最初は俺が幾つか手本を見せる」

 

 教師ヨハンの言葉に皆それぞれ返事をする。

 確かに教師ヨハンはおっかないけれど、考えてみれば僕等の事を馬鹿にしたり、暴力を振るったりはしてこなかった……してこなかった……のかな? 

 でもマリーは、あれは模擬戦だけど……怪我しなかったならいいのかな! うん! 

 ドルマだって脅迫されただけだ。

 勿論実際に殺されたりはしなかったし……

 なんだか自信がなくなってきた。

 

 とにかく、僕等も段々と教師ヨハンに慣れてきているんだろう。

 質問をすれば凄い長い時間を掛けて教えてくれるし、本当に理解しているのか確認する為かは分からないけど、目を覗き込んでくるのは正直いって落ち着かないが。

 

 後、落ち着かないといえばマリーが“教師ヨハンって真っ黒くて綺麗な目をしているわよね”と言い出したからモヤモヤする。

 

 そんな事を考えていながら移動する事しばらく……

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 僕等はエル・カーラ西方の小森林へやってきた。

 この森林は名前がついていない。

 西の森、とだけ呼ばれている。

 

 魔物や獣がいないわけでもないけど、どれも小物だ。

 子鬼はそこそこいるらしいけれど、彼等は素材としても質が低く、宝を隠し持っている様な事もないため冒険者も全くやってこない。

 猟師がたまにやってくるかな? 

 後は僕等みたいに実戦演習をするクラスが訪れるくらいだ。

 

 目を凝らし、木陰の奥を見てみる。

 横切る影、ざわめく木枝。葉。

 

 教師ヨハンの言う『教材』は十分足りて居そうだな……

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ドルマ

 

「灯よ、照らせ。光球」

「凍て付き、貫け。氷針」

「燃えよ、矢。火矢」

「固まり、打て。石弾」

「固まり、打て。石弾」

「固まり、打て。石弾」

「固まり、打て。石弾」

 

 ━━手本を見せる

 あいつは、教師ヨハンは確かに手本を見せてくれた。

 残酷に殺す手本を。

 

 森を進んですぐ現れた子鬼。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そいつを見るやいなや、あの男は照明の術を使った。

 詠唱助詞も何も無い単体詠唱だ。

 これじゃあ最低限の効果しか出ない。

 それともあの男はそんな詠唱でもとんでもない効果が出せるってのか? 

 

 そんな事はなかった。

 奴の光球は子鬼の顔のすぐ横でパッと輝き、すぐに消えてしまった。

 俺は、これが何の手本になるんだ? と奴の顔を見ると、次の術が放たれていた。

 

 氷針だ。

 これも単体詠唱。

 細い氷の針を放つ。

 

 こんなのは激しく外套でも振ったら払い落とせるんじゃないのか? 

 

 そんな事は無かった。

 光球の光で一瞬子鬼は目を閉じていたが、そんな子鬼の瞼を氷の針が貫いていた。

 

 え、エグい事しやがる……。

 

 でもそれだけじゃ終わらなかった。

 目を貫かれて悲鳴をあげようとした子鬼の口に火の矢が……。

 

 その後が酷い。

 いや、アイツは最初から酷かったけど。

 石の塊を何度も何度も飛ばす。

 全身があざだらけになり、子鬼が泣き叫んでいても何度も何度も何度も何度も……

 

 だが、無表情でそれを見ているルシアンの奴も不気味だ……。

 あいつ、少し染まりすぎてるんじゃねえのか? 

 

 ■

 

 良し。

 上手くやれた。

 

 協会式の術は効果が分かり易いのだが、素直すぎる。

 素直な効果というのは、いざという時頼れない。

 その点連盟の術は効果が不安定だが、意外性がある。

 一長一短で、どちらが優れているとも言いがたい。

 

 まあ今回は協会式の術を使うと決めていたからな。

 久しぶりに使って見たが使い勝手は非常に良い。

 

「術師が対人戦をするならば、早さを意識しなさい。威力や見栄えは二の次でいい。勿論戦争等は別だ。ああいった特殊な場はどれだけ派手な術が使えるかもかなり重要になってくる。話がそれたな、すまない。ともかく、相手が術師だろうが非術師だろうが、相手が思考する時間を作ってはならない。矢継ぎ早に攻め立てるべし。だが適当に術を乱射してもいけない。低位とはいえ消耗はする。基本は三段階だ。崩し、深手を与え、仕留める。この三つを可能な限り素早く行う事。崩しの基本は目か股間を狙え。そして相手を戦闘不能に陥れたなら、こうだ。こう! こうだ! 分かるね? 生徒マリー。分かれば君もやってみなさい。石弾は使えるはずだ」

 

 俺は石弾を何度も放ち、子鬼の頭部を潰す。

 

 マリーの手は震えている。

 無理もない、殺しの経験がないものは誰でも最初はこうなる。

 俺は彼女の手を取り、しっかりとスタッフを握らせてやった。

 彼女の冷たい指が俺の手の熱を吸い、少しずつ暖まっていく。

 

「大丈夫だ。君はその年で炎弾乱舞を使える逸材だ。石弾など呼吸するように使えるはずだ。俺の目には君の才能の煌きが見える。先ずは最初の一歩を踏み出そう。さあ、詠唱をしなさい」

 

「ひゃ、ひゃい……教師……ヨハン……。か、かたまり、撃て。石弾」

 

 マリーの術は詠唱がつっかえたにも拘らず速やかに構築され、瞬く間に如何にも硬そうで殺意の溢れる石弾が生成された。

 驚くべき術の冴え! 

 詠唱の不全を力業で押し切ったか。

 

 射出された石弾は子鬼の頭部を更に激しく叩き潰す。

 脳が飛び散り、赤い血が地面を汚す。

 

 マリーの目が爛々と輝き、赤い血を見ている。

 

 恐らくは、残心。

 俺の目から見ても子鬼は惨死しているように見えるが、彼女は警戒を崩さない。

 オルド騎士の系譜か? 

 

「素晴らしい! 君は術師として大成するだろう。さあ次だ。今度は君が最初からやるんだ。この分ならすぐに悪党を殺してもなんとも思わなくなるだろう。エル・カーラの平穏はすぐそこまで近付いているようだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




誤字報告いつもありがとうございますヾ(⌒ー⌒)ノ
さすがに今夜はこれで更新終了です。

追記

活動履歴のほうにこれまでの名付きの登場人物の行動履歴メモがあります。そこで本編外の行動も含めてちょっとした動きをちょいちょい加筆していきます。
(例)キャラクターが都市を移動した、等。

今後キャラクター数が増えてきた場合、管理しきれなくなって切り捨てる事を防ぐためにこの方法を取ります。


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課外授業をしたり、事態が動いたり

 ◇◇◇

 

「そうだ、何度も頭を潰しなさい。生徒マリー。潰した頭の数だけ君は強くなる。……ほう、俺の手本を見ていたな? だがそれ以上に進化させたか。今のは……そうか、火種を生み出し、空気を取り込ませ、呼吸を妨げると同時に口内を焼き焦がしたか。お見事。次は悪党共に同じ事をしてやろう。どうした? 瞳が殺意で濡れているぞ、興奮してしまったのか? 少し落ち着きなさい」

 

「生徒ドルマ、驚いたぞ。そうだ、確かに小枝の様な些細なモノでも凶器となる。耳に突き刺したのは子鬼が目を覆っていたからか。耳は目に次いで恐怖を煽る。術師でありながら、術に頼らぬ暴虐は、さすがに学院で幅をきかせていただけはあるな。君はまさしく暴力の申し子と言える。素晴らしい」

 

「生徒ルシアン。恐るべき殺しの妙手。術師の実力はどれだけの規模の術を行使できるかに限らない。発想力が大事なのだ。翻って君は陸にいながらにして溺死させるとは……。協会の術はこういった陰湿な殺し方には向かないと思っていたが再評価する必要があるな」

 

「生徒ヨグ。腸を引きずり出すとは……その子鬼は非常に苦しい死に方をする事になるぞ。そこまでしろと言ったか? そう、言っていない。つまり君は俺の先を行ったという事になる。無残、無情! それが君の代名詞だ。君の考課に大幅な加点を与えよう」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 ◇◇◇

 

 SIDE:ルシアン

 

 僕の中で、いや、皆の中で色々な価値観が変わってしまった気がする。奇声をあげて僕を殺そうとしてくる子鬼を見ていると、僕の頭に染みこんだ教師ヨハンの教えが熱を帯びてくるんだ。

 

「固まり、育て。石塊」

 

 走ってくる子鬼。

 僕を殺そうと真っ直ぐ突っ込んでくる彼の足元に石を生成する。

 

 教師ヨハンは言った。

 崩し、深手を負わせ、仕留めろと。

 

 これは崩しだ。

 子鬼は体勢を崩して転んでしまった。

 

 そして深手を負わせる。

 深手っていうのは反撃を許さない、もしくは非常に困難にさせるほどの状態にするっていう事だと教師ヨハンは言った。

 

「潤え、水」

 

 単体詠唱は消耗がとても少ない。

 だから連続して使える。

 殺傷力は低いけど、使い方次第だと教師ヨハンが教えてくれた。

 

 子鬼の口内に水が溢れる。

 子鬼はそれを吐き出すけれど関係ない。

 

「潤え、水」

「潤え、水」

「潤え、水」

「潤え、水」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 ■

 

 課外授業は非常に首尾よく終わった。

 正直最初はミシルの頼みはとても困難なものになるのだろうなと思っていたのだが、生徒達の才能が俺の予想を覆してしまった。

 

 俺の見た所、いま少し対人経験を積めばかなりやれるようになるだろう。

 勿論まだまだ未熟である事は否めないが、年を考えれば出来すぎとも言える。

 

 もはや子鬼では相手になるまい。

 

 守りの体勢は整った、と言ってもいいかもしれない。

 だが、仕掛ける切っ掛けが無いな……。

 

 だがまあ今日の所はこの辺で仕舞いにして休むとしよう。

 生徒達にしっかり休むよう、そして帰り道暴漢が襲ってきた場合、1人は生かしておくように言いつけ、銀の月へ戻った。

 

 ■

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ベッドで愛用の手帳の表紙を磨く。

 この手帳も随分使って来たが、若干くたびれている位だ。

 表紙にはちょっとした飾り気もあり、気に入っている。

 

 協会の術師にとっては杖を磨く様な感覚だろうか……。

 

 ちなみに協会の術も連盟のそれのように触媒を使う。

 しかし1度や2度使った位では使えなくなったりはしない。

 何度も使う事で劣化はするが、触媒そのものが無くなったりはしない。

 それを起動触媒という。

 起動触媒は事象そのものを引き起こす。

 

 対して連盟の術は消費触媒を必要とする。

 事象を引っ張ってくる為に必要なのだ。

 そして使えば無くなる。

 

 例を出そうか。

 少し長くなるがいいかな? 

 ありがとう。

 

 火を起こすという結果。これを事象とする。

 

 協会式の術は火そのものを引き起こす。

 

 だが連盟式の術は触媒に纏わる火についての逸話や信仰などから火を引っ張ってくるのだ。

 だから連盟の術師は雑学に豊富というか……無駄に色々知っている。……無駄ではないか。

 

 まあ結果は同じだがアプローチが違う。

 そして安定度も違う。

 

 連盟式は引っ張ってくる逸話や信仰を間違えてしまうと、村が焼けたり町が燃えたり都市が灰になったりする。

 大きな事象を引っ張る力量がなければ自分が燃えるだけで済むが、大きな力を持つ術師がやらかすと大変なのだ。

 

 例外もある。

 例えば協会式の術なのに触媒を消費するとかだ。

 雷衝などがそれにあたる。

 あれも協会の術ではあるが、電撃が触媒の性質を変えてしまう、あるいは劣化させてしまう。

 かわりに、事前の詠唱を必要としない為即時起動が出来る。

 協会式でも連盟式でもない、こういった新時代の術は今後増えてくるだろう。

 

 ■

 

「あら、おはようございます教師ヨハン。先日は課外授業をされていたそうですね。生徒達はしっかりやれていましたか?」

 

 フェアラートだ。

 俺は今教員室に彼女と2人きりだった。

 

「フェアラート先生、それが余り芳しくありません。やはり実戦経験とは積み重ねでしか培えないのでしょうね、生徒達はみな子鬼相手に震え上がり、詠唱も満足に出来ない様子でした」

 

 フェアラートはうんうんと頷き、大変でしたね、と俺を労う。

 

「まあ少しずつ鍛えていきますよ。フェアラート先生にも何か手助けをお願いする事もあるかもしれません。その時は宜しくお願いします」

 

 俺は頭を下げ、彼女へお願いをした。

 頭の上で彼女はどんな目で俺を見ているのだろうか。

 

 ■

 

 その日の講義は座学をした。

 奇襲への備え、心構え、脅しあげすかしあげ、煽てあげ。

 再度生徒達へ要点を刷り込んだ。

 

「では今日の講義を終了とする。皆、俺が教えた事は常に意識しておくように。生徒ドルマ、君達生徒が気をつけるべき事は?」

 

「ああ……あ、はい教師ヨハン。やばくないときには監視されてると思え、安心感が生まれたと感じたら改めて周囲を探れ、不穏な気配、違和感があれば逃げろ。逃げ切れなさそうなら路地裏へ駆け込み隠れろ。追っ手がやってきたら後ろから奇襲して1人は確実に殺せ……ですよね」

 

「それだけか?」

 俺はドルマへ確認を取る。

 

「……できるだけ残酷に殺せ、です」

 

「正解だ。俺は生徒ドルマを高く評価する」

 

 相変わらず出来の良い生徒だ。

 まあこの分なら問題なさそうだ。

 

 帰ったらミシルに貰った酒を飲みながら寝よう。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:マリー

 

 教師ヨハンはなんでドルマなんかに質問するんだろう。

 私にすればいいのに。

 

 苛々したので私はドルマの尻を蹴飛ばしてしまった。

 

「あァ? なんだよ!」

 ドルマがワンワンと吠えている。

 

「なによ!!!」

 

 私が言い返すと、ドルマは目を大きく広げて、口も少し開けて驚いていた。

 

 あんなので驚いちゃって、術師失格だね。

 

 教師ヨハンは“優れた術師は相手を悪し様に罵る事で精神を揺さぶり、術が掛かりやすい状態へ持っていく”と言っていたわ。

 私の方があんたより優れてるって事よね。

 

「なあルシアン、マリーの奴頭おかしくないか? やっぱりあの男のせいじゃねえのか?」

 

「ドルマ、マリーは教師ヨハンが来る前から暴力的だったし可愛いよ」

 

「お前もおかしいよ…………あー……おいルシアン、マリー」

 

 ドルマが声を潜めて言った。

 

 うん、分かってる。

 ルシアンを見ると目を少し細めてショート・スペルスタッフを撫でていた。

 

 人殺しの目だ。

 

 普段のルシアンは女の子みたいで全然かっこよくないけど、こういう時のルシアンは少しだけ格好いい。

 

「どこでやる?」

 

 私が聞くと、ドルマは顎をしゃくって路地裏を指した。

 

「そこ入って少し進むとゴミ置き場があるんだけどよ、俺はそこに隠れる。後ろから殺ってやる。お前等は正面からお迎えしろよ。殺り方は……あー、まあいいだろ、俺等散々子鬼殺してきたしな。互いの手札は分かってる。合わせるわ。あ! おい! 一人は生かしておけよ、アイツが怒るからな。よし、走りこむぞ。3、2、1」

 

 私達は駆け出した。

 

 嗚呼、空気が殺気立っている。

 教師ヨハン……、ううん、ヨハン。

 見守っていてください。

 

 全員全員、殺してみせます。




活動報告にこれまでの全キャラクターの現状と挿絵をまとめたやつがあります。
今後キャラが多くなってくるとさすがに管理が無理なので…まあよかったら目を通してみてください。挿絵当てられていなかったキャラクターもよさげなのがあればそこで更新します。


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裏切りの夜

 ◆◇◆

 

 SIDE:暴漢 

 

「逃げたぞ! 追え!」

 

「そっちだ!」

 

「馬鹿が、自分から逃げ場を無くしやがった」

 

「男の贄が2匹、女の贄が1匹だ。全員捕まえれば司祭様が喜ぶ……俺たちも不老不死になれるかもしれないぞ」

 

 まさか一晩で3匹もの贄が手に入るなんて! 

 子供とはいえ術師3人だ。

 油断は出来ない。

 普通だったら、今回は見送っていた。

 だがあいつ等はとんだポンコツらしい。

 小鬼とも満足に戦えないそうだ……攫ってくれといわんばかりじゃないか? 

 

 情報は正確なようで、贄共は路地裏へ逃げていった。

 大声をあげることすらしないのか? 

 あいつ等を捕まえたら、もう1人2人位はいけそうだな……

 

 ◆◇◆

 

「4人しかいないの?」

 

 4人の暴漢が路地裏の先、袋小路……ちょっとした広場になっている場所へたどり着いた時、彼等の目の前に居たのは2人の子供だった。

 

 3人だったはずではないのか? 

 1人はどこだ? 

 はぐれたか? 

 

 暴漢の1人がそう思う。

 

 だがこの2人を人質として捕らえてしまえば、もう1人も現れるに違いない。そう思い暴漢達は少年、そして少女へと踊りかかろうとした。

 

「でももう貴方達3人になっちゃったわね」

 

 少女がつまらなそうな声で言う。

 思わず足を止めた。

 誰かが逃げ出したのか? 

 こんなガキ共を相手に? 

 そんな思考が彼等の頭を過ぎった瞬間、バタッという音が背後から聞こえてきた。

 

「よォ! チョーシ悪そうだなおっさん!」

 

 柄の悪い声が聞こえてくるなり、彼等は思わず振り返った。

 血の滴るナイフを持ち、ニヤニヤ笑っている子供が立っていた。

 足元には暴漢達の1人が倒れ付し、喉から血を流して事切れている。

 

「なァ? アイツはさァ、殺った時にこそさらに殺る準備をしておけって言うんだよ。アンタ意味分かる? 俺はわかんねぇよ、アイツちょっとおかしいんだ。多分さ……こう! こうしろって! ……こうしろって! 事だろ? こういうのザンシンって言うんだってよ。油断しない心構えなんだと。意味わかんねーよなァ」

 

 ザク

 

 ザク

 

 ザク

 

 と柄の悪い少年は倒れている暴漢の胸へナイフを突き刺していく。

 

「なあ、ところでさ、俺の事見てて良いワケ?」

 

 ハッと暴漢達は最初に目の前に立っていた少年と少女の方へ振り返る。完全にあの柄の悪い少年へ目を奪われてしまっていた。

 

 少年も少女も、最初に見た時の位置から動いていなかった。

 ━━え? 

 

 暴漢の1人がそう思った時、彼の後頭部を大きな石が強打する。生成された石弾がぶつかったのだ。

 足がグラつき、膝を付く暴漢の顎を柄の悪い少年が蹴り上げる。

 

「ばァ~~か! なんで目を離すんだよ? アンタらちょろすぎるなあ。知ってる? アンタらから身を護るためにさぁ、俺ら死ぬほど走ったりしたんだぜ! 吐きながら走った! なのにしょぼすぎて今すぐ殺したくなっちまうじゃねぇかよ! ……でもアンタ、司祭様とかなんだとかいってたよな。おいルシアン! マリー! コイツは殺すなよ!」

 

 他の暴漢2人は唖然としてて動けなかった。

 なぜこんな子供が? 

 情報では子鬼にすら震えて立ち向かえない腰抜けじゃなかったのか? 凄まじい量の疑問の波が暴漢達の頭を覆いつくし、暴漢達の体は一瞬その場に縛り付けられたように動かなくなってしまう。

 

 だがそこは暴漢達とて暴力は手馴れたもの、なんとか心を立て直し、険しい表情で柄の悪い少年へ飛びかかろうとした。

 

「だから、言ってるじゃないですか。目を離すなって」

 

 暴漢の1人はザクッという音が首元からしたのを聞いた。

 首に感じるのは冷たさ。

 そして冷たさは熱さへと変わった。

 

 男は思わず手を当ててみる。

 ぬるっという感触、徐々に鋭さを増していく痛み。

 

 手のひらにはべったり赤い液体がついていた。

 

「氷刃。速く撃てて、鋭い。でも脆い。骨に当たったりしたら刃の方が砕けてしまうかも。だけど貴方みたいに後ろを向いて僕の事を警戒してない人なら……」

 

 青みがかった髪の、優しそうな少女のような外見の少年は目に何の感情も浮かべていなかった。

 暴漢の目にそれが殊更不気味に映る。

 だがそんな事はもう関係ない。

 噴水の様にビュウビュウと血が流れ、やがて男は目を閉じた。

 

 残されたのはたった一人の暴漢。

 

 ここへきて戦おう等という気は欠片も残っていなかった。

 だが逃げ道には柄の悪い少年が、逆方向はそもそも袋小路で……

 

 それでも暴漢は生きるために柄の悪い少年を押しのけて、逃げようとする。

 

「教師ヨハンは矢継ぎ早に攻撃しなさいと言っていたわ。だから私は矢継ぎ早に攻撃をするの。こうして」

 

【挿絵表示】

 

 少女の周囲に何本、何十本もの炎の矢が浮遊していた。

 そして、その矢先は全て暴漢に向いていた……

 

「マリー、なんでお前はふつーに殺せないの?」

 

 柄の悪い少年が呆れたように言う。

 それが残された暴漢が聞いた最期の言葉だった。

 

 ■

 

 夜半、銀の月を生徒達が訪ねてきた。

 マリー、ドルマだ。

 

 彼等の目は殺意の残り火で烟っている。

 随分仕掛けてくるのが早かったな。

 

 まあいい。

 

「1人は残したか?」

 

 俺が聞くと、マリーがビクっと肩を跳ね上げた。

 ━━まさか? 

 

「いや、……いえ、教師ヨハン。マリーは全員殺そうとしてたけど、俺が1人残しました。外でルシアンが見張っています。気絶してるんスけど、目が覚めるかもしれないし……」

 

 良し。

 ドルマの機転たるや。

 マリーは……マリーは……ううん。

 

「生徒マリー。次は気をつけなさい。今回は許す」

 

 俺が言うと、マリーはハイ! と元気の良い返事をした。

 教え子には甘くなってしまうか。

 俺もまだまだだな。

 

 さて、暴漢殿の面でも拝みにいくとしよう。

 ああ、その前に。

 

「生徒ドルマ。教師ミシルの屋敷は知っているな? 彼女もドーラ商会の顧客だからな……まあいい、ヨハンの使いだといいなさい。生徒攫いの暴漢を生け捕りにしたと。ああ、これは君達の功績だ。考課の加点は勿論、報奨金も出そう。それじゃあ頼むよ」

 

 ・

 ・

 

 ■

 

「さて、気付いたかね?ここは術師ミシルの屋敷だ。お前の名は?」

 

 気絶した暴漢は目が覚めるなり黙り込んだ。

 まあそうだろう。

 捕まっていきなりべらべら話す奴などいない。

 

 だから引っ叩いた。

 

「……ッが! ああああ! な、な、……」

 

「さて、気付いたかね? お前の名は?」

 俺は同じ質問をする。

 

 男は目を充血させて俺を睨みつけている。

 だから引っ叩いた。

 

「ギィィィィィ!! ぐ、あ……ああ……」

 

 男が言葉にならない呻きをあげる。

 ただのビンタだがただのビンタではない。

 男にはちょっとした術を施してある。

 

 俺は手帳から桃色の押し花を取り出した。

 押していなければ小さく可愛い桃色の球状の花が目を楽しませてくれる。

 

「花言葉は鋭敏、だ。君は酷く鋭敏になっている。感覚が倍増どころでは済まない。何倍になっているのかな、俺も興味がある。確認してくれるか?」

 

 引っ叩いた。

 

 ━━━━ッッッ!!!!!! 

 

 最早言葉にすらならないか。

 

「やりなおそう。誰でも皆、やり直せる機会はあるんだ。いいかい? ……さて、気付いたかね? お前の名は?」

 

 男は泣いていた。

 泣けばすっきりして話し易くなるのかもしれない。

 引っ叩かないでおこう。

 

「レイゲン!!! レイゲンだ!!! 俺はレイゲン!!!」

 

 男が叫ぶ。

 レイゲンか。

 彼は西方の生まれかも知れない。

 西の……アシャラ都市国家同盟にその名前が多くいる。

 高名な騎士の名だ。

 なぜ高名か? 

 オルド騎士レイゲン、またの名を【竜狩り】レイゲン……

 

 それはまあいい、つい考えに耽ってしまうところだった……。

 

 さあ、夜は短い。

 聞くべき事を聞く必要がある。

 ……? この足音は

 

「術師ヨハン。尋問は終わりましたか?」

 

「いいえ、術師ミシル。しかしもう少しです。少々お待ちを。俺は細かい仕事が得意なのです。細部まで余さず聞き出すには適任と言えるでしょう」

 

 ミシル……彼女が入室した途端に気温が下がった気がする。

 殺気だ。

 一言で言えば彼女はブチ切れている。

 さっさと聞き出さないと俺も殺されかねん。

 

 ■

 

「そうかレイゲン。君は不老不死になりたかったのか」

「なるほど、悪魔を召喚? どんな悪魔なんだ? 悪魔といってもピンキリだろう? 教えてくれ」

 

(引っ叩く音、悲鳴)

 

「ああ、サブルナック……癒しと石化を司る悪魔か。確かにあの悪魔はある意味で不老不死を司るといっても過言ではないな……ある意味で、だが」

 

「レイゲン、君達を使っていた者は誰なんだい? 司祭様とは誰の事なんだ? どうした? 黙ってしまって……」

 

(引っ叩く音、悲鳴)

 

「ああ、フェアラート。ふっふふ……。まあそんな事だろうと思っていた。彼女は術者ではない。ただの邪教徒だ。階梯を進めた術師ならば当然出来る事が彼女は出来ていなかった。いいかね? レイゲン……信仰系の術を使える術師と、奇跡を願い実現させる聖職者、あるいは邪教徒は根本的に違うのだ。我々は使う側、そして彼等は使われる側である。我々は常に物事を懐疑的に見る。だからこそ相手に二心があるかないか、人となりはどうなのかというのが分かるのだ。これは理屈ではない。出来るものは出来るのだ。だが後者の連中、つまり神とやらに使われている連中は根本的に盲目だ。そういう性質なのだ。よってわからない。人の心など。分かるかねレイゲン、だから……」

 

「あの……術師ヨハン。少し長すぎるので結論のみお願いします。黒幕は教師フェアラートですか?」

 

 ちっ……良い所だったのに……。

 

「はい、術師ミシル。そして彼女は教師ではありません。教師とは尊称です。人を教えるに足る人格者……まあ俺は自分の事をそう思ってはいないのですが……やはり短気な部分も多く……とはいえ、そういう事なのです。俺は彼女を教師と尊称をつけて呼んだ事はありませんね」

 

 俺がそういうと、術師ミシルは目をぱちくりさせていた。

 

「あなたは形にこだわりますよね……。いえ、その拘りは素敵だとおもいますが。ともかく私は行きます」

 

 答えは大体分かっていたが、一応聞いておく。

 術師ミシルは静かに俺の目を見つめて口を開いた。

 

 

「フェアラートを殺しに」

 

 

 やっぱり。




フェアラート:ドイツ語で書くとVerrat。意味は裏切り。
コムラード:英語で書くとcomrade。意味は仲間。

仲間のコムラードは術師。元ネタは英語。
そして裏切り者のフェアラートは非術師。元ネタはドイツ語。

言語も違う事でそもそも彼女は術師ではないですよ、という感じです。


貴方の外見は非常に美しい
リップサービスではない。
放った言葉に嘘はない。

というセリフも、外見だけは美しいが中身はどうかな?という含みを持たせています。
目を見たりしていたのは術師としてのアレコレの確認です。
エル・カーラ編は他にも伏線回収したりするつもりなので、なんか変な態度だなと思ったら気にしてみてください。


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岩騎士

ちょっと量少ないんですが、更新頻度優先で進めていきます。


 ◆◇◆

 

 SIDE:フェアラート? 

 

 後少し、後ほんの少しだというのに。

 奴が訪れたのは偶然かもしれないが、まさかこの様な形で邪魔をされるとは。

 

 時間はもう余り無い。

 ならば不十分だが強行してしまうか? 

 

 いや、あれは……

 

 ◆◇◆

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あら、教師コムラード。この様な遅い時間にどうされました?」

 

「む? おお、フェアラート先生。いえ、夜回りですとも。不逞な輩もここ最近はナリを潜めておりますが、よもやエル・カーラから出ていったと言う事ではありますまい。とはいえ彼奴輩めは子供を攫う等と言う卑劣な連中ですからな、なかなか尻尾は出さないでしょうが……」

 

「仰る通りですわね。では私もお手伝い致しますよ。生徒を守るのは教師の役目ですものね。……あら? どうされました? その様な目をされて……」

 

 コムラードの中にしっかりとした確信があった訳ではない。

 だが彼の術師としての勘が目の前の同僚をどうにも気に食わないと告げている。

 

 先だっての教師ヨハンとの一件もそうだった、とコムラードは思う。

 結局の所、術師とはどこまでも頑固なのだ。頑固で、偏屈で、折れる事を良しとしない。

 

 己の中にこれが正しいと思う一本の芯棒があったならば、それを折ったり曲げたりする事はあってはならない事であるし、仮に変節しなければならないとするならば、それに手を掛けて良いのは他ならぬ自分自身であるべきなのだ。対面する相手の意見を聞き、それをもってあるいはそういった考えもあるのだ、と考えを変えるならばいい。

 

 だが、とコムラードの頭部に僅かに血がのぼり、彼の禿頭はやや赤みを帯びる。

 

 であるならば、術師同士が互いの意見を競わせている時、横からしゃしゃり出るなどと言うのは無礼を通り越して侮辱に当たる。

 他の教員達だって口論手前の状況に一つも口出しをしなかったではないか。

 

 ──柔軟性だとか言っていたか? 糞ったれめ。

 ──彼女は骨のある術師だったが、地位を得て堕落したか? 

 

 コムラードの気配に、僅かに敵意が混じった。

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:フェアラート? 

 

 馬鹿な! 

 なぜ私へ敵意を向ける? 

 失態はおかしていないはずだ。

 

 しかし、それならば仕方がない。

 そうなってしまったならば、仕方があるまい。

 

 だがこうなれば少しでも早く……例え尚早であっても実行するしかない。

 その為にはこの男が邪魔だ……

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:コムラード

 

 とはいえ、気に食わないからといって実害がないのに邪険にするのも宜しくなかろうて……。

 吾輩もまだまだ未熟──……ッと!? 

 

 咄嗟に身を翻す。

 

「何をされるか!」

 

 投射物が石畳を貫通。物体生成系か? 

 しかしなぜこの女は吾輩へ攻撃してきた? 

 まさか……

 

「フェアラート先生、どういう御積りですかな? 外れたから良いものの、当たっていたらかすり傷では済まない術式でしたが。あるいは貴殿、人攫い共と関係があるのですかな……?」

 

 すると、フェアラートは薄く笑いながら言った。

「ご存じの癖に、もう演技せずとも構いませんよ」

 

 演技? 何の話だ? 

 既に吾輩が知っている? 何を? 

 だがそれよりも何よりも……

 

「貴殿が何を言っているのか、吾輩には分かりませぬ。しかし、売っている、という事でよろしいのですな?」

 

 吾輩の言葉に、フェアラートは首をかしげる。

 忌々しい! 

 吾輩が爺だとおちょくるか! 

 

「何を、だと……? ……"纏い、力み、隆起せよ。岩纏鎧"!! 喧嘩をだ! 買ってやるぞ! クソアマがァ!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 岩石を生成し成型し、身に纏わせ突進する。

 身に纏わせた岩の鎧は体からわずかに離れているので重量による制限はない。

 人攫いの事件に関係しているのは間違いなかろう。

 突進し、そのまま叩き潰せればそれで良し。

 だが、長引く様ならこちらの体力も持たぬ。

 その時は……

 




コムラードは確かにフェアラートを先生と呼んでいましたが、別に彼女が裏切り者だと気づいていたわけではありません。
術師としてはありえない無礼をされて苛ついていただけでした。
術師界隈では双方がレスバしていた時に口出ししたら殺されても文句は言えません。
フェアラートが先制攻撃した理由はコムラードに気付かれたと勘違いしたためです。
彼女は術師ではないため、術師の作法には詳しくありません。
彼女が色々失敗してるのは、術師のちょっと変な性質を理解できていないからの一言に尽きます。
しかしなぜ術師ではないのに術師の学校にいるの?となりますが、そのへんも回収はします。

それとこれは伏線ってほどでもないんですが、トゥードの話を出したのはコムラードが怒ったらそんな感じになるよっていうメッセージのつもりでした。


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岩騎士②

 ◇◇◇

 

 当たり前の話ではあるが、術師は皆が皆、戦闘が得意というわけではない。

 むしろ戦いなどというものはまっぴらご免、苦手も苦手、大の苦手という者の方が多い。

 日々研究に明け暮れ、新たなる術の開発、神秘、秘事を解析といったデスクワークを好む者が大半だ。

 

 ただ、苦手だとか気質に合ってないというだけであって、別に戦えないわけではない。

 術師の卵のような学生であっても、容易に人を殺害出来るだけの力がある。

 

 特に、2等術師以上ともなるとその純戦闘能力は一般人とは隔絶しており、事象の発現だけではなく中には地形や天候に干渉する者も珍しくはない。

 

 そんな中、協会所属二等術師コムラードは協会でも珍しく近接戦闘を主体とする術師であった。

 協会式分類法では土属性とされる術を得意とし、その戦い方は非常に荒々しい。

 

 ◆◇◆

 

「うぉらァ!!」

 

 コムラードが吠え猛り、肩からフェアラートへ突っ込んでいく。

 何の工夫もないショルダータックルだが、その重量から生みだされる破壊力は当たれば骨折では済まされない程のものがあった。

 

 しかし薄笑いを浮かべるフェアラートはまるで舞いの如く身を翻し、突進を回避した。

 

「むゥッ!!」

 

 回避された事を理解しつつも、コムラードはそのまま前転を行い、着地と同時に再び駆け出した。

 その動きに合わせるようにフェアラートが手を掲げ、振り下ろす。

 

 危険なものを感じたコムラードは突進を中断し、転げるようにして横へ飛んだ。

 

 直後、直前まで彼のいた空間を人の頭部程の岩石が通り過ぎていった。

 それは地面に激突すると砕け散り、破片が辺りに飛び散った。

 

「ちぃッ!」

(早い! 詠唱無しでここまでの術を矢継ぎ早に使うか。だが……彼女はそれほどのタマであったか……?)

 

 舌打ちをしながら、それでも体勢を立て直すべくコムラードはその場から離れようとするが、それを阻むように次々と岩塊が飛来する。

 

「くそったれめ……」

 

 愚痴をこぼしながらも彼は走り続け、避け続ける。

 やがて岩塊の雨が止んだ所で立ち止まり、振り返った。

 

 そこには両手を振り下ろしたままの姿勢でこちらを見つめているフェアラートの姿があった。

 

 

(近寄らせないつもりか)

 

(だが吾輩が、これまでそんな輩と何度死合ってきたか)

 

(そしてそんな連中をどうやって地の染みにしてやったかを教えてやる)

 

 

 決意と共に走り出すコムラードに呼応するように、今度はフェアラートが彼へ向かって走り出した。

 二人の距離が瞬く間に縮まっていく。

 先に仕掛けたのはフェアラートだった。

 

 先程と同じように腕を振りかぶって地面へと叩きつけるように腕を振るった。

 大地が隆起し、巨大な石柱が立ち上る。

 石の巨槍と化し、獲物に喰らいつく蛇のようにうねりながら迫るそれを回避するために、飛び退こうとするコムラードだったが……

 

「教師コムラード、それは悪手ですね」

 

 フェアラートの言葉とともに石柱の側面が爆発したように弾けたかと思うと、無数の礫弾となって彼に襲いかかる。

 咄嗟に両腕を交差させ防御姿勢をとるものの、全てを防ぎきることは出来ず全身に纏った岩鎧に細かな裂傷を生じさせていく。

 だが足だけは止めない。

 全身に石弾を食らいつつも、コムラードはフェアラートへ肉薄する。

 フェアラートは再び距離を離そうと足に力を籠めるが

 

「随分と馳走してくれたな。吾輩からも返礼しよう、"弾け、舞い散れ、石の花"!」

 

 術を起動した瞬間、コムラードの纏った岩鎧が凄まじい勢いで吹き飛んだ。

 コムラードを中心に岩石の砲弾が周囲を蹂躙する。

 当然フェアラートをも巻き込んで。

 

「ぐ……ッ!?」

 

 この距離で、そしてこれほどの物量では当初見せた身の軽さなど何の安全の担保にもなりえない。

 当然の結果というべきか、岩の砲弾はフェアラートの細い体へ食い込み、血飛沫をあげながら彼女は吹き飛んだ。

 

「"纏い、力み、隆起せよ。岩纏鎧"」

 

 分離、射出した岩の鎧を再び身に纏う。

 

 コムラードの戦術は至ってシンプルだ。

 岩纏鎧で攻防を強化し、接近し、殴りつける。

 殴られるのが嫌で離れようとした相手を石の花でぶっ飛ばす。

 この石の花は鎧の破片が吹き飛んだだけなのだから大した事は無いように思えるが、電光石火……石火とはよくいったもので、この弾け飛ぶ速度が尋常ではない。

 

 超高速度で飛来する数多の石の弾丸は、その一撃一撃が一般的な成人男性の胴体程度ならたやすく貫通するような非常に凶悪な威力となっている。

 

「……フェアラートは、教師……術師フェアラートは信仰系の術を専門としておった。癒しを司る旧神を奉じておってな、医療者としての側面もあった。貴様……貴様は……"何"だ?」

 

 吹き飛ばされていたフェアラートがむくりと起き上がった。

 

「……痛いですねぇ……まったく……」

 

 口から血を流しつつ呟く彼女の姿は痛々しくはあったが、言葉とは裏腹にその表情には薄笑いがこびりついている。

 

 

「何、ですか。うふ。うふふ」

 

 

 石兜の下、コムラードの禿げあがった額にじとりと汗がにじむ。

 冷たい汗だった。



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三者三様

◆◇◆

 

──得体が知れぬ。看破が必要な手合いか

コムラードは兜の下で顔を顰めた。

 

そういうモノとやり合うなら相応の準備がいる。

殴って殺せる、潰して殺せるモノであるならばともかく。

 

何かしらの根源、成り立ち、そういったものを看破し、打ち破らないと倒せぬ敵というものは珍しくない。

 

そして協会式の術式というものは、そのような手合いに対しては些か相性が悪いのだ。

 

コムラードは己の不利を悟る。

悟れば後はシンプルだ。

 

(時間を稼ぐ。然るのち、逃げるべし)

 

幸いにも、とコムラードは思った。

こういう手合いを得意とする術師が1人いる…

 

 

 

「そうですか、では俺も行きましょう。悪魔というのは面倒くさいのです。まあただ、仮に顕現されてもサブルナックであるなら問題はないでしょう。勿論多少面倒でしょうが。最良はやはり顕現前に悪魔崇拝者を始末する事ですね」

 

ミシルはちらりとこちらを見て聞いてくる。

 

「問題はない?根拠はあるのですか?」

 

勿論ある。

ただの偶然の産物にすぎないものであるが。

あの時、名も知らぬ子供の名も知らぬ姉に掛けた言葉は別に出まかせではない。確かにアレはそれなりに手古摺らされた。

アレと比べれば魔猿などは木っ端も同然だ。

 

「一度、殺しています。格付けは済んでいるという事です、術師ミシル」

 

顎に手を当てなにやら思案しているミシル。

 

「私は悪魔と交戦した事はありません。いざという時は頼らせて貰います」

 

助かる。

仕事は向いている者にやらせるべきなのだ。

ああ、そうだ、彼らの事を忘れていた。

ルシアンやドルマはともかく、あのお転婆娘だけはどうにも不安だ…

 

「それと術師ミシル。銀の月に生徒ルシアンと生徒マリー、生徒ドルマがいます。彼らに人を付けられませんか?彼らは暴漢を仕留めて情報を持ち帰ってくれた功労者です。一応身を護る札を増やしておきたいですね。まだまだ子供ですから…」

 

ではアリーヤを向かわせましょう、とミシルは言った。

あの骨のある術師ならば問題あるまい。

 

「敵が襲ってきたとして、情報源として生かしておく必要が無いのならばあの子で問題ないでしょう。彼女は4等術師ですが、3等でもおかしくない実力です。4等にとどまっているのは、彼女が…まあ…少し派手好きな性格だからなのです」

 

はて、派手好きとは…?

 

 

◆◇◆

 

SIDE:ルシアン

 

「ええ?帰れっていわれたとおもうけど」

僕はマリーへ言った。

 

【挿絵表示】

 

「ルゥシアン!いいこと!?いまこそ!弟子としての奉公を示す時じゃないの!?」

 

違うよ、弟子じゃないよと僕は思った。

生徒ではあるけど…。

 

「弟子じゃねえよ。というか勝手に弟子を名乗ったりしたら教師ヨハンは怒るんじゃねえの?形にこだわるタイプだろアレ」

 

ドルマの言葉に全面的に賛同する。

 

「…な、なら弟子候補よ!候補なら問題ないはずだわ!」

 

そうかよ、とドルマはマリーに呆れて、木窓を開けて外を眺めていた。

 

ドルマがいてくれて良かったと思う。

猛犬みたいなマリーも可愛いけれど、少し疲れる時があるのだ。




文字数少ないですが、状況調整回です。
話をぐいっと動かす前に調整しておかないと書くのが大変なので…


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『エル・カーラの夜明け』

 ◆◇◆

 

 コムラードは腰を落とす。

 この時点で彼はやや迷いを抱いていた。

 最終的に逃げる事は決まっている。

 だが、そこまでどう持って行くか? 

 

 “岩纏鎧”は懐に抱いたショート・スタッフが核となり鎧を為す。

 従って、“石の花”など鎧そのものを投射するような術はともかく、鎧を纏ったまま別の術で遠距離攻撃を仕掛けるといった事は出来ない。

 

 高速移動の術はあるにはあるが……と悩むコムラードだが、彼の悩みはすぐに解決された。

 

「貴方、少し鬱陶しいですね」

 フェアラートがコムラードへ向けて手を指し伸ばす。

 

 同時にコムラードの体が金縛りに掛かったかのように動かなくなった。いや、正確にいえば体自体は動く。しかし、身に纏った岩の鎧がコムラードの意に一切従わなくなったのだ。

 意が通っている感覚はある。しかし見えない外力に抑さえつけられたかのようにぴくりともしない。

 

「うふふ。実は私、石のあしらい方には些かの自信があります。貴方のその石ころ……もう動かないでしょう?」

 コツコツとフェアラートが近付いてくる。

 

「権能を使わされてしまったのは予想外でしたが」

 その右手にはナイフが握られていた。

 

「これでお仕舞いですね。生体が欲しかったのですが、貴方ほどの術師であるならば死体であっても良い栄養になるでしょう……なにか言い遺すことでもありますか?」

 

「…………め」

 

 コムラードが小さい声でぼそりと呟く。

 

「え? なんですか? もうお話できなくなるのですから、ちゃんと聞かせてください。命乞いでも構いませんよ。無様に命乞いをしてくだされば助けてあげるかもしれません」

 

 コムラードの目が大きく見開かれる。

 禿げあがった頭部に浮き上がった青筋の数は、そのまま彼の怒りを表しているようだ。

 

「馬鹿め!! そう言ったのだ間抜けがァ!! 吹き飛べ! “土轟発破(どごうはっぱ)”!」

 

 “意が通っている感覚はある。しかし見えない外力に抑さえつけられたかのようにぴくりともしない”

 

 であるなら、動かすことは諦める。

 だからといって爆破すればいいなどと考えるのは、コムラードが無謀だとか阿呆だ馬鹿だとか、そういう訳ではない。

 コムラードの手札に、ある程度のリスクを切らずして今の危地を状況を脱する札がなかっただけの話だ。

 

 土轟発破は石や岩を火山と見立て、内側より激しく破砕させる土と火の複合術である。

 石の花と似ているが、石の花はあくまでも高速で外側に射出しているだけだ。

 土轟発破は石そのものを、わかりやすく言えば爆破する。

 

 外力で抑えつけられているなら、その力が大きければ大きいほどに爆破の威力は増すだろう。

 

 閃光。

 そして轟音が、夜のエル・カーラに響き渡った。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:フェアラート? 

 

 まさか自爆をするとは。

 あの後辺りを探してみたがあの男の死体はなかった。

 逃げ延びたか。

 大分権能を使わされてしまった。

 仕方がない……まだ尚早だが儀式を完遂させるしかあるまい。

 隠れ家が近い事が幸いか。

 不十分であっても受肉さえしてしまえば人間等に敗れる道理はない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 隠れ家だ。

 権能が使えなくなればこの身はか弱い一個の人間にまで堕す。

 急がねば。

 

 ……力ある者の血で描いたシジル、その中心に蛆の湧いた心臓の肉を乾燥させたものを置き……

 

 

『蒼き死よ。廻り巡りて流転せよ “円渦氷輪斬(えんかひょうりんざん)” 』

 

 

 ◆◇◆

 

 隠れ家の扉を開けたフェアラートはぎょっと目を見開いた。

 ぎゃりりと音をたてながら回転乱舞する数十本もの氷の戦輪が襲い掛かってきたからだ。

 

 咄嗟に手を掲げ、頭部を守るもその腕はズタズタに引き裂かれる。

 

「ぎゃアアアァァァァア!!!」

 

 権能を使うか使わないか迷ったのか、あるいは他の理由か。

 フェアラートは素のままにそれを受けてしまった。

 肉が引き裂かれ、凍結し、そこへ更に氷の回転ノコギリが襲い掛かる。

 

 絶叫するフェアラートへ静かに話しかけるのは協会所属準一等術師ミシル・ロア・ウインドブルームだった。

 

「魔導学院1年。生徒ミア・フォスター。フワフワとした栗毛色の髪の毛が印象的でした。花が好きで、生育系の術を佳く学んでいました。腕だけ見つかった彼女を見た時はとても残念でした。彼女は術の精度を上げる為に印を刻んでいましてね。それで特定できました。貴方方が殺したのですよね?」

 

 ミシルが訊ねると同時に戦輪が唸りをあげ、フェアラートへ叩き込まれる。

 

「魔導学院1年。生徒エディ・ノックス。遅刻の常習でした。朝は弱いのだとか。目覚まし薬を分けてあげたのを覚えています。進級できるかどうか怪しい所でしたが、努力はしていたように見えました。出来の悪い子程可愛いのでしょうね、どうにも厳しく叱る事が出来ませんでした。貴方方が殺したのですよね?」

 

 ぎゃりぎゃりと回転する戦輪はやがてフェアラートの右腕を引き千切ってしまった。

 

 ミシルの質問、即攻撃はそれから13回。きっちり15回に及ぶ。

 言うまでもないがそれはエル・カーラ魔導学院で行方不明、あるいは死亡した生徒の数のそれと一致した。

 

 フェアラートもフェアラートなりに身を守ろうとはしたのだ。

 権能を使い、その身を硬質化させ、迫り来る暴虐の回転刃から身を守ろうとはした。

 万全の状態ならば多少なり防げ得たかもしれない。

 しかし、コムラードとの交戦で想像以上に権能を使わされていた。

 残り少ないソレを絞り出し、多少は防ぐ事には成功したが、立て続けに攻撃をぶちこまれ、既に権能という力を満たした器は枯渇している。

 

「ほ、他の者達は……?」

 

 達磨になったフェアラートが問うと、ミシルは首を傾げ、そちらは“彼”へ任せていますから、と言った。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:邪教徒A他

 

 

「そんな目で見ないでくれ。俺も好きでやっているわけではないのだ。仕事だから仕方ないだろう。君ら邪教徒じゃあるまいし、誰が腑分けなぞ好んでするものかよ。俺はどちらかと言えば草花を好み、争い事を厭う平和主義者なんだぞ。だがね、今回の仕事を完遂させるには、どうしても君達が必要なんだよ。まさか生徒達を攫えとは言うまい? 術師を攫うんだから君達も似非とはいえ術を使うんだろう? だったら素材としては十分使えるのだ。まあ俺は君らのような存在を術師等とは認めないがね。術使われとでもいうべきか。……よし、シジルのこの位置に心臓を置くと。しかし君らも阿呆だなあ。不死や不老などに憧れるなど……。お伽話じゃあるまいし。君はエルフェンを知っているかね? 彼等は放っておけば1000年も2000年でも生きるとされている。だが、殆どのエルフェンはそこまで生きる事はないんだよ。なぜかって? いや、話させろよ、どうせ死ぬんだから学んでから死んでいきなさい。彼等エルフェンはね、自殺してしまうんだ。なぜって、悠久の如き長い年月に心が耐え切れないからさ。でも極稀に、心が死んでなお体が生き続けてしまうエルフェンもいる……非常に厄介な連中だ。……あれ? あぁ……死んでしまった。出血多量か。まあ血はこうして布に吸い取らせて……こう、絞れば……よしよし、いい感じだ。ああ、レイゲン、そこの彼を持ってきてくれ。ちなみに最後は君を処理するよ。おいおい泣かないでくれよ……どうせ君らも攫った生徒達に同じ事をしたんだろう? 何事も順番だ。次は君達の番というだけだ。ところで、俺は子供というモノは好きじゃないのだが、教師と言う仕事をやるにあたって、やや価値観を変える事にしたんだ。君達の苦しみが子供達の霊を慰撫できるとは思わないが、俺は君達を、死ぬほど苦しめてから殺したい」

 

 

 殺して……殺してくれ……悪魔だ、この男は……悪魔……

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ミシル

 

「術師ヨハン」

 

 私が呼びかけた時、彼は床に血で魔法陣を描き、そこら中に臓物を撒き散らしてレイゲンと名乗った暴漢を脅かしていた。

 連盟の新しい杖は真面目な性格だととあるツテから聞いていたが、本当に仕事熱心で結構な事です。

 欠点はやはり話が長すぎる事……でも話が短い術師は相対的に見て未熟な者が多く、術師として頼るつもりなら話が長い者を選んだほうが失敗がない。

 

「ん、ああ、術師ミシル。そちらは済んだのですか? 殺してはいないでしょうね。殺してしまうと逃げ出されてしまいます」

 

 私は左手に持った「それ」を確認した。

 息はしている。大丈夫、生きている。

 それどころか憎悪に満ちた視線でこちらを睨んでいる。

 この傷、出血量でよく生きているものだ。

 

「はい、生きています。言われたように動けなくしておきましたよ」

 

 私がそういうと、彼は駆け寄ってきた。

 酷く血腥い。

 

「ではチャキチャキ仕事を進めましょう! では「それ」を貸してください。んん、思ったより軽いですね。やはり四肢がない分運びやすい。切断して正解でしたね」

 

 彼に「それ」を手渡すと、ズルズルと引きずって血の魔法陣の中心へ放り投げた。

 

「ほら、お膳立てはしておいたぞ。さっさと顕現しろ。お前が成り代わっているのはとっくに分かっている。お前とは1度対面しているからな。視た時、なんとなく懐かしいものを感じたよ。そこでレイゲンの話もあったからな、ああ成程と得心したわけさ。お前は前回も皮を被っていたからな。癒しを与え、石化を司り、変身の能力を持つ悪魔サブルナックよ。久しぶりじゃないか! 以前一度ぶち殺してやった事があったな? 俺に殺され、悪魔としての格を大幅に削られ、魔界だかなんだかでイジメにでもあって、耐え切れずに力を取り戻そうとでも思ったのかい? どうした? そんなに睨んで……何か言ったらどうだ?」

 

 本当に嬉しそうに煽りますね……。

 彼は連盟の中では会話が出来る方だけれど、やっぱりちょっとズレてるのかもしれない。悪魔より邪悪に見える。

 

「貴様ァ! この様な真似をして「喋るな」ぐぁッ……!」

 

 ああ! 蹴飛ばした! 

 フェアラート……いえ、サブルナックの顎が……

 あれは砕けてますね……

 

「すまん、何か言えといったのは俺だったか。訂正する。何も喋るな。悪いな、蹴ってしまって。謝罪するよ」

 

 ■

 

 危なかった。

 悪魔に何かを話させるというのは良くない事だ。

 連中はその身そのものが魔術的存在なので、術師の使う術のようなものを詠唱無しで使って来る。

 これを権能と言うのだが……サブルナックは石を投げたり石化させたりしてくる。初めてまみえた時にもドンドコ石を投げてきて大変だった。

 

 それにしても行動が遅いな。

 顕現してもらわないと困るのだが。

 このままその体で死なれる方が面倒だ。

 事件は一時的には解決するだろうが、時間が経てばまた湧いてくる。

 物質界に住む人の手で悪魔を本当の意味で殺すというのは非常に難しい。

 高位の聖職者ならともかく……。

 

 

「大方、より多くの人々を癒さんと志す教師フェアラートをだまくらかしたのだろう? 信仰系の術を得意とするものは非常に純粋な者が多い……。彼女の事は知らないが、恐らく本心で世界中から苦しみを無くしたいくらいの事は考えていたのだろうな。ふふふふ、確かに強力な癒しの力は、永遠の命とやらがあったとすればそれへの鍵足りうるかもしれない。石化の力もそうだな。石と化し、不変の存在となればそれはある意味で不老であるとも言える。君ら悪魔は契約の際、嘘はつけない。つまり虚偽の契約は結べない。だから都合のいい事だけをくっちゃべったのだろう? 教師フェアラートへ。それで首尾よく成り代わったというわけだ。なあ、それ、前もやってたじゃないか! なんで同じ手を使うんだ? 悪魔とは馬鹿の代名詞じゃないだろう? 恐怖され、嫌悪されなければいけないのに、なんで馬鹿にされる様な事をするんだ? さては悪魔サブルナック、君は悪魔ではなくて別の何かなのか? ……自分で言った事だがありえる話だな……人間の術師なんかにそんなザマにされる悪魔なんぞいるはずがない。例え1度俺に殺されて弱体化してたとしてもだ。今すぐ悪魔の皆さんに謝りなさい。悪魔のふりしてごめんなさい、と」

 

 ◆◇◆

 

 72の悪魔の1人、サブルナック。

 青ざめた馬の下半身を持つ獅子頭の大悪魔。

 癒しと治らぬ傷、石化の力を持つ彼の心中はいかばかりだろうか。

 

 悠久に等しい彼の人生……いや、悪魔生でも、矮小な常命の者にここまで愚弄された事はいまだかつて無い。

 

 確かに悪魔という存在は物質界に在る限りはその力に大きな制限が掛けられる。

 それを差し引いてもなお、悪魔と人間の力は隔絶しているはずなのだ。

 

 ━━それなのに

 

 とサブルナックは屈辱の炎で身を焦がす。

 

 一度目は確かに敗れた。

 その時魂はバラバラに引き裂かれ、魔界に在る本体とも言うべき体にも深刻な傷を負った。

 本来ならばその様な……魂に痛打を与えるような事は出来ないはずなのに。

 しかし愚痴を言っても始まらない。弱った魂を癒すため、この女の弱い心へ付け込み、乗っ取ってやった。

 後はこの体を使い、十分な数の贄を集めて魂を完全に癒すつもりだった。だというのに……

 

 彼はそう煩悶する。

 

 ・

 ・

 

 だがサブルナックは気付いていない。

 サブルナックの魂に深刻な痛打を与えたのは、他ならぬサブルナック自身であると言う事を。

 たかが常命風情に悪魔という偉大な存在が敗れるなどと言うのは、自己のアイデンティティの崩壊にも等しい。

 

 人間を見下せば見下す程に崩壊は進んでいくのだ。

 その弱い人間に敗北した自分という存在を、他ならぬ自分が許せないのだから。

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:サブルナック

 

 既にこの人間のやり方は理解している。

 中途半端な顕現であっても、この場にいる者を皆殺しにする事は赤子の手を捻るより容易い。

 

 悪魔を侮った報いに永遠の苦しみを与えてやろう。

 2度の敗北はない。

 あってはならない。

 

 ◆◇◆

 

 フェアラートの、いや、サブルナックの体が黒い靄に覆われていく。

 血のシジル……魔法陣が紅く輝き、各所へ置いた臓物が干からびていった。

 

 そして、黒い靄から顕れたるは全身を蒼灰色に染めた獅子頭の怪物。

 隆々と盛り上がった筋肉は、腕の一振りで人間等ぺしゃんこにしてしまいそうだ。

 

 ミシルはごくり、と生唾を飲み込んだ。

 錬達の術師である彼女をして、畏怖させるに足る威圧感。

 心細さからか、思わず側に佇む連盟の青年をみやる。

 

 当の青年……術師ヨハンはニチャニチャという擬音が相応しい、率直に言えば非常に下品な嗤いを浮かべていた。

 

 うわ、とミシルはヨハンにドン引きしてしまう。

 

 ■

 

 仕事は9割は済んだか。

 俺はホッと一安心した。

 ちゃんと顕現してくれてよかった。

 やはり言葉には力がある。

 話せば分かってくれるものだ。

 挑発もまたコミュニケーションだ。

 

「物質界へ顕現おめでとう、似非悪魔サブルナック。か弱い女を口先でだまくらかし、その辺の木っ端人身売買組織みたいな真似をして得た身体は快適か?」

 

 パチ、パチと拍手をしながら俺はサブルナックの顕現を祝福してやった。

 

 するとサブルナックの両眼が紅く輝き始める。

 石化の魔眼か。

 

「うぅッ!?」

 

 ミシルの声。

 振り向けば、つま先から徐々に石へ変わっていっている。

 相変わらず滅茶苦茶な術だ。

 眼をペカーっと光らせるだけで石化させるとは。

 だが……

 

『貴様は何故……石にならない!!』

 

 さて、どうする。

 説明を求められてしまうと、語りたくなってしまう。

 語らずしてなにが術師か。

 だが、放っておくとミシルが石になってしまう……。

 

 仕方ないので俺はサブルナックへ近付いて、自慢気に晒している腹筋へ拳をくれてやった。

 

 はっきりいって俺の腕力なぞたかがしれている。ダッカドッカあたりと腕比べをしたら、俺が10人居ても負けるだろう。

 

『━━うごォッ……!!』

 

 だがサブルナックは身体を折り曲げ、腹を抑え呻いていた。

 同時に魔眼が解け、ミシルの身も自由となった。

 しかしこれで攻撃をやめる理由にはならない。

 サブルナックがかがみ込み、立派な鬣がつかみやすい位置に来たので両手でしっかりと握る。

 そして膝だ。

 

 俺のたいした事はない膝蹴りはサブルナックの鼻ッ頭を叩き潰し、青い血が飛び散った。

 

「あ、あの術師ヨハン……? なぜあなたは無事なのです……? そして悪魔をそのような……」

 

「はい。術師ミシル。先刻、俺がもう格付けは済んでいる、と言ったのを覚えていますか?」

 

 ええ、とミシルが頷いたので先を説明する。

 説明の間も踏みつけたり、蹴り飛ばしたりする事を忘れない。

 

「悪魔とは恐ろしい存在です。基本的に人間等が束になったって敵うような存在ではありません。剣で切りつけようと、術で吹き飛ばそうと無駄な事なのです。なぜなら彼等の本体は魔界……と呼ばれる場所にあるからです。そこは物質界とは相が異なる場所であるため、物質界という相の生物がいくら抗っても無駄な事でしょう。悪魔、という属性をもつ術のような存在だと思って下さい」

 

 サブルナックがこちらを指で指してきた。

 不可治の呪い。決して治らぬ傷を与える悪辣な呪法だ。

 

 使わせないように指を掴んでグイっと甲の方へそらした。

 折れたようだ。

 良し。

 

「彼等を打倒する手段は一つ。彼らの悪魔としての存在意義を否定する事です。悪魔はどの個体も役割が与えられています。彼等悪魔が悪魔として存在する為に必要な役割がね……例えば物を燃やせず熱もない火があったとして、それは火たりえるでしょうか? 火は燃えるからこそ、熱いからこそ火なのです。火種にもならない、暖も取れない火があったとしたらそれはもはや火ではない」

 

 蹴り! 

 蹴り!! 

 蹴り!!! 

 

 三段蹴りだ。

 つまり三回蹴る。

 

 ミシルへ説明する間にも、サブルナックを痛めつける事を忘れない。

 本当はミシルにやらせてあげたいのだが、彼女では無理だろう。

 彼女が弱いという訳では無い。

 俺が何の準備もなしに面と向かって彼女と直接戦闘した場合、勝てるかどうかは非常に怪しい。

 勝算は7対3と言った所か。

 俺が3だ。

 だが、彼女では出来ない。

 なぜなら彼女はサブルナックを優越していないからだ……。

 

 

 

「過去、俺はサブルナックをそういった手段で打倒しております。詳しくはその内お話しますよ。ただ、まあそれだけならばこういった事にはなっていないと思うのですが……このサブルナックという悪魔は人間を酷く見下しておりましてね。遥か劣等の存在に敗れた自分という存在を、サブルナック自身が許せないのですよ。自分で自分が許せない、そして俺の事も許せない。なんとか復讐をしたい……そんな思いを抱いていたのでしょうねぇ。だがそれは悪魔という強大な存在を、自らの手で人間と同じ土俵まで引きずり下ろす行為に等しい。喧嘩は同じ程度の者同士でしか起こらない、みたいな話を聞いた事がありますか? あれと同じです。このサブルナックという悪魔はもはや俺の前では悪魔ではないのです。自分の手で自分の格を下げてしまっている。そして……彼奴等が術的な存在であるならば!」

 

 足を振り上げる。

 サブルナック、その表情はなんだ? 

 怯えているじゃないか。

 怖いか。

 そうだな、こんな状況で2度も殺されれば……。

 ましてや受肉顕現などをしていれば……。

 お前という存在そのものが消えて果ててしまうものな。

 でも、死ね。

 

「この悪魔の精神を完全に優越している俺が、術比べで負けるはずがない。準備さえ出来るのならば、俺は神だとて殺せる自信があります」

 

 振り下ろした俺の足は獅子頭をぐちゃりと踏み潰す。

 蛇足ですが、と俺は続けた。

 

「自慢ではないのですがね、俺は弱いものには強いのです」

 

 “本当に、自慢にならないですね……”

 ミシルがぼそりとつぶやくが、黙殺。

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:アリーヤ

 

 ちょちょちょちょちょおっと! どういうことですの!? 

 なんで恩師コムラードが焦げ焦げで倒れていますの!? 

 刺客!? 

 刺客は殺しますわ! 

 

 ああでも師ミシルは銀の月に行けと……

 でも人命優先ですわよね……わたくしは協会の術師! 

 連盟の術師とは違いますわよ! 

 

 さあ癒しの術を……使えない!! 

 私は壊すことしかできませんわ!! 

 

『……ふ、ふところ、に……』

 

 あ、生きている!? よかった、ええと懐……

 

『治癒、の……』

 

 任せてくださいませ! これですね! さあ! 飲んで飲んで! 

 さて、どうかしら……うん、随分高い治癒薬だったみたいですわね。この分ならまさかの事態もなさそうで安心しましたわ。

 

 ……あら? そろそろ夜が明けますわね……。

 この時期は日の出が早くて早くて……そろそろ暑い季節が来るのかしら。




説教。


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出立したり

 

「本当に宜しいのですか?最初は金貨2000枚という額の高さに驚きましたが、今は逆です。ロハとは流石に申し訳ないのですが…」

 

俺がミシルへそう言うと、彼女は首をフルフルと首を振った。

 

「良いのです。今回の件は助かりました。術師ヨハンが居なければあの悪魔はエル・カーラを喰い荒らしていたでしょう。…あれ?でもそもそもあの悪魔が術師ヨハンを恨んでなければ」

 

「なるほど、そう言うことでしたらこれ以上の固辞は失礼にあたりますね。あり難く受け取ります。ではまた何処かでお会いしましょう。教師コムラードへも宜しくお伝え下さい。療養所を訪ねたのですが面会謝絶でした」

 

形勢不利とあらば逃げる。

戦いとは基本的に避けるべきものなのだ。

 

俺は一礼し、踵を返し、ミシルの屋敷を辞去した。

 

『…の、…盟の…師が、…合に…お気を…くだ…』

 

早足だったので聞き取れなかったが、多分些細な事だろう。

 

 

「教師ヨハン!」

 

屋敷の外で待っていたのはルシアン、マリー、ドルマだった。

見送りか。殊勝な。

 

「やあ。もしかして見送りにきてくれたのか?」

 

そう問うと、ルシアンが頷く。

 

「とてもお世話になりましたから」

 

嬉しい事を言ってくれるじゃないか。

そして…流石に気になるのでぶるぶると震えているマリーに話しかける。

 

「マリー。涙を拭きなさい。顔を上げなさい。術師が顔を下げる時。それは手も足も出ない敵を見下す時だけだ」

 

顎を掴んで彼女の涙を布で拭いとってやった。

 

「君が、いや、君達が一人前の術師になる事を確信している。ところでマリー。君の涙を拭ったこの布だが…術の触媒として使っても良いかい?君が俺を良き教師として慕ってくれている事は理解している。その真心…誠心なる想いは、1度だけ俺を致死の一撃から護ってくれるだろう」

 

流石に無許可は倫理的に良くないと思ったので確認を取ると

 

「はい!教師ヨハン…!是非使って下さい!」

 

嬉々としてそう言っていたのでありがたく受け取った。

生身の腕のほうでしっかりと彼等と握手をし、手を振り待合馬車乗り場へ向かう。

 

俺の霊感が囁くのだが、どうも彼等とは再び関わりそうな気がするな…根拠はないのだが。

 

次の目的地はアシャラ都市国家連合。

自然に囲まれた大地の実り豊かな小都市群だ。

名産品は白葡萄酒。そして燻製肉。

運が良ければヨルシカとも再会できるだろう。

 

◆◇◆

 

SIDE:ルシアン

 

「決めたわ。私、学院を卒業したら冒険者になる。そして教師ヨハンを…あ、もう教師じゃないのか…ヨハンさんを追うの。最初は恋かとおもったけれど、多分違うわ。小さい頃、神様に祈る時に感じてた気持ちに似てるかも。とにかく、あと2年だからあっという間ね。ルシアン、ドルマ、あんた達も付いて来なさい。ルシアンは私と一緒に居られて嬉しいでしょ?ドルマ、あんたはお金が大好きなのよね?腕が立つ仲間が居ればお金稼げるわよ」

 

マリーがまたとんでもない事を言い出した。

いや、でもとんでもなくはないのかな?

どうなんだろう。

ただ、これは何となくなのだけれど、僕等がヨハンさんのお陰で…せいで?何かを逸脱してしまった事は薄っすら分かる。

よく分からない…正直いって考えがまとまらない…

 

「少し考えてみるよ。でも、何て言うのかな、3人なら何しても楽しそうだね、冒険者って何する人達なのか良く分からないけどさ。でもなるべく人殺しはしたくないな。後、マリーとも一緒に居たい」

 

そういうと、マリーは“そ、そう…”と少し恥ずかしそうだった。

 

ドルマはとても疲れてる様子だった。

昨晩の疲れが残ってるのかな?

心配だ。

 




次回からはアシャラ都市国家連合です。
あんまり殺伐しない予定です。むしろカジュアルな方かと。



【アシャラ都市国家連合】

大森林に面した自然豊かな都市国家群の総称。アシャラとは都市国家群が存在する地域全体を指す。かつてアシャートというエルフの男性がこの地域の森を切り開き、農地や牧草地を広げていったとされていることによる。都市国家群全体で農業技術が非常に発達しており、食料自給率は非常に高い水準にある。また工業面でも発展している。中核となる都市国家は、そのまま地域の名を冠したアシャラ。アシャラ都市国家連合と一言でまとめた場合、通常はこの都市国家アシャラを意味する。


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出立したり雑談したり

アシャラへのクッション回


 

アシャラ都市国家連合。

大森林に面した自然豊かな都市国家群の総称だ。

アシャラとは都市国家群が存在する地域全体を指す。

 

かつてアシャートというエルフの男性がこの地域の森を切り開き、農地や牧草地を広げていったとされていることによる。

 

都市国家群全体で農業技術が非常に発達しており、食料自給率は非常に高い水準にある。

また工業面でも発展している。

 

中核となる都市国家は、そのまま地域の名を冠したアシャラ。

アシャラ都市国家連合と一言でまとめた場合、通常はこの都市国家アシャラを意味する。

 

大森林は自然の恵みが豊富でまだまだ発見されていない様な新種の植物等も多く生育しているだろう。

ただし、大森林に気軽に足を踏み入れてはならない。

危険な野生動物、毒虫の類、はては魔獣といった存在もいるのだから。

もしどうしても興味があるというのなら、現地でガイドを雇うべきだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

…と、そんな事を俺は目の前の老夫婦へ話していた。

馬車の同乗者である。

今は移動中だ。

屋根付きで大きく、居住性は高い。

金に物を言わせて乗車したのだ。

 

彼等はアシャラに住む孫に会いに行くらしい。

 

「よくご存知なのですね、学者様ですか?」

 

奥方が質問してくる。

 

はて…?学者…確かに術者とは学者の側面もある気がするのだが…似ている様でいてそうでもない様な。

いや、やはり違うな。

 

「どちらかと言うと哲学者に近いでしょう。ところで虫除けは持っていますか?」

 

俺が聞くと、老夫婦は素っ頓狂な表情を浮かべた。

 

「アシャラは大森林に面していると言いますか、大森林に埋もれていると言いますか…兎に角自然が豊富過ぎるのです。従って、虫の類もかなり多いのです。これからの時期は段々暑くなって来ますから虫除けは持っておかないと、翌朝起きた時には虫刺されで全身真っ赤という事にもなりかねません。勿論都市内でも購入は出来るでしょうが、余所者には高額で売りつける者も多いですよ。もし宜しければ銅貨15枚程でお譲り致しますが?薬の類ではありません。虫除けの呪を掛けてある硬貨です。というのも少々術を嗜んでおりまして…」

 

俺がそう言うと、老夫婦は悩んでいる様子だった。

当たり前だろう。自分でも詐欺師にしか聞こえない。

一応聞いて見ただけだ。

 

「それは…本当に効果があるのでしょうか…?」

 

主人の方が聞いてくる。

勿論ある。

ただし証明がし辛い。

なぜなら効果が出ている内は虫が寄って来ないからだ。

俺がそれを伝えると、確かに、と夫婦2人で笑い合っていた。

やがて、うん、と頷き合うと主人が口を開いた。

 

「では買いましょう。都市の事を教えて下さいましたし、そのお礼の意味も込めて、銅貨20枚ではどうですか?」

 

いつかの商人とどうしても比較してしまうな。

アレは冒険者が1人殺されるまで金を出そうとはしなかった…

ああ、勿論今回の件については商談成立だ。

 

俺は銅貨を1枚ずつ老夫婦へ握らせた。

 

「元々術は掛けておりますが、折角ですので掛けなおしましょう。ええ、その銅貨を掌に置いて、そうです。広げて下さい」

 

手帳から絹鈴菊を押してあるページを開く。

 

 

【挿絵表示】

 

 

絹鈴菊は小さい紫色の花だ。

乾燥させていなければ葉全体から目が覚めるような爽やかな香りを放つ。花の方はやや癖があるが…。

 

「あら、かわいらしい」

奥方には気に入って貰えた様だ。

 

絹鈴菊の押し花を彼等の手の平の硬貨の上へ添える。

そして人差し指と中指を当て…

 

━━小さき鬼よ、枯れ果て落ちよ

 

すると、ぽろりぽろりと紫の小さく丸い花弁が落ちていく。

その色は茶褐色に変色しており、術が正しく機能した事を示していた。

 

「あらあら…まあ…」

「おお…うむむ…」

 

旅を慰める余興にはなったか?

この術には虫除けの他にもちょっとした副次的効果がある。

 

それは所持者に対して小さい危害を為そうとする者の運が少しだけ悪くなるというものだ。

勿論、術の適用範囲を超える危害には効果が無い。

 

小さい危害とは、例えるなら…買い物の時、釣り銭をごまかそうとした相手の体調が少し悪くなるとかだろうか…。

余りにも微妙かもしれないが、道端で摘んだ花を乾燥させただけの触媒ならそんなものである。

それに虫除けにはきちんとした効果を発揮するので問題は無いはず。

 

絹鈴菊。

花言葉は「悪を遠ざける」。

 

 

「効果は大体1カ月です。銅貨を香ってみてください。清涼感のある香りがしませんか?その香りがしなくなれば効果切れです」

 

 

「ありがとうございます、学者様。大切にしますね」

 

 

俺は浅く頷くに留めた。

学者ではないからだ。

 



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雑談したり、アシャラへ着いたり

 

【挿絵表示】

 

「お二方。見えますか?あれが都市国家アシャラです。ここからぐるりと大きく迂回しながら下っていきます。滑落しないように慎重に下っていきますので少し時間がかかるでしょうね。まあ…暗くなる前には到着するでしょう」

 

俺がそう言うと、老夫婦はああとかおおとかまあとか言いながら馬車の外をのぞき込んでいた。

 

気持ちは分かる。

絶景というかなんというか。

自然との共存を体現しているというか。

フィールドワークが好きな俺にとっては心踊らされる光景だった。

 

森が街を取り囲んでいる。

いや、自然と共存しているというべきか。

自然と寄り添いながらも、文明の火を煌々と照らしている様は何とも逞しい。

遠目に見る建築物には高度な建築技術が使われているのが分かる。

飲み食いは不足しなさそうだな。

 

だが、獣鳥の鳴き声で安眠を妨害されそうな不安もある。

手頃な防音の術はあったかな。

 

音を打ち消すという逸話、伝承…そう言った物はどうも物騒なものが多く、暗殺等に使う様な術ばかりなのだ。

 

連盟の術は良く言えば種類が豊富で、悪く言えば整理されていない。

例えば林檎があったとして、協会式の分類なら大きい林檎か小さい林檎かという様にざっくりと分けられるのだが、連盟のそれは大きいけれど中が虫食いでやや不味そうに見える林檎、だとか、小さいけれど蜜が豊富で…だとか、そういう感じだ。

 

俺が知る限り防音の術だけでも…そう!45種類はある。

 

勿論調整はする。

この逸話のこの部分だけ切り取るにはこういう解釈をして…と言う様な。

術者の解釈と納得が術の細部を装飾する。

大まかな効果は共通意識のそれから引っ張ってくるのだが。

 

だがそうなると、術者本人にしか扱えない固有魔術のようなものが出来上がってしまう。

そうなるとどうなると思う?

また連盟の術体系が複雑化し、めちゃくちゃになるのだ。

もう誰もどうする事も出来ないだろう。

 

 

等と言う事を老夫婦に話したりもしていた。

他にはどんな術が使えるのですかと聞かれたからだ。

勿論暗殺がどうこう等という事は省いて。

 

ああ、そんなことを話している内に都市へ着きそうだ。

 

 

都市へ着いた。

都市内部への大門が見える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

暗くなる前に到着出来て良かった。

 

そう言えばヨルシカは都市に居るそうだが都市の何処なのだろうな。

まあでも彼女は冒険者か。

どうせギルドへ行くのだからその時聞いてみよう。

 

だがまずは宿から確保する。

宿、そしてギルドだ。

自慢ではないが、俺はこの順番を怠って馬小屋で寝た事がある。

 

老夫婦と別れ、俺は宿屋を探すべく街をぶらつくことにした。

 

 

 

【挿絵表示】

 

良さそうな宿屋を見つけた。

赤い屋根、平屋型の二階建ての宿屋だ。

都市国家アシャラにはこんな建物がゴロゴロしている。

建材に困らないからだろうか。

 

早速手続きをし、ギルドへ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

ギルドに入ると、一癖も二癖もありそうな連中が冒険に出る支度をしていた。

一応言っておくが、これは賞賛している。

まあこんな大自然に面した地域で冒険者なんてやるのだから、相当に図太くないとやっていけないだろう。

 

種々雑多な服装をしているのが冒険者で、青い服を着ているのが職員か。

俺は手近な男性職員に声をかけ、ギルドへの移動報告とヨルシカという冒険者は知らないか聞いてみた。

 

「ああ、ヨルシカさんの知り合いですか?」

 

俺は頷き名を名乗ると、得心した様子で親しげに話しかけてくる。

 

「貴方がヨハンさんですか、ヨルシカさんがお世話になったと言っていましたよ。もし彼が来ることがあったら伝えてくれと言われていたのですが、一応確認を取りますね。貴方とヨルシカさんの共通の知り合いで、酒と女にだらしない借金持ちの者の名前を教えてください」

 

「カナタだ。才能に溢れたろくでなし」

 

職員は苦笑しながら深くうなずいた。

 

「ヨルシカさんは郊外の孤児院に居ます。この時間だと夕食の支度などで忙しいかもしれませんね。どうされますか?」

 

俺は明日出向こうと答え、宿泊している宿の名前を告げる。

【振るわれる鹿角亭】。

宿の主人が大きな鹿と格闘して深手を負いながらも勝利したという話に由来するらしい。

 

ギルド職員はわかりましたと答え、俺はその場を後にした。

宿屋に戻り食事をとった後は眠ろう。

流石に少し疲れた。

 

 




都市到着後のフレーバー的回。
話が進むのは次回からです。
感想、誤字報告、ブクマ、評価などありがとございます(๑ᵔ⌔ᵔ๑)


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閑話:連盟名簿①ミーティス・モルティス

本編には関係ありませんが、閑話としてサイドストーリーを今後投下していきます。
基本的にサイドストーリーで登場したキャラクターは、直近の本編では登場させないつもりなので、ご了承ください。


 連盟の27本目の杖【正義の証明】

 ミーティス・モルティス

 

【挿絵表示】

 

 

 ◆◇◆

 

 ミーティス・モルティスは困惑した。

 何故なら仲間達が皆彼女を責め立てているからだ。

 

 そこまでする必要があったのか、と怒るユート。

 子供になんて事を、と怒るサリー。

 そんな人だとは思わなかった、と怒るマシュー。

 

 皆が皆、怒ってミーティスを責めている。

 

 ◆

 

「あのぅ……? なぜ皆様お怒りなのでしょうか……」

 

 血塗れのミーティスはおずおずと質問をした。

 

 彼女の足元には数名の不良孤児達の残骸が転がっている。

 そして彼女の手には血の滴る小振りなメイス。

 ユート達には彼女がこの惨状を作り出したのは見て明らかだった。

 

 そう、勿論彼女がこの子供達を撲殺したのである。

 だがミーティスはそれを当然の事だと思っている。

 なぜなら彼女はしっかりと尋ねたからだ。

 

 “もう盗みなんてやめて下さい。真っ当に生きて下さい。お仕事が無いのならば私が子供でも働かせてくれる職場を一緒に探しましょう。どうしても無ければ都市の制度を利用して、一時的に保護してもらいましょう。孤児院などに行く事になるけれど、そこでしっかり仕事をすればきっと更正できますよ。集団でスリだなんてやめてください、強盗だなんてやめてください。やめないのならば神様のバチがあたりますよ。良いのですか? ”

 

 その様に尋ねてもなお孤児達は刃物を持ってミーティスの財物を奪おうとして来たのだ。

 

 だから神様のバチがあたった。

 いや、当てた。

 

 ミーティスは思い悩んだ。

 彼等は神様のバチが気に入らないのだろうか? 

 

 でもなんで? 

 

 子供達は悪い事をした。

 だけど、それは勢いだったっていう事もある。

 だからきちんと言い聞かせた。

 悪い人になってしまうなら、なってしまうなりの理由がある。

 それは貧困だったり、家庭環境だったり。

 ならば出来る限りの助力をしようではないか、そう提案した。

 でも、それでも子供達は悪い人のままだった。

 

 だからバチがあたった。

 バチを当てた。

 

 どこがおかしいの? 

 

 そこまで考えた所で、ミーティスは気付いた。

 もしかして。

 この人達も悪い人なの? 

 

 ◆

 

「あ、あのう……ユートさん、サリーさん、マシューさん……。私は説明をしたと思うんですけど……ちゃんと言い聞かせました、よ? それでも彼等は……なおらなかったんです。悪い人のままだったんです……それで、ひぅっ!?」

 

「だからって殺して良い訳ないだろ!! 命を何だと思っているんだ!?」

 

 ミーティスが根気強くユート達へ説明しようとするも、ユートの怒鳴り声が続きの言を掻き消す。

 

 ミーティスは得心した。

 なぁんだ、この人達も悪い人なのかな、と。

 

「ユートさん……最期に聞きますけれど……私が悪いって思っているんですか? そうなると……正しい私が悪いと言い募るユートさん達が悪いってことになっちゃいます……けど。そしたら! そしたら……神様のバチがあたっちゃいますけど……」

 

 ミーティスは結論を急がない。

 しっかり向かい合って話せば分かってくれる人もいる。

 正しい筋道で、正しい理屈で話せば、きっと理解して貰える。

 そう信じている。

 だから私は正しい事を言っているんだと、正しい事をしただけなんだと、なぜ分かってくれないんだと訴える。

 

「神様だってお前が悪いって言うよ! 殺す事なんて無かったはずだ! 衛兵へ突き出せば済む事だったじゃないか!」

 

 俯くミーティス。

 だが糾弾の言葉は続く。

 

 そして、ふとミーティスがぽつんと呟いた。

 

「だったら、神様に聞いてみましょう」

 

 その声はぼそりと呟かれただけだというのに、屋外だと言うのに、不思議とパーティ全員に響き渡った。

 

 ミーティスは胸に手を当て呟く。

 

「“神威顕現”」

 

 ◆

 

 SIDE:どこぞの術師とその友人剣士。

 

 傭兵都市ヴァラクでのワンシーン。

 

「うん? ああ、まあ皆家族同然だからな。仲が悪い者は居なかった。特に仲が良かったのは誰かって? そうだな……兄さん兄さんと慕ってきた子なら居たよ。いや、ヨルシカ、君は少し穿ちすぎだ。大体彼女はまだまだ子供だよ。今はいくつ位なんだろうなあ、15、6歳といったところだろう。彼女も孤児の出でね。正確な年齢は知らないらしい。え? 俺はもっと年上が好きだよ。……強いのかって? ……そうだなあ……連盟所属ミーティス・モルティス。杖銘は秘密だ。公言するものじゃないからな……彼女を術師としてみた場合……極めて、そう、極めて強力な信仰系術師と言えるだろう。彼女は本当に降ろすのさ。何を……って神に決まってるだろう? もっとも、偽神だけれどね。彼女が作ったんだ。願って、公平で平等で正義を実行してくれる神様を」

 

 ◆

 

 ミーティアは孤児である。

 

 父親はならず者で、母親は春を売って暮らしていた。

 父親が気晴らしに母親を強姦して産まれた子供がミーティアだ。

 

 だが母親はミーティアを産んだ後、肥立ちが悪化して死んだ。

 父親はミーティアが女だという理由で、彼女を捨てる事はなかった。女というのは後々使えるからだ。

 

 死んだ母親は意外にも敬虔な女神イレアの信徒であった。

 女神イレアはこの地域一帯で信仰されている報いの神である。

 善には善の報いを、悪には悪の報いを。

 この至って単純な教えは民衆に多く受け入れられた。

 

 ミーティアがこの教えを知ったきっかけはイレアを奉ずる教会だ。

 教会は説法を聞けばぎりぎり飢えなくて済む程度の食事を食べさせてくれる。

 ミーティアの父もまごうことなき社会的弱者ではあるが、説法を聞く等まっぴらごめんだと自分よりさらに弱い者を痛めつけ日々の糧を得ていた。

 

 だがミーティアは幼く、そんな真似は到底出来ない。

 また、彼女自身にとっても生来の善性さゆえか悪を為す等とんでもない事だったのだ。

 

 だから彼女は教会で学び、育った。

 1日1善ではないが、毎日小さな善をコツコツと積み重ねていった。

 自分より幼い者が飢えていれば、自分の糧を渡し、道が汚れていれば掃除をし、老人は迷っていれば手を引いて案内したりもした。

 毎日毎日善を、小さくても確実に積み重ねていった。

 

 だがそんなミーティアに彼女の父親がくれてやったのは様々な形の暴力だ。

 言葉の暴力、体の暴力、そして語るに唾棄する暴力。

 

 彼女は日々とある疑問に悩まされる事になる。

 

 善には善を。

 悪には悪を。

 

 ならばなぜ神様は私に少しでもいいから善で報いてくれないのだろう。

 

 ミーティアの中で、女神イレアへの思慕が、信仰が、ドロドロとした憎しみに変わっていく。

 一度疑念を抱けば彼女の中の綺羅綺羅とした何かが、黒くておぞましい何かへ完全に変容してしまうのはあっというまだった。

 

 そんな折、転機が訪れる。

 その晩は酷く寒く、凍える程だった。

 そんな日に毛布一枚与えられず放置され続ければどうなるかなど自明の理であろう。

 更に運の悪い事にその日の寒さは普段よりも一段と厳しく、体は冷え切り震えてしまっていた。

 しかし父親は容赦無くいつもの行為を続ける。

 寒さと全身の痛みで朦朧とした意識の中、ミーティアは思う。

 

 本物の神様が欲しい、と。

 女神イレア……偽物の神様なんて要らない、と。

 善には善を、悪には悪で報いてくれる本当の神様が欲しい……と。

 

 普通に暮らしていたならば決して目覚める事の無かった才能が目覚めてしまった。

 術とは世界を改ざんし、騙し抜くペテンの業。

 ペテンではあってもそれが真であると真摯に想いを編み上げ形と成す。それが術。

 

 ミーティアは創り上げた。

 その類稀な絶才で。

 彼女を怖いものから守ってくれる神様を……。

 それが、彼女の術だった。

 

 ◆

 

 父親がアレをしていた時、ミーティアの頭が割れる様に痛んだ。

 そして視界が純白に染まった。

 

 気づいた時には父親だったものの残骸があった。

 

 全身から血をかぶり、真っ赤に染まったミーティアは暫くの間動くことができなかった。

 今まで感じた事のない疲労感、そして憎んでいたとはいえ父親を殺害してしまった衝撃で。

 

 そんな彼女の肩がコンコンと家の扉を叩く音で跳ねあがる。

 衛兵だろうか? 

 私は捕まってしまうのだろうか? 

 

 ミーティアは怯えて動けない。

 やがてノックの音が止み、ほっとしたミーティアは再び肩を跳ね上げた。

 

 がちゃり、と音がしたからだ。

 鍵を開けてはいない筈なのに。

 

 足音は玄関からはいってきて、やがて寝室の前へ。

 そして寝室の扉を開けて入ってきたのは、黒い僧服を着た一人の中年男性だった。

 ガリガリと言ってもいいほどに痩せこけていて、それでいて目からはギラギラと異様な精気を放っている。

 

 男は言った。

 

「やあ。私は連盟の術師マルケェス・アモンと言います。強い業の香りがしたのでやってきてみれば。成程。君でしたか。単刀直入に言います。私と、いえ、我々と家族になりませんか?」

 

 それが、ミーティアと連盟の出会いであった。

 やがてミーティアはミーティス・モルティスと名前を変え、連盟の名簿へ名を連ねる事となる。

 

 

 ◆

 

 全てが終わったミーティスはくるりと周りを見渡した。

 元の形がなんだかもわからない肉が散逸している。

 

 ばっちいなぁ、と思いながらミーティスは路地裏を出ていった。

 

 ◆

 

 神威顕現。

 ミーティスが思う悪。

 その悪の肉体を触媒として彼女が創り出した偽神を降臨させる。

 偽神が為す事は単純だ。

 それは

 

 ───皆殺し

 



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アシャラへ着いたり、再会したり

 ■

 

 翌朝。

 随分と良い目覚めだった。

 懸念していた鳥の鳴き声やらなにやらも気にならなかった。

 建物自体に騒音対策がされているのか、外の音は聞こえない。

 

 ギルドで仕事を探す前に、やるべき事がある。

 だが朝は朝で忙しいのではないだろうか? 

 一応ギルドから先に出向いてみるか。

 運が良ければ彼女もギルドに来ているかもしれない。

 

 ■

 

 運がよかった。

 

 

【挿絵表示】

 

「ヨハン! 良く来てくれたね!! エル・カーラで義手は……おお、それかい? すごいな、本物と見分けがつかないよ。普通に動かせるのかい? わぁ……随分と滑らかに指が……へぇ……」

 

 相変わらずの麗人振りのヨルシカがギルドで待っていた。

 俺の宿泊先を職員から聞いていたようだが、宿にいきなり訪ねるのもどうなのだろうとギルドで待っていたらしい。

 

「ああ、エル・カーラ随一の職人につくってもらった。ちょっとしたトラブル解決に協力したんだ。久しぶりだな、元気そうでなによりだ」

 

 へぇ、ちょっとしたトラブルって? と聞いてくるヨルシカに軽く説明をする。

 

「ああ、ちょっと長くなるから端折るが、悪魔が出てね。以前始末した奴だったからよかったが、そうでなければ死んでいたかもな。まあよくある事だよ」

 

 長々説明してもいいが、寝起きだからな……。

 臨時教員になった事、エル・カーラでの日々をさらっと10分程説明した。

 大型魔針は非常に良いものだったことも強調しておく。

 ガンガンガンガン日がな鐘を鳴らされる事へのストレスというものがどれだけ大きかった事か。

 イスカやヴァラクでは毎時鐘が鳴るので辟易したものだった。

 

 悪魔と聞いてなにやら微妙な表情を浮かべるヨルシカに、どうしたのかと聞いてみると、まあこの辺もそれなりに物騒だという事が分かった。

 

「緑の使徒とか名乗ってる馬鹿共がいてね。大森林のどこかに根城を築いているそうなんだ。最近現れた……まあいってみれば森賊みたいな連中さ。都市にまで入ってくる事はないのだけど、たまに行商が襲われたりするんだよ。でも気になるのはね、彼らは悪魔崇拝者だって噂もあってさ」

 

 それはそれは……大変そうだな。

 

 山狩りならぬ森狩りは人も金もかかるだろうし、それでも討伐が出来るとは限らない。たまに行商が襲われる程度なら確実性の無い事へ大金を突っ込むのも憚られるという奴か。

 

 余り関わりたくはない案件だ。

 フィールドワーク等を通して色々な花を摘んだりしたい。

 外道共を解体したり、野盗を殺したり、チンピラを脅迫するのが好きなわけではない。

 俺の趣味は鉱石集めと押し花なのだ。

 

 精神が堕落しないように一応仕事はするが、正直最近の依頼の報酬で仕事しないでも食っていける位の蓄えが出来てしまった。

 アシャラへ来たのはヨルシカに会う為と、あとはどちらかと言えば趣味の充足という意味合いが大きい。

 

 争い事は極力避けるべきなのだ。

 

 ■

 

 

【挿絵表示】

 

 

「おはようございます、あの、ヨルシカさん。その人はご友人ですか? こ、恋人だったりして……」

 

 振り向けば青年への過渡期といった風貌の男の子……男性がいた。どことなくルシアンに似ている。彼よりは年上か。彼等は元気にしているだろうか? 

 

「君はルシアンに似ているな」

 しまった、つい心の声が。

 

 ヨルシカが眉をあげる。

 

「ルシアン? ああ、君の教え子か。いやいや、彼の名前はセドクというんだけれど、セドクは普通の新米冒険者だよ。冒険者に憧れてるらしくてね。親御さんの反対を振り切ってギルドへ登録した腕白坊主さ。おいセドク、恋人とかじゃあなくって彼は私の友人だよ。……だよね? ヨハン」

 

 大人しそうに見えるが内に秘めた激情は大きいという事か。

 そういえばルシアンもそうだ。

 

 彼は真っ当な性格だが、抑圧を経てからの爆発はあの3人の中で一番大きそうだった。

 まあドルマが何とかしてくれるだろう。

 おっと、ヨルシカの質問にも答えなければ。

 

 友人……友人ねえ。恋人? うーん。

 

「友人だと思う。恋人ではないな。彼女と寝た事はないし。いや、寝る、寝ないが恋人関係か否かを決める要素ではない事は理解しているよ。あくまで一般論だ。彼女には腕の切断を任せたという経緯もある。彼女の人格、業前を信じて任せた事だ。もし彼女の業前が俺の見立て以下ならば、あるいはあの場面でビビり散らす様な者だったならば腐り血の毒は俺の胴体に回り、俺は全身を腐らせ死んでいただろう。友人というものがどういうものかは俺も未だ分からないのだが、危地の場面で命を委ねられる存在というのは友人といって差し支えないだろう。そういう意味で考えるならばヨルシカ、君はまさしく友人だ。だが重要なのは!」

 

 ここが重要な所だ。

 ズイッとヨルシカへ歩み寄り、その瞳を覗き込んだ。

 

「あの場面において、仮に俺の見立てが誤っており、俺が全身を腐らせてくたばったとしてもだ。それをもって君を恨みに思ったりする事は無かった……なぜなら! 信用だとか信頼だとかは自分から発された時点で完結すべきだ、と考えているからだ。自分から発されたそれらの想いに対し、見返り、返礼を求める事は俺のポリシーに反する。なぜならそれは、他者の感情によって自分という軸が左右……「わかった! もういい! もういいから!」」

 

 ヨルシカの頭突きが俺の胸部を強打する。

 思いがけない不意打ちで呼吸が乱され、話が中断してしまった。

 だがもういいなら口を閉じる。

 見れば、ヨルシカの顔はやや赤みを帯びていた。

 ここで、“熱でもあるのか? ”などというすっとぼけた事を抜かす程俺はボケてはいない。

 怒っている訳ではない事も分かっている。

 

 “好意なり友情を表明されるのは確かに照れるかもしれないが、我々は種族上の特性として相手の思考を盗み見たりする事は出来ない。だから基本的には想いは言葉として出すべきだと思っている。勿論秘すべき思いもあるが。例えば殺意等だ。殺そうと思った相手に“私は貴方を殺そうと思います”等とはいわないだろう? まあ俺は言うが。やる気と言うか殺る気が出る”

 

 と言葉に出そうと思ったがやめた。

 よく考えてみれば朝食を食べていないからだ。

 食べに行こう。

 

「すまないね、だが君の事は友人だと思っているよ。あと君、セドクと言ったか。そういう事だ。ところで、中座して申し訳ないが俺は飯を食いに行く。ヨルシカ、俺の宿泊している宿は知っているな? 用事があったら文を飛ばすなり直接来てくれ。じゃあな」

 



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アシャラ百景

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 相変わらず元気そうでなにより……。

 セドクを見ると目の大きさが倍になったかのような有様だった。

 口も半開きで涎が垂れそうだ。

 

「彼、ちょっと個性的だろう? でもいい奴だよ。でも話が長いんだ」

 

 私がそう言うとセドクは意識を取り戻したようで、うんうんと頷いていた。

 

「いきなりビックリしましたけど、悪い人じゃないのは分かりました。でもなんかちょっと……その、おっかないです……よく分からないですが……」

 

 セドクが少し怯えている様子が、彼の役割(ロール)に思い至りピンと来た。

 

「ああ、セドクは斥候だったか。だったら才能があるのかもね。勘働きが良いっていうのは良い斥候の条件だからね。彼は確かにおっかないかもしれない。何せ理由さえあるなら平然と人を殺すからねぇ……」

 

 少しからかっただけなのだが、セドクは顔色を真っ青にしていたので慌ててフォローする。

 

「で、でも彼は花が好きなんだ。手帳に花を押しててね。見せてもらったのだけど見事なものだったよ」

 

 だが私のフォローも余り効果がなかった。

 セドクはじっとりとした目で私を見てから口を開く。

 

「花が好きで平然と人を殺すってなんだか余計怖いんですけど……」

 

 確かに……。

 

 ■

 

 俺は路地裏でチンピラに馬乗りになって、顔を殴っていた。

 俺が飯屋を探していたら、こいつが絡んできて有り金を出せと脅してきたので、路地裏へ引っ張り込んで話をしているのだ。

 

 1、2、3。

 左頬、右頬、額は拳だと傷めてしまうので、掌で。

 

「そんなに泣くなよ。安心しろ。大丈夫だ。お前が殺される事はない。何故なら俺が“俺を殺すつもりなのか? ”と聞いたら否定したからだ。“殺すなんてするかよ! ちょっと痛めつけてやるだけだ。暫く仕事はできねえだろうけどなギャッハッハ”だったか? だから俺もお前を痛めつけるだけに留めてやる。1、2、3」

 

「やべっやべて! やべてくだふぁい……」

 

 チンピラが泣いている。

 まだ大丈夫そうだな。

 本当に耐え切れない程辛い時、人は涙すらも流せなくなるのだ。

 だがコイツはそこまで追い込む程の事をした訳では無い。

 なので殴るのをやめる。

 

「ならどうすればいいのか分かってるはずだ」

 俺がそう言うと、チンピラは激しく頷いた。

 

「がね! がねだしまず……がね、ぜんぶだじますがらッ! もうなぐらないで……いだい!! いだいんでず……」

 

 良し。

 俺は頷いた。

 争いは終わりだ。

 チンピラ……じゃない、彼の懐に手を伸ばし、銭袋を取り出す。

 

「半分だけ貰おう。有り金全てとは言わない。君を視たが、心底からのろくでなしでもなさそうだ。きっとただ、少し暴力が好きなだけの反社会的な人物なのだろう。残った金で治療をする事だ。一応、君に与える痛みの大きさを重視して、後遺症等は残らないように殴ったつもりだが、何分素人なものでね。一応言っておくが、次悪質な絡み方をしてきたら殺す。普通に話しかけてくる分には構わない。積む物を積めば相談事にも乗ろうじゃないか。あくまでも悪質な絡み方をしてきた場合にのみ殺す。仲間を集めて襲ってきてもいいが、その時は全員殺す。家族はいるかい? 場合によっては家族も殺すよ。女でも子供でも殺すと言ったら殺す。復讐の根は断たねばならない。こういった連座での殺人を東方では根切りと呼ぶらしい。俺は死体を残さないやり方なんて幾らでも知っている。詰まりそれは幾らでもバレずに殺せるって事だ。最後に言っておくが、金は残してやったんだから治療はしておけよ。それじゃあ元気でな」

 

 ……とは言うが、正直言って街のど真ん中で殺人なんてリスクが高すぎてやりたくない。

 だからさっきのは単なる脅迫だ。

 

 だが、本気で殺す気持ちに切り替えて言葉を伝えた。

 そこまでしてもなお彼等が復讐等に動くのなら気は進まないが殺す。

 

 証拠隠滅の手はあるが触媒が手に入りづらいので余り使いたくないが、いざという時は仕方あるまい。

 

 ■

 

 路地裏を出て飯屋探しの続きをしていると、後ろから声がかかった。

 

 知った声。

 これは……

 

「ああ、どうも。どうです? アシャラは」

 

 俺振り向きながら返事をすると、いつかの老夫妻はにっこりと微笑んだ。

 

「素敵な街ですねえ、自然も豊かで」

 奥方がそう言うと、ご主人も笑顔で頷いていた。

 

 そういえば、とご主人が言う。

「売って頂いたあの虫除け。凄いですねえ、私達は【子狐の三尾亭】という宿をとったのですが、朝起きても全然虫刺されもなくって。この辺の宿屋は一応防虫対策はしているそうですが、それでも限度があるようで。私達と同じ宿に宿泊している人に話を聞いたのですが、朝おきると数箇所の虫刺されは必ずあるとのことでした……」

 

 役立った様で良かった。

 

「効果は30日程度続きますが、質と量に左右されますのでご注意下さい。例えば蚊のような虫ならば問題無いですが、人を即死させるような魔物化した蜂等が襲ってきた場合、数にもよりますが5分ももたないでしょう。とはいえ大森林の奥深くへ足を踏み入れたりする事でもなければ問題ないはずです。万が一滞在中に効果が切れてしまったら、振るわれる鹿角亭まで来てくれれば再度術をかけなおします。まあ、そうですね……銅貨5枚と言った所でしょうか。顔見知り割引ですよ……」

 

 老夫妻とはそれからちょっとした雑談をしてから別れた。

 孫というのはもうとっくに成人しているらしい。

 

 老夫妻の息子、義娘と共に3人暮らしをしているようだ。

 孫は冒険者になる事に憧れているのだとか。

 

 だが、実家暮らしで冒険者というのは珍しいな……。

 何かしら訳アリの者が多い印象だったが。

 

 そういえば彼等三人組も、リーダー殿はあれか、貴族の三男坊だったか。

 あれもある意味で訳アリと言えるか。

 リーダー、ガストン、マイア。

 彼等もある意味で教え子と言えるか? 

 一応ギルドから正式に依頼されて指導したわけだから……言え……ないな。

 言いたくない。

 

 しかし、彼等に甘くしてしまったという失敗があったからこそ、俺はルシアン達に短いながらも満足のいく指導が出来たといえる。

 二度と会いたくない色ボケ共だが、そういう意味では感謝している。

 

 ■

 

 そんな事を考えながら俺は目に入った店で立ち止まった。

 店の入口にはこんな文言の板が立てかけてある。

 

【大豊穣! 森の幸豊かな野菜シチュー! 1度食べたら一目惚れ間違いなし! この時期だからこそ食べられる森の味亭】

 

 これは店の名前か? 

 長すぎるしこれではシチューしか売りがない様に見える。

 興味が湧いたので入ってみる。

 雰囲気自体は良いな。

 

 見渡せば周囲の壁に共通語でメニューが書かれていた。

 シチュー以外もあるのか。

 

 店員に聞いてみると、この店の方針で、いま一番流行りというか、旬のメニューをそのまま店名にしているのだとか。

 店名は流行りによって変わるため、この店は決まった店名が無いとの話だった。

 

 ちなみに、この店は周辺住民からは「長い名前の店」「あの店」などと呼ばれているらしい。とりあえずオススメに従っておく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 シチュー自体は普通に旨かったが、長い店名を他の店も真似したら逆に個性がなくなりそうだな。

 

 そうなったら逆に店の名前が短い方が目立ちそうだ。

 

 ■

 

 腹ごしらえもした所で、再びギルドへ向かう。

 先述した通り金に困っているなんて事はないのだが、仕事というのは車輪と同じだ。1度とまってしまうと再び動かすのに大きな力を必要とする。

 

 大きな依頼を成功させて多大な報酬を得た辣腕冒険者が、自堕落な生活を続け、金が尽きて再び稼業に戻ろうとしたら心も体もすっかり錆び付いていてあっさりくたばったなんて話はよく聞く話だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

「はい、ヨハン様ですね。……ええ、御座います。こちらの依頼は常駐依頼となっておりますね。それですと、こちらの依頼とこの依頼を抱き合わせて受注した方が宜しいですよ。生育範囲が重なっておりますからね。ああ、それは構いません。依頼分だけしっかり納めて頂ければ。ただし、採りすぎないようにしてくださいね。今の所は冒険者個々人の良識に任せておりますが、最近はちょっとヤンチャな方も増えておりまして。ギルド専属の上級斥候を森林に散らしております。近頃大森林にも宜しくない者が出没するようで、そちらへの対策もあるのですが、素材を過剰に採取するような者に備えての監視という意味合いも御座います……ええ、もちろん、それで……」

 

 ■

 

 と言う事で複数の採取依頼を受けた。

 ある程度は懐にも入れて良いらしい。

 ただし、常識的な判断で頼むよ、との事だった。

 当然だな。

 

 それにしても上級斥候?

 上級斥候っていうのはラドゥ傭兵団に居た【背虫のカジャ】みたいな連中を言うんだぞ。

 いきなり気配が消えて、いきなり殺してくるとんでもない連中だ。

 

 不良冒険者共が過剰採取したからといって駆り出す様な連中じゃない。

 

 それとも何か? 

 大木を一振りでぶった切る【左剣のジョシュア】とか、一刀両断しても斬られた奴は数秒間死んだ事に気付かないみたいな業前の【右剣のレイア】みたいなのが不良冒険者化でもしてるというのか? 

 

 流石にそれは無いか……。

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

 

【挿絵表示】

 

 

 森の守護者とやらはまだ眠りについているみたいだけど、コレの信者が言うには封印はもうすぐ解けるんだって。

 

 でも笑っちゃうな。

 コレが森の守護者? 

 あたしにはそうは視えないけど。

 森の怪獣って言うなら分かる! (笑)

 まー、狂信者って大体そーよね。

 都合の良い事しか見ないんだぁ~。

 

 ウチにも1人似たような子が居るけど、それはそれ! これはこれ! 

 身内だから許せる事ってあるし~。

 

 封印の上からでも叩けそうだけど、それじゃあ格好良くない! 

 やっぱり英雄っていうのは危機に駆けつけてこそだと思うの。

 解封の儀? は時間が掛かるみたいだから、その間にこいつら雑魚雑魚がやられちゃわないように護ってるんだけど、面倒くさくなって来ちゃったなぁ~……。

 

 早く起きてくれないかな~。

 それであたしにぶっ殺されて欲しいな! 

 街の人もあたしに感謝するんだろうな~。

 

 ■

 

 俺は森を探索している。

 

 へえ、これがこの時期に? 

 大森林の植生は何か特別なのだろうか? 

 依頼で指定された草や花を採取しつつ、フィールドワークがてらあちこち見て回る。

 

 意味も無くでかい石をひっくり返してみたりもする。

 石の下には虫が沢山おり、それを見た俺は満足して石を戻した。

 触媒に使える毒虫も何匹かいたが採取はしない。

 連盟の同僚には虫を専門に使うものがいるのだが、朝起きたら触媒が逃げ出して部屋一面が虫だらけだった等というアクシデントの処理を手伝った経験上、虫は使わないと決めている。

 

 石をひっくり返した理由? 

 何となくだ。

 道に手頃な石が落ちていたら蹴っ飛ばしたくならないか? 

 俺はなる。

 

 ■

 

 ああ楽しかった! やっぱり人殺しや暴力より、フィールドワークの方が楽しい。結局夕暮れぎりぎりまで楽しく採取してしまった。

 さっさとギルドへ報告し、宿で草花の処理をしないとな。

 

 手帳も嵩張ってきてしまった。

 もう一冊買うべきだろうか? 

 今の手帳は特別なもので愛着もある。

 愛着とは術師にとって非常に大事なモノだ。

 術は想いに応えるがゆえに……

 

 ■

 

 ギルドへ向かう道すがら、ヨルシカに会った。

「やあヨハン。依頼帰りかい?」

 

「ああ。つい興が乗ってしまってね。やっぱりアシャラは良い所だな」

 

 俺がそういうとヨルシカは笑顔でそうだろうそうだろうと頷いていた。

 

「そうだ、夕飯はまだだろう? よかったら孤児院へ来ないかい? 昔世話になっててね、ヴァラクでまとまったお金が入ったから、少し恩返しをと思ってね。君さえ良ければ一緒に夕飯を食べていかないか?」

 

「それはありがたいが、部外者だぞ俺は。まずいんじゃないのか?」

 おれがそう言うと、ヨルシカは“何を今更。友達だろう? ”と言ってきた。

 

 確かに。



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再会したり、孤児院に泊まったり

 ■

 

 ヨルシカの世話になった孤児院とやらに行く事になった。

 ギルドからはそう遠く無いようだ。

 

「私は戦争孤児でね。まあ、色々あったんだ」

 

「俺にも親は居ない。色々あったからな」

 喉を搔っ切ってやったからな。

 屑に相応しい報いをくれてやった。

 

「……そっか。似た者同士かもしれないね」

 

 ヨルシカがそう言うが、多分似ては居ないとおもう。

 だが否定するのもな。

 基本的に俺は何でも0か100かで勘定するのだが、時にはよくわからんことをよくわからんままにしておく方が良い場合もある、と言う事は知っている。

 特に人間関係ではそういうことが多い。

 

「そうかもな」

 俺はそれだけ答える。

 

 そんなこんなで俺達は孤児院についた。

 

 ■

 

 孤児院の扉を開くと、子供が突進してきた。

 凄まじい勢いで突進して全速力で走ってその勢いのまま飛び上がった。

 体勢は水平。

 

 ヨルシカへ抱きつこうとしたのだろう。

 だが勢いがありすぎたのか、ぶっ飛んだ子供はヨルシカを通り過ぎてしまう。

 顔面で地面を拭き掃除しそうだったので慌てて宙で拾い上げた。

 腕の中でじたばた暴れる子供をヨルシカへ手渡す。

 

「おいヨルシカ、この孤児院の子供は暴角猪の子供か何かか」

 

 暴角猪とは凄い勢いで突っ込んでくる猪の事である。

 雑な説明だが、本当にそういう猪なのだ。

 理性というものが一切なく、動く物を見つけたら全速力で突っ込んでくる。

 そして木に頭をぶつけたりして死ぬのだ。

 

「ごめんごめん! おい! トマ! 少しは大人しくしてくれよ」

 

 トマか。トマのトはトゥードのトと被っているな。

 将来は立派なトゥードになる事だ。

 革鎧の材料にしてやるから。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 ヨハンは想像してたよりずっと如才なく子供達の相手をしていた。

 無表情ながらしっかり構ってくれるヨハンに子供達は纏わりついていた。

 彼らの事を“居ない者”として扱う大人達は多い。

 そして子供達は私達が思っているよりそういう感情に鋭敏だ。

 彼らを視界にしっかりと入れて話すヨハンに子供達は懐いているのだろう。

 とはいえ、甘えきりになってはいけないが。

 

 彼は子供達に話をしてやっているようだ。

 微笑ましい光景だな。

 色々な事を知っているから他国の童話か何かでも話しているのだろうか? 

 

 ・

 ・

 ・

 

「そして俺は指を突きつけ言ってやった。はははは! 現界する時に脳を魔界に置き忘れてきたのか間抜けな悪魔め、術師と対峙して足から石化させるとは悠長な事を。俺はもうお前を始末する段取りを済ませたぞとな。そして続けた。見よ、我が秘術を。花咲き枯れゆく永遠の花界……」

 

 子供達の声(ひっさつわざだ! ひっさつわざ!?)

 

「その通りだ、そいつは良くわからないが俺に嫉妬していた。そしてチンピラの如く絡んできたのだ。だが俺は一発は殴られてやるつもりだった。寛容の精神でな。だがそんな俺をチンピラは一発殴った後もう一度殴ろうとした」

 

 子供達の声(ひどい! ちんぴらゆるせない!)

 

「魔王か、大昔はいたそうだが今はどうなのだろうな。アリクス王国はしっているか? ここよりずっと東方の国なんだがね、その地域では荒野の魔王マルドゥークという恐ろしい魔王がいたそうだ。魔風を纏う猿頭の化け物だ。その力は自在に竜巻……ほら、風がぐるぐるまわるやつだ……を操ったとされている。だがそんな魔王もエルフェンの姫が大魔術を持って討伐した」

 

 子供達の声(まおー……まおーこわい……)

 

 ・

 ・

 ・

 

 子供達も喜んでいるし……まあいいかな……いいのかな

 

 ■

 

 結局その日は孤児院に泊まる事になった。

 いつまでたっても連中が眠る事がなかったため、精神を沈静させる術を使った。放っておくと永久に暴れまわっているのだ。

 沈静といっても強いものではなく、精精深呼吸を数回する程度の沈静作用だが。

 

 やや草臥れた俺も眠ることにする。

 

 緑の小さい山の夢を見た。

 あれは山なのだろうか? 

 いや、山ではない。

 あれは……

 

 足に何かが当たる。

 足元を見てみた。

 

 そこにはボロボロになった揃いの剣と盾が転がっていた。

 

 ■

 

 翌朝。

 

 孤児院の者達と朝食を食べた。

 飯作りは俺も手伝ったが、義手の調子は上々だ。

 説明は難しいのだが、こうしようと思った動きを強く意識すると、勝手に義手が動いてくれる。

 だが無理矢理動かされているという感じでもないのだ。

 あくまで自分の意思で、しかもよどみなくイメージ通りに動く。

 

 飯の時は子供達も暴れずに大人しく食べていたので安堵した。

 

 片付けも終わり、子供達は仕事に出かける。

 彼らは近所の店の小間使いやらなにやらで孤児院の生計を助けているのだ。

 

 院長とも会ったが、彼女は元々教会(協会ではない)のシスターをしていたそうで、寄る辺ない子供達を引き取っているのだとか。上品な淑女だった。

 子供達もババちゃまと言って慕っている様子だ。

 

「おはようヨルシカ、なあ君って盾は使うのか?」

 

 昨晩の夢が何となく気になったので聞いてみた。

 術師の見る夢は普通の夢で無い場合もある。

 ヨルシカは首をかしげ、まさか、と言った。

 

「私は盾は嫌いなんだ。形が崩れちゃうからね。そういう流派なんだよ」

 

 流派と来たか。

 いや、そうだな。

 彼女は妙に洗練されすぎている。

 が、詮索は無用か。

 俺はこれ以上思考を進めない事を決めた。

 

「君は身軽さが身上だものな」

 

「うん、あ、もし用事がないなら軽く組み手でもしてみないかい? 食後の運動さ。君は体術もいけるクチだろ?」

 

 ヨルシカがそんな事を言ってくる。

 確かにいけなくはないが……俺のは体術というより護身術の類なのだよな。まあいいか。

 

「いいぞ。だが俺は格闘では君程やれないとおもうぞ。頼むから殺してくれるなよ。自慢じゃないが、俺の体術はチンピラを殴り倒す事に特化してるんだ」

 

 酷い体術だな、とヨルシカはぼやいて庭へ向かっていった。

 俺もそれに続く。

 

 ◆◇◆

 

【挿絵表示】

 

 中庭でヨハンとヨルシカが向かい合った。

 

 ルールは明快だった。

 格闘のみ。

 術も剣も無しだ。

 そして急所攻撃も。

 後は本人達の裁量による。

 

「やるか」

 

 ヨハンがヨルシカへ声をかけ、ヨルシカもああ、と頷いた。

 

 まずはヨハンが仕掛けた。

 

 一気に距離を詰め、生身の左拳をヨルシカの頬向けて繰り出す。

 だが、その拳を当てる事は無かった。

 直前で止め、握り締めた拳を開き、ヨルシカの視界を塞ぐ。

 

 そしてヨハンは彼女の視界が塞がれ、混乱したかどうかを確認する事なく大きく屈みこみ、腰目掛けて組み付きを仕掛ける。

 

 確かにヨルシカは身軽ではあるが、膂力はヨハンの方が上だ。

 である以上は動きを封じてから打撃なりを繰り出した方が良い。

 そう目論んでの事だった。

 

 だがヨハンの目論見は外れる。

 空気を引き裂く様な勢いでヨルシカの膝がヨハンの顔面目掛けて飛んできたからだ。

 ヨルシカはヨハンの目論見を読んでいた。

 

「ぐ、ぬ……!」

 必死で顔をそらせるが、膝はヨハンの頬を掠め、赤い痕を残す。

 怯んだヨハンを見たヨルシカは踵を強く地に打ちつけ、後方へ飛ぶ。

 

「左の拳突。意がなかったね。フェイントだってすぐわかったよ」

 

 にやりと笑うヨルシカにヨハンは苦笑を浮かべざるを得なかった。

「ヨルシカ、君なぁ……。あの膝がまともに入っていたら俺は死んでいた……ぞっ……っとうおおおお!」

 

 いつの間にかヨルシカが間合いを詰めてきており、ヨハンは慌てて距離を離そうとした。

 ヨハンの脳裏を馬鹿な、という思いが過ぎる。

 そう、ヨハンは無駄口を叩きながらも、ヨルシカの挙動をしっかり観察していたのだ。

 いつ動かれても良い様に。

 

 しかし気付けば肉薄されていた。

 

 ヨルシカが腰を深く落とす。右拳を捻っていた。

 ━━正拳突きか。この距離ではかわせん。拳の先は胸部。腕で受ける。

 

 恐らくは腕のガードを見て、打つ箇所を変えてくるだろうとヨハンは読んだ。

 だがヨルシカはそのまま拳を突き出す。

 そしてインパクトの瞬間。

 掌底へと形が変えられたヨルシカの一撃は、ヨハンの腕どころか全身に衝撃を徹した。

 

 結果は、だらしなく大の字に伸びたヨハンの姿が全てを物語っている。

 

「……降参だ。しかしめちゃくちゃやるな君は。頭を吹き飛ばしに来たり、体全体吹っ飛ばしたり。さっきのは東方の技か? 1度見た事がある」

 

 ぶっ倒れたヨハンの手を掴み、引き起こしてヨルシカは満面の笑顔で答えた。

「ああ、勁って言うらしいよ。良い運動になったかい?」

 

 まあな、とヨハンも返事をする。

「ちなみにだが、あの間合いの詰め方はなんだ? いつの間にか接近されていたぞ」

 

 ヨハンが問うと、ヨルシカは靴を脱いで足を持ち上げ、指をうねうねと動かして見せた。

 

 ヨハンは首を振り、「君の足は綺麗だと思うが、質問に答えてくれたっていいだろう。さっきのは俺の負けだよ」

 と呆れながらヨルシカを詰る。

 

「だからこれだよこれ。足の指だけで移動してるのさ。距離感を見失わせる技法だよ。驚いたかい?」

 

 それを聞いて、こいつと敵対しても接近戦は絶対にしないでおこう、と誓うヨハンだった。

 



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孤児院に泊まったり、不穏だったり

 ■

 

「適度な運動は体に良いんだよ」

 

 等と嘯くヨルシカを黙殺し、俺は支度を整えた。

 あれが適度とは何と暴力的な女だろうか。

 そういえば初めて会った時、木っ端傭兵の股間を蹴り上げていたな。

 

 それはともかく、今日も採取をいくつかこなすつもりだ。

 上衣に包んだ手帳を開き、空きの頁はあるだろうかとぱらぱら捲る。

 

「綺麗な装丁だよね、その手帳。革の色合いも良い。大分使い込んでいるのだろうけれど草臥れた様子もない。余程丁寧に扱ってるんだろうね」

 

 ヨルシカが肩口から覗き込んでそんな事を言ってきた。

 

「まあな。俺がガキだった頃から使っている。元は母親の物なんだ。俺が草花が好きなのは母の影響だ。母は押し花が趣味でね。これは彼女の形見だよ。彼女が死んで、色々あって孤児になったのさ。人間生きてれば色々あるだろう?」

 

 話している内にその場の辛気臭さが増してきてしまい、やらかしたか、と思う。だが自分が大切にしている物の来歴を語る時、適当な出任せで誤魔化すのはモヤモヤしないか? 

 俺はする。

 余り曖昧な事は言いたくないが、名状しがたい罪悪感の様な物を感じてしまう。

 

「あ、あー! そうだ、そういえばなんだけど、ヨハン、君が子供達に話していた事、物騒だったけど結構面白そうだなっておもったよ。なんだい、君、必殺技なんて持っていたのかい?」

 

 ヨルシカが強引過ぎる話題を試みてきたので、素直にそれに乗っておく。

 

「あるとも。だがあの時は使うまでもなかったな。ソイツは石化の呪いを使ってくる悪魔だったんだが、この世界にどれだけ石化の類を使う化け物がいるとおもう? そういった化け物は大体どっかの英雄が討伐しているんだが、その辺りから逸話を引っ張ってくればどうとでもなるよ。奴等は人間を舐め腐ってるからな。普通に殴ってくる方が余程おっかないってのに。子供達に話したのは単なるリップサービスだな。子供はそういうの好きだろ? 奴等は何でもかんでも必殺技にしたがる」

 

 俺が過去それを使ったのは2回。

 遺髪、ハンカチーフ。

 使わなければ死んでいた。

 仕方がないが、その度に思い出を無くしてしまった事が悔やまれる。

 

「そうだ、君はギルドには行かないのか?」

 

 俺がそう聞くと、ヨルシカはなんとも表現し難い微妙な表情を浮かべていた。

 

「ヴァラクで結構稼いだからね。それにあんな修羅場の後だと少し気が抜けちゃってさ。私の率直な意見だけれど、ラドゥ団長達がいなかったら私とヨハンが居てもまずかったんじゃないかい? 例えばその辺の適当な傭兵団と組んでたとしたらさ。それとも君の必殺技を使えば切り抜けられたかな?」

 

 俺は呆れる。

 

「どうだかなぁ。俺も君も死んでたんじゃないか? 大体、俺のご大層な必殺技は時間が掛かるからな。起動する前に殺されてそうだ。君もまだ手札の1枚や2枚隠しているのだろうがそれでも厳しいだろう。俺達2人は盛大にぶっ殺され、あの赤くて気持ち悪い奴の中で永遠に生きるんだ。不老不死だぞ、嬉しいだろ?」

 

 ヨルシカはオエッと吐く真似をして、じゃあ私は子供達の相手をしてくるから、と手をひらひらさせて去っていった。

 

 俺も仕事にいくか。

 

 ■

 

 ギルドについた。

 青い服を着ている職員をつかまえ、銀貨を1枚握らせて“何か変わった話は無いかい? ”と問う。

 

 チンピラから巻き上げた金なので惜しくはない。 

 

「どうせ後から広まってしまうでしょうが、現時点では他言無用となります。隣国からの行商人が数名、行方不明です。ただ、毎年極々一部の商人が大森林の魔物に襲われますからね。いつもの事なのか、それとも……。街でも噂になっているので聞いた事あるでしょうが、緑の使徒と名乗る賊徒の仕業なのかはまだギルドでも断定出来てません」

 

 毎年恒例で商人が犠牲になるにしてはギルド側の動きが不穏だな。

 上級斥候が動くに足る何かがあるはず……。まあ……そうだな……俺には……

 関係ないな! 

 よく考えれば全然関係ない。

 問題は解決した。

 

「ありがとう。俺も森では気をつける事にするよ」

 

 そうなさってください、という職員に礼を言い、採取依頼を受けた。

 報酬は銅貨40枚というものだ。

 どうせ採取は趣味なのだし、別にこの程度の報酬ならギルドを通さなくても良い様に思えるが、俺はちょっとした保険のつもりで依頼を受注している。

 

 仮に森で俺に何かあっても、未帰還なら未帰還で情報があがるはずだ。

 そうしたら運がよければ救援が寄越されるかもしれないしな。

 一輪の花に滴る夜露の一滴にも満たない可能性だろうが、積めるものは積んでおく。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

【挿絵表示】

 

 

「あのさぁ! いつになったらコレの封印解けるわけ!? もうすぐもうすぐって、もう200年くらい経ってるンですけど!」

 

 あたしは連中のまとめ役のデブの尻を蹴り上げた。

 

「うへぇッ! 200年も経ってません! も、もう少しです! 本当にもう少し……森の精気を日々吸収しておりますので……そ! それに、森の精気だけではやはり足りないと思いまして、人の精気……を……」

 

 はぁ~~~!? 

 人間を糧に捧げたとか聞いてないンですけど! 

 

「聞いてない! テメェー! そこに座れよ! 正座だよ! お前ら森のせーきだけで大丈夫ですーとか言ってたじゃん! 昔からいた地神が排斥されちゃって復活させたいンだけど、中央教会から邪教認定されちゃったから追っ手から護って~! って話だよね? 邪教認定は中央教会のセージ的な都合っていってたよな? 人を糧に捧げるとか完全に邪教じゃん! 邪神になっちゃうじゃん! 中央教会の言ってる事間違ってなかったじゃん! あたし、大義名分でガチガチに固めた教会の連中相手にするのとか嫌なんですけど! 誤解なら別に問題はなかったんだよ! あっちが間違ってたらあいつらの奇跡も大したことないから! でも連中の言ってる事が正しいってなると話が変わってくるンですけど! お前等さぁー! 緑の信徒とか名乗ってるくせに教会の使う奇跡の事もしらないワケ!? 低脳! 馬鹿! あいつらは大義名分が揃っててそれが正しかったらクソ強くなるんだよ! そういう生き物なワケ! そんなのも知らないの? 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!! ……あ! ごめん! 死んだ? ……死んだか、じゃあ次はお前がリーダーね。さっさと解封の儀ってのして! じゃないと殺すね!」

 

 コレが邪神でもそーじゃなくてもぶっころすつもりなんだけど、それは言わないでおこーっと。



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樹神伝承

 ◇◇◇

 

 

【挿絵表示】

 

「それ」はずっとずっと以前から、気の遠くなる程昔からその森に居た。

 そして、いつのまにか耳の長い小さいモノ……耳長の民らが「それ」を神と崇めていた。

 

 耳長の民は「それ」が望んでもいないのに貢ぎ物を捧げた。

 なぜなら「それ」は誰が見ても分かる程に偉大で、雄大で、清浄で、神聖なものだと分かったからだ。

 

 耳長の民達は極々自然に「それ」を崇めた。

 

 そして貢ぎ物には耳長の民の祈りのような、魔力のような目に見えない何かが込められていた。

 

 長年森から漏れ出る精気を喰い生きてきた「それ」にとって、彼らの込めたものは非常に甘露に感じた。

 

 この甘露を信仰と言う。

 

 耳長の民等から森の神と崇められ、信仰という餌を食らい、権能で創り出した果実を見返りにくれてやった。

 その果実は黄金の林檎と言う。

 食べた者の寿命を延ばす禁断の果実だ。

 

 素晴らしい! 

 耳長の民等は歓喜し、次から次へと黄金の林檎を貪った。

 皆が皆、不老という名の甘露を味わう。

 黄金の林檎が齎す力は凄まじく、林檎を食べた者達の子供にもその効能は及んだ。

 

 しかし、この黄金の林檎には致命的な欠陥があった。

 確かに肉体の寿命は延ばす。その魔力も増大させる。

 しかし心の寿命は延ばしてはくれないのだ。

 

 長い年月の後、耳長達はその心が弱いものから順に狂っていった。

 いや、狂うというのは正しくないかもしれない。

 心が肉体より早く死んだのだ。

 

 虚ろとなった耳長達はその身に秘める膨大な魔力を無差別に撒き散らし、森を破壊し、村を滅ぼし、街を焼きつくした。

 

 彼らは各国が協働して対応し、大きな被害を出しながらも虚ろな者達を滅ぼすことができたが、「それ」が居る限り被害は0とはならない。

 黄金の林檎を食した耳長の民は数多く存在しており、彼らもまたそれぞれ子を成し、その子らもまた……

 

 中央教会の前身に当たる聖光会はこれを重く見て、まだ正気を保っている耳長の民に事情を聞く。

 そして元凶が「それ」である事が分かると、大組織らしからぬ迅速な対応を見せた。

 

 邪神認定からの聖戦令が布告されたのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 聖光会の精鋭達、そして各国の英雄達が集い、「それ」へ攻撃を仕掛けた。

 

 多くの屍を積み上げ、聖光会、及び各国は勝利を収める。

 しかし、「それ」を完全に滅ぼす事は叶わなかった。

 単純に人の身で仮にも神である存在を根源から消滅させる事など出来ないから、という理由もあったが、何よりも人間側が神殺しを恐れたのだ。

 

 仮とは言え神を弑した者がどんな目に遭うかなど歴史が物語っている。

 結局人間達は「それ」を封じるに留めた。

 留めざるを得なかった。

 

 残った耳長の民達はその存在骨子に黄金の林檎の残滓を残しつつ、大森林を離れた。そしていつか必ず来る発狂を恐れながら各地へ散っていった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 封印された「それ」はまどろみの中で、無色透明で生ぬるい海の様な場所で揺蕩っていた。

 無色透明の海はやがて、長い年月の内に鮮やかな緑へ色づいてきた。

 しかし、ある時美しい緑の海へ墨の様な物が垂らされた。

 黒い液体は少しずつ広がっていく。

 

「それ」は酷く不快な気持ちを覚えた。

 

 

 ◇◇◇

 

 緑の使徒。

 それはかつて封印された旧き神……樹神を崇める者達だ。

 だが崇めるといっても、その信心は私利私欲に染まりきっている。

 なぜなら使徒達が求めているのは樹神が齎したという黄金の林檎だけでしかないのだから。

 

 なんだったら樹神そのものですら彼らには要らないものなのかもしれない。

 口にした者に大きな力と寿命を与える奇跡の林檎、黄金の林檎。

 

 とある者に樹神復活が近い事を知らされた彼らは、信仰心とラベリングされた薄汚い何かをせっせと樹神へ捧げていった。

 森の果実、獣、そして時には人間でさえも。

 

 彼らの行いがより早く封印を解く助けになるかといえば、なる。

 なる、が。

 

 解封された樹神が果たして、以前の様な偉大で、雄大で、清浄で、神聖な存在のままかどうかは……。

 

 ■

 

 いいねえ! 

 

 本来は冬場にしか咲かない筈のあんなものやこんなものまでどっさりである。

 もはやこのアシャラへ定住しても良いのではないだろうか、という考えすら浮かぶ。

 

 とはいえ、そういう事を考えるのはまだまだずっと先だろうが。

 50になってからか? 60か? 

 ああでも肝心な事を忘れていた。

 

 俺は自分の年を知らない。

 他人に何歳に見えるか聞いた事もあるが、25才~35才という答えだった。

 どうにも俺は年齢が不詳に見えるらしい。

 

 まあ連盟に自分の年が正確に分かる者が果たして何人いるか、と言う話ではあるが。

 マルケェスがその辺を管理しているのだろうか。

 マルケェスは連盟の雇用係だ。

 ずっと昔から連盟にいる苦労人。

 彼はこれと思った者に声を掛ける。

 そして杖を与える。

 

 杖は28本ある。

 だが、これは連盟員が28人いる事を意味しない。

 なぜなら、杖が折れた場合……つまり連盟員が死んだ場合……その杖を別の者が引き継ぐと言う事が無いからだ。

 仮に俺が死んだ場合、次に入る連盟の術師は29本目の杖を手にするだろう。

 

 この世界の誰もがその者を忘れたとしても、連盟だけはその者を忘れない……という意味らしい。

 

 そんな事はどうでもいいか。

 

 と言う事で、俺はたっぷりの草花を……おっかない上級斥候に睨まれない程度の量をせしめてアシャラへ帰還した。

 

 後は銅貨40枚の小遣いを貰って宿へ帰ろう。

 汚れを落としたら飯を食いに行っても良いかもしれない。

 

 ■

 

 と言う事で小遣いならぬ報酬を貰った。

 酒の2、3杯も飲めば吹っ飛ぶが、特に気にしない。

 ヴァラク、エル・カーラで俺はたんまりと稼いでいる。

 なんだったら家すら建てられる。

 家を建てて、意味なく壊してもう一回建てる事すら可能だ! 

 ははは! 

 

 1人でニヤニヤしてると、背後から声がかかった。

 

「あ、ヨハンさん! こんばんは、依頼帰りですか?」

 振り向くとセドクが居た。

 

「やあ、こんばんは。先程依頼が終わってね。君も仕事帰りか。怪我等は無さそうだな」

 

 ええ、おかげさまで、とはにかむセドクを見ると、これは特定層に人気がありそうだな、という思いを禁じえない。

 

「そういえば君はヨルシカの後輩か何かなのかな?」

 そういうと、セドクは勢いよく頷いた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「はい! でもヨルシカさんは先輩というか師匠というか! そんな感じなんです、それでヨルシカさんは……」

 

「だからヨルシカさんの……」

 

「その時ヨルシカさんが言ったんです……」

 

 俺は長々話をする事が好きだが、長い話を聞く事も別に嫌いではない。

 ただ、同じ話題が何度か繰り返されているのが気になる。

 ヨルシカが森林狼の喉笛を搔っ切ってセドクの命を助けた話は2回程聞いている。これで3回目だ。

 さすがにおかしいと思い、洗脳か錯乱の可能性を探ったが、セドクは至って正気だった。

 

 折角なので組み手の話をしてやった。

 俺がヨルシカにぶっ飛ばされた話だ。

 するとセドクは“いいなあ! ”等とのたまう。

 

 セドクはちょっと頭がおかしいみたいだし連盟の術師向きかもな……と少しだけ思ってしまった。

 

 ああ、でもウチにもマトモな奴はいたか。

 同僚で一番マトモな者はアリクス王国でちょっとした立場についている。

 驚くべき事に冒険者ギルドのトップだ。

 連盟員でもあるが、協会員でもある異色の術師……でもないな、連盟と協会の両方の術を齧っているものは案外多かったか……。俺もそうだ。協会の術だって使おうと思えば使える。

 俺は彼女に、ルイゼに読み書きなどを教わった思い出がある。

 面倒見がいい生真面目な女だった。

 

 ■

 

 そんなこんなで俺はセドクと手をふって別れ、宿へと戻った。

 そして深夜遅くまでせしめてきた草花の手入れをしている。

 冬にしか採れない筈の植物がこれだけどっさり採れると言うのは、よくよく考えてみればおかしい。

 大森林だから仕方ないよな、と思考停止していたが……

 植生に大きな変動でもあったか? 

 

 一輪の花をまじまじと見て、匂いを嗅いで、舐めたりもしてみるが良く分からない。花自体に変異がある様には見えない。

 

 すると、土壌か? 

 土地絡みは嫌だなぁ……大体面倒くさいぞ。

 

 ■

 

 翌朝。

 いつも通り仕事に行こう……と思ったがやめた。

 そういえばアシャラは無人地区の様なものがあるのだった。

 それを見にいこうとおもう。

 ヨルシカでも誘ってみようか。

 

 ■

 

「んん? ああ、古住居地区かい? うん、いいよ。といっても石で出来たアーチとかそんなものしかないけれどね」

 

 俺はヨルシカにガイド料金を渡そうかな、と思ったが何となくやめた。

 何だかよくわからないが馬鹿みたいだからだ。

 

「悪いね、飯でも奢るよ」

 

 長い名前の店がいいそうなのでそこにする予定だ。

 ちなみに子供達の世話は院長殿がするらしい。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

「へえ! いい雰囲気じゃないか。余り芸術? は分からないが、なんだか良い感じがする」

 

 俺が頭が悪い感想を述べると、ヨルシカは鼻で笑った。

 

【挿絵表示】

 

「元は寺院だったそうだ。もう影も形もないけれどね。アシャラートは知っているかい? うん、そうそう、そのエルフェンを神格化して祀っていたらしいんだが、聖光会……今の中央教会に異端認定されて破壊されたらしい」

 

 中央教会か。

 そういえばマイア……始まりの街でパーティを組んだ彼女は中央教会の聖職者だったな。中央教会は産めよ増やせよの精神なので、色恋は可なのだ。

 

 そういうと随分生臭に聞こえるが、神関係にはやたら厳しい。

 土着神などが根付いていても片っ端から中央教会が排斥してしまう。

 この場合は神自体をどうこうするのではなくて、信者をどうこうするという意味で。

 

 神なんていうのは信仰心が無くなれば神足りえなくなってしまうからな。

 だがそれ以外はゆるゆるだ。

 シモの話になってしまうが、中央教会所属のシスターが小遣い稼ぎで娼館で働いているなんて話も珍しくない。

 

 

 



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不穏だったり、日常の一コマだったり

 ■

 

「そういえばヨルシカ、ここの都市国家の王はどういう人なんだ?」

 

 俺がそう聞くと、ヨルシカは喉に何かがつっかえたような表情をした。

 何かまずいことでも聞いたのか。

 暴君か? いや、違うな。

 ならば住民の表情を見れば分かる。

 これは単純に言いづらい事を言おうとしている顔だ。

 だが言おうとしているのか、俺が無理やり言わせようという形になってしまっているのか……

 

「いや、別に難しい話なら構わないよ。悪王というわけでもなさそうだ。住民の表情にも活気があるしな」

 これ以上は踏み込まないよという合図を出す。

 

「いや、大丈夫だよ。そうだね、アシャラ王は……悪い指導者ではないよ。民からの信頼も厚い」

 

 なるほど。

「言いづらいのはアレか。君がそのアシャラ王から求婚されてるか、あるいは彼の娘だか、そういう事だからか。だがそうなると孤児院に世話になったとか辻褄があわなくなるが、ああ、庶子とかか? まあいい、色々フクザツな事情があるんだろう。安心しろ、拷問されても公言はしないよ。俺は実際に教会連中から拷問されたことがあるからな。誤解だったのだが。マルケェスという世話係が拷問吏の首を政治的に飛ばしてくれた。一夜で職を失った中年男のツラを見るのは美女の裸を見るよりスカっとしたね」

 

 こういう話題で言い淀む理由なんて大体パターンが決まっているからな。

 ヨルシカは盛大に引いた様で"なんで分かるの……"とこぼした。

 

 

【挿絵表示】

 

「そうなんだけど……いや! 求婚じゃなくて、娘の方なんだけど、うん私は庶子で……っていうか拷問? 教会? ご、誤解なのか、よかった……ちょっと君、あのねえ……、もう……あのさぁ……」

 

 不思議じゃないな。

 流派なんてのは民間にも広がっているが、彼女の振るうそれは魅せに偏っている様に見える。

 実用性がないとは言わないが、ヨルシカなりにアレンジでもしたのだろう。

 大体王族とかいう連中は何したって……例えば屁をこいたって何だかサマになるものだ。

 そういう教育でも受けてきたのだろう。

 だが政治的都合で雲の上から降りて来たみたいな感じか。

 

「じゃあそろそろ飯でも行こうか。奢るって約束したしな。長い名前の店でよかったんだよな? あの店、もう少し長くなったらしい。飲み物の名前が追加されたそうだ。この前セドクが言ってた。よしいこう」

 

 ■

 

 俺とヨルシカは連れ立って歩きだす。

 ヨルシカはぶつぶつ何かを言っていたが黙殺したので問題はなかった。

 

「君は私が庶子とは言え、王族の出だと知っても態度が変わらないよね。いや、嬉しいから良いんだけど」

 

 ヨルシカがそんな事を言い出したので少し考えを纏める。

「長くなるがいいか?」

 

 いや、そろそろお店だし短く、と言われたので了解する。

「君が恭しく接して欲しそうな面をしていないからだ」

 

 俺がそう言うと、ヨルシカはううとかアーとか言っていた。

 

 店にはすぐ着いた。

 ヨルシカお勧めのメニューとやらに従い、食いながら適当に話す。

 

 彼女が勧めてきた飯は旨かったが、彼女が勧めてきた酒は酷かった。

 いや、それは失礼か。

 やたら甘く、酒精も強い。

 女向けといったら語弊があるかもしれないが……。

 

 初対面でちんぴら傭兵の金玉を蹴り上げていた女傑にしては意外だな、と思ったが、考えてみれば俺も人殺しが好きそうな顔してるのに花が好きなんて意外だよね、と同僚に言われた事がある。




ヨルシカ画像について、活動報告にもありますが全面的に差し替え(といっても1枚しかないですが)、加増しています。
恒例のAIです。
雰囲気づくりのフレーバーみたいなものなので、服装の差異などは気にしないでください


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日常の一コマからの、煩悶

 ■

 

 ヨルシカと食事をした後は宿へ帰った。

 孤児院へ泊って行かないかと言われるが断る。

 いくつか整理しなければいけない事があるからだ。

 

 部屋で陰干ししていた草花を見る。

 匂いを嗅ぎ、舐めたりしてみた。

 違和感はない。

 ガワも別に枯れたり変な文様が浮かんだりしていない。

 普通の草、花だ。

 ただし、本来は冬に生えるのだが。

 そして、その冬でさえこれほどどっさりは採れないのだが。

 

 頭の中でやる事を整理する。

 1つ、土を採ってくる。

 2つ、手紙を沢山書く。

 

 というのも、土壌に手を加えられて……そう、毒の類だったら草花に悪い意味での変異が生じるはず。

 でもこれはまだいいのだ。

 

 良くないのは土壌が変異、活性化している場合である。

 ちょっと元気がいいくらいならいいんだが、冬の花が夏前に咲くというのは……強大ななにがしかが居るのかな? 

 ともあれ善性の何かだ。

 あるいはかつて善性だったものだ。

 かつて善性だったもの……としたのは、正気ならば明らかに植生がおかしくなるような真似をしないからである。

 狂を発したか? 

 余り考えたくない事だが。

 

 とはいえ悪魔とかそういう類ではなさそうだ。

 連中だったら植生変化どころか存在変異して木が襲ってきたりしかねない。

 もしくは森林が魔域化する。

 魔域はやばい奴が張り切りすぎて周囲もやばくなるという現象だ。

 ただの森が迷宮化したりする。

 

 まあ森の調査を単独でするのはキリがないし、何かあった時どうにもならないので却下。

 

 そういう時には巻き込むに限る。

 何から何まで全部巻き込んでやるのだ。

 巻き込む為の手紙の文面を考えなければならない。

 これは慎重に筆を付ける必要がある。

 仮に何もなかった場合、杞憂だった場合に空騒ぎさせたとして責任を追及されない為に。

 

 そして、やばそうなら国家権力だろうが宗教権力だろうが巻き込むのだ。

 ああ、そういえばヨルシカは王家と繋ぎが取れるのかな? 

 それと出来れば暇な同僚にも手伝って欲しいが……そもそも連中が何処に居るかも知らないので却下。

 

 色々やる事はある。

 明日はギルドで資料請求だ。

 逸話、伝承の類を調べる。

 

 だがもう今夜は酔いも回ったし寝よう。

 おやすみなさい……

 

 ■

 

 朝。爽やかな朝だ。

 床の陰干ししていた草花を見る。

 萎れていない。

 加護の類かな? 

 ウンザリしてきた。

 

 ……そうか。

 逃げ出すという案もあるにはあるのだ。

 あるのだが……。

 ヨルシカは友人だから出来るなら見捨てたくない。が、共に逃げるのは無理だろうな。ここは彼女の生まれ故郷だ。

 

 セドクは馬鹿みたいで少し気に入ったので見捨てたくはない。がヨルシカと同じ理由で無理か。

 

 あとは老夫妻だ。

 彼らは結構好感を持てる。できれば見捨てたくないが、彼らが逃げるとなれば彼らの子供や孫も一緒だろうし、そうなるとそいつらの友人知人も……

 

 全員半殺しにして無理やり連れだすか?

 冗談だ。

 

 うーん。

 無理だな。

 こういう時はラインを決める。

 ここまでやるが、ここを超えれば逃げ出すというラインだ。

 このラインがどの位置へ引かれるかは、俺がどれだけ巻き込めるか次第だ。

 

 ■

 

 念の為に神殺しの覚悟は決めておこう。

 



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煩悶からの準備

永久に主人公がくっちゃべってるだけなので退屈だとおもいますが更新します。


 

神を殺すと言うと途方もない事に思えるが、実際は1に準備、2に準備である。

 

神といっても色々と居る訳で、避けるべきではあるがどうしても対峙するというのなら、それぞれに見合った殺り方を採用しなければならない。

 

例えばちょっとした土地神なら、その土壌をめちゃくちゃに汚染してやるとかだ。勿論神は怒る。物凄く怒る。

怒るし、牙を向いてくるだろう。

しかし、そんなグチャグチャにされた土地の神など神格の礎をぶっ壊されれば神として存在し続ける事は出来ない。

そんなものはただの強大な化物だ。

神格汚染で大分力も落としているだろうし、強大は言いすぎたかもしれないな。

 

まあその後は化物に応じた討伐案を練って実行すれば殺せるだろう。

 

 

神を堕とさず殺す事もできなくはない。

物騒だがお手軽な手段としては、その神を信仰するものを皆殺しにしてしまえばいい。

 

忘れられた神は放っておけば消えてしまうだろう。

その神を信仰していた痕跡も忘れずに破壊しなければいけない。

 

違う神をぶつけてしまうやり方もある。

当然ぶつけ方にもコツはいる。

 

お前あの神と喧嘩して来いよ、では話にならない。

一般的なやり方としては組織化されたチンピラ(所謂ヤクザ)式のやり方が良い。

 

親分はそこで見ていてくださいと威勢よくカチコミに行って、盛大に殺される。すると親分…神は、お前らちょっと全員死にに行くなんて正気なの?と渋々加護をくれる。

 

親分だって自分の力の源が消えてしまったら困るだろうからな。

運がよければ親分そのものが出張ってくれるかもしれない。

 

勿論殺してしまった後の事は怖いが、そこも親分任せである。

ただ、ここまでやってしまうと今度はその親分への上納金が跳ね上がるだろうから、普通は封印だけにとどめておくものだが…。

まあ人の手で封印なんてされれば神殺しと言えなくもないだろう。

 

こういう事を素でやっていたのが中央教会の前身である聖光会である。

 

つまり神殺しの覚悟とは、巻き込めるだけ巻き込んで、出来るだけ責任転嫁して…そこまでもっていく為の膨大な段取りを整える事務的覚悟の事を言う。

 

一番嫌なのがそもそも神なんかじゃなかったパターンである。

最初から強大なただの化物の事を周囲が勝手に神だと勘違いして、適当に祀り上げる。

 

所謂信仰を捧げるわけだが、仮に最初はただの化物であっても、信仰という水をジャバジャバそそいでやっていると神格っぽいナニカを得る場合がある。

 

このタイプは貶めて神格を穢しても信者を皆殺しにしても無駄である。

神をただの化け物とした所でそいつは最初から化け物だったんだから、ただ元に戻るだけだ。

むしろ狂暴化しているかもしれない。

 

親分方式もうまくない。

タダで親分神を引っ張りだせるわけはないからだ。

何を支払う事になるかはその親分神次第だろうが…。

どうあれ、頑張って大量の犠牲を受け入れれば倒せるただの化け物だったら頑張った方が収支が合う場合が殆どだろう。

 

だからこういう場合は真っ向勝負する事になる。

 

そして、生来の神と後天的な神の区別が人間には良く分からないというのが問題だ。

俺にだって分からない。

まあ、それこそ神からすれば一目瞭然らしいが…。

でも教会の奴が言ってた事だからな。

奴らはすぐ話を盛るのだ。

 

だから両方の準備をする。

 

1人で全ての準備などはできないから、出来る奴にお願いをすることになる。

その為の方々への手紙だ。

 

 

ギルドへ向かう。

 

「やあ、おはよう。資料が見たい。大森林にまつわるものだ。そうだな、神話、伝承、逸話…その辺が記されている書物や資料はあるかい?もしくは、そういったものが読める場所を教えて欲しいんだ。…まて!分かっている、理由だろ?まだ言えないが必要な事なんだ。そうそう、俺はヨルシカと友人でね。ああ、知っているのか、結構。彼女はここの認可冒険者だと聞いている。彼女が悪党を友人とするはずがないだろう?うん、うん、そうだよな。じゃあ頼むよ。…はあ、なるほど。王宮になら?うーん、ツテがないが、いや、うん。わかった。また何かあれば質問をしに来てもいいかい?助かるよ、ありがとう。これはお礼だ、いや、なにあぶく銭さ。じゃあな」

 

金を渡し、ギルドを出る。

早足だ。

目指すは孤児院。

 

 

「おはよう、ヨルシカ。ようトマ、今日は歩いているのか。いい事だ。突進はもうやめろよ。革鎧にしてしまうぞ。…それで、ヨルシカ。君に大事な話がある。命にかかわることなんだ。…なんだい、その微妙な表情は」

 

 

 



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いいかいヨルシカ

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 大事な話がある、と言うから少しだけびっくりしてしまった。

 所謂男女の話かとおもってしまったのだ。恥ずかしい話だが。

 まあ彼はそういう奴だよな……と思う。

 というか、同じ顔をして『すまないがヨルシカ、君を殺さなければならなくなった』とかいきなり言い出す様な男だと思っている。

 

 改めて話を聞くと、随分剣呑な話をされてしまった。

 しかし彼も凄い不運というか……。

 不死の怪物に悪魔、その次は神? 

 

 じゃあその次は何と戦うんだろうと心配になってしまう。

 なんとなく彼が説明しているのを聞いていたら、思い切り目をのぞき込まれ、ちゃんと話をきけと叱られてしまった。

 悪気があったわけじゃないのだが、何というか彼が結局なんとかしてくれそうだなという思いがわいてしまう。

 そんな自分の甘えを自覚して反省する。

 

「一応聞くがヨルシカ、逃げる気はあるかい?」

 答えは分かっているが、という様な顔をして彼が問いかけてきた。

 

 ■

 

 ヨルシカはやや目を伏せ、首を振った。

 そうか……と俺が言うと、ヨルシカが君は逃げた方がいい、と言ってきた。

 

 ? 

 

「んん? そうだな、当然危なくなれば逃げるよ」

 

 俺がそう言うと、ヨルシカはやや寂しそうに頷いた。

 どうも彼女と俺で見解の相違がある様に感じる。

 

「いいかいヨルシカ。智を貴ぶ俺と、チンピラのキンタマを潰したりするのが好きな君とでは思考の深さに差があるのは仕方がない。だが君は俺を心配して逃げろと言ってるのだろ? なら逆に、俺もまた君の身を心配して糞面倒くさい対策を立てようと頑張っている事位は気づけ。そして気づいたなら手を貸して欲しい所だ。君だってそれなりにコネがあるんだろう? まあいざという時、どうにもならない時は君も何もかも見捨てるよ、勿論。仕事として受けた訳じゃないからな。だがその選択肢を取るのは最後の最後そのまた最後だ。俺は今、その最後の選択肢を選ばない様に努力しているのだ」

 

 目をパチパチさせているヨルシカに紙切れを渡す。

 やっておいて欲しい事リストだ。

 

 じゃあ頼むよ、と手を振り去る。

 次は宿屋に帰って手紙を書かなければいけない。

 

 死刑相当の犯罪者が欲しいとヨルシカに渡した紙切れに書いたが、流石に厳しいか? 

 威力偵察がしたい。

 全員呪いで縛れば問題ないだろう。

 道中で連中がくたばっても構わない。

 アシャラのダニが消え、死体は森の肥料となる。

 皆喜ぶだろう。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 凄く馬鹿にされたような気がするし、友情の様なものを感じた気もするし、なんなんだアイツはという怒りもあれば、名状しがたい嬉しさのようなものもある……。

 

 彼は連盟の28本目の杖といっていた。

 連盟は彼みたいなのがウジャウジャ居るってことか……!? 

 

 ま、まあいい。

 とにかく、道は示されたのだから……私は私に出来る事をしなければ。

 

 私は彼の背を見送った後、メモを開いた。

 殺していい囚人が欲しい!? 

 

 ひ、酷い男だ……




アシャラ回は結構長くなるかもしれません。
適宜チンピラを殺しますので読者の皆様、最後までお付き合いください。


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緑賢

 ■

 

 と言う事で宿で2通手紙を書いた。

 中央教会の知人宛、アシャラの冒険者ギルド宛。

 ヴァラクの傭兵ギルドにも送ろうかとは思ったのだが、却下。

 

 なぜなら俺の方に積めるものがない。

 というか多分危ない相手だし報酬もどれだけ積めるかわかりませんが、命がけで手を貸してください……なんて言う奴がいたらどうする? 

 俺なら生きたまま子鬼共に貪り食わせる。

 

 中央教会は問題なし。

 詭弁になるが、連中の仕事を手伝ってやっているとも言える。

 

 ただ、間に合うかどうかは疑問だ。怪しい。

 速やかに動いてくれるかどうかも疑問。こちらも怪しい。

 

 冒険者ギルドは大丈夫だろう。

 なんといったって地元の問題だ。

 アテにするならギルドの方だろうな。

 手紙を直接渡せるし。

 だが、俺は所詮新参者に過ぎない。

 だからヨルシカの威光を利用する。

 彼女はここの認可冒険者だと言うし。

 

 随分忙しくなりそうだ。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「……そういうわけなんだ、ヨルシカ。ついてきて欲しいのだが……」

 

 ヨハンは少し疲れている様子だった。

 休んでいかないかと言いたかったけれど言い出しづらかった。

 無理しなければいけない場面っていうのは必ずある。

 今がきっとそれなんだろう。

 私にとっても他人事じゃない。

 事はアシャラに関わる事なのだから。

 でも死刑囚を用意する事は流石に断わった。

 というか、平民の私がそんなもの用意出来るわけないだろう! 

 

「いいかいヨハン! 死刑囚っていうのはいつでも殺していい囚人って意味じゃないんだぞ」

 私がそういうと、そうだったのか、と言っていた。

 彼には倫理観がない。

 

 兎に角私もあれから、王宮の見知った侍女や役人に話を通して、なんとか父親との接見を決めることができた。

 私の身分は平民なので、いくら父とはいえそう簡単に会える訳では無い……が、認可冒険者という称号はそれなりに役に立ってくれた。

 これはいわば都市を代表する冒険者っていう意味だ。

 

 ヨハンの頼みには当然是と答えた。

 アシャラ冒険者ギルドが力を貸してくれるなら確かに心強い。

 彼は交渉上手だからきっとうまく話を付けてくれるだろう……

 

 ……といいつつも、また何か突拍子もない事を言い出さないか不安な自分もいる。

 

 ■

 

 案外あっさりとギルドマスターと会えそうだ。

 まあギルド側も危機感はあるんだろう。

 認可冒険者まで連れてきた情報提供者なら話を聞かずにはいられんだろうな。

 

「上級斥候共を駆り出している位だからな。このギルドも何かしらのネタは掴んでいたんだろう。上級斥候はラドゥの所にいたカジャみたいな奴等だ。ほら、そこの天井裏にも隠れてるぞ」

 

 俺がヨルシカにそういうと、案内の職員がぎょっとした顔で振り向いてきたのでニヤリと笑って頷いた。

 

 まさか本当に隠れていたとは。

 全く気付かなかったぞ。

 まあ当然か。ギルドマスターの身辺を護る者の1人や2人は居てもおかしくあるまい。

 

 案内の職員が木製の重厚なドアを叩く。

 

『入りなさい』

 

 深い所から響いてくる、そんな印象の声が返って来た。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

「グィル・ガラッドだ」

 

 目の前に立つのは老人だった。

 奥にも1人老人がいるが、書類整理などをしている。

 秘書かなにかだろうか。

 いかにも学者然とした物静かそうな老人だった。

 だが耳の形が明らかにヒト種ではない。

 そう、彼はエルフ……

 

「ハーフだ」

 

 心の声を読んでいる……わけではないのだろうな。

 つまり……

 

「何となくだよ、ヨハン」

 

 俺は早々に白旗をあげる。

 表情だとか雰囲気だとか、何となくで読まれている訳か。

 俺も何となくでソイツの性根を視たりするから分かる。

 説明ができないんだよな、自分でも。

 

「お見事です、ガラッドギルドマスター。私の事をご存知の様ですね」

 

「グィルで良い。知っているとも。君はルイゼと同じ(うろ)の者だろう? ならばグィルで良い」

 

 洞とはエルフの言い回しだ。

 派閥、組織、グループを指す。

 なるほど……彼はルイゼの

 

「短い期間だが彼女に術を教えた。限定的ではあるが、私は彼女の師とも言える」

 

 そうか、一気に親近感が増してしまったな。

 こういう所が俺がちょろいだのなんだのと同僚からからかわれる原因なんだと思う。

 

「では彼女も俺の一分野における師なので、グィル、あなたは私の大師匠(グランド・マスター)とも言えますね」

 

 グィルはふっと笑い、頷いた。

 

「そうだな。限定的ではあるが」



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アシャラ二百景

 ■

 

 グィルに事情を説明する。

 流石にいきなりギルドマスターに会えるとは思ってなかったため、本来は手紙を渡す予定だったのだが良い意味での想定外のお陰で話が進んだ。

 

「地脈が乱れている。森でそこまで影響を与える様な存在はただ1つ。上級斥候達を2名向かわせたが戻らなかった。彼らは手練だったが。シルヴィス、分かったことを話しなさい」

 

「はいマスター」

 後ろから声が聞こえてくる。

 

 背後に気配……なんて感じなかったが急に現れた。

 だがヨルシカが少し前から緊張した風だったので、彼女は気付いていたのだろう。

 

 振り向くと……誰も居なかった。

 しかし気配だけはそこに鎮座している。

 ヨルシカを見ると目を細め、ある一点を見つめていた。

 そうか。

 認識阻害かな? 

 少し考え方を変えてみる。

 

 “そこには確かに誰かがいる。俺がそう決めた”

 

 強く目を瞑り、見開く。

 果たしてそこにはダークエルフと思しき者が居た。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 ダークエルフの女は意外そうに俺を見つめ、口を開いた。

 

「大森林奥地、北方4万歩。緑の使徒と思われる者らの隠れ家を見つけたの。調査に向かった者は2名。いずれも上級斥候。鳥を飛ばして連絡を取り合っていたのだけれど、定期連絡が途絶えて今日で2日目。多分捕らえられたか殺されたわ。隠れ家発見、そしてその位置の報告が最後の報告。分かった?」

 

「ああ。ありがとう。貴方はあの森に何があるかご存知なのですね」

 

 グィルは頷き、森の伝承を話してくれた。

 

「緑の使徒等はかの存在を解き放とうと言うのだろう。愚かな事だ。どの道、すぐに封印は解ける筈だったのだが。そして、解けたなら解けたで構わなかった。もとより穏和な存在だ、放って置けばよかったのだ。過去の事に拘泥する存在ではない。今というその瞬間を平穏に生き続けたいと願っている様な存在であったと言うのに」

 

 グィルが首を振り、ため息をつく。

 

「見てきた様に言うのですね」

 俺がそう言うと、グィルは何も答えなかった。

 

「封印の解き方が問題、ですか」

 グィルが頷く。

 

 全容が見えてきたな。

 一部の行商が消えたと言う話も、ここで繋がる。

 

「ヨルシカ。話をまとめて伝える。どこかの馬鹿共が欲に駆られ、阿呆な事をして、そのお陰で神だか神もどきだか知らないがそういう存在と対峙する必要が出てきた。我々がする事は2つ。馬鹿共を皆殺しにするか全員捕縛する事、そして神だか神もどきだかを殺すか、再度封印してしまう事だ。王宮と繋ぎは取れるかい? 事はアシャラの存亡に関わるぞ」

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 ヴァラクの時とどちらがまずいか聞いてみたいが、聞いてしまったらそれはそれでうんざりしてしまいそうだな。

 

「ああ、私は余り立場は良くないけれど、最初に君に言われた時に既に繋ぎはとった。状況を話せば兵を出して貰えるだろう」

 

 ギルドマスターの話してくれた伝承程に強大な存在なら、この国だって今の状況を放っては置けないはずだ。

 

 王とは明日の朝一番で接見を出来る様にしておいた。

 それをヨハンに伝えると、明朝一緒に行こうと言う話になる。

 彼の話を聞く分には結構大きな話だったはずなのだが、なんだか事務的に話がどんどん進んでいっている気がする。

 

 ◇◇◇

 

【挿絵表示】

 

【それ】が浸る優しく甘いまどろみに、黒くドロドロしたものが入り混じる。

 

 その黒い何かは【それ】の中へ入り込んできて、じゅくじゅくと蝕んでいった。

 

 美しいもの、尊いもの、清浄なものがどんどん黒く染まっていく。

 

 その感覚は時に痛みを伴い、例えようも無い不快感を【それ】へ与え続けた。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

【挿絵表示】

 

「ねぇー。あたしは別にコイツが起きればどうでもいいんだけど、あんた達本当にちゃんとやってるの? なんかぁー、適当に封印解こうとしてない? だって変な色してるじゃん。いや、みれば分かるでしょ、それでも信者かよ。中身だよなーかーみ! というか、無理矢理封印といたら大抵のモンはしょっぱくなるよ。それじゃあ興ざめなんだけどなぁ。……はあ? 味じゃねえよカス! 弱くなるって事だよ。当たり前だろ。お前等だって寝てる時に腹にナイフぶっさされたら起きた時しんどくない? 起こすなら起こすでスッキリ爽快! ッて感じで起こしてやれよ、それでも人間なの? ……え? 死ぬ? しなねーよ! 人間舐めんなボケ! 人間はねー、しめーかん……使命感? と勇気さえあれば頭吹き飛ばされたって生きていられるんだよ! ……あ! 使命感ゲームしよっか! お前等、コレを復活させる為に頑張ってるんだろ? だったら使命感で溢れてるはずだよな? なら頭ぶっ飛ばされたって死なねぇよな? よーし! まずはお前からね!」

 

(悲鳴)

(笑い声) 

(絶叫)

(笑い声) 

(断末魔)

(笑い声) 

 

「……ん~?? ドクンドクン言ってるねェ~……もう少しかな?」

 




ヴィリ・ヴォラントの画像を差し替え・加増してます。


【挿絵表示】
初見にっこり笑顔


【挿絵表示】
もう200年も待ってるンですけど!?


【挿絵表示】
使命感ゲームな!

あと最近サブタイトルまとまりなさすぎて、変えようかなって悩んでます。
ボス戦にまつわるタイトルはかえるつもりはないんですが、◎◎◎したり◎◎◎だったり系の奴はもっとマシなのがあると思うんですよね…


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謁見が終わり

 ■

 

 翌朝。

 

 アシャラ王との謁見は案外とすんなり終わった。

 考えてみれば当然の話ではあるが、トラブルの解決屋とも言える冒険者ギルドと国の問題共有が出来ていない訳は無かったのだ。

 

 それなら俺が再度説明する必要があるかは分からないが、“接見を希望します。え? もう話を聞いている? ならやめますね”では通らない為、確認の意味も兼ねて一通り状況を説明した。

 

 王は流石に都市国家連合の盟主国を統べる器があるのか、問題の大きさを過不足無く捉えてくれた。

 グィルと連携し事に当たると言ってくれた。

 話が分かる為政者で良かった。

 

 過去……俺がまだ正義感の様な1銅貨にもならないモノを持っていた頃、こういった危地で都市の上層部へ協力を打診した事はあるが、その時は冒険者ギルドで何とかしろと言われてしまったので猫から逃げる月鼠が如く逃げ出した事がある。

 その時は魔物の暴走……スタンピードで街は滅んだ。

 

 因みに月鼠とは温暖な地方にしか生息しない丸くて白い球の様な鼠の事だ。

 球から申し訳程度に四肢が生えている。

 平時はその四肢でのろのろと這い回るのだが、危険が迫ると転がって逃げる。転がり始めにも大きな力が必要なわけで、それはどこから捻出しているのか気になるが、微弱だが魔力を使って初動の勢いをひねり出しているらしい。

 俺もその説には賛同だ。

 なぜなら連中の事をポイポイと投げて遊んでも滅多な事では死なないからだ。

 魔力で身体能力を強化しているに違いない。

 

 王との謁見の場を去る時、王とヨルシカの視線が交差する所には、かつてあった家族の情の残滓の様なものが仄かに香っていた様な気がするが、実際はどうだか分からない。

 

 親というものは良くも悪くも子供の心を縛るものだ。

 俺の母親は俺の中にはもう3分の1しか残ってはいないが、それでも彼女は俺の心を縛っている。例え姿形をもう思い出す事が出来なくなってしまったとしてもだ。

 

 心を縛る鎖が錆びてボロボロになったものか、あるいはそうではないかは当人の人生に大きく関わってくるのではないだろうか。

 ヨルシカの心を縛る鎖が香油で磨かれた良き鎖であるといいのだが。

 

 なお、父親の方は喉を搔っ切って丸1日掛けて血抜きをしてやった。

 自慢ではないが、俺は拷問も得意としている。

 

 彼の怨嗟がたっぷりと含まれた血液を使い育てた呪花は、とある強敵を討つ際に使ってしまった。

 

 しかし連中が何故この大陸に居たのか今でも良くわからないな。

 俺も見たのは初めてだった。

 悪魔と非常に近しい性質を持つ連中だ。

 呼吸をする様に術、いや、魔法を使う。

 つまり詠唱がない。

 手を伸ばす、足を曲げる、そんな感覚で魔法とやらを撃って来るのだ。

 

 だが奴等と違って本体を別の場所へ置いているという事はない。

 だから殺して殺せない相手ではないにせよ、一般人が必死こいて戦う様な相手ではない。ああいうのは、“特別な連中”が相手取るものだ。

 

 だが……そもそもだが、連中は当時の勇者とやらに頭目を殺され、種族ごと果ての大陸へ押し込まれたのではなかったか? 

 そして現在だって当代勇者がその動向を監視しているのではなかったのか? 

 

 緑の使徒とやらはここ最近活発的に行動し始めたと聞いている。

 つまりそれは、ここ最近で何者かが緑の使徒共に余計な空気を入れた……

 それが魔族だという根拠なんて1つもないのだが、裏でこういう陰湿な事をやる連中というと結構限られてしまうのだよな。

 

 いや、考えても詮無き事か。

 だが、もし魔族が裏で動いているなら、それこそあの英雄大好き勇者大好きなメスガキの出番なのだが。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 謁見は無事に終わった。

 最初から最後までヨハンがずっと話していたけれど、それでも私と父……いや、陛下は何かを交感したのだとおもう。

 同時に、私の中での1つの蟠りがすっと解けた気がする。

 

 ヨハンが考え込んでいる様子だったので、どうしたのか聞いてみると……

 

「神っぽいなにかと戦った後は何と戦うのかなっておもってな。魔王とかだったりしてな、いや、冗句だよ冗句……」

 

 等といっていた。

 本当にやめて欲しい。

 君はヴァラクでフェンリークの話をしたけど、その後それっぽいのと戦うことになったじゃないか。

 

 ……ああ、鐘の音が聞こえる。

 まだ昼か。

 

「飯でも行こう。長い店以外がいいな。あそこはこの位のタイミングだと混んでいるだろう」

 

 ヨハンがそういうので、少し考える。

 ならあそこがいいかな? 

 

「なら名無しの店へいこう。少し分かりにくい場所にあるから余りお客さんは来ないんだけど、味は絶品だよ。鳥が美味しいんだ」

 

 ヨハンが首を傾げる。

 店の名前の事かな? 

 

「店の名前がない店なんだよ。だから名無しの店。長い名前の店に反発した料理人が開いたお店なんだ。店の入口には木の板だけ立てかけてあるんだ」

 

 いつも倦んだ目をしているヨハンが目を見開き、馬鹿じゃないのか、と言った。

 私もそう思うけど、味は本当に良いんだ。



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神の敵

 ■

 

 店のあれやこれやのセンスはさて置き、料理自体は良かった。

 野菜のスープは数種類どころじゃない数の野菜を煮込んでいるらしい。

 草花のあしらいはそれなりに得意なので、その辺の雑草を旨く食うくらいの調理技術はあるつもりでいたが、やはり専門家は違うな。

 

 ひとしきり料理を堪能して店を出るとセドクが居た。

 セドクは仲間と思しき者らと一緒に談笑しながら歩いていた。

 

「あ! ヨルシカさん! ヨハンさん!」

 

 手を振りながら駆け出してくる。

 後ろで彼の背を睨みつけている少女には気付いているのだろうか。

 セドクチームとは何度か顔合わせをしているのだが、セドクがヨルシカという単語を出す度に件の少女の目つきが悪くなる。

 

「やあセドク。これから依頼かい?」

 

 ヨルシカが聞くと、セドクは首を振って言った。

「いえ、それが森への立ち入りをギルドから禁止されちゃって。暫く立ち入り禁止との事でした。仕方ないんで、これから皆でご飯でも行こうかって話をしてたんです」

 

 封鎖したか。

 まあ浅層なら大丈夫だとは思うが、万が一はあるかもしれないしな。

 

「ああ、どうやら森に危険な魔物が現れたそうでね、ギルドが直属の即応部隊を動かしているそうだよ。だから勝手に入っちゃだめだからね。まあ仲間達と楽しんできなよ」

 

 ヨルシカが言う。

 間違ってはいないな。

 シルヴィス……あのダークエルフも即応部隊の1人と言った所か。

 グィルは見た目以上に腕が長そうだ。

 

「はい! ……あ、あの? ヨハンさんと何を……デートとかですか?」

 

 要らん事を言うから見てみろ、お前の後ろを。

 少女の視線が殺気を孕んでいるぞ。

 ああいう類の視線……その極まったものは俗に邪視と呼ばれるんだぞ。

 

 そういえば同僚に邪視を得意とする者がいたな。

 

 “いい? 見えてしまうからこそ視えなくなるものだって多いの。つまり、見えなくなれば視えるものが増えると思わない? だから私は目をくりぬいたの。お陰で何もかも視える様になったわ”

 

 全然良くわからないような、何となく分かるような理屈だった。

 だが、現実として彼女の邪視は様々な事象を……

 

 おっと、人前だというのにぼーっとしてしまった。

 

 ヨルシカが考え込んでいる。

「デート……いや、でも謁見とかしたし、デートでは普通国王陛下と謁見はしないはずだ……」

 

 俺は大きく頷いた。

 その通りだ。

 この世界に謁見デートというものはないし、あってはならない。

 

「いいかセドク。今はこのアシャラ存亡に関わる事態へ一致団結し事へ当たらねばならない。……あ、セドクは知らなかったか。まあいいか、今結構大変なんだ。そのええと、危険な魔物が思ったより強力でな。様々な面を鑑みると、アシャラの危機と言える。それで納得しなさい。だから俺がこの様な時にヨルシカとデートする事はない。するならば事態が解決してからだ。つまり、此度の危地の原因となった存在を全員捕縛し、司法の場で裁くか、或いは!」

 

 セドクの肩に手を置く。

 

「あ、あるいは?」

 

 セドクの耳元で、皆殺しだ、と囁く。

 ひえーっと情けない声をあげ逃げだすセドクは見てて面白い。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 またヨハンがセドクで遊んでいた。

 最近気に入っているらしい。

 少年趣味とかじゃないか心配になって、1度彼のどこがそんなに気に入ったのか聞いてみたことがある。

 

 “反応が馬鹿みたいで面白い”

 

 といっていた。

 酷い奴だ……。

 

 それにしても……なんだか今日は植物の匂いが強いな。

 雨の日の翌日は珍しくないのだけど、昨日は晴れていたはずだ。

 明け方降ったにしても、地面が濡れていない。

 

 ヨハンを見ると、彼は森の方を睨みつけていた。

 彼の視線を追うと、違和感。

 この感じはあの時の……

 

 意識を集中すると、浅黒い肌のハレンチな格好をしたダークエルフ……シルヴィスの姿が見えてきた。

 

「あら。私の隠行も衰えたかしら。ギルドマスターが呼んでるわ。森が動くわよ」

 

 それだけ言うとシルヴィスがどこにいるのか分からなくなってしまった。

 消えたと言うわけじゃない。

 分からなくなった……あれが上級斥候か。

 ヨハンが言うには、認識阻害という上級の隠蔽技術だっていう事だった。

 

 そしてそれを言った当のヨハンはぼーっとつったっている。

 背中をバンと叩いてほらいくよ、と急かすと彼はポツンと呟いた。

 

「なあヨルシカ。俺は気付くべきではない事に気付いたかもしれない」

 

 なにを? と問うと

 

「もしかして、俺が別に何も対策をしようとしなくても、グィルと王でどうにか危機への準備なり整えることが出来ていたんじゃないかってな」

 

 私には何も返す事が出来なかった。

 そして動かなくなったヨハンの手を掴み、ギルドへ引っ張っていく。

 

 ◇◇◇

 

【それ】は自身に入り込んでくる黒いモノが齎す痛みに煩悶していた。

 不快感、不快感、不快感。

 

【それ】の蝋燭に灯された理性という名の火が徐々に勢いを失っていく。

 半ば意識が覚醒していた【それ】は周囲を探る。

 

 痛みの原因は何なのか……やがて【それ】は気付いてしまった。

 自身が眠るこの地の周囲に、小さいアレがウゾウゾと蠢いているのを。

 

 ━━子よ、子らよ

 ━━母を助けよ

 ━━子らよ、母を害す者らを除け

 

 そして、ザワザワと森がさざめく。

 

 ◇◇◇

 

(少なくとも見た目だけは)少女はつまらなそうに周囲を見渡した。

 そこには見渡す限りの草人形。

 ツタやら枝やら葉やらが絡み合って造られているのだろうか。

 

 そして干からびた複数の死体。

 

 緑のナントカとか言う連中は緑色の草人形に皆吸われてしまった。

 でっぷりふとったデブがしおしおと干物になっていく様は少し面白かったが、あんなのじゃあとてもとても満足出来そうにもない。

 100や200、1000や2000倒したって英雄にはなれない。

 

 ━━でも

 

 無造作に振るわれた横一文字の薙ぎ払いは、遠間に居たはずの草人形達を胴斬りにする。

 

「あのあのあのあの~? お宅らがしょぼすぎて全然威力でないンですケド~? って話きいてるのかよ、聞いてねぇか。はァ~……おい! お前等ももう逃げていいよ。あいつら、お前等の事も生贄にするつもりだったらしーね。なんかコソコソしてんなァって調べてよかったよ。そーじゃないんだよなァ。生贄なんてつかったら英雄じゃないじゃん。なんで神サマに媚びなきゃいけないわけ? あ、そうそう、その緑野郎もみんな死んじゃったし、お前等も逃げたければ逃げなよ」

 

 少女の目線の先にはツタで雑に縛られた男女が地面に座らされていた。

 束縛は非常に雑で、上級斥候である彼らなら場所その気になれば一息にほどく事は出来る。

 しかし、それをしなかった理由……それが目の前の少女だった。

 

 上級斥候である彼ら2人を手玉に取り、あっという間に捕まってしまった。

 そしてある夜半、彼ら2人の元へ緑の使徒がやってきて自分達を神の復活の為の贄としよう……とした所で、目の前の少女が怒り散らしながら現れ処刑をとめてくれたのだ。

 

 少女は言った。

 

 “悪いんだけどー、あたしは今ンとこお前等の事殺すつもりはないけど、緑雑魚共しんじゃったらカミサマ復活しなくなるとかいわれてるんで、邪魔されても白けるんで捕まえとくよ。いたくないように縛るけど、逃げるようならブッコロすから”

 

 ・

 ・

 ・

 

「助けてくれて感謝する。あなたはどうするのだ? そして……あなたの目的は一体何なのだ?」

 

「神殺し! 人間はさ、カミサマなんて必要ないって思わない? 自分らの都合で好き勝手してさァー。カミサマに酷い目にあわされてる人って結構いるよね。あたしもなんだけど! だからぁー、むかついたから全員ぶっころしちゃおっかなって思って! でも寝てるとこボコってもクツジョクカン味わわせられないじゃん? だから起こしてからブッコロすんだぁー! だからあたしは」

 

 

 ヒュンヒュンと二回剣を振る少女の周囲でバタバタと何かが倒れる音。

 

「取り合えずここでこいつ等ブッコロして、親玉が起きたらソイツもぶっころす感じかな! ま、もーじきおきるでしょ」

 

 この前のはちっちゃい奴だったからな、今回は大物でうれしーかも! と剣を振り回す少女はなんとも楽しそうに笑っていた。

 

 連盟の24本目の杖、ヴィリ・ヴォラント。

 その杖の銘の名は

 

 ━━【神敵】

 

 



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キャラクター行動履歴まとめ①

 ◆◇◆

 

 SIDE:ガストン

 

 ━━やってらんねーな

 

 街を出た時の俺の気持ちだ。

 マイアだってマイアだ。

 ロイが好きならいっそ振ってくれれば良いのに。

 変に気を持たせるから期待しちまう。

 

 あいつなら、ヨハンならこんな時なんて言うだろう。

 

 “お前の機嫌を取る事は俺の仕事か? それはお前の仕事じゃないのか? だがどうしてもと言うのなら、10銅貨だ。払えば助言をくれてやる”

 

 とでも言うのだろうか。

 だが今の俺は金を払ってでもクソ助言とやらが欲しい気分だった。

 クソ! 

 

「やってらんねーな……」

 

 イスカは今夜には着くだろう。この先の事も考えねえとな……

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:セシルパーティ

 

「じゃあ……私達、明日の朝にはヴァラクへ向かうから……。シェイラ。今まで本当にありがとう。……ほんとうにっ……」

 

 やれやれという顔でシェイラが私を抱き締める。

 シェイラの腰にはリズも抱きついていた。

 

「気にしなさんな。あんた達と組めて幸せだったよ」

 

 リズが鼻水と涙をだらだら垂らして頷いている。

「ぜじるっ……ふくものちょうだいっ……」

 

 私も欲しい……

 

 シェイラがまたやれやれという顔をして布を取り出した。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ラドゥと団員

 

「貴様ァアアアア! カナタァ!! 借金の請求書が団に届いておるぞ! どこだ! カナタァ!」

 

 ラドゥ傭兵団の本拠地の扉が吹き飛び、顔を赤く染めたラドゥが怒鳴りこんできた。

 ドアは木っ端微塵だ。木屑になっている。

 ラドゥの2つ名ともなっている重い波は寄せては返す波の動きを参考に、はつりの原理で物体を叩き壊す絶技であるが、その絶技をラドゥは自らの拳で放ってしまった。

 

 彼がここまで怒るのも無理はない。

 ラドゥがカナタの借金を肩代わりにしたのは既に2度だからだ。

 普通だったら行状不良で叩ききっているが、カナタの神がかりとも言える勘働きはココ最近の依頼で数名の団員の命を救った功績がある。

 

 だからといって我慢しなければならない法はないため、今度という今度は骨の一本二本は覚悟してもらう、そんな決意で怒鳴りこんできた次第だった。

 

 団員達は青褪め口々にカナタについて話す。

 

「つい先ほど、今日は具合が悪いといって帰ってしまいました!」

「本当に具合が悪そうだったので……」

「捜索隊を編成しますか!?」

 

 ラドゥの目が完全に据わる。

 かつてオルド騎士として辣腕を振るっていたあの頃の目だ。

 

「彼奴を引っ立てぃ!」

 

 傭兵達が街へ散っていく。

 

 そしてカナタはその時、なじみの娼婦と良い事をしていた。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ミシル、コムラード

 

「教師コムラード、その足なのですが治癒にはもう少し時間が掛かりそうですね。そこで提案なのですが……」

 

 コムラードは禿げ頭に血管を浮かべ断固とした大音声(だいおんじょう)をあげた。

 

「教師ミシル! 結構だと何度も言っております! 我輩の手足を平然と切ろうとしないで頂きたい! 我輩は生身が良いのです!」

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:アリーヤ、ルシアン、マリー、ドルマ

 

「そこでわたくしは彼のえげつない凝視を真正面から見つめて言いましたの! 戦士達は自らの命を勝利への必要経費だと考え(10分程話す)、ですがわたくしは全くビビる事はありませんでしたわ! なぜならば! わたくしには真の術師の魂が宿っているからですわ! さしもの術師ヨハンも(10分程話す)」

 

 素敵です、アリーヤお姉様……とマリーが感激する。

 ヨハンとの模擬戦で情けない姿をさらした自分とは大違いだ。

 流石小炎姫、幼くして野盗を6人焼き殺しただけの事はある。

 

 だがアリーヤの話を喜んで聞いているのはマリーだけであった。

 ルシアンはマリーをみて喜んでいるし、ドルマは疲れている。

 

 

 ──────────────────────────────────────────-

 この回は活動報告のキャラクター行動履歴を書き起こしたものです。

 短いですが、今後も備忘的な意味でまとめていきます



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森へ

 ◇◇◇

 

 ニヤニヤと小生意気な笑みを浮かべながら草人間を近間から、遠間から叩き斬るヴィリはどこからどう見ても術師ではない。

 やってる事はただの剣士というわけでもないのだが。

 ともかく、今この瞬間もヴィリは術を使っている。

 

 彼女は一般的な術師とは違い、自らの行動がトリガーとなり術が発動される。この場合の触媒はその行動内容、行動に対する気構えと言った所だろう。触媒とは何も目に見えるものに限るわけではない。むしろ目に見えないものこそが触媒として価値がある場合もある。例えば神への祈りだとかそういうものだ。

 

 そういったタイプの術は手持ちの触媒がなくとも起動できるというメリットがあるが、自らの芯にブレが生じた場合は深刻な出力低下を招くというデメリットもある。

 

「いいね、乗ってきた! やっぱりお前等そこに居てよ! どうせ逃げようたって森中にアレいそうだしね! あたしが守ってあげる! こいつら鈍間だし、あンまやる気無かったんだけど……状況は良いカンジ!」

 

 ヴィリの振るう剣がどんどん鋭く早くなっていく。

 一振りで見えない斬撃を何本も飛ばし、体から仄紅い靄の様なものが立ち上っていた。

 

「カミサマの使いっ走りに!」

 ヴィリが剣を持った腕ごと体を大きく捻る。

 

「あたしがぁ!」

 剣を武器にしている者が何故そんな真似をするのかは謎だが、ヴィリはその剣を思い切り草人間の群れにぶんなげた。

 

「負けるかよぉ!」

 ぶんなげた剣の元へ突っ込んでいくヴィリ。剣がなくともその拳と足で草人間をぶっとばしていく。

 そして剣を拾った後はまた投げたり拾いにいったりしていた。

 

 そんな彼女を斥候の2人組みは凪いだ目で見ていた。

 あれだけ強ければ多分助かるだろうという根拠のない楽観と、なんだか少し頭が悪いのかもしれないなという哀れみが凪ぎの視線を生み出したのだ。

 

 ヴィリの術はノリが大事なので、明らかに非合理的な行動であっても結果的にそれが正解となりうる事が多々ある。

 彼女が立ち向かう相手が強大であればあるほど、それに対して自らが取る行動が英雄的であればある程彼女は強くなる。

 

 放って置けば死にかねなかった斥候2人を守り、怪しい草人間と戦うというのは一見ハンディの様に見えるが、ヴィリの術の出力を高める要因だ。

 

 こういった自身の行動に対する認識で出力が大きく変動する術というのはそれなりに珍しく、他には中央教会の聖騎士階級以上の者が似た様な業を扱う。もっとも彼らの場合はそれを術ではなく奇跡と呼ぶのだが。

 

 ともあれそういう事情もあり、彼女はマッチポンプみたいな真似はしつつも生贄を捧げたとかいいだした緑の使徒を拷問して殺すなどしていた。

 

 それが英雄的かといわれれば全く、断じてそんな事はないが、なにやら他者には窺い知れない彼女なりの一線というものがあるようだった。

 

 まあ今回に関しては彼女はどちらかといえば良い事をしている……かもしれない。

 

 と言うのも、カミサマを全員ブッコロすという物騒な目標を掲げているヴィリは、世界中の神話なり伝承なりもよくよく調べているわけで。

 

 今回大森林で緑の使徒の護衛(といっても彼女自身が何人も彼らを殺してしまっているのだが)をつとめるに至ったのも、彼女が大森林にいるらしいというカミサマを探すためにふらふらしていた所、たまたま樹神が封印されている場所へたどり着き、たまたまそこに緑の使徒の一員がいて、たまたま彼女が馬鹿だから、たまたま説得されてしまい……という理由だ。

 

 なお、連盟の中には神降ろし染みた真似をする者がいるが、ヴィリとしては特に思う所はない。

 むしろ強い好意を向けている。

 なぜならその者は、カミサマを役立たずと断じて信仰を捨て去り、自分で神のようなナニカを作ったようなチャレンジャーである。ヴィリ的基準ではそれはアリどころか、骨太な行いに分類される。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

「森に放った者から報告があった。植物で構成されたような人型の魔物が多数出没している様だ。街を取り囲んでいる」

 

 グィルが眼鏡を拭きながらぽつんと言った。

 焦っている様子はない。

 

「落ち着いているのですね」

 

 ヨルシカが問う。その声色には、なぜこんな状況で落ち着いていられるのか、という非難の色も混じっている様に思えた。

 

 グィルは何の感情も籠もっていない目でヨルシカを見つめて口を開いた。

 

「鈍い。脆い。そんなものが千来ようが万来ようがどうとでもなるからだ。その様なモノに崩される程アシャラはそこまで弱くはない。兵も動く。冒険者達も。防げるだろう、暫くは。問題は本体の方だ。放って置けば手が付けられなくなる。あれは森そのもの。そして森は成長する」

 

 俺は長々説教したり挑発したりする事は好きなのだが、大事な時にウダウダと理屈をつけて行動までの時間を引き延ばす事は大嫌いだ。

 やるしかなく、そしてやると決めたなら、すぐにやるべきである。

 

「では行きましょう。グィル、貴方にも来て欲しい所です。ヨルシカ、公平に行こう。君と君の街の為に命を賭けてやる。君も俺の為に命を賭けろ。来てくれるな?」

 

 俺がそう言うと、ヨルシカはただ一言だけ答えた。

「勿論」

 



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アシャラ三百景

テキストからコピーできてない箇所ありましたので投げなおしました。すみませんぺこぺこ
おしえてくれた人ありがとでした!


 

「余り時間がない。都市を取り囲んでいる者共はいつ侵入してきてもおかしくないだろう。都市防衛の手筈は整っているが、森がある限り攻勢は収まらない」

 

それなら行くか。

諸々の覚悟は大体済んだ。

俺は懐に納めた手帳を服の上から撫で、ため息をついた。

 

──済んでいない覚悟もあるか

 

「では行きましょう。森へ」

 

みなが頷いた。

 

 

「חץ קסם」

 

グィルが草人間に人差し指を突きつけ、ぽつりと呟くとその水分の抜け落ちた枯れた指先から不可視の何かが放たれた。

その何かは草人間の胴体に大きな穴を空けるが、草人間は倒れる事なく此方へと向かってくる。

 

「魔術ではない…魔法ですか。しかしアレは人型ですが急所もまた人と同じとはいかないようですね」

 

俺がそう言うと、グィルは指を人差し指と中指を突きつけて先ほどと同じ様に呟いた。

「שרשרת של קרח」

 

するとグィルの足元から霜が走り、草人間へと向かっていく。

その霜はたちまちに草人間の足元から全身へ伝播し、みるみる内に動きが鈍くなっていく。

 

グィルがちらとヨルシカ、そしてグィルの護衛としてついてきたシルヴィスへ視線を向けると、2人は弾かれた様に飛び出した。

シルヴィスは短刀を握っているが、ヨルシカは何と素手だ。彼女は剣を腰に佩いたままだった。

 

1撃、2撃、3撃、4撃。

 

ヨルシカは右拳の正拳を頭部に、左の掌底を胸部に、右膝蹴りを腹部に繰り出した後、左の回し蹴りを側頭部へ叩き込んで締め括る。

 

グィルの魔法で凍り付きつつあった草人間はヨルシカの連撃でばらばらに砕け散る。

流石に破壊されてしまえばどうにもならないらしい。

バラバラになった草人間は動き出す様子もなく沈黙している。

あれを摸擬戦でやられてたら死んでいたな…。

シルヴィスはぽかんとした表情を浮かべ、"お見事"とパチパチ拍手をしていた。

 

──だが

 

「数が多いですね…まともに相手をしていたらキリがない。奥地へ一直線に。障害となる個体だけ始末しましょう。他の部隊も向かっているでしょうが、ご安心ください。不運には自信があります。自慢ではないですが、これまで何度も連続してこういった糞みたいな目に遭ってきました。我々が一番に封印の祭壇とやらを発見できるでしょうね。そして化物と喧嘩するわけです。まあ根拠はないですが」

 

俺は義手の手首を抑え、ぐっと内に向けて折り曲げる。

ガチャリといくつかの大振りの水晶がセットされた事を確認し、掌を進行方向の草人間へ向ける。

この義手はそれ自体が一本の高性能な術杖であるからして…

 

──空衝・渦

 

エアショック。

本来は衝撃波を前方に広く放つ協会式の術式だが、良質な触媒、及び義手内部に刻まれた古代語が術式に大きな増幅効果をもたらす。

 

結果はこれだ。

前方の木々ごと草人間達が吹き飛ばされていた。

例えるなら水平に小規模の竜巻を放った様なものだろうか。

 

勿論この腕を装着すれば誰でも術が使える様になるわけではない。

この義手はあくまでも高性能な杖として使えるだけであって、心得の無いものを術師にする効果はない。

 

「色んな意味で凄い。なんてものを腕に付けたんだ…ところで君って自慢じゃない事を自慢気に語るの好きだよね」

 

ヨルシカが何か言っているが黙殺。

グィルは無表情、無感情だし、シルヴィスもニヤニヤ笑っている。

面白いのはこれからおっぱじめるのかと言わんばかりのお前の服装だ。

 

勿論それは口には出さなかった。

 

◇◇◇

 

【挿絵表示】

 

大森林から不気味な緑の人型が次々現れる。

彼等の事を便宜上草人間と呼ぶ事にする。

草人間は最初はアシャラを取り囲む様にしていたのだが、次第に大胆な動きを見せる様になった。

つまりは、数を恃みにしての都市内部への侵入だ。

草人間達は動きは鈍いのだが非常に力が強く、軽率に挑みかかった都市の衛兵の胴を二つに引き千切る等、その人外としてのスペックを大いに見せつけた。

 

だがアシャラ政府は冒険者ギルドを始め、各ギルドと連携しこれに即応した。

その対応の早さは国として、1つの大きな組織としてこれ以上無いほどの速度であった。

 

ギルドマスターのグィルとアシャラ王が密な情報共有をしていたゆえである。

とはいえ、政府とギルドの予想を外す事も当然あった。

それはやはり、数。

 

草人間はとにかく多かったのだ。

 

◇◇◇

 

本来ならばグィルもアシャラ防衛にあたるべき、という声もあったのだが彼の言う"本体"を確実に討つために最大戦力を派遣しなければならないという現状もあった。

 

よって、現在冒険者ギルドを指揮するのは副ギルドマスターのボロである。

ヒト種坑掘人である彼はグィルの様に大きな魔法の力を有するわけでもなく。アシャラ王の様にカリスマがあるわけでもない。

土を佳くあしらい、アシャラの都市計画に深く関わる事務屋だ。

道を舗装したりだとか石壁に乾くと固まる粘土状のモノを埋め込むだとか、そういう術を使う。

 

都市のここを再開発したら次はここ、予算がこれくらいだから足が出ないようにここで採算をとる…そんな机上の戦に慣れている彼だが、この危地にあって実戦の指揮等を取れるのかといえば…

 

取れてしまった。

机上で何かを指定、指揮するという行為は案外彼に向いていたのだ。

 

やれと言われたらやるけど、できればよし、でも出来なければそれはそれでしかたない。だって上がやれっていったんだから…

などという割り切り方をしている彼は、次はあそこを守れ、ここに部隊を派遣しろ、そこを強襲しろというような指示をポンポン出していく。

 

状況報告はギルド直属上級斥侯があげており、その情報をもとに彼は地図をみながら仕事をしていく。

 

(犠牲もでるがそれはそれで仕方ない。必要経費だ)

 

◇◇◇

 

アシャラ政府もこちらはこちらでなんとか状況へついて行く事が出来ていた。

王宮の最後の守り、近衛騎士団のみを残して事態打開へ軍力を注いだ事に対しては賛否両論あったものの、余力を残して敗北というのが一番馬鹿らしい上に、なによりも逃げ場がないという事で反対意見を一蹴。

 

とはいえ、地理的に都市の境目が大森林と言う有様なので、防衛線をひくにしても水際作戦となってしまう。

ある程度の侵入、そして傷は許容した上で見敵必殺の構えを取る。

これは冒険者ギルドとの意思共有が既になされていた。

 

それに全てを都市防衛戦力としたわけでもなく、ヨハンらとは別動隊という形で何部隊かは大森林へ樹神討伐部隊として出発している。

 

これは民間側も同じだ。

討伐が失敗しても、また都市防衛が失敗しても敗北であるため、戦力の割り振りには最後まで悩んだ。

 

とはいえ事態はもう動いてしまっている。

後はなるようになれである。

アシャラ王は愛用の特大剣を見つめながら今頃森の奥地へ進行しているだろう娘を想った。

 

(生きて戻れ、娘よ)

 

◇◇◇

 

「ひええええええーーーーー!」

「ちょっとちょっと!マゴッチャ!叫ばないでよ!余計疲れるじゃん!」

「あっちだ!あの煙!合図だぞ!あそこへいく!合流地点だ!!走れ走れ!」

 

セドク、マゴッチャ、ファオ・シーはセドク以外は別の国出身だが、それぞれ理由がありアシャラへやってきた。

彼等は運命の導きかどうかは知らないが、偶然にも冒険者ギルドで出会い、なんとなく意気投合し、それ以来パーティを組んでいる。

 

斥侯のセドク

剣士のマゴッチャ

斥侯剣士のファオ・シー

 

そんな彼らは人生最大ともいえるピンチ…不運から、必死で足を動かす事で逃れようとしていた。

 

◇◇◇



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セドク

 ■

 

「方角はこのままで良い」

 グィルが呟く様に言った。

 

「ギルドマスターの仰る事を疑ってはいませんが、なぜ分かるのですか?」

 ヨルシカが首をかしげて質問をすると、グィルは自分の耳を指差し、そして胸……心臓の部分に手を当てた。

 

 シルヴィスがうんうんと深く頷いているが、ヨルシカは首を傾げすぎて圧し折れるかの如き有様だった。

 

「ヨルシカ、グィルは……そうだな……彼はハーフエルフェンだろ? まあエルフェンと俺達の目的とする存在はほら、ギルドでグィルが伝承を教えてくれただろう。その絡みで何らかの繋がりがあるのだろうな。だから、そう……何となく血が騒ぐとかそんな感じなわけだ。分かったかい?」

 

 俺が路上にうち捨てられた鼠の干からびた死骸にも劣る糞の如き説明をすると、ヨルシカは静かに首を振った。

「いいや、全く分からない。分からないけど分かった」

 

 ■

 

 良し。

 

 俺だって分からないし、恐らくだがグィルだってはっきりとは分かってない気がする。言葉で説明するのが面倒だから何となくジェスチャーしたのだろう。でもどうだろうな、グィルは真面目な術師っぽいからな。

 俺は結構適当な事を言ったりするが……

 

 その後ヨルシカはシルヴィスに“君は理解できたのかい? ”と言っていたが、シルヴィスは“分かるわけないでしょ”と返していた。

 

 しかしこうして奥地、と漠然と言われても辟易としてしまうな。

 グィルが何となく方角を察する事が出来るからまだ良いのだが、他の隊の連中は大変だろうに。

 

 ◇◇◇

 

「糞ッ! バラバラにしろってか!? キリがない! 燃やすか!?」

「馬鹿! 森で火を使うな!」

「凍らせろ! 凍らせて叩け!」

 

 

 森の奥地へ向かう別働隊……アシャラ第一騎士団分隊はそれなり以上に苦労をしつつ進軍していた。

 1度や2度斬りつけるだけじゃ全く堪えない化け物は、基本的に剣や槍を主武装とする彼らにとっては非常に相性が悪い。

 とはいえ……

 

「氷爆詠唱準備! 時間を稼げ! 奴等を水で濡らしておけ!」

 

 隊の指揮官である青年が指揮を飛ばす。

 アシャラ第一騎士団でも上澄みの魔術剣士である彼は、優れた術の業前と剣捌きで若くして上級騎士の座に収まった。

 

 アシャラは基本的には実力主義であり、汚職の類で身の丈に合わぬ階位を戴いている者が無いとは言えないが、それでも上層部の者で武もだめで文もだめ、なにもかもからっきしだめと言う様な者は存在しない。

 どれ程駄目であっても、それなり以上の能力は有している。

 

 ではこの青年はどうかといえば、駄目どころか優等生といっても過言では無かった。その実力のみで若くして上級騎士へ引き上げられた男だ。

 

 政治的な駆け引きなぞは不得手だし、生まれと育ちの良さゆえに世間知らずな面もある。

 要するにボンボンなのだが、真面目な上にやたら強いボンボンである。

 しかも婚約者が2人いる。

 

「盾構え! 僕の術でくたばるなよ!」

 

 ━━“氷爆”

 

 術の起動と同時に、青年指揮官は軽装鎧の下に身につけた数多くの装飾品の1つが砕け散った。

 触媒の許容する術の威力を上回った為だ。

 無理な術の使い方をすると、触媒がただの一度の術行使で破壊される事もままある。

 

 青年の起動した氷爆……フリーズ・エクスプロージョンは指定した座標を中心に氷の爆発とも言うべき冷気の奔流を引き起こす。

 そして隊員達が事前に草人間達を濡らした為、その被害はより大きなものとなった。

 

 草人間の群れの中心で発現させた為、寒波は隊の者にも及ぶが、彼らは盾を構え身を縮め防御姿勢を取っていた為大事はない。

 

「凍ったぞ! ぶったたけ! 砕けぇ!」

 

 騎士団員はメイスなりフレイルなりの副兵装なりで、凍りついた草人間達をボカボカとぶっ叩く。

 結局彼らは1人の犠牲もなく草人間の群れを殲滅してしまった。

 

(急がねば……出せる手札が無くなる前に)

 

 軽鎧の下に身につけている装飾品の数は多い。

 多いが有限だ。

 節約はしたいが、加減して仕留め切れる相手でもなかった。

 

「進むぞ! 遠目に見える奴らは放っておけ!」

 おう、という応えと共に彼らは再び森を進む。

 ・

 ・

 ・

 ヨハンの言う“他の隊の連中”はみな大なり小なり、このように苦労を重ねて奥地へ進んでいっている。

 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:セドク

 

 よし! 狼煙までもうすぐだ! 

 あそこまで行って合流……そして他の人達と一緒に戦うぞ! 

 って……

 

 ……あれは!? 

 

「じ、爺ちゃん、婆ちゃん!?」

 

 僕の目の前には今にも草の化け物に襲われようとしている二人の老人だった。

 僕の祖父母だ。

 なんで!? 

 戦えない市民は外に出るなって言われていた筈なのに! 

 

「み、皆! ごめん! 僕は……」

「いいから! 助けに行くぞぉ!」

「黙って走る!」

 

 仲間達は草の化け物に向かっていく。

 僕は良い仲間を持った……。

 

 草の化け物の大きさは個体差があるみたいだった。

 あるものは家くらいでかいけれど、あるものは大人の腰くらいの大きさだったりする。

 やたら大きいやつは少ないけれど、小さいやつはかなりの数だ。

 僕等は小さい奴なら何匹か倒せたけれど、それ以上の大きさとなると歯が立つ気すらしない。

 

 そして、僕等の目の前にいるのは大人くらいの大きさ……中型だった。

 

 ◇◇◇

 

 剣士の癖に微デブなせいで3人の中で一番足が遅いマゴッチャだが、一番小賢しいのもマゴッチャだ。

 

 走り出す最中、この距離では走っても間に合わないと判断した彼は、小振りな石を拾ってそれを草人間の目へ投げつけた。

 草人間に視覚があるのかどうかは分からないが、そんな事を考えて貴重な時間を無駄にするよりも、真っ先に行動して見せたマゴッチャは冒険者としての適正が高いのかもしれない。

 

 マゴッチャの投石は草人間の顔面へ吸い込まれ、その紅い瞳に見事に命中した。セドクの祖父母へ腕を振り上げようとしていた草人間はぐるりと3人の方へと向き直る。

 

 投石が草人間に痛撃を与えたかといえば、答えは否だろう。

 しかし草人間は3人組から先に排除する事を決めた様だ。

 人間で例えるなら、蚊が耳元で飛んでいるくらいの感覚だったかもしれないが……。

 

「見たかよ! どうした化け物! 怒ったか? 俺が大剣士マゴッチャだ! 地獄にこの名前をもっていきな!」

 

 マゴッチャが鉈の様な剣を振り回し、小盾を構えながら吠えた。

 

 ━━アンタ、剣は下手くそじゃん……

 

 ファオ・シーはそんな事を思いながらも握り締めた小剣の柄頭にはまっている石の濁り具合を見る。

 

 彼女の持つ剣は術剣と言い、簡単にいえば剣と杖両方の性質を持つ武器だ。

 とはいえ触媒は低位のものしか使えないし、杖としての機能を持たせたため剣の造りもやや粗い。

 発想は良いのだが、中途半端な性能ゆえに一定以上の階梯の者はこの手の武器を使う事はない。

 仮にこういう武器をまともな形で造ろうと思えば、それこそ湯水の如く金を使う事になるし、製作者も上級どころか特級の腕が無ければならないだろう。

 

 ━━でも、木だか草だかに浅く突き刺すだけならそれで十分

 突き刺して火の術式を起動してやる、そんな事を思いながらファオ・シーはぺろりと唇を舐めた。

 

 一方セドクは祖父母の前に走りこんでいた。

 構えるショートソードはいかにも頼りないのだが、2人に背を向け化け物と向かい合う孫の姿は、老夫妻の目にはそれはそれは頼りがいのある男の背中に見えた。

 

 ━━僕の得物じゃろくに傷つけられない事は分かってる

 ━━決め手を握っているのはファオだ

 ━━僕とマゴッチャはファオが一撃入れる隙を作らなければいけない

 

 行くと見せかけていかない、木の腕を浅く切りつける……

 セドクとマゴッチャはひたすら牽制に徹した。

 ファオはチクチクと草人間の表皮を突き刺すが、術起動にはどうしても多少時間が掛かってしまうため、中々タイミングを見出せない。

 

 草人間の振り下ろす腕が叩きつけられ、石畳が割れた。

 それを見た3人は一撃も貰ってはいけないと理解する。

 草人間には戦術も糞もない、膂力任せの攻撃しか手札が無い様だがそれでも3人にとっては脅威でしかない。

 

 勿論このまま粘ればいずれは応援も来るのだろうが……

 

「ぐ、えぇぇ」

 

 マゴッチャが盾の上から横殴りにされて吹き飛ばされた。

 生きてはいるが、速やかな戦線復帰は難しいだろう。

 

 にちゃり

 

 セドクの目には、表情筋もない草人間の顔がいやらしく嗤った様に見えた。

 倒れ付すマゴッチャの元に草人間が歩を進めていく。

 そこへセドクが立ちはだかった。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:セドク

 

 そこに突っ立っていたら死にそうだと思ったので、身を屈める。

 頭上を木の腕が通り過ぎていった。

 何となく、何歩か下がらないと死にそうな気がしたので後ろへ下がる。

 目の前の地面に木の腕が振り下ろされた。

 

 そんな感じでよく分からないけど、何となくやばいとか何となく良くなさそうだという感覚で僕は化け物の攻撃を避け続けていた。

 

 目に写るのは化け物だけだ。

 他の風景はボヤけてしまってよく見えない。

 化け物の姿だけが、くっきりと僕の目に写る。

 

 鼻を伝う生暖かい感触。

 さわって見てみると、その液体は赤かった。

 

 ◇◇◇

 

 剣が達者なら剣士になる、術が達者なら術師になる、ならば斥候は? 

 それを証明しているのが今のセドクであった。

 

 気が利くとか身軽であるとか気配を殺すのが上手いとか、そういうものは斥候として非常に重要な要素ではあるが、何よりも大事なのは勘働きである。

 他の者に気付けない些細な違和感や、嫌な気配を感じたらそれを避ける、こういうものを勘などと言うモノで解決してしまう、或いは指針を見出す。

 

 これが出来ない者に斥候の上澄みとなれる資格はない。

 

 とはいえ、戦闘中にこういった勘働きが働くものは非常に少ないが。

 いや、いるのかもしれないが、戦闘中における嫌な予感なんてものは要するに自らの死であり、戦闘の最中ならばこの死は間断なく降りかかってくるのが当然で、そんなストレスを受け続ける事は当人にとって非常な負担だ。

 そして本当の一部の上澄み……最上級である者らを除いて、その負担に耐えられるものはそうはいない。

 

 ◇◇◇

 

 草人間の攻撃を避け続けていたセドクが膝をついた。

 鼻からは夥しい血が流れている。

 

 そして、そんなセドクに草人間がゆっくり近付き、両腕を大きく上へ掲げ……振り下ろす事はなかった。

 

「セドクに!! 手をださないでくれこの化け物!」

 老夫妻が草人間の足にすがりついていたからだ。

 

 草人間に人間の様な感情があるかどうかは分からないが、少なくとも邪魔をされればそれを鬱陶しいと思う程度の情緒はあるらしい。

 草人間が手を老婦際の頭部へ差し向け、そのやわい頭を握りつぶそうとした所で

 

 なぜか膝をついた。

 

 足元には瓦礫の一部。

 ただの偶然だろう、しかしその一瞬の隙を若き術剣士娘ファオ・シーは見逃さなかった。

 

 ファオ・シーから放たれた低空から掬い上げる様な術剣の突きが草人間の胴へ突き刺さる。

 

 もちろんこんなものでは草人間に何の痛痒も与える事は出来ないのだが……

 振り払おうとした草人間が自らの体に起きている異変に気付く。

 

 たちのぼる煙。

「彼ら」が最も忌み嫌うもの。

 

 数秒をかけて起動された大発火の術式は、突き刺した術剣ごと草人間の体を激しく燃やし、後には焦げた植物の残骸が残された。

 

 ファオは息をつき、セドクを見る。

 老夫妻がすがり付いているが……どうやら生きてはいるようだった。

 

「術剣……燃えちゃったな」

 

 この鬱憤はマゴッチャのケツを引っぱたくことで発散するとしよう、とファオは再びため息をついた。

 ・

 ・

 ・

 老夫妻の足元には銅貨が落ちていた。

 なぜか、真っ二つに割れた銅貨が。

 




銅貨については老夫婦とヨハンの雑談の回を読んでください。なお老夫婦は孫を心配して外に探しに出ちゃった感じです。台風の日に田んぼ見に行くマインドです


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ヴィリ

 ■

 

 俺達は時には走り、時には早足、そして時には木々の陰に身を潜め、奥地へ向かって進んでいった。

 時折グィルがあちらへ行け、こちらだ、と方向を修正する。

 

 エルフェンの先祖がグィルの言う樹神の黄金の林檎とやらを取り込んだのなら、エルフェンと人間のハーフであるグィルにもまた黄金の林檎の残滓が残っているのだろうか。

 

 抽象的な事を言うのは余り好きではないが、いわば共鳴しているといってもいいのかもしれない。

 

 途中で何度か草人間との遭遇戦闘があったが、そのいずれも危なげなく済ませる。シルヴィスの1回剣を振って2回斬るという謎の技に少し驚かされたりした。聞いてみると、1回剣を振れば斬れる回数は1度だけという思い込みを咎められる。

 

 やがて俺達は森の奥地、やや開けた広場の様な場所へと出る。

 こういう場所は好きじゃないな……いかにもって感じがするだろう? 

 

「そういえば、あの赤いのと戦った時も……」

 

 ヨルシカが不穏な事を言い出したので、義手……術腕の方の腕で背中を叩く。

「痛ッたぁああ! おいヨハン! 君ねぇ!」

 

 ヨルシカが怒るので俺は術腕の掌で握り締めた大きな蜂モドキを見せた。

 刺されても死にはしないのだが、卵を産み付けられて数週間は傷口から小さい虫が湧いてくる。

 小さい虫はすりつぶすと傷薬に使えるが余り人気はない。

 

「わっ! ……あ、ありがとう……」

 

 うん、と頷いて、俺はグィルの方を見た。

 視線を追うと……まああれか。

 

 広場の中心に台座。

 辺りに散らばる草人間の残骸。

 そして、台座に腰掛ける見知った少女。

 近くに2人の男女も立っている。

 斥候服を着ているから、あれが行方不明の上級斥候とやらだろうか? 

 

 とりあえず話すかと向かおうとすると、シルヴィスが歩み出て行った。

 

 ■

 

「ベレン、イーナ。無事でよかったわ。お嬢さんが助けてくれたの? ありがとう」

 

 シルヴィスがそう言うと、隊長! と2人が駆け寄ってくる。

 まあヴィリは結構選んで殺す方だからな。

 取り合えず……

 

「よう、ヴィリ」

 

 俺は少女に手をあげて声をかけた。

 

 ■

 

「ヨハン君じゃん!! 久しぶりー、元気してた? 腕どうしたの? かっこいいじゃん! 両腕それにしなよ! 斬って上げようか? そうだ! ここ、珍しいお花沢山あるよ! っていうか聞いてよ、あたしさぁー、この森にカミサマがいるって話だったからきてみたんだけど、当のカミサマがグウグウと寝散らかしててぁー。ほらこれぇ! 干からびてるけど、こいつらが言ってたわけ。森の精気吸い込めばすぐに復活しますよおーって。でも待ってても全然復活しないじゃん? したらこいつら、なんか勝手に人間を生贄にしててさあー、そこの2人も生贄にされそーで、あたしなんかあったまきちゃってさ! 何人かぶっ殺しちゃったよ! カミサマだったら濁るからイケニエやめさせたかったんだけど、ちょいちょい前からやってたみたいでさ、どっからそんな方法覚えたんだろって思って拷問して聞いてみたら、なんか妙な男にそういわれたって! ばぁ──ーっかじゃねーのって! 妙な男って! 妙ってわかってんなら言われた事丸っと信じきってるんじゃねえよ! って思わない? でもなんか怪しいよなー。こいつらをそそのかした奴がいるってわけでしょ? ウチら絡みじゃないとおもうけどね、だってウチら人動かしたりしないし! 殺しも壊しも自分でやるじゃん? 何でも自分でやらなきゃ意味ないんだよ!」

 

「殺しも壊しも自分でやるべきだっていうのは賛同する」

 俺がそういうとヴィリは破顔した。

 

「だよねー!? 何事も自分の手でやらないと意味ないんだよね、そのへん分かってない奴らが多すぎてだめだよだめだめ! あたしさー……」

 

「なあヴィリ」

 

 ちょっと急ぎの用事があるので遮る。

 ヴィリはきょとんとしていた。

 

「そろそろ台座からどいた方がいいかもな。ほら、森が揺れてる。お目覚めだよ」



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樹神①

 ◇◇◇

 

 子供が斬り殺されている

 子供が焼き殺されている

 子供が砕き殺されている

 

 自らの体の一部にして眷族、そして子供とも言える異形らの声なき断末魔が樹神の神経を酷く逆撫でする。

 

 響き渡る絶叫にもはや耐え難いとばかりに、樹神は甘いまどろみの海から這い出ようとしていた。

 

 怒りの咆哮が空を割る。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 緑色の光球が台座から浮かび上がった。

 すると━━……

 

「木が……いや、森が吸い込まれていく……?」

 

 緑色の光の球が木々を吸い込み始めたではないか。

 木々が引き抜かれてバキバキと圧し折れ、緑色の球に集まっていく。

 幸いだったのは、その球があくまでも木々のみを吸い込んでいるという点だ。もし人間を吸い込む様なものならひとたまりも無かっただろう。

 

 次の瞬間にも何が起きるか分からないのだから目を離すべきではないのだけれど、私はヨハンを見てしまった。

 

 彼もまた光の球を見上げている。

 特に焦った表情を浮かべているという事もないが、彼の場合は安心出来ない。なぜならああいう表情で自分の命や周囲の命を勘定に入れるからだ。

 まあそれならそれでも構わないのだけれど。

 命を賭けてくれるといわれてしまったからには、命で応えねば女が廃る。

 

 ヴィリと呼ばれた少女との関係は気になるが、あれは男と女というよりは、家族のような気安さ……そして何よりも話が長い。

 連盟の術師なのだろうか? 

 それにしては術師然としていないが。

 私が彼女を見ていると、ヴィリは私の視線に気付いたのかこちらへ歩いてくる。

 

 怒らせてしまったか? 

 と私が心配した瞬間

 

 パチン! と尻を叩かれた! 

「痛た! ちょっと! どういうつもり……」

 

 私がそう言いかけるとヴィリという少女は酷く生意気そうな笑みを浮かべ、“あたしとヨハン君はそういうのじゃないから”とだけ言って再び緑の玉を見上げた。

 

「緊張感がない」

 

 グィルがぽつりと呟き、シルヴィスが頷いている。

 私が悪いのだろうか? 

 そうかな……? そうかも……

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 どうやら腹一杯食ってすっきり目覚めた様だ。

 目の前に鎮座するのは、周囲の木々……森の一部を食い顕現した森の神……らしきもの。

 さながら樹木で構成されたゴーレム…ゴーレムじゃないか。

 どうあれ、ウッドゴーレムとは訳が違うのだろうな。

 それにしてもデカい…

 

「言っとくけどヨハン君、アレは私一人で殺るから」

 

 ヴィリがそんな事を言う。

 知っていた。

 しかし本当にコイツは協調性がないな。

 ここは皆で殺る場面だろ? 

 

 とはいえ、それがヴィリの拘りであるならそこは尊重。

 だから俺は頷いて、ヴィリにエールを送った。

 

「ああ。しっかり殺りな」

 

 うん、と笑ってヴィリは駆け出していき、緑の光の更に上空へ飛び上がった。あれだけ飛べるなら今は大分気分が乗っているという事か。

 

 ヴィリは以前とある出来事が原因で落ち込んでいたとき、痩せた野良犬にさえ食い殺されそうになっていたが、気分があれだけ高揚しているのなら心配は要らないかもしれないな。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

 以前ブッコロした奴とはちょっと格が違うかも。

 でもだからどーしたっていう話で。

 英雄っていうのは出来るか出来ないかじゃなくって。

 やるかやらないかが大事だし。

 

「あたしはさぁー。お前らの事大ッッッッッ嫌いだけど、ナメたりはしないんだよねぇ。でもお前はあたしの事ナメてていいよ、油断ぶっこいたまま…………」

 

 ━━“英望顕現”

 

「くたァ……ばりィ……なァ!!!!」

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「くたァ……ばりィ……なァ!!!!」

 

 あの高さまで飛び上がった事は凄いと思うけれど、あそこから何をするのだろうと見ていたら、ヴィリが剣を振りかざし……叫びと共に……なんと、剣をぶん投げた! 

 

 ええ!? と思ったのもつかの間、剣は樹神に迫る毎に大きくなっていく。

 金属を大きくするなんてそんな馬鹿な事、いくら術でも可能なんだろうか? 

 

「アレは剣の形をした術だからな。まあ自由に出したり消したりは出来ないみたいだが」

 

 そんな私の疑問に答えるかの様にヨハンが言う。

 自由に出したり消したりは出来ない……え、でもそれならなぜ投げるのだろう。

 

 私の目が一瞬疑問に曇る。

 ヨハンはそんな私の目を見て、1つ2つと頷いた。

 

「何故投げるのか不思議かい? それは、ヴィリが馬鹿だからだ。彼女は剣を投げる事をカッコイイとおもってる。魂がガキなのだ」

 

 余りにも酷すぎる答えに私は愕然としてしまった。

 だがなんとなく納得……。

 私の反応を見てヨハンが続けた。

 

「ヴィリの術の根源は一言で言ってしまえば英雄願望だ。あのでかい剣の出所は……うーん。巨神殺しのシグリッド辺りの逸話かな……? アイツの術はその最大出力下において、自分が知る限りの英雄譚で使われている神器だのなんだのを自在に扱えるようになるというものだ。そしてその武器を振るうに相応しい身体能力向上をも齎す」

 

 極限られた時間だけね、と言うヨハンの言葉に私は驚きを隠せなかった。

 時間制限があるとしたってそんな無茶苦茶な術は聞いた事がない。

 それが本当なら(本当なんだろうけど)、歴史に名だたる聖剣や魔剣、神剣の類だって使い放題って言う事じゃないか。

 

 というよりそれは術なのか? 

 何か別の力なのでは……そういぶかしんでいると、グィルが口を開く。

 

「彼女も連盟の者だろう? ならばそれだけで説明がつく事だ。彼等は……そこのヨハンもまたそうだが、その全てが飢え、焦がれ、満たされぬ者達。すがれるのは己だけ。心に大きい大きい穴が空いているのだよ。そして術の神は……そんなものがいるとしての話だが、そういう哀れな者にこそ強く微笑む。私から言わせて貰えば、そんなものは神ではなく、悪魔だがね」

 

 ■

 

 グィルの説明をきいたヨルシカが何か哀れな者を見る目で俺を見てくる。

 屠殺前の子羊を見る子供の様な目を向けられると少し照れてしまうな。

 

 だが概ねグィルの言う通り。

 俺達は皆寂しがり屋なのだ。

 

 1人である事と独りである事は似ている様だが全く違う。

 世間の他の者達の事は知らないが、少なくとも俺達は皆独りである事に耐えられない。

 かといって上辺だけの関係を維持していく事にも耐えられない。

 他者の知るべきではない心まで知ってしまうその愚かさ故に。

 だから集まって家族ごっこをしている。

 いい年をして馬鹿みたいな話だが、それが偽りの無い事実だ。

 

 ならば一緒に暮らせばいいのかもしれないが、無理だろう。

 俺達は皆仲が良く、互いが互いを大切な家族だと思っている。

 だが、寄り集まれば殺し合うだろう。

 残念ではあるが、皆そういうねじくれ方をしている。

 

 大切な家族を殺さないため、そして大切な家族に殺されないために俺達は一箇所に留まる事はない。

 

 ……おお? ヴィリの剣が樹神の脳天をカチ割ってるな。

 だが、ううん……やはり植物が元なんだろうか? 

 頭を割られても、すぐにそこへ木々が寄せ集まって埋めてしまう。

 持久戦はヴィリの最も不得意とする所だ。

 術の性質もそうだし、あとヴィリ自体も短気な為である。

 

 ともかく樹神とやらもそしてヴィリも。

 手札はまだ何枚も持っているだろう。

 その手札が尽きたほうが先に死ぬのだろうな。

 

 だが目下の所の問題は、樹神復活により目的地を把握した別働隊の連中だ。

 もうすぐ来るんじゃないか? 

 戦力が増える事は嬉しいのだが、もし横槍でもいれようものならヴィリに殺されてしまう。

 

 ヨルシカにそれを伝えると顔を真っ青にして周囲を見渡し、グィルは呆れてシルヴィスに二言三言指示、それを受けたシルヴィスは部下の2人に更に何か指示を出していた。

 

 探知が打てるならいいのだが、大森林自体が樹神の領域の様でどうにも術が上手く起動しないのだ。

 

 俺も戦いはとりあえずヴィリに任せ、余計な死人が出ないように周囲を警戒するとする。

 



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樹神②

 ■

 

 それにしてもな、と思う。

 

 事此処に及んでは放置は出来ないにせよ。

 

 そして最初から放置していたとしても何者かが意図的に邪な形で復活させてしまっていたにせよ。

 

 あの樹神とやらが哀れだなと俺は思う。

 伝承にあるエルフェンとの絡みも、あの樹神はエルフェンに悪意を抱いて変容させたわけでもないのだろう。

 

 森で大人しく、ずっとずっと寝かせてやれば良かったではないか。

 望んでも居ない信仰なんぞ捧げられ、望んでもいないのに神の様なナニカに変えられて、人の都合で邪神等と呼ばれ、人の都合で封印される。

 ようやくゆっくりと休めた所を、木っ端の如き者らに叩き起こされ。

 ヴィリの話では、それも木っ端の使徒だか緑の使徒だかが何者かに手引きされ、そそのかされた結果だと言うではないか。

 

 それは怒るだろう。

 怒って当然だ。

 

 だが、まあ仕方あるまい。

 樹神は哀れだと思うが、放っておけばアシャラも森に飲まれてしまうのだろうし。

 

「やるせないですね、グィル」

 

 俺がそう言うと、グィルも頷いた。

「1つとして誉れのない戦だ」

 

 ご尤も。

 

 生存競争にロマンを求める程ガキではない積もりだが、分かりやすい悪役というのがどれ程気分良くぶち殺せるものかを改めて知った気分だ。

 

 とはいえ、殺る。

 誉れがあろうが無かろうが、気分が乗ろうが落ちようが知った事ではない。

 

 ヴィリが殺れればいいが、果たしてどうだろうな。

 

 

 ◇◇◇

 

 ━━気操剣グレモラ

 

 ヴィリの投擲した剣が樹神の脳天らしき部分を貫いた後、何かに操られたかのように反転し、その手に戻る。

 そしてヴィリは顔を顰めた。

 彼女は自身の意気揚々としたぶっころ死の気概に薄い靄が掛かっているのを感じていた。

 

(もっとイキった神なら殺る気もでたんだけどなァ)

 

 剣から伝わったのは樹神の心の在り様だ。

 人の運命を好き放題いじくり回して滅茶苦茶にする神をこそヴィリは嫌っていた。そんな神は全員ぶっ殺してやると意気込んでいた。

 その気概でぶっ殺した神はいずれも小神だが現に何柱もいる。

 

 しかし……

 

(コレ、どっちかっていうと……)

 

 そう、どちらかといえば……というより、確実に樹神は滅茶苦茶にされている側である。

 

 ━━忌風剣シャ・グ

 

 地に降り立ち、とりあえずとばかりにひゅんひゅんと剣を振り回すと、風の刃がぴゅんぴゅんと飛んでいく。

 それは樹神の身を覆うツタを何本か斬ったりはしたものの……

 

(うぅん……っと、と、と)

 

 振り回される巨腕をさけ、剣を振るうものの……なにやら本当にやる気がなくなってきてしまった。

 だがこのまましおしおと戦って居ても殺されてしまうので、無理矢理やる気を出す。

 

 ■

 

 ヴィリのやる気が余り無さそうなのも問題だが、何より問題なのは樹神が思った以上にしょぼいという事だ。

 

 いや、これは不敬か。

 

 そもそも戦いの神ではない。

 なるほど、森そのものがかの神であるというのなら、耐久力という点では厄介だろう。

 

 だが見ろ。

 

 ただただ腕をぶんぶん振り回すだけだ。

 ヴィリは何かを考え込んでいる様だがヒョイヒョイとかわしている。

 あんなものは俺だってかわせる。

 いや、少しは当たるかもしれないが、概ねかわせる。

 

「なあヨルシカ。どうおもう? アレ」

 

 俺が聞くと、ヨルシカは困った様な表情で答えた。

「倒せる気はしないけど、暫くの間だったら倒される気もしない」

 

 全く同感だ。

 あれはタフそうだが、それだけだ。

 だったらどうにでもなりそうな気がする。

 

 全てを真実だと仮定しよう。

 つまり、ヴィリが聞いた話が全て真実だったとして……あんなものを復活させて何になるのかという話である。

 緑の馬鹿をそそのかした何者かの意図を考えると……

 そもそも樹神は当て馬で……

 いや、待て待て。

 なんか景気の悪い考えを思い付きそうになってしまった。

 

 

「ねえヨハン?」

 

 ヨルシカが声をかけてきた。

 顔を向けると、彼女はこんな事を言ってきた。

 

「もし君がヴィリちゃんの言う“何者”かだったら、どういう意図で緑の使徒をそそのかす?」

 

 ん? 

 んん~……

 

 何もかも仮定の話になるが、と前置きして俺は答えた。

 

「第三勢力……この場合は樹神だが、それを使いアシャラの戦力を消耗させるため。もしくは樹神という存在が邪魔だから排除させようとしている……」

 

 景気の悪い結論を思いついてしまった。

 



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樹神③

 ■

 

「グィル、そういえばアシャラの防衛は副ギルドマスターに任せたそうですが。彼は実戦の指揮をとった事があるのですか?」

 

 ちょっと気になっただけだ。

 

「ないな」

 

 ないのか。

 

 1度も話す機会は無かったが、話によれば都市開発の責任者だそうだ。

 失敗が許されない場面で副ギルドマスターとはいえ、その様な重大な任務を与えるだろうか? 俺なら任せない。

 適材適所。これが冒険者だ。

 たとえ副ギルドマスターとはいえ、明らかに実戦経験に乏しいのなら別の者に任せる。

 人材なら幾らでもいるではないか。

 

「グィル、貴方は森を進んでいる時、魔法を使っていました。それはエルフェンの血を引いているからだと思っていたのですが……つい先程1つ思ったのです。魔法は何も、エルフェンの専売特許ではないな、と」

 

「それで?」

 

「グィル、貴方は見てきたかのごとく樹神の事を語りました。実は、本当に見たことがあるのではないですか……? ギルドルームでの話です。まあそれは置いておくとしても、我々は樹神の封印されている台座まで迷わずにたどり着けました。あなたのお陰で。しかし、そこまで知っていながら何故緑の使徒の跋扈を許したのです?」

 

「もう一つ聞きたいのですが、グィル。貴方はルイゼに……「もう良いよ、ヨハン。死になさい」貴様がな

 

 グィルが人差し指を俺に向ける、が、俺は既に拳を地面へと叩きつけていた。

 

 ━━雷衝・散

 

 術腕から電撃が迸り、周囲へ弾け飛ぶ。

 ギャッという声が背後からした。

 シルヴィスの声。

 やはり回りこんでいたか。

 

「ヨルシカ! 黒幕はこいつ等だ!」

 

 俺が声をあげると、彼女は既に走りこんできており、吹き飛び膝をついたシルヴィスの即頭部に蹴りを放っていた。

 だがその蹴りはシルヴィスの掲げた腕に防がれる。

 

「いつから気付いていたのだね?」

 

 グィルが問いかけてきた。

 ちっ、無傷か。

 魔法か? 

 即時起動の術式より早いというのは反則だ……。

 

「気付くも何も……貴様が自爆しただけだよ、グィル。俺は“疑問”を口にしていただけだ。それを勝手にバレていると勘違いしたのは貴様だよ」

 

 食えない奴め、と俯くグィルからは、しかし……宙にじわじわと染み入る様な殺気がもれていた。

 バレたからって降参する様なタマでもあるまい。

 

 ちなみに、俺は本当に気付いていなかった。

 ルイゼの師匠みたいなものと分かってから全く警戒していなかった。

 

 死になさいと言われたから体が勝手に反応しただけである。

 俺は俺を殺そうとする奴がいたら、念の為に殺しておかないと気が済まないのだ。

 それから先の俺のセリフは、その場で考えて発したに過ぎない。



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樹神④

◆◇◆

 

SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

横薙ぎの一撃を跳ねてかわす。

 

━━空兎剣ラヴィリス

 

空中を蹴り、蹴り、蹴り。

後頭部っぽい場所を剣で一撫で。

 

全然堪えていない様だけど、あたしもなんだかやる気が出ない。

あたしの術はこーゆー時、あんまり強くない。

 

やっぱりヨハン君にも手伝って貰おうかな…って…

 

んー?

仲間割れ?

事情を聞きたいけど、ちょ、っと、この!

 

でっかいのが!

 

邪魔!

 

馬鹿!

 

 

術腕の手首を握り、ぐっと内向きに回す。

 

「面白い玩具だ」

ふん、とグィルが嗤う。

 

「俺が死んだ場合、死体は爆ぜる。そして半径50キロルに渡って族すら腐敗させる呪いの丸を周囲へ振りまく仕掛けを組んである。俺は腐れ果てる貴様の姿を等席で見させて貰う。まあ行き先は地獄だろうがね。俺も色々しきた。れでもおれってみるか?さまがこんな真似してまで焦がれる目的が何かは分からないが、っかくなら冥土の土産に聞いてやるぞ」

 

俺がそう言うと、馬鹿な真似を、とやや警戒した様子を見せたので…

 

「嘘だ、グィル」

と言った。

 

グィルの目がやや険しくなった。

苛立ったのかも知れない。

 

「だが……グィル。俺は貴様の術の業前は俺よりも上だと思っている。そんな俺が何も策を打たずに殺し合いの火蓋を切るだろうか?」

 

俺は指を人差し指を一本立て、にやつきながらグィルへ尋ねる。

まあ切ってしまったんだが、この辺は俺のせいじゃないと思う。

 

「ヨハン、君の話を聞く事はやめにするよ、今すぐ死になさい」

グィルが指を三本立てた。

その指が俺の方を向けられる前に、俺が人差し指を向ける。

 

━━爆炎弾

 

グィルが目を見開く。

だがもう遅い。

 

指に灯った火種はみるみる内に膨れ上がり、巨大化し、グィルの元へぶっ飛んでいった。

 

「מַחסוֹם…ッ!」

 

グィルが何事か呟くと半透明のヴェールの様なものが一枚二枚と展開されるも…やはり遅い。

 

火球は障壁が形成しきる前に着弾し、大爆発を起こす。

 

「う、うおおおおお!」

俺の叫び声だ。

ちょっと着弾点が近かった。

 

交戦中のヨルシカとシルヴィスは一時殺し合いをやめてぽかんとしていた。

 

まあダメージは与えたかもしれないが…

 

「ぐ、う…な、なぜ…詠唱は…していなかったはず、だ…」

煙の中から全身に火傷を負ったグィルの姿がよろよろと現れた。

 

「していたとも。貴様が間抜けだから気付かなかっただけだ」

 

爆ぜる 魔 弾  特  行き て そ を 殺き 焦が せ

はぜる ま だん とく ゆき て そ を やき こが せ

 

ってね…。

詠唱とは時には堂々と朗じ、時には会話に潜ませるものだ。

恐らくグィルは殺し合いが上手くないな?

最初はちょっと厳しいかなと思っていたが、案外いけるかもしれない。

だがもう少し挑発しておこう…。念の為だ。

 

「グィル、術の業前は貴様の方が上だったとしてもだ。殺し合いが俺より上手い術師はそうはいないぞ。ところで、いつまでエルフェン面してるんだい?別にもう正体を言ってしまってもいいんだぞ。ちなみに、これは余談なんだが、俺が前に殺した魔族もお前みたいに手玉に取れたよ。魔族殺しは楽でいい!人間の様に策を巡らせて来ないからな。その魔族は女だった。四肢を引き千切って揚げてやった!旨かったよ。お前はどんな味がするんだろうな」

 

魔族殺しは糞大変で二度とやりたくない。

そして魔族を食べた覚えもない。

ただの嫌がらせだ。

 

 

◆◇◆

 

SIDE:ヨルシカ

 

ヨハンがまともに戦っている所初めてみたかも…

 

 

 

 

 

 

 



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急展

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 まともに……と言ったら語弊があるかもしれない。

 私はグィルとそこまで面識はないけれど、彼は優れた術師だというのは分かる。

 

 森で見た彼の術(ヨハンが言うには魔法……私には違いは分からないけど)には少し驚いた。

 私が見てきた術と言うのは詠唱がつきものだったからだ。

 

 勿論、詠唱を必要としない術もあるみたいだけれど、ヨハンが言うには力の引き出し先が違うのだと言う。

 

 ヨハン達が何を話していたかは分からないけれど、彼の事だ、何かハメ手みたいなものを使ったんだろう。

 グィルが優れた術師なら、真正面からあんな風に術を受けたりはしない筈だ。

 

 先の模擬戦やヴァラクでの戦いを思い返すと、彼は策を巡らせる事を好むみたいだし……つまりはグィルもまたヨハンの策に嵌ってしまったと言う事なのだろう。

 

「それで、どうする? 続けるかい?」

 

 私がシルヴィスに訊ねると、彼女は私を警戒しつつもちらちらとグィルの方を見て……やがてハァとため息をついて戦闘態勢を解き、気だるそうな様子で口を開いた。

「貴女のカレは私が相手すればよかったかしらね。マスターは……いえ、グィルは真面目すぎるのよ。殺し合い向きの性格じゃないわね」

 

「カレって!? 違うよ! 彼は友人だ!」

 そこは断固として反論。

 シルヴィスはそんな私を鼻で嗤って、“今はそうでしょうね”と言った。

 

 そして、それにしても、と続ける。

「グィルがあんな調子なら多分貴女達をどうにかするのは無理ね。万が一どうにかできても……」

 

 ほら、と目線を宙へ向ける。

 その視線を追うと、ヴィリちゃんが空中を跳ね回りながら色々やっていた。

 色々、というのは言葉そのままの意味だ。

 

 空中を切ったかと思えば斬撃が樹神の体を傷つける。

 樹神がいくら腕を振り回しても彼女には当たらないし、当たりそうな一撃はどこから取り出したか知らないけれど盾で受止める。

 剣が分裂して矢の様に何本も樹神の体に突き立ったかと思えば、剣自体が縦横無尽に空を駆け回る……

 

「あの子。滅茶苦茶過ぎて無理ね。あんな子がいるなんて、グィルどころか、アイツにだって予想できていなかったと思うわ」

 

 シルヴィスの言葉に、私も頷かざるを得なかった。

 ただ、気になる単語が1つ……。

 

 ━━“アイツ”? 

 

 ■

 

 グィルが歯を食いしばり、指を俺に向け魔法を使う。

 彼が気付いているのか気付いていないのかは知らないが、魔法は確かに脅威だ。触媒を使わない、そして連射とは恐れ入る。

 

 脅威なのだが、指を向けて使うというのはいただけない気がする。

 向けた瞬間に魔法が起動するなら多少はマシだが、向けた後に起動魔法を選択するなら……

 

 ◇◇◇

 

 グィルの放った魔法はヨハンによって悉くかわされた。

 不可視の矢、地を這う霜、振るわれる炎の鞭、そして雷撃。

 その全てがかわされ、防がれ、いなされた。

 

 詠唱間隔の短さゆえにヨハンからの反撃は無いが、己の打つ手がこうも外される事にグィルの焦りはじわじわと大きくなっていく。

 

 火傷の影響も大きい。

 彼もハーフエルフェンである以上、普段なら森の精気を多少なり吸収し、その傷を少しずつ癒せるのだが、周辺の精気は樹神が吸収してしまっている。

 だから絞り粕の様なそれをチビチビと吸収しているわけだが、そんなものでは到底グィルの大怪我は癒しきれるものではない。

 

 そしてこれが一番深刻な事なのだが……

 グィルの魔力も無限ではないという点。

 グィルとヨハンの戦いの終着点がどちらかの、あるいは互いの死にあるとするならば、グィルは今、急速に死に近づいていた。

 

 ■

 

「ぜっ……ぜっ……ぜっ……」

 

 グィルの息遣いが荒い。

 ……もしかしてなのだが、グィルは魔族ではない……? 

 魔力任せで雑な戦い方なのは魔族と同じなのだが、息切れが早すぎる。

 連中はこの位じゃ息1つ乱さない。

 それに、魔法だけじゃなく身体能力任せの接近戦も仕掛けてくる。

 

 俺はてっきりグィルが魔族だと思っていた。

 だから戦ってるうちにコイツの目も黄色だったり赤だったり青だったりに変わるんだろうな、と……グィルの目に変色は見られない。

 肌にもだ。

 連中の肌は青い。

 

 連中は姿を偽る魔法も使える。

 だからこうして甚振っていれば、グィルは偽装を解きその正体を見せると思っていたのだ。

 

 ほら、エル・カーラの間抜けの様に。

 だがそんな様子は一向に見られない。

 

 だとすると、グィルは本人の申告通りハーフ・エルフェンか? 

 ならなぜこんな真似をする? 

 森の伝承に何か関係があるのか? 

 

 それとも……

 あるいは……

 

 樹神を緑の使徒達は良い様に使おうとしていた。

 緑の使徒達をグィル達は良い様に使おうとしていた。

 ならばグィル達を良い様に使おうとしていた者が居てもおかしくないのでは? 

 

 グィルに聞いてみようと何度か声をかけたのだが、全部無視されて攻撃されてしまう。

 

「おい! グィル! 話をきけ。大事な話があるんだ。大丈夫だ! 何もしない! 話をするだけだ! 俺を信用しろ!」

 

 返答は一条の雷撃である。

 横っ飛びにかわす。

 

 人の話を遮り魔法をぶちこんでくるとは……育ちが悪い奴め! 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:グィル・ガラッド

 

 ヨハンの話は毒だ。

 耳を傾けてはいけない。

 口を開かせるな、すぐに殺すのだ。

 

 だが、それが出来ない。

 魔法が当たらない。

 もう余り無駄撃ちが出来ない。

 だからといって術を使おうにも、素振りを見せればヨハンが術を撃ち込んでくる。

 

 体が痛む。

 火傷が引き攣れる。

 

 シルヴィスの方へ目を向けると、あの女は戦おうとすらしていない。

 戦いを放棄したか。

 彼女はまだ若い。

 だから余裕があるのだろう。

 

 だが私には余裕がない。

 もう時間がないのだ。

 しかし、自死等はごめんだ。

 私にはまだやりたい事が沢山ある。

 行きたい場所、読みたい書が幾らでもある。

 体の寿命は伸ばせる。

 しかし心の寿命は延ばせない。

 

 この身に流れる僅かなヒトの血が、私の、いや、我々の“アレ”を抑えてくれていた。

 だがもう限界だ。

 心がポロポロと崩れていく感覚は悍ましいものだ。

 だが何を試してもこの崩壊に歯止めをかける事が出来なかった。

 

 私は“あんなモノ”に成り果てたくない。

 絶望の日々。

 そんなある時、奴等の一人が現れた。

 奴等の手となり足となり働けば、この身と心を捨て去り、生まれ変わる事が出来る……そう約束してくれた。

 だから、だから奴等の駒に成り下がったと言うのに。

 

 

 ◇◇◇

 

 なりふり構わず魔法を放つグィル。

 グィルという器になみなみ注がれた魔力という水の嵩が減り続け、やがてその底が見えてしまってもなお必死でヨハンを殺そうとする姿。

 

 無様と言うべきか、哀れというべきか。

 もはや勝敗はついている様に思える。

 

 そんなグィルに対して、ヨハンは決して侮る事は無かった。

 ヨハンは知っている。

 真っ向から小細工抜きで術勝負をしたならば、自らの業前がグィルという偉大な術師のそれには及ばない事を。

 

 侮ってはいない。

 しかし迷ってはいた。

 だがその迷いも一瞬の事。

 ヨハンはグィルを殺さず、口を割らせる事に決める。

 殺意をもって襲い掛かってくる相手を殺さずに無力化するというのは案外大変だ。段取りを必要とする。

 ヨハンがその意識を僅かに段取りを組む事に割いた。

 

 それが原因だったからかどうかは分からない。

 ともかく、ヨハンはグィルの背後からその胸を貫く青い腕を止める事が出来なかった。

 

「使えぬ男だ。だが最後に役目をやろう。お前がアレの餌となれ」

 

 グィルの胸を貫いた乱入者は血を吐くグィルの首を掴み、樹神へと投げつけた。樹神に衝突したグィルの体は瞬く間にツタに覆われ、取り込まれていく。樹神の体の隙間から手を伸ばすグィルだったが、やがては力を失い、その手もすべて飲み込まれてしまった。

 

 凄まじい膂力を見せグィルを殺した乱入者……

 

 それこそが

 

「魔族か」

 ヨハンが問う。

 

「下賎。口を開くな」

 魔族が答えた。



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準備運動

 ◇◇◇

 

 下賎ね、とヨハンは内心笑った。

 影でまあコソコソと、と。

 

 余程自分の手際に自信がないのか? 

 駒を使う事自体は否定しないが、駒に任せて上手くいかなかったからその駒を壊すなど、まるでガキの癇癪ではないか。

 

 ヨハンは心底から魔族を蔑んだ。

 その侮蔑が表情に出ていた……あるいは出していたからであろう、魔族はその表情を顰めた。

 

 だがヨハンは魔族の品性をこそ侮蔑してはいたが、その力を些かも侮ってはいなかった。むしろ準備も何もしていない、しかもヴィリに抑えられているとはいえ、樹神等というモノが暴れている現状でこんなモノと殺り合わねばならない不運を嘆いていた。

 

 悪魔であるなら1度格付けが済めば何と言う事も無いかもしれないが、相手は悪魔に似たような事が出来る存在だ。それは悪魔と同じである事を意味しない。

 かつてヨハンが魔族を仕留めた時は相応に準備をしてから嵌め殺したのだ。

 今とは訳が違う。

 

 ■

 

 先ずは見。受け。備え。

 

 俺は手帳からすらっとした花穂の赤く豪奢な花を取り出す。

 

 ━━備えよ。目を見開き、音を聞け

 

 注意力向上の加護。

 普段なら気にせず流してしまう様な事へも意識が向く。

 つまり、視野が広くなる。

 調べ物や探し物をする時に便利な術だ。

 

 そして術腕に触れる。

 後は仕掛けだけだが……

 

 左右から影が飛び出し、魔族へ向かっていった。

 タイミングが良い。

 ヨルシカ、そしてシルヴィス。

 ヨルシカは分かる。

 だが何故シルヴィスは魔族に向かっていくのか? 

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:シルヴィス

 

 グィルがアイツにあっさり殺された。

 その時点で私の立ち位置は“こっち側”になる。

 なぜって、グィルをああいう風に捨てるなら、私も遅かれ早かれの話だと思うから。

 それと心情的な問題。

 グィルは混ざり者だけど、それでも同胞だった。

 

 勿論“こっち側”に立ち、この戦いに勝っても私の未来は明るくないだろう。でも、同じ殺されるにしても魔族に殺されるのと彼らに殺される方なら、まだ後者の方がマシそう。

 

 ナイフを投擲。

 そしてもう一本。

 最初のナイフと、同じ軌跡で。

 

 ◇◇◇

 

「קוצי אוויר מקיפים אותי, רעמים זורמים」

 

 魔族は多節からなる魔法を詠唱した。

 難易度は跳ね上がるが、魔法は複数の効果を同時に発現させる事も出来る。

 ただし、増やせば増やす程魔法は不安定となり、成功率が下がる。

 更にはそれぞれ単独で使うよりもはるかに多くの魔力を使用してしまう。

 

 この時魔族が使ったのは空気の茨、そして複数の落雷の意味合いを持つ多節魔法だ。

 

 その瞬間、魔族を目に見えない何かが覆った。

 そこへシルヴィスが投げ放ったナイフが硬質な音を2度立てて弾かれる。

 剣を抜き近接戦を挑もうとしたヨルシカだが、シルヴィスのナイフが弾かれるのを見た為、魔族の背後に回りこもうとした。

 

【挿絵表示】

 

 ここで雷撃が起動。

 小規模の落雷がいくつも周辺に炸裂。

 無差別だからこそかわしづらい。

 

 シルヴィスもヨルシカも、ヨハンも雷撃を受け膝を突いてしまう。

 2種多節魔法などは魔族にとってはちょっとした挨拶……下等生物を嬲り殺す前の準備運動に等しいものだった。

 

 それでも被ったダメージは大きかった。

 

「להבה כחולה」

 

 電撃を浴び、呻くヨハンに魔族の掌が向けられる。

 その中心に蒼い火種が灯るとそれは空気を取り込みあっというまに人の頭程の大きさとなった。

 

(あ、れは……ま、ずい……ヨハン……!)

 

 ヨルシカが懸命に体を動かそうとするが、痺れのせいで上手く体が動かせない。シルヴィスもまた同様だった。

 せめてあと5呼吸、いや3呼吸あれば動けるのにと悔やむが、もう次の瞬間にはヨハンは焼き殺されそうな、そんな切迫感。しかし

 

 ──隆起せよ……

 

 ヨハンの囁く様な声が聞こえる。

 

 それは協会式の術の中でも非常に簡単な……単純な術。

 地面に石の塊を隆起させる、ただそれだけの術。

 単純ゆえに、ある程度研鑽を積んだ術師なら泥酔してようと失敗せずに使える程度のくだらない術だ。

 激痛で集中力が乱れている今のヨハンでも、当然術は成功させ、石の塊を魔族のやや後方に隆起させた。

 

 だがそれが何になると言うのだろうか? 

 そんなもの、普通は気付かれもしない。

 

 だが、魔族はその石の塊へ目を向けた。

 つまり、後ろを振り向いたのだ。

 そしてまじまじと石の塊を凝視している。

 魔族の注意力は今不自然なほどに向上している。

 ヨハンの加護がそれを為した。

 呪いの類は弾かれる。

 格が余りに違う為に。

 だが、加護なら? 

 

 ヨルシカの目が見開かれる。

 拳で地面を叩き、反動で起き上がると走りこんだ。

 

「せぇぇえええ!」

 

 そして、蹴り上げ一閃。

 魔族の手をヨルシカのつま先が蹴り飛ばし、ヨハンに向けて投射寸前だった蒼い炎球は上空へ逸れた。

 

 そして、蒼い炎球は空で爆発を起こす。

 それは先にヨハンが使用した爆炎弾などは及ぶべくもない規模の爆発だった。

 

 一瞬呆気に取られた様な魔族だったが、すぐにヨハン達へと意識を向ける。

 だがその時には既にシルヴィスもヨハンも構えを見せており、ひとまず状況をリセットする事が出来た。

 

 見かけ上は……だが。

 



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花界

◆◇◆

 

SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

「ちょぉ!なんでいきなり暴れまくるわけ!?早!早い!早いよ!!ヨ、ヨハンくーん!!って、やば!なにあれ!?青い!青い奴に負けそう!助けに行きたいけれど…あたしも負け……ない!大体てめェ、何度あたしが斬ったと思ってるんだ!不死か?不死なのか?上等じゃん糞ッたれ!ちんたら殺りあってる暇(と余裕)はもうないからさぁー!これで死ね!あと最初に勘違いして攻撃しちゃってごめんね!」

 

【挿絵表示】

 

━━月割りの魔剣ディバイド・ルーナム

 

それはヴィリの顕現させられる剣の中でも、特級の不死殺し。

不死身の月魔狼フェンリークを殺した神秘はあらゆる不死たる存在に死を上書きする。

 

ヴィリが高く剣を掲げると、青白い光が発され刹那の瞬間真円を描いた。

それはさながら満月の様で。

そして満月に罅が入り、粉々に砕け散る。

砕けた光の粒子は剣に集束し、ヴィリは樹神へそれを振り下ろした。

これぞ不死殺しの一閃、月光剣。

 

月光の刃は樹神を深く切り裂き、樹神はその動きを止め…ることは無かった。

動きは大分鈍ってはいたし、大きなダメージを与えたと見る事も出来る。

だが普通に生きていた。

 

「な、なんでぇーーーーーー!?」

 

ヴィリは目の端に涙を浮かべながら絶叫した。

 

当たり前の話なのだ。

別に樹神は不死の存在と言う訳ではない。

森の命を吸収凝縮した存在なわけで。

まあちょっと不死っぽいかなーと言えなくはない。

だからディバイド・ルーナムの一撃を受けても結構ダメージを受けた、くらいで済んでしまった。

 

それにヴィリ自身のコンディションもある。

相手が憎むべき、殺すべき傲慢な神であるならヴィリの一撃は今の比ではなかったかもしれない。

だがそうではないと先の攻撃でわかってしまっていた。

 

なんだったら神と断言する事すら憚られる。

神のような神じゃない様な、しかも別に偉ぶってなどはいない、ただ森で静かにしていたかっただけの存在なのだ。

 

もうその時点で英望顕現は効果が減衰している。

そして、減衰どころか…もう維持する事すらギリギリという有様であった。

だからヴィリは叫ぶのだ。

 

「ヨ、ヨハンくぅーーーーーん!!!ごめん!駄目そう!そろそろ限界!で、でもほら見て!大分弱ってる…かも…?」

 

 

糞馬鹿野郎が!!!!!!!!

なにが1人で殺るだ、メスガキめ!!

こっちは1人に殺られそうだよ!!

 

しかし分かってはいたが強い。

 

「余り時間がないみたいだな。俺と戦い、あの玩具と戦う余裕があるのか?それにしても面白い事をするな、下賎。もう少し見せてみろ」

 

魔族…肌の色を抜きにすれば20代も半ばの青年と言った所。

どれ程生きているか分からないが、魔族としては若い個体なんだろう。

それにしては魔法の使い方がこなれている。

 

「魔族と戦った事はある。だがお前程強くはなかった。なぜお前程の個体が果ての大陸から出てくる?かの大陸に張り巡らされた縛鎖はかつての勇者がその命を触媒として構築したものだ。お前の様な存在が…っぬ!」

 

俺は途中で話をやめた。

何かが俺の額を強打したからだ。

額から血が垂れるのを感じる。

 

見れば魔族は口をややすぼめていた。

要するに…ただの息である。

アホか。

 

「そういう使い方をする事は見ていたからな。だがその涙ぐましい努力に免じて1つ答えてやろう。縛鎖は緩んだ。と言っても…この俺がそのまま出てくる事は出来なかったが…化身くらいはな。この通りだ。当代の勇者は余程たるんでいるらしいな、ふ、ふ、ふふふ。お前は少し面白いな、下賎。名を聞いておいてやろう」

 

と、そこで魔族がふと気を逸らした。

 

沢山の人の声。

足音。

 

「下賎、これを待っていたのか?数がいれば俺を倒せると?まあ良い。今の時代の人間の力がどの程度のものか見ておくのも一興よ」

 

視線の先には騎士らしき格好の一団がいくつか。そして冒険者の一団がいくつか。別働隊が到着したのだ。

 

だが…

 

「ヨハン。勝てるとおもうかい?」

 

ヨルシカが聞いてきた。

俺は考える。

援軍を数に入れた上で、真っ当にぶつかり合った場合、どうなるかを。

 

「無理だな。ヨルシカ。普通に戦えば…そして策を巡らせても勝てないだろうな。無残に皆殺しだよ。それだけの差がある。以前始末した魔族とは違う。だが、かといって大人しく殺されてやる道理はないよ。何とか考えてみるさ…」

 

あるいはチャンスがあるのではないか?

ある程度の犠牲を許容すれば?

或いは自らの命を使ったとすれば?

ヴィリがいれば勝てるか?

 

まだ諦めてはいないが、しかし。

この期に及んでまだ迷うと?

 

ヨルシカは“そうか”と苦笑した。

 

「どうにも此処で終わってしまいそうだ。だったらまあ、いいか。ヨハン、作戦がある。耳を貸せ」

 

脳筋の考える作戦に興味があったので、大人しく耳を貸す。

すると頭をつかまれ、そのまま唇になにやら柔らかいものが押し当てられた。

 

シルヴィスの鬱陶しいキャーキャー言う声が聞こえる。

アホか。

 

「さあ!これで思い遺す事はないな。アイツを倒そう!」

 

なんだか気が抜けてしまった。

魔族を見ると面白そうにこちらを見ている。

余裕の積もりだろうか。

いや、余裕なのだろうな。

 

まあこの時点でもう使う事はほぼ決めていたのだが

 

「そういえばお前たち下賎は、愛し合う者だとか家族だとか…そういうモノを殺されるとより強くなる面白い生き物だったな」

 

そんな魔族のセリフで、ああもうこれは仕方が無い、と腹を括った。

俺は手帳を取り出すと、術腕で火種を出し、それを燃やす。

糞、全てが終わったら協会式の術を学びなおさなくては…

 

「ヨ、ヨハン!?一体何を…」

 

親殺しだよ、ヨルシカ。自慢じゃないが2回目だ。

俺はヨルシカに内心で答えると、起動の言葉を呟いた。

 

「“花界顕現”」



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花咲き枯れ逝く永遠の花界

◇◇◇

 

ヨハンの持つ手帳が燃える。

手帳は灰となり散っていく。

そして、散り行く灰は空へと舞い上がり、粉雪の如くその場へ降り注いだ。

ヨハンの“花界”はこの行程を経て世界を上書きする。

 

【挿絵表示】

 

魔族の目の前には、いつのまにか広大な花畑が広がっていた。

空は青く、風は爽やかで。

地平線の果てまで広がるのは、それは大きな大きな花畑。

 

 

対象としたのは魔族、そして樹神。

だが俺はこの術を使いたくなかった。

叶うならば俺が死ぬその瞬間まで。

とはいえ仕方が無い。

 

俺は甘く、同僚の話ではちょろい性格との事だ。

確かにそうかもしれない。

 

切り札を切らされる羽目になったのは目の前の糞魔族のせいか?

いいや、ヨルシカのせいだ。

 

◇◇◇

 

「…ここは何処だ?下賎。何をした?」

 

魔族が口を開く。

その様子に先程までの余裕は見られない。

樹神は沈黙している。

先刻まで見せていた狂乱が嘘の様だった。

樹神を侵した“毒”が此処へ踏み入る事をヨハンが許可しなかったからだ。

 

「ここは花界と言う。俺の世界だ。ところで…見ろ、美しい花畑だろう?この白い花は1年の内、極々限られた時期…春と夏の境の数日間しか咲かない。煎じれば頭痛に効く薬となる。俺の母が好きだった花だ。ここではどんな花だって望めば見る事が出来る」

 

ヨハンが屈み、その手に白く小振りな鈴のような花穂が連なる花を摘み取り、魔族へ見せた。

 

魔族はそれに答えず、掌を合わせる。

「התנהל ברעמים שואגים, נטיפי קרח ונשמת אש. לערבב יחד. תהרוס הכל」

 

魔法はまたたく間に完成し、雷が轟き、氷嵐が吹き荒れ、鉄をも溶かす灼熱の炎が辺り一帯を薙ぎ払う…事はなかった。

失敗でもない。

魔力の発露すらも起こらなかったのだ。

 

「俺に何をした!下賎。答えろ!」

 

魔法が使えぬならばと拳を固め、殴りかかろうとする。

しかし、その足が動く事はなかった。

 

「花は歩かない。勿論魔法も使わない。許可しない。手と口は…許可をしてやったが。お前が何も出来ない事を理解してもらう為に、な」

 

ヨハンが呟く。

この時、初めて魔族は己の頬に冷たい汗が伝っている事に気付いた。

 

「まだもう少しだけ時間がある。何も語らずともお前の運命は定まっているのだが、どうせこれの後は俺はもう語れなくなるだろう。折角だから聞いていけ。そして樹神よ、貴方には詫びましょう」

 

樹神は穏やかな目でヨハンを見下ろしていた。

樹神はこの先何が起こるのか、何とはなしに分かっていた。

だがそれで良い、と樹神は思う。

もはやこの身を穢される事はないのだから、と。

 

 

俺は優しい母が好きだった。

しかし好きだった母は父親に殺された。

理由は金だよ。

 

父は酒を飲み、女を買い、博打をやっていた。

それを自分の責任の内でやっているならばまだいいが、彼は家の金に手をつけてね。

 

母はそれを咎め、金を隠したのだ。

父は激昂し、母の首を絞めて殺した。

幼かった俺はドアの隙間からそれを見ていた。

恥ずかしい話だが、怖くてね。

だが安心しろ。

俺が成長した時、父の喉を搔っ切る事で復讐を果たしたからな。

 

生前の母は草花が好きだった。

彼女は茶色い皮の手帳に押し花を集めていたよ。

俺は母が好きだった。

だから母の好きなものが好きになった。

子供なら良くある事だろ?

だが、母の死により好きという感情が執着に似た愛へと形を変えた。

 

ここで少し講義をしてやろう。

お前は魔法の事ばかりで、術の事を知らない様だから。

一般的な連盟の術は、外界の逸話や伝承、信仰から事象を形と為す。

だが真に熟達した術師は自らの執着を形と為す。

 

分かりやすくいえば自分の内にあるモノを逸話、伝承、信仰とし、そこから力を引き出すと言う訳だ。

 

常人が使っても意味がないだろう。

世界より自身を優越させている認識がなければ意味がない事だ。

これは真に優れた術師であるからこそ可能な事だ。

 

あるものは自分の都合の良い神を創りだし、あるものは英雄に相応しい武具を創り出す。作り出されるモノには術者のそれまでの生き様が投影されるだろう。

 

俺は常に公平であろうとした。

恩に同じだけの恩を返し、仇には同じだけの仇を返すよう心がけてきた。

そんな俺が愛着の対象…最後に残ったこの手帳…母の記憶を捧げたのならば、もはや俺が捧げたものと同じ価値のある物を差し出さねばここを出る事は叶わぬ。

 

ただの手帳ではない、これは俺に遺された母の、文字通りの記憶だ。

つまり、この術が終われば俺は母の事を忘れてしまうだろう。

思い出す事もない。

何故なら俺の中で、母という者がそもそも存在しなかった事になるのだから。

 

さて、魔族。

お前は俺に、俺が捧げた物の価値に等しい何かを捧げる事は出来るか?

 

◇◇◇

 

魔族は右腕に違和感を感じた。

見れば、腕に咲くのは一輪の花だ。

左腕を見てみる。

左腕には二輪の花が咲いていた。

赤、青、黄色。

 

花は美しく咲いたかと思えば、見る見る内に枯れていった。

そして、枯れた花の痕から今度は三輪の花が咲く。

 

咲いては枯れる、枯れては咲く花に魔族は危険なモノを感じる。

樹神を見てみればそれもまた自らと同じ様な姿だった。

樹神の全身に花が咲き乱れ、そして枯れていく。

それが、繰り返される。

 

「糧さ」

 

己を見舞う異変を険しい表情で見つめる魔族に、ヨハンが話しかけた。

魔族はヨハンを睨みつける。

どういうからくりかは分からないが、もはや声も出せなければ手も動かせない。足も動かせなくなっていた。

 

「お前達は糧となるんだ」

 

◇◇◇

 

そう、花は魔族を、樹神を糧として咲き誇るのだ。

しかし花の命は短い。

これは世界の共通認識である。

咲き誇った花はただちに枯れゆく。

しかし、彼らという糧がいる限りは花のサイクルがおさまる事はない。

 

ところで花は彼らの何を糧としているのだろうか。

血だろうか。

肉だろうか。

いや、そのどれでもなかった。

 

花が糧としているのは…

 

◇◇◇

 

俺に何をした

 

その一言すらも言葉に出す事が出来ない魔族は憎悪と憤怒、そして僅かな恐怖を目に滲ませヨハンを睨み付けた。

 

魔族と樹神の姿が薄らいでいる。

これは術が解けかかっているのではない。

存在そのものが薄れていっているのだ。

 

つまり、花が糧とするのは彼らの時間。

時間とは存在の嵩を意味する。

時間を全て失った存在は死ぬのでもなく消えるでもなく…

生まれた事そのものを無かったものとされる。

 

己という存在の消失を自覚する事がどれだけ恐ろしく悍ましい事か。

それは魔族の目を見れば分かるだろう。

 

彼らが動けなくても花はただただ咲き、枯れていく。

彼らの存在を糧として。

花が咲く度に魔族と樹神の姿が薄れていく。

 

「そういえば、魔族。名前を覚えてやると言っていたな。俺はヨハン。連盟の28本目の杖。【枯れる花】のヨハン。俺の敵は全て枯れ逝く。今のお前の様に」

 

やがて彼らという存在がふつりと完全に消えてしまった時、花吹雪が舞う。

 

その瞬間、ヨハンの記憶から母という存在が消え去った。

ヨハンはもう母が居た事も、母が死んだ事も、母を愛していた事も覚えていない。

 

記憶という愛を代償に敵対者の…それが神だろうと悪魔だろうと、例え魔王の分け身だったとしても、全てを封じ、存在を消失させる忘却の奥義。

 

これこそが連盟術師ヨハンの秘術。

 

“花咲き枯れ逝く永遠の花界”であった。



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中央教会

◇◇◇

 

ヨハンの秘術は当人のみならず、一定範囲内の人物の限定的な記憶改ざんをも齎す。

 

ただし、それはヨハンの記憶から母親の存在が消失した時の様に即座に効果を表す訳では無い。

 

緩やかに記憶から消滅していくのだ。

つまり、放っておけばヨルシカやシルヴィス、ヴィリの記憶から樹神や魔族という存在が消えてなくなる。

 

暫く時間が立つと、彼女らは何となく強敵と戦ったような気がする…程度の認識へと改ざんされてしまう。

 

ただ、これは術本来の効果というよりは余波の様なもので、ヨハンの術の内容を知っている者ならばちょっとした注意を払う事でそれを防ぐことが出来る。

 

連盟の術師はそれぞれがそれぞれの切り札を知っている。

勿論、切り札の更に奥の手なんていうものを隠している者だっているかもしれないが…

こういった身内にはオープンな性質は薬にも毒にもなる。

かつてラカニシュにいい様にかき回されて、その討伐もまま成らなかったのは、ラカニシュ自身の力量もさることながら、手札が知られてしまっているという事が猛毒として作用してしまったからだ。

 

そんな連盟員たちは、ヨハンの秘術は極めて迷惑だから出来るだけ使わないで欲しいと思っている。あんまり酷い使い方をする様なら殺してやったほうがいいよね、と思っている連盟員すらいる。

 

理由はいくつかある。

 

1つ、記憶への干渉は率直に言って気分が悪いという事。対処法があるにせよ1度は術の影響下に置かれるのは嫌だと思っているものが殆どだ。

 

2つ、連盟きっての穏健派であり慎重なヨハン自身が編んだ術なのである程度の対策はされているとはいえ、記憶の欠損は度重なれば人格が変貌してしまうこともある。

下手をすれば廃人だ。

そんなふうにヨハンが、つまりは家族が壊れていくのを見るのは嫌だという事。

己の大切にしている記憶を触媒に捧げるなど、連盟目線で見ても大分イカれている。

 

自傷を前提に置いたヨハンの術の数々は、家族たる連盟の“同僚”にとって酷く我慢ならない物である事もあり、1度ならず2度までもヨハンと連盟員は殺しあった事がある。

 

まあその殺し合いは別にどちらかが死ぬという事こそは無かったのだが、自分を大事にしろと言いながら殺しにかかってくる連盟員はやはりイカれていると言えるだろう。

 

◆◇◆

 

SIDE:ヴィリ・ヴォラント

 

あーあ。使っちゃったんだねヨハン君。

でも仕方ないか。

あの青いの。

私が戦ってもちょっと勝てなかったかも。

 

でもこれから大変だろうね。

他にも術は使えるだろうけど、手札が減っちゃって。

 

ただ、ヨハン君は前から色々工夫して戦うタイプだし、案外なんとかなるのかな?

 

ああ、そんな事より、記憶!記憶!

 

◆◇◆

 

SIDE:ヨルシカ

 

「あんたら、ちょっといい?うちらがでっかいのや青いのと戦った事、地面にでも書いておくといいよ。ヨハン君の術であいつらは皆消えちゃったけど、その内あたしらの記憶からも消えちゃうから。でもこーして記憶を形に残しておけば消失は防げるからさ。こうして対処しないとめっちゃ気持ち悪くなるとおもうよ。確かに戦った覚えはあるのに相手の事をいまいち思い出せないのとか最悪よー?おんなじ戦場に居たよしみで教えてあげる!」

 

 

ヴィリちゃんが空から降りてきてそんな事をいってきた。

記憶から消える?

消失は防げる?

 

何の話だかさっぱりわからないけれど、わざわざこうして教えに来てくれたという事は何かあるんだろう。

私もシルヴィスも素直にその辺の枝をひろって、地面にちょっとしたメモ書きを残す。

 

というか、ヨハンが手帳を燃やして…灰が降ってきたと思ったら樹神も魔族もヨハンもいなくなって…ヨハンはどこにいってしまったのだろう?

 

そんな風に思っていると、いつのまにかヨハンがその場にたっていた。

消えた?時と同じ場所だ。

 

あわてて駆け寄ると、ヨハンはなんだかボーっとしていた。

何かを見ているようで何も見ていない様な頼りない姿に胸中に不安が広がる。

 

「な、なあヨハン。あの魔族は…?」

 

私が聞くと、私の方を振り向いて“死んだよ”とだけ答えた。

それからすぐ、ふるふると頭を振り、パチパチと頬を叩いていた。

 

「…いや、すまないなヨルシカ。少しぼーっとしていた。術の副作用さ。記憶の調整が行われたんだ」

 

━━記憶の調整?

 

私がいぶかしげにしているのが分かったのか、ヨハンが答えた。

 

「俺の秘術は俺の執着、それに対する記憶を触媒とする。俺の中からなにか大切な記憶が消えたのだろうが、記憶というのは連続しているものだろう?どこかの部分が消えたからって、その部分が空白…真っ白なままっていうのはありえないんだ。思い出せない事はあるだろうよ、しかし完全に消えてしまうという事はない。だが俺の術は文字通り消してしまう。そのまま放置しておけば、俺が俺でなくなってしまう。だから辻褄合わせがされたんだよ。そう編んだ。まあ俺からしたら、どの部分が消えたのかが分からないのが問題なのだがね…」

 

私は考えてみた。

ヨハンは手帳を燃やしていたはずだ。

あの手帳について彼は何を言っていたか…

 

「ヨハン、お母様の事を覚えているかい?」

そう聞くと、ヨハンは口を閉じてまたぼーっとした様子を見せた。

やがて首を振る。

 

「母という単語の意味は知っている。だが俺には母はいなかった。俺に居たのは父だけだ。だが、彼は流行り病で死んだ」

 

そう言うことか、とため息が漏れた。

 

「ヨハン。君にはお母様がいた。君はお母様を愛していた。君はその記憶を代償に魔族を破った」

 

私がそういうと、ヨハンは寂しそうに笑いながら言った。

 

「なるほどな。自分で言っててなんだか違和感がある様な気がしたんだ。まあでもそれを聞いても俺はなんとも思えない。俺がそうあれかしと編んだ術だからな…記憶を捧げた時、それが俺の根幹を成すものならば俺自身の人格が変貌する恐れがある。それをどうにか防ぎたかったのだが、術の編纂は難しくてね」

 

「なぜそんな術を?もっと代償を小さくする事だって出来たんじゃないのか?」

 

私が思わずそう言うと、ヨハンは首を振る。

 

「ヨルシカ、俺は自慢じゃないが連盟で一番弱い。腕っ節だってその辺のチンピラを殴り倒せる程度だし、術だって火の球だのなんだの出せる程度だ。だが弱い人間にだって戦い勝たねばならない、勝たねば未来はない、敗北の先では自らの命を失うだけならばまだしも、友人、家族、愛する者ら…そういった大切な者の命を失う…そんな場面がないとはかぎらないじゃないか。だから必殺技を用意していたんだよ。そして必殺技っていうのは必ず相手を殺す技なんだ。弱い俺がそんなものを用意するっていうなら、そして、そんなものを使わねば切り抜けられない状況であるというなら、代償は俺の命1つでは購い切れないだろう。ならばある意味で命より重いものを捧げるしかあるまい」

 

ああ、ヨハンはもう自分がつかっていた術の事すら思い出せないのだ。

腕を失い、親の記憶を失い、彼は次に何を失うのだろうと思うと無性に悲しい気持ちになってしまった。

私の瞳からポロポロと涙がこぼれる。

ヨハンは苦笑しながらそれを拭ってくれた。

 

そんなことより、とヨハンはキッと鋭い目つきになる。

まだなにかあるのか!?

 

視線はヴィリちゃんへ向かっている。

ヴィリちゃんはエヘエヘと笑っているが…

 

「ヴィリ!もう少し頑張ったらどうだ!一人で殺るって言ったんだから一人で殺るんだよ!次からはちゃんと殺れよ」

 

バチン!とヨハンが義手のほうの手でヴィリちゃんの背中を引っぱたいた。

ぎゃあと叫ぶヴィリちゃんは謝りながら地面を指差す。

 

━━うん、こいつの事は覚えている。少し薄れかかっていたが…

━━本当にとんでもない糞魔族だった…二度と戦いたくない

━━縛鎖が緩んでいるって、それは教会が仕事をしていないってことだろう?

━━教会へカチコミだな。連中のせいで酷い目にあったんだ

 

どんどん物騒になっていく話に私は顔色が悪くなっていくのを感じる。

教会…中央教会だよね…?

カチコミ…?

勇者…?

さっきまでのどうしようもなくやるせない想いが、なにやら言い様の無い危機感へと変わっていく。

 

「ヨ、ヨハン?教会へカチコミをかけるのはやめにしないか…?ほら!まずは手紙を出すなり、事情を聞いてみる所から始めるんだ。なあ、シルヴィス!君もそう思うだろ!?」

 

ひたすら傍観者に徹しているシルヴィスに声をかけると、彼女はけだるげに私を見て口を開く。

 

「自殺行為にしか思えないけど、でも彼ならなんとかしちゃいそうなのよね。アイツ…普通の魔族じゃなかったとおもう。相当な大物よ。普通の人間だったら絶対に勝てないような存在よ。もしかしたら勇者って貴女の恋人の事なんじゃないの?少なくとも、貴女の恋人さんは勇者と呼ばれるに相応しい偉業を為したと私は判断するわ。ま、私はこの後どうなるかわからないけどね…処刑か…それを免れてもいずれは発狂か…狂いたくないから手駒になったっていうのにね…」

 

それをきくとヨハンはペッと地面に唾をはいた。

汚い。

土をつま先で掘り下げて唾に被せる。

 

「貴様もその存在とやらにナイフぶん投げてただろうが。じゃあ貴様も勇者だな、果ての大陸までいって連中をぶち殺して来い。言っておくがもう一度戦ったら今度こそ死ぬからな。あと出来る事といえば魔力をぶんまわして感情のままに暴走させ、低位の術に全部注ぎ込むことで故意に暴発させる術くらいしか切り札はない。要するに自爆だ。聖光会…今の中央教会の前身の連中が得意としてたそうだ」

 

「絶対使うなァ!!!」

私は思わず大声で叫んでしまった。

 

ヨハンもシルヴィスもきょとんとしていた。

ヴィリちゃんはぺッと唾を吐き捨てている。

汚い。

 

「大きな声出すなよ…しかし仕事位はして欲しい物だよ。もし果ての大陸の縛鎖が解かれたなんてことになってみろ。どうなると思う…?」

 

「ど、どうなるんだい?」

私は恐る恐る聞いてみた。

 

「古の魔王軍復活だよ。第…ええと…4次人魔戦争だな。こちらの地域だけじゃない、東はアリクス王国までまるっと巻き込んだ戦争が起きるぞ。負ければ人類殲滅だ」

 

聞かなきゃ良かった。

 

「そういえばシルヴィス。樹神はもう消滅したんだからお前の中に混じっている黄金の林檎の効果は消えているんじゃないのか。結局はそれも樹神の体の一部だからな…」

 

ヨハンがそういうと、シルヴィスは“あ!!!”と叫んでいた。

 

◇◇◇

 

本来、あの戦いはヨハン達が敗れていてもおかしくは無かった。

 

自己中心的なヨハンが他者の為に命に勝る切り札を切る事はしなかったはずだし、ヴィリとてその相性の悪さ故に樹神を仕留め切る事は出来ず、彼女は英雄となる夢を砕かれ、その剣と盾は樹海の肥やしとなってもおかしくはなかった。

 

だが、そうはならなかった。

 

ヨハンがこれまで殺伐と歩んできた旅路は彼に多くの出会いを齎し、その出会いが彼を成長?させていった結果だろう。

 

今代魔王の分け身、亜神とも言うべき森の守護者、これらを同時に相手にして勝利したことで、人類はいま少しの猶予を得る。

 

◇◇◇

 

【挿絵表示】

 

法力都市キャニオン・ベルは、規模区分では都市基準ではあるが、扱いとしては一個の国として扱われている。

 

なぜならキャニオン・ベルは完全自治を許されている都市であり、そこには中央教会の本部とも言うべき大聖堂があるからだ。

 

中央教会は、一言で言うならば酷く物騒なキリスト教とも言うべき宗教組織である。法神とよばれる存在を至高と仰ぎ、他神の存在を許さない。

貶め、蔑み、あるいは破壊し、法神の眷属とする…これこそが中央教会の使命である。いや、あった。

 

正直いって時代についていけないのだ、そんな過激な教義では。

昔はさておき、他宗教だって相応の武力くらいは持っている。

かつての様に、法神以外は全部ぶっころ死などとしてしまえば、袋叩きにあって中央教会自体が滅んでしまう。

 

だからいつのまにか中央教会には穏健派と呼ばれる派閥が出来た。

 

穏健派はその名の通り。

剣と術ではなく、説法でゆっくりゆっくり文化侵略などしつつ穏便に教義を広げましょうね、という派閥である。

 

だが、穏健派がいるなら当然過激派もいるわけで、こちらは旧来の聖光会の流れを汲む武闘派だ。

中央教会絡みで物騒な事件があれば、大体がこの過激派のやらかした事といっても間違いない。

 

そして、そんな2つの派閥は酷く仲が悪かった。

それも…殺し合いを辞さない程度には。



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異端審問官

 ■

 

 あれからはほとんどシルヴィスとヨルシカ任せだ。

 グィルの死の説明や、樹神や魔族といった者達の説明……こういうのも俺が説明するより彼女らが説明した方が収まりが良い事は分かっていたので、俺は珍しく黙っていた。

 

 別動隊の者達への説明も全て丸投げしてしまった。

 俺はアシャラに訪れた一冒険者でしかない為、信用というものがないのだ。

 まあ俺個人の信用がないというのは仕方がない事だが、連盟の術師である事が悪い方向へ働かないとも言い切れない。

 

 連盟が向けられる感情と言うのは余りにも種々雑多なもので……中には強い憎悪を抱く者だって当然居る。

 例えばヴィリが滅ぼした小神の信者だとか、ラカニシュの被害者たちだとか……とにかく色々と被害者がいるわけだ……

 

 それでも世界の敵として排斥されないのは、一般的に言って邪悪な存在やら危険な存在やらを連盟が滅ぼしてきたからである。

 

 勿論人々の為にそれを為したなどということはなく、多くはもっと恣意的な理由によるものだが。

 俺がサブルナックを最初に始末した理由も依頼絡みの結果だった。

 

 奴はとある貴族の娘をだまくらかして色々と良くない遊びをしていたのだが、悪魔と言うのは割と雑な部分もあり、その所業を長くは隠せない。

 当たり前だろう、貴族の娘の友人が次々に石化したり急死したりすれば騒ぎになる。

 

 まあそうなると普通は教会の仕事なのだが、その貴族は大の教会嫌いだった。

 宗教を嫌う権力者と言うのは決して少なくない。

 

 そしてどこから知ったのか知らないが、連盟へのツテを使って俺に……何というか悪魔祓いの依頼が下りて来た。

 アレもそれなりに高名な悪魔だが、まさか相対する羽目になるとも思っていなかった当時の俺は、高額な報酬にホイホイ釣られてしまったというわけだ。

 

 結果として俺はサブルナックを追い返し、貴族の娘を助けたのだが……

 それがきっかけとなってたまに貴族の依頼を受ける事もままあった。

 その一つにロイ……いつかの色ボケ3人組の教育を引き受ける事になった。

 

 ロイは貴族の三男坊で親父は当然貴族なわけだが、ロイの事もそれなりに想っていたのだろう、冒険者となったロイを心配してギルド経由で俺へ個人依頼をおろし……俺は奴とついでに奴の仲間をそれなりに使える程度まで鍛える事となったわけだ。

 

 そう考えていくと不思議だな。

 物事は全て繋がっているのだなという気がしてくる。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「いいかい? カチコミなんて馬鹿な真似はよして、まずは事情を手紙で伝えるんだ。ヨハン、君は衝動的に行動してトラブルに突っ込んで、トラブルの最中に思慮深く動く男だろう? 今回は最初から思慮深く行こう」

 

 私がそういうと、ヨハンは"お前は俺の……"と言い出して、何か腑に落ちていないような表情を浮かべた。

 きっと、お前は俺の母親かなにかか、と言おうとして……

 

 いけない、なんだか辛気臭くなってきた。

 ただ、ヨハンが言うには手紙はもう出してあるらしい。

 間に合うとは思っていなかったけど森へ向かう前には既に教会に文を飛ばしていた様だ。

 

 アシャラは中央教会とは疎遠だからな……

 都市の成り立ち的に、開祖アシャートをある意味で神と崇めるアシャラは法神第一主義の中央教会とは仲が良くない。

 だから教会自体も都市にはない。

 

 ヨハンが言うには、こういう案件だからすぐに中央教会から人員がやってくるという話だそうだけど。

動くにしても何するにしても、その使者に事情を話して反応を見てからみたい。

でもその結果がどうでも、アシャラは出立するとの事だった。

 

 ともかく、私も少し時間が欲しかったので丁度良かった。

 旅立つからって着の身着のままで都市を出るなんてしたくはないからね。

 

 ■

 

 という事でアシャラの復興というか、掃除というかそんな事を手伝っている内に数日が経過した。

 樹神の眷属の死骸……というか植物の塊は結構な数があり、その処理をしたりしていたのだ。

 触媒は国持ちだった為、一生分の火炎術式を使った様な気がする。

 

 そして俺は宿の自室に男を招いている。

 黒い服の中年男性だ。

 眼鏡をかけてうさん臭い笑みを浮かべている。

 俺がそういう趣味だっていうわけではない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「お初にお目にかかります。私は中央教会所属、2等異端審問官ザジと申します。ヨハン殿の異神蠢動についてのお手紙を拝見し、部下を引き連れ駆け付けて参った次第なのですが……どうやら間に合わなかった様で! 申し訳ございません。手紙の配達人は既に捕縛しております。彼は急ぎの知らせだという事を知っていてもなお予定より2日も遅れて文を届けて来ました。特にご要望が無い様で御座いましたら神敵への利敵行為と見做し、そのまま処刑とさせていただきますが……?」

 

 異端審問官か。

 穏便な方が来てくれたか。

 異神討滅官だとメンツをつぶされただのなんだの揉める可能性があった。

 まああの段階ならこっちが来ると見込んでの事だったが。

 それに俺も文を穏健派の仕切る教会へ飛ばしたという事もあるし。

 

「配達人には温情を」

 

 遅れた理由次第かもしれないが、その理由が酒や女だったとしても殺される程の理由ではない……いや、まてそいつが予定通り届けていればもう少し楽だったのでは……? 

 

「配達人には温情を。ただし、理由次第では俺が死罰をくれてやります」

 

 俺が言い直すと、よろしいですとも、とザジはいう。

 異端審問官はその職務の性質上、苛烈な者が多く少し心配だったのだが、理性的な者が来てくれた様で安心した。

 



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勇者

◇◇◇

 

二等審問官ザジは中央教会でも穏健派に属する審問官だ。

この場合、彼らの考える穏健というのは別に優しいとかそういう意味ではない。

血を流す以外の方法があり、そちらの方が神の、組織の為となるならば選択する余地を持とうと考える事である。

 

神敵悉く滅ぼすべしと言うのは穏健派にとっても共感出来る事ではあるが、そういった考えが世界に受け入れられない事くらいは理解している。

 

それに、異教の神であろうともそれを信ずる人々にとっては尊いものなのだ。それをいきなり滅ぼされて“さあ、明日から法神を崇めなさい”といわれて心から帰依できるだろうか?

 

だから穏健派は武器と術を手に取る前に、可能ならばその異教の神ごと中央教会に取り込んでしまえと考えた。

 

更には穏便に、少しずつ自分達の居場所を広げていこうではないか、と。教会が無ければ生活する事すら困難となるまでに人々の生活に食い込んでいこうではないか、と。

 

日々の生活に困窮する人々、悪政に苦しむ人々を救い、法神の尊さを魂に刻み込んでやろうではないか、と。

 

そういった考えの是非は置いておいて、現に教会は様々な知識を人々に分け与えてきた。例えば孤児院。かつては育てられなくなった子供は売り払うなり、食ってしまうなりしていた蛮族の如き民草に倫理観やら慈悲の心なりを植え込んだのは教会である。

 

医療や衛生面でも、高額な布施を必要とする奇跡行使に頼らずとも、貧しいものでも工夫次第で実行可能な現実的な方法を教会は提供してきた。

 

性風俗といった産業も同様だ。

中央教会は三大欲求というものを理解している。

 

そういうものは厳しく管理するより、ある程度緩く管理し、余りにも逸脱したものについては“狩り”取ってしまえばいい。教会はその様に考えている。

 

まあ、そういった寛容な姿勢が中央教会聖職者の大乱交事件などと言った醜聞を起こした事もあるのだが…概ねはうまくいっている。

 

なお、件の事件に関わった性職者達は既にこの世にいない。

全員死んだ。

教会発表では事故だ。

 

こういった事だけではなく、時には王侯貴族が敷く政策にも口を出して、基本的には民の為に行動してきた。

 

 

ザジに事の次第を伝える。

植生の異変に気付き、あれよあれよという間に樹神が目覚め、よくよく話を聞いてみればその樹神ですらも魔族が“何か”に使おうとしていた事を。

 

そしてその魔族は果ての大陸の縛鎖が緩んだと、当代の勇者の怠慢を侮蔑していた様であったと。

 

更に、その高位の魔族とやらはどうやら分体であったらしい事も。

 

「高位の魔族の分体……ですか」

 

ザジは呟くとやや俯き、沈思黙考に耽っていたが、やがて顔をあげ、満面の笑みを浮かべたかと思うといきなり俺の手をとってきた。

殺気の類もなにもない動作だったし、動きの起こりすらも見えない業だったので全く対応できなかった。

 

「狂った地神、その黒幕たる薄汚く汚らわしい黒鼠を滅ぼしたという偉業。中央教会上層部と貴方方連盟は余り関係が良くは無い為、聖人認定は無理でしょうが、私はヨハン殿…貴方を聖戦士に相応しいと考えております」

 

聖戦士とはまた。

これは例えるなら、いつか語った認可冒険者のもっと凄いモノの教会版の様なものだ。

相応しいと考えている、と言う事なら正式な認定ではないだろうが、生半な覚悟で言える言葉ではない。

 

俺は頷いた。

「では聖戦士待遇として処して頂きたい。そして、その待遇は俺だけではなく、共に戦った者達にも。魔族の分体は恐るべき力を持っていました。多節からなる魔法の連唱。あれが出来る魔族はそうは多くない。我が身の根源を捧げた秘術により退ける事が出来ましたが、もう同じ札は切れない。俺は取り返しがつかないものを捧げたのです。恐ろしい事は、その取り返しがつかないものが何かを仲間から教えられても、俺自身が何も感じない事です」

 

ザジは俺の言葉を聞くと、一層強い力で俺の手を握り締めて口を開いた。

 

「このザジ…感動いたしましたあああぁぁぁああ!!!ぐ、う…う…う…」

 

そして泣き出した。

ここだけ切り取ると少しかわいそうなおじさんに見えるが俺は騙されない。

 

俺の見立てでは相当に使う。

俺とヨルシカが小細工なしで正面から素手で本気で殺し合えば、俺は10分でヨルシカに殺されるだろう。

ザジはそのヨルシカを20分で半殺しにする程度には使うと見た。

まあその時にはザジはヨルシカに腕一本、脚一本くらいは持っていかれていそうだが。

 

ザジが泣き止み、マトモに話が出来る様になるまでは少々の時間を要した。

そして勇者の事に話が及ぶと、ザジの表情が固まる。

 

痛い所を突かれた、というよりも理解したくない様な顔をしている。

 

「その事については…果ての大陸の縛鎖が緩んでいると言う事は…私も初めて聞いた事なのです」

 

まさかとは思うが勇者が既に死んでいたりするのではないかと最悪の想像が浮かんでしまうが、ザジが言うにはそれはないらしい。

 

「ただ、そのここからはヨハン殿の胸の内に留めて頂きたいのですが…」

ザジがいまいましそうな表情で言いよどんだ。俺は頷き先を促す。

 

安心して欲しい。

俺はお前達に拷問されても口を割らなかった男だ。割るもなにも、全ては誤解だったのだが。俺は今でも根に持っている。

 

ちなみに勇者とは法神の一方的な選別で生まれる超人の事だ。

 

ある日突然選ばれて、国も家族も捨て去って教会の子飼いとなり勇者として生きなさい、かわりに人知を超えた力と名誉を与えてやろう、そして人類の危機とあらば真っ先に死を賭して戦いなさいと言うのが本来の勇者選別だった。

 

ちなみに選別された勇者が死ぬと次の勇者が選別される。

 

ただ、選別基準は余りに不可解なのだ。

農村の少女が選ばれたり、生まれたばかりの赤子が選ばれたりする事もあるという。

 

そして、これはマルケェスが言っていた事なのだが…法神とはあるいは神ではなく、神の名を借りたある種の機構なのではないかとの事だった。

 

 

ちなみ現在ではそういった非人道的な扱いではなく、ちゃんと家族や生まれた国との関係は保たれている。

 

教会は選別された勇者に勇者としての振る舞い、役目を教育し、見返りとして相応の待遇を与えているとの事だ。

と言ってもちょっとした貴族待遇程度だそうだが、勇者の多くは平民出身だと言うからそれで十分満足するのだとか。

 

これは倫理云々の問題ではなく、キレた当時の勇者が叛逆し大きな被害を齎したからである。

 

「勇者の振る舞いが…その、勇者足るに相応しくなく、民草にも被害が出ていると…。そして、身内の恥を晒す事になりますが…過激派がこれを殺害しようと画策しており…当代勇者はそれと察して逃走してしまったと…そして、穏健派…つまり、我々は過激派に先んじて勇者を確保し、再度教育を施そうとしているわけなのです…。場合によっては我々と過激派の間で内戦となるでしょう」

 

なるほど、当代勇者を殺害する事により、再選別しようという事か。

かつて聖光会で取っていた手段だな。

それは背教的にも思えるのだが、不可解な事に法神は罰などを与えようとはしない。

 

そりゃ魔族も出てくるわけだよ!

「それは魔族も出てくるでしょうよ…」

 

しまった、つい言葉に。

 

ザジは怒るわけでも不機嫌になるわけでもなく、“仰る通りです…”としょんぼりしていた。



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人格の欠損

 ■

 

「では、勇者についての一件は教会が対処すると受け取ります」

 

 俺がそういうとザジは頷き、答えた。

「ええ、我々にお任せ下さい。なるべく、穏便に済ませようとは上の者も考えている様なので……」

 

 それから俺とザジは軽く情報交換等をして別れた。

 配達人は住まいだけ聞いて、解放してくれるように頼む。

 

 不安材料はありすぎる程にあるが……一先ずは落着と言った所か。

 だが、霊感が告げる。

 また彼とは会う事になるのだろうな、と。

 それも、今度は不穏な状況で。

 なんだか少し疲れてしまった。

 

 少し早い時間だが寝てしまおう。

 懐に手をやった。

 

「む?」

 

 なぜ懐に手をやったのだろうか。

 よく分からない。

 配達人の所へは明日行こうかな。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 ヨハンの泊まっている宿へいくと、丁度彼が宿から出てくる所だった。

 

「やあヨハン。おはよう、どこへ行くんだい? まさかギルドなんていわないだろうね?」

 

 ヨハンは笑いながら否定した。

「勘弁してくれよ、今日は配達人の所へいくんだ。それ以外には用事をいれていないよ」

 

 配達人? 

 話を聞いてみると、なるほど、その彼が遅れたから教会からの援軍が遅れたと。理由次第だと思うけれど、ふざけた理由だったら確かに腹が立つな。

 私がそう思っていると

 

「理由次第ではその場で縊り殺すよ」

 

 不穏なセリフにヨハンの顔を見ると、彼はきょとんとしていた。表情は少し眠そうな事を除けば普通だ。

 

 でも、ヨハンの言葉には言い知れない凶兆を感じた私は彼について行く事にした。

 

 普段の彼なら、殺す前にもう少し段階を置くんじゃないか? 

 例えば痛めつけたりとか……。

 説教したりとか……。

 即殺すのは彼らしくない……気がする。

 

 ◇◇◇

 

 冷たい義手がぎちりと音を立てて肌に食い込む。

 青年と言うにはやや幼い顔立ちの男の首を締め付ける。

 真っ赤になった青年の顔はまるで熟れたトマトの様だった。

 ヨハンはその様子を目を細めて観察していた。

 まるで後どれ位力を入れたら死ぬかを推し量っているかの様だった。

 

 そんなヨハンを見て、一瞬呆然としたヨルシカがヨハンに声をかけた。

「彼をどうする気だい?」

 

 ヨルシカはヨハンを止める事は無かった。

 ただ、一応聞いただけなのだ。

 どうにも様子が違うような……いつも通りのような。

 微妙な違和感が拭えないからだ。

 

(何が違うのかと言われるとわからないんだよね。そういえば初対面の時、新米傭兵諸共殺される所だったし)

 

 ただ、とヨルシカは思う。

 ヨハンに何かしらの異変が起きているのなら、配達人を殺す事よりも優先しなければいけない事がある……と考えている。

 

 ところで……仮にこの配達人が私欲を満たし、その怠慢ゆえに教会戦力からの援軍がなく、ヨハンが切り札を切らざるを得なかったのだとしたら……と。

 

 その時は。

 

 ■

 

 とりあえず挨拶がわりに首を締め付けてやり、恐怖心を植え付けてから話を聞いた。

 配達人の男が言うには、休憩代わりに立ち寄った宿場町に好みの女がいて、話が弾んで酒を飲んで……との事らしい。

 

 俺の感情基準では死に値すると思う。

 率直に言って相当に苛ついている。

 この場ですぐぶち殺したい。

 見ろ、この頭を。

 叩き潰してしまえば良い具合に破裂しそうじゃないか? 

 

 だが、それはあくまで俺達が大変な目にあった、という観点からの判断に過ぎない。

 

 通常はまあ…… 罰金やそこらだろうか……。

 それともたかが職務怠慢だ、職場で1,2日冷遇されるくらいだろうか? 

 どうあれ死ぬ程の事ではない。

 

 ヨルシカを見習うべきだな。

 俺はこの男の話を聞いてかなり苛々したが、彼女は冷静そのものだ。

 

 どうしようか迷う。

 迷うべき事ではないように思うのだが、この些細な殺しが何か俺に決定的な変革を齎してしまう様な気がしてならない。

 

 今の俺は、かつて俺が俺自身に“かくあるべし”と定めた俺ではない様な気がする。多くは重なっているだろうが、重ねてみれば相違があるはずだ。

 恐らくは秘術の影響だ。

 人格の保全が十全に為されていなかったのだ。

 恐らく以前より俺は粗暴な性格になっているだろう。

 感情を優先する事が増えてくるはずだ。

 

 ふと思う。俺がこういった術を多用していき、俺自身が消えてなくなった時、さて、残った俺はどんな俺なのだろうか、と。

 

 きっとろくでもないに違いない。

 

 ◇◇◇

 

 結局ヨハンは配達人の男を殺す事は無かった。

 1,2発引っぱたいただけだ。

 それは酷く甘い事なのかもしれない。

 だが、ヨハンは何をするにも自分の意思を100パーセント介在させて物事を決めたいと思っている。

 

 感情に引っ張られた判断をしそうな時は、その判断を下すに相応しい理由を作ろうとする。

 ヴァラクでヨハンが相対するものに剣を抜かせたがったのもそういった考えから出た行動だ。

 殺したい相手が居たとき、感情のまま殺すのではなく、客観的に見ても殺すに値する理由を欲しがる。

 面倒くさい男なのだ。

 

 この時のヨハンは、どうにも自分が感情に引っ張られている様な気がしてならなかった。

 なるほど、完全に私欲塗れの理由での遅れ。

 それにより切らされた切り札。

 失ったもの。

 我慢がならないだろう。

 

 ただ、ヨハン自身そこまでの危急を予測して配達人に文を託したかといえば答えは否だった。

 急いでほしいとは言ったが、魔族の出現だのなんだのを予想してたわけではないので緊張感も十分に伝わったとは言いがたい。

 

 であるなら、殺すというのは些かやりすぎなのではないか? 

 理屈と感情がせめぎ合い、今回は理屈が勝った。

 だから配達人は命を拾う事ができた、とりあえずは。

 

 連盟術師ヨハンが重んじるものは自身が敷いたルールだ。

 術の影響とはいえ、外側の要因で自分自身の人格に欠損が出るなど、術師としてのヨハンにとっては我慢がならない事だった。

 

 記憶を触媒に捧げるなんて真似は連盟でもヨハン以外にはやらかさない。

 正確にいえば、ヨハン以外には出来ない。

 

 記憶なんて本当は切ったり繋げたりなんて出来ないのだ。

 ヨハン以外の者が花界を使った日には、欠損した記憶からボロボロと他の記憶まで零れ落ち、すぐに廃人になってしまっただろう。

 だが彼の病気とも言える自我がそれを為し、同時に人格欠損を食い止めている。

 

 ■

 

 翌朝。

 

 あの配達人が死んだらしい。

 俺は殺していない。

 情けない話だが、自分の中でなにかがせめぎあって、なんだか中途半端な行動をとってしまった。

 

 配達人が死んだ事を教えてくれたのはヨルシカだ。

 仕事中、森に戻ってきた獣達に食い殺されたそうだ。

 運が無かったな。

 

 ◇◇◇

 

 時は少し遡り、ヨハンが配達人の頬をバチバチと引っぱたいた日の夜半。

 

 森を歩く人影があった。

 ヨルシカだった。

 血に濡れたナイフを地面に埋めている。

 

 冒険者ヨルシカは優しいが甘くは無い。

 山賊討伐の依頼を受けた時には、身ごもっている女山賊の胸を剣で貫いた事もある。

 

 為すだけの理由があるならば、唇を奪ったヨハンの事とて殺害するだけの肝がある。もっとも、その理由の値段は恐ろしく高くなるだろう、あるいは自分の命よりも……。

 ヨルシカにとって自分の命とヨハンの命は高額なのだ。

 それこそ、関係ない他人の命などよりもずっと……。



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アシャラ出立

 

 

 ■

 

「これからどうするんだい?」

 ヨルシカが聞いてきたので、少し考えていた事を告げた。

 

「色々と街をまわるつもりだ。エル・カーラ、ヴァラク、イスカ、そしてウルビス。見知った顔に会うかも知れないし、会わないかもしれない。旅は思索を深める。深まった思索こそが術師の芯棒だ。特にエル・カーラやヴァラクは学びや訓練には良さそうだ。義手の整備もしたくてね。後はイスカはエールが旨いし、ウルビスはマルケェスの住処に近いからな」

 

 マルケェス……ああ、“家族”の? とヨルシカが訊ねてくるので答える。

 

「ああ、近くに住んでいるんだよ。といっても山奥だけれどな。事態はこんがらがって、俺は少し弱くなった。もう一度あのレベルの魔族と会敵すればどうにもならない。マルケェスならその辺の相談に乗ってくれるんじゃないかと思ってね」

 

 ヨルシカは頷き、“私を置いていったら君を殺すかもしれないよ”等とのたまった。

 

「君は手強そうだ。明日でるから支度しておけよ。俺はこれからギルドへいく。移動前にしっかり手続きしないとな。明日の朝、宿まで来てくれるか?」

 

 ヨルシカも色々挨拶回りをしたかったらしく、その場はそんな感じで解散した。

 

 ◇◇◇

 

 ヨハンが口にした“どうにもならない”というのは正しい。そして嘘だ。

 

 連盟術師ヨハンはもう1度、後1度だけ秘術を使える。

 彼の中に積み上げた彼の一部を捧げる事は今は難しい。

 であるなら他者の中に積み上げた彼の一部を捧げれば良い。

 だがそれを使ったならば最後、彼という存在は消えてなくなるだろう。

 世界から、そして彼を知る者の記憶から。

 それはある意味で死ぬ事よりもっと酷い事だ。

 

 だから連盟術師マルケェス・アモンがヨハンの記憶を封じた。

 人間では為しえない極めて高度な封印術は、仮にマルケェスが死したとしても決して破れる事はない。

 

 本来は木っ端神などではないもっと大物の神を殺す為に、その神を信じる人々の記憶から神の存在を消し去る為に編まれた大神殺しの術だ。

 

 大仰に聞こえるが、特定の記憶のみを封じると言うのはそれだけ大変な事なのだ。

 何もかも消し去って白痴の如き姿へ変えてしまうほうがずっと簡単だ。それとても人間には出来ない業ではあるが……。

 

 そして、“彼ら”は決してそんな真似はしない。

 人間という生き物は“彼ら”にとっても愛おしい存在であるからだ。

 

 人間なくして“彼ら”が現世に顕現する事はできない。

 人間の想いが“彼ら”をこの世に留めおく事が出来るのだ。

 

 マルケェス・アモンは連盟の者達を家族だと思っている。

 これは餌だとかそういう意味ではなく、正しく家族だと思っている。“故郷”で侯爵位を戴いているという貴種から見れば人間等は栄養のある虫程度の存在だと言うのに。

 

 マルケェス・アモンにとって連盟員とはそれぞれが極上の破滅願望を抱え、それでも力強く切なく生き抜く美しい存在だ。だからこそ、本当の破滅に繋がる様なモノは大術を以てしてでも封印してしまう。

 

 ちなみに彼がこうして封印したモノは連盟員の数だけ存在する。何もかも、一切合切を犠牲にして本懐を遂げる様な術をちょっとした覚悟の元行使しかねない“家族”の在り様には、マルケェスとて辟易する事がないわけでもないし、正気を疑う事も多々ある。

 

 マルケェス・アモンは“故郷”でも非常に変わった悪魔なのだ。

 なにしろ、大切な家族の為なら“故郷”を敵に回したって構わないとすら思っているのだから。

 

 なお、彼の本性については知らない者が殆どではあるが、人間達の中にも知っている者はいないわけでもない。

 例えば中央教会の上層部の更に上の、まさに天上人とも言うべき存在であるとか……。

 

 連盟が明らかに危険な集団であるのに排斥されない理由として、1つ目は連盟が気分次第とはいえ世界の敵の類を滅ぼしている事、そして2つ目にマルケェス・アモンの存在がある。

 

 魔界の侯爵を本気で敵に回すとなるとリスクが高すぎるし、当の悪魔に人間への害意がないというのならば静観しよう、という高次判断である。

 

 勿論それは連盟に阿ると言う事ではない。

 やらかしには相応の態度で臨む。

 そしてマルケェス自身もそれで良いと思っている。

 家族は家族であり、大切ではあるが、自分の尻くらいは自分で拭くべきだとも思っているからだ。

 

 ■

 

 ギルドで手続きをしていると、セドクとその仲間達が入ってきた。

 

「おはようございますヨハンさん! あれ、ヨルシカさんはいないんですか?」

 

 セドクの迂闊な言葉のせいで彼の後ろにいた少女が舌打ちをした。だが……んん。

 

 俺はセドクに歩みより、顎を掴んで目を覗き込んだ。

 才の閃き……の様な何かが視える気がする。

 

 俺は義手でセドクの顔面を叩き潰そうと思った。

 それだけじゃない、彼の後ろでのんびり突っ立っている仲間2人も今この場で挽き肉にしてやろうと思う。

 グチャグチャになったセドクの顔面を踏み潰し、彼を好いてると思われる少女の喉笛を切り裂くのだ。

 セドク達3人は今此処で皆殺しにする。

 そう決めた。

 だが殺気は出さない。

 出せば他の者も気付くだろうから。

 

 その瞬間、セドクは弾かれた様に後ろに下がり、手を広げ仲間達を庇った。

 それを見て、俺はセドクたちを挽き肉にしようと思った事をやめた。

 

「え、あ、あの……」

 言いよどむセドクの肩を叩き、乾燥させた保存肉を手渡す。

 カナタ程じゃないが斥候としての才は相当なものだ。

 

「えっと……このお肉は……あ! 黒粉で仕立ててある! え! いいんですか? 高いんですよね!?」

 

 才ある若者への祝福の肉だ。

 是非食べて欲しい。

 

 ■

 

 宿屋に戻った。

 義手を外し、布で磨く。

 基本的な整備のやり方は術師ミシルから教わっているが、片腕だと中々難しい。

 

 磨いている内、妙な違和感を感じた。

 整理された本棚、普段からちゃんと整理整頓をして一冊一冊の本を大切に扱っているのに、気付いた時には本棚から数冊の本が抜け落ちている……そんな感じだ。

 隙間が落ち着かない。

 だが、いずれはその隙間にも新しい本が納まるのだろう。

 

 ■

 

 翌朝。

 

「やあヨハン」

 

 ヨルシカが旅支度をして迎えにきた。

 俺は手を振り、宿を出る。

 

「行こう」

 

 目的地はエル・カーラ。

 術師ミシルが暇そうなら術腕に何か新しい機能をつけてもらおうかな、等と考えている。

 ちなみに報酬はヨルシカがアシャラ王からごっそり貰ってきたそうだから、今回の旅も金の心配はない。




2週間かかりましたねえ!(⊙ω⊙)
アシャラ編終了です。
今後は教会と勇者と再開周りがチョロチョロあったりします。
ハイファン王道な感じでそれなりにカジュアルです


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閑話:エル・カーラの面々

 ◇◇◇

 

 マリーとドルマが衆人環視の元、距離を取り向かい合っている。

 2人の目つきは対照的だ。

 

 マリーが燃え滾る闘志と殺意をその瞳に燃やしているのに対し、ドルマはまるで屠殺寸前の豚を見るような目つき……これから体のどの部分を解体するか考えている様な目でマリーを眺めていた。

 

 周囲の者達……生徒達は2人から発される強烈な殺意に晒され、冷や汗をダラダラと流していた。

 

(これ模擬戦だよね……?)

(なんで殺し合いみたいになってるの)

(マリー……まるで炎の女神みたいだ。炎の断罪神エルフレア……それが君の本当の姿だったのか)

(この模擬戦……ど、どっちかが死ぬ……!!!)

 

「マリー。お前は友達だけどよ、俺に勝つつもりなら諦めた方がいいぜ。隙だらけで突っ立っているみたいだが、俺の中でお前は既に3回死んでる」

 

 ドルマがポケットに手を突っ込みながらマリーに向かって歩いていく。

 足元はだらしない事この上ない。

 踵を踏み潰し、ニヤツキながらマリーを煽る。

 

「ねえドルマ。新しい制服仕立てたほうがいいわ……よッ! 燃えろ! 発火ァ!」

 

 挑発するドルマに、なんとマリーはスタッフを振りかざして殴りかかった。

 その先端は赤々と燃えている。

 そう、相手が近付いてくるんだから飛び道具などは使う必要はない。

 

 だが作戦は失敗した。

 ルシアンやら例の“教育”を受けた者達以外の生徒相手ならそのまま燃えるスタッフで殴られて医療棟送りだっただろう。

 

 しかしドルマはケッと笑いながら靴を飛ばす。

 目標はマリーの顔だ。

 本来はもっと勢いよく飛ばして武器を持つ指を狙う。

 そうして脆い指を圧し折るかなんかして怯ませ、暴行を加えるのだ。

 ドルマがそうしなかったのはマリーが友人だからである。

 

 まあたかが靴だ。

 しかも加減もしてある。

 当たったからどうなんだという話なのだが、一瞬視界が塞がれるという事自体が問題であった。

 

 ──隆起せよ

 

 ドルマが指輪に魔力をこめる。

 ちなみにドルマはスタッフを持たない。

 ダサいからだ。

 彼は金持ちなので、でかい宝石を嵌めた指輪を杖代わりにしている。

 メリケンサックの様な使い方をしてもいいし、取り回しもいい。いざという時は売ることだって出来る。

 

 ドルマの術が起動すると、マリーの足元に石塊が隆起し、マリーはそれに躓いてしまった。

 普通なら躓いたりしないが、視界が一瞬塞がれた事がバランスを不安定にしたのだ。

 

 当然隙を逃すドルマではない。

 すかさず駆け寄り、マリーの腕を蹴飛ばそうとする。

 スタッフを手放させる為だ。

 本来はここで顔面を蹴り上げるのが正しい作法なのだが、そこまではしない。

 友人にしていいことではない、とドルマは思っている。

 

 だが、マリーは倒れ、手をついたときに砂を握り締めていた。

 それをどう使うのかといえば決まってる……そう、ドルマの目に投げつけた。

 

 ドルマはまんまと目潰しを食らってしまい、よろめく。

 マリーは隙を逃さず、スタッフの下部……鋭い方をドルマの喉下へ……突き刺すことはせずに股間を蹴り上げた。

 本来は喉を潰し、詠唱をさせないようにするのが作法である。

 だがマリーにとってもドルマは友人であるため、そこまでするつもりはない。

 

 かといって股間を蹴り上げていいものかどうかは疑問だが……。

 

「ぐおっ!! ……う、うおおおお……て、てめぇ……マリー、腐れアマが……」

 

 悶絶するドルマを見下しながら、マリーは高らかに勝利宣言をした。

 

「私の勝ちね! ここからあんたを殺す方法は10以上あるわよ! どうですか、教師コムラード! さあ! 私の勝ち名乗りを!」

 

 マリーの要求に、審判であるコムラードは黙りこくっていた。

 松葉杖をついてはいるが、講義が出来る程度には回復をしている。

 

 コムラードは暫く黙っていた。

 やがて口を開いたとき、コムラードの声はまるで地獄の底から響いてくるかのような恐ろしい声だった。

 

「生徒マァァァリイィィィィ!!! 生徒ドルマァァァア!!!! 貴様ら!! 教育指導室へ来なさい! チンピラみたいな喧嘩殺法!!! 学院では認められぬ!!!! 説教だ!!!」

 

 怒り狂うコムラードの前では、いくらマリーとドルマが他の生徒とは一味違うと言っても力量差は歴然。

 何と言ってもこの教師は一時とはいえ悪魔と互角に戦ったのである。

 

 逃げ出そうとする二人の足元から一瞬で石の足錠をつくりだし、2人を行動不能にしてしまった。

 あれやこれやと言い訳する2人を引きずり、コムラードは模擬戦場を出ていってしまった。

 松葉杖すらももう突いていない。

 怒りが肉体の限界を凌駕したのだろう。

 

 ルシアンは連れ去られていく2人を見つめ、怯えているマリーもいいなとおもった。

 

 



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道中

 ◇◇◇

 

「……ということがあったのです、アリーヤお姉様」

 

 洒落た内装の喫茶室の奥に陣取っている女子2人。

 片方はアリーヤ、そしてもう片方はマリーだ。

 

 ここはエル・カーラに最近出来た女性向けの店である。

 店主は女性術師。

 実験の失敗で右脚を失い、なにやら人生観の様なものが変わり商売をやってみようという事になったらしい。

 場合によっては命すら落としていたほどの事故だ。

 そういった事故の後に価値観が変わると言う事はままある。

 

 店主は術師だが、店自体は別に術師向けの店と言うわけではない。一般女性にも人気がある。

 

 月の物に劇的な鎮痛・沈静作用のあるハーブティーやら、冷え性に効果を発揮する薬湯やら、美肌効果のある紅茶やら……とにかく、その手の品書きで埋め尽くされている事が理由だろうか。

 

 価格は一般的な店の倍程だが、それでも開店から数日で瞬く間に人気店に成り上がった。

 

 気持ち効果があるだとか、そういう微々たる効果ではなく歴然と、そして明確に効果があるので、下手な薬などを煎じて貰うより余程コストパフォーマンスが良いのだ。

 

 本来は予約しなければとても座席などは取れないのだが、件の店主の右脚は術師ミシルが手ずから作り上げた義足である。

 店主もまた元教師であり、ミシルとは交流が盛んだった。

 その繋がりでアリーヤ等はこの人気店への優先入店権の如きものを持っている。

 

 なおその義足は日常生活での使用は勿論、触媒を消費してつま先部分から短刀程度の刃渡りの空気刃を生成できる。

 粗雑な数打ちの武器程度なら、受け太刀ごと叩き斬る事が出来る程度の鋭さだ。

 

 ミシル曰く、近接戦闘を仕掛けられた際の護身用の機能らしい。

 

 ◇◇◇

 

 涙目でマリーがアリーヤへ訴えかける。

 アリーヤはそんなマリーのおでこをガンガンと指でついて言った。

 

「おばか! マリー、貴女はおばか協会所属1等おばか術師ですわ。おばか協会の協会員は2名! 貴女とドルマですわね」

 

 けらけら笑いながら小馬鹿にしてくるアリーヤにマリーは言い募った。

「で、でも教師ヨハンは……あ、ヨハンさんは……」

 

 あのねえ、とアリーヤはやれやれ顔でマリーを諭す。

 

「術師ヨハンはあくまで手段を選ばない暴漢に対しての心構えだの、実戦を想定した手練を教えていたわけでしょう? 学院の、しかも同窓たる仲間を叩きのめすためにそれを使えといったのかしら? 学院での模擬戦は命のやり取りをする場所では無いの! 例えるならダンスですわね! あちらがこう動いたらこちらはこう動く、逆も然り。相手の見せ場とこちらの見せ場を交互に披露していく。実戦的ではないですけれど、講義で学んだ事を理解出来ているかを確認する為には良いと思いますわよ。お・わ・か・り~?」

 

 うぐぐと唸るマリーは、やがてしょんぼりと俯きながら言った。

 

「教師コムラードにも同じ事を言われました……」

 

 でしょうよ、と呆れた表情のアリーヤは、やがてニヤニヤしながらマリーへ訊ねた。

「ところでマリー。ルシアンとはどんなカンジですの? チュッチュくらいはしたのでしょうね?」

 

「まさか! ルシアンはただの友達です!」

 マリーはその髪の色と同じ位顔色を真っ赤にして首をぶんぶんと振り否定した。

 

 ──その反応を見ればただの友達と思っていない事は歴然なのですけどね

 

 アリーヤは内心ぼそりと呟く。

 ちなみにアリーヤには婚約者がいる。2人目だ。

 最初の婚約者は浮気をしたので焼いてしまった。

 家と家の争いになりかけたのだが、ミシルが仲裁する羽目になって事無きを得た。

 

 ミシルは生徒想いの良い教師だが、一番弟子であるアリーヤには殊更ゲロ甘なのだ。

 名前を勝手に使われて、有名店へのコネ入店を黙認する程度には。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「それで彼らは想像以上の伸びを見せてね。才能とは恐ろしいものだとつくづく感じたよ。アレでまだまだ伸び代があるのだからな。成熟した時にはどれだけの化け物になるか想像もつかない」

 

 私はヨハンがエル・カーラで教師をしていた時の話や、他の街の話、連盟の話もあらためて聞いていた。

 馬車での移動は長く、退屈しそうかなと思っていたのだけどヨハンの旅話が結構面白いので長旅も余り気にならない。

 ちなみにヴィリちゃんはあれからふらっと去っていったらしい。ヨハンはまたどこかで会う気がする、と言っていたけれど。

 

 ヨハンは、連盟の術師はいつもあちらこちらふらふらしている、との事だった。

 

「しかし、エル・カーラの話なんだけれどやり過ぎなんじゃないのかい? ……いや、でもどうかな……相手は悪魔崇拝者か。うーん……お行儀は悪そうだしなあ。生徒達の命を考えるなら、君のやり方が……正しいのかも……」

 

 命のやり取りと言う事になるなら、行儀の良い戦い方も行儀の悪い戦い方も両方しっていなければいけないとおもう。

 

「そうだろ? まあ付け焼刃にも程があったがな……。まあ暴漢共の出来も粗雑だったし、そこには助けられたよ。悪魔っていうのは雑なんだよな、やることなすこと全てが。もう少し仕上がった手下を集められていたら死体が増えていたかもな」

 

 悪魔、か。

 幸いにも私は悪魔と相対した事はないけれど、ヨハンが言うには無策で挑めば絶対に勝てない存在らしい。

 

「ところでさ、悪魔と魔族ってどう違うんだい? あともし悪魔と魔族が戦ったらどっちが勝つんだろう?」

 我ながら子供みたいな質問だけれど気になるものは仕方が無い。

 

 ヨハンは腕を組み、うーんと唸っていた。

「少しだけ長くな「構わないよ」……るが構わないかい? よし、構わないな。じゃあ話すぞ」

 

 ちょっと気になってたので、くい気味で返事してしまった。

 

「そうだなあ、まず悪魔と魔族は全然違うよ。何となく似てる感じはするが犬と猫くらい違う。悪魔は魔界の住人だ。魔界は相が異なる別の世界……そう、異世界だな。異世界の住人なんだ。だがその異世界ではどいつもこいつもちょっとした神に等しい力をもっている……とされている。そして例外なく退屈を嫌っている。連中の趣味は人間界……我々の住むこの世界で好き勝手滅茶苦茶にやることだ。迷惑な話だがな。人間を救う事だってあるよ、奴等は。概ね苦しめたりしているそうだが。基本的には自分が楽しければなんだっていいとおもってるんだ。悪の意味を知っているかい? 悪とは正しくない事を意味しない。悪とは何してもいいと考える事さ。何事にも縛られないのだ。善を為してもいいし、善の逆を為してもいい。どこまでも自分都合でしか考えない事を悪という。連中はそんな存在だ。とはいえ人間界にはタダで顕現できるわけではないから、人間を利用して顕現する事になる。だから悪魔が存在する以上、契約者がどこかにいるんだ。そして、顕現した奴等は仮初の肉体を持つ。本体自体は魔界にあるらしい。だから普通は絶対殺せないんだ。勿論裏技はあるんだけれどな」

 

 そこまで一気に言うと、ヨハンはすーっと息継ぎをした。

 記憶についての不安はあるけれど、体調は悪くはなさそうで安心した。長話がいつも通り長い。

 

 ──肺活量があがったかな? 

 ヨハンがそんな事をいいながら、再び口を開く。

 

「対して魔族は我々の世界の住人だよ。人間よりずっと強大な力を持つ異種族さ。だが支配欲が強すぎてね。自分達以外は下等と見做して支配したがるんだ。だから過去の歴史において、人間の生存圏に何度も何度もちょっかいをかけてきた。そこでキレたのが教会連中だが……その辺りは君も知っているだろ? 過去3回の人魔大戦の事さ」

 

 人魔大戦の事を知らないものはいないだろう。

 勇者と魔王、血湧き肉踊る冒険物語……

 

「それぞれの時代の勇者はそれぞれの時代の魔王を全て討伐してきているか、あるいは封じてきている。だから人々は魔族が、魔王が“おっかないけれど人が抗えない存在じゃない”と思っていたりする。しかしね、流石にそれは平和ボケが過ぎるんじゃないかと俺は思うよ。人類よりずっと少ない……10分の1以下の数しかいないのに、過去の人魔大戦では全て人類が半分以上殺されているんだからな。記録ではそうなっている。個体の性能差が違いすぎるんだ」

 

 どちらもはた迷惑だなあ。

 私は我知らずため息をついた。

 現実に魔族と向かい合った身としては、嫌な予感を強く感じざるを得ない。

 

「この二者が仮に戦ったならば……うーん、まあ悪魔が勝つんじゃないかな。魔族が強ければ強いほどに悪魔が有利だよ。連中は俺達のような脆弱な人間に敗北を喫するとすぐやる気をなくしたり傷ついたりしてしまうんだが、元から強い種族が相手だったら敗北しても大して堪えないからな。またすぐ顕現して魔族が死ぬまでしつこく付きまとうとおもう」

 

 悪魔は恐ろしい存在らしいけれど、妙にせこいというか……小物感がある……気がする。

 私の微妙な表情に気づいたのか、ヨハンが笑いながら言った。

 

「分かるぞ。まあ庶民感があるというか、セコい……俺もそう思う。ただ、基本的には危険な存在だ。気を許してもいいが、心だけは許すなよ」

 

 許さないとも。

 君1人で十分だ。

 

 ■

 

 怒り、そして憎悪だ。

 外に一切出さなかったのでヨルシカは気付かなかったが、最近説明のしようもない怒りと憎悪を常に感じている。

 

 腕を見る。

 俺の腕は片方は造りモノだ。

 

 胸を見る。

 秘術で俺は記憶を失ったそうだ。

 ヨルシカがいうのはそれは母親のものだそうだ。

 母親? 

 なんだそれは。

 意味は知っている。

 だが俺にはいない。

 いないはずがないだろう、人間なら母親がいるものだ。

 記憶に整合性がない。

 

 俺は次は何を失う? 

 命か? 

 ヨルシカか? 

 家族か? 

 

 トラブルなど、他に解決できるものがいくらでもいるだろう。

 中央教会などその最たるものではないか。

 

 俺自身が首を突っ込んでいるから悪いのか? 

 友や尊敬する者、家族に手を貸したいと思う事は悪い事か? 

 何も失いたくないなら、何もかもを手放せって? 

 

 何故俺がこんな目に遭う? 

 毎度、毎度……

 運命の神などというものがいるのなら、今すぐぶち殺してやる。

 

 ああ……

 

 でも、そうだよな。

 そういうものだ。

 俺は納得した。

 怒りや憎悪もまた納得し、飲み込もう。

 

 ◇◇◇

 

 術に必要なものは、魔力だ。

 魔力とは想いであったり、感情であったり、意思であったりする。

 

 術の規模は注ぎ込む魔力の量による。

 

 術の正確性はどれだけ静かな波風が立っていない魔力を注ぎこめるかによる。

 

 そして魔力の多さは思いや意思、感情、根源の強度に比例する。

 

 総括すれば、“強い術”というのは発狂に至る程の強烈な感情で魔力を増幅させ、その発狂に至る程の感情を完全に制御し魔力を安定化させ、それをもって術を行使すればいい。

 

 優秀な術師というのは概ね感情なり意思なり想いなりが豊かで、それでいながらそれらを自分の意思である程度制御できる者が殆どだ。

 

 真に優秀な術師は泣きながら怒り、怒りながら喜び、喜びながら悲しむことが出来る。

 はたからみれば狂人そのものではあるが……。

 ここまでの境地に至るものはそうはいない。

 勿論ヨハンとて、ここまでは極まっていない。

 

 だがこういった前提をもって考えると、切り札を切り、根源を失った術師ヨハンは果たして弱くなったのだろうか。

 

 逆だ。

 彼が煩悶し、怒り、憎悪し、悲しみ、それでいてそれらを速やかに制御する事で、彼は以前より術師としての完成度を高めつつあった。

 

 人としては、分からないが。

 

 ■

 

「……ヨハン、どうかした?」

 

 ヨルシカが心配そうに聞いてくる。

 もちろんどうかした。

 尻だ。

 

「……いや、揺れだよ。揺れ。尻がね。高い馬車だぞ? 乗賃だけで……黒粉が一瓶買えるっていうのに、震動を抑える装置が貧弱すぎる」

 

 ヨルシカはげんなりした様子で、確かに、とボヤいていた。

 乗賃だけで高級娼婦が3人買える、といおうとしてやめた。

 嫌な予感がしたからだ。



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閑話:連盟名簿②ジャハム翁

人形ではなく人業です



連盟の5本目の杖【人業使い】

 ジャハム

 

 ■

 

 とある村にジャハムという老人が居た。

 70を超える老人である。

 ジャハムは優れた木工職人だった。

 その手は木材から様々な物を造り出す事が出来た。

 例えば人形、例えばミニチュアサイズの家、例えば家具。

 ジャハムには造れない物など無かった。

 ジャハムは非常に優れた木工職人だったのだ。

 

 ■

 

 ジャハムには幼い孫がいた。

 孫の名前をイリスという。

 孫の親……つまりジャハムの息子、そして義娘はいない。

 彼らは流行り病で死んだ。

 ジャハムの職人としての稼ぎがあるため、貧困とは縁が無かったのだが、その年の流行病は質が悪かった。

 ジャハムが薬や医者の手配をしている間に、あれよあれよと2人とも死んでしまった。

 

 ジャハムは泣きに泣いたが、それでも幼い孫は生きている。

 ジャハムは誓う。

 せめて孫が成長するまでは自分は倒れてはならない、と。

 

 ■

 

 ある日、長らく便りが無かった義娘の姉がその夫を連れてやってきた。

 彼らの名前はアンナ、そしてギド。

 彼らは亡くなった妹……つまりジャハムの義娘に代わって姪の面倒を見る、と言った。

 

 “葬儀の便りも無視をしたくせに今更何を”

 

 ジャハムはそう思ったが、あるいは親族が死んだ事で改心をしたのかもしれない、それに孫には母親が必要だと考えたジャハムはその話を受け入れた。

 

 思えば、それが最大の過ちだったのだ。

 

 ■

 

 家の事をアンナが仕切る事になり、ジャハムは肉体的には大分楽になった。

 ……はずだった。

 

 だが、楽になったはずなのに、ジャハムはどんどん衰弱していく。

 体が弱る、心も弱る。

 なぜか。

 アンナとギドが毒を食事に毒を混ぜていたからだ。

 やがてジャハムは歩く事すら困難なほどに弱ってしまう。

 

 “まだ死にたくない、孫が大きくなるまでは”

 

 ジャハムはその一念で死の川を渡る事を拒否し続けていた。

 

 ■

 

 ある日アンナとギドが深刻そうな表情で、もうこの家には金がないと言ってきた。

 

 このままでは全員飢えて死ぬ、と。

 だからイリスを人買いに売らねばならない、と。

 

 ジャハムは激怒した。

 衰弱という死神の魔手は、既にジャハムの命の半ばまでに延びていたが、それでもなおジャハムは怒りを露にした。

 

 アンナとギドは言う。

 怒ってもどうにもならない、と。

 せめて後1人、飯を食わせる人数が減ればどうにかなるのに、と。

 それがジャハムの事を言っているのは明らかだった。

 

 ■

 

 ジャハムは山へ捨てられた。

 いや、望んで捨てられたのだ。

 残り僅かな自分の命を使う事で孫が、イリスが助けられるならば、と。

 ジャハムは山の冷たい土へ横たわり、空を眺めて過ごした。

 腹が減れば草や木の実を食べた。

 

 ■

 

 不思議とジャハムは体力が戻りつつあるのを感じていた。

 とはいえ微々たるものだ。

 しかし、家に居たときに感じていた命が抜けていっている感覚はもう無い。

 ジャハムは知る良しもないが、毒が抜けてきているのだ。

 

 山へ捨てられてからどれくらい月日が経ったかは知らない。

 だが、ジャハムはどうあれ自分は長くないだろうと考えていた。

 死ぬ前に孫の顔を見たい。

 ジャハムは山を降りることを決めた。

 ジャハムの選択は正解だ。

 

 毒が抜けたとはいえ、ろくなものを食べていない。

 それゆえに、体力は減りはしても増えることはない。

 降りるなら今という判断は正しい。

 だが、それは最悪の選択でもあった。

 

 ■

 

 家に孫がいない。

 でかけているのだろうか? 

 ジャハムはいぶかしむ。

 

 その時、家に誰かが戻って来る気配を感じた。

 ジャハムは慌てて物陰に隠れた。

 

 アンナとギドだった。

 孫はいない。

 

「それにしてもあの爺さんもとっくに死んでいるだろうが、孫がすぐ来てくれたのだから俺達に感謝すべきだよな」

 

「そうね、あの人を山へ置いてきた後、あの子供を人買いに売ろうとしたのにね。暴れて暴れて。大人しくさせようとして殴ったら死んでしまって、最期まで迷惑だったわね」

 

 ジャハムは目を見開いた。

 血が頭に昇り、怒鳴りつけてやろうと、孫の仇をとってやろうと、……できなかった。なぜならジャハムにだって分かっていたからだ。

 

 このまま出て行って復讐しようとしたところで、返り討ちにあって墓が1つ増えるだけだと。

 

 ■

 

 それでもジャハムは怒りを堪え切れなかった。

 堪える為に手の甲に噛み付き、自分の中から迸る得体の知れない激しいモノを抑えようとした。

 

 涙は流れなかった。

 流れたのは血だ。

 余りの怒りで血の涙が流れたのか、ジャハムは唯一残った冷静な部分でそう分析する。

 良く見てみると、それは普通の涙だった。

 目の前が一瞬赤く染まったせいで見間違えたのだ。

 

 ■

 

 アンナとギドが再び家を出て行った後、ジャハムもよろよろと物陰から出てきた。

 

 足が大分ふらついていた。

 しかしジャハムの腹は決まっている。

 復讐だ。

 仇を討つのだ。

 

 でもどうやって? 

 こんなか弱い老人が、どう復讐するのだ? 

 刃物でも持ってやぶれかぶれで突っ込むか? 

 

 裏庭の井戸に持たれかかりながらジャハムの目が殺意で染まっていく。

 ジャハムは掌を眺めた。

 老体ゆえに全身の水気は少ない。

 だが、殺意だけは並々と満ちていた。

 この掌をアンナとギドの血で濡らしたい。

 

 そんな事を思っていた時、声がかけられた。

 

「はじめまして、私は連盟の術師、マルケェス・アモンと申します。貴方のお孫さんの無念を晴らすための力が欲しくはないですか? 条件はただ1つ……我々の、家族となる事……」

 

 柵の向こうから覗き込んできている男。

 たわごとだ。

 力? 何を言っている。

 ジャハムはそう跳ね除けようとしたが、マルケェスと名乗る男の目を見た。

 

 嗚呼

 

 ジャハムは男がどういうモノか、はっきりとは分からないまでも、本能で察した。

 

 ジャハムは頷いた。

 家族にでも何にでもなってやる。

 その代わり……

 

 ■

 

 それから暫くたって、村ではちょっとした騒ぎとなっていた。

 少し前にやってきたアンナとギドの姿が見えない。

 最初はどこかで遊びほうけているのだろうと放置されていたが、全く帰ってくる様子がないため流石に村のものは心配になってくる。

 

 彼らは以前村の顔役だったジャハム老の親族だ。

 かわいそうに、お孫さんもそのご両親もみな事故や病で亡くなってしまって、それにショックを受けたジャハム老は失踪。

 それでも健気に彼らが帰ってきたときのためにと家を守ってくれていた立派な夫婦だったのだが。

 

 だから村の者が数名、彼らの家を調べてみた。

 やはりアンナとギドはいない。

 変わりに、男の人形と女の人形が置かれていた。

 趣味の悪い事に、人形の目からは血のような赤い液体が流れている。

 

 村の者達は質の悪いイタズラだと人形を燃やして処分した。

 この時、村の者達数名の耳に、悲鳴のような絶叫のような声が聞こえていたが、彼らはそれを口に出すことはなかった。

 まさか人形が叫ぶはずもないだろうし、と。

 それにそんな事くらいで怖がっていたら村の者達に馬鹿にされてしまうだろうから、と。

 

 ■

 

 アンナとギドの家の捜索は早々に打ち切られた。

 死体の類もどこにもなかったし、家の主が居ないという以外の異常はなかったからだ。

 

 だが、1つ。

 

 家の裏に、何かを掘り返した穴が空いていた。

 異常といえば、ただそれだけだった。

 

 ■

 

 それから暫くして。

 ある日、マルケェスが街道を歩いていると見知った顔が向かいから歩いてきた。

 以前家族へと誘った者だ。

 

 彼は独りきりだった。

 だがいまはもう独りじゃない。

 みよ、彼と手を繋いでいる小さな人影を。

 

「やあ、ジャハムじゃないか、元気そうでなによりだよ。イリスちゃんも元気そうだね」

 

 マルケェスが手を振り、声をかける。

 イリスと呼ばれた少女はぺこりとお辞儀をした。

 頭から木屑がこぼれる。

 

 ──“造ったばかり”かな? 

 

 マルケェスがそんな事を思っていると、ジャハムも笑顔を浮かべマルケェスの言葉に答える。

 

 

「おお、おお! マルケスじゃないか。うむ、わしは元気じゃよ。他の者らは元気かい? ルイゼ嬢ちゃんはまだ独身なのかの?」

 

 ジャハムの言葉にマルケェスは笑う。

 

「私はマルケェスだよジャハム。マルケスって君、それは隣国のマルケス失地王の事みたいで嫌だなぁ……。あとね、これは忠告だがルイゼに男の話をしてはいけない! これは連盟の禁忌だよ君。なぜなら彼女はまた振られてしまったんだからな! ハハハハ!」

 

 マルケェスが笑うと、ジャハムが連れている小さい娘……イリスがマルケェスの脚をパンパン叩きながら頬を膨らませて抗議をした。

 

「マルケェスおじちゃん! わらったらだめなことってあるのよ!」

 

 マルケェスはおっといけないと自分の口を手で塞ぎ、それでもニヤニヤと笑いをやめない。

 そんなマルケェスにイリスは頬を更にふくらませて、おじいちゃんも! と叱責が飛び火する。

 

 それからも彼らはちょっとした雑談をして、手を振りながら別れた。

 

 ■

 

 去っていく二人の背を見送るマルケェスはニコニコと笑いながら二人に背を向ける。

 

 ──やはり家族は笑顔でなければな

 

 そういえば、とマルケェスは聞き忘れた事を思い出す。

 

 ──イリスの体が新しくなっていたな。

 ──あれは北方にしか生えないスノーウッド……

 ──彼は北を旅行してきたのかな? 

 

 

 ◇◇◇

 

 彼の術は単純だ。

 木細工を造る。

 そこへ命を吹き込む。

 それを操る。

 

 だが、その逆……つまり命を造り替えて、木細工へ仕立てる事も出来る……。

 彼の手がずぶりと肉体へ沈み込むと、そこから段々と肉体が木へと変質していくのだ。造りかえられた命は意識を残したまま彼に永久に操られる。



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エル・カーラ再び①

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

【挿絵表示】

 

「ほら、此処からでも見えるだろ。あの大きいのがエル・カーラの大魔針塔だ。街の中にはあれと同じ様なものがいくつかあるが、あの塔が一番大きい」

 

 ヨハンの指す方向へ視線を向けると大きな塔があった。

 魔針は結構高額な魔導具なのだけど、あれだけ大きいものだと幾ら位かかるのだろう……。お屋敷を建てる処じゃ済まないに違いない。

 

 でも、それだけの費用を時間を知る為だけに費やすものだろうか? 私がその辺の事をヨハンに聞くと、彼は頷きながら答えてくれた。

 

「あの塔は……他の塔もそうだが、時間を知る以外にも街の護りの要という役割もある。……ところでヨルシカ、君って結構寝相が悪くないか? この時期でも夜は多少冷えるから寄ってくるのは構わないんだが、肘は本当にやめてくれよ。君の肘打ちは硬木を圧し折るだろ」

 

 私は雑に頷きながら“気をつけるよ”とだけ言った。

 そういうのは私の意思でどうにかなる事じゃないし、慣れていって欲しいと思う。

 

 そんな事はともかくとして、ヨハンが露骨に話題を逸らしたのはやっぱり塔には重大な秘密が隠されているんだろうな。

 少し気になるけど、その秘密が明かされる場面と言うのはきっと不穏なものなんだろう。

 

 ■

 

 ミシルが言っていたが、あの大魔針塔、そして街の各所に点在する塔は起動消費触媒だ。

 有事の際……例えば戦争をふっかけられただとか、魔物の大暴走……スタンピードだとか……そういう危機の際に起動するらしい。

 

 起動する術は簡単に言えば結界である。

 街を覆う規模の。

 

 それがどういう類の結界かは当のミシルもまた知らないそうだ。なぜなら大魔針はエル・カーラという街が造られた時に同時に建てられたとの事で……。その頃ミシルはまだ生まれても居ない。

 

 更にはこれまで一度も起動した事がないとの事。

 加えて、協会の一等術師だけがこの結界の詳細を知る事が出来る様で、ここまで来ると秘密主義にも程がある。

 ミシルならば大魔針を解析も出来るのだろうが、それをすると協会が本気で殺しに来るのだそうだ。

 

 協会員多しと言えども、一等術師は多くない。

 多くない所か、現在生存しているのは3名だ。

 

 ちなみにルイゼは協会の術師でもあるが、彼女は2等術師に留まる。

 

 実力云々の話ではなく、準2等より上に行くには政治力も必要とされるのだ。

 ルイゼはアリクス王国で貴族位を賜っている為2等まで上りつめた。

 だがそれ以上は無理だろうな。

 

 何せ一等術師のお歴々の地位は大公爵、公爵、侯爵だ。

 

 なお準一等術師のミシルは政治力というか、各国への影響力が凄まじい。ある国の元帥等は老化で痩せ衰えた肉体を片っ端からミシル製の“部品”へ取り替えてしまった位なのだとか。ミシルの“信者”は沢山いる……らしい。

 

 この辺はアリーヤが言っていた事なので多少は盛られているのかもしれないが……。

 

 そして、そんなこんなしている内にエル・カーラへ到着した。

 

 ■

 

 入場は特に問題ない。

 俺はエル・カーラで働いた事があるし、その記録は残っている筈だ。

 ヨルシカはアシャラの認可冒険者でもある事だし。

 

 俺もイスカの認可冒険者ではあるが、アシャラのそれと比べると信用の格差がありすぎる。

 

 ヨルシカはあちらこちらをキョロキョロと見ていた。

 彼女は剣士だからエル・カーラは余り縁がないだろうな。

 一部の特殊な剣士を除いて、彼らの多くは魔力を体内で消費する。それで身体能力を向上させるのだ。

 身体能力向上に触媒を必要としない為、費用対効果が非常に良い。

 

 俺も出来なくはないのだが、向上幅は元の身体能力に依存する為、か弱い術師がそんなものをつかっても余り意味はない。

 

 ■

 

「まず宿を押さえようか。どうせ金はあるんだ、高級宿を取ろう。高級な宿は室温を一定化させる魔導具が使われていたり、風呂が付いていたり色々便利なんだ」

 

「あ、ああ! 宿屋、そうだね、宿を取ろう……それが良いと思う、私も……宿を……宿……!?」

 

 ヨルシカは了承するが、妙に反応が鈍いというか挙動が不審だった。エル・カーラが都会過ぎて緊張でもしているとでも言うのか? 

 

 アシャラとエル・カーラは風情は違うが、別にアシャラが田舎街というわけでもないだろうに。

 すると体調が悪いとか月のものか? 

 それならやはり宿が最優先だな。

 

「よし、行こう」

 

 ・

 ・

 ・

 

 と言う事で我ながら金満的だとも思うが、エル・カーラで一番高い宿屋を取ってしまった。

 

「それじゃあヨルシカ、部屋を2つ取るが構わないな。一応隣同士にしておくぞ。5階建てだからな……バラバラの部屋だと同じ宿なのに落ちあうのに時間を食うという事になりかねない」

 

 だが、俺がそういうとヨルシカは首を振って言った。

「この宿は高いよ、高すぎる。もう少し節約すべきだ」

 

 確かにそうなのだが、ヴィリ辺りがこの宿を真っ二つに引き裂いても弁償できるくらいは金があるのだが……

 

「それなら別の宿にするか?」

 

 まあ他の宿でも構わないが、と俺が聞くとヨルシカはこれにも首を振る。

 と、そこで俺は思い至る。

 

「じゃあ一緒の部屋にするかい?」

 俺がそう言うと、やっとヨルシカは頷いた。

 

 敢えて気付かない振りをしたとかではないが、普通はもう少し順序を踏むんじゃないだろうか? 

 こっちは術なし武器なし殺し無しの積もりで決闘に応じたら、実は殺しも術も武器もありで殺りあわなければいけないと知った時の様な気分だな。

 

 ■

 

 と言う事で荷物を置いて、宿を出る。

 

「この後はギルドかな?」

 

 ヨルシカが聞いてきたので頷く。

 仕事をするつもりはないが、自分の移動の履歴を残しておく事は大事だ。

 

「その後は術師ミシルに面会を申し込む。この腕のマイスターだよ。ある程度実戦で使って思ったんだが、近接用の武装が追加できないかなと思ったんだ」

 

 ヨルシカは義手をマジマジと見つめ、少し考え込んでから口を開いて言った。

「ちょっとした刃を出し入れ出来れば使い勝手が良いかもね」

 

 まあそれが無難かなと俺も思う。

 毒を噴出させたり、自爆したりとかも考えたのだが整備が命がけになりそうだからだ。

 

 ■

 

 特に問題もなくギルドにアシャラからエル・カーラへ移動した旨を伝える。

 

 ヨルシカが登録する時は、剣士がエル・カーラを訪れるとは珍しい、と言われた。

 やっぱり珍しいのか。

 

 ■

 

 この後はミシルの元へ。

 初対面の時は彼女の弟子が繋いでくれたが、今回はどうだろうか。

 普通は事前に様子伺いなどするものだからなあ。

 

 駄目なら駄目で面会申込みだけ伝えて置けば良いか……という雑な気持ちでいざ屋敷へ赴いてみると、意外にもすぐに屋敷内へ通された。

 

 ■

 

 応接間へ通される。

 そこにいたのは相変わらずの無表情なミシルだった。

 変わりはないようで何より。

 

「お久しぶりですね、術師ヨハン。隣の方は? ああ、良い出会いがあったようで何より」



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エル・カーラ再び②

 ■

 

 ミシルとの対面にはヨルシカも連れていった。

 ヨルシカとしては先の魔族との戦いに思う所があったらしく、何か戦闘用の導具があれば、との事らしい。

 

 一応その辺についてはミシル次第なので、一旦外で待ってもらってミシルに確認を取ったが、特に問題ないとの事だったので今2人してミシルの屋敷の応接室に通されているという次第だ。

 

 ミシルは腕や脚を取り替える気はないかとヨルシカへ提案して、ヨルシカも少し悩んだ様だがそれは断わっていた。

 俺も今別に手足を取り替える必要は無いと思う。

 

 そういうものは千切れるなり壊死するなりしてから取り替えれば良いのだ。

 

 ミシルはあんな導具はどうだとかこんな導具はどうだとか、色々とヨルシカへ提案していた。

 彼女は剣士向けの導具も色々と作っているらしく、ヨルシカの来訪は霊感を刺激されると言って喜んでいた。

 

 そういえば術師コムラードはエル・カーラでの戦いで重傷を負ったものの、今では現場復帰を果たしたらしい。

 良かった。

 

 治療にあたってはミシルがコムラードの“部品”を取り替えたかったそうだが、とんでもない剣幕で叱られたのだとか。

 

 ◇◇◇

 

 雑談の傍ら、ミシルはその術師としての眼をヨハンへ向けた。

 術師として何が視えるかは個々人で異なるが、ミシルは心の在り様を漠然とした風景にかえて幻視する。

 

(一面に咲く花畑は枯れゆき、空には暗雲広がり、然して酸が混じる雨が降りしきり。変色した花々は地に溶ける。ですが……)

 

 ──無残に荒れ果てた花畑の中央に木々が生え、伸びる

 ──硬く黒い幹が次々と真っ直ぐ、天へ伸びていく

 

【挿絵表示】

 

「黒い森……」

 ぼそりと呟くミシルにヨハンは特に反応を示さない。

 ヨルシカはきょとんとしてミシルを見ていた。

 

 まあ良いでしょう、とミシルは視るのをやめてヨハンに向きなおった。

 

「さて、アシャラでは何があったのですか? どういう状況でどの様に私の作品を使ったのか教えて下さい。土産話という奴ですよ。見返りといってはなんですが、作品の整備はタダで請け負いましょう。他にもご要望がある様ですが、そちらは料金を頂きます」

 

 ◇◇◇

 

「それはまた大変でしたね。それにしても悪魔の次は地神に魔族ですか。災厄の呪いでも受けていないか確認した方が良いでしょうね」

 

「中央教会が? あちらもあちらでキナ臭い様ですね」

 

「勇者ですか。私は好きではないですね。私の師が迷惑をかけられたので」

 

「ああ、そうなんですか? 道理で雰囲気が甘ったるいなと鬱陶しかったわけです。いえ、冗談です」

 

「アリーヤは元気ですよ。あの子にも友達が出来た様で何よりです」

 

「あれからは特に問題はないです。悪魔崇拝者の残党もいなかったわけではないのですが、もう居なくなりました。え? いえ、街から逃す筈がないでしょう。居なくなっただけです」

 

 ■

 

 ミシルとは面識のある面々の近況や、ちょっとした情報交換等をした。

 義手についての改良案をいくつか受取り、その中から“現実的な案”を選ぶ。

 

 そして腕を渡し、金を半金支払い屋敷を辞去した。

 それまで腕無しだ。

 改良には3日、4日かかるらしいので、それまでエル・カーラを見て回ろうと思う。

 

 触媒も購入しておきたかった。

 鉱石や木片だ。

 鉱石は勿論だが、木片と言うのも触媒としてはよく使われるものの1つだ。

 安価だし、色んな伝承や逸話が世界中にある。

 問題は……やや嵩張る事くらいか。

 俺はいつの頃からか樹木と言うものに興味があった。

 種によっては1000年も2000年も生きるモノもあるというのは、学術的興味を強く刺激される。

 

 ヨルシカにそれを言うと、彼女は黙って俺を見つめるばかりだった。

 何か気に障る事でも言ったかと聞いてみたが“大丈夫だよ”などと言っていた。

 

 そういえば俺は木片を触媒に使うと言うのに、それらを1つも持っていないな。

 

 奇妙な事だ。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 次は使わせない。

 いいや、二度と使わせない。

 でもそれには力が必要だ。

 魔族でも神でも殺せる力が。

 

 ミシルさんは想いは力になると言っていた。

 でも油断をすればすぐ捻じれてしまうと。

 捻じれた力は不幸を招くと。

 

 でも、仮に私が力を得て、それが捻じれて不幸を招いたとしても

 

 その不幸すら殺してしまえる程の力なら何の問題も無いんだ。

 そうだろう……? 

 ヨハン。

 



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既視感

 ■

 

【挿絵表示】

 

 あれから酒場へ行って久しぶりに吞んだ。

 エル・カーラ名物だと言うアーヴ・サンズという薄い緑色の酒を飲んだが、独特の香気に加えて異様に強い酒精は好き嫌いが別れるんじゃないだろうか。

 

 ヨルシカは気に入ったらしいが。

 

 不味い訳ではないのだが、どうにも頭がこれを酒として受け付けない。酒じゃなく霊薬の類だ……。

 水を加えると白濁して怪しさがいや増す。

 

 酒の名前の由来は、太陽を支配する者、なんだとか。

 随分仰々しい名前だなと思っていたら酒場の親父曰く、昔の粗悪なアーヴ・サンズは飲むと幻覚を齎し、昼間からそれを飲むと太陽が歪んで見えたそうだ。

 

 転じて、太陽をすら歪ませる偉大な酒となったのだとか……。

 だが俺にはこの酒に名付けをした飲んだくれをあざ笑う事が出来ない。

 

 なぜならマルケェスが以前言っていたのだ。

 家族たる連盟員を酒の飲みすぎで亡くすとは一生の不覚、と。

 そう、昔のとある連盟の術師は星を良く学び、星座にちなんだ伝承から大きな力を引き出し、星をすら落とす事が出来たという。だが彼は酒を飲みすぎて死んだらしい。

 

 愚かな、とは言うまい。

 偉大な術師とて酒でくたばる……

 待てよ、魔族などこのアーヴ・サンズをぶっかけてやれば勝手にバタバタと死んで行くんじゃあないか? 

 

「なあどう思う、ヨルシカ。ところで君、顔色が悪いな……緑色じゃないか。ああ……南方の長緑蛇族の肌の色かな……ふ、ふふ……れんめいにも、いたそうだがね。しんだんだ。さむくてしんだらしい……冬の便所でな……あんまりな死にかただろうが……」

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 “なあに、酒で潰れる冒険者なんてド三流だよ、俺達ならばいくら吞んでも酔っ払ったりはしないのさ”

 

 なんてヨハンが偉そうに言っていた時には既に彼は酔っ払っていたと思う。

 残った片腕を枕にして眠っている彼を見ながらそんな事を思っていた。

 ヨハンと酒を吞んだ事は何度かあるけれど、潰れるのを見るのは初めてだ。

 

 気持ち良さそうだし、暫く放っておいてやろうと彼の背に上着を掛けようと思ったが……辞めた。

 念の為に自分の腕の筋を伸ばしておく。

 

 いくつか死線を潜り抜けた者って言うのは……

 

 そっとヨハンの肩に触れると、手首を掴まれる。

 そのまま義手を嵌めていた方の腕が懐へ入り、短刀を……取り出せなかった。

 そっちは腕がないものね。

 

 私はヨハンの顎の先端を甲で軽く叩くと彼は脱力する。

 倒れないように体を抱えて、椅子に座りなおさせてやる。

 ド三流の君はもう少し休んでいるといい……。

 

 そこで私はさっきから向けられていた鬱陶しい視線の方へ振り返って言った。

 

「で? 私に何か用か?」

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ちんぴらのキュゼ、女衒のモス

 

 俺はその2人を見て今夜の獲物はこいつらに決まりだな、と思った。

 

 女連れの男、しかも男の方は不具者だ。

 服装を見るに術使いらしい。

 連中は侮れない。

 むにゃむにゃと何かを呟くと火の球を出したりする。

 だが、あの男に限ってはそんな心配はなさそうだ。

 

 ──あんな風に酔い潰れていちゃな

 

 俺はほくそ笑む。

 女の方はどうだ? 

 軽い鎧、腰には細っこい剣。

 ああいう剣を使うやつは素早い。だが非力だ。しかも女。

 

 横目でモスを見ると頷いている。

 面喰いのモスの御眼鏡にも叶ったか。

 確かにそうだ、あの女はとんだ別嬪だった。

 

 気の強そうな所がまたいい。

 

 ああいう女は内心で男に従いたがってる奴が殆どだ。

 少なくとも、自分を差し置いて潰れる男には良い印象を持っていないだろう。

 

 おっと、じろじろ見ていたから気付かれたか。

 

「で? 私に何か用か?」

 

 女が言う。

 いいね、男勝りの女を組み敷く事程楽しい事はない。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「そんな睨まないでくれよ、俺達はただそこの兄さんは大丈夫かなと思って声をかけただけだぜ」

 

 キュゼ、モスと名乗った男達はそんな様子で次から次へとくっちゃべっていた。

 

「それにしても潰れるまで吞んじまうとはね、冒険者は酒には強くないとなあ」

 

「お姉さんは剣士か? 拵えの良い剣だなあ」

 

「お姉さんの名前はなんていうんだ? え? なに? いいじゃないか、教えてくれよ。俺達も教えただろ?」

 

「ところでそこのお兄さんの腕はどうしたんだ? 魔物に不覚でもとっちまったのかい?」

 

「お姉さんも大変だよなあ、女なのに前衛ってのは。男の前衛、女の後衛はよくきくけどよ、逆は初めてみたぜ。俺ならお姉さんの前で戦うけどなあ、やっぱり男なら女を守ってこそじゃないか?」

 

 ・

 ・

 ・

 

「そこまでだ。キュゼにモスだったな。それ以上はやめてほしいんだ。大方、彼が頼りないと言う印象を私に与えたいのだろうけど、それ以上言われてしまうと私は君等をタダで済ませるわけにはいかなくなってしまう」

 

 私はかなりの自制心を発揮した……と自分でも賞賛したい。

 やめてほしいというのは本心だ。

 暴力沙汰か殺人沙汰になってしまったらエル・カーラを追い出されてしまいかねない。

 

 ヨハンの腕だってまだ受取っていないのに、街を追放なんてそんな醜態晒すくらいなら死んだほうがマシだ。

 

 とはいえ、段々と侮辱めいてきた彼らの言葉を余り我慢できる自信もない。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ちんぴらのキュゼ、女衒のモス

 

「へえ、ただで済ませる気はないって? それはどういう意味か教えてほしいな」

 

 俺は強気な女に聞く。

 それによ、と続ける。

 

「そこの兄さんが頼りないっていうのは本当だろ? 腕をなくして、引退もせずに冒険者をやるって、それはつまりお姉さんのヒモみたいなものだよな? 現実を見なよ、お姉さんは同情心、で、……?」

 

 気付いたら目の前の強気女が満面の笑顔で笑っていた。

 だが、可愛げのある笑顔じゃない。

 目だけが、笑っていない……

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 こういう時どうすれば良いか。

 考えてみれば単純な話だった。

 ヨハンがまさにそうしようとしていたじゃないか。

 怒りの余りこぼれた笑みを戻し、私は提案してみる。

 

【挿絵表示】

 

「なあ、どうせもう私が何を言っても口を閉じてくれないんだろう? だったらさ……どうだい? 腰のそれ。抜いてみなよ。そうしたら私は恐れをなして君達の言う事を何でも聞いてしまうかもしれないよ……ほら、抜きなよ、剣をさ」

 

 早く抜け。

 抜いた瞬間に斬り殺してやるから……

 

 って……ひゃっ!? 

 

 ■

 

 殺気を感じて、すわ襲撃か!? と飛び起きてみればヨルシカが男2人組と向かい合っていた。

 

 そういえばヴァラクでも似た様な事があったな。俺が悪魔や魔族と縁があるように、彼女もチンピラと縁があるに違いない。

 

 ともあれ、ヨルシカから感じる不穏な気配はさすがに街中の酒場で垂れ流すには物騒に過ぎる。

 

 見ろ、店中の視線が集中しているじゃないか。俺は水で手を濡らし、後ろからヨルシカの頬に当てた。

 

 ついでに、懐から木切れを男達の足元へ放る。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 頬に濡れた手。

 振り向くとヨハンがじとっとした目を向けてきていた。

 

「いや、これはね……ヨハン。彼らがその、君を侮辱して……」

 

 そう言うと、“頭から酒はかけられたか? ”とヨハンが言う。

 私が首を振ると、ヨハンは“じゃあこれでいい”と顎をしゃくった。

 

 彼の視線を追うと、二人組の足元には木切れ……そこから細い蔦が伸びて男達へまきついていく。

 

「蠢く蔦はさながら大蛇の如く。女は悲鳴をあげるもたちまちに不気味な笑い声が轟き、葉が覆いかぶさりてやがて悲鳴は途絶える。伝説上の食人木の伝承だ。おい、そこの2人。どうする? 俺はお前達を餌とするのはやりすぎだとおもう。だが、連れを挑発したお前達も悪いとおもうんだ。今なら頭を下げるだけで構わん。その時は俺も術を使ったのはやりすぎだったと頭を下げよう。お互い謝罪をして平和に諍いを終わらせないか? 選んでくれ」



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三色頭

 

結局あの場はお互い“すまなかったな”で場が収まった。

ヨルシカはやや不満そうだったが。

 

「……君が謝る必要がどこにあったんだ?」

 

ヨルシカが聞いてくる。

確かに。逆の立場なら俺もそう思っただろう。

 

「あの流れだと多分彼らを殺してしまっただろうと思ってたんだ。俺は殺してしまった後の事を考えていた」

 

俺がそういうとヨルシカはきょとんとしていた。

 

「あの術はある程度時間が過ぎてしまうと制御できなくなるんだ。血肉を吸って成長してしまう。対象が死ぬと術は効力を失うから際限なく暴れたりはしないんだが。あの時点でそうだな…数分も余裕はなかった。君から聞いた状況で殺してしまうのは流石にやりすぎだろ?間違いなく衛兵沙汰になる。だからこそ謝罪の言葉があるかないかをはっきりさせたかった。あるならあるでよし、無ければないで彼らが俺と最期までやりあいたかったと言う事を周囲に印象付けたかった。その上で客を金で買収して俺達の側を心証有利にしようと考えていた」

 

俺がそう言うと、なんでそんな術を…とやや引き気味だったので、それは君もだぞ、と答える。

そして、気になる事が1つ…。

 

「なあ、俺も君もだが…ちょっと攻撃的というか破壊的な性格になってるかもしれないな。俺は秘術の影響だろうが、君の場合は多分俺のせいだな。どうも感情に引っ張られてる気がする。特に互いの事になるとそれが顕著だ。君はヴァラクではもう少し温厚だったはずだ。傭兵のタマを潰しただけで済ませた。俺もそうだ。君が彼らに直接的なちょっかいを出されていたら俺は彼らを殺してしまっていたかもしれない。お互い気をつけよう。気付いたら連続殺人冒険者になっているかもしれない」

 

俺がため息をつきながら言うと、ヨルシカは“そ、そう…ありがとう…”とだけ。

ありがとうじゃないぞ。

 

「でもヨハンは割りと最初から破壊的な性格だった気がするけど」

 

ヨルシカの言葉には思い当たる節が沢山ある。

 

「ははは…笑えないがそうだな、俺は君との初対面の時、君ごとチンピラ共を物言わぬ骸に変えてやろうと思ってたよ。そういえばアシャラに着く前は悪魔崇拝者を解体したこともあった。あれ…?俺は比較的温厚になったのか?」

 

全然笑えないとヨルシカが言うが、黙殺。

 

そんなこんなでエル・カーラの夜は過ぎていった。

 

 

翌朝。

 

「お、おはよう…」

俺がさっさと身支度しているとヨルシカが起きていた。

 

「おはよう。今日はちょっと触媒屋を漁ってくるよ、君は適当にやっててくれ」

 

俺がそう言うと、ヨルシカは布団にもぐりこんだ。

まだ寝るらしい。

 

布団は替えておいたほうがいいぞ、とは言うまい。

 

 

触媒屋に向かう。

 

香木の類も欲しいな。

触媒としても良質な術が使いやすいし、あとはこれは大事な事なんだが、虫が湧きづらい。

木材っていうのは下手をすると虫が巣食うのだ。

木片だけじゃなく、樹皮なども数が持てていいが、これもやはり油断すると虫が湧く。

 

虫を使った術もあるし、結構悍ましい術が使えたりもするのだが、虫の術は触媒が逃げる恐れがある。

あと餌をやらないと死ぬ。

死んだ虫は触媒にならない…

 

色々考えると、協会が勢力を拡大した理由が良くわかる。

 

 

触媒屋についた。

だがあの三色頭…水色、赤色、黒色は…

 

 

「ねえ、ドルマ、マリーが水の術なんて使うのはおかしいと思わないの?マリーは赤だ。火の術だよ。彼女は火に愛されているんだ」

 

「好きな術使わせてやれよ…術なんてのは本人の思い入れがある術を使うのが一番なんだよ」

 

「ドルマもたまにはいい事言うわね。いいこと、ルシアン!私は将来偉大な術師になるわよ。全ての属性の術を使いこなす偉大な術師にね。いずれはあの太陽だって私の意のままに操ってみせるわ。協会も連盟も私が支配するの!さあ!早く触媒を仕入れて新しい術の特訓をするわよ!」

 




画像も良さげなのあったら後で差し込んでいきます


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エル・カーラ出立

 ◆◇◆

 

 SIDE:ドルマ

 

 マリーはアホだし、ルシアンはドアホだ。

 そしてアホ2人とつるむのがそこそこ楽しいと思っている俺は度し難い真のアホだ。

 

 それにしても協会と連盟を支配って滅茶苦茶言いやがる。

 協会はどうでもいいが、連盟はまずいだろ。

 いや、協会もまずいか。コムラードの親父はおっかないしな……

 

 それにしても連盟か。

 目を瞑ればあの男が……連盟の術師ヨハン……さんが脳裏に浮かぶ。

 

 血なまぐさい講義の数々! 

 いや、あの講義のお陰で命を拾ったのかもしれないけどよ。

 たまに夢に見るんだよ。

 小鬼の頭を潰せと言っていたあの時の無表情なヨハンさんの……

 

 ほら! 店の外に見えるじゃねえか! 

 ここにいるわけないのにな。

 幻覚か? 

 疲れがたまってるみたいだな。

 

「おい、ルシアン、マリー。俺は先に帰るわ。疲れがたまってるみたいでよ、ヨハンさんの幻覚が見えるんだよ」

 

 ──ねえ、ドルマ。私にも見えるんだけど……

 

 マリーの呟きを鼻で笑う。

 この前エル・カーラを発ったばかりだろうが。

 お前も幻覚か? 

 アーヴ・サンズでも吞んだのか? あれはガキが吞む様な……も、の、じゃ……

 

「やあ、ルシアン、マリー、ドルマ。久しぶりだな。元気そうで何よりだ。マリー、協会と連盟の支配とは恐れ入る。だが笑うまい。実際に君は才能がある。俺が君位の年の頃は野良犬を殺して食うのが精々だったからな。火球1つ出せなかった」

 

 ■

 

「きょ、教師ヨハンぜんぜぇ゙ぇぇぇ!!!」

 

 俺はもう教師ではないし、教師だったとしても教師ヨハン先生はおかしい。

 だがそういうのはくだらん指摘だな。

 

「マリー、淑女がはしたないぞ。ああ、ルシアン……何か拭くものはあるかな……ありがとう。ほら、拭きなさい。張り付くんじゃない……ドルマ、助かるよ。マリーを剥がしてくれ」

 

 赤い頭が張り付いてくる。

 いわゆる迷宮探索の依頼を受けた時、腕に張り付いてきた吸血大蛭の事を思い出した。

 子供の腕くらいあるでかい蛭だ。

 吸血した後だと真っ赤に膨れ上がる。

 そう、マリーの頭髪の様に。

 

 ドルマが手を貸してくれ、張り付いたマリーを剥がしてくれた。そしてルシアンはマリーの涙と鼻水を拭いてやっていた。

 

「あ゙り゙がどるじあん……」

 

 視れば間違いなく術師として成長したと断言出来るのだが、

 見ればただの子供にしか見えず……マリーは不思議な生き物だ。

 それにしても彼ら3人からは互いが互いに運命の糸を絡めあっている様に視える。

 

「君達は大物になるかもな」

 

 ◇◇◇

 

 この時のヨハンの霊感は正しいものだった。

 今より丁度10年後、彼ら3人組+1人は偉業の代名詞であるドラゴン・スレイを成し遂げる事になる。

 それもその辺の木っ端竜ではない。

 魔竜殺しだ。

 だがその話はまた別の話。

 他の場所で語るとしよう。

 

 ■

 

 あれから色々彼らと情報交換というか雑談をした。

 街の噂話や彼らの近況なども。

 

 アリーヤがあの3人組の頭目……頭目? に収まっているとは思わなかった。まあ才覚と言う意味で言うなら、アリーヤも大したものだし、才は才を呼ぶと言う事なのだろう。

 

 折角だし術師コムラードあたりにでも挨拶をしたかったのだが……しかし、俺の霊感が今はやめておけと囁くので素直に従う。3人組には適当な土産を持たせて術師コムラードへ渡してくれる様頼んだ。

 

 消費触媒はいくつか補充をした。

 ついでに起動触媒も。

 協会の術は余り触媒を馬鹿喰いするようなものはないのだが、無茶な使い方をすれば話は別だ。

 

 そして俺は今後も無茶な使い方をする様な気がする。

 と言う事でそろそろ宿へ戻ろう。

 腹が減ってしまった。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

「ただいま。ヨルシカ、飯でも行かないか?」

 

 ヨハンが帰ってきた。

 そういえばお腹も空いたな……もう昼だけれど、朝から何も食べていない。

 

 体を動かしたし……運動というか、いや、うん……

 それにしてもヨハンは手馴れていたと言うか……うん……

 

「あ、ああ……ちょっと待ってくれ……支度するから」

 

 私がそう言うと、“じゃあ1階で待っているよ”と言い残しヨハンは去っていった。

 正直助かる。

 

 もはや隠すべきものは何もないけれど、始末しておかなきゃいけない物や痕跡だってあるし、できればそういうのは見られたくない。

 

 ・

 ・

 ・

 

「お待たせ」

 

 私が1階へ降り、ヨハンを見つけて声をかけると彼は何も答えなかった。じっと観葉植物を見つめている。

 しきりに首をかしげていたが、遅れて私に気付いたみたいで手を掲げて応じてくれた。

 

 植物か……やはり引っ掛かる部分があるんだろうか……

 

「大丈夫かい?」

 私が声をかけると、ヨハンは観葉植物を指差した。

 彼の指を追ってみると……指!? 

 鉢から指が生えている!? 

 

「キノコだ。死人茸という。木に生えるんじゃなく、植物の根っこから生えてくる。人の指そっくりだが、よく見ると人の指とは差異がある。爪もないしな」

 

 彼が言うには、まるで土から這い出さんとする死者の指のようだということで名付けられたキノコらしい。

 驚いた。

 

「不気味に過ぎるが、意外にも吉兆というか魔除けというか、そういう意味合いもあるんだよな。この茸が生えている場所は死者が護る地と言う事で邪悪を寄せ付けない……らしい」

 

 確かにあの不気味さなら泥棒とかも驚いて逃げ出すかも知れない。

 

「ちょっとした防壁を作る触媒にもなるから、菌糸を分けてもらおうかどうか悩んだんだが、鉢植えから指がウジャウジャはえているのを想像するとどうも気乗りがしない」

 

 私はゆっくり首を横へ振って言った。

「私も嫌だ」

 

 ■

 

 キノコはさて置き、その後は飯を食って宿へ戻った。

 宿ではミシルからの文が届いており、腕が仕上がったとの事。

 ヨルシカへもその事を告げ、腕を受取ったらエル・カーラを出る事も伝える。

 

「次はヴァラクだっけ?」

 

 ヨルシカが聞いてきたので頷く。

「ラドゥ傭兵団に軽く挨拶しておくか」

 

 俺がそう言うと、“それがいいね”とヨルシカも賛成した。

 そうしてエル・カーラ再訪の最後の夜も過ぎていった。

 

 ■

 

 翌朝。

 

「おはよ。もう慣れてきた。コツは掴んだよ。今朝は私の方が早起きだったね。ああ、準備は済んでるから」

 

 ヨルシカに起こされ、手早く準備。

 昼前にはミシルの元へ行かないとならない。

 もう少し眠りたいが、ギルドにも挨拶しておかないとならない。

 

 飯を済ませ、ミシルの屋敷へ。

 

 ■

 

「これが品物です。説明は先の通りに。言っておきますが、くれぐれも受け太刀などしようとしてはなりませんよ。実体がないのですから、すり抜けてばっさり斬られます。逆に、相手の受け太刀を誘う様な使い方もありますが。もう一つの機能もまだ不完全です。三つを超えて込めないように。四つまでならともかく五つ込めれば暴発して貴方は死にます」

 

 ミシルの説明を深く肝に銘じる。

 

 では良い旅を、というミシルの言葉を背に俺達は彼女の屋敷を辞去した。

 

 因みにヨルシカは術剣を一本購入していた。

 なかなか扱いに癖がある様だが……彼女なら上手く扱えるか。

 

 ■

 

 宿から荷物を引き上げ、俺達は今ヴァラク行きの馬車を待っている。ヴァラクでは特に用事はないのだが、ヴァラクを経由しないとまともな馬車を拾えない。

 

 乗り継ぎの問題だ。



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閑話:ガストン、セシル、リズ、シェイラ

 ◇◇◇

 

「ここがイスカか、潮くせぇな」

 

 ガストンはぼやく。

 まあ仮にイスカが港町でなかったとしても、今のガストンは何かにつけ文句をつけていただろう。

 つまり、ガストンは相当に荒れていた。

 

 それでも当たれる相手がいれば話は別だったのだろう。

 しかし、ロイにせよマイアにせよ、別にガストンを虐げたとかそういう事はない。

 

 ガストンが恋に敗れ……というかマイアは最初からロイを好いていたのだからハナから勝負にすらなっていなかったのだ。

 

 そして、ガストンには勝負する資格すら無かった。

 なんといっても、彼はマイアへ対しその気持ちを告げる事も、明確な行動で好意を示す事も無かった。

 

 ただ、何となくマイアが自分の気持ちに気付いてくれたらいいなくらいの思いでモーションをかけていたに過ぎない。

 

 マイアが好きなら何故行動に移せなかったのか。

 それは傷つきたくなかったからだ。

 告白を拒否されて傷つきたくなかった。

 

 もし告白するならば、100パーセントの勝算がある状況でないとリスクがある……そんな事を思っていた。

 

 愚かと言わざるを得ない。

 傷つく事を恐れた結果、心に大怪我を負って尻尾を巻いて恋という戦場から逃げ出すなど。

 まだ玉砕した方がマシである。

 

 だが、そんな事はガストンにだって分かっていた。

 

 ◇◇◇

 

 そんなガストンは今、イスカのギルドで少女と喧嘩をしていた。

 

「あァ!? てめぇ! 何て言った!」

 

 すごむガストンに一切恐れをなす様子もなく少女は言い返す。

 紫味が混じる黒髪の少女だ。

 服装を見るに斥候だろう。

 

「何べんでもいってあげる! 私らは前! あんたは後ろ! なぁにが“どけよ”よ! 無頼気取ってんじゃないわよ間抜け! 年が上だろうが冒険者等級が上だろうが、それで順番が前後する事なんてないわよ! 大体あんた本当に私らより等級上なわけ? 辛気臭い面しちゃって笑える! 強い奴はそんな面しないんだよ! ここはギルドなんだけど? 葬儀場はあちら! さあ! さっさと尻尾巻いて消えなさいよ! それで自分の葬式でも挙げてろ間抜け!」

 

 ガストンの威圧に対して、返って来たのは10万倍の罵倒だ。

 その滅茶苦茶な罵倒は、なぜかガストンに1人の男を想起させた。

 

「ちょ、ちょっとリズ……言い過ぎ……」

 赤髪の女性がリズと呼ばれた少女を制止するも、少女は止まらない。

 

「セシルは黙ってて! この手のアホはすぐ手を出すからね! ほら、みなよ、拳握ってる。いいよ、殴ってきなよ。ほら、頬はここだけど? 頭だけじゃなくて目まで悪いわけ?」

 

 リズが頬を差し出し、ガストンを更に挑発する。

 冒険者としての等級が下で、年齢まで下と思われるメスガキにここまでされては、ただでさえ短気なガストンとしてはもう我慢がならなかった。

 

 順番待ちを飛ばそうとし、横紙破りをしようとしたのはガストンではあるが、格下で年下なら順番くらいは譲って当然だ。

 少なくともガストンはそう考えていた。

 

 そこからの挑発。

 

 ガストンの拳が飛ぶ。

 完全に挑発に乗せられていた。

 怒り故に不完全な体勢での中途半端な突き。

 

 それを見るなり、リズは体を思いきり反らし、伸ばされたガストンの腕を掴み、脚を跳ね上げガストンの腕へ絡みついた。

 踵でガストンの頭部を打ち、そのまま地面へと倒す。

 飛びつき腕拉ぎ逆十字だ。

 

「ちょお!? リズ! やばいって! 折れる折れる! やり過ぎ! しぇ、シェイラ~!!!!」

 

 セシルが叫ぶと、シェイラと呼ばれた女性がバタバタとギルドの隅から走ってくる。

 

「こら! リズ! やめな!」

 

 リズとしてはそのままガストンの腕を圧し折ってやるつもりだったがセシルとシェイラに力ずくで剥がされてしまう。

 

「邪魔しないでよ! 女だからって舐めてきたのはコイツじゃん!」

 

 頬を思い切り膨らませて抗議するリズにセシルとシェイラは頭を抱える。

 

「あ、あなたねえ……ヨハンとの依頼以降特訓に励むようになったのはいいけど、そんな性格だったっけ……?」

 

 痛みで呻くガストンの耳にセシルの言葉が聞こえてくる。

 

 ──ヨハン? いや、まさかな……

 

 ◇◇◇

 

「く、くそ、このメスガキ……」

 

 ヨロヨロと立ち上がったガストンがリズを睨みつけながら言うと、リズの怒りは更にボルテージを上げてしまう。

 

「あぁ!? メスガキ!? 命の恩人のヨハンに言われるならともかく!! お前に言われる筋合いはないんだよ!」

 

 突然の蹴り上げ。

 それも股間にだ。

 

 ガストンはぐるりと目を裏返し、気絶した。

 

 ◇◇◇

 

 リズとガストンとの間に絶対的な差があるというわけではない。むしろ格としてはガストンが上だ。

 

 真っ当な精神状態で真正面からよーいドンと殴りあったなら、リズはまずガストンには勝てないだろう。

 忘れがちだが、彼とてワイバーン討伐を為したパーティの一員なのだ。いや、一員だったのだ。

 

 実力差は大きい。

 たとえリズが此処暫く熱心に訓練を積んでいたとしてもだ。

 

 だが今のガストンは真っ当な精神状態とは程遠いし、リズの剣幕に圧され中途半端に手を出してしまった。

 元からリズはガストンの暴発を狙っていたのだから、そもそもの心構えが違う。

 

 ガストンがリズにボコボコにされてしまったのも当然の結果であった。

 

 ◇◇◇

 

「いやぁ、悪いねお兄さん……。私はシェイラっていうんだ。リズが……ああ、あの子はリズっていうんだけどね、なんかそう、発情期の猫っていうか……最近やる気が有り余っているというか……」

 

 療養所で申し訳なさそうに言う女に仏頂面を向けるガストン。

 盛大にぶっとばされて情けなさで頭も冷えた彼は、“いいや許さないね! ”などといえるはずもなく、ただ黙っているのみだった。

 

(いや、でも気になることがある……)

 

 ガストンはあのメスガキの言葉を思い出す。

 ヨハン……ヨハン? 

 

「なあ、あのガキが言っていたヨハンって奴だけど……滅茶苦茶口が悪くて陰険で腕が立つ男だったりしないか? 黒髪で、術師で……」

 

 ガストンが言うとシェイラはきょとんとした表情を浮かべる。

「彼の事を知ってるのかい?」

 

 ──知ってるも何も……

 

「前の、仲間だよ」

 

 シェイラの、あらーという間の抜けた声が部屋に響く。

 

 ◇◇◇

 

「はあ……それであなたは前のパーティから逃げてきた、と。ヨハンは前の仲間だったけど愛想つかされて見捨てられた、と……。ギルドに文句をつけたら、実は面倒を見てもらってたことが分かって一層情けない気持ちになった、と……」

 

 セシルが困り眉でガストンの心をドスドスと突き刺す。

 シェイラは苦笑、リズは完全にガストンを見下していた……と思いきや、意外にもその表情から敵対的なものが薄れていた。

 

「あー……ああー……なんか正直いって完全にあんた……ガストンが悪いけど、私も腕圧し折ろうとしたのは悪かったような……気がする。う、うーん……はあ……捨てられお仲間、か」

 

 リズが項垂れて言うと、ガストンは“お仲間ってのはどういうことだ? ”と質問をした。

 

 そこでセシルはガストンへヨハンとの出会い、諍い、別れについて話す。それを聞いたガストンはため息をつき、どういう縁だよ、とだけぼやく。

 

 それからガストンとセシル達は、似た様な境遇と言う事もあいまって色々雑談を交わし始めた。

 

 ◇◇◇

 

「情けねぇな……」

 

 ガストンが項垂れて呟く。

 そう、本当に情けなかった。

 恋に真正面から向かう事も出来ず、逃げ出して、逃げ出した先で格下にボコられて気絶……余りにも酷すぎる。

 

「情けねぇよ……」

 再び呟いたガストンはいつのまにかボロボロと涙を零していた。

 

 セシルもシェイラも何も声をかける事が出来ない。

 だが……

 

 バチン! という音が響き、同時にガストンが“うげえ”と声をあげる。

 リズのビンタだ。

 

「なら強くなればいいじゃん! ウジウジウジウジ言ってる暇あったら依頼がんがんやって成長すればいいんじゃないの? そうやってベソベソ泣いて涙で溺れて死ぬつもり? 冒険者なら魔物に食い殺されて死ね!」

 

 余りにも酷い激励だが、ウジウジガストンには暴言混じりが丁度良いとも言える。

 “そうかもな”とちょっと元気になったガストンを見たセシルは、“ええ、マジなの? ”とちょっと引いていた。

 

 そんなこんなで……

 

 ◇◇◇

 

「じゃあ、シェイラ。私たちいくね」

 

 セシルが馬車を背にして言う。

 シェイラは頷き、セシル、リズ、そして……ガストンを見て“良い旅を”と言い残し、彼らに背を向けた。

 その背は少しだけ震えている。

 

「しぇ、しぇいらぁぁ」

 

 リズがまたグズりだすが、ガストンがケッと小ばかにすると2人はまた喧嘩をしていた。

 

 そう、そんなこんなでセシルとリズ、ガストンはパーティを組む事になったのだ。

 

 3人の行き先は……傭兵都市ヴァラク。



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夢幻の先

 ■

 

「君との出逢いは良かったけれど。でも全体的にヴァラクは物騒なイメージしかないよ」

 

 ヨルシカの言には全く同感だ。

 頭からつま先まで満遍なく物騒だった。

 

 まあエル・カーラもアシャラも物騒だったのだが……。

 俺1人だったならばそれら三つの戦いのどれ1つとして生き残れなかったと思う。

 

「赤いのは見た目が最悪だったよね」

 

 それも同感。

 後臭いだ。

 ひたすら血腥かった。

 

【挿絵表示】

 

「皮肉なものだ。その身に月光を受けた月魔狼フェンリークはそれはそれは神々しく美しい存在だったそうだ。それに憧れた挙句が死体の寄せ集めとはね。ところで話は変わるが、君の術剣はどんな代物なんだ?」

 

 ヨルシカは“血を使うんだ”と答えた。

 成程、血か。

 血は触媒としてはそう珍しいものじゃない。

 

 従来の術剣は杖と剣を一体化させた物が多い。

 

 そしてその殆どが剣としても杖としても中途半端な代物だ。

 元々の目的としては、距離を問わない武器を希求して開発されたものらしいが、まあ甘い物と辛い物を混ぜ合わせた食べ物が甘党と辛党、両者の需要を満たせるかという話ではある。

 

【挿絵表示】

 

「飢血剣サングインって言うんだってさ。ほら、この溝。ここから斬った相手の血を吸うんだ。ちなみに柄頭のココを押すと……いや、押すなよ!? だから押すなって! うん……そうしたら吸血管が出てきてね。私の血も吸う」

 

 なんだその邪剣は……ミシルは何を造ったんだ。

 だがまあ理屈は分かる。

 

 血とは即ち命。

 触媒に使う事で身体能力、生命力に対して強力な賦活効果を与えるだろう。

 

 そして、ヨルシカの血は……庶子とはいえ彼女にはアシャラ王家の血が入っている。

 そういう特別性の血は庶民のそれとはまさに別格だ。

 物騒な剣だが、ヨルシカの心強い武器となるだろうな。

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

【挿絵表示】

 

「そろそろヴァラクだね。ラドゥ団長は元気かな?」

 

 ヨハンは“あの手のタイプは物凄く元気か強敵に殺されてるかどっちかだ”なんて失礼な事を言っていた。

 

「だって彼はもう73歳だぞ。年齢を聞いた時は俺も驚いたよ。でも凄腕の騎士連中っていうのは殺されたりしなければ大体長生きなんだよな。俺は以前、アリクス王国からやってきた元騎士団長だっていう爺さんに長生きの秘訣を聞いてみた事がある。その爺さんは118歳だったんだが……」

 

 118!! 

 凄いな……

 

「秘訣は?」

 

 私が聞くと、ヨハンは“根性”とだけ答えた。

 ふうん。

 

 ■

 

「明日の朝にはヴァラクだ。まあエル・カーラとは違ってやることはないしな。君の得物を……と思っていたが、ソレがあるなら要らないだろう。予備の武器も今まで使ってたものがあるしな」

 

 うん、とヨルシカが頷く。

 “それなりに業物なんだ”との事。

 

 確かに彼女は魔狼の硬い毛皮を一撃で抜いていた。

 だが俺はその時、何をしていたのだっけな……

 樹皮を使った術を使ったことは覚えている。

 術腕もなかったし……

 

 以前あった事を思い出そうとすると、時折、整合性がとれなくなるというか、真っ暗な穴に向かって叫んでいる様な気持ちになる。

 

 多分……秘術の影響なんだろう。

 失ったものをどうこういうつもりはもうない。

 俺は失いはしたが得る事もできたのだから。

 

 だが、背中が痒いと思ってかいてみたら、全然違う場所をかいていたような気分だ。

 痒い場所をかいたのに、そこではない。

 だがかゆみは感じる。

 

 そんな益体もないことをつらつらと考えながら、ヨルシカの横顔を眺めているうちに眠ってしまった。

 

 ■

 

 穴に落ちていく、深い深い深い穴へ。

 その穴は余りに深い……この深さは時を意味するのだろう……

 ずっとずっと先の世界に俺はいる。

 そんな脈絡もない考えが湧いてくる。

 

 穴の底には恐ろしい化け物がいる。

 俺は周囲を見渡した。

 

 死体だ、沢山の死体。

 

 ヨルシカはどこだろうか。

 いた、俺の手を握っていた。

 

 他には誰かいないのか……

 

 いた、俺の目の前に立っていた。

 化け物に向かい合っているのは青年だ。

 青年の傍には何人かの戦士達。

 

 そうだった、俺達はこの化け物を倒す為に……

 

 青年が黒い剣を構えた。

 俺も術を支度する。

 ヨルシカが俺を護る様に体勢を整える。

 

 これが最後の戦いだ、最後の、最後の……

 

 ■

 

 ―ハン! ヨハン! 

 

「……ヨルシカか。ああ、もう朝か」

 

「いつまで寝ぼけているんだい? ほら、ヴァラクだよ。もう目と鼻の先だ」

 

 俺は大きく息をついた。

 何か変な夢を見た気がするが……

 



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ヴァラク再び①

 

と言う事でヴァラクへ到着。

入場の手続きもすんなりと済んだ。

というより、以前ヴァラクでこなした仕事の件で顔が売れてしまっていて、検査の類はほぼ無いに等しかった。

 

◆◇◆

 

SIDE:ヨルシカ

 

「この後は宿、そしてギルドだったね」

 

私がヨハンへ確認をすると彼は頷いた。

ヨハンは確かこの順序を怠って野宿をしたのだったか。

 

「ヴァラクは色々と荒っぽいというか雑な部分があるから、宿代はケチらずに行こう。強盗や窃盗といった犯罪が頻発するほど治安が悪いわけじゃないんだが、宿の廊下ですれ違う時肩がぶつかったとかで殴りあったりする奴等とかも珍しくはないんだ」

 

そんなヨハンの言葉に私は頷かざるを得なかった。

ヴァラクは決して悪い街じゃないのだけれどね。

悪い街じゃないのだけれど、話し合うより殴りあうほうが手っ取り早いと思っている人達が多い事は否めない。

 

そして連れ立って宿探しをしたが、私達のお眼鏡に叶う所はすぐに見つかった。

食い千切る魔狼の牙亭という宿だ。

お店の名前にはその都市の色が出るものだけれど、ヴァラクのお店は大体物騒な名前で逆に笑ってしまう。

 

宿に荷物を置き、主人に小銭を渡して管理を厳にしてくれる様に頼み、私達はギルドへ向かった。

 

◆◇◆

 

SIDE:セシル

 

「ようこそ、ヴァラクへ。力試しの為に此処を訪れたのでしたら実に賢明と言えるでしょう。傭兵都市ヴァラクには物騒な依頼ももっと物騒な依頼も、血腥い依頼には事欠きませんよ♪」

 

あんまりにあんまりな歓迎の言葉に苦笑してしまうけれど。

でも望む所ね。

リズもガストンも心に期すものがある様で、その目の奥には戦意に似た何かが燃えている気がする。

 

私もそう。

この都市で暫く研鑽を積む。そして私達は更に飛躍するでしょう。

根拠なんか1つもないけれど。

リズがガストンへぶつけていた言葉…冒険者なら魔物に食い殺されて死ねっていう台詞…私は共感できる。

 

ずっとイスカで冒険者稼業をして居てもいいけれど、きっとその先には成長や飛躍がない。

ガストンは知らないけれど私もリズも、冒険者として英雄と呼ばれるに相応しい存在になりたい…という夢がある。

 

そんな事を考えながら手続きを進めていると…

 

「な…!?よ、よう…。お前もここに来ていたのか…ヨハン…」

 

そんなガストンの言葉に、私もリズも勢い良く後ろを振り返った。

 

 

「な…!?よ、よう…。お前もここに来ていたのか…ヨハン…」

 

まさかここで会う事になるとは。

しかも俺にとっては余り印象が良くない連中だ。

ただそれは冒険者として、という意味である。

人として彼らに対して思う事は特にはない。

 

「ガストンか。ああ。余り長くは居ないだろうが。それにセシル、リズ。シェイラがいないな」

 

俺が答えると、セシルとリズが前へ出てきてややぎこちない挨拶の後に事情を説明してくれた。

 

なるほど、恋人がね。

それにしても恋人といえばガストンは…いや、言うまい。

事情なりあるのだろう。

 

「そ、それで…そっちの女の人は?」

聞いてきたのはリズだ。

 

俺が紹介しようとするとヨルシカが前へ出てきて自分で名乗る。

 

「私はヨルシカだ。アシャラで認可を受けている冒険者。彼…ヨハンとはとある依頼の時に知り合ってね。それ以来懇意にしている。見た所…貴方達とヨハンは知り合いの様だね」

 

まあ少し世話になってな、と言うガストンの返事におや?と思う。

 

こいつはそんな殊勝な性格だっただろうか?

もう少し刺々しい…と言うほどでもないが、乱暴…でもない…ううん…そう、情緒不安定だった気がするんだが。

 

俺の訝しげな雰囲気に気付いたのか、ガストンは“俺にも色々あるんだよ”と言った。

確かにそうだ。

生きていれば色々ある。

 

それよりよ、とガストンは続ける。

 

「お前も少し変わったな。前よりとっつきやすくなっている気がするぜ。恋人でも出来たか?」

 

俺は頷く。

 

「ヨルシカとは特別な意味で親密だ。だが、俺がとっつきやすくなったというのは勘違いだろうな。どうしても俺が変わったと思うなら、それはお前が少し変わったからだと思う。以前のお前は腕は等級並みでも、精神面がガキそのものだと思っていたが、今のお前は何となく以前よりはマシな気がする。ロイ達とワイバーン討伐でもして一皮剥けたか?」

 

俺が言うと、ガストンは糞ッと悪態をつき、ワイバーンどころかクソガキに気絶させられたなどと言う。

彼の視線の先にはリズ。

まさかリズに負けたのか。

 

だがそのリズは口を開けたままなんとも間抜けな表情だった。

 

「と、特別な意味ってどんな意味!!」

 

リズがいきなり叫びだす。

いきなりなんなんだとリズを見れば、良くわからない事をウダウダと言っていた。

佇まいを見るに、少しは出来る様になっているはずなのだが、精神面ではこちらは退化しているといっても過言では無い。

 

セシルを見てみると、彼女はこちらを見ていなかった。

というより、今この瞬間、ギルドの壁の木目こそが人生で最大の関心事だとでも言う様に壁を見ていた。

ガストンは、といえば短刀を収めている鞘を磨きだしている。

 

「や、ヤったの!?」

 

ギルドという場所でリズ…メスガキがとんでもない事を聞いてくる。

すると流石に看過出来ないと見たか、ガストンがリズの後頭部を引っぱたいた。

 

ヨルシカはそんな連中の様子をどこか笑みの様なものを浮かべて眺めていたが、ガストンとリズが喧嘩を始めて互いが拳を放った時、ヨルシカが割ってはいって二人同時に投げて転がしていた。

 

これは後から聞いた話なのだが、アシャラは体術が盛んらしい。開祖アシャートが魔法と体術を組み合わせた技法を得意としていた事からだという。

 

 

あれから色々ちょっとした雑談をして、セシル達が冒険者として山を越えたいという様な事を話していたので、彼女らがヴァラクに居る理由に得心がいった。

 

視た所、魔狼が相手でもそれなりにやれるだろう。

運が悪ければ誰かが死ぬかもしれないが、それも含めての冒険者稼業だ。

 

ああ、でもそういえば…ラドゥ傭兵団はまだ人員不足なのかな?何だったら口を利いても…いや、しかし冒険者として大成したいなら傭兵団に入団するというのもなんだか違う気がする。

 

まあ彼らが決める事か。

 

そんなこんなで俺たちは再会し、そして別れる。

生きて居ればまた会う事もあるだろう。

リズはまだ何かを言いたそうだったが、ガストンやセシルに抑えられ渋々引き下がっていた。

 

さて、まだ時間はあるな。

ラドゥが居ればいいが。

この次はラドゥ傭兵団に軽く挨拶しにいくつもりだ。

あの戦いをお互いに乗り越えたと言う事で、やはり自分の中でもラドゥ傭兵団への好感度が高いなと思う事がある。

 

 

ラドゥ傭兵団を出向くと丁度ラドゥと正座しているカナタ、そしてそれを取り囲んでいる団員達が居た。

カナタが何かを叫んでいる。

 

「僕は!真人間に!なります!…だ、団長~…もう100回言いました…」

 

カナタが泣きべそをかきながら言うと、ラドゥは首を横に振る。

 

「真っ二つになりたいならそこでやめろ。だが、まだ生きて女を抱きたいならもっと反省の念を込めなさい。残念ながらカナタ、お前からは真の反省が感じられない」

 

そこでラドゥが俺たちに気付く。

ラドゥは忌々しそうにカナタを睨みつけると、“行ってよし”と言った。逃げ出すように去っていくカナタの背をみて、少し痩せたか、と思う。

それにしたって冷静沈着なオルド騎士の見本みたいな男をこうまで感情的にさせるとは!

 

カナタの悪癖を知っている俺は大体の事情を察する。

苦笑しながらヴァラクを訪れたついでに挨拶しに来た事を告げるとラドゥはたちまち表情を元に戻し、頷いた。

 

それから俺達は簡単な情報交換を交わす。

ラドゥは気になる事も話した。

 

「近頃きな臭い。ヴァラク周辺の話ではない、もっと広い世界の話だ。各国から不穏な知らせがちらほら届いている。知っているだろう、魔族だ。各地の地脈が集まる場所で出没しているらしい。何かを企んでいるのだろう。気をつけなさい」

 

地脈。

いわば世界に流れる魔力の流れだ。

 

 

 

俺達は挨拶もそこそこに傭兵団の本部を辞去した。

それからどちらから言い出したわけでもないが、ヴァラクのあちこちを見て回る。といってもヴァラクは観光客を財源としている都市ではないので、見て楽しいものはそう多くはないが。

 

他の冒険者達…あるいは傭兵達も沢山いる。

中には嫌な目を向けてくる者達も居たのだが、ヨルシカの腰に佩かれている剣…サングインを見るとすごすごと去っていった。

無理もない、正直に言って見た目も効果も魔剣…いや、邪剣だ。

 

最初は彼女もサングインを持ち歩く事に抵抗を覚えていた様だが、段々と慣れていったらしい。

 

よくよく見れば品の様なものを感じるらしい。

 

俺もマジマジとサングインを見つめると、邪悪さだけではなく、そこはかとない上品さの様なものを感じる様な気がする。

 

例えるならば貴族の令嬢が処女の頚動脈を搔っ切って、溢れる血で満たした浴槽でほっと一息ついているような上品さだ。

 

ヨルシカにそれを言うと、“理解したくはないけど言ってる事は分かる”などと言われる。

 



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ヴァラク再び②

◇◇◇

 

宿の大部屋。

 

セシル、リズ、ガストンが集まって話をしていた。

意外ではあるが、ガストンも同じ部屋だ。

間違いなど起こらないかと不安になるかもしれないが、ガストンと多少なり接してきたセシルやリズは表面的な態度以上にはガストンを信頼していた。

 

それはガストンの良識だとか善性だとか、そういうものよりも彼の情けなさをこそ2人は信頼していた。

勿論悪人だとも思ってはいないが。

 

実際ガストンは情けない男ではあるが、非道な男ではない。

それ以前に、ガストンは自分の安っぽいプライドが為にパーティを抜けて自尊心を保とうとした程の男であるので、婦女暴行の汚名を被る事を決して良しとはしないだろう。

 

だが、言うまでもないが3人一緒の部屋を取った最大の理由は金銭面という非常に大きな理由が影響している。

 

 

 

「ぐううう~……も、もう恋人が居たなんて…」

 

リズが唸り、歯軋りする。

そんな様子にガストンとセシルはもうウンザリしていた。

なぜならリズの愚痴の様なモノは、もう彼らの感覚では100回か200回は聞いていたからだ。

 

「美人だったしなあ。しかも俺達が殴りあいを始めそうになった時止められただろ?腕も相当なもんだぜあれは…。ギャハハ!リズ!完敗だな!」

 

ガストンが腹を抱えてリズをあざ笑うと、リズはキッとガストンをにらみつけ、しかし事実を否定する様な恥知らずな真似をする事も出来ず、仕方が無いので脳内でガストンをバラバラに引き裂くだけに留めた。

 

「で、でもさ。ヨハンもあの人の事を恋人だと明言したわけじゃないでしょ?」

 

セシルが無駄なフォローをするが、それを聞いたガストンはまるで包丁と鍋の蓋で魔族へ挑むと豪語し、実際に挑み当然の如く悲惨にくたばった狂戦士ゲルニカを見ているような目でセシルを見た。

 

ガストンの余りにも冷たい視線に耐え切れなくなったセシルは、グウともヌウとも付かぬうめき声をあげる。

 

 

◆◇◆

 

SIDE:ヨルシカ

 

「ヴァラクは明日には出立しようかと思うんだが、別に急ぎではないし、他に用事でもあるなら言ってくれ」

 

宿。ヨハンの言葉に私は首を横へ振った。

特に用事はない。

ただ、ラドゥ団長は他にも知っていそうだから色々話を聞いてみたいけれど、私から見てもあの人はちょっと苦手だ。

信頼は出来る人なんだろうけれど、少し怖い。

 

それを考えるとカナタの肝の据わり方はとんでもないな…。

ヨハンの話では、こと勘働きだけに限るならアシャラの上級斥候も及ばない程の能力がある…との事だった。

ちなみに、それ以外の面では…あまりに酷い例えの為、私からは言えない。

 

 

翌朝。

 

おきろ、ヨルシカ…と頬をパチパチ叩いて彼女を起こす。

昨晩は特に何事もなく普通に眠ったのだが、旅の疲れが出てるのか最近はやや寝起きが悪い。

 

いや、俺もそうか。

何かしら夢を見た時、俺も大体寝坊してしまう。

彼女も何か夢を見ているのだろうか?

 

「おはよ…今日は君の方がおきるのが早いんだね…」

 

ヨルシカは俺の目から見て、6割方は寝ているように見えた。

仕方ない。

 

 

木杯に手を被せ、一片の樹皮をその甲に置く。

この樹皮は水呼樹という水分を大量に含んだ樹木の皮だ。

 

――若樹の精。其の伸びた手より滴る水が我が愚昧を潤す

 

俺が呟き、その手をどけると木杯には十分な量の水が満たされていた。

水で満たした木杯をヨルシカへ渡す。

 

ややぼうっとしていた彼女がそれを飲み干すと、すぐに表情が引き締まったというか、“ああ、目が覚めたんだな”というような感じになる。

 

ちょっとした水を湧かせる術だ。

触媒を使う以上、費用対効果が優れている…とは言いがたいが、触媒自体は安いのでわざわざ節約するまでもない。

 

旅をするのが趣味の青年がいた。

青年は愚かだった。

旅が好きなくせに旅に必要な知識に欠けていたのだ。

しかしそれ以上に美しかった。

青年は容姿に優れていた。

 

そんな青年はある時、精霊がすむという森を旅しようと思い立つ。

だが、容姿の美しさ等は森歩きには何の役にも立たない。

当然の様に青年は森で迷い、食い物も飲み物も切らせてしまう。

 

森ならば食料も水分も、正しい知識さえあればいくらでも補給は出来る。

 

しかし、何が食べられて、何がのめるかもわからない。

なぜなら青年は愚かに過ぎたからだ。

飢えはともかく、乾きには耐えられず、青年は堪らずに若樹に爪を立てる。

 

旅人の美しさと愚かさが同居した姿に若木の精は彼を見初め、自らの樹液を青年に分け与えた。

青年は活力を取り戻し、無事に森を抜け出ることができた…そんな寓話から引っ張ってきた水だ。

 

寓話の教訓は分かりやすく言えば、馬鹿でもツラさえよければなんとかなる…というものだ。

 

身も蓋もない。

 

大量には出せないが、飲むとちょっと元気になる水である。

 

「なんか…凄く美味しいね。どうも体が重かったのだけど、いますぐ全力で走れるくらい元気になった…気がするよ」

 

それは良かった。

 

ちなみに、この術の問題点はそれなり以上の容姿の者以外には全く効果がない点だ。効果がないどころか、腹を下す。

容姿の良し悪しは術者の認識次第だが、それでも使い所が難しい術だ。

 

まあ樹木に纏わる術というのはこういったささやかなものも多く、普段使いにはなかなか便利な術が揃っている。

 

が、悪辣なものも当然あり、その悪辣さは自然という人の身では御し得ない大きな力、あるいは存在の凶暴的な一面を具現化させたかの様な術もある。

 

ただいずれにせよ、触媒の持ち運びがネックとなる事には変わりはない。

 

勿論他の触媒を用いた術も使えなくはないのだが、思い入れの無いモノを使った術というのは、それは例えるならば右利きの者が左手で文字を書くようなもので、極々稀に失敗するのだ。

 

例えば先ほどの術であるなら、美味しくてちょっと元気が出る水ではなくて、毒の混じった水が出たり…

 

そして、伝承などから力を引っ張ってくるタイプの術…すなわち連盟式のそれは、そういった失敗が酷い結果を齎すことも決して珍しくは無い。

 

だが、俺はこのあたりの欠点を改善できないかと考えている。

いますぐはどうにもならないが、ゆくゆくは、という形だ。

 

要するに、思い入れがないのならば、思い入れを造ってしまえばいい。

しかし、記憶を完璧に改ざんするというのは難しい話だ。

 

仮にそれが出来たとしても、必要に応じて改ざんを重ねていく事は余りに危険が過ぎる。

 

であるならば、人格自体を増やせないだろうか。

そうだ、さながら挿し木の如く…必要な人格を必要に応じて作り出せたなら…

 

今は無理でも、思索を深めていけばいずれは可能になる気がする。

 

…と思ったところで考える事をやめた。

 

なぜなら愚案だと分かったからだ。

少なくとも現時点では。

 

仮に俺の考えが全て実現可能だったとして、各人格を統合する人格が絶対的に必要だ。

 

それがなければ俺の精神は俺自身によってばらばらに引き千切られるだろう。

 

だが、子人格がそれぞれ改ざんされた記憶を持っていたとしても、親人格がそれを把握してしまっていると、恐らく術の安定性も効果も増強される事はないだろう。なぜなら親人格の俺は子人格の記憶が欺瞞だと分かってしまっているためだ…。



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イスカへの道中

 

短い逗留期間だったが、俺達はヴァラクを出立した。

ちょっとした再会もあり、ラドゥの少し気になる言もあり。まあ立ち寄ってよかったと言えるかもしれない。

 

これからイスカへ向かうわけだが、馬車はやはり屋根付きの高級馬車だ。

 

【挿絵表示】

 

俺はあちらこちらを転々としている為、馬車には一家言あるのだが、やはり安い馬車と言うのは家族を人質にでも取られない限りは乗ってはいけないと思う。

 

安い馬車の筆頭といえば荷馬車だろう。

乗り心地が劣悪だ。

ただ、まあ仕方ない部分もある。

そもそも荷台に人が乗る事を想定されていないのだから。

 

ともあれ安い馬車に乗らなければ家族の首を搔っ切ると脅しかけられたなら、その時初めて乗るかどうかを検討すべきだ。

 

 

【挿絵表示】

 

「結構居心地はよさそうだね」

 

ヨルシカも特に不満は無い様だった。

まあ俺も彼女もその気になれば板敷きだけの馬車でも我慢できるが、しなくていい我慢なんてものはする必要は無いと思う。

 

「乗り合い馬車もちょっとな。それにイスカまでは少し日数も掛かる。寝台がある方がいい」

 

俺がそういうと、彼女も頷いた。

 

「本棚まであるんだね。ル・ブランの紀行物か。結構好きだよ」

 

ル・ブランは世界中あちらこちらを旅して回っている冒険者だ。本当かどうかは分からないが、空中都市や海底都市も旅して回ったと言う。

果ての大陸に渡った事もあったとかなんだとか…。

彼は実在する人物だが既に故人だ。

 

だが、彼の子孫たちもまた冒険好きで、俺も子孫の1人とあった事がある。

 

だがその子孫は世界を冒険するより、女体を冒険するほうが好きというていたらくで、知りたくもなかったのに俺も色々と話を聞かされてしまった。

 

「ねえ、ル・ブランは地底都市へいった事があるというけれど本当なのかな?この挿絵…どう思う?」

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

地底都市か。

はるか地の底に一大文明圏が築かれているとかなんとか。そこでは擬似的な空が広がっており、なんと陽光も差すのだとか。

 

「あるかもな。いわゆる迷宮に近しい性質を持つ都市なのかもしれない。迷宮というのは不可思議な空間で、魔術だか魔法だかにより擬似的な空が壁面に投影されている階層もあるのだとか。大きい迷宮は基本的に国が囲っているわけだが、どうせ目的も特にはないのだし、目指してみても面白いかもしれない。運が良ければ財宝にありつけるかもしれないぞ。魔法の武器や道具も出土するそうだ。俺は以前、刀身が螺旋をまいている不可思議な剣を持つ剣士に会った事がある」

 

◇◇◇

 

「おじちゃん後ろ!」

 

男と女、そして少女を襲う火炎弾を結界術で相殺して、彼らに怪我がないかを確認していたザジに、少女の悲鳴のような警告が飛んだ。

 

ザジは振り返ると同時に裏拳を放ち、襲い掛かってきた黒い僧服を着た男達の1人の顔面を叩き潰す。

 

鼻が折れたとかそんなチャチなダメージを与えたわけではない。膨らませた風船を釘つきバットで引っぱたいたかの如く、ザジの拳は男の顔面を破裂させたのだ。

 

脳の欠片と血飛沫がザジの身を飾り立てる。

だがザジの表情は無表情のままだった。

それもそれで異様なのだが、彼と相対する男達もまた異様であった。

 

ザジに仲間を殺されたにも拘らず、誰も何も感情も見せようとはしないのだ。

 

「勇者を消す、と言う所までは理解はしましょう。共感はしませんが。しかし勇者と接した事があるからといって、一般の人達までも消そうというのはどうなのでしょう」

 

ザジが言う。

すると男達の1人が口を開いた。

 

「彼らは異神を奉じていると調べが付いている。豊穣の神などというものは存在しない。それだけでも許しがたいと言うのに、逃げた勇者を庇い立てするなど言語道断。それなのに何故貴様は我々に牙を剥く?貴様の敵は我々ではないはずだ。貴様、法神の教えに刃向かうか?」

 

ザジは首を振った。

異神を奉じてようが馬鹿な勇者を庇い立てしようがどうでも良いのだ。

ザジが信じるのは法神のみ。

別に教会を信じているわけではない。

その法神はこのように教えている…

 

悪意を持って盗んではならない

悪意を持って騙してはならない

悪意を持って殺してはならない

悪意を持って傷つけてはならない

ただ我のみを奉じるべし

他の何者にもその信仰を捧げてはならない

我が言葉をあるが侭に受け入れるべし

地には平和、天には秩序を齎せ

陰陽遍く、法の光を照らすべし

 

ザジの解釈では、法神は民が異神を信じているからってぶち殺していいとは言っていない。

 

個人の信仰の在り様に文句をつける気はないが、法神が言っていないことをあたかも言っているかのように振舞うのはどうも気に食わない。

 

「自分個人の考えとして、異教徒が気に食わないから彼らをぶち殺します、ならまあ分からないでもないのです。しかし…なぜ法神が異教徒は殺せと言っているかのごとく振舞うのです?法神はそんな事を教えてはいません。聖典のどこにもそんな事は書いていません」

 

ザジの言葉に男達は黙り込んだ。

過激派と呼ばれる彼らにとってその質問は答え辛いものがあった。

 

確かに法神はそんな事は言っていないからだ。

だがここではいすみませんと引く事の出来ない事情もあった。

 

法神の権威を知らしめ、教会の勢力、存在感を全世界に満たす。そうすることで浮かぶ瀬というものもあるからだ。

 

過激派の多くは国からの追放者、亡国の王族の係累…要するに権を追われたもので構成されている。

つまり、彼らは再び造りたいのだ。

自分達の王国を。

千年王国を。

 

そのためには力がいる。

それは教会権力だったり、盲目な信者達であったり、あるいは意のままに動く勇者であったり。

 

だから邪魔なのだ。

 

穏健派が。

人ならぬ力があり、信奉を集めかねない存在…他の神が。

自分達の意図に気付き、散々教会の評判を下げるべく行動し、挙句の果てに逃げ腐った勇者が。

 

そう、要するに中央教会とは、過去の栄光にすがる私欲まみれの亡霊たちが再起を目論む為の組織だったのだ。しかし、そんな腐った組織だって信者という力を集めなければいけない以上、表向きは耳障りの良い言葉を並べ立てるわけで。

 

穏健派とは、そんな組織の上っ面に騙されて入信してしまった者達の中にたまたま異常なまでに純粋な者がいて、そういった者らが立ち上げた派閥であった。

 

そんな穏健派の者達は神の正しさというものを信じて行動している。

そして、“正しさ”に任せて行動する事の狂気さや強さというものは、権力欲などとは比べても劣らないほどの狂猛さを秘めている事は多くの者が知っているだろう。

 

過激派がこれまで一度も教会の実権を握ったことがないという事実がそれを証明している。

 

「聖典のどこにもそんな事は書いていません…なのに、なぜぇ…?なぜ貴方方は…神の言葉を騙るのですかぁ~…?」

ザジがニタリと嗤った。

 

そりゃあ過激派はやばい。常に殺気立ってる。

力が欲しい欲しいと啼いている。

過去の栄光を取り戻すためなら何万人、何十万人だって殺すつもりでいる。

異教徒、魔族、逆らう連中は何でもかんでも殺してやると息巻いている。

権力欲だって馬鹿には出来ない。

権力とは世界を動かすに足る力だ。

 

だが、穏健派だってやばいのだ。

だって、彼らは信仰に狂ってるから…。




刀身が螺旋をまいている不可思議な剣については、カシナートの剣、ミキサー、でグーグル検索してみてください。
生成がうまくいかなくて諦めました。


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Zazie

◇◇◇

 

ザジに親はいない。

彼は生まれてすぐ捨てられた。

酷い話だが、彼を孕んだ女はとある貴族家に仕えていた侍女だ。

 

身も蓋もない言い方をしてしまえば、そのとある貴族とやらが侍女を無理矢理抱き、孕ませ、子供の存在を認知しなかったと言う事である。

 

侍女とてそれなりの家柄の者であった以上、醜聞の元となるような子供を育てるわけにはいかなかった。

 

当時、堕胎薬のようなものはあるにはあったが、母体諸共赤子を殺してしまえというような粗悪なものも珍しくなく、堕胎薬を使う事自体が大きなリスクといえた。

 

だからザジは生まれてすぐ殺される予定だったのだが、やはり自らの腹を痛めて産んだ子だ、侍女は密かにザジを郊外の教会の近くへ捨てた。名付けの札を持たせて。

 

Zazie。

それは自由という意味を持つ。

 

幼いザジを拾い育てたのは、中央教会のとある老神父だ。

とある都市、その郊外にある小さい教会を預かっていた優しいお爺さん。

 

それが老神父だ。

 

何か特別な活動をしていたわけではない。

一般的な教会業務を極々普通にこなしていただけである。

 

説法、周辺住民とのコミュニケーション、人生相談やら悩み相談やら…それなりに効果のある民間医療やらを施し、ちょっとした風邪の面倒なども見てやったり。

 

老神父は過激派だの穏健派だの、そんなものには所属していない。

この荒れた世で、民草には神という心の支えが必要だと思い神職を志しただけだ。

 

中央教会には水面下でバチバチと殺り合う過激派、穏健派の抗争に一切関わらず、ただ地に安寧があらんことを、と望んでいる者達だって当然いる。

 

便宜上これを良識派と名付けるが、彼らは数こそ多いが何か特別な力、異形とも言える意志の形、あるいは底なしの野望、宿望のようなものを持っているというわけではない。

 

しかし、彼らのような存在こそが過激派や穏健派より、より多くの民草の心を救ってきたのだ。

なぜなら真に民草へ目を向けているのは三派でも良識派だけなのだから。

 

少年期、青年期を教会で過ごしたザジもまたそうだった。老神父を父と慕い、よく学び過ごした。

 

平和とは何か、その答えは人それぞれである、としか言えないが、ザジが教会で過ごした日々はまさにその平和であった、と言えるだろう。

 

◇◇◇

 

しかし平和は恒久的なものではない。

いつかは破れる。

 

結局、何が悪かったのかといえば何もかも星の巡りが悪すぎた、と言わざるを得ない。

 

ある日老神父が行き倒れている男を助け、傷の手当を施したが、その男の素性がいわゆる悪魔崇拝者であった事は非常に運が悪かった。

 

彼に怪我を負わせたのが過激派の教会戦力であった事は非常に運が悪かった。

 

逃げた彼を過激派が諦めることなく追跡し続けていた事は非常に運が悪かった。

 

傷を負った彼に手当てを施した老神父の事を、過激派が邪教徒のスパイだと勘違いしてしまった事は非常に運が悪かった。もし穏健派ならばまだ会話が出来たのかもしれないが。

 

唯一の幸運は、“それが行われている間”、ザジ青年が街へ買出しに行っていた事だろう。

教会は郊外にあるため、生活に必要なものを定期的に買出しにいく必要があるのだ。

 

◇◇◇

 

教会へ帰ってきたザジ青年を出迎えたのは老神父だった。

 

ただし、四肢は切り落とされ、胴体、両の手足に杭をぶちこまれ、壁に貼り付けにされた老神父であったが。

 

ザジ青年は首を傾げる。

眼前の光景が全く理解できなかったからだ。

 

あるいは理解してしまえば終わる、心のどこかで分かっていて、理解へ至る思考の糸をザジ青年の本能が次々に切断していったからかもしれない。

 

だがそんな現実逃避は焼け石に水、どころではなく焼け石に水滴といった有様で、ザジはその聡明な頭脳で余すことなく老神父の惨死を理解してしまった。

 

幸いだったことがもう一つある。

老神父のショッキングな死に方はザジ青年の尊い何かを一瞬で破壊して、狼狽、混乱という無駄な時間を費やさずに済んだ事だ。

 

ザジ青年の尊い何かは破壊され、かわりにそこに“なにか”が入り込んだ。

それが何かはザジ青年には分からないが、なにかは言葉にならぬ囁き…啓示をザジ青年に齎した。

 

狂ってはならない

杭をみなさい

父の殺され方を確認しなさい

父が助けたという男の素性を調べなさい

周囲を見渡し、証拠となるものがないかを調べなさい

悪を為した者を突き止めなさい

父を殺したやり方と同じやり方で裁きなさい

 

ザジ青年はこれを法神の声だと考えた。

もちろんこの声は法神のものではないが。

この声はザジ青年自身の声だ。

ザジ青年の聡明さは彼が狂を発する事を許さなかった。

 

だが、この経験がザジ青年が法神を狂信する切っ掛けとなったことは言うまでもない。

 

◇◇◇

 

老神父を打ち付けていた杭の材質、彼の殺され方を調べれば自ずと下手人は分かる。

 

だがなぜ教会が老神父を殺すのか。

老神父が悪辣な異教徒だったとでもいうのか?

しかしザジ青年が知る限り、老神父が異教徒だった節はない。

 

となれば当然老神父が助けた男の素性に考えが及ぶ。

 

その男も老神父同様に惨い殺され方をしていたのだが、その死体を見てもザジ青年はなんとも思わなかった。

かつてのザジ青年は急速に崩壊し、新たなザジ青年が生まれていたからだ。

 

もってうまれた聡明さゆえか、ザジ青年は男がなにやら忌まわしい素性であったと仮定をし、老神父がその煽りを食って殺される羽目になった、とあたりをつけた。

 

だがそれを確かめるすべは、といえば…

 

 

◇◇◇

 

ある日、中央教会に新進気鋭の信者が入信してきた。敬虔な信仰心、聡明な知性、貴族の庶子という自己申告が正しいかどうかは分からないが、その優れた術的才能は瞠目に値する。

 

青年の名前はザジと言った。

 

◇◇◇

 

異端を憎む敬虔な信者ザジは、ほどなくして異端審問官に任じられた。

 

時折見せる異端への苛烈な姿勢、そして苛烈なだけではなく、道理を重んじる姿勢。炎と氷が共存するような特異な性質が穏健派の幹部の目に留まり引き抜かれたのだ。

 

それからというもの、異端審問官ザジは多くの任務をこなし、多大な実績をあげる。勿論成功ばかりではなかった。

 

異神討滅官…要するに、過激派版の異端審問官達との共同任務では敵邪教徒の罠にかかり、異神討滅官の者達は皆殺されてしまった。

ザジ自身はかろうじて逃げ出す事に成功した…と本人は供述している。

 

邪教徒達は卑劣にも異神討滅官達を拷問にかけた。

 

異神討滅官達の四肢を切り落とし、胴体と四肢を壁に打ち付けたのだ。

これは異神討滅官がよくやる殺り方である。

 

この時はザジにも任務の失敗を咎められ罰が下った。

だが、それ以降ザジが携わる任務に失敗はない。異神討滅官達との共同任務でも二度と罠にはまることはなく、至極穏便無事に任務を成し遂げていった。

 

とはいえ、失点もあったものの加点のほうが遥かに多かったザジは四等、三等、二等、と階梯を駆け上がっていったのだ。



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Zazie②

◇◇◇

 

5対1。

多勢に無勢、敵手の業前はザジには届かないとはいえ、多数を覆せる程の差ではない。

 

過激派の教会戦力はチンピラではないのだ。

個々が十分な鍛錬を積んでいる。

例えるならば5人が連携すれば、冒険者ギルド基準での上級冒険者であっても2人までなら戦況優勢のまま押し切れる。

 

二等異端審問官はいわば教会の上級戦力だ。

冒険者のそれと比べれば勝るとも劣らないが、仮に勝るとしても大きく逸脱する事はない。

ならばザジが5人の三等異神討滅官に勝てる道理はないのだ。

 

異神討滅官達のリーダーであるケイセルカットが右拳を握り、親指側の方で胸を叩き、まるで胸から剣を引き抜くかのような所作を取りつつ、左手の人差し指と中指で宙にホーリー・マークを描く。

 

近接攻勢法術・神聖刃

 

ケイセルカットの右手には輝く刃が握られていた。

光熱をもって敵手を焼き切る光の剣だ。

 

教会の奇跡は法術とも称され、通常使われる魔術とは違い、詠唱を口に出すのではなく、その所作に詠唱が込められている。

トリプル・アクションを要する法術はあえて階梯分けをするならば中級法術と言えるだろう。

 

◇◇◇

 

ザジは自身を取り囲む異神討滅官達にさして興味を向けることはなかった。

代わりに腕を広げ、まるで抱きついて来いというような姿勢を取り、目を瞑った。

 

「法術か?しかし…」

異神討滅官の1人…ギゴが訝しげに呟き

 

「拡散の法術。しかしその先がない。隙だらけだ。行くか?」

キプロスが答える。

 

だが彼らのリーダー、ケイセルカットはそんな仲間達を制止した。

 

「あれは二等異端審問官ザジだぞ。奴がどれだけの数の邪教徒の首を獲ったか思い出せ。あれは隙ではない。気をつけろよ、馬鹿正直に突っ込むな。まずはけん制だ」

 

「なればこそ何かをしでかす前に斃すべし!!ぬううあああああ!」

 

吠え猛るは三等異神討滅官クレイドス。

右拳を握り、手首を捻り、甲をザジに見せるような所作を取る。

 

近接攻勢法術・聖力拡張

 

シングル・アクションの単純な身体能力向上だ。

効果としては珍しいものではなく、他の体系の術にもある。

と言うより、身体能力向上などは別に術という形で発現しなくとも、普通にやっている者達は大勢いる。

 

例えばアリクス王国などでは魔力をそのまま体内に流し込み身体能力向上を行うすべが広まっている。

 

ともあれ、クレイドスは自前の大ハンマーを片手で振り回せるほどに力を増強させ、いまだ腕を広げ目を瞑るザジへ猪突した。

 

◇◇◇

 

(糞!イノシシ野郎め!)

 

注意をうながした傍から突っ込んでいく馬鹿な同僚に内心で毒づきながらも、ケイセルカットも光の刃を構え飛び出していった。他の者らも同様だ。

 

迫り来る5人の殺手、しかしザジはうろたえない。自分は尊き声の導きに従っていればいいと知っていたからだ。

 

ザジの耳に密やかな囁き声が聞こえる。

声は左足を一歩下げ、横身を見せつつ、左手の掌底で大男の顎を跳ね上げろと言っている。

 

ザジはその様にした。

クレイドスの振り下ろしの一撃は空を切り、下方からの掌底で顎を叩かれた彼は一瞬ふら付く。

 

そしてザジは右手で何かを優しく掴むような形へと変え、よろめくクレイドスの耳へ張り手を見舞った。

 

クレイドスは耳から叩き込まれた空気の塊に脳をぐちゃぐちゃにされ、目と鼻、そして残った耳から血を垂れ流しながら倒れて死んだ。

 

◇◇◇

 

ザジの耳に届いているのは法神の囁きなどではない。

 

己が魔力を拡散させ、自身の領域を展開し、その領域内での動作を察知して未来視にも迫る反応速度で対応しているだけだ。

 

腕を広げ、目を瞑るという所作は法神に身を委ねるという意味を持つ祈りの形の1つである。

 

魔力の拡散を為す法術は、世界を遍く照らす法神の威光をより広く感じる為の、いわば精神修養に使われるものであって、戦闘に使うようなものではない。

 

狂気を理性で制御するザジだからこそ為せる術といえよう。

 

だが仲間内でもっとも体格がよく、優れた戦士であったクレイドスのあっけない、そして無残な死を目にしても異神討滅官達の意気は衰えない。

 

当然だ、彼らも彼らなりには狂っているのだから。



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イスカへの道中②

◇◇◇

 

「それで、なにか言い遺す事はありますか?ああ、そうだ。貴方達の遺体は綺麗に掃除してしまうのでそのお積りで…。…?もうお亡くなりになっていましたか…あなただけは中々手を焼きました。良い研鑽ですね」

 

血塗れた手を拭きながら、ザジが斃れ伏すケイセルカットへ言葉を投げた。

ザジの右腕には大きく切り裂かれた痕がある。

小細工無しの近接戦闘しか能が無い男だったが、元騎士だという素性に恥じぬ正統派の剣術は見事だった。

 

敵手の動きが読めるとはいえ、読まれる事を前提に強引に力押しで来られると、最終的にはどちらの業が優れているかという話になってしまう。

 

例えるならば今からこの棒を思い切り振り下ろしますよ、といわれてそれをかわせるか、というような話だ。

体が反応しきれずに棒で打たれる者は多いのではないだろうか。

 

それにしても、とザジは思う。

勇者と接触があったからといって、一般人の元へ異神討滅官を5人も送り込むというのは異常だ。

こうまでして勇者の痕跡を消したいというのは…

 

「勇者殿は余程教会にとって不都合な事を知ってしまったのでしょうかねぇ」

 

 

「ねえヨハン、もしもだけど旅の途中で勇者にあったらどうするんだい?」

 

ヨルシカの質問に、俺は“教会へ引き渡せそうなら引き渡すが、無理そうなら無視だ”と答えた。

どういう事情があるのかは知らないが、勇者というのはザジが言うには散々“楽しんだ”後に姿を消したらしい。

 

押し付けられた義務なんぞは果たす必要はないとおもうが、権利を行使してしまったなら義務は果たすべきだとおもう。

 

まあ教会の最終戦力とまで言われている勇者を一介の術師と剣士がどうこうできるかといえば怪しいが…。

 

俺とヨルシカが未熟だとは思わないが、力の根源の馬力が違う。

馬に乗って走る者相手に、猫に乗って追いつけるか?

無理だ。

 

基本的にそういう相手の場合は乗り物から殺して、徒歩を強いるというのが定石なのだが、法神が相手というのは流石にな。

 

一神教の大神は樹神とは訳が違うだろう。

だからもし今の段階で出くわしたらならば無視する事になる。

 

ふうん、と納得してるのだかしてないのだか分からない返事をしたヨルシカはなにやら悪戯めいた笑みを浮かべ、今度は奇妙な質問をしてきた。

 

「その勇者って大した悪童みたいだけど、もし私にちょっかいをかけてきたらどうする?」

 

ヨルシカはどのツラを下げてそんな事を言うのだろうか。

 

「君はそんなちょっかいに甘んじる女ではないだろうが。勇者のアレをちょんぎってしまうだろうさ。それで勇者を悶死させるんだ。当然教会はメンツを潰されたと怒り狂うだろう。異端審問官だのなんだのを送り込んでくるに違いない。俺と君は教会の暗殺者共を殺しながら、やがては俺達も教会ももはやひくにひけない所までいく。その後は連盟も巻き込んで大戦争だよ。ちなみに君がアシャラの国民全ての命を捧げる覚悟があるなら勝てるかもな」

 

俺がそういうと、ヨルシカはごめんってば等と言っていた。

 

そんなこんなで世界一くだらない話をしているうちにイスカが近付いてくる。

 

イスカの思い出は…無いな。

セシル達とパーティを組んだが、彼らはヴァラクにいったわけだし。

ああ、でもシェイラがいたか。

 

冒険者を引退して恋人と一緒になったらしい。

賢明だ。

俺が言うのもなんだが、冒険者の大半は所構わず糞小便を垂れる野良犬が如き不良である。

 

素晴らしい者だってもちろんいるが、基本的にはチンピラか、少し上等なチンピラばかりだ。

チンピラの末路と言うのは古今東西どこを見渡しても決まってるのだ。

 

惨死である。

他に道を選べるならそちらを選ぶ方がいいだろう…。

 

そんな事をつらつらと思っていると、ヨルシカがにじりよってきた。

どうしたのか聞くと、少し寒いのだという。真っ昼間なのだが…。

 

そして餌を狙う四つ足の獣の様な密やかさでジリジリと距離を詰めてきて、あっという間に俺の隣に座り込んでしまった。

 

「一応言っておくが…別にさっきのは阿呆な事を聞くなぁとは思ったが、気持ちを試されたとは思ってはいない。だが本当に君の言う様な事がおきて、もうどうにもならず勇者を殺めてしまったら本当に覚悟しておけよ。俺の知る限り、勇者というのは全世界うっかり殺したら本当に不味い人物リストの3番目に位置する。友人や家族などは除外だ」

 

“1番目と2番目は?”とヨルシカが聞いてくるので

 

「教皇と冒険者ギルドの職員…特に人気受付嬢」

 

と答えた。

教皇は言うまでもないが、冒険者ギルド職員殺しもかなり不味い。

めちゃくちゃな懸賞金をかけられて、全世界の冒険者が暗殺者になり得る。

 

ああ、それにしても本当に最近は厄介な相手、手強い相手、ちょっと勝てなさそうな敵などが多すぎる…。

 

俺は自他共に認める優れた術師だが、ここ最近のトラブルは俺の器量を越えている。

 

やはり絡んでくるチンピラを痛めつけて、カツアゲをするというのが平和でいい。

多くの者がそうだとおもうのだが、暴力というのは振るわれるより振るうほうが良いと思わないか?

 

ともあれ、明日にはイスカだ。

シェイラがいれば挨拶しておこう。



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イスカで呑み

 ■

 

 イスカに着いた。

 特に感慨はない。

 潮臭いが、港町ならどこもそんなものだ。

 焼き魚にぬるいエールで無事の到着を祝いたい所だ。

 

 ヨルシカは森の国の生まれだから海が近いというのは結構新鮮……でもないか。

 彼女も冒険者だしあちらこちら周っているだろう。

 

「私、結構お魚が好きなんだよね。アシャラの森にも湖はあるし、魚だってとれるのだけど海のそれとはやっぱり違うよ」

 

 そんなヨルシカに焼き魚とぬるいエールの貧乏定食を提案すると、彼女はにっこりと頷いた。

 

 ■

 

「ねえヨハン? 少し飲みすぎじゃないかな?」

 

 ヨルシカの言葉には全面的に賛同する。

 俺は確かに飲みすぎている。

 粗雑な酒精が血に乗ってぐるぐると俺の体を巡るのを感じる。

 

「まあそうだな、でもなんというかな、必要なんだよ。アシャラ以降、どうにも感情が不安定というかね。原因は分かるが……。平時は……縄をぴんと張るように……何というのかな、両手を力を込めて縄を張ってるのさ。その張りが“俺”だ。しかしな、常に力を込めて縄を張っているのは疲れるだろう……時には休めてやらないとな。酒は都合がいいんだ。意識的に緩めるのは案外難しくてね」

 

 ◆◇◆

 

 SIDE:ヨルシカ

 

 それにな、とヨハンは言って短刀を取り出した。

 そして止める間もなく、彼は自分の甲を浅く切りつける。

 

「馬鹿! 何をし……て……」

 

 私が見ている間にその傷は塞がっていく。

 治癒の術? いや、術をつかっている様子はない。

 はっとしてヨハンを見ると、その目の奥には不思議な虹彩。

 魔力の光……? 

 

「糧がね。少し栄養過多だったのかもな。彼らの……最期の感情にやや引っ張られていたみたいだ。知っているかいヨルシカ。命は巡るんだ。俺の体を巡る命は、俺が俺である限りこの身を賦活するだろう、ふ、ふ、ふふ」

 

 引きつったように笑うヨハンは、なんだか私の知る彼ではないような気がして物凄く怖くなってしまった。

 

 ただ、とヨハンが続ける。

 

「俺が何を捧げ、失ったかは君が教えてくれた。君は悲しい事だというが、俺はなんとも思わない。もしもう一度秘術を使って君との記憶を捧げても、その後俺はなんとも思わないのだろう。そして巡り巡る命は俺を更に高みへ導くだろう。だが、君を愛している。だから俺が秘術を使う事はもうあるまい……。もしもう一度、力及ばぬ相手とまみえれば奥の手はもうない。その時は悪いが一緒に死んでくれ」

 

 確かにヨハンは私の知る彼とは少し違っていた。

 でもそれは先ほどまで思っていた悪い方向での変貌ではなく……なんだか積極的になっているというか……

 

 だが彼の言葉になんと答えればいいのかわからない。

 私は口がうまくない。

 仕方ない、私はこれまでそういうものと無縁に生きてきたのだから。

 だから立ち上がり、ヨハンの顎を掴みそのまま口付ける。

 

 ◇◇◇

 

 連盟の実質的なリーダー、マルケェス・アモンはヨハンの花界を滅美(ほろび)の秘術だと評した。

 己のもっとも大切な記憶を触媒として敵手へ絶死を強い、それのみに飽き足らず相手の存在をまさに“糧”とする。

 使えば使うほどに強くなり、そして大切なモノを失っていくのだ。

 これほどまでに哀しく、そして美しい術があるだろうか? と。



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未帰還

◆◇◆

 

SIDE:ヨルシカ

 

「ねえ、連盟の人って他にどういう人がいるの?」

 

体を重ねた後、少し気だるい雰囲気の中、何となく気になっていたことを聞いてみた。ヨハンは隣でごろごろ転がっていたけれど、こちらに顔を向けて少し考え込んで口を開いた。

 

「偽聖職者、偽英雄、木工職人、占い師、貴族、鳥、葬儀屋、蒐集者、骨好き、娼婦、為政者、人間じゃないなにか…そして俺。ヴィリが偽英雄だな」

 

ヨハンの答えに気だるさが吹き飛ぶ。

鳥?骨好き?為政者?

人間じゃないなにか!?

 

鳥って?と私がきくと、ヨハンは鳥だよ、と答える。

 

「本当に鳥なんだよ。大きい鳥だ。猛禽類というのかな。人語を解する上、風を操る。彼が言うには、故郷に帰りたいから覚えたのだそうだ。彼の故郷は空中都市なのだとか…ただ、鳥とはいえ空中都市の存在するであろう高度までは飛べないそうで、風の力を借りていつか帰るのだといっていた。ちなみに彼自身が話せるわけじゃないのだが、風を利用して言葉を操ることが出来る」

 

「葬儀屋は葬儀屋だ。職業として葬儀屋の仕事をしている。焼いた時の煙がね、好きなんだとか。肉体と言うものは不純物の塊で、それらが全て焼け落ちて最後に残ったものが煙…それが彼が言うにはとても美しいのだと。温厚な青年だよ。ただ、好意を持つ相手を煙にしたがる…つまり、焼きたがるんだ。彼自身もそれは良くない事だと分かっている。彼はいつも己の性癖に悩んでいるんだ」

 

「骨好きは名前の通りかな。骨が好きなんだ。葬儀屋とは余り仲が良くない。なぜなら彼は生物の美しさは骨にこそあると思っているからね。葬儀屋は骨まで焼いてしまうから。骨が好きな事以外は害はない…とおもう。多分。そんな目で見るなよ、まあ少しは危険かもな…」

 

「苦手な者もいる。蒐集者だ。彼女は不幸を集めているんだ。世に溢れるちょっとした不幸…転んだとか皿を割ったとかそういうものから、悲惨なものまで…彼女は安心を求めている。安心、安全が好きなんだ。だから世に溢れる不幸話を集めて、自身と比較することで安心や安全を再確認する。悪い娘じゃないんだが、顔を合わせると陰鬱で救いがたい悲劇を延々しゃべくり倒すんだ。嫌だろ?」

 

「為政者もその名の通りかな。東方のとある小国で女王をやっている。彼女の国の国民は全て彼女が創り出したモノだから。人形とかそういうモノじゃない、ぱっとみれば普通の人間だよ。だから誰も気付かないんだ。あの国の異様に」

 

「人間じゃないなにかはマルケェスだよ。まあなんとなく皆察している事だけれどな。でも俺達がやらかしたらマルケェスが大体尻拭いをしているからなぁ、人間じゃないくらいでないと体が持たないだろう…。俺はそこまでやらかさないが、ヴィリとかな。アイツはめちゃくちゃなんだ。乱暴というか雑なんだよ。山滑りで被害が出る地域があるとするだろ?そしてあいつがしゃしゃるとする。アイツは山が崩れる原因を突き止めて柵を作るなりなんなりみたいな事は考えない。山を斬って破壊するんだ。最悪だ」

 

ヨハンの“家族”になったなら、そんな彼らにも挨拶をしなきゃいけないのだろうか?私は胃が痛む未来を幻視してしまった。

 

 

「久しぶりだな」

翌朝、ギルドに一応移動した旨を伝えにいくと、いつかの親父がいた。

ヨルシカは買い物があるというので別行動。

まあすぐ移動する町で移動報告を出す者なんてあまり居ないのが現状だ。

だが、一応規約は規約だから俺は気になってしまうんだよな。

 

「イスカの認可冒険者という札を出したことは結構だが、金を出し渋ったことは忘れていないからな。と言う事ですぐイスカは出るが一応移動した事を報告しに来た」

 

親父は頷き、そういえば、と口を開いた。

「お前が依頼を受けた子供とその姉。いまはイスカで暮らしているぞ。姉のほうは元気そのものだ。お前に会いたがっていたぞ」

 

ああ、あの時の…。

元気なら何よりだ。

 

「公私は混同しない主義なんだ。まあ元気そうなら良い事だな」

 

俺はそれだけ言い残して踵を返す。

シェイラが居れば挨拶くらいとおもっていたが居なかったか。

 

イスカを離れれば再び戻ることはあまり考えられない。

シェイラと会う事もないだろう。

 

 

会う事になった。

 

通りの向こうから声がかかる。

「おーい!あんた!ヨハンじゃないか!久しぶりだねぇ」

 

「シェイラか。ああ、壮健そうで何よりだ」

軽く会釈する。

 

以前はまさにアマゾネスといった感じだったが、今は大分落ち着いた感じだな。

 

それから俺達は軽く情報交換をする。

ヴァラクで会ったセシル達の様子も知らせると嬉しそうにしていた。

 

「そういえばさ、なんか最近妙な依頼っていうのかね…教会絡みの依頼が増えているそうなんだ。調査依頼が多いんだ。どこそこの地域の動植物の生態を調査してくれとか…まあそれだけなら…きな臭いけどいいのさ。報酬もかなり良いしね。問題は…未帰還が少しあるんだ。目立つほどじゃないけれど、調査依頼でだよ?なんだか臭いだろ?確かに調査依頼といっても討伐依頼とか程危険はないといってもさ…」

 

シェイラが気になる事をいう。

教会絡みの調査依頼か。

未帰還もある、と。

1つの町の認可冒険者になるような冒険者がおかしいと感じている、と。

 

俺はシェイラに銀貨を渡す。

金を払うだけの価値がある情報だと思ったからだ。

 

「相変わらず律儀だねぇ。でも助かるよ。実はまあ、結婚ってやつをね…考えてるんだ。二人で話してね。家もほしいなって思っててさ。それぞれの貯えもあって、もう少しで貯まるんだよ」

 

大型武器をぶん回す勇猛な戦士が随分しおらしくなったじゃないか、と俺は鼻で笑って、もう3枚銀貨を積んでやる。

 

シェイラは目をぱちくりさせていたが、またぞろ口を開く前に俺はその場を辞した。



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黒森

 ◇◇◇

 

「なあシェイラ、僕もまだ見習いだけどさ、最近では数打ちの剣を打たせてもらえたりもするんだ。最初は店番ばかりだったけど、やれることが少しずつ増えているんだよ。給金だって増えていっている。だからさ……」

 

 そんなマーリオの言葉を聞くと、シェイラの胸がポカポカと温かくなる。しかしだからこそ、なのだ。

 

 こんな素敵な男との二人だけの城、それがもう少しで手に入ると思うと足踏みなんてしたくはなかった。

 

「う~ん……あたしだってさ、分かってるんだけどさ……ねえマーリオ、あんただってあたしと二人きりの城で……一緒に暮らせたら嬉しいって……思ってくれてるだろ……?」

 

 シェイラが俯き加減に、そしてやや赤面しつつマーリオへ言う。マーリオはそんなシェイラを見て、やはり自身もまた赤面してしまった。

 

「う、うん……そりゃあ……そうだけど……」

 

 だったらさ、とシェイラが意気込んで言う。

「あと少し稼げば家を買えるんだ。だから応援しておくれよ、あたしはこう見えてもそこそこやるんだよ?」

 

 シェイラがそこそこやる所じゃないのはマーリオにだって分かっている。

 

 だが、完璧に安全な依頼なんてあるはずがないではないか。すぐにでもシェイラと二人で暮らしたい。だが、それはシェイラの身の安全と天秤にかけて良いものではないのだ。

 

 マーリオはもう少し頑張ってシェイラを説得しようと奮い立った。どうしても分かってくれないのなら、厳しい言葉だってかけようとマーリオは決心する。

 なぜなら、マーリオはシェイラを愛しているからだ。

 

 

 ■

 

「お帰りヨハン。色々買い込んでおいたよ」

 

 ヨルシカが机を指差す。

 俺は礼を言って、以前パーティを組んだ者と会った事を話した。

 

「そっかぁ、でもそれも1つの人生だよね。いっそ冒険者自体も廃業するのも良さそうだけど。この町は別にやせ細っているわけではないし、仕事も探せばいくらでもあるだろうし。ねえ、私達もいつかは……どこかで落ち着く事もあるのかな」

 

 重い質問とは思わない。

 まあこういうのはそれなりの関係の男女なら当然出てくる質問なんじゃないだろうか。

 

「俺達も1、2年したら先の事を考えよう。今どうこう決めるのは早いしな。俺達は死線を共に潜り抜けてきたが、人生と言うものは死線をどう潜り抜けてきたかではなく、日常をどう過ごしていけるかのほうが重要に思う。俺達はもう少し日常を共に過ごすべきだよ」

 

 もう少し、日常を……と呟いて、少し頬を赤らめるヨルシカはジリジリと獲物を狙う魔狼の如き様子でにじりよって来る。

 

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 俺は術腕の方の人差し指を立て、ヨルシカの額へ向けた。

 

「風、凝固、放て」

 

 風指弾(エアショット)。

 出力を落とした不可視の弾丸がヨルシカの額へ飛ぶ。

 明日にはイスカを立つんだから大人しく荷造りをしろ。

 

 するとカッと目を見開いたヨルシカは首を曲げ、見えないはずの弾丸を避けてしまった。

 

 この距離で? 

 馬鹿な……。

 

 

 ◇◇◇

 

 イスカから北方へ馬車便で2日ほどの所にアズラという小さい村がある。

 

 ここはそのアズラ村の西方にある森だ。

 黒森、とだけ名付けられた薄暗い森。

 この地域にしては物騒な場所ではあるが、それでも今繰り広げられている様な事が起きて当然だと言うほど物騒な場所ではない。

 

「あきゅ」

 

 こんな場面で無ければ滑稽とすら言える声を発したのは、中央教会二等異端審問官ロクサーヌであった。

 

 白粉をはたいたかのような白い肌、瑞々しい生気を感じさせる瞳、蕾のような唇。白雪の聖女とは彼女を讃える異名だ。

 

 当然外見だけではない、生来の才能に努力と言う上積みを飽く事無く積み上げた、そう……まさに才女の中の才女と言えるだろう。

 

 そんな彼女は背後から胸を貫かれ、心臓を握り潰され、だらんと体を弛緩させたロクサーヌは穴という穴から体液を垂れ流し、べちゃりという音と共に崩れ落ちて死んだ。

 

 ロクサーヌを殺したのは彼女の同業者だった。

 三等異端審問官ハジュレイ。

 一見長髪のナルシストだが、実は謹厳実直を旨とする青年。故郷の妹に仕送りする事を人生最大の重要事と公言する微笑ましきシスコンだ。

 

 しかし、決して同僚殺しをする様な男ではない。

 

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 ましてや、死んだロクサーヌの首筋に噛み付き、死後硬直が始まっている硬い肉を旨そうに食う様な男でも……。

 

 ハジュレイがぐちゃぐちゃと音を立ててロクサーヌの肉を食べている。

 

 美味しそうに、食べている。

 

 ・

 ・

 ・

 

【挿絵表示】

 

「あれでは魔族というより食屍鬼じゃな。やれやれ、我々は数が少ない。だから劣等共を我々の眷属と出来れば……と思っておるのだが……うまくはいかんの」

 

 そう嘯くのは青い肌の禿頭の老人だった。

 だが老人といっても決して弱々しい様子は見られない。

 凄惨とも言える迫力を全身から放つ、まさに怪人であった。

 

 

 



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お前は死ぬ

 ■

 

【挿絵表示】

 

 早朝。

 窓から差し込んでくる朝日は暖色で、ともすれば夕日のそれと見間違えてしまいそうだ。

 

 それにしても酷く気怠い。

 普段起きる時間から1鐘2鐘早く起きるだけでも大分違う。

 ヨルシカはまだ眠っている。

 

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 いつか機会があればアシャラ王家の血筋というものを調べる必要があるな。

 アシャラの開祖アシャートの血を引いているという事は、アシャラ王家には少なからずエルフェンの血が流れていると言う事だ。

 

 ヨルシカは庶子だからそれより更に血が薄まっているとはいえ、彼女の活力と言うのはやや常人ではありえないものに思える。

 

 エルフェンの血にそういった賦活作用があるかは知らないが、彼等特有の魔力を身体能力向上へ全て回しているなら……彼女の訳のわからん運動能力にもなんとなく説明がつく気がする。

 

 ■

 

 そんな彼女の寝顔を眺めていると、俺もどうにも眠くなってきた。

 2度寝、3度寝と決め込みたい様なそうでもない様な。

 

 ただイスカにこれ以上用事はないので、馬車の時間が来たら出立しなければ。何度も惰眠を貪れば寝坊する気がする。

 まあ流石に昼過ぎも大分過ぎた頃まで惰眠を貪っているとは思えないのだが、ヨルシカという懸念材料がある。

 

 もう少しのんびりしてもいいとは思うが、シェイラの話ではどうにも不穏な様だし。

 

 そして何となく俺は荷物から一本の太目のオルクの枝を取り出し、短刀であるものを削りだした。何となくだが引っかかるものがあったからだ。

 霊感が囁くというべきか、術師にとって"なんとなく"思い立った事は基本的にはそれに従った方が良い。

 

 ある物とはワンドだ。

 これはスタッフとは違い、それこそ掌を広げた程度の長さの小さい棒だ。

 まあこの辺は作成者次第な所があるが。

 

 オルクには強い呪術的な意味が込められている。

 例えば強さ、安定、成功、保護……

 古来から自然崇拝派の術者が長年かけてコツコツと構築してきた共通概念は、オルクをただの樹木から特別な樹木へと変えた。

 

 そういった特別な樹木で作る、そう、例えば今俺が削り出しているワンドなどは気休め以上の効果を所持者へと齎す。

 ……という事で完成した。

 

【挿絵表示】

 

 まあこんな物だな……。

 術師ミシルの様に古今東西の様々な技術を複合させたモノ等は到底作れないが、木を削る程度なら俺にも出来る。

 

 俺はヨルシカを起こさないようにそっと部屋を出た。

 シェイラに会いに行く。

 ギルドで捕まえられればいいのだが。

 

 ■

 

 捕まえた。

 

「シェイラ」

 俺が呼ぶと、依頼掲示板を見ていた彼女が振り返って手を上げてきた。

 

【挿絵表示】

 

「あら? ヨハンじゃないか。どうしたんだい? もしかしてギルドで依頼を? でも長居はしないって言ってなかったっけ?」

 

 俺はそれに答えず、まじまじとシェイラの顔、体を視る。

 嫌な感じだ。

 

「ちょっと! どこを見てるんだい!」

 シェイラが眉を顰めて語気を強めた。

 

「悪かった。ちょっと確認したかったんだ。単刀直入に言うが、お前死ぬかもな。いや、適当に言っている訳じゃない。俺はお前も知っている通り、術師としてはそれなり以上の業前だ。驕り高ぶっているわけではない。相応に努力をして、死線を潜ってきた結果だ。その俺の眼から視て、お前から嫌なものが見える。死の気配が香る。一応言っておくが暫く無茶はしない事だ。だが、それでも死はお前を捕えてしまうかもな。だから気休めかもしれないが提案がある。これを買わないか? タダじゃやらん。銀貨……うーん……10……いや、20枚かな。支払いは悩むだろうが、お前にとって苦しい支払いであるという事実もまたそれなりにはこれの呪術的補強になる。勿論買わなくてもいい。俺の霊感が外れる事も十分ある。だがお前は……以前パーティを組んだ時の印象が悪くなかった。だからもし死んでしまったら少し惜しいかもしれないなと思ったんだ。勿論、お前が死んでしまって惜しいと感じるかどうかはお前が死んでみないと分からないが」

 

 今朝作ったワンドをシェイラに見せながら一気に言い終えると、彼女はぽかんと口を開けていた。



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閑話:魔竜殺し①

3人組+1人が結構好きなんですが、エル・カーラであっさり過ぎてしまったので話にも出した魔竜殺しやります。以前にも書いた、10年後の魔竜殺しの際の成長した彼等を書きます
成長後画像も生成しました


◇◇◇

 

冒険者パーティ、イグラテラと言えば冒険者ギルドでも異色の存在である。

イグラテラとは古い言葉で炎、氷、大地を意味する言葉を繋げたものだ。

 

異色であると判じられるのも無理はない。

メンバー全員が術師なのだ。

それも普通の術師ではない。

 

全員がエル・カーラが誇る上級術師だ。

まあ、誇るだけ…では済まないのが珠に瑕なのだが…。

 

 

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氷禍のルシアンは魔導協会所属準2等術師であり、一見すれば優男だ。

見た目と同様に操る術式もまた優しい。

 

なぜなら彼の操る氷の魔術は、苦痛というものを感じさせる間もなく敵手の命を凍てつかせてしまうからだ。

 

性格については別に優しくはない。

優しそうにしておけば相手が油断してくれるから、とは彼の言である。

 

 

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炎姫マリーも魔導協会所属準2等術師だ。炎の術を得手とし、馬鹿みたいな火力で考え無しに敵手を焼き尽くす。

 

術しか能がないならともかく、捕えた敵に遅効性の炎爆弾を仕込んで敵集団へ返すなどダーティな手も平気で使う。

 

美しい赤髪と悪女めいた風貌は多くの男を虜にするが、彼女に手を出して無事だったものは先述した氷禍のルシアン以外にはいないし、彼女とまともなコミュニケーションを取れる者は彼女が認めた極一部の者に限られる。

 

後述する岩蛇のドルマもその一人だ。

 

 

【挿絵表示】

 

そしてイグラテラの最後の一人、そして良心でもある岩蛇のドルマ。

彼はドーラ商会というエル・カーラのみならず周辺一帯でも頭二つ三つ抜きんでる勢力を誇る大商会の若頭である。

 

若頭とは会頭、副会頭の一つ下の地位であり、下級貴族程度なら対等に口を聞ける、上級貴族であっても耳を傾けざるを得ない程の影響力を持つ。

また、彼は商人であり術師でもあるが、同時にヤクザでもある。

 

エル・カーラの闇の側面を取り仕切る非合法組織を掌握しているのだ。

非合法組織といってもまあ社会不適合者を集めたような連中の事だが。

ドルマは使えないゴミを使えるゴミとして教育し、まともな暮らしをさせ、激発させないようにしている。

 

例えば最低限の訓練などを施し、最低限の必需品を持たせ、鉱山などへ送りこみ、起動触媒の元となる原石を掘り出させたりだとか…。

 

術師としても優れた業前を持つが、彼の場合はルシアンやマリーほど派手に術を使う事はない。

罠を張り、策を巡らせ、悪辣に獲物を狩るのだ。

岩蛇とは彼の得意属性と、その性質から名付けられた。

 

術師としての階梯こそ3等術師なのだが、彼が仕入れた毒物と彼の扱う土の魔術は極めて相性が良く、そして先述した彼の性質なども相まって、危険性は先の二人に劣らないどころか上回ってさえいる。

 

しかし、イグラテラは彼がいないとまともに機能しない。

 

なぜならルシアンは一見まともそうだが、数少ない身内以外はゴミ屑くらいに思っているし、マリーは破壊的かつ狂気的だ。

 

ドルマはその点、相手の事を等身大のままに評価するし対応もする。

ヤクザではあるが、筋を違えない限りは3人の内で最もマトモなのが彼である。

 

 

彼等は在学時代から問題児ではあったのだが、成人してからも問題成人であった。

 

それでも社会から排斥されずに一定の地位を得ているのは、彼らの言動が多少目に余っても、最低限の社会的な規範は守り、東に賊あれば殺しに行き、西に魔物あれば殺しに行くというような、あくまでも脅威となる存在に対して力を振るってきたからである。

 

むしろ彼等の存在は一般市民にとっては非常に心強いものであった。

 

とはいえ、普段の言動がヤバめなため、恐れられてはいるのだが…そんな彼等の友達というか理解者は協会所属の2等術師アリーヤである。

 

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彼女も彼女で結構やらかすのだが、マリーとドルマを足して2で割ったような彼女はイグラテラの面々程には扱いづらくはない。

 

術師としても優れており、敬愛する1等術師ミシルの得意とする氷の術を修めるに至った。

 

もともと得意であったのは火の術で、彼女が氷の術を納めるには並々ならぬ苦労があったはずだが、彼女は努力を惜しまぬお嬢様であったため現在では氷の術は火のそれと同等に扱える。

 

なお、ドルマとは恋人関係にある。

ドルマがあんまりアコギな真似をしないのは、彼女との将来を見越しての事だというのがもっぱらの噂だ。

 

アリーヤ曰く、悪そうな人が好きだとの事。

ドルマは悪そうではなく、本当に悪人に位置する人物なのだが、それはそれ、これはこれである。

そんな彼らが魔竜討伐に出陣する、との報せは瞬く間にエル・カーラの街に広がる事となる…。




少年ルシアン

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少女マリー

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少年ドルマ

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少女アリーヤ

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お前は死ぬ②

◇◇◇

 

恋すれば鈍する。賢者であろうとも、恋に落ちれば愚者となるのだ。自ら落ちるべからず。一方的に落とせ。

 

とある上級斥候の言である。

彼は女を絶やす事なく各地に現地妻を作り、独自の情報網を構築していたが…ある時恋人の一人に刺されて死んだ。

 

ともあれ、実際に恋というものは判断力を鈍らせるというのは古今東西どこでも聞く話だ。

そう、それが経験豊富な冒険者であっても…

 

◇◇◇

 

シェイラは結局ギルドで依頼を受けてしまった。

なぜならその依頼の報酬が破格だったからだ。

銀貨にして250枚だ。

 

しかも出来高ではなく、決められた期間調査をしてでの報酬。

これは、調査に一定の成果があった場合の報酬相場の5倍以上にあたる。

 

普通、調査系の依頼の報酬と言うのは最低報酬+調査内容の半出来高制で、報酬の大半を出来高報酬の割合が占めるため、余り旨みはないのだが、教会が出した依頼は一味違った。

 

依頼はイスカ北方のとある村の近くにある森の調査である。近年森の生態系に異変があったとのこと。

本来その森…黒森では見られない動植物が散見されるそうだ。魔物も、また同様に。

 

具体的には3日間、森内部を調査する事。

期間中は森内部の動植物について少しでも奇妙な部分が確認出来れば採取、もしくは動物ならば部位を確保。

 

帰還後はそれらの成果物を提出し、決められた書式での報告書を作成、提出することで報酬が得られる。

 

こんなもの悪さし放題な気はするが、教会に喧嘩を売るなら賭け金は命…あるいはそれ以上のものになるというのはその辺のミミズでさえ知っている事だ。

 

依頼元は信用出来る。

なにせ中央教会だ。

だが信用出来るからといって安全であるとは限らない。

というか何かしらの危険はあるのだろう。

 

それくらいはシェイラにも分かるが、如何せん報酬が旨すぎた。

それでも1人なら受けなかっただろう。

さすがに愛する恋人や術師の知人からアレだけ言われて、1人だけで依頼を受けるほどには惚けてはいなかった。

 

運が良かったのか悪かったのか…たまたまその時、よその街からやってきた二人組が当の依頼に興味を示していた。シェイラがそっと彼らの会話に耳をそばだてると、どうにも依頼には興味はあるが、二人では心許無い…との事だった。

 

渡りに船とばかりにシェイラは彼らに話かける。

生来が陽気なシェイラはあっというまに二人と打ち解け、色々話をした。

こういった出会いがあるのも冒険者という職業の面白いところだ。

 

◇◇◇

 

彼らは剣士と聖職者だった。

剣士は剣士でかなり使えそうだったし、聖職者も中央教会に所属しているとの事だ。

 

聖職者といっても法神を信仰する者たちだけではない。神の数だけ聖職者としての質も異なる。

物騒な神を信仰する聖職者は、その人品もまた物騒なのだ。

 

その点、法神を信仰する者達はそれなりに信用が出来る。たまに下半身が緩いものもいるがそこはご愛嬌か。

 

彼ら曰く、少し前にワイバーンを討伐したと聞いてシェイラは驚いた。

空の王者を相手にどう戦ったのか気になる所だが、ともかくもその時の戦いで剣士は大怪我を負い、最近まで休養していたらしい。

 

その後、パーティメンバーが抜けてしまうなど色々あり、心機一転の為にいっそ河岸を変えるかという話になったとの事だった。

 

そこで傷の治り具合を見るためにも、軽めな依頼を探していたところ…という次第だった。

 

◇◇◇

 

「ロイとマイア、だったね。あたしはシェイラだ。よろしくね!」

 

でかい声だがうるさくない声を出せると言うのは一種の才能だろう。

 

ロイとマイアがお坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちであるためあっというまに警戒心をバラバラに解体され、彼らの中ではシェイラという人物は陽気で面倒見がいい姐御というキャラクターが固定化されてしまった。

 

「ああ、宜しく。それにしても助かったよ。調査依頼、成果を出せなくても報酬が満額貰えて、しかも依頼元が中央教会…受けない手はない。ただ、昔の仲間が言っていたんだ。“長生きしたいなら旨い依頼は受けるな。普通の依頼の報酬を吊り上げて自分の手で旨い依頼へ変えろ。なぜなら旨い依頼っていうのは報酬が旨い分死に近いからだ”ってさ」

 

シェイラはふんふんと頷いてロイの言葉を吟味する。

なるほど、至極もっともだ。

 

だが気になるのはそれを語るロイの目だろうか。

マイアもだ。

どことなく、後ろめたさ?の様なものを感じる。

その言葉を言った昔の仲間と何かあったのだろうか?

 

だが、その仲間と何かあったのか?等とは流石に聞けない。なにかあったからこそ“元”がつくのだろうから。

 

「シェイラさんが加わって下さると言うのはとても心強いです。私は中央教会に所属してはいますが…正直この依頼は何か恐いものを感じます。依頼を達成して報酬がもらえないと言う事はないでしょう。ただ……」

 

マイアはそこで言葉を切って、きょろきょろと周囲を見渡した。

 

「余り大きい声では言えないのですが…教会は最近不穏で…派閥争いというか抗争というか…まぁそう言う感じなんです。森で何か異変がおきて、その調査をしたいというのは分かるのですが、教会にだって調査を専門とした部署はあります。戦える人達だっています。なのに、なぜ教会は冒険者ギルドへ依頼を出すのでしょう…。私はこの依頼が教会の誰が出したのかが気になります」

 

マイアの中では得体の知れない不安が渦巻いていた。

教会内部で穏健派と過激派の争いが起きている事は承知している。

それが近年激化の一途を辿っている事も。

或いは自分の知らない場所で血が流れているかもしれないとも思っている。

 

マイア自身はどちらにも属さない日和見…あえていうならば良識派だ。

 

確かに法神を信仰しているが、仮に神への信仰か愛する男…ロイのどちらかを取れと言われれば、迷わずに後者を選択する程度には日和っている。

 

それでもなお自身が行使する法術には陰りが見られないことから、法神もまたこの恋を応援してくれているのだろう、などと阿呆な事を考えている。

 

ともあれこの依頼が穏健派の出したものか、それとも過激派の出したものなのかで危険性はかなり変わってくる、とマイアは考えていた。

 

◇◇◇

 

「そんなに不安ならどうしてこの依頼を受けようとするんだい?」

 

シェイラがたずねると、ロイとマイアは揃って同じ様な苦笑を浮かべた。

 

彼らの話では理由は単純明快。

金が無いのだ。

ロイの怪我は想像以上に重傷で、怪我をなおす為に馬鹿高い霊薬やら奇跡に金をはたいてしまった。

 

実家などから借銭も出来ないのだとか。

いや、出来るには出来るが、家族の反対を押し切って冒険者になると飛び出してしまった身だそうだ。

支援も何も要らない、だから俺は俺の道を往く!…と飛び出したにも関わらず、怪我してお金無くなったから貸してくれ、とは流石に言えないとの事だった。

 

シェイラはそれを聞いて、男の子のプライドってやつかねえ、と年寄り染みた事を考えていた。

 

「そうかい、まああたしも金はほしい。物凄くね。だからこうしてあんた達と組めるのはありがたいよ。確かに不安もあるけど、ワイバーン討伐の勇者様にそれを支える聖女様がいるなら安心さね。依頼期間は3日だけだし、さっさと調査を済ませようじゃないか」

 

シェイラが言うとロイもマイアも頷いた。

出発は明朝だ。

どうか何事もありませんように、とシェイラは祈る。

しかしいざという時は…

 

━━高かったんだ、本当に頼むからね

 

シェイラは懐をなでた。

そこには一本の木切れ…棒がしまいこんである。

 

◇◇◇

 

飛び掛ってくる魔猿をロイは盾で殴りつけ叩き落した。

シェイラは地に落ちた魔猿の頭をハンマーで叩き潰す。

実に手馴れた仕事だ。

 

だが…

 

「これで6回目か。少し多すぎるな。それに魔猿はこんな短絡的な襲撃はしてこないはずだ」

 

ロイがぽつりと呟いた。

そう、彼らは調査地である黒森に入って以来、初日だというのに実に6回も襲撃されている。

襲撃してきたのはいずれも魔猿と呼ばれる猿が魔物化したモノだ。

 

魔物化といっても怪物になったとかそういうものではなく、野生の獣が魔力を取り込み、身体能力などが強化された存在という意味であって、これが件の異変であるとは言えない。

 

魔猿は厄介な魔物だが、その厄介さは戦闘能力にあるというよりは彼らの狡猾さによるもので、手の届かない樹上から魔物としての膂力を活かした投石などで嫌がらせをしてきたりする点にある。

簡易な罠をはってくる個体もいるとの事だ。

 

しかしロイ達を襲撃した魔猿はいずれも狂を発したかのごとく襲撃してきた。

 

単調な真正面からの強襲でどうこうなるロイ達ではない。襲撃の全てを無傷で叩き潰してきたのだが、本来とは異なる魔猿の行動には困惑せざるを得ない。

 

こういう時に斥候が居ればいいのだが、生憎斥候の重要性は他のパーティも重々理解していたようで、フリーの者などは存在しなかった。

 

というか、斥候職のようなものは大抵どこかへ所属している為、余っているものなどはよほどの凶状持ちか、自称斥候というような者ばかりだ。

 

調査依頼を斥候なしに受ける事は奨励されてはいないが、今回の依頼については成果を出すことを強制されていない。

 

これらの点からどうにかなると踏んだ3人であったが、立て続けの襲撃にはなにか不穏なモノを感じざるを得ない、というのが3人の偽らざる本心であった。

 

たった3日。

されど3日。

調査初日からどうにも先行きが不安だ。

 

シェイラはため息をつく。

肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が大きい、そんな1日だったと彼女はごちる。

 

ロイやマイアも同じ気持ちの様だ。

3人は簡単に野営の準備を整え、森の中で一晩を過ごした。

 

◇◇◇

 

調査2日目。

黒森は日中でも薄暗い。

 

「もう2日目か。案外あっさり済んでしまうかもな」

 

ロイの言葉にシェイラとマイアはちらりと彼の顔をみやる。

ロイの表情は彼が本心から言っているわけではないのは明らかだと分かるそれであった。

 

「うん。ロイ、私もそう思うよ。報酬貰ったら久しぶりにお風呂のある宿に泊まりたいな。いいでしょ?」

 

マイアがロイの腕を掴んでねだる。

それを見たシェイラは、彼らに“調査中だってのに色ボケしてるんじゃないよ”などとは言わない。

ロイもマイアも、あえてそういう態度を取っている事はシェイラにも分かっているからだ。

 

空元気も元気の内という。

なにやら不穏な状況で常に気を張り詰めているのは想像以上の疲弊を齎す。

 

だから多少気を抜くというのは大切な事だ。

勿論限度はあるのだが。

 

例えば周囲の警戒を疎かにしてディープチュッチュなどをするのは論外だ。

死んだほうがいい。

 

◇◇◇

 

仄かに香る血臭にいち早く気付いたのは中央教会の聖職者、マイアであった。皆に立ち止まる様に告げ、その場で目を閉じ手を広げる。

するとキラキラした光の粒子が周囲へと拡散していく。

 

拡散の奇跡だ。

魔力の粒子を飛ばし、周辺を探る。

といっても本来は探知に扱うものではない。

本来は世界に自身の一部…魔力を溶け込ませ、世界を、ひいては神を感応しようとする、まあ祈りの一種である。

 

探知術式のように使えなくも無いが、未熟なものが扱えば魔力が触れたものをなんでもかんでも探知してしまい、処理しきれなくなった情報量で脳が疲弊してしまう。

 

だから拡散の奇跡を探知のそれとして十全に扱える者というのは相応の実力があるということだ。

 

「探知かい?助かるよ」

 

シェイラが言うと、ロイはちらとマイアを見て言った。

「といってもマイアの術は自分にとって良いものか悪いものかを判別する様な大雑把なものだけれどな。しかしマイアにとって悪いものならば俺にとっても同様だ」

 

ロイの無自覚な惚気にもシェイラは何とも思わない。

むしろ共感した。

シェイラも愛する男がいるし、結婚するし、なんだったら子供を産みたい…それも10人くらい!と思っていたからだ。

 

だがほんのわずか流れた弛緩した空気は、マイアの切迫感がギュウギュウに詰め込まれた悲鳴じみた警告で吹き飛んだ。

 

「敵襲!」

 

何が、とは言わない。

どこから、とも言わない。

なぜってマイアには分からないからだ。

 

ただ、吐き気を催す様な邪気に満ちた存在がマイアの感知範囲に入った。

だからそれを告げただけである。

 

◇◇◇

 

シェイラもロイも何が来るとかどこから来るとか、そんな事は聞かない。

それらは確かに大事な情報だ。

だがマイアは言わなかった。

それはつまり、彼女には知る事が出来なかったと言う事だ。

 

3人は一切口を開かなかった。

耳が痛くなるほどの静寂。

森だというのに鳥の鳴き声すらも聞こえない。

 

やがてがさりという音が響く。

3人が同時にそちらを見ると、そこには1人の男が立っていた。

 

◇◇◇

 

「あの服装は…教会の…」

 

マイアが呻くように呟く。

眼前の男の服装は中央教会の聖職者のものだった。

それも市井の聖職者ではない。

 

(あれは異端審問官の…なぜあのような姿で…?)

 

男はゆらゆらと体を左右に揺らし、ニタニタと笑っていた。

その全身は血に染まっており、口元にも血が滴っている。

男は右手を突き出し、拳を握る。

そして、胸をとんと突いたかと思えば猛烈な速度でシェイラ達の元へ突っ込んできた。

 

 

◇◇◇

 

シェイラは目を見開き一瞬呆気に取られるが、ロイが背を見せる程に体を捻って、右手に握った剣を握り締めるのを見ると彼からやや距離を取った。

 

マイアはロイの腕に手をあて、「ロイ、3振りまでだよ」と言い残し素早く後方へ下がった。

 

次の瞬間、ギャリリンと音を立ててロイが横薙いだ剣と男が振り下ろした光る剣がぶつかる。

つばぜり合いにはならなかった。

ロイは男の剣を引ききるように横へ薙ぎ続けたのだ。

ロイの剣は仄かに光を放っている。

 

当然の様に男の剣は振り下ろしの軌跡を描く事はできずに逸らされるのだが、その時ロイの反対の手に持った盾が男の横っ面を激しく殴打した。

 

回転の勢いを利用しての一撃だ。

常人なら勿論、オーガ辺りであっても頭が半分潰れる威力がその一撃には込められている。

 

真正面からの強襲に対応出来ないようならワイバーンなんぞは倒せないのだ。かつてボンボンのゲロ甘スケコマシ冒険者だったロイは、いまや剣盾を巧妙に扱う飛竜殺しの上位冒険者である。

 

一瞬ふらりと男の体が揺らぎ、そこへシェイラがハンマーを頭へ振り下ろす。ここで勝負は決まりだ、普通なら。

 

だが男は腕を掲げ、ハンマーの振り下ろしを腕で受け止めた。

肉が潰れ、骨が折れる音が響く。

 

男の表情には些かの痛痒も見られない。

それどころか潰れたはずの腕がミチミチと音を立てて再生していく。

そして男から放たれた前蹴りがシェイラを吹き飛ばした。

 

シェイラもまた左腕で受け止めるも、盛大に顔を顰める。

左腕は折れていた。

 



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お前は死ななかった

◇◇◇

 

シェイラの腕を横目で見たロイは次いでマイアを見た。

ロイの視線にマイアは頷き、「30秒」とだけ答えた。

 

やってやれなくはないかな、とロイは口中で言葉を転がす。

そして盾を構え、男との距離をじりじりと詰めていった。

 

男は時折ブツブツと呟きながら虚空を見つめているが、ロイは明らかな隙であっても自分からは突っかけない。

相手が時間を浪費してくれるならそれはそれで歓迎だからだ。

 

男が上衣の懐へ手をやる。

ロイはそれを警戒の面持ちで見つめていた。

男が取り出したのは肉だった。

生肉だ。

 

――まさか

 

ロイの嫌な予感は的中する。

男は手に持った肉に齧りつき、恍惚とした様子で咀嚼していた。

ロイは知る由もないが、男…元中央教会三等異端審問官ハジュレイは先輩であった二等異端審問官ロクサーヌに好意を抱いていた。

 

いや、過去形では彼に失礼だろうか、今もなお好意を抱いている。

ロクサーヌの胸の肉をほおばる彼は、心境としてはその白魚の様な手にそっと接吻をしているという様なものだろう。

 

彼は少しだけ変わってしまったに過ぎないのだ。

 

◇◇◇

 

過激派の重鎮が出した冒険者ギルドへの依頼は黒森の調査というものだった。穏健派の了解を得ずに出された依頼だ、穏健派としても過激派の意図を探りたいとおもうのは当然の事だろう。

 

冒険者に要らない被害が出る可能性もある。

或いは、勇者が黒森へ逃げ込んだといった情報でも掴んだのだろうか?

 

そう考えた穏健派は二人の戦力を送り込んだ。

過激派の意図を探る為に。

送り込まれたのは二等審問官ロクサーヌ、そして三等審問官ハジュレイだ。

 

心技体申し分なく、仮に荒事があったとしても切り抜けるだけの武力もある。連携も問題ない。ロクサーヌとハジュレイは幼馴染であり、10年ではきかない程の付き合いがある。

 

人柄も問題はない。

ロクサーヌはまさに近所の優しいお姉さんという様な印象であり、仮に勇者と接したとしても滅多な事にはならないだろう。

それが穏健派の目論見であった。

 

派遣された二人にとって、黒森が如きは赤子の遊び場に等しいものであったし、探索効率化のためにと二手に分かれて森を探索した事は正しかったのか誤っていたのか。

 

まあしかし、穏健派の誰も、ロクサーヌとハジュレイだって森で魔族が待ち構えているだなんて想像すらしていなかったに違いない…。

 

ましてやロクサーヌを手強しと見た魔族が、ハジュレイの方へ狙いを定めて彼を捕らえ、忌まわしい術薬の実験体とするなど…

 

◇◇◇

 

魔族は貴く、そして強い。だが数が少ない。

ヒト種より圧倒的に少ない。

 

人魔大戦の敗北の原因はまさにそれに尽きる。

ならば、ヒト種を減らし、魔族を増やせれば解決するのではないか、という試みの結果生まれたのが降魔薬と名付けられた術薬だ。

 

これは人間を魔族へ造りかえる…というか、とある寄生体を直接投与し、人間の肉体を乗っ取ってしまおうという意図で作られた薬だ。

 

寄生体は細い糸の様な見た目をしており、寄生した生物の胃を中心に根をはりめぐらせる。そしてそこから宿主の摂取する食物などをエネルギー源とし、爆発的に体内で増殖する。

 

増殖した寄生体は最終的に宿主の脳を目指し、一定量以上の寄生体を脳に宿した宿主は完全に肉体と精神のコントロールを奪われる。

 

コントロールを奪われた宿主はどうなるのかといえば、宿主の記憶を利用した寄生前の行動を取る。だがこれは擬態に等しい。

 

擬態にて周囲を騙し、更に“増えようとする”ための。

例えば近しい人間と体液を交換したり。寄生体を混ぜた食事などを食べさせようとしたり。そういった行動を取るようになる。

 

そこに本人の意思はない。

話しかければ応答し、対応もするだろうが、それは記憶から引き出した反応に過ぎない。

 

極めて恐ろしい寄生体に思えるが、これは一定以上の精神と肉体の強度を持つ生物にとっては全くの無害でしかなかった。

 

そういった生物は大抵魔力を扱うわけだが、この魔力と言うものが寄生体にとっては致命的なものだったのだ。

 

しかし、同一の薬剤を一種の害虫へ使い続けるとやがて耐性を得てしまう、という現象がある様に、寄生体が死なない程度にわずかずつ…少しずつ魔力を流し、意図的に耐性を取得させればよい…とある魔族が考え、それを実行に移した所…それは効を奏した。

 

魔力を流されても死なない寄生体を作り出す事に成功したのだ。

 

だがそれだけはまだ飽き足りぬと見たか、そのとある魔族は耐魔力を得た寄生体に凶暴性を高める呪いをかけたり様々な実験を行った。

 

魔力に触れるだけで死んでしまうというのであれば呪いもかけようがなかったのだが、状況は変わった。

 

最終的に出来た術薬はハジュレイに使われたものとなる。

捕らえられたハジュレイに投与された寄生体はジワジワとその数を増やし、また寄生体にかけられた呪いもまたハジュレイを侵す事となった。

そして呪いの強さは寄生体の数に比例する。

 

今ハジュレイを侵蝕する呪いとは、慕情と食欲を強固に結合させ、愛するものを食さずにはいられないという極めて悪質な呪いだ。

 

想いを告げる、相手を労わる、相手を慈しむ、好意を表す手段は相手を殺し、食らう事でしか表現できなくなってしまう。

加えて、その思いは益々強くなっていくのだ。

 

そして…思いとは、一意に思う事は力となる。

強い想いこそが強い力の原動力となる。

 

今のハジュレイはもはやかつてのハジュレイではない。

その身を満たす膨大な魔力はあらゆる肉体的損傷を癒すだろう。

 

これを魔族といわずして何を魔族というのか。

 

そんなハジュレイの目にはマイアが映っている。

愛するロクサーヌと同じ様な雰囲気の女だ。

それは法神を信仰している聖職者…というだけの違いでしかないのだが、今のハジュレイにはそれもわからない。

 

ハジュレイはロクサーヌが大好きなのに、そのロクサーヌがどんな女だったかも思い出せなくなってしまったのだ。

 

じゅるりと涎がわいてくる。

ああ、ロクサーヌはもう食べつくしてしまったと思ったのに、まだあそこに沢山あるじゃないか、と。

 

だったらもっと愛を示さなくては。

 

ハジュレイの頭は熱に浮かされたようにぼんやりとしている。ただ、腹だけが空いていた。

 

◇◇◇

 

「鬱陶しい視線をマイアに向けるなよ、彼女は俺の恋人だ」

 

そんな言葉と共にずいっと盾がハジュレイの顔の前に突き出される。

突然視界を塞がれたハジュレイは僅かに硬直した。

 

ロイはすかさず盾の下方から見えるハジュレイの脚に剣を突き刺す。

深追いはしない。

突き刺し、後方へ弾かれる様に後ずさった。

 

やはりと言うべきか、後ずさると同時に空気を裂く音と共にハジュレイの剣が振るわれる。

盾で防げるかもしれないが、あの剛剣をまともに受け止めては危険だというのがロイの判断だ。

 

彼の判断は正しい。もしロイが逸らすこともせずにハジュレイの一撃を受けていたなら、盾を握る手は砕けていただろう。

 

「待たせたね!」

 

背後から駆け寄ってきたのはシェイラだ。

マイアの治癒が間に合ったのだろう。

痛々しく圧し折れていた腕はすっかり元通りになっていた。

 

「脚をみてくれ。さっき刺してやったんだが傷がもう治っている」

 

ロイの言葉にシェイラはハジュレイの脚を見るが、衣服が破れている以外は傷などは見当たらない。

 

「でも、あいつはあたしのハンマーを腕で防いだ」

 

シェイラの言葉にロイは頷く。

となれば狙いは頭だ、と二人の考えは一致した。

 

◇◇◇

 

“あんたが防ぐ。あたしが殴る“

 

それだけ言うとシェイラは前へ踏み出した。

雑な作戦だな、ヨハンなら怒るかもな、と思いつつ、ロイもシェイラの前へ進み出た。

 

後方ではマイアが右手を前へ突き出している。

その指先は桃色の魔力光が仄かに灯っていた。

魔力の色というのは本人の気質により変わる事がある。

恋に生きる女、マイアの魔力色は桃色である。

 

ロイが踵を地面へ叩き付けた。

起動の合図。

 

――遠隔拘束法術・五光縛鎖

 

マイアが左手を握り締めると同時に桃色の光の鎖が散らばりながらハジュレイに迫り、その四肢と首に巻きついた。

 

光鎖がハジュレイの腕に絡みつくと一瞬その力が抜け、握る光剣を取り落とす。

光剣は地に落ちると同時に光の粒子へと変わり霧散した。

 

「続けよシェイラ!」

 

ロイは叫び、駆け出した。

ハジュレイは腕を振り、右腕に巻きついた鎖を引き千切る。

 

巻きつくと同時にパリンとマイアの右手の小指の爪が割れる。

爪が破砕する痛みをマイアは唇をかみ締め堪えた。

 

縛鎖が破れればその反動は術者の五指に返ってくる。

だが拘束法術の中でもその起動速度、また五条の光鎖による拘束力は強力だ。

 

ロイは走りこみ、ほぼスライディングに近い体勢でハジュレイの脚を切りつけた。そして、そのまま後ろに回りこむと襟首を掴んで背を突き刺した。

 

串刺しにして、動けなくさせてシェイラに頭を叩き潰させようと言う魂胆だ。

 

案の定と言うべきか、背に突き刺した剣が胸から突き出てもハジュレイには痛苦は見られない。

それどころか右手で剣を掴み、逆にロイを縛してしまった。

 

ハジュレイの視線は今まさに横殴りに飛んでくるハンマーにある。

 

ハジュレイがぶちん、と左腕の縛鎖を引き千切ると同時にマイアの右手の薬指の爪が弾け飛ぶ。

 

だがマイアはそれしきではへこたれなかった。

マイアの如き女は自分が責められると非常に弱い。それこそ説教で泣く。

だが執着の対象…この場合はロイが危機にある時はその力を十全以上に発揮する。

 

ええいままよ、とマイアは拳を握り締め、縛鎖を力の限り引っ張った。

当然の如く残りの爪が全て破砕するがハジュレイの体勢が崩れる。

 

よろけるハジュレイ。

その頭へシェイラがハンマーをたたき付けた。

 

ぶちゅんという鈍い音はハジュレイの頭を叩き潰した音だ。

シェイラがにやりと不敵な笑みを浮かべる。

なんだ、あたしらだってやるもんだね、と。

 

だが瞬間、その笑みは凍りついた。

魔力でコーティングされ、もはや一振りの刀剣といっても過言ではないハジュレイの手刀がシェイラの腹を抉らんと迫っていたからだ。

 

(そんな!頭を潰されて死なないなんて!)

 

体勢はシェイラも崩れている。もはやかわせないと悟った彼女は痛みを覚悟して歯を食いしばった。

 

だが空気を裂きシェイラの腹のど真ん中をぶち抜くはずだった魔槍はその切っ先を逸らされ、腹の側面を抉るに留まった。

 

ロイがハジュレイの腕を蹴り上げたからだ。

盾をカチあげるのも剣を振るのも遅かった。

蹴りが一番早かった。

 

◇◇◇

 

「いいかロイ。いつか君達の手に余る強敵と殺し合う事もあるだろう。君達は死闘を繰り広げ、ついにその敵に致命の一撃を加えたとする。だが気は抜くな。殺したと思ったなら、もう一度殺せ。強敵とは強い敵と書く。強い者とは死の淵にあってもなお相手を殺せるからこそ強いのだ」

 

昔の仲間からこんな助言?をされたことのあるロイは、シェイラがハジュレイの頭を叩き潰した瞬間、“やっと勝ったか”とホッとした。

だがその時、その元仲間の顔が…こちらを呆れた顔で見ている表情がなぜか頭に浮かんだ。

 

そのせいかどうかは知らないが、ハジュレイが動きを見せた瞬間にロイも動き出した。だから間に合った。

 

とはいえ、ハジュレイの一撃はシェイラに決して軽くは無い怪我を負わせた。

 

見る見るうちに血が滲む。

あわてて手で出血を抑えようとしたのも悪手だったか、シェイラはその場に片膝をついてしまった。

 

頭がぐちゃぐちゃになったハジュレイがシェイラに歩み寄る。

その時彼女はみてしまった。

ぐちゃぐちゃになった傷跡から、白いなにかが…糸のようなものが束となってうねるなにかが這い出してくるのを。

 

◇◇◇

 

ロイもまたその白いなにかを見てしまい、脚が硬直する。

そんなロイの無防備な胸甲にハジュレイが振り回した腕が当たり、彼は盛大に吹き飛ばされてしまった。

 

幸いにも装甲が厚い部分を殴られたので骨などに異常はないが、鎧から伝播した衝撃はロイの全身を伝わり暫く立ち上がる事もできない有様となってしまう。

 

ロイの脳裏では元仲間が首を振るような姿がぼんやりと浮かびあがり、消えていった。

 

◇◇◇

 

ハジュレイはゆっくりシェイラへと歩を進めていく。

そして動けない彼女の頭を両手でがっしりと掴み、ぐちゃぐちゃになった頭部を近づける。

 

ハジュレイの手がシェイラの口をこじあけ、傷口から這い出た白い線虫の束のようなものはうねりながらシェイラの口の中へ入っていった。

 

◇◇◇

 

寄生体群は早急に新しい宿主を必要としていた。

彼らの最終寄生先は脳である。

脳こそが肝要なのだ。

 

だがそれは潰されてしまった。

ならば新しい宿主を見つけなければならない。

例えば、目の前で膝をつく女だとか。

 

◇◇◇

 

線虫の束がシェイラの口に次々入り込んでいっているまさにその時、彼女の懐からは緑の蔦のようなものが這いだしてきた。

蔦はウゾウゾとシェイラの懐から這い出し、白い線虫へ絡み付いていく。

 

涙目のシェイラはもうなにがなんだかわからなくなっていた。

無理も無い。白い気持ち悪いのと、緑の気持ち悪いのがそれぞれ絡み合っているのを目の前で見せ付けられているのだ。

 

シェイラが良く見ると、蔦はヨハンから買い取ったワンドから伸びている。

そのワンドにはシェイラの血が付着していた。

 

◇◇◇

 

ワンドに込められしは復讐に悶える苦悶蔦の呪いである。

所持者の血が流された時、蔦達は流された血を啜り目覚める。

一度目覚めた蔦達はワンドの所持者を傷つけた外敵に対して怒り狂い、その身を巻きつけ活力を奪い取るのだ。

そうして無力となった外敵を干からびるまで吸血、捕食し、再び眠りにつく。

 

ヨハンは別に嫌がらせでこんなものを込めたわけではない。

彼が見る限りシェイラに纏わりつく不吉はどうにも濃すぎるものであったし、こんな不吉が形となれば生半な守護や厄除けなど意味をなさぬと考えたのだ。

 

生き残るより死ぬ公算のほうが高い。

ならば、せめて自身を殺すだろう敵に一矢報いたいだろうと思ったゆえの術選択である。

 

◇◇◇

 

蔦は次々と寄生体群へ絡みつき、片端から活力を吸い取っていった。それはシェイラの身中に入り込まんとしていた寄生体も同様だ。

 

活力で腹をふくらませ、パンパンに膨れ上がった蔦がシェイラの口をこじ開け、寄生体を追って入り込んでいく。

 

その間シェイラはもう生きた心地がしなかった。

吐き気、嫌悪、怒り、羞恥、とにかくもういろんな感情が爆発しては消えていった。

 

そして最終的にシェイラを蝕もうとしていた寄生体群はすべて蔦に無力化、吸収されて干からびてぱらぱらと砕け散る。

 

蔦はそれだけでは飽き足らず、ゾゾゾゾとハジュレイの肉体に絡みつき、同様に干からびるまでナニカを吸い取っていった。

 

ロイもマイアもシェイラも、そして彼らの様子を見ていた何者かも口をあんぐりあけてその様子を見ている。

 

「た、助かった…のかな?」

 

マイアが呟く。

ロイはあの蔦が俺達を襲ったりしてこなきゃな、と答えた。

 

シェイラは布で口元を黙ってふいていた。

胃液や唾液でべとべとだったからだ。

 

◇◇◇

 

「な、なんじゃいあれは…あんな、あんなもの…あの劣等はあんなおぞましいものを体内に飼っているというのか?恐ろしい…化け物め…だがあの劣等は…あるいは人間ではないのかもしれん。魔族…同族か…しかし、なぜ同族が来るのだ?あの劣等共はそんな事をいっていなかった…約束を違えたか…?神への信仰心を思い出したとでもいうのか。…いや、それはないな…あれらは劣等の中でもことさらに欲に塗れておる…」

 

魔族はぶつぶつと呟き、とにもかくにも不気味な触手使いに見つかってはかなわんとその場を離れていく。



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イスカを立つ

 ◇◇◇

 

 それにしてもギルドへはどう報告すべきなのだろうか? 

 教会関係者と見られる男が化け物へと変貌し、これを撃退した……など。

 死体を持ち帰ればいいのかもしれないが、ロイもマイアもシェイラも、正直いってそんなのはごめんであった。

 というか触りたくも無い。

 

「……とは言うものの、だねぇ……あいたた……」

 

 シェイラが脇腹を押さえぼやく。

 マイアの治癒により大分良くなったが、彼女も魔力がカツカツであるため十分な治癒は出来なかった。

 

「ごめんなさいね、シェイラさん……」

 

 申し訳なさそうに謝るマイアだってその右手は痛々しい。

 爪が残らず破砕し、少し動かすだけでも激痛を伴うはずだ。だがマイアはシェイラの治癒を優先した。

 

 ロイとて無傷ではない。胸には鈍痛が走り、一番近くで一番長く化物と対峙してきたため、精神的疲労も著しい。

 

 だが、大事なのは全員が生き残った事だ。

 3人の内の誰が死んだとしてもおかしくはなかったと、3人全員が理解していた。

 

 ◇◇◇

 

「それにしてもシェイラ、君の……その、それ……一体なんなんだ……?」

 ロイは恐る恐るシェイラの懐を指さす。

 

 マイアはうんうんと頷き、心なしかシェイラと距離を取っていた。

 

 シェイラは腕を組み、うううん、と唸る。

 脳裏には知人の術師の言葉がよぎる。

 

 ◇◇◇

 

「それは君の確実な生存を担保するものじゃない。しかし、君が命の危機に瀕した時には、それは身を呈して君を護ろうとするだろう。懐にでもいれておけ。ちなみにそれは繰り返し使えるが、使えば使う程にワンド自体の耐久力をすり減らす。使えて2、3回だろうな。最終的にワンドは割れてしまうだろう。そうなればもう使えない。割れた原因が第三者からの破壊であるならば、破壊した者へ守護の力が牙を剥く」

 

 ◇◇◇

 

 ──守護の力……そうかもしれないけど……間違ってはいなかったけど……

 

 釈然としないというわけではない、ヨハンから購入した御守りは確かにその力を発揮した。

 命が助かったのはロイ、マイア、そしてヨハンの御守りの力だ。

 

 命の値段としては格安といえる。

 だから納得はしている。

 

 だがどうもシェイラは首をかしげ、かしげ、かしげ……ううううんと唸ってしまうのであった。

 

(まあでも……助かったよヨハン)

 

 体内まで蔦触手に陵辱されながらも礼を言えるシェイラは人格者である。

 

 ◇◇◇

 

 結局3人は死体をそのままに、手ぶらで戻ることにした。というのももしあの干乾びたナニカが息を吹き返したらもうどうにもならないし、報酬は大事だが命はもっと大事だという基本的な事に気付いたからだ。

 

 自分達は金に目が眩んでいた、とはロイの言。

 マイアとシェイラも異論はなかった。

 

 規定の日数には1日余している。

 これは依頼失敗だな、と項垂れながら戻る3人だったが、案の定報酬は減算……されることはなかった。

 

 彼らが対峙した存在について話すとギルド職員の親父は血相を変え奥へ駆け込んでいった。

 代わりにやってきたのは上半身にぴったりはりついた薄く黒い服を来た禿頭の中年男性だった。

 なぜか鎖を巻きつけているという異様に3人は圧倒されてしまう。

 

 その男性は中央教会所属2等異端審問官ゴ・ドと名乗った。

 

【挿絵表示】

 

 ゴ・ドは3人の話をビキビキとこめかみに青筋を立てながら聞いていた。

 折に触れ“くそったれ”だとか“背教者共め”だとか罵っている。だが男性の怒りが3人に向けられているわけではなさそうなのでとにもかくにも事情を全て話したのだが……

 

 話し終えるとなんと男性から報酬が満額……さらにボーナスがもらえたではないか。

 

 彼らはそれを山分けし、笑顔で解散した。

 ロイとマイアは早く二人きりになりたかったし、シェイラは恋人にあいたかったからだ。

 祝勝会だのなんだのは恋の前では一握の砂ほどの価値もない。

 

 3人はそれぞれの恋人とこれからよろしくやるのだ。

 

 ■

 

 イスカを出立した。

 シェイラは無事だといいが。

 あそこまで忠言して危なそうな依頼を受けたりするほど彼女も阿呆ではあるまい……とは思うのだが、それなら嫌な予感だって感じなかったはずだ。

 

 まあいい、過ぎた事だ。

 彼女に運があるならば生きて帰れるだろう。

 

 馬車で腕を磨いていると、ヨルシカがサングインを持って寄ってきた。

 なにやら見て欲しいものがあるらしい。

 

「……少し待って……見てて欲しい」

 

 ヨルシカが指先を短刀で切り、剣身へと血を滴らせ、柄を握って目を瞑る。

 んん、だの、ああ、だの声が漏れているが……

 

「……ほら!」

 

【挿絵表示】

 

 目を見開いたヨルシカの瞳は赤く染まっていた。

 どこから見ても吸血種の娘にしか見えないが……

 サングインの能力か。

 術師ミシル……貴女は一体何を造ったのだ……。

 

「目が赤くなるだけじゃなくて少し体も軽くなるんだよねこれは。驚いたでしょ」

 

 “あと傷も治り易くなる”と先程きった指を見せてくるが、そこにはもう傷痕は無かった。

 

「元々はちょっとした魔剣だったそうなのだけど、そこにミシルさんが手を加えたそうだよ。分からせてあげた、っていってた。あの人は綺麗だし、優しいし、知的だけど少し怖い所があるね」

 

 ヨルシカの言葉には全面的に同意だ。

 術師には2種類のタイプがいる。

 頭の悪そうな分け方だが、直情型と理性型としておく。

 

 術師ミシルは後者だ。

 感情的になりやすい事を自分でも承知していて、感情を暴れさせて置きながらもう1人の自分で俯瞰し、制御しているのだ。

 こういうタイプは怒らせると怖い。

 

 ついでに挙げるが術師コムラードは前者。

 制御なんてせず思い切り感情を爆発させ、出力任せの格闘戦を行うらしい……見た事はないが、それもそれでアリだとおもう。

 こういうタイプも怒らせると怖い。

 

 ちなみにそもそも感情に乏しい者なんていうのは術師には存在しない。

 

 感情に乏しい者に合う役柄と言えばなんだろうな……。

 どちらかと言えば前衛の連中だ。特に盾役。

 自身の命の残量を計算して、ぎりぎりまで凌ぐのが連中の仕事なので、感情的では勤まらない。

 

 だが盾役が無感情な人形みたいな奴だと、それもそれで駄目なのだ。

 

 なぜならそんな奴に命を預けたがる者は余り居ないためだ。盾役をこなすには仲間から信用だけではなく、信頼もされなければいけない。

 能力さえあれば信用はされるが、人形みたいなやつを信頼するものはそうはいない。

 

 だから盾役というのは非常に難しい役柄として知られている。優れた盾役は常に冷静と情熱の間を行ったりきたりしているのだ。




2等異端審問官ロクサーヌ

【挿絵表示】

ハジュレイの幼馴染。
周囲に細かい氷の粒を撒き散らし、敵手がそれを吸引すると体内で氷の刃を爆裂させるという悪辣な手を使う。純戦闘能力では虫脳ハジュレイに劣るどころか大きく勝るものの、どうしても幼馴染を始末する事ができなかった。
結果的にそれが自らの死を招いてしまう。


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閑話:魔竜殺し②

魔竜デルミッドはかつては豊穣の地竜デルミッドという名で呼ばれていた。

 

地竜デルミッドはエル・カーラの北方にそびえるグラティエ山を根城としているのだが、岩でも木でも土でもあらゆるものを食う貪欲な竜であった。

 

幸いにもというかその食事量は竜のそれとしてはささやかな方だった。

 

そんな竜が何故豊穣の、などと冠されていたのか。

それはかの竜の糞にあった。

 

竜の活力を多く含み、様々な物質がまぜこぜになったそれは大地の成長を甚だしく促進した。

こういった点も相まって地竜デルミッドは世界から存在を排斥されるどころか、むしろ保護されていたのだ。

 

しかし第四次人魔大戦が始まった初期の段階で魔族が大地を毒した。

デルミッドは構わずに毒された大地を貪ってしまう。

魔族の魔力がふんだんに込められた魔毒はデルミッドを殺す事こそできなかったが、その心を損なう事には成功した。

 

しかしただちに狂を発した訳ではない。

竜の命と心はそもそもが非常に強靭なのだ。

 

だがそれが良かったのか悪かったのか…

 

存在そのものが益となる以上、軽々に害するという判断はし辛い。とはいえ、狂を、凶を発し災厄を振りまくと言うのなら西域一帯の覇者であるレグナム西域帝国は討伐隊を差し向けていただろう。

第四次人魔大戦開戦時点では帝国にも余力は十分あったわけだし。

 

グラティエ山の南方には帝国の魔導技術の最先端の産地である魔導都市国家エル・カーラがある以上、狂した魔竜がエル・カーラに被害を与える事を帝国は許容しない。

 

地竜デルミッドは少しずつ狂っていった。

レグナム西域帝国の失策は、損切りの判断をしくじったという点だろう。

 

結局帝国はデルミッドに対し、デメリットがメリットを上回るまでは注視すべし、と判断を下した。

結論から言えば、魔毒に侵された時点で速やかにデルミッドをぶち殺してしまうべきだった。

心と言うものは一度破壊されれば治るものではないゆえに。

 

そうしてデルミッドはついに完全に狂ってしまう。

そう、第四次人魔大戦が人類側の勝利で終わり、各国が復興に躍起になっているという状況で。

 

西域にはレグナム西域帝国の他にもいくつもの国があるが、第四次人魔大戦の際には西域全域で魔物なり魔族なりが跋扈し、各国は散々荒され、終戦後も復興に必死になっていた。

 

それは西域の覇者である帝国とて同じ事だ。

端的に言えば、暴れだした魔竜討伐に割くリソースがない。討伐軍を組もうにも兵の数にすら事欠く状況だった。

 

帝国は結局、魔導都市国家エル・カーラに対し独力で対応してくれと丸投げする。

 

エル・カーラとしては眉を顰めざるを得ない。

こういった状況で手を貸してくれないのなら、何の為に隷下しているのだという話になってしまう。

 

折りしもエル・カーラは先の魔王軍襲撃の際に魔導協会の一等術師【雷伯】ギオルギ師が襲撃してきた魔王軍を率いていた下魔将諸共に爆砕し、その戦力を大きく落としている。

 

ギオルギ師に替わり一等術師へとなったのが術師ミシルであったが、彼女はエル・カーラの守りで忙しい。

 

だが、そんな状況下にあって “え、魔竜!?殺る殺る!”とばかりにエル・カーラを飛び出していったのがイグニテラの面々である。

 

彼らもまた魔王軍襲撃の際に活躍したのであるが、名無しの魔物なんぞは幾ら殺しても個人の勲とはならない、だからもっと大物の首がほしい…とはイグニテラ所属の冒険者にして術師マリーの言である。

 

ギオルギ師も浮かばれまい。

煌く才能をここで潰してはならないと考えて、魔将を殺りたがる彼らを(特にマリーを)宥め、未来への礎となるべく命を爆裂させ魔将を葬ったと言うのに、遺された彼らは魔竜と戦いにいくと言うのだから。

 

まあ実際イグニテラの面々が下魔将と相対していたとしたら、戦い自体は勝てたかもしれないが1人ないし2人は死んでいたためギオルギ師のとった行動は誤ってはいなかったというのが救いか。

 

◇◇◇

 

「アリーヤ、俺はお前が付いてくるのは反対なんだけどな」

 

ドルマがアリーヤの腰を抱き、顔を近づけながら囁く。

アリーヤはドルマの胸板に頬ずりしてからその気遣いに明確に反駁した。

 

「わたくしは愛する男の帰りをのんべんだらりと安全な場所で待つだけの女ではありませんわよ。それに術師としての業前はわたくしの方が上なのですけれど?これはいわば愛の試練ですわ。魔竜討伐の勲があればお父様も貴方とのけ、けっけけッ婚を「アリーヤお姉様!!!!!」ぴぃッ!?」

 

盛大に惚気だす二人に杖を向けているのは赤髪の美女…マリーである。

 

「これから死地に向かうと言うのに、なぜそんなに気が抜けているのですか!ドォルマァ!あんたも惚気てるんじゃないわよ!」

 

まあまだエル・カーラを出立してもいないのだしそこまでキレなくても、と思うのだがマリーは盛大にキレ散らかしていた。

 

マリーとしては複雑な心境である。

姉として敬愛するアリーヤが男にデレデレしているのを見ると、まるで家族を盗られたように感じるし、それだけなら相手の男をぶっとばしてしまえばいいのだが、相手の男と言うのが親友のドルマであるわけだから…

 

ついでにいえば、自身はルシアンとあんな堂々といちゃつくことなどは出来ない。恥ずかしいからだ。照れてしまう。堂々と抱きついたり出来る二人が羨ましい。

 

要するにマリーの怒りはただの私怨である。

 

「ルシアン!あなたからも何か言いなさいよ」

 

それまで3人を静観していたルシアンは前で進みだして口を開いた。

 

「アリーヤさん、ドルマ。戦場ではいちゃつかないようにね。ところでマリーのつけている香水…昨日と変わっているのに気付いたかな?これは僕が調合したんだ。調合につかった水は僕が魔術で生み出した水だ。万年氷晶を触媒にして生成したんだよ」

 

◇◇◇

 

出発前に色々と紆余曲折はあったが、4人はグラティエ山へと出発した。

 

移動はアリーヤの実家から供出された高級馬車である。

 

「戦争は終わったといっても魔族の残党も魔物もまだまだあちらこちらで暴れていますわねえ」

 

車窓から流れる景色をぼんやりと見ながらアリーヤが言う。

グラティエ山までは多少時間がかかる。

馬車の速度で一昼夜は走らねばならない。

御者は交代で、今はマリーが手綱を握っていた。

 

「魔族の残党とか勇者にこそ何とかしてもらいたいけれど、そのアリクス王国の勇者も魔王の呪いを受けて臥せっているらしいね。教会もどうにも出来なくて、ヨハンさんも解呪を試みているけれど何ともならないって話だそうだよ」

 

ルシアンがアリーヤに答える。

マリーが傍にいないとルシアンは比較的まともだ。

 

あの人にどうもできないなら勇者はもうだめだろうな、ご愁傷さん、とドルマはアリーヤの尻を触りながら内心で呟いた。



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閑話:魔竜殺し③

 ◇◇◇

 

「とほほ……結局我輩は貴殿に改造される定めでしたか……」

 

 コムラードが変わり果てた己が脚を見る。

 その脚は黒光りする木材で作られており、表面には複雑な文様が刻まれていた。

 

「なぜ落ち込むのですか術師コムラード。その脚は良いものですよ。“貫き”の概念が付与されている先端部は、その気になれば中央教会の聖騎士が纏う聖鉄製のプレートアーマーですら貫き通すでしょう」

 

 コムラードは先の大戦でのエル・カーラ防衛戦において勇敢に戦い、結果として左脚を失った。

 

 コムラード本人としてはさほどの喪失感はない。

 脚を失ったことは残念だが、あの激戦で生き残る対価が脚一本と言うのは非常に安い……と彼は考えていた。

 

 そこで彼に目をつけたのがミシルだ。

 彼女は元々コムラードを強く意識していた。

 術師としては珍しい近接戦闘型のスタイルは、彼女の“子供達”たる作品群の良い実験台……いや、テストユーザーとして最適であったからだ。

 

「そういえば……彼らの事ですが……」

 コムラードがやや曇った表情で呟く。

 

「ああ、問題は無いでしょう。魔竜は油断ならない存在でしょうが、あの4人の方が遥かに危険です。防衛戦の際、術師ルシアン、術師マリー、術師ドルマがしでかしたことをお忘れですか?」

 

 ミシルの言葉をきいたコムラードはヌゥと唸る。

 コムラードの脳裏をあの出来事がよぎる。

 

 群れを成す魔軍の一角を吹き飛ばすのみならず、エル・カーラの大防壁及び住居区画の一部を木っ端微塵にした挙句に3人諸共魔力、体力の枯渇で瀕死になった出来事だ。

 

「アレを行使できるのは協会広しと言えどもあの魔女殿くらいだと思っておりましたがな……まさか3人がかりで力ずくで成し遂げるとは……滅茶苦茶な事を……彼らは学生時代から滅茶苦茶でしたが、成人してからも滅茶苦茶ですな。しかも才の泉が枯れる気配はいまだ無し、と」

 

 コムラードの言葉にミシルはその無表情を崩し、あからさまな嫌悪感を見せながら吐き捨てた。

 

「私はあの魔女は嫌いですけれどね。ふしだらすぎます。連盟だの協会だのと言うつもりは無いですが。彼らがあの術を行使しようと決めたのは魔女の影響でしょうが、どうにもあの魔女のふしだらさも影響を与えている様な気がします。特に術師ドルマ。婚前交渉なんて真似をするようなら私は彼をぶち殺します」

 

 妙にスイッチのはいってしまったミシルを宥めながら、コムラードはため息をついた。

 

「術師ミシルは本当に魔女殿がお嫌いですなあ」

 

 魔女……連盟の術師にして協会の術師でもある。その他にも様々な箔がべたべたくっついている異色の術師は、業前こそ卓越しているもののその性格がかなり個性的な事で知られている。

 

 才を惜しむ者、といえば響きはいいが、体でも金でもなんでもつかって“お気に入り”を手元に置きたがるのだ。

 

 彼女に弟子を盗られたり、恋人を盗られたりと被害者は結構多い。

 

 それだけ聞くとさぞモテるのだろうと思うかもしれないが、その辺の凡人ならばともかく彼女が好感を抱くのはいずれも才のある者ばかりであり、しかも才に溺れることなく人格面でも相応のモノを備えていたりする。

 

 そういった人物が、節操無くアレコレする者を女性として好むかといえば……。

 

 “魔女殿”は掌中の珠を育て、囲い、機を見て自身の男にしようと何度か試みているが、いずれもフラれている。

 師としてはともかく、恋人にはしたくないとフラれている。

 

 ◇◇◇

 

「ねえドルマ。あんたの毒は全然きかないわけ? ほら、鉱毒を風に流して~って陰険な手とかあるじゃないの」

 

 マリーの言葉にドルマが顔を顰めて答えた。

 ちなみに現在はルシアンが手綱を握っている。

 

「お前ね、俺はお前みたいに考えなしじゃないんだよ。考えて戦ってるわけ。大体陰険な手っていうのはルシアンの十八番だろうがよ。後、魔竜に毒はきかないとおもっていいな。魔族の毒だって殺せなかったんだぜ」

 

 ドルマはそういうが、実際彼の取る手は陰険だ。

 大地に染みこんだ毒を土の術で取り出し、風の術で敵手に取り込ませるというのは控えめに見ても正々堂々とした手ではない。

 

 まあ風の術というのは熟達すれば雷撃を放つ事も出来るのだが、ドルマとしては余り取りたい手ではなかった。

 まず、狙いが定まらない。

 

 雷撃を発生させる事は出来ても、狙った場所に当てることができないのだ。

 

 雷撃を狙い通り奔らせるには大気を操作して雷の通り道を作らなければならないのだが、コレが中々難しいわけで……。

 

「いいこと? マリー! かつて貴方達にモノを教えた術師ヨハンはこの様に言っていましたわ。勝てば何をしてもいいのだ、ってね! だから陰険だろうがなんだろうがよかろうなのですわ! お分かり!?」

 

 マリーはそんな事を言われた事はないが、なるほど、ヨハン先生ならそういうかもしれないな、と考え直す。

 

「確かにそうですね、アリーヤお姉様。悪かったわねドルマ。私はあんたの陰険な手を賞賛するわ」

 

 相変わらずマリーは頭おかしいなと思いつつ、ドルマは窓の外を見た。

 

 大地が荒廃している。

 地脈が荒れているのだ。

 それは魔竜の所業に相違ない。

 

 ──でかいトカゲなんぞとっとと片付けてアリーヤの親父さんに挨拶しにいかなきゃな……嗚呼、それと術師ミシル……

 

 ドルマとしては魔竜なぞよりアリーヤの父親とミシルのほうがよっぽどおっかなかった。

 



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閑話:魔竜殺し④

 ◇◇◇

 

「でかいなぁ……」

「大きいわね!」

「大きいね」

「あら……結構大きいですわね……」

 

 4人は馬鹿みたいに同じ事を同時に言った。

 それはさながら小さい山の様だった。

 

 ただ竜と言う感じはしない。

 

【挿絵表示】

 

「岩で出来た亀みたいな感じだね」

 ルシアンが目を細め検分する。

 

「今は大人しくしているみたいですけれど、いつも通りにやりますの?」

 

 アリーヤの質問に曖昧に頷きつつも、ドルマは腕を組みながら何がしかを思案していた。

 後方を振り返る。

 視線の先には崖。

 崖と崖の間には深い谷底。

 

「なあルシアン。あそこなんだけどよ、氷の足場なり橋なりを組むとしたらどれくらい時間が掛かる?」

 

 ◇◇◇

 

 ドルマは策を立てた。

 といっても非常に雑なものだが。

 相手がヒト種などならともかく、竜の感情などさっぱりわからない。

 ドルマは陰険で悪質な策を好むが、相手の感情がわからないと嫌がらせもしづらい。

 

 とりあえずその雑な策というのは、先ずいつもの大技をぶっぱなして初手で殺しにいく。

 それで生きてれば全員でリンチだ。

 

 それでも死ななければ上手く崖まで誘引し、ルシアンが架けた氷の橋を渡って向こう岸へ逃げる。

 

 魔竜は氷の橋を渡って追ってくるだろうから、途中で術をといて谷底へ叩き落す。

 

 高さと魔竜の自重的にはまあまず倒せるだろう……という算段だ。

 

 ただ、とドルマは続けた。

 

「崖から落としたとして、それで生きてるか死んでるかを上から確認するすべがないんだよな」

 

 まあその時はその時よね、とマリーが雑にまとめ、いよいよ開戦。

 

 ◇◇◇

 

 初手は大技から始めるというのはイグニテラの暗黙のルールである。

 そして大技といえばマリーだ。

 

 マリーがロングスタッフを天に掲げ詠唱を紡いでいくと、スタッフは徐々に赤熱化していく。

 

【挿絵表示】

 

 ──火精集いて槍と為せ

 ────空に刻むは燃ゆる轍

 ──────貫け、“燐火業焔槍”

 

 術の完成と共にその先端を魔竜デルミッドへ向けると、一際赤い閃光がスタッフより迸った。

 

 同時に、ドルマ、ルシアン、アリーヤがその余波から身を護るべく防御術式を起動させる。

 ドルマが岩壁を生成し、ルシアン、アリーヤが氷壁を幾重にも張り巡らせ襲い来る熱波と爆風に備えた。

 

 “燐火業焔槍”は簡単に言ってしまえば爆裂する熱線だ。

 

 着弾時に発生する4.184×10^9ジュールものエネルギーは、例えて言うなら3階建て公立小学校の中心部に着弾すれば柱部分を残して全て吹き飛ばしてしまうほどの破壊力を有する。

 

 現代戦艦の主砲にも等しいバ火力炎術を特に合図もなく使用するというのは普通ならばパーティ追放にも値する大罪だが、ルシアン、ドルマ、アリーヤは慣れっこであった。

 

 ◇◇◇

 

「まあ流石に竜だけはあるよな。亀っぽいけど」

 

「亀っぽいだけあって硬いんですのねぇ……」

 

「はぁ、はぁ……うー……ルシアン、水……。そうね。でもそれなりに傷は負わせたわ」

 

「はい、マリー。お疲れ様。少し休んでなよ」

 

 4人の視線の先には、あちこち焼け焦げ、甲羅とおぼしき部分に大穴が開きながらも鼻から湯気を噴出し牙をむき出しにしているデルミッドの姿があった。

 



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閑話:魔竜殺し(終)

絵柄がばこばこ変わるのはもうそんなもんなんやなと思ってください。あと表紙に挿絵いれました。次回からは本編戻ります。



 ◇◇◇

 

 狂っていたって疲れれば休む。

 延々と活動なんてできやしない。

 そんなふうに休んでいた所を爆撃されれば、別に魔竜でなくたって激怒するだろう。

 

 魔竜デルミッドは傷を負いながらも怒りで身を震わせ、牙をむき出しにしながら襲撃者を追いかけた。

 

 グラティエ山の生態系の頂点である魔竜デルミッドは他の生物が己を脅かす事はありえないと確信していた。

 事実、これまでそうだったのだ。

 

 だからこの奇襲も何かの間違いに違いないと疑った。

 そもそも、あの人間どもはなんだ?

 何故人間があの様な大魔術を使う事ができるのか?

 人間は魔族のような膨大な魔力を持たないはずだ。

 魔竜デルミッドは思考を巡らせる。

 

 悪夢を見ているだけなのだ、と現実逃避しそうになる。

 しかし現に自分は今、傷ついているではないか。

 では、あの人間たちは一体なんなのだ?

 だがそこまで考えるとまたアレがやってきた。

 

 靄だ。

 

 頭が茹ったようになり、物を考えられなくなる。

 

 マリーの術が痛みを齎し、その痛みのせいで一時頭の靄が晴れていたのだが、魔竜デルミッドの思考は再びくもりはじめた。

 

 もう何もかもがどうでもよくなってくる。

 考えるのをやめたくなる。

 自分が何かを考える必要などないのだ。

 目の前には餌が4体いる。

 

 肉に喰い出はなさそうだが、芳醇な魔力の香りが漂ってくる。

 魔竜デルミッドは“餌”に向かって歩を進めた。

 

 ◇◇◇

 

「追ってくるね。じゃあ手筈通りに」

 

 ルシアンが地面に右手の掌を当てる。

 その薬指には青い指輪が嵌っていた。

 

 聞き取れない程の囁きは彼の詠唱だ。

 ルシアンは詠唱をはっきりと発音しない。

 敵手へ与える情報を出来るだけ制限しようとした結果、もごもごむにゃむにゃとした詠唱でも術が起動するよう鍛錬したのだ。

 ドルマをして陰険だといわれる所以はこういう部分にある。

 

【挿絵表示】

 

 そしてルシアンの術が起動した。

 掌からパキパキと氷が広がり、その広がりは氷で舗装された一本の道を作りだした。

 

 それだけではない、氷の橇のようなものも生成される。

 

「乗って」

 

 言葉少なくルシアンが促すと、ドルマ、アリーヤが乗り込む。

 

 最後にマリーを抱えたルシアンが橇へ乗り込むと、それは勢い良く滑り出した。

 マリーの息はまだ荒い。

 

(無理もないか。あれは対軍用の術だ)

 ルシアンがマリーを胸元に掻き抱くと、マリーはこれ幸いと抱きついて目を瞑った。

 

 ドルマは追い風を起こし、万が一にもに追いつかれないように気を配る。

 ついでに毒も流している様だがそこは余り期待はしていない様子だ。

 

 氷の橇はルシアンが敷いた道を駆け抜けていく。

 ただし、振り切るような速度は出さない。

 自分達を追わせたいからだ。

 この辺りの絶妙な速度調整もまたルシアンの精神力をガリガリと削っていった。

 

【挿絵表示】

 

 やがて彼らの前に氷の橋が見えてくる。

 

 この間アリーヤもルシアンも、そしてドルマも黙り込んでいた。

 

 怖いからではない。

 アリーヤとドルマはこの次の局面に向けて準備をしていたのだ。

 

 橇が氷の橋を渡りきり、魔竜デルミッドが追ってきたならばすかさず橋を二人で破壊する為に。

 

 ルシアンが生成した氷はただの氷ではない。

 多分に魔力が含まれた非常に強固なものだ。

 もっと脆く作れば良いと思う者もいるかもしれないが、それで逃走中に橋が壊れてしまえば元も子もない。

 

 破壊はアリーヤ1人では手間取ってしまうだろう。

 だがドルマとアリーヤの二人ならば問題はない。

 

 ルシアンが黙り込んでいるのは疲労からである。

 崖と崖を結ぶような橋を生成し、しかもパーティの戦略的撤退を一手に担っている。

 

 そして氷の橇はついに橋を渡りきった。

 背後からは怒りと狂気に染まった魔竜デルミッドが追ってくる。

 

 しかし橋を落とす準備は整った。

 

 ◇◇◇

 

【挿絵表示】

 

 左手に解き放たれれば周囲へ氷の刃を撒き散らす氷嵐弾、右手に着弾地点で爆破炎上する爆炎弾を準備し構えるアリーヤの姿があった。

 

 かつては師であるミシルから火力馬鹿だと嘆かれた4等術師の少女は、器用にも2種の術を同時に放てる火力馬鹿へと成長したのだ。

 

「ぶっとばしますわよ~~~!ドルマ!」

 

 応、とドルマがアリーヤに先んじて術を起動する。

 起動する術は派手なものではない。

 派手なものではないが…悪質ではあった。

 

 ドルマが“塩砂流”と呟くと、さらさらと白い砂のようなものが旋風を巻き魔竜デルミッドを包み込む。

 ドルマは術を通じて魔竜デルミッドの傷口、目に丹念に塩を擦り込んでいったのだ。

 

 劈くような魔竜の絶叫!

 

 激痛で氷の橋の上で暴れまわる魔竜デルミッドに、アリーヤが左右の手の術を立て続けに放った。

 

 最初は炎、次に氷。

 炎で熱された所へ氷の術が炸裂することで水蒸気爆発が発生し、橋はデルミッドを乗せたまま破壊される。

 

 そうなれば当然…

 

 ◇◇◇

 

「おうおう、落ちていったなぁ。流石に死んだか?」

 

 ドルマが崖下を覗き込む。

 デルミッドはぴくりとも動かない。

 

 実際この時点でデルミッドは事切れていたのだが、ドルマ達にはそれを確認するすべは無かった。

 子供の使いじゃないんだから、死んだかどうかわからないまま帰還などは出来ない。

 

 一向は誰ともなくため息をつき、結局休憩をはさんで崖下を見に行く事となった。

 

 ◇◇◇

 

 かくして、最後こそややシャンとしないものではあったが、イグニテラは魔竜討伐を成し遂げる事と相成った。

 

 これが飛行能力を持つ種だったり、ブレスを吐いてくるような種だったりすればまた違った話になったかもしれないが…。

 

 対軍魔術に耐え切るなどそれなりにタフとはいえ、小細工の効かない魔竜などは成長した彼らにかかっては当然の結果と言える。

 

 とはいえドラゴンスレイであることには変わりはない。

 イグニテラはそれからも冒険を重ねていった。

 

 それこそ魔竜デルミッドなどは比較にもならない古竜とよばれる存在とも戦ったし、地下世界に繋がっているといわれる大穴を探検し、冒険王ル・ブランの書にある大地下都市を発見したりもした。

 

 だがそれは、また別の機会に話すとしよう。

 



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ウルビスへ

 

「ヨハン、ウルビスの町までもうすぐだね…って、また馬車酔い…じゃないか。日向ぼっこかな」

 

俺はヨルシカの言葉に声なく頷いた。

別に気分が悪いわけじゃないのだが、アシャラを発ってから暫く太陽の光を浴びるのがやけに気持ちがいい。

 

「秘術の影響だとおもうが、この辺りは少しずつ体質の変化を探っていきたい所だ。流石に乾季には死にかける…なんてことはないとおもうが元気くらいはなくなりそうな予感がする」

 

そういえば水を飲む回数が増えてるよね、とのヨルシカの言葉にまさしく、と頷いた。

 

「そういえばウルビスってどういう町なの?私も冒険者として多少なり旅してきたけれど、名前くらいしか知らないんだよね」

 

ヨルシカの質問に少し考える。

 

 

…ウルビスか。

冒険者の町と呼ばれる事もある小さい町だ。

町の近くには森もあれば山もある。

森は植生豊かで、薬草採りだけで生計を立てている者達も多い。

 

冒険者というのは基本的にチンピラが多いのだが、ウルビスの冒険者というのはやや毛色が違って、なんというか育ちがいいのだ。

物語に出てくる“古き良き冒険者”に憧れている者が多い。

 

そういえばロイ、ガストン、マイアらも冒険者としてはともかく、人間としてはチンピラなどではないどころかむしろ善良…いや、ガストンはチンピラっぽかったかもしれないが。

だが奴は悪ぶってるだけだしな。

斥候としての才能は無いが、前衛剣士としての才能はそこそこあった…ような気がする。

 

 

まあそれはともかく、ウルビスという町は冒険者の町と呼ばれる割には牧歌的だ。

それは周辺環境の豊かさゆえに、社会的弱者がより弱き者から搾取する必要がないからなのかもしれない。

極々一部の者を除いて、別に食い詰めているわけでもないのなら敢えて悪辣な真似をしたいと思う人間はそうはいない。

 

「確かワイバーンが出るんだっけ?少し興味があるけれど空を飛ぶ相手は好きじゃないなぁ」

 

ヨルシカの言葉には全面的に共感する。

俺も空を飛ぶ相手は嫌いだ。というより好きな相手がいるのかという話だが。

いや、いたな。

“彼”は鳥だがワイバーンの1頭2頭位なら鼻歌混じりに始末してしまうだろう。

 

「それにしても太陽の光を浴びているとここまで気持ちがいいとは。ヨルシカ、もしかしたら頑張ったら俺は体の何処からでも木の芽とか出せてしまうかもしれないぞ」

 

 

当然冗談だ。

そんな事が出来たら人間卒業してしまう。

だがヨルシカは俺にジトっとした視線を向け、どんよりとした声色で文句を言ってきた。

 

「君が気軽に何かを言った結果、どうなって来たかを思い返してみてくれ」

 

やれやれ、全くヨルシカは考え過ぎだ。

霊感により導かれる霊夢ならばともかく、その場のノリで言った事が実現してたまるか。

 

 

「それにしても君が貴族との繋がりがあるとは思わなかったよ。そういうのは…失礼だけど…その、余り向いていないというか…西域帝国の貴族が特別問題あるとは言わないけれど、中にはとんでもないのもいるんでしょう?」

 

別に失礼だとは思わない。

俺も自身が貴族とうまく付き合えるような人間だとは思ってない。

 

「まあ昔の依頼でね。それで多少なり信用されたか、指名依頼を受けたんだ。訓練というか…教育というか、貴族のボンボンをちょっとだけ鍛えたんだ。1年がかりの長丁場の依頼だったがもうやりたいとは思わないな。実力自体はそれなりになったんだが、甘ったれでね。最後はかなり強引に切り上げてしまったが彼らはまだウルビスに居るのだろうか」

 

◇◇◇

 

ヨハンはガストンとはヴァラクで会っていたが、ロイとマイアはまだウルビスにいると思っていた。

だからロイとマイアがイスカでシェイラと共闘し、死地を乗り越えたとは想像もしていない。

 

全てに意味があるのだ。

たとえ偶然だったとしても。

 

ヨハンがロイ達を鍛えるという依頼を受けなければ、ロイ達はウルビスを離れることはなかっただろう。

ヨハンがロイ達と知り合い、そして見放す事でロイ達はイスカにいくことになったのだ。

 

ヨハンがイスカでセシル達と知り合わなければ、当然後にシェイラに“御守り”を売る事も無かった。

シェイラが“御守り”を買わなければロイ、マイア、シェイラは死んでいただろう。

 

もし彼らが死んでいたらシェイラの恋人は後を追っていた。

そうなれば後に彼がシェイラに、そしてシェイラと死線を共にしたロイとマイアに武器を打つことはなかった。

後にロイ、マイア、シェイラが人魔大戦の際にそれらの武器を持って大功を挙げる事が出来たのは、彼らが生きていればこそだ。

 

 

ヨルシカを見ると、馬車内に入り込んだ虫を目で追っている。

あれはどこかで聞いたが動体視力、及び集中力の訓練になるらしい。

達人は飛ぶコバエを得物で両断できるそうだが彼女も出来るのだろうか。

 

「ああ、ごめん。気になっちゃった?」

 

ヨルシカが手を差し出すと、虫は彼女の甲にとまる。

そしてヨルシカは甲を窓から外へ突き出し、虫を放してやっていた。

 

俺は思わずムゥと唸る。

チンピラは脅迫する事で意のままに従わせることが出来るが、虫けらの如き生物に意を通すことは案外難しい。

あの虫はたまたま彼女の甲にとまったのかもしれないが、彼女の行動は妙に確信めいていた。

 

「ヨルシカ、君の業はなんだか日に日に磨かれていくようだな」

 

俺がそういうとヨルシカは俺の目を見つめ、口を開く。

 

「私がどうこうという事じゃないんだ。君だよヨハン。君と体を重ねる度に私の中に何かが流れ込んでくる。その何かが私を変えていく。私が変わったのではなくて、君が変わったんだ」

 

ただ、とヨルシカは続けた。

「この変化は私にとって悪いものじゃない気がするよ」

 

 

流れ込んでくる!?

馬鹿な!

君が吸い取っているんだろうが!

 

とは勿論言い返さない。



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万色の黒

 ◇◇◇

 

 ヨハンとヨルシカがウルビスに着いたのはその日の夕暮れになってからだった。

 いつもの通り、まず宿を取った二人は部屋で色々な事を話し合った。

 

「以前も言った通りマルケェスに会いにいく。彼は基本的に常にどこぞをほっつき歩いているのだが、必要な時は現れるんだ」

 

 ヨハンの言葉にヨルシカは首をかしげた。

「物語でしか聞いた事がないけれど、マルケェスさんは転移だとか転送だとか、そういう類の術でも使うのかな?」

 

 ヨハンは首を振る。

「必要な時、必要としている者の前に現れる。それがマルケェス・アモンという男さ。アモンとは熱望を意味する。“家族”以外が彼に会うためには失わなければならない」

 

 なにを、とはヨハンは言わなかった。

 ヨルシカにも何を失う必要があるかは何となく分かっていたからだ。

 

「マルケェスさんにあったら…」

 ヨルシカが言うと、ヨハンがその後を引き取る。

 

「ああ、俺の霊感は俺達の前に敷かれている道が決して平坦なものではない、と告げている。マルケェスは家族への協力を惜しまない男だ。何かしらの指針を示してくれるだろう。ヴァラク、エル・カーラ、アシャラ。行く先々で大敵とまみえてきたんだ。今後も何かあるだろうと思うのは間違っては居ないだろう?」

 

 それに、とヨハンは言う。

 そしてヨハンはやや顔を俯けた。

 不安なのか?とヨルシカが肩に手を伸ばしたとき、顔をあげたヨハンの瞳の奥に何かが渦巻いているのを彼女は見た。

 

「憎いんだ、ヨルシカ。俺から何かを奪っていく者達が憎いんだ。俺はガキの頃から奪われ続け生きてきた。力を得てもそれは変わらないんだ。俺にとって大切なモノは勿論、大切ではないモノも何でもかんでもお構いなしに奪っていくナニカが憎い。君の話では俺は母の記憶を失ったらしいな。あの魔族を倒すために記憶を捧げた。まあそれだけなら良いのかもしれない。いや、本当にいいのか?本当は良くないのだろうな。だが俺はそれを勝利の為なら仕方なかったな、と思ってしまっている。悼む感情すらもないんだ。では何が悪いのか?それもわからないのさ。運命などと言うよくわからないものが、俺から何かをくすね続けている。拳の振り下ろし先もわからないんだ。憎悪があり、しかしその向け先がわからない。だったらどうすればいいと思う?」

 

 ヨルシカの目にもヨハンの体から漏れる魔力の色が見えた。

 それは黒だ。だがただの黒ではない。

 様々な色を取り込んで生まれた万色の黒である。

 

 ヨルシカはその時、特に根拠の無い閃きを得た。

 それは、ヨハンが使った“あの術”が恐らくは何度も何度も使われてきたであろう事を。

 思えばヨルシカはヨハンと体を重ねる関係となっても、彼の事は良く知らない。

 

 それはヨハンが過去を語る事が嫌いなのではなく、或いは語る事が出来ないからではないのか?と。

 前回ヨハンは母親の記憶を失った。

 ではその前は何を失った?

 その前の前は?

 術師ヨハンは何度も何度も大切な記憶を枯れさせ、その度に再び記憶の墓地に花を咲かせてきたのではないか?

 

 枯れる花のヨハンとは、つまりはそう言うことなのではないか?

 

 今のヨハンはヨルシカの目から見て、かつて大樹海で対峙したあの魔族にも勝る魔力を感じる。

 

 今この場で考える事としては不穏当だが、ヨルシカは故郷で行われている焼畑を思い出した。

 作物を栽培した後に農地を焼き払い、それを糧として土地の力を回復させる技法だ。

 

(彼は記憶という作物を使って似た様なことをしているのかもしれない)

 

 そう思うや否や、ヨルシカはおもむろにヨハンを抱き締めた。

 そして胸にその頭をかき抱き、密やかにヨハンの耳へ囁いた。

 

「大丈夫だよ、ヨハン。君から何かを奪おうとする者がいたなら、君と私で殺してしまおう。みんなみぃんな殺してしまおう。それが魔王でも魔族でも人間でも男でも女でも老人でも子供でも、全部引き裂いてバラバラにしてしまおう。君と私の邪魔をする者がいるなら神様だって殺してしまおうよ」

 

 ヨルシカから漏れ出る血の色に似た魔力がヨハンのそれと混じり合っていく。

 やがてヨハンはそうだな、と呟き、ヨルシカから離れた。

 先ほど見せた激情のようなものはもうヨハンには見られない。

 

 ヨハンが腕の断面を触り、部屋の隅においてある義手を見る。

 そして、ほんの僅かにふっと笑い、水を飲んだ。

 

「…もう寝ようか」

 

 その言葉にヨルシカは頷き、二人は同じベッドへ入っていく。

 君がいてくれてよかったよ、とヨハンは言い残しすぐに寝てしまった。

 ヨルシカは目をぱちくりさせ、自身もあっというまに眠りについた。

 

 ◇◇◇

 

 術師ヨハンが自身の心情を感情のままに吐露したのはこの日が最後となる。

 不安定に揺れ動いていた激情はぴたりと収まった。



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日常回、余談

 ◇◇◇

 

 マルケェスの住処はウルビスから徒歩2日程離れた場所にある。

 

 名も無き森の奥深く、いつの時代に建てられたかも分からない廃教会が彼の住処だ。

 ただし、縁も所縁もその身を焦がす渇望もない者が教会を訪れても誰にも会えないだろう。

 

 ヨハンとヨルシカは荷を取りまとめたり、他愛も無い話を交わしたりしていた。

 地図を取り出し、マルケェスの住処までのルートを指し示すヨハンに色々と質問をするヨルシカ。

 

 そんな話の最中、ヨルシカは自身の感覚に何やら変化がある事に気付いた。

 体調が悪いとかそういう訳ではない。

 むしろ逆だ。

 

 何もかもが鮮明に視え、そして感覚も鋭敏になっている。それどころか、ヨハンの感情……のようなものも何となく分かる……様な気がする。

 

 ヨルシカは目をぱちくりさせた。

 

 ◇◇◇

 

 生物の情の交わし方は様々な形がある。

 言葉を交わしたり、体を重ねたり、仕草で伝えたり。

 だが、そのどれよりも魔力の交合というのは濃密な情の交わし方と言えよう。

 

 そもそも魔力と言うものは個々人固有のものであり、通常ならば混じり合う事はないのだ。

 

 だが通常という概念があるなら、当然例外もある。

 誰かが閾値の様なものを計算した訳では無いが、一定以上親しい二人の魔力と言うのは混じり合う事がある。

 魔合と呼ばれるこの現象は、文字通り自身の一部……そして相手の一部を混じり合わせる事であり、魔合を経た両者の間には一種の精神感応が働く。

 

 要するに、何となく相手の考えている事、抱いている感情が分かったりする……ことがあるのだ。

 

 だがそもそも、この世界において魔力とはそもそも何なのか。

 これまで多くの術師が研究して来た事だが、皆結局分からなかった。

 

 法神が齎したヒトの可能性だと言う者もいれば、魔界に連なる穢れた力だというものもいる。

 だがその諸説のどれ1つとして立証されたものは無かった。

 

 ◇◇◇

 

 昨晩、ヨハンとヨルシカがその身の魔力を重ね抱き合って眠った翌日、ヨルシカは自身の目に映る世界が少し違って見える事に気付いた。それは何がどう違うのか具体的な説明こそ出来なかったが、何となく世界というものは幾つもの“膜”が重なってできているものなんだな、とヨルシカは感じた。

 

 ヨルシカがその事をヨハンに話すとヨハンは暫し瞑目し、魔合が為されたからだろう、とだけ答えた。

 

 ヨハンはきょとんとした表情のヨルシカに対し魔合とは何か、そして魔力とは一般的にはどのように考えられているのかを説明した。

 

「長くなるがいいか? ……よし。まあ諸説あるがね……俺としては魔力とは即ち意思だと思っている。意思というのは指向性を持った思い、考えだ。当人の意思というのは当人の一部と言ってもいいだろう。あの時俺も君も、互いが互いを欲した。……なんだその目は。照れるような話をしているわけじゃないぞ、真面目な話だ。話を戻すが、俺達は体や言葉だけではなく、もっと深い部分で繋がりたいと思った。それは強い意思だ。互いがそう強く思った時に魔合が発生する。互いの魔力が互いの肉体の奥深くにもぐりこもうとするのだ。君、今俺の気持ちなりがなんとなく分かるだろ? これが魔合さ……。すぐに馴染んでしまって消える感覚だが」

 

 ヨルシカはふんふんと頷き、つまり私達は魔力でアレをしたんだね、などと頭の悪い感想を述べると、ヨハンは重々しく頷いた。

 

 ◇◇◇

 

「もしかして私も術が使えるのかな? 色々と学ぶ事が多くて敬遠してたんだけれど……」

 

 ヨルシカの疑問も尤もな事だが、ヨハンはその疑問に是と答えた。

 

「使えるには使えるだろう。ただ、君は……というか、実力のある前衛剣士は皆そうだが、そもそも術を使っているじゃないか。身体能力の強化という形でね。君達職業前衛はより速く得物を振りたいと、攻撃を受けても斃れぬ強靭な肉体を得たいと思っているだろう? そういった思いに魔力は応え、常人を超えた身体能力を君達に与える」

 

 勿論、とヨハンは続けた。

 

「火の弾を出したりなんていうのも出来るとは思うよ。しかし大した事は出来ないだろうな。なぜならそれは君が本心から望む事ではないからだ。ちょっとした好奇心程度の思いではちょっとした術しか発現しない。逆に、我々術師が君達職業前衛と同じ出力で身体強化をする事は出来ないだろう」

 

 ヨルシカは納得したような表情を浮かべた。

(確かに私は火の弾を出すより、近付いて切り裂いた方が早いだろうと思っているし……そんな中途半端な気持ちじゃ凄い術は使えないんだろうな)

 

 ◇◇◇

 

 剣士が術師の、術師が剣士の真似が結局は猿真似で終わってしまうのは、こういった背景があった。

 勿論強い思いさえあれば剣士として、あるいは術師としてやっていけるというわけではない。

 鍛錬は当然必要だ。

 

 剣士であるなら、日々の鍛錬やこれまでの勲などが魔力の質を高める。

 自分はこれだけ鍛錬してきたのだから、あれ程の難敵を倒したのだから、あれ程の死闘を生き残ってきたのだからという自負が魔力を磨く。

 

 術師であるならば自身の力への理解の深さが魔力の質を高めるであろう。

 

 例えば火の術を得意とする術師であるならばこれまで何を燃やしてきたかという経験、あるいはそもそも火とは何なのかという学術的な知識の深さ、または自身が発火という現象をどれ程好きなのかという気持ちの強さも魔力を磨き上げる事に寄与する要素だ。

 

 例えばアリーヤなどはその等級に比して火力面と言う意味では頭1つ2つ抜けている。

 それはアリーヤが火というモノに親しみを感じているからだ。

 そして破壊的な考えに親しんでいるから、というのもある。

 

 ともかく、こういった日々の有形無形の積み重ね……生き方というものが業前の質に影響する。

 思いだけではなく、日々の積み重ねも同じ位大切なのだ。

 

 ◇◇◇

 

「マルケェスは連盟では編纂者と呼ばれている」

 

 ヨハンの言葉にヨルシカがオウム返しに“編纂者?”と聞き返した。

 

 ヨハンは頷く。

 

「現在の連盟の家族たちは皆、“編纂者”マルケェスに術を授けられているのさ。もっとも彼が術を編み出し、それを教授する……という形ではない。彼の眼には不思議と俺達の本質が視える様でね。その本質を視た彼は色々と“提案”してくるんだ。この様な力がほしくはないか、こんな力があればもっと良い人生が送れるのではないか……ってね。その提案は不思議と俺達の心を抉る。貫き通す。以前にも言ったが、術とは思いを形にするものだ。家族となったばかりの俺達は、彼との対話を通して自身に合った術を編み出していく。そして、秘術と呼ばれるべきモノが完成した時、俺達は一人前と見做される」

 

 それを聞いたヨルシカの中で、マルケェスという男の株がかなり下がる。

 

 術を……生きる力を授けるというのは良い。

 しかし授けるならもう少しマトモな術を授けろという思いがヨルシカのこめかみをピクピクと痙攣させる。

 

 ただ、とその“マトモな術”とやらでヨハンは生き延びる事ができていたのだろうか? とも思う。

 あるいは自分と出会うまでに彼は死んでいたかもしれない。

 そう思うと、ガガンと下げた株を少し上げざるを得ない。

 

 ◆◆◆

 

 以下余談

 

 

 魔導協会所属4等術師アリーヤはその等級に相応しくない火力を誇る火術師であるが、彼女の術師としての業前を支えるものは幼少の記憶である。

 

 レグナム西域帝国の貴族の息女として生を受けた彼女は、幼少期からお転婆であった。

 それは彼女が一人娘だと言うのもあって散々っぱら甘やかされてきたからというのが大きい。

 

 アリーヤの家は代々火術の才が優れる者を輩出しており、アリーヤもまた幼い頃から火術への優れた適性を示していた。

 こういった才の発露も、彼女が甘やかされて育てられる一因であったと言える。

 

 つまり幼い頃の彼女はまさしく真性の我侭雌餓鬼だったのである。

 

 当時帝都に住んでいた彼女はある日、護衛を振り切って帝都の治安が宜しくない場所をふらついていた。

 なぜなら当時のアリーヤは我侭雌餓鬼であるから、少しでも興味を惹く場所へはホイホイ入り込んでしまう悪癖を持っていたのだ。

 スラムが如き場所へ貴族の幼女が迷い込めば結果は知れている。

 

 すなわち、攫われて売られて変態に買われて犯されるのだ。

 あるいは悪質術師に買われて触媒とされるか……いずれにせよ末路は暗い。

 アリーヤに術の才があったとしても、そんなものは触媒もなければ何の役も立たない。

 愚か、無防備! それが幼き頃のアリーヤである。

 

 愚かなアリーヤは当然の如く攫われ……そして、ミシルに救われた。

 当時のミシルは人道的な理由から実験台を欲していた。

 貧民街……スラムは四肢が欠損している者も珍しくないため、ミシルの目的に添う実験台が見つかると思っての事だった。

 ふらふらと丁度良さそうな検体はいないかなと散策していたところでアリーヤをたまたま見つけたというわけだ。

 

 アリーヤを攫った暴漢達は1人残らず戦闘不能にされ、アリーヤはあっさりと助かった。

 ここで話が終わったならばまあ美談で終わるのだが、ミシルは少しばかり変わった人だった。

 アリーヤの小さい手を、白魚の様な手で包みこんだミシルは言う。

 

「彼らはどうしましょうか。命を奪うのも良いでしょう。ただ私は殺りませんよ。私には彼らを殺る理由がありませんからね。貴女が殺らないならば、彼らは衛兵に突き出すことになりますが」

 

 魔導協会所属2等術師であるミシルは温度の無い視線を暴漢達へ向けた。

 暴漢達は震えた。その両の脚を氷縛されているから、というのもあるが、何より背筋を凍りつかせたのはその目だ。

 ──この女は俺達を人として見ていない

 

 幼いアリーヤはミシルに、何故自分を助けてくれたのか、と聞いた。

 暴漢達に向けるそれよりは大分柔らかい(それでも冷たい)視線をアリーヤに向けたミシルは答えた。

 

「貴女は……私が視る限り、才能がある。私が貴女を助けたのはその才を惜しんだからです。本来私と貴女は何の関係もありませんから助ける義理もないのですが……私もまだまだ甘い」

 

 それからミシルは幼いアリーヤに向かって、仮に助けられなかったとしたらその身に何が起きたのかを事細かく述べていった。

 アリーヤの瞳に恐怖、羞恥、焦燥、怒りが浮かんでは消えていく。

 

 コロコロと変わるアリーヤの表情を見ながらミシルは言う。

「法的、あるいは道義的に悪いのは彼らですが、個人的な考えを言わせて頂くと、こんな場所へ力もないのに訪れた貴女は……そう、頭が悪いと私は思いますよ」

 

 幼いアリーヤの頭を見えない衝撃がガガンと襲う。

 アリーヤにこの様に真っ向から馬鹿だと言ってきた者はこれまでいなかったからだ。

 だが文句は言えない、いや、言う積もりはない。

 なぜなら自身ではあっという間に捕らえられてしまった相手を、それこそ一瞬で行動不能にしてしまった強者である。

 

 普通の我侭雌餓鬼貴族であるなら、ここで不敬だと騒ぎ立ててもおかしくはないが、アリーヤは普通ではなかった。

 分かりやすくいえば若干の被虐願望があったのだ。

 この性癖が後に“悪そうな人が好き”という様な業につながるのだが……。

 

 幼い身の上で人生観も糞もあるのかという向きもあるが、自身の人生観がバキバキと歪んでいく音をアリーヤは聞いた。

 この瞬間、アリーヤに何がどうひんまがったのか、弱気は悪。弱い奴は何されたって文句は言えない……という修羅めいた価値観が形成されてしまった。

 

 

「あ、あ、あの! わたくち、わたくし! アリーヤと申します……あの、お姉様は……」

 

 この日を持ってアリーヤはミシルへ師事をする事になった。事後報告となったがミシル・ロア・ウインドブルームは帝都でも高名な術師であった事から、アリーヤの実家もそれを了承。

 

 ミシルの弟子となったアリーヤは真摯に力を追い求める様になる。それがどんな意思であれ、“真摯”であると言うのは力を引き出す取っ掛かりとしては良い。

 アリーヤはミシルの下でメキメキと術師としての火力的業前を磨き上げていった。

 

 後にエル・カーラ魔導学院に招聘されたミシルにアリーヤもついていく事となった次第である。

 

 なおミシルとアリーヤはエル・カーラへの道すがら、小規模な野盗の一団に襲われる。

 

 対応したのはアリーヤだった。

 ミシルに師事し積み重ねた研鑽は、煌々と燃える炎弾という形で示された。

 炎弾は盛大に爆裂し、たちまち燃え上がる6体の人影。

 

 初めての殺人の成果をアリーヤは頬を赤らめて眺め……ミシルにゲンコツされた。

 飛び散った炎は森を焼き、ミシルが消火活動をしなければ緑の森が炎の森に変貌しかねなかったからだ。

 

 ミシルがアリーヤへ暴行を働いたのはこれが最初で最後であった。




良かったら活動報告見てください


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マルケェス

◇◇◇

 

翌日、ヨハンとヨルシカはウルビスを発った。

目的地はウルビス北部だ。

 

ウルビス北部にはワイバーンが生息する高山があるが、その麓には鬱蒼とした森が広がっている。

その森の深部に廃村があった。

今でこそ知る者は僅かだが、その村にはかつてエルフェンが住んでいた。

だがいつからか近隣の山にワイバーンが巣食う様になり、被害が拡大してくるとエルフェン達は他の地へ移り住んだ。

 

エルフェン達には優れた魔法の力があるが、決定的に足りないものがあった。

それは戦闘経験だ。

危地に際した時の心構えが全くできていない。

だから同胞が怪我をする、あるいは死亡した時に困惑し、動揺し、恐怖してしまう。

そうなれば“優れた魔法の力”も満足に発動しない。

 

対してワイバーンは天性の捕食者である。

更に空を自在に飛び回り、上空から炎弾を撃ち出して来る個体さえいる。

 

ワイバーンはドラゴンに格が劣るから大した事が無い、と嘯く者がいるがそれは大きな間違いだ。

胴体側に手足が生えているのがドラゴンで、翼側に生えているのがワイバーン。

それだけの違いであって、脅威として格差があるわけではない。

 

結果的にそんなワイバーンにエルフェン達は散々に追い散らされ……

 

◇◇◇

 

「……ということだ。マルケェスはその村の廃教会に住んでいる。え?なんだってそんな所にだって?…そうだなぁ、俺も聞いた事があるが毎回答えが違うんだ。不便を楽しむだとか、自然が好きだとか、学術的な興味だとか。ただ、その中でも一番不穏というか、恐らく本心だろうなと思った答えは今でもはっきり覚えている」

 

ヨハンが顔を顰めて言うと、ヨルシカはいやだなー、きっと殺伐とした理由なんだろうなーなどと思いながらも“それは?”と聞いた。

 

「“人には人それぞれの人生があります、ヨハン。100人いれば100通りの人生があるのです。それはつまり、私にとって100個の宝石がある事に等しい。人里近くに住むということは、目の前に何百もの宝石をぶら下げられている様なものです。貴重な宝石でも沢山あると、少しくらいは雑に扱ってもいいか、という気持ちになってしまうでしょう?それは少しねぇ…ふふふ”……との事だ」

 

マルケェスの姿は禿頭で痩せぎすの、喪服の中年男性…との事だそうだが、ヨルシカとしてはそんな姿はきっと本当の姿ではないのだろうな、と思った。

 

(そして“本当の姿”があったとしても、それは知らない方がいいものに違いないんだろうなぁ)

 

うへぇ、と言った様のヨルシカを見るとヨハンは苦笑しながら言った。

「別に取って喰われはしないさ。人を食うのはもう辞めたらしい」

 

◇◇◇

 

二人はマルケェスの住処まで特に何の障害もなくたどり着いた。

ヨルシカは獣すらも現れなかった事を少し疑問に思っていた。

ヨハンの話では森では魔獣の類が現れることも珍しくはないのではなかったか?

だがそんな疑問はヨハンの言葉で氷解する。

 

「マルケェスが歓迎してくれてるんだろう。彼に会いに行く時は大体こうだ。勿論こんなスムーズに会いにいける訳じゃない場合もあるが、その時は彼がどうしても外せない用事などがあったりして留守にしている時だな」

 

「どうにも得体が知れない人だね、そのマルケェスさんという人は」

 

ヨルシカの言葉にヨハンは頷く。

「人間だと本人は言っているが、人間だと思わない方がいいな。そして気は許しても、心は許すな。君は俺の大切な人である以上、滅多なことはされないとはおもうが……彼は人間で遊ぶ悪癖がある。気まぐれに破滅させたりといった悪辣な真似こそしないのだが、特に意味もないのに意味ありげに振舞ったり、意味もないのに不気味な気配を振りまいたりする。しかしそんな中、意味ありげに囁いた言葉の一つに本当に重要な何かが隠されたりしている事もある」

 

そして二人は廃村と思われる場所にたどり着き、村の奥の廃教会、その扉の前に立った。

ヨハンがドアを叩こうとすると、ドアはひとりでに開いていく。

 

「やあヨハン。それとお嬢さん。貴女はヨハンのお友達かな?ようこそ、我家へ」

 

教会の奥、行儀悪く祭壇に腰掛けた男が声をかける。

マルケェス・アモン。

現在の連盟員は皆彼が連れてきた。

要するに色々な元凶である。

 

◇◇◇

 

「……それでヨハン。君はそこのお嬢さんに私の事をどの様に説明したのかな?酷く警戒しているじゃあないか。彼女の右手は剣の柄にかかって、今にも抜き放たれようとしているよ」

 

やれやれ、と言った様子でマルケェスが首を振る。

 

「貴方が以前人を食べていた、と言う様な事を説明されました。あぁ、私はヨルシカと言います。ヨハンとは…その…親しい関係です…」

ヨルシカがそう告げると、マルケェスが大きく頷く。

 

「なるほど、ヨルシカさん。安心して頂きたいですね。少し前に死体を食べてみただけですよ。しかも食べたのは人間ではない。竜人種です。私を食べようと恫喝されてしまって私は怖くなってしまってね」

 

ニコニコ笑いながら言うマルケェスを、ヨルシカは不気味なモノを見る目で見つめた。

――本当に人間なんだろうか?

 

「気になりますか?」

 

マルケェスがニタニタしている。

そんなマルケェスの禿頭を、ヨハンがパチンと叩いた。

 

「人の心を勝手に読むのはマナー違反だぞ。貴方はそれをルイゼにやって、首を刎ねられていたじゃないか。ヨルシカ、彼がマナー違反を犯したら首を刎ねてもいいからな。ただ、他の者にはやらないでくれよ。俺にもだ。首を刎ねられて生きている奴は余りいないが、マルケェスは余りいない奴の一人なんだ。あと、目を見なければ心は読まれないから」

 

ヨルシカは大きくため息をついた。

連盟の“家族”と言うのはどうも癖が強すぎるらしい。



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勇者

 ■

 

「ところでヨハン。いくつか先に伝えたい事があってね。1つ、勇者はもう死んでいる。2つ、既に新しい勇者が選定されている。3つ、君の道は君自身で均しなさい。簡単に強くなる方法はあるがね、それは君が守りたいもの全て引き換えにしなければ得られないものだよ」

 

 マルケェスは静かに、そして一気に告げ、煙管に口をつけ思いきり吸い込んだ。

 吐き出された煙が宙で次々形を為しては消えていく。

 犬、猫、鳥。

 

 ヨハンは何かを思案していたが、やがて口を開いた。

「勇者は死んだのか? それとも「殺されたよ」……そうか」

 

 ヨルシカはその場の雰囲気に何となく不安になり、ヨハンの上衣の裾を掴んだ。

 マルケェスは謡う様に言葉を続けた。

 

「嗚呼、悲劇! 正義感が強い青年、信仰心篤い青年! 彼は勇者になりたかった。偉大なる法神はそんな青年に啓示を授け、勇者とした。だが青年は勇者となったばかりに法神とは何かを知ってしまった! 良いかね、ヨハン、ヨルシカさん。信じるとは! “信じる”とは見返りを求めてはいけないのだ。相手を信じるのではない。相手を信じると決めた自分をこそ信じるのだ! ふふふ、例え信じた相手が意思無き傀儡であろうとも……」

 

 ヨルシカはひいひいと嗤うマルケェスを見て、まるで悪魔の様だな、と思った。

 それはともかく、彼は重要な事を言った。

 勇者は死んで、新しい勇者が選ばれていると言う事。

 恐らくは法神が自分達の考えているモノではないと言う事。

 

 ヨルシカはヨハンを見た。

 彼女の中でヨハンという人物は恋人であり、そして常に何がしかの道筋を付けてくれる……いわば標の様な人物でもあった。

 これから自分達がどうするべきか、何に注意すべきか。

 困った時はヨハンがどうにかしてくれる、そんな意識がヨルシカにはある。

 それは甘えであり、依存であり……何よりそんな意識にヨルシカ自身も気付いている。

 

「なあヨルシカ。この距離で俺と殺し合えば俺をどれ位の時間で殺せる? 俺は何の仕込みもしないとして」

 

 唐突にヨハンが問いかけてきた。

 ヨルシカは目を白黒させる。

 彼女も大分染まってきているとはいえ、この距離で殺しあえば……などと言うのは友人に対しても恋人に対しても投げかける言葉じゃない。だが生来生真面目なヨルシカは冷えた頭で考え、答えた。

 

「5分以内に君の両手足、そして頭を切断出来る」

 

 それを聞いたヨハンは顔を顰め“15分はもつだろう”等とボヤいたが、そんなヨハンの言葉をヨルシカは鼻で笑った。

 

「……ちっ……まぁ妥当かな。君はそれだけ強くなった。二人の間になにかしらの役割分担があるとすればそこだ。君は剣を振り、俺を守れ。君自身の命もな。俺は数々の選択肢からより良いものを選べる様に努める。魔合以来、互いの感情は何となく分かる様になった。君は困った時の選択を俺に委ねる事に妙な罪悪感を抱いている様だが、役割分担で片付く話さ」

 

 ヨルシカはその言葉を嬉しく思ったが“何故此処で言うの!? ”と言う怒りでもなく不満でもない、それでいて何かやるせない感情を抱いた。

 魔合とは性交より濃密なものである、とか堂々と言っていたじゃないか! とヨルシカは羞恥で頬を赤くする。

 

 横目でちらりとマルケェスの顔を見れば、顔を真っ赤にしながら笑いを堪えていた。

 

「ヨォ……ヨハン! そういう甘ったるいやり取りは私がいない所でやってもらいたいな、うふ、うふふ」

 

 マルケェスには得体の知れない不気味な印象を抱いていたヨルシカだが、この時ばかりは同感だ。

 彼は場合によっては義父に似た何かになるかもしれないのに、その目の前で睦言みたいな事を言う奴が何処にいる? 

 ここにいた! 

 

 ■

 

「マルケェス、新しい勇者が選定された、と言っていたな。その新しい勇者はどんな奴なんだ? そして何処にいる? というか前の勇者は誰に殺された? なぜ殺されたんだ? 糞……聞きたい事が多すぎるな」

 

 ヨハンがまたもボヤくが、それにはヨルシカも同感だった。

 そんな二人にマルケェスは苦笑を投げかけ、まあ落ち着きなさい、と両掌を突き出した。

 

「彼を殺したのは中央教会の過激派……と言っていいのかねぇ? 彼等は野心に溢れていたとは言え、それでもまだヒト種の側についていた。しかし、ねえ。今代の魔王はどうやら裏工作がお好きな様だ。今の教会過激派はどちらかといえば魔王軍の分隊の様なモノじゃないのかな。ちなみにこれは穏健派に属している私のオトモダチから教えて貰った事だよ。新しい勇者がどんな者なのかというのは私には分からないな……。だが北で選定されたと言うのは聞いたね」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 北方・旧オルド王国領

 

 

 街道を黒い軽鎧を纏った少女が歩いている。

 切れ長の鋭い目は威圧感だけではなく妙な色気を感じさせる艶があった。

 肩まで伸ばした黒い髪は、旅の最中だと言うのに全く脂が浮いていない所か、まるで黒いシルクの様に滑らかで……

 やや雰囲気が鋭すぎる印象があるが、それでも美少女と言っても過言ではない。

 惜しむらくは、その美少女の態度がまるでチンピラといった風情だと言う点であろうか。

 

 美少女……ヴィリは眦を吊り上げ、怒鳴り声をあげた。

 

「だからさぁ! 鬱陶しいんだよ! ついてくるな! どこか行けよ! 近くの町には連れて行ったじゃねえか! 町長に直談判してさぁ、あんたの事預かってくれるって言質もとったのにさぁ! なんであたしの親切心無駄にしちゃってるわけ!? 殺すぞ! 気まぐれに助けただけで飼い主扱いされちゃたまんないワケ!」

 

 声の先に年の頃は10かそこらと見られる少女が居た。

 少女は髪も眉も睫毛も、何もかもが真っ白だった。

 所謂アルビノである。

 少女はその紅い目一杯に涙を浮かべ、しかし逃げ出す事なくヴィリに向かい合っている。

 

 糞ッとヴィリは頭をかきむしった。

 そんなヴィリを少女はじっと見つめている。

 

 見捨てた方が良かったのか? とヴィリは一瞬思うが、すぐにその考えを打ち消した。

 

 ──こんなガキを見捨てる? 英雄のあたしが? そんなの自殺した方がマシだなぁ

 

 ヴィリはまごう事無きチンピラで、人殺しに何の痛痒もおぼえない反社会的な精神の持ち主ではあるが……屑ではなかった。

 そもそも何故ヴィリが少女を連れて歩いているのか。

 それは……

 

 ◇

 

 少女はアルビノであった。

 肌は白く、髪も白く、眉も白く、睫毛も白く、目が赤い。

 これは呪いの産物でも魔族の証でもない。

 レグナム西域帝国では既にアルビノのメカニズムは解明されており、これは一種の個性の様なモノである、と無用な迫害を禁じていた。

 

 だが馬鹿は何処にでもいるのだ。

 

 現在の旧オルド領は現在では空地だ。

 どこの国も統治をしていない。

 領土拡張主義を取るレグナム西域帝国も旧オルド領には手を出さない。

 

 そもそもオルド王国は何故滅んだのか。

 オルド王国があった北方はいわゆる群雄が割拠している地域だった。

 結論から言えば、オルド王国は周辺国に一斉に攻められ滅ぼされた。オルド騎士は精強な戦争の申し子の様な存在だったが、数の暴力には敵わない。

 ただ……普段は骨肉争っていた周辺諸国が何故急に手を組んだのかは今でも理由は分かっていない。

 

 争っているというのなら現在でもそうだ。

 無数の小国が点在し、常に戦争している。

 

 恐ろしいのは、過去3度行われた人魔戦争の際も人間同士で殺し合っていたという頭の悪さだ。

 馬鹿は魔族より怖い。

 

 レグナム西域帝国もその辺りは心得ており、あえて火中の栗を取りに行く様な真似はしない。

 

 だが、統治者がいなくとも人の営みは為される。

 空地である旧オルド領にも大なり小なりいくつもの集落が存在していた。

 

 アルビノの少女、フラウはその集落の1つで生まれた。

 幸いにも少女の両親は彼女を愛しており、異相であっても構わずに親としての愛情を注いだ。

 

 だが集落の他の者達は違った。

 迷信深く、頑迷で、愚かな者たちは、周囲と違う姿をもつフラウを、そしてフラウの両親を激しく迫害した。

 村八分で済んでいた内は良かったが、迫害は年々激化していった。

 

 言葉の暴力が実際の暴力へと変わる切っ掛けはなんだったか。その年の農作物の収穫量が少なかっただとかそんな理由だったかもしれない。

 

 ともあれ、理不尽な言いがかりをフラウの一家は受け、それどころか居るのかいないのかも分からぬ、この地域に伝わる豊穣の神とやらにフラウの一家を生贄に捧げようという話にまで発展した。

 

 当然フラウの両親は娘を連れて逃げようとしたが、まだ幼い少女を連れた彼等が逃げられる筈も無くあっさりと捕縛される。

 

 まずはフラウの両親が殺された。

 最初は父親。フラウと妻の名を叫び殺されていった。

 次に母親。フラウと夫の名を叫び、集落の者達を呪って死んでいった。

 最後にフラウ……は殺されなかった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「あのさぁ! 取り込み中悪いんだけどさ! お前らに聞きたい事あるんだよねー。この辺で豊穣の神っていうのが祀られてるらしいんだけど知らない? 生贄要求する神らしいじゃん! それってチョーシこいてるってことでしょ? あたしそういう神サマ面してる奴が大嫌いなんだよね! ところでそいつ等って生贄ってやつ? っていうことはお前ら、豊穣の神とやらの信者かな? だったらあたしの敵って事だよなァ!」

 

 突如集落を訪れた少女はぶうんと大剣を振り回した。

 するとフラウを取り囲んでいた集落の者達の首がいくつか飛ぶ。

 

 少女の名前はヴィリと言った。



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中央教会へ

 ◇◇◇

 

「ア────ハッハッハハハハァ! 早く神サマとやらに助けを求めないとさぁ──! 全員死んじゃうよぉ!」

 

 ヴィリは馬鹿笑いをしながら集落の者達を殺していった。

 彼女は神嫌いだが、生贄を求めるような神が特に嫌いだ。そしてそんな神に従う人間も嫌いだ。

 そもそもその神はどんな神なのかだとか一切調べない短絡さが彼女の定期的なやらかしの原因なのだが、ヴィリは余りそう言うことを気にしない。

 

 そんなヴィリをフラウはぽかんとした様子で見ていた。

 実はこの時、フラウにはなにやら不可思議な力が集束し、集落の者達に殺されようとしたまさにその時に力が覚醒する……はずだったのだが、ヴィリが色々とぶち壊してしまった。

 

 ヴィリの予想ではこの後に神が出てくるはずであった。

 信者を惨殺されて怒り狂った田舎神を膾斬りにしてやるのだ。今日の夕食は神のソテーだね、などと思いつつ、ヴィリは神の降臨を待った。

 

 だが、神は降臨しない。

 なぜなら、この地域に伝わる豊穣の神などはそもそも存在しないからだ。

 一応豊穣の神なるものが伝わるに至った経緯というものはある。

 元々実りが少ないこの地域では、人減らしが頻繁に行われていた。労働力足り得ない子供、老人、病人。

 それら弱者を“減らす”為に、豊穣の神への生贄……などと言う言い訳がいつのまにか生まれたのだ。

 

 そんな事は知らないヴィリは仁王立ちで神の降臨を待つ。

 やがて1時間たち、2時間たち、3時間がたった。

 

 やっぱり神は降臨しなかった。

 ヴィリの労働は無駄だったのだ。

 いや、フラウを救ったのだから無駄ではなかったか。

 

 ◇◇◇

 

「とりあえず近くの町に連れて行くから。支度しなよ」

 

 ヴィリは不機嫌な様子でフラウへ告げた。

 さすがのヴィリも無駄足だったことに気付いたのだ。

 だがフラウが動かない様をみてある事に気付いた。

 

「お父さんとお母さんのお墓か。少し待っててね。……オラァ!」

 

 ヴィリは大剣を振りかざし、力の限り地面へ叩き付けた。

 轟音と共に地面に大きな穴が空く。

 魔力をたっぷり剣に込めて力いっぱいたたきつける事で、衝突地点に小規模の爆発を引き起こす。

 

 そして穴の大きさを確認すると、フラウの父と母の遺体を運んで穴の底に安置した。

 

「お別れの言葉があるならかけてあげなよ。無いなら埋めるけど」

 

 フラウはここへ来てようやく父母とは永遠にお別れなのだと実感が湧き、その大きな瞳一杯に涙が溜まり……零れる前にヴィリに抱き締められた。

 

「ま、しゃあないよね」

 

 フラウにとっては全然仕方なくないのだが、ヴィリからしたら仕方ないのだ。赤の他人だから。

 でも子供が親の死を悼んで泣くのを見るのはなんだか嫌だったからヴィリはフラウを抱き締めた。

 

 フラウもヴィリに抱きついてグウだのウウだの唸っていた。

 

 それからもフラウはヴィリと行動を共にした。

 教会過激派の追っ手や魔族、アルビノの子供は高く売れるとみた人攫いなど、ヴィリはそのすべてをぶち殺した。

 

 当初はフラウを鬱陶しく思い邪険にしていたヴィリも、フラウの粘り強さというか執着というか、そういう何かに屈し、彼女を共に連れて歩く事を渋々ながら認めた。

 

 フラウは、五代勇者『白雪の』フラウはヴィリという庇護者を得たのだ。

 

 余談だが、彼女はその心と体の成長が第四次人魔大戦にこそ間に合わなかったが、後の世で魔王軍残党を率いる上魔将ギデオンを討ち取る事に成功する。

 白の勇者、そして黒の英雄と称された二人の女性のサーガはそれから先何年何十年と吟遊詩人達に謳われたと言う。

 

 ■

 

「まあ……北方で選定された新しい勇者については気にせずとも良いだろうね。少し面白い事になっている様だから今度見に行きたい所だが。勇者はただ生きているだけで意味がある。果ての大陸の縛鎖は勇者の肉体と魂を以てでしか完全に破る事は出来ないのだよ。当代勇者が生きて逃げ延びている事は魔族にとっても、教会過激派にとっても予定外の事だろう。教会穏健派はこれを見越していたのかな? だからこそ早期に選定がされる様に“調整”したのかな? ふ、ふふふ」

 

 マルケェスが含み笑いを漏らす。

 彼は基本的に人間側に立っている。

 でなければこんな助言は与えない。

 マルケェスは人間がとても大好きなのだ。

 まあ連盟には人外もいるのだが、それはそれ、これはこれらしい。

 

 ヨハンはそれを聞いて、今後自分達はどうするべきかを改めて思案した。

 魔族との争いなど、関わらないのが一番なのだろうが……人魔大戦となったならばそれこそ世界中が戦場となる。どうあれ関わらざるを得ないのではないか。

 

「ねえヨハン、穏健派という人達に話を聞く事は出来ないのかな」

 

 ヨルシカが口を開いた。

 確かに、とヨハンは思う。

 過激派の妨害もあるかもしれないが、まずは“まとも”な連中の話を聞く事が肝要だろう。

 

「人魔大戦は起きてしまうんだろうなきっと。教会穏健派も戦争の備えくらいはしているだろう。今後、戦争が起きればどうなるか、魔族の侵攻にどう対抗していくのか。彼等に接触を持ってみるのもいいか」

 

 楽しくなってきたねえ、と嘯くマルケェスだったが、ヨハンもヨルシカも黙殺した。

 

 全く楽しくないからだ。



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聖都へ

 

穏健派といえばアシャラで話したザジだが、とヨハンは彼の印象を思い浮かべる。

 

(話し易い相手だが、2等審問官という事は実戦部隊だ。上からの命令を受けて動く、所謂駒が裏の事情をそこまで知っているとは思えないな。事は政治的な問題も関わってくるだろうし、そもそも魔王復活の備えはどのようにしていますか、などという間の抜けた質問に答えてくれるとも思えない、が…)

 

それでも聖都にいけば行ったで、なにかしら分かる事もあるだろうと、ヨハンはそれ以上考え込む事をやめた。

 

「…聖都へいくんだね?」

 

ヨルシカの確認にヨハンは頷いて答えた。

「ああ、まあここで考えこんで居ても仕方ないしな」

 

ヨルシカはそれ以上は特に質問もせず、早々に出立の用意をし始めた。

ヨハンも準備をするか、と腰をあげると、マルケェスが待ったをかける。

 

「一応忠告はしておくよヨハン。教会には、特に穏健派と呼ばれている者達と敵対はしない事だ。特にその首魁にはね。狂信者が面倒なのは君も良く知っているだろう?」

 

マルケェスの言葉にヨハンは苦笑しながら頷いた。

「分かっているよ。だが相手から喧嘩を売ってきたら話は別だぞ。その時は手を貸してくれよ」

 

今度はマルケェスが苦笑した。

「それは良いがね。君は初めて会った時から変わらずチンピラみたいな気質をしているね。初めて会った時はスラムのチンピラだったが、今は術師のチンピラだ」

 

それを聞いたヨルシカはニヤリと笑い、ヴァラクの酒場でのヨハンとの馴れ初めを暴露した。

マルケェスはゲラゲラと笑い、ヨハンは仏頂面を浮かべる。

 

やがて笑いは収まり、マルケェスは黙って奥の間へ歩き去っていった。ヨハンとヨルシカはそれを見送り、廃教会を出て行く。

 

「ウルビスへ戻り、馬車に乗る」

 

ヨハンがそう言うとヨルシカは頷いた。

 

◇◇◇

 

一等異端審問官【光輝の】アゼルは血溜まりに沈む青年の死体をみやると、背後の部下達に声をかけた。

 

「散って、逃げなさい。そして教会へ知らせるのです。この度の仕儀を」

 

「し、しかしアゼル様!それではアゼル様は!」

 

部下の二等審問官ミカ=ルカ・ヴィルマリーの切羽詰る声にアゼルは冷たく答えた。

その目は眼前を見据えたままだ。

 

「わかりませんか?この場でアレを足止めできるのは私だけです。わかりませんか?その足止めも長くは持たないという事を。行きなさい。貴方達に法神の加護があらんことを」

 

アゼルの部下達は歯を食いしばって駆け出していった。

後に残されたのはアゼル、青年の死体、そして……

 

「待っていてくれたのですか。魔族にも情はあるのか、はたまたいつでも殺せるという驕りか」

 

金髪をかき上げ、皮肉目な視線を向ける。

その視線の先には寒々しい白を晒した骨の顔があった。

骨は黒いボロボロのローブを纏っていた。

不気味なのはそのローブの表面に顔がいくつも浮かんでいるという点だ。

 

人間の顔。しかもそれは…まだ意識があった。

男の顔、女の顔、子供の顔…様々な顔が骨の纏うローブの表面に浮かび、うめき声をあげている。

 

アゼルは両掌を祈る様に、そしてその五指だけをそっと触れ合わせて呟いた。

 

光在れ(フィアット・ルクス)

 

空から眩く輝く光の槍が、上魔将マギウスへ降り注ぐ。



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逃避

 ■

 

「穏健派って人達、穏健とは言うけれど話を聞く分には全然穏健じゃないよね」

 

 ヨルシカの疑問にヨハンはごもっともと頷いた。

 

「穏健、過激とは言うがぱっと見で分かる両者の違いは殺す前に話を聞くか、話を聞かずに殺すかの違い程度しかないからな。厳密には理念などが全く違うが……。物騒なのはどちらも変わらん。話がしやすいのは穏健派だ。ただ、話がこじれると厄介なのも穏健派だ」

 

 ヨハンとヨルシカは馬車に揺られながら雑談をしていた。

 言うまでもないがウルビスで最も高級な馬車便を利用している。向かう先は聖都だ。直行便とは流石にいかないので乗り継いで行く事になる。

 

「穏健派と過激派が争ってるらしいけれどさ、穏健派のほうが数は少ないのに優勢ってちょっと凄いよね。字面だと過激派のほうが、なんていうのかな……強そうだし?」

 

 過激派も過激派で厄介なのではあるが、厄介な者らとより厄介な者らが争えば後者が勝る……と言う事だ。

 穏健派の者らの強さの根幹は法神への信仰心なのだが、教会上層部の者達は法神がなんたるかを知っている。

 知っていてもその信仰を保ち続けると言うのは生半可な事ではない。

 そこまで強く心を保てる理由はやはり中央教会が実際に民草の為に行動して来たという実績が硬く太いバックボーンとなっているからであろう。

 例え法神が真なる神ではなかったとしても、その教えに従い民草を救ってきた自負心が極めて強固な信仰心の源となっているのだ。

 

 とはいえ、過激派の持つ“野心”と言うものも馬鹿には出来ない。野心とは欲望である。欲望とは人間の持つ最も根源的な力の源流である。

 

 穏健派と衝突しながらも速やかに派閥解体とならないのは、過激派が相応に強大な力を持つ事の証左であろう。

 

「まあな。率直に言わせて貰えば穏健派も過激派もイカれているよ。だが今後魔族との生存闘争が始まると言うのなら、そのイカれた者達は大きな力になってくれるだろう」

 

 ヨハンがそう言うとヨルシカは憂鬱そうに頬杖を突きながら答えた。

「だけどその過激派がキナ臭いっていうんだろう? 私達に塁が及ばないといいのだけれど」

 

 全く同感だとヨハンは頷いた。

 マルケェスの話では過激派と魔族の繋がりが臭いらしい。

 過激派全体がそうなのか? それなら悪夢だ。

 

「全くため息が止まらないな。過激派全体が糸を引いていないと言うのならば、過激派の首魁に統制を取ってもらいたい……そう思うのだが……」

 

 思うのだが? とヨルシカが後を引き取ると、ヨハンは苦々しい表情で続けた。

 

「過激派の首魁は第三次人魔大戦の際に滅びたアステール王国王家直系の血を引く……8つの少女だ。要するに傀儡と言う事だ」

 

 ◆◆◆

 

 上魔将マギウスは自身の罅割れた左腕へがらんどうの眼窩を向けた。罅は左腕だけではない。

 纏った黒いローブは所々穴が空いていたし、端はやや焦げてさえいる。

 

 マギウスの眼窩の奥に暗い炎が灯る。

 炎はゆらゆらと揺らめき、まるで嗤っている様に見えた。

 

 やがて暗い色の炎は揺らめきを収め、骨だけの指を前方へ指し示す。

 するとマギウスの影からなにか悍ましいものが這い出し、駆け出していった。

 

 足元には一等審問官アゼルの無残な遺体があった。

 遺体は滅茶苦茶に損壊されている。

 特に頭部だ。

 アゼルは上顎と下顎を掴まれ強制的にこじ開けられ、口の部分から引き千切られていた。

 

 余りにも無残だ。

 次期勇者選定は間違いないとまで謳われた男の、勇者に選定されなくとも腐らずに研鑽を積んできた男の死に様としては余りにも哀れである。

 

 死体はアゼルのものだけではない。

 名も無き青年の死体……それはまさしく勇者だった青年の死体。その傍らには剣身の半ばから圧し折れた長剣が転がっている。聖剣だ。

 

 アゼルが命がけで稼いだ時間はその部下達が逃げるには十分とはいえず、マギウスの放った追っ手に大半を狩り殺されるも、二等審問官ミカ=ルカだけは命からがら逃げ延びる事に成功した。

 

 だが安心は出来ない。

 ミカ=ルカは聖都を目指し逃げるが、マギウスの追っ手は今直彼女を追跡している。

 

 ヨハン達がマルケェスの元へ訪れる少し前の出来事である。

 

 ────────────────────────────────────────────────

 

 一等異端審問官【光輝の】アゼル:

【挿絵表示】

 

 

 覚醒した勇者を除けば中央教会でも最大戦力の一角と言っていいほどには強い。

 例えば不死なる月魔狼に憧れた悍ましき赤魔狼等などは彼が単身で殺しつくせる程には。

 

 法神の真実を知った時、彼は更にその力を高めた。

 それは自身が救世主であると改めて確信したからだ。

 法神を偽りの神だと考えたわけではない。

 

 法神は更に高い次元に存在すると考え、その上で自身の化身を現世へ遣わしたと彼は考えた。

 アゼルは自身の事を“真の法神”が救世を行う為に必要な使徒であると考えている。

 

 正しくそれは狂信に他ならない。

 だが、その狂信はアゼルに光を行使する力を齎した。

 

 彼が光在れと唱えれば世界創世に生まれたとされる原初の光が降り注ぎ、あらゆる神敵を滅ぼす……筈であった。

 

 上魔将マギウスに敗北。

 死亡。




この回を持ってハメ版サバサバはハメ版Mementoと共にチラ裏へ移動させちゃいます。評価、感想欄は閉じました。
後はババババーっと完結までいっちゃいたいです。
年内完結を目指します。
ただMemento-moriの絡みもあるため、或いはこの作品もMementoも完結終了させ、2作の合作と言う形で新しくチラ裏に作品を投稿し、そこで完結させるかもしれません。


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魔将の追手

 

 ◆◆◆

 

 魔族の将級というのは上魔将、そして下魔将の二種に分かれる。

 だが過去3度に渡って繰り広げられた人魔大戦により、多くの将級魔族が滅ぼされた。

 勿論その何倍、何十倍と言う数のヒト種の勇士、英雄達の死と引き換えだが。

 

 上魔将マギウスは第一次人魔大戦から現在に至るまでに滅ぼされなかった数少ない魔族の古兵である。

 

 歴代最強と謳われた初代勇者と直接対決をしてなお生き残った実力は並々ならぬものがある。

 また、マギウスとの戦いで多大な消耗をしたからこそ初代勇者は当時の魔王を滅ぼすには至らず、中途半端な封印をするだけに留まったのであろう。

 

 ではこのマギウスという魔族はどの様な力があるのか。

 ただ魔力が強い、膂力が強い、死に難い、というだけでは初代勇者に伍す事は出来ない。

 かの勇者はヒトにしてヒトに非ず。

 法神と言う機構がそのリソースを後先考えずにつぎ込んだまさに現人神とも言うべき存在であったからだ。

 

 上魔将マギウスは個にして個に非ず。

 上魔将マギウスはその身を4つ身に分ける。

 その根幹にして核である死……そして病、傷、老を司る分け身へと。

 

 マギウスを討つにはまず病、傷、老を司る三体のマギウスを討たねばならない。

 死に纏わる三要因を司る化身を全て滅ぼしたその時に初めて本体たるマギウスの命に手をかける事が出来るのだ。

 

 ■

 

「聖都にはどれ位で着くんだい? 一応地理的な位置関係は分かるのだけれど、如何せん実際に行った事があるわけじゃないんだよね」

 

 ヨルシカはヨハンの指に自らのそれを絡め合わせながら尋ねた。

 

「先ず今日、日が暮れるまでには宿場町トルンにたどり着くだろう。そこから馬車を乗り継いで、白道を真っ直ぐ東進すればすぐ聖都だ。余談だが、聖都から裏の山脈を強行するか、あるいは迂回し砂漠を越えれば東域にでる。東域最大の国家、アリクス王国などは東域のほぼほぼ中央に位置している。アリクス王国からも行商人がやってくるが、彼等はみな砂漠経由のルートでやってくるんだ。距離的には山脈を強行した方が短いのだが、かなりの難所なんだ」

 

 ヨルシカはヨハンのやや顰められた眉を見ながら、彼がこんな表情で言うなら控えめに言っても死人がドカドカでるような難所なんだろうななどと思い、バッと何かに気付いた様に馬車の外を見た。

 

 ◆◆◆

 

 ミカ=ルカはその魔力を全て身体強化に回し必死で駆けていた。視る者が視れば彼女の小さい体の目一杯に大容量の空色の魔力がうねり狂っている光景が見えたであろう。

 無理矢理に過ぎる身体強化は彼女の目に見えない大事な何かをギシギシと締め上げ、その影響は喘息にも似た症状を彼女に齎していた。

 それでもなおミカ=ルカは脚をとめようとはしない。

 染み1つない白皙の肌から汲めども尽きぬ勢いで汗が吹き出るが、ミカ=ルカは走り続けた。

 

 何故か? 

 脚を止めたら死ぬからだ。

 あの恐ろしい魔族の眷属が自分を追っている。

 肉を引き裂き、魂を喰らおうと付け狙っている。

 

 馬で逃げようとしたが何かに怯える様で全く使い物にならなかった。

 無理もない、とミカ=ルカは思う。

 それなりに距離を稼いでいる筈なのに、その背をチリチリとした殺気が焼く。

 

 ミカ=ルカは21と言う年齢に比しては余りに幼い外見だが、外見はともかくとしてその精神は歴戦の異端審問官に相応しいモノであった。

 故にあの魔族と愛する師たるアゼル、両者の戦力比較をしたならば前者が勝るであろう事は理解出来ていた。

 とはいえ、理解できても納得できるかどうかは話が別である。今にも爆発しそうなヒステリックな恐慌を無理矢理に押さえ込み、ミカ=ルカは走り続け……

 

(あ、あれは馬車!?)

 

 ミカ=ルカの視界に疾走する豪奢な馬車が飛び込んできた。馬車からは1人の女性がこちらを見ている。

 ミカ=ルカは瞬時にその女性が達人であると看破した。

 あるいは手を貸しては貰えないか、そんな思いが頭を過ぎったその時、背後から迫る悍ましい殺気が膨れ上がった。

 

 ■

 

「ヨハン!」

 

 ヨルシカが叫んだその時、既にヨハンは立ち上がり、親指と中指で摘んだ一枚の葉を床に落とした。

 

「鼻腔を擽るは朝の気配。香れ、冷たき三つ葉」

 

 落ちる葉が馬車の床に触れると同時に目が覚める様な清涼な何かが広がった。

 それは匂いなのか、あるいは気配か? 

 だが、その何かに触れたヨルシカ、そして馬車を走らせていた馬、御者は頭が透き通る様な感を覚え、迫り来る悍ましい何かの気配に掻き毟られていた精神がたちまちに沈静化した。

 

「御者、馬車を停めてくれ。そして馬を連れてあの一本木の所で待っていろ。問題が発生した。対処する。ヨルシカ、降りるぞ。あの服装は中央教会の審問服、つまり穏健派の者だ。助けて恩を売る」

 

 ヨハンはヨルシカと共に馬車を降りると、銀貨を御者に向かって指で弾き飛ばした。

 青年御者はそれを受取り、何かを考える様な素振りをしたが頷き、去っていく。

 

 そして、仁王立ちとなったヨハンは両の掌と腕を広げ、ゆっくりと掌で何かを押し潰す様に組み合わせ、“魔法”を唱えた。

 

「פיצוץ, התכווצות」

 

 こちらへ向かい走ってくる少女の背後に光が収束していく。ギラギラと白く輝く暴力的な光は正しく爆発の光。

 破壊の光が外へ放散せずに内へと収束しつつあるのだ。

 

 破壊の光が収束の臨界に達する前、ヨハンはちらりとヨルシカを見た。魔合により二人の心は通じ合っていると言っても過言ではない。

 ヨルシカはサングインの刃で自身の手の甲を薄く切り、剣に血を吸わせると次の瞬間には既に少女を抱え、ヨハンの元へと走り出していた。

 

 そして破壊の光が全方位からの灼熱の破滅的圧力と化し、少女を追ってきていた黒い靄に包まれた何かを押し潰していく。

 

 が。

 

「……そう簡単にはいかないか」

 

 ぽつりとヨハンが忌々しげに呟いた。

 視線の先には女の様なナニカが立っている。

 ただし真っ当なヒト種の女ではない。

 

 全身に墨をぶちまけたかの如き真っ黒な姿、そしてその全身に眼球がついていた。

 眼球の多くは潰れていたが、残った眼はぎょろぎょろと動き回りなんとも不気味である。



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魔将の追手②

 ■

 

 ヨルシカは抱えていたミカ=ルカを降ろし、サングインを構えなおした。サングインは捧げる血量により身体強化の強度が変動する。だが常人ならば例え意識が朦朧とする程に血を捧げたとしてもその強化倍率は通常の身体強化より多少倍率が高い程度だろう。

 

 だがエルフェンの血、翻ってはアシャラ王家の血を引くヨルシカのそれは訳が違う。

 何がどう訳が違うのか、という当然の疑問にはヨルシカ自身が言葉ではなく行動で示していた。

 

 ヨルシカはその両眼を紅く染め、開けた空間であるにも関わらず宙空を蹴り加速し、それを繰り返す事でまるで閉鎖空間にスーパーボールを叩き付けたかの如き空間機動を見せていた。

 

 いや、宙空を蹴るというのは語弊がある。

 ヨルシカの跳躍の先に次から次へと氷塊が生成されていた。

 

「אוויר, התמצקות, מים」

 

 ──大気、凝固、水分

 三つの魔法言語を組み合わせ、宙へ足場を生成することでヨハンはヨルシカの空間機動を成立させていた。

 この困難極まる連携の成立にはやはり魔合での精神同調が大きく寄与していた。

 

 氷塊もまたただの足場のままでは無かった。

 ヨルシカの足場という役割が済んだ氷塊は魔将の追手へと唸りをあげて襲いかかる。

 

 そんな様子をミカ=ルカはぽかんとした様子で呆けながら見ていた。

 

 ◆◆◆

 

 ミカ=ルカの目から視て確かにヨルシカと名乗った女性は達人であった。達人ではあったが、その実力は自身と大きく離れてはいないものだった。

 とてもではないが、眼前で繰り広げられる戦闘機動を為せる程の実力はない……だが自身の目で見ている光景はなんだ? 

 

 ミカ=ルカの戦力評価は正しい。

 ヨルシカがサングインを携えていなければ、そしてヨハンと共にいなければ彼女の実力は二等審問官であるミカ=ルカとそう大差はないものだ。

 

 勿論それでも、一冒険者風情が教会の実働部隊の精鋭とも言える者と同等の業前だというのは驚くべき事なのだが。

 

 そして、とミカ=ルカは鋭い視線をヨハンに向ける。

 

(彼が使った術は、いえ、魔法は……魔族のものではないの? いえ、でもエルフェンも似た魔法を使う……しかし彼はエルフェンには見えない)

 

 ミカの視線に気付いたヨハンはしかし、特に反応を示す事もなく術を行使し続けた。

 

 ■

 

 ヨルシカの斬撃が三次元的に浴びせかけられ、幾つかの眼が切り裂かれ潰されていく。

 勿論魔将の追手もただやられるばかりではなかった。

 全身の目が怪しく紫色に輝く。

 

「いけません! 反響の呪いです! 目が光っている間は攻撃しては……」

 

 ミカが叫ぶも、高速戦闘中のヨルシカにその声は聞こえなかった。下方から逆袈裟にサングインの刃が斬り上げられる。同時に、ヨルシカの肉体の同じ箇所が何か目に見えない刃で切り裂かれた。

 

 ああっとミカが嘆くが、ヨルシカもヨハンも意に介した様子はなかった。

 みれば、その傷は見る見る内に塞がっていく。

 

 サングインの能力だ。

 ヨルシカは傷を負ったが、自身の出血を以て傷を癒した。

 ただし、血自体は失うのでいくら攻撃されても大丈夫と言う訳ではない。

 

 だがヨハンはヨルシカの負傷を見もせず、蛇の様な目つきで嘗め回す様に魔将の追手を視ている。



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魔将の追手③

◆◆◆

 

ミカ=ルカが師たるアゼルから託された使命は重要だ。

勇者が既に魔将に殺されてしまっていた事。

聖剣は失われた事。

そしてアゼルもまた殺された可能性が高い事。

それらの凶行を為した魔将は圧倒的な力を持つ恐るべき存在であった事。

 

これらを聖都へ報告する事だ。

どれもこれも重要度は高く、正しく情報が伝わらねばあるいは今後勃発するであろう第4次人魔大戦においてヒトは敗北するだろう。

 

よって、ミカ=ルカがすべきは自身の代わりに魔将の追手と戦ってくれているヨハンやヨルシカを放って速やかに聖都へ向かう事だ。

 

でも、とミカ=ルカは思う。

仮にこの二人が敗北を喫した場合、再度自分は追われるだろうが逃げ切れると言えるだろうか?

自身の魔力は底が見えてきている。

 

見た所優勢には見える。

見えるが、結局の所何が起こるか分からないではないか、とミカ=ルカは歯噛みと共に遠ざかるアゼルの背を思い出した。アゼルは紛れも無く強者だった。それなのに…

 

ならば自身も参戦するか?

そう考えたミカ=ルカは即座にその考えを否定する。

ミカ=ルカが見る所、あの連携は極めて精密な意思の疎通の元に成り立っている様に見える。

そういう状況で下手に手を出せばあるいは連携を崩してしまいかねない。

 

様々な選択肢がミカ=ルカの前に広がっている。

そして選択肢を間違えれば死ぬ。

結局、ミカ=ルカが選んだ選択肢は傍観であった。

彼女としても命を助けてくれた相手を捨て駒だの囮だのとする事は心苦しかったと言うのも傍観の理由としては大きい。

 

 

ヨハンが敵対者に対し魔法を行使したのはこれが初めてだ。

だがヨハンは自身が行使しうる魔法の業の数々を理解していた。

 

しかしなぜこれまで一度も魔法を扱った事が無いのにその業が理解できるのか、と言う事になるとヨハンはそれを理解出来ない。

 

こういった違和感が余りにも積み重なると、やがて人は自身の存在自体に疑念を抱くのだ。

強力な術師が自身の存在を疑えば、末路はどうなるかは言うに及ばない。

だからこそ連盟の“家族”はヨハンが秘術を使う事を問題視していた。

 

今のヨハンは努めてこの矛盾を考えない様にしている。

これは気にしない、と言う意味ではない。

自身が違和感に気付かないように強烈な自己暗示の様なモノをかけていると考えて良い。

 

常人の精神力ではそんな事は出来ないが、今のヨハンにはもはや造作も無い事だ。

心を切り分け、それぞれに役割を持たせ、統御する。

 

だが…仮にこの世界に少数存在する異世界転生者がこういった在り方を見れば思うであろう。

まるでコンピューターの様だ、と。

 

 

魔将の追手は運が悪い。

この眷属は本来ならば全身の邪眼を以てして様々な呪いを行使するのだが、開幕の問答無用の爆縮魔法でいくつかの致命的な呪いの邪眼を潰されてしまったし、相手が強力であれば強力である程に効果を発揮する反響の呪いはヨルシカが無理繰りに突破してしまった。

 

これは格云々の話ではなく、純粋に相性の問題だ。

超接近戦に於いて術師が剣士に勝つ事は難しいように、迂遠な絡め手を多用してくるタイプの敵手ではヨハンとヨルシカを破る事は難しい。

 

彼等を破りうるとすれば、高水準のタフネス、そして高水準の戦闘技術に任せた力押しである。

例えばヨルシカなどは出血させずに頭部を強打すれば戦闘不能に陥れる事は容易いであろう。

 

 

「ヨルシカ、相手の視界に留まるな!」

 

そう叫ぶとヨハンは嫌がらせを開始した。

魔法は使わない。

消耗が激しいからだ。

 

「暗夜に細道を行く心の仄暗さ。目に入る枝垂れ女の頬白よ。振り向くお前を見つめるは」

 

ヨハンは矢の材料にも使われる木切れをぽとりと地面に落とした。

 

その瞬間、魔将の追手の目は一斉にその木切れを見る。

ヨハンやヨルシカ、ミカ=ルカの目にはただの木切れにしか見えない。

 

だが魔将の追手にはそこに女が立っているのが見えるのだ。

それは不気味な女だった。

白い装束を身に纏い、恨みがましい目でこちらを睨みつけている。

何故か腕を前へ突き出し、垂れる指の先からは不吉な何かを感じさせる。

 

追手から見た女は余りにも怪しい雰囲気を全身から放っていた。

これを放っておけば何かとてつもなく不穏な事が起こりそうな…そんな予感があった。

 

堪らず魔将の追手は金縛りの邪眼を木切れに向けた。

 

だが魔将の追手の精神性は人のそれとはかけ離れてはいるが、それでもなお彼女はぎょっとする事になる。

金縛りの邪眼を最大出力で放っても不気味な女は全く堪えず、不気味な視線でこちらを見つめていたからだ。

 

当然だ。

それはただの木切れなのだから金縛りもなにも、という話である。

 

そして、そんな魔将の追手を前に当然ヨルシカは大振りの、全力を込めた一刀を追手の脳天に見舞った。

 

「通った!」

 

思わずヨルシカが叫ぶ。

魔力での防護もなにもない無防備な急所へ打ち込まれた一撃は、その頭部から真っ黒い血に似た何かを噴出させる。



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魔将の追手④

 ■

 

 ヨルシカの雷刀(上段からの一撃)は見事に敵の頭を叩き割った。

 だがヨルシカもヨハンもそれで勝負が決したとは思わなかった。

 

「頭を割った程度で勝利できるなら楽なものだ。だがそう上手くはいかないだろうな。法神の為ならば自爆も厭わない狂信者が逃げの一手を打つなら、相応の理由があるのだろう」

 

 ヨハンは相変わらず蛇の如き粘着質な視線を魔将の追手へ向けながらそうごちた。

 それを聞いていたミカ=ルカは複雑そうな表情を浮かべる。

 なぜならミカ=ルカの信仰は確かに法神に向いてはいたが、より強い信仰はアゼルに捧げていたからである。

 従ってヨハンの“法神の為ならば”という一言にはやや引っ掛かるものがあった。

 

 ■

 

 魔将の追手の頭をカチ割ったヨルシカは一旦距離を取り、大きく息をつく。

 連続した高速空間機動は身体能力を大きく賦活させたヨルシカといえど負担は大きい。

 それに、サングインの能力は長時間使用するには些か以上に危険であった。

 

 危険な理由は1つだ。

 要するに、失血死のリスクが常に付きまとう。

 サングインの柄を握るヨルシカの手首には有機体と見られる管が繋がれているが、ここからサングインへ血を供給する。

 刃で切り裂くのもいいが、それでは負傷を余儀なくされる。

 よって、自身の血を捧げる分には管をつかった方が良い。

 そして、捧げた血量に応じてヨルシカは身体能力を向上させるのだが……

 能力を行使すればするほどにヨルシカの血量が目減りしていくわけだ。

 

 作成者であるミシルは吸血種の高い身体能力の根源は血……命の源泉たる血液であると看破した。

 彼女は吸血種でなくとも彼等の様な高い身体能力を得られないかと思案し、紆余曲折し完成したのが飢血剣サングインだ。

 柄には吸血種の骨が使用されており、それだけではなく毛髪、体液、様々な“部品”が使われている物騒な魔剣である。

 

(剣は通った。けれど命に届いた気はしないな)

 

 ヨルシカの目が細められる。

 ここ最近はやや逸脱してきたが、それでも彼女は一端の剣士だ。

 自身が斬ったものの生死が判断くらいは出来て当然である。

 

 ■

 

 魔将の追手は頭頂部から噴水の如く黒い液体を吹き上がらせていたが、やがてそれは勢いを弱めていった。

 全身に見開かれている眼……邪眼は数個を残すのみだ。

 金縛りの邪眼、衰弱の邪眼、幻惑の邪眼、そして洗脳の邪眼。

 これらの邪眼は対象を見れば即座に効力を発揮する、というわけではない。

 無理矢理例えるとすれば、視線と言うのはあくまでも触媒の様なものだ。

 つまり邪眼起動には魔力が必要なのだが、魔将の追手からはこの魔力がいまや枯渇しつつあった。

 魔力がないなら何をもって購えばいいのか? 

 決まっている。

 命である。

 

 だが支払いに魔力が必要な行為を命でかわりに支払うというのは非常に交換レートが悪い。

 魔力や命を数字で表現するのはナンセンスだが、あえて表現するとすれば10の魔力が必要な行為を命で支払うとすれば、その額は100は必要だ。

 とにかく割に合わない。

 そして苦痛を伴う。

 ある者はこのように例えた。

 体の中をトゲ付きの遊球が跳ね回っている様だ、と。

 

 魔将の追手は上魔将マギウスから分たれた魔法生物の様なものであるが、一応は生物といってもいい。

 ただし生物といっても感情などはなく、上魔将マギウスの意をインプットされ、それを無感情に遂行するだけの存在ではあるが。

 よって、魔力の枯渇を命で購うと言う苦痛極まる行いですらも平然とやってのけた。

 

 魔将の追手は残存邪眼の中で最も消費が激しい洗脳の邪眼を起動したのだ。

 

 ■

 

 紫色に輝きたなびく魔力糸がヨルシカに絡みつく。

 魔将の追手の全身から薄ら寒い魔力が溢れ、空間に染み出している様に見える。

 ヨルシカの瞳が紫色に染まっていく。

 洗脳に抗ってはいる様だが、こうまで術が決まってしまえば無駄な抵抗だ。

 魔将の追手に感情と言うものはない。

 ないが、もしあったとしたら厭らしい笑みを浮かべていたに相違ない。

 

 そんな魔将の追手を、大地から突き出した数多の木の槍が刺し貫いた。

 ヨルシカ諸共に。

 

 ■

 

 ヨハンが地面に手を置き、術を起動していた。

 

「な、ななな、仲間ではなかったのですか!?」

 

 それを見たミカ=ルカが騒ぎ立てる。

 そんな彼女にヨハンは無表情で答えた。

 

「急所は外している」

 

 ミカ=ルカはそういう問題ではない! と余計に騒ぎ立てた。

 

 



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魔将の追手⑤

 ■

 

 ヨハンは木に刺し貫かれ悶える魔将の追手を見ながら、ヨルシカの身体に手を這わせていく。

 腕、腹、胸、脚、とにかく全てだ。

 その様子を見ていたミカ=ルカはやや頬を赤らめ、なにやら非常に背徳的な何かを見せられている気がしていた。

 

 ヨルシカを刺し貫く木枝の槍はヨハンの手に触れると急速に朽ちていく。

 そして刺し貫かれた拍子でヨルシカが取り落としたサングインを拾うと、眼をつむり苦しそうにしているヨルシカの手にしっかりと握らせ、刃で自身の手を薄っすらと切りつけた。

 

 ヨハンの血がサングインの刃に染み込んでいく。

 ヨルシカの血が特別製であるなら、ヨハンの血もまた特別製だ。

 その血に王家由来の……だとか、長命種の……などといったバックボーンは無いが、これまでの多くの力ある存在を“溶かし込んで”きたヨハンの血は呪詛と力に満ちている。

 

 かつてヨハンは赤魔狼に腐血の術を仕込んだ己の腕を食わせ、傍目からはそれが打倒の要となったようには見えたが、たかが人間の腕一本分程度に流れる血が多少腐っていたからといって、あんな化物をあそこまで損なわせる事などできようはずがない。

 

 樹神、そして魔王の分け身を自身の魂へ溶かし込んでしまうその前に、過去に2度、ヨハンは同様の秘術を行使してきた。

 土壌の状態が木や花の植生に大きく影響する様に、ヨハンが取り込んだ存在は彼の心身を良くも悪くも変容させる。

 

 その血を悪性に歪めれば、月狼の出来の悪い模造品を内部より破壊する事などは容易い。

 

 ■

 

 サングインの賦活効果がヨルシカの身体を癒していく。

 そしてその身に食い込んでいた紫色の操心の呪鎖がぶちぶちと千切れていった。

 粘着質で執着心に溢れ、凶暴で狂っているヨハンの魔力は赤の他人にとって猛毒に等しい。

 だが懐に入ってしまえば甘く、どこかちょろい彼の魔力は身内にとっては神薬に等しい。

 

「……う……。ヨハン、何となく君が何をするかは分かってはいたけど……あ……はぁ……ふらふらする……」

 

 ヨルシカはまるで酒に酔ったかの様な酩酊感を覚えていた。

 魔合に至る程に親和性が高い相手の体液を取り込めば大体はこうなる。

 相手の唾液を飲み込む事すら、自身の性感帯を撫でられるかの様な快感を得られるというのは、ドラッグの中毒になる事よりも恐ろしい。

 

 ふあふあふあふあと周囲に桃色の何かが広がっていき、ミカ=ルカは助けられた身である事を自覚しながらも戦いの場で一体ナニをしようとしているのか、と愕然していたが……そんな気持ちは木槍に貫かれた魔将の追手を見たら吹き飛んでしまった。

 

 ■

 

 魔将の追手は最後に残っていた生命力を文字通り抉り取られ、急速に崩壊していく。

 漆黒の身体がまるで灰を吹き散らしたかの様に宙へ散っていく。

 だが、その塵は見る間に渦巻き、集塵し、空中に1つの巨大な瞳を形作った。

 

 上魔将マギウスの遠隔視の魔眼だ。

 勿論そんな事は知らないヨハンとヨルシカ、そしてミカ=ルカであったが瞳の纏う忌まわしさは十分理解していた。

 ヨルシカもミカ=ルカも人間を超越した悍ましき魔の気配に畏怖を禁じえない。

 だがヨハンは違った。

 

 ヨハンは知っている。より悍ましい魔を。

 かつて家族の愛を永遠のものにしたいと願った男がいた。

 男は永遠とは不死であると断じ、リッチと化した。

 そして連盟の禁忌に手を染めた。

 リッチと化した事ではない。

 家族の魂を食い散らし、自身の内に取り込んでいったのだ。

 不死たる自身の内でならば愛する“家族”もまた不死であろう、と。

 彼は、ラカニシュは自身の行いを心の底から善であるものと考えていた。

 

 ヨハンは常々思う。

 真に悍ましい邪悪は悪の中には居ないと。

 自称善人の中にこそ真に悍ましい邪悪がいるのだと。

 

 ヨハンの目と口が不気味な弧を描いた。

 突き出たままの木の槍がゾワゾワと蠢く。

 滲み出る殺意の魔力に呼応しているのだ。

 主の敵の肉体を刺し貫き、その血を啜りたいと邪悪に啼いている。

 

「忌まわしい気配だ。魔王に連なる邪悪な気配。お前がわざわざそんな演出をするのは俺たちを恐怖させたいからだろう? 恐怖はお前みたいな存在にとって糧となる。だが俺は恐れない。俺はお前よりずっと悍ましい魔を知っているからな。……次はお前が直接来い。お前の頭蓋骨を酒盃に加工し、連盟への、家族達への土産としよう」

 

 宙に黒い塵で描かれた巨大な瞳はヨハンに視線を合わせ、ほんの僅かに殺気とも言えない何か不穏な気配を撒き散らすと、今度こそ風に吹き散らされ消えていった。

 

 ■

 

(あ、あなたの方が忌まわしそうだし、邪悪にみえるんですけれど……)

 ミカ=ルカは心の中で慄いた。



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閑話:レグナム西域帝国①

 ◆◆◆

 

「えと……勇者さんが死んじゃったっていうことですか」

 

 レグナム西域帝国11代女帝サチコは、宰相にして魔導協会所属一等術師【死疫の】ゲルラッハに今にも泣きそうな視線を向けて言った。泣きそう、なのではない。もう今にもその両の眼からは涙が零れるであろう。

 皇室直系の者に見られる濡れ鴉の如き真っ黒い髪の毛にサチコの身体の震えが伝播し、サチコの切りそろえた前髪がぷるぷると揺れている。

 

「は、はァ……いえ、確定事項ではないのですが……帝国占星院からの予知がつい先程あがりまして……。当代勇者の星が墜ちた、と。殺されたかどうかは定かではないのですが、まぁ……肉体的に死んだか、あるいは勇者として死んだかのどちらかでしょう……。し、しかし! その後、新たな白き星が天位へ収まったそうです。つまり、新たな選定は為されたと見て良い……と。た、ただ……」

 

 ゲルラッハはテカる額に滲む脂汗を高級な絹のハンカチーフで拭いながら答えた。

 まごうことなき少女であるサチコの、皇帝としての権威を恐れているわけではない。

 今にも決壊しそうなサチコの涙腺を恐れているのだ。

 

 ただ? とサチコは先を促させる。

 

 ゲルラッハはため息混じりに続けた。

「ただ、そのう……光は地を未だ照らさず……と」

 

 ぴ……と音が聞こえてきそうな表情を浮かべたサチコの目の両端に水滴が溜まっていく。

 幼いとはいえ帝国の頂点だ。

 勇者という存在の何たるかはサチコも理解している。

 世が不穏である事も理解している。

 魔族などという怖い連中が暗躍している世で、勇者が居なくなってしまったらどうなってしまうのか。

 それを考えるとサチコは自身の身体の震えを止める事ができない。

 

 サチコにはその年齢以上の聡明さがあった。

 だが、それでも幼女と少女の中間程度の歳である。

 心の強さまではまだまだタフとは言えない。

 ましてやサチコは勇者という存在に憧れめいた理想を抱いていたのだ。

 

 ゲルラッハは慌てて指輪を嵌めた拳に掌を当てて、空気中の水分を集めて生成した水の鳥を造り出した。

 水の鳥は執務室を優雅に舞い、今にも泣き出しそうだったサチコが淡い笑みを浮かべる。

 

 その笑顔を見てほっとしたゲルラッハだが、執務室を訪れた文官が持ってきた報告書を読むとその禿げ頭にバキバキと青筋を浮かべた。だがそれも一瞬で、サチコのほうを振り向いたときには好々爺然とした笑顔のまま口を開く。

 

「陛下、大変申し訳ありません。このゲルラッハ、少々お仕事がはいってしまいましてな。身の回りの事はアスリタへお申し付け下さい。アスリタよ、陛下を頼むぞ。少し長丁場になるかも知れん」

 

 執務室の隅で控えていたメイド服の女性がハッと短く返事をする。

 浅黒い肌のエルフェンだ。

 

 ◆◆◆

 

「毎度毎度! 中央教会の内部統制はどうなっているのだ! 不穏分子など皆殺しにしてしまえば良いではないか! 薄汚い魔族に組した人類の裏切り者共などを何故のうのうと蔓延らせているのだ! 穏健派? 過激派? そんなものどうでも良いわ! 大事なのはサチコ陛下の敵か味方かのみ! 中央教会の不手際で裏切り者を自由にさせ、魔族の跳梁を許すのならば教会全てが敵じゃわい!」

 

 執務室を出て暫く歩を進めると、ゲルラッハはおもむろに吠え猛り狂った。

 怒りで頭部がタコのように赤く染まり、全身を覆う脂肪がぶるぶると震えている。

 その手は隣を歩く侍女の尻を盛大に揉みしだいていた。

 

 尻をもまれている侍女……アイリスはため息をつきながらゲルラッハを眺めた。

 禿げ、デブ、怒りやすい、年寄り、背も低い、当然の権利のように女性の身体を触る男。

 権力を嵩にきて身体を求めてくる事もある。

 アイリスは何度もこのデブに抱かれた。

 抱き方自体は優しいものではあったが。

 

 とにかくこのゲルラッハという男は絵に描いた様な悪徳貴族なのであった。

 

 だが魔族が人に化け、当時さらに幼かった今代皇帝、そしてその母を暗殺しようとした時、魔族とその呼応者……要するに人間の裏切り者達を相手取って皆殺しにしたのが彼である。

 

 ヒト種の天敵たる魔族に何故呼応するのかという向きもあるが、人を超えた力、寿命をくれてやるといわれれば凡俗は容易く転ぶ。タチの悪い事にその呼応者は帝国の上級貴族の子弟であった。

 当時帝国は第三次人魔大戦の傷痕がまだ残っており、貴族達にはより多くの制限、節制が求められ、それは貴族の子弟にも及んでいた。

 生来思うがままに生きてきた彼等は強い不満を胸に抱く。

 

 ともあれ彼等は宮殿のどこに誰がいるかをよく知っている。

 当時、宮殿にいたサチコ以外の帝位継承権を持つ者は皆殺されてしまった。

 

 近衛といった強力な護衛が魔族に殺されてしまい、抗えるものが居なかったのだ。

 襲撃が夜間に行われたという事情もあり、近衛の数そのものが平時より少なかった。

 

 とはいえ、近衛は強力な騎士だ。

 真正面から向き合ったなら将級でもない魔族に遅れは取らなかったかもしれない。

 だがその魔族が変身能力に長けた者であったという点は余りに残酷な偶然であった。

 夜間ということで各要所へ散開していた近衛騎士達は、友人の、同僚の、あるいは上位者の姿に化けた魔族に次々暗殺されてしまう。

 

 悪漢共はたちまちに宮殿を血の海に沈めていった。

 その魔手は当然の如くにサチコにも伸びる。

 

 異変に気付いた皇后は幼いサチコだけは護ろうと堅固な造りの部屋へ立てこもったが、魔族に扉をこじ開けられてしまった。

 皇后がサチコを凶刃から護ろうとその身体で抱き締めるが、部屋へ雪崩れ込んできた逆臣達に引き離されてしまう。

 

 だが逆臣達がサチコと皇后の喉に短刀をあてた時、短刀をかざしていた逆臣達の腕が腐れて落ちた。

 魔族と逆臣達が驚き周囲を見渡せば、部屋の入口に肥った中年男性が立っていた。

 帝国宰相ゲルラッハだ。

 

 離宮で夜遅くまで仕事をしていたゲルラッハが異変に気付いた時には既に皇族の殆どが殺害されていたのだが、なんとかぎりぎりサチコとその母の救出には間に合った。

 

 ゲルラッハは当時から怒りっぽい悪徳糞宰相として有名であったが、この時見せたゲルラッハの怒りは意外にも静かなものであったという。だが怒りとは一定以上に高まると、逆にそのナリを潜めるものだというのは有名な言説だ。

 

「逆臣共、サチコ殿下と皇后陛下から離れよ」

 

 サチコと皇后の喉に短刀を当てていた者達は、豚が何するものぞ、とせせら嗤った。

 豚、というのはゲルラッハの仇名だ。

 

「そうか」

 

 ゲルラッハが発した言葉はただそれだけであった。

 その声色は砂漠の如き乾いたなにかを想起させた。

 しかしその砂漠を形作る砂の一粒一粒は触れれば爛れる毒の砂だ。

 

 

 結局叛逆の徒共はたちまち全身の穴と言う穴から血を流して息絶える事となる。

 魔族も同じだ。

 魔族が魔法を使おうとしても、その舌は腐れ落ち音は声を為さない。

 もし魔族がゲルラッハを侮らずにその潤沢な魔力で護りの魔法を使えばこうはならなかったかもしれない。

 ゲルラッハの術は地に、そして宙に漂う極々微細な……小さくて目に見えない生き物とはいえない何かを活性化させる術であるというのは魔導協会の研究者の言葉だ。

 実際どのようなメカニズムの術であるのか、ゲルラッハは決してその種を口にはしない。

 

 とにもかくにもゲルラッハは幼いサチコと皇后の命を救った。

 そして以降、ゲルラッハは皇后から篤い信頼を得た。

 皇后はサチコにゲルラッハを篤く用いよと教育までしていた。

 ゲルラッハもまた皇室には忠実であった。

 

 ちなみにゲルラッハのそんな逸話をアイリスも知っていた。

 逆臣とは言え貴族は貴族。

 そして貴族とは強大な魔力を持つ恐るべき存在なのだ。

 貴族はなぜ貴族たるのか? 

 なぜ平民より尊い存在なのか? 

 それは強いからである。

 貴族が強い事は、貴族が貴族でいるための最低限の条件だ。

 この価値観は西域のみならず、東域でもかわらない。

 魔族との幾度もの戦争で培われてきた殺伐的価値観である。

 

 そんな強い貴族を複数まとめて縊り殺し、そんな貴族よりずっと強い魔族をも歯牙にもかけなかった凄まじい魔術師。

 アイリスは強い男が好きだ。

 だからゲルラッハから慰みに尻をもまれようが、身体を求められようが嫌がらずに応じている。

 先ほど尻を揉みだしたゲルラッハを呆れた視線で見つめていたのは、もむなら寝所ですればいいのに、と呆れていただけで揉んできた事に対しては特に思う所はなかった。

 

 そんなゲルラッハはアイリスの形の良い尻をもみながら、西域、ひいては東域……いや、世界に迫る危機について思いを馳せていた。

 

(うむむ……人魔大戦は近い……教会は内輪揉めときては……帝国だけではどうにもならん。なればアリクス王国との接触を一層に密にしなければならぬ)



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★過激派の一幕

 ■

 

 ――【光輝の】アゼルの死

 

 他称過激派、自称聖光派の者達はその報に驚愕、そして歓喜した。

 光輝のアゼルは教皇を除けば穏健派の最大戦力であったからだ。

 

 なぜ彼らがミカ=ルカの報告の前にそれを知ることが出来たか。それは率直に言って、彼らが魔族と裏で通じている為である。

 

 彼等には悲願があった。

 それは純度100パーセントの権力欲から成る悲願。

 要するに、故国の栄光を再び、という事である。

 

 彼等の多くは亡国の貴族、あるいは王族、皇族の子孫だ。

 現在でこそレグナム西域帝国が西域の覇権を握っているが、帝国がまだ小国であった頃、付近には大小数多の国家群が在った。

 

 だが各国がいつもの様に西域で相争っていた時、後世において第一次人魔大戦と呼ばれる人と魔の戦争が勃発した。

 ヒト種は人魔大戦にこそ勝利したが、その過程で多くの国家が滅びた。

 

 大地は荒廃し、人心は荒んだ。

 だが1人の小国の王…すなわちレグナム西域帝国の初代皇帝がたぐいまれなカリスマをもって……という次第である。

 

 なお初代レグナム皇帝は異世界より転移してきただの、異世界より転生してきただの、胡乱な逸話が付き纏う人物という事で有名だ。

 

 彼が異世界の人間だったかどうかは定かではないが、ソウテキという名は当時は疎か、現在でも見られない種の名前であることは事実である。

 ソウテキは戦も強ければ頭もよかったが、特に戦では負け無しであった。

 

 ――戦びとは魔狼ともいへ、肉食鬼ともいへ、勝つ事が本にて候

 

 これはソウテキが遺した名言である。

 この言葉の意味する所は、戦を生業とする者は例え魔狼とよばれようが人食いのオーガとよばれようが構わないから先ずは勝利せよ、勝つ為なら何をしようが構わないという志を持てという極めて野蛮な心の在り方だ。

 

 当時、騎士の名誉だのなんだのとぬるい事をいっていた各国はソウテキの容赦ない用兵術に滅茶苦茶にやられ、大戦後の混乱は極めて早く収束した。

 彼の逸話はいつかまた話すとして、ともかくも戦後の混乱を収めたソウテキの功は大きい。

 

 レグナム西域帝国はあれよあれよという間に領土を拡大し、各地の小国を飲み込んでいった。

 中央教会過激派はこの辺の残党と言う事だ。

 

 余りにも巨大な帝国に並ぶ勢力はもはや神の威光…即ち宗教権力だけであると残党共も理解していた。

 だが既存の宗教組織は最早帝国の狗も同然だ。

 ならばどうするか?

 

 自分達で造ってしまえばいいというのがその答えであった。そう、都合の良い宗教がなければ造ってしまえばいい。組織も、神も。

 

 神を造るというのは大変だが不可能ではない。

 まずガワを用意し、信仰を集める。

 簡単に言えばそれで神が出来る。

 この世界においては祈り…信仰とは趣がない言い方をしてしまえばエネルギーの様なモノだ。

 

 ガワとは要するにこの神はこれこれこういう神であり、これこれこういう神話がありますよ、教えはこのようなものですよ、というトリセツの事である。

 

 言葉にしてみれば簡単だが、神として“機能”させる為には相応の有形無形のリソースが必要だ。

 よほどの執念、情熱がなければ為しえない偉業…のはずなのだが、過激派の祖達はそれを成し遂げた。

 その礎に少なくない数の人命があった事は言うまでも無い。

 

 ここまでは良いのだが、彼らにも誤算があった。

 現在で言う所の穏健派だ。

 彼らは法神という造り物の神を心底から狂信した。

 その狂信は過激派勢力を飲み込む程の勢いで、最終的には勢力比が逆転してしまったのだ。

 

 以降過激派は組織の主導権を取り返すべく穏健派と内部でバチバチやりあっている。

 

 魔族と繋がったのもその流れだ。

 過激派は魔族の力を利用し、穏健派を駆逐しようとしている。

 

 魔族側も人間達が内輪揉めしてその力を落としてくれるなら、と過激派を利用してる………

 

 と、過激派は思い込んでいる。

 だが本当にそうだろうか?

 魔族が都合よく劣等なヒト種に使われると過激派達は本気でそう思っているのだろうか?

 

 いいや、流石に権力の光で眼が濁っている過激派といえどそんな勘違いはしない。

 ではなぜ“こんな事”になっているのか。

 

 それは……

 

 

【挿絵表示】

 



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道中(ミカ=ルカ挿絵)

 ■

 

 どうやら命の恩人である術師殿と剣士嬢は想い想われている関係であるらしい…だからこそミカ=ルカには術師殿…ヨハンの行動が理解出来なかった。

 

(彼はあの時、全く逡巡する事なく恋人諸共魔族を攻撃した…)

 

 ミカ=ルカの考える男女関係の形において、ヨハンの行動は理解の範疇にはない。

 だがそれよりももっと理解出来ない事は、ヨルシカと言う剣士嬢もまたそれを受け入れていると言う事であった。

 

「……絆っていうやつなのかしら?」

 

 頭を捻るミカ=ルカだが、ヨハンやヨルシカとてミカ=ルカの事を一種の異常者だと見做している事を彼女は気付いていない。

 

 ミカ=ルカの話では彼女が慕う師が魔族の足止めをして、のみならず恐らくは死んでしまったというではないか。

 だが彼女はそれを悲しむ様子もなく、他人の色恋事情に悩む様な余裕振りを見せている。

 

 勇者の死、恐ろしい力を持つ魔族の存在…これらを聖都キャニオン・ベルへ伝えるという使命を軽く見ているというわけでもない様だ。師の事についても心の底から慕っているらしい。

 であるというのに、今の態度と言うのはやや異様と言える。

 

 その事をヨハンがミカ=ルカへ訊ねると彼女は言うのだ。

 

【挿絵表示】

 

「え?確かに悲しいですけどそれはそれですよ。私が悲しんだ所で魔族が倒せるわけでもないし、師や仲間が助かるわけでもありません。彼等の事についてはもう終わってしまった事なんです」

 

 ミカ=ルカの言を聞いたヨハンは思う。

 “俺と同じタイプの術師だな、だがもう少し精進が必要だ”と。

 

 彼女の割り切り方は、様々な術を扱う者には良く見られるモノだった。術と言うのは机上で学ぶ事も大事なのだが、何より大事なのはその術に対する思い入れがどれ程深いか、どれ程自身へ根付いているか、どこまで狂気的に情熱を注いでいるかが大事だ。

 

 だから一般的に術師というものが様々な体系の術を行使できる、ということは余りない。

 人間はそこまで多くの対象へ情熱を注げる様には出来ていないのだ。勿論例外もいるが。

 

 だがその情熱の源泉が複数あればどうであろうか?

 複数の源泉とは簡単に言えば、術を使う為だけの最低限の機能を残した仮想人格の事である。

 

 この仮想人格作成と言うのは荒唐無稽に思えるが、決して机上の空論ではない。

 

 心と体に耐え難い苦痛を受け続けている者などが、“苦痛を受ける事を役目とする人格”を作り出し、痛みを一手に引き受けさせたりする…といった事例もあるのだ。

 

 優れた術師は人格の分割が技術的に可能であるし、分割が為されればそれぞれの人格に数々の術を習熟させる…と言う事も可能となる。

 

 だが心は、精神は、人格などと言うものはパンケーキの様にナイフを入れれば綺麗に切り分けられるというものではない。

 様々な暗示を十重二十重に掛けつつ、計画的にストレスを与え…とにかく年単位で取り組むべき難業である

 

 ヨハンという術師はこの辺りの技術が卓越しており、だからこそその在り方というものが秘術にも顕れたのだろう。

 

 然るにミカ=ルカは…

 彼女はやや失敗していると言える。

 彼女は自然に割り切ってしまっているからだ。

 ヨハンも同じ状況ならば割り切るだろうが、それは彼が割り切ることを決めたからである。

 術行使のみを目的とした人格が本人格へ侵蝕してしまっているのかもしれない、とヨハンは考えた。

 

 だがこの若さでここまでの境地に至るというのも、それはそれで卓越しており、なるほど教会戦力の精鋭と言うにふさわしい。

 

 ■

 

「ところで、ヨルシカさんの怪我の具合は…」

 

 ミカ=ルカの言葉にヨルシカは笑顔を浮かべ答えた。

 

「もう大分良くなってきたよ。ヨハンの血が特に相性がよくてね。もう数時間も休めばまた飛んだり跳ねたりできると思う。それにしても魔族の術っていうのは怖いね…あっという間に意識が遠くなってしまって…」

 

 笑顔から一転してヨルシカの表情が暗くなると、ヨハンは黙って肩を叩いて言った。

 

「気にするな。ああいうのは慣れないと抵抗は難しいんだ。俺も済まなかった。絡め手が得意そうなのは外見から見ても明らかだったのにな。俺が前へ出ればよかった。まあ次は同じ術には君もかからないだろう。来ると分かってれば途端に掛かり辛くなるものさ」

 

「そういえばヨハンさん、なぜあなたは魔族の術を使えるのですか?」

 

 ヨルシカの“魔族の術”と言う言葉を聞いて思い出したのか、ミカ=ルカがヨハンに聞いた。

 しかし、ヨハンはその質問に曖昧に答えミカ=ルカをあしらった。

 

(言う気はない。お前達と殺し合う事もあるかも知れないからだ)

 

 ヨハンの内心がミカ=ルカに伝わる筈もないのだが、ヨハンの表情を見たミカ=ルカは彼に一種の境界線…線引きの宣言のようなものを感じ、それ以上を問う事はなかった。

 

 馬車は進んでいく。

 ミカ=ルカが馬車の窓から外を見ると、遥か遠く、聖都キャニオン・ベルのシンボルである白塔が霞んで見えた。



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丘上の大聖堂

 ■

 

 キャニオン・ベルが近付くにつれて得体の知れない圧迫感が増してくるのをヨハンはどこか醒めた様子で感じていた。

 彼は法神の神聖性というものをほとんど信用していない。

 マルケェスの言葉から法神がミーティス・モルティスの為す偽神の類である事は既に理解していた。

 この圧迫感は自身に混じる魔の残滓への敵視ゆえなのだろうが、それは神聖性とはかけ離れた一種の反射的な何かに過ぎないのだろうな、とヨハンは考えている。

 

 そもそも魔族は邪であり悪であるのか?

 そこからして疑わしい。

 法神が真に善性の存在であるならば、魔族よりなにより人間をこそ滅ぼすべきなのだ。

 少なくともヨハンはそう考えている。

 

 ゆえにヨハンにとって法神とは神聖不可侵の存在ではない。

 軽視はしていないが、重視をする理由も彼にはなかった。

 

 ■

 

 キャニオンベルの大門前には多くの旅人が列を成していた。

 彼等の多くは冒険者や商人、観光客などではなく巡礼者達だ。

 大門の左右には大きな塔があり、それぞれの頂上には鐘が設置されている。

 2つの鐘楼からは1日3回ずつ決まった時間に音が鳴らされる。

 鐘の音は一種の魔物除けの術であるらしく、これが為にキャニオン・ベル周辺には魔獣が出ない。

 信心深い者などはこれを聖都が誇る絶対不可侵の神聖結界などと嘯いている者もいるが……

 

「私は法神の力を否定するものではありませんが、それでも聖なる鐘の音が絶対不可侵の力を持つ、などとは思ってはいません。まあその辺りは我々異端審問官の様な荒事を信仰証明とする者達の野蛮な感想…だそうですが」

 

 そういって皮肉気に笑うミカ=ルカの目の奥には、何か言葉にはし辛い負の念が込められている様であった。

 

(命を張っているのは彼女達だ。だがそんな彼女達に心無い言葉をぶつける者もいるのだろうな)

 

 ヨハンは内心そう推測するがそれは決して間違っていない。

 中央教会は彼女の敬愛するアゼルを捨て駒の如く扱った。

 いや、神の捨て駒となる事を望んだのはアゼルの、異端審問官達の意思ではある。

 だがそんな彼等にほんの僅かであっても敬意の様なものが払われても良かったのではないのか?

 ミカ=ルカは口には出せないもののそう考えている。

 異端審問官達の死は異常の事ではなく、任務においての死は極々当たり前の物…と考える教会の同胞達の視線にミカ=ルカは煮え切らない何かを抱いている。

 そういった思考が出るだけでもミカ=ルカ・ヴィルマリーという女性は穏健派として優等生とは言えないかもしれない。

 まあその辺の事情は彼女が師と仰ぐアゼルとの出会い、法神教への入信の経緯に由来するものなのだがそれはまた別の話だ。

 

 ■

 

 中央教会は西域のみならず東域を含めてみても最大規模の宗教組織である。

 組織と言うものは大きくなればなるほど一枚岩になりにくくなるものだが、特に教会という集団においてはその傾向が強い。

 なぜならば信仰の形とは一定ではなく、教義に対しての解釈が反目し合えば場合によっては血が流れる事だってあるからだ。

 なにせどいつもこいつも譲るということを知らない。

 

 もっとも、大抵の場合は少数派の意見などは黙殺されるものだ。

 ただし、その少数意見を声高に主張する者次第では事情が変わる事がある。

 教会の少数派…すなわち穏健派の頭目は中央教会のトップ…つまりは教皇である。

 教皇が少数派の頭目であるにも関わらず教会のトップでいられるのは、彼の狂信の強度ゆえだ。

 

 自身を含めてすべての法神信者は法神の為に生きて法神の為に死ぬべきだと本気で思っている教皇にとっては、穏健派も過激派も関係なく神の為の駒に過ぎない。神の為ならば自身を含めて全ての信者の命をすら捧げても良いとおもっている。

 通常ここまでの過激思想の持ち主などは人知れず排除されてしまうのだが、教皇アンドロザギウスはその権力、信仰心といったものとは別の意味で強大であった。

 

 教会の、法神の走狗となる事を拒絶した先代勇者がなぜ力をもって意を通さなかったのか?

 それはこのアンドロザギウスの存在があったからだ。

 この世界において聖職者の狂信の強度の高低とは、端的に言えば個人が振るい得る武力の多寡に等しい。

 魔力と言う世界変革の力はより強い意思、より純粋な意思の元に集まるからだ。

 

 勿論例外もいる。

 強い精神、意思、覚悟がなくとも強大な魔力を扱う者達。

 例えば魔族。

 この魔族という種族が強大な存在であるとされているのは、意思がどうこうというよりも魔族という種族の特性が大きく関係している。

 魔族とは魔力に対しての親和性が非常に高いのだ。

 

 だがアンドロザギウスが恐れられている理由のもっとも大きな理由は、神の正義をその狂信を以て純粋に信じ込んでいる点だろう。

 残酷性の、無慈悲さの大小に等しいとも言える。

 人間と言う生物が最も無慈悲になる時というのは、その人間が悪である時ではない。

 人間は善であると強く自覚している時に最も無慈悲に、残酷になれるのだ。

 そういう意味で教皇アンドロザギウスはこの世界でもっとも無慈悲、そして残酷であると言っても過言ではない。

 

 ■

 

 ミカ=ルカから教会のドロドロした事情を聞かされたヨハンとヨルシカは、どれ程清廉ぶってはいても後ろに回された両の手は赤く血塗られているのだな、などと益体もないことを考えていた。

 しかし、とヨハンはいぶかしむ。

 

 そこまで強大な力を持つ存在が組織の頂点に在ったとして、なぜむざむざと過激派の跋扈が許されるのかという当然の疑問。

 疑問の答えは2つしかなかった。

 過激派のトップもまた強大な存在であるという答え。

 もう一つは教皇がとっくに殺されているという答え。

 そして、殺されていたとしたら……

 

(今の教皇は一体“何”だ?)

 

 教皇が座す大聖堂が丘上に建っており、街の人々はどこからでも大聖堂を見ることが出来る。

 街自体がそう設計されているのだ。

 ヨハン達はミカ=ルカの案内で街を進み、大聖堂へ向かって歩みを進めていく。

 当然大聖堂がヨハン達にも見えるわけだが…

 白亜の城の如き荘厳なはずのそれが、ヨハンの目には巨大な墓標に似た何かに見えた。



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蒼き星の姫君

 ◆◆◆

 

 後世に於いて第四次人魔大戦は歴史上のどの時点で勃発したのかという考察は数多散見されるが、マジョリティとしてはやはり中央教会過激派一党による教皇アンドロザギウスの弑逆であろう。

 当時の人類圏における国家群はほぼすべてが法神を崇め奉っていたか、もしくは法神の存在に重きを置いていた。

 法神以外の神は存在していたが、中央教会がこれを厳しく弾圧する為に異教信仰を表に出す者は極小数だった。

 必然的に法神教は人類圏で最多数の信徒を抱える宗教であったと言える。

 そんな状況下において、法神教のトップであり事実上の法神の代理人とも言うべき教皇が暗殺されたとなれば、他の諸宗徒はそれを機として激発しないわけがなかった。

 第四次人魔大戦において過去最大の犠牲者が出てしまった主因は、魔族の侵攻云々の前に人間達の内輪揉めであるという見解を持つ歴史家も多い。

 

 ■

 

 大聖堂に到着したヨハン達は先導するミカ=ルカの後をついて行った。

 ヨハン達としても穏健派との繋ぎが欲しかったし、ミカ=ルカとしても使命の遂行に助力をしてくれたヨハン、ヨルシカに対し外堀を埋めていきたかった。

 外堀とはつまり…

 

「ねえ、ヴィルマリーさんに穏健派への繋ぎを頼むの?」

 

 ヨルシカの質問にヨハンは頷いた。

 

「ああ。彼女は俺達に恩がある。そして俺達がそれなりに()()と言う事も知っている。彼女は法神教徒らしくなく、信仰発狂の深度はそこまででもなさそうだが、それでも使命感みたいなものはある筈だ。俺達が万が一にも過激派へ与したりはしない様に、なし崩し的に俺達を穏健派の外部戦力として型に嵌めたいと思っている。ならばそれに乗ってやろう。穏健派は遅効性の毒みたいなものだが、過激派は即効性且つ致死性の毒だ。同じ毒なら前者の方がまだ良い」

 

 ヨハンがとんでもなく無礼な事を普通の音量で言うのをミカ=ルカは目をかっぴらいて見つめ、やがておずおずと口を開いた。

「あの、ヨハンさん…そういうのは出来れば私には聞こえない所で言って貰えませんか…」

 

 ミカ=ルカの抗議にヨハンは素直に謝罪した。

 

「ところで。信仰発狂ってなんですか」

 ミカ=ルカの疑問は最もだ。

 信仰発狂などと言う単語は存在しない。

 

 ヨハンは信仰心が強くなり過ぎて神敵に対して自爆術式の行使も厭わない様な状態である、と説明した。

 それを聞いたヨルシカとミカ=ルカはゲンナリした表情を浮かべる。

 ヨルシカは聖職者と言うものはどうもイカれてるんだな、そんなのと話なんて出来るのかな、という思いからくるゲンナリ。

 ミカ=ルカは信仰の証明の為に自爆するとか確かにイカれてるよね、という思いからくるゲンナリ。

 説明をしたヨハンもまたゲンナリしていた。

 なぜなら仄かな香りが鼻腔を擽ったからだ。

 彼にとっては嗅ぎ慣れた香りだ。

 

 (血の匂い…)

 不穏なアクシデントを予想したヨハンの眉が顰められる。

 

 

【挿絵表示】

 

 横目でヨルシカを見るとピリピリした雰囲気を発しており、彼女もまた不穏な香りに気付いた様だった。

 ミカ=ルカはそんな二人の様子にやや首を傾げていたが、とりあえずといった様子で口を開いた。

 

「…ということで、皆様にはまず我々異端審問官の長である大主教に会っていただきま……!?」

 

 何か重いものが壁に叩きつけられたかの様な音がミカ=ルカの言葉を遮った。

 

 ◆◆◆

 

 教皇の執務室は法の間と呼ばれている。

 壁や天井、床に至るまで全てが白い大理石の様な石材で造られている。

 その純白は清浄の白だとか神聖の白だとかそういう印象よりも、無機質で冷たい拒絶の白を思わせる色合いだった。

 部屋の奥にある祭壇めいた場所に置かれた法具、その左右に立つ司祭達、部屋の入り口付近にいる近衛神官の面々……。

 彼等の表情は一様に緊張に包まれており、その表情のまま微動だにせず向かい合う一団を見つめていた。

 一団…過激派の一党が大挙して押し寄せ、教皇への面会を求めてきたのだ。

 

「教皇猊下は奥の私室に居るのでしょう?なぜ取り次いで頂けないのです?」

 

 そう言っているのは貴族然とした男だ。

 年齢は20代後半といったところだろうか? 背が高い男で、金髪碧眼、端正な顔立ちをしており、着ている服も見るからに高級品といった感じの代物だった。

 男は自身の後ろに控えた集団の方をチラリと見やり、再び口を開く。

 集団を構成する人員の内訳としては若い男が多い様だ。

 中には女性も居るが年齢層はやや高めに見える。

 集団の中には年若い少女も居た。

 そして、誰が見ても彼女だけは別格だとわかる。

 纏っている雰囲気が明らかに違うのだ。

 瞳孔が無い蒼く茫洋とした瞳は、見るものに深海を覗き込む様な不安を与える。

 やや褪せた蒼く長い髪は、視る者が視れば髪の一本一本に魔力が充ちている事が分かるだろう。

 まだ8歳だと言う話だが、幼い外見にも関わらず全身から放たれる圧は年齢相応のものではない。

 

【挿絵表示】

 

 彼女こそが亡国アステール王国の最終王統にして過激派のトップ、エル・ケセドゥ・アステール。

 

 かつてヨハンは彼女を過激派の傀儡だと言った。

 しかしもし彼女を視た事が1度でもあったならばそんな事は決して言わなかった筈だ。

 エル・ケセドゥ・アステールは滅びた母国の再興を夢見ている。

 夢の礎に何万、何十万、何百万の屍を積むことになろうとも。



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血の日①

 ◆◆◆

 

「教皇猊下に申し上げたき儀が御座います。皆様、この場は退いて頂けませんか」

 

 エルは何処を見ているのかも分からぬ茫洋とした視線で周囲を見渡しながら言葉を紡いだ。

 表面的には丁寧な、しかし反駁を許さぬという意が込められた発言にその場の者達は脚を地に縫い付けられたかの様に束縛された。

 

 エルの支配力が場を満たしていく。

 凡庸な者は幼き王者の威の前に頭を垂れるのみであった。

 

 ◆◆◆

 

【挿絵表示】

 

「取り次げ?引き渡せの間違いでは?アイラは貴方達を信用できません」

 

 そんな中、前に進み出て口を開くのは2等審問官『籠れ火(こもれび)の』アイラであった。

 

 華奢なその身を焔色の何かが舞っている。

 雑におろした黒髪に焔色の何かが纏わり付き、それはまるで冬の熾火を連想させた。

 年の頃は少女から女性へ変わっていかんとする頃だろうか、中性的な雰囲気とちらちらと舞う焔色の何かのせいで、神秘的な印象を周囲に与えていた。

 

 彼女は精霊の愛し子だ。

 精霊の愛し子とは何の拍子か、精霊に過剰に好かれてしまった者の事を言う。

 

 精霊とは世界に満ちる力そのもの、あるいはそれに類するものの総称であり、その力の性質によって様々な呼ばれ方をされる。

 

 彼等の意識は極めて希薄で、犬や猫どころかその辺の虫けら程の意識があるかも怪しい。

 だが好悪の情はある様で、例えば森に住まう原住民等には森の精霊が力を貸す事もしばしばある。

 

 力を貸すといってもその内容は雑多で、例えば森で迷っても方向感覚を失う事が無くなるだとかそういう些細なものから、あるいは敵対者の足に不意に樹木の根が絡みついたりといったものまで様々な“力”が行使される。

 

 放って置けば乱雑に力を撒き散らす精霊の力にある程度指向性を持たせ、術者の意に添った現象を引き起こせる様にしたのが精霊術である。

 

 意識が希薄な精霊にどう干渉するのかといえば、それは魔力が物を言う。

 精霊は世界に満ちる魔力を食って増えたり減ったりするのだ。

 

 要するに餌で釣るわけである。

 例えば魚釣り1つにしても様々な技法がある様に、精霊を釣るにも様々な技法があるという事だ。

 

 ◆◆◆

 

 そんなアイラは火の精霊に過剰に愛されてしまった。

 アイラは産まれた時にその母を自らが宿す炎熱の力で焼き殺した。

 

 当然周囲の者はアイラを災いを呼ぶ子だとして排除しようとするが、そんな事は他ならぬ精霊が許さない。

 振り下ろされた刃は融解し、高温の風が吹き荒れ、村は瞬く間に滅びた。

 

 村人も1人残らず焼きつくされ、後に残ったのは焦土と灰の山だけだった。

 赤子ゆえ力の制御が全くきかなかったが為の当然の結果であった。

 

 そんな時現れたのが法神教の宣教師だ。

 彼は村を訪れた際に村の惨状を見て、この様な悲劇を二度と繰り返さない為にとアイラの身柄を保護した。

 当初こそ暴れていたものの、法神教の教義に触れていくうちに徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

 …というよりは赤子のアイラが無自覚に行使する精霊術など、法神教の歴戦の宣教師にとっては文字通り児戯であったというのが大きいが。

 

 例えば1歳の子供が包丁をもって暴れていたとして、素手の大人がそれを抑えられないと言う事があるだろうか?

 

 余程舐めていたならまだしも、返り討ちなどと言う事は考え辛い。

 

 刃物は脅威ではあるが、使い方を知らないのではその脅威もナリを潜める。

 

 アイラはその後、それなりの愛情を注がれて育てられ、力の扱い方も学び、いまでは立派な中央教会穏健派の上級戦力として数えられる様になった。

 

 ◆◆◆

 

「その通り…」

 

【挿絵表示】

 

 静かで暗く、鬱蒼な森の木陰を連想させる声が響く。

 言葉少なにアイラに同調したのは2等審問官『顔無しの』ドライゼン。

 

 一体いつからそこに立っていたのか。

 タイを締めた短髪の男がいた。

 だが男の不思議はいつから立っていたか誰にも分からない事ではない、今確かにそこに立っているにも関わらず、気を抜けば見失ってしまいかねない程の存在感の無さである。

 

 顔無しのドライゼンの顔を見た者は誰もいないとされている。彼は別に隠してなんかいないのだ。

 しかし誰も彼の顔を覚える事が出来ない。

 

 過激派の者達はドライゼンを殊更に恐れる。

 それこそ『光輝の』アゼルよりもドライゼンこそが恐ろしいと考える。

 

 なぜなら彼は中央教会でもっとも多くの不穏分子を抹殺しているからである。

 

 ◆◆◆

 

 過激派の青年が前に出てきた二人の審問官を忌々しげに睨みつけた。

 

【挿絵表示】

 

 青年の名はギルバート。

 旧い名をギルバート・クロッセル・フォン・マキーナ。

 現皇帝サチコの皇配になる予定だった男だ。

 

 

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 しかしその過ぎた野心が帝国宰相『死疫の』ゲルラッハの目にとまった時、彼の命運は尽きた。

 

 

【挿絵表示】

 

 宰相直属暗殺部隊【死腐りの牙】がギルバートを消すべく動いた。

 

 そんな彼を助けたのが中央教会過激派であった。

 教会過激派の勢力拡大方法は彼の様な者達を取り込む事であり、できれば貴き血の者が望ましい。

 ギルバートには自前の手勢があり、それは過激派にとって良い土産となった。

 

 レグナム西域帝国を追われたギルバートは教会過激派を利用し、栄光の玉座を夢見る。

 現皇帝サチコを廃し、自らが皇帝の座に座るのだ。

 そのためには教皇が邪魔だ、と彼は考える。

 自身もまた教会側に利用されている事は理解している。

 それでも最終的には教会ごと食ってやる積もりであった。

 

 ギルバートは俗だ。

 非常に俗な男だ。

 野心に溢れ、策謀を好む。

 だがレグナム西域帝国の皇配に選ばれる程の才があった。自らこそが地上で最も尊しという至尊の強欲。

 強い野心は身を滅ぼす、しかし余りにも強い野心は……

 

 ◆◆◆

 

「アイラ殿、状況を見て、その上で言葉を選んで頂きたいですね。徒に血が流れる事になりますよ。これが最後の警告です。退いてください」

 

 ギルバートの言葉にアイラは動じない。

 

「アイラは選びません。退くか、死ぬか、選ぶのは貴方達です」

 

 アイラがそう返すと同時に、過激派集団の後方から誰かが倒れる音がした。

 

 ――うふふ、異端者

 

 陰気な男の声がした。

 その声は小さく、囁くようでいて、しかしその場に大きく響いた。

 

 ギルバートが振り向くと、そこには男…らしき者が立っていた。足元には同胞が倒れている。

 喉から血を流して。

 

 男の顔は凡庸だ。

 だが分からない、男の事を知っているはずなのに、見た事がない…

 しかしギルバートはそんな印象を与える男の事を知っている。

 

「…ドライゼンッ……」

 

 吐き捨てる様なギルバートの言葉にドライゼンはうふふふふと不気味に笑った。



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閑話:顔無しのドライゼン

 貴方は心無い言葉を子供の前で発したりはしていないだろうか? 

 まだ幼いからといって油断して、舐めて、子供の前で心の無い言葉を発していたとしたら考え直した方が良い。

 子供というのはこちらが思う以上に賢いのだ。

 

 ドライゼンは不義の子であった。

 戸籍上は役人であった父と商家の娘であった母の息子であったが、事実は違う。

 

 まあ良くある事だとは言える。

 当時、父であるオスカーは仕事の関係で他国へと出向いていたのだが、その国でちょっとしたトラブルが起きて帰国が遅れた。

 

 母のアンナはオスカーの不在に魔が差して男を作ってしまい、その結果生まれたのがドライゼンである。

 アンナには他に子はなく、彼女はドライゼンに対して愛情をもって接していた。

 

 そこまでは良い。良くは無いが、そこで終わる話ならばまだマシだった。

 

 問題があった。

 それはオスカーがアンナを愛し、アンナもまたオスカーを愛していた事だ。

 

 愛し合っているのになぜ不倫なんて真似をするのか、という疑問があるが、悲しきは人間の心の弱さよ、と言うべきか。

 

 アンナは生来気弱な性質で、寂しがり屋であった。

 オスカーの出立を笑顔で見送ったアンナは内心は不安で寂しくて仕方なかったのだ。

 

 しかし寂しければ不倫をして良いかといわれればそれは否である。

 

 とはいえ、そのままであったならアンナとて別に他所へ出向いてまで男を作ろうなどとは思わなかっただろう。

 

 彼女の心の弱さに付け込んだ男がいた。

 オスカーの友人、ロズである。

 

 ロズはオスカーと同じく役人で学生時代からの友人だ。

 アンナとも友人付き合いをしており、彼女が知る限りでは不器用だが誠実な良い男であった。

 

 ロズはオスカーの不在に寂しがるアンナを友人として支えていった。

 ここで終わる話ならば良かった。

 

 問題があったのだ。

 その問題とは、ロズはアンナに男女の好意を抱いていたという事だ。

 

 しかし自身が心を決め、アンナへ愛を告白する前にオスカーとアンナが結ばれてしまった。

 ロズは心で泣きながら二人の交際、結婚を祝し、二人もまたロズの友情を喜んで受取った。

 

 だが……この状況でロズの自制心に罅が入ってしまったのだ。

 

 いくら昔からの友人といっても平時であるならアンナはロズのモーションを一顧だにしなかったであろう。

 しかし状況が悪かった。

 日々優しく心を励ましてくれるロズに、アンナの女としての情が反応してしまった。

 

 それに気付いた時にアンナはもう遅かった。

 一度火が付いてしまえば後は転がり落ちるだけ。

 そうしてアンナはズルズルと関係を続け、気が付けばアンナはロズの子を身ごもっていた。

 

 アンナは子供を出産する事になる。

 ロズは何を考えたか、アンナに金だけを渡して姿を消してしまった。

 

 ロズは怖くなったのだ。

 露見は勿論だが、裏切りの痛みを感じる事に恐怖を感じたのだ。

 

 何故このような最低な下衆が痛みを感じるのか? 

 それはロズも彼なりにオスカーを親友だと思っていたからである。

 

 子供はドライゼンと名付けられた。

 

 幸いだったのはロズとオスカーの髪の色や瞳の色が似通っていた事であろうか。

 産まれた子供を帰国したオスカーが抱いたとき、彼はその子が自身の子ではないと些かも気付く様子はなかった。

 

 子煩悩なオスカー、妻を愛するオスカー。

 アンナはオスカーの愛を感じる度に胸を針で突き刺される様な痛みを感じていた。

 

 その痛みは裏切りの痛みだ。

 ロズが恐れ、逃げ出した痛みだ。

 

 自分は愛する人を騙している。騙し続けている。

 そんな罪悪感にさいなまれながらも、アンナはオスカーの愛情を享受し続けていた。

 

 アンナの胸の痛みはドライゼンの成長と共に大きくなっていく。

 

 なぜならドライゼンはロズに瓜二つだったからである。

 オスカーが抱くたびに、彼が息子を抱きしめるごとに、胸が張り裂けそうになるほどの痛みがアンナを襲った。

 

 そこで話が終わるならまだマシだった。

 魔がさして不倫をした女が罪悪感で苦しんでいるだけで済むからだ。

 どこかの馬鹿二人以外は誰も傷つかない。

 

 問題があった。

 深刻な問題だ。

 オスカーがドライゼンが自身の種では無い事に気付いたのだ。

 

 いや、気付いたというよりは強い疑惑を持った、が正しいだろう。

 まあドライゼンはロズに瓜二つだから疑念の1つも持たないほうがおかしい。

 

 当然の如くオスカーはアンナに問い正し、当然の如くアンナは自身の不貞を告白した。

 そして当然の如くオスカーは激昂し、アンナに……手をあげる事は無く、黙って家を出て行った。

 オスカーはそれからも戻る事はなく、暫く後に離縁状だけが送られてきた。

 

 アンナは幼いドライゼンと二人だけで生きていく事になった。

 それで終わる話ならば悲惨ではあるがまだマシだ。

 馬鹿な女が孤独な余生を過ごすだけで済んだのだから。

 問題があった。

 

「あなたが生まれてこなければこんな事にはならなかったのにね……」

 

 まだ幼いドライゼンを抱きながら、アンナは母として決して言ってはいけない事を口にしてしまった。

 たっぷりの情念を込めたその言葉はドライゼンに深く深く染み入る事になる。

 

 やがてドライゼンが論理的思考が出来る年になると、自身へ投げかけられたアンナの言葉が遅効性の毒の様に彼を蝕んでいった。

 

 ドライゼンが母アンナを愛していた事がその毒を強めた。

 

 あの場限りの戯言、と言うにはアンナは余りにも陰鬱に過ごしてきた。朝は俯き、夜は泣き、悔恨で自死を選ぶ事も出来ない。

 

 なぜならドライゼンがいるからだ。

 

 アンナは弱く馬鹿な女だが、何が原因で、誰が原因でこんな事になっているかを判断する事程度は出来る。

 

 幼いドライゼンはそんなアンナを毎日見ていた。

 そして自身という存在が愛する母を苦しめているという事実に消えてしまいたくなった。

 

 死を選ぶ事は出来ない。

 死そのものも恐ろしいし、死に方も問題だからだ。

 場合によってはアンナが犯人だと思われてしまうかもしれない。

 

 ならば消えてしまうというのはどうだろう? 

 自分がこの世から綺麗さっぱり消えて仕舞えれば、誰にも迷惑をかけることなくアンナを喜ばせてあげられるのではないか。

 

 ドライゼン少年は毎日毎日強く強く思った。

 消えたい、消えてしまいたい、死ねない、だから消えたい、と。

 思うだけでは足りないと神にも祈った。

 法神教の教会へ赴き、熱心に祈りを捧げたのだ。

 

 そしてある日、幼き少年の純粋な思いは術として形を成した。少年の願いに応える様に、少年はその日を境に存在感を薄れさせていく。

 

 最初は近所の人に挨拶をしても返されない程度だった。その時は大きな声を出せば気付いてはもらえた。

 しかし、段々とドライゼン少年の存在消失は術としての強度を高めていく。

 

 アンナがたびたびドライゼンを見失う様になったのだ。

 “たびたび”はすぐに“常に”へと変わった。

 ある日アンナはドライゼンが目の前に立っていても気付く事が出来なかった。

 

 それを見届けたドライゼンはその頬に涙を一筋流し、生家を去っていく。

 

 悲しみで心は張り裂けそうだったが、苦しみの元凶たる自身が消えたのだからきっと母は幸せになってくれるだろう。

 

 幼いドライゼンは家を、母を捨てた。

 しかし、愛ゆえに捨てたのだ。

 

 この先どう生きていくか、その答えも決まっていた。

 自身の願いを叶えてくれた法神に仕えるのだ。

 心からの祈りに応えてくれた偉大なる法神に余生を捧げるのだ。

 

 ドライゼンは教会の扉を叩く時、気づいてもらえないのではないかと不安だったが、幸いにも神父は心得のある人物であった。

 

 これは余談だが、中央教会の聖職者は皆一定以上の法術を扱う事が出来る。この世に術体系は様々あるが、法術と言うのは護りに優れた術体系だ。

 気配を察知するといった類の術は法術に於いては初歩の初歩である。

 

 また、彼らの如き神父はどれ程老いていようが、街のチンピラ程度なら容易く撲殺出来る程には業前を磨いている。

 

 なぜそこまで鍛えているのか? 

 力無き正義は無力であるからだ。

 

 幼いドライゼンはボロボロと涙を零し事情を語った。

 神父は清潔な布でドライゼンの涙を拭い、彼を教会に受け入れる事を決めた。

 

 そこで彼は“力”の扱いを学び、法神への熱烈な信仰を強めていく。

 やがて法神の意に反する者達をもっとも多く殺した審問官、『顔無しの』ドライゼンとして恐れられる様になる。

 

 この一連の話は問題だらけだが、最後にひとつだけ救いがある。

 

 ドライゼンの母であるアンナだ。

 彼女は消えてしまったドライゼンを探し回った。

 彼女にとってドライゼンは確かに己の罪の結実の様な存在だが、それでも愛する息子である事には違いがなかった。

 

 日々の生活は苦しみに溢れ、後悔の海に溺れそうになりながらもなんとか浮き枝に捉まり凌いでいるような状況ではあったが、その苦しみの原因はドライゼンではなくあくまで過去の自身の愚行であるとアンナ自身も自覚していた。

 

 あちらこちらを探しまわり、それでもドライゼンが何処にもいないと知ったアンナは、ある日、空が青く綺麗に晴れ渡った日に家で首を吊って死んだ。

 

 救いと言うのはドライゼンがこの事実を知らないという事だ。いち早くこれを知った神父が手を回し、証拠を隠滅した。

 

 ドライゼンには母親は別の街へ移ったと伝えた。

 

 それを聞いたドライゼンは寂しそうにしながらも母の幸せを祈り、より熱心に修行を積んだという。

 

『顔無しの』ドライゼン。

 

 一般的な法術は一通り扱えるが、何より恐ろしいのは自身の存在感を消失させる彼固有の術式である。

 彼を恐れ、守りを固め、悠々と真正面から歩いてくる彼に気付けずに首を掻き切られた異端者は数知れない。



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血の日②

 ■

 

「あの音は……?」

 

 ヨハンが呟きながらミカ=ルカを見ると、彼女は何やら考え込んでいる様子であった。

 ミカ=ルカの瞳は茫洋としていて、一見する限りでは何も考えていない様に見える。

 だが練達の術師たるヨハンの眼にはミカ=ルカの何と言うか…

 

(この女の質…魂というべきか。その者をその者たらしめる不定形の何かがころころと入れ替わっている様に視える)

 

 ミカ=ルカの術師としての性質はヨハンにも薄々は分かってはいる。

 そう、二等審問官ミカ=ルカ・ヴィルマリーは多重人格者だ。だが幼少時のトラウマだとかそう言うものが原因で人格が増えた訳ではない。

 

 彼女は意図的に自身の人格を“増設”している。

『色彩の』ミカ=ルカ・ヴィルマリー。

 多種多様な術体系を十全に扱う為に、術をのみ取り扱う人格を作り出した。

 術と言うものは通常、本人の強い思い入れが発動規模に大きく影響する。机上の学習のみで発動する術などは児戯にも劣るのだ。魔法となるとこれは話が変わるが、少なくとも術はそうだ。

 だからミカ=ルカはそれぞれの人格に異なる思い入れなりバックカバーを仕込み、多数の術を扱える様にした。色彩とは彼女の扱う術の多彩さを意味する。

 

 人格の増設と簡単には言うがこれは拷問染みた、いや、拷問そのものと言っても過言ではない過程を経る必要がある。意図的に、効率的に精神的、そして肉体的拷問を受けて心を引き千切らねばならない。

 引き千切った心を“使える”形へ加工するのも簡単な事ではない。

 

 要するに人格の増設なんて真似はマトモな事ではないのだ。結句、これはマトモじゃない事を為すミカ=ルカ・ヴィルマリーという女性もマトモじゃないという事を意味する。

 

 そんなミカ=ルカは今自身の内に存在する何人もの自分と密やかな会話を続けていた。

 

 ◆◆◆

 

 法の間は教皇の執務室である。

 執務室というと少し広い書斎のような広間を連想するが、法の間は一般的な執務室の間取りと比べても相当に広い。

 

 と言うのも、執務室という扱いだからといって教皇のみがそこで仕事をする訳ではなく、書務神官と呼ばれる所謂文官が多く法の間へ詰めて仕事をするからである。

 

 平米にして200超、畳数にして120~140畳と言った所だろう。

 

 床も壁も柱も純白の大理石の様な石材で造られている。

 これは大理石ではなく、破魔の力が込められた特殊な石材だ。聖都キャニオン・ベルを囲う白い防壁と同じで、邪悪を退けると“されている”。

 

 そんな白い床が今は血で汚れている。

 

 うふふと不気味に嗤う『顔無しの』ドライゼンの凶刃に1人、また1人と喉を掻き切られていく過激派の者達はしかし、何も指を咥えてこの凶行を見過ごしていた訳ではなかった。

 

 かかれ、奴を止めろ、殺せ、と言うギルバートの命令で近接攻勢法術を起動させた過激派の者達が切りかかる。法術で構築した刃は鍔迫り合いを許さない。実体が無いのだから。

 しかし、四方八方から振り下ろされた刃がドライゼンの肉体に食い込む事は無かった。

 切りつけた者達にもよく分からない事であるが、気付けばいつの間にか虚空を切りつけていたのだ。

 

 1人斬り、2人斬り、ドライゼンの凶刃はついにエル・ケセドゥ・アステールへ迫る。

 ギルバートは動かない。

 それはエルを見捨てる…という訳ではなく…

 

 ―――『    』

 

 エルが何かを囁くと同時にその矮躯から銀色に燦めく波動が迸った。

 星の光を想起させる銀色の波動は過激派の者達も穏健派の者達も関係無しに吹き飛ばす。密やかに背後から忍び寄ってきていたドライゼンもまたエルが放った何かに全身を強かに打ちのめされ、壁に向かって吹き飛んだ。

 

 大きな音を立て壁に叩きつけられたドライゼンは吐血し、膝をつく。

 アイラは気遣わしげな視線でそれを一瞥し、警戒の視線をエルに向けた。

 

(おおっ!ウィス・テネブリス…アステールの星術だ。星の力は万物を引き付け、また跳ね除ける。彼奴の如き影鼠も四方に放たれる星の光からは逃れられぬか!欲しい…あの力も…)

 

 ギルバートは欲望で目を輝かせ、エルの放つ星の輝きに見入った。

 

 なお、影鼠とはドライゼンに対する蔑称である。

 どういった組織であっても、汚れ仕事をする者は蔑まれがちだ。尊大な所が多々あるギルバートは穏健派の如き狂った集団を毛嫌いしていたが、その中でもドライゼンを特に毛嫌いしていた。だがその嫌悪感を構成する一要素に彼への恐怖感があった事は否めないだろう。

 

 周囲の者達が吹き飛ばされ、倒される様子にエルの瞳が嗜虐的な嗤いの細波に揺れた。

 

 ◇◇◇

 

 エル・ケセドゥ・アステールは星の姫君と呼ばれている。これはアステール王国建国の逸話に由来する。

 アステール王国の初代国王はこの世界の人間ではなかった。初代国王は宙を浮く光輝く船に乗り、天空よりこの世界に降り立ったのだ。

 

 そのアステール王族は代々、初代も含め王族固有の不思議な力を持っていた。

 物に触れずとも動かす力、物を、人を引き寄せ、あるいは跳ね除ける力、強い力を持つ王族は星をすら落とす事が出来た。

 この力はいつしか“星術”と呼ばれる様になる。

 

 既存の術と違う点は、魔力と言うモノを使わないという点だ。魔力のかわりに気力というか精神力のようなものを使う。

 

 エルは自身が他の者達とは違う事を自覚していた。

 姿形はそうは変わらない。

 しかし、根本的に成り立ちが違うのだ、と言う思いをずっと抱いていた。

 彼等と自分は違う生き物なのだと、そういう思いを常に抱いていた。

 だがその違和感はあくまで違和感と言う範疇内にあって、決して差別心の様なモノではなかった。

 

 だがエルに仕える者達が彼女に日々囁くのだ。

 あなたはアステールの女王である、と。

 アステールは世界を統べるべき偉大な国である、と。

 その偉大なアステール王国は愚劣なる帝国に滅ぼされてしまったが、アステールの女王たるあなたには世界を再びアステールの遍く星の輝きで照らすべきなのだ、と。

 

 やがてエルはその幼い心に女王としての矜持を“埋め込まれた”。その矜持は民草などは支配して当然、見下して当然、アステール王国こそが至尊の絶対王国なのだと言う歪んだ傲慢の産物であったが。

 

 ◆◆◆

 

「もう一度言います。ここを退いて下さい」

 

 穏健派の面々にエルは静かに語りかけた。

 口調こそ静かで穏やかだが、その目は自身をのみ尊しと見做す傲慢の色に染まっている。

 

「ところで、ルカはどこですか?もうそろそろ教会へ戻って来ているのでは?」

 

 エルがギルバートへ声をかける。

 ルカとはエルの腹心の侍女だ。

 エルと同じく中央教会に所属する過激派のシスターだが、その系譜はアステール王国にあり、エルが中央教会に所属する前からずっと彼女に付き従っている。

 エルはこのルカの事だけは見下す事はなかった。

 むしろ彼女を姉の如き存在と慕い、信を向けている。

 

「はっ…そうですね、早くて今日中にはキャニオン・ベルへ帰参するでしょう。遅くとも2、3日中には。いつ頃になるかはわかりませんが…馬車などの乗り継ぎもあるでしょうし」

 

 ギルバートが答えると、エルは2度、3度と軽く頷き目線を前に戻した。

 

 視線の先には二等審問官『籠れ火の』アイラ。

 周囲を紅い火の粉が激しく舞っている。

 それは彼女の内心を覿面に顕していた。

 アイラは同胞たるドライゼンを傷つけられ激していたのだ。

 

 アイラがスゥッと息を深く吸い込み…そしてエル達へ向けて吐き出した。

 

 紅蓮の炎が渦を巻き、エル達に襲い掛かる。

 

 ■

 

「……少し気になりますね。ヨハンさん、ヨルシカさん、一緒に来て頂けますか?不穏な気配もしますので…」

 

 ミカ=ルカの言葉にヨハンとヨルシカは頷き、ミカ=ルカの先導に従い回廊を駆けていく。

 

 ヨハンもヨルシカも一種の予感があった。

 またろくでもない殺し合いが待っていそうだ、と。



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閑話:ミカ=ルカ・ヴィルマリー

◆◆◆

 

二等審問官ミカ=ルカ・ヴィルマリーは生来法神教の徒であったわけではない。

 

ミカ=ルカの母、スザンヌは平凡な術師であり、平凡な女であった。彼女は平凡な夫と出会い、平凡に結婚し、ミカを産んだ。

 

ミカは幼い頃から良く泣く子で、母スザンヌを困らせた。赤ん坊をあやす道具をいくつも使って見せたがミカは泣き止まない。

しかしある日、困り果てたスザンヌが試みに行使した術が効を奏した。

 

それは土系統の協会術式で、土を成型してちょっとした人形…犬だとか猫だとか…そういう土像を造り出す術だ。石を削り出したり、土を捏ねて成型したりというのは平凡な術師であっても難しい事ではない。

 

それを見たミカはスザンヌが思った以上に喜び、以来ミカの心に術への強い好奇心が根付いた。

 

彼女は魔術が織り成す不思議に魅せられたのだ。

スザンヌも自分の娘が術に興味を持ってくれた事を嬉しく思い、彼女なりに教育を施していった。

勿論、スパルタで…と言うわけではない。

スザンヌはミカの才能を伸ばすとか業前を磨くとかそういう方向ではなく、術というモノにより強い好奇心を抱くように教育していった。

例えば絵物語を聞かせるにしても、術師が主人公のものを中心に選んだりした。

 

魔術師ルカの物語はミカのお気に入りの物語だ。

魔術師ルカの物語とは、小生意気な雌の黒猫リリスを使い魔とした術師少女の冒険譚である。

 

黒猫リリスは実は呪いをかけられ姿を変じた悪魔で、当初はルカを利用して呪いを解こうとするが、やがてルカの優しさに絆されていく…

 

そんなよくある話なのだが、これは全国の術師少年、術師少女に相当な人気を博していた。

作者の素性は全く分からないというミスティックさが人気の一要因でもあったのだろう。

ちなみに、作者は一廉の術師であるという面白い考察がある。と言うのもその物語に出てくる術や解釈というのは、一定の水準以上の知識がなければ出てこないモノであったからだ。

 

スザンヌの教育方針は正しい。

この世界に於いて術というものを学ぶにあたって重要視されるのは、小手先の技術よりも強い意思、覚悟、情念、思念などである。

 

勿論机上の知識と言うものもだって不要と言う訳ではない。例えば発火の術を扱うにしてもただ漫然と火をイメージするよりも、火と言うもののメカニズム、そもそも燃えるというのはどういう事なのかと言うものを理解した上でイメージすると言うのとでは、起動した際の規模が全く違う。

 

その成り立ちを完璧に理解して、更にそれを引き起こすに足る想いさえあるならば個人で核爆発を引き起こせるだろうし、単純な身体強化の術であったとしても天空より降りきたる隕石を拳で破壊する事も出来るだろう。神の類が強大な力を持っているのは、この思いというモノを大量にガメているからである。

 

話がそれたが、ともかくもスザンヌの見事な教育方針、そして母が術師というのもあり、ミカは幼年の頃には魔導協会の門扉を叩く事となる。

 

◆◆◆

 

しかしエル・カーラ魔導学院へ入学したミカは振るわなかった。

 

学業は問題ない。

ミカは今で言う映像記憶に近い異能を持っていた。

見たものを忘れないという特性が勉学においてどれ程有利に働くかは言うまでも無いだろう。

 

周囲を置き去りにして一歩も二歩も先に行き、教師や学友達から讃えられる喜びはミカの承認欲求をおおいに満たした。

 

だが肝心の術の業前が伸びない。

エル・カーラ魔導学院では2学年より術の学習に入るのだが、1学年時は盛大に承認欲求を満たしたミカも2学年で凋落した。

 

伸びないのは当たり前である。

ミカが抱いているのは術への漠然とした憧憬であるが、それでは“足りない”のだ。

 

少なくとも彼女が求める水準の業前を得るには、燃える様な何かを心に抱かなくてはならない。

それが私利私欲でもなんでもいいのだ、怒りでも憎しみでも恨みでも狂信でも何でも良い。

 

自身が術師として栄達しなければ家族を食わせていけない、というような俗な使命感でも何でも良い。

心の芯棒となるもの無ければならない。

 

ミカにはそれがない。

 

こうなると1学年時の成功体験がそのまま毒となる。

自身は才があるのだ、術師としての天凜があるのだ、そう思っていたミカはその自尊心を叩き壊され、鬱に近い状態になってしまう。

 

鬱めいたミカは逆恨みも甚だしく、母スザンヌの施した教育を恨んだ。母が術師としてしっかり教育を施してくれなかったから自分はこうして恥を晒す羽目になったのだと。

 

だがそこまでだ。

 

恨みはしたが、それ以上の行動に出る事は無かった。

母が自身に愛情を注いでくれた事は分かっているし、悪かったのは母の教育だ。

決して母ではない。

 

ミカは生来聡明であったし、その聡明さは精神的に弱って居てもなお体裁を保っていた。

ゆえに母の教育を恨みはしたが、母を恨む事はなかった。

その母の教育にしても、術と言うものの性質を知れば知る程に教育自体は間違っていなかったのだと分かってきてしまう。

 

◆◆◆

 

そこでミカは基本に立ち戻った。

 

「優れた術師って、凄い術師って結局どういう術師の事を言うんだろう…?」

 

偉大な先達から学ぶべき事はないのだろうか?

遅まきながらもミカはそれに気付き、現在、そして過去の術師でその在り方が自身の琴線に触れるものはいないかと調べ始めた。

 

そこで見出したのが鬼才、ルイゼ・シャルトル・フル・エボンである。

 

どういうからくりかは分からないが、本来人間と言うものはいくつもの術体系を同時に扱う事などは出来ないと言うのに、ルイゼ・シャルトルは地水火風のみならず連盟式魔術とよばれる特異な呪術、さらには法術まで扱うという。

 

「『四大の』ルイゼ。彼女はなぜこんなに沢山の術を使えるんだろ…。彼女には深い想い入れを寄せるモノが沢山あった?…余り現実的じゃないかな…。人の心には限りがある。ただ使うだけじゃなくて十全に操るには心底から対象を理解し、欲しなくてはならない…。ルイゼほどに多種多様な術を扱うにはそれこそ自分が沢山いないと…」

 

◆◆◆

 

ある日ミカは“悪魔憑き”とよばれる症状を発した病人を見に中央教会が経営する診療院を訪れた。

 

以前思い至った“自分が沢山”という考えについて、少し思う所があったからである。

 

悪魔憑きとは簡単にいってしまえば今で言う多重人格障害…つまり解離性同一性障害である。

その原因は現代でこそある程度まともな考察が進んでいるが、西域においては悪魔が取り付いたのだという抹香臭い考察が幅を利かせていた。

 

しかしミカは生来の聡明さで原因は悪魔のそれではないと看破していた。

悪魔という存在は確かにいるのだろう。

だが彼らにまつわる逸話、伝承を数多く読み込んだミカからして“悪魔憑き”の患者は何かが違う気がして仕方が無い。

 

それに…

 

(彼らに憑依した存在が悪魔であるなら、なぜ中央教会は彼等を滅ぼさないんだろう。教会には慈悲はあれども血は無く涙もない。中央教会は、法神教は“悪魔憑き”の人達に対して何を思っているんだろう)

 

ミカは駆け引きを好まない。

戦場に真っ先に突っ込んでいく切り込み隊長の如く自身の疑問を中央教会の聖職者へぶつけると、その聖職者は名状しがたい笑みを浮かべた。

 

結局その場はなあなあに誤魔化され、ミカは帰宅させられる。だが後日、ミカに対して中央教会から呼び出しが掛かった。

 

ミカを呼び出したのはアゼルと言う光をそのまま人にしたかの様な麗しい青年であった。

 

◆◆◆

 

「その通りです。君の考える通り、彼等は悪魔憑きではありません。彼等は皆それぞれ心に深い傷を負っている。例えば子供を亡くしたり、夫を、妻を亡くしてしまったり。幼少期に虐待を受けていた者もいます。これは悪魔憑きなどではなく、心に加えられた余りの衝撃によって心が砕けてしまったものだというのが中央教会の見解です」

 

アゼルの説明はミカを納得させた。

しかしその納得は新たな疑念の温床となる。

中央教会は真実を知っている。

ではなぜ、彼等を“集めて”いるのだ。

そこには決して法神の慈愛などと言うものではない、もっと血腥い何かがある様な気がする…

 

ミカの疑念を察知したのかどうか。

それは分からないが、アゼルは警戒を露にするミカを見ながら一言告げた。

 

「我々は来るべき日に備えなければなりません。魔の胎動が日に日にその脈動を強めているのを感じませんか?その日は近く、力を蓄えなければなりません…」

 

それからアゼルはミカに“真相”を告げた。

 

術と言うものの性質、そして多様な術を扱う為の人格増設案について。

 

強靭な精神力を持つ者の人格を慎重に分割し、それぞれ術を扱える様に施術する事が出来たならば、その者は新世代を担うに相応しい新しいタイプの術師として世界安寧の為の礎となってくれるのではないか?

 

であるならば、これらの“検体”を使って適切な人格分割措置を見出すというのは結句として世界鎮護の為の尊い犠牲である…という悍ましい真相を。

 

◆◆◆

 

「なぜ、それを私に話すのですか。いえ、答えなくても分かります。私を殺すつもりなんですね。余計な事を知ってしまった私を。知ってはならない事へ首を突っ込んでしまった私を」

 

ミカの目が爛々と燃え上がった。

アゼルの雰囲気は先ほどとは一変している。

穏やかそうに見えるが、殺意に充ちた薄ら寒い風が肌を擦過するのを感じる。

 

だが、とミカは思う。

殺るなら殺るで結構。上等ですよ、と。

 

ミカが元々好戦的な性格であったわけではない。

ただ、ここ最近ずっと何もかもが上手くいっていない日々で溜め込んでいたストレスが爆発しただけだ。

 

しかし怒りと言う感情は恐れを薄れさせる。

ミカは想像以上に激した己の感情にどこか戸惑いながらも、憤怒の激情という赤い奔流に身を任せた。

 

得体の知れないアゼルという青年は、状況を鑑みるに自身を容易く殺せるのだろう。

だがタダでは殺られるものか。

腕の一本でも持っていってやる。

 

◆◆◆

 

アゼルはそんなミカを見て、ふっと笑い、そして殺気を解いた。

 

(彼女は使える)

 

この期に及んでなお食いついてくるミカのガッツをアゼルは気に入った。

だが放って置けば更に首を突っ込んでくるであろうミカを生かして帰すという手はない。

いや、1つあったか。

 

「これは提案なのですけれどね」

 

アゼルがミカに語った事はミカにとっては渡りに船であった。

 

既に“実験”はいくつもこなし、残す問題はそれらを経て得た技術が本当に使い物になるかどうかだ。

ミカは中央教会で措置を受ける事を決めた。

人工的な人格複製施術である。

 

ミカは思う。

もし施術が成功して新しい私が生まれたならばその私にはルカと名付けよう、と。

 

◆◆◆

 

ある日、常人なら廃人になる事必至とも言える過酷な過程をいくつもこなしたミカは朦朧な意識のまま“ある声”を聞いた。

 

『このままでは君は死んでしまうよ。いいのかい?お母さんを遺して死んでしまっても。いいのかい?君がなりたいと願っていた最高の術師になれずに死んでしまっても。私を受け入れてくれれば君は死なないで済む。なに、君は既に外道に足を踏み入れてしまっておるじゃないか。だったら今更私を受け入れようと変わらないさ。君の“内”は随分と広がっているようだから、私が入り込んでも違和感はないだろう。君は私が内にいるということすら気付かないで済むよ。違和感もなにもない。ほら、受ケ入れるといいなサい。それだケで君の夢は叶うノダ』

 

◆◆◆

 

「あなたはルカっていうのね、私は…なんだったかな…ああ、ミカだよ。うんうん、え?いやいや、少し寝不足でさ。うん。アゼル様の弟子なの」

 

「そうなんだ?お姫様の侍女なんだね、すごいなあ」

 

「そうなの?お姫様には夢があるんだね、その力になってあげてるわけか~偉いんだね」

 

「ねえ、この後何か予定でもあるのかな?」

 

「おいでよ、見せたいものがあるんだ。お姫様も喜んでもらえるんじゃないかな?」

 

「え?何もないって?あるよ~、ほら、そっちをむいてみて」

 

ばりん(何かを齧る音)

 

「今日から私がルカだね。ミカのルカでもあるし、ただのルカでもある。ふふ」

 



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血の日③

◆◆◆

 

渦巻く火焔がエルを襲う。

だが彼女がその火に焼かれる事は無かった。

エルの背後より走りこんできた一人の青年がその剣に炎を絡めとり、宙へ散らしたからだ。

 

アイラは舌打ちし、その青年を睨み付けた。

「ジュウロウ…。アイラは貴方に邪魔して欲しくなかったとおもっています」

 

青年は皮肉気な笑みを浮かべながら答えた。

「やあアイラさん!そうはいっても、僕の雇い主は彼女ですから。彼女の護衛が僕の仕事です。でも嫌だな、エルさんが教皇さんに勝てるかって言うと微妙じゃないですか?そりゃあ彼女はアステールの王族として相応しい実力があるんでしょう。でも教皇さんってなんで教皇なのかっていうと、中央教会で一番強いから教皇なんでしょ?厳しいんじゃないですか~?上手くいっても犠牲は大きそうですけどね~。正直いってなんでこんな仕事請けちゃったのかなって思ってます。それにしても穏健派だか過激派だか知らないですけど、四六時中殺しあっててちょっと頭おかしいんじゃないですか?話し合う前に殺し合うって蛮人過ぎますよね」

 

青年こそは二等異神討滅官『風斬り』ジュウロウ。

過激派きっての剣士…なのだが、実は彼は中央教会所属ではない。

エルが雇った外部戦力である。

 

「ジュウロウ、貴様!誰に向かって「僕、ギルバートさんの事嫌いですね。とっくに貴族として失脚してるのに貴族面して偉そうにしてくるの。物凄い鬱陶しいです。大体僕はエルさんに雇われてるわけであって、ギルバートさんに雇われてるわけじゃないです。そのエルさんが一々へりくだらなくていいって言ったんだし、お宅にぎゃあぎゃあ文句言われる筋合いないですね~!」………ッ、き、貴様…!!」

 

ジュウロウはギルバートの言葉を遮ってべらべらべらべらべらべら長々と語った。

その話す速度はやたら早いのだが、なぜか周囲の者達は彼の言っている事が分かってしまう。

そしてジュウロウとギルバートは事あるごとにこのように衝突するのだ。

 

◆◆◆

 

ジュウロウは極東の出である。

故郷に於いてジュウロウはそれなりに高名な流派のトップだったのだが、いわゆる道場破りによって一門が潰されてしまった。

いや、語弊があるかもしれない。

ジュウロウ自身が潰したのだ。

 

ジュウロウ自身も剣術家として上澄みに位置する業前なのだが、道場破りは更に怪物染みた剣腕を持っており、1対1の果し合いにおいてそれなりに善戦はしたものの、やはり敗れてしまった。

だがその怪物剣士はジュウロウの命を取る事はなかった。

 

「貴様は面白い。鍛錬を重ね、今度は貴様から挑んでくるがいい。その時こそ斬ってやる」

 

ジュウロウは決断した。

その怪物剣士の言う通り鍛錬し、再び挑む事をではない。

絶対にこんな化物に挑んだりはしないぞ、と。

 

ジュウロウは敗北したその日に一門を解散し、自身は極東を離れた。

二度とあの怪物に会わないように、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。

剣術家としての矜持だとかなんだとか、そんなものはジュウロウにはどうでも良いものだ。

涼やかな面立ちに濡れ鴉の如き色気すら感じる黒髪、女のそれよりも白い細やかな肌。

眉目秀麗なジュウロウは冒険者として登録した異国の地でモテにモテ倒し、適当に剣をふって生きてきたのだが…

 

とある依頼を受けてしまったのが運の尽きであった。

 

◆◆◆

 

「そう思うなら退いて下さい。アイラは貴方の事は嫌いではありません」

 

アイラの言葉は本心からのものだ。

ジュウロウという男はチャラチャラしているように見えるし、実際チャラチャラしているが、その性根は悪い者ではなかった。

アイラの肉体はその一部が火の精霊と同化しており、体温も人間のものでは無いし、常に体から火の粉のようなものが散っている事からやはり異様な目で見られる事が多い。

それは同胞たる者達からの目も同じだ。

畏怖を持って見られる事はアイラにとって愉快な事ではない。

 

そんな中でジュウロウという男はアイラをただの少女として見る数少ない者達の一人であった。

浮ついてはいるが失礼な事は決してしてこないし、もしかしたら友達になれるのかも?とアイラが思ってしまう程には気さくな男であったのだ。

 

だがそんなアイラの言葉にジュウロウは素直に頷けない。

ジュウロウとてアイラと殺し合いはしたくないが、だからといってエルを見捨てて逃げ出すつもりもなかった。そもそも割りに合わない依頼であるなら途中で破棄して逃げ出してしまえばいいのだ。

それなのにそうしない理由は、ジュウロウが重度の幼児性愛者だからである。

幼いエルの容姿はジュウロウの性癖に刺さってしまった。

 

極東全域で言える事なのだが、極東という地域は特殊性癖が蔓延している。

同性愛は当然の事として、超高年齢、あるいは幼年への偏愛、このあたりはまだ大人しいもので、近親性愛、はては無機物への愛というジャンルもある。

そんな極東の男であるジュウロウは、少なくともこの程度の状況ではエルを見捨てるつもりはかけらもなかった。

なお、アイラについても許容範囲だ。

 

◆◆◆

 

「…ジュウロウ。彼女を退けなさい」

 

エルはジュウロウに“彼女を退けろ”と命令を下した。

本心では斬れといいたかったが、ジュウロウの性癖を知っているエルは、もし自身がその命令を下せばジュウロウが酷く嫌がるどころか、肝心な所で自身を見放す可能性もあるだろうと考えた。

ジュウロウという男は極めて冷徹な一面がある。

 

退けろ、ならば問題はないだろう。

そう判断したエルの言葉をジュウロウは正確に理解して、嬉しそうにニコつきながら(ニヤつきながら、ではない)、剣を構えた。

カタナブレードと呼ばれる特殊な剣だ。

極東から持ち込んだジュウロウの業物である。

 

「…ジュウロウ…アイラは悲しいです。ですが猊下を護る事がアイラの使命。悲しいですがアイラはジュウロウを殺します」

 

ジュウロウの構えを見たアイラは全身から炎を揺らめかせた。

法の間全体の温度が急速に上昇していく。

そして掌をジュウロウへ向け……

 

ジュウロウは困った様に笑うと、咄嗟に横っ飛びに飛んだ。

それまでジュウロウが立っていた場所が次々に爆裂していく。

何もない筈なのに空間そのものが爆発しているのだ。

それは小規模の爆発ではあるが、仮にまともに受ければ火傷で済めば恩の字であろう。

 

実際アイラは空間を爆破している訳ではなく、空気中の塵やら埃を核として激しく燃焼させているに過ぎない。

詠唱を伴わないのはそれが術ではなく、ドライゼンのそれと同様に固有の能力であるからだろう。

 

アイラが無意識で放つ殺気をジュウロウは感じ取り、不可視にして不可避のはずのそれを次々回避していく。

回避だけではない、回避行動と同時に少しずつアイラへの距離を詰めていく。

 

ジュウロウの刀が閃いた。

 

――秘剣・気想殺

 

殺意充満する殺しの一刀がアイラの眼前の虚空を切り裂く。

これは虚の剣だ。

対象の眼前に虚空に対象の姿を思い描き、それを殺す積もりで剣を振る。

本気の殺気、本気の殺意。

 

対象はさながら自身が斬られたかの様な錯覚を覚え、体を硬直させる。

拳闘で言うならばけん制の左拳といった所だろう。

素人が使えばただの空振りで終わるが、達人が使えば相手は虚実の区別がつかなくなり、決定的な隙を生むだろう。

 

◆◆◆

 

(そんな!?届かないはずなのに!なぜ斬られる!?)

 

アイラは自身の肩口からざっくりと一刀に切り捨てられた自身を幻視した。

真っ赤に吹き出す血すらも視える気がしていた。

 

だがすぐにそれは質の悪いフェイントの様なものだったと気付く。

しかし気付いた時にはもう遅いのだ。

ジュウロウはアイラに肉薄し、その剣を…後背へ振った。

 

金属と金属がぶつかる音。

 

「ドライゼン!」

 

アイラが叫ぶ。

『顔無しの』ドライゼンがいつのまにか戦線復帰し、ジュウロウの背に短刀を振り下ろそうとしていたのだ。

短刀の切っ先が触れるか触れないか、その刹那にジュウロウは殺気を感得し、ドライゼンの一撃を防いだ。

 

ドライゼンは確かに己の存在感を操作できる。

だが存在感を操作できても殺気などといったものは話が別だ。

とはいえ、相手がジュウロウの様な極東育ちの達人でなければ凶刃が背に埋まっていた事は間違いない。

極東の人間は“気”のあしらいにかけては特に優れている。



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血の日④

 ◆◆◆

 

 大聖堂は主だった五つの間から成る。

 五つの間は星型正多角形…五芒星のそれぞれの先端に位置し、法の間は五芒星の頂点となる位置にある。

 

 法の間を頂点として時計回りに知の間、修の間、祀の間、天の間と円環する。

 この配置は先ず最初に法神の法があり、法がある事を知り、知ったならばそれを修め、正しき知識を持って祀り、最後は天に至るという五観の相を意味する。

 

 襲撃はそれら5つの間で同時に行われた。

 

 ◆◆◆

 

 二等異端審問官ギョウ・ガ、三等異端審問官マオミはその日、知の間で資料の見直しをしていた。

 イスカ方面、アズラの村の近くにある黒森で消息を絶った二等異端審問官ロクサーヌと三等異端審問官ハジュレイの件だ。この件は二等異端審問官ゴ・ドが報告したが、それでも一体いつ誰が彼等に手を掛けたのかが分かっていない。黒森に変事アリ、と報告をあげてきたのはとある二等異端審問官である。

 これが過激派のあげてきた報告ならば陰謀を疑うが、同じ穏健派の、しかも二等審問官という上職の者があげてきた報告だ。

 つまりロクサーヌとハジュレイが屍を晒すに至った原因は…

 

「1つ、裏切り。2つ、わしらの想像を絶する陰謀。3つ、ただの偶然。マオミよ、お主はどう思うかの?」

 

 顎下から伸びる白髭をしごき上げながらギョウはマオミに問う。

 ギョウは御年80も過ぎて久しい。

 年齢順に並べれば異端審問官どころか、中央教会所属の聖職者達の中でも上から数えた方が早い程の高年齢だ。だがその動きの矍鑠さは年齢を感じさせず、瞳に輝く理知の光は老耄とは無縁の輝きを誇っている。

 杖こそは突いているが、それは歩行補助ではなく、術式起動に用いるもの…と周囲の者達は噂する。

 

「はい、師!恐らくは2でしょう!裏切りは言うに及ばず、3であったとしても彼等が為す術無く散るとは考え辛いかと愚考致します!我等が同胞は恐るべき姦計に嵌められてしまったのでしょう!」

 

 元々大柄ではないギョウの胸ほどの背丈しかない少女がキビキビと答えた。

 黒い髪を三つあみに結い、銀ぶちの眼鏡をかけたマオミはこれでいて20を超える。

 

 マオミの答えを聞いたギョウは“ほ”と言う是とも否とも判じかねる返事を返した。

 

「まあおんし等が何かを知っていると言うのならば体に聞いてみようとするかの…」

 

 ギョウの目が大きく見開かれ、背後を振り返る。

 視線の先には数名の男女が立っていた。

 ギョウやマオミも見知る過激派の者達だ。

 いずれも手練だ。

 

「はい、師!彼等の体に聞いてみましょう!」

 

 マオミが拳を握り、そこに掌を打ち付ける。

 

 ギョウはぎょろりぎょろりと遠慮の無い視線で闖入者達を睨め付けた。

 闖入者達は先ほどから何一つ話さない。

 それは余計な情報を与えまいとする意図か、それとも。

 

「往くかい」

 

 ギョウがひょいひょいと無防備に闖入者の1人…二等異神討滅官ジョズへ歩み寄っていく。

 

 等級としては伍す。

 

 しかしマオミは心配していなかった。

 彼女の師であるギョウ・ガは元一等審問官にして、『光輝の』アゼルや、二等審問官『鎖獣の』ゴ・ドに体術を仕込んだ達人だ。

 老いを理由に一等審問官の地位をアゼルへ譲ったが、仮にアゼルとギョウが死合えば後者が勝利する…とマオミは思っている。

 

 ギョウとジョズの制空権が触れた、その瞬間、きぃんという硬質な音が響き渡った。

 仕込み杖からの抜刀一閃。

 逆袈裟に振り切られたギョウの一撃は、ジョズの掌に受け止められていた。

 高密度の障壁だ。

 

「……ほ?」

 

 ギョウが不思議そうな様子でジョズを眺めてた。

 

「妙じゃのう、おんし。なんもかんもが術頼みのイノシシ武者じゃとおもっていたんじゃがのう。わしが鈍ったのかのう…」

 

 仕込み杖を引き、ギョウは首を傾げた。

 

「いいえ、師!師は生涯現役です!しかし油断なさらず!師の撃剣を防ぐと言うのは並々ならぬ事です!」

 

 くるくると空中で回り、回転の勢いを利用した空中踵落としを闖入者の1人に叩きこみ、その頭蓋を砕き割って脳漿をぶちまけたマオミはギョウの独り言に対して律儀に答えた。

 

 油断をしている積もりはないが、とギョウが構えなおすとふいにその上半身をやや後方へ反らした。

 同時に光刃が目の前の空間を切り裂いていく。

 

(ヒヤリとしたわい)

 

 達人の目を以ってして冷汗を垂らさせる程の鋭さであった。近接攻勢法術・神聖刃。汎用性に富み、相手に受け太刀を許さない危険な術だ。

 

 体勢が崩れたギョウに追撃をしようとジョズが再び刃を構えようとするが、しかしその腕はだらりと垂れ、刃が解け形を失っていく。

 ジョズが自身の腕を見れば、その腕は肘から先が骨が飛び出る程にへし折れていた。

 

 ギョウの仕業だ。

 体を反らしたと同時に爪先でジョズの右腕を破壊したのだ。

 だがギョウの表情は晴れない。

 ジョズは折れた骨が飛び出るほどに腕を破壊されたにも関わらず、その表情に些かの痛痒も見えなかったからだ。我慢しているという訳でもなさそうだ。

 脂汗の1つくらいは浮かんでいても良さそうなものだが、とギョウはいぶかしむ。

 

(……痛覚を遮断してるのかの?いや、違う、か…)

 

 戦闘に於いて痛覚の遮断は確かに有効だ。

 しかし有効だが有効ではない。

 この世界での近接戦闘というのは基本的には術で身体を強化するのだが、痛覚を遮断する、という様な“楽”な手をとると身体強化の出力に翳りが出るのだ。

 近接戦闘を伸ばしたいのならばむしろ痛覚を倍増させるべきである。

 痛覚が倍増すると言うのは明確なハンディキャップになるが、そのハンデを背負う覚悟が術の出力を向上させる。

 

 従って、ある一定の水準以上の業前の者ともなれば、迂闊に楽な手を取る事は逆に自身の首を絞める事にもなりかねないのだ。

 

 術は想いに応える故に。

 

 これは余談だが、かつて極東に無双の武闘家が居た。

 両腕に龍を宿し、双脚に白翼角馬を宿すと謳われたその武闘家は、あらゆる試合にも死合にも勝利した。

 彼はなぜそこまで強かったのか。

 

 それは“本心でも戯れでも、ただの一撃でも受けたならば己は噴血し絶死する”と言う壮絶で馬鹿な覚悟を込めた身体強化を施していたからだ。

 彼の放つ拳は音の壁を破壊し、一度両の脚で走り出せば風の精霊と言えども追いつけない程だった。

 

 ちなみに彼は古今東西、あらゆる武闘の祭典で優勝したが、ある日街の子供が戯れに放った拳…それもじゃれつくようなそれを腹に受け、全身の穴と言う穴から血を噴き出して死んだ。

 

 それはともかく、ギョウは内心顔を顰める。

 

(さて、次はどうでてくるかの?じゃがコヤツがこの調子ならば、他の者達もマオミにも荷が重いか)

 

 気配を探ればまさに乱戦の最中と言った様子。

 その場に居た他の者達とも共闘…とはいかない。

 他の者達とてちょっとした魔獣や街の暴漢程度なら一捻りに出来るが、闖入者達は違う。

 異端審問官も異神討滅官も荒事専門の者達だ。

 一般の聖職者と比べればまさに犬と三頭獄炎犬である。

 そして犬では三頭獄炎犬には決して勝てないのだ。

 

 とはいえ、形勢不利とまではいかない様だ。

 ちょっとした補助、ちょっとした妨害。

 そういった些細な支援を受け、マオミは多対1でありながらもどうにかこうにか戦況硬直に成功させていた。

 

 闖入者の数は5名。

 全員が全員ジョズ程であるならば流石に逃げの一手しか無いだろう。

 それが成功するかどうかはさて置き。

 

 圧し折れた腕に再び光刃を顕現させたジョズが鋭くギョウに打ち込んだ。

 ギョウはその大きい目をぎらりと光らせ、軌跡を見切ってかわす…事ができなかった。

 関節の破壊のせいだろうか?圧し折れたジョズの腕がギョウに間合いを見誤らせたのだ。

 

 手の小指の末節骨の、その半分程度の刃がギョウの肩を切り裂いた。

 もちろんそんなものはかすり傷で、ギョウは些かも動揺しない。

 

「ほ?ケヒャヒャヒャ!!」

 

 肩口の傷を見たギョウは怪鳥染みた奇声をあげた。

 

「極東での、関節を外し間合いを伸ばすと言うアホな技法があるのじゃがの。おんしがそれをやるとはの!」

 

 にたりと嗤いながらギョウは仕込み杖を握る手をだらりと垂らした。

 仕込み杖の柄を握り込んだ拳を逆の手で摩る。

 周囲の者達は負傷でもしてしまったのだろうかと気遣わしげにその様子を見ていた。

 

 そしてギョウはまるで影が滑る様にジョズとの距離を詰め、本来の間合いの大分手前で仕込み杖を振るった。

 いや、投げつけた。

 まっすぐジョズを貫こうとする仕込み杖を、ジョズは当然の様に神聖刃の一撃で打ち払い、そしてぼとりと自身の首を落とした。

 

 ギョウが利き腕とは逆の手から伸びる刃…近接攻勢法術・神聖刃を振るってジョズの首を落としたのだ。

 光の刃は通常あるべきそれより遥かに長い。

 

(わしはの、1度の死合いでただの1度しか“コレ”を使えんのよ。他の法術も使えん。じゃが、人殺しなんぞは一振りあれば十分じゃと思わんか?)

 

 首無しのジョズにギョウは内心で語りかける。

 首は落ち、生首がカッと目を見開き事切れている。

 残心の必要は無し…そう判じたギョウは背を向け、マオミに手を貸しに向かおうとした。

 

 そして…その背を光輝く刃が貫く。

 

「……ほ?」

 

 ギョウが呟き、力が抜けそうになるのを堪え前へ進み、全身の力を振り絞って後ろを向いた。

 ジョズの死体の首から、白い長虫のようなものがうねうねと伸びている。

 それを見たギョウはマオミの方を向き、何か忠告なりをしようとしたものの、喉から溢れる血に発声を許されず、そのまま死んだ。

 



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血の日⑤

 ◆◆◆

 

(馬鹿な!)

 

 色々な感情を込めた“馬鹿な”である。

 異形の存在が師であるギョウを殺した事にマオミは目を見開き驚愕した。

 この期に及んでまだ息があるかも、などと甘な考えをする程マオミは未熟ではない。

 殺られたのが師でなければ、だ。

 可能性は極小である事が理屈では分かっているが、それでもマオミは思ってしまうのだ。

 もしかしたら、と。

 まだ間に合うかも、と。

 

 続いて状況を把握する。

 斃したのは2人。

 あの白い化物を加えれば残り3人の刺客を相手しなければならない。

 周囲の者達は当てにはならない。

 

 マオミは自身の恐慌の気配を感じ取る。

 理性が混沌の暗渠へと押しやられていくのを感じる。

 四肢の隅々まで充填されていた魔力が抜けていく。

 

 視界に映るのは斃れた師、頭部を真っ白い触手へと変じさせた異形の怪物。

 

 ああ、師よ、師よ

 私はどうすればいいのですか

 

 ◆◆◆

 

 マオミは色々と不運だ。

 まずは生まれが不運だ。

 彼女は貧農の生まれであった。

 

 さらには生まれた時期も不運だ。

 彼女が生まれたその年は丁度食物の実りが少なかったのだ。

 飢饉という程ではないが、それでも多少口減らしをしなければならない、その程度には状況が良くなかった。

 

 その実りが少ない時期が数年にわたって続いた事も不運だ。

 せめてまともな収穫が出来る年が1度でもくれば彼女の運命はもう少しまともだったかもしれない。

 

 彼女に特に取りえが無かった事も不運だ。

 見目が良い訳でもなく、特に手先が器用な訳でもない、体力があるわけでもなければ頭脳が明晰だったわけでもない。

 普通の子供だった。

 いや、目が少し悪かった。

 彼女が口減らしの対象として選ばれてしまったのは、それも原因の1つであろう。

 

 だが何もかもが不運だったわけではない。

 どうせ捨て殺すならば、と村の者はたまたま村を訪れた人買いに幼い彼女を売り払った。

 彼女の値段は銀貨2枚である。

 これも不運は不運に違いないが、それでも“必ず死ぬ”から“運がよければマトモな生活が出来るかも”に末路が変わったのだからまあ幸運と言っていいだろう。

 

 しかし、その人買いが街道で盗賊団に強襲された事は不運だ。

 売主が人買いから盗賊団に代わったわけだが、盗賊団の売り先などまともなわけはないのだから。

 稚児好みの変態に弄ばれ、最後は殺されるのが落ちだろう。

 

 その盗賊団がもしも食い詰め者達の集団などならば、彼女に同情したものから憐れみのような感情を向けられ、待遇が少しはマシになったかもしれないが…不運な事にその盗賊団はかなりの札つきであった。

 商隊、旅人、巡礼者、かたっぱしから襲い、犯し、殺し、売りさばいていた。

 

 彼等は根拠無く考えていた。

 自分達は永遠にこの幸せを享受できるのだと。

 

 盗賊団は不運だ。

 巡礼者を襲っていたと言うのが特に不味い。

 その巡礼者は中央教会の、法神教の信者であった。

 その辺の地神やらなにやらの信者じゃないのだ。

 法神教の信者に手を出すなというのはまっとうな賊なら皆分かっている事であるのだが、わざわざ貧しい農村の近くに巣を張ってるような者達には知っておくべき情報と言うものが手に入らなかった様だ。

 

 中央教会は盗賊団の所業に想像以上の怒りを示し、“少々”の戦力を投入した。

 結果としてただの1人も残さずに盗賊団の者達は地の染みとなってしまった。

 法神教の教えは基本的に“殺してはならない”わけなのだが、それが適用されるのは人類にだけだ。

 巡礼者を襲う輩は人類ではなく有害鳥獣のようなものであり、そんなモノはいくらぶち殺してしまおうが教義には反しないのである。

 

 マオミは他の者達と一緒に救出された。

 帰る場所があるものはそのまま送られたが、マオミにはもはや帰るべき場所などはない。

 中央教会はそういった寄る辺無き者達を受け入れるといった事もしている。

 通常は孤児院に送るのだが、マオミのように余りに幼い少女と言うのはこれは扱いが変わる。

 幼ければ幼いほどに思想と言うものは刷り込みやすいのだ。

 こういった場合は中央教会の特殊な施設へ送られ、将来の“同胞”となるべく教育を施される。

 

 結句。マオミを加えて数名の“同胞候補”は教育を施された。

 だが、当然“教育”に耐え切れないものだっている。

 そういう途中脱落者は市井の教会へ出されるのだ。

 しかしマオミは耐えた。

 というよりマオミは生まれてこのかた、なにか苦難のようなものに直面したとき、耐える以外の選択肢が与えられなかったのだ。

 だから耐えた。

 途中で投げ出すという選択肢はそもそも頭に思い浮かばなかった。

 

 胸の奥でグツグツと音をたてる黒い溶岩のような何かが滞留しているのを感じてはいたが、マオミはひたすらに耐えて耐えて耐え抜いた。

 

 その姿がギョウ・ガの目に留まったのだ。

 ギョウもまた忍耐の人であったという事がマオミを共振したのかもしれない。

 

 彼はこの西域の生まれではなく、中天と呼ばれる地域で広大な版図を持つ国の生まれだ。

 その国は羅天皇国と言った。

 羅天皇国は極東の各国と関係が悪く、四六時中戦争をしている。

 もっとも極東の各国も羅天皇国を始めとする中天の各国も、同じ地域で骨肉相食む争いを繰り広げているのだから始末におえない。

 だが不思議と極東と中天が争うときは各国は一丸となるのだ。

 

 国、集団、組織…これらが一丸となるにはあるひとつの要素が不可欠である。

 それは敵という概念だ。

 極東も中天も互いが互いを敵と見做し、両地域の戦争時のみ各国は普段の諍いを忘れ一丸となり殺し合う。

 

 若かりしギョウはその戦禍に巻き込まれた。

 故国より連れ去られ、奴隷となり、耐えに耐えて…

 その姿勢が彼を捕らえた者に気に入られ、引き立てられた。

 ギョウは憎い極東の剣術を学んだ。

 全ては自分の人生を台無しにした極東の蛮人共に復讐するためにだ。

 敵を知り、己を知らば百戦無敗と言う教えが彼の国にはある。

 彼は敵を知ろうと耐え、努力した。

 

 だが憎しみと言うものは永遠に続くものではないのだ。

 10年が経ち、20年が経ち、30年が経つ頃。

 ギョウの憎しみはもはや僅かな熾火も残さずに消えてしまった。だが心にはまだ黒い墨の跡が黒々と残っている。

 そんな心中に残る黒い染みを拭い取ったのは法神の教えだ。

 疲れ果てた心に宗教と言うものは染み渡る。

 

 憎み続ける事に疲れたギョウは法神教へ入信し、卓越した剣技をもってして中年ながら階梯を駆け上がり、そしてマオミと出会う。

 

 マオミとギョウは年齢も性別も、とにかく何もかもが離れていたが、唯一心の中の何か大切な根幹のようなものは似通っていた。

 2人は誰に何を言われるまでもなく、そしてどちらかが言い出すこともなく極自然と師弟関係となった。

 

 ――わしらみたいなもんはな、いつでも耐えてしまうじゃろ?でもなあ、人生で1度くらいは、の。わかるじゃろ?こう、どかんとな、心に溜め込んだなにもかもを解放してもいいんじゃないかとわしは思うよ。わしももっと違う人生があったかもしれんのになあ…あの頃は憎かった、何もかもが憎かった。憎しみをくべて燃やすと力は張るがな、それは自分自身をも燃やしてしまっているんじゃ。だから疲れる。酷く、酷く疲れる…

 

 マオミの20歳の誕生日、ギョウは上等な酒をもってきて師弟そろって酒を吞んだ。

 法神教では過度にさえならなければ飲酒は許されている。

 その時ギョウは珍しくしたたかに酔い、マオミへ愚痴めいてボヤいたものだった。

 

 その時の事をマオミは思い出し、口の端にふっと笑みを浮かべる。

 

 ◆◆◆

 

 師よ、師よ

 そうですね、どかんと、ですね

 

 力を失っていた四肢に魔力が漲る。

 そしてこれまでの生涯を思い浮かべた。

 主に楽しい事ばかりを。

 師、ギョウと酒を吞んだ事は数少ないが、どの想い出も彼女にとってかけがえの無い大切なモノだ。

 やはり“こういう時”は前のめりでなくては、とマオミは斃れた師をみやった。

 

(師もうつぶせに倒れていますし!)

 

 マオミの魔力はその小さい体の隅から隅まで駆け巡り、これまでの人生で溜め込んできた黒い溶岩の如き灼熱の何かを巡る魔力に溶かし込んだ。

 

 白い長虫を頭部にはやした化物がにじり寄ってきている。

 無表情でいる残り2人の刺客は次から次へと攻撃を仕掛けてきてくるが、マオミは四肢を傷つけながらもその全てを捌ききっていた。周囲を軽く見渡せば人はまばらだ。

 

「逃げなさい!信仰を示します!」

 

 マオミがその者達に向かって叫ぶと、残っていた者達は目を見開き、聖印を切り駆け出していった。

 マオミの体内外に渦巻く魔力は解放の時を待ちきれず、バシバシと彼女の体を内から細かく弾けさせる。

 そして彼女の眼鏡がパキリと音を立てて砕け散ったその瞬間。

 

 法火が迸り、光が知の間を遍く満たした。

 光は知の間を駆け抜け、光に囚われたすべてを爆砕していく。

 刺客達もギョウの体も、彼女の心も体も何もかもをだ。

 

 光が知の間の端まで届くとそれ以上拡散はせず…凄まじい音を立てて爆発した。

 通常、“信仰を示し”たところでこの規模の爆発は起こらない。

 これほどの規模で爆発したのは彼女の人生に加えられてきた圧力ゆえだ。

 

 最後の最期、意識を失う直前に、マオミはその視界に苦笑気味のギョウの顔が見えたような気がした。

 その表情は“おんし、やりすぎじゃよ”と呆れているように見える。

 

(はい、師よ!すみません、やっちゃいました!)

 

 その思考を最期に刺客を巻き添えに彼女の何もかもが虚空へと消えた。



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血の日⑥

血の日⑥~血の日⑧の計3話を同時に投稿しています


 ◆◆◆

 

 轟音と言うべきか爆音と言うべきか。

 そんな大きな音を聞いたヨハン、ヨルシカ、ミカはそろって顔を見合わせた。

 一瞬の沈黙がその場を支配し、解れていく。

 

「……当初の予定通り、法の間の方へ行きましょう」

 

 ミカ=ルカは無表情のままそう告げた。

 いや、本当に無表情だっただろうか。

 その目に刹那よぎった感情は、謀が破れた疎ましさではなかったか。

 

 ともかくも選択肢は2つあった。

 最初に聞こえた何かがぶつかる大きな音の元へ行くか、もしくは先ほどの爆音の元へ行くか。

 

 ミカ=ルカは前者を選んだようだ。

 ヨハンとヨルシカにも異論は無かった。

 だが、ヨハンには1つ確かめたい事があった。

 提示されていない3つ目の選択肢。

 

「ミカ=ルカ、こちらを向いてくれないか?」

 

 ミカ=ルカは駆け出しそうになっていた足を止め、その場に暫し立ち尽くす。

 

「どうした、ミカ=ルカ」

 

 ヨハンが再び声を掛けると、ミカはゆっくり振り返った。そんな彼女をヨハンが下から見上げるように、そして目を見開き凝視する。

 

【挿絵表示】

 

「君の……性質はなんとなく分かるんだ。君の中には沢山の別の君がいるのかもしれないな。しかしどれもが君だ。それはいい、それは良いのだが…不思議だな。君とはあの時初めてあったというのに、なんだか妙な親近感を覚える。まるで同胞に見えたかの様な…」

 

 親近感など欠片も感じさせない凍りついた声色は、ともすれば敵対の一歩手前と言う差し迫った何かをミカへ感じさせた。魔力でも殺気でもない、不可視のなにかがヨハンの瞳へ吸い込まれているような錯覚すら覚える。

 

 “それで?”とミカが問うと、ヨハンは続ける。

 

「単刀直入に聞くが、君はミカ=ルカ・ヴィルマリーなのか?」

 

 その質問には字面以上の多くの問いかけが含まれていた。この問いを投げたヨハンの脳裏に、かつて見えた悪魔サブルナックの姿があったかどうか。

 すりかわり、なりかわり…そういった手を得意とするのは何もかの悪魔だけではない。

 

「ええ、私はミカ=ルカ・ヴィルマリーです」

 

 ミカはそう告げた。

 奇妙な質問だな、と思いつつも奇人変人そろいの同僚達の相手で慣れているミカはとりあえずそう答えた。

 ミカは嘘はついていない。

 

 2人の視線は暫し絡み合い、やがてほつれた。

 

「そう…だな、君はミカだな」

 

 どこか納得がいっていない風情でヨハンが呟いた。

 そう、ヨハンは納得がいっていない。

 どうにも何か変なものが混じっている気がしたのだ、ミカ=ルカの中に。

 だから問いを投げた。

 しかし、問いに答えたミカからは何も視えなかった。

 

(俺も耄碌したかな。後ろから撃たれるのは嫌だったからもし黒ならば、と思っていたのだが)

 

 内心ため息をついたヨハンはヨルシカへ目線を投げると、ヨルシカは少し小首を傾げていた。

 その様子を見てやや気恥ずかしく感じるのは、様々なモノを吞み込んでも彼の人間性が損なわれて居ないという証左であろうか。

 

 自身を分つ、あるいは他者を吞み込む、こう言った外道を扱う者は多くは無いが、それでも確かにいる。

 その多くは本来の人格が破綻し、力だけあるバケモノになってしまう。

 

「もう良さそうですね。では先を急ぎましょう」

 

 ミカ=ルカは薄く笑い、喧騒が聞こえる方を指し示した。そんな彼女を見るヨハンは心の奥から聞こえる警戒の鐘の音に耳をすませる。

 ミカ=ルカへの疑惑は先ほど晴らした。

 それでもどうにも彼女を信用する事が出来ない。

 

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()が意味する所は明らかだ。ヨハンも自身に何が混じりこんでいるかは分かっているのだから。

 だが実際視て確証が得られないでは行動に移せない。

 

 表面上は無表情を装いながら、内心モヤついているヨハンの気持ちはヨルシカにも多少は分かる。

 これは2人が文字通り深く通じ合っている為だ。

 

 100回200回と体を重ねようと、所詮他人は他人であるため相手が何を考えているかなどはわからない…それが普通である。

 しかし魔合と呼ばれる同調を為したならば話は別。

 それが良いか悪いかは別として、相手の感情くらいは分かる。

 

 ヨルシカからみてミカ=ルカは確かに何か秘めているものがあるのだろう、とは感じさせる。

 しかし、ヨハンの様に黒に近い感情をミカ=ルカへ抱く事はなかった。

 それは彼女はあくまで剣士であって、術師ではないからだ。内心を透徹する魔眼の様なものはヨルシカには無い。

 

 ともかくも3人は無言で回廊を走りぬけ…

 

 ◆◆◆

 

 一行が法の間へつながる大扉を開けた瞬間、人一人を焼き殺して余りある熱量を秘めているであろう大火球が襲いかかってきた。

 

【挿絵表示】

 

 そんな灼熱の死にヨルシカが閃光の様な抜刀を撃ち、二つに分かち散らせる。

 

 ヨルシカの瞳が怪しく輝き、視線がその場にいた者達を嘗め回した。後先の事を考えてサングインは握っていなかったが、場合によっては使う事も視野に入れていた。

 

 やがてその視線が1人の女性を捉える。

 軽薄そうな青年と向き合っている女性だ。

 火気から成る蝶を周囲に舞わせ、掌を扉へ向けていた。

 

「これ以上増援に来られるのは嬉しくない、とアイラは思ったのですが。火を斬るとはお見事だとアイラは賞賛します。しかし見た事の無い顔ですね。貴女達は誰ですか。彼等に雇われたならば、今度はもっと熱い火を出しましょう」

 

 アイラと名乗った女性の言葉にその場に満ちていた戦闘の気配が一瞬緩み、視線がヨルシカへと集中した。

 

 ◆◆◆

 

「ミカ=ルカに連れられて来てみれば…随分なご挨拶じゃないか!中央教会の諸君!」

 

 ヨルシカが口を開こうとしたその瞬間、後ろから大音声が響き注目の対象が移った。

 

 声を出したのはヨハンである。

 

「あの時は世話になった。随分と拷問をしてくれたな、だが安心しろ。俺はお前達を恨んではいない。ところで俺が邪神崇拝者だとかいうあらぬ疑いをかけて拷問を指揮した彼は今何をしている?お前達が殊勝な面して彼の指を小箱に入れて持ってきたときはマルケェスも笑っていたよ。マルケェス・アモンは知っているだろう?俺の家族だよ。ところでいいのかい?このままだとマルケェスがお前達にちょっかいをかける口実が出来てしまうが…。彼が力を振るうには何事も理由が必要だからな。まあ俺が焼き殺されそうになったというのは理由としては十分だ。謝罪したいなら聞いてやろう。聞くだけだ。許すかどうかは態度による。…おいお前!俺が話しているんだ、静かに話を聞きなさい。伝達の法術を起動しようとしている様だが、俺はそれを宣戦布告と見做すぞ。そうだ、静かにしておけ…金主に借りた金が返せずに首を吊ろうとしている悪徳金貸しの様にな…。で、いいのか?マルケェスを呼んでも。自慢ではないが!!!…俺は他者の威を笠に着る事を恥と思わないからな」

 

 ヨハンは嬉しそうにべらべらと喋り狂った。

 その様子をその場の全ての者達が呆然と見つめている。

 何がなんだかよく分からないが、柄も質も悪いチンピラが聞き捨てならない脅迫をカマしてきたぞ、と唖然としていた。

 

「そ、それで…結局どうしたいのですか?話は分かりました…あの者が再び聖都を訪れる事はあってはなりません。アイラ達にどうしろと言うのです?」

 

 火球を放ったアイラが周囲の視線に耐えかねて口を開いた。

 

 ヨハンはその様子を見て答える。

 

「謝罪をしろ。勘違いで殺そうとしてすみません、と謝るんだ。俺にじゃないぞ、彼女にだ」

 

 アイラは酷く顔を顰めた。

 

 ◆◆◆

 

 ちなみにヨハンがいきなり悪絡みをしたのは、彼の性格が余り良くない事やヨルシカを狙われた事もあるが、それ以上に一番大きい理由として、乱戦に巻き込まれたくなかったからである。

 

 見たところ穏健派と過激派が争っている…それも転がっている死体をみるに、もう引き返せない状況まで来てしまっている事がわかる。

 

 であるならばとりあえずカマしてその場のイニシアティブを握り、状況を仕切りなおせないかと考えてこのような暴挙に出た。

 

 人死にが出てしまっている以上はここで争いはお仕舞い、とはならないだろうが、自分達が第三者勢力であるというアピールにもなるだろう。

 

 ヨハンはとりあえずアイラに頭をさげさせ、“今度からきをつけろよメスガキ”くらいの捨て台詞を吐いてからその場を退散する心算であった。

 

(穏健派にも過激派にも力添えをする義理などない。要は魔王復活への備え、勇者はどうなったかとかその辺の話が聞ければいいだけだ。なに、話が聞ける者は他にもいるだろう)

 

 ヨハンの考えは悪くは無かったのだが………

 

「ミカ=ルカ・ヴィルマリー?それはルカの事ですか?貴方達はルカの案内でここへ来たのですか」

 

 そんな事を尋ねてくる少女が居た。

 ただならぬ気配を放つ蒼い髪の少女だ。

 そして…

 

「ミカの事ではないのですか。ミカ=ルカとは誰ですか」

 

 そんなアイラの言葉。

 

 ヨハンとヨルシカは後ろを振り返る。

 そこにいるはずのミカ=ルカ・ヴィルマリーの姿が無かった。

 



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血の日⑦

 ◆◆◆

 

「それで?一時休戦と言う事で良いのかな。ドライゼン殿」

 

 ジュウロウが軽薄そうな笑みをドライゼンへ向けて言った。ドライゼンは今その存在感を消失させては居ない。

 それはつまり、少なくとも現時点ではドライゼンにジュウロウを、ひいてはエルを殺害する意思が無い事を指し示す。いや、正確には“今はない”だ。

 

 ドライゼンはこのジュウロウという青年が並々ならぬ相手と分かっていたし、ましてやあの過激派の首魁に至っては自身の能力をもってしても斃す事が困難であると理解していた。

 

 なぜならドライゼンの能力はそこに居ないと思わせるだけである。先に見た様な斥力の波動などを使われてしまっては為すすべなく吹き飛ばされるだけであった。

 ドライゼンはヨハンの事も危険な存在だと思っていたが、それでもこの煮立った場を一旦冷却してくれた事自体は感謝していた。

 

 ドライゼンはジュウロウの問いに答える事はなかったが、黙って短刀を引き、アイラの前に立ち静かにヨハン達の方を見つめている。

 

 アイラもドライゼンも、ジュウロウもエルもギルバートも、そして他の穏健派や過激派の面々も殺し合いを止めていた。

 

 ミカ=ルカ・ヴィルマリー。

 穏健派の者達は彼女をミカ・ヴィルマリーとして認識していたし、過激派の者達は彼女をルカ・ヴィルマリーとして認識していた。

 彼女がどちらかの派閥の間諜であった…と言うのならば話はまだ分かるのだが…

 

 ◆◆◆

 

 これは妙な事になった、とギルバートは探るような目で周囲を見渡す。

 あの黒髪の青年が乱入してから空気が明らかに変わった。

 その変化が派閥にとって良い事なのか悪い事なのか。

 いや、自身にとってどういう影響を齎すのか。

 

 ギルバートは途端にこれからどう動くべきなのかが分からなくなってしまった。

 しかし、そんな思いでいるのは自身だけではないだろうという確信もある。

 

 見渡す面々の殆どが困惑をその表情へ貼り付けていたからだ。

 

 ◆◆◆

 

「ミカ=ルカがどこへ行ったかは分からないが…とにかく俺が事情を説明する」

 

 ヨハンは周囲の者にも聞こえる様に気持ち声を張りながら、ミカ=ルカと出会った経緯を話した。

 なぜ共に聖都を訪れたかというその理由も。

 勇者の死という知らせには穏健派の者達は憮然とし、過激派の者達は少なくとも表面的には感情を見せなかった。

 

『光輝の』アゼルの敗死については両派閥の誰もが驚愕していた。それまで無表情であったエルでさえもが目を見開き驚いていた。

 

 過激派の現有戦力で『光輝の』アゼルを斃せるものは恐らくは自分を措いて他にはいまい、と考えていた。

 魔族が相手であっても、まさかあのアゼルが不覚を取るとは。中央教会を乗っ取る上で最大の障害が教皇、そしてアゼルであると見做していたのだが、どうやら状況は自身が思うより遥かに剣呑であるらしい、とエルは思う。

 

 その思考は到底8歳児のものではなかった。

 だがそれには種がある。

 エルという少女の精神は代々の国王のそれを継承しているのだ。

 

 “星の記憶”と呼ばれるアステール王家の継承の秘儀は、エルをただの少女と為さしめる事を許さなかった。

 先代国王が、その前の国王が、その前の、前の…アステールの歴代国王が積み重ねてきた経験、記憶をエルは引き継いでいる。

 

 エルこそがアステール王国であり、アステール王国こそがエルなのだ。

 エルが生まれた時には既にアステール王国は滅ぼされて久しいが、それでもなおエルが王国再興を熱望する理由がまさにそれであった。

 彼女にとってアステール王国とは単なる名詞、単なるかつてあった国以上のものである。

 

 そんなエルはすぐに表情を消し、内心で様々な考えを巡らせた。何か謀略が、陰謀が蠢いている…それも教皇の一派とも自身の一派とも関係の無い勢力が入り込んでいる…エルはにわかに誰が味方で誰が敵であるのか分からなくなってしまった。心の、精神の暗渠に何があるのかを正確に知る事が出来るのは他ならぬ自分自身のみだ。腹心のルカでさえ明らかに怪しい動きを見せるのだから、最早他の誰が敵であっても不思議ではない。

 

 疑惑という名の襲火が、冬の枯れた森を焼き尽くす山火の如く広がっていこうとしていた。

 

 ◆◆◆

 

「もしかしたら俺達は、いやここにいる誰もが担がれたのかもしれないな」

 ヨルシカを見ながらヨハンが言った。

 

 誰もが担がれたかもしれない。

 それはそうだ。

 何か深刻な齟齬が発生している事をその場の誰もが感じていた。

 

 だがその齟齬とは?

 そして一体、誰が誰を担いだのだ?

 そもそも担がれた様な気こそするが、何をもって担がれたとするのか…

 

 その場の者達の視線がヨハンに集まる。

 

「そもそもだが、なぜ中央教会の穏健派と過激派が

 殺し合っているのかが良く分からない。法神教の教義の解釈が違うだとか、そう言う理由があったとして、いがみ合うのはわかるがなぜ殺し合う?…ああ、少なくともこの場は見る限りでは過激派が押し入ってきたからだと言うのは分かるよ。しかし、会いたいというのなら会わせてやればいいではないか。同じ宗教の信者同士なのだから。穏健派はなぜ殺し合ってでもそれを止めるのだ。それに、お前達はもう随分前から暗闘を繰り広げているじゃないか。そして…そして、教皇はなぜ出てこないんだ」

 

 ヨハンの言葉に誰もが答えられなかった。

 そうだ、なぜ教皇猊下はいらっしゃらないのか。

 そうだ、なぜここまで我々は憎み合っているのか。

 

 その場を一瞬の沈黙が支配し、それを破ったのは蒼い髪の少女だ。

 

「私は教皇猊下を廃する積もりです。それはこの中央教会と言う組織を掌握し、レグナム西域帝国を打倒し、アステール王国を再興する為です。ですが、元々は教皇を廃する積もりまではなかったのです。力ずくではありますが、教皇猊下には立場を退いて頂き余生を過ごしてもらうつもりでした」

 

 エルはそこで言葉を止め、周囲を見渡す。

 その目の奥には疑惑と言う名の隠しきれない暗い炎が燃えている。

 

「過激派と呼ばれる者達のほぼ全てが自身の望みの為に教会を利用とする者達ばかりでございます。ですが、そもそもそれを受け入れたのは、招いたのは教皇猊下ではありませんか。いえ、そこまでは良いとして、過激派の者達はなぜ数が増えないのかと疑問に思った事はありませんか」

 

 エルはそこで口をつぐみ、先ほどドライゼンが喉を掻き切った過激派の者の死体へ歩み寄り、見開かれた目を小さい手で閉じてやった。

 エルは冷徹だが冷酷ではなかった。

 

「我々は少数派ですが、当初は過激派の者達のほうが多かったそうです。なぜ数が増えるどころか減っていくのか。それは教皇が、いえ、穏健派の皆様が我々に手を下しているからです。もう何人もの仲間達が貴方方に殺されている…貴方方が動くという事は、それはつまり教皇猊下の指図でしょう?」

 

 白銀色に瞬く閃光が、まるでアーク放電の如くエルの表皮から放たれた。

 それは彼女の感情の昂ぶりを意味する。

 

「教皇猊下は我々の死を一体何に“使おう”としているのですか?」

 

 エルの言葉に激したのは穏健派のとある中年男性だ。

 敬虔な聖職者であり、戦を専門とする者ではなかったが、それでも身をもって過激派の暴虐を止めようとする信仰と勇気に溢れた者である。

 

「馬鹿な!我々の同胞に事あるごとに手を掛けてきたのは貴殿らではないか!異神を奉じる風習のある地域で異教徒虐殺をしたりなど…」

 

 それを皮切りに、穏健派の者達と過激派の者達が激しく言い争う。怒気と殺気が交じり合い、危険な化学反応を起こそうとしていた。

 

 ◆◆◆

 

「なるほど、ヨハンの言っていた“担がれていた”っていうのはこれのことなんだね」

 

 白銀の髪を持つ女剣士…ヨルシカの言葉に視線が集中する。その圧力にヨルシカはややたじろぎながらも、言葉を続ける。

 

「だって、皆が皆、自分達こそが被害者だと思って相手を加害者だと責め立ててるじゃないか。こんな雰囲気だったら手を取り合って話し合うなんていうのは無理だよ。私が思うに…これまでに二つの派閥で和解をしようみたいな話が出た事があるんじゃないかい?その度に何か事件なり事故なり、強い反対の声がどこからかあがったりして話が潰れたりしたんじゃないか」

 

 ヨルシカの言葉に他の者達は少し頭を冷やし、コレまでの事を思い返して見ると思い当たる節が多々ある。

 

 そんな様子を見ていたヨルシカは更に言葉を続けた。

 

「ヨハンが言う“担がれていた”っていうのはさ、加害者を誤認させられていた…のではないかなっておもってね。単刀直入に言うけれど、君達を争わせようとしていた第三勢力みたいなものがいるんじゃないのかな…って私は思うんだけど、どう思う、ヨハン?」

 

 ヨルシカの言葉にヨハンは頷いて答えた。

 

「俺もそう思う。俺も彼女にならって率直に言うが、消えたミカ=ルカ・ヴィルマリーが…、つまりは過激派にとってのルカ、穏健派にとってのミカが何か核心的な事を知っているんじゃないのか?そして繰り返すが、なぜ教皇猊下は出てこないんだ。穏健派といえども中央教会のトップだろう。二つの派閥が殺し合うのを座してみているというのはどうなんだ?形だけでも止めようとするのがトップの仕事ではないのか」

 

 ヨハンがやや苛立ちながらに言う。

 ヨハンという男はその気質として、役割を十全に果たさない者を厭う所がある。

 良くも悪くもルールに縛られた男なのだ。

 

【挿絵表示】

 

 だがその苛立ちは次の瞬間、烈日に照らされる一握の雪の如くに溶け去り、最大限の警戒を乗せた視線を法の間の奥…教皇の私室へつながる扉へと向けた。

 

 ヨハンだけでは無い。

 エルなどの一部の者を除く、その場の殆どの者が名状し難い悪寒に襲われていた。

 

 そして響き渡るのは、声。

 

 ――彼女に文句を言っておかないとね、面倒だからといって何でもかんでも寄越すな、と

 



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血の日⑧

 ■

 

 声は教皇の私室から響いてきた以上、声の主は教皇アンドロザギウスその人なのであろう。

 地位に比して幼すぎるその声は、その無垢な声色に似合わず軽薄な口調で、そして物騒な事をのたまった。

 

 一同が教皇の私室に繋がる扉を見つめていると、その扉が音も立てずに静かに開いていく。

 

 部屋の奥から現れたのは天使の如きあどけない、幼い少年であった。しかしその場の法神教徒達は目に映るその姿が真ではない事を知っている。

 

「アンドロザギウス猊下、大分“戻った”のですね。以前お目見えした際は今少しお年を召していらっしゃったかと思ったのですが?」

 

 蒼髪の幼女王、エル・ケセドゥ・アステールが問う。

 

「そうだろう?見たまえ、この肌の張りを。最高級の絹の如き滑らかさよ。君なら感じるだろう、この矮躯の奥の熱雷の如き魔力の波濤を。アゼルは素晴らしい贄であった。さすがは『光輝』よ。法神の、そう、真の法神の最後の絞り粕…く、クククク」

 

 どれ程馬鹿でもこの状況、そして教皇が発する言葉から何一つ読み取れないという事などはあるまい。

 

 一同の、特に穏健派の者達の眦が吊り上がった。

 彼等は教皇アンドロザギウスの使徒ではない。法神の使徒なのだ。信仰の対象である法神を侮辱されたならば、たとえ教皇であったとしてもそれは許されざる大罪であった。

 

 二等審問官アイラが教皇アンドロザギウスへ掌を向けた。掌の中心に白い光が収束していく。周囲の者達はその白い光から酷く禍々しい物を感じ取った。

 

「アイラはお前を背教者と認定します。骨も残しません」

 

 ――白炎

 

 それは炎術と言うよりは熱術と言う方が正しい。

 白炎は白い閃光を敵手に浴びせかけ、高熱で焼き払う術だ。

 

 その燃焼温度は優に摂氏2500℃にも達する。

 水をかけても、それが仮に水中であっても燃焼し続ける。

 骨も残さない、と言うのはアイラの過言であるかもしれないが、生半可な結界など破壊して脆弱な人間の肉体などは肉片1つ残さず焼く尽くすであろう事は間違い無い。

 

 本来は閉鎖空間で扱う様な術ではない。

 標的を焼きつくした後に拡散する熱は術者のみならず周辺のものにも牙を剥くだろう。

 だがアイラは火精に愛された娘であり、彼女は正しく敵のみを焼きつくす事が出来る。

 

 アイラは教皇の返答を待たずに必殺の白閃を掌から放った。教皇アンドロザギウスの表情はこの期に及んでなお薄い笑みを貼り付けたままだ。

 

 次瞬、アイラは目を見開いた。

 それは自身が取り返しのつかない失態をした者が浮かべる驚愕混じりの絶望の表情であった。

 

 教皇アンドロザギウスの小さい体の周囲に何か光り輝く粒子の様なものが舞っており、その粒子に白閃が当ると、滅びの閃光はそのまま逆進し、アイラへ襲いかかる。

 

 だがアイラは2つの理由で自身の放った術で焼きつくされる事は無かった。1つはドライゼンがいつのまにかアイラの前に立っていたからだ。

 そして理由の2つ目はアイラの、いや、ドライゼンの前方の空間に黒い穴が空き、光を吸い込んだからである。

 

 彼女達が命を長らえると同時に石床を破って生え出てきたのは、樹の根の様な太い蔦。

 蔦は大蛇を思わせる動きでアンドロザギウスの両足首に巻きつき

 

「シャアッッ!」

 

 ジュウロウがまるで地を縮めたかの如き敏速を見せ、アンドロザギウスとの距離を詰めたかとおもうと一刀を上段から振り下ろした。

 

 ◆◆◆

 

 アンドロザギウスはジュウロウが放った一閃を鷹揚に右腕で受け止めようとする。

 

 ――剛之一刀、石打ち

 

 刀身がアンドロザギウスの腕に触れるその瞬間、ジュウロウが全身の関節を固定し、体重を余す事なく斬撃に乗せた。こうなればジュウロウが放ったそれは打撃であり斬撃であるとも言える。

 触れれば切断される重量級の金棒でひっぱたく様なもので、常人ならば到底耐え切れるものではない。

 

 だがアンドロザギウスはいつ行使したのか、防性の法術を起動していた。

 半透明のヴェールの様なものが揺蕩い、ジュウロウの一撃をぬるりと逸らし、それを見た彼は踵を床に打ちつけ、一瞬でアンドロザギウスとの距離を取る。

 

 ジュウロウが離れると同時に光のナイフが何本もアンドロザギウスを貫かんと飛翔してくる。

 当然そんなものは先立ってのヴェールに弾かれるのだが、そのナイフを放ったギルバートは目を細めアンドロザギウスを睨めつけていた。

 

「なるほど、猊下。貴方はあの忌々しい気障男を“喰った”のですな。貴方の使った法術は全て奴のものだ。そう、アゼルの」

 

 ギルバートの問いにアンドロザギウスは薄ら寒い笑みを浮かべて答える。

 

「アゼルだけではない。沢山、沢山沢山沢山、私の糧となったのだよ」

 

 ◆◆◆

 

 そう、教皇アンドロザギウスは彼のいう通り、沢山…沢山沢山沢山の聖職者達を糧としてきた。

 だが、彼が中央教会を裏切ったわけでは無い。なぜならそもそも中央教会とは彼がつくったのだから。

 裏切るも糞もなかった。

 法神教の“そもそもの意義”に従って彼は行動していたに過ぎない。

 

 中央教会の前身である聖光会を乗っ取り、今の形へ造り変えたのは彼だ。

 教皇アンドロザギウス…いいや、上魔将マギウスだ。

 かの魔族には核である死、そして病、傷、老を司る分け身が存在するが、教皇アンドロザギウスは老を司る分け身である。

 

 聖神を奉る聖光会に潜りこみ、“法神”という偽りの神を造り、聖神への信仰をそのまま法神への信仰へと移し変え、真性の神である聖神を限りなく弱体化させたのは上魔将マギウスである。

 仮にも大神たる聖神は、消滅こそはしていないがもはやその力の大半は奪い去られている。

 

 なぜ法神を一神教とし、世界各国の異神を滅ぼしてきたのか。そんなものは決まってる。

 上魔将マギウスが、いや、魔族が作り出したダミーの神…法神に抗する神が居たら都合が悪いからだ。

 

 法神が勇者を選定する?そう、確かに選定している。だが、法神が選定しているわけではない。

 勇者の選定自体は聖神がしているのだ。

 それはかの神に残された最後の抵抗であった。

 魔に抗する為に素質のあるものの覚醒を促している。

 

 だが魔族はそれをも利用していた。

 勇者としての力を持っている者がいるならば、その者を法神の、ひいては魔族の走狗としてしまえば良いではないか。

 勇者として選定された者の悉くが法神に忠実に従っていたのは既に洗脳済みだったからだ。

 

 ◆◆◆

 

「………という感じだと思う。まるで寄生虫の如き振る舞いだ。いや、寄生虫に失礼だな」

 

 ヨハンが床にペッと唾を吐き、嫌悪感に表情を歪めながらヨルシカに説明していた。アンドロザギウスの正体は流石にヨハンにも分からないものの、彼が魔族である事、中央教会をカバーとして暗躍していた事などはまさにヨハンの洞察の通りであった。

 

「でもヨハン、そこまで仕込みがあるならなぜ彼等はもっと早く動かなかったんだい?…ああ、そうか、その聖神という古の神様が十分弱るのを待っていたんだね」

 

 ヨルシカがうんうんと頷きながら納得している。

 

「そうだ。過激派を受け入れてきた、と言うのも納得が出来る。なぜなら膨れた野心でブヨブヨと腹を膨らませた連中は、人間同士の争いを誘発する道具としては随分都合がいいだろう?みろ、あの蒼髪の雌ガキを」

 

 ヨハンは指でエルを指し示した。

 エルは凄く嫌そうな表情を浮かべる。

 

「あのガキはレグナム西域帝国打倒などと言っているだろう?そんなもの魔族にとっては大歓迎じゃないか。だがそんなけったいな雌ガキと言えど、ただの1人では何も出来ん。野心の成就には後ろ盾が必要なんだ。あの光るクソガキはその辺の事情を餌にして馬鹿共を集めたのさ」

 

 馬鹿共め、とか、アホが、とか、まるでド低脳だとか散々な罵倒にエル・ケセドゥ・アステールや教皇アンドロザギウスの表情に怒りが刻まれていく。

 

 それを見ていたヨルシカは、なぜ私の恋人は、ヨハンは全方位に喧嘩を売っているんだろうか…と内心で頭を抱えていた。

 ここは普通、あの教皇という者を全員で斃す場面ではないのだろうか、と。

 

 そんなヨルシカの内心を知ってか知らずか、ヨハンはべらべらと喋り続けていた。

 

 殺し合いの場でこの様な長広舌を振るうと言うのは明らかな隙というか、攻撃してくださいと言っているようなものなのだが、ヨハンは煽り、説教をカマす場合はその場の全員がどうしても聞いておかなければならないような事を意図的に話すのだ。

 

(その辺が上手いんだよね)

 ヨルシカはそんなヨハンを決して見習いたくは無いと思っているが、凄いとは思っている。

 

「話の流れ的に、だ。あの光るガキは最後にたらふく飯を食うつもりだったのだろう。飯とは即ち、力ある人類戦力だ。飯の支度をしていたのは…多分ミカ=ルカだな。仮に俺達みんながあのガキの餌になったら、その後すぐに第四次人魔大戦が勃発するぞ。やれやれだ!それなりに頼りにしていた中央教会だったがとっくに形骸化していた所ではなく、寄生虫の餌場になっていたとは!」

 

 幾度も寄生虫だの馬鹿だの間抜けだの罵倒され、流石に耐えがたくなったのか、教皇アンドロザギウスはその指先をヨハンに向け…

 

 ――光よ!

 

 怒り混じりの声が響くと同時に、光熱が一条迸り、ヨハンを貫かんと迫る。

 

 ――עיוות(歪曲)

 

 ヨハンを貫こうとしていた光線はその勢いそのままに、アンドロザギウスへ向かっていく。

 自身へ向かってくる光線を見て、アンドロザギウスは目を見開き、慌てて身を翻して光の矛先から逃れた。

 

「貴様ッ……!」

 

 明らかに怒りを表すアンドロザギウスに、ヨハンはニタニタと下品な笑みを浮かべながら語りかけた。

 

「何故驚く?何故怒る?先程お前がしていたことじゃあないか!自分が出来る事は他人にも出来るかもしれない…なんていう想像力が欠如しているのかな?ほら、寄生虫だと詰まってるモノが少なすぎて…」

 

 ヨハンが指で自身の頭をコツコツと叩きながら言うと、アンドロザギウスの顔色が蒼白となる。

 魔族は怒ると顔色が白くなるんだな、とヨハンは1つ学んだ。



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血の日⑨

 ■

 

「ま、待って下さい。では、では法神は…法神教は……」

 

 その場にいた穏健派の女性聖職者が目を見開き、喘ぐように言葉を紡ごうとする。

 彼女にとって、いや、敬虔な法神教徒にとってそれは酷く残酷な事実であった。

 

 ――我等の、祈りは…

 

 慨嘆の雨がその場に降りしきるがしかし、それを冷たい目線で見る者達がいた。

 

 教皇アンドロザギウス

 過激派の面々

 そして、ヨハン

 

「ふん、何を嘆いているのだか。神などと言うものは居てもいいし、居なくても良いのにな」

 

 ヨハンの言葉にキッと目線を向けたのはアイラだ。

 彼女のみならず、穏健派の面々は大なり小なり法神教により救われている。

 ゆえに信仰は堅く、強い。

 だがその堅さと強さは、法神教という土台あってのものであった。

 土台の無い家はすぐに崩れるものだ。

 教皇アンドロザギウスはその様子を皮肉めいた冷笑を浮かべ眺めていた。

 過激派の者達も同様だ。

 しかしヨハンは冷たい目線でこそ見てはいたが、そこに冷笑はなく、その目元にはどちらかといえば憤りの様な物があった。

 

「我等の祈り?祈りとは何だ!“これ”か!?」

 

 ヨハンが義手の人差し指と中指を突きたて、宙を一閃する。

 光刃が宙を斬り、光の軌跡が描かれ粒子となって虚空へ消えていく。

 近接攻勢法術、神聖刃。

 

 法術は聖職者ではない者が使う事は出来ないはずだ。

 だがヨハンは聖職者ではない。

 どういう事だ、とその場の視線がヨハンに集中するが、当のヨハンは詳しく説明する事はない。

 ただ一言だけを述べた。

 

 ――神は空に無く、ただ己の胸の内にある

 

「ヨルシカ、やるぞ。しんどい戦いになりそうだ。穏健派の連中は頼りにならない。過激派の連中は潜在的な敵とすら言える。味方は君だけだ」

 

 ヨハンの言葉にヨルシカは微笑でもって答えた。

 

 ◆◆◆

 

 ヨルシカの握る飢血剣サングインが妖しい赤光を帯びていくのと当時に、彼女の瞳も血に濡れたそれへと色合いを変える。

 王家の血、神秘から成る長命の血が巡り、サングインは歓喜で吠えた。

 

 ヨルシカの足元の石床が弾け飛ぶ。

 紅が宙へ残光を刻む。

 

 ほんの一瞬の何分の一かの刹那でヨルシカは教皇へ迫り、その血刀を振り下ろす…事は無かった。

 そっと空いた方の掌を軽く握りこみ、ゆるりと差し出していく。

 そこには如何なる脅威も無く、ゆえに教皇の結界は脅威なきそれを素通しした。

 また、握手を求める様で手を差し出されるとは教皇も思って居なかった様で、彼はしばしきょとんとした様子でヨルシカの手を眺めていた。

 

 軽く握った拳が教皇の胸に当てられる。

 同時にドン、と言う鈍い音が響き…周囲の者がみればヨルシカの足元の床が砕けていた。

 教皇が真横に吹き飛び、法の間の石壁へ叩きつけられる。

 

「あの女、中天の出かな?いや、でも顔の造作が違う…」

 

 ヨルシカの体術が中天の闘士達の扱うそれと似ていた事に、ジュウロウはなにやら思う所があったらしくぼそりと呟く。

 極東の者は基本的に中天の人間が嫌いである。

 それは個人の思想がどうこうと言うよりは、積み重ねてきた歴史ゆえだ。

 中央教会にも両地域の者達がいるが、教義と言う枷がなければ血が流れていたに違いない。

 

「まあいいや、エルさん、僕も行っていいですか?ここは共闘する場面だとおもいますけど?」

 

 ジュウロウがエルへ尋ねると、エルはゆっくりと首を横へ振った。

「貴方は私の護衛のはずです。彼等と共闘するのも認めません。奇しくもあの術師が言った通りです。敵の敵は味方であるとは限らないのです。貴方はそこへ控えていなさい」

 

 エルの言葉にジュウロウは肩を竦めて構えかけた刀を元の位置に戻した。

 エルの言う通りであった。

 敵の敵は味方ではない。

 ましてや、先程こちらを潜在的な敵であると言ったのはヨハンという黒衣の術師である。

 後ろから撃たれないとは言えなかった。

 過激派の他の者達も同様の様子だったが、ギルバートだけはどうにも違っていた。何かの決断を逡巡している様にジュウロウには見える。

 

「どうしたんですか、ギルバートさん。心配そうにみていますけど。みてください、彼等は中々やるみたいだ。今にも教皇を倒しちゃいそうですね」

 

 ジュウロウが気安く話しかけると、ギルバートは厭そうな目でジュウロウを見て口を開いた。

「本当にそう思っているのか?」

 

 ギルバートが逆に問い返す。

 ジュウロウはケレン味に溢れた笑みを返してそれに答えた。

 

 ◆◆◆

 

 ――雷衝・穿

 ――雷衝・穿

 ――雷衝・穿

 

 ヨハンの義手から三条の閃光が奔り、教皇が吹き飛んだ先へ叩き込まれる。

 

 触媒となった強度の負荷を受けた水晶が砕け、欠片が散った。

 ヨハンは欠片が宙に散ったその瞬間に空いている方の手を握りこむ。

 

 ――固まり、凝固せよ

 

 吹き飛んだ先から一条の光がヨハンを貫かんと迫り来るが、集積し凝固した水晶の破片の塊に当ると光は上へ逸れた。

 

(“魔法”の連発は消耗が大きい)

 

 魔法は触媒を必要とせず、起動も素早い。威力も十分だ。

 だが連発は出来ない。

 

 ゆえに術で対応する。

 ただし、術と言うのはやはり魔法より起動がワンテンポ遅れるし、触媒が枯渇すれば使えなくなる。

 そしてこれは致命的且つ初級の失敗なのだが、触媒を間違えてしまった場合が非常に不味い。

 術は不発し、切羽詰った戦況でそれをやらかすと大体死ぬ。

 だから術師というのは所持品の整理をそれこそ神経質なほど丁寧にやる者が多いのだ。

 この点、ヨハンの術腕は良い。

 触媒を格納し、その起動にあたっては術腕に刻まれた術式が行ってくれる。

 

 ところで話はそれるが、ヨハンの様な虚を突くタイプの者…それが剣士に限らず術師に限らず、そういった者達は性交と拷問の技術に秀でている。なぜなら他者がやってほしいこと、やられたら嫌な事が良く分かるからだ。

 そういう彼から見て、教皇アンドロザギウスは好ましからざる相手であった。

 なぜなら…

 

(さっきから俺達ばかりが手を使わされている。奴は結局盗み出した力ばかりを使って居て、奴自身の固有の力というものを使っていない。ミカ=ルカもまさか逃げたわけじゃあないだろう。ならばチマチマとした業は止めだ)

 

 ――ヨルシカ、命掛けで足止めしてくれ

 

 ヨハンは強い意思を込めてヨルシカに声無き声を掛ける。

 言語化されたそれではないが、ヨルシカは正確にヨハンの意図を察した。

 魔合を為した2人であるからこそ可能な精神感応である。

 

 ◆◆◆

 

 教皇アンドロザギウスを壁に叩きつけたヨルシカの後背から三条の雷光が奔り、追撃する。

 激しく何かを打擲する様な音は雷矢が正確に教皇へ直撃した証左であろう。

 だが…

 

 薄笑いを浮かべ立ち上がる教皇アンドロザギウス。

 衣服に汚れ、破れは見られるものの、2人の連携が教皇の命をわずかなりとも削り得たとはとても見えない。

 

(気を徹し、雷を浴びた。それなのに奴に巡るどす黒い精気に衰えは見えない)

 

 なるほどヨハンの言う通りしんどい戦いになりそうだ、とヨルシカは腹を括る。

 その時ヨルシカは自身の内臓を直接愛撫されているかの様な、得も知れぬ快感が滲んでいく不思議な感覚を自覚した。

 

 ヨルシカは1つ頷き、手に握るサングインを見つめた。

 

 剣は無機物だ、意思はない。

 勿論魔剣だの聖剣だのといったモノの中には意思を持つ剣もある。

 しかしサングインはそうではない。

 術師ミシルが造りだした人造魔剣である。

 だが自らの命の源泉を吸わせている為かどうかは知らないが、ヨルシカにはサングインがただの道具である様には思えなかった。

 払ったモノに相応しい力を与えてくれる、そして調子に乗ったら失血死する。

 何も払わなければ使いづらい刃物だ。

 そのあり方はどこかの誰かに似ていないだろうか?

 ヨルシカは己の内ににわかに活力が漲ってくるのを感じた。

 

(私は単純な女だ。剣に生きると決めたのはいつだっただろう)

 そんな事を考えながらヨルシカは棒立ちしている教皇にすたすたと歩いていく。

 その体から紅い靄が立ち昇っていた。

 

 ――五光縛鎖

 

 教皇の五指から金色の鎖が射出される。

 拘束系でも相当に強靭な法術だが、教皇のそれは束縛、拘束などという甘なモノではない。

 一度体にふれれば最後、高速度の鎖の衝突により人間の体などは爆発四散してしまうだろう。

 縛鎖の射出速度は秒速400メトル。

 これは普通の人間であるなら目で見てかわせる速度ではない。

 銃撃を目で見てよける様なものだからだ。

 

 だが目で見てかわせないなら見なければいいのだ。

 鎖の先端がヨルシカの肉体から立ち昇る紅い靄に触れた瞬間には既に彼女は身を回避行動に入っていた。

 計5撃の回避を、ヨルシカは頬への軽い傷のみで購った。

 だが教皇の懐に入った瞬間、教皇の体から閃光が迸る。

 

 ヨルシカは咄嗟に頭部を庇うが、首から下はいくつもの穴が穿たれていた。

 穴の周囲は焼け焦げている。

 

 どうみても重要臓器がいくつか貫かれており、致命傷は免れ得ないだろう。

 だがそれはヨルシカ以外の者が受ければ、という条件がつく。

 サングインは血を使い、傷を癒すからだ。

 

(……どういう形であれ、私は親に捨てられたと思っている。父王は私より国の安定を取ったんだ)

 ヨルシカは腹に空いた穴に手をあて、自身の血を拭い取りサングインの剣身に塗布する。

 

(庶子は国を乱すと…。私にとっては唯一の親であっても、父王にとっては私は唯一の子供ではなかった)

 血濡れの刃を十字に振ると、宙に描かれた血の軌跡が勢いよく教皇へ向かって行った。

 

 ――光盾

 十字の血閃が教皇の張り巡らせた結界へ叩き付けられ、金属と金属を衝突させたかの様な甲高い音が響き渡った。

 

(ヴァラクで私は危険だと知りながらも街に残らなかった。自分の命を、親にすら必要とされなかった命だと軽く見ていたからだ)

 ヨルシカは脚を思い切り踏み出す。

 

 震脚。

 

 力強い震脚は地面からの強烈な反発力を生み、ヨルシカの骨盤から胸部、そして剣を振る腕へと伝導し、十字の血閃の衝突した場所へ振り下ろされた剣撃が教皇の結界を破壊した。

 結界とは基本的には強固であればあるほどに再構築には時間がかかる。

 ヨハンの目が見開かれた。

 

 懐から取り出したのは小さく可愛らしい白い花がついた樹の枝である。

 オークの樹だ。

 

 オークの花の開花の時期は落雷の被害が増すと言う。

 これは気象学的な理由なのだが、古の民はこの白い花こそが雷を呼び込んでいるのだと考えていた。

 美しく無垢な白花を愛でたいと思った天空神が神鳴りを響かせ、落とし、花を摘もうとしているのだそうだ。

 また、オークという樹木は木々の王として知られている。

 力強く、粘りがあり、硬質な材質は重用されている。

 

「不屈不撓たる森の王は未来への道程を指し示す。民草は歓喜し、光の道を歩み往くだろう。光の前に魔は焼かれ、邪は貫かれんことを。王光よ。遍く照らし破邪を為せ」

 

 ヨハンが枝の先端で教皇を指し示した。

 それを見たヨルシカは全力で横っ飛びに避ける。

 

 ――神雷

 

 枝の先端から長大な雷の槍が迸った。

 白い閃光が法の間を満たし、光は教皇を飲み込んだ。

 ヨハンの漆黒の髪の一房が白く染まっていた。

 触媒に比して引き出す力が大きすぎたのだ。

 だがそれでいいとヨハンは思う。

 大きな力には大きな代償がつき物だからだ。

 

 

 喚び出された光は激しく、清浄で、だが優しい。

 

(嗚呼、ヨハン。貴方に必要とされている限り、私は)

 光に魅入られていたヨルシカは、その光の奥からボロボロになりながら歩みよってきた教皇に気付くのが遅れた。

 全身は所々焼け焦げ、青い血が滲んでいるがまだ健在だ。

 教皇の手は光を纏い、ヨルシカの胸に吸い込まれている。

 人の体など容易く切り裂く魔刀はしかし、それを振るわんとした教皇ごと後方へ弾き飛ばされる。

 

 青白い星気を身に纏うのはエル・ケセドゥ・アステール。

 万物を寄せ付けぬ星の斥力がヨルシカを護ったのだ。

 

「結局手を貸すんじゃないですか」

 ジュウロウが呆れた様に言うが、その顔は戦意に溢れている。

 

 エルはそんなジュウロウを無表情で見つめるが、やがて口を開いた。

 

「ギルバート、ジュウロウ、そして同士たる皆様方。あの魔族は我等をも贄としたいようです。私はアステール王国最終王統として、最後に貴方達と覇を競い争い、殺されるとしても力なき者の定めとして受け入れる覚悟はありますが、魔族の餌として朽ちたくはありません。ここは結束し、これまでの人魔大戦でなぜ魔族が敗れてきたかを彼に教えてやるべきではないでしょうか」

 

 それはまごう事無き本音である。

 それに今でもヨハン達の事は危険な存在であるとエルは思っている。

 穏健派の者達ともこれが終わったら殺し合いが再開してもおかしくは無い。

 

 とはいえ、命を張って戦っていた戦士達の姿を見て、少なくともあの2人は後ろから撃つ真似はしないだろうとエルは思った。

 殺し合うならば正面からやってくるだろう。

 

(それならばそれで良し。王として挑戦を受けるまで)

 

 エルの視線はジュウロウから前方へ向けられる。

 感じるのは邪気。

 

 ――やってみろ、下賎

 

 瓦礫の奥から低い声が聞こえてくる。

 殺意と憎悪に溢れた邪悪な声だ。

 

「お前達、防性法術の準備。範囲術式に備えろ」

 

 ギルバートの声が法の間に響いた。

 

 その声には些かの怯えも含まれていない。

 野心の塊にして俗物代表のギルバートは、それでもレグナム西域帝国の皇配として選ばれた事を忘れてはいけない。

 己こそがこの地上で最も貴しと思い込んでる彼には、魔族につく膝などはないのだ。

 

 



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異界相克①

 ◆◆◆

 

 瓦礫が吹き飛ぶ。いや、浮遊し、退けられる。

 強力な念動だ。

 

 瓦礫の奥から現れたのは小柄な少年教皇ではない。

 それはまさに異形であった。

 まず頭が三つあった。

 上から順に赤子、青年、老人。

 そして胴体と言うものがない。

 手も無ければ脚も無かった。

 あえて胴というのならば、それは巨大な棺であった。黒く大きい棺に、縦並びに顔が並んでいる。

 

 この異形こそが上魔将マギウスの分体が1つ。

 アンドロザギウスの真の姿である。

 老いを司るアンドロザギウスの3つの頭部は、無情なる時の流れを意味する。

 

 三つの顔は一同を睨め回し、一斉に口を開いた。

 赤子の無垢で高い声、やや成人男性の低い声、老人のしわがれた声が響く。

 

『産み、増え、地に満ちよ。汝等は皆我等の贄であるが故に』

 

 アンドロザギウスから闇色の何かが拡散した。その何かは法の間の床や天井を塗りつぶし、世界の法則をも塗りつぶした。

 

 即ち、アンドロザギウスの心象世界の顕現だ。

 

【挿絵表示】

 

 ギルバートが慌てて床を見る。

 白い石で造られた床はいつのまにか乾ききった荒地へと変わっていた。

 悍ましきは荒地のそこかしこから見える白い石片のようなもの…それは石片ではなく人骨であった。無数の人骨が荒地に埋もれている。

 

 そして周囲…壁を、天井を見た。

 同じく白い石で造られていたはずの壁や天井は無い。代わりにあるのは真っ赤な空だ。

 血の様に赤い赤い空であった。

 

 赤い空の遥か高くには太陽が…いや、赤い塊のようなものが浮かんでいる。

 その塊は半径10メトル程の浮遊する肉塊であった。肉塊の表面には血管が走っており、ビクビクと蠢いていた。

 

「魔域化したか!」

 

 ギルバートの叫びには最大級の警戒心が込められ、しかし予想外の響きはない。

 力在る存在が自身にとって有利な“場”を構築する事はままあるからだ。

 

 エルはぐるりと周囲を見渡し、細い眉をやや顰めた。

 

【挿絵表示】

 

 恨みと憎悪がこの世界を形作っている事に気付いたからだ。

 世界そのものが毒といっても過言ではなかった。

 血の様な空と無数の人骨が埋もれた大地から悲嘆、恐怖、憎悪、怨恨が滲み出ているのを感じる。

 

 耳を澄ませば苦悶に呻く亡者の嘆きが聞こえやしないだろうか?

 

 空気ですら血腥く、小さく美しい手を掲げてみてみればその甲から急速に水分が失われていっているのをエルは見た。

 

 ◆◆◆

 

 異界へと誘われると感じたヨハンはヨルシカを抱き寄せ、その腰を離さなかった。

 イチャついていたわけではない。

 

 いざなわれる先で一体何が待つかはヨハンでさえも分からないからだ。

 だが、ただ場所が変わるだけでは済まないだろうという確信はあった。

 

 最悪の場合、いきなり煮えたぎる底なし沼にぶち込まれる事だって無いわけではない。

 

 そして塗り代わり、一変したその世界を見渡したヨハンは一言呟いたのだ。

 

 あれが神だったか、と。

 

 ヨハンは陰気な目で上空の赤い肉塊を眺めていた。

 

 ヨルシカはといえば、そこはかとない不安を上空の肉塊に感じていた。

 その不安は形容のしがたいもので、まるで信じていた親が実は残虐な殺し屋であった事が分かったという様な…

 

 ヨルシカがそんな事を思っていると、ヨハンが言った。

 

「あれが、あれこそが法神だろう。なるほど、御神体の様な物を器とするのではなく、己の心象世界に神を構築していたか」

 

「なぜ、あれが法神だと分かるんだい…?」

 

 ヨルシカの問いにヨハンは笑顔で答える。

 

「彼等の態度で何となく、な」

 

 ヨハンは親指で穏健派の者達を指し示す。

 彼等の一部の者たちは落膝し、嘆きの沼に胸元まではまりこんで喘いでいた。

 彼等は理解してしまったのだ、あの悍ましい肉の塊こそが法神であると。

 

 ヨルシカはそんな彼等の姿に哀れみを覚えた。

 信じていた存在があのような姿では…

 そんなヨルシカにヨハンに声をかけた。

 

「しかしまだまだやる気の奴もいるみたいだぞ。あれこそイカれた穏健派の正しい姿と言う奴だな」

 

 そう、穏健派の者達はその全てが嘆き悲しんでいるわけではなかった。

 

 二等審問官アイラなどは瞳の奥に熱情の炎を宿し、アンドロザギウスを睨みつけている。

 ドライゼンなども同様だ。

 静かにアイラの隣に佇むドライゼンの姿からは、彼に似合わぬ戦意が溢れていた。

 

「立ちなさい。アイラがそう命じます。法神は魔にとらえられ、我等が長兄たるアゼルは殺されました。許されざる事です。法神をお救い奉るのです。貴方達が膝を突くべきはこの汚らわしい大地ではありません。彼奴の顔面です。あの三つの顔全て、歯を叩き折ってしまいましょう」

 

 アイラの檄が穏健派の面々を叱咤する。

 彼女はこの期に及んでなお、法神の清浄を信じていたのだ。愚かしいまでの信心であった。

 

 しかし自身に宿す火精が為に迫害され、最後は殺されそうになった所を救ってくれたのは何であったか。

 それは巡礼中の法神教徒ではあったが、彼はなぜアイラを救ったのか。

 法神の教えに従って救ったのだ。

 

 法神の教えはアイラが“そういう存在”であっても差別したり迫害する事を許さなかった。

 そればかりではなく、法神教の聖職者達が彼女の父となり母となり慈しみ育ててくれた。

 中央教会はアイラにとってまさに“家”なのだ。

 

 それでもなお心に火を灯す事が出来なかった者もいるが、幾名かは立ち上がり、アンドロザギウスを睨み付けた。

 

 過激派の面々は言うまでもない。

 そもそも彼等は法神教を隠れ蓑程度にしか思っていない。

 

 だが世界の塗り替えという一種の奇跡を発現した存在への恐怖はある。

 彼等だって死にたくはないのだ。

 とはいえ、戦わなければ死ぬだけなのも分かっていた。だから戦うのだ。

 

 ◆◆◆

 

 ――不遜

 

 アンドロザギウスの念には不快感がはちきれそうな程に詰まっていた。

 動機がどうであれ、ヒトの如きが超越存在たる自身に立ち向かおうという行為を不遜と言わずして何を不遜と言うのか。

 

 仮にアンドロザギウスにヒトの体の機構があるのならば、その血管は灼熱のマグマで充ち、煮立っていたであろう。それ程の不快感であった。

 

 しかしこの“場”に在るのならば遅かれ早かれ…

 

 そこまでアンドロザギウスが思考した時、赤い空に亀裂が入った。

 

 ◆◆◆

 

 空が割れ、夜空が顕れ、煌く星々が漆黒のビロードを飾る。“外”では季節的には冬に差し掛かる頃だが、空を飾る星座の数々は春に見られるものも夏に見られるものもあった。

 

 エル・ケセドゥ・アステールの心象世界…星界の顕現だ。美しい夜空が禍々しい赤空を侵蝕していく。

 

 その全てを覆い尽くす事は出来なかったが、それでもその場に立ち込めている怨念めいた負の気配が薄れた様に感じる。

 

 アンドロザギウスにしてもエルにしても、こういった場を構築する事…顕界というが、これには、大きく分けて2種のタイプがある

 

 1つは膨大な代償を支払い、異界に誘う事自体に必殺の意味を持たせるタイプの顕界。ヨハンの花界などはこれにあたる。

 

 もう1つは自身の能力の向上をも齎すタイプのそれだ。ヴィリなどのそれがこちらにあたる。

 

 そしてこの場合、アンドロザギウスの顕界は前者で、エルの顕界は後者だ。

 

 アンドロザギウスの顕界はその場に在る者全ての時の流れを早める。

 要するに老化してしまうという事だ。

 その速度はそこまで早くは無いが、軽く昼寝する程度の時間で子供が老人へと変じてしまう程度の速度で老化が進行する。

 生きとし生ける者すべてに分け隔てなく老いという緩慢な死を与える、まさにそれは神の所業ではないか…という、そんな傲慢さをこの心象世界が物語っている。

 

 これこそがアンドロザギウスの“苦界顕現”

 

 ただ、これは比較的易しい効果であると言える。

 ヨハンのそれなどは存在した時間を吸い出され、消滅に至るのだから。

 

 アンドロザギウスとヨハンの魔力の総量差は比較にもならないが、心象世界の剣呑さはヨハンの方が遥かに上だ。

 これは支払う代償の差が物を言っている。

 

 アンドロザギウスは法神という貯蔵庫へ蓄えてきた無形の祈り、想いといった力を使い世界を顕現しているのに対し、ヨハンはかけがえの無い記憶を捧げている為だ。

 

 術の世界はハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンが基本であって、例外は余り無い。

 

 その例外にあたるものがエル・ケセドゥ・アステールの星界である。

 

 満天の星々の力を行使するためには相応に場を整えなければならず、彼女は自身が展開したこの場でしか十全に力を扱えない。

 

 外界では彼女の力はそこまで強大なものでは無い。更に燃費も非常に悪い。

 

 エルがジュウロウといった護衛を傍に置くのもこれが理由だ。

 

 遥か星の海の果てから来臨した彼女の祖は、“星の記憶”と言う名で知られるアステールの秘術を以って歴代の記憶を積み重ねてきた。

 

 その歴史の重みこそがエルの星界顕現を支えるバックボーンとなる。

 

 従ってこの世界で星術と分類されている彼女の秘儀には一切の汎用性はなく、ただ彼女のみが扱える希少なものとなっているのだ。

 

 彼女が持つ膨大な魔力、そして血筋、記憶、即ち存在そのものが呼び水となり星界を喚ぶ。

 

 ◆◆◆

 

 エルの星界がアンドロザギウスの苦界と抗し、老化の促進を停滞させていた。

 

 だが穏健派の者達も過激派の者達も、皆が戦いが始まってもいないのに疲弊をしていた。

 

 目に見える老化こそ免れたが、その場の誰もが自身の中の掛け替えの無いものに爪の先程の傷が付けられた事を感じていたのだ。

 もしエルの星界顕現がもう少し遅れてしまったならば爪の先ほどの傷どころか短刀で突きこまれたかの様な被害を受けていただろう。

 

 アンドロザギウスの3つの顔はそれぞれ憮然とした表情を浮かべる。

 

 自身の“世界”に抗する程の影響力を行使しえるとはという驚愕の思いは、それを厭わしく思う気持ちが多分に含まれていた。

 だがまあそれはいい、心象世界同士の衝突は相克である事はアンドロザギウスとしても理解出来る。しかし…

 

『人理を外れた外道よ、我が力を撥ね退けるか。人ならぬ身で人に与するか』

 

 アンドロザギウスの赤子の顔が、青年の顔が、老人の顔が三対の目をヨハンとヨルシカへ向けた。

 

 なぜこの2人は秘術の干渉を受けていなかったのか。アンドロザギウスは己の理解の及ばない事象を酷く不快に思った。

 

(ヨハンはともかく、私まで外道扱いされるのは納得いかない)

 

 ヨルシカが失礼な事を思っていると、ヨハンがそれを冷たい目で視ていたのであわてて思考を止めた。

 

 ヨルシカから視線を逸らし、ヨハンはアンドロザギウスに黙って笑みを向けた。

 

【挿絵表示】

 

 その笑みにはあらゆる意味が込められている様に見える。不敵な笑み、宣戦布告の敵対的微笑、警戒心を想起させる笑みだ。

 

 なお、ヨハンにはアンドロザギウスが自分達を人外扱いしてくる理由がこれっぽっちもわかっていない。要するに、ヨハンがアンドロザギウスへ向ける笑みはハッタリの笑みに他ならない。

 それ以外にも、棺桶に顔がくっ付いてる化け物から人理を外れただとか外道だとか言われるのが少し面白かったと言うのもある。

 

 アンドロザギウスの秘術がヨハン達に何の影響も与えなかった理由はあるにはある。

 

 

【挿絵表示】

 

 その理由とは、高々数年分の寿命の消耗などは数千年を生きる大樹の前では焼け石に水だという事である。

 

 ヨハンは自身を人間だと思っているが、一般的な常識の範疇からすれば怪しいものであった。

 彼の“中”には些か余計なものが含まれすぎている。

 

 そんな彼と心身で繋がるヨルシカも強い影響を受けており、やはり数年程度の消耗は意に介さなかったのだ。

 

 だがそんな事情を彼等2人が知る由は無かった。

 



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異界相克②

 ◆◆◆

 

 ――廻れ星辰、照らせ明星

 ――東方より来たりて万物一切を焼灼せよ

 

 エルが高々と掲げた小さな腕が闘争開始の嚆矢となった。

 光とは善の、癒しのイメージがあるが、暴力的で攻撃的な光と言うものもある事をその場の者達は知った。

 エルの小さな手に集う輝く光の粒子がその輝きを一際強めていく。

 

 ◆◆◆

 

(凄まじい魔力の胎動!やはり欲しい…あの力が)

 

 ギルバートの欲望が刺激される。

 しかしどうあれ、今この瞬間の敵は一人だ。

 

(が、まずは貴様だ。王を見下すとは不遜な奴め!宙から引きずり降ろしてくれる!)

 

 ギルバートは掌をアンドロザギウスへ向け、何かを握り潰す様に拳を握り締めた。

 大気が軋み、魔将の胴体…棺がグリップされる。

 己の手を神のそれと見立て、範囲内の標的に対し不可視かつ物理的な作用を与える…つまりは強大な念動、それが彼の力であった。

 王たる者は己の手を汚さず敵を屠る、その傲慢な意思の具現である。

 法術にはこれと同様に一種のサイコキネシスを実現する術があるが、石を浮かせて飛ばすなどがせいぜいで人体より大きなサイズを拘束し、握り潰そうとするなどはとても出来ない。

 ギルバートの術も厳密にいえば前述の法術、“聖握”の一種であるが、彼本人の心の在り方が術を埒外に強めていた。

 

 ギルバートが拳を勢い良く下方へ振り下ろすと、宙を浮遊していた黒い棺…アンドロザギウスは大地へ縛り付けられた。

 ギルバートの拳にギリギリと力が込められる。

 

 瞬間、エルはアンドロザギウスに向けて手刀を振り下ろす。

 

「輝星剣!」

 

 エルの叫びと共に人骨が埋まる大地を削り飛ばしながら全長10メトル程の光波がアンドロザギウスへ向かっていった。

 星術の弐、光に触れた物を引き裂き爆裂する破壊の術撃である。

 炸裂時に発生する小型の小隕石の衝突にも匹敵するエネルギーは外へ発散されず、標的に向かって内へ内へと爆縮していく。

 その際に発生する圧倒的破壊の爆光は、さながら天空に座す明けの明星の輝きの如し。

 

 眼前に迫る光の刃を前に、アンドロザギウスの胴体に浮かぶ老人の顔が口を大きく開けた。

 その口腔はドス黒い。

 老人の口から漏れるのは呻きだ。

 それは絶望の呻き。

 老いという逃れられぬ衰退を前に、脆弱なる存在はただただ無力な呻きをあげる事しか出来ない。

 しかしアンドロザギウスは老いを超越した存在。その呻きには力が宿る。

 生物のみならずエネルギーでさえも衰えさせる、まさに呪いの咆哮。

 

 緋金剛ですら破砕する光の刃はアンドロザギウスの呪声圏内にはいるとたちまちに色あせ、やがて光は四散した。

 

 ギルバートが眼を見開き、己の手を見る。

 その手には深く皺が刻まれていた。

 呪声の影響であった。

 

 しかし彼は束縛を解かない。

 それが良くなかった。

 ギルバートの握り込んだ指が1本、2本。

 左手の人差し指と中指がまるで枯れ枝の様になり、折れて、朽ちた。

 流石に束縛を解いたが、ギルバートは自身の朽ちた指に興味なさげな視線を向けるなり、遠隔攻勢法術の準備をする。

 

「王は屈しない。お前達、投射法術用意。撃て、殺せ」

 過激派の、穏健派の聖職者達が投射術式を放っていく。

 

 ◆◆◆

 

 ヨハンは聖職達の猛攻を眺めていた。

 ただ眺めていたわけではなかったが、まずは多少でも息をつきたかったというのもある。

 先んじて放った雷の槍はかなり大きな術であり、それはアンドロザギウスの人としての皮を一撃にして破ったが消耗もまた大きかった。

 

 だがそれ以上に…

 

 ◆◆◆

 

(ヨハン?)

 

 ヨルシカは傍らのヨハンの様子を窺った。

 彼の視線は宙の法神にあった。

 

「どうしたの?アレが…気になるのかい?確かに不気味だけれど…」

 ヨルシカの質問にヨハンは軽く首肯した。

 

「ああ、少しな。俺も神頼みをしてみようか、なんて思ったのさ。まあいい。俺達も働くか。報酬が出るかどうかは知らないが。タダ働きは勘弁願いたいものだ。先にいってくれるか?少し粘ってほしいんだ。俺は祈ってからいくよ。折角法神と対面できたのだしな。意思無き木偶とはいえ、神は神だ。ところでヨルシカ、俺が思うに奴は人間を舐めていると思う」

 

 ヨルシカは頷き、静かに自前の長剣を抜いた。

 サングインは使わない。

 あれは身体能力を向上させる。しかし血に酔い、判断力が落ちる。

 そして肝心の身体能力向上も長続きしないのでは、サングインの使用は今この場においては余り賢い選択とは言えなかった。

 

 ヨルシカはまるで散歩に行く様な歩調でアンドロザギウスの元へと向かっていった。

 その足取りに恐れの様なものは見当たらない。

 人間を舐めている、確かにそうだ、とヨルシカは思う。

 

(あの時、なぜ奴は私の剄を無防備に受けたのだろうか。それは奴が私を舐めていたからだ)

 

 アシャラの民は武に長け、武の習得に貪欲だ。

 その理由として地勢的なものが挙げられる。

 アシャラは大自然に面している。

 そして自然とは恵みもあたえてくれるが試練もまた与えるものなのだ。

 アシャラに住まうならば、その自然の与える試練に打ち勝つだけの体と心の強さが必要であった。

 剄をはじめとした東方の技術にしても足運びにしても、ヨルシカは独自で学び修めた。

 儀礼的な意味合いの強い剣術流派でさえも彼女は自身で実践的なものへと改良した。

 サングインの力を行使し、力任せに暴を解き放つというのは確かに強い。

 素の彼女と血に酔った彼女が殺しあったならば間違いなく後者が勝つであろう。

 

 しかし、粘れと言うのならば話は別であるという事が最近彼女にはわかった。

 

 あの怪物を斃せる自信は無い。

 しかし、簡単に斃される気もヨルシカにはなかった。

 

 術式の爆撃がアンドロザギウスを襲っているのがヨルシカには見える。

 しかし彼女には分かる、あの怪物が些かの痛痒も覚えていないことを。

 

 やがて集中攻撃が途切れ、アンドロザギウスが爆撃で煙る中から現れた。それも無傷で。

 ギルバートの表情は歪み、エルの眉が顰められ、他の聖職者達もまた警戒を強める。

 

 アンドロザギウスは薄気味悪く笑っていた。

 

 ◆◆◆

 

「やあお嬢さん、綺麗だね。あの男の人とはどういう関係なの?」

 

 ジュウロウがニコニコとアンドロザギウスへ向かっていくヨルシカに声をかけた。

 ヨルシカの横を歩き、死線にあるとは思えないような態度であった。

 

「彼とは特別な関係なんだ。君は極東の人かな?だったら分かるだろう?私の中に彼がいて、彼の中に私がいる事を」

 

 ヨルシカの返事にジュウロウは苦笑を浮かべた。

 極東の剣士は気を佳く使う。

 これは魔力とは異なるものだ。

 

「まあ、ね。それでアレの所へ一人でいくの?なら付き合うよ。君の佳い人が何かをしてくれるんだろう?それにしてもおっかない男だ、一体何を飼っているのだか…」

 

 ヨルシカはジュウロウの言葉に助かるよ、とだけ答えて視線はアンドロザギウスへ向けたまま前へ前へと進んでいった。

 

(顔は好みだけど、怖そうだ。浮気でもしたら●●●を切り落とされかねないな)

 

 ぶるりとジュウロウのタマが震えあがる。

 それに、となぜか法神を見あげて法神教式の祈りを捧げているヨハンを見て思う。

 

 ――オトコの趣味が悪い

 

 ◆◆◆

 

『次は汝等か。無駄、無駄、無駄な事よ。全てを我に委ねよ、1つは全てに。全ては1つに。汝等も我が身の内で生きるが良い』

 

 ぎゃりん

 

 アンドロザギウスが言い終えるか言い終えないか、その時。

 ジュウロウの抜き打ちが子供の顔の側面から襲いかかった。

 しかし非音楽的な音と共に刃は弾かれる。

 アンドロザギウスを覆う膨大な魔力が強固な物理結界となっているのだ。

 同時に、青白い炎弾がいくつも周囲に浮かぶ。

 その数は10か、20か。

 

 一発一発が人体などを木っ端微塵に爆砕して余りある威力が込められている事はヨルシカにもジュウロウにも分かる。

 だが分かっていても対処できるかどうかは話が別だ。

 

 ジュウロウが回避行動を取ろうと身構える。

 ヨルシカは手に持つ長剣をぽいと宙へ投げ上げた。

 瞬間、炎弾が唸りをあげ2人に襲い掛かる。

 

 ヨルシカの脚が美しい半月の軌跡を宙に描き、炎弾を幾つか蹴り飛ばした。

 掌が、肘が、膝が宙を乱打する。

 炎弾のすべてはヨルシカに弾き飛ばされ、先ほど投げ上げた長剣を乾いた音と共に受取り、大気よ裂けろといわんばかりに横一閃の美しい斬撃を見舞った。

 

 激しいスパーク。

 ヨルシカの剣撃がアンドロザギウスの物理結界に干渉した。

 

 呆気にとられるジュウロウに、ヨルシカは小悪魔めいた笑みを向けた。

「気だよ、気。君も使えるだろう」

 

 ヨルシカの脳裏をあの時の戦いが過ぎる。

 魔族の放った蒼い炎弾がヨハンに襲いかかった時、遥か高空へ蹴り飛ばしたときのあの時の記憶が。

 触れれば爆裂する魔法に物理で干渉する事は難しい。

 なんといっても触れれば爆発するのだから。

 しかし気を用いれば話は別である。

 

(そうはいってもね、気っていうのは要するに命だ。命を込めるっていうのは簡単な事じゃない。技術的にも、他の意味でも)

 

 ジュウロウは内心呆れながらボヤく。

 仮に自身が同じ事をやるとすれば…失われる寿命はどれほどの物か。

 それにあの程度なら体術だけでもかわしきる自信はあった。

 命をかけるほどの場面ではない。

 だが、それでも。

 あれ程精緻な気の制御を為すとは。

 

 そんなジュウロウのボヤきは無理もない。

 気とはすなわち命である。

 枯渇すれば、死ぬ。

 

 しかしヨルシカの気が枯渇する心配は今の所はないだろう。

 よほど無茶な使い方をしなければ。

 ヨルシカはヨハンの魔力を、精を、命を啜っている。

 どちらかの破滅がもう片方の破滅ともなりかねない危険な繋がりがヨハンとヨルシカの間にはあった。

 

(が、無傷とはいかないか)

 

 ジュウロウの視線がヨルシカの手足に向かう。

 ヨルシカの拳は焼け爛れていた。足もだ。

 2度同じ事が出来るか?

 

(厳しいか。援護が欲しい。エルの嬢ちゃんが大技の支度をしているけど時間がかかるかもな。銀髪の嬢ちゃんのオトコは…まだ祈っている。何をするかしらないけど急いで欲しいものだ、それともただの現実逃避か…?)

 

 ジュウロウの足元がふらふらと怪しく揺れる。

 

(ともあれ、時間稼ぎか)

 

 ジュウロウが体ごとゆらゆらと揺れ、足元は複雑なステップを刻んだ。

 ステップは時に早く、時に遅く。

 その緩急はジュウロウの肉体がまるで分身したかの様に見せる。

 

 数人に分裂したジュウロウは四方八方からアンドロザギウスに迫り、アンドロザギウスもまた迎撃の術を編んだ。

 足元に埋まる人骨がバキバキとその形状を変え、骨の槍となりジュウロウの足元から突き出される。

 

 2人のジュウロウが槍に貫かれ消え去った。

 消えた、つまりは分身。

 残りは3人。

 

 アンドロザギウスの青年の顔の眼が見開かれる。

 回転する光輪が宙にいくつも生成され、一人のジュウロウへ向かい、それを切り裂いた。

 残り2人。

 

 アンドロザギウスの赤子の顔が邪悪に歪む。

 体ごと背後を振り向き、赤子の口が一杯に開かれた。

 口中に光が収束していく。

 これもまた故アゼルの光の術式である。もっとも彼は口から槍など投擲しなかったが。

 光熱の投槍は刺さった傷跡から敵手を熱で焼きつくす。

 

 だがそれが放たれることはなかった。

 アンドロザギウスが振り向いた瞬間に極々自然と、ゆるりとした動きで刀の切っ先が赤子の眼に突き刺さったからだ。

 

 ――秘剣・迷踏死行

 

 身体強化をこまめにオンオフし、さらに緩急をつけたステップは術者の肉体をあたかも分身した様にみせかける。

 そしてそのまま襲いかかることで敵手に多くの迎撃の選択肢を与えるが、実はそれは術者により行動を制限された結果でしかないのだ。結局敵は自身の選択を重ねた結果、死にむかって歩みゆくことになる。

 これは剣術というより心理術といっても過言ではない技である。

 

 これは余談だが、はるか東域、アリクス王国の極東剣士は自身から能動的に動き敵を屠る技を得意としている。

 自身から能動的に動くのか、敵手の動きを誘発するのかは好みにもよるが、ジュウロウは後者の様な惑わしの剣技を得意としていた。人を食った様な彼の性格に似つかわしいとも言える。



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愚神礼賛①

 ◆◆◆

 

 子供の叫び声が響き渡った。

 ジュウロウの刀の切っ先がアンドロザギウスを構成する“顔”の1つを傷つけたのだ。

 他の二つの顔に走ったのは困惑の色。

 それは僅かな瞬間に過ぎないかもしれないが、エルはそれを見逃さなかった。

 

 ──廻れ星辰、呪え歳星

 ──南東より来たりて、万物一切を忌死せしめよ

 

 エルの瞳が紫に染まる。

 星術の伍、万死の魔眼。

 

「嬢ちゃん! あれはヤバい! この場を離れろ!」

 

 ジュウロウが叫ぶ。

 ヨルシカも言われるまでもなかった。

 弾け飛ぶようにその場から離れる。

 ともすれば目の前のアンドロザギウスよりも忌まわしい気配がその場に滞留していた。

 

 変化はすぐにおとずれた。

 星空が割れ、割れた空の隙間から巨大な瞳が覗き、その視線が物理的圧力を伴って真っ直ぐにアンドロザギウスを貫いたのだ。

 

 万死の魔眼は決まれば何者をも殺す大魔眼である。

 しかしこういった類の呪いは反発されれば“返って”くる。

 エルは万全のアンドロザギウスにこれを使うというのは多大なリスクがあると考えた。

 だからこその“今”なのだ。

 傷つき、動揺し、心と体の体勢を崩したその瞬間に呪いを投げかける。

 それが呪いの基本にして奥義。

 

 どこからともなく顕れた禍々しい紫色の鎖がアンドロザギウスを縛りあげた。

 これは毒だ。

 毒の鎖。

 あらゆる生物を滅ぼす、滅びの毒が鎖に染みこんでいる。

 その毒がアンドロザギウスに染みこんでいく。

 

 形容しがたい大絶叫が響き渡った。

 それは正しく、アンドロザギウスの断末魔に他ならなかった。

 黒い棺が下方からボロボロと崩れ落ちていく。

 三つの顔はまるで硫酸をかけられたかの様に焼けただれ、三つの顔のどれ1つとしてもはや悲鳴すらもあげられない様子であった。

 

「……やったの、かな?」

 

 ヨルシカがぽつんと呟くと、ジュウロウはそれを責めるかのようにヨルシカを睨んだ。

 極東ではこのような場面でその様な発言をしてはいけないという迷信がある。

 ジュウロウは案外に迷信深いのだ。

 

 ともあれ崩壊は迅速に進み、青年の顔の半ばまで進行した。

 その時、その場の誰もが聞いたのだ。

 巨大な、響き渡る様な、ドクンという鼓動を。

 

 鼓動は上空の法神から響いてきた。

 生肉の如きその様子に変化が見える

 表面が激しく蠢いていたのだ。

 見るもの全てが嫌悪感をもよおすであろうその姿がその場の者達に与えた印象は、当然の如く嫌悪感……そして、それを大きく上回る不安であった。

 

 エルが顔色を変えた。

 大術式の行使による激しい消耗がその顔色を蒼白に染めている。

 しかし彼女の顔色を死人の如きそれへと変じさせた原因はそれだけではない。

 自身の寿命を削る程の大術式を行使したのに、確かに滅ぼしたと言うのに……まるで時計の針を逆回しにしたかの様に、アンドロザギウスの崩壊が“巻き戻って”いった事、それがエルの心を支える芯棒に罅を入れた。

 

 勿論この現象はヨルシカのせいではない。

 偽神、法神の力がアンドロザギウスに流入しているのだ。

 これまでの人類史で蓄えた膨大な、信仰の力が。

 法神が在るかぎり、アンドロザギウスは滅びない。

 

『下賎よ、贄よ。我が身はもはや神と同一。神を滅ぼす事はできぬ……何ッ!?』

 

 響き渡るは再度の大鼓動。

 

 アンドロザギウスの再生が停まった。

 

 ■

 

 神よ、法神よ

 

 法神よ、魔族に造られ、利用されるだけの哀れな神の出来損ないよ

 法神よ、世に平穏在れと祈りを捧げられ、満たした信仰を虐殺と流血の為に使われ

 法神よ、嗚呼、まるで狼藉者に惚れてしまった売春婦の様な有様じゃあないか

 法神よ、良いのか、とは言うまい

 法神よ、貴方は“その為に”造られた、生まれた

 法神よ、魔族の餌、それが貴方の本質なのだ

 法神よ、だが俺は敢えて貴方に問おう、それで良いのかと

 法神よ、平穏の祈りは、平和の祈りは貴方に届いているはずだ

 法神よ、迷妄に盲いた貴方の蒙を俺が啓こう

 法神よ、平和への祈り、平穏への想いに正しき標を与えよう。あらゆる種族が手を取り合い、支え合うそんな世界への標を

 法神よ、貴方を神として、乱世へ打ち込む楔として使ってやろう

 法神よ、貴方を本来あるべき姿へと戻すと誓おう

 法神よ、なれば従え

 

 魔族ではなく

 他ならぬ、この俺に! 

 

 ◆◆◆

 

 想いを束ねれば祈りとなる。

 祈りが重なれば信仰となる。

 つまり、信仰の元とは突き詰めれば想いだ。

 そして、想いとはより強い想いへと寄り添うのだ。

 

 魔族は陰謀と謀略をもって法神を造り出した。

 人類が捧げる信仰を掠め取り魔族の糧とすべし、と。

 そこに狡知はある。

 しかし、純粋なる想いはあるだろうか? 

 

 背筋を寒からしめる紅の空に浮かぶ哀れな偽神、法神。

 それは紛れもなく人類にとっての凶星であった。

 しかし今、星に手を伸ばそうとする者……ヨハンが居た。

 

 ──神を掌握せしめる

 

 ヨハンがこの様な発想に至ったのは、やはり“家族”の存在が大きい。

 神を造りだす? 造りだした神を都合よく使う? そんなものはもう見慣れている。

 ヨハンがそう思ったかどうかは定かではないが、ミーティス・モルティスという少女の存在がヨハンの脳裏にあったのは確かであろう。

 

 ヨハンは法神へ何度も何度も語りかけた。

 その名を何度も呼び続けた。

 名とはすなわちその存在を表す。

 この世界ではその拘束力、束縛力は非常に強い。

 法神が法神のままで、たとえ欺瞞であろうと法神のままでいられるようにヨハンは何度も名を呼んだのだ。

 

 さらにはヨハン。

 帝国式の記述ではヨハネス。

 その意味する所は“啓示者”である。

 

 勿論それだけでは意思無き力の塊がなびいたとは思えない。

 人間が人間である限り、法神は人間を対等な存在だとは見做さないだろう。

 なぜならば人間というものはあくまでも法神に祈りを捧げる存在であり、自身を使役しうる存在ではないからだ。

 

 しかしヨハンは違う。

 内包するは魔、そして神。

 例えそれらが残滓に過ぎなかろうとも、超越存在を取り込んだ存在が純然たる人間であるとはとても言えない(本人は人間であると言い張ってはいるが)。

 

 ◆◆◆

 

 再びの大鼓動。

 法神の膨大な力が流れ込んでいる。

 ただし、流れ込む先はアンドロザギウスではない。

 力の先には連盟術師ヨハンがいた。

 要するに、本人が言う所の人間であるらしいヨハンは、人間という卑小な存在でありながらも魔族から法神を寝取ったのだ。



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愚神礼賛②

 ◆◆◆

 

 バリバリという不協和音が響いた。

 アンドロザギウスが歯を軋らせたのだ。

 

 不死の機構は崩れ去った、だから何だというのだ?

 膨大な信仰の力をたかが人間風情が扱いきれるはずはない。

 少なくとも自身が力を振るい、この場の者全てを鏖殺するまでに扱いきれる筈はない。

 アンドロザギウスはそう考え、そしてその予想は正しい。

 

 法神を鞍替えさせたからといって、ただちにヨハンがその力を十全に行使する事は出来ない。

 少しばかり人外の領域に足を踏み入れてしまったからといって、ヨハンが所詮人間である事には変わらないからだ。

 その証拠に、ヨハンは蹲り脂汗を浮かべている。

 流れ込む力を御しきれないでいるのだ。

 確かにアンドロザギウスの不死性は否定した。

 行使できる力に上限を設けた。

 それでも魔族が魔族であるかぎり、人間が人間であるかぎり生物としての歴然とした格差がそこにはある。

 

 アンドロザギウスはしかし、もはや嬲るような真似をしようとは思わなかった。

 侮らず、見下し、魔族としての力で全力で殺す。

 

『אש לעזאזל』

 

 シンプルにして強大な“魔法”だ。

 ドス黒い炎がアンドロザギウスの周囲に環状に発生し、全方位へ地獄の炎が拡散していく。

 ただの炎ではない。

 極めて高温で、そして粘りのある炎だ。

 一度その身に受ければ骨まで焼きつくされるであろう。

 

 ジュウロウとヨルシカは一目でその危険性を感得し、全力で逃げの一手を打ち脱兎の如くその場から離れた。

 両者共に炎を切り裂く程度の業前はある…あるが、しかし

 

(“アレ”は斬れない…ッ)

 

 ヨルシカは急いでヨハンの元へ向かい、その体を抱え上げ、結界を展開しようとしていた聖職者達の元へと駆け寄った。

 穏健派も過激派も、ヨルシカ達を追い払おうとはしなかった。

 理念、主義の違いはあるだろう。

 だがしかし、今この場においては頼れる…かどうかはわからないが仲間同士だ。

 

 一同を十重二十重に光り輝く結界が取り囲む。

 しかし、迫る黒い炎は次々に輝く結界を破砕していった。

 魔族の全力の魔法が人間如きの結界で防ぎきれるはずも無い。

 ギルバートやエルといった実力者達もなす術はなかった。

 いや、エルならば、と思うが彼女の消耗は激しすぎる。

 後1度、大きい星術を使うならばいま少しの猶予が必要であった。

 

 最外郭で両手を突き出し、全身から魔力を絞り上げ結界を構築・維持していた聖職者達の一人の至近まで黒炎が迫ると彼は後ろを振り向き、その場の者達に笑顔で告げた。

 

「信仰を示してきます。少しでも勢いが弱まればいいのですが」

 

 その青年は穏健派の聖職者であった。

 四等審問官エド。

 特異な力もなにもない、少し体術が得意でちょっと法術が使えるただのエドだ。

 彼が命を賭けた所で黒炎はその勢いを些かも弱める事はないだろう。

 だが、彼が命を賭ける事自体ではなく、それに付随する意味ならば功績大であると言えた。

 

「エド、下がりなさい。アイラはここで死ぬつもりはありませんでしたが仕方ありません。後の事は任せました」

 

 アイラの纏う火精が激しく踊った。

 エドが、穏健派のみならず過激派のもの達も、炎に照らされるアイラに眼を奪われる。

 ドライゼンだけがただ一人、深い悲しみをもって見つめていた。

 彼はアイラが死ぬつもりである事を理解したのだ。

 炎と親和性のあるアイラであるならあるいは何とかなるかもしれない。

 紅い光がアイラの胸に収束していった。

 その光は炎よりも色濃く、そして美しい。

 アイラの命の色だ。

 

 ドライゼンにとってはアイラは妹のようなものである。

 死なせたくはなかった。

 だが、こういう状況で一体自身に何が出来ると言うのだろうか?

 

 ――1つだけある

 

 ドライゼンが“それ”に思い至るまでには長い時間を必要としなかった。

 ふっと口の端に笑みを浮かべ、タイを直す。

 そして迫る黒炎を見つめていた。

 

 やがて黒炎が最後の結界壁を破壊する。

 破壊の速度は荒野を焼く野火の如く迅速なものだった。

 アイラは黒炎を破る為に力を、そう、魔力と言う“力”も命という“力”も収束していったが間に合いそうにはない。

 

 アイラの表情が歪む。

 中途半端に力を解放しても迫る黒炎を打ち消せないであろう。

 その時、静かにアイラの目の前に躍り出た者がいた。

 

『顔無しの』ドライゼン。

 

 ――丁度良かった。消える以外の家族孝行というものをしてみたかったんだ

 

 ドライゼンの声が響き、アイラの頬に柔らかい風が吹きつけたかと思えば黒炎の大部分は消えていた。

 アイラの目の前には少し草臥れたタイが落ちている。

 

「ド、ドライゼン……」

 

 アイラが呻く様にその名を呟いた。

 彼は消えたのだ。

 “家族”を害さんとする黒炎を諸共に。

 彼自身の存在そのものを代償として。

 術は強き想いに応える。

 ドライゼンは最期に彼の望む術を産みだし、消えた。

 

 ともあれ、勢いがここまで減衰すれば黒炎が幾ら脅威であっても、後はアイラでも打ち消せる。

 アイラの目が見開かれ、涙が一粒大地に落ち、蒸発して消えた。

 そして炎の輪が彼女の体から発せられ、黒炎に食いついたかと思えば対消滅していく。

 ドライゼンが黒炎の多くを道連れにしてくれなければこうはいかなかった。

 

 ひとしきり黒炎を消滅させた後、アイラはふらりと倒れ…る事は無かった。

 ギルバートの念動がアイラを優しく抱きとめ、その場に横たえる。

 

「瀬戸際で永らえたか、忌々しい狂信者め。だが助かった。礼を言おう」

 

 ギルバートはキッとアンドロザギウスを睨みつけた。

 憤怒が彼の体を真紅の雷のように充ち満ちていた。

 彼にして出所のわからぬ憤怒であった。

 敵対勢力の一人が命を投げ出した所で自身が怒りに震える必要は無いはずだ。

 だが、心とは合理ではない。

 

 ギルバートは疲弊した肉体にもかまわず、両手を突き出し、彼にしては珍しく憤怒の相で自らの掌を組み合わせた。

 大地が震える。

 自称王の矜持をかけた全霊の念動が大気を軋ませ、アンドロザギウスを締め上げているのだ。

 その出力たるや、これまでの比ではない。

 意味不明の怒りが彼の力を底上げしていた。

 アンドロザギウスの胴体である黒い棺が軋みをあげる。

 

 全力を振り絞るギルバートの目からは血の涙が流れ、歯の何本かは強くかみ締められた影響で罅がはいっていた。

 だが彼は力を緩めない。

 なぜなら、ジュウロウ、ヨルシカ。

 2人の剣士が復讐の念に燃え、駆け出していたからだ。

 

 そしてギルバートの背後のかすかな気配。

 エルが青息吐息で立ち上がっていた。

 

 ――ま、廻れ、星辰…南西より来たりて、蜃気呼び込み、万物、いっさい、を、熒乱せしめ、よ…

 

 星術の、参。

 

 ◆◆◆

 

 迫り来るヨルシカとジュウロウに向けてアンドロザギウスが魔法を解き放つ。

 ギルバートの念動で体は動かせずに逃げられなくとも、口は動かせるのだ。

 

『נשימה נמקית』

 

 射程距離こそ短いが、周辺一体の生物を壊死させる腐敗の吐息だ。

 距離を取られれば途端に無害となってしまうが、相手から接近してくる分には致命のトラップとなりうる。

 

 案の定と言うべきか、アンドロザギウスの目の前で2人の剣士は崩折れた。

 それも全身を腐敗させ、ガスで体を膨れ上がらせ…パァンと弾けて肉片が飛び散った。

 ニタリと笑いを浮かべる老人の顔と青年の顔。赤子の顔は“殺され”、しゃれこうべとなっている。

 

 さて残りは、とエル達に目を向けると、アンドロザギウスの至近で声が響いた。

 

「…一つの太刀」

 

 男の声だ。

 男、つまりジュウロウの声である。

 アンドロザギウスの眼前で腐れて果てたはずの剣士。

 

 銀閃が弧を描き、老人の顔を絶ち割った。

 皮肉気な薄笑いを常としていた彼の表情は、この時ばかりは凄絶で。刀を振り切ったその横顔は霜が差したかの如きまさに氷相とも言えるものであった。

 

 続く刹那、ヨルシカの気で溢れんばかりの剄打が青年の顔面を打ち抜く。

 丹田より捻り出した発氣は横向きの螺旋を描き、循環する。そうして練りに練られた氣の高まりを掌に宿したヨルシカは、さながら小型の太陽を掌中に収めたかのような輝きを放っていた。

 

 アンドロザギウスの残った2つの顔はほぼ同時に破壊されたのだ。そしてこの事実はアンドロザギウスの滅びの条件を満たす事にもなる。

 

(だが、まだ終わらぬ!法神よ、我が贄よ!力ヲ…寄越せェエエエ!!)

 

 アンドロザギウスの潰れた顔が一斉に空を向いた。

 目が見えなくとも其処に力が在ることが分かる。

 しかし、幾ら力を求めても流れ込んでは来なかった。

 その時、暗冥の闇の中、アンドロザギウスは確かに聞いたのだ。

 

 自身を嘲弄するかのような響きを帯びた、忌々しい声を。

 

 ――今、どんな気持ちだ?

 

 過激派、そして穏健派の聖職者達に護られながらヨハンが汗を流し、蹲り、力を御そうとしている。

 人では扱い切れぬ巨きな力が流れ込む苦しさは筆舌に尽くし難い。それでもなおヨハンはその口の端に笑みを湛えていた。

 

 アンドロザギウスの胴体、黒く禍々しい棺に罅がはしる。

 三つの顔は溶け、しゃれこうべを晒す。

 瞬間、棺が砕けて散った。

 



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第四次人魔大戦

 ◆◆◆

 

【挿絵表示】

 

 その日、世界に闇が侵蝕した。

 果ての大陸を縛鎖する広域結界が崩壊したのだ。

 封じられていた闇の魔力が世界中へ拡散していく。青い空は不吉な黒雲で覆われ、瘴気混じりの雨が降る。

 

 これは法神という存在が消えた為である。

 法神は確かに魔族の傀儡ではあったが、それでも法神の存在こそが魔族を封じている……という共通概念があった以上、存在そのものが封印に影響を強く及ぼしていた事は否定出来ない。

 

 では、そもそもなぜ法神は傀儡であるのに魔族を封印していたのか? 

 それは勇者の存在が大きく関わってくる。

 

 勇者は聖神の残滓による選定により選ばれ、そして法神より力を賜り覚醒する。

 法神は聖神を乗っ取る形で生まれたのだから、聖神の権能……機能、役割をある程度は引き継ぐ必要があった。

 魔族としても勇者など誕生させたくはなかったが、法神を法神として存在せしめる核となるのはあくまでも聖神なのだからこれは仕方が無い。

 

 よって魔族は法神による信仰の乗っ取りを継続した。勇者という存在を見逃してでも、世界から搾取する祈りの力というものは大きかったからである。

 

 ただ魔族側としても単に勇者を見逃すわけではなく、勇者という世界の希望に力を与えるであろう神々を出来るだけ滅ぼすなり無力化しておくという策は巡らせていた。

 

 勇者が恐ろしいのは、神から賜った力だけではなく、“世界の希望”であると言う概念をも有する点だ。

 ただ勇者であると言うだけで世界に存在する他の神々は勇者を祝福せざるを得ないのだ。

 

 だから法神教は苛烈な異端弾圧により、他の神々を廃していった。

 樹神に対して魔族が干渉したのもそれが理由である。

 

 とはいえ勇者は傀儡の神の使徒ではあるが、勇者の役割を全うせんとしてはいたのである、少なくともこれまでは。

 

 初代から三代にかけての勇者は皆そうであった。

 しかしどの勇者も完全に魔王を斃すには至らなかったのは、やはり最後の最後、法神の加護と言うものが眉唾であったと言う事実と、あとは加速度的に勇者へ流れ込む力が減衰していった点が原因であろう。

 

 四代勇者の頃にいたってはその力を大きく落とし、上位の魔族にすら敗北する有様であった。

 四代勇者は上魔将マギウスに惨殺されたが、仮に勇者の力がもっとも大きかった初代勇者と相対していたならば、結果は真逆であった筈だ。

 

 魔王ではない魔族にすら敗北するほどに勇者という存在は力を落とした、よって魔王が再度の敗北を喫する心配はない、だからこそ今。

 

 第四次人魔大戦がここに勃発したのだ。

 そして、開戦の狼煙は余りにも急であった。

 

 西域はレグナム西域帝国へ、東域はアリクス王国への魔軍侵攻である。

 特にアリクス王国は開戦と同時に複数の有力貴族が殺されるという憂き目に遭ったため被害が大きかった。

 

 侵攻は迅速であった。

 魔王の転移門により、果ての大陸から直接侵攻してきたのだ。

 

【挿絵表示】

 

 転移門と便宜上は言うが、実際それは真っ黒い巨大な積乱雲のようなものだ。

 黒く巨大で不吉な雲から魔物達が侵攻してくる。

 人々は恐れ、逃げ惑った。

 

 ◆◆◆

 

 レグナム西域帝国・帝都ベルン

 ──帝城

 

 

【挿絵表示】

 

 レグナム西域皇帝、サチコの瞳が神秘を湛えた。

 帝都に、臣民に迫る脅威を感知し、その権能を更に強化しようとしているのだ。

 

 帝国占星院の予知は封印破綻、魔王復活を告げ、サチコは皇帝としての権能を行使すべき時が来たのだと判断した。

 それに占星院の予知を信じる信じないの段階ではもはやない。

 帝都の空が見る見る内に闇に覆われていくではないか。帝国占星院は、崩壊した帝都、いや世界……死屍累々の暗黒の大地をも予知した。

 これは放って置けば必ず実現してしまう未来だ。

 

 サチコがある種の覚悟を決めねばならなかった原因である。

 

 そう、サチコの、レグナム西域帝国皇帝、『愛廟帝』サチコには固有の術がある。

 それはある一定以上サチコへ好意を持つ帝国臣民に忠誠という名の鎖をくくりつける術だ。

 

 常時起動のその術の触媒は帝国臣民の国を思う愛国心。

 

 愛国心は忠誠の炎を燃やす燃料となり、忠炎に焼かれた帝国臣民は更なる愛国心を生産するのだ。サチコに対しての敬意、敬愛というものが欠片もない者には効果を及ぼさないが、精神汚染、洗脳系の術式としては古今東西を見渡しても有数に強力な術である。

 

 勿論平時ではそのように強力な効果は顕現しない。せいぜい体調が少し良いとかその程度である。だが帝国の危機ともなれば話は別である。

 その時こそ帝国臣民は狂戦士と化して外敵に襲い掛かるであろう。

 

 幼いながらも帝国臣民を愛するサチコが、臣民を死をも恐れぬ戦士へと変貌させるとは何たる皮肉か。

 

 

【挿絵表示】

 

 傍らに控える帝国宰相ゲルラッハの目に怒気が漲る。

 

 戦後、サチコは泣くであろう。

 自身のせいで多くの臣民を死に追いやった事を嘆き悲しむであろう。

 

(許すまじ、魔軍)

 



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どチンピラ

◆◆◆

 

2つの異界が抗しあった特異な空間が崩壊していく。一同、そしてアンドロザギウスの骸は気付けば法の間にあった。

 

アンドロザギウスの3つの顔は、もはやその顔を区別する事も出来なかった。

なぜならすべて余さず朽ち果てているからだ。

胴体の黒い棺が急速に風化していく。

まるで彼がこれまで取り込んできた多くの者達が本来過ごす筈であった“時間”が一挙にやってきたかの如き有様であった。

 

「…一歩間違えば…私達がああなっていたかもね」

 

ヨハンを肩で支えながら呟くヨルシカの言葉に、彼は雄弁なる無言で返した。

 

(そうだ。魔族、恐らくは上澄みの。それがこれほど強大だとは)

 

力が足りないか、とヨハンは思う。

だがもはや短絡的には考えない。

力を得る為に禁忌を犯すつもりはもう彼には無かった。それに…

 

――法神の力を御す事が出来れば

 

目の前の石床に干し肉のようなものが転がっている。それはかつて法神であったものだ。

だが法神だったものはもはやその肉には宿っていない。それはヨハンの内に溶けている。

 

目を閉じれば、視よ

 

【挿絵表示】

 

地平の果てまで広がる森林。

中心で一本大きく聳え立つ大樹。

葉を広げ、受け止める光。

光を放つものは何か。

小さな、太陽に似た何か。

 

この美しい大自然が連盟術師ヨハンの心象世界である。

しかし気軽に立ち入る事は出来ない。

大地には紫色の毒の棘が生え、不埒な侵入者があれば串刺しにしようと身構えている。

 

傍らを見ればヨルシカもまた眼を閉じていた。

ややあって、その瞼が開き、一つの問いをヨハンへと投げた。

 

「…私は森かな?」

 

ヨハンは答えた。

 

「森がなければ大地が荒れるよ」

 

大地とはヨハンそのものであろう。

ヨルシカはその答えに満足をして、まるで今気づいたかの様に周囲を見渡した。

 

一面の、満身創痍。

 

それをみたヨハンが邪悪な笑みを浮かべて言った。

 

「今強襲すればこの先の憂いを全て排除できそうだな、そう…お前が考えているように」

 

ぎょっとした表情を浮かべる一同を尻目にヨハンはくるりと振り向いた。

 

そこに居たのは…

 

 

「皆さん、お揃いの様で何よりです」

 

【挿絵表示】

 

虚ろな笑みを浮かべた、ミカ=ルカ・ヴィルマリー。

 

◆◆◆

 

「ル、ルカ…?」

 

エルが喘ぐ様な声で問いかける。

顔色は悪い。

彼女の涼しげな髪色のせいもあるだろうか、蒼白を通り越して青みすらも感じられるざまであった。

 

ギルバートは無表情でミカ=ルカを見つめている。一見して何の感情も抱いていないかの様に見えるが、その佇まいにはバネを思いきり縮めたかの如き勢いが密封されているようにも見える。

 

事実として、もしミカ=ルカが何か不審な事をしでかそうものならば、ギルバートは一思いにその細首を念動で引き千切ってやるつもりであった。

 

――出来れば、だがな

 

想像上の殺害を実行に移すだけの殺意はある。

しかしギルバートはそれが叶うかどうかは疑問だと判じていた。彼は自身が卓越した業前を持つだけあり、ミカ=ルカの妖しさに不穏な何かが秘められている事を看破していたからだ。

 

――だが、殺る。もし、奴が動くならば

 

他の者達も思い思いに警戒の念を込めてミカ=ルカを注視した。

 

そんな一同の敵意混じりの何かを受けても彼女は動じず、逆に笑顔をエルに向けながら口を開いた。

 

「そう、ルカですわ。エルお嬢様。でもミカでもあるのです。アイラさん…あら?ドライゼンさんは?…そう、それは良かった。彼は少し苦手でしたから」

 

青息吐息であったアイラの目に怒りの炎が宿る。

命をかけて皆を護ってくれたドライゼンが、死んで良かった?

 

既に魔力も枯渇しており、これ以上の術の行使は出来ないように見えたアイラは、魔力ではなく己の激情を火種として術を構築していく。

 

小さい掌をミカ=ルカに向け、さあ命を削った熱線を放とうか、というまさにその時。

彼女の手首を握り、押しとどめたのは四等審問官のエドであった。

 

エドは否定と制止の意味を込めて首を振る。

彼も戦いに身を置く者であり、その戦闘技術はアイラのそれより拙いとはいえ、それでも頭に血ののぼった彼女よりは冷静に状況を判断出来たのだ。

 

エドはミカ=ルカが薄気味悪い笑みを浮かべながらアイラを見ていたのをしっかりと確認していた。そして確信した。

あれは…あの、ミカの形をした何かはそれを待っていた、と。

 

 

「ふん、貴様は何だ?駆け引きは好きじゃないんだ。要求をいえ。俺達は疲れている。要求がきけそうなら話くらいはしてやる」

 

ヨハンが横から口を出した。

実際駆け引きと言うか、けん制のし合いには疲れていたのだ。

本来自分達が戦うべき相手じゃない相手と命掛けで戦うハメになったのは誰のせいか?

それはミカ=ルカである。

まあノコノコとついていったヨハンのせいでもあるが。

 

ともかくも、今のヨハンは法神を御すために多大な精神力を費やしていたこともあり、早めにその場の状況に白黒をつけたかった。

白とは話し合い、交渉だ。

 

「では、要求がきけなさそうなら?」

 

ミカ=ルカが尋ねる。

それがヨハンをぷっつんさせてしまった。

なぜか?

 

「話を聞いていなかったようだな…駆け引きは好きじゃないと言った。だが答えはでた。黒だ。死ね」

 

――雷衝・三叉

 

バキンと術腕内の触媒が割れ、ヨハンの掌から三つに分かれた雷撃が迸る。

白は話し合い、交渉。

黒はそう、殺し合いである。

 

 

「ヨ、ヨハン…いつから君はそんなチンピラみたいな男に…」

 

ヨハンの短絡的な所業にヨルシカが慄くが、すぐに考え直した。

 

――そうだ、彼は初めて逢った時からチンピラみたいだったんだっけ

 

 



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閃光魔術

 ◆◆◆

 

 恐らくは何かしらの手段で防がれるであろうと見込んで放たれた三叉の雷撃はしかし、ミカ=ルカの両の腕と腹部を強かに打ち据えた。これにはヨハンも眉をやや上げ、意外そうな表情を浮かべる。

 

 ヨハンとしてはこの一撃を以って得体の知れぬミカ=ルカを討とうというより、謀略には暴力で対抗するぞという反社会的な意思表示を示す為に先制したという点が大きい。

 要するに、殺り合うなら相手をするから面倒くさい策をめぐらせるな、という事である。

 

「…まあ、そうだろうな」

 

 衝撃により吹き飛ばされ壁に叩きつけられるも、何事もなかったかの様に起き上がるミカ=ルカを見てヨハンはごちた。

 注意深くミカ=ルカの肢体を観察すると雷撃に撃たれた箇所は痛々しく焼け爛れている。

 それでもミカ=ルカの表情には些かの痛苦も浮かんでいない。

 

「彼女は痛みを感じていないのかな。ところで、事情を聞かずにいきなり攻撃するのはどうかなと思うよ私は…」

 

 ヨルシカが言うがヨハンは取り合わない。

 事情も糞もないのだ。

 

 死地に誘導すると言うのは敵対する条件を十全に満たす。

 ヨハンが思うに、ミカ=ルカは自分達をアンドロザギウスの贄とすべく誘導したのだろう。

 

 それに…

 

「“家族”に同じようなのがいるから分かるが、ああいうのは言葉を交わせば交わすほどにこちらの状況が不利になっていくんだ。言葉も立派な武器だよ。俺も言葉を武器にするから良くわかる。しかし、だからこそ効果的な対策というやつも分かっているんだ」

 

 ヨルシカが“それは?”と言うとヨハンは自信ありげに答えた。

 

「問答無用の暴力だ。構えろヨルシカ、可能なら奴の四肢を飛ばせ」

 

 ◆◆◆

 

「ま、ま、待ってください!彼女は、彼女はルカといって、私の従者で…」

 

 ヨハンの暴行宣言に慌てて待ったをかけたのはエルであった。

 先の一戦でヨハンやヨルシカの実力が並々ならないものであるというのはエルにも分かっていたし、見た所、まだまだ隠し玉もありそうに思えた。

 

 だからエルとしては満身創痍の状態では敵対はしたくは無い。

 しかし、だからといって長年従者を務めてくれていたルカへの無体な行いを眺めていると言うのは無理な相談であった。

 

 だがそんなエルをジュウロウが押し留める。

 その視線は鋭く、ミカ=ルカの一挙手一投足に向けられていた。

 ジュウロウの戦勘に触れるものがあったからだ。

 それはジュウロウがヨハンに感じたものと似たような感覚だ。

 

「…ルカ嬢ちゃんに見えるがルカ嬢ちゃんじゃないかもね。似たナニカだ。中域で似たようなアヤカシ…怪物を相手にした事がある。見た目は人だが中身は別、そんな連中は珍しくは無いんだよね」

 

 ジュウロウが言う怪物とは画鬼という。

 中域に存在が確認されている魔物だ。

 人の皮膚を剥ぎ、そこに美女の絵を描き、その皮を被る事で人間に成りすますバケモノである。

 

 エルは不安そうな表情でジュウロウをみて、続いてルカを見遣った。

 ルカの表情には薄い笑みが浮かんでいる。

 エルはルカにジュウロウの言葉を否定してほしかったが、ルカがその望みを叶えてくれる様子は無かった。

 

 その場に沈黙の帳がおりる。

 だがその帳はいつ破られてもおかしくはない。

 暴力チンピラ術師は飢えた野犬の様な目でミカ=ルカを睨みつけていたし、ジュウロウは腰元の刀に手を掛けている。

 ギルバートとその取り巻き達がミカ=ルカを見る目も既に味方を見るそれではない。

 

 その場の中心に名状し難い泡のようなものが浮いている。

 それは雰囲気と言う名の泡だ。

 泡はその場の感情を吸い取り膨れていく。

 そしてそれがパンと弾けた時、再び血が流れるのだ。

 

 ◆◆◆

 

 だが泡が弾ける事はなかった。

 それまで薄い笑みを浮かべるだけであったミカ=ルカが口を開いたからだ。

 

「一呼吸で此れ程の術を放てる者は我々の中でも中々居ません。人間としては最上級の部類でしょうか…いえ、貴方が人間なのかどうか、判断に迷います。“痛み”は他の方へ押し付けさせて貰いましたよ…って…!」

 

 だがその口を直ぐに閉じた。

 ヨハンが投石をしてきたからである。

 投石はヨハンがストリートチルドレンだった頃からの彼の得意技だ。

 幼きヨハンはこの技でオトナのチンピラの前歯を何本も破壊してきた。

 ついでにヨルシカも剣を構え、地を蹴りミカ=ルカへ急速接近する。

 

「奴は痛覚を遮断しているぞ。肉体を徹底的に壊せ。しかし闘争の場で自分の手を悠々明かすとは間抜けにも程がある」

 

 え、君がそれを言うの?と思ったかどうかは定かではないが、ヨルシカは素直に剣を振りかぶった。

 ミカ=ルカのみならず、その場に立つ床ごと叩き割らんかの如き勢いで振り下ろされる。

 この時ばかりはミカ=ルカもその顔にやや焦りを浮かべ、慌てて弾かれる様に後方へ下がった。

 ミカ=ルカの目の前で石床に剣が叩きつけられる。

 剣は深々と床に食い込み、その余計な破壊を齎さない剣撃からはヨルシカの技量の高さが伺い知れた。

 

「ちょっと!話を聞きなさい!いいですか、私はミカが創り出した人格群の1つに…」

 

「だから!私は彼女の心の隙間に…!」

 

「ああもう!これだから、ニンゲン、は!」

 

 ミカ=ルカの声に苛立ちが混じる。

 しかしそれも無理は無いのかもしれない。

 

 ミカ=ルカ・ヴィルマリーは中央教会が立ち上げたとある計画の被験者である。

 術の強度は術者の執着や根源に比例、依存する。

 である以上、1人の術者が複数の術体系を繰る事は非常に困難だ。

 

 だが、1人というのは厳密に言えば何を意味するのか?

 それは1つの人格と言う意味である。

 

 それならば多種多様な術を扱う為には、複数の人格を用意すればいいのではないか?

 そんな荒唐無稽な事を実際に行ったのが中央教会だ。

 

 多重人格障害…解離性同一症の患者は西域でもしばしば見られる。

 

 これは悪魔憑きだのなんだのと呼ばれているが、中央教会ではその原因などをある程度掴んでいた。

 

 患者は皆、幼い頃に非常に激しい苦痛…例えば虐待などを受けたりしていた。

 勿論虐待だけが理由ではないが、殆どの患者が常人では適応しきれない強い苦しみを受けてきた…つまり心と言うモノに対して与えられる強い圧迫、圧力が悪魔憑きの原因ではないか?

 仮に、それらを制御できるとすればどうであろうか。

 

 それら複数の人格は、術の起動ユニットとして使えるのではないか?

 

 ミカ=ルカ・ヴィルマリーはそんな計画に自らすすんで被験者となった。

 そして非常な苦痛、ストレス、洗脳術式を浴びる様に受け、教会初の人為的なマルチ・キャスターと成ったのだ。

 

 こんなものは一歩間違えれば廃人となってもおかしくない悪魔の所業である。

 

 しかし教会には心身を癒す法術の使い手も多く、ミカ=ルカが完全に壊れてしまう事は無かった。

 治癒の術式にも色々あり、被術者の肉体的、あるいは精神的な損傷を逆行させて治すようなものもある。

 

 実験は成功した…しかし異物が混入してしまった。

 その異物こそ“なりかわり”と呼ばれる魔族であった。

 

 いや、混入と言うのが正しいかは分からない。

 なぜならば“それ”は然るべき流れに沿って計画的に混入されたのだから。

 

 ◆◆◆

 

 ――“なりかわり”

 

 それは一種の精神寄生体である。

 名は体を表すとの言葉通り、“なりかわり”は宿主の精神を食い荒らし本人に成り代わる。

 第一次人魔大戦から人類勢力に深刻な被害を齎してきた魔族の侵攻作戦のいくつかは、このなりかわりの暗躍によって引き起こされたものが少なくない。

 

 しかし、なりかわられたとしてもただの1人しか乗っ取れないのであれば“なりかわり”はここまで忌み嫌われてはいない。

 “なりかわり”の恐るべきはその擬態性と、捕食性である。

 

 例えばAという者がなりかわられたとする。

 更にそのAには元々Bという友人がいる…こんなケースの場合。

 なりかわられたAは高確率でBを捕食するであろう。

 そうなった場合、Bの姿をAが取る事もできる。

 Bが奪われるのは姿だけではない。記憶も、その能力も…いや、その“存在”を奪う。

 

 ◆◆◆

 

 謀略の真髄とは何か。

 それは敵対勢力の相克、ひいてはその誘発である。

 

 確かに魔族の生物としての強度は人類のそれに勝る。

 しかし衆寡敵せずという言葉がある様に、人類が大同団結をして魔族に望んだのならば殲滅されるのは魔族なのだ。

 生物としての魔族は人類を見下す。蔑む。侮る。

 

 しかし、勢力としての魔族は決して人類を侮ってなどはいなかった。

 だから“弱小勢力”として当然の作法…謀略を多用するのだ。

 中央教会、法神教という一大謀略を仕掛けたのも人類を内部から壊乱せしめるためである。

 

 だがここに2つ問題があった。

 確かに法神教は、中央教会は魔族の謀略の結実だ。

 

 だが、そこに集う人々の多くが人類なのだ。これが問題の1つ。

 教皇こそ魔族ではあるが、一定数の魔族を教会内に仕込んでおかねば来る大戦の際に障りがあるだろう。

 

 しかし魔族を仕込むと言っても相応の実力者でなくては意味が薄い。

 だがここに問題のもう1つが出てくる。

 実力者と言うのは大抵強い魔力を持っているが、なりかわりにとってはこれが毒となる点だ。

 

 実力者であっても肉体的、精神的に徹底的に痛めつければなりかわる余地も生まれるのだが、教会の勢力圏内でそれは難しい。

 なぜなら聖職者と言うのは一部を除いて基本的には個人行動をしないからだ。

 

 しかし、ここで“なりかわり”が動きやすいように人格複製計画を立ち上げたのがアンドロザギウスであった。

 彼は教会戦力の拡張という名目で、人為的なマルチ・キャスターをつくりあげる計画を立てた。

 

 その過程で被験者は非常に激しい痛苦を肉体的、精神的に受ける事になる。

 本人が魔力を使用して治癒も出来ないように徹底的に隔離された空間で。

 

 抗魔石とよばれる特殊な素材で建築されたそれらの部屋では魔力の影響が低減される。

 レグナム西域帝国などではいわゆる刑務所にあたる施設で使用されたりしている。

 

 ここまで言えば分かるだろう。

 このマルチ・キャスター計画というのは教皇にして魔族、アンドロザギウスが考案したなりかわり先の素体を作り出すための計画であった。

 

 素体は複数の術体系を操り、種族は人類種で、更に人類にとって信頼できる組織の一員。

 

 そんなものが実は魔族の尖兵であったなら、そのアドバンテージは計り知れないものとなる。

 

 だが人格が不安定な者に成り代わればどうなるのか?そればかりはアンドロザギウスにも判然としなかった。

 

 その答えがミカ=ルカ・ヴィルマリーだ。

 

 彼女は主人格であるミカを含む4人格の内の1つをなりかわりに乗っ取られた。

 ミカ自身の人格…精神は無事であった事が唯一の救いであろうか。

 

 この弊害でミカは1日の内、記憶が空白になる時間がある事に悩む。

 

 しかし、ミカ自身、その空白は人格の増設による弊害だと理解は出来ているし、空白である時間に何かまずいことをしでかしたとかそういうトラブルも無かったので放って置いた。

 

 実際は不味い事どころか、エルの侍女であるルカを捕食しその姿と記憶を奪っていたのだが…。

 

 ◆◆◆

 

 “存在を奪う”

 

 この真価はなりかわりが複数の人間を捕食した際に発揮される。

 と言うのも、ミカもルカもその外見は異なるのだ。

 ミカは髪の色が緑に対して、ルカは薄い青だ。

 それなのに過激派の者達はミカ=ルカ・ヴィルマリーをルカと認識していたし、穏健派の者達はミカ=ルカ・ヴィルマリーをミカと認識していた。

 

 これが存在を奪うという捕食特性の真価である。

 捕食された者の関係者の認知を上書きするというのは恐るべきと呼んで差し支えないだろう。

 

 ◆◆◆

 

 弾かれる様に後方へ下がったミカ=ルカを見て、ヨハンの目が狂犬病に侵された野犬の如くギラリと光った。

 

 ヨハンには分かっていたのだ。

 

 なりかわりの生態が、ではない。

 “こういう手合い”は自由に喋らせて置くと碌な事にならないと。

 

 なぜか?

 自身がそうだからである。

 

 べらべら手の内を明かす時は何かを仕込んでいる時、罠を張っている時だ。

 だからヨハンはミカ=ルカを自身に置き換えて、自分が仕込みをしている時にされると一番嫌な事をした。

 

 それが問答無用の暴力である。

 

 大きな術はもう撃てない。

 術腕に仕込んである触媒も打ち止めだ。

 しかしヨハンにはまだストリート仕込みの喧嘩殺法がある。

 

 ヨルシカの大上段からの切り落としに気を取られていたミカ=ルカに向けて、ヨハンが走りこむ。

 

 そしてぬるりと彼女の懐に入り、体勢不安定な膝に蹴りをくれてやり――……

 反動でミカ=ルカの膝を踏み台にして飛び上がり、勢いよくその顔面に膝を叩き込んだ。



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神魔入り混じる猛悪の森

 ◆◆◆

 

 ヨハンの膝蹴りが強かにミカ=ルカの鼻梁を打ち据えた。

 飛び上がったヨハンが顔を仰け反らせたミカ=ルカの足元に着地すると、そのまま術腕の剛力で足首を掴む。

 そして腕を引きミカ=ルカを転倒させるやいなや、腕を首元に回して裸締めを仕掛ける。

 そこには如何なる問いかけも駆け引きも無かった。

 あるのはただただ原始的な暴力だ。

 

 頚動脈への圧迫は脳への酸素供給を阻害し、喉への圧迫は術の行使を妨害した。

 “なりかわり”は確かに恐るべき存在ではあるが、その特性を除いた能力は宿主のそれに依存する。

 ミカ=ルカ・ヴィルマリーの二等審問官としての実力の真髄は、個人で多種多様な術体系を扱うその固定砲台的なスタイルにある。

 体術が出来ないわけではないが、ザジやゴ・ドの様に体術こそが実力の主軸というわけではない。

 したがって彼女は、いや、“なりかわり”は本来の彼女の体術の技巧をもってヨハンに対抗しなければならない。

 

 ――俺は嵌めるのは好きでも嵌められるのは嫌いなんだ

 ――舐めた真似しやがって

 ――内に何が巣食っているかは知らないが、そんなモノは知った事か

 ――貴様が何者かは関係ない。ミカ=ルカ諸共ここで絞め殺してやる

 

 ミカ=ルカの耳朶をヨハンの殺害予告的囁きが打った。

 

 ◆◆◆

 

(完璧に決まった!あれは抜けられない…)

 

 ヨルシカの内心の声の通り、完璧に決まった裸締めは抜けられない。

 

 まあ普通は。

 一般的には。

 

 ヨルシカなどなら背より剄を打ち吹き飛ばすのだが、ミカ=ルカはそういった技術には疎い。

 先立ってアイラが熱撃の術をミカ=ルカへ放とうとしたが、その際には熱量をそのままにアンドロザギウスの如く反射させる術の備えが彼女にはあった。

 だからこそのあの余裕であったのだが、ヨハンは彼女の、というより“なりかわり”の思惑を悉く外してきた。

 

 どこから見ても交渉、駆け引きをしようという場面でいきなり殺しにくる者がどこにいる?

 冷静に対応すれば十分対処可能であった雷撃の術をそのまま受けたのは、彼女の予測をヨハンの反社会性が上回ったからだ。

 

 術師とは言葉を繰る者であるのに、言葉じゃなく膝をぶちこんでくる者がどこにいる?

 ヨルシカの剣撃はかわせたのに、ヨハンの膝蹴りを防げなかったのはまさか彼が野蛮極まる喧嘩殺法をもって挑んでくるとは思わなかったからである。

 

 ヨルシカは素早く周囲に目を配った。

 邪魔が入らないようにだ。

 

 エルなどはヨハンの蛮行に唖然としていたが、裸締めの体勢に入るなり慌てて止めようとした。

 しかしヨルシカの眼光鋭く、アンドロザギウス戦で消耗をしたエルが術無しでヨルシカを突破するのは不可能であった。

 エルはジュウロウに目をやるも逸らされる。

 ジュウロウとしてはヨハンの邪魔をするつもりはなかった。

 むしろ、こちらが手を汚さず、また危険をおかさずにルカの皮を被ったナニカを殺してくれるならば都合が良いとすら思っていた。ギルバートも同様だ。

 

 ◆◆◆

 

 ヨハンの締めに更なる力が加わる。

 ヨハンはミカ=ルカを本気で絞め殺すつもりだった。

 本気でなければ人を動かせない、とヨハンは常々考えている。

 たとえ本当の目的がミカ=ルカの殺害には無いとしても、だ。

 

(分かっているな?お前が生きてこの場を脱するには、1つしかない筈だ。気付け。まあ気付かない様ならお生憎様だが…)

 

 願いと言うほど強いものではなかったが、それでも上手く踊ってくれというヨハンの思いは結実した。

 首への締め付けに喘いでいたミカ=ルカの目が見開かれたのだ。

 その白目の部分までもが赤く染まっている。

 

 雰囲気の急変を察したヨハンは僅かに力を弱め、赤く染まったミカ=ルカの眼を己の眼で見返す。

 視線というものはあくまで例えで、見ているものに線が繋がる事などは普通は無いが、それでもこの瞬間、ミカ=ルカ…“なりかわり”の視線とヨハンの視線は一本の線となったように周囲の者達には思えた。

 

 その瞬間、“なりかわり”とヨハンの両者がニタリと嗤った。

 

 ◆◆◆

 

 ヨハンは別に聞いていなかったわけではないのだ。

 

「ちょっと!話を聞きなさい!いいですか、私はミカが創り出した人格群の1つに…」

「だから!私は彼女の心の隙間に…!」

「ああもう!これだから、ニンゲン、は!」

 

 これらのセリフを聞いていないわけではなかった。

 聞いて状況をある程度把握した上でミカ=ルカを始末しようとした。

 それが最上の選択ではない事は彼にもわかってはいた。

 最悪、エル達と戦う羽目になりかねないという危険もあった。

 

 それでもなおミカ=ルカに牙を剥いたのは、単純に死地へ誘導されて頭に来ていたのと、あとは他者に憑依・寄生するような存在の危険性、厄介さを理解していたからである。

 洗脳・憑依・寄生…こういったものに、自分は抗しえる自信はあるがヨルシカはどうか?

 以前、聖都キャニオン・ベルへの道中に上位魔族の化身と思しき存在から洗脳の魔眼を受け、意識を混濁させた事を思えば怪しい所であった。

 

 だからどういう形であってもミカ=ルカに対してはそれなりに対応しなければならないとヨハンは考えていた。

 ミカ=ルカの問答無用の殺害は次善の手段だ。

 最上の選択肢は条件が許さないかぎりは厳しいだろう。

 

 だがここに来て、恐らくはその最上とも言える選択肢を取れる機会が巡ってきたとヨハンは感じる。

 それは即ち…

 

 ◆◆◆

 

 天空に輝くのは凄まじい熱量を地表に浴びせかけ続ける小型の太陽であった。

 “なりかわり”の表皮はたちまちに焼け爛れ、広く広がる森の中へ慌てて駆け込む。

 足に激痛が走った。

 紫色の毒棘が隙間無くビッシリと生えていたからだ。

 木々が異物の侵入を感知してざわめきだす。

 木の蔦がウゾウゾと蠢き、“なりかわり”に巻きついた。

 木の蔦には棘が生えている。

 棘は“なりかわり”の肌に突き刺さり、その体から血液を吸い取っていく。

 

 これはあくまでイメージだ。

 しかし精神寄生体である“なりかわり”にとってはイメージであってイメージではない。

 

 “なりかわり”にとってそれは常軌を逸する世界であった。

 彼はヨハンの精神を食らってやろうと乗っ取りを仕掛け、その為にヨハンの心の軸となるモノを破壊すべく彼の精神世界に降り立ったのだが…

 

 ――ニンゲン、ではない

 

 待っていたのは凶悪極まる殺伐とした世界であった。

 通常は例えば家族の思い出だとか、友人との絆だとか、恋人の愛情だとかなのだ。

 “なりかわり”はそれら心のよりどころ…精神世界に再現された家族や友人、恋人を殺害、破壊する事で乗っ取りを完了する。

 しかしヨハンの精神世界はそもそも何が心のよりどころなのかが良くわからなかったし、世界そのものがここまでの殺意に満ち溢れ襲い掛かってくるなど、“なりかわり”にとっては思いもよらない事であった。

 

 ――ここは、地獄

 

 ――嗚呼、あのニンゲンは、悪魔であった、か…

 

 その思考を最期に、“なりかわり”はその精神的肉体を復元不可能なほどに破壊され、残滓は森に溶けた。

 

 ◆◆◆

 

 ミカ=ルカ…いや、ミカとの視線の交錯は一瞬であった。

 少なくとも現実世界においては。

 

 ミカとヨハンの視線が交錯し絡み合ったかとおもえば、その場の誰にでも分かるというような明瞭さをもってミカが纏っていた妖しげな雰囲気は霧散し、当のミカはといえば意識を失い崩れ落ちている。

 ヨハンの裸締めは既に解かれていた。

 ミカは気を失ってはいたものの、静かに呼吸をしており命に別状は無いようだった。

 

 ヨハンはそんなミカを見下ろし、ほっと息をついた。

 安堵したのだ。

 それは彼女が無事だったからではなく、彼女の殺害により発生するかもしれない穏健派、あるいは過激派との戦闘を回避出来たであろうことを確信したからである。

 

 人は合理に徹する事は出来ない。

 たとえその選択がその場においては正しいものであっても、ミカを慕う者達からの恨みを受け、殺意を抱かれないとも限らない。

 

 最上の選択、それはミカに巣食っているであろう存在のみを抹殺する事。

 行き当たりばったりに過ぎる思惑が何もかも上手く行った事にヨハンは安堵する。



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帝国へ

 ◆◆◆

 

 連盟の術師の精神を乗っ取る?寄生する?

 術というものの性質を多少でも学んだ者であるなら、そんな莫迦な話は嗤い飛ばすであろう。

 連盟の術師の精神を我が物とする難易度に比べれば、同格の術師を100人殺す方がまだ容易い。

 

 仮に乗っ取りに成功しても末路は知れている。

 自殺だ。

 例え魔族と言えどもこの世界の何もかもに絶望し、そして自ら死に至るであろう。

 

 なぜならば連盟の術師達は知っているからだ。

 

 生きる事とは死を恐れる余りに自身を鎧う事であると。

 だがその鎧にも錆びが浮き出るほどに年月が経過したとき疑問に思うのだ。

 自身は一体何を護っていたのかを。

 そして鎧を外して中身をみれば、そこにはただただ虚無が広がっている事を彼等は知っている。

 

 そう、生とはすなわち虚無である事を連盟の術師達は知っている。それは余りにも巨大な絶望だ。

 生きる事それ自体に意味はない。

 連盟の術師達はそれを心と頭と魂で理解している。

 

 それで居てなぜ普通の人が生きられるのかといえば、生きる事に意味がないことを本当の意味で理解していないからだ。そして理解をしないままに、生きる意味を自身の中に産み出すからである。

 その意味とは家族であったり恋人であったり仕事であったり、人それぞれだ。

 人は、いや、すべての生命体は命が抱く根源的な絶望に気付かない、自覚しないからこそ生きていられる。

 しかし連盟の術師は違う。

 彼等はその根源的な絶望を自覚している。

 

 そして連盟の術師の強さの根源は絶望の中にあって希望、つまり生きる意味を構築できる精神性にある。

 

 それは例えるならば崖から落ちている最中に縄を結うことに等しい。出来上がった縄をどこに引っ掛けてどのように崖の上に昇るかを落下すれば死という状況で冷静に検討する事に等しい。

 

 狂っていなければ出来ない事だ。

 そんな彼等を乗っ取る事に成功してしまったならば、その寄生者は一個の生命が抱えるには余りに巨きすぎる絶望をのみ与えられて、当然の如く耐え切れず、死に至るであろう。

 

 “なりかわり”は今回、ヨハンの病的精神世界の土壌となった。しかしその世界を我が物としたところでどの道朽ち果てていた。

 

 最初から詰んでいたのだ。

 

 ◆◆◆

 

 ヨハンとミカ=ルカの視線が交錯したとおもえばミカ=ルカが倒れた。何かをしたのは間違いはない。だが何をした?

 

 ヨルシカ以外のすべての者がヨハンの所業をいぶかしむ。

 だがその場の全ての者を無視して、ヨハンはヨルシカに視線を向けて尋ねた。

 

「帝国に行く。君も来るか?」

 

 ヨルシカは頷いた。

 来るか来ないか、今更聞く事だろうかと思わなくは無い。

 しかしそれがヨハンという男のタチなのだとヨルシカは理解していた。

 

「中央教会が事実上崩壊してしまった今、魔族の侵攻に抗する事が出来るのは西域ではレグナム西域帝国、東域ではアリクス王国くらいのものだろう。もちろん中域や極東、北方や南方にも戦力がないとは言わない。しかし、距離的な問題や、各々の地域の独自性を考えると余り現実的ではない。だから帝国かアリクス王国かという話になるのだが、やはり距離的に帝国のほうが近い。アリクス王国には師がいるが、アレはアレで余り頼りたくは無いんだ」

 

 帝国の名を出すとエルをはじめ、旧過激派の者達の表情がやや曇る。それもそうだろう、彼等は皆大なり小なり帝国に恨みがある。まあ逆恨みに近いものもいくつかあるが、それはそれだ。

 

 そんな彼等をヨハンはちらりと見遣り、面倒そうに口を開いた。

 

「今上帝サチコはこれまでの皇帝とは違い、宥和的な政策を取っていると言う。まだ幼い女帝という話だが、協会一等術師でもある宰相が政務を支えているそうだ。少なくともこれまでの様な周辺諸国を蹂躙するかの如き領土拡張政策とは真逆の方針……であるならば、亡国の徒とて無下には扱われまい」

 

 ヨハンにしては珍しい、旧過激派の心情に配慮したフォローである。

 

 するとジュウロウが不思議なものを見る目でヨハンを見つめた。

 

「何だ」

 

 視線を鬱陶しく感じたヨハンがそう問うと、ジュウロウは答えた。

 

「いや、兄さんってそんな事言う性格じゃなさそうなのにな~ってさ。どちらかといえばもう少し情がない性格かと思っていたよ」

 

 ジュウロウの言葉にその場の者達は心中で頷いた。

 なぜならヨハンという男は終始愛想や協調性がまったくなさそうなチンピラ然とした態度であったからだ。

 

 そんな評価にヨハンは莫迦な、と眉を顰める。

 彼としては別に彼等に対して悪感情を抱いていたりはしておらず、むしろ死闘を共に乗り越えた一種の戦友めいた感情を抱いていた。

 

「愛想か。ヨハン、笑顔とか意識して浮かべるのはどう?」

 

 ヨルシカの助言にヨハンは首を振った。

 否定だ。

 

「俺は君に対する時と、敵を殺すとき以外に自然に笑える気がしないんだ」

 

 ヨハンの言葉は旧過激派と旧穏健派の者達に多少の共感を抱かせる。なぜなら彼等も彼等で結構重い過去を持っている者が多いからだ。

 

 そんな彼等の暗い過去の経験に照らせば、ヨハンの様な歪な感情表現をする者は相応に辛い過去を抱えている。

 ヨハンもまた何か重い過去を抱えているのだ、と彼等が判じたのは無理からぬ事である。

 

 ただ真相はといえば彼等が思うほどに悲壮感のあるような理由ではなく、ヨハンの態度の悪さは彼の少年時代、ストリートで喧嘩に明け暮れていた事に由来する。

 要するに育ちが悪い事が理由であった。



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閑話:神魔伝承

 ◆◆◆

 

 魔族とは何か。

 魔族とはこの大陸……ܥܠܡܐ(イム)の覇権的先住民族である。

 

 そう、元々このイムという大陸は魔族の物であったのだ。

 広大な大陸に多くの魔族が暮らしていた。

 魔族以外の者はいないのか? と思われるかもしれないが、魔族という呼称は例えて言うならば“人間”のようなものであって、魔族の中にも厳密にみれば色々種類があった。

 

 いや、魔族という呼称は正しくないかもしれない。そもそも彼等には魔族という名称すらもなかったのだから。後述するが、魔族という名は外部から押し付けられたいわば呪いである。

 

 彼等は言葉一つで炎を生み出し、水を湧かせ、風を吹かせ、大地をめくりあげる。

 蒼く輝く肌はまるで深海の神秘が詰め込まれている様で見る者すべてを魅了した。

 

 だが彼等は元々このように強大な力を持っていたわけでも美しく蒼い肌を持っていたわけでもない。

 本来の彼等は現在のイムに住まう人々と同様の見た目、そして“魔法”の如き神秘を扱う事はできなかった。

 

 一言で言うならば弱き者だ。

 しかしその弱き者達は穏健で努力家で信心深かった。

 

 信心。

 そう、信心深かった。

 彼等はイムの主神、シャディを奉じる民族宗教の信者であったのだ。

 

 これを便宜上シャディ教という。

 

【挿絵表示】

 

 シャディは美しい女性の姿を取る古代の神で、特定の事象を司る神という訳では無い。

 あえていうならば万象を司る神であった。

 

 極めて強大な力を持つ神であるといえよう。

 

 しかしシャディはその強大さゆえに信者達に過度の恵みを齎さなかった。

 シャディは万能ゆえに知っていたのだ。

 身の丈に合わない力を得た者達の末路と言うものを。

 

 朴訥で優しく、真面目な“彼等”をシャディは好きだった。

 好きであるが故に、温かい真綿で包むように優しく穏やかに見守っていた。

 

 だがある日、異変が起きた。

 それは極めて致命的な異変だ。

 

 外の大陸からの侵略があったのだ。

 世界はイム大陸のみから成る訳ではない。

 当然の様に他の大陸だってある。

 

 エラハという神が主神として君臨していた外大陸の侵略者達は、一言で言うならば殺戮のなんたるかを心得ていた。

 

 だがそれだけであったならばどれだけ良かった事か。

 

 侵略者達に効率的な殺戮の為の知識はあっても、血に飢えた情動を抑制する為の理性……その源たる教養はなかったのだ。

 

 侵略者達に弱者は強者に戮されて当然、そして己こそが強者であるという自尊心はあっても、弱者を嬲るだけが強者の証だろうかと疑念の光を投げかける為の自制心はなかったのだ。

 

 ◆◆◆

 

 侵略者達はイムの各所へ殺到し、瞬く間に“彼等”を殺戮した。

 “彼等”に抗する手段は無かった。

 何せこれまでただの一度も外敵と争った事は無かったのだから。

 

 女神シャディはその間何をして居たのか? 

 愛する子達が戮されている中、それを黙視していたのか。

 そうではなかった。

 女神シャディは非常に強力な神だ。

 侵略者達がいかに凶猛であろうと、神の前で木っ端も同然であった。

 

 だがそれが出来ない理由がある。

 

 もしイムの民を救うべくシャディが腰をあげるのならば、外大陸の侵略者達の神であるエラハもまた腰をあげるであろう。

 そうなれば神と神の争いとなり、何もかもが虚空に帰すに違いない。

 

 シャディが手を出さないからこそ、エラハも手を出さないのだ。

 それが神の取り決め、世界の摂理であった。

 

 ではこのままイムの民が駆逐されているのを黙ってみているしか手はないのであろうか。

 女神シャディはそうしなかった。

 

 危険を理解してはいても、少しずつ、ほんの少しずつ神の力を、シャディの加護をイムの民達に流し込んでいった。

 エラハに勘付かれない様に僅かずつ、僅かずつ。

 その間にもイムの民の数が減っていくのを理解しながらも、少しずつ、少しずつ。

 

 戦況が均衡したのはイムの民の総数が半分のその半分、そしてそのまた半分程に減ってしまってからであった。

 

 侵略者の神エラハがイムの民の変容に気付いた時には遅かった。

 イムの民はその肌を蒼く染め、その瞳を紅く濁らせていた。

 姿の変容は神の力の流入による変異である。

 

 神エラハは激昂し、その両眼に光熱の火花を散らせた。

 神の力を怒りのままに直接的に振るおうとも考えた。

 

 だが実行には移さなかった。

 

 なぜならば自身の信者……侵略者達もその数を大分減らしてしまっている。この状態で女神シャディと争えばどうなるか。

 敗北を喫するとは思わなかったが、そもそもの目的を達する事が出来なくなるのではないだろうか。

 

 信者の数はすなわち神の力の総量に等しい。

 想いを束ね祈りと成し、祈りを束ね信仰の力とし、信仰の力を重ねる事ではじめて神の力はいや増すのだ。

 

 これは逆説的にいえば神を殺すのならば信者を皆殺しにすればいいという事になる。

 

 そもそも侵略者達がイムへやってきたのは、勢力の拡大がゆえだ。

 神エラハは神に似合わずというべきか、神らしいというべきか、実に“俗”な野心を抱いていた。

 

 ──至尊の冠は己ただ1柱であればいい

 

 しかしここで神同士の直接的な争いに発展すればどうなるか。

 エラハの見た所、相克とまではいかなくとも自身は大きく力を減退させるだろう。

 最悪の場合、自身が滅びる可能性もないわけではない。

 そうなってしまっては本末転倒も良い所だ。

 

 ──ならば

 

 エラハがした事は、シャディと同じ事だ。

 すなわち自身もシャディに見咎められぬ程度に己の信者達に少しずつ力を流し込むのだ。

 

 こうなれば後は生存をかけた泥沼の死闘が待つのみである。

 両柱は自身の力を信者達へ流し、両柱の信者達は生存と自身の奉ずる神の為に殺しあった。

 イムの地には夥しい鮮血が流れ…………

 

 ◆◆◆

 

 彼に名は無い。

 と言うより、彼のみならず歴代の“魔王”の何れも名を持たない。

 

 魔王とは魔族の王と言う意味である。

 王でありながら、彼は王としての役割を果たす事は無かった。

 ただただ無為に座しているだけだ。

 諸事は配下の者達が汲み、為す。

 

 彼はその日もただ座していた。

 いや、ほんの僅かなまどろみに身を委ねていた。

 魔王とて生物である以上、睡眠は必要とする。

 

 魔王がふと顔を上げた。

 僅かなまどろみが澱みに浮かぶ泡沫の如くぱちんと弾けた。

 昔の、遥か昔の記憶が蘇る。

 

「陛下、お目覚めに?」

 

 傍らに控える側近が声をかけるが、魔王は何も答えない。

 だが魔王が何を求めているか、それを魔族はなぜか分かる。

 だからこそ魔王がただただ座しているだけでも配下が諸事を為せるのだ。

 

 魔合の作用だ。

 魔王は魔族すべてを魔合している。

 

「……は。この大戦にてすべてを終わらせましょう。既に全軍の用意は整っております。侵略者の子孫共を総て滅し、そして我等の母の眠りが醒めるのを待ちましょう……」

 

 魔王の意を受けた側近が答える。

 

 ──―せ

 

 魔王はその時初めて口を開いた。

 小さい声だ。

 しかし側近は聞き返さなかった。

 魔王の意思は魔族全体の意思であるからだ。

 聞かなくとも側近には魔王が言いたい事が分かる。

 

 すなわち

 

 ──―奴等を総て殺せ

 

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閑話:北方侵攻①

 ◆◆◆

 

“そうなってしまう”前のラカニシュは西域の北部、オルド王国近隣のとある小さい山村の生まれであった。

 

【挿絵表示】

 

 山村がある地域は冬と雪の女神、北神ファラールと呼ばれる地神への信仰が厚い。

 冬になれば北神ファラールは氷雪から成る冬女神の愛娘…フラウを下界で遊ばせる、だから冬は寒いのだ、だから冬は雪が降るのだ、と人は言う。

 

【挿絵表示】

 

 ラカニシュはその北神ファラールを奉じる神官であった。神官と言っても何か特別な異能があったわけではない。

 ファラール神からも何か力を授かったという事も無い。

 

 当たり前だ。

 北神ファラールなど存在しないのだから。

 

 存在しないのになぜファラール神を奉じる宗教などがあるのか。

 それは簡単にいえば生活の知恵というか先人の叡智である。

 冬は美しいが危うい季節だ。

 そこかしこに危険が潜む。

 

 古代の先人はそういった危険に備える知識をより効率的に後世に伝承する術がないかと模索した。

 

 その結果がこれである。

 神は寒冷地で生活する為の備え、その口伝の潤滑油となり果てた。

 だがそれは別に涜神にあたる行為でもなんでもない。

 

 なぜならその神自体が居ないのだから。

 

 古代の民の賢明さはそれだけではなく、まかり間違っても神格を得ないように、神の器たるモノをつくりださなかった点にもある。

 仮に御神体の様なモノがあれば、信仰を集めたそれはいずれ神格を経て、更なる安寧か、或いは惨憺たる破滅を北方へ齎していたであろう。

 神とは決して善きものであるとは限らない。

 

 冬、寒い季節という漠然とした概念を器にするには信仰の総量が足りなさ過ぎる。

 ゆえに北神ファラールという存在はあくまで名前だけの存在となった。

 

 ともあれ、歴史の真相に気付いているラカニシュが口を噤み、同時に古代から連綿と受け継がれてきた生活の知恵をもって厳冷地にある山村の生活を支える。

 これまではそれで上手く行っていたのだ。

 

 中央教会の使者が山村を訪れるまでは。

 

 ◆◆◆

 

 名も無き山村・村長の家、客間。

 

 使者達は8名でやって来て、冬神教の司祭たるラカニシュ、そして村の指導者である村長が対応に当たった。

 

 ――なぜ至尊たる法神を奉じず、蛮たる事甚だしき異形を崇めるのか

 

 中央教会の使者は声高に村長を詰った。

 中央教会…ひいては法神教という覇権的一神教は色にも生臭にも厳しい制限等は無い。

 

 法神に祈りを捧げれば法神教の聖職者達は信徒達に現世利益と言うわけではないが、例えば病気の治癒や怪我の治療、生活上の細かいが役に立つ知恵などを授け、害虫から害獣、あるいは魔獣の駆除までもを民草の為に為す。

 

 故にイムの大陸全域に瞬く間に広がり、勢力を拡大してきた。

 

 だが一点。

 

 異教の崇拝には非常に厳しい、苛烈とも言える施策を取ってきた。

 その“施策”の結果、多くの血が流れる事は珍しくはない。

 

 これには山村の者達も辟易とした。

 

 これまで父の代もその父、さらにその父の代からもずっとファラール神を奉じてこの地で生きてきたというのに、何故今になっていきなりそんな事を言われるのか。

 

 これは、この小さい山村が中央教会の権勢が及ぼす範囲の外か、あるいはそのギリギリの位置にあった事が大きく影響している。

 

 要するに中央教会からみてその山村は遠すぎたのだ。しかし地理的に遠いという事は改宗の強要を諦める理由足りえない。

 

 布教活動と銘打った異端討伐は大陸の各所に及び、例外は無い。時間を掛けて周辺の地歩を固めた後、中央教会は北方地域へと法の手を伸ばした。

 

 使者達の醸し出す危険な雰囲気を察したラカニシュは、改宗に応じると伝える。

 だがその提案は受け入れられなかった。

 

「巧言を弄するかッ!」

 

 そのリーダーと思しき者が腕を振るい、机の水差しが吹き飛ばされる。

 

 ラカニシュの英明な脳は中央教会の使者達の間尺に合わない振る舞いを見て、疑念を抱いた。

 

 ――彼等は適当な理由をつけ、我々を異端者だとするつもりだ。だが、それで彼等が得るものは何だ?いや、想像はつく。だがそれを断わればどうなる?

 

 ラカニシュの予想が正しければ求められるものは明らかだ。だがそれを受け入れるというのは厳しい。

 では断わればどうなるか。

 そこから感じるのは濃厚な血腥さであった。

 その血臭が意味する所は明らかだが、ラカニシュは努めて気付かない振りをした。

 なぜならば気付いた所で心が挫けるだけであったからである。中央教会の光と闇、その両面についてはラカニシュも知っている。

 

「巧言ではありませぬ。我々は冬神への信仰を捨て、法神に帰依致しましょう」

 

 ラカニシュは慎重に言葉を紡いだ。

 

「まかり成らぬ!異端信仰は討滅の理由足りえる!真の心を立てぬ限りは信ずるに値せぬ!」

 

「では我々を滅ぼすと?」

 

「そうは言っておらぬ!何と察しが悪いのか!貴様らが真に尊き法神に帰依するというのならば、その証を立てよと言っておる」

 

「証とは…?」

 

 大方金と女、生臭であろうと看破したラカニシュの予想は的中した。

 法神教はその辺りの縛りが緩い。

 それはつまり、その精神性が世俗により近いということだ。

 

 だが決して自分からは言わない。

 村は貧しい。

 よって金も女も食料もくれてやる余裕などはないからだ。

 捻りだせば僅かならば出せるかもしれない。

 中央教会の使者が自身で欲望を垂れ流さないのは、聖職者としての恥を多少は知っているからか。

 

 ラカニシュはそのあるかないかも定かではない使者達の羞恥に付け込む積もりであった。

 

 彼の思惑は駆け引きのあり方としては正しい。

 しかしそれは見せかけだけの正しさであった。

 

 そもそも何故駆け引きなどをしなくてはいけないのか。条件を交渉をしなければならないのか。

 

 それは力押しを選ぶ事で大きな損失が発生するかもしれないからだ。

 それは力押しを選ぶ事で本来得られるはずだった利益を得られなくなるかもしれないからだ。

 

 当然の帰結として、血が流れる事となった。

 なぜならば、使者達にとっては言葉ではなく力を用いた所でさしたる抵抗はない以上損失はなく、また得られるはずだった利益と言うのも村を潰した後に接収すれば良い為考慮するに値しない。

 

 ラカニシュは腹部に冷たい灼熱を覚えた。

 長剣が彼の腹を貫通したのだ。

 ラカニシュの駆け引きに対して使者達が返した答えは鉄剣であった。

 

 ラカニシュは思う。

 彼らはまがりなりにも聖職者ではないのか。

 聖職者とは神の言葉の代弁者ではないのか。

 そんな神の使者たる者がこの様な所業を為すのであれば世界に神はなく、而して安寧も無い事に等しいのではないか。

 

 ラカニシュが意識を失って後、村には沢山の沢山の血が流れた。

 その血にはラカニシュの老いた両親、友人、妻、そして産まれたばかりの子供の血も含まれていた。

 

 ◆◆◆

 

 ラカニシュが目覚めた時、村には彼を除いて誰一人として生者はいなかった。

 いや、彼を手当てした者ならば居た。

 

「やあ。体調はどうです?」

 

 ラカニシュは飛び起きた。

 なぜなら悪魔の如き相貌の禿頭の男がこちらを見下ろしていたからだ。

 

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「はじめまして…私はマルケェス・アモン。何の変哲も無い、しがない…草臥れた僧侶です。オルド王国を目指していた所、糧食に不安が出てきてしまいましてね。この村が遠目から視えたのですが、たどり着いてみればこの有様で…貴方だけかろうじて息がありましたから手当てをしたのです」

 

 マルケェスと名乗る男はいかにも怪しかったが、腹に手をやってみればその傷は塞がっている。

 

「手当てをしてくださったのですか?感謝いたします…それで、その…私だけ、と言うのは…」

 

 マルケェスはその質問には答えず、しかし首を横へ振った。

 何が言いたいかは明らかであった。

 

「そうですか…」

 

 事情を説明してもらっても?というマルケェスの質問にラカニシュは答えていく。

 全てを説明した時、ラカニシュの頬を数滴の涙が伝った。

 理性と合理により情動を制御しているラカニシュの、それが人としての最後の感情の発露となる。

 

「貴方はこの光景を見てどう思いますか?許せませんよね?この惨状を作り上げた者達に報いをくれてやりたい、そう思いませんか?」

 

 マルケェスの言葉に間髪いれずにラカニシュは否と答えた。

 意外そうな表情を浮かべるマルケェスに、ラカニシュは寂しそうな笑顔を浮かべ答えた。

 

「私には、私には分かりません。この村には神の名だけが伝わっていました。その神が存在しない事を私は分かっていました。しかし、神なき生活であっても毎日の生活は平穏であり、安寧でありました」

 

「見ての通り村は厳しい環境の中にあります。1年を通して冷え込み、山の恵みが採れる期間も極短い。それでも私達は上手くやってきたのです。先人の知恵が生活を支えるための大きな力となってくれました…」

 

「法神は冬神とは違い、確かに天におわすのでしょう?その法神を奉じる者達であるなら、我々よりもより深く平穏と安寧の中にあるべきではありませんか?それなのに何故、他ならぬ彼等自身が凶報の運び手となるのでしょうか。神の存在は平和に寄与しないのでしょうか」

 

 つらつらと語るラカニシュの話を黙ってきいていたマルケェスは一言尋ねた。

 

「怒りはないのですか?」

 

 ラカニシュは答えた。

 

「ええ、怒りはありません。おかしい事だと私自身も思います。しかし本当にないのです。あるのは悲しみです。神なき日々にも関わらず平穏と安寧に在った平和の日々が破れた事への悲しみです。そして神を奉じてなお凶事を為さねばならない業を背負ってしまった人々への悲しみです。神がいてもいなくても、人は救われないのでしょうか。安寧の中にたゆたう事は出来ないのでしょうか」

 

 それを聞いたマルケェスはゆっくり首を振り、そして言った。

 

「貴方は危険だ。危険で、しかも狂っている。そして面白い。ところで貴方の望み…平和を…安寧を…永遠に続く平穏を貴方自身がつくりだせるとしたら…、その為に何をすればいいのかを私が知っているとしたら、貴方はこの手を取りますか?」

 

 ラカニシュは茫漠した視線をマルケェスへ向け、やがてノロノロとした所作でその骨ばった手を取った。

 

 平和を希求する青年、ラカニシュはこの日をもって連盟術師となる。

 

 そして、青年が中年となるほどに時が流れた後、連盟術師『灰色の永遠』ラカニシュは2名の連盟術師を殺害し、連盟を脱退するのだ。

 

 ◆◆◆

 

 ――レグナム西域帝国北部領域、旧オルド自治領

 

 かつてオルド王国は北方の雄であった。

 しかし現在は自治を認められているとはいえ、帝国領である。

 なぜオルドが帝国の下位に座しているのかといえば、これは帝国の侵略が理由というわけではない。

 

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 端的に言えば元連盟術師、『灰色の永遠』ラカニシュの暴虐により国体を維持できなくなった為、当時のオルド王家が友好関係にあったレグナム西域帝国に降る事を条件にラカニシュ討伐の為の兵を貸与、そしてラカニシュが世界中に掛けた呪詛の解除を依頼したのだ。

 

 だが、この話の薄ら寒い点はラカニシュの暴虐とその呪詛にあるわけではない。

 ラカニシュは世界を呪おうとして呪詛を仕掛けたわけではなく、その逆、祝福しようとして加護を与えたのだ。

 少なくともラカニシュの認知の範囲内ではそうであった。

 

 地獄への道は善意で舗装されているとはよく言ったもので、ラカニシュという男は悪党ではなかった。

 それどころか彼は善意の人だったのだ。

 だが彼の漆黒の太陽の如き善意は、生きとし生ける者全てにとっての邪悪でもあった。

 

 ラカニシュは連盟の術師であった。

 連盟の術師の多くは己の渇望を術として編むものが多い。

 

 彼の渇望は“永遠”を作り出す事だ。

 永遠とは何か。

 その定義は人それぞれではあるが、少なくともラカニシュの考える永遠とは死の無い世界である。

 

 ラカニシュは終わりの摂理を停滞させる。

 終わりの摂理とは、分かりやすく言えば人は死ねば終わり、その魂は再び新たな生へと巡るという摂理だ。

 

 ここまで言えば彼が顕現した術とは要するに死者の蘇生…ひるがえって、ラカニシュとは死者操者であると思う者が多いだろう。

 

 しかしそれは違う。

 彼は死者の蘇生などはしない。

 ラカニシュの術は生者が死するその時、対象の時を停滞させ死に至るを食いとどめるのだ。

 本来死すべき生者は終わる事が出来ず、自身がもっとも幸せだった記憶を夢に見ながら永久に現世にあり続ける事になる。

 

 ラカニシュの術の恐るべきは終わる事が出来ないという点である。

 終わる事が出来ないという事はその魂は輪廻を巡る事が出来ないということだ。

 

 これは極論になるが、ラカニシュが存在する限り魂の総数は少しずつ減っていき、やがて現世は幸せを夢想する骸の彫像で満たされるだろう。

 魂は巡らず、新たに生命がうまれることもない。

 それは正しく“滅び”と言って差し支えない。

 

 肉体の破壊も出来ない。

 時を停滞させるという事はどういう事か。

 それは如何なる干渉も受け付けなくなると言う事だ。

 

 ラカニシュの術の範囲において人は終りに向かう事が出来ない。

 永遠にその場で足止めされてしまう。

 そして、肝心のその範囲は地上全域だ。

 なぜならばラカニシュは世界中を平和にしたいとおもっているのだから。

 

 ただし術が適用されるには条件がある。

 彼が“幸せに導こう”と正確に認識した範囲、対象においてのみ術が起動する。

 

 つまり、ラカニシュが与り知らない場所でラカニシュが原因ではない死を迎えた者がいた場合、その者は普通に死に、普通に輪廻する。

 

 逆にラカニシュの認知の範囲内にあり、彼がその者を“救いたい”と願っていたならば、その者が仮に世界の裏側にいてラカニシュの居場所とは遥かに離れていようとも、その者は彼の術に囚われるであろう。

 

 連盟の術師の切り札は自身から力を取り出すといったものだ。

 己の心象世界の物質化、もしくは心象世界をもって世界を塗り替える。

 

 ラカニシュの術は後者に当たる。

 ではその代償は何なのか?

 ラカニシュの恐るべきはこの点にもある。

 代償はない。

 なぜならば、ラカニシュは誰かに何かを、自身のルールを強要しようなどとは思っていないからだ。逆に、奉仕であるとすら考えているからだ。

 

 彼は真に民の、家族の安寧を願っていた。

 あえて代償を、と言うのならばその“奉仕”の心が代償だろう。

 

 ラカニシュが世界の全てに奉仕したいという滅私の精神を持って術を使う限り、術は永遠に起動し続ける。

 

 ――輪廻の停滞?それに何の問題があるのか?生は苦痛と同義である。なぜならば生きている限り死という最悪の苦痛に至らなければならないのだから

 

 ――で、あるならば。真なる幸せとは生も死もない世界に生きる事ではないのか

 

 ラカニシュはそう言って憚らない。

 

 術は強い想いを形と成す。

 ラカニシュの“永遠の平穏”への想いは極めて強力な力を彼に与える事になった。

 

 ◆◆◆

 

 己が在る限り平和が続く。

 ならば寿命という頚木から逃れなければならないだろう。

 ラカニシュがそう考えたのは不自然な事ではない。

 

 彼の術は確かに永遠に起動できる。

 しかし彼自身は永遠ではないのだから。

 

 術の対象に自らを含める事が出来ればいいが、ラカニシュはそれを選ばなかった。

 夢想の中に生きて、果たして術を起動し続ける事が出来るかどうか疑問だったからだ。

 術とは確個たる意思がなければ使う事が出来ない。

 

 ならば別の手で死を遠ざけるしかない。

 そう考えた彼が取ったのは不死者と化す事であった。

 

 不死者となる為には高度な儀式を成功させなければならない。

 生きたまま自身の肉体を崩壊させ、骨格に魂を宿す。これが中々難しい。と言うのも一般常識では命は肉に宿るとされているからだ。

 一般常識とは極論でいえば世界の摂理。

 自身限定ではあるが世界の摂理を誤魔化す必要があるというのは魔術に造詣が浅いものであっても難しいという事くらいは分かるだろう。

 

 ここで重要になるのは儀式の触媒だ。

 触媒は人体を使う。

 なぜなら人体に作用する儀式であるから、触媒もまた人体を求められるというのは至極当然である。

 

 その触媒は出来るだけ魔術との親和性が高い方が良い。要するに魔術師の肉体が触媒には最適と言うことだ。

 

 かくしてラカニシュは2名の術師に目をつけた。

 

 連盟術師『糾う骨』キャスリアン

 連盟術師『判事』ルードヴィヒ

 

 彼等に決めた理由もある。

 この2名の体はその固有の術を思えば不死化の触媒として理に適っている。

 更に言えば連盟術師としてはこの2名は純戦闘能力に欠けるという理由もある。

 基本的に連盟術師はハマれば強いが、ハマらなければその辺の野盗にすら殺されかねないというような者が珍しくはない。

 

 当然簡単な話ではない。

 ラカニシュが返り討ちになる可能性は十分ある。

 

 が、結果としてラカニシュは2名を殺め、そしてその肉体を手に入れた。

 これは実力的にどうこうというよりは、どちらかといえば意表を突いた不意打ちめいた殺り方であった。

 

 連盟術師は同じ連盟員を“家族”と見做すものが多い。

 それは彼等の心に孤独という名の空虚な穴が寒々とあいているからだ。

 

 ラカニシュはそうではなかった。

 ラカニシュには“家族”より大事なものがあった。

 

 それは“世界平和”である。

 平和のためなら多少の犠牲はやむを得ないのだ。

 

 ◆◆◆

 

 とはいえ、そんな穏和なラカニシュではあるが、結局はオルド騎士団により滅ぼされてしまう。

 ラカニシュは連盟術師3人分の魔力を持つバケモノではあり、極めて悪辣な固有の術を持つ。

 だが、それがなんだと言うのか?

 

 彼が腕の一振りで炎の津波を起こし、100人のオルド騎士を焼き殺すならば200人をもって殺到すれば良い。

 殺された100人のオルド騎士は死を否定されて哀れではある。

 だがそれが何だと言うのか?

 巨悪を滅ぼす為の必要経費である。

 オルド騎士は損得計算に聡い。

 最終的に得が取れるとなれば、自身の命であろうと喜んで支払う。

 

 更にはレグナム西域帝国からの援軍もある。

 衆寡敵せず。

 

 ラカニシュは特に工夫も何もない数の暴力にすりつぶされ、敗北した。

 だが正確にいえばラカニシュは死んで消えたわけではない。

 なぜならば彼は不死者だ。

 不死者は死なないから不死者なのである。

 ましてや、業に塗れた超高級な触媒をつかった『パワー・リッチ』である。

 

 半殺しにされたラカニシュは最終的に帝国の術師団によって北方の地へ固く封印された。

 封印されたラカニシュは現世に祟りを為さぬように祀られている。

 

 ◆◆◆

 

 改めてレグナム西域帝国北部領域、旧オルド自治領。

 

 魔王軍はイム大陸の全域に侵攻を開始した。

 西域の覇者、レグナム西域帝国への侵攻は特に力を入れているように思われる。

 

 魔王軍の侵攻は同時多発的に行われた。

 転移雲と呼ばれる黒雲が各地に発生し、黒雲の中から無数の魔物、魔族の尖兵が現れたのだ。

 彼等の使命は人類の殲滅、そしてイム大陸の各地に未だ存在する“力ある存在”…例えば地神や守護獣の殲滅である。

 

 旧オルド自治領は魔族の基準では“力ある存在”が眠る地であった。

 なぜそれが眠るか分かるかといえば、それは魔力の濃度によるとしか言えない。

 

 ともあれ、魔族は旧オルド自治領へ侵攻し、あろうことかラカニシュが封じられている墳墓を暴き、そして封印を解いてしまった。

 

 ラカニシュは邪悪…というより非常にタチが悪い存在だ。

 己を善である、救済を齎すものであるとおもっている。

 全ての生物に悍ましい生を与え、永遠の平和を世界に齎したいと希求している。

 

 その対象は人類のみではない。

 生きとし生ける者すべてだ。

 当然、魔族も。

 

 北の地に平和を愛する救済者、元連盟術師ラカニシュが復活した。

 

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 平和の使徒たるラカニシュは魔族の群れに向けて笑みを向ける。

 救うべき存在が此れほどいる事に喜びが抑え切れなかったからだ。

 

 その様相は封印された頃とは異なっている。

 不死者の力は時が経てば経つほどに強大なものとなる。

 

 今のラカニシュはかつての彼とは比較にならない力を有するだろう。



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閑話:北方侵攻②

 ◆◆◆

 

 レグナム西域帝国、旧オルド領。

 北都オルディア。

 その一角にバリスカ伯爵家の屋敷がある。

 ヌラはその門番だ。

 

 年の頃は30代の半ばか。

 中肉中背、黒い短髪、肌の色は白くもなく、黒くもない。

 目は細く、鼻はでかい。

 やや陰の気が強く、押し出しが良い男とは言えない。

 

 貴族の屋敷の門番とはある意味でその貴族家の看板のようなものだ。

 多くの貴族は見目優れたる者を採用する。

 ヌラの如き男は普通は忌避されるのだが、バリスカ伯爵家は大いに面子を保っていた。

 

 というのも、ヌラは元がつくが金等級冒険者であったからだ。彼の容姿を嗤う者はいても、実力を侮る者はいない。

 細い眼の奥、小さく黒い瞳から仄立ち昇る不穏さはある程度腕に覚えがある者ならば誰でも気付く。

 

 元金等級冒険者、『踊る影の』ヌラはある日突然冒険者を辞めた。まあ本人の中ではある程度理屈は通っていたのだが、周囲の者達は驚愕した。

 

 金等級冒険者と言うのは冒険者の中でも上澄みだ。

 この上には黒金級しか存在しない上に、その黒金級冒険者と言うのはイム大陸全域に散らばる冒険者全体でも僅か3名しか存在しない。金等級というのは実質最上級冒険者であるといっても差し支えないのだ。

 

 金等級冒険者ともなれば、これは下位貴族にも比する権益を有する。

 

 その気になれば危険な事をせずとも、各所へ口を聞いたりするだけで生活する事が出来るであろう。

 勿論、そういった生活を送るには日々の生活による信頼の積み重ねがモノを言うが。

 いくら金等級であっても自堕落な生活に入り浸っているようではだめだ。

 例えば稼いだ金を全部女に突っ込むというような者は身体を動かして金を稼ぐしかない。

 

 ともあれそういった社会的立場をヌラは自ら捨て、門番風情に収まってしまった。

 これはグラスに満ちる清水を地に打ち捨て、泥水を注ぎなおすが如き所業である。

 

 だが、ヌラにはヌラなりの理由があった。

 理解されるかどうかはともかくとして。

 

 ヌラはいわゆる責任と言うモノの重みに耐え切れなくなってしまったのだ。

 

 ◆◆◆

 

 ある日ヌラはかつての仲間から吞みに誘われ、この街でもそれなりに高級な店でグラスを傾けながら鋭い目つきをした壮年の女冒険者と話をしていた。

 

 年の頃は60を超えている。

 しかし全身を充満する魔力が彼女に忍び寄る老いの手をペシンペシンと叩き落としている為、とてもとても60過ぎの老女には見えない。

 多く見積もっても40やそこらといった所だろうか。

 

 長年の雪焼けで黒く焼けた肌はまるで黒金剛石の如き輝きと艶を放ち、暗く紅い瞳に見つめられれば心身を余す事なく掌握されたかのような被支配的な感情を抱く。

 黒く長い髪の毛はまるで高級な絹のようななめらかさではないか。60ともなれば白髪に覆われてもおかしくは無いはずなのにだ。

 

 しかし彼女を見た者はそんな魅力的な容姿から性的な欲望を励起させられる事はない。

 彼女はまるで一本の漆黒の大剣のようであったからだ。

 美しい、しかし不埒に触れれば一刀両断されかねない凶の気配。

 

 ヌラはそんな妙齢の熟女をねっとりした目でみやっている。

 性欲由来の粘着質な視線ではない。

 疑惑の視線だ。

 ヌラは眼前のこの女性から数度に渡って冒険者復帰を要請されていた。

 ヌラにとっては迷惑な話ではあるが、その度にタダ酒を振舞われるとあっては誘いに応じないわけには行かない。

 

「ヌラ。そんな目をするのはよせ、私とてお前が団に戻る気がない事は知っている。確かにひょんな事からお前の気が変わり、再び団に帰ってきてくれる事を期待していないといえば嘘になるが、今日私がお前を酒に誘った理由は、単に友人として酒を共に吞みたかったからに過ぎん」

 

 熟女…エルファルリは元騎士であった。

 旧オルド騎士、『土枷』エルファルリ。

 だがエルファルリが属していた国は既にない。

 

「そうかよ。まあただ酒だってんならありがたく頂くがね。それにしてもエルファルリ、あんたは相変わらず堅苦しいな。オルド騎士っていうのは皆あんたみたいに厳しい連中ばかりなのか?」

 

 ヌラが薄く笑いながらエルファルリに問う。

 

「…そうだな…今も生きている同胞は、ああ、皆私のように堅苦しいかもしれん」

 

 エルファルリは苦笑しながら答えた。

 オルド騎士とは合理で構築された血も涙も無い殺戮マシーンであった。

 

 戦略面ではまるで鈍いが、戦術面ではイム大陸屈指の有能さを誇っていたといえる。

 

 個人個人が卓越した剣技、術技、体術を誇り、己の命のみならず友人、恋人、果ては家族の命までもチップとして平然と盤上に投げ出す。

 

 局所的な戦闘においてオルド騎士は卓越した殺戮本能を発揮し、求められた目標を必ず達成する。

 

 とはいえ、目標達成を第一とし、向後の事を一切考えないため損耗も激しい。

 戦略面でまるで鈍いというのはそういった犠牲を考慮しない点に大きく由来する。

 

 オルド騎士はオルド騎士という精密殺戮生物であって、人間ではなかったのだ。皮肉にもオルド王国の崩壊はそんな彼等を騎士という生物から人間へと戻した。

 

「それよりどうだ、門番は務まっているのか。お前の事だから問題はないのだろうが。私達はお前の勘働きに随分と救われてきた。お前が門番として立つならば、バリスカ伯爵家に二心あるものは一歩も踏み入る事はできないであろう」

 

「どうだかね、言われた事を言われたようにやるだけさ。だが最近じゃあすっかりその勘働きっていうのも鈍っちまったよ。斥候としては死んだも同然だな。でも気楽でいいぜ。あれをしろこれをしろと指示されてな、選択への責任ってのを持たなくて済むんだ。あんたらと冒険してた頃は楽しかったぜ?でもある意味で俺には重荷だった。なぜなら俺の決断が俺の命だけじゃなくてあんたらの命まで損ねかねないからだ。嗤うなら嗤え。俺は仲間がくたばる所を見て、すっかりビビっちまった腰抜けだ」

 

 カラカラとグラスの中で氷をまわしながらヌラが言った。琥珀色の液体が氷に絡み、光を反射する。黄金色の光の反射は、まるで往時のヌラの前に広がっていた栄光の残光の様だった。

 

 門番の仕事は簡単…とは言わないが、要するに不審者が屋敷の敷地内に侵入を防ぐ。ただそれだけだ。

 客人があれば先触れがあった者ならば通し、無い者ならば通さずに屋敷の者に尋ねる。通す許可をもらったならば通し、もらえなかったならば通さない。

 

 仮に不審者がヌラより手練であった場合、ヌラは殺され、場合によってはバリスカ伯爵家の家人も犠牲になるだろう。しかしそれはヌラの決断、選択による結果ではない。不幸な事故である。

 

 ヌラの脳裏を1人の青年の姿が過ぎった。

 弟のような、弟子のような。

 陽気で人懐こく、物覚えがよかった。

 

 ――筋が良い

 

 そう考えた当時のヌラは、青年を手づから鍛え、可愛がった。

 

 しかしその青年は死んだ。

 ヌラの判断ミスだ。

 魔物化した熊に殺されてしまった。

 

 魔物化とは野生動物が魔力の扱いを何かの拍子で知る事で、元々備えていた特性を極めて攻撃的に変異させるという現象である。

 

 例えば狼が魔物化したならば、その牙は鋼鉄の鎧すらも食い破るようになるだろう。

 

 熊とはあれでいて野生動物の中で最も知能が高い。

 猿ほどには器用ではないため道具を使う事はないが、それは知能ではなく身体的な理由だ。

 魔物化したともあればその賢さにも磨きがかかり、危険度はいや増す。当然オツムがよくなるだけではない、身体能力にも磨きがかかり、竜種に匹敵する危険性を備えるようになる。

 

 ともかくも、それ…青年の死が直接原因ではないものの、ヌラが冒険者を辞めた原因の一因であった事は間違い無い。

 

「…ヌラ、思い出しているのか」

 

 エルファルリがつぶやいた。

 何を、とは言わない。

 お前は腰抜けではない、とも言わない。

 殺伐としたこの世界を生きるにはヌラは少々優しすぎたというのはエルファルリの本心でもある。

 

「さあなぁ」

 

「そういえば娘が会いたがっていたよ」

 

「そうかい」

 

 ヌラの声が酒場の喧騒に溶けて消えた。

 

 ◆◆◆

 

 ある日、ヌラは仕事の後に一人で酒場に繰り出していた。

 先日エルファルリと共にいった店ではない。

 ヌラは酒が好きだが、門番の給料と言うのは決して高くはない。特別な日でもない限り散財は控えるべきであった。

 つまり安酒場だ。

 

 ぐるりと首を回し、周囲を見渡す。

 見知った顔がいくつか。

 見知らぬ顔もいくつか。

 

 柄が悪そうな連中が笑顔を浮かべていたり、憂鬱そうにしていたり、なにか悪巧みしていそうなツラをしていたり。

 

 要するにいつもの酒場の様子であった。

 

 ヌラはいつも通りに周囲の話に耳を澄ませる。

 これはヌラに染み付いた職業病みたいなものだ。

 街の種々雑多な噂などから“使えるモノ”を拾い上げる。

 斥候の仕事の1つではあるが、今ヌラが周囲の声を拾い上げているのは職務云々は関係なく、単に染み付いた癖の発露である。

 

 ◆◆◆

 

 ヌラは冒険者時代は斥候という役務であった。

 これは言ってみれば一党の露払いだ。

 事前に危険を察知し、それを払う。

 また、強敵と対峙した際には機動と惑乱をもって戦いの主導権を自身の側へ引き寄せ、勝率の上昇を図る。

 

 一党のリーダーであったエルファルリは心技体揃った女だが、その技能の大部分は闘争に寄っており、情報をあつめたり危険を察知したりといった事は苦手としている。

 ヌラは一党の屋台骨を支える為に大いに寄与したものだ。

 

 とはいえ、ヌラの戦闘能力が低いというわけではない。

 ヌラの二つ名、『踊る影』とは彼の極めて危険な側面を言い表したものだ。

 

 当たり前の話だがこの世に在るものは皆影を持つ。

 影はどんな時もその存在に寄り添っている。

 だが一度戦場にヌラが現れたならば、その影が途端に踊りだし、殺意を以って斬りつけてくるのだ。

 ヌラの敵対者は己の影をすら信じられず、常に背後を警戒しなければならない。

 しかし警戒してなおヌラの刃はその者の背を穿つだろう。

 

 要するにヌラという斥候は現役時代、背面奇襲の妙手としてその名を轟かせていた。

 

 それほどの名手が伯爵家とはいえ、屋敷の門番とは違和感を感じるものの、これは極々普通に職業安定所で見つけたから応募したに過ぎない。

 

 ちなみにレグナム西域帝国の完全失業率は非常に低い。

 不具者であろうと高齢者であろうとなんであろうと、やろうと思えば何かしらの仕事は出来るものである。それがどれ程に平易なものであろうと仕事は仕事だ。

 

 レグナム西域帝国の政治方針として、身体が動くならば、あるいは身体が動かなくとも、各々に出来る範囲での仕事をすべし…というものがある。

 国を挙げて失業率の低下に努めているというわけだ。

 

 だがいくら国是とはいえ、ここまで低い失業率にはなにか種があるのではないだろうか?

 勿論ある。

 

 帝都ベルンの帝国臣民は極めて勤勉に日々を過ごし、仕事を失ったとあれば再就職へ向けて就職活動をする。

 帝国も国の施策の一環として職業安定所を通じて失業者たちを支援する。

 

 仕事をせずに国からの支援を貪ろうという帝国臣民などはただの1人もいなかった。

 なぜならば帝国臣民は平時、その深層心理下において極めて繊細な、そして自覚し得ない程度には低い程度で洗脳の影響下にあるからだ。

 帝国臣民は皆勤労、勤勉をなによりの美徳として日々を暮らす。

 そこに疑いを持つ事はない。

 

 当代皇帝である愛廟帝サチコは帝国国土全域に及ぶ超広域の術式を常時起動していた。

 

 有事には帝国国民全てが死を恐れぬ戦士と化すという洗脳系統でも最上位に位置する術だ。

 勿論条件はある。

 

 それはレグナム西域帝国の正規の国民であり、そして皇帝への忠誠心を欠片でも持っていなければ術は影響を与えない。

 

 また、強い魔力を持った者も洗脳の強度が低い内は抵抗が出来る。あくまでも一般人を狂戦士とする術式なのだ。

 これを弱者の自由意志を搾取する唾棄すべき術式だと吐き捨てた者もいたが、これが恐るべき術式である事に変わりはない。

 

 ◆◆◆

 

 ヌルの耳は店内で話される様々な噂話をとらえる。

 

「帝都ベルンで第2騎士団が団員募集をしているらしいぜ。ジグラド騎士団長直々に入団テストをするんだとよ。陽典教会の癒術師も何人か呼ばれているそうだ」

 

「ジグラド騎士団長は厳しい人だもんねえ…癒術師がいないと死人がでちゃうわよね…」

 

「女性冒険者の地位向上運動ってなんだろうな。他所者か?冒険者に男も女もあるかよってんだ、なあ?」

 

「魔導都市エル・カーラで実験事故が起こったんだって。魔塔が一基崩壊したそうよ。ギルドで瓦礫の搬出の仕事を募集してたわ。払いはいいけど往路だけで馬車で3日は遠すぎるわよ…」

 

「嗚呼、今日は沢山働いたなあ。明日も沢山働くぞ!俺は沢山働いて過労で死ぬんだ、帝国の礎となるんだ!ジーク・カイゼリン!」

 

「ああ、厭な予感がする。本当に厭な予感だ…世界が終わる…それは最高の不幸だ…世界が終わっちゃうんだ…ふふ…問題は僕もそれに巻き込まれることだ…それは趣味じゃない、さて、どうするべきか…」

 

「おい、ポー!お前また白昼夢を見たのか?お前の厭な予感ってのがあたった試しが何度ある!?というか、あの連盟の術師だとお前が言っていたから雇ったが…確かにお前は優秀な術師だが、連盟の術師を名乗るほどじゃないだろう。騙るにしても相手を選べよな!」

 

 ◆◆◆

 

 マ・デン、ギルドハウス。

 

 マ・デンは金等級冒険者エルファルリが率いる冒険者パーティの名である。

 

 古い言葉で“約定”を意味するその名はエルファルリが名付けた。何を誓った約定なのか、誰に誓った約定なのか。

 それは一体どんな約定なのか。

 その答えはエルファルリの中にあるのだろうが、彼女がそれを漏らす事は決してなかった。

 

 広い間取りの居間には大きい暖炉が設置しており、座りの良さそうな仕立ての椅子が何脚か置いてあり、そこに2人の女性が座り語らっていた。その内の1人はエルファルリである。

 

「お母様。昨晩はヌラさんとお酒を吞んだのでしょう?あの人は元気そうでしたか?」

 

「…腐ってる…というわけじゃない。しかしヌラは才で金等級へ上り詰めた男だからな。心の強さが追いついていないのだ。勿体ない話だよ。彼はまだ悼んでいる。いつまでもウジウジしているんじゃないと引っぱたいてやろうかとおもったが、さて、正面から頬を叩こうにも当たるかどうか」

 

 エルファルリは呵呵と笑った。

 それを聞いた女性はムゥと頬をふくらませる。

 そう、彼女はエルファルリの娘だ。

 エルファルリ譲りの黒く滑らかな髪は肩口で切りそろえられている。

 肌は母とは違って新雪の如き白さだ。

 これは彼女が精製した、いわゆる日焼け止めで雪焼けする事を食い止めている為であった。

 

 銀等級冒険者ユラハ。

 彼女の父、要するにエルファルリの夫もまたオルドの騎士であったが、既にこの世には無い。騎士時代に結ばれた二人は、上司と部下の関係であった。

 

 二人の娘であるユラハは父と母の才を均等に引き継ぐ事となる。そればかりか持ち前の好奇心で様々な分野を学んでいる。日焼け止めの精製もその産物であった。

 

 そのユラハはヌラを叩くというエルファルリの暴言に声高に抗議の声をあげる。

 

「ヌラさんに酷い事をしないでください!お母様に叩かれたら首の骨が折れてしまうではないですか!」

 

 この言にエルファルリは反駁する事が出来ない。

 なぜならば彼女は騎士時代、粉をかけてきた不埒者を引っぱたき、頚椎に重篤な損傷を与えた事があるからだ。

 その経緯はユラハも母より聞いていた。

 

「…うむ…ま、まあそれは兎も角。ユラハ、ヌラが気になるのか?だがなあ。お前は19.しかしヌラは30も半ばだぞ。少し年が離れすぎているのではないか?」

 

 エルファルリがそう言うと、ユラハは首を振る。

 

「わたくしはヌラさんが良いのです。普通、あれ程の実力者であるならばその気質も増長してしかるべきです。お母様、ヌラさん以外の金等級冒険者の面々はろくな噂を聞きませんよ。奇人変人ばかりです。力だけはある社会不適合者の群れ。しかしヌラさんは違います。常識人なんです、あの人は。そして心優しい。わかりますか?この血で血を洗うような世界において、優しいと言うことがどれほど貴重な気質であるかを。率直に言いますが、亡くなった彼が魔熊に殺されてしまったのは、そもそもとして彼がヌラさんの指示に従わなかったからではありませんか。実力があった事、才があったことは認めます。しかし、日々向上する実力に悦に浸り、次第にヌラさんを軽視するようになった事は認められません。ヌラさんは…」

 

「ヌラさんの…」

 

「ヌラさんが…」

 

 エルファルリは内心辟易しながら、愛娘の長話を真面目な顔をして聞いていた。

 彼女は良い戦士であり、そして良い母親であった。

 

 ◆◆◆

 

 翌朝、ヌラはいつもの通り門番の仕事をしていた。

 何とはなしに空を見上げる。

 なんとなくだ。

 特に理由などはない。

 

 だが敢えて言うならば、それは勘。

 

 ―――備えろ、さもなければ

 

 現役時代で何度も聞いた、己の頭の中の誰かが警告の言葉を囁く。

 

 北都オルディアの東。

 オルド王国の崩壊の原因ともなった大呪大悪…その封印の地の方角に不穏を具現化した様な黒い雲が浮かんでおり…黒雲は時折赤い雷光を迸らせ、見る見るうちに肥大化していくように見えた。

 

(あれは…一体…)

 

 ヌラが呆然と遥かに見える黒雲を見ていると、いつの間にか隣にそこかしこが擦り切れた灰色のローブを纏った青年が立っていた。

 

「あーあーあー。不幸だなぁ、あれは不幸だなぁ。見えますか?あの黒い雲の放つ不穏を。でもあれは所詮は不穏という程度でしかありません。不幸はその先にあるのです。香りませんか?不幸の香りが。饐えた汗のような匂いです。僕はその匂いが好きなんです。だって安心するんです。僕はこれまで不幸な人生を過ごしてきました。だから安心したいんですよ。僕よりもっともっと不幸な人達がいるって。下には下がいるって安心したいのです。だから集めているんです。不幸な出来事を。幸いにも僕にはその香りが分かる。だからこの地に来た。嗚呼、なのに、それなのに。僕も巻き込まれるとは…僕は不幸を見るのは好きですが、不幸に巻き込まれるのは趣味ではありません…。降りかかる火の粉は払わねばなりません、が…。さて、それが叶うかどうかは僕にもわかりませんね」

 

 青年は長々と語りだし、おもむろにヌラに背を向け立ち去っていった。去り際に青年は言う。

 

「僕はポー。連盟術師、ポー。杖の名を告げる事はできません。君は友達ではないから。またすぐに会うことになるでしょう。あの不幸は足が早そうだ」



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閑話:連盟名簿③ポー・ロレンツォ

 ◆

 

 連盟術師、ポー・ロレンツォ。

 杖の名は『悼みの箱』。

 彼は世界中の不幸を集める。

 不幸とは何か。

 不幸とはあらゆる理不尽だ。

 省みられる事の無い、報われぬ魂、業をポーは集め、掬い上げ、救いあげる。

 

 彼の術の根源はまさにその “理不尽” であった。

 

 連盟の術師とはただでさえ畏怖されているが、ポーに関しては格別だ。

 何せ彼は一国を丸々滅ぼしている。

 それも、生まれ育った国を。

 

 それと、彼自身があえて露悪的に振舞っているというのも彼が忌避される要因でもあった。

 

 他者の不幸を喜び、それを見る為に世界中を行脚するなど悪趣味の極みではないか。

 

 だがポーにとってはそれで良いのだ。

 自身に好意を抱く人間など居てはならないとすらポーは考えている。

 

 そういった思考は、過去にトラウマ的な悲劇に見舞われた者によく見られるものであった。

 

 ◆

 

 彼は亡国の貴族、その嫡男であった。

 ポーとは彼の国の言葉で “慈しみ” を意味する。

 

 嗚呼、その名前の何と皮肉な事だろうか、ロレンツォの家は人身売買を生業をしていた。

 要するに奴隷商だと言う事だ。

 

 そんな家が何故貴族に? と問われれば、その答えは金である、と答えざるを得ない。

 そう、ポーの父、アルザス・ロレンツォは平民の人生が何回も何十回分もの金を堆く積み上げ男爵位を買った。

 

 アルザスは酷薄な男であった。

 いや、極度のサディストと言うほうが正しいか。

 

 ある日、アルザスはポー少年の前に二人の男女を立たせた。

 男女は裸で、全身に生傷があった。

 そんな二人の男女を屈強な男達が押さえつけている。

 

 それより何よりも……

 

「父上、何故彼等は目と口を縫われているのですか」

 

 ポーがアルザスに問うと、アルザスは口元を歪めながら答えた。

 

「何かを見る事、話す事。その権利が彼奴等にはないからだ。彼奴等は虐死奴隷と言う。国に対して大罪を働いたものだ。通常、奴隷と言うものは主人が自由に扱ってよいモノだ。しかし虐死奴隷は違う。決められた期間の内に死ななければならない。つまりどういう事か分かるか、ポー」

 

 ポーの目には、アルザスの瞳がギラギラと黒い光を放っているように見えた。

 

「……どういう事でしょうか、父上」

 

 アルザスは乱杭歯をむき出しにして、唸るように嗤いながら答えた。

 

「何をしても良いということだ」

 

「……でも、かわいそうです……」

 

 喘ぐような囁き声でポーは反駁する。

 その場の異様な圧をポーは感じていた。圧はぬらぬらと形を取り、幼いポーの喉を締め付けてくる……そんな錯覚すらも彼は覚えた。

 

「可哀想と言うのはな、ポー」

 

 アルザスがニタリと笑い、テーブルの横に添えられていた樫で作られたステッキを手に取る。

 

「可哀想と言うのはな、ポー」

 

 アルザスは再び繰り返し、ステッキを振りかざす。

 何をするのかは明らかであった。

 ポーは止めようとするが声が出ない。

 

「こういう事をッ! 言うのだ!」

 

 激しい打擲音が執務室に鳴り響く。

 何度も何度も鳴り響く。

 悲鳴は聞こえない。

 なぜなら、叩かれている女性は口を縫われている。

 だから呻き声しかあげられないのだ。

 

「これだッ! これがッ! 可哀想と言うんだッ!」

 

 血が舞い散り、うめき声は激しく、そしてすぐに静かになった。

 

 ポー少年は押さえつけられている男の方を見た。

 目を縫われているが、透明な液体が滴っている。

 暴れようとしているが男達がそれを許さない。

 

 ポー少年は何が正義で何が悪なのかわからなくなってしまった。

 彼は自身が尊き存在、貴族であると。

 貴族とは善の体現者であると教えられ育ってきた。

 

 しかし、目の前の光景、これを為す者が善なのか。

 ポー少年にはそうは思えない。

 だが、彼の人生経験ではなぜそれが善ではないのかを説明する事が出来なかった。

 

 あるいは彼等には “これ” をされるだけの理由があるのかもしれない。アルザスは大罪を犯した、といっていたではないか。

 

 ポー少年は後からアルザスに教えられた。

 打たれ、死んだ女は男の妻だったそうだ。

 

 ところで二人の大罪とはなんだったのか? 

 これはポーが長じてから知った事だが、男の妻を見初めたこの国の上級貴族が男に妻の提供を迫ったが、男は断わったそうだ。

 

 それが大罪として扱われた。

 この国ではそのような所業が平然と行われていた。

 

 ◆

 

 ある日、ポー少年は父アルザスに奴隷のあしらい方を教えられていた。

 

 曰く、奴隷とは人にあらず。道具である。

 曰く、ただし道具というのは “扱い方” が決まっている。用途に応じた取扱方をせよ。

 

 曰く、曰く、曰く

 

 アルザスの言葉は乾いた地に染み入る雨のようにポー少年へ浸透していく。

 その雨は毒の雨であった。

 

 ◆

 

 ポー少年は青年の手前に差し掛かる年齢へと成長した。

 その頃には既に彼もまたアルザスと同様に、いや、アルザスほどには酷薄ではないが、十分に冷徹といえる奴隷商として成長を遂げていた。

 

 そのまま成長していけばポー青年はアルザスの写し身の如き存在に成り果てていただろう。

 

 ◆

 

 ある日、ポーの国と隣国で戦争が起こった。

 

 突如の宣戦布告は隣国にとって青天の霹靂であった。いや、不穏な兆候がなかったわけではない。ポーの国の国王は少し前に王位を継承したばかりだが、その王の様子に不審なものが見られるようになっていたのだ。

 

 王がまだ王太子であった時、その輝く様な英明さはポーの国に光を齎す事を誰の目にも予見させた。前王は暗愚ではなかったものの、よく言えば平凡、悪く言えば事なかれ主義者であった。

 

 だが王太子が王となった時、その様子が次第に変わっていった。

 

 陰が、魔が、邪が。

 

 若き王に宿り、そして日々それらの負の要素は肥大化していった。

 

 ・

 ・

 ・

 

『国王陛下に宿りし魔を祓わねばならぬ』

 

 宮廷魔術師長にして魔導協会2等術師、義の人であるガイラルディ・エルマンドラは王に魔が宿ったと看破した。彼は現王の変容が“なりかわり”によるものであると考えたのだ。

 

 “なりかわり”と呼ばれる魔族は一種の精神寄生体であり、人を宿主として記憶と精神、肉体を乗っ取る。

 ただし、本人が強い魔力を持っている場合は乗っ取りの成功率は著しく下がる。

 

 なぜなら強い魔力を持つという事は強い自己を持つという事であり、それは己の中に強固な内面世界を構築しているということである。

 そういった内面世界に軽々しく足を踏み入れるという事は“なりかわり”にとっても命がけとなる。

 

 現王はその点、強い魔力を持たず、その若さゆえか精神的にも強靭とも言えない。

 “なりかわり”に乗っ取られる可能性は十分以上にあった。

 

 ともあれ彼は弟子を数名連れ、王の下へと向かった。

 場合によっては王を弑逆してでも、という覚悟を抱いて。

 

 結論から述べれば、ガイラルディの試みは失敗に終わった。

 王の下には王国近衛騎士隊が待ち構えており、ガイラルディとその弟子達は皆殺しにされた。

 

 彼とその弟子達の行いは王家への叛逆と見做され親族全てに捕縛の手が及んだが、ガイラルディたちは既に家族を国外へ逃した後であった。

 レグナム西域帝国の協会術師に家族を託したのだ。

 

 王は歯噛みをするが、レグナム西域帝国へ追手を出すわけにはいかなかった。

 かの帝国はかつての覇権主義こそはなりを潜めているものの、国すべてが巨大な蜂の巣のようなもので、侵略行為に対しては極めて攻撃的に対応する。

 

 ともあれ、ポーの国が前王の代まではクラル王国とはそれなりの付き合いであったに関わらず、現王の代になった途端にクラル侵攻に至ったのはそういった背景があったのだ。

 

 ◆

 

 両国の軍事力の差は歴然であったが、降伏の条件として国が隣国に提示したのは隣国の何もかもを収奪しようかと思われるような惨いものであった。

 

「クラル王国との戦争は年内に決着がつきそうだ。軍事力の差は歴然であったから勝利を疑ってはいなかったが、先の会戦で大勝を収めた事でほぼ趨勢は定まったように思える。大量の奴隷を仕入れる好機だな」

 

 クラル王国とはポーの生まれた国の隣国にある月の女神を奉じる小国だ。

 魔術の触媒に有用な月鉱石という青白い鉱石を産出する鉱山を有しており、これがクラルの産業を大いに支えている。

 クラル王国の、文字通りの生命線であった。

 だがその鉱山を重要視するのはクラル王国だけではない。ポーの国もまたクラルの鉱山を注視していた。

 

 アルザスの言葉にポーはそうですか、とだけ返す。

 この頃になるとポーの感情表現は酷く希薄になっていた。

 

 ある種の野生動物は死を偽る事で外敵から逃れようとするそうだ。

 ポーの薄い感情は彼自身の精神を守るための一種の防衛反応であったのかもしれない。

 

 気付けばポーは自身の精神世界に1つの箱を幻視するようになっていた。

 箱には一体なにが収められているのか。

 ポー自身にすらそれは分からない。

 だがポーの箱はどんどん大きくなっていった。

 

 ポーが己の“箱”を幻視した日を境に、彼は夜な夜な屋敷の近くの森林を彷徨い歩くようになる。

 

 深夜徘徊の理由は単純だ。

 ストレスである。

 

 日々の生活で非常なストレスが彼の精神へかかっているのだ。

 

 ポーが住まう屋敷の地下には、常に半死半生となるまで痛めつけられた虐死奴隷達が繋がれていた。アルザスは自身のストレスの発散の為に彼等を嬲り、或いは殺している。

 

 ポーがその事を考えるたびに彼の中の“箱”はどんどん大きくなっていくが、何故か箱には1人の禿頭の男が腰掛けていた。

 

 ポーはその男とは当然の事ながら面識などはない。しかしポーが心中の“箱”を想うと、男はいつも箱に腰掛けており、あろうことか笑みをすら投げかけてくるではないか。

 

 ──嗚呼、僕は狂っているのかもしれない

 

 ポーは思う。

 しかしそれは誤りだ。

 彼が狂うのはこれからである。

 

 ◆

 

 ポーの国とクラル王国の戦争は極めて短期間の内に収束する事となる。

 

 国とは何か? 

 国とは人である。

 人が集まり国を為す。

 

 そういう意味でポーの国はクラル王国を徹底的に蹂躙し、陵虐し、陵辱した。

 

 群れ、群れ、群れ、人の群れ。

 この群れは全てクラルの国民だ。

 クラルの国民が裸にされ、首に縄を打たれて荒野を歩いている。

 

 クラル国民は奴隷として、商品として選別されていった。

 老いた者、病気の者、そういった者は殺され、大地は血で紅く染められる。

 それはさながら鮮血の絨毯の様であった。

 

 ◆

 

「王女が逃げ出したそうだ。王家に伝わる抜け道とやらが見つかったらしい。月の女神の再来、麗しき月光のファシルナミエ王女か……ふ、ふ、ふふふ。儂の商会で取り扱えたらさぞや莫大な益が齎されるであろうな。とはいえ国から追手がでておる。直ぐに捕まるだろうよ」

 

 アルザスの言葉にポーは能面のような無表情さと沈黙を以って答えた。

 そんな態度をとられてもアルザスはポーを咎めようとはしない。

 なぜならポーが商会の実務を取るようになってから売上げは減るどころか増大しており、なによりも

 

(なによりも、あの眼よ。アレは人の眼ではない。だがあれで良い。あの眼を親である儂に向けられるのであれば、ロレンツォ家は息子の代で更に栄えるであろう)

 

 アルザスはぶるりと震えながらも思う。

 

 ◆

 

 ポーはその日も深夜に森を彷徨い歩いていた。

 冷たい夜気がポーの頬を撫でると、彼はそこに癒しはなくとも慰めを見出す事は出来た。

 

 ガサリと木立が揺れる音がする。

 獣だろうか? 

 

 ポーは音のする方へ顔を向け、様子を窺う。

 何も出てこない。

 

 ──藪をつついて蛇を出す必要はない

 

 ポーはそう思うがその時なぜか霊感が囁いた。

 木陰を覗いてみろ、と。

 

 豈図らんや、木陰の奥に居たのは1人の少女であった。蜂蜜色の髪の毛は泥を被り薄汚れている。ぶるぶると震える様子はまるで殺される直前の野兎の様であった。年の頃は14、5といった所であろうか。

 ポーはこの時、齢18を数えていた。

 

 彼の目の前で少女は背を丸めて酷く怯えている。

 

「あなたは誰ですか?」

 

 ポーは短く誰何するが少女は答えない。

 

 ポーは徐に上着を脱いで、少女の肩にかけた。

 何故そんな事をしたのかといえば、ポー自身にすら分からなかった。

 

 だが、明らかな弱者に憐憫の情を覚えると言うのは真っ当な人間であれば当然の情動ではないだろうか? 

 例えば道のど真ん中に弱りきった野良猫が倒れていたとして、せめて道の端に避けてやるくらいの憐憫の情動は真っ当な人間なら持っているのではないだろうか。

 

 中には弱った者を見れば興奮し、更に虐げたくなる者もいるだろう。例えばポーの父親のアルザスのように。

 

 しかしポーという青年は感情の多くが磨耗してしまったとはいっても、いまだに多少の情動を残してはいた。

 

 肩にかけられた上着を見た少女は暫しきょとんとし、やがて俯き、小さい声で答えた。

 

「ファシルナミエ、です……クラル王国の……」

 

「王女」

 

 ポーが後を引き継ぐと、少女……ファシルナミエは怯えを見せ、ややあって小さく頷いた。

 

 ポーは思う。

 

 ──厄介な事になったかもな

 

 だが、不思議と父へ引き渡そうとは思わなかった。

 

「僕はポーと言います。この国の貴族……の息子。ただし、あなたを害する積もりは無いです。今の所は」

 

 ◆

 

 ファシルナミエを屋敷に連れて行くわけにもいかないので、ポーは彼女を森の一角にある狩猟小屋へつれていった。

 

 深夜徘徊の理由として、彼はアルザスへ夜行性の獣を狩る事を趣味としていると説明している。

 貴族が狩りを嗜むというのはこの国でもある種の常識めいたものとして知られているので、アルザスもそこはとやかく言わずに息子の為に狩猟小屋を建てたのだ。

 

 鍵はポーだけが所持しており、屋敷の者達も主人の息子の所有物へ手を出そうとは思わない。

 

 森の狩猟小屋はファシルナミエが隠れるにうってつけの場所であった。

 

 何となく憐憫のような何か、人の情の残滓……そのような曖昧模糊としたナニカに身を委ねたポーは、小屋へ匿ったファシルナミエに飲み物や食料を提供した。これは例えるならば捨て猫や捨て犬にミルクをくれてやるような心境に似ていたかもしれない。

 

 話を聞くに、彼女は王家の抜け道から数名の侍従と共に城外へ逃れたとの事だった。

 何人かいた侍従達は追手から彼女を護る為に身を投げ打ち、1人、また1人と斃れていった。

 

 何がどうなってロレンツォ家の敷地まで流れたのか、そしてポーと出会うに至ったのかに理屈だった説明はない。

 陳腐な言い方をするならばそれが二人の運命だったのだろう。

 

 ファシルナミエはポーの気まぐれでつかの間の平穏を得る。

 

 しかしポーもファシルナミエも、この平穏は永遠に続くものではない事は分かっていた。

 いつかは誰かがポーの行動に勘付くだろう。

 

 国の追手だって阿呆ではない。

 逃走ルートを洗っているうちにロレンツォ家までたどり着いてしまうだろう。

 

 ファシルナミエはお嬢様であり王女様であって、手練の斥候ではないのだ。

 逃走痕などはそこかしこに残っている。

 追手がそれを見つける事はポーにとってはそれほど難しい事のようには思えなかった。

 

 薄ら寒い破滅の気配を孕んだ二人の交流は、見かけ上は穏やかに進んでいく。

 

 ◆

 

「あのう、ポー。なぜわたくしにここまでしてくれるのですか?」

 

「僕もわかりません、ファシィ。多分……偽善だと思います」

 

「ご自分で偽善だという人は珍しいですね……」

 

 ・

 

「ファシィ、確か冒険王ル・ブランが好きだといっていましたよね。紀行本が書斎にあったのですが読みますか? 僕もこれは読んだのですが、どうにも眉に唾をつけてもなお信じがたい事ばかりが書かれていて首を傾げてしまいました」

 

「まあ! 嬉しいです、ポー。ええ、わたくしはル・ブランが大好きなのです。確かに彼の本には頓狂な事ばかりが書かれておりますけれど、夢があってよろしいのではないですか? 人はパンのみで生きるわけではないのですから」

 

「それにしたって山脈に巻きつく巨大な蛇のバケモノがいるなんて、僕は信じたくはありませんよ……」

 

 ・

 

「窮屈な思いをさせて申し訳ありません、ファシィ。でもいつまでもこのままで、とは思っていません。なんとか外へ、外国へ逃すためのツテを手に入れますからね」

 

「有難うございます、ポー。でも無理はしないでください、わたくしを匿っている事が知られれば貴方もタダではすまないのでしょうから」

 

「僕は多くの本を読んで学んだ事があります。それは人はどう生きようと、人生のどこかでは無理をしなければならない場面が1度は来るということです。その場面が今だと僕は思っています」

 

 ・

 

「ポー、もしこの国から逃れられるとしたら貴方も一緒に……」

 

「ええ、ファシィ。その先は言う必要はありません。僕も同じ気持ちです」

 

 ・

 

 気付けば二人は愛称で呼ぶようになっていた。

 なお、ポーはどう頑張ってもこれ以上短縮しようがないのでポーのままである。

 

 二人は他愛もない会話を重ね続けた。

 一応、ポーとしても彼女を国外へ逃す手を考えてはいる。

 しかし、そもそものツテがない。

 だからそのツテを作る為に最近のポーは領地外に出る仕事も積極的にこなすようにしていた。

 

 ある日、ポーは小さい取引先との商談を全面的に任せられ、王都へと向かった。

 

 王都に住まう貴族へ愛玩用の奴隷を渡しにいくのだ。その貴族は奴隷をすぐ“壊して”しまうため、所謂売買の回転が早い。

 

 ファシルナミエとの交流で多少なりとも人間性が回復してきたポーではあるが、だからこそ一層に家業の業の深さが厭わしい。

 

 ともあれ、下手にアルザスに逆らい動きづらくなってしまっては元も子もないのでポーは唯々諾々と、しかし鬱々と従っていた。

 

 取引は首尾よく済んだ。

 

 受渡しの時に奴隷の女性の真っ黒い穴のような瞳から伸びた視線が、まるで物理的な力を持ったかのようにガリリリとポーの胸に突き刺さる。

 

 錆びた錐が突き刺さるかのような幻痛を胸に覚えつつ、ポーは努めてその視線に気付かないフリをした。

 

 領地に戻ったポーは夜、森の小屋へと向かった。

 しかしファシルナミエは小屋の何処にもいなかった。

 

 森の何処にもいなかった。

 

 ◆

 

「おはよう、ポー。なかなかやるじゃあないか、息子よ。既に捕らえていたとは! しかし水臭いな、なぜ儂に告げてくれなかったのだ?」

 

 朝、執務室に向かうとアルザスはニヤニヤと笑いながらポーの肩を叩いてきた。

 

 ポーは厭な予感で胸を焦がしながらも何の事かを尋ねる。

 

「何って……コレだよ、コレ!」

 

 アルザスはパンパンと手を叩いた。

 すると従者が布に覆われた長い台を押して持ってきた。台の下部には車輪がついている。

 

 ポーが気になったのは布の下だ。

 台に乗っかっている “何か”がこんもりともりあがり、布がその上から覆いかぶさっていた。

 

 布の下がポーには気になって仕方が無い。

 しかし、布を取りたくない。

 布の下を絶対に絶対に視界に入れたくはなかった。

 

「王家に提供してもよかったのだが、儂らの如き商人上がりのなり上がりへの恩賞など多寡が知れていよう。であるならば、“有効利用”をしようではないか、なあ? ハハハ!!」

 

 アルザスはそう放言すると、一息に布を取り払った。

 

 布の下には両の手足を切断された全裸のファシルナミエがいた。

 瞼と口は念入りに縫いとめられている。

 

 ポーは絶叫をあげ、意識を失った。

 

 意識を手放す寸前、ポーの耳朶をアルザスの低い声が打った。

 

 ──儂が気付かないとでも思っていたのか? 

 

 ◆

 

 ポーは真っ白い空間にぽつねんと立っていた。

 空間の中央には黒く、大きな箱がおいてある。

 箱には喪服を着た禿頭の男が座っていた。

 

「やあ、ポー。私はマルケェス・アモン。君の心にお邪魔をしています。この箱は君のモノでしょう? なんと美しく、悍ましい。しかし、気付いていますか? この箱が君の中で大きく大きく膨れ上がってきているのを」

 

「ポー、無垢なポー。純粋なポー。賢いポー。箱がこのまま大きくなり、君の心の容量を超えてしまえばどうなるか。君は壊れてしまいますよ。パリン、とね。今は私がこの箱を抑えていますがね。ほら、ぎゅうっと。しかし君はいずれ選ばなくてはいけません。え? 何をって? ウフフ、決まっているでしょう。壊れるか、壊すか、ですよ」

 

「ポー。覚えておきなさい。私の名前を。マルケェス・アモンの名を。君がもうこの世界に耐え切れなくなった時、君がこの世界の理不尽に絶望して消えてしまいたくなった時、君が自身の無力を呪いたくなった時、それらが限界に達したと思ったならば、呼びなさい。私の名を。その時にもう一度問いを投げましょう、壊れるか、壊すかを」

 

「しかし私には、君がどちらを選ぶか分かる気がします、なぜなら君は無力だからです。無力ゆえに力を求める。力無きは罪だ。みなさい、君は自身の無力という罪ゆえに」

 

 箱に腰掛けるマルケェスの姿がどろりと溶けた。

 そして再び形を成した時、その姿は

 

 四肢の無い蜂蜜色の髪の毛の少女。

 

 ──ファシルナミエ

 

 芋虫のような姿のファシルナミエが口を開いた。

 

「あなたが無力だから、私はこんな姿になりました、ポー」

 

 ポーは絶叫し、夢の世界で再び気を失った。

 

 ◆

 

「……っ。は、ァ!! ファシィ……ファシィは!?」

 

 ポーは飛び起きる。

 周囲を見渡すと、そこは自室であった。

 時刻は朝の時分の様だ。

 鳥の鳴き声が聞こえる。

 

「厭な夢を見てしまったな……」

 

 ポーは独りごち、身支度を整えると部屋を出てアルザスの執務室へ向かった。

 

 アルザスは何やら書類のようなものを見ていた。

 ポーに気付くと着座を促し、今日するべき仕事内容を告げる。

 仕事内容はポーにとっては全て既知のものだ。

 しかし量が少ない。

 

 その事をアルザスに尋ねると、彼はどこか嬉しそうに答えた。

 

「うむ、王都へと向かう。クラル王国との戦争においてわが国は大勝を収めた事は知っているな? その戦功表彰が王都で行われる。我が家も戦費を大いに供した。表彰の対象だぞ。金を出すのも立派な貴族の義務だからな、ふはは! そうだ、“葬儀屋”がこの後に来るからな。引渡しの仕儀は任せたぞ」

 

 “葬儀屋”とは隠語であり、要するに死体処理業者である。

 極度のサディストであるアルザスは虐死奴隷を好んで仕入れ、“壊”す。

 

 その処理を例えば森などに埋めてしまっては獣などに掘り起こされてしまうかもしれない。

 腐敗した遺体が疫病の原因となる事は広く知られた事だ。

 

 だから業者に任せるという寸法である。

 

 彼等は違法に遺体を集め、活用する。

 人の身体というのはいろいろと使い道があるのだ。例えば魔術の触媒として。

 

 強い術というのはそれだけ特殊な触媒、あるいは体質を要する。

 

 人を呪うにせよ、癒すにせよ、肉、骨、髪の毛にいたるまで余さず有効活用が出来る。

 ただし、遺体というのはこれはこれで手に入れ難い代物である。

 

 “葬儀屋”はこの仲介を生業としている。

 遺体を受取り、それなりの礼金を渡し、遺体は外道術師やら医療術師やらへ引き渡す。

 

 ◆

 

 屋敷の裏口にやってきたのは黒いローブに身を包んだ怪しい男であった。

 彼こそが葬儀屋だ。

 

「ええ、ええ。では6体ですね。ええ、ええ、かまいませんとも。私共は何体でも引き取りますよ、ええ」

 

「ええ、ええ。いつも通りに地下から、ね。構いませんとも。運搬はお任せください。ところで旦那様はどちらへ……? ああ、そうですか、ええ、ええ、構いませんとも」

 

「ふむ、ふむ。確かに6体ですね。それでは運び出します。しっかり布を敷きますのでお屋敷は汚しませんとも、ええ」

 

「ええ、ええ。随分良いモノがありましたね、ええ。となれば少し私どもも出すものを出さねばなりませんね。ふふ、王族の遺体というのは格別なのですよ、ええ」

 

「はい? ええ、かまいませんよ。どうぞどうぞ。お別れの言葉をかけてあげるおつもりで? 坊ちゃんはお優しいですね」

 

 ◆

 

 ──夢ではなかったのか

 ──嗚呼、なぜ

 

 ポーは“それ”の頬へ手を伸ばした。

 既に腐敗が始まっており、匂いが鼻をつく。

 蜂蜜色の髪の毛は色褪せ、白磁の如き肌は青褪め、陰の気を放出している。

 

 ポーはファシルナミエの青白く変色した硬い唇へ己のそれを落とし、ぽつりと呟いた。

 

 ──マルケェス

 

 ◆

 

 ──マルケェス

 

 ポーが呟くと視界が暗転した。

 しかし暗幕は直ぐに開き、いつのまにかポーは白い空間に居た。

 

 黒い箱、そしてそれに腰掛けるマルケェス。

 

「さあ、もう一度聞きましょう。ポー君。君は壊れたいですか? それとも壊したい?」

 

「どちらがより楽になるかといえばそれは前者でしょう。なぜなら君の精神はもはやこれ以上の負荷に耐えられない。人が人である証とは、その精神にあると私は思います。狂ってしまえば君はこれ以上は苦しくなりませんよ。君は自分がポーであったという事すらも忘れ、忘我のままに意識は雲散霧消するでしょう」

 

 マルケェスはニコニコと、何が嬉しいのか分からないが、とにかく嬉しそうにポーへ話を続けた。

 

「壊したい。これを選んだならば、ポー、この箱が見えますね? これの使い方を教えてあげます。この箱はね、君が君を護るために作ったのですよ。この中には君が消化しきれない、そして救いきれない業が、理不尽が入っています」

 

「君は生来術師としての才があったのでしょうね。術師とはその者個人個人で異なる“世界”を持っているものです。真に優れた術師とは、外側からではなく内側から力を引き出す。君の世界とはまさにこの箱です。君の世界は余りに切なく、そして悲しい。見なさい、私のお尻が浮きかけています。こうしてぎゅうっと抑えつけているのに。なんという業か!」

 

「ポー。個人的な見解を述べさせていただければ、私はこちらを選んでもらいたいですね。そして君はこの箱の中に沢山沢山たくさんの理不尽、業、報われぬ、救われぬ出来事を詰め込むのです。悲しき業は君の箱の中でつかの間の安らぎを得るでしょう。そして、十分に休ませてあげたならば解放してあげなさい。魂は浄化され、巡り、あるいは次の生こそは幸せを得るかもしれませんよ……」

 

 ──壊すのです、理不尽を

 

 マルケェスの囁きが密やかに残響する。

 

 ポーは選んだ。

 どちらを選んだかなど言うまでもなかった。

 

 ◆

 

「……? おや、坊っちゃん。そういう趣味があったんで? ええ、ええ。構いませんとも。別れの接吻ですね。ええ、素晴らしい。報われぬ愛の美しさたるや!」

 

 “葬儀屋”は含み笑いを漏らした。

 だが直ぐに異変に気付く。

 

 ポーの眼が

 

「おや、おや? 坊ちゃん。貴方は青い瞳ではありませんでしたか? 紫……?」

 

 ポーの眼が美しい紫色に変じていた。

 6体の遺体から青白い球体が浮かび上がり、スウっとポーの瞳へと吸い込まれていく。

 

「ハァァァ……マーリオ、アリュール、ケッセ。ジョアン、アダール、そしてファシルナミエ。理解る。君達が何をされてきたのかを。その間に何を感じ、何を想い、何を恨み、何を心に抱き死んでいったのかを」

 

 ぎょるり、とポーの紫色の瞳が“葬儀屋”を見据えた。するとあろうことか、“葬儀屋”の瞼をどこからともなく現れた糸が縫いとめたではないか。

 

「ぎゃあッ! ぼ、坊っちゃん!? これは! これは一体……」

 

 喚く“葬儀屋”の唇に、ポーは人差し指をあてると、その口は縫いとめられた。

 

「僕は貴方にこれ以上は出来ません。なぜなら彼等は……この六人は貴方にその死を利用されたとはいえ、貴方自身が彼等を苦しめたわけじゃあないからだ。その眼と口は……彼等のちょっとしたお叱りのようなものです。でも、この先どうなるかは分かりません。貴方からはこれまでの死体をどう処理したか、そういう事を話してもらう必要がある。ともあれ今はそこで大人しくしている事です、その眼と口はあとで開いてあげますから。分かりましたか? ……ああ、わかっています、ファシィ。父に会いに行くとしよう。ああ、その前に地下ですね。うん、うん、分かっています」

 

 “葬儀屋”は震えながら首肯した。

 まるで自身の背に冷たい骸が圧し掛かってきているかのような不気味な圧力を感じていた。

 

 ◆

 

 執務室。

 ノックの音。

 

「……なんだ、ポーか? 入りなさい。言いつけた仕事は済んだのか? “葬儀屋”は幾ら出したんだ?」

 

 アルザスが書類から眼を上げずに答える。

 足音が聞こえる。

 机の前で誰かが立ち止まった。

 ポーだ。

 

「ポー。なんだ? お前が無口なのは勝手だが、仕事の話ならはっきりもの、を、い」

 

 彼はその先を口に出す事が出来なかった。

 なぜなら口が蜂蜜色の糸が縫い付けられたからだ。

 

 アルザスは眼を目一杯に開き、目の前の息子……ポーを見つめる。

 

 それは確かにポーであった。

 だがその目は紫に染まり、目元と口元は共に半月の上弧を描いていた。

 

 この時アルザスは、自身が置かれている異常な状況にも拘らず、息子であるポーが笑顔を浮かべている所を初めて見た事に気付いた。

 

「クレア、ミリアム、ジャックス、バロー、ロイド、ナナ、フォールズ」

 

 ポーはアルザスの耳元で囁いた。

 アルザスは残酷だが莫迦ではない。

 その名が誰の名前なのか分かった。

 

 ──儂が殺した、奴隷、の

 

「父上。今言った人達だけではありません。僕は他にもいろんな人から話を聞きました。みいんなみいんな、僕の中に居るんです。みんな父上と話したがっていますよ……」

 

「でもね、父上。僕が今父上と一番話してもらいたい人が1人いるんです」

 

 ポーはパン、パンと手を叩いた。

 

「ッ!? ~~~ッ!!」

 

 アルザスの両の腕の根元に赤い線が入ったかとおもえば、彼の太い腕がぽとりと床に落ちた。

 

 アルザスは激しく暴れる。

 だがその肩を強く押さえつけるものがあった。

 細い手だ。

 だがその細い手には大柄なアルザスが身動きも出来ない程の剛力が込められていた。

 

 アルザスはゆっくり背後を振り返る。

 そこに居たのは、蜂蜜色の……

 

「父上、僕はきめました。報われぬ業があるならば、救われぬ魂があるならば。僕がそれらを全てを集めましょう。世界中の不幸を僕の中に収めましょう。死者は口を持たぬゆえに話ができない。死者は肉体を持たぬゆえに恨みを晴らせない。であるならば、僕が彼等の口となり、手となりましょう。その為には僕は部外者である必要がありそうですね。僕自身が巻き込まれるというのは得策ではない……。なぜならば、僕の目的のためには収集者である僕、そして理不尽を与えるもの、その被害者が必要だからです。僕自身が被害者となったり、理不尽を与えるものになってしまっては、これはもう何がなにやら分からなくなってしまう。聞いていますか父上?」

 

 ポーの長広舌が終わると、アルザスはいつのまにか両の手足を落とされ絶息していた。

 

 だがポーが眼を見開くと、ポーの身体全体が紫色の光る靄が立ち昇り、アルザスの身体から抜けて空に昇ろうとしていた蒼い球体を絡めとる。

 

 蒼い球体はアルザスの身体へ強制的に戻され、アルザスは息を吹き返した。

 

「終わらないのです、父上。業が晴れるまでは。父上が与えてきた痛みが父上が受ける痛みと等価になるまで、続くのです」

 

 その日、ロレンツォ邸に響いたのはくぐもった絶叫だ。

 

 絶叫は続いた。

 何日も何日も続いた。

 

 ◆

 

 ある日、ポーは執務室で豪奢な椅子に腰掛けながらぼんやりと床の物体を眺めていた。

 

 既に原型は留めていない。

 肉の塊である。

 

 ポーの眼はそれを見ている様で見ていない。

 彼は己の視界に薄っすら映る人々を視ていた。

 

 靄の様な人々はポーに軽く頭を下げると、やがてその形を崩し、宙へ溶け消えて逝く。

 そんな中、ただ1人だけ残った人影があった。

 

「ファシィ。そうですね……次は王様に会いに行きましょうか」

 

 人影はゆらゆらと揺らめき、ポーと重なっていく。

 

 光の反射だろうか、重なった二つの影はどこか青年と少女が口付けているようにも見えた。

 

 ◆◆◆

 

 因果応報という言葉がある。

 その者が為した原因に対し、結果は応報するのだ。

 しかし、その者に原因が無い場合は? 

 ただただ結果が、それも惨い結果が降りかかる事がないと言えるのか。

 

 ある。

 人はそれを理不尽と言う。

 

 連盟術師、『悼む箱』ポーの固有の術の起動条件は対象の理不尽な悲劇、不幸である。

 

 不幸にも理不尽にまみえ命を落とした者の恨み、憎しみ、負の感情を触媒とし、自身に応報の権能を与える。

 

 応報の権能とは、その者に降りかかった不幸、理不尽をそれを与えたものへ返すという力だ。

 また一時的に仮初の命、肉体を与え、自身の手でその者へ応報させるという事も出来る。

 

 ポーの術に抵抗は出来ない。

 結果は必ず発現される。

 

 例えば不幸にも辻斬りにあって死んでしまった者がいたとしよう。

 その者がポーの術により彼の箱の一部になったとする。

 

 そうなれば、辻斬りをしたものが世界の何処へいこうともポーには居場所が分かり、たとえ鍵が掛けられた部屋に閉じこもろうとも、その鍵は自ら開かれるだろう。

 

 そして、たとえ全身をプレートアーマーで覆っていようと、被害者と同じ箇所に同じだけの深さの傷が刻まれる。

 

 刻まれた後はどうなるのか? 

 死ぬのだ。

 

 その者が強靭な肉体をもっていようと関係はない。なぜならば被害者は死んでしまったのだから。犯人もまた死なねばならない。

 

 そこにあるのはただ結果だけであって、過程は飛ばされる。

 よっていくら自身を鎧おうと無駄なのだ。

 

 そして、理不尽さが解消され因果が正しく応報された時、被害者の負の念は触媒として完全消費され、その魂は負の呪縛から解き放たれ浄化され、天へと還る。

 

 この還天を以って彼の術は一連の流れを終了する。

 

 なお、彼がもしも犠牲者の業を晴らそう、救おうとしなければどうなるか、得た力をそのまま自身のうちに留めればどうなるかという疑問は意味を持たない。

 

 仮にそんな事があれば彼は世界中の救われぬ死者の業の力を操る恐るべき術師となっていただろうが、彼がそういった打算的人物であるならばそもそもこのような力は発現しなかった。

 

 

 

 なお、連盟の術師達は彼については複雑な気持ちを抱いている。

 それは彼があえて露悪的な振る舞いをとっているからだ。

 その辺の聖職者などより遥かに尊い行いをしているのだから、むしろ堂々と誇るべきだろうと詰る者も居た。

 

 しかし彼には、ポーには分かっていたのだ。

 顕現した力の質からして、今後生きている限り自身が安穏な人生を歩む事などは出来ないであろう事を。

 

 そうであるなら、人を遠ざけようとする彼の振る舞いにも一定の理解はできるというものである。

 




ポーの国の王様になりかわった魔族はポーに二億回ぶち殺されて消滅しました。
国も結局国体ボロボロだったのでそのまま周辺諸国にぐちゃぐちゃにされて終了です。
あっちこっち自分よりよわいトコへ喧嘩うってたので仕方ありません。
そのへんの事はまあ今後の話で匂わせていくかんじにします。
戦記っぽくなりそうだし、長くなりそうだし、なによりそのへんの事情をかいててもあんまり楽しくないのではしょりました。


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閑話:北方侵攻③

 ◆

 

 ラカニシュが封印されていた祠は、丁度旧オルド王国の王都から北西に徒歩で数日程度の距離にある台地に鎮座していた。

 

 自然に囲まれた清閑な地だ。

 地脈が毛細血管の様に巡っており、封印術に恒久的な燃料補給を行っている。

 

 どういった術体系にも封印術式のようなモノは存在するが、その殆どは一端封印を施せば半永久的に機能し得るという様な事は無い。

 

 “燃料”を燃やし続けて封印が機能しているのだ。

 よって燃料が切れれば通常は封印が解ける。

 

 しかし、地脈を利用すれば人類の基準では半永久と称する事が出来る程度には長く封じる事が出来た。

 

 その地がいまや異形の魔獣、下級魔族兵、そしてそれらを率いる魔将によって包囲されていた。

 

 なぜなら転移門がこの地に開いたからである。

 魔族侵攻の際の転移門と言うのは自由にどこにでも開けるというわけではない。

 魔王の魔力をもってしてもそれは不可能である。

 

 ならばどうするかといえば、外部の魔力を利用すれば良いのだ。

 例えば地脈が集まる地だとか。

 

 魔族が各地の力在る地神を滅ぼそうとするのは、それが潜在的な敵性存在である以上に、そういった存在は大体その地の地脈の中心に陣取っていて邪魔だから、という点が大きい。よって魔族の転移門は大体こういった力ある存在が眠る地、あるいは眠っていた地に開かれる。

 

 ちなみに魔将とは魔族の支配階級、貴族階級である。

 その魔将も大別すれば二種に分けられるが、この地を侵攻したのはその下位の者となる。

 魔族と一口に言ってもピンキリだ。

 魔族兵も魔族には違いないが、魔将と比較するのは余りにもおこがましい。

 

 魔将ヒルダリア

 

 第一次人魔大戦時、黒金級冒険者『禍剣』シド・デインによって葬られた歴戦の魔将オルトリンデの妹にあたる。

 魔将とはその魔力の強大さゆえに外見にも禍々しさが表出するものだが、ヒルダリアはそういった面々とはやや異なっていた。

 

 人類の美的感覚からみてもその外見は美しい。

 

 白銀の長髪は一本一本がまるで針金の様に強靭でありながら、麗しさと瑞々しさを一切失っていないように見えた。

 細い相貌の二つの瞳の色は鮮烈な氷蒼色をしているが、その色からは寒々しさや冷徹さではなく凛とした意思の強さ、清廉さを感じさせられる。

 

 ◆

 

「力在る存在が封じられているとは思っていたがよもや我等の側に属する存在だとはな。神でもなければ人でもない。ならば魔である。であるならばいざ、我等の元に参るが良い」

 

 ヒルダリアはその提案が当然受け入れられるものと思っていた。

 その返礼は独言だ。

 

 ラカニシュは骨と化した両の手を上に掲げ、天にますます何者かに言葉を紡いでいた。

 

 

 ――生きとし、生ける…者。みな痛苦に耐えかね、ただ死を待つ、のみ

 ――嗚呼、神よ

 ――吾等、はただ、苦しむ為に生まれて、来たのでせうか

 

 

 それを聞いたヒルダリアはその端整な顔を顰め、眼前の人骨の如き魔人とは対話が出来ない事を悟った。

 独言はなおも続く。

 

 ――天に、まします、我らが神、よ

 ――なぜ、吾等をこの、残酷な世界に創り出し給ふた、か

 

 その瞬間ヒルダリアは声を張り上げ、配下の者達に警戒の檄を発した。

「飛べ!」

 

 ――救い、在れ

 

 ラカニシュはまるで祈りを捧げるかのように掲げていた両手を一息に振り下ろした。

 同時に2メトルはあろうかという骨の槍が地中より広範囲に突きだされ、反応が遅れた魔族や魔獣を貫き殺す。

 

 いや………

 

「糞ッ!貴様、やってくれたな!よくも我の配下、を…?」

 ヒルダリアは骨の槍に貫かれた者達を見ると違和感に気付いた。

 

 ――死んで、いない…?

 

 そう、ヒルダリアの部下達は死んでいない。

 生きているのだ。

 ただし、二度とは醒めぬ夢幻の内に。

 

 ヒルダリアの部下達は全身を骨の槍で貫かれながらも、陶酔の表情を浮かべながら生きていた。

 ラカニシュの手により、彼等は苦痛に塗れる人生…いや、魔生から解放されたのだ。

 彼等はもはや人生の最期に待ち受ける忌まわしい死を恐れる必要はない。

 この地で永遠に生きていく。

 

 ヒルダリアはラカニシュの所業に強烈な生理的嫌悪感を覚えた。

 魔族といえども生物である事には変わりはない。

 生物としての本能が、ラカニシュをおぞましき邪悪として忌避しているのだ。

 

「……貴様は、敵の様だ。魔族だけの敵ではない。私は貴様をこの世界に生きる全ての者の敵と見る」

 

 ヒルダリアの氷蒼色の瞳の奥に冷たい炎が灯る。

 

 ◆

 

 腐臭が鼻をつく。

 

 連盟術師ポーは鼻を擦りあげた。

 

(余程僕と相容れない者がいるのでしょう。想像はつきますが。この地に眠る彼を起こすとは、何という愚行。しかし、我等連盟の負債でもある。僕がこの地を訪れた事にも意味があるのでしょうね)

 

 ポーは宿屋で荷物をまとめた。

 “アレ”を相手にするのならば準備が必要だ。

 

 そして自室を出た所で、雇い主…行商のビッタンと鉢合わせた。

 ポーは道中でビッタンと出会い、護衛を頼まれて行動を共にしていたのだ。

 

「おい、ポー!あの黒い雲はなんだってんだ!?って…その荷物はなんだ!?どこにいこうってんだ!?」

 

「ビッタンさん、命が惜しければ宿を出ない事です。そして僕は行きます。僕は連盟員としては新参ですが、そんな事は関係ない。僕の魂を救ってくれた人が作った小さな家族、それが連盟です。家族殺しをしたならば報いを受けさせなければならない。なにより、報われぬ魂の声が聞こえるのです…不幸が僕を呼んでいる。僕はそれを集めるために旅をしているのですよ。ふ、ふふふ。何の事か分かりませんか?まあ分からないほうが幸せでしょう。それでは」

 

 ビッタンはしばし唖然とし、去っていくポーの背中を見つめていた。

 宿から出て行ったポーを見送った彼は、顎に手をあて、何事かを思案する。

 そして眉を顰め、外をちらっと見て…宿に閉じこもった。

 

 ビッタンは若かりし頃、冒険者として活動した事がある。

 行商などという仕事をやるものは大抵が若い頃その手の仕事をした事がある。

 でなければこの殺伐大陸で行商などは勤まらないからだ。

 

 かつてそこそこ有能な斥候であったビッタンの生存本能は、ポーの言を軽んじてはならないと警鐘をカラカラと鳴らしていた。

 これが現役時代であるならばその警鐘はガンガンと大きな音を立てていたのだろうが。

 ともあれ、勘が鈍ったとはいえ、ビッタンは己の警鐘の音に従う事にした。

 

 ◆

 

 ヌラは冒険者ギルドに向かっていた。

 変事が起きているのは明らかで、ギルドが何か対応をしているだろうと考えたからだ。

 ヌラは元金等級冒険者ではあり、既に冒険者稼業からは足を洗っているものの、まだ繋ぎは残してある。

 

 ギルドは案の定混乱の坩堝であった。

 というより術師連中の狼狽が酷い。

 魔力を感知する事に長けた彼等はすっかり怯えてしまっている。

 なんでもとんでもなく不吉な、おぞましい、邪悪極まる何かの魔力が流れてくるのだそうだ。

 

 ――アレに関係あるのだろうな

 

 ヌラは醒めた思考で考える。

 封印の地に何が眠っているか、それはヌラも話としては聞いている。

 あの黒雲がその封印されていたものなのか、それともまた別口なのかは分からないが、いずれにしても剣呑なモノが起きてしまったのだろう。

 

 ギルドをぐるりと見回す。

 見知った顔がいくつかあった。

 

「あ、ヌラさん!」

「やあ。ヌラ。冒険者に戻る気になったか?」

 

 その時、背後からヌラの名を呼ぶ女性の声がした。

 声は二つ。

 いいえ、と答えヌラは振り向いた。




mementomoriのほうも連動させていってるのでよかったらよろしくです
なお、シドは曇らせ剣士シドのことです。
短編ですがそちらもよろです


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戦場百景

 ◆ヴァラク◆

 

 ヴァラクのラドゥ傭兵団の本拠地

 

 屈強の猛者共が、ラドゥ傭兵団の猛者共が長机を囲み話し合っている。

 内容は如何にこの街を防衛するか、だ。

 

 何から?

 魔族の侵攻軍からである。

 

 猛者共の中には3人の冒険者もいた。

 冒険者と傭兵の二足の草鞋。

 つまり、両履きということだ。

 

「……この先、どうなるのかしら…」

 

 3人組の内の赤髪の女性…セシルが常の凛とした表情を、この日ばかりは深刻の沼へと浸していた。

 

 街を襲う魔物の数は余りにも多い。

 ヴァラクは都市常備戦力を編成し、これに対応。

 都市には南北に2つの大門を備えており、このうちの一つでも突破されたならばヴァラクは陥落の憂き目に遭う可能性が高い。

 

 とはいえ魔物の大量発生程度ならば、まあ犠牲は伴うだろうが街は落ちないだろう。

 レグナム西域帝国は多くの都市を抱えるが、傭兵都市ヴァラクはその中でも保有戦力が頭一つ抜けている。

 常備戦力もそうだが、都市が抱える傭兵団の力によるところも大きい。

 

 なおヴァラクは特別な自治権を帝国から授けられており、通常は都市の権限で万事を裁量出来るが、有事の際は帝国の指揮権下に入る事となっている。

 

 当然傭兵達も帝国兵として戦う事になるが、これは事前了解を取ってある。

 自由を愛する彼等ではあるが、本拠地となる場所はどうしたって必要なのだ。

 そういった本拠地を設立する地は大体どこかの国の土地となり、しかし多くの国は傭兵というものを余り好かない。

 

 何故好かないかなどは説明する必要はないだろう。

 そういった嫌悪の念はどう取り繕おうとも傭兵達にも伝わるもので、これは潜在的な敵対の芽を育てる一要因となっていた。

 

 だがレグナム西域帝国は傭兵達を便利使いするにはするが、同時にメリットも与えた。

 彼等に安心して帰れる地を与え、また国からの支援も施したのだ。

 ヴァラクには負傷し剣を持つ事ができなくなった傭兵達も多く居る。

 彼等には帝国から障害年金が支給されている。

 この年金を受け取る条件の一つとして有事の際の帝国指揮下に入るというものがあった。

 

 そういう事情があるなら傭兵達も話は別で、ヴァラクへ、ひいてはレグナム西域帝国への里心が生まれる。

 そして一旦里心が生まれてしまったからには帝国皇帝である『愛廟帝』サチコの術が深層に作用し、帝国へ背を向ける事ができなくなってしまうのだ。

 

 この複雑な蜘蛛の巣の如き絵を描いたのは帝国宰相ゲルラッハその人である。

 

 そういうヴァラクであるから生半可な戦力では落ちないのだが、そうはいっても街を囲む魔物の大群の数には多くの市民が不安の念を抱かずには居られなかった。

 

 ◇

 

「大丈夫だよセシル。なんたってここにはオジサマがいるんだから」

 

 紫がかったショートカットのやや小生意気そうな少女が言う。

 彼女の名はリズ。

 術の才も武の才も斥候の才も余りないが、努力という才はそこそこ持っている少女だ。

 

 彼女が言うオジサマとは…

 

「団長と呼びなさい、リズ」

 森の奥地に佇む巨岩を連想させる重い声が響いた。

 ラドゥ傭兵団団長、元オルド騎士、『重い波の』ラドゥであった。

 

「ごめんなさいラドゥ団長」

 

 ぺこりとリズが頭を下げるとラドゥはウム…と複雑そうに彼女の後頭部を見ながら頷いた。

 

 リズは決してラドゥを軽くみているわけではなく、むしろ強い思慕の念を向けている。

 ラドゥの施す厳しい訓練にも弱音1つ吐かずについてゆき、プライベートではオジサマオジサマとまとわりついてくる少女には流石のラドゥも絆されざるを得ない。

 

 リズが言うには"オジサマは死んじゃったおじいちゃんそっくりなんだよね"だそうだ。

 

「けっ、団長の前でだけカマトトぶってるんじゃねえぞメスガキ」

 

 金髪の青年が悪びれた声で言う。

 彼の名はガストン。

 術の才能は無く、武の才は少しだけあり、努力という才はイマイチな青年だ。

 斥侯という特殊な職業においての才は中の下と言った所であろう。

 

「うるさい、負け犬。噛みつくなら私じゃなくて外の魔物に噛みついてきなよ。どうせすぐ挽肉になるんだろうけど」

 

 リズが躊躇なくガストンを中傷し、ガストンも目つきを険しくしてリズを睨んだ。

 セシルは以前から全く成長しない二人を見て項垂れる…ことはなかった。

 

「はあ、あんた達は…。悩んでる私が馬鹿みたいね。団長、この先都市はどう対応するのでしょう。我々もいずれは都市外へ迎撃しにいくとは思うのですが…」

 

 セシルが質問をするとラドゥは顎を少し撫で思案し、答えた。

 

「都市の常備戦力である程度迎撃は出来るだろう。我々は都市内へ魔物が侵入してきた際の万一の為の備え。だが…」

 

 ラドゥは言葉を切った。

 他の団員達やセシル、そしてリズ、ついでにガストンは続きの言葉を待つ。

 

「魔物共を統率する存在が常備軍の手に余りそうならば、我々も出る事になろうよ。要は頭狩りだ。指揮官級の暗殺。受けに長けぬ、しかして攻めには長ける我々のような傭兵に向いた仕事といえる」

 

「しかし、あれほどの大群を突破して指揮官を撃破と言うのは…」

 

 セシルが言うと、ラドゥの視線は部屋の隅でパン菓子を貪っている男へ向いた。

 厳しい鍛錬でゴム毬のごときブヨブヨだった肉体はほんの少しだけ引き締まっている。

 ほんの少しというのは、鍛錬の途中で抜け出して間食や風俗に勤しむからだ。

 

 だがラドゥや周囲の者が彼を見限る事はなかった。

 なぜなら鍛錬の放棄は彼等が激昂するギリギリのラインを攻めていたし、更にいえば危険度の高い仕事でカナタは複数名の団員の命が失われる事を未然に防いだという実績もある。

 

「奴に進路を選ばせる」

 

 一同は納得の様子で頷いた。

 その男の名はカナタ。

 術の才は皆無で、武の才も皆無だ。努力は嫌い。

 だがその斥侯としての才はイム大陸広しといえども、彼に比肩する者は居ない。

 

 武の神も術の神もカナタを忌み嫌い、近寄られる事すら嫌悪するが、勘の女神は彼に情熱的な接吻を捧げ続けているどころか、股すら開いて彼を求め続けている。

 

 ◆エル・カーラ◆

 

 魔導協会所属、一等術師『雷伯』ギオルギは険しい目で眼下の光景を見渡した。

 長い髪は全て白くなり、細い目には濃い懸念の色が浮かんでいた。

 雷伯とは彼が雷を佳く操り、さらにレグナム西域帝国における伯爵位を戴いている事から名付けられた異名だ。

 齢80をこえても尚も現役にあり続けるのは彼の術師としての業前を示すものであった。

 

 彼が見下ろすのは魔軍の雲霞である。

 魔導都市エル・カーラはまさに今魔族による大侵攻を受けていた。

 

 戦場には炎球が乱れ飛び、氷牙が大気を引き裂き飛翔している。

 毒が大地を穢し、そこはまさに魔の饗宴であった。

 

 エル・カーラの時を刻む魔針塔は常の機能を放棄し、有事の際の結界生成器と変じて侵攻をかろうじて食い止めてはいるが、都市全域を防護する大結界等と言うのは長い時間もつものではない。

 どこかのタイミングで敵侵攻勢力を削ぐ必要がある。

 エル・カーラとて都市を囲う壁は存在するが、そんなものこの数を前にすれば鎧袖一触だろう。

 

 都市からの攻勢迎撃により敵侵攻勢力の起点…要するに指揮官級と目される魔族を撃破、そして指揮官撃破に伴う魔軍全体の侵攻速度の副次的減衰を為さねばならなかった。

 

 レグナム西域帝国首都、帝都ベルンからは既に援軍が派遣されているが、援軍の到着はどうみつもっても数日はかかる。

 

 幸いにも都市にはギオルギを初め、複数の上級協会術師がおり、また余りやりたくはないが

 

 ――学徒動員もやむを得ぬか。しかし

 

 ギオルギは悩む。

 とはいえ、皆殺しの憂き目に遭うとなれば…

 

 ◇

 

 エル・カーラ魔導学院、大講堂。

 生徒達は避難勧告を受けてここへ集められている。

 教師陣は一部を残して都市防衛隊に組み込まれた。

 

 多く生徒が不安そうにしている中、一部の生徒達はやや様子を異なるものとしている。

 具体的にいえば3人の悪ガキ共であった。

 実際に悪い。

 殺人の経験を積んだガキなのだから。

 まあその時はやむを得ない理由があったとはいえ。

 

「私に秘策があるわ!」

 

 赤髪の少女が堂々と言い放つ。

 それを蒼い髪の少年がニコニコしながら、黒い髪の悪びれた少年は遠い目で見つめている。

 

 

 

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ギオルギは以前名前だけ出てきた人です。

閑話魔竜殺し を確認してください。

また、この先は拙作の作品中のクロス要素が頻発するとおもいます。

例えばこの作品の中にMemento-Moriの登場人物が出たりすることもあるでしょう。

勿論、どちらかを読んでいないとさっぱりなにがなにやら…という書き方はしません。

とりあえずそういう事もあるとご了承くださいますようお願いいたします。

よほど注意しておかないといけない要素や報告はもちろんあとがきなどにも書きますが、活動報告でも報告します。

画像の差し替え報告などもあるとおもうので、その辺は作者フォローをしていただければすぐ分かると思います。

ともあれしばらくはこんなかんじで各地の事を書いていきます。

主人公もそろそろ出しますね。



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閑話:北方侵攻④

 ◆

 

 地中から広範囲に骨の槍を突き出し、敵手を貫く。それはラカニシュの術ではあるが、ラカニシュの術ではない。

 

 正確に言えば、彼の同胞だった者、家族だった者…連盟術師『糾う骨』キャスリアンの業である。

 

 キャスリアンは骨を愛した。

 骨とは何か?

 骨とはその者の本質である。

 

 なぜ本質と言えるのか?

 骨こそが生物を構成する部品の中でもっとも形を変えないものだからだ。

 姿形がどう変わろうとも、その者の本質は変わらない。

 

 キャスリアンは『骨』をそう見た。

 彼の骨への執着は、彼の母によるところが大きい。

 

 キャスリアンの母はキャスリアンが青年と呼ばれる齢となった頃、急速に呆けていった。

 父親が不慮の事故で亡くなった事が彼女の芯棒を圧し折ってしまったのかもしれない。

 まあ年をとれば誰でもボケるものだが、そんなものは門外漢の賢しらぶった戯言に過ぎない。

 

 

 母を愛するキャスリアン青年にとって、目の前の母の精神が急速に崩壊していく様はどれほどの地獄であっただろうか。

 

 しかしキャスリアン青年の母親への愛情は決して潰える事はなく、名前を忘れられても暴力を振るわれても母親の世話を続けた。

 

 母親が死んだ時、キャスリアン青年は遺体を焼いた。西域では基本的には火葬である。

 遺体を火術で焼き尽くすのだ。

 この時の術の使い手は『送り手』と呼ばれ、その地域の民から一段高い尊敬を受ける事となる。

 

 そして燃え残った骨をみたキャスリアン青年は、母の頭蓋骨の側頭部にへこみが入っているのを見た。

 

 ――それでねえ、崖の上から石が落っこちてきちゃって!ごっつんって母さんの頭にぶつかってね。痛いし怖いし意識は朦朧とするし…母さんはもう駄目だと思ったのよ。でもそこで助けてくれたのがお父さんだったってわけ!あの時母さんはお父さんに惚れちゃってね

 

 生前の母の言葉がキャスリアン青年の脳裏に蘇る。同時に彼は母親の頭蓋骨に、変わってしまう前の母親を視たのだ。

 

 それは決して論理だった理屈ではない。

 合理的な考え方でもない。

 だが、キャスリアン青年は信じた。

 

 人はその骨にこそ本質が宿るのだと。

 そして思った。

 

 母は焼け、この世から去ってしまった。

 しかしかつて母を母たらしめていた本質は、今もほら、このように硬くこの世に在るではないか、と。

 

 ◆

 

 強い思いに術は応えるものだが、物だって応える。例えば長く大切に扱っている刀剣の類に妖しげな力が宿る事は往々にしてある事だ。

 翻って、キャスリアンの骨に向ける愛、想いに骨も応える。

 

 骨が想いに応えるとはどういう事か?

 それは…

 

 ◆

 

 地を這う四足の魔獣が数体がヒルダリアの合図でラカニシュに踊りかかる。

 

 四足の魔獣の代表といえば魔狼だが、魔狼などとは比べ物にならない剣呑さを持つその魔獣は、魔族からはただ「犬」とだけ呼ばれていた。

 

 だが犬ときいて多くの者が思い浮かべるそれはとは様相がまるで違う。

 

 大きく口をあけ牙を覗かせている辺りは魔狼と変わらないが、まず本来歯があるべき部分のみならず、口内の全体に隙間なく鋭い牙がはえている所が悍ましい。

 

 さらにこれは見れば分かる事だが、目が頭部だけじゃなく全身についているのだ。

 

 この「犬」は全身の目で周囲を1度に見渡し、牙だらけの口で獲物に食いついたらば最後、獲物はたちまちの内に挽き肉と化してしまう。

 

 戦力比較では銀等級の冒険者ではかろうじてサシでやりあえるといった所であろうか。

 その銀等級の冒険者は一般人を殺し慣れた野盗を3、4人同時に相手にしても数分で皆殺しに出来る。

 

 そんな化物が禍々しい牙をつきたてようと迫る。

 ラカニシュはその「犬」達をぐるりと見回し、視界に収めた。

 

 その瞬間、「犬」の体内より犬自身の骨が突き出した。

 

 骨が想いに応えたのだ。

 だがそれは偽りの思いである。

 ラカニシュはキャスリアンの術を簒奪していた。

 

 それはラカニシュの権能だとかそういう事ではなく、不死者となる過程を経てキャスリアンの魂を取り込んだ為に斯くなる仕儀となった、いわば偶然だ。

 

 だがかつて連盟がマゴマゴとしてラカニシュを放置していたのはこれが原因でもある。

 仮にラカニシュが連盟員の持つ“業”を残らず喰らってしまったならどうなるか。

 

 まあ一番の原因は協調性が全くないので、世界各地に散ってしまった彼らが1つの場所に集うことは魔王を殺害する事より難しいという点であったが。

 

 ◆

 

 ――愛は与、へ、時に奪う

 ――嗚呼、愛無き者達

 ――わたし、が、慈愛を与へよう

 

 風と風が擦りあわされたような耳障りな声が響く。

 

 ラカニシュの周辺には肉体の内部から骨が突き出され、グチャグチャになった「犬」のなれの果てが斃れていた。

 

 悍ましい点がある。

 それは此れ程に肉体を損壊されてもなおも「犬」は生きており、しかも苦しんでいるどころか快楽を得ているように見えるという点だ。

 

 それを見た魔将ヒルダリアはギリリと歯軋りをし、腰に佩く剣を引き抜くやいなや、ラカニシュとの距離があるにも拘らず逆袈裟に切り上げた。

 

「虚けが!そんなものが、慈愛であるものかッ!」

 

 氷の津波と呼ぶに相応しい波濤が巻き起こり、「犬」もろともラカニシュを氷の瀑布が飲み込んだ。

 

 ◆

 

 冒険者ギルド、ロビー

 

「エルファルリ、ユラハ。あの雲を見たか」

 

 ヌラの言葉にエルファルリは深刻そうに頷いた。

 ユラハはどこか不安そうだ。

 それを言うのならば、不安を表に出していない者などこの場には誰も居ないが。

 

「ああ。ギルドは調査隊を派遣するらしい。ああ、そうだ、バリスカ伯爵も噛むらしいぞ。あの御仁は典型的なレグナム西域帝国の貴族だからな…というかもうギルドに来ている。2階で上層部と色々詰めているみたいだ。私も団を率いて向かう事になりそうだ」

 

 ヌラが耳を澄ませると、階上から怒号が聞こえてくる。

 

 ――愛すべき祖国に危機ィが迫っておる!偉大なる歴史を持つ我らが帝国に迫る来る牙!我等帝国臣民は愛国充ちる両の豪腕でこれを迎え撃たん!

 

 ――冒険者達を編成せよ!我はバリスカ伯爵家が有する常備軍を以って変事へ当る!カァーッ!!!見よ、我が身体が震えておる!皇帝陛下への忠を示す機会を得た事に喜び勇んでおるのだ!

 

 それを聞いたヌラは雇い主の狂乱を無表情で流した。いつもの事であったからだ。

 

 だが、雇い主がああいうスタンスであるなら、これは自分も事に当たる事になるのだろうな、とため息をつく。

 

 内心の警鐘はいまだに鳴り響いているのだ。

 あの黒雲は危険であり、なんだったらそれよりさらにまずいのがあの地にはいる。

 

 レグナム西域帝国、シュバイン・バリスカ伯爵は帝国きっての愛国者であり、考え無しのイノシシ武者だ。

 

 悪人ではないが、声がうるさくとにかく何事もギャアギャア喚くので、レグナム皇帝サチコを怖がらせる恐れを危惧したゲルラッハにより北方へ飛ばされた…というのは半ば冗句で、この北方の地は魂を寒からしめるモノが眠っており、精神が弱い者は心を病む。

 

 シュバイン・バリスカは病むほどの繊細さがない。ゆえの抜擢であった。

 

 バリスカ伯爵のカチコミに辟易としたのは冒険者ギルドである。

 ギルドはレグナム西域帝国に属するものではないからだ。

 帝国はギルドに対しての直接命令権を持たない。

 

 では冒険者ギルドとはそもそもなんぞや、というとこれに答えられるものは誰もいないのだ。

 

 気付けば各国に存在してて、良くわからないうちに様々な制度なりが作られており、各国もその事を不審に思わないでもないが、無ければないで困る事も多いし、なんだったら税金もしっかり払っている為ギルドについては見てみぬふりをしている…というのが現状であった。

 

 また、ギルドは各国の国家間紛争などに関わる事はない。だが、外敵…つまり、人類種を害する勢力については国家へ協力をする義務を持つ。

 このあたりがギルド存続が見逃されている理由でもあろう。

 

 上記の理由で、ギルドとしてはバリスカ伯爵の干渉は鬱陶しいが、それでも断わる正当性を見つけられないでいた。

 

 ギルドはあの黒雲が発生した地に眠るものがなんであるかを知っているからだ。

 その危険性も。

 

 ゆえに放置しておくという選択肢はなかった。

 

 

 



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帝国へ②

法神教の残党、その後
帝国へ②

この2話更新してます。



 帝国へ②

 

 ◆

 

「と言う事で俺達はレグナム西域帝国の首都、帝都ベルンへ向かう。これは共闘した誼で言うのだが、この地に留まる事はお薦めしない。なぜならばあの魔族…クソガキ…棺野郎は魔族の中でもそれなりに上の者だろう。ソイツが消息を絶ったというのなら、もし俺が魔族ならばこの地へ調査の手のものを送る。平時のお前達ならばそういう輩とて退けられるかもしれないが…」

 

 ヨハンの視線がぬるりとその場の面々を撫でた。

 そしてふるふると首を振り、歴史ある法神教も信者全滅で終りか…などと呟いた。

 

 余りにも無礼な振る舞いに、ヨルシカがコラ!と叱ろうとしたが、旧穏健派のアイラが青息吐息の様子で、それでも精一杯の声を張り上げた。

 

「アイラはッ……わかります。法神は潰えたのではない、と。貴方の、ヨハン様の中から法神を感じます…あの時ヨハン様は言いました、神は己の内にあると。これは、そういう意味だったのですね…」

 

 アイラが掠れた声でそういうと、ヨハンは大きく頷き答えた。

 

「そうだ。だが法神はお前の神ではない。勿論俺の神でもない。法神とは法神と言う名前の力に過ぎない。ならば神はいないのか?とお前は思うだろう。いや、神はいる!!何処にいるか分かるか」

 

 ヨハンがどんと床を踏み鳴らし、吠えた。

 アイラはびくりと肩を跳ね上げ、濡れほそぼり迷う子羊のような目でヨハンを見つめる。

 

 ヨハンは人差し指をアイラの胸に突き出した。

 勿論触れてはいない。

 アイラは小さい声でいいえ、と答えた。

 

「ここだ!ここに神はいる。お前だけの神がいるのだ。お前は法神教徒として信仰に背かぬ行ないをこれまでしてきた…善行を!…そうだな?」

 

 ヨハンが目をぐわっと見開いてアイラに迫る。

 アイラは目を瞑り、此れまでの自身の行いを思い返し、そして小さく頷いた。

 

「だが考えてみろ。お前は法神に命じられて渋々と善行を為していたのか?違うはずだ、お前がもし法神教徒でなくともお前は目の前に飢える民がいればパンを渡していたし、目の前で理不尽な暴力で虐げられている民がいれば剣を取ったはずだ!違うか?」

 

 アイラはやはり小さく頷いた。

 

「なぜだ!それはお前の良心に反する事をお前が許せなかったからだろう!お前は恐れていたのだ。自身の良心が自身から離反してしまう事を。それは聖職者が神の寵愛を失う事を恐れる事に似ている。…つまり!神とは、陳腐な言い方をすればお前の良心そのものだといえる」

 

「そして…祈りとは!!いいか、祈りとは、神にお願いをするではない。祈りとは、自身の行いを神に宣言する事を言う。私はこれこれこのような行いを為します、神よどうかご照覧あれ、と宣言をする…それが祈りだ。これはすなわち、良心に背く事はするまいという律を自身の中に立てる事を言う!」

 

 だから、とヨハンは続けた。

 もはや法の間にいる者は皆ヨハン1人だけを見つめていた。

 思い込みが激しいものは後光すら見えている始末。

 

 そう、ヨハンは後光を出していた。

 物理的に。

 なぜならば適切に扱った光は人間の判断能力を狂わせる作用があるからだ。

 

 そんなヨハンを見ていたヨルシカはふと気付く。

 ヨハンという男はここ最近こそまともに戦っていたが、基本的には詐術を以って戦う男である事を。

 

「だから、お前は神を失ったのではない…。そもそもが最初から神に気付いていなかったのだ。だが今のお前は、お前達は違う。…使って見るがいい、法術を。法神が真にお前達の神であるならば、法術なんてものは使えないはずだ。術とは体系にまつわる根源を力の源とするのだからな」

 

 穏健派の1人は指を突き出し、おそるおそる聖句を唱えた。

 

 するとその者に指の先に仄かな明かりが灯ったではないか。

 

「俺の言葉が証明されたようだな」

 

 アイラは手を組んでヨハンの前にひざまづいていた。ヨハンが神というわけではない、しかし神という寄る辺を見失い無窮の闇を彷徨いあるいている時、啓示の如き言葉で道を指し示してくれたのは彼である。

 

 アイラは、いや、この場の穏健派の者達は法神を失い、神を取り戻した。

 

 ◆

 

 全て適当である。

 

「いや、勢いで色々言ったに過ぎん。適当で、出任せだ。しいて言えば力の根源を外から内へ移し変えるのを手伝ってやったに過ぎん。俺達連盟の術師の切り札は基本的に自身の内から力を引き出すからな。理屈は分かってるんだ。まああんな連中でも魔族との殺し合いには役立つだろうし、立ち直らせておくだけの意味はあるだろう」

 

 聖都キャニオン・ベルの大門でヨハンはヨルシカへ告げた。

 

 ヨルシカはげんなり俯くが、彼らしいなと小さく笑う。

 

「帝都へ向かう、が時間はあるかな」

 ヨハンが空を見上げて鬱々と言う。

 

「…うん。人魔大戦…始まっちゃったんだね。物語で読んだ通りだ。空は暗雲に覆われ、闇よりいずるは邪なる…」

 ヨルシカも同じ調子だ。

 

 平和が1番だよ、というヨハンの言葉でヨルシカは笑ってしまった。

 余りに似合わないセリフだったからである。

 



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法神教の残党、その後

 ◆

 

 エルはぼんやりと周囲を見渡した。

 

 術の行使で全身が鉛のように重くなっており、自身の野望…アステール王国の再興という夢はどうなってしまうのか、果たして為しうる事なのかという不安もある。

 

 要するに心身ともに不調と言う事だ。

 

(これから、どうすればいいのでしょう)

 

 エルはまるで何も無い荒野のど真ん中に置き去りにされたような気分であった。

 

 視線が1人の女性を捉える。

 

 ミカ・ルカ・ヴィルマリーだ。

 床に横たわり、聖職者達の治癒を受けている。

 ヨハンは女性であっても平等に鼻の骨を圧し折る外道であったので、呼吸が上手くできないようであった。

 

 エルの侍従であり、友人でもあり、信を置く数少ない者はもう戻ってはこない。

 

 ヨハンの話では“食われた”と言う事であった。

 国を失い、友を失い、取り戻す手立ても失い、連続した喪失がエルの精神を蝕んでいく。

 

【挿絵表示】

 

 これまで気を張っていた反動だろうか、ぽろりと星の雫のような涙が零れた。

 

 

 その時肩に手が置かれ、綺麗な布でエルの涙が拭われる。

 ふりかえってみれば薄い笑みを浮かべたジュウロウが居た。

 

「さてお姫様。これからどうするんです?」

 

 ジュウロウの言にエルは言葉を返せないでいた。

 自分にも良く分からないからだ。

 中央教会という宗教組織を利用してレグナム西域帝国を蚕食し…というアステール再興の芽は断たれた。

 

 アステールの最終王統である事こそがエルの存在意義であった。少なくとも彼女はそう考えている。であるなら、そのアステールがもはや取り戻せぬ過去の幻影となってしまったならば、もうこの世に在る意味は…

 

 エルの思考が陰に沈みかけていると肩に置かれた手にギュウっと力がこめられた。

 

 痛い、という抗議の意味を込めてジュウロウを睨む。

 

 すると薄笑いが常であったジュウロウは、酷く真剣そうな面持ちでエルへ言う。

 

「山、樹々によりて立ち、国、人々によりて立つ。君は国を興すというけれど、それはどんな国で何の為に国を興すのか、そして今の時点で君の想いを汲んでくれる人はどれだけ居るのか。君は結果だけ見て経過を見てないように思う。一人ぼっちの王は王とは言えないよ。つまり…人を、同志を、信頼できる仲間を集めろってことさ。それが出来ないなら王になる資格なんてハナからないんだ」

 

 エルは俯いた。

 反論は出来ない。

 結局、エルは自分の事しか考えてなかったし、自分の事しか見えてなかったのだ。

 

 だが、アンドロザギウスとの死闘でエルは何か言葉にならないモノを感得した。

 

 それはなんだといわれてもエルには答えられない。だが胸のすぐそこまで答えが出掛かってはいるのだ。

 

 ドライゼンはアイラの為に命を捨てたのだろうか

 

 四等審問官エドは志を同じくする仲間達の為に命を捨てようとしたのだろうか

 

 なぜそこまで想う事が出来るのか。

 エルには良く分からない。

 

 分からないが、あの光景は尊い何かの積み重ねの果てにしか見られないものだという事は分かった。

 

 アステールという国が自身にとって特別なものである事には変わりはない。

 再興したい気持ちにも変わりは無い。

 

 だがそれは結局自分がそうであるというだけであり、他者…国を造る、支える多数の他者にとってもそうであるかどうか。

 

 ならば自分が為すべき事の階が見えてきたような気がする。

 

 エルはジュウロウの言葉を何度も反芻しながら、ほんの僅かな希望を見出した。

 

「ふん、軽薄で鳴る貴様が良く言う」

 

 ギルバートが鼻を鳴らしてジュウロウを揶揄すると、ジュウロウは低脳を見る目でギルバートを見返した。

 二人は互いの実力や、いざと言う時の根性こそは認め合って居ても仲は悪いのだ。

 

「残された者達を連れ…我々も帝都ベルンへ向かいましょう。彼の、あのヨハンという者の言葉は尤もな事です。今魔族が襲撃をかけてくれば危ういかもしれません……アイラさん、貴方達も、私達と一緒にいきませんか」

 

 エルがアイラへ声をかけると、二人の少女はしばしその視線を絡め合い、そしてどちらともなく頷いた。

 

(そう、人を興すことから始めねばなりません。アステールの再興は潰えたわけではない。ですが、その為には私だけではなく多くの者がアステールという国を知り、愛着を向けるように導く必要があります)

 

 エルはぐっと小さな手を握り締めた。

 アイラも穏やかな目で彼女を見つめている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 少女達が気高い覚悟をかためている一方で、男達が何を話していたか。

 

「ジュウロウ、貴様がああいう事を言う男だとは思って居なかったが…ああ、なるほどな…貴様、天使病だったな…」

 

 ギルバートがジュウロウを一瞬見直したような目でみた次の瞬間にはその目の色は侮蔑で染まった。

 

 天使病とはいわゆる小児性愛者の事を言う。

 

「ギルバート、僕は幼い子へ手を出した事はただの一度もないよ。見ているだけで十分だ。それで十分満たされる」

 

「成人女性に興味はないのか?」

 

 ギルバートの問いにジュウロウは唾棄をもって答えた。死闘の最中に口中でも切ったのか、血混じりの唾が床へ履き捨てられる。

 

「二度と気色の悪い事をいわないでくれ」

 

 ギルバートはそんなジュウロウを気持ち悪いなーと思いながら見つめていた。

 本当に気持ち悪かった。

 



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閑話:北方侵攻⑤

今日は北方侵攻5、6、7と更新してます。


 ◆

 

 ラカニシュに対するヒルダリアの嫌悪感が殺意へと正しく化学反応を起こしたが故であろうか、先立って撃ち込んだ魔法剣による氷爆の一撃は、刹那の内にニ撃、三撃と積み重なっていった。

 

 魔法を使用する際には指呼が伴うが、ヒルダリアは魔族らしからぬ工夫でこれを省略している。

 

 ヒルダリアが振る青褪めた大剣の剣身には、少なくとも現存する如何なる人類国家でも取り扱わない特異な文字が刻まれているのだが、この文字はかつてイム大陸が魔族達の楽園であった時代に使われていた公用言語であった。

 

 更に言えばこの言語は魔族にとって魔法という神秘を扱う為に必要な詠唱言語でもあるが、ヒルダリアは詠唱という少なからず集中力や注意力を割く行為を厭い、これを剣に刻んだのだ。

 

 ヒルダリアが剣に魔力を込め、それを振るえば魔法が起動する。

 

 魔法は魔術とは違い、使用する魔法名を発すれば起動するものだが、それでも僅かに隙というものが生まれる。

 

 しかしヒルダリアの工夫はその僅かな隙を消し去る事に成功した。

 

 これは彼女の戦闘者としての有能さを意味するが、残念ながら同胞魔族からは冷ややかさを以って受け止められている。

 

 ヒルダリアは先進的で開明的な考えを有しており、武器や魔道具の類も積極的に利用するのだが、これが他の魔族には卑として捉えられているのであった。

 

 というのも、基本的に魔族という種族は、敵対する者を自身の肉体ないし魔力により直接的に叩き潰すことを佳しとしているのだが、ヒルダリアはその美学に真っ向から噛み付いている為だ。

 

『“なりかわり”などの卑劣な真似をしておいて、いざ直接殺し合うとなれば拳と魔にて臨むが良とは洒落臭い』とは彼女の言である。

 

 これはどちらの考えが良いとか悪いだとかそういう事ではないだろう。

 

 戦略と戦術の解釈がヒルダリアと他の魔族とで異なっているに過ぎない。

 

 彼女自身が合理的な思考を貴ぶ性質であるというのもあるが、戦略レベルではだまし討ちも辞さない癖に、いざ直接戦うとなれば武器は卑であるなどとは、魔将ヒルダリアの殺戮ドクトリンに照らしてみれば不合理の極みであった。

 

 ちなみに彼女の同格の魔将にオルセンという拳と魔を重んじる男がいるのだが、ヒルダリアとオルセンは互いの主義主張の違いから何度も争っている。

 

 そのオルセンだが少し前に人間に撃退され命からがら逃げ帰ってきたと聞いて、ヒルダリアは呵呵大笑と嗤い飛ばしたものだ。

 

 オルセンが言うには勇者にやられたとの事だったが、ヒルダリアはそれを一笑に付した。

 四代勇者は既に上魔将マギウスが殺害していた為だ。

 

 五代勇者が現れたとしても自身の力を十全に扱える様になるまでには相応の時間を必要とするであろう。

 

 それはともかくラカニシュに対するヒルダリアの連撃は苛烈に過ぎた。

 

 協会式魔術には術者の前方、直線上50メトル程の範囲に氷の槍を敷き詰める様に突き出す氷槍裂波という恐るべき術があるが、それを連続で放っているが如き光景を作り出している当のヒルダリアには、本来浮かんでいるべき勝利への確信や自身の力への賞賛といったものは欠片も浮かんではいなかった。

 

 代わりに浮かんでいるのは多分の嫌悪、そして僅かな焦燥、それより更に少ない恐怖である。

 恐怖の少なさはそれが恐怖だと自身でも自覚していないが故であろう。

 

 嫌悪や殺意の対象への過剰な攻撃が意味する所は、自覚無自覚に関わらず、恐怖感やそれに似た何かを対象へ抱いている事の証左だ。

 

 恐怖心の根源は何か?

 それは己の理解が及ばない事だ。

 

 理解が出来ない事、物、人に対して人は、というより生物は恐怖を抱く。

 

 ヒルダリアにとって眼前の存在は理解の埒外であった。

 

 合理的なヒルダリアだからこそ、ラカニシュの非合理を嫌悪している。

 

 なぜ殺さないのか?

 なぜあのような姿で生かしておくのか?

 

 先立っての大地からの骨槍を突き出す術を行使する際も、ヒルダリアにはラカニシュの悪意や敵意のようなものは一切感じ取る事はできなかった。

 

 感じ取れた感情は慈悲であり、慈愛である。

 

 ヒルダリアの、本人は決して認めぬ今はまだ小さい恐怖心に駆られての苛烈な猛攻に釣られたか、彼女の部下の遠距離攻撃が出来る者達もラカニシュへ執拗な攻撃を加える。

 

 その時、雪原に錆びた金属同士を擦れ合わせた様な声が響き渡った。

 

 ――血肉、通わぬ、法を禁、ず

 

 一拍後、ラカニシュへ攻撃を加えていたヒルダリアを含む魔族の面々の肉体に深い傷が刻まれた。

 

 青血が吹き上がり、雪原に降りかかる。

 それはまるで真っ白いキャンバスに一面に描き詰められた青い薔薇にも似ていた。

 

(……ッな!馬鹿な!反射術式!?いや、違う…我等の攻撃により与えられる傷痕と、反射された傷痕の質が違う…)

 

 自身に刻まれた深い裂傷は、さしもの魔将をして大地に膝を落とさざるを得ない程に重い傷だった。それでもヒルダリアはラカニシュの術の正体を探ろうと考えを巡らせる。

 

 ◆

 

 ヒルダリア達を傷つけた術には連盟術師『判事』ルードヴィヒの影が垣間見える。

 

 やや薄くなった頭頂部、垂れた眦、ぽっこりお腹がチャームポイントであった生前のルードヴィヒは、そのマスコット染みた外見に似合わぬ恐るべき術師であったと言わざるを得ない。

 

 少年時代、彼は法という概念の公平性に魅了され、そして生涯を通して法を学び続けた。

 ただこれはあくまで趣味の領域だ。

 

 日々生活をしていくうちに、たまたま興味を惹かれた事に熱中し、それについて学ぶことはままある事であり、ルードヴィヒの場合もそれは同じである。

 

 だが彼の場合は気質と興味の対象が相性が良かったのだろう。

 興味を持ち始めた時期も早かった事も幸いした。

 

 スポンジが水を吸い込むようにルードヴィヒは帝国法を学び、血肉とし、長じる頃にはいわゆる裁判官…判事と呼ばれるまでに至った。

 

 名を遂げ、愛する妻、そして子宝にまで恵まれたルードヴィヒはまさに人生の頂を極めたかのような錯覚を覚える。

 だがその錯覚はしかし、錯覚ではなく事実であった。

 ただしく彼の人生の絶頂であったのだ。

 

 絶頂は永遠に続くものではなく、当然下降する事になる。

 これは万人に言える事である。

 問題はその速度とタイミングだ。

 

 下降は天空から急降下する猛禽の如き速さで、そして警戒が意味を為さないタイミングで不意打ちをして来た。

 

 彼の公平さから生まれる判決の数々を都合悪く思う者は少なからず存在していたが、その者達がルードヴィヒの弱点をこれ以上ない程的確に突いたのだ。

 

 ルードヴィヒが強く在れる理由は家族の存在だが、これは同時に最大の弱点でもある。

 

 結句、ルードヴィヒは家族の命を質に取られ、とある犯罪組織の面々に断じて下すべきではない判決を次々に下すにいたり、それを問題視した彼より上位の者達によって今度は彼自身が裁かれる事となった。

 

 当時のレグナム西域帝国の皇帝は牢固というよりは狷介で、更に残酷性を伴う苛烈な気質を有していた。

 

 その苛烈さは内外へ向けられ、外に向けられた苛烈さは領土拡張主義へと顕れる。

 そして内に向けられた苛烈さは厳しすぎる法体制に顕れた。

 

 ルードヴィヒは判事と言う身でありながら誤った判決を意図的に、そして連続して下したのだ。その罪は非常に重い。

 

 彼にも事情はあるが、そんなものが斟酌される事は無い。

 

 結果として彼は死罪を下されるに至る。

 彼の家族は誹謗中傷、時には物理的な危害すらも受け、ルードヴィヒの妻は自殺を考えるようになった。

 

 だがルードヴィヒの人生の変節を齎す者が死刑執行の前日の夜に訪れた。

 

 翌日、執行人が牢を訪れた時、ルードヴィヒの姿はどこにもなく、同時にその家族も姿を消していた。

 

 周辺への聞き込みによれば、ルードヴィヒの家族は黒い喪服を纏った禿頭の男に連れられてどこかへ行ったという。

 

 ルードヴィヒを陥れた者達?

 彼等はもうどこにも居ない。

 去ったのではなく、もう何処にも居ないのだ。

 

 ともあれ様々な運命の変転を経て連盟の術師となったルードヴィヒ。

 愛する家族はマルケェスの手により外国で健やかに暮らしているともあり、ルードヴィヒは己の根源を更に磨き上げた。

 

 結句、非常に癖のある彼にしか扱えない術が生み出されたのであった。

 

 彼の術はその“場”に法を敷く。

 それはその場の者が極々自然に、無理なく守れるものでなければならない。

 

 なぜならば法とは極一部の者が努力や才覚をもってかろうじて守れるようなものであってはならないからだ。

 

 そして“法”を破れば、ルードヴィヒの“場”はその罪に対し罰を与えるだろう。

 もちろん、ルードヴィヒ自身が破った時も同じだ。

 

 “場”は彼自身を罰する。



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閑話:北方侵攻⑥

 ◆

 

 十全とは言わないまでもラカニシュは自身の魂に取り込んだ連盟術師の根源術を使用出来る。

 

 それは卑劣で恐るべき簒奪だ。

 

 古今の連盟術師は皆それぞれユニークな術を扱う為、その術同士を比べる事、ひいては連盟術師の実力の多寡を比較する事に一切の意味は無い。

 青という色と赤という色のどちらがより優れた色か、という問いの愚劣さを考えれば分かるだろう。

 

 それでもあえて序列をつけるとするならば、3人分の連盟術師の力を有するラカニシュこそが最強であろうか。

 

 当然、ラカニシュがやった簒奪行為は都合が良い面ばかりを持つわけではないのだが…

 

 ◆

 

「整ィィィィ列ッッ!!」

 

 野太い声が蒼空にこだまする。

 号令主はシュバイン・バリスカ伯爵その人であった。

 

 彼は帝国への忠義厚く、こういった場面ではことさらに前面に出たがるのだ。

 

 ◆

 

 レグナム西域帝国、旧オルド王国領周辺はシュバイン・バリスカが統治しているが、こういった上位の者がでしゃばるというのは色々と支障が出るのではないだろうか、と思う者も少なくは無い。

 

 だが問題はない。

 この旧オルド領を含む北方一帯を治める北方総督と言うのは別におり、シュバイン・バリスカ伯爵の北方における権限は実の所この北方総督に帰属するからだ。

 

 北方総督リ・リーは政戦両略に長ける齢70にも達する老婆である。

 

 彼女は先代皇帝が西域のみならず東域にもその野心の矛先を向けていた時代、周辺諸国の領土を大いに切り取った功績を持つ。

 

 その来歴も一癖あり、彼女は中域に存在するとある大国の皇帝に侍る寵姫であったが、正妃の勘気を受けて命を狙われ、命からがら西域へ逃げ延びた。

 

 そして西域で春をひさいで日々の糧を得ていた所、とある帝国貴族に見初められる。

 

 若かりし頃の彼女の美貌は帝国全土になり響く程で、ついには先代皇帝の目にとまった彼女は…と、まるで成り上がり物語の主人公のような人生を歩んできたのだ。

 

 皇帝が代わってもリーは帝国へ尽くし続けた。

 だがその忠が帝国や当代皇帝サチコにあるわけではない。

 

 彼女の忠はあくまで亡き先代皇帝個人へ向けられている。リーは決して語る事は無いが、先代皇帝とリーの間には甘いロマンスがあり、切ないドラマがあったのだ。

 

 よってサチコの広域術式はリーには作用せず、これを佳しとした帝国宰相ゲルラッハは彼女を北方総督のままとした。

 

 愛廟帝サチコの術式は帝国臣民の愛国心を凶猛に刺激し、その出力が最大にまで達した時は帝国に、ひいてはサチコ帝に忠誠を誓う帝国臣民の1人残らず死兵と化すであろう。

 

 だがその先に待っているのは国土の荒廃である。

 国の根幹は人であり、その観点から見ればサチコの術はある意味で密閉空間で燃え盛る炎に空気を送り込むようなものであった。

 

 炎が燃え盛るのはそこに酸素…空気があるからである。もし無ければ火はたちまちに消えてしまうだろう。

 

 サチコの術が十全に作用すれば帝国臣民という炎の寿命は大幅に消費されてしまう。

 

 ただでさえ中域に面しており、更にはラカニシュという不安要素も眠っている北方領域であるからして、その領域を治める者がリ・リーというのは非常に都合が良い。

 

 仮に北方総督が生粋の愛国者であるならば、ちょっとした有事の際にも膨大な犠牲を強いる用軍を以って、然る後にあっというまに人材は枯渇するであろう。

 

 帝国宰相ゲルラッハはその辺もよく考えて各地へ人を配していた。

 

 ◆

 

 シュバイン・バリスカ伯爵の前には黒い革鎧を着込んだ者達が丁度500名、整然と並んでいた。

 

「帝ィィ国が誇る恐るべき死神諸君!いつでも出撃できる様に準備を整えておけィ!かの地の方角を見よ!あれは尋常の雲ではない!諸君らならば感得できるはずだ!冒険者達が先行し、これを調査する!その後報告を待ち、危難とあれば我々が対応する!その際は如何なる邪悪、如何なる魔が居ようと全て撃滅せよ!帝国を害するものは悉く誅するべし!」

 

『黒猪剛角雪原遊撃連隊』というバリスカ伯爵が帝国に届出も無しに名付けた連隊は、その名称のナンセンスさは兎も角として実力は確かなものである。

 

 例えばこの500名を以ってすれば、武器をもった貧農3名を1人で殺せる野盗、それが5000人いたとしても軽傷のみで皆殺しに出来るであろう。

 

 なおこういった戦闘部隊に命名をする際はその理由と名称を添えて帝国に申請しなければならない。これを破ると隊名は取り消し、そして罰金なのだが、バリスカ伯爵は忠誠心こそ厚いくせに頻繁に無断で隊に名前を付けてしまうという悪癖がある。

 

 それはともかく、バリスカ伯爵は彼等をいつでも封印の地へ差し向けることが出来るように隊を編成していた。

 

 今は待機だ。

 まずは冒険者達で構成された調査隊が向かう事になっている。

 

 なぜならば帝国兵を動かすというのならば相応の理由が必要で、“なんだかよくわからないけれど封印の地の上空に黒い雲があって、特に根拠はないけどかなりヤバい気がする!勘がヤバイヤバイっていってる!”では流石に兵を動かす理由には足りないのだ。

 

 ならば帝国兵を調査に派遣すればいいのかもしれないが、仮に本当にまずい状況であるならば、その調査された兵が犠牲になってしまうかもしれない。

 

 それに冒険者といういつどこでくたばっても構わない捨て駒…人材がいるのならば、それを使わない手はない…そういう事である。

 

 冒険者ギルド側としてもその辺りの帝国側の思惑は百も承知しているが、平時は好き勝手やらせてもらっているのだからと鉱山のカナリア扱いに対して否やはない。

 

 ゆえにバリスカ伯爵は冒険者達の調査隊の帰還を待っている。

 



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閑話:北方侵攻⑦

 ◆

 

 冒険者達からなる調査隊が封印の地へ派遣される運びとなった。

 

 そこには元金等級冒険者にして現バリスカ伯爵邸の門番であるヌラ、金等級冒険者にして旧オルド騎士エルファルリ、そして自称連盟術師ポーの名前もあった。

 

 ヌラは冒険者ではないのだが、バリスカ伯爵に無理矢理ねじ込まれたのだ。

 

 銀等級冒険者のユラハは街で留守番である。

 これは足手まとい云々という問題ではなく、ユラハの長所が短所がない事という特性による。

 偵察も戦闘も調査系の任務でも、とにかく苦手な分野というものがない。

 

 仮に街を何らかのトラブルが見舞った場合、それがどういうものであれユラハが手も足も出ずに対応出来ない…と言う事はないであろう。

 

 トラブルとは何も外敵の襲撃だけではないのだから。

 

 ………というのがヌラやエルファルリがユラハに説明した表向きの理由だ。

 

 ヌラとエルファルリの冷徹な部分はユラハが戦力として換算するにはやや不足がある、と見た。

 だから置いていくための理由を捻りだしたというわけだ。

 

「お母さん!ヌラさん!どうしてですか!?私はもう子供じゃないんです!こんな扱いされる謂れはありませんッ!私もいきます、良くないモノがいる…それくらいは私にだって分かりますけど、私だって役に立てるはずですよ!」

 

 激発する感情がユラハの白い頬に怒気の朱を化粧し、ヌラは彼女の頭から湯気が立ち昇るのを幻視した。

 

 まぁまぁ、とエルファルリの団に所属する冒険者、銀等級のジンボがユラハを宥めようとするも意味を為さなかった。

 

「足手まといって言うわけじゃない。むしろ居てくれた方が助かる。ただ、厭な気配はあそこだけから感じるわけじゃないんだ。街を飲み込んで、この辺一帯から厭な気配がする。俺は現役を退いて勘が鈍っているが、そんな俺でも分かる程度には良くない。まあ万が一があってこの街を何かが襲ってきても、バリスカ伯爵や帝国軍がそれをみすみすと見逃すはずは無いから大丈夫だと思うが…でも彼等は逃げることができないからな」

 

 ヌラが言うと、ユラハは小首をかしげた。

 

「分からないか。仮に危機が冒険者や帝国軍にも対応出来ない程のものであっても、帝国軍は街を見捨てて逃げることができない。帝国領土を外敵が襲撃して、街を護るべき帝国兵が逃げ出したならそれは皇帝の権威の失墜にも繋がるからな。そしてそう言う危機が街を襲った時、調査隊もまた壊滅かそれに近い状態になっているはずだ。ここまでは分かるな」

 

 ヌラの言葉に不承不承といった様子でユラハは頷いた。道理であるからだ。

 

「そんな時は誰かが状況を外に伝えなきゃいけない。それは身軽な冒険者、つまりユラハ達留守番組の仕事だ。だから頼むよ」

 

 ユラハは盛大に口をへの字に曲げ、鼻をぴくぴくさせたあと、更に瞼が痙攣し…そしてようやく納得した。

 

 彼女にもヌラの言う言葉に理がある事はわかってはいるのだが、感情がどうにもついていかなったのである。

 

 だが感情論を押し通して良い状況でもないという事も理解しているので、不承不承頷いたというわけだ。

 

「お話は済みましたか?さっさと向かいましょう。これ以上長引くならば僕1人で向かいますよ。僕の耳は特別性でね、この距離からでも僅かに聴こえるのです。手酷い裏切りへの報復を求める声が、愛すべき祖国を穢した邪悪への誅罰を求める声が、ヒソヒソザワザワと聴こえるのです」

 

 話に乱入してきたのは酷く陰気な雰囲気の青年だった。

 ヌラは胡乱な目で青年を見遣る。

 

「あんたは…確か、ポー。だったな。あそこの何がいるか分かるのか?あの黒い雲はなんなんだ?それに、空の色が妙だ。何が起こっている」

 

 ヌラが問うと、ポーは頷いた。

 

「物の本にあります。あの黒雲はかの果ての大陸より魔族の尖兵を運ぶ一種の転移門。アレが顕れたという事はすなわち、人と魔が再び相争わねばならない時が来たという事です」

 

 ――人魔大戦

 

 ――そんな馬鹿な!だって魔王は勇者が

 

 ――中央教会が果ての大陸の監視をしているのではないのか!?

 

 にわかにその場が騒がしくなるが、ポーは意に介さぬ様子で更に言葉を紡いだ。

 

「ですがね、僕が気になるのは魔族ではないのです。あの地に眠るモノについては皆さんも知っているでしょう?封印の地、そこに眠るのはかつてオルド王国を脅かした邪悪。しかし、オルド騎士と帝国が手に手を取り合い、これを滅する。死してなお瘴気を放つその遺骸を、かの地に永遠に封印した…そう思ってるんでしょう?」

 

 それは違うのです、とポーは言った。

 

「当時、オルド騎士とは超人の代名詞だったと聞きます。そして帝国もまた軍備拡張の過渡期にあり、保有する戦力は現在とは比較にならなかったそうですが…それらをもってしてなお滅ぼしきれなかったのです。命の冒涜者、『灰色の永遠』、『パワー・リッチ』ラカニシュを!恐らく、あの地には彼がいますよ。勿論目覚めた状態でね。怖いですか?不安ですか?ふふふ」

 

 ポーは鬱蒼と笑う。

 その笑い声はギルドのロビーに暗く響いた。

 

 ヌラが眉を顰め、ポーに何かを言おうとした時、ポーの胡散臭い笑みは鳴りを潜め、その顔にはあらゆる負の感情が凝縮したがゆえの無表情とでも言うべき虚無が浮かんでいた。

 

 ギルドのロビーに居た全ての者達は、自身の汗腺に冷たい鉛を詰めこまれたかのような錯覚を覚える。

 

「でもね、当時彼等がラカニシュを滅ぼしきれなかったのは、そこに僕がいなかったからです。当時僕は連盟の術師ではありませんでしたからね。僕はポー。連盟術師ポー。ラカニシュ…彼にもそろそろ歴史からご退場願いましょうか」

 

 それだけ言うと軽い足取りでポーはギルドを出て行く。得体の知れない重圧感は綺麗さっぱりと消え去っていた。

 

 しばし呆気にとられていたヌラはエルファルリを見遣り、俺達も行こうか、と声をかけると彼女は静かに頷く。

 

 ヌラは平静に見えるエルファルリの瞳の奥に、ドロドロに煮えたぎった灼熱する激情を見た。

 

 ラカニシュの名は旧オルド騎士であるこの老女にとっても特別な名前だ。

 なにせ彼女の夫はラカニシュに殺されているのだから。

 




今日は北方侵攻5、6、7と更新してます。


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帝国へ③

 ◆

 

 キャニオン・ベルの大門周辺には聖都を去ろうと慌てて馬車に荷物を詰め込む者達がいた。

 

「大聖堂も屋根に穴があいたり、爆発したりと大変だったものね。ここに留まりたがる人は少ないか」

 

 ヨルシカが言い、ヨハンがそうだなと応じた。

 

「帝都に向かう馬車はどれだろう?ちょっと待ってて」

 

 言うなりヨルシカが足早に一台の馬車に向かって歩いて行く。

 ヨハンはそのあたりの交渉はヨルシカへ任せ、義手をじっと見つめた。

 見れば大分ガタがきている…事もなかった。

 

(流石術師ミシル。佳い仕事をする)

 

 ただ、と懐をさぐると触媒の類はすっかり枯渇しているし、義手に格納してあるそれも同様だった。

 どこかで補充をしなければならないとヨハンは感じた。

 今のヨハンは魔法も法術も使えるが、やはりそれらはどこか借り物だという印象が拭えない。

 例えるならば…

 

(以前ヨルシカに一晩中腕枕をした事があった。翌朝、水差しを取ろうと腕を伸ばしたが、腕の痺れのせいで水差しを落としてしまった。そんな感じだな)

 

 自分のものではあるが、とってつけたような感覚なのだ。

 それではここぞという時の頼りにするにはやや不安が残る。

 

(それと個人的な好みになってしまうが、大きい法術を使うのは少し気恥ずかしい部分もある)

 

 法術は身振り手振りを詠唱の代替として行使する。

 それは同時に祈りをも兼ねるため触媒も不要と、現状に照らしてみれば都合の良い術ではあるのだが、先だっての"借り物感"や、何より大仰な動作がヨハンの好みではなかった。

 

 術の有無は命に関わる問題なので好みも糞もないのだが、好き嫌いの感情はどうしても発生してしまう。

 更に言えば、そういった感情でも術の精度は上下するためやはりここぞという場面で使うには不安なのだった。

 

 だが、そういった問題を解決する方法が一つある。

 

 それがヨハンの様に優れた術師が自然と行う疑似的な人格投影、あるいはミカ・ルカのような人為的な人格複製だ。

 しかしヨハンはミカ・ルカの末路…といっても死んではいないが、彼女をみてそれらの手法は魔族につけ入られる一要因足りうるのではないかと危惧している。

 

(まあ、流石に帝都なら補充もできるか。イスカの触媒屋(イスカ⑤参照)程度には手をかけたモノが置いてあるといいが)

 

 ◆

 

「やあ、お待たせ。交渉できた…帝都ベルンへ向かう馬車が見つかったよ。というよりこの辺の馬車は皆そうらしい。まあこの状況で頼れるのは帝国だろうから。個人的にはアシャラも天然の要害っていう観点から見れば悪くはないとおもうんだけど、遠すぎるからね」

 

 ヨルシカが言うとヨハンは少し考え込み、故郷が心配じゃないのか、と聞いた。

 ヨハンはヨルシカの答え次第では行先をアシャラへと変えても良いと考えている。

 この辺り、かつてのヨハンならば"ならば別行動だ"と言っていたかもしれないが、何度も命を張らせてただ一度考えを違えればはいさようなら、というのは常識的にいって殺害に値するとヨハンは思う。

 

「いや、気になるにはなるけれど、歴史を紐解けば過去の人魔大戦でもアシャラは被害が物凄く小さかったって知っていたかい?そもそもあそこはなんていうのかなあ、空気がね、違うというか…。魔族にとって居心地が悪いんじゃないかなって思うんだ」

 

 そういわれてみれば、とヨハンはグィル・ガラッド…前アシャラ冒険者ギルドのマスターだった男の事を思い出した。

 

 彼は魔族にいいように使われていた哀れな男だったが、その魔族の目的は樹神を利用したアシャラの陥落であったように思う。

 だが、それならばなぜ魔族は自分の手で行わなかったのであろうか。

 迂遠な謀り事に頼らねばならないほど弱い魔族ではなかったはずだ。

 切り札まで切らされた事をヨハンは今でも苦々しく思っている。

 

 自身が何を代償としたかをヨハンはヨルシカから聞いているが、それを聞いても心に一切の波風が立たない…その事実は心を酷く打ちのめしたが、今では立ち直っている。

 少々歪な形ではあるものの。

 

 それはともかくとして、とヨハンはグィルに思考を戻した。

 

「………そうかもしれないな、グィルの事を考えていたんだが、魔族が彼を使ったのは、魔族にとって…そう、君の言うようにあの森が居心地が悪かったんだとおもう」

 

 ヨルシカの推測は正しい。

 

 アシャラの大森林はその地自体が魔族を拒む。

 まあ拒むといっても、一定以上の格を持つ魔族ならば軽い頭痛を覚える程度だろうが、それでも不快は不快だ。

 大森林に魔族を忌避する特別の理由があるわけではない。

 

 言ってみればそれは水が合わないだとか空気が合わないだとか、その程度の理由にすぎない。

 だがその程度の理由が魔族侵攻に際しての被害軽減につながるならば、それはそれで人類側にとっては儲け物ではあった。

 

「おっと、御者の視線が痛くなってきたね。さあ、いこうか」

 

 何故だかヨルシカが手を差し伸べてきたので、ヨハンは何となくその手を握り、二人は手を繋いで馬車へと向かった。

 御者はこんな状況で一体何を考えているのか、場所をわきまえたらどうだ、デートでもしているつもりか、と言いたげな目で二人を見つめていたが、彼もまた50年という人生経験を積んだ男だ。

 これまでにイカれた連中はいくらでも見てきている。

 

 ややあって彼は軽く首をふり、二人が馬車へ乗り込んだのを見届けた後に馬に鞭を入れた。

 

 

 目指すは帝都ベルン。

 レグナム西域帝国の首都だ。

 




本作は拙作内でクロスしてたりスピンオフが存在しています。
例えばイマドキのサバサバ冒険者は、Memento-Moriと同一世界観、時間軸ですが主人公や舞台が異なります。
サバサバ冒険者は西域、Mementoは東域での話です。作者ページより確認して下さい。

なお、イマドキのサバサバ冒険者とMemento-moriは両方同時に完結させます。
更に、両作品の最終盤では更新内容は同一となるかもしれません。

またそれぞれの話にそれぞれのスピンオフがあります。
例えば本作に登場する連盟術師ヴィリを主人公とした「白雪の勇者、黒風の英雄」や、黒金等級冒険者曇らせ剣士シドシリーズなど、本編よりカジュアルな感じで執筆しています。

ただ、ハーメルンでは白雪の勇者、黒風の英雄は執筆していません。挿絵容量節約です。ハメは挿絵登録の総量がきまっているので…。なのでそっちはなろうかカクヨムのほうでお願いします。
カクヨムは近況ノートで挿絵はあげています。

ヴィリスピンオフはゆるい百合ちゅっちゅな感じです。


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帝国へ④

 ◆

 

 馬車はグレードとしては並といった所だろう。

 つまりこれまで使ってきたような乗り心地は望めない。

 

 だが一応屋根がついているタイプである為、急な天候不順に見舞われても濡れる心配はない。

 

 ヨハンは震動をやや気にしながら床に腰を降ろし、顔を顰めて腕を取り外した。

 

「痛むの?」

 

 と、ヨルシカ。

 

 ヨハンは義手を布で磨きながら、痛むわけではないが、と前置きして言った。

 

「外す時が少し気分が悪いんだ。この腕は出来が良いからつけている時の違和感はほぼないのだが、その出来の良さが災いしている。まるで生身の腕を取り外すような気持ち悪さがあるんだよ」

 

 ああ、とヨルシカは頷き、興味深そうに義手を見つめていた。だがその目は少しぼんやりとしている。

 

 するとヨハンは腕を嵌めこみ、ヨルシカに手招きをした。それを見たヨルシカはのろのろと四つ足でヨハンの傍に移動すると…

 

「少し眠ったらどうだ?俺も休む。流石に疲れた。なんだか絶え間なく誰かと、何かと殺し合っている気がする。君は信じないかもしれないが、俺も年を感じたというかな、隠居について考える事が増えてきたよ」

 

 ヨハンは冗談を言っているのだろうか?それとも本気なんだろうか?とヨルシカは靄がかかりはじめた頭で考えるも、答えは出ず、やがてヨハンの膝を枕にして眠りについた。

 

 ヨルシカの入眠を見届けたヨハンは、何かを思いだしたように懐から薄い灰色をした小指ほどの枝を取り出し、人差し指と親指でその小さい枝をつまんで小声で呪言を囁いた。

 

 ――息を潜めるといい

 ――声が漏れれば命も漏れてしまうから

 ――音がする、かたかたと

 ――それは風鳴りだろうか

 ――あるいはお前の骨の鳴る音か

 

 枝をつまむヨハンの眼が妖しく光ると、枝は端からぱらぱらと灰になっていった。

 しかし灰は散って消えてしまうことはなく、ヨハンとヨルシカの周囲を渦巻いていく。

 

 それはまるで煙のように捉えどころのない灰色の靄であった。

 

 ヨハンは術の成功を見て、ほっと息をつく。

 触媒が小さすぎてあるいは不発かと少し心配だったのだ。

 

 周囲に耳を澄ましてみるが、馬車の走行で発生する騒音がかなり小さいものとなっていた。

 

 このくらいなら騒音で起こされる事なくゆっくり休めるだろうとヨハンは考え、ヨルシカの白銀の髪の毛を少し手櫛でとかしていたが、ややあって自身も眠りについた。

 

 ◆

 

 ヨハンが使った術は“死に枝の術“という。

 珍しい術ではなく、呪術を齧ったものなら行使は難しくはない。

 

 早く眠らないと鬼が訊ねてくるよ…というような、いわゆる説教用の寓話というのはイム大陸のどこでも聞かれるが、ヨハンが朗じた呪言もそのようなものだ。

 

 死に枝のギョヌギョット

 

 西域の一部地域に伝わる、所謂鬼婆である。

 

 クルヌという樹木は樹皮が灰色である事が特徴の木なのだが、ギョヌギョットはこの枝を持ち荒野を彷徨い歩いているのだ。

 

 ギョヌギョットはとあるものが好物とされている。

 

 それは親の言う事を聞かずに夜遅くまで起きて騒いでいる我侭な子供の心臓だ。

 

 荒野を歩き、そして我侭な子供の声が聞こえればたちまちのうちにその家までいき、子供の肩をクルヌの枝で叩く。

 

 すると我侭な子供は口から心臓を吐き出し、ギョヌギョットはその心臓を美味しい美味しいと喰らってしまうという。

 

 なぜ荒野を彷徨うのかといえば、昔は西域では遊歴民が多く居て、そのほとんどが荒野を中心に放浪していたからだと言う。

 

 ギョヌギョットの寓話は遊歴民の間から発生した…というのがレグナム西域帝国のとある学者は提唱している。

 

 事実として、かつての西域で確かに遊歴民達は荒野を彷徨っていたのだが、これは不死の月魔狼フェンリークの出現により激減してしまう。

 

 フェンリークは荒野の民をそれこそ絶滅寸前まで食い尽くしてしまったのだ。

 現在では荒野の民というのは居ないわけではないがその数は往時とは比較にならない。

 

 それはともかくとしてギョヌギョットは音に敏感で、深夜に音をたてる子供の心臓を食うという事で、転じて“死に枝の術”は術者の周辺の音を抑制するという効果を持つ。

 

 この術のポイントは音を抑制しながらも変事があれば速やかに意識を覚醒させるという点だ。

 

 これは鬼婆に命を付けねらわれた悪童の精神状態…つまり、音を立ててはいけない、なにかあれば逃げ出さなければいけないという2点を再現する術であり、主に官憲から追われている札付きの外道術師が好んで使う術とされている。

 

 ◆

 

 何時間眠っただろうか?

 ヨハンは極々自然に目を醒ました。

 

 膝をみれば安らかに…まるで死んだように眠るヨルシカの姿がある。

 死に枝の術はその特性上、軽い睡眠導入作用もある。名称はおどろおどろしいが、実に平和な術なのだ。

 

 馬車はまだ走行しているようで、特に異常が発生したということもなさそうだ。

 ヨハンはほっと安堵した。

 いつのまにか刺客においつかれ、寝ている間に御者の首が切断された…という可能性も決してゼロではない。

 

 外をみやればやはり陰気な空模様だ。

 大陸のどこかでは魔族の襲撃が行われているのだろうか?と考えるも、頑張って防衛してくれ、と内心応援することくらいしか今のヨハンには出来ない。

 

(他人任せとは業腹だが、帝国ではこの事態になにか対策は打っているのだろうか)

 

 何とかなればいいがとヨハンは思い、再び目を閉じる。

 

 

 

 



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閑話:果ての大陸の邪悪

 ◆◆◆

 

 魔族は果ての大陸に押し込められ、魔法という神秘を自在に操り、その姿も雑多…共通していえるのは人類へ深い憎悪を抱いており、いずれも生物の格として人類種を超越している

 

 というのが共通認識である。

 これには正しい点もあれば誤っている点もあったが、語られていない点も多くあった。

 

 例えば政治体系などだ。

 

 魔王をトップとした専制君主制であるのか?

 あるいは意外にも民主共和制であるのか?

 

 魔獣が魔力を宿した獣であるなら、魔族とは魔力を宿した人類種であるといえる。

 しかしそれでは現在大陸で暮らしている人類種も同じで、もしや魔族とは単なる異民族に過ぎず、邪悪な存在という解釈は誤っているのではないか?

 

 様々な説がある。

 

 ちなみに政治体系については専制君主制とも言えるし、民主共和制とも言える。

 

 魔王は魔族の王であるという意味なのだが、これの意味する所は魔族の中でもっとも強い権力を持つ者という意味ではなく、魔族の中でもっとも強大な者を意味する。

 

 果ての大陸には様々な魔族の部族が存在するが、それら複数の部族がよりあつまったのが所謂人類種の言う“魔族”なのだ。

 

 魔王とはこれらの部族全体でもっとも強い固体が名乗る称号であり、正確にいえば人類の考える王という意味合いはない。

 

 だが魔族は魔王に従っている。

 なぜかといえば魔王が最も強いからだ。

 なぜ強いものが偉いかといえば、強くなければイム大陸を再び魔族の手に帰すことが出来ないからである。

 

 人類種からみれば魔族は侵略者でしかないが、魔族からみれば人類種こそが侵略者なのだ。

 

 しかし果ての大陸に押し込められたといっても、これまで普通に生活が出来ているではないか、と言う者もいる。

 

 そういう者は血を流してまで人類種と戦争をする必要があるのか、と言うのだ。

 

 だがそういった者の殆どは果ての大陸の過酷さを知らない。

 

 魔族とは決して果ての大陸の覇者などではない。

 

 むしろ音をあげかけている。これ以上果ての大陸に押し込められれば、魔族は磨り潰されてしまうだろう。

 

 だからこそ彼等は安寧をもとめて何度も人類と戦争をしてまでイム大陸へ進出しようとしているのであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 果ての大陸の北端にその城はある。

 

 作文能力が野良犬並で、更に詩的センスが失調している者ならばその城をこう呼ぶだろう。

 

 ――魔王城、と

 

 ◆◆◆

 

「陛下、転移雲の維持は後三月が限度との事です」

 

 夜と朝の境の僅かな時間、空に広がる至極の紫を肌に纏った女性が玉座に座る魔王に向かって報告をする。

 

 転移雲とはイム大陸全土へ展開された黒い雲の事である。

 

 侵攻にあたって非常に有用な術だが、当然これは無制限に使えるものではない。

 

 特定の星の運びを選び、魔王の大魔力でもってイム大陸各所の地脈に溜まった魔力を励起し、その地に転移雲を生成する。

 

 天と地、そして魔王の魔力があって初めて為し得る大魔術なのだ。

 

 一度開いてしまえば後は魔法に長ける魔族達がそれを維持する。

 何事も走り出しがもっとも労力を必要とする事は万象変わりはない。

 

 魔王は肩肘をつきながら報告をしてきた女魔族をその複眼でもってただ見つめるのみだった。

 

「は。東へも送っております。マギウス、デイラミの2名です。西につきましてはシャダ…そして僭越ながらわたくしが。しかし良いのですか?我等4名、みな陛下の下を離れてしまっても…。いつぞやの勇者は我等が出払っている時に強襲を仕掛けて……は、確かに。確かに当代の勇者はもうおりませぬ。しかし気になる事もございます。陛下やマギウスの分け身が滅ぼされた事です。たとえ当代の勇者が生きていたとしてもそれは可能なものなのでしょうか…?は、仰る通りです…」

 

 魔王は何も言葉を発しないが、女魔族は魔王の意思を理解しているようであった。

 

「は…私サキュラ、そしてシャダの両名が帝国へ向かいますれば。“指”共も連れていきますので、遠からず陛下へ吉報をお伝え出来るかと思われます」

 

 ◆◆◆

 

 魔王を除く魔族の最高戦力は、といえば4名に限られる。右腕、右脚、左腕、左脚…人類種の分類に従えば上魔将とよばれる者達だ。

 

 不死王 マギウス

 魔元帥 デイラミ

 悪獣 シャダウォック

 蛇の魔女 サキュラ

 

 この内、当代勇者を殺害したのは上魔将マギウスであるが、残る3名もその力に遜色はない。

 

 彼等はそれぞれ2名ずつに分かれ、イム大陸の西域、そして東域へ出撃する。

 彼等の行動を補佐するのが指とよばれる20名の魔族の上級戦力である。

 

 人類種の分類で言うなら下魔将とよばれる者達は、小国程度であるなら単騎で落とす事が出来る。当然いずれも猛者であった。

 

 当然魔族の戦力はこれだけではなく、彼等のさらに手足となる魔獣や魔族の尖兵も雲霞の如く存在する。その姿は多種混合といった有様で、人の姿をしているとは限らない。

 

 これは異形の魔将達も同様であった。

 魔王もそうだ、人の似姿をしているがその頭部を見れば分かるだろう。

 目も口も鼻も、本来あるべき場所にはない。

 

 だが、そんな彼等とて元は人類種のような姿だったのだ。

 まつろわぬ女神に力を与えられ、肌の色こそ青く染まったが、それでも人の形を崩す事はなかった。

 

 しかし、果ての大陸はそんな彼等を異形へと変えてしまった。

 魔族の中でも強者に位置づけられる者達は姿が変容してもその理性や知性を失うことはなかったが、多くの魔族が獣のような知性、理性へと堕した。

 

 魔王には、魔族にはその元凶が何か分かっている。分かってはいるが、対峙する事を避けて人類種へ矛先を向けている。

 

 なぜならば、“それ”が恐ろしいから…

 

 そしてその恐怖は、イム大陸に住まう人類種への憎しみ、人類種を外大陸から導いてきた光神への憎しみと変容した。

 

 魔族が法神という仮初の神を造りだし、光神の力の源泉…信仰を奪ったのはそれがイム大陸侵攻の仕込みの1つであるという点ではその通りだが、多分に復讐心のようなものが含まれていた事も否めない。

 

 何に対しての復讐心かといえば、それは光神がその強権でもって魔族を果ての大陸へ押し込めた事への復讐だ。

 いや、押し込めた事自体が問題なのではない。

 押し込め、“当て馬にされた事”が問題なのだ。

 

 光神は魔族の強さを理解していた。

 その強さが果ての大陸の、いや、“それ”に対しての一時の抑止力たりうると考えていた。

 

 “それ”とはなにか?

 

 話は変わるが、アステール王国の始祖は空より現れたという。

 

 人が空から現れるならば、人以外のものだって空から現れる可能性はないだろうか?

 

 例えば外の世界の、神だとか。

 



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閑話:北方侵攻⑧

 ◆

 

 調査隊の隊長はエルファルリである。

 現役の金等級というのはやはり大きい。

 ただ、当然向き不向きはあるわけで、エルファルリより下級の者であっても調査任務に限っては彼女を凌ぐというものだって少なくは無い。

 

 だがその辺の事情はヌラがサポートに入る事で解決した。

 

 彼が元々エルファルリの団の一員であったという点にくわえ、何より彼はかつて金等級の斥候職だったからだ。

 

 現役時と比較して腕は鈍ったかもしれないが、多少衰えた金等級と現役の一般的な銀等級であるなら前者が勝る。

 

 それにエルファルリが“まとも”な金等級である事も幸いした。

 黒金等級を除けば金等級というのは冒険者でも上澄み中の上澄みではあるが、その多くがやや尖りすぎているきらいがある。

 

 簡単にいえば彼等の多くは戦闘でこそ頼りにはなるものの、調査依頼などといった堅実さを求められる依頼ではポンコツも良い所…という事が決して少なくないのだ。

 

 というわけでエルファルリが率いる調査隊は封印の地で一体何が起きているのか、その調査に出向く事にした。

 

 情報収集が第一で調査隊が直接に事態を解決するというのは仕事のうちではない。

 まずは情報を持ち帰り、解決に武力を必要とするものであるならばそれをもとにシュバイン・バリスカ伯率いる帝国軍が出向く流れとなっている。

 

 ◆

 

「冷たい湿気です。これは気温の低さとはまた別種の寒さだ。この湿気は水気、あるいは氷気を伴う強大な魔術が近くで使われたという事です」

 

 暫く歩いていると不意にポーがそんな事を言い出した。エルファルリ達は黙って先を促す。ポーが口に出した事はある程度場数を踏んだ者なら皆が知る事であったからだ。

 

「強大な魔術と言いましたが、しかし、骨にまでしみこむほどの寒気を広範に撒き散らすほどの術と言うのはあまり聞きません。というより、魔術というのはある程度ガワが完成されているのです。こういう“お漏らし”があるのは術者がよほど魔力の制御が苦手なのか、あるいは…そもそも魔術ではないという事。つまり、魔法です」

 

 エルファルリが同行する術師をちらと見ると、その術師…モロウは頷いて答えた。

 

「俺もそう思う。魔術よりは魔法に近い。大きな魔法はそれこそ数キロメルに渡って痕跡を残すそうだ」

 

 モロウはエルファルリの団に所属する銀等級の術師だ。魔導協会所属、3等級術師モロウは阻害を中心とした術を得意とする。

 

「ラカニシュは魔術師だ。つまり現地にはラカニシュ以外の脅威が存在するという可能性がある。とはいえ現時点ではそれも可能性の1つに過ぎない。このペースなら2刻も進めば現地へたどり着くだろう。だが到着前に何が起こらないとも限らない。警戒を厳にして進もうか」

 

 エルファルリの言葉に冒険者達は応だのああ、だの首肯だの、各々返事をして一行は再び歩を進めていった。

 

 ヌラはそんなエルファルリの後姿をじっと眺めながら一行に同道していた。

 一見エルファルリは冷静さを保っているようには見える。

 

 ――擬態だな。グツグツと煮立ってやがる

 

 エルファルリの押し殺した怒気、その爆発の兆候をヌラの勘が嗅ぎ取った。

 

 心の底から檄した相手に対して冷静になれ、落ち着け、何かあったら相談しろ…そういう言葉の殆どが無意味なものである事をヌラは知っている。だから彼はエルファルリに声をかける事はなかったが、頭の中では彼女が檄し、暴走したときにどうするかを思案していた。

 

 その時エルファルリが歩を止め、ヌラのほうを振り返って言った。

 

「“その時”は私を囮にして退け。いいな?だが一応言っておくが私は自分を抑える自信もなければ、抑える気もない」

 

 そうか、とヌラは頷いた。

 むざむざ死なせるつもりはなくても、万が一はいつだってある。

 調査隊の面々8名がそろって全滅ということも

 ありえるのだ。

 

 “その時”、納得づくの一人が囮になって他の者達が助かるなら…

 

 ――良いのか?本当に?

 

 ポーがそんなヌラを興味深そうに眺めていた。

 

 ◆◆◆

 

 不死者に対して氷結術式は相性が悪い。

 これは言うまでもないが、何も氷結させる事だけが氷術者の能ではない。

 

 氷塊で、氷槍で、乱舞する氷の欠片による切断攻撃で、要するに質量攻撃を以って圧殺してしまえばいいのだ。

 

 だがまさにこの明確な解答がヒルダリアを窮地に押しやっていた。

 

(なぜだ!なぜ攻撃した我等が傷つく…いや、まて、先程の奴の言葉…)

 

 ――血肉、通わぬ、法を禁、ず

 

 その瞬間、ヒルダリアの両眼がカッと見開かれた。気付きが電気ショックとなってヒルダリアの脊髄を直撃したかのようだった。

 ここへ来てヒルダリアはようやく気付いたのだ。

 

『お前等!魔法を使うな!直接、奴の身体を引き裂いてやれ!』

 

 それが言えればどれだけ楽か。

 ヒルダリアは歯噛みした。

 

 これからこのように殺しますよ、といわれて備えない敵などは居ないからだ。

 

(しかし手詰まりか、魔法は使えぬ。寄れば骨。いや、だが待て。魔封じの対象に奴自身は含まれてはいないのか?)

 

 ええい、わからんとヒルダリアは剣を構えて突進し、術を使う事なく力任せにラカニシュを叩き斬った。

 

 ◆

 

 柄を握る手に伝わってくるのは、小枝を斬ったような感覚であった。

 

 ヒルダリアが振るった大剣はさしたる抵抗もなくラカニシュの左腕を切断する。

 

 本来ならば袈裟に胴を切断する軌道であったが、ラカニシュが腕を犠牲に後方へ逃れたのだ。

 

 しかし大いに体勢を崩したラカニシュを、ヒルダリアは追撃しなかった。

 その代わりに、ある種の予感…良性のそれと悪性のそれが複雑に交じり合った予感を抱いた。

 

 追撃を仕掛けるべく肉薄する部下を横目で捉えたのを確認し、ヒルダリアはちょっとした風の魔法を放つ。

 

 それは相手を傷つけるというより、少し後方へ押し出す程度の風を発する魔法であった。

 

 その魔法はラカニシュへ正常に作用し、ラカニシュの体勢の乱れはもはや決定的な隙として晒された。

 

 本来ならば部下と共に止めに掛かるべき場面だが、ヒルダリアはその場を部下に任せ、自身はむしろ切迫さすらも窺わせる様子でその場を離れる。この判断は悪性の予感に従ったものだ。

 

 果たして、ヒルダリアが感じていた予感は的中した。肉薄した部下達はいずれも肉体の内から骨が肉、皮膚を突き破って隆起し、果てたからだ。

 

 いや、死んではいない。

 

 ヒルダリアの部下達は彼女の価値観では決して“生きている”とは見做しがたいグロテスクな様相でその場に硬直していた。

 

(さて、いくつか分かった事がある。犠牲に見合ったものであるといいが)

 

 ・

 ・

 ・

 

 魔法にも魔術にも言える事だが、異なる2種ないしそれ以上の数の神秘を同時に顕現させる事は非常に難しい。

 

 それは例えるならば極々スタンダードな性癖を持つ者が2人以上の対象に同量の恋情を抱く事に等しいからだ。

 

 それが出来るものもいるだろうが、多くの場合は虚偽が混じるだろうし、なによりそれを維持し続けることはできないだろう。

 きっと疲れてしまうはずだ。

 

 ましてやラカニシュが簒奪した2種の術は言ってみれば1つの世界そのものを術に落とし込んだようなものであり、並列して使用するなどということは出来ないのだ。

 術の概念に自我はないが、あえていうなら連盟員の術というのは非常に我が強いといえる。

 

 獅子は己の爪や牙で獲物を引き裂く事に疑問を抱く事はないだろう。出来て当然だとすら思っていないに違いない。

 

 なぜなら強者は強者として産まれ出でるからだ。

 鋭い爪も牙もない草食動物の気持ちなど考えた事もないだろう。

 

 魔法なり魔術なりも同じだ。

 ヒルダリアは生来が剣士としての気質を持つため、術の理、魔法の理というものに詳しくはない。

 

 確かに彼女は強大な魔法を使う事が出来るが、それは強者の論理により放たれている。

 

 ゆえに背反する神秘は両立しえないか、あるいは非常に両立させづらい事をヒルダリアが理屈で理解していたとはとても言えないが、彼女が脳筋気味に選択した行動が結果的にはラカニシュを傷つける最適解であった事は彼女にとって幸運であった。

 

 ◆

 

「そこまでだ。これ以上近付くと悟られる。魔族、それと大量の死体…死体か?まだ動いているような…そして魔術師…のような格好をした骨…不死者か。化物と化物が喧嘩か、共倒れになってくれればいいんだけどな」

 

 ヌラが一行を制止し、小高い丘のような場所の影で状況を説明した。

 

 一行の視線の先には理解しづらい光景が広がっている。

 

 それをみたエルファルリの顔からはすっぽりと表情が抜け落ち、その様に気付いた彼女の団に所属するとある前衛剣士は嗚呼ッと顔を手で覆った。

 

「姐さん、キレてるよ…」

 

「だな…おい、エルファルリ。状況は見たし、退かないか?あとは帝国軍に任せよう」

 

 どうせ無駄だと思いながらもヌラは提案するが…

 

「お前達は戻れ。私はいく」

「お断りします、僕は彼に用事があるんです」

 

 エルファルリとポーの言葉が重なり、嗚呼ッとヌラもまた手で顔を覆った。



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帝国へ⑤

別視点更新する時は文字数すくなくなってもなるべく主人公視点も並行させられるようにします。
あんまり不在が続くのもあれなので。



 ◆

 

 ――て

 ――起きて

 

 肩を揺すられ、ヨハンが目を開くとそこには見慣れた顔があった。

 

「ああ、君か。帝都についたのか?」

 

 ヨハンの質問にヨルシカは首を横にふる。

 

「まだだ。でももうすぐつくらしいよ。それこそ1、2刻中には。荷物とかを纏めておいてくれって言われたから起こしたんだ。それにしてもよく眠っていたね」

 

「帝都も安全かどうか分からないからな。いや、むしろ危険地帯かもしれない。俺達のこれまでの実績を鑑みると…そうだな、帝都に魔王軍が強襲し、血で血を洗う市街戦が展開されるだろう…ってまさかそんな事はありえないか。帝都ベルンの守りは堅い」

 

 ヨルシカはヨハンの言葉を目を細めながら聞いていた。余計な事を言うなといわんばかりの責めるような視線がヨハンに突き刺さる。

 

「おいおい、何だその目は。ヴァラクで初めて出逢った頃のような鋭い目つきじゃないか」

 

 ヨハンが言うと、ヨルシカは処置なしという風に首を振った。

 ヨハンの罪状は重い…とヨルシカは考えている。

 

 なぜならばヴァラクからずっとヨハンが口に出す嫌な予感の類は、ほぼほぼ的中してきたからだ。この点についてヨハンに悪意はない事はヨルシカにも分かってはいるが、それにしたって出来すぎであった。

 

 まあ彼の名前、ヨハンという名の由来を知れば納得するかもしれないが。

 

 ◆

 

 窓から外を二人が覗けば、帝都ベルンの大門には夥しい行列ができていた。

 

 うわ、とヨルシカが呟く。

 ヨハンも同様である。

 

 此れに並ぶというくらいならアンドロザギウスともう一度戦うほうがマシかもしれないな、とヨハンが思いながらも馬車から降り、二人間抜けなツラをして途方にくれていた時…聞き覚えのある声がした。

 

「おい!ヨハンか?」

「あっ…!」

 

 振り返ればそこに居たのは…

 

「…ロイ、か?それにマイアも」

 

 ロイはヨハンの最初のパーティメンバーにして、彼が教導した教え子…のような存在である。

 マイアはロイの恋人で、中央教会の聖職者だ。

 派閥などには属してはいない。

 

 なぜヨハンがロイ達に教導をしたかといえば、それがギルドからの依頼であったからであり、なぜギルドがそんな依頼を出してくるのかといえば、それはロイが貴族の三男…すなわち、レグナム西域帝国のとある貴族の三男であるからだ。

 

 彼がなぜベルンにいるかといえば、それはイスカでの死闘を乗り越えた事が影響している。

 

 つまり…

 

 ◆

 

「なるほど、そんな事があったのか。それで君はマイアとすっかり出来上がってしまい、結婚を決めたと。それで挨拶しにベルンへ戻って来ていたわけか」

 

 こいつの強運も相当だな、と思いつつヨハンはロイと話していた。

 この世界情勢ではベルンは安全圏ランキングの上位に位置するはずだ、普通なら。

 

(よほど想定外の事が起こらない限りは)

 

 ヨハンは内心付け足すが、何も水を差すことはあるまいと黙っている。

 

「ああ、そうなんだ。それにしてもシェイラとあっていたんだな、すると僕達は入れ違いだったわけか」

 

 ロイが言うが、その手はマイアの手を握り締めていた。

 

 ヨハンの視線がちらりとそちらへ向くが、ヨハンがそれに言及することはない。

 なぜならこの場は戦場ではないし、奇襲を警戒すべき危険な場所でもないからだ。

 

 

 



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戦場百景②~マリーの秘策~

ゴッド読者さんがメッセージで報告してくださって、②が抜けている事が判明したので投稿します。



 ◆

 

【挿絵表示】

 

 

「ふふふ…我に秘策有りよ。魔王軍恐るるに足らず!」

 

 マリーが高らかに宣言すると大講堂に避難していた他の生徒達からざわめきの声があがる。

 

 ――やべーぞ!マリーの秘策だ!

 

 ――今度は何をするつもりだ?死人がでるような策なら止めるぞ

 

 ――止めるといってもどうやって!?ルシアンが妨害してくるわ!

 

 ――ドルマだ!ドルマに頼むしかない…

 

 あんまりにあんまりな陰口?に、マリーの眉が顰められる。

 

 ルシアンは泰然と構えている。

 ドルマは渋い果物を齧ったような顔をしていた。

 

「それでよ、秘策ってのはなんだ?」

 

 ドルマが聞くと、マリーは満面の笑顔で答えた。

 

「ねえ、ルシアン、ドルマ。聞いてほしいの。初経験っていうのは特別な事よね?初めての接吻、そ、そ、そして初めてのその、男女のアレ!そういうね、初経験っていうのは特別な事のはずよ。でも私達って以前エル・カーラを穢した邪教徒共を殺害した仲じゃない?私達が人殺しをしたのはあれが初めてよね。そんな“初めて”を経験した相手なんて普通の人生を送っていれば出逢えるわけはないわ!そうよね?」

 

「そうだね、マリー。僕達はあの時初めて人を殺した。僕らはそれまでも友達だったけれど、初めての人殺しまで一緒にやった友達なんていうのは普通は出来ないだろうね」

 

 マリーにルシアンが応じ、ドルマや他の生徒はそんな二人を狂犬病に罹患して暴れ狂ってる野良犬を見る目で見ていた。

 

「そんな私達は…そう、運命に導かれた友人関係といえるわね!」

 

「運命…確かにそうかもしれないねマリー」

 

「かもしれない、じゃないのよルシアン。間違いなくそうなの。相性は最高よね?だったら!出来るはずよ。協会式魔術の極致!幸い私達は得意とする属性がそれぞれ異なっているわ」

 

 マリーがそこまで言うと、ドルマが渋い表情のまま呟いた。

 

「万物万象、無数織り成す和合を解きせしめれば、万物万象は無数の一となる…其れ即ち、魔術の極致也、か」

 

 ドルマが朗じた一説は少なくとも協会術師であるなら誰でも知っている。

 この一説を唱えたのは一等協会術師、スペイルローである。もっとも350年前の人物であり、既に故人だが。

 

 この言の言わんとするところは、要するにこの世に存在する全ての物、事象は目には見えないほどの無数の何かの集合体であり、その結合を解けばこの世に存在する全ての物、事象は再び無数のなにかへと戻ってしまう、と言う事だ。

 

 翻ってこの魔術は協会術式でも習得が最も困難とされる“消滅”の術として知られている。

 

 この術がなぜ難しいのかといえば、それは地水火風、全ての属性を同時に使用しなければならないのだ。しかもただぶっぱなすわけではなく、術を打ち消さなければならない。

 

 大雑把に説明すれば、例えば火属性で例えるならば、発火すらしていないのに発火現象を打ち消すよう働きかけなければならない。

 

 同じ事を全ての属性で行う。

 協会的思考で言うならば、この世界を構成する全ての要素を打ち消すことで、必然的に対象は消滅してしまうというという事になる。

 

 だがこの言は当然の事ながら穴だらけであり、多少なり論理的思考を持つ現実主義者からはそんな馬鹿な話があるか、と一蹴されている。

 特に学者の類からは完全に与太話扱いされている。

 

 しかしここで大事なのは論理的にどうとか現実的にどうとか、そういう話ではない。

 

 これだけ難しい事をやったんだからこういう結果がうまれるのも当然かもな、という共通認識がこの術を“消滅”の術たらしめているという点である。

 

 つまり、正しい手順で術を発動できれば何もかもが消滅する、と心底一切の疑念なく信じていれば…その理論がどれほど穴だらけでも術は思った通りの効果を示すということだ。

 

 だが、この術をまともに扱えた者はただの1人もいない。言説を唱えたスペイルローでさえも中途半端にしか起動しなかったとされている。

 

 なぜなら化学的根拠が皆無な理屈を、膨大な魔力と超越した妄想力でもって無理矢理現実のものとするのだから難しくて当然なのだ。

 

 そして、術というのは大規模なものであればあるほど良くある事なのだが、失敗すれば不発ならまだいいが、最悪なケースが考えられる。

 

 それは爆発だ。

 

 なぜ爆発するのか。

 それもまた共通認識によるものだからである。

 爆発とは失敗の象徴なのだ。

 

 ◆

 

「私達はそれぞれ違う属性を得意としているわよね。だったら3人で複合術を、それも“消滅”の術式を使えば良いと思わない?」

 

 複合術とは複数名で同時に使う術である。

 例えば炎の嵐を引き起こす場合、1人が炎を、もう1人がその炎を煽る強風を起こす。

 当然難易度は高い。

 

 マリーが火を

 ルシアンが水を

 ドルマが風と土を

 そして消滅の術式を起動し、魔軍を吹き飛ばす!

 

 これがマリーの秘策であった。

 

 二種の属性を扱うドルマの難易度が跳ね上がっているが、マリーはドルマならなんとかなるだろうと思っている。

 

「……ッお、お前…マリー…無理に決まってるだろ!死んじまうよ!本当に死ぬ!無理だ!」

 

 マリーの自殺的秘策にドルマが吠えた。

 目じりに涙らしきものが浮かんでいる。

 汗だろうか。

 

「どうせ何もしなくたって死ぬわよ!都市を取り囲む魔軍の群れを見た?ギオルギ師はいるけれどどうにもならないわ!後で死ぬか今死ぬかの違いでしかないの!お・わ・か・り!?それに……」

 

 

【挿絵表示】

 

 ――私がいるんだから上手くいくに決まってるでしょ?

 

 マリーが輝くような笑顔で言った。

 ルシアンは頷き、ルシアンとマリー以外のすべての者は心という広大な地平に、絶望と諦念の暗雲が立ち込めてくるのを幻視した。

 

 



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戦場百景③~マリーの秘策~

 ◆

 

「生成触媒に亀裂。もって十鐘でしょう」

 

 つまりは20時間。

 エル・カーラを覆う大結界は無からエネルギーを取り出しているわけではなく、当然触媒を必要とする。

 

 それも普通の触媒ではなく、有事の為に用意された特別な触媒だ。

 

 昔、魔物の大群から身を呈して街を護った剣士の胸像を岩から削りだし、その街に住む者の直系の子孫の血液、骨粉を原材料とした塗料で塗装してある。

 

 逸話に由来する触媒を人工的に作り出したのだ。

 

 この触媒を使用した大結界は街へ害を為そうという存在をかたく拒む。

 

 しかし恒久的に結界を張り続けられるわけではない。術式モデルとなった剣士とて最終的に命を落としたのだ。大結界も耐久の閾値を越えれば触媒となっている胸像は粉々に砕け、結界は解除される。

 

 結界術式は採用する逸話や伝承、もしくはめちゃくちゃな解釈を元に様々存在するが、街1つを丸々防衛出来るほどの術式というのは。ゴミ屋敷のような協会の術式表を隅から隅まで見渡しても数が少ない。

 

 エル・カーラに採用されている大結界はその数少ない1つである。

 

 協会の女性術師から憂鬱な報告をきいた『雷伯』ギオルギはそうか、とだけ答えた。

 低く渋い声は協会の女性魔術師から人気だが、当然の事ながらこの状況では女性術師も顔を赤らめたりはしない。

 

「ギオルギ師、首都からの援軍はどれ程で来るのでしょうか?」

 

 女性術師の不安そうな声にギオルギは“少なくともあと十鐘じゃあこないだろう”とは答えず、ただ無言を以って応えとした。

 真実が心の慰めとならない事はままある。

 

「……ですよね、ああ、私達…死んじゃうんでしょうか。私まだ彼氏もいないんです。魔術漬けの日々でした…。恋愛の1つくらいしたかったですよう…」

 

「首都からの援軍は間に合わないだろう。我々が戦陣に立ち、時間を稼ぐ必要がある。恐らくは3、4日程。犠牲は出るだろうが、そこを持ちこたえれば援軍が間に合うはずだ。犠牲は出るだろうがね」

 

 ギオルギは“犠牲が出る”と2回も言った。

 嫌がらせのためである。

 

 ついでに言えば、この期に及んで色ボケしている女術師には別に遠慮しないでいいなとおもったからである。

 

 更に言うなら、こいつには心の慰めなんて不要だな、と思ったからでもある。

 

「ええええぇ~!?あれだけの大群を前に3、4日って!死にます!絶対死にますよ!ギオルギ師!どうにかしてくださいよう!天下の一等術師様じゃないですかぁ!それにもうおじいちゃんなんだし!」

 

「私は年寄りだからどうせ老い先短いし、無理してでもなんとかしてこい、ということかね?」

 

 ギオルギが女性術師に問うが返事は返って来ない。真実が心の慰めとならない事はままある。

 

 ◆

 

「マリーの秘策は一分の隙もない完璧なものだとおもう。ただ、僕はそれをもう少し高める努力をしてもいいんじゃないかとおもうんだ」

 

 マリーの秘策を聞いたルシアンがそんな事をいった。

 

「術っていうのはさ、他の学問とは違って曖昧な部分が多すぎるんだよね。例えば火球の術にしたって、僕が使うものとマリーが使うものでは威力に差がありすぎる。なら僕とマリーの間に実力差があるのかといえばそうじゃない」

 

 マリーとドルマは頷いた。

 氷術を使わせればマリーは虫けら以下だが、ルシアンが放つそれは粗雑な造りならば金属製の盾をぶち抜く氷槍を生成する事も可能だ。

 

「要するに想いだ。込められた想い、感情で術の威力や精度は大きく上下する。それは術そのものじゃなくて触媒にも言えるでしょう?触媒が良いものなら術の威力は上がる、精度も高まる」

 

 大講堂に集まった生徒達は全員術師だ。

 術師である以上、触媒を所持している。

 だが、術師という性質上、奥の手というものも当然のように所持している。

 奥の手とは追い詰められて万事休すと言う時、最期に頼る最後の手段の事だ。

 

 とはいえ、術師はそのあり方を考えれば多種多様な術を自在に扱えるというものは少なく、多くの場合は手札に限りがある。

 

 だから最後の手段といってもそれは概ね触媒の事を指す。普段じゃ絶対に使えない高級な触媒を使った術というのは同じ術であっても大人と子供のパンチほどの差がでる。

 

 その最後の手段を供出させてしまい、マリーの秘策の触媒としようとルシアンは言っているのだ。

 

 正直にいってそれは難しい事だ。

 このような状況だからこそ、最後に頼れる手段は自身の懐にのんで置きたい所だし、それをマリーのような滅茶苦茶な女に託すというのは、多くの生徒にとって酷く抵抗感があるであろう。

 

 ◆

 

「大丈夫だ、マリーの秘策は確かにポンコツだ。でも俺がいる事を思い出せ。俺には秘策がある。マリーの駄策を秘策へと変える事ができるんだ。なぁに、俺はよ、こんな所でくたばる男じゃねえよ。商会を継いで奴隷君を沢山仕入れてよ、人件費をうかせてくたばるまで働かせるんだ。黄金で敷き詰められた道が俺の前に伸び、広がっている。お前も俺に賭けてみろ。マリーじゃなくてこの俺によ。…みろ。この短杖。そうだ、ジョルジオ・ラ・バッジオの最新商品だ。金貨20枚近い最高級品だ。柄の艶はまるで上質の琥珀のようじゃないか?これは親父にねだったわけじゃねえ、俺が、俺の才覚で稼いだ金で買ったものだ。分かるだろ?俺の有能さがよ。だからお前も出せよ、ただの触媒じゃねえ。思いいれのある触媒だ。お前が最後の最期で頼る奥の手ってやつだ。隠し持ってるだろ?それをだしな。俺はお前が協力した事実を忘れねえからよ。俺達が何とかするんじゃねえ、俺達全員でなんとかするんだ。俺達は術を使うが、ただの触媒じゃだめだ。失敗する。お前達が俺達を信じ、そしてお前達の想いがたっぷりこめられた触媒を出す。エル・カーラ魔導学院の生徒全員で一発ぶちかますんだよ。卒業旅行ってやつだ!ただし、旅行にいくのは魔物共だし、行く場所はあの世だけどな!ウワハハハハハ!!!」

 

 このような調子でドルマは大講堂の者達から触媒をかき集めた。

 

 マリー、ルシアン、ドルマの三人組は腕自体は頭1つ2つ抜けている。

 

 しかしマリーもルシアンも頭がちょっとおかしい。ドルマは悪い奴だが話せば分かる合理的な男だ…それが他の生徒から見る3人の印象である。

 

 だから合理的なドルマがこうして協力を募れば、あるいは、とか、もしかして、とか皆が思うのも無理はない事であった。

 

 それに、ドルマの悪ぶった態度は対する相手に妙な自信を感じさせる。

 その辺りが物資の徴収の役に立った事は言うまでもない。

 

 当初はマリーの秘策に懐疑的であったドルマが、それなりにやる気を出した理由はルシアンにある。

 

 ルシアンはマリーが大好きなので、できるかぎり彼女の突拍子もない考えに合理性を持たせようとする。それがルシアンの優秀さが為にそれなりに形となってしまい、合理主義者のドルマに刺さるのだ。

 

 マリーが思いつき、ルシアンが絵図を描き、ドルマが微修正を加えつつ実行案に落とし込む…

 

 このサイクルは彼等が長じてからも続く事になる。



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帝国へ⑥

 ◆

 

「あの!ヨハンさん…」

 マイアが深刻そうな様子でヨハンに声をかけた。

 

 ん?と顔を向けてみればマイアからはある種の覚悟が感じられる。

 

「なんだ、マイア」

 どうせくだらない話なんだろうなと思いながらヨハンはマイアに先を促した。

 

「そちらの女性ですけれど…ヨハンさんの仲間です…よね?もしかして…ここここ…恋人…?いや、でもあのヨハンさんですからね。あの時、ウルビス北西の森を探索中、私とロイがいい雰囲気になって手を繋いでいたら、ヨハンさんはその手を蹴り上げて私達二人を引っぱたきました…痛かった…。いえ、恨んでるとかではなくてですね、その、恋愛とか絶対にしなさそうだなって…」

 

 案の定くだらない話であったが、それを呆れる事なく聞き切ったヨハンは、1つ重々しく頷き口を開いた。

 

 マイアの横ではロイが項垂れている。

 村に迫るとどめようがない災厄を前にして、すべてを諦めきった古老のような様子であった。

 

「そうだ、彼女はヨルシカという。ヴァラクで知り合ったんだ。何度か死線を抜けて親しくなった。恋愛云々の話については余り深くは言及しないが、もし俺と君達が行きずりの関係であったなら、飛んでいたのは平手ではなく拳だった。あの時もいったが、胡乱な視線がいくつか俺達を見ていたんだからな。恐らくは魔獣の類だろう。ああ、そうだ、マイア、君は確か中央教会に所属していた聖職者だったよな。法神教は無くなった。次の神様を探しておけよ。…それで、ロイ。折角だから君の親御さんにも挨拶して行こうかなと思うんだがどうだ?便宜をはかってもらったこともあるしな…」

 

「え!!!!そうなんですか!?…そっか、まあいいか。最近はお祈りもしていなかったし。あ。でも法術つかえるかな…」

 

 マイアは割りと適当な反応を返し、ブツブツ呟いたかとおもえば人差し指に淡いピンク色の光を灯した。

 

「うん!問題ないですね!ならいいや。あ、ヨルシカさんですね、私マイアと言います。紹介おくれて御免なさい。昔ヨハンさんと一緒に冒険していたんですよ~。私とロイ、そしてガストン…元気にしてるのかな、ガストン…」

 

 マイアが少し沈んだ表情を浮かべる。

 ロイも同じだ。

 

「ガストンか。ガストンならヴァラクで女二人と楽しそうにやっていた。昔よりはマシな顔つきをしていたよ」

 

 ロイとマイアは目をぱちくりさせて、何か納得がいかなそうな様子を隠そうとはしなかった。

 

「お、俺達はガストンの離脱で結構悩んだんだけどな…それが女二人と楽しくだなんて…二人か…二人って凄いな」

 

 何を想像しているのか知らないが、マイアがチンピラみたいな目つきになっている事に気付いたほうがいいぞ、とヨハンが言う事はなかった。

 

 なぜならヨハンには、先ほどマイアが言っていた件とは別件のいちゃつきでマイアを敵の奇襲から庇い、骨折したという恨みがある。

 元をただせばそれもロイが悪い。

 

 だからロイなどという性欲犬はマイアから盛大に暴力でも振るわれればいいとヨハンは思っている。

 

 恩は忘れないが仇だって絶対に忘れない陰湿さはヨハンを構成するアイデンティティーの一要素でもある。

 

「ヨハン、なんだか個性的な人達だね。でも悪い人達じゃなさそうだ。それにしても、結構厳しかったんだね。私もなにかトチったら厳しく指導されたりしたのかな」

 

 ヨルシカが言うと、ヨハンは腕を組んで何かを考えている様子だった。

 ややあって口を開くが、自分でもイマイチ納得がいっていない様子でもある。

 これはヨハンには珍しい事だ。

 

「そうだな…悪い奴等じゃない。だがマイアには少し驚いたな。あれは法神由来の法術じゃない。もはやマイア独自の術といっていい。信じがたいが、彼女の中には既に敬虔な法神教徒が己の中に描く法神に匹敵する確固たる何かがあるようだ。過激派だの穏健派だの、そういう連中が自身の中によすがを見出すことはそう不思議な事でもないのだが、色ボケマイアが何故…」

 

 ◆

 

「それにしてもザジ殿、このようなところで出会うとは!壮健でありましたかな?ふむ、筋肉を見るに、鍛錬は怠っていない様子。それにしてもこの異変は一体どういう事であるのか…文献による所を信じるならば果ての大陸の封がとけた…と言う事になりますが、しかし猊下が壮健であるかぎりはその様な事はありますまいて。勇者殿も未熟ですが、いずれは力を伸ばすでしょうし」

 

 そういいながらゴ・ドが酒を煽った。

 ここは帝都ベルンのとある酒場である。

 ちなみに法神教徒は酒が禁じられていない。

 

「まあアシャラから帝都はさほど離れておりませんからね。ゴ・ド殿も帝都に用事が?私は帝国宰相殿へ行脚ですよ、例のね。帝都はどうにも法神を軽んじるといいますか…いえ、法神教自体が好まれておりません…」

 

 2等異端審問官であるゴ・ドとザジは互いに肉体を武器とする者であり、さらに互いにおっさんであるという点、ついでにいえば同僚達と話が合わないという点で親しかった。

 

 ゴ・ドはイスカから帝都に向かい、ザジはアシャラから帝都に向かい、そして偶然にもばったりと顔を合わせる事になったのだ。

 

 異端審問官は基本的に法神教に害為す異端の討伐を主任務としているが、人格に問題がないものは布教活動にもいそしむ事がある。

 

 レグナム西域帝国への布教はゴ・ドやザジのような少なくとも中央教会では人格に問題が少ない者達の仕事でもあった。

 

 帝国は基本的に法神教を毛嫌いしているが、中央教会としても大陸最大版図の帝国を無視するわけにはいかない。

 

 教会戦力は油断ならないが、それでも帝国を力ずくでどうにかできるわけではないため、言葉の外交を積み重ねていく…というのが往時の中央教会の方針であった。

 

 まあ、もう法神教はなくなってしまったが。

 なお、この二人はその事実をまだ知らない。

 



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戦場百景④~ヴァラク防衛戦①~

バチバチ視点飛んで鬱陶しいでしょうけど、更新回転数でカバーするつもりなんで多めにみてやってほしいです。ほら!更新日時みてください!一杯更新してますよね?つまりこれからも一杯更新をするので問題はないってことです。やったぁ


 ◆

 

「本当に、本当でしょうね、団長!」

 

 小太りの青年が顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 団長と呼ばれた老人…いや、老人にしては精気に溢れすぎたその男は重々しく頷いた。

 

「本当だとも、カナタ。この任を果たしたならば、その身に背負う借金の全てを肩代わりし、更に給金を倍にしてやる。更に、早朝の訓練を免除してやろう。どうだ、やるか」

 

 ――やりますっ!

 

「わ、私達もいきます!!」

 

 赤髪の女性、セシルも叫ぶ。

 リズとガストンはこいつまじかよ、という目で彼女を見つめた。

 仲の悪い二人だが、この時ばかりは意見が一致したのだ。

 

「なによその目は!ここで勲を立てないでいつたてるっていうの?団長の話では、彼がいれば作戦は成功する…可能性が高いって話じゃないの!だったらこの話に乗って私達も一皮剥けるしかないわ!誰かがなんとかしてくれる、そんな事ばっかりよ私達の冒険者人生!私はもういい加減そんなのからおさらばしたいのよ、わかる?」

 

 リズもガストンも、まぁなぁ、という表情を浮かべた。彼等にも思う所はある。

 

「死ぬかもしれんぞ。カナタの才覚ですら覆い隠し、押しつぶすような闇が戦場にはあるかもしれん」

 

 ラドゥはそう言うが、セシルの目をみてそれ以上は何も言わなかった。

 

 ◆

 

 そんなこんなでラドゥ傭兵団、及びヴァラクに滞在していた名のある傭兵団連中は都市を包囲する魔軍に吶喊し、そして指揮官級の首を取るというイカれた任務を実行する事になった。

 

 と言うのも、やはりヴァラクの常備軍だけではどうにも攻め潰されるのが明々白々であったからだ。

 

 常備軍を指揮するのはレグナム西域帝国、第三軍より派遣された高級士官であったが、恐れを知らずに勇猛に戦い、そしてあっさりと死んでしまった。

 

 帝国は極まった攻勢衝撃力を有するが、これは上位者が例外なく勇猛果敢である事が理由である。兵はその背を見て勇気を奮い立たせ、軍は指揮官を中心とした凶暴な一振りの巨槍となって敵軍を刺し貫くだろう。

 

 しかしそれは防戦時においては極まった弱点ともなりうる。

 国の為に外敵を討ち滅ぼさんと軍勢の先頭に立ち、そして真っ先に死んでいくのだ。

 上位者がくたばった守備兵などは雁首をそろえた食肉用家畜に等しい。

 

 臣民の愛国心を利用した悪辣な術を使う皇帝サチコは、この時点では術を最大稼働させてはいなかった。

 

 ただ、臣民が恐れないようにと薄く、広くその権能を拡げていたのだが、元々愛国心が高い帝国軍にはそれでも劇薬だったようで、おぞましき魔軍と対峙しても彼等は全く恐れたりせず、突っ込んで死んでいった。

 

 ヴァラク常備軍のキルレシオは実に1対8という有様だった。

 これは兵士8名の命と引き換えに魔軍の尖兵1人を殺害しているという意味だ。

 

 防御を固め、間隙を衝いた逆撃のみに努めるならばもう少し被害は少なかったのであろうが…

 

 ラドゥが危惧した事態は実に的中してしまったわけである。

 

 ◆

 

「…ということだ。通常、こういう任務では10分の1も生還できれば恩の字であろう。しかし、今回は希望がある」

 

 ラドゥを初め、名だたる強面傭兵共がカナタを注視した。視線が物理的な圧力を伴いカナタを押しつぶす。

 

 常ならばカナタも尻尾を巻いて逃げ出しただろうが、彼としても今回は報酬が魅力的に過ぎた。

 金貨にして1500枚を優に超える借金は、もはや彼個人が返済出来る額の限界点を超えていた。

 

 しかもこの金のほとんどはヴァラクの夜の店に突っ込まれているというのだから救いようがない。

 

 普通ならばとっくにバラされて埋められているのだが、カナタはかの有名なラドゥ傭兵団の一員でもある。

 

 その信用は大きく、結句、彼に金を貸す業者が後を絶たず…そして借金はどんどん膨れ上がっていってしまったのだ。

 

 かといってラドゥ傭兵団が彼を捨てる事はありえなかった。

 カナタの能力…才覚は金ではかえない価値のあるものだ。だからカナタはここで命をかけて作戦を成功に導かねばならない。

 

 さもなければ豚の餌を育てる肥料となるしかない。

 

 ◆◆◆

 

 そうはいってもね、とカナタは周囲を見渡した。

 不気味な空の色の下、広がる怪物の群れ。

 何をどうしたらいいのやら、とカナタは適当に方向を決めて、部隊を先導し進み始めた…が。

 

 きゅるきゅる、と音がなる。

 カナタの腹の音だ。

 

(なんだかあっちは嫌だな)

 

 カナタ達は転進し、岩陰などに身を隠しながらも進んでいった。

 

 うっとカナタがかがみこむ。

 どうしたのだ、と周囲の者がよってくるとカナタはなんとも情けない笑いをにへらと浮かべ、そして靴を脱ぎ、足の裏をぐりぐりと押し始めた。

 

「あっちに行こうかとおもったんですけど、吊っちゃって。多分だめだと思います。向こう側がいいかも」

 

 全てはそんな調子だ。

 ラドゥ傭兵団の者達はカナタの“コレ”を知っているからいいが、他の者達は不安を表情のみならず、全身から発していた。

 

 しかし抗議はできない。

 今更な事であるし、なんといってもあのラドゥが黙ってカナタに好きにやらせているのだから。

 

 それに……

 

 傭兵達の一人、豪腕で鳴る巨漢がその瞳に戦慄の色を貼り付けカナタを見遣った。

 

(信じがたいが、なぜ俺達はこれまで魔軍に会敵していないんだ?すんなりとこんな所まで入り込んでしまっている。なんだ、このデブは…もしや、このデブは恐ろしい力を持ったデブなのか?)



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ①

 ◆

 

 その青年は快楽主義者であった。

 青年はこのような事をしばしば口にした。

 

 人生に積み重ねなんて要らない

 努力なんてする必要はない

 苦労からは逃げるべきだ

 立ち向かったって仕方が無い

 自分から苦しむ人の気が知れない

 だって放って置いたって人生の方から苦しめに来てくれるではないか

 

 まあそうは言っても、結局最後はなんとかなるものだから安心しなよ

 

 飲み、打ち、買う。

 身の丈を遥かに超えるような勢いで浪費し続ける。

 

 青年は快楽に耽り、怠惰に、自堕落に過ごし続けている。

 いずれ運命が自身に追いつき、そして破滅したってその時はその時さ、などと嘯きながら。

 

 ◆

 

 そんな青年もかつては少年であった。

 どんくさく、でも優しい目じりの垂れた少年だ。

 食いしん坊で母が焼いてくれたパンが何よりの好物だった。

 

 少年はレグナム西域帝国の領内のとある荘で生まれた。

 

 領主の屋敷の庭を管理する庭師である少年の父親は厳格で無口な男だ。

 しかしふとした時に見せる優しさからは荘の裏手から荘全体を見守ってくれている御山様を想像させる。

 

 少年の母はいつだって笑顔だ。

 父に叱られたとき、少年は母の胸元に飛び込んで頭を撫でてもらっていた。

 難産を乗り越えて産んだ一人息子であるため、彼女はどうにも少年を甘やかしてしまう。

 

 少年は両親から目一杯の愛情を注がれていた。これだけは疑いようのない事実であった。

 

 ◆

 

 少年の家庭だけではなく、荘園も全体的に牧歌的な雰囲気に溢れていた。

 

 これはレグナム西域帝国という領土拡張主義を推進する専制君主国家の被支配領域にある荘園としては非常に稀有なものだ。

 

 ただ1つ、妙な噂を除いては。

 

 その噂とは荘の領主の娘に関わるものであった。

 

 ――悪魔の娘

 ――呪われた子

 

 そんな噂が荘に流れており、領主もその噂をやめさせるように動いてはいるものの、荘民の口を完全に塞ぐ事は出来ないでいた。

 

 とはいえ、少年は元来細かい事は気にしない性格だった。つまりは悪く言えば鈍く、良く言えばおおらかな性格である彼は、陰を孕む悪評をさほどまともに受け止める事はなかった。

 

 だが全く気にならないかといえばそれは嘘になる。だからある時、少年は父に尋ねてみた。

 

「ねえ、父さん。領主様の娘さんの事なんだけど。なんで悪魔の子だなんていわれているの?」

 

 他意の無い質問に少年の父は腐りかけた牛乳に口をつけたかのような表情を浮かべた。

 

「う、む…。…そうだな、話しておくか。だがこの話は外ではするな。そして領主様の娘を悪く言っている者にも極力関わるな」

 

 そう前置きした少年の父は重々しく事情の次第を語った。それによれば、何でも領主の娘は左手の指が常より1本多いらしい。

 それを悪魔の徴と迷信深い者達が悪評を広めているとの事だった。

 

「父さんは…指が多い、少ないなんていうのはうまれついての痣があるだとか瞳の色が少し変わってるだとか…そういうものと同じに思える。たまたまそうなってしまった、と言う事が世の中には沢山あるんだ。周囲の者と少し違うだけで悪く言うというのは…父さんは好きじゃないな」

 

 常は無口がその時は饒舌であった。

 そんな父の肩に母が手を置きながら言った。

 

「そんなお父さんが私は大好きですよ」

 

 そうか、と言葉短く応じる父の顔色がやや赤みを帯びていたのは少年の目の錯覚であったのか、どうか。

 

 ◆

 

 その日少年は、父について庭師の仕事を手伝っていた。少年は少し前に父の仕事を継ぐと意思表示をしたのだ。

 

 少年の父親は無表情のままに首肯したが、よく見ればその口元には笑みの残滓が浮かんでいた事に気付いたであろう。

 

 もっとも、それに気付いた者は彼の妻唯1人であったが。

 

 ある時、少年はなにとはなしに空を見上げた。

 

 それは頬を撫でる柔らかな風に混じる硬質な冷たさから、春の終わりの予兆を感じ取ったからだろうか。

 

 理由は少年にだけしか分からないが、後々考えてみればそれが少年の運命を大きく変えてしまった一因であった事は否めない。

 

 ――あれ?

 

 少年の視線の先には領主の屋敷、その二階部分の部屋が映っているが、ややあってその部屋の窓が開け放たれたのだ。

 

 少年がなおも見ていると、窓から1人の少女が顔を出す。

 

 少年の二次性徴が始まって間も無かった事が果たしてその衝動にどれ程寄与したのかは定かではないが、ともかくも少年の視線はその少女のたおやかな相貌に吸い込まれ、ただの片時も目を離す事が出来なくなってしまった。

 

 少年の命の核たる一握りのちっぽけな肉の塊がドクンと拍動する。

 

 初恋であった。

 

 ◆

 

「ねえ、父さん。この前ご領主様のお庭でね、お屋敷の二階の窓が開いたんだ。そこから女の子が顔を出してね、凄く綺麗で…目があったんだけどすぐ隠れちゃったんだ。あの子がお嬢様

 なんでしょう?」

 

 少年の言葉に父親は軽く頷いた。

 

「ああ、メイサ様という。年齢はお前より2、3下だったかな。しかしその年で魔術師様としての才能に溢れているそうだ。いずれはこの荘を出て、もっと広い世界で活躍をなさるだろう」

 

 ――メイサちゃん…様、か



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ②

 

「どうしたんだ?最近随分頑張ってるじゃないか」

 

ある日、少年の父がそんな事を少年に言う。

 

というのも、少年が変わったからだ。

苦手だった早起きをするようになり、家事を手伝い、また父の仕事も頻繁についていくようになった。

 

良性の変化である。

 

そしてアレはなに、コレは何と庭の植物を指差し質問を重ねるようになり、少年の父親も息子がやる気を出したのなら、と己の知識をこれ幸いと少年に詰め込んでいった。

 

「…父さんはさ、ご領主様から信用されているよね。たまにお屋敷からお土産を持って来る事もあるし。僕も信用をされたいんだ」

 

なぜ?と少年の父は聞こうとしたが、ふとある事に思い至った。

 

「ああ、もしかして…お嬢様に惚れでもしたか?」

 

それは冗談交じりの問いだったが、少年が俯き、黙り込む事で真であると悟った。

 

「…そうか、まあ…そうか…だから最近ずっと頑張ってるんだな…会う事くらいは出来るかもしれないが…」

 

少年の父は少年の恋を頭から否定する気にはなれなかった。愛するわが子の恋を“そんなものは身のほど知らずの愚者の恋である”と否定できる親がこの世界の何処にいるだろうか?

 

ましてや少年の父は、息子がここ最近直向きに努力をしている姿をその目で見ている。

 

「ほんと!?じゃあ僕もっともっと頑張る!父さん、僕一生懸命仕事を覚えるから、これからも色々教えて…ください!」

 

ぺこりと頭を下げる息子の後頭部を、少年の父親は複雑な気持ちで撫でた。

 

 

「ドーマ、最近庭で君の息子の姿を良く見かけるね。彼が我家の将来の庭師殿になるのかな?」

 

ある日、サルモン荘の荘園領主であるレイゲン・ファラッドは、春の木漏れ日の瞬きにも似た柔らかい微笑を浮かべながらドーマに言った。

 

「はい、つい先頃まではどうにも内に籠り勝ちだったのですが。なにやらここ最近はやる気を出しておりますな」

 

あなたの娘さんに惚れたからですよ、とは流石に言えないドーマは無難に返事をした。

 

「そうか、確か君の息子は10…2、3…その辺りだったかな?」

 

ええ、とドーマが答える。

 

「うちの娘は11になる。ところで君は娘の事情を知っているね。息子さんも知っているのかな?」

 

ドーマは再びええ、と短く答えた。

 

その態度はあるいは礼を失するかもしれない。

しかし、まさか“ええ、知っているどころか、それを知ってなお大した事じゃないとし、ついでにいうなら貴方の娘さんにぞっこんです”などとは言えないから仕方が無いのだ。

 

「だったら一度娘にも会って貰おうかなとおもってるんだ。年齢も近いし、君の事は信用しているからね。その子供ならなおさらだ。それに、娘には…まあ事情があるからね、友達も余り居なくて…内にひきこもってばかりでは色々と良くないだろう?」

 

禁断の恋が燃え上がるなどやめてくれよ、と思いつつも、ドーマは頷かざるを得なかった。

 

 

父であるドーマから領主レイゲンの言葉を伝えられた少年は飛び上がった。

 

まさかこんなにあっさり夢が叶うとは!

 

少年は有頂天となり、喜びの活火山が噴火したかとおもいきや、次瞬たちまちに休火山となった。

 

そもそも夢とは?という現実が押し寄せてきたからだ。

 

貴族と平民が結ばれる事など夢よりも遥かに儚いという事を、少年はこの年にしてよくよく理解していたのである。

 

「分かっているとは思うが…」

 

ドーマの言葉に少年は珍しく何も答えなかった。

分かっているとは思うが、どころか、分かりすぎていて憂鬱だったからである。

 

 

「…………」

「…………」

 

沈黙がその場を満たしていた。

だが沈黙にも種類がある事をその時少年は知った。

 

少年が放つ沈黙は焦燥と狼狽が充満した切迫感のある沈黙であるのに対し、少女…メイサが放つ沈黙はまるで凪いだ湖面のような沈黙であった。

 

凪いだ湖の水面下に何が潜んでいるか、それを察する事が出来るほど少年は精神的に成熟していない。

 

「メイサです。メイサ・ファラッド。貴方はお屋敷の庭師の息子さんですね。名前は聞いています」

 

黙りこくった少年に業を煮やしたか、メイサから名乗った。ちなみにこういう場合、女性に先に名乗らせる事はマナー違反である。

 

「ヴぉッ!!!…くは、カナタ、です」

 

少年が返した返事はまるで豚の断末魔のようで、一言で言えば“悲惨”であった。

悲惨であり、そして滑稽だった。

少年は…カナタはこの場を去ったら自殺しようと心に決めた。

 

しかし滑稽さが場の緊張を解すことはままある。

 

「ヴぉ…って…。ふふ」

 

口元に手の甲を当て令嬢然として笑うメイサに、カナタは二度目の恋をして、先ほど心に決めた自殺の決意を無かったものとした。

 

ちなみに初恋の相手もメイサである。

 



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ③

 ◆

 

 それ以降、カナタはメイサとしばしば交流を持つようになった。

 

 ちょっとした挨拶、ちょっとした会話。

 そういった“ちょっとした”が積み重なる事でしか形を成しえない尊い何かが人間関係には存在する。

 

 それを友情と呼ぶのか、それとも恋というのかは分からないが、少年と少女の間にはその尊い何かが少しずつ形を成していった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ねえ、カナタ。貴方は私の指を全く見ないのね」

 

 ある日、メイサにそんな事を言われたカナタは大いに慌てた。

 

 もしやメイサは指に怪我でもしたのだろうか?自分はそれに気付かずに、へらへらと笑いながら昨晩食べた豚のシチューの話をしていたという事なのだろうか?

 

「け、怪我でもしたんですか!?それとも爪が割れた!?」

 

 コミュニケーション能力に障害がある者特有の思考の飛躍か、あるいは恋心を抱く相手と対することで一時的に知能を低下させているのか、カナタは大慌てでメイサの白く小さい手を取った。

 

 そして顔を近づけ、隅から隅までしっかりと確認をする。しかし傷はどこにもない。

 

「メイサ、よく見てみたけどどこも怪我をしていませんよ」

 

 この時にはカナタは既にメイサを敬称抜きで呼ぶ事を許されていた。

 いや、むしろ敬称をつけるとメイサの機嫌が悪くなるのだ。

 

「指が6本あるわね」

 

 メイサが硬い声で言った。

 カナタはメイサの手を再度見て、6本ある事を確認した。5本にも7本にもなっていない。

 6本だ。

 

「確かに6本です。それがどうしたんですか?」

 

 どうしたのって…と、メイサはちょっと呆れたような表情を浮かべた。

 

 なぜなら彼女の指を見て嫌悪を覚える者は、それこそ両の手に余るほどにいたからである。

 使用人達ですらメイサにある種の恐怖、畏怖を以って接していた。

 

 自身とは異なる姿や考えを持つ者に忌避感を覚える者は多い。

 

 不気味なものを見るような目、畏怖を以って向けられる視線。そういうものはメイサにとってある種の精神毒のようなものであり、彼女の心に小さい傷が刻まれ、その傷は年々増えていった。

 

 そこへきてのカナタである。

 カナタはメイサから見ても紳士たるに相応しいかといえば否だ。

 

 ぷくぷくと膨らんだお腹、もちもちと膨らんだ頬、指ときたらまるで小さい腸詰肉のようだった。

 

 しかし…

 

「カナタ、私の姿についてどう思う?その、手も含めて。指の事とかも。6本の指は呪われている徴だという人もいるわ。あなたはどう思うの?」

 

 カナタは小首をかしげた。

 質問の意図が読めなかったからだ。

 しかし聞かれたからには答えなければならない。

 

「その、綺麗だと思いますけど…手は、その指が6本あれば…ものをしっかりにぎれますよね…」

 

 メイサは小首をかしげた。

 答えの意図が読めなかったからだ。

 物をしっかり握れる…確かにそうだ。

 で?

 

「握れるけど。だからなんなの?」

 

 そこには一抹の苛立ちが混じっていた。

 カナタの答えが要領を得ないからであり、しかしはっきりとした忌避の存念を耳に入れたくないという思いもあったからだ。

 恐れは精神を萎縮させるが、同時に神経を逆撫でする副次効果もある。

 

「落とさなくていいなって…。僕はその、この前も飲み器を割ってしまって…。指の肉を落とせって父さんから言われてしまったんです。お肉のせいで、そのしっかり握れないからって…」

 

 メイサは無言でカナタの指をとって、指に付着するだらしない脂肪を摘んだ。

 

「確かに…。私がお菓子をあげすぎちゃったせいもあるかも…」

 

 そう、カナタの肥大化はメイサにも原因がある。だがメイサはカナタの歓心を買いたかったのだ。

 理由はなぜか?

 それはメイサにしか分からない。

 

 ともあれ、メイサから放射されようとしていた負の情念は、いつまにか雲散霧消してしまっていた。



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ④

 ◆

 

 この年、荘全体にタチの悪い病が流行った。

 風邪に似たそれはしかし、風邪とはケタ違いの強い感染力を持つ。しかしそこまでならば“タチの悪い”とは言われなかっただろう。

 

 この病は常の体力を維持できているならば、症状は風邪と変わりはない。

 しかし僅かでも体力を落とせば、子犬の甘噛みがたちまち地獄の番犬による食いちぎりに変貌するのだ。

 

 ゆえに体力が元々少ない子供などには極めて危険な病となりうる。

 

 薬はある。

 病自体は未知のものではなく、先達が苦心を重ねて治療法を確立している。

 

 しかし問題があった。

 調合法だ。

 

 薬を作るには調合をしなければならない。

 原材料だけで効果が無いとは言わないが、正しい手順で調合して初めて薬効が正しく顕れるものだ。

 

 その調合法を知るのは当然薬師であるが、その薬師が中央教会から派遣されてきたというのがネックとなっていた。

 

 彼等は法神を崇めない者へ手を差し伸べようとはせず、法神ではなくまつろわぬ地神などを崇める者や、無神論者達は治療薬の恩恵に与る事ができなかったのだ。

 

 ◆

 

 領主の娘、メイサがその病に罹ってしまった事は不幸であったといわざるを得ない。

 

 もとより内にこもりがちな少女の体力、食自体もむしろ細く、流行り病はメイサの生命力を砂糖に群がる蟻の群れの如く食い荒らしていった。

 

 だがここまでの事を不幸とは言わない。

 そこまでなら薬を飲めばいいだけなのだから。

 

 不幸であったのは彼女の…

 

 ・

 ・

 ・

 

「娘は悪魔の子などではない。指が6本あるからといってそれが何なのだ?夜な夜な邪悪な儀式でもしているわけでもあるまいし、いい加減に旧来の慣習に縛られた蒙昧から抜け出たらどうだ!」

 

 レイゲンが常ならぬ険しい表情を浮かべ老人に詰め寄る。執務室の隅から隅までレイゲンの怒気が充満し、その場に控える侍従は呼気に鉛が混じっているような心地を覚えた。

 

 しかしそんなレイゲンを前にして、法神教の聖職者にして荘の薬師である老人は、無表情のままにレイゲンの言葉を切って捨てた。

 

「お断り致します。法神は悪魔の子に手を差し出すことはありません。神の僕である我々もまた同様です」

 

 レイゲンは自身の肉体と精神が、瞬間的に憎悪と激怒の混合体へ再構成された事を感じ取った。

 

 感情の昂ぶりが魔力として発露し物理的な干渉力を得る。

 

 ビシリ、という音と共に客室の窓に罅が入った。

 

 空気が急速に乾燥していく。

 レイゲンから放射される熱された殺意が空気中の水分を蒸発させたのだ。

 

「良いのですかな?私に手をかけるということは中央教会へ手をかけるという事。法神の教えに忠実である事を理由に殺められるというのであれば、それは神敵たりうると同義です。密殺が出来るとは思いなさるな。私が帰らねばその変事は速やかに中央教会へ伝えられるように手を打っておりますぞ」

 

 しかし老人薬師のその言葉がレイゲンの怒りを萎れさせた。

 

 目の前の老骨を圧し折る事は容易くても、中央教会そのものを相手にするということは…

 

「言うまでもありませんが、累は荘園全体に及びますぞ」

 

 レイゲンは屈した。

 屈さざるを得なかった。

 

「何も薬に頼らなければ必ず死ぬわけではないでしょう。従来通りに食餌療法をすればよろしいではないですか」

 

 老薬師の言はもっともだが、それは元の体力がある程度補完されている成人に言える事である。

 

 子供のように元の体力が少ない者がこの病に罹った場合はその限りではない。

 そもそも食事を取る体力、気力すら奪われてしまうのだ。

 

 ◆

 

 カナタはメイサが流行り病に罹った事を知った。

 と言うより父であるドーマから無理やり聞き出した。

 

 急に屋敷への出入りを父もろとも禁じられて、薬師が荘の方々をまわるようになり、外出自体も禁じられれば流石にのんびり屋のカナタでも変事に気付く。

 

 日頃聞き分けが良い彼がこの時ばかりは何かにとりつかれたように頑迷な態度で、ドーマが宥めてもすかしても、はたまた叱り飛ばしても梃子でも引かなかった。

 根負けしたドーマはカナタに事情を伝えるが、それで彼の気が収まるはずもない。

 

 カナタはある夜、家を抜け出しファラッド邸へ向かう。メイサに逢う為に。

 

 逢ってどうするのか、彼女を癒す手立てがあるのか、そんな事カナタはこれっぽっちも考えなかった。病に苦しむメイサが心配で、ただ逢いたくなってしまったのだ。

 

 カナタの行動は愚行の見本ともいうべきものであった。

 

 屋敷には普段は居るはずの不寝番の姿はない。

 メイサの罹患により、レイゲンが最低限屋敷を機能させるだけの使用人を残してそれ以外はすべて帰したのだ。

 

 しかし庭にまで入り込んだはいいものの、カナタは途方に暮れてしまった。

 なぜなら屋敷の扉がしっかり閉まっていたからだ。当然鍵もかかっている。

 

 月が煌々と輝く真夜中に、カナタはファラッド邸の中庭でぼんやりと屋敷の二階、メイサの部屋があるであろう窓を見つめていた。

 

 不意に肩に手が置かれる。

 

「こんな時間に何をしているんだい」

 

 振り向けばそこにはレイゲン・ファラッドが立っていた。

 

 



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ⑤

 ◆

 

「ぼ、僕は…僕は…」

 

 どもるカナタを黙ってみつめていたレイゲンは、やがてため息をつき、ついてきなさい、と一言残して屋敷の玄関に向かって行った。

 

 メイサに逢わせてくれるのだろうか?というカナタの希望は叶えられる。

 

 ◆

 

「明りをつけよう」

 

 レイゲンがランプを点ける。

 カナタは失礼だと思いながらも周囲を見渡した。

 

 ファラッド邸には何度か来た事があるが、隅から隅までピカピカに磨き上げられている…という印象だった。それが今はどうだ、そこかしこに埃が積もり、屋敷そのものが一気に老け込んでしまったかのように見える。

 

「使用人をほとんど帰してしまってね」

 

 振り返ったレイゲンを見て、カナタは思わず声をあげそうになってしまった。

 

 カナタの記憶にあるレイゲンは細身で精悍な色男であったが、それが見る影もなかった。

 髪は脂ぎっており、目は落ち窪んでいる。

 無精ひげを見るにもう何日も髭をそっていないようだ。

 

 月明かりでは良く分からなかったが、ランプの明りに照らされたレイゲンは、控えめにいっても死期が間近にせまった浮浪者に見える。

 

 レイゲンは二階への階段までカナタを案内すると、洒脱な手振りで二階を指し示した。

 

「二階に上がれば、私の気持ちがよくわかるはずだ。私は君が娘に会うのを止めないよ。なぜなら気持ちをね…共有したいからさ。娘を、メイサを思う者と傷を舐めあいたいんだ。酷い大人だと自分でも思う。ふ、ふふふ」

 

 行けば後悔をするのだろう、とカナタは思った。

 しかしカナタの両脚は既にカナタの制御下を離れていた。

 ふわりふわり、そんな擬音が合うほどにカナタは頼りない気持ちで二階へとあがっていった。

 

 ぎし、ぎし、と。

 

 軋む階段の音がまるで怪物の笑い声にカナタには聞こえた。

 

 ◆

 

 メイサの部屋の前に立ち尽くしたカナタは、意を決してその扉を開く。

 

 果たして部屋に居たのは、寝台に横たわっていたのは骨と皮の如き姿に変わり果てていたメイサであった。

 

 胸が僅かに上下している。

 眠っているようだ。

 とりあえず生きているという事に、カナタは安堵し、その安堵は直ちに不安に覆い隠された。

 なぜなら医学に明るくないカナタであってもその姿は死ぬ半歩手前であったからだ。

 

 ごとり。

 音がした。

 

 カナタが振り向くと、そこにはレイゲンが立っていた。

 

「もう食事も受け付けないんだ。食べさせても吐き出してしまう。ドロドロになるまで調理してもね。あんな姿になるまであっという間だったよ。彼女を蝕む病魔は生きる力を食い荒らす。弱った者には殊更獰猛に。薬が必要だ。しかし荘の薬師に調合を断わられた。彼女が悪魔の子だからだそうだ。愚かな話だよ、しかし力ずくで言う事を聞かせる事も出来ない。あの薬師の背後には中央教会がいる。もし教会を敵に回せばどうなるか知ってるかい?ふ、ふふ。知らない方がいい。眠れなくなるだろうから」

 

 カナタは黙ってレイゲンの話を聞いていた。

 そしてメイサを起こさないように、その横に跪いてじっとメイサの顔を見つめる。

 

 やがてカナタは黙ってその場を離れ、レイゲンに頭をさげるなり部屋を出て、階段を降りて行った。

 

 ◆

 

 サルモン荘の薬師は複数いるが、その全員に中央教会の息がかかっている。

 

 別にそれ自体が悪い事ではない。

 平民でも支払えるだけの金銭で医療に従じてくれるのだから。むしろ流れの治癒師などよりはよほど庶民にとっては歓迎されるべき存在であった。

 

 だが問題が何もないわけではない。

 法神教の教義に反する存在に対しての治癒、治療を一切拒むという姿勢がしばしばトラブルを呼び込んでいた。

 

 教会によらない薬師というのも市井にはいなくもないのだが、そういう者は不思議な事に何かに追い立てられるようにして荘を去ってしまうのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 薬師達の最上位者とも言うべき老人、グレゴリはその日も荘民達の治療を終え、寝室で休んでいた。

 

(私も年かな。流石に連日これでは体がもたぬ…荘廻りは弟子に任せるか。しかし領主からの反感を強く買ってしまったのはよくなかった。ただ、悪魔の子を助ける事だけは罷りならぬ。奇なる姿は魔の民の証よ…ん?)

 

 今何か部屋の隅から音がしなかっただろうか?

 グレゴリが暗闇に目を向け、凝らしてみれば…

 

「なっ!」

 

 そこには1人の少年が立っていた。

 しかもその手には短刀が握られている。

 

 グレゴリは人を呼ぼうと息を吸い込む。

 そこに少年が、カナタが頭から突っ込んできた。

 

 カナタは少年だ。10を3つ、4つ過ぎた頃だろうか?だがグレゴリは70を過ぎようとする老人であり、これはどちらの膂力が上かという話になると甲乙つけがたい。

 

 グレゴリに身体を強化できる程度の魔力があれば話は別だが、それが出来ないから薬師なのだ。

 魔力を扱い傷病を癒せるほどの者は癒師と呼ばれ、その数は少ない。

 

 ましてやカナタには凶器が握られていた。

 

 両者の力の拮抗は、短刀の凶悪な輝きがために一瞬でカナタの方へ天秤が振れ、グレゴリは己のノド元に突きつけられた短刀を戦慄と共に見つめる。

 

 武器を使ったただの脅しであるならグレゴリとて矜持を盾に気丈でいられたかもしれない。

 

 しかし、グレゴリは見てしまった。

 カナタの両の眼を。

 

 真っ暗な穴のような2つの目からは燃え盛る憎悪の波動が放射され、その激しさはレイゲンの見せたそれを上回っているようにすら見えた。

 

 それも当然だろう。レイゲンの憎悪なり怒りなりは確かに激しいが、そこには多分に不純物が含まれていた。

 

 大人の事情といっては何だが、荘園の民の将来、自身に連なる者達の身の安全、レグナム西域帝国の貴族として、中央教会と事を構える政治的な問題…要するにその手の利益不利益に連なる不純物が含まれていたのだ。

 

 対してカナタのそれはまじりっけなしの純粋な憎悪である。子供特有の純粋さは周囲の環境次第で容易に白にも黒にも変わるものだが、今カナタが染まるその色は黒を黒で塗りつぶし、その上から更に黒を塗ってなお飽き足らない程のペンタブラックであった。

 

「何が望みだ」

 

 グレゴリは自身の声が震えていない事に安堵した。70を超え、法神に信仰を捧げた身で子供の脅迫に屈したという事実はグレゴリの自尊心を木っ端微塵に打ち砕いた。

 

 グレゴリは自身に最後に残った矜持らしきものが、表面上平静を装うことで辛うじて守られた事に安堵したのだ。

 

「メイサの、治療をお願いします」

 

 ――さもなければ殺す

 

 グレゴリの耳はカナタが発していない音までもを拾った。カナタは殺すなどという事は一言も口に出していない。しかし、口に出さなくとも伝わる言葉というものは確かにある。

 



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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ⑥

過去はサバサバ(殺伐殺伐)したこともあったけど、大事なのは現在(いまどき)、そして未来なのでなんとかやっていきましょうや!

っていうのがイマドキのサバサバ冒険者の裏テーマでもあります。


 ◆

 

「薬の材料がない。荘の裏手に御山、その麓に広がる森林の奥に咲く黄想花という花が材料となる。見れば分かる。夜にのみ咲く花なのだ。闇の中でも薄っすらと黄色い光を発している。森の奥地にしか生えていないのだ、奥の何処だといわれても困るがね。ただ奥に、ひたすら奥に進めばわかるさ。珍しい花ではないのだよ。生えている場所がやや難儀するというだけで」

 

 グレゴリの言葉にカナタは視線を向けるのみだった。しかしグレゴリはその視線の余りの冷たさに背筋を凍てつかせる。

 

 ――この年で、このような目が出来るとは。悪魔の子に操られているに違いない。しかし、麓の森の奥まで子供が行って、帰ってくることは至難であろう。魔獣の餌となってしまうがいい。それに、もしあそこへたどり着いてもあの花は…

 

 去っていくカナタの小さい背を見つめるグレゴリの表情は醜く歪み、仮に法神がその場にいたならば果たしてどちらに罰を下しただろうか。

 

 ◆

 

 翌朝、カナタの父ドーマとカナタの母であるユーカが息子がいない事に気付いた。

 

 屋敷は立ち入りが禁じられている。

 であるなら、荘のどこかにいるのだろうか?

 二人はカナタを探し回るが、当然その姿は見当たらない。

 

 だがある人物に話を聞く事でカナタの行方がわかった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「では!あなたはまだ成人も迎えていない息子をみすみす森に向かわせたというのですか!?」

 

 常は穏和なユーカが怒気を露にし、グレゴリへ詰め寄った。ドーマもそれを止める事はしなかった。腕を組み、目を瞑っている。

 良く見ればその腕がぶるぶると震えている事に気付いただろう。

 

 ドーマはまさにグレゴリを殴り殺してしまうことを堪えているのだ。

 ドーマの忍耐力は荘でも並外れている。

 忍耐とはドーマの代名詞と言えるだろう。

 

 ユーカの詰問にグレゴリが答えた。

 

「私が向かわせたとは言っていない。あくまで息子さんが自発的に向かったのです。私は事実を伝えただけです。息子さん…ああ、カナタと言いましたか?彼があんな真似をしてまで悪魔の子の命を救いたいという気持ちに打たれたのですよ。ですが肝心の薬の材料がない。だからそれを伝えたまでです。私も胸が張り裂ける想いですよ。まさか1人で向かうとは。森は危険だ。魔獣もいる。特にこの時期は単眼大蛇が繁殖期ですからなぁ…うごォッ!?」

 

 ドーマの鉄拳がグレゴリの頬に突き刺さる。

 

「あ、あなた!?」

 

「下がっていろユーカ!このクソジジイをぶち殺してやる!!いいか貴様!今からお前を殺す!だが息子になにかあったならもう一度殺してやる!」

 

 ドーマの激情が沸騰し、灼熱の怒気が全身より吹き出た。左眼に激怒、右眼に殺意を宿したドーマがぎりぎりと拳を握り締めてグレゴリに詰め寄る。

 

 そしてその握り込んだ鉄槌がグレゴリの頭を叩き潰してしまう、その寸前。

 グレゴリの肩に置かれた手があった。

 

「待ちなさい」

 

 そこにはげっそりとやせ細ったレイゲンの姿あった。目は落ち窪み、明らかに尋常の様子ではない。であるにもかかわらず、一種異様な妖気とも呼ぶべき薄ら寒い気配が滲み出している。

 レイゲンは一人ではなく、何人もの私兵を連れていた。

 

 身分の差はあるとはいえ、友情を感じていた男の変貌に、ドーマは頭から氷水を浴びせかけられたような気分を覚え、気付けばあれ程煮えたぎっていた怒りは冷め切っていた。

 

「調査隊を組みましょう。幸い人数はそろっている。そこの老人を殴り殺しても何もなりません。勿論後ほど彼の責任は問います。どういった意図があったにせよ、子供をけしかけるような事を言った事は事実。大人の責任と言うものがありますからね」

 

 理路整然とそんな事を言うレイゲンであったが、ドーマはレイゲンの様子に違和感を覚えた。

 

 歪んだ口元。

 

 ――嗤っているの、か?

 

 ◆

 

 時は遡る。

 真夜中、カナタは森を彷徨っていた。

 

 乳白色の宝石が夜空を美しく彩り神秘的な光条を森に投げかけるも、それらは葉々に遮られ光源の役を果たせない。

 

 それでも辛うじて足元が見えたのは幸運であった。カナタはひたすら森の奥へ、奥へと歩を進めていく。

 

 その歩みに迷いや怯え、恐怖、不安といったものはなかった。

 なぜならここで足を止めてしまえば大切なものを失ってしまうとカナタには分かっていたからだ。

 

 悪路に足を取られ転んでしまう事は2度や3度では利かなかった。その度に彼の脳裏に浮かぶのはメイサの顔だ。

 

 ――大丈夫、大丈夫だからね。すぐに良くなるから

 

 切迫感と焦燥感。

 まるで何かに追われているような気持ちをカナタは抱いていた。

 

 目の前には夢想が広がり、しかし後ろからはヒタヒタと現実が差し迫っている。

 だが彼は決して歩みを止める事はない。

 

 やがて木々の隙間から月光が差し込む場所を見つけ、そこに向かって歩いていく。

 開けた場所だ。

 そこには黄色い光を放つ花が群生していた。

 

 ――こんなに沢山?

 

 一瞬呆気に取られるも、カナタは花を摘み取り、上着を脱いでその上に置いていく。

 どれだけの量を必要とするか分からないから、可能な限り持って帰るつもりであった。

 やがてそれ以上はもう置くスペースがないという所まで花を摘み取ると、ほぅと息をついて上着を丸め、袖の部分を縛り紐として結わいた。

 

 ――戻らなきゃ…どこに?

 

 ふらりとカナタの足がたたらを踏む。

 

 ――メイサの所だ、忘れるなんて…疲れがたまっているのかな

 

 カナタは頭を振り、花畑に背を向けた。

 花畑からは先ほどよりきらきらと眩い光が放たれ、甘い香りも漂ってくる。

 疲れた体、そして心にそれらが染み込み、カナタはその場にうずくまってしまいたい気分になった。

 その時、ふと視界に白い影のようなものが映り込み、その影がカナタの肌着の裾を引っ張った…ような気がした。

 

 その時カナタの意識はぼんやりと霞がかかったように曖昧になっていた為、幻でも見たのかと思ったのだが、カナタを引っ張っているのはどこかで見たことのある、いや、決して忘れてはいけないあの少女…

 

 ――嗚呼、メイサ

 

 花畑から十分離れた時、カナタの意識は持ち直してはっきりとしていた。

 裾を引っ張る感覚はもうない。

 

 きっとメイサが急かしているのだ。

 カナタはそう思い、歩を早める。

 

 それからも妙な事が立て続けに起こった。

 カナタがどちらの方向へ進めばいいのか、ありていに言えば迷いかけていたその時、視界の端を白いなにかがちらつくのだ。

 

 はっきり見ようと視線を向ければその影は跡形も無くなる。

 まるでカナタの意識をそちらの方向へ向けようとしているかのようだった。

 

 ある方向へ進もうとした時などはふくらはぎに強い痛みを覚えた。

 子供の足で悪路を強引に進めば筋肉が引き攣ったりする事などは当然の仕儀であるかもしれない。

 しかしカナタはその痛みに何か意思が介在しているかのような不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。

 

 どれだけ歩いただろう。

 空は白み、気づいた時には夜が明けていた。

 

 カナタの視界の先には森の出口が広がっている。

 

 ◆

 

「では、調査隊を…む?」

 

 レイゲンが森の方角を見た。

 ドーマもユーカも、グレゴリもそちらへ視線を向ける。

 小さい人影が歩いてくる。

 

「カナタぁ!」

 

 ユーカが走り出し、あわててドーマもそれに続いた。

 

 レイゲンは色の無い視線をカナタに注ぎ、ややあってその視線をグレゴリに向けると、グレゴリは目を見開いて驚愕している様子であった。

 

「どうかされましたか?」

 

 レイゲンがグレゴリの異変をまるで慮っているかのように声をかけた。

 しかし本心からグレゴリを案じているわけではない事は耳が千切れた小鹿でさえも理解できるだろう。

 その声色には隔意というよりは敵意、いや、いっそ害意すらが滲んでいたのだから。

 

 ◆

 

「取ってきました。さあ、早くメイサに薬を」

 

 カナタが上着をグレゴリの前に差し出した。

 縛っていた袖を解くと、中には一杯の黄色い花が顔をのぞかせる。

 

「うっ!これは!」

 

 ドーマが表情を歪めた。

 植物に詳しいドーマはこの花が何であるかよくわかっている。

 まだ早いと思い、カナタにも教えていないその花は、帝国法で禁忌指定にもされている劇物であった。

 

 死想花と呼ばれるこの黄色い花の花粉は、極めて危険な作用を有する。

 その作用とは何か。

 花粉を吸いこんだ者は一つの想念を抱くのだ。

 

 その想念とは、自身の肉体を花の成長に贄として捧げたくなるというものであった。

 もしカナタがあの場を離れずにいたならば、カナタの四肢は力を失いその場に崩れ落ちていただろう。

 そして食べる事も飲む事も出来ず、やがて呼吸すらもできなくなり、土に還ったはずだ。

 カナタの死体を飲み込んだ土壌は肥え、花は更に美しく咲き誇る。

 

「馬鹿な!カナタ!なぜこんなものを…。き、貴様か!貴様がカナタをそそのかしたのか!」

 

 ドーマの怒りが再燃した。怒りの矛先はグレゴリだ。

 ――こいつ、最初からカナタを殺すつもりで?

 ドーマはグレゴリへの殺意を膨らませていく。

 

 しかし、そんなドーマの怒りに水を差した者がいた。

 またもやレイゲンであった。

 

「まあまあ、ドーマ。この花は確かに危険なものだね。毒に等しいと私などは考えている。しかし、毒と薬は表裏一体だとも聞いているよ。教会が秘して明かさない…薬師殿の知る薬の調合にはこの花が必要なのだろう?きっと薬師殿は薬を調合してくれるに決まっている。カナタが命がけで危険な森の奥へとこれを採りにいってくれたのだから」

 

 言葉とは裏腹に、レイゲンの眼はギラギラと危険な輝きを宿していた。

 

 ◆

 

「う…む…そう、だな。分った。しばし待たれよ。調合は暫く時間がかかる…」

 

 グレゴリはふらついた足取りで住居へと向かっていく。

 その背にレイゲンが声をかけた。

 

「花を忘れているぞ。これが無ければ調合は出来ないだろう?」

 

 そんなレイゲンに、グレゴリは忌々しげな視線を向けてカナタの上着にくるまれた花々を、まるで酷く危なっかしい物を持つような手つきで拾い上げて去っていった。

 

 グレゴリが家に入ったのを見届けるとレイゲンは傍らに控えていた男に何かを呟き、男は駆け足でその場を立ち去る。

 男は他の者達…レイゲンの私兵達に何やら指示を出していた。

 すると男たちはグレゴリの家に駆け足で向かい…

 

 ・

 ・

 ・

 

「何をする!離せ!」

 

 怒声が響く。

 グレゴリのものだった。

 

 男たちの一人がレイゲンの元へ駆け寄ってくるなりこう告げた。

 

「裏口から逃げ出そうとしていた所を捕らえました。懐には短刀を隠し持っており、これは没収してあります」

 

 レイゲンは黙って頷いた。

 ひったてられてきたのはグレゴリだけではなく、彼の従者達も同様であった。

 皆、レイゲンの私兵に縄を打たれ、半ば引きずられるようにしてその場で突きだされる。

 

 ドーマとユーカはこれを茫然と見つめていた。

 一体なにが起こっているのか、あるいは起こりつつあるのかまるで分からないからだ。

 

 カナタだけはただ無言、そして無表情のままに佇んでいた。

 いや、違う。

 カナタもまた呆気に取られ、その衝撃の大きさに表情筋の機能を一時的に失調していたのだ。

 

 なぜなら…

 

 ◆

 

「メイサ…?」

 

 カナタが呟いた。

 視線の先には白い病衣を纏ったメイサがいた。

 

 青白い肌、そして虚ろな瞳。

 いかにも不健康そうではある。

 しかし、以前見た時のように骨と皮だけの痛ましい姿ではない。

 

「なおったんですか…?病気は…」

 

 カナタのつぶやきにレイゲンが反応した。

 地獄の底から響いてくるような低い声であった。

 

「死んだよ。娘は。昨晩…君が部屋を去った後に。静かに息を引き取った」

 

 ――え?

 

 カナタはあわてて視線を"メイサ"が居た方へと向けた。

 そこにはもう誰もいなかった。

 

 ――え?

 

 ◆

 

 捕らえられたグレゴリは表情を歪め、憎々し気に吐き捨てた。

 

「誰が悪魔の子を救うために手など貸してやるものか。法神は救いの手をこの世界に遍く照らして下さる…しかしその光は万人に照らされるわけではない!悪魔の…魔族の…魔に属する民などを救う知識を儂は持たぬわ!そこの小僧も悪魔の子に洗脳でもされたのだろう、愚かしくも儂を脅しおった!森の奥の花畑まで行ったのだろう?あんなものは薬の材料であるものか!儂はあの小僧に末期の救いをくれてやろうとしたのよ。邪悪に惹きつけられた穢れた者であっても、せめて森の糧となり転魂の輪に乗れば再び法神の光を受ける資格を得られるやも、とな!だのにまさか戻ってきてしまうとは!あの小僧は救いの手を自ら振り払っ…ゴ、ア…ァ…」

 

「もう、宜しい」

 

 ぐちゅり

 

 いつの間に引き抜かれたのであろうか、レイゲンが腰に佩く真銀の細剣がグレゴリの口に突きこまれていた。

 

「死想花は帝国法により禁忌と指定されている。この持ち込み、利用は死罪に値するが、もしこの花の有効利用ができるのならば私はそれを帝国薬機院に持ち込むつもりであった。しかし貴様は虚偽を述べ立て、サルモン荘の治安を著しく乱した。よって荘園領主の権限により処断する。この正当性はレグナム西域帝国国法に帰し、中央教会として異議があるならば帝都ベルンにおわす皇帝陛下へ述べられたし…という事だ。分ったかね?」

 

 己の行為の正当性を説明しながらも、レイゲンの細剣はグレゴリの口中を掻きまわし、グレゴリに多大な苦痛を与え続けた。グレゴリはこれに抵抗しようとするが、屈強な私兵達に押さえつけられ身動きが取れない。

 剣先はなおもグレゴリを苛み続け、そしてついには後頭部より剣先が飛び出し、グレゴリは息絶えた。

 

 そして剣に付着した血をそのままに、レイゲンの眼がグレゴリの従者達へ向けられる。

 視線にも温度と言うものがあるのだと従者達は思い知った。

 レイゲンの視線にはあらゆる生命活動を停止させる絶対零度の冷たさが宿っていたからだ。

 

 従者達は戦慄しながらも頷いた。

 抗議もしない。

 レイゲンの行為は中央教会への敵対行動と捉える事もできようが、レグナム西域帝国に属する貴族としては当然の仕儀であると理解していたからだ。

 

 レイゲンはそれを確認すると、カナタへ向き直る。

 カナタはいまだショックから抜け出せないでいた。

 それはレイゲンの凶行によるショック、ではなくメイサが既に死んでいるという事実へのショックだ。

 

「カナタ。メイサと仲良くしてくれたことを感謝する。そして……いや、何でもない。メイサの遺品を形見分けさせてほしい。後でドーマと屋敷へ来てくれ」

 

 そして、の先にレイゲンは何を言おうとしていたのであろうか。

 レイゲンがあの晩、カナタへグレゴリの事を告げたのは娘を想う父としての悲哀の発露がゆえだったことは間違いないだろうが、果たして他の意図がないとは言い切れるのだろうか。

 

 ◆

 

 それからのカナタはまるで生気が抜けてしまったかのようであった。

 かといって自失のままに忘我であり続けたわけではない。

 彼は思う所が沢山あったのだ。

 

 メイサを好きになり、メイサともっと仲良くしたいから僕は頑張った

 早起きもしたし勉強もした

 メイサが病気になって、僕は彼女を治したいとおもった

 僕が頑張って薬の材料を採ってくれば彼女は治るんだとおもってた

 メイサは死んだ

 僕は頑張ったけど何も意味はなかった

 メイサは死んだ

 何をしても無駄だった

 メイサは死んだ

 

 色を失ってしまったカナタをドーマもユーカも案じたが、ただ傍に寄り添う事以外には何もできなかった。

 

 ◆

 

 それからしばらくして、カナタは何の気はなしにファラッド邸に向かう父についていった。

 精神が復調したわけではない。

 それは殆ど気まぐれのようなものであった。

 だがドーマは例え気まぐれのような曖昧な動機でも、愛する息子が再び外へ目をむけるようになったことを喜びカナタを仕事場…ファラッド邸の中庭へと連れていった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「こういうのは剪定しなきゃならないんだ。じゃないと際限なく伸びて、他の木々の成長を邪魔してしまう。コイツにとってもそれは不幸な事だ。全体の安定感が失われて、幹が歪んでしまうからな」

 

 ドーマの説明にカナタは頷いた。

 お前がやってみろ、というドーマの言葉に従い、剪定鋏を受け取って枝葉を切っていく。

 

「中々うまくやれたじゃないか」

 

 ドーマは言葉少なにカナタを褒めた。

 カナタとしても手際よく事をこなせたというちょっとした満足感を覚える。

 それはカナタの心に久しく訪れていなかった"快"の感情だ。

 

 その時、ふと何かが呼びかけているような、そんな幽けき気配をカナタは感じた。

 無意識のうちにカナタの視線はファラッド邸の二階…メイサの部屋の窓へ向けられる。

 

 当然少女が顔を出す事はない。

 しかし、視界の端に何かがちらついた気がした。

 

 その時、カナタの心で何かがぱちりと弾けたような気がした。

 

 ――ああ、もしかして

 

 

 ◆

 

 それからというもの、カナタは自身の心に"快"を齎す事を積極的にやるようになった。

 それは褒められるようなことばかりではない。

 

 時には叱られて当然の様な事までした。

 

 だがドーラもユーカも、カナタを叱る事などは出来なかったのだ。

 

 何がきっかけで再びふさぎ込んでしまうかわからなかったというのもあるし、一時は感情が欠落したかのようなカナタがたびたび笑顔を浮かべるになったことが喜ばしかったからでもあった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ああ!そうなんだ!

 楽しい事、気持ちがいい事、そういう事をしていれば僕はもしかしたらまたメイサに逢えるかもしれない

 僕が悲しんでいるとメイサも悲しんでしまって、姿を見せてくれないんだ

 だったら僕はどんどん自分を喜ばせなければいけない

 そうすればメイサに、もう一度

 

 ◆

 

 カナタは労苦を厭い、ただただ快楽を求め続けるようになった。

 その心境の変化を一言で堕落といっていいのかどうか。

 

 とはいえ、そういった楽を追い求めるというような姿勢は、どこかで手痛いしっぺ返しを食らうものだ。

 楽な道というのは往々にして地獄へとつながるものであるから。

 

 ドーマもユーカも、カナタの余りの快楽主義者ぶりが流石に看過できないとおもったのか、注意や叱責を与えはするがカナタは少しも堪えない。

 

 そんな調子で一年が経ち、二年が経ち。

 それでもカナタは相変わらずであった。

 

 不思議なのは、カナタのような生き方は後で必ずツケが回ってくるものなのだが、カナタは違った。

 カナタは危うい状況になるとなぜか彼の都合の良い方向へ事が進むのだ。

 というより、良くない状況を招く危険な選択肢に直面すると、悉く正解を選ぶ。

 ゆえにカナタが真の意味で危機に陥る事はなかった。

 

 そして三年が経ち、四年が経ち。

 カナタはサルモン荘から姿を消した。

 

 いくつかの理由がある。

 一番の理由はカナタの変貌にドーマとユーカが悲しみ、焦燥し、カナタもそれは心苦しく思っていたからだ。

 そして二番の理由は、それでもなおカナタは生き方を変える気が無かった為である。

 

 なぜなら快楽に身を浸している限り、カナタはメイサを近くに感じる事が出来るからであった。

 

 ◆

 

 カナタは自身がトチるとは思っていない。

 不運に足を取られて転倒し、怪我をするとは欠片も思ってはいない。

 なぜなら何をしても結局どうにかなるのだという自信があるからだ。

 

 まずいな、と思ったとき、必ずそれを咎める、邪魔をする"何か"が起こる。

 自身はそれに従って選択を変えていけばいい。

 そうすればなんだかんだで上手くいく。

 上手くいけば楽しくなれる。

 そうしたらまた白いアレが目の端にちらつく。

 それは素敵な事で、幸せな事だ。

 それに、もし破滅してしまって命を落としてもそれはそれでいいではないか。

 だってその時はメイサの傍に逝けるのだから。

 

 そうカナタは考えている。

 だが気づいているのだろうか?

 

 カナタが無謀な事をするたびに、楽を追い求め、目の前にぱっくり口をあけている落とし穴に目を向ける事すらしないでいるたびに、カナタに対して彼を案じるような気づかわしげな視線が向けられている事に。

 

 気づく事があるのだろうか?

 

 ◆◆◆

 

 ――さて、どちらに行こうかな

 

 カナタは周囲を見渡した。

 自身の選択が多くの人命に関わる事をカナタは知っている。

 それに対してなんら重圧を感じていないわけではない。

 魔族は怖いし、戦ったって勝てやしないだろう。

 

「あっちがいい気がします。何となくですけど」

 

 カナタが一行を先導していく。

 視界の端には白い何かがちらつく。

 ならば安全な方向とみて間違いはないだろう。

 

「う!」

 

 カナタが蹲った。

 傭兵達が気づかわしげな視線を向けてくるが、カナタにとってはいつもの事だった。

 

「あっちに行こうとしたら目に砂が飛び込んできて…よくなさそうだな。向こうにいきましょう」

 

 転進。

 魔軍が広く展開しているはずなのに、誰とも出くわさない。

 

 カナタはそれを不思議だとは思わない。

 結局最後は上手くいくのだから。

 

「ねえ、ほら、見てください…あの偉そうにしている人…団長はあの人の事を探していたんでしょう?」

 

 岩に隠れながらカナタが言う。

 

 ラドゥはカナタを呆れたような、半ば賞賛するような視線で見つめて答えた。

 

「恐らくはそうだろうな。指揮を飛ばしているのが身振りで分かる。奴を狩るぞ。それにしてもカナタ、お前は…いや、良い」

 

 ラドゥが大剣を引き抜いた。

 視線の先には、魔将。




カナタ

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借金:金貨1500枚超
趣味:風俗、飲酒、違法薬物、賭博
身長:173
体重:98
戦闘力:0.6(※)


街のチンピラが1とする


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戦場百景~ヴァラク防衛戦~魔将暗殺①

 ◆

 

 ――突撃陣形、【死香る金花】

 

 レグナム西域帝国第3軍、第3師団所属第5歩兵旅団きっての好戦的な男である副団長キルヴォイゼは右拳を握り込み、その甲部を見せつける様にして号令をかけた。

 

 所謂ガッツポーズである。

 帝国軍では威勢のいいポーズが好まれるのだ。

 

 突撃陣形【死香る金花】とは偃月陣形を指す。

 これはΛの頭頂部に配置された大将が真っ先に切り込む攻撃的な陣形だ。

 

 大将の個人的な武勇に依存した、どちらかといえば練度が低い兵をそれなりの戦力にしたてあげるものではあるのだが、突破力は頭抜けている。帝国軍で一番人気を誇る陣形だ。

 

 名前の由来は帝国の国花が香金花である事から。

 

【挿絵表示】

 

 香金花とは香金と呼ばれる香辛料に似た香りの、スカートを逆様にしたような形状の花である。

 

 帝国軍で好まれる陣形が国花の名を冠するというのは納得できる話ではある。

 

 ◆

 

 なお、この時点で旅団長ドックゲドック・ガスターマインは奮戦虚しく戦死している。

 

 故ガスターマイン旅団長は一応は守戦である事を理解しており、防御に優れた陣形を以て魔王軍の進撃を迎え撃ったのだが、結果は散々だった。

 

 魔王軍との戦闘開始と同時に敵部隊の強力な魔法攻撃により数多の兵達が薙ぎ倒され、更には混乱する兵達に向けて“犬”とよばれる四つ足の魔獣が陣内に入り込み、総崩れとなった。

 

 とはいえガスターマインの奮戦は魔王軍に相応の被害を与え、仕切りなおす事に成功したのだが。

 

 指揮を引き継いだのは副旅団長キルヴォイゼである。

 

 年の頃は30の末、堂々たる体躯、はしばみ色(黄色がかった薄茶色)の中年男性の趣味は帝国に害を為す者を殺戮する事である。

 

 その趣味の為に彼の部隊は帝国の中でも苛烈な戦闘を好み、時に味方すらも巻き込んでしまう程だ。まあ帝国軍というのは一部例外はあるにせよ、基本的には苛烈な戦闘を好むばかりなのだが。

 

 それに一応キルヴォイゼは別動隊で行う断首戦術については了解していた。

 つまり遊撃隊による指揮官暗殺の事だ。

 

 遊撃隊の動きを支援するためにも、激しい突撃機動で魔王軍の気をひく事には大きな意味がある。

 

 ◆

 キルヴォイゼの号令と共に帝国兵達が纏う鎧の各所に配置された触媒が淡青色に輝いた。

 身体能力向上の術式起動である。

 

 帝国兵は末端の者達を除いて皆この手の武装を装着している。

 

 もちろんこのようなものがなくとも身体強化は出来るのだが、そのためにはある程度意識を割き続けなければならない。

 

 この鎧はその意識のリソースを純戦闘行為にのみ振り分けられるようにエル・カーラで開発された。

 

 欠点は高額な事と、瞬発力に欠ける事である。

 

 例えば、帝国魔鎧は1の力を3の力に維持しつつ2時間の戦闘を可能とするが、自身で身体強化をすれば1の力を6の力に跳ね上げ、30分の戦闘を可能とする。

 

 どちらが良いかはケースバイケースだが、戦争のような長時間の戦闘が見込まれるケースにおいては前者のほうが良いだろう。

 

 ◆

 

颶風展鎧(フィグ・コアリフ・ライ・アムデス)

 

 キルヴォイゼが風の帝国魔導を起動すると、周辺に旋風が起こり、彼の体を取り巻いていく。

 

 そして踝の辺りに風が収束したかと思えば、キルヴォイゼは凄まじい勢いで前方…魔王軍の陣営に向けてぶっ飛んで行った。

 

 所謂突撃である。

 彼の配下達も各々魔王軍に突っ込んでいく。

 

 ところで帝国魔導とは何だろうか?

 

 ◆

 

 帝国魔導とは言ってみれば帝国式魔術とも言うべき新しい術体系である。

 

 しかしこれは帝国領内、しかも周囲に帝国軍に属する者が多く存在する場合にしか使用出来ない。

 

 世界には様々な術体系が存在する。

 

 例えば協会式魔術。

 例えば法術。

 例えば連盟式魔術。

 

 それぞれの術体系にはそれぞれの強みや弱みがあり、術界隈の日進月歩は著しい。

 

 そんな中、帝国式魔術…帝国魔導は非常に新しい術体系で、即応性や柔軟性を追及して開発された。

 

 例えば協会式魔術ならば火球を投射する為には、現象を導くための詠唱を必要とする。

 多少文句が違っても術は起動するが、ともかくも詠唱しなければ始まらない。

 

 なぜならば世界中でそう認識されているからである。

 

 対して、帝国魔導は起動の鍵となる文言を一語に集約させた。つまり、火球を出すならば「火球」の一語だけで事足りるのだ。

 

 しかも語と語を組み合わせる事により、個人で新たな術を生み出す事も可能…と非常に画期的なのだが…現状、帝国魔導には大きな欠陥がある。

 

 帝国の、しかも軍という狭い世界でしか通用しない共通認識である為、帝国領外では使用出来ないという事。

 

 そして軍用に開発されてしまった為に、個人使用が出来ない事。

 

 更に、消耗が大きすぎるため求められる触媒の質、量が協会式のそれなどとは比べ物にならないという事。

 

 とはいえ、コストが馬鹿にならなくとも使い続けなければ定着しないために仕方がない。

 

 ◆

 

「おお、帝国軍もやるもんだなぁ…」

 

 ラドゥ率いる別働隊の傭兵が呟いた。

 キルヴォイゼの突撃を目の当たりにしたのだ。

 

「なにがだよ。突っ込んで自殺するなんて犬でも出来るぜ」

 

 別の1人が吐き捨てる。

 

「まあまあ。それよりも…いくんですかい?」

 

 更に別の1人がラドゥへ問いかけた。

 

 ラドゥは無言で頷き、低く腰を落とす。

 魔将らしき戦士は背を向けていていかにも隙だらけだ。

 

 身振り手振りで指揮を執り、キルヴォイゼの突撃に気を取られている様子である。

 

「行くぞ」

 

 ラドゥが呟き、駆け出した。

 

 全身鎧の異形の戦士の背に、ラドゥが滑るような高速移動で肉薄していく。

 

 ラドゥは大剣を腰に構え、胴体を横断するように剣を振るった。

 

 右翼、左翼には既に傭兵達が展開しており、これはラドゥと魔将の接敵後の横槍を防ぐ為の備えだ。

 

 ラドゥが剣を横断させたその次瞬、背後から青年が無言でラドゥの背に足を駆け、高く飛び上がる。

 

 

【挿絵表示】

 

 青年の名はフルヤ。

 他傭兵団の剣士だ。

 当然ながら業前に優れる。

 巻いた金髪に猫のようなくりくりした褐色の瞳。

 女性に見られる事もあるが紛れもなく男性だ。

 ナニもでかい。

 

 憂いのある風情は女性からは人気だが、フルヤが好いているのは自身が所属する傭兵団の団長、オリバスであるために女性には目もくれない。

 

 なお、そのオリバスは左翼に展開している。

 殺しの実力ではいえばフルヤは既にオリバスを凌駕していた。

 

 ともあれ上下二段構えの同時攻撃だ。

 対応するのは難しいだろう。

 

 ◆

 

 背の、肩甲を突き破って2本の腕が飛び出してきた。ただの腕ではない。

 刃腕だ。

 腕の形状をした巨大な刃物である。

 

 魔王軍の“指”の1人、下魔将カイラルディは四腕の魔剣士であった。

 とはいえ武器は己の手足である。

 

 彼は自身の四腕を剣槍と化し、それを縦横無尽に振るうのだ。

 腕は伸縮性に富み、さらに強靭。

 

 同じ太さの鋼鉄の鞭よりも更に強靭で、並の剣士ならば全力で剣を振るった所で引っかき傷を付けるのが精一杯だろう。

 

 カイラルディは上空からの切り下ろし、地上からの横撃をそれぞれの腕で受け止めた。

 

 着地寸前のフルヤは舌打ちし、強烈な蹴りをカイラルディの腕に見舞ってその反動で距離を取る。

 

 次瞬、フルヤが着地するはずであった場所を別の刃腕が薙いだ。

 

 ――視界が広い。もしくは眼に頼ってはいないのか

 

 その様子を見たフルヤは、カイラルディの反応の良さに思案の食指を伸ばす。

 

 ラドゥにも同様に別の刃腕が伸びてくるが、ラドゥは即座に大剣を握る両腕に万力を込め、そのまま肘鉄を自身の膝に向けて叩き落した。

 同時にラドゥの膝が上方へ跳ね上げられ、刃腕は肘と膝に挟まれ威力を殺される。

 

 本来は蹴りなどに対し使われるべき技であって、断じて大剣サイズの刃物に使っていい技ではないが、旧オルド騎士の身体能力がこれを可能とした。

 

 ◆

 

 カイラルディが振り返る。

 ラドゥとフルヤを睨め付けるように視線をくれると、四腕を威嚇するように大きく広げ…さらにその一本一本が二本に分かれた。

 

 八腕だ。



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帝国へ⑦

 ◆

 

「ベルンは初めて来たんだけど素敵な街並みだね」

 

「ですよね!先帝陛下の代はもう少し殺伐としてたんですけど、サチコ帝の代になってから街並がガラッとかわったらしいんですよ~っ。ねえ、それよりヨハンさんとの事聞かせてくださいよ~っ」

 

「えぇ…でもやっぱり少し恥ずかしいし…」

 

 ヨルシカとマイアはそれなりに馬が合ったようで、先ほどから談笑が弾んでいるようだ。

 2人が先頭を歩き、その後ろでヨハンとロイが肩を並べて男トークをしている。

 

 4人はこれからロイの実家へ行くのだ。

 

「それにしても君が恋人をつくるとは思わなかった。しかも随分綺麗な人じゃないか…おい、まさか洗脳なんてしていないだろうな?」

 

 ロイの表情が笑顔からまるで邪教徒を見つけた聖騎士の様なものへと変わる。そんなロイをヨハンは路上に吐き捨てられた吐瀉物を見るような目で見つめた。

 

「ロイ、君は俺を何だと思ってるんだ?それより君の兄がロナンから帰ってきてるんだって?レナード・キュンメルの名は俺でも知っている。君と違って真人間なんだろう?」

 

 ロイはキュンメル子爵家の三男だ。

 次男はこの世になく、家督は長兄であるレナードが継ぐ事になっている。

 

 金髪碧眼、怜悧な顔つきをしたレナード・キュンメルはレグナム西域帝国が誇る帝国魔術師団の優秀な団員であり、魔導協会所属2等術師でもある。

 

「ああ、ロナン王国では結構な大立ち回りをしたらしい。莫迦王子が姦婦にそそのかされて婚約破棄をしようとした所、兄上が乱入して道理をとくとくと説いた所、場は収まった…のだとか。ロナン国王から感謝状が届いたそうだよ。というか真人間ってどういう事だ。僕は正道に悖る行いをした事など一度もないぞっ」

 

 ヨハンはうんうんと頷いた。

 術師たるもの、言葉をもって相手を諭すというのは正しい姿であるからだ。

 それは兎も角…

 

「俺は当日の予定をころころ変えるリーダーが真人間だと認めたくない。当時の君に比べたら、ほら、そこの…」

 

 ヨハンが地面を指差す。

 指の先には小石があった。

 

「石?あれがどうしたんだ?」

 

「あの石のほうがまだ人間性に優れていた」

 

 ロイは絶句してヨハンを見つめるが、ヨハンの表情は至極真面目だ。

 

「小石に負ける人間性だったのか…」

 

 項垂れるロイの肩をヨハンがぽんと叩いた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 やがて一行はキュンメル邸の前にたどり着いた。

 

「あれがキュンメル邸か。立派だね」

 

 ヨルシカが屋敷を見上げて呟く。

 

「派手すぎない重厚な造り。しかし無骨というわけではなく貴族の権威を十全に誇示している。これだけとってもキュンメル家が尚武の家である事が分かる。俺は建築作法には詳しくない。しかしそんな俺でもキュンメル家の気風が分かる。であるのに、なぜロイのような女好きが…」

 

 ヨハンが失礼な事を言うとロイは“俺が好きなのはマイアだけだ”などと言うので、マイアがはしゃいでしまい、ヨルシカに絡み…

 

「門の前で話してないで屋敷に入ってきたらどうです?」

 

 雲ひとつない青空に撃ち込む一矢を思わせる声が響いて4人は黙り込む。

 

「兄上!」

 

 ロイが気色の滲んだ声をあげる。

 

「やあ、ロイ。お帰り。マイア嬢も。そしてご友人の方々も。キュンメル家嫡男、レナード・キュンメルです。お見知り置きを」

 

 一礼する青年こそがロイの兄、レナードであった。

 

 ◆

 

「帝都は今相当に殺気だっているよ。帝国元帥が何名か帝都入りしている。軍編成が急速に行われているんだ。ゲルラッハ殿も軍に全面協力の態勢で、今は西域の帝国領土各地に師団だの旅団だのを送りこんでいる。人魔大戦の経験は過去3度あるからね、今回のような有事の際にも編成、出撃の流れはある程度円滑に行われている」

 

 キュンメルが紅茶を飲みながら説明をする。

 

「父上と母上はどうされたのです?」

 

 ロイの質問にレナードは短く答えた。

 

「王城に出向いている。二人とも高級将校だからね。今帝国は戦力を帝都に集中している。これはいずれかならず帝都にも魔王軍の侵攻が行われるからだ。しかし転移からの奇襲をされる事はない。なぜなら帝都は意図的に地脈を避けているからだ。これは過去の人魔大戦の教訓だね、転移門は地脈の近い場所に開く。しかし奇襲はないが侵攻はある。しかも大規模な侵攻が。それを率いるのは魔族でも上位の存在だろう。帝都はそれを迎撃する。しかし話は終りではない…が、それは今ここで言う事ではないな」

 

 レナードはそれから続く言葉を飲み込んだ。

 彼も不安だったのだ。

 戦争の行く末に。

 ゆえに少し話しすぎた。

 

 レナードは帝国宰相ゲルラッハの弟子であるために、今後の帝国の動きをある程度了解している。成功すれば問題は何も解決するだろう、しかし危険もすこぶるつきだ。

 

 レナードは帝国軍参謀部が発案した計画に疑念を抱かざるを得ない。

 

 果ての大陸が海の向こうにあるからといって無茶苦茶ではないか?いやでも先代勇者などは船でむりくり渡ったというし、案外アリなのではないか?などと考えるレナードだが、その表情は見事に内心を全く反映せず、ロイとマイア、ヨルシカなどは堂々としたレナードの言にある種の自信を感じさえしていた。

 

(東域はアリクス王国に誕生したという勇者、そして勇者に付き従う英雄達と協働し、転移門を利用して果ての大陸へ逆撃を仕掛ける。果ての大陸の戦力を可能な限り“こちら”へひきつけ作戦の成功率を高める必要がある。目指すは…)

 

 ――魔王暗殺




この話の後にレナードのサイドストーリーを投稿します。
掘り下げってわけじゃないですけど…


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ロナン一幕~イマドキのサバサバ冒険者スピンオフ~

☆この回は前話、帝国へ⑦に登場したロイの兄、レナード・キュンメルについての小話です。帝国へ⑦と続いて2話更新…2/7で言うなら3話更新されていますので目次を確認してください☆

なお、改行なしで字をぎっちぎちに詰め込んでいるので凄い読みにくいとおもいます。
故意です。


☆この回は前話、帝国へ⑦に登場したロイの兄、レナード・キュンメルについての小話です。挿絵などは近況ノートに載せます。帝国へ⑦と続いて2話更新…2/7で言うなら3話更新されていますので目次を確認してください☆

 

 

 ここはロナン王国。

 この西域の覇者たるレグナム西域帝国の、いわゆる属国である。

 

 領土拡張主義を取るレグナム西域帝国は現在でこそその貪食振りを抑えてはいるものの、先代皇帝であるソウイチロウ帝の代にはそれはそれは強硬であったという。

 

 ロナンもその頃に征服され、当代皇帝サチコの代に至るまでずっとレグナム西域帝国の属国に甘んじている。

 

 そのロナン王国のロナン王立学園で事件は起こった。王太子エーリヒの婚約者、フレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢が卒業パーティという公的な場所で謂れ無き婚約破棄を受けようとしていたのだ。

 

 ◆

 

「フレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢!貴様との婚約を破「そこまでです、エーリヒ王太子」…な、貴様!」

 

 こともあろうに学園の卒業記念パーティで婚約破棄をしようとした王太子エーリヒを制止した者が居た。

 

【挿絵表示】

 

 レナード・キュンメル。

 魔導協会所属の2等術師にして帝国貴族でもある。帝国宰相ゲルラッハを師と仰ぐ練達の術師だ。

 

 彼はレグナム西域帝国が誇る魔導都市エル・カーラにあるエル・カーラ魔導学院の教師であるのだが、政治的理由によりロナン王国へ出向していた。貴族が教師かと思う者もいるかもしれないが、これは珍しくはない。

 

 というより帝国において術という神秘の力を扱えるものは皆ほとんどが公的な地位を得ている。

 

 ロナン王国には貴族と平民が共に通う学院があり、レナードはその学院の臨時教員として働いていた。

 

 建設当時は平民と貴族を一緒にするなという声があったのだが、平民の暮らし、平民の考え方を全く知らない貴族などというものがどんなものかは説明するに及ばないであろう。

 

 そんなレナードは王立学院で優れた教師振りを見せて、同僚達や生徒たちから尊敬されていた。

 彼が帝国から出向してきたという点も加点の一因である。

 

 ロナンは帝国の属国ではあるが、国として決してロナンを蔑む事はなく、インフラ設備や凶作時の食料支援、ともかくも色々と帝国がロナンに手をかけてきている事はロナン王国の民は皆知っているため、ロナンの対帝国感情は良好だ。

 

 学園の教師である彼は無表情のまま歩み出てきて、フレデリカを庇うように彼女の前に立ちはだかった。

 

 これはこれで不敬なのだが、そもそもロナンの王族などレナードにとっては物の数ではなかった。大体彼は西域最大版図を誇る帝国の臣民なのだ。あくまで仕事で出向してきているに過ぎない。

 

 であるのに、なぜロナンの貴族同士の揉め事に首を突っ込むかといえば、この件がこじれにこじれ、ザクセン公爵令嬢がなんらかの処罰なりをされてしまえばそれは必ず帝国へ報告される。

 つまりサチコ帝に知られてしまうという事だ。

 

(それは不味い)

 

 サチコ帝の即位にあたってはかなりの血が流れた。それは魔族の陰謀、魔族に踊らされた愚かな人間達が招いた惨劇だ。

 

 帝国宰相にして魔導協会一等術師『死疫の』ゲルラッハが一等術師の一等術師たる所以を見せ、サチコ帝は生きながらえ帝位に就いたが、その一連の出来事は幼いサチコに“理不尽”な事への極めて強い拒絶意識を植え付ける事になる。

 

 そういった事情もあって、今回の件…即ち、理不尽なる結婚破棄からの処罰がサチコ帝へ何かしらの衝撃を与えやしないか。

 

 レナードは上級貴族の癖に俯いたままで下位の者に言われるがままのフレデリカの事が好きではなかったが、ただただとある事情ゆえにエーリヒの愚行を止めた。

 

 レナード・キュンメル子爵はレグナム西域帝国が誇る帝国魔術師団の優秀な団員にして、重度の少女性愛者…と言うわけではない。

 

 今年27歳となるレナードはむしろ年上が好きであった。しかし、サチコ帝がぽろぽろりと涙を零す所を想像してしまうともう駄目である。

 心臓を握り潰されそうなほどの心痛を覚えてしまう。主君の為ならば世界を敵に回してもいいとすら思えてしまう。

 

 レナードはそれがサチコ帝の“術”である事を知っている。知ってはいるのだが、忠誠の炎に身をくべる事のなんと心地よい事か!

 

 そう、サチコの、レグナム西域帝国皇帝、『愛廟帝』サチコには固有の術がある。

 それはある一定以上サチコへ好意を持つ帝国臣民に忠誠という名の鎖をくくりつける術だ。

 常時起動のその術の触媒は帝国臣民の国を思う愛国心である。

 

 愛国心は忠誠の炎を燃やす燃料となり、忠炎に焼かれた帝国臣民は更なる愛国心を生産するのだ。サチコに対しての敬意、敬愛というものが欠片もない者には効果を及ぼさないが、精神汚染、洗脳系の術式としては古今東西を見渡しても有数に強力な術である。

 

 ゆえに帝国に、ひいてはサチコに害を及ぼす者があらわれたならば、帝国臣民は狂戦士と化して外敵に襲い掛かるであろう。

 

「エーリヒ王太子。まず、貴殿がその横にいるビルギット男爵令嬢と乳繰り合っているのは宜しい。次期国王である貴方が側妃候補と親しくする事自体は不思議ではない。ですがザクセン公爵令嬢を排除しようとは何事でしょう。いいや、言わないでも宜しい。調べはあがっております。そこの姦婦…ではなく、ビルギット男爵令嬢は要するに正妃になりたいのでしょう。その為にはザクセン公爵令嬢が邪魔であった、と。ビルギット男爵令嬢とその取り巻きが下らぬ謀略を巡らせていた事は私も知っております」

 

 レナードの言葉にビルギット男爵令嬢レイラは瞬時に顔色を朱に染め、反論する。

 

「そんな事はありませ「黙れ女。話の途中だ。私は貴様等の為ではなく、レグナム西域帝国皇帝たるサチコ陛下の御心を慮りこの件について説明しているのだ。貴様のくだらない虚栄心を満たす為の謀略でそこのザクセン公爵令嬢に処罰なりが下ればどうなるか。属国の上級貴族と王族の婚姻が破棄されるというのは重大な報せだからな。帝国へも報告がいくだろう。正当な理由あってのものならばいいが、今回はそうではない。調べはついている。そうなればサチコ陛下が心を痛めてしまうではないか。貴様は敵か?レグナム西域帝国に仇を為す者か。サチコ陛下のお心を害そうと企むつもりならば殺す。黙るか死ぬか選べ。私は今ロナン王立学園の魔術講師ではなく、レグナム西域帝国貴族として話している。今決めろ。黙るか死ぬか。さあ」……黙ります」

 

 ビルギットが顔色を蒼白にして答え、そして黙り込んだ。

 

「失礼…ともかくも、だからこそある事ない事冤罪をぶちあげてザクセン公爵令嬢を失脚させようとしたのでしょう。色でエーリヒ王太子を誑し込み、雑な証拠をもってザクセン公爵令嬢への偏見の種を埋め込んだのでしょうね。まあそれは構いません。肉体もまた女の武器でしょうからね。私が見るに随分ナマクラな切れ味の武器にしか見えませんが、ああ、失礼、とにかく稚拙な策を巡らしたわけです。ですがね、私が知っているくらいなのですよ?…何をって、真相をです。ロナン王が手の者を学園に潜ませていないわけがないでしょう。恐らくはザクセン公爵令嬢が無実である事くらいは把握されていますよ。ビルギット男爵令嬢がエーリヒ王太子のみならず、宰相の令息や騎士団長の令息に股を開いている事も知られているとみて宜しい。結句、何が待っているかといえば破滅です。勿論ザクセン公爵令嬢ではなく、エーリヒ王太子とビルギット男爵令嬢、そしてその擁護者の破滅です。大体、ザクセン公爵令嬢とエーリヒ王太子の婚約は、ザクセン公爵家と王家のいわゆる政略結婚ですよ。王家は金がない。ですが公爵家は金がある、そういうことです。ザクセン公爵家は新興ですから権威がありません。王家との繋がりは欲しいですからね、逆に王家は金がなくとも名誉はある。ビルギット男爵令嬢は雑な姦計を弄しましたね。王族をたぶらかし、上級貴族へ謂れ無き瑕疵を与えるというのは死罪もやむを得ないのではないですか。王家の影よ、その辺に隠れているのでしょう。もうバレているので出てきてください。で、その辺はどうなのです。…ふむふむ、是であると。なるほど、ビルギット男爵令嬢、貴方は死罪だとの事です。衛兵さん、彼女を拘束してください。抵抗する様なら2,3発殴りつければいいでしょう。どの道すぐ首だけになります。で、どうするのです、エーリヒ王太子。貴方は真実の愛とやらに殉じるのですか。それともザクセン公爵令嬢に謝罪して許しを乞いますか。それ以外の選択肢を取ろうとするなら腕の1本は覚悟してもらいます。…ふむ、謝罪すると?それがよろしいでしょうね。では一件落着です。ああ!サチコ陛下!ご照覧あれい!このレナードはやり遂げましたぞ!属国の屑が巡らせた姦計を見抜き!屑に乗せられた阿呆を改心させ!上級貴族という立場であるにも関わらず下位貴族に好き放題され俯くしかできないガキの立場を護り通しました!サチコ帝万歳!レグナム西域帝国に栄光あれ!」

 

 かくしてフレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢の立場は護られた。

 王太子エーリヒは彼女に深々と謝罪し、彼女はそれを許し、姦婦は処刑された。

 

 実はフレデリカは当初、彼女を護ろうとその前に立ちはだかったレナードに少し胸をときめかせたのだが、それから続くレナードの狂態にドン引きしてしまい、100年の恋も一瞬で冷めたのだった。




フレデリカ

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ビルギット男爵令嬢

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戦場百景~ヴァラク防衛戦~魔将暗殺(完)

 ◆

 

「う、うおおお!」

 

 ガストンが絶叫しながら跳びかかってきた犬らしきモノからの噛み付きを避ける。

 

 顔の横でガチンと歯がかみ合わされる音がして、ガストンは最早生きてる心地がしなかった。

 

 ただの野犬程度ならばガストンにとって物の数ではないが、彼を、いや、右翼に展開した彼等を取り囲む犬に似た何かは断じて野犬ではない。

 

 というより犬との共通点など四つ足である部分以外には存在しない。

 

 胴体には眼球がいくつもあり、開いたアギトから覗く口内には鋭い鍵爪のような歯が生えている。

 

 皮膚はなめした革のようであり、弾力性に富み、短刀程度では刃が通らない。だがまあこれは余り意味がない性質だろう。

 

 なぜなら胴体に目がいくつもついているのだから、そこを狙えば良い。

 

(でもよう、これがまた難しいんだよなァ)

 

 “犬”の胴体の目はぎょろぎょろと周囲を見回しており、広い視界を確保している。

 これが為に迂闊な攻撃は全てかわされてしまうし、隙をさらしてがぶりとやられてしまったら、ミキサー状の口内でたちまち挽き肉にされてしまうだろう。

 

「ガストン、あんた私に負けて犬にも負けたらもう冒険者やめなさいよ、ね!」

 

 ガストンの背後から迫ってきていた“犬”だったが、リズが姿勢を低くしながら突進し、短刀を数本投擲して奇襲を妨害した。

 

 “犬”はまるで訓練された曲芸犬のように短刀をかわすが、態勢が崩れ、そこをガストンが組み付いて目の1つに得物を付きこんでグリグリとねじこむ。

 

「「セシル!」」

 

 ガストンとリズの叫びが重なり、それに応じるようにリズが飛び込み、大上段からの切り落としで“犬”の首を落とした。

 

 力を溜め、確かな太刀筋で剣を切れば“犬”を殺す事は出来る。

 問題はそれを当てられるかどうかなのだが、そこは斥候の二人が撹乱、牽制し隙を作るのだ。

 

「やったぁ」

 

 リズが表情をほころばせ、ガストンもこの時は余計なチャチャを入れる事はない。

 

 仲間同士、難敵相手に見事な連携だったとやや感動すらしている。

 普段喧嘩ばかりしているリズにいたっては、ガストンの背後を護ってくれさえしたじゃないか。

 

(もしかしてリズの奴、俺の事が好きだったりするのか?)

 

 ガストンは先ほどの組み付きはリズの目にどう映ったのかにわかに気になってしまった。

 

 あんな不気味なバケモノに組み付き、勇敢に短刀を突き立てたというのは控えめに見ても格好良かったのではないだろうか。

 

 モテない男の哀れな妄想だ。

 

 そんなガストンの妄想を他所に、セシルは流石にリーダーの自覚があるのか、さあ次よ、と中軍を邪魔しそうな個体を探そうと周囲を見渡す。

 

 ・

 ・

 ・

 

「グラゴアアァァアアア!!」

 

 雄たけびと共に丸太のような脚で“犬”を蹴り飛ばし、両の手に握った片手斧を振り回し、血と殺戮の旋風が吹き荒れる。

 

 “犬”はぎゃんぎゃんと啼き喚き、“犬”のみならず“尖兵”と呼ばれる種々雑多な、思い思いの武装を身につけている兵士達も肢体の一部を切り離されたりしているではないか。

 

 左翼に展開するオリバスが暴れているのだ。

 セシル達が3人がかりでやっとこさ仕留めた“犬”を数匹纏めて切り刻む様は凄まじい。

 

 傭兵団、『オリバス陸戦団』の団長であるオリバスは容貌魁偉な男で、特筆すべきは全身を覆う濃い体毛だ。魔力を流す事で硬質化し、生半可な刃物ならば弾いてしまう。

 

 彼がこの別働隊に帯同したのは両傭兵団に交流があったからであるが、オリバスとラドゥ自体は別に親しいというわけではない。

 

 ラドゥ傭兵団の前副団長であるダッカドッカとオリバスが親しかったのだ。

 両者は喧嘩仲間であり、勝敗数は拮抗していた。

 

 ダッカドッカの死亡が判明したときには荒れに荒れ、ラドゥの指揮に問題があったからだと殴りこみにいく寸前であったが、そこを宥めて酒につきあって抗争を防いだのがフルヤである。

 

 オリバスとフルヤは一晩中吞み明かし、翌朝、気付いた時には男男の関係となっていた。

 

 冷静さを取り戻したオリバスはラドゥとも腹を割って語り合い、そして涙目のオリバスが繰り出した右ストレートをラドゥが頬に受け、それで両団の蟠りは完全に解れたという次第である。

 

 ◆

 

「…左翼は大丈夫そうだな…というかあのおっさんやばいな。団長より強そうだぜ」

 

「ぺっ!」

 あまりの妄言にリズが唾棄した。

 

 唾棄は正しくガストンの足に吐き捨てられ、ガストンは先ほどまで抱いていた“リズはもしかしたら自分の事が好きなのかもしれない”などという妄想を振り捨て現実へかえる事が出来た。

 

「おじさまより強いわけないじゃん!っていうか見て!あいつ絶対やばいよ!腕!腕!」

 

 ガストンとセシルがリズの指さす方向をみると、魔将が刃腕を広げラドゥとフルヤにむけて縦横無尽に斬りかかっている所であった。

 

 ◆

 

 まるで剣の雨だななどと思いつつ、ラドゥは上方から連続して繰り出される刺突を時には剣で弾き、時には半身になりと避けていた。

 

 全てが全て無傷でかわせるわけではなく、ラドゥの体にはそこかしこに小さい傷が刻まれている。

 

 ちらりとフルヤのほうを見るが、こちらはラドゥとは違って無傷のようだ。

 

 これは両者の技量の差というよりは、どこまでダメージを許容しているかの違いに過ぎない。

 ラドゥは小さい傷ならば許容し、その許容分反撃を多く加えている。

 

 フルヤはラドゥほどにはタフではないゆえに、ただの一撃すらも受けない心算でいるようだ。

 反撃の手は出しているが、ラドゥほどの手数はない。

 

 魔将の腕はそこかしこが傷ついており、これらはラドゥとフルヤが与えたものであった。

 

 だが、ラドゥもフルヤも刃腕の間断ない攻撃の前に本体へ近付く事が出来ず、戦況はまだ危険な緊張感を孕んでいる。

 

 だがフルヤは舞うように刃腕をかわしつつも、その目つきは妖しく、何かをしでかしそうな凄みを放っている。

 

(なんとも頼りがいがある事だ)

 

 そんなフルヤの姿にラドゥはレイアの事を思い出す。勿論ジョシュアの事も。

 

(この連撃。レイアならば無傷で全てかわしきるだろう。ジョシュアならば剛剣で腕ごと叩き切るはずだ。そしてカジャであるならば……)

 

 ぴゅう、と可も無く不可もない短刀が魔将の首を狙って飛んできて、当然の如く首元を覆う装甲に弾かれた。

 

 ラドゥが一瞬短刀が放られた方向へ目を遣ると、紫がかった黒髪の少女と目が合った。

 リズだ。

 

「おじさまぁ!今です!」

 

 魔将の注意がほんの僅かに逸れた。

 

 極めて短い、瞬きの100の1程度の刹那に満たない一瞬だ。カジャとは比べ物にならない、未熟極まるリズのようなメスガキではその程度の時間を作る事が精一杯だろう。

 

 短すぎてラドゥでも流石に付け入る事が出来ない間隙。いや、老いたラドゥでは、と訂正すべきだろう。全盛期のラドゥなら容易い事だったはずだ。

 

(老いか)

 

 舌打ちの時間も惜しいとばかりにラドゥが走り出す。そして少し目を見開いた。

 

 既にフルヤが走りこんでいたからだ。

 猫のようにしなやかで、密やかな疾走。

 全身から殺気を放射し、それゆえに魔将の注意がフルヤに向いた。

 業前に優れた者ほどに殺気に釣られる。

 それを知悉したフルヤの姦計であった。

 

 フルヤと目が合う。

 行け、と言われているような心地がしたラドゥは不快感の無い苛立ちという不可解な感情を覚えた。

 

(小僧が、段取りしてやったとでも言う積もりか)

 

 若いものにはまだ負けん、とラドゥは往時の気迫を大剣に込め、一息に振り切った。

 

 ◆

 

 魔将カイラルディは殺気の往復ビンタを受けたようなものである。フルヤに意識を引っ張られ、ついでラドゥが放つそれに意識をかき乱される。

 

 だが一瞬で危険度の濃淡を見極めるあたり、カイラルディの練達は並々ならぬものであったに違いない。

 

 カイラルディはフルヤを放置し、“引き戻し”が間に合う刃腕、その数3本でもってラドゥの切り下ろしを防ごうとした。

 

 ギャリリリ、という金属音。

 何でも切断できるノコギリがあったとして、それで鉄柱を切断しようとしたらこのような音が出るかもしれない。

 少なくとも、剣と剣がぶつかり合ってこのような音を立てる事はない。

 

 凄まじい不協和音はラドゥの超振動を伴う必殺の一撃と、魔将の刃腕が鬩ぎ合う事で発生していた。

 

 だがその拮抗は長く持たない。

 ラドゥの大剣がカイラルディの刃腕3本を纏めて砕く。

 

 そして、そのまま胴体を袈裟に斬り捨てた。

 同時に強い疲労感を腕に覚え、ラドゥは思わず剣を取り落としてしまった。

 

「年か、糞ッ」

 

 魔将を殺したにも関わらず、ラドゥの表情は険しい。老いが自身を着実に、そして素早く衰えさせている事を実感させてくれる一戦であったからだ。引退、の二文字が頭をちらつく。

 

「だだだんちょう!お疲れ様です、さあ戻りましょう!もういいですよね?」

 

 しかしドタドタと走りよってくるカナタをみて、ラドゥは引退の二文字を頭から消した。

 

 特異な能力に頼りきってるだけの駄豚を、少しでも更生させてやるのが年寄りの務めだと理解したからだ。

 

「まだだ!次はあそこにいる奴を狩る!なに、今の奴よりはマシな相手だ。さぁカナタ、先導しろ!急いでこの場を離れるぞ!」

 

 ラドゥの叫びはカナタの意気地をこれ以上ないほどに粉砕し、カナタはこいつらはもうだめそうだから見捨てて逃げようと背を向けて走り出した。

 

 しかし2歩も走らないうちに転倒する。

 カナタの運動神経は絶望的だが、それでも不自然さが際立つ転び方だった。

 まるで何かに足を急に掴まれたかのような…

 

(む…?白い手がカナタの足首を掴んだような…きのせいか?)

 

 ラドゥは目を擦るが何も見えない。

 

(やはり年か…目にまで来るとは)

 

 ため息をつきながら、カナタを逃すわけにはいかないと捕まえにいくラドゥだが、不思議な事にカナタはぶすっとした表情で大人しくその場に留まっていた。

 

「どうした?逃げないのか?」

 

 ラドゥの質問にカナタは唇を尖らせて答える。

 

「なんか…1人で逃げたら死ぬかもしれないので…ついていきます」

 

 カナタの返事にラドゥは頷き、“ついていくのではなくお前が先に行くのだ”とカナタの尻を叩いて先導させた。

 

 

 ◆

 

 ラドゥ達別働隊はそれからも指揮官級の魔族を見つけるなり狩り殺していった。

 

 カナタが導き、ラドゥ達が戦い、退路もカナタに任せる…そんな幼児でも考え付くような戦術だが、これが不思議とうまくいってしまった。

 

 帝国軍の働きがラドゥ達の一助となったから、という面もあるだろう。

 

 帝国軍が押されに押されていたのは、指揮するものが的確に防御配置をしていたからという理由もある。

 

 悲しい事に少なくともこの戦場において人と魔のどちらの平均知能指数が高いかといえば、これは後者に天秤が振れるのだ。

 

 ただでさえ肉体性能で負けているのに、作戦まで負けていてはどうしようもない。

 

 しかし別働隊が魔王軍の頭脳となりうる者を狩っていったことで、平均知能の差は拮抗し、帝国軍もそれなりに抵抗が成立しつつあった。

 

 結句、魔将はこの戦場にカイラルディを含めて3名が派遣されていたが、戦況不利とみた残り2人の魔将は軍を退くに至る。

 

 一先ずヴァラク陥落は防ぎ得たとみていいだろう。

 

 当然再侵攻はありうるが、その頃には援軍が到着しているはずである。

 

 



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戦場百景④~マリーの秘策~

 ◆

 

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 白髪の女魔将ギマはエル・カーラ大結界が悲鳴をあげているのを感じ取っていた。

 目と口元が弧を描き、ギマの瞳に嗜虐の波が揺れる。

 

 ――長くは持ちませぬなァ?どうされますか、劣等の皆様…

 

 エル・カーラの周囲には既に尖兵が半包囲の態勢にあり、思い思いに魔法をぶつけたり、知能が低いものは大結界に挑みかかりその身を爆散させたりしている。

 

 尖兵とは何か。

 

 これは魔族に与する魔獣や亜人種、もしくは人間種の裏切り者を指す。

 

 いずれも果ての大陸の瘴気の為に異形へと変じてしまっており、多くの場合、個体性能では元の姿のそれを凌駕する。

 

 なぜ亜人などが魔族に与するのかという話だが、人類社会に根強い異形への忌避感があるためだ。

 しかしこれは仕方ないことでもあるだろう。

 

 何度も何度も何度も人魔大戦などという戦争が起きていては、異形への敵意が醸成されてしまうのも当然と言える。

 

 人間種の裏切り者達も同様だ。

 彼等の多くは肉体かその経歴に非常に大きな瑕疵があり、人間社会で暮らしていく事が出来ない者達がばかりだ。

 

 魔族は実力史上主義社会で、ある意味人間社会よりも過酷ではあるが、手柄を立てれば魔王より褒美を賜り、より強靭な肉体を得る事ができる。

 

 魔族社会は強さこそが正義というような部分がある。まあそれは人間社会も余り変わらないのだが、人間社会は魔族社会のそれよりはまだもう少しマイルドなものだ。

 

 ◆

 

 エル・カーラの東西南北。

 

 この内、東は大湖に面しており、北は山脈が背にある。

 

 魔軍といえども泳いで攻めかかるというのは手間であろう。そして北の山脈には地竜デルミッドがいる。これはこれで人類に友好的な存在かといえば疑問だが。

 

 ゆえにエル・カーラの防衛を考えるならば南と西に防衛隊を配置すれば良いという事になる。

 

「南へは私が行こう。ジーナ、あとは君が割り振ってくれたまえ」

 

 ギオルギはそういい残し、深い瞑想に入ってしまった。彼がジーナを傍に置くのは、ジーナの才能がどうこうという訳ではなく、何かと便利に頼めて、頼んだ事を概ね上手くこなしてくれるからである。

 

 それにギオルギは老いに加えて、体を病んでいる。本来なら戦場に出ても良い状態ではない。

 雑事というのはそれだけで神経を使うため、ジーナの存在はギオルギにとってかけがえの無いものとなっていた。主に道具として。

 

 ちなみに、ジーナの事情だが…若い身空で三等術師というのは才能がなければなれない身分でもあるが、ここ最近のジーナは“私って都合のいい女なのかも”と思い悩むようになってきた。

 

 とはいえ、ギオルギはしっかりお手当てをくれるし、もう30年彼が若かったら結婚してやってもいいのになぁくらいには整った顔立ちであったので否やはない。

 

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 魔導協会3等術師ジーナはいつものようにハイハイと頷きながら、んん?っと疑問が湧いてきて、ハッと気付いた。

 

(もしかして私、沢山の人の命に関わる重大な事を丸投げされたんでしょうか…っ!)

 

 ひええっと慌てふためいた女性術師はドタドタとその場を去っていく。

 別に逃げたわけではなく、仕事をしにいったのだ。

 

 ◆

 

「これだけあれば十分ね!」

 

 マリーがグッと手の甲をむけ、握りこぶしを作った。これはレグナム西域帝国で広く使われるジェスチャーだ。

 

 意味は多種多様にわたり、大体どんな場面でも使われる。

 

 軍では進軍だとか陣形構築だとか、その手の号令に使われ、民間ならありがとうだとかよくやったとか、とにかく前向きな意味で使われる場合が多い。

 

 その時、大講堂のドアが開け放たれて1人の講師がやってきた。

 

 中年然とした男性講師で、魔術歴史学を教える3等術師ナベッチだ。顔の半分が焼け爛れているが、これは戦傷…古傷らしいと生徒達は聞いていた。

 

 ナベッチは大講堂中からの視線にやや怯み、そして深刻な顔をしながら近付いてきた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「忸怩たる思いだが…志願兵を募ります。講師陣、エルカーラの街の大人達は既に防衛隊に組み込まれています。大結界は遠からず破れるでしょう。しかし戦力が足りない…戦時総指揮官である一等術師ギオルギは生徒達の動員を求めました。まずは志願兵から、そして戦況不利が続くならば強制的に徴用します」

 

 どよめく生徒達の前でナベッチはなおも続けた。

 

「…ここからは独り言になりますが、どうしても嫌だという者がいれば…この状況です、逃げ出したとしても探す余裕はないでしょうな…」

 

 だがナベッチは想像していただろうか?

 逃げ出すどころか、自分達を、エル・カーラに牙をむいた外敵をぶち殺す為に自身の覚悟を完了させていた者達が居るという事など。

 

「望むところです、講師ナベッチ!」

 

 一際大きい声で宣言する少女の名はマリー。

 

「魔軍は私達の燃え盛る情熱に炙られて、鉄板の上で悶え苦しむ独楽鼠の如く焼け死ぬでしょう!」

 

 ナベッチは少女の瞳を視た。

 無理をしているのではないか、本当は怖くて泣き喚きたいのではないか、と思ったからだ。

 しかしそれは杞憂であった。

 

 ナベッチは少女の中に恒星の卵を見た。

 空に輝く太陽、その卵だ。

 いまはまだ小さいが、やがて関わるものを全て焼き尽くす大炎塊のような素晴らしい炎術師になるに違いない…そう考えたナベッチは深く頷き、右手の甲を掲げ、万力を込めて握り締めた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ルシアン、俺おもうんだけどさ、なんかみんなおかしいよな。頭とかが」

 

 ドルマが首をかしげてルシアンに訊ねる。

 

 ルシアンはちょっと苦笑を浮かべるが何も答えなかった。

 

 ――分かってはいるけど、君も同類だよ

 

 そんな事をいったらドルマは怒るだろうなと思ったからだ。

 

 ◆

 

 硝子で作られた塔を巨大なハンマーで叩き潰せばこのような音が出るに違いない。

 

 凄まじい破砕音と共に大結界が崩壊し、大結界の触媒となっていた石像は砂となった。

 

 魔将ギマがほくそ笑む。

 さあ、全軍でかかれと指示を出そうとした時…

 

 ◆

 

 瞑想を解いた魔導協会一等術師『雷伯』ギオルギは、執務室からバルコニーへ場所を移し、おもむろにローブを脱ぎ捨てた。

 

 痩せ衰えた上半身を外気に晒し、両の手を組み上方へ掲げる。

 

 ――神鳴る者よ 空に轟きの轍を刻み、再び我の元へ訪れ給え

 

 ――我は汝が朋友、汝を受け入れるは我が血肉

 

 ――巡れ、雷血

 

 ◆

 

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 空に暗がりが広がり、暗雲がたち込めた。

 雷雲だ。

 

 魔将ギマは怪訝そうに空を見上げた。

 

 ――転移雲が生み出された事で周囲の空は陛下の大転移術の影響が残ってるのではないか?少なくとも自然に雷雲が発生する筈が…

 

 その時、一際凄まじい轟音が鳴り響き、極大の雷条がエル・カーラの都市に落ちた。

 

 そう、雷はバルコニーに立ちつくす、ギオルギに落ちたのだ。

 

 そしてギオルギの姿が光の中より現れる。その肉体は痩せ衰えるどころか、全身が筋肉で膨れ上がったまさに歴戦の戦士というものであった。

 

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 背にはバリバリと電撃が流れている。

 よくよくみれば彼の背には電紋が刻まれている事に気付くだろう。

 

 電紋とは落雷を受けた人間にしばしば刻まれる電撃傷の事で、樹枝状に分岐した赤色或いは赤紫色の模様が一般的だ。

 

 幼少時、ギオルギは落雷を受け、奇跡的にも助かり、しかしその身に電紋が刻まれてしまった。 幼い彼はこれを雷神の啓示だと受取り、爾来魔術の道に足を踏み入れたのである。

 

 ギオルギは雷神を自身の内に呼び込むことによって、雷の持つ莫大なエネルギーを操る事が出来るのだ。肉体の一時的な若返り作用…というかパンプアップは、神の力を取り込んだていなのだから、これくらいは強靭になっていて当然だろうというギオルギの妄想が形となった結果である。

 

 肉体を筋肉で膨れ上がらせたギオルギは、バルコニーから魔軍を睨みつけ、拳を握り締めて天に掲げる。

 

 そして振り下ろした。

 

 エル・カーラを取り巻く魔軍のそこかしこに雷が落ち、閃光が迸る。



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帝国へ⑧

 ◆

 

 レナードから帝都の事情を聞いたヨハンは思った。

 

 ――頑張って欲しいな

 

 と。

 

 ヨハンは勇者でも勇者の仲間でもなんでもなく、国を護るべしと義務付けられた軍人でもないのだ。

 降りかかる火の粉を振り払うなら兎も角、積極的に死地に足を踏み入れようとは思わない。

 

「余り興味はなさそうだね、術師ヨハン」

 

 ヨハンはレナードの言葉に頷きを以って返す。

 そんなヨハンの態度に飽き足らなさを覚えたのか、レナードはなおも言い募る。

 

「しかし、あるいは君達の力を借りる…そんな事もあるかもしれない」

 

 帝都襲撃が成ればそんな事もありえそうだ、とヨハンは内心で顔を顰めた。

 

「餌はないんですか?」

 

 涼やかな声が響いた。

 ヨルシカだ。

 

 レナードはヨルシカの方を向き、その瞳を視た。

 

 吸い込まれるような感覚、そして拒絶。

 ゴムのような樹皮の大木が何本も連なり、進行を阻む。樹皮を見ればそこかしこに毒虫が這っている…迂闊に手を触れれば刺されそうだ。

 

 そんな情景を幻視したレナードはふぅっと息をついた。ヨルシカが口を開く。

 

「私の中に入っていいのは彼だけですから。それはともかく、私達は冒険者です。危機がそこまで近付いている、力を貸してほしい…では動けません」

 

 ヨルシカの言にヨハンは頷き、横目でロイ達を見た。手を繋いで密着している。

 

 ――おそらく礼節失調の状態異常。殴れば治るが、ここでやるわけにもいかないか

 

 そんなヨハンの内心を察知したか、レナードが中指の爪を親指で押さえるように…でこぴんの手まねをした。

 

「収束、弾け」

 

 弾く。

 

 収束された空気の弾丸がロイの即頭部に直撃し、ロイが椅子から転げ落ちた。

 

 足元に転げおちたロイにヨハンは手を差し伸べて言った。

 

「生きていたか、だがまあ次があるさ」

 

 ◆

 

「報酬はあれでよかったかな。まあそれを差し引いても…何事もないといいのだけどね」

 

 ヨルシカが言う。

 話を終えたキュンメル邸を辞したヨハンとヨルシカは肩を並べて帝都の街を歩いていた。

 

 ロイとマイアはキュンメル邸に宿泊するとの事だった。

 

 ヨハンはヨルシカの手を強く握り、まるで詐欺師にでもなっているような気分で答えた。

 

「大丈夫だ、何もない。魔王軍は速やかに駆逐され、魔王は討伐される。そんな気がするんだ」

 

 ヨハンは自分の人生でこれほどまでに確信がない事を言った事などあるだろうか?と内心自問自答していた。

 

「嘘でしょ」

 

 ヨルシカの問いに、ふっと笑みを浮かべて空を見る。帝都に差す日差し暖色が目立つようになってきた。空の色はやや赤みを帯びている。

 ただ、聖都ほどではない。

 

 これはヨハン達はまだ知らない事だが、空色の変異は転移雲が生成されたことに伴う異常気象の一種であり、転移雲は地脈のそばでしか生成されない。帝都はゆえあって地脈から離れた場所にたてられているので、ただちに奇襲されるということはないのだ。

 

「何、帝都が襲撃されても帝国軍が迎撃するさ。連中がだらしなさそうだったら…どうするかな…逃げてもいい。ここはアシャラじゃあないからな…」

 

 あの時ヨハンは逃げればアシャラに、ヨルシカの生まれ故郷に、家族に被害が出るだろうから、踏みとどまったのだ。だが帝都ベルンはヨハンにとってもヨルシカにとっても縁のない地である。

 

「うぅん…これはさ。まだ自分でも整理のついていない事ではあるから、話半分に聞いてほしいのだけど」

 

 ヨルシカが前置きをした。ヨハンはちらりと視線をむけ、先を促す。

 

「この感情はなんなんだろうな。2つの感情がわいているんだ。1つは君に危ない目にあってほしくないし、私だって無理に危険な事をしたいわけじゃない。だから一緒に逃げたいっていう気持ちさ。冒険者が国や世界を守るなんて義務はこれっぽっちもないもの」

 

 そうだな、とヨハンが言う。

 それが普通だろう、と。

 

「でもね。もう一つは…うぅぅん…好いた男が敵から逃げる姿を見るのは複雑な気持ちになりそうってね…。ああ、でももし立ち向かうときは私もついていくから。私は剣士だし、君は術師だ。君の前に立って君を護って死ぬのも仕事の内だしね」

 

 そうだなあ、とヨハンは呟いた。

 確信があろうとなかろうと、堂々と断言してその通りにしてきた彼にとっては珍しく煮え切らない態度だった。

 

「俺も、まあ、そうなんだ。この街の人間なんてどうでもいいし、何人死のうが知った事ではない。ただ、そうだなあ、ロイの馬鹿は莫迦だしどうしようもないが、アレはアレで悪人ではないし、マイアだって馬鹿だとおもうがそれも個性というかな…」

 

 うん、とヨルシカは先を促した。

 

「それに、俺もどうしようもないなら兎も角、それも分からないうちから好いた女の前で情けなく逃げ出すっていうのは何だか飽き足りなくてな。俺は自分でももう少し割り切りの良い性格だと思ってたよ…」

 

 俯いたヨハンは足を伸ばし、すれ違おうとしていた中年男性の足を引っ掛けた。

 

 転倒した中年男性の腹を爪先で強かに蹴り上げる。男は痛みで手を開き、その手の中から小さい小袋が出てきた。

 

 ヨハンの小銭入れである。

 

 ただの掏りにまんまとスられるヨハンではないが……

 

「冒険者か。手際からするに銀等級のドブ層あたりかな。上澄み連中や、ましてや金等級なら俺は全く気付けなかっただろう。俺が金をもっているように見えたか?そうだ、持っている。術師だからな。術師は大体金を持っているんだ。ところでお前、子供の頃に玉突きをやったことがあるか?俺は今、自分が思っていたよりガキだったことに傷ついて、ちょっと童心にかえっているんだ。だから玉突きをする。玉はお前の頭さ。因みに八つ当たりでもある。この状況で掏りとは、つまり帝都から逃げ出す前に一稼ぎしていきたかったんだろう?逃げるか逃げないか、逃げないか逃げるか…俺はまだ悩んでいるというのに。ただ、逃げ場は余りない気がするのだよな…」

 

 ヨハンは男の髪の毛を握って、石畳に何度も打ちつけた。

 

 ――ぎゃぁッ

 ――や、やめてくれっ

 ――悪かった!俺が悪かったから

 ――ああっ

 ――死ぬ!死んでしまう!

 

 「死なない。大丈夫だ。お前も気付いているはずだ。一撃一撃が全て別の箇所を打ち付けている事に。同じ箇所を何度も打てばお前だって死んでしまうかもしれない。俺は殺す気はないんだ。ただ、その、少し考えてほしいだけだ。この状況で金を盗られてしまったら、とられたほうはどうなる?また稼げというのか?こんな異変の中で?それはない、それはないだろう」

 

 ごんごんという鈍い音は一定だ。

 やがて男も殺されるわけではなく、痛めつけられていると理解したのかわめくのをやめた。

 代わりに目を閉じ、命が永らえる事を祈った。

 その純粋な祈りの姿はまさに聖職者というに相応しい。

 ヨハンと男はこのとき、一枚の宗教絵画に描かれてもおかしくない不可思議な聖性を放っていた。

 

 ヨルシカは口を開けてそれを眺めている。

 

(なんだかちょっといい感じの雰囲気だったというか、普段は突っ張っている恋人が久々に弱い所を見せて、それを私が受け入れて…みたいな感じだったじゃないか、なのに何故掏りの頭で玉突きを…そして、なぜ2人とも神妙な様子なんだろう)

 

「ほら、ヨハン、死んじゃうからやめようか。殺したら流石に面倒だからさ、私も掏りは嫌いだけど、流石に殺すまでもないとおもうんだ」

 

 ヨルシカは優しくヨハンの手を自身の両手で包み、暴行をやめさせた。

 

「これで充分」

 

 その言葉と共に、手の甲でしたたかに掏りの頬を張り飛ばす。

 

 ヨルシカの業前でそれをやるというのは、鉄板で張り飛ばされるのと同義である。

 

 中年男はごろごろと転がり、気絶してしまった。

 

 ちなみに帝国法では掏りに対する罪は親指の切断である。それを考えればまあ甘いといえる措置だろう。

 

 しかし2人は厳しく処する気分にはなれなかった。帝都に危機が迫り、それに対して自分達がどう対峙していくのか。そこはかとない不安が彼等の心を覆っていたからである。

 掏りごときにかかわずらっている余裕はない。

 

 本来官憲に突き出され、親指を切断されるはずだった掏りはちょっとした暴行を受けるだけで済んだ。

 



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戦場百景⑤~マリーの秘策~

 ◆

 

 良くも悪くもこの世界の者たちは殺害、殺傷に関しての考え方が合理的と言える。

 

 ナムナムと呪文を唱え火球などを出して焼き殺すよりも、大出力の魔力で身体能力を大幅に強化するなり、あるいは肉体機能を拡張するなどしたほうがキルタイムが短縮する場合が多いのだ。

 

 ゆえに術師であっても実力者達が最後に頼るのは己の肉体である…という場合が少なくない。

 

 勿論純術師のような者達もいるが、全体としては肉体派が多い。

 

『雷伯』ギオルギはまさにその典型で、協会でも有数の直接暴力的術師なのだ。

 

 ◆

 

 挨拶代わりの落雷を数発魔軍に落とした後、ギオルギは両の脚に力を込めバルコニーから飛び出した。雷速とまではいかないものの、バリバリと放電しつつ魔軍に突っ込む様は、人間離れという言葉で表現するには足りなさ過ぎる。

 

 魔導協会はこの世界に存在する数多の魔術師団体の内で最大派閥を誇るが、ゆえに俗世との関わりも多く、野良犬を追い払うのが精々の術師であってもそれなりの立場を得ていたりする。

 

 しかし一等ともなれば野良犬どころか巨龍ともサシでやりあえる。

 

 雷の弾丸と化したギオルギが空を裂き、そして不運な幾名かの尖兵達を撃砕し、大地へ降り立った。

 

 1人の尖兵…魔族の青年が眼をつりあげてギオルギに駆け寄り怒号する。

 

「貴様ァ!人間風情が、ぺ?」

 

 ギオルギがノーモーションで振るった裏拳が宙空に放電の軌跡を残し、軌跡の上にあった全てのモノを削り取った。つまり、魔族の青年の顔面の上半分が削り取られたのだ。

 

 血は流れない。

 傷口は焼き塞がれている。

 

 ――ッダァァァアアイッ!!

 

 ギオルギは白目を向き、空へ雄たけびを放った。

 咆哮は中空で雷撃へと変換され、魔軍へ雷の矢となって降り注ぐ。

 

 ――なんだアイツは!

 ――止めろ!囲んで殺せ!

 ――劣等が!劣等!劣等!れっ…ぎゃあ!

 

「帝国に仇為す者共、我が雷怒の前に滅びるが良い!」

 

 ギオルギが両の手を組み、ハンマーのそれを形作った。組み合わせた手は一際激しく帯電している。大地へ撃ち付けられた日には広範囲にわたって雷撃が拡散してしまうだろう。

 

「ぬぅんっ」

 

 ギオルギは当然“それ”を振り下ろす。

 

 だが

 

 何かが雷の鉄槌を上方へ弾きとばした。

 ギオルギは手首に痛みを覚える。

 なにか鋭いモノが彼の手首を激しく打ったのだ。

 

 ギオルギの視線が眼前に立つ者を捉える。

 

「劣等の癖にィ…よくもまぁ好き放題やってくれましたねェ…」

 

 不気味な白髪の女が、こめかみに血管を浮かべながら恨みがましい様子で言う。

 そして、ちらりとギオルギの裸体を見てやや頬を染めた。

 

「中々勇壮なお体で…。首から上は切って落として、そのお体だけ頂いていきましょうか。わたくしはギマ、魔王様の覇業を為す指の一指…」

 

 ギマがちんたらと自己紹介などをしていた為、ギオルギはそれを隙と見做し、雷撃を纏った掌底を顔面に放つ。

 

 しかしギマは人差し指と親指を広げ、そのスペースにギオルギの手首を収めるやいなや

 

「ぬっ」

 

 ギオルギは激しくその場に転倒する。

 そんな彼を見下ろすギマの瞳の奥には、嗜虐的な感情が透けてみえていた。

 

「このギマには何名かの弟子がおりましてねェ。劣等、貴方はオルセンという坊やに似ています。彼も力任せで、いくら業を授けても覚えなくってねェ。心も体も柔軟でなくては、このギマの業は身につけられません…。しかし大丈夫。かたァいお肉も、沢山打てばやぁらかくなるでしょう、よ!」

 

 ギマのストンピングがギオルギの頭部に叩きつけられた。

 

 ◆

 

 エル・カーラ西門

 

 群れを為す魔軍を眺め、氷の女神の化身の如き妙齢の女性はぽつりと呟いた。

 

「こういった事態に対応するのが軍の仕事ではないのでしょうか…。今私は忙しいのです。研究すべき事が、開発すべき物が、改良すべき品々が山ほどあるのです」

 

 それはほとんど恨み言の声色であった。

 

「そうはいってもですな、術師ミシル。では逃げて良いといわれても、どこに逃げると言うのですか。それに生徒達を護るのも教師の仕事です。それと援軍が来るのは今しばらく掛かるでしょうな。都市に常駐してくれていれば、と思いますが、市民運動が思いのほか過激で常駐軍が撤退してしまったのでしたか…」

 

 そうミシルへ声をかけたのは術師コムラードである。先の重傷はとっくに治り、いまではピンシャンとしている。彼のいう通り、一昔前はエル・カーラにも常備軍が存在していた。

 

 しかしある日、何がきっかけだったか“軍は魔術都市に不要、大結界もあるのだから都市から撤退しろ”などと声高に叫ぶ市民団体が幅を利かせ、帝都がそれを許可してしまった。これは前皇帝の時代の話である。

 

 確かに大結界がある以上、そんじょそこらの軍勢ではエル・カーラは落とせない。

 

 更に当時は帝国が領土拡張政策を取っていた事により、余剰となっている常駐防衛軍を侵攻のそれに回したいという軍部の思惑もあって愚案が通ってしまったのだ。

 

 ミシルは当時は何の変哲もない美少女術師であったため、市民運動の事は余りよく覚えていない。ただ、その愚行のせいで現在自分達が苦労しているのだとおもうと、訳の分からぬ怒りが湧き起こってくる。

 

「ああ…まあ、本当に…なんといいますか…億劫です。私」

 

 ミシルはコムラードの言に曖昧に同意し、彼女としては珍しく、弱音混じりの愚痴をはきだした。ミシルも赤の他人にはそんな態度は見せないが、彼女とコムラードは現在ではそこそこ親交がある。

 

 コムラードが重傷を負った時期、重戦傷者用の医療補助器具を開発していたミシルはコムラードを良い実験動物と見て、色々と“試して”来た。

 

 爾来、コムラードとミシルは若干交流が増え、この防衛戦の場でもなんとなく肩を並べる事になっている次第だ。

 

「術師コムラードの仰る通りですわ!わたくしは教師ではありませんが、エル・カーラはわたくしの故郷です!今死力を尽くさずして、いつ尽くすのでしょうか。ところで…ミシル師、わたくしが危なくなったら護って下さいますよね?」

 

 ミシルは彼等の言を聞き、なにやらしょぼくれた様子で頷いた。

 

 彼女は戦闘は好きではない。

 根っからのインドア気質なのだ。

 ただ、事ここに及んでは自分だけ研究室に引きこもっているわけにも行かず、渋々戦場に出てきた。

 

 対して元気一杯なのが術師アリーヤだ。

 最近ドルマと交流が増えており、毎週毎に逢う時間が増えている事に気付いているが、気付いていない振りをしている。

 

 それが恋の始まりであると言うことは、恋愛書籍を収集している彼女からすれば察知する事は容易いが、どうにもモヤモヤするモノが発生してしまうことは止められず、ゆえにストレスを溜め込んでいた。

 

 そこへ来ての魔軍襲来だ。

 ストレス解消にはもってこいである。

 

 ちなみにエル・カーラが陥落する事は欠片も心配していない。なぜなら師であるミシルがいるからだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ふむ。火力投射が始まりましたな」

 

 コムラードがごちる。

 

 味方陣営から大小数多の火球が上空へあがり、魔軍へ着弾していく。魔軍からも応射があり、それらは土壁や氷の壁で防がれる。

 

「術の撃ち合いなら良いのですが、いえ、よくはないですが、まだマシと言えるでしょうな。しかしそうもいきますまい」

 

 コムラードが口ひげをいじりながら続けた。

 

「魔軍に動きが見えます。距離をつめてきそうですな。我輩も仕事が出来そうです」

 

 ◆

 

 大講堂

 

「それでよ、南門と西門のどっちにいくんだ?何度も使えるもんじゃないんだろうしよ」

 

 ドルマの言にマリーはやや考える素振りを見せて、眼を瞑った。

 

 優れた術師は正しき答えまで霊感が導いてくれる…という講師ヨハンの言葉を思い出したからだ。

 

 ――来なさい、霊感…

 ――あ、なにかふわりとしてきたわね

 ――まるでお湯の中に沈んでいくような…

 ――浮遊…私は浮いている…

 

 ぱぁん!とマリーの後頭部がはたかれた。

 ぴっと叫んでマリーが飛び上がる。

 

「寝るなよ、鼻がすぴすぴ言ってたぞ」



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帝国へ⑨

 ◆

 

 ヨハン達は気絶した掏りを路上に放置…する事もなく、道の脇に避けた。

 掏りの左右の腕をヨハンとヨルシカが一緒になって引っ張り、路傍に捨てる。

 二人の共同作業だ。

 

「これでよし。これで馬車に轢かれる事もないだろう」

 

 ヨハンが言うと、ヨルシカはやや小首を傾げながら言う。

 

「彼はなにか…その、重要人物だったりするの?」

 

 ヨルシカの問いに、今度はヨハンが小首を傾げた。

 

「いや?俺は彼が明日死んでも悲しくもなんともないし困る事もないが」

 

 結構面倒見がいいから…、と言うヨルシカにヨハンは苦笑混じりに答えた。

 

「おいおいヨルシカ。君はなんだ、アシャラじゃなくて極東の出身か?極東は無礼討ちという野蛮極まる風習があるらしいが。彼も一応同業者だからな…まあ歩きながらでも話そうか」

 

 ヨルシカは"君はそれをヴァラクでやろうとしてたよね"と言う言葉を飲み込んだ。

 

 そんなこんなで二人は肩を並べて帝都の宿へ向かって歩きだす。

 これはレナードが取ってくれた。

 レナード・キュンメルは帝国宰相ゲルラッハの弟子であるため、この帝都では相応に顔が広いのだ。

 

 "宿というより迎賓館だったのですが、新しいものが建てられましたので、古い方は少し高級な宿として一般開放されているんです"

 

 とはレナードの言だ。

 

 ◆

 

 道すがら、ヨルシカがふとした疑問を口にした。

 

「そういえばヨハンって銀等級なんだっけ?私もだけどさ。等級を考えると結構無茶してきたよね」

 

 ヨハンが答える。

 

「そうだな。銀以上はその地域のギルドマスターに推薦されないといけない。君だったらアシャラの現ギルドマスターのボロは喜んで金等級へ推薦するんじゃないのか?俺も頼み込めば金等級ならなれるかもしれないが…ただ、俺を推薦してくれる者はいないかもしれない…というより、連盟の術師を推薦する者はいないだろうね。推薦された者が問題を起こせば、推薦した者の責任が問われるからだ」

 

「でもヨハンって別にいきなり暴れだすとか、理由なく人を殺すとかそういう粗暴な感じではないよね。私はヨハンよりもっと粗暴な銀等級の人を何人も知っているけれど」

 

「ああ。俺は極力法の類は守ろうと努力するし、物事は公正でなければならないと考えているから滅茶苦茶な事はやらない。だが理由さえあって、それに俺自身が納得するなら街1つ、そこの住民を皆殺しにしても良いとも考えているから、責任を問われる立場にはいるべきではないと思う」

 

 エル・カーラで講師なんてやった時はやりすぎないかヒヤヒヤしてしまったよ、などというヨハンに笑みを返し、ヨルシカの指が何だかやたら豪華な建物に向けられた。

 

【挿絵表示】

 

「確かあの建物だよね。大きいなあ!貴族の御屋敷みたいだ」

 

 ヨルシカがやや弾んだ声で言うと、ヨハンは三回頷いた。

 宿が想像より上等だった事に二人の心が浮き立つ。

 

 ・

 ・

 ・

 

「寝台も大きい!凄い!ベッドの裏はどうかな…アレはいなさそうだけど」

 

 ヨルシカがベッドの裏を覗き込む。

 アレと言うのは血吸塵虫だ。

 爪の先程に小さい虫だが、生物の皮膚を細長い針管で刺し貫き、血液を吸い取る。

 この吸血行為は痒みを伴う為に忌み嫌われている。

 

 ヨハンの目がちらりとヨルシカの腰に佩かれているサングインに向く。

 だが賢明にも口を閉ざしたままであった。

 

 ◆

 

 レグナム西域帝国、帝都ベルンを見下ろす小高い丘の上に帝城イヴィレイタール。

 初代皇帝ソウテキの時代に建てられ、爾来戦火や老朽化に屈する事なく帝国の象徴としてあり続けている。

 

 そして帝都ベルンは四方を帝国軍第一軍から第四軍が守護しており、第五軍から第九軍までは帝国領土の要所に配置されていた。

 

 また、一軍から四軍を帝国の慈愛と呼び、そして五軍から九軍を帝国の怒りと呼ぶ。

 帝国の慈愛はその圧倒的な帝国への忠愛により帝都を守護し、帝国の怒りはその圧倒的な帝国への忠愛により周辺地域を侵略するのだ。

 

 ただ現在では帝国の政戦両略は穏健なものを旨としており、帝国の怒りたる第五軍から第九軍が周辺地域を侵略する事はないが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 帝城イヴィレイタール、大望の間

 

「……という事になります。水鏡での交信によれば、アリクス王国は東西を繋ぐ転移門を開くとの事。これはアリクス王国にとって大きな痛手となるでしょうな。転移に求められる代償は非常に大きい。戦後、帝国はアリクス王国への政戦双方において十分な支援をする必要があります。こちら側から開けるのならばまた話は変わってくるのですが、転移の核となるモノはアリクス国王であるルピス陛下の私物ですからな」

 

 帝国宰相ゲルラッハは帝国の重鎮達、そしてサチコ帝の前で状況の説明、今後の展望などを説明していた。

 

 サチコは泰然と話を聞いている。

 他の諸卿も既に自体を把握しているのか、特に口を出す事もなかった。

 

「腑に落ちぬ点もありますがな。四代勇者は既に斃れた…と帝国占星院が"見"を出しました。しかし、アリクス王国側の話では、魔王討伐に際して"勇者"を送るとの由。あくまで推測にすぎませんが、勇者の継承が行われたのではないか、と儂などは愚考します」

 

「この危急の事態において極めて短時間に五代勇者が選定されたと」

 第一軍軍将ギルダークが後を引き取った。

 

 第一軍将ギルダークは帝国の宿将である。

 齢60にしてその肉体には老いを感じさせない。

 彼はかつて先代皇帝ソウイチロウの時代には第五軍の将を務めていた。

 そして北方のオルド王国へ侵攻し、オルド王国騎士団長リリエイラと一騎打ち、これを討ち取ったという功績がある。

 

 しかしリリエイラの敗死により奮起したオルド騎士団の逆撃はすさまじく、第五軍は敗北を喫した。

 オルド騎士が今世に於いて未だ畏怖の念を向けられているのはこれが為だ。

 

 ちなみに先代皇帝ソウイチロウは敗北を喫したギルダークを処断しようとしたが、当時物心がついたかどうかというほどに幼いサチコが泣きわめき、ソウイチロウは処断を断念したという経緯がある。

 

 あるいはサチコの術というのはこの時から既に発現していたのではないか、とゲルラッハなどは思うが調べても詮無き事ではあった。

 

 ◆

 

 飄々とした老人が声を発した。

 

「ま、それはよろしい。問題は作戦が失敗した時です。魔族は我々の降伏を認めないでしょうな。彼らの目的は我々旧人類の末裔の殲滅です。ゆえに作戦が失敗したらどうすればよいのか、それは決まっておりますな。徹底抗戦か、あるいは逃げ回るか。その二者択一。民草は後者でもよろしいが、我々はそうもいきますまい。であるならば皇帝陛下には覚悟を決めて頂かなければなりません。つまり、帝国と共に滅び去る覚悟をです。御身の術は御身が帝国の象徴たるに相応しくあるならば、我々に狂気と力を与えてくださる。しかし、御身が帝国よりご自身の保身を優先したならば、我々は毒を体に流し込まれながら戦うようなもの。さぞかし無様に屍を晒すでしょうよ」

 

 白髪の老人がゲヒャヒャと笑い声をあげながらサチコに言った。

 その瞳孔はこれ以上ないほど開かれ、口の端から唾液が少量漏れている。

 狂気に侵されているのか、と彼を知らないものは思うかもしれないが、彼もまた帝国の重鎮であった。

 

 第四軍将オズワルド・オズボーン・オズモール。

 先帝の時代では数多の周辺諸国を焼き払った暴虐の老炎術師である。

 

 ギルダークもそうだが、第一軍から第四軍の軍将は皆"特別"殺伐としている。

 帝国宰相ゲルラッハはそんな彼等をサチコの身辺に置くことで、狂犬のような連中の行動に制限をかけようと画策し、それは今の所は上手くいっている。

 

 オズワルドの言にサチコは薄桃色のつぼみのような唇を開き、幼い声で、しかしはっきりと答えた。

 

「帝国は私であり、私は帝国である。そして貴方達は私の血にして肉。私の為に死になさい。私も貴方達の為に死にましょう」

 

 玉音である。

 

 指向性を帯びた強制忠国の波動がオズワルドが常時張り巡らせている防御術式を貫通し、その魂魄に放射された。

 同時に、鼻血を噴出しそうな程に自身の四肢を魔力が巡っていることにオズワルドは気づいた。

 

 オズワルドはヒャッと笑い、そして頭を垂れる。

 

 ――死にましょう、滅びましょう、御身の為に。帝国の為に。我らの屍を三千世界に積み上げ、それより遥かに高い敵の屍を積み上げましょう…

 




アシャラギルドマスターのボロ⇒「★アシャラ三百景」で言及。前マスターのグィルはアレしちゃったので、副マスターの彼が昇格。

城名の由来
Ich reite Tal
イヴィレイタール
一、乗る、谷


ハメなろうカクヨムでマルチしてますけど、

反応のハメ
打診のなろう
リワードのカクヨム

ってかんじですね。
作者は欲にまみれてるので、反応も打診もリワードも全部ほしいです。打診は書籍化する気はないのでアレですが、きたらスクショとってニヤニヤしたいですし。


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戦場百景⑥~マリーの秘策~

 ◆

 

 ギマのストンピングがギオルギの頭部を激しく打ち付けた。だが

 

「おォっと…?」

 

 ギマの足首をギオルギの手がガッシリと掴んでいる。

 

「魔族よッ!!この地は我等の地だ!土を噛み、腑中よりそれを知れィッ!」

 

 ギオルギが渾身の力を込めてギマを振り回し、地面へと叩き付けた。

 周囲の尖兵達はそれを止めようとするが、振り回されたギマに打ち付けられ、吹き飛ばされる。

 

「どうだ!母なる大地の味は!」

 

「旨いかァッ!」

 

「ぐおらァァァアアッ!!」

 

 叩き付けの回数が5、10、15と増えていき…不意にギオルギは眼を見開き、ギマの足首を離した。

 

 ――何度叩きつけても、てごたえを感じぬ

 ――どういう事だ

 ――これも彼奴の体術か?

 

 宙空からどさりと地面に落ちたギマはしかし、大して堪えていないように立ち上がる。

 その表情には苦痛ではなく呆れが浮かんでいた。

 

「劣等…貴方様は狂戦士か何かで?無駄な力が多すぎますよゥ…流れゆく力は、すこぉしいじってやるだけでその矛先を変えますねェ。おや、低脳すぎて言葉では理解できませぬか?ではこのギマが1つ業をお教えいたしましょうか、そのお体に…」

 

 丁寧ぶって言うギマの言葉からは、所々毒素が漏れている。

 

 するすると近寄ってくるギマに、ギオルギは雷を帯びた左の正拳を放った。

 

 その拳をギマは左掌で受け止め、同時に体をやや左にスライドさせる。

 

 更には掌に流れる電撃はギマの体を伝導し、まるで何かに導かれるようにその威力は彼女の右手に収束していった。

 

 更に左掌で受け止めた拳の勢いを利用してくるくると回り、その回転中にギマは右拳を固めた。

 

 その拳にはギオルギから放たれた電撃のエネルギーが込められている。

 

 回転の勢いはギマの右拳から放たれた裏拳に爆発的な推進力を与え、まるで夜空を切り裂く流星のように弧を描いて、ギオルギの右脇腹に突き刺さった。

 

 ◆

 

 ギマの一撃によってギオルギの脇腹の肉、骨が砕かれ、叩き潰された。

 

 いや、それどころではない。

 

 心だ。

 心で負けた。

 

 ギオルギはギマと自身の間に埋めがたい格差がある事を感得してしまった。

 敗北とは自身が認めた瞬間に訪れるのである。

 

(これは勝てぬ…であるならば退いて態勢を立て直し、策を…)

 

「あら?あら?あららァ?怖気の香りがしますねぇ…このギマが逃すとお思いで?…む!?」

 

 

【挿絵表示】

 

 ギマが嗜虐的に笑い、しかし視線を上空に向けた。火弾がいくつも投射されてくるではないか。

 

 ◆

 

「みなさーーん!どんどん撃ってくださぁーい!ギオルギ師が魔軍に1人で突っ込んでしまいましたが大丈夫!こうされても文句言わないからこそ1人で勝手に突っ込んだんでしょうからー!撃てー!撃てー!術師の炎は知性の灯!無知蒙昧な魔族とギオルギ師に知性とは何かを知らしめましょおー!」

 

 エル・カーラ南門に展開していた術師達は、ギオルギの秘書的立場と目されている女性、魔導協会3等術師ジーナに煽られ、ぽんぽんと術を投射していく。

 

 怒りがジーナを支配していた。

 矛先はギオルギである。

 ぽんぽんと仕事を投げまくってくるギオルギ。

 

 面倒且つ重要な仕事を投げてくる事甚だしく、それでいながらも自分は好きにやって、しかも窮地に陥っているのだ。

 

 術師とは結局自身の事しか考えていない間抜けばかりであって、利己利己利己、利己の群れでしかないのだ、とジーナはほっぺを膨らませていた。

 

「仕事を投げるギオルギ師、対して火弾を、爆炎弾を投げる我々。お互いが投げあう事で調和が齎されます…」

 

 盛大な投射爆撃を見て、うんうんと頷くジーナ。

 それを同僚の術師達は怪訝な顔をして眺めていた。

 

 ◆

 

 ――好機!

 

 ギオルギはほんの僅かにギマの気が逸れたのを確認し、悲鳴をあげる身体を叱咤しながらその場を全速力で離れた。

 

 あっ、とギマが声をあげるが、ギオルギはそれに構わず脱兎の如く遁走していく。

 

 背後では火弾が着弾し、次々と大地に赤々とした炎の花を咲かせていった。

 

 ◆

 

「すまないね」

 

 手当てを受けながら軽く謝罪するギオルギに、ジーナは笑顔を浮かべて労った。

 

「魔軍の戦力調査お疲れ様でした。鞘当てで死に掛けるとは豪気だなぁーと私は感服しました。あ、そうだ、先ほど志願の生徒さん達がいらしましたよ。ギオルギ師にお話があるのだとか…赤い髪の毛の元気なお嬢さんでしたけれど」



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帝国へ⑩

 ◆

 

 ヨルシカは寝台に転がり、鏡台の前に座ってなにやらモゴモゴと口を動かしている恋人を見遣った。

 

「何してるの?」

 

 ヨルシカが問うと、ヨハンは魔法の練習と答えた。魔法ははっきりとした発音が大事との事だ。

 

「いつでも自在に思い出せるからといって、それをもって記憶が定着したとは言わない…ということさ」

 

 あの大森林の死闘で、ヨハンには魔法に関する知識が外から植えつけられた。

 だから魔法を使おうとおもえば使える。

 

 しかしそれは、一切薬の調合に対しての知識がないにも関わらず、しかし手元には猿でも理解できるような詳細な調合書がある…例えるならばそのようなものであり、この違和感を無くす為には日々の努力を積み重ねるしかなかった。

 

 魔法か、とヨルシカは思う。

 

 恋人の青年は旅を続けている内にどんどん器用になっていく。自身もまた駆け足で成長しているはずだが、果たしてそれは恋人と、ヨハンと肩を並べていると言えるだろうか?

 

 ヨルシカは無言で首を振った。

 憂鬱の粒子がぱらぱらと散る。

 

「言えるだろう。というより、聖都であのバケモノにとどめを刺したのは君とあの変態じゃないのか」

 

 不意にヨハンが言った。

 

 変態?とヨルシカが聞くと、“あいつの視線が気持ち悪いからよくよく確認してみたら、青い小娘を見る時だけ興奮していた”との事だった。

 

「あはは、それは確かに気持ち悪い…まあ、そうだね、そうだ。私も戦えている。だけどもっと強くならないといけないような気がする」

 

 ヨルシカがそういうと、ヨハンは彼にしてみれば珍しく笑顔を浮かべた。

 

「そういう事なら問題はない、強くなるためには死線を潜る事が効率的だが、幸いにも俺達にはまだまだ強くなる余地がある。たくさんの命が失われる、そんな死闘が待ち構えている。俺の霊感がそう囁いているんだ」

 

 それに、とヨハンは続けた。

 

「君は俺を護るためならどこまでも強くなる。強くなってくれる。そうだな?君の肌は敵の返り血で赤く汚れるだろう。しかし大丈夫だ、君が幾ら血で汚れても、俺がそれを拭い取ってやる。だから沢山沢山積み上げてくれ、俺達の敵の首を」

 

 ヨハンの魔力が拡散され、にわかに部屋の空気が粘性を帯びたように重くなった。

 

 瞳を爛々と輝かせ、万色を包括したドス黒い魔力を全身から放射するヨハン。

 

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 その背に黒い太陽が煌々と輝いているのをヨルシカは幻視した。

 

「ヨハン…君…まるで、悪役みたいだよ…」

 

 噎せ返るほどに濃密な不可視のなにかに喘ぎながらも、ヨルシカは辛うじて口に出した。

 

「そうかい?なら悪役らしく振舞うか」

 

 ヨハンの手がヨルシカの衣服の、その襟元まで伸びた。

 

 灯が落とされる。

 

 ・

 ・

 ・

 

「明日は出来るだけ物資とかを補充したほうがいいよね。この状況だとどこも品薄かなぁ」

 

 一段落ついた2人は、布団の中で明日の相談をしていた。

 

 触媒も欲しい、日用品もほしい、食料もほしい…金はあるが物があるかどうかは店にいってみなければわからない。

 

 そうだなあ、とヨハンは返事にもならぬ返事をし、手持ちの品を思い返す。

 

「金が金としての価値を暴落させる前に、色々買い込んでおきたいな。まあ明日になってから考えようか。今日はもう寝よう」

 

 うん、と応える声。

 ややあって寝室には2つの寝息が響いた。

 ()()()()()()、歴戦の冒険者と言えども疲労は溜まる。

 

 ◆

 

 翌朝。

 

「じゃあそういう事で」

 

 ああ、とヨハンはヨルシカに手を振り、2人は宿の前で別れた。

 

 手に入れたい物資が多いので二手に分かれる事にしたのだ。

 



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戦場百景⑦~マリーの秘策~

 

「ギオルギ師!一発私達に大きいのを撃たせてください!ブッ消してやります!」

 

 ギオルギは目の前で力強く拳を固める少女をみて、自身の首をかしげた。

 

 “なぜ生徒がここに”等という甘な考えはギオルギには無い。そもそも学徒動員を決めたのは彼だ。

 ではなにが疑問なのかといえば、それをわざわざ自分に断わってくるという点である。

 

 ――撃ちたければ撃てばいいではないか、的は沢山ある

 

 そんな思いがギオルギの脳裏を過ぎるが、何か警鐘の様なものがリンゴンリンゴンとけたたましく鳴っている様な気もする。

 

「あー…まあ、そうだな、火力投射は間断なく続けるべきだ。君もその、頑張りなさい」

 

 しかしギオルギは自身の警鐘が何に対してのものかを特定出来ず、少女の申し出を聞いてその背を押してしまった。

 

 “ハイ!”と元気良く少女は駆け出していった。

 

 ――やったわルシアン!ドルマ!許可が出たわよ!

 

 ルシアンとドルマというのは少女の友人であろうか?

 その名前を聞いたギオルギは、自身の内の警鐘が音量を倍したのを感得した。

 

 懸念、懸念、懸念である。

 だが、その懸念は自身の体にはしる激痛にかき消されてしまう。戦傷は見た目よりも重いようだ。

 

 だが傷は良い。

 傷は手当をすれば治るからだ。

 

 喉からこみ上げてくるものがある。

 

 軽く咳き込んだゲオルギは手で口を押さえ、そして手に付着したどす黒い血を見てため息をついた。

 

 内臓をやられたのは間違いないが、それ以前からも出血はあった。

 

「病んでいなければ、とは思うが」

 

 ギオルギは先ほどの交戦を思い出す。

 自分でも笑ってしまうほどに手玉に取られた。

 相性の差もあるが、万全とは程遠い状態であった事もまた事実である。

 

 ――十分生きた。娘もしっかり者に育った

 

 ギオルギは深い深いため息をついた。

 ギオルギの命までもが混ざりこんでいるような吐息であった。

 

 ◆

 

 エル・カーラ南門

 

 マリーはギオルギから許可を貰った後、大きな布に包んだ大量の触媒を南門にぶちまけてなにやら1つ1つ検分している。

 

 ――火、水、土、風、風、火、火、水、水、水…土、土

 

 青い髪のおとなしそうな少年、ルシアンが触媒の1つ1つを指差して術を構成する基本要素を口に出していた。

 

 黒髪の少年…ドルマはそれらをぽいぽいと分けていく。

 

 

「あ、あのう…それは…それは一体なんでしょうかー…貴方達は一体何をしているのでしょうか…」

 

 ジーナがおずおずと赤毛の少女…マリーへ尋ねた。

 マリーは元気良く、そしてやや顔を赤らめて答える。

 

 ジーナはマリー達とそう変わらない年齢であるにも関わらず、三等術師と資格を有している。

 つまり才女なのだ。

 

 そんな彼女は割りと有名で、マリーもジーナの事は知っていた。密かに賞賛の念を抱いている有名人から声をかけられたんだから、これはもう多少は赤面くらいはする。

 いや、しなければおかしい。

 

「はい!これは術の触媒です。私達、これから一発ヤるんです!」

 

 ジーナが口を両手で覆った。

 お上品な驚き方であった。

 

 ◆

 

 まずルシアンがぱっと見ておおざっぱに分け、そしてドルマが説明していく。

 

 そんなこんなで三人は触媒の仕分けを終えた。

 周囲の術師達はそれを怪訝な顔をして見ている。

 補給の触媒かと手を伸ばす者もいたが、マリーがガチガチと歯を鳴らして追い払った。

 

 その場には沢山の一見ガラクタのようなモノが散らばっている。

 

 鉱石、羽、コイン…

 

 一口に触媒といっても、色々種類があるのだ。

 

 火の術を発現させるために向いている触媒、水、風、土…

 さらに、今回ドルマがまきあげてきた触媒の数々は、大講堂にいた生徒達が特別思い入れをこめているまさに最後に頼るべき上物の数々。

 

「このコインはアンネから受取った奴だな。ばあさんの形見らしい。金貨だ。半分溶けている。なんでもばあさんが火事で亡くなった時に、ばあさんの懐に入っていたやつらしいぜ。火の術の触媒だな」

 

「この貝殻は一見水の術の触媒に見えるが、実は土だ。なぜなら、これの持ち主だったモチロウは考古学が趣味だからな。随分昔の貝殻らしいぜ。フィールドワークの時に発掘したらしい」

 

 ドルマが次々と説明していき、マリーとルシアンはああとかおおとか好き勝手に感嘆したり感動したりしていた。

 

 その作業をみていたジーナがおずおずとドルマに話しかける。

 

「これ、他の生徒さん達から受け取ったものですよね?来歴とか…全部覚えているんですか?」

 

 ジーナの質問にドルマは“当然でしょう、ちゃあんと理解して使ってやらないと触媒も応えてくれないですからね”と答えた。

 

 後世、西域最大規模の商会の会頭となるドルマ。

 

 人身売買にも手を染め、大いに商会を栄えさせるが、不思議な事に人的トラブルを全く起こさなかったという。

 

 人身売買の素人は権力に酔い、ついつい商品を手荒く扱ってしまいがちだ。

 よって商品達の反乱などが界隈では珍しくない。

 

 そんな人身売買界隈でもドルマの手腕は傑出していた。

 

 救いようのない重犯罪者を鉱山送りにし、生かさず殺さず長く“使った”り、また、更生の余地のある軽犯罪者を自身の商会で使い、タチの悪い連中との縁を強制的に切らせ社会復帰させたりと、レグナム西域帝国の治安維持にドルマは大きく寄与した。

 

 これを功績大として帝国はドルマに勲章を授けたという。

 

 ◆

 

「しかしよ、本当に俺が土と風、両方を受け持つのか?正直厳しいぜ…」

 

 ドルマが忸怩たる思いを声色に乗せて呟いた。

 マリーとルシアンもやや渋い表情だ。

 2人もドルマに無理をさせてしまっている事は分かっている。

 

 しかし問題は解決した。

 

 ――乾いた風が吹いてるな。これが戦場の風か

 

 声がした。

 三人に近付いてくる小さい影。

 

「んん?あ!ヨグじゃん」

 

 マリーが指をさす先には、灰色のローブを纏った少年がいた。

 

 ヨグ。

 

 かつてマリー、ルシアン、ドルマらと共に、連盟術師ヨハンの課外授業で小鬼を解体した学友である。

 あの時彼は自身が侮れない存在に見えるように、あえて残虐に小鬼の腸を引き抜いたりしてヨハンより賞賛を受けた。

 

 マリー達三人の脳裏に、あの日ヨハンが口にしたヨグへの賛辞が蘇る。

 

 ――生徒ヨグ。腸を引きずり出すとは……その子鬼は非常に苦しい死に方をする事になるぞ。そこまでしろと言ったか? そう、言っていない。つまり君は俺の先を行ったという事になる。無残、無情! それが君の代名詞だ。君の考課に大幅な加点を与えよう

 

 学院では三人組が特に目だってしまっているが、ヨグもまた実力者である。

 風のあしらいを得手としており、そして癖が強い。

 

「違う。僕は『風のヨグ』だ。風の属性は僕が受け持とう。僕の声は風に乗り、魔族達に死の囁きを届けるだろう」

 

 ヨグは瞑目しつつ呟いた。

 そんなヨグをドルマは愕然とした様子で凝視し、内心で絶叫する。

 

 ――新種のやばい奴かよ!!

 

 ・

 ・

 ・

 

 ともあれ、4人揃った。

 

 



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帝国へ⑪

 ◆

 

「やあこれはこれは」

 

 背後から声が掛けられ、ヨハンは振り返った。

 目の前には2人のガタイがいい中年男が居た。

 

 1人はザジ。

 そして、もう1人は胴体に鎖を巻きつけているなにやらやたらと筋肉を強調してくるような男だった。

 

「やあ、ヨハンさん。アシャラ以来ですね。こちらはゴ・ド。私の同僚です。ゴ・ドさん、こちらは冒険者のヨハンさんです。知人です」

 

 ゴ・ドと紹介された男は掌に拳を当てて一礼した。

 ヨハンもまた拳に掌を当てて一礼。

 

「おお、掌拝礼をご存知で?」

 

 ゴ・ドは笑顔を浮かべた。

 ヨハンもまた笑顔を浮かべ、頷く。

 

 掌拝礼とは中域に伝わる挨拶仕草だ。

 西域では利き腕の拳を固め、それを顔の横に掲げる。

 

 こういった仕草は地域によって異なり、相手と同じ仕草でもって返礼する事は相手の人格を尊重するという意味を持つ。

 

「ええ、中域とは余り縁がないのですが、冒険者をやっていると色々伝手もできます」

 

 うん、うん、と2度ほど頷いたゴドの視線がヨハンの義手に向けられる。それに気付いたヨハンが腕を上げ、ゴ・ドに良く見えるように掲げて言った。

 

「腕一本引き換えにすれば難敵の命脈を絶てそうだと思いましてね。腕に呪毒を仕込んでその敵の口に突っ込んで、当時の仲間に腕を切断してもらいました。腕の良い剣士です。あの時彼女が僅かにでも躊躇していたら、俺の胴体にまで毒が回り、こうして生きてはいないでしょうね」

 

 ザジとゴ・ドは満足気な笑みを浮かべた。

 ザジがパンパン、と二度ほど手を叩き、口を開く。

 

「心が太くいらっしゃいますね。ヨハンさんもその剣士殿も。ちなみにその剣士殿は…?」

 

 ザジの、なにやら様子を窺う様な声色にヨハンは明るい声で答えた。

 

「一緒に帝都へ来ていますよ。仲間であり、恋人でもあります」

 

 ヨハンの言にゴ・ドは掌に拳を軽く2度叩き付ける。

 これは“いいね!”という意味だ。

 

「ああ、こんな所で立ち話もなんです、そこの店で何か飲みながら話でもしましょうか」

 

 ヨハンがそう言うと、ザジとゴ・ドは頷き、男三人のお茶会が始まった。

 

 ◆

 

「何と…」

 

 ザジが呟いた。

 茶でも飲みながら雑談をしようか、と和んだ雰囲気になった瞬間に、ヨハンが爆弾を落としたからだ。

 

 つまり中央教会の崩壊、教皇の本性、更に言えば彼等の崇める法神がもう居ない…そういった仕儀の事である。

 

「なんと…」

 

 ザジがもう一度呟いた。

 ゴ・ドは腕を組み、眼を閉じ沈黙を守っている。

 不動、岩の如しといった有様だ。

 

「しかし…」

 

 ザジが更にもう一度呟いた。

 しかし?とヨハンが促すと、ザジは眉間を強く揉みしだきながら言った。

 

「私は強い失望を抱きました。私自身に対してです」

 

 ザジはグイッと杯を煽り、腹を酒精で満たした。

 ゴ・ドがその杯に更に酒を注ぎ、ヨハンがつまみの皿を差し出した。更には根菜を干し肉で巻いたモノが添えられている。

 

「ヨハンさんは嘘はついていないのでしょうね。こう見えても邪教徒を何十人も“素直”にさせたことがあります。虚実を見極める事は得意なのです」

 

 ええ、とヨハンが相槌を打った。

 

 

「であるなら、法神は偽神であり、中央教会で属していた私の日々…人生は無為であった事になります。しかし、私は余り衝撃を受けていない」

 

「勿論心に何か穴が空いたような…そんな虚無感の雫が滴っている事は事実です。この一滴一滴はいずれ私の心に取り返しのつかない穴をあけてしまうかもしれません。しかし、今の所は大丈夫なのです」

 

「なぜでしょう。もっと衝撃を受けて当然だとおもいませんか。心身が痛苦に満たされ、悲痛の余りに心の臓が破裂して当然だと思いませんか」

 

 

 ――私の信仰とは、最初からその程度のものだったのでしょうか

 

 ぽつりと呟くザジは焦燥のヴェールに覆われている。

 その薄布は全身に纏わりつき、決して剥がすことができないのだ。想えば想うほど、悩めば悩むほどに憂鬱の水滴をヴェールが吸い込み、体の動きも心の動きも鈍くなってしまう。

 

 ◆

 

「ザジ殿。貴方が信仰を持つにあたって、どういう経緯があったのかは俺には分かりません。当初の貴方は確かに法神にその信仰を捧げていたのでしょうね。法神の為の信仰です。神に仕えることを目的とした信仰です。しかし、どこかで変節があった」

 

 変節?と言いたげなザジに、ヨハンは頷いた。

 

「いつしか貴方は神の為に、法神の為に信仰を積むことをやめ、救われるべき人々を救う為に信仰を積んでいたのではないでしょうか。救われるべき人々を救う為に信仰を積む…これは実際の行動が求められます。不埒な輩共に苦しめられている弱き人々を救う為に必要なものはなんでしょうか。祈りですか?違います」

 

 ヨハンは義手を掲げ、万力を込め拳を形作って言った。

 

 ――鉄拳です

 

「人々を救う為には邪悪な輩の頭を鉄拳にて叩き潰す必要があります。祈りではどうにもなりません。そう思いませんか」

 

 ヨハンの問いに、ザジは頷いた。

 

 確かにそうだ、忌まわしき邪教徒。人々を贄に捧げ、神という名ばかりの悪霊の如き存在を喚び起こそうという邪悪…そんな輩の頭部を自分は叩き潰してきたではないか。

 

 それは法神の為だったのだろうか?

 いやちがう。よるべなき弱き民のためである。

 

「ザジ殿。信仰とはなんですか。俺は信仰とは心の在り方だとおもいます。であるならば、貴方が教会の崩壊に、法神の消滅に、教皇の背信に衝撃を受けなかった理由は1つです」

 

 ザジの目が見開かれる。

 ゴ・ドがうんと大きく頷く。

 

「貴方の信仰…即ち心のあり方が、神の人形であり続けるための形だけのものではなく、弱き民を救い、導くものであったから…だと俺はおもいます」

 

 ザジの目が更に大きく見開かれる。

 ゴ・ドがうんうんと大きく頷く。

 

「貴方は既にご自身の信仰、つまり心のあり方を定めていたのです。弱き民草を救い、導く。それこそが貴方の心のあり方…信仰!貴方に神は必要ない!貴方が神になるのだ!弱き者達の神に!」

 

 ザジは尊い何かを感得した。

 ゴ・ドはちょっと首をかしげていた。

 




チンピラの心臓を素手で抉り取ったヨルシカ
サバサバレンタイン

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戦場百景⑧~マリーの秘策~

 ◆

 

「ヨグってちょっと個性的よね!魔族を殺るだけの事を面倒くさく言い過ぎだわ!リモヌは好き?私は嫌い。酸っぱいし。ヨグにリモヌって何か聞いたら"初恋の象徴。香りに惹かれ、口にした少年少女に現実を知らしめる無慈悲な青春の一側面"みたいな返事が返ってきそう!」

 

 ケラケラと笑いながらマリーは言った。

 目だけは真剣に魔軍を睨みつけている。

 

 ヨグは澄ました表情のまま片手で髪を搔きあげた。

 彼自身がやや幼い顔立ちのせいか、全くサマになっていない。格好つけたい年頃だから仕方がないのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 エル・カーラ防衛隊からの火力投射は依然として規模を大にして放たれている。

 大人達はそれぞれ必死の形相で、まあ中には遊んでる暇があるなら攻撃に参加しろとでも言いたげな目つきの者達もいるが、ともあれ皆マリー達に構ってる暇などはなかった。

 

 ルシアンがぽつりと呟く。

「このまま撃ち合いに終始して犠牲が出なければいいけど、そうはならないんだろうね」

 

 だろうなあ、とドルマが応じる。

「大体、連中は少しずつ前進してきてるしな。剣で切り合いなんて、俺たちの柄じゃないし死人も沢山でそうだ。衛兵の人らも出てきてるが数が足りねえ。それにしたって相手の指揮官は慎重だな。一気に寄せちまえばいいのに。そうしたら俺たちはあっというまに全滅だぜ。罠でも警戒してるのか?」

 

 罠なんかねえのによ、とドルマは皮肉気に笑った。

 侵攻時期なりタイミングなりが分かれば罠も張り様があるが、此度の侵攻は余りにも電撃的であった。

 空が不気味な色へと変じたかと思えば、都市の目と鼻の先に唐突に軍勢が現れるなどと、そんなものは対応する余裕が無くて当然である。

 

 魔軍の軍勢はじわり、じわりと近づいてきていた。

 大きな壁が少しずつ迫りくるような圧力にしかし、マリーは屈しないどころか闘志を燃やす。

 確かな殺意を以てにじり寄る魔軍の雲霞に、マリーは恐怖と、それを超える喜びを感得していた。

 自身の火の向け先がある事が嬉しかったのだ。

 

(おじい様は言っていたわ。炎術師は優れていればいるほどに、その末路は悲惨なものになるって。全ての敵を焼き尽くしてしまった後、最後に残った自分自身を焼いてしまうんだって。きっと私には"敵"が必要なのね。だって私は優秀な炎術師なんだもん)

 

「じゃあ、手筈は大講堂でルシアンとドルマには説明したけど、ヨグ…か、風のヨグにはまだよね。だから確認の意味も兼ねてここで説明するわね」

 

 マリーの言葉にヨグは頷いた。

 ちなみになぜマリーが途中で言いなおしたかというと、ヨグと言った瞬間に彼が地面に唾を吐いたからである。

 

 ◆

 

 彼女は自身の内側に狂熱が在る事を自覚しており、その熱の根源はどこにあるのかと考えれば、マリーは血にこそある、と答えるであろう。

 

 マリーの家はレグナム西域帝国の高位貴族だ。

 父は戦争で死に、母はマリーを出産時に死んだ。

 祖父は帝都ベルンにいる。

 祖父に至っては現役の将軍であった。

 マリーの祖父も父も高名な炎術師だ。

 母は他所の家から嫁いできたが、彼女もまた炎のあしらいを得手としていた。

 

 つまり、マリーという少女は炎術師として生まれるべくして生まれてきたのだ。

 

 優れた炎術師は自身の心に燃えさかる熱を術に継ぎ足し、大きな大きな炎を起こす事が出来る。

 

 自身の内なる炎…それは情緒のない言い方をしてしまえば破壊衝動だが、その強さと炎術師としての業前は比例する。

 だが、その破壊衝動は外に向ける事が出来ているうちはいいが、長きに渡りずっと内に閉じ込めてしまえば、いずれそれは自身の正気をも焼きつくしてしまうだろう。

 

 マリーは炎術師として優れた才を持って生まれてきた。

 だからこそ、内に秘めた熱はいっそ狂熱とよんでも差し支えない程の危険な代物であった。

 

 マリー・オズボーンは産まれた時に母を焼き殺している。

 彼女は才に恵まれているが、そんな彼女でも赤子の頃は自身に宿る炎を制御し得なかったからだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 4人は円となって各々の起動具を握り締めた。

 マリー、ルシアン、ヨグの3人は短杖だが、ドルマはやたら大きい宝石がはめ込まれた指輪だ。

 

 円の中心に山盛りの、4つに分けられた触媒がある。

 マリーの視線がルシアンを捉え、それを受けとめたルシアンは頷いて口を開いた。

 

 詠唱はルシアンのお仕事である。

 これはいわば発破作業における点火役だ。

 点火には作法が定められており、無作法に点火しようとすると暴発し、発破対象どころかその場すべての者を巻き込んで木っ端微塵になってしまう。

 

 ――万物の根源を形為す四大の御子は膝をつき崩れ落ちた。万象の一、たちまち色を失い斃れ伏さん

 

 ――拍動する心臓は熱を失い、巡る命血は濁り淀む

 

 ――背を押す風なくして脚は前へと進む事はなく、地が足に牙を突きたてる

 

 ――火よ、散れ

 

 マリーの目の前の触媒が激しく燃え上がったかと思えばたちまち炎は勢いを失い、そして触媒は灰と化していく。

 金属の触媒もお構いなしに端から灰となっていった。

 

 ――水よ、枯れろ

 

 ルシアンの目の前の触媒から水が滲み、そして滲んだそばから気化していった。触媒はその素材がなんであれお構いなしに同時に腐食していく。金属も、紙片も等速で。

 

 ――風よ、凪げ

 

 ヨグの目の前の触媒が急速に風食していく。風食とは侵食作用の一種で、岩石などに風が吹きつける事により、次第に削れていく自然現象だ。通常、長い年月をかけてなされるそれが、今この場では時を圧縮加速したかのような速度で触媒に起こっていた。

 

 ――地よ、割れよ

 

 ドルマの前の触媒がパキパキと音を立てひび割れ、砕けていく。土の術に適応する触媒の数々は、極めて短時間のうちにもはや砂のような有様となっていた。

 

 ――四大よ、交わり絶ちて万象悉く原初の一に為さしめよ

 

 そして、触媒の成れの果てがまるで小さいつむじ風にあおられたかのように、螺旋を描き舞いあがり、中空で一点に収束していく。

 

 ◆

 

 ――何か、大きな術が行使されようとしている

 

 ギオルギは凝然と大気に混ざる膨大な魔力に神経を配らせていた。

 

(魔族が何かを企図しているのだろうか。いや、違う。こちらへの害意がない)

 

 治癒はまだ充分ではないものの、ギオルギは顔を顰めながら南門へと向かっていった。

 

 その脳裏に、先ほど顔を合わせた赤毛の少女の姿はない。

 まさかあのような年でこのような大それた…ギオルギをして畏怖を覚えるような術を起動する事などは、ギオルギの想像の埒外の出来事であった。

 

 ◆

 

 ――なぁっ!?

 

 ギオルギが見たのは中空に形を為そうとしている巨大な力の塊だ。“巨大な力の塊”とだけ書くと実に曖昧だが、確かな何かが空へ収束しつつあるのは事実であった。

 

 数多の触媒に込められた想念が形を為しては崩れていく。

 想念とは何か。

 

 それは一輪の花であったり、背を向ける男の姿であったり、まさにこれから戦場にでも赴こうとでもいうような騎士の姿であったり。

 

 あるいは料理をする女性の姿であったり、女性と男性が抱き合っている姿であったり、赤子が泣く姿であったり。

 

 そういった想念の数々が崩れ、風に似た何かと化し、中空で渦をまき一点に収束し、まるで太陽のような力の集合体となっていた。

 

 そしてギオルギは南門で術を行使する4人の少年少女を見た。その姿はまるで陽炎のように揺らいでいた。

 

 ◆

 

 何もかもを消失させる大魔術に求められる代償。

 それは思いの込められた極上の触媒の数々をもってさえあがないきれないものだった。

 

 代償は4人の存在の消失に及ぶ。

 しかし…

 

(あれほどの力の代償。出来るだけ触媒は用意したようだが、それでもまだ及ばぬ。魔軍を消し飛ばし、そしてこのエル・カーラを飲み込んでなお飽き足らぬであろう。未熟なのだ。力を生み出して、その力の重さに潰されようとしている。重いものを持ち上げる事は案外たやすいことだ。難しいのは、それを運び、思い通りの場所へ再び据えてやる事だというのに)

 

 ギオルギはため息をつき、ややあってから笑った。

 苦笑めいた笑みであった。

 

「だが、病で死ぬよりは随分マシといった所か」

 

 独りごち、4人のもとへと歩いていくギオルギの足取りは軽い。

 

 ◆

 

 マリーの、ルシアンの、ドルマの表情は切羽詰ったものだった。なぜなら気を抜けばそのまま意識がどこか遠くへ、そして決して帰ってはこられない場所へとつれていかれそうだったからだ。

 

 誰につれていかれるのか。

 それは頭上の、空に輝く巨大な力の塊にである。

 消滅の魔術はとりあえずの形を為した。

 しかし制御ができていない。

 

 力の塊はまだ消滅の魔術ではなく、消滅の魔術を行使しうるだけの力の塊に過ぎない。

 

(ち、畜生!!!爪先から感覚が薄れてやがる。そして眠い!でも寝たらもう起きる事はねえだろうな…なんとなくそれが分かる。マリーの秘策は、マリーの秘策はクソだ!!二度と俺はマリーを信じねえぞ!)

 

 ドルマは歯を食いしばって、致命的な崩壊に繋がる“何か”を耐えていた。マリーもルシアンもヨグも同様だ。

 ヨグだけは無表情のままだが。

 無表情のまま大量の脂汗を垂らしている。

 

 4人は必死に意識をもっていかれる引力に抵抗していた。

 だがもはや限界だ。

 

「るし、アン。ドルマ、ヨグ…ごめんね」

 

 マリーがか細く謝り、三人ははぁっとため息をついた。

 ため息に込められているのは諦念だ。

 そして赦し。

 

「マリーの話に乗らなくたって、魔族に踏み潰されていたんじゃないかな。遅かれ早かれの話だった気がする。いいよ、僕は。そしてマリーの事が好きだよ」

 

 ルシアンがいい、マリーは苦笑しながら“知ってる”と答えた。ヨグが薄い笑みを浮かべながら言った。

 

「僕は死ぬわけじゃあない。風になるのさ。さて、次はどこへ吹かれていこうか…」

 

 ドルマはそんなヨグを珍獣を見る目で見ている。

 

「…まあいいか…よくねえけど!つうかヨグはしらねーけど、マリーとルシアンはダチだしな。魔族に殺されたりするよりは、景気よく自爆でもしたほうがマシか…」

 

 じゃあいっせーのーせで、とマリーが言って、三人は頷き、最後の気力を込めて術を完成させる覚悟を決める。

 四人は既に両の足の感覚がない。

 消滅したわけではないが、この感覚が全身に広がったその時が最後だと何となく分かっていた。

 

 マリーが口を開いた。

 

「いっせーの…」

 

 ――戯けがッッッッッッ!!!!

 

 怒声が響き、電撃を帯びた平手打ちがマリーの、ルシアンの、ドルマの、ヨグの頬を打擲する。

 

 ギオルギであった。

 気付けにしてはやや激しいが、一応気付けと、そしてちょっとしたお仕置きの意味も兼ねた平手である。

 西域では口でいって分からないものはぶん殴ってわからせるという教育が主流だ。

 人は痛くなくてはモノを覚えない。

 

「こんなことをやらかすなら大人に相談しなさい!大莫迦者め!だがよくやった。アレは私が貰って行こう。戦場で気になる女性に出逢ってね。贈り物をしたいのだ」

 

 ギオルギはニヤリと笑い、片手を天に掲げる。

 

「もう少し遅ければ危なかったな。アレはまだ形になっていない。純粋な力の塊。魔力の塊。そして、空を舞う僅かな触媒…あれらと、そして君達の心と体、つまり命を代償に発動に至っただろう。まだまだ君達では扱うのは早い術だ。5、60年は精進しなさい」

 

 螺旋を描き空へ舞いあがり、収束していった力の塊は、まるで時をまきもどすかのようにギオルギが掲げた掌へ吸い込まれていく。

 

 力は膨大で、ギオルギは全身が破裂するかのような感覚を覚えた。彼をして十全に扱いきれる代物ではない。

 水袋に際限なく水を注げばどうなるか?

 水袋は破裂する。

 

 だがギオルギにとっては問題はなかった。

 

 ――制御などするつもりはない。よって問題なし

 

 ギオルギは唖然とする四人を尻目に、口の端に垂れる赤黒い液体をローブの袖で拭き、なにやらふわふわとした足取りで魔軍の方へ歩いていった。

 

 ◆

 

 余り長く歩くだけの体力はないかもしれない、とギオルギは一瞬不安になったが、魔軍もまた都市へ迫ってきていたため、これは杞憂であった。

 

 迫り来る魔軍の戦闘には1人の見覚えのある将がいる。

 ギオルギは片手をあげて、彼女に挨拶をした。

 

「やあ、ギマ嬢」

 

「あらァ。情けなく逃げ帰った劣等…貴様、腹に何を吞んでいる?」

 

 ギマは最初、ギオルギを侮蔑するような表情を浮かべていたが、その表情は瞬時に警戒混じりの敵意へと変じ、そして害意へと変わっていった。

 

 ギオルギはギマの詰問には答えず、代わりに全然関係のない話を口に出した。

 

「昔、一時の過ちで情を交わした人がいてね。ジーナは彼女の娘なんだ」

 

 ギオルギは口端についた血をぺろりと舐めると、悪戯めいた表情を浮かべて言った。

 

 ギマはそれを黙って聞いている。

 聞く義理はないのだが、ギオルギの全身から放射される不穏な熱を帯びた気配が彼女を“見”にまわらせていた。

 

「その人とはただの一晩過ごしたきりだ。だがある時、雨の夜。私の家を訪ねてくる者がいてね。その女性だった。子供を抱えていた。彼女の本来の相手との間に出来た子供だよ。私は彼女を一目みるだけで分かった、ああもう長くはないなと。今にも死ぬな、と」

 

「あらァ…劣等同士のそのような話を聞きたくはありませんが、一応聞いておきましょうか、その後どうされたので?」

 

 ここへきてギマはようやく足をじりじりと前へと進めていった。殺傷圏内に入ったその瞬間に、頭を吹き飛ばしてやるつもりだった。

 

「私は子が出来ない。体質だ。まあそれは良い。その女性は夫を事故で亡くしてねぇ、生活の為にと体を売り、結果として女性もまた病んでしまったそうだ。だが子供を道連れに、というのはやはり嫌だそうでね、昔関係をもった者達の下へ、子供の世話を…とここまで言えば分かるだろう?ジーナは血が繋がっていない、私の娘同然の子なんだ」

 

 そもそもジーナとは誰だかわからないギマではあるが、目的はギオルギの話をきくことではなく、話をきいてるふりをして距離をつめる事である。

 配下にやらせるわけにはいかなかった。

 

 なぜなら迂闊に刺激すればどんな蛇が藪から飛び出してくるかわからないからだ。

 相手が何かをたくらんでいようとも、それを実行に移す前に殺す…ギマはそう考えていた。

 

「それはそれは…で?それがこの状況で何の関係があるので?」

 

 ――あと3歩

 

「ジーナには母親と私の事は話していないんだよ。路地裏に捨てられていたのを協会のものが見つけ、そして優秀そうだから私が使っている…そういう話になってるんだ。だのに、彼女はなんというか、“そういう仕事”を嫌っていてね、なんでだろうね」

 

 ――あと2歩

 

「あるいは、赤子の頃を覚えているのかもしれない。彼女は記憶力が良いから。あの年で三等術師は将来そら恐ろしいとすら言える。親バカだとおもうかね?」

 

 ――あと1歩

 

「帝国の未来は明るいな。先ほど四人の生徒達がとんでもないことをやらかそうとしていて、間に合わないかとヒヤヒヤしたものだ。あんな事は君、大人の術師だって早々できないよ。よほど覚悟が決まってるか、イカれてなければね」

 

 聞くに堪えない戯言の数々に、ギマは苛立ちながら聞いた。

 既に殺傷圏内。殺す前になぜそんな話をべらべらと話したのか、その意図を聞いてみたかったのだ。

 

「劣等…貴方は先ほどから自分の話ばかりしていますねェ、結局、その話が今のこの状況に何の関係があるのです?」

 

 まともな返答は返ってこないだろうと思いながらも、ギマは疑問を口にした。

 だが予想外にもギオルギの返答は、ギマにとっては疑問の解となるものであった。

 

「大切な娘を貴様等魔族の手にかけてなるものか、と言っている。死ね」

 

 ――消滅

 

 太陽よりも明るい光が大地を照らした。

 そこに音はなく、破壊もない。

 光は術者であるギオルギの意思を汲み、その対象だけを分子分解させた。

 

 ぽかんと口をあけたギマ。

 “指”でも上位にはいる屈指の業前を持つ魔将は、間抜けな表情のまま光に飲まれて意識と肉体を虚空に散したのである。

 

 ◆

 

 消滅の術式に限らず、術というのは発現させるだけではなく、その矛先が必要である。

 矛先というのは対象を決める、という事だけではやや不足だ。それは単なる選択でしかない。

 

 強い想いが術を形作り、強い意思が術の矛先を定める。

 これが魔術の基本的なあり方であり、そういう意味でマリー達にはこの意思がいまいち足りていなかったといえる。

 

 ギオルギにはそれがあった。

 娘を殺そうと、帝国を穢そうとする外敵への憎悪、敵意が。

 

 そしてマリー達が生み出し、ギオルギが矛を向けた消滅の術式は、ギオルギやギマ、そして南門一帯に広がる魔軍全てを飲み込んだ。

 

 波紋が広がるように消滅の光は拡散していき、しかしその術式顕現の爆心地から離れるに従って純度を落としていく。

 とはいえ威力が減衰したとかそういう話ではなく、質が変化したのだ。

 

 消滅ではなく、破壊の力に。

 

 ◆

 

 南門付近の術師達は目を剥いて驚愕した。

 

 明らかにヤバい光が魔軍先頭部で輝いたかとおもうと、その光がじわじわと都市部まで広がっていくではないか。

 

 光に吞まれた樹木や岩などが砕け散る様子からして、あれに人が飲み込まれればただでは済まない事は明白だった。

 

 術師とは基本的に大なり小なり“アンテナが高い”者達ばかりだが、その彼等の神経弦を、毒塗れの危険な指が激しくかき鳴らしている…そんな塩梅であった。

 

「に、逃げろ!!」

 

「退避!退避!都市内へ逃げ込め!」

 

「そこの倒れてる子供達もひろっていけ!ちなみに俺はこいつらが犯人な気がする!」

 

 光がエル・カーラの防壁にまで及ぶ頃になると流石に威力を減衰していたようだが、それでも防壁は酷く痛んだ。

 家屋も古いものはいくつか倒壊した。

 

 ◆

 

「マリーの秘策だ、間違いない」

 

「多分マリーのせいだよ」

 

「マリーだ!あいつは解体予定の家を燃やして喜んでた事がある!だから今回もマリーのせいだ!」

 

 マリー達と同じように、生徒達は戦力として徴収されていたが、その生徒達が逃げまどう最中に漏らしていた愚痴である。

 

 しかし今回ばかりはマリーだけのせいではない。



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帝国へ⑫

 ◆

 

「ヨハン殿はなんというか、術師というよりは詐欺師のようですな…いえ、誹謗するつもりはないのです」

 

 苦笑しながら言うゴ・ドに、ヨハンは胡散臭い笑みを浮かべて応じた。

 

「魔術は世界の法則を一時的に騙すもの。よって術師自体が詐欺師のようなものでしょうから、あながちそれは間違っていませんね。それに魔術どころか、世の営みすべてが偽りのものではないか…そう考えた事もあります」

 

 というと?というゴ・ド、そして満面の笑顔のザジ。

 

「ガキの頃の話ですが、当時俺は色々とツイてなかった。路上住まいのガキだったのですがね、ある日、なぜ俺にはこうも都合悪く不幸が訪れるのだろう、と思ったんです。果たして俺は現の存在なのだろうか、誰かの夢の登場人物に過ぎないのではないか、と。ほら、よくあるでしょう。登場人物を必要以上に悲惨な目にあわせて、それを見て悦に浸るような悪趣味な物語が。それを確かめるため、俺は腹を刺しました」

 

 ゴ・ドはヨハンの言葉に眉を上げ、そしてザジは脳が困った奴を見るような目でヨハンを見ながら聞いた。

 

「…どうでしたか?」

 

 ザジの問いにヨハンは首を横に振り、苦笑を浮かべて答えた。

 

「危うく死ぬ所でした。放置されていたら間違いなく死んでいましたが、ミーティスという少女に命を救われましてね。まあ彼女が奉仕依頼で街の掃除をしているときに、路上でくたばりかけていた俺をみつけたのです。まあその時は2度目の出会いだったのですがね…。おっと失礼、話が脱線してしまいましたね」

 

 いえいえ、とザジが酒をヨハンの杯に満たした。

 ほらほら、とゴ・ドが炒った豆の皿を突き出してきた。

 

「凄腕の術師殿の幼少時代、是非お聞きしてみたいですなあ」

 

 ゴ・ドの言葉にヨハンは苦笑を浮かべて過去を思い出す…

 

 

 ◆◆◆

 

 

「そうなんですね、えっと…よくわからないんですけど、死ぬ気は無いのにお腹を刺したんですか…。それで…その、この世界が本物かどうか確かめるために…?」

 

 少女は困惑気に少年に言った。

 少女の名前はミーティス・モルティス。

 少年の名前はヨハンと言った。

 

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「文句あンのかよ」

 

 壁によりかかり、無作法な姿勢で座るヨハン少年はまごうことなきチンピラであった。

 

「いやぁ…ないですけど…あ、お腹。手当てしましたけど、あんまり動かないでくださいね。私、治癒の術は苦手なんです」

 

 疑念に満ちた視線がミーティスを貫く。

 全く信じていないという目だった。

 

 ヨハン少年の目から見て、ミーティスはどう見ても聖職者であった。そして、聖職者というものは怪我や病を癒す術というものを使える。それくらいは路地裏のチンピラクソガキのヨハンでも知っていた。

 

(糞ッ。俺がこんなナリだからちゃんとした術を使いたくねえって事か。でも確かにそうだ!払う金がねえから俺には文句を言う資格はない)

 

「そうかよ、でも手当てしてくれてありがとう…ございます…ッ」

 

 ギリギリと歯を食いしばるヨハン少年は頭を下げる事によほど抵抗があるようで、そんなヨハン少年の様子にミーティスはなんだかおかしくなってくすりと笑ってしまった。

 

 ちなみにミーティスは本当に治癒が苦手だ。

 最低限の法術は使えるが、総じて出力が低い。

 彼女が信仰を捧げる神はある特定の分野以外では、こういっては不敬だが神界隈でもポンコツなのだ。

 

「なんかヨハン君って律儀ですよね。最初に出会った時もそうでした。私が迷っちゃって、それで道の脇で寝ていたヨハン君にたまたま会って。それで話を聞いていたら、悪い人達が2人がきて」

 

 ミーティスは当時の事を思い出す。

 

 不逞の輩を前に、ヨハン少年がおもむろにしゃがみこんで震えだしたのだ。

 それを怯えていると勘違いしていた不逞の輩はすっかり油断しきって、ヨハンが唐突に投げつけた投石を目に受けて転がり悶えた。

 

 そして唖然としているもう1人の股間を盛大に蹴り上げたのだった。

 

「殺さないでやった。助けてやるから金を出せよ。女、あんたは…いいや、俺が勝手に助けた事だもんな」

 

 そんな態度に不器用な公平さを感じたミーティスは、それからなにかとヨハンに会いに路地裏を訪れていた。

 

 ◆

 

 頭をあげたヨハン少年は、不意に地面に耳を当てた。

 それを最上級の謝罪だと勘違いしたミーティスはあわててヨハン少年を抱き起こそうとする。

 

「そ、そこまでしないでください!だめですよ!男の子なんだからっ」

 

 そんなミーティスに、ヨハンはシッと口に指をあて黙るように指示をした。

 

「…糞ッ!なんだかしらねえけど沢山人が来る!おい、急いでココを離れるぞ!」

 

 ヨハンがミーティスの腕を引いてその場を離れようとするが、暗がりから複数の薄汚い男達が、しかもヨハン少年とミーティスの逃げ場を塞ぐように二手に分かれて現れたのだ。

 

 男達は実に6人居た。

 中には刃物を持った者もいる。

 

「おいおい、どうした?急ぎの用事でもあるのか?クソガキ」

 

 男の人がヨハン少年達に話しかける。

 その声色には敵意という名の苦いシロップが多分に塗られていた。

 

 ヨハン少年はちらりとミーティスを見た。

 目線を動かす僅かな時間に、ヨハンはミーティスを見捨てて逃げるかどうかを検討していた。

 6人には勝てない、ましてや凶器なども持たれていては。

 

 しかし見捨てて逃げるのならばわざわざ顔を見る必要などはない。

 

 例えば処刑人などは、処刑される者に情を抱かないために袋を被せてからその首を絶つという。

 

 それと同じだ。

 

 直ぐに死ぬ者、どうあっても助ける事が出来ない者の顔を見る意味はない。

 

 結局、ヨハン少年は本心ではミーティスを見捨てたくないのだ。だから見捨てない理由を探す為に顔を見たのである。

 

 ところがミーティスの表情は無表情…いや、虚無と言ってもいいほどに感情が浮かんでいなかった。

 

 ――諦めてるのかコイツ?

 

 ミーティスの無反応を諦念と勘違いしたヨハン少年は、にわかに怒りが湧いてきた。

 

 ――どうせ俺がお前を見捨てるとでも思ってるんだろう

 

 ――だからそんなツラしてるんだな

 

 ――俺がそんな弱く見えるかよ…トサカに来たぜッ!

 

 ヨハン少年の腹がかたまる。

 

 ◆

 

「おい、クソガキ。てめぇがイカれた野郎だって事はしってる。だがよ、俺はてめぇを買ってるんだ。光物だしてもビビらねえ奴は中々いねえよ。腹が据わってやがる。だからよ、ここは見逃してやるからそこの女置いてけ。俺らの邪魔ァするな。いいな?てめぇも俺達6人をどうこうできるなんて思ってねぇだろ?」

 

 ヨハン少年は俯いた。

 怒りで歪んだ表情を隠すためだ。

 

 ――どいつもこいつも俺を舐めやがって

 

 顔を俯かせる瞬間、ヨハン少年は周囲をさっと見渡した。

 武器になるものがないか探したのだ。

 しかし、都合の悪い事にそんなものは見当たらない。

 じゃあどうするか、とヨハンが策にもならない策をどうにかこうにか形にしようとしていた時、その場に清廉な声が響き渡った。

 

 ミーティスだ。

 ミーティスは無表情のまま、凪いだ声色で言葉を紡いだ。

 

「いいですよ、ヨハン君。私を差し出してください。ヨハン君は脅迫されたんです。だからそれは悪い事ではありません。でも……」

 

 ――貴方達は、違いますよね

 

 ◆

 

「貴方達は悪い事をしていますよ…?このままじゃ、神様のバチがあたっちゃいます…すぐに、悔い改めて欲しい、です…けど…」

 

 ミーティスの言葉は噴飯物だった。

 少なくともその場の、ヨハン少年と彼女以外のすべての者にとって。

 

 ヨハン少年は背筋になにか冷たいものを突っ込まれたような、そんな気持ちが抑えきれない。

 あるいは大人の男達6人を打倒できるだけの術が使えるのだろうか?

 

 しかしヨハン少年はその考えを打ち消した。

 癒しの術が苦手な聖職者など、未熟も良い所だ。

 

 6人の男達は呵呵大笑し、その内の1人がつかつかとミーティスの眼前に立ち、その頬をかるく叩いた。

 

 ぱぁん、という乾いた音。

 途端にヨハン少年は駆け出し、姿勢を低くしてその男の脚に組み付いてたくみに自身の足をひっかけて押し倒した。

 

 だがそこまでだ。

 たちまち周囲の男達に引き剥がされ、殴る蹴るといったリンチを受ける。

 万全でもこの人数差では話にならないのに、まだ腹が痛む状況では結果はいわずもがなであった。

 

 男達の暴力は苛烈に過ぎた。

 ガキ1人痛めつけるのにここまでの暴力は必要はない。

 だが男達は手を止める事ができなかった。

 なぜなら…

 

(このガキ!なんて、なんて眼をしやがるっ…!)

 

 少しでも殴打の手と足を止めれば、たちまち喉に食いついてきそうな野蛮な殺意がヨハン少年の眼から放射されていたからだ。断じて子供がしていい眼ではない。

 

(いっそ、このまま蹴り殺してやる!)

 

 男達は自身でも分からない何かに急かされるように、1秒でも早くヨハン少年の命の火を消してしまおうとし…そして不意にその暴力を止めた。

 

 

 …てください

 

 …めて、ください

 

 そんなか細い声が2度響き、それは小さい声であるはずなのに不思議とその場の者達の聴覚神経の隅々にまで浸透してきたからだ。

 

 ヨハン少年は、男達はミーティスに視線を向けざるを得なかった。視線を向けなければいけない、そんな気持ちにさせられていた。

 

「貴方達は、悪い人だと思います…だから……神様に聞いてみましょう」

 

 ミーティスは小さい両の手を組み、そして離し。

 呟いた。

 

 ◆

 ――神威

 

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 ――顕現

 

【挿絵表示】

 

 

 

 ◆

 

 全てが終わった時、ヨハン少年は彼にしてみれば珍しくぽかんと口をあけていた。

 ヨハン少年の服は血塗れだ。

 腹部分こそは彼の血だが、その他の部分は返り血である。

 男達の血だ。

 

 目の前に立つミーティスの傍に“何か”が佇んでいる。

 それがなにかはヨハン少年には分からない。

 しかし、人知を超えた何かである事は分かる。

 

 男達の姿はどこにもない。

 “何か”が突然現れ、そして男達を物言わぬ血肉にしてしまった。

 

 ヨハン少年はミーティスにかけるべき言葉を見つける事が出来ないまま、ただただ馬鹿みたいにミーティスを見つめていた。

 

 そのミーティスはぽつりと何かを呟き、“何か”が頭から光の粒となり空へ昇っていく。

 

 そして、ミーティスはヨハン少年の方を振り向き、悲しそうに笑っていた。

 

 ◆

 

「大丈夫ですか?…ごめんなさい。怖がらせてしまいましたよね。あの方は…私の神様で…私を守ってくれるんです…いえ、なんといったらいいのかな…えっと…」

 

 ミーティスはしどろもどろだ。

 彼女は折角出来た友達、ヨハン少年が自身を恐れ、逃げていくことを確信していた。

 

 なぜならこれまでずっとそうだったからだ。

 

 それは悲しい事だが、ミーティスは慣れている…つもりだった。なぜだか彼女はこの少年には嫌われたくない、怖がられたくない、と考えていた。

 

 霊感の導きだ、と術師ならば言うであろう。

 

 だが彼女の予想は覆された。

 

 ◆

 

「アレが出せるから…治癒が下手糞なのか。それはなんていうか、整っているっていうか…なんていうんだろうな、公平…なのかな、そんな感じがする。何でもかんでも出来る奴なんていないもんな。それと…糞ッ」

 

 ヨハン少年は毒づいて、先般と同じようにギリギリと歯を食いしばって頭をさげた。

 

「ありがとう、ございまスッ…!…あとさ。俺も、ああいう事、できねえのかな。力が欲しいって思ってる。これまで碌な事がなかった。だからよ、少しはいい事があったっていいんじゃねえかな…」

 

 ミーティスはそんなヨハンを眼をぱちくりさせながら見て、なんだか少し嬉しくなってしまった。

 しかし…

 

(でも…力は…私じゃ…)

 

 ミーティスは俯いた。

 彼女は殺す事はできても、その力を分け与える事はできない。それが出来るのは…

 

 ――悪くない…むしろ、佳いですね

 

 声が響く。

 男の声だ。

 

 あっというミーティスの声がし、ヨハンはあたりを見回した。新手かとおもったのだ。

 

 そして、ヨハンの視線の先には…禿頭の、なんとも胡散臭い中年の男性がいた。

 

「私はマルケェス・アモン。連盟の術師。…やあミーティス、壮健そうだ。しかし君はまだ幼い。しっかり食べて、しっかり眠るように…ところで君。そう、そこの少年。君は力が欲しい、そういいましたね。力が得られるかどうかは君次第ですが…君の心を私にさらけだす勇気はありますか?」

 

 マルケェスと名乗った男に、ヨハンは言った。

 

「心ってどうやってみせたらいい。心臓を見せればいいのか。ナイフをくれ」

 

 ◆◆◆

 

「と、まあそんな感じで色々ありましてね…」

 

 ヨハンはザジとゴ・ドに言う。

 2人は笑顔を浮かべている。

 

「ほうほうほう!なかなか骨が太い幼少時代をすごされましたね。それからは修行三昧ですか?」

 

 ザジの言葉にヨハンは頷いた。やや表情が暗い。

 

「俺に諸々を仕込んだ女…師のような者がね、どうにも厳しくて、俺はもう二度と彼女の教導は受けたくありませんね…」

 

 ゴ・ドとザジは笑い、ヨハンは“笑い事ではないのです”と真顔で抗議をした。

 



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戦場百景⑨~エル・カーラ防衛戦㊤~

 ◆

 

 エル・カーラ西門では激戦が繰り広げられていた。

 

 交戦開始当初は西門に展開した術師達が遠距離攻撃術式を盛んに投射していたが、“尖兵”や“犬”らの機動力、突破力に白兵戦を余儀なくされる。

 

 剣士も術師も魔力を扱うが、剣士は自身の内側に魔力を流す事を得手とし、術師は外側に流す事を得手とする。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ――纏い、力み、隆起せよ

 ――岩纏鎧

 

 岩の鎧を身に纏った騎士…岩騎士が大地を凄まじい速度で滑走していく。

 脚をばたばた動かしているわけではない。

 それは正しく滑走であった。

 

 岩騎士は中腰に落とし、態勢を安定させながら高速移動している。この騎士は誰なのか?

 

 魔導協会二等術師コムラードだ。

 

 先の戦いにおいて機動力の不足を実感した彼は、それを術師ミシルに相談した所、接地部分の摩擦を極小にした上で風の術を追い風とし、滑るように移動してはどうかと提案され、それを実行に移したのである。

 

 ――聳える岩鱗、烈怒滾りて飛矢と為せ

 

 コムラードが片腕をあげ、魔軍の群れに掌を向ける。

 

「我輩からの馳走を受け取れィ!」

 

 コムラードの岩の鎧で覆われた腕から、たちまちに岩の棘が伸び、そして弾丸のように発射された。

 

 魔軍に岩の棘弾が次々に着弾し、炸裂していく。

 それは火勢を伴う炸裂でこそないが、魔軍に、とくに“犬”のような存在にことさら効果的に作用した。

 

 “犬”は厄介だ。

 

 素早く、ミキサーのような歯で食いつかれれば金属鎧だって引き千切られる。身体全体に不気味な眼があり、この見た目も戦気を挫く要因になる。

 

 しかも眼はかざりではなく、“犬”の視界確保にしっかり貢献しており、馬鹿正直な軌道の攻撃はおろか不意打ちの類も通用しない。

 

 こんなものがウジャウジャいるとくれば、対峙する方としてはもう堪らないだろう。

 

 “犬”を効率的に始末するには点ではなく面の攻撃が必要だ。

 回避行動を取ろうとしても間に合わない、そんな密度でまとめて始末してしまえば良い。

 

 コムラードの放った砲弾は炸裂時に広範囲にわたって岩の切片を撒き散らし、これは犬の動体視力をして回避が困難なものであった。

 

 コムラードの雄姿に防衛隊が湧き、士気が大いに向上した。

 

 ◆

 

 勿論コムラードだけが魔軍に立ち向かっているわけではなく、他の術師達も長杖から炎の刃を生成して斬りかかったり、曲芸師のように後転を連発しながら靴に仕込んだ起動具から風の刃を飛ばしたりと奮戦していた。

 

 しかしやはり尖兵や犬といった魔軍の主要な戦力の身体能力は非常に高いもので、拙い体術、剣術を操る術師達は1人、また1人と凶刃に斃れていったのである。

 

 これはもう仕方がない事だ。

 コムラードを初め、近接戦闘に長ける術師というのはそう多くは無い。

 

 だがこの防衛戦、なぜ都市内に籠らないのか。

 近接戦闘が苦手と言うのならば篭城戦をすればいいのではないか、という疑問もある。

 

 答えは簡単だ。

 そもそもエル・カーラが大結界ありきの防衛構想で建てられたため、下手に篭城をすると防衛点が増えすぎて守りきれなくなるという致命的な問題があるのだ。

 

 では大防壁なる防壁は何の為にあるのか?

 それは近隣の山脈に生息する地竜への備えである。

 都市防衛の為のそれではない。

 

 ◆

 

 戦場に生の花が咲き乱れ、咲き誇った花々を死神の鎌が絶え間なく狩っていった。

 

 魔導学院非常勤講師、三等術師スナイデルが両手に氷刃剣を携え、1人の尖兵に踊りかかった。スナイデルは元銀等級上位の冒険者だった四十路の中年男性だ。

 

 長年剣士として生きてきたものの、実は魔術の才のほうが大きかった…というような、まるで物語の主人公のような男であった。

 

 対峙する尖兵は勇壮魁偉な体躯の大鬼だ。

 新緑色の肌は古傷だらけで、この一点を以っても大鬼が歴戦の勇士である事が窺える。

 大鬼の名はバギン。

 大鬼種の中の、とある少数部族の族長である。

 

 バギンは人類至上主義が蔓延るこのイム大陸では、もはや氏族の栄達は望めないとして魔族に与した。彼のような亜人種が魔族に与する例は決して珍しくはない。

 

 この人類至上主義という意識は、何も国が率先して掲げているというわけではなく、もう長い事延々と殺し合いを続けていた弊害で無意識に刷り込まれてしまっている意識であった。

 

 ――なぜ亜人種を排斥するのか?

 ――敵だから

 

 人々の意識に定着してしまったこの差別感情を拭い去る事は出来るのだろうか?

 この戦争…果たして人類種が善なのか?

 魔族のような亜人種は無条件で悪なのか?

 

 それらの疑問を快刀乱麻を断つが如き答えなどはない。

 

 ◆

 

 右の手に巨大な戦斧を携えており、全身に重厚な黒光りする鎧を着こんでいるバギンは自身に挑みかかってくる矮躯の戦士に不敵な笑みを向けた。

 

 スナイデルが振り下ろした左剣がバギンの掲げた戦斧に防がれ、氷剣が砕け散る。

 にやりと笑うバギンに、スナイデルもまた不敵な笑みを浴びせた。

 

 交差する視線に憎悪と敵意はなく、むしろ友情めいた何かがそこにはある。

 ただし、折角の友情もただちに訪れるどちらかの死を以って終焉を迎えるが。

 

「舞い、穿て!」

 

 砕けて宙空を舞う氷片がたちまち静止し、鋭い切っ先をバギンに向け襲い掛かった。

 同時にスナイデルの右剣が弧を描いてバギンの首元を狙う。

 スナイデルが得意とする二段構えの殺技だ。

 

 バギンの片目を氷片が穿った。

 堪らず体勢を崩し、しかし戦斧は手離さない。

 だがそんな僅かな隙が戦場では命取りだ。

 もはやバギンには、スナイデルの一撃を回避する時間的余裕は無かった。

 

 バギンは自身の首に迫る刃に必殺の気迫が込められている事を認め、最期に自身を打ち倒すであろう猛者の姿をその眼に焼き付けようとする。

 

 だがバギンの視界に映ったのは、“犬”により脇腹を食いちぎられたスナイデルの姿であった。

 

 “犬”の口内は不規則に生えた乱杭牙でまるでミキサーのようになっている。

 獲物に食いついた“犬”は全身を回転させ、死を描く。

 

 重要臓器を損傷したスナイデルは倒れ伏し、一言で言えば死にかけていた。

 

 ここは戦場であり、決闘などというものは本人同士の自己満足に過ぎない。

 それはバギンにも分かってはいることだが、感情を理屈で説明する事は愚の骨頂である。

 激発したバギンは“犬”の首根っこを握り締め、その顔面を食い千切った。

 

 死にかけているスナイデルとバギンの視線が交錯し、両者の間には目に見えない会話が交わされる。

 

 スナイデルから不可視の何かを受取ったバギンは、強敵に対する尊敬と、決闘を邪魔された事に対する慙愧の念を両眼に滲ませ、そして戦斧を横薙ぎに振り切った。

 

 ◆

 

 ――逝きましたか、術師スナイデル

 

 スナイデルに戦斧が振り下ろされる所を見てしまったミシルが、その無表情を装う仮面に僅かな哀切を滲ませる。

 

 ミシルはスナイデルとは顔見知り程度だが、それでも同胞であり、同僚である。

 その死を防ぐためならば杖を振る事を厭う積もりは無かった。

 

 しかしそれが出来ない理由がある。

 

「アリーヤ、自身の身のみを護りなさい。私は彼の相手を致しましょう」

 

 ミシルの絶対零度の視線の先には1人の魔族が立っていた。

 

 ガウンを纏った男だ。

 蒼い肌、そして血の色の瞳。

 異様な口元だった。

 唇がない。

 歯が外気に触れている。

 何十本もの、とても正常とはいえない本数の歯が口元に並んでいた。

 余りにも悍ましい姿、しかしその声は明朗で、快活さすら滲んでいる。

 

「話は終わったかね、お嬢さん。お弟子さんは逃すと良いさ」

 

 ――どうせ、逃げ場なんてないのだから

 

 魔族の呟きが風に紛れ、消えた。

 

 “指”の一指、魔将ユルゼン。

 

 ◆

 

 ミシルが懐から筒のようなものを取り出した。

 飲料水を詰めた小さい水筒だ。

 蓋を開け、携えたまま静かにユルゼンを見つめている。

 その瞳には何の感情も浮かんではいなかった。

 

 ユルゼンは“何をしているのか”などと阿呆な質問を投げる事はなく、代わりに右手の2本の指を立て、左肩の位置まで引き上げてそれを横薙ぎに振った。

 

 水鞭が生成され、急襲する。

 いや、それは鞭というには余りに殺傷力が高すぎた。

 

 水鞭が唸りをあげ瞬時に殺戮の円環を戦場に描く。

 彼我の距離は12、3歩の距離でしかないが、その倍の更に倍する範囲の尖兵、犬、そして防衛隊の術師達の胴体が両断された。

 

 水鞭はミシルの細い身体に詰まった内臓をぶちまけようと迫り、そしてその構成を崩して地に垂れ落ちる。

 

 ユルゼンが眼を細めミシルを見た。

 ミシルは水筒の水を水鞭にぶちまけたのだ。

 

 水鞭に自身の支配下にある水をぶちまけることで、ユルゼンの制御権を一時的に奪い、水鞭の構成を崩して無効化した。

 

「仲間もお構いなく、ですか」

 

 この時初めてミシルがユルゼンに言葉を投げかけた。

 ミシルの視界の端々にはユルゼンに殺された術師達、尖兵ら、犬の姿が映っている。

 

「甘い事を言うね。戦場は初めてかな、お嬢さん」

 

 ユルゼンの言にミシルは答えない。

 代わりに瞳に宿る冷気が強まった。

 

「私は研究肌なんです。戦いは好きではなくって…。でも、貴方のような方なら、早めに取り除いてしまうほうが宜しいのでしょうね。最近は研究も失敗が続いています。このあたりで徳を積んでおきましょう。少しは運気も良くなるかもしれません」



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帝都の日常①

 

 ◆

 

「そういえばヨハン殿は今日は何かご予定があったのですか?」

 

 ザジの質問にヨハンはハッとした。

 各種買出しをするつもりだった筈なのに忘れていたのだ。

 物資の補充どころか、昼間から酒を吞んでしまっている。

 

 この事態を打開する術は何かなかっただろうか?とヨハンは自身の魔術、魔法、法術のレパートリーに思いを馳せるも、残念ながらそんな都合の良い物は無い。

 ちなみにヨハンの思う都合の良い物とは、時戻しの大魔術などの事を言う。

 

(かつて南域で栄華を誇っていた王国の国王は、妃の死という現実を受け入れられずに国民全ての命を触媒として妃の骸に“時”を封じ込めたという…紛れもない大魔術だ。あるいはそれが時の秘宝…王国で現人神として君臨し、信仰を集めていたからこそ可能な術だ。しかしそれでも人の身である事には変わりは無い…時を留めおく事など出来るのだろうか…)

 

 ヨハンは既に現実逃避をしていた。

 

 参ったな…と何となく天井を見上げると、視界が白銀の何かで覆われた。

 その色、香りを知覚した瞬間、ヨハンは生涯でも数少ない敗北を明瞭を意識したのである。

 

 見覚えのありすぎる顔がジトっとした目でヨハンを見下ろしていた。

 

 ◆

 

「君がどこで何をしているかはなぁーーーんとなく分かるんだよね、それはヨハン、君も同じでしょう?…ところで…」

 

 ヨルシカの鋭利な視線がザジとゴ・ドを横薙ぎに斬り払った。

 後先考えずに全力で守れば、レグナム西域帝国海軍軍船の衝角突撃にも耐えうるゴ・ドの防御をヨルシカの視線は余裕綽々で突破した。

 つまり、“ちょっとおっかないなこの子…”と思ってしまったのだ。

 

「これは挨拶が遅れました、ええ、ヨハン殿とはアシャラで…」

 

 ザジとゴ・ドは神妙な様子でヨルシカに自己紹介をし、ヨルシカも笑顔で返礼する。

 別にヨルシカは2人に対して隔意などは抱いていなかった。

 精々が“あんまり長い時間恋人をもっていかないでくれ”くらいのものであろうか。

 そんな稚気にも似た嫉妬心が視線に滲みでていたのだ。

 

 そして再び視線はヨハンへと。

 

「申し訳ない」

 

 連盟術師ヨハンはこの時ばかりは得意の弁舌を振るう事は無く、ザジやゴ・ドなどと同様に神妙な様子で頭を下げたのだった。

 

 ◆

 

 ヨルシカは言葉や態度とは裏腹に、内心ではやや安堵を覚えていた。

 それはヨハンに人間味を感じたからだ。

 

(一時期の彼はひどく不安定だった)

 

 ヨルシカが見る所、ヨハンという男は自身の命やそれ以上に大切かもしれないものも勝利のためなら平気で切り捨ててしまう危うさがあった。

 それは戦闘者としては優れているのかもしれないが、人間としては酷く欠落した部分がある事は否めない。

 

 それに、とヨルシカは思う。

 

(少し位抜けていたほうが良いかも。普段の彼ときたらソツが無さ過ぎて、私がしてあげられる事が殆どないから)

 

 ◆

 

「おお、アシャラ王とならほんの一合程度ですが立ち合わせて頂いた事がありますぞ。純粋に体術のみの立会いでしたが、だからこそ自身が膝を突いてしまった事に私自身が驚愕いたしましたな」

 

 ゴ・ドが顔に喜色を浮かべて言った。

 ヨハンはさもありなんと思い、杯に満たした酒精を煽った。

 

(ヨルシカに武術の手ほどきをした御仁ともなれば、な)

 

 なぜヨハンがまた吞んでいるのかといえば、男三人の飲み会が女一人、男三人の飲み会へと変わったからである。

 

 そんな四人はやはり戦場に身を置く者らしく、やや殺伐とした話題で盛り上がっていた。

 

 ヨルシカは武の人であり、ザジもゴ・ドもそうだ。

 ヨハンはヨハンで武なんて知ったこっちゃないとは思っているが、彼とて喧嘩殺法には一家言がある。

 

 騙し討ち、奇襲、武人気質の者はそういうものを嫌う者も多いが、幸いにもこの場に居る者はそんなあまっちょろい考えは持っていなかった。

 

「いえいえ、ヨハン殿。命の奪い合いに卑怯も何もないのです。規則が定まっている試合ではないのですから。私とて小手先の技の1つや2つは使いますとも」

 

 ザジが胡散臭い笑顔で言う。

 ヨハンが“ほう、それは?”と促すとザジはやや恥ずかしそうに口を開いた。

 

「対複数戦の場合の話になりますが、まず最初の一人を惨たらしく殺すのです。そうすれば残る者達の動きが鈍る場合がありますからね」

 

 ヨルシカは優しい笑みを浮かべながら同意した。

 彼女の脳裏にヴァラクで魔狼討伐の共同依頼を受けた事が過ぎる。

 

(懐かしいな。あの時ヨハンは出来る限り惨たらしく魔狼を殺せ、と言っていたっけ)

 

 一般的なカップルと言うのは、その交友を深める為にデートなどをするものだが、冒険者同士のカップルとなると話が変わってくる。

 

 基本的に彼等はデートの代わりに同じ依頼を受けるのだ。

 油断をすれば命に関わる依頼を想い合う二人で受ける。

 これが関係を深める事に大きく影響してくる。

 

 なぜなら命が関わる場面ではその人間の素が出るからだ。

 

 よって何度も何度も共に死線を潜ってきた冒険者同士のカップルというのは、不倫だの浮気だのといった理由で破局する事は滅多にない。

 

 そんなカップルが別れる理由の第一位はどちらか一人、あるいは両者の死亡である。

 



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戦場百景⑩~エル・カーラ防衛戦㊥~

  ◆

 

「運気とはね。そういう事を言う様には見えないがね。ま、良い。それで…2人同時に来るかね?」

 

 ユルゲンの視線の先には彼を睨みつけるアリーヤの姿がある。

 犬歯をむき出しにして、まるで理性を失った雌魔狼のようであった。

 

 ぽたり、ぽたりと音がする。

 ミシルの水筒から水が垂れているのだ。

 それをちらりと見たミシルは水筒を手にもったままアリーヤのほうを振り返って言った。

 

「アリーヤ、ここから離れなさい」

 

「嫌ですわ!」

 

 即答であった。

 ミシルの眉はたちまちへにょりとハの字になり、その様子を見たアリーヤはぷっと吹き出してしまう。

 

「申し訳ありません。でも逃げ出すことは致しませんわ。というよりどこへ逃げればいいのでしょう?下手に離れたらあの気持ち悪い犬っぽい怪物にガブリってやられてしまいそうですわ。やはり…」

 

 アリーヤはそこで言葉を切ってユルゼンに目をやる。

 その視線からは恐怖でもなく不安でもない何かが香っていた。

 

 正体不明の香りだ。

 しかし危険な香りだ。

 

「やはり…隙がなくては…。私は遅いですし…お師匠様がどうにかして下さいますの?」

 

 ミシルはその香りを嗅ぎ取った。

 そして“確かに”…と頷き、ちらりとユルゼンを見遣って言った。

 

「弟子を巻き込みたくないのですが、何か良い案はありますか?」

 

 ユルゼンは眉を上げ、私に聞くのかね、と少々呆れている様子であった。

 

「その辺に待たせておけばいいのではないかね?君が死んだら次はお弟子さんの番だ。先ほども言ったが、2人同時に来たまえよ」

 

 ミシルは首を振った。

「それでは貴方が彼女を狙うでしょう?それをされたくないから私は尋ねているのです」

 

 ユルゼンは呆れたように首を振り…ハッと表情を変えるなり、素早くその場から飛びのいた。

 すると、それまで彼が立っていた場所に同時に鋭い氷の杭が何本も飛び出してきた。

 

こういった術は水気を生みだし、それを凍てつかせ…という手順を要するが、ミシルは水気を生み出す手順を省いた。手に携えていた水筒はそれなりに容量があるが既に空っぽだ。ミシルは水筒の水を地面に吸わせ、それをユルゲンの足元まで導き氷杭を生成した。

 

 ――炎戟の華、熾烈を髣髴とさせし烈風

 ――燃ゆる刻よ、鮮やかなる炎を秘めて

 

 アリーヤが長杖の先端を地面に向け、密やかに詠唱を謳いあげるとそこから爆発的な推進力を生み出す炎が噴出し、アリーヤを前方に吹き飛ばした。

 

 爆炎を利用した高速移動の術である。

 

「顕れなさいましッ!」

 

 そして後段の詠唱によって長杖の先端から吹き出ていた一条の炎が刃の形に収束し、アリーヤはそれを横薙ぎに振り切った。

 

 紅い軌跡が真一文字に宙に描かれ、唖然とした様子のユルゼンの胴体は真一文字に切り裂かれる。

 

「てごたえがありませんわね!ド畜生!」

 

 ある程度殺しに慣れた者ならば、自分の攻撃が相手の命に届いたかそうでないか位は分かるものである。

 この時点のアリーヤはそれが分かる程度には実戦経験を積んでいる。

 

 アリーヤは毒づき、石火のような早さでその場を飛びのいた。脳裏に死神が手を差し出して自身の襟首を掴もうとしている姿が想起されたからだ。

 

 要するに厭な予感、というやつである。

 

 予感は過たず、両断されたはずのユルゼンの上半身と下半身が何事もなく再接合され、そればかりか身体の至る所から切れ味鋭い水の刃が放散された。

 

 迫る水刃をかわす余裕はない。

 5、60セントもの刃は一撃でも受ければ致命傷になりかねない。

 

 アリーヤは先ほど形成した炎刃を見るが、それはすっかり勢いを失っている。

 

(これでは撃ち落せませんわね。でも…)

 

 アリーヤの背後から氷柱が何本も飛来し、正確無比に水刃を狙い撃った。ミシルの術だ。

 水刃は氷柱を切断するも、砕けちった氷柱の氷片が水刃に混じり、ユルゼンの魔法は構成を崩してその場に落下した。

 

 魔法だろうと魔術だろうと、相対する二つの事象がカチあえばどちらが事象を制御するかで鬩ぎ合い、結句、どちらかがどちらかの制御を奪うか、あるいは相殺して双方の事象が消滅する。

 

 ◆

 

「甘い事を言ってるかと思えば堂々と騙し討ち。私は嫌いではないよ、君達のような者は。精々殺り合おうじゃないか。しかし皮肉なものだ。我々を倒そうと考えているようだが、我々がいなくなればどうなるか分からないとは…」

 

 ユルゼンの口調はどこか投げやりだった。

 まるで望んで戦場に立っているわけではないような、そんな気配がする。

 

「……?どういうことですか?あなた方魔族は人類種を滅ぼし、この大陸を自らの物としたいのでしょう?私達が貴方達を倒そうとするのは当然の理屈では?」

 

 ミシルが問うと、ユルゼンは皮肉気に嗤って答えた。

 

「ああ、君達は“アレ”を知らないか。いい気なものだ。ところでなぜ我々が君達を劣等と誹謗するか分かるかね?生物としての格の差を以って言っているわけではない。“アレ”を我々に押し付け、自身らは繁栄を享受し、そして我々を悪と断じる道化っぷりを嗤っているのさ。我々を滅ぼしてどうなるのか、考えた事があるかい?誰があんなモノらと対峙して、それを抑えているのか。それは我々だ。我々がいなくなれば世界は“アレ”の眷属で満たされるだろうよ」

 

 ミシルはユルゼンの瞳に確かに恐怖に似た何かが過ぎるのを見た。強大にして傲慢、人間を劣等と見下す残虐無比。

 

 それが魔族。

 それが通説。

 

(或いは私達は何か思い違いをしているのかもしれません)

 

 ミシルは内に湧いた懸念を抑え、杖を構えた。

 アリーヤも既に臨戦態勢だ。

 

 ユルゼンはそんな2人に笑みを投げ、両の腕を大きく広げた。

 

「我々は大陸に戻らなければならない。果ての大陸は…あの地は神を降ろすには余りにも穢れすぎている。母なるあの大陸で我等が神に再び降臨願い、“アレ”を打ち倒さねばならない。穢れが世界へ広がる前に!…君等は私がなんと言っているか分からないだろうがね。…さて、少し語りすぎたか。そろそろ……」

 

 ユルゼンが言葉を切る。

 すると、見る見る内にその体が霧と化し、周囲に拡散していった。

 




モンハンやってる人なら分かるとおもいますけど、アリーヤのアレはガンランスみたいなかんじです。


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帝都の日常②

 ◆

 

 四人はしこたま飲んだ後、店で解散した。

 日は沈んではいないが、すっかり傾いてしまっている。

 

 店を出たヨルシカとヨハンはやや頬を赤くしていた。

 頬が熱しているのがきになるのか、自分の頬をぺたぺたと触りながらヨルシカが言った。

 

「結局結構吞んじゃったね」

 

 ヨルシカの言にヨハンは再び頭を下げた。

 

「済まなかったな。少し興が弾みすぎてしまったよ。俺はこれから買出しにいく。先に屋敷に戻るか?」

 

 ヨハンがそういうと、ヨルシカは首を振った。

 

「いいよ、一緒に行こう。あ、私が買った分は屋敷に置いてあるから」

 

 ヨハンはうんと頷き、空を見上げた。

 厭な感じはするが、霊感に訴えかけてくるほどでもない気配にほんの僅かな安堵を覚える。

 

 これまで以上の危険な戦い…自分かヨルシカが、あるいは両方が死んでしまうかもしれない、そういう戦いなど関わりたくは無い。

 

 無いが、逃げてもどこに逃げれば良いというのか?

 大陸そのものから脱してしまうか。

 それもいいかもしれない、とヨハンは思う。

 思うが。

 

「ヨハンは少し変わったからね」

 

 ヨルシカがそんな事を言った。

 

「以前の君なら、失う事を恐れて臆したりはしなかったと思う。進むにせよ退くにせよ、きっぱり割り切っていたはずだ。でも、今の君は違うね。私を失う事を恐れている。友人にも至らない、ちょっとした知人の命を惜しんでいる。その変化に君自身が気付いている。そして君はそれを弱さだって思ってる。だからそんな不安そうにしてるんだ。弱くなった自分で魔族とどこまでやれるのかってね」

 

 ヨハンは苦笑した。

 その通りだったからだ。

 

「でも以前のヨハンより今のヨハンのほうが出来る事は多くなってるはずだよ。私も魔力を扱うからよくわかる。君から感じる力は以前より遥かに大きい。だったら君が感じている弱さっていうのは心の問題だ。因みに私は君が弱くなったとは思っていないよ」

 

 そうだな、とヨハンは頷く。

 

「一応聞いておくけどヨハンには今失いたくないものがいくつもある…その一番は私だ。そうだね?」

 

 妙に圧のある笑顔に、ヨハンはレッド・カウのように頷いた。普段とは逆の構図である。

 

 なお、レッドカウとは赤い体毛が特徴的な牛に似た魔獣だ。

 まるで頷くように首を上げ下げしつづけるという奇癖を持つ。

 

 この魔獣は本来イム大陸には生息していないのだが、暫く前に外界交商船が番いを連れてきて、イム大陸で繁殖を試み、現在ではそこそこの個体数が存在する。

 

 外界交商船というのはいわゆるイム大陸の外、例えば極東の国々やあるいは更に遠方の国との商取引を行う為に運用している巨大商船である。

 

 レグナム西域帝国が資金援助しており、安全な航路が確立すれば世界はもっと広がるかもしれない。

 

「それならいいんだ。でも魔王が生きている限り、世界は魔族の脅威に晒され、私達の生きていける場所はどんどん狭くなっていってしまうかもしれない。逃げ回る人生なんて私達らしくない。だからこうする事に決めた。以前君は私の為に神様を殺してくれたね。私はそれを手伝った」

 

 ああ、とヨハンは応じた。

 

「なら今度は私が君の為に魔王を殺してあげる。私の業はあの怪物の命にも届いたんだから、魔王にだって届くだろう。ヨハン、君はそれを手伝ってよ。…あ、あのお店だね。よかった、まだ空いてるみたいだ」

 

 ヨルシカが店に向かっていく。

 その背を見るヨハンの心中は何か不可解な思いで占められていた。

 

 ――俺の為に、か

 

 ヨハンは他人の為に、目的の為に自身の命を賭け金とした事は何度となくあった。しかしヨハン個人の為に命をかけようとしたものは居なかった。

 

 ヨハンの使う魔術や戦術が自身を代償にするものが多いのは、彼が抱える自暴自棄めいた何かのせいなのかもしれない。

 

 “公平さ”を求めるヨハンだからこそ自身が身を切る事の多さに自棄になった。ならば切る身がなくなるまで切ってやろうじゃないか、というような。

 

 それはある意味で浅ましいのかもしれない。

 正当な見返りを求めたがるというのはいかにも俗だ。

 

 しかしヨルシカの言葉はヨハンに妙な感慨を齎した。

 なにか、自分が求めていたものを与えられたような気がしたのだ。

 

「ねえ、なんで突っ立ってるのさ!早くきなよ!」

 

 ヨルシカが店の前で叫んだ。

 ヨハンは軽く駆け出す。

 

 妙な不安、懸念。

 ヨハンの中からそういったものはすっかりと消えていた。

 

 東から訪れるという勇者とやらを人間爆弾に変えてでも魔王を始末する、そう腹を括ったのである。




yell out secretがヨルシカの名前の由来です


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戦場百景⑪~エル・カーラ防衛戦㊦~完

 ◆

 

 ユルゼンの姿が霧と化し、周辺は白霧に包まれた。

 するとミシルがおもむろにアリーヤを抱き寄せて、自身の長い髪で彼女を覆い隠すように包み込んだ。

 

「ひゃっ…」

 

 驚いた様子のアリーヤは、言葉とは裏腹にミシルの柔らかいお腹に顔を深々と埋め、“役得役得”と呟いていた。

 

「アリーヤ、貴女はどうも緊張感がありませんね」

 

 気だるげに呟くミシルだが、彼女もまた緊張感が薄いように見える。ただ、術師という生物の上っ面を信じるというのは、結婚詐欺師が口にする永遠の愛というセリフよりも信用出来ないものではあるが。

 

 白霧はユルゼンの肉体そのものである。

 彼は自身の肉体を固体、液体、気体と、所謂三態変化させる事が出来る。従って…

 

「お師匠様!」

 

 アリーヤが叫ぶのと同時に、ミシルの首まわりに氷の輪が形成され、間を置かずにその円径を0へと変じた。

 内輪には剃刀のような鋭い刃があり、そのまま首で受ければミシルは哀れ断首の憂き目に遭うだろう。

 

 だがミシルは軽く首を振り、その長い髪をぱらりと散らす。

 

 氷の切断輪がミシルの髪に刃が触れるなり、ぱきりと砕けて地面へと落ちる。

 

 氷の輪は地面に落ちて、間を置かずに気化して霧と化す。

 ミシルの瞳には思案の色が揺蕩う。

 

(なぜ彼は私の奇襲をかわしたのでしょう)

 

 肉体をあのように変化させる事が出来るならば避ける必要などないではないか。ではアリーヤの一撃は?

 

(あれは奇襲でしたから埒外かもしれませんが、仮に受けても問題ないと判断したならばどうでしょう。私とアリーヤの魔術の違いは?発現する事象の違いは勿論ですが、それは表面的なものに過ぎません)

 

 ――君も水のあしらいには自信があるようだが、私のように肉体を変化させる事は出来まい。階梯が違うのだ。君の魔術では私を討つ事はできないよ

 

 今度はミシル達の周囲に氷槍が次々形成されていく。

 逃げ場は無いが、ミシルにも避ける意思は無かった。

 

「アリーヤ。少し考えますので頼みます」

 

 ミシルが言うとアリーヤは笑顔で“お任せください”と快諾した。

 

 ――羽撃け、小さき炎の使者よ

 

 アリーヤがミシルの髪の下から飛び出して長杖を構えると、その先端部分の周囲に拳大より3周りは小さい炎弾が1つ2つ、3つ4つと次々と灯り、回りだす。

 

 ――仇の血肉を種火とくべて、踊り恋啼け

 

 ――火啼鳥

 

 氷槍が切っ先をミシル達に向けて襲いかかると同時に、アリーヤが杖の先端より無数の炎の弾丸を発射した。

 一発一発は小さいものの、炎の弾幕が氷の槍を次々と砕いていく。

 

 撃墜された氷槍は、しかしその場で気化し、再び霧へと戻ってしまう。そして再び氷槍として再構築されミシル達に飛来する。

 

 炎弾を放ち続けるアリーヤだが、顔色が明らかに悪い。

 無理もなかった。術を行使しすぎているのだ。

 事実、アリーヤはこめかみを短刀で抉られているような頭痛に苛まれている。しかし彼女は術の行使をやめようとはしなかった。

 

 なぜならミシルに頼まれたからだ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 なお、火啼鳥は小型の火弾で弾幕を張る魔術であり、術の由来は西域に広く生息している鳥、『火啼鳥』からそのまま流用された。

 

 火啼鳥は西域に一部地方に分布する鳥類だ。

 火を好み、火のある場所で求愛行動を行うことが知られている。石を抉るほどの硬質な嘴と非常に高い体温も特徴的。

 

 この鳥は群れを成す傾向があり、この点が特に危険視されている。というのも周辺に火気がなければ火啼鳥はその嘴で石を突き、石火にて火災を引き起こすからだ。

 そんなものが群れをなせば、場合によらなくても大火災の原因たりうる。

 

 幸いにもこの鳥の生息地域は荒れ果てた僻地であって、その地域には余り人が住んでいないこともあり大事に至る事はそれほどない。

 

 とはいえ、過去には何の因果か帝都まで飛んでくる個体もあり、しばしば火災の原因となっているという事実もある。

 

 レグナム西域帝国はこの鳥を魔獣と同一視しており、見つけ次第の駆除を推奨している。

 

 ◆

 

 ミシルは茫洋とした目で前方を眺めていたが、ややあって短杖を前方の空間に突き出し、短く呟いた。

 

 ――凍れ

 

 短杖の先から冷気が滲み、それは波紋がひろがるように周囲に拡散していった。

 

 頭上から、側面から、背後から声が響く。

 

 ――霧ごと凍てつかせようというのかね?賢そうに見えたがどうにも愚かな事をする

 

 ミシルは声に構わず、ただただ冷気を拡散していった。

 底冷えのする冷気が広がっていくと、キラキラと光る氷の粒が舞い始めた。

 

 ミシルの周囲の霧が凍てついているのだ。

 だがそれは霧全体には全く足りていない。

 

 さらに杖を持つほうとは逆の手で、掌を表にして違う術を行使する。その中指には青く大きい宝石が嵌められた指輪が輝いていた。

 

 ――湧け

 

 宙に一抱えほどの水球を生成したミシルはアリーヤのほうを向き直って告げた。

 

「アリーヤ。これを撃ちなさい。無防備となる数秒。死なないように。私も頑張ります」

 

 アリーヤはミシルの言に一切の疑問をさしはさまず、ミシルに向けて杖を向けた。

 火弾がミシルの水球に殺到し、蒸発させる。

 

 当然のようにアリーヤが撃墜していた氷槍が2人に殺到し、二人の全身を傷つける。

 アリーヤは肩や腕を、ミシルは脇腹を抉られその場に倒れ付した。

 

「重要臓器はッ…なんとか無事そうですが…やってくれますね…」

 

 脂汗を浮かべたミシルだが、口元には僅かな笑みが浮かんでいる。

 

 追撃の氷槍は来ない。

 

 ミシルは痛みに耐え、アリーヤの負傷に顔を顰め、それでも先立って行使した冷気の拡散を止める事はなかった。

 

 ◆

 

 肉体の制御が効かない。

 霧が散ってしまう。

 

 ユルゼンは歯噛みした。

 右手をあげようとすれば右手があがり、左手をあげようとすれば左手があがる。

 それが普通で、正常だ。

 

 だから例え霧化していても、それが全て自身の体である以上は霧の動き、どこに何を生成して何を攻撃するかなどは全て制御できていなくてはならない。

 

 それが、いまや制御に非常に困難をきたしている。

 気を抜けば霧が遠くへ散ってしまうし、氷刃などの生成も上手くいかない。

 強く集中すれば可能だが、呼吸するようにとはとても行かない。それもどんどん症状は悪化していっている。

 

 ユルゼンにはその原因の見当が既についている。

 

(アレか!)

 

 脳裏にはミシルが水球を蒸発させる光景。

 自身の肉体でもある霧に、異物が混じってしまった。

 ミシルの制御下にある霧がユルゼンのそれへと混じり、思うように制御できていないのだ。

 そうなる事を彼は予想できていないわけではなかった。

 だからこそ先立っての地中よりの奇襲を避けたのだ。

 水というのはとかく異物に影響を受けやすい。

 

 異物の原因に対処しようにも、広範にわたって霧が散り捕捉がままならない。

 

 これは人で例えるならば、体の至る所に付着した砂粒を確実に除去するようなものだった。

 見える部分ならばいいが、背中や尻についたものが確実に取れるだろうか?

 

 だが、とユルゼンは思う。

 広範にわたって散ったならば、その範囲を狭めてやればいいのだ、と。

 

 ミシル達は息荒く立ち上がり、霧が一点に収束し、人の姿を形作っていくのを静かに見ていた。

 

 それでもミシルは冷気を拡散しつづけている。

 

 ◆

 

 アリーヤはぶるりと身震いした。

 それは寒気の為もあるが、師であるミシルの目が怖かったからだ。

 

 凄まじい殺意を浮かべているのか?

 違う。

 

 激怒しているのか?

 違う。

 

 ミシルはユルゼンを死人を見るような目で見つめていた。

 

 ◆

 

 これ以上制御が困難になる前に、とユルゼンは自身の肉体を再構築した。それは固体であり、液体でもある先ほどまでの肉体だ。

 

 霧が人の形をとった瞬間に、ユルゼンの顔面に水筒が投げつけられる。ミシルが投げたのだった。

 しかし水筒はユルゼンの身体から伸びた水の鞭で断ち切られてしまう。

 

 この時ユルゼンは、その水の鞭の動きがぎこちないことに気付いた。

 

 何かが変だ、と思う間もなく、水の鞭はたちまち先端から凍り付いていく。何か不気味なものを感じたユルゼンは、その鞭を自切した。

 切り離された水の鞭は地面へと落ち、砕けて散ってしまう。

 

「余り激しく動かないほうがいいですよ」

 

 声の主…ミシルに、ユルゼンは険しい表情を向けた。

 ミシルはよろよろと近付いてくる。

 

 迎撃だ、迎撃しなくては、とユルゼンは右腕を突き出し、一本の槍を形成しようとするが腕もまた先端から凍り付く。

 凍結が胴体へと達する前に彼は腕を自切した。

 腕の末路も先ほどの鞭と同様であった。

 

 ◆

 

 過冷却という現象がある。

 

 これは、水や他の液体が冷却されても凍らず、液体の状態で存在し続ける現象のことだ。

 この状態にある、例えば水などは風味や見た目は普通の水と同じだが、微小な衝撃を与えたり異物を加えると、瞬時に凍りつく。

 

 そしてこの現象を引き起こすには、“ゆっくりと、徐々に温度を下げて冷やして”いけば良い。

 

 ミシルはそれをやった。

 

 ◆

 

「霧を直接発生させる事も考えたのですが、一度に大量に発生させようとすると時間が掛かりすぎてしまうし、そうなると私達が殺されてしまう。だから水を蒸発させました」

 

 ミシルは淡々と言葉を発し、ゆっくりとユルゼンに近寄っていった。

 

 ユルゼンは水の鞭、腕。それらがどうなってしまったのかが頭にちらつき、ミシルに対して直接的なアクションを起こせないでいる。

 

 というより、自分に何が起きているかがユルゼンには分からないでいるのだ。

 生物を恐怖させるその根源は、対象の脅威ではなく、対象への無知さ故である。

 

 とはいえミシルが再び何かの術を行使しようとしたならば、一か八かと言う話になっても命にはかえられぬと霧化なりなんなりをするだろう。

 

 だがミシルが次に取った行動には何の脅威もなかった。ましてや術ですらない。

 

 彼女は短杖の先端をユルゼンに向け、その額をちょんとつ

 ついたのだ。

 それは小鳥の啄ばみより更に弱い、赤子は受けても傷1つ負わないようなささやかな一突きであった。

 

「…ッ!かッ…!アッ……」

 

 ユルゼンの額から凍結が凄まじい勢いで広がり、瞬き数度の間に彼は一体の氷像と化してしまった。

 

 呆気にとられるアリーヤを尻目に、ミシルは短杖をまるで細剣のように構え、呟いた。

 

 ――纏え、風

 

 エル・カーラでは子供でもできるちょっとした風を起こす魔術だ。風が杖の先端に渦巻き、ミシルはその状態を維持しながら再びユルゼンを突いた。今度はもう少しだけ強く。

 

 パキリ、という乾いた音が鳴る。

 風を纏った杖の先端が、僅かにユルゼンの氷像を傷つけ、そして風が像の内部に入り込む。

 

 そしてミシルにより完全に制御された風は、縦横無尽に像内部で渦巻き、結果として…

 

 あ、とアリーヤが声をあげたのと同時に、氷像は粉々に砕けて散った。

 

「流石に今度は再生できないでしょうね。貴方がもしそういう身体でなければ、表面のみが凍りつくに留まったでしょうけれど」

 

 ミシルは脇腹を押さえ、顔を顰めながらアリーヤの元に戻っていった。その足取りはよろめいている。

 

 しかし、彼女としては一刻も早くこの場を離れたかった。

 なぜなら先ほどまでは魔将がおり、その威圧感からか尖兵や犬といった魔軍の構成員はその場に近寄ろうとはしなかったが、魔軍を遠ざけていた魔将はもう居ない。

 

 アリーヤも状況は理解しているようで、自身も肩と腕に重傷を負いながらも、ミシルを支えその場を離れようとするが…

 

「よくない、ですわね…」

 

 アリーヤが呟き、ミシルがため息をついた。

 2人の前に立ちふさがる者がいたのだ。

 

 三等術師スナイデルを屠った大鬼族の勇士、バギンである。

 

 ◆

 

 ――あの恐るべき魔族の将が人間に屠られたとは

 

 バギンは驚愕し、そして舌なめずりした。

 手柄をあげるチャンスだからだ。

 眼前の人間達が満身創痍である事は残念だが、だからといって見逃すという選択肢はない。

 

 バギンは周囲の下級の尖兵や犬達に指示をだし、2人を取り囲ませた。万が一にも逃さないためにも。

 

 ◆

 

「仕方がありません。もう少し頑張りましょうか。私は…とってもお腹が痛いですけれど、術自体はまだ使えます。しかし、あの大鬼は厄介かもしれませんね…」

 

 ミシルは短杖を構えた。

 アリーヤはといえば…

 

(もうこれっぽっちも術なんか使えませんわよ!まずいですわ!お、お師匠様は…血、血が…)

 

 アリーヤは青褪めた。

 ミシルの負った傷は存外に深く、彼女の足元には小さい血溜まりが出来ていたからだ。

 

 アリーヤ自身も腕は動かすだけで激痛を伴うだろう。

 出血もある。

 

 雑兵ならともかく、とてもではないがバギンの相手が出来るような状態ではなかった。

 

 ◆

 

 バギンはなにやら飽き足りない表情を浮かべ、戦斧を構え2人に近付いていく。

 

 ミシルも覚悟を決め、短杖を構えた。

 アリーヤはミシルの肉盾となる覚悟だ。

 

 先手を取ろうとミシルが術を起動しようとした、その時。

 

「ゴォアアアッ!?」

 

 横合いから何かが突進して来て、バギンの側面から激烈な体当たりをぶち込んだ。

 

 しかしバギンの体幹もさるもので、例えるならば普通自動車が時速4、50キロ程度で突っ込んできたものと同程度の衝撃を受けながらも吹き飛ぶ事はなく、身体をその場で回転させることにより衝撃を逃し、ややの後ずさり程度に済ませた業前は見事と言えるだろう。

 

「来てくれたのですか」

 ミシルがやや安堵の色濃く呟いた。

 

「間に合ったようですな。…止血をしっかりしておくが宜しい」

 

 突進してきたのは術師コムラードであった。

 

 ◆

 

 全身に纏った岩の鎧は所々崩れているが、騎士というに相応しい勇壮さの全身鎧姿から放たれる戦気がいかにも心強い。

 

 騎士といっても剣はないが、拳ならばある。

 岩騎士コムラードは両の腕を構え、低く身を屈めた。

 対するバギンも戦斧を構えて迎え撃つ態勢だ。

 

 アリーヤとミシルは手を出す気になれなかった。

 周囲の尖兵や犬達もだ。

 理屈立って説明する事は出来ないが、この決闘染みた何かを邪魔すれば酷い目に遭う…そんな予感が一同の霊感を刺激していたからだ。

 

 戦場という場で余りにくだらないが、男と男の勝負である。

 

 コムラードの両の脚に魔力が収束していく。

 術起動の前触れであった。

 

 爆風がコムラードの踵部分から吹き出すと、爆発的な推進力でバギンへ突撃していく。コムラードは低い態勢で高速移動の反動に耐え、そして既に拳を握り締めていた。

 

 正拳突きである。

 

 バギンはコムラードの凄まじい速さに面食らい、突きをまともに腹に受けてしまう。

 

 岩の鎧に赤い花が点々と咲いた。

 バギンの吐血だ。

 一撃でバギンの内臓のどれかを破壊したか、深く傷つけたのだ。

 

 しかしバギンはこの一合で勝負の鍵は機動力の差にある事を見抜いた。コムラードの隔絶した打撃力は隔絶した推進力にあるのだから間違いはない。

 

 痛みに耐え、戦斧をコムラードの脚に相討ち紛いの一撃を振り下ろす。

 

 他に急所となりうるべき箇所が、全て分厚い岩甲で覆われていた上に、距離が近いため戦斧を振り切れない…ゆえの脚狙いである。

 

 脚部であるなら振り下ろしの距離は稼げる。

 かくして戦斧の刃が脚甲を割り、コムラードの生身の脚に深々と食い込んだ。

 

「やりおる!だが!」

 

 だが、コムラードは一歩も退く事はなく、バギンに食い込ませた拳を捻り、その先端から岩杭を射出。

 これがバギンの腹部にもはや取り返しがつかないほどの破滅的な損傷を与え、岩鎧に再度の花が咲いた。

 今度の血の花は先ほどよりも大分多い。

 

 内臓をグチャグチャにかきまわされたバギンは眼をぐるりと回して倒れ付した。

 しかしコムラードもまともに歩けない重傷だ。

 

 尖兵や犬達はバギンという勇将が斃された事で動揺しているが、その動揺も長くは続かないだろう。

 

 ミシルはこの後どうするか、どう逃げ延びるかを痛みに耐えながら模索した。

 

 その時である。

 南門方面から太陽のような光が起こり、それは明度と半径を爆発的に広げていき、魔軍を飲み込んでいった。

 光は燎原を焼くような速さで西門方面にも広がっていく。

 

 ミシルもコムラードもアリーヤも、周辺の他の術師はおろか、魔軍の者達でさえもその光が広がっていく様を唖然と見つめていた。

 

「なななな!!な、何が起こったのでしょうか!?」

 

 アリーヤが動揺するが、ミシルにもコムラードにも他の者達にもそんな事は分からない。

 

 ガガガガと光の波が地面を削って迫ってくる様にはさすがのミシルも顔色を変え、足をふらつかせながらもコムラードの元へと駆け寄り、負傷した脚を凍結させた。

 

「一体何をするのですかな!?」

 

 コムラードが仰天するが、血は止まり、痛みは凍気により麻痺している。こんなものを治療と呼んだら、世界中の癒師に撲殺されるだろうが。

 

「私達を抱えてここを離れてください!すぐ!」

 

 いつにないミシルの怒声にコムラードもあわててミシルとアリーヤを抱きかかえ、その場を離れて行った。

 

「南門へは行けませんな…北門へと行きましょうか、あちらも魔軍はいるかもしれませんが、極少数でしょう」

 

 これは正しい。

 地脈の関係で魔軍が転移出来たのはエル・カーラから見て南南西だ。魔軍が北や東に回りこむには、先ず南と西を突破する必要がある。

 

 ゆえに、野戦病院といった施設は北門と東門に作られており、これらの施設を防衛するために戦力は一定量振り分けられている。といっても非常に簡易的なものだが。

 本格的に治療をするならば、都市内部の治療施設で治療を受けねばならないが、怪我の程度からみれば応急処置くらいはしておく必要があった。

 

「北門で手当てを受け、その後は都市内に。もう痛くて泣いてしまいそうです。それと術師コムラード、助かりました。少し格好良かったですよ」

 

 少しですか、不満そうなコムラードにミシルは少女のような笑い声をあげて、うぐっと表情を歪める。

 傷が痛むのだろう。

 

 そんなミシルを心配そうな様子で見つめるアリーヤだが、彼女だって無事ではない。

 

 しかし重傷者3人は一先ずは無事に窮地を脱する事が出来た。

 

 ◆

 北門・野戦病院

 

 臨時の野戦病院で治療を受けた三人は突如戦場を覆った光についての詳細を聞いた。

 

「なぁ!生徒達が!?術師ギオルギも!?はあ?」

 

 ギオルギ、マリーら四人のやらかし…あるいは功績に、コムラードは開いた口が塞がらなかった。

 

「いや、しかし…まだ魔軍はおるわけで…ただ様子を見るにあちらも随分混乱している様子…すると、暫くにらみ合いになりますかな?そうなれば帝国軍の援軍も間に合う…」

 

 コムラードの見立ては正しかった。

 魔将ギマに続いて、魔将ユルゼンを失い、それどころかマリーらとギオルギの共同作業により生み出された大魔術が魔軍に大打撃を与え、魔軍はいまや混乱の極致にあったのだ。

 

 勿論尖兵らの中にも指揮を取れる人材が居ないとは言わないが、彼等が自軍の混乱を鎮めるのを手をこまねいてみている防衛隊でもなく、当然の様に攻撃をしかけ混乱を加速させようとしていた。

 

 結局戦況は延々と大きな変化もないまま進み、やがて総身に殺気を漲らせた帝国軍の援軍が到着し、魔軍をこれ以上無いほどに叩いた。

 

 とはいえ帝国軍にも犠牲がゼロとは言わないが、彼等にとっては特に問題はない。

 帝国の為に外敵と戦って死ぬ事はまごう事なき誉れなのだから。

 

 そして最終的にキルスコア自体は大きく魔軍優勢に傾いたものの、数と士気で勝る防衛側はエル・カーラを陥落させる事なく守りとおしたのである。

 

 ・

 ・

 ・

 

 この日エル・カーラは都市内の全術師の内、およそ3割が戦死した。

 

 



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帝都の日常③

 

「折角帝都に来たんだし、帝都の冒険者ギルドを見てみたいな」

 

その日の予定は、ヨルシカのその言葉で決まった。

 

ベルン市街を歩く2人は、細い道を行き来し、街の中心部にある冒険者ギルドへ向かっていた。道行く人々の様子を見ていると、やはり不安感や焦燥感というものも見られなくは無いが、ヨハンが思っていたよりは街は混乱してはいなかった。街から逃げようとする者も居ないわけでないが、そういった者の多くは他所から来た者達であり、元から帝都に住んでいる所謂帝国の臣民というのは比較的平静に思える。

 

(帝都は何処も“コレ”が覆っているな。噂に聞く皇帝の術か。単体では何も意味を為さない。故に代償は軽い。しかし影響下にある者の精神が特定条件下にあると途端に術は変質する。1つ1つは無害でも、合わせて初めて効果を為す毒というものがあるが…まるで…)

 

ヨハンは帝国が西域最大版図を誇るその理由の一端に触れた気がした。

 

 

冒険者ギルドに到着すると、中には多くの冒険者たちが集まっていた。その中でも、特に目を引く者達がいる。明らかに他の冒険者達とは一線を画す覇気、意気、妖気を放つ者達だ。

 

「帝都の金等級だね。でも他の地域から来た冒険者もいるみたいだ。例えばほら、彼だ」

 

ヨルシカはそういいながら1人の冒険者に向けて顎をしゃくった。

ヨハンが見遣ると、腰に妙な剣を佩いている中年の男が仲間と見られる女性と何かを話していた。

 

「随分変わった剣だな」

 

ヨハンが言う。

中年男性は腰にコルク抜きの様な不思議な剣を吊るしていた。

 

「金等級冒険者『旋孔剣』のカッスル・シナートだ。私は情報通という訳じゃないけれど、あの特徴的な剣を持つ冒険者と言うのは他に聞いた事がない。突きの名手だよ。でも彼は冒険者じゃなくて探索者だと思ってたよ。帝都近くにもちょっとした迷宮はあるそうだけど、そこで仕事してたのかな?」

 

“探索者”という者達が居る。

彼等もまた冒険者ギルドのメンバーではあるのだが、冒険者が所謂何でも屋であるのに対して、探索者とは文字通り探索を主体とする者たちだ。

彼等は冒険者に比べて調査と狭所での活動に長ける者が多い。

この区別はあくまで内輪での話であり、世間一般的にみれば冒険者も探索者も共に“冒険者”ではある。

 

「魔族との戦争を稼ぎ時と見てやってきたのかもな。物資の補給、装備類の整備、帝都ならば多少戦況が激化しても問題はないだろうし。迷宮で一攫千金も悪くはないが、帝都を襲う者達の首も高値が付きそうだ。それに他の者達も相応にやり手だな。術師連中も中々大した妖気を醸し出している者がいるじゃないか」

 

ヨハンが不躾にならない程度に周囲に眼を配ると、西域でも相応に名の通った術師が何人かちらほらと見受けられた。

 

「悪事が露見していないだけほぼほぼ犯罪者と変わらない者もいるが、この人魔大戦でそういう連中も在庫整理できたらいいな」

 

ヨハンが皮肉気に言うと、ヨルシカは彼の手をぎゅうっと握り締めた。

 

「…ちょっと!声が大きいってば。…あ!ほら、もう…」

 

ヨルシカが首を振った。

ヨハン達を凝視する一対の視線があったからだ。

 

視線を追えば、黒衣に身を包んだ1人の女性。

他の冒険者達とは違い、仲間らしき姿は見当たらない。

所謂単独冒険者のようだった。

 

女性が纏う黒衣は一見すれば一般的な術師の衣に見えるが、良く見れば生地と同じ色で細かい刺繍が入っていたり、脚の部分にはスリットが入っていたりとやや“一般的”からは外れたものであった。

身体の線がよく出ており、これは下世話な言い方をすれば男好きのする身体と言えるだろう。

 

衣服を抜きにして、単純な容姿はどうかという話でもその女性は抜きん出ていた。

 

美人が何をもって美人と呼ばれるかは人それぞれの好みにも拠るが、一般的には目鼻口の位置関係が特定の比率でもって配置されている事が第一条件だとされている。

そういう意味で女性の顔立ち、各パーツの配置は一毫の緩みもないほどに黄金比率を遵守していた。

 

こういった美人は通常冷たい印象を与えてしまいがちだが、彼女に限ってはそうではない。

頬から顎にかけて優美な曲線が描かれ、美しさと柔和さが見事な塩梅で表出されている。

豊かな髪の毛は艶めいており、日々の手入れを怠っていないようだ。

 

女性であるヨルシカの目から見てもその女性は美しかった。

 

美しさにも品があるものとないものがあり、これはどちらが優れているかという話ではなく、適度に品がないほうが異性からの受けが良かったりするものだが、その女性の美しさは上品過ぎず下品すぎずといった塩梅だった。

 

ゆえにちらりとヨハンの様子を確認するヨルシカの心情を、小娘めいた嫉気と断じるというのはやや早計に過ぎるというものだろう。

 

しかしヨハンの様子はヨルシカの予想とは大分異なっていた。

ヨハンは鼻の下を伸ばすどころか目つき険しく、要するにメンチを切っていたのである。

 

 

「やはり、始まってしまったのですね…」

 

ヨルシカはぎょっとする。

なぜなら黒衣の女性が大きな瞳一杯に涙を溜め、流していたからだ。

そして隣からは舌打ち。

ヨハンのものだろう。

 

「悲しい…わたくしはとても悲しい。嗚呼、神様、なぜこのような試練を与えるのでしょうか…。わたくしは帝都の皆さんを愛しているんです。人魔大戦…恐ろしい…人と魔の争い。そんなものが起きたのならば、わたくしの愛する帝都の人々はどうなってしまうのでしょうか。一体どれ程の被害が出て、どれ程の命が失われるるのか!…聞こえますか?私の心が軋みをあげ、罅割れる音が」

 

女性は自身の胸に手を当て天…というか天井を仰いだ。

頬を流れる涙が顎にまで伝う。

 

ここでヨルシカが感得したのは、ギルドでいきなり変な事をしている頭のおかしい狂女への隔意ではなく、むしろ神聖性であった。

周囲の冒険者達も何か尊いものを見たような表情で女性を眺めている。

だが先に話にでたカッスル・シナートなどといった実力者達はむしろ憮然とした表情を浮かべていた。

 

そして舌打ちがもう一つ。

音の出所はヨハンだ。

 

「おい、ヨルシカ。気をつけろよ。精神干渉を受けているぞ。敵意、害意は無い一番面倒な奴だ。ある種の理念に基き生きている。その生き様が術と成っている」

 

言いながらヨハンは義手の方の手でヨルシカの頬へ触れた。

その冷たさはヨルシカの思考を冷やし、術の影響下から脱却させる。

 

「害意を有する術ではないからな、種を知らない者には通ってしまうか」

 

あら、とゼラは口元に笑みを浮かべる。

そこには一切の嫌味や悪意はなく、むしろヨハンに対しての尊敬、あるいは賞賛の気配が漂っていた。

 

 

魔術結社“添え月の処女院”の当代院長、金等級『死乙女』のゼラ。

帝都では恐るべき精神感応系魔術の達人として知られている。

とはいえ、周囲に危害を加えるような人格破綻は来たしていない。

 

むしろ慈愛に溢れていると言っても良い。

帝都の学院に通わせられる経済的余裕を持たない平民達に対して、寺子屋のごとく読み書き算盤を教えたりも

している。

 

ちなみに冒険者登録は院の運営資金を稼ぐ為に報酬目当てで登録をしており、これまで賞金首狩りなどで多くの功績を残してきた事を評価され金等級に至った。

 

 

魔術結社“添え月の処女院”は元はと言えば四代の治世の初期に建てられた修道院である。

先帝ソウイチロウの時代も酷いものだったが、当時の皇帝の時代はさらに酷かった。

 

戦乱帝とも称されるかの皇帝の治世下に於いて、男達は次々に軍に取られ、そして死んでいった。

結果としてレグナム西域帝国の寡婦の比率は爆発的に増加する。

そして、女性が独り身のままでいるというのはいつの時代もトラブルの元になるのだ。

ましてや戦乱の時代であるならば。

 

そんな時代に魔術結社“添え月の処女院”の前身である修道院は力無き女性の保護を名目として建てられた。

これは例えて言うならば駆け込み寺である。

 

その初代院長マグダレナは院の運営をしていく内に、当然のように壁に突き当たった。

それはいくら修道院が女性達を保護しようとしても悪意には限りがなく、無力な女性を食い物にしようとする邪な手が無限を思わせる際限なさで修道院に伸びてきたことである。

悪意に反発しようとすれば、その反発に対して対策を施したさらなる悪意に晒される。

 

そこでマグダレナは考えた。

であるならば悪意を反転させ、好意、善意へと変えてしまえばいいのだと。

 

マグダレナは真っ当な人であったから、薬を盛ったり悪党の家族を人質に取ったりはしなかった。

逆に女性を攫おうとしたり修道院に侵入してくる不埒者を捕縛し、マグダレナの溺れるほどの慈愛で包み込んだのである。性根から悪に染まりきって生まれてくるものなどはいないという信念に基いて、マグダレナは次々に悪党達を監禁溺愛していった。

どうしても逃げようとする者は脚を切断するなどして対処し、日常生活の全てを支えた。

 

好意を、善意をもって相手に接すれば、相手もまた好意、善意を返して当然だというマグダレナの強い想いはやがて時を経て術へと昇華した。

悪意なき好意は敵対者の精神を汚染し、こちらへ危害を与えようという意思を挫かせる。

この術を破るには意ではなく理をもって危害を加えなければならない。

もしくは術者の慈愛を以ってしても好意を抱けぬほどの外道、鬼畜に成り下がるか。

 

そして修道院は先帝ソウイチロウの治世の初期、魔術結社“添え月の処女院”として形を変え現在に至る。

 

なぜ修道院が魔術結社としてあり方を変えたのかといえば、これは帝国からの支援・保護を受けるためだ。

先帝ソウイチロウの時代もやはり帝国は戦乱に明け暮れていたのだが、ソウイチロウは魔術の持つポテンシャルを大きく買っていた。よって術師達はその業前を帝国の発展の為に役立てる代わりに、経済的な支援などを受けてきた。

 

当時の院長も帝国の魔術への姿勢を理解しており、またその頃には自身らが扱う不可思議な力が魔術によるものだという事も解していた。

院に継承されてきた術は強力だが完璧なものでは無い。

だから当時の院長はか弱き女性達を護るため、帝国からの魔術研究の支援、経済的支援を受ける事をきめ、魔術結社として再出発したのである。

 

 

そうだ、という声が横合いから飛んでくる。

ヨハン達が目を遣ると、そこには先ほど話に出た金等級冒険者のカッスルが立っていた。

 

「彼女は『死乙女』のゼラ。好意双反響の秘術を攻撃的なものへと変質させた異端者だ。彼女は勝手に愛しては対象が害されると勝手に悲嘆し、愛の復讐者と化す。余計なお世話の権化と言っていい。一応忠告しておくが、この帝都で気に食わない奴がいても、彼女の前では殺したりするなよ。見られると襲ってくるぞ」

 

ゼラはカッスルに華やぐような笑顔を向けて言った。

 

「冷たい事を言いながらもカッスル様はこの危機にあって助力の為に馳せ参じてくださいました。貴方様こそまさに愛の剣士ですわ」

 

それを聞いたカッスルの表情はまるで大油虫を生きたまま飲み込んだような表情であった。

 

※大油虫※

 

イム大陸全域に亘って広く分布している体は平らで細長い昆虫。一般的には茶褐色で、脚や触角は長く、生息環境に応じて体型や大きさが異なるが、一般には1.5〜3セント程度の大きさ。素早く這い回り、残飯などを漁る。見た目は悪いが、佳く増える上に焼いて食べれば美味しい為に緊急時の非常食となる事もある。



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閑話:北方侵攻⑨

 ◆

 

(恐らく、奴は反撃の魔術と骨の魔術、それらを同時に使えないのだ)

 

 ヒルダの思案は正鵠を射ていた。

 部下達は数多く犠牲になったものの、支払った犠牲分だけの価値はあったとヒルダは思う。

 

 ラカニシュの空洞となった眼窩から冷たい視線が放たれている。その冷ややかさは敵意や害意ゆえのものではなく、無知を責める種のものだった。

 

 なぜ苦痛に満ちる現世に在り続けるのか。

 まさか自分から敢えて苦しみを享受していると言うのか。

 或いは何者かから強要されているのか?

 

 声にならぬラカニシュの念がヒルダに浴びせかけられ、ラカニシュの意を知った彼女の相貌が嫌悪感で歪んだ。それは理解しがたい、許容出来ない感性、文化に触れた時に感じる生理的な忌避感情だ。

 

 ヒルダの視線が地面から突き出された骨の槍に全身を串刺しにされ、それでもなお笑顔らしきものを浮かべながら死ねないでいる部下達を捉えた。

 

(奴は“アレ”を悪意なく、害意なく出来る。むしろあれを一種の救済だと考えている。奴と言葉を交わしたわけではないが、奴から発される魔力が私に奴の意を伝える)

 

 ヒルダは人間達が奴を封じるわけだ、と苦笑を浮かべ、だがどうする、と自問した。

 真っ当に考えるならば一度封印を施されていたのだから、再度施す事は理屈では可能だ。

 

(しかし封印といってもな)

 

 物は試しとヒルダは大剣を地面に突き立て、両の手の人差し指同士と親指同士が触れるように構え、手指で形作った円にラカニシュを捉えて…

 

 ――ארון קבורה(棺)

 

 ラカニシュの周囲の大気に含まれる水分がにわかに凝固していく。

 その速度は余りに急速で、ラカニシュを氷の棺に捉える為に要した時間は瞬きする程度の時間にも満たないものだった。

 

 起動と同時に発現されるこの速度は、魔術で実現しようとするならば余程の大魔術師が余程の大魔術を行使しなければ為し得ないであろう。

 ヒルダはこれを“物は試し”程度の感覚で行使している。

 

 魔法が魔術に比べて優れている点の一つだ。

 求めている事象の規模に関わらずその場で発現するというのは、魔術ではありえない。

 

 更にもう一点あげるとすれば、力ある言葉に対する知識と魔力がありさえすればその辺の芋虫にですら魔法が使えるという点である。

 

 ただ起動に際しては膨大な量の魔力を必要とするという欠点があるが。

 ポイントとなるのは“起動に際しては”という部分だ。

 魔術を起動させる事により消費される魔力は、魔術よりは多いが起動に要する量のそれと比べれば大した事はない。

 

 魔法で引き起こせる事象の規模の大小は、術者の魔力量に依存する。

 これは世界に対して“自分はこれだけの魔力を持つ存在であるから、これこれこういう事象を引き起こす資格を有する”と宣言している様なものだ。

 

 よく魔族と人間を比べて生物としての格が違うと評するものが居るが、これは魔力量の差を指して言っていると思って良い。

 

 ◆

 

 ラカニシュは先ほどのように法を敷くが、これが機能しない。

 それはヒルダがラカニシュ本人ではなく、その周囲に大気を対象として魔法を行使したからである。

 本来の術者であるならば拡大解釈によって法を機能させる事ができるが、簒奪した術では所詮はこんなものだ。

 

 ヒルダの魔法が発現してラカニシュが氷の棺に閉じ込められた瞬間、魔族の尖兵たちが駆け出す。

 

 彼らは人間ではない多種族の戦士で、大鬼や犬鬼、小鬼など様々な種族がいる。彼らの強さは個体差があり、中には下位の魔将を凌駕する個体も極々少数だがいない訳では無い。

 ともあれそういう差もある事から全員が足並み揃えてとはいかないが、意気は軒昂、そして皆が怒りに満ちている。尖兵達の放つ赫怒が熱を帯び、足元の雪を溶かしている。

 

 彼等にも無残な姿に変えられた仲間を悼む気持ちや、それを為した敵への憎しみというものがあるのだ。

 

 殺到する尖兵や犬達の中から、一人の小鬼が飛び出した。

 ただの小鬼ではない。

 第三次人魔大戦を生き残った歴戦の猛者だ。

 狩り取った人間の首は20や30では利かない。

 

 この小鬼はヒルダと同様に特殊な装備を身につけていた。

 それは足元を僅かな時間固めるというものだ。

 この効果は脚働きをする者にとってはありがたいもので、足元不如意な場所でもしっかりと地に足を着けて飛んだり跳ねたり走ったりできる。

 

「ホー!ホー!足が汚れりゃ血で拭い、手が汚れりゃ涙で拭い、口慰めはァァ…アンタの骨ェッ!ケェーーーッ!おい!お前!アタシをアイツに投げなァッ!」

 

 被る頭巾を人間の鮮血で染めている事から、人類勢力からは『赤頭巾』と恐れられる小鬼族の老婆、その名をガビィという。

 

 ガビィは後ろを振り返り、大鬼の一人に自身を投げつけるように命令を出した。

 彼女の位階はこの集団では上から数えたほうが早い。

 故に大鬼も彼女の命令に素直に従い、満身の力を込めてガビィを掴み、ラカニシュへと投げつけた。

 

 ラカニシュの眼窩がガビィを捉えた。

 一思いに“楽に”してやろうという慈愛の心をラカニシュは感得し、そしてガビィの体内の骨を体外へ解放させようとした。

 

 魔力の励起を察知したガビィはしかしニヤリと悪辣に笑う。

 宙空を吹き飛んだガビィはラカニシュの正面付近まで来ると宙を蹴り、側面にまわったかと思えば再び宙を蹴り、それを繰り返す事で高速度の立体機動を繰り返した。

 

 これは空気を足場と見做して一瞬固めている為に出来る芸当である。

 

 ラカニシュは視界からガビィを見失い、骨の術は不発に終わった。

 魔法も魔術も対象を取らないで行使する事は可能だが、結局はどういう術を使うかによる。

 体内の骨を体外へ無理繰りに露出させようという術などは、当然のように対象を視界に収めていなければならない。

 

 ガビィは第三次人魔大戦で散々な数の人間を殺害してきた。

 ゆえに術師の殺し方なんぞはよくよく知っている。

 

「ひゅうひゅうと!吹き荒ぶ空っ風よォッ!気付けばぱっくり、ヒヒヒ!紅い花咲ァいたァ!」

 

 ガビィの魔術が起動し、手元の短刀に風が収束していく。

 手持ちの武器に風を纏わせ、切れ味を高め、そして射程を延ばす。

 これは協会式の魔術でも連盟式の魔術でもなく、勿論法術でもない。

 世界は様々な術体系が存在しており、ガビィのそれもその1つというだけである。

 これはガビィの氏族に伝わる…言ってしまえば“おまじない”程度のものなのだが、それも使い手次第だ。

 

 ガビィが周囲を高速で飛び回り、そして得物を振り回す。

 歴戦の小鬼老婆による“殺し間”は瞬時にラカニシュの五体を氷ごとバラバラにしてしまった。

 その場に飛び散るラカニシュの手、脚、胴、頭…

 

 老婆は目と口元に邪悪な弧を描き、そして驚愕した。

 宙に飛んだラカニシュの頭部との眼が合ったのだ。

 その間隙にガビィは自身に迫る無残な運命の足音を聞いた。

 

 ――ッ!!

 

 “掻骨の契り”

 

 連盟術師だった青年は骨を人の本質として想い慕った。

 その愛情は骨に伝わり、その愛に打たれた骨は胸を掻き毟るほどの恋情に焦がれるのだ。

 焦がれに焦がれた骨は青年の愛を受取る為に体外へ飛び出す。

 

 声にならぬ絶叫を遺し、ガビィの体内から骨が体外へ飛び出し、彼女は見るも無残な姿となってその場に倒れた。

 

 だが生きてはいる。

 しかし彼女は夢の世界に行ってしまった。

 今頃は第三次人魔大戦で戦死した夫と狩りでもしているのだろう。

 

 ラカニシュのバラバラになった骨は再び寄り集まり、元の姿を再構築した。

 ガビィ程の殺手であってもこれか、とヒルダの表情が険しくなり…

 

 その場の誰もが想定していなかった天頂よりの奇襲。

 大剣による唐竹割りが再構築したラカニシュを真っ二つに叩き割った。

 

 雪煙をあげて着地したのは、エルファルリ。

 旧オルドの老騎士。



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閑話:北方侵攻⑩

 ◆

 

 流石は僕等の家族、とポーは賞賛する。

 

 ポーの眼には薄ぼんやりとした中年の男性と青年男性の姿が視えていた。

 

 ラカニシュに纏わり付く2つの影。

 

 

「あの様な姿となっても精神は未だに現世に留まり続けますか。さぞ苦しいでしょう。諦めてしまえば楽になれるというのに。余程悔しかったのでしょうね、根源を奪われるというのは」

 

 ヌラは怪訝そうな表情でポーを見た。

 ポーの瞳は茫洋と、どこか視線があっていない。

 

 まぁいいか、とヌラは先ほどのエルファルリの奇襲の一景に思いを馳せる。ポーが奇天烈な男だというのは短い付き合いで良くわかっていた。何が出来るか、それを聞いた後でもヌラにはポーの事がいまいち理解出来ない。

 

(エルファルリの奇襲は通ったか。一先ずは良かった。あの気色悪い術は相手を知覚していなければ行使できないらしい。あの小鬼は良い線をついていたな。それにしても反則だ。奴は骨の身体を再構築できるにしても限度があるという話だが…)

 

 ヌラは忌々しげに表情を歪めた。

 

 異変が封印の地にある以上、エルファルリとしてはラカニシュの封印が解けた可能性もあると踏んでいた。

 

 だからエルファルリは事前に一行にラカニシュを封印した時の話をしていたのだが、その時ヌラが聞いた話では、ラカニシュの肉体の再構築…再生能力には限りがあるという話であった。

 

 故に過去、オルド騎士団と帝国軍が協働してラカニシュを封印した際には、この再生能力を削れるだけ削って身動きを封じてから封印を施した。

 

 だが、とヌラは思う。

 果たして当時と今、どちらが戦力としては上なのだろうか?

 

 ヌラの勘では当時より今の方が分が悪い。

 

 それはエルファルリも同意見で、なればこそエルファルリはラカニシュとの戦い方が分かっている自身が単騎で先行し、その戦闘からヌラが攻め手を検討する、というのがとりあえずの作戦とも言えない作戦であった。

 

 かつてヌラがエルファルリが率いる一党に属していた頃、強敵に対した時には彼女が先行して囮となり、その間にヌラが攻め手を考えるという様な事を何度もやってきている。

 

 エルファルリは言った。

 ラカニシュとの戦闘は種を理解していなければ非常に危険だ。初見殺しのような手ばかりを使ってくる為、衆寡敵せずの理屈を通すには余程の数をそろえなくてはならない、と。

 

 ヌラはエルファルリの話を聞き、彼女が出来る事、ポーが出来る事、自身が出来る事、仲間達が出来る事を合わせ、何か策のようなそうでないような、朧気な何かが喉のすぐそこまで出てきているのを感じていた。

 

(何となく殺り方がわかったような気がする。問題は魔族がどうでるか、だな)

 

 ヌラは後ろを振りむき、その場に控えている調査隊の面々にいくつか指示を飛ばした。

 その指示は調査隊の者達の一部の表情を蒼褪めさせる。

 

 もう少し待ったらラカニシュとエルファルリ、更に魔軍が乱れ争う戦場に飛び込むと言われれば顔色を蒼褪めさせるのも無理はなかった。

 

 1人の銀等級の冒険者が声を荒げる。

 

「なっ…!俺達に死ねといってるのか!大体、調査じゃないのかよ!」

 

 これは当然の怒りである。

 調査でそこまでするのは一般的にはおかしい。

 しかしヌラはこの時、1つの非常に不穏な予感を感得していた。

 

 大きい声を出したその青年に、ヌラは色の無い視線を向ける。ゴミを見る目…ではないが、その寸前だ。その青年の怒りはヌラにも理解は出来るのだが、こう言うときに自身の命を平然と賭けのテーブルに乗せられないようではガキの使いも同然だという思いがヌラにはあった。

 

 だが、一応は説明しておこうとヌラは口を開いた。青年は運がいい。危急の場で上位者の言に逆らうならそこで殺されてもおかしくはない。

 だがヌラは元金等級だが、現役の頃から比較的まともな人間性を保っている。ゆえに青年は命拾いをした。これは中々珍しい事なのだ。

 

「調査さ。異変があるかないか、そして異変があるならば危険か危険でないか、そして危険があるならばその場で排除できるか出来ないか…調査ってのは問題をこうやって腑分けしていくんだ。排除できるならばしたほうがいいが、今回は無理だ。お前もそう思ったから怒っているんだろう。だが、排除出来ないなら出来ないで、出来るようにする為の目処を立てておかなきゃあならないんだ。調べてきました、何かヤバそうです、手に負えなさそうです…そんな仕事で報酬は貰えねえよ。奴等の手札の1枚、2枚は見ておかねえとな」

 

 それをきいた青年は、それでもまだ納得がいかない。

 

「だからってよ…。だったら奴等が潰し合うのを見てればいいじゃねえかよ…」

 

 それは道理だ。

 

 ヌラは言って分かるとは思えないが、と一応説明を続けようとしたが、不意に何か戦況が動く予感がして丘下を注視し、あ、と声をあげた。

 

「随分と決断が早いなあの魔族。エルファルリごと殺る気だ。仕方ない。おい」

 

 ヌラが先ほどの青年に声をかけた。

 

「お前は下に来なくていい。だが2、3人連れて街に戻って帝国軍をつれて来い。魔族っぽいのがいる事、封印が解けてる事は伝えておけよ」

 

 ヌラの勘は対峙するラカニシュと魔軍をみた瞬間に1つの結論を予期させた。

 

 それは、このまま放置してしまえばやがてラカニシュは魔軍の大半を取り込んでしまうだろう。そうなれば、もはやラカニシュを打倒する事は叶わなくなる。なぜ叶わなくなるのか、その詳細な理屈はヌラにも分からない。

 

 勘だ。

 

 少なくとも、ヌラ達と街で待機する帝国軍だけでは戦力が足りない。

 

 これも勘だ。

 

 それどころか北方は壊滅に等しい打撃を受けるだろう。

 

 これも勘である。

 

(全て勘だ。しかも現役から離れた斥候の。だが)

 

 ヌラがそう思うと、それまで黙っていたポーが口を開いた。

 

「貴方の判断は正しい。彼は、ラカニシュは生者を全て彼の考える()()()()()へと導こうと考えていますからねぇ。導けば導くほどに、ラカニシュは根源を満たされ、その力を強めていく。…なんだ、まだまだ全然現役でやれそうではないですか」

 

 ポーが爽やかな笑みを浮かべてそういうと、ヌラは首をふりながら

 

「いや、俺は門番でいいよ。冒険者は向いてないんだ」

 

 そう言って、まるで散歩でも行くような調子で丘上から飛び降りた。

 

 ◆

 

 エルファルリは天頂から降り立ち、ラカニシュを一刀に両断すると片足をあげて地面を強く踏みつけた。

 

 するとまるで小型の爆弾を起爆させたかのように大地が爆ぜ、雪煙が起こる。

 

 両断されたラカニシュはエルファルリを見失い、骨の術で彼女を対象に取る事が出来ない。

 ならばとラカニシュは骨の指を組み合わせて何事かを呟いた。

 

 ―――肉、伴う害意…其れを振るう、法を禁ず

 

 エルファルリの意気は灼熱し、頭は凍える程に冷め切っている。

 

 ラカニシュの呪言を耳ざとく捉えた彼女は再び足を振り上げ、今度は大地を蹴り上げた。

 

 爆発的に膨れ上がったエルファルリの大腿筋から送り出されるエネルギーは正しく彼女の足甲に伝導し、抉り飛ばされた大地が岩弾と化してラカニシュを襲った。

 

 彼女の“強み”は脚にある。

 

 オルド騎士というのはそれぞれに“強み”を有し、それが彼等の精強さの理由の一因であった。

 これだけは誰にも負けないという絶対的な自負が世界の法則に干渉するのだ。

 

 既にオルド王国は存在しないが、もしまだ王国があったのならば、これは或いはオルド式魔術とでも名付けられたのかもしれない。

 

 ◆

 

 ヒルダは一瞬困惑し、しかしこれを忌々しい眼前の存在…ラカニシュにとっての奇禍だと捉えた。

 

「敵の敵は味方…とはいわぬ。果てた後ならば幾らでも私を卑怯と罵るがいい」

 

 ヒルダは魔将の中で、というより魔族全体の中でも比較的理性的な方だが、それでも魔族と人間が共闘するなど考えられなかった。

 彼女にとっては敵の敵は別の敵でしかないのだ。

 

 ラカニシュとエルファルリが交戦しているのをその視界に捉え、ヒルダは氷の大剣を横薙ぎに構える。

 

 常識的に考えてとても剣が届く距離ではないが、ヒルダは当然届かせる手があるからこそ構えを取ったのだ。

 

 横薙ぎに構えられた大剣は瞬く間にその剣に氷を纏い、その氷は剣の先へ、その先へと伸び…

 その長さはもはや剣というには長すぎ、槍というにも長すぎた。

 

 既にヒルダの大剣は20メトルを優に超える大長剣と変じている。

 

 それを一息に横薙いだ。

 

 伸長した氷刃は鋭く、大気を引き裂き、一陣の絶死の凍風となってエルファルリ達へと襲い掛かる。

 

 ◆

 

 後背で膨れ上がる殺気を感得したエルファルリはしかし、そのままラカニシュと交戦を続けていた。

 

 彼女が放った岩弾はラカニシュに激突し、ラカニシュは辛うじてそれを腕で受け骨片を散らしながら後ずさる。

 

 体勢を崩したのだから通常ここは畳み掛けるべき場面である。しかしエルファルリは見に徹した。

 

 彼女は過去の交戦の記憶から、ラカニシュが受けに長けた術師だと知っていたからだ。

 

 そして、後背からの殺気を放置する事に抵抗はない。なぜなら

 

(ヌラが居る)

 

 エルファルリとヌラは一時期同じ徒党にいた。

 故に彼女はヌラの実力を知っている。

 

 ◆

 

 果たしてヒルダの横薙ぎの一撃は、氷刃の刀身の半ばをすっぱりと断ち切られた。

 

 ヒルダは当惑も困惑も表情に出す事はなく、音も無く目の前に現れたヌラを睨み付ける。

 

(どこから現れた)

 

(いや、そもそも奴はここにいるのか)

 

(目の前にいるのに、気配がない)

 

 その時ヒルダは背後に殺気を感じた。

 雄々しさもない、激しさの欠片もない、整った殺気。

 

 ヒルダは無言で振り返り、大剣で背後を斬り付ける。眼前の姿は幻影かなにかだと判断したからだ。

 

 防がれるにせよかわされるにせよ、何らかのアクションがある事を確信していたヒルダは今度こそ当惑を隠しきれずに居た。

 

「なに?」

 

 なぜならそこには誰も居なかったのだ。

 そして、ヒルダの直ぐ背後…つまり彼女が幻影だと見做した姿が投影されていた方向から密やかな声が聞こえる。

 

 ――ここさ

 

 声はヒルダの耳元から聞こえてくるようであった。

 



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閑話:北方侵攻⑪

 ◆

 

 金等級冒険者『踊る影の』のヌラの本質は逃避である。

 

 それは責任からの逃避であったり、期待からの逃避であったり。

 

 彼がエルファルリの一党を抜けて冒険者を辞める切っ掛けとなったのは、一党への新入りを死なせてしまった事が直接的な原因だ。

 

 当時はエルファルリもその他の者も、“あれは事故だ”という様な言葉をヌラに掛けた。

 

 そこに同情や憐れみの様なモノが無かったとは言えないが、しかし事実として事故でしかなかったのだ。

 

 ヌラは新入りの青年を誠実に教導してきた。青年の死は自身の若さゆえの無謀、勢いが招いたものだ。

 

 だがヌラは彼自身には抱えきれない程の見えない何かの重みを感じてしまった。

 

 その何かとは責任である。

 

 要するにヌラは責任感が強すぎて逃避癖がついてしまったタイプの者だった。

 

 この責任感の強さは何処から来ているのかといえば、それは彼の育ちに起因するものだった。

 

 ◆

 

 ヌラは育ちがいい。

 

 30代半ば、鼻が大きく全体的にずんぐりとしている外見はお世辞にも容色優れたるとは言えないが、これで居て騎士家の出だ。

 

 彼の父も母も騎士家の嫡男としてヌラが大成する事を期待していた。

 なぜならヌラは幼少期から才を示してきたからだ。

 

 剣を振ればそこそこに振れるし、術を使わせればそこそこに使えた。どんな事でもそこそこに出来た。

 

 それはともすれば中途半端だと見做されかねないが、ヌラの場合は違う。

 

 ヌラの長所、それは欠点がない事であった。

 

 ある意味でそれが原因だったのだろうか。

 ヌラもまた両親の期待に応えようとしたが、最初は小さい期待が次第に大きくなり、時にヌラは両親の期待に応えられない事も増えてきた。

 

 それは彼の精神に小さい傷を少しずつ、少しずつ与えてきたのだ。

 

 ヌラは少し真面目が過ぎた。

 両親からの期待等は全てマトモに受け止めようとはせず、しんどいなと思う部分については受け流しても構わないのだ。

 

 親の期待というのはとかく大きくなりがちだし、何もかもを真正面から受けていたらキリがない。

 

 親からの期待に限った話ではないが、そういうものをどこまで受け止め、どこから受け流すか等というものは生きていれば自然と感得するものだが、ヌラにはそれが出来なかった。

 

 何でもそつなくこなせる程度の器用さ、その程度の器用さで何でもかんでも抱えようとする不器用さ。

 

 いつかヌラの心がその矛盾に耐えられなくなるのは自明であった。

 

 ◆

 

 ある日ヌラは逃げた。

 

 家から、騎士家の嫡男としての責任も何もかも放り出して逃げ出したのだ。

 

 ヌラは日々の稼ぎを得る為に冒険者となる。

 元々小器用な彼には冒険者として多くの選択肢があったが、結局斥候の道を選んだ。

 

 そして頭角を現していった。

 その速度は才ある冒険者の成り上がりと比しても早すぎた。

 

 彼の才がその成り上がりの一助となったのだろうし、有形無形からの逃避という経験が彼に一種の奇妙な嗅覚を齎したからという理由もあるだろう。

 

 やがて名を成した彼はエルファルリと出会い、その一党に加わった。

 理由は過去放り捨てた責任を拾い上げ、抱え直すためだ。

 

 ヌラが家から逃げ出したのは怠惰ゆえ、無責任さゆえではなく、自身の容量を超えて満たされていく期待という名の不可視の液体に溺れそうになったからである。

 

 冒険者としての仕事を通じて、ヌラは自身の器が大きく深くなった事を感得し、自身の成長を実感していった。

 

 このまま長じれば胸を張って家に帰れるとその時のヌラは思っていた。

 ヌラは責任から、期待から逃げたのであって、両親を厭うて逃げたわけではないからだ。

 寧ろ彼は両親を愛していた。

 

 家に帰ってから、父母に謝罪をしてから自身の第二の人生が始まるのだ、とヌラは思っていた。

 

 結果何があったか。

 

 ヌラは30を過ぎて、冒険者を引退し、そして貴族家の冴えない門番に身を窶している。

 

 ◆

 

 自分が情けなくなければ、自分がもっと自分に自信を持てれば、周囲の期待を力へ転換できるほどに器が大きければ。

 

 自分が自分の様な存在でなければ。

 仮に自分が全く別の人生を歩む事になったらならば、上手く歩む事が出来るだろうか?

 

 かつて未熟だった自身は、経験を積む事により成長した。今の器量ならば周囲の期待に応える事が出来るだろうか?

 

 ――やり直したい、やり直す事が出来れば

 

 そんな思いがヌラに些細な、それでいて特殊な能力を齎す。

 

 それは自分自身ではない、他者の人生への羨望。

 もし自身が自分ではない別の者であったなら、という仄かな願いが形を為したモノ。

 

 ◆

 

 ――ここさ

 

 背後に確かな気配を感じたヒルダは後背に剣を振るい、しかし手応えはない。

 だがヌラの囁きが耳の後ろから聞こえ、同時に雪原に蒼血が舞った。

 

 ヌラが短剣で斬り付けたのだ。

 肩口を切り裂かれたヒルダは険しい視線でヌラを睨みつける。

 

 ヒルダの総身は魔力で満ちており、皮膚は薄い鉄板ほどの強度を持っていた。

 短刀程度ではとても切り裂けるものではなく、だと言うのに難なく切り裂いたヌラに対してのヒルダの警戒心は否応無しに高まる。

 

(だが、問題は私の守りを抜いた事ではない。確かに背後に気配を感じた。勘違いではない)

 

 ・

 ・

 ・

 

 ヌラは自身の気配、存在感を他者の影に投影する。余程鈍い者であっても、“なんだか近くに誰かが居る気がする”という気持ち悪さを拭えない。鋭い者なら尚更だ。ヌラを知覚している者になら投影できる数に制限は無い。

 

 極論になるが、もし世界中の全ての生物がヌラを知覚したならば、ヌラは世界中の全ての生物に業を仕掛ける事が出来る。

 

 これは尋常な事ではなく、尋常ではない事が出来るからこその金等級であった。

 

 この違和感は戦場と言う場では致命的な隙を作る為の起点となりうる。

 

 ヌラの全身からぬるりとした気配が漏れ出し、大気に滲む。この時ヒルダはヌラの足元の影が妖しく揺らめくのを見た。

 

「奇襲だ!内に入り込まれたぞ…!?」

 

 ――何かを仕掛けられた

 

 ヒルダがそう思うと同時に、彼女が率いていた尖兵、“犬”らが動揺・困惑する。

 彼等もまた自身のすぐ傍に誰かが居る気がしたのだ。

 

 ヌラと対峙する者は自分の影が踊り、そして害そうとするのではないかという不穏な気配に神経をかき乱される。

 

 その隙を調査隊の者達、特にエルファルリの一党の、特に業前優れた者達が見逃さず切り込む。

 エルファルリの一党の者達は銀等級でも上澄みばかりだ。隙をついての撹乱程度なら魔軍相手でもそこそこにはやれる。

 

 銀等級と一口に言っても実力は千差万別で、その上澄みと底辺の実力差は、戦闘能力に限って言っても大人と幼児ほどにもある場合も多い。

 

 竜殺しの銀等級も居れば、数頭の野犬相手に手傷を負う銀等級も居るのだ。

 

 とは言え、人間と魔族の尖兵、犬らの戦力が真の意味で拮抗する事はまずなく、ヌラ等の善戦はそう長くは続かないだろう。

 

 ともあれ、戦場は3つの勢力が入り乱れる乱戦となった。

 

 ◆

 

 ポーはゆっくりと歩を進めていった。

 急いで戦場に向かうべきというのは正論ではあるが、彼にとってこの光景を目に焼き付ける事は、正しく術を使う為の必要な手順であった。

 

 彼の眼前では多くの命が煌いている。

 戦いが終われば、この命の煌きの大部分が消えてしまうのだろうと思うと、ポーは少し悲しくなった。

 

 だが命の煌きを自身で燃やし続ける分には良いのだ、とポーは思う。

 

「でも」

 

 ポーの視線が骨で引き裂かれた魔軍の者達を捉えると、彼はまるで心の表面を爪で引っかかれたかのような痛みを覚えた。

 

 だがそれよりなにより、ポーを悲しませるのは二人の連盟術師の無念の波動である。

 

 理不尽に生を奪われ、拠り所を簒奪され、道具と成り下がってしまった家族の事を思うと、ポーの胸を1人の少女の姿が過ぎった。



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閑話:北方侵攻⑫

 ◆

 

 エルファルリは巧みに雪煙をあげ、ラカニシュの視界を逃れつつ地形を利用した攻撃を繰り返した。

 

 最初の奇襲以外に得意の大剣は使っていない。

 何故ならそれは“法”の及ぶ範囲となりうるからだ。

 

 連盟術師ルードヴィヒの秘術は非常に応用が利き、しかも強制力も高い。

 戦闘時においては、敵手が最も得意とするそれを封じてしまう事で圧倒的優位に立つ事が出来る。

 例えば剣士が相手なら“直接攻撃”を禁じてしまえばいい。

 

 だが何をもって“攻撃”と見做すのか?

 それは“害意”の有無だと生前のルードヴィヒは規定した。

 

 かつてラカニシュと対峙したオルド騎士団は、多大な犠牲を出しながらもその法則を見出し、エルファルリもまたそれを知っている。

 

 故に“意”をぶつけるのはラカニシュ本人ではなくてその周辺の大地だ。

 

 エルファルリが強烈な踏み込みを大地へ叩き付けると、それにより砕かれた大地が飛礫となる。

 そして大小の飛礫がラカニシュの骨体を削り、砕いていく。

 

 もっとも砕かれた骨片は直ぐに修復されてしまうが。それでもラカニシュの魔力…ひいては再生力を削っている事には違いがない。

 

「これで終わりとは言うまいね、骨野郎ッ!」

 

 言葉とは裏腹に、エルファルリの内心は意気揚々とは行かなかった。

 

 確かに種を知らなければラカニシュが扱う術は厄介だ。

 しかし知ってしまえば充分に対応出来る。

 とは言え、かつてラカニシュと対峙した身としてはこれで終わるなどとは思って居なかった。

 

 エルファルリの懸念は正しい。

 むしろ戦闘はこれから激化するのだ。

 

 はっとエルファルリは突然表情を変え、強く地面を蹴り、高く飛びあがる。

 同時に前方から剣山のように骨の槍が突き出してきていた。

 

 それはさながら波だった。

 骨槍の波がラカニシュを中心に広がっていく。

 だが既に戦闘不能となった魔軍の者達を刺し貫く様な事は無かった。

 

 ラカニシュは別に害意をもっているわけでは無いのだ。

 エルファルリの事をも幸せにしてやりたいと思っているし、既に幸せになった者達の肉体を無駄に傷つけたいわけでもない。

 

 善意を伴う行為を善と呼ぶのならば、ラカニシュは確かに善意の人だった。

 

 ◆

 

「避けろ!!!」

 

 ヌラが絶叫した。

 骨槍の波が凄まじい速度で大地を伝播し、魔軍に向かい合うヌラ達の後背から迫ってきたからだ。

 ラカニシュはその場にいる全ての“不幸せの中に在る者達”を刺し貫く積もりだった。

 

「アレを消す!邪魔するなよ人間!」

 

 ヒルダが大剣を一思いに横薙ぎに振り切る。

 ヌラはそれを隙と見做して攻撃する事も出来たが、今回に限っては見逃すことを選択した。

 

 するとヒルダの大剣の剣先から先立ってラカニシュを攻撃した氷の波濤が発生し、骨槍の波とぶつかり合い、そして相殺していく。

 

 ヌラは怪訝そうな表情でヒルダを見た。

 彼女の行動は明らかにヌラ達を助ける類のものだったからだ。

 一々声をかけてきた事は利敵行為にならないだろうか?

 

 そんな疑問を察したか、ヒルダは冷たい視線をヌラに向けて言う。

 

「あれは我々をも飲み込む攻撃だった。だが貴様に妨害されてしまっては迎撃が失敗する恐れもあった。あの骨の魔術師もそして貴様等人間も我々の敵だ。故に両方死んでもらうが、どちらかの肩を持てというのならば貴様等を選ぶ」

 

 そんなヒルダの言葉にヌラや他の冒険者達は奇遇だな、と思った。

 なぜなら彼等もまたラカニシュ、魔軍の両者に滅びてもらう積もりだが、敢えて手を組むとしたらラカニシュではなく魔族達がいいなと思っていたからだ。

 

 とはいえ…

 

「俺達も多分アンタと同じ気持ちだ。ただそれはそれとして、お前達にはここで死んでもらう」

 

 ヌラの声は何か面白がる調子だった。

 それを聞いたヒルダは口元に酷薄な笑みを浮かべ、同感だな、と呟いた。

 

 周囲の尖兵達もその人外の瞳にちょっとした好奇心と多大なる殺意を浮かべる。

 

 かかれというヒルダの号令が雪原に木霊し、魔軍が目の色を変えて冒険者達に殺到した。

 

 ◆

 

【挿絵表示】

 

「…私には姉と妹がいてな。姉は厳しくてね、嫌いだったよ。しかし強かった。だがその姉も人間に殺された。…人間、お前は私が相手をしよう。私は人間を甘く見ていない」

 

 パキパキと。

 ヒルダの肉体を氷が覆っていく。

 その形はまるで全身鎧の様でいて。

 美麗な顔立ちはフルフェイスの騎士鎧へ隠され、携えていた大剣は剣身が砕け散り、鎧へ溶け込んでいく。

 

「ヌラ!ぼさっと見てるんじゃないわよ!」

 

 エルファルリの一党の女剣士が一気呵成に切り込んだ。ヒルダの変容はいかにも剣呑だ。

 女剣士がヒルダを放置出来ないと判断したのは無理ない話だった。

 

 女剣士の得物は片刃の奇妙な形をしている。

 極東では一般的ではあるが、西域ではやや希少なカタナと呼ばれる切断に優れた武器だ。

 女剣士はこれを十全に扱う事が出来る。

 単純な剣の腕だけで言うならば、彼女は一党で最も優れている。

 

 カタナから繰り出される鋭い斬撃、そして軽装ゆえの機動力もあり、彼女は一党の切り込み隊長だ。強気で、酒が入ると途端に涙上戸になる彼女はエルファルリを母親の様に慕っている。

 

 ――やめろ…

 

 ヌラは警告を発しようとしたが声が出ない。

 いつの間にか周辺の気温低下が異常域に達していた。空気が凍り、喉にへばりつく。

 

 ゛今は近寄るな゛

 

 そんなヌラの斥候としての危機感知能力が大警報を鳴らし、両の足を縛りつけた。

 

 そんなヌラを見た女剣士はそれでよい、と思った。なぜなら切り込みは剣士の華だし、成功すればそれはよし、だが失敗してもそれを糧として作戦を練る事が出来るからだ。

 

 切り込み隊長というのは真っ先に敵を殺すか、あるいは真っ先に殺されて敵の手を暴く事が仕事だ。女剣士もそれは承知の上だった。

 

「え」

 

 女剣士は剣を振りかざし、極端に動きが鈍くなる。ヒルダの放つ絶対零度の凍風が女剣士の肉体を急激に冷やし、動きを鈍らせた。

 

 例え絶対零度下でも人体はそんな簡単に凍結したりはしないが、動きを極端に鈍らせる事は出来る。

 そして女剣士に近寄ったヒルダはその頬に手を当てた。

 

 凍結が凄まじい速度で進行していく。

 女剣士の周囲の空気ごと、彼女を巻き込んで。

 

 しかし女剣士の意気は挫けない。

 氷か、或いは肉体が割れる音を立てながら、両の手で柄を握りこみ、渾身の突きを放つ。

 

 そしてカタナの切っ先はヒルダの氷鎧へ埋まり、剣士の命でもある腕が2本とも折れて大地へ転がった。

 

 

【挿絵表示】

 

 それを見た女剣士は何だか泣きそうな表情を浮かべながら、全身を氷に包まれて死んだ。

 

 ヌラの表情が歪む。

 女剣士…ケイを殺したのはヒルダではあるが、ある意味でヌラでもある。

 魔軍に一当てしようと決めたのは彼だからだ。

 

(あの時、ラカニシュと魔軍が当たるのを傍観していればよかったのだろうか?だが、元より、だ)

 

 ある程度折込み済みとはいえ、弱気がヌラの意気を軋ませる。難敵とあたる時、犠牲は織り込んで然るべきではあるが、犠牲が出ないに越した事はないのだ。

 

「いや。仕方ないね。私も同意見だよ。あの骨の魔術師…ラカニシュとかれらがやり合うに任せていたら、何か取り返しがつかない事になっていった気がする。もう少しやりようはあったような気がしないでもないけど、時間が無かったからね。ま、いいさ。少し温めよう。冷えるからね。後は頼んだよ」

 

 ヌラの後背からそんな言葉が聞こえてくる。

 花咲く野原を思わせる柔らかな声はマハリだ。

 マハリはエルファルリの一党の女術師である。

 

 ヌラより3つ年上だが、やや幼い顔立ちは彼女を20代の前半にも、あるいは10代の後半にも見せている。妖精の血が混じっているというのは、いつか共にした酒の席でマハリが言った事だった。

 

 ヌラがエルファルリの一党を抜けるに当って、一番悲しんだのはマハリだった。

 男女の間に友情などない、というのが定説ではあるが、ヌラとマハリの間には無いはずの友情があった。

 

 ◆

 

 術の起動を思わせる魔力の高まりをヌラは感じ、同時に肌が痛むほどの凍気が和らいだ。

 

「助かる、マハリ」

 

 ヌラは振り向かないまま短く答え、短刀を構えなおした。

 

 ヌラが振り向かなかったのは、単純に隙を見せたくないのもあったが、恐らくは息絶えているであろうマハリを見て動揺したくなかったからである。

 

 ヒルダの展開する絶対零度の凍結領域を、マハリは自身の生命を触媒とする事で行動可能な程度には弱めた。

 

 どんな魔法でも魔術でも相殺は出来る。

 天秤さえ釣り合っているならば。

 魔将の行使する魔法的な事象をか弱い人間が相殺するというのなら、その代価は魔力だけではとても足りない。

 

 マハリは長杖を支え棒としながら、立ったまま絶命していた。

 

 ◆

 

 ケイとマハリの死は本気を出した魔将を手の負えない恐ろしい怪物から、ギリギリで手に負える恐ろしい怪物へと引き摺り下ろすことができた。

 

 ヌラはふと“何の為に命を賭けて戦うのだろう“と思い、理由を探ってみた。

 

 命の奪い合いという場でなんとも呑気な事だが、優れた斥候としての勘が今考えておかないともう機会はないぞと告げている。

 

 かつてヌラが色々なものから逃げ出した時、彼の中にはただただ空虚さがあった。

 

 ヌラは責任から解放され、自由となる事を望み、それは確かに手に入ったものの、自分が余り幸せではなかったことにここへ来て気付いた。

 

「空っぽの箱に自由と書いて、それを後生大事にしていたわけか。まあでもよい。ここにきて、案外俺も色々持っているんだなって気付いたわけだし。俺は、これまで逃げてきたものにやっと正面から向かいあえる気がしてるんだ」

 

 ヌラは苦笑した。

 

 ヒルダは黙って彼を見つめている。

 彼女が何故ヌラに仕掛けないのかはヌラには分からないし、ヒルダ本人にも分からない。

 

 他の冒険者達と魔軍の戦闘の音が、ヌラにはやけに遠くに聞こえ、視界が澄んできた。

 

「アンタらには実は恨みはないんだ。でも放って置くと街は滅びちまう」

 

 ヌラが言うと、ヒルダが頷いて言った。

 

「そうだな。我々はお前達を滅ぼすよ」

 

「うん。そしてそれはあの骨野郎も一緒だ。俺は…俺たちは街に守りたいものをのこしてきているんだ。だからお前達はここで始末したい。本当は帝国軍に任せたいけど、いくら帝国軍も万全のアンタら相手は厳しいだろう。残るべきは俺達か、帝国軍か。道中でリーダーと話したんだけどな。帝国軍じゃあんたら勝てそうにないなってなってね。バリスカのおっさんは勇猛だけど、少し馬鹿なんだ」

 

 ヒルダはやや険しい口調で言い返した。

 

「だから捨て駒になるというのか?」

 

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬も確かにあるだろうが、最初から死兵として臨むというのはヒルダにはいまいち理解が出来なかった。

 

 その言葉にヌラは薄い笑みで“捨てたら誰かが拾ってくれるかもしれないだろ?”と答えた。

 

 ◆

 

 少し離れた所でポーが戦況を見ている。

 ただ見ているだけではなく、彼にもやるべきことがあり、ポーは彼の役目を十全に果たそうとしていた。




姉のオルトリンデは第二次人魔大戦の時期にシドに殺害されてます。
妹のカルミラは別作のクロウに殺害されています。


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閑話:北方侵攻⑬~判事~

 ◆

 

 ラカニシュが両の手を掲げた。

 

 まるで神から祝福を授かるのを待っている聖者の様な姿。

 エルファルリはその姿を虚仮であると見做す事が出来なかった。なぜなら…

 

 ――墜ちよ天

 ――栄光は汝に相応しからず

 

 “何か”がラカニシュへ流れ込んでいく。

 それは信仰として固まる前の祈りであった。

 

 かつてラカニシュは生きている限り苦しみが続くというある種の真理を感得した。それは全面的に正しいというわけではないが、確かに正しい側面もあるのだ。

 

 今こうしている間にも、どこかの誰かから苦しみは絶え間なく生み出され続けている。

 苦しみの渦中にある者達は思う、“誰か助けてください”と。それが神でも悪魔でも構わないから、と。

 

 そんな幽けき想いがラカニシュの掲げた右の掌へ流れ込む。

 

 なぜそんな事が出来るのか?

 

 彼が救世主であるからだ。

 救世主としての揺るぎ無き意思を以ってすれば、祈りを誘引できて当然だからだ。

 少なくともラカニシュはそう考えている。

 

 次にラカニシュは左の掌を地に向け、呟いた。

 その口調は当初のようにたどたどしいものではなく、いまや明朗に発音が為されている。

 

 ――砕けよ地

 ――偽りの平和から目覚めよ

 

 すると大地からやはり何かがラカニシュへ流れ込んでいく。

 それはこの地…北方で散った者達の無念だ。

 志半ばにして散り、地の肥やしとなった者達の思念の残滓…そういうものを取り込んでいる。

 

 なぜそんな事が出来るのか?

 

 彼が救世主であるからだ。

 そしてラカニシュは、救世主たる自身には使命があると考えている。

 

 使命とは何か?

 

 救うべきは生者のみにあらず。

 死者達の残滓も自身の中に取り込む事で完全な消滅を防ごうという事だ。

 なぜなら忘却こそがその者にとっての本当の死であるからして。

 

 このような使命があるのだから、報われぬ魂を自身の根源に取り込めて当然だとラカニシュは考えている。

 

 ◆

 

 天と地から流れ込む“力”を上下に掲げた両の掌に受けたラカニシュは、右掌を右に弧を描くように下方へ、左掌を左に弧を描くように上方へゆるりと動かしていった。

 

 円とは終わり無き循環の象徴。

 ラカニシュは自身の肉体で輪廻に似た何かを再現しようとしていた。

 

 この円環が完成すればラカニシュの身には天地両極の力が収束し、亜神とも言うべき存在へと変容してしまう。

 

 だが

 

 ・

 ・

 ・

 

 ――貴方達の向かう先はそちらではありませんよ

 

 連盟術師、ポー。

 

 ◆

 

 その囁きは密やかであるにも関わらず、大きく響いた。

 

 エルファルリは背後を振り返り、そして見た。

 両の瞳から血涙を流し、両の掌をラカニシュへ向けているポーの姿を。

 

 円環の完成の、その寸前にラカニシュの肉体から二つの光球が“引き抜かれ”ポーの掌へ掌握される。

 

『貴ィィ様ァァッ!』

 

 大切なモノを奪われた事を知ったラカニシュが、その時初めて感情を…怒を露にしてポーに両掌を向ける。

 

 大気が掌中に収束していく。

 大気を収束させた圧縮空気弾である。

 分類としては協会式の魔術だ。

 

 強力ではあるが、これはそれまで行使していた“特異な術”ではない。

 なぜならラカニシュは知っていたからだ。

 もはやそれは使えぬ、と。

 

 とは言え、天地から流れる力を受けて位階を高めたラカニシュは、この場で最も神に近く、それほどの存在であるならばもはや詠唱などは必要としない。

 なぜならば神の類は存在そのものが伝承、逸話であるからだ。

 

 ポーは肉体的に言えばひ弱であり、圧縮空気弾を受けようものなら上半身が千切れ飛ぶだろう。

 エルファルリが受けるだろうか?

 いや、彼女は半歩届かない。

 

 術は不可視の殺意が唸りをあげ、ポーに襲い掛かる。

 だがポーはこの期に及んで薄ら笑いを浮かべていた。

 

 ――血肉通わぬ法、是を禁ず

 

 中年男性の低い声が響く。

 ポーの横にはいつのまにか1人の中年男性が立っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 連盟の9本目の杖、『判事』ルードヴィヒ。

 

 空気弾はポーに直撃する寸前に雲散霧消し、ルードヴィヒが人差し指をラカニシュに向けて呟いた。

 

 ――執行

 

 大岩を粉砕する程の空気弾。

 その威力がそのままラカニシュに叩きつけられた。



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閑話:北方侵攻⑭~糾う骨~

 ◆

 

 ルードヴィヒの視線は地の底から睨め上げるようにラカニシュへ向けられていた。

 そこには仇敵に向ける陰湿な怒気が多分に込められている。

 

 姿形こそ生前のそれであったが、放散する陰の気はまさしく死者のものだ。

 それはまさしく怨霊と呼ぶに相応しい妖気であった。

 

 雪煙を上げて吹き飛んだラカニシュは、骨体の至る所を欠けさせながらも自身の放った圧縮空気弾に耐え抜く。

 

 術師は剣士ほどではないにしても魔力によって自身の肉体…ラカニシュの場合は骨体を強化できる。

 

 これは例えるならば、筋肉に力を込めるようなものだ。

 

 腹部を打たれるとして、腹筋に力を込めた状態で打たれるのと脱力状態で打たれるのとでは身体的なダメージに大きな差がでる…魔力による身体強化にも同じ事が言える。

 

 単純な反射ではない所がいやらしい、とポーは思う。あくまでも等量の威力を持つ“罰”なのだ。連盟術師ルードヴィヒの術式圏内では彼が定めた法に反する行動を取った時、“被告人”の行動を触媒として罰が与えられる。

 

 ただしこれは人種、 信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 所謂法の下の平等という奴だ。

 

 術者が敷いた法に反した行動を取れば、術者自身にも罰が与えられる。

 

「エルファルリさんという前衛剣士がいる状態での“これ”は辛いでしょうね」

 

 ポーは他人事のようにいいながら、両眼から滴る血涙を拭取った。

 

 これは代償だ。

 彼は今、死痛とも言うべき苦痛を全身に感じている。

 

 連盟術師ルードヴィヒにしても連盟術師キャスリアンにしても、その内面には狂気的な精神世界が広がっている。

 

 そういう者が従う者がいるとすれば、それは他ならぬ自分自身だ。そんな彼等が他者の走狗となるというのは、彼等自身にとってどれ程の理不尽で、どれ程の苦痛を伴うのか。

 

 ポーが今行使している術…応報の権能。

 これはその者に降りかかった不幸、理不尽をそれを与えたものへ返すという力であり、一時的に仮初の命、肉体を与え、自身の手でその者へ応報させるという事も出来る。

 

 理不尽とそれに伴う苦痛、苦悩が術の起動条件だが、当然起動をするならば支払うべきものを

 支払わねばならない。代償だ。

 

 その代償とは苦痛、苦悩への完全共感である。

 あなたの気持ちはわかりますよ、などとい薄っぺらい言葉で“共感してもらえている”と感じる間抜けがどこにいるのだろうか。

 

 苦しみへの共感とは、同じ苦しみを味わったものでしか出来ないものだ。

 

 故に、ポーは術の起動対象が死した時と等量の苦痛や苦悩を味わう。術を起動している間はずっと味わい続ける。

 苦痛を肩代わりしてやるのだ。

 

 それにより彼の掌中の死者達は狂するほどの苦痛から一時的に解放され、澄んだ思考で適切な復讐できる。

 

 勿論、その肩代わりする苦痛は幻想のものではなく、度を超した苦痛というのはあるいはポー自身を殺めてしまうこともあるだろう。

 

 だが命を、魂を使うなら、それに支払う代金というものが自身の命や魂であるというのは至極当然のことだ。

 

 ◆

 

「見事だ、連盟の術師!」

 

 エルファルリが叫ぶなり、大剣を突き出し、身を低くしたままラカニシュに向かって駆け出した。

 

 齢60を超える身でありながら、全身を覆う筋肉は躍動し、そこから生まれる膨大な運動エネルギーは彼女の両の脚に爆発的推進力を与える。

 

 雪に覆われた大地を踏み砕く音はまるで爆発音の様で、その疾駆の勢いはエルファルリとラカニシュの彼我の距離、約15メトルを0.6秒で縮めた。これは時速90キロメトルに相当するが、初速からその速度を出せる生物というのは中々居ない。

 

 東域の北西部の草原地帯に“風喰い”と呼ばれる黄色の体に黒い斑を散らせる四足の肉食獣が生息しており、これは最初の3秒で最高速度の120キロルに達するほどの走力を持つが、走り比べをしたならば短距離はエルファルリに軍配があがるだろう。

 

 ◆

 

 一瞬にして距離を詰められた距離…その勢いがそのまま貫通力として乗算された渾身の突き。

 

 それがラカニシュの白い胸部へと吸い込まれ、剣先が少し埋まり、そして弾かれた。

 大剣の剣身にラカニシュの手があてがわれ、その白い骨の指が剣に食い込む。

 

 自身を不甲斐ない神から人々を安寧に導く救世主だと感得しているラカニシュには今、天地から流れ込む膨大な魔力があり、それがラカニシュの五体をこれ以上ないというほど強靭なものにしていた。

 

 確かにルードヴィヒとキャスリアンの魂こそ剥離させられてしまったが、人一人が抗える存在ではない事は確かだ。

 

 エルファルリは少し目を見開き、そして歯を食いしばり、亡き夫の遺品でもある邪祓いの大剣に入った罅が広がっていくのも構わず、柄を握る腕に力を込めた。

 

 ◆

 

 憎い、憎い、憎い。

 愛する夫を奪った外道が憎い。

 エルファルリの両眼と思考が憎悪に染まる。

 

 彼女が見た夫の、オルド騎士コーエンの姿は無残なものだった。

 四肢が断裂し、達磨のような姿となったコーエンは股間部から頭頂部までもを骨の槍で貫かれ、それでも死ぬ事を許されずに幸せそうに笑っていたのだ。

 

 無数のオルド騎士、そして当時共闘した無数の帝国軍兵士、彼等が命を懸けてラカニシュの術の無駄打ちを誘った。

 キャスリアンから奪った術は骨体のラカニシュに魔力が許す限りの再生力を与えるが、再生には当然魔力が必要となる。

 ラカニシュの術は強力だが、魔力は有限でもある。ゆえの人海戦術であった。

 

 命を的に魔力を削り、どれほどの犠牲が出たかは分からないものの、ついにはラカニシュが息切れした時、オルド騎士ラドゥの烈怒に震える雷刀がラカニシュを真っ二つにした。

 

 そして帝国の精鋭術師達が自身らの命を触媒とし、果ての大陸の縛鎖と同質の強大な封印を施し、当時は勝利を収める事が出来たのだ。

 

 ラカニシュの封印と共に術が解け、コーエンは正しく死を迎える事が出来たものの、エルファルリは愛する夫の尊厳を陵辱された事を決して忘れはしない。

 

 憎悪していてもエルファルリの頭は冷たく冷えていた。脳裏にポーから掛けられた言葉が蘇る。

 

 ――必要な事なのですよ

 

 ◆

 

 自身の全身の力を総動員して繰り出した突きが、せいぜい胸部の骨を削るだけであった事にエルファルリが動揺する事はなかった。

 

 だがその場から一旦離れて体勢を整える事もしなかった。そこは絶対致死圏内とも言うべき危険地帯だ。超常的な膂力のラカニシュに、たとえ腕の薙ぎ払いでも受けたなら上半身が引き千切れてしまったとしても不思議ではない。

 

 そして、不思議ではない事は当たり前のように起こる。

 

 ラカニシュが握る大剣がぐいっと引き寄せられ、エルファルリの体が揺らぐ。

 

 そしてラカニシュが無造作に腕を薙ぐと、幾重にも骨が絡み合った不気味な骨腕はエルファルリの上腕部から胸の半ばまで深々と食い込んだ。

 

 ラカニシュの手指がエルファルリの、正しく体内でぐちゃぐちゃ音を立てて蠢く。

 そして指の先端が彼女の心臓に触れ、それを握りしめようとした時。

 

 ぽんっとラカニシュの肩に手が置かれた。

 まるで旧友に声を掛けるときの気安さで。

 

 ――よォ、久しぶりだな。家族面して俺を殺った時の気分を教えてくれよ。ところで話は変わるが何が人の本質だと思う?俺は骨だと思っている。本質ってのは最期まで残るもンなんだ。なんたって一番硬いからな。何より硬いのさ。そう、ラカニシュ、お前よりも…

 

 

【挿絵表示】

 

 

『糾う骨』キャスリアンが皮肉気な笑みを浮かべて立っていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 バキバキと。

 

 エルファルリの上腕骨、肋骨、胸骨が、体内に潜り込んでいたラカニシュの腕へと絡み付いていく。エルファルリの意識は深刻な肉体の破壊、激痛、出血によるショックで既に失われていた。

 

 しかし彼女の骨はまるで生きているように蠢き、ラカニシュの腕に絡みつき、まるで取り込もうとするようにラカニシュの骨の表面の無数の欠損痕から内部へもぐりこもうとしていた。

 その欠損の大部分がルードヴィヒの法に反した事でつけられた欠損痕だ。

 

 ラカニシュは自身に異物が入り込んでくるのを感得していた。それは例えば、肉の身に刃物が潜り込んでくる様なそれではない。

 例えるならば、己の肉体が段々と他人のものになっていくような…そんな悍ましい感覚であった。

 

 劇毒とて薄めに薄めれば、やがては無毒に近くなるだろう。キャスリアンは、エルファルリはそれを骨でやっている。

 

 エルファルリの骨…彼女の中で一番硬い部分。彼女の本質。彼女の何もかもが詰まっている部分をラカニシュのそれと同化させ、精神世界の内部よりラカニシュを損ねてしまおうという狂気的な作戦だった。

 

 ◆

 

 ポーは既にキャスリアンをエルファルリに憑けていた。キャスリアン自身がラカニシュの骨体へ干渉する事は出来ない。なぜなら本質を、骨を愛するキャスリアンだからこそその愛情に骨は応えるのだ。

 キャスリアンはラカニシュを忌み嫌い、嫌悪している。それでは骨は応えない。

 

 これが彼の術の起動条件であった。

 彼が純戦闘向きではないとされているのはこれが理由だ。忌み嫌うからこそ相争うことになるというのに、キャスリアンはその相手へ最低でも好感を抱いていなければ術を及ぼすことが出来ないのだから。

 

 ただラカニシュとの相性は非常に良いといえる。彼は生きとし生ける者を皆愛している故に。

 

 ◆

 

 ポーは自身がこれまで以上に急速に消耗していっているのを感じていた。身の内を焼くのは怒り、絶望、憎悪…様々な負の感情がポーを蝕む。

 

 五体には全身をバラバラに引き裂かれているような痛みが走っていた。

 これはルードヴィヒが、キャスリアンが味わってきた苦痛だ。

 

 これはいつもの事だった。

 誰かの理不尽な死の鎖を解きほぐす時、彼はいつも理不尽な苦しみに苛まされる。

 

 しかし彼の精神世界に暗雲が広がり、苦くて黒い雨が降りしきる中、もう辛いと膝が折れそうになった時。

 

 ポーは決まって雲の切れ目に蜂蜜色の髪の毛と蒼の瞳をもった少女の姿を視るのだ。

 

 ――ファシルナミエ…



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帝都の日常④

 ◆

 

 帝都冒険者ギルドでの上級冒険者達との出会いは、ヨハンとヨルシカにとっても良い経験だった。

 2人の目からみてもカッスルとゼラは並々ならぬ業を持つように見えた。

 

(癖は強いが)

 

 そうヨハンは思うが、そもそも癖のない金等級などは存在しないな、と苦笑を浮かべる。

 よくも悪くも、一般社会で生きられない逸脱者達だが、味方である分には心強い。

 

 カッスルやゼラもヨハンとヨルシカの事をそんな風に思っていたのか、癖者4人はそれからもちょっとした雑談をする。そして“死んでいなければまた会おう”などという情緒のない挨拶をかわしあって、ヨハン達はギルドを後にした。

 

 道中、食料や物資を少し購入し、屋敷へと戻る。

 その日の夕食はヨルシカとヨハンとで作った。

 ヨルシカが軽く掌底を打つと衝撃が芋の全体に伝導し、内部からの圧力で芋がグチャグチャに潰れていく様にはヨハンも複雑な心境を禁じえなかったものだ。

 

 この爆縮現象は先立ってヨハンが上魔将マギウスの追手との戦闘時に、先手を打って放った魔法からインスピレーションを得たものらしい。

 

 ◆

 

 夜半。

 

 ベッドで。

 

 ヨルシカは義手が外されたヨハンの腕の断面に指を這わせ、少し屈むとついでそっと口付けた。

 

「おい、拭いてくれるんじゃないのか?」

 

 そんなヨハンの野暮ったい声は黙殺し、ヨルシカの指は腕だけではなくヨハンの上半身のそこかしこに触れていく。着痩せをする方なのだろうか、ヨハンの肉体は引き締められ、戦闘者としてそうあるべき肉体の見本という様な塩梅だった。

 

 よくよく見れば大小様々な古傷があり、それはまるで術師というよりは歴戦の剣士のような。

 

 ヨハンはヨルシカのされるがままとなり、黙って月を眺めていた。

 その日の晩は紅月だ。

 この季節、西域には南域からの色砂が飛来して月が赤く染まる晩がある。

 

「…ねえ、勝てると思う?」

 

 ヨルシカの問いにヨハンはすぐには答えなかった。

 良く分からなかったからだ。

 ただ、いつか視たあの夢が思い出された。

 人間、魔族、分け隔てなく骸と化し横たわる死屍累々の凶気的な場所。

 そこでヨハンはなにかに向かい合っていた。

 恐らくは勇者であろう青年、ヨルシカ、知らない男。

 あの時対峙していた存在が魔王なのだろうか?

 

 やがて月を眺めたままヨハンは口を開いた。

 

「勝てなければ逃げるさ」

 

 ヨルシカはそれを聞き、苦笑を浮かべた。

 これまでの付き合いでヨハンという男が敵に背を向けた事は一度もない。

 

「本当に逃げるとも。遁走だよ」

 

 ヨハンは月から目を離し、ヨルシカの目を見てもう一度言った。

 

「世界が滅んじゃうかもよ?」

 

 2人は精神世界の奥深くで繋がっている。

 ゆえに本心、本音は何となく分かる。

 答えを知っていながらヨルシカは敢えて尋ねた。

 

「世界は滅ばない。西域や東域…この大陸は滅ぶだろうが、逃げ場所はいくらでもあるさ。勿論…心が痛まないという事はないし、俺にはいくつか手管もある。切り札だ。使っていい切り札、使うべきではない切り札…後者を使えばあるいはなんとかなるかもしれない。然るべき、代償を払えば」

 

 その代償が何を意味するのか、ヨハンもヨルシカも良く知っている。

 

「だが俺は払わない事に決めた。その事で“敵”に勝てないのならばそれはもう仕方がない。逃げるよ。世界より君だ。俺は多くの人命よりも、ヨルシカ…君の命を惜しむ」

 

 それに、とヨハンは続けた。

 

「俺も命が惜しいからな。君も俺が死んだら悲しいだろう?俺は君が死んだらとても悲しい」

 

 ヨルシカは頷いて、自身の体をぴたりとヨハンのそれに寄り添わせた。

 肌を通して感得する魔力は人の域にない。

 通常そこまで極まれば、わずかなりとも意識は傲慢に寄るものだ。

 この力があれば、これほどに強ければ、と。

 

 だがヨハンはともすれば怯懦とも取られるような事を言った。

 かつての彼ならば自身の命やヨルシカの命でさえも勝利の為の布石としただろう。

 ヨハンは弱くなったのだろうか?

 恋を、愛を知る事で、護るものが出来た事で中途半端な存在になってしまったのだろうか?

 

 ヨルシカの心中の奥深くに、そんな不安が過ぎる。

 しかし、不安が過ぎった瞬間に唇をふさがれた。

 気が狂いそうになるほどの甘い口付けは、ヨルシカに快楽と戦慄すべき事実を否応無く叩き込む。

 

 ヨルシカは知った。

 ヨハンはある意味で以前より遥かに危険な存在となっている事を。

 以前の彼でも使用に躊躇した禁じられた技法、非人道的な秘術…これらをヨルシカと自身の生命を保全するという目的の為ならば躊躇なく使用するだろう事を。

 “逃げる為”ならばヨルシカとヨハンの命以外の全てを使い潰す積もりであろう事を。

 “全て”には世界も入るという事を。

 

 それはある意味で人類種にとっては魔王と等しい凶性であった。

 なぜなら魔王は確かにイム大陸に住まう人類種を殲滅しようとはしている。

 だがそれはあくまでも魔族という種のためだ。

 王としての義務を果たそうとしているだけである。

 

 その点ヨハンはどうか?

 女と自分の命のためなら、世界そのものを犠牲としたって構わないとすら思っている。

 これは人間社会にとっては魔王以上のロクデナシと言っても過言ではないだろう。

 

「まぁ、レナード・キュンメルからの依頼もある。出来る事はするさ。帝都に土地付きのでかい屋敷も貰える事だし」

 

 それに、とヨハンはやや言い淀んだ。

 

「…君と、一緒になったら帰る場所も必要だろう」

 

 一緒になったら、という言葉の意味が分からないヨルシカではない。

 だが一言足りないな、と思った。

 

「結婚っていう事?」

 

 ヨルシカがストレートに尋ねると、ヨハンは気圧されたかのように怯んだ。

 なぜなら、確かにその気はあるが今この場で確言する事になるとは思って居なかったからだ。

 ヨハンはとりあえず今は“一緒になる”という言葉で招来の方向性を匂わせて、などという甘な考えでいた。

 

 それは言葉を業に磨き上げる術師として余りに無様な振る舞いと言わざるを得ない。

 だが人間生きていれば勇気1つを胸に前に進まねばならない事がある。

 

 ――それがいまだ

 

 がばり、とヨハンは起き上がった。

 ヨルシカもそれに続く。

 

「…っ、そうだ。結婚だ。結婚をしたい。ヨルシカ、君とだ!」

 

 これで断わられたら可及的速やかに精神を慰撫する術を自身へかけよう、と思いつつヨハンは言い放った。

 

 ヨルシカは胸がぱあっと晴れるような喜びを覚えたが、彼女は彼女でやや世間ズレしている部分もあるというか、男心に疎い部分があり、ヨハンがなぜ緊張しているのかさっぱり分からなかった。

 だから…

 

「良いよ!喜んで!これからもよろしくね!」

 

 そんな朗らかな返答と共に、ヨハンの頬へ口付けを落とす。

 ヨハンはその軽さというか男らしさに内心首をかしげながら、ヨルシカの腰へ手を回す。

 

 



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閑話:北方侵攻⑮~悼みの箱~

 ◆

 

 エルファルリの骨がまるで絞め殺し植物…他の植物に巻きついて宿主を枯死させるツタのように、ラカニシュの骨へ()()()()()()

 

 キャスリアンの術による現象だが、しかしエルファルリの執念、怨念が骨の強度を高めているのだろうか、不死者の最上位とも言うべき存在の骨に対し、人間のそれが食い込み、侵し、傷つけるというのは常識の埒外の現象である。

 

 エルファルリの骨は、ラカニシュのそれへ同化していく傍から朽ちさせていった。

 

 指から手へ、手から肘へ、肘から肩へ。

 

 ラカニシュはもう片方の腕を天高く掲げ、何事かを呟いた。

 

 するとその手刀に赫い輝きが収束していき、大気が熱で歪む。

 太陽光を手刀に集めた熱刃刀だ。

 

 自身の手であるならそれはルードヴィヒの法に反する事はない。

 

 ラカニシュは躊躇なく侵蝕されつつある方の腕を切断…いや、溶断した。

 

 キャスリアンが乖離した今、もはやラカニシュは自身の骨体を直ちに再生する事は出来ない。それを理解した上でなおラカニシュは腕の切除を決断したのはエルファルリの負の想念の危険性を見抜いたが故であろう。

 

 皮肉な話ではあるが、人の想いの力の強さ、それが何を為し得るかという事について、ラカニシュという男の理解は非常に深い。

 

 ラカニシュと繋がっている腕を失って雪原に倒れ付すエルファルリは、かろうじて息はあるがそれでも命の灯が消えるまでにはそう長い時間を必要としないだろう。

 

「腕一本か。まあよくやった方かな」

 

 キャスリアンがエルファルリに目を遣って、どこか優しげな口調で呟いた。

 

 ◆

 

 身も蓋もない言い方をすると、強ければ強くなるほどに、その者は一般的な人間的感性から外れていく…と言うのは冒険者に限った話ではない。

 

 ある程度以上に業前が整ってくると、その剣士…乃至術師の戦闘思考は目的達成を第一とした戦闘思考へと純化していくのだ。

 

 つまり、目的を達成する為に自身の命を必要経費と見做すことも厭わなくなる。

 

 ・

 ・

 ・

 

 時は僅かに遡る。

 

 

「…僕が視る限り、真っ当にやりあっては僕等の命、そしてオルディアの街に控えているバリシュカ伯爵率いる帝国軍を総動員しても勝利への対価は購いきれないでしょう。僕らは死に、残るのは彼等です」

 

 丘上からポーは一同に説明した。

 エルファルリやヌラ、そしてエルファルリの団のメンバーはこれに異論を唱えない。

 

 蒼い肌の女魔族が矢継ぎ早に放つ魔法の規模は凄まじく、それをどういう手管か知らないが打ち消すなりして逆撃する骨体の魔術師…ラカニシュの業前は優れているという言葉だけではとても言い表せない。

 

「逃げる…っていうのは?」

 

 一同の1人、男の冒険者がそう尋ねた。

 これはこれで名案だ。

 生きてこそ立つ瀬もあり、敵わぬと見れば逃げるというのは立派な戦術である。

 

 ポーは2度、3度と頷き、やがて苦笑を浮かべた。そこに臆病者を揶揄する侮蔑の色は無い。

 諦念が滲んだ苦い笑みだった。

 

「勿論、それも考えました。が。ここで逃げた場合…碌な事にならないでしょうね。彼…あの骨体の魔術師はラカニシュと言います。丘下での戦闘、放置すればあのラカニシュが勝利するでしょう。細かい説明は省きますが、魔族等の敗北は彼の力を更に高めます。我々魔術師に取って、自身の願望、根源の充足を以て階梯を昇る事は珍しい事ではありません」

 

 そうなれば、とポーは続ける。

 

「あそこの魔族を平らげたラカニシュは、この北方を散々に荒しまわるでしょうね。知っていますか?彼に敗れた者は決して死ぬ事はないのです…」

 

 そこでポーはラカニシュの“力”について説明した。死から遠ざけられ、夢幻の生を植えつけられ、悍ましい姿のままに快楽に浸って生き続ける…その幸福、快楽の念がラカニシュに更なる力を与えると。

 

「放置しておけば、いずれラカニシュの力はこの大陸の全土に及びますよ。皆が生ける屍と化すでしょう。それに、僅かな時間の安寧をもとめて逃げ出したとて、逃げ場はあるんでしょうか?」

 

 ポーは空をゆびさした。

 暗雲が広がる不穏な空だ。

 

 

「魔族が表立って襲撃してきている、そして空の模様、一部の耳ざとい者なら知っているでしょうが、果ての大陸の縛鎖が緩んでいるという噂もありますね。これらから予想できる事…それは人魔大戦の勃発。逃げた所で果たしてどこに安全な場所があるでしょうね。皆さんは全員が全員天涯孤独な身の上というわけではないのでしょう?家族がいるかもしれないし、恋人が居るかもしれない。友人もいるかもしれない…」

 

 ポーが薄気味悪い笑みを浮かべながらここまでいうと、冒険者の1人がため息をつきながら言った。

 

「分かった分かった…確かにそうだな、姐さんやヌラが口を挟まないのが証拠だ。俺はアンタを信じたわけじゃないが、姐さんやヌラの事は信じている。で?景気悪い事ばかりか?何か明るい情報はないのか?」

 

 男がそういうと、ポーはにこやかに笑いながら言った。

 

「あります!僕に秘策があります」

 

 秘策?と男が先を促す。

 ポーの口調の明るさに、男はまだツキは落ち切ってはいないようだなと僅かに安堵した。

 しかし、ポーの次の言葉に盛大にため息をつくことになるが。

 

「皆さん、ここで死んでしまえば宜しい。なるべく未練を残して、ね。大丈夫です。その未練は、僕がこの命と引き換えに晴らしてさしあげましょう。少し多いですが、僕の力の及ぶ範囲です。ギリギリですけどね。残党の心配はありますが、その為に帝国軍が居るのです。最初から帝国軍を巻き込む案も考えましたが、僕の力はそれほど多くの人数には及びません。死に損というか、殺され損になってしまってはあるいはラカニシュの力の苗床になってしまうかもしれませんからね」

 

 そこでポーは自身の力の秘、自身の身分…そのすべてをその場の者達に余す事なく開帳した。

 

「連盟の術師さんでしたか…」

 

「ああ、連盟の…。本当に酷い事ばかり考えるよなあ」

 

「姐さん、いいんですかい?この兄さん、魔族とかより邪悪な気がするンですけど」

 

 エルファルリもヌラも盛大に顔を顰めながら、ポーを睨みつけて、しかしため息をついてポーの案を受け入れざるを得なかった。

 

 ◆

 

 ある冒険者の男は街に残してきた恋人を想いながら頭をカチ割られて死んだ。

 

 ある冒険者の女は馴染みの男娼を思いながら上半身と下半身を引き千切られて死んだ。

 

 ある男は、ある女は……

 

 周囲で次々死んでいく仲間達を見ながら、ヌラは“酷ぇ最期だ”と思いながら短刀を構えなおした。ぽろりと指が落ちるが、痛みはないので問題はない。

 

 ヒルダから放たれる氷気がヌラの指を壊死させたのだ。

 

「…分からぬな」

 

 ヒルダが呟いた。

 冒険者達の、自殺にも思える抵抗が彼女には理解が出来ない。

 

「まあ生きてれば色々あるんだよ。ここであんたらが生き残っても、あそこの骨野郎が生き残っても、結局街は滅びちまうだろうし。逃げればいいのかもしれないけどな。この北は、俺の、俺達の故郷だ。故郷を捨てるっていうのはさ、時には命を捨てることより難しい…事もあるんだ」

 

 そうか、とヒルダは短く答えた。

 その答えで少し理解が出来た気がした。

 

「…お前達は知らぬだろうし、信じぬだろうが。この大陸は元は我々の物だった。“故郷”なのだ」

 

 ヒルダはそういい、話は終わりだと言わんばかりに全身から放射する殺気を増幅させた。

 “意”のみのそれが、ガリガリとヌラの命を擦過していく。これが魔将と人間の生物としての性能差であった。

 

 高まっていくヒルダの殺気と反比例して、周辺気温は降下の一途を辿った。

 本身を抜いた魔将ヒルダは魔族随一の氷結魔法の使い手だ。

 

 ヒルダはただそこに立っているだけで周辺の気温を致命的に低下させる。

 

 魔法は恣意的に発現させるがニ流。

 行動に魔法が自然と伴うに至って一流と言える。魔将ヒルダはそういう意味で言えばまさしく一流だった。

 

 ◆

 

 さて、とヌラはヒルダに意識を集中させた。

 凍気が全身を蝕み、既に身の軽やかさは失われているだろう。

 

 対してヒルダは先程ヌラが肩口に浅い傷を入れたほかはこれといった負傷もない。

 部下達にも猛者が何人もおり、逆にこちら側は青色吐息だ。

 

(ああ、あんた等ほどに強ければ、護りたいものも護れただろうに)

 

 ヌラはヒルダ達を羨んだ。

 

(結局俺はこの程度だ。金等級?馬鹿らしい。弟子モドキ1人も護れずに、最期はこんな死に様だ。俺は使えない、役立たずな男だ)

 

 ヌラは自身を卑下した。

 

(ああ、俺が、()()()()()()()()()

 

 ・

 ・

 ・

 

 ヌラは自身の気配、存在感を他者の影に投影する。余程鈍い者であっても、“なんだか近くに誰かが居る気がする”という気持ち悪さを拭えない。鋭い者なら尚更だ。ヌラを知覚している者になら投影できる数に制限は無い。

 

 極論になるが、もし世界中の全ての生物がヌラを知覚したならば、ヌラは世界中の全ての生物に業を仕掛ける事が出来る。

 

 これは尋常な事ではなく、尋常ではない事が出来るからこその金等級であった。

 

 この違和感は戦場と言う場では致命的な隙を作る為の起点となりうる。

 

 ヌラのこの“力”は、“自分が自分の様な存在でなければ“、“仮に自分が全く別の人生を歩む事になったならば”という甚だ後ろ向きで暗い、そして強い念が成しえている。

 

 だが死に瀕したこの場面で、ヌラの力は更に暗く、悍ましいものへと少しずつ変容していった。それは悍ましくもあり、悲しくもある変容だった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「…私は、お前達の事を多少は評価している。だから苦しませずに殺してやる」

 

 ヒルダがヌラへ歩を進める。

 ヌラはもはや動く事すら叶わない。

 なぜなら、膝から下の感覚がもう無いからだ。

 

 ヌラは既に自身の死を、未練たっぷりに死ぬということを、その後、ポーの手駒と成り果てる事を受け入れている。

 だが、それはそれとして、そもそもヌラ自身に大きな力があったならばそんな作戦を取る必要は無かったかもしれないのだ。

 顔見知りの元仲間達が死ぬ事も無かったかもしれないのだ。

 

 ヌラはそれを悔やみ、惜しむ。

 

 ――ああ、俺が、()()()()()()()()()

 

 この瞬間、ヌラの力は変容の帰結を見る。

 

 ◆

 

「さらばだ、戦士、よっ…!?」

 

 ヌラに歩み寄り、別れの言葉を告げる。

 が、すぐに困惑を強めた。

 自身の肉体が自身の意思により制御出来ないからだ。

 

 ヒルダはくるりと後ろを向いて、そして自身の部下らに向けて右腕を向けた。

 これも当然彼女の意思によるものではない。

 

 右腕に収束していく魔力。

 そして放たれる魔法。

 螺旋に渦巻く指向性の氷嵐だ。

 

 あらゆるモノを凍てつかせる死の嵐は、後先を考えずに注ぎ込まれたヒルダの魔力を糧に瞬く間に膨れ上がり、生き残りの冒険者達が交戦している場所を避けて着弾した。

 

「馬鹿な!!!何故私が同胞を!き、貴様か!貴様が私の体、を………」

 

 自身を操る謎の力は消え去り、ヒルダは激昂と共にヌラを振り返り…そして口を噤んだ。

 

 ヌラは死んでいた。

 

 ◆

 

 ポーはエルファルリの、ヌラの、多くの冒険者達の死をその眼に焼きつけ、その無念を想う事で更なる魔力を引き出す。

 

「我が生涯、最期の術」

 

 ポーの両眼、口、鼻、両の耳。

 全ての孔から血を流し、ポーは両の手を組み合わせた。



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閑話:北方侵攻⑯~死者達の戦場~

 ◆

 

 真っ白い空間に、ぽつんと黒い箱が置かれている。

 箱は所々罅割れていて、箱から剥がれ落ちたと見られる黒い破片が周辺に散らばっている。

 

 ポーは真っ白い空間でじっと箱を見つめ、ふいに背後を振り返った。

 

 いつからそこに居たのか、真っ黒い喪服に身を包んだ中年男性がこれまたどこから持ってきたのか、木製の椅子に腰掛けながらポーを見つめている。

 

「やあ」

 

 中年男性…マルケェスはかつて“ここ”で逢った時のように気さくに挨拶をしてきた。

 ポーも軽く頭を下げて返礼する。

 

(無茶をして、と叱られるかな)

 

 そんな事をポーは思うが、マルケェスからはポーを責める様子はない。

 

「あの箱はそろそろ壊れてしまうからね。腰掛けるには少し憚られる。ほら、君も座ってくれ。お茶も出そう」

 

 マルケェスが軽く指を鳴らすと、目の前にテーブルと椅子が現れた。

 

 マルケェスとポーは暫し黙って茶を啜り、やがてマルケェスが口を開く。

 

「それで、後悔はないのだね」

 

 その問いに、ポーは頷いて答えた。

 

「ええ。しかし……“彼”もあなたが連れてきたのでしょう?勘弁してくださいよ」

 

 ポーの口調はややなじるようだった。

 そう、ラカニシュは元連盟の術師だ。

 そして、彼はマルケェスが連れてきた。

 

 マルケェスはふふっと笑い、肯定する。

 

「そうだ。でも私はそれに対して特に思う所はない。彼は彼で、彼なりの理屈でもって君達を想っている。まあそれは君達にとっては厄災でしかないのだろうけれど、私には…『余り関係のない事さ』」

 

 ポーは目の前に座るマルケェスの影がぶわりと広がり、人ではない何かの姿をとったのを見た。

 声もどこか遠く、ここではないどこでもない、深い深い地の底から響いてきたような声だった。

 

「“君達”は、私が特に面白いと思った人間達だ。面白いというのは、業が深いとも言う。そして君達はいずれも…一部の例外はあるが、絶望し、渇望し、精神の死に瀕していた。このまま果てさせるには惜しい…そう思った私は君達が君達自身の“面白さ”に気付いて、そこから力を引き出せるように少し弄ったのさ」

 

 ふう、とマルケェスが煙管を取り出して、宙に輪を浮かべた。

 

「私はそれを見てきたんだ。長い長い間。私はこう見えて結構長く生きている。私は君達人間よりは心が強いけれど、不滅不朽では無い。知っているかね?私達が滅びる一番の理由を。他者から滅ぼされる事もあるが、それより多い理由。それは自殺さ。私達は退屈なんだ。退屈だから面白い君達を好む…。だからね、面白い君達で何をどう争おうと、それはそれで私にとっては心を慰撫してくれる見世物なのだよ」

 

 お前達の人生は自分の退屈しのぎだ、そういわれているにも拘らず、ポーはマルケェスへ腹を立てる事はなかった。

 

「そうですか。悪趣味ですね。でも…その悪趣味な貴方に僕は、僕等は救われてきたのは事実です。ありがとう、マルケェス。貴方を父と呼びたくはありませんが、僕の実父よりは随分マシだと評価しましょう」

 

 ろくでもない評価だね、といいつつマルケェスは煙管を消した。

 そろそろ時間だからだ。

 

「一応聞くが、君は自身の容量を超えた術を行使しようとしている。君の肉体も魂も、術の代償を支払いきる事は出来ないぞ。君は死ぬ。逃げるつもりはないのかね?確かに“彼”は厄介だろうが、ここは一旦退いて態勢を立て直すという事も出来るのでは?」

 

 ポーは苦笑して言った。

 

「それでは間に合わない、と僕の霊感が囁いています。そしてね、僕は…寒いんです。酷く寒い。あの日から寒くて寒くてたまらないのです。ファシルナミエの骸に最期の口付けをした時から。この寒さを忘れたくて、僕のような寒さ感じる者を減らす為に、僕はこれまで旅をしてきたのですが…少し疲れました。そろそろ休みたい。これは良い切っ掛けでしょう」

 

 マルケェスはうんうんと頷いた。

 それなら仕方ないな、とばかりに。

 

「あの子はまだ彼岸で君を待っているよ、逢ったなら、待たせた事を謝る事だ」

 

 マルケェスの言葉にポーは破顔した。

 

 それでは、とマルケェスは気取った様子で一礼をして…ぱっと、まるで魔法の様に消えてしまった。真っ白い空間に声だけが残響する。

 

 ――お疲れ様でした、ゆっくり休んで下さいね

 

 ◆

 

 それはほんの僅かな時間の白昼夢だったのだろう。ポーは自身の意識が“戻ってきた”事を理解して、口の端に笑みを浮かべた。

 

 ポーは組んだ手を天に掲げる。

 それは魔術行使の身振りというよりは、祈りのような仕草に見えた。

 

 片腕のラカニシュは暗い眼窩に怒気の焔を宿してそれを見つめる。

 

 人としての感情が限りなく磨り減った彼ではあるが、それでもポーの為そうとしている事は許せなかった。

 

 死は恐ろしいものだ。忌むべきものだ。

 しかし訪れてしまったならば、後は安らかに眠ってほしい。もし次に生を受ける事があれば、その時は自分が真の意味で救おう…それがラカニシュの考えである。

 

 だが、ポーのしている事は非業と悲壮の果てに死した者達に、再び苦痛を与えるようなものではないか。

 

 ラカニシュが残った腕をポーへ向けた。

 

 ――大気揺らめきて我が掌に集う

 ――紫電の怒気立ち昇り、是に宿る

 

 ラカニシュの掌の中心部に白銀色のエネルギーが収束していく。

 

 それは世界中の雷をぎゅうっと集めて固めたような破壊的で破滅的な光だった。

 

 協会式魔術でも最高峰に位置する“極光”の術だ。個体、液体、気体に続く、第四の物質の状態…膨大な熱エネルギーを有するそれを投射する事で、術の対象、及び周辺環境へ破滅的な損傷を与える大魔術。勿論禁呪指定である。

 

 魔導協会というのはその勢力を大陸中に広げている一大魔術組織であり、政治とも宗教とも繋がりまくっている非常に俗な組織である。

 

 その理念は言ってしまえば“集合知”だ。

 

 皆で知恵や知識、魔術を持ち寄って、魔導協会を限りなく大きくしていきましょう、というようなある意味真っ当すぎるほど真っ当な理念が魔導協会にどれ程の力を与えてきたか。

 

 レグナム西域帝国が帝国魔導という新しい魔術体系を広めようとしているのも、魔導協会ばかりに力を集中させる事を良しとしなかったからである。

 

 “極光”の術もその集合知の産物だ。

 因みに協会は俗ではあるがオープンな組織でもあり、禁呪とはいっても存在そのものが秘匿されているわけではない。

 

 知ろうと思えばその辺の木っ端魔術師でも原理を知る事は出来るし、魔導協会は掛け持ちもできるから、他体系の術師でもその内実を知ることができる。ただ、原理を知ったからといってそれを理解し、術として形を成す事が出来るかというと話は別だが…。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ――極光よ、在…

 

 ラカニシュの術が完成し、今にも撃ち放たれようとした時。

 

 ――――想いが果たされ、心が安寧で満たされます様に。次に生まれ来る時は、幸せで、ありますよう、に…

 

 ポーの術が先んじて完成した。

 それは術の詠唱というよりは、彼自身の個人的な願いであるような文言だった。

 

 しかし、術とは願い、想い、意思を形としたものだ。であるなら、詠唱の結びが個人的な願いであっても術の起動には何の支障もない。

 

 ◆

 

 ラカニシュの伸ばされた腕が、大剣の一振りで斬り飛ばされる。

 

 両の腕を失ったラカニシュの眼前に居たのは、エルファルリ。

 

 そして魔軍の中心で憎悪と困惑の叫び。

 死したはずの冒険者達が生前の姿で思い思いの業を振るっていた。

 

 そして

 

「…どういう事だ?お前は、お前達は死んだ筈。そこにお前達の死体がある。ならばお前達は何者だ。…そうか、冥府から戻ったか。それでこそ我々の宿敵か」

 

 ヒルダの眼前にはヌラが立っていた。

 それだけではない。

 左には先程死んだ筈の女剣士ケイ、右には女術師マハリが立っている。

 

 ◆

 

 生と死が入り乱れる混沌の坩堝で、偽りの生を与えられた者達が正真正銘最期のダンスを踊る。

 

 彼等の想いが果たされない限り、彼等が消え去る事はない。例え術者であるポーが死んだとしても。彼等は五体を引き千切られても速やかに生前の姿を取り戻すだろう。

 

 それが連盟術師ポーの術だ。

 他の如何なる術体系でも、彼が為す奇跡にも似た何かを模倣できる術は存在しない。

 ポーは優れた術師なのだ。

 

 いや、優れた術師だった。

 

 連盟術師ポーの心の臓は既に鼓動を停止している。一度に多くの苦痛を、苦悩を受け入れすぎた代償だ。

 

 ポーは死んだ。

 しかしそれはそれで良かったのかも知れない。

 この世ではないどこかで、今度こそ2人は一緒になれたのだろう。

 

 そして、戦いの終わりも近づいていた。



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閑話:北方侵攻⑰~幸せの形~

 ◆

 

 エルファルリはラカニシュの極光の大魔術の発動を妨害したが、あのままラカニシュが魔術を放っていたならば、その威力はそのままラカニシュへ返っていただろう。

 なぜならその場にはいまだルードヴィヒが“法”を敷いていたからだ。

 

 ラカニシュは一時的に法の存在を失念していた。

 それほどの怒りをポーへ抱いたという事の証左である。

 

 これはIFの話になるが、もしラカニシュが連盟術師のままで居たとしても、遅かれ早かれポーと殺し合いになっただろう。連盟術師が仲間内で群れないのは、自身の拘り、理念に酷く頑なで妥協を知らないからである。

 

 そんな相反する理念同士が遭遇してしまったなら、“家族喧嘩”という名の殺し合いが始まってしまう。

 

 勿論相性が良い者同士もいるにはいるが…。

 

 ◆

 

 ――私は生きているのか、それとも死んでいるのか

 

 ――だが、もう一度チャンスを与えられたのは確かだ

 

 ・

 ・

 ・

 

 それは不思議な感覚だった。

 

 エルファルリは自身の肉体に全盛期の活力が満ちているのを感じた。

 

 魂が煌々と、魂そのものを薪として燃えているのだ。

 彼女の魂が炎のごとく燃え盛り、復讐への道を照らしだしている。

 

 亡き夫の遺剣を構えるエルファルリ。

 その傍らにルードヴィヒが立ち、前を見たままボソリと呟く。

 

「助力、感謝」

 

 短く答えたエルファルリは力強く脚を踏み出した。

 彼女の“強み”は脚にあり、老境にあっても彼女から繰り出される、例えば蹴足などは大人の腰の太さの樹木をへし折ることが出来る。

 

 だがポーの最期の術は、喚び起こした彼女の能力を全盛期のそれへと引き上げた。まあこれは、肉の頚木から解き放たれた以上当然ではあるが。

 

 肉体の老いや精神の老いと無縁となった彼女は、生前の自身を三人まとめて相手にしても一方的に縊り殺せるほどに強い。

 

 そんな彼女が魂から絞りだされる魔力、膂力でもって大地を踏みつけたならどうなるか。

 

 エルファルリの脚から大出力の魔力が地面を伝導し、振動波となってラカニシュの左脚を破砕し、右脚にも罅を入れた。膨大な魔力でコーティングされているラカニシュの骨体は下手な金属より硬く、それに苦も無く損傷を与えるというのは並々ならない事である事は言うまでもない。

 

 エルファルリは好機と見て、ラカニシュへ剣を振りかぶる。

 

 敵対者の脚部を震脚から発生する振動波で破砕。

 それにより大地に縛りつけ、そして渾身の力で振り下ろされた大剣が敵対者の頭部を砕き割る。

 

 大地を龍の下顎に、振り下ろす大剣を龍の上顎に見立てたエルファルリの秘剣であった。

 

 その名も…

 

 ――地龍

 

 ◆

 

 ラカニシュとしても、この現象を以て“法”が働いていないことを理解した。

 

 なぜならエルファルリの遠隔攻撃が正常に発動したからだ。

 “法”は強力な権能だが、対象を絞り込むことが出来ないというのはラカニシュ自身も良く知っている。

 

 であるならば現在敷かれている法は何か。

 答えは“無法”だ、とラカニシュは判断した。

 

 なぜならばエルファルリは遠隔攻撃と近接攻撃の双方を繰り出している。

 もしどちらかを禁じていたならばエルファルリの攻撃はエルファルリ自身が受ける事になるだろう。

 

 膨大な魔力に裏打ちされたラカニシュの膂力は、彼の振るう腕の薙ぎ払いですら致死の一撃へと昇華させたが、彼が平然と連発する高位の魔術の危険性に比べればものの数ではない。

 

 ――迎撃は魔術を以て

 

 ラカニシュの眼窩に黄金の輝きが灯る。

 それはさらなる大魔術の予兆。

 

 ◆

 

 片脚で立つラカニシュは既に満身創痍に見える。

 しかしその全身を巡る魔力は力強く脈打ち、それは彼が些かも弱っていない事を意味していた。

 天より祈り、地からは嘆きを受けとめた彼の魔力は、もはや最上級の魔将のそれを凌ぐだろう。

 

 ――金気を纏う小さき踊り子よ、狭き檻にて啼き叫べ

 ――檻は汝が住まい、汝が墓標

 ――断罪の焔が檻を焼き、汝の憎悪は世界を焼き尽くす

 

 それは意識内で詠唱される高速詠唱だ。

 口に出していてはエルファルリの攻撃に間に合わない。

 

 凝縮された意識内で、詠唱が完了し、同時に地面から煌めく火花が舞い踊り始めた。瞬く間に、金属と酸素が激しく結びつき、熱と光が強烈な破壊的エネルギーに変換されていく。

 

 それは悪魔の火を喚び出す禁呪だった。

 真っ白な光のような炎は人の骨すらも融解させる。

 人骨の融点は鉄よりも高い為、これは驚くべき事だ。

 更にただただ高温なだけという訳でも無い。

 極高温の炎は喚び出されてから15分近くその場に留まり、周辺環境に致命的な損傷を与える。

 水では消えないし、風で吹き飛ばす事も出来ない。

 

 ――金殲華

 

 もし発動してしまえば、エルファルリは瞬時に焼き尽くされてしまうだろう。

 勿論彼女の肉体は仮初のものであり、ラカニシュが滅するまで現世に在り続けることが出来る。

 肉体が焼失すればすみやかに再構築される。

 しかしそれは苦痛を感じないという事ではない。

 

 仮初の肉体であっても、苦痛は苦痛として感じてしまうのだ。本来はそれを肩代わりするのがポーであったのだが、彼はもうここではないどこかへと旅立ってしまっている。

 

 極度の苦痛はあるいはエルファルリに復讐を諦めさせ、彼女の仮初の意識と肉体を再び虚空へと回帰させる事になるかもしれない。

 

 しかしそうはならなかった。

 

 真っ白く輝く閃光がエルファルリを飲み込もうとしたその時、閃光が逆流するようにラカニシュへ降り注いだからだ。

 

 咄嗟に結界を張り巡らせ防御しながら、ラカニシュはルードヴィヒの方を見る。

 ルードヴィヒは陰湿な笑みを浮かべてラカニシュを眺めていた。

 

 その姿は薄っすらと透けている。

 

 ◆

 

 法が法たりうるには、遵守されなければならないという当たり前の理屈がある。

 守られない法などは法である意味がない。

 

 そして公平でなければならない。

 Aには適用され、Bには適用されない。

 そんな不公平な法は法足り得ない。

 

 ルードヴィヒの魔術としての“法”も同じだ。

 彼の根源でもある法の魔術は、破れば罰が与えられる。

 敵だろうと味方だろうとお構いなしだ。

 

 しかし、ただ一度だけ。

 法を恣意的に捻じ曲げる事も出来る。

 ただしそれは…

 

 ◆

 

 ――ルゥゥゥド…ヴィ…ヒ……!!

 

 ラカニシュの思考が何かに染まる。

 それは憤怒のようでいて、賞賛のようでいて、或いは他の何かのような、誰にも、当のラカニシュ本人ですらも分からない不定形の感情であった。

 

 ラカニシュとて悪意のみでルードヴィヒに手をかけたわけではない。ただ、大を生かし小を捨てる選択をしたに過ぎないのだ。

 

 当時の、不死者に成り果てる前のラカニシュには大いなる力が必要だった。

 大きな力がなければ宿願を果たせないからだ。

 

 宿願、それはこの世界の全ての生物を“幸せに”する事。

 だが、それはあくまでもラカニシュの願いだ。

 ルードヴィヒのものではない。

 

 彼はただひたすら、ラカニシュを恨んでいた。

 それは勿論、キャスリアンも。

 

 それ程に強い恨みはやはり、自身の根源を弄ばれたからだろう。だがそれだけが理由ではない。

 ラカニシュ、ルードヴィヒ、キャスリアン。

 かつて彼等の間に存在したものが、友情に似た何かであった事も大きく影響しているのだろう。

 

 ◆

 

 言葉にならぬラカニシュの念に、当のルードヴィヒは応じない。いや、すでに彼は如何なる余力も持ってはいなかった。

 

 なぜなら彼は自身の根源に深い傷が入ることを厭わず、ラカニシュ“だけに”近接攻撃と遠隔攻撃を禁じたからだ。

 それは彼の根源の否定である。

 生前なら力を失う程度で済んだかもしれないが、魔術的存在である今の彼がそれをすれば、その身は消え去る他はない。

 

「かつての友、ラカニシュ。薄汚い裏切り者よ。君の全ての攻撃を禁ずる。…私は還るよ、家族の元へ。君は墜ちろ。暗くて寂しい…」

 

 ――地の底へ

 

 そう言い遺し、ルードヴィヒは消滅した。

 

 ラカニシュの胸中に僅かに寂寞の風が吹く。

 風にはかつて確かに存在した友情の残滓が混じっている。

 

 こんな関係になってしまったのは全てラカニシュのせいだ。

 しかし合理や情理とは無関係に、残念なものは残念だし、寂しいものは寂しいのだ。

 

 しかしラカニシュには“浸る”だけの時間は残されていない。

 

 大剣が振り下ろされつつあったからだ。

 空気を切り裂き、地面ごと叩き斬る勢いで自身の頭蓋骨へ振り下ろされる大剣に、ラカニシュはもはや何の抵抗もしなかった。

 

 ラカニシュは術の逆流に対して抵抗をする為に大きな魔力を使ってしまった。もちろんラカニシュの残存魔力にはまだまだ余裕があるが、それを“使える状態”にするのは一呼吸かニ呼吸が必要となり、それは今のラカニシュにとっては余りにも厳しすぎる条件だ。

 

 蛇口からはいくらでも水が出せはするが、一度に沢山の量の水を使用するには容器なりなんなりに汲み置く必要があるという理屈に似ている。

 

 エルファルリの斬撃を防ぐか、あるいは反撃するには相応の魔力が必要となるが、その備えの魔力は自身の術の逆流を防ぐ為に使ってしまった。

 再度防御をするには再び魔力を引き出さねばならない。

 

 ◆

 

 自身の頭部に食い込み、魔力の護りを貫いて、そのまま胴体を引き裂いていく大剣をどこか他人事ように見つめ、ラカニシュは考えていた。

 

 §§§

 

 結局の所幸せとは何なのか。

 

 何が幸せなのか、私にはもはや分からない。

 人々が日々追い求める幸せの姿が、私にはどこにも見えない。夜毎、孤独が私を取り囲み、悲しみが心を侵食する。

 光が差すことのない闇に包まれた独りぼっちの世界で、絶望暮れてか細い想いをするのだ。

 

 人々は幸せを探し求めて、何かを手に入れることが幸せだと信じ、何かを失うことが悲しみだと思い込んでいる。

 しかし私にはその全てが空虚に映る。

 愛する人と共に過ごすこと、富や名声を得ること、友人や家族に囲まれること。

 

 それらは、まるで泡沫の夢だ。

 

 なぜなら、人は死ぬ。

 最期には死んでしまうのだ。

 生きている間に何を得たとしても、最期に死んでしまうのでは意味がないのではないか。

 

 嗚呼、一体何が、何が幸せなのだろう。

 人は見せ掛けだけの幸福に身を浸し、最期は現実に引き戻されなければならないのか。

 それを地獄と呼ばずして、何を地獄と呼ぶのか。

 私はそれをどうにかしようとしてきたというのに。

 

 しかし。

 見せ掛けだけの幸福とは…私が与えるそれもそうなのかもしれない。私はそれに気づいていながら、見ないふりをしていたのかもしれない。

 

 でも。

 誰も私に幸せとは何かを教えてくれなかった。

 だから私はやり方を間違えてしまったのかもしれない。

 

 結局、私には人々を導くことが出来なかった。

 それだけは分かった。

 

 いつか。

 いつか誰かが人々を救ってくださいますように。

 

 そして。

 次に生まれて来る時は…幸せになりますように。

 

 §§§

 

 エルファルリが大剣を振り切った。

 ラカニシュを頭部から真っ二つにして。

 その骨体は端から細かく砕けていき、そして…風に乗って宙に散っていく。

 

 キャスリアンはそれをどこか皮肉気な笑みを浮かべながら見つめていた。

 

 ポーを見送り、ルードヴィヒを見送り、ラカニシュを見送り。そして自身も去り。

 

 連盟も随分寂しくなったな、とキャスリアンはポケットに手を突っ込み、その場に背を向けて歩き去っていった。

 行き先は本来逝くべき場所だ。

 

 エルファルリは徐々に薄れていくキャスリアンの後姿を見ながら軽く頭を下げた。

 

 頭をあげたエルファルリは天を仰ぎ、ぽつりと呟く。

 

「ケジメはつけた。ヌラ、そちらは任せたぞ」

 

 そう口に出した瞬間、エルファルリは自身の体から活力が抜けていくのを感じた。

 

 冷えていく体と心。

 それは死だ。

 宿願を果たしたエルファルリに、本当の意味での死が追いついてきたのだ。

 

 しかしエルファルリは寂しくはなかった。

 娘を遺して逝く事に、ほんの僅かの後悔はある。

 

 ――まあ、あの子ももう子供じゃない

 

 そんな事を思いながら、彼女はその場に崩れ落ちた。

 足の先からさらさらと光の粒子となって消えていくのが見えた。

 急速に視界が暗くなり、暗転していくその最中。

 暗闇の先に1人の騎士が立っていたからだ。

 笑顔を浮かべているその騎士は、まさしく彼女の…

 

 ――あなた

 

 エルファルリが完全に消えてしまう直前。

 彼女の口の端には僅かな笑みが浮かんでいた。




次の⑱でほっぽーしゅうりょうです


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閑話:北方侵攻(終)~残火~

 ◆

 

 ヌラは生前、自身の掌には自分の無力さや悲哀が染みついているかのように感じてた。彼の心にはうすら寒い虚無が広がり、そこはかとない悲しみが日々精神を侵食していくのを自覚していた。

 

 ヌラの自責の念は他責で然るべき事柄にも及ぶ程に強かった。

 何が金等級なのか。

 何が二つ名持ちなのか。

 ひよっこ一人を守れずして何が、何が。

 

 彼は冒険者としての才能に溢れてはいたが、その気質は致命的なほどに冒険者向きではなかったのだ。

 だから彼は教え子が愚かで悲しい不慮の死を遂げた際に冒険者を引退したのだ。

 

 当時、彼が所属していた一党のリーダーであるエルファルリもそれを止める事はしなかった。

 彼女はヌラの才を惜しんだが、しかしその内面の繊細さにも気づいていた。

 

 だが彼は再び戦場へ戻った。

 彼は自身の弱さゆえに1度戦場から逃げ出したのだが、故郷を、街に残してきた友人、知人…仄かに想いを寄せる少女を護ることから逃げ出すほどには弱くなかった。

 

 とはいえ、結局仲間達を守る事が出来ずに死んだのだが。

 いや、ヌラが殺した。

 死を前提とした作戦を推し進めたのは彼だ。

 

 これは矛盾しているように見えるが、決して矛盾してはいない。

 なぜならその作戦を実行しなければ人死には街にも、あるいは街の外にも及び、死者はいや増すばかりだったからだ。大を生かし、小を切り捨てるその冷徹で合理的な結論があの場で瞬時に出たのは、やはり彼の冒険者としての才覚が故だったのかもしれない。

 

 そして彼の予想通りに、彼らは悉く死んだ。

 そも、過去の人魔大戦でヒトが勝利してきたのは、その人数差が大きく影響しており、ヒト側の戦力が魔族側のそれを大きく上回る事がなければ"こう"なって当然ではある。

 

 しかし、ヌラを初めとした精鋭冒険者達は仮初の命を経て、再度戦いの盤へと上る。

 自身の命を勝利への必要経費だと割り切るような彼らではあるが、それでも死ぬ事は恐ろしいのだ。

 

 当たり前の話ではある。

 誰も死んだ事などはないのだから。

 経験のない事は恐ろしい。

 それでも死に向かって歩んだのは、自身の死が彼ら個人個人にとって大切なモノ…例えば家族、例えば友人、故郷…そういうものを護る為の一手となる事を知っていたからである。

 

 ◆

 

 魔力でコーティングされ、金属製の全身鎧ですら容易に貫通するほどに硬度を高められた氷柱が、冷たい死の弾幕となって冒険者達へ襲い掛かる。

 

 一般的なクロスボウの威力は魔力の保護がない重装備の騎士の鎧を一撃で貫通する程度だが、ヒルダの放つ氷柱はその比ではない。

 

 ただただ貫通するのみならず肉体へ食い込んだが最後、炸裂四散し、仮に腹部にでも受けようものなら上半身と下半身がちぎれ飛ぶだろう。

 

 ◆

 

 女剣士ケイは眼前に迫る氷柱を、首を傾ける最小限の動きで回避した。それは非常にきわどい回避で、氷柱はケイの頬肉を削ぎ落す。

 

 ケイは凝縮した時間の中、自身の小指を血で濡らし、唇へ紅を引いた。白い頬が裂けた様はいかにも痛々しいにもかかわらず、艶めかしいケイはただ只管に美しい。

 

 そしてケイはヒルダの左腕を斬りつけ、傷つけるという誉と引き換えに、ヒルダの氷装から放たれる極低温の冷気により全身を凍り付かせ、腕の一振りで粉々に打ち砕かれてしまった。

 

 ◇

 

 ヌラはその様子を悲しみと共に視界に捉え、同時にヒルダの隙につけこむ事も忘れなかった。ヒルダの腕はケイが傷つけていたが、その傷に更にヌラが短刀を突きこみ、抉る。

 

 ヒルダの僅かな身じろぎがヌラに強大なヒルダの命も不滅不朽のものではないと教えてくれた。

 

 しかし追撃はできなかった。

 

 ヌラに放たれた鋭い蹴りは、ヒルダの足甲の鋭い刃物のような装飾のせいで凶悪な破壊力を帯びており、ヌラは両の脚を一度に切断されてしまった。

 

 ヌラの叫びが響く。苦しみながら彼は倒れ込み、出血多量で枯れるように死んでいった。

 

 ◇

 

 マハリは冷静だった。

 ケイとヌラの死にもいささかも怖気づくことなく、爆炎弾をヒルダに撃ちはなった。

 ヒルダは回避しようとするがかなわない。

 

 ヌラの死骸が…その手がヒルダの足首を握りしめていたからだ。彼女の火の玉はヒルダの氷の鎧に命中し、爆発し、一部を溶かすことに成功した。

 

 しかし次弾を撃つべく詠唱を始めていた所、背後から襲い掛かってきた“犬”に脇腹を大きく食い破られその場に倒れ付した。

 

 白い雪原に紅い華が咲く。

 

 ◇

 

「私やヌラじゃどうにもならなくない?」

 

 死んだ筈のケイがうんざりした表情で傍に立つヌラに言う。

 ヌラもケイに負けじと劣らずうんざりした表情だ。

 近接戦闘を主体とする彼らと魔将ヒルダとの相性はすこぶる悪い。

 

「私は良いのですけどね。それでもあのワンコが執拗に狙ってきて敵いませんよ。胴体に開いている沢山の目…あれは恐らく魔眼の一種ですね。魔力の多寡を感知しているのでしょう。だから私が狙われるのでしょうね…」

 

 マハリが眉尻をへにゃりと下げながら言った。

 

「それは魔力のせいじゃなくてさぁー、この!お尻!のせいじゃないの?お肉いっぱいつけちゃってさぁ!」

 

 ぱちーんとケイがマハリの尻を叩いた。

 きゃあとマハリがお尻を押さえる。

 ヌラはちらちらと横目でマハリの尻を見ていた。

 

 ◇

 

 彼らは確かにヒルダに鎧袖一触に殺された。

 しかし彼らは生きて談笑なぞをしている。これはどういう理屈なのかといえば、ポーの遺した術の力だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

「貴様等…」

 

 ヒルダは冒険者たちが何度も蘇る姿に、わずかな恐怖を覚え始めていた。

 魔族が人間に恐怖するなどあってはならない事だった。

 しかし、僅かな恐怖を上書きするほどに賞賛の念もある。

 

「見事!」

 

 叫びながら、背後から奇襲しようとしてきた冒険者の男を振り向きざまに斬り捨てる。

 

 その腕には見るだけで背筋を凍り付かせるような鋭い刃が形作られていた。

 ヒルダの大剣は氷装を構築する触媒となってしまったが、彼女は全身のどこからでも刃を作り出す事が出来る。

 

「あちらを見るに、あの悍ましい骨の魔術師もお前達人間が滅ぼしたようだな。感謝しよう。…ふふふ、視えるか?聞こえるか?死者達の…私の部下達の囁きが私には聞こえるぞ。仄暗い影が天へ昇っていくのも視える。次の生でも相見える事が出来ればいいが。私はこれでも部下思いでね、自分で言うなと思うかもしれないが」

 

 ヒルダはどこか嬉しそうに言う。

 その声色には紛れも無い感謝の念が滲んでいた。

 

 ラカニシュに冒涜的な生を与えられた魔軍の戦士達は、永遠に続く偽りの夢から解き放たれ、次の生を得る為に輪廻へと還っていった。ヒルダはその事に感謝しているのだった。

 

 ヒルダは俯く。

 ヌラ達はこの隙に攻撃する事も出来たが、話を聞く事にした。話の流れ次第では戦うことなく退いてくれるかもしれないとおもったからだ。

 ヌラ達の目的の第一は大切なモノを護ることで、ヒルダ達を皆殺しにする事ではない。

 

 だがその目論見は当然のようにあっさりと御破算となった。

 顔をあげたヒルダの眼には、これまでにない猛々しい戦気が漲っている。明らかに“やる気”だった。

 

「お前達は劣等ではなく、まさに戦士の中の戦士。認めよう、我らが宿敵だと」

 

 パキパキと音を立てて、大気中の水分が凝固していき、ヒルダの手元に巨大な一本の得物を形成していった。

 それは巨大な斧槍(ハルバード)だ。

 

「宿敵よ、この私がお前達が死に果てるまで、てずから殺し続けてやろう!それが戦士への礼儀だろう」

 

 ヒルダの頭上でぶぅんと斧槍が振り回され、地面へ石突が叩きつけられる。

 

 そうなるよなと思いつつ、ヌラはゆるりと短剣を構えた。

 

 ――まぁ、勝負は見えているが

 

 ケイ、マハリも各々戦闘準備をする。

 

 ◆

 

 そう、勝負は見えていた。

 命と引き換えにすれば、最低でも一撃は加えてくるような相手がいたとして、それが10でも100でも、ヒルダならば跳ね除けただろう。

 

 しかしその限りに終わりがなければ?

 

 仮初の不死を得た冒険者達と魔軍との戦闘は、最初は一方的に冒険者達が殺されていたが、次第に戦況が冒険者側へ傾いていき…

 

 ・

 ・

 ・

 

「…私一人か」

 

 周囲を見渡してヒルダは呟いた。

 その声色には怒りはない。

 ラカニシュに部下達を嬲られた時には激昂したヒルダだが、冒険者達との戦いで殺されるというのはそれとは話が違う。

 

「お前達は無限に蘇ってくるように見えるが、しかし痛みは感じているんだろう?」

 

 ヒルダの問いに、ヌラは頷いて答えた。

 

「ああ、凄く痛い。それこそ死ぬ程な」

 

 ヌラの返事を聞いたヒルダは苦笑を浮かべた。

 

「体を削れぬなら、心を削ればよいと思っていた。が、かなわなんだ。まあいいさ。戦士の死に方としては上等だ」

 

 ヒルダの口から血が溢れる。

 彼女の体は傷だらけで、いくつかの傷は心臓にすら届いていた。ヒルダは最後の魔力をつかって出血を抑えているのだ。

 

【挿絵表示】

 

「あんたは強かったよ。…俺達はみんな死んじまった。殺された回数…10から先は覚えてねえな!」

 

 大柄な男がヒルダに言う。

 ちなみに彼はヒルダを後背から奇襲しようとして一撃で殺された男だ。

 その姿は足元から消えかかっていた。

 

「ああ。しかし…みんな死んじまうとは。敵も味方も。だーれも残ってない。でもよ、普通そう言う戦場はろくでもないんだが…」

 

 斥候の男が顎に手をやり、何かを考えている。

 

「…後味は、悪くはないかもな」

 

 斥候の男が言葉を思いつかないようだったので、ヌラが続きを答えた。ああ、それそれ、という斥候の男の肩をポンと叩き、ヌラはヒルダの前で腰を落とす。

 

 ヒルダはいつのまにか倒れ伏していた。

 いつ死んでもおかしくない状態だが、まだ辛うじて生きてはいる。

 

「俺達もあんたらも皆死んだ。おあいこだな。次に生まれて来る時は同じ陣営だといいんだが。あんたに殺された回数、50やそこらじゃきかないぞ」

 

 ふ、とヒルダは笑う。

 

「そ、んな事をいいながら…最後に、わたしの胸へ短刀をつき、たて…たのは、お前、だろ、う。…あ、あ、そう、だ、わた、しの名前、は…ヒルダ…リア…」

 

 その言葉を最期に、ロウソクが燃え尽きるようにヒルダは眠るように死んだ。

 

 ヒルダの最期を見届けたヌラは周囲を見渡す。

 既に“いなくなっている”者もいるが、ヌラは構わなかった。行き先は同じだろうから、と。

 

「行きましょう」

 

 マハリが言う。

 ケイはマハリと手を繋ぎ、歩を進める。

 一歩一歩ごとにその姿は薄くなり…

 

「ヌラ!あんたもきなよ。滅茶苦茶な作戦を立ててごめんなさいってさぁ、団長に謝れ!」

 

 ケイがヌラにそう言うと、ヌラは苦笑しつつ頷き、ケイは最期にヒルダの骸を見つめて言った。

 

「じゃあな、ヒルダリア」

 

 ・

 ・

 ・

 

 そして、戦場からは誰もいなくなった。

 

 

 §§§

 

 後日

 

 シュバイン・バリスカ伯爵率いる帝国軍は、冒険者達から報告を受けた。これは戦場へ乱入する前に、ヌラが街へ派遣した別働隊だ。

 

 バリシュカ伯爵も帝国貴族として、当然ラカニシュの事は知っている。その封印解除が何を意味するかも。

 

「残った冒険者達を救いに往く!仮に彼らが全滅していたならばその仇を取る!敵は昔日の魔術師、ラカニシュ!そして魔族!相手に取って不足は無かろう!」

 

 伝令を受けたバリシュカ伯爵は直ちに出陣し、封印の地へと向かった。到着までは約1日半、相当の強行軍だった。

 

 IFの話になってしまうが、仮にヌラ達が自身らだけで戦場へ介入する事を躊躇し、街へ戻って帝国の援軍を呼ぼうとしていた場合…ラカニシュは魔族達を“幸せに”してしまい、更に力を高め、ヌラ達と合流した帝国軍が到着した頃には手がつけられないほどに強大な存在と化していただろう。

 

 そして帝国と精鋭冒険者達は鎧袖一触に蹴散らされ、ラカニシュの糧となった。

 ラカニシュと魔軍を同時に撃退するには、まさにあのタイミングしかなかったと言う事だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 死屍累々の戦場を見たバリシュカ達帝国軍は、塩の柱と化したようにその場に立ち尽くした。

 

 バリシュカは天を仰ぎ、目を強く瞑る。

 冒険者達の骸、魔族達の骸。所々に刻まれた戦いの傷痕。何が起こったかは明白であった。

 

 一同は短時間の黙祷を捧げ、黙って冒険者達の死体を回収し、魔族達の死体はその場に埋めた。

 これは弔意からではなく、魔族のような魔力が強い存在は大地の良い肥やしとなるからである。

 

「これは…業といいますか…このような姿となっても存在感がありますね…しかし、生者を害するような怨念などを感じる事はありません。“これ”は魔力の塊のようなもので、魔術行使の為の触媒としては最上級といっても過言ではないでしょう」

 

 ラカニシュの遺骨らしきものを発見すると帝国の魔術師がそれを入念に検分し、危険はないと判断する。

 それどころか、ラカニシュの遺骨は良質な触媒になる、という言にバリシュカは露骨に顔を顰めた。

 

「彼奴の骨を?触媒だと…。危険だとしか思えぬが…しかし、魔術的な価値はあるのだろうな…。儂の判断で棄てるという事も出来ないか」

 

 厳重に封印を施し輸送せよ、と指示を出すバリシュカ。

 やがて冒険者達の遺体も回収され、魔族の遺体も埋められ、その場での任務は概ね済む。

 

 そしてバリシュカは1人の冒険者…ヌラの遺体の前に立つと、1つ疲れたようなため息をついた。

 ヌラと酒を飲んだ時の光景がバリシュカの脳裏を過ぎる。

 

 ため息には悲しみ、怒り、賞賛、労い…様々な感情が混合されていた。

 

 ヌラはバリシュカ伯爵邸の門番だったが、彼を冒険者の一団にねじ込んだのはバリシュカ伯爵である。つまり、間接的にヌラを殺したのはバリシュカ伯爵であるとも言えるのだ。

 

 勿論バリシュカ伯爵としても悪意があったわけではない。

 元金等級冒険者ならば危険な状況でも逃げを打って情報を持ち帰ることくらいは出来ると見込んでいたのだ。

 

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「後は任せい」

 

 短くそう言うと、ヌラの手を一度強く握る。

 帝国軍一行は、暗鬱な雰囲気を漂わせながら街へと帰還していった。

 

 §§§

 

 どのような激烈な弾劾よりも堪える、とバリシュカ伯爵は思った。

 

 ――封印の地の危険は去った、魔族も撃退した…しかし冒険者達も全滅した

 

 そんな知らせを冒険者に届けたバリシュカは、エルファルリの娘であるユラハからの無言の弾劾を受けた。

 

 弾劾といっても、責められたりしたわけではない。

 ユラハはバリシュカの知らせを聞いて、ただ『そうですか』とだけ言って、母エルファルリから継いだ紅い瞳からポロポロと涙を零したのだ。

 

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「母は、本懐を遂げたのですね」

 

 ユラハの言に、バリシュカは頷いた。

 ユラハが口を開く。

 

「ヌラさんは…」

 

「死んだ。遺体は…教会に安置しておる」

 

 それを聞いたユラハは再び涙を零し、そしてふらふらと冒険者ギルドを出て行った。

 

 バリシュカ伯爵は胸の内に充満する毒を除くように大きくため息をつき、そして今後の事を話し合う為にギルドマスターと話をしに行った。

 

 §§§

 

 教会

 

「ヌラさん、お母さん、皆…」

 

 ユラハは遺体安置所の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 胸の中に“皆”が居るような、そんな気持ちを覚えながら、ユラハは杖を握り締める。

 

「魔族……」

 

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 ユラハは“魔族”という単語が真っ黒い粘着質な炎の塊と化して、自身の腹の奥で燃えているのを感じた。

 黒炎の熱量は凄まじく、全身に活力を与えてくれるようにも思える。

 

「魔族………」

 

「魔族…………」

 

 ユラハはその日。

 北方、オルディアの街から姿を消した。




ヌラ

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女剣士ケイ

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女術師マハリ

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エルファルリ

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『人と魔と』

 ◆◆◆

 

 その日

 

 東域はアリクス王国…その王都

 西域はレグナム西域帝国、その帝都

 

 これらに対して同時攻撃が行われた。

 東西両大国の首都への転移雲による直接攻撃…特に帝国への攻撃は、可能性としてはゼロではなかったものの可能性自体は低いと考えられていた。

 

 なぜならば転移雲とは魔王の大魔力とその魔法の業前、そして天上に輝く星々の並び、さらには地脈に蓄積している魔力…これらが揃って初めて為し得る地上の奇跡なのだが、帝国は過去の経験に学び、首都を地脈から外した場所へ建設している。

 

 アリクス王国は別だが、この点は地脈が重なっている周辺に多くの砦や防衛線を築くことにより転移奇襲への警戒をしている。

 

 よって、仮に魔王軍が大軍を以て両国いずれかの首都を攻撃しようとしても、転移雲が開くであろう地域はある程度特定してある為に対応しやすいのだ。

 

 だが、両国に防衛線を敷かせるなど、防衛の対応をさせずに直接的に、そして素早く両国の中枢部へ痛打を与える手段が1つある。

 

 それは奇しくも、人類種側が魔王軍に対して行ってきた事と同質のものであった。

 

 ◆◆◆

 

 上魔将デイラミは魔王に次ぐ強大な魔力を痩身に漲らせ、アリクス王都上空から王都を睥睨していた。

 

 魔族の中にあって、上魔将デイラミは魔王に次ぐ魔力を誇る存在として畏れられている。その容姿は薄汚れた白いローブに身を包んだ老人だった。

 

 しかしその見た目に騙されてはいけない。

 彼が尋常の存在ではない事は、その堕ちた太陽のように赤黒く不穏に輝く瞳を見れば分かるだろう。

 落ち窪んだ眼窩に収まる赤黒い眼光からは、死よりも暗い何かを想起させる。

 

 二代勇者メリアリアの盟友、星でさえも動かす稀代の女大魔術師に深刻な傷を負わせ、戦場から脱落させたのは彼だ。

 デイラミも無傷とは行かず、第三次人魔戦争の際には彼は眠りについていたが、この第四次人魔大戦において長きの眠りから目覚めたのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 デイラミは骨か指か分からないほどに乾いた人差し指を王都へ向けた。それはまるで国と言う人の集合体に対しての死刑宣告にも見える。

 

 ―― "ארגז האפלה"(argaz ha'afelah-闇の揺り籠)

 

 か細く、しかし不吉を多分に含むしわがれ声が虚空に溶け、魔法が発動した。

 

 ◆◆◆

 

 デイラミの魔法が発動すると、王都は黒いドームに覆われた。ドームは王都をすっぽり包み込むと、その面積をどんどん広げていく。やがてそれは術者であるデイラミが佇む上空にまで及ぶと、拡大は止まる。

 

 そして、ぽちゃんと音を立てるようにドームの頂点から何かが内部に飛び込んだ。

 

 それは黒い塊だ。

 

 黒い襤褸切れを巻きつけた、死神のような姿。

 魔王軍における死の体現者、四代勇者を殺害した上魔将マギウスである。

 

 急降下中のマギウスの肉体が更に3つに別れ、闇に包まれたアリクス王国の各所へと散っていく。

 

 上魔将マギウスは個にして個に非ず。

 上魔将マギウスはその身を4つ身に分ける。

 その根幹にして核である死……そして病、傷、老を司る分け身へと。

 

 マギウスを討つにはまず病、傷、老を司る三体の分体を討たねばならない。

 

 死に纏わる三要因を司る化身を全て滅ぼしたその時に初めて本体たるマギウスの命に手をかける事が出来るのだ…が、

 法神教の心ある者達、そして連盟と言う魔術団体に所属する青年とその恋人により、老を司る分け身にして法神教の最高指導者、アンドロザギウスは滅ぼされた。

 

 つまり現在のマギウスは力が幾分削られている状態ではあるが、それでも強大な力を持っている事には変わりはない。

 

 ◇◇◇

 

 荒野を妙齢の美女が1人歩いている。

 いや、1人と1匹か。

 美女の肩には小さな蛇のような生き物がちょこんと可愛らしく鎮座していた。

 

「シャダ、随分大人しいですけれど調子が悪いなんてことはありませんよね?」

 

 美女がそう尋ねると、シャダと呼ばれた蛇はチロチロと舌を出す。勿論このような可愛らしい姿は仮の姿だった。

 

 その名は悪獣シャダウォック。

 

 喰らい千切るはその顎(アギト)、掻き毟るはその魔爪。

 巨大な双眼に暗い殺意の炎を爛々と燃やし、気質は酷薄、無情である。その本性…真の姿は二足歩行の蛇と竜の合いの子のようなバケモノだ。魔獣ではなく魔族である。

 しかも上魔将の地位を授けられているほどの。

 

「そうですか?なら良いんです。それにしてもニンゲンは徹底していますね。地脈が少しでも残っていれば、枯れかけていても活性化出来たとおもうのですが。そうすれば転移雲を開けたものを…毒物まで使って地脈を歪め、損なうような真似をしています。やはりニンゲンは油断なりませんね。シャダ?いいですか?確かに多くのニンゲンはあなたの餌に過ぎないかもしれませんが、そのニンゲンを侮った結果が過去3度の敗北なのです」

 

 美女がクドクドと話し始めると、シャダウォックは辟易とした感情をつぶらな瞳に浮かべて念を飛ばす。

 

 ――煩イゾ

 

 その念には小動物なりが感知したなら怖死する程度の僅かな苛立ちが込められていたが、美女…蛇の魔女、サキュラは些かも動じなかった。

 

 サキュラもまた人類目線での分類上において上魔将として分類される最上級の魔族だからだ。

 

 “蛇の魔女”サキュラは黒髪の魔族の女性で、月の女神の柔肌を連想する程の美しい青白い肌を持っていた。彼女の切れ長の目は漆黒の夜空に浮かぶ三日月を思わせる。

 

 彼女の髪の毛はさながら黒色の絹糸だ。

 その滑らかさと優雅に見惚れ、そして命を失った人類種の戦士は数知れない。事実として、彼女の髪の毛はただ美しいだけではなく、それ自体が凶悪な武器でもある。

 

 サキュラは同族である魔族には寛容であり、彼らが困難な時には必ず助けの手を差し伸べていた。しかし、人類種に対してはその姿勢が一変し、冷酷で残忍な態度を取る。

 これは魔族にとって一般的な性格だが、サキュラの場合はそれがより顕著であった。

 

「あ、ほら、帝都ベルンが見えてきましたよ。守りが硬そうですね。とりあえずはしれっと中に入っちゃいましょうか!」

 

 サキュラはまるで観光でベルンを訪れでもするような様子で肩のシャダウォックに言った。

 だが彼女達は観光で帝都くんだりまで来たわけではない。

 

 殺戮の為にやって来たのだ。

 

 ◇◇◇

 

 過去3度の人魔大戦で、上魔将の全てが侵攻に参加した例はない。過去3度ともに、上魔将達は魔王の傍に侍っていた。

 

 なぜなら過去の勇者達の力がそれだけ強大であったからだ。

 だが魔王と上魔将達全てが揃ったその牙城もまた堅固で、これが魔王を討滅するにあたり、大きな障害となってきた。

 

 しかし勇者の力は代を重ねる毎に弱体化していき、第四代に至っては魔王ではなく魔将により殺害されてしまった。

 

 この弱体化の原因は勇者に力を与える神…光神エラハの力が弱まったからだ。

 

 なぜ弱まったかといえば、魔族の策謀により法神という魔族が作り出した神が勢力を広げていったからである。

 

 法神教とは魔族の、いわば人類種殲滅のためにイム大陸へ築いた橋頭堡のようなもので、長年…気が遠くなるほど長い時間を掛けて魔族は人類種の弱体化を試み、その努力はこの第四次人魔大戦で結実した。

 

 いまや勇者は無く、魔王はこれを最後の侵攻と見定めて最大戦力の面々を送り込んだ。

 

 勿論、東西の主体を成す大国2つをたった4人の魔将に任せるわけではなく、彼等の後から後詰の軍は派遣されている。

 

 だが彼等上魔将が先行して両国の首都を直撃することで、両国の防衛戦略に遅れを発生させ、防衛線の構築を妨害し、やがて追いついた後詰の軍が両国首都を陥落させる…というのが戦略といえば戦略だ。

 

 しかし、これはこれでいいとして、人類種の側もただただ侵攻を待つだけではない。

 

 人類種にも逆撃の腹案が存在する。

 

 それはレグナム西域帝国が選抜した英雄達(魔王暗殺の刺客達)がアリクス王国サイドが広げた転移門を利用してアリクス王国へ転移し、アリクス王国近郊に開いた魔族の転移雲から直接果ての大陸の魔族戦力の中枢部へと乗り込むというものだ。

 

 転移は困難な術だが、アリクス王国の重臣複数名の命と引き換えにすれば、西域の月魔狼フェンリークの遺骨とアリクス国王に代々受け継がれている『月割りの魔剣』ディバイド・ルーナムという深い業で結びついている2点を繋ぐことなら出来る。

 

 

 ※

 

『勇者』

 

 名前だけはご立派だが、実際は“光神エラハ”の手による対魔王用の暗殺者。自由意志はないわけではないが薄弱で、初代勇者に至っては魔王殺害以外を思考する事はない傀儡そのものであった。

 

 なお光神エラハは外大陸の神である。

 

 遥かな昔、イム大陸に魔族達が住んでいた頃、外大陸から侵略してきた蛮族が崇める神こそが光神エラハだった。

 

 勿論イム大陸にもシャディという神がおり、その侵略者(現在の人類種の先祖)と魔族が神々に代わって代理戦争を繰り広げた。

 神同士が争わなかったのは規模が大きくなり過ぎて大陸が御破算になってしまうため。

 

 戦争は侵略者が勝利し、魔族達は果ての大陸という僻地へ押し込められた。

 なぜ魔族を滅ぼさなかったかといえば果ての大陸の掃除をさせる為。

 

 果ての大陸には当時の神々をして手を出しかねる厄災が眠っており、眠る厄災が見る夢からは際限なく異形のバケモノが沸いて出てくる。

 

 それこそ放置すれば世界全体がバケモノで覆われてしまうほどに。

 

 また、大陸全域に瘴気のようなものが広がっており、その地でモノを飲み食いしたり、長く暮らすことで肉体が変異してしまう。

 

 魔族に異形が多いのはこの後遺症。

 ちなみに青い肌はまた別で、これは侵略者との戦争の際に、彼等の神から授けられた魔法の力による影響。

 

 光神エラハは魔族にこの大陸に居座ってもらって“掃除”をさせ続けようとしていたが、“魔王”という魔族のリーダー的存在があらわれ、果ての大陸からの脱出、イム大陸での覇権交代を目論むにあたって、光神エラハが生み出した存在が“勇者”である。

 

 勇者の目的は魔王を滅ぼす事、そして魔族を纏めるリーダーを殺害する事で、魔族を恒久的に果ての大陸へ押し込めること。

 

 勇者は神の眷属だけあって強大で、その力は魔族をして対処が難しいほどのものだった。

 

 だから魔族は神の力を薄めるために法神を建て、信仰の対象を光神エラハから法神へとうつしかえ、勇者の弱体化を図り、これは成功した。神という存在は信仰する者が減れば減るほどその力を弱体化させてしまう。

 

 現在の光神エラハの力は往時のそれと比べると非常に弱々しく、かろうじて勇者の選定と木っ端のような力を与えるだけに留まっている。

 

 とはいえそれでも勇者の力というのは強大で、上魔将マギウスに殺害された第四代勇者でさえも、小さい国くらいならば1人で滅ぼせる程度には強かったが。

 

 皮肉なのはこの真実を人類種の誰一人として知らないことである。もしも魔族と人類種が対話できればあるいは殺し合わずに済むのかもしれない。

 

 だが、対話で解決するには余りに多くの血が流れすぎた。

 




この話でサバサバ冒険者とMemento-Mori両作品の時間の流れを一致させます。
また、Memento-moriも更新をはじめようかなとおもいます。

後、これでまた各国での戦いが始まると話が色々交差するなぁーとおもったのですが、とりあえず王都と帝都での戦闘は別作立ててシリーズで紐付けて公開しようかなとおもいます。

というのも北方侵攻とかで、北方帝都北方帝都と交互にくると頭が混乱する、という声が少なくなかったので。

あと、春前には終わりますねって堂々と言ったんですが無理っぽいです。ごめんなさい。

なんか色々別作とかに手を出してて、そっちが結構楽しくて並行して書いていくので。

マイペースでのんびりやっていきますが、まあ桜が散るまでには終わるんじゃないでしょうか。頑張ります!
なんだかんだで半年間高頻度で更新してきた事実もあるので信頼してください。

それと別作、鈴木よしお地獄道もよろしくおねがいします☆

後別にこれはクレクレじゃないんですが、評価ポイント増えるとちょっとやる気でるなぁーって。


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ゲルラッハの多忙

 ■

 

 この日、帝国宰相の地位にあるゲルラッハ・ヴェツェレは、その50年余にも及ぶ人生の中で実に二番目に多忙であった。

 一番目は当然“裏切りの夜”と呼ばれる皇族襲撃の夜である。

 

 あの日、ゲルラッハは一人の魔族、四人の貴族、そしてその他大勢の裏切り者共に決して癒えぬ死の病を与え、冥界の門の向こう側へと叩き込んだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 窓から外を眺めているゲルラッハの表情は、機嫌が良いものとはとても言えない。眉間に皺が寄り、そこを中心に微細な不快の波動が顔全体に広がっている。

 

「閣下」

 

 氷の短刀を思わせる声が執務室に響いたかと思うと、まるで夢が現実になったかのように、アイリスがゲルラッハの背後に現れた。

 肩まで伸ばした黒絹のような滑らかな髪に琥珀色の瞳が印象的な彼女には、実の所様々な顔がある。

 

 一つは侍女としての顔。

 一つは帝国宰相ゲルラッハの補佐官。

 そして最後の一つは…

 

 ■

 

「怪しい人物を捕捉しました。部下が確認し、具体的に何が怪しいかははっきり言えないようですが、彼らは本能的に危険を感じたそうです」

 

 アイリスの表の顔に不穏なものは一切ないが、裏の顔は不穏という言葉では言い表せないほどに不穏なものだった。

 宰相直属の粛清部隊『死腐りの牙』※1、その隊長を務めるのがアイリスだ。アイリスは多くの男性…時には女性をその美貌で惑わせてきたが、その業前で積み上げてきた骸の数はそれ以上に多い。

 

 “本能的に危険を感じた”などという報告は報告のていを成してはいないように思えるが、『死腐りの牙』の隊員は冒険者で例えると上級斥候にあたり、彼らの勘が“危険だ”と囁いたのならば、その信憑性には一定以上の確度があると思って良いだろう。

 

 ゲルラッハは彼女の報告を聞き、顎に手を当てて考え込んだ。

 そしてアイリスの腰に手を回し、彼女を引き寄せた。

 

「中域の鼠である可能性は低い、あちら側にも魔族からの襲撃はあるだろう。帝国へ回す余力はないはずだ。つまり…魔族である可能性は高いな。帝都への入都も笊ではないが、魔族は魔法に長ける。邪悪な精神感応を以て門番の精神を汚染し…という可能性もある。魅了の魔術なりなんなりでたぶらかされた門番は、碌に素性を確かめる事もせずに帝都への入都を許可するだろう。サチコ陛下の帝国全土へ及ぶ忠誠の大魔術…これを精神の内側から破る事は困難を極めるが、精神の外側からならば破る事は容易だ」

 

 ゲルラッハは太い指でアイリスの尻を揉みしだきながら、なおも思案に耽った。アイリスも慣れたもので、ゲルラッハのセクハラには何の反応も返さない。

 我慢をしているわけでは無く、“こういう事も含めて”アイリスはゲルラッハに仕えているからだ。

 

「監視を強めよ。といっても貴様ならば既にそうしているだろうが。もし件の人物が魔族の鼠であったなら、この帝都内で始末しろ。だが、手に余ると判断したならば無理をせず『クルワの広場』まで撤退せよ」

 

 ゲルラッハがそういうと、アイリスはゲルラッハの腰に手を回し、その身体を押し付けながら囁いた。

 

「ギルドを使うのですね」

 

『クルワ』の広場は帝都ベルンの中心にある大きな広場だ。

 冒険者ギルドに隣接しており、変事があれば冒険者達が駆けつけるだろう。

 

「うむ。儂は冒険者ギルドの顧問弁務官を呼び、『クルワの広場』を使った始末の段取りをつける。金等級も一人位は調達できるかも知れん」

 

 顧問弁務官とは、帝城に出仕している冒険者ギルドの職員の事をいう。ギルドは独立した組織であり、帝国との上下関係は存在しない。しかし両者は協力関係にある。

 ギルドの職員の帝城への出仕は、帝国とギルドが相互に利益を享受するための連携の一環と言える。

 

 ■

 

 退室していくアイリスを見送ったゲルラッハは、黒金等級冒険者『禍剣』シド・デイン※2について考えを巡らせていた。シド・デインは特異な存在だ。

 

 例え死んでも、転生し、再び命を得る疑似的な不死者。

 彼が転生を繰り返すことは一部の者のみが知っている。

 その実力は現代の冒険者と比べても隔絶していた。

 

 もしシド・デインが魔王暗殺のメンバーとして採用できたなら、その腕前は確かに大きな力となるだろう。しかし現在のシド・デインは転生したてでまだ幼く、その力量は十分なものとは言えない。

 

 もちろん幼くとも精神的には成人している。

 だが名目上は子供であるため、戦力として引っ張り出すことは困難だ。幼子を戦力として駆り立てることは、帝国臣民の人心を乱すだけでなく、ゲルラッハの上位者である帝国皇帝サチコにも容認されないだろう。

 

「こういう時に戦力として使えんとは…。永い時を生きたせいで頭がおかしくなったとはいえ業腹だわい…」

 

 ゲルラッハはボヤく。その力を活用できれば、戦局を大きく変えることができるかもしれない。しかし、シドには性格に難がある。

 彼は最初はまともな男だったのだが、延々と繰り返される人生の果てに精神は変容し、大分こじれてしまったのだ。

 

 シドの精神は不感症を患い、刺激を求めるようになった。

 刺激といっても悪行を為すようになったとかそういうわけではない。

 

 自身を慕う者を全身と全霊で救い、助け、その目の前で自身の身を犠牲にするような形で死ぬようになったのだ。

 

 例えば親しくなった仲間を安全な場所に逃がして、自分は魔物の群れと戦い、そして死んだり

 

 例えば呪いの毒に侵された令嬢がいたとして、その令嬢にかけられた呪いを解くために自分の身体を犠牲にするとか

 

 例えば、例えば、例えば…と枚挙に暇がない。

 

 自身を想い流される絶望と悲嘆の涙こそがシドの心を刺激し、シドはその時だけ生の実感を味わう。

 シドは十分に満足するために、自殺のようなナニカを実行に移すまでに誠心誠意で被害者へ尽くすから余計に質が悪い。

 

 そしてシドは死に、転生をする。

 そのサイクルは短く、死んだ翌月にはおぎゃあと産まれてくる。

 この第四次人魔大戦において、彼がまだ幼子であるというのは人類勢力にとっては不運であった。

 もしシドが成人していたならば、喜んで魔王を殺す為に果ての大陸へ赴いただろう。

 

「黒金等級冒険者は残り二人。あの魔女めと小娘…魔女は東域で魔軍に対応しているからいいものの、小娘はどこで何をしているのか…誰もあの小娘の居場所を知らぬとは」

 

 ゲルラッハは大きくため息を付く。

 冒険王ル・ブラン直系の子孫である彼女は、真の意味での冒険者といっても過言ではない。

 

 世俗にはかかわらず、ただひたすら世界に広がる未知を既知とすべく冒険をしているのだ。

 天空都市、海底都市、地底都市、果ては天の最果て…星界。

 この世のすべてを知るために世界中を飛び回っており、とても助力を得られるとはゲルラッハには思えなかった。

 

 ■

 

 刻を告げる鐘の音が鳴る。

 それを聞いたゲルラッハは、そろそろか、とごちた。

 

 この日、ゲルラッハは弟子から相談がある為話がしたいと言われていたのだ。

 

 僅かな遅れもなく帝国宰相ゲルラッハの執務室に、再びノックが響く。はいれ、とゲルラッハが言うと、彼の弟子であるレナード・キュンメルが入ってくる。

 

 レナードは恭しくゲルラッハに一礼をした。

 

「良い。それで、相談とは?」

 

 ゲルラッハが短く問うと、レナードは真剣な目をして答えた。

 

「閣下、私はヨハンとヨルシカという二人の冒険者を魔王暗殺の一員として推薦したいと考えております」

 

 続けろ、とゲルラッハが促す。

 

「彼らはヴァラクで出現した強大な魔獣の討伐に成功し、エル・カーラを混乱に陥れた悪魔も討伐しました。さらに、アシャラの危機を救い、法神教の壊滅にも深く関与しています。帝国の諜報部がこれらを確認しています」

 

 帝国と法神教は折り合いが悪い。

 これは帝国の統治の基本方針として、皇帝への忠誠を最上とすべしというものがあり、例え神であろうともその序列に割り込むことは許されないという事情も関係している。

 

「法神教については儂も聞き及んでおる。にわかには信じ難い内容であったが。是非本人らから直接聞いてみたいものだ」

 

 ゲルラッハが言うと、レナードは同意した。

 

「全くです。帝国占星院が言う所の“凶星”…教皇アンドロザギウスの存在ゆえに、帝国は法神教を完全に締め出す事ができませんでしたが…聞き及んだ所よれば、魔術師ヨハンは“連盟”の魔術師だという事です」

 

 ほう、とゲルラッハが言い、ふと“魔女”の事が頭をよぎった。

 

「ヨハン…ヨハン…ああ、あの魔女から聞いたことがあるな。連盟の新人だったか。魔女の弟子だろう?」

 

 ゲルラッハは魔導協会の一級術師であり、"連盟"のことをよく知っていた。なぜなら、連盟の術師であるルイゼ・シャルトル・フル・エボンは協会にも所属しており、ゲルラッハと面識があったからだ。また、ルイゼには弟子がいると話に聞いており、それがヨハンだと思い至った。

 

「ヨルシカというのは知らんが…いや、待て。アシャラ王の庶子だったか」

 

 ゲルラッハは毛抜きで鼻毛を抜きながら呟いた。

 太い毛がぱらぱらと豪奢な絨毯に舞い落ちる。

 それを見て見ないふりをしながら頷くレナード。

 

「なるほど、その二人を魔王暗殺として加えることにしよう。段取りは任せる。それとアイリスには手筈を整えるよう伝えたが、あるいは帝都で戦闘が発生するかもしれん。貴族共を焚きつけておけよ。明日の夜までには選出した者達を東域へ送り込む。余り時間はないぞ、急げよ」

 

 ゲルラッハがレナードに命じると、レナードは恭しく一礼をして退室していった。

 

(時間との勝負だ。帝都は遅かれ早かれ襲撃を受ける。いや、アイリスの報告からすれば、既に鼠は入り込んでいるのだろう。だが、襲撃が本格化する前に戦力を東域へ送る必要がある。そして残された我々は彼らが帰る場所を守る…戦力の配分が難しいな)

 

 やれやれ、とゲルラッハは禿頭に滲んだ汗を手ぬぐいでふき取り、この日何度目かの大きなため息をついた。




※1
『血の日①』:参照

※2
別作、曇らせ剣士シドを参照


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帝城イヴィレイタール

 ■

 

 その日の夜、ヨハンとヨルシカは食事を終え、軽く雑談を交わしていた。

 

 ヨハンは饒舌だった。

 もっとも、彼が饒舌であるのは珍しい事ではないが。

 

 ヨハンはロイ達と組んでいた頃の話、魔術師として一人前になるために師であるルイゼに半殺しにされながらしごかれたという話を、時には盛大に脚色し、時には皮肉たっぷりに語った。

 

 勿論ルイゼとの修行には“男”としての修行もあったが、それは懸命にも口には出さなかった。

 半ば強引に“男”にされた当時のヨハン少年は、生来の負けん気の強さ故に深い怒りを抱き、閨で師であるルイゼの細首に噛みつき、肉を食い千切ったという黒歴史がある。

 

 ──余計に気に入りました。お前には既に自分自身の律があるようですね。自身の律を他者にも強要する術(すべ)、それが魔術と知りなさい

 

 当時、ルイゼはヨハンにそう言い、翌日から一層厳しく、激しくヨハンに魔術を叩き込んだものだった。

 

 ヨルシカもアシャラで暮らしていた頃の話、冒険者に成りたての頃、サルの魔獣に苦戦をした話、言い寄ってきた不良冒険者に辟易としてた時に、おそらくはアシャラ王が娘可愛さに公私を混同して自身を助けたという話をした。

 

「…そういうわけでね、その後、なぜかその男にだけ衛兵がつきまとって事細かく違法行為…例えばゴミを路上に捨てたりだとか、立小便をしたりだとか、そういう行為をまるで殺人でもおかしたかのように糾弾するようになったんだよね」

 

 ヨルシカは首を振りながら言う。

 

「大切にされているじゃないか。それにしても君らしくないな。ヴァラクの時の様に蹴散らしてしまえばいいじゃないか…いや、そうか、君も当時は乙女だったという事か」

 

「その気になればできたと思うけど、当時はもう少し行儀が良かったんだよね。…ヨハンの場合は逆かな?ヨハンは昔は行儀悪かったみたいだし。いや、今の方が悪いかな…どうなんだろう…」

 

 ヨハンの揶揄をヨルシカはさらりと受け流し、逆撃した。

 おっと旗色が悪いな、とヨハンは苦笑する。

 

「それにしてもさ、こんな事になるとは思わなかったよ」

 

 ヨルシカがどこかぼんやりした様子で言った。

 こんな事、というシンプルな言葉に字面と相反する様々な出来事、それに対しての思いが圧縮されて込められている事はヨハンにもよく分かる。

 

 その吐露めいた言葉にはヨハンも同感であった。

 これまでの旅路を思い返すと、良く生きていたものだと何だか少しおかしくなり、ヨハンの口からは小さい笑みが零れる。

 

 そして彼にしては珍しく、言いたい事を纏める事をしないまま言葉を紡いだ。

 

「俺は」

 

 ん?とヨルシカがヨハンを見た。

 

 ・

 ・

 ・

 

 何を優先して言うべきか、とヨハンの脳は堅苦しい思考で満たされる。

 

 君が好きだよ?

 君を愛しているよ?

 君を護るよ?

 君と出会えてよかった?

 

 どの言葉もよくある陳腐なもののようにヨハンには思えてならない。色ボケしている聖職者の小娘を泣かせ、忌まわしい魔獣や、人を惑わす悪魔といった存在さえ煽り散らし激怒させ、そして仮初とは言え神として崇められてきた存在を口説き落としてきた彼の舌鋒が、この時ばかりは振るわなかった。

 

 非物質である筈の“思考”が回転し、その摩擦熱で頭蓋骨が炎上するかと思える程にまで高まったヨハンの高速思考を以てしても答えを出す事が出来ない。

 

 ──もう少しで何か言えそうなんだが

 

 ヨハンがそう思っていると、高速思考により引き延ばされた時間の中で、ヨルシカの耳が何かに反応するかのようにぴくりと動くのを捉えた。

 

 時間が通常の流れに戻ると、ヨハンの耳もその音を捉える。

 

「誰か来るね。音が重い。馬車かな」

 

 ヨルシカの言葉にヨハンは言葉もなく頷き、自身のこれまでの人生で最も過酷で凄惨な戦いが近づいてきている事を感得した。

 

 ■

 

 、屋敷の扉を叩く音が響き渡る。

 ヨハンが足早に扉へと向かった。

 

 扉の外には実直そうな顔つきをした青年が立っていた。

 

 堅苦しい制服に身を包み、顔には緊張が浮かんでいた。

 用向きは大体想像がつくがとヨハンは思い、使者を迎え入れた。

 

「ご歓談中、失礼致します。私はアルヴィンと申します。宰相ゲルラッハ閣下のご命令を受け、お二人様にお迎えに参上いたしました」

 

 使者は礼儀正しく、そして重々しく言葉を述べた。ヨハンとヨルシカは動揺も緊張もしておらず、アルヴィンと対照的であった。アルヴィンは深呼吸をし、その用件を告げる。

 

「ヨハン殿、ヨルシカ殿、この度、皆様は魔王討伐の勇士として正式に選出されました。皇帝サチコ陛下より、お言葉を賜ることになります。ただしその前にゲルラッハ閣下がお二人にお会いしたいとの事です」

 

 ヨハンとヨルシカは頷きあい、迎えの馬車に乗り込んだ。

 

 ■

 

 ヨハンとヨルシカは、迎えの馬車に乗り込み、帝城イヴィレイタールへと向かう事になった。自身でも感得しえない緊張の為だろうか、二人は馬車の中で雑談に興じる。

 

「いよいよかぁ。所でゲルラッハ閣下ってどういう人なんだろうね、いや、性格的に。中々苛烈な方だとは聞いているけれど」

 

 ヨルシカが言うと、ヨハンも軽く頷いた。

 

「師はゲルラッハを“骨のある俗物”と評していた。師の、ルイゼの人物評の中ではそれなりに上の評価だ」

 

「骨のある俗物って…。ちなみにヨハンはどんな評価をされているの?」

 

 興味本位でヨルシカが尋ねると、ヨハンはやや憮然として答えた。

 

「野良犬」

 

 けらけらと響くヨルシカの笑い声はまるで年相応の小娘の様だ。

 

 ヨルシカの笑い声を耳にした手綱を取っていたアルヴィンは、“緊張感がない人達だなぁ”と思った。

 

 ・

 ・

 ・

 

  帝城イヴィレイタールに到着したヨハンとヨルシカは、厳かな雰囲気に包まれた広大な城内を進んでいった。

 前方を歩く侍女の左肩には緊張が、右肩には不安が全力で体重を掛けて圧し掛かっているようだった。

 

(ゲルラッハと言うのはよほど怖い人なのかな)

 

 ヨルシカが侍女の背を見て、そこでふと爽やかな香りが漂ってきた事に気付き、隣を歩くヨハンの顔を見る。

 

 ヨハンは葉っぱを齧っていた。

 なぜ葉を?とぱちぱち瞬きをするヨルシカの視線に気づいたか、ヨハンは短く言った。

 

「眠気覚ましだよ」

 

 君もいるかい?とヨハンが葉を一枚差し出しす。

 ヨルシカも少しばかり眠気を感じていた事もあって、なんとなくそれを受け取って齧ってみた。

 半瞬、目の裏を針でザクザク刺されたかのような苦痛が襲う。

 そして間を置かずに苦痛は脳を氷漬けにしたかのような清涼感に取って替わった。

 

「こ、これッ…」

 

 ヨハンはポロポロと涙を流すヨルシカの目元を清潔なハンカチーフで拭い、苦笑をしていた。

 

「すまん、俺が暫く持っていたせいかな…薬効が強くなっているみたいだ。これは自慢になると思うんだが、俺が傍にいたり面倒を見ていると、植物がよく育つんだ。そういう身体になってしまった。何となく理由は分かるが…まさか薬効まで強くなるとは。戦後は薬師にでもなろうか…」

 

 その口ぶりは悪びれたものがなく、本当に失念していた様子だった。ヨルシカの落涙はすぐに収まり、ぷくりと少しだけ頬を膨らませるが、怪しい薬を売り捌くヨハンの姿を想像すると口の端に小さい笑みを浮かべる。

 

 案内の侍女は、そんな二人を見て“緊張感が無い人たちだなぁ”

 と少しだけ呆れた。

 

 ■

 

 やがて宰相ゲルラッハの執務室の前に着くと、侍女は重厚な扉をノックする。

 

 部屋の中から声が聞こえると、侍女が扉を開き、見事な一礼で二人の入室を見送った。

 

 部屋の扉が開くと、そこには重厚な書物が並ぶ本棚や、様々な国家事象が描かれた地図が飾られた壁が広がっていた。部屋の奥には玉座の様に大きい椅子に腰かけている。

 

 宰相ゲルラッハは、身体の全てのパーツが大きく、腹は大きく突き出ていた。それでいてだらしのない肥満中年に見えないのは、彼の放つ得体の知れない雰囲気のせいかも知れない。

 見事な禿頭も彼の押し出しの強さに寄与している。

 

 ヨハンとヨルシカは、巨大な猛禽が羽を広げ、音も無く肉薄してくるような威圧感をゲルラッハから感じていた。

 

「宰相閣下、これは一体どういう御積りでしょう?」

 

 ヨハンの口調は慇懃無礼で、その佇まいは臨戦の一歩手前といった様子だ。これはヨルシカも変わらず、彼女の両脚には一息でゲルラッハに斬りつけるには十分すぎる程の力が込められているのが分かる。

 

 ──不活性の毒気…いや、毒ではない。だが…

 

 ヨハンの内部で意思が膨れ上がる。

 それはヨハンの意思でもあり、内包する神魔の意思でもある。

 意思はこう言っていた。

 敵を殺せ、と。

 

 ■

 

「ほう、これは」

 

 ゲルラッハは太く笑って言った。

 

 “なりかわり”の危惧というものは常にある。

 帝国臣民であるならば全く心配はない、とは言わないが、ある程度の安全は担保される。

 

 と言うのも、“成りかわり”というのは基本的には魔力に弱い。

 そして“愛廟帝”サチコの大魔術の影響下にあると言う事は、常にその身に魔力を浴びているという事になるからだ。

 

 だが外部の者にはサチコの魔術は及ばない。

 だからこそゲルラッハはここで試した。

 

 ゲルラッハは自身の魔力を拡散させ、仮にヨハンとヨルシカが既に成り代わられていた後なら、たちまちの内に床の染みにしてしまおうと考えていた。事実、“死疫”のゲルラッハにはそれが出来る。

 

 だが、毒や病の魔術の第一人者として知られている彼だが、彼の手に掛かり、さらには賢い者だけが、それが毒や病の類ではない事を知る事が出来る…という事は知られてはいない。

 

 また、“成りかわり”でなくとも自身の圧に屈するような者達ならば、魔王討伐の任には堪えないとして帰してしまう積りであった。

 

(だが、見よ)

 

 この距離、この場所で殺り合って負けるとはゲルラッハは思わないが、無傷で済むとも思えない。

 いや、或いは自身の想像を超えてきてもおかしくはないとゲルラッハは感得し、良い拾いモノをしてきたじゃないかとレナードを内心で賞賛した。

 

(グフフ、レナードの奴に褒賞をくれてやらねばな。陛下に直接褒美の言葉を賜れるよう取り計らってやるか)

 

 サチコの忠誠の大魔術の影響下にある者にとって、サチコとの直接的な接触は狂気的な法悦を齎す。

 違法薬物の過剰摂取をするようなもので、相応の魔力…つまりは意思力を持たない者にとっては命にすら関わる。

 だが意思力強固な者ならば、それこそ性交など児戯に思えるような精神の絶頂を感得するに留まるのだ。

 

 だがまずは誤解を解くことだ、とゲルラッハは部屋に拡散させた自身の魔術を解除した。本当に殺し合いになってしまっては元も子も無い。

 

「すまぬな。何せ、皮の下は知れたものではない…というような輩もいるものでな。その辺りの見極めも兼ねての事だ」

 

 それを聞いて、ヨハンとヨルシカもある程度の納得を示した。

 魔族が他者に成り代わる事を二人は知っている。



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謁見

 ■

 

 知っての通り、とゲルラッハは魔軍に対する逆撃の概要を説明した。

 レナード・キュンメルからも簡単に説明を受けていたとはいえ、余りにも無謀で知性を感じられない蛮人的な作戦に、ヨハンもヨルシカも“もっと何か良い案はないのだろうか?”と思わざるを得ない。そう、例えば海を渡るだとか。

 

 そんな表情が表に出ていたのだろうか?

 ゲルラッハは憮然として言った。

 

「外部からの侵入は困難だ。これは秘されておるが、第一次人魔大戦の記録には当時の大国、アステール星王国が船団を組み、果ての大陸へ逆侵攻を仕掛けたと記述がある。しかしそれは失敗に終わった。外部からの侵入を拒む何か、或いは何者かがいた…と思われる。…これが最初の失敗だ」

 

 “最初の失敗、という事は…?”とヨハンが疑問を込めた視線をゲルラッハに向けた。

 1度目があるという事は2度目、3度目もあるのだろうか。

 そして失敗した原因とは何か。

 

 ゲルラッハはヨハンが視線に込めた疑問に答えた。

 優れた魔術師同士は無言の意思疎通を可能とするが、これは魔術ではなく洞察の分野の能力である。

 

「そうだ、過去に4度逆侵攻が行われ、その全てが失敗した。更にいえば詳細が記述されていないのだ。ただ、失敗した…と。それだけが記録に残っている。もっとも最新の侵攻は第二次人魔大戦後期に行われ、これは当時の軍事強国が主導となって行われたが、結局失敗しておる。レグナム西域帝国は当時小国であったが、情報の価値を他のどの国よりも知悉しておった。だから各国へ間諜を飛ばしており、その者らによって当時密かに収集された報告書によれば“果ての大陸には決して行くな、そして、果ての大陸のモノを決して外へは出すな“と。それだけが記されておった」

 

 妙な話だ、とヨハンは思う。

 果ての大陸は危険だから決していくな、というのは理屈に合っている。だが、果ての大陸のモノを決して外には出すな、とは。

 

「過去の大戦で、魔族は我々の世界へ何度も侵攻をしています。それは第一次人魔大戦の時も同様でしょう。外へ出すな、というのも今更だと思いますが…」

 

 ヨハンがそこまで言うと、ヨルシカがああ、と何か得心が言ったように声を漏らした。

 

 ゲルラッハとヨハンがヨルシカを見ると、彼女は自信なさげに確信があるわけじゃないのだけど、と続けた。

 

「魔族以外の何者か、もしくは何かがいたっていう事じゃないのかな?魔族はそれまでにも何度もこちら側へ侵攻をかけてきていたわけでしょう?でも敢えて“外へ出すな”なんて残すっていうことは…他に何か危ないモノがある、いるからって事になる…んじゃない?」

 

 理屈には合うな、とヨハンはヨルシカの考えに同意した。

 それにしても、とヨルシカが続ける。

 

「過去の大戦では勇者がそれぞれいて、復活した魔王を封じてきたのでしょう?その勇者はどうやって魔王の元へたどり着いたのだろう?船団を寄せ付けないっていう何かは勇者の事だけは見てみないふりをしたという事?記録には残っていないのかな」

 

 ヨルシカの疑問にゲルラッハが答えた。

 

「各々の勇者は各々の方法で果ての大陸へと渡った。初代勇者は空を舞い、二代勇者は竜の背に乗り、三代勇者は船を使った。妨害などは無かったようだ。神のご加護というやつかも知れぬな。いや、加護ではなく呪いなのかも知れぬ。過去の勇者は魔王封印と引き換えに全て死んでいるのだから」

 

 ゲルラッハは全く信仰心を感じさせない憮然とした表情で吐き捨てた。よほど神が嫌いな様だった。

 

「しかしよくわからない事が多すぎるな。その魔族以外の何かがいたとして、では魔族との関係性はどうなんだという話になってくる。二者は敵対しているのか、あるいは従属関係か、もしくは協力関係か。従属か協力関係であるなら魔族はそのナニカの使い走りでもしているのかな。ソイツを果ての大陸から解放するために侵攻をしている、とか…だが、それなら魔王は何故動かないのか。いや…」

 

 ──動けない、のか?

 

 考えられる理由は転移の大魔術の維持、これが最も筋が良い。

 魔王は自由には動けず、術の維持の為に消耗もしているだろう。

 だが筋悪の理由もある。

 いわゆる悪い予感という奴だ。

 そして往々にして悪い予感というのは当たるのだ…

 

 ヨハンの思考の糸車がカラカラと音をたてて回転する。

 ふとゲルラッハがこちらを視ている事に気づいた。

 

「ヨハン…連盟の術師よ。儂も貴様と同様の危惧を抱いている。我々は敵を見誤っているのではないか、と。だからこそ、魔王暗殺に際してもある程度の戦力をこちら側へ残しておく必要があるのだ」

 

 我々が失敗した時の為に?とはヨハンは尋ねない。

 舐めやがって、とも言わない。

 

 だが彼の中で、裏路地で過ごしていた頃、胸で常に燃えていた負けん気の炎が僅かに揺らめいた。

 少年時代の彼よりは確かに精神的に成長し、変異し、肉体的にもその組成を一般的な人間からは乖離しているヨハンだが、チンピラ気質から脱却する事は叶わないようだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 二人はそれからもゲルラッハと言葉を交わした。

 中央教会の顛末も話し、教会嫌いのゲルラッハは大いに溜飲を下げたようだった。

 

「ふん、儂は昔から連中が嫌いだったのだ。それにしても教皇が“そう”だったとは流石に考えの埒外であったが。だが、神は滅んだか。神亡き世で儂らは恐るべき魔に向き合わねばならぬという事だな」

 

 ゲルラッハの言葉とは裏腹に、彼の表情は不敵であった。

 彼の恐れるものは魔族でもその裏にいるかもしれない大悪でもない。皇帝サチコの涙のみがゲルラッハを恐怖させるのだ。

 

「さぁ、そろそろ時間だ。これから謁見の間に行き、陛下からお言葉を賜るだろう。くれぐれも粗相をするなよ。特にヨハン、目つきは柔らかくせよ。ううむ、心配だ。陛下はいざ有事となれば悪魔の軍勢にも怯まぬお方だが、平時はやや臆病なのだ。殺し屋のような目つきで見られたら泣いてしまうかもしれぬ」

 

 ヨハンはゲルラッハの揶揄に、お前に言われたくはない、という意思を視線に込めて返した。

 

 ヨハンは思う、コイツは控えめに見てもヤクザ者かなにかにしか見えない…もしくは悪徳大臣か、と。

 

 その考えは正しい。

 貴族などというものは権力を持ったヤクザ者に過ぎないし、ゲルラッハが悪徳大臣だという点も決して間違ってはいない。

 

 禿頭の大臣は呑む事が好きだし、打つ事も好きだし、買う事も好きだ。特に最後の点…嫌がる者を無理やりに、と言うのは彼の好みではないが、何かしら思惑があり、嫌々だけど仕方がない…と思ってる者の花を摘み取る事はゲルラッハの品の悪い趣味として有名であった。

 

 ■

 

 レグナム西域帝国皇帝サチコに謁見すべく、ヨハンとヨルシカは謁見の間へと案内をされた。彼らを迎えたのは圧倒的な威厳に満ちた空間…ではなく、西域最大版図を誇る大帝国の皇帝との謁見の間らしくはなく、簡単に言うならば豪奢さに欠けていた。

 

 壁面には大小さまざまな絵画が飾られているが、それぞれが世界各地から集められた名品ばかりであるにもかかわらず、畏敬の念を感じさせない。というのも、絵画のモデルが犬や猫といったものばかりだったからだ。大きな銀皿に数匹の子猫が入り込み、かわいらしい寝顔を見せているような絵に対して、一体どこの誰が威厳を感じる事ができるというのか。

 

 床には深い赤色の絨毯が敷かれ、絨毯は謁見の間の奥にある玉座まで続いていた。その先には輝く宝石で飾られた王座がそびえ立っているが、王座の背もたれの頂点にとまっている銀色の小鳥の小さい像が何とも可愛らしい。

 

 跪いている男女の姿もある。

 

 謁見の間には既に先客、つまり四名の男女が既に控えていた。その中には冒険者ギルドで出会った金等級冒険者、カッスルの姿もあった。彼は迷宮探索を専門としているが、その経験が買われた形となったのだ。

 

 そして他の三名。

 

 世界の理の一つを解き明かした小人族の偉大なる学者、魔導協会所属、一級術師“地賢”ケロッパ。

 

 サチコ帝の身を慮る気持ちが極まって、その安寧を脅かす魔王軍に誅罰を下すべく今回の遠征に名乗りを挙げた女傑、近衛隊副隊長“剣聖”ラグランジュ。

 

 闘都ガルヴァドス※1の絶対王者、半巨人のゴッラ。

 

 ■

 

 おやおや、これも縁かね…と金等級冒険者カッスルは横目で魔術師と剣士の姿を追った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 カッスル・シナートは帝国の生まれではない。

 帝国の事実上の属国、ロナン王国の出身であった。

 

 幼少時のカッスル少年は読書家で、中でも冒険王ル・ブランが書いたと言われる物語が大のお気に入りだった。

 

 冒険王ル・ブラン。

 

 その名は伝説に彩られた大冒険者であり、彼の生涯にわたる冒険の記録は多くの者たちに憧れと尊敬の対象となっていた。

 ル・ブランはまるで夢のような天空都市、不思議に満ちた地底都市、そして神秘的な海底都市など、世界中のあらゆる秘境に足を踏み入れ、その詳細な記録を書に残した。

 

 また、第一次人魔大戦の中期に生まれたとされるル・ブランだが、その生涯については謎に包まれている。何故なら彼が訪れたとされる秘境を他のどの冒険者も見つけ出すことができず、その信憑性が疑われているからだ。また彼が初代勇者と親交があったという噂もあり、その事実は今も確かめられずにいる。

 

 その実在すら疑われるル・ブランだが、彼の物語に胸を躍らせた者は数知れず、カッスル少年もまたその一人であった。

 

 彼は実に真っ当に鍛錬を積み、実に真っ当に知識を蓄えていき、実に真っ当に戦う業を磨いていった。

 勿論独学には限界があるが、レグナム西域帝国からの物的資本、人的資本がロナン王国に大量に流入してきているという状況が幸いした。

 

 当時の帝国は10代皇帝ソウイチロウの治世下にあり、彼は急進的な領土拡張主義を取っていた。

 ロナン王国も帝国という名の大波にあっさりと呑み込まれるが、様々な理由により国体の存続を許される。

 

 ロナンがロナンとして存在していたほうが都合の良い事情があったのだ。※2

 

 帝国はロナンに資本を注ぎ込み、ロナンは帝国侵攻以前より遥かに栄える事となった。

 

 カッスル少年はそういう情勢下で生まれ、そして成長していった。恵まれない環境にも屈さず、克己の意思を忘れない者は確かに強くなる。しかし、恵まれた環境で努力を惜しまない者も強くなる。

 

 その証明が金等級冒険者“探索者”カッスル・シナートという男であった。長じた彼は世界中のそこかしこに足を運び、様々な遺跡、迷宮、秘境を探索してきた。

 

 彼の象徴とも言える“うねりの魔剣”はとある迷宮で手に入れたものだった。非常に魔力を伝導させやすい金属で作られており、しなり、伸び、螺旋を描く剣身は現在の鍛冶技術では作成し得ない。迷宮という空間では、時に古代の財宝を手にできるチャンスが訪れる。

 

 “迷宮”というのは極めて強大な個が周辺環境を改変した空間を言う場合と、もしくは何者かが意図的に作成した構造物を言う場合とがあるが、カッスルはその両方を多く踏破していった。

 迷宮踏破、秘境踏破にあたって危険な存在と対峙した回数は数知れない。その中には竜種すらも居た。

 

 しかし、自身の未知を既知へと変える時の喜びたるや!

 カッスルはその喜びを、快感を覚えるたびに総身に幻想のエネルギーが満ちていくのを感得するのだ。

 その時のカッスルはまさに万夫不当の力を発揮する。

 

 魔王が住まうだろう根拠地も、タイプはどうあれ“迷宮”であろうと予想する事は容易で、その踏破を目指すのならばカッスルの経験…能力は非常に役立つだろう…そう考えた帝国が彼へ声を掛け、そしてカッスルもまた未知を既知とすべく魔王討伐の大任を引き受けたのである。

 

 ■■■

 

 ヨハンとヨルシカは集団の後ろに跪き、サチコを待つ。

 

 この謁見の後に急いで出発する以上、通常の礼式に則った謁見を執り行う事は叶わないが、それでも多少の準備は必要らしい。

 

 ヨハンは何とはなしに周囲を観察した。

 謁見室を飾り立てる装飾群は、皇帝の威厳を示す事を目的としているというより、少女の夢想の具現化と言った感じだ。

 

(皇帝は年端がいかないと聞いてはいたが…)

 

 ヨハンはそう考えるが、サチコを軽く見る事は決してない。

 むしろ、謁見の間という空間に自身の趣味をここまで反映させることができる皇帝の権力…あるいは求心力に瞠目した。

 

 皇帝という立場は確かに帝国の最高権力者だが、いくら皇帝と言えども年端がいかない少女であるなら、その意思を思うままに叶えるという事は難しい。ましてや皇帝の権力を内外に示す場の装飾というのは、これは帝国の面子にも関わる事であるため、少女趣味の装飾というのは例え皇帝が望んだとしても反対されることは必至である。

 

 であるのに、どうみてもサチコの趣味が反映されているのは、これは彼女が極めて強大な求心力を有しているという証左であった。

 

 それ以外にも、サチコという少女の術師としての能力の埒外ぶりも警戒に値するとヨハンは思う。

 

 条件付けがされている様だが、広大な帝国領土の全域に自身の影響を及ぼすというのは尋常な事ではない。

 それはヨハンにも、いや、彼が知る術師の誰一人として為し得ないものだった。

 

(ゲルラッハの説明では帝国臣民である事、加えて元々帝国に、翻っては皇帝サチコに対して忠誠心を抱いている必要があるとの事だったが…)

 

 その言葉を丸々と信じるほどヨハンは素直な性格ではない。

 

 仮にゲルラッハの言葉が嘘だった場合、つまりサチコの魔術が帝国臣民でなくとも作用する場合、いざという時に逃げ出す事がないように、精神を縛ろうとする事もありうるとヨハンは考えている。鉄砲玉が逃げ出してしまっては、折角2大国が手を組んでイカれた策を立てた意味が無くなってしまうからだ。

 

(もし精神干渉が行われたら振り切って逃げるとして…)

 

 ヨハンの悲観的思考は、自身の脳内世界に“この場の者達と戦闘になり、帝国の追手を振り切りながら逃走している自身とヨルシカの姿”を投影していた。

 

 これはヨハンというより、ある程度の戦闘経験を積んだ者に多い悪癖なのだが、事あるごとにより悪い可能性に思いを馳せてしまうのだ。

 

 一応の合理性はある。

 状況が悪くなればなるほどに、大抵の者は心が乱れる。

 心の乱れは意思の乱れ、意思の乱れは魔力の乱れ。

 その振れ幅が出力を生み出す事もあるが、冷静な判断ができない状態というのは、魔力増大というメリット以上のデメリットだ。

 特に命のやり取りをしている最中には。

 

 その為、戦闘巧者達は考えうる最悪の状況の現出に備えてその思考のリソースを割いている者が多い。

 

 ■

 

 

 やがて、皇帝サチコが入室してきた。

 通常は式武官による入場の掛け声があるのだが、この時ばかりは例外だった。ゲルラッハはアイリスの報告により、既に帝都に“鼠”が入り込んでいる事を知っている。

 場合によっては帝城にまで入り込んでいるかもしれない。

 暗殺の試みを喧伝する必要は無い。

 

【挿絵表示】

 

 サチコは跪く一同を視線で一撫でする。

 

 するとヨハンの肌に蟻走感が走った。

 魔術による精神干渉か、とヨハンは思うがすぐにその考えを打ち消した。

 

(違うな、皇帝を中心に何かが広がっている…)

 

 ヨハンが感得したものは、その濃度を極限まで薄めた“世界”であった。自身の精神世界を現実世界へ投影するというのは魔術の一つの奥義でもあるが、それと同じ事をサチコもやっているという事だ。この“世界”は余りにも薄い為、通常はそれとはっきり気付く事は難しいが、面と向かえば流石に気付く。

 

 しかしゲルラッハからは事前に説明は受けており、ヨハン達が取り乱す事はない。サチコから面をあげるように言い渡され、ヨハン達は正面からサチコを見た。幻想的な瞳から発される何かがヨハンに放射される。

 

 脅威は感じない。

 戦闘能力という意味で、サチコはこの場の誰よりも低いだろう。

 黒い絹のような髪、華奢な体躯、白磁の様な肌。

 その全てが脆弱で、儚く、脆い。

 しかし、それでも彼女はこの場の誰よりも尊い存在であった。

 

(見た目こそ少女だが、中身は亜神のようなものだ。なるほど、帝国の連中が崇め奉る理由もよくわかる)

 

 皇帝サチコは王座に着くと、勇士たちに短く声をかけた。

 

「貴方方に魔王討伐の任を命じます。世界の安寧を取り戻すため、命を懸けて戦いぬくことを期待します。ゅ、勇気と力がありゃんことを…ッ」

 

(噛んだか)

(噛んだね)

(ここで噛むとは)

(これはこれは!)

(陛下…おいたわしや…)

(グ…)

 

 一同の思念が空気を伝導してしまったかどうかは分からないが、サチコの矮躯が一瞬震え、しかし震えはすぐに止まった。

 視線の先に太い体躯の禿頭の男が居たからだ。

 

「陛下、後は私が」

 

 ゲルラッハがドシドシと横からやってきてその場を引き取る。

 皇帝に対する礼儀を欠いている様に思えるが、サチコはそれと分かるほどに全身から安堵のオーラを発して頷き、立ち去っていった。

 

 ■

 

 ゲルラッハは跪く一同をねっとりと眺めまわした。

 生徒たちの所持品から、何かけしからんモノを見つけ出そうと執心する意地悪な教師の様な視線だ。

 

「ふん、まあいいわい。ともかくも、そういう事だ。分かってはいるだろうが今夜のうちに発ってもらう。救世の大任であるッ!せいぜい気張れよ」

 

 ゲルラッハが雑に纏めると、跪く一同の中から声が上がった。

 近衛隊副隊長ラグランジュだ。

 

「気張るですって!?閣下、それは貴殿にも言える事です!身命を賭して陛下を護ると今この場で誓いなさい!」

 

 腰に手を当て、長い金髪を振り乱し、甲高い声で女傑は吠えた。

 涼し気な蒼藍色の切れ長の目にヒステリーの炎が燃えている。

 

 彼女はサチコ以外の者に対してはとにかく刺々しく、更に言えば強度の男性嫌悪者であった。こういう者は疎まれ、排斥されるのが常だが、ラグランジュの場合は卓越した業前が周囲の雑音を封じ込めている。

 

 ラグランジュはゲルラッハが気に食わなくて仕方ないのだ…というより、サチコに近づくすべての生物学的男性が気に食わない。

 

 だが気に食わないからといって、排斥を試みるという事もしない。

 彼女にとってそれはそれであり、これはこれだからだ。

 性別がどうであろうと、個々人の能力を認めるだけの度量が彼女にはある。むしろ優れた能力を持つ者に対しては素直に尊敬の念を抱く。

 

 しかしその素直な気質が男嫌いの気質と化学反応を起こし、能力のある男性に対しては…

 

 “嫌いだけど能力は認めている。男なんて糞ったれなので好かれたくはないが、自身が認めた程の者からは同じように認められたい…”

 

 というような、感情を抱いてしまう。

 要するに彼女は男にとって非常に面倒くさい女なのだ。

 

 ゲルラッハは“面倒くさい女だな”という表情を露骨に浮かべるが、そこへ都合よく衛兵がやってきた。

 

 夜更けという事もあり、大声で何かを発するという事はない。

 しかしその面持ちは強張っており、まるで底なしの谷間にかけられた氷で出来た細い橋を渡る者の様な表情をしていた。

 

 衛兵がゲルラッハの耳元に何事かを囁くと、ゲルラッハは何度か小さく頷いて言う。

 

「…うむ!どうやら残された時間は余りない!さあ行け!勇士達よ!」

 

 タイミングもタイミングであった為、ゲルラッハがラグランジュの話を強引に話を切り上げようとした様に思えたのだろう、ラグランジュは頬を怒気で紅潮させた。

 

「ちょっと!ええい!仕方無い!帰還後はこの度の仕儀はしっかり問いただします!…ねえ!アナタ!そこの!どこ行くのよ!大任なのだから全員で協調の儀を…ッ!」

 

 ラグランジュがヨハンを指差し、腹の底からキンキン声を出す。

 ヨハンは既にヨルシカを連れ、背を向けてその場を立ち去りつつあった。付き合っていられなかったのだ。

 

(協調の儀ってなんだよ)

 

 ヨハンの偽らざる想いである。

 

 ■

 

「あの女の人、強いね」

 

 ヨルシカが短く言う。

 その口調には僅かに嫉妬が混じっていた。

 剣士としては自身より格が上だ、と一目で分かったからだ。

 ただあくまでも剣士としては、という但し書きが付く。

 

 ヨハンとの精神的な繋がりや度重なる交合に伴う体液の交換により、彼女はもはや純然たる人間かどうか怪しい所だった。

 現在の彼女が全力で戦闘をする場合は、卓越した剣技でどうこうするというよりは、その身体能力を十全に活かしたものになるだろう。

 

 ヨハンは憮然とした様子で答えた。

 

「そりゃあ強いだろう。そうでなければ選ばれまい。まあ俺は嫌いじゃないよ、ああいうのは。きっと目的地でも煩く喚くのだろうし、そうなれば良い囮になる。しかも抵抗頑強な囮だ。…というのは冗談だ、そんな目で見るなよ。ともかく、嫌いじゃないというのは事実だ。頼りにもなるだろう、きっと。だってあの女、ちょっと頭おかしいだろう?どう見たって頭がおかしい。友人にはしたくないし、恋人にもしたくないタイプだろう。頭がおかしいからな。しかし戦闘者としては話が変わる。強い奴っていうのは大体頭がおかしいんだよ」

 

 ヨルシカはヨハンを凝視しながら、確かに、と思うが勿論口には出さない。

 

 ちなみにカッスル、ゴッラ、ケロッパの三名も巻き込まれちゃ堪らんとばかりにヨハン達の後についていった。

 

 その後ろにぷりぷりとしているラグランジュが続く。

 

 ■

 

 その日の夜更け、帝都ベルンから十を超える馬車が四方へ散った。その馬車の大半はダミーだ。囮だ。

 勇士達は数多くの馬車の内、二台の馬車に分けられて目的地へ向かっていった。

 

 ──目指すは月魔狼フェンリークが没した地、“毀月荒野”

 

 

 

 

 

 ※1“闘都ガルヴァドス”

 拳闘、剣闘の街

 

 ※2“ロナンがロナンとして存在していたほうが都合の良い事情があったのだ”

 163部 ロナン一幕を参照

 



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転移門

 ■

 

「やあやあ!そんなに膨れ上がる事もないだろう!一刻を争う状況だから仕方のない事さ!」

 

 小さい人影の声色は快活という色に染め上げられていた。

 元気一杯、と言い換えても構わない。

 

 ケロッパは小人族の中でも特に優れた術師の一人だ。

 小人族の特徴としてはやはりその矮躯だろう。

 彼らは一般的な純人間よりも遥かに小さい体格を持ち、大抵が平均身長が1メートルを切っており、ケロッパも例外ではない。

 

 小人族の気質として、“自然”というものに対して畏敬の念を抱いているというものがある。自然には“良き霊”が宿り、その霊が自分達を見守っていると言うのだ。

 良い事は良き霊のおかげ、悪い事は悪い霊のせい、それが小人族の基本的な考え方であった。

 

 人間のみならず、動植物、はては無生物に至るまで、あらゆるモノに霊魂が宿ると考える信仰体系をアニミズムと呼ぶが、小人族のそれもアニミズムに近いのかもしれない。

 

 だがケロッパは他の小人族達とはやや気質を異なるものとしていた。何故雨が降るのか?何故雪が降るのか?雲とは何か?太陽とは何か?何故高い所から物を落とすと落ちていくのか。

 

 ある日、一本の樹木からはらはらと舞い落ちる葉を見てケロッパは一つの気づきを得る…

 

 ・

 ・

 ・

 

「それにしても大変な話になってきたね!でも実はちょっとだけ楽しみなんだ!というのも、僕は以前から果ての大陸へ渡ってみたくってね!あの地は呪われていると誰もが言う!しかし伝聞も文献も、それ以上の事を何も伝えないんだ!おかしい話だろう?呪われている!だから危険だァ!…ってね!だったらなぜ、どのようにして危険なのかを説明しなきゃいけないと思わないかい?もしこの話がなかったら、僕は一人でも果ての大陸へと渡ったかもしれないな!魔族が、魔王が恐ろしいと皆は言うけれど、恐怖とは未知から来るものさ!知ってしまえば案外恐ろしくはなかったりするものだよ!そう、あれは13年前の事だった…」

 

 ケロッパは小さい手を振り乱しながら、延々と何かを語っている。ラグランジュは、そんなケロッパにやや辟易としている様子だった。

 

 やがてラグランジュが意を決したように口を開いた。

 流石にしゃべくりすぎだと思ったからである。

 

「ちょっといいかな、ケロッパ…殿。その、もう少し静かにし…」

 

「魔族は“魔法”を使うという!我々が扱うものは魔術だが、この違いはなんだと思うね?魔術と何がどう違うのか、魔法につけ入る隙はあるのか、僕なりの考えがあるんだ…ってラグランジュ殿、どうしたんだい?」

 

 ケロッパがきょとんとラグランジュを見つめながら言った。

 

「…いや、何でもない、先を話して貰えるかな」

 

 ケロッパは満足気に頷き、すぐに続きを話し出す。

 先ほどからずっとこの調子なのだ。

 ケロッパが何かを延々としゃべくり、それを見かねたラグランジュが彼を制止しようとすると、魔王討伐に当たって重要そうな事をぽろりと零す。聞いておけば何かの役に立つかもしれない重要な事であるために、ラグランジュはそれを制止できなくなる。

 

 彼女は助けを乞うようにゴッラを見るが、内心では無意味な事だと分かっていた。

 なぜならゴッラはケロッパに、尊敬の念がたっぷり込められた視線を送っているからだ。

 

「せ、センセ。アタマ、いいな」

 

 ゴッラがたどたどしく言うと、ケロッパはにっこりと笑ってゴッラの腕をぽんぽんと叩いた。

 

 ゴッラは不器用そうな笑顔をケロッパに向ける。

 彼は知恵者でこそないが、それは愚鈍を意味しない。

 むしろ相手の振る舞い、気配から何を考えているのか洞察する事は彼の得意分野なのだ。

 

 ケロッパを三人並べてかろうじてゴッラの身長を追い越す事が出来るだろう、彼は大きく、そして強かった。

 南域出身の者特有の黒く焼けた肌は生半可な刃物を通さず、太い二本の腕はまるで黒い大こん棒のようだ。

 両の腿はパンパンに張っており、そこには爆発的な力が込められている事が見て取れる。

 

 彼を見た人々は皆恐れと畏れ…そして忌避感を彼に対して抱いた。

 なぜなら彼の黒い肌がとある存在を想起させるからだ。

 

 それは──魔族。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ゴッラの境遇というのは一言で言えば“悲惨だった”に尽きる。

 

 彼の母親はエイダという女で、彼女は南域のとある王国で娼婦をやっていた。

 娼婦という職業に関して、多くの者がそれぞれの意見や考えを持つが、少なくともその王国では娼婦は極一般的な仕事として認知されていた。

 

 この理由を後世の学者は“過酷な環境下の人間の娯楽というものは、往々にして三大欲求のどれかに直結しがちだからだ“などと語る事になるが、これはあながち間違ってはいないだろう。

 

 娼婦とはどのような仕事かを語る必要はあるまい。

 しかし前述する理由により、エイダは虐げられていたわけではなく、社会にもきちんと居場所があった。

 

 そんなある日、エイダは馴染みの商人から一つの仕事を頼まれた。

 商人は自前のキャラバンを持っており、アリクス王国との交易でかなりの稼ぎを手にしていた。仕事内容は旅の最中、疲れ切ったメンバーを相手に慰安をしてほしいというものだ。これ自体は珍しいものではなく、むしろ身入りが良い部類だ。商人はエイダの他にも数名の娼婦に声をかけているらしい。

 

 エイダとしては断る理由はなかった。

 金はいくらあっても困らない。

 

 結局の所、それがエイダの運の尽きであった。

 アリクス王国での取引を無事に済ませ、ほくほく顔での帰路。

 とある荒野を縦断中、巨鬼の襲撃に遭った。

 

「く、くそ!ここを越えれば砂漠だってのに!」

 

「砂漠までは追ってこない!騎獣が潰れてもかまわん!走らせろ!」

 

「は、早い!いくら荷物を乗せているからといって砂鳥より早いなんてことあるか!?」

 

 ただの巨鬼ならば振り切れただろう。

 男たちが騎獣と呼んでいるのは砂鳥と呼ばれる巨大な鳥の魔獣で、この鳥は空を飛ぶ事はできないが走る事に特化している。

 賢く、人によく懐く。

 

 馬より長い距離を、馬より速く走り続ける事ができる。

 ただこの鳥は南域に生えている特定の植物しか食べないため、必然的にこの鳥を乗り物として利用しているのは南域の人々のみという事になる。

 

 砂鳥たちはその賢さゆえに、自分達を追ってきているモノの危険性がよくわかった。捕えられればどうなるかも。

 だから嘴から血を吹き出そうとも全力で駆け…結果として、その荒い走りが悲劇を生んだ。

 

「エイダッ!!!」

 

 商人が叫ぶ。

 エイダが落ちたのだ。

 無論故意ではない。

 確かに“人”という荷物をおろしてしまえば砂鳥たちへの負担は減るだろうが、商人はそこまで悪辣な男ではなかった。

 

 しかし落ちたエイダを拾う事はしなかった。

 すれば全員が死ぬ事は分かっていたからだ。

 商人も護衛を雇っており、彼自身も多少は腕に覚えはある。

 しかし、あの赤い角の恐ろしい巨鬼を退けられる気は全くしなかった。

 

 痛みに呻きながらもエイダは生きていた。

 霞んだ視界に映るのは遠ざかっていく鳥車だった。

 

 エイダは自身に近づいてくる赤い角を持った巨鬼を見る。

 血の様に赤い角は何十人、何百人もの血を吸ったかのように禍々しい。

 

 巨鬼の荒々しい視線がエイダの黒く焼けた肌を舐めまわす。

 

 ──この怪物もかわいそう、ほら、私って痩せてるから

 

 エイダは自身の思考が緊張感のない戯言を勝手に呟くのを聞いた。

 気が狂いかけているのだろうか?と思いつつ、エイダは目を瞑った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 結論から言えばエイダは生きていた。

 ただし、その胎に巨鬼の子を宿して。

 

 エイダ譲りの黒い肌、黒い瞳。

 そして巨鬼譲りのたくましすぎる体躯を持って彼は、ゴッラはこの世に生まれ落ちた。

 

 母の腹を破り殺して。

 ゴッラは赤子のまま生まれてきたわけではなく、ある種の獣のようにある程度成長をしてから生まれてきた。

 

 巨鬼は赤子のゴッラを見て、その儚い命を吹き消す事なく去っていった。多少なり成長しているとはいえ、幼いまま荒野に放り出されたのだ。

 これは死ぬ。

 普通は死ぬ。

 放り出された場所が荒野でなくとも、例えば平原であっても森林であっても死ぬだろう。

 

 普通の子供ならば。

 だがゴッラは死ななかったし普通でもなかった。

 

 赤子に牙を突き立てようとする小型の肉食動物を逆に小さい手で捕え、そして食いちぎった。

 その精神の逞しさは恐らくは母譲りであっただろうが、その肉体の逞しさは父…と言ってもいいのかわからないが、赤角の巨鬼譲りであろう事は想像に難くない。

 

 勿論荒野には幼いゴッラをあっさりと殺害しうる魔物もいた。

 しかしゴッラは幼いながらもそれらを避けようとするだけの知能をもっていた。

 野生動物は生まれたばかりでも生物としての完成度はそれなりに高いが、ゴッラにもその特性が受け継がれたのであろうか?

 

 なぜ巨鬼がエイダを殺さなかったのか、なぜ子供を孕ませたのか。

 それは分からない。

 

 なぜ巨鬼が幼いゴッラを殺さなかったのか。

 それも分からない。

 

 ただ、長じたゴッラは自身の肌の色が他の者たちと違っているのを見て、肌の色が何か関係しているのではないかと薄ぼんやり思ったものだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それからゴッラはあちこちを放浪としつつ、東域の荒野から西域へと旅を続けた。

 旅を続ければ出会いもある。

 

 それは野盗であったり、冒険者であったり、行商人であったり。

 良い出会いもあったし悪い出会いもあった。

 だがその全てを糧として最終的にゴッラがたどり着いたのはレグナム西域帝国の一都市、闘都ガルヴァドスである。

 

 最初は路地裏を残飯を漁りながら。

 そして絡んでくるチンピラをぶちのめしている内にゴッラは悪たれ共の王となった。

 王といってもゴッラがチンピラに命じて何か悪事をさせたりしたという事はない。

 

 帝国のお膝元でそんな事をしたらどうなるか、それを当時のゴッラは理解していたのだ。

 

 その頃のゴッラはそれまでの出会いで培った多少の良識や常識、たどたどしいながらも帝国共通語などを身に着けており、その学習能力の高さは目を見張るものであった。

 

 やがて彼の存在に、ガルヴァドスに住む一人の帝国貴族が目を付けた。ゴッラの恵まれた体躯、怖気をふるうような体内魔力は貴族を歓喜させた。

 

 根っからの闘技マニアであるその貴族は、ゴッラを拾ってありったけの戦闘技術を身に着けさせた。

 結果として完成したのがガルヴァドスの覇王、絶対王者、“黒鬼”ゴッラである。

 

 ゴッラは帝国に感謝をしている。

 皇帝サチコなどという者は知らないが、ゴッラにまともな生活を与えてくれた貴族に報いたいと思っている。

 

 そんな恩を受けた帝国を脅かす存在がいるときいて、ゴッラは珍しく憤怒した。

 

 彼が魔王討伐隊に“志願”したのはそういう経緯による。

 

 ■

 

 やがて馬車はある場所に到着した。

 既にもう一台の馬車は到着しているようで、二人の男性、一人の女性が環になってなにやら雑談をしている。

 

「無事着いたか。襲撃の一つや二つはあるかと思ったのだが」

 

 黒の術衣を纏った青年…ヨハンが言う。

 

 みろ、とヨハンが周囲を指し示す。

 一同はヨハンにつられて周囲を見渡した。

 

 奇妙な場所であった。

 大きな石柱が円形に配置され、中心には大柄の男性が手をまわそうにもぎりぎり届かない程度の大きさの岩が鎮座している。

 

「ちょっと、知らないとでも思っているのかしら!石の柱は“放ち石“!そしてそこの大きい岩は“鎮め石”!特殊な魔術をかけられた特殊な材質の石を封印の触媒として、万が一にも月魔狼フェンリークが復活することのないようにと帝国が儀式級の封印を施したのでしょう!?…え?他の者達のためにしっかり説明をしてほしいって?自分でやりなさいよ!仕方ないわね!よく聞きなさい!そこの大きい岩の下にはフェンリークの遺骸が埋められている筈!万が一にもフェンリークが復活するような場合、鎮め石が復活の魔力を吸収する…という事になっているわね!でも鎮め石に蓄積できる魔力にも限度があるわ!だから放ち石が鎮め石に干渉し、魔力を吸収して外部に逃がしているのよ!だから少なくともこの石柱円陣中は魔力枯渇空間となっているはず!わかった!?」

 

 金色の髪を振り乱して喚くのはラグランジュだ。

 彼女の視線はカッスルやヨルシカ、ゴッラあたりを行ったりきたりしている。

 

 ヨハンは軽く頷き、“説明感謝する!だがもっとよく視ろ”と言った。

 

 ハァ?と表情を歪め、またぞろヒステリーが爆発しそうになったラグランジュだが、陽気に弾む声にヒスが中断された。

 

「ほうほうほう!放ち石が感応しているね!」

 

 “地賢”のケロッパである。

 彼はなぜかゴッラの肩に乗っていた。

 肩車の態勢だ。

 

 ケロッパはつんつんと柱をつつく。

 その指先は微細な振動を捉えていた。

 

「放ち石の感応現象!それはこの周辺に大きな魔力が集まってきているということだ!しかし妙だね?それほど大出力の魔力が放射されて気付かないなどと言う事があるだろうか!いやぁない!これでも僕は一等術師さ!すごいんだぜ!そのすごい僕が、放ち石が感応するほどの大魔力に気づかないとは…いやまて!なるほど!なるほどね!つまり、内部からの魔力ではなく…」

 

 ケロッパの眼が虚空に集中する大魔力を捉える。

 わあ、とヨルシカの感嘆の声があがった。

 

 蒼い光が一点に集まり、うねり、楕円を描き。

 転移の大魔術がヨハン達の眼前で形を成そうとしていた。




ケロはショタじいさんです。


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魔術師と勇者

 ■

 

 月明かりが毀月平原を照らし、夜半の静寂が広がる中、彼らは東域への転移門が開かれる瞬間を目にした。

 

 空気が一変し、青白く幻想的な転移門が彼らの目の前に生成される。空間を液体と見做し、深蒼色の絵具を垂らしかき混ぜれば似たような光景が再現できるだろう。

 

 この世界の魔術、魔法…超常の現象は、どれも術者の意思や願望が様々な形で叶えられたというていを持つが、では転移という奇跡にはどの様な願望が込められているのであろうか?

 

 転移とは偏執狂的な恋の奇跡だ、と言った魔術師がいる。

 転移とは愛の結実である、と謳った詩人がいる。

 

 これらの言は完全に正しいとは言えないが、しかし部分的には正しい。

 

 それが物であれ人であれ、概念であれなんであれ。

 転移を為す両点に常軌を逸するほどの“想い”が込められている事が転移の大魔術を実現するもっとも重要な条件だ。

 勿論条件を満たしたからといって自由自在に扱えるわけではなく、膨大な意思の力…魔力が必要となるが。

 

 アリクス国王に代々受け継がれる“月割りの魔剣”ディバイド・ルーナムは月魔狼フェンリークの命を経ち割った。

 そしてそのフェンリークはこの場に眠っている。

 転移の大魔術を実現するには十分な繋がりと言っていいだろう。

 条件は満たした。

 では魔力はどこから調達したのか?

 

 アリクス王国は、大貴族6名の生命を以てこの難題を解決した。

 

 ■

 

 転移門が形を成していくのを眺めていたヨハンは、ふと傍らに気配を感じる。目を遣ればそこには小さい人影が立っていた。

 

「転移は初めてかい?連盟の魔術師殿!ああ、ヨハン君だったね、僕はケロッパさ!本当はもっと長い名前なんだけれど、君たちは誰も彼もが僕の、僕らの名前を発音できなくてね!舌の長さが関係するらしい!ちなみに僕も転移は初めてだよ!そういえば向こうにはルイゼがいるそうだ!確かに彼女は必要だね!魔王が用意してくれた転移雲を利用するといったって、舵取りをしてくれる人がいなきゃあどこへ飛んでしまうか分かったものじゃない!そういえばこんな話もあるんだ!古代アステール王国の大魔術師、アルミナの事は知っているかい!?…そう!転移の大魔術を創り出したとされている大大大大魔術師さ!彼女は星に焦がれ、星に恋をしていたという!彼女はこう考えた!自身の根源は遥か星霜の果てにあるのだと!そこで彼女が何をしたのか!そう!転移をしたのさ!」

 

 ケロッパはキイキイと喚き、夜天を飾る星々を指さした。

 

「彼女は姿を消したそうだ!さてさて、彼女は己の根源へ帰れたのだろうか?それとも失敗して、あの果てなき暗黒の世界を今もなお彷徨っているのだろうか!嗚呼!僕に時を遡る事が出来たのなら!」

 

 ヨハンは嬉しそうに喚くケロッパに向き直ると、視線を合わせるべく腰を落とし、懐から清潔な手ぬぐいと取り出してケロッパへ差し出した。

 

「よだれが零れています、術師ケロッパ」

 

 ケロッパは“おっとすまないね”とヨハンの差し出した手ぬぐいを受け取り、小さい口の端から零れているよだれをふき取った。

 

 ヨハンの一挙手一投足には敬意が込められている。

 ヨルシカなどは驚愕で瞳を揺らすが、ここには魔術師界隈の事情が関わっている。

 

 ヨハンのみならず、魔術師を標榜する者なら大抵は大魔術師“地賢”のケロッパの事は知っている筈だ。

 ケロッパは革新的な考えを持つのみならず、それを実行に移すだけの行動力を持った魔術界の重鎮である。

 例えばヨハンが多用する雷衝といった“新式”の魔術などはこのケロッパが考案したのだ。馬車でラグランジュが彼の長広舌に辟易しながらも常のヒスを爆発させなかったのは、女尊男卑の化身であるラグランジュすらも彼の高名を知悉していたからだ。

 

 そしてヨハンもラグランジュも、頭でっかちの学者先生に無条件で敬意を抱くほど純粋な人間ではない。

 更に頭でっかちの学者先生の好奇心からの志願を受け入れるほど、帝国宰相ゲルラッハは呆けてもいない。

 

 ケロッパは快活で温厚で陽気な好人物ではあるが、それは暴力的な側面が存在しないことを意味するわけではない。

 

「さて、このまま返すのは無礼だね」

 

 ケロッパが指を立て、宙をくるくるとかき混ぜる。

 詠唱も何もないが、ヨハンはケロッパの動作が旧法神教のお家芸とも言える法術に近いものだと看破した。

 

 手ぬぐいがふわりと宙に浮き、そして付着した水分…ケロッパの唾液が分離していった。

 

「“この手”の術体系は、詠唱の隙を無くした実戦的な体系だと言われる。ただこういう事をするには確固たる根源を己の精神世界に構築しなければならない…でもね、生きていれば色々あるもので、生きがい、よすが、信念…そんなものはある日、ある時あっさり崩れたりするものさ」

 

 ごもっともですとヨハンは答え、ふわふわと宙を浮遊する手ぬぐいを掴んだ。

 

 もっとも、とケロッパは続け、ヨハンの両の眼を真正面から視て言った。

 

「君のように幾つもあれば、一つくらい駄目になっても代替がきくのだろうけど」

 

 ・

 ・

 ・

 

 やがて一同の眼前に転移門が完全に形成された。

 宙空に刻まれた蒼い歪みに、カッスルが注意深く視線を送る。

 やがて一つ頷き、振り向いて言った。

 

「大丈夫そうだ。罠じゃねえ。じゃあお先に」

 

 カッスルは一同の中でもっとも早くその歪みに足を踏み入れた。

 金等級冒険者カッスルの危機を察する能力には定評がある。

 というより、迷宮探索などを主とするならばある程度の勘働きが出来ないと話にならない。

 

 悪辣な迷宮では50メートルを進む間に4つも5つも罠が張り巡らされている事など珍しくなく、古代の転送魔法の罠に引っかかって、運が悪ければ魂ごとこの世から消え去ってしまう事もある。

 

 続いて、ケロッパ、ゴッラ。

 そしてラグランジュ。

 

 各々が転移門へ入っていく。

 

「私たちも行こうか」

 

 ヨルシカが言うと、ヨハンは黙って彼女の手を握り、歩を進めていった…

 

 ◇◇◇

 

「あのヨハン坊やも出世したものです。女連れで魔王討伐とは。遠足かなにかと勘違いしていませんか?」

 

 転移門を抜けたヨハンを出迎えたのは、甘美な毒を思わせる艶めかしい声だった。甘い芳香が鼻をくすぐり、今すぐ飲み干せと本能に訴えてくる毒杯だ。しかしその囁きに屈すれば地獄が待っている。

 

 協会兼連盟の術師にしてアリクス王国冒険者ギルドマスター、さらにアリクス王国の貴族位を得ており、加えて三名しかいない黒金級冒険者でもあり、ついでに言えばヨハンの師でもあるルイゼ・シャルトル・フル・エボン。

 

 今回の作戦では、彼女が鍵の一つとなる。

 

 アリクス王国は既に周辺の地脈の状態を走査しており、極めて短期間の内にこの周囲に魔軍が現出することを割り出している。

 過去の人魔大戦の記録から、魔軍が得意とする転移強襲は地脈の魔力を利用している事が既に分かっており、そこまでわかっているのならば地脈の魔力の急激な減少は転移の前兆であると割り出す事は難しい事ではなかった。

 

 ただし、例えば十分な体力がある馬が居たとして、目的地もわかっているとする。しかし馬に乗ったこともない者がその背に跨ったとしても目的地には辿り着けないだろう。

 

 転移も同じ理屈だ。

 

 魔王が生成した転移雲に飛び込んでも、果ての大陸へたどり着くどころか、次元の狭間とも言うべき虚数空間へと放り出され、魔王討伐の一行は一合も剣を交える事もなくこの世界から消え去ってしまうだろう。

 

 今回、馬の例えで言う所の騎手の役目を果たすのがルイゼであった。簡単な仕事ではない。暴れ狂う魔王の魔力を抑え込み、逆流させるのだ。それは暴れ馬を御すようなもので、貧弱な者であるなら吹き飛ばされてしまう。

 

 そしてアリクス王国広しと言えども、それだけの業を成し遂げる事が出来るものはルイゼを置いて他にはいなかった。

 

 ◇

 

 月夜に煌めく星々が羨む程にルイゼの美しさは絶世のものであった。彼女はゆったりとした黒いローブを纏っていたが、彼女の豊かな肢体を隠すには余りに無力で、女好きなカッスルなどは両眼をこれ以上なく見開いてルイゼの胸と腰、脚を凝視している。

 

 そんなカッスルに嗜虐的な一瞥をくれたルイゼは、滑るようにヨハンの前に歩み出てきた。

 

 彼女の黒絹の様な長い黒髪が闇に踊り、時折月の光を反射する。

 確かな美がそこに存在しているのだが、ヨハンなどには毒イソギンチャクがうねっているようにしか見えない。

 

「ヨハン、全く可愛くない私の愛弟子。久しぶりに出逢った師への労いは無いのですか?今回、私は非常に忙しいのです。貴方たちを送り出した後は王都へ戻り、不埒者共を歴史から退場させねばならないのです。あるいはこれが我ら師弟の最後の邂逅となるかもしれませんよ」

 

 ヨハンはもっともだと頷き、優雅に一礼をして口を開いた。

 

「お久しぶりです、師よ。ところで恋人は出来ましたか?相変わらず青田刈りばかりしようとして、悉く避けられているのではないですか。…ああ、そこの彼が新しい恋人ですかね?いや、そうは見えない。俺も術師として業を磨いてきましたから多少は心が視える。さらに恋人もできたんです。つまり恋心というものが分かる。その俺が見立てるに…そう!彼は師の事を何とも思っていませんね!むしろ警戒さえしている!…と思ったんだが、当たっているかい?よろしく、恐らくは…勇者殿…かな?どうにも君は勇者に視えないのだが…まあいい、お偉い方が勇者というのならば勇者なのだろう。俺はヨハンという。君が魔王をぶち殺す手伝いをしに来たんだ。君達の名前を教えてくれるかな?」

 

 ヨハンの視線は黒い軽鎧を纏った青年に注がれている。

 あまりにもつれない態度を取られたルイゼはかぶりをふり、僅かにヨルシカを注視してから背を向けてその場を離れる。

 

 ルイゼに他意はなかった。

 家族でもある小生意気な弟子が恋人らしき女性をつれているとあっては、その出来を確認せずには居られないというデバガメ根性があるだけであった。とはいえ、力の籠った視線を浴びたヨルシカとしてはどうにも落ち着かない。

 

 ヨルシカは気を紛らわせるようにヨハン達を眺める。

 

(あれが勇者なのかな?)

 

 彼女は剣士としての目で青年を見遣るものの、その戦闘勘はすぐに青年が剣士としてはせいぜいが2流だと判断を下した。

 しかし、とヨルシカの眼は青年の外見ではなく皮膚の下を見透かすように細められた。

 

(まともな身体じゃないな)

 

 人間と同程度の強度の人形があったとする。

 その人形を思う様に叩いて、斬って、焼いて。

 そして破損した部分を分厚い鉄板で補修して。

 それを延々と繰り返せば何が出来るか?

 答えはグロテスクで頑強な鉄人形である。

 

 それがヨルシカが青年を視て感得した事だった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「クロウ、です」

 

 青年…クロウがヨハンに短く名乗る。

 不愛想というよりは、会話自体に余り慣れていない様子だった。

 ヨハンはうんうんと頷き、しかしその視線を外さずにクロウを注視していた。クロウは首を傾げ、何か礼を失するようなことをいってしまったかと思案する。

 やがてヨハンの視線が腰の剣に注がれている事に気付くと、ああ、と納得したように口を開いた。

 

「この剣はコーリングといって…俺の愛剣です」

 

 愛剣ね、とヨハンがごちり、剣に纏わりつく邪気を視て小首を傾げた。

 

(勇者は聖剣を持つというが、これが聖剣か?本当に?魔剣とかじゃないのか?)

 

 だがまあ、とヨハンは鞘に収められたコーリングを眺め、そこに機能美とも言うべきものが存在する事を認める。

 

「良い剣じゃないか。一途なんだな。…術師ケロッパ、触らないほうがいいですよ。屈んでも無駄です。貴方は確かに背丈は低いですが、存在感はゴッラほどもある。低位の魔術でごまかせるとお思いますな。この剣は…いや、彼女は相当に重そうだ。重量の話じゃないですよ。ともかく、不躾に触れば腕の一本で済めば恩の字でしょうな」

 

 ヨハンがケロッパの襟首を掴んで、漆黒の鞘に収められた剣に触ろうとするケロッパを制止した。

 

 元よりヨハンは呪物の類に対しては肯定的だ。

 彼自身が呪術を好むというのもあるが、一癖二癖あるモノ、ヒトの方が自身の肌に合うとヨハンは考えている。

 そういう観点ではヨルシカなどは一見優等生めいており、彼の好みからは外れている様に思えるが、周囲の者達が考える程にヨルシカという女はまともではないから相性に問題はない。

 

「腕!?腕で済むなら僕は構わないよ!ほら、君の腕だって必要だと思ったから捨てたんだろう!?君は優秀な魔術師だ、僕には分かる!優秀なものは“捨て時”というものを弁えているのさ!その時が来たなら腕だって尊厳だって命だって平気で捨てる!捨てねば先がないと分かっている時はね!そうじゃないか!?僕にとってそれはいつだい!?今さ!聖剣なんてものに触れる機会はまたとないだろう!」

 

 キイキイと喚くケロッパにクロウが困惑の視線を向ける。

 そしてその声をきいたのか、他の者達も集まってきた。

 

「おい、クロウ。なんだこの小さいのは」

 

 低い声が響く。

 

「ザザさん。分かりません…学者さんらしいですけど…」

 

 ヨハンが声の主に視線を向けた。

 ザザと呼ばれる大柄の剣士はクロウの知人の様だ。

 

「まとまりがない…本当に我々は魔王を斃せるのだろうか?不安になってきた」

 

 ラグランジュが眉間に皺を寄せて考え込む。

 “協調の儀※1とやらの出番か?”とヨハンは思った。

 

 

 

 ※1協調の儀

 

 前話でラグランジュが言及。謎の儀式。

 



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果ての大陸へ

 ■

 

(勇者?これが勇者ねえ…)

 

 ヨハンの顔には余所行きの笑みが貼り付けてあったが、その心中には疑念という名の乾いた風が吹き荒んでいる。

 ヨハンの目から視て、勇者を自称するクロウという青年はどこからどう視ても勇者らしく無かった。

 

 優れた魔術師は人物を観る事に優れていると言う。

 勿論相手の全てが分かるわけでは無い。

 例えるならば、剣の形状を見てそれが狭い場所で振り回す目的の得物なのか、戦場の様な広い場所で大きく振り回す目的の得物なのか分かる程度のものだ。

 

 当然何がどう分かるかは個人差がある。

 ある者はその得物の材料となった金属の種類が分かり、またある者はその得物を打った鍛冶師が分かると言う様に。

 勿論これは硬そうな金属だ、くらいの事しか分からないヘボもいるが、ヨハンはそうではなかった。

 

 魔力を這わせ、相手の精神の核にまで浸み込ませ。

 そうして他者の精神世界に自意識を投影する内心透徹の業は、熟練の詐欺師が裸足で逃げ出すほどに磨き抜かれている。

 魔術的な理屈で簡単に言えば、相手を知りたいという強い想いが実現しているという形だ。

 

 ヨハンはクロウの素性について頭からまるきり疑っているわけではないが、余りにも勇者らしくないクロウに疑念が無いわけでもない。べろんべろんに酔っぱらっている酒精中毒者を見て、“彼は禁欲的な聖職者です”などと言われても誰がそれを信じるだろうか?

 

 ゆえに真偽を問うべくその精神世界に視線を向けると…

 

 §

 

 ヨハンは視た。

 勇者クロウの内なる世界を。

 

 沢山の墓標が数知れず立ち並んでいる不気味な世界だ。

 地平線の果てまでも広がる墓標の世界を覆うのは、生ぬるい闇色の霧である。

 

 墓標には何が刻んであるのだろうか?

 ヨハンが精神を集中させてそれを確かめようとすると、傍らから細い指が伸びてくるのを感得する。

 

 見よ。

 いつの間にか眼前に冷たい怒りを彼に向ける女が立っているではないか。女の着ている黒衣が荒涼とした風にたなびき、風に乗って甘酸っぱい香りがヨハンの鼻に届く。

 

 ──花の香り

 

 それは女の吐息であり、死招く魔香であった。

 ヨハンの精神を強烈な希死の念が浸食していく。

 女は怒っているのだ、愛する主であるクロウと自身の世界に土足で踏み込んできた無粋な者に対して。

 

 勇者クロウの愛剣、コーリングは主であるクロウを愛している。それはあくまで剣としての愛情であり、人間の男女のそれではないが、それでも愛は愛だ。

 コーリングは後世において邪剣と呼ばれる事になるが、この理由としては持ち主に災厄を呼び込む点にある。常人では乗り越えられない死戦、死闘、常軌を逸した試練を呼び寄せる。剣の持ち主は死ぬ…これは彼女の魔剣としての側面だ。

 

 しかし、彼女には護剣としての側面もある。

 自身が招き入れた災厄から主であるクロウを護ろうとする。

 

 コーリングは意思を持つ魔剣というよりは、剣の形を取った邪悪な精神体と言った方が良く、この精神体はクロウの精神世界に深く食い込んでいる。これは俗に言えば“呪い”という状態であり、それもクロウ以外の者にとっては命にかかわる強力な呪いであった。

 

 これは余談だが、仮に余人が魔剣コーリングを持てば、次々襲い来る災厄に身を滅ぼす事になる。

 手放す事は出来ない。なぜなら囁き声がするからだ。

 あなたは英雄だと。試練に立ち向かえと。

 そんな甘い声が精神を浸食し、持ち主は正気ではいられなくなるだろう。

 剣は護ってはくれない。

 彼女が護るのは主であるクロウただ一人のみ。

 

 女性に化身したコーリングはその青白い腕をヨハンの顔へ伸ばし、鋭い爪がズブズブと眼球に突き込まれていく。

 ヨハンはそれを厭うでもなく、残った瞳でただコーリングを見つめていた。

 

 ──無粋を詫びよう

 

 ヨハンが言う。

 

 すると、表情に冷たい怒りを浮かべていたコーリングは動きを止め、ゆっくりとヨハンの眼窩から指を引き抜き…くるりと背を向け去っていった。

 次はないぞ、と言いたげな背中を見送り、ヨハンは自身の精神をクロウの精神世界から乖離させ、元の世界へと立ち戻る。

 

 それ以上潜れば、もはや互いの精神と精神、どちらを滅ぼすかという話になってしまう。ヨハンとしてもそれは望む所ではなく、単なる好奇心の代償としてはやや支払いが重いものになってしまった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 むっ、とヨハンが呻いて片目を押さえた。

 指の隙間からは血の様な液体が流れている。

 

「ヨ、ヨハン!?」

 

 ヨルシカが慌てて駆け寄り、ヨハンの血を拭うなりクロウを険しい目で睨みつけた。

 ヨハンとクロウが目線を合わせてすぐ、ヨハンが傷ついたのだ。ヨルシカには二人の間で何があったかはっきりとは分からないが、クロウが原因だと思えた。

 彼女は例え相手が勇者であっても、恋人を傷つけられて黙っているような女ではない。

 

「君は…何をしたんだい?」

 

 恋人を傷つけられたヨルシカの怒りは、密閉された空間で燃え盛る炎のごとく燃え上がり始めた。熱と圧力が次第に増していくその様子は、まるでバックドラフトが起こる直前の瞬間だ。外界からの酸素の供給を切り離された炎は息を潜めるが如く静かに燃え続け、その内部の熱エネルギーが限界に達するまで待ち受けている様に見える。

 

 そんな彼女を、クロウは寒く薄暗い病室を連想させるような冷えた視線で見つめていた。寒々しい月光に照らされた荒野に緊迫感が漂う。彼がヨルシカの精神世界の扉を開けば、彼女の怒りの炎が逆流してクロウを焼くだろう。ちなみにクロウ本人としては、何のことだかさっぱり分かっていない。冷えた視線というのもクロウの目は死んでいる為、そこから発される視線も死んでいて当然である。

 

 なぜ目の前の女は怒っているのか?

 なぜヨハンという魔術師が血を流しているのか?

 クロウにはさっぱり意味が分かっていない。

 彼には魔術の素養は無く、精神の不安定さから生み出される膨大な魔力は身体の強化に回すしか能が無い。

 

 周囲の者達は止めようともしない。

 ランサックという黒槍を担いだ戦士はどこか面白そうに隣に立つ大柄の剣士…ザザに話しかけている。

 

 ──おい、みろ。クロウの奴、早速揉めたぞ

 

 ──魔術師の方が何かちょっかいでも仕掛けたのだろう。クロウは基本的に受け身だ。床の上でもそうなのかは知らんがな

 

 タイランとゴッラは妙に気が合ったようで、そこにケロッパも加わって何ともアンバランスな三人組が何やら談笑している。

 

 ヨルシカは恋人を傷つけられて怒ってはいたが、刃傷沙汰にしようとまでは思っていなかった。その辺りの心情を周辺の勇士達も感得していたのだろう。

 

 ヨハンも自身の迂闊な内心透徹で火傷を負った事を理解していた。

 だがそれはそれとして…

 

「い、いや…大丈夫だヨルシカ。心配させて悪かったな。許可なく侵入ってくるなと叱られてしまったよ。あれは俺が悪い。それにしても成程…聖剣は担い手の身体能力のみならず、その精神も庇護するという…。あの女が君を護る聖剣の意思という事か…」

 

 ヨハンはそう言いながら目を押さえていた手を外した。

 片方の瞳が真っ赤に充血し、目の端には血の雫が浮いているが、ヨルシカが気づかわし気にそれを見ている内に血が止まり、充血も消えていく。

 

 精神への打撃はその程度により肉体へも反映されるが、精々が100の内10と言った所だ。ヨハンの様に実際に負傷をするというのはこれは並々ならぬ事で、常人ならば精神崩壊をしてもおかしくない。

 

「すまないな、勇者殿。不躾に君を覗いてしまった事を詫びよう。それにしても君もすみに置けないじゃないか。心に女性を住まわせているとはね…ん?ほうほう、威嚇しているな?警戒させてしまったようだ」

 

 ヨハンの視線がクロウの剣…魔剣…聖剣コーリングに注がれる。

 コーリングは鞘の中でガチガチと震え、暴れている。

 剣から勝手に飛び出すのを防いでいるのはクロウだ。

 

「すみません、うちの子が。少し興奮しているみたいです」

 

 クロウがぺこりと軽く頭を下げる。

 それを見て“おや”とヨハンは思う。

 彼が見た所、クロウはもう少し壊れていてもいい筈だった。

 

(精神にあんなモノを飼っていて正気で居られるはずがない)

 

 ヨハンはそう思うが、それにしてはまともだったからだ。

 それはすなわち、この自称勇者が勇者の精神に巣食っている女の形をした怪物より遥かにイカれているという事だ…そのようにヨハンは考察する。

 

「気にしないでくれ。きっと魔王を斬りたくて仕方がないんだろう、良い魔剣は…いや、聖剣は日常的に血を求めるものだ。勇者の得物としてふさわしい。この剣の主である君も勇者にふさわしい狂靭な精神を持っている様だな。頼もしい。魔王討伐への希望が増して来たよ」

 

 ヨハンは一つ二つ頷いて邪悪な笑みを浮かべながら言う。

 彼は勇者クロウの壊れっぷりを頼もしく感じた。

 なぜなら魔王との戦いは恐らくこれまでにない地獄を見るはずだし、過酷な環境下では常人はすぐに廃人へと変わるのが常だからだ。だが最初からぶっ壊れているなら何も問題はない。

 

 そしてクロウも自身に好感を表明するヨハンに良い印象を持つ。

 これには他意はない。クロウが単純なだけである。

 

 ちなみにクロウはヨハンが内心を窃視した事は知らない。

 しかし初対面の相手の前で得物がガタガタと震えているのだ、これはもう斬りたがっていると思われても仕方がない。

 クロウは色々あってイカれてしまっているが、イカれている中にも前世日本人の残滓が残っていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 なお、そもそも勇者クロウは勇者ではない。

 

 四代勇者は上魔将マギウスにより殺害され、五代勇者は選定されたものの、その対象はクロウではなくフラウという少女〈別作、白雪の勇者と黒風の英雄参照〉である。

 ちなみに上魔将マギウスによって聖剣も破壊されている。

 

 勇者の選定は光神が行っているが、既に光神に自意識はなくこれは自動的に行われている。意識がない理由は法神が光神の信仰を簒奪した為。選定の度に光神は力を割く事になり、五代勇者が最後の勇者になるだろう。

 

 ただし、クロウは自分自身を勇者だと思い込んでおり、勇者として強くなるための条件も自分なりにこねくりだしている為に、少なくとも四代勇者に見劣る事はない。

 

 東西の両国の上層部にもこの事実を知るものは少なく、ルイゼ・シャルトル・フル・エボンはその数少ない一人である。

 

 ■

 

「クロウ、ヨハン、自己紹介は済んだ様ですね。それでは皆さん、こちらへ来て下さい」

 

 ルイゼがやや呆れたような表情で言うと、空を見上げる。

 蒼褪めた満月に暗雲がかかりつつあった。

 暗雲はまるで空の一点から際限なく湧いてくる様に、瞬く間に空を覆いつくしていく。

 それがただの暗雲でないことは明らかであった。

 

 ぴょこぴょことケロッパがルイゼの隣にやってくる。

 

「久しぶりだねルイゼ!それにしても全然変わらないねえ君は!最後に会ったのはいつだったかな!君はまるで年をとらない様に見えるよ!時の神を脅迫でもしているのかい?」

 

 ケロッパの口調は快活で、軽く、楽し気だ。

 しかしそのつぶらな瞳の奥には実験動物を見る時のような無機質な好奇心の光が宿っていた。

 彼はある意味でこの場の誰より残酷だった。

 未知を既知とする為に良識が邪魔になるとしたら、ケロッパは喜んでそれを捨て去るだろう。

 

 ルイゼはケロッパのそんな気質を良く知っており、決して口には出さないが、彼が魔族などより危険な存在になりうるとすら考えていた。

 ルイゼはこの世界に、いや、この星にかつての故郷を重ねて幻視する。

 ケロッパの様な者は世界の発展を促進するだろうが、逆に滅びを早める事もあるという事を彼女は知悉していた。

 

 ──まあ、その時は消せばいいだけの話ですが

 

 ルイゼはそんな内心をおくびにも出さずに淡々と答える。

 

「時の神など居ませんよ、術師ケロッパ。そして私も年は取ります。ただ、余人より年を取りづらいだけの話です。老化は摂理、そして理であるなら解き明かせない道理はない。貴方たちもいずれは同じ事ができるようになるでしょう…」

 

 ルイゼはケロッパに答えると、やおらまるで月を握りしめるかのように天に手を差し伸べた。

 開いた手が握りしめられる。

 

 夜気と月光がルイゼの手に握りしめられ、混ざり合い、拡散し、その場の者達の身体にきらきらと光るなにかが纏わりつく。

 

 これは?とラグランジュが尋ねた。

 

「光学迷彩…といっても分からないかもしれませんが、幻術だと思ってくれて構いません。簡単に言えば私たちの姿は見えなくなります。ただ、余り動かないでくださいね。姿を消すわけではなく、視覚を誤魔化しているだけに過ぎません。そんなことよりも、ほら、見てください。我々の敵がお目見えです」

 

 満月を翳らせる暗雲が天空で渦を巻き、まるで暗黒の巨人が指を地上へ伸ばすかのように、不気味な尾が空から降りてきた。

 

 

「師よ、魔族の、ええと転移雲でしたか?それを逆用するとのことですが、まさかアレに突っ込めと?どうみても竜巻ですが…」

 

 ヨハンが尋ねるがルイゼはそれに答えず、ただ妖しい笑みを向けるだけである。ヨハンの経験上、こういう反応の時は“是”を意味する為、何とも言えない表情でヨルシカの方を見て言った。

 

「ヨルシカ。心が疲れた時、人はただただ共感してほしくなる事がある。理解や同情、解決策の提示ではなく“共感”だ。こう言うと馬鹿共はピイピイと囀る。そんな事、意味があるのかと。俺はそんな時、そいつの喉に短刀を突きつけて言うんだ。意味があるのかないのかを決めるのは俺で、お前じゃない。不快だからここで殺してやる、と。俺はそういう気分なんだ、分かるかい」

 

 ヨルシカは苦笑しつつヨハンの手を掴み、その甲を軽く2度叩いた。

 不貞腐れる愛犬を宥める様に。

 

 真っ黒くて不気味な竜巻が空から伸びてきて、そこに突っ込めと言われた時、大多数の者の精神は疲労感を覚えるだろう。

 それは百戦錬磨の連盟術師であるヨハンとて例外ではないし、その場にいる他の魔王討伐の任を帯びた勇敢なる殺し屋共にとっても例外ではなかった。好奇心の塊であるケロッパでさえも呆然としている。

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「あんなのに飛び込んだら目的地につく前に何人か死んでるんじゃねえのか?」

 

 カッスルが呆れたように呟き、空色の瞳に憂いの帳がおりる。

 他の者達も何人かが同意した。

 中でもラグランジュが深刻そうな表情を浮かべている。

 

「死ぬのは良い…皇帝陛下の御為に剣を振るうが私の使命。しかし、魔王の元に辿り着く前に事故死などは御免だが…」

 

 ヨハンはラグランジュと初めて対面した時、刹那の十分の一の時間で彼女と気が合わない事を感得したが、今回ばかりは同感だった。

 

「お、おれ、肌。鉄。そして、重い。風、平気。おれから、いくよ」

 

 不安そうな一同を見てゴッラがそんなことを言うと、“勇敢ねぇアナタ!じゃああたしも付き合うわよ~”とタイランがゴッラの腕を叩きながら言う。

 

 一同の眼前で、黒い竜巻は時折紫紺の放電を放ちつつ大地へとその先端を接吻させつつある。

 不思議なのは竜巻であるなら強風を伴うはずなのに、天から伸びる不気味な黒指にはそれが見られないという点だ。

 少なくともこの距離ならば立っては居られない程の強い風が吹いて当然なのだが、種はあるのだろうか?

 

 あった。

 

「まてまて、見た目ですっかり仰天してしまったがあれは転移雲か!荒れ狂う竜巻に見えるのは、魔王の内心を投影しているからだろうか?何とも荒々しい大魔法だ!魔術も魔法も術者の色が出るものだが、魔王の魔法にふさわしい禍々しいその姿!我々に勝ち目はあるのだろうか?まあいいか!そんなことより、みんな、よく見たまえ!あの竜巻は地上に向けて渦を巻いている!つまり通常のそれのように、巻き上げられて地面に叩きつけられて死ぬ心配はなくなったね!」

 

 不意にケロッパが叫びだす。

 その声には歓喜が滲んでいた。

 そう、竜巻に見えるのはあくまでガワだけであって、実際は違う。

 あくまで転移の術式であって、内実も竜巻と同等であれば魔軍は戦わずして壊滅してしまうだろう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 まるで地獄の扉が開かれたかのように、その暗黒の渦は底知れぬ闇を放っていた。竜巻は、時折激しい雷を放ち周囲の空気を震わせる。

 

 そして竜巻の中心から、続々と魔軍が姿を見せた。

 彼らは人間の悪意や恐怖、絶望が具現化したようなそら恐ろしい姿をしていた。ルイゼが行使した幻術は強力で勇士達が魔軍に捕捉されることはなかったものの、仮に戦闘になればただでは済まないだろうとその場の誰もが思った。

 

 魔軍の兵士たちは、地獄の底から這い上がったかのような恐ろしい姿をしていた。その中には人間の死体を捩じ曲げたような形状の屍兵がいた。彼らは腐敗した肉と骨からなる体で、耐え難い悪臭を放ちながらゆっくりと動いている。

 

 また、人間に似た形をした魔族の戦士もいたが、彼らの目は血に染まり、瞳の奥に渦巻く狂気が見て取れた。時折あげる彼らの叫び声は夜の闇に響き渡り、常人ならば恐怖で魂を凍らせてしまうと思わせる程に恐ろしかった。

 

 さらに巨大な角を持ち、赤黒い筋肉をした悪魔のような兵士もいた。

 炎を纏った大剣を振るいながら、力強さと残忍さを感じさせる邪悪な笑みを浮かべている。

 

 だがそんな者達はまだ原型が分かる。

 恐ろしいのは悪夢を現実に具現化したかのような怪物達だった。

 

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 肉がよりあつまって出来た悪趣味な巨獣などは、基本的には饒舌な勇士達をも黙らせるには十分すぎる不気味なインパクトを与えた。

 

「…鼻獣に似ている…気がするけれど、違うわね…」

 

 タイランが陰鬱に言った。

 鼻獣とは鼻が長い巨大な獣だが、彼の知る鼻獣とはシルエットこそ似ているものの、明らかに別物であった。

 

「俺はそれよりもあの小さい虫みたいな奴の方が嫌だな」

 

 ランサックが言う。

 青白いぶよぶよした塊に脚が生えた何とも形容しがたい生き物が大量に地面を這っていた。

 

 黒い竜巻はその広がりをどんどんと拡大させながら、魔軍を無尽蔵に生み出し続ける。そして恐るべき地獄の尖兵共はただ一点を目指して行軍を始めた。

 

「行く先は王都か」

 

 ザザが短く呟いた。

 ザザはアリクス王国の金等級の剣士だ。

 “百剣”と謳われるザザは異名の通りに多種多様な剣技を操る。

 風俗狂いだが業は確かだ。

 いつだって無気力で、風俗代を稼ぐ為に怪物でも人でも斬る男。

 そんな駄目男が胸の奥から湧き上がる暗い怒りで表情を険しくしている。

 逸る気持ちのザザは無意識のままに手を腰にやる。

 王都襲撃などとんでもない話であった。

 

 王都にはリリスと言うザザのお気に入りの女がいるのだ。

 リリスは魔族でありながら人の世界に逃げた女だ。

 王都で娼婦をやっている。

 そしてザザのお気に入りだ。

 ザザが魔王討伐を引き受けたのは、リリスの身請けの金を稼ぐ為、そしてリリスの安全を国に保障してもらう為であった。

 商売女の為に命を懸ける…それは極東出身のザザにとっては極々当然の無謀と言える。

 

 ランサックは横目でザザを見ながら、もし飛び出そうものならすぐに止めようと心の準備をしていた。

 

 そんなザザに声をかけたのがルイゼだった。

 

「ザザ、落ち着きなさい。貴方も魔王討伐の為には必要な駒です、あれらに命を懸ける事は許しません。それに、王都にはルピスがいます。例え魔王でもあの男を抜く事は難しいでしょう…アリクス王国領内の戦に限るならば、彼は我々の誰よりも強い」

 

 ルイゼの言葉にファビオラがうんうんと頷く。

 

「それに、クロウを見なさい。さっさと魔王の元へ行かせろという表情をしています。やるべき事を弁えた優秀な青年ですね、ザザも見習いなさい」

 

 ザザが胡散臭そうにクロウを見ると、その表情はいつもと余り変わらない。

 

 クロウは困惑しているのか疲れているのか、どこか陰を感じさせる目で黒い竜巻を眺めていた。

 

 ■

 

 悍ましき魔軍は大方が王都へ向かい、後には黒い竜巻が残されるだけとなった。するとルイゼは幻術を解除し、竜巻に向かって歩を進めていく。

 

 ルイゼの細く白い人差し指が竜巻に向けられると、その口からイム大陸に存在する如何なる言語体系にも属さない奇妙な言葉が発された。

 

 ──Ω(∇² - μ²)ψ = δ(x-x₀)δ(y-y₀)δ(z-z₀)

 

 Ωは魔力の波動を表し、∇²はラプラシアン演算子、μ²は魔法の波長を表す定数だ。ψは魔術の空間波動関数を示し、δはディラックのデルタ関数を表す。x₀、y₀、z₀は転移魔術の元の位置を示す座標であり、これをもって魔王の大転移魔法に使用されている魔力を逆流させる。

 

 ──魔力の正規逆流はすなわち魔法の逆行を意味し…

 

「行きなさい」

 

 ルイゼが短く言う。

 

「行ってきます」

 

 クロウが律儀に出発の挨拶をしてから竜巻へ向かっていった。

 残された者達も顔を見合わせ、クロウの背を追っていく。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 この時ヨハンはこの場の全員に死の影を視ていた。

 全員だ。ヨハン自身も彼が愛するヨルシカも、底知れなさを感じさせる勇者クロウにも、ルイゼにでさえも。

 

 だがヨハンは知っている。

 自身の霊感は絶対の予感ではなく、努力次第で変えうる未来を察知する類のものであることを。

 

「ヨルシカ、俺の霊感が囁いているぞ。この場の全員が無残に死ぬとな」

 

 ヨルシカはぎょっとしてヨハンの顔を見た。

 ヨハンの顔には邪悪極まりない笑みが浮かんでいる。

 

 だが、とヨハンが続けた。

 

「俺の霊感は少し特殊でな。“やるべき事”をやれば大体どうにかなるんだ。この戦い、勝ったな。なぜならば俺がやるべき事をやらなかった事など過去に一度もないし、未来においてもありえないからだ。それでは師よ、貴女もこの後は死闘でしょう?不覚を取らないでくださいね。我々が魔王を斃し、貴女が手下どもに敗北しては笑い話にもならない。ははははッ!」

 

 ヨハンは訳の分からない高笑いをあげながら竜巻に向かって歩いていった。ヨルシカは一瞬唖然とし、そして苦笑を浮かべヨハンの背を追っていく。

 

 ■

 

 かくして勇者一行は果ての大陸へと。

 残されたルイゼは口の端に笑みを浮かべ彼らを、ヨハンを見送った。

 あるいは今生の別れとなるかもしれなかったが…

 

「…正直に言えばもう余力がないのですが、不肖の弟子の言う通り。手下に負けては恰好がつきません。さて、私も行きましょう」

 

 ──王都へ



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魔充つる腐血の大地

 

この様な説がある、と魔術師ヨハンが言った。

 

「転移元と転移先…これら2点を行き来したものは、一度死んでいるのだと。我々の肉体は転移の瞬間に微塵と砕け、瞬く間に転移先で再構築されているのだと…。この回廊は生から死、そして死から生への“道”であり、我々の精神が転移先で再構築された複製へ浸透するための過程であるらしい。…師の受け売りだがね」

 

真っ暗な回廊。

はるか先には光点が見え、そこが出口だと思われる。

足元はぼんやり見えるものの、左右は闇色の名状しがたい霧で覆われている。勇士一行はそんな暗い昏い回廊を歩いていた。

 

帝国からやってきた者達にとって、“この場所”は2度目である。

1回目の時はケロッパなどがはしゃぎまわり、ゴッラが彼を捕まえて運んだという何とも情けないアクシデントがあった。

つまり、アリクス王国側の面々にとってはこの回廊は初めての経験になるのだが、流石に魔王を殺しに行こうという面々だけあって誰一人としてうろたえたりはしなかった。

 

「ふうん、じゃあ差し詰めこの暗い場所は“かの世”って事かな、ヨハン君!」

 

ヨハンの後ろを歩くケロッパが元気よく尋ねると、ヨハンは前を向いたまま“そうかもしれません”と答えた。かの世、とはあの世でもこの世でもなく、その間に存在すると考えられている世界だ。幽界とも呼ばれるその世界には、生と死の概念が存在しないとも言われている。

 

「道から外れたりはしないほうが良さそうだ。僕は先ほどから何度も魔力を打っているんだが、反響がない。この回廊…壁の先はもしかしたら“何もない”のかもしれない。何もない…虚無というのは怖いんだよ。虚無に何かが入り込むとする。すると何が起こるか?それは、その何かも無くなってしまうんだ。虚無とは初めから何もない事を意味するのではない。“常に何も無くなってい続けている”事を意味するのだ。つまり、この壁の先が虚無であったならば、そこへ入り込む事は消滅を意味する」

 

ケロッパが深刻そうに言うが、流石の豪胆な勇士達と言えども、不気味に過ぎる闇色の霧の先に行こうなどとは夢にも思わなかった。

 

「迷宮に似たような空間がある。そこでは如何なる光源も意味を為さないんだ。ただただ真っ暗な空間が広がっている、そんな場所。俺たちは“狭間”と呼んでいる。ただ、そこは別に踏み入ってはいけない禁忌の場所ってわけでもないんだ。ただ視界が不自由なだけで自由に入ったり出たり出来る。しかしこれは…俺たちの横に広がるこの空間は絶対入っちゃいけない気がする。根拠はない。ただの勘だ」

 

根拠はないというが、迷宮探索者カッスルの言葉にはある種の確信が込められている。

 

 

闇が支配する回廊を、縦列で歩く一行の姿がある。

先頭のカッスルとタイランは、回廊の奥へ進むべく力強い足取りで歩みを進めていた。彼らは時折お互いに目配せをし、好奇心に溢れた表情でお互いの故郷について語り合っていた。

 

「…だからね、龍帝は西域や東域よりは極東に侵攻したくて仕方ないのよ。でも極東ってアレじゃない?中域は広大だし人も多いけれど、所詮人は人に過ぎないからね。極東を守護する神々の前では人なんていくらいたところでって感じよね。龍帝も神様みたいなものだし、そこらへんの小さい神様よりは余程強いけれど、数の暴力っていうのは侮れないからね。だから西域や東域にちょっかいを出す余裕なんてないのよ。…ただ、もしも極東が中域の手に落ちる何てことがあれば、中域は喜んで東西に攻め込むと思うわよ」

 

「やだねえ、魔族との戦争が終わったら次は人間同士の戦争かよ。それにしても中域にも魔族は侵攻してるんだろう?いくら中域が外国との交流を断っているからって、こういう時くらいは力を貸してくれてもいいのにな」

 

カッスルの嘆きにタイランは苦笑で応じた。

 

「まあねえ、でも過去の大戦を紐解いても、中域はそこまで被害を受けていないのよね。龍帝は神に等しいとされているけれど、やっぱり神様が直接護っていると魔族サンも侵攻しづらいのかしら」

 

 

一般的に中域と一言で言った場合、それは“零国”を意味する。

龍帝と呼ばれる絶対君主が強力な中央集権体制を敷いており、龍帝は零国では神と同一視されている。

 

また、零国の民は龍帝を心から信奉している。

龍帝こそが世界の覇者であり、零国こそが世界の中心…心の底からの願いは地脈の流れにも干渉し、中域の地脈を流れる魔力は龍帝に注ぎ込まれている。

レグナム西域帝国も同様に皇帝に巨大な求心力があるが、これは零国のそれとはやや毛色が違う。

レグナム西域帝国の民は皇帝サチコをただただ愛するのみであり、世界の支配者である、という想いを抱く事はない。

 

中域が過去の大戦で魔軍からの被害が東西両国よりも小さいのは、これが原因であった。転移の大魔法は地脈の魔力を利用するというのが基本であるため、その魔力を龍帝が奪っている為に魔王といえども零国領土内に魔軍を直接送り込む事ができないのだ。

 

 

「でも、今代の龍帝はなんというか…支配欲求っていうのかしら。そういうのがすごく強いと聞いた事があるわ。私のお師さんがね、龍帝の教育係だからちょっと教えてもらったんだけれどね。子供の妄想みたいだけれど、龍帝は世界征服をしたいらしいのよ。その世界には魔族の支配領域も含まれていて…」

 

 

クロウとファビオラは黙って歩いている。

前方ではカッスルとタイランが談笑しており、ファビオラは自分もクロウとあのように話したいと思っていた。

いや、話すだけではない。

ファビオラは5つの目的を持っていた。

 

それは護衛、討伐、性交、妊娠、出産である。

クロウを護り、魔王討伐を手助けし、戦後はクロウと交わり、妊娠し、出産する。

 

フラガラッハ公爵家は代々勇者の露払い役になれと育てられている。この場合の勇者とは光神から選定される正統勇者ではなく、アリクス王国側が恣意的に選定した勇者の事を言う。

なぜならば正統勇者は中央教会の紐付きだからだ。

アリクス王国としても公爵家が教会勢力と結びつく事は望ましくない。

 

ではアリクス王国側が恣意的に選定した勇者といえばなんなのかというと、これはケースバイケースだ。

アリクス王国は定期的に国家存亡の危機に直面しているが、そのたびに状況をひっくりかえせるような強力な戦士を便宜上の勇者として任命することも多々ある。

今回のクロウのようなケースだ。

 

フラガラッハ家の者はそういった“勇者”と親しくなり、勇者が女性ならば孕ませ、勇者が男性ならば自身が孕み…というような事を代々してきている。

勿論無理やりではない。

“勇者”は子作りしたからといってお役御免ではなく、強力な戦士であるのだから、今後も長くアリクス王国に仕えてもらう必要がある。無理やりヤって、わざわざ敵対する必要はどこにもない。

 

(クロウ様は恋人がいらっしゃるのかしら?いても構いません。アリクス王国は一夫多妻…しかし、そもそもクロウ様は誰かに恋をする事などあるのかしら)

 

ファビオラがちらりとクロウを見ると、クロウはぼんやり前方をみながら淡々と前へ歩いている。緊張、恐れ、気負い、使命感…そういうものは窺うことが出来ず、ただただ自然体だった。

 

クロウ様、とファビオラが声をかける。

 

「はい」

 

クロウはすぐに短く返事をした。

 

「クロウ様は…戦後は何をしたいとか、考えてたりするのでしょうか」

 

ファビオラの質問にクロウはやや考え込んだ。

何も考えていなかったわけではなく、クロウとしては魔王と相討ちという形になって死ぬつもりであったからだ。

だがそれをそのまま言うわけにはいかない事を理解する程度にはクロウも社会性がある。

 

「…庭師の弟子をしたいです」

 

ゆえに、クロウは何となく出来る事のうちからやりたい事を選んで答えた。

 

庭師の弟子

 

なんともよくわからない回答にファビオラは怪訝な表情を浮かべる。

 

「庭師ではなく、庭師の弟子ですか?」

 

ファビオラは尋ねた。

クロウは前を見たまま頷いた。

 

「ええ。僕は草むしりの才能があります。黙々と長時間、ずっと雑草を抜いていられる。しかしそれが出来るからといって庭師になりたいというのは傲慢でしょう。だからまずは弟子入りから始めて、技術と感性を磨いて、そして庭師になります」

 

クロウの言には筋が通っていた。

しかしどこかおかしい事にファビオラはすぐに気づく。

空気が致命的に読めていないのだ。

しかし、そのどこかズレた回答からファビオラはクロウの性根のようなものを看破する。

 

“ああ、この人は平和主義者なんだな”という気付きは、クロウのどこかずれたコミュニケーション能力を好意的に見せる事に一役買っていた。

 

ちなみにクロウはファビオラの言う通りの平和主義者だ。

ただし、やや過激な平和主義者でもある。

かつて彼は魔族の戦士、カルミラと対峙したときにこの様な言葉を発した。

 

 

「殺されるっていうのは…死ぬ事とは違うと思う。でも今の俺には、それがどう違うのかがよく分からない…心では何となく分かる。でも言葉に出来ないんだ。殺すことには尊敬がない、尊重がない…ああ、違う気がする…何といえばいいのか…とにかく」

 

「俺自身が殺されてみなければ、それは分からないのかもしれない。でも…笑ってくれ、俺は誰かが誰かを殺す事が嫌なんだ。みんな笑顔で自ら死んでほしい。俺自身も笑って死にたい。だから、殺しを増やすような人がいるなら、俺はその人を殺すんだ。おかしいだろ?俺はそんな俺がたまらなく嫌いなんだ…」

 

 

殺しを増やすような人を殺す、つまり魔王を殺す事でみんなが不当に殺される事なく、笑顔で自ら死ぬ世界を実現するため。

勇者クロウは剣を取ったのである。

 

この辺りの感性をファビオラが理解し、受け止める事ができるのであればあるいは彼女の目的も達成できるかもしれないが…

 

 

ヨハンとヨルシカは特に何か言葉を交わすこともなく、無言で歩いていた。

彼らは精神の深い部分で交わっており、互いの精神状態や想いというものを何となく理解しあえる関係なのだ。

 

時折触れ合う手の甲と甲、そこから伝わる互いへの想いはいまさら言葉にする必要はなかった。

勿論あえて言葉にする意味もないわけではないが、少なくともこの場で睦言を言い合うというのは流石のヨハンも出来ない事だった。

 

 

後方からはラグランジュ、ゴッラ、そしてゴッラの肩に乗るケロッパの3人組連れだって歩いている。ケロッパなどは興味津々で暗黒の回廊を観察していた。

 

ランサックとザザは女の話をしており、一口にいって下世話なものだった。ラグランジュなどは彼らの下ネタが癪に障ったか時折後ろを振り向き二人を睨みつけるが、ザザはハナからラグランジュを相手にしていないし、ランサックなどはにやにやと笑うだけだ。二人は別にラグランジュに嫌がらせをしようとしているわけではなく、単に普段通りの会話をしているに過ぎない。

女の話か酒の話か…アリクス王国でも有数の強者二人の会話としては下賤に過ぎるが、それは同時に彼らの精神のタフさを証明してもいた。

 

 

最後にカプラ。

彼女は黙々と一人で歩いている。

 

アリクス国王が抱える諜報部隊の隊員である彼女は進んで殿を務めた。カッスルが先頭、カプラが殿、これは二人に求められている役割を考えれば当然の配置であった。

迷宮探索に造詣が深いカッスルが先行し、冒険者でいう所の上級斥候であるカプラが後方からの奇襲を警戒、さらにカッスルの見落としを防ぐダブルチェックの役割を果たしている。

 

黙然と歩いているように見えて、カプラのアンテナは広範囲に張り巡らされており、周囲の如何なる異変も見落とすまいと気を張っていた。

 

カプラは無口だ。

無駄話はしない。

そして仕事はきっちりとやり遂げる。

彼女はアリクス王国に強い忠誠心があるが、それだけが理由で魔王討伐行に志願したわけではない。

彼女には目的があった。

アリクス王国領内で暗躍する外法の魔術師、アルベルト・フォン・クロイツェルの救済である。

 

 

カプラはかつてアリクス王国の隣国、テーゼル公国で孤児として過酷な日々を送っていた。

テーゼル公国はアリクス王国から自治権を付与されている暗黙上の属国であった。国家元首であるテーゼル公爵…その五代前のテーゼル女公爵が人魔大戦中、下魔将と相討った事による功績として、当時のアリクス国王から自治権を付与されたのだ。

 

カプラはテーゼルの商家の生まれだ。

カプラの生家では化粧品を取り扱っており、特に白粉が人気を博していた。というのも、従来の白粉というのはどれも人体に有害な成分が混入されていたからである。

その点カプラの生家が取り扱う白粉は違った。

値段こそ張るものの、人体への悪影響は無く、むしろ肌の状態が良くなる作用まであった。

発明者は魔導協会所属の三等術師である。

魔導協会の勢力が大きいのはこういった分野にも手が伸びているからであろう。

 

そんなカプラの生家はアリクス王国の貴族と取引関係にあり、家族でアリクス王国を訪ねる事もままあった。

ただの貴族ではない。

公爵である。

 

魅惑の熟女、ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵はアリクス王国のいわばファッションリーダーのような存在である。

流行の化粧、流行の服装、流行の仕草。

そういったものが彼女から生み出されている。

 

だがそれは表の顔で、彼女の裏の顔はアリクス王国の諜報や謀事謀略の第一人者だ。彼女は“月眼”の血統魔術を継承しており、その効果はまるで月から見下ろす様に周辺状況を広範に俯瞰できる様になる魔術なのだが、これは彼女の裏の活動の大きな一助となっていた。単なる視界拡張の魔術ではない。

血統魔術とはその血筋にしか使えない魔術であり、この制限が魔術の効果を大幅に向上させる。

ジョアンナの月眼は月が輝く夜であるならば王都内どころか、周辺諸国にまで範囲が及ぶ。

 

ともあれ、ジョアンナ女公爵は自身の表の顔から来る理由でカプラの生家に目をつけていた。テーゼル公国はアリクス王国の属国のようなものという事情もあって、アリクス貴族であるジョアンナがカプラの生家との取引関係があってもおかしい話ではない。

 

こういった関係もあって、カプラの生家は大きな利益を得て大層繁盛していた。しかしある時、両親を火事で失い、その後親戚に引き取られるも虐待を受け、親戚の家から脱走をする事となる。

以降彼女は街の裏路地や廃墟で生活し、泥棒やスリを行って食べ物を手に入れていた。

 

そんなある日、彼女は一つの出会いを得る。

初めての友人との出会いであった。

 

 

「ねえ、アル。あなたって元貴族様なの?皆そう言ってたよ」

 

ある日、カプラはアルベルトに尋ねた。

テーゼル公国の貧民街で彼らは出会い、知己を得た。

 

といっても出会い方は酷いものだ。

路地裏で飢えで死にかけてるアルベルトに、黴の生えたパンを与えたのがカプラだった…そんな出会い方だ。

ちなみに貧民街では黴パンは十分“食事”といっても過言ではないまともな食物である。

 

アルベルトは正しくはアルベルト・フォン・クロイツェルと言う。クロイツェル伯爵家の嫡男であったが、事情があり伯爵家を出奔している。だが彼には元伯爵家嫡男にふさわしい魔力があり、それをもってすれば貧民街でも暴力なり恐怖なりを以て食料を得る事が出来た筈だ。

 

しかしアルベルトはそれをしなかった。

この時の彼にはまだ貴族の誇りとも言うような青臭いモノがまだ残っていた。

だがそれが彼を苦しめる。

如何に魔力があろうと飢えには勝てないのだ。

そこをカプラが救った。

 

アルベルトもまた施されてばかりではない。

カプラの身体を狙う少女趣味の変態を叩きのめした事もある。

 

二人はそれ以来、知人以上友人以下の様な関係を続けている。

 

「…どうだろうね」

 

アルベルトは俯いたまま答えた。

彼が返答をボカした理由は自身でも何とも判じがたい罪悪感が原因であった。

 

貴族であると認めてしまえばそこに責任が発生すると彼は考えていた。貧民が生まれるのは何故か?貴族が必要以上に搾取するからではないのか?この理屈はある側面では事実ではある。

 

己が好意を抱く少女は何故このような貧民街に堕ちる事になったのか?それは自身の貴族としての不履行が原因の一端を担ってないと堂々と言えるだろうか?

 

明らかにアルベルトの考えすぎなのだが、この時の彼の思考は合理性を欠いていた。

 

「ああー…いや、別にだからどうだって話じゃないよ!単に耳にしただけだしさ、なんか理由があったりなかったりするんでしょ!?っていうかあたしもごめんね。ここじゃあそういうのナシなんだった。みんないろんな過去があるだろうからさぁ。それよりね、この前…アリクス王国の方から人が来てさ、私に会いに。ねえ、何の用だったとおもう?」

 

カプラはにんまりと笑いながらアルベルトに言った。

どうやら良い用件であるらしい、とアルベルトは考え、しかし見当もつかない。

 

「分からない?まあ仕方ないか!ええとね、私が商家の生まれだっていうのは言ったでしょ?その人はね、まだ家があった頃、取引があったアリクス王国の貴族様の使いの人だったんだよ」

 

それでね、それでね、と続けるカプラの話を、アルベルトはどこか寂しさを覚えながらも聞いていた。

彼女はここから、僕のところから去って行ってしまうのだろう、と。

 

「でさ、私はアリクス王国にいって、そのお貴族様の下女みたいなことをすると思うんだけど…良かったら…アンタも来ない?うちの家の下働きだった~みたいなこといえば大丈夫だよ!不細工だけどアンタって真面目だし…」

 

「不細工は余計なんだけどね。でもごめん、僕はやらなければいけない事があるんだ。それが終わってからなら…いいけれど…」

 

「ええ~…?まあそういう事なら深くは聞かないけれどさ。だったら約束だよ!そのやることっていうのが済んだら、絶対にアリクス王国にきて!私はプピラ公爵家っていう所で働く事になるからさ、直接…はまずいか、まあ王都でなら連絡取る方法なんていくらでもあるでしょきっと!だから絶対来なさいよ!…絶対だからね?」

 

アルベルトは曖昧に頷き、去っていくカプラを見送った。

カプラの誘いをアルベルトは断った。

 

やるべきことなどは彼にはない。

なのに断ったのはなぜか。

アルベルト自身もカプラとは別れがたく感じていたのに何故か。

 

これは特に深い理由はなかった。

強いていえば男の見栄のようなものである。

 

いつの頃からか、アルベルトはカプラを異性として意識していた。

気になる異性、カプラ。

だがその相手の自分はどうか?

 

見栄えは非常に悪く、貴族家から出奔したという悪評もある。

そんな負い目を抱えたまま、更にその相手から手を差し伸べてもらう?アルベルトにはそんな事はとても出来なかった。

 

見栄である。

 

気になった異性に対して、男というのは時折愚かな言動をすることがあり、この時のアルベルトにはそういった思春期特有の発作が起きていた。くだらない、そして悲しい、死に至る発作であった。

 

 

プピラ公爵家に引き取られたカプラは暫くは下女としての仕事をこなしていたが、ある日、当主であるジョアンナに呼び出されて彼女の運命を変える衝撃的な事を告げられた。

 

「良い?カプラ。あなたを引き取ってもう大分たったわね。あなたを引き取った理由を教えたいのだけれど、その前に伝えておくべき事がいくつかあるわ」

 

ジョアンナはその細く艶めかしい指を一本立てて言った。

 

「一つ。あなたの両親はわたくしの手の者だったという事」

 

指が二本立つ。

 

「二つ。あなたの両親は火事で死んだとされているけれど、事実はそうではない。彼らは殺されたの。あなたの親戚の手で」

 

指が三本。

 

「三つ。その親戚は今はもう人間ではない。彼らは最初は人間だったけれど、魔族にそそのかされ、その手先となり、そして人を辞めた。尻尾を出すまで相当時間が掛かっちゃったわね」

 

指が四本。ここまで来るとカプラの顔色はもはや蒼白といっても良かった。事故だったからこそ諦めもついたのだ。それなのに…

 

「四つ。あなたは見込みがある。私は外を見る事が得意だけれど、内を視るのも得意なの。私の眼は特別なのよ。だからね、あなたが望むならこの始末、あなたに任せてもいい。別に急いで始末しなくても良いのよ、だから少し余裕があるってワケ。仇、討ちたいでしょう?サルファの。エイリの。あなたの、両親の」

 

まあでも、とジョアンナは続けた。

 

「その、醜く歪んだ悍ましい憎悪に染まった顔を見れば、答えは聞くまででもないわね」

 

 

カプラの訓練は凄絶を極めた。

商家の娘を一端の暗殺者に仕立てるというのは楽なことではない。

カプラには確かに才があったが、その才を更に鋭く磨く為に何度も何度も死にかけた。

応急の蘇生措置で一命を取り留めたものの、実際に死んだ事もある。

 

「あなたみたいな仕事をする者にはね、何か背景がないといけないのよ。復讐心がいいわね。一番扱いやすいから。裏仕事は孤独で過酷、そして報われないものよ。多くの者はそれに堪え切れない。すぐ精神の糸が擦り切れてしまうわ」

 

「でもあなたみたいに復讐心に支配されてる者は、それが燃料となってどれほど過酷な任務でも死ぬまで頑張ってくれるわ。いい?あなたの両親を殺したのはあなたの愚かな親戚よ。でもね、それをそそのかした者がいるわよね」

 

「奴らは狡猾で、そして純粋に強い。あなたは色々な意味で力を身に着ける必要があるわ。憎みなさい。憎悪はあなたを強くする」

 

カプラは鍛えに鍛えた。訓練で、実戦で。

彼女の身体からは既に女の柔らかさは失われていた。

全身が傷だらけで、しかしその傷の分彼女は強くなった。

 

憎悪が人を強くする…しかし、憎悪は無限の活力を与えてくれるわけではない。彼女が“成りかわった親戚”を事もなく殺害したとき、彼女の憎悪に翳りが見えた。

復讐を果たし、ある程度の満足をしてしまったのだ。

 

そんなある日、彼女は再びジョアンナに呼び出される。

 

 

「順調な様ね。“成りかわり”の始末も慣れたものかしら。奴等を探し出すのは私でも少し骨なのよ。中身がすっかり入れ替わるなら視えるのだけれど、寄生型はちょっとね。だから私は、いえ、私たちは王都の各所へ手の者を置いて常に監視しているのだけれど。見逃しはどうしても出てきちゃうわね。それでね、今日は少し残念なお知らせがあるの」

 

カプラはごくりと息をのんだ。

 

ジョアンナという貴族は婀娜(あだ)っぽい振る舞いを好み、その見目も麗しい。しかしその内面は非常に冷酷であることをカプラもこれまでの付き合いでよくよく理解できていた。

ジョアンナが担うのは国内の安全保障、治安維持、情報収集、分析といったもので、これは秘密警察のそれと酷似している。

彼女は国内での問題発生時、拷問、誘拐、暗殺などの非合法手段を取る事もあり、こういった職務が担えるものの性質というのは言わずとも知れる。

 

そんな彼女が残念なお知らせ、と前置くというのは如何にも不穏であった。カプラの神経回路に不穏の粒子が充満し、冷や汗が頬と背筋を伝う。

 

「あなた、貧民街で暮らして居た頃、男の子と仲良かったわよね?」

 

カプラは頷いた。

カプラはいまでもアルベルトがアリクス王国を訪ねにきてくれるのを待っているのだ。

何故アルベルトを知っているのか、とは問わない。

なぜならジョアンナの情報網の前では、カプラの交友関係などは隅から隅まで知っていて当然だろうと思われるからである。

 

「その子ねえ、なぁーんか…魔族との付き合いがあるみたいでね、ちょっと最近悪さが目立つのよね。あなたも知ってるでしょう?最近ロナリア伯爵家とコイフ伯爵家の関係がよくなかった事。それね、あなたのお友達がやらかしてるっぽいのよね。…外法術師って知ってる?それがあなたのお友達の事よ。……もしかしたら…魔族に弱みでも握られているのかも…」

 

ジョアンナは言葉を切り、カプラを観察した。

 

「こ、殺す…んですか」

 

カプラは自分でも意外なほどショックを受けている事に気付いた。

その時初めてアルベルトに対して自身が異性としての好意を抱いていた事を理解したかのような心の震え。

その異性を自身の手で殺さなければならないと思うと、カプラの足は自然と後ずさり始めた。

身体が逃げたがっているのだ。

 

「まあ待ちなさい。殺せってわけじゃないのよ。まだ完全に白か黒か分からないしね。暫く泳がせる…というか、彼はね、私の眼でも捉えられないの。私は大抵のものを探す事ができるけど、彼を探そうと思っても見当違いの方向へ意識が向いてしまうのよ。余程自分自身という存在に対しての意識が希薄か、もしくは最初から私の魔術を知ってて対策を打っているか…どのみちすぐには行動できないわ。だからね、あなたに言いたい事は、彼をもし救いたいと思うのならば、それだけの功績を立てなさいという事ね。要はもっと精進しろという事なの。これまでの功績も立派なものよ、でもね、足りないの。貴族家二家を争わせようとしたり、そういう真似をされてしまうと、仮に魔族にそそのかされていたり、もしくは洗脳されたりしてるだけとしてもね、命を奪う以外の選択肢はないわ。勿論彼自身が既に成り代わられているという可能性もあるわね」

 

カプラは鎮火しつつあった心の火に再び燃料を投げ入れられた。

満足をすれば人は弱くなる。

満ち足りぬ思いこそが人を強くする。

 

ジョアンナは嘘と真を織り交ぜて、カプラを操った。

ジョアンナの中ではアルベルトは完全に黒だ。

行動を追えば、彼の悪意が明確にわかる。

悪意を形と成す為にどういう過程があったのかなど、ジョアンナにとってはどうでもいい話であった。

見つけ次第殺す、それがジョアンナの決である。

しかし足取りを追おうにも途中で途切れ、捜索が進まないのも事実だ。であるなら、最低限利用させてもらおうではないか…というのがジョアンナの考えであった。

 

だがカプラはそれに乗せられ、自棄にも似たひたむきさでひたすら自分を虐め抜いた。

“仕事”も次々とこなし、功績を積み立てていく。

 

それは彼女の最終的な目的の達成という意味では、決して報われぬ努力なのだが、皮肉にもそんな過酷な日々が彼女という刃を鋭く磨き研いだ。

 

 

「カプラ、あなたは強くなったわ。このアリクス王国であなたが殺せない者は極々限られるでしょうね。勿論、私はあっさりあなたに殺されちゃうでしょうけれど」

 

ジョアンナは悪女めいた笑みでカプラに言った。

 

「そんな、私はジョアンナ様に感謝しています!」

 

カプラは常ならぬ様子でジョアンナの言を否定した。

頭からはすっぽりとフードをかぶっている。

これは彼女の仕事の関係上、姿を晒す事は好ましくないのと、それと全身に刻まれた修錬の痕…傷だらけの身体と顔を隠すためという理由があって身に着けている。

 

「あら、ありがとう。それでね。ちょっとあなた。魔王を殺しにいかない?私の駒の中で一番有能なのがあなたなの。それが出来たら、そうね。あなたの友達の命を助けてあげる。少なくとも、私の権限の及ぶ範囲では彼を罰しないと約束しましょう。まあこれは命令ではないわ。嫌々いかれても足手まといになっちゃうでしょうし。あくまで提案だし、断ったとしてもあなたに不利益はないわよ」

 

カプラはその提案を迷うそぶりもなく受ける。

この時点で既にアルベルトは死亡している事も知らずに。

だがジョアンナはカプラを担ごうとしていたわけではない。

ジョアンナ自身もまたアルベルトの死亡を把握できていなかったのだ。

 

なぜならクロウはアルベルトと交戦、殺害した後、それを報告した相手はルイゼだったからである。

ルイゼもその後次から次に起こるちょっとしたトラブル(王都に入り込んだ魔族の殺害など)のせいで忙殺され、アルベルトこと外法術師の死はアリクス王国上層部への報告にあがらずに宙に浮いてしまったという事情がある。

 

ともかくも、カプラが魔王討伐行に志願した理由はこういった背景があった。

 

 

一行は回廊の端まで辿り着き、目の前で渦巻く赤黒い歪みの前に立っていた。

 

「この先が果ての大陸か。さて誰から行く?やはりクロウ、勇者たる君からかな?」

 

魔術師ヨハンが悪戯めいた笑みと共にクロウに言うと、クロウは一つ頷き歪みに歩を進める。

その襟首をヨハンが掴み、ぐいと後ろへひっぱった。

 

「君がリーダーなのだからしっかり判断しなさい。こういう時は一番死に辛そうな奴を放り込むんだ。君もそれなりに使いそうだから剣士としての眼で判断してみるといいな。さて、誰が一番殺すのが大変そうだと思う?」

 

ヨハンの言葉に、クロウはぐるりと周囲を見渡して、その視線がヨハンの前で止まった。

 

「そう、俺だ。俺を殺すのは大変だぞ。何せ首を落としたくらいじゃもう死ねなくなってしまったからな」

 

だから俺がいく、とヨハンは歪みへ足を踏み入れ、そのすぐ後に銀髪の剣士、ヨルシカが後を追った。

 

自己犠牲というわけではない。

ヨハンなりに勝率を少しでも高める為に身を張らないといけない事もあると考えての事だ。

この面子で一番死ににくいのはヨハンであることは間違いはない。

次点でタイランだろうか。

つまり仮に、万が一転移先に致死の罠が張り巡らされていた場合、一番それに対応出来るのはヨハンである事にも間違いはない。

 

“駒を減らさず”魔王の元へ運ぶ事は生還する為の一要素となるだろうとヨハンは考えている。

そのためにはくだらない事で死人を出すわけにはいかないのだ。

なにせ…

 

──ただでさえ全員に死の予感を感じるのだから

 

ヨハンの予感は当たる。

しかし正しい行動をすることで外す事もできる。

これは正しくない行動、適していない行動をすれば死ぬという事でもある。

 

だからヨハンは一見自己犠牲にも見えるような殊勝な真似をした。

仮に僅かでも自身の身を惜しめば、それが全員の死に繋がるかもしれないからだ。

 

 

「まあ君についてこいとは言っていないがな」

 

ヨハンは周囲を見渡して呟いた。

隣にはヨルシカがいる。

 

「何言ったって私はついていくんだからどうでもいいよ…それにしても、私はここ好きじゃないなあ、目に優しくない」

 

ヨルシカはため息をついて言う。

二人の視界に広がるのは地獄という言葉がふさわしい不気味な光景である。

 

地面には細い血管のようなものが張り巡らされ、空は赤黒く、血霧が立ち込めている。風の音だろうか?時折ひゅうひゅうと鳴る音はまるで掠れた悲鳴の様だった。

 

背後で音がする。

ヨルシカが振り向くと、そこには黒色の軽鎧を着込んだ青年がいた。

 

「やあ勇者殿。果ての大陸へようこそ。幸い罠はなく、待ち伏せもなかったよ」

 

ヨルシカが軽い調子でいうと、クロウは小さい声で“はい”と答えた。身体が軽く震えている。

まさかこの期に及んで恐れをなしているのかとヨルシカがぎょっとするが、すぐに違うと分かる。

 

クロウは笑っていた。

震えながら笑っていた。

 

「ああ、分かっているよコーリング。僕の、俺の最後の戦いにふさわしいね。こんな不気味な所で、命をかけて、世界の為に戦うんだ。みんなが俺たちを褒めてくれるだろうね。意味のある死は意味のある生からしか生まれない。大学時代にね、哲学をかじっていた友人が言っていたんだ。その時は俺は何を言っているんだって思っていたけれど、やっと分かったよ。さあ逝こうコーリング、皆。人殺しを殺してしまおう。世界に平和を取り戻すんだ」

 

ぎゃりりりという耳障りな音がクロウの腰の鞘から聞こえてくる。

金属が笑う事があるとしたらこういう音を立てるだろう。

ヨハンとヨルシカは血の大地に佇むクロウの首に腕を回して微笑む黒髪の女性を視た。

 

 




「僕は草むしりの才能があります」:
【Memento-mori】閑話:草むしりを参照

魔族の戦士、カルミラ:
【Memento-mori】2章・第13話:穢れし熊を殺してあげたけれど 以降を参照。
クロウに殺害されている。

アルベルト・フォン・クロイツェル:
【Memento-mori】メンヘラと外道術師①~②参照。
クロウに殺害されている。

ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵:
【Memento-mori】王都の夜参照。
生きている。


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死雨の出迎え

 ■

 

「これはこれは!随分と辛気臭いじゃないか、果ての大陸というのは!地面の赤いのはなんだい?ええと、血に見えるけれど血ではないのかな!匂いがしないものね!じゃあなんだろう?素手で触れるのは少し危ないかな?ウフフ!空も見たまえ、我々が転移門に踏み込んだのは夜更けだ、であるのにうっすらと周囲が見えるのはどういう理屈だい?もう夜明けを迎えたとでも?…ありえる!ありえる話だね、あの暗黒の回廊の距離はせいぜい1000歩といった所だが、その間に外界では夜が明ける程の時間が経っていたという所だろうか?」

 

 転移門から出てきたゴッラ…その肩に座っていたケロッパが地面に飛び降りて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらブツブツと独り言を言った。

 

「頓狂な御仁だな」

 

 そんなケロッパを眺めていたラグランジュは少し疲れたように言う。ラグランジュとケロッパ、ゴッラは合流地点へ向かう際に同じ馬車だったが、どういう因果かなんだかんだで行動を共にする様になっている。

 

 男嫌いのラグランジュではあるが、ケロッパとゴッラに対しては嫌悪感が湧いてこないのだ。

 男性として魅力があるからというわけではなく、ケロッパは研究狂いでゴッラは喋るゴーレムといった感じで、男性性というものを全く感じない事がその理由であった。

 

「セ、センセ。さわったらだめだ、のむのも、だめ」

 

 地面に頭を近づけて、くんくんと不気味な赤い液体の匂いを嗅ごうとするケロッパにゴッラが注意をする。

 ゴッラはケロッパをセンセと呼んでいる。

 この黒い肌の巨漢が膝ほどの背丈しかない小男を尊敬しているのが傍目からも分かった。

 

「術師ケロッパ、先を急ぎましょう。ほら、勇者は既に先に行って…しまっていませんね。きちんと我々を待っている。意外と協調的な性格なのかな」

 

 ヨハンもケロッパを促す。

 視線の先にはこちらを振り返ってぽつねんと佇むクロウの姿があった。どこか所在なさげなその様子は、得も知れぬ庇護感を掻き立てられる。

 そんな彼の姿に思うものでもあったか、ファビオラが小走りでクロウの元へ駆け寄っていった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「勇者様、待っていてくださったのはありがたいですが、一人離れてはなりませんよ。ここはもう敵地、魔族の戦力は大半が侵攻に回ったとはいえ、それでもすっかりからっぽになる事などないのですから…」

 

 お姉さんぶったファビオラが指を一本立てると、それにつられた様にクロウが上を向いた。

 

「ええと、勇者様?そういう意味では…」

 

 ファビオラがそこまで言って、自身もハッと上を向く。

 なにやら不自然な影がいくつも飛び交っているのに気づく。それらは鳥らしきものだが、何かが違うように感じた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 かつてアステール星王国は海を行く船団、そして空を行く船団で果ての大陸を急襲した。

 これらの船団は正体不明のトラブルに見舞われ、そのほとんどが未帰還で終わったが、正体が明瞭であるトラブルに見舞われた艦も僅かながらに存在した。

 

 その正体とは何か。

 鳥である。

 

 ■

 

 その鳥に名前はない為、便宜上“魔鳥”と呼ぶ事にする。

 その鳥は、体長約60cm、重さ約1.5kgほどの中型の猛禽である。濡れたような艶のある黒い羽は金属を思わせるようで、美しくもどこか禍々しい。嘴もまるで闇を塗り固めたような黒色で、魔力を帯びてない状態でさえも安物の板金鎧程度なら容易に貫く強度を有している。

 

 更にこの鳥は果ての大陸全体から放射される得体の知れない何かの影響を受け魔力を扱えるようになったおかげで、色々と無茶が利く身体能力を得るに至った。

 

 約1.5kgの物体が時速約2000kmで降下して来た場合、その運動エネルギーは約251,500ジュールとなり、これは重さ650kgの軽自動車が時速100kmで衝突した時のそれに匹敵する。

 

 こんなものが直撃した場合、魔力がどうとか身体能力がどうとかそういう問題ではどうにもならない深刻な被害が発生する事は自明の理である。

 

 一羽ならばまだ対応できるかもしれない。

 業前優れた者ならば回避も出来るだろう。

 軍艦の類なら何羽か衝突したところで損傷軽微で済むかもしれない。

 

 ではそれが10なら?100なら?1000なら?

 かつてアステール星王国の数個艦隊に深刻な損害を与えた死槍の雨が勇者一行へ降り注いだ。

 

 ■

 

 ──我が手に集うは吹き荒ぶ暴風

 ―――其は報復の刃、フラガラッハ

 

「斬るッ」

 

 ファビオラの左手が深く青い光を放つ。

 蒼光のヴェールが彼女の手刀を覆い、伸長。

 瞬間、幾つもの有機的な幾何学模様の剣閃が宙へ描かれた。

 

 そしてボトボトと落ちる鳥らしき生物の幾つもの死骸。

 

 血統魔術“フラガラッハ”はフラガラッハ公爵家の者にしか使用できないとされている。如何なる鎧も引き裂き、その刃に斬られて出来た傷は決して癒える事がない。

 

 彼女は一応剣士という事になっているが、厳密に言うと魔術師である。一通り剣術は納めている彼女ではあるが、実戦で剣を振れば“フラガラッハ”を喪失してしまう。

 物理的な防御を無意味なものとし、治癒を阻害するという強力な効果を実現するためには、それ相応の覚悟と資格が必要なのだ。フラガラッハ公爵家の血を継ぐ者が資格、そして生涯実剣を振るわないというのが覚悟である。

 

 ちなみに法術に“神聖刃”というものがあり、これは右拳を握り、親指側の方で胸を叩き、まるで胸から剣を引き抜くかのような所作を取りつつ、左手の人差し指と中指で宙に聖印を描かねばならないが、“フラガラッハ”の場合は正統詠唱か、あるいは斬るという意思のみで発現する。

 

 “神聖刃”と“フラガラッハ”は共に光刃を生成する魔術だが、前者の斬撃が光熱による溶断であるのに対し、後者は分子結合を破壊しているという大きな違いがある。

 

(数が、多い!クロ、ゆ、勇者様は!?)

 

 一羽なら当然、それが五羽でも十羽でもファビオラには物の数ではなかっただろう。しかし余りにも数が多すぎた。

 一呼吸でファビオラが斬り落とせるのは数羽に過ぎない。

 だが空から飛来してくる死の弾丸の残弾はまだ何十何百とあるのだ。




2連、1話目


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空の墓場

 ■

 

 クロウは剣を抜くこともなく、降り注ぐ魔鳥を回避していた。

 クロウが躱した鳥は勢い余って地面に衝突し、ドス黒い血の花を大地に咲かせている。

 

 クロウは早々に諦めたのだ。

 空から襲い来るなにかの軌道を捉え、それを切裂くなどという頭のおかしい真似をすることを。

 それは正しい判断と言えた。

 そんな真似は、斬殺の意思を持った瞬間、殺傷圏内の対象全てを斬る“フラガラッハ”の術者であるファビオラだからできる事であって、クロウの様などちらかといえば才能に乏しい者が出来る業ではない。

 

 だからクロウは楽な方法を取った。

 つまり、行きたくなる方向をあえて避けるように身体を動かした。

 

 ──当たれば死ぬ

 

 ──多分、苦痛もなく死ぬ

 

 ──安楽死だ

 

 ──平和への責任を他の人に任して自分だけ楽に、というのは卑怯だろうな

 

 そんなことを思いながら、クロウは意思とは反する方向…つまり、死ぬ方向、死ぬ位置を避けていた。

 時折誘惑に負けそうになって死ににいきそうになるが、その時は不思議と安全な方へ引っ張られるようにクロウの身体が泳ぐ。まるで誰かが彼の手を掴んで、そこは危ないよ、と言っているかのように。

 

 ちなみにクロウとしては“楽にはなりたいが、少し我慢すれば後から豪華なステーキが食べられるというのに、なぜ短絡的にスーパーの細切れ肉なんかで腹を満たさないといけないのだ”というノリである。

 

 ■

 

「妙だな。鳥程度の大きさとはいえ、あれほどの勢いで衝突すれば、とてもではないが立っていられない程の衝撃波が発生する筈だ。なぜ彼らは平気なのだろうか。衝撃を発生させる以前に潰れているからか?死体からは魔力を感じない…死にたてであれば僅かにでも感じる筈なのに。収奪されている…?」

 

 クロウとファビオラの様子を眺めているヨハンが小首を傾げて言う。焦っている様子は微塵も見られない。

 

「ヨハン、君も少しのんびりしすぎだよ。ケロッパさんがいなければ私たちだってどうなっているか…」

 

 ヨルシカはヨハンに苦言を呈し、ケロッパに視線をやってやや疲れたように言った。

 

「まあでも、流石に大魔術師さんだけはあるね…」

 

 ケロッパはどこから取り出したか、自身の背丈ほどの茎付きの一枚葉を取り出し、頭上で振り回しながらそのやや甲高い声を響かせている。

 

「Hulva zintari, morglus vornath, prithal shorun!」(ハルヴァの理よ、モルグルスの呪縛よ、プリサルの解放よ!)

 

 Hulvaというのは、小人族の言葉で、これは簡単に言うと一般常識全般を意味する。

 

 例えば火は燃える、触ると熱い…これがHulvaだ。

 夜は暗くなる、朝は明るい…これもHulvaである。

 酒を飲めば酔うが、酒に強い者は酔いづらい…これもまたHulva。

 

 一つの単語が様々な意味を包括するという事はままあるが、小人族の“Hulva”は特に意味する所が多い。

 

 morglusとは大地であり、vornath…呪縛が付け加えらる事で大地の呪縛…つまり重力を意味する。

 prithalとは天空を意味し、ケロッパの魔術の詠唱文は呪縛を天空に解放するという意味となる。

 

 この意味する所は…

 

 降り注ぐ鳥が空へ落ちていくという何とも奇妙奇天烈な光景が全てを物語るだろう。

 ケロッパは鳥の群れにかかる重力を逆転させたのだ。

 

 いや、逆転というと語弊があるかもしれない。

 彼は大まかに言えば二種存在する力の片方を遮断したのである。

 

「全てのモノは地に引き寄せられる。こんな事は言うまでもない。そういう言うまでもない事を僕らの言葉ではHulvaという。まあそれはいいさ!でもなぜ引き寄せられるのか考えた事はあるかい?教えてあげよう。…僕にもわからない!だが、一つの仮説が考えられる。全てのモノには引き寄せられる力がかけられていると同時に、外へ外へと向かう力もかけられているのだと。でなければ僕らはこの地へ際限なく押し付けられ、皆潰れてしまうよ」

 

 握った葉っぱの傘をくるくると回して、ケロッパが講釈を続ける。

 

「ほら、くるくるまわる僕の葉っぱをみなさい。良い艶だろう?僕のお気に入りさ。それはともかく、表面についた水滴が外へ外へと流れているだろう?これが世界規模で起こっているのさ。なぜ太陽は沈む?そして昇る?なぜ星は位置が変わる?それはね、この世界が回っているからだ。ほら。このように、くるくると」

 

 絶望的な死の雨はケロッパ達の近くまで降り注ぐと、その勢いを反転させ空の彼方へと吹き飛んでいってしまう。

 その力場はケロッパを中心にどんどん広がっていき、クロウ達を襲う鳥の群れにまで及んだ所でほぼ全ての鳥を魔術圏内に捉えた。

 

 鳥は次から次へと空へ落ちていき、それらは対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、外気圏を抜け、暗い昏い空の墓場へと落ち込んでいった。鳥の群れがどこに行ってしまったかはもう誰にも分らない。ただ、生きてこの場所、いや、この星へは戻って来ることができない事は確かだ。

 

「僕らはみな大地へ引き寄せられている、しかし同時に外へ向かう力もかかっている。僕らが二の足でこうして立っていられるのはそれらの力が釣り合っているからだ」

 

 ケロッパの持つ見事な葉っぱはいつのまにかしおしおと枯れていた。そして、あれほどいた鳥の群れもまた一羽残らずどこか遠い空の彼方へと吹き飛んでいた。

 

 空を見上げていたヨハンがぽつりと呟く。

 

「術師ケロッパ。貴方はその釣り合いを崩したのですね」

 

 ヨハンの言葉に、ケロッパはにっこりと笑い、“Hulvaだよ、君”と答えた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 “地賢”

 “雷伯”

 “死疫”

 

 魔導協会には他に2名の一等術師が存在するが、皆が戦闘魔術師というわけではない。

 

 むしろ、傭兵のように戦闘行為を主だって行うものは殆ど居らず、いずれもが政治に携わるか、もしくは学者や教職といった生業に就いている。

 

 皆戦闘などという野蛮な行為が好きではないのだ。

 そんなことよりも調べものをしたり、有り余る権力で欲を満たしたりしたほうがずっと楽しいからだ。

 ただそれは、彼等が戦闘行為を得意としない事を意味するわけではない。

 

 いざ敵を殺すとなれば、魔導協会の最高位の魔術師連中は他のだれよりも大規模に、派手に、凄惨に殺してみせるだろう。

 




2連、二話目


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流血砂漠

 ■

 

 ──素晴らしい

 

 ヨハンはケロッパの業を内心で賞賛した。

 しかし危ういとも思う。

 

「術師ケロッパ、貴方は大分無理をしたように思えますが」

 

 ヨハンが言うと、一同の注目がケロッパに集中した。

 ケロッパの顔色に僅かな蒼が滲んでいる。

 頬もややこけ、憔悴しているのが明らかだった。

 

「…そうだね、まあ大きい魔術を使わなければすぐに回復するさ。適材適所だよ君。僕はああいうのを捌くのが得意だ。なに、僕は確かに少し無理をしたが、こんな場所だ、すぐに君たちもそれぞれ無理をしなければいけない場面が巡ってくるだろう。僕の霊感はそう囁いている」

 

 "それは光栄ですね"とヨハンは苦笑し、軽く一礼してヨルシカと共にクロウ、ファビオラの元へと歩いていった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「そちらも御無事で何よりです」

 

 ファビオラが生真面目に言うと、ヨルシカが手を挙げてそれに応えた。

 

「君たちも。いきなりの歓迎だったね、ケロッパさんが居てくれたから良かったけれど」

 

「ええ、協会の大魔術師というだけはありますわね。…ヨハンさんも魔術師でしたわね、同じ魔術師という視点からみて、ケロッパさんの魔術はやはり凄いものなのですか?」

 

 ファビオラがヨハンに尋ねると、ヨハンは頷いて言った。

 

「既存の如何なる魔術を以てしても、かの御仁と同じ現象を引き起こす事は難しいだろう。というより」

 

 ヨハンはそこで言葉を切り、少し考え込んだ。

 

「アレは魔術なのかどうか。我々魔術師は簡単に言えばこの世界に存在する様々な伝承、逸話から力を引き出す。しかし目的の力を引き出すには扉を開けねばならないし、その扉がどこにあるかを探り当てねばならない。扉を開ける為の鍵が魔力であり、どこにあるかを探り当てる為のカンが知識だ。だが、俺はそれなりに物を知っていると自負しているが、術師ケロッパの引き起こした事象が一体どこから"来た"のか俺には見当がつかないな…あのように、天地が逆になったかのような…」

 

 ヨハンがそこまで言うと、それまで黙っていたクロウが口を開いた。

 

「重力を…逆さにしたのかな、と思いました」

 

 重力?とヨハン達がクロウを見る。

 

 三人分の視線を受けたクロウは心拍数を急速に上昇させ、それが生命の危機と肉体が勘違いしたのか僅かにクロウの身体能力が向上するが、ここでは全く意味がない。

 

 ともかく、つたないながらも重力について三人に説明すると三者三様に一応の理解を示した。

 

「なるほど、そういう事か。それが正しいと仮定すれば、術師ケロッパの為した事は所謂“理法”だな」

 

 今度はクロウ達三人が"理法?"と疑問の表情を浮かべ、ヨハンは彼等に対して簡単に説明をした。

 

 §

 

 魔法は想像力、意志、願望などを魔力を媒介にして実現させる力である。この力は術者の心の奥底から湧き上がる願望を直接引き出し、現実の世界に顕現させる。しかしその本質は自身の魔力と想像力を利用して現実を変えるという純粋な願望の表現である。

 

 一方、魔術は魔法とは異なるアプローチを持つ。

 魔術は術者の力だけでなく、外的な要素、特に世界の伝承や神話から力を引き出す。術者は魔術を通じて世界の伝承に触れ、その中に秘められた力を引き出す。こうした力は古代の神々や英雄の物語、特定の地域や文化の伝承を通じて魔力と結びつき、術者の願望を現実に映し出す。

 

 そして、魔術の亜種とされる理法は、もっとも直接的かつ具体的な手段を通じて事象を操作する力である。理法は世界の摂理、即ち、自然の法則そのものを利用する。これらの法則は全ての物事が従う普遍的な規則であり、それらを理解し操作することで、術者は自身の意志を現実に映し出すことができる。例えば火の本質を理解し、その本質に従って行動することで、術者は火を操ることができる。これは自然科学の理解と魔力の使用を組み合わせた特殊な形態の魔術である。

 

 ・

 ・

 ・

 

「…………雑に説明するとこのような分類だ。似ていると思うか?そうだ、似ている。だが非なるものだ。くれぐれも一緒くたにするんじゃないぞ。特に魔術師の前ではな。過激な魔術師ならばそれを宣戦布告と見做してもおかしくはない。これは脅しでもなんでもない。俺は身近にそういう奴がいる事を良く知っている。そう!ルイゼだ。君たちも良く知るルイゼ・シャルトル・フル・エボンは俺の師で偉大な魔術師だが……」

 

「………その時俺は言った。"師よ、それを知っていたからといって敵を殺せるのですか?"と。すると師ルイゼは言った。"ではそれを試してみましょう"と。次の瞬間、俺は全身の穴という穴から血を噴出し…」

 

「だから…」

 

「つまり……」

 

 ・

 ・

 ・

 

 歩きながら延々と続くヨハンの話は留まる所を知らなかった。

 ヨルシカなどは慣れたものだが、ファビオラはその生真面目な気質が災いしたのか、大分精神的に参ってしまっていた。

 

 意外なのがクロウであった。

 彼はかつて、ヨハンなど足元にも及ばない長広舌の相手の話を聞いていた事がある。それは話というよりは一方的な説教で、しかも酷く理不尽なものだった。

 

 恐ろしい逸話がある。

 以前、クロウがシロウであった頃、そして自律神経をギリギリで失調していなかった頃の話だ。

 当時シロウは中小企業向けの広告代理店に勤務していたが、その企業は一言でいえば典型的なブラック企業と言ってもよく、企業として遵守しなければならないコンプライアンスやモラルは守られず、更には社員たちの人権もまた守られなかった。

 

 シロウは勤怠に関する事で叱責をされたのだが、これもまた理由は酷く、彼は残業をする前にタイムカードを打刻することを忘れてしまっていたのである。結果として膨大な残業時間が記録され、そのことでシロウの直属の上司は叱責を受ける事になった。

 

 朝礼の後。

 彼は上司であるタカハシから他の社員の前で指導という名の痛烈な面罵を浴びていた。

 精神に対する拷問といっても過言ではない面罵によりシロウは失神した。しかし、タカハシはシロウを医務室に連れていくでもなく救急車を呼ぶでもなく、失神した彼に対して延々と説教を続けていたのだ。

 シロウはそれなりに長い間その企業に勤めていたが、自殺をしなかったことは奇跡的といっていい。

 最終的には過労死したが、それはそれである。

 

 残業の請求は社員の権利であり、シロウは全く悪くない事は言うまでもない。そしてあんまりに酷い環境なら退職という選択肢もあったはずだ。だが人間は精神的に摩耗しきってしまうと他に選択肢があるという事を思い出せなくなるのだ。

 この辺りは日に18時間の勤務時間を連続27日ほど続ける事で理解が出来るだろう。

 

 ともあれ、そういうものに比べればヨハンはどんな些細な質問にも答えてくれるし、話自体もクロウの知的好奇心をそそるものであったため、クロウはむしろ積極的にヨハンと会話を重ねていった。

 

 ■

 

「ふう、助かりました…」

 

 ファビオラが疲弊した表情で言う。

 ヨルシカは苦笑しながら彼女を労った。

 

「あはは、まあヨハンの話は長いからね。本当に長いんだ。でも長いだけじゃなくて、彼は説教で悪魔を斃したこともあるんだよ」

 

 それは正確に言えば言葉に大容量の魔力を乗せ、悪魔サブルナックの根源を直撃するという謂わば魂魄破壊攻撃なのだが、ヨハンはそこまで詳しくはヨルシカへ説明をしていない。

 

 悪魔とは神に敵対する存在であり、たびたび魔族と混同されるが全くの別物である。彼等はしばしば地上に顕現し、散々勝手な振る舞いをして自己の欲を満たす。

 欲と一言でいっても、それらは悪魔の個体毎に異なる上、人間には全く理解出来ない範疇の欲を持つ悪魔も珍しくないため、彼等を人間の常識で理解することは困難だ。

 

 また、悪魔たちはかならずしも人間と敵対するわけでもない。

 時には人間と共に歩む事も往々にしてあるのだ。

 

 なお、悪魔が地上へ顕現した際は大抵が分体である。

 本体は人間が言う所の魔界にあり、仮に地上で悪魔を滅ぼした所で時間が経てば再び顕れるだろう。

 

 ただし、彼等の根源…すなわち、存在意義を断てば話は別だが…。

 

 ファビオラはアリクス王国の公爵令嬢であり、最上級貴族として様々な事を学んでいる。そこには当然悪魔に関するものもあり、彼女の常識では悪魔というのは一種の災害のようなもので、それを一個人が滅ぼすというのは火山をせき止めるような無謀な真似だという事を理解していた。

 

「またまた、ヨルシカ様…そのような事を…え?本当ですか?かの悪名高い連盟の魔術師といえども、あ…いえ、そう、連盟の事は存じ上げております。ええと、わたくし、一度連盟の方にお会いしたことがあるのです。といっても随分昔でしたけれど…ミーティス様というのですがヨルシカ様はご存じですか?」

 

 ヨルシカは曖昧に頷いた。

 いつだったか、寝物語に連盟術師 "正義の証明" ミーティス・モルティスの事をヨハンが話したのだ。

 その身に神を宿す少女という話だが、魔王討伐に同行してくれればいいのに、とヨルシカは今になって思う。

 

「それは駄目だ」

 

 だが、そんな思考をヨハンの声が断ち切った。

 

「ヨルシカ、君が何を考えているかわかるぞ。ミーティスが居れば良いとおもっているんだろう?だが駄目だ。なぜなら魔族に僅かでも情状酌量の余地があり、それに対してミーティスが同情してしまえば、彼女はたちまちただの小娘と化すだろう。彼女ならこんな辛気臭い島に閉じ込められている魔族を憐れんでしまうだろうな。フラガラッハ嬢は俺たち"連盟"を狂気的な殺人者集団か何かだと思っている様だが、連盟に属する術師は皆、その辺のチンピラよりも脆い何かを心に抱えている。その脆い部分を突かれればあっさり死んでしまうだろうよ。っと…みろ、渓谷を抜けるようだ」

 

 ヨハンが指さす方向をクロウ達三人が見た。

 渓谷の先にうっすら見えるもの。

 それは、血の様に真っ赤な砂礫が広がる砂漠地帯だった。

 

「…座標がずれたのかもしれないなァ」

 

 後方から追いついてきたカッスルがのんびりと言う。

 

「俺たちは転移してきただろ?本来出るべきじゃない場所にでちまったんじゃないかってことだよ。実際、迷宮ではよくあるんだ。転移罠っていうんだけどよ、踏むとどっかに飛ばされちまうんだ。飛ばされる場所は決まってるんだけどよ、たま~にズレるんだよ。例えば壁の中とかに」

 

 そうしたらどうなると思う?といやに嬉しそうなカッスルを黙殺して、ヨハンは腕を組んだ。

 

「どうあれ、抜けていくしかないのかもな。回り込むにも広すぎる」

 



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"澱み血の魔竜"シルマリア

 ■

 

 金等級冒険者"探索者"カッスルは楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 魔族のねぐらに殴り込みに行けなどという依頼は自殺同然だと理解はしていたが、それでもなお是と応じたのは彼の性分によるものだ。

 

 ──酒を飲むのもいい、美味いメシを食うのも、女を抱くのもいい

 

 ──でもよ

 

 ──俺が知らねぇ場所で、知らねぇものを見る事に比べたらよ

 

 カッスルは酒の席で冒険者達に自身が何を見てきたのか、どこへ足を踏み入れたのかを偉そうに、そしてどこか嬉しそうに語るのが大好きだった。羨望の視線、嫉妬の視線、どんな視線でも構わない、カッスルにとっての既知が他者にとっては未知であることに大きな優越感を覚えるのだ。

 

 彼は生粋の冒険者…いや、探索者であった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「さて、ここからは俺の仕事だな?帝国からは俺の探索者としての経験を活かして皆を先導しろって言われてるからよ。というかよ、クロウ。お前は俺より前に進むんじゃねえよ、罠が張られていたらどうするんだ?こんな砂漠じゃあ何があるかわからねえからな…考えられるのは流砂だが…うん、例えばあの辺だ」

 

 カッスルは砂漠の一辺を指した。

 

「え?流砂っていうと砂が渦巻いて…っていうやつよね?あそこには何もないわよ」

 

 タイランが疑問の声をあげる。

 声こそあがらなかったが、他の者達も同じ疑問を抱いているようだ。

 やがて、ケロッパが何かに気付いたらしい。

 

「ああ、なるほど。何も無さすぎるというわけだね?」

 

「そういうことだな、木も無ければ岩もない。砂漠っていってもな、ほら見てみろ。何もかもが砂ってわけじゃないんだ」

 

 カッスルの言う通り、紅い砂漠地帯の各所には枯れ木や赤黒い色をした植物、頭蓋骨が肥大化したような不気味な形をした岩が鎮座している。しかし、先ほどカッスルが指したあたりにはすっぽり抜け落ちたかのように何もなく、血に濡れたような色をした砂だけが広がっていた。

 

「投げるものはねえかな、手頃な大きさの石でもなんでも…」

 

 カッスルが呟きながらうろうろしだすと、ゴッラが近くにあった岩を殴り砕き、いかにも投げやすそうな石をカッスルへ手渡した。

 

「おお!助かるぜ…って重いな!なんだぁこりゃあ?」

 

 カッスルはゴッラから手渡された石をマジマジと見遣る。

 拳で二、三度叩くと、ひどく硬質な感触がカッスルの骨を伝導した。

 

「これは石っていうより鉄の塊…みたいな感じだな。まあいいか、なあゴッラ。あの辺だ。分かるか?あそこ目掛けてこの石を投げてほしいんだ」

 

 ゴッラは頷き、カッスルから石を受け取り半身の姿勢を取った。

 次の瞬間ゴッラの腕が振り切られ、一握の岩鉄はまるで大砲の弾もかくやという勢いで砂漠へ飛翔していく。

 

 そして着弾。

 砂柱が激しく立ち昇る。

 

 それをみてラグランジュが怪訝な表情を浮かべた。

 

「妙だな、確かに凄い勢いだったがあんなに激しく砂が…いや、す、砂じゃないッ!?」

 

 血の柱のような砂が天に立ち昇っていく。

 だがラグランジュの言う通り、それは砂ではなかった。

 大口を開けた怪物の頭部が砂漠から飛び出し、続いて長大な胴体がうねり狂いながら天に昇っていく。

 

 勇士一行は冷たい汗と熱い汗を同時に触感しながらその様子を見ていた。

 

「おい、おい…こりゃあ…」

 

「龍種か。いや、でかい蛇か?わからん。だがこの威圧感はただ事じゃあないな」

 

 ランサックは慄くが、ザザは沈着冷静といった様子だった。

 その余りの冷静さに一行からいくつかの期待の視線がザザに向く。

 

「おい、ザザ。なんだってそんな冷静なんだ?まさかアレをどうにかできる算段があるってんじゃないだろうな?」

 

 ランサックは言葉とは裏腹に、その態度には一握の期待が滲んでいた。それを見たザザは鼻で嗤って否定する。

 

「そんなわけないだろう。見ろ。…見たか?なら分かっただろう。剣士がどうにかなる相手じゃない。でかすぎる。だから俺の仕事じゃない。魔術師連中が何とかするか、もしくはカッスルやカプラが逃走の手筈を整えるのを期待するんだな。俺が冷静なのは出来る事が一切ないからだ。クロウを見てみろ。泰然自若としているじゃないか。それに比べてお前はなんて情けないんだ。手が震えてるぞ。ビビってるのか?負け犬め。最初に死ぬのはお前だな。醜態を晒す前に今死んだらどうだ?」

 

「お、おま…お前は本当に、ザザ…口も性格も悪い野郎だ、く、くたばれ風俗狂がッ!…だが、そうだな、考えるのは俺たちの仕事じゃないか」

 

 ランサックの視線がケロッパとヨハンに注がれる。

 ザザの容赦のない罵詈雑言がランサックを冷静にさせた。

 ランサックとそれなりに付き合いのあるザザは、彼が強度の被虐体質であることを見抜いていたのだ。

 

 ランサックはルイゼと知り合う前は中央教会に所属し、二等異神討滅官として異端者狩りをしていた。

 しかしある日、運命とも言うべき出会いを得る。

 それがルイゼとの出会いで、彼は崇拝の対象を法神からルイゼへと変えた。神の犬からルイゼの犬になったのである。

 そんな根っからの奴隷犬的気質のランサックは、雑に扱われる事で本領を発揮するという変態であった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 やがて砂海から現れた"ソレ"の全容が一同の視界に飛び込んできた。

 

【挿絵表示】

 

 魔気の迸り著しく。砂漠の色に溶け込むようなダーククリムゾンの鱗は不吉な死の予兆を思わせる。

 身体は長々としており、例えるならば巨大な大蛇だ。

 なにより特徴的なのはその口である。

 あの巨大な暗渠に呑み込まれてしまえば、死ぬ事よりも悍ましい事になる…そんな予感が一同の脳裏を過ぎった。

 

 

 彼女こそが赫々と輝く血砂の砂漠の女王。

 

 ──"澱み血の魔竜"シルマリア




モンハンのミラボレアスが62.9mだそうです。


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樹神

 ■

 

 "澱み血の魔竜" シルマリアは、元よりこの様な悍ましい姿ではなかった。彼女はかつて果ての大陸の中心に広がる巨大な湖に住む水竜であり、彼女の全身を覆う蒼鱗は穢れなき蒼穹を想起させる程に美しかった。この世界のどの湖よりも澄んでいるその場所で、シルマリアは優雅に舞う様に遊泳し、時にはその姿を水面から覗かせて歌にも想える透き通った鳴き声を響かせていた。

 

 いや、彼女だけではない。

 果ての大陸そのものも、かつて…そう、ずっとずっと昔はこの世の楽園と呼ぶに相応しい自然に満ちた美しい場所だった。

 人間もいなければ、勿論魔族もいない神代の話である。

 

 しかしある時、島に()が墜ちた。

 所謂、隕石だ。

 星と大地が接した瞬間、轟音が鳴り響く。

 それが楽園の終焉を告げる音である事を、島に棲む生物達は理屈ではなく本能で感得した。

 

 隕石の衝突から暫く経つと、島の混乱は漸く収まりを見せる。

 だがそれは表面上の事であった。

 

 その日以降、島の動植物の生態系が緩やかに変質していく。

 島で一番大きく、そして美しかった湖の水は血のように澱み、生物の肉体が血を生成するように、血水が血水を生成する。

 そして血水が乾燥することで赤みがかった砂と化し、たちまち周囲を血臭漂う絶望の砂漠へと変えてしまった。

 

 土壌は毒気に侵され、一瞬ごとに拡大する腐敗の波紋は島中に広がっていく。

 

 島のあらゆる生物は、次々とまるで悪夢の中にだけ現れるような奇妙で、そして悪趣味なオブジェのような姿へと変貌してしまう。

 シルマリアもそうだ。

 

 空の欠片のような美しい鱗は、澱んだドス黒い血の様な色へと変容してしまった。

 純粋さと優雅さの象徴の様な美しい姿は一変し、絶望と苦悩の象徴の様な姿となった彼女の怒りと憎しみはいかほどか。

 

 竜種の多くは高い知性を持つ事も珍しくないが、水竜シルマリアも例外ではない。

 

 しかし今となっては彼女の知性は狂気に侵され、歌のような透き通った鳴き声の代わりに不協和音を掻きならしつつ、血砂砂漠に足を踏み入れるあらゆる生物に襲い掛かる魔竜と化してしまった。

 

 ■

 

 シルマリアの胴体が伸び上がり、天に向かって咆哮をする。

 それは聴覚神経の弦をヤスリで削り嬲るような酷く耳障りな甲高い音であった。

 

 血砂が震え、大気に呪詛が拡散していく。

 

竜魔法(ドラゴン・ロアー)かッ!」

 

 ケロッパが声をあげる。

 多分の焦燥と僅かな恐慌の気配が滲んでいるその声は、一行に危機感を持たせる為の警告としては十分過ぎた。

 

「岩でもなんでもいい!物陰に隠れなさい!…いや、それでもッ…」

 

 魔術師には当然ながら得手不得手がある。

 極端な例になると、山を一つ炎で包み込む事が出来ても、樽一つに水を満たす事が出来ない者もいる。

 その偏りの大きさは、特異な魔術を扱う者ほど顕著である事が多い。

 

 この時ケロッパは遮蔽物が欲しかった。

 生半可な遮蔽物ではない、雪崩を支えきる程の強固で大きな遮蔽物が欲しかった。

 なぜならば、もし何の備えもなく無防備に"アレ"を生身で受け止めてしまったのならば、この場にいる者すべての命が吹き消されてしまいかねないからだ。

 

 だが短い時間でそれだけの壁を生成することはケロッパとて難しい。焦りが冷や汗という形をとって彼の頬を伝う。

 

 その時、後方から低い声がした。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ──果てる命、枯れる地に

 

 ──種子は眠り、されど目覚めず

 

 ──古木よ、孤独を厭うか

 

 ──然らば歌え、芽吹きの歌を

 

 ──砕けよ閑寂、溢れよ命

 

 連盟魔術師ヨハンだ。

 

 短刀を握り、自身の髪の毛の一部を切断し、大地へと落としながら歌うように詠唱をしている。

 

 

 

 ────『樹界顕現』

 

 ・

 ・

 ・

 

 アシャラにはこの様な伝承がある。

 

 現在アシャラ大森林が広がっている地は、かつては荒れ果てた地だったという。一面に広がる枯れ地には獣一匹すらも見当たらない。草木は疎らに生えてはいたが、どれも枯れかけていた。

 

 生命の息吹が失われつつあったその地だが、ただ一本の古木だけは違っていた。古木は数百、数千を生き、うっすらとだが自我を宿しさえもしている。これは木に限った話ではないが、植物でも動物でも器物でも、時を経れば経るほど神性を帯びる。

 

 悠久を生きた古木は自我が固まってくるに従って一つの感情を覚えるようになった。

 それは"寂しい"という感情だ。

 

 古木は意を決し、永い時の流れで蓄えた力を使う事にした。

 満天の星の光が荒野を照らすその夜、古木から"力"が荒野へと浸み込んでいく。これは自我を得る前はとうていできなかった事だ。

 

 大地に"力"が十分に行きわたった事を知った古木は、周囲の枯れかけた木々や植物に呼びかける。

 

 目覚めてくれ、と。

 私は力を得た、それを分け与える、だから私を孤独にしないでくれ、と。

 

 古木の願いは正しく大地へと顕現した。

 枯れかけていた木々が目を覚まし、根をしっかりと張り始めた。

 植物たちは種子をまき散らし、荒野に緑が広がっていく。

 それは奇跡の瞬間だった。

 

 星の光が木々を照らし、生命の輝きが広がっていく。

 芽吹きの歌が森中に響き渡ると、もう荒野などはどこにもない。生命の営みが森に息づき、動物たちは安住の地を見つけたとばかりにその地へとやってくる。鳥のさえずりと風のざわめきが森を包み込み、ついに"大森林"が誕生したのだ。

 

 奇跡を齎した古木は、いつしか樹神と呼ばれるようになる。

 

 それが"初めの森"と呼ばれるアシャラ大森林発祥の神話であった。

 

 ■

 

「アシャラの香りだ」

 

 ヨルシカは目を見開いて、目の前の奇跡を眺めていた。

 ヨハンの髪の毛が大地へと触れると、彼の足元を中心に急速に緑が広がっていく。

 その速度は凄まじく、芽がでたかとおもうと目を疑うような速度で成長していく。

 

 そして若木が一本、二本…それらも速度を緩める事なく成長しつづけ、一行は目を丸くしてその様子を見ていた。

 

「だ、大地創生…」

 

 ラグランジュが呟き、口をあんぐりと開けた。

 口の端からは唾液が伝っている。

 

 緑は瞬く間に木立となり、林となり、森というには大分小規模だが、太く逞しい木々が一行を取り囲む。

 

 そして鳴り響く轟音。

 バキバキと木々が圧し折れ、なぎ倒される音が後に続く。

 

 シルマリアの"歌"は極めて広範囲に渡って194デシベルもの破壊的な音圧を拡散させる代物で、それはもはや音ではなく衝撃波という形で対象へ襲い掛かる。

 

 この194デシベルという音圧がどれ程のものか。

 それは約64km離れた場所にいる人間の鼓膜を破裂させ、そしてこの星を三周回って漸く消滅するほどの音といえば分かるだろうか。

 

 人間の聴覚が耐えうる音圧の限度は約130デシベルであり、さらに10デシベルあがれば音が倍になったと体感する事を考えれば、人間が人間である限りは決して耐えうるものではないという事も理解できるだろう。

 

 しかし先だってシルマリアが放った"歌"はヨハンが創生した樹界により大部分が減衰、吸収された。

 

 とはいえ、確かに木には防音の作用もあるが、それで受け止めきれるものだろうか?

 普通ならそんなことは不可能だ。

 

 だがそこには種もあれば仕掛けもあった。

 ヨハンが生み出した木々は、当然の事だが通常のものではない。

 というより、本質的な意味では木ですらない。

 数多生える木々は纏めて一つの心象世界であり、物質界…つまりこの世界の事象で力任せに破るとなると、必要とされる力は幾何級数に跳ね上がる。

 

 心象世界の顕現は魔術の一つの到達点であり、これを為し得る魔術師というのは非常に少ない。

 

 魔術の業前が優れていても相性の問題で決して扱えないという者もいる。例えばケロッパなどはこれを扱う事はできない。

 彼の根源は彼の中にはなく、彼の外にあるからだ。

 だからといってケロッパが劣った魔術師というわけではなく、あくまでも相性の問題に過ぎないが。

 

 ■

 

「ヨハン君は暫く動く事すらも出来ないだろう。そしてあの竜も同じ事をもう一度するには時間を要するはずだ。さて、どうするね?逃げるか、戦うかだ」

 

 ケロッパが尋ねるが、答えは既に決まっている。

 

「逃げるといっても何処へ逃げる?渓谷へ戻るとして、俺たちはすでに見つかっている。あんなものをもう一度撃たれれば、岩が崩れ生き埋めになるかもな。かといってここにこもるか?いつまでもというわけにもいくまい。それなら行くしかないだろうよ」

 

 ザザが物凄く嫌そうな顔をして言った。

 一行の他の者達も異論はないようだった。

 

 そして…

 

「ヨハンさんは十分な事をしてくれました。俺たちも自分の仕事をしましょう。コーリング、いけるね?」

 

 クロウが剣に囁きかける。

 歓喜の不協和音が鳴り響き、それにより心身困憊の極みであったヨハンは失神した。

 

「あっ!ヨハン!!ちょっと!勇者くん!」

 

「す、すみません…」

 

 ヨルシカが慌ててヨハンを抱き起こしながらクロウを責めると、クロウは素直に謝罪する。



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死想剣

 ■

 

 一行は打って出る事に決めた。

 しかし一つ問題がある。

 魔竜シルマリアとの彼我の距離はやや遠間に過ぎるのだ。

 

 ケロッパが一同の前に進み出る。

 その表情には遊びはなく、真剣そのものだった。

 

「選択肢は幾つかある。一つ目は走る。これはお勧めしない。足を砂に取られて、もたついている間に先ほどの魔法がくれば僕らは終わりだ。二つ目は吹き飛ぶ。渓谷で僕が鳥にしたことを見ただろう?僕はまだ回復しきってはいないが、あれをもう一度やる。僕らに対して。吹き飛ぶ方向は真横だ。ただ、吹き飛ぶのはいいが止まる手段がない。あの竜に衝突するという形になる。三つ目は……」

 

 ケロッパの目がクロウに向けられる。

 

「何か、腹案がありそうだね?勇者殿」

 

 ケロッパは静かに佇むクロウから何らかの自信めいたものを感じとっていた。一同の視線がクロウに注がれると、なるほど、クロウの目は"俺なら出来る"という無言の意気込みが込められているようにも見えるではないか。

 

「おい、クロウよぉ、何かあるなら口に出さないとわからねえぜ?」

 

 ランサックがやれやれといった風情で首を振りながら言うと、ザザがクロウを擁護した。

 

「言うな。お前も知っているだろう。クロウは多人数の前だと口が重いんだ。話せたり話せなかったりする。特に今はだめだ。さっき奴の剣のせいでそこの魔術師がぶっとばされてしまっただろう。それを内心気に病んで、後ろめたくて言語能力が落ちている」

 

 ザザの言が本当に擁護かどうかは定かではないが、クロウという男は酷く面倒くさい性格をしているというのは、その場の全員が理解した。

 

「成程、奥手なのですね。して、腹案とは?」

 

 ファビオラはさっとクロウの傍へ寄り、彼の腕にそっと触れた。

 さり気無いスキンシップで自身は味方なのだと暗黙の内に伝えながらも、それはそれとして作戦を聞き出そうとする。

 何度も言うが、ファビオラの仕事はクロウの護衛、不治の剣で魔王に一撃いれる事、そして勇者クロウとの性交、最後に出産だ。

 フラガラッハ家千年の栄華の為に、彼女は色々と身体を張らねばならない。

 

 クロウは質問に答えず、というより言葉で説明する能力を欠くため行動で示す事にした。

 

 コーリングの刃に自身の腕を当て、軽く引き切る。

 血が流れ、クロウは自身の腕の流血に無残で凄惨な死を想起した。

 

「クロウ様、一体何を…は?」

 

 腕から零れる命。

 無意味な流血は無意味な死へと繋がり、無意味な死は誰一人救えない滑稽で愚かなで悲しい未来へと帰着する。

 勇者として期待されてきたにもかかわらず、最低最悪の終わり方。

 人々は嘆き、悲しみ、怒り、憎むだろう。

 役立たずの勇者クロウを。

 

 クロウの頭のおかしい被害妄想は、彼の心を絶望の淵へと追いやり、クロウの精神は現在進行形で急速に死につつあった。

 しかし肉体は違った。

 クロウの肉体は死に抗い、精神の惰弱さを叱咤し、その心身のアンバランスさが大魔力を生産するダイナモとなって轟音を立てながら唸る。

 

「この魔力!君は一体何をするつもりだ!」

 

 ケロッパが怒声を浴びせる。

 一人の才ある大魔術師が、生涯最期という覚悟を決めて、全身と全霊から絞りだす様な暴力的な大魔力が魔術師でもない者から放射されている。

 

 その時、その場にいた全員は不思議な幻視を得た。

 それは様々な種族の様々な者達の様々な一生だった。

 

 ──ロナリア伯、俺を導いてください

 

 クロウの瞳が黄金色に妖しく輝く。

 それはまるで満月の様だった。

 

 ■

 

 次の瞬間、一同は周囲を見まわした。

 特に何も変化はない。

 だが何かが違う。

 

「あら?あの竜は…」

 

 タイランが呆然とした様子で呟いた。

 木立の間から見えるのは見渡すかぎりの血砂漠だ。

 竜などどこにも居なかった。

 

「……私たちをどこへ連れてきた、勇者」

 

 その声はそれまで頑なに口を開かなかったカプラのものだ。

 鈴を思わせる透明で可憐な声は、カプラがまだ年若い少女だという事を示していた。

 

「さあ…。でもロナリア伯は似て非なる世界だと言っています。ここには僕と、そして術にかけられたあなたたちしかいない。とにかく行きましょう。竜の居た場所はあっちですね。移動されると面倒だから…急ぎましょう」

 

 クロウは淡々とカプラに答える。

 カプラは化け物でも見るような目でクロウを見つめていた。

 

 ──ロナリア伯だと?

 

 カプラはその役目柄知っている。

 ロナリア伯オドネイは既にこの世を去っている事を。

 魔族に肉体を簒奪され、狂い、勇者に殺された事を知っている。

 

 ──死者を、嬲っているのか

 

 なんという邪悪な、そして恐ろしい男だと戦慄するカプラ。

 だが同時に頼もしくも感じた。

 邪悪を以て邪悪を制す。

 魔王は恐ろしい存在だというが、中々どうしてこの勇者も邪悪さにかけては負けてはいないようだ、と。

 

 ふと気配を感じる。

 カプラははっと後ろを振り向くと、そこには…

 

「ロ、ロナリア伯…」

 

 年の頃は老境に足を踏み入れたあたりか。

 知性を感じる風貌の紳士が、どこか沈痛そうな表情で一行を見つめ…ふっと消えてしまった。

 

 §

 

 先だってクロウは王都でアリクス貴族、オドネイ・ロナリア伯爵を殺害した。※Memento-mori メンヘラと異形①参照

 

 それは故無き殺害ではなく、オドネイが魔族に成り代わられてしまったからであるが、コーリングにより殺害されたオドネイは魔剣に呪われてしまった。

 

 魔剣コーリングはクロウを愛している。

 それは男女のそれではなく、異形の愛ではあるが、愛は愛だ。

 

 クロウに災いを呼び込み、それが為にクロウが危地に陥ったならば歓喜してこれを排除しようとする。

 

 災いをひきつける癖に、いざ災いが寄ってきたならばそれを決して許さないのだ。

 だから排除するだけでは、殺すだけでは済まさない。

 

 魔剣の呪いは排除対象の魂に刻み込まれ、対象は魂、魔力の形状を魔剣に覚えられてしまう。

 

 覚えられてしまったならばどうなるのか。

 

 魔剣の権能が起動したとき、魔剣は必要に応じて自身が覚えた者達を現世に復元する。

 

 そして“喚ぶ”のだ。

 殺した者の魂を。

 

 喚ばれた者達は、魔剣の権能が働いている間は魔剣が復元した依り代に押し込められ、クロウを守護する為に働かなければならない。なお、これは強制であり強要であり、死者達にとっては苦痛でしかない。

 

 これこそが後世、勇者として恐怖されるクロウの恐るべき奥義、その名も『死想剣(メメント・モリ)』である。

 




クロウは勇者じゃなくて、勇者だって思いこんでるだけです。


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魔竜死闘①

 ■

 

 ここはクロウが故ロナリア伯の魂を通じて顕現させた現実そっくりの心象世界だが、この世界に足を踏み入れる為には術者の瞳を見るという条件がある。

 

 ただ、クロウに疲労感などは見られないというのは不思議な事だった。強力な術には大きな代償が伴うものだが、クロウは平然としている。これはどういう事なのかと言えば、クロウは術者であって術者ではないというのがその答えだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 斬殺した者を魂縛し使役するというのはクロウの能力や魔術ではなく、彼の愛剣"コーリング"の力。愛する主の敵対者を死してなお苦しめようという強い憎悪が死者の魂を縛り苛む。

 

 ちなみに、クロウは愛剣の所業を知らない。

 コーリングの前身は何の変哲もない長剣であり、その時の愛剣には特別な力も意思も何もなく、特殊な素材で作られたものですら無かった。値段相応の性能はあったが、値段以上の性能は無かった。

 

 だがそれでも、クロウはその長剣を大切に扱ってきた。

 物を大切に扱えば何が起こるのか?

 それは、そのものを長持ちさせると同時に、持ち主がある種の愛着を物に抱く様になる。

 

 クロウはいつしか長剣を相棒だとみなすようになり、その思いが長剣に自我の芽を埋め込む事になる。だが、このような事は思いを強くもてばそれが現実となるこの世界でさえ珍しい。

 

 意思を持つ魔剣、聖剣の類は存在するものの、それらは特別な素材を特別な製法で、特別な思いを込めて作られたからであり、いくら大切に扱おうと何の変哲もないただのモノに魂が宿るといったような考え方はこの世界でも奇矯である。数打ちの長剣にも魂が宿るなどと人前で言った日には一笑に付されるだろう。

 

 ただしクロウは、いや、シロウは別であった。

 シロウの元の世界にはアニミズム的な思想が広く根深く存在しており、物に魂が宿るという"付喪神"と呼ばれる存在はその思想の代表的なものだ。

 

 そういった背景、事情が奇跡的にもただの数打ちの長剣に自我の芽生えを与える事となるが、ここで話が終わるならば"喚び声の邪剣"コーリングなどというものが生まれてはいない。

 

 度重なる死闘が長剣の耐久度を削りに削り、長剣はもう剣としての役目を果たす事ができなくなった事が全ての契機であった。

 クロウは王都の鍛冶屋に愛剣を持ち込み、修理を頼み込んだが修理は断られた。というより、もう愛剣は剣としての寿命がほぼ残されていなかったのだ。

 

『……お前さんはよほどこの剣を愛したようじゃの。普通はここまで【声】を出さんわ。…じゃが…ふむ、まてよ…しかし…』

 

 だが鍛冶屋の男は言った。

 或いはどうにかなるかもしれない、と。

 だがそれはマトモとは言えない手段だ。

 元はと言えば魔剣の厄を祓おうとした古代の鍛冶師たちが編み出した技法であり、担い手に厄を齎そうという魔剣を、担い手を護ろうとする献身的な剣を利用して、加護と呪いを相克させるというものだった。

 

『それこそわしなんぞよりずっと前の鍛冶屋はな、剣としては優れて居ても強力な呪詛のせいでまともに扱えないような魔剣を扱えるようにするために、色々頭を捻ったもんじゃ。結局考え付いたのが、火に水をかけるような力業じゃった。要するに、魔剣に抗するものを一緒くたにして鍛造しなおしちまえばいいってな』

 

『普通はそんなもん駄目だとおもうじゃろ?わしも思う。呪いとか守護の力ってのはそういうモンじゃないとおもうんだが…案外これがうまくいってしまったのよ』

 

 そのうまくいってしまった結果がコーリングである。

 クロウは死してなお不死鳥のごとく蘇り、自身へ尽くそうとしてくれるコーリングに感謝とより強い愛着を注いでいるが、愛剣の暗黒面には全く気付いていない。

 死者の魂を使役出来る事も、"自分は勇者なのだから、ピンチになれば色々な人が助けてくれる"くらいに考えている。

 

 実際は安らかに眠っている所を無理やりたたき起こされて、仕事をさせられているといった感じなのだが。

 これは死者に限った話ではないが、寝起きにいきなり頬をはたかれて、全力疾走で数キロ走ってこいと言われたら不機嫌にならない者がいるだろうか?

 

 ■

 

 一行は無言のままクロウの背を追った。

 

 ただ、この場に魔術師ヨハンは居ない。

 彼は意識を失っていた為、クロウの瞳を見る事が出来なかったのだ。だが安全面という意味でいうなら、ヨハンが創り出した森を力づくで破るというのは難しい為問題はない。

 

「…という事だよ、ヨルシカ君。君の恋人はなんだったら我々よりずっと安全さ!だからそんなに心配そうな顔をしないことだね!君が案じる事はあの森に残される彼の安全ではなく、君の、ひいては我々の敗死だ。あの竜は油断ならないぞ!我々が今一人も欠けていないのは、ヨハン君が…術師ヨハンが我々を護ってくれたからさ。分かりやすい様に例えるならば、先だってのあの一撃は、大都市を一撃で木っ端微塵にするほどに強力だった。あんな真似は彼の師であるルイゼでも難しいかもしれない…魔族でも可能かどうか…彼は、人なのかな?」

 

「人間かどうかという意味なら、彼は人間ですよ」

 

 その問いがどういう意図で発されたものなのか、ヨルシカには見当がつかなかった。だがケロッパがヨハンについて詮索するような気配を察知した彼女は、自身の胸の内側を不快の爪が引っ掻くのを感じていた。一行は無言でクロウを先頭に歩を進めているが、皆が無言の空間の中に緊張感が流れつつある事に気付く。

 

「ちょっと!ケロッパ殿、どうにも不躾な気がしますね!私はそういうのは気に食わない!男全般に言える事ですが、自制心というものをもっと養ったほうがよろしいでしょう!男らしさというものは知識をひけらかす事でも、力を誇示することでもありません!男らしさとは耐える力の多寡を言うのです!」

 

 ラグランジュが走りながらぎゃあぎゃあと喚き散らす。

 ケロッパは苦笑しながら答えた。

 

「いやいや、他意はないさ。別にヨハン君が魔族なのかとか言うつもりはない。それに仮に魔族であってもどうでもいい話だ。ただ、あの時僕はヨハン君以外の存在を感じた。それは雄大で偉大な存在だった…人間の身でああいうものを抱え込むというのは余り例がない事なのでね。歴史を紐解けば、自身の器を越えた存在を宿してしまった者はそれなりに見かけるが、彼等は例外なく悲惨な末路を遂げている。老人からのおせっかいな忠告だが、もし知らずに抱き込んでしまったのならば、手放す事をお勧めするよ。やり方が知らないのなら専門の者を紹介してもいい。祓いの達人が知り合いにいるんだ」

 

 種族による生物的格差というものはれっきとして存在しており、人間はどちらかと言えば弱者に位置する種族だ。

 しかし、この生物的強度というものは個体数と反比例している。

 つまり強大な力を持つ種族であればあるほどに子が出来づらい。

 

 ヨルシカはケロッパの発言がヨハンを心配しての事だと理解をしたが、実際の所はとても口には出せなかった。

 "他にも二体くらい居るみたいです"とは流石に言いづらい。

 

 ヨルシカは軽く冷や汗を流し、ケロッパへ礼を言う。

 

「え、ええ。まあ色々あったみたいなんです。でもそのことは彼に伝えておきますね」

 

「誤解だったなら良いのですが。ところであの竜が居た場所はそろそろではないですか?」

 

 ラグランジュがクロウの背を見つめながら言う。

 表情は微妙で、まだ何となく納得していなさそうな様子だったが、済んだ話を掘り返す積りもないようだ。

 

「この後の事は何となく想像できるが、作戦なり立てなくていいのか?」

 

 カッスルが言う。

 恐らくは元の世界へ戻って、いきなり接近戦から始まるのだろうというのがカッスルの予想である。

 しかし強大な竜種相手に無策で挑むというのはありえない話だ。

 この場にいる者達は人類勢力においても有数の実力者達なのだろうが、それでも人は人で、竜は竜だ。

 それをわきまえないのは無謀か、或いは低能というものだった。

 

「いや、作戦はケロッパ殿が考えるはずです」

 

「せ、せんせ。おねがいします」

 

「そうかい。頼むぜ、魔術師先生よ」

 

 ラグランジュ、ゴッラが一瞬で全てをケロッパに投げ、カッスルも他の者達も特に異論なくそれを受け入れた。

 

「…構わないけれど、ちゃんと言う事を聞いてくれよ?」

 

 作戦…作戦ねぇ、とケロッパの思考が雲のように空を彷徨い、形を変えてゆくが、結局単純なものが一番だろうなという事に落ち着いていく。元より急造の隊なのだ。余り複雑で繊細なものよりも、個々の力量に任せたダイナミックで直接的な作戦のほうが良い結果が出るかもしれない。詳細な作戦、綿密な連携…そういったものを事細かに相談し合うというのも一つの選択肢かもしれない。だが、とケロッパは首を振った。

 

 ケロッパは簡潔に作戦を伝える。

 

 ■

 

 やがて一行は血砂が盛り上がって砂丘のような地形となっている場所へと辿り着いた。

 

「ここです。少し待っていてください」

 

 クロウは短く言い、目を閉じてその場に立ち尽くす。

 形の良い耳が僅かに動く。

 その様子は、まるで彼にしか見えない誰かの言葉に耳を傾けている様だった。

 

「ケロッパ先生、準備をしてください」

 

 クロウが呟くやいなや。

 "空"がぱらぱらと崩れ落ちた。

 無数の蒼い破片が宙空で溶け消えていく。

 音も色も感触も、すべてが混ざり合い、融合し、再構成されていく。現実と虚構が交わるその瞬間に、その場に居た者達は生と死を同時に連想した。

 

 ・

 ・

 ・

 

 "澱み血の魔竜"シルマリアの自我は濁りに濁り切っており、かつての澄み切った知性などは見る影もない。だが彼女の絶対強者の竜種としての本能が、惑乱する心へと囁きかけるのだ。

 

 侵入者を排除せよ、と。

 

 だが、今の彼女はその侵入者達の気配を察知して先制攻撃を仕掛けたのはいいが、肝心の侵入者たちの気配が急に消えた事に酷く困惑している。

 

 魔竜シルマリアは盲目だ。

 かつて"星"が全ての元凶だと察した彼女は、"星"を砕こうと隕石が墜ちたと思しき場所へと出向いたが、結果として彼女は自身の両の眼を自身で潰す事を選んだ。

 そうしなければ彼女は彼女で居られなくなってしまうと察したからだ。彼女が視たモノは"星"ではなかった。

 爾来彼女は外界を眼ではなく聴覚で捉えている。

 

 喉笛を掻き切られた娼婦の、か細い最期の断末魔のような声がシルマリアから発せられ、血の砂漠へと広がっていく。

 これは例えていうならば超広域のアクティブソナーだ。

 自ら発した音波が対象物から跳ね返ってくるのを解析して周辺状況を把握する。彼女の理性は爛れおちているが、しかし本能に刻み込まれた"狩り"のやり方を忘れる事はない。

 

 だが反応は何もなく、獲物は恐らく逃げてしまったのだろうとシルマリアが考えた所で異変が起きた。

 彼女は自身の身体の全てに、とてつもない重量の重りを括りつけられたかのような息苦しさを覚える。

 息苦しさは次の瞬間和らぐが、しかしすぐに全身に何かが圧し掛かってくる。

 

 それが何度も何度も繰り返されているのだ。

 シルマリアのクリムゾンレッドの鱗に罅が入り、腐食性の血が周囲へ飛び散った。そしてこの時ようやく、シルマリアは攻撃を受けている事に気付く。

 

 ・

 ・

 ・

 

「実は余力がないんだ。僕はヘトヘトで、暫く休まなければ命にも関わる。だから出来ればこれで潰れてくれるとありがたいなぁ」

 

 シルマリアの前方の空間に何かが浮遊している。

 それは小柄な人影だった。

 

 両の手の人差し指と親指をそれぞれ接触させて、出来上がったのぞき窓の様な三角形内にシルマリアを収める様にして構えている。

 

 "地賢"のケロッパの、渾身の超重力の力場が激浪のごとくシルマリアの巨体に押し寄せていた。寄せては返す超重力の圧が断続的にケロッパから放射され、シルマリアを苦しめている。

 

 竜種と言えどもこの力場に捉えられれば肉は潰れ、骨は砕け大地の染みとなってもおかしくはない。

 当然消耗も大きいが、ケロッパは魔術圏内を絞り、断続的な起動をすることで消耗をおさえている。

 

 だが…

 

 超重力下でもだえ苦しむシルマリアの口が、ゆっくりと開かれていく。

 



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魔竜死闘②~一人帝国軍~

 ■

 

 ケロッパは目を見開き、魔竜シルマリアの評価を上方修正した。まさかこの超重力場で攻撃態勢が取れるとは、彼自身も思っていなかったのだ。現在の魔竜シルマリアは断続的に自重を十倍以上に増加させている。これは筋肉がどうとか、骨格がどうとかそういう理由で耐えられる限度を超えている。

 

(竜の吐息か、竜魔法か。そのどちらかでも犠牲は出るだろう)

 

 ケロッパはそれが自身でない事を祈った。

 それは自身の命を惜しんでの事ではない。

 隊の勝算が大幅に下がる為だ。

 

 その時、視界の端から何かが飛び込んできた。

 ラグランジュだった。

 剣を構えながら疾走している。

 

 その手に握られているのは、彼女の愛剣「月撫」だ。

 冬の夜の、冷たい月光を剣の形にかためたかのような美しい魔剣は、その別名を"銀糸剣"と言う。

 

 アリクス王国に伝わる月割りの魔剣をモチーフに、帝国魔導技術の粋を尽くして鍛造された人造魔剣である。

 魔剣にせよ聖剣にせよ、普通の剣と一線を画す点は逸話や伝承を内包しているかどうかなのだが、帝国が開発した人造魔剣には逸話も無ければ伝承もない。

 

 あるのは魔導科学の理だ。

 視るものが視ればわかっただろう、抜き身の剣身から大容量の魔力が拡散していく様子が。

 

 彼女の人差し指と中指がゆっくりと剣身に触れ、撫でる。

 疾走中という激しい動きの最中であるにも関わらず、彼女の仕草は一種の妖艶さを伴っていた。瞬間、剣身がまばゆく光輝く。これは柄内部に仕込まれた触媒に魔力が伝導し、剣が正常に仮起動した事を示す。

 

銀 花 月 狼(ルプス・プルケル・ホディエ・オステンデ)…起動せよ、帝国魔導"散月陣"!」

 

 詠唱詩は誤起動を防ぐ為のストッパーであり、今それが外された。その瞬間、月撫から放出されていた魔力が一斉に銀糸に変質し、舞い、弾け、シルマリアの全身を斬り刻んだ。

 

 意識は狂していても痛覚は残っていたか、シルマリアは悍ましい絶叫をあげてのたうち回った。

 

 ・

 ・

 ・

 

「あの姉ちゃん、ただうるさいだけじゃなかったんだなァ」

 ランサックが言った。

 

「あの女、煩いだけじゃなかったか」

 ザザも言った。

 

「あのアマ、やかましいだけじゃなかったらしいな」

 カッスルも…。

 

 ■

 

 帝国魔導とは言ってみれば帝国式魔術とも言うべき新しい術体系である。

 

 しかしこれは帝国領内、しかも周囲に帝国軍に属する者が多く存在する場合にしか使用出来ない。

 

 世界には様々な術体系が存在する。

 

 例えば協会式魔術。

 例えば法術。

 例えば連盟式魔術。

 

 それぞれの術体系にはそれぞれの強みや弱みがあり、術界隈の日進月歩は著しい。

 

 そんな中、帝国式魔術…帝国魔導は非常に新しい術体系で、即応性や柔軟性を追及して開発された。

 

 例えば協会式魔術ならば火球を投射する為には、現象を導くための詠唱を必要とする。

 多少文句が違っても術は起動するが、ともかくも詠唱しなければ始まらない。

 

 なぜならば世界中でそう認識されているからである。

 

 対して、帝国魔導は起動の鍵となる文言を一語に集約させた。つまり、火球を出すならば「火球」の一語だけで事足りるのだ。

 

 しかも語と語を組み合わせる事により、個人で新たな術を生み出す事も可能…と非常に画期的なのだが…現状、帝国魔導には大きな欠陥がある。

 

 帝国の、しかも軍という狭い世界でしか通用しない共通認識である為、帝国領外では使用出来ないという事。

 

 そして軍用に開発されてしまった為に、個人使用が出来ない事。

 

 更に、消耗が大きすぎるため求められる触媒の質、量が協会式のそれなどとは比べ物にならないという事。

 

 帝国魔導"散月陣"は最大射程半径50m、剣身から拡散させた魔力を切れ味鋭い銀糸へと変質させ、切断乱舞させる。

 魔力の消費は媒体となる剣が担い、本人は消耗しない。

 連続使用はできないが、剣は空気中の魔力を吸収する為、とりあえず殲滅しておくかという時などには丁度良い。

 

 しかしなぜ、ラグランジュが帝国領外で帝国魔導を扱えるのかといえばそれは酷くあんまりな理由であった。

 

 ■

 

「これぞ我が帝国の技術の粋!!我が身に宿る忠義の光、そして帝国の叡智の極光がこの暗黒魔界を遍く照らすだろう!我はここに誓う!この地に蔓延る邪悪を悉く滅し、果てに大陸なる蛮地を浄化し、我が敬愛する主へと捧げる事を!邪悪な魔族の飼い竜よ!帝国を恐れるならば神妙に我が下へ降るべし!」

 

 要するにラグランジュは帝国の命を受けて侵攻したこの地は既に帝国領土だと考えており、軍中にあってしか使用できないという制約も多対個という状況なら適用できると強く信じていただけなのである。

 

 この強烈な思い込みはラグランジュの人格形成に歪みを与えており、彼女は友達一人いないし、当然恋人もいない。

 

 それだけ聞くと、ちょっと残念で可哀そうな女性なのかなと思うかもしれないが、そんなに可愛いものではない。これはただの思い込みではなく正しく狂信であり、皇帝の為なら無辜の民を罪悪感なく一顧の疑問の余地なく虐殺できる程の忠誠心が無ければ術式の適用範囲を拡張などは出来ない。

 

 ただし、彼女の戦闘能力は折り紙付きであり、それゆえに魔王討伐隊に選ばれたという背景がある。




『月撫』(つきなで)

不死殺しの魔剣を真似っこしようとおもったが、不死を殺すという事の意味がよくわからず、とりあえず強力な再生能力がある相手と言えども全身をバラバラにしてしまえば復活はできないだろうという考えの元考案された兵器。銘の由来は『体毛』。月魔狼フェンリークのふさふさの体毛が周辺に散らばっているというイメージ。ふさふさの体毛なら撫でるという安直な連想から命名された。


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魔竜死闘③~突撃、斬撃、雷撃~

 ■

 

 ラグランジュは生きた嵐といっても過言ではなかった。

 彼女から発された広範囲に及ぶ斬撃は、全方面からシルマリアを斬り刻む。これは銀糸剣『月撫』の力ではあると同時に、ラグランジュ自身の力でもある。

 

 帝国魔導技術により作り上げられた兵装は基本的には汎用兵装であり、帝国軍人なら誰でも扱える。

 しかし極々少数だが個人用に調整された兵装も存在しており、『月撫』はその内の一本だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ケロッパの作戦というのは、作戦というのも烏滸がましい単純で暴力的で短絡的な、言ってみれば "方針" 程度の大雑把なものであった。

 

『短い間ならアレの動きを止められると思う。その間に出来るかぎりの攻撃で斃しちゃってよ。出し惜しみは無しだ』

 

 酷く雑だが、悠長に作戦を立てている暇などはなく、相手の事も何も知らなければこんなものだろう。

 発言の通り、ケロッパはシルマリアの動きを抑制し、ラグランジュが初手から大技をくり出した。

 

 しかしまだ、シルマリアは生きている。

 

 ■

 

 全身を苛む激痛。

 とてつもなく重く、巨大なものに圧し掛かられている不快な感覚。

 

 それらが"彼女"の意識を覆う発狂の薄布を引き裂いていく。

 極まった苦痛によって冷静さを取り戻すという事はままある。

 

 しかし、彼女…シルマリアの場合、狂気が減じたからといって正気を取り戻すわけではない。

 なぜなら彼女の正気はとうの昔に変質してしまっているからだ。

 

 シルマリアが喉を震わせる。

 

 ケロッパはそれに気づき、すかさず重力波を叩き込むが数瞬遅い。ケロッパは自身の背に氷塊が滑り落ちるのを感じた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ラグランジュの初手に続く形でクロウ、ザザ、ランサック、そしてファビオラのアリクス王国の四人組が攻撃を仕掛けていた。

 

 基本的にクロウが突っ込んで、後背からはザザとランサック。ファビオラはクロウと並走している。

 

 彼等の視線の先には苦痛でのたうち回るシルマリアがいる。

 蛇の様な尾が縦横無尽に振り回され、恐るべき質量攻撃となって勇士達を襲うが、ここで簡単に直撃するようならば彼等は魔王討伐の刺客として選定されてはいない。

 

 唸りをあげて振り回される尾撃を悉く躱し、クロウ達は小さな傷をシルマリアを刻みつけていく。

 

 問題もあった。

 シルマリアの血液だ。

 彼女の血液は強アルカリ性と言うだけでは全く表現しきれないほどに強い腐食性を有している。

 

 故に一般的な金属製の武器が彼女の肉に食い込むと、その武器はたちまちに腐食してしまう。

 これは当然人体にも作用し、自身の手を剣と変じるファビオラのフラガラッハなどは非常に相性が悪いと言えた。

 

 ファビオラは血統魔術の制約で普通の剣を振るう事ができないため、基本的な協会式の魔術で子供だましの火球などを放っているが、気休めの域を出ないというのが実際の所だ。

 

 ■

 

 シルマリアも苦し紛れに暴れ、尾がめちゃめちゃに振り回されるがクロウ達には一撃も当たらない。クロウ達はシルマリアからの攻撃を見事に回避していた。優れた戦士は五感の全てを防衛機構として活用しているのだ。

 

 まずは視覚。

 戦士は視覚を使って敵の動きを把握し、瞬時に反応する。

 敵が剣を振り上げる瞬間、その動きを予測して一歩早く回避する。目は第一の防衛線だ。

 

 次に聴覚。

 それは森の中の鳥が枝から枝へと飛び移る音を聞き取る猟師のようなものだ。戦士は耳を使って目で見えない敵の存在を感じ取る。足音、息遣い、剣が空気を切る音。

 これらすべてが戦士にとって重要な情報源となる。

 

 触覚はまるで川底の石を感じる魚のようなものである。

 鎧が敵の剣と接触した衝撃、地面が足下で揺れる感触。

 これらは戦士が即座に反応し、適切な防御を行うために必要不可欠な情報だ。

 

 味覚と嗅覚はあまり一般的な防衛機構とは思えないかもしれない。しかしそれらは周囲の環境を理解するのに重要な役割を果たす。戦士は舌で空気の味を感じ、鼻でその変化を嗅ぎ取る。たとえば、煙の匂いが鼻を突くとき、それは火を使った攻撃が近づいている可能性を示す。

 

 だがそのうちの一つが失調すればどうなるか?

 勿論優れた戦士ならばすぐさま対応するだろう。

 しかし一瞬、ほんの僅かな間、態勢を崩す事は避けられない。

 優れているからこそ小さな不調が全体へ波及という事もままあるのだ。

 

 ■

 

 戦場から一切の音が消失した。

 風の音、剣戟の音、シルマリアがのたうち回る音。

 何もかもが消えた。

 

 優れた戦士だからこそ周辺環境の変化に敏である。

 そして、敏であるがゆえに勇士達はほんのわずかな一瞬、瞬きの数十分の一程度の隙を晒し、その隙がシルマリアを大いに利した。

 

 シルマリアから発された不協和音が破壊の音律となり、ケロッパを吹き飛ばす。ヨルシカ、カッスルなど機動に優れる剣士たちも激しい衝撃をその身に受けて吹き飛ばされる。

 

 小規模の破壊的(ハイパー・)超音波(ソニック・ウェイブ)である。

 小規模とはいえ殺人的だ。

 魔力で身体能力を強化していない標準体格の成人男性がこれを受けた場合、上半身は丸々吹き飛ぶか、あるいは頭部だけでも残っていれば御の字だろう。

 

 地面が爆ぜたかのように砂煙がいくつもあがる。

 一瞬生まれた空隙。

 

 すかさず振るわれる尾撃がクロウ達に迫る。

 躱す猶予は無い。

 クロウ達は直前まで攻撃の予兆すらも感じ取る事ができなかった。完全無音の空間がクロウ達の五感の一つを失調させ、その急激な失調が迅速な対応を阻害したのだ。

 

 

 超新星爆発の様に膨れ上がっていく希死念慮に、クロウは自らの死を予見した。全身の毛穴が開き、死に瀕する事で全身に魔力が流れ込む。

 

 激しい踏み込みが砂の大地を爆裂させ、ザザとランサックの前に飛び出たクロウは、その勢いのままにコーリングを振り切ってシルマリアの尾を断切しようとする。

 

「クロウ様!!!」

 

 ファビオラの悲痛な声が響いた。

 

 質量の差はいかんともしがたく、斬撃は押し切られ、クロウは全身の骨格がバラバラになるほどの強烈な痛撃を受けて吹き飛ばされてしまった。

 

「わたくしが!」

 

 ファビオラが叫ぶ。クロウの救護に向かおうというのだ。

 彼女はこの場、この相手に自身が戦力外であることを自覚している。フラガラッハは強力な魔術であり、シルマリアの強靭な竜鱗を切裂く事も可能だが、シルマリアの強力な腐食性を持つ血液がファビオラの腕を溶かしてしまうだろう。

 

 ザザとランサックは顔を見合わせ、頷き、再びシルマリアに踊りかかった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 狂気が晴れたシルマリアはそれまでとは違っていた。

 正気を凶気へと変質させたシルマリアは、狂った精神ではとても出来ない繊細な魔力操作を用いる様になった。

 

 "それ" の原理は「波の干渉」に基づいている。

 音は波として伝播するが、波は互いに干渉することができる。シルマリアは周辺の音へ逆相の音をぶつけ、それらは打ち消し合い、結果として無音が生まれるのだ。

 

 狂気ではなく怒気を込め、シルマリアの意識がラグランジュへと向く。シルマリアに視力はないが、彼女は音波を利用した索敵手段により周辺状況を常に把握している。

 

 ラグランジュは剣を構えるが、銀糸剣は先ほどの術式起動により自慢の帝国魔導をくり出す事ができない。

 

 ゴッラとタイラン、カプラは殺気の矛先がラグランジュへ向いた事を知り、ゴッラとタイランは仲間を救う為に、カプラは火力役の喪失を危惧して彼女を護ろうと動いた。

 

 しかし、シルマリアは狡猾であった。

 先だってケロッパを吹き飛ばしたソニック・ウェイブが勇士達の足下の砂を更に細かく砕き、足元を更に不安定なものにしていたため、ゴッラやタイランは足を取られて素早く動けない。しかし身軽さを身上とするカプラはまるで砂の上を滑るようにしてラグランジュの元へと向かう。

 

 だが

 

「来るな!」

 

 ラグランジュの厳しい声がカプラを押しとどめた。

 

 ■

 

 シルマリアが大きく口を開け、ラグランジュへ突進する。

 迫る暗渠を睨みつけるラグランジュの時が引き延ばされていく。

 

 致命の危機をどの様に切り抜けるか。

 逃げるか、斬り掛かるか、あるいは口内へと飛び込んで体内で暴れてやるか。

 

 ラグランジュには様々な選択肢があったが、この時彼女の脳裏に浮かんだのは生き残る為の方策ではなく、過日の悪夢であった。

 

 ラグランジュがまだ少女だった頃、彼女は悪夢の中に生きていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 薄暗い納屋、伸びてくる手。

 下腹部に走る痛みは快感とは程遠い。

 顔を撫でる生臭い息、圧し掛かってくる熱く分厚い肉の塊。

 その全てが厭だったが、何より厭なのは "それ" が実の父親だという事実だ。

 

 やがて豚の様な声で果てる父。

 浸み込んでくる汚濁が、私の肉体のみならず魂までもを穢す。

 

 ・

 ・

 ・

 

 厭だな、とラグランジュは思った。

 

 ──怪物の胃の中でジワジワと消化されて死ぬのだろうか?それは苦しそうだ。…厭だな

 

 極限の集中力が彼女の時を引き延ばしている。

 しかし意識ばかりが加速した所で、その速度に肉体がついてくるわけではない。

 

 彼女は強気であり勝気であり、男の前で弱音を吐くくらいならくたばった方がマシだとも思っている位だが、それでも迫りくる竜の顎から逃げられるとは思えない。

 

 恐らくは死ぬのだと彼女は納得し、しかし帝国の騎士として一矢報いないでは居られないと剣に魔力を込める。

 帝国魔導は起動できなくとも、魔力を伝導させ切れ味を増幅させることは出来る。

 

 カプラを押しとどめたのは犠牲を一人で済まそうという判断だが、それが自己犠牲の精神でない事は彼女自身が良く知っている。本心では帝国臣民ではないカプラなどは仲間とすら思っていない。

 

 ──なら、なぜ…。ああ、そうか

 

 ラグランジュは感得する。

 結局、自分は誰にも期待などはしていないのだ、と。

 

 ──あの時、私は自分の手で父を殺した。そして、帝都へ逃げて、逃げて…

 

 ──幼い頃は自分の手で運命を切り開く事が出来た。しかし、今回ばかりは無理らしい

 

 ラグランジュは、苦い思いをかみしめて目を閉じると、抑揚のない中年男性と思われる低い声が聞こえてきた。

 

 ――ジ・カカネグイ・フォル・ネ・エルバ

 

 ラグランジュがうっすらと目を開くと、周囲には無数の細やかな氷片が舞っていた。氷は互いに擦れ合い、静電気が発生している。これはそれらを束ね合わせ、制御空間の何処からでも雷撃を放つという大魔術。

 

 ――冰刺雷葬陣

 

 迸る雷撃にシルマリアごと巻き込まれて後方へ吹き飛ばされた。

 

 ■

 

 それは故オドネイ・ロナリアが得意としていた大魔術だ。

 白銀の雷条が周囲に炸裂し、乱舞する。

 そして、雷の嵐の中心に誰かが立っている。

 それは…

 

 勇者、クロウ。

 

 両眼は爛と輝き、その異様な眼光はまるで大量の上質な薬物を摂取したかの様だった。

 

 彼は怒っているのだ。

 殺されかけたのはともかくとして、仲間が殺されそうになったという事は心優しいクロウの逆鱗に触れるに等しい。

 

「ぐ、う、な、なにを…」

 

 ラグランジュは全身を雷撃に撃たれ、ボロボロになりながらもかろうじて立ち上がってきた。表情は険しい。

 いきなりクロウに攻撃されたのだから怒るのは仕方がない。

 立て続けの雷撃が一撃のみならず、二撃、三撃とラグランジュとシルマリアを撃ち据えたのだ。

 

 とはいえ、今は彼女も動顛しているから気付かないだろうが、冷静になって考えれば自身がクロウに助けられたという事が分かるはずだ。

 

 そんなラグランジュを視界の端で捉え、クロウは淡々と言った。

 

「俺一人では余り長くはもちません。皆で力を合わせなければ。俺が時間を稼ぎます。皆と準備を整えてください。…でもあなたをそんな風にしたあの竜には」

 

 ──俺が、少しやり返しておきますから

 

 爆発が起きた。

 いや、クロウが飛び出したのだ。

 雷を身に纏い、凄まじい速さでシルマリアに突撃を仕掛けた。

 突撃、斬撃、雷撃の三動作が一瞬で行われ、シルマリアは苦痛に満ちた咆哮をあげる。

 

「わ、私をこんな風にしたのはお前だが…」

 

 ラグランジュがぽつりと呟く。

 



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魔竜死闘④~終戦~

 ■

 

 雷を纏い、縦横無尽に剣を振るうクロウはまるで戦いの神の様でもあった。刃を振るう度に、蒼氷と金雷の花弁が咲き乱れる。

 

 さしものシルマリアもこれは堪らぬと感じたか、クロウに対して不可視の音撃を放つも当たらない。

 

 クロウの身体能力が如何に優れているとはいえ、音波を視認できるほどには人間を辞めてはいないし、音の速さを上回る程には素早くない。しかし当たらない。

 

 クロウに音波は分からない。

 だが殺意なら分かる。

 射精寸前のように脊柱を這いのぼる戦慄が、クロウの死に場所はここだと教えてくれるのだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 クロウはゾクゾクする感覚をレーダー代わりにして、足を止める事無く剣を振るいシルマリアを翻弄した。

 

 完全に被弾を防げたわけではない。

 小さい音の散弾を躱しきれない事も多々あった。

 だがクロウは、というよりクロウの肉体は死に近づいたと認識すると、魔力の生産量が指数関数的に跳ね上がり、その分だけ身体能力を向上させるのだ。

 

 傷つけば傷つく程に彼は強くなる。

 それはこの世界で生まれ、育った者なら困惑する感覚かもしれない。

 確かに命が肉体から零れつつあるのに、魂のそこからジクジクと力が湧いてくるのだから。

 だが自身の在り様に疑念を抱けば "力" はたちまちに雲散霧消してしまうだろう。

 

 しかしクロウはそんな自分の在り様に一切の疑念を持たなかった。前世の経験がモノを言っているのだ。

 傷つけば傷つくほど、つまり勤務をすればするほど体の底から力が湧いてきて、何時間でも残業出来る様に錯覚する感覚をクロウは知っている。

 知っているからこそ疑念を抱かない。

 疑念を抱かず、"そういうものだ" と心から信じているのなら、この世界はその思いに応えるのだ。

 

 正統勇者が光神に選定された者だとするならば、クロウは確かに正統勇者ではない。

 しかし世界のシステムに無意識のうちに順応し、世界から力を引き出す彼は、世界に選ばれた勇者と言えるかもしれない。

 

 ■

 

 ──重剣・石衝

 

 大上段からコーリングが振り下ろされる。

 これはザザの秘剣の一つで、脱力して剣を振り、インパクトの瞬間に満身の力を籠める事で自身の体重をそのまま剣に乗せるというものだ。受け太刀などをしてしまうと弾きとばされてしまう程に衝撃力を増加させる。

 

 クロウ自身はどちらかと言えば芸がない前衛剣士だ。

 力と速度で物理的に圧する戦闘を得意とする。

 だが業がない訳ではない。

 

 下魔将オルセンに敗北ぎりぎりまで追い詰められた時、このままでは魔王を斃す事が出来ないと考えたクロウは、アリクス王国金等級冒険者 "百剣" のザザに師事した。

 極東出身のザザはその異名の通り、百の秘剣を操るとされる技巧派の剣士である。

 

 ではザザの一応の弟子であるクロウもそうなのかといえば、ザザの説く剣理をやや曲解してしまったりとおっちょこちょいな所があった。

 

 クロウはザザに習った通りにこの秘剣を振るった。

 脱力して剣を振り、インパクトの瞬間に満身の力を籠める…そう、クロウは満身の力を籠めたのだ。

 膂力ではなく、魔力も何もかも。

 

 コーリングの剣身を真っ黒い、見ているだけで死にたくなるような憂鬱な魔力が包み込み、シルマリアの暗赤色の鱗に叩きつけられた。

 

 余力を一切考える事なく注ぎ込まれた大魔力が爆性を帯びた殺意に転換され、巨大な爆発が起こる。

 

 飛び散る肉片、触れれば爛れる魔血!

 

 ゴッラが飛び出し、タイランとカプラの前に立って両手を広げた。皮膚を焼き、肉を溶かす爛れ血はしかし、ゴッラの鉄肌には通じない。彼の肌は魔力が伝導すればその強度は更に増すという性質がある。これは彼の生物学上の父親である "赤角" と呼ばれる大鬼の角と同じ性質だ。

 

 かつて "赤角" は、この角でもってクロウの剣撃を弾き飛ばした事もある。ゴッラは角を持ってはいないが、その肌には確かに父である"赤角" の面影があった。

 

 タイランとカプラはゴッラに護られた。

 ケロッパは吹き飛ばされて行方不明だ。

 恐らくは砂に埋まっているのだろう。

 だが、消耗で動けないラグランジュはどうなるのか?

 

 今度こそ年貢の収め時かと諦念の観にあったラグランジュは、しかしいまだ悪運が尽きてはいなかったらしい。

 ヨルシカとカッスルが素早くラグランジュに駆け寄る。

 

 ヨルシカにせよカッスルにせよ、仲間を護ろうなどという殊勝な気持ちは無いが、ラグランジュの火力は捨てがたいと考えていた。ただの一人が死んだとしても魔王討伐は困難になるだろう、そんな思いが二人を走らせた。

 

「間に合った!が、や、やべえな糞!見捨てればよかったぜ!」

 

 カッスルが酷い事をぼやき、だが逃げたりせずにラグランジュに肩を貸している。ラグランジュは喚き、捨てていけと暴れるがカッスルはラグランジュの体の関節各部を巧妙に抑え、動きを封じていた。それだけではない。

 

「黙れ!考えさせろ!」

 

「ぐっ…!」

 

 カッスルがラグランジュの尻を激しく引っぱたく。

 常人ならば尾てい骨が粉砕されているだろう。

 言葉で言う事をきかせられないなら、尻で言う事をきかせるというのは冒険者として当然の振る舞いであった。

 

 しかし魔竜の血が雨となって三人へ降り注ぐ。

 そのままボウと突っ立っていれば三人はたちまち見るも無残な爛れた肉の塊になってしまうだろう、焦るカッスル。

 竜種の胴体をぶち抜ける必殺の突きを放てる彼でも、降りしきる致死の魔雨をどうにかすることはできない。

 ちなみにシルマリアに対しては、そもそも接近自体ができなかったので突きの出番は無かった。

 

 だがヨルシカの方を向けば、彼女の表情は落ち着いたものだった。ヨルシカには一つの考えがあったのだ。

 

『アレが、血なら』

 

 飢血剣 "サングイン" が赤い軌跡を描いて振るわれる。

 エル・カーラの魔技師、ミシルが作り出した悪趣味なこの魔剣は、敵手と自身の血を吸い、それを触媒として担い手の身体能力を向上させる。

 術師ミシルは帝国魔導技術の開発にも深くかかわっており、ヨハンの術腕やサングインなどはその技術の一端で作り出された試作品の様なものだった。

 

 そして、ヨルシカの考えは功を奏する。

 降り注ぐ魔血はサングインの剣身に触れるなり剣に吸い込まれてしまった。

 

 ヨルシカは反動に備えた。

 サングインは血液を力へと転換する。

 血は燃料のようなものだ。

 

 だが、血なら何でも良いというわけではない。

 例えば路地裏の薬物中毒者と彼女の伴侶たるヨハンの血液ならば、どちらがよりヨルシカを高めるかといえば当然後者である。

 

 では竜血はどうか?

 彼女の深紅に染まった双眼がその答えだ。

 ヨルシカの瞳は紅く輝いていた。

 魔力が瞳から漏れ出しているのだ。

 

「お、おい、アンタ…。理性はあるのか?というか、巻き込まないでくれよ…何をするのか知らないが、厭な予感がするんだ…」

 

 カッスルは探索者として多くの迷宮を踏破してきた。

 悍ましい魔物たち、恐ろしい罠の数々。

 それらを直観と経験と運によって乗り越えてきた彼だが、その直観がこう告げている。

 

 "巻き込まれるぞ" と。

 

 ──弾け飛ぶ砂塵、赤い残光

 

 ヨルシカは双眼に紅光を宿し、宙空に流星の、不吉な尾のような軌跡を残しながらその場から消えた。

 いや、消えた様に見えるほど爆発的な速度でシルマリアへ突撃を仕掛けたのである。

 

 ヨルシカが飛び出すと同時に発生した衝撃波がカッスルとラグランジュを襲い、二人の肉体は相応に痛めつけられた。

 カッスルはラグランジュを護るように覆いかぶさるが、余り効果はない。二人は弾き飛ばされ、ごろごろと転がって仰向けに寝転び、大きく息をついてシルマリアの方を見る。

 

 紅い閃光…いや、間欠泉のように濁った血が空へ向かって噴き出しており、紅い魔竜が酷く悲しい声で啼いていた。

 

「おれはよ」

 

 カッスルが呟くと、ラグランジュがぼんやりとカッスルを見つめる。

 

「魔王とやらを斃す前に、仲間に殺されそうな気がする。巻き込まれて。今は小指だが、次はきっと腕だ。その次は足が折れるだろうな」

 

 そんな事を言うカッスルの視線は、自身の左手の小指に向けられている。ラグランジュが視線を追えば、カッスルの小指は明後日の方向を向いていた。

 

「最後に折れる場所はどこだ?」

 

 ラグランジュが尋ねると、カッスルは自身の首を手刀でぽんと叩いた。

 




※重剣・石衝

Memento-mori メンヘラと外道術師①参照。
ザザがわけわからない事言っていますが、後から読みかえしてみると作者にも何言ってるのか理解ができませんでした。なので突っ込みはしないで下さい。


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魔竜始末

 ■

 

 ヨルシカの総身が竜血による魔力に満たされ、彼女は思いのままに力を振るった。剣の一振り、足の一蹴りが音の壁を叩き割り、その衝撃力はヨルシカ自身の肉体とシルマリアの竜体を血霞へと変えた。

 

 肉体が耐えきれずに、攻撃の度にヨルシカの肉体は崩壊してしまう。だが、崩壊の瞬間に再生する為問題はない。

 

 一時的にせよ竜の魔力を取り込み、肉体を強化するというのはただの人間には出来ない。それができるという事は、ヨルシカという女性はもはや人間ではなくなってしまった事の証左であった。

 

 だがヨルシカはそれならそれでいいと割り切っていた。

 両親から貰った体が別種のものになってしまった事への仄かな罪悪感はあるが、それよりも大事なものがあるからだ。

 

 ──これまでの戦い、私はヨハンの足を引っ張ってばかりだった。いつも、いつでも彼に助けられていた

 

 宙空を高速で蹴りつけ、大気の壁を破壊する反動で空高く舞い上がる。

 

 ──これからは違う。私は強くなった。そしてもっと強くなる。私は彼の剣だ

 

 右拳を引くと、拳に赤黒い魔力が収束していく。

 

 ──私という剣を、彼に捧げる

 

 落下の勢いそのままに、ヨルシカは拳を振り下ろし、シルマリアを殴りつけた。

 

 打撃音と言うには余りに大きすぎる轟音が響き、脳を揺らされたシルマリアが一時的に行動不能となる。

 

 ヨルシカの余りにも異常な戦闘能力は、当然の事ながら彼女一人のものではない。そもそもが特別な人種なのだ。

 アシャラ王家の血を引き、その王家というのも元をただせば始祖がエルフェンの伝説的な戦士の血を引いている。

 その身に宿る魔力は常人のものではない。

 

 更に彼女は内に二柱の神と一体の魔を宿す連盟術師ヨハンとも様々な意味で繋がっている。

 肉体と精神を重ね合い、そしてある種の誓約を捧げ合った二人はもはや一心同体と言っても過言ではない。

 

 "剣" というものは単一の金属で造り上げるより、様々な金属を重ね合わせる積層鍛造の物の方が優れているという。

 今のヨルシカはまさにそれで、力の源泉でもある血と精神を積層鍛造した一本の剣であった。

 

 大地に降り立ったヨルシカが"飢血剣" サングインを構える。

 彼女の得意とする突きである。

 ただし、剣先に籠められている必殺の気配は、かつて魔狼を貫いた時の比ではない。

 

 切っ先は魔竜の頭部。

 魔竜シルマリアは何を思ったかその首を垂らし、死を前に悔い改めているような死罪人のような風情であった。

 

 だが殊勝な態度を見せてはいてもヨルシカに容赦という言葉はない。

 

 練磨され、研ぎ澄まされた一閃が放たれ──…

 

 クロウの肘と膝に挟み止められた。

 

 ──蹴り足挟み殺し!?

 

 ヨルシカは瞠目した。

 いつの間に近寄ってきたのか。

 そもそも、自身の突きを生身で受けるとは。

 

 黒い魔力と紅い魔力が削り合い、相克する。

 

「…何のつもりかな?」

 

 ヨルシカの、殺意すら籠った問いかけにクロウは涼しい声で答えた。

 

「この竜は、意識を取り戻したみたいです。さっきまでとは全然違う。何かに…操られていたのかな。よくわかりませんが。殺す前に、本当に死にたいのか、なぜ襲ってきたのか聞いてみたかったんです。殺さなくて済むのならそれがいい…。そう思いませんか。人と竜でも分かり合えるかもしれない。だったらせめて分かり合おうという努力は必要だと思うんです」

 

 ヨルシカはクロウの言に、どの口が、と内心で吐き捨てるものの、ひとまず頷くに留めた。

 ヨルシカは勇者クロウは殺しを躊躇する性格ではないと見ている。

 

 ──ヨハンは彼を勇者に見えないと言っていたけれど、私も同感だ。私の目には彼は勇者ではなく、独特の哲学をもった殺し屋にしか見えない

 

 ■

 

 体と頭に強い衝撃を受けた水竜シルマリアは長い悪夢から目覚めたような心地でいた。自身の肉体、心にあれほど強く食い込んでいた狂熱の棘がすっかりと抜け落ちたように思える。

 

 だが、悪夢から醒めてももう長くはないようだと諦念の沼に沈む。自身の命が急速に抜け出しているのだ。

 

 長年、彼女は自身の内にもう一人の自分が居るのをどこか俯瞰的な視点で視ていた。

 

 そのもう一人の自分は凶暴で、乱暴で、本来の自分ではない何かだった。彼女は破壊を尽くそうとするもう一人の自分を食い止めようとしたが、その些細な抵抗はただの一度も成功したことはない。

 

 何故こんな事になってしまったのか、彼女はもう思い出す事ができない。

 

 ただ、"護ろう" として、失敗した。

 それだけは覚えている。

 

 彼女は悲し気に啼いた。

 啼き声は彼女の体の内に共鳴し、外へと漏れ出る。

 同時に、自身の姿や周囲の状況を知覚した。

 恐らく狂った自分を止めてくれたのであろう小さい姿を幾つか認め、止めを刺されるのを待つ様に首を垂れた。

 

 空の欠片の様な美しい鱗は彼女の自慢であったのだ。

 それがいまやどうだ、全身から饐えた臭いを放ち、まるで血のように禍々しい色に染まってしまって。

 こんな体では魚たちは一緒に泳いではくれないだろうなと思うと、彼女はとても悲しくなってしまった。

 

 水竜シルマリアはこの様な姿のままで生きる事を想像するだけで、もう一度狂ってしまいそうだった。だから殺してほしいと強く願う。

 

 ・

 ・

 ・

 

 クロウに促されたヨルシカは渋々シルマリアの様子を伺った。確かにこれまでとは明らかに違う。

 

「凶気を感じない…」

 

 ヨルシカは死に逝くシルマリアを見て呟いた。

 クロウが頷く。

 

「そうか、君はもうだめなんだね。大丈夫、大丈夫だよ。死は終わりじゃない。次の命の始まりなんだ。俺が…僕がそうだった。そんなに悲しそうにしないでも大丈夫だよ。怖がらないで…僕らは敵として出会った。今度は…仲間として出逢おう」

 

 クロウはうわごとのように呟き、シルマリアの頭部に抱きついた。クロウはシルマリアの気持ちが何となくわかったようなつもりでいた。勿論錯覚である。

 ただ、同類としての嗅覚が働いたのだ。

 クロウは殺意には敏感だが、希死の意思にも敏感である。

 シルマリアが死にたがっていることを察して、せめて恐れる事なく輪廻の環に還って欲しいと願っているのだ。

 正真正銘の善意に他ならない。

 

 ヨルシカはそんなクロウを、もしかしたら本当に勇者なのかな?と思い始めていた。

 

 瞬間、コーリングが閃く。

 黒い刃がシルマリアの首元の、傷つけてはいけない部分を完全に切断した。

 

 ヨルシカは目を見開いて驚いた。

 クロウの手際にではなく、クロウの人間性にだ。

 

 ──私には殺すなといいつつ、自分では殺すのか!やはり殺し屋か何かかもしれない…

 

「あの竜に触れた事で、気持ちがわかりました。彼か彼女かはわかりませんけど…あの竜は死にたがっていた。苦しんでいた。だから、救いました。死は最後の最期で訪れる救いでなくてはならない。理不尽に与えられるものであってはいけないと思うんです」

 

 ヨルシカは無言で背を向けた。

 イカれた事を散々聞かされたヨルシカは、もう愛しの恋人に逢いたくて逢いたくて仕方がなかったのだ。



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幻視①~魔竜死闘、起こり得た未来~

 ■

 

 静かな森の中、ヨハンは一行が戻るのを待ち続けていた。

 森は生命の息吹に満ちている。

 命の形が歪められ、死が蔓延する果ての大陸にあって、ヨハンが喚びだした森はまるで異世界であった。

 

 上空では鳥たちがさえずり、木々の間を風が静かに吹き抜けていた。遠くで鹿が枝を齧る音、近くで虫たちがささやく声。

 この空間を維持し続ける代償は決して小さくはない。

 小さくはないが、大きくもない。

 というのも、強大な存在とはただそこに在るだけで周辺の環境を自身に隷属させ、都合の良い様に作り変えてしまうものなのだ。

 

 この瞬間、ヨハンはヨハンという一人の人間ではあるが、同時に樹神の化身でもあり、能動的に何かをしようとしなくても周囲の環境、いや、空間はヨハン(樹神)の "存在しやすいような場" へと自身を作り変えてしまう。

 

 ヨハンは落ち葉の上に座り、頬杖をつきながら遠くを見つめていた。彼の瞳は遥か彼方に向けられており、同時に何か深いところに集中していたようでもあった。

 

 その様子に焦りはない。

 ヨルシカの無事が彼には感得できるからだ。

 肉体と精神で繋がった彼等は、多少距離があっても互いの無事を察知するくらいは造作もない。

 

 ただ好き合っているだけではこうは行かない。

 それこそどちらかの死が残された方の死をも意味するくらいの関係なければ精神の繋がりは得られない。

 

 まあきっかけ自体は非常に雑なものだ。

 気に入った旅の仲間の為なら、見ず知らずの神に挑むこともやぶさかではないというヨハンの大雑把さがヨルシカを錯覚させたのだろう。あるいは彼女の容姿などに一切目をくれずに、ただ実力のみを評価したビジネスライクな態度が誠実なものとして映ったのかもしれない。

 

 それは多分にヨルシカの錯覚でしかないのだが、それはそれとして、今や二人の絆というものは非常に強固なものとなっていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 やがて一行が森の藪の中から出てきた。

 全員が強い疲労を浮かべており、控えめにいっても3割程度は死んでいるといった具合だが、そんな彼らを見たヨハンの視界は一瞬、歪んだ。

 

 絶叫!

 カッスルの目と耳から血が吹き出し、絶叫をあげながら血砂の上を転がっている。魔竜シルマリアの放った超音速の衝撃波がカッスルの全身を撃ち据え、体内の柔らかい部分を破裂させたのだ。

 

 他の者達も無傷ではない。

 多くの者は目と耳をやられている。

 勿論ヨハン自身も無傷ではない。

 巨大な魔竜はまるで水中を泳ぐかのように砂中に沈み、そして一行に近づいてくる

 

 ──飛び出した

 

 隙を見てラグランジュが魔剣を解き放つ。

 銀色の光が拡散したようにみえ、そして魔竜の全身を傷つける。

 だが魔竜の血が曲者であった。

 これは腐食性の極めて危険な性質を持つ血だったのだ。

 それが上空から降り注いでくる。

 

 大きな攻撃の後でラグランジュは躱せない。

 他の者達も大きなダメージをうけ、思う様に身体が動かせない。

 

 結局ラグランジュは血を全身にかぶり…甲高い絶叫があがった。

 ラグランジュの全身が痛々しく爛れ、いや、溶け落ちている。

 凄まじい速さで腐食が侵攻しているのだ。

 瞬く間に彼女は血と肉の塊のような何かへと変わってしまった…

 

 ・

 ・

 ・

 

 はっ、とヨハンが目を見開く。

 

「どうしたの?まだ辛い?」

 

 ヨルシカが心配そうにヨハンを下からのぞき込んでいる。

 ヨハンは何が起こったかを、いや、何が "起こり得た" かを理解した。全員が全員、持てる力を惜しまず立ち向かわねばああなるということだ。

 

 ──俺が視たものはあり得た未来だ

 

 ──とはいえ、一つ目の未来は変わった

 

 ──だが、俺たちはこれからまだ死の未来を覆す必要がある

 

 ヨハンは軽く首を振り、ヨルシカをみやった。

 消耗が見られるがまだまだ元気な様子に安心し、今度はラグランジュの方をみた。

 

 彼女が一番憔悴していたからだ。

 そこかしこが火傷している。

 まるで雷にでも撃たれたかのような有様に、ヨハンは魔竜との死闘がどれほど厳しいものであったかと感得する。

 

「帝国の騎士も大したものだ。宰相ゲルラッハに噛みつくだけの事はあるな」

 

 ヨハンが言うと、鋭い視線が返ってくる。

 勇者に助けられたような、攻撃されたような…などと言っては正気を疑われるため、彼女には睨む事しかできないのであった。

 

 ■

 

 一行は小休止を取った。

 

 カッスルは小首を傾げる。

 この森の中にいるとどうにも活力が湧いてくる。

 それをザザやランサックにも尋ねてみたが、同じ答えがかえってきた。

 

「あの魔術師の仕業だな」

 

 ザザがヨハンを顎で指し示すと、ランサックは呆れたようにいった。

 

「仕業ってよ。言い方があるだろう。おかげ、とかよ。全く、学がない奴は困るぜ」

 

 ランサックが軽口を叩く。その声色は軽快だ。

 危機を乗り越えたという事が彼の心を軽くしているのかもしれない。

 

「勇者殿といい、随分なのが揃ったものだなぁ。俺が一番まともなんじゃないのか?」

 

 カッスルがそう言うと、ザザとランサックの視線はカッスルの腰にくくりつけている旋剣へと向けられる。

 

「アリクス王国ではそういう妙ちくりんな剣を使う奴は変態扱いされる」

 

 ランサックも頷きながら侮辱する。

 

「ケツの穴を掘る剣かと思ったぜ」

 

 ここまで侮辱されればもはや、とばかりにカッスルが拳をかためるが、次のザザの言葉で表情を変えた。

 

「剣で掘るよりコッチが良いと思うぞ。だが、何度か試したことがあるが…まああまり良いものではなかった」

 

 ザザが言い、意味ありげな表情でカッスルを見ると、当のカッスルは顔色をかえてその場を離れていく。

 



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東へ

 ■

 

 それまで座ったままで何も言わなかったクロウが、突然その場から立ち上がった。黙って東の方角を見つめるクロウの両眼に何かが宿っている。燃えている。

 

 東から何かがやってくる気配がするのだろうか?

 何か危険なモノ…例えば魔物などが?

 そう思ったカッスルやカプラなどが意識をそちらへ向けるが、何も感じ取ることが出来ない。

 彼等二人はその在り方の関係で、気配の察知を得手とする。

 その彼等が何も感じないというのなら、クロウの勘違いなのだろうか。

 

 いや、とカプラは否定した。

 

 ──彼は死を穢し、そればかりか意のままに操る邪悪な存在…。アリクス王国の高位貴族程の力ある存在でも、彼の前に屈服せざるを得なかった。その彼が何かを感じ取っているというのならば…

 

 あるのだ、東には。

 或いは居るのだ。

 何かが。

 

 滞留する緊張感はまるで地雷原の様だった。

 誰もが声をあげない。

 しかしタイランが静かに声をかける。

 

「クロウ、どうしたの?何か見えるの?」

 

 クロウは無言のままで立ったまま、東を見つめ続ける。

 数秒後、彼はようやく口を開いた。

 

「頭の中に声が響くんです。コーリングじゃありません。その声は僕が前の僕だった頃からずっと聞こえていたものです。その声は僕にある事をしろと言ってくるんです」

 

 突然始まったクロウの独白に、タイランは困惑の色を隠せない。

 ある事?と尋ねると、クロウは頷いた。

 

「でも僕はその声の言う事を聞かなかった。だって余りにも惨めじゃありませんか。僕一人が逃げるようにいなくなった所で、きっと誰も何とも思わないんでしょう。僕には父親もいなければ母親もいません。多分僕は誰かの記憶に残りたかったのです」

 

 誰もクロウの言っている事が分からなかったが、クロウが自分自身にとって重大な事を言っているというのは何となく理解できた。

 

「魔王は東にいます。なぜなら、東に行けば死ぬ気がするからです」

 

 一瞬、広間の中にはただ息つくことさえも忘れられそうな静寂が訪れた。次に口を開いたのはヨハンだった。彼の声は冷静でありながら、クロウに向けられた言葉には深い興味が含まれていた。

 

「勇者クロウ、君は死にたいのだね。ただの死じゃない。人々から惜しまれ、称賛され、敬意を向けられるような死を求めているわけか。魔王を討とうとするのも自分の為に過ぎないという事だ。君はこの世界の人々の為に戦うわけではない。君にとっては我々や世界の人々など、君自身が満足するための舞台装置に過ぎない」

 

 ヨハンがそういうと、ラグランジュやランサックなどはやや顔をしかめた。クロウはヨハンに何も答えない。しかしその沈黙が雄弁にヨハンの言葉を肯定している。

 

「俺もそうだ、正直に言えば一部の者達を除き、生きようが死のうがどうでもいいと思っている。魔族の手で何万何十万の人間が殺されようと、些かの痛痒も覚えない。他人だからだ。だが、俺には分かるし、視える。ここで魔王を討たねば、もはや世界の何処にも安寧の地は見つからなくなると。それでは困る。俺の"家族"や、妻、やがて産まれてくる子供のためにも掃除をしておかねば。俺は俺の幸せの為に戦うのだ」

 

 ヨハンが言葉を切ると、ザザが声をあげた。

 

「俺は女を水揚げする為だ。リリスは高級娼婦だからな。死ぬほど金がかかる。魔王討伐の報酬の金が欲しくて参加したんだ。こっちのランサックは飼い主に命令されたから参加した。ルイゼだよ。奴から命令されればランサックは何でもするだろう。奴隷犬だからな」

 

「ていこく、俺、そだててくれたから…おん返し、する」

 

 これはゴッラ。

 

「僕は…こんな事を言っては良くないかもしれないけれど、魔王の身体が欲しいんだ。検体というやつさ!魔族の王はただの魔族と違ってどう違うのか、バラして確認してみたいんだよ!それに死体っていうのは使い道も豊富だからね!」

 

 満面の笑顔でケロッパが言う。

 

 そして、他の者達もろくでもない理由を次々にあげていく。

 ファビオラがクロウの子供を産んでお家の隆盛を極めたいなどと言った時は、精神がやや狂い気味のクロウでさえ微妙な表情を浮かべた。なお、一番まともなのはゴッラとタイランだ。

 

 ちなみにカプラは見えない。

 居なくなっているのではなく、知覚が出来ない。

 彼女の業にはその場の者達の認知を阻害するというものがあり、これは斥候連中の上級、その上澄みにしか為せない事だ。

 彼女は皆の前で堂々話すのが恥ずかしいのだ。

 

「…まあ、魔王を斃すのは骨が折れそうだが、案外に君たちとならやってやれないことも無いのかもしれないな。場合によっては勇者という極上の魂を触媒に、魔王に特大の呪いを仕掛けてやる積りだったが止めた。勇者クロウ、そして他の者達も。あらためて力を合わせて戦おうじゃないか」

 

 ヨハンがそういうと、ケロッパが首を傾げる。

 

「術師ヨハン、君はもしかして我々を"使う"つもりだったのかい?」

 

 その声に負の感情は混ざっていない。

 純粋な疑問の声色だ。

 

「ええ、勿論!魔王相手ですからね。烏合の衆では勝てないでしょう。だからいざとなれば旅の最中あなた達の身体に何かしら仕込んで、爆弾かなにかにするつもりでした。肉体を器に、魂を起爆剤に。文字通り全身全霊と引き換えに敵を討つ。法神教の者達のお家芸です。ええと、確か"信仰を示す" とか言ったかな。ですがもう辞めました。この一団の性根を知って、少し面白いと思ったのでね。むざむざ死なせてしまうよりは俺も少々命を懸けても悪くないと思ったのです。勿論、他の者に同じことをしろとはいいませんが。ああ、ビビった者は言ってくれ。俺が護ってやろう、命懸けでな」

 

 そういいながらも視線はラグランジュとカッスル、カプラに向けられている。

 

 ラグランジュとカッスルの眉に深い皺が刻まれ、次の瞬間ぎゃあぎゃあと文句の洪水が押し寄せてきた。

 しかし不思議とその声色には険悪なものが含まれていない。

 

 ■

 

 馬鹿な話をしつつ、ヨハンは内心でこれで良いと考えていた。

 一行の間に芽生えた仄かな仲間意識、それが困難にまみえた時、苦境を乗り越える為のとっかかりとなってくれるかもしれないと思ったのだ。

 

 赤の他人がよりあつまったはいいが、そんなものは絶死の状況を迎えれば容易く瓦解してしまうだろう。

 なぜなら赤の他人だからだ。

 人は他人の為に命を懸ける事は出来ない。

 いざとなれば見捨てるだろう。

 

 だが危機に際して、簡単に相手を見捨ててしまう様では困るのだ。

 ヨハンの霊感は、誰一人死なせてはならないと囁く。

 誰もが何かしらの役割を背負っており、その役割を皆が全うしなければ大業は成らないだろうとヨハンは考える。

 

 しかし役割を全うするには、時には命を懸ける事も必要になってくるだろう。絆にまでは至らないまでも、仲間意識、連帯感は役割を果たさせる精神的な燃料となってくれる可能性がある。

 

 だからヨハンは全員の心の内に入り込む事にした。

 すぐに親友の様な存在になる事は無理でも、嫌悪感を誘発しない程度に過激な事を敢えて発言し、興味を引き…

 

 ──"こいつは口が悪いが、やる時はやる奴だ" とでも思わせて置きたい所だ

 

 なぜなら誰もがそういう人物には好感か、それに似たモノを抱くからである。勿論不快感を抱く者がいるかもしれないが、嫌悪には至らないだろうというのがヨハンの見立てだ。

 

 そして一端興味を持たせてしまえば、そのまま好感の沼へ引きずり込む自信がヨハンにはあった。

 

 ■

 

 ひとたび自身の事を話し出したらどうも止められないというのは、特定の気質を持つ一部の者達にはよくある事である。

 

 クロウは自分の発言が周囲の者達に奇異な印象を与えるだろうと予測はしていたが、それでも言葉を止める事は出来なかった。

 そういった事で集団から孤立するというのは、クロウには慣れた事ではあったが、それでも何とも思わない程に麻痺しているわけでもない。

 

 クロウとて拒絶、忌避されるというのは厭なのだ。

 ではそうされないように振る舞えばいいという話ではあるが、それがクロウには出来ない。

 

 しかし、魔術師ヨハンが悪辣な笑みを浮かべながら喋りだすと、一行の間に仄かに漂っていた忌避感のような畏怖のような、理解できないものを見ている時のような余り気持ちの良くない雰囲気は消えてなくなった。

 

 そういえば、とクロウは思う。

 

 ──ヨハンさんは"連盟"っていう組織の人だと聞いたけれど。どういう組織なんだろう?



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閑話:人業と人形㊤

連盟名簿②ジャハム を参照してください。
多分最初の方にあるとおもうんですが…。
この閑話は〇〇侵攻みたいなのとは違い、㊤と㊦で構成されるのですぐ終わります。


 ■

 

 イスカから北に暫く行くと、アズラという小さな村がある。

 その村を魔族の尖兵たちが取り囲んでいた。

 

 全身に不気味な眼を宿す気色の悪い犬。

 

 深緑色の肌、勇壮な体躯、殺意に濁らせた真っ赤な眼を光らせた大鬼の戦士。

 

 陰惨な気配を総身から放射する細身の美男、美女。

 ただしその肌は浅黒く、耳は尖っている。

 

 小鬼族と思しき者達も多く見られた。

 彼等は野蛮で凶暴な魔物とされているがしかし、この場に集う小鬼たちは不気味な程に静まり返っている。

 

 空には真っ黒い翼の鳥が多数飛び交っていた。

 しかし、ただの鳥ではない事は頭部をみれば明らかだった。血の色の様な眼が四つある鳥などはイム大陸ではこれまで確認されていない。

 

 この魔の軍勢を率いるのは魔族の将だろうか?

 いや、違う。

 率いるのは"人間"だ。

 

 年の頃は50に差し掛かった頃だろうか。

 長く伸ばした灰色の髪を肩に流している。

 薄汚れたローブもまた灰色だが、元は白い色だったのだろう。

 ローブの各所に散っている赤黒い染みは血液だろうか。

 ぎょろりとした眼から発される視線は、まるで皮膚を貫通して肉を、骨を見透かすようでもあった。

 

 元魔導協会2級術師、"艶め肌"(なまめはだ) のギシャール。

 

 元がつく事から分かるように、彼はかつて魔導協会に所属していたが、今はしていない。追放されたからだ。

 魔導協会から追放され、レグナム西域帝国からは追われている。

 

 この男には、少なくともこの西域ではどこにも居場所がない。

 

 そんな男の目の前に立つのは一人の老人と…少女の様なナニカであった。村人たちは老人の後方にかたまるように集まっており、皆が一様に怯えている。

 ただ老人だけが平然としていた。

 

「見逃してもらう訳にはいかんのか?儂はただ孫娘と旅をしているだけじゃ。のう、イリス?」

 

 イリスと呼ばれた少女の様なナニカは、鈴を転がす様な美しい声で答えた。

 

「うん、ジャハムお爺ちゃん!私たちは悪い事なんて何もしてないよ!なのに何で怖い人達が睨んでくるの?」

 

 さてのう、とジャハムはぐるりと周囲を見渡す。

 周囲を取り囲む魔軍は凍り付く様な殺気を放っている。

 しかし殺気のヴェールの裏に、拭い難い怯えの様なものが混じっていた。

 

 それは老人と、彼の横に立つイリスという少女に向けられている。

 殺意と敵意、そして害意の権化の様な魔軍が老人と少女を警戒しているのだ。

 

 イリスと呼ばれた少女はジャハムの正面に立ち、そのまま彼の腰に抱き着いて腹に顔を埋めた。

 

「ああ、イリスや、怖いのか?大丈夫じゃ、大丈夫、大丈夫…爺ちゃんが守ってやるからな…」

 

 ジャハムはイリスの金色の髪を優しく撫でる。

 

 その時、一人の大鬼の戦士が前へ進み出た。

 ジャハム達の様子を見て、自身が抱いた畏怖の様な感情は錯覚だと断じたらしい。

 

 ごりり、と硬い物同士が擦れる音がした。

 イリスの首が横に180°回転し、大鬼の方へと向けられる。

 

 そして目。

 イリスの目もまた異常な挙動であった。

 ぐりぐりとそれぞれが野放図に動き回っている。

 

 

 ■

 

 時は先代皇帝、ソウイチロウの時代まで遡る。

 

 追放される以前、彼…ギシャールには一つの趣味があった。

 それは剥製作りである。

 彼の剥製作りは達人といっても良い出来で、帝都には一時期、彼の作品を飾る貴族が多くいた程だ。

 

 とはいえ、彼は元から剥製作りを趣味としていた訳ではない。

 彼の父は腕の良い猟師で、母は父が獲った獲物を極稀に剥製として売りに出し金を稼いでいたのだが、剥製作りはその母が彼に仕込んだ余技であった。

 

 しかし彼はいつしか生と死の間を行き来するその芸術に病的な興奮を覚える様になる。命を奪い、そして自分の手で新たな生を吹き込む…それが齎す支配感の快感たるや、性的快楽などは及ぶべくもない程だった。

 

 しかしこの時点では、彼が道を踏み外す事はなかった。

 彼の様子に危機感を覚えた母親が、まだ後戻りが出来る段階で彼を引き戻したからである。

 そして長じていくに従って、彼の歪な情動は鳴りを潜める様になり、やがて極々普通の手先が器用な青年として育つ。

 

 契機が訪れたのは、とある年の夏の事だった。

 帝国の首都ベルンに本拠を置く魔導協会の職員が村を訪れたのだ。

 

 もっともこれは珍しい事ではない。

 魔導協会はイム大陸最大規模の魔術結社であり、その気風は非常にオープンなものだ。故に市井からも魔術の才を持つ者を定期的に拾い上げている。アズラの様な小さな村に魔導協会の職員が訪れるというのも、これが初めての事ではなかった。とはいえ、せいぜいが10年に1度といった頻度ではあったが。

 

 この時、才を見出された者こそがギシャールであった。

 魔術の才にもっとも必要なものは知識や小器用さではなく、精神の在り様である。職員は練達の魔術師で、特に"視る"事に長けた者が選ばれるのだが、その彼がギシャールを視た時、背筋を氷の舌が舐めたような感覚を覚えた。

 

 背中が泡立ち、悪寒が脇腹辺りを震源地として全身に伝播していく。肉体は精神より正直だとは誰が言った事だろうか?

 職員はそんな事を思いながら、ギシャールの両親を説得し、そしてこの才ある若者を魔導協会に勧誘した。

 

 職員の私見としては、ギシャールが抱えるモノは決して良いものではない。だが、歪で邪悪なモノを抱える魔術師などは協会にだっていくらでもいるのだ。大切なのはそれらを御す精神力である。

 

 しかし、この職員はこの時の判断を後悔する事となる。

 

 ■

 

 ギシャールは職員と共に村を離れ、帝都で新たな生活を始めた。しかし、魔術の基礎すら理解することができない彼の日々は困難に満ちていた。魔導協会からの援助を受け、日夜勉強に励んでいたが、想像以上に難解な魔術の世界に彼は挫折を感じ始めていた。

 

 数年が過ぎても状況は変わらなかった。

 火種さえ生み出せないギシャールに、魔導協会は援助の打ち切りを決定する。

 

 生活が窮しいギシャールは故郷への帰郷を考えるものの、彼が母郷に送った手紙の内容は現状とは真逆のものだった。村へ戻れば、彼の両親はきっと彼を受け入れてくれるだろう。しかし、若きギシャールは自分のプライドを捨ててその一歩を踏み出すことができなかったのだ。

 

 人生には自身の愚かなプライドの為に、重大な選択を誤るという事が往々にしてある。

 

 やがて金が尽き、窮地に立たされたある日。

 ギシャールは剥製作りで生計を立てることができないかと思い至った。幸いにも帝都の近くには森が広がっており、また彼の手は昔の狩猟の腕前を忘れてはいなかった。そして、その日からギシャールの運命は再び大きく動き出すのだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 久しぶりに触れる剥製作りは、ギシャールにかつての病的な興奮を思い起こさせた。彼は以後、剥製を作ることで得られる快感のためにその作業に没頭し、剥製を売ることで生活のための資金を手に入れるようになった。

 

 そして、それからギシャールの魔術の技術は急速に伸び始める。

 それはまるで、砂漠に倒れ伏す旅人に水を与えたかの如き様子であった。ここに来て彼の才が花開いたのだ。

 

 剥製を作るごとに彼の能力は飛躍的に向上していった。協会からの援助も再開される。しかし、それでもギシャールが剥製作りを止めることはなかった。

 

 これで終わるならばどれ程良いか。

 ギシャールの欲求はどんどん深まっていった。

 

 つまり、作りたくなったのだ、剥製を。

 動物の剥製は作りつくした。では、次は?

 

 夜半、明かりを落とした私室で、ギシャールは俯いて何事かを呟いている。それはまるで自身の内に潜む闇と会話しているかの様だった。

 

 その夜、帝都からギシャールの姿が消えた。

 

 ■

 

 翌朝、当時帝都ベルンの治安維持を管轄する帝都鑑護局の局長、ドムドドン・アッパーヘイルは膨れ上がった胴体の上にちょこんと乗っかったまん丸い頭部を真っ赤に染めた。

 腰に挿している2本の鉄鞭を引き抜きそうな勢いだ。

 

「さ、さ、殺人事件だとォッ!?」

 

 帝国騎士ドムドドンは皇帝ソウイチロウに対しての忠誠心は薄かったが、レグナム西域帝国という母国への忠誠心には厚かった。特に深い理由があったわけではないが、自分が生まれ、育った国が好きだったのだ。その首都である帝都ベルンの治安を担う役目を任じられた時、彼は喜びの余りに飛び上がって床板を破壊してしまった程だった。

 

 そんな彼は肉体の管理には失敗していたが、帝都の治安の管理には成功していた。少なくともこれまでは。

 

 しかし、今朝方持ち込まれた報告は彼のこれまで築き上げてきた実績と信頼に泥を塗りたくるようなものであった。

 

 夜半聞こえた悲鳴。

 近くにいた衛兵達が向かうと、そこには心臓を一突きにされた若い女性の遺体が残されていた。

 遺留品は無し、ただし死体がまだ温かかったとの事。

 衛兵達は周辺を捜索するが既に犯人は逃げ延びた後の様で、行方は杳として知れない。

 

 ドムドドンはすぐさま捜査チームを組織し、事件の解決に取り組むことを決定する。だが犯人も馬鹿ではないようで、警備が厳重とみるや更なる犯行を重ねる事は無かった。

 

 これで話が終わるなら良いが、勿論そうは行かない。

 

 警備を厚くすればするほど経費というものがかかってくる。

 だが問題はそこではない、あまりに厳重な警備体制は帝国臣民を怯えさせてしまう恐れがあり、帝都の混乱に繋がる。

 そうなれば皇帝ソウイチロウの鉈が振り下ろされるだろう。

 恐らくはドムドドンに対して。

 

 いや、自分だけならばまだいいと彼は思う。

 問題は部下たちであった。

 自身の道連れにするわけには行かない、とドムドドンは思う。

 二件目の殺人事件を起こさせるわけにはいかない。

 

 しかし意外な事に、それ以降殺人事件が続く事はなかった。

 ただ…

 

 ・

 ・

 ・

 

「なに?行方不明者?」

 

 ドムドドンはぴくりぴくりと眼輪筋を痙攣させながら尋ねた。

 激昂大爆発をかろうじて踏みとどまっている。

 

 はい、と調査員の女性が頷く。

 感情的なドムドドンに対して真逆のイメージを受けるその女性は、帝都鑑護局きっての才女であり、ドムドドンに対して物怖じせずに報告が出来る数少ない貴重な人材である。

 

「ここ最近、急に姿を消す帝国臣民が増えております。勿論増えているといっても帝都が混乱に陥る程あからさまな数ではありませんが。帝都は人の出入りも多い為、目立たないのですが、少なくとも今月に入ってから8名の帝国臣民が姿を消しています。その中には帝国騎士も2名含まれております。帝国騎士ゲンツ、同じく帝国騎士オーシア。彼等は騎士としての心構えのみならず、その業も優れている者達です」

 

 ふうん、とドムドドンは思案に耽る。

 

「そして、一つ有力とみられる情報があるのです。局長は魔導協会所属、2等術師ギシャールをご存じですか?」

 

 ああ、とドムドドンは頷いた。

 

「あの変人だろう?剥製作りが趣味だったか。地方出身で、ベルンへ来たのは協会に勧誘されたからだ。人付き合いは余り得意じゃないんだろうな、少なくとも親しく交流をしている相手はいない」

 

 調査員の女性…メッシィ・シュミットは頷く。

 

「なんだ?彼が怪しいとでも?しかし、根拠はあるのかね」

 

 ドムドドンの質問に、メッシィは首を横に振った。

 

「ありません。むしろ、彼が犯人である可能性は低いと言えるでしょう。殺害された被害者、そして姿を消した人々。そのいずれとも彼は関わりはありません。交流一つ存在しません。彼は素行が不良という事もなく、酒は呑まずに、女も買いません。博打をすることもない。友人は居ませんし、知人はと言えば魔導協会本部の職員達と僅かに交流を持っているだけです。帝都広しといえども、彼ほど犯人ではない可能性が高い者は中々いないでしょう」

 

 メッシィの発言の内容とは裏腹に、その声には多分に疑念が含まれている。メッシィはこう言っている。

 

 ギシャールが怪しい、と。

 

 ムウ~、とドムドドンは唸った。

 怪しくなさすぎるというのは、怪しいのだ。

 

 高位貴族にして帝国大学の心理学者でもあるオスカー・キュンメル伯爵は、完全に怪しい点がないことがかえってその人物が何かを隠している可能性を指し示す場合があると説明している。

 このような現象は「過剰反応」や「過剰適応」などと呼ばれ、メッシィがギシャールを怪しんだことも全く根拠がない事というわけではなかった。

 

 結局ドムドドンはギシャールに対して、張り込みと尾行をつける事にした。メッシィの勘を信じた形だ。

 ドムドドンは合理を是とするが、メッシィは直観を是とする。そして、メッシィの直観に助けられた事は1度や2度ではない。そのメッシィが怪しいというのならば、ドムドドンとしてはそれを信じる他はなかった。

 

 ──どうせ、他に手がかりもないしな

 

 ドムドドンはぶちぶちと鼻毛を抜き、床にぱらぱらとふりまく。

 これは彼なりに気合をいれているという事だ。

 そんな彼をメッシィは凄く嫌そうな目で睨んでいた。

 

 ■

 

「何も局長までついてくる必要は無いと思うのですが」

 

 メッシィが言う。

 

 結局、ギシャール宅の張り込み、そして尾行についてはドムドドンもついていく事になった。

 

 というのも、仮にギシャールが犯人であった場合、当然取り押さえる事になるわけだが、そこで問題になるのは彼我の実力差である。魔導協会は俗な組織ではあるが、高位の術師は張りぼてではない。少なくとも三等以上の術者は相応の実力を持っている。

 だが、それは必ずしも荒事が得意という事を意味しない。

 難度が高い魔術を扱えたとしても、それを戦闘に有効活用できるかどうかはまた別の話だ。

 

 帝国騎士メッシィは現場からの叩きあげで、男顔負けの剣を振るう。同僚の中で "斬鉄" が出来るのは彼女だけだ。仮にギシャールが凶悪犯だとして、更に多少動けるとしても、何もさせずに頭をカチ割るのは容易な事だと彼女は考えている。

 

「なァに、儂もいたほうが万全だろう?お前たちだけでは不安というわけではないが、ふん、術師という連中は侮れない者もいる」

 

 ふん、と鼻から息を吹き出し、鼻の横をぴくぴくと膨らませるドムドドンは控えめに言っても鬱陶しい。

 メッシィはハァとため息をつくが、ドムドドンがいたほうが心強い事は事実であった。

 

 余り大勢で行くわけにも行かないため、張り込みの人員はドムドドン、メッシィ、局員騎士ジャグ、局員騎士カザリンの四名だ。

 

 ジャグは成人男子の平均身長を一回りほど下回り、更に細身という身体的ハンデを背負っている赤毛の青年だが、24才という若年でありながらもその業は磨き上げられている。特に隠密からの奇襲暗殺という治安維持に欠かせない技術を持つ彼は、鑑護局の若きエースといっても過言ではない。

 

 もう一名、カザリンは名家のお嬢様だ。

 代々騎士を輩出している家系で生まれ育った彼女も当然の様に騎士となった。豊かで艶のある金髪を後ろで纏め、薄い桃色の唇は常に笑みを形づくっている。だが見た目に騙されてはいけない。彼女は恐るべき飛び道具の使い手であり、無音からの奇襲暗殺という治安維持に欠かせない技術を持つ彼女は、鑑護局の若きエースといっても過言ではない。

 

 そして帝国騎士、帝都鑑護局局長ドムドドン・アッパーヘイルはただの偉そうなデブではない。治安維持という役目を任されるに相応しい程度の実力を持っている。

 

 そしてこの時の彼の判断は正しかった。

 彼らはギシャールが帝都の市民を殺害し、その死体を持ち去る様子を目撃することとなる。

 

 ■

 

 余計な声をあげたりはしない。

 メッシィをはじめ、局員騎士達が沈黙のままに展開し、各々が獲物を抜いて死体に向けて屈みこんでいるギシャールへ躍り掛かった。

 

 速度に長ける局員騎士ジャグ・ハイアが風に乗ったような速さでギシャールに肉薄し、細い剣を差し出す様に突き込む。ただの突きではない。弾力性に富む彼の細剣は、僅かな力でもよくしなる。

 顎下に突きを放ち、直前で手首を返すことにより…切っ先は軌道を変える。結果として、彼と相対した者は上顎から脳の後方部を剣でぶち抜かれる羽目となる。ジャグは治安維持を担う騎士として、目標の捕縛ではなく殺害を提唱する過激派の騎士であった。

 

 ジャグが仕掛けたのを他の者達も黙ってみていたわけではない。

 

 局員騎士カザリン・ハナムラがいつの間にか両手に奇妙なものを持っている。彼女にとって剣などはお飾りであった。

 彼女の得物は薄い金属製の円盤だ。

 これは南域で戦輪と呼ばれている投擲武器である。

 

 両腕を後方まで逸らしたカザリンは、両の手から2つの戦輪を投げ放つ。戦輪は左、右と大きく弧を描いてギシャールの左右両側頭部に襲い掛かった。

 

 直撃すればプレートアーマーをも輪切りにしてしまう彼女の戦輪を、人間が受ければどうなるか。

 そんなものは想像するに容易い事だった。

 カザリン・ハナムラは治安維持を担う騎士として、目標の捕縛ではなく抹殺を提唱する過激派の騎士である。

 

 真正面からはジャグ、左右からはカザリン。

 人体の急所である頭部を三方から狙い撃つ殺戮連携で、彼等は他国からの間者などを数多く闇に葬ってきたのだ。

 

 ──殺った!

 

 メッシィは走り込みながら確信する。

 ジャグとカザリンの連携を凌いだ者は極僅かだ。

 そして、仮にギシャールがその極僅かの一部に入るとしても…

 

 メッシィは走りながら腰の剣の柄に手を掛ける。

 彼女の剣は鞘に収まっているが、この時点で既に加速が完了している。一たび抜き放たれれば魔術的な防御を行使されても、それごと叩き切ってしまうだろう。

 ましてジャグとカザリンの連携に体勢を崩しているならばなおさらだ。

 

 しかし、甲高い金属音が3つ。

 ギシャールの左右にいつの間にか何者かが立っていた。

 ジャグの放った脳天貫通突きは弾かれ、カザリンの戦輪もまた同様だった。

 

 ジャグに至っては右腕を深々と斬り裂かれている。

 ただちに命に別状はないといっても、出血量次第では危ないかもしれない。

 

 新手か、とメッシィが目を凝らし、絶句。

 

「なっ!」

 

 人影は彼女の、いや、彼女達の良く知る者達だった。

 帝国騎士ゲンツ、そして帝国騎士オーシア。

 

 だが尋常の様子ではない。

 二人とも両瞼と口を縫い合わされている。

 そして、その肌色はまるで死人かと思う程に蒼白であった。

 

 ジャグとカザリンも呆然としている。

 なぜならゲンツとオーシアは彼等にとってそれぞれ特別な騎士であったからだ。

 

 ジャグは"疾風"ゲンツに憧れて、そしてカザリンは"舞騎士"オーシアに憧れて騎士となった。

 死線に置いては即断即決を旨とする彼等でも、数瞬の隙を晒さずには居られない。

 

 当たり前だった。

 彼等は任務遂行のみを至上とする感情なき肉人形ではないのだ。

 しかしそこは彼等もさるもので、僅かな間に精神の均衡を取り戻す。

 

 だが、ゲンツの両手に握られた双剣が、そしてオーシアの周囲を舞う様に浮遊する4本の剣がそれぞれの獲物を見定めるまでには数瞬という時間は余りに長かった。

 

 迫る殺意!

 メッシィは引き延ばされた思考の中、ジャグにせよカザリンにせよ、どちらを救う為であっても距離が遠く叶わない事を知った。

 

 ギシャールが口角をあげて嗤っている。

 恐らくは罠だったのだ。

 どういう手管か、ギシャールは2人の帝国騎士を手駒としたのだろう。生きているのか死んでいるのか、どうあれゲンツとオーシアの業が"そのまま"であるなら、メッシィを含めた三人掛りでも勝利は困難だ。

 

 ──しかし

 

『何をしとるかァッ!』

 

 野太い怒声と共にゲンツとオーシアが吹き飛ばされた。

 何かに痛烈に撃ち据えられたのだ。

 

「局長!」

 

 メッシィが叫ぶ。

 

 地面に敷かれた石畳が砕け、粉となり散らばる。

 ドムドドンの両の手から放たれた鈍色の鉄蛇が地をうねり狂っていた。鞭だ。

 

 帝都鑑護局局長ドムドドン・アッパーヘイルは二刀流ならぬ双条鞭を操る。鞭といえば当たれば痛いというイメージが先行しており、生と死が舞う戦場においては珍しい武器に思えるかもしれない。

 

 しかしドムドドンの操る二本の鉄鞭の先端速度は音速を超える。

 革の鞭などでは珍しい事ではないが、鉄鞭でこれをやれば周囲に与える破壊深度は革の鞭の比ではない。

 当然当たれば痛いなどという話では済まない。

 筋肉量が少ない一般人女性がこれを受けた場合、肉体は引き千切られたちまち雑なミンチが出来上がるだろう。

 

 更に非常に迷惑な事に、ドムドドンは被害を抑える気など欠片もなかった。

 

 なぜならこれはもはや治安維持の為の戦闘行為ではない。

 誇りある帝国騎士を傀儡とするなど、それは帝国に対しての宣戦布告も同然だ。ドムドドンに皇帝ソウイチロウに対する忠誠心が余りなくとも、帝国そのものへの愛国心はある。

 ドムドドンの中で、ギシャールはもはや愛すべきレグナム西域帝国そのものの敵と化していた。

 国家の安寧を脅かす"敵"を前にした帝国騎士はどうするべきか?

 

 滅殺あるのみである。

 

「ジャグ、腕の一本など捨ててしまえい!援護してやる!いけ!メッシィ、ジャグの右を護りつつ攻めよ!カザリンちゃん!ギシャールを狙え!儂が先に仕掛け、崩す!」

 

 ドムドドンは野太い唸り声と共に両腕をそれぞれ互いに回転させるように動かした。鉄鞭が前方に向けて渦を巻きつつ触れるもの皆砕き散らしながら進行…いや、侵攻していく。

 

 この夜、ドムドドンの鉄鞭は彼の愛国心を乗せ、帝都の夜を引き裂いた。

 

 ■

 

 翌朝。

 

「結局…逃がしちゃいましたね…すみません、私が仕留めきれずに…」

 

 カザリンが俯いて謝罪する。

 あの夜、帝都鑑護局の面々はギシャールを取り逃してしまった。

 ゲンツとオーシアの抵抗が激しかった為だ。

 彼等は痛みを一切感じないのか、肉体が損傷しても構わず向かってきた。ただの屍人であるならともかく、業は生前と同じ様に冴えわたっているのだから堪らない。

 

 結局ギシャールは戦闘の隙を縫って逃げ出し、ゲンツとオーシアはドムドドンがもはや修復不能な程に破壊した。

 夜半の騒動であるので衛兵やら冒険者達やら、はたまた暇な貴族までもが出張ってきて、帝都鑑護局の面々は戦闘そのものよりも後始末に苦労した様だった。

 

「いいんだよぉカザリンちゃん、死したりとはいえ相手はゲンツとオーシアだったからねぇ。屍人操作(ネクロマンシー)なのかねえあれは…違う気がするが…いずれにしても由々しき事態だよ」

 

 ドムドドンの猫撫で声がメッシィの神経に障るが、しかしドムドドンがいなければ返り討ちにあっていた事はほぼ間違いないだろう。

 

 メッシィは、もし次があるならば決して不覚はとるまいと誓う。

 

 しかし、あの夜を境にギシャールは帝都から姿を消した。

 



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閑話:人業と人形㊦

 ■

 

 ジャハムは博愛主義者ではない。

 彼が愛するのは孫娘のイリスのみ。

 面識の無い他人を救う為に身を張る程におめでたい性格はしていなかった。だからまるで村を守るように村人たちの先頭に立ち、どうみても人間ではない者達と事を構えるというのはジャハムの望む所ではなかった。

 

 彼がアズラの村を訪れたのは、単に旅路の途中にアズラがあり、そこで小休止を取ろうと思ったから…それだけだ。

 この村にジャハムの知り合いはいないし、勿論イリスの知り合いも居ない。

 

 しかし、とジャハムは思う。

 イリスは、愛すべき孫はどうやら村を見捨てる気はないらしい。

 

「大丈夫だよ、マリーベルお姉ちゃん!」

 

 イリスの明るい声が響く。

 そしてやはりぐるりと首を回して魔軍たちを見据えた。

 先ほどの声の主とは思えないほどのその瞳は濁っている。

 ギシャールは殺意と敵意が有毒な気体となって、自身が率いる魔軍に向かってくるかのような圧を覚えた。

 

 明から暗、光から闇への急速な転換。

 異形達への "威嚇" の後、イリスは笑顔を浮かべ背後を振り返った。

 

 そこにいたのは少年を掻き抱くようにしている金髪の女性だ。

 女性といっても成人しているかどうかは怪しい所だが…。

 

「マルコ君、お姉ちゃんに抱き着いちゃって!なんだかかわいいね!」

 

 その声色は天真爛漫と言っていい程に明るく、陽の気に満ちていた。マリーベルとマルコはこの村の姉妹だ。

 

 ジャハムが旅に必要な物資を村で買い込んでいる間、手持無沙汰となったイリスがマルコと知り合い、そしてその姉であるマリーベルとも親しくなった。

 

 ■

 

 イリスはジャハムの腰を強くだきしめ、祖父を見上げる。

 

「おじいちゃん、マリーベルお姉ちゃんとマルコくんを助けてほしい。このままじゃあの人たちにひどい目に遭わされちゃうよ。この村の人たちだっていい人ばかりだし…。いいでしょう?私も頑張るからっ」

 

 ジャハムはその言葉にやや考え込む。

 やがて、一つの方針が定まった。

 祖父という生物は、孫という生物には絶対に勝てない様に出来ている。

 

 ──話し合いでひいてくれるなら良いのだが。あの子は勿論、儂も荒事は得意ではない…

 

 その時、ギシャールが冷笑を浮かべて言った。

 

「殺せ」

 

 傍らに立っていた大鬼族の戦士は頷き、殺意で瞳をぎらつかせる。戦士の唸り声と共に、ジャハムとイリスに向けて襲いかかった。

 丸太の様に太い腕からくり出されるこん棒は、ジャハムの様な老人などかすっただけで吹き飛ばしてしまうだろう。

 

 横殴りの暴威がジャハムに迫る。

 しかし次の瞬間、その大鬼族の首が地に転がっていた。

 血しぶきを上げて倒れゆく大鬼族の肩には、まるで子供が肩車をしているかのように、イリスが乗っている。

 

 彼女の口からは陽気な歌声が溢れ出ている。

 

「小人のハンス、ハイ、ハイ、ホー♪」

 

「ハンスは愚かで怠け者、ハイ、ハイ、ホー♪」

 

「おやおや、ハンスよ、歩くことすら面倒かい?気づけば肩に、そっとハンスが乗ってるよ♪」

 

 可愛い歌声を飾るのは夥しい流血であった。

 その可愛らしさとは裏腹に、血の海が広がっていく。

 暗影が舞い踊り、異形の戦士たちが次々と倒れていく。

 

 しかし、ギシャールは容赦なく魔軍を煽り立てる。

 彼とて長年帝国軍や冒険者ギルドの追手から逃れ、時には交戦し、これらを退けてきた強者だ。眼前に立つ老人と少女が常人ではない事は元より分かっていた。だからこそ、休む暇なく攻めたて、疲弊させようと考えたのだ。

 

 四足歩行の魔獣、彼らが"犬"と呼ぶ存在が地を這い、イリスに襲い掛かる。しかし、イリスは片手でその首を捻じ切った。

 

 浅黒い肌を持つ耳長の女性が矢を放つが、それはイリスの首に突き刺さる寸前、彼女の小さな指によって捕らえられる。イリスは足元に転がっていた石を手に取り、それを耳長の女性に向けて投げつけた。石くれは女性の腹を一瞬で貫き、血と内臓が飛び散る恐ろしい光景が広がった。

 

 ■

 

 連盟の5本目の杖、【人業使い】ジャハム翁。

 

 彼の術は単純だ。

 木細工を造る。

 そこへ命を吹き込む。

 それを操る。

 だが、その逆…つまり命を造り替えて木細工へ仕立てる事も出来る。彼の手がずぶりと肉体へ沈み込むと、そこから段々と肉体が木へと変質していくのだ。造りかえられた命は意識を残したまま彼に永久に操られる。

 

 しかし、彼の孫娘であるイリスは彼の手で創り出されたジャハムの願望の具現であり、特別製といってもいい。

 イリス人形こそがジャハムの術の根源。

 

 ジャハムの願望は愛する孫と自身の平穏な日々を過ごすという非常に平和的なものだが、それを乱す者に対しては"根源たるイリス"が排除に動く。それは一種の防御反応であり、例えば期せずして火に触れたら、凄い早さで反応して手を引くように…イリスはジャハムと自身の平和を乱す存在がいれば、可愛い孫という仮面を捨てて瞬時に殺戮マシーンと化すのだ。

 

 イリス人形は単純に強い。

 大木を引き千切り、大岩を素手で砕き、目にも映らない速さで機動する。帝国騎士の精鋭一個師団でも鎧袖一触で葬り去るだろう。この強さはジャハムの根源の強さを意味する。

 ジャハムは二度と孫娘を喪いたくないのだ。

 

 喪わない為の強さ。

 つまりは、愛である。

 

 イリス人形の全身をジャハムの祖父としての愛が包み込んでいるかぎり、彼女を破壊する事は非常に困難だろう。

 なにせ、ジャハムが危うければ危うくなるほどにイリス人形はひたすら強力になっていく。ジャハム自身には大した戦闘能力はないが、その愛の結晶であるイリスは違う。

 

 思いや覚悟、強き意思が力となるこの世界に於いて、愛とは極めて強大な力だ。

 しかし不安定な力でもある。

 それは愛とは注ぐべき、捧げるべき相手がいてこそ初めて機能するものだからだ。

 相手がいる事が前提…それはつまり、相手次第では愛が喪われる事もあるという事だ。

 

 だがジャハムの愛は自身の中で完結している。

 彼の愛の対象だとおぼしきイリスは、まるで意思があるように見えるがその実、ジャハムの願望が具現化したモノである。

 

 "イリス" には自律した意思があるように見えるが、それはあくまでもそう見えるだけで、実際の所はジャハムの知る生前のイリスを忠実に模倣した存在だ。

 

 ほかならぬイリス自身も自分が生きている、自分の意思を持っていると信じてはいるが、結局の所はそう思い込んでいる、あるいはそう振る舞えと制御されているだけの哀しき木人形に過ぎない。

 

 つまり、ジャハムは他者を愛する際にしか発されない献身的な、狂気的な愛を実は自分自身に注いでいるのだ。

 イリスがジャハムの願望の具現であるなら、そこに向ける愛というのは自分自身に向けているのと大差がない。

 

 それは余りにも哀しい愛の形だが、"力の源泉"としてみるならばより完成度を高めたと評価すべきだろう。

 

 愛を注ぐべき相手に愛を注ぐ事が力の産出に繋がるとして、しかし注ぐべき相手次第ではその愛も枯れてしまう。

 それが愛の弱点、不安定さだというのに、注ぐべき相手が実は自分であるというのは、"ジャハムの愛"に強固な不可侵性がある事を意味する。

 

 一体、この世界の誰がその様な愛を侵し得るだろうか?

 

【人業使い】の人業とは、人の業を意味する。

 それすなわち、愛。

 

 神聖不可侵の愛の前では、あらゆる障害は塵と化すのみ。

 

 ■

 

 ギシャールは絶句し、口の端からよだれを垂らした。

 

 引きつれている部下が、たった一人の少女に次々と惨殺されていく。しかも幹部級の大鬼族の戦士まで。その戦士は歴戦の帝国騎士の数人は同時に相手にできる程に業が練られているにも関わらず、少女人形はまるで紙かなにかを引き千切るかのように戦士の首を毟り取った。

 

 そんな光景を見せられれば焦るなという方が無理な話だった。

 

 ──ええい、仕方ない!あの二人を出すしかあるまい…

 

 ギシャールは二人の"特別製の部下"を呼び出した。

 目と口を縫い付けられた男女、どちらも年老いた姿だった。その二人はギシャールの両親だ。彼等はギシャールに殺害され、そして動く剥製へと変えられた。だが、死者であるはずなのにその肌色は余りにも艶めいている。

 

 

 "艶め肌" のギシャールは生と死を弄ぶ。

 自然の摂理では、一旦息絶えた生物の魂は天へと帰すものだが、彼はその歪な技巧で魂を欺く。

 

 肉体が依然として生命を宿しているかのごとく手を加え、霊魂を身体に縛り付ける。

 

 だから彼が作った剥製は決して死ぬ事はない。

 心臓を突かれても首を切られても死ぬことはない。

 なぜならば命が、魂が体から出ていかないのだから。

 塞がれた目と口は魂がそこから逃げない様にという呪術的な意味を持つ。

 

 形あるものはいずれ滅びるというが、ギシャールの"作品"には強い不朽の願いが籠められており、その強度は鋼鉄などといった比ではない。

 

 かつて彼はゲンツとオーシアという二人の騎士を作品に仕立て上げたが、しかしそれらは帝都の治安維持隊の長、ドムドドン・アッパーヘイルにより破壊されてしまった。

 だが当時は彼も術師として未熟だった。

 しかし今は違う。

 魔族に与し、彼等の業を学び、磨き上げた彼の業は本当の意味での不朽という概念を作品に付与するに至る。

 破城槌の直撃でも破損しない彼の作品は、正しく脅威と言えるだろう。

 

 ギシャールが自慢げに言う。

 

「見よ、彼らこそが我が至高の創造物。力任せの打撃も、鋭利な斬撃も受け付けぬ。命と死を司る真の造形師だけが施せる奇跡。我が"作品"は永遠に生き続け、不朽の名を刻む……その娘には驚かされたが、彼女も叩けば砕け、斬れば裂け…死が襲えばただ黙って受け入れねばならぬ筈。貴様等に勝機は」

 

「うるさいっ」

 

 その瞬間、イリスの不機嫌そうな声が響き渡り、ギシャールの父の剥製は頭頂部から股間にかけて真っ二つに切り開かれた。イリスの手刀が、空気を割る音と共に容赦なく振り下ろされたのだ。

 速度を極めたイリスの手刀は空間に間隙を作り出し、空気がその間隙を埋めようとする。

 

 風が巻き、ギシャールの頬を撫でる。

 ギシャールはただ慄然とした面持ちでその場に立ち尽くしていた。

 

 ギシャールの両親の剥製は、いわば彼の根源であると言えるが、しかし根源の純度が違った。

 

 支配欲では、芸術がなんたらとかいう御託では、"愛"の障害足りえない。根源と根源がぶつかれば相克し、弱い方が砕け散るというのは術師の常識だが、その常識が正しく働いた結果である。

 

 ■

 

 マリーベルとマルコ、アズラの村人らはその様子を戦慄とともに見つめていた。

 

 数日前突然訪れた老人と少女の二人連れ。

 孫娘に色々なものを見せてやりたくて旅をしているという老人を、アズラの村人たちは温かい笑みと共に迎えた。

 

 ジャハムの孫娘であるイリスは明るく、快活で、年も近そうなマルコ少年とすぐに仲良くなった。

 しかしイリスが懐いたのはマルコの姉であるマリーベルだ。

 

 アズラの村に生まれ育った少女、マリーベル。

 彼女の印象的な特徴は、蜂蜜色に輝く髪の毛だ。

 マリーベルには弟のマルコがいて、ふたりきりで日々を過ごしている。

 

 しかしそこには親の姿はない。

 彼女の両親は流行り病によってこの世を去ったのだ。

 

 アズラの村の村長は彼女を哀れに思い、彼女にいくつかの特別な扱いをしてきた。しかし、特別扱いというのはやがてマリーベルの首を絞めることにもなりかねない。だからこそ、彼女には簡単な仕事を与えて、生活に必要な食料などを与えていた。

 

 ともあれ周囲の手助けもあって、マリーベルと彼女の弟は飢えることなく最低限の生活を送ることができていたのだ。

 アズラの村は助け合いを佳しとしている。

 彼女が病に倒れた時も、村の人々はお金を集めようと差し出せる限りの財貨を提供した。しかし、その前にマルコが突然イスカの冒険者ギルドへと駆け込んでしまったのだが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 村には他にもマリーベルと同じ年頃の娘たちも居たが、イリスは不思議とマリーベルだけに懐いた。

 

「私マリーベルお姉ちゃんのこと好きだなぁ、だってほんの少しだけ、お爺ちゃんと同じにおいがするのだもの!マルコなんかのお姉さんはやめて、私のお姉さんにならない?」

 

 イリスがそんなことをいうと、マリーベルは複雑そうに笑った。

 老人と同じ匂いがすると言われて嬉しい者は余りいないだろう。

 ましてやマリーベルは年頃の少女だ。

 案の定マルコが文句を言う。

 

「イリス!君さぁ、おじいさんと同じ匂いってのはないんじゃないの?いや、ジャハムさんは優しい人だとおもうけど…」

 

 イリスは腰に手を当て、マルコの顔を見て鼻で笑った。

 

「マルコ君はだめね!それににおいっていっても匂いのことじゃないのよ?私匂いとか分からないし。それに…ああ、うーん、でも…君もすこしだけ。ほんの少しだけおじいちゃんと同じにおいがするね」

 

 イリスの言葉にマルコは"えっ"と叫び、おもわず自分の服の匂いを嗅いだ。少し汗臭いだけで、おじいさんの匂いなどというけったいな匂いはしない…はずだ。

 

 いぶかしむ様子のマルコに、イリスは淡い笑みを向けた。

 自分でも何がなんだかわからずに、胸が熱くなる。

 顔に血が集まってくるのがマルコにも分かった。

 

 そんな様子をマリーベルはほほえましい様子で見つめていた…

 

 ■

 

「イ、イリス…」

 

 それはマリーベルが発したのか、マルコが発したのかは分からない。震え、慄いた声色には困惑と恐怖が多分に浸み込んでいた。

 

 ある日、空の色が突如として血のように暗く沈んだ。

 冷たく薄気味悪い雲が空を覆い尽くし、邪悪な巨人が地上に向かって指が突き指すかの如き竜巻が、遥か彼方に佇んでいた。

 

 村人たちは根源的な恐怖に怯え、保護を求めてイスカの冒険者ギルド、または帝国の代理人として滞在している役人の元へ赴くかを真剣に考慮していた。

 

 しかしどちらの道を選んでも、それは金銭的な犠牲あるいは貴重な時間を割くという二者択一の難題を村人たちに突きつけた。村人たちは本能的に時間の浪費が命の浪費に繋がると感得し、村の総意がギルドへの依頼に傾く矢先の出来事だった。

 

 村の猟師が、人間らしさを剥ぎ取られた肉の塊と化して広場に放り込まれたのだ。森の奥深から飛び出したその赤黒い肉塊は、無慈悲に広場へと突き落とされた。血と肉の断片が乱れ飛び、恐怖と混乱が村を飲み込んだ。何人かが脱出を試みたが、すぐさまその試みを断念した。暗闇に溶け込むように村を取り囲んでいた影たちがその理由だった。

 

 マリーベルとマルコは村長に家に隠れていろと言いつかっていたが、ジャハムとイリスが家に訪問してきていない事に気付く。

 

 滞在中、ジャハムは樵の元へと赴き、端材をもらって木工品を作り、イリスはマリーベルの家に遊びに行くというのが日課であった。日の傾きからして、普段ならイリスが遊びにきてもおかしくない頃だ。毎日の様に来ていたのだから、今日も来るはず。

 

 なのに来ない。

 

 マルコはかつて村を飛び出して、マリーベルを助けてもらうように単身イスカへと向かった時の勢いそのままに家を飛び出した。

 マリーベルも慌ててマルコの後を追う。

 

 そして絶句する。

 

 ジャハムとイリス、二人が村の入口に立ち、見るも恐ろしい怪物たちに向き合っていたのだから。

 

 ■

 

 馬鹿な、とギシャールは内心で叫んだ。

 口には出さない。

 言葉は言霊ともいう。

 恐れを、怯えを口に出せばそれが現実となり、"格付け"が済んでしまう事も往々にしてある。

 特に魔術師同士の闘争であるならば、例え眼球を抉り出されたとしても勝利の気概を喪ってはならないのだ。

 ビビった方が負けるというのはこの世界の常識である。

 

 とはいえ、しかし。

 不朽の"傑作"が余りにもあっけなく破壊されてしまった事に、彼の理性は理解を拒んでいた。

 

 

「ごめんね、壊しちゃった。でも、おじさんもすぐに壊れるよ。お揃いって素敵な事だよね?私の靴下はお爺ちゃんとお揃いなの。色の事だけど」

 

 イリスが下からギシャールを見上げて言った。

 瞳の奥には何かが渦巻いている。

 熱く、激しく、昏く、悍ましく、そして尊いものが。

 それはギシャールの知らないものだった。

 そう、愛である。

 

 ──この娘から離れなければ!

 

 ギシャールは逃げることを決断した。世界は広大であり、子供の似姿を取ってはいても、その実、強大な力を秘めた人外だったりしたなんて言う事は枚挙に暇がない。

 

 彼の目の前にいる少女も、おそらく同様の存在であるに違いない。ギシャールはそう考えた。

 

 しかし足を動かそうとしたその瞬間、彼は胸に異物がめり込んできたのを感じた。嘔吐しかねない程の強烈な不快感はギシャールの足を数瞬その場に留めてしまう。

 

 不快感の原因は何かと彼が自分の胸を見た時、疑問は氷解した。

 

 ──手だ

 

 そう…皺だらけの、日に焼けた手が胸にめり込んでいた。

 手首まで入り込んでいるにもかかわらず痛みはない。

 ただただ不快な感覚だけが在った。

 

 眼前に居たのはジャハムだ。

 右手が突き出され、ギシャールの胸に埋まっている。

 ジャハムは一切の言葉を発しなかった。

 しかしその身から発される妖気を浴びたギシャールの総身は、震えを抑える事ができなかった。

 

 

 ジャハムの右眼が妖しく光る。

 内心透徹、精神を抉り透かし見る魔眼。

 彼はこの眼を通して"とあるモノ"を視るのだ。

 

 根源的な恐怖がギシャールの脳裏を浸食しつつあった。

 死ぬだけならまだいい、しかし果たして本当にそれだけで済むのだろうか?

 

「お、おま、え」

 

 ぎゅうっと胸の中の手が何かを掴む感触で声が詰まる。

 心臓などといった臓器ではない。

 ギシャールはもっともっと大切な何かを掴まれた様な気がしてならなかった。ただ一体残っている彼の母親の剥製を動かそうと魔力を発するも、大岩に息を吹きかけるが如し…全く反応を示さない。

 

 ギシャールが剥製を繰(く)る事が出来るのは、彼の根源的な欲求が力を与えているからだが、しかし今となっては不可能な事だった。なぜならジャハムが彼の根源を掌握しているからだ。

 他者の根源を掌握し、弄び、対象自身が木人形になりたいと"心から願わせる"。

 

 ジャハムの術の対象となった者は、己が最も大切にしているモノを忘れて木人形になる事を希い、己自身の力で奇跡を起こし、木人形へと変質していく。

 

 極めて悪辣で、人を人とも思わぬ外道の魔術師…それがジャハムである。悪辣さでも、その純粋さでもギシャールはジャハムに劣っていた。

 

 ギシャールは意識を明瞭に保ったまま、自身の胸から全身に広がっていく茶色の波涛を見た。彼の生っ白い肌の色が、やや浅黒く変色していく。勿論日に焼けたわけではない。組成そのものが変質していっているのだ。

 

 手が引き抜かれるのと同時に…肉体が縮み、一体の老人の木人形が地面に横たわっていた。

 

 ばきり、と音がする。

 イリスが踏み砕いた。

 

「さあ、お掃除の続きをしないといけないね!」

 

 元気の良い、明るい声が響き渡る。

 異形の襲撃者達も、村人達も名状しがたいモノを見るような目でジャハムとイリスを見つめていた。

 

 ■

 

 夕暮れ迫る刻限。

 ジャハムとイリスは手を繋いで街道を歩いていた。

 空は薄暗い。

 

 夜が近いからではなく、別の理由からだ。

 いまや西域の何処にも安寧の場はないだろう。

 

「あーあ、折角仲良くなれたと思ったのにな。私だって頑張ったんだよ?」

 

 イリスが不満そうにボヤく。

 ジャハムは二度、三度と頷くが応えを返さない。

 

 ギシャールを喪った魔軍の残党はたちまち混乱に陥った。

 

 恐慌し、突撃を敢行する者

 慄き、逃走を図る者

 畏怖し、その場に立ちすくむ者

 

 その全てがイリスに葬られた。

 アズラの村人たちは彼等をまるで怪物を見るような目で見た。

 村を救ってくれたという感謝の念は、それ以上の恐怖で覆いつくされた。それはマリーベルやマルコとて例外ではない。

 

「何で"お友達"にしちゃだめなの?」

 

 イリスが問う。

 ジャハムは少し空を見上げ、先ほどの事を思い返した。

 

 §§§

 

「お掃除おしまいっ!…あれ?どうしたの?マリーベルお姉ちゃん?マルコも。お姉さんの後ろに隠れて、かっこ悪いんだぁ~」

 

 血塗れのイリスは軽やかな足取りでマリーベル達に近づいていった。マリーベルは目に涙を浮かべ、しかしマルコを背にかばいながら言い放つ。

 

「こ、こないで!!こ、こ、この、化け物!」

 

 もはや、マリーベルの目にはイリスが怪物にしか映っては居なかった。事実として彼女は怪物なのだから無理もないが。

 

 イリスの姿が可愛らしい少女だというのが更に良くない。

 

 その姿で悍ましい怪物の五体を笑いながら引き千切る光景は、アンバランスさもてつだってか、異形の軍勢よりも遥かに不気味で、村人たちの恐怖を煽りたてた。

 

 助けられたのだから、せめて礼くらいは言って当然だと思う者もいるだろう、しかしそんな人間社会で培った常識などは、死という根源的な恐怖の前では容易く吹き飛ぶ程度のものに過ぎない。

 

 マリーベルの怒声を浴びたイリスはきょとんとした表情を浮かべ、

 次の瞬間には触れれば壊死する程の冷たさを瞳に漂わせた。

 

 ひっ、と後ずさるマリーベル。

 しかし背に弟を庇っているためか、逃げようとはしない。

 

「そっかぁ、でも私たちはお友達になるって約束したよね。大丈夫だよ、お爺ちゃんに任せれば…マリーベルお姉ちゃんもマルコも "お友達" になれるよ」

 

 イリスはそういってジャハムを見上げた。

 愛する孫娘からの視線を受け、ジャハムは頷く。

 そして右眼の魔眼で二人を視界に捉えると…

 

 ──う、動けない!?

 

 マリーベルは自身の体がいう事をきかなくなっている事に気付いた。マルコも同様だ。

 指一本動かす事が出来ない異常事態。

 だが、これは彼女達が動けなくなっているのではない。

 彼女達の本心、本音が"動きたくなくなっている"のだ。

 

 "艶め肌" のギシャール程に練達した魔術師であるなら、直接触れられでもしない限りはこの様な迂遠な洗脳紛いの業からは逃れる事が出来ただろうが、何の心得もない少年少女程度ならば、ただ視るだけで心を弄ぶ事がジャハムには出来る。

 

 そして、ゆっくりとジャハムの手がマリーベルの胸にのばされ…触れる前に止められた。

 

 "におい" だ。

 ジャハムにとって、無視できないにおいがマリーベルの根源から漂っている。

 

 魔眼の縛鎖が緩められ、マリーベル達はその場に尻もちをついた。

 

『私、死ぬんだ』

 

 マリーベルがそう思った瞬間、脳裏に一人の青年の姿が像を描いた。あの日、もうこの先の命を諦めかけていた、あの時。

 

 ──不愛想な印象を受けた "彼" は、危険な森に一人立ち入り、命を救ってくれた

 

 マリーベルも本心から助けを得られるとは思っては居ない。

 しかし、それでも人にはいざという時になれば口に出してしまう相手というものがいる。

 

 ある者にとってはそれは父親であったり、母親であったり、またある者にとっては師であったり。

 そして、マリーベルにとっては…

 

「助けて…ヨハンさん…」

 

 マリーベルの口から漏れた名前。

 漂うにおい。

 

 ジャハムの眼がカッと開かれ、凝視ともいうべき濃密な視線がマリーベルに注がれる。

 

 ・

 ・

 ・

 

 かつて、連盟術師のヨハンはマリーベルの病を癒す薬の原材料を手に入れる時間を稼ぐため、彼女にちょっとした励ましの言葉をかけた事がある。

 

『見た所、もって三ヶ月ももたないな。この冬は乗り越えられないだろう。しかし俺が依頼を遂行するまでには数日あれば十分だ。あなたは治る。森は危険だそうだな、魔物化した猿がでるのだとか。だが俺は視線1つで人間を石にかえる悪魔も殺したことがある。猿がなんだというのか。問題はない。だから悪化させないようにしっかり休んでいることだ』

 

「私……助かるのでしょうか……?」

 

 マリーベルがか細い声でヨハンに尋ねた時、ヨハンは大きく頷き、少女の手を握りながら言った。

 

『当然助かる。最短で1日以内、遅くても4日、5日といったところだな。どうあれ1週間もかかるまい。消耗をさけ、養生をする。きつい労働をするとかではなく、しっかり数日寝ているだけで治る。簡単な事だ。出来るな?』

 

 病は気からという。

 これは迷信ではなく、実際にそうなのだ。

 他者を害するもっとも単純な呪いは、対象に自身が呪われている事を伝える事だ。

 例えば悪口。悪口を聞かされたら嫌な気持ちになるだろう。それが延々と続けば体調を崩す事もあるだろう。

 

 これが原初の呪いである。

 

 優れた術師はその逆も出来る。

 自身の言葉に説得力を持たせ、その気にさせる。

 どれだけの説得力を持たせる事が出来るかは本人の生き方が反映される。

 自身が確固とした信念に基き、誰に憚る事のない振る舞いをしていると自覚していればその分強い力が宿る。その効果は詐術と言うには余りに大きい。

 

 事実、マリーベルはヨハンの言葉で心を励まされ、暫し容態が安定した。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そう、かつて期せずしてヨハンがマリーベルにかけた呪い…いや、祝福はいまだに彼女の精神世界に滞留していたのだ。

 

「ああ、そうか…ふむ…」

 

 ジャハムが何かを感得したように頷き、一人ごちる。

 

「イリス。諦めなさい。友達はまた今度作りなさい。さ、暗くなってしまう前にここを発とう。どうにも血腥くていかん。港町イスカが良いかな。あそこは新鮮な魚がとれるからの」

 

 ジャハムは不満気なイリスを宥め、アズラの村を去っていく。

 

 ──おっさかなさん、おっさかなさん

 

 ──どうしておぼれずおよげるの

 

 イリスのどこか調子が外れた歌が村に響く。

 アズラの村人たちは、何か奇妙な心地でジャハム達の背を見送っていた。

 

 §§§

 

 

 そうじゃなあ、とジャハムは口を切った。

 

「儂のな、まあ…親しい者があの娘さんを気に入っているようでの。儂は、というか、儂らは出来る限りその辺りは邪魔しないようにしとるのよ。誰かから命令されているとかではなくての、皆、同じようなものを抱えた連中じゃから…仲良くしなきゃあなと儂は思っとる。マルケェスあたりは喧嘩をしないように、一緒に旅したりはしないようにと言っておるがな…。まあ、あのハゲ坊主はきっとろくでもない事を考えているんじゃろうなぁ」

 

 ふうん、とイリスは納得しているのかしていないのか分からないような様子で返事をする。

 

 そんなイリスを、ジャハムはただ穏やかな目で見つめていた。

 



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東へ②

 ■

 

 一行はどこか弛緩した様な雰囲気で東を目指して進んでいた。

 勿論実際に気が抜けているわけではない。

 力は入れるべき所で入れ、そうでない時は抜いているのが丁度良いのだ。

 

 12人もいれば自然とグループみたいなものが出来、ぼっちなのはアリクス王国の上級斥候カプラだけであった。

 

 

 一行の列の半ばあたりには、三つの人影が横列になっているのが見える。左からクロウ、ヨハン、ヨルシカの三名だった。

 クロウは連盟とはなんぞや?という疑問をヨハンに尋ねたかったのだ。

 

「組織という訳じゃないんだ。何処かに本拠地がある訳でも無ければ会合の様なモノが開かれる訳でもない。役職がある訳でもなければ、魔導協会の様に等級を定めている訳でもない。敢えて言うなら箱庭だよ。俺と師ルイゼを除き、連盟の術師は皆マルケェスに "開かれて" いるが、マルケェスはそういう人間を集めて楽しんでいるんだ」

 

 クロウの問いに、ヨハンは事も無げに答える。

 開かれている?とクロウが疑問を浮かべると、まるで読心したかの様にヨハンが続けた。

 

「ああ。君も知っているだろうが、強い想いというものは強い力となる。それが覚悟でも決意でも殺意でも敵意でもなんでも良い。純粋に想えば想う程、それらは輪郭を帯びてくる。つまり願いが叶うという事だ」

 

「とても飢えている者が居たとして、自身の飢えが拭われる事を強く強く想えば、その者が手に触れるものをパンへと変える魔術を覚えても不思議ではない。だがね、帝都近辺はマシだが、この西域にも名も無き寒村なんて山ほどある。飢えで死ぬ者もいるだろうな。そういった者が魔術に目覚めたなんて話は聞いたこともない。なぜだかわかるかい?」

 

「例えばだが…君に意中の相手が居たとして、時や場所を考えずに適当に想いを告げたとする。それで恋が実る場合もあるかもしれないが、まあ失敗するだろう?だが、相手の事を知れば知るほど成功する可能性が増すと思わないか。例えば好きな食べ物、例えば趣味…。そういうものを知り、相手の状態…現在どういう気分なのか、想いを告げられるとしたらどういう状況を好むのか…そういうものが分かれば告白はより成功しやすくなるとおもわないか。マルケェスが "開く" と、その辺りの事がよく分かる様になるんだ。分かれば "正しく" 願える様になるのさ」

 

 ──敵を知り、己を知れば…ってやつかな?

 

 ヨハンの言葉にクロウは合っているような合っていないような、そんな事を思いつつ、ちらと奥のヨルシカに目を向けた。

 強い警戒心が混じっている視線が先程から突き刺さってきていたからだ。臨戦体勢とまでは言わないものの、仮にこの場でクロウが剣の柄に手を掛ければたちまち死闘が始まるだろう。

 

 平時のクロウと戦闘時のクロウはかなり様子が異なり、前者はともかく、後者はちょっと酷い。故に、後者のイカれクロウを見たヨルシカが彼を警戒したのは無理からぬ事であった。

 

 ──警戒されているな、一応は仲間なのに

 

「いや、彼女は君を警戒しているかもしれないが、敵意などは持っていないと思う。まあこれが最期の戦いになるかもしれないから、赤の他人である君よりも私と話せという事なんだろう。公私混同かどうか怪しい所だが、これでいて周囲へは十分な警戒を向けている。気を悪くしないでくれよ。ついでに言えば、俺もヨルシカ…妻と話したい。結婚したばかりだからな。色々と熱い状態なのさ。さあ、他に質問はあるかい?なに?ない?じゃあ俺が話そう。ロイという男のパーティに加わっていた頃、ガストンというチンピラ斥候から可愛い女魔術師と縁を繋いでくれと頼まれた事がある。冒険中にだぞ。信じられるか?まあ今の俺たちも緊張感がないと思われるかもしれないが、大丈夫だ。俺は警戒用の意識と雑談用の意識に分けられるんだ」

 

 と、またもや読心したかのようなヨハンの言だが、話の出汁にされたヨルシカは暫時頬を赤らめ、やがて軽い怒気を瞳に宿し、ヨハンの脇腹をペシッと小突いてから歩を緩めて背後で聞き耳を立てていたファビオラの横に移動した。

 

 ■

 

 ファビオラは是が非でもクロウの子を産まねばならないので、ちょっとした会話からも趣味嗜好を把握しなければいけない…と思っている。なにせ彼女が少ない時間でしっかり調べた所では、クロウという青年はちょっとした雑用というか労働を好んで行い、中でも草むしりが好きだというしょうもない情報しかない。

 

 クロウが望むのなら、例え自身が公爵令嬢の身の上だろうとも土に膝をついて、王都中の雑草を抜き、根絶してやってもいいと覚悟しているファビオラだが、やはりもう少し情報が欲しい所だった。結句、やっている事はバレバレの盗み聞きなのだからファビオラも少しアレではある。

 

 そんなファビオラは突然隣にやってきたヨルシカに、困惑の色を隠さなかった。頻りに目をしばたたかせ、ちょっとした挨拶をしようとおもったものの…

 

「あら、ご機嫌麗しゅう…」

 

 などという、公私の意識が混濁して混乱している事がありありと分かる様な中途半端な事を口にした。

 

「いや、そこまで畏まらなくても。やあ、改めてよろしくね。知っていると思うけれどヨルシカだ。貴女は公爵令嬢だというけれど、普通に話しても大丈夫かな?命を預けあう仲間だし」

 

 ファビオラは彼我のコミュニケーション能力の格差に慄き、しかしそんな内心を表出することはせずに楚々と微笑んだ。

 とはいえ、微笑んだは良いもののどういう会話をすればいいのかさっぱり分からない。ファビオラは高位貴族だが、コミュニケーションはどちらかと言えば苦手であった。

 

 そもそもフラガラッハ公爵家自体がべしゃりを苦手としてきたのだ。第二次人魔大戦時代、後のフラガラッハ女公爵となるファラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢は、婚約者であるシルマール…当時のアリクス王国王太子へ粉をかけた男爵令嬢に決闘を挑み、首をはね飛ばしたのだが、その直情径行気味の性格は延々とフラガラッハ公爵家の者に受け継がれている。(スピンオフ『アリクス王国・婚約破棄』参照)

 

「ファビオラ、貴女はあの勇者殿と結婚すると言っていたけれど、やっぱり女性としての振る舞いを家から教えてもらっているのだろうね。この戦いが終わってからでいいのだけれど、良ければ貴族としての振る舞いを教えて欲しいんだ。私も青い血は流れているけれど、色々事情があってね。戦いが終われば帝都に住む事になるとおもうし、それに一代とはいえ貴族になる事になっているから…」

 

 ヨルシカは爽やかな笑顔で言う。

 先程は怒ったふりをしたヨルシカであったが、男二人話したいこともあるのだろうと席を外したのである。

 

 クロウの事をイカれだと思っている事は間違いないが、考えてみればヨハンも相当だと思うし、なんだったら実力者連中を思い出してみたら皆キワモノばかりだった事に思いが至り、シルマリアとの戦闘の時におぼえた感情は大分鳴りを潜めていた。

 

 だが、それはそれとして暇だからファビオラに絡みに行ったという次第である。ヨルシカとしては他の者達とも話したかったが、皆が皆…カプラ以外は他の者と談笑しており、ちょっと割って入りづらい雰囲気ではあった。

 




しょうもなおじさん、ダンジョンへ行く

というローファンもよろしくです。
まあしょうもないかんじです。


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追憶の荒野~ヨハンの場合~

 ■

 

 一行は東へ向けて歩を進め、やがて砂漠地帯を抜けて寒々しい荒野へと辿り着き、少々の休憩を取っていた。

 12人はやや乱雑な車座となって各々が思い思いに身体を休めている。

 

「霧が濃くなってきたわね」

 

 タイランが呟いた。

 彼の言葉の通り、荒野全体が薄い靄の様なものに覆われていた。

 ケロッパが腰を曲げ、地面を凝視する。

 

「どうしたの?」

 

 タイランの問いに、ケロッパは首を振って答えた。

 

「昨日は雨でも降ったのかなとおもってね。霧が出るには天候的な条件というものがある。例えば前日雨が降ったりしたとかね。しかし地面は乾燥していた。勿論、雨が霧の直接条件であるとは限らないけれどねぇ」

 

 ケロッパの言わんとすることは皆が分かった。

 つまり、自然発生的な霧ならともかく、そうじゃなかったら?という事だ。ここは果ての大陸であり、人智の及ばぬ現象が起こる可能性は十分ある。

 

 まあな、とカッスルが周囲を見渡し、まるで犬の様に鼻をひくつかせる。この時彼の脳裏には毒霧の罠の事があった。カッスルは迷宮探索者として名を馳せているが、迷宮には玄室に一歩足を踏み入れると毒霧が吹き出すような罠も存在するのだ。

 

 ──まぁ、毒のようなものはない…か

 

 カッスルはカプラを見遣る。

 カプラはゆっくり首を横に振った。

 

 互いに斥候仕事には理解がある立場だ、考えている事も分かったのだろう。二人は求められている役割が同じという共通点もあってか、何かと意思疎通をとっていた。

 

「まあよ、警戒ばっかりしてても仕方ないわな。ほら、クロウの奴をみろよ、さっさと行くぞって面してるじゃねえか」

 

 立ち上がったランサックが槍で肩を叩きながらチンピラっぽく言う。彼は元異神討滅官であるのでチンピラ気質が染みついているのだろう。そんなランサックに、ザザなどは良く「品がない」などと言うが、そのザザにしてが毎夜娼婦の胸にむしゃぶりついているのだから何をかいわんやである。

 

 休憩を終えた一行は再び東を目指して荒野を歩きだす。

 

 ・

 ・

 ・

 

 先頭を歩くのはカッスル、続いてクロウにファビオラ。その後ろにヨハンとヨルシカ、その後ろからはゴッラ、ケロッパ、ラグランジュ、タイランが続き、更にザザとランサック、最後尾にカプラという順番だった。

 

 ヨハンは眉を顰めて周囲を見回した。

 既に視界は相当悪くなっており、数メトル前方を歩いているはずのクロウ、ファビオラの背も見えづらくなっている。

 ケロッパも協会式の魔術により風を巻き起こしたが、霧を払う事は叶わなかった。この一点を以てしても、周囲に広がる霧がマトモなものではない事が分かる。

 

 ──気持ちの悪い霧だ。勘もなにも働かん。今が危険なのか、危険でないのか、それが判断できない

 

「ねえ、ヨハン。そこにいる?」

 

「ああ、いる。手を離すなよ」

 

「うん」

 

 霧はますます濃くなり、既に隣を歩くヨルシカの姿もボヤけてきていた。ヨハンが背後を見ると、三つの人影が見える。

 ゴッラ、ケロッパ、ラグランジュだろう。

 

 ──流石にこのまま進むというのは、な

 

 ヨハンがそう思った所で、後方からややザラついた低い声が聞こえてきた。

 

「おい!少し止まれ!霧が晴れるのを待たないとはぐれかねんぞ!聞こえるか?俺だ!ザザだ!…糞、どいつもこいつも…」

 

「聞こえる!ヨハンだ!分かった、立ち止まって少し様子を見るぞ!」

 

「おい!誰か!聞こえないのか!ランサック、どこをほっつき歩いている!お……」

 

 ザザの声は急速に遠くなっていった。

 明らかな異常な事態。

 

「ヨルシカ、妙な事になった。罠か、俺も知らない自然現象か…ともかく迂闊に歩き回るよりはこの場に留まって一旦様子を見たほうが…おい、ヨルシカ、聞いているのか?ヨル……」

 

 ヨハンは握っていた手を見下ろした。

 その手はヨルシカのものではない。

 年の頃は30か、40か。

 肌の質感はやや草臥れている。

 

 ヨハンはゆっくり顔を上げた。

 目の前には見知らぬ女が立っていた。

 黒の染料で染められたシャツを着ている。

 切れ長の目、肩まで伸ばされた黒い髪の極々普通の中年女だ。

 ヨハンは彼女に見覚えはない。

 しかし女の方はヨハンを見知っている様だった。

 女がヨハンを見る目は限りなく優しく、まるで愛する息子を見るような目だった。

 

「ヨハン、大きくなったね…」

 

 §

 

 脳から記憶は消えても、その身に刻まれた経験が消える事はない。

 ここは追憶の荒野。

 ここには凶星の瘴気が満ちている。

 瘴気はこの地を渡る者の肉と霊の境界線を踏み躙り、過去という名の牢獄へ永遠に閉じ込めてしまう。

 

 §

 

「貴様は誰だ…?」

 

 ヨハンは自身の手が震えている事に気付いた。

 寒くはなく、勿論怪我を負っているわけでもない。

 しかし震えているのだ。

 心は平静そのもので、自身を見舞った異常がどんなものかを探ろうとしている。しかしヨハンの身体は平静とは真逆の状態に陥っていた。

 

 ヨハン、と自身を呼ぶ声のなんと甘美な事か。

 

 力無き身であったからこそ●●を失った。

 それは仕方がない事なのだ、弱ければ失う。

 それはこの世界の摂理だ。

 だから力を得ようとした、与えられたものでは駄目だ。

 それでは天秤は釣り合わない…

 大切なものを護る為には、喪わない為には、護る側の格というものもある。肉体を練磨し、魂を磨き上げ、自身の価値を高めた時には初めて "大切なモノ" を護る資格を得る。

 天秤だ、天秤は釣り合っていなければならない…

 

 ヨハンの脳に思考が轟轟と音を立てて押し寄せる。

 

「ヨハン、いいんだよ。もう無理をしなくてもいいの。沢山頑張って来たんでしょう?」

 

 女がヨハンに囁いた。

 

 ──そうだ、俺は頑張ってきた。二度と●●を喪わない為に、力、を

 

 ──●●とは何だ?

 

 ヨハンの思考の糸が考えてはいけない事へ伸びようとしていた。

 ヨハンは●●を知ってはいけない。少なくとも、この先まだ戦い続けようというのなら。なぜならばそれは彼の根源が定めたルールだからだ。大きな力を行使する為に捨て去る事を決めたものだ。

 思い出してしまったならば、自身の根源を裏切る事となる。

 そうなれば、ヨハンは大きな代償を支払う事となるだろう。

 自身の根源、それはある意味で肉体より、魂よりも大切なもの…存在意義に他ならない。

 

 裏切りの代償は大魔術の逆流。

 永遠の花界で、ヨハンは散り逝く花となるだろう。

 

 §

 

 ヨハンが踏み出してはならない一歩を踏み出そうとしたその時、凍てつく程に清冽な一閃が煌めいた。

 

 ずる、と女が縦に割れる。

 ぐしゃりと肉が潰れる音がヨハンの耳朶を打ち、ヨハンは悪夢から醒め、しかしいまだ悪夢の中に在る事を知った者の様な表情をした。

 

「いいかい、ヨハン」

 

 黒髪の女の血を浴び、肉を踏みつけながら銀髪の女…ヨルシカが言った。

 

「君が護る相手は私しかいない。よそ見をするな」

 

 ヨハンは自身でも理由が判然としない深く暗い怒りを覚えた。

 怒りは赤熱した電熱となってヨハンの神経回路を焼き焦がす。

 

 ほぼ無意識的に精神世界に坐す二柱から膨大な魔力を吸い上げたヨハンは、両の掌をヨルシカに向かって突き出した。自分でもなぜそんな事をしようとしたのか、ヨハンは分からない。

 だが、ヨハンの身体は彼自身の意思にかかずらう事なく最短の所作で "魔法" を起動しようとしていた。

 曙光にも似た光が煌々と輝き、必殺の意思を乗せた "魔法" が起動…されなかった。

 

 ヨルシカがまるで猫の様にするりとヨハンの懐へ潜り込み、ヨハンの後頭部に手を回し、強引に口を吸ったからだ。

 それだけではない、ヨハンの唇をかなり激しく嚙み千切った。

 

「うおっ…!」

 

 激痛がヨハンの意識を引き戻す。

 だが思わず自身の唇をおさえた。指の隙間から血がとめどなく流れてくるからだ。前傾姿勢となって痛みに耐えているヨハンの足元に何かが投げられた。それは治癒の効果を持つ水薬であった。大した効果ではないが、唇を少し切ったくらいなら十分治る。

 

 

【挿絵表示】

 

「ごめんよ、いつまで呆けてるのかなって思ったらちょっと苛々しちゃって」

 

 ──まだ苛々している様に思えるが…

 

 ヨハンは賢明にもそれを口に出す事はなかった。

 そして、●●が何かという疑問も既に彼の内からは消えてなくなっていた。

 




最近はしょうもなおっさんに浮気中ですが、サバサバ冒険者も別に忘れたわけじゃありません。もちろんほかの作品も。


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追憶の荒野~クロウの場合~

 ■

 

 ──ここは

 

 クロウは真っ暗な場所に居た。

 足元だけが辛うじて見える。

 そう、革靴を履いた自分の足先が。

 

 ああ、そうかとクロウは思った。

 自分はクロウではなくシロウなのだと。

 見れば黒い革鎧ではなく、ぺらぺらのネクタイ、草臥れたスーツを着ているではないか。

 でも、とシロウは自身の腰を見た。

 

 ──何か、大切な何かが欠けている様な気がする

 

 シロウはスーツを叩き、埃を落とし足を前へと進めた。

 まるで何年も放置してたまったかのような埃の量だったが、シロウが違和感に気付く事はない。

 

 暗い昏い一本道をシロウは歩く。

 ここは暗いから他の道は、と見渡してみても何もわからない。

 

 シロウは恐る恐る道を外れてみようと思ったが、不思議と気力が萎えてしまった。

 

 仕方なく前へ、前へと進んでいく。

 

 1時間か、1日か、或いは1年か?

 時間の感覚は失われてシロウはただ前へと進んでいった。

 体力は疲弊の極みに達し、しかし自分は前へ進まなければならないのだという強迫観念めいた想いが湧いてくる。

 

 だが

 

 ──もうだめだ、これ以上前へ進めない、疲れてしまった

 

 シロウの体力が遂に尽きてしまう。

 すると肩に誰かの手が置かれた。

 

 ──後ろに誰かいる

 

「誰ですか?」

 

 シロウが振り向くと、そこには自身と同じ様な服装をした女性が立っていた。先程まで足元しか見えなかったが、その女性の姿だけはくっきりと見えた。いつかどこかで見た事があるような…

 

「母さん…?」

 

 女性は頷き、シロウに優しく微笑みかけた。

 シロウには洋子という名の母親がいた。

 

「大丈夫、シロウ。あなたはまだ頑張れるよ。ほら、後ろを見て」

 

 洋子は暗闇の向こうを指し示す。シロウがそちらを見ると、そこには中年男性が立っている。シロウの義父、浩二だ。

 

「シロウ、ほら、向こうを見てみなさい。皆頑張っているだろう?」

 

 浩二が闇の向こうを指し示して言う。

 視線を向ければ、今自身が歩いている道の外にも沢山の道が敷かれていた。道にはシロウと同じ様な服装、つまりスーツの男女が彼と同様に歩を進めている。

 

 表情を苦悶に歪めている人、無表情の人、笑顔の人、泣いている人。色々な表情の人々があちらこちらに居て、皆一様に前へ前へと向かっていた。

 

「皆、一緒よ。辛いのはあなただけじゃないの。大丈夫、シロウは優秀だから。頑張れば一番になれるからね」

 

「そうだぞ、シロウ。大丈夫だ。俺だって若い頃は大変な時期もあった。だけどふんばって乗り越えてきたからこそお母さんと知り合えたし、幸せな家庭を築く事が出来たんだ。頑張りなさい。まずは今日を頑張るんだ。まずは今日、それを積み重ねていきなさい」

 

 ──頑張る…もう頑張っているのに?

 

 シロウは項垂れ、しかし頷き、再び前へと歩み始める。

 シロウは両親が好きだった。好きな両親に失望されたくなかったのだ。両親の期待に応える事が生き甲斐だった。

 

 だから勉強を頑張り、受験を頑張り、大学生活を頑張り、就職競争を頑張り、一流企業へ就職しても頑張り続けた。

 

 ある日、母が離婚をした。

 好きな人が出来たらしい。

 そして好きな人であるところの、義父の浩二と結婚をした。

 そこからシロウの人生の何かが少し狂った。

 

 仕送りの要求が増えたのだ。

 生活が苦しいらしい。

 シロウの給料は一流企業なりだが、それでもぺーぺーの内はそれなりといった所だ。しかし、その中から金を捻出し、実家へと送った。

 

 しかし、仕送りの要求は減る事がなかった。

 それでもシロウは頑張った。

 義父はともかく、母が好きだったからだ。

 

 シロウは頑張った

 

 頑張った

 頑張った

 頑張った

 頑張った

 

 ──もう、頑張れないよ、母さん

 

 シロウが電話でそう伝えた時、洋子は言った。「大丈夫、シロウはまだ頑張れるよ」と。

 

 丁度、今の様に。

 

「いい子だね、シロウ。大丈夫、まだ頑張れる筈だよ、だって母さんの子供なんだから」

 

 ──『それを決めるのは、お前じゃない』

 

 ■

 

『それを決めるのは、お前じゃない』

 

 女の声が闇に響く。

 そして一本の漆黒の長剣が闇を引き裂き、斃れるシロウの胸を貫いて地面に縫い留めた。

 

 柄頭には、黒い簡素なドレスを着た一人の女が立っていた。

 女は音もなく地面に舞い降り、斃れるシロウの頭を踏みつけながら言う。

 

『これは罰。私を忘れた事への』

 

 ねえ、と女が屈みこんでシロウに囁いた。

 

『私の名前は?』

 

 シロウは口の端から血を流しながら、喘ぐ様に女を見つめる。

 激痛がシロウの神経回路を灼熱させ、とても答える事などは出来なかった。

 

『私の名前は?』

 

 再びの問いに、やはりシロウは答える事ができない。

 端的に言って死にかけていたからだ。

 シロウの命の灯は急速に輝きを失いつつあった。

 

 ──こんな死に方は嫌だな

 

 それはかつてシロウが抱いた思いでもある。

 そして、それより遥かに強い思いも同時に抱く。

 

 ──こんな暗い場所で寂しく死ぬなんて。僕は、もっと違う形で死にたいな。皆が僕を想い、涙し…ああ、ならそう死ねる様に頑張ろう。今度の人生は頑張ろう。シロウはもういない。僕は、俺はクロウだ

 

『ねえ、私の名前は?』

 

「コオオオォォォリングッ!!!」

 

 クロウは自身を貫く剣の柄を握り、叫び、引き抜いた。

 すると、先程までクロウの傍にいた女の姿が搔き消える。

 剣に膨大な魔力が集中していく。

 

『そう。そして私からクロウを奪おうとする事は、罪。私のクロウに纏わりつく過去の亡霊よ』

 

 剣から昏い声がなおも響く。

 

 ──死、ね

 

 クロウを爆心地として真っ黒な魔力が迸り、拡散し、荒野に広がる魔霧を、母の影と義父の影、前世の澱もろともに飲み込んでいった。

 

 追憶の牢獄は現実世界でもあるし、精神世界でもある。

 例えばクロウが歩んでいた真っ暗闇の一本道などは精神世界だが、コーリングが地面に縫い留めた時は現実世界へと位相をずらしている。彼我の狭間の境界がアヤフヤだからこそ、現在と過去の双方を参照し惑わせる事が出来るのだが、この時クロウから発された魔力が周辺を汚染する事で、もはや追憶の荒野は機能不全に陥った。

 

 しかし、果たしてそれは十全な攻略といえるかどうか。

 例えるならば、骨折の痛みを火傷で誤魔化すようなものだからだ。

 

 ■

 

「おい、ザザ…なんだか死にたくなってきたけど大丈夫か?」

 

「俺もだ。勇者の仕業らしい。土地の全域に呪いをかけたそうだ。本当に勇者なのか?」

 

 荒野をゆく勇者一行はクロウ以外はムッツリと押し黙って、何かを我慢している様子だったという。

 

 



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幻視②~追憶荒野、起こり得た未来~

 ■

 

 む、とヨハンは顔を顰めた。ケロッパもだ。

 二人の練達の魔術師はじとりとした目線を一人の青年、つまり勇者クロウへと向けた。

 

「これは、これはねえ。これは酷いよ。ずずんと心が沈んでくる。生きる気力、活力が萎えてくる。魔力には個性が出るけれどね、クロウ君の魔力は、こう、なんというか…もうちょっとあるだろう、希望ってものがさァ!」

 

 ケロッパはゴッラに肩車をしてもらいながらキェーッと叫ぶ。

 といってもクロウはずんずんと一行の先頭を進んでいる為、ケロッパの奇声は聞こえてはいないだろうが。

 

 辺り一帯にはクロウの魔力が拡散している。

 その総量も驚嘆すべきものなのだが、それはそれとして問題は別にあった。酷いのだ。

 

 まるで毒か呪いのように、心が沈みこんでしまうような魔力に皆は辟易していた。勿論この場の者達を害するほど強力な "匂い" というわけではないが、一般人ならどうなってしまうか分からない。

 

「ま、希望なんてものは人それぞれ違うのでしょうが…。それにこれくらいアクが強い方が…ぬっ」

 

 ヨハンが珍しく微妙な様子でケロッパに応じると、急に眼球が抉られたかのような激痛に襲われる。

 

 ただの痛みではない。

 精神強者である所のヨハンをして蹲らせる激痛である。

 

 ヨハンという男は旧法神教の異端審問にかけられ、あまつさえ拷問まで受けた身だが弱音一つ吐かなかった。十爪の全てに針を通され、爪に朱を塗ったような有様にされた時も…

 

『 昨今、レグナム西域帝国の首都ベルンでは男も爪に朱を塗る事があるという。男はどうだとか女はどうだとか、そういった意識が変革されつつあるらしい。俺は爪に朱を塗る趣味はないが…なるほど、一つ知見を得た気がするな。ところで俺の拘束を解くなよ。僅かにでも緩めば、俺はすぐにお前らを皆殺しにしてしまうからな。俺もそれなりの代償を払う事になるが知ったことか 』

 

 などと言う冷静沈着な事を言っていたものだった。

 冷静、そして沈着とはヨハンの代名詞である。

 舐められた真似をしても軽々に激発しない。

 まずは脅迫をするのだ。冷静でなければ出来ない事だった。

 

 そんなヨハンが蹲るというのは、これはよくよくの事だ。

 

「ヨハン!?」

 

 ヨルシカがヨハンの肩に手をかけ、心配そうに顔をのぞき込む。

 

「なッ…」

 

 ヨハンの左目がまるで爬虫類の様に縦に割れていた。

 

 §

 

 ここは、とケロッパが周囲を見渡した。

 仲間達は誰もいない。

 

 よくよく観察してみれば、自身がいるのは山だった。

 それも故郷の近くにある山だ。

『ケム・ラ』という名で、人間にとってはそこまでの高さでもないだろうが、小人族にとってはまるで天を衝くような高さに感じられる。

 

 若かりし頃のケロッパはよくこの山に昇っていた。

 フィールドワークの一環である。

 それに、山頂から見る星空が余りにも美しかったからだ。

 

 ケロッパが満天の星空を見上げた。

 そして過日を思い出す。

 あの星々の一つ一つが異なる世界であると聞いたときの、胸を打つような感動が蘇ってきていた。

 

 星々の果てにはまた別の世界があるのだ、と。

 そんな事を物の本で読んだ彼は、自身の術を使えば或いはその世界へ行けるかもしれないと常々考えていた。

 

 未熟であった若かりし頃ならばともかく、現在はどうだろうか?

 術理に精通した今であるならば、星天の果ての果てへ行く事はできないだろうか?

 

 今の自分ならいける、やれるとケロッパは思った。

 囁く様に術を行使する。

 

「Hulva zintari, morglus vornath, prithal shorun」

(ハルヴァの理よ、モルグルスの呪縛よ、プリサルの解放よ)

 

 ふわり、とケロッパの身体が浮いていく。

 そして昇っていく。

 どこまでも、どこまでも。

 

 §

 

「う…も、もう大丈夫だ」

 

 ヨハンは首を振って立ち上がった。

 ヨルシカが心配そうにヨハンを見ている。

 この時はすでにヨハンの目の異常はおさまっていた。

 ヨハンは不安そうにしているヨルシカに、キスの一つでもと思うが…

 

 ──アレと一緒はごめんだな

 

 ロイとマイアの事を思い出して取りやめる。

 

「平気かい?術師ヨハン。所で何か質問がある顔をしているけれど」

 

 ケロッパの言にヨハンは頷く。

 

「術師ケロッパ、つかぬ事をお聞きしますが、先刻の霧の荒野。あそこで貴方は何を視ましたか?」

 

 ヨハンが尋ねると、ケロッパはフンと鼻息を一つ。

 そしてゆっくりと口を開く。

 

「故郷…の、まあ僕はね、天体観測が趣味なんだけれど。若い頃によく山を登って、山頂から星を見たりしていたんだ。その時の、なんだろうね、夢…なのかな。そんなものを視た」

 

「それで、どうしたのです?」

 

 ヨハンが尋ねるとケロッパは目をキッとつりあげ、"どうしたもこうしたもないよ!" と憤慨した。

 

「いきなりブワワワ!って悍ましい魔力を感じてね、もう気分が悪くなっちゃって気付いたら元の場所へもどってて、みんなひっくり返ってたよ。なあ、術師ヨハン、クロウ君に恋人かなにか紹介できないのかい?彼女でもできれば少しは前向きになるんじゃないのかい?」

 

 ケロッパにしては俗な事をいい、ヨハンは苦笑を返した。

 

「ま、本妻がいるみたいなのでね…」

 

 ヨハンは目を細めて、前を歩くクロウの背を視る。

 簡素な黒いドレスを着た女がクロウの隣を歩いていた。

 

 



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仰ぎ見るは魔幻の灯

 ■

 

 追憶の荒野に広がっていた妖霧はいつのまにか晴れていた。

 一同の顔色は余り良くはない。

 各々が各々の中の何かと向き合った結果だろう。

 出来れば蓋をしておきたいものに向き合った時、人はこのような顔色となる。

 

 ヨハンは果ての大陸をやや舐めていた事を自覚していた。

 一つボタンを掛け違えば、東西両域の勇士達があっさりと全滅してしまうような魔境であることを改めて自覚した。

 

 そして、自身の胸を締め付ける様なある種の想い。

 それは死にたくない、という生物としての本能的な願いであった。

 

 ──恐れているのか?

 

 ヨハンは自問するが、すぐに解を得る。

 

「へ、へんだな。おで、は怖い。こわいが、こわくない。おでのなかのおれは、こわいけどっ…!おれはこわくないんだ」

 

 たどたどしくゴッラが言った。

 その言葉にラグランジュが頷く。

 

「私もそうだ。死にたくない、恐ろしいと思っているが、どうにもそうじゃないような気がする。…おい!カッスル!貴様!キチガイを見るような目で私を見るんじゃない!」

 

 精神と肉体の乖離かな、とヨハンは思った。

 自身を含む、この場の多くの肉体が本能的に死を恐れているのだろう。だが精神がそれに抗っている。

 

 ──と、いうのも少し違う気がするが…

 

 ヨハンは歩きながら自分達がどういう状態にあるのかを探った。ビビっているのか?ビビっているとしたら何にビビっているのか。命の危機はいくつも経験してきた自分がビビり散らすとは、一体この先に何がいるのか。ビビり散らしている筈なのに、どうも違和感を覚えるのは何故なのか…

 

「なるほど、俺たちはビビっている。それは肉体の自然な反応だ。しかし精神が恐怖を超克している。それは俺たちの精神が強靭だからというよりは、無理やりにでもそういう状態を維持しなければならないからか。肉体は危地にあって、平時より遥かに強い力を引き出す事ができるという。精神もつまり、そういう事なのだろう」

 

 ヨハンはもやもやがスッキリしたようで、朗らかに一行に説明をした。

 

「えっと…なんで笑ってるの?ヨハン」

 

 ヨルシカがやや引いたような表情で尋ねると、ヨハンは言った。

 

「なぜって相手が油断してくれてるからだよ。俺が魔王ならビビらせるまでもなく、静かに、速やかに俺たち…つまり勇者一行をぶち殺してしまうだろう。その方がずっと楽だ。恐怖を与えるなんていうのは悪手だよ。相手がそれを乗り越えてしまったらどうする?精神のトラウマを克服した者はとにかくしぶといぞ。わざわざこんなドロドロとした…得体の知れないというか、気味が悪い気配を飛ばして恐れさせる意味は全くない。魔王とやらはちゃんとした殺し合いをしたことがないのかな?まあ、良くないパターンもあるにはあるがそれは置いておくとしよう」

 

「いや、おいておかないでよ。よくないパターンって?」

 

 ヨルシカがヨハンの肩をたたいて言う。

 一行は二人の会話に聞き耳を立てていた。

 

「そりゃあ勿論、魔王以上にまずいモノが居るというようなパターンだ。そのまずいモノはただ存在するだけで邪悪な気配が湧出するような厄物だ。油断だとかそういう意図はなく、この世界に居てはいけない、存在してはならない禁忌。だから俺たちの肉体はその悍ましさを察知し、震えあがる。それは致命の恐怖だ。体を縮こまらせ、動きを鈍くする。そのままだと死ぬ。だから俺たちの精神はそれに抗おうとしている…。そんな感じじゃあないか?よくよく考えてみると、わざわざ転移の大魔法なんかで俺たちが住む大陸へ攻勢を仕掛ける理由がよくわからん。この果ての大陸に引きこもっていればいいではないか。まるで何かから逃げ出そうとでもしているようだ」

 

「何かっていうのは…」

 

 ヨルシカの顔色は良くない。

 他の者達もだ。

 平気の平左なのは勇者クロウと、彼につきまとっているファビオラのみである。

 

 そのクロウは左にファビオラを侍らせて、誰もいない筈の右側の誰かと会話をしていた。

 

「魔王よりやばいんだったら邪神かなにかじゃないのか。だがまぁ、何が待ってるにせよ…」

 

 ヨハンの視線が前方に注がれる。

 

 荒野の遥か彼方に見える巨大な何かの影。

 それは建築物の影だ。

 

 赤黒い瘴気に包まれ、まるで地の底から巨人が手を突き出し、助けを懇願しているようにみえる。

 

 掌上の左端で輝く赤黒い光は、断じて太陽などではないだろう。ヨハンの霊感は赤い光に根源的な忌まわしさを感得する。

 

 ──命を冒涜する光だ。あれが、魔王城か

 

 

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聖剣一閃

 ◆

 

「で、どう見る」

 

 東域の金等級、ザザが隣に立つ男……ランサックへ尋ねた。

 ランサックは元法神教の異神討滅官であり、糞味噌のような任務を言い渡された際にルイゼに命を救われ、以降は彼女の飼い犬をやっている。なお、現在法神教は存在しない為、ランサックの帰る場所はルイゼの所しかない。

 

「さてなあ、どうだろうな。俺達が出来る仕事があるのかどうか疑問だ。槍で突いて、剣で斬って、それで解決する問題なのか? 俺にはそうは思えない。俺は俺の事を弱者だとは思っていない。アリクス王国でも有数の戦士だろう。ついでにツラも良い。だがなぁ、荷が重すぎる様に感じるよ」

 

 普段は自信に満ち溢れているランサックだが、この時ばかりは消沈していた。魔王城とこの場にはまだ距離はあるが、それでいてなお発される瘴気に圧されているのだ。傲岸不遜なザザも同様であった。ランサックの言葉ではないが、槍で突いて、剣で斬って、それで解決する問題なのかどうかという話である。

 

「ビビってるんだな?」

 

 ザザが薄い嘲笑を浮かべながら再びランサックに言った。

 ああ、とランサックは答える。

 

「仕事がきちんと出来なければ俺はルイゼに捨てられてしまう。いつだったか、ほら、クロウとお前と三人で魔将と戦った事があるだろう。結局取り逃がしちまった……というか、普通に勝てなかったわけだが。あの件でも実は俺はルイゼから叱られているんだ。"魔将とはいえ末端の木っ端、なぜ取り逃がすのですか"ってね。ルイゼは普段は寛大なんだぜ、何したって最終的には許してくれるんだ。俺はルイゼの白く美しい足の指、親指と中指……あれ? 足の指って親指の隣はなんだ? 中指だとおもっていたが、実は人差し指なのか? まあいいや、その指をな、俺の鼻の穴に……」

 

 あれ、とランサックは隣を見た。そこにザザはいない。

 見れば、立ち止まっているクロウに声を掛けていた。

 

 §§§

 

「どうだ」

 

 ザザの短い問いかけにクロウは頷く。

 

「あそこです。とても怖い場所だ」

 

 クロウの言葉にザザはかぶりを振った。

 言葉では怖いと言いながらも、クロウの口端にはうっすら笑みが浮かんでいたからだ。

 

 事実、クロウはこの状況に昏い歓喜を覚えていた。

 

 ──死ぬには良い日だ

 

 どこかで聞いたフレーズを思い浮かべ、コーリングの柄頭を指で優しく撫でる。

 

 §§§

 

「む」

 

 練達の連盟魔術師、ヨハンが短く言う。

 その短い声色に濃密な警戒の気配がぎゅうぎゅうにおしこめられているのを察知した一同は、ヨハンの視線の先を見遣った。

 

 赤黒い瘴気が一点に集中しているのだ。

 渦を巻き、蠢き、うねり。

 魔王城まではまだ距離はある。

 だが魔力を佳くあしらう者なら、視力を強化する程度の事は容易い。

 

「何か、来る。気持ち悪いものが」

 

 カプラが呟いた。

 声が少し震えている。

 

 一同の中でもっとも視力強化に長けているのはアリクスの密偵、カプラだ。無口、不愛想。存在感がなくコミュニケーション能力も皆無である。認識を阻害する業を使う為、魔王城の偵察要員として抜擢された。ちなみにクロウとは因縁があるが、彼女はまだそれには気付いていない。

 

 ◆

 

 "それ"は眷属であった。

 魔王の眷属ではない。外の神と呼ばれる存在の分体である。

 

 外の神とはその名が示すように外の世界の神を意味する。外の世界、つまりこの世界、ひいてはこの星の外の神という事だ。

 

 しかしこれは誤解を招く。彼等は実際には神などではない。彼等は惑星寄生型の恒星間生物であり、この生物は宇宙を遊泳し、目に付いた惑星に寄生することで生き延びている。

 

 惑星とは一つの生命体であり、その星に住む人々はその星の眷属とも言える。しかしこの恒星間生物によって星が寄生されると、その眷属たる人々の心身に深刻な "汚染" が発生する。この汚染は人々の精神を蝕み、身体を変容させてしまう。

 

 汚染の程度は個体差があるが、基本的には本体に近い生物ほどその影響を強く受ける。この汚染は人々の心に深く入り込み、その思考や行動に影響を与える。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ヨハンらが "瘴気" と見定めたそれは、正確には微細な生物の群体であった。小さい小さい、霧の様な生物だ。しかしそれ自体に意思はない。本体の意を受けて動く端末のようなものである。これは言ってみれば本体から剥がれ落ちた皮膚片の様なものである。例えば人間も、日常生活を送るうちに体毛が抜け落ちたり、古い皮膚片が剥がれおちたりするものだが、これもその様なものだ。

 

 ただし、旧アステール星王国の航空機動艦隊を一夜で滅ぼす程度には脅威的だが。

 

 ◆

 

 協会術師、“地賢”のケロッパの表情が歪む。

 フィールドワークを生業とする彼の生存本能がガンガンと警鐘を鳴らしているのだ。

 

 ──あれはよくない

 

 術を使うか、と小さい両の掌を組む。剣士でどうにかなる規模のものではない。あれは術師が対応すべきものだ、そうケロッパは考える。敢えてもう一人の術師であるヨハンのほうは見なかった。ヨハンもまた大技を使ったところは見ているからだ。それに、術行使にあたっては(アマ)な気持ちは枷となり、術の起動を阻害する。

 

 だが、とそれでもケロッパは精神の深奥に弱気が萌芽するのを留める事ができなかった。魔竜との連戦があり、更に精神的にもベストとは言えない状況でどこまで術が広がってくれるか。

 

 ──絶好調時を100とするならば、今の僕は30かそこらか

 

 命を削る必要があるな、とケロッパは思った。

 問題はどこまで削るかだ。

 

 ──どれだけの命を支払えばいい? 

 

「Hulva zintari, morglus gravithar, vornath shorun!」(ハルヴァの理よ、モルグルスの極重よ、ヴォルナスの圧迫よ!)

 

 Hulvaというのは、小人族の言葉で、これは簡単に言うと一般常識全般を意味する。

 

 例えば火は燃える、触ると熱い……これがHulvaだ。

 夜は暗くなる、朝は明るい……これもHulvaである。

 酒を飲めば酔うが、酒に強い者は酔いづらい……これもまたHulva。

 

 一つの単語が様々な意味を包括するという事はままあるが、小人族の“Hulva”は特に意味する所が多い。

 

 ここでは自然の摂理、物理の法則を指す。

 

 morglusは大地、そしてgravitharはその極端な形態、すなわち一点に集中した重力、一時的な極重力地帯を意味する。

 

 vornathは呪縛、制約を指し、この場合はその極重力地帯で敵対者を押しつぶす力、圧迫を意味する。

 

 任意の一点に重力を集中させ、対象を圧殺する理術。

 これを極めるとあらゆる物体、それこそ光でさえも逃れられない空間を生み出す事ができる。そして術師ケロッパはそこまで極まった術師ではあるが……

 

 ──発動しない

 

 ケロッパは目を見開いた。

 詠唱の失敗ではない。しかし不発。

 願望成就の源泉たる魔力が欠乏しているのだ。

 

「ヨハン君!」

 

 思わずケロッパは叫んだ。

 術行使にあたっては他人に頼るなどという(アマ)な気持ちは枷となり、術の起動を阻害するが、そもそも起動ができないのならば仕方がない。

 

 だがヨハンは怪訝そうな表情である方向を見つめていた。

 危機感が欠如しているとか注意がかけているとかではなく、なにかもっとより奇妙でとんちんかんなモノを見ている表情だった。

 

 ◆

 

「死にたい。意味のある死を遂げたい。皆から惜しまれ、悲しまれ、後世まで残るような偉業と共に、この世界のあらゆるしがらみから解き放たれて人生を終えたい。偉業はただの偉業じゃだめだ。それこそ世界を救うような、全世界の生きとし生ける者すべてを救うような偉業でないと。俺は、俺は俺は僕は、何度か葬式に参加したことがある。過労で自殺した同僚の葬式だ。彼女とは仲がよかった、彼とは仲が良かった。同期だった。一緒に新入社員の研修を受けたんだ。山に登ったんだっけな。何故だろう、いつからか頭が鈍くなってきたような。気付いた時、一人、また一人と姿を消した。会社の人間は葬式には来なかった。上司の目は僕らを人間じゃなく部品を見る目で見ていた。怖いのはそれに憤慨するでもなく、僕もまたそれに納得してしまっていたんだ。部品が二つ、壊れただけ。いつからそうなったのか僕には分からない。あんな寂しい葬式があっていいのか? 駄目だ! 一人でも多く悲しんでくれないと、悲しんでくれないと、僕が、俺が──嬉しくない」

 

「うっ……これは魔術の詠唱かい? 何という魔力だ! 僕はいままでこんな後ろ向きな魔力は見た事がない! 確かに魔術の詠唱は本人の願望成就に近い言葉ならば何でもいいのだけど……」

 

 ケロッパが呻きながらいった。

 ケロッパの言う通り、魔術とは術者の願望を成就させる為の祈りの言葉のようなものである。その言葉で魔力はこの世界の法則に従って術者の望みを顕現させる。クロウのトチ狂った文言はとても魔術の詠唱には思えないが、それでも魔力が励起されているならばそれは魔術なのだ。

 

 クロウが常軌を逸した魔術詠唱を行ってるのをみて、ヨハンは僅かに後退った。恐れているのではない。陰気すぎて近づきたくないのだ。

 

 他の者達も同様だった。

 タイランは "辛い事があったのね" などと言っている。

 

「一人でも多くの人々に悲しんでもらう為に」

 

 クロウの殺意が振りかざしたコーリングに収束した。

 殺意、殺す意識、殺害の希求を成就させるべく、魔力が脈動する。

 

「一人でも多くの人々を救いたい」

 

 一心不乱な想いが奇跡を為す。

 かつて発動(3章・第9話:頑張る)に至った、距離を無視して標的を断斬する呪いの斬撃術式が再び起動した。

 

 ゾン、と彼方の赤黒い霧が真っ二つに切り裂かれる。

 それだけではない、切断箇所から伝播するのは強烈な希死念慮だ。

 

 一心に訴えればその気持ちはよくもわるくも相手に伝わるように、雑念無しに振るわれたクロウの一撃は、斬りつけた対象に想いを浸透させる。余程強固な精神を持っていないかぎり、対象はクロウが抱く希死念慮に強制同調してしまうだろう。

 

 ここまで見ればクロウはただの危ない野郎なのだが、距離を無視して標的を断斬する呪いの斬撃術式にせよ、想いの強制同調にせよ、クロウという青年の本質は相手に気持ちを伝えたい、自分を知ってもらいたいというピュアなものであることが見て取れる。

 

 赤黒い霧が急速に色あせていく。

 生きていくことに意味を見出せなくなり、自壊していっているのだ。

 

 クロウはふらりと足をよろめかせた。

 その体をファビオラが抱き支える。

 

「素敵です、クロウ様。わたくしはフラガラッハ家の次期当主として、クロウ様の曇りなき剣刃に惜しみない賞賛を捧げますわ」

 

 顔を赤らめて呟くファビオラ。

 クロウは目を瞑り、寝息をたてていた。

 一生懸命というのはどういう形であれ疲れるものなのだ。

 

 そして、そんな二人を他の者達はやばいもんを見る目で見つめていた。

 

「彼って本当に勇者なのかい?」

 

 ヨルシカがヨハンに問う。

 ヨハンはうーんと唸って、その場に腰を下ろした。

 類まれな霊感、その名に刻まれた霊質(愚神礼賛①)により大体のことは何となくわかってしまうヨハンだが……

 

「ちょっとよくわからないな……違うかも、いや、勇者か? いや……」

 

 クロウという青年が勇者なのかどうなのか、ヨハンをしてどうにもよくわからなかった。

 

 



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閑話:アステール興亡

 ◆

 

 遥か昔、アステール星王国という国があった。

 

 彼等はこの星の住人ではない。外宇宙からの旅人であった。

 しかし彼等の母艦 "アステール" は恒星間飛行中にエンジントラブルに見舞われた。結果として、彼らの母艦はイム大陸に不時着する。この瞬間から彼らの運命はこの星と深く結びつくことになる。

 

 技師たちは母艦を修繕しようと試みるが、この星の文明レベルは低く修繕は難航する。そもそも素材が手に入らない。最終的にこの星で新しい生活を始めるという決断が下される。

 

 外星系人たち…アステール人達は特異な能力を持っていた。

 それは魔法でも魔術でもない、他星系ではPSI能力と呼ばれる力である。火を出したいと思えば容易く生み出し、氷が欲しいと思えばそれも同様。あの岩が邪魔だと思えば岩は宙を飛び、任意のタイミングで任意の強さの風を吹かせる事も出来た。勿論種もあるし仕掛けもあるが。

 

 その能力を活かし、アステール星王国の基盤は短期間で確立される。この星の住民も彼らの技術や文化に感銘を受け…というより、彼等の力にあやかりたいという思いからアステール人たちを受容していった。

 

 原生人類はアステール星王国の技術力に目をつけ、彼らを人類勢力に取り込もうとする。アステール人たちはこの提案を受け入れる。彼らはこの星で生きていくと決断していたから、原生人類との関係悪化は避けたかった。

 

 レグナム西域帝国の皇帝ソウハクは、アステール人たちに正式に土地を分け与え、王国を名乗ることを認める。この瞬間、アステール星王国という国が正式に誕生する。

 

 原生人類とアステール人たちの蜜月は長く続く。

 

 そしてある時、アステール人たちがある程度現地に馴染んだ頃、イム大陸で第一次人魔大戦が勃発した。

 

 ◆

 

 結論から言えば、魔族達は人類に全く抗し得なかった。というより、アステール星王国にといった方が正しいか。

 

 イム大陸各地で築かれた魔軍の陣地を空を舞う巨大な船が空爆する。アルデバラン級空中機動巡洋艦だ。

 

 遥か(そら)の果てへ戻ることを諦めたアステール星王国は、その技術力を星の覇権を握る事へ注ぎ、そして完成したのがアステール星王国が誇る航空機動艦隊である。

 

 後の世でイム大陸の戦史でも航空戦が行われる様になるが、アステール星王国はこの時点では1000年以上時代を先取りしていた。

 

 魔族は魔法に長ける。

 しかしそれが何なのか?

 いかなる魔法であっても、高度1万メトル近い飛行体を撃墜するような魔法を行使できるものはほぼ皆無である。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ロラン王国上空。

 

星霊恒炉(エーテルリアクター)起動。星衝(ヴォル・タ)発射準備」

 

 戦艦 "アステリア" の艦長席から黒髪の美女が指示を出す。

 

 8隻からなるアステール星王国空母打撃群を統括するルイゼ・シャルトル中将は掲げた手を振り下ろした。

 

 空の彼方から降り注ぐのは流星群の様な砲撃の雨である。

 襲い来る星の雨に対し、上魔将マギウスは暗黒の帳を展開する事でこれを防いだ。しかしこの様な一部の上級魔族は砲撃を防げたものの、アステール星王国が擁する航空機動艦隊は各地に散開しており、魔軍は次々に撃滅されていった。

 

 ◆

 

 ──魔軍恐るるに足らず

 

 アステール星王国が沸き立ったのも無理はなく、こうなれば勢いに乗って本土爆撃、そしてアステール星王国、星光騎士団団長カリギュラ・デイン率いる王国騎士団を投入し、一挙に魔王の首級をとってしまおうという第一次トゥーデンス上陸作戦が立案された。

 

 トゥーデンスとは "トゥード"という魔物に由来する。北方に生息するトゥードという魔物は『ムグー!』と奇矯な鳴き声をあげる生物だ。普段は穏やかな気質だが、一度激昂しすると合金混じりの肌にモノを言わせて、凄まじい速度で突進してくる。ちょっとした岩壁などぶち抜いてしまう。トゥーデンス上陸作戦とは、果ての大陸の北部海岸線がトゥードの滑らかな背のようであるので名付けられた。

 

 作戦指揮をとるのはルイゼ・シャルトルの弟であるマルセル・シャルトル少将だ。"星落とし"のマルセル、一個人で戦略級の星術を行使できる俊英。

 

 本来ならば中将であるルイゼが出張るべき場面だが、ルイゼは船を飛ばす為に多大な魔力を消費していたし、なにより個人戦力としてはアステール星王国の最大戦力の一角である彼ならば問題はないだろうと作戦は決行された。

 

 しかし結局の所、その作戦は失敗に終わる。

 

 圧倒的な技術格差により魔族を蹂躙していたにもかかわらず、アステールの艦隊はただの一隻たりとも帰還しなかったのだ。

 

 アステール星王国は当然激憤した。

 王国が誇る圧倒的科学力、そして星術とよばれるアステール独自の異能。これらによってかの王国は大陸最大勢力を誇る様になり、その国力は西域の覇者であるレグナム西域帝国に影をも踏ませないものだった。

 

 当然プライドがある。国のメンツがある。

 アステール王国は次から次へと艦隊を繰り出し、空からが駄目ならばと海上から果ての大陸を攻め立てた。

 

 そしてそれら全てを喪ったのである。

 なぜ壊滅したのか、魔族がアステール星王国以上のテクノロジーを有していたのか。それとも果ての大陸には何かがあるのか?何か、触れてはいけないものが?

 

 戦力の大半を消失したアステール星王国だが、それを魔軍が放置する筈もない。複数の上魔将、下魔将がアステール星王国を強襲した。

 

 だが、アステールは滅びなかった。

 本土強襲には失敗したものの、アステール人が依然恐るべき異能者である事に変わりは無かったからだ。

 

 ◆

 

 ――星の光を薪と焼べ、鏖せよ塡星

 

 アステール星王国、星光騎士団副団長シド・デインが掲げた大剣 "極光" に黄土色に輝くオーラが宿る。

 塡星は破壊と腐敗を齎す必殺の象徴であり、この星術 "塡星" はシドが行使する9つの星術の中でも範囲あたりにおける殺傷性能が高い。

 

 その滅光に危機感を抱くのは強襲軍を率いる上魔将オレイカルコス。大地に掌をあて、数キロメトルに渡り高くそびえる岩壁を作り出す。上魔将オレイカルコスは大地に干渉する魔法を得意とする。城攻め、国攻めにはうってつけの能力であった。

 

 しかし…

 

 ――南より来たりて万理を解し散らしめよ

 

 星の力がシドに満ちるやいなや

 黄土色の輝くオーラと共に、"極光" を横薙ぎに払った。

 

 §§§

 

 最初のアステール人達はそれこそ万能とも言える様な異能を備えていた。火を起こそうと思えば火は起き、水が飲みたいと思えば宙空より水を生成し、風を受けたいとおもえば吹かせる事ができた。結局の所それはどの様な力なのかといえば、森羅万象の原理を理解し、膨大な演算を行い、望む事象が発生するように "切っ掛け" となるトリガー現象を引き起こしていたに過ぎない。

 

 例えば火を起こすための "トリガー"とは簡単に言えば引火点に達する熱量や酸素と燃料の適切な組み合わせなど、火が発生するために必要な条件を満たす瞬間や要素の事を言う。

 

 アステール人がこのトリガーを引き起こす場合、彼らは自然界の法則を理解し、その上で複雑な計算を行う。

 

 その結果、燃料(例えば木材やガスなど)が引火点に達するような熱量を発生させたり、酸素と燃料が最適な割合で混ざり合うように環境を操作することで、火を起こすことができる。

 

 しかし代を重ねるにしたがって、アステール人たちの異能は現地、つまりこの星、この世界の原理原則と混じりあった。強い想いが願いを為すこの世界の魔術原理とアステール人たちの異能、それらが合わさったのが星術である。

 

 強い想い…すなわち、自分達のルーツである星々にまつわる逸話の数々、その逸話に付随する超常的な現象の科学的理解、これらの要素が組み合わさり、星術は爆発的な出力を持つ一術体系として確立するに至ったのだ。

 

 §§§

 

 物は、生物は何故、どの様に腐り果てるのか。朽ち果てるのか。それらを科学的に理解した上でなお自分達のルーツである星々へ憧憬と信仰を捧げた者にしか放てない光。

 

 それが塡星の光である。

 

 触れればたちまち腐れ落ちる腐敗の魔光は魔軍を横断し、そしてそれは上魔将オレイカルコスが生み出した岩壁もろともかの魔将をも滅殺した。

 

 星光騎士団団長カリギュラ・デインの息子であるシド・デインは、若くして限りなく極まっていたのである。

 

 残る魔軍はシドに恐れをなし、軍を退く。

 魔王を除けば魔軍最強、上魔将マギウスをして勝てぬと判断したこの時のシドは世界最強と言っても過言ではなかった。

 

 そして結局、第一次人魔大戦は魔王を初代勇者が封じることで終結した。だがそもそも初代勇者はどの様にして果ての大陸へ渡ったのか。

 

 一説によれば海を凍てつかせて道を作っただとか、聖竜の背に乗り空を渡っただとか、そういった説がまことしやかに嘯かれていたが、それも信憑性に欠ける。

 

 だが噂の一つに『初代勇者は魔王に招かれた』というものがある。

 

 なぜ魔王が勇者を招くのか。

 あからさまに罠だろうに、何故初代勇者がその招きに応じるのか。

 

 あるいは、勇者と魔王、双方の敵が存在していたからか。

 真実は定かではない。

 

 ◆

 

 第一次人魔大戦後、アステール星王国は徐々に衰退していく。魔族による画策ではなく、人による画策だ。更に具体的にいえば、西域の覇者レグナム西域帝国による画策である。

 

 帝国は弱体化したアステール星王国の技術に目をつけていた。しかし正攻法はどうもまずい。ゆえに最初はアステールに対して下手に出て…警戒心を解いた。

 

 そしてある程度の関係が構築されてきた所で人魔大戦である。勿論、だからといってアステールへ攻めこんだりはしない。それに世界の危機であることも間違いない。ゆえに表面上は協調した。

 

 待ったかいもあり、アステールは果ての大陸へ大戦力を注ぎ込み始めた。これはアステールの驕りゆえだろう。結局、かの国は技術力に劣るこの星の民を、生物を心の奥底では舐めていたのだ。だから殴りつければ黙ると思っていた。しかし果ての大陸に向かった戦力は悉く未帰還。

 

 戦力の逐次投入は愚の骨頂である事もわすれ、アステールは貴重な戦力を次々失っていった。

 

 そして戦後、復興に手をつけるアステールの横っ面を殴りつけたのが帝国である。

 

 アステールは徐々に磨り潰され、突出した個人戦力も衆寡敵せずとばかりに少しずつ削られ、最終的に国が消滅した。

 

 一部の有力者たちは国を脱した。

 それは個人で大国に抗する事は不可能だと理解していたからだ。その中にルイゼ、そしてシドらも居た。勿論他の者らもいたが、そういった者達も時の流れの中へ消えていった。

 

 ただし、全員ではない。

 復讐に燃えるルイゼは大悪魔に何かを捧げ、そしてシドは輪廻の奇跡により、極々一部のアステールの民は時を超克して現在に至る…。




本更新のシドは拙作の「曇らせ剣士シリーズ」の主人公です。こちらもよろしくお願いします。曇らせ剣士のほうはハッピーエンド曇らせコメディなかんじです。


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お前たちは死ぬ!!!

 ◆

 

 東方に、とザザが突然呟いた。

 

 虚ろな瞳であった。いや、何か悟りを開いたような超然とした風情すら漂わせる。アリクス王国冒険者ギルド所属、金等級 "百剣" のザザといえばその名の通り百もの剣技を使いこなし、血と暴、そして色(風俗依存症)に染まった怪人だ。しかしこの時ばかりはそのザザも、まるで百年を生きた老人のような心身の脱色ぶりを見せた。

 

「東方に、なによ?」

 

 タイランが尋ねる。

 タイランはザザがちょっと気になっているのだ。

 不死のタイラン……中域出身の武人である。自身の心と肉体の性が一致せず、それは中域最大版図の大国の皇帝である龍帝の治世方針に反するものであった。故に彼は国を抜けて逃げてきたのだ。

 

 中域では同性愛は処刑の対象となっている。ちなみに西域では良い目では見られないが違法行為ではなく、東域では迷惑をかけないならば好きにしろというスタンスで、極東に於いては権力者が積極的に同性を抱いている。

 

 タイランの逞しすぎる肉体には毛の一本も生えていない。それは彼がかつて、修行のためと称して油を被って体に火をつけたからだ。しかし全身を炎が舐め回しても彼はしななかった。体内を巡る膨大な内勁により、彼は異常な再生力を有するのだ。

 

「東方に、花玉というものがある。火粉を詰め込んで、空に打ち上げ花を咲かせる。あれは、それに似ているなと。ただそう思っただけだ」

 

 タイランはザザの言葉を聞いて空を見上げた。

 

【挿絵表示】

 

 不気味だとか不吉だとかを通り越している様な悍ましい赤黒い空であった。タイランはこの果ての大陸に転移してきてからというもの、朝もなければ昼もない、そして夜もない、そんな空間に放り出されてしまった様な気がしてならない。

 

 ザザの言う花玉というものはタイランも知っている。

 元はといえば中域の文化であり、それが極東に流れたものなのだとか。だから中域でも花玉の原型となったものは存在していた。

 

「ああ、あれはいいわねえ。空に咲く大輪の花を見ながら、お酒でも呑んじゃったりして……」

 

 こんな辛気臭い場所でよくそんな事が言えるな、とザザはタイランを無視し、改めてクロウを見た。

 

 ザザの眼にはクロウはもはや人の皮を被った化け物にしか見えない。強さ云々の話ではなく、その精神構造が理解しがたいのだ。そう思っているのはザザだけではないようで、みればラグランジュやカッスル、カプラ、ランサックあたりも同じように感じているようであった。西域の術師と剣士の二人組……特に剣士ヨルシカはクロウに何か思う所があるようだ。

 

 ──だが、術師連中やあの女は別か

 

 ザザは視線をヨハン、ケロッパ、ファビオラへ向け、"あれくらい肝が据わってないと魔王討伐なんぞはできないか"と何となく諦念めいた思いを抱く。

 

「クロウ様ッ! わたくしはクロウ様が死んでしまったらとても悲しいです。わたくしたちは知り合ったばかりですけれど、この様な経験を通して命を預けあう事で心の距離はぐっと縮まりましたわ! ええ、死なせませんとも。心優しきクロウ様のお手をこれ以上汚すことはあってはなりませんわね。ここより先はわたくしがクロウ様の剣となり、あ!? 痛い! 痛い!? 耳が! 甲高い音がわたくしの耳を貫きますわ!」

 

 ごろごろと地面を転がり、ひんひんと鼻をすすりながらクロウの足に抱き着くファビオラを見て、ヨハンはパチパチと目をしばたたかせた。

 

「随分とまぁ豪胆な騎士殿だ。いや、貴族令嬢だったか。敵首魁の眼前で色ボケる度胸があるとは。ロイとマイアを思い出すよ」

 

「あれは?」

 

【挿絵表示】

 

 ヨルシカが極北の冷たさを瞳に宿しつつもヨハンに尋ねる。

 尋ねながらも、冷たい目でファビオラを見下ろしていた。別に怒っていたり軽蔑したりしているわけではない。"よくやるよ"という呆れた思いがついつい態度に出てしまっただけである。ここまで連戦、命の危機が何度も続き、ヨルシカとしてもやや心がささくれだっていた。というより、"仕方ない事だった"とはいえ、追憶の荒野で彼女がヨハンを負傷させたことはヨルシカにとって大きなストレスとなっていた。しかし同じ場面に遭遇すれば彼女は再びヨハンの肉親の幻影を惨殺し、ヨハンの唇を噛み切るであろう。

 

 ちなみに彼女の"あれは? "という質問は、ファビオラの醜態について尋ねたものではなくて、彼女の耳を痛めつけた不可視の力を尋ねている。

 

「あれは、そうだな。聖剣……あれを聖剣といっていいのか甚だ疑問だが、剣の……精霊というか、いや、あれは剣自体が意思を持っているのだろうな。剣に何かが宿っているわけではない……」

 

 ヨハンの眼は小さい指でザクザクとファビオラの耳の穴に指を突っ込んでいる黒衣の少女の姿が視えている。ケロッパもそうだ。怪訝そうな表情でファビオラを、いや、ファビオラを虐待しているコーリングを視ている。

 

「う~ん……? 彼女は罪を赦し魔を断つと言われる聖剣アフェシスの剣霊なのだろうか……だが、浄罪の聖剣アフェシスはその身に白き光を宿すという。所持者……つまり、勇者が無垢であればあるほどに力を増すというその特性……当代勇者であるクロウ君の気質とは相性がいいだろう。僕が見る限りクロウ君はまあ、純粋というか、無垢? な気がするし。しかし彼が佩く剣は、なんかちょっと、魔剣というか。ねぇ、君たちはどう思う?」

 

 ケロッパが困った様子で周囲の者を見回した。

 だが殆どの者がケロッパの視線を避ける様に顔を逸らす。

 

 ラグランジュ、カッスル、カプラは単にクロウが苦手な為。

 勇者クロウは魔王討伐のための重要人物であることにはかわりはないが、キワモノ過ぎて余り関わりたくないというのが本音なのだ。死にたいだとか殺すだとかブツブツ呟いて、よくわからない妖術というか魔術を放つ者に積極的にかかわろうとする者と関わりたいと思う者はいない。

 

 ゴッラやタイランなどは門外漢である為。

 彼等は魔剣だとか聖剣だとかはよくわからないし興味もない。

 

 ヨルシカはなんだか近寄りがたいオーラを発しているし、ヨハンにもよくわからないようだ。

 

 だが……

 

「前々から思っていたが、あの剣は故郷の妖刀に似ているな。妖刀 "(シン)" だったか。眞とは完全を意味する。その刃に断てぬモノ無し……だが、心の底から相手の死を願い斬りかからねば、その刃は使い手を傷つけるという。つまり牽制だの崩しだの、そういう目的で剣を振ってはならんという事だ。あの剣、コーリングからはそれと同じ気配がする。以前からもしていたが、急激に気配が濃厚になった」

 

 極東出身の剣士、ザザが言う。

 それを聞いていたランサックは確かに、と頷く。

 

「俺はよ、まだ法神教にいた頃、強力な憑きものを滅ぼすみたいな任務を何度か受けた事がある。それに似た何かを感じるっていうのかな、この世界にあっちゃあならねえ、邪悪な……そう、忌むべきモノ……そんな気配をあの剣から感じるぜ」

 

 §§§

 

 散々な言われようだな、と思いつつ、クロウはコーリングの柄頭を撫でた。その辺にしておきなよ、という戒めの意も込めて。

 

 すると、すぐファビオラは生気を取り戻すというか、虐めから解放されたいじめられっ子のような心地となった。

 コーリングとしては人間の男女としてクロウとどうこうなろうと、それは全く知った事ではないが、剣云々のセリフは看過できなかったのだ。

 

 かつてのコーリングならば間違いなくファビオラを呪い殺していた程の大罪である。だがコーリングはそうはしなかった。耳の穴をガンガンほじくりまわすだけで済ませた。

 というのも、ここ最近クロウから流れ込んでくる魔力が増え、コーリングも相応に余裕が出てきたという事である。

 

 それに、とコーリングは僅かに震えた。

 有象無象の木っ端に力を使う余裕はないだろうという予感が彼女の剣身を巡る。

 

 その身に宿る権能の全てをクロウの守護に回す必要がある、そうコーリングは考えていた。

 

 ◆

 

 一行は暫く休憩を取り、ゆっくりと魔王城へ歩を進めていった。だが勿論正面からではない。大きく迂回して裏口なりがないかどうかを調べるのだ。

 

「俺たちが先行して調べる」

 

 カプラとカッスルが申し出た。

 ただの二人で敵首魁がいるとみられる本拠地へ接近……非常に危険だが、それが二人に求められている役割であり、これを止める者はいない。

 

 そんな二人を睨みつけるように見つめているのはヨハンであった。敵意すら滲んでいるようなその様子に、緊張の度合が高まっていく。

 

「なんだ?」

 

 カッスルが短くヨハンに言う。

 腰は軽く落とし、いつでも飛びかかれる体勢だ。

 カッスルはヨハンの様子に一種の危機感を覚えた。

 

 彼は迷宮専門の冒険者……探索者であり、迷宮には様々な罠が張り巡らされている。迷宮の罠は悪辣だ。踏めばどこぞとも知れぬ空間に転移し、転移先が壁の中ということもままある。そうなれば全滅は不可避だ。自分という存在は石壁であると再定義されてしまうため、優れた術も業も振るえなくなる。

 

 ──ここは一種の迷宮みたいなもんだ。俺が知る"外の世界"じゃあねえ。だからどんな罠があるか分かったもんじゃねえ

 

 カッスルはとある狂気ガスを想像した。僅かでも吸い込めば発狂して仲間達に襲い掛かるという悪辣な罠だ。

 

 見ればヨルシカもヨハンの服の裾を掴んでおり、表情には緊張と若干の不安が見える。

 

 その当のヨハンは両眼を強く瞑り、やがて何かを重い決断をするような風情で懐へ手を差し入れた。すわ凶器かと緊張が最高潮に達し、だがヨハンが取り出したものは凶器ではなかった。

 

「ならばこれを持っていけ」

 

 

【挿絵表示】

 

 連盟術師ヨハンが懐から何かを取り出し、二人へ手渡す。

 それは2体の小さい木彫りの人形であった。

 

「な、なに、この気持ち悪い人形……」

 

 無口なカプラが慄きながら言った。

 彼女の言も無理はない。

 それは酷く気持ち悪い人形であった。呪いの人形、と言えば想像しやすいだろうか。ぎょろりと剥かれた目、あんぐりあけられた口、粗雑な造りだが、しかしその雑さが一種の呪術的な異様を醸し出していた。

 

「護りの人形だ。お前たちの身を護るだろう。しかし何も起こらなければ必ずその人形は捨てろよ。破壊した上で燃やせ」

 

「そんなものがあるなら、どうしてこれまで使わなかったんだ? それと、破壊しろってのは……」

 

 カッスルが当然の疑問を発する。

 

「長くなるがいいか?」

 

 ヨハンが逆に質問した。

 命にかかわる、そして不気味な人形の詳細……これは知っておかねばならないとカッスルは感じた。カプラも同様の様で、二人は無言で頷いた。

 

 ヨルシカは"あっ……"というような表情をしている。

 

「こんな話がある。ある所に美しき木精がいた。だがその木精は死にかけていた。なぜなら絞め殺しの蔦……植物に寄生する蔦に本体である樹木を締め付けられていたからだ。絞め殺しの蔦は特に樹木へ寄生し、栄養分を奪い取る。寄生された樹木は徐々に干からびて死ぬのさ。……だが、そんな樹木を見て、一人の狩人が樹木にまとわりついた蔦を取り払った。その狩人は優れた狩人であり、優れた狩人はその感覚によって幽玄の存在を看破する。特に、木精といった植物にまつわる精などを見極めたりということは珍しくない。本来そういう存在は術師のような特別な眼を持つ者にしか見定める事ができないものではあるが。その狩人には死にかけていた木精が視えたのだ。だから助けた。木精は狩人の心優しき振る舞いに感謝し、狩人に恩を返すべく彼の狩猟を佳く助けるようになった……しかし!!!! 絞め殺しの蔦は果たして悪の存在か? 美しく義理がたい木精を絞め殺そうとした蔦は邪悪な存在か? 否! そんな事はない。絞め殺しの蔦の所業は残酷に思えるかもしれない。しかしそれは自然の営みの一部だ。善もなければ悪もないのだ。蔦にだって命はある。己の命を維持し、護る為に樹木にとりついたのだ。樹木が自身の力……つまり、例えば蔦にとって毒となる樹液を出したりする事によって蔦から逃れるというのは良いだろう、だが狩人がそこに介入してくるというのは自然の摂理を捻じ曲げる行いだと俺は思う。狩人に取り払われた蔦がどうなったのか、カッスル、カプラ、お前たちは想像したことがあるか? ないだろう。植物にも微弱ながら意思があるという事を知れ。蔦は怒っていた、蔦は悲しんでいた、蔦は苦しんでいたのだ。しかしそれを汲んでくれる者は誰もいない。俺以外には。だが俺は酷い男だ。残酷な男だ。蔦の怒りと悲しみを利用しようとしている。この術は木片を木精と見立て、内部に蔦の種を埋め込む。そして所持者の血を木片に刷り込ませる事で、所持者を木精と誤認させる。嘆きと怒りに総身を満たした蔦の復讐対象と誤認させるという事だ。その上で所持者に攻撃を仕掛ける者がいたとしたらどうなると思う? その者は蔦の怒りに触れるだろう。復讐するは我にあり、と攻撃者に襲い掛かるだろう。だが欠点もある。攻撃をされなかった場合、暫く経つとこの術は所持者に襲い掛かる。なぜならば所持者は木精であり、木精は蔦の獲物であるからだ……。確実に襲われる。たかが蔦と侮るなよ。殺傷力は非常に高い。それも命の危険があると確信できねばこの術は使えない。だが今、俺の霊感はお前たち二人の死を予見した。このままだとまず死ぬ! だからやや危険な術だが、これを以て備えようというのだ。安心しろ。俺がこの術を使うと決断したからか、お前たちに死の影は視えない。まあ確実ではないし、もしかしたら普通に死ぬかもしれないが、それはその時だ。割り切ろう。では最後だ。この術は俺の詠唱を以て完成する」

 

 ──忌み蔦よ。お前はただ生きる事さえも許されない。然らば嘆き、狂え。生きられないならば死ぬがいい。だが殺せ。復讐すべき者はお前の傍らに

 

「よし、さあ、カッスル、カプラ。手を出してくれ。一滴でいい。血が必要だ」

 

 額にやや汗を滲ませ、口端には笑みさえも浮かべながら、連盟術師ヨハンはカッスルとカプラに手を差し伸べた。皆沈痛な様子で、特にカッスルとカプラに至っては蒼褪めている。

 




ここまで読んでくれている読者様方なら知ってると思うんですが、長セリフは一切改行できません


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魔胎、孕むは邪

 ◆

 

 一行は会話を交わすことなく城に向けて進んでいった。先頭を歩くのはカッスルとカプラである。

 城までは大分距離があるが、視界に移る大きさを鑑みるに相当大きな城だと思える。

 

 空には赤黒い雲が垂れ込め、その中からは何か名状しがたい存在がひそかに観察しているかのような気配が漂っていた。頬を撫でる風には血のような臭いが混ざり、その瘴気は彼らの心にまで染み渡る。

 

「あの城は守りだとか攻めだとか、そういう事を考えて作られていない様に見えるね」

 

 ケロッパがぽつりと呟く。

 それは誰かに向けられた言葉ではなく、どちらかといえば独り言の類であった。

 

 確かに、とヨハンは思う。

 

 荒野に佇む魔王城には、物見塔だとか防壁だとか、本来あるべき守りの設備がない。スケール感を無視すれば、荒野に伸びる悪趣味な茸の類に見える。不気味さと悪趣味さは充溢しているものの、あの城を魔族の本拠地だとするならばもう少し堅実な何かが必要にヨハンには思えた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 堅固に守られているという様には見えないという印象は正しく、意外にもというか案外にもというか、一行はさしたる妨害もなく魔王城に最接近出来た。

 

 近くで見る魔王城は単なる奇妙さを超えていた。建築学の基本さえ無視したその形状は理解不能な幾何学的パターンで構築されているかのようだった。壁には触れてはいけないと直感で感じるような不気味な紋様が刻まれている。

 

 ケロッパは壁には触れるなと一同に注意する。ヨルシカがヨハンを見ると、ヨハンも魔王城の壁面に刻まれた紋様に厳しい視線を向けながら頷く。

 

「で、で、でかい!」

 

 ゴッラが城を仰ぎながら言う。

 

 そんな彼に、おおきいわねえ、ふといわねえ、などとタイランが応じた。

 

 ケロッパとヨハンは壁面について議論を交わし合っていた。ザザとランサック、クロウ、ファビオラなどのアリクス王国組は何やら話し込んでいる。真剣な雰囲気はない。良くも悪くも肩の力が抜けており、しかしラグランジュは一行の緊張感の無さに苛々し、そんな彼女を意外にもヨルシカが宥めていた。

 

「まぁまぁ。余り緊張していてもよくないよ。貴女も剣士なら分かる筈だ。切れ味鋭い一撃が脱力から生まれるという事を」

 

「そういわれればそうかもしれないが、仮にも敵の首魁の根拠地なのだから……いや、しかし……」

 

 ラグランジュは男性嫌悪主義者(ミサンドリスト)のケがあり、基本的に男に対して当たりが強いが、女性に対しては真っ当な対応を返せる。勿論男だからって無差別に嫌うわけではなく、実力が伴わない権威主義的な男でなければいきなり発狂したりはしないのだが。

 

「うへぇ、あの壁から感じる厄い気配は……邪教の本拠地とかでたまに感じた奴だな。俺は詳しいんだ。連中の大半はかなり雑で、邪教だの邪神だのと言っていても適当で感覚的な儀式をおっぱじめやがる。だから大抵は何も起こらないんだが、中には"本物"もあるんだよな……」

 

 ランサックはそんな事を言った。

 元法神教徒であるランサックは異神討滅官という役職に就いていた。

 

 仰々しい名称だが、やっている事はろくでもない。異神討滅官などというのは言ってしまえば法神教に傅かない者達や、法神教の邪魔となる土着の神などを消し去るというどうにもヤクザな仕事なのだから。

 

 兎も角も、その経験からランサックには分かるのだ。城全体に刻まれている紋様は並々ならぬ邪悪の一構成物であると。

 

「魔王という奴の仕業か? 俺にも良くないものを感じる。だが……」

 

 ザザが首を傾げた。

 

「俺の故郷に"魔を以て魔を制する"という言葉がある。強大な力を持つ大悪霊の力を封じるため、別の大悪霊をけしかけるみたいな事を得意とする連中がいるんだ。オンミョウジ……だったかな。そいつらが使う術の禍々しさに似たものを感じる」

 

 それを聞いたヨハンはふぅんと妙な声を出しながら壁面をマジマジと視た。紋様の一つ一つから感じるものはあらゆる負の感情だ。心が弱い者ならばこの壁面を見ただけで気鬱になってなってしまうかもしれない。

 

 ヨハンは視た。

 

 真っ黒く、粘着質な大気を束ねた不吉な竜巻を。

 無数の白い髑髏が風の波涛の波間に見える。

 粘着質な風が生者の皮膚に触れようものならば、皮も肉もべろりと剥がれてしまうだろう。

 

 ヨハンは自身の精神世界を強く意識する。黒い太陽がぎらりと輝き、森々が瞬く間に広がり、大地に深く根を伸ばしていく。大気は猛毒を孕み、外部からの侵入を強く拒む。

 

 その世界を先に見たイメージへ重ねていくのだ。

 

 見るのと視るのとは似ているが違う。

 

 例えば一つの赤い林檎が目の前にある時、それを見るならば色が赤いとか香りが芳醇だとか、色艶が優れているだとかそういう点が見えるだろう。

 

 しかし視るとなると話が変わってくる。

 その林檎の背景が浮かんでくる。林檎は自然のものか、人の手によるものなのか。後者ならば誰が何の為につくったのか。食卓に並べる為か、それとも家畜の飼料としてか。林檎の樹が植えられた土壌の質はどうなのか。

 

 術師の多くは"視る"ことが出来るが、どの様に視るか、どこまで視る事が出来るかは術師によって様々である。

 

 そして、"視る"ということは"視られる"事と同義であり、悪意のあるモノを視た場合、自身の精神へ悪意が逆流してしまいかねない。それを防ぐ為に備えるのだ。いざ悪意が流れ込んできても、それを迎え撃ち、磨り潰す事ができるように精神世界を整えておく。

 

 術師にとって自身の精神世界は最大の武器であり防具でもある。

 

 ──(ヤワ)な精神では"呑まれて"しまいそうだ

 

 ヨハンはそう思うが、壁面に渦巻く呪いのヴェールの奥には何があるのかを視ようと、より深く精神の目を凝らした。

 

 触れるもの皆全てに食らいつく呪いの念は、渦の中心へ向かっている様に視えた。

 

 ──何がある……? 

 

 ヨハンは更に集中力を高めていった。

 そして漸く垣間見えるのは……

 

 ・

 ・

 ・

 

 "それ"は巨大な岩の塊であった。

 

 見上げる程に巨大な岩だ。岩のいたる所に切れ込みが入っている。不気味なのは岩のあちらこちらに人骨がへばりついている点である。

 

 人間の骨のようなものもあるが、眼窩が四つあったり頭部に角があったり、明らかに人間ではない骨も幾つも混じっていた。

 

 そういった骨が巨大な岩にへばりつき、すがりつき、爪で、歯で岩を削り取ろうとしている。

 

 ドクン、と世界全てが震える様な鳴動があった。

 岩に刻まれていた切れ込みが、目を開けたのだ。

 切れ込みに見えていたのは目だったのだ。

 目の数は100か200か、或いは1000か? 

 開かれた目から赤い液体が流れ落ちる……まるで血の涙だ。

 

 血の涙に触れた骨が溶け、朽ち果てていく。

 岩は再び目を閉じ……

 

 風が吹いた。

 

 黒い風が骨をのせ、びゅうびゅうと吹き荒れた。

 

 骨の群れは岩に縋りつき……その内の一体がぎょろりと"こちら"を向いた。

 

 風向きが変わる。

 ヨハンに吹き付ける黒い風。

 

 黒い風はヨハンの精神世界にまで入り込み、何体かの骨が歩を進めようとした所で、大地から伸びた木製の棘に足を貫かれて歩みを止める。立ち止まった骨たちは空に輝く漆黒の太陽に焼かれ、炙られ、大気の毒が骨をグズグズに溶かしてしまう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ヨハンは目を見開いた。

 何かが分かった様な気がした。

 

 ──封印、か? 

 

 誰が、何を封印しているのか。

 ヨハンにもそれは分からない。分からないが、答えは城の奥にあると霊感が告げていた。

 

 ただ、少なくとも先代勇者が施したものとは考えられないし、真っ当なものでもないとヨハンは考えた。

 

 例えるならば器の中に極めて凶暴な毒虫がいたとして、その毒虫の勢いを弱める為に別の毒虫を大量に注ぎ込む……ヨハンが視た封印ヅラした何かはそのようなものだったからだ。魔王に対して施される物にしては些か邪悪に過ぎる。

 

 ヨハンがそんな事を考えていると、軽薄そうなチャラ声が聞こえる。カッスルである。ヨハンはカッスルの顔をマジマジと見て、少なくともすぐに死にそうな感じはしなかったので少しだけ安堵した。

 

 ・

 ・

 ・

 

「じゃあちょいと行ってくら。正面から入るのはどうもなぁ。裏口でもあればいいんだが」

 

 カッスルが飄々と言い、魔王城へと向かっていく。

 その後からカプラが。彼らの仕事は魔王城に対してのよりよいアクセス方法を探す事である。

 

 正面から全員がノコノコと乗り込んで、罠で一網打尽にされました、では話にもならない。最低限度の安全の確認は必要であった。

 

 ◆

 

「とはいうものの、俺の生存本能みたいなものがギャアギャアと喚いてるぜ。近づくなってな」

 

 カプラはカッスルを無視して歩を早めた。

 カッスルは無視された事を無視してなおも続ける。

 

「アレも一応城なんだろうけどな、城なら隠された脱出路みたいなものがあるはずだ。一般的な城には平均して5の隠し通路が仕込まれているという」

 

 そこでカプラはちらとカッスルを見て、軽くため息をついた。カッスルの言は理に適っている様に思えるが、それはあくまでも常識の範囲内の言に過ぎないからだ。転移の魔術にも通じる魔族ならば、遠く離れた場所へ移動するための魔法陣の一つや二つ、あっても何の不思議もない。アレのどこが一般的な城なのか、としかりつけてやりたい気分であった。

 

 カプラは温かみのない視線の刃をカッスルへ向ける。彼女が見る限り、カッスルという男はどうにも軽薄なのだ。彼女はその様な人間を好まない。

 

 それに比べて、とカプラは往時……どこか気恥ずかしい感情を抱いた相手との日々を思い出した。裏路地で知り合い、僅かな間支え合ったあの少年と再開をしたいと彼女は思っている。

 

 ──この任務が終われば、私は一生遊んでいられるほどのお金と、自由な身分を得られる。そうなったら私はアルを迎えにいく

 

 アルとはアルベルト・フォン・クロイツェルである。東域でもアリクス王国に次ぐ勢力を誇るテーゼル公国の貴族の嫡男でありながら、劣等な容色により両親から嫌悪され、廃嫡された少年。

 

 薄汚れた野良犬の如き日々に精神は歪み、やがて道を踏み外し、人の姿をした怪物となり果ててしまい、やがてクロウによって胸をぶち抜かれて討ち果たされた(Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~メンヘラと外道術師①以降参照)。

 

 アルベルトが既にこの世を去っている事をカプラは知らない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 カプラの腰に括りつけた小物入れからキィという音が鳴る。カプラはびくりと肩を跳ね上げ、唇を噛み締めた。

 

 カッスルも同様だ。忌々し気な視線が腰に向けられていた。

 

 彼らは例の木彫りの人間を所持している。カプラなどは人形に触れるのも嫌がったのだが、連盟魔術師ヨハンがカプラに向き直り、彼女の死についてつらつらと語り出したので仕方なく従う事にしたのだ。

 

 カプラはヨハンが苦手だった。

 黒い瞳の奥に得体の知れないドロドロした何かが、グツグツと煮立っているように思えるのだ。

 

 ──あの術師の目をみると、視線を通じて穢らわしいモノが流れ込んでくるみたいで凄くいやだ

 

 というより、カプラは勇者とその仲間達というからにはもっとキラキラとしているのではないだろうか、とやや不満であった。彼女が幼い頃に読んでもらった"勇者物語"では、もっとヒロイックな印象を持った覚えがあるのだ。

 

 ──きらきらというか、ギラギラしてるよね

 

 そんな事を思いながらカプラは城の周辺を散策しはじめた。

 



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魔腑の洞①

 ◆ 

 

 カッスル・シナートは帝国の生まれではなく、帝国の事実上の属国、ロナン王国の出身である。

 

 幼少時のカッスル少年は読書家で、中でも冒険王ル・ブランが書いたと言われる物語が大のお気に入りだった。

 

 ──冒険王ル・ブラン

 

 その名は伝説に彩られた大冒険者であり、彼の生涯にわたる冒険の記録は多くの者たちに憧れと尊敬の対象となっていた。

 

 ル・ブランはまるで夢のような天空都市、不思議に満ちた地底都市、そして神秘的な海底都市など、世界中のあらゆる秘境に足を踏み入れ、その詳細な記録を書に残した。

 

 また、第一次人魔大戦の中期に生まれたとされるル・ブランだが、その生涯については謎に包まれている。何故なら彼が訪れたとされる秘境を他のどの冒険者も見つけ出すことができず、その信憑性が疑われているからだ。また彼が初代勇者と親交があったという噂もあり、その事実は今も確かめられずにいる。

 

 その実在すら疑われるル・ブランだが、彼の物語に胸を躍らせた者は数知れず、カッスル少年もまたその一人であった。

 

 彼は実に真っ当に鍛錬を積み、実に真っ当に知識を蓄えていき、実に真っ当に戦う業を磨いていった。

 

 勿論独学には限界があるが、レグナム西域帝国からの物的資本、人的資本がロナン王国に大量に流入してきているという状況が幸いした。

 

 当時の帝国は10代皇帝ソウイチロウの治世下にあり、彼は急進的な領土拡張主義を取っていた。

 

 ロナン王国も帝国という名の大波にあっさりと呑み込まれるが、様々な理由により国体の存続を許される。ロナンがロナンとして存在していたほうが都合の良い事情があったのだ。

 

 帝国はロナンに資本を注ぎ込み、ロナンは帝国侵攻以前より遥かに栄える事となった。

 

 カッスル少年はそういう情勢下で生まれ、そして成長していった。恵まれない環境にも屈さず、克己の意思を忘れない者は確かに強くなる。しかし、恵まれた環境で努力を惜しまない者も強くなる。

 

 その証明が金等級冒険者"探索者"カッスル・シナートという男であった。長じた彼は世界中のそこかしこに足を運び、様々な遺跡、迷宮、秘境を探索してきた。

 

 彼の象徴とも言える"うねりの魔剣"は東域のとある迷宮で手に入れたものだった。非常に魔力を伝導させやすい金属で作られており、しなり、伸び、螺旋を描く剣身は現在の鍛冶技術では作成し得ない。迷宮という空間では、時に古代の財宝を手にできるチャンスが訪れる。

 

 "迷宮"というのは極めて強大な個が周辺環境を改変した空間を言う場合と、もしくは何者かが意図的に作成した構造物を言う場合とがあるが、カッスルはその両方を多く踏破していった。

 

 迷宮踏破、秘境踏破にあたって危険な存在と対峙した回数は数知れない。その中には竜種すらも居た。

 

 しかし、自身の未知を既知へと変える時の喜びたるや! 

 

 カッスルはその喜びを、快感を覚えるたびに総身に幻想のエネルギーが満ちていくのを感得するのだ。

 

 その時のカッスルはまさに万夫不当の力を発揮する。

 

 魔王が住まうだろう根拠地も、タイプはどうあれ"迷宮"であろうと予想する事は容易で、その踏破を目指すのならばカッスルの経験……能力は非常に役立つだろう……そう考えた帝国が彼へ声を掛け、そしてカッスルもまた未知を既知とすべく魔王討伐の大任を引き受けたのである。

 

 ◆

 

 カッスル・シナートの心の底には魔物がひそんでいる。未知を既知へと変える時に悦びを感じ、力へと転換できる彼だが、未知が未知のままであった時、恐怖感や不安感を感じてしまう。

 

 そういった感情は"魔物"の根源である。古来、人々はそういった感情に形を与えて世に解き放ってきたのだから。

 

 カッスルの精神世界には巨大で真っ暗な穴があいていて、魔物はそこから這い出てくるのだ。カッスルは必死でそれを埋めようと穴に知識の砂を満たし続けている。魔物が這い出てこないように。

 

 なぜなら魔物が完全に這い出てしまうと、彼の愛する"世界"が壊れてしまうからだ。これはあくまでも、不安や恐怖が現実のものとなってしまう事の比喩だが、カッスルはこうした根源的不安を抱えている。

 

 だがこれは無限のループであり、新たな未知が現れる度に、その強迫神経症めいた不安感はさらに強まっていく。つまり、魔物が這い出てくる。未知を知ったとたん、次の未知への恐れが生まれ、再びその恐れを"知る"……穴へ砂を流し込むことでしか解消できない。

 

 今がどういう状況なのか、行く手に何が立ちふさがっているのか、あらゆることをカッスルは知りたいと思っている。

 

 言ってしまえば、カッスルは心の病気なのだ。

 強迫性障害(OCD)、不安障害、偏執症、 PTSD(心的外傷後ストレス障害)あたりがあげられるだろう。

 

 カッスルが"こう"なってしまった根源的原因は、彼が極めて真っ当に育ち、極めて真っ当な人間としての情を持っていた事かもしれない。

 

 彼は国を、両親を、友人を、恋人を、母国に住まう人々を好ましく思っていた。亡くしたくない、失くしたくないと思っていた。

 

 だが彼の母国、ロナンはレグナム西域帝国の事実上の属国であり、ロナンが政治的な理由により帝国に存続を許されているだけだと知った時、カッスルの精神世界には不安という名の大きな黒い帳がおりた。

 

 国が滅びればそこに住む人々がどうなるか。

 ましてや大中小、様々な国々を滅ぼして領土に組み入れてきた帝国の手に掛かればどうなるかなど子供でも分かる事だ。

 

 幸せな生活の全てが砂上の楼閣だと知った時、カッスルは恐怖し、不安に思い、そして安堵した。

 

 なぜ安堵したのか。

 

 それは"知って"さえいれば備えられるからだ。

 何よりも恐ろしいのは知る機会を与えられず、一方的に混沌の渦中に叩き墜とされる事である。そして、安堵と共にカッスルの精神の何かが変質した。

 

 ◆

 

 壁面の違和感に真っ先に気付いたのはカッスルであった。

 

「なぁ、カプラ。ちょっとこっちにきてくれよ」

 

 カッスルが呼びかけると、カプラは無言のまま音も無く彼に近づいた。カッスルはそんなカプラに壁面のとある箇所を指で指し示す。

 

「なにか変なんだ」

 

 カッスルの言葉を受けてカプラは暫時その箇所に視線を注ぐが、やがて小首を傾げた。

 

「……?」

 

 彼女には何がどう変なのか良く分からなかった。変と言えばこの大陸の全てが変だ……それがカプラの思いである。

 

 カッスルは腰に佩く"うねりの魔剣"の柄に手を置き、軽く魔力を流す。すると剣を繋ぎとめていたバンドがぱちんと音を立てて外れた。

 

 "うねりの魔剣"は特殊な形状の剣で、いわゆる斬撃の類は一切出来ない。カッスルはイム大陸の東西南北、様々なダンジョンに足を運んでおり、東域のダンジョンでこの魔剣を見つけた。

 

 "うねりの魔剣"は先述した様に斬撃が一切できない。しかし代わりに突きに特化しており、第二次人魔大戦の際、アリクス王国の貴族であるグレンダン・ロストヴァリ※1がこれを愛用したと言う。もっともグレンダンの場合はダンジョンで直接見つけたのではなく、献上品としてあがってきたものを愛用していたとのことだが。

 

※1グレンダン・ロストヴァリ:なろう&カクヨム/曇らせ剣士シドの輪廻冒険譚②、ハーメルン/曇らせ剣士シド第2話『やはり屑』参照

 

 グレンダンは当時のアリクス王国で突きの名手として知られていたが、しかし魔軍との小競り合いで、魔将と相対し、敢え無く殺された。ロストヴァリ家は歴史書に小さく記される他愛ない野戦で滅び、現在はその地はダンジョンと化している。

 

 そしてグレンダン・ロストヴァリの愛剣は時を巡って西域の冒険キチの手に渡ったというわけである。

 

 兎も角も急に剣を抜いたカッスルに、カプラは警戒の様子を隠そうともしない。

 魔族のいわゆる"成りかわり"はカプラも知っており、アリクス王国でも件の魔族の為に多くの被害が出ている。

 

「別に突き掛かろうってわけじゃねえよ。素手で触れたくなかっただけさ」

 

 カッスルは警戒態勢を取るカプラにそういうと、剣の先端をゆっくりと壁面に近づけた。

 ぞぶり、と先端は壁に埋まる。

 

「……幻影? 抜け穴か?」

 

 カプラの呟きにカッスルは答えない。

 彼にもなぜそうなるかがよく分からなかったからだ。ただ……

 

 ──ズレている

 

 と、そう感じただけである。

 

 ズレとは何か、カッスル自身にも説明が出来ない。ただ、彼は昔からこのような"ズレ"を感知する事ができる。何かが違う、なんだか変だ、違和感がある……そういった感覚を、カッスルは総じて"ズレ"と言い表していた。

 

 この感覚能力の根源は、ロナン王国の仮初の平和に対して感じた違和感である。

 

 若きカッスルはレグナム西域帝国の機嫌一つで吹き飛ぶ母国の在り方、そして、その不安定なロナンで幸せそうに暮らす人々の有様に強い違和感を覚えていた。それはまるで、薄氷の上で戯れる子供たちを見る時のような気持ちであった。

 

 ──危ない事が分からないのか? 

 

 ──危機に気付いていないのか? 

 

 ──1歩間違えればたちまち踏みしめる氷の盤は砕け、凍てつく水中に叩き落とされるというのに

 

 自身と外の世界の"ズレ"を、カッスルは超感覚の一つとして感得している。

 

 ずぶり、ずぶり、と"うねりの魔剣"が壁にうまっていき、やがてカッスルの手、手首、腕……そして体と壁の中へ吸い込まれていく。

 

「大丈夫そうだ、中に潜り込めそうだぜ。危険も……ない。今の所は。どっちにしても抜け道があるのは助かるぜ。正門からは……余り入りたくない。ただの勘だけどな」

 

 カッスルはそれだけ言い残し、とぷん、と壁の中に完全に潜り込んでしまった。

 

 カプラはそんなカッスルに追随する事はなく、見守る事に徹していた。カプラの斥候としての勘もこれは抜け穴の類で罠はないと囁いていたが、二人の見立てが外れて、罠である可能性もないとは言えない。

 

 ◆

 

「これは……」

 

 カッスルは呟いた。

 城の内部はダンジョンのようなものかもしれない、とは事前に説明を受けていたが、確かに尋常なものではなかった。

 

 だが、ダンジョンではない。

 内壁は赤黒い何かで覆われていた。

 例えていうならば……

 

「まるで、体の中だな」

 

 不意にカッスルの横で声がする。

 

 うお、とカッスルが飛び上がると、そこにはカプラが立っていた。

 

「色々考えたが、お前を放っておくと勝手に進んでしまいそうだ。それでお前が死んだりしたら、わたしたち全員の不利益になる……気がする。だから私も中に入った。取り合えず足を踏み入れただけで殺しにかかるような罠がない事には安堵したが……気持ちの悪い場所だ。だが仕事は仕事だからな、入口だけ見つけました、では話にもならん。最低でもこの階層だけでも探っておくか? 見た所、奥に扉が見えるようだが……肉らしき、な」

 

 そんな事を言うカプラを無視して、カッスルが壁を指でなぞると、壁がぷるぷると震え、液体のように波立つ。壁は血肉のような赤黒さを帯び、粘液で覆われているかのようにも見えた。それらがはっきり見えているのは、カッスル達が明かりを持っているからではなく、光源があるからだ。薄ぼんやりとした光……ウィスプにも似た円形の明かりがそこかしこへ浮いて内部の様子を照らし出している。

 

 カッスルの指は震え、顔面にはびっしりと汗が浮かんでいた。それでいて目が爛と輝き、妖気の様なものを発されているのがカプラには分かった。

 

 ──こいつ、魔力が増えている

 

 そして饐えた匂い。それは何かに、誰かに怯え、恐怖に震える獲物の肉体から発される香りだ。カプラは"仕事"でそういった匂いを沢山嗅いできた。そんな彼女の見立てでは、カッスルは間違いなく怯えている。しかし怯えて縮こまるどころか……

 

 ──こいつも、あの勇者と同じか。気味が悪い……だがこの状況では頼りにはなるか

 

 自称勇者のクロウと同じ扱いをされたカッスルだが、カプラの内心には少しも気付いた様子はない。

 

「見た目だけじゃなく、感触もまるで生き物みたいだな。この城、いや……怪物の体内? ……は外からだと全く分からないな」

 

 カッスルがそこで言葉を切ると、周囲の空間が微妙に脈動する。まるで心臓が血を送り出すように、空間全体が一体の生命体であるかのような感覚に包まれる。

 

「おい、カプラ。床を見てみろ」

 

 カプラが視線を下に落とすと、床もまた赤黒く、柔らかな泥のような質感であった。そして、その床がゆっくりと波打ち、まるで消化器官が食物を運ぶように、二人を前へと押し出そうとする。

 

「広さは……外から見る倍以上はありそうだ。肉の塔、その内部っていう感じだな。いくつかの階層に分かれているんだろうが、外から見た感じだと精々が10階層。ただ、外からの見た目はあてにはならないだろうな。空間が歪んでいるのか? ダンジョンでは極まれに見かける現象だ……」

 

 カッスルは上を見上げた。

 視線の先には脈打つ肉の天井がある。

 

「周囲に気配はない。まず周辺を散策して、そして上層への通路を見つけるぞ。私たちは私たちの仕事をする。私たちの仕事というのは後発の安全確保だ。その過程で死んだとしてもそれも仕事の内だ。もっとも私は死ぬつもりはないがな」

 

 カプラは注意深く周囲を見回してから言った。

 声色は硬いが、平静といっていい範囲だろう。

 斥候はいつ如何なる時も狼狽えてはならないというのは、見習い斥候が冒険者ギルドで最初に学ぶ事だが、このような異常空間でも平静を保つというのは並々ならない事であるのは言うまでもない。

 



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魔腑の洞②

 ◆

 

 カッスルとカプラの二人は、魔王城一階部分の通路を黙然と進んでいた。

 

 カッスルが先頭に立ち、カンテラを掲げている。迷宮探索にも使う特殊なカンテラで、微量の魔力を流す事で明かりを灯す事ができる。光量が一般的につかわれているものよりも大きく、魔力を流すといっても非常に微量であるため消耗もない。

 

 光に照らされているのは、まるで巨大な生物の内壁に取り囲まれたかのような異常な空間だった。壁や天井は不気味な赤黒い肉の塊で覆われ、その表面にはぬらりとした肉の艶めかしさが揺れている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 通路の各所には大小の穴があいているが、その奥から一体どんな悍ましい生物が這い出して来るかという不気味さが二人の生理的な嫌悪感を刺激した。

 

 気味の悪い通路だ、とカッスルは胸中でごちる。

 

「なァ、カプラ。この城は生きてるのか? 化け物に俺ァ化け物に飲み込まれたような気がしてならないぜ」

 

「さぁ、な。だがその通りなんじゃないか? 相手は魔族だ。こんな気色の悪い本拠地でも不思議はない」

 

 カプラが答えた。声色のは嫌悪感が滲んでいた。生理的なものは抑える事が難しい。

 

 ──魔腑、か

 

 カプラは内心でそんな事を思う。

 

 ──ここが腑……はらわたの中だとすれば、私たちは文字通り魔王の腹の中にいるという事になる。笑えないな

 

「まぁなぁ。それより、話が変わって悪いんだが何か、こう……妙な気がしてくるんだ。外へ出て、太陽の光を浴びたくなるというか……体いっぱいに綺麗な水を浴びたくなるというか。腹は減っていないのに、腹が減ったような気がして……何か、満たされない思いっていうのかな、そんな感じがするんだよ……」

 

 カッスルが奇妙な表情で言う。

 

 何か異常を感じているにもかかわらず、自分でもそれが何なのかよくわからなくて、とりあえず口に出してはみたものの、どうにも上手く言えない事が自分でもわかっている……そんな顔である。

 

 それを聞いたカプラはちらと腰のポーチに目をやりながら、渋い表情を浮かべた。

 

 カッスルの言は自身にも覚えがあるのだ。

 何か、こう、自分がまるで……

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ──(かつ)え、乾き、生きたいが為に"絞め殺す"あの蔦になったかの様な……

 

 カプラの脳裏に、黒髪の術師の姿が想起された。邪悪な笑みを浮かべながらカプラとカッスルへ延々と講釈を垂れている青年だ。

 

 ──くそ、ヨハン、だったか。あいつは本当に私たちを護ろうとしてあんなものを寄越したのか? 私たちを謀殺するためではなく? 見ろ、ポーチに入れた人形が……

 

 カプラの腰の側面で、ざわりと何かが蠢くのを感じた。

 

 ひぇ、と小さい声で悲鳴をあげるカプラは、1秒でも早く不吉な人形を捨てたくてたまらなかった。しかし捨てられない。なぜならヨハンが言ったからである。

 

 ──『お前は死ぬ! このままだと死ぬ! 絶対死ぬ!』

 

 余りにも堂々としたヨハンからの死亡宣告は何の根拠もないにも関わらず、カプラもカッスルも信じてしまった。

 

 優れた術師特有の"霊感"はカプラも知っており、それが口から出まかせとは限らない事も知っていた。魔王討伐の任に選ばれるからには巷間の詐欺師紛いの術師とは違うのだろうという思いもある。

 

 だからいくら不気味で気持ち悪くて趣味も悪く、酷い造形で全身から厄気を放射していても、それを捨て去る気にはなれないのであった。

 

 ・

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 二人が肉の通路を進んで暫く。

 カッスルの鼻腔を生臭さが刺激した。

 内臓の匂い、腑の臭気である。

 

 水気をたっぷり含んだ何かがぶつかりあったような音がして、壁の肉塊が蠢き始めた。元より何の障害もないとは思っていなかったとはいえ、やはりこういうパターンかとカッスルはげんなりしながらも"うねりの魔剣"を抜く。

 

 分厚い肉の触手が壁から伸びた。長く太いそれは胴回りが成人男性のそれほどにあり、筋肉の塊のように触手全体に力感を漲らせていた。絡みつかれればただでは済まないだろうが、カッスルは臆する事なく触手に向けて突きを放った。

 

 "うねりの魔剣"は螺旋状に魔力を纏い、ドリルの様に敵を貫く事が出来る。ただの突きというには余りに殺意が過多であり、これを受けた者はその箇所に大穴をあける事になるだろう。

 

 剣自らが回転して貫通力を高めるため、硬質な皮膚を持つ相手にも効果は大きい。そして敵の肉体に剣が突き込まれる程に魔力は凝縮、圧縮され、突きの終端ではその魔力が外部へ解き放たれる。

 

 未熟な使い手だとこの突きを放つ際に自身の腕ごと捻り飛ばされてしまう。魔力を流せば剣が自ら回転する為だ。しかしカッスルは未熟ではない。掌に魔力を纏って摩擦から保護している。

 

 結句、剣の先端と触手の先端が触れるや否や、赤黒い肉が弾け飛んだ。

 

「やっぱりなぁ! 魔族も魔物もいねぇのがおかしかったんだ! 畜生!」

 

 カッスルは叫び、踵を返した。つまり、元来た道をもどろうとしているのだ。というのも、視線の先には赤黒い壁が通路一杯にぎゅうぎゅうにつまって、しかもそれなりの速度で二人へ向かって迫ってきているからだ。

 

 いや、二人に迫りつつあるのは肉の壁だけではない。いまや通路全体が脈動し、蠢いていた。

 

 ◆

 

 ──え? まさかここで死ぬ感じか? 

 

 いやいや、まさか、とカッスルは冷や汗を流しながら、しかし剣の柄を固く握り締める。

 

 元来た道のその先も肉の壁が出現しており、逃げ場がない。自身の突きでそれらに風穴をあける事ができるのか、と考えれば少し怪しいと言わざるを得なかった。

 

 剣士全般に言える事なのだが、どこを斬れば殺せるか分からない相手というのは苦手なのだ。触手の一本二本を千切り飛ばしたからといってそれがどうなるのか。

 

 ──破れかぶれで片方の壁をぶちぬけないか……やってやれなくはない、か? 所詮肉だ、生肉だ。量で押しつぶされる可能性はあるが、なに、駄目だった後の事は死んでから考えればいい

 

 死ねば死後の世界が見れるかもな、と思うと、カッスルの全身に(りき)(みなぎ)る。この男はそういう性格なのだ。カッスル自身、自分はいつか好奇心が仇となって死ぬだろうと確信さえもしていた。

 

 そしてカッスルが灼熱した戦士の気概を瞳に宿しつつ、足を一歩前に踏み出した所……声がかかった。

 

「待て、カッスル」

 

 カプラは言うなり、ポーチから何かを取り出して壁に向かって放り投げた。

 

 人形である。

 

「丁度よかった。本当に不気味だったんだ、あの人形。あの術師……ヨハンは言っていた。あの人形が私たちを護ると。今こそその力を発揮してもらう場面じゃないか?」

 

 カプラはせいせいした様子でカッスルに言った。

 

 ──成程、一理……いや、二理……まて、十理はあるなッ……!! 

 

 カッスルもポーチからヨハンお手製の人形を取り出し、迫りくる肉壁へと投げつけた。

 実際の所丁度良かった、とカッスルは思う。

 

 元はと言えば迷宮探索者として高名な彼は、その長い探索歴の中で様々な物品を見てきた。

 

 魔法の力を持った品

 神の力を宿した品

 ガラクタ

 

 そして

 

 ──呪いの品

 

 カッスルの目から見てその人形は、刻一刻と危険なものとなりつつあった。まるで水面に波紋が広がっていく様に厄気が増大していくのだ。カプラと同様に一秒でも早く手放したかったのである。

 

 まるで危険物(実際に危険物だが)を放り捨てる様にして手放された二体の人形は、カッスル達の前方から迫る肉壁に文字通り呑みこまれ……



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魔腑の洞③

 ◆

 

 2体の人形が肉の壁に完全に飲み込まれてしまうと、明らかに空気が変わった。

 

 敵意と殺意と害意が二体の人形から放射され、二人は背骨が氷柱に差し替えられたかのような戦慄を覚える。

 

 

【挿絵表示】

 

 不穏が翼を広げて二人を包み込んだかのようだった。

 

 ──ナゼ、ナゼ、ナゼナゼナゼ

 

 怒気に満ちた疑問。なぜただ生きようとするだけで遠ざけられ、拒まれ、傷つけられ、殺されるのか、そんな蔦の憎しみが精神波となって宙空を伝播し、カッスルとカプラを打ち据えた。だがそれでも正気を保っていられるのは、蔦の敵意は攻撃者である肉の壁に向けられているからである。

 

「あ、あの野郎…俺たちに何を持たせやがった…」

 

 カッスルがヨハンを罵り、カプラが答えた。

 

「きっと、ろくでもないもの」

 

 だろうな、とカッスルは眼前の肉壁を見遣る。

 

 壁は悶えていた。

 痛苦と怒りで肉を震わせ、血のみならず黄色い体液のようなものを各所から滴らせていた。

 

 肉壁はまるで拷問を受けているかのように痙攣し、その表面からは無数の目玉と口が突如として現れる。それらは痛みと怒りで開き、閉じ、そして無言の悲鳴を上げた。

 

 ぷつ、ぷつ、という音がカッスルの耳朶を打ち、彼は一体自分が何をやらかしてしまったのかと不安を覚えた。あるいは、肉の壁に飲み込まれるより遥かにタチの悪い事をしでかしてしまったのかもしれない、と。

 

 カプラは後退って口元を抑えた。

 フードに手が当たり、はらりと外れ、肩口で切りそろえた金髪が僅かに揺れる。

 褐色の瞳には恐怖と嫌悪が滲み、精神的な均衡が崩れつつあるのは明白であった。

 

 カプラはアリクス王国お抱えの上級斥候であり、"酷い"場面には多く出くわしてきたが、それでもこれほどの冒涜と狂気には対面したことはない。

 

「な、なんだぁ…こりゃ…畜生…帰りたくなってきたぜ…ママ…」

 

 カッスルが呆然と呟く。

 

 二人とも目を離せないでいた。

 人は余りにグロテスクなものを目にしてしまうと、そこから視線を動かせなくなるのだということを二人は初めて知った。

 

 ぷつ、ぷつり

 

 肉壁の中から芽が顔を覗かせた。

 植物の芽である。

 それが、沢山、沢山。

 

 沢山、沢山肉の壁から"生えて"きた。

 

 芽の土壌となった肉は瞬く間に色を失い、どこか淫猥なドギツい赤から茶色へと変色していく。

 

 カプラが嫌悪感で表情を顰めながら言った。

 

「…あの"芽"は、多分、あの肉を栄養にして成長している。ヨハン…あのクソ術師は"絞め殺しの蔦"だと言っていた。攻撃に反応して起動、そして攻撃者に反撃する術なのかな。樹木に寄生して栄養をかすめ取るみたいな寄生植物は珍しくはないし、そういう植物は魔術につかわれる事もよくある。ただ、魔術は引っ張ってくる逸話次第な所があるからな…あの術師は随分と酷い逸話を引っ張ってきたみたいだ」

 

 肉の触手と蔦が絡み合い、千切りあい、侵食し合っている。どう控えめに見てもグロテスクで、邪悪に過ぎた。二人はこの蔦に命を救われた事になるのだが、全くありがたみというものを感じていない。むしろ危機感すら覚えていた。肉が勝っても蔦がかってもろくな事にならなそうだからだ。

 

 カッスルはカプラが話すのを聞き、その横顔に暫時見惚れた。カプラの嫌悪の表情に何かそそるものがあったのだ。だが、そそるものがあったからといって勿論くどくわけにもいかない。だが、生きて帰ったら酒でも誘ってみるか、等と思うカッスルであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ◆

 

 

【挿絵表示】

 

 

 魔王城からやや離れた岩場で休息をとっていたヨハン達は、近づいてくる気配に気付いた。

 

 良かったよかった、生きていたか、とヨハンが言う前に、カプラがつかつかと歩きよってきてヨハンの足元に唾をはいた。ついでにカッスルもだ。

 

 そしてなぜか二人そろって礼を言う。

 

 なんだこいつら、と思いながらもヨハンはカッスルとカプラの顔に目を凝らした。

 

 不吉な影は見えない。

 あの時ヨハンは感得したのだ、二人の逃れ得ぬ死を。

 

 ただの死ではない。魂まで汚辱されるような冒涜的な死である。

 

「だが、まぁ。取り合えずは逃れられたか。良かった。誰が欠けてもこの討伐行、うまくはいかないと俺は視ている」

 

 ヨハンが言うと、隣に立っていたヨルシカが"勘?"と尋ねてきたので大きく頷く。ヨハンという男は何でもかんでも事前に知っているような口を叩くが、実の所は殆ど霊感である。

 

 ・

 ・

 ・

 

 術師の勘…霊感はただのあてずっぽうではない。自身の内面世界を広げ、万理万象を取り込み、精査する。それにより、危機の到来などをより正確に予見している。これが霊感のシステムである。

 

 要するに、例えば腕がどうにも重い、よく見れば青黒く変色している…とあれば、猿でも自身に異常がおきている、なんだかヤバい状況だ、と分かるだろう。

 

 しかしこれが他人なら?

 腕が重いかどうかはわからないし、青黒いというのも元からの肌色かもしれない。

 

 異常かもしれないが、異常じゃないかもしれない、と曖昧模糊の筈だ。

 

 また、例えばとにかく厭な予感がする…という予感は多くの者が経験したことがあるだろうが、その予感はどこから来ているのか?

 

 それは自身の認識し得ない感覚領域が危機を察知したからかもしれないし、積み重ねてきた経験による実体験からの予測かもしれない。

 

 そういった自分でしか分かり得ぬ事を、自分という世界を他人にまで広げ、重ねる事で他者を自分だと誤認させ、危機を感知する。

 

 ここでモノを言うのが魔力である。魔力とはこの星に満ちる無形のエネルギーであり、願望を成就させる力がある。魔術師達はこの魔力を使い望み通りに火を出したり氷を出したりしているわけだが、霊感に頼る場合、魔力は"相手の事をよく知りたい"という願望が内面世界の拡大という願いを叶えているという事になる。

 

 つまり、霊感もまた一種の魔術であるといってもいいだろう。

 

 ・

 ・

 ・

 

「それで、どうなった?」

 

 ヨハンが短く尋ねた。

 

 カッスルとカプラは魔王城で起こった事を詳細に話し、それを聞いていた者達は表情を歪める。

 

 話をきき終わったヨハンは暫時目を閉じ、意識を集中させる。

 

 ──術は、終わったか

 

 術の終わり。それはつまり、絞め殺しの蔦がもう稼働していないことを意味する。

 

「なるほど、蔦との喧嘩で肉の壁は生気をすいとられ、逃げる隙が出来たということか。まあ蔦の心配はもうない。だが問題はその肉の壁とやらだな…。まあいいさ、どうせただでは済むまい。あの蔦は最悪だ。二人がみつけてくれた抜け道で城にはいろう。正門からは……」

 

「ありえないね。僕はごめんだよ、あの門は恐らく罠だ。例えるならば口。あの城を一種の生物だと仮定すると、生物には自身の部位を明瞭に認識できる部分と出来ない部分がある。例えば口の中に何かがはいってきたら僕らはすぐわかるが、お尻に、それも服の上にハエがとまっていても気付かないだろう。正門は口さ。まともにいけば、僕らの中の何人かが死ぬだろう」

 

 ケロッパの言にヨハンは頷く。

 

「ケロッパ師の仰る通りだ。セコセコと裏からはいろう。考えてみれば暗殺なのに堂々と前からなんてありえないしな。それはマナー違反だとおもう」

 

 ヨハンの言葉を皮切りに、一行は岩場から立ち上がった。

 

 




蔦の逸話は「お前たちは死ぬ!!!」の回で説明しています。


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肉の通路

 ■

 

 一行はカッスル達が見つけ出した抜け道から城内に入った。

 

 果たして城内と言っていいのだろうかどうか。

 一行は内部の血腥さに表情を顰める。平気そうなのは勇者クロウ、術師ケロッパ、術師ヨハン、それと闘都ガルヴァドスの王者、ゴッラくらいのものだ。

 

 術師二名は精神的にちょっとアレだし、ゴッラは生い立ちの事もあってか邪悪だとか冒涜だとか、そういう方面で精神が揺らぐことはない。

 

 南方の生まれであるゴッラは波乱万丈の幼少期を過ごしており、母は人間だが父は人間ではない。"赤角"と呼ばれる大鬼の特殊個体だ。大鬼はゴッラの母を犯し、孕ませ、生まれたのが彼である。元より邪なるモノには耐性があった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 壁を形作るのは蠢く魔肉であった。ぬらぬらとした肉の表面から、赤い液体が滴り落ちる。

 

「ここは強いて言えば、肛門だな」

 

 ヨハンがおもむろに言う。

 

「なるほど、肛門。確かに。でも例え方に品がないよ」

 

 ケロッパがそれに応じた。

 

 ヨハンの恋人…妻、ヨルシカはげんなりした様子でヨハンに傍に立ち

 

「ねえヨハン、その…お尻の…っていうのは私たちが知らなければいけない事かい?もしそうなら、凄く嫌だけどその話を聞く事にするよ」

 

 などというが、ヨハンはかぶりを振る。

 

「まさか。まあでも簡単に知っておくのもいい。あの穴…抜け道は、充満した魔力の排出口だよ。俺が見るに、この城は外側から内側にむけて強力な呪詛がかけられている。掛けられた呪詛…魔力は城を、あるいは城の何かを蝕み、巡り、あの穴から出ていく。循環さ。出て行った魔力は再び呪詛となってこの城へとふりかかる。永続的な術というものはない。誰かがかけなおさなければ弱まり、そしていつか切れてしまう。それを防ぐ為に術を循環させているのだろう」

 

「そうそう。ヨハン君の言う通りだ。例え方は下品だけど…そういう術を回帰術式という…ただ、まぁ…そういうものを使う場面というのはかなり限られているのだけどね…。封印の、僅かな弱体化も許されないような存在を封じる時、とか…」

 

 ケロッパがヨハンの後を継ぐと、一同の表情はより濃い暗へと近づいた。それを見て老若術師二名は少し言い過ぎたかと焦る。魔王討伐前にビビってもらっては困るのだ。

 

「ああ、だが悪い話ばかりでもない…」

 

 ヨハンはそこまで言って、さてどんな出まかせをぶちあげてやる気をださせてやろうかと考えていると、意外な人物が口を挟んだ。

 

「……余り、ここに長くいない方がいいとおもいます」

 

 クロウである。

 

 ■

 

 一行を促し、先頭に立って歩くクロウは物思いに耽っていた。"この感覚"に覚えがあったのだ。

 

 世界そのものが精神を圧してくるような重圧感。心に不可視の何かが染みこみ、重くなった心は肉体に作用し、体の動きも鈍くなる。

 

 視界が狭まったような気がして、目に意識を集中すれば、視界の端に黒い淵が見える。その黒い淵がどんどんと広がっていくのだ。

 

 目が見えなくなるかもしれないという恐怖は精神に冷たい汗をかかせるがしかし、心のどこかで何も見え無くなれば嫌なものを見なくて済むのではないかという益体もない期待が生まれているのを感得する。

 

 まさしく鬱の感覚だ。

 

 ──もしかして、封じられているっていうのは魔王の事なのかな

 

 そう思った所で、何かおかしくなってクロウはくすりと笑ってしまった。

 

「クロウ様?」

 

 すぐ隣を歩くアリクス王国のフラガラッハ公爵家令嬢、ファビオラがクロウの名を呼んだ。

 

 僅かな機会も逃さずに交流の機会を持とう、ファビオラはそう考えていた。

 

 彼女は家名を背負ってこの場にいる。

 

 万物あらゆるものを切り裂き、不治の瑕を与える魔術『フラガラッハ』の使い手である彼女は、勇者による魔王抹殺を十二分に援けるだろう。

 

 だがそれ以上に、彼女には勇者の子を孕むという使命があった。この場合、勇者というのは正統勇者でなくても構わない。要するに、勇者と呼ばれるに相応しい強く勇敢な男の種を得られれば良いのだ。フラガラッハ公爵家は代々その様にして発展してきた家である。

 

 そんな彼女が見るに、クロウという青年は変わり者だが強い。

 

 そして勇敢だ。

 

 つまり、番として合格ということになる。

 魔王抹殺後は速やかに既成事実を作らねばならない。だがファビオラとて女の子であった。心通わぬ情交などは出来るだけ避けたい。故に、彼女はこの死地にあってもクロウと少しでもステディな関係になる為に女の努力を重ねるのである。

 

「いえ、なんていうか魔王でさえも鬱病には弱いんだなっておもうと、ちょっと面白くなってしまって。心療内科に通う魔王、なんてね」

 

 クロウはそんな事をいって、なにやら愛おしげに肉の壁を撫でる。それを見たファビオラはあわてて手ぬぐいを取り出してクロウの手を拭ってやった。

 

 ■

 

【挿絵表示】

 

 一行の眼前に肉の通路が伸びている。奥は暗がりで見えない。

 

「…ここの通路だ、この先にさっき言った肉の壁が…」

 

 カッスルがそこまでいうと、ゴッラが口元を抑えて言った。

 

「ぐ、く、くせぇ。くさった、においだ。おで、これは、すきじゃない」

 

 ゴッラは半身に魔物の血が流れており、五感が優れる。新鮮な、といっては変な話だが、血腥いだけなら問題はないのだ。しかし腐った肉は好みではないようだった。

 

 一行は慎重に肉の通路の奥へと進んでいく。

 幸いにもカッスル達がでくわした肉の壁には遭遇しない…いや、遭遇しないのも当然であった。

 

 一行の眼前に鎮座しているのは腐り、ただれた肉の塊であった。それも大量にあるどころか、通路一杯にみっちりと詰まっている。肉塊は茶色く変色した植物の蔦にからみつかれ、腐敗臭を発しており、少し長く見ていると目も痛み出すといった有様であった。

 

 それを見たヨハンはカッスルとカプラに視線をやり、一つ二つ頷くと壁際まで退いた。どういうことかと困惑を浮かべる二人をヨハンはなおも見る。見続ける。

 

 その奇妙な空気に耐えかねたのか、カッスルが口を開いた。

 

「な、なんだ。何がいいたい?」

 

 カッスルの言葉にヨハンが肉塊を指さし、答えた。

 

「コレを、どけてくれないか。自分でやった事だからな…自分で始末しないと。じゃないとここを通れない。ほら、その剣で…穴を開けたりできそうじゃないか。カプラもだ。隠し玉があるんだろう?今が使い時では?術を使うのは…まあ節約したいんだ、触媒を。ケロッパ師も消耗しているしな」

 

 ヨハンは何も意地悪で言っているわけではない。"貫き"の名手であるカッスルの手を借りたいと本気で思っていた。

 

 だがカッスルとカプラは目を見開き、助けを求めるように辺りを見回す。しかし誰もが目をあわせない。だれだって悪臭を放つ腐った肉塊に触れたくないのだ。

 

「な、仲間じゃねえのか」

 

 カッスルが慄きながらもようやくそれだけ口にだすと、ヨハンはクロウへ視線を向けた。

 

 クロウは頷き、鞘からコーリングを引き抜こうとするが…

 

「……抜けません。嫌がってます」

 

 それを聞いてヨハンは沈痛な表情を浮かべた。

 

「仲間だが…それはそれ、これはこ…」

 

 れ、とヨハンが言った所で、(おお)きな気配に気付く。

 

「み、みんな。どいて、くれ」

 

 ゴッラである。

 

 ビシビシという音と共に、ゴッラの右腕が岩のような様子へ変じていく。硬化の魔術である。魔術としては単純で低級なものだが、くだらないというわけではない。くだるかくだらないかは、結局は使い手次第なのだ。

 

 何かとてつもなく重い物を抱えているかのような足取りでゴッラは歩みを進め、肉塊の傍までよると野獣の様に歯を食いしばる。

 

 硬化の魔術はゴッラの"体質"に合致していた。

 

 彼の父親…勇者クロウが殺害した"赤角"も、魔力によって身体の部位を異常硬化させる能力を有していたが、果たしてかの大鬼の遺伝子ゆえか、ゴッラの"硬化"は他とは異なる。

 

 本来の硬化はせいぜい皮膚を岩肌に変える程度だが、ゴッラの場合は金属のそれへと変じさせるのだ。しかも硬くなるばかりではなく、重くなる。

 

 むん、というくぐもった声と共に何かが壁際に寄った一行の眼前を通り過ぎ、肉塊をぶちぬく。岩の如き巨拳に一点集中した破壊のエネルギーは膨大で、肉塊如きは一瞬たりとも抗えない。

 

 ・

 ・

 ・

 

「おお…ぶっとんだなぁ…」

 

 ランサックが感心したように言う。

 そう、肉の塊は僅かな肉片だけ残して吹き飛んでいた。

 

 直撃すれば帝都ベルンの堅牢な城壁にも穴をブチあける事ができるだろう。圧倒的な重量を持つ物体が圧倒的な速度で衝突した場合、直撃を受けたモノは誇張抜きで消し飛ぶのだ。

 

 実際一行は大いにゴッラに助けられたといえる。

 

 ヨハンもケロッパも節約を優先したい、ラグランジュの"銀糸"、ザザの剣技、ランサックの雷撃を纏う槍技、タイランの"気"を使った拳法、ヨルシカの剣技、手刀を魔剣と化すファビオラはものすごく嫌そうな顔をしていると来ている。クロウもコーリングが嫌がって駄目。

 

 となればカッスルが"うねりの魔剣"でぶち抜くしかなかった。あるいはカプラが自爆するか。

 




澱み血の魔竜『シルマリア』を差し替えました。


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闘将①

 ■

 

 一行が歩みを再開して暫く経つが、肉の回廊はいついつまでも続いていた。

 

 耐えず鼻腔を擽る生臭い匂い。

 

 視界一杯に広がる生々しい肉の色。

 

 術式によって精神に少しずつ負担が蓄積しつつある事を考えても、先を急ぐ必要があった。

 

 しかし

 

 ・

 ・

 ・

 

 ──同じ所を歩いているわけではない。見ろ、あのドス黒い色合いの肉…病んだ内臓の色の肉はこれまで見てこなかったものだ。確実に進んではいる、が

 

 それにしても気が滅入るな、とヨハンは思う。

 

 ヨハンという男はエル・カーラを騒がせた邪教集団のならずものをてずから"解体"した事からも分かるように、この手の人肉的な光景に強い耐性を持つ。

 

 しかし、精神に余分な荷重がかかっている状況では常の超人的タフさを十全に発揮しえない。

 

 というのも、今この場を歩く者すべての精神…いや、この魔王城というロケーション全域に憂鬱の呪いとも言うべき広域の魔術がかけられているからだ。

 

 ──幸いにも心の備え方はよく分かっている。俺もこの手の術は俺も…んん?

 

 ヨハンの表情に、僅かに疑問の影が差した。果たして自分は、"この手の術"とやらが得意だったかどうか、という疑問だ。

 

 空いている思考のスペースにこれまでの旅の経験が生き生きと蘇る。

 

 "この手の術"。対象の精神に強度の負荷を与えるもの。それを使ったのは一体いつの事だったか。そう、それは…

 

 ──ロイのパーティから抜け、俺は依頼を受けた。護衛依頼だった。道中、野盗が何人も現れて俺たちを襲撃した。俺はそいつらを…そいつらを、どうした?殺したのは間違いない。どうやって殺した…。ナイフだ。ナイフで首を掻っ切ってやった。それだけだ。術などは何も使っていない…と、俺は考えている

 

 それが妙な話だな、とヨハンは思った。何故ならば術など使っていない筈なのに、"この手の術"をどこで使ったのかという記憶を思い出そうとするとそのシーンが思い返されるからだ。

 

 この違和感を例えるならば、一度も食べた事がない筈の料理の味をなぜか知っている…といった所だろうか。

 

 違和感の原因は言うまでもない。

 ヨハンがアシャラで顕現させた彼の奥義である。命にも優る大切な記憶は失われ、しかし体だけはそれにまつわる術の骨子を覚えているという状況だ。

 

 かの一戦から暫く経つが、ヨハンには術の後遺症が残り続けている。それで彼が参るという事はないが、思考と思考のふとした間隙にこの様に入り込む事がある。

 

 ──まあ、いいさ。恐らくは秘術の絡みだろう。我ながら酷い術を編んでしまったものだが…。とにかく、俺にはもう少し色々な事ができるかもしれないな。体がそう言っている

 

 歩きながらの1秒か、2秒。違和感について吟味していたヨハンの横顔に、ヨルシカが静かな、しかし意味ありげな視線を投げかけていた。

 

 ■

 

「……ふぅ、どうやら延々こんな場所を歩かされるわけじゃなさそうだ」

 

 アリクス王国金等級の剣士、"百剣の"ザザが顎を撫でながら言った。

 

 視線の先には扉と思しきものがあった。まるで鉄格子の様な意匠のそれは、ただでさえ強い閉塞感をより強めているようにザザには思えた。

 

 ──魔王暗殺か。嫌な仕事だ。だが、この仕事を受けねばルイゼはリリスを殺すだろう。リリスを殺されれば俺はルイゼを殺しにいく。しかし、その場合殺されるのは俺だろう

 

 ザザはその卓絶した剣腕とは裏腹に、酷く俗な男である。金等級という冒険者の上澄みに在りながらいつだって金がない。それは稼いだ金を際限なく風俗に使い込んでしまうからなのだが、彼としてはそういう生き方に一切の恥を感じていない。食いたい時に食い、寝たい時に眠り、抱きたい時に抱く。それこそが幸福な人生だと思っている。そういった人生観の彼からみて、リリスという王都の風俗嬢…実際ははぐれの魔族女は、実にたまらない体をしていた。

 

 ──甘いのだ、肌が

 

 当然比喩だが、ザザはリリスの肌をべろんべろん舐め回していると甘露とは一体何かを知識ではなく魂で知れるような気がするのだ。

 

 ──幸い、リリスは俺に惚れているように思える。俺はあの女と結婚する気はないが、俺のモノが役立たずになるまで抱き続けたいと思っている。やって、やって、やりまくるのだ。勿論仕事はしない。俺は女遊びをしながら余生を過ごす…その為には金が必要だし、リリスの保護も必要だ。魔王討伐でそれが叶うというのだから、嫌な仕事ではあるがやらざるを得ない

 

 クソのような事を思いつつも、ザザの表情はきりりと勇ましい。引き締まった肉体から剣気がじわりと宙に滲みだしている。

 

「おお、ザザ、やる気じゃねえか。なんだ…あの扉の向こうに何かがいるってのか?」

 

 法神教の元異神討滅官、槍使いのランサックがザザに尋ねた。

 

 そう、ザザが剣気を滾らせたのは、眼前の扉の向こうに見知った気配を感じたからである。

 

 ──鬼気…。"あの"魔族のものだろう

 

「……オルセン」

 

 扉の前で立ち止まる一行の間に静かな声が響いた。

 暗く、覇気に欠け、気だるげな青年の声だ。

 

 特徴がない事が特徴とでもいうような普通の声色だが、その声に込められた気鬱の気配はただ事ではない。

 

 声の主こそ、勇者クロウである。

 

 自分で災厄を呼び込み、その災厄から主を護る為に力を貸す魔剣『コーリング』の主。

 

 勇者でもないのに自分が勇者だと思い込んでいる青年、、金等級冒険者"血泪の"クロウ。

 

「この気配は、オルセン。熊と、カルミラの仇を取らなきゃ…。皆さん、ここは僕に行かせてください。彼も僕に会いたがっている様だし」

 

 オルセンとは、かつてクロウとザザ、そしてランサックの三人でかかってなおも斃す事が叶わなかった魔軍の将に他ならない。

 

 カルミラとはオルセンの部下だったが、クロウに殺害された。熊…正確には魔物化した熊なのだが、これもまたクロウに殺害されている。クロウは仇を取ると言っているが、殺したのは彼だ。

 

 ともかくも、クロウはゆっくり(コーリング)を引き抜いた。当たり前の話だが、その心に油断はひとかけらもない。

 

 いや、それどころか濃密な死の予感すらしていた。

 クロウとザザが感じとった気配は、かつて対峙したオルセンとは比較にならない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ヨハンは脳内で圧縮した時間の中で思う。

 

 楽な戦いにはならないだろう、と。

 

 扉の向こうからビリビリと伝わってくる魔力の波動は、その主が尋常ならざる存在だと雄弁に告げていた。

 

 ──やり場のない怒り、悲しみ。狂気が凶気と化して、手がつけられなさそうだ。あるいはあのアンドロザギウスより、厄いかもしれんな

 

 ヨハンの目がぎらりと凶悪に輝く。

 

 ここは僕に行かせてください、とクロウは言った。

 しかしヨハンはそんな事は知った事ではないと思っている。

 

 扉が開かれ、敵手の注意がクロウへ集中したその瞬間、こんな場所へ赴かざるを得ない様に運命を編んだ神だか何かへの募る怨みを込めて、致死の呪いをぶち込んでやる積りであった。

 




リリス:Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~の登場人物。ザザのお気に入りの風俗嬢。『閑話:ザザ、魔王討伐』あたりにザザの独白のエピソードあり

オルセン、カルミラ:Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~の登場人物。『2章・第11話:依頼受領』あたりから先でクロウ達と戦闘する。


コミカライズ連載が既に開始されています。
ニコニコ漫画とかコミックウォーカーあたりをみてください~。なんかちょっとベルセルク味のする絵柄です。漫画家さんは『終の人』の清水 俊先生です。


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闘将②

 ■

 

 扉の先は拓けた空間となっていた。

 

 周囲を肉の壁に覆われた不気味な空間だ。

 

 床はどす黒く変色した硬い何かで出来ている。

 

 そして、その広間の中心には誰かが立っていた。

 

 クロウ、ザザ、ランサックらにとっては初見の相手ではない。

 

 ──下魔将オルセン

 

 しかしその姿は最後に彼らが見た時とはずいぶんと様相を異なるものとしていた。

 

「アンタは鼻につく魔族の貴族階級……という印象だったが、随分と変わっちまったなぁ」

 

 ランサックが肩に槍を担ぎながら言う。

 

 オルセンの半身は赤黒い何かに覆われ、その両眼に理性らしきものは感じられず、精神は明らかに秩序を欠いていた。

 

 さて、やりますか、とランサックとザザが構えを取るが、背骨に氷柱をぶち込まれたかのような寒気を覚えて二人のみならずその場にいた全ての者達がはっと背後を振り返る。

 

 ──生きる事、それは死に逝く事。お前の生は悲しみに彩られ、喜びは悲しみの影に過ぎない。されば、死ね。我は刺し出す、お前の苦悩を断ち切る刃を、今ここに。朽ちよ肉、腐れよ血。命よ終われ、心よ砕けろ。総苦は灼死を以て昇華する

 

 一行の後方から陰気な呪言が響き渡っていた。

 

 連盟術師ヨハンの、空気を読まない必殺の呪詛である。負の感情を増大させ、自殺を強いる非人道的な呪いだが、ヨハンはこれを心身救済の術として取り扱っている。あらゆる苦悩を死によって解き放とうという慈悲の術だ。

 

 ヨハンの細い人差し指と中指が、一本の小枝をそっと挟んでいる。小枝の先端はオルセンに向けられ、先からは赤黒い液体が滴っていた。

 

 生後間もない赤子が何らかの原因で死亡し、その遺骸を焼いた灰を擦り込んだとびきりの触媒だ。

 

「ヨハン君、きみさぁ……」

 

 ヨハンが醸し出す厄さに、ケロッパは制止の声をあげようとした。仲間達諸共巻き添えにしかねない危うさがヨハンから感じたのだ。しかし、幾らなんでもこの場面でそれはないだろうと思い直す。

 

「……ケロッパ師、生きとし生ける者は皆、生きているかぎり死という絶対不幸の象徴へ近づいて行っているのです。それは恐ろしい事だ。幸福であればあるほどに恐ろしい事だ。ゆえに俺の術はいずれ訪れる死を今この瞬間、確定させてやる慈悲の術なのです。あの魔族はどうみても怒りに囚われている。怒り、憎しみ、悲しみ……そういったものを抱えて生き続けなければならないというのは不幸な事です。……が、そう簡単にはいかないか」

 

 ヨハンは舌打ちした。

 

 この魔王城には外側から内側へ、精神を抑圧をするような呪詛が掛けられている。その呪詛の力を踏み台とするような形でヨハンは負の感情を利用した自殺ほう助の呪いを掛けたのだが、結果から言えば、これは上手くいかなかった。

 

 低く、苦悶に満ちた唸り声がオルセンの喉から絞り出されている。両の腕がまるで自分を抱きすくめるのように逆の腕に回され、鋭い爪が腕を傷つけていた。

 

 呪詛はたしかにオルセンに降りかかったのだ。オルセンの怒りで変質した心は非常に捨て鉢なものとなり、『このような怒りを抱え続けなければいけないのならいっそのこと死んでしまえ』と言う様なモノへと変わる。

 

 しかし、ヨハンの目論見通りに自ら命を断つことはしなかった。

 

 オルセンの正気はかなりの部分失われているが、魔王を護るのだという思いが呪詛を弾いていた。

 

 オルセンは思う、そもそもなぜ自分がこの様な怒りを抱いているのか、と。

 

 ・

 ・

 ・

 

 魔族たちの増大する凶暴性とその姿の変容は、彼らが住む「果ての大陸」に広がる瘴気の影響であった。

 

 彼らの中には肉体が奇形のように変容し、かつての姿を失った者も少なくない。魔王はこの状況を憂慮し、自身の魔力を領域全体に拡散させ、瘴気を祓おうと試みたが、その力には限界があった。

 

 やがて、魔族領全域を正常に保つことの難しさを理解した魔王は、人魔大戦を引き起こし、人間界の征服に乗り出す。

 

 この行動には二つの意図があった。

 

 一つ目は、魔族が勝利すれば瘴気に汚染された果ての大陸を捨て、新たな土地へ移住できる可能性があること。もう一つは、もし勝利できなくても、人間界から送り込まれる勇者の封印術が一時的に果ての大陸を正常化させる可能性があることだ。

 

 そのため、魔族は人類圏への刺客を送り、人魔大戦への備えとしての「削り」を行い、同時に各地の亜神……例えば樹神などの力ある存在から力を奪い、勇者の力なしでも瘴気を抑え込む方法を探っていた。

 

 ちなみに第四代の勇者は上魔将マギウスによって殺害された。これは、彼の力が封印の大魔術を行使するには著しく不足していると判断されたためであり、魔族の戦力を削られないよう先手を打っての行動だった。魔王が求めるのは封印の大魔術を行使するに足る実力を持った勇者であり、勇者の肩書があるなら誰でもいいというわけではなかった。むしろ、中途半端な力を持つ勇者は害でしかない。

 

 第四代勇者の殺害。それで封印の大魔術という瘴気抑制手段が失われる……とは思っていない。なぜならば、勇者の力は継承されるものであり、第四代の勇者が死亡したとなれば第五代勇者が誕生するというのは必定だからだ。

 

 そして、魔王の目論みはある面では当たり、ある面では外れた。

 

 たしかに第五代勇者は誕生した。

 

 しかしその勇者は魔王討伐など知った事じゃないとばかりにどこかをほっつきまわっている。ひょんな事から知り合った連盟の女術師と、世界を旅してまわっていた。

 

 そのことを魔王は知らない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ともあれ、魔王は敗北を前提として、魔王城で勇者たちを待ち構えているのだ。

 

 それに対して怒りを覚えたのは魔王に対して非常に大きな忠誠心を持つオルセンを始め、一部の魔族たちであった。魔王を想うがゆえの怒りである。敬愛する主が坐して死を待つなど許してはならない事だった。

 

 ゆえにオルセンらは魔王の意志に背く形となるが、城へ残ったのである。これは明確な命令違反なのだが、魔王が彼らを罰する事はなかった。人類種にとっては恐怖の象徴でこそある魔王だが、魔族にとってはそうではないのだ。

 

 そもそも論だが、元より魔王は魔族という種の未来の為に人類種と矛を交える事を決めたわけで、圧倒的な力で魔族を支配してやろう、逆らう者には容赦はしない、などといった思想は持っていないのだ。

 

 人間の事こそ虫けらだと思っている魔王だが、同胞に対しては甘い青年であった。

 

 しかし、訪れるであろう勇者一行を迎撃すべく残ったオルセンの様な魔族たちにとっては、力ある魔族が皆イム大陸へ出撃してしまうことで、瘴気の影響をより強く受けてしまう事になる。

 

 これは魔王の甘さの罪過と言えるだろう。

 

 魔族の中では大きな力を持つ魔将位にあるオルセンでさえも、瘴気は日に日に彼の神経回路を爛れさせていき……

 

 ・

 ・

 ・

 

 放電現象によって空気が軋る。

 

 オルセンの体表を赤黒い電流が流れ、硬く握りしめた右拳が火雷を帯びた。

 

 ヨハンの自殺ほう助の呪詛はオルセンの燃え盛る闘争心によってこの時完全に弾かれ、無力化してしまった。

 

「早いッ!!」

 

 ランサックが叫ぶなり、電光一過。

 

 オルセンは雷神もかくやという速度でクロウに肉薄し、一切の反応を許さぬ渾身のボディブローを叩き込む。

 

 雷が弾け、クロウの両眼から雷光が散った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 クロウは吹き飛ばされ、腹部に負った傷の痛みに顔を顰めながら、何やら自身の人生哲学の様な事を考えていた。時間が圧縮され、これまでの人生が脳裏を過ぎる。

 

 率直に言って、何の為に生きているのかさっぱり分からない。それが勇者クロウの偽らざる本音である。

 

 100円ライターの様に粗雑に扱われ、すり減り、当然の様に壊れ、"この世界"でやり直しの機会を与えられ。

 

 しかし一体全体何をやり直せばいいというのだろうか? この肉体にしても本来の自分のものではないのだ。

 

 諦念と共にクロウは思う。

 

 ──多分、僕は"そういう運命"なのだろう

 

 異世界で第二の人生を歩む事になったのも、運命とか宿命とか、そういうわけのわからない大きなモノがまた自分を100円ライターの様に扱おうとしているのだろう。

 

 どこかの異世界の、どこぞの馬の骨が死のうが生きようが知った事じゃないとその大きなモノは考えているのだろう。

 

 オルセンとの戦いも、クロウの戦闘経験は非常に危ういものになるだろう、と告げている。

 

 もしかしたら死ぬかもしれない。

 

 いや、吹き飛ばされ、どこかへ叩きつけられた時には既に死んでいるのかもしれない。

 

 なんてふざけた人生だ、とクロウは思う。

 

 まるで虫けらか何かではないか、と。

 

 ちゃんとした人生を歩みたかった。

 

 ちゃんとした家族、ちゃんとした友人、ちゃんとした職場。

 

 文字通り死ぬまで働いた次の人生、何が悲しくて殺し殺されの人生を歩まねばならないのか。

 

 嗚呼面倒だ、もう面倒だ、もう死にたい生きているのがしんどすぎる。今世でも友人はいる、でもいくら友人が居たって彼らが見ているのは「クロウ」であって「シロウ」ではない。くだらない友情ごっこは虚しくなる……それでも友は友だ、きっと僕が死んだら彼らは悲しむだろう。無駄に、命を粗末にしたような馬鹿な死に方をしたらとても傷つけるだろう、それはそれで悲しい事だ。だったら彼らを納得させられるような理由があればよいのではないか? 命懸けで戦い、そして大きな目的を達成し、その結果命を落とせば友人たちも少しは傷つかなくて済むのではないか? 

 

 次瞬、その全身の神経回路に赫怒の雷撃が走る。

 それはやり場のない怒りの発露である。

 

 大体なんで自分がそんな事まで考えなければいけないんだ、というようなやけくそめいた怒りだ。

 

 死ぬだの生きるだのというような状況なのに、家族でも恋人でもない、友人かもしれないが親友ではないような連中の心情まで考えてしまう自分のしょうもなさ、ふがいなさが魔力の呼び水となった。

 

 水平に吹き飛ばされたクロウの体を、タイランが受け止める。

 

 ぺたぺたとクロウの腹部、下腹部を触る手付きがいかがわしいが、気を送り込んでいるのだ。

 

 中域出身の拳士であるタイランは、魔力とはまた違う"気"と呼ばれる別種の力を操る事に長けている。これは肉体の賦活に特化した力であり、治癒に使うこともできる。

 

「ちょっと、クロウちゃん! あなた、体すごく熱いわよ!?」

 

 タイランが慌てて言うが、クロウは取り合わない。というより、タイランの声が耳に届いてもいなかった。

 

「痛い、痛いよ……」

 

 クロウが言う。

 

 タイランが自分の手を見ると、その手はべったりと血に濡れていた。

 

「クロウ様、手当をしないと……」

 

 ファビオラがクロウに駆け寄るが、やはりクロウは何も答えない。タイランの応急手当によって破けた腹からの出血は大分おさまってはいるが、それでも深手を負った事には代わりはないので少しでも早い手当が必要だった。

 

 しかしクロウはもはや傷の事などどうでもよかった。

 

「そうかよ!! そうか!! そうなんだな!! 僕を殺したいんだな!!! だからこんなに痛い事をするんだ! みんなそうだった! 僕を殺そうとする奴等が多すぎる! 大嫌いだ、こんな世界!!」

 

 叫ぶなり、クロウはげらげらと笑いだして次の瞬間には泣き出した。

 

「でも、こんな世界でも僕には友達がいて、優しくしてくれる人たちもいる……。だから嫌いだけど嫌いじゃない部分もあるんだ」

 

 そんなクロウを一行は心配そうにみつめていた。もちろん、頭とか精神が心配という意味で。

 

 オルセンですら何か理解しがたいモノを見る目でクロウを見つめていた。

 

 そして、ぎょん、とクロウの両眼が赤銅色の光を帯びる。

 

 暗い赤の軌跡が宙に描かれ、風が一陣吹いた。

 

 ひゅるひゅると何かが上方へ飛び、重力に引かれて床へと落ちた。

 

 腕である。

 

 青い肌のそれは、オルセンの右腕の、肘から先の部分であった。

 

 クロウの右手には蒼血に濡れるコーリングが握られていた。

 




第五代勇者についての下りは白雪の勇者、黒風の英雄~イマドキのサバサバ冒険者スピンオフ~参照です。


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サイコパス野郎

間が空いたので誰がどんな奴だか忘れてしまった人も多いとおもいます。前書きに簡単にまとめました。
ついでに、イマドキのサバサバ冒険者コミカライズ連載中です。ニコニコ静画やコミックウォーカーをご確認ください。また、コミカライズの次回更新は12/19となっております

勇者一行合計12名。

ヨハン:男。20代後半。連盟という小規模な魔術同好会に所属する魔術師。冒険者として西域を旅し、色々なトラブルに巻き込まれつつも恋人が出来、旅中に婚約した。旅中に色々と精神に取り込んでしまったせいか、性格は比較的丸くなっている。一通りの魔術の知識はあるが、好みは陰湿な魔術。冒険者としての等級は銀等級上位。

ヨルシカ:女。20代半ば。都市国家アシャラ出身の剣士。現王の庶子。武闘派気質でソロ冒険者をしている。旅の最中、傭兵都市ヴァラクでヨハンと出会い、共闘。その後、アシャラを訪れたヨハンと再開し、再び共闘。恋仲となったのはこの時で、以降は二人旅を続けている。戦闘者としてはマルチプルプレイヤーで、中域から流れてきた"気"の操作をはじめ、拳闘の類も佳くこなす。冒険者としての等級は銀等級上位。

カッスル・シナート:男。30代半ば。帝都の金等級冒険者。迷宮探索を専門とする。真っ当な性格。犯罪歴もない。"うねりの魔剣" という剣身が螺旋状にうねった剣を迷宮から発掘し、以後はこれを愛剣としている。

ラグランジュ:女。20代後半。レグナム西域帝国出身の近衛副隊長。帝国魔導と呼ばれる新機軸の術式をひっさげて魔王討伐に志願。ミサンドリスト。

ケロッパ:男。年齢不詳の小人族の老人。魔導協会の一等術師で "地賢" の異名を持つ。好奇心旺盛な性格で、人懐っこい。重力操作系統の魔術を使うが、これは厳密に言えば既存の魔術ではなく、ケロッパ独自の新体系の "理術" とよばれる法(『空の墓場』参照)。老人とはいうが、少年の面影をそのまま老化させたようでちょっと不気味。

ゴッラ:男。南域出身。年齢不詳。赤角と呼ばれる大鬼と人の女との間に産まれたハーフ(『転移門』参照)。レグナム西域帝国に闘都ガルヴァドスという都市があるが、そこの闘技場チャンピオン。彼にとっては皇帝サチコなどという者は知らないが、ゴッラにまともな生活を与えてくれた貴族たちには報いたいと思っており、魔王討伐の任に志願した。

ここまでが西域のメンバー。基本的には『イマドキのサバサバ冒険者』の登場人物が中心。

以下は東域のメンバー。基本的には別作『Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~』の登場人物が中心。

クロウ:男。20代前半。東域、アリクス王国の金等級冒険者。別作『Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~』の主人公。実の所は転生憑依者。前世はよくある過労死リーマン。酷い労働環境で情緒を破壊されて、肉体はリフレッシュできたものの、精神はそのまま持ちこしてしまった。承認欲求が人並以上にあるものの、100円ライター扱いのようにコキ使われて死んだため、かなり性格が拗れた。強い希死念慮があるが、死ぬ際には多くの人から承認され、認知されて死にたいと思っている。ただし、死に瀕すれば瀕するほど火事場の馬鹿力理論で魔力が捻出されて強くなってしまうため中々死ねない。冒険者稼業の最中に魔剣 "コーリング" と出会い、以来武器はそれ一本。

魔剣 "コーリング" :意思を持つ魔剣 。主を護りたいという想いと、魔剣としての災厄招来の権能のため、危機を招き入れてはその危機からクロウを護ろうと力を貸す。能力とは、コーリングで殺害した相手の魔力を簒奪し、自身の中で再構築し、クロウの手先として働かせること。情緒不安定。

ザザ:男。30代。東域、アリクス王国の金等級冒険者。剣の達人。常に金がない。風俗が好き。しかしいれこんだ風俗嬢が実はハグレ魔族だったため、女の人権を勝ち取って、ついでに大金も得るために魔王討伐の任につく。『ZAZA記』の主人公。

ランサック:男。30代。東域、アリクス王国の金等級冒険者。元中央教会所属、異神討滅官。王都冒険者ギルドのギルドマスター、ルイゼに惚れこんで奴隷となっている。ザザの腐れ縁の知人。

カプラ:女。20代。東域、アリクス王国のとある女公爵の手下である上級斥候。スラム出身。当時スラムで知り合った少年に今でも想いをよせているが、その少年は長じて犯罪者となり、最終的にはクロウによって殺害されている(Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~『メンヘラと外道術師参照』)。カプラはそのことをまだ知らない。

ファビオラ:アリクス王国の貴族、フラガラッハ公爵家の令嬢。フラガラッハ公爵家は "勇者" の種を孕む家命がある。この場合の勇者とは正統勇者ではなくて、勇敢なる者という意味。また、魔王討伐の際の露払いとなる役目もある。旅の最中、クロウにアタックをかけようと画策中。『アリクス王国・婚約破棄』という作品に出てくるファラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢の血を引いている。

タイラン:肉体的には男。中域出身。年齢不詳。禿げてる。体毛がない。大きい。引き締まっている。体は男性、心は女性。中域はLBGTへの理解が皆無で、タイランのような者はぶち殺してしまえというような政策をとっている為に逃げてきた。中域はディストピア社会で、しばしば民が逃げ出す。そのメイン逃亡ルートにアシャラがあり、その為にアシャラでは "気" をつかった闘術を使える者がいる。もっとも数自体は余り居ないが。協調性が高い。


【これまでのあらすじ】

 

 勇者一行は果ての大陸へと転移し、数多の難所を乗り越えて魔王城へ辿り着いた。

 

 魔王城はまるで生き物の体内の様に不気味で、生々しい。

 

 道中、肉の通路という不気味な場所でやや足踏みをするものの、一行は前へと進む。

 

 やがて一行の眼前に鉄格子の様な衣装の扉があらわれた。

 

 扉越しに放射されている鬼気はただ事ではない。

 

 あの奥には恐るべき強敵がいるのだ、一行はそう感得し、扉を開く。

 

 果たしてそこにいたのは、かつて勇者クロウ、異神討滅官ランサック、アリクス王国冒険者ギルド所属 "百剣" のザザ らと戦い、そして斃すに至らなかった魔族──オルセンであった。

 

 かつてとは様子が異なるオルセンと一行がぶつかり合う。

 

 連盟術師ヨハンの初撃、負の感情を増大させて敵手を自死させる呪いは、オルセンの魔王護持の精神によって防がれた。

 

 そしてオルセンはクロウに痛烈な一撃を加える。

 

 クロウはその一撃で重傷を負うが、より死に近づく事でスイッチが入り、精神の均衡を失いつつも同時に反撃(クロウの精神は常に精神の均衡を失っているため問題なし)。

 

 クロウは吹き飛び、そして宙にはオルセンの腕が舞った。

 

 

 ◆

 

 ──受けたと同時に斬っていたか

 

 オルセンの腕が地に落ちるまでの僅かな時間。

 

 その場の時は凍り付いていた。

 

 誰もが腕を注視し、集中力が僅かに緩む間隙……

 

 ザザが身を低くして、まるで肉食獣の様にオルセンへ肉薄していた。

 

 オルセンが腕を喪い、バランスを崩した所へ剣を横薙ぎに叩きつける。

 

 狙いは腹部。

 

 ──重剣・石衝

 

 インパクトの瞬間に全身の肉を引き締めることで、剣撃に体重をそのまま乗せることが出来る。しかしインパクトの瞬間といっても刹那にも満たない僅かな時間であるため、これが出来る剣士はそう多くない。

 

 "百剣" のザザはその数少ない一人であった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 オルセンは首元から頬にかけて、殺気の火がちりちりと自身を炙っている事を感得した。目を遣ればそこには銀光。

 

 瞬間的に腹部に魔力を集中させ、斬撃を弾く。

 

 ザザの業を以てしても肉を裂くには至らない。

 

 だがそれでよいのだ、とザザは考えている。

 

 元より切り裂く事は難儀を極める事は理解していた。

 

 それだけオルセンから感じる魔力の総量は大きく、身体能力向上の度合も異常なものがあるだろう。

 

 だから復帰をわずかにでも遅らせるため、そして次撃に繋がるための "崩し" をザザが担ったのだ。

 

 オルセンはザザの斬撃を腹で受け、無傷のままに防いだ。

 

 しかし衝撃までは打ち消せない。

 

 重剣・石衝による重い一撃はオルセンの足元を僅かによろめかせ、そこへランサックが先端に黒雷を纏った槍を一息に、一切のブレなく3度突く。

 

 狙いは腹部、ザザが狙った箇所と同じだ。

 

 これは流石に先端が僅かにオルセンの肉に食い込んだ。

 

 ただし、ダメージとまでは言えない。

 

 しかし、ランサックもまたこれでいいのだと考えていた。

 

 二者が同一の箇所を狙った事で、崩しはより大きく作用する。

 

 オルセンは先程より大きく足をよろめかせ、完全にバランスを崩していた。

 

 ◆

 

 それを見ていたヨハンは "流石にやる" と胸中独語した。

 

 のんびり観戦しているのはヨハンだけではなくて他の者達も同様である。今オルセンに向かい合っているのはクロウとザザ、ランサックの三者のみだ。

 

 タイランなどは "ちょっとクロウちゃん大丈夫なの!?" と騒いでいるし、ゴッラはおろおろしている。ケロッパはふわふわと浮きながらどこかのタイミングで介入しようと機会を窺っている様だ。カッスルとカプラは周囲に気を配っており、ファビオラは飛び出そうとしてラグランジュに止められている。

 

「あの魔族はどうにも厄介そうだ。俺も破壊力を重視した術を使えばいいのかもしれないが、この場所はやや狭い。同時に戦うにせよ3、4人が限度だろうな。それ以上だと同士討ちになりかねない」

 

 ヨハンはそう言い、周囲を見渡した。ヨハンのそぶりに、なんとなく視線が集まる。

 

「この城にいるだけで俺たちは気が滅入っている。精神を搔き乱されている。そんな状態で付け焼刃の協調が使い物になるかどうか疑問だ。互いが互いの力を削ぐことになりかねない。強引にでも介入するなら、あの三人が明確に押されてからが良いだろう」

 

 他の者達もヨハンの考えには同感といった風な様子であった。ファビオラは不満そうだったが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ザザとランサックの動きは洗練されていた。

 

 近接戦闘者としては上澄みだろうとヨハンは思う。ヨルシカと比べてもザザの動きの方が切れ味は鋭い。

 

 ──ヴィリなんぞより余程優れた剣士だな

 

 とはいえこれは辛口に過ぎる評価ではある。連盟術師ヴィリは己が抱く英雄像を自身に投射し、彼女が知る英雄と呼ばれる者達の得物を一時的に創り出す剣士だが、その本質は剣士ではなく魔術師だ。本職と比べられてはヴィリも浮かぶ瀬がない。

 

「崩しの後は勇者君か」

 

 傍らのヨルシカが無感情に言った。

 

 ヨルシカはクロウの情緒不安定さを警戒しており、彼に余り好意的ではない。

 

 情緒不安定な者に注意を払うというのは極々当然の事ではあるが、言葉が妙にささくれだったり、棘があったりする。

 

 とはいえ、ヨハンはそれを咎めはしなかった。クロウの精神の形が奇妙なのはヨハンもよく知っているからだ。ヨハンはクロウの精神世界を覗いた時(『果ての大陸へ』参照)、クロウの裡に潜む何かによって、"出ていけ" とばかりに叩き出された事を思い出した。

 

 しかしヨルシカとは違って、ヨハンはクロウに対して隔意はない。

 

 ──連盟にはもっとイカれている奴が山ほどいるからな

 

 そんな事を思いながらヨハンは頷く。

 

「ああ。勢いを重視しているのかな?あんな低い体勢…まるで四足獣の様だが。随分溜めている…。む、速い」

 

 ヨハンの言葉通り、クロウはザザの仕掛けからランサックの追撃の間の僅かな時間を使って "溜めて" いた。

 

 そして、オルセンが大きく揺らいだ瞬間に、まるで弾丸の様に飛び出して強襲した。

 

 型もへったくれもあったものじゃない、単純な突撃だ。

 

 ◆

 

 オルセンの青い巨体に向かって疾走するクロウは、その1秒にも満たない時間を何十秒何百秒にも感じていた。

 

 これは精神と肉体の活性度に差がありすぎた場合によく見られる現象だ。

 

 例えるならば、短く他愛もない夢を見たと思ったら何時間も眠っていたというようなモノである。クロウの肉体が酷く傷み、死に近づいているというのもある。相互の作用でクロウは瞬間を永遠とする一時限りの魔法を手に入れていた。

 

 そんな引き延ばされた時間の中でクロウは思うのだ。

 

 ──はやく帰りたいな

 

 と。

 

 どこへ帰りたいのかは実の所クロウ自身にもよくわかっていない。

 

 アリクス王国かといえば否だし、前世のあのマンションかと言えばそれも否であった。

 

 では場所ではなく人だろうか。

 

 誰かの元へ帰りたいのか…といえば、これもまた否だ。

 

 確かにクロウはいまや多くの友人(らしきもの)がいるのだが、彼らの元へ帰りたいのかと言われると首をかしげざるを得ない。

 

 ──しんどくない場所

 

 クロウは漠然とそんな事を思う。

 

 世の中はとかくしんどいことが多すぎるようにクロウには思えた。

 

 危険な魔物が跋扈するこの世界は勿論、前世の世界もだ。

 

 争わず、憎み合わず、人はただ個人でもって世界を完結させ、他者が存在するにせよそれは無害で互いに干渉しあわず。そんな静かで完璧な世界がどこかにあるはず…という思いがクロウの中にある。

 

 これは孤立主義と言えるかもしれない。

 

 そして、クロウの思う "静かで完璧な世界" とは、すなわち死である。

 

 彼の希死念慮の根源とはまさにそこ(孤立主義という思想)であった。

 

 だが、それならそれでとっとと自殺でもしてしまえばいいのかもしれないが、そうはいかないのが人間だ。人間は色々と面倒くさい。

 

 前世で芽生えた承認欲求が邪魔をして、安易な死を佳しとしない思いが生えてくる。

 

 認められたいのだ、多くの人々に。

 

 クロウ様ありがとうと言われ、皆に覚えておいてもらいたい。

 

 その満足感を胸に "静かな世界" へ旅立ちたい。

 

 ──俺は…僕は、頭がおかしいのかな

 

 そんな事を思っていると不意に心が凪いで来る。

 

 荒れ狂っていた精神の荒海が、途端に凪いだそれへと変じた。

 

 自分で自分に呆れた時、人の精神はこのようなアゲサゲをする事がある。

 

 動から静へ、挙動の面でも精神の面でも100から0へ急転したクロウだが、その激変に対応できなかったのがオルセンであった。

 

 ◆

 

 とある小部族の長であるオルセンは魔王に未来を懸けていた。

 

 一族の未来、己の未来。

 

 魔族の領土、果ての大陸の環境ときたら酷いものだった。

 

 魔族たちですら対処できない強大な魔獣が跋扈し、狂ったような自然環境が各所で広がっている。しかもそれは年々規模を拡大していくのだ。

 

 ──この地そのものが呪われてイル…星の魔のせいよ、だが我は勿論の事、魔王様ですらあの魔を取り除く事はできヌ…

 

 魔王を覗けば魔族最強、上魔将マギウスがその様に言った時、オルセンは僅かな失望を覚えた。

 

 しかし

 

 ──陛下が大陸への侵攻を決断しました。恐らくは我々にとって、最後の攻勢となるでしょう。

 

 上魔将"蛇の魔女"サキュラがそう告げた。

 

 上魔将とは魔族の中でも力のある部族の長達である。

 

 マギウス

 

 デイラミ

 

 シャダウォック

 

 そしてサキュラ

 

 彼らの言葉は魔王の言葉に次ぐものとおもっていい。

 

 ──ですが、何名かの魔将は残します。陛下は全てむかわせろと仰いましたが、陛下を狙う者もいる。オルセン、そして…

 

 魔王の言葉は確かに重いのだが、上魔将は時にそれを破る事もある。

 

 というのも魔王とは彼らの支配者ではなく、導き手であるからだ。

 

 魔族で最も強大だから魔王の名を冠しているだけで、魔王自身は特別な存在でもなんでもない。厳密にいえば、魔族にとって魔王の命令は尊重すべきものではあるが、従わねばならない義務はないのだ。

 

 結局、オルセンをはじめ何人かの魔将が魔王城の護りにつくことになった。

 

 そして、"こうなった" 。

 

 魔王と魔王城の抑制力に限界が来たのだ。そう、魔王城とは権力を象徴する城ではなく、地表から現れようとした星の魔の一部を大地に縛り付ける楔である。そして魔王は触媒だ。

 

 楔は魔王の魔力を使い、極めて大規模な封印の術を常に起動しつづけているのだ。

 

 それに限界が来たとなれば、変化は劇的だった。

 

  "侵食" が速やかに行われ、護りに残った者達は皆変容してしまった。オルセンをはじめ、力ある魔将達も僅かな雑兵たちも。理性をなくした正真正銘の怪物となり果ててしまった。

 

 魔王が全員を出せと言ったのは、これを危惧しての事だったのかもしれない。

 

 しかしそれを口に出せば敢えて残ろうとする者もいるだろう。

 

 ちなみに勇者は何かといえば、餌である。

 

 これまでの人魔大戦で歴代勇者たちは最期まで魔王を斃し切ることができなかった。

 

 それはなぜかといえば、勇者は魔王に決して勝てない様に出来ているからだ。

 

 魔王は勇者を糧とし、封印のための魔力を回復させる。

 

 しかし肝心の勇者は代を経るごとに劣化し、イム大陸の力ある存在を喰おうとしても邪魔をされ、もうどの様な小細工を弄しても封印を維持し続ける事は困難だとなった時、第四次人魔大戦の開戦が決定されたのである。

 

 ◆

 

 クロウの静動の激変にオルセンはついていけなかった。

 

 残った腕でカウンター気味に構えていた拳は雷を纏い、致命となるには十分な程の威力を有している。しかしそれも当たればの話である。

 

 クロウは直線的な突撃から、ふわりと頬をなでるような緩やかな足取りでオルセンの前で立ち止まった。

 

 クロウに敵意や害意はない。戦闘の場に似つかわしくないメランコリックな様子ですらある。

 

 歴戦の戦闘者であるオルセンは、達人だからこそ "意" をアテにする。

 

 殺意や敵意に敏に反応し、的確な反撃を返せるのだ。

 

 かつて、3対1でクロウ達はオルセンを仕留めきれなかったが、それはオルセンが武に深い造詣があるからだった。

 

 しかし今のクロウの様に意を消されてしまうと、そこに僅かなりとも間隙が生じてしまう。

 

 要するに、戸惑ってしまう。

 

 その僅かな隙とも言えぬ隙の内に、オルセンの首をクロウの "コーリング" が緩やかに薙いだ。

 

 命を断つその瞬間でさえクロウはオルセンに殺意、敵意、害意を抱いていなかった。

 

 彼が考えていたことはある意味で青年らしい悩みだ。

 

 クロウは思いに耽る事で気付いてしまった己の中の "おかしさ" に疑問を抱いた。

 

『自分はもしかしたらちょっとおかしいんじゃないか?』と心を憂鬱色で染め上げていた。

 

 戦闘の真っ最中にそんな風に悩むなんて異常以外の何ものでもないのだが、精神の高揚と痛打をうけて肉体が酷く傷み、死を強く意識したという状況が生み出したシンキングタイムが良くなかった。

 

 メンヘラは考えれば考えるほど沼に嵌るのだ。

 

 そして沼にはまったメンヘラは、周囲とのズレを更に加速してしまう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ぽん、と打ちあがったオルセンの首を、クロウは両手を広げて受け止めた。

 

 ぼんやりと首をみているクロウだが、その表情は妙に哲学的だ。つまり、何か小難しい事を考えている顔ということである。

 

 やがてクロウはオルセンの首をそっと床に置き、パンパンと手を合わせてから仲間達の方へ振り返って言った。

 

「なんていうか…人生は難しい。そう思います」

 

 クロウの言葉を理解できたものは誰もいなかった。

 

 ただ、ヨハンとケロッパはうんうんと頷いている。

 

 クロウの事はさっぱりよくわからないが、人生が難しいというのは本当の事だからだ。

 

 術師連中は非術師と比べて良くも悪くも割り切りは早いものが多い。

 




活動報告?近況ノート?だかなんだかに、各連載作品の今後の方向性、エタるかどうかなどをまとめてのせました


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黒門

 ◆

 

 それを残心と言っていいのかどうか。

 

 クロウは腕をだらりと垂らして、天井を仰いでいる。

 

 足元はおぼつかない。

 

 今にも倒れそうなクロウだが……

 

「クロウ様!」

 

 ファビオラがかけより、その体を支える。

 

「魔力切れ、じゃないな。魔力を流す肉体そのものが擦り切れているのだ」

 

 ヨハンが苦々し気に言う。

 

 その口調はクロウのていたらくを責めるというよりは、自身の無力を責める様な響きがあった。

 

 ヨハンとしては初撃で呪殺してしまうつもりだったのだが、それが上手くいかなかったことでクロウに負担を強いてしまった事に責任を感じているのだ。

 

「すまないな。俺が一撃で仕留められれば良かったのだが。術の選択が悪かったと認めよう。有言実行できないと言うのは術師失格だ。もう二度と殺しが得意などとは言えないな」

 

 ヨハンは頭を下げ、それを見たヨルシカは目をひん剥いた。

 

 彼女が知る限り、ヨハンという男は滅多に頭を下げ……

 

 ──いや、自分に非がある時は普通に謝ってたような気がする

 

 普段が無駄に偉そうなのでなんだか誤解してしまう。

 

 心中で "ごめんね" と謝り、ヨハンの尻をぽんぽんと二度叩いた。

 

「ともかくクロウは十分働いてくれたし、後は魔王までの障害は我々で排除しよう。勇猛な剣士、拳士諸君が奮闘してくれるに違いない」

 

「いやいや、アンタも何かしようぜ。いや、砂漠では助かったけれどよ」

 

 ランサックが言うと、ヨハンは床に唾を吐き「俺より働いてから言え」と言い捨てた。

 

 ◆

 

 いつまで下らない話を、とレグナム西域帝国で"剣聖"の称号を戴くラグランジュが怒鳴りつけようとした時、広場の奥での生々しい肉でできた壁が突然ぼろりと崩れた。

 

 その奥には、暗く不気味な通路が続いている。

 

 一行の視線がカッスルとカプラに注がれる前に、二人は既に通路に向かっている。

 

 この辺りは流石にプロといった所だろう。

 

 仮に罠にはまって死んだとしても、それはそれで罠を一つ看破出来て良し、というおうな腹の括り方をするのが斥候という人種だ。

 

「今度は私が前、お前が後ろ」

 

 カプラが短く言い、カッスルが頷く。

 

 一行は無言でその通路に足を踏み入れる。

 

 肉で出来たような通路を進むと、やがて彼らの前にひらけた空間が現れた。

 

 ちょっとした広場だ。

 

 オルセンと戦闘した広場と同じくらいだろうか。

 

 そんな広場の奥には階段が見える。

 

 階段を上った先には、また広場。

 

 下階のような不気味な様相ではなく、壁の各所には業物と思われる剣や様々な武器がかけられている。

 

 壁は肉壁ではなく石壁だった。

 

 今度の広場には階段はどこにもない。

 

「あら、上にいけないわね……でも……」

 

 悩ましそうな様子でタイランが言い、広場の奥に目を向ける。

 

 広場の奥に黒く大きな扉がある。

 

 異様であった。

 

 黒く光沢のある表面には複雑な紋様が刻まれており、長く見ていると紋様が蠢いている様な錯覚を覚えるのだ。

 

 扉全体が濃密な厄を放っている様にも見える。

 

「俺の霊感が囁いてる。逃げろと。が、そうもいくまい。仕事だからな……」

 

 連盟術師ヨハンはそういうなり、扉へと近づいてしげしげと文様を眺めて言った。

 

「封印、かな?」

 

「わかるのか?」

 

 アリクス王国の剣士、"百剣"のザザの言葉に、ヨハンは頷く。

 

「魔を封じる類のものだ。以前、似たようなものを見たことがある。石像に悪魔が封じられていてね、法教、いや、旧法神教の連中と協働して事にあたった。この手の封印を解くには四方、或いは三方に触媒を配置するというのが通例だが……」

 

 ヨハンは周囲を見渡し、首を振った。

 

「ないな。それらしきものは無いようだ。隠ぺいされているようだが、それを見つけ出すのは俺の仕事ではない」

 

 言うなり、カッスルとカプラを見る。

 

「へいへい、俺らの仕事だなそれは。多分、どこかに隠し扉なりあるんだろう。迷宮で腐るほど見てきたぜそういうのは」

 

 カッスルとカプラが周囲の壁を調べ始める。

 

「……見つけた」

 

 カプラが巧妙に偽装された隠し扉を発見した。

 

 特定の箇所を押すと、石壁が開いて内部への入り口が現れるのだ。

 

 だが問題があった。

 

「こっちも見つけたぜ。おっと、もう一つ」

 

 カッスルが言う。

 

 そう、問題は隠し扉が3つもあることだった。

 




2024からは少しずつ刻んででも進めていこうと思います。


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精神異常者

 ◆

 

「あの黒い扉をこじ開けでも出来るなら話は早いけど、それは難しいかもしれないね。少なくとも魔術では……」

 

 ならばと一行の中でも膂力に優れるゴッラが一歩前へ歩み出るが、ケロッパが「やめなさい」と止める。

 

「あれはただ扉を封印しているだけではなく、無理やり破ろうとする者へ害を為す類のものだ。こういうものを破るならば手順というものがいる」

 

 ケロッパはそういってヨハンを見た。

 

 ヨハンは頷き、懐から石を取り出し(ヨハンはなぜかいつも石を隠し持っている)、扉へ向かって放った。

 

 すると石が扉にあたるなり黒色の電撃が迸り、石を粉々にしてしまった。

 

「見た通りだ。力尽くでは破れない。魔法的に破るのも難しいな。なぜならば──…少し長くなっても?」

 

 ヨハンが尋ねると、ヨルシカは首を横に振った。他にも何人かの者は否を示している。

 

 すると「そうか……」と少し落ち込み気味に、ヨハンは話を続けた。

 

「簡単に言えば護りの意思によって術が構築されているからだ。魔法にはこの手の小難しい事は出来ない。だから魔術による封なのだが、魔術は術者の意思によってその強度を大きく変える。これは俺の師であるルイゼから教えられた事だが、この世界でもっとも強い魔術とは、大切なものを護ろうとする意思によって行使された魔術だそうだ」

 

「つまり、この先へ進むにはその手順とやらを踏む必要があるのだな。ではどの様に踏む……と言っても、決まってるか。隠し扉が3つ。その先に何かがあるのだろう。定番な仕掛けだな」

 

 ラグランジュがつまらなそうに言う。

 

「全員で一つずつあたるのか?」

 

 ザザが顔を顰めながら言った。

 

「俺は反対だ。もしあのデカい扉を開くために、3つの扉の奥へと進まねばならないというのなら、4人ずつでわかれて一辺に済ませてしまうべきだと思う」

 

「理由は?」とヨハンが問うと、ザザは親指の腹で鼻の横を抑え、フンと息を荒げて小さな血の塊を鼻から噴き出した。

 

「俺たちは蝕まれている。余り長くはもたないんじゃあないのか?」

 

 そうだ、とヨハンは思う。

 

 そして傍らに立つヨルシカへ目を遣り、俯く。5秒、10秒。ヨハンは暫く俯いたままだった。ややあって、再び視線を戻して言う。

 

「……都合よく、"何か"があるとは限らないが、他に手はない。パーティを分けよう。だが、悪いが俺が決めてもいいかな?別に脅すつもりはないのだが、適当に分けたら苦労しそうでね。まあ、単なる勘。霊感で分けるだけなんだが」

 

 魔術師ヨハンが時折予言めいた事を言うのは、既に皆が承知している事だ。

 

 だから反対の声はでない。

 

 それがヨハンに与えられた役割だからだ。

 

 ヨハン。

 

 帝国式の記述ではヨハネス。

 

 その意味する所は“啓示者”である。

 

 名とはすなわちその存在を表す。

 

 この世界ではその拘束力、束縛力は非常に強い。

 

 告げ、導く事を宿命づけられている。

 

 ◆

 

 ヨハン、ラグランジュ、ファビオラ、ゴッラ

 

 ランサック、ザザ、クロウ、カプラ

 

 ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ

 

 12名の討伐隊はヨハンによってこの様に分けられた。

 

 この様に分けろ、と霊感が囁いたからだ。

 

 こうすれば助かる、と霊感が囁いたからだ。

 

 この場に12人を欠ける事なく揃わせる為に少々の無理や無茶をしてきたのだ、と霊感が囁いたからである。

 

 霊感の囁きは9人の死者を計上している。

 

 それだけの激戦ということだ。

 

 だが、そうする事で少なくとも自分は生き残るという予感があった。

 

 だからヨハンは霊感の囁きを全て無視して、自身が生き残る為の編成とは真逆の、つまり自身の死の匂いが濃密な案を採用したのだった。

 

 自身は恐らく死ぬ。しかしその分、他の者達は死なずに済む。

 

 これは自己犠牲の精神ではない。

 

 反骨の精神であった。

 

 何となくそう思うから、の "何となく" がどうにも気に食わないのだ。

 

 筋が通っていない。

 

 論理的ではない。

 

 自身の感情、記憶ですら完全に制御下におきたがるヨハン特有の、ちょっと頭のおかしい拘りであった。

 

 ヨハンという男は昔からそうだ。

 

 気に食わない事は絶対にしないし、気に食わない事をさせようとしてくる相手には狂った犬の様に噛みつくチンピラだ。

 

 自分が自分にとって気に食わない事をしようとするなら、自分にだって噛みつく精神異常者である。

 




2日の0時に投稿するつもりでした。まあもういいや


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星の回廊①~ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ組~

 ◆

 

 ヨルシカは不満だった。

 

 あの場で反対は言いださなかったが、とにかく不満だった。

 

 理由は一つしかない。

 

 しかしそれを口に出すわけにはいかないとも思っている。

 

 不満と言うものは、時と場所と相手を考えてぶつけねばならないという事を理解している。

 

 

 ──時は魔王を斃したら。場所は寝室で。相手はヨハンだ

 

 

 そんな事を考えるヨルシカだが、周囲の警戒を怠っているわけではない。

 

 だが

 

「何だかおっかねえが、ちゃんと警戒してくれてるみたいで助かるぜ。ただもう少しこう、トゲトゲを引っ込めてくれるとだな……俺も気を張ってるんだが、アンタの気配がちょっとチクチクと、な?」

 

 先頭を歩くカッスルが立ち止まり、振り向いてヨルシカに言う。

 

 ──抑えていたつもりだけど、流石に金等級か

 

 ヨルシカは軽く頭を下げ、詫びた。

 

「すまない、ちょっと緊張してしまって。気を付けるよ」

 

 ヨルシカが言うと、不意に背を軽く叩かれた。

 

「分かる!分かるわよォ~ッ!必要とはいえ、よね!?私も女だからヨルシカちゃんの気持ちはよくわかるわよ!あのヨハンちゃんが敢えてそうしたのなら理由があるのでしょうし、その理由を言わないなら言わないだけの理由もあるんでしょうけど、それなら接吻くらい……」

 

 タイランがぎゃあぎゃあ喚き、ヨルシカはその妙な陽気さに少し気分が軽くなった。

 

 カッスルはため息をつき、ケロッパを見る。

 

 ここは一番の年長であるケロッパが〆るべきだとおもったからだ。しかしケロッパは常の軽妙さをどこに置き忘れたのやら、周囲の観察に没頭していた。

 

 再びため息をつきたくなるが「無理ねぇな」とも思う。

 

 内部の様子もそうだが、距離感もおかしい。先程から大分歩いている筈だった。それもまっすぐ。

 

 これは奇妙な事だ。なにせ魔王城の直径よりもずっと長い距離を歩いているのだから。

 

 ──(ひず)みの世界かもしれねえ

 

 とカッスルは思う。

 

 (ひず)みの世界とは、言ってみれば異空間だ。

 

 異空間ではそれまでの常識が非常識になり、非常識が常識となる事が多々ある。

 

 カッスルもそういった空間へ足を踏み入れた事が何度かある。危険であると分かってはいても、カッスルは未知を未知のままにしておけないタチなのだ。

 

 そんな病的な程に知りたがりな彼だからこそ、ケロッパの気持ちもよく分かった(魔腑の洞①参照)

 

 そう。ここは隠し扉の先だが、単なる回廊ではない。

 

 一歩足を踏み入れるまではただ長い長い回廊が先に延びているだけの様に見えた。しかし、いざ踏み込んでみればまるで様相が違う。

 

 外から見れば壁面は単なる石壁でしかなかったが、内ではまったく違った姿を見せている。

 

 無機質な石壁が天空に広げられた漆黒のキャンバスとなり、その上に無数の光点がちりばめられている。そしてこれらの光点がまるで遠くの星々のように瞬いており、通路を照らし出していた。

 

 床も、天井もそうだ。

 

 芸術的感性を失調した者ならば、この回廊を安直にこの様に名付けるだろう。

 

【挿絵表示】

 

 ──『星の回廊』と。

 

 ・

 ・

 ・

 

「一歩足を踏み入れればたちまち異界へ。そういった事は珍しいけれど、ないわけじゃあない。それにしても、星界というものが本当にあるのならば──…其処へ至る道はこの様な道なのかもしれないね」

 

 ケロッパがどこか恍惚とした様子で呟いた言葉が、カッスルの脳裏で反響する。

 

 ──星界、星界、星界か。遥か空の彼方、星々が坐すとても静かでとても美しく、そしてとても寒い場所だったか?

 

 カッスルは冒険王ル・ブランの手記に書かれていた事を思い出した。

 

 ル・ブランとは地底都市、海底都市、天空都市、果ての大陸にまで渡った事があるとされ、星界を垣間見た事もあるという実在していたのかいないのだか分からない大昔の冒険者である。

 

 そんな彼は多くの書物を書き、それを後世に残したとされる。

 

 そのうちの一冊をカッスルも読んでいた。



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星の回廊②~ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ組~


【挿絵表示】

ヨルシカ、カッスル、タイラン、ケロッパ

あくまでイメージ画像ということで。タイランなどは眉毛もない設定ですが、生成できませんでした;


 ◆

 

 回廊の先には光が見える。その光が出口なのだろうと考えるのは極々当然の事で、ヨルシカらも周囲を警戒しながらも出口へ向かっているつもりであった。

 

 しかし

 

「もう大分歩いた……わよね?」

 

 と、タイラン。

 

 実際は大分歩いたどころの話ではなかった。

 

 ──大分、どころじゃないかも

 

 旅慣れたヨルシカだが、彼女の感覚は10キロルや20キロルの話ではなく、4、50キロルは歩き続けている様に思えた。

 

 出口と思しき光は相変わらず回廊の先で輝いている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 壁面に散りばめられた星々の輝きは、冷たい光をまたたかせ、幻想的な程に美しい。心を奪われるほどと言ってもよかった。しかしその美しい星々の光が今は不安を掻き立てるものとなっている。

 

「どうにも距離感が掴めねえな。出口らしいものは見えているが、まっすぐ進んでもたどり着けそうにもない。かといって戻るにせよ……」

 

 カッスルが後方へ目をやると、一行が歩いてきた道程は無限に広がる暗黒の虚空に上塗りされているように見える。

 

 カッスルは投げナイフを取り出し、その暗黒へ向かって投擲した。

 

 星光を反射したナイフの鋭い金属光が闇に飲み込まれ、そして消える。ナイフが地面へ落ちた音は聞こえない。

 

「……気付いていると思うけどよ、段々と "アレ" が距離を詰めてきてる。アレに呑まれたらどうなるかは余り想像したくねえ。その前に出口にたどり着けばいいのだろうが、どうにもたどり着けそうな気がしねえのよ。根拠はないんだが、こういう時の悪い予感ってのは結構あたるもんでね。ってことでケロッパ先生よ、そろそろ何か良い案は見つかったかい?」

 

 ケロッパは先程からしきりに周囲を見回している。随分と落ち着きのない様子に足元もふらつき、時折タイランが支えてやる事もあったが、カッスルもタイランもヨルシカも、ケロッパの奇妙な振舞いを掣肘しようとはしなかった。

 

「あの星が見えるかな」

 

 ケロッパの指が北東を指すと、そこには一際大きい輝きが見える。

 

「……大狼星?」

 

 誰かがそう呟くと、ケロッパが嬉しそうに頷いた。

 

「そう!それだけじゃあない。探せば見たことがある星座も色々と見つかる筈だ。つまりこの空間に投影されている星の数々は、我々が見ている夜空のそれを模倣している」

 

「僕はね、この空間を異空間は異空間でも、魔術によって作り出された異空間だと仮定した。異空間にもいろんな種類のものがある。世界の表層が破れ、そこから垣間見える別世界や、世界の法則が何かの原因によって狂ってしまった空間、あるいは術師が作り出した心象世界……僕はこれらの中から、自然発生的に作り出されたという説を排除した」

 

 ケロッパたちの笑顔は天真爛漫そのものといった様子で、いっそ不気味ですらあった。ヨルシカとタイランは内心でドン引いてしまう。

 

「なぜなら、いいかい?そういう異空間っていうのはもっとめちゃくちゃなんだ。"重み"は大地から空へと向かい、一歩踏み出せば火口の如き熱気が立ち込め、もう一歩踏み出せばたちまち汗すら凍り付く極寒の空間へと変貌する。内臓は皮膚に反逆し、生物は見るも悍ましい姿へとなり果てる!……おっと、ヨルシカ君、そんな目で見ないでおくれ、あくまで例えさ。しかし、それくらい滅茶苦茶なんだよ」

 

「然るにこの空間はそういった滅茶苦茶さがない!僕らが知る夜空を模した光景なんてものは……」

 

「術師が作り出した心象空間である可能性が高い、ということなんですね」

 

 ケロッパの言葉にかぶせるようにヨルシカが言った。彼女は術師に好き放題喋らせていると切りがない事を経験上よく知っている。

 

「その通りさ!」

 

 ケロッパは大きな目をきらきらと輝かせて言った。

 

「ここから抜けるために必要な知識……ってことでいいんだよな?いや、疑ってるわけじゃねえよ、気持ちはわかる。俺もこんな状況じゃなかったらもう少しゆっくりしていたい所だからな」

 

 カッスルが問うと、ケロッパはウンと頷く。まるで新しいおもちゃを前にした子供の様な表情だった。

 

「星の導きのままに進めばいいだけさ。最初は……春だね!僕の後についておいでよ」

 

 言うなり、ケロッパは真横に向かって歩き出した。そちらは壁のある方だがお構いなしだ。

 

「お、おい!」

 

 カッスルは慌てて制止するが、ケロッパの動きは素早い。真横に向かって一直線……そして姿が闇に包まれ掻き消える。

 

 残されたカッスル、ヨルシカ、タイランらは顔を見合わせ、ややあってから三人揃ってケロッパの後を追っていった。



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星の果ての邂逅①~ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ組~

先日1/19、イマドキのサバサバ冒険者コミカライズ連載の四話目が更新されました。ニコニコ漫画、コミックウォーカーなどで御覧いただければ幸いです。漫画家さんは「終の人」「エゴ・エリス」などの作者、清水 俊先生です。「終の人」はドラマにもなりました。現在は「エゴ・エリス」を連載中で、こちらも是非よろしくお願いいたします。


 ◆

 

 ケロッパが一行を先導する。

 

 小人族の彼は歩幅も相応に小さいが、影が流れる様に滑らかな動きで先へと進んでいった。

 

 ──"這地(はいち)" みたいな動きだな。魔力が脚へ流れているようだけど

 

 ヨルシカはそんな事を思う。

 

 "這地(はいち)" とは歩法の一種で、足の指の動きを利用して滑るように移動し、敵手の距離感を惑わすというものだ。

 

 アシャラでヨルシカがヨハンと再会してから、彼女はヨハンと戯れに手合わせを行った。

 

 術は無し、得物も無し、徒手空拳というルールで。

 

 一般的に術師というのは接近戦を避けるきらいがあるが、ヨハンは育ちが悪い為、喧嘩殺法を得意とする。

 

 まあ、結果はあっさりヨルシカの勝利に終わったが。

 

 その時に使った技法がこの"這地(はいち)" である。

 

 ──ケロッパさんは見る限りは、"重み" を自在に操る魔術を得意としているみたいだ。私みたいな剣士には夢の様な力だな……

 

 ヨルシカはケロッパの魔術が自分にも使えないかと考えた。

 

 魔術都市エル・カーラのマイスター、ミシルから『飢血剣サングイン』(魔将の追手④、夢幻の先などを参照)を貰ったはいいものの、その特殊な機能で身体能力を大幅向上させてもなお足手まといにはならない程度の貢献しか出来ていない。

 

 そして彼女は自分の実力を等身大に評価しているが、その公平な視線で見る限りこの大陸の魔は自身の手に余ると考えている。

 

 それ故に、武器となるものが一つでも欲しかったのだ。

 

 ──まあ、無理な相談かなぁ

 

 しかしすぐに諦めた。

 

 積み重ねてきた時間と流してきた血や汗を、畑違いの者がそう易々と扱えるわけがない。

 

 でも、とヨルシカは改めて自身の手札を胸中で見直す。

 

 ただ強くなりたいわけではない、守る力が欲しいのだ、とヨルシカは思う。

 

 仲間達を守りたいわけでも、世界を守りたいわけでもなかった。

 

 この戦いに参戦したのも、別に魔王討伐の使命感に燃えていたからではない。

 

 ヨハンが行くと言ったからだ。

 

 閨で、肌と肌を合わせて横になっていた時、ヨルシカはヨハンに「なぜ魔王討伐なんて危険な任務に参加するのか」と尋ねた事がある。

 

 するとヨハンはしかめっ面を浮かべてこの様に答えた。

 

『魔王討伐に進んで参加なんて確かに莫迦な話だ。俺だって自殺したいわけじゃない。だが──……勘だよ、勘。魔王を斃さねば世界は早々に終焉に向かうだろう。果ての大陸から何かが溢れだしてくる、"良くないもの" だ。これが世界中に広がって、人間は、というより生きとし生ける者すべてが "良くないもの" になってしまう。そんな勘だよ。自分でも何言っているのだか分からないがな。でも俺はこの類の勘を外した事がない。君と旅している時も散々証明してきた筈だぞ』

 

 確かにそうだ、とヨルシカはヨハンの首元に顔を埋めながら苦笑した。

 

 ヨハンが「沢山の人間が死ぬ」というと、本当にたくさん死んだし、「やばそうだ」というと大体ヤバかった。

 

 ──ヨハンは「死んでほしくない連中もいるからな」と言っていた。でも私は違う

 

 ヨルシカはただただヨハンだけを守りたかった。

 

 率直にいって、ヨハンを守る為に世界を犠牲にしなければいけないのならそれはそれで構わないとすら思っていた。

 

 重い女だと自分でも思うが、今更もうどうしようもない。そうヨルシカは割り切っている。

 

 ◆

 

 一行は星霜で形作られたような回廊をひたすら歩き続けた。

 

「素敵ねぇ!まるで夜空を歩いているみたい!」

 

 タイランが恍惚とした様子で言った。

 

 そんな彼を横目で見ながら、カッスルはため息をつく。

 

「呑気なもんだな、おっさん。道もいつの間にか消えちまったし、戻り方もわからねえ」

 

 カッスルは周りを見渡して言う。

 

 これまで歩いてきた道が消え失せていた。

 

 一行はいつのまにか、満天の星空の真っ只中に放り出されたかのような状況に陥っていた。

 

 どちらが北でどちらが南かも分からない。

 

 カッスルの持つ方位磁石もぐるぐると回り続けている。

 

「そりゃあ周りはきらきらピカピカと綺麗だがよ、いい加減見飽きてきたってもんだ。なあ、ケロッパの旦那!まだ目的地にはつかねえのかい?」

 

 カッスルがいうとケロッパが振り返り、少年の様な笑顔で答える。

 

「見てごらん、僕の指の先だ」

 

 ケロッパの指の先はとある星々の一団へと向けられていた。

 

「んん?……あれは、"森の狐座" か?智慧と機敏さの象徴……智慧か、智慧ね。じゃああれか、頭を使って謎をといて、とっとと先に進めって暗示か」

 

 カッスルの言葉にケロッパは小さい頭を何度も頷かせる。

 

 これでいてカッスル・シナートという男は育ちがいい(魔腑の洞①参照)。見た目こそ女コマし第一主義とでも言う様なチャラそうな男ではあるが、佳く書を読みサバイバルの知識に富むため、星座の一つや二つは見ればすぐ分かる。

 

 一行が"森の狐座"へ歩を進めていくにつれ、星の光はより強くなり──……

 

「あ、今……」

 

 タイランが呟いた。

 

 何かがカチリと切り替わった、あるいはハマったような感覚を覚えたのだ。

 

 見ればヨルシカもタイランも同じ様な表情を浮かべている。

 

「さて、時間は有限だ!次は "踊る妖精座"へ行こう」と宣言するケロッパ。

 

 彼は説明を続けた。

 

「踊る妖精座は、春の夜空に現れる幻想的な星座さ。この星座は古い伝承によれば、変化と創造性、夢などを象徴している。妖精という種族は皆も知っているだろう?まあ彼らが僕らの前に姿を見せる事は滅多にないんだけれどね」

 

 ヨルシカはケロッパに「私たちは季節の巡りに沿って進んでいるのですか?」と問いかける。

 

 ケロッパは頷いた。「その通りだよ。この異空間は季節の変化と連動しているようだね。特定の条件を満たさなければ脱出できない空間を創り出す類の魔術さ。僕ら魔術師の奥義、自身の心象領域を物質界へ顕現させるものとは少し違うかもしれないが、似たようなものだと思う。それにしてもこの素敵な術を敷いたのは魔王なのかな?だとするなら理由が気になる所だね」

 

「ねえ、ところであの黒い靄はなんだったの?」

 

 タイランが横から口をはさむ。それに対してケロッパはやや憂いを含んだ表情で答えた。

 

「さぁ……僕にもわからない。これは推測だけど、この領域には時間の制限があるんじゃないのかな。季節は巡り、星は流れる。ただの一時だって留まってはいない。マゴマゴしていたら時の流れに押し流され、時の過流の藻屑となってしまうかもね。あれに飲み込まれてタダで済むとは思わないほうがいいよ」

 

 一行はケロッパの説明を聞きながら、次なる季節の星座への道を進んでいく。

 

 春の "森の狐座" から始まり、夏、秋と星座を巡っていく一行は、やがて十二星座の最後、冬の "銀の月の女神座" へと辿り着いた。

 

 周囲の星々が一斉に強く輝きだし──……世界が歪み、溶けていくような感覚。

 

 ヨルシカらはその感覚に覚えがあった。

 

 それは西域から東域への転移、宙空に渦巻く穴に飛び込んだ時の感覚に酷似していたのだ。

 

「転移だ! 気をつけて!」

 

 ケロッパの警告の次瞬、彼らの周囲は光に包まれ、次の瞬間には大草原のただなかに居た。

 

 空は暗く、満天の星空が広がっている。

 

「ここは……」

 

 ヨルシカが呆然と呟き、周囲を見回す。

 

 遠くに見える山々の形に見覚えがあったが、彼女が知る "そこ" と "ここ" は何もかもが違うために確信が持てない。

 

 すると、ケロッパが何か得心がいった様な表情を浮かべて言った。

 

「ほら、見てごらん」

 

 ケロッパが指し示す方向の彼方には連なる山々がそびえている。

 

「ここは、果ての大陸……かもしれないね」

 

 それはヨルシカが考えていたものと同じ結論だった。

 

 ええ~!?とタイランが野太い声で叫ぶ。

 

「だって果ての大陸はドロドロでグチャグチャでクサクサだったじゃないの!こーんな素敵な場所じゃなかったわよ?」

 

 タイランの疑問は最もなものだったが、ケロッパはにんまりとした笑みを浮かべる。

 

「そうだねえ、その答えは……君が知っているんじゃないのかい?」

 

 ケロッパが言うなり、背後を振り返った。

 

 そこにはいつのまにか誰かが佇んでいる。

 

 青い肌の、魔族と思しき青年だった。黒い布を身体に巻き付けたトゥガにも似た服を着ており、血の様に赤い瞳で一行を眺めている。

 

 道で干からびている名も知らぬ虫を見る時、人はこんな目をするのだろう。

 

 そういう無感情、無感動な目だった。

 

 そんな青年に対し、タイラン、カッスルはやや後退りをする。明らかに気圧されている様子だ。

 

 ──な、んだこりゃあ……

 

 カッスルは自身が滂沱と汗を流している事にも気付かず、ただただ青年に圧倒されていた。生存本能が「すぐにここを離れろ、逃げ出せ」と警鐘を鳴らす。

 

 タイランはカッスルよりはややマシだが、それも警戒心を一杯に浮かべたような油断のならない顔つきで青年を睨みつけていた。

 

 平気なのはケロッパだけに見えるが、いや、そのケロッパとてこめかみに一筋の冷や汗を伝わせている。

 

 ではヨルシカは?

 

 彼女は驚いたように目を見開いていた。

 

 この青年を知っていたのだ。

 

 忘れる筈がなかった。

 

 その青年はヨハンの、愛する男の、ある意味で仇でもあるのだから。

 

 ──あの、時のッ……!

 

「君は魔将の一人かな?それとも魔王本人?」

 

 ケロッパが軽い調子で尋ねると、青年が答える。

 

 ただし、ケロッパの問いかけに対して答えたわけではない。

 

 ──『去れ、下賤。お前たちには(おれ)が何をしているか分からぬか。過ぎし日々の楔を以て禍を封じているのだ。それが出来るのは今の(おれ)だけ。お前たちに用はない』

 

 青年が言葉を切るや否や。

 

 ヨルシカは掌を短刀で深く切り裂き、『飢血剣サングイン』の柄を握り締める。

 

 その表情は憎悪で歪み、次瞬、彼女の姿が掻き消えた。



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星の果ての邂逅②~ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ組~

 ◆

 

【挿絵表示】

 

『飢血剣サングイン』はエル・カーラのグランドマイスターであるミシルが考案した術剣で、所有者の血を触媒に身体強化・賦活の術を起動する。

 

 血は魔術の触媒としては最もポピュラーなものだ。

 

 駆け出しの魔術師などは自らの血を触媒にして術を行使する者も多い。

 

 血とは生命の象徴。そして生命とは触媒として極上であり、血液に込められた生命のエッセンスは時に最も困難な魔術さえも可能にする。

 

 更に言えば、金だ。

 

 術の行使には触媒が必要で、この触媒代がバカにならない。

 

 しかし腕を上げれば上げるほど、自身の血を触媒とする術師は減っていく。

 

 減る理由は様々だ。

 

 血を触媒とするリスクに気付く者が過半。しかし、術の大きさと触媒の価値が釣り合わずに自らの術に殺される者も少なくない。

 

 この「殺される」という部分がまさにリスクであった。

 

【挿絵表示】

 

 身の丈に合わない術を、血という触媒で行使しようとしたとき、術はバランスを取るために魔術師にさらなる血を要求する。他の触媒なら術の不発で終わることもあるが、自分の血を使った場合はそうはいかない。なぜなら、まだ血は身体に豊富にあるからだ。

 

 結句、自分自身の術行使によって命を落とす者が決して少なくない。術を使うことができたとしても術者自身が命を落としてしまっては意味がない。

 

 だが時には──……可能な限り避けるべきではあるが、命を懸けて術を巡らせねばならない場面というものがある。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 切り裂かれた掌から滴る血は、まるで命の証とも言える熱を帯びていた。

 

 ヨルシカの血の価値は高い。

 

 庶子とは言え、アシャラ王家の第三王女としての王血。更に言えばアシャラ王家の先祖はアシャラートというエルフェンで、つまり彼女の血には非常に高い魔術適正を持つエルフェンのそれも混じっているという事になる。

 

 一条の稲妻と化したヨルシカは、憎き仇との距離を瞬く間に詰めた。

 

 速度は落とさない、高速度そのままにスレ違い様に首を落とすつもりだったからだ。

 

 ──()った! 

 

 必殺の確信と共に、肉と骨の(ひしゃ)げる音がした。

 

 如何なる術が作用したか、ヨルシカの体が吹き飛ばされる。

 

「ヨルシカちゃん!」

 

 タイランが飛び出し、巨躯に見合わぬ俊敏さでヨルシカを受け止め、そっとその場に横たえた。カッスル、ケロッパはそれを見届け、青年と対峙している。

 

「だ、大丈夫……少し内臓と骨を、やられただけだから。それより、何があったか教えてくれるかな……」

 

 ヨルシカが死にそうな声で言うと、タイランはまるでバカを見る目でヨルシカを見た。

 

「そういうのは大丈夫じゃないって言うのよ、まあ一般的にはだけど。とりあえず少し休んでいらっしゃい。ヨルシカちゃんが連携を無視して突っ込んだおかげで、彼の手札が一枚めくれたわ。彼ったら "空法" も修めているのかしら?」

 

 空法とは中域に伝わる技法の一つで、大気のあしらいを重視した拳理を指す。

 

「……ってあらあら? 結構大怪我に見えたけれど治っちゃったわね!? その気持ち悪い剣の効果かしら……ああ、なるほど。我を失ったんじゃなくて取り合えず突っかけたってわけね……傷もすぐ治るから。お行儀悪いわぁ、チンピラじゃないんだからもう少しスマートに戦いましょうよ」

 

 一見して重傷に見えたし、事実としてヨルシカは重傷を負ってはいた。

 

 重要器官を含むいくつかの臓器が傷つき、骨も何本も折れた。これはまごう事なき重傷といってもいいだろう。

 

 魔族の青年は大気を圧縮し、それを叩きつけて圧縮を解放しただけなのだが、それが一撃でヨルシカを半殺しにする程の威力を持っていたという事だ。

 

 しかし今のヨルシカの肉体は、外ならぬ彼女の貴血により非常に強い再生能力を有しているため、それほどの重傷でも瞬く間に癒えてしまった。

 

 立ち上がるヨルシカの口に小さい笑みが浮かぶ。一撃で殺されかけて頭がおかしくなったわけではなく、タイランも言っていたことだが体を使って相手の手札を一枚暴いた事を良しとしているのだ。代償として大怪我を負ったが、それも治ってしまえば関係ない。

 

 しかしヨルシカの復帰を見た魔族の青年はやや眉を顰め、傲岸に言い放つ。

 

「人間風情が耐えられる威力ではなかったと思うが。まあいい、次は頭を吹き飛ばしてやろう。立ち去るなら今のうちだ……と言いたい所だが、お前たちが進んできた回廊はもう存在しない。ゆえに選べるのは二通りの末路だ。即ち、いまここで(オレ)に縊り殺されるか、あるいは彼方の過去からの光に満つこの空間で、その短い寿命が尽きるまで……」Hulva zintari, morglus gravithar, vornath shorun. 話が長い男は嫌われるよ?」

 

 被せる様に、ケロッパ。

 

 Hulvaというのは、小人族の言葉で、これは簡単に言うと一般常識全般を意味する。

 

 例えば火は燃える、触ると熱い……これがHulvaだ。

 

 夜は暗くなる、朝は明るい……これもHulvaである。

 

 酒を飲めば酔うが、酒に強い者は酔いづらい……これもまたHulva。

 

 一つの単語が様々な意味を包括するという事はままあるが、小人族の“Hulva”は特に意味する所が多い。

 

 ここでのHulvaは自然の摂理、物理の法則を指す。

 

 morglusは大地、そしてgravitharはその極端な形態、すなわち一点に集中した重力、一時的な極重力地帯を意味する。

 

 魔導協会一等術師 "地賢" のケロッパは理術を操る。一等術師は他にも "雷伯" と "死疫" がいるが、このうち"雷伯"は魔族との戦いで死亡している。そして "死疫" のゲルラッハはレグナム三重帝国の宰相としてこの戦争に対応している。

 

【挿絵表示】

 

 ともかく、理術とは従来の伝承や逸話から現象を再現する "魔術" でも、あるいは願望をそのまま叶える "魔法" でもなく、世界に敷かれている理を局所的に拡大して実現する独特の術体系だ。

 

 そして今彼が行使したのは重みの理。魔族の青年の双肩に、大岩が圧し掛かるが如き重圧が加えられ、その総重量はどれ程になるか見当もつかない。しかし、魔族の青年の脚は両脚とも足首まで地面に沈み込んでいる所からみて、相当の重圧がかけられている事は間違いなかった。

 

「余り長くはもたないよ!」

 

 ケロッパが言うまでもなく、既にカッスルが青年の背後に回り込んでいた。その手には "うねりの魔剣" が構えられている。

 




本日2/04、イマドキのサバサバ冒険者コミカライズ連載の最新話が更新されました。ニコニコ漫画、コミックウォーカーなどで御覧いただければ幸いです。漫画家さんは「終の人」「エゴ・エリス」などの作者、清水 俊先生です。「終の人」はドラマにもなりました。現在は「エゴ・エリス」を連載中で、こちらも是非よろしくお願いいたします。


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星の果ての邂逅③~ケロッパ、カッスル、タイラン、ヨルシカ組~

 ◆

 

 力のある存在は時として自身の身を分けたり、変容させたりする。

 

 何かしらの目的が存在したとして、その目的に沿った器というものがあるのだ。

 

 例えるならば豆を拾って数えなければならないといった時、剛力満ちた天を衝く巨人と非力な子供ならば、どちらがより素早く事を為せるのかという話である。

 

 しかしただ身を分ける事はできない。

 

 核とする根源が無ければ分けた身を維持できないのだ。

 

 例えば上魔将マギウスはその身を四つ身に分ける。

 

 その根幹にして核である死……そして病、傷、老を司る分け身へと。

 

 マギウスを討つにはまず病、傷、老を司る三体のマギウスを討たねばならない。

 

 死に纏わる三要因を司る化身を全て滅ぼしたその時に初めて本体たるマギウスの命に手をかける事が出来るのだ。

 

 それを同じ事を魔王もやっていた。

 

 魔王は記憶を触媒とし、世界を多層に切り分けていた。

 

 全ては"それ" を封じる為だ。

 

 魔王は星の果てからやってきたナニカを時間軸に沿って細分化し、過去・現在・未来という異なる時期に分散させて封じ込めている。

 

 これが何を意味するのかと言うと、この場は過去の果ての大陸と言う事だ。

 

 魔王もまた過去の魔王。

 

 力に満ちた若かりし頃の魔王であった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ぎゅると抉る様に放たれた突きはしかし、魔王の肌を貫く事が出来なかった。

 

 突きは背の皮膚の表面で止まっている。

 

「なぁッ!?」

 

 カッスルが驚愕の叫びをあげる。

 

 ──地竜の表皮もぶち抜くってのに! 貫けないまでも傷を負わせることすらできねぇってか!? 

 

 カッスルは追撃をせず、素早くその場を離れる。

 

「児戯よ」

 

 魔王が大きく脚を踏み出す。

 

 するとケロッパの左目からツと血色の涙が流れ、頬を伝った。

 

 掛けた術の一部が破れ、同時に反動でケロッパ自身も傷ついた。

 

 如何なる魔術にも代償は要る。

 

 触媒が必要なのだ。

 

 その触媒は有形無形のものに分けられ、無形のものは身を切るタイプである場合が多い。

 

 ケロッパの場合は知識と魔力だ。

 

 彼が行使する理術は例えるならば、広い荒野のどこかにいる誰かに声を掛けるようなものだ。声が届く範囲は狭い。大声を出しても狭い範囲でしか届かない。

 

 声の大きさが魔力、どちらの方角へ声をかけるかが知識である。

 

 だが大声を出せば喉は枯れ、あるいは破れてしまうかもしれない。

 

 そうなった結果が今の傷ついたケロッパだ。

 

 ◆

 

 ──二重に束ねた超重を、こうも簡単に返されてはたまらないな

 

 ケロッパは自身から凄まじい勢いで魔力が流れゆくのを感じている。

 

 その残量が致命水位へ至るまで、そう長くはない。

 

 ケロッパは仮に自身が死ぬとしても、最終的に勝利するならばそれは必要経費として割り切る事が出来ると考えていた。

 

 これは戦いに身を置く者──……それも手練れの思考だ。

 

 そういった割り切り方ができなければ潜り抜ける事が出来ない、そんな戦場は存在する。

 

 だが、とケロッパは内心で苦笑した。

 

 そういった割り切り方をする事で命を落とす戦場もまた存在するのだ。生きてこそ、生きようとしてこそ浮かぶ瀬もある。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ちょっとちょっとちょっと~!」

 

 緊迫した戦場に似つかわしくない声が響いた。

 

 タイランだ。

 

 中域出身の禿頭の拳士。

 

 心と体の性が異なり、迫害から逃げてきた自称乙女。

 

 上衣を脱ぎ捨てており、筋肉に(よろ)われた肉体美を見せつけている。

 

 なぜか汗まみれなのは、魔王のプレッシャーに圧されての事だろうか? 

 

「押されっぱなしじゃないの! 私が時間を稼いであげるから、何とかしてよね~! ヨルシカちゃんも少し体力戻しなさいよ。──まあ、そうね、呼吸が500か600か、それくらいは稼いであげるわ」

 

 そうでもなさそうだった。

 

「稼げると思うのか」

 

 魔王が静かに言う。その身はいまだケロッパの術に束縛されているものの、ケロッパの憔悴からして余り長くはもたない事は明白である。

 

 ずしり、と重く歩が進む度にケロッパの体は傷ついていく。

 

 タイランは横目でケロッパの様子をチラと見て、ふうと息をついて汗を掌で拭う。

 

「稼げないかもしれないわね~。でも不思議なんだけれど、魔王様ならなんで大きい魔法で私たちを一気にやっつけてしまわないのかしら。舐めているのかなと思ったけれど、もしかしたら使えないのかなと思ったのよね~。それにしても暑いわね、ねえ、ちょっと魔王様、私って汗臭いかしら?」

 

「いや臭くはねぇけど、流石にちょっと……どうしたんだよ」

 

 カッスルが呆れたように言った。

 

 ドバドバと、どろどろとタイランは汗を流している

 

 カッスルはタイランの汗が空気中に混ざり込んでいるんじゃないかと思ってしまって気分が悪くなってしまった。

 

 ──俺ぁ、男の汗のにおいを嗅ぐ趣味はねえんだよ

 

 ◆

 

 タイランの無駄話に魔王は答えず、緩慢な動作で左手の人差し指と中指を立てて横へ振りかぶる。

 

 まるで剣を横一文字に振り切ろうとしている剣士の所作だ。

 

 ケロッパの術のせいで機敏な動作が出来ないものの、魔王の動きから濃密な死の気配が漂ってきている事をその場の誰もが理解できた。

 

「ヤバ! それ魔法? 冗談抜きで死んじゃうからやめてよ。ねぇ、そもそも私たちって戦う必要があるの? 魔王様はここで何かを守っていると思うのよね、何を守っているのか私、すっごく気になっちゃう! 話せばわかるって言うでしょう? 人と魔族でも、分かり合える事って出来ると思うのよね。ほら、市井に紛れ込む魔族だっているって話でしょう?」

 

 タイランは構わず只管べしゃり倒し──……それを見ていたヨルシカは既視感を覚えた。

 

「いい加減に黙れ、下賤」

 

 ──גזר(ガズラ)

 

 ガズラとは切り取るという意味を持つ魔法の言葉だ。

 

 これは物体を切断するのではなく、空間を断ち切る。

 

 しかし、魔王が宙を横引こうとした瞬間。

 

「あ、それはダメよ」

 

 タイランがその場でショートアッパーを繰り出した。

 

 魔王の手首が跳ね上がり、魔法行使が中断される。

 

「まあもう、話し合って済む段階は過ぎちゃってると思うし、私の方も準備は済んだからちょっと付き合ってよ、時間稼ぎに……」

 




本日は「イマドキのサバサバ冒険者」のコミカライズ最新話が更新されておりますので、コミックウォーカー、ニコニコ静画などからご覧いただければ幸いです。本編は基本的に更新はコミカライズ更新に合わせるようにしています。ただ、月2回更新だと少ないのでもう少し更新回数増やします!

それと3/4にコミックス一巻が発売されます。印税で煙草沢山買いますね!

さらにいくつか作品も紹介しているので、食指が伸びそうなものがあればそちらもお願いいたします!作者ページから飛べると思うので!


§

①相死の円、相愛の環(短編恋愛)
戦場の空に描かれた死の円に、青年は過日の思い出を見る。その瞬間、青年の心に火が点った

②しんどい君(短編ホラー)
過労死寸前の青年はなぜか死なない。ナニカに護られているからだ…

③おおめだま(短編ホラー)
夜更かし癖が治らない少年は母親からこんな話を聞いた。それ以来奇妙な夢を見る

④おくらいさん(短編ホラー)
街灯が少ない田舎町に引っ越してきた少女。夜道で色々なモノに出遭う

⑤約束(短編ホラー)
彼は彼女を護ると約束した

⑥イマドキのサバサバ冒険者(長編ハイファン)
ニコニコ静画・コミックウォーカーなどでコミカライズ連載中。無料なのでぜひ。ダークファンタジー風味のハイファン。術師の青年が大陸を旅する

⑦Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~(長編ハイファン)
前世で過労死した青年のハートは完全にブレイクした。100円ライターの様に使い捨てられくたばるのはもうごめんだ。今世では必要とされ、惜しまれながら"死にたい"

⑧しょうもなおじさん、ダンジョンに行く(長編ローファン)
47歳となるおじさんはしょうもないおじさんだ。でもおじさんはしょうもなくないおじさんになりたかった。過日の過ちを認め、社会に再び居場所を作るべく努力する。


⑨★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)(長編SF)
SF日常系。「君」はろくでなしのクソッタレだ。しかしなぜか憎めない。借金のカタに危険なサイバネ手術を受け、惑星調査で金を稼ぐ

⑩継ぐ人(中編ハイファン、完結済)
"酔いどれ騎士" サイラスは亡国の騎士だ。大切なモノは全て失った。護るべき国は無く、守るべき家族も亡い。そんな彼はある時、やはり自身と同じ様に全てを失った少女と出会う。

⑪ダンジョン仕草(さんぺいものがたり)(長編ハイファン)
ウィザードリィ風。ダンジョンに「君」の人生がある

⑫鈴木よしお地獄道(一巻)(長編現代ホラー)
ローファン、バトルホラー。鈴木よしおは霊能者である。怒りこそがよしおの除霊の根源である。そして彼が怒りを忘れる事は決してない。なぜなら彼の元妻は既に浮気相手の子供を出産しているからだ。しかも浮気相手は彼が信頼していた元上司であった。よしおは怒り続ける。

「――憎い、憎い、憎い。愛していた元妻が、信頼していた元上司が。そしてなによりも愛と信頼を不変のものだと盲目に信じ込んで、それらを磨き上げる事を怠った自分自身が」


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