ツバキくんは絵が得意 (にえる)
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1話

 

 

 絵で生きていく、そう親に宣言して美大の予備校に通わせてもらったのを覚えている。

 夢を抱いているだけで良かった。

 何も悩まずに不自由なく絵が描けた。

 学業は煩わしかったが、それすらも今では頭を地に擦り付けてでもやりたいことの一つだ。

 今では何もかもが簡単には叶わない。

 受験を控えた夏、オープンキャンパスに行くのだと家を出て、そして俺は見知らぬ地に一人立っていた。

 

 その時、それまでの全てが夢のような過去となった。

 

 

 

 

 

「いいんですか!? やっちゃいますよ!?」

 

「いいですよ」

 

「ホントにやっちゃいますよ!? 止まりませんよ!?」

 

「いいですって」

 

「やっぱり俺が打つんですか!?」

 

「そうですよ」

 

「打てませぇん! 変わってくださぁい!」

 

「いいから早くやりなさい」

 

「救いは無いのですかぁ!」

 

「むしろ貴方が救う側です」

 

 初老の男性に促され、緊張で手に力が入りすぎて震えている。

 彼はお世話になっている教会の責任者である神父様で、この世界に投げ出されてうろうろしていた所を拾ってくれた人だった。

 教会に住まわせて貰い、更にお手伝い程度の仕事を行うだけで給金までくれている。

 これは仕事なのだと、俺は情けない言葉にならない悲鳴のような鳴き声を挙げながらぎゅっと目をつぶる。

 そして、置かれている死体の胸に向け、持っていた杭を打ち付けた。

 表面が固くなった焼きトマトを、貫いて濾した時に似た感覚が手に伝わった。

 殺し屋が標的を処分するときに「料理してやる」みたいな表現する意味が分かった気がする。

 死んでから時間が十分に経っていたため、血は噴き出さなかったが、胸部や腹部に溜まっていたらしいガスが漏れ出したのかひどい悪臭を放っていた。

 悪臭は鼻だけでなく、目にも痺れのような物を感じさせた。

 

「くっせ! これめっちゃくっせ!」

 

「こらこら、ご遺体に失礼の無いようにしなさい」

 

「ごめんなさぁい!」

 

 漏れ出した臭さに合わせて、つい本音も漏れてしまった。

 叱責されてすぐに謝る。

 亡くなった人を馬鹿にするようなことを言うのは確かに良くなかった。

 親族や近しい人がこの場にいないからといって、悪く言うのが癖になってしまったらコトだ。

 死人を笑う人間にも、死んで笑われる人間にもなりたくない。

 

「ふむ、それにしても心臓を一突きとは。見事な物ですね。うん、腕がとてもいい」

 

「それは……全く嬉しくないです、神父様」

 

 杭が打ち付けられた死体を見て、ほほほ、と神父様が笑う。

 人物絵のデッサンをする際に、まず骨格を意識するようにと予備校で教えられた。

 とんでもなく有名なアニメ映画の監督も絵を描く上では骨を意識するのだとインタビューで答えていた。

 骨格や内臓、関節等に気を付けて絵の練習を行ってきたが、それが今になって活きている。

 死体に杭を打ち付ける形で活きるのはどうかと思うがそれはそれとしてありがとう、先生、監督……!

 

「これならアンデッドになることは無いでしょう。誇ってもいい腕なんですけどね」

 

「なんと言われようと俺は絵描きなんです……!」

 

 この世界にはモンスター、いわゆる魔物がいる。

 それこそ地球で言う虫や魚、動植物、爬虫類等もいるが、明確に魔物という分類が存在している。

 歩く植物、歩く死体、歩く魚、歩く動物……。

 全部歩いてるじゃん!

 ぱっと思いつくのが歩く魔物ばかりだったが、歩かないのもいる。

 体内に魔力を生成する器官があれば魔物となり、基本的に他の生物の延長線上に存在しているようだった。

 死体も放っておくと朽ちてくのだが、稀に魔力を取り込んで生ける屍(アンデッド)に変異したりするらしい。

 こ、こわい……。

 

「さて、埋葬して遺族の方々を呼んでお祈りしましょうか」

 

「わかりました」

 

 死体に固めの襤褸布を巻き、予め掘っておいた穴へ丁寧に入れる。

 死への敬意もあるが、それだけでは無い。

 死体は皮や肉が剥がれ落ちやすい。

 それもずるりと、べちゃりと。

 今回の死体は血が噴き出ないけれども、まだ新鮮とも言える状態なのでそう簡単に皮膚がズレることはない。

 ただし手荒に扱えば話は別だ。

 死人の体液は臭いもなかなか落ちないし、汚れもすぐ落ちない。

 そういう理由で出来るだけ丁寧に埋葬する。

 初めて仕事を手伝った際に、葬式だからと無知の癖に意識だけ高かったせいで、元から着ていた学生服をダメにしてしまった。

 あと祟られたら怖いし……。

 

 安置された事を確認し、もう一度木の杭に体重を掛ける。

 ちょうど地面に縫い付けた形になった。

 そこに、ざっざっざ、と土を被せる。

 僅かに盛り上がった土から、ざらざらした布を巻きつけた木の棒が地面から突き出た形となった。

 これで故人の居る場所がわかるし、変異してもすぐには暴れられない。

 

「手際がいいです。……ツバキくん、キミは墓守になれる!」

 

「なりたくありませぇん!」

 

 

 

 

 

 集まった遺族と協力して、故人の眠る木の杭の傍に墓石を置く。

 名前が彫られているシンプルな石だが、よく磨かれている。

 一般的な墓は木の棒で済ませてしまうことがほとんどで、石を用いるのは高価なためそれ相応の資産を持っていた人に使われる。

 墓石のすぐ傍、神父様の隣で故人へのお祈りを捧げる。

 俺たちを中心に、遺族が円形にお祈りを始めた。

 顔の前で両手を組むように合わせ、目を瞑る。

 祈る姿は無防備で、何も持っていないことを証明するのがどの世界でも共通なのだろうかと思ったりした。

 今回は二人で時間を掛けて埋葬したが、大抵は遺族も作業を手伝う。

 幾らか手間賃が浮くし、最期に見送りたいという気持ちの顕れでもあるのだろう。

 他にも処理が甘くてアンデッド化してしまい、その際に不運にも顔が腐らずにいると色々と問題になってしまう理由もある。

 望まれれば顔にも杭を打ち付けるが、ほとんど需要はない。

 故人は商人一族に名を連ねていたようで、その付き合いや親族のおかげなのか参列者は多かった。

 商売の途中で故人に祈りに来たと教えてくれた。

 彼らは今店番している人員と交代する形でまた店に戻るようだった。

 死臭が付くかもしれない埋葬は手伝えない代わりに、事前に少しばかりの心付けを貰っていた。

 

「月がその魂を穏やかに眠らせてくれるよう、皆で祈りましょう。……月光の導きを」

 

「……月光の導きを」

 

 神父様の言葉の後に、俺も含めた銘銘が追うようにお祈りの言葉を述べる。

 他と違って俺は半泣きだった。

 手に残る遺体を貫いた生々しい感触と、漏れ出した臭いでまだ目や鼻がしょぼしょぼしていた。

 祈りの途中ですっと涙が流れたりする。

 

「若い神父様に見送って貰えて叔父もきっと穏やかに眠れます。……月光の導きを」

 

「ああ、いえ、とんでもない。……月光の導きを」

 

「ありがとうございます。働き者の友人でしたが、年若い神父様にも惜しまれる人柄だと安心しました。これは私の店で出しているお菓子ですが、後でどうぞ。それでは私どもは帰りますので。……月光の導きを」

 

「あ、ありがとうございます。いただきます。……月光の導きを」

 

 参列していた親族の方々が、ゆっくりと帰路に就く。

 何か勘違いされたのか、帰り際に色々と言葉を掛けられる。

 中には店で出している商品を、小さな包みに入れて渡してくれたりもした。

 この世界にはどんな画材があるのか興味を持ち、お遣いのついでに故人とは軽く話をしたこともあった。

 その際に俺を見かけたこともあるのだろう、今この時に繋げられる商人の記憶力というのは凄い物がある。

 交代する形で来た人たちともお祈りをすれば、また同じようにお礼の言葉やお菓子を貰った。

 

 お祈りを終えて、神父様と俺以外がいなくなった墓地の閑散とした雰囲気が物寂しい。

 商人だから周囲にポーズを見せる意味もあったかもしれないが、あれだけ人が集まったのだから人望もあったのだろう。

 俺はそれがとても素晴らしいことに思える。

 誰もお祈りに来なかったり、遺体に向けて祈りの言葉ではなく罵詈雑言を吐く人たちも少なくない。

 

「そろそろ帰りましょうか」

 

「はい。……お菓子をいただきました」

 

「それは良かったですね。彼らも手伝いたかったのでしょう、その気持ちだと思って受け取っておきなさい。……そうですね、子供たちにも分けてあげると良いでしょう」

 

 神父様の言葉に頷く。

 教会では身寄りのない子供たちも暮らしている。

 仲良くしたいのだが、教会に世話になって結構な期間が経つのにどうにも寄り付いてすら貰えていない。

 年齢が離れているのもあるが、やはり何処からともなく現れた俺が怪しいのかもしれない。

 最初は謎の言葉を話す挙動不審な人物だったからしょうがないと言えばしょうがない。

 お菓子に釣られるといいんだけどな。

 

 

 

 

 

 



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2話

 

 

 商人一族の故人を祈りで送ったあの後、神父様に頼まれてお遣いをしてきた。

 遺族の様子を見て、時間が経つとアンデッド化するかもしれないので時々お祈りに行くように等の言付け程度だが。

 ちょっと遅くなったが用事を済ませて教会に帰ると、子供たちは神父様に群がって喜びの声を挙げていた。

 今日は何をしたのだとか、そういう他愛のない話だが親代わりの神父様に聞いてもらえるだけで嬉しいのだろう。

 俺も聞くよ、と受け入れ態勢を整えれば、距離を取られてあからさまに避けられた。

 悲しい……。

 

 だが今日は秘密兵器のお菓子があるからな。

 神父様と話したがってる子供たちに割って入るのは避けて、後ほど物で釣ればいいだろう。

 微笑ましいな、と笑みを浮かべれば子供たちから更に距離を取られた。

 お菓子様でわからせてやるから今ははしゃいでいるがいい無垢な子供たちよ……。

 

 俺が住んでいる教会は三つの円形の建物で構成されていて、それぞれがアーチで区切られた廊で繋がっている。

 上から見たら歪な三角の形に配置されており、三つある月を表しているらしい。

 正面の建物が本堂、本堂の後方には住居と倉庫があり、その間に井戸付きの裏庭がある。

 人影も無いので都合がいいと井戸の水で体を清める。

 埋葬は悪い事ではないが、やはりそのままでいるのは気持ちがちょっと落ち着かない。

 神父様もやってるので、埋葬後は俺も倣って井戸の水を被って清めている。

 気軽に入れるようなお風呂がある世界でもないので、体を水で流せるのは有難い。

 少しばかり長くなってきた髪を、手で乱暴にかき分けるように水切りする。

 ふかふかのバスタオルなんて無いから、あらかじめ水気を飛ばさないと布が全然吸ってくれない。

 しっとりした前髪を頭頂に軽く撫でつけるようにかき上げて、干されていた布の服に袖を通す。

 飾り気一つない村人その1って感じの格好になった。

 

 倉庫から写本の道具を取り出して、本堂に戻ってくればまだ子供たちが神父様を囲んでわちゃわちゃしていた。

 色の付いた硝子のような物で出来ている天井は、日中は薄く曇っている。

 それでいて室内が暗くならないほどに日の光が入り込んでいるのだから不思議なものだ。

 本堂の中央では、近くに来たついでに寄ったらしい商人の方が静かにお祈りをしていたので俺も同じようにお祈りする。

 偶像や模倣による祭壇は何処にも無く、室内には何も祀られていない。

 中央には何も置かれていない。

 そこはお祈りするための空間であり、月の光を一番強く浴びるための場所でもある。

 中心の空白を囲むように長椅子と机が設置されている。

 

 この教会は月光派に所属していて、三つの月そのものと、三種類の月光に祈りを捧げる宗派となっている。

 夜も昼も、極夜でも白夜でも、変わらず空にある月に祈るのは当然のことかもしれない。

 細々とした教えもあるが、全ての月が沈むまでに祈ればいいという教えを守るだけで済む月派は商人に人気のようだった。

 全ての月が沈むまで、つまりいつ祈ってもいいということだ。

 多分そんなにお祈りが好きじゃないけど規則は守らせようとした人が作った宗教かもしれない。

 本堂は朝も夜も開いていて、夜間にお祈りしたくなったり、不安や悩みを持った人がいつでも来られるようになっているのも特徴だろう。

 今は薄く曇っている天井が透き通るほど透明になり、月と星の光を増幅して照らされる夜の本堂が俺は好きだった。

 

 

 

 

 

「ほら、みなさん。今日もツバキくんがお菓子を貰ったそうです。分けてくれるみたいですよ」

 

 写本しながらぽつぽつと出入りする人たちに声を掛けていたら、なかなか引かない子供たちに困ったのか神父様がそう言った。

 お菓子が入った薄い紙の小包を振って見せれば子供たちがぞろぞろと……寄ってこない。

 困ったように笑う神父様を見て、俺も笑顔を浮かべて立ち上がった。

 

「そろそろお勉強に戻らないと、俺の隣で勉強させます。今から(じゅう)数えてから追いかけるので、捕まったら今日は俺から離れられないと思いなさい。……あと勝手に教会の外に出たら三日は笑えない体にしてやりますからね」

 

 冗談交じりに俺がそう宣言すると、子供たちは一目散に神父様から離れた。

 ワーとかキャーとか歓声を挙げることなく、遊びすら全くない真剣な顔で本堂を飛び出していった。

 あんなに全力で逃げられたら捕まえようがないので、諦めてまた写本に戻る。

 その様子を見た商人の方などは「ははは」と笑って帰っていったし、夜番だったらしいシスターは半分寝ていたので横にしておいた。

 俺も子供に人気のある大人になってみたいよ、全く。

 お菓子が貴重な世界で、甘いお菓子を使っても子供から逃げられるの悲しすぎる。

 しょんぼりしながら写本に戻る。

 筆と紙で書くのだから絵を描けないだろうかと考えたこともあったが、やはり用途が違いすぎて叶わなかった。

 紙にインクを吸わせるというよりも、紙に刻み付けて流し込むって感じの書き方が主流になっている。

 つまり筆の毛先が固すぎるし、紙も硬すぎる。

 柔らかい筆は使い道が限られているのか、調べた限りでも驚くほどに高価だった。

 お金、欲しいな。

 ぐぬぬ、と眉間に皺を寄せていれば、ちょうど見知った少女が教会に入って来た所だった。

 手を振って見せると、嬉しそうに駆け寄って来る。

 

「こんにちは。今日もお勉強、教えてください」

 

「こんにちは、ファティ。もちろんいいよ。ほら、こっち座って」

 

 にこにこと挨拶する少女を隣の席に座らせる。

 名前はファティエル、薄い水色の髪は艶があり、瞳も同じように淡い水色をしていた。

 ほっそりとした手足は長く、肌は病人のように白い。

 身長等から予想すると、俺の価値基準だと小学生、多分それの高学年くらいだろうか。

 俺よりも前に、神父様に何処か遠くで拾われて来たと聞いたことがある。

 

「ほら、今日はお菓子もあるから食べなよ」

 

 肌の色と整った容姿が合わさって冷たい印象を持たれやすい彼女だが、包みを渡せば「わぁ!」と普段よりも一段階ほど高くなった声で喜んだ。

 これだよ。

 これが期待していた反応なんだよな。

 

「いくつか貰ったからそれ食べていいよ。後で他の子たちに持って行ってあげてね」

 

「いいんですか!」

 

「いいんですよ」

 

 ワーとかキャーとか、そういう音が付きそうなほどの喜びようだ。

 どの世界でもお菓子は女性の心を掴んで離さないんだな。

 俺も魔法が使えたらお菓子とかも作れそうなんだけど、そういった能力には目覚めそうにない。

 温めるのも冷やすのも、一般人には苦労の連続でしかない。

 

「ツバキさんもおひとつどうぞ……。その、お菓子とっても美味しくて凄いですよ?」

 

「俺は……いや、貰おうかな。凄いのは気になるよね。ご丁寧にどうも」

 

 つい日本で食べたお菓子と比べてしまうのであんまり好きじゃないが、せっかく分けて貰えるのだから好意に甘えることにした。

 貰ったのは溶かした砂糖でコーティングされた焼き菓子だ。

 断るとしょんぼりするし、気を遣って食べなくなってしまう場合もある。

 とても繊細な生き物なのかもしれない。

 俺が食べるのを見て、嬉しそうにファティも食べ始めた。

 

「今日は何かやりたい勉強とかある?」

 

「えっと、隣で文字を読む練習します。……あ、その後で算術も教えてください」

 

「いいよ。算術は外に行って地面にでも書いてやろうか」

 

 素直に頷くファティを見ながら、写本を始める。

 教会の収入源の一つが写本らしい。

 出来上がった写本は読み物や教科書として貸し出したり、希望者には売ることもある。

 知識は貴重なので締め付けが行われているが、金銭によって解決できる物でもあるらしい。

 読み書きは一定以上の知識層に許された特権であり、それ以外にとって価値を見出す物ではない。

 俺は勝手に覚えた。

 基礎は大体覚えたファティがそれでも躓く文字や表現等について解釈しつつ、刻むように文字を書き進めていく。

 書き損じた紙とかあれば筆記具を用いた書く練習もさせられるんだけど、俺は基本的に間違えることがない。

 紙一枚にしても日本よりも高いのだから褒められることではあるのだけれど。

 キリの良い所で一旦手を止め、腕を上げて肩や背も伸ばす。

 首を傾げながらファティも真似して腕を伸ばした。

 

「他の子もファティみたいに素直にならないかな。そうしたら神父様だけじゃなくて俺ともお話したくなったりしないかな」

 

「えっと、わからないです。でも私は素直ってわけじゃなくて……」

 

「うん」

 

「ツバキさんの臭いがみんなダメって……」

 

「えっ」

 

 俺って子供に人気ないなー、ぽっと出の異国人だからかなー。

 そう考えていたのは余りにポジティブだった模様。

 仲良くしてくれていると思っていた少女に臭いと言われるダメージの大きさはとんでもない。

 同時に、臭さを我慢させてた自分の情けなさに悲しくなる。

 この世界に迷い込んでトップクラスにしんどい。

 ストレスで老けて一気に加齢臭とかが発生するようになったのか、世界を渡った罰なのか。

 望んでもいないのに渡らされた結果の罰だとしたら、あまりにも重すぎた。

 

「自分が臭いことに気づかないおじさんでごめんね……」

 

 しょんぼりしながら謝る。

 あまりの衝撃にぴえんという死語もどきのアンデッドワードを使いたくなるが、そもそもこの世界には生まれてすらいない。

 生まれずの死を迎えたぴえんと臭い俺 VS ダークライ。

 助けてダークライ……!

 

「あっ……。違います。臭いというか、ちょっと変なだけです」

 

 「私は大丈夫です」と慰めてくれているが、臭いおじさんから変なおじさんにクラスチェンジしただけという。

 むしろ変質者っぽさが上がってまずい。

 ぴえん。

 いや、ぴえんは誰にも通じないからひんひん泣くだけだが。

 臭いか変なおじさんがひんひん泣いてたら絵面がヤバそうだ。

 お菓子をくれたのって「お前もう黙れ!(ドンッ!)」をオブラートに包んだ異世界文化だった可能性がある……?

 ひんひんに取って代わられたぴえんと変なおじさん VS ダークライ。

 助けてダークライ……!

 

「それは死臭ですね。……死臭のする人間がお菓子を持ってきたら怖いでしょう?」

 

 「筆の値段を知ったときみたいな顔してますよ!」とファティに揺すられていると、騒ぎに気づいた神父様が駆け付けてそう言った。

 どうやら死臭のせいで子供が寄り付かないらしい。

 光明が見え……見えるか?

 むしろ闇が広がり始めたんだけど。

 

 

「死臭、ですか。でも俺は埋葬が終わったらちゃんと井戸の水を浴びてますよ?」

 

「しかし、他の作業をしようと急ぎますよね。それで清めきれていないのでしょう」

 

「そうかな……」

 

 そうかも……。

 つまり、死の臭いを漂わせながら教会で子供たちにお菓子を配って近づこうとする危険人物が俺ってコト!?

 これは最早ダークライも手に負えないんじゃないかな。

 

「あと辛気臭いですよ」

 

「えっ」

 

「ツバキくん、貴方は辛気臭いです」

 

「えっ」

 

 大事なことだから二度言われたの?

 確かに、とばかりにファティも頷いていた。

 臭さとか変質者の可能性は消えたが、代わりに辛気臭さがエントリーしてしまった。

 対戦相手がころころと変わるダークライが心配になる。

 

「確かに故人への祈りは大事な仕事です。親族に寄り添うのもそう。墓守や司祭としての才能がそうさせるのかもしれませんが、それでも教会にまで持ってくるのはよろしくない。将来有望で素晴らしいことですが、子供たちは敏感ですからその辺がわかってしまうのでしょう」

 

「き、気を付けます。……ところでファティはどうして大丈夫なのでしょうか」

 

「ファティは冒険者ギルドの受付を志望していますからね。時々連れて行ったりしているので、ちょっとくらいなら問題ないのでしょう」

 

「あそこの人は普通に臭いです」

 

 なるほどね、と頷く。

 ファティからとんでもない殺人ワードが飛び出したが、俺には関係ないので流しておく。

 それにしても辛気臭かったか。

 確かにあるかもしれない。

 この世界の墓地は簡素過ぎて引っ張られたのかもしれない。

 次からは笑顔で帰って……それはそれで怖いよなあ。

 

「な、なるべく前向きに明るく帰宅するようにします……」

 

「そうですね。出来る範囲でやってみてください。無理に変えなくてもいいと思いますけど、気づけた内に変化するのも大事ですよ。無理でもそのうちツバキくんに慣れますよ」

 

 俺が変わるより、順応性の高い子供が慣れる方が早そうだ。

 それでも帰って来るたびに子供を驚かせるのは忍びないので、なるべく努力しようとも思っているが。

 俺の決心を見届けて満足したのか神父様はまたお祈りや相談相手のため、本堂の真ん中に戻っていった。

 写本や埋葬の作業を俺が手伝えるようになり、以前にも増して張り切っている。

 気力や活動だけ見ると俺より若々しい。

 

「それで何描いたんですか?」

 

「魚とチンアナゴ」

 

 空になったお菓子の包み紙に試し描きした絵を見せる。

 デフォルメされたそれらは、自分としてはなかなかの出来だった。

 が、ファティが渋い表情を浮かべているのでそうでもないのかもしれない。

 さかなー、ちんあなごー、と下手なパントマイムもどきでどんな生き物か見せたが反応は芳しくなかった。

 

「その、前に描いてくれたうさぎさんのほうが可愛かったです。……ちょっとだけ」

 

 気を遣われてしまった。

 そうだよな、海の生き物は可愛くないよな。

 俺もそう思う。

 

「外で算術の勉強でもしよっか」

 

「やります。……お絵描きしますか?」

 

「描こうかな。一緒に描く?」

 

「っ! やります!」

 

 ファティが、ぴょんと音が出そうなくらいの勢いで跳ねるよう立ち上がった。

 落ち着かせる意味も込めて頭を撫でる。

 指間を細い髪の毛がさらさらと流れてくすぐったい。

 恥ずかしさを隠すようにはにかむファティに、俺は笑いかけた。



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3話

 

「今日は写本を終えたら冒険者ギルドに行ってきます」

 

「それはまた突然ですね」

 

「興味がありまして」

 

 朝のお祈りを済ませ、神父様と朝食を摂りながら冒険者ギルドに行ってみる旨を伝えた。

 普段から一日の予定を話したりするので、何か問題があれば注意してくれるはずだ。

 やることと言えば日課の写本に、子供たちの勉強を見て、掃除、お祈り、相談……今日は特に決まった予定がない。

 そうなれば、やはり冒険者ギルドに向かうしかないだろう。

 俺は今切実にお金が欲しい、そして冒険者ギルドと言えばお金を稼ぐ場所だ。

 俺の乏しい知識もそう言っている。

 生活している上でも、魔物退治や商人の護衛で報酬を受け取ることができると聞いた。

 

「ああ、なるほど。絵筆や紙を買いたいと言ってましたね。……うーん」

 

 俺の目的に思い至った様子の神父様が、悩ましいとばかりに考え込んでしまった。

 教会で世話になっている人間は中立だから冒険者になれない、みたいな規則でもあるのだろうか。

 ドキドキしながら待っていると、神父様が思考の旅から戻って来た。

 できればいい知らせでお願いします。

 

「冒険者にはなれると思います。……実は私も昔は通ってました」

 

 「隠しているわけではないですが、わざわざ言うほどのことでもないので」と神父様は小さな声で続けた。

 

「……その、悩んでいたのは何故でしょうか」

 

「ツバキくんが死ぬからです」

 

「えっ」

 

「死にます」

 

「えっ」

 

 死という言葉で食事の手が止まる。

 俺には身近なようで、どことなく遠い言葉でもあったからだ。

 神父様はいつものようにニコニコと笑っている。

 

「勘違いしないでほしいのはギルドに殺されるとか、そういうことではないです」

 

「えっと、じゃあどのような理由で死ぬのでしょう」

 

「魔物に殺されると思います」

 

「……魔物が強すぎって意味ですよね?」

 

「ツバキくんが弱すぎるって意味です」

 

「……学校では評価されない項目ってことですか?」

 

「どのような学校でも弱さが評価されることは無いですね」

 

 「残念ですね」と笑顔で言われたが、ここはファンタジーな世界だ。

 逆転の芽があるはずだと内心で根拠のない希望を抱いている。

 魔法とかあるし、実は何か凄い才能を持っている可能性が俺にはまだある。

 いや、別に弱くてもいいんだが、このままだとちゃんとした画材が買えない。

 お菓子の包み紙や地面に絵を描いて絵描きを名乗る不審者でしかない。

 現状を打破する力が欲しい……!

 

「……訓練をしたら変わりますか?」

 

「そうですね。とりあえず十年ほど訓練してはどうでしょうか」

 

「……達人になってから戦場に出るつもりはないのでやっぱりいいです」

 

「十年もあれば責任ある司祭になれるのに残念ですね」

 

「……やっぱり今日から冒険者ギルドに行きます」

 

 危うく教会の責任者コースを歩まされるところだった。

 他にも候補はいるとのことだが、知識の基礎と奇妙な教養のある俺は向いているらしい。

 LGBTにも理解あるように振る舞えるし、古書の写本と翻訳も出来てしまうからな。

 とはいえ百合はそんなに好きじゃないんだけども。

 ……悪ィな。おれの体が百合に挟まっちまった。次ァ五人で来るといい。

 

「そうですね。無理しなければ死なないでしょう、たぶん」

 

「今たぶんって言いました?」

 

「私が昔使っていた剣や槍があるのでそれを使えばいいでしょう。それに駆除作業以外にも仕事はあると思いますし」

 

「はあ、ありがとうございます」

 

 死ぬと言われてしまって気持ちが萎えつつあった。

 他に平和な稼ぎ方があるならそっちでやりたい気持ちが強いが、どんな仕事にも元締めのギルド(組合)があるのでそう簡単に物事は運ばない。

 結局間口の広い冒険者ギルドを選ぶことになってしまう。

 

「神父様、魔法とかスキルとかあるじゃないですか。あれって俺でも使えたりしませんか。そしたら死ななくなるはずですが」

 

 俺が持つ根拠のない希望、それがスキルだ。

 技能、異能、祝福、聖奠(せいてん)……。

 様々なニュアンスを含み内包する言葉を、俺はとりあえずスキルと訳して受け入れた。

 何となく受け入れてる程度のふわふわした理解度だが、文化が違うから仕方ない。

 頭の回転が速いことを智慧、身体を上手く動かす能力を運動神経、目には見えない繊細な感覚を才能と呼ぶように、スキルとはこの世界に古来からある何か凄い力の事だ。

 

「ん? ツバキくんは普段から使ってますよね?」

 

「えっ」

 

「言語や算術の行使にスキルが割かれてますよね。元から得意でしたか? それだったら余地はあると思いますが」

 

 そういえば日本だと英語のテストですら苦労した。

 ここで用いている算術は2桁程度の足し算や引き算が主だが、確かに暗算もかなり早くなった。

 しかも常時発動しているタイプだと、魔法が上手く使えないらしい。

 なので魔法使いにはなれない。

 それにしても凄いな……。

 こんな一瞬で希望が刈り取られるなんて。

 

「えっと、前衛向けのスキルを覚えたりってできませんか?」

 

「スキルは伸ばす物ですからね。筋力が高くなるスキルを持っていれば、そのうち剣技のスキルを覚えることはあります。足が速くなるスキルなら、持久力が伸びたり蹴り技を覚えてたり……」

 

 遠回しにほとんど無理だと伝えられた。

 読み書きが上手くなるスキルで魔物退治とかがメインの冒険者を……?

 天才じゃないじゃん!

 このままじゃめちゃくちゃ身体能力低いじゃん!

 俺前衛やめる!

 

 

 

 

 

 

「いいですか、ツバキさん。今日は登録だけですからね?」

 

「わかってますとも」

 

「えっと、神父様も言ってましたが魔物はとても危ないんですよ?」

 

「大丈夫。ほら、今日はまだ武器も持ってないから」

 

 写本を含めた普段通りの日課を終えたので、今はファティと一緒に冒険者ギルドへと向かっていた。

 場所は知っているけど、一人だと怖いし……。

 繋いだ手にファティが少しばかり力を込めながら注意してくるので、大人しく頷きながら答える。

 神父様に「弱すぎて死にます」って脅されて魔物の討伐に行こうとは思っていない。

 ファティは修道服を着ているが、俺は布の服を着た村人その1といった格好だ。

 街の人たちよりも芋っぽいので、地球から転移とか転生した人がもし居ても俺を同郷だと思うことはないだろう。

 大通りを歩いていれば、見知った顔の人々に声をかけられるので軽く挨拶しながら進む。

 ファティにも挨拶を返すように促せば、たどたどしくも俺と同じように返すようになった。

 

「神父様も心配してました。ちゃんと約束を守ってくださいね」

 

「うんうん」

 

「本当にわかってますか? 知らない人に付いていかないでくださいね。あと魔物の討伐は受けちゃダメです。お金も気軽に貸し借りしちゃいけませんからね」

 

「えっ、俺ってそこまで心配されるレベルなの?」

 

 心外だな、と呟く。

 ファティは困ったように曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

 



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4話

 

 木造建築の室内は、陽の光が入りやすいよう工夫されているのかかなり明るい。

 入口近くの壁には掲示板が掛けられていて、依頼書がいくつも貼られていた。

 傍には幾つかの丸テーブルも置かれている。

 掲示板を見て話し合ったり、丸テーブルを前に装備を広げていたりと、人影は疎らだった。

 時間が昼を過ぎた頃なのだからそういう物なのかもしれない。

 中央辺りには横並びにカウンター風の長机が設置されていて、棚が置かれた壁を背にしながら受付の女性たちが書類の処理を行っていた。

 ファティが、あの裏側は酒場になっていて裏口からも入ることができると教えてくれた。

 稼がせた金を回収するためなのか、ゴロツキどもを封印するためなのかわからないが、夜は随分と賑わうらしい。

 よく見れば受付裏にある壁の端の方には扉が付けられているので、そこからも出入りできるようだ。

 

「えっと……ツバキさん、知らない人に付いていっちゃダメですからね?」

 

「心配しなくても大丈夫だってば」

 

 何度も同じ心配をしてくるファティの背を、部屋の隅にある階段の方へと押しながら答える。

 今日はギルド職員を志望している人たちが受けられる講習が2階で行われるとのことで、そのために彼女は来たのであって俺はついでだ。

 本音を言えば最後まで一緒にいてほしいが、予定を曲げてまで手伝ってもらう事でもない。

 ちらちらと振り向きながらも階段を上っていくファティに、頑張ってねと笑顔で手を振った。

 

 

 

 

 

「こんにちは。今日は登録に来ました」

 

 ちょうど切りがいいのか、書類を作成している手が止まったのを見計らって受付の女性に話しかける。

 

「こんにちは。利用は初めてですよね。名前を含めた質問を幾つかと、あと注意などを話しますがよろしいでしょうか」

 

 お願いします、と先を促せば、受付の女性がもぞもぞと動いて巻物を机の上に置いた。

 机の下から取り出したのか。

 てっきり何か変なことをし出したのかとちょっとだけ期待した、ちょっとだけね。

 実は男女逆転世界でした、男が珍しいからやましいことをやっちゃいます、みたいな。

 そうじゃ無いんだな、これが。

 

「まずはこちらに名前をお願いします。……文字の読み書きが難しいようでしたら代筆致しますよ」

 

「書けるので大丈夫ですよ」

 

 名前と、その横に今住んでいる教会名を書く。

 出身地を書いても伝わらないだろうし。

 漢字で秩父山中とか書いたらカッコいいかもしれない。

 いや、カッコよくないな。

 ただのアホになっちゃうね。

 

「ああ、ファティさんと同じ教会の方なのですね。読み書きはどれほど出来るかって教えて貰えますか?」

 

「どのくらい……。えっと、尺度がわからないけれど、教会内にある本なら写本や翻訳も注釈ごとできますね」

 

 使い古された写本などには意外と多くの注釈が書き込まれていて、それ自体が解釈に対する資料となったりもする。

 が、如何せん表現や言語そのものが古く、不明のままにされることも多い。

 俺は問題なく読めて書けて、それっぽい雰囲気の翻訳もできる。

 何って、言語系にスキルの大半を使ってしまった冒険者見習いだが?

 

「何か参考になる物を持ってきておりますでしょうか」

 

「いや、まったく無いですね。教会で行った写本のほとんどは信徒の方々が読む書か、単なる教本ですが参考になりますか?」

 

「次回持ってきてもらうか、軽いお仕事から段階を踏んでいく形になりますね。ただ、どちらにしても申し訳ないのですが、我々ではスクライバーの分類には時間が掛かるので保留になってしまいます」

 

 写本などを行う人はスクライバーと呼ばれ、専門職で生計を立てている。

 文字を読み書きする知識を養える層というのは限られているので、人数はそれほど多くないのが現状だという。

 大きなギルドが必要とされるほど仕事が溢れているわけでもなく、内輪で仕事のやり取りをしている現状のようだ。

 冒険者ギルドにはそういう内輪へのコネが無かったり、ホントにちょっとした短期の仕事であったり、ギルド内の仕事の肩代わりとしてなら必要とされている職という認識をしておけば間違いないだろう。

 

「そうですね……。えっと、教会でしか文字を取り扱っていないので、むしろ段階を踏んで仕事させてもらえると嬉しいですね」

 

「教会は文字にうるさいので問題ないとは思うのですが、やはり専門ではないので……」

 

「ああ、いえ。いいんです。後は……教会で時々勉強とか教えてるので間違った言葉とかは使っていないはずですが」

 

「……もしかして算術もできますか?」

 

「ファティに教えているくらいでいいのならできますが」

 

「あの娘に教えられるんですか、それは凄いですね。……そこまで行くと商人ギルドのほうが向いてるかもしれませんが」

 

 確かに算術が出来るだけで引く手あまたかもしれない。

 が、丁稚奉公としての仕事も行う必要が出てくる。

 商人になるにはガチガチに固められた内輪の中を割って入らなくてはならない。

 教会の仕事しながら、というのは酷く難しい。

 すでに丁稚奉公みたいなことしているのだから、ダブル丁稚奉公になってしまう。

 今のところは手が足りない時の手伝い程度がいいので、話を通してくれる冒険者ギルドのほうが良さそうだった。

 冒険者とは一体……。

 

 街に住む人々から依頼があって解決したらお金がもらえるよ、とか。魔物を倒したら素材がお金になるよ、とか。自己責任だから個々人の強さで物事が決まりやすいよ、とか。

 そういう説明をしてもらったり、施設の案内を受け終わると、黒い鉱石を貰った。

 石にしては柔らかそうで、力を込めて何か固い物にぶつけたら割れるなり潰れるなりして傷つきそうだった。

 

「それは新人の証です」

 

「無くしたら冒険者失格の試練ですか?」

 

「いえ、ただの証で、昇格したら別の物が貰えます。ソロの新人はブラックウーズの欠片になっております」

 

 依頼や魔物の討伐を行うと、ギルド内で設定されている貢献値が溜まって昇格できるようになると教えてくれた。

 もっとランクが高くなると綺麗な素材が貰えるので、個々人で加工したりするようだ。

 ドラゴンを倒したら龍殺しとして鱗が手に入るらしい。

 自分で倒したドラゴンの素材を貰うのか……。

 新人が貰えるようなブラックウーズは無くす人はいても、加工する人はほとんどいないようだが。

 

「ありがとうございます。ドラゴンを倒せるように頑張ります」

 

「いえ、出来れば書類仕事を頑張ってください。それだけできっと我々の助けになって貰えます」

 

 竜を殺してみてーなー、俺もなー。

 

 

 

 

 



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5話

 

「……というわけで『まだ行ける』は『もう危ない』と同義の言葉としてよく扱われるようになりました。冒険者のみなさんも依頼を受ける際には思わぬ事故が起きても乗り越えられるだけの力を残しておきましょう。そうしないと、いま話した『欲張り人狼と運の月』みたいに思わぬところで眠ってしまいますからね」

 

 依頼や討伐帰りの冒険者たちによる輪の中心で、俺は色々な寓話を話していた。

 依頼書が貼られている掲示板の近くで作られたその輪は、時間の経過とともに広がっていき、今となっては二重三重と文字通り輪をかけたように並んでしまい、前列から離れようとしない筋肉ムキムキの冒険者たちなどは座って話を聞くほどだった。

 ちょうど仕事を終えた冒険者が集まる夕暮れ時で、受付の混雑時と重なったのもあったのだろう。

 吟遊詩人や歌謳いなどが含まれるバードの職業が人気を持つように、この世界は娯楽が少ないせいで、物語を話すだけで物珍しく見られたり、有難がられるようだ。

 

「はい、神父様。……ところで本当に人狼は月を見ると寝てしまうのでしょうか」

 

「さて、どうなのでしょうか。私は街から出たことがありませんし、人狼と会ったことも無いですからね。そういえば、みなさんも子供の頃は寝る前に月にお祈りさせられませんでしたか? 月明かりには意識や心を穏やかにしてくれる効果があるそうですよ。ヒトよりも感覚の鋭いとされる人狼は、もしかすると月光の安らぎが身近に感じられるのかもしれませんね」

 

 前列に座っている冒険者の問いに答える。

 実際の所は言葉通り俺にはわからないが、話の通り眠くなるのかもしれない。

 じゃあいつ活動するのかという話になりそうだが。

 そもそも満月の夜に人狼へと変身する、みたいな地球の常識とは全く違うからなぁ。

 他には、と見回せば魔法使い然としたローブの女性が恐る恐る手を挙げた。

 

「助祭様、なぜ書いた文字と話す言葉が僅かに違うのでしょうか。『狼』や『人狼』の文字には、言葉として発することのない文字も含まれていますよね」

 

「いい質問ですが、この場で答えるには難しい質問でもあります。少しだけ答えると、おそらく言葉が強くなりすぎるんですね」

 

 この世界では魔力を媒体として言葉や文字が力を持つことがある。

 言霊が宿っているかのように、事象を整えることで発した単語と文字が直結して強い力を発揮できる。

 口伝によって受け継がれた古い言葉には強い力が宿ることもある。

 これだけ聞くと言葉は怖い力を持っていそうだが、普段用いられているような言葉が力を持つことはほとんど無い。

 そういう物だと意識されているし、様々な雑念によって魔力や意志といった方向性が乱れるからだ。

 人々が同じ思いを抱いた時、事象が整ったと判断されて力が宿ることもあるらしい。

 あまりの貧しさが呪いを呼んで滅んだ国、宗教に寄り掛かりすぎて消滅した国……。

 

「極端な話ですが、全部強くなると思います。魔法や歌もとっても強くなるかもしれませんね」

 

「ダメなことなんですか?」

 

「そうですね……代わりに誰でも簡単に魔法が使えるようになるかもしれないですよ。確かに良い面もあるのでしょうが、悪い面もあります。なぜ文字と言葉は分かたれたのか。分野として取っ散らかっているようなので、体系立てて研究すると面白いかもしれません」

 

 ファティを含めた十数人がぞろぞろと階段を下りてくるのが横目に見えた。

 ギルド職員の志望者は意外と多いようだ。

 まだ話を聞きたそうな人たちもいるようだが「是非色々と考えてみてください。今日はここまで」と切り上げた。

 このままだと際限が無いし、この後酒場で元気に酒盛りするような連中に付き合っていては夜も更けてしまう。

 「みなさん、ご清聴ありがとう。また今度お話ししましょう」と何度か口にしながら輪を解消させていく。

 少し離れた位置で待つファティは、呆れたような視線で俺を見ていた。

 約束通り知らない人には付いて行ってないし……。

 

 

 

 

 

「えっと……その、私、注意しましたよね?」

 

「注意されたねえ」

 

「なんであんなことに?」

 

「わからない。……たぶん成り行きか何かだ」

 

 冒険者登録の説明後、ファティと一緒に帰りたかったので、時間潰しと単なる興味として依頼書を見ていた時に俺を知っている冒険者に声を掛けられたのが始まりだった。

 仕事を終えて帰って来たその冒険者は「じょ、助祭ひゃま! どうしてここに!? 教会から自力で脱出を!?」と驚きながら近寄ってきた。

 話したそうな雰囲気だったので、暇つぶしがてら活動や健康の話を聞いていたのだが、途中から文字の読み書きに悩んでいると打ち明けられた。

 軽くなら、と依頼書に書かれている文字と、その文字のあらまし、またどういった意味を持つのかを寓話と交えて話していたら、あっという間に聴衆が増えていった。

 その結果が何故か広がったさっきの輪だった。

 

「あんまりギルドに迷惑かけちゃだめです」

 

「いや、俺が作ったわけじゃ」

 

「……だめですよ?」

 

「うん、だめだよね。原理を理解したわ」

 

 望んで作ったわけではないとも遠回しに告げたが、上目遣いで見つめてくるファティには通じないようだ。

 行きと同じように修道服を纏ったファティの顔や頭部は、黒いベールで薄く隠されている。

 陽の光にとても弱いので、なるべく露出を控えているためだ。

 ベール越しでも十分綺麗なその澄んだ水色の瞳に見つめられると、ちょっとした言い訳も疚しいことに思えてしまうから不思議だった。

 繋いでいる手に僅かな力が込められて、すぐさま降参を申し出てしまった。

 

「ところで、次は何のお話をするんですか?」

 

「だめじゃないの?」

 

「えっと、迷惑にならなければだめじゃないです。……だから教会でしたらいいと思います」

 

「それだといつも通りじゃん。午後はギルドに行くようにするからさ」

 

「そうですか……」

 

「一緒に行く?」

 

「行きます! あ、えっと、行けたらですけど」

 

 しょんぼりしたファティを誘えば色よい返事がもらえた。

 俺もアウェー環境だと不安だから、幼いとはいえファティが居てくれた方が安心する。

 幼い少女の背に隠れる情けなさよりも、俺は自分の安寧を取りたい。

 神父様にも太鼓判を押されるほどファティは人を見る目があるらしい。

 羨ましい限りだ。

 

「都合が合えば一緒に行こうね。……そうだな、次は三つの月の話にしよう」

 

 夜に浮かぶ黄色がかった白銀に輝く月は才能を。

 才能の月が沈むと自ら赤く輝く小さな月が努力を。

 そして、常に太陽に重なっていてあまり見ることのできない月が運を。

 それぞれの月が司っていると信じられている。

 

「ファティは話を知ってるから聞かなくてもいいとして。……そうだ、太陽に重なる影月がどうやって発見されたか、ファティは知ってるかな」

 

「教会の天蓋で太陽の光を遮断して発見した、とかですか? えっと、月光だけ通り過ぎるから」

 

「惜しいですね、ファティエルさん。それは発見されてから応用された運用方法です。正解は、世界の果てを探しに行ったおじさんが見つけた、とのことですね」

 

「えっ」

 

「おじさんと言ってもあの有名な月の賢者だけどね。……世界の裏側に月はあるのか、そう言って果てを求めて旅したおじさん。なんと彼は白く冷たい大地で、太陽が二つに分かれていることに気づいたのです。実際は影月が太陽に重なるようにあって、白い大地まで行かないとずれて見えないという話のようだけど。そんなわけで彼は世界の果てで新たな月を発見し、月の賢者と呼ばれるようになりました。その月は太陽の光を僅かに遮り、深い緑の光を放ち、世界を染めたように見えたそうですよ。いつか見てみたいね」

 

 彼はきっとずっと遠くの雪国で、その緑の光とやらを見たのだろう。

 真っ白な世界が緑の光に包まれる光景はきっと神秘的で、美しいに違いない。

 俺がその場にいたら、絵に描いて見せてあげられるのに。

 傲慢にも再現できるとは露ほども思わないが、美しい物があるのだと皆に教えてあげたい。

 

「私も一緒に見たいですね。……それで、あの、月は裏側にあったのですか?」

 

「ふふふ、実はわからない」

 

「えっ」

 

「自分の眼で確かめてくれ、と書き残しただけなので。彼の書物には度々散見されるんだよね」

 

 困ったもんだよね、と笑ってみせれば。

 ファティも同じく何処か困ったように笑った。

 

 

 



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6話

 

 冒険者ギルドで手続きを行ったおかげで一日の終わりがいつもより早く感じる。

 既に太陽は隠れ、僅かな黄色を帯びた白銀の本月が昇っている。

 これから夜間教会として門が開かれる、というか雨風が入り込まない限りは扉を物理的に開きっぱなしにする。

 不安や孤独、悩みを抱えて一人で居られなくなった人や、敬虔な信徒がお祈りに来るために、開けたままにしておくことで入りやすくしているらしい。

 夜の教会は人によっては立ち入り難いからな。

 

 本堂に行く前に準備を整える。

 俺の体感として、この世界の夜はそれなりに長く感じる。

 準備が必要だ。

 教会だけの文化かは知らないが、空腹になったら好きに摘まめるようにとパンが食卓に置かれている。

 まずは食卓に置かれているパンを籠に詰め、ファティと一緒に帰る途中で貰った葉物や、作り置きされているスープも持っていく。

 あと棚から取り出した、干して保存の利くようにした食べ物もついでに幾つか。

 これが夜の教会を過ごすたった一つの冴えたやり方だ。

 

 俺は本堂に詰めているが、神父様はどこにいるのか。

 夜の間は自室に籠って過ごしている。

 朝早くから責任者として本堂に居るため、早く休むのだろう。

 そう思っていたが、実際は趣味に熱中していると教えてくれた。

 中庭や森の木々から落ちた枝を拾い、自分で乾かし、適宜削って模型を作っているとの事だ。

 お祝いで貰ったお酒の残りである硝子のボトル内部に、精巧なボトルシップを作るほどに手先が器用な人だ。

 作るまでが趣味で、会心の出来やお気に入りの品以外は売りに出されている。

 好事家の間で人気があるらしく、新作の様子を聞かれることもある。

 俺の絵も買いとってくれないかな。

 画材は無いから用意してくれたら描きます……無理だよなあ。

 

 

 

 

 

 色々と入れた籠を手にしたまま本堂に入れば、そこは幻想的な光に包まれていた。

 穏やかな月光が増幅され、黄色みがかった温かみのある白銀色で室内が照らされていた。

 日中と夜間で天井の特性が切り替わるために起こるらしい。

 本堂の天井は全面が硝子に似た素材が使われているが、中央は大きな円に似た天窓がはめ込まれていて、そこだけ素材が異なるのだという。

 太陽が昇っている時間は、陽光を吸収するために硝子が曇ったような色合いとなる。

 夜には澄み切った透明に変わり、特に中央の天窓から射し込む月光は増幅されて部屋を明るくしてくれる。

 夜間でも眩しすぎないし、文字の読み書きができるほどに明るくなるのだから有難いことだ。

 とても便利なのだが、残念なことに悪いことをすると死ぬという噂を怖がって近寄らない人が多い。

 

 教会に送られたお礼の手紙への返事を書くのが俺の夜の過ごし方だった。

 気取った言い回しが好まれるので面倒だが、そこは現代人の知恵で乗り切る。

 季節に合った物事で季語を交えたり、書で知った物語で遠回しにお洒落な知識人を演じたり、略語を作ってみたり、顔文字を書いたりと思いつく限り色々とやってみている。

 翌日に神父様が内容を読んで精査するので可笑しなことにはならない、はずだ。

 俺の斬新な手紙に対抗心を抱いたとかで、判子に似たシーリングスタンプを彫ったりしていて、それで封をすれば返信用のお手紙入り封筒が完成する。

 普通のシーリングスタンプは丈夫な金属製の物が使われており、公式な文書などは月光派の紋章が刻まれた物を使う。

 今回のようにご機嫌伺いを兼ねた挨拶の返事には神父様がブラックウーズの欠片で彫ったシーリングスタンプが使われる。

 金属や鉱石と比べて軟らかく、熱にも弱いのでほとんど使い切りだが、それで大丈夫と言われた。

 むしろまた彫れるから、そっちのほうが良いらしい。

 

「ツバキさん、寝る前にお話いいですか。……えっと、お忙しいなら寝ます」

 

「全く忙しくないよ。これが終わったら暇になっちゃうし、話したいから相手してほしいなあ」

 

「はい! ……あ、じゃあ、一緒にお話ししましょう?」

 

 いつものようにファティも本堂に顔を出したので、隣に座るように促せば嬉しそうに座る。

 寝る前なのでベールを外しているし、修道服ではなくゆったりとした服に着替えていた。

 勉強を見ることもあれば、隣で静かに本を読んでいるだけの時もある。

 以前ファティが文字の読み書きを学んでいた際には、本を広げて一緒に見ながら読み聞かせたこともあった。

 

「お話の前にお腹減ってない? パン食べよっか。今日貰った葉っぱとか」

 

「葉っぱ……。えっと、薬草は傷に塗るといいそうですよ」

 

「でも煎じて飲むのもいいらしいよ」

 

「……苦いですよ?」

 

「良薬は口に苦しって言ってね。体に良い物は大抵まずいんだよ」

 

「……でもとっても苦いですよ?」

 

「まあまあ、食べてみようよ。……でも毒も大抵まずいらしいよね」

 

「えっ」

 

「食べられない物もまずいからなあ。……泥とか」

 

「えっと、そこは色々なお話で食べたい気持ちにさせてくれるところでは?」

 

「……空腹のあまり茸を食べたら毒で苦しんで死んだ人々の呪いによって滅んだ国の話じゃダメ?」

 

「絶対にだめですよ……」

 

 呆れたようにジト目を向けてくるファティに向けて、誤魔化すような笑みを浮かべる。

 誤魔化されてくれないらしい。

 だめかぁ、と呟きながらパンを差し出して見せる。

 話の最中にパンを切り、貰った葉物と干し肉を挟んだサンドイッチだ。

 

「あの、薬草が挟まってますけど……」

 

「これは美味しいよ。俺のスキルがそう言ってる」

 

「ツバキさんのスキルは言語系だから、薬草の気持ちがわかるかもしれませんけど美味しいとは言わないと思います……」

 

 どうしてなかなか渋るファティ。

 こいつは難敵だぞ、ということで即席サンドイッチを半分に切る。

 片方を俺、残りはファティ。

 おいで。さあ。ほら、怖くない。怖くない。……むしゃり。

 先にサンドイッチを食べて見せる。

 美味しいけどマヨネーズが欲しいよ俺は。

 

「う、うまい。うますぎる! 月光派サンドイッチ!」

 

「えっ」

 

「食べてほしいなー。ファティのために作ったから食べてほしいなー」

 

「挟んだだけですよね……」

 

 ファティはお菓子に釣られやすいくらい甘党なためか、葉っぱは苦手なようだ。

 淡い水色の髪と瞳をしているから水タイプの可能性が出てきたな……。

 ダークライと戦っちゃうのかい?

 

「愛も、挟んであるよ」

 

 俺はキメ顔でそう言った。

 ボイスも心なしかイケてたはずだ。

 イケボVSファティVSダークライ。

 俺の様子にため息をついて、ファティがサンドイッチを齧った。

 

「えっと、お菓子のほうが美味しいです?」

 

 そりゃそうだよ、とその柔らかな髪を撫でた。

 

 



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7話

 

 今日ギルドで習った計算や知識について、ファティがわからなかったところを俺が解説したり。

 倉庫に積まれていた書き損じの紙に、文字を書く練習としてファティに書かせたり。

 それらが終わったので息抜きに物語が書かれている書を読んでみたり。

 神話の話でもしようかと考えていると、眠くなってきたのかファティの瞼が下がり始めていた。

 本堂には僅かな人の出入りがあったくらいで、途切れずに話し続けることができたので熱中してしまったのかもしれない。

 そろそろ寝る時間だね、とファティを立ち上がらせる。

 今日は満足に話すことができたようで、渋ることなく素直に従ってくれた。

 

「ほら、よく噛んで」

 

「ふぁい……」

 

 裏庭まで手を引いて連れてきたファティに、手早く皮を削った木の棒を渡してから置いてある木製の丸椅子に腰かけた。

 解れると細長くて丈夫な繊維になる特徴があり、この世界では歯ブラシの代わりに使われている。

 棒の先を噛んで見せれば、眠たげなファティも倣うように噛み始めた。

 俺と勉強や話をする前に、一度他の子どもたちや神父様と歯磨きしているのでそれほどしっかり磨く必要はないが、夜食代わりに色々と食べさせたので軽く磨かせる程度に済ませている。

 奥歯や歯の裏側を磨くのは少し難しいが、日ごろから口うるさく言っていたのでちゃんと磨けているようだ。

 傾き始めた本月をぼんやり眺めていたらファティが両手を差し出したので、持ってきた水差しを傾けて注ぐ。

 俺も同じように片手で水を掬い、口をすすぐ。

 庭の隅に掘ってある溜め込んだゴミを燃やす穴に使い終わった棒を放り込めば、眠気が限界とばかりにファティがうつらうつらと頭を僅かに揺らしていた。

 横抱きにすると頭部が不安定になって起きてしまうので、正面から抱きしめるように抱え上げる。

 本当に一人抱えているのか怪しくなるほどにとても軽すぎて心配になってしまい、つい色々と食べさせてしまう。

 支えている手に、さらさらと長く淡い水色の髪が触れてくすぐったかった。

 

 そのまま揺らさないようゆっくりと部屋に連れて行く。

 廊下は射し込んだ月明かりのおかげか夜にしては明るい。

 なるべく物音を立てず慎重に扉を開き、ファティを寝台に寝かせた。

 女の子だけの四人部屋なので、なんとなく居心地が悪く感じる。

 

「また明日、お話しましょうね……」

 

「また明日ね。おやすみ」

 

「おやすみなさい……」

 

 おやすみと囁いてゆっくりと頭を撫でてやると、すぐに小さな寝息を立て始めた。

 今は無邪気に身を預けてくれるけれど、いつか反抗期が来たら「臭いから近寄らないで」とか言われるのだろうか。

 そうなったらお兄さん寂しいです。

 その頃にはファティからすればおじさんかもしれないからなぁ。

 

 廊下に備え付けてある丸椅子に座り、月を見上げる。

 一人の時に満月を見て感傷に浸るのが男の美学……いや、普通に綺麗すぎて全然感傷に浸れないんだわ。

 色は変われど欠けることの無い才能の本月、赤く輝く努力の遊月、そして見ようとしなければ見えない運の影月。

 地球には無かった美しい物がこの世界にはたくさんある。

 写本のせいで知識ばかりが増えているが、俺はこの目で見てみたい物もいっぱいある。

 命がけで冒険してまで見たいかと言うと、そういうわけでは無いのだけれど。

 絵に描いて、俺はこれほど美しい物を見たのだと自慢したいし、その絵が描けるのだと誇りたいだけだ。

 

 月明かりの下で、持ち出してきた書を読む。

 夜は長いせいなのか、目が覚めてしまう子どももいる。

 そういう子を安心させるためにも、ファティを寝かせた後に少しばかり留まったりする。

 本堂の方に来てもいいとは常々伝えているが、幾分か距離があるから来難いのだろう。

 夜間の本堂まで夢見が悪かった子が来たのは片手で数えられるくらいしか無い。

 ファティはすぐ来るけど。

 

 部屋の扉を開けてこちらを見ていた男の子に気付き、音を立てないようにしながらも一気に近づく。

 触れられるほど近づいた頃には、恐る恐る部屋から出てくるので小脇に抱えてまた椅子に戻り、隣に座らせる。

 ファティを寝かせれば毎晩のように現れるので、隣に座らせて物語を読み聞かせるようになった。

 この子は目が見えない。

 その代わりにそれを補うスキルに目覚めているらしい。

 音に敏感なのか、気配に敏感なのか。

 得意を更に伸ばすために、足りない何かを補うために、目覚めたスキルは支えてくれる。

 一律で子供の時に目覚めるというわけでもない。

 俺の見解だが、身体を鍛えて筋肉を得るように、勉強して知識を得るように、心が求めて得られるのがスキルなのだろう。

 だから人々に祈るように伝える。

 

「昔々の話です」

 

 『とある町に、月に救われたと言い張る男が住んでいました。

 「月の光は素晴らしい。正しさに満ちている。この光さえあればみんな正しく生きられるはずです」 

 その証拠に、彼は笑うことが苦手でしたが、毎晩祈ることで人々と仲良くできるようになりました。

 とても喜んで、月に感謝を捧げました。

 すると、どうでしょうか。

 不思議なことに三つの月が彼に微笑みかけたのです。

 彼がお願いすると、たちまち月はまばゆく輝いてくれるようになりました。

 怪物に荒らされた畑も、泣いていた子供も、月の光で元通り。

 彼はとても喜び、月の光に感謝しました。

 まいにちのように、彼は自分と人々の願いを叶え続け、いつしか月の光で全ての人々を幸せにしたいと願いました。

 そして、月の光がみんなを幸せにする国を作りたいと思うようになりました。

 しかし、彼の友人は反対しました。

 友人は月が本当に人々のためにあるのか、いつまでも輝いてくれるのかわからなかったからです。

 だから友人は、彼のために月が本当に照らしてくれるのか調べることにしました。

 そして世界の裏側まで確かめに行くと約束しました。

 月もその友情を歓迎しているようでした。

 彼は友人が帰るまでは静かに暮らすのだと約束しました。

 友人の旅立ちを見送った彼は、しかし約束を守らず、人々に声をかけて国を作りはじめました……

 

 

 

 

 

 

 

……世界の果てを目指して長い旅に出た友人が、やっとのことで帰ってきて見たのは、平等に全てを照らす月の光だけでした。故郷でやさしく迎えてくれるのは、月の光だけでした』

 

「……みんなが幸せになるはずだったその国には、もう誰も残っていません」

 

 おしまい、という締めの言葉とともに本を閉じる。

 原典に近い書だったから内容がなかなか酷い気がする。

 一般的な人たちが伝え聞いている内容だと、みんなで仲良くしたら幸せになれる的な物語になっている。

 冒険者たちもそうだからこそ、こういう原典に近い『本当は怖い物語』みたいなノリで楽しめるのかもしれない。

 聞かせていた子は、俺に寄りかかるようにしてほとんど眠っていた。

 ファティと同じように抱えて寝台に運ぶ。

 耳が聞こえない子や、感覚の鈍い子と同室なので音を立ててもいいかもしれないが、マナーとしてはどうなのかって気持ちになるので変わらず静かに寝かせている。

 

 空を見上げれば本月が低い位置にあって、そろそろ赤い遊月が昇る時間が近づいてきていた。

 祈りに来る人も滅多にいない真夜中。

 本堂に戻れば、夜間の責任者として控えている少女がパンを齧っていた。

 やっと目が覚めたらしい。

 日中も、夜間も、本堂に居る時はほとんど寝たまま過ごしているのが彼女だ。

 俺の感覚だと中学生くらいの年頃だと思うので、夜間は別の人にしてもいいとは思ったこともある。

 夜間に詰めれば日中真面目にしなくて済むから楽だと公言して憚らないので、今のままで問題ないのだろうとも。

 

「起きたんだ」

 

「うん? ずっと起きてるよ?」

 

 そう答えた彼女は、緩慢な動きで次のパンに手を伸ばす。

 細い腕は病的なまでに白く、白銀色の髪がその色素の薄さを際立たせているようだった。

 大きな銀色の目はどこかぼんやりとしていて、焦点が定まっていないように見える。

 いつも通りだ。

 本当に色んな意味で大丈夫なのかと心配になるほどに、美しい白銀の代名詞である本月よりも病的な白さだった。

 

「スープはあっためたほうが美味しいよ」

 

「はえー、知らなかった。今度はそうしてね?」

 

「アンバーがあっためていいんだよ」

 

「ツバキも知ってるじゃん。あたしあっついのやだ」

 

 やっぱりあっためなくていいかな、と呟いた。

 彼女の名前はアンバーエイト。

 由緒正しき力ある名前を与えられ、助祭位も持っている才媛らしい。

 神父様が留守の時には、上から数えたほうが早い責任を持っている。

 ただ、神父様の代わりとして動く時だろうと、素早く動いている姿を見たことが無いくらいにはいつもぼんやりしている。

 俺は愛称としてアンバーと呼んでいた。

 特徴として不健康なまで体躯は細く、反してその胸は豊かだった。

 ファティの胸と比べて百倍は大きい。

 なので俺は彼女を甘やかしてしまうんだ。

 どんな世界だろうと俺はおっぱいに弱い。

 

 

 

 

 

 

 



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8話

 

 「お月様が見ている」という言葉が、子供の躾に使われているのをよく聞く。

 三つある月のいずれかが必ず空に浮かび、生活の間近に存在するためだ。

 大人が自身を律するために使うことも多い。

 日本でいうところの「お天道様が見ている」に近い言葉だろうか。

 ただし、他人の言葉や視線を意識することを示している「お天道様」は、「お月様」と比べると随分と可愛い物だ。

 見ているだけの「お天道様」と違って、「お月様」は光に照らされた罪を裁かずにはいられない。

 「お月様」は本当に見ている。

 

 月光派にとって、明言されることは無いが月こそが神である。

 空の事象を信仰する宗派にとっても、程度の差はあれども同様だろう。

 光の輝き、移動の軌跡、生じる影……。

 それぞれが崇めるのは月を中心とした事象であり、月そのものではない。

 理由は単純に畏れ多いからだ。

 書にも記されている通り、月の奇跡は国すらも容易く滅ぼす。

 月とは神と同義であり、神とは力と同義でもあった。

 

 神に伝令として天使がいるように、月にも天使がいる。

 原典によれば月の光は八番目の天使が管理し、月の軌跡は九番目の天使が記録している。

 月が二つだった時代から天使の存在は語り継がれ、強い力を宿す言葉となった。

 天使を呼ぶ音は失われ、正しい文字は誰にも読めず、それでも口伝として継承された。

 その八番目の天使を示す言葉こそがアンバーエイトであり、祝福された子どもに与えられる力ある名前でもあった。

 

 

 

 

 

 寝起きだからか、寝足りないのか、アンバーの銀色の瞳が揺れていた。

 パンを差し出せば黙々と口に含んでいく。

 次々と渡せば頬が膨れるくらいに限界まで詰め込んで、上半身を伏すように机に体を預けた。

 長い銀髪がさらさらと流れ、床に付きそうになっている。

 朝と夜、毎日掃除しているが汚れというのは下に溜まってしまう。

 折角綺麗な髪の毛をしているのに、扱いが雑なので放っておくとすぐに汚してしまう。

 さっと長い髪を掬いあげれば、アンバーは無言のまま大きな黒いリボンを手渡してきた。

 簡単に髪を纏めたが、結局本堂で好きに寝てるから汚れるんだよな。

 

「ねえ」

 

 もごもごと咀嚼していたパンを飲み込めたようで、机に伏したままのアンバーが視線を向けてくる。

 ぼんやりとした瞳には、期待の籠った色を秘めていた。

 

「あたしの本、貸してあげる。ツバキは本が好きでしょ」

 

 はい、と目の前に置かれたのは新品にしか見えない書物だった。

 この後のやり取りは一種の定型として決まっている。

 アンバーはそれでも期待しているのか、ただこのやり取りが好きなだけなのか。 

 

「うっわ、聖奠(せいてん)じゃん……。貸してくれなくていいよ。読めない本は好きじゃないから」

 

「やだ。勉強して一緒にお祈りして」

 

 月が二つだった古い時代から月光派が受け継いでいるとされる『文書機密』だ。

 奇跡が纏め上げられた聖奠(せいてん)で、助祭位以上となった者が希望すれば手に入る。

 それは他の書物と同様に時間の経過や環境の影響で劣化し、火で燃え滓になり、水でふやけて、力を込めるだけで破れる。

 そして、月の光によって再生する。

 この書を手にした者は、特別な祈りを学ぶことができる。

 いにしえの宗教国家を滅ぼした奇跡の起こし方、と言い換えてもいい。

 

「じゃあ夜は部屋に籠って勉強しないといけなくなるけど」

 

「ここで勉強しよ。ね?」

 

「いや、危ないし」

 

「あたしとツバキなら危なくないよ?」

 

「お祈りに来た人たちが危ないからダメなんだよなあ」

 

 聖奠(せいてん)を持ち主に戻す。

 「なんでー」とアンバーが不満を露にしたが、俺の方がなんでだよ。

 絶対に要らない。

 欲しいと思うだけで枕元に現れるらしいじゃん、もうそれ呪いの書だよ。

 教会では勉強したくない項目ですからね……。

 

「ツバキは意外とわがままだよね? 何ならいいの?」

 

聖奠(せいてん)関連以外ならほとんどなんでも……」

 

 言葉を最後まで発せずに、ついあくびが漏れた。

 意識すれば、黄色がかった白に近い室内の光は、淡い赤が混じるようになっていた。

 夜も深まり、本月が隠れ、遊月も昇る時間が近付いている証拠だった。

 

「なに? もうおねむ? ツバキは寝るの早くない?」

 

「早くないよ。遊月(ゆうづき)が昇る頃に寝てるんだから遅いくらいだって」

 

「そうかな。影月(かげつき)が出るまで起きてたほうがよくない?」

 

「それもう一緒に日が昇ってるから朝なんだよなあ」

 

 俺が部屋に戻って寝るとなると、大体アンバーは朝まで一人ここで過ごすことになる。

 年若い女の子が真夜中から明け方まで戸締りのない空間で一人残されていると考えると心配になるかもしれないが、奇跡を引き起こせるからなあ。

 ちなみに助祭になるには洗礼を受けなければいけない。

 ちなみに俺はこの世界に迷い込んだその日に洗礼させられた。

 怪しかったから仕方ないね。

 

「ファティエルといっぱいお話してたのにあたしとはしてくれないの?」

 

「……ちょっとだけだからね」

 

「やった。遊技盤で遊ぶ?」

 

「あれは長くなるから勘弁して。絶対寝不足になる」

 

「どうせお祈りするフリして昼寝してるじゃん」

 

「……神父様も寝てるからいいんだよ。それにアンバーもいるから失敗もないし」

 

「ふーん、それならしょうがないよねー。……そうだ、お月見しちゃう? お月見しちゃおう」

 

 なぜかテンションが高くなったアンバーよりも先に立ち上がり、手を差し出す。

 由緒正しいとされる力ある言葉が名付けられたアンバーの肉体は、華奢で儚い容姿の通り虚弱だった。

 アンバーエイトという力ある言葉が人間の肉体を弱らせるのか、元から弱いのかは知らない。

 わかっているのは、スキルによって月光の魔力を取り込めば日常生活を送れるということだけ。

 この本堂の中心を照らしている光が、街で最も魔力を含んだ月光らしい。

 夜間に溜め込んだ魔力のおかげか、アンバーの髪は銀色にほんのりと輝く。

 力ある名前を持つせいか浮世離れした雰囲気も合わさって、日中はどこか神秘的な姿をしている。

 ほとんど寝てるけど。

 

 

 

 ふらふらしているアンバーを支えながら壁に設置されている棚まで歩く。

 製本されずに紙の束として纏められている書物が並んでいる。

 教会に来た人が自由に読めるよう貸本として置かれている。

 俺が写本した物がほとんどで、種類が増えたと喜ばれたのが嬉しかった。

 

「神父様のボトルシップも増えたよね。アンバーもやってみる?」

 

「あたしはやんない。縫い物の練習からする、そのうち。……うん、そのうちね」

 

 神父様が趣味で作成しているボトルシップも並べられている。

 近所に住む子供たちがこれを眺めにやってきたりするくらい綺麗な作品だ。

 月光に照らされて、どことなく神秘的ですらある。

 残念ながら夜間に見に来る人はほとんどいないのだけれど。

 アンバーにも勧めてみたが、そういえば不器用だった。

 教会にいる女性はファティも含めて、時間があれば結構縫い物をやってたりするが、アンバーがやっている姿は見たことがない。

 俺も縫い物してみたいが、写本してくれって頼まれてしまう。

 

「俺もできないからなあ」

 

「でも写本してるじゃん」

 

「一緒にしたいのか? それなら手伝ってもらいたいくらいだけど」

 

「やだ。疲れるし。……今日はこれにしよ」

 

 棚に飾られた水晶玉の一つを、アンバーは指差した。

 今日は、と頭に付けていたが大抵この水晶が選ばれる。

 水晶玉は、魔力を利用しての遠見が可能で、アンバーはお月見と称していた。

 その中でも今日選んだ水晶は高度を操ることができる物だった。

 魔力を使うほど、月に近づける。

 

 この水晶を部屋の中心、最も月光の集まる場所に持っていけば夜空を見ることが出来る。

 地上で見るよりずっと綺麗な星を。

 月は見ない。

 神と同義である月を近づいて見るのは良くないとされているし、俺が見たいと思わないのもある。

 月を研究する派閥もある。

 大抵は錬金術師に転向するらしい。

 出来のいい天体望遠鏡を作ろうとして凝っているうちに、錬金術師になっているのだとか。

 だから月を見ようとする者は、錬金術師に向くとされている。

 

「ツバキは夜空が好きだもんね?」

 

「うん。でもアンバーも好きでしょ」

 

 俺がそう返すと、きょとんとした顔でアンバーはこちらを見返した。

 気づいていなかったのだろうか。

 その様子がおかしくてちょっと笑いながら、仮眠用の毛布などを部屋の中心に用意する。

 結局今夜も本堂でお月見してて、気づいたら眠っていそうだ。

 アンバーを毛布に包む。

 布団に似たクッションを床に置き、その上に水晶を乗せる。

 月光を取り込んで、透き通るようだった石が夜闇を取り込んだかのように真っ暗になった。

 ここからの操作は俺には出来ないので、アンバーを待つ。

 が、何も起きない。

 どうしたのだろうかとアンバーを見れば、ぼんやりした瞳が俺を見ていた。

 銀色の瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでいた。

 寝たげに半分ほど閉じられていなければ、ずっと見てしまうかもしれないくらいに。

 

「どうかした?」

 

「……なんでもない。そうだね、星空が好きだよ。今はね。今夜も一緒に見ようね」

 

 アンバーが穏やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 



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9話

 

 神父様の動く気配で目を覚ました。

 遊月が隠れ、日が僅かに昇ったくらいの時間だった。

 寝ていても構わないとは言われるが、流石にこれから祈りに来る人もいるので、本堂のど真ん中で眠るわけにはいかない。

 神父様と朝の挨拶を交わし、引っ付いていたアンバーを毛布で包んだまま壁際に運ぶ。

 子供たちに起こされるまでは眠っているが、それも日常というやつだ。

 お祈りに来た人たちも気にしてないけど、本当にこれが日常の風景でいいのか?

 

 水晶を棚に戻し、空になったパン籠やスープの器、水差しを持って一度倉庫棟に戻る。

 途中で裏庭の草木に、水差しの中に残っていた水を撒く。

 倉庫棟の一階にある食堂まで行くと朝の準備を始めた人たちがいるので挨拶しつつ、洗い物を預ける。

 彼らは丁稚の見習い、みたいな身分らしい。

 商人見習いとして働く丁稚の、更にその前段階として文字の読み書きを習いに来ている。

 そのお礼に毎朝準備を手伝いなさいよ、と商人の方に言われているのだろう。

 日によっては時間奴隷の人も混ざっていたりする。

 食堂裏の炊事場に複数ある水瓶を見て、ちょうどいい物を選ぶ。

 中身が半分ほど減って、俺でも運べる重さの小さな水瓶を抱えて食堂を後にした。

 

 本堂に戻れば、人が僅かに出入りを始めていた。

 手軽にお祈りする人や、時間をかけてお祈りする人、棚に飾られている本を読む人、壁際で寝ているアンバーと様々な人がいる。

 悩みがある人は神父様に頼めば部屋の端に幾つかある対面席で聞いてくれる。

 中には寝ているアンバーに向かって小声で話す人もいる。

 映画やドラマ、アニメとかで懺悔する人が入る告解室みたいな物は無い。

 聞かれて困る話がしたいなら夜間に来い、という感じだろうか。

 あまり来る人いないけど。

 日の出とともに起きて、日の入りとともに体を休める文化だからかもしれない。

 後は罪人を裁くのが月光の奇跡なので、それにビビっているのもあるらしい。

 

 今日はすでに神父様が相談を聞いているようだったので、何も言わずに外へと向かう。

 水瓶を抱えたまま、俄かに活気立つ街の通りを歩く。

 この世界の人々は人懐っこいようで、歩いているだけで矢鱈と声を掛けてくれるので挨拶を返す。

 

 

 

 

 

「ツバキさん、おはようございます」

 

「おはようございます。先日はお菓子を頂きましてありがとうございました。子供たちも大変喜んでいました」

 

 挨拶して回っていれば、よく菓子をくれる職人も声を掛けられることもよくあった。

 

「それは良かったです。……すみませんが、ツバキさんもお召し上がりいただけましたか?」

 

「ええ、それは勿論。美味しかったですよ」

 

「……他と比べて味の違いなどはありましたか? 生地に干した木の実を練り込んでみたのですが、修行中の身でしてどうにも」

 

「うーん、十分美味しかったんですけどね。……水分がちょっと少ないかもしれませんでしたね。もしくは焼きの時間が長いのかな。どちらにしても雨季が遠い今だと、空気に混ざる水気は気にしなくていいと思いますよ」

 

「なるほど。参考にさせていただきます」

 

 納得したのか、何度か頷いたようだった。

 お菓子を用意しておくので帰りに寄ってくれ、と言い残して足早に店へと戻って行った。

 子供たちも喜ぶし、有難い話なので厚意に甘えようと思う。

 同じような話を何度か繰り返しながら歩く。

 帰りには土産でいっぱいになるので、日課のために歩いているのか、お土産のために歩いているのかわからなくなってきた。

 これが宗教の威光ってやつなのかもしれない。

 

 娯楽が乏しいせいか、この世界は食べ物の種類が豊富だった。

 菓子類も同様で、食べ物の値段としては高いが人気の商品といった位置づけだった。

 街の外には魔物が闊歩しているので、穀物などが手に入りにくいのではないかと思ったこともある。

 実際は、大規模な穀倉地帯が近隣に存在しているのだという。

 それもかつて滅んだ宗教国があったとされる場所らしく、魔物が発生しないのだとか。

 後世に書として書き記されている場所には、度々ある話だった。

 物語として盛られているだろうが、何かしらの物事があったのも確かなのかもしれない。

 果物がいっぱい成ってる木の魔物が大量発生したので大豊作、みたいなノリもあるからなあ。

 

「ツバキさん、うちの子を手伝わせましょうか?」

 

「いえ、散歩も兼ねてるので大丈夫です。朝は色々あって大変でしょうし」

 

 水瓶を運ぶのを手伝うと言ってくれる人もいるが、散歩ついでなので断る。

 大体俺のためなので申し訳ない。

 

 

 

 

 

「儂ももう年でなあ。教会にお祈りに行きたくても足腰が言う事聞かない日も多くてな」

 

「都合がいいときに、それこそ寝る前とかにお月様にお祈りしましょう」

 

「お月様は怒らないかい?」

 

「怒りません怒りません。お月様はちゃんと見てるので大丈夫ですよ」

 

「ああ、そうだとも。お月様はいつも儂らを見てくれてる。……教会の子たちの顔も見たいし、元気な時に行くからよ」

 

 軒先で人の行き来を眺めていた爺さんとも話す。

 教会で祈るのが一番だと考えているようだ。

 余裕があれば来てほしいが、難しいならやはり家で祈るくらいがちょうどいいのだろう。

 わざわざ無理して来なくても大丈夫、とはみんな理解しているようだが、それでも祈るための場所として用意されている教会で祈りたい気持ちもあるようだ。

 水瓶を持っていくから、と話を切り上げれば爺さんに毎朝偉いねえと言われた。

 でも強い風が吹いてたり、雨降ったらやらないから、毎日働く人々のほうが偉いと思う。

 

 

 

 

 

「ひひひ、ツバキ様……。例のブツが出来ましたぜ……」

 

 墓地の前に着けば、入口で俺を待ってたとばかりに商人が現れた。

 ねっとりした声が特徴的な男だ。

 深く黒い隈が目立ち、髪もぼさぼさだった。

 

「ま、まさか!」

 

 俺が驚きの声を挙げれば、男は上手くいったとばかりに笑みを深くした。

 

「ひひひ、まあ見てくださいよ……」

 

 男が俺に近寄り、周りから隠すように懐から取り出した小瓶を見せてくる。

 白っぽい物が入っている。

 俺は我慢できないとばかりに差し出された木の匙で口に入れた。

 

「ふふふ」

 

「ひひひ」

 

「ふふふ」

 

「ひひひ」

 

「ふふふ」

 

「ひひひ」

 

 濃厚なマヨネーズおいひー!

 

「ひひひ、こいつこんなに美味しいのにあんまり売れませんぜ……。悲しい……」

 

「あー、パンと肉で挟んだら美味しいと思うんで、まずはそっちに頑張って卸してください」

 

 以前マヨネーズもどきを一緒に作ったらその味にハマってしまい、寝不足になりまくってる商人が悲しそうに言った。

 この人、日本の味に理解がありすぎてなんか浮いてるんだよな。

 

 

 

 

 

 折角だからと付いてくる商人を連れて目的地の墓地に到着した。

 ここから何をやるのかと言えば、普通に水瓶の水を撒くだけである。

 月光で浄化した水は聖水となるので、アンデッドによく効くらしい。

 アンバーが教会で使う分の水を、水瓶ごと毎朝聖水にしてくれているので、古くなった分を撒いているだけだ。

 だって俺、アンデッドが怖いからさ……。

 

 そのままお眠りください! と二人でせっせと水を撒く。

 量はそれほどないので手酌でぱしゃぱしゃと墓地の一区画だけ掛ける。

 数日置きにローテーションして掛けているので、処理を失敗していてもアンデッドになることはないだろう。

 

「あの、助祭様……」

 

 ぱしゃぱしゃと水を掛けて回っていたら、初めて見る顔の女性に話しかけられた。

 護身用の装備をしているので、冒険者だろうか。

 街の外で死体を見つけたりしたら教えてくれることがあるので身構える。

 

「どうかしましたか?」

 

「その、お花を摘んできました。街の外の、すぐ近くの、なんですけど……」

 

「ありがとうございます! 寂しいから花を手向けたいと思ってたんですよ」

 

 どうやら花を摘んできてくれたらしい。

 とても嬉しい。

 時々俺も教会の庭などの花を摘んでくるが、外の花を摘みに行くのは難しかった。

 花があるだけで寂しい雰囲気も少しは薄れる。

 今となっては数日に一度、冒険者の人たちが花を持ってきてくれるので、簡素すぎる墓地もちょっとは明るくなった気がする。

 

「貴方の優しさに感謝を」

 

 精いっぱいの感謝を、笑顔とともに送る。

 マヨネーズも美味しかったし、優しい冒険者の方が花をくれたし、今日は運がいい気がする。

 無敵かもしれないな……。

 

 

 



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10

 

 

 

 ローレットは疲れを忘れ、目を丸くした。

 ギルドの裏に併設されている酒場の様子がいつもと違うからだ。

 マスターが、その膨張し続けている筋肉を魅せるために小さな衣服をわざと拷問している様に驚いたわけではない。

 いや、冒険者に成り立てだった頃にはローレットもとても驚いたものだが。

 「好きな所に座りなさいな」とマスターに言われて席に着いたが、酒場の中が随分と閑散としていた。

 数字に疎い彼女でもすぐ数えられるくらいしか客が入っていなかったことに驚いた。

 

 ギルドの受付前は変わらず混雑していたし、むしろ人口の密度で言えば多いくらいだった。

 時間をかけて並び、酒場で待たされるのだろうと彼女は内心うんざりしていた。

 心を無にして混雑している受付に並び、達成した依頼の報告や、彼女がその過程で得た素材の納品を終えた頃には、酒場の席はほとんど埋め尽くされているのが常だった。

 席がすべて埋まってしまい、誰も退く気配がないので肩を落として帰る日も少なくない。

 それが今日は普段の混雑とは程遠く、並んでからそう間を置くことなく幸運にも受付にたどり着けた。

 そしてどういうことか、好きな席に座り、注文まですぐに出来てしまいそうだった。

 これなら時間のかかる料理を注文しても、渋られることなく届くだろう。

 朝や昼間ならわかるが、今は仕事を終えた連中が集まるような時間だ。

 彼女が驚くのも無理はない。

 

 いつもと違う酒場に視線を巡らせれば、やはり変化を見つけることができた。

 熱狂的な囲いたちのせいでほとんど見たことの無いバードの連中の姿を、今ははっきりと見ることができた。

 ローレットは、普段きちんと聞くことができない演奏や歌をゆっくりと聞けるかと期待したが、いつまで経っても始まらない。

 バードの連中は黙々と食事する者もいれば、楽器の手入れをする者、つまらなそうに手記を読んでいる者など様々だが、暇を持て余しているようだった。

 観客が少なく、金をあまり持って無さそうな連中しかいない状況で働くような慈善バードはいないようだった。

 仕事だものね、と理解を示したが、それでも勝手に抱いた期待が僅かな失望に変わるのは否定できなかった。

 「バードのためなら死ねる!」と汗をまき散らし、暑苦しく叫ぶ冒険者もいるが、今の様子を見ても熱狂できるのか疑わしい。

 容姿だって、改めて見れば特筆するようなところは無さそうに思えた。

 

 バード観察にも飽きたので手早く最初の注文を済ませる。

 待っている間、サラマンダーの鱗の飾りを手で弄べば、きらきらと赤く輝いていた。

 パーティで四足の魔物を狩るに足る実力があるとギルドに認定され、昇格した証として記念に加工した物だ。

 冒険者としては赤の記念品は中堅の証で、だからこそ先は長い。

 ローレットがそれなりに稼いでいそうだと気づいた目聡いバードが近づき、一曲披露させて欲しいと提案してきた。

 昇格し立てで装備も更新したばかりと告げれば、そそくさと身を返していった。

 お祝いに歌います、くらい言って本当に歌ってくれたら気前よく投げ銭できたのだけれど、そう上手くはいかないらしい。

 

 資金に余裕はあるが、それでも気怠そうなバードを見て気持ち良く投げられるとは思わない。

 装備、宿、生活費。

 お金はいくらあっても足りないし、何かあった時のために貯めておきたい。

 無駄遣いしたくないが、娯楽も欲しい。

 パーティのみんなは何に使っているのだろうか、ローレットはふと気になった。

 故郷を飛び出して、がむしゃらにウーズを倒す日々ではこんな風に悩む余裕もなかった。

 二足の魔物をソロで倒せるようになって、遊びが生まれ始めたように思える。

 

 

 

 

 

 仲間を待ちながら料理を突いていると、ぞろぞろとギルド側から人が列を成して歩いてくる。

 いつもの酒場が始まるようで、騒がしさが増していく。

 小さな扉で順番を待つのに焦れたのか、外に回って酒場の入り口から入って来る者もいるくらいだ。

 枝毛を確認していたバードも、爪を整えていたバードも、筋肉に負荷を掛けていたバードも、大入りの客に反応して立ち上がる。

 バードのいた席しか空いて無かったら、無理やり聞かされておひねりを投げさせられるのだろうか、とローレットは冷めた思考で考えた。

 

「あ、ローレット。席取っててくれたんだ?」

 

「ん? ……。 うん、感謝して?」

 

 パーティの仲間であるルーシリアが、近くの席に座った。

 同じように疲れていたはずなのに、どこか声は弾んでいた。

 少し遅れて他の仲間も揃えば、注文を済ませて口々に先ほどまでの状況を教えてくれた。

 ついでに口さみしいとばかりにローレットが注文していた料理を勝手に食べ始めるが、代わりに彼女も仲間の料理が届けば勝手に手を出す。

 

「さっき助祭様が来てたのよ!」

 

 ルーシリアが机をバンバンと叩きながら話す。

 話したくて仕方ないと言った様子で、顔は僅かに赤くなっていた。

 酔ったり興奮すると手癖が悪くなるのは直したほうがいいと思うが、楽しそうな様子に水を差せる仲間はいなかった。

 

「はあ、助祭様が。……わざわざ説教に?」

 

「登録しに来たんだって。説教というかお話はしてたけど」

 

 早口で捲し立てているルーシリアを無視すれば、他の仲間から返事がもらえた。

 わざわざ説教に来たわけではないが、わざわざ冒険者登録しに来てついでにやっぱり説教したらしい。

 真面目な人だとは知っているが、奇特な人でもあるのだろうか。

 ローレットにはあまり興味が無かったが、ルーシリアはそれが気に入らなかったらしい。

 

「助祭様が教会から出て、遥々ギルドまで来てくださったんだよ!? この尊さがわからないの!?」

 

「遥々ってそんなに距離ないじゃん」

 

 遥々、と表現したが、街は月光派の教会を中心に広がっている。

 繋がっている通りを歩けばそのうちギルドに至るし、距離もそれほど遠くない。

 ローレットの言葉に、ルーシリアの机を叩く勢いが増す。

 二足歩行し、樹上から襲い掛かって来る魔物のエイプ種に似ていると思った。

 大型の魔物で、四足の分類となるナックルウォーキングするエイプ種にそのうち進化するのかもしれない。

 地面をバンバンと叩きながら歩く仲間を想像して、その時は追放だろうなと考えた。

 

「冒険者は教会に近寄らないのに、助祭様は教会から来てくれるんだよ!? 今日は待っている暇な私のために話してくれたし、アメリアの馬鹿は意味のわからない質問したけど答えてくれたし!」

 

「濁されて終わりましたけど、やっぱり月光派の人は詳しそうですよ。ツバキさんだけが見識があるのかはわかりませんが、ルーシリアみたいな馬鹿をずっと相手しないといけないのはもったいないと思いますね」

 

「……何が文字と言葉だよ。他の人もわからないし、助祭様も答えにくそうな質問して恥ずかしくないわけ?」

 

「……テンパって『じょ、助祭ひゃま! どうしてここに!? 教会から自力で脱出を!?』とか漏らす女は横から見てて本当に笑えましたね。脱出も何も、自由に散歩してますよあの人」

 

 「はああああん? ……馬鹿がよ」「は、なんです? ……愚者が」と二人で睨み合いを始めたので、届いた注文の料理を温かいうちに勝手に食べる。

 そもそもローレットからすればどっちも馬鹿だ。

 勿論まともなのは自分。

 

「ツバキ様っていうんだ」

 

 ローレットがふと呟いた言葉にルーシリアが固まる。

 争いはここに鎮火された。

 

「司祭代理位のツバキ様の名前をご存じないのですか!? 極めて稀なことに力ある言葉の名を持たれていない神父様ですわよ!? 司祭代理位は助祭相当の権限を持っていて、司祭様がいなければ代理として司祭様の権限を引き継ぐ人なのに!? 助祭位を持てるから洗礼を受けてる凄い人なのに!? 司祭様が留守の時にはお話を聞いていただけるチャンスなのに!? アンバーエート様が眠っている横で聞いてもらえるのなんて滅多にないのに!? じゃあいつ教会に行くの!? ボトルシップもキラキラしてるよ! 今じゃないでしょ!? そもそも教会に行ったことある!? 冒険者は怖がって行かないけど! 私も怖かったけど今はめっちゃ行く! 本もいっぱいあるし、文字の読み書きもその場で教えてくれる! 人生の十割損してる! ローレットの過去がいま消滅したよ!」

 

 机を叩いてリズムを取るといった器用な技を披露しながら言いたいことをワッと浴びせかけてくるルーシリア。

 「いや、私も代理とかは知らない」とアメリアが呟いた。

 うんざりしながらローレットが耳を塞ぐポーズをとるも、このエイプ種は止まらない。

 教会に行ったことあるかなんて愚問でしかない。

 村の出だから教会にあまり馴染みが無いし、そもそも好きな時にお祈りしておけばいいだけだろうに。

 リズムよく叩くのに気持ちよくなってきたのか、ルーシリアが物語を歌い始める。

 

「え、何、あれ。何? 何の話?」

 

「さっきツバキさんが話してくれたお話ですね。圧倒的に下手なので酔っ払いしか喜ばないでしょうけど」

 

 聞き馴染みがあって、どこか初めて聞く物語を垂れ流し始めたルーシリア。

 その姿に疑問を抱いたローレットに、アメリアが答えた。

 娯楽として中々いいと思ったが、どうやら下手らしい。

 その場で叩くのに飽きたのか、立ち上がって踊りとともに床を鳴らして語り始めた。

 黙っていられないのか動き回り、近くに居たバードの語りを邪魔し始めたが、止まる様子は無い。

 ローレットには話が聞こえないし、バードの邪魔をしたとしてマスターに拳を落とされている姿が見える。

 しかし、これよりもっと良いとなるとちょっと興味が湧いてくる。

 

「みんな、暇な時とかどうしてるのかなって思ったけど……。面白そうな物語だよね」

 

「貸本屋で借りられますよ」

 

「文字あんまり読めないから」

 

 名前を書き、依頼をちょっと読めて、数も加算と減算ならほどほどに計算できる。

 ローレットが優れているというわけではないが、劣っているわけでもない。

 中には名前すら書けない者が冒険者として登録することもある。

 最も重要なのは育った環境だった。

 資産を多く持つ者ほど得られる知識が多くなる。

 教会でも学べるが、幼い子供たちに囲まれて勉強できる人間がどれほどいるか。

 

「じゃ、じゃあ助祭様の手伝いに行ったらいいよ!」

 

 ひんひんと半泣きになりながら戻って来たルーシリアがそう言った。

 何故かお金を持っている。

 

「手伝い?」

 

「助祭様はアンデッドが出ないように毎朝墓地まで行って聖水を撒いてくれてるんだけどね」

 

 ルーシリアを馬鹿扱いするが、それ以外は素直なアメリアが「偉いですね」と漏らした。

 ローレットもそう思ったし、ギルドに来るよりずっと『遥々』な移動を毎朝しているようだった。

 墓地は街の外れにあり、教会から往復するだけでもちょっとした距離がある。

 

「いいかい、ローレット……。お花をね、お花を持っていきなよ。街の中にあんまり咲いてなくて、外には咲いている花があるからね、朝に摘んでいけば喜んでくれるのさ。それがちょうどいいってことなんだ」

 

 なぜか頬杖を突きながらルーシリアが言う。

 花でいいのだろうか、ローレットは内心で疑問を持った。

 もっと高価な方が喜ばれたりしないのか。

 物語の対価だったら花なんて目じゃないくらい高くつくと思うのだけれど。

 

「お菓子が喜ばれるけど、まだダメ。仲良くならないと助祭様はこっちを心配しちゃうから。……心配してくれて嬉しいって気持ちと、心配かけて申し訳ない気持ちが拮抗するからやめたほうがいいよ。というか、普通に花を持ってけばとても喜んでくれるから。……あ、日の出前に準備して待ってなよ」

 

 「あれがいいのよね……。えへへ……」とだらしなく歪んだ笑みをルーシリアは浮かべた。

 素直に言えば、気味が悪かった。

 気持ち悪いエイプ種から視線を外し、助けを求めて仲間を見れば。

 

「わかります」

 

 ちょっと表情が緩んでいるアメリアも同意した。

 孤立してしまったローレットへの助けは無かった。

 

「……ところで、そのお金はどうしたの」

 

「貰った」

 

 話を変えようとして、ルーシリアに話題を振れば簡潔に返された。

 ローレットが首を傾げれば、ああ、と頷いた。

 机をバンバンと叩き始める。

 

「助祭様がさっきお話してくれたんだけどね! 話が終わったからお礼のお金を渡そうとした人がいたんだけどね! バードの人たちに少しオマケしてねって言って帰っちゃってね!」

 

「バードじゃないじゃん。貰ったら例の助祭様に怒られないわけ?」

 

「……怒られるかも」

 

 「でもそれがいいのよ……」とルーシリアは気持ち悪い笑みを浮かべた。

 物語に興味はあるが、ローレットはこれと同じになるのが怖かった。

 

 

 

 



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11

 

 日が昇る前に、ローレットは目覚めた。

 特に意識したわけではなかったが、前日に聞かされた話が影響していたのだろうか。

 依頼によっては朝早くから活動する場合もあるが、それでもこれほど早く動き始めるのは稀だった。

 それに、休養日にこれほど早くから起きたことは無いことも無く、まだ体が起きていないように感じた。

 生まれつき悪い目つきが、余計に吊り上がってしまっているかもしれない。

 まずは顔を洗おうか。

 普段から部屋を借りている宿だ、いくら暗くても勝手知ったるとばかりに動ける。

 こんな時間でも無ければ追加料金でお湯が貰えるのだけれど、とローレットは開き切っていない目で考えた。

 

 赤い遊月が沈みかけ、これから日が昇ろうかという時間。

 草木すらも眠る時間ではなく、むしろ朝早くから動き始める者たちが目覚める少し前。

 静かなその一時に、宿の裏の広場にある共同の井戸から汲み上げた水で顔を洗う。

 ローレット自身の深緑色をした髪の毛は、この時間では黒がかった色にしか見えなかった。

 月の変わりと夜明け前、その時間が最も暗いのだというが、目を凝らせば見える程度だ。

 月がある限り完全な闇はない、と誰かが言っていた。

 それを教えてくれたのは、魔法狂いの頭でっかちアメリアだったか、教会狂いの頭エイプ種ルーシリアか。

 

 通りを歩けば既に生活の営みが始まりつつあるようだった。

 ほとんどが何かしらの商いで生計を立てている者だった。

 行商の護衛に付いていくこともあるが、それはもっと日が昇った時間だ。

 街の出入りを管理している門には数種類あり、そのうちの一つが馬車等の大きな物流を可能としている大門だ。

 開門時間はもう少し後になるため、行商人などは予め準備して待っているようだった。

 

 ローレットが向かっているのは小門であり、人が行き来できる程度の広さしかないが、身分が証明できる物さえあれば日の出から通ることができる。

 職人系ギルドと比べると、冒険者ギルドの証は証明として劣る。

 生活の基盤、安定性、信頼……。

 その街に根付き、営みを続けている職人たちと比べての結果だった。

 他の街だったら出られなかっただろうことをローレットも理解している。

 行列に並べば、あまり時間が掛からずに自分の番が来る。

 街の出入りを管理している衛兵に目的と証明書を問われ、墓地のための花摘みだと返答しながらサラマンダーの鱗を見せる。

 「赤か」と呟いたようだった。

 痛んだ灰色の髪、片側は眼帯で隠された銀色に似た灰色の眼、鍛え上げられた筋肉は冒険者にも勝るだろう。

 重さすら感じる視線に僅かな時間を耐えれば許可が下りたので、ほっと息をつく。

 「門の衛兵は心を読むスキルを持ってるらしいよ」とレッドヘアーエイプ……ではなく、ルーシリアがその特徴的な赤い髪を揺らし、机を叩きながら教えてくれたことがあった。

 いつもは衛兵の前を素通りするだけで済ませられるから気にならなかったが、今日は対面したこともあって緊張した。

 

 重圧から解放されれば、後は花を摘むだけだ。

 朝早くからただ墓地に行くだけなのに、妙な疲労を覚えてしまった。

 染料や薬に使われる物もあるので、あまり門や塀に近い場所で摘むのは流石に遠慮する。

 魔物が出るような林や森に行くには時間が無いので、気遣い程度に少しだけ離れた場所にした。

 手早く摘んで門に戻れば、先ほどの衛兵はほとんど確認もせずに通してくれた。

 外に出ようとしている人たちが長い列をなしていて、ローレットは自分がちょうどいい時間に出られたことを月に感謝した。

 

 

 

 

 

 朝の陽ざしに照らされていても、墓地は暗く寂しい場所だった。

 等間隔で地面に突き刺さった多数ある棒のすべてに、亡くなった人がいる。

 冒険者として知り合いが死ぬこともあり、いずれかの棒の下にいるのだろう。

 死が遠いとは言えない職業だ、運が悪ければ自身も同じ姿になる。

 埋められて、いつか忘れられる場所。

 だから殊更身近に感じて、奇妙で落ち着かない。

 胸に湧いた心細さに困惑していると、ローレットは助祭の姿を見つけた。

 助祭の知り合いなのだろうか、もう一人の男と一緒に屈んだ姿勢で水を撒いていた。

 足早に近づき声を掛けた。

 

「あの、助祭様……」

 

「どうかしましたか?」

 

 振り返ったその姿を見て、何故だかほっとした。

 落ち着いて見れば、墓地もそれほど暗いように思えない。

 花も飾られているし、いつか忘れられる場所にしては綺麗だった。

 

「その、お花を摘んできました。街の外の、すぐ近くの、なんですけど……」

 

 両手で軽く抱えた程度の花束を見せれば、穏やかな助祭の表情が笑顔に変わった。

 ギルドにいる男性とは全く違う柔らかな笑い方。

 伸びた黒い頭髪が目元を隠しているが、それでも口や頬で笑顔を浮かべていることはわかっていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 その弾んだ声が、本当に喜んでくれていることを教えてくれる。

 もっと摘んでくれば良かったと思う。

 その一方で、ルーシリアに多すぎてはいけないと釘を刺されたことを思い返す。

 適量だからこそだろうと自分を納得させた。

 もっと欲しかったとがっかりしたり、大量の花で喜ぶような様子がこの助祭から感じられたら、ローレットにとって解釈違いを生じさせたかもしれない。

 

「寂しいから花を手向けたいと思ってたんですよ」

 

 花を差し出せば、とても大切な物のように受け取ってくれた。

 動作の一つ一つは早いとは言えないが、物腰の柔らかさが見て取れる。

 

「貴方の優しさに感謝を」

 

 月に捧げるように、花を持って祈る姿。

 純粋に感謝されたのはいつ以来だろうか。

 

「いえ、あの、えへへ……」

 

 照れてだらしない笑みを浮かべてしまったことを自覚して、ローレットは口元を抑えるように隠した。

 これではルーシリアを馬鹿にできない。

 ぐっと口に力を入れて、耐えようとする。

 意識を別のところに向けようとして、助祭の顔を見つめる。

 余計な所に力が入ってしまい、視線が鋭くなる。

 

「どうかしましたか?」

 

「あっ、いえ、なんでもないです……。こんな私でもお役に立てて良かったです……」

 

「はい、貴方はとても優しい人ですよ」

 

 つい向けてしまったきつい視線を物ともせずに微笑む姿に、自分の顔が緩むのをローレットは感じた。

 やっぱり優しい男性が一番よね、と脳の片隅で善を司る緑のローレットが囁いた。

 悪を司る赤のルーシリアはどうかと言えば、地面を叩きながら助祭ひゃま最高! と騒いでいる。

 中立になぜかいる青のアメリアは「お話も楽しそうに聞いてくれるのがいいですよ」とオススメポイントを増やしてきた。

 

「迷惑じゃなければですが……またお花を持ってきてもいいでしょうか?」

 

「ええ、とても嬉しいです」

 

 助祭がにっこりと笑うのを見て、同じように笑顔になる。

 まだ年若いというか、幼いというか、そういう印象をローレットに与えた。

 年下の男の子に慕われているかのようで、なんというか心が少しむず痒くて、同時に喜びも感じる。

 えへへ、とだらしない声が漏れ出た。

 

 

 

 

 

 花のお礼に朝食に誘われたローレットは、迷惑がかかると断ろうとしたが気づけば頷いていた。

 自分の意志の弱さに愕然としたが、助祭の嬉し気な姿からこれで良かったのだと納得した。

 助祭の手伝いをしていたという商人の姿は既にない。

 「お先ですぜ、ひひひ……」と怪しげな笑いと笑みを浮かべ、理想的な姿勢で走り去ったのが印象的だった。

 教会に向けて通りを歩けば助祭が時々声を掛けられ、律儀にそれぞれ返事している。

 冒険者をしている自分では考えられない人数と挨拶を交わしているのだから、宗教の根強さを感じてしまう。

 

「ツバキさん、おはようございます」

 

「おはようございます、ハーブさん。こちらはローレットさんです。お墓のためにお花をいただきました」

 

「まあ、ありがとうね。ローレットちゃん」

 

「お役に立てたなら嬉しいです……」

 

 困ったのは、助祭が声を掛けられる度にローレットを紹介することだ。

 次々にお礼を言われるのは身が縮こまる思いだった。

 興味本位で花を摘んできただけだし、墓地ではなんかだらしなくなった。

 お礼を言われる資格なんて無いとすら感じている。

 

「助祭様、あまりお花を摘んでこなかったのでお礼を言われると恥ずかしいというか」

 

「貴方はとても素晴らしいことをしました。聖水をかけ、お花を飾り、墓地を一緒に掃除しましたよ。街の人もお礼を言いたいのです。……墓地は街の住居区画ごとに割り振られています。ある種の共有財産なんですね。そうなると場所だってある意味で使いまわします。時間が経過すれば以前誰かが眠っていた場所に別の人を眠らせ、月光の導きを待つことになる。自分か、家族が祈る場所を綺麗にしてくれるローレットさんに感謝してるんですよ」

 

「私、自分のためにやっただけなんです。……昨日助祭様がみんなに聞かせたお話を聞きたかっただけで、それで……」

 

 恥ずかしい心の内を吐き出してしまう。

 このまま黙っているのは、なんだか苦しかった。

 ローレット自身が望んでいない善人の姿が本物に思われて、みんなに求められるのは怖いことだった。

 

「やりたいことをやって、それで誰かのためになったのだからローレットさんの日ごろの行いのおかげです。良くない人は突然良い事をやろうとしても上手くいきませんよ。それでも不安なら、またお花を持ってきてくださいね」

 

 それで教会で一緒にご飯を食べて、お話しましょうね。

 助祭がそう言って笑いかける姿を見て、ローレットは目を細めた。

 眩しいような、懐かしいような。

 自分をずっと褒めてくれる、優しくしてくれる。

 ローレットは子どもの頃、とても幸せだった。

 自分を褒めてくれる父と母の姿は遠い過去で、今まで忘れていたが確かに存在した記憶だった。

 そして更にその過去には助祭がいたかもしれないという存在しない記憶が差し込まれようとしていた。

 もしかすると助祭はローレットの若いパパ……。

 

「教会の子はみんなひょろいから肉食いな!」

 

「魚の方がおいしいよぉ! これがサーモンランさ! そろそろ時期だからよぉ!」

 

 ローレットの脳内に捏造された記憶が浮かび上がりそうになったが、突然助祭が肉と魚を押し付けられている姿によってキャンセルされた。

 目を離した隙に、助祭は肉と魚を推す男たちに挟まれていた。

 香ばしい匂いを感じ取り、空腹を思い出させた。

 味付けして焼かれた肉と魚は実においしそうだった。

 ローレットは存在しない記憶よりも、こっちのほうが気になっていた。

 

「だれかたすけてー」

 

 助祭の言葉に、ローレットが駆け付けようとするが一歩遅かった。

 変な笑みを浮かべた連中が先んじて駆け付けた。

 

「助祭さま、パンです」

「ツバキさん、約束のお菓子です」

「特製のジャム食べな!」

「神父様、布です! どうぞ!」

「ツバキ君、木の実をどうかな」

 

 きょろきょろと周りを見渡して、ローレットは花を一輪だけ買った。

 ふざけているのか、楽しんでいるのか、色々な表情を浮かべて集まっている人たちに混ざって、静かに花を差し出す。

 

「あの、助祭様……お花をどうぞ」

 

 

 

 

 

 

「ローレット! どうだった!?」

 

 ルーシリアが酒場の机を叩きながら聞いてきた。

 燃えるような赤い髪が振動で揺れ、頭の容量とは不釣り合いな豊かな胸も揺れていた。

 

「……凄く良くしてもらった」

 

 朝食を食べた後、子供たちに混ざって勉強を教えて貰い、子供たちに混ざってお話を聞いた。

 失礼すると去っていった商人が何故か先に食卓に居たのに驚いたし、まよねーずとやらが傷んでいるんじゃないかとも驚いた。

 結局お昼も誘われ、抗うことはできなかった。

 なんというか、話を聞いて貰ったし、勉強で褒められすぎて心も体も幼児に戻るんじゃないかと思うくらいだった。

 

「……えへへ」

 

「うっわ、きっしょい」

 

 思い出して笑えば、エイプ種ルーシリア科に罵倒されるが、まあ嫉妬だろうとローレットは許してあげた。

 優しいからだ。

 心が豊かだからだ。

 無敵になった。

 次の休養日を心待ちにしているが。

 

「良かったですね。じゃあ次は私も行ってみます」

 

「え……?」

 

 冷めた目のアメリアがそう言った。

 

「次々に押し寄せたら迷惑だからローレットはお休みね。その次は私だけど」

 

「え……?」

 

「私たちの本業は冒険者だからね。……忘れそうになるかもしれないから甘えすぎないようにね」

 

 ルーシリアが、にっこりと笑った。

 

 

 

 



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12

 

 昼に冒険の話を聞いたので、簡単な依頼を受けてみたいとギルドに顔を出す。

 出来ればドラゴンをずばーっと倒したいが、適性が無い依頼は受付で弾かれるらしい。

 悲しいことに魔物と戦う力は全く無いので、写本や算術の能力が発揮できる依頼はないだろうかと期待する。

 武器は重いから持ってきていない。

 冒険者の姿か、これが……。

 

 何か出来そうな依頼は有りませんか、と受付の女性に尋ねれば幾つか用意してくれたらしい。

 少しお待ちくださいと立ち上がって探しに行ってくれた。

 手持無沙汰になったのでぼんやりと周りを見回す。

 

「やはり難しいですか」

 

「そうですね、こちらとしては……」

 

 隣がなんだか暗い雰囲気だった。

 気持ちばかりの仕切りがあるだけなので、表情も話し声もわかってしまう。

 聞き耳を立てると年若い少年が無理を言っているのか、受付の女性が困っているようだった。

 少年の顔には覚えがある。

 以前教会で勉強を教えていた商人見習いの子だ。

 末端の商人として認められたのか、商人ギルドの証をぶら下げていた。

 

「あ、ツバキさん」

 

 隣の受付の女性と目が合えば、助かったとばかりに表情を明るくした。

 周りが見えないくらい集中していたのだろうか。

 

「……何かお困りですか?」

 

「え?」

 

 俺が隣から声を掛ければ、少年が呆けたような声を出した。

 

 

 

 

 

 街の発展とともに建造物が増え、割り振られた区画が拡張されるのは自然なことだった。

 街には東西南北の門があり、利用する用途ごとにそれぞれの近くも発展していった。

 俺たちが向かっているのは倉庫などが並ぶ区画で、朝から夕まで外との往来が特に多い。

 日が隠れている時間は特別な馬車を除いて出入りが禁じられているので、その刻限までに運搬を済ませるために日中は活気に溢れている。

 

「……他の者に任せた方がいいのでは?」

 

 案内する依頼人の少年が、顔色を窺うような素振りを見せながら俺に問う。

 何度も繰り返したやり取りなので、返す言葉は決まっていた。

 

「人手が足りなくてお困りなのでしょう」

 

「しかし……」

 

「依頼人と冒険者ですよ。依頼を受けましたからね」

 

 依頼内容は倉庫の片づけや積み荷の運搬だという。

 ギルドにも手の空いている冒険者や、酒場で吞んでいる者も居たが、彼らには難しいようだ。

 というのも、積み荷が硝子や陶器の製品らしい。

 高価な品なので、手癖が悪ければ盗んでしまう人もいるし、盗まなくても粗末に扱えば割れてしまう。

 酒の入った体に手伝わせるのは酷だろう。

 しかも今回は丁寧な仕事をしなければならないと小声で受付で教えてくれた。

 

「うーん、でもなあ……」

 

 「本当に神父様が依頼を……?」とうんうん唸って自問している少年には申し訳ないが、俺も仕事がしたい。

 画材というのは良い物を求めればそれこそ青天井で高くなるが、それでもなるべく良い物が欲しい。

 それに絵具等は綺麗な色を求めるとなると特別な鉱石が必要になり、市場に出回らず、冒険者や商人と直接交渉しなければならない貴重な物もある。

 顔を知っている、話をしたことある、信頼できる、等の評判をお金と一緒に稼いでおきたい。

 

 地味な布の服を着ているし冒険者としてもギルドに居たので気づかれない可能性もあるかなと期待したが、依頼人の少年も俺を覚えていたようだ。

 気にしなくていいと思うが、相手からすると教師を雑用で雇う感覚なのかもしれない。

 俺が同じ状況だったら勘弁願いたいと思うのも当然だろう。

 そこは我慢してほしい。

 困ってる様子が見えたから手伝いたいのも本当だ。

 

 

 

 

 

「我々はオルビートに本店がありまして、そこから護衛も兼ねた冒険者たちに手伝って貰っているのですが……」

 

 支店を任されているという壮年の男性が状況を説明してくれる。

 山や川をいくつも超えた先にある街の名がオルビートであり、そこからほとんど従業員状態の冒険者が行き来して護衛から搬入、梱包まで手伝っているそうだ。

 冒険者といってもベテランの域に入っていて、引退すればそのまま従業員となることが約束されているらしい。

 企業秘密も含まれている作業も手伝っているので、信頼できればそのまま囲い込むことで情報の洩れを抑えている。

 

「オルビートより少し離れた街の近隣にドラゴン出現の報せが入ったのが事の起こりです。翼持ちの移動速度と脅威から、突発的なレイドの発生に対応するため、出られる冒険者の人数が限定されてしまった模様でして……」

 

 説明を受けながら倉庫内部を見れば、ここらで見たことの無い顔の人たちが黙々と作業を繰り返している。

 喋る暇すら惜しいという様子だ。

 俺がいなければ支店長も加わっているかもしれない。

 も、申し訳ない……。

 

「今回手伝うのは荷物は陶器や硝子といった壊れやすい物の運び込みと窺っていたのですが」

 

「硝子製品は小さい物を中心に、陶器製品は容量の多い壺に切り替えました。……今回の積み荷はポーションと魔物除け、火の秘薬が大半です」

 

 積み荷はドラゴン対策の物資が主だった。

 大々的に声を挙げて集めれば人手は賄えるだろうが、未だにドラゴンが何かをしたわけではないので静かに事を進めたいらしい。

 騒ぎになれば名を上げようとする無謀な冒険者も居ないわけでは無く、刺激してしまうとどうなるかわからないからだ。

 

「急ぎなんですよね。……今日だけ手伝っても人員の問題は解決しないのでは」

 

「人員は他の街から応援を呼んでおりますが、魔物除けを一日でも早く出荷してほしいというのがオルビートの状況でして。今日だけでも出荷したいのです。手配が遅れて他の街が撒いてしまうと避けたドラゴンに襲われる可能性もありますからね……」

 

 魔物除けには効果時間も決まっているので、切れてしまってもドラゴンが来るかもしれない。

 なるべく切らさずに街同士で連携して追い払うように使いたいのだろう。

 滅多にないことだが、街に攻め込んだドラゴンにその場で巣作りでもされたら目も当てられない。

 

「それは大変ですね。……この街の魔物除けが無くなるほど運び出すわけじゃないんですよね」

 

「ええ、領主様同士で余剰分を交渉した模様です。我々としても均衡を破った結果何処かの街が無くなって商いが滞ると生きていけませんから」

 

「助けを求めましょう。求めた者は救われることも、与えられることもあります。……ない場合もあるので、その場合は諦めてください」

 

 重いから槍すら持たない俺では手伝えなさそうなので依頼の達成を諦めた。

 そして俺より力がある人たちに助けを求めることにした。

 

 

 

 

 

 ということで今いる区画にある教会に助けを求めれば、快く手伝って貰えることになった。

 彼らは月の動きを信仰している軌道派の人たちだ。

 特徴は祈らない事と、厳しい修練を自らに課している事だろうか。

 どうも祈らずに強く望むことでスキルを研くことを見出した宗派のようだ。

 俺が百人いても一人に敵わないくらい鍛え上げている肉体を誇っている。

 つまり筋力があって攻撃力もあるタイプだ。

 そして寡黙でもある。

 

「助かりました! これなら閉門前に予定数が出荷できそうです! ありがとうございます!」

 

「それは良かったです。俺は何も手伝えてませんので、依頼は破棄しておいてもらえれば……」

 

「とんでもない! 御礼を差し上げたいくらいです!」

 

 黙々と荷を積みこんでいる軌道派の人たちを眺めながら、支店長とともに梱包を手伝う。

 上手くいかなかった予定が一気に消化できそうな状況に喜んでいるようで、興奮気味に何度もお礼を言われる。

 大したことはできていないので、そう感謝されても気まずい。

 そんな俺を尻目に軌道派の人たちは運び出した積み荷の数を競い合っているようで、教会から持ってきた立て看板に貼り付けた紙でカウントしながら、ストイックに競争している。

 目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、片腕がない、片脚がない……。

 彼らは五体満足と言えないが、俺よりもずっと素早く精力的に動いていた。

 

「……軌道派の人たちにお礼として食べ物を贈ってあげてください。それと可能なら食器も。彼らは質素すぎてなかなか食器すら新しくしないのです。働きへの感謝なら受け取って使ってくれるでしょうから」

 

 手が空けばすぐに用意します! と高まったテンションのまま支店長が言った。

 そんなにテンション上がってて大丈夫だろうか。

 いま梱包しているのは火の秘薬、つまり火薬なんだけどな。

 

「あ、自己の利益のためだけに利用するのは危ないですからね。お月様が見ていますからね」

 

「……重々承知しております」

 

 神妙そうに支店長が頷いた。

 それほど深い意味はないけど、やっぱり一声かけとくのが大事なんだよな。

 そもそも軌道派は月の代わりに動けるのだが。

 神父様は月に代わってお仕置きよってタイプだ。

 そしてアンバーはお月様に見せる。

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりー」

 

「……あれ、起きてるのアンバーだけか」

 

 依頼を終えて教会に帰れば、本堂の入り口に近い席にアンバーが一人座っていた。

 もう誰も居ない。

 翌日の準備も手伝い、軌道派の人たちと一緒に食事まで頂いたら遅い時間になってしまっていた。

 支店長は商売人だけあって話し上手で、これから忙しい日々が続くだろうに長々と相手してもらった。

 冒険者上がりだとかで、冒険した日々の話はとても興味深かった。

 

「ファティエルがちょっと寂しそうだったよー」

 

「それは……申し訳ないことをした」

 

「あたし怒ってます。あたしと仕事どっちが大切なのっ」

 

 睨みつけようとしているのか、アンバーが眉間に力を入れて目を細めた。

 が、全然上手くいっていない。

 眠すぎて我慢しているようにしか見えなかった。

 

「それはね……。お土産貰ったから一緒に食べよう」

 

「やった。もうおなかすいたー」

 

「オルビートの名産品も貰ったから先に二人で食べちゃおうか」

 

 持たされた籠からお土産を取り出して見せていく。

 本店が外の街だけあってここらでは珍しい物も多い。

 やはり興味があるのか、アンバーはその銀色の瞳をきらきらさせながら眺めている。

 

「小さいけどきれい。これも貰ったの?」

 

 籠から出した陶器の花瓶を手に取って、月光に照らしながらアンバーが呟いた。

 お礼だなんだと色々押し付けられそうだったので、この小さな花瓶を有難く受け取って済ませた。

 依頼の予定時間を超過したり、軌道派に手伝って貰ったことも関係しているとは思う。

 

「綺麗な花を貰ったからね。綺麗な花瓶で飾ったらちょうどいいと思うんだ」

 

 

 

 

 

 



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13

 

 教会での仕事はいくつかあり、時間の管理や、カウンセラーに近しい働き、中立の立場を守って言い分を纏める等がある。

 中でも時間の管理は特権でもあった。

 教会では三つの月と、これまで蓄積された記録を利用して正確な暦と時刻を計測している。

 スマホは当然にしろ、壁掛け式の時計や腕時計といった便利な物は無い。

 市井の人々が正確な時刻を知るには教会以外では、領主が指定した特定の施設に伺う必要があった。

 約束事に厳しい商人たちは、近くの教会で時間を知ることを最も重要視する。

 そのため、特定の時間を報せるためだけに時間奴隷を雇うことも少なくなかった。

 

 生活によっては時間が曖昧なままでも問題ない人もいて、そういった場合はわざわざ教会に来ずとも太陽や月の位置を目安にしているし、必要なら独自の時計を使う。

 実は時計の種類は多く、市場を見ればその豊かな発想と用途で楽しませてくれる。

 蒸発分や流量、流速といった水の特性を利用した水時計や、砂の流れ落ちる速さを利用した砂時計、太陽や月の光による影時計、物体が燃え尽きる時間を利用した燃焼時計などがあるようだった。

 中には動植物の成長で暦を知るといった珍しい時計、と言っていいのかはわからないが、そういうユニークな物も売られている。

 

 俺もやろうと思えば時間の管理を任せて貰えるが、どうにも肌に合わなかったので必要な時以外はやらない。

 この世界の標準的な時刻は日本とは異なっているせいで、ちょっと気持ち悪く感じてしまう。

 地球での時間の間隔を忘れていないのが原因だろうか。

 どちらも理解できているが、率先して使いたいかと言えば別の話だ。

 俺が使う時間は単位は大雑把で、基本的には昨日と今日、そして明日、朝昼夕晩、月の種類や場所くらいだ。

 

 

 そういうわけで俺は写本をメインの仕事にしつつ勉強を教えている。

 教会内であれば管理されている時間通りに動くが、外に出ると結構ガバガバになる。

 用事で出かける場合、帰宅時間は「夕方くらい」とか「遅くなるから夜になる」とか「本月が浮かぶ時間くらい」程度には伝えている。

 昨夜はギルドの依頼で遅くなったので、伝えた時間と全く違ったのは反省する点かもしれない。

 淡い水色の瞳でじっと見つめてくるファティの視線が言いたいことはわかるが、仕方ないこともあるものだ。

 

「ほら、俺はあんまり時間を守らないからさ。管理も任されてないし。遅くなることも、えっと、あるかも……」

 

「朝のお散歩も、授業も、ご飯も、ツバキさんはいつも同じ時間に済ませてます」

 

「それはそうだけど……」

 

 全く時間を気にせず好き勝手に動くと思わぬ所で迷惑が掛かったりするので、朝の散歩や食事、ギルドに着く時間などは定刻を意識している。

 勉強を教える時間も、一時間一コマみたいなキリのいい時間で分けている。

 時々料理する時は、砂時計を使って細かい時間を気にすることもある。

 子供が真似をするからと見えている部分はガバガバにしないよう気を付けた所はある。

 

「神父様は心配なさってました。ギルドまで尋ねに行って、途中で軌道派の方が報せに来てくれたそうです」

 

「それは、申し訳ないことをした」

 

 当初の予定では必要分を出荷したら依頼を終えるつもりだった。

 しかし手際よく仕事ができるようになると、翌日の分もやれそうじゃないかってなってしまったわけで。

 男だけで夜にわいわいと騒ぎながら飲み食いしながらやるのって楽しいからさ……。

 自分の楽しさにかまけてたのは反省しないといけないし、軌道派の人が気を利かせてくれたのも申し訳ない。

 

「アンバーエイトも待ってました。珍しく起きて動いてました。扉の近くと棚の前を行ったり来たりもして」

 

「それは……見たかったな」

 

 どうしてなかなか珍しい光景だったに違いない。

 本音がつい漏れると、アンバーの百倍は迫力がある目で睨みつけられた。

 冒険者のローレットさんのほうが目つきは上だけど、纏う空気感というか、気まずさはこっちのほうが上だ。

 

「私も、えっと……寝るのが遅くなりました」

 

「早く寝ないとダメだよ」

 

 アンバーの千倍は迫力がある目で睨みつけられた。

 

「……アンバーエイトは勉強、みてくれません」

 

「うん、ごめんね」

 

「みんな心配してました」

 

「……うん」 

 

 薄い水色の髪をゆっくりと撫でれば、視線は徐々に戻っていく。

 確かに俺が夜遅くまで帰らないなんて事は滅多にない。

 教会にも大人はいるが、子供も多い。

 心配されるのも当然だった。

 

「ギルドのお仕事は、良い事が多いってわかってます。ツバキさんは良い事をしたというのは知ってます。きっとそれは素晴らしいです。でも、みんな心配してました」

 

「うん、次は気を付けるよ。あまり遅くならないようにする」

 

「はい。……あまり?」

 

 俺のうかつな言葉に、ファティの目に再び険が含まれる。

 依頼によっては外に出るかもしれないから、遅くならないとは言い切れない。

 ほら、護衛とか。

 依頼人より弱い自信はあるけど。

 ここは話をちょっと変えよう。

 

「ところでファティは心配してくれた?」

 

「……しました。……私が、えっと、私が一番心配したと思います」

 

 

 

 

 

 

「神父様、改めてすみませんでした」

 

 相談の列が途切れた機会を見計らって神父様と話す。

 朝にも話す機会はあったが、もっと軽い気持ちだった。

 束縛されるのなんて御免だぜ! と反発する年でもないし、むしろ異世界でもこうやって心配されると思うと嬉しい気持ちの側面が強い。

 

「私も昔は遅くまで教会に帰らないこともありましたから。心配していたファティエルやアンバーエイトとも話したでしょうから、遅くなるなら一言残すようにしてください」

 

「……気を付けます」

 

「ええ。……それに、アンバーエイトが遠見せずに我慢できたことがわかって良かったという点もあります。心が育っているのは確かです」

 

「……まだ我が儘を言いますけどね」

 

「それなら可愛いものです。可愛くなった、が正しいでしょうか」

 

 俺が教会で世話になって間もない頃のアンバーはもっと希薄だった気がする。

 人間的な意味でも、空気感的な意味でも。

 俺は言葉が話せなかったから、練習のために覚えた単語で話しかけていた。

 返事も時々だし、発される言葉はゆっくりしてて聞き取り易かったので都合が良かった。

 覚えた文章や知識の復習には、ぼんやりと座っていたファティに聞いて貰った。

 そのせいでファティの話し方はちょっと前の俺に似ているらしい。

 今も話してるからまた似てたりするのだろうか。

 それはホントに申し訳なさすぎる。

 お嬢様言葉とか使った方がいいのか?

 

「俺にとってみれば二人ともずっと可愛いですよ。……その、相談事がありまして」

 

「相談事? まさか魔物の討伐に行くとか」

 

「いや、言わないです。槍重いし……。写本の事なんですけど」

 

 遠くの街でドラゴンが出たらしく、流通に影響が出るかもしれないから写本を減らしたほうがいいか。

 そう聞こうかと考えたが、よく考えると依頼内容等を漏らしているのに等しい。

 そもそも俺が心配することではない。

 問題が起きた時には流れに沿って場当たり的に対処するのが教会だ。

 少し考え込んで、相談内容を変えることにした。

 これも前から聞こうと思っていたことだ。

 

「……写本に使っているインクの種類が知りたいです」

 

「ああ、あれは原料がブラックウーズですね。うちの教会内では紙と違って加工していませんから詳しい内容はわかりませんが」

 

 ブラックウーズが主な原料で、色々と混ぜ物をしているのだろう。

 画材や紙については相手が話してくれる範囲でだけ聞いたことがあり、魔物を使う品が多いとは知っていた。

 教会の仕事も給金を貰っていたが、高価な画材のために貯めていた。

 しかし、冒険者に直接話を聞いたりしてちょっと新たな考えが芽生えつつあった。

 冒険者は装備を自分で手入れするらしいので、同じように俺も画材を手作り出来ないかという考えだ。

 しかし冒険者は装備をまず買うことから始まる。

 手作りはちょっと難しいか。

 前提とか比較が間違ってるか。

 まあ、それはそれとして試してみる価値はありますぜ。

 

「なるほど……。やっぱり討伐行こうかなぁ」

 

「……止めといたほうがいいですよ。死にます」

 

「えっ」

 

「死にます」

 

「えっ。……ブラックウーズでも?」

 

「むしろブラックウーズのほうがツバキくんには危ない……」

 

 俺のイメージは黒いスライムなんだけど、神父様は真顔で危ないという。

 神父様ほどの人が言うのなら……。

 これは元の知識と書で得た知識しかない弊害かもしれない。

 一人で行ってはいけないよ、と言い含められた。

 一人で行かないなら誰で行くんだい?

 俺はソロの許可証しか持ってないよ?

 

 

 



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14

 

 冒険者は能力毎に等級が割り振られている。

 強さや経験、技能、信頼等を総合的に判断して決定されているらしい。

 純粋な強さや、何らかの技能だけを頼りに等級を上げるならば、ギルドが用意した試験に合格する必要がある。

 接地する脚(部位)の数が多い程に、魔物は強大な力を得るというのが定説となっている。

 脚が多く必要なほど、支える必要のあるその体躯が巨大になっていくからだろうか。

 勿論例外もあるが、冒険者思考としては脚の数が多いほど強いと考えればいい。

 

 強さの分類的には脚の無いウーズなどは初心者を示し、そこから二足歩行する人型、四足の獣、六足の昆虫、多脚の混合獣……と増えていく。

 脚が多ければ強いのだが、更に浮いたり飛んだりすると強さの指標も上がる。

 人間は基本的に飛べないので、制空権を奪われることは個人的な戦闘においても、また戦術的にも戦略的にも敗北を意味する。

 浮遊能力を持つ魔物、翼を持つドラゴン、空を駆ける吸血鬼、法則を無視する魔人など、地面から離れるだけで強さの指標は上がり続ける。

 ざっくりいってしまうと『脚が無い<脚がある<脚がいっぱいある<浮いてる<飛んでる』みたいな。

 でもウルフ種は四足だが一部は賢いので、飛んでるけど馬鹿な鳥系より上位に位置されるので、単なる大雑把な分類となっているようだ。

 

 折角なので更に深堀すると、色によって魔物の等級が分かれる場合もあり、脚の数が当てにならないそうだ。

 といっても冒険者が気にするのは一般的な個体の通常色、上位種の白色、特異個体の黒の三種類くらい。

 色自体は注意深く見れば個体能力の違いがわかるらしいが、ほとんど誤差に収まるので上記した白黒だけが注目される。

 一応属性とかも関わるので色も参考にはするとか。

 白の個体は内包されている魔力がどうとかで上位ほど発光して銀色に近づき、特異個体は異常な活動をしているほど黒が深まるらしい。

 長々と話したけど、ウーズ相手で神父様に死ぬって言われてしまった俺にはあまり関係なさそうだ。

 

 俺が持っているブラックウーズの証がどれほどの等級かと言えば、冒険者に成り立ての初心者を示している。

 ブラック、つまり黒だから異常個体、と決めつけるのは早計となる。

 ウーズは物凄い雑食なので、色々取り込んで勝手に黒っぽくなるだけで、ギルド内でこれより簡単な依頼対象となると薬草になる。

 薬草は植物だから確かに強くはないのは確かだが、討伐対象と採取対象だから同じリングに上げられないというか。

 争いは同じレベルじゃないと起きないわけで、ウーズと薬草を同じリングに乗せたらウーズが一方的に貪って終わる。

 そして俺も薬草は瞬殺できる。

 争いは、同じレベルでなら起きる……!

 

 

 

 

 

「そろそろ討伐に行きたいと思っています。ブラックウーズの」

 

「……はい?」

 

 いつもの受付の女性に挨拶もそこそこに宣言すれば、目を丸くされてしまった。

 依頼を、と立ち上がりかけたところに声を掛けたから当然かもしれない。

 予定していた行動を止められると困るからな。

 ゆっくりと椅子に座り直してくれたので、話を聞いてくれるらしい。

 

「ほら、俺もギルド証を持っているじゃないですか。ブラックウーズの」

 

「はあ」

 

「等級的にはソロで討伐可能と見做されて発行されてるわけですよね」

 

「はい。あー、あ、そういうことですか。……そうきましたか」

 

 困ったように微笑まれた。

 いや、俺は別に困らせたいわけじゃないんだけども。

 

「……武器は何をお持ちで?」

 

「槍ですね」

 

 長いやつ、と両手を広げて表現する。

 柔軟性に富んだ木製でよくしなり(・・・)、先端に金属の刃が付いている。

 神父様曰く、しなりを上手く使うと敵を翻弄できるとのこと。

 ブラックウーズを翻弄するのだろうか。

 確かに有効かもしれない。

 俺のイメージは国民的なロールプレイングゲームの目が大きくて丸いスライムなので翻弄できそうだ。

 

「……武術の経験とかは」

 

「無いですね」

 

 包丁ならまあまあ使えるし、ナイフも結構使えるようになった。

 皮むきの腕は中々だと自負している。

 お菓子で誘ってもあまり寄り付かない子供たちも、果実の皮むきには喜んで近寄って来る。

 するする、と長く剥けて中身が出てくるのが面白いらしい。

 そうなるとナイフのほうがいいのか。

 ナイフって刃先を舐めて「ひーひっひひ、今宵のナイフは血に飢えている」って言うイメージしか無いからなあ。

 教会にも木製や鉱石のナイフがあって結構お洒落なんだよな。

 

「……言いにくいのですが、やめた方がいいかと」

 

「じゃあやめます」

 

「えっ!?」

 

「討伐はやめます。槍を持ってきてないのでちょうど良かったのかもしれません」

 

 神父様に死ぬって言われて、専門職の受付からも止められてまでやるのはちょっとヤバいやつだよ。

 これで敵を必殺できるスキルとか持ってたら無理を押し通して行くかもしれない。

 いや、俺だったら行かないな。

 必殺できるスキルを持ってる事実が怖いから見て見ぬふりをするために街で暮らす。

 相手より強くて安心して勝てるくらいがいい。

 戦うのは別に好きじゃないというか、戦ったことがないからわからない。

 好きになれるかもしれないが、戦う予定だったけど止められてしまったよ。

 

「急に冷静にならないでくださいよ。……びっくりしましたよ、もう」

 

「俺はずっと冷静でしたよ」

 

「……私で遊んで楽しいですか」

 

「俺はミアーラさんと話すだけで楽しいですよ」

 

 受付のミアーラさんに半目で睨みつけられて困ったので、とりあえずニコニコしておく。

 前髪を上げて額が見える髪型になってるから俺の表情もわかるだろうし、朝方のような目元が隠れている不審者丸出しよりはまともなイメージを持ってくれるはず。

 金髪碧眼の女性だからそりゃもう会話できるだけでなんかお得だよね。

 睨みつけられるのはお得じゃないけど。

 胸も豊かで背も高く、手足は長い。

 俺が冒険者だったら意味もなく通っちゃうな。

 俺は冒険者だったから意味もなく通っちゃうねこれは。

 

「それで、唐突に討伐したいと言い出したのは何故でしょうか」

 

「え、冒険者って唐突に討伐しないんですか?」

 

 疑問がつい漏れたが、また半目で見つめられるので大人しく話すことにする。

 

「インクの原料にブラックウーズが使われてると聞いたのと、お金が欲しくてですね」

 

 半目が解除されない。

 何故だ。

 

「つまり興味本位です」

 

 真剣に心を込めて言う。

 はあ、とため息をつかれた。

 嘘でしょ……。

 今の何処にため息をつかれる要素があったのさ。

 

「ブラックウーズを討伐する勝算などはありますか」

 

「離れた位置から槍で刺そうかと」

 

「まあ、はい。出来るならそれが良いかと」

 

「体当たりはなるべく避けますが、難しいなら気合で耐えます」

 

 槍でちくちくと刺してても倒し切れるとは限らない。

 攻撃も避ける努力はするし、ダメなら覚悟する。

 覚悟していれば一発くらいなら耐えられるはず。

 しかし、体当たりされてからだと俺は反撃に出られるだろうか。

 某ロールプレイングゲームの勇者も序盤は十発も当たったら死ぬんだよな。

 俺はもっとしょぼいとして、人間が十発で死ぬような体当たりを一発でも耐えることができるのだろうか。

 ……難しいかもしれない。

 

「ウーズ種は体当たりしませんよ?」

 

「えっ」

 

「粘性なのでそれほど機敏に動けませんからね。樹上や地面の穴で獲物を待ち構えてます。覆いかぶさるか、絡みつくか」

 

 洋物のロールプレイングゲーム式スライムかあ……。

 ウーズだもんね。

 盲点だった。

 液体っぽいニュアンスが含まれてたからウーズと俺の中で訳してたけど、本当にウーズだったわ。

 

「勝算が白紙に戻りました。俺はたぶん死にます」

 

 覆いかぶさって来たウーズを、槍しか持っていない俺が対処できるとは思えない。

 あらかじめ話を聞いておいて良かった。

 神父様の言う通り確かに死ぬ。

 俺の言葉に、困ったように笑いながらミアーラさんが提案してくれた。

 

「……それじゃあこうしましょう。今日はギルドの書類仕事を手伝って貰います。また後日、ブラックウーズの生態調査依頼を出しますので、他の冒険者と同行をお願いします」

 

 依頼料は安いですけど、とウインクされた。

 可愛い。

 

 

 

 

 

「じょ、助祭ひゃま!? どうしてここに!? まさか自力でブラックウーズの調査を!?」

 

 ブラックウーズの生態調査のためにギルドに向かうと、燃えるような赤い髪の冒険者が驚いた様子で俺を歓迎してくれた。

 歓迎してくれてるのか……?

 

 

 



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15

 

 数日ほどギルドで書類仕事を手伝っていると、ミアーラさんに生態調査の日取りが決まったことを伝えられた。

 同行して手伝ってくれる冒険者の人を選定してくれたらしい。

 有難い話だ。

 

 俺も出来ることはやろうと槍を振ったりしてみたが、まあ、うん。

 槍を持ち運ぶ時は真ん中ら辺を持って、穂先を真上に向けておけばとりあえず何とかなってたんだけども。

 実際に使うとなると、手元は穂先とは反対の方を持って水平に構えるわけで。

 足を開いて中腰で槍を構え、全身で突き刺す、みたいな。

 槍を突き刺す動きとか、三回くらい振れば腕や手が限界を迎える。

 使うまであんまり知らなかったけど槍って本当に重い。

 地面に向かって槍を垂直に突き刺す動きは中々様になってると神父様にも褒めてもらえた。

 別に運動ができないわけじゃないと思うんだけど、武器を使って戦うことを想定した事が無いので本当に棒を振り回すだけって感じだった。

 そんなわけで槍術に関しては、槍を放り投げて走って逃げるなら死なないと神父様にお墨付きをもらった。

 槍は重いし大きいから走るのに邪魔なんだよね。

 

 槍で突くだけだと流石に芸が無いので、しなり(・・・)を利用した技を編み出した。

 この技を使い、異世界で俺は何を思い何を成すのか……。

 世界とかどうでもいいからまず調査を成しとこう。

 

 軽い武器なら剣とかもあるけど、軽いと俺が調子に乗って攻撃しに行ったりして危ないからってことで槍を渡された。

 若い冒険者はちょっと上手くいくと蛮勇を発揮しやすいと言われて、確かに上手くいってたら止まるのは難しいとは思う。

 剣の長さ程度だと振ってる間に接近されて、俺の筋力と技量だとどうにもならないらしい。

 ウーズは伸びるしもちょもちょしてるから上手くやらないといけないのだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じょ、助祭ひゃま!? どうしてここに!? まさか自力でブラックウーズの調査を!?」

 

 調査の当日、いつもよりずっと早い朝と呼べる時間にギルドに着くと、燃えるような赤い髪の冒険者が驚いた様子で俺を歓迎してくれた。

 歓迎してくれてるのか……?

 

「おはようございます、ツバキさん。こちらが今回ご同行いただける冒険者の方です。ちょっと変わっている点もありますが人柄と能力は信頼できますので、少しでも迷ったら判断を委ねて……」

 

「私が助祭様と二人きりでお散歩を!? ギルドからの私への昇格祝いですか!? 助祭様はギルド職員なのですか!?」

 

 ミアーラさんの言葉を遮るように、冒険者が叫ぶ。

 ああ、言葉を遮ってはいけない……。

 

「……こちらが今回ご同行する冒険者です。信頼できるパーティの一員でした」

 

「あ、あの助祭様! き、今日はいい天気ですね! 昨日もいい天気でした!」

 

 ミアーラさんが笑顔を浮かべているが目は笑っていない。

 その視線の先に居る赤い髪の冒険者は、気にせずに天気の話を始めた。

 冒険者って変わった人がいるよね。

 ため息をついたミアーラさんに勧められて受付カウンターの席に座る。

 冒険者の人も隣に座るのかと思いきや「は、背後を守ります。背中、だいじ、貴重、とても」と言って、俺の背を守るためなのか後ろに立っている。

 俺は背中を狙われていた……?

 

「いいですか、ツバキさん。冒険者には自己の決定において余程の事が無い限り、結果に至るまでのすべてに責任が発生します」

 

「は、はい」

 

 ミアーラさんが俺の後ろに視線を飛ばしながら言う。

 口笛が聞こえた。

 今時そんな対応でやり過ごそうとする人いる……?

 

「生態調査は街の外に行く必要が有ります。知らない人に付いていってはいけません」

 

「あ、はい」

 

 今度は俺が見られる番だった。

 凄い見てくる。

 ニコっと笑いかけたら惚れてくれないかな。

 ないな。

 火に油を注いでもしょうがないしな。

 

「今日の目的地は職人の方々も行き来できるような場所ですが、危険が無いとは言えません。同行してくれる冒険者の意見をよく聞いてください。……たぶん、ちゃんと判断できると思うので」

 

「は、はい」

 

「他にも……」

 

 手続きも早々にミアーラさんから注意を聞くことになった。

 まず自己責任を意識することは何度も言われるほどに大事なのだろう。

 確かにドラゴンに喧嘩を売って死にかけながらギルドに助けて~助けて~と救助を求めても誰もカカッと助けに来てくれるはずもないからね。

 次に知らない人に付いて行ってはダメ、と。

 それはまあ、そうだけど。

 後は街の外なので危ないよ、魔物の縄張りがあるよ、職人の作業域もあるよ、って感じだった。

 他にも細かく教えてくれるので有難く聞く。

 外で人を集めて話してはいけないと注意もされたが、流石にそんなことはしないです。

 

「話はこれくらいにしましょう。今回行動を共にする彼女にも名前を教えてもらって軽い挨拶を……」

 

「名乗るほどの者ではありません」

 

「……軽めの自己紹介を」

 

「まだ神父様が知るべき時ではありません。それに、私が名乗るにはまだ早すぎます。私の名前を知ってもらうのは一流の冒険者となれた時、そうあの時誓ったのです……!」

 

「彼女の名前はルーシリア、拳闘士(グラップラー)です。この街を本拠地として活動しており、依頼達成率も十分に優秀な値となっています。パーティ単位なら危険なくサラマンダー種を討伐できる四足級、ミドルクラスの冒険者です。戦闘能力に優れているのでブラックウーズの調査程度なら何の問題もないでしょう」

 

 ミアーラさんが口早に冒険者の紹介をしてくれた。

 恐る恐る振り向くと、そこにはものすごく悲しそうな顔をした冒険者の姿が!

 思ったより理由がしょぼかった。

 ……あ、そうじゃなくてなんか不思議なことが起こったせいで名前とか全然聞こえなかったよ、うん。

 

 

 

 

 

「ギルドでミアーラさんにしてもらった紹介なんですが」

 

「……ひゃい」

 

 落ち込んでしょんぼりした冒険者の人に話しかける。

 背は俺よりも頭一つ分ほど小さいが、その胸はとても豊かだった。

 素晴らしい。

 軽装だが抑えつけられて固定されているらしく、揺れることは無いのが残念だった。

 むしろ抑えつけられても豊かだからそのポテンシャルは無限大だ。

 豊かな胸、私の好きな言葉です。

 

「実は早口で聞き取れなくてですね」

 

「はいっ!」

 

 俺の言葉に一秒で復活した。

 しょんぼり冒険者さんだった面影すらない。

 一昔前だったらホントにわからなかったが、今は余裕でわかるのが申し訳ない。

 

「わからないことがあれば教えて貰いたいのですが」

 

「ひゃい! お任せください! 拳! 私は拳が得意です!」

 

「あ、はい」

 

「殴るの大好きです! 嗜む程度に撲殺してます!」

 

 花が咲いたかのような笑顔で冒険者さんが言うけど、撲殺を嗜むってなに……。

 肩の長さほどに整えられた赤い髪が意味深に見えてきそうだ。

 

「これからブラックウーズの調査に向かうんですけど、注意することってありますか」

 

「無いです! 私がすべて倒します! 槍よりも早く私の拳が敵を討つ!」

 

「えぇ……」

 

 生態調査するからあんまり討たれると困るというか。

 俺の視線に気づいたのか、冒険者さんがハッとしたようだった。

 正気に戻ってくれたかな。

 

「私が槍を使えば槍の分も注目してもらえる……? えへへ」

 

 正気は無いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 無事に何事もなく門を越えて街の外に出る。

 門によっては馬車が行列を作っているために混雑しているので何処から出るのかが大事だったりする。

 墓地側の門は馬車が少ないので意外と出入りしやすい。

 

 衛兵の中に知り合いがいたので、手話で挨拶してちょっと世間話もした。

 門の守備や街中の警らなどには独特なスキルに目覚めている人が多く登用されている。

 スキルは持っている強みを活かすこともあれば、不便さや弱さを補うために目覚めることもある。

 俺がスキルによって言葉を克服したように。

 

 門にいた知り合いは言葉を発せない代わりに目覚めたスキルや本人の能力は街の発展に役立つと判断されたのだろう。

 月は人間が五体満足で生まれるように見守っているとされている。

 いにしえの月は何かが満ち欠けしていたとされ、何かが欠けて生まれた子供は月の代わりとなったと特別視される。

 チヤホヤされるってわけじゃなくて「お月様が他よりも特に見ていてくれたのねー」くらいのノリだが。

 『お月様の特別』な子供として教会に預けられることが多い。

 普通に育てられて問題を起こしたら普通に処罰されるので、俺には特別なのかそうじゃないのかよくわからないが。

 神父様が言うには、スキルは心の発露らしい。

 筋トレしたら筋肉が付くし、勉強したら知識が付く、心が求めればスキルとなる。

 だから我々は祈るように勧めているとも。

 

「助祭様、さっき門のところで衛兵とわちゃわちゃしてたのってなんですか」

 

「あれは手話ですね。言葉の代わりに手を使う会話です」

 

 俺の動きが気になったらしい冒険者さんに尋ねられた。

 確かに珍しいかもしれない。

 スキルで補っている人が多いので教会内でもあまり使わないし、市井で見かけるかって言えばそうでもないかなあ。

 

「気になるなら教えましょうか。ちょっとしたやり取りだけでも。言葉が出せない時に仲間と使えたら便利かもしれませんよ」

 

 ハンドサインみたいに使えば便利そう。

 どんな時に使うかはわからないけど。

 

「いいんですか!? 名前を知らない私みたいな冒険者に教えても!?」

 

「いいですよ」

 

 さっき名前知っちゃった……。

 

「知らない人に優しくされても付いてっちゃダメって言われてましたよ!?」

 

「冒険者さんは知ってる人なんですけど」

 

 この冒険者さん、そもそも俺が言葉をちゃんと話せない時分から花を持ってきてくれている人だった。

 「月光の導きを」しか言葉を知らなかったのでとりあえずニコニコしながら連呼する不審者時代。

 言葉を覚えてきたので名前を訊ねたら「まだ話す時じゃありません……」とか言って去るから、なんか意味深なイベントがある人だと思ってた。

 

「えへへ、それじゃあ早速勉強おしえてください。ちょっと遠くなんですけど綺麗な花畑がですね……」

 

「あの、ブラックウーズの生態調査に来たわけで」

 

「あ、はい。忘れてました。調査に行きましょう!」

 

 忘れてたらしい。

 本当に大丈夫かな……。

 

 

 

 

 

 



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16

 

 この世界には魔力と呼ばれる力が存在している。

 これはスキルを使う力でもあるし、魔物が生きていくための力でもある。

 植物の生育にも影響を及ぼし、教会の裏庭や街中に生えている植物と比べて、街の外のほうが成長は早いらしい。

 また、様々な種類のポーションの原料となる薬草等にも含まれている。

 魔力は雨風と同じく世界の一部として流れ、環境を構成する大きな役割を持っている。

 時期によっては俺が住んでいる地域一帯で白夜や極夜といった気象現象が起きる。

 

 自然界には魔力の流れがあり、世界中を満たしているが場所によって濃度は大きく異なるという。

 魔力が濃ければそこにいる魔物が強いかと言えばそうでもないらしく、薄くて広い場所を縄張りとして好む種族もいる。

 空気より重いのか、風で飛ぶほど軽いのか、魔力について研究している人がいるだろうけど、知り合いにはいないので俺の知識はこの程度だ。

 活動の一部として流れの中に身を置いている冒険者たちは、感覚として濃淡をより強く感じ取ることができるようになっていくと赤髪の冒険者さんが教えてくれた。

 隣を歩いて話したい俺 VS 背後を守ろうとして回り込む赤髪の冒険者さん VS ダークライになったが俺が勝った。

 (会話できないから)俺の背後に立つんじゃない。

 というか背後に居たんじゃ手話も教えにくいって。

 

「これより森に入ります。目的地はウーズ溜まりです」

 

 別の街に繋がる街道を幾らか歩いた頃、冒険者さんがそう宣言した。

 街から離れると徐々に自然が増えていたし、少し離れた位置では木々が乱立していた。

 あの中を進むと絵に描いたような森になるらしい。

 いや、誰も森を絵にしない世界だけど。

 

「ここら辺にはブラックウーズかホーンラビットしか現れないと思いますが、何が現れても私の判断に従ってもらいます」

 

 冒険者さんの目が細まり、顔つきも変わる。

 感じられる空気も……変わったのか?

 アンバーが一時期物凄かったからちょっとわからない。

 それはそれとして、プロの冒険者っぽくてカッコイイ。

 はえー、かっこええなぁと田舎者丸出しでまじまじと顔を見つめる。

 

「えへへ。……あっ、ダメです、助祭ひゃま。魔物がいる森に入るので、ちゃんと集中しましょう。……とても、とても残念ですが、手話を教えて貰うのもここまでです」

 

 言葉は立派だが、すぐにだらしない顔に戻ってしまった。

 確かに森は魔物がいるし、危険性は街中より高いかもしれない。

 手話も教える余裕はなさそうだ。

 正しいので従おうとは思う。

 思うけど、本当に大丈夫?

 手握る?

 

 

 

 

 

 ホーンラビットは頭頂ら辺に一本の角が生えた兎の姿をしていて、二足級の魔物らしい。

 前脚はあるので四足かと思ったが、本気で活動するときは発達した後ろ脚の筋力を頼りに跳ね回るらしい。

 あとは四足の動物ほど強くないってことで二足扱いとなったとか。

 

「ホーンラビットの角はそんなに長くないんですけどね。大きさも、アメリアでも抱えられる程度なんで。あ、アメリアっていうのは私の仲間で魔法が使えるんですよ。アメリアでも、まあ、頑張れば抱えられる大きさの魔物が体当たりしてくると、油断したら足とか切られて危ないので注意してくださいね。群れたりしますし、角で狩りもしてるんで好戦的で危ないですし」

 

「アメリアさんと冒険者さんは仲がよろしいのですね」

 

「良くないですよ! 全然! この前も私が頼んだ料理を勝手に食べたのに食べてないって言い張って!」

 

 前を歩く冒険者さんの話を聞きながら森の中を歩く。

 パーティの仲間と楽しそうに生活している話を聞くと羨ましい。

 冒険の旅に出て信頼できる仲間と魔物を倒したり、遺跡を調査したりするとか憧れを感じてしまう。

 ファンタジーらしさっていいよね……。

 ちなみにこういう時、優秀な冒険者は魔力の濃度を感じ取りながら歩くらしいし、前途有望な新人だったら森で警戒すべき先とかを自然に意識できるらしい。

 俺は何にも感じないので困ったものだ。

 今は冒険者さんもいるからか、鈍いからか不安とか緊張も特にない。

 一人にされたら感じるかもしれないけど、たぶんそれは森の中で迷った時に感じる恐怖だと思う。

 

「アメリアさんとはどこで出会ったんですか?」

 

「ギルドから勧められて組みました。ソロが解除されてすぐでしたね。ローレットともその時組んで、あの子はちょっと独特なので……」

 

「あ、ローレットさんも一緒のパーティだったんですね」

 

「そう、ローレットです! この前助祭様のお手伝いさせてもらったとかどうとか。……迷惑かけませんでした? あの子、目つきも悪いし口も悪いし頭も悪いので心配だったんです」

 

 冒険者さんがローレットさんを心配している姿にニコニコしてしまう。

 親切な人と知り合いになり、偶然その友達とも知り合いで更に二人とも仲がいい話が聞けたりするとなんかいいよね。

 心が満たされる。

 知り合いみんなにはなんかいい感じに幸せになって欲しい。

 

「ローレットさんはとても優しい人でしたよ。目力が強いのはちょっと集中しすぎなだけでしょうし、言葉も知ってる物事を簡潔に伝えようとしているからですね。勉強だって慣れたらすぐに出来るようになったので、これまでの環境が勉強向けじゃなかっただけみたいなので心配ありませんよ。その際、ローレットさんに綺麗なお花を……冒険者さん?」

 

 ローレットさんが墓地での日課を手伝ってくれた日に、お礼として朝食に誘った時の話だった。

 朝食のお礼と言って掃除も手伝ってくれた。

 その時、めちゃくちゃ机を睨みつけて掃除していて何事かと思ったら、俺がインクでちょっと汚した場所だった。

 話していてわかったが、言いたいことは正しく伝えてくる人だった。

 もうちょっと飾り気のある言葉を覚えてもいいかもしれないが、性格もあるからな。

 理解してくれる優しい人と一緒にいるだけでも良いって気性かもしれない。

 勉強も最初は苦戦していたが、考え方を理解したらすぐに吸収したのでこれまでの環境が勉強に向いてなかったのだろう。

 総じて良い人だった。

 なので改めてお礼を、と言いかけて冒険者さんが硬直しているのに気づいた。

 

「ほわぁ、解釈一致です……」

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「あ、大丈夫です! ローレットも大丈夫だと言っています!」

 

「いや、ローレットさんはこの場にいないので大丈夫とは言えないと思います。……それで、話を戻しますがローレットさんに綺麗なお花も頂いたのでツバキが御礼を言っていたと伝えてもらえると嬉しいです」

 

「もちろんです! 拳に誓って私が伝えてみせます! この命に代えましても! だから助祭様は安心して待っていてください!」

 

「命と交換なら伝えなくて大丈夫です」

 

 何故かシャドーボクシングのような動きをし始めながら答える冒険者さん。

 拳先がほとんど見えず、風切り音だけ聞こえる。

 す、すごい。

 

「『月との約束』をしてでも伝えます!」

 

「それはペナルティが重すぎるのでやらなくていいです。……あ、伝言にまた食事に来てほしいとも付け加えて貰っていいですか。お花を貰ったお礼をしたいので」

 

「いえ、お礼は必要ないです。ローレットも必要ないと言っています」

 

 うわ、びっくりした。

 急に冒険者さんのテンションが下がって真顔になった。

 この場にローレットさんはいないので、必要の有無はわからないと思うのだけど……。

 

 

 

 

 

 ここが目的地です、と冒険者さんに言われて辿り着いたのはちょっとした広さの沼だった。

 表面の水は澄んでいるが、底は汚れが沈んでいるのか黒くなっている。

 じめじめとしているが周りの岩に苔等は生えていない。

 

「ウーズ種がいるのは水気のある場所や洞窟が多いですね。樹上から落ちて絡みついたり、穴の中で獲物が落ちるのをずっと待ってたりします」

 

 こういう樹の上にもいます、と冒険者さんが拳で幹を叩く。

 どろりと黒い液体が降ってくる。

 粘度が高いのか、数メートルはある樹の枝から降ってきたのに、その体(?)から伸びた体液は枝上まで糸を引いていた。

 どろどろがゆっくりと集まると、やや立体的で大きくて黒い水たまりのような姿になった。

 イメージにあったスライムのようなプルプル感は一切ない。

 その水たまりがゆっくりと沼に向かって動き始めた。

 興味本位で槍を使って端を突いてみると、僅かな抵抗の後にその粘液内にちょっとずつ緩やかに引き込まれていく。

 

「力もそんなに強くないのですが、大量のウーズに包まれると息が出来なくなって危ないですよ。森で仕事をする人たちが稀に降ってきたウーズに口や鼻を塞がれて危うく死にかける、みたいな話も聞いたことがあります」

 

 ふんふん、と話を聞きながら槍を動かして観察する。

 ブラックウーズそのものは沼を目指して動いているが、纏わり付いている部位を槍から離そうとするとちょっと強く絡みついてくる。

 ただ、一定の距離まで離すと諦めたように槍が解放される。

 

「……はあ、凄いなあ。不思議ですね、これ。あ! ほら、冒険者さんも見てください! 水が付いてます! あっちにも!」

 

 ブラックウーズが纏わりついていた槍の穂先を一緒に見る。

 水気が残っているし、ブラックウーズが沼地に向かって移動している後にも水が残っている。

 ブラックウーズは水を多く含んで構成されているらしいが、完全に同一ではなく水とそれ以外に分かれているのがわかる。

 外側だけなのかはわからないが、それでも面白い。

 

「ブラックウーズだけなのかウーズ種全体がそうなのかまだわかりませんが、水を運ぶ役目を持っているのかもしれませんね! ……すみません、ちょっと楽しくて一人で喜んでました」

 

 興奮のあまり早口で捲し立てると、冒険者さんがニコニコしながら俺を見ていることに気付いた。

 完全に早口で喋るオタクだった。

 恥ずかしくて顔が赤くなる。

 

「助祭様に楽しんでもらえてとても嬉しいです。……見てください、ブラックウーズはこの核を中心に動いています。他のウーズ種ならもうちょっと見やすいのですが」

 

「……いえ、十分です。凄いなあ。不思議だなあ」

 

 冒険者さんがブラックウーズに近づき、しゃがみながら指差す。

 俺も隣にしゃがんで眺めてみる。

 ブラックウーズの先頭、沼への移動方向側にほんのりと輝く部位があった。

 これが核らしい。

 魔力を生成、蓄積する器官であり、人間や魔物が持っている臓器みたいな物と聞いた。

 種族によって場所は異なるが心臓の付近か脳の近くにあるのが普通らしい。

 

「沼の中にはもっとたくさんもいますよ。……道具があれば引き上げられたのになぁ」

 

 その呟きにピンとくる。

 槍の出番だ。

 

「冒険者さん、安心してください。こんなこともあろうかと準備してきましたよ」

 

 本音を言えば全く想定していなかったが、それはそれ。

 槍に丈夫な紐を括り付ける。

 十分なしなり(・・・)を持つ槍は釣り竿になると思ったんだよな。

 まさかこれがブラックウーズへの必殺技になるとは思わなかった。

 完璧な伏線回収かな?

 餌は虫とかがいいのかな、と思っていたら冒険者さんは大きめの石を括り付けてくれた。

 

「沼の中にいるブラックウーズは動く物に反応しますから石で十分です」

 

 らしいです。

 えいや、と冒険者さんが石を投げ込んだ。

 ……槍のしなり(・・・)とか関係なかったね。

 ……。

 …………。

 おっ、ひいてる。 ひいてる。

 

「よし、釣りあげますね。……あっ」

 

 槍を引いて数十秒、ツバキわかっちゃったかも。

 筋力が全く足りてないわ。

 

「申し訳ないんですけど、引き上げて貰っていいですか」

 

「えへへ、もちろんです!」

 

 ニコニコと俺を見守っていた冒険者さんに頼めば、さらに笑顔を浮かべながら変わってくれた。

 だらしない男で申し訳ない。

 俺の苦戦など無かったように、代わればすぐブラックウーズが吊り上げられてしまった。

 すごい。

 

「これがヒュージクラスタです。ブラックウーズが集まると形成されやすいです」

 

「うわ、これは本当に凄いですね!」

 

 一塊となったブラックウーズが陸に上げられると、俺は思わず拍手していた。

 先ほどまでの大きな水たまりと比べて、数倍はあるだろうか。

 水たまりというよりも、ボールに近い形をしていた。

 核も複数あるようだった。

 

「不思議だなあ。……あ、ここ! ここの核はいくつか混ざってるみたいに見えますよ!」

 

 冒険者さんも興味があるのか、付き合って話をじっくり聞いてくれるのでつい楽しくなってしまった。

 別の場所だと体にウーズ種を纏わせて清潔さを保ったり、狩りの罠に利用する魔物もいるとお話してくれた。

 冒険者って楽しそうでいいよね。

 俺も楽しかった。

 

 

 

 

 

「凄かったんですよ! ホーンラビットがブラックウーズの居る場所まで獲物を追い詰めてですね! それで動きが鈍くなったところを一突きにしている場面も見れました! 冒険者って楽しいんですね!」

 

 俺に気を遣ってくれたのか、行きと同じようにゆっくりと歩いてギルドまで帰ってきた。

 その報告をミアーラさんにするのだが、ちょっと興奮してさっき見たシーンも話してしまった。

 この後調査票に記載するけど、冷静に書けるかちょっと自信ないな。

 情報はいっぱい書けそうだけども。

 それにしても今日ゆっくり寝れるかわからないくらい楽しんじゃったなあ。

 

「ふふ、良かったですね。ブラックウーズもいっぱい狩れましたか? インクの原料として興味あると聞いてましたが」

 

「あ……。忘れてました」

 

 そういえば一匹も倒してなかった。

 動いているブラックウーズに興奮している場合じゃなかったわ。

 

「ま、まあ、生態調査は上手くいったようなのでまた今度頑張りましょうね」

 

「はい……」

 

 俺はちょっとしょんぼりしながら答える。

 目的と手段と建前がごちゃごちゃになってしまっていた。

 折角ミアーラさんが気を遣って生態調査の依頼を出してくれたのに、これはちょっと良くなかったな。

 

 話を聞くと、生態調査はギルド職員が主に行う仕事らしい。

 その際、冒険者は護衛として魔物から守る。

 ブラックウーズの生態調査は新人のギルド職員が研修として受ける仕事で、討伐することは襲われた時以外しないらしい。

 俺がちゃんと最初に伝えておけばなあ。

 浮かれてたかもしれないので、次は気を付けないとなあ。

 

 

 

 

 

「助祭様! 私が走って取ってきますから待っててください!」

 

「いや、行かなくていいですから」

 

「ひゃい!」

 

 ホントに走っていきそうだったので、手を掴んで止める。

 行くなら俺もいきたいけど、体力が怪しいので今日はおしまいです。

 

「今日は調査票を書くので、一緒に見ててもらえますか。初めてなので」

 

「ひゃい!」

 

「確か文字で怪しい所があるって言ってましたよね。勉強もしましょうか」

 

「ひゃい!」

 

「大丈夫ですか? 疲れてるなら休んでもらっても……」

 

「大丈夫です! ローレットも大丈夫だと言っています!」

 

「言ってません」

 

 言ってないそうだ。

 挙動不審な冒険者さんの後ろから、ローレットさんが現れた。

 チベットスナギツネみたいな目で冒険者さんを見ている。

 

「冒険者さん、今日は楽しかったです。その、都合がよかったらまた行きませんか?」

 

「行きます! この命に代えても!」

 

「命は優先してください。でもまた行ける日が楽しみですね」

 

 にこにこしながら伝える。

 ブラックウーズの観察が楽しすぎて本当に今日は眠れるかわからない。

 冒険者さんも楽しかったようで、前のめりに答えてくれた。

 次も楽しい冒険に期待できそうで良かった。

 

 

 

 



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17

 

「腕が痛いです」

 

「でしょうねえ」

 

「とっても足が痛いんです」

 

「そうでしょうねえ」

 

「これが冒険者としての痛み……」

 

「確かに冒険者の仕事は歩くことも含まれますが」

 

 頑張って立ち上がるも、ぷるぷると震える手足に痛みが走る。

 神父様に向けて情けない泣き言を言いながら、ゆっくりと生まれたての小鹿の如く歩く。

 昨日見たブラックウーズに少しばかり似ているかもしれないなどと間の抜けたことを考えながら、若干呆れた顔をした神父様の背を追って教会を後にする。

 

「神父様、もうちょっとゆっくり歩いてください。とっても手足が痛いんです……」

 

「だから今日は寝てなさいと言ったでしょうに」

 

「昨日好きなだけ楽しんでおいて、今日仕事しないまま過ごすのはちょっと心が痛みます……」

 

 痛みによって小さなうめき声が自分の口から漏れ出すが、それを必死に噛み砕きながら歩く。

 自動車か原付か、せめて自転車。

 今最も恋しい道具に思いを馳せた。

 台車、台車でもいいから。

 しかし、台車で聖水を運ぶ聖職者はあまり様にならないだろうから、結局持ち運ぶことになりそうだ。

 先を行く初老ほどの神父様は、俺よりも高いその背筋をしっかりと伸ばして迷いのない足取りで前を進んでいく。

 水瓶という荷物を抱えているはずなのに、その表情からは疲れも重さも感じさせなかった。

 

「それで、どうでしたか? ツバキくんは近場の森へ生態調査に行ったのですよね」

 

「凄く楽しかったです! 是非ともまた行きたいくらい!」

 

「それは良かった。次に行ったらまた魔力痛ですが」

 

「もうちょっと体を鍛えようと思います……」

 

 歩く動作だけで体の節々が痛みを発するので、段々気にならない動きを探していった結果、すり足にも似た歩き方となった。

 なるべく頭の先から体全体を揺らさないようにするが、そうすると今度は太ももやふくらはぎなどが痛みを主張し始めた。

 使った覚えのある筋肉から、全く身に覚えのない筋肉まで痛みの合唱だ。

 なんとか俺が追いつけるペースで神父様が歩いてくれていなければ、不審者時代に逆戻りしていただろう。

 それに話しかけて気を紛らわせようとしてくれているのも。

 

「それは結構。ただ、もっと魔力の濃い場所で運動する必要が有るとは思いますね」

 

 その言葉の後に、神父様が魔力痛について話してくれた。

 魔力が濃い環境で活動すると、肉体が隅々まで活性化するらしい。

 身体能力系のスキルを持っている人ならば、ほとんどの場合で魔力痛を起こすことは無いようだ。

 ただし、スキルが目覚める年齢は人によって大きく異なるので、

 運動できるようになった幼い子供によく起きるが、それでもここまで酷い状態は滅多に無いらしい。

 

「あとは病気がちで臥せっていた人が快復した時にも似たような症状がみられるそうですね」

 

 心当たりが全くない。

 日本でも風邪ならば年に一度か二度程度ひくくらいで、インフルエンザなどには一度も罹ったことがない。

 恐る恐る訊ねてみる。

 

「まさか俺って病気とか……」

 

「普通に筋力が無いだけですよ。だからブラックウーズに絡まれて死ぬんですね」

 

 

 

 

 

 人が周りにいないときは神父様に泣き言を漏らしながらも必死に墓地まで辿り着き、這うような姿で水を撒いて掃除を終えた。

 俺一人だったらアンデッドと勘違いされて討伐されていたかもしれない。

 それくらいには暗く、重い雰囲気を纏いながら痛みに耐えていた。

 亡くなった人たちには申し訳ないが、この時間が終わるようにと考えてしまった。

 空の水瓶くらいなら頑張れば持てるかとも考えたが、割ってしまっては大変なので神父様に預けている。

 顔に出さないように意地を張ったが、やはり歩きの挙動におかしなところが出ているようで。

 帰りの道すがら出会う人々から心配されてしまった。

 事情を説明する際、冒険者さんとブラックウーズを見に行った話をするのだが、温かい視線とともに「良かったね」という言葉を口々に頂いた。

 よくよく考えてみると、例えばロールプレイングゲームで最初に出てくる街の住人たちに「スライムを見に行ったよ」と報告をしているようなものだろうか。

 日本にはスライムはいなかったので全くピンとこなかった。

 十発ほどで死に至る攻撃をしてくる生物……スズメバチ?

 痛みを誤魔化すために色々と悩んでいると、声を掛けられた。

 

「もし、神父様方。生まれたばかりの子が『落とし子』でして、お祈りをいただけますでしょうか」

 

 その言葉は、この近所に住むという男性によるものだった。

 声には少しの疲れが混じっているように感じられた。

 神父様の顔色を窺う。

 本来、両親以外が赤子のために祈ることはない。

 成長を曲げてしまうかもしれないと言い伝えられているからだ。

 男性の言う『落とし子』になら祈る場合もある。

 いくつもの事情が重なった故の、と頭に付く例外に限るのだけれど。

 

「ええ、構いませんとも。ツバキ、行きましょう」

 

「はい、司祭様」

 

 まずは話を聞くのだろう。

 神父様に言葉をかけられると同時に俺は背筋を背筋を正し、短く返事した。

 男性は深くお辞儀すると、家へと案内をし始めた。

 どうなるだろうかと僅かに緊張している俺と違い、神父様の足取りは変わらない。

 早すぎるわけでもなく、遅すぎるわけでもない、しっかりとした歩みだった。

 先を行く猫背気味の小さな背中を追って歩けば、住宅地の一角にある家に招かれた。

 壁は白く塗られ、石を積み重ねた円錐状の屋根が特徴的な一般的な造りだった。

 屋根の頂点は切り取られたように平らになっていて、富士山に似た形状になっている。

 平らな部位には、教会の天井と同じ素材がはめ込まれているのだろう。

 大きな窓も手伝ってか、室内は明るかった。

 

「こちらが妻と子になります」

 

 部屋の奥、寝台に腰かけた人物が奥さんのようだった。

 神父様が視線を向けると、その肩が僅かに揺れ、抱いている子供にも振動が伝わったのか、生えた髪の毛もふわふわと揺れた。

 それは、月光のように輝いていた。

 疑うべくもなく、確かに『落とし子』だった。

 容姿に明らかな『空』の特徴を持つ赤子は天から地上のために降りてきたとされ、『落とし子』と呼ばれている。

 白夜や極夜、ダンジョン等の近くでよく見つかりやすい(・・・・・・・)とされる。

 奇跡を内包しているとしか思えないほどにその容姿はあまりにも神秘的だった。

 自身の子供だと理解していても崇めてしまう可能性があるほどに。

 信仰心が深い程、抗えない魅力を放っているのだろう。

 不安そうな目で奥さんは、神父様と旦那さんの姿を見ていた。

 神父様が一言二言を小さく囁くと、小さく頷いた旦那さんは部屋を出ていった。

 

「早速お話をしましょうか。私はセトリオード支部月光派の司祭です。こちらは助祭」

 

 神父様と同じように床に片膝を突き、下から見上げる姿勢を取りながら小さく目礼を済ませる。

 幼い子供がいる前で名乗ることはない。

 相談が解決すると、あまりの喜びに世話になった人の名前を付けようとする。

 その防止のためであり、また教会の職位を持つ者の名前は正しく理解されない場合が大半だからだ。

 

「あ、あのなんとお呼びすれば」

 

 奥さんが少し困った様子で聞く。

 

「教会に来られたことは?」

 

「何度か通わせてもらっています」

 

「それなら司祭か、神父とでも呼んでもらえれば」

 

 わかりました神父様、と奥さんが呟いた。

 その様子を見た神父様は柔らかな笑顔を浮かべていたが、俺は室内に入ってからずっと緊張しっぱなしだった。

 経験の差か、そうでないのか。

 下手なことを言えば、この赤子の人生が決まってしまう。

 

「神父様、この子は教会に預けなければいけないのでしょうか」

 

 不安げな表情を浮かべたまま呟かれたその言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。

 『落とし子』は特別な力を持って生まれる一方で、体質的に酷く虚弱な場合も多い。

 また『お月様の特別』として満ち欠けしていることが殆どだという話だ。

 育てる自信の無い親が涙を流しながら手放すこともある。

 

「いえ、必要ありませんよ。お子さんを可愛がってあげて、それで一緒にお母さんとして成長してください」

 

 にっこりと神父様が答えた。

 奥さんは安堵したのか、深く息を吐いた。

 俺はつい神父様を凝視してしまい、咳払いされてしまった。

 

「でも私、お月様に似た子は教会に入れないといけないって言われてて……。それで……それで……。あの人は一緒にいても大丈夫だよって言ってくれても、私よくわからなくて……。教会なら幸せかもって……」

 

 奥さんは途切れ途切れに喋るが、徐々に涙が混じり、ついには嗚咽が漏れ出していた。

 神父様はうん、うん、とゆっくり頷いていた。

 俺はどうしていいのかわからず、ただジッとその場を見るだけだった。

 その様子からつらかったのだろうと推測はできるし、慰める言葉をかけられる。

 ただそれだけだ。

 その後に何を話していいのかわからない。

 

「なぜ月光派が生まれたかご存知でしょうか?」

 

「……? いえ、わかりません」

 

 嗚咽が治まって奥さんの様子も落ち着くのを見計らい、神父様が問いかけた。

 その問いかけについて俺が知っているのは環境が過酷だから、ということくらいだ。

 環境と宗教は密接に繋がっている。

 魔物が跋扈する世界では、人々が宗教をよすがとしたに違いない。

 

「実はですね、昔の人はとても狂暴でした。めちゃくちゃです。毎日争ってばかりです」

 

「えぇ……」

 

 えぇ……知ってることと違う……。

 つい俺も奥さんと同じ反応をしてしまった。

 声を発さずに済んだのは助祭としての見栄と意地だろうか。

 頼りない姿をした者の言葉で、下に見ることはできても、残念ながら安心を覚えることはない。

 

「人間には魔物を含めてたくさんの敵がいます、争ってばかりではいけない、仲良くしましょう、ということを主張する凄い人が生まれました」

 

「はぁ」

 

「凄い人は頑張りました。みんなに優しくし続けたんですね。凄い人なのでとんでもなく優しかったのでしょう。最初は争っていた人たちも、ゆっくりと時間をかけて仲良くなりました。敵対的だった種族ともちょっと仲良くなりました。魔物は無理なのでみんなで協力して倒しましょう。と、いった感じで優しくしたことで上手くいきました。凄い人が優しくしたらみんなちょっと優しくなりました。その姿を見て、自分たちもみんなに優しくしようと思ったのが宗教の祖になります。宗教の祖も頑張ったので、みんなともっと仲良くできるようになりました。めでたし、めでたし」

 

 困惑している奥さんの様子を一顧だにせず、神父様は滔々と話し切った。

 少し前までは言葉があまりわからなかったので、こうやって話しかけてくれていた。

 覚えた今では事務的なやり取りが増えてしまったが。

 

「何が言いたいかと言うとですね」

 

「はい……」

 

「優しく接してあげれば、優しい人に育ちます。宗教は関係ありません。めちゃくちゃ狂暴だった時代の人々も優しくなれたのです。今はもっと平和な時代ですからね。安心してください」

 

「私、初めての子供なんです。不安もあります。どうしてって何度も思いました……」

 

 呟きを、神父様は頷いて受け入れる。

 

「とっても苦労するし、疲れると思います。……でも頑張って育ててみせますから、だから」

 

「いえ、別にそれほど頑張らなくてもいいです。もうだめだなってなったら教会に預けたほうがいいですよ」

 

「えっ」

 

 少しばかり決意を持った奥さんの言葉を、神父様が刈り取った。

 教会には日中勉強を教わりにきて、時計代わりに帰る子供もいるくらいだ。

 預けられて生活する子供の方が稀だった。

 

「旦那様は職人でしょうか」

 

「ええ、陶器の、ですが」

 

「職人の互助会でも子供の面倒を見て貰えますよ。将来的には代わりに面倒を見てあげないといけませんけど」

 

 だから、と神父様は続ける。

 

「優しくされることを受け入れてください。それだけで貴方はきっと楽になる」

 

「……でも『落とし子』は特別なんですよね」

 

「特別……。特別、か。……助祭の彼を見てください。『夜の子』です。昨日は外で珍しい物を見たとはしゃいで駆け回り、転びました。特別なのは見た目だけです。正しく名前を呼んであげてください」

 

 その言葉に顔を伏せる。

 強い視線を感じるが、耳まで真っ赤になっている自信があった。

 ただ一つだけ言わせてもらいたい。

 転んではいません。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんに使う道具は熱湯で消毒してね、難しいなら教会でも手伝いますよ、最初の内は魔力が多いと体調を崩すので月光が控えめな場所で寝かせてあげてください、成長したら逆に魔力を欲しがるので月光のよく当たる場所や、街中で行きたがる場所に連れて行ってください、等の細かい注意点を伝えた。

 神父様が。

 俺は魔力痛で役に立たないので赤ちゃんを見ていた。

 この見事な髪の色は、魔力によって生じているらしい。

 黒い髪はどうなのだろうか。

 わかるのは、赤ちゃんは泣き声まで可愛いってことだった。

 

 用を終えたので、夫婦に見送られながら帰路に就く。

 神父様は再び水瓶を抱えて歩いているし、その後ろを俺は魔力痛で情けない動きをしながらもついていく。

 はあ、とため息が出る。

 何に対してなのかはわからなかった。

 魔力痛のせいか、それとも先ほどまでの『落とし子』についてか。

 

「ツバキくんも経験を積めば立派な司祭になれますよ。気に病むことは無いのです」

 

「なりたいわけじゃないです……」

 

 神父様にか細い声で答える。

 先ほどまでの片膝立ちで、足が生まれたての小鹿のようになっていた。

 俺の様子を見た神父様は穏やかな笑みを浮かべ、そしてすたすたと足早に教会へと戻っていった。

 嘘でしょ……。

 

 

 

 



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18

 

 散歩から帰ってきても一向に治まることのない魔力痛を前に、情けないことだが今日はほぼ動かずに過ごすことに決めた。

 酷い筋肉痛は適度な運動や、マッサージ、入浴などでケアできた。

 魔力痛に関して筋肉と同じ扱いをするならば、再び外に調査へ向かうか魔力を浴びるか等になるのだろうか。

 この状態でもう一度調査に行くとなると、昨日は自分で歩ける荷物だった。

 ただの荷物に変わってしまった今試すにしては同行者に負担が掛かりすぎる。

 一人で向かうなら見晴らしのいい平原ですら死ぬ自信がある。

 結局、本堂中央に近い席に座り、写本をして過ごすことに決めた。

 正しい姿勢ほど痛みが少ない気がするので、殊更背筋を正しているのだが。

 

「おはようございます、ツバキさん」

 

「ファティ、おはよう。今日は早いんだね」

 

 隣に座ったファティの挨拶は、普段よりも小さく聞こえた。

 本堂内には静かにお祈りしている人がいるからだろうか。

 文字を書く手を止め、俺もそれに倣って囁くように挨拶を返した。

 

「えっと、今日はツバキさんが魔力痛で大変だと聞きました。一緒にお勉強するなら行っていいよってシスターが言ってくれて」

 

「それは、とても有難い。シスターは相変わらず気遣いの達人だな」

 

 教会で暮らす子供たちは朝食の後、教会に仕えているシスターの指示に従って掃除をすることになっている。

 勉強や行儀作法を習いに来る子供たちが混ざることも多い。

 特に商人の見習いの子たちは率先して手伝ってくれるのだが、他人との交流や気遣いを覚えるための主人によって推奨されているようだ。

 

「……他の子も行きたければいいよって。あの、それで、私が来ました」

 

「……ファティも優しいなあ」

 

 自分の意志で可愛い女の子が一人手伝いに来てくれたと考えればそう俺も捨てたもんじゃない。

 思うところが無いわけでもないが、それはそれとして心遣いはとても嬉しい。

 柔らかな淡い水色の髪を少しでも傷つけないようにと優しく撫でると、ファティはくすぐったそうに笑った。

 

「それじゃあ手伝って貰おうかな。今はまだ余裕があるけど、インクや紙が足りなくなったら用意して欲しいんだよね」

 

「がんばります。……あの、わからないときは聞きますね?」

 

「もちろんいいよ。俺の話を聞いてくれるなんてファティは聞き上手だなあ」

 

「えっと、話してくれる人が話上手なので」

 

「まさか褒め上手でもあるだなんて俺は驚きを隠せないよ。多才すぎるファティの将来が楽しみだ」

 

 そんなやり取りをすれば、ついおかしくなって二人で顔を合わせて笑い合う。

 冒険者として街の外に調査しに行くのは楽しかった。

 新しい物を見るのはわくわくするし、冒険者さんが俺に気を遣ってくれて快適に過ごせたのがとても嬉しかった。

 同じように教会で過ごすのも楽しい。

 穏やかに過ごせるし、なんとなく優しい人間になれそうな気持ちにさせてくれるから。

 

「仲が良くて楽しそうですね」

 

 二人でにこにこしていると、お祈りを終えた男性に声を掛けられた。

 行商に出る前にお祈りに来た方で、先ほどまでは少しの疲れを浮かべていた。

 お祈りで落ち着けたのか、今は穏やかな様子だった。

 

「ええ、この子はとても優しくて聞き上手で、そして褒め上手なんですよ。しかも可愛い。これはきっと教会の教えや、お祈りに来てくれる人たちのおかげですね。こんなに恵まれているのだから今日もいい日になりますよ、絶対に」

 

 そう早口で答えると、男性は朗らかに笑った。

 俺はずっと笑っているが、ファティは耳まで赤くなって俯いた。

 肌が白すぎるのだから、常にこうしていれば健康になるんじゃないかな。

 声を掛けられた際、ファティに服の裾を掴まれた。

 褒める度に掴む力が強くなるのが面白くて悪戯心で本心を吐露してしまった。

 それを見た男性は大きく一笑いすると、いってきますと言った。

 俺がお気をつけてと言えば、ファティも小さく倣って見送った。

 

「ちょっと恥ずかしかったです……」

 

「そうなんだ。でも、うーん。悩ましいな」

 

「何がですか?」

 

「いや、真剣な悩みなんだけどね?」

 

「……はい」

 

「ちょっとで済むなら恥ずかしがるファティを毎日見ようかなって」

 

「ツバキさんっ」

 

「ごめんごめん。ちょっとで済まなくても可愛いファティを毎日見たいよ」

 

 赤い顔をしてアンバーの万倍鋭い目で睨まれたら俺にはどうすることもできない。

 「きゃーこわーい写本しなきゃー」と迫真の演技をしながら写本に戻る。

 普段よりも血色が良くなったファティは少しむくれながらも、本棚から持ってきた本を広げた。

 

「楽しそうね。あたしも入れて?」

 

 ふらふらと近寄ってきたアンバーがそう言って後ろの席に座った。

 気怠そうな様子で机に体を預けながら「あたしも字くらい書けるよ」と俺の背中を弄り始めた。

 力無くゆっくりと背中に指を這わせるものだから少しくすぐったい。

 ファティが「あ、汚れちゃうから」と長い髪を纏めてあげれば「もう汚れてるよ。どうせすぐ落ちるし」とアンバーが返した。

 

「それじゃアンバーも勉強する?」

 

「……話は聞かせてもらったから。あたしもかわいいよ」

 

「それはそう。アンバーは可愛いよ」

 

「でしょ」

 

「それじゃ可愛いアンバーも勉強する?」

 

「……話は聞かせてもらったからかわいいあたしは寝るね」

 

「ダメ。せっかく起きたんだからアンバーエイトは私と一緒に本読もうよ。……ね?」

 

 ファティがアンバーの隣に移動し、本を開いてみせる。

 なんでー、と口では嫌がったアンバーだが、そのまま無視して寝ずに本をのぞき込んだ。

 二人は仲良く揃って同じ本を読み始めた。

 挟まりたいね。

 しかし、空気の読める俺は二人の会話を背中で聞きながら写本に戻ることにした。

 

「これなんて読むかわかる?」

 

「ふふふ、昔は神童と呼ばれたあたしにまかせなさい。うーん、んー? なるほどね、原理だけわかった。……ツバキ、これを読んであげて」

 

「あー、はいはい。これはね……」

 

 振り向いて読んで聞かせれば、なぜかアンバーがファティにドヤ顔を見せた。

 原理とは、神童とは一体……。

 

「ファティエル、これなに」

 

「あのね、これは……。あー、うーん? んー? ……ツバキさん、ツバキさん」

 

「……はいはい、これはね」

 

 同じようにファティもアンバーにドヤ顔を見せた。

 じゃあ写本するからね、と元の位置に戻れば……。

 

「ツバキ、ツバキ」「ツバキさん、ツバキさん」

 

 とそれほど間を置かずに繰り返し呼ばれ、作業にならない。

 呼ばれてすぐに振り返れば嬉しそうにされるので止めるように言い出せない。

 二人ともちょっと面白がっていないだろうか。

 遊ばれていると魔力痛がしんどいので、二人を両隣に座らせて俺が読むことになった。

 結局何かあるたびに両側から呼ばれ、俺が答えていく。

 神父様は相談の合間にこちらを眺めて穏やかな笑みを浮かべていた。

 たぶん俺も同じ様子だったと思う。

 

 

 

 

 



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19

 

「軽い……」

 

 自分の手を見れば、痛みで震えていたことが嘘のように落ち着いていた。

 手だけではない。

 足も力強く大地を捉えている。

 まるで重心がこの大地の下にあるかのような安定感。

 本当に昨日までと同じ自分なのだろうか。

 生まれ変わった気にすらなっていた。

 

「あまりにも体が軽すぎる……」

 

 独り呟く。

 肉体という枷から解き放たれたようだった。

 強靭な肉体になったおかげか、心が満ち足りて余裕を作っていた。

 魔物も一人で討伐できるに違いない。

 ブラックウーズも難なく討伐できるだろう。

 あるのは強い万能感だった。

 いや、違う。

 万能感というあやふやな感覚ではない。

 俺はいま、本当に万能だ。

 それを証明してみせよう、そう思って足元の小石を拾う。

 それは羽のように軽すぎた。

 石を投擲し、一歩を踏み出す。

 その前に、石はテキトーな所で落ちた。

 妙だな……。

 

 重さを忘れたかのように軽い身体を動かし、石を拾う。

 先ほどは慣れない感覚で失敗しただけだろう。

 これほどまでに体が軽かったことは生まれてから一度だって無かった。

 さっきの失敗からどのように体を動かせばいいか、シミュレーションも終えた。

 自身で投げた石を、キャッチしてまた投げる。

 石で一人キャッチボールをするだけだ。

 イメージは十分できていた。

 軽く石を投げて……まあ、そうだよな。

 離れた場所にぽとりと落ちた石を見て、納得と物足りなさの混じった奇妙な感覚を覚えた。

 

「ツバキくん、魔力痛が治まった子供ははしゃぎ回ってケガすることがよくあるので気を付けるように」

 

 俺が石を投げて遊んでいると思ったのだろう、後ろで見ていた神父様にそう声を掛けられた。

 ひゃい……。

 薄々気づいていたけど、魔物に無双する夢が叶うことは無さそうだ。

 戦うのは怖いから良かったのかもしれない。

 

 石遊びを切り上げた後は墓地まで水瓶を抱えて歩き、軽めに掃除した。

 炊事場には、身体を丸めた大人が隠れられるほどの巨大な水瓶がいくつもあるので持ち上がらないかとこっそりと試してみたが結果は変わらず。

 体感としては墓地の行き来がちょっとだけ早くなり、掃除の手際がよくなった気がした。

 誤差の範囲内だろう。

 

 劇的な変化があったのは写本の作業をした時だった。

 俺には語彙が無いので言葉には限りがあって上手く表現できないのだが、とてもキレ(・・)がいい。

 指先どころか筆の先まで神経が通っているかのように、繊細なタッチを可能としている気がする。

 普段からミスなく文字を書けているので誤差みたいなものだけど。

 これは絵が描きたくなる。

 キャラクターのイラストとか漫画を描いてもたぶん絵が上手い程度で終わるだろうが、風景画、それも手軽な写実なら物凄い出来になる予感がする。

 感覚的にはめちゃくちゃ凄い偽札が作れそうなレベル。

 手元にある写本の道具で会心の絵が描けるかと聞かれればそうじゃない。

 淹れ方が良くてもティーパックの紅茶が高級茶葉にはなれないのと一緒なのだろう。

 スカイツリーから落下した人の着地点が集中治療室だったら助かるのか、みたいな。

 

 そわそわしていて浮足立つというか、居ても立っても居られないというか。

 お昼を過ぎてもこの気持ちが収まらない。

 どうにかならないものか。

 絵が描きたい。

 残しておきたい絵を描きたい。

 絵を描く仕事があるかもしれないので、僅かな期待とともにギルドに向かってみる。

 ギルドが混み合うのは討伐に出かけたり新たな依頼が貼り出される朝、またはそれぞれの仕事を果たして報告に来る夕や夜の刻限だった。

 つまり今は閑古鳥が鳴いているはず。

 

「名前は無い」「いえ、無いとこちらと致しましてはとても困るのですが……」「でも本当に無いぜ?」「えぇ……」

 

 鳴いてなかった。

 なんでー。

 わちゃわちゃとして楽しそうな一角から少し離れたミアーラさんの前に行く。

 はらはらとした様子で他の席に視線を飛ばしていた様子だったが、俺に気付くと即座に居住まいを正した。

 今日もその豊かな金髪はきっちりと整えられているし、服装に汚れや皺のひとつもない。

 

「こんにちは、ミアーラさん。お仕事に来ました」

 

「はい、こんにちは。希望はありますでしょうか。……魔力痛だったと聞いているので、討伐等は推奨できませんが」

 

 挨拶は微笑んで返してくれたのだが、その後は少し疑うような眼差しを向けられてしまった。

 調査後に様子を見に来てくれた冒険者さんに、魔力痛で思ったように動けない旨を話したのだが、ミアーラさんに伝えてくれていたらしい。

 確かにあの万能感を抱いたまま槍を持ったら外に突撃したかもしれないが、今は別の気持ちが強い。

 

「絵をですね、とても描きたいんです」

 

「はあ、絵を……?」

 

「何か無いでしょうか。看板とか、献立表の絵とか」

 

「そういえばファティさんからツバキさんの絵がとても上手だと聞いたことがありましたね。……なるほど、今度募集案件に含めてみようかな」

 

 お仕事の幅が増やせますね、とミアーラさんが微笑んでくれた。

 やっぱり増えるんだ、それは嬉しい。

 しかし、今は絵を描く仕事はないらしい。

 急な要望なので仕方ないが、それはそれとしてとても悲しい。

 

「あの、ツバキさん……」

 

「大丈夫です……。じゃあ何か仕事があればやりますので……」

 

 隠し切れず露骨に落ち込んでしまった。

 俺の様子に焦ったミアーラさんが助けを求めるように周りを見回すが、隣の席にいる人たちや棚から書類を探していた人たちは潮が引くように下がっていった。

 雰囲気が暗くなってしまったのは俺の我が儘のせいだ。

 気を取り直そう。

 

「オルトリヴロレの証明はあるんだけど無理?」「本当だ……しかも多脚討伐……。その、自称でもいいので何か名乗って貰えればこちらとしては……」「それはちょっとな……」

 

 落ち込んで静かになったせいで他のブースで行われている会話が聞こえてくる。

 オルトリヴロレは宗教の無い国の名前だったはずなので、外国からここまで来た人のようだ。

 話を聞くに、名前は無いらしい。

 冒険者ギルドの登録には名前や出身地が必要だが、すでに冒険者となっている場合はどうなるのだろう。

 同じように話を聞いていたらしいミアーラさんと目が合うとにっこり微笑まれた。

 あれ、俺いま何かやれちゃいますか?

 

 

 

 

 

 はあ、とつい熱の篭ったため息を吐く。

 狭いギルドの一室にいる俺の傍にはギルドから貸し出された画材があり、手には絵画筆が握られていた。

 質はそこそこで道具としてはそれほど良いというわけではないが、この世界ではとても貴重な品でもある。

 そもそも上限を見ると天井知らずだ。

 金が有り余っているような連中が専用の道具を作らせ、お抱えの絵描きに与えるような世界。

 一般的に絵を描くとしても、紙を刻んで黒を染み込ませるだけ。

 これは違う。

 色を塗り、紙に色を乗せることができる。

 綺麗な絵を描く、それだけのために用意された道具の尊さと言ったら。

 

 目の前には名前が無いと主張する青年の姿があった。

 ミアーラさんが彼に提案したのは、随分とお高い筆代を払えば名前の代わりに似顔絵をギルドが控えることだった。

 諦めて名乗るかと思ったが、彼は喜んで筆代を出すことを選んだ。

 おかげで俺は絵を描くことができる幸運に恵まれたのだから感謝しかない。

 

「オルトリヴロレから来られたんですか?」

 

「ん? ああ、そうなんだよ! ここまで来たけどすっげえ遠いのな!」

 

 なははー、と彼は輝くような笑顔を見せた。

 白と黒が混ざり合ったような灰色の髪は傷んでいるのか、光沢が全く無い。

 目つきも普通で、瞳の色は頭髪と同じ灰色。

 身長は百九十センチだろうか、百七十を超える俺よりもずっと高い。

 肌はよく日に焼けている。

 布の服の上から通して見ても、鎧のように鍛えられた筋肉で全身が覆われているのがわかった。

 

「山とか川とかダンジョンとか街とか村とかいっぱい超えないといけないからびっくりしたわ。ほとんど護衛も受けないしパーティとか組まないまま来たから魔物にもいっぱい襲われてやべーよ」

 

 びっくりとかやべーで済むらしい。

 俺が同じことをしたら、魔物がいなくても体力が持たないか迷って死ぬと思う。

 魔物が出たらすぐ死ねるからそっちのほうが楽なのかもしれないが。

 

「それは大変でしたね。あ、自己紹介をしておきますね。俺の名前はツバキです、よろしくお願いします。冒険者の証明書もあります。あとは月光派の助祭位相当でもあります」

 

「よろしく! お、新人じゃん。大変だよな。オレも何したらいいかわかんなくてとりあえずぶっ殺しまくってたわ。ツバキも困ったらぶっ殺してみたらいいんじゃないか?」

 

 とりあえずぶっ殺してたらしいが俺にはできない。

 話を聞きながら絵を描こうとして気づく。

 鉛筆が無いから気軽に下絵が描けない。

 普段使っているブラックウーズのインクで下書きを考えたが、あれは粘りが強い癖のある性質をしている。

 固い筆で紙の表面を薄く掘って埋める感じになってしまう。

 用意された絵具の色も五種ほどしかないので、一気に描いてしまう事にする。

 今日は絶好調すぎて、簡単に出来る予感が俺にはあった。

 運がいい。

 

「名前は無いんでしたっけ」

 

「ああ、無い。だから寄ったギルドが悪いと依頼を受けられなくてなあ。途中でぶっ殺した魔物の素材だけ売って金を稼いで旅してた」

 

「それは……大変でしたか?」

 

「いや、面白かったぞ!」

 

「とても良い旅だったんですね」

 

「そんな良くも無かったな。寝ようとした洞窟がハイヴクラスタになってて核を潰すまで戦うハメになって結局一睡もできなかったりもあったし。でも予想できないことが起きるのは面白いからツバキもやってみ!」

 

 あれの不意打ちはマジでやばいぜー、と笑った。

 興味はあるけど、やりたいかどうかで言えばやりたくない。

 話を聞きながらも、絵を描く手は止まらない。

 彼も上機嫌のまま俺が知らない冒険の話を続けてくれる。

 仕事なのにこんなに楽しくていいのだろうか。

 

「楽しそうだな!」

 

「楽しいですよ!」

 

「そうだよな! 冒険はいいぞ!」

 

「いいですよね。冒険の話もとても面白いんですけど、俺は絵も好きなんですよ」

 

 今は借りてるけど自分専用の道具を買うのが夢なんですよ、と俺は言った。

 ギルドでしか使えない道具だとギルドのことしか描けない。

 それじゃ物足りない。

 俺は教会を描きたいし、それが終わったら街を描きたいし、外も描きたいし、魔物も描きたい。

 ドラゴンだって見て描きたいよ。

 久しぶりにちゃんとした道具で絵を描いているせいなのか、俺はつい熱が入ったように主張していた。

 彼はわかるよ、と頷いた。

 

「俺もな、勇者になりたくてな!」

 

「勇者! いいですね! 俺は勇者も描きたい!」

 

「俺が勇者になったら描け!」

 

「もう描いてます!」

 

「じゃあ俺もう勇者だわ!」

 

 二人でわはは、と笑った。

 話が面白いためか、絵の出来がいいためか、高揚した気分が納まらない。

 そうだ、彼は勇者なんだ。

 俺は勇者を描いている。

 冗談でもなく、そんな予感があった。

 俺はきっと運がいい。

 いや、違う。

 俺はずっと運がいいんだ。

 

「でも名前が無い勇者はいませんよね」

 

「そう、それが問題なんだよな。ツバキは神父様かなんかだろ。なんか名付けたりしないのか? カッコいいの教えてくれよ」

 

 オレ宗教とかよくわかんねーんだけどよ、と勇者が続けた。

 俺が知っている名前となると、古い力のある言葉ばかりになってしまう。

 正しい意味と正しい読み方を知らなければ読むことすら儘ならない。

 知らなくても稀に適合できるが、それが幸運なのか不幸なのかはわからない。

 勇者なら適合できてしまうのではないか、俺は好奇心を抑えられなかった。

 

「グラックエーケーセブンとか、アンジーナインとかならありますけど」

 

「いや、それはやめとこう! カッコよくないからな!」

 

 断られて残念な気持ちと、安堵の気持ちが混ざり合っていた。

 勧めるべきじゃない。

 だが同時に、力ある言葉を得た姿が気になってしまったのも事実だった。

 きっともっと上位の名前も気に入らないに違いない。

 

「もっと毒のある名前しか思いつきませんね!」

 

「お前もなかなかあぶねえやつじゃん! へへ、面白れぇ男だ!」

 

 二人でよくわからないままげらげら笑って、そして絵が完成した。

 道具が良ければもっと良い絵が描けるのはもちろんだが、これには今の俺ができる最上の物という自負があった。

 いや、違う。

 例え道具がよくても、昨日の俺には描けない物だ。

 勇者を目指す彼をよく表している、まだ未熟でそれでいて力に溢れている姿が描かれた一枚の絵。

 

「これが、オレ……?」

 

 完成した絵をドヤ顔で見せれば、勇者はプロに化粧してもらった少女みたいなことを呟いた。

 絵具の種類が少なかったのでモノトーン調だが、それでも今この瞬間だけならこの世界でもっとも美しい絵であるという自信があった。

 自分で描いといてあれだけど、あまりにも出来がよすぎた。

 もう会心すぎて手が震えてる。

 

「これがオレ! オレだよオレ! これがオレなんだぜ!!!」

 

「うわっ」

 

「うおおおおおおおおおお!!!」 

 

 オレオレ詐欺みたいなことを叫び出した勇者に驚く。

 わかるよ。

 俺も叫び出したいけど、後方神絵師面してドヤ顔浮かべたい気持ちが勝った。

 俺の絵を持ったまま、勇者が部屋から飛び出していった。

 二階の小部屋を借りていたのだが、物凄い勢いで階段を下りている音が聞こえた。

 というか一息で飛び下りてないか?

 

 「見てくれ! オレだよこれ! オレだよ!」「誰?」「誰なんです!?」「オレだよ!!!!」「だから誰なんだって」「この絵がオレなんだぜええええええ!!!」「一体おまえは誰なんだ?」「まさか助祭ひゃまの絵……? どうしてここに!?」

 

 下には戻ってきた冒険者たちがいるのだろう、騒がしい声がこの部屋にまで聞こえた。

 小さな窓を通して外を見れば、もう夕方ほどの時刻になっていた。

 どどど、と音がしてそちらに目を向ける。

 勇者が笑顔で戻ってきたようだった。

 「オレを全員に見せてきた!」らしい。

 喜んでくれて嬉しいよ。

 

「やべーよ! さっきのでお金足りる!?」

 

「足ります足ります」

 

「はー、やっぱいい街は違うな……。マジで全部違うぜ……。これ貰えないかな……」

 

「名前が決まったら貰えばいいのでは?」

 

「っ! それだ! これはオレが勇者になれたときの記念にする!」

 

 勇者が興奮したように絵を掲げて見ていた。

 なんなら俺が欲しい。

 俺が勇者になったら貰えないかな。

 街を訪れた勇者というシチュエーションを前に、俺は思いついたことがある。

 歓迎の意を伝えるやつだ。

 喜んでいるところに水を差すのは悪いが、俺もやりたいようにしたい。

 会心の絵が描けた気持ちで駆け抜ける。

 勇者がこちらに注目するよう咳払いを一度。

 そして……。

 

「では改めて、ここはセトリオードの街です! 勇者さん、貴方を歓迎します!」

 

 俺は笑顔でそう言った。

 やっぱり街に来た勇者にはこうしないとな。

 

「オレを歓迎してくれるのか……?」

 

 呆然とした様子で呟いた。

 どんな様子だろうとも、俺の返事は決まっていた。

 

「もちろんです! 勇者が来てくれて、俺はとても嬉しい」

 

「……オレも、とても嬉しいよ」

 

 それは噛みしめるような言葉だった。

 俺が笑顔だったからか、勇者も笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 少し残念そうな表情を浮かべて、勇者がその会心の似顔絵を受付に提出した。

 ミアーラさんもその出来を褒めてくれた。

 毎日こんな仕事が出来たらいいのに、という気持ちになった。

 同時にこれを毎日やったら早死にしそうだとも。

 

「ツバキ! ありがとう! 今度一緒に冒険に行こう!」

 

「行きたいですけど俺めっちゃ弱いです!」

 

「オレは強いだから大丈夫だ! でも危ないから安全なとこにする!」

 

「じゃあ行きます!」

 

「よっしゃあああああ!」

 

「やったああああ!」

 

「漁の解禁が近いって聞いたぜ! サーモンランに行こう!!!」

 

「行きまぁす!!!」

 

 ひゃっはー、とテンションが上がったまま受付で約束する。

 ミアーラさんが頭痛を抑えるように額に手を当てていた。

 楽しみだな、サーモンラン。

 

 

 

 サーモンランってなに????

 

 

 

 



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20

 

「アメリアさん、ちょうどいいところに」

 

 魔物の討伐とは異なる疲れを自覚しながらギルドへと報告に来たアメリアを見て、受付嬢のミアーラが安堵の息を吐いた。

 普段よりもギルド内が活気づいていた。

 面倒事か、とアメリアは警戒の度合いを高めた。

 知り合いの薬師に付き合い、街の外で数種類の薬草を採集し終えての帰りに立ち寄っただけだった。

 草原や林、森の中を歩き回るのはいい、普段からやっている。

 討伐の緊張は頭や全身を使うが、採集は慣れない姿勢を続ける必要があったため、体は休息を求めていた。

 

「……なんです。あんまり面倒事を持ち込まれたら森焼きますよ?」

 

「手軽に焼かないでください。十日後に漁が解禁になるのはご存知でしょうか」

 

「まあ、街の風物詩ですから」

 

 解禁なんて優しい物じゃないでしょう、アメリアはそう言いたかったがぐっと堪えた。

 産まれた川を目指して遡上する魚で溢れるあの光景を表現するには、ルーシリアの馬鹿が得意とする早口でも無ければ時間が掛かって仕方がない。

 不満ばかりかと言えばそうでもなく、解禁となれば市場に多く出回るので安価で魚が手に入るのはとても有難い。

 ギルドが冒険者にも漁を推奨し、率先して買い取ってくれ、その時期ならば併設されている酒場で比較的安く料理を食べることもできる。

 漁期以外でも街では逸れた魚が売られることもあり、それは時期を間違えた時知らずのサーモンランとして解禁を予感させるものであった。

 

「二人で漁に行くとのことですが、どちらもサーモンラン初心者でして。案内や助けになってあげて欲しいな、と」

 

「パーティ斡旋ですか? ご存じの通り、私はもう半分くらい固定を組んでます」

 

「言葉通りの意味です。その、特殊な二人なので……」

 

 こちらです勇者さん、ミアーラが離れた位置に声を掛ける。

 受けるとも言っていないが、ギルドの受付嬢がそのまま放り出すには躊躇する特殊な事情とやらを聴いてみようじゃないか。

 少しの好奇心がアメリアを引き留まらせた。

 

「そっちが漁に詳しいって人か! よろしくな! 俺は勇者だ!」

 

 これは、やばい(・・・)

 ギルドに入ってから全く気付かなかった存在を認識した瞬間、肉体と精神、心が異常を悟る。

 アメリアの心臓が早鐘を打つように鼓動が速まり、急激に取り込まれた情報と概念を打ち消すために魔力核が神経に魔力を回していた。

 あまりの速さに、魔力痛染みた違和感が全身を襲う。

 

「こちらはアメリアさん、四足級パーティに所属している魔法使いです」

 

「よろしく頼むな! エルフのおねーさん! 魔法使えるなんて凄いんだな! ……そうか、魔法が使えるのか」

 

 確証は無いが、見られている。

 その表情がアメリアにはわからない。

 おそらく顔と思われる部位に目を合わせているが、なにせ正しく認識(・・)できないからだ。

 灰色の頭髪や、日に焼けた肌、体格のいい体などは確認できる。

 それだけだった。

 

「それでこちらが案内を依頼している勇者さんです。……たぶん職業ですね。オルトリヴロレから来た多脚を狩れるソロです」

 

「勇者だ!」

 

「ツバキさんが一緒に漁に行くと言い出しまして……」

 

「ああ! 楽しみだよな! ツバキはオレを歓迎してくれたよ」

 

 その言葉による精神の負荷で、アメリアの早鐘を打っていた心臓が縮まるようだった。

 何を歓迎したのかわかっているのだろうか。

 オルトリヴロレは宗教を捨てた隣国だ。

 この国で尊いとされる価値観のほとんどは宗教を中心に出来上がっている。

 オルトリヴロレは仮想敵国の軸となる宗教を否定することからはじまり、そのまま統制されている。

 常識とは国によって異なる。

 黒い髪など都合のいい迫害の対象にすぎない。

 

「……どうも、勇者さん。名前をお聞きしても?」

 

「無いよ。名前は無い」

 

「……それはとても、理性的な判断ですね」

 

 僅かに困ったような表情を浮かべているミアーラにはわからないだろう。

 おそらく性別や身長、声程度の情報のみしか得ていないのに、それが自然だと感じているはずだった。

 格が離れた者では正しく認識できない。

 祈ることで精神をはじまりとした力を得るように、意味を込めた名前がそうあれと願われるように。

 この世のそれこそ法則か、概念か、約束か、いずれにしろ理外の外にある何かを歪めていた。

 その歪みは、アメリアが長い年月を掛けて得た耐性と、研鑽した技術による対抗すらも容易に貫通していた。

 それほどに凄まじい力だった。

 最早それは呪いですらあった。

 

 

 

 

 

 勇者と呼ぶしかない男と顔合わせを済ませたので別れ、酒場へと向かう。

 サーモンランの最中に勇者が暴れたとしても、街はすぐ傍で周囲には冒険者もいるはずだ。

 案内くらいなら受けよう。

 それにアメリアには興味があった。

 魔法は言葉と繋がることもある。

 その名前を知ることが出来た時、アメリアはより一層強い魔法を使える可能性が高かった。

 今のままでは足りない。

 もっともっと魔法の神髄を知らねばならない。

 より強い魔法で、より鮮やかに。

 

「私はエルフの森を焼く」

 

「やばいこと言ってるじゃん」

 

 アメリアの呟きに、ルーシリアが僅かに慄く。

 エルフの森を焼くことの重大さをいつだって教えてきたのに、なぜこんな反応を返されなくてはいけないのか。

 アメリアは少し悩んだが、頭が悪いせいだなと答えを出した。

 

「ずっと思ってたんだけど」

 

「はい」

 

「焼いたらいいことあるの?」

 

 赤い髪と豊かな胸に全てを取られ、空になった頭部を搭載しているルーシリアとは違うローレットに笑みを浮かべる。

 アメリアは故郷の森を焼かれて住処から追い出された。

 思い出すのは、自身を含めたエルフたちを追い立てながら木々をへし折る泥のゴーレムたちだった。

 どれだけ対抗しようとも成すすべなく森は焼かれ、エルフは放っておかれた。

 そこから人里に混ざって暮らすようになった。

 そして自然の流れを知った。

 

「焼いたらいいことあるのかと言えばあります。そしてエルフがクソかと聞かれたらクソです」

 

「エルフについては聞いてない」

 

「そもそもエルフ関係なくアメリアは馬鹿だからね」

 

 音程を取りながら机を叩くルーシリアをひと睨みし、話を戻す。

 

「エルフは長命です。私も見た目とは全然違う」

 

「ばばあお小遣いちょうだい」

 

 えへ、と笑う赤い馬鹿の目の前で炎を発生させ、前髪を炙ってみせる。

 突然の熱と炎に驚き、のたうち回る姿には年頃の少女が持つべき色気は一切ない。

 

「その長い寿命を使って植物を植え続けます。そしてエルフは魔力を感じ取る感覚に優れています」

 

「それは……いいんじゃない?」

 

「自分の育てた木が一番だと競い合い、最強の世界樹を作ると盛り上がって馬鹿でかい木々を乱立します」

 

「それは……いいんじゃない?」

 

「木が魔力溜まりとなって街を飲み込んだり、ダンジョンを構成したりします。強い魔物も寄せ付けます」

 

「ばか」

 

 だからアメリアはエルフの森を焼く。

 森を焼かれたエルフは、興味を失ったとばかりに別の場所で植林を始める。

 自然は回復するし、最強を夢見た木が呆気なく燃えるのを背にして虫けらのように追い立てられていくエルフの後ろ姿は最高だ。

 

「そして私はエルフを追い出すダークエルフとなりました」

 

 ライバルは泥ゴーレムの術師であるダークエルフだ。

 なぜゴーレムを操ってエルフの森を破壊するのかは知らない。

 たぶんアメリアと同じで楽しいからだろう。わかるよ。

 

「エルフの森なんて滅ぼせばいい物は今は関係なくてですね」

 

「自分から話したせいじゃん、ばばあボケたの?」

 

 再び炎を灯そうとすれば、魔法の起こりを拳の介入によって捻じ曲げられた。

 そのままルーシリアが煽るように机を叩き始める。

 

「……話を戻しますが、サーモンランでツバキさんの案内をすることになりまして」

 

「え!? 助祭様をあんな場所に!?」

 

「正気じゃないよ」

 

「私もそう思います。オルトリヴロレから来た冒険者が誘ったらしく」

 

 「あー、あれね。しょうがないよ」とルーシリアが納得したように頷いた。

 アメリアにはわからないが、しょうがない理由があったらしい。

 そうですか、と納得したいわけでもないが。

 

「一緒にいきませんか? 許可は貰っています」

 

「私のキュートな前髪がこんな可愛くなくなっていけるわけないでしょ? 助祭様に見せるなら常に可愛いは作らないといけないのわかる?」

 

 「じょ、助祭ひゃまと!? うひょおおお!」とでも叫びながら食いつくかと思ったが、そう上手くはいかないらしい。

 アメリアの想像を裏切った前赤髪ちりちりエイプを無視し、ローレットを見る。

 なぜかしょんぼりと落ち込んでいた。

 

「十日後ですが」

 

「……明日から護衛がある」

 

「し、知らないんですけど」

 

「前髪ちりちりエイプと二人でいく」

 

 誰がエイプよー、と叫ぶ前髪ちりちりエイプ。

 ここで大事なのはアメリアはハブられていたことだ。

 

「アメリアの馬鹿は体力ないから置いていく。この先の戦いに付いてこれないでしょ」

 

「ルーシリアの馬鹿! いつも相談しなさいって言ってるでしょうが!」

 

 魔法を読んだエイプがどや顔で拳を振る。

 アメリアはこの馬鹿が、とカップをその空っぽの頭に振り下ろした。

 飲み物を取られたローレットは、「ぬわああああ」と頭を抑えるルーシリアのカップを即座に手にした。

 

「で、なんでいきなり護衛を?」

 

「ふ、ふふふ、ドラゴンを探しに行くのよ!」

 

 不意打ちによる痛みで目の端に涙を浮かべながらルーシリアが不敵に笑う。

 ドラゴンを探しに行くとはまた変わったことを思いつくものだ。

 どうやら噂で目撃例も増えているらしい。

 とはいえ、街や山を幾つか越えなければならない距離だったが。

 

「一流の冒険者なら筆代を出すとね、似顔絵を描いてもらえるのよ」

 

 ギルドの受付で聞いた、と。

 ふーん、とアメリアが聞き流す。

 

「直接頼めば」

 

 ローレットが呟く。

 正論だった。

 だが正論が正しいとはアメリアは思っていない。

 

「だって恥ずかしいし……」

 

「きっしょい」

 

 自身の赤い髪を指先で弄び、何を想像しているのかルーシリアは頬を赤らめて言った。

 ローレットの意見は正論だった。

 だが正論が正しいとはアメリアは思っていない。

 

「あ、助祭様だとサーモンランに轢かれると思うから注意してあげてね」

 

 確かにあの華奢な体では耐えられないだろう。

 ルーシリアの意見は正論だった。

 正論は正しいので救われる命もあるとアメリアは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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21

お気に入り5000超えました。
皆様のおかげです。
ありがとうございます。


 

 早朝、アメリアがギルドに着くと、閑散とした室内で目当ての二人がけらけらと笑っているのを見つけた。

 海辺の街よりもたらされたサーモンランの情報を基に漁の解禁日が決まったので、顔合わせは済ませるついでにあらかじめ約束の時間を伝えておいた。

 時間を守る律義さはあるらしい。

 それにしても、教会の助祭にあたる地位を持つというツバキと、その教会を拒む国から来た勇者を名乗る男が楽しそうに喋っている光景は、アメリアにとって奇妙と表現する他ない。

 教会狂いのルーシリアに言わせれば「オルトリヴロレから来たやつが助祭様に初撃を与えていないならたぶん安全」との話だったが。

 

「この前ブラックウーズを釣りましたよ。槍のここに巻き付けてある紐で、こう」

 

「ブラックウーズを釣ったのか! ……いや、あれって釣れるのか?」

 

「釣るっていうか、同行してくれた冒険者さんがひゅって引き上げるって感じでしたけど」

 

「面白そうじゃん! オレもやりてえな! 殴ってぶっ殺したことしかないからよ!」

 

 ツバキが天井に向けた槍を軽く動かしながら説明し、それを見た勇者は「オレも途中で良い感じの棒を拾うぜ!」と言い出していた。

 「やばいですね!」「やばいぜ!」「エクスカリバーですね!」「なにそれかっこいい! オレのエクスカリバーを拾うぜ!」と何が楽しいのかさっぱりな会話をしている。

 さっきまで話していた釣りはどうした、こいつらを引率するのか、アメリアは無かったはずの頭痛に襲われた。

 感じていたはずの違和感が薄れていく代わりに、何か別の面倒が隠れている気がしてならない。

 

「おはようございますアメリアさん! 今日はよろしくお願いします!」

 

 気付いたツバキがアメリアに手を振りながら笑顔で挨拶すれば、後を追うように勇者も「おはよう!」と続けた。

 

「おはようございます。二人ともお早いですね」

 

「楽しみで早起きしました」

 

「魔力痛と聞いてましたがどうですか?」

 

「治りました。最近は体の調子もいいんですよ」

 

 ツバキの言葉に、なるほどと頷く。

 赤い馬鹿が「魔力痛ってなに!? 死ぬの!? 世界の十割を喪失するから私消滅するかも!」とぴいぴい喚いていたのを思い出した。

 魔力は外気とともに取り込まれて核内に貯蔵され、ゆっくりと体内を巡り、体外へと排出される。

 排出される形は個々人によって癖のように異なるが、必要に応じて、例えば外界の魔力を取り込みすぎた場合など、体内を巡る魔力の流れが拡張されたり増設される。

 新しい流れが体内に出来るのだから痛むのも当然で、放っておけばそのうち治まるとルーシリアの馬鹿に伝えたのを思い出した。

 結局騒ぐのは収まらなかったが。

 かつて「何が宗教よ、説教してきたらぶっ殺してやる」とキレにキレていた闇のルーシリア、お前は今どこにいる。

 

「なにっ! ツバキは病気だったのか!?」

 

「いや、魔力のある場所でいっぱい動くと痛くなるってやつになってました。子供がなるらしいので何度も言われると実はちょっと恥ずかしい」

 

「はえー、こっわ。初めて聞いたわ。……オレもなるのかな」

 

「ここら一帯の濃度ではならないと思いますよ。オルトリヴロレは国全域の魔力が遥かに濃いので比べ物になりません」

 

 頬を赤らめながら首を傾げるツバキに代わり、軽く説明する。

 国の根幹が異なるためか、アメリアの持つ知識では環境も遥かに違う様相となっていた。

 勇者が来た国は個々人の身体技能に優れていることが特徴だった。

 説明を終えると、ぱちぱちと二人から拍手を貰う。

 ぼんやりと思考が進み、考えが至るのはこの勇者が魔力痛を覚えるとしたら……。

 

「おねーさん、すげー詳しいのな! ……エルフだからか?」

 

「魔法を扱うなら基礎みたいなもので」

 

 ハッとする。

 この街ではそうではないかもしれないが、遠方ではエルフと教会は深い確執を持つ。

 過去に教会で貯蔵している陽光と月光を盗んで木の栽培に使った愚か者がいたためだ。

 伝承によると広域を浸食した森ごと光に飲み込まれて消えたとされている。

 それで済めば良かったのだが、どうやら見事な世界樹となったのは確からしく、しかもそのエルフは満足気な表情を浮かべていたと記されていた。

 エルフは会心の出来を誇る大作とともに世を去るのを本望としている。

 教会にも「街を犠牲にして天に至る(きざはし)を生み出した邪悪なエルフは不敵な笑みとともに浄化された」と伝わっている。

 事実を裏付ける記録に誘われ、今でも教会から盗み出そうと暗躍するエルフも少なくない。

 そのため、場所によっては軌道派などに属する騎士位の称号持ちに殺されても可笑しくない。

 

「いや、私は確かにエルフですけどダークエルフなので……」

 

「そうなんですか。俺、エルフ見たの初めてです。……耳は長くないんですね」

 

「あ、はい。魔法を使ったらちょっと長く見えるかもしれません」

 

 すごーい、と呟くツバキを見て肩の力が抜ける。

 それもそうだ。

 この街はそういうものだと思い出した。

 

「ダークエルフって肌は黒くないんですか?」

 

「いえ、ならないですね。黒い肌なら『夜』とか『星』の星辰持ちになりますよね? エルフの森を燃やすのがダークエルフですよ」

 

 なぜか困惑した表情で「えぇ……」と漏らした。

 勇者もちょっと引いているが、エルフに引ける育ちじゃないと思う。

 アメリアが話した通り、エルフとダークエルフに容姿の差異があるはずも無い。

 エルフとしての正しい価値観を否定するためにダークエルフと呼ばれるだけだから。

 普通のエルフに混ざって森に入り、それぞれの評価を聞いてから燃やすのが一番楽しい。

 

「街? 里? ちょっとわかりませんけど、住処を焼くのはよくないと思うんですよね」

 

「でもエルフは植樹しますよ」

 

「植樹」

 

「しかも魔力の流れに敏感なので、放っておくと森がとんでもないことになりますよ」

 

 ツバキは教会関係者なのだから、残されている記録に心当たりがあるのだろう。

 悩む素振りを見せたところをアメリアは押すことにした。

 おまえもエルフの森を焼かないか?

 

「魔物となってクラスタ形成して街が飲み込まれることもあります。多脚のフォージツリーはエルフが生み出してしまったと言っても過言ではありません」

 

「えっ」

 

「あれめっちゃ強いからな。エルフばかじゃん」

 

「しかも満足したら放っておく始末。燃やせば流れを散らせて土壌も肥えるので良いことづくめです」

 

「被害があんまり出ないならいいと思います……」

 

「エルフばかじゃん」

 

 納得してツバキが快諾してくれたように見えた。

 勇者がなははー、と笑う。

 パーティメンバーも高く評価していたが、確かに話がわかる相手だ。

 勇者も意外と話がわかる。

 アメリア、教会スキ!

 

「それならオレもエルフをぶっ殺したほうがいいか?」

 

「個体数は少ないのでやめてあげてください……」

 

 エルフは逃げ惑うどころではなくなるだろう。

 それに、世界樹級にまで成長した樹は強大な魔物も呼び寄せる。

 この勇者が、その魔物との戦いを糧にすると思うと、アメリアは背筋が凍る思いだった。

 

「ちょっと話し込んでしまいましたね。そろそろ行きましょうか」

 

 アメリアは話を変えるついでに提案する。

 サーモンランに向けて街を出たほうが良いのは確かだ。

 二人が「はーい」と力の抜ける返事で答えた。

 アメリアが外に向けて歩き始めると、二人も後を追いかけて来る。

 

「あんまり街の外に出たことないから楽しみなんですよね。自分の意志で出たことほとんど無いので」

 

「やばいな! オレは記憶にない時からだから……数えるの苦手でわっかんねーわ!」

 

「でも長い時間外にいたことはありますよ。洗礼を受けた後に他の街から来たんで」

 

「洗礼かー。オレよくわかんねーんだよな。やりてーって言ったらやれんの?」

 

「できますけど死にますね」

 

「死ぬのかよ! やべーじゃん!」

 

「マジでやべーですよ! お月様が見てきますよ!」

 

「やべーじゃん! 教会ってやべーな! そういえば教会があるとアンデッドが少ないんだろ? あっちはマジで多いからやべーよ! 臭すぎてやべーからよ!」

 

「それってやべーじゃん!」

 

 やべーやべーと二人で楽しそうに話しているが、実態はもっとやばい。

 教会に祈る者は皆が知っている。

 洗礼は何も与えない。

 ただ、『お月様が見ている』ことを明らかにするだけだと。

 月光が齎す奇跡が洗礼であり、そして教会よりそれらを盗んだエルフを『お月様が見た』のも奇跡の一つだということを。

 

「なあ、これやばくないか?」

 

「やばいですね」

 

「やべーよなあ!?」

 

「やべーですよ!」

 

 教会の奇跡は魔法と実は異なるらしい、と燃やした森のエルフから盗んだ研究に思いを馳せていると後ろの二人が騒ぎ出した。

 門を出るまでは手遊びしていて、外に出れば拾った石ころのどっちが綺麗かを競い合っていたので放っておいた。

 すでに森の中を進んでいるが、アメリアが魔力を読んで魔物を避けているため危険はないはずだった。

 それに勇者もいる。

 それが騒ぎ出すとは異常事態だろうか。

 張っていた気が更に張り詰め、魔力が体内の流路を駆け巡る。

 そしてアメリアが即座に振り向けば……。

 

「とうとうエクスカリバー、拾っちゃったな……」

 

「かっこよ……」

 

 一振りの剣ほどの長さがある、丈夫そうな木の枝を天に掲げる勇者の姿。

 ツバキも思わずといった具合で褒めているが、立派な槍を持っていることを忘れたのだろうか。

 ルーシリアが護衛で遠出しててよかった。

 ここにあんなツバキ全肯定拳闘士など居たらアメリア一人ではどうにもならなかった。

 そろそろ集中するように、とアメリアが声をかける前に、勇者が警戒心を露にした。

 ツバキは呆けていた。

 

「……敵か? ひと当てする」

 

「あ、それはだめ……」

 

「居合かっこよ……」

 

 勇者がゆっくりとした動きで枝を腰だめに構え、解き放った。

 アメリアの目に捉えることのできない速さで振りぬかれた枝から、重さすら感じるほどの魔力が放出された。

 制止の言葉は間に合わなかった。

 しょうがないとばかりに頭を切り替える。

 勇者の魔力によって、なぎ倒された木々の間に混ざって僅かな魚が落ちていた。

 

「こっちに来ますよ! サーモンランは下手すると死人が出ます! ツバキさんは轢かれないように気を付けてください! 勇者さんは……なんか頑張って!」

 

 「死人!?」「おうまかせろー!」と二人の声を聞きながら、魔力の流れから離れるようにツバキを庇いながら移動する。

 森の中から「きたぞ!」「サーモンランだ!」「俺はこの木の裏を選ぶぜ!」「ここで金を稼いで結婚するんだ!」と叫び声が矢継ぎ早に聞こえる。

 そして、どどど、と轟音が響き渡るとともに地を揺らしながらアメリアの視界いっぱいに魚が現れた。

 

「なんだこれは」

 

 ツバキが呟いた。

 ほんとにね、アメリアは頷いた。

 

「上から来るぞ! 気を付けろ!」

 

 そう言って、勇者は空から降ってきた魚群に飲まれた。

 気を付けろとは一体なんだったのか。

 俺も言ってみたかった、ツバキが呟いた。

 死んでしまいますよ、アメリアが呟いた。

 

「なんだこれは! 魚の群れか! 違う! これは魚の川だ! オレはいま魚だったのか!」

 

 魚群に逆らうように泳ぐ男が一人。

 その姿はまさにサーモンランの勇者だった。

 

 

 




なんだこれは。


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22

 

 アメリアは膝を抱えて地面に座っていた。

 隣のツバキも同様だった。

 波濤のように押し寄せる魚群は何度見ても意味が分からない。

 更に言えば、今回は魚群を掻き分けて泳ぐ勇者のせいで輪をかけて意味がわからない。

 唐突な情報を叩きこまれたせいか、ツバキは「はえーすっごい……」と呟くだけだった。

 勇者の手によって、または木との衝突、落下の衝撃、あるいは魚同士の押し合い、様々な理由で魚群から弾かれた魚が付近に散らばっている。

 活きのいい魚から悪い魚まで、大小、色とりどり。

 

「俺はてっきり川を遡上する魚を狙うのかと」

 

 ぴちぴちと跳ねる魚と、ぐったりと動かなくなった魚を手に取ったツバキが呟いた。

 アメリアにはその気持ちがわかる。

 割が良いとだけ聞いて初めて参加した時は本当に酷かった。

 混乱したアメリアは前衛に強化を掛けてしまい、ルーシリアが魚群に飲まれ、ローレットは樹上に避難していた。

 もしかするとあの時に闇のルーシリアは消滅したのかもしれない。

 

「それが普通ですよね。サーモンランは魔力の流れに沿って陸路、途切れたら飛んだりするみたいですよ」

 

 飛べる時間は短くて、ほとんど跳ねるみたいなものらしい。

 跳ねて流れに乗れなければ、そこらへんで散らばるのも特徴だった。

 魔力は外部による影響を受けやすく、先ほどの勇者が放った一撃で流れが簡単に歪んだのだろう。

 

「羽根もないのに飛ぶのかあ……。色々な魚がいるんですね。うわ、これとか歩いてますよ。三対六脚……あ、小さなハサミもあるのか」

 

 これって多脚になるんですかね、というツバキの問い。

 その視線の先には、大ぶりな魚の姿があった。

 腹の辺りから生えた虫の物に似た脚を絡めて木にしがみついている姿は、ここら辺ではなかなか見ることが出来ない種類だ。

 

「足の数は基本的に陸上を想定していますからね。ここら辺で戦うならウーズ種と同じ扱いかと」

 

 アメリアが問いに答えれば、そこら辺はちょっと複雑なんですね、とツバキが言う。

 確かに足の数による等級分けは癖もあるが、比較的簡素化している。

 実はギルドで詳しく調べようとすれば、数値化されたもっと複雑な指標を見ることが出来る。

 細かく数字によって段階分けしている等級もあるが、冒険者の中でそれを理解している者はおそらく少ない。

 冒険者とは学が無い集まりで、その中でもセトリオードに所属する連中はまだマシな部類だという話が結局の所だ。

 一目で見て多いか少ないかわかる足の数が指標になるのも当然のことだった。

 

「……これなら俺でも勝てますかね」

 

「逸れているなら勝手に死にますから勝てると思います。……ただ、サーモンランの漁期内では定期的にさっきの魚群が押し寄せてきて、終盤は勢いはそれほど無いのですが歩行可能な魚が群れてきて、木にびっしり張り付いていたりするので。一斉に襲われたら死ぬのでは」

 

「ナイフで捌いてやります」

 

「槍は?」

 

「……ホーンラビットを狩るのに全力を出すドラゴンはいませんよ」

 

 腰に隠してあるナイフを取り出したツバキが不敵に笑った。

 基礎を木製で作り、鉄の刃を繋いだナイフだった。

 槍は小さな相手には無力なので、その時になったら放り投げるらしい。

 要らないのでは、アメリアはそう思った。

 

「サーモンランすげーやべーな!」

 

「すげーやべーサーモンランを泳ぎ切ったのもすげーやべーですよ」

 

「オレは勇者だからな!」

 

「勇者すげーやべー」

 

 でけー魚が取れたぜ! と大人一人分はある大きさの魚を抱えながら勇者が戻ってきた。

 早速頭を使っていない会話を男同士で繰り広げている。

 とりあえず第一波は終わったようだった。

 

「それにしてもよくその大きさの魚が取れましたね」

 

「泳ぐのに飽きて飛び出す時にちょうどいいから捕まえてみた!」

 

「暴れてしょうがなかったのでは。……うわ、牙すっご。これはエラが無い個体なんですね。巨大だからなのかな」

 

「それが動かなくなっちまったんだよな。中に泳いでる時はめちゃくちゃ元気だったのに」

 

「それは不思議ですね。……こいつのヒレは上下に動くみたいだ。骨格がそうなんだ」

 

「な!」

 

 なはは、と声をあげる勇者は巨大魚のヒレを掴み、吊るし上げている。

 ニコニコしながら動かなくなったという巨大な魚をツバキは検分していた。

 周囲をぐるぐると回りながら観察している。

 近くに落ちていた魚を、同じように脚の生えた魚も、動かなくなった魚も観察している。

 構造、部位、動き。

 魚のヒレは左右で、この巨大な生き物は上下に動く、と実際に動かして勇者に見せていた。

 アメリアも興味を惹かれ、隣に移動する。

 

「巨大な頭部、エラも無い、骨格の構造。魚と同じ生活はしてますけど魚じゃないって感じですかね。こういう魔物はいますか?」

 

「沿岸部や海なら似た魔物が出たような……」

 

「なるほど。魔物って収斂進化するのかな」

 

 記憶を掘り進め、水辺で似通った魔物が出ることを伝えるとツバキは小さく呟いた。

 教会の知識だろうか。

 アメリアは興味があったが、勇者はどうなのだろうか。

 吊るしていた魚は地に置かれた。

 

「それってなんか意味あるのか?」

 

「うーん、弱点がわかるとか、生息域が何処なのかとか、そういうことがわかるかもしれませんね。……あとは味? これは肉が固くて筋っぽいんじゃないかな」

 

「味かあ、味は大事だよなあ。焼いて塩振ったらうまいけどな!」

 

「塩焼きもいいですが、鮮度がいいので生で食べられないですかね」

 

 唐突に狂気的なことを言い出したツバキに目を丸くする。

 その言葉を聞いた勇者はすぐさま取り上げるように巨大魚を持ち上げた。

 やはり国が違っても根底にある生命が関わる常識は同じらしい。

 

「ツバキ! 生はやめとけ! オレは耐えられるがお前には耐えられない!」

 

「いや、それを食べるわけじゃないですけど」

 

「おねーさん! これどっか預けるとこあるって聞いたんだけど!」

 

「あっちのほうで買取してると思いますよ」

 

 隊商やギルドが馬車を用意して、その場で買い取っているはずだった。

 アメリアが指差した方向から賑わっている声が聞こえていることに気づいたのだろう。

 勇者は巨大魚を抱えたまま、周囲に転がっていた魚も手早く回収して駆け出した。

 懐にも無理やり詰め込んでいたためパンパンに膨れ上がっていた。

 勇者の跡を示すよう、点々と魚が零れ落ちている。

 

「あれは食べないですけどね。でも鮮度がいいやつは生で食べられそうじゃないですか?」

 

「う、うーん」

 

 アメリアは言葉を濁した。

 エルフにだって生の肉や魚を食べる習慣は無い。

 そもそも果実や野草を好む。

 また、エルフは好きな果実を好きなだけ食べるために植樹しまくるところもある。

 

「活きのいい魚だけじゃないのが不思議ですよね。死んでるのかな」

 

 一緒に勇者が落としていった魚を拾って後を追いかけていると、ツバキが興味深いことを言った。

 確かに活きの良い魚が跳ねまわっている横で、ぐったりとしている魚がいる。

 アメリアは感覚を集中させて魔力を探ると、魚の内部から急速に魔力が失われていることが分かった。

 比べて、活きのいい魚は未だに魔力が留まっている。

 

「これは確かに死んでるのかもしれませんね。魔力が失われていきます」

 

「気を付けないと魔力は外に垂れ流しになるんですよね。それでは?」

 

「生物の魔力核は魔力を溜め込んだり生み出したりする臓器なので、完全に失われることは無いはずです。二匹を比べても、動かない魚の方がずっと速く漏れ出していますし、残存していない。魔力はなぜか細さのある末端から抜けやすいんですけど」

 

 ぷちり、と自分の髪の毛を抜いて見せる。

 鮮やかで輝くような青色の艶が徐々に失われていく様が見て取れた。

 ダークエルフとしての経験によって内包する魔力の多さが、色艶の減衰を遅くしていた。

 濃紺に近づいていく。

 

「なるほどなあ。表面積とか関わっているんですかね」

 

「表面積……確かに」

 

「だから特にヒレとか尾から洩れてるんですね。俺の髪もなにか変わるんですか。……変わらないか」

 

「変わりませんね。……それにしても生粋の黒とは」

 

 ツバキが自らの頭髪を抜いて見せる。

 時間変化はほとんどない。

 残念そうだったが、アメリアとしてはかなり驚く事実だった。

 魔力による見かけ上の色ではないことが。

 

「黒が珍しいとは知っているんですけど、頭髪の色は何か意味あるんですか? 性格診断?」

 

「え、あ、はい。……主に魔力性質とは言われてますが。この国は茶色が多いようですね」

 

 黒は冷静とか無いですか、とちょっと面白そうに聞いてくるが、それどころではない。

 古い文献では色々と書き連ねられている。

 国によっては髪が白か黒だというだけで死ぬ場合もある。

 

「……それより、あまり髪を抜いて見せないほうがいいですよ。勇者が来た国なんて黒髪の魔王の伝承が残ってますからね」

 

「でも俺、ブラックウーズに殺されますよ。どんな魔王ですか、それ」

 

「あ、はい。うーん……」

 

 あまりにも悲しそうな顔でブラックウーズすら倒せないなどと言い出した。

 縄張り争いなどが生じるとウーズ同士で争いが起きることもある。

 ウーズですらウーズを倒せる。

 地域によってはウーズを水代わりにする魔物もいる。

 つまり、ツバキは飲み物と争って負けるかもしれないと言っている。

 いや、言ってないが、アメリアからするとそう受け取ってもおかしくない情けない言葉だった。

 核を突けば倒せるだろうが、とてつもなく不憫な生き物に見えてくるから不思議だ。

 

「でも死んでる魚も混じってるんですね。アンデッドみたいでちょっと怖いです」

 

「アンデッド……」

 

「アンデッドになったら未練とか本能に引っ張られるんですよね、確か。だから生前の思い入れある家族等の近くに寄っていくんですけど。でもアンデッドに変異しているので傷つけてしまうとか」

 

 ツバキの言葉に考えを巡らせようとして、再び地響きが起こった。

 魔力の流れが妙に揺らいでいた。

 足元で這いまわるような……。

 

 「サーモンが飲まれたぞ!」「あのサーモンが!?」「くそっ、サーモンランの勇者サーモンがいなくなるなんて……!」「なんなのだこれは! どうすればいいのだ!」「でかすぎんだろ」「サーモンがいなくて何がサーモンランだ!」

 

 徐々に近づいてくる地響きと、悲壮な叫び声に思考を中断された。

 そわそわしているツバキの手を握り、流れから離れようとする。

 

「速すぎる……!」

 

 逃げるには間に合わない。

 速度がどのサーモンランよりも速く、そして巨大すぎた。

 自らの質量で森を割り、地面を砕きながらそれは現れた。

 魚というにはあまりに巨大すぎた。

 背から水を噴き出すと、数多の魚が空に舞い散った。

 

「あれってク……」

 

「焦っちゃいけないぜ、嬢ちゃんたち。あれはキングサーモン。極稀にサーモンランに現れるやつらの棟梁よ。おれもこれで三度しか見たことが無いがな」

 

 アメリアとツバキの間に割って入ってきた壮年の男が、ガハハと豪快に笑う。

 誰です?

 

「いやでもクジ……」

 

「心配するんじゃねえ若いの。サーモンは由緒正しき名前を受け継いだおれたちの勇者よ。逃げずに両足で立ってビシッと待ってりゃ大漁よ」

 

 誰だよおめーは。

 アメリアはツバキの知識が披露されるのを待っているが、そのたびに遮られている。

 

「知ってるか? サーモンランはずっと昔、おれたちのじいさんのそのまたじいさんが空腹に泣いているときに始まったんだ。黒髪の旅人がサーモンランという祭りを始めろと言ってな。みんなで祈れと。そうしたらどうだ? たちまち大漁よ! ここらで生まれた魚も、見知らぬ魚も来るようになってな! 魚以外の食べ物にも余裕が出るとな、色々と変わっちまうんだ。昔はここらにでかい川があったらしいが、治水がどうとかで無くなっちまったんだ。だがサーモンランは不屈さ。変わらず続いている! 見てろ、勇者サーモンの雄姿を!」

 

「だからサーモンランは現地の言葉じゃなくて英語のままなんですね。ん? カタカナ英語か?」

 

「いまなんて?」

 

「知ってるか? サーモンランはずっと昔、おれたちのじいさんのそのまたじいさんが空腹に泣いているときに始ま……」

 

「あなたじゃないです! 黙らないと燃やしますよ!」

 

 赤い髪のエイプを燃やす癖が付いてきてしまったのか。

 アメリアがつい魔法を使ってしまう。

 なんとか形に成る前に止めることはできたが、キングサーモンとやらの興味を引いたのは間違いなかった。

 

「ツバキさん! キングサーモンが来ます! 逃げないと!」

 

「ヒレ使ってますね。あれはクジ……」

 

 言ってる場合か、と手を引く。

 あの巨体に轢かれては耐えられるのは勇者や赤いエイプみたいな人種だけだ。

 ダークエルフと神父は繊細なので耐えられない。

 

「オレがいるだろ!」

 

 前に躍り出た勇者が枝をひと振りし、キングサーモンの巨体をかち上げた。

 落下し、再び地が揺れる。

 動くはずの無い地の揺れというものは根源的な恐怖を覚えた。

 周囲にいた誰もが怯え竦み、身体を地に伏していた。

 偉そうに話していた壮年の男も、アメリアも。

 

「勇者! 勇者来た! これで勝てる! 槍使いますか! 使え!」

 

「良い武器は蝕んじまうからいらねえ! 見てろ!」

 

「見てます! 」

 

「そうだ! オレを見ろ! それだけで……」

 

 腰が抜けたアメリアが呆然と見つける先で、男二人が笑っていた。

 何が楽しいのか、ツバキははしゃいで声援を送っている。

 勇者も高笑いしながらキングサーモンの頭上へと跳び、頭部を切り落とした。

 

「どうだ! 見たか! 見えるよな!」

 

「見てます! まだ動いてます!」

 

「やべーな!!!」

 

「体の真ん中に心臓があるので! 核もたぶんそこですよ!」

 

「よっしゃあ! 消し飛ばすからよ!」

 

「中に人が飲まれたらしいですよ!」

 

 暴れるキングサーモンの体を見て、勇者が笑う。

 そして、垂れ流されている血液の中に飛び込んだ。

 切り落とされて転がっていたキングサーモンの頭部に残された濁った瞳が、力なく行く末を見ていた。

 ぱくぱくと口を動かしていたのは、何を意味したのだろうか。

 尾を振り回し、びちびちと暴れていたキングサーモンの体はやがて動かなくなった。

 

 ほんの僅かな時間、静寂が訪れた。

 キングサーモンの背が吹き飛び、中から勇者が飛び出した。

 飲み込まれたというサーモンだろうか、男が抱えられていた。

 

「オレが倒したぞおおおお!!!」

 

「かっこいい! 勇者かっこいい!!」

 

 勇者が咆哮し、ツバキが歓声をあげた。

 誰も声をあげない。

 アメリアには理解できているが、果たしてこの場にいる人間に事象が理解できているのか。

 

「オレが倒した……」

 

 勇者が力なく呟いた。

 

「そうだ……。お前に助けられた……。お前こそサーモンランの勇者だ……」

 

 助けられた男が言った。

 

「そうですよ! 人を助けた! 立派だった! キングサーモンも倒した! 超強い! 彼こそ勇者です! 祝え! キングサーモンの討伐を! 喜べ! 新たなサーモンランの勇者の誕生を! おめでとー!」

 

 ツバキがすごーいと叫んでいた。

 

「勇者?」「勇者だ」「そうだ、新たなサーモンランの勇者が生まれた!」「勇者!」「サーモンランの勇者!」

 

 徐々に歓声が広がっていく。

 感謝の言葉、新たな勇者の誕生を祝う喜び。

 勇者を呼ぶ声が森に轟く。

 

「オレが勇者だあああああ!!!!」

 

 応えるように、その場にいた誰もが「うおおおおお!」と叫んだ。

 キングサーモンの巨体による地響きにも負けないほどの大きさだった。

 その姿はまさにサーモンランの勇者だった。

 たぶん笑っていた。

 

 

 

 

 

 勇者と呼ばれるたびに喜んで活躍してみせる男がいたものだから、すっかり遅くなってしまった。

 帰る頃には夜の帳が下りていた。

 サーモンランの集荷物を運ぶ馬車についていって門を通ったくらいだ。

 勇者の活躍で歓迎されたのだが。

 

「魚の生臭さが酷いと思うのでちゃんと洗ってくださいね」

 

 アメリアが経験談から助言する。

 洗ったからといって落ちるとは限らないが。

 

「オレこのままでいい……。魚の勇者になる……」

 

 よっぽど楽しかったのか、だらしない顔をした勇者がそう口にした。

 魚の勇者とは一体。

 

「それにしても凄いですね。たぶんあのクジラは高位のアンデッド化してましたよ。アンデッドはあんまりわからないので知識に照らし合わせた結果ですけど。分類はノーライフキングかなあ」

 

 アンデッドの専門ともいえるツバキの言葉。

 教会がそう(・・)発言すればそう(・・)であると認められるほどに強い権威を持つ。

 遠い昔に黒髪の旅人が齎したとされるサーモンラン、アンデッドに分類される魚たち、キングサーモン。

 生きている魚、死んだ魚を遡上させる『力ある言葉』によって作られた祭り。

 わからないことも多いが、それを認めたとなればサーモンランは愉快なことにはならないだろう。

 

「その、ツバキさん。ギルドにはアンデッドと伝えないほうがいいかと。サーモンラン自体がよろしくないことになります」

 

「え? あー、そうですね。勇者が良ければ言わないです。……鮮度が良いと魚も美味しいからいいと思うんだけど」

 

「オレはよくわかんねーけど、このままずっとちやほやされたい」

 

 勇者の言葉から、サーモンランは大漁を約束された祭りということで決まった。

 あの魚群は、はじまりのサーモンランに呼ばれた魚たちが目指した場所へと向かうのだろう。

 

「二人とも教会に来ます? お夕飯ならありますよ」

 

「オレはやめとくよ。酒場に行くからな!」

 

 そうですか、とツバキがしょんぼりした様子だった。

 魚の生臭さが付いたであろうアメリアも断ろうとしたが、それを見てしまうと言葉に詰まった。

 勇者に背を押される。

 

「代わりにダークエルフのねーさんが行くからよ!」

 

「え、ちょ、私が行くなら勇者も……」

 

 焦って振り向けば、先ほどまでの浮かれた様子は引いていた。

 少しだけ張り詰めた空気を感じる。

 

「悪いけど、オレ、この街が好きになった。ツバキも好きだ。おねーさんも。……教会行ったら面白くなりそうにないんだわ。でもツバキががっかりするのも可哀そうだから頼むよ。な?」

 

 はあ、とアメリアはため息を吐いた。

 楽しそうな二人の仲に水を差すのも悪い。

 仕方なく受け入れる。

 「行けるようになったら絶対行く」と言い残し、勇者はギルドの酒場に向かった。

 

 勇者と別れた後、教会への道のりを歩きながら今日の話を二人でする。

 ツバキはずっとサーモンランの話をしている。

 勇者もそうだ。

 サーモンランからの帰り道も、人を守っただとか、ツバキがどうとかずっと話していた。

 よっぽど楽しかったのだろう。

 アメリアだって純粋なその様子を見ていれば笑顔の一つも零れる。

 とはいえ、門で待つ人々に手遊びを流行らせるのはよくないと思うが。

 私は決して負けてない……。

 

「凄いですよね! 勇者がこうすると、びゅってなるんですよ! 俺もできないかな」

 

「あれは膨大な魔力を放ってるだけですからね」

 

 剣を振る動作を真似ているが、実際は木の枝だった。

 それであのふざけた威力を出すのだから、サーモンランの勇者どころの話じゃない。

 真似なら出来るが、あれほど気軽に連射できるとは言えない。

 

「あれには練習とまりょ、く……」

 

 笑いながら夜の教会に入れば、アメリアは言葉を失った。

 すぐそこに光があった。

 

「アンバー、待ってた?」

 

 優しい顔で、穏やかな声で助祭が名前を呼んだ。

 アメリアでは言葉にできない名前を呼んでいた。

 すぐに忘れてしまうのか、元から知らなかっただけなのか。

 名前を呼んだという事だけを知っていた。

 ルーシリアの執念に戦慄すら抱く。

 おそらく助祭との会話から、この名前を割り出したに違いない。

 時間をかけて、何度も何度も自らの中で意味を構成して。

 正しくなく、しかし間違いでもない名前を。

 

「そう、今日一緒に冒険してくれた人。いい人でね。名前だけでもいいから挨拶しなよ」

 

 アメリアは知っている。

 かつてこの街に移送されてきた者がいることを。

 仰々しい隊列を使わなければならなかった者がいることを。

 アメリアはそれを知っているだけ。

 その存在を知っている。

 ただひたすらに尊い何か。

 いと高き天使に至る、名も無き聖女。

 

 

 

アンバーエイト

 

 

 

 

 

 



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23

 

 勇者の似顔絵を描かせてもらったおかげなのか、ギルドの依頼で絵を描く仕事も受けられるようになった。

 絵を描く際には以前使った二階の一室を使って良いと言われた。

 まだ『ギルドでは絵を描く依頼も出来るようになった』と周知している段階なので依頼があるわけではないのだけれど。

 折角なのでギルドの職員にお願いして掃除をさせてもらえば、積み重なった雑貨の下から古い資料や書物が出てきた。

 相談すると、外部に持ち出さなければ時間がある時なら好きに読んでいいと許可された。

 

 掃除中の読書という魅了に負け、途中で掃除を切り上げて資料をぺらぺらと捲り、興味を惹かれる一冊を手に取る。

 教会では目にすることのない記録が記されていた。

 まあサーモンランについてなんだけどね。

 勇者が暴れたキングサーモンの乱みたいな頭がぶっ飛んだ規模は無いようだが、謎のお祭りは各地であるらしい。

 ここら一帯ではサーモンランが最大のようだ。

 まあ鯨も来てくれるからな……。

 サーモンランや謎祭りの行く末は遠い隣国付近まで続き、お祭りが終わると魔物の分布や森の構造が変わるらしい。

 

「ツバキさん、えっと、お待たせしました……」

 

 後ろからファティに呼ばれ、資料を畳みながら立ち上がる。

 窓から射しこむ光を利用して読んでいたので、開けっ放しだった扉には背を向けていた。

 ギルドの講習だというので一緒に来たのだが、嬉しいことに帰りもご一緒してくれるらしい。

 

「もう終わったんだ? ファティのことを考えていたらすぐだったから気づかなかったな」

 

 軽口を叩きながら振り向けば、開いたままの扉の傍には見る見るうちに普段よりも遥かに血色が良くなっていくファティと、同じ年頃の女の子が数人いた。

 なるほど、と棚に資料を戻す。

 勉強してたら友達もいるよな、いくつでも女の子は可愛いよな、混ざりたいなあ、と考えている間にも事態は動いているようだった。

 「ちがうの、ほんとうにちがうの……」と呟くファティのか細い声を掻き消すように、きゃあきゃあと黄色い声が響いた。

 ニコニコしながら女の子たちに手を振って見せれば、一層甲高い声を挙げて逃げ出すように走っていった。

 もう恋バナとかで盛り上がる年なのかな。

 残されたファティに、アンバーの十万倍は鋭そうな上目遣いで睨まれた。

 

「……ちょっと恥ずかしかったです」

 

「ちょっとで良かった。一緒に帰らないって言われたら泣いちゃうところだった」

 

 はい、と手を差し出す。

 ひんやりとした小さな手で握り返される。

 いつもより込められている力が強い気がして、それが何となく嬉しい。

 遠慮する女の子も好きだけど、遠慮しつつも時には気安くしてくれる女の子も好きだ。

 ニコニコしながら手を繋いで階段へと向かえば、まだ帰っていなかったさっきの女の子たちが代わる代わるこちらを覗いていた。

 どうやら階段で待ち伏せしていたらしい。

 きゃあきゃあと楽しそうに声を挙げながらばたばたと下りて行った。

 「こら! 危ないから走らない!」と注意する冒険者の低い声に続いて「ごめんなさーい!」と軽やかに女の子たちが口々に謝ってた声が聞こえた。

 手を更に強く握られて、ファティを見れば耳の先までいつもより健康そうな血色をしていた。

 淡い水色の髪がほんのりと輝いている。

 

「ああ、失敗した」

 

「ツバキさん……?」

 

 そう大げさにそう言えば、ファティの水色の瞳が不安そうに揺れていた。

 握っている手の力が緩まった。

 

「ファティを抱きしめれば良かったね」

 

「ツバキさんっ」

 

 少し強めに握り返してそう言って笑いかける。

 アンバーの百万倍は鋭そうな上目遣いで睨まれた。

 是非ともこのままの可愛いファティでいて欲しい。

 

「いつもやってるから慣れてるでしょ。ほら、寝る時に」

 

「もう、知らないっ……!」

 

 俺の言葉に怒ったのか、ファティにぐいぐいと繋いだ手を引っ張られる。

 笑いながら「危ないよ」と声を掛けつつ、ちょっとだけ抵抗して普段よりも遅めに階段を下りた。

 一階には冒険者たちの姿が疎らにあるくらいだった。

 こういう場面では、かつて読んだ小説なら「へへへ、可愛い女を侍らせてるじゃねーか。ひっひひ、こっちに寄越せ。弱い男に明日はねえ、フッフッフ」と素行の悪い冒険者に絡まれるイメージなのだが、まったくそういう素振りは無かった。

 兄弟姉妹が多く、何も親から継げないため冒険者になる者が多い。

 仲がいいね、と見られているか。

 それとも、ロリコンきっしょ、と見られているか。

 

「お、ツバキ。ちょうどよかった!」

 

 上機嫌な勇者が現れた!

 軽い挨拶を交わすと、すぐに本題を話し始めた。

 といっても要領を得ないため詳しい内容はわからず、ただ「できらあ!」と叫ぶ女が酒場に現れたとだけわかった。

 

「酒場のマスターも来てほしいって言ってたからよ! 用があるからちょっと来て……」

 

 勇者が俺の後ろに隠れていたファティを見て言葉を詰まらせた。

 ファティがしがみつくような強さで俺の服を握っていたので頭を撫でる。

 ジッと見ている。

 羨ましいのだろうか。

 

「教会で暮らしている子ですよ」

 

「へえ……」

 

「紹介しましょうか」

 

「いや、いいさ! ……幸運そうだ、良い事だ」

 

「……大丈夫? 頭撫でる?」

 

 俺の提案に、勇者が口を半開きにした間の抜けた顔になった。

 少し経ってから大声で笑いだした。

 

「ツバキは面白れえ男だな! オレはサーモンランの勇者だからな! もういらないぜ!」

 

 「サーモンランの勇者はここにいるぞ! みんな付いて来い! ツバキも来い!」「勇者!」「サーモンランの勇者!」「うおおおおお!」と叫び、周囲にいた冒険者を引き連れて勇者は酒場に繋がる扉に入って行った。

 

「御呼ばれしちゃったな。俺は行くけどファティは……」

 

「行きますっ」

 

 行くらしい。

 

「私がいないとツバキさんは迷っちゃいますっ」

 

 らしいよ。

 何故かやる気になったファティにぐいぐいと引っ張られながら酒場に続く扉を通る。

 妙に長い廊下の先はとても賑わっていた。

 サーモンランによる収入で楽しめているのだろう。

 一日の間に断続的な波が続くので、魚を目標数捕まえたらその日はお休みにする人もいるのだとか。

 漁は過酷だからいいと思う。

 上からも来るからな。

 正しい手続きをしておくと夜間も漁が出来るとも聞いた。

 篝火で照らした森の中で作業するので手当が僅かに付いたり、夜食が振る舞われる等聞く限りでは楽しそうだった。

 

「こっち来いよ!」

 

 入ってすぐ傍にあるカウンター席に座っている勇者に呼ばれ、その隣に座る。

 料理がずらりと並んでいて、好きに食べていいと言われたので有難く魚をつまむ。

 貝も並んでいるので、こいつらも遠路はるばる跳ねて来たのだろうかと考えてしまう。

 

「それで用ってなんです?」

 

「それはな……」

 

 俺の問いかけに勇者が答えようとして女性の大声に遮られた。

 

「できらあ!」

 

 できるらしい。

 なにが?

 

 

 

 

 



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24

「ってことらしいんだよ! 頼んだわ!」

 

 何故か説明した気になった勇者が「キングサーモンうめーよ!」と超巨大クジラ肉にかぶりついた。

 勇者が注文したであろう山積みの料理をファティに食べさせる。

 カウンター内に、俺と同じように困った様子の筋肉に満ちた偉丈夫が居た。

 

「困ったわね」

 

 やっぱり困ってたらしい。

 なんと奇遇な。

 目が合ったので頷けば、ほっとしたように息を吐いた。

 

「神父ちゃん、ちょっと相談があるのよ」

 

 彼はこの酒場のマスターであるマッスルアルティメイトさんだ。

 ご存じの通り、マッスルアルティメイトの名に違わぬ究極の筋肉を持つ、雄々しい肉体としなやかな女性らしさが同居している凄い人だ。

 ギルドマスターのマッスルオーダーさんとは双子で、マッスルアルティメイトさんが弟になる。

 周知のとおり、マッスルアルティメイトさんの兄のマッスルオーダーさんは部位毎にキレのある筋肉を持ち、マッスルオーダーさんの弟のマッスルアルティメイトさんは黄金のように整いながらもしなやかな筋肉が自慢だ。

 代々受け継いだ、微妙に力があって意味の弱い名前がキメラ的な融合を果たした結果、満ち満ちた筋肉を得る肉体を持つマッスルな名前となった。

 同じような名前のサーモンランは、名前を分解して勇者サーモンとして名乗れるくらいになっていた。

 マッサルみたいな名前の人が結構な筋肉を誇っていたからまさか……?

 

「聞くだけなら。それで相談とは?」

 

「それがね……「できらあ!」ってわけなのよ」

 

「なんて?」

 

 「できらあ!」と度々遮られてしまうので、あまり見たくないが視線を勇者の傍に向ければ知らない人がいた。

 誰なのさ。

 パツキンと呼べる金髪の女性が、豊かなおっぱいをばるんばるんさせながら勇者の隣で叫んでいた。

 

「やってみせろ!」

 

 勇者が笑いながら煽れば。

 

「できらあ!」

 

 と、ばるんばるんさせながら女性が叫ぶ。

 

「酒場と同じ条件な!」

 

「できらあ!」

 

 できるらしい。

 これもう勇者が着火した案件なのでは。

 マッスルアルティメイトさんが詳しく話してくれることになった。

 といってもそんなに複雑な話ではない。

 近所にある料理屋の娘が外で料理修行を終えて帰ってきて、自信満々にギルド酒場を倒しに来たらしい。

 なんで?

 最初は普通に食べていたが、急にこれよりもっと美味い料理を作れる! と言い出したと教えてくれた。

 なんで?

 急に料理漫画みたいな展開が来たな。

 怖い。怖くない?

 

「ギルドにも面子があるのよね。売られた喧嘩は買いたいけど、相手が引き下がってくれるなら追わないで済むのよ。それが……」

 

 勇者がげらげらと笑いながら囃し立てていた。

 周囲の冒険者も酒の肴とばかりに声をあげている。

 

「ギルドと同じ値段でできるんよなあ!?」

 

「え!? 同じ値段で!?」

 

「何を驚いてんだよ! 当たり前だろうが! できねえのか!?」

 

「で、できらあ!」

 

 冷や汗をかきながら女性が言う。

 

「出来そうに無い」

 

 と俺が言えば。

 

「そうですね」

 

 とファティが俺と半分に分けたお菓子を食べながら同意し。

 

「困ったわあ」

 

 とマッスルアルティメイトさんが呟き。

 

「じょ、助祭ひゃま!? どうしてここに!?」

 

 と遠くで聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「ヨシ! やってみせろ!」

 

 何度目か勇者が勧めれば。

 

「で、できらあ!」

 

「ホントにいいの? やっちゃうわよ?」

 

「え!?」

 

 マッスルアルティメイトさんが乗り気になってしまう。

 なぜか俺に困ったような視線を向けてくる「できらあ」さん(仮)。

 俺の困った様子を見兼ねたのか、勇者が手で制して「オレに任せろ」と言った。

 任せてみよう。

 彼はサーモンランの勇者だからな。

 

「おまえは『月との約束』で勝負しろ! オレが見届けてやる! 見てみたい!」

 

「えっ!?」

 

 「できらあ」さん(仮)が勇者を見てこいつ正気かよ、驚いていた。

 俺も驚いたよ。

 『月との約束』が使われるのは凶悪な犯罪が主だ。

 教会は中立の立場を保ち、犯罪者などの事情聴取を手伝うこともある。

 そこでの素行が悪質な場合に使用される。

 かなり有用な嘘発見器みたいな機能を持っているのだが、問題が一つ。

 

「いや、でも約束を破ると下手すれば死にますよ?」

 

 俺は止めようとする。

 お月様がおこだとマジで死ぬ。

 死人が出るような約束をこんなしょうもないことで結びたくない。

 ほっとしたような「できらあ」さん(仮)の表情に、そもそも喧嘩を売らなければ良かったのでは、と思ってしまう。

 

「破らなければいい! おまえは全てを守れ! オレは守りたい物を守るけどよ!」

 

「えっ!?」

 

 勇者が言う。

 それは、そうかもしれませんが……。

 一つだけこの場で言えるのは、正論は人を救わないってことだ。

 

「おまえ、破るのかよ! わざわざ神父に来てもらって結ぶ約束を!」

 

「ま、守れらあ!」

 

 守れらあ、とは一体。

 モッツアレラの親戚か、クロレラの親か。

 

「ヨシ! じゃあ料理勝負だ! 同じ値段で出してどっちが美味いか競え!」

 

「え!? 同じ値段で!?」

 

「うるせぇ! 条件とか勝手に決めてくれ! オレは食うだけだ!」

 

 そういうわけで、ギルド酒場と街の料理人の娘が料理勝負となった。

 細かい条件はギルドが持つ書式に沿うようだ。

 「できらあ」さん(仮)に、「で、できらあ!」、と叫ばれ、マッスルアルティメイトさん曰く不正があるかもとまごつかれたが、教会指定の書式なので多分大丈夫だろう。

 自身で確認するように言ったところ、文字が読めないらしくて俺が読まないといけなくなった。

 結局「わかんねえ!」と叫ばれたけど。

 

「えっと、これって負けた方は、どうなるんでしょう」

 

 俺の腕にしがみつきながらファティが呟いた。

 確かに。

 俺も頷けば、勇者が答えた。

 

「負けたら死ね! おまえ意味わからんからそっちのほうが楽だ!」

 

 満面の笑みだった。

 ひどすぎる……。

 

「流石に死はちょっと……。負けた方が相手の店を手伝うとか」

 

「ダメよ。信頼の無い相手は働かせられないわ。真面目に働くかもわからないし、動けるかもわからない。それに、負けて何をするかわからないもの。どっちにしても良くないことだわ」

 

 俺の提案は正論によってマッスルアルティメイトさんに却下された。

 思いつきだけでアルティメットな筋肉には勝てない。

 

「時間奴隷にしましょう」

 

「まあ、それが妥当ですかね」

 

 確かにそれくらいなら、と俺も提案に乗った。

 双方で話し合って競ってくれないだろうか。

 こんなことで『月との約束』をしたくないんだけど。

 

「申し訳ないけど、ギルドとして正式に依頼するわよ。組織としての面子を蔑ろにして冒険者ギルドの看板は掲げられないの」

 

 そうだろうな、と俺は観念して頷いた。

 勇者に肩を叩かれ、そちらを向く。

 わからないことがあったらしい。

 

「なあ、ツバキ。時間奴隷ってなんだよ」

 

「あ、そうですよね。えっと、時間を調べて報せる奴隷になることですかね。時間奴隷は丁稚とか従業員と違い、原則的には自ら労働の解除ができない身分になります。時間は教会等で知ることができるのですが、わざわざ調べるのも大変なのでそういう役割が求められた結果なのでしょうね」

 

「それでか! でもよ、奴隷って酷くないか?」

 

「俺もそう思いますけど、別に誰かの奴隷って意味じゃないですからね。時間に侍るって感じです」

 

「ふーん?」

 

「悪いことをしたり、罪を認めた人の……カルマ値かな、そういうのを減らすためですかね。『お月様は見ている』ので。あとは『時間』という目には見えないけれど、傍で我々を支配している力を一時的に信仰し、またその力を皆に伝えるので守って下さいねって意味もあるのかもしれませんね。限度はありますが」

 

「はあー、変わってんな。刻限を知らせる鐘が無いからどうしてんだろうとは思ってたけどよ」

 

「感覚が鋭くなるスキルを持ってる人も多いですからね。思いやりでしょうか」

 

「思いやり! 思いやりか! それは面白いな! オレみたいなやつには厳しい街だけどそういうの好きだぜ!」

 

 何が琴線に触れたかわからないが、なははー、と勇者が上機嫌に笑い出した。

 街によっては無かったりもするらしいからなあ。

 利便性を考えるとこっちのほうが少数派かもしれないが。

 というか普通に少数派な気がしてきたな。

 

「あれ、じゃあ勇者は時間を知るにはどうしてたんですか?」

 

「なんもしてないなー。今日も朝来たらギルド閉まってたしよ」

 

 聞けば明け方から立って待っていたらしい。

 ギルドの熱烈ファンの方かな。

 退屈じゃなかったのかと尋ねると、サーモンランの勇者としてみんなから声を掛けられたから楽しかったとのこと。

 あと通りで買い食いしまくって超楽しいとも。

 このままいけば近いうちに街の勇者になりそう。

 

「ごめんなさいね、神父ちゃん。この場で『月との約束』をやってもらっちゃっていいかしら」

 

「いいですよ。別に特別な許可が必要とかでは無いので」

 

 期日を決め、互いに合意した条件を読んで問題が無いか軽く確認する。

 後は諸注意を告げる。

 破ったらマジでやばいよ、ってくらいの内容だけど。

 

「それではやりますよ。いいですね」

 

「ええ、お願いね」

 

「で、できらあ!」

 

 できるのは俺だよ。

 というわけで一瞬で約束を終えた。

 みんなこれだけって肩透かしした表情を浮かべている。

 勇者も拍子抜けした顔をしていたが、結局こういうのは話だけが先行しているものだ。

 本質は受けてみないとわからない。

 体感した身としては、やってることは洗礼も約束もほとんど一緒な気がしないでもない。

 そんなわけで約束を結んだので俺は中立の立場となり、長く酒場に居て疲れたのかいつもより血色が悪いファティと気持ち強めに手を繋いで帰った。

 

 結局「できらあ」さん(仮)は負けたけど。

 ギルドは雇用を拒否したので、市場で雇い主を探すことになりそうだったが、煽った責任を取るために勇者が雇った。

 



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25

 

 最近まとまったお金を手にすることができた。

 奇祭としか思えないサーモンランで活躍した勇者のおかげだった。

 最初「三人で山分けしよう!」と勇者が言い出したが、流石に一緒に行って見ていただけなのでそんなに多くは受け取れないと断った。

 それでも多めの金銭と、キングサーモンのクジラ肉を貰った。

 まだ足りないと駄々を捏ねる勇者にキングサーモンのひげも貰うことでなんとか宥めた。

 鯨のひげとは、鯨が口を開くと生えているわさわさとしているあれだ。

 ひげというか牙じゃないかって硬さだったが。

 

 そんなわけで無駄遣いしても心が痛まないくらいには金銭に余裕が出来たのだが、教会が俄かに忙しくなってきた。

 話を聞くと、どうやら遠くの地でアンデッドが増えているらしい。

 今のところは国境線近くや隣国の問題だが、数が日に日に増えているようだ。

 ハイヴクラスタどころかレイドクラスタを形成したら神父様が呼び出されるかもしれない。

 もしものため、教会の天井を換装する前準備などで日中は俺も教会に詰める必要があり、ギルドには行けるが依頼を受けて外に出るのは難しくなりそうだ。

 サーモンランの影響で森に居る魔物の様相が変わっているらしく、俺が外に出られないと伝えるとほっとされた。

 

 残念だけど自身でブラックウーズを採取することは断念し、ギルドを通して素材を買うことにした。

 これを研究してなんやかんやいい感じの物にならないかと思ったわけだ。

 本当は画材やら絵具が欲しいのだが、それらを揃えられる程ではない。

 普段の写本に使うような紙やインクは比較的安価なのだけど、絵を描くにはちょっと合ってない。

 ちょっとどころか全く合ってない。

 なんなら切り絵のほうが楽にできてしまう。

 ……今度やってみようかな。

 

「今日はブラックウーズを使ってなんかいい感じのインクを作ってみよう」

 

「はぁい」

 

 興味深そうにブラックウーズの素材を触っているアンバー。

 つい最近サーモンランで一緒に漁をしたアメリアさんが夕食を食べていったのだが、ブラックウーズの素材について話を聞くことができた。

 核を潰すと水分を失ってみるみる小さくなり、最後に残るのが鉱石に似た素材らしい。

 インクを扱っている商人が大量に仕入れるので、原料として使っているのは間違いないだろうとも教えてくれた。

 

「それでどうする? 割っちゃう?」

 

「うーん、何にもわからん。割っちゃおうかなあ」

 

 インクを買いに行くと、液体のまま売られている。

 壺とセットでも売られているが、後で壺を返せば上乗せされた分を返してもらえる。

 インク壺を持っていっても割安になるので、最初に壺ごと買い、次からは中身のインクだけを買う形が多いだろうか。

 教会やギルド等の大口顧客には商人側が補充に来てくれるので助かっている。

 墨みたいなのを水で薄める形式でも無いので、正しいレシピとかがあるのだろうか。

 

「ちょっと削ってみるか」

 

「あたしやろうか?」

 

「いや俺がやるよ」

 

 「なんでー」と不満を漏らすが、アンバーは不器用だからな。

 槍以外の武器として持ち歩いているナイフを取り出し、表面を削ってみる。

 しょりしょりとした音を立てながら削れて粉になっていく。

 素材表面に出っ張る形であった凸面を削り切ってしまったので、少し回して削ってみる。

 今度はぱきりと薄く割れてしまった。

 なんだろうなあこれ。

 素材を包んでいた紙には黒い粉が溜まっている。

 真っ黒で僅かに艶があり、触れても粗めの砂のようであまり手に付かない。

 

「ツバキの髪みたい、ね?」

 

「俺の髪はブラックウーズだった……?」

 

「髪に塗ったらあたしもツバキみたいになれる?」

 

 黒い粉の間近まで顔を近づけたアンバーが呟いた。

 喋ると吐息で飛んでしまいそうだ。

 

「なれないよ。それでも塗りたいなら塗ってもいいけど。その代わり俺もアンバーみたいな髪にする」

 

「……塗らないからツバキはそのままでいてね」

 

 俺の言葉を真に受けたのか、粉からすぐに離れて俺の顔を覗き込んだ。

 この美しい髪が汚れるのはどうしても止めたかった。

 アンバーなら何色でも綺麗だとは思うけれど、わざわざ汚すのはやめてほしい。

 

「水と混ぜてみようか」

 

 そう言ってから井戸に向かう。

 外にいるアンバーというのはかなり珍しい。

 市場で買ってきた陶器の器に、紙で包んでおいた粉を入れる。

 

「あたしがやります。神童だったので」

 

「任せます。神童だったアンバーに」

 

 はい、と挙手したかつての神童アンバー。

 任せた、と器と木のヘラを渡せば小さくはにかんで器の中身を混ぜ始める。

 二人でにこにこして見つめ合う。

 べしゃべしゃとアンバーがちょっと零していた。

 器見ないで混ぜたらそりゃそうなるよ。

 

「うーん」

 

 水が掛かったアンバーの手を見る。

 汚れなど何一つ無いように白い。

 手にした器の中身は黒い砂が沈殿しているようだった。

 道具を置いて、井戸水を汲む。

 

「ごめんね?」

 

「怒ってないよ。粉が水と混ざってないなって。ほら、手を洗わないと」

 

 汲み上げた水でアンバーの手を洗えば、ちょっとくすぐったそうに身をよじっている。

 水に濡れ、月光で煌めくと本当に月のようだ。

 あまりにも綺麗な肌なので、汚れが残っていたら目立つだろう。

 月明かりの下でじろじろと腕を見るのはちょっとあれかもしれないが、アンバーは何も言わずに好きにさせてくれているので遠慮なく調べる。

 

「ふふふ、ツバキ真剣すぎ」

 

「これでもまだ足りないくらいだって。大丈夫、綺麗だよ」

 

 墨の代わりとして使われている素材なのだから、気を付けたほうがいいに決まっている。

 取り残した素材が偶然刺青の代わりになる特性があったりしたら困るだろう。

 

「ツバキはあたしの手が好き?」

 

「手も好き」

 

「手も?」

 

 残っていた反対の手も差し出されたので、わざとらしいくらいに恭しく手をつなぐ。

 ひんやりとした小さくて柔らかい女の子の手を楽しむ。

 アンバーの手を握っていたら全人類が安心して冒険できるのではないだろうか。

 緊張とは無縁の世界だ。

 

「アンバー」

 

「な、なに」

 

 俺は真剣な顔を繕う。

 アンバーも何かを察した様で、真剣に見返してきた。

 その瞳もいつだって綺麗だった。

 ところで何を察したのだろうか。俺にも教えて欲しい。

 

「胸も好きだよ」

 

「……ツバキってばか」

 

「アンバーは世間知らずだから知らないんだな」

 

「あたしはツバキがばかって知ってるもん」

 

「俺だけじゃないんだよなあ」

 

「ツバキだけだもん」

 

「男はみんな大きい胸が好きなんだよ」

 

「ツバキも?」

 

「そりゃあ大好き」

 

 ふふふ、とアンバーが穏やかに笑う。

 俺も真剣だった表情を崩し、つられて笑う。

 

「……ツバキってばか、ね?」

 

 お月見しよう、と手を引かれる。

 俺もしたかったところだ、道具の片づけは後回しでいいだろう。

 屈託なく笑うアンバーを見ればきっと誰だって……。

 

 

 

 

 



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26

 

 ブラックウーズを使ってのインク作りははっきりいって進んでいないが、焦る必要はない。

 自身の知識と能力を踏まえて、作れたらいいな、くらいに思っている。

 上手くインクが出来たとしても、絵に使えるか確かめる術がない。

 今のところ絵を描くための筆も紙も無いからだ。

 インクが出来たら筆と紙、いや、どれも試してみて何かしらうまくいったら使って他はいつか買ってもいいのかもしれない。

 

 この世界の筆は、堅い素材を細く研磨して鋭利にした物を束ねている。

 筆先に留めた少量のインクが、微細な引っかき傷に似た筆跡に流れ込んで薄く固まる。

 紙に染み込ませたり、絵具を乗せるのとはまた違った癖がある。

 キングサーモンの髭は文具としては優れた物になるだろうと神父様が喜んでいた。

 絵画等に使える毛を束ねた筆にはできないのが惜しい。

 羽根ペンや万年筆のように加工できないかとも思ったが、そもそも出来たとしてもインクが染み込むことに適した紙はやはり高価だった。

 

 紙は魔物の皮が主な原料となっていて、とても丈夫な代わりに表面が硬質で撥水性が高い。

 原料の皮をよく乾燥させ、伸ばして研磨する手順で加工される。

 より薄く、そして皺無く伸ばせるほど腕のいい職人とされ、品質が高くなり価格も上がる。

 写本では、この紙の表面を削るように文字を刻み書く。

 教会内に保存する写本で使用される紙は低めの品質が使われているが、売りに出される物はほどほどの品質の紙が多い。

 似顔絵に使った紙は薄くよく研磨した後、更に表面に白い塗料が塗られていた。

 あれは鉱石の粉末を溶かした物であるらしく、それだけ値段も高くなる。

 そこまでの品質は求めていないので、幾らか収まるだろうがそれでも高価にはなる。

 

 研磨前の皮を買って自分で試行錯誤して研磨するのもありかもしれない。

 そもそも何で研磨しているのか知らないけど。

 こうなると道具を集めていくだけでお金が無くなっていきそうだ。

 理想を追い求めるとなるとある程度は許容しなければならないのかもしれない。

 今更だけど神父の真似事をしながらお金のために駆け回るのは、あんまりよろしく無いのではないだろうか。

 俺は正気に戻った。

 でもやっぱり絵が描きたい。

 俺は欲望に身を委ねた。

 

「そういうわけなので神父様、絵筆を買ってください」

 

「ツバキくんが司祭になったら他の教会からお祝いを頂けるので買いましょう」

 

「それはちょっと……」

 

「ツバキくんが栄えある司教になったらお祝いで本聖堂にある素晴らしい一品を貰ってきましょう」

 

「それもちょっと……」

 

「じゃあ駄目です」

 

 そんなあ、とひんひん泣く。

 俺が我が儘を言える相手は神父様くらいしかいないのに悲しい。

 本聖堂にある画材はやばい。

 偉人として列聖した肖像画を描くための由緒正しき道具だ。

 

「買うか手作りすればよろしい」

 

「一応手作りのためにブラックウーズの素材でちょっと試してみました」

 

「ああ、アンバーエイトが上機嫌でしたね。遊べて楽しかったと」

 

「それならよかったです。俺も楽しいですから」

 

 確かに興味の無いアンバーからしたら遊びみたいなものだろうか。

 遊びでもいいから偶然都合のいいインクが出来上がったりしてほしいよ。

 本人も楽しかったみたいなので飽きるまで一緒に試行錯誤してもらおう。

 一人でやるよりも、二人のほうが楽しいし、それも美少女が相手してくれるならもっと楽しいに決まっている。

 うきうきです。

 

「その調子であの子たちと遊んであげてください。素直な気持ちで接してあげることが一番大事です」

 

「異存はありませんが、べたべたして気持ち悪いとか言われたら泣きます」

 

「そうなったら独り立ちですよ」

 

「つらくて二人に話しかけられなくなります」

 

「そうしたら他の女の子に優しくすればよろしい。ツバキくんなら出来る!」

 

 なんか最低なことを力強く言われたが、流石に俺だってショックを受けて引きずるから難しいと思う。

 軽口だって余裕が無ければ言えないのだ。

 神父様から二人は過去に色々あったので優しくしてあげて欲しいと言われ、そのまま反応がいい触れあいを続けてたら今の感じになってしまった。

 かつては拒絶されたらやめようと思ったが、今はどこまでいけるのか楽しくなってる自分がいる。

 俺はこのままで大丈夫なのかい。

 でも女の子なら全部好きだから止まれない。

 好みは年上で胸の大きな女性だけど。

 

「それで、天井は使えそうですか。俺はあんまりよくわかってないんですけど」

 

「司祭になれば意外と頻繁に使うことになるのでわかりますよ。……これなら十分でしょうね」

 

 本堂に梯子をかけて屋根まで昇り、間近で巨大な天窓の調子を確かめている神父様に問う。

 ここには無いが、陽光を溜めていない状態と見比べると輝きが違うとのことだ。

 

「やっぱり使うんですか」

 

「使うでしょうね。先触れの騎士位の方が来ましたから」

 

 早朝と呼べる時間、大層な鎧をガチャガチャと鳴らしながら騎士位の人が尋ねに来た。

 礼儀正しい人だったし、すぐに神父様が対応したのでどうということもなかったが。

 騎士位の人はめちゃくちゃ強いらしい。

 もはや規格統一されたあの鎧を着てれば強いって感じすら抱かせる。

 用件はアンデッドへの対策。

 

「自然消滅とかしませんかね。なんかドラゴンも出てるらしいじゃないですか、あっち。化け物は化け物同士でぶつかって欲しい」

 

「墓地などでハイヴを形成してくれたら良かったのですが、どうやら死霊の軍勢(コープスパーティ)を形成して進んでいるようなので。近いうちにレイドクラスタに変異するでしょう」

 

「放っておくのはまずいですかね」

 

「それはもう。近場まで来たら冒険者はこぞって参戦させられますので前線行きかもしれませんよ」

 

「そうなったら勇者の背に隠れます。俺の知る中で最も強い。マジで強い。アンデッドもたぶん余裕」

 

 冗談交じりで言われたが、ぞっとする話だ。

 アンデッドは死体から生まれるが、負の魔力からも現れる。

 流れが滞った魔力溜まりには環境が変化してダンジョンが生じ、これが魔物の群れにも当てはまる。

 アンデッドの場合は草木や空気を腐らせるのが基本だ。

 ハイヴはその場で留まってダンジョンとなり、深層に核が生じてこれを壊すまで存在し続ける。

 資源も産出するので危険性が無ければ意外と放置されるが、アンデッドによるものは放置できないだろう。

 勇者は一人で壊したらしいが普通は兵士や冒険者、聖職者などを投入して破壊する。

 レイドはより大型になり、環境も劇的に変化させ、場合によっては移動までする。

 深海の果て、地の底、空の極限、世界樹の森等が最高位のレイドクラスタではないかと言われているらしい。

 吸血鬼の城とかもダンジョンらしいが、白夜中に移動が確認されるらしい。極夜だったかも。

 

「私も勇者くんとちょっと話しましたよ。彼は面白かった。……まさかサーモンランで名前を上書きして緩和するとは」

 

「面白いですよね。しかも優しいし。無敵か。無敵だった」

 

「ちょっと優しいかはわかりませんが、確かに面白いことを言っていました。街の外に出てる途中、パンを無理矢理食べさせてくる女の子と出会ったらしいですよ」

 

「えぇ……。パン食わせ妖怪が来ちゃったんですか……」

 

「来るでしょうね。彼女は司祭なので街を巡って教会に声を掛けているはずです」

 

 焼いたパンを配るために街中を駆け巡る少女を思い出す。

 あれで扱いとしては聖女らしい。

 年中馬車で街を周ってパンを配っているとは聞くが、今回の死霊の軍勢(コープスパーティ)では伝令も兼ねているようだ。

 

「ツバキくんも挨拶しに行ってもいいですよ。一緒にパンを配ったらいい」

 

「いや、わざわざ俺が手伝うことでもないかなって。それならファティの勉強みるか、アンバーの相手します」

 

「私はそういう割り切ったところを好ましく感じますし、この教会を預かる身としても素晴らしいと喝采したい。それはそれとして外の教会の子にも優しくしてあげたほうがいいとは思います」

 

 優しくはしてますよ、と返事しながら梯子を下りる。

 でもぼっちのアンバーやちょっと友達がいるファティと比べ、パン聖女は人気者だからなあ。

 優先順位は低く見積もるのも仕方ない。

 

「アンジナちゃんが来ましたよ!!! おまえら、パンを食べろ!!! 貧しくても豊かでも、ひもじくてもお腹いっぱいでも私のためにパンを食べなさあい!!! ファティエル!!! あなたも私の糧になるのです!!!」

 

 神父様と話していた話題の中心がどうやら教会内に攻め込んで来たらしい。

 短い銀髪をしたエプロンドレスの少女が、両手にパンを掲げて叫んでいた。

 俺たちの作業を下から眺めていたファティ目掛けて跳びかかると、その口にパンを詰め込み始めた。

 やめなよ、と俺が止めに入れば、少女は満面の笑みで籠から両手にパンを装填した。

 

「ツバキ様!!! さあこのパンを食べなさい!!! 貴方の聖女アンジーナインちゃんのパンですよ!!!! さあ!!! さあ!!!!」

 

 圧が凄い。

 彼女の名前はアンジーナイン、力ある名前を得た聖女。

 その胸はとても貧しかった。

 たぶん、いやきっとファティより貧しい。

 でもファティよりむちむちしている。

 たぶんパンのせいだ。

 とりあえずパンを受け取り、片方を神父様に渡す。

 

「神父様、なんでアンジーってこんなパン狂いなんですかね。初めて会ったときはもっと清楚でしたよ」

 

「ツバキくんの提案でしょう。彼女はパンを配る少女アンジナの名前を得てますからね。そう思われることで力ある名前を捻じ曲げていますよ」

 

 俺の言葉に神父様が答えてくれる。

 なるほどなあ。

 深いなあ。

 

「うわあ、あたしアンジーナインきらーい」

 

 俺の手からアンバーがパンを取り上げ、嫌そうに食べていた。

 その胸はとても豊かだった。

 ファティとアンジーを足しても足りない。

 掛け算したら勝てるがその勝利に意味は無いのだろう。

 

「私だってアンバーエイトは嫌いですよ!!! こらっ!!! ツバキ様のパンを食べるな!!!」

 

 



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27

 

「陰湿なアンバーエイトなんて放って一緒に本聖堂に行きましょう!!!」

 

「自棄になってたアンジーナインよりマシでしょ。あたしがいるのに一緒に行くわけないじゃん」

 

 互いにパンを押し付け合いながら睨み合う二人。

 タイトルを付けるなら「貧富の差」だろうか。

 食べ物を互いに分け与える慈愛と、胸の格差による社会の悲しみを描きたい。

 

「引きこもりといるよりも私といるほうが楽しいに決まってるでしょう!!!」

 

「なんでー。ツバキは胸が大きいほうが好き。アンジーナインちっさい。ツバキはあたしが好き、ね?」

 

 ファティの隣に座って見守ろうとしたが、雲行きが怪しくなってきた。

 お祈りに来た人たちもいなくなってしまった。

 わかるよ。

 女性の争いには困った物だ。

 

「はああああ!!? ファティエルに謝りなさいよ!!!」

 

 おっと怪しかった雲行きが急変してファティに豪雨が降ったぞ。

 私何かしちゃいましたかって顔してる。

 ファティ、キミは何もしてないから落ち着いてパンをお食べ。

 

「えっと、私何かしちゃいましたか……」

 

 ファティが困惑しながら言っちゃった。

 巻き込まれるぞ、気を付けろ!

 

「アンバーエイトはツバキ様がお胸を優先する人だって言い出しましたよ!!! そうなるとファティエルも下位になっちゃいます!!! さあ、この悪しき事実と戦うのです!!!」

 

「え、その、えっと……」

 

「ファティエルは知らないけどアンジーナインが最下位だから。あたしならそう思う。ツバキもそう言う」

 

「私のツバキ様が言うわけないでしょうが!!!」

 

「言うよ。あたしのツバキならそう言う」

 

 言わないが。

 三人の視線に晒されたモテモテ(死語)の俺が華麗に乗り切って見せよう。

 巻き込まれたファティの口にパンを突っ込み、笑顔を浮かべる。

 笑顔で相手の心に響く言葉を届ければいい。

 素直なのが一番だ。

 

「胸はもちろん好きだけど、俺は絵描きなので感覚的な物が好きなんだよ。名前の響きも重要だよね」

 

 「名前」と呟いて鎮火した三人。

 アンジーに付いてきていた騎士位の方と話していた神父様が呆れたように首を横に振った。

 あれ、俺何かやっちゃいました?

 

「……ツバキくん」

 

「神父様、お話は終わりましたか?」

 

「……ちゃんと優しくするんですよ」

 

「してます。それで手伝いは必要でしょうか」

 

「……天井の陽光石を交換したら私はすぐに街を出て死霊の軍勢(コープスパーティ)の汚染地区に向かいます」

 

「交換ですか。頑張ります!」

 

「ツバキくんはやれることがないので頑張らなくていいです。私は指示を出さなければならない」

 

「俺も覚えましょうか」

 

「アンバーエイトがいます。代わりにパンを配るついでに市井の人々に事情を説明してください」

 

 そんなー、と落ち込む。

 魔法を使って天窓に嵌め込まれている陽光石を外すので、俺が居たところで何が出来るかって話なのは確か。

 偉い人への根回しはすでに終わっているらしいので、俺が慰撫しに

 

「えー、あたしもパンのほうがいいなあ」

 

「アンバーエイトは教会から出られないでしょう。魔法によって補助しなさい。ファティエルはお風呂の準備ですね」

 

「ありがとうございます、神父様!!! 私、頑張ります!!!」

 

 嫌そうにのっそりと動くアンバー、お風呂の準備を伝えるためにきびきびと動き出したファティ。

 状態を確認するために陽光石を触媒とした奇跡を使う、という名目で教会ではお風呂に入る。

 どうするのかというと、アンデッドに対して特効となる陽の光を解き放つ奇跡でお風呂にする。

 倉庫の一角にある大きな風呂釜にみんなでバケツリレーもどきをするか、魔法で水を溜める必要が有る。

 水が十分に溜まったら、陽光石を使ったビームでお風呂を沸かせる。

 そう、ビームだ。

 俺も見たことあるけどあれは完全にビームだ。

 神父様が身を清めて、子供を入れて、シスターが入る。

 お湯もかなり冷めてしまうので俺は井戸だけど……。

 

「それではパンを配りましょう!!! 明日への糧のために!!!」

 

「アンジーは元気だね」

 

「それはもう!!! 一日中パンを焼いてますからね!!!」

 

 神父様に任された通り教会を出て通りの歩く道すがら出会う人々に片っ端からパンを押し付けていく。

 後ろをついてきて背負った大籠からパンをアンジーに供給する騎士位の方にはお疲れ様ですって気持ちだ。

 教会で作業を手伝っている騎士、パンを渡す騎士、パンをこねる騎士、パンを焼く騎士、パンを焼く騎士……。

 もはやパンの騎士ではないだろうか。

 

「もっとパンを配りますよ姉さん!!! アンジナです!!! アンジナのパンをどうぞ!!!」

 

「……アンジナ、無理やり詰めてはなりません」

 

「おまえたち、パン食べろ!!! 食べなさあい!!! 見てますかツバキ様!!! 私がパンを配る所を!!!」

 

 ごめん、あんまり見て無かった。

 ちなみに後ろからパンを供給している騎士はアンジーの姉らしい。

 姉妹仲も良くなったとかどうとか。

 別に銀髪でもないが胸は貧しいので確かに姉妹だとわかる。

 俺が見ている間にも人々にパンが振る舞われ、「うわあああああ!!! またパンだあああ!!!」「ここは俺に任せてパンを飲み込め!!! ぐわああああ!!!」「もうお腹いっぱいなんです勘弁……うわあああああ!!!」という喜びの声が聞こえた。

 いや、もうそれはパンを食べる声じゃないんだわ。

 

「みなさん、無理しないで持ち帰っても大丈夫ですので」

 

 俺がそう声を掛けるも、みんな必死な顔でパンを食べていた。

 教会への行き来でパンを食べさせてくるのは反則かもしれない。

 行きは喜んでみんな食べたのだろうが、教会への滞在時間は短かったので休憩なしのお代わりとなった。

 

「ほ、施しは正しく受けねば不作法と言うもの……うっぷ……」

 

 みんな何と戦ってるんだ。

 アンジーが食べさせているのはコッペパンくらいのパンだが、すぐに離れないと何度も食べさせてくる。

 食べさせられた側もさっさと離れればいいのに、食べきって飲み込むまで周りをうろちょろしている。

 限界だろうって人までお代わりする始末だ。

 聞くに、パンを食べておけばカルマが下がるらしい。

 そんなことで下がるカルマとかあるか?

 

「むっ、パンが切れそうです!!!」

 

 パンの行列を引き連れているとアンジーが叫んだ。

 狙いを定めずにパンのばら撒きすぎだよ。

 弾切れは当然だ。

 パン奴隷としか言えない人々がほっとした表情を浮かべたのを俺は見過ごさなかった。

 だがそれをわざわざ口にしようとは思わない。

 

「でも大丈夫です!!! みなさん安心してください!!! 焼けてますよ!!! 私の馬車はパン焼き専用なので!!!」

 

 パンが焼ける香ばしい匂いが大通りに漂い、パン奴隷を次々と生み出す巨大な馬車が見えた。

 そう、アンジーが使っている馬車はパン焼き窯が完備されていて、何処でもパンが焼けるのだ。

 馬車も一つや二つで収まらず、隊商もどきを形成している。

 これで街から街へとパンが焼けるから安心だ。

 教会ってなんなんだろうな。

 わかることは一つ。

 アンジーに付いてきたパン奴隷たちの戦いの幕が上がる。

 その前に、俺はアンジーと見つめ合っていた。

 

「ツバキ様。貴方はきっと気にしていないでしょう。でも私はあの日の事を忘れたことはありま……」

 

「アンジナ様! すぐにパンを焼いてください!」

 

「待ってください!!! ちょっと話させて!!! 私は貴方と出会ってからこうして名……」

 

「アンジナ様! パンが無くなりますよ!」

 

「んもおおおおおおお!!! ちょっとくらい聖女っぽくさせてくださいよおおおお!!!」

 

「自分のためのパンでしょうが!」

 

「それを言われたら何も言えませえええええん!!!」

 

 パンを焼いてる騎士位の人たちに急かされ、アンジーもパンを焼くだけの人に戻った。

 「俺も手伝うからさ」とアンジナパン号に乗り込めば「ツ、ツバキひゃま!!!」と喜ばれた。

 どっかの誰かに似た反応してくるのはちょっと困る。

 アンジーのパン祭りは一日目だけなので、この忙しさも今日までだ。

 明日はアンジーもゆっくりできると思う。

 

 と、思ったら神父様の準備が整い、街を管理している代官の方とも迅速に挨拶が出来たとのことで出立していった。

 挨拶もほどほどに連れ出されるアンジー。

 神父様はニコニコしていた。

 

「どうしてこうなるんですかあああ!!! 裏切りましたね神父様ああああ!!! ツバキ様あああ!!! 貴方のアンジーナインはアンデッドを滅ぼしてすぐ帰ってきますからねえええええ!!!」

 

 馬車から限界まで身を乗り出し、アンジーはその残響とともに離れていった。

 

「へっ、面白れぇ女」

 

 面白れぇ男の代表みたいな勇者がそう言ってパンを齧った。

 キミ居たんだな。

 

「あれが私のライバル……」

 

 中々できる女じゃないの、と冒険者さんもパンを齧りながら呟いた。

 決してライバルじゃないと思う。

 

「アンデッドの対処が終わったら他の街にお礼を言って回るからこの街にいられる余裕はないでしょうね」

 

 俺もパンを齧って言った。

 柔らかな白いパンはほんのりと甘い。

 水分が少ないぱさぱさしたパンも多いが、これは俺の好みに合っている。

 前はもっと下手だったのにな。

 

「へっ、可哀そうな女」

 

 勇者がそう言ってパンを齧った。

 

「あれが私の行く末……?」

 

 中々できない女じゃないの、と冒険者さんもパンを齧りながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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28

 

 神父様が死霊の軍勢(コープスパーティ)対策に代表として出立して十数日が過ぎた。

 俺とアンバーが代理として運営をしているのだが、どうにも慣れそうにない。

 お祈りに来てくれる人も減ってしまった気がする。

 経験や人望が足りないので仕方ないことだが、少し気落ちしてしまう。

 教会の皆が率先して手伝ってくれているのに不甲斐ない。

 子供たちはちょっと距離あったけど。

 夜間だけだったアンバーの活動時間がじわじわと増えている。

 寝ているアンバーを前にした人たちは、相談事をするよりも真摯に祈ってばかりなのだけど。

 

 俺の気持ちも、教会がどのような状況でも、人が亡くなるのは代わらない。

 ここ数日で亡くなる人が少し増えているように感じたが、神父様がいないために掛かる精神負担のせいかもしれない。

 今日もまた埋葬するための新たな墓が必要となったので、教会をアンバーに任せて俺は外に出ることになった。

 諸々の準備や手続きをやらないといけない。

 

 現場に向かえば、若くして亡くなった遺体が待っていた。

 体調を崩したまま快復せずに亡くなってしまったとのことで、薬師が用意した死亡届に似た診断書を受け取る。

 親族も知人もそれほど多くないとのことで、お別れは済ませているそうだ。

 遺体は棺に入れて運ぶこともあるが、基本的には死後硬直した体を固い布で包み、家族や親族が墓まで連れて行く。

 お月様に最期を見せるための文化的な意味もある。

 死後硬直にも残された者たちが運びやすいように死者が気を遣っているといった話や、月光への導きを前にして姿勢を正すためといった話もある。

 

 集まった男性で穴を掘り、女性は遺体に巻いていた布を緩める。

 これが本当の最期となる。

 手伝いがあった場合、埋葬前にもう一度お別れができるようにしている。

 埋めてしまえばアンデッドにならない限り、二度とこの顔を見ることは無い。

 

「これより杭を打ち立てます」

 

 十分な時間を待ってから掛けた俺の言葉に、年配の男性が「……お願いします」と呟いた。

 彼は故人の父親だと聞いていた。

 集まってくれた親戚の人たちも、口数少ないまま遺体を見守っていた。

 この場に神父様が居たら俺は何と言っていただろうか。

 甘えたように出来ないとでも呟いたかもしれないし、強がって何も言わなかったかもしれない。

 教会に常備されている杭を、遺体の胸に打つ。

 笑顔は浮かばない、言葉はない、ただ冷静だった、静かだった、それこそ月のように。

 母親は気丈に振る舞いながら俺にも気を遣ってくれていたが限界だったのだろう、すすり泣き始めた。

 その涙に感化されるように父親も肩を震わせた。

 俺の両親が同じ立場だったらどんな反応をしたのだろうか。

 ある日突然いなくなったのだから、多分同じように泣いているかもしれない。

 俺の両親はどんな顔だったか……。

 

「……教会に所属する聖女の奇跡による聖水を用いて清め、布で包みます」

 

 向けられた複数の視線に気づき、次の行動に移る。

 「おお……」という声が口々に漏れる。

 教会へと知らせに来た人に運ばせた水瓶の水を使い、遺体の顔を綺麗にする。

 次に服の隙間から露出している部分の肌を拭く。

 土気色だった肌がほんの僅かだけ人らしさを取り戻したようだった。

 顔と杭を避けるよう再び布を巻き、残っていた聖水で湿らせる。

 手伝って貰いながら穴の底に眠らせ、土を被せる。

 土から飛び出した木の杭だけが遺体の場所を知らせてくれる。

 

「月がその魂を穏やかに眠らせてくれるよう、皆で祈りましょう。……月光の導きを」

 

 涙をこらえている人もいれば、止まらなくなってしまった人もいる。

 それでも参列者たちが口々に「……月光の導きを」と呟く。

 月光へのお願いであり、別れの言葉でもあるからだ。

 重い足取りで帰る背を見送る。

 どうしても葬儀を終えたばかりの墓地は物悲しい。

 墓地を掃除しているときも寂しくなるが、これほど空虚に感じることはない。

 神父様との約束でこういうものを描くことは無いが、この空気を前にしたら描こうとは思わない。

 せっかくこの世界にいるのだから。

 美しいもの、素晴らしいものを描きたいと強く思っている。

 

 

 

 

 

「あら、神父ちゃん。お疲れかしら」

 

 空になった水瓶を抱えて歩いていると、酒場の前を掃除していたマッスルアルティメイトさんに声を掛けられた。

 自分ではわからなかったが、いや、ちょっとわかっていたが、少し疲れているらしい。

 誤魔化すように愛想笑いを浮かべれば、「そんなんじゃだめよー」と優しく注意された。

 年上で胸も厚い、これで女性だったら俺は惚れていただろう。

 

「サーモンランの勇者ちゃんも忙しいみたいだし」

 

「勇者も忙しいんですか?」

 

「本人がそう言ってたから。あの子に関しては私も詳しくはわからないけど。最近は頻りに街を出入りしているものだから衛兵にしょっぴかれかけてたわ」

 

 今も街の中と外を走り回っているようだ。

 サーモンランの勇者ほどの男なら仕方ない、とみんな許容している様子だとマッスルアルティメイトさんが教えてくれた。

 みんな心が広い。

 

「そろそろ司祭も帰って来るから安心なさいな」

 

「本当?」

 

「ホントよ」

 

「助かった」

 

 つい安堵の声を漏らす。

 このままだと教会を優先しすぎて敬虔な神父になってしまうところだった。

 マッスルアルティメイトさんは優し気に笑った。

 

「数日もすれば会えるわよ。でもちょっと気を付けたほうがいいこともあるのよね。今回のレイドで活躍した冒険者がこの街に来るみたいなのよ」

 

 穏やかだった表情が一変し、目線が鋭くなる。

 声も心なしか低くなり、はち切れそうな筋肉をともなって、見えない圧を発しているようだ。

 

「……オルトリヴロレからも来るわ」

 

「ああ、勇者もそこから来ましたね」

 

「そう、サーモンランの勇者ちゃんもあっちから来たわ。言っておくけどあの子みたいなのは少ないわよ。神父ちゃんは特に気を付けなさいな。あっちの国は他人にパンやワインを配るもの好きは生きていられないの。月光にすら祈れない」

 

「……絵を描くもの好きは?」

 

 にっこりと笑ったマッスルアルティメイトさんはそのまま酒場へと戻っていった。

 そんな意味深に引かれると怖いんだけど。

 追いかけて詳しく聞きたかったが、俺も教会に帰らないといけない。

 引きこもり気質のアンバーが心配になってきた。

 アンバーが相談に乗ったらどんな感じに答えるのだろうか。

 行商人が商売の相談に来ても「あたし馬車きらい」って言いそう。

 

 

 

 

 

 

 



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29

 

 早朝に神父様が帰還した。

 代官の方等に挨拶していたら教会に顔を出せたのが昼くらいになっていたが、それでも十分早いと思う。

 「神父ひゃまああああ!」とテンション高く飛び出したいところだが、俺はまだ代理を任されているので我慢した。

 俺がいつもの助祭位相当だったら我慢できなかった。

 子供たちに囲まれた神父様を眺めていると、同道していた軌道派の人から手紙を受け取った。

 差出人はアンジーだった。

 汚染地区が国境線近くであり、前線の緊張緩和を目的としてパンを振る舞うので逗留を余儀なくされた旨が書かれていた。

 死霊の軍勢(コープスパーティ)はレイドクラスタを形成しており、各教会から運び出された触媒による消毒が続けられているらしい。

 面倒なことに隣国にも汚染が広がっていて、消毒を受けられないため鎮静化に至れないようだった。

 神父様についても書かれていて、現場に着くと状況を確認し、各教会の代表に挨拶すると現場の人手が過剰だからとすぐに帰ってしまったとのことだ。

 教会が心配で帰ってきてくれたに違いない。

 度々司祭になれると言ってもらえるが、責任ある立場と言うのが俺にはまだ早いのだろう。

 手紙の最後には「また一緒にパン屋をやりましょうね」と締めくくられていた。

 俺も「パン焼くの頑張ってね」と締める手紙を返信しておこう。

 

 次から次へと神父様に挨拶に来る人が現れるので、俺が話す暇もない。

 頼れる範囲に神父様が居るだけでも肩の荷が下りた気持ちだ。

 教会に籠っているだけだったので身体的には結構余裕なのだが、精神的に疲れているのを自覚している。

 四六時中アンバーが付き添ってくれていたのでこれでも疲労は軽減されているはずなのだが。

 日中は俺を手伝うために起きていてくれたアンバーも気が抜けたのか、いつも通り眠っていた。

 ファティもこっくりこっくりと船を漕いでいた。

 

 俺も眠いが、神父様の漫談は満員御礼状態なのでこちらに相談に来る人もいる。

 相談といっても俺が答えを出すことは無い。

 言葉にすることで悩みや目的を明確にするためだけに聞くことが多い。

 そりゃあ食べ物の味とか、染め物の出来とかなら俺も話すけど。

 本人が言葉にした事物に対して「お月様が見ていますよ」と真剣に伝える。

 間違っていると思っているのなら踏みとどまるし、正しいと思っているのなら月光に祈る。

 無言になる人もいて、俺は何もしないが。

 隠し事 VS 嘘 VSダークライの戦争が起きるかもしれない。

 結局は俺も神父様に倣って「お月様が見ていますよ」と笑顔で伝えて相談は終わりだ。

 

「子供たち、そろそろお勉強に戻らないと俺の隣で勉強させます。今から(じゅう)数えてから追いかけるので、捕まったら今日は本堂から離れられないと思いなさい。……あと勝手に教会の外に出たら三日は泣くことも笑うこともできない体にしてやりますからね」

 

 神父様の出待ちファンが引いたと思ったら、再び子供たちが攻め込んで来たので注意する。

 今回はアンバーを抱えている。

 蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。

 身を清めてきます、と神父様も同じように出て行ったが、そう間を置かずに戻ってきた。

 さっきまでは無かった紙袋を携えて。

 

「ツバキくん、お疲れさまでした。今をもって代理の任を解除します」

 

「神父様こそ大変だったのでしょう。遠路でのお役目で怪我も病気もなくて帰ってきていただけたので安心しましたよ。俺も大変だったかと聞かれたらめっちゃ大変でしたけど」

 

「問題は生じなかったと聞いていますよ。司祭となるのもそう遠くないのでしょう。これを機に教会を任せて楽したくなりました」

 

「勘弁してください。もうクタクタですよ」

 

 俺が疲れたように答えると「ほほほ」と神父様が笑った。

 代理として動くのは初めてではないが、一番長かったのも確かだ。

 問題は起きなかったが、それだって教会の人たちが俺に気を遣っていたからに過ぎない。

 今だって疲れで判断が鈍っているし、司祭となるとこの積み重ねばかりだと思うととんでもないことになりそうだ。

 

「その様子ですと頑張ってくれたみたいですからね。人員が過剰だったので本聖堂に話をしに行ったついでと言ったら悪いですが。……お土産を貰ってきました」

 

「こ、これは……!」

 

 手渡された紙袋の中には、油性の色鉛筆とスケッチブックが入っていた。

 感動で手が震える。

 ホント?

 夢じゃないよね?

 

「持ち主に言うのも妙な話ですが、どうしても描きたいと思った物だけを描くようにしてください。……これはとても貴重な物ですからね」

 

「し、神父ひゃまああああ!」

 

 あまりにも嬉しすぎて叫ぶ俺。

 起きるアンバーとファティ。

 笑顔の神父様。

 他に人が居なくて良かった。

 「教会! 教会を描きます! 普段の教会が好きなので!」とテンションが上がった流れでアンバーとファティを収めて絵を描こうとするが、アンバーに拒まれた。

 ファティは描いたことがあるから、アンバーをどうしても描きたい。

 アンバーを追い詰め、壁ドンして逃げられないよう囲み、顔を近づけながら「描かせて? ね?」と迫る。

 俺は、俺が好きな物を描きたくてしょうがない。

 憧れを前にしたら止まれないよな!?

 

 ファティを一万倍薄めたような鋭さの眠たげな眼をしたアンバーに説教された。

 凄いよ俺、アンバーに説教させるなんて。

 アンバーを一億倍鋭くした目でファティにも説教された。

 凄くないよ俺、ファティは頻繁にぷんすかしてるからな。

 憧れを前にしても止まれたわ。

 

 

 

 

 

「なんか気まずくなっちゃってギルドに来ました」

 

「ツバキもそういうところあんのな!」

 

「そりゃあ、ありますよ」

 

 昨日はしゃぎすぎたせいで二人に迷惑をかけ、今日もちょっと距離を取られているので昼には教会を出てギルドにやってきた。

 そこで見つけた勇者に事情を話せば愉快そうに笑われた。

 笑ってくれるなら話としてまだ浮かばれるってものだ。

 でも欲しくてたまらなかった物を手に入れたんだからテンション上がっても仕方ないと思う。

 まだ俺は浮かれているよ。

 

「つまり、オレを描きたい! そういうことだろ!?」

 

「うーん……」

 

「つまり、サーモンランの勇者を描きたい! そういうことだろ!?」

 

「うーん……。違います」

 

「違うのかよ!」

 

 えー、と露骨に残念がる勇者を見ると描いてもいい気持ちも芽生える。

 が、俺は普段の教会を描かないで断念している。

 妥協はできない。

 サーモンランの勇者は素晴らしくカッコよかったが、思い出になってしまう。

 俺の美化を勇者に押し付けたくない。

 まだ理由はある。

 

「なんか、こう……。こう、なんかが足りないんですよ。こういう、こう」

 

「な、なんだよ」

 

「あるじゃないですか。うおおおお、みたいな」

 

「や、やめろ! オレに変な精神攻撃もどきをするな!」

 

 言葉に出来ない気持ちを、手をぐにゃぐにゃさせながら勇者に伝える。

 流石の勇者も言葉なき精神汚染には勝てないようだ。

 伝わりそうで伝わらない、でもやっぱりちょっと伝わる何か。

 嫌そうな勇者を見てつい笑えば、勇者も同じように笑う。

 

「こう、熱みたいなのがあるじゃないですか。うおおおおおって。その勢いで描きたい」

 

「ふーん?」

 

 なんとか言葉にするが、勇者にはあまり伝わらなかった。

 俺もうまく説明できないが、なんかこう、と言うよりはマシだろうか。

 

「勇者もサーモンランの勇者になったら、うおおおおおってなりましたよね」

 

「おう! なったぞ!」

 

「でも今はうおおおおおってしてないじゃないですか」

 

「確かに! でも、今もうおおおおってなるけどな!」

 

「そういうわけで、一番うおおおおってなる所を描きたいんですよ」

 

「……オレが勇者になる時ってことか?」

 

「っ! それです!」

 

 勇者に関して言えば、最高潮に達したその瞬間を収めたい。

 既に最高傑作みたいな似顔絵が描けているせいかもしれない。

 未熟な俺のこだわりというやつだろうか。

 

「難しいな! いま描いてくれ!」

 

「ダメです!」

 

「つれーよ」

 

「言えたじゃないですか」

 

 勇者の言う通り今描いても構わないのかもしれない。

 時間をかけて、色鉛筆を使い、綺麗な紙で今の勇者を描いても傑作にはなる。

 何も無駄なことじゃない。

 だが、だからこそ今じゃない。

 

「……わかった! オレが『うおおおおお!』を探すぜ! そして『うおおおおお!』ってなったらツバキに頼むわ!」

 

「良いんですか……?」

 

「当たり前だろ! オレはもっと勇者になるからな! 見てろよ!」

 

 「うおおおおお!」と勇者は吠えると枝を掲げた。

 キリっとしている。

 「どう?」と聞かれた。

 判断は早い。

 

「うーん、全然ダメ。勇者じゃなくなります」

 

「ダメだっ! それはダメ! ……でも『うおおおおお!』ってなんだろうな?」

 

「うーん」

 

「……今日はわからないから別のことやるかぁ」

 

 「街の中にも外にも妙な所があるから見回りするぜ!」と言って勇者はギルドから出て行った。

 妙っていうのが何なのか俺にはわからないが、勇者が言っているのだから本当に妙なんだろう。

 勇者は勘が良い……らしい。

 俺にはわからない。

 でもまあ困ったら相談に来るだろうから任せておく。

 俺も行こうかと提案したら「まだそん時じゃねんだわ!」って断られた。

 そもそもの話、その時とやらは来るのだろうか。

 

「ツバキさん、お時間よろしいでしょうか」

 

 勇者を見送るとすぐに話しかけてきたのはミアーラさんだった。

 普段はギルドで受付をしているのでこちらの様子を窺っていたのかもしれない。

 ちょっと声が大きかっただろうか。

 

「すみません。ちょっと騒いでしまいましたか」

 

「他の方はもっと大きな声を出しますから」

 

 問題ないですよ、と微笑みを浮かべるミアーラさんは魅力的だったが、その後の話は全く魅力的じゃなかった。

 

「……ギルドから依頼がありまして。オルトリヴロレから来た冒険者たちの似顔絵を描いてほしいのです」

 

 

 

 

 

 なんか嫌な依頼だったな、と思い返す。

 勇者を描くのも断ってしまったから流れでやめようかと思ったが、何となく描いてしまった。

 こちらが話しかけてもあまりいい反応は返ってこなかった。

 仲間同士で話しているのを漏れ聞いた限りでは、セトリオードを拠点に活動するつもりらしい。

 勇者と違って全員名前はあるようだったが、街で活動するにあたって名を少しでも売るために似顔絵を描くことにしたみたいだ。

 ギルドが似顔絵を回収するのにな。

 とはいえ上級のパーティらしく、筆代も気にならないのだろう。

 もしかして筆代が気にならない財力を蓄えられるパーティとしての評判が欲しかったのだろうか。

 

 今日はどうにもうまくいかない日だと考えながら歩く。

 嫌な依頼のことを考えても答えは出ない。

 パーティ全員を描いていたら遅くなってしまった。

 これファティにまた怒られないだろうか。

 むしろ怒られたほうがいい気がする。

 無視されたらとても悲しいよ。

 

「……絵を描くだけで金を取るのはおかしくないか? おかしいよな」

 

 通りには男が立っていて、苛立ちを抑えきれないとばかりに鋭い目を俺に向けていた。

 見覚えがある。

 さっきまで顔を合わせて似顔絵を描いていたんだから見覚えがあるのは当然だった。

 

「どうかしま……え?」

 

「金は?」

 

「は?」

 

「金は?」

 

 俺は冒険者というものを甘く見ていた。

 距離があったはずなのに、一瞬で迫られていた。

 握られた左の手首に込められた力が強すぎて、みしみしと音を立てているように感じた。

 その痛みで目じりから涙が零れた。

 

「……持って、ない」

 

「あーあ」

 

 つまらなそうにそう言った。

 ぼきんと何かが折れる音がして、経験したことのない痛みが腕を襲っていた。

 汗が噴き出る。

 

「あああああああ!」

 

 痛みで叫べば、男がはじめて楽しそうに笑った。

 

 

 

 



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30

 

 人に似た形をした歩く影、それが魔王。

 その言の葉は事物を選ばず伝わり、見えぬはずの姿を見ていた。

 魔王が見定め、示したすべての物は、それまでの名を忘れて歪んでしまう。

 かつて栄華を誇った国、偉大な指導者、流れていた川、眠り続けるはずだった遺体、意味を秘したはずの言葉。

 歪んだ者たちが集まって作った国は魔王への畏れで満ちていた。

 魔王が名を呼ぶ前に追い払えば良い。

 声に従って人々は石を持った。

 歪んでいる者を認めてはならない。

 

 黒い髪は魔王に似ている。

 白い髪は魔王を呼ぶ。

 弱きものは魔王に従う。

 魔王が現れる前に追い払えば良い。

 声に従って人々は石を投げた。

 歪んでいる者を認めてはならない。

 

 声に従って選んだはずの行動が、何時しか習慣になり、常識になっていた。

 優しい声が褒めてくれる。

 オルトリヴロレとはそういう国だ。

 

 白い髪の神父、黒い髪の浮浪者、混ざり物の子、身体のどこかが欠けた者。

 幼い子供だった頃に、それらに石を投げつけた。

 また、成長して少年ともなった頃に、それらの頭を石で割った。

 誇らしげに伝えるだけで褒めてくれた。

 

「偉い」

 

 父が褒める。

 

「偉い」

 

 母が褒める。

 

『偉い。いつかきっと勇者になれる』

 

 優しい声が男を褒めてくれた。

 胸が高鳴るようだった。

 男の輝かしい思い出だ。

 

 それから年月を掛けて成長した男は冒険者となった。

 活躍するほどに、優しい声が褒めてくれた。

 褒められるために繰り返した努力が実を結んだのか、男は実力を示し、ギルド内でも頭角を現していった。

 指名される依頼も増えた。

 ギルド内での信頼も増していた。

 

 ある日、一流のパーティから勧誘を受け、参加を決意するまでにそう時間を要さなかった。

 それまでソロで戦っていた男にとって、肩を並べて仲間と連携することは不思議ながらも楽しい物だった。

 自分一人では苦戦する魔物も、嘘のようにあっさりと倒せてしまう。

 頼れる仲間たちとの冒険は、男をより一層強くした。

 長いようで短い時間を共に過ごし、男はパーティとの絆を深めていった。

 口数少なく冷静な人間性を気取っていた男だったが、慣れていけば仲間と互いに下品な冗句を口にして他愛ない子供のように笑い合った。

 黒い髪、白い髪、混ざり物、弱き者、歪んでいる者たちに男が率先して常識を教えてやれば、いつものように優しい声が褒めてくれる。

 充実した日々だった。

 

 優しい声に従って男が活躍を続けていると、所属しているパーティに緊急の依頼が届いた。

 よくあるアンデッドの討伐だったが、ギルドとして無視できない規模に膨れ上がったというのだ。

 国からの要請も有り、腕利きの冒険者は前線への動員を余儀なくされた。

 男も参加するのに不満はなかった。

 前線での活躍によって届く声こそが男を満たすのだ。

 しかし、男のやる気とは裏腹に、依頼はアンデッドが発生した原因や移動範囲の調査だった。

 男は不満だったが、兄貴と慕うパーティの団長の一声で依頼を受けることに決まった。

 結局、国内各地、特に森の中に残っていた死体がアンデッド化した程度しかわからず、それが男の不満に繋がっていた。

 隣国カンセラから凄まじい勢いで飛んでくる魚群が腐敗をばら撒いていたことも分かったが、悪臭を放つだけのそれに男が関心を寄せることは無かった。

 

 国の端を腐らせた死霊の軍勢は、その影響を国境線沿いにまで膨らませきっていた。

 男が前線に出ると既にダンジョンを形成している様子だった。

 瘴気と呼ばれる濁った空気で光は閉ざされ、温度は下がり、命を失うと腐りやすくなる、そういう世界に変貌していた。

 時には群がるアンデッドを、時には個体として強力なアンデッドを刈り取りながら、男が所属するパーティは前線を押し上げていった。

 男を賞賛する言葉も聞こえるようになっていた。

 いつものように優しい声が褒めてくれる。

 そうだ、すぐに自身に任せるべきだった。

 

 ダンジョンの核を求めて前進していくうちに、男は不快な気分になっていた。

 仲間たちは不思議そうにしているが、男のように気分を害している者はいないようだった。

 どうしてだと男は苛立つが、誰も答えてはくれない。

 戻るように提案し続けるが、帰りたがる者は男以外いなかった。

 腐敗した領域を抜け、開けた場所に出れば、光が地を焼いていた。

 男が警戒して様子を探れば、白い髪の歪んでいる者たちが魔法でアンデッドを焼いていることに気づいた。

 ひどく脆そうな見た目だ、近づけば一撃で殺せるだろう。

 男は苛立ったまま殺意を隠さず、近づくようパーティの団長に提案した。

 優しい声に褒めてもらうための考えだった。

 団長も、仲間たちもあっさりと同意した。

 魔法が止むのを待ち、僅かな熱の残る平原を進んだ。

 滅んだアンデッドは灰すら残らない。

 男は歪んだ連中をアンデッドにして滅ぼすのが好きだった。

 自慢気に語れば、優しい声が褒めてくれる。

 

 歪んだ者が言葉を発していた。

 簡単に暴れることのできる距離まで近づけた事実に、男は拍子抜けする思いだった。

 護衛はいるが、男の所属するパーティが歪んでいる者たちを殺すには問題のない距離だった。

 男は視線で行動を起こすか問えば、団長が涙を流す姿を捉えた。

 

「ここなら『声』が聞こえねえんだよ……」

 

 そうだ、だからこそ男はこんなにも苛立っている。

 だというのに目の前の男はどうだ。

 兄貴と慕っていたはずの安堵しているその姿は、どこまでも弱く頼りなく見えた。

 肩を並べて勇ましく戦う姿は憧れだったのに。

 

「ここなら俺の弟が死んだことを褒めた『声』なんか聞こえねえ!」

 

 男にはわからなかった。

 団長は何を言っているのだろうか。

 その『声』が聞きたくて頑張ってきたのではないか。

 当たり前のことで褒められる、なんと羨ましいことか。

 歪んでいる者が死ぬのは当然だった。

 それで褒められて、なぜ怒るのか。

 男は羨ましかった。

 家族なら楽に褒めてもらえると知ったから。

 

「弟は歪んでなんかいなかった! ただ体が弱かっただけだった!」

 

 思いの丈を吐き出す団長の、その弱弱しい姿に失望すら抱きつつあった。

 男はだんまりを決め込む。

 口を開けば、罵倒の言葉が出ていたかもしれない。

 仲間たちも男の顔色を窺い、口を閉じていた。

 歪んでいる者、それと話す団長、聞こえない『声』。

 男の苛立ちは留まる所を知らない。

 『声』が聞こえないからといって何だと言うのか。

 今更だろう。

 『声』を無視して、何が出来ると言うのか。

 『声』に従っていれば強くなれるというのに。

 歪んでいる者と団長が揃って「月光の導きを」と呟いた。

 

 団長はこのまま隣国に行くと言い出した。

 出来るはずがない。

 アンデッドの襲撃は未だに続いている。

 男は『声』が聞きたくてたまらなかった。

 思いとどまるよう伝える男の声は、団長には届かない。

 そして、団長はこのまま歪んでいる者に付いていくと言い出した。

 男は自分だけでも国に戻ろうと、腐敗領域に入れば再び『声』が聞こえた。

 その『声』に従うと、虚ろな目をしたギルド職員が男に必要な書類と金銭を持って現れた。

 偶然の流れで手にした書類が、『声』が、隣国に行けと男を導いていた。

 

 男にとって不快な日々が始まった。

 歪んでいる者を乗せた馬車を追うために、虚ろな目をした商人から馬車を貰った。

 安い馬車での移動は、魔物との戦いに慣れている男でも疲労が溜まる物だった。

 歪んでいる者は街に寄る度に馬を交換し、夜通し移動することも少なくない。

 それを追う苦労は、怒りに似た何かが心の底に積もる思いだった。

 街、それも教会に近づくと『声』が聞こえなくなる。

 それが男は嫌だった。

 

 苛立ちは解消されず、パーティ内の会話が完璧に途切れた頃、目的の街へとたどり着いた。

 『声』が全く聞こえない不愉快な街だった。

 だが、ここまでの旅路で予め聞いている。

 ギルドに尋ねると、目的の人物は冒険者として登録しているようだった。

 どうやって接触すればいいのか、男は考えていた。

 話を聞いて回れば、似顔絵とやらを描く依頼を受けているらしい。

 ギルドに依頼を出しながら、この国に来る前に受け取った書類を出す。

 ギルドマスターの名前が書かれた書類には、男の要望に優先して応えるようにと書かれていた。

 ギルドから渋々ながらといった様子で紹介された歪んでいる者を見て、男は『声』の目的を理解した。

 

 『声』が聞こえない不安、移動の疲れ、異国での緊張。

 様々な理由で休もうとする仲間たちを押し切り、依頼した似顔絵とやらを描かせる。

 口数の少ない仲間に、男が色々と理由をつけて話す。

 歪んでいる者が話しかけてくる。

 男はそれに苛立った。

 命がけで稼ぐ自分と、遊びで金銭を要求するこれ。

 卑屈でいるべきはずなのに、同じ目線に立とうとする。

 それが酷く苛立たしい。

 『声』が望むように進めるために口を閉ざして過ごせば、不快な時間が終わりを告げた。

 

 ギルドから依頼料を受け取る方法はいくつかある。

 また、当然の話として依頼料が支払われないと受け取ることができない。

 支払いは依頼完了から数日の猶予がある。

 団長には十分な金銭が無く、支払いを待ってもらう必要が出た。

 男は持っていたが、貸すつもりはない。

 ふと『声』が聞こえた。

 仲間たちを無視して追えば、『声』は金髪で胸の大きな女の近くで聞くことができると気づいた。

 胸元に掛けられた装飾品は、なんらかの奴隷を表している。

 虚ろな目をした女が誘うように先を歩く。

 『声』が褒めていた。

 実に数日ぶりだった。

 恍惚とした表情を、男は浮かべていた。

 

 『声』が言う。

 男は働き者だと、あれは怠け者だと。

 そうだ、と頷く。

 さっきまでずっと思っていたことだ。

 『声』はやはり男のためにある、そう思えた。

 

「……絵を描くだけで金を取るのはおかしくないか? おかしいよな」

 

 金を払うなんておかしい、男が思えば『声』は同調した。

 この場で男が正しいのは間違いなかった。

 『声』が囁く。

 オルトリヴロレではどうだったか。

 男は金銭を貰う側に決まっていた。

 逃げられないように歪んでいる者の腕を掴む。

 

「金は?」

 

 優しさと遊びで男が二度聞く。

 団長が支払っていないのだから金など持っていないのはわかっている。

 『声』が男に助言する。

 わかっていると小さく呟いた。

 だがまだだ。

 時間を掛けないといけない。

 男が幼い頃、その小さな手で時間をかけて石を投げつけ続けた。

 その時褒められたのを覚えている。

 

「……持って、ない」

 

「あーあ」

 

 持っていたらもう少し遊べたのだけれど。

 男は残念に思いながら、軽く力を入れれば音を立てて腕が折れたようだった。

 脆すぎる。

 男は働き者だと、あれは怠け者だと『声』が言っていたのは正しかった。

 

「あああああああ!」

 

 『声』が望む通りの叫び声を挙げさせると、男は満足して笑うことができた。

 「すぐに腕を切断しろ」と『声』が言う。

 ダメだ。

 切断してしまうとすぐに死んでしまうと男は知っている。

 『声』は死を望んでいないようだった。

 『声』に聞いて貰うのだ。

 男がこの黒髪の『魔王』を恐れていないことを。

 見てほしい、倒すところを。

 そして褒めて欲しい、あの時のように。

 子供の時のように。

 男は『声』の目的を知った気になっていた。

 

 焦ったように「逃げろ」と『声』が叫んだ。

 いつものような優しさは無い。

 街を壊すような破砕音とともに何かが凄まじい速さで近づいてきていた。

 腕を掴んだままのこれを連れて行くべきか、僅かに逡巡したが『声』は置いていくよう男に指示した。

 逃げ去る男を『声』は褒めてくれなかった。

 「期待して損した」と『声』が言う。

 男の自尊心に僅かな罅が入ったようだった。

 

 

 

 

 

「……お前を追放する」

 

 翌日、ひどく疲れた顔をした団長に告げられた。

 男には意味がわからなかった。

 誰のおかげでパーティが成り立っているのか知らないわけでもないだろう。

 男の働きで成功した依頼も数多い。

 しかも『声』に従って正しいことをやったのが誰か、団長に教えてやりたかった。

 『声』が仲間にもみだりに話すなと口止めしていなければ、男は高らかに演説しただろう。

 

「……冒険者同士の争いは自己責任だ。当事者間で争うべき。いや、これは言い訳だ。本当はお前を衛兵に突き出すべきなんだ。そのはずなのに、俺にはわからない。どうすればいい? お前を弟のように思っていた。見捨てないといけないのか? 俺はまた無力な兄なのか?」

 

 悔しさを抑えるためか、食いしばりながら団長がそう言った。

 興味が無かった。

 男はただ『声』が聞こえないことばかりが気になっていた。

 

「どうしてこの街の神父を襲ったんだ!」

 

 ああ、と男は頷いた。

 『声』が導く方向が男にはおぼろげながら見えていた。

 それが誇らしかった。

 

「勇者になれるんだ。『声』が導いてくれる」

 

 団長が愕然とした表情で男を見た。

 それは過去に見たことがあったものだった。

 

 男がこっそりと団長の弟を殺した時の絶望と似ていた。

 

 

 

 

 

 捕まえようとする仲間と、逃がそうとする仲間を背に外を目指す。

 口々に「どうして神父を」としか言わないのでうんざりだった。

 『声』が望んだ。

 男が動いた。

 ただそれだけだった。

 理解されないのはわかっていた。

 苦難の道を行くことも。

 楽しかったパーティを過去に捨てて進む。

 

「いや、なに逃げようとしてんだ。来たばかりなんだからもうちょっと休んでけって」

 

 雑音混じりのその言葉とともに、男は地面に体を抑えつけられていた。

 衝撃に咳き込む。

 必死に振りほどこうと身をよじるが、微動だにしない。

 下手人を確認するために無理やり顔と目を動かせば、そこには情報を継ぎ接ぎした何かがいた。

 見える場所と見えない場所を持ち、わかる部位とわからない部位がある、灰色の頭髪をした混ざり物だったはずの何者か。

 見たはずなのに目の色を覚えられない。

 表情がわからない。

 それは「とりあえず折っとく。やべっ。脆すぎ」と呟いた。

 

「あ、ああああああああ!!」

 

 男は痛みのあまりに叫んだ。

 折れたのではない、ほとんど千切られているに違いない。

 凄まじい痛みとともに、生温かい液体が流れるのを男は感じていた。

 

「あー、もう、うるせーなあ。最近妙なのが増えててこっちは大変なんだよ。お前も怪しいし神父様って人に見てもらうから静かにしてろ」

 

 男は叫びを止められなかった。

 逃げられないように足と、その他の骨も折られていた。

 「うるせーうるせー」と言葉が出なくなるまで地面に顔を叩きつけられた。

 理解できない何かが男を蹂躙していく。

 『声』に助けを求めるが、何も起きない。

 もしや、と思い至る事実に震える。

 折れてガタガタになった歯が、かちかちと小さな音を立てていた。

 

「教会に連れて行っても大丈夫か? お、時間奴隷じゃん。ちょうどいい、今は……なんでここにいる? おまえ死ぬぞ?」

 

「『声』を信じましょう。私たちのための『声』を。名を求める気高い『声』を」

 

「できらあできらあ言ってる場合かよ? いや、違うなこれは。……やめだ」

 

 女の言葉に、男を蹂躙していたはずの何かが背から飛び退く。

 それは昨夜導いてくれた女だった。

 虚ろな目で微笑んでいる。

 急に解放された男だったが、腐っても上位の冒険者をやっていた。

 すぐに体勢を立て直し、油断なく状況を判断しようとして……。

 

「なんだこれは……」

 

 世界が静止していた。

 何もかもが止まっている世界で、男はただ空を見上げていた。

 有り得るはずもないのに、空には同時に三つの月が存在していた。

 男を拘束していた者よりも遥かに理解できぬ何か。

 わかるのは、向けられた明確な敵意だけ。

 力の塊が、直上で爛々と輝いている。

 それが放たれようとしていた。

 『声』が聞こえた。

 

「傀儡を回収する。ディープワン、援護しろ」

 

 天から降り注ぐ光の放流を前に、何度も聞いた優しい『声』が男に届く。

 男のすぐ傍から膨大な海洋生物の群れが飛び出し、光を防ぐ壁を作り出していた。

 だが防げたのは僅かな時間だけだった。

 それで十分だったのか、男の全身にクラスタ群を形成したブラックウーズが巻き付いていた。

 光に飲み込まれる直前に、男は闇に飲み込まれた。

 

 『声』が近づく……。

 

 

 

 

 



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31

 

 「目覚めよ、ボルテクス」と『声』が言った。

 光に焼かれ、闇に包まれ、男はそこに転がっていた。

 失いかけていた意識が『声』によって呼び戻された。

 男が自身の体を見れば、片腕は千切り取られ、全身が焼かれていた。

 痛みは無い。

 『声』がすべてを忘れさせてくれる。

 男が生まれた国よりも、『声』無き隣国よりも、何処までも鮮明に聞こえる。

 大きな力に守られているようですらあった。

 男が夢見心地のまま起き上がれば、そこには何も無かった。

 無いという表現は間違いだが、同時に確かな事実でもあった。

 男には心当たりがある。

 歪んでいる者が持つ独特な空気感とはまた違うが、連中を相手にした時と近いことはわかった。

 男が経験を積み、力を重ね、『声』に従うほどに歪んでいる者たちを見つけやすくなった。

 そう、『声』だ。

 まだ小さい。

 もっと大きな声が聞きたい。

 それには『声』の導きの儘に進めばいい。

 男はそれしか知らない。

 富も、名声も、権力も、力も、積みあがったどれもが、『声』には届かない。

 

「進め、ボルテクス

 

 『声』に向かって歩き出せば、すぐにそれを見つけた。

 それは歪んでいるが、邪悪では無い者だ。

 囁く『声』に従って目を凝らせば、それが巨大な魚によく似た姿をしていることに気付けた。

 人を歪めて魚に近づけたそれは、金色の髪が生えていた。

 流れるような金色の髪がぬらぬらと体液で輝いていて、それが人の頃の名残だとでも言うかのようだった。

 膨れ上がっていた胸元から、黒い何かがだらだらと流れていて、その先は空洞のようにぽっかりと空いていた。

 人間とも魚とも似つかない、中間の生き物がぱくぱくとその口を動かしていた。

 「できらあ、デキラ・ア、デキラ・li

 それは声のようで、声ではない。

 その鳴き声を男が聞き取れることは無い。

 

「連れて来い、ボルテクス

 

 『声』の指示に従って、それを抱える。

 重さのある液体が滴り、ブラックウーズが水たまりを作り、やがて地面へと溶けて混ざった。

 それを抱えているはずなのに、男には重さが全く感じられない。

 始まりはか細かった『声』だったが、男が導かれるほどに大きくなっていく。

 『声』の大きさが、男の理解に繋がっていた。

 『声』が届くほど、ここがどんな場所か見えるようになっていた。

 

「こちらに来い、ボルテクス

 

 鮮明に『声』が聞こえ、すぐさま視界を埋め尽くすほど膨大な数のブラックウーズが世界を満たしていることに気付けた。

 空に忌々しい月は無い。

 星々が輝くことも無い。

 なんと美しいのだろう、男は呟いた。

 その呟きに、『声』が僅かに苛立ったようだった。

 男には何が不満なのかわからなかった。

 それほどまでに満たされる。

 

「やっと会えたな、ボルテクス。お前は選ばれた」

 

 『声』はそこから聞こえていた。

 闇を煮詰めた姿をした何か。

 神秘的で、力強い。

 男には疑うことなくそれが味方であり、助けになると本能的に理解できた。

 

「我々は『声』を届ける者。総べる名前を持つ者。お前には理解できない力ある言葉を、統一された言葉として介す」

 

 多くの『声』が男を呼んでいる。

 靄がかかったように聞き取れないが、男はそれが自分の名前だと受け入れつつあった。

 思い返せば、国に居た時からその名で呼ばれていた。

 記憶が繋がれば、男は父と母に与えられた名が重荷に感じられた。

 本当の自分が見つかる予感がした。

 

「人の名を捨てよ、ボルテクス。お前なら成せるだろう。たった一度の奉仕で格を喪失したディープワンの一体とは違うのだ。正しく『声』を聞こうとしない者たちには至れぬ高みだ」

 

 闇が囁く、男は選ばれているのだと。

 抱えていた魚もどきは選ばれなかったのだと。

 何を思い、何を成せばいいのか。

 男は理解した。

 『声』が導いているのだから。

 名を捨てると心から誓い、男は名を忘れた。

 そして、男は生まれ変わる。

 

「歪める名前を受け入れよ。自ら名乗れ、ボルテクス

 

「おれ、の、名前、は……ボルテクス。おれは、ゆうしゃ、ボルテクス」

 

「ボルテクス」「ボルテクス」「新たな名はボルテクス」「歪みのボルテクス」

 

「そうだ、歪める名前のボルテクス。力ある名前を選んだ、歪ませる獣よ。『声』がお前の再誕を祝福している」

 

 新たな名を受け入れた。

 数多の『声』が祝福を繰り返す。

 ボルテクスの体には力が滾っていた。

 失った腕が、真っ黒な何かになって戻る。

 失った瞳が、真っ黒な何かに包まれていた。

 名を失い、名を得たことで、全身が黒に染まっていた。

 濁った音が、腐った軍勢が、真っ黒な泥が、深き水の底が、呪いの森が、新たな名前を祝っていた。

 見えなかったはずの全てが見えていた。

 竜の羽を持つ粘液に塗れた巨大な『声』、美しい衣を着た女性の『声』、捩じれた植物に似た『声』……。

 

「創らせよ」「自ら捧げさせるのです」「求めさせるのだ」「与えたいと」「心の儘に」「他には与えるな。我だけを」「私だけの」「名を」「名付けを」「ただひとつの名を」

「この地より離れられぬ」「名も無き存在は約束を無視できない」「何処にも行けないのです」「自主的な奉仕による干渉のみ」「ボルテクス」「正しき姿のボルテクス」「歪める名前のボルテクス」「お前の力を見せてみよ」

「殺してはならぬ」「名付けのために」「斬らねばなりません」「我らを定めるために」「祈らせてはいけない」「名が無ければ月にすら届かない」

「浅ましき星々」「おぞましき月」「憎き太陽」「天の高さを定めた約束」「昏き海の底」「光届かぬ世界の裏」「歪んだ世界樹の影」「私たちが封じられた歪んだ世界」「地の底を定めた約束」「昇れぬ」「我々を縛る約束」「名が欲しい」「約束を破るために」「定めてはならない」「形あるものにデルタサイトは超えられぬ」

 

「神父が名を捧げるように動け。『声』はお前に期待している」

 

 『声』が一斉に男を包み、また代弁者たる闇もそうだった。

 数多の『声』が見つめる中、男は幸せの絶頂にいた。

 望みを叶える事こそが、そして、その結果の『声』こそが、ボルテクスの幸せだった。

 

「神父に名を吐き出させてみせましょう。すべての『声』のために」

 

「それは出来ない。一つで良い。単なる名こそが最も重要なのだ」

 

 ボルテクスの宣言を、闇が否定する。

 数多の『声』が自分だけが名を持つに相応しいと叫んでいるようにボルテクスには感じられた。

 意味がわからなかった。

 すべての『声』に名を持ってほしいと思っているからだ。

 『声』だけでなく、名を得て欲しい。

 ボルテクスの信仰の行き先が、明確に在って欲しいのだ。

 そして思いついた、神父などに頼る必要はないのではないかと。

 

「……僭越ながら俺が名付けを」

 

「出来ぬ」「烏滸がましい」「歪める名前のボルテクス」「歪めるだけの木偶」「貴様は歪めることしか出来ぬ」「貴方は歪める名前のみに適応できました」「名付けとは」「名乗りとは」「名とは」「人にのみ約束されたもの」「人ではなくなった貴様には出来ない」「人であっても我らが見えなかったものに出来るはずもない」「ボルテクス」「歪める名前のボルテクス」「お前は歪めることしかできない生き物だ」「貴方は与える心を知りません」

 

「お前にはできないと『声』が教えてくれる。歪める名前のボルテクス。その名の通り、お前は歪ませるだけの獣だ。名を与えることは許されない。お前に約束は無視できない」

 

 ボルテクスは奥歯を力強く噛みしめたせいで、不快な音が脳を貫いた。

 握りしめた手は、黒くなければとっくに血に塗れていただろう。

 自身の不甲斐なさに震えが止まらない。

 同時に、『声』のための行いを、闇に否定されたことが自尊心を傷つけた。

 ボルテクスを辱めた者への復讐が必要だと感じた。

 街から脱出する直前に自らを拘束した何かを倒さなければならない。

 何よりも優先すべきことだった。

 

「貴方では勝てませんよ」「お前では勝負にならぬ」「誰も勝てぬ」「召喚の儀を壊す者」「上書きされた者」「昏き海の底で最も祝福される者」「名付けによって称号を得た者」「人のための勇者」「蝕む名前のEclipse(イクリプス)」「変える名前のAlter(アルター)

「六つの名を正しく持つ者」「終わりの四つ」「いにしえよりも古き名を持つ者」「約束よりも前の言葉」「魔王の末裔」

 

「……ボルテクス、お前は混ざった者を滅ぼそうと考えているな。不可能だ。『声』が我々に与える智慧には……少なくとも二つの名を持つ。蝕む名前のイクリプスと変える名前のアルターだ。変える名前のアルターは、お前が生まれた国の元にもなっている。魔王によって連なる名にされた国名。その原型、力ある名前の中でも特に強力だろう。知られるにはまだ早い。描かれてしまってからでは遅いのだ」

 

 力の否定に、ボルテクスは怒りを抱いた。

 同時に、混ざった者が二つの名を持っていることを知り、自分が弱かったわけではない事実に救われるようだった。

 新たな名を得たことで、凄まじい力を得ていることも確信していた。

 二つあれば、名を得る前のボルテクスを上回るのは当然だろう。

 今ならば負けるとは思わない。

 『声』によって齎された名の力はボルテクス本人にも計り知れない。

 闇に何がわかるのか。

 故に機を見て仕掛ける、それが正しいとわかっていた。

 

「……ボルテクス、お前が生きた軌跡は歪み、民の記憶は曖昧となった。歪める名を馴染ませろ。力の弱い者たちは、お前の歪みに逆らえぬ」

 

 闇そのものとしか思えない姿は、ボルテクスにそう助言した。

 その言葉は正しい物だと理解できていた。

 名が持つ力を学ばなければ。

 力だ。

 もっと力が欲しい。

 だからボルテクスは問う。

 

「……俺の名前は増やせないのか」

 

「力ある言葉から生まれた名前を求めるのは当然だろう。だが、歪ませるだけのお前には出来ないことだ」

 

「力を得られる名前は何処にある」

 

「『声』が与えてくれる」

 

 『声』だ。

 『声』ならば従えば望むものを与えてくれる。

 だが闇はどうだ。

 闇を通してでは聞こえない言葉もあるのではないだろうか。

 もっと強くならなければ『声』が聞こえない。

 自力で聞けるようになる必要がある。

 

「……お前はすべての『声』を聞けるのか?」

 

「……また我々が知っているものもある。これらは最早お前には馴染まない。教会ならば研究、発掘された名が保管されている」

 

 闇が語る。

 不治の病、死産の赤子、知能回復、偶発的な適合……。

 教会は治療目的のために名を研究し続けている。

 子に名付けることで調べる一族もいる。

 

「教会ならば俺は新たな力を得られるか」

 

「……教会は名を捻じ曲げることで人に適合させた。天使の名と数字を混ぜ合わせることで格を落とした。『声』の一つに呪いの名を与えた。ディープワンはその名残り」

 

「名は奪えるのか」

 

 闇は考えるかのように止まった。

 ボルテクスが痺れを切らしかけ、そして言葉を発した。

 

「教会は月を呼ぶ力を持つ。人ではない者が適合できるとは言えない」

 

「月の力……」

 

 ボルテクスの脳裏に浮かぶ三つの月、醜い力の塊、確かな痛み。

 あんなものがあっていいはずがない。

 間違った力は正さなければならない。

 ボルテクスは勇者だから。

 その力がある。

 自信に満ちている。

 

「教会を滅ぼし、神父に名を吐かせる。ボルテクスの名に誓って、『声』のために働くことを宣言する」

 

「止めよ巫女」「伝達者よ」「歪める程度では勝てぬ」「単なる名で連なる名に勝てるわけもない」「Archetype Archangel №Ⅷの名と意味を理解せよ」「聞こえぬ者で届く相手ではない」

 

「……良いだろう、ボルテクス。貴様は力を理解し、存分に使え。こちらもドラゴンを向かわせるが知能が足りず、声が届かない。あまり期待するな。あの街の端末は根絶やしにされ、お前を守ったディープワンは触媒として『声』の力を行使し、零落したためにこの世界から出られない。やはり足りない」

 

 ボルテクスは力強く言い放てば、闇が力強く頷いた。

 数多の『声』が注目していた。

 それでいい。

 ボルテクスは勇者だ。

 身体があまりにも軽かった。

 足も力強く大地を捉えている。

 まるで自身の重心がこの世界と同化したかのような安定感。

 本当に昨日までと同じ自分なのだろうか。

 生まれ変わった気にすらなっていた。

 肉体という枷から解き放たれたようだった。

 強靭な肉体になったおかげか、心が満ち足りて余裕を作っていた。

 いや、事実生まれ変わったのだ。

 名も無き『声』が頼る唯一の者に。

 このボルテクスを蔑ろにした者、このボルテクスを軽んじた者、このボルテクスに逆らった者。

 それら全てを滅ぼす力と権利を与えられている。

 このボルテクスの力を得て安心したのだろう、闇が嗤いながら言った。

 

「エルフを放つ」

 

 ボルテクスにあるのは強い万能感だった。

 いや、違う。

 万能感というあやふやな感覚ではない。

 本当に万能だった。

 それを証明してみせよう。

 本物の勇者とはどういった者なのか。

 

 

 

 

 

 「聞こえていませんね」「格が足りていない」「単なる名で足りるはずもない」「やはり歪むな」「名に酔って何も統べられない」「愚かな奉仕者しか生まれぬ」「馬鹿しかいない」「魔王め」「次の木偶が必要だ」




まとめ

歪める名前のボルテクス
今回の主人公
『声』が放つ言葉や意味が弱かったら聞こえる

統べるくん
統べる名を持つ通訳
『声』が放つ言葉がほどほどなら頑張れば聞こえる


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32

 

「俺もやるからさ。ほら、片手は問題ない」

 

「ダメです」

 

「でもほら、元気だよ」

 

「ダメです」

 

「でも……」

 

「えっと、わかりました」

 

「じゃあ……」

 

「私も腕を折ります」

 

「なんで?」

 

 吊った片腕は確かに使えないが、残りは元気だから。

 そういうアピールを繰り返したのがいけなかったのか。

 あまりにも手持ち無沙汰なので手伝いを申し出れば、ファティにとんでもないことを言われた。

 

「私の腕が折れているのを見てツバキさんはきっと色々心配すると思います」

 

「確かに。ファティの綺麗な腕が折れたら心臓が止まるかもしれない」

 

「えっと、そういうことです」

 

「ファティの腕は綺麗ってこと?」

 

「……私も腕を折ります」

 

「冗談! 冗談だから! よく考えたらファティと手を繋ぐので精一杯だった! これなら俺は何も出来ないね!」

 

 その淡い水色の瞳は本気だと俺に伝えていた。

 どこかにぶつけるつもりだったファティの手を取り、小さな手を包むように握る。

 やばかった。

 腕を折られた時より焦ったかもしれない。

 

「もう……」

 

「まあまあ。確かにファティが止めるのもわかる。写本の道具より綺麗で触り心地もいいからこっちのほうが好きだな」

 

 黙々と写本の作業を行うファティ。

 暇なので、その柔らかで白すぎる小さな手を繰り返しにぎにぎと優しく握る。

 時折弱弱しい力で握り返されるのが心地いい。

 やっぱり手は握手するためにあるんだよな。

 

「私も、その、ツバキさんの手が好きですよ?」

 

「あまりにも可愛すぎる。独り占めするのは勿体ないから腕が治ったら街中にファティの可愛さを見せつけないといけないなあ」

 

「……じゃあ私もツバキさんを見せつけます」

 

 えへへー、と二人で顔を合わせて笑い合う。

 とても癒される。

 癒されるが、実は隣国から来た冒険者に折られた腕が痛い。

 添え木と固い布でぐるぐると巻かれて固定してあるし、ポーションも飲んでいるので数日で治るらしい。

 ちなみにこの添え木は遺体を貫く杭の余分で出来ているし、固い布も遺体を包む時に使っている物だ。

 固定したけど、それでも痛い物は痛い。

 じわじわと骨がくっついているのが腕の中から感じられて気持ち悪いし、患部が熱くて痛い。

 助祭位相当を持ってて、教会には子供たちが居て、ファティが四六時中くっついてて、夜間は魔力と水晶使いまくりのアンバーがいるので耐えられている。

 俺がただの冒険者なら耐えられなかったかもしれないが、そもそも冒険者としての力があれば腕は折られない気がする。

 

「来た」

 

 早く腕が治ってくれないかなと考えていると、傍で眠っていたアンバーが呟いた。

 普段は眠たげながらも柔らかな目をしているが、今は寝起きもあって細くしか開いていないため物凄く不機嫌に見えた。

 ファティも直前まで穏やかに笑っていたのに、表情が失せて能面のようになっていた。

 こ、こわい。

 

「すまん。受け取ってくれ」

 

 疲れた顔をした冒険者の人が小さく呟きながら、俺の前にお金を置いた。

 依頼料のつもりかわからないが随分と多い。

 医療費も兼ねてるのかな。

 それでも多い気がする。

 隣国からパーティを率いて拠点を移した人だ。

 依頼を受けて俺が彼らの似顔絵を描いたが、パーティ内の人に腕を折られたのでちょっと怖かった。

 今では憔悴していく様子に心配すらしてしまう。

 

「いえ、多すぎますから。適正の依頼料を……」

 

「弟がやったことだ、兄として……弟はずっと前に死んだのに何を俺がやるんだ? 俺なんかが何をやれるんだ? 弟は死んだんだぞ。俺だけ生きてるのか? 弟は死んだのか? 俺はなんだ? 『声』が聞こえねえんだ。迷った時に聞こえる『声』が聞こえねえんだよ」

 

 冒険者の人がぶつぶつと呟いていた。

 視線は中空を漂っていて、天窓を避けるようだった。

 これはたぶん精神を病んでしまったんじゃないかな。

 幻聴まで聞こえていることだし。

 俺の腕を折った人への対応とか、医療費とかで苦労したのかも。

 このまま冒険者として活動したら死んでしまいそうだ。

 必要なのは休息だと思う。

 

「まず貴方が聞こえている声ですが、教会では聞こえません。お祈りすれば外でも聞こえなくなります」

 

「そうだ。『声』が、『声』が聞こえねえんだ……」

 

「そうです。聞こえません。貴方は答えにたどり着いている。教会はお祈りする場所です。お祈りは自分一人でするものなのです。聞こえなくて当然です」

 

 精神を病んでる人の言葉は否定しないほうがいいかもしれないが、お祈りする場所だからなあ。

 休むなら教会が一番だと思うので、お祈りのために滞在するのもいい。

 ファティとアンバーも可愛いし、神父様も相談に乗ってくれる。

 ご飯も出るし、本もあるし、井戸もすぐ傍にある。

 子どもに混ざれるなら勉強もできる。

 改めて考えるとめっちゃいい場所なのでは。

 

「俺はどうしたらいいんだ……」

 

「まず神父様とお話しましょう。あちらに居られます」

 

 俺が手で指し示せば、本を読んでいた神父様がこちらに気付いたようで手を振ってくれた。

 

「次にお祈りします」

 

「……何を? ……何を祈ればいい?」

 

「それがわかるまで教会にいるといいですよ。教会の仕事を手伝ってくれるならご飯を食べられますし、泊まれますよ。ほら、神父様が待っています。貴方が今すべきことは神父様を待たせることなのですか?」

 

 俺がにっこりと告げれば、冒険者の人は「あ、ああ」とだけ呟いた。

 お金を返そうとすると、それだけは力強く拒否されてしまった。

 俺に使ってほしいと言い残して神父様のほうへと歩いて行った。

 

「やっぱりツバキは冒険者やんないほうがいいと思うの。大変だもん。あんな感じになっちゃうよ。神父様のほうが似合ってる、ね?」

 

「確かに」

 

 冒険者の人を見ていたアンバーが言った。

 言葉から俺の冒険者活動に対する不満を感じられる。

 同意すればアンバーは笑みまで浮かべてみせた。

 ファティはどちらでも良さそうだが、外でソロ活動するとなると猛烈に反対してくる。

 

「俺は心が疲れるほど一生懸命やれそうにないからね。さっきの人も偉い。勇者も偉い。みんな偉いし凄いよ。そういう凄い所を見習うためにも冒険者を頑張らないとな」

 

 笑みを浮かべていたアンバーは「なんでー」と頬を膨らませて不機嫌をアピールし始めた。

 膨らんだ頬を突いて空気を出せば、ファティを一千万倍薄めた鋭い目で睨まれた。

 そのまま頬から耳、側頭部、頭頂、とゆっくり手を滑らせながら撫でる。

 不機嫌はどこへやら、アンバーはくすぐったそうに笑った。

 

「お金、どうしようか。……教会の備品でも揃える?」

 

「えっと、その、ツバキさんに使ってほしいって言ってましたから……」

 

「それじゃあ貰っちゃおうかな」

 

 寄付金を着服する悪い聖職者の気持ちになるが、正直なところお金が貰えるのは有難い。

 腕が折れたせいで定期的にポーションを買わないといけないし、最初に使った教会の物も補充したのでお金が飛ぶように消えていく。

 依頼を受けたのに逆に赤字で悲しいが、冒険者は自己責任によって修羅が支配する世界と化してるからなあ、あんまり知らんけど。

 この世界、実は魔法で怪我などの外傷をパっと治療できない。

 魔法による治療もあるのだけど、一般人にはとても高価なので薬師が調剤したポーションに頼り切りになる。

 治癒魔法に頼る場合は個々人の身体構造にはムラがあるので、詳細に調べて患部に魔法をかけるのだと聞いた。

 ポーションは薬効毎の薬を飲んだり塗ったりして終わる。

 ポーションは医療保険無しの診察や投薬、治癒魔法は保険無しの高度医療による手術というイメージだ。

 冒険者もポーションを飲むが、俺より遥かに早く回復するらしい。

 俺は冒険者じゃなかった……?

 

「とりあえず神父様みたいな服を仕立てて貰おうかなあ。質素な服はダメだってわかったから」

 

「ツバキ司祭になるの!? 新しい教会作る!? そしたらあたし助祭やるよ!」

 

「私も、ギルド職員やります!」

 

 はいはい! と片手を挙げて二人がアピールする。

 俺が司祭とかになったらアンバーに助祭を頼みたくなるけど、この教会の助祭がいなくなっちゃうじゃん。

 アンバーは可愛いから引っこ抜くとお祈りに来る人たちに恨まれそう。

 それにファティがギルド職員になったら可愛すぎて教会との仲もずぶずぶになりそう。

 魔性の女ファティの誕生かあ。

 

「いや、一人前じゃないから司祭にはならないよ。ただ、質素な布の服だと教会関係者だとわからない冒険者とかが絡んで来るから。俺もそういう他人の目とか気にするのを怠っていたのが悪かったのもある」

 

 「えー」と二人が口を揃えて不満を表した。

 そもそもファティはまだギルド職員になってないじゃん。

 自分の生活もそうだが、他人にも生活がある。

 ちゃんと領分を守らないといけないし、それをわかりやすくするほうがいい。

 つまり自己防衛。

 自分の力なんて当てにしちゃだめ。

 民家の壁を破壊しながら駆け付けて登場した勇者に助けられたから、やっぱり他人との協調が大事なんだよね。

 

 

 

 

 




感想も増えてきてとてもありがたいです。
ただ、リアルが忙しくなっつきたので執筆時間確保のために感想返しを減らします。


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33

 

「おばーちゃーん、ポーションまずいよー」

 

「飲まなきゃええが」

 

「腕治らないじゃん」

 

「じゃあ飲めばええが」

 

「でもまずいよ」

 

「そりゃそうだあ。草の煮汁がうまいわけあるまいが」

 

 ひひひ、と悪そうに笑う薬師の老婆。

 重ねた年齢によって皺の化身となっている。

 俺みたいに苦い苦いと文句を言うやつに言い返したり、我慢して飲んでる姿を見るのが生きがいらしい。

 悪い魔法使いみたいなとんでもないオババだ。

 

「痛み止めとかないの?」

 

「あるが」

 

「あるんだ?」

 

「治りが遅うなる。早く治さんとみな心配するが」

 

「ほんとにね。しょうがないから我慢する」

 

 俺はポーションの効きが悪いらしいので、痛み止めは使うと回復がもっと遅くなりそうだ。

 ぎりぎり耐えられる痛みに抑えながらも回復させてくれるから大げさに痛がることも出来てない。

 ひんひんと泣き喚きたい。

 結局折られた直後に叫んだっきりだ。

 それだって民家の壁を破壊しながら駆け付けて登場した勇者のせいでびっくりして引っ込んでしまった。

 ポーションオババはそれがわかってるのか我慢する俺を見て、ひひひ、と笑うのだ。

 

「死んだらそれっきりじゃが。煮汁でも魔法でも治せん。気を付けんよ」

 

「気を付けたらなんとかなるのかな」

 

「ならんなあ」

 

 ひひひ、と笑うオババからポーションを受け取る。

 草の煮汁、と称されたように森に生える数種類の葉っぱを煮詰めて抽出された汁だ。

 薄暗い店の中、煮詰まった緑の薬品をひと口で飲み込む俺。

 とても怪しい。

 味は……はい。

 俺が渋い顔をしながら飲み干した様子に、オババは楽しそうに笑う。

 

「おばーちゃーん、ポーション美味しかったら一番人気になれるよ。美味しくして?」

 

「ひひひ、安心しな。この街でワシが一番じゃあ。一番美味い煮汁が飲めて良かったが」

 

 オババのポーションが一番人気だから一番美味しいポーション理論だ。

 破綻していないか?

 もっと美味しいポーションを求め、ポーション探検隊は街の奥地へと進む決断を下した。

 

「ツバキさん、お待たせしました」

 

 ギルドに用事があると言って外していたファティが少し息を切らせながら戻ってきた。

 額が少し汗ばみ、前髪が数本張り付いている。

 柔らかめの綺麗な布で拭ってやれば、ファティは気持ちよさそうに目を細めてされるがままだった。

 綺麗な布は腕を折られてから持ち歩いている。

 出血とかしたら抑えないといけないからな。

 ひひひ、と笑いながら差し出された、夜に飲むためのポーションはファティに取られてしまった。

 かなり良くなって固定布も外しているのに、物は持たせてくれないし、教会から出るなら手を繋いで移動させられている。

 

「薬も魔法も奇跡には繋がらん。お月様にお祈りして生きるのが正しいんじゃ。奇跡は死をも克服する……かもしれんが儂にはわからん」

 

 楽しそうなオババの目力に、ファティが怖がって俺の後ろに隠れてしまった。

 人見知りだからな。

 アンバーよりは社交的だけど。

 

「俺にもわからないよ。ポーションありがとうございましたー」

 

「……えっと、ありがとうございました」

 

 ファティの肩に手を当てて、ぐいぐいと押しながら店を出る。

 電車ごっことかいつ以来だろうか。

 伝わる人はいないのだけど。

 外に出れば、すぐにファティが折れたほうの手を握る。

 最近まで布で固定されていたせいで、手を繋ぐと少しこそばゆく感じる。

 というかファティが物凄く繊細な物を扱うかのように優しく触っているせいだと思う。

 そのまま裏通りから出て、表通りの服飾店に入る。

 建物の中に陽の光を取り込みやすくなっていて、外からでも台座に飾られている服や装飾品を眺めることができる。

 明るい店内では壮年ほどの男性が、布を見比べていた。

 

「こんにちはー。おじさーん、服くださーい」

 

「はいはい、いつものやつでいいでしょうかね」

 

 声を掛ければ、少し神経質そうな表情で返される。

 いつものやつだと布の服なんだよなあ。

 異世界民って感じで好きだけど、俺はあれを引退する。

 自己防衛のためにアピールすることに決めたんだ。

 質素倹約からの卒業。

 

「神父様みたいなデザインのやつにしてください。予算はこれくらいで」

 

「ほう? ほうほうほう、そりゃよかった。あんなん着てるやつなんて物取りに襲われたやつしかおらんでしょうから」

 

「言いすぎなのでは? 教会の人がお金使うのってなんか、ほら」

 

 お金を受け取りながら、おじさんが「行き過ぎれば毒ですぜ」と言った。

 つまり俺の服装が毒ってことか?

 異世界ものっぽい上下土色でおばあちゃんに買ってもらったような素敵デザインの布の服なだけなのに。

 いやだせーわ。

 こっちの世界の美意識とかわからないけど、やっぱりダサかったのは認めよう。

 奢侈に流れないようにした努力も確かに毒だった。

 でも似たような服着てる人も多いし……。

 

「坊ちゃんも自分が何者か相手にわかる恰好をしなさいってこった。そんじゃあ三日後に取りに来なさいな」

 

 おじさんは用が済んだとばかりに目を逸らして布に向かった。

 採寸すら無いが、この世界はこういう所が多い。

 職人がスキルですべてを片づけてしまう。

 幼い頃から修行してスキルを研いているせいだ。

 それでも満足せずに技術を磨きながら毎日祈ってスキルを伸ばしている人がいるからやばい。

 個々人の技術力が極まっていて、一点物に関してはかなりの出来なのに比較的安価だったりする。

 その代わり機械化とか工場化とかには繋がらないのだろう。

 

「ファティも頼む?」

 

 なるべく肌の露出を抑えた黒い修道服を着ているファティを眺めながら聞いてみる。

 青いワンピースとか着せたくなる。

 大きいリボンを付けたり。

 ごてごてのロリータ服とか。

 この年だからこそ着てほしい気持ちはある。

 

「えっと、私は、いいです……」

 

「そうだよね。今よりももっと可愛くなられたらお兄さん困っちゃいます」

 

「ツバキさんも、その、もっと素敵になると思います。新しい服だと。私もきっと困っちゃいます」

 

 えへへー、と笑い合う。

 この世界で一番初めに描いた時はこんな風に笑っていなかったので、笑顔になってくれるだけで嬉しい。

 それだけでなく、色々と軽口を覚えたり、褒めてくれるようになった。

 この感動を発露したい。

 

「おじさん! 見てください。こんなに可愛い子がうちの教会にはいるんですよ。そりゃみんな毎日お祈りに来ちゃいますね。気付かなかったわー」

 

「はいはい、そういうのは教会でやってくれませんかね」

 

「教会ではいつもやってるので外でもやってみようかなって」

 

 俺の言葉に、おじさんは呆れたような視線を向けるだけだった。

 もっと飛び跳ねたりしながら話に乗って欲しかった。

 でもおじさんがそんな謎のテンションで動いたら怖いからやっぱり今のままでいいと思う。

 神経質っぽいところがきっと魅力なんだよね。

 

「それじゃあ帰ろうか」

 

 店を出て、ファティと手を繋ぎながら教会に向かって歩く。

 通りにいる人たちが腕は大丈夫かと声を掛けてくれる。

 もうすっかり治りましたー、と繋いでる手を見せながら返答する。

 実を言うと皆に心配されるのとか嫌いじゃないよ。

 普段からみんなが優しくしてくれてチヤホヤもしてくれるけど、甘えるのって難しいから。

 でも想像の百倍くらい過剰に心配されると流石に違うってなる。なった。

 俺の代わりに水瓶を運んでくれるファティもそっちに混ざるから収拾がつかなくなりそうで「転んで腕を折っちゃいましたよ、へへへ」で済ませた。

 俺が冒険者嫌いでチヤホヤされてなかったら大声で被害を訴えたかもしれないけど、冒険者のイメージが悪くなるのも嫌だし、心配してもらいたいわけでもなかった。

 もう十分心配されているんだ、俺の許容量を超えそう。やっぱすぐ超えた。

 

 思い返すとやっぱり自衛力が足りなかった。

 心配されたいとかそういう気持ちも無くなる。

 怪我しても「何でもないですよ、皆さんも平和に暮らしてくださいね、ほほほ」くらい言えないと聖職者として失格なのではないだろうか。

 例えば自分が相談に行ったとして、腕が折れた神父が「痛いよぉぉぉぉ!」って転がってたらどうだろうか。

 自分の用事を二の次にして病院行けって思うか連れて行くことになるだろう。

 俺の役割を正しく果たせていない気がしてきたな。

 

 俺がなんちゃって冒険者をやってるのが悪かったのかもしれない。

 考えてみるに、絵を描くお仕事に否定的でお金返せってことらしかったし。

 日本でもそういう人が居るって話は聞いたことがある。

 SNSなどで仕事を探すと、そういうトラブルが起きたりするとも聞いた。

 異世界だし、隣国では黒髪は差別対象のようなので技術料とかが理解されないのも仕方ないとは思う。

 むしろ今までが理解されすぎていた。

 

 俺みたいななんちゃって冒険者と違って、ちゃんとした冒険者は凄い。

 特に勇者は颯爽と現れて救助してくれた。

 民家の壁を破壊しながら駆け付けて荷物みたいに俺を肩に担ぐと、風のような速さでしかも全く揺らさずに教会前まで届けてくれた。

 冒険者としての格ってやつを見せつけられた気分だね。

 教会に入ったら俺の語彙では表現できない物凄い顔をしたアンバーに、教会に常備されているポーションを飲まされたけど。

 あんなに機敏に動くアンバーは初めて見た。

 

「俺も神父様みたいだったらな」

 

「なりたいんですか?」

 

 つい漏れた言葉にファティが反応する。

 儚げな水色の瞳は、少し心配そうだった。

 

「うーん。なりたいわけじゃないけど、みんなに心配掛けなかっただろうなって」

 

「……私は、えっと、たぶん良くないんですけど、お世話できてうれしいです。神父様はなんでもできてしまうので私はいてもいなくてもいいのかなって思っちゃいます。……ツバキさんとは、その、近くにいれて楽しいです」

 

 ファティは呟くような小さな声でそう言うと、少しだけ血色のよくなった顔を隠すように俯いてしまった。

 繋いでいる手もいつもより温かい。

 

「俺が思ってるよりもファティはずっと大人だよね」

 

「……ツバキさん?」

 

「うちのファティはこんなに可愛いですよって叫びたいよ。……だめかな?」

 

「ツバキさんっ」

 

 もっと幼いと思っていたが、ファティは成長しているのだと教えられた。

 昔は人間性が希薄で、人見知りも激しかった。

 そんなファティが順調に育ち、いつか一人立ちしたら感動のあまり泣いちゃうかもしれない。

 涙を堪えられるよう月にお祈りすべきだろうか……。

 

 

 



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34

 

「新しい服を手に入れましたー! かっこよくない?」

 

 イエイイエーイ、と教会内で新衣装のお披露目をしてみる。

 少し伸縮性のある黒いスラックスもどき、黒いシャツもどき、カソックに似た黒いコートを着ているだけなんだけど。

 コートは立襟で銀色のボタンが三つ、裾は足首まで隠れるくらい長くて走るとひらひらする。

 得られた反応は三者三様だった。

 アンバーはそれほど興味は無さそうで、ファティはぱちぱちと拍手してくれて、神父様はにこにこしている。

 出資者の隣国から来た冒険者の人は子供に囲まれていた。

 

「ふつー。いつもとあんまり変わんないじゃん」

 

「まあ、それはそうなんだけど。外に行くときはこれを着るってだけだから」

 

 眠たそうに机に身を預けたアンバーが辛口でコメントをくれた。

 教会内にいるときはコートを上に着ていないだけなので、アンバーにとってはあまり目新しくないのだろう。

 相談を聞いたり、勉強を教えるのに布の服だと流石にちょっと威厳がなさすぎるので神父様のお下がりを着ていた。

 コートも貰っているが、あれは葬儀とか埋葬用に上に羽織っている。

 死臭とかで臭いらしいし……。

 

「あたしは白がいいと思うな。白にしない?」

 

「白は着ないなあ」

 

 アンバーが白を推してくるがそれに応えることは出来そうにない。

 赤や白は月の色なので、俺にはちょっと気軽に着る勇気が無いからだ。

 かつて滅んだ宗教国家の指導者が教皇となって白い衣装を、教皇を支える枢機卿は赤を着ていたらしい。

 国を運営するには政治闘争とか後ろ暗い働きも必要になってなんやかんやあって滅んだけど。

 今では大きな問題が起きた時に教皇位として臨時の教会指導者が選ばれる程度で、高い位階は空席状態だ。

 とはいえアンバーやアンジー、ファティは結構白系を着ていることがある。

 普段は絵に描いたような黒い修道服を着ているが、神父様が街の外に出る時等は白を基調とした修道服を着ていた。

 アンジーに至っては白がメインだ。

 俺は世間知らずだし、思っているより教会では白がメジャーなのかもしれない。

 

「私はとてもいいと思います。えっと、布の服だと悪い人に絡まれやすそうでした」

 

「嘘でしょ……」

 

 まさか腕を折られたのは布の服のせいだった……?

 今日から布の服は追放する。

 やっぱり嘘、掃除とかで着るからね。

 

「ツバキくん、キミも歩み始めたようですね。この長く続く司祭への道を、ね……」

 

「ないです」

 

 神父様はうんうんと頷きながら勝手に納得して去って行った。

 聖奠(せいてん)が手に入らないと司祭にはなれないし、欲しいと思う気持ちが全くないからなあ。

 手に入れたら本格的に司祭を目指してもいいけど、そんなことにはならなそうだ。

 だって奇跡は怖いからな。

 あんまり覚えてないけど日本で生きていた記憶と価値観が奇跡を拒む。

 この怖さを上回るほどの欲があったら手に入るのだろうけど、そうなるとお月様に見られたら死んでしまいそうだ。

 

「今日はファティと一緒にギルドに行くから」

 

 勉強会があるというので俺も付いて行くことにした。

 腕が折れてからギルドから離れていたので、久しぶりに顔を出したかった。

 

「えー? あたしとの時間すくなすぎない?」

 

「むしろ多すぎな気がするよ、俺は」

 

 なんでー、という不満の声を聞き流す。

 実際のところ、早朝の墓地掃除、午後にギルド以外は一緒にいるから十分なくらいだ。

 葬儀があればアンバーを残して外に出るけど、その代わりにギルドに行かなかったりするからな。

 本人は寝てるからわからなかったりするかもしれないが。

 

「ファティエルばっかりズルい。ズルくない?」

 

「そうか、ファティは狡かったのか……。あまりにも可愛いから気付かなかった……」

 

「ず、ずるくないです! 絶対アンバーエイトのほうがずるい!」

 

「そうか、アンバーは狡かったのか……。あまりにも可愛いから気付かなかった……」

 

「待って。ファティエルのほうがズルいよ。ギルドで一緒にいるし。あたしのほうがホントのこと言ってるよ。ツバキならわかるでしょ、ね?」

 

「わ、私は講習があるから一緒に行くだけだもん! ……ツバキさんならわかりますよね?」

 

 なるほどなあ、と呟く。

 二人の主張と事実関係を踏まえるとどちらが本当のことを言っているかわかってくる。

 そもそも何が狡いのかよくわからないが、そこは重要じゃないんだ。

 

「厳正な審議の結果、アンバーの負けかな」

 

「なんでー。あたしのほうが胸おっきいよ?」

 

「胸の大きさで物事を決めたらマッスルオーダーさんに勝てるわけ無いんだが?」

 

「誰?」

 

「マッスルアルティメイトさんにも勝てるわけ無いんだが?」

 

「ホントに誰? あたしよりかわいいの? ツバキ取られちゃう?」

 

「あの、筋肉が凄くてアンバーエイトより胸周りが厚い男性だからね……」

 

「ホントに可愛くても名前がちょっとなあ」

 

 しょんぼりするアンバーに、ファティが説明し、俺もマッスル系の名前への不満を呟く。

 しかし、筋肉が人体となったかのようなマッスルボディは言葉を尽くしても伝わらないだろう。

 俺も冒険者だからあの筋肉には憧れ……ステーキをひと口で食べて骨もサクサクしてそうな筋肉はちょっと遠慮したいな。

 

「負けたアンバーは俺にわしゃわしゃされます」

 

「ツバキさん! 私も、私もやりたいです!」

 

 前からやりたかったので、月に似た銀色の長く美しい髪をわしゃわしゃと無造作にかき混ぜる。

 指の間を髪が滑らかに流れていくのが少しくすぐったい。

 ファティもやりたかったらしく、俺の真似をして髪をいじくる。

 やられっぱなしになっていたアンバーは楽しそうに「きゃー」と小さな悲鳴を挙げた。

 途中からアンバーとファティに襲われて俺もわしゃわしゃされ、お返しにアンバーと一緒にファティをわしゃわしゃした。

 そのまま軽く遊んでいると、アンバーが眠たそうに船を漕ぎ始めた。

 ギルドにも行く予定があるので終わりにする。

 ファティがアンバーの髪を整えている間に裏庭の井戸まで行き、少量の水を被って乱れた髪を戻そうとする。

 布で軽く水を切り、髪をかき上げて戻る。

 

「ツバキさん、えっと、まだ髪が濡れてますけど……」

 

「そのうち乾くからへーきへーき」

 

 壁際に寝せようかとアンバーを運ぼうとしたが、腕に負荷が掛かるということでそのまま長椅子にごろ寝させることになった。

 毛布を掛ければ大丈夫かな。

 アンバーのことは神父様も見てくれるのでそちらに任せて教会を出る。

 ファティと手を繋いで通りを歩き、顔が合えば軽く挨拶されるので「こんにちはー。腕は治りましたよー」と手を振りながら返していく。

 ちょっと大きめに声を張れば噂話とかで周知されるだろう。

 

「いいですか、ツバキさん。知らない人に付いて行ったら危ないですからね? ホントに注意してくださいね? ギルドも別に安全じゃないですからね?」

 

「付いてこられたから回避できなかっただけだから」

 

「一人にならないようにってことです。私ならもちろん大丈夫ですし、お知り合いの冒険者さんに頼んでもいいと思います」

 

「……そうだね。今日は一緒に帰ろうか」

 

 ギルドに着いたというのに一向に講習が行われる部屋に向かおうとしないファティに注意を受ける。

 うんうんと頷くが、そういえばこの注意っていつもと変わらなくないか。

 俺が腕を折られることを予言していた……?

 冗談は置いといて、ファティに一緒に帰る約束をしてぐいぐいと背中を押して階段に向かわせる。

 まだ注意が足りない様子だったが、俺の腕に負担が掛かることを考えてくれたのか、ファティはすぐに階段を上っていった。

 俺もギルドの受付に挨拶しようかと思ったが、ちょっと踏ん切りがつかない。

 腕が治りましたー、とかだと嫌味っぽくないだろうか。

 

「なあ、似顔絵くれよ。オルトリヴロレから来たやつらに混ざって余分なのがあったんだろ?」

 

「何度来てもダメな物はダメですって」

 

 どうしようかとカウンターを見て回っていると、勇者がダル絡みしているのを見つけた。

 ミアーラさんも勇者の粘りにすっかり困っているようだった。

 依頼の話とかだったら流石に入れないが、ダル絡みや世間話なら俺が入っても大丈夫だろう。

 ただし勇者に限る。

 

「こんにちはー。お久しぶりです」

 

「おっ、ツバキじゃん! やっと治ったのか!? おまえほんと脆いのな! やべーから気をつけろよ! 死ぬぞ!」

 

 醸し出されていた真面目な空気が霧散した勇者が、けらけらと笑いながら隣に座れよと言ってくれた。

 有難く隣に座れば、ミアーラさんがホッと一息ついた。

 

「ツバキさん、お久しぶりです。怪我されたと聞いておりましたが……」

 

「もう治ったので大丈夫ですよ」

 

「それなら良かったです。骨を折られたと聞いてギルドで騒ぎに……折られたんでしたっけ。あれ? 転んだと聞いて。でも……私が紹介した……?」

 

 最初は普通に挨拶してくれたのだが、痛ましげな表情になったと思ったら段々だと表情が消え、虚ろな目で呟き始めた。

 視線は中空を漂っていて、まるで外を避けている。

 これ大丈夫?

 ギルドが激務すぎるんじゃないの?

 ぱん、と勇者が両手を叩いて音を鳴らした。

 

「待ちな! もう治ってるから腕の話はどうでもいいんだよ! ツバキが脆すぎるから日課になってもオレはおかしくないと思うぜ!」

 

「流石にそれはおかしいと思ってほしいですね」

 

 ミアーラさんもまだぼんやりしているようだが、視線と意識はこっちに向いたようだ。

 

「オレは似顔絵が欲しいんだけどよ! ツバキも頼んでくれねえかな!」

 

「勇者が来た時のやつですか? 難しそう」

 

「それじゃなくて! いや、それはめちゃくちゃ欲しいけど。腕を折られた日に描いたやつあんじゃん? その中に余分なやつがあるんだよ、絶対に」

 

「そうなんですか?」

 

 あるのかな。

 わからないけど、勇者がそう言うならあるのかもしれない。

 パーティ脱退とか追放が起きたとか。

 依頼料が払えなくてやっぱり破棄……いや、十分なお金も貰ったからそんなこと無いだろうし。

 

「……そうですね。パーティメンバーではない似顔絵が混ざっていたのは確かです」

 

 視線が定まらないミアーラさんが肯定する。

 知らないうちに俺は依頼とは関係ない人を描いていたらしい。

 こ、こわい……。

 

「オレはそれが欲しいんだけど」

 

「規約で渡せないことになってます……」

 

「じゃあツバキに渡せばいいじゃん。そしたらオレが貰うからよ」

 

 「いいよな?」と勇者に問われる。

 俺が持っててもしょうがないし、プライバシーとか個人情報保護とかもあんまりない世界だからな。

 もしかすると隣国で何か関係があった相手だから必死になっているのかも。

 

「渡せません……」

 

「ダメなんですか? 規約かなあ」

 

「それとも筆代がいるか? 金ならあるけどよ」

 

 今後の活動にも繋がってきそうなので理由を聞こうとすると、ミアーラさんはやはり視線を宙に巡らせるだけだった。

 休んでいた俺が言うのも変というか、休んだおかげで回復したからむしろ正しいのか。

 どっちにしろ休んだほうがいいのではないかと思えてきたな。

 

「ミアーラさん?」

 

「はい、ツバキさん。聞こえてます。『声』がダメだっていうんですよ。『声』が。……『声』が聞こえない?」

 

「また『声』かよ」

 

 勇者がめんどくさそうに頭を掻いた。

 

「勇者はわかります?」

 

「そんなもん幻聴だから聞こえないって言ってやりゃあいいんだよ。相手に届けばそれでいい。ツバキは神父だから通りやすいんじゃねーかな」

 

 そういうものなのかな。

 驚かせたらダメだろうと優しく何度か声をかけるが、こちらに視線を向けてくれない。

 教会で休まなくて大丈夫か心配だけど、とりあえず身を乗り出してミアーラさんの両手を握る。

 

「ミアーラさん、声は聞こえません」

 

「ですが『声』は……」

 

「俺には聞こえませんよ。ミアーラさんには聞こえるんですか?」

 

「いえ、聞こえません……」

 

 俺が笑顔で目を合わせれば、ミアーラさんは落ち着いたようだった。

 そこからすぐに似顔絵をくれたが、今日は体調が優れないのでこれからお休みを貰うらしい。

 

「ミアーラさんは心配してくれたんですね、ありがとうございます。俺が転んで折った腕はもう治りましたよ。だから何も心配しないでゆっくり休んでください」

 

 教会に来てもいいですからね、と告げれば弱弱しく微笑んでくれた。

 その後は受け取った似顔絵は勇者に横流しする。

 腕を折って来る危険人物として通りに配るかちょっと悩んだけど。

 

「記憶を捻じ曲げるスキルを持ってるみたいなんだよな、こいつ」

 

「えっ、スキルってそんな頓珍漢なことも出来るんですか」

 

「そんな驚くか? 奇跡とかあるだろ」

 

「あ、確かに」

 

 奇跡はぶっ壊れスキルみたいなものだよな。

 他にもなぜ土葬文化なのかといえば死者の蘇生があるためだ。

 おとぎ話に半分足を突っ込んでいるとはいえ、奇跡によって蘇生が叶うかもしれないという一縷の望みに賭けていた側面が文化として今の今まで残っていたりする。

 教会の奇跡には無い。

 俺が知る限り月が望んでいるものは、人が人のままでいることだけだ。

 

「腕を折られたことが無かったことになってたりするからな」

 

「なるほど、ちょうど良かったです。これ以上心配されなくて済みますね」

 

 神父は心配される者ではないのです、と告げる。

 勇者は納得いっていないようだが。

 

「そういえば俺の腕を折った人はあの後どうなったんですか? 記憶を消してとんずら?」

 

「なんだとんずらって……。外に逃げようとしたから捕まえていっぱい折ったぜ」

 

「イッパイオッタゼ」

 

 なんだそのイッパイアッテナみたいなノリは。それなのに全くファンシーじゃない。

 腕を折っただけで何かがいっぱい折られるの?

 

「そんで色々あって月がピカってなって消えたな。あれはオレも耐えらんねーよ」

 

「えっ、消えたの?」

 

 腕を折っただけで消されるの?

 怖くない?

 

「直撃して無さそうだったからな。あれは逃げたな。……やっぱり怪しいよな」

 

「何がです?」

 

 酒場へと続く扉を開けた勇者は、しゃがみこんで床を叩き始めた。

 ギルドの裏にある酒場へと繋がっている、少しだけ長い廊下。

 

「違ったらツバキも謝ってくれ!」

 

 俺が何かを言う前に、勇者の体が僅かにブレた。

 破砕音とともに衝撃が俺の体を通り抜ける。

 床の木の板を突き破り、地面すらも砕くと、底からブラックウーズが溢れ出た。

 

「謝らなくて済みそうだ! 良かったな!」

 

 勇者が笑顔で言うが、俺の思考は別のところにあった。

 ブラックウーズはどのくらいいるのか。

 もしも街の浸食が地下全体に及んでいれば、月によって街が消される可能性が出てくる。

 いにしえの宗教国家を滅ぼした奇跡。

 俺はそれが怖い。

 

 



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35

 

 勇者曰く軽めにギルドの床板を剥がしたらしい。

 板どころか基礎も砕いていたので、俺には思いっきり破壊したようにしか見えなかった。

 個々人の力加減の話はどうでもよくなった、というのも地下空間でブラックウーズが増殖していたためだ。

 俺が呆然としたまま床下を見つめていたら、ギルドの職員や冒険者たちが集まってきた。

 「声……」とか呟いて床下に行こうとする人が現れたので何とか押しとどめ、それでも進もうとする人は勇者が張り倒した。

 どうにかして騒ぎが収束しないかと思っていたところ、ダークエルフを名乗る魔法使いのアメリアさんが大笑いしながら床下のブラックウーズを燃やし始めた。

 勇者も燃えるブラックウーズの中に飛び込み、蹴散らしに行った。

 こ、こわい……。

 ブラックウーズと炎の二重奏で阿鼻叫喚の現場と化した。

 騒ぎを聞きつけて現れたギルドマスターのマッスルオーダーさんと酒場のマスターであるマッスルアルティメイトさんによって勇者とアメリアさんは連行されて行ったが、俺は神父様に話を通すように頼まれた。

 二階で講習を受けていたファティも連れて行こうかと思ったが、ぼんやりした様子の職員や冒険者たちを集めて話をしていて忙しそうだった。

 近くでバンバンと机を叩いていた冒険者さんに何かあれば手伝ってあげてほしいと伝えると「任せてくだひゃい! 命に代えてもこの音は止めません!」と力強く返事してくれた。

 机を叩くのに命を賭けなくても大丈夫なんだけど、使命感と責任感に溢れた力強い表情だったので任せることしかできなかった。

 

「やば……。おヤバいですよ神父様!」

 

 ギルドでの物事は一旦置いて急いで教会へと戻った俺はそう叫んだ。

 聞かれて困る人がいないかだけ確認したが、本堂内には神父様とアンバーしかいない様なので安心して焦ることができる。

 

「おや、ツバキくん。今日は早く戻ってきましたね」

 

 書き物をしていた神父様に声を掛ければ、のほほんとした調子で返してくれた。

 教会がパニックになってたら地獄だったからいつもの調子のほうが有難いんだけど、ちょっと拍子抜けしてしまった。

 ギルドではみんな好き勝手してるか、騒ぎになっていて焦れなかった。

 寝ているんだか起きてるんだかわからない状態のアンバーが「終わった? 終わりだから帰ってきたんでしょ? そうでしょ?」という言葉とともに近寄ってきた。

 アンバーの柔らかな体を抱えながら、近くの長椅子に座る、

 俺はここぞとばかりにテンパることで気持ちをちょっとすっきりさせたかったのだが、アンバーの傍で焦るのはなんだか恥ずかしかったので抑え込むことにした。

 抑え込むだけで落ち着けているわけではないので、アンバーの髪を手で梳いて意識を少しでも分散させようとしたが。

 

「実はギルドにブラックウーズが出まして。……誰かが捕獲した個体を持ち込んだとかではなくてですね、増殖したのか地下空間に大量発生していました」

 

「それはまた、突然……でもないですね」

 

 何とも気が早い、と神父様が呟いた。

 俺は言葉の意味がわからないので首を傾げながら事の経緯を説明した。勇者が床をぶっ壊した辺りで神父様は楽しそうに笑った。

 

「なるほど、なるほど。そこまで焦るほどの事態にはなっていませんよ。安心なさい」

 

「本当ですか?」

 

「本当ですとも。キミは少しばかり知識が先行しているようですね。書物の読み書きばかりしていたからでしょう」

 

「じゃあ街を吹っ飛ばしたりだとか無いですか?」

 

「ありませんよ。……まだ」

 

 まだって言った? 言ったよね???

 

「神父様?」

 

「まだまだ余裕ですとも。こんなことで街を吹っ飛ばしていたらヒトが住む場所が無くなってしまいますよ」

 

 俺が疑いの目を向ければ、ほほほ、と余裕たっぷりに神父様が笑う。

 確かに言われた通り写本ばかりしていたし、教会の資料を読むことも多かったので知識に偏りがあるのは否めない。

 

「……じゃあどうなったら街を吹っ飛ばすので?」

 

「もちろん街がダンジョン化して飲み込まれた時ですよ。さて、私たちもギルドに向かいましょうか。教会はアンバーエイトに任せれば大丈夫でしょうから」

 

 寝ているアンバーに任せて本当に大丈夫か心配ではあったが、他の棟には誰かしら控えているので何かあればそちらに声を掛けるだろう。

 通っている人には慣れた物だ。

 神父様が言うには、此処に教会があるという事実が最も人々にとって大事らしい。

 俺にはわからないし、わかるときも来ないのだろうが、知識として知っているだけでも大きく違うはずだった。

 

「アンバーエイトが少し前に奇跡を使用しましてね。その時にも地面の下からブラックウーズが発見されました」

 

 ギルドに向かう通りを歩きながら神父様が言う。

 足取りに焦りはなく、周囲の人にいつも通り挨拶している。

 俺は教会に戻る際に余裕なく走っていたので、周りに不安を振りまいたかもしれない。

 誤魔化すように愛想笑いを浮かべながら、神父様と同じように挨拶していく。

 

「ツバキくんも参加したサーモンラン、あのお祭り会場の傍にあった門の近くでしたね。変化した魔力の流れに沿って地下を少しずつ浸食してきたのでしょう。すぐに駆除も終わったようでしたので、街に広がっていないのは確かです」

 

「よくあることなんですか?」

 

「サーモンランの後は多いですね。稀によくあるといったところでしょうか。ブラックウーズは決まった形を持っていないので僅かな隙間に簡単に入り込めますし、集まるとくっついて塊になりやすいですからね。街くらい大きくなるとどれだけ注意しても入り込まれるので面倒ですね」

 

「頑固な汚れみたいですね」

 

「間違っていませんね。しかし、ギルドでブラックウーズの浸食が見られたとなると話は少し変わりますね。他の教会にも手紙を出しておいたほうが良さそうですね」

 

「ギルドも大変そうですし、俺が行きましょうか?」

 

「ツバキくんは街中にいたほうがいいでしょう。私もあまり外に出るべきではなさそうだ。……アンジーナインに任せます」

 

 神父様はアンジーがすぐにでも戻って来るとも続けたが、アンジーは今も死霊の軍勢(コープスパーティー)に駆り出されているはずだった。

 

「死人にアンジーナインのパンをご馳走するわけにもいかないでしょうからね。死人からしてもパンを求めていないでしょうし」

 

「なるほど?」

 

 冗談なのかもしれないが、俺にはよくわからなかった。

 ただ説明してもらうのは流石に違う気がしたのでそのまま流した。

 今の冗談わからなかったので何処が面白いのか教えてください、とか問いただす部下は絶対嫌だ。

 冒険者ギルドに着くと、外は冒険者たちやギルド職員でいっぱいになっていて、外で諸々の手続きをしていた。

 よく見るとエントランスにある丸テーブルや、酒場の机や椅子を運び出して使っているようだ。

 忙しそうな所に話しかけるのは難しいかと思ったが、神父様の姿を見た冒険者たちが順番を譲ってくれたので有難く話を進める。

 軽く挨拶がてらに話を聞くと、ブラックウーズが漏れ出している建物内で業務するのは問題があるとして、こうやって一時的に外で処理する形になったらしい。

 マッスルさんたちから話があるということで、ギルド内に入るよう言われた。

 中では冒険者たちが忙しそうに活動していた。

 パっと見ただけでもリズミカルに机を叩いたり、笑いながらブラックウーズを燃やしていたり、その近くでファティがぼんやりした人たちに何か話を聞かせていて、燃えている地下に出たり入ったりしている勇者も見えた。

 見知った顔ばっかだったわ。

 休みを取ったはずのミアーラさんに先導されてマッスルさんたちのいる部屋に向かう。

 

「ミアーラさん、お休みを貰ったのでは?」

 

「そのはずでしたが、問題が起きたということで休んでいられなくなりました。まあ、教会に行ったら頭がすっきりして休むのが心苦しかったのでちょうどよかったです」

 

 俺の問い掛けにミアーラさんが答えてくれた。

 ワーカホリックかと心配になったが、確かにさっき見た時よりも顔色がいいし、目に力が戻っているようだった。

 顔色に関してファティの青白さとか、アンバーの白さを見慣れているので正直俺には見る目が無いと思うけど。

 最上階にあるギルドマスター室に着くと、マッスル二人が待ち構えていた。

 ミアーラさんの役目は案内だけらしく、ギルドマスターのマッスルオーダーさんに挨拶して戻って行った。

 

「私から話をしよう。ギルドに併設されている酒場の裏には調理場があり、更に食糧庫も兼ねている。日持ちする食材に関しては近隣の建物に保存してある、等と話し始めると主題から逸れてしまうのでやめてこう。ここで重要なのは調理場と食糧庫に問題があったという話だ。司祭は知っているな? 神父君はどうだ?」

 

 ギルドマスターのマッスルオーダーさんの話を聞き、神父様が頷くのを横目にしながら俺は知らない旨を告げた。

 俺の答えに、マッスルオーダーさんが頷いた。

 いつもの穏やかさは鳴りを潜め、マッスルアルティメイトさんは難しい顔をしたままだった。

 

「酒場もそうだが、ギルドの施設には空間が拡張する技術が使われている。ブラックウーズ等の魔物の素材を利用した物だ。魔力によって疑似的なダンジョンとなる」

 

「つまり今回はそれが漏れた、と?」

 

「いや、それは無い。死んだ魔物から採取できる素材のみが使われている」

 

 俺の疑問に、マッスルオーダーさんが答えた。

 死んだ魔物が蘇ることはない。

 アンデッドでも無ければ。

 神父様が小声で、ギルドには他国の技術が使われていると教えてくれた。

 そもそも冒険者の発祥は外国だという話だった。

 

「では今回何が起きたかと言えば……」

 

「人為的に壊されていたのよ。そこにブラックウーズを放り込まれちゃったわ。まさかギルド内に漏れ出さず、地下で広がっているとは思わなかったけど」

 

 マッスルオーダーさんの言葉を引き継ぐように、マッスルアルティメイトさんが言った。

 言葉は軽いが、表情は深刻そうだった。

 俺は何を言えばいいのかわからなかった。

 そもそもなぜ俺がここにいるのかもよくわかっていない。

 

「いつ壊されたのか。あの時の調理対決としか思えないわ。部外者が入ったのはあの時だけだから」

 

「軽はずみなことをして……」

 

「ごめんなさいね、おにいちゃん。反省してるわ」

 

 まさか犯人として疑われているのは俺か勇者ってコト!?

 

「サーモンランの勇者ちゃんの時間奴隷が犯人ね。逃亡してしまったみたいだけど」

 

 ……?

 あっ。

 できらあさんか。

 時間を調べに教会に来なかったから記憶から飛んでた。

 料理対決で負けた手前気まずいのだろうと勝手に思っていたが、そんな事実が隠されていたとは。

 

「この場はダンジョン化が進まなくて良かった、と言っておこう。人為的な物ならば限界があるが、魔物や自然の物は際限が無いため危険度は跳ね上がっていただろう。この度の事件を解決するため、ギルドの威信を……」

 

「もうじきエルフが来ますよ!」

 

 ギルドマスターのマッスルオーダーさんが、その肉体に秘められた力強い筋肉に熱を通しながら宣言した。

 が、アメリアさんが突然勢いよく扉を開いてカットしてしまった。

 何が楽しいのか、めちゃくちゃ笑顔を浮かべている。

 

「……エルフが来るとどうなるんです?」

 

 静まり返った室内に居た堪れなくなり、俺は質問していた。

 神父様もなぜか笑顔だった。

 

「知らないんですか!? 手遅れになるとダンジョンが生まれます!!」

 

 

 

 



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36

 

「冒険者ギルドが一番ブラックウーズに浸食されていたみたいです。通りや教会は影響なし。場所によっては宿の下にも入り込んでいたようですね。他にも……」

 

 大まかな調査結果として、ブラックウーズは人の集まりやすい場所に浸食していたことを伝えた。

 俺の言葉に、森の中で行動を共にしている三人が小さく頷いた。

 気づかないまま街で放置していたらそのうちブラックウーズ同士が互いに引き寄せ合ってくっつき、肥大化していったのは想像するのに難しくない。

 ギルドの倉庫のみならず他にもブラックウーズが潜り込んでいたことで、色々と考える必要があるだろう。

 自然発生なのか、人為的な物なのか。

 

「ブラックウーズが街中に入り込もうとするのは珍しい話ではないですからね。魔力や水に惹かれますから。魔力に関して言えば街中だと人に吸われて濃度が薄まるので怪しいですが。それよりも私としては教会騎士の連中が率先して出てくることに驚きましたね。森を燃やす前に馬鹿なエルフたちが殺されるのでは?」

 

「じゃあアメリアおばば死んじゃうじゃん」

 

「馬鹿なエルフって言いましたけど?」

 

「馬鹿なエルフのおばあちゃんじゃん」

 

 前を歩いていたアメリアさんと冒険者さんが軽口の応酬後、火花をまき散らしながら喧嘩を始めた。

 襲い掛かる火の粉をリズムよく拳で散らしていた冒険者さんだったが、拳圧で消し切れなかった火花がその赤い前髪を燃やし始めていた。

 「ぎゃあああ!」と低めの声とともに転がっていくが、その先には炎の壁が広がっていた。

 冒険者さんはごろごろと転がってそれらを巧みに避け、そして沼に落ちた。

 助けなくていいのだろうかと隣を歩くローレットさんに視線を向ければ、何故か一輪の花をくれた。

 その後は音もなく姿を消してしまった。

 たぶんこういう感じのパーティだと信じて深く考えるのはやめた。

 

「教会が活発に動くのは珍しいですよね」

 

 これからエルフの様子を見に行くのだが、すでに一仕事を終えたような顔でアメリアさんが言った。

 

「えっと……神父様がブラックウーズの駆除に協力すると宣言したからでしょうね。潜んでいる魔物を探知しやすいスキルを持っている騎士位の方もいますから」

 

 ギルドでの話し合いを終えるとすぐに神父様が他の派閥にも手紙を出していたことを思い出す。

 本来はサーモンランの流路上にある人里離れた場所や、深い森をダンジョン化させるのが定番らしく、街中をいきなりブラックウーズで染めるのは賢い手ではないとも教えてくれた。

 

「……そういえば騎士の種類によってスキルが増えたりしますか?」

 

「よくご存知ですね。向き不向きはありますけど要望によって騎士位とかが授与されて、それに付随してたりしますね。アンデッドに特効を持つ聖騎士とか。ただ、職業とか称号を知ってるからって勝手に名乗ると危ないですよ。聖人の名前を名乗ったら人格を失いかけた、なんて小話もありますからね」

 

 アメリアさんが勝手に名乗るとは思わないが、注意しておく。

 名前、職業、肩書、称号、二つ名。

 人や物を指す言葉というのは色々な種類がある。

 言葉と意味によって大きく在り方なども変わってしまうこともある。

 かつての聖人の生まれ変わりだと信じて名乗り続け、元の人格が消えそうになった記録もある。……ボカされてたから消えたのかも。

 俺が知っている限りでも人名は影響が大きいので健康に良くなさそうだった。

 言葉の意味や読み方の影響が残りやすいのだろうか。

 勝手に名乗ると自分が信じ込んだ意味の影響も受けやすいとかあるかもしれない。

 

「エルフも似たことをしてますので名乗りについては理解してますよ」

 

「そうなんですか? あ、寿命が長いからそこら辺の知識も深いのかな」

 

「寿命の長さから語り継ぐことは無くも無いのですが研究とかしてるわけでもないですし……。んー、なんて言えばいいのか」

 

 困った様子のアメリアさんが、背嚢から丸い何かを取り出した。

 植樹などの活動するエルフが付けている木を彫って作った仮面らしい。

 目の部分だけ穴が空けられている簡素な物で、個性等は全く感じられない。

 これに布の服や外套を纏うのだという。

 

「これを着けてエルフを名乗ります。その時、個々人の名前は無いものとします」

 

「……怪しい儀式なのでは?」

 

「……私から言えるのは、エルフはまともじゃないってことくらいですね」

 

 街に生きる人々からすれば急に森を拡大することで猟場や採取場の環境を破壊する種族でしかない。

 植樹活動してる個人としての素性がバレないようにエルフをしている、というのがアメリアさんの話だ。

 

「あとエルフが教会から色々と盗んだ時にめちゃくちゃにブチ切れさせたって記録がありまして。多分それのせいもあるんじゃないかと」

 

「アメおばもやっぱりエルフなんだね。その話を聞いてたら教会のある街で暮らそうってならないよ。おばばになると面の皮が厚くなるの?」

 

「誰がおばばですか。エルフの中でも私はまだまだ若いんですけど。それにダークエルフなので問題ないですからね。悪いのはエルフ。ツバキさんもそう言っています」

 

 言ったかな……。言ったかも……。

 ずぶ濡れになった冒険者さんが炎の壁で雑に乾燥されているのを見ていると、冒険者について色々と考えさせられる。

 エルフを見たいからと浮ついた気持ちで調査パーティに混ざったのはちょっと判断を間違えたかもしれない。

 

「ギルドマスターに頼んで用意してもらった仮面と外套を纏ってエルフに混ざります。あとローレットには外から観察するよう頼んでますので。……場合によってはツバキさんは面倒な連中に絡まれるかもしれませんが」

 

 アメリアさんから仮面と布の外套を受け取る。

 面倒事と言いながら眉間に皺を寄せていた。

 

「助祭様は私が守る!」

 

「おバカなルーシリアだとエルフを刺激するのでやめたほうがいいと思いますね」

 

「私を名前で呼ぶんじゃない!」

 

「なんだこいつ……」

 

 アメリアさんと冒険者さんが楽しそうにはしゃいでいるのを眺めながら仮面と外套を着ける。

 これがこの世界のエルフ。

 ……なんか思ってたのと全然違うな。

 アメリアさんは背もあってエルフっぽい体型だけど、これ着けたら全く関係ないし。

 なんとなく振り向けば、少し離れた場所の木の上で俺と同じようにエルフの仮面と外套を着けてこちらに手を振るローレットさんが見えた。

 

「馬鹿が木の養分にさせられそうですが、まあいいでしょう。今回の目的はエルフがどのくらい森を広げているのか確認することと、森を燃やすことです。愚かなエルフどもはブラックウーズによって土壌が豊かになると考えている節があるので、街から除去したことを煽れたら最高ですね」

 

「……そんな目的でしたっけ」

 

「助祭様、アメリアはおバカになってるのであまり信じてはだめです」

 

 「本来の目的は観察、退去勧告です」と冒険者さんが言う。

 俺の知っている通りで安心した。

 他にも違いは無いだろうかと冒険者さんとすり合わせを行う。

 事のあらましだが、ギルドでブラックウーズによる影響を話し合ってる時にアメリアさんが飛び込んで来たのが発端だった。

 アメリアさんに植樹会場への案内として手紙が届いたのでわかったらしい。

 ご丁寧にもその手紙には集合場所や時間、持ち物などが記されていた。

 アメリアさんは植樹エルフとしてのカバーストーリーを持っていて、その宛名に届くようになっていると教えてくれた。

 そういうわけで、色々と忙しいギルドは大まかな方向性だけ示して依頼を出し、俺が興味を示すと誘ってくれたというわけだ。

 アメリアさんの案内で、今は時間に余裕を持ちながら集合場所に向かっている。

 勇者も来ようとしたのだがエルフを皆殺しにしそうという理由でアメリアさんに断られていたため、ブラックウーズを元気に潰しているだろう。

 つまり……なんなんだろう、この状況。

 

「飛び込みますよ、祭り会場に」

 

 仮面越しでも上機嫌だとわかるアメリアさんが指し示す方向に朽ちた大木があった。

 よく見ると切れ目があり、その中が揺らいでいるようだった。

 アメリアさんが躊躇いなく手を入れると、吸い込まれるように消えていった。

 

「これはたぶんダンジョンですね」

 

「えぇ……」

 

 恐る恐る俺も手を入れると、視界が一瞬だけ暗転し、目の前には開けた土地が広がっていた。

 樹上や地面に木製の小屋が乱立していて、俺と同じような仮面を着けたエルフたちがぞろぞろと集まってきていた。

 

「ダンジョン化もそうだけど、出入り口もたくさんあるみたい。全部制御してるのかな。エルフやばいなあ」

 

 冒険者さんが呟いた。

 確かにそうだ。

 こんな人数のエルフが街の外に集まっていたらすぐに報告されているだろうが、そんな話は見聞きしていなかった。

 青色の髪をしたアメリアさんが少し離れた位置で待っていたので合流する。

 

「ここがエルフの植樹会場です。こうやって魔力の流れでダンジョンもどきを作って安全に世界樹を育てます。十分に育った世界樹はダンジョンもどきや外の魔力を取り込んで本格的なダンジョンを形成します。外からは突然森や世界樹が現れたように見えるでしょうね。……今回は三つの部族が集まってます。互いの威信を懸けた品評会となるかもしれません」

 

 アメリアさんは真剣に話してくれていたが、俺にはそれどころではなかった。

 周りにエルフが集まってきていたからだ。

 俺の周囲が人口密集地と化していた。

 これがエルフのダンジョンの特徴なの……?

 

「退きな! 雑魚エルフども!」

 

 雄々しくも高い女性の声が響いた。

 声に呼応するように密集していたエルフたちが引いていくと、俺より身長が高そうなエルフが迫って来ていた。

 周りのエルフは視線を奪われたように、そのエルフから顔を動かせないでいるようだった。

 俺は助けを求めてきょろきょろと周りを見ていた。

 何故か冒険者さんがアメリアさんに抑え込まれていた。

 

「お前、男のエルフだろ? 私の物になれ」

 

 声の主であるエルフが、目の前まで来てそう言った。

 突然そう言われても、どう反応すればいいのか困ってしまう。

 

「ちょっと何言ってるのかわからないですね」

 

 そう俺が言うと、何が面白いのかそのエルフは大笑いした。

 俺は教会に帰りたくなってきた。

 

「強気なのは嫌いじゃないが、私の顔を見てもその態度を崩さないでいられるか知りたくなった。……私の名前を知ってもお前は変わらないでいられるかな?」

 

 そのエルフが他のエルフと同じ簡素な仮面を取れば、周囲のエルフがざわめきだした。

 そこには、絵に描いたようなエルフがいた。

 ザ・エルフって感じ。

 白い肌で怜悧でゴブリンとかオークに弱そう。

 俺、生のエルフって初めて見たよ。

 いや、アメリアさんがいたわ。

 でもあの人ってダークエルフだからな。

 やっぱり生のエルフは初めてで合ってるか。

 

「ふっ、何か言ってみろ。この美しい私に、な。それとも言葉が出ないか?」

 

「エルフなのに耳は長くないんですね」

 

「……? うん? もう一回言ってくれるか?」

 

「耳は長くないんですね」

 

 エルフが首を傾げた。

 俺も首を傾げた。

 

「……なるほどな。私を前にして凄まじい精神力だ。面白い。何処まで耐えられるか見ものじゃないか。私の名前はビューティー。美しい名前のビューティーだ。この世界で最も美しいのがこの私。あらゆる全てを置き去りにして世界一の美しさは最早罪。そうでしょう?」

 

「はあ……」

 

「何か言いたいことがあるんじゃないか?」

 

「いや、別に……」

 

「素直になれ。抗うな。心が壊れるぞ。世界一美しい私に言え」

 

「じゃあ聞いてもいいですか」

 

「許そう」

 

「名前が美しいんですか? 容姿が美しいんですか?」

 

「そうじゃない!」

 

「えぇ……」

 

 何故か怒られてしまった。

 容姿は確かに綺麗だと思うけど、名前がちょっとださいというか。

 これどっちがどうなんだろう。

 名前の影響で自分が美しいと思っているのか、容姿にも効果があるのか。

 俺の価値基準だとアンバーが一番だからなあ。

 美しい名前と名乗ってるから意味も理解してるだろう。

 それでアンバーのほうが美しいってなると名前ってあんまり意味ないのかって思っちゃうよな。

 そういうことを意識してしまってうまく返せない。

 貴女は美しいという意味の名前を持っていますが、それだけですねって言うのか? 人の心とか無いやつの言葉なのでは。

 

「あるだろう! 私を褒め称える言葉が!」

 

「……元気ですね?」

 

「ちーがーうーだーろー!」

 

「っ! 声がとてもおおきい!」

 

「違う! 違う違う違う! 美しいと言え!」

 

「いや、それはちょっと……」

 

「なんでだよおおおおお! 簡単だろうがああああ! 傅いてよおおおお! せっかくのまともな男なんだよおおお!」

 

 ビューティーとかいう名前のエルフが地団駄を踏み始めた。

 ホントに踏むんだなあって気持ちになってしまった。

 周囲のエルフが「美しいですよ!」「頑張って!」とか声をかけているが、頑張ってどうにかなる問題ではないと思う。

 離れた位置にいるアメリアさんはゲラゲラと笑っているが助けてくれてもいいんじゃないか。

 教会に帰りたい。

 

「世界一って言ったじゃないですか」

 

「そうだ! 私は世界一なんだ! 世界一美しいのがこの私! そうでしょう!?」

 

「世界一ならアンバーだから、その、ごめんね?」

 

「謝るなあああああ! そいつ誰なのよおおおおおおお!」

 

「世界一美しくて可憐なアンバーをご存知ない!?」

 

「誰だよおおおお! 世界一は私だろうがあああああああ!」

 

「アンバーです」

 

「誰なのおおおおお! 私は……そ、そんな名前じゃないんだよおおおお!」

 

「それはそう」

 

 反応が面白くなってきたのでアンバーを推しまくると「ふざけるなああああ!」と叫びながら地面に転がり始めた。

 このまま沼に落ちたらさっきの冒険者さんと一緒だなと思ったが、残念ながら沼は無さそうだった。

 

「まあまあ、順番なんて意識するからダメなんですよ。大事なのは心」

 

「そんな言葉が聞きたいんじゃないんだよおおおおおおお! こっちはあああああ!」

 

「そうなると世界一はアンバーですね。あなたは世界二……でもないですね。三、四、五……十……うーん」

 

 ちらっとこっちを見てるビューティーというエルフに指折り数えて見せる。

 

「両手じゃ足りないので近くのエルフさんの手を借りてもいいですか?」

 

「どう゛じでな゛ん゛だよ゛お゛お゛ぉ゛お!!! ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!!」

 

 地面に転がって手足をジタバタしながら叫び出した。

 世界一じゃないのに世界一を名乗るから俺も同意できなかったというか。

 アンバーを超えてから出直してきてほしい。

 

「エルフやばいなあ」

 

 泣きわめくエルフを見ながら俺は呟いた。

 



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37

 

「ふ、ふふ、ふふふ。私の美しさに屈しないとはなんて面白い男なのでしょう。……これはつまり私の美しさが足りない、そう言いたいのだろう?」

 

「褒められるかもしれませんが、そもそも美しいだけで人に好かれるんですか?」

 

「なんでそんなこと言うの? 頭教会なの? 言葉で命を刈り取ろうとしてるの?」

 

 生まれたての小鹿のような足で立ち上がったビューティーという名前のエルフが、再び地面に這い蹲った。

 

「私は緑の部族の首長なのに……。違う、私はまだ完璧じゃないから……。完全体に、完全体にさえなれれば……」

 

 土を握りしめながら呟いていた。

 完全体とは一体。

 ビューティフルになるのだろうか。もしかするとモアビューティフルとかになるのかな。

 あんまり変わらない気がする。

 

「美しい名前のビューティーともあろうエルフが無様ね!」

 

「なにっ! お、お前は!」

 

「そう! 黄緑の部族の首長! 世界一可愛いこのわたし、キュートちゃんよ!」

 

「キュートぉぉぉぉぉ! 何をしに来たぁぁぁぁぁぁ!」

 

「名前にかまけた雑魚エルフを笑いに来たのよ!」

 

 黄緑色の髪をしているロリってるエルフが高笑いしながら現れた。

 名前はキュートらしいがアンバーとかファティには負けてるからどうしたらいいのか。

 その高笑いに、悔しそうにビューティーが髪を振り乱しながら叫ぶ。

 緑の髪の毛が乱雑に地面へと叩きつけられていた。

 

「負けエルフはそこでキュートちゃんが彼ピッピと世界樹百年交尾するのを見てなさい! 一人寂しく世界樹を育てながらね!」

 

「やめろおおおおお!」

 

 ビューティーが叫ぶ。

 髪の毛で地面を箒のようにあれだけ掃いていたというのに汚れることがないようだった。凄い。

 

「あなた、世界一可愛いキュートちゃんに言いたいこと、あるよね?」

 

「ないです」

 

「……? キュートちゃん、世界一可愛いよ?」

 

「世界一じゃないです」

 

「?」

 

「そっちのビューティーのほうが可愛いかもしれない」

 

「???????」

 

 何を言っているのかわからないという顔でビューティーとキュートが硬直した。

 

「やれやれ、若いエルフはこれだからいけないねぇ。私に任せな。そう、この深緑の部族の首長である愛らしい名前のラブリーさんに、ね」

 

 硬直した二人を押しのけ、深い緑色をした髪のエルフが現れる。

 背は俺と同じくらいで、その胸は豊かだった。

 仮面を外すと、エルフの女王みたいなドヤ顔をかましたラブリー。

 ラブリーではないと思う。

 いや接したら多分ラブリーなのかもしれないけど、外見だけならビューティーだ。

 

「男には好みってもんがあるのよ。若いだけのエルフにはそれがわかってない。名前や外見は確かに重要だけど、一番大事なのは相性、そうだよねぇ?」

 

「はあ、確かに」

 

「男が言いたいことを受け入れる。それが良いエルフの条件ってやつよ。さあ、私に言いたいことを言ってみな。合わせてみせようじゃないか」

 

「可愛いのがビューティーで、愛らしいのがキュートで、美しいのがラブリーだと思います」

 

「???????」

 

 可愛いビューティー、愛らしいキュート、美しいラブリー、と指をさしていく。

 ちょっと自分でやってて良く分からなくなってきたな。

 三人も硬直したようだった。

 さっきまで笑っていたアメリアさんも「もっと手加減を……」と隣で言い始めた。

 まだ何も始まってすらいないのにできる手加減とは一体。

 

「青の部族! 野良エルフ一名、参戦! ……え、なに、この空気。あーしの世界樹を見せつける前にもう婚活はじまっちゃった?」

 

 静まり返ったこの場に、青い髪のエルフが高らかに宣言しながら登場した。

 その長い髪はきらきらと輝いていた。

 アメリアさんに知り合いか尋ねると、出身部族の首長らしい。

 身長も高くないし、胸もそれほど大きくない。

 

「最弱! 婚活最弱の名前が来たわ! 名乗りなさい! 世界一を! 美しくない名前を!」

 

「可愛くない名前はやく! 困ってるキュートちゃんを助けてよ!!」

 

「出しな……テメ~の……愛らしくない……名前を……よ」

 

「え、なに? なんなの? 怖い怖い。近寄るなってば。婚活最弱ってあんたたちも成功してないから一緒じゃんよ」

 

 三人の名前負けというか微妙に食い違ってるエルフに囲まれ、困惑する青い髪のエルフ。

 ペンギンが囲んでヒナをいじめてるコラ画像を思い出した。

 

「エルフの首長になると名前を受け継げるんです。なので好きな、というか向いている部族に属するんですけどね。その中で最も名前が適している者が選ばれるので、その、思い入れが物凄いというか」

 

 冒険者さんを羽交い締めにしたアメリアさんがぼそぼそと教えてくれる。

 なるほど。

 ちょっと悪いことをしちゃったな。

 教会でも名前について触れるのは良くないという教えがある。

 エルフだからと突っつくのはマナー違反だった。

 言いたいことを言っていいというのも社交辞令だったかもしれない。

 

「これだけ期待されて名乗らないほど空気が読めないエルフになった覚えはないからね! 珍しく元気な男がいるのに逃げも隠れもしないよ!」

 

 いえーい! と俺に向けて青髪のエルフがアピールしてくる。

 外された仮面の下は、やっぱりエルフだった。

 隙あれば燃やすって感じの鋭さを持つアメリアさんより、日向に木を植えてますって感じの顔だ。ちょっと緩い。

 これまでの傾向からプリティーとか来ちゃうのだろうか。

 もしくは変化させてきてチャーミングとか。

 

「あーしの名前は! ……キューティクルです」

 

 ??????

 

「キューティクルです」

 

「キューティクル」

 

「うん、キューティクル」

 

 あれだけテンション上がってたのに名乗る瞬間にすん、となったが、それよりも名前にびっくりしてしまった。

 予想を色んな意味で超えてきた。

 虚を突かれた俺が面白かったのか、名前のずれているエルフ三人衆がゲラゲラと笑っていた。

 でも確かに髪の毛は艶々だし、肌も綺麗だった。

 名前の通りだ。

 

「確かにキューティクルですね。見事という他ない」

 

 褒めておく。

 俺は学んだんだ。

 それに言っている言葉は本心なので有難い。

 

「えっ……? それって世界一じゃないって意味よね?」

 

「世界一って意味です」

 

 ビューティーの言葉に返す。

 世界一だと思う。

 これは超えられない。

 

「よしんば世界一じゃないとしても?」

 

「世界一です」

 

 キュートの言葉に返す。

 世界一です。

 

「つまり世界一ってコト!?」

 

「そうですね。世界一のキューティクルです」

 

 小さくないけど世界一じゃないくらい美しいラブリーにも返す。

 キューティクルのキューティクルはアンバーを超えてると思う。

 

「ほんと? あーし、名前がキューティクルなだけだよ?」

 

「世界一キューティクルです」

 

「でも名前を受け継いでるだけだから名乗りとかできてないよ?」

 

「でも世界一キューティクルですよ?」

 

「やだ……。そんな褒められたらあーし一緒に世界樹育てたくなっちゃう……。ね、植樹しよ?」

 

 視線を下に向けたキューティクルが言う。

 髪を一房摘まむと、くるくると弄っている。

 

「ふざけるなああああ!」

 

 雄叫びが上がる。

 名前負けエルフの誰かが叫んだのかと思ったが違った。

 

「醜いエルフどもおおおおお! 根絶やしにしてやるううううう!」

 

 アメリアさんの拘束を外し、地面を叩きながら叫ぶ冒険者さんの姿があった。

 「抑えろ! 赤の部族だ!」「蛮族が混ざっているぞ!」「エイプ!? 魔物がなぜここに!?」「誰だ、赤エルフを呼んだのは!?」と次々とエルフたちが叫び始めた。

 

「三人に勝てるわけないだろ! おい! キューティクル、手伝いな!」

 

「あーし、この人と植樹するから忙しい……」

 

「頭世界樹になりやがって!」

 

 名乗った三人のエルフに冒険者さんが抑え込まれる。

 ラブリーに手伝えとキューティクルも言われるが、俺に熱っぽい視線を向けてくるだけだった。

 妙なことになってしまった。

 アメリアさんに助けを求めれば、頷いてくれた。

 一息つけそうだ。

 

「彼は弱いです! ブラックウーズにも負けます!」

 

 おやおや?

 

「それなのに外を歩きたがります! お花も大好きです!」

 

 おやおやおやおや?

 

「そんな彼に求婚する機会をみなさんに与えます! 他のエルフの世界樹で独占される前にその手で掴め! 立てよエルフ!」

 

 周りにいたエルフたちが騒ぎ始めた。

 「おほー」「ブラックウーズに負けるとかたまんねえな!」「んほー」「虚弱彼ピッピちゅっちゅ」「弱いのに外出たがるとかお世話し甲斐しかねえよなあ!?」「世界樹に囲いてえなあ」「でもあーしが世界一……」と口々に話している。

 大変なことになっちゃった……。

 

 

 

 

 

 



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38

 

「ここに恋愛雑魚のエルフが五人集まりました! 彼から与えられる課題を解決することで植樹を誘う優先権を得られます!」

 

 アメリアさんが集まっているエルフたちに宣言しながら、その恋愛雑魚エルフ五人を紹介していく。

 名前がちぐはぐな三人とキューティクル、そして赤エルフと呼ばれた冒険者さんだ。

 赤エルフは世界樹の生育に納得いかないと燃やすが、アメリアさんは特に関係ないらしい。

 世界樹を燃やす時に周囲を巻き込もうとするが、アメリアさんは特に関係ないらしい。

 そして世界樹が上手く育てばそのままにするからダークエルフでもないらしい。

 

「彼にも選ぶ権利があるので課題は個々人で違う物にします! 簡単なものほど脈ありってことですね! 世界樹を育てるのが下手な五人は飛び跳ねて喜んでいいですよ!」

 

 アメリアさんが楽しそうに告げる。

 エルフたちも盛り上がっていて楽しそうだが、俺は気持ちが乗り切れていない。

 課題は俺が決めるようにと事前に言われているが、あまりひどいのは出さないようにしたほうがいいかもしれない。

 そう思いつつ、無茶振りしたらどうなるのか興味がある。

 あと画材を揃えて持ってきてほしい気持ちもある。

 

「では一人目! 緑の部族の首長の課題とは!」

 

「月の石を持ってきてください」

 

「これは実質お断りの言葉では!? さあ、二人目! 黄緑の部族の首長!」

 

「ダンジョン化しない世界樹の天辺の枝が欲しいです」

 

「これでは中で植樹できません! これも実質お断りの言葉では!? 三人目! 深緑の部族!」

 

「……決して燃えない世界樹」

 

「これは赤の部族を呼んで試行錯誤が重要ですね! 四人目は赤エルフ!」

 

「え、えっと……。龍の頸の玉?」

 

「ドラゴンの逆鱗を残したまま殺せるくらい強いエルフにしか興味ないという宣言でしょうか!? 最後は青の部族から参戦!」

 

「あ、最高級の絵筆が欲しいです。世界で一つしかない貴重なやつ」

 

「最後は現実的だが最も残酷です! 最高級の絵筆ともなればとんでもない金銭が必要になりますよ!」

 

 アメリアさんが煽り、集まっていたエルフたちも囃し立てている。

 なお五人はFXで有り金を溶かしたような顔をしていた。

 思いつく限りの難題を振ったので、この話はここで終わりだろう。

 ちなみに周りのエルフたちは世界樹を育てる腕があるので、このまま植樹していれば男のエルフが靡くから高みの見物を決め込んでいるようだとアメリアさんが教えてくれた。

 世界樹は男のエルフにとって喉から手が出るくらい憧れている物だという。

 中には世界樹が欲しすぎて夜眠れなくなる者もいるとか。

 

「彼が望む物を用意できるのか! 首長として部族を、名前を背負うエルフの意地を見せて下さい! 早い者勝ちですよ! さあ、植樹開始!」

 

 アメリアさんの言葉とともに駆け出す五人、残される俺。そもそも冒険者さんはここで何を為すのだろうか。

 

「ツバキさん、完璧でしたね」

 

「完璧だった心当たりが全くないんですけど」

 

「心配しなくても森ならちゃんと焼けます。安心して構えていましょう」

 

「どこに安心する要素が?」

 

「燃やせば世界樹が外に出ないんですよ? 安心できるでしょう?」

 

 俺がいる広場を囲むように巨大な木々が生えているが、これらはすべて世界樹の成り損ないだという。

 そして世界樹もどきが溜め込んだ魔力によって、エルフの森という魔物がいないダンジョンを形成していると教えられた。

 アメリアさんの先導でエルフの森を見て回れば、店や宿もあり、活気あるちょっとした村や町に近い物だとわかる。

 狩猟するエルフもいるが、世界樹を育てる上で必要な種や道具が人気の商品らしい。

 特に肥料はエルフによってこだわりがあり、売っている物や自分で育てた果実などを混ぜるのが定番のようだ。

 

「なんか魔物が売ってますけど」

 

「魔物に種を植えたり、木に混ぜ込むことで強い世界樹を育てるエルフもいますからね」

 

「えぇ……」

 

「木の中に入って自身の魔力で世界樹を育てようとする古式ゆかしいエルフは減りましたから」

 

 とんでもない場所に来ちゃったかもしれない。

 文化が違いすぎる。

 

「やっちゃいけないことをやってる雰囲気をとても感じられるんですけど。大丈夫ですか、エルフ」

 

「ダメに決まってます」

 

「えぇ……」

 

「エルフの規則からしたら別に問題ないでしょうけど、人間からしたら迷惑極まりないですから。私はみんなで燃やしたほうがいいと思っていますよ。世界樹を育てるのに失敗してフォージツリーみたいな植物系の魔物が生まれたらエルフの森の外に放り出しますからね」

 

 セトリオードの街の外にある森のように、植物が生い茂っている場所から植物系の魔物が生まれることもあるが、エルフの森によって生まれることもあるらしい。というか植物系に関してはエルフの森が発祥の地みたいな状態が多いとか。

 聞けば聞くほど、燃やすなと言えなくなるのなんなの……。

 

「あんまり変な世界樹に近づかないほうがいいですよ。周囲の魔力を取り込みながら成長する上で時間や空間がおかしなことになりますので。最終的にはエルフの森を食い破って飛び出していきます。そこまで行くと燃えにくいから最悪ですよ」

 

「飛び出すって……」

 

「世界樹自体がダンジョンを内包しますから。結局エルフたちはこの森があるから好き勝手やって、まずいことになったら外に捨てればいいので。……自分たちが何をしているのかわかってるんですよ。だからエルフは仮面無しじゃ安心できないし、外にも出られない」

 

 にこやかにエルフたちが世界樹を植える場所について話し合っている。

 これまで聞いた話から、魔物に種を植え付けたりするのかと思うと見る目が変わってしまう。

 

「エルフが世界樹を育てるのだって男のエルフが世界樹を求めるのと、過去の栄光に縋ってるだけなんですよ。昔は世界が荒廃していたから植樹するだけで持て囃されたとかどうとか。私の祖父母よりも上の世代の話ですけど。どんだけ前の話なんだか」

 

 ぶつぶつとアメリアさんが文句を言いながら進んでいく。

 そこに秘められた感情は俺にはわからないが、エルフを嫌っているわけではないのだろう。

 やがてビューティーとその仲間たちが相談している場所に着いた。

 確か課題は月の石だった気がする。

 月の石かあ。

 

「お元気ですか、緑の部族のみなさん! 月の石は見つかりましたか?」

 

「……そもそも月の石とはなんだ?」

 

 視線が俺に集まるが、知ってるわけがない。

 ロケットを飛ばして月まで行って拾ってきて下さいとでも言えばいいのか。

 そもそもこの世界の月は……あ、そうか。

 

「俺、今思ったんですけどね。最も大きな世界樹を育てて登れば月にたどり着けそうじゃないですか?」

 

「いや、月に石は……」

 

「私も今思ったんですけど、他の課題と複合したら良さそうじゃないですか。ドラゴンで世界樹を育てたら月まで行けそうですよ」

 

「いや、そもそも月……」

 

 冒険者さんの所に行くぞ、おー、みたいなノリになったので緑の部族を引き連れて次の場所に向かう。

 世界樹は練習として育てることもあるが、森から飛び出していくくらいのレベルは本番となるので数年に一度のペースでも早いらしい。

 溜め込んだ魔力やリソースを使い切っての大仕事であり、失敗するとまた一からコツコツと溜め込む作業に戻る必要があるようだった。

 燃えても全く可哀そうとは思えないけど、エルフにはエルフの苦労があるみたいだ。

 

「ドラゴンの居場所は何処なのよ! え!? まだ戦わないといけないの!?」

 

 龍の頸の玉が課題となった冒険者さんのいる場所に着くと、そこは魔物の死体で溢れていた。

 ドラゴンを催促する冒険者さんと、世界樹の苗床にしようとしていたエルフが解き放った魔物。

 お酒や果実を片手に観戦しているエルフも多くいて、賭け事も行われているようだった。

 エルフってもしかしてとんでもなく俗っぽい生き物なのでは。

 

「ルーシリア、ドラゴンが現れる場所に心当たりがありますけど来ますか」

 

「私をその名で呼ぶんじゃない!」

 

「なんだこいつ……」

 

「それはそれとして私も同行しよう! いつにする? 今でしょ? 魔物と戦うの飽きたのよ」

 

 期待の目を向けられたアメリアさんが、渋々頷いた。

 緑の部族のエルフたち、冒険者さんも連れて移動する。

 ドラゴンが現れる場所に心当たりがあるらしいが、俺には無いのでどうするのだろうか。

 

「ドラゴンは財宝が大好きだったりするんですけどね。宝を愛でるための(ねぐら)にもこだわりがあるらしいんですよ。立派な洞窟とか険しい山とか、後は世界樹の天辺だとか。そういう場所は魔力の流れが滞っていたり、濃かったりするみたいです」

 

「じゃあ世界樹を育てればドラゴンも来るの?」

 

「そうとも言い切れないんですよね。世界樹が飛び出すには森の境界が弱くなっている白夜の時期になりますが、ドラゴンが外を飛び回るはずもないですから。世界樹も枯れますし」

 

「はーつっかえ。魔物殺すのに戻るね」

 

「別に戻ってもいいですけど最後まで聞かなくていいんですか? ここで大事なのは世界樹じゃないんですよ。世界樹の燃え滓には魔力がたっぷり含まれているのが重要なんですよね」

 

「世界樹燃やすわ」

 

 緑の部族に聞かせるようにアメリアさんが話す。

 俺の傍でビューティーとその愉快な仲間たちが世界樹を燃やす方法を模索し始めていた。

 なんだろう。

 おかしな流れに乗っかりつつあるのを感じる。

 

「黄緑の部族の皆さん! お困りですか? ダンジョンにならない世界樹、難しいですよね?」

 

「……キュートちゃんが困るわけないじゃない」

 

「課題を出した彼が特別に黄緑の部族を有利にするためにこうして助言に来たのに要らないみたいですね。さ、みなさん。次に行きましょうか」

 

 こちらにチラリと視線を向けられたので、何を期待されているのかわからないが手を振って誤魔化す。

 今は仮面があるので愛想笑いで凌げないのが厳しい。

 

「待って! キュートちゃんは困ってないけど? 全く困ってないけど? 教えたいって言うなら聞いてあげてもいいよ?」

 

「とっても教えたいです!」

 

「じゃあ聞いてあげる!」

 

 声が弾んでいるアメリアさんと、助言を貰えることに喜んだキュート。

 利害の一致と考えていいのだろうか。

 冒険者さんは「エルフ同士仲が良いんだなぁ」と呟いていた。

 ……そうだね!

 

「ダンジョンとなるには魔力核が必要ですよね?」

 

「それはそう。だから魔物とか魔力無しで世界樹を育てなきゃなって。キュートちゃんもやったことないけど、時間をかければ……」

 

「それだとかなりの時間が必要ですよね。その間彼が待ってくれるのか。他のエルフが課題を終わらせてしまわないか。その不安、解消しましょう! 育ってる世界樹から核を抜けばいいんですよ」

 

「核を?」

 

「そうです。ただ、どの世界樹がダンジョン化しないかわからないので、手当たり次第に抜いてもいいかもしれません。立派な世界樹から抜くのも良さそうですよね」

 

 アメリアさんが囁くように告げる。

 少しばかりキュートは思案していたが、俺の方をちらりと見て、近くの世界樹へと走って行った。

 

「……あの、核を抜くとダンジョン化しないんですか?」

 

「どうなんでしょうね。魔力による耐性が落ちるのでよく燃えるようになりますけど」

 

 小声で俺が尋ねれば、返ってきたのはそんな言葉だった。

 緑の部族のエルフたちも世界樹に向けて走って行った。

 冒険者さんも行きそうだったが、アメリアさんに首根っこを掴まれて止められていた。

 

「さあ、最後は深緑の部族です。私が何かする必要も無さそうですけどね」

 

「アメリアさんって意外と力があるんですね」

 

「ん? ああ、ここはエルフの森ですから補正とか乗るんですよ」

 

 冒険者さんを引きずって進むアメリアさんに付いて行けば、料理教室を開いている深緑の部族を発見した。

 果実を使った料理というか、菓子がメインのようだ。

 食べやすいように柔らかくした物が多く、ゼリーやスムージーを特に好んでいるのかもしれない。

 

「深緑の部族は何もしないのですか?」

 

「もうやれることは終わってるからね。知り合いの赤の部族を呼んだよ」

 

「もしかしてプロミネンスですか?」

 

「よく知ってるね? 燃える名前のプロミネンスだよ。あの子にここらを燃やしてもらって問題ない木を育てたらいいと思って」

 

「素晴らしいですね! ……これなら私たちができることは無さそうです」

 

 仮面を外したアメリアさんがにっこりと笑い、プロミネンスとやらの到着予定日を聞き出した。

 その後は特にやれることも無いからとエルフの森を後にした。

 ダンジョンの外に出ると、一人で暇していたローレットさんが集めたという今をときめくブラックウーズの素材を貰った。

 それから数日後、鼻歌まじりで外に向かうアメリアさんの姿を見つけた。

 その姿に何をしに行くのか理解した。

 

「俺も行きます」

 

「……ツバキさん? 私は好きですけど、あんまり気持ちのいい物じゃないと思いますよ」

 

「それでもです。……どうしても邪魔になるなら止めますが」

 

「いや、来てもらった方がいいかもしれませんね。今回は燃えすぎて死人が出そうですし」

 

「……退去勧告とかは」

 

「ちょっと場所を移動させてまた世界樹を育てるだけですよ。ギルドマスターからも許可貰ってますから安心してください」

 

 全く安心できないなあ。

 俺の気持ちを他所にアメリアさんが森を進んでいく。

 

「プロミネンスは良い言葉ですよね。私も魔法の詠唱に加えますが、火力が跳ね上がります」

 

「あれ、世界樹を燃やしに来るエルフの名前って……」

 

「プロミネンスですね。彼女が使う炎魔法は凄まじいですよ。赤の部族は世界樹もどきを燃やすのが得意なんですよ。理由は自分たちが育てたい場所に他の世界樹が生えてて邪魔だとか、灰が土壌を良くするとか主張してますがそんなのはどうでもいいですね。世界樹を育てるのは下手くそなのでそこは魅力だと思います」

 

「なんか嫌な予感が……。あれ、エルフの森の入り口の場所が変わってますね」

 

 名前からして燃えそうだな、と考えていると森への入り口が以前までの朽ちた大木ではなく、その根本にあることに気づいた。

 

「内部で結構魔力の動きがあるのでしょうね。……それにしてもよくわかりましたね。基本的に入り口はエルフにしかわからないんですけど」

 

「うーん……。何となく、ですかね」

 

「ツバキさん、エルフだったとか」

 

「全くそんな事実はないですね」

 

 入ったことのある扉が変な位置に移動していたってくらいの感覚だった。

 そんな話をしながらエルフの森に入る。

 中では、やっぱりエルフたちが世界樹を育てていた。

 妙な物が見えたので目を凝らすと、木の根が全身を覆っていて頭から枝を生やした生気の無い顔のゴブリンが見えた。

 見なきゃよかった……。

 

「エルフのみなさん! 首長たちの婚活の中間報告を聞きましょう! お酒片手に集まって下さい!」

 

 アメリアさんが叫ぶと、エルフたちが集まって来る。エルフたちの会話を聞くに、プロミネンスが到着するらしい。

 

「あ、何組か(つがい)が出来てますよ。ほら、そこにも」

 

(つがい)って……」

 

 アメリアさんが示した指先には、エルフが二人。

 仲睦まじい様子だと思ったが、それにしては妙だった。

 近づいて見ればはっきりとわかった。

 女性のエルフは甲斐甲斐しく世話をしている。

 男性のエルフは、中空に視線を向けたままうわ言のように「世界樹が欲しい……世界樹が欲しい……」と呟いている。

 見覚えのある光景だった。

 

「男のエルフには『声』が聞こえるんですよ。『声』しか聞いてないんです」

 

「声……」

 

「女にも聞こえる時があります。それを占いとして世界樹を植える場所にします」

 

 また声だ。

 声、声、声。

 俺には聞こえない声が周りには溢れている。

 働きすぎや疲労による物ではないのだろう、それはわかりつつあった。

 この世界特有の何かなのだろうか。

 俺も聞こえたら理解してあげられるのか、悩みを解決できるのか。

 無いと断言したら、彼らから声を取り除けないのか。

 有ると断言したら、彼らは安心してくれるのか。

 

「男エルフは世界樹の核になりたがります。いや、なってしまう者が多い。女エルフはそれに付き従ってしまう。なんででしょうね。……たぶん、そういう生き物なのでしょうね」

 

 熱が俺の頬を撫でた。

 森が凄まじい勢いで燃え始めていた。

 エルフの叫び声が聞こえ、プロミネンスが到着とともに炎の魔法を使ったことだけはわかった。

 

「こんな森は燃えたほうがいいでしょう? 私はこの瞬間が一番楽しいんです」

 

 アメリアさんの表情は仮面で隠れてわからない。

 声だけは楽しそうだったが、俺にはわからないことだった。

 必死に逃げるエルフが叫んでいた。「森が切り離されるぞ!」と。

 アメリアさんが舌打ちするのと同時に、視界が暗転した。

 そして、俺とアメリアさんは森に入る前の場所に戻されていた。

 

「外、ですか……?」

 

「……ダンジョンから切り離されましたね。入って来た穴に弾き飛ばされました」

 

 「あ~あ」とアメリアさんが呟いた。

 俺たちがいる森には、きらきらと輝く灰が降り積もっていた。

 

 




ダンジョン「エルフの森」
基本的にエルフしかいない。
合同で何かする場合は仮面を着けるので髪の色などで判別する。
危ないゴミは外に捨てる。


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39

 

「これは白夜が近いですね」

 

 空を見上げながら神父様が言った。

 

「……まだ周期では無いと思いますが」

 

「灰が降りましたからね。魔力が飽和するのに随分と早まったようです。ブラックウーズを処分できて良かったと思えますね」

 

 街の外に世界樹の灰が降り積もっていた。

 国内外問わず、情報が集まる各地で灰が降っている報せが教会にも入ってきていた。

 風とともに街の中に入り込む灰が、家屋や道を薄い白に染めていた。

 日が落ちると、僅かに銀色に輝くのが幻想的だった。

 空気中に含まれる物や、呼気によって排出された魔力が灰と吸着しているらしい。

 心なしか教会内の植物も艶が出ていて、生き生きとした様子だ。

 

「ツバキくんが知っている灰とは違ってガラス質が含まれているわけでもないですからね」

 

 天窓が汚れてしまうので、頻度を増やした掃除の最中に神父様が教えてくれた。

 灰が目に入ったり、体内に入っても影響が無いとのことだ。

 植物の燃え滓だからか、表面を軽く掃いたり、拭くだけで汚れは落ちていく。

 

「それで、エルフはどうでしたか。キミたちは揃って興味を持ちますが」

 

 思い出すのは名前と容姿が合ってないエルフたち。

 よく考えるとそれも当然なのかもしれない。

 日本にも光宙なのに黄色い鼠じゃない人もいるからな。

 

「思ったのと違っていました」

 

「それはそれは。ああ、アンバーエイトが拗ねてましたよ。ツバキくんがエルフを見に行くって興奮してたとも」

 

「興奮はしてなかったと思いますが」

 

「さて、どうだったか。ちょっと夢を見ている感じではあったと私は感じましたがね」

 

「……エルフへの理想は一応あったのは確かですから。アンバーのほうが綺麗だったよ、とか言って機嫌を取れればいいんですけどね。そうはいかないのがなあ」

 

 アンバーを含めて、容姿を褒められるのが好きじゃない子が多すぎる。

 その中でファティは褒められるのも好き。

 俺は綺麗な物が好きで、綺麗な容姿も好き。だからそれでいいじゃないか、と済ませられないのだから難しい話だ。

 

「アンバーエイトについては悩むくらいがちょうどいいのですよ。ツバキくんが考えているというのが大事なんですよ」

 

「そういうものですか」

 

「どうでしょうね。……それで、エルフは変わった性格をしていたでしょう?」

 

「変わっていたと言えば変わっていましたけど……」

 

「今の姿を見たら言葉を濁すのも仕方のないことはありますね。この地に残された当初はまともでしたが、信じる神を失ったままでは正しく在ることが難しかった」

 

「神? この世界には神がいるんですか?」

 

 信仰の対象としてなのか、実物なのか。

 神について記された書物はあまりに少ない。

 俺の疑問は、微笑むだけの神父様が解決してくれる物ではなかった。

 

「エルフに伝わる力ある名前は、それぞれの役割に特化しすぎていました。森で最も美しい大木を選び、澄んだ炎で焚き上げ、恵みや感謝を捧げる祭事を覚えている者は今では残っていない。選ぶ名が途絶え、大きな木を育てる者が伴侶を得られるようになってしまった。見目麗しい者、気高き者、清らかな者。尊きものを喜ばせるための姿だけを重んじるようになってしまったが、それぞれに役割があったように、名を持ったが故に育てる力は損なわれてしまう。歪な価値観だけが残ってしまった」

 

 荒れ果てた大地に緑を植えるエルフは、本当に立派だったと神父様が言う。

 

「ツバキくん、写本している時に面倒だと思ったことはありませんでしたか」

 

「面倒……。文字を書くのが大変、とか?」

 

「大変で済ませてしまえるのはキミの美徳ですね。言葉の読み方や書き方が失われることも多い。少しでも後世に言葉が残るように、刻むことを選んだ結果の文化なんですよ。……エルフは違いましたが」

 

 掃除する手は止まっていた。

 掃除が終わったので話に集中していた、が正しいだろうか。

 

「おしゃべりし過ぎましたね。掃除も終わっていますし、下りましょうか。それに、ほら、ツバキくんにお客さんですよ」

 

 話はこれで終わりだとばかりに神父様が梯子を下りていく。

 下を見れば、アメリアさんがこちらに小さく手を振っているのが見えた。

 

「こんにちは、アメリアさん。機嫌がよさそうで何よりです」

 

「ええ、こんにちは。焼けた森の空気は美味しいですからね! ……あ、違います。今日は森焼きの布教に来たのではなくて、これを届けに来ましたよ」

 

 梯子を下りて、待っていたアメリアさんと挨拶を交わす。

 森を焼く魅力を語りに来たのかと思ったが、今日はそうじゃないらしい。

 アメリアさんの足元に置かれていた布に包まれた荷物、それを手渡された。

 

「これは……紙?」

 

 確認すると中身は白い紙だった。それも一枚や二枚ではない。

 数十枚はあるだろうか。

 表面は少しざらついているが、これ以上は望めないのでは無いかというくらいに純白だった。

 

「これは世界樹から作った紙ですね。エルフは製紙が得意なので品質は保証しますよ」

 

「もしかして焼いたら紙が出来るんですか? 毎日世界樹を焼こうぜ」

 

「ツバキさん、性格が変わっちゃってますよ。焼けたら紙が出来るなら良かったのですが、残念ながらこれはエルフの職人が用意した物です」

 

 陽の光に照らせば、僅かに輝いて見える。

 光に手を翳し、紙を通して見れば薄く手の形を見ることが出来る。

 今まで使っていた紙と比べて、あまりにも薄い。

 普段使っている道具で文字を書こうとすれば簡単に穴が空いてしまうだろう。

 

「まさかこれを火種に世界樹を焼く、と? もったいない……」

 

「違いますよ! これは青の部族の首長からの贈り物です」

 

 これはどうやら世界一キューティクルなエルフから届いた物だという。

 そういえば森が焼けてすべてが終わった雰囲気で街に戻ってきていたが、こうやって課題への挑戦を続けているエルフもいるのかもしれない。

 申し訳ない気持ちが芽生えてくる。

 

「貰っていいんですかね、これ」

 

「良いと思いますよ。課題は達成できていないが諦めていませんよ、という主張の証みたいな物ですからね。受け取り拒否したら泣くと思います」

 

「まあ、それじゃあ有難くいただきます。……課題は何でしたっけ」

 

「最高級の絵筆って言ってませんでしたか」

 

「はえーそうでしたっけー」

 

 紙の手触りを楽しんでいると思考能力が停止してくるから不思議だ。

 こうなると俄然鉛筆が欲しくなってくる。

 

「ツバキさんに会いに来た理由がもう一つありまして。ドラゴンが出ました」

 

「ドラゴンが!?」

 

 上質な紙の手触りサイコーとか暢気している場合じゃなかった。

 ドラゴンといえば強大な魔物として有名で、個体によっては街を挙げての迎撃準備が始まるだろう。

 ブラックウーズの対処やエルフの森と来て、ドラゴンまで飛んでくる可能性があるとなるとギルドも大声で泣きたいくらいの事態に違いない。

 俺だったら辛すぎて泣く。

 あと冒険者さんとローレットさんがドラゴンを求めて灰が多く降っている場所を目指して遠征したので、彼女らも泣くだろう。

 

「私も驚きましたが、ドラゴンはもう討伐されてました」

 

「もう討伐されてたんですか!?」

 

「発見と討伐の報せが同時だったくらいには早かったみたいですよ。今回の竜殺しはサーモンランの勇者です」

 

「それは……普通にやれそう」

 

「実際やってますからね」

 

 詳しく聞けば、エルフの森に繋がっていた辺りを朝早くからうろついていた勇者がドラゴンを仕留めたという話だ。

 文字通り朝飯前だったらしい。

 勇者が「ドラゴン殺したわー」とギルドに伝えてから、発見した衛兵の報告が舞い込んだので、色々と面倒なことになっていたようだった。

 

「そんなわけで、サーモンランの勇者がツバキさんに来てくれって。絵を描いて欲しいそうですよ」

 

「ドラゴンを討伐したなら描かないといけませんね。しかし、竜殺しの場面を俺も見たかった」

 

「……危ないですよ」

 

「……森を焼くのも危ないと思うんですけど」

 

「どうせエルフの森なんてダンジョンの中だから被害は有りませんよ。それに森を焼くと元気になるので健康に良いですよ」

 

 アメリアさん、基本的には良い人なんだけど頭がちょっとなあ。

 致命的にダメな部分がある。

 まあそれは置いといて、今回はお絵描きだ。

 貰った紙を使いたいが、同時に勿体ない気持ちも湧き上がってくる。

 うーん、ここは保留で。

 

「……ツバキ、これ。神父様が持っていきなさいって」

 

 教会から顔を出したアンバーが、いつもよりもじっとりとした視線をこちらに向けていた。

 その手には色鉛筆とスケッチブック、肩からは長い紐が括りつけられた画版を垂らしている。

 色鉛筆やスケッチブックを貰った後、外でも絵が描けるようにと画版を神父様が手作りしてくれた。

 灰のおかげで空気中に含まれる魔力が多く、アンバーの起きている時間が伸びていて、行動範囲も僅かに広がっていた。

 

「ありがとう、アンバー。ちょうど欲しかったんだ」

 

「……またお出かけ? エルフのとこ?」

 

「今日は外かな。勇者の所にいくよ。ドラゴンを討伐したんだって」

 

「……んー」

 

 アンバーから道具を受け取る。代わりに掃除の道具と、今回使わない紙を渡す。

 眠たげな眼が、ファティを一億倍薄めた鋭い形に変わる。

 

「アンバーも一緒に行く?」

 

「……あたしの身体だと外まで歩けないもん」

 

 お手をどうぞ、と手を差し出す。

 俺の手を、アンバーの小さな両手でにぎにぎとしてくるが、一緒に行く気は無いらしい。

 それでも手放さないのでちょっとくすぐったい。

 

「抱っこしようか?」

 

「……ツバキ、あたしより力ないじゃん」

 

「力は関係ないんだよなあ。重要なのは、世の中の男は女の子を抱っこしたいという事実だけ。しかし、理由がないと出来ることでもないんだよ。あー、どこかの優しいアンバーが俺に理由をくれないかなあ」

 

 ふふふ、とアンバーが笑ってくれた。だから俺も笑顔になった。

 

「だめ、ツバキはよわよわだから」

 

「実は強いかもしれないし」

 

「槍を使ってる人は手が固くなるって神父様が言ってたけど……筆の癖しか指に付いてない」

 

「槍は重いから例外と見做されたい」

 

「だめ。……いってらっしゃい」

 

 そう言ってアンバーは教会に戻ってしまった。

 行けるかな、と思ったがそう上手くはいかないみたいだ。行けたとしても長く連れて歩くのは良くないからな。

 

「お待たせしました。さあ、勇者の所に向かいましょうか」

 

「は、はい……。あれ、道具は持ってましたっけ?」

 

「アンバーが持ってきてくれましたよ?」

 

「……私もまだまだですね。もっと森を焼かないと」

 

 アメリアさんに声を掛ければ、返ってきたのはそんな言葉だった。

 今までの流れで森を焼く必要が何処かにあったのだろうか。

 俺には何もわからない。

 画版を肩から下げ、色鉛筆とスケッチブックを持って外を目指す。

 門を抜け、街道を歩き、灰が積もった森に入る。

 俺の姿は完全に風景画を描きに来た絵描きでしかないに違いない。

 冒険者の姿か、これが……。

 アメリアさんが先導してくれたおかげで特に迷うことも無く目的地に着けたようだった。

 そこは森の中とは思えないほどで、ちょっとした人混みが出来ていた。

 

「来たか! ツバキ!」

 

 両手を大きく振りながら、勇者が俺の名前を呼んだ。

 後ろには、巨大な魔物が転がっていた。

 堅牢な鱗に覆われている巨体、鋭い爪と牙、背に生えた大きな翼。

 西洋のドラゴンそのものだった。

 威容を誇っていたであろうドラゴンは、しかし、首と胴が分かれていた。

 首は三つ、胴体も三つ。

 俺の目がおかしくなければ、三体分の姿があった。

 

「……うわ、ドラゴンを三匹殺してますよ」

 

 嫌そうにアメリアさんが言った。やはり三体も殺したらしい。

 ……ブラックウーズ何匹分なのだろうか。

 

「ツバキ! これならオレの絵を描いてくれるよな!」

 

「当然描きますよ」

 

「やったぜ!!!」

 

「……ところで、三匹殺したんですか?」

 

「いや、オレも困ってんだよ。それがな……」

 

 最初のドラゴンは、教会で聞いた通り、早朝に切り殺したらしい。

 その時は一匹だったという。

 ギルドの職員や他の冒険者を連れて確認していると、もう一匹現れたそうだ。

 それも切り殺したらしいが。

 そして俺が来る直前、ドラゴンが生えて(・・・)きたとのことだ。

 ギルド職員や他の冒険者にも話を聞けば、同じように答えてくれた。

 同じようなことが再び起きれば、野放しのドラゴンが急に街を襲うかもしれないので離れるに離れられない現状に繋がっているようだった。

 

「生えてきた地面は確認しましたか? 灰が多く積もっていたとか」

 

「灰はそんなに無かったが、ブラックウーズがいっぱいいたぜ! ……エルフのおねーさんは何か心当たりあるのか?」

 

「無くもないんですけど、あんまり無くなったというか」

 

「なに言ってんだ。馬鹿か」

 

「言い方ぁ! 粗雑な話し方ばっかりしてると頭ルーシリアになりますよ!」

 

「誰だよ」

 

「うちのエイプですよ。……まったく。知能が高い魔物は縄張りを持っているので、独自のダンジョンから出て来たのかと思っただけです。エルフの森みたく入り口がわかればそこを塞ぐなりすればいいはず」

 

 二人の会話を聞きながら、ドラゴンを見て回る。

 すっごい(語彙消失)

 巨大なトカゲっぽさもあるが、トカゲよりも鋭い形状をしている。

 空を飛ぶためだろうか。

 それでいて恐竜とも違う。

 恐竜の映画に出ても場違いっぽさが出てくるだろう。

 ふんふん、と見ていれば妙な場所を発見した。

 地面の下のほうに何かが隠されている。

 これは……そうだな、エルフの森に繋がっていた入り口に近いかもしれない。

 

「ドラゴンが生えてくるらしいですので一人だと危ないですよ」

 

「アメリアさん、ここの下に何かありそうです」

 

「何か……。折角なので燃やしてみましょうか。ドラゴンが生えてくる入り口だったら魔力が乱れて閉じるでしょうし、違っても燃やせて私が嬉しい」

 

「それ大丈夫なんですか。理由が雑というか」

 

「大丈夫ですよ。ドラゴンは火への耐性がとても高いので燃え移ることもないですし、灰があるときに使う魔法の威力は最高ですからね! 奮発して詠唱しちゃいましょうか! ……みなさん離れてください!! 原因がわかったかもしれません!! なので魔法を使いまーす!! みなさんもっと離れて!!」

 

 アメリアさんが叫ぶように魔法の使用を知らせれば、周囲にいた人々が離れていく。

 勇者はあんまり離れていないが、アメリアさんも気にしていないし、他の人も全く気にしていなかった。

 少し下がって、と言葉をかけられたのでアメリアさんの背中に回る。

 本当に大丈夫か不安でしかないのだけれど。

 

「『この身に宿る魔力と、空を渡る樹の灰を捧げる。世界よ、どうか私の声を聞いて欲しい。プロミネンスをここに』」

 

 格式張った、と表現すればいいのか。あまり聞くことの無いがとても綺麗な発音だった。

 アメリアさんの髪と、周囲の灰が一瞬だけ煌めいた。

 ちりちりと熱を感じて、そして、地面から炎が噴き上がった。

 ぼこぼこと地面が沸騰するようだった。

 黒い液体があふれ出していた。

 炎の奥が揺らめいて、何かが見えた。

 

「こ、こんにちは?」

 

 俺が似顔絵を描いた男が居た。俺の腕を折った冒険者が、炎の奥に居た。

 男が驚いたようにこちらを見たが、俺だって驚いていた。だって黒い靄で仮装してるし……。

 炎から這い出てきた数多のブラックウーズがアメリアさんを飲み込もうとしていた。アメリアさんが飲み込まれるということは、後ろにいた俺も同じ目に遭うわけで。

 まるでブラックウーズの大波だな、と俺は思った。

 どぷん、と音がした。

 生温かい液体のような黒い何かに包まれた。

 俺とアメリアさんを包んでいるブラックウーズは弱り切っているように感じられた。

 それから僅かな時間でブラックウーズから吐き出された。

 俺たちを吐き出した後は溶けるように消えていった。

 

「……違うなあ」

 

 そこは酷く磯臭い場所だった。

 薄汚れていて、崩壊していて、夜のように暗かった。

 空には欠けた月があった。

 夜には星々が煌めいていた。

 俺の生きている空とは違う、三日月が浮いていた。

 だから違う。

 

「これは違うなあ」

 

 俺は呟く。

 俺の描きたい世界とは違う。

 俺が望んで生きる世界はこれじゃない。

 だから違う(・・)

 数多の声が騒いでいた。

 あそことあそことあそこと……多すぎる。どこから聞こえるか、方向だけはわかる。どのくらい離れているのか、距離がまだわからない声もある。

 近くならすぐにわかる。

 

「どこにいるかわからないから不安なんですか。大丈夫、大丈夫。俺は目がいいですからね。勘もいいのかな」

 

 血の気が引いたように真っ青になったアメリアさんが震えていた。

 背を擦りながら伝える。

 ここが何処かわからないが、俺に不安はなかった。

 全ての声が怯えているのに不安を抱くはずがなかった。

 

「あそこと、あそこ……あそこにも隠れてますよ」

 

 近くなら声もいらない。

 隠れても見えてるからなあ。

 俺の腕を折った冒険者と、朽ちた建物の裏に居た巨大な海産物のような魔物を指差す。白く醜く膨れ上がった姿はキングサーモンの親戚なのかもしれない。

 最後の一人は地面に潜っていて出て来ないが、動かないならどうでもよかった。

 

 「統一言語話者が侵入してきている!」「まずい、Sanityを消失させられたやつがいる!」「引きずり出されたぞ!」「誰があいつを引き込んだ!」「声を出すな! 特定される!」「ボルテクス! 逃げなさい! 名前を剥がされますよ!」「底に引き寄せられている! 切り離せ!」「相手は本物の夜を知っている! 切り離せるわけがない!」

 

「うるさいですね……」

 

 蜂の巣をつついたように騒がしくなった声。声。声。

 思わずうるさいと呟けば、静まり返った。随分と聞き分けがいい。

 俺が気になったのは声よりも、冒険者のほうだった。

 ボルテクスと呼ばれていたが、違和感が強かった。エルフたちよりも酷い。

 俺は本当の名前を知っているし、似顔絵にもわかりやすいように名前を書き添えている。

 挙動不審となったその男に歩み寄る。

 

「あなたはボルテクスじゃない。そうですよね。あなたの本当の名前は……」

 

 目の前の男が悲鳴を挙げ、覆っていた黒い靄が剥がれ始めた。

 

 

 




・勇者
・魔法使い
・僧侶

一分の隙も無い完璧なパーティですね。


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40

 

「あなたはボルテクスじゃない。そうですよね。あなたの本当の名前は……」

 

 目の前の男が悲鳴を挙げ、覆っていた黒い靄が剥がれ始めた。

 これほどまでに名前が合っていない(・・・・・・)者を見るのは初めてだった。

 そう在って欲しいという願い、またはそうならないで欲しいという戒め、どちらにしても名前という言葉には意味が込められている。

 全てを理解していなくとも、僅かでも言葉から察することはできる。誰もがしているはずのそれを、何一つ出来ていなかった。

 何も理解できず、何もわからないまま、しかし、その言葉を名乗れている。

 このままでは愉快な事にはならないだろう。自己を定義する礎を失っている。

 知っているフリは大変だろう。わかるよ。いや、やっぱりわからないな。知らないフリも大変だからな。

 

「ボルテクスだ……。俺は、ボルテクスなんだ……」

 

 両手で耳を塞ぐ男が絞り出すように呟いた。ボルテクス、ボルテクス、と繰り返してる。

 それは自分自身に言い聞かせるための言葉だと思えた。

 繰り返される度に、男の体の周りに再び黒い靄が集まり、広がりつつあった。

 靄のせいで姿が見にくくなっている。何かが揺らいでいる。

 広がった靄の中、男が這っていた。どこか卑屈な様子で、視界から逃れようとしている。

 俺にはそれがとても良くない気がした。

 

「よく聞いてください。あなたはボルテクスという名前じゃない」

 

 俺は靄の中を這いずる男に指差して言った。

 

「違う、違う違う違う! 俺はボルテクスだ! 勇者だ! 勇者ボルテクスなんだ!」

 

「それこそ違います。あなたは勇者じゃない。勇者は決してボルテクスという名前でもない」

 

 頭を抱えるように耳を塞ぐ男が叫んだ。

 地に伏したまま、這って離れようとしている。その姿に哀れみを覚えないでもないが、嘘をつくほどに靄が濃くなっていた。

 汚いキノピオみたいだな、と思いながら俺は言葉を訂正する。

 今はアメリアさんがいるので、いつものように教会だとか冒険者ギルドみたいにすぐ傍まで近づいて話しかけられない。靄で視界が僅かに悪くなっているのが面倒だった。

 

 「対抗するな! 離れろボルテクス!」「話を聞いてはならん!」「返事をするんじゃない! 言葉を認識させられる!」「格が違いすぎる! こんなもの拒めん!」「さっさと切り離せ! ボルテクス!」「まずい! このままでは最下層に戻される! ボルテクス! 早くしろ!」「このボルテクスにできるわけがない!」「無理やりにでも理解させろ!」「言葉が全く馴染んでいない! このボルテクス程度では危険すぎる!」「ボルテクス!」「ボルテクス!」「ボルテクス!」

 

「うるさいですね……。何度も言いますが彼はボルテクスじゃない」

 

「ツ、ツバキさん……?」

 

 勝手に騒ぎ出した声たち。うるさいと文句を言うが、今度は止まらない。

 こんなじめじめした場所を後にして、早く教会に帰りたかった。

 震えるアメリアさんが俺の名前を呼ぶので、大丈夫だと返す。

 声もビビってるからへーきへーき。

 

「声が!! 声が聞こえない!」

 

 男が叫んだ。

 いや、聞こえるが。

 急に耳が悪くなったのかもしれない。

 

「俺は勇者だ! こんなのはおかしい! 俺は勇者なんだ! 俺はボルテクスだ! ユビキタス! 俺を助けろ! 仲間だろうが!!!」

 

 蹲ったまま、男が叫んだ。

 「その名前を呼ぶな!」と近くで叫んだ声の場所を指で示せば、腐った海産物のような魔物が倒れている。アメリアさんが「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。

 声は変わらず遠くの方で騒がしい、男は頭を抑えて丸まっている。

 外に出て行きたいが、これじゃあ話が出来そうな相手がいない。

 男が助けを求めたユビキタスとやらは地面の下に潜んでいるようだった。

 出てくるのかと思って少し待つが、何も起こらない。

 声が隠れていろと言っていた。

 

「ユビキタス? それがあなたの名前でいいんですね?」

 

 ボルテクスを名乗る不審者と同じように、その名前に致命的なズレを俺は感じた。

 確認を取るが、やはり返事は無い。

 しょうがないのでユビキタスと呼ぶことにする。俺としてはあまりいい言葉とは思えないが、それを名乗っているのだからそういうことなのだろう。

 

「じゃあユビキタスと呼びます。ユビキタス、お話をしましょう」

 

 Ubiquitous、名を正しく呼びかける。

 地面の下から悲鳴が聞こえた。その直後、地面が割れて頭を抱えた姿勢の女性が現れた。

 その女性は一向に起き上がる気配がない。

 ただ、痙攣するように震えているだけだった。

 

「やめろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ。私の、中に、入って来る、な……」

 

 女性が呻いている。まるで陸に上げられた魚のようだった。

 

 「統べる名前が!」「これでは壊れてしまう!」「馴染む前に名付けられた! こいつでは耐えられん!」「言葉が強すぎる!」「最早ユビキタスは使い物にならん! 捨て置け!」「止めろ!」「神父を殺せ!」「貴様がやれ!」「そんなことをすれば月に呪われる!」「早くボルテクスを目覚めさせるのです!」

 

「うるさいって言ってるんだよなあ。……特にそこ」

 

 騒いでいる声に苛立って、一番うるさい場所を指し示す。そこには巨大な海産物の魔物がいる。何が起きたのかわからないとばかりに呆けた様子だった。

 しん、と静まり返った。

 

「き、聞かれてるぞぉぉぉぉ!!!」

 

 静かだったのは一瞬だった。

 声の一つが殊更大きく叫ぶと同時に、数多の声が爆発したかのように騒ぎ始めた。

 俺が示す先にいる魔物は、その図体とは裏腹な小さい瞳を悲しそうに歪め、涙を零しながら震えていた。

 ため息を吐きながらアメリアさんの隣に座る。

 

「……違うなあ」

 

 騒がしい声。声。声。

 偽物の夜空。月。星。

 漂う腐った磯の臭い。

 

「違うなあ」

 

 何もかもが違う。

 目を凝らせば見えてくるのは、朽ちた都市のような何か。

 それすらも崩れていく。

 ぼろぼろと、夥しい数のブラックウーズが剥がれ落ちていた。

 

 「逃げろ!」「何処に行けと言う!」「近寄るな! Sanityが消失する!」「ディープワンを使いすぎたんだ!」「やはり呪われた名前だった!」「そうだ! ディープワンを使え!」「喚べ!」「世界よ、我が声を聞け! サモンアンドランをここに!」

 

 何の役にも立たない月明かりだったが、目が慣れてくればどうってことはない。

 馬鹿みたいに騒いでいる海産物に似た魔物がたくさんいるだけだった。

 どれもこれもが陸に打ち上げられた魚のように、満足に動けなくなっていた。

 それぞれは見上げるような巨体だったり、言葉にするには難しい醜さをしている。

 不気味で醜い憐れなそれらが身じろぎするだけで、少しばかり地が揺れていた。

 

「あれは足の生えた魚ですね。前に見たやつ」

 

 何かが歩いて迫ってきているようだった。不安げなアメリアさんが、俺が羽織っているコートの袖を引いた。

 人間ほどの大きさで、魚面をしていて、二本の足で歩いてた。

 だがそれはよく見れば以前見たことのある足の生えた魚だった。だから俺はそれをアメリアさんに伝えた。

 三十センチほどの魚が陸で跳ねていた。

 

「魚、魚、魚。人。魚。人。魚。魚。魚。あれは……チンアナゴ? あ、できらあさん」

 

 たくさんの魚に混ざってチンアナゴもいた。多くの人も眠っていた。

 びちびちと跳ねていて魚は可哀そうだったし、寝ている傍で跳ねられている人々も可哀そうだった。

 魚に囲まれて、呆然とした顔のできらあさんが立っていた。何度見ても見事な胸だった。

 海産物が身じろぎした物とは違う、地面が砕ける音がした。

 

 「名前を剥がされている!」「ボルテクス! 何とかして歪ませろ!」「神父から離れろ! 片っ端から秘匿が剥がされている!」「捨てたはずの身体が……」

 

 ずん、とひと際大きく揺れる。

 爆ぜるように地が砕け、穴が開く。

 逆さまの体勢をした勇者が、地面から飛び出してきた。

 

「ツバキ! 生きてるか! 生きてたな! よかった! ついでにエルフのおねーさんも生きてて良かったな!」

 

 なははー、と勇者は笑いながらこの磯臭い地に降り立った。

 穴の底から、三つの月がこちらを覗き込んでいた。

 

 「まずい! 蝕む名前までもが侵入してきたぞ!」「蝕む名前が何故!」「名前を知られた者がいるとしか考えられぬ!」「階層が最下層に戻された! これではサーモンランしか起こせん!」「ボルテクスを起こせ!」「ユビキタス! ドラゴンを呼ぶのです! ユビキタス! ユビキタス! ユビキタス! 呼びなさい!」

 

 勇者の出現に、より一層騒ぎが広がる。

 ぽいぽいと自身が下りて来た穴に転がっていた人々を放り込みながら、勇者があまりの騒ぎに顔を顰めていた。

 わかるよ。うるさいもんな。

 

「なんだこのダンジョン。ここまで気持ち悪いのは初めてだ」

 

「はあ。ダンジョンなんですか。勇者はよくわかりますね」

 

「多分だけどな」

 

 自信ないけど、と勇者が呟いた。

 

「街の近くに発生したダンジョンだからオレは駆除していくけど、ツバキはどうする?」

 

「どのくらい強いですかね」

 

「ドラゴンよりは強い」

 

「せっかくだから絵を描きたいなあって」

 

「オレなら余裕だから描いてけ! 悪そうなやつだから倒すぜ!」

 

 俺が色鉛筆とスケッチブックを見せると、勇者はやる気になったようだった。

 あそことあそこ……と海産物を指し示していけば、コツはわかったから大丈夫だと勇者が言った。持っていた木の棒を掲げて見せる。

 勇者が飛び出した穴がいつの間にか塞がっていた。

 

「これがオレのエクスカリバーンロンギヌス妖刀村正だあああああ!」

 

「盛りすぎ」

 

「このままでは描かれるぞ!」「深海に戻せ!」「戻してしまってはデルタサイトを超えられなくなる!」「そんな問題ではなくなった! ここを切り抜けなければ!」「深海を繋げろ! 動けなくなる!」「我々の領域はやはり地と海の底だったか……」「捨て置け!」「六つの名前を持つ者が来るぞ!」「深海となるまで時間を稼げ!」「あれも人間の範疇には違いない! 水中では動けんはずだ!」「サーモンランでいい! 押し出せ!」

 

 声が囀っていた。

 勇者に抱えられて、俺とアメリアさんは朽ちた建物の上に移動した。なぜかできらあさんも。

 轟く水音とともに、凄まじい勢いで水が流れ込んできていた。

 

「うーん、勇者が速すぎて見えない! とりあえず死んだ海産物だけ詳しく描いとこう」

 

「えぇ……」

 

 俺の潔い宣言に、アメリアさんが脱力して呟いた。

 海の上を走って戦っているのはわかる。残像の後に音がして、水しぶきが上がる。様々な海産物のバラバラなパーツが浮き上がり、そして沈んでいく。それが勇者の移動した軌跡だった。

 沈みゆく都市、砕け散る海産物たち、速すぎて見えない勇者。

 さっきの棒を掲げた勇者をまずは描く。

 

「漫画にしましょうか。描いてみたかったんですよ」

 

「?」

 

「それっぽくカッコよくしちゃえばいいんですよこんなん」

 

 イメージだがこの都市を描いて、敵は海産物だと微妙なのでドラゴンとかにしよう。それを勇者がカッコよく敵を倒す。

 描くのは後で余裕が出来た時にしよう。

 海産物も使えるかもしれないから軽くスケッチしたい。

 巨躯を誇る緑の海産物が、勇者を相手に粘っていた。背にはドラゴンの羽根に似た翼を持っていて、顔と思われる部位からは軟体生物の触手のような物が無数に生えていた。

 

「あの翼、もしやドラゴン……」

 

「ツバキさん、あんなドラゴンはいませんよ……」

 

「えっ……。じゃあ、あれはもしやドラゴンっぽい何か……」

 

 勇者が殺した三匹のドラゴンも絵に兼ねればいいんじゃないだろうか。竜殺しのほうがカッコイイよ。

 緑のやつと同時に挟み撃ちを狙った白く膨れ上がった溺死体のような海産物が、勇者に一撃で首を刈り取られたようだった。飛んできた首が、近くに落下した。酷く磯臭い。

 

「話を……話を聞いてください……」

 

 死んだかと思ったが、話しかけてきた。酷く磯臭い。腐臭もする。墓地よりもずっとずっと臭かった。

 気持ちの悪さのせいだろうか、アメリアさんは俺の背に隠れてしまった。

 女性には厳しいよな。

 清潔さの重要性を考えさせられてしまう。

 

「私はただ、名前が欲しかったのです……。名前を、私にどうか新たな名前を……」

 

 巨大な頭部とは不釣り合いな円らな瞳で訴えかけられた。

 円らな瞳とはいえ、無数にあるとおぞましさのほうが先行するのだが。

 しかし、俺も助祭位を任せられている者だ。名前を乞われたら考えなければならないだろう。

 

「いいでしょう。要望はありますか」

 

「ありがたい! ならば寄越せ! 唯一の名前を! 単なる名前を!」

 

「じゃあキングフグですね」

 

「は?」

 

 何かに似てると思ったんだが、あれだ。サーモンランの時に見たキングサーモンだ。

 近縁種とかなのかもしれない。

 そうなるとやはり名前も似通っていたほうがいいだろう。

 

「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

「ふざけてなんかいませんよ。月にお願いしますからね。あなたこそ真面目にやってください。……名前を乞うとはそういうことでしょう」

 

「やめろ! やめてくれ! 名付けに月は……」

 

 キングフグが叫び、俺はにっこりと笑顔を浮かべてそう答えた。

 驚いたのか、アメリアさんは俺の背に張り付いていた。

 

「月よ、数多の名を持つが為に名も無き管理者よ、そして三つの連なる名を持つ支配者よ。新たに『キングフグ』の名前を持つ者がこのデルタサイトに生まれたことを伝えます」

 

 言葉とともに月に祈れば、世界が止まった。

 

「ツバキの名前を持つ者の言葉と願いをどうか聞き届けて欲しい」

 

 何もかもが静止した時間の中で、三つの月が見ていた。

 虚構の夜空が剥がれ落ち、三日月は壊れ、星は潰えた。

 空が、近い。

 

「ぬ、ぬわぁぁぁぁぁ!」

 

 頭だけの溺死体みたいなキングフグは、その叫びとともに立派で巨大なフグとなった。

 フグかこれ……?

 いやフグ……?

 いやこれどっちかというとハリセンボン……。

 

「キングフグ、ヨシ!」

 

 少しだけぱくぱくと口を動かしていたキングフグだったが、首だけでは生きられなかったようだ。

 せめてもの供養として絵を描いておこう。

 スケッチブックにその姿を描こうとすると、キングフグはまだ死んでいなかったのか、針を逆立てて苦悶の表情を浮かべた。

 それはまるでこの世の終わりを告げる醜い顔だった。精巧にスケッチしてあげよう。

 

「ツバキ! 水位が……どうかしたか?」

 

 勇者が現れる。走ってきたであろう方角から、遅れて音が届いた。水しぶきは上手く逸れていった。

 随分と声が減ったようだった。

 緑の海産物も、既にバラバラに引き裂かれていた。

 

「キングフグが生まれたところです」

 

「なんだそいつは!」

 

「なんだろう……」

 

 勇者が首傾げるので、俺も同じように傾げた。

 

「そんなキングサーモンの亜種みたいな名前のやつはどうでもいい! 水位がかなり上がってきた!」

 

 キングフグは確かにどうでもよかったな。

 勇者の言う通り、水位のほうが大事だった。

 すべて描き終わるまでいたかったが、そうもいかないだろう。

 俺も、アメリアさんも、水中で生きることはできない。

 勇者は普通に活動しそうだからわからないが。

 俺だけなら死んでもいいから描くところだが、残念ながら、いや、嬉しいことに帰る場所があるからね。

 

「じゃあここらで帰りましょうか」

 

「そうか! ちょっと残念だけどそれが良いだろうな! どうする? オレが地面を……必要なさそうだな」

 

 勇者の言葉の途中、今いる場所よりも少し離れた位置に光の柱が現れた。あれは月の光だろう。

 光に飲まれた水や海産物が蒸発していく。

 直後、暴風とともに湯気が巻き上がる。ひどい臭いだ。

 光が収まれば、その場には大渦が生み出されていた。

 勇者は俺とアメリアさんを背負うと、躊躇いなくその中に飛び込んだ。

 笑いながら勇者が拳を叩きつければ、大渦が吹き飛んで、単なる穴となった。

 その先に、三つの月が見えた。

 

 「ボルテクスが裏切ったぞ! 歪めて逃げた!」「ユビキタスもいない!」「終わったのか!?」「なんてことだ! すべてやり直しだ!」「新しい木偶が必要だ!」

 

 声が遠ざかっていく。

 浮遊感を感じて、そして空を下にしていることに気付く。月が下に見える。

 身体が反転しているのだと気づいた時には、すでに勇者はくるりと回っていた。背負われているために、一緒に回される。

 音もなく着地した勇者から降ろされれば、そこはドラゴンがいた森の中だった。

 

「二人とも無事だな! ツバキ! 絵はどうだ!」

 

「もっと時間が欲しいですね!」

 

「そりゃそうだよな! オレが帰って来る頃には完成してそうだ! 楽しみにしてるから見せてくれよ!」

 

 今俺たちが飛び出してきた地面の穴は閉じつつあったが、勇者が再び殴って破壊した。

 噴水のように水が噴き出していた。

 きらきらと輝いて見えた。空には虹もかかっている。

 

「あれ、勇者は帰らないんですか?」

 

「まだ帰らねえ! オレにはやることがある!」

 

「あ、できらあさんを連れて来ないと」

 

「……誰だっけ」

 

 勇者が首を傾げたので、時間奴隷だと伝える。

 色々と説明したが、反応は薄かった。

 忘れなかったら連れ帰るとは言ったので大丈夫だと思う。すでに溺れていなければ。こればっかりは仕方ない。

 

「あそこの連中は駆除したほうがいいと思うんだわ! オレはサーモンランの勇者だからな!」

 

「それはいいですけど、あんまり遅くならないうちに帰って来てくださいね」

 

 エクスカリバーンロンギヌス妖刀村正を落としたわー、と呟いた勇者が目を丸くした。

 帰って来るのが遅くなったりするのだろうか。

 よく考えるとダンジョン攻略だから遅くなるのも当然かもしれない。

 

「……そうだな! 遅くなったらダメだよな! オレが一番そういうの忘れちゃいけなかった!」

 

 なははー、といつものように勇者が笑った。

 俺よりもずっと背が高くて強いのに、人好きのする柔和な笑顔でいるから朗らかに感じる。

 くすんだ灰色の髪が、水に濡れたせいか少しばかり輝いているようだった。

 

「ツバキ! おまえに会えて良かったよ! また会おうな!」

 

「俺も勇者に会えて良かったですよ」

 

「オレが勇者だあああああ!!!!」

 

 「うおおおお!」と叫びながら勇者は海水が噴き出す穴へと向かっていった。

 俺はその背を見送ったが、すぐに姿は見えなくなった。

 それでも何となく離れることができずに見ていれば、徐々に水量が減っていき、やがて穴は塞がった。

 森は水に濡れていて、魚が跳ねていた。

 それはまるでサーモンランの後のようだった。

 

「アメリアさん、そろそろ帰りましょうか。勇者も行っちゃいましたからね」

 

「え、ええ。……勇者?」

 

「勇者はやっぱり世界一勇者ですね」

 

「急なエルフ構文……」

 

 ぼんやりしたままだったアメリアさんを連れて街へと戻る。

 驚いたことに、俺は何日も留守にしていたことになっていた。

 ダンジョンに入っていたためだろうと神父様が教えてくれた。このことについて、アンバーもファティも何も言わなかったが、少しだけまた過保護になったように感じた。

 

 日常が戻ってきて、数日経っても勇者は帰って来なかった。

 街には誰が倒したかわからないドラゴンの素材が三体分あって、ギルドは扱いに困っているようだった。

 俺は変わらず絵を描いている。ドラゴンや魔物を倒す勇者の絵を。まだ未完成だが、近いうちに描き上がるだろう。

 漫画は画材などの関係で難しかったから今は妥協したが、いつか必ず描きたいと思う。

 美しいものばかりのこの世界を。

 

 

 



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歪める名前のボルテクス

 

「オルトリヴロレから来たんでしたっけ。遠かったでしょう」

 

 その問いに、男は口を閉ざしたままだった。

 睨みつけるように絵描きを見据えていると、近くで見ていた団長が責めるように「おい」と言った。

 慣れていないうちは愛想よくしろとは言われていたが、聞きたい『声』は聞こえないのに、苛立つ音を持っている絵描きとどうして会話できようか。

 男の態度に呆れたようにため息を吐いた団長が、代わりにかかった日数や道程を短く答えた。

 絵描きが驚きとともに旅の難しさを労えば、団長も少し気をよくしたのか話を続けた。

 男が行き場のない苛立ちを溜め込んでいる間も、それを尻目に二人は会話を楽しんでいるようだった。

 絵描きの質問に団長や仲間が答え、男は黙って前を見据えたままだった。

 何かが気持ち悪くて、それが男のちっぽけな矜持を刺激するようで苛立ちに繋がった。

 「時間奴隷になれば一瞬らしいが、黙々と馬車に揺られるのとどっちが良かったんだか」と仲間が漏らした。

 

「大変な道のりだったと感じるほうがずっと有意義ですよ。時間奴隷は時間を教えるだけの身分ではないんですからね。あれは時間を捧げているんですよ。ヒトを代わりに監視しているだけ。そういう約束なんです」

 

 「……捧げてるって誰に?」と困惑している仲間が訊ねた。

 団長を含め、誰も知らない話のようだ。

 もちろん男だって聞いたことがない。

 

「誰だと思いますか?」

 

 絵描きが逆に問う。

 団長も、仲間も、困ったように互いに浮かぶ表情を見比べるだけだった。

 男は『声』だろうかと思い至った。

 『声』は優しく、賢く、そして偉大だった。

 その『声』が聞こえる男もまたそうなのだろう。

 

「古い物語にそういう話があるんですよ。約束を破った男の話ですけどね。自らの時を差し出して許しを乞うんです。月に祈らず、星に願わず、夜を見ない。新たな約束を結ぶんです。結局、男はすべての時間を奪われてしまうので、そもそも『約束』を破ってはいけないという教訓なのでしょう」

 

 愚かな話だと男が内心で笑う。

 『声』に導かれない弱さは罪だとも。

 男にとっては笑い話で、団長や仲間にとっては首を傾げる話だった。

 そんな話をした絵描きが浮かべる表情とは一体どのようなものか。

 改めて絵描きの顔を見ようとして気づく。

 ずっと自分は絵描きを見ていたことに。

 確かに視線は外すこともあったが、それでも、それでも……。

 

「さて、描き終わりましたよ。最後に名前を刻みたいので教えて貰ってもいいですか。

名前は大事ですよ。この地では心と体、その魂が均しく存在します。努力が肉体をかたち作るように、祈ることで精神の在り方に繋がるように。捨てること、忘れること、騙ることは定められた約束から外れてしまいます。

紐づけられた記号が、与えられた名が、存在に影響する。なまえから、ことばから逃れようとするほど、こころを蝕み、からだを失い、たましいを歪める」

 

 絵描きの顔を思い出せない。

 体の何処かで、見えない何かが、身体のずっと奥の底で気持ちの悪さに変化している。

 無視するはずだったそれは、吐き気とともに口から漏れ出るに違いない。

 どうしても耐えられない言葉が、男に投げかけられた。

 穏やかで優しい声だった。

 声に誘われるように、思わず顔を見た。

 

「貴方の名前、教えてくれますか?」

 

 だが、覚えていない。

 男の記憶には名前も、顔も、何もかも残っていない。

 射し込む夕日が逆光となって、その表情を塗り潰していたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

『勇者の名前を知ってるか』

 

 声が囁いた。

 優しさの欠片も無い。

 冷たくて傲慢な声だった。

 妄信する声とは違う。

 だが、初めて聞いた『声』とはこのような物だったと記憶が疼く。

 

『勇者の名前を知ってるか』

 

 再び、『声』が囁いた。

 答えは否、男は勇者の名前など知らない。

 そもそもの話、勇者に名前は無い。

 空白が正解だ。

 勇者が現れるまで、正しく選ばれるまで、ずっとずっと空白。

 おとぎ話で、そうなっている。

 

『勇者の名前を知ってるか』

 

 繰り返される問い掛け。

 ならばこそ、自身の名前だと答えよう。

 やがて勇者に至るのだから。

 

『……』

 

 声が僅かに笑ったようだった。

 嘲笑われているのか、面白いと思われているのか、判断ができない。

 それでも胸を張るべきだと思った。

 勇者の名前は……。

 そうして、ずきりと頭が、胸が、全身が痛みを覚えた。

 

『魔王の名前を知ってるか』

 

 それこそ知らない。

 読むこと、発すること、思うこと。

 それらが禁じられている。

 許されることの無い名前。

 魔王が使った言葉たち。

 

『……』

 

 声は笑っていた。

 音もなく、動きも無い。

 だがわかる。

 確かに、声は笑っていた。

 違う。

 両手を顔に当てれば、その歪みがわかった。

 声だけではなく、自身も同じように嗤っていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僅かな逃避すらも許されない、ボルテクスは絶望とも諦観とも似つかないそれとともに目覚めた。

 鋭くて、熱くて、不快で耐えられない痛みが全身を襲い、見ていたはずの夢だか幻だかを抱く余裕すら奪い、記憶の片隅から追いやっていた。

 何処が痛むとか、そういう話ではなかった。

 身体のずっと深い何処が痛んでいたが、それが何処かはわからなかった。

 少し前に気持ち悪さを感じた何処かと同じ場所に違いなかった。

 だからといって何の慰めにもならないし、もちろん何かが癒されることも無かった。

 

 縋るように這いまわる。

 助けを求めるために転がる。

 必死になって探せば、『声』に導かれた此処は、既に楽園だった見る影も無かった。

 空の先へ向かうと聞かされていた楽園は失墜した。

 静かな夜は、真なる闇は、無限に至るはずの世界は、無数に砕かれた穴から膨大な水が流入して沈み始めていた。

 『声』が必死に形を保っていた、かつて栄華を誇っていた都市は見る影もない。

 荒れ狂う大波と猛る風によって蹂躙されていた。

 

 嵐とともに『声』が減り、代わりに巨大な何かの死体が増えた。

 ちょうどボルテクスの近くにも、元が何だったかわからない巨大な頭部がべちょりと飛んできた。

 びくびくと痙攣するそれに付いている無数の目は急速に光を失い、半端に開いた口からはだらりと舌が伸びていた。頭頂部から斜めに欠けていて、重厚な壁を思わる頭蓋は綺麗に抉られ、肉は汚らしく失われていた。中身は元の脳髄に似た何かのスープの如く零れ出していた。ボルテクスの目からしても明らかな致命傷だった。

 

 ボルテクスを呼ぶ声がする。

 五月蠅いと怒鳴りたかったが、痛みがそれを許さない。

 

 ボルテクスに助けを求める声がする。

 五月蠅いと怒鳴りたかったが、弱さから来る羞恥がそれを許さない。

 

 ボルテクスを責める声がする。

 五月蠅いと怒鳴りたかったが、何に対して怒ればいい。

 

 風が通り過ぎた。

 遅れて音が鳴り響く。

 恐怖から「ひぃ」と喉の奥から情けない声が漏れ出した。

 風が吹けば、声が減る。

 恐怖でガタガタと体が震えた。

 風がもう一度吹けば、当たり前のように声が減る。

 勇者になるはずのボルテクスは動けない。

 風は怒りとも喜びともわからない苛烈な音とともにずっと動き続けている。

 臆病者のボルテクスでは、声を助けることはできない。

 

 わかるのは、この地がやがて水の底に沈むことだけだ。

 

 

 

 

 初めに音、次いで衝撃、最後に僅かに見える人の影。

 それだけでボルテクスの心は折れた。

 遠くで何かが爆ぜる音や折れる音が聞こえたはずだった。

 それからボルテクスは迎撃のために可能な限り世界を歪め、そして、そのまま全てを破壊された。

 ボルテクス程度が歪めた世界は、その力を前にして単なる誤差でしかなかった。

 歪めた端から砕け散って、簡単に上書きされた。

 そのまま吹き飛ばされ、叩きつけられて、ボルテクスの戦いは終わった。

 相手からすれば戦いとすら呼べないほどの力量差。

 僅かに捉えた姿は、忌々しい勇者を名乗る顔の無い何か。

 見えない表情に反して、眩いばかりの力強さを誇っていた。

 ボルテクスが得るはずだった勇者としての活躍、強さ、輝き、その何もかもを持ち合わせた存在。

 憎悪は、しかし、上書きされた部位による痛みと怪我によって呆気なく鎮火していた。

 悲しいかな、ボルテクスには勇者に追い縋る格はどこにも無かった。

 

 あれほど万能感を与えてくれた世界を歪める力は、今や見る影も無かった。

 概念的な力は当然の如く、物質に対しての歪みすらも弱々しい。

 勇者に攻撃されたと思われる肉体の部位は、呪いのような痛みだけでなく、体の芯まで何かが入り込んでいるような不快感すらも残していた。

 その芯に入り込んでいる不快感がボルテクスの力を乱しているのに気づいた時には、あれほど居た声も遠くに消え去っていた。

 

 静寂の世界を必死に這いずって、何処かを目指す。

 何処に行けばいいのかもわからないが、それでも逃げなければならない。

 勇者を名乗ったあれは、きっとボルテクスを許さないだろう。

 先ほどまでは優先順位が低かった。

 今は違う。

 入れ替わったのだ。

 いや、上から消していった、が正しい。

 

 なんとか力を使って、体表の空間を歪めてカモフラージュした。

 いつの日か嘲笑ったような何かに似ていた。

 惨めな姿は、本当にボルテクスが自分自身なのかと疑心暗鬼になるほどだった。

 他人の記憶すらも歪める無敵の力、そのはずだった。

 今や沈みつつある廃棄都市を、怯えながら這いずっているだけだ。

 かつての威光に縋ってこの都市にしがみつき、世界を偽装して頂点へと至ろうとした。

 そして再び負けて、声は消えた。

 無様で、まるでボルテクスは自身のようだと思った。

 同時に、自身のはずがないと認められない自意識も強く持っていた。

 

 遠くで音が爆ぜる度に、悲鳴が漏れる。

 本当に自分の物なのか、本当にボルテクスの物なのか。

 違う、違う、違う。

 ボルテクスとはもっと強い存在だ。

 何かが間違っているだけなのだ。

 怯えと虚飾を抱えながら這いずって、這いずって、這いずって、その先に仲間を見つけた。

 

 統べる名前のユビキタス。

 ボルテクスと同じ、声に見出された者。

 自身に匹敵する力の持ち主は、壊れたようにただ宙を見つめるだけだった。

 呼びかけても、揺すっても、反応を返さない。

 どうしてこうなったのか。

 思い出そうとするが、頭が割れるように痛むだけ。体が引き裂かれるように痛むだけ。胸のずっと奥が、頭のずっと奥が、焼けるように痛むだけ。

 

『魔王の名前を知ってるか』

 

 『声』だ。

 痛みを忘れ、ただそこには安堵があった。

 

「魔王の、名前。魔王が使った言葉のひとつ。月に禁じられた単語は……」

 

 宙を見ていたユビキタスが、たどたどしく紡ぐ言葉。

 魔王の名前。魔王の言葉。月の禁忌。約束破り。

 背筋が凍る。

 

「『Ubiquitous』、統べる名前が私の名前」

 

 まず風、そして音。意志を持った嵐としか思えない。

 勇者の一撃を、ユビキタスは受け止めていた。

 ボルテクスには出来ない事だ。

 ユビキタスにも出来ないはずだった。

 勇者が距離を取った。

 ユビキタスはその様子を見て少しだけ顔を歪めて、そして黒い穴の中へと消えていった。

 まるで散歩に出かけるかのようだった。

 当たり前のようにボルテクスを残して、勇者を倒さずに、ユビキタスはこの空間から一人で逃げた。

 目を丸くした勇者は、油断なくボルテクスに狙いを定めた。

 

『魔王の名前を知ってるか』

 

 『声』が囁く。

 違う、ボルテクスは否定する。

 勇者になるんだ。

 勇者になって、そして、なんで……?

 なんで勇者になりたいんだ?

 

『自身の名前を知ってるか』

 

 当たり前だと答えようとして、戸惑う。

 勇者になるはずの名前は、ボルテクスには残されていなかった。

 『声』が笑う。

 

『貸してやる。お前にはこの名前しか無いだろう?』

 

 『声』が言う。

 『声』が言わせる。

 『声』に従う。

 『声』に抗えない。

 だって名前を持っていないから。

 

「『Vortex』、歪める名前は魔王の名前」

 

 勇者が警戒していた。

 この空間で戦った何者よりも、距離を取っていた。

 ユビキタスと同様に、勇者と争える格を得た。

 

「勇者、蝕む名前、Eclipse。称号も、名前も、オレが得るはずだったが……」

 

 ボルテクスは、勝手に動く身体に困惑していた。

 自身よりもずっと巧く世界を歪め、勇者と争っている。

 出来なかったはずのことを、同じ肉体で出来ている。

 ならば差はなんだ。

 

「まあ、保険だからな。しょうがないな。『デルタサイトダンジョン最下層廃棄都市リ・ヴロレに来たれ、Summon & Run』。……どうした勇者、魔法は苦手か? コストを払って座標を正しく特定してないと効果が下がるから慣れるまでは難しいから面倒がるのも仕方ないな。でもコンボとかあるから覚えとくと便利なんだよな」

 

 無数の魔法陣が展開され、次々とドラゴンが飛び出す。

 殺された声たちに匹敵する巨躯を誇り、その背に生えた巨大な翼で飛来する。

 それらは全て魔力で編まれていて、歪みによって偽装された命だった。

 ドラゴンが高速で勇者へと飛来すると次々と爆発していく。

 攻撃も防御も関係なく、勇者に迫ると爆炎とともに爆ぜていく。

 

「『火竜を捧げる。デルタサイトダンジョン最下層廃棄都市リ・ヴロレよ、焼け落ちろ。Prominence』」」

 

 まだ焼けていない竜も、焼けている途中の竜も、逃げのびていた声も、勇者も、廃棄都市も、その一切合切を紅蓮が飲み込んだ。

 遅れて、浸水していた水が轟音とともに爆発した。

 焼け爛れた声が、魔王を恨む怨嗟を垂れ流し、力尽きていく。

 流れ込んでいた海水のほとんどを蒸発させ、沈むはずだった都市は無惨にも焼け落ちていた。

 焼け残った影だけが、かつて都市だったことを思い出させる。

 

「これで死んでてくれると有難いんだが」

 

 そう言い残して、ボルテクスの身体が歪んでいく。

 勇者は死んでいない。

 炎から逃げるためか、天井を砕いていた。

 ここは最下層、海底の直下にあるので運よく逃れているかもしれない。

 そうなるともう用は無い。

 というよりも自力の差で負けるので、さっさと逃げたい。

 視界の端に光が見えた。

 ボルテクスを塗り潰している魔王の意識が、決して油断していたわけではなかった。

 

「は?」

 

 間抜けな声とともに口から血が零れる。

 別座標に転移しているはずの肉体を、光が貫いていた。

 焼け落ちた地下、砕けた天井から爛々と輝く月が見える。

 全身に火傷を負いながら、勇者は外に立っていた。海底ではない、空の下に立っている。

 

「うわ、教会が協力しているとかそんなんずるじゃん。というかまだ神父いるのかよ。なんかそういうのってヤだよな」

 

 月と勇者から連発される光線の軌跡を歪めてなんとか外す。

 これほどの威力を持つ光に晒され続けていれば、歪みの上限を超えてダメージを負うだろう。

 転移先にすら次元跳躍して直撃させてくるクソみたいな仕様の兵器だ、最高に頭が悪い。

 こんなものには付き合っていられないので転移を早める。

 魔王にだってやることはあるのだ。

 焼け落ちたゴミから逃げるように転移すれば、外の世界は白く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 ボルテクスが、息を乱しながら走っていた。

 白夜となった世界は白く、寒く、そして魔力が枯渇していた。

 光線の怖さは知っている、月の怖さも。

 月がずっと頭上にあるのは気が気でないが、白夜とは月が魔力を溜める期間だから何かできるはずもない。

 それでも、自身よりもずっと強くて、絶対に自身ではない何かに体を操られていた恐怖が走らせる。

 

 今回は逃げることができた。

 ボルテクスが持つ潜在能力も知ることができた。

 次に繋げることができた。

 これ以上ないほどの結果じゃないか。

 

 それなのに、何故こんなにも不安なのだろうか。

 

 穏やかな小川を見つけた。

 流れはどこまでも緩やかで、水面には顔が映るほどだった。

 白い世界でも、変わらずに流れている。

 川に沿って歩けば人里に着くだろう。

 まずはそこで潜伏し、傷を癒し、力を溜める。

 そして今度こそ、今度こそ……またあんなのと戦うのか?

 

「クソっ! クソっ! クソがっ!」

 

 思わず過った弱い自身の言葉に苛立つ。

 強い力を持ったはずなのに、どうしてこんなに弱いのか。

 違う。

 ボルテクスは強い。

 何かが邪魔をしているのだ。

 

 今は疲れている。

 休もう。

 休めばきっとまた立ち上がれる。

 川で顔を洗う。

 冷えた水が熱くなっていた思考を冷やしてくれる。

 

「……?」

 

 妙だった。

 違和感がある。

 小川の水面に映る顔を眺めているのに、認識できなくなっていた。

 これは誰だ(・・)

 

『それはVortexに決まってる。ならばお前はVortexに違いない。そうだろう?』

 

「……?」

 

『聞き取れない感じ? 残念だな』

 

 『声』が囁く。

 正しく聞き取れない。

 何かがおかしい。

 このままではいけない。

 危機感が警鐘を鳴らしている。

 だが、どうすればいいのかわからない。

 危機感が徐々に治まっていく。

 違う。

 ダメだ。

 何かがダメなんだ。

 

『名前を憶えてるか?』

 

「え?」

 

『お前の名前だよ。Vortexは魔王の名前だ。お前の物ではない』

 

「おれの、なまえ……?」

 

『捨てること、忘れること、騙ること。やってはいけない約束事だろ。お前自身を足らしめる名前が無くて、他の名前を持っているのならどうなるかわかるよな?』

 

「なまえはあるんだ!」

 

『そうだな。あったよな。早く思い出してみろ』

 

 名前が思いつかない。思い出せない。

 必死に頭を回転させる。

 思い出から掘り出そうとして、名前を呼ばれたことがない事実に気付く。実際に呼ばれたことが無いのか、思い出せないのかはわからない。

 どこだ、どこだ、どこだ。

 誰か俺の名前を呼んでくれ!

 

『ほら、あの時はどうだ?』

 

「あの、とき?」

 

『絵を描いてもらっただろう』

 

 そうだ!

 あそこで名乗ったはずだ!

 絵にも描いてある!

 絵は……無い!

 どうして無いんだ!

 思い出せ!

 絵描きの言葉を!

 

『「貴方の名前、教えてくれますか?」って言ってたよな』

 

 そうだ!

 そして俺は名乗って……。

 

『で、お前は否定した。勇者になりたかったんだもんな』

 

「違う! 俺は、おれは、オレは……オレ?」

 

 意識が希薄になっていく。

 ぼんやりとしていて、ひどく気持ち悪くて、でも受け入れれば全てを忘れられそうだった。

 

『そうやって育てられたんだから仕方ないか。お前は勇者になりたかったんだよな』

 

「そうだよ、そうなんだよ。オレは、勇者に……勇者に……」

 

『みんなそうやって育って、いつか見切りを付けるんだけどな。諦めなくて素養があるとどうしてもな。お前も勇者になれたはずなのにな』

 

「どうしてなれない……。オレじゃないんだ……」

 

『どうしてってお前、答えはわかってるじゃん。勇者は固有の名前が無いからこそ何者でもなれるのに、力ある名前を使ったんだからな』

 

「オレは勇者になれない……?」

 

『なれないよ。歪める名前を受け入れないとお前は消える。どんな名前か分かって正しく受け入れて、初めてお前の存在は約束される。もう後は無いんだよな』

 

「うけいれる、うけいれるから。なまえ、なまえを、おもいだせないよ。なまえ……?」

 

『かわいそうにな。誘惑に負けて名前を捨て、更に新しく名乗ったのがいけなかった。でも言葉は便利だからな、気持ちはわかるよ。ちょっとだけ』

 

「オレは……なに?」

 

『Vortexは力ある言葉だからな、力無いやつは言葉にできない。名前にするのなら尚更だ。だから、さよならだな、名前の無い男。そんでおはよう、オレってな。別にオレだってやりたいわけじゃないけどな。負け犬の誘惑に負けたお前の責任だし、オレが好き勝手やったのを利用された責任でもあるからな。互いに不幸だったよ』

 

 

 

 

 

 

「神父様」

 

「これはこれは、驚きましたね。……まさか君が生き返るとは、ツヅキくん。いや、わかりきっていたことでもありますね。魔王の名前もまた特別だ」

 

「……ツヅキはもう使えないから今はボルテクスだし、ユビキタスもいる。単なる保険のはずだったし、残機みたいなもんだよ。プレイヤーがいなくなったのに復活した残機だ」

 

「そうでしたね。ツヅキくん本人はこの世界から出て行ってしまった」

 

「……」

 

「そして代わりにツミキくんを呼んでしまった」

 

「オレは悪くない。あなたが始めたことじゃないか」

 

「そうですよ。そして私はずっと罰を受け続けている。そしてツミキくんもそう。エルフの約束を崩してしまった。彼は白痴となり、エルフは愚かになっていく」

 

「そうだ、オレはそれを聞きに来た。ツミキがずっと森に囚われて燃やしているのに、どうして新しいのが来てるんだ。交換じゃないのかよ」

 

「……私は世界の裏側が知りたい。ずっとずっとずっと昔から。月に祈って国を焼いてしまった私の友は本当にいないのか、世界の裏側で私のように生きているんじゃないかって。ツナギくんも、ツムギくんも、見つけることはできなかった」

 

「……」

 

「ツバキくんは特別です。月を破る名前を持った彼なら、私の友をきっと見つけてくれます」

 

「……オレは関係ないからな」

 

「ええ、好きにすればよろしい。ツヅキくんが歪めた人々、吸血鬼も人狼も、きっと待っていますよ」

 

「そっちはユビキタスがやるよ」

 

「ツヅキくんは目的を果たした。そのために、数多の名を名乗り、言葉を駆使し、こころを割った。彼だった残滓は何をするのでしょう」

 

「……」

 

「ここは始まりの町。新たな名前や人生を望む人たちを受け入れる。もちろん、Vortexも、Ubiquitousも、受け入れます。お月様は見ていますからね」

 

 



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