IS―インフィニット・ストラトス―IXA (理十日)
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一章 そこは新たな地
第0話 HAPPY BIRTH DAY


 

「ほう…、面白いね~。君が特別操縦者(イレギュラー)だなんて!!素晴らしいッッ!」

 ガバッと天に捧げ広げた両腕は溢れんばかりの躍動感を披露していた。

 防音設備が整ったこの特別な空間は、その声を大いにハウリングさせた。続いて腰かけていた革製の社長が座るようなデザインが施させた椅子から立ち上がり、全面ガラス張りのさぞ夜景が美しそうな窓際から真昼間の街々を伺う。

 手に持ったグラスを呷る。

 背を向けたパソコンのディスプレイには膨大の資料のウインドウが小さく展開されており、ある一点に目が止まったものがピックアップしてあった。そこには一人の顔写真とプロフィール、その他諸々の個人情報が著された資料が展開されていた。

 資料の娘の名は藤崎明日乃。15歳。女。

 キリッと整った顔立ちと清潔感を与える褐色のポニーテール。カメラ越しからでも凛々しさが伝わり、覚悟を決めていることを思わせるがまだ、成りきれていない少女の部分があるところに興味を持った。いや、それは違うのかもしれない。少女なんぞここらには山ほど在籍している。ならばこうであろうか君は特別で、何にも興味を覚えなかった私に火を点けた。これならば自身でも納得のいく答えになった気がする。

 人間とは、面白いもので一度見た物のイメージは六時間以上経たないと消えないというからね。本当に君に恋をしたのかもしれないね。―――私が思う、君のイメージは………ふふ、どうかな?

 ふと、ジェイルに笑いが込み上げて、笑わずにはいられなかった。ジェイルは裏返ったような声で、誰もいない特別な空間で大きく笑い、気の済むまで笑い続けた。

 防音設備や様々なものが施こされたのはもしかしたら彼の行動になにか原因があったからだろう。そんな張本人はポジティブにしかものを考えず、行動をしない男だからだ。

 彼の名前はジェイル・ヴィクター。

 インフィニット・ストラトス。通称アイエス。

 それは女性にしか反応しない世界最強の兵器。篠ノ之束が作り出した、宇宙空間での活動を想定として作られたマルチフォーム・スーツ。

 開発当初は周りからの注目もなく、束が引き起こした「白騎士事件」により従来の兵器を凌駕した機動力、防御力、破壊力などの圧倒的な性能を世界中に知れ渡ることとなり、現在は宇宙進出より、飛行パワード・ スーツとして軍事転用が始まり、各国の抑止力の 要がISに移っていった。

 かつての彼ジェイルもその一課に入って、コアの開発を束としていた。束は束で、独自のコアを作り上げ、ジェイルはジェイルのコアを作り上げた。

 そんなある時、ジェイルは束の前から姿を消したのと同時に、束も世界から追われる身になっていた。二人の関係は小さないさかいによるものが発展したのかもしれない。詳細を知るのは束とジェイルのみだった。

 落ち着いたジェイルはデスクにつき、手の甲に顎を置き、再びパソコン画面へと、輝いた目を走らせ、気に入った娘になっては、特殊なパフォーマンスを幾度と無くやり続けた。なぜなら、これは密かな楽しみだからだ。というより、理事長職となると昔みたいに、はしゃぐことができない。だから、入学してくる生徒、職員の顔と名前を記憶するのが、今の趣味みたいなものであった。

 止めることはできない。というより、止める気はさらさらないのが、彼の心情のようなものだった。

(誕生ほど、面白いものはないよっ!)

 この人物はIS学園理事長。ジェイル・ヴィクター。

 彼が行うパフォーマンスはほんの自己表現にしか過ぎず、抑揚をつけた発言や行動が特徴的だ。

「さあ~っ!春が楽しみだッッ!」

 またも、乾いた空間を喰らうような大声が発せられ、理事長室全体ににこだまする。

 理事長室はIS学園の最上階に位置する学園の全てを見渡すことのできる唯一の空間だ。中に入れば、中を疑うような最新のキッチン設備が施され、もの優しい顔立ちからして作らせて食べるというイメージが持てるが、逆で自ら作り振る舞い、ハッピーバースデーの歌なんかをピアノで奏でながら、歌うことなんかもあり、何かにつけてバースデーケーキを作られるため、そのたびにこの学園内で配られることがあり出すたび出すたび人気を博している。

 そうこうしている間に、ジェイルはケーキを作っていた。右手には、ホイップクリームを持ち白く装飾されたスポンジケーキに渦を巻いていき、最後にイチゴとホワイトチョコでできたプレートを置く。イチゴはホイップクリームとのバランスを考えて、プレートは中心にそっと添えるように置く。出来上がったのはジェイルお手製のショートケーキなわけなのだが、どこから見てもただのショートケーキにしか見えないのだが、ジェイルにとっては特別な一品なのだ。

 

 “ハッピーバースデー!久遠!!”

 

と、全て書かれていたからだ。これは何を意味するのかは全てジェイルのみぞ知る。

 ケーキを作り終えたジェイルは壁際から全てを見渡していた。どれもこれも一つたりとも同じものはないことに感嘆を洩らす。

 そして再び理事長室には沈黙を破るような大声が発せられた。

 

 



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第一話 朝と天使と疲れる一日の始まり

「ん~~~!!」

 目覚めとともに上半身だけを起こし、思いっきり伸びをする。あくびとダルけが身体中からどこかに飛んでいく。

 カーテン越しからの優しい朝の陽射しがまず、目についた。

 晴れだと……。

 晴れといえば、晴れなのだがこの三月の寒さといえば、未だ春とは到底言えたものじゃなかった。それは手足がぶるぶると笑っていたからだ。

(暦だったら、もう春なのに…)

手と手でもみ合いながら、愚痴とは違う言葉を吐いた。

しばらく、揉む。

揉んでも、温まる気配がないので、いっそ毛布にくるまろうと、毛布の端と端を掴んで体に巻きつける時、コツンと右足に何か当たったような気がしたので、巻いた毛布から手を出し、あたりを適当に探すと、コンと軽い金属の様な音が小さく、鳴る。

鳴った所は分かったので、もう一度手を伸ばし掴み、引き寄せる。

 その正体は目覚まし時計だった。

明日乃はもしこれが時計じゃなくて、違うモノだったらと思うと、変なモノを想像していた自分に呆れていた。

 いつも目覚まし時計に怒鳴られて、ギリギリの時間を味わっているのだが、まさに今日に限って早く起きれるとは、なにか嫌なことでも起こるのではないかと思わせた。

 珍しく早く起きれもんだから、なにか特別なことをしたい。―――時刻は5時49分。

 かなりリアルな時間帯だ。目覚まし時計が鳴るまであと40分あまりある。

 顎に手を当て、肘に手を添える形をとるが、これといったことが思いつかず、つい二度寝もありかなと考え込む。

 どうでもいいはずなのになぜこうも真剣に考えているのか?と正直馬鹿馬鹿しくなり、プッと吹きだした。

 ベッドが体重を支えキシッと軋む音が鳴る。その反動とともに無意識にベッドに横たわり、羽毛布団かけ、目を閉じる。

(あっ、なにやってんだ私!?)

慌てて寝そうになっていた自分を必死で、叩き起す。

一度は、目を覚ましベッドの中に収まるとなれど、素直な気持ちには勝てない。勝てないのです。

 しばらくすると再び、意識が遠くなるのが口にしなくともわかった。

(それを考えるのはまた、後でいいかな?)

 睡魔のせいか、そんなことを考えていることすらもどうでもよくなっていき、後回しを優先させ、素直に寝ることにした。

 目を閉じスーッと、浅く息を吐くと寝息に変わり身体が楽になるのと同時に夢の世界に入っていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 ――――起きて、おきて……。

 

 それはまるで天使の囁き(ささやき)のようだった。

 柔らかくて、温かくて、何より不思議な感覚があった。

 その天使は私に触れているというのは解かるのだが、その手が頬を撫で方、鼻をくすぐる臭いも、吐息も……。なんとなくイメージが

出来上がっていた。

 それは、まるで……

 

『ねえちゃん…、お姉ちゃん…!!』

 

 私の最愛の妹を思わせたのと、自らが寝たことを自覚させたのはほぼ同時だった。

 でも、なぜだろうか。眼が開けないのだ。まるでその天使があえて目を開かせまいとしているのか。ただ、瞼が重たいだけなのか。分からなかった。

 だが、そんな疑問は頭を撫でる温もりが忘れさせた。その頭を優しく触れる温もりを味わう。

(これが、もし天国と云うのなら、私は…)

 強張った自分の体のあらとあらゆる個所から力が抜けていき、開かなかった瞼が次第に開ける様になってきた。ゆっくり、ゆっくりと見開く。

 視界に入る世界は真っ白かと思いきや、意外と違うもので、それは楽園と言うにふさわしい空間だった。

 空は青く、ひどく青く、空を覆う雲から薄ら薄ら顔を覗かせこちらを見つめる塔に、輝き魅せる赤い太陽。

 下は絨毯のようにフカフカした、柔らかい緑の草たちが生い茂っている。その緑の周りにはさらに四季折々の草たちが花を開き、まるでパレットの中で混ざり合う、絵具のようだった。私の背後に連なった木樹が迷わせるように深く、深くそして黒く、とても先が見えない。これは何かの忠告と悟った。

 桜の雨が降る。

 舞った桜がいくつか頭に乗ったのが分かり、振り落とすために頭に手を当てる。

(そういえば、彼女がいない)

 私の頭を撫でた彼女はどこにもいない。どこを見渡してもいなかったのだ。

 彼女の名前は分からなかったがとにかく呼んでみる。

 呼ぶも返事はない。それと声が出ているかどうかも本当のとこ、分からなかった。

 しかし不可思議な事に私はここをどこかで一度観たことがあること思い出した。

 昨日の寝る前に観ていたテレビとかだっただろうか?―――いや、違ったかな?

 腕を組み空を見た。

 人は何か悩むと空を見たくなるらしいのは本当のようだ。

 私の場合は特に意味なんてなく、ただ綺麗だな。いいな、空って…。思うくらいだった。別に何か出るとか、悩みが晴れたとかそういう意味ではないのだ。

 ふと、右肩に重みを感じた。だから、振り向いた。

 そこには妹と似た(イメージ)とは違った女の子が私を見つめ、笑っていた。それは天使のようでひどく愛らしく、その笑顔に吸い込まれてしまいそうになる。同性なはずなのに、その笑顔にドキッとした。

 真っ白なワンピースにほっそりとした肢体を包ませ、同系色の帽子を被っている。空色の大きい瞳が私を捉える様に見つめ、桃色の長髪が風に靡(なび)く。年代は十代後半と思わせる顔の幼さが大人に少しずつ近づいているという顔の整い方だ。見方を変えれば、二十代にも見えなくもない。かわいい顔立ちからしてもの優しいイメージと、とれてしまうが、彼女は本物かもしれない。

 彼女は優しく笑う。ただ、それだけだった。

「君は誰…?」

 ただ、思ったことが口から零れた。

 それは当り前な質問で誰しもが出合いたてならそういうものだろう。と、言ってもこんな言い方はしないと思うが…。

 その声音はとても優しかった。

「すぐ会えるから―――」

 突拍子もなにもなかった。会って間もないのに、次の事の話をされことが早く進むので私は絶句した。

「えっ!?」

「だからその時まで―――」

「ちょっ、ちょっと待って…!な、何を言っているの?」

 少し前からだけど、私と彼女は少しずつだけど距離が離れてきている。

 手を思いっきり伸ばす、関節が悲鳴を上げるくらい思いっきり伸ばす。だけど、届かない。

 たぶんこれは、夢と現実の境目なのだろう。私が起きようとしている証拠なのかもしれない。抵抗は出来ない、分かっている。素直な気持ちを受け止める。

 この夢は話が見えず、何がなんだかわからないまま世界だけど、彼女が、私から遠ざかって行くとはむしろ私の方じゃないかと、改めて思うと苦笑していた。

(また、あえるかな?)

 空の色、草の色、次第には彼女の色もすべて、真っ白に褪せていた。

 その光景を見て、悲しいとは思えなかった。

 また、ある。その言葉がなんだか元気をもらったから…。

 

 ふと、一息つく。

背後に胸騒ぎを覚え、振り返ると先程はなかった輝きが自分の存在を自己主張しているようだった。もし、その輝きが私を呼んでいるとすれば、好都合だった。

こんな無彩色なエリアははなから御免だ。まだしも、色のある方が楽しいと思えたのだ。

脚が光の方に振り返り、無意識に向かわせる。踵(かかと)が地面に擦れる音が無音世界には相応しい音のような気がした。あまつさえこの音が歩いている実感を教えてくれた。

 進んでいるのは分かるがまだまだ光は小さく、先は長い。

 寝ている自覚はあるのだが、早く起きないかと、起きもいしないことを吐いた。

 一瞬の間。小さかったはずの光が眼と鼻の先まで迫る。これで帰れるという希望を持つことができるが反面恐怖もあった。

 両足、両腕、体、筋肉……、あらゆる個所に力が入らなく、それに伴い意識も遠くなりつつある。

 迫る光がこんなにも温かいとは思ってもいなかった。

それもそうだ、こんな夢は初めてだから…。

 

 

◆◆◆

 

 

「ハッ!!」

 今までにないくらいの見開き、そして上半身を思いっきり起こし、当り前のように散らかりのない整った部屋を見た後ようやくここが、夢ではなく自分の部屋、現実だと分かった。

 横になっていたベッドが軋み、手に伝わる毛布の感触。寒さというのもあり吐く息が白く見えた。

 寝癖で所々はねた、髪の毛を少し荒く掻きまわす。

 ゆったりとしていると、時間のことを思う。自分が二度寝をしていることを一瞬忘れかけていたことが、幸せ馬鹿だと思わせたのと同時にベッドの枕元に置いてある目覚まし時計を探すが、見つからない。

 あれっ?と、少々戸惑う場面を見せつつ、頬を掻く

 ベッドから身を乗り出すと同時に、どうしてこうなったのかという原因が分かった。

 それはそこに残骸があったからだ。

 私が使用しているのは典型的な丸い目覚まし時計だが、今も無惨になるその時計は変わり果て、周りには秒針を守る円形のガラスの破片が大小関係なく飛び散っていた。割れる原因に繋がったのは、自分が投げたことだろう。投げられ、割れたのはそこにこげ茶色の装飾がされたクローゼットがあったからだ。

もし何も知らずに歩いていたら大怪我になっていただろうと自分の注意を褒めたくなった。

さらに、秒針は折れ曲がっており歪な格好をしていた。金具もあちこち凹みに凹みに例え鳴ったとしても、壊れた蓄音器のような音は御免なので、捨てることを選び、新聞紙とゴミ袋を携え後処理をするために体を動かす。

ゴミ袋の端と端をきゅっと、結び終えたのが後処理完了の合図だった。

目覚まし時計を壊す―――というと、今から始まった訳ではない。昔からだ。ということもあり癖になりつつある。毎月必ずといってもいいくらいに時計を壊すのだが、春から通うIS学園でもしこんなことがあると大変なので、この際に直した方がいいのかなと切実に思えた。

しばらくそのことで、考えているとコンコンと軽やかな木材の叩かれる音が耳に入った。

反射の要領で、どうぞと返事を返す。

ガチャッ――。ドアノブが無抵抗のように右にドアノブが回り、そのドアを押し中に入ってくる。一般的かつシンプルなデザインだが、そのシンプルさが私は気に入っている。この今住んでいる家は築60年となかなか長持ちしている。何回もリフォームを繰り返してきた代物なので、外見は少し古びたイメージを感じ取らせるような木造建築。現代の技術をもたらせれば、もっといい外観になると言われたが、私の両親は頑なにこのデザインを推奨させ、今に至るわけだ。あまつさえ、内観ときたら外観とのギャップの差を求め過ぎていたのだ、壁紙は三種類に分かれる。目をチカチカさせられるほど、蛍光色を用いられたリビングに、キッチン。リビング、キッチンの間に伸びる階段は子供部屋に繋がる。和のデザインを施された私の部屋は、唯一の変わった空間と家族にも称され、ドアもなにから、リフォームする際にデザインを説明して作らせた、オーダーメードの部屋なのだ。私の部屋を出ると、もう一つドアがあり、中に入ると桃色の壁紙と子供が思い切り抱いても抱ききれないほどの大きさのくまのぬいぐるみと大小関係なくベッドや机などいろいろ並べられているぬいぐるみたちがこの部屋の特徴だ。この部屋の主は私の妹の綾陽が使用している。私の部屋と綾陽の部屋は本当に姉妹と思わせないほどの差があった。

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!?」

「うわっ!?」

 声がすると思い、横を向くと人がいることに驚いた。

 隣にいる人も驚いたが、私以上に驚いていたので、自分の驚きはどこかに飛んで行った。

 思わず、半歩下がる。条件反射で隣にいる人も半歩以上に後に下がり、揚げ句ベッドに踵を引っかけ、驚きの声が悲鳴と悲痛とともにベッドに背中から落ちていった。

 幸いに後ろがベッドでよかったと思う。ベッドがクッションの代わりになり、私以上の反応を見せた人の瞳には大粒の涙の塊が浮かんで、今にも流れてしまいそうだった。

 慌てて、駆け寄り顔を覗かせた。可愛い顔が台無しだと、言いたいところだったが、まずは――

「なに、やってんの…綾陽?」

 彼女がどうして私の部屋にいて、隣にいたのか。いろいろと聞きたいことがあるが、まずは口を開き問うた。

彼女が口を開くよりも前に私は記憶を遡ることにした。掃除が終わって、ひと段落しているところにドアが鳴るから、ドアを開けたところまでは覚えていた。だが、その後のことは皆無といってもいいほど何も覚えていないし、知らない。

唇を少し噛むと同時に、綾陽の小さな口がゆっくりと開く。

「お姉ちゃんの部屋から、変な音が聞こえたから駆け寄ったのは良かったんだけど、お姉ちゃんは途中から返事はしなくなるからずっと名前呼びながら、肩を叩いたり、擦ってみたりしたんだけど…急に返事するわ、で…」

「ごめん、お姉ちゃん、な。疲れてるのかもしれないんだ」

 綾陽の頭を撫でる。猫を撫でる様に優しく。

 むぅと、小さく聞こえるか聞こえないくらいの息を洩らす綾陽。

「う、うん…」

「大体のことは分かった。ありがとう。綾陽…、でも驚かすのはなしだ…!」

 ピンと、綾陽の額にデコピンを喰らわすとコンと軽やかな音を奏でたのと同時にリアクションをした。デコピンはほんの少しだけ力を入れたやつを。本気でやる馬鹿者はいない。

 だが、私の可愛い妹は、そんな大したことのないことにも少しオーバーなリアクションをとるのだ。それが、私の妹の藤崎綾陽の悪いところであり、キュンとくるポイントなのかもしれない。

 温かい陽だまりの様な笑顔で私を見る目は、許すえざるを得ないのだ。

 彼女も春からIS学園に通うことになっているのだが、気が早い事にすでに制服にほっそりとした肢体を包ませていた。

 話は、リアクションの所まで戻る。

 綾陽のリアクションはオーバーだけではない。トロいし、馬鹿力だし、方向音痴だし、胸は私よりデカイわ……。髪の質は私より良いし、目は大きいし、可愛いし……、言ってて分かったが、これは最初の三つ以外嫉みかひがみに感じるのはなぜかな。これって、自虐的というのではないか。

 と、綾陽はようやくとっぷしている体をベッドから起こし、床に引いてある深紅の絨毯に脚をしっかりと立たせた後、一言。

「お姉ちゃん…準備しなくていいの?」

 彼女の彼女なりの気遣いなのは分かる。だが、もっといい言葉はなかったのだろうか。

 なんで、手を出してくれなかったの?とか、私を責めることも出来たというのに責めないのもまた綾陽らしいと思う。

 本人はそんな事を気にする事もなく、明日乃を見て小首を傾げる程度で、目が合うとニコッと笑う。そんな姿を見るとやる気とが削ぐなわれる。

 ―――ダメ、ダメ…。

 こういう時にこそ言うべきなんだと思う。だから、拳を握る。

 いざ、って時に綾陽の制服姿を直視。

 それにしても、いつの間に綾陽はこんなに大人びたのだろう。日常茶飯事、綾陽の事を必ず一日一回以上は見てきたが進化というのは唐突にやってくるのだとこの時改めて思った。

 制服越しから魅せるスラッと伸びた肢体。湾曲に美しいかつ大胆さを感じさせる胸囲。いつまでも子供というより女性に近づき始めている容貌は美しいよりまだ少しあどけなさが残る可愛さの方が強かった。栗色のポーニーテールが揺れる。普段はストレートにして過ごしているが、この際に心機一転ということもあり髪形を変えているのだ。普段の見せない髪形のせいか妙に清潔感を感じる。そしてドキドキしている。

 心拍数が上がってきているのが分かる。その時のこと。

「おっと――」

 体がよろける。

脚に体重を掛けてバランスをとらないと……、だが遅かった。

スローモーション。時がゆっくりと流れ、綾陽が顔を歪ませる。

なんでも傾いて、視点が合わない…。脳が指示を出す時には私は床に這う様に倒れていた。床に倒れる際に頭を強くぶつけたのだろう、なんでも視界が歪んで、気持ち悪い。

これは昔から悩んでいる貧血だ。血が上るとこのようにしばらく動くことができない。酷い時はそのまま病院に搬送なんて事もあるが、倒れるだけなら不幸中の幸いと言った方がいい。そもそもこの病気は生まれつき持っている持病で、激しい運動なんかをするとこのようになってしまう。でも、どうしてIS学園に入るようになったのかそれは、古き知人の勧めだった。君なら大丈夫という一言で、せめても結果ぐらいは知りたかったから―――

 

トロいはずの綾陽が私の体を揺さぶる。揺さぶるのはありがたい、でも感覚がないのでは話は別だ。でも、この揺さぶりが意外と、効いてきて…

「す…ス、ストップ…!」

 苦し紛れの一言でもあり、やめてくれの合図でもあった。

 先程まで、何とも感じなかった体が急に感じる様になった。しかもいつも以上に鮮明で。

 だが、実施のところ声が出ているところがあやふやの感覚で、一生懸命なまでにやる綾陽から地震を喰らったかようにグラつく中で、揺れる豊富の胸は激しく揺れ、私を酷く困らせた。

 

 

 

 



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第二話 朝食と準備と夢うつつ

 

 しばらくすると、ごめんなさいと綾陽から謝ってきた。

 当り前のことだが、素直に謝るものだからこちらも少し戸惑ったが、素直に免じて許すことにした。

 それはそれとして綾陽に時間を聞くことにした。

 一置きして、ポケットにしまっている携帯を取り出し起動させ、操り時間を口にする。

 時間を聞いた瞬間、もしかしたら遅刻かギリギリかと思ったが予想以上に時間があることに目をぱちくりさせた。

 とりあえず、まずは腹ごしらえと思った瞬間に腹が賛成と言わんばかりの歓声を上げた。

 綾陽と顔を見合わせ笑った。

 

「お姉ちゃん…!」

 うん?と、後ろに続く少女に返す。

「お父さんとお母さんは早くに出て行ったから…」

 綾陽の口からはとても言いにくい様に濁らせていた。言いにくいその言葉も意味を知っている私は部屋を後にする前に頭を軽く掻きまわして、大丈夫と言い聞かせた。

 母はIS関連の仕事をしているが、どこで働いているのかまでは定かではない。ときどき帰ってくるくらいで、深く追求するまでには至らず、ただ遠目で見ている方が私には丁度良かった。でも妹のほうは私のようにはいかず、甘えるようなことを度々繰り返していた。母も時間が空いた時には少しでも多くの時間を過ごすために離れずにいてくれた。

それは嬉しかった。とても、でもなんでだろう。私は満足しているのだ。習慣が付いてしまったように。

閉じていた目を見開き背後を見やると綾陽の顔は曇っていた。

よほど寂しいのだろう私以上に、欲が深いからだろうか。違うか?

私はお構いなく階段を下降していき、台所に顔を出す。

台所には、すでに出来上がっているおかずがどんぶりに入ったのが一つに小鉢の様なものが一つ。炊飯器に目を向け、スイッチを押し蓋が開くとムワッとご飯の良い匂いが鼻を擽り、食欲をそそる。台所のコンロの上には中鍋が置いてあった。蓋を開けるとわかめと豆腐がたくさん入ったみそ汁が中鍋一杯に作ってあった。

鍋を火にかけ、電子レンジにどんぶりを入れ、スイッチオン。

電子レンジがうねり声をあげながら、回る。

特に作業はないので、腕を組み鍋を見張る。

 

おいしそう。

早く食べたいと思い、台所の下に設けられている食器棚から食器を取り出し、程よく温めたみそ汁、ご飯をよそう。

みその香ばしい匂いが鼻を擽りさらに食欲が増す。お盆にみそ汁とご飯を乗せ、テーブルまで運ぶ。

手際良く、運び終えるとタイミングがよく電子レンジがチンと短く歌った。

早く食べたい自分が急きたて、ドアを開け食器に手を伸ばし掴むと同時に、指先に激痛が走る。慌てて両手をひらひら振り回し、耳たぶに触れる。

(ふー。あっつ…、急ぎ過ぎた、どんだけ腹減ってるんだよ、私…?)

 結局、耳たぶだけじゃ治まらず冷水に指を突っ込む形に収まった。水に入れたことによりヒリヒリとした感覚は治まったが、少し赤みが残った。

 水を切り、キッチンのタオル掛けに掛っているタオルで、手から水を拭き取る。

 拭き終わると同時に、開けっぱなしの電子レンジに足を進ませる。

 どうしても、食べたいという気持ちが強いので、再び両手に鍋つかみを装着し、突っ込む。鍋つかみを付けてるおかげか、さほど熱くないと言っても時間が経てば熱くなるのは分かっているのでテーブルに事前にしてある鍋敷きにどんぶりを置き、サランラップを捲(めく)ると湯気とともに料理が顔を出した。

 ひとつは母の得意とする肉じゃがだ。黄金色のジャガイモに、汁をたくさん吸った玉ねぎ。いんげんの緑が彩と食欲をそそり、色彩が鮮やかだと改めて思えた。

 ぱんと両手を合わせるといただきますと、次いだ。

 すかさず箸を右手で握る。綺麗な一汁三菜だ。

まず箸が狙いを定めたのは白米だった。一つまみ、箸の先端が白くなった。そして口に運ぶ。…と、つい笑みを零してしまう。

(これこれ~!これだよ!)

 頬が朱に染まり、足をバタバタと上下に振り、抑えんばかりの声を心中で吐く。

 このふんわりとしてかつ、ケーキのように甘く、入れて直ぐに口の中で溶けてしまうこの食感が、昔から食べ慣れている母の味を思い出す。この味のおかげで米が好きになったこと、三食これでいいとさえ思ったこともあった。

 だが、さすがにこれだけを食べるのは作った相手側に悪いと思ったこともあって、直すきっかけに繋がった。でも、この母の味にはこれはこれ、それはそれはと、つい食べ過ぎてしまう。どうしてこの味になるのだろうと考えていた当時のことを思い出す。

 続けて、みそ汁の入った器に手を出す。ずずっと、音を立て啜(すす)る。

 あー、日本人でよかった…!と思わせる瞬間。至福のひと時。

 含んだ時、味噌の風味が口中に広がり、鼻からスーッと爽やかに息を吐くように通り抜けていく。後味はさっぱりと、くどいわけでもなく自然と流れ込んでいくような感覚。

 これが藤崎家の味だ。つい一口で、半分も飲み終えてしまった。それくらい飲みやすいのだ。ちなみに、さっぱりとした後味にするのはトマトなのだ。

 それが、中鍋に丸ごと一個毎回必ずと言ってもいいほど浸かっていた。

 どれだけ浸からせたのか、どうしたらさっぱりとした後味になるのか、いろいろと感じるが、自分の最優決断は意外な組み合わせというほかは何もなかった。

 普段何も考えず、好き勝手に過ごしてきた人間にはちと難しい考えだった。

 明日乃は顔をしかめた。みそ汁をひたすらに眺めた。だが、みそ汁は何も語らない。語るわけがないのだ。だが、彼女は分かっていた。語らない。でも、もしかしたら……。

「…………」

 静寂の間が台所を支配した。だが、その沈黙はすぐに戻ることになる。

 明日乃の目は線のように細め、顔を近づけたり、時には離して見たりと分かるはずもないのに片意地を張る。ガシっと、両手でお椀を掴み逃げない相手にもかかわらず、容赦ない明日乃の姿をたまたま台所に用があった綾陽が見たことにより話は終結した。

 やはり―――語るわけがなかった。たぶん、それはこれか先も語ることもないだろう。

 

「お姉ちゃん。何やってたの?お椀をあんなに握りしめて、たまたま見ちゃったこっちは、どういうリアクションしたらいいかわからなくなっちゃったよ…!」

 ひとまず、綾陽は席に着くがいや、愚痴に近い言葉を俯きながら言った。

綾陽の言うこともわかるのだが、一様事情説明を入れてこのようなことを言われると、お姉ちゃんとして恥ずかしくて涙が出そうになった。

 それからも、口にはしなかったが目は何かを語っていた。

 逆に開口一番になにか言われるほうが、こっち的にもどうだったのだろうか。

(…まあ、気にしないでいこうかな)

みそ汁の入ったお椀を机に置く。

「綾陽も飲むか…?」

 妙に、気迫を感じる。だから聞いてみる。

おそらく腹を空かせているのだろう。綾陽は腹を空かせていると目つきが鋭くなり、かつまた、気の弱い彼女が唯一強くなる瞬間でもある。つまり性格の逆転というわけだ。

 そんなことを唯一理解しているのも私こと明日乃のみで…まあ、両親よりも顔を合わす時間の方が長いからだろうか。いつしか無意識に分かるようになっていたわけで…。

 明日乃はイスから有無も聞かずに立ち上がり、コンロの元に足を運ぶ。

 火をかけ、中鍋を温め直す。その間にお椀を取り出し。手に取りやすい場所に置き、待機。

 台所から見えた綾陽の後ろ姿は少し猫背気味に近く、頬杖に顎を乗せて不機嫌そうな顔でどこかに焦点を合わせているのだろう。微動だにしない姿から予想できる。これも、長年の付き合いからね。

 タイミングを合わせたようにぐつぐつと、みそ汁が沸騰してきた。火を止めシンクの上に置いたお椀を掴み、みそ汁をよそう。淹れ立てのみそ汁の匂いが綾陽の所まで届いたのか綾陽のいる方向から可愛い音が聞こえた。

 その音を聞いた私はつい微笑む。

 お盆に乗せたお椀を持ち、さりげなく近寄り、コンと軽い音とともに綾陽にみそ汁を差し出した。

「ほれ!お腹減ってんだろ?」

 一泊の間が空いて、ツンツンとした口調で返事を返す。

「遅い…!」

 フンと、そっぽ向き私から完全に背を向ける態勢に入った。

 明日乃はお構いなく話を続けた。

「早く、飲まないと冷めちまうぞ!」

 下言すると同時に綾陽の髪を軽く、叩いた。

「分かっている…!だから、私を見んな…!そして、叩くな!」

「分かったよ、と言いたいんだけどな~、ほら私も食事中なんだよね…!」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、一汁三菜の並ぶ方に指をさす。

 テーブルを一瞥し、確認した綾陽はむぅ~と、唸り声を上げた。

ははと明日乃は軽く笑い、座っていた元の席に座りなおして、再び食事と向き合う。それと綾陽とも。

食事の再開ということもあって、お口直しにと一口口いっぱいにご飯を頬張る。

(んん~~~!)

 頬を朱に染め、パタパタと上下に足を振る。先程の様な光景をもう一度やってしまう。

「ホント、姉貴って、飯うまそうに食うよな?」

 そう?と温くなったみそ汁啜りながら答えた。

 

 

「ごちそうさん!」

 ぱんと合掌し、一礼とごちそうさまを言った。

 イスから立ち上がり、食器を水につけながら、綾陽に問うた。

「綾陽さ、学校何時からだっけ?」

「15時からだよ!お姉ちゃん!」

 綾陽は軽やかかつ、優しさのある口調に戻っていた。

 声は先程のようなトゲトゲしさはない。目も元の大きさに見開いていた。

 つまり空腹はま逃れたということになる。ひとまず安心から安堵の息を洩らした。

(これから、同じ部屋になる奴は大変だろうな…)

 この変化についていけるだろうかな?逆に、相手の事を考えてしまう。さぞかし忙しいだろうな。普段は優しいんだけど、この時だけはな、きついんだよな。ギャップの差が。

 食器を洗いながらつい苦笑してしまう。心配する母親のように。

(同じ部屋なら、いいんだけどな…)

 できればというIfの願いと、自分が人見知りだということを知っているから尚更心配という二つの意を込めていた。

 意気投合とかにでもなってくれれば、話は別なんだが…。

(考えるだけ、無駄かな…!?)

 食器を濯ぎながら、天を仰ぎ、どこかに視線を彷徨わせていた。

 焦点があっち、こっちと泳ぎ、道に迷った人のようになっていた。

 キュッっと、食器を洗い終えたので、水を止める。迸っていた水は絞られてピチャン、ピチャンと数滴シンクに弾けた。

 水で濡れた手をタオルで拭き、次いで、ガスの元栓を閉める。特に念入りに。

 本日から、二泊三日のお泊まり会みたいなのがIS学園で行われる。なにやら、学園の説明や部屋割り、クラス内の顔合わせ…、そのほかにもいろいろあるらしいが、私自身あまりマニュアルと分厚い本系を読むのが得意ではない。お泊まり会の一件に関しても大雑把に目を通した程度であまり覚えていない。かといって、二度見をするかと言ったらしないと言った方が強い。逆に分かんなければ綾陽に聞けば良いことだし…。

(だから、あの子立派になったのかな?)

 右手を顎に添えて、左手で肘を押さえ、視線をまたどこかに彷徨わせて考えている私がいた。

 そのままの状態で、足が自室に向かいながらも階段を上る音はリズムが不安定で、下から覗く綾陽の頭の上には?マークがたくさん漂っていたが明日乃には分からなかった。

 バタンと戸を閉める音が耳に付くと、ハッと、我に返った。

 知らずうちに、顎から額に手を当てて、優しく撫でていた。

 今は頭に痛みを感じていたが、数分後には違う個所に痛みを覚えていた。

 今となって考えていたことがなんなのか忘れてしまったが、一体なんだろうか。そのうち思い出すだろうと作業に取り掛かった。

 作業と言っても、大仕事をするのではなく荷物の確認といったシンプルかつ、重要なことをするわけでそのことを忘れないためにと、ドアを開けてすぐの所に置いてあることを知っている私もこの時は考え事をしていたので、気付かず、転倒。両膝から落ちたため今もの凄く痛い。

 荷物と言っても、スポーツバッグくらいの大きさにまとまるくらいの量で済むので正直助かる。

 昨日綾陽の部屋を覗いた際に荷物の量をちらっと見たら、旅行用のキャリーケース一杯に物を入れてた姿を見た時、少し足がすくんでいた。

 普通少量で済むだろう。まあ、私的にはスポーツバッグに入るくらいがちょっと多いくらいかなと思うのに、あの量には目が眩んだ。下着は少し多めで持っていくにしてもそこまでかさばらないし。服とか寝巻なんかだってたたみ方によっても大したこともない。シャンプーとかもあっちにいろいろあるんだろ?噂なんかじゃあ高級ホテル並みとか聞くし、わざわざ自宅から持って行くのも少し羞恥を感じる。相手が分からないなら尚更持ってはいけない。“郷に入っては郷に従え”なんて言葉もあるわけだし、それに従うだけ。

もし私が男の子だったら、パンツとほんの少しのお金があれば、どこにでも行けるね。うん。言いきれる。

 独語を心中で派手にぶちまけている間にもチェックは終盤に近づいていた。

 手元に一枚の紙切れが握られていた。その中身には遠足やお泊まり会のしおりを模したような、実に人を小馬鹿にしているような数ページにもわたるプログラム表だった。

 だが、それは外見だけで中身は意外と言葉が選ばれていた。実にシンプルで高校生生活第一歩みたいなまだ始まってもいないがそんな好奇心をくすぐる。

(よし、こんなもんかな?)

 チェック欄にレ点を書き込みながら、後一項目の所でペンが止まる。

 それは書類(入学手続き、個人情報)という欄だ。

 これは小馬鹿にしたしおりとともに送られてきたA4サイズの真っ白な穢れのない封筒のことだ。その中にはご丁寧にも合否と個人情報記入欄、入学手続き、それとIS学園内の地図…その他になにかいろいろ入っていたが大雑把にしか見ていないので詳細は不明。

 合否はもちろん言うまでもないが合格だった。綾陽も私と同じくだ。

 白い封筒は目のつく場所に置いてあったため、すぐに気付く事ができた。

 腰を上げることがなくともすんなりと手に収まった。

 封を開き、しおりに示されていた紙を取り出し、目を通す。

 目は次々と項目を流して、何もないなと思いつつも、誤字脱字がないかくまなく探したが、自分でも驚くほどにミスは見つからず内心ほっとしていた。

 読み終えた書類を再び封筒に戻そうとした時、先程は気にしなかった心身の事に関する項目の所に目が止まり、ついで手も動く事をやめた。

 月一回に必ず注射を受けなければならない事―――母の話によれば私は生まれて間もない時に大きな病気を患ったらしい。病名はカタカナが多かった気がする。死率はほぼ100%という難病だったらしいが母の友人が私を助けてくれたらしい。で、なんで注射に繋がるのかといえば私の体からは完全に抜きとれてないらしい。だから、その病気を発症させないための注射とのこと。

 昔は注射と聞けば泣きじゃくっていた自分の姿を思い出す。今となれば何とも感じないほどになったが、できるならあまり投与はしたくはない。だが、誰が私に薬を打つのだろう?医者がこっちまで出向いてくれるだろうか?そんな王様のような気になったつもりはないし、自分から行くことになるのだろう。たぶんそうに違いない。

 でも…ほんの少し期待している自分がどことなくいやらしいなと思いつつ、封筒に書類を入れ、封を閉じ折り曲がらない様に丁寧にスポーツバッグに仕舞い込んだ。

 時計、時計と時間が気になった明日乃はあちこち見渡すが、朝に壊した事をふと思い出した。

 あっと、手で口を覆い亡き時計の残骸になった姿を思い出した。

(あちゃあ…忘れてたわ…買わないとな、時計…)

 残念な気持ちを噛みしめつつ、仕方なく携帯端末に頼ることにする。

 枕元に置かれた薄い板が「私の事を頼るんですよね?」みたいな眼差しを送ってくる。たぶん送ってないと思うけど…。

 「違う、時計がお釈迦になったからだ!」と伝わりもしない視線を携帯端末に送り返す。

 実に数十分のできごとであった。

 明日乃と携帯端末の伝わりもしないくだらないお遊びは明日乃がどうしても時間が気になってしまい携帯端末を掬う様に取り上げ、起動ボタンを押してしまったことで幕上げ止まった。――――時間は13時42分

 まだ少し余裕があるが、着替えてテレビでも見ようかと、足をタンスに向かわせて歩く。

 服装はなんでもいいんだよな。たしか、と独語を呟く。

 動きやすい恰好が良いんだよな。じゃあこれで。選んだのは灰色のパーカーにジーンズ。パーカーの中には程よく動き回るだろうと想定して二枚の長袖を着た。

 ジーンズのベルトが締め終わるとともにスポーツバッグと体を下に降ろす。

 カバンを玄関に置き、洗面台に体を向かわす。そういえば髪とか、顔洗ってなかったな。

 鏡と相対した時、酷いなとつい口が先走ってしまった。

 その光景は一目瞭然で、褐色の髪があちこちに独自の命を得た生物のように跳ねあがっていた。統一感のない髪。これを直すまでどれだけかかるだろうか。まるで、メデューサの生まれ変わりではないかとこの時一瞬思えるような光景だった。呆れて言葉が出ない。

 ただ見ていても拉致があかないので、クシを一本握りしめ、蛇口を捻る。迸る水にクシを付け、濡れたクシが乾いた髪の毛へと持っていく。

 抵抗するんじゃないよと言いたいところだったが、相手は髪の毛、しかも寝癖なので尚更抵抗する。

 乾いたらもう一回水につけての行為を何度と続けただろうか。分からない。髪が抵抗するんだから、考えるだけ無駄のようだ。

 だが、何度もやっているおかげか次第にまとまりの兆しを感じた。

 しばらくしてようやく髪のセットが終わった。ついで、洗顔と歯磨きをした。

 最後に自分の顔ともう一度相対し、どこにも異常はないかと再確認をした。

 その場で、一呼吸と伸びをし、洗面所を出て行く。

 階段をリズミカルに登って、リビングに着くといっても台所とひとつになった空間だから、おかずの匂いや味噌の香ばしい匂いが鼻を擽った。

先程までいた綾陽の姿はなくあったのは、戻されていない綾陽の座った席だった。いつものことなら戻すのにと、少し怪しく感じた。

まあ、トイレでしょう。

明日乃はリビングに設けられた橙色のソファーに腰を下ろし、体重を預けた。

フカフカで、身が綻ぶ。自分がリラックスしているのがわかる。体が軽くなった気がしてうつらうつらと焦点が合わなくなってくる。次第に瞼も重たくなってきた。

ほんの少し寝たって、綾陽が起こしてくれるし大丈夫だよね。じゃあ、少しほ…ぉ…。

 

 

肩が優しく揺らされて、そっと覚醒する。

起こしてくれたのはもちろん綾陽なわけで、期待を裏切らない利点の効く綾陽の頭を優しく撫でた。

薄らうすらと視界が回復してくる。線のように細い眼をこすりながら、聞く。

今何時と。ただあたりまえのこと聞いた。

答えはこれは夢だよと。

 

 

 



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第三話 日常な風景

 ほんの少し前に変わった夢を見たが、あまり深くは覚えていない。

 いや、正確にはほんの少ししか覚えていない。風景や夢か夢じゃないかくらいまでは把握できている。

 でも、思い出せない事がある。なんというか靄がかかっているようなはっきりとしない気持ち悪い感じ。

 あやふやな記憶からして女の人がいたような、いなかったような…。

 私はそこにいて何をしていたのか?――分からない。

所詮夢は朝になれば、ほんの少し残っているか、いないかの中途半端で紙一重なものにすぎないものと知っている。

 私もあまりに不思議な夢過ぎてあまり印象が残っていない。残っていてもとびとびで。例えるならDVDなんかを見ている時に急にスキップして違う場面に飛んでしまう、そんな感じの事が起きている。重要なところが見れないというストレスと言ったら何とも言えない。

 だが、ただこの言葉だけが深く印象に根強く絡み付いている。そして反響し続ける一言。優しい天使のような声が言った。

 

 

『――――また、会えるから…』

 

 

 という一言だけが、靄がかかっているわけでもなく、とびとびになっているわけでもなく、澄んだ空のように何の曇りもなくただ鮮明としか言えないほどの夢の言葉。

 つい聴き惚れてしまった。そんな夢も言葉。たぶんの忘れることのない言葉。

 

 

「起きないと、皆が心配するよ…」

 

 

 その子は次いで言った。

 分かっているよ。

 言葉にしない籠もった言葉。少しうんざりとした気持ちで受け止めた。

 その子の記憶はないのに、接してないのに、姿も分からないのに、どうしてだろう。

昔から一緒にいたような、この親近感。

でも、やはり分からない。思い出せない。そこにいるのは分かっている。――でも、手が出せない。

 まるで、雲を手で掴むように。そんな不可能のような、出来事なのだ。

 いつか、いつかは必ず。必ずその手を掴む。掴んで…どうしようかな?

 

 

 まあ…、後でいいかな?

 

 

 今は素直に声に従う。

 起きなくてはここに居付いてしまいそうだ。と、いうのもあるが先程から呼ばれている。「お姉ちゃん、お姉ちゃん」ってね。

 さすがにまた不機嫌な綾陽を相手にするのは所掌手を焼くのでな。

 よしっ!戻るか!

 

「……えちゃ……ん。おねえ…お姉ちゃん!?」

「はいっ!起きてます!?」

 起きるやいな、座っていたソファーから飛び、フローリングに躍り出た。

 もちろん綾陽も目をぱちくりさせながら怪訝そうにこちらを見ていた。漫画やアニメで言ったら、びっくりマークと?マークが一杯頭の上に浮んでそうだ。

「あっ、ごめん!驚かせて悪かった!」

 ガタガタと身ぶるいをし、次第に涙が零れ出した。しかも大粒の。

 持っていたハンカチをポッケから取り出して、涙を拭う。止まるまで拭き続ける、まるで子供をあやす母親のように。

 やけに今日は忙しいなと、この時微かに思え、つい微笑む。特に綾陽の方だけど。夢だの、ツンだの、時計だの、なんのって。

 どっと疲れが出てきてもおかしくない。……たぶんだけど。

 綾陽の涙は一時的に乾き、涙でハンカチはもうこれ以上はもう濡れないだろう。グズっと、鼻を軽く鳴らす。それに対して無意識にティッシュの箱を差し出していた。それに反応して数枚引き抜きチーンとかんだ。

 少し目が赤くなっているが直に治るだろうし心配はいらないな。

 いつの間にか二人して、ソファーに腰を下ろして、無言。

 私は背中を丸め前かがみに座って、綾陽の顔をなるべく見ない様にしている姉なりの気遣い方。ちなみに綾陽の顔色を覗えないというデメリットも付いてくる。

 あくまで、あくまでだが、綾陽は頭を垂れて自分の顔色を見せないというスタイルが癖として馴染んでいるから、顔色を覗わずとも分かる。―――あくまで、あくまだけれど、ね。

「………」

「………」

 喧嘩したわけでもないのにこの息苦しさは体に毒の様な気がして仕方がないと思う明日乃。

(まあ、綾陽は意外とナイーブなんだよな…!)

 前かがみだからできる苦笑。こんな時だからこそ出来るのかもしれない。もし、面と向き合ってはできないな。綾陽は真剣に反省しないと引きずるというか機嫌を悪くしてしばらくの間無視だのガンを飛ばすだの、いろいろ忙しい奴なのだ。

(この忙しいというフレーズを今日で何度思ったことだろうか?)

 二人してどこかに焦点を合わせることなく視線を泳がせるのみ。無声や沈黙、静寂だのその情景にあった言葉が浮かび上がる。

(これって、ゆくゆく考えたら私が悪いな。驚かしたりしたせいもあるわけだし…)

 気まずいとか話題がないのではなく、静かに待っているのだ。彼女が落ち着くまで待ちたいんだけれどもいかんせん多分時間が間に合わなくなってきているような気がするし、さすがに黙り続けるのも私自身があまり得意としていない。趣味とか我慢強いわけでもないし、思った事は言っちゃうしタイプだから……つまり、しゃべりたい。しゃべらないとキツイが心情なわけだけど…

「ごめん…な…!」

 ぼそりと呟くようにそっと言葉を言った。性に合わない謝り方に顔をそっぽ向ける綾陽はついだ。

「もっと、大きな…声…で!」

ああ…と、小声で明日乃も優しく言った。

「ごめん。ごめんな…!綾陽」

 そっぽ向く綾陽の背中を優しく右手が置き、左足で前に踏み込み続くように右足、体が追い綾陽の顔に自分の笑みを浮かべ、様子を覗う。暗かった顔色が次第に薄らだけども笑顔になった。

私も笑った。満面の笑みを。

 

 

 

 

 トン、トン…!

 

 

 日常風景じゃ、あたり前のような、響き。

 玄関の敷き詰められた灰色のタイルに褐色のローファーのつま先が二回ほど軽く叩かれる。

 それがどことなく心地よい。昔から憧れていたシチュエーションなのかもしれない。

 見慣れた玄関に、真っ白な制服に身を包ませる妹。こちらを振り向きざまに一本一本きめ細かに、ゆっくりゆっくりとまとめた髪が揺れる。

(できるなら、少し急ぎ気味の方がお姉さんは萌えるけどな~!)

 そんな叶いもしない出来事をつい夢見、脳内に思い浮かぶ美少女と綾陽を無意識に照らし合わせ、口元が緩みに緩みついイケナイ目線を送っていた。

 そんなことも知らず綾陽は分からなそうに小首を傾げた。

 純粋に分からないくらいに素直に育て上げた自分に涙が出そうになった。一瞬だけど。

 

 

 イケない、イケない。

 

 

 思いッきり首を振り、いやらしい思考を断ち切り、現実に引き戻し、綾陽の頭をポンポンと適当に叩き、素早く靴を履き、玄関のドアノブを握り外に思いッきし押して、空の世界にゆっくりと赴いた。ついで、綾陽にこう問うた。

「んじゃ、まあ行くか?」

 背を向けた綾陽に踵を返し、右手で彼女を呼ぶ。すると釣られた魚のように綾陽はこちらに向かってきた。

「うん♪」

 よってや直ぐにとても良い返事をしたことに無意識に頭を撫でていた。少し照れた表情を見せたがまたそれが可愛くて仕方がなかった。姉馬鹿とはこのことを言うのだろう。分かる気がする。うん。

 

「お姉ちゃんくすぐったいよ~!」

「ああ、悪いな。つい…」

 綾陽の頭から手を離し、その勢いで自分の頭を掻いた。かゆい訳ではなく照れ隠しで目をそむけながら。

 綾陽は変なお姉ちゃんと言葉を吐くと、身を翻し、ゆっくりとだが前に進んでいった。

すぐさま追いかけたかったが、鍵の施錠がまだだった。すかさず鍵を閉め、着々と前に進む綾陽の後ろを追いかけようとしたが、視線は綾陽よりも頭上に落ち着いた。

 

 

―――空は晴天なり。

 

 

 その言葉がぴったりなような気がする。

 日差しを手で覆いながら、見とれていた。蒼穹の空には二色の青が満遍なく塗りたくられていた。

 一つは群青色のような濃い青色で、もう一つは水色な薄い色だった。

 その青を背に飛び回る小鳥たちはどことなく楽しそうに見えた。

 空を飛ぶのはどんな気持ちなんだろうか?ふと、そんな純粋に思った気持ちを考えてしまった。

 一度は考えた事のある疑問。―――さぞかし気持ちが良いのだろうか?そんなことは私にはわからないが、たぶん……。

「……おっと…!こんなこと考えてないで綾陽を追いかけなくちゃ!!」

 空から地上に視線を落とし、一呼吸。ついで、一歩足を進めてその勢いで走りだした。

 足がまっすぐ、まっすぐと体を運ぶ。

 きしきしとスポーツバッグの肩かけが音を奏でると同時に肩に痛みを感じたが、お構いなしに進み続ける。

(それにしても、綾陽はどこにまでいったんだ?)

 

 

 

 

 しばらくの間が空いたせいか綾陽との距離はかなり離れてしまった。

 おまけに先程から走り続けていたせいか少し疲労を感じ、足が次第に止まり、その場に止まる。

 呼吸が乱れて、肩で荒々しく息を吐き、あっちこっちに視線を送るが、見覚えのある少女は見当たらない。

 昔から目は良いのだが、その視力を使っても映らなかったということはかなり先に進んでいるのか、人ごみにまみれてるかの二択か。それともここを通らずに向かっているかになるが、三者の考え方はむしろないと考えられる。なぜなら、ここを通らなくてはいけないというよりここから通った方が近いのだ。

 ただでさえ時間が無いのに、わざわざ遠回りをするだろうか?普通はしないのが妥当だろう。

 私の場合でもその手段はとらない。なぜ、遠回りをする?わかってて、やる馬鹿はいない。そう、読む。

 彼女の心を。―――一様姉として。

 呼吸が落ち着き、落ち着いて物を見渡すことが出来る様になった。

 すれ違う交通人は買い物に来た主婦や短期休み中の学生が多かったが、思い当たる人物はやはりいなかった。

 少しだが、足を進ませ、人ごみの中を視線だけで選別する。

 見覚えのある人物には適当に声をかけ、情報を聞き出すも皆答えは見ていないそうだ。

 彼女を一人にしていても問題はないのだが、こちら側としては心配になった。

 だから、走ることにする。いち早く会うためにはこの手段以外何もないと言えたから。

 そう決めると肩かけのスポーツバッグを斜め掛けに直し、態勢を低くする。

 掛け声はよーいどん!とお決まりの言葉を口にし、その場から何かに弾かれたかのように勢いよく走りだす。

 周りの反応はあまり気にしていない。私の発した言葉に便乗して一緒に言ってくれたのはちょこっと嬉しかった。

 トップスピードを保ったまま、障害物になる者を次々に避けて行く事から、明日乃はアスレチックか何かと思わせた。

 日ごろから鍛えていたおかげか、体力の消費も少なく、前へ前へと気持ちと体が赴くままに進む。

 見慣れた風景が時と同じように流れる。風が体を突き抜け、それに従う様に褐色の髪が流れる。

 この時本当に動きやすい服装でよかったと思えた。学園の制服で走るとなれば、それはそれは見せられない物を世の人にお見せするわけだし。そんな羞恥なプレーは承っていない。第一制服が届いていないのだから着たくとも着られないのだ。

 残念で仕方がないが、でも、なにやら、もらえなかった人たちは学園内で二泊三日以内に直接渡されるらしい。ちなみに情報源は綾陽だ。本当に頼りになる。

 そうこう噂をしている間に景色は変わり、商店街に入っていた。風景は何とも言えないくらいの懐かしさを演出していて、声をかけてくる肉屋のおじさんや魚屋さんのおじさんに綾陽はここに来た?と質問をするとああ、通ったよと笑顔を交えた返事が両方から返ってきた。

 お互い向かい通しなので、よく意見の食い違いで喧嘩をしているのが、どことなく楽しそうに感じていた。それはショートコントを見てるみたいで肉屋のおじさんがボケて、魚屋のおじさんがツッコむ単純なスタイルが面白い。意外とこの商店街では有名と言ってもいいくらい人気がある。

二人とも性格も考えも違うからこそできる事なのかもしれない。

 その二人の関係は昔も今もそして未来もそれは変わりそうにない。喧嘩をするのは仲の良い証拠なんて言うし、本人たちが楽しそうにやってるんだから、下手に手を出すのも悪い気がする。

 噂をすれば目の前で喧嘩という名のコンとが始まった。でも、今日は面白半分で止めてみよう。

「はいはい!おじさんたち~!今日は止めさせてもらうよ~!ほら!私がここ通るんだから退いた!退いた~!」

 明日乃は喧嘩する二人の丁度真ん中に立ち、右手で二人の間を払うように手で宥めた。

 それが効いたのか。二人は一歩下がった。

「おおっ!悪ィ悪ィ~。明日乃ちゃん。あれ、そんな荷物持ってどこ行くんだ?」

 肉屋のおじさんのボケが炸裂。

「IS学園に行くんだよ。二泊三日のお泊まり会があるからさ!」

「あ~、そういえば春日(はるひ)のやつ妙に張り切っていたからな~ァ。なるほどな~!」

肉屋のおじさんがなるほどと、ぽんと手のひらに拳を置くジェスチャーするとそれを見た魚屋のおじさんがこう言う。

「アンタ~、そんなことも知らなかったのか?年がら年中暇そうにしてるくせに娘のことも分かってないのかい!?」

「う…」

 図星のようで、言葉を濁し肉屋のおじさんは一歩引いた。

 魚屋の言うことには間違えはない。だが、一つ分かった事がある。それはまた喧嘩が始まろうとしていることを予兆していたようだった。

 だが、再び喧嘩になられるのもめんどくさいのでまた、火を揉み消すことにした。そして、行動に出した。

「そういえば、春日とまつりはもう行っちゃった?」

「「ああ、二人並んでな!」」

 おお、ハモッた。

 向き合っていた二人が急に私の方を向き、同時に発声したこととハモッたことに驚いた。一字一句間違えることもなく、はっきりと発音してみせた。

 そんなにその光景が印象強かったのだろう。聞いたこっちも驚いたけど、なにより二人とも本当に親馬鹿だなと思えて、でもそれが理想かなって…改めて思わせた。

春日(はるひ)は肉屋の一人娘で小さいころからの長い付き合いで、いわば幼馴染で親友と言えるくらいの仲だ。

 彼女との出合いは私が生まれる前ここに引っ越してきて、この商店街に私が初めて来たときに肉屋の前で張り切っている女の子を見た。それが春日だ。とても元気に声を出し、声がかれてしまうのではないかと思わせるくらい張り切っている姿を見たとき無意識に声をかけていた。なんて言ったのかは覚えていない。でも、友達になっていた。

 どんな言葉を言ったのともあれ、結果的には長い付き合いになっていたんだから。

 丁度、このような晴天の空だった。ふと、思い出し空を眺める。眩しいから手で軽く覆う。

「どうしたっ?明日乃ちゃん!」

 気を利かせた肉屋のおじさんが熱血的に接してきた。

「いや、春日に出会った日のことをちょっとね…?」

「おお~、懐かしいね~!明日乃ちゃんや綾陽ちゃんと出会ってから春日のやつ結構変わったからな~!」

 しみじみと涙を浮かべ、昨日のように思い出す肉屋さんを傍らに魚屋さんが近寄ってきた。

「ああ、その通りだな。……ありがとな。明日乃ちゃん。これから頼むよ!」

 魚屋のおじさんがぽんと左肩に手を置き、営業スタイルとは違う笑みを浮かべ、私に述べた。

 ついで…

「おれっちも頼む!」

 二カッと熱血的に笑い、グーサインを浮かべる肉屋のおじさん。言うまでもなく暑苦しい。でも、嫌いじゃあない。

 二人して笑顔を浮かべるから反射的に笑ってしまった。

 そこで、輪を現実に戻す一言が双方から正確に飛んできた。

「アンタ、何道草食ってるのさぁ!!早くこっち来な!」

「おまいさんも忙しいのになにやってるのさ!!早く手伝いな~!」

 前者も後者もほぼ同時。少しの狂いしか目立つ事はなく、力強い発言は正確に目標(おじさん)たちを射ぬいていた。ちなみに前者は肉屋の奥さん。後者は魚屋の奥さん、

 その声の主は二人のおじさんの奥さんで、両者ともエプロンが似合うというのでこの商店街で有名である。夫婦して有名なのもどうなのだろうか。正直なところ。後で二人に聞いてみようかな。

 怒鳴られた感想と言えば、さすがとしか言葉が出てこない。私は反射的に双方を見やった。そこには二人の女性が仁王立ちをし、腕を組む姿が描き出されていた。表情は鬼のように険しく、背後には赤くメラメラと燃え盛る炎が…見える。

 一度目を瞑り、目頭をつまむ。数秒放置し、覚醒する。

 見間違いだろうそう思えた。だが、二人の様子を見れば本物だということが分かる。例えば、視線が本人よりも背景を見ていたりとか。

 そんなお二人の反応は…

「「……は、はいっ!!!」

 悪さが見つかった子供のように背を丸め、おっかなそうに背後を恐る恐る見やった。

 先程までの勢いはそうしたよと、ツッコミを入れたいのは山々だったけど、正直のところ私も恐怖を感じていたので、何も言えない。

 私を除いて二人はいそいそと店に戻り、二人の監視のもとで仕事に就いた。

 そんな姿を一瞥し、一息つき、その場から離れようとした時。

「明日乃!これ持って行きな!」

「はいっ!」

 声は肉屋のおばさんのもので声とともに素直に足がそこに向かう。

 半歩で着くと同時におばさんから紙包みを手渡しされた。

 受け取った紙包みに視線を落とし、そこから手に伝わる熱と鼻を擽る香ばしい香りが何なのかを一瞬で思考は答えを導き出した。

 中身が分かった瞬間におばさんに顔に視線を上げ、「ありがとう」と歓喜の笑みを贈った。

「気にしないの!私からのプレゼントだ・か・ら!」

 下言とともにウインクをしてきた。意外と哀愁を感じるウインクだった。でもどことなく嬉しかった。

 薄く笑みを浮べ、その場から離れると同時に四人に手を振ってその場から離れた。

 歩きながら食べるのもいいが、まずは完全に距離を空けてしまった妹綾陽と遭遇しなくてといけない。たぶん一人で小動物のように震えているだろう。周りには顔見知りがいるとは思うが、少し心配なところだ。

 足が無意識に速くなって、離れた距離を埋めようと走り出していた。

時間帯もいい頃あいなので、どこもいい感じ人だかりができていたがお構いなくその中を駆ける。

多少驚く人や私の顔を見覚えのある人は名前を読んだり、人にぶつかりそうになったりと焦る私にはどれも致命的で、つい反応してしまう癖がある。

でも、その行列を掻い潜り抜け、無事に商店街を抜けたところに見覚えのある栗色の髪が目に映った。

 まっ直ぐと姿勢を伸ばし、コツコツと前に足を運ばせながら、両手でキャリーバッグを流す姿は何とも言えないくらい美しく、そして上品だった。もしかしたら妹じゃないかと思えた。

 だが、私の眼は節穴ではない。綾陽の姉だ。彼女を見わけるなんてものは朝飯前だぜ。

 明日乃は走る速度を徐々に落としてゆき、歩くのがゆっくりになった時、口を開け一言発声する。

 それは―――

「にゃ~あん?」

 そう、猫の鳴きマネだ。

 姉妹二人して大の猫好きなのだ。そこで生まれたのがこれだ。純粋に分かりやすいし、声の出し方によっちゃあ、信号や暗号なんかに使えるし、いろいろ便利で二人だけしか知らないってのが都合がいい。昔の自分たちは頭が本当によかったのかもしれない。と心の底から本当に思えた。

 発生した声のトーンは少し濁らせ、心配そうな雰囲気を演出。

猫の声をするのにもいろいろ癖があったり、仕草や、特徴をとらえたりするのにどれだけの時間を掛けただろうか。

分からないが、生半可な気持ちでは決して臨んじゃいない。―――これホントね。

 声の届いた本人は少し身をビクつかせ、そして縮ませたが一瞬の隙に彼女も同じように鳴いた。

反応からしてビンゴ。本当に探している。声のトーンは母親を探す仔猫のように無邪気で心配というものを表さないそんな声なのだが、実によく表現されている。でも、その中に含まれるほのかな恐怖が実に母性心を擽られせる。

 周りを一生懸命見るが一点見落としている個所がある。それが背後なわけで…。彼女は一度も背後を見ていない。

(いちよう背後で鳴いてみたんだけど…。やっぱり鈍いな~!)

 そう思い。サービスとしてもう一回声を出すことにするにあたって、すぅーと呼吸をし、整える。

いつでもイケると思った時、鳴く事をやめて…

「にゃっ・あ!!♪」

 その場でひと飛びし、綾陽の背面に思いっきり、飛びつく。

「おわっ!!!」

 私が飛びついたことに綾陽が姿勢を崩し大きく歩き、落ち着いたところで重心のかかる背後を勢いよく顔を覗かせた。

 そこにはにんまりと笑顔を見せる明日乃の姿があり、綾陽は一瞬思考が混乱しかけた。

 しがみつく姿がどことなく仔猫が物に一生懸命にしがみついているように見えて少し、焦ったため、視線を姉から元の正面に向き直す。

 自分でもわかるが、血が上っていることと顔が火照っていることの二種類が同時に襲う。

 無意識にいたる所から冷や汗が流れて出していることに気づく。悪さをしたわけでもないのにどうしてこんなに汗をかくのか分からなかった。

 姉の香りが、自分の心拍数をやけに高めている。しかも、こんなに密着して、ここを通る人はどんな目で見るのかな?……やっぱり、姉妹とかかな?恋人とかかな?もしかして……

(はっ!いけないいけない…!!)

 自分の自問自答の変さに驚き、慌てて我に帰るように自分に説得した。もれなく、頭が爆発するところだったのだ。

 考えすぎるとロクなことに繋がらないと分かっていた。経験上、何度もこの橋を渡ってきたからこそ言えることもある。ちなみにすべて姉関係なんですけど…。

(―――なに、考えてるんだろう!私!?いくら私がお姉ちゃんが好きすぎるからって、いけないこんなのこんなこと!!)

 その時、タイミング良く、風が吹き抜けた。

 まだ北風くらいの背筋が伸びるほどの風だった。でも、私の火照った体には丁度良かったが、後ろにいる一匹の猫が寒そうに身振りをした。

 一拍の間が空いて。後方からぎゅっと、背広を握られた。一瞬、綾陽もぞくっと背を伸ばした。

 なぜなら、握られた後に体をさらに密着されたからだ。先程までは我慢できる余量だったが、こんなにも密着されたのでは、何も考えられない。考えたくはない。頭が熱い。ボーっとする。焦点が合わない。

(どれも重傷だな…)

 どことなく、この時間を堪能している自分に苦笑した。綾陽は薄らと口元に弧を描く。

いつまでも続いてほしい時間。これが彼女の望み。希望。幸せの時間。そして私の最愛の家族。

 姉はいつも私の事を第一に考えてくれて、楽しませてくれて、飽きることのない新鮮な毎日に充実観を感じて、これから通うIS学園だって、一緒に通って、笑って、思い出をいっぱい作って…。

 いつしか苦笑から笑みに変わっていた。

 楽しい事を考えていたら無意識に変なことも忘れて、緊張もほぐれて、自信が持ててきた。なんの自信かは自分もあまり分かってないけど…。

 一呼吸。

「にゃあ~、にゃあ~」

 飽きた姉が退屈そうににゃあにゃあと文字を用いた適当な鼻歌を歌っていた。

 いままでは分かりもしなかったが、ずっと暇してたらしい。

 じゃあ、この姿勢のままより驚かすのだの、呼んでもいいような気がするが、忘れていた。姉は気まぐれ。つまり、自分の力ではあまり動かないナマケモノと同然。または猫でも可。

「にゃあ?」

 考える事ではなかったが猫でも可なら、同じ反応をすればいいこと。

「おっ、綾陽!やっと戻ったか?!」

(やっと、って何ですか!?)

 左手がビシッと、ツッコミをしてしまう。しかも無意識に。だが、ツッコミをしたのは姉のいる上の方ではなくて、誰もいない左の方だった。

「おっ!頭の中でツッコミをいれたな~!?」

 ニヤニヤとこちらの様子を頭上から眺めつつ明日乃は挑発するような口調で言った。

ハッと、綾陽は左の方を見て、我が振りを直す。引っ込めたと同時に綾陽はニャ~~!とごまかすように鳴いた。

 

 

 

 

 IS学園から届いた手紙を適当に目を通しながら歩く。

読みながら歩くのは危険だよと綾陽は言うが、ヘイヘイと聞き流し、やめることはしなかった。

ニャ~!と綾陽がごまかしてから、数分が過ぎて、また二人で肩を並ばせて歩く。行き先はもちろんIS学園。

 歩き進めたことにより、小さく見えていた学園はみるみると大きくなってきているのがわかった。

 近辺になると同じ方角に進む人影がちらほら見えた。

 だが、その娘たちも綾陽と同じく制服を纏っていた。

 

 



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第四話 白

 

 

 

 

 それはなんというか学園というより塔か城といった方が私なりには納得ができた。

私は校門の前で立ち止まり、どこまであるかもわからりもしない天辺を首を上げ、眺めていた。

綾陽は門を潜り抜け、私がいないことに気づき、戻ってきた。

ぐいぐいと袖を綾陽は引っ張りその場所から動かそうと一生懸命だったが、私は足を進ませられながらも上から視線を変えずに眺めていた。

思わず口がポカーンと空いた姿は少し恥ずかしかったが、我を忘れ見とれてしまうほど綺麗で芸術的だった。

視線を上から下に落とすと、外周は皆真っ白と言わんばかりの白装束姿を披露していた。

時間帯がギリギリとはいえ人がここぞと言わんばかりに群がるように集まって来た。

一番に目立つのはもちろん私。周りを見てから私を見ると今のところ私だけ制服を貰っていないらしい。

違う意味でポカーンと口が開いてしまう。

ここに止まり続けるのは返って変と感じた私は足を下駄箱の方に向かわせる。

突然足を進めた明日乃に対して、綾陽はワンテンポずれてついてきた。

 そもそもIS学園は篠ノ之束が作り出した最強兵器を世界に知らしめ、ついでに作られた学校なわけなんだが……、その件で某A国はヤクザみたいなことをちらほら言ってたかな……、たしか。あまり記憶にないけど、自分のケツは自分で拭け!みたいなことを言ってたような気がする。

 

 

 

 

下駄箱を探していたつもりがいつの間にか迷子になっていた。地図も見ずに進むからこうなったのだろう。分かっています。つい、冒険心が…ね?

だが、綾陽が背後から私の腕を強引に引っ張り、前へ前へと私を誘導してくれた。それはまるで妹をあやすお姉ちゃんのように。

その腕を解こうとは思わなかった。解いたとして私に辿り着く事が出来るのだろうか?――たぶん、絶対無理だと言ってもいいだろう。

妹の腕は温かく、少し強引で荒っぽいが、どことなく安心感を私に与えてくれた。

(これじゃあ、どっちが姉だか・・・)

 私の腕を引っ張るや傍ら、余った手の方で紙切れとにらめっこをしていた。

 引っ張られていながら、周りを拝見していたが構造は複雑。

 とても、方向音痴の私には骨が折れるような光景だ。あまつさえ頼りになる綾陽が少し困惑をしているのを遠回しだが見てとれた。

 引っ張られていた腕が急に軽くなった。腕を離されたようだ。

 不椀艇の姿勢から解放。少しほど多く歩く。

 姿勢を直すと、小洒落た外観の下駄箱がそこにあった。

 視線は釘づけ。再び開いた口が塞がらない。

 これが女の園。IS学園なのか~~!!と圧倒された。

 ずらーっと並ぶ下駄箱のはずなのに、どこか違う世界に来てしまったのかと思わせるほど、私が今まで通ってきた学校と言うものはなんだったのだろか!?っと、常識を覆された瞬間でもあった。

 一歩足が下がる。そして綾陽もたじろぐ。

(このままでは、田舎もんだと、思われてしまう…ここは平常心を大切に、…しなくては!)

 ゆっくりだが、背後の綾陽にアイコンタクトを覗う。

 目と目が合い。頷き合う。

 そして、数秒の間。明日乃が足を前へと進ませてその場から動いたが、直ぐに足は止まり綾陽の方を見あり、真剣な面影でこう言った。

「綾陽…、下駄箱ってどこに入れてもいいのか?」

ずごっと、綾陽がその場でこけた。芸人顔負けとはいかんが、綺麗なこけ方だった。

明日乃は自分が何か間違った事でも言ったのだろうか小首を傾げた。

( 真剣な表情で聞かれ何事かと思ったら。そんなことだったのね…お姉ちゃん)

 少々戸惑ったが、こんな事を聞かれるだろうと確認は済んである。でも、こんな形で来るとは予想外だった。

「……え…っと、ここだよ!」

 再び、綾陽が先頭を切って歩く。素直にその姿を追いかける。

綾陽の案内は私の下駄箱の苗で終了した。靴を入れる場所の指定は既にされていた。その情報も綾陽に教えてもらった。その本人は番号が違うため、私を一人残し自分の下駄箱の方へ足を運ばせた。

(また、姉の株が落ちてゆく…)

 一人になったことにより、感じていなかった感情が込み上げてきた。少し落ち込む気分で、ため息が無意識に出た。

 だが、まだ挽回する機会はあるはずだから、これを教訓として胸に刻むことにする。

上履きに履き替えて、その場を少し歩くとフロアに躍り出た。

アリーナに行きたいのだが、その道中の白く輝く廊下はとても歩くのが申し訳ない気持ちにさせた。

だがお構いなしに歩かなれば、その先に進むことも、またただ時間を無駄にするだけになってしまう。その小さな決断をした結果だった。

綾陽はそんな事を気にする事をせず容赦なく進み、アリーナの方向に向かっている。私もその後を追いかける。取り残されるのは御免だから。

 

 

 

 

 学園のお泊まり会の説明はあっさりかつ普通で、短時間で話は終わった。現在待機中。

アリーナの床には黒いパイプイス(少し高そうなヤツ)が規則正しく並べられていた。前方はほとんど席が虫食いのように所々開いているくらいで、二人席がたまたま開いていないので後方を仕方なく選ぶしかなかったが、もうちょっと遅れていたのなら二人ともバラバラに座っていたかもしれない。

座った時に気づいたが、周りは私や綾陽の様な学生しかいなかった。当然だが、なぜか引っかかる。

いくら寮制だからといって、見送りくらいする親だっているような気がする。親ならそういう風景は気になるはずだろう?自分の娘がこの場所で三年間通う訳なんだし、少しは環境を見るなり、設備やその他知りたいことはいろいろあるはずだし、見学もアリって、紙にだって書いてあったし…―――たぶん?

とにかく、実に寂しい風景だ!ということを言いたいわけで…。

本当に、学生しかいない。それが最初の感想だが、もしかしたらこれが当たり前になる日がくるのだろうか?―――わからない。たぶん少なからず私は簡単には変わらないはず……?

説明が終わって数分。周りは少しずつだが、にぎやかになりつつあった。

便乗した勢いに任せて話せればと思い、私も何か話すネタを…。と考えてみるも、ここぞと言うばかりに何も出来ない。真っ白な紙の上に白色を塗るような感じでなにも出てこない。こういう時に思うのが昔から人とよく接していればよかったなと、切実に感じた。

動くのは口よりも弄ばしている両手だけで視線はやや下向きを見ていた。

時間はカチカチと聞こえもしない秒針によって進んでいく。

綾陽に何か話そうかと思い、ちらっと一瞥するがそわそわしていて妙に話辛いのでパス。

少しだが、にぎわいが和らいだような気がする。気のせいだろうか?

変な感覚がして、視線を下から上へ移し、外周を見やった。

――っと、一点で視線は止まる。

先程までして進行役が進行をしていたアリーナの右奥の小さなスペースに設けられた式典に進行者ではない人が立っていた。

各人で各教室に向かい待機してるようにとスピーカー越しからアナウンスが入り、各人はそれを鵜呑みし、何かに導かれるかのようにアリーナを後にする。

空いた時間で周りを見たが私以外やはり皆白装束姿で、こそこそと小声でなにか話しているのが何度か目の当たりにしたが内容はよくわからなかった。もちろん私の事だろうけど……。

(気にしたら負け、構うもんか!)

それぞれ息の合う者や適当に一人で散って行く者、派手な子、地味な子なんかを適当に見ていると改めて人間性の個性差を思い知った。

周りが適当に流れて少なくなった事を気に、その場から出ようと隣にいる綾陽に声をかけようと思い彼女の方を見たが、そこにはいなかった。

慌てた私は周りを見やったが、それらしき姿はいない。もしかしたら、勢いにのみ込まれてどこかに行ってしまったのではないか?と思考が推理を導き出す。

ポケットに仕舞い込んだ携帯端末を取り出そうと思ったが、この場所にわざわざ戻ってきてもらうのもかわいそうなので、一人でこの場所を後にする。

 

 

 

 

正直、私だけがこんなに真剣に見て回っているような気がする。それにしても校内は一面真っ白に塗装され、高級ホテルか何かに思わせる印象が大きかった。学園の噂は本当だった。

 どこを見ても、白、白、白。…こりゃあ、方向音痴にはキツイかもと苦笑する。

 今は周りの女子とペースをやや半歩遅らせ後を何気なく付いていく。この時なんとなくコソコソと怪しい声が聞こえたが、やはり気にしなかった。

そこらを歩き回りながら、掲示板に掲示されてA4くらいのサイズであろうものを見た瞬間封筒の中に学園内の地図が入っているのを思い出したが、それは必要なかった。なぜなら、説根以下の時に渡された紙の裏皮にはご丁寧に教室の配置場所が描かれていたのだから。

(なんだぁ…描いてあったんじゃん…!…余計なところで、もう!)

 前方の女子たちが止まると、反射で足が教室の前で止める。ちらりと教室の方を見て、紙を見てを何度か繰り返し、息を整える。

最終確認を済ませ、中に入る覚悟もでき、周りに便乗して教室に赴く。

 最初の一歩はなんだか、新鮮な感じがしたのと、私に注目が集まる。

一瞬。足が竦んだ。これが、注目されるモノの運命か!?と内心で、絶叫。

 見つめられる理由はなんとなく分かる。制服を着ていないからだろう。

(なんだか、心地良くないな…)

一瞬の沈黙。静止したクラスメートと私。気不味い雰囲気で、教室間違えましたとネタっぽいことをしようと思ったがやめた。だって、絶対笑わないもん。冗談通じないもん。この空気。

前者の三人はこの空気スルーして自席の紙が貼られている黒板に目線を合わせている。こっちの事より、自分の方が大事なのかと、目線でアピールするも空しく届かず。

(猛獣の檻に入れられた気分だよ~!!どうしよう!!)

 体中に変な物が走っている感覚がした。たぶんだが、これは冷や汗だろう。

(わかる。分かるよ、私は絶滅したはずのツチノコかなんかに見えるはずだろう)

 一瞬とはこんなに長いものだろうか?私にはわからなかったが、皆はどう思っているのだろうか?それも分からない。自問自答を混乱している頭も中で行う。たぶん今直ぐ出てくる答えではない事は分かっている。

(……ヤバい。テンパっている…)

ぐるぐると回っているような感覚が明日乃を襲う。

(そうだ、席に辿り付け…ば、何とかなるだろう…?)

ぎこちない動きだったが、辛うじて表にはあまり気付かれてはないと思い込み、自席が記載されている紙きれの本へ足を進ませる。

 とりあえず、動き回るようなことはなく、自席に落ち着き、白い封筒の中に顔を覗かせ、入っている紙を封筒から引き出す。それはどこかに記入漏れがないかを確かめるためでもあり、周りからの視線を気にしないためのカモフラージュでもあった。手先は何気なく小刻みに震えていたが、それでも書類に目線を落としフェイク。

 手に取った書類は素早くかつ丁寧にチェックされていく。一枚目、二枚目……、よし。何も変わったところはなく、安堵をついた。

自信はある。もちろんこれは列記とした渾身の作品なのだから、ないわけがない、のだが、本音を言えば少し心配だったが安心に変わった。

 それを封筒に仕舞い、封を閉じスポーツバックにしまおうとする動作をしようとしたが、しまう時点で、ひとつ気になったことがあった。それはどうしてこの白い封筒を校門のところで集めなかったのかという疑問だった。普通なら集めるのは校門という相場な場所ではずだろう。

予想が正しければ、このあと教員の指示の元で、っという考えが二の次三の次と予想範囲で考えられた。

 席に座り落ち着いていたが、ドアの方に視線を送る。クラスに入る人がだんだん少なくなってきたのだ。左腕につけてある時計をみやるが、教室にも時計があることをお気づいたのはほぼ同時だった。

(やることがない。どうしたものか……)

 自席が窓側ぞいなのをいいことに空を窓ガラス越しから眺める。

 天から刺す光を窓は抵抗もなく教室に光を広げる。

 綺麗なのはいつ見ても変わらないが、今日は何故か特別な感じがするのだ。

 夢の女の子の発言に、景色、そして温もり。それは二度寝して見た夢なのだが何か良くできている夢とは違い、リアルに近い。ような夢のようで、夢じゃない。白昼夢というのだろうか?

(そうかもしれない)

 ただ、わからないのだ。自分が見た夢を。何が起きたのかも。

 

 

 パァァアアン

 

 

「ッタ!!!!」

 ただ、痛いというリアクションをするのではなく、言葉が先に出た。

 頭を押さえ、回りを見渡す。そこには、一人の女性が名簿を持ち、明らかに私を叩いたんだという場景を演出していた。それとワタワタする女性もこちらの様子を見て、何か言ってるけど、上手く聞き取れなかったというより、聞きとる気はなかった。

 叩かれた後頭部を押さえながら、次いだ。

「貴女は………?」

 パンっ!

 叩かれた。二度目だ。

 女性は薄く笑い。こう継いだ。

「織村千冬だ。覚えておけ…!」

 その一瞬は深く脳内に焼き付いた。たぶん忘れない。この痛みが忘れてもこの網膜は覚えているだろう。

 そして、女子たちの黄色い声援も一緒に。

 黒いスーツにタイトスカート、後ろ髪をストレートに束ねた癖っ毛の黒髪。鋭く細い瞳は一匹狼か鋭利なナイフかを思わせた。

 そして、入試の時に担当だった試験官でもあり、なんだか嬉しく感じた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 仮SHR(ショートホームルーム)は周りがいつまでも声援を送っている訳ではなく意外と静かだったためスムーズに進み、白い封筒は教員の指示の元で回収され予想していた通りにことは進んでいった。

「では、以上です。これから皆さんには寮の方に行ってもらいます。部屋割りは手元にあるプリントに書いてありますので自分たちで確認してください。では、解散してください…!」

 言下の後、しばらく教室は賑やかだった。

 私は特に話す相手もいないので、教室から出ることにする。床下に置いた、スポーツバックを持ち上げ、肩に掛ける。

「あの~……!」

 背後から弱々しい吐息のような声が聞こえた気がしたので、一瞥。

 そこには腕を後ろに組むような素振りを見せ、視線をこちらに向けたり、そらしたりと忙しい、そんなような姿から人見知りか緊張のどちかとしか感じとることはできなかった。

「何かようかな?」

 軽く見ただけで、イメージするのは失礼と思い振り向くとそこには女の子が立っているのはあたりまえだが、一瞥したときとは少しだけ、違うような気がした。

 金色のボブカット。前髪には中心にリボンの付いたカチューシャがつけられていたことにより、それはワンポイントになっていた。大きく、パチリと見開いた目から人にはあまり出さない、いや、出せない優しさがあった。

「頭だいじょうかなーって、思って………!」

 その子は、頭に両手を当て叩かれて痛いのポーズのジェスチャーをした。

「そんなことはないよ、とは言えないなぁ。確かに痛かったし」

 でも、すぐに癒えたよって、言うと彼女は苦笑していた。この笑い方は少し引いているような感じがした。

「えーっと私、私はユウ。杉本ユウ」

「藤崎明日乃だ。よろしく」

 右手をユウの前に差し出す。つまり、友達としての証として握手をしようという意味だ。

 ユウは少し照れた素振りを見せ、私の右手を握ってくれた。

 友達。ここでできた初めての友達。

(なんだか、心がむず痒くやる)

 クスッとユウが笑うから反射的に笑った。

 

 

 

 

「寮って、あれだよね?明日乃?」

「ちょっと待て、今地図み……あっ、ユウ先に行くな…!」

 明日乃の制止が届くころにはユウは弾かれたように遠くに、遠くに走っていた。

(この体力バカ……!とかいうべきなのかな?)

 息を上げながら、ユウの後を追うがどこにもいない。かと、この場所を他の生徒が歩いているようなこともなかった。日が丁度真ん中になる頃だ。日差しが眩しい。

 まだ、教室を出て間もないが、周りには人一人歩いていない。

 ちょうど、昼時だから昼食でも摂っているのだろう。それと部屋で大人しくしているのか、他にも色々と考え付いたがこの二つが特に強かった。

 とにかく、自室を見つけなくてはならないのでそこに立ち止まる訳にはいかなかった。歩く。歩く。ひたすら歩く。

 ここはやはりホテルか何かか?!とツッコミたかったが、止めた。言ったところで変人扱いを受けるだけだ。

 もしこんなとこで注目を浴びるとなると色々とめんどくさいのだ。だから、諦めて探すことにした瞬間、

「ん?」

 目線がナンバープレートに止まった。

 口を開け呆然。手に収まった紙をみやる。

 ――――ちらりと、二度見。

 どうやら、見間違いということはないらしい。

 一息つき、木製のドアを軽く二回ノックする。心地よいノックの響き。

 返事がない。いないのだろうか?もう一回試みるが、返事がないのでドアに触れ捻る。

 ガチャリとドアが抵抗をすることなく開くことに無用心だなと、少し呆れた。

 空いたドアの隙間から顔を覗かせ中の様子は静まり返っていて代えって変な感じだった。

 誰も中にいないことを確認して中に入る。

 やはり、ここはホテルを思わせる。何度も言うけど。

 真っ白な壁紙は清潔感をだし、ベッドが二つ並び、化粧台とテレビが設備。もうひとつドアがあるのはトイレと風呂場が一所になっているタイプだろう。

 肩に担いだスポーツバックを適当なところに置き、ベッドに腰を下ろし体重を預ける。

 フカフカのベッドはさわり心地よく、つい寝入ってしまいそうになるが、体は素直だ。横たわってしまった。

 気持ちがいい。

(ん~~~~~!)

 両腕、両足が伸ばされ、瞳には玉が浮かかぶ。気の済むまで伸ばし、上半身を起こす。首を適当に何回か回し、見慣れない部屋を見渡す。

 レースのカーテン越しから入る光は朝のことをふと思い出させる。立ち上がり、窓ガラスの方へ足を運ばせる。レースのカーテンを剥ぎ、窓ガラスに手をつく。

 外を見ようとした。

 ガチャン――――

 慌てて、何かに弾かれたかのように振り返る。

「おねぇちゃん?………お姉ちゃん!?お姉ちゃ~~~ん!」

 何故三回もお姉ちゃん言われたんだろうか?そんなに嬉しいかね?私は嬉しいけど。

 一回目のお姉ちゃんは疑問系。二回目、私を完全に姉と判断し、三回目は感極まり飛び付いてきた。

 そして窓ガラスに頭をぶつけ、意識が遠くなるのが分かる。綾陽の顔が近くなったり遠くになったりするのは分かるが、肝心の顔がボヤけていた。

 

 

◆◆◆

 

 



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第五話 眠り姫

 

 

 静かに覚醒する。

 

 薄暗い部屋に、見知らぬ天井。そして見知らぬ温もり。

 

 頭には柔らかい弾力を感じ、体躯には布のようなものがかけられていて、お尻には弾力かつ優しく、体を包むような何かがあった。

 

 手が布を何度も握り、手で弾力の何かを軽く押す。―――柔らかい。何かのツボに入りそうだと、明日乃は微笑する。

 

 これは自分が夢にまたいるのではないかと思えたから握ったり、押したりすることだった。―――だが、夢ではない。実に現実的で、自分が寝ていることを分からせてくれた。

 

 この時、自分が気を失ったことを思い出したのはほぼ同時だった。

 

 ハッと、体を素早く起こして、周囲に目を向けた。

 

 体を急に動いたせいか一瞬目が眩み、力が抜けて、 その場にとっ伏せた。

 

 静止から体を何かに引っ張られるようにゆっくりと持ち上げる。朧気な視界に一瞬目が悪くなったのかと疑った。

 

 その時、予期せぬ方向から光が入り込む。

 

 ――――光。光だ………!

 

 明日乃は目をすがめた。自分は目を悪くしたんじゃあないと確信を得た。

 

 自分が欲していた光。光と言っても、太陽のような自然のような光ではない。人工で作られた光だ。

 

 明日乃は思わずその光を見やった。

 

 なんだが、それがすごく嬉しくさせた。

 

 この慣れ親しんでいない部屋の設備は皆無と言ってもいいほど知らず、暗黙の部屋に一人と寝ていた部屋に射す光なのだからそれはとても嬉しかったし、その光を上手く使いたかった。

 

 自分の他にも光を射す周囲は明るくなり、そういえばと、思い出させるものばかりだった。

 

 家具の位置や、フローリングに敷かれた淡い桃色の絨毯が光る。

 

 フラッシュバックが明日乃を襲うが、悶え苦しむような感じではない。うっすら、ボヤけた映像が回想されるのだ。

 

 

 

 

 当時見たものと言えば、適当に周りを見ただけなのであんまりにも曖昧すぎる記憶しか焼き付いていない。

 

 きちんと見とけばよかったと、後悔を強いられた。

 

 光がなければ、もしかしたら、光を求めて部屋中をさ迷っていたかもれない。と、言っても迷路にいるわけではないので、安易にクリアできると思うけど。

 

 ものの数分いや、数時間前のことだ。綾陽が飛び付いてきて、頭を何か硬い物に当たって…………。

 

 無意識のうちに明日乃は後頭部に左手を添えていた。もしかしたら、思い出せるのではないかと思えたからだ。

 

 痛みを思い出しつつ、その光の先を未だに見つめていた。

 

 少し不可解なことというか気になるようなことが起きていたからだ。

 

 それは光が、いつまでも射していることだった。それはとてもありがたいことなのだが、なんというか、不気味なのだ。

 

表現するのならば、怪奇現象。普通ならば、電気を付けるなり、声を出してみたりと、することは何通りもあるはずだ。私の場合は今の二つがまっ先に上がって来たのだが…。

 

 光が射した=(イコール)部屋のドアが開いたのは誰もが思う事、でも人が入ってこない。これはいたずらか怪奇現象かコンコンダッシュかの三択になる。いや、最後の一つはいたずらの分類に入る。というか今時コンコンダッシュと言うのだろうか?―――話がずれた元に戻そう。

 

この奇妙な現象なおかげで今助けられているようなもので、誰にも責めることもできないが、かといって感謝するようなわけでもない。このパターンからしていたずらと言うより誰かがこの部屋に入ろうとして、ドアを開けたが入ることを躊躇っているうちにドアが開きっぱなしにしていしまった。なんて事があるだろうか?

 

―――そんなドジを踏むような奴はいるだろうか?せめて、部屋を間違えたりするとかだろうか?

(まあ、混乱するよな…!こんな真っ暗な空間をいきなり見たならさ…!)

 

誰もがこの高級ホテルのような空間に一日と経っていない状態で完璧にこなすのは無理なことではないだろうか。この空間はほとんど同じ構造でできているのではないだろうか?あくまで推測だけれど。もしそうであるのなら迷うのも無理もないし、心配もない、これから慣れればいいとしか言えないし、源に私がそれなのだ。だから自分に言い聞かすわけで…。

 

自然と左手が後頭部から顎に手を添えていながら物事を考えていた。

 

目を閉じたまま考えている姿を他人が見たのならさぞかし滑稽であろう。

 

目を開き、光を見つめた。んッと、明日乃は眉をしかめた。眉間にしわがより、うどく事のない光を睨みつける。だけど、光はしゃべることはしない。分かっている。なぜなら視点を会わせているのは、黒い影がそこに佇んでいたからだ。

 

―――なぜ気付かなかったんだろう?

 

答える事のない自問自答をした。

  

  でも、なんとなく自覚したのは光に目を囚われて影に目がいかなかったことだと悟った。

その影は人の形をしている。影は動かない。染みや雨漏りのように自然とできた淀んだなにかと思わせるほどの存在感。動かないことに少しばかし奇妙さを覚えた。

 

 言葉を発するべきだろうか。君は誰と?

 

 もしかして、こちらの様子を窺っているのか?―――わからない。

 

 明日乃は目を細め、様子を窺う。自然と手に力を入れ、毛布を握りしめる。

 

 何を緊張をしているのだろうか?悪さをしたわけでもないのに…。

 

 手が、汗ばみ握っている毛布が濡れる。

 

 言葉を出すにも出せない。

 

 静寂の間が不慣れな空間中に漂う。

 

 明日乃は背中に冷たいなにかが流れる感覚を覚え、早くこの空気を打開しなくてはと、心中でぼやき、願う。

 

 だが、明日乃が願うと、瞬きもせぬまに静寂の間にピリオドが打たれた。

 

 黒い景が手を伸ばす、その手がどこを目指すのかはすぐにわかった。

 

 パチッと、電気のスイッチに指が行き着き、すかさずに電気が部屋中に灯り、明るくする。

明日乃は条件反射で、手で目元を覆う。目が慣れ、手を目元から退かし、明りの灯った部屋を目で一巡した。

 

 その時ニュッと、映らなかった視覚から顔が恐る恐る顔を覗かせた。

 

 一瞬、明日乃はどきりとした。何たって、

 

「………お姉ちゃん?入るよ~~~?」

 

  そこには美少女がいた。いや、確かにこんな出会いもしてみたいとは思うが、これはうちの可愛い妹の綾陽だった。

 

  小声だが、この空間中には充分な音量だったが、今更それをいうかと明日乃は肩を竦めた。

 

  この声には覚えがある。の前に、この世で私を姉と呼ぶ人間など一人しかいないことを忘れるわけがなかった。

 

(………なんだ、綾陽か……変に緊張して、疲れた………)

 

 綾陽はすたすたとフローリングを音を出すこのなくこちらに向かって歩いてくる。

安堵した瞬間、身体中から力が抜け、あまつさえ急に笑い出したくなったので抗わず素直に応じた。

 

 部屋中にこだまする笑い声。小首を傾げる綾陽。

 

 何をこんなに真剣になっているのだと、馬鹿馬鹿しくなった。

 

 そもそも単純に考えたら、私の居場所を知るのは綾陽くらいだ。たとえ、ユウであっても、この場所にたどり着くのは到底あり得ない。まず、私より先に行き姿をくらましたのだから、私の居場所を知るはずがない。知るなんてことは多分できないと思う、無理だろう。何たって、私以外誰も外にいなかったのだから、私の姿を見るのは希(まれ)なことで、その情報を聞き出すのはクラスメートと仲良くなることだと私は荒削りだが、予想する。

 

「……悪ィ、……悪ィ」

 

 はあ、はあ、と笑いすぎ、息が上手くできず、手をパタパタと辛いとアピールするために扇いだが、その効果はなかった。

 

「―――?」

 

 一旦足を止めて綾陽はこちらを一瞥し、小首をかしげる。

 

 と、言っても本人はわかるはずがない。話の大半はよくわかってない様子だ。どちらかと言うと手に持った盆を慎重に運ぶことに集中をしているようだ。

 

 私も何にたいして謝っているのかすら分からなかったが、綾陽がそこまで気にしたようも様子もなかったので、話を誤魔化すことにした。

 

「………あー、そういえば、綾陽はどうしてすぐに部屋に入んなかったんだ?――一通り、見てたけど、あれはかなり不気味だったぞ?」

 

 綾陽が盆を壁際に設けられている机に置く姿を見ながら明日乃は訊いた。

 

「お姉ちゃんが、もし寝てたらと思ったら、どうしようかなと……」

 

 盆を置いた綾陽がくるりと身を翻し、こちらを見て、言葉を濁しつつ、戸惑いながらそう言った。

 

「いや、不気味だったから!……それにしても、お前と同じ部屋でよかったよ……」

 

「…………本当に?」

 

 頬を朱色に染めた妹が明らかに照てるだろう仕草をしながら、聞いてきた。

 

「ああ。これは本当な。本音いっちゃえば、お前じゃあなかったらどうなるんだろうって!」

 

 綾陽に焦点を合わせていたが、目線をやや下に落とす。淡い桃色の絨毯に焦点を合わす。

 

「………な、何っ、言ってんだかなぁ!あはは……!」

 

 明日乃は自分の栗毛を荒く掻いた。

 

 そして明らかに言葉に抑揚がないことを知り、顔が熱くなるのが分かった。

 

「私も、嬉しいよ…!……お姉ちゃんと一緒の…その、同じで、さ!」

 

 明日乃は手をパタパタと風を送るために扇いだが先程のように効果はなかった。綾陽を見ていないはずなのにイメージが出来てしまう。私と同じように、互いに目線を合わせようともせず、目を泳がせるのみの姿が。

 

 この新婚生活真っ盛りの淡紅色のオーラが出ているこの空間はなんだ!?

 

 明日乃の腕には鳥肌が満遍なく立っていた。よっぽど、シュールなシチュエーションなのだろうか。二人でいる事がこんなにも珍しいからか?いや、そんなことはないはずだ。まず第一に家では大半は行動は同じだ。ただし、部屋は違うがね?だからと言って、同じ部屋にいることに疑問を覚えているのか。これも違う。

 

 綾陽は私の部屋によく出没する。なんせ、物事をするのに私に見てもらっている方が気合が入るという奇妙な性癖を持っている。別に気持ち悪いとか引くということはないだろう。これは慣れというものだろうか?家族だから当たり前なのだろうか?ここに関しては何とも言えない。人間はそういうモノと認識しているからだろう。人それぞれだからだと。

 

 ―――うん。慣れた。慣れた。

 

 ―――ダメだ、分からない。

 

 こういうことに慣れてないせいか、頭が少し痛い。

 

 考えすぎだからか?空腹だからか?―――どちらかといえば両者かもしれない。

 

 昔の事というか今も時々思い出すのだが、母にこんな事を言われた事を思い出す。『頭が痛いのは腹減ってん証拠!!無駄に酸素吸うとそうなんのよ!?』

 

 と、成長期の私はよくそう言われたものだ。別に家が貧しいわけではなく、少し贅沢をしている家族なのだ。両親が二人してISに関係した仕事に就いているわけで、私は必然的にもここに入学した。今は時々帰ってきて私たちを抱きしめては直ぐにどっかにしまう人たちなのだが、どこで何をしているのかまでは言ってはくれない。あまり知っても得になりそうな気もしないので、聞きはしないが。

 

 とにかく、酸素の吸い過ぎはという話はどういうことか原理はよく分かっていないのだ。――まあ、素直に腹が減ったと認めれば安易に越したことはない。

 

 空腹で先程から目が綾陽の持ってきた黒く塗られた木製の盆に視線がいきっぱなしなのだ。見よう、見ようと思えば簡単に分かるはずなのだができれば自分の目で確かめたいという好奇心があるのだが、見ようにも先程から綾陽がちょろちょろと体を揺らすことにより妨害されて結局見る事が出来ないのだ。この気持ちはまるで、楽しみを待てと言われた子供の気分だ。とにかく気になるのだ。なんなのか知りたい。

 

 ………ぎゅるるる~~~~~~~!

 

 ―――ほら、言わんこっちゃない。綾陽が邪魔するからだ。

 

 お腹の虫が不機嫌そうに空腹の訴えのうねり声を上げる。綾陽には十分に聞こえる距離と音量。その瞬く間、音を聞いた綾陽が条件反射で目を細目笑った。

 

 一瞬、明日乃はドキリとした。無意識に口を開け、声にならない声で唇を震わす。急に体温の上昇、頬は真っ赤なリンゴの様に赤く染まり、額には無数の滴が浮かび、この場から逃げ出したくなるほど、恥ずかしくなった。綾陽はそんなことも知らず、近寄りハンカチをスカートのポッケから取り出し何も言うわずに拭った。

 

「お姉ちゃん、すごい汗だよ?!」

 

「……青春の汗だよ、綾陽」

 

 ふーんと、半分受け流しながら、優しく拭う。拭き終えるとそっと離れる。

 

 離れるところまでは良かったものの、そこから思い出すように綾陽が笑いだす。

 

 姉は再び、頬を朱に染めて、こう言った。

 

「…わら…ったな?」

 

 むすっと、明日乃は不機嫌そうにそっぽを向いた。プくーと、膨らました頬が変な音を奏でながらしぼんでゆく。

 

「ごめん、お姉ちゃん。可愛かったから、つい反射で……」

 

 綾陽も違う方向に向いて、そう言った。

 

 ポリポリと頬を照れながら掻きながら言った。気のせいか綾陽も顔が赤い気がするが気のせいか。

 

「あっ、お姉ちゃんにと思って、食堂から貰って来たよ!!」

 

 綾陽は視線をずらしたことをいいことに、踵を返し、机に置いた盆のネタに触れた。

 

 明日乃はおお、ここで拝見かな?といわんばかりにパンと手と手を叩く。明日乃もこの瞬間を実のところすごく気になっていた。ただ、タイミングが計れなかった。それだけなのだ。

 

「そっち、いくからいいよ」

 

 待ちわびた食事にたどり着くと思ったら、体が反射的にベッドから机に向かっていた。これで、盆に乗った持ったものが分かるという面でも確認がとれるから一石二鳥だ。

 

 綾陽を突っ立ったままにするのではなく、明日乃は見た目も実際にふかふかしているであろう椅子に少し強引に座らせると、ひゃうと言う声が聞こえたが、気にしないことにした。そして明日乃も椅子に腰を下ろし、背中に体重を預けた。

 

 一呼吸後に盆の上に乗っている物に視線を落とす。

 

 そこには白い円形の皿に載る三角の白いおにぎりがあった。しかも3つ。それと黒い長方形の何か―――いや、海苔だ。それが別々に盆の上に置いてあった。

 

 視線をおにぎりから綾陽に向けると綾陽はにこにこしてこちらを見ていた。

 

 笑ったままの綾陽が掌をこちらに向けて、食べて食べてと手の甲を見せ、差し出されたので明日乃は素直に別々に別れたもの通しのおにぎりに海苔を巻いて、いただきますと言ってから、何も疑わずに口に含んだ。

 

 感想を言うよりもまずはとにかくパクつくことが第一だった。―――それほど腹を空かせていることも分からなかったとは…。

 

 3つあるうちの1つを無言で食べ終わる頃、眼前には綾陽はいず、部屋の奥の方から物音が聞こえた。何かしているらしい。残念ながら何をしているのかまでは分からなかった。

 内心はそっちが気になるが、まずは腹ごしらえであり、皿に載る二つ目に手をかけ、二つ目に食らいつく。

 

 するとコトと、眼前に湯飲みが置かれる。

 

 明日乃は思いっきり、匂いを吸う。鼻を抜ける緑の芳醇の匂いが心地好い。茶には色々な種類があるが特に好きなのが、目の前に置かれたこの緑茶だ。

 

 でも、1つ気になるのが、綾陽はうちからこの緑茶を持ってきて作ったものなのか、それともこの部屋の茶道具から作ったものなのかが凄く気になった。別に茶にはこだわるようなことはしないが純粋に気になったのだ。

 

 明日乃は空いた手で湯飲みに手を伸ばし、掴み口に運ぶ。ずずずと、音を立てて口内一杯に茶を含む。苦くなく、薄くなく、なんとも熱くなく飲みやすいお茶である。鼻を抜ける爽やかな飲み口はつい感嘆を漏らす。もう一口、もう一口とつい手が動いてしまう。気がつけば、中身は空で、もう一杯綾陽に注いでもらっていた。

 

「はぁ~~~~!」

 

 つい、ほころんでしまう。これを縁側かなんかで飲んでいたら………と、思うと自分は年よりかと、ツッコンでいた。内心で………。

 

 と、湯飲みを机に置き、代わりにおにぎりを手に取り頬張る。

 

 米独特の甘い風味が口一杯に広がるなか、目を閉じ、味わう。程よく食べたところで、ここで緑茶を流す。また頬張り、適度に緑茶を流すという動作を繰り返してうちに、皿どころか手にもおにぎりは無くなっていた。

 

 つい夢中になって、食べてしまったのだ。

 

 なんかもの惜しいような気持ちだ。だが、完食より腹八分目の方が後が楽と考えたらこの考えがどうでもよくなった。

 

 綾陽にお願いして、緑茶を作ってもらってる間に明日乃はまだ、ぎこちないこの部屋を見渡す。今はなんとも感じなかったのは無我夢中で食事を摂っていただけで、神経は違うところに集中していたわけだし、今空腹から開放されたとなると何故か体が落ち着かない。

 

 明日乃は体をモジモジとぎこちないように動かした。椅子から立ち上がり、動いたりもした。どうしても落ち着かないのだ。と、思うと綾陽はもう慣れただろうか?そのような疑問が脳内をよぎる。

 

 私より起きている時間の方が長いんだから、使いこなしているに決まっている。私の心配も必要ないのだろうか?はたまた、私の思いすごしなだけだろうか?

 

 明日乃は一息つくと肩の力を抜き、体を楽にする。さらに背もたれに体重を掛ける。自然と伸び、欠伸が出る。つられるように腕も伸ばす。瞳には大きな玉が浮かび、今にも流れそうだ。まるで、今思う些細な疑問の様に。

 

 真っ逆さまな世界にはたまたま緑茶を運ぼうとしている綾陽のきょとんとした顔が描かれて、そして姉のアホ面を全開に出した顔、目が綾陽は慈悲めいた目と合った。

 

 綾陽はニコリと笑みを浮かべ、明日乃はゆっくりと体を持ち上げ、散らばった髪を直し、振り返り綾陽の顔をいつもの優しい顔で迎える。先程の顔を忘れされるために。

 

 毎回見るたびに笑みを浮かべる綾陽に明日乃は不信と不安を感じた。もしかしたら、悩んでいるのではないかと、―――何故このような時にそう思えたのかは別として、笑みで何かを隠しているのでは?などと改めて綾陽を眺めるとそう思えてしまう。無理に笑っているのではないかと。これは姉として出来ることを尽くしたいと思う気持ちから明日乃を突き動かした。

 

 コトと湯飲みと机が互いに音を立て、湯飲みが机に置かれると同時に綾陽も椅子に腰を下ろすと、栗毛が揺れ、女の子独特のシャンプーの甘い匂いが鼻をくすぐり、明日乃は一瞬ドキリとした。

 

「にゃ、にゃ、にゃにゃうにゃ………」

 

「?………お姉ちゃん?」

 

 ろれつが回らず、変な言葉を口にしてしまった。明日乃は何を言おうとしたのか素で忘れてしまうほど、恥ずかしくなる方が強かった。

 

 綾陽は小首を傾げ、再び髪の毛が揺れる。それを直す仕草をする綾陽に再び明日乃はドキリとした。なんというか凄く魅力的で、誘惑されてる感があったからだ。男なら飛び付いていそうな光景というべきだろうか。わからないけど…

 

 ―――綾陽とは姉妹で、家族で、妹で、でも目を離すとどこか危なっかしくて………。

 

 明日乃はどこか危なっかっしい(邪『よこしま』)気持ちを呪文のような言葉で落ち着かせた。意外と効くものなのだ。

 

 目を瞬き、顔を引き締める。大したことではないけど………。気合を注ぐ

 ―――こう、自然に聞けば教えてくれるはずさ。

 

「なあ、綾陽はもう慣れたか?」

 

「ふぇ?―――何に?」

 

 気が焦りすぎた。内容を抜いてしまった。

 

 気を取り直してもう一回。

 

「………ああ、学校にだよ…!少なくとも私よりは活動時間の方が長いんだから、一通りは目にしたんだろ?」

 

 綾陽の瞳を見ながら、そう問うた。

 

 彼女の瞳は一瞬曇ったように明日乃は見えた。気のせいではないかと思う。少なからず。

 

 だが、曇りは本当に一瞬で、その後は私のギンギンに冴えた瞳の瞼が重たくなるまで、綾陽は事細かく説明をしてくれた。

 

 左目の瞼が既に閉じ、見えている右目はかろうじて起きているが、後、数分が限界といったところだろうか。綾陽も喋り疲れたのか、柔軟運動を軽くしていた。

 

「もう、寝るか?」

 

 明日乃の口からそう切り出した。

 

 言った途端にゆっくりと口が開き、欠伸が出る。つられて綾陽も欠伸をする。連鎖反応だ。

 

「欠伸、うつちゃった………」

 

 少し照れ臭そうに綾陽が口を尖らせながら、そう言った。

 

「今日は色々あったからな、さっ、寝よ!寝よ!!」

 

 明日乃は椅子からゆっくり立ち上がり、使用済みのベッドにゆっくりな足取りで向かう。

 

「そのまま寝るの?」

 

「ん?あ………」

 

明日乃は寝ぼけた調子で答えた。

 

 明日乃はベッドに片足を載せたところで動くのを止め、下を眺めた。

 

(今更、着替えるのはめんどくさい。どうしようか?………寝るか)

 

 一瞬立ち止まるものの動きだし、毛布にくるまり、ちょこんと枕のところから頭を出し、綾陽の方を見詰めた。

 

 綾陽は寝る支度をしているのか鏡で髪を解いていた。そこに明日乃の顔が映り、振り返った。

 

 綾陽は明日乃と目が合い寝るからと雄弁に訴えた後、伝わったと思ったら有無も言わずに壁の方に寝返りをつき、暫くすると寝息を立てて寝ていた。

 

(なんで、おやすみって、言わないんだろう?)

 

これは姉妹感を試しているのだろうか?信頼関係?以心伝心?姉妹感の愛?

 

 顎に手を添えて、綾陽は考えた。こんな考えが答えに導かれるのかどうかを……。

 

 まず、姉妹感の愛ってなんだろうか。仲良しかどうか……とか?一緒にお風呂に入った回数とか?―――違う、違う!!!そういうことじゃあないはずだよ!絶対。絶ッ対に!

 

 むむむと、眉間にシワを寄せたら、口元が緩んで欠伸が出た。

 

「ん~~~~!まあ、いいかな?私も早く寝ようかな~~~っと!?」

 

 寝巻きに着替えた綾陽は未使用のシワ1つないベッドに腰を下ろし、ゆっくり毛布に足を入れ、電気のリモコンを先程見つけたのでそのボタンを押すと、部屋が急に真っ暗になったので綾陽は声には出さなかったが、内心は凄くビックリしていて今にも声が漏れそうだった。手で制圧して声を押し戻すことに成功した。

 

 あたふたする気持ちも、しばらくすると目も安定、落ち着いてきて、なんだかお泊まり会のような気持ちが込み上げてくる。変に興奮してくるのだ。

 

 隣で寝ている姉の姿を一瞥。白い毛布が盛り上がっているのを確認すると寝がえりをうったまま本当に眠ってしまったようだ。肩が微動だに上下に揺れている。

 

 ちょびっと私は疑ってしまった。いたずらな姉の事だからタヌキ寝入りをしているのではないかと…。なんせ、今日は気絶ばかりしているのだから、返って目が冴えているのではないかと予想は立てていた。

 

 …が、うっすらだが、寝息が聞こえる。

 

 本当に今日はよく寝るな。アネゴは…。

 

 内心でホッと、もう一人の私が息をつく。姉から恐れているように。

 

 たまには私がいたずらをするのもいいなと思うが素直な気持ちには敵わない。

 

 目を閉じ、浅く息を吐くとすぐに夢の世界に誘ってくれた。

 

「おやすみなさい。お姉ちゃん………」

 

 綾陽は姉と反対方向に背を向け、ゆっくりと息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 空は青し

 

 

 動く。―――――動くぞ。ISが私の身体の手足のように。

 肌の上を直接何かが走り、鉄灰色の装甲が形成される。肌を走った感覚と言えば鳥肌が立ったような感じだ。―――皮膚装甲(スキンバリア)展開…完了。

 突然体が軽くなった。重力という概念から開放された気分だ。―――推進機(スラスター)正常稼働……確認。

 知覚精度が急激に高まる清涼感。視野が拡がったような感覚だ。死角がない。全てが見通せる―――ハイパーセンサー最適化……完了。

 両手に重みを感じると、その手には光が発光し、刀のような形をした武器が形成される―――近接ブレード……展開。

 ――凄い。これがIS。インフィニット・ストラトス!

 

 

 覚醒する。

目を幾度も瞬かせる。

 そこには突き上げた拳に、見知らぬ白い天井があった。

 明日乃は突き上げたままの拳を引き下げ、胸のところに当てる。トクン、トクンと心臓が脈打つ音が聞こえる。少し、早い気がした。

 一回、深い呼吸をする。高鳴った脈は次第に落ち着きをみせた。

 明日乃は寝たきりのまま、首を曲げ、隣に寝ているはずの綾陽の方をみやった。

 やはり、彼女は寝ていた。すうすうと寝息を立て、未だ夢の中といったところだ。妹の寝顔が幸せそうなら、一日が平和だろうなと明日乃は毎回思う。

(疲れているから、もう少しだけな………!)

 明日乃は上半身を起こし、髪をかき揚げる。少ししてベッドから下り、立ち上がった。

 起こさないよう抜き足差し足忍び足と泥棒のような動きで、面台の方へ向かった。

 ドアノブを回すとすんなり抵抗なく開き、着替えと洗面用具を持ち中に入った。

フローリングと浴室の間には数十センチの段差があり、転ばないように気をつけた。

 中は浴槽とトイレ、洗面台が一緒になったタイプで、ここもやはりホテルかと明日乃は小さく呟いた。

 洗面台の前に立ち、鏡に自分の姿が映る。用具に目を向け、少し悩む。流石に顔だけを洗うのは汚いよな?一日変な汗かいてたし………。皆にこれ以上変な目で見られるのもちょっとな………。

 そう思うと、服を脱いで浴槽に入っていた。何も考えずに、しかもシャワーカーテンを閉めて。

 シャワーノズルから温かいお湯が、明日乃の肢体のラインをなぞりながら、冷たい汗が流れていく。

 ―――気持ちがいい。さっぱりする。

 体が暖まり始まる。それが生きている実感というものを与える。

 シャワーを止め、タオルを探す。少々、手こずったがしっかりとこの手に握る。

 お湯で滴った髪の毛をかき揚げ、オールバックの形にする。

 タオルで滴った身体を拭っていき、髪の毛を特にりゅうねんに乾かしていく。

 ポカポカと湯気が上っているのが分かる。

 服に着替え、首にタオルをかけて浴室から再びこっそりと出てくる。

 カチャ――――。明日乃はドアを開け、首が通れるがどうかわからない程の隙間に首を少し出し、左右を見回った。

静寂の間は笑えるほど何もなく、正直つまらないというのが明日乃の率直な意見だった。

 以上はない。綾陽もすやすやと寝息を立てて寝ている。可愛い。―――よしっ!

 って…、別に悪さわけじゃないし堂々と歩けばいいような………。反省。

 浴室の床からフローリングに足をつこうとした時、一瞬段差のことを忘れていて、カクンと落ちた時は心底びっくりした。

すたすたと化粧台の上に置かれているドライヤーの前に立ち、手に取ったところで一時停止。はて、このままドライヤーを起動していいのか?そしたら、綾陽を起こしてしまう。もうちょっと夢の時間を楽しんでほしいし、別に迷惑とは思ってはいない。純粋に独りの時間が欲しい。……参ったな。

 ドライヤーを見つめたまま、ある程度よく乾いている髪を触り、考える。

 ドライヤー。濡れた髪。寝ている妹。複雑な姉の心情………。

(………はあ、ドライヤー…………使わなくて………いいか……手動で)

 明日乃の思考の中で、ピンポンとなんだかのボタンが素早くはたかれ心中の私が答えを言う映像が写し出される。

 そしたら、ピンポンと正解らしい効果音が流れる。どうやら、中の私はこれを答えと導いたらしい。

 ドライヤーをもとの位置に戻し、肩にかけたタオルでわしゃわしゃと髪を乱しながら、拭いていく。気持ちとか正直、早く乾かさなければ風邪をひくとなれば、もともこもないただの馬鹿になってしまう。それが明日乃自身の答えだった。

 …………へぷちゅ!

 いわんこっちゃない。普通にドライヤーを使えばこうはならなかったぞ!―――心中の自分が腕を組み、仁王立ちで、呆れた様子を浮かべながらものを言う姿が脳内ヴィジョンで想像化されていた。不思議なことに。特に眉間にシワを寄せる姿からしてものすごく怒っているのが一目で分かるが、最初の方しか言葉の方が聞き取れなかったが、言いたいことは大体分かる。お説教という堅苦しいあれだ。まともに聞いたら、大変なことになってたんだろうな………恐ろしい。

 明日乃は苦笑を浮かべ頬を軽く掻いた。

 心中の自分は目を閉じ、真剣に話している模様。

エンジンが掛かってしまい止めることは………できるが、あえてやらない。最早違うことを考えて気を紛らせるしかないようだ。驚いたことはこんな自分がいるということだった。

 ……へぷちゅ!へぷちゅ!……。

 花粉症…?

 違うでしょ!―――それを強く否定する私は漫才なんかで言うツッコミというやつをノリで行っていた。指をピンと伸ばし、相手の胸を軽く叩く感じを一人虚しく空を切る。もちろん相手などはいない。ツッコむ相手は私自身なのだから。

 誰もリアクションをしてくれないと思っていた、束の間。後方からクスクスと笑い声が聞こえる。

聞き覚えのあるやさしい人を馬鹿にしない屈託のない笑い声は妹が寝ているはずのところから聞こえ、明日乃は慌てて踵を返し、目視する。

 目が合う頃には既に上半身を起こし、毛布で声を殺してこちらを窺っていた。頬を桜色に染めながら笑う姿は………

「…………にゃ、にゃあ…?」

 なんだかもうどうでもよくなってくるのだ。別に怒っているわけではないのだけど。

「いつから見てた………?」

「……えっ…と、変わった動きのところからかな?」

 綾陽は手をしゅっしゅっと振るう。見よう見まねに真似する姿は猫がおもちゃで遊んでいる姿に少し似ていた。

 明日乃は微笑を浮かべる。

「そっか、なんか恥ずかしい姿を見しちまったな…!」

「そんなことはないよォっ!充分可愛かったよ!」

「あ、ありがト………!」

 身体の体温がカーァっと、はい上がる。

 ずっと立ってるのも不自然なので椅子に座り背もたれに体重を預ける。

 少々の静寂が訪れたが、話を切り出したのはやはり明日乃だった。

「…………そうだ!綾陽も早く着替えて軽く学校を案内してくれよ?」

「私、方向音痴だよ?お姉ちゃん……!」

 綾陽は毛布を口元に当てていたが、さらに鼻ところまで引っ張りあげ、照れている顔を彼女なりに隠した。

 何気なく質問をしたつもりが違う意味で申し訳なく思えた。

「悪い。………忘れてた。でも、食堂位は………」

「それくらいは覚えたよ!」

 鼻元の毛布を剥いで、自信がありますよとベッドの上に勢いよく立ち上がり明日乃を見下ろすような形で堂々と宣言をした。特に眉を逆ハの字に立て雄弁にものを語っているのが何よりの証拠だと思われる。

 眉だけじゃなく、綾陽は背筋を伸ばし偉そうに反らす。豊富な胸が寝巻きをはち切るのでないのかと入らぬ心配の念を送る明日乃。

 ―――微笑ましくなってくるのはなぜだろうか?……これが娘の成長を喜ぶ父親の気持ちなのか?

 ―――妹が成長し、たくましく私の前を先陣切っていく姿を想像すると姉離れかなとちょっぴり心が痛くなるのも気のせいなのだろうか?………綾陽ももう大人だしな。少し遠くに置くというのもいいかもな。社会の学習という一環(いっかん)でな。

「分かった。じゃあ案内してもらおうかな~~~?………昨日の罰として?!」

 にししと良からぬ笑いを浮かべながら明日乃は綾陽に道案内を依頼した。

もちろん答えは二つ返事で了解と敬礼をしてみせたが明日乃はキョトンとしてみて突っ込みを密かに入れてみる(影で………)

(いや、ここは敬礼じゃなくないか?!)

 疑問を抱いたが、まあ、気にしないことにした。彼女なりの意味があるのだろうと自己解釈を交えて。

「だったら、早く準備しな……!」

 明日乃の腕が浴室の方へ伸びるが、表情はやや苦笑を浮かべていた。

 うんと、いい返事をするやいな素早く身支度を済ませ、扉の向こうに綾陽は吸い込まれるように入っていった。

 明日乃は綾陽がいなくなってから、両足を座っていた椅子に載せ、体育座りの形にして膝小僧に顎を載せ、浅くため息を吐いた。

実に三十分後のことだった。

 

 

 

 



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第七話 空腹王

 

 

 実に三十分後のことだった。

 綾陽が風呂に向かってから、掛かった時間だ。

 いくら私でもこんなに時間はかからないはずなのだが…。多分のことだけれども…。

 明日乃は座っていた席から立ち上がり、フローリングを落ち着くそぶりをせずに歩きまわる。

 顎に手を添えて明日乃は考える。大したことを考えているわけではないのだ。

 綾陽が風呂がから出てきたらどうしてやろうか?とか、まあ自分がとても時間を持て余している身なので、くだらないことしか思いつかない。

 逆に難しいことを考えてみるのはどうだろうか?――そうだな、もし明日いや今日、一つの事件がIS学園内で起こるとか?……いやいや、あり得ない。そんなこと、ね?

 明日乃は誰もいない個室でクスッと笑った。頃合いか浴室の方から、ガチャっと扉を開く音が聞こえた。その音は大胆というより少し大人しめという音で実に綾陽の性格が扉にも影響をもたらすのかと明日乃は口元に手を当て、隠すように笑った。

 ほえっと、綾陽は不思議そうな眼をこちらに向けたのが命取りのようなもので、その直後に足を滑らせた。

 明日乃の眼ではアニメか何かを見ているのか綾陽が止まっているように見えていた。

 すかさずに体が動いたのは運動神経と反射神経が良かったからではない。

明日乃にとって綾陽はかけがえのない妹であったからだ。

ただそれだけで体が動いた。でも一足先に綾陽の頭は段差についていた。

 ゴンととても鈍い音が聞こえた瞬間、明日乃の中の時計が再び動き出した。

 悶(もだ)え苦しむ妹は頭に手を当て、フローリングをのた打ち回る。明日乃はそんな綾陽に近づくことができなかった。

 あたふたとすることしかできずにいると急に妹が静かになった。

 明日乃の中ではドクンっと、心臓が高く跳ねた。まさか――!

 動き疲れたのか。だったら、それでいい。それだけで済んでほしい。明日乃は体の奥底から何かが這い寄ってくる。

 すかさず、横になった綾陽のもとに、体をくっつけるように明日乃は近寄った。

 耳を近付け、息の音を聴く。

すぅと、安らかな寝息が聴こえると明日乃はその場でへばった。血の気が引く感じが分かる。

 でもその直後、意識がなくなっていた綾陽は急に起き上がり、大丈夫だよと一言述べて浴室の方にまた入って行った。

 あっと、自然に手を差し伸べていたが虚空を掴み取るだけ。

 膝をつき、手を突き出した。掴んではくれなかったか…。

 一息つき、屈伸運動の用量で立ち上がり、再び席に座り綾陽が浴室から出てくるのを待つ。

 痛かっただろうな。そう便乗するしかできなった。

 綾陽が浴室に籠ってから、それから十分が経つ。

明日乃の視線はぶれることはなく浴室を直視していた。

 何とも思わずただ見ていた。別に用事とかそういうのじゃない。どこに視線を送っても気になってしょうがなかった。

 頭のこととか、頭のこととか…。

 いかんせん今は妹のことしか考えられないとは。渇いた笑いが部屋中に響く。

 明日乃は額に手をついた。ついで、天井を仰いだ。眼が行き場を定めず、泳がすのみ。

 天井は白い。もしこれが黒かったら眼が安定しない、逆にフローリングを黒にするのであれば安定するということを思い出したら少しだけ落ち着いた気がした。

 今度は落ち着いて接せそうだ。

 明日乃はほほ笑む。

 タイミングがいいのか、それとも逢いまったかは置いといて浴室のドアが開く、今度は勢いよく開いた。まるで別人のようだ。で、思い出した。

 綾陽の中にはもう一人綾陽がいる。

それは突然出てきて、突然消える。言うなら神出鬼没。それほかに言葉を贈ることはない。

 条件としては空腹、極度のストレス、勝負ことの三つ。

 勝負ことは単純に負けず嫌いなだけだと思う。それと極度のストレスはあいつ事態が引っ込み事案であり、素直に物事を言えない。貯めこんでしまい挙句に言葉ひとつひとつを真に受ける馬鹿正直。

 これがもう一人を産んじまうなら無理もない。私もそこまでは気を使えるほどで出来た人間じゃない。

 空腹といえば藤崎はもともと空腹一族といわれるほど。ご飯を平是(たいらげ)ることが好きというか食事をこよなく愛している一族、……といえば皆は納得してくれるだろうか?

 私も父も母も綾陽もとにかく食べるのだ。あまつさえ消化も早い。小一時間で腹が減るのが綾陽の持つアビリティーであり、事故を引き起こす悪条件でもある。どんな消化器官だよって、自分もなんだけど…はい。

 私はそこまでではないはずなのだが、どこに問題があったのか。それを考慮したらいくら時間があっても足りないのかもしれない。

「ん~っ!!!」

 明日乃は軽くその場で伸びる。

 今日はよく考える日だなと、明日乃はうんざりとした。

 眼に溜まった涙を指で拭う。

「姉御、行こうぜっ!?」

「お前の名前は日景(ひかげ)で決まりだなっ」

「なんだよっ!それっ!」

「お前の名前だよっ」

 綾陽の体を借りる日景はぷんぷんと怒り肩を上げながら、文句を言っている。

 それでもかわいい妹には変わりない。

 そんな妹の頭をポンポンと叩く、最初は文句を吐き続けるが、次第に静かになる。借りてきた猫みたいだな、と明日乃は微笑した。

「ほれっ、食堂案内してくれるんだろ?」

「…ったく、わがままな姉だぜっ」

 そう言っているわりには嬉しそうに見えるのはなぜだろうか。

「おいおい、どこいくんだよっ?」

「はぁ!?食堂に決まってんだろうが!ってか、まず姉御がそこ行きたいって、言ってたじゃないか!?」

「わかった。私が済まなかった。どうぞ案内してくれ」

 明日乃は手のひらを見せて、どうぞどうぞと相槌を打った。

 再び文句を口にしながら、まっすぐと続く道を嬉しそうに突き進んでいた。

 まるで、

「ツンデレだな、これは…」

 明日乃は肩を少し竦(すく)め、長い長い廊下を歩くのだった。

 

 

 

 

「そろそろだよ!お姉ちゃんっ♪」

 綾陽が身支度を終えて、部屋を出て寮から食堂まで向かう途中、綾陽がテンションアゲアゲで私の先頭を何の迷いももたず、進む姿は勇ましいが、残念なことに彼女は方向音痴なのだ。しかもいつの間にか綾陽に戻っているし…。

 だから、100%信じきってついていくことはできないが精々80%な気持ちで見守ることにする。感覚としては暖かい眼差しといったところか。

 別にイヤらしい目付きはしていない。断じて…!

「あんま、焦んなくていいぞォ~~~!」

 あんまりにも綾陽が前に進みすぎてしまい、一瞬見失いかけたので制止の呼び掛けをする。

「はぁあ~~~い!」

 元気はいいのは分かったが、ほどほどにしておけと小さく呟いた。

 珍しい光景でついこちらもはしゃぎたいところだが、まだ未知の空間で、右も左も分からないのだ。逆にあの娘(こ)が羨ましいと明日乃は何気なく思った。

 考え過ぎかと明日乃は気休めに窓ガラス越しからの空を見やった。

(今日も天気がいいなぁ………!)

 窓ガラス越しからの木漏れ日の緑が目に焼き付く。緑もいいのだが、桜が未だに見当たらない。桜色を見たい気分なのだが………。

 

 

 

 

「思っていた以上に、人がいるな~~~!」

 明日乃はすっとんきょんとした調子で、言葉を紡いだ。

「だね~~!」

 継ぐように綾陽も返事をする。

 私は行列に目がついたので、便乗して並ぶことにした。そこで問う。

「ここでいいんだよな?」

「うん。はい!お姉ちゃん!お盆!」

 私より前に並んだ綾陽が突然振り替える。

「おっ!さんきゅ」

 そう言われ、素直に両手で盆を受け取る。昨日と同じやつを。

(昨日のやつはちゃんと返したのかな?)

 また、訊くのも少し申し訳なかった。まあ、返してくれたと考え、その波を鎮める。

(それにしても、今日も嫌気が刺すほど、真っ白だなぁ……)

 明日乃は偶然通りかかった一人の女子に視線を移し、同時に周りを見渡すと、白装束の女子たちの視線が一点集中するかのように明日乃を見ていた。

 じーーーーーーーーーーーーーーー。

 それを今気づき、明日乃は身を少しすくめた。

 食堂の女子の視線を釘付けにしているのだ。―――何か悪さをしたかな?……はっ!ズボンが破けてるとか!?

 明日乃は手を適当に下半身のパーツに当てチェックをする。りゅうねんに。特におしり辺りに。

 すかさず、視線が下半身に行き、結局は目で確かめた。だが、穴らしき物すら分からず、食堂のおばさんに声をかけられたことにより、この視線から、話から抜け出すことができたのでよかった。

 

 

 

 

「くはぁ~~~!うまかったぁ~!」

「よかったね。お姉ちゃん!」

 食後のお茶を飲み干したところで、明日乃が満足気に一息ついた。

 学食って、こんなに美味しいんだな。お袋の味って言うか。なんか懐かしい味がした。

 明日乃は席を立とうと思い、周りを見渡したら、さらに視線はヒートアップをむかえようとしていた。

 じーーーーーーーーーーーーーーーっ!

 はい?

 慌ててまた体を見渡すが、さっきやったじゃんと顔には出さずに心中にボヤく。

 そんなに珍しいかね。人が制服着てないことが……。

 フンと、勢いよく鼻を鳴らし盆と体を返却口へ向かい、そのまま外へ流れるように出ていった。

「あっ、いっけねー!!」

 何回かの廊下をお怒りモードか何かを思わせる形相で急に冷静になったのか周りに何か足りないと思い、振り向いたら綾陽の姿が見えず、声量関係なく大声を出してしまった。

 あたふたする明日乃はしばらく冷静ではいられなくなり、廊下を適当に駆る。が、道など分からない明日乃は暴走列車のごとく動きまくった。

 結局、散々走りまくったあげく、部屋に戻りベッドに仰向けに転がったところに綾陽が部屋にタイミングよく戻ってきた。

 綾陽の額には光る何かがあり、綾陽も頑張って探してくれたのだなと、明日乃はちょっぴり嬉しくなった。

 綾陽も明日乃と同じようにベッドに腰を下ろした。

 同時に明日乃はベッドから降り、タオルの入っているバッグのところに足を運ぶ。バッグから適当にあさり、取りだして綾陽に手渡しの形で差し出した。

 ありがとうと一言口にして、手に取り額の光る何かを拭う。明日乃は次いでに冷蔵庫に向かい、水の入ったペットボトルを2つ取りだし、一本を手渡しで綾陽に渡す。

 カラッカラッに渇いた口内砂漠にオアシスの水を流し、ごきゅごきゅと咽をならしながら口内を潤す。

 つい一発で約半分以上飲み干してしまった。

 二人間で沈黙が長く続いたから、喧嘩をしているのではなく、互いに咽が渇いていたのだと。

「くぅ~~~………い、生き返った!」

「だね~~~!」

 涙の玉を目に浮かせながら、明日乃は歓喜の声を上げる。声のトーンからして本当に喜んでいると綾陽は気付き、笑みを浮かべながら返事を返す。

 ほんの束の間。

 だけど、綾陽には長く感じられた。でも、この時間は一瞬で、あっという間だけど、なにより幸せで。

 一度、目を開き姉が再びベッドに腰を下ろし、くつろいでる姿を綾陽は一瞥し、笑った。

「ん?……どした?」

「ううん。何でもないよ……!」

「………そう。あっ、今日の予定は?」

 明日乃は小首を傾げ、なにも知らないという目をして綾陽に問う。綾陽はなんの戸惑うような素振りをせず、ベッドから腰を上げテーブルに歩む。

 テーブル向かいながら綾陽はこれが一日の始まりと密かに思った。

 日課というかなんというか姉の記憶の悪さとはまた違うが、頼られるのも悪いものではなかった。

 プリントを取り、日付をちゃんと確認しスケジュールを読み上げていく。

 まるで、姉のマネージャーじゃないかと綾陽の脳内では言葉のワードにマネージャーという言葉が急上昇していた。

「じゃあ、言うよ。今日はまず八時四十五分までに教室に行くこと。で、ロングホームルームをやって、その後は第三アリーナにてISの基礎知識と操縦をやるらしいから、教室に行く際は着替えを持っていくこと!えーと………。まあ、こんなとこかな?質問とかは?」

「んにゃあ……!無いね!」

「じゃあ準備して……!」

 はいよ~~!と軽快な口調でスポーツバッグをあさり、準備を進める明日乃の背中を見ながら綾陽は安堵をつき、準備を進めた。既に準備を済ませていた綾陽は再度確認の意味をかけ、荷物に触れた。

 鼻唄を唄う姉はご機嫌で、姉というより妹のように綾陽には見えていた。

 あれからどれだけ経っただろうか?

 綾陽はちらと、壁に飾ってある円形の褐色のオーソドックスな時計を見やる。

 ホームルームが始まるまで、三十分もまだある。

 先に行って、友人を作るのもありだ。それともギリギリまで待つか。それこそ焦り、道に迷い、と考えると………どうしたものか。

 一様聞いてみよう。

「お姉ちゃん……?」

「……ん?」

「教室いつ行く?まだ、三十分くらいあるけど………」

 綾陽は言葉を濁し、然り気無く訊くことにした。姉の意見も取り入れてからでも遅くないと綾陽は冷静に判断し、導きだしたからだ。

 少々、沈黙があったが返事はちゃんと返ってきた。

「………行くか?」

「いいの?」

「ああ。ここに居続けるのもなんかねぇ」

 ベッドから腰を上げ、柔軟体操で体をほぐし、着替えの入ったバッグを手に取った明日乃はノブに手をかけそう言葉を紡いだ。

 うんと頷いた綾陽もバッグを担(かつ)ぎ、明日乃の後ろをついていく。 

 ガタンと軽くドアが音を出し閉まり、二人は廊下を歩いていく。

 少しの不安と好奇心を持って。

  

 

 

 

 やはり、昨日と光景は変わらないやと明日乃は席に着いたとき自覚した。

 朝といいなんといいこの視線をどうにかしてくれ。ストレスで胃に穴が空いちまいそうだ。

 腹を押さえ、苦悶(くもん)の表情をする。

 目を泳がせたところで、私、私、私か………。人気者は疲れるよ。違う意味で。

 明日乃は腹を押さえたまま、勢いで机に伏せた。

(このまま寝ちゃえ……!)

 言葉が効いたのか瞼(まぶた)が重くなりつつ、次いでに意識もおぼろ気でどうでもよくなってくる。全てが。全てが諦めちゃえモードに転換されていく。異常なし。

 意識が飛ぶことすら分からず、ただ瞼を閉じただけなのに眠ってしまったらしい。

 でも、いつ寝たかまでは分からないけど、この痛みは………、

 ――――ズドッ!

 グフィ――――!………バタッ!―――キャヤアーーー!!!

 一連ではとても分かりにくいが、私には第一波にそう感じられた。身体中に電撃が走って、画面が真っ暗になって………。気づいたら、立ってて、女子の悲鳴が教室中につんざくように響き、後ろに鬼と子分が………。

 ………そうか!まず、整理をしよう。

 私は無意識に寝ていた。で、その後に衝撃のところと鬼と子分のところを合わせることができる。

 衝撃は織斑先生の手元を想像すれば分かるが生憎と手元は見ていなかった。でも分かる。ただの出席簿だ。ただの出席簿のハズなのに鈍い音がして、でも出席簿は無傷で、私は重傷で。―――てか、強度が可笑しいって……!

 頭部に物凄い衝撃が走って、脳に信号を送るのが遅くなったのがわかる。なんせ、気がついたらその場に立っていたのだから。

 その後、追い付くように思考が、慌てた私に指示を送り、私は周りを見渡した。

 叩いた犯人を確認するために。

 目を細め、ナイフのような鋭い視線を教室中の女子達に向けた。悲鳴のような声が聞こえたが気にしない。

 明日乃の視線は教室中には私以外に皆が制服を身に纏っているなか二色の、いや多色の服を纏っている人たちで視線は止めかつ、その時犯人も同時に分かった。

 一人は織斑先生。因みに目があったが慌てて眼を逸らした。

 それともう一人、頑張って大人を演出している山田先生?が、状況を把握しているのかいないのかは置いといてとにかくあたふたして見苦しいというかうっとおしい。

「いつまで寝ぼけている?馬鹿者がっ!!」

 いや、貴女の一撃でかなりクリーンであります!なんて口が裂けてもいえたもんじゃないというか言えない。また、叩かれるのも嫌だし。

 ぼそぼそと呟いたのが織斑先生の耳に届いたのかパンっと、軽快かつ重い一撃が明日乃の頭上に再び振り落とされる。

 ぐげぇ――!

 一体これで何万ものの脳細胞が死亡したのだろう。葬儀屋は大賑わいだな、こりゃあ。

「ほれっ!席つけ!ホームルームを始めるぞ!」

 パンと、教卓に出席簿を叩きつける。すると、教室中は黄色い声で包まれた。

 一向に静かにならない教室に呆れ返る織斑先生は、はあと溜め息をついた。その表情を見て明日乃は大変なんだなと、同乗しそうになった。表意的にだが。

 

 

 

 



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第八話 白刃が狙う奇跡

 

 

 教室が静まるまで、さほど時間はかからなかった。

 あの織斑先生に便乗しかけた、数秒間のことだ。

 再び出席簿が教卓に叩きつけられる。ゴンと教卓と出席簿の鈍い音を奏でる。出席簿からは白い煙が天に昇っていく。その姿を目の当たりにして明日乃は何度も瞬く。

 叩きつけた本人は無言で頭(こうべ)を垂れる。

 静寂の間が訪れ、むしろこの状態で喋ろうものは喋ってもらいたいという気分だ。

 針積めたピリピリとした空気。それは肌をちりちりと責める。

 明日乃も含め視線は織斑先生に一点集中し、次の展開を待つ。少なくとも恐怖感はあるのだろう。 現に私は体を逆立つ刺激に驚かされているのだから。

 あたふたする山田先生を見、再度織斑先生を確認する。

 異変はない。でも、違う意味で異変は続いている。それはやはり織斑先生の態度である。

 鬼がいる。鬼がいるのだ。

 眼前に。口元に弧を描く鬼が。

 けれど、その光景もまた一瞬で・・・。

 ――――くしゅんっ!

 そう。その一発で。

 終わったのだ。

「んっ……!すまんな、少々花粉症気味でな」

 鼻孔辺りを指で擦る。少々荒く擦ったのか鼻が赤い。

「えっ!………!?」

 私はすっとんきょうとした様子で織斑先生の方を見た。

 驚いたのは私だけではなく、クラスの皆もだろう。呆気を取られた。本当に。

 今まで、鬼のような形相で、何を言うかと思えば、くしゃみで、この緊張感は何だったのだろうか?

 笑いたい反面笑えないというものだが、感情の表れか顔が引きつる。つまり苦笑に落ち着くのだ

 

 

 

 

「これより、ISを実際に動かしてもらう」

 鋭い視線が和らいだ時、織斑千冬の口からはそんな言葉が出たのを明日乃を含めてクラスの女子たちは歓喜の声を漏らすばかりであった。

「「『おーっ!!』」」」」

 壮絶なHR(ホームルーム)が一難過ぎて、私たちはパイロットスーツに着替えここ第三アリーナに身を落ち着かせていた。綺麗に整列した横列に明日乃は息を吞んでいた。これが織斑先生の力?と。

 パンと織斑先生が持っていた竹刀がからからに黄褐色の乾いた土に一太刀入れる。

 条件反射といわんばかりに皆体を跳ね上がらせた。

 体は正直だ。待ちに待ちわびたISの操縦となれば、皆子供のようにはしゃいで、中には歓声をあげるものもいたが、明日乃はそんな女子達とは少し温度差があった。

 はしゃぐ気持ちも分かるが、試験の時、乗ったでしょう?!

 それは通り越す勢いでいかないと。もう大人なんだし。

 はあと、ため息を吐いた後周りを見渡す。

 すると、第三アリーナには私たち以外にも点々と女生徒と鉄灰色の姿があった。鉄灰色のISは見た感じ、十数機はある。因みに私のところは四機も設けてあった。

 既に動かしているところもあるが、私のところは生徒が賑やかで、先生が黙るのを待っているみたいだ。

 白いジャージ姿の織斑先生の手には竹刀を何度も手のひらの上で弾ませる。まるで、時間をカウントしているみたいだ。

 先頭にいる織斑先生の行動に視点をあわせ、指示を待つことにした。あとなんカウントするのだろうか?

 その織斑先生がどこか落ち着かない様子で、私達を見ていた。

 それが気になった明日乃は先生の視線を追いかけるが、視線に気がついたのかこちらに視線を変えた。目があったようで、慌てて目を反らす。

 今までのは気のせいかのように。でも少し気になったので、ちらっと視線を先生に向ける。

 うっすらと口元の端を緩ませ、先生は笑っていた。―――気のせいだろう。

「では、見本を………藤崎にやってもらう」

 ドキッ…………!!

 急に心の臓が跳ね上がった。心臓に送られる血液が絶賛上昇中。

 動揺を隠しきれず、体温が上昇するのと手先が冷たくのが分かる。これは緊張というのだろうか。

「藤崎っ!」

 二度目の咆哮――まあ、大袈裟に言えば、の話。二度までは許されても三度目は許されないという云々を聴いたことがあったので、明日乃はため息をつき、渋々前にいくような形で前に乗り出るついでに唇を震わせていた。

「はいっ!」

 考えている間に視線は私に集中していて、先生の鋭い目線が突き刺すように痛い。

 前には鎮座した打鉄とジャージ姿の織斑先生がいた。

「よしっ、来たな。では、乗り方は分かるな?」

「はいっ。分かってます…!」

 ISに乗るのはついこの間の入試試験の時以来で少し曖昧なところもあるが乗れないわけではなかった。

 鎮座したISの装甲がプシュッと音を立てて開いた。まるで私のことを呼んでいるようだった。

 装甲に当たる部分に体重を預ける。すると開いていた装甲は私を感知したのか、閉じる。

 身体に走る装甲は不快感を与えることもなく自然に走り、一体感という文字を明日乃は連想し、微笑した。

 カシュッという空気の抜ける音に次、眼中でパラメータが上下に揺れる。一瞬、ウッと眩んだが慣れは速く、パラメータはすぐに修正を始めた。

 緊張は確かにしていた。でも、IS………、いや打鉄が送る何か不思議な力が私を落ち着かせていた。

 打鉄(うちがね)がその場で立ち上がるのは正常に起動したのと、私の指示に従っただけのことだ。

 立ち上がりとともに無重力に襲われたのは肩の部分に浮いている推進機(スラスター)が正常に起動した証拠だ。

 膨大の情報量が脳内に自動的に送り込まれる。

 推進機(スラスター)正常稼働。

 皮膚装甲(スキンバリア)展開完了。

 ハイパーセンサー最適化……完了。

 システム以上なし………了解。

 一斉に通知が来たのにはびっくりしたが、対処のやり方はわかっているのですぐに消した。

 軽く息を吐く。それはちゃんと起動したことにたいする安堵の息だった。

 肩の力をガス抜きの容量で抜いていく。ガス抜きをしないとこれにまで影響を及ばしてしまうのだ。いかに打鉄を受け入れるか、受け入れないかですべてが決まってしまうほど。大袈裟になってしまうが強者のような動き一般の物と比べるとしなやかでかつ、美しくそして潔い。その他いろいろと合わさっているのではないかと私は思うのだ。

「織斑先生!OKです!」

 織斑先生はこちらを一度一瞥し、指示を出した。

 それは手元の竹刀からの一太刀によるもの。パンという音が聴こえたのち私は無意識に体を動かしていた。なぜなら、断るという道理がなかったから・・・。

 

 

 

 

 基本動作といえば、歩行、刀を形成し、軽い身のこなし。…………くらいだろうか。

 織斑先生を始め、クラスの全員の視線が私に釘付けになるわけなのだが、女子達はコソコソと耳打ちやどうでもいいような会話をしていたのを確認し、適当に処理した。

 私的には真剣に見られるのはいかんせん慣れていない。できるなら違うことに集中してもらえると非常にありがたい。

 閉めに近接ブレードを無限(∞)という文字を軽く描き、左腰に携えた鞘に刀身を収め、基本動作を終えた。

「これでいいでしょうか?」

「ああ、戻っていいぞ?」

 降りる許可が下りようが下りまいが、私は降りるつもりだった。

 スタッと、靴が黄褐色の渇いたグラウンドについた途端に体が、重く感じたのはISから解放された証拠だった。

 ずかずかと大股で歩幅を大きくしながら自分の並んでいた場所に戻る。視線を集めたが、それは一瞬で再び織斑先生のところに視線は集中していた。

 

 

 

 

「では、以下の通りだ!呉々(くれぐれ)も怪我人を出すんじゃないぞ?!」

「「「「はーい!」」」」

 怪我人なんて出ませんよと、明日乃は心中で相槌を打った。

(まあ、朝の予想が的中しない限りは、大丈夫だろう………?)

 当たる要素はないが、なぜか朝の予想が脳裏を過(よぎ)る。これは警告だろうか。

 

 

 ―――キヲツケロ………。―――と強く念を押されているようだ。

 

 

 ハッと、明日乃は這い上がってくる恐怖に眼を見開き周りをみやった。

 特に何の代わりのない。ISの基本動作中の女性とたち。でも、何かがこのあと起こるはずだと教えている。体が、空気が、針詰められたようだ。舌が喉に張り付いて息苦しい。酸欠なのか視界が定まらない。

 

 

 そして私はここにいる子たちを疑うのか?―――異分子だといって、弾くのか?

 

 

(違う………!)

 明日乃は首を左右に振る。ポニーテールに結った栗色の髪が激しく左右に揺れる。

 荒くなった呼吸を深呼吸で落ち着かせる。――三回目でなんとか落ち着きを取り戻せた。

 目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。

 決して犯人捜しをするわけじゃないと自分に言い聞かす。

 ゆっくりと覚醒する。明日乃は真っ直ぐな瞳で何かを追う。

 明日乃の目はISに自然と目線が示していた。自分のクラスではない他クラスだ。

 確かに有り得そうだ。だが、自分のクラスも疑がわなくては差別だ。

 どちらにしろ動くときにはそれなりの動きをとるはずだ。

 自然に眉間に力を入れ、シワを作り、腕を組みながら周りを見渡した。

 特になにもない男子がいたら喜びそうな光景だった。

「あの…………ぉ」

「ん?」

「ひぃ…!」

 うちのクラスの女子生徒が突然と驚いた。

 明日乃は自分が怖い顔をしていることを驚いてから気がついた。

 怯えきった少女は順番を教えに来たのかもしれない。なぜなら、私が並んでいる列の前には誰もいない。いるというかあるのは鉄灰色の塊。打鉄だ。

 沈黙があった。

 カシュッと打鉄がハッチを開ける。私を待っている犬のようで明日乃はふんっと鼻で笑う。そんな姿を見た少女が・・・

「あの…………」

 明日乃に聴こえるかわからないような声で語りかける。少々上目使いな面がキュンと来たが、辛うじて―――聞き取れなかった。

「……ごめん!」

「えっ………!?」

 少女を一瞥し、私は爪先を打鉄に向け、一歩を踏み出す。ついでもう片方。足取りは少々重い気がする。

 寒気がする。脈が上がってきているのが体感できる。

 今日が世界の終わりかというのは大袈裟さかもしれない。

 これくらいのことを言わないと落ち着かないのを私は私なりに知っている。

 明日乃は地を蹴り、少し強引だが、打鉄に飛び込んだ。それをクッションのように打鉄はカバーしてくれた。

 身を打鉄に委ねる。二度目でもう慣れている。もう心配は、何もない。

 先程とは違う感触が身体中に広がるのが分かる。これは緊張感だろう。

 だが、推進機の起動の際は一瞬だが気が楽になった。

 すべての起動を確認の後、ハイパーセンサーの解像度でさらに周りを睨み付けるように、一人一人を明確に判断するために見た。

 キャッ、キャッと女子たちの喧騒に、ぎこちない動きのIS。少し慣れたのか動きが機敏の彼女。………特に変わったような現象はない。

(やはり、気のせいなのか…?)

 胸に手を当て、心拍数を測った。

 脈は差ほど速くはなく、気味が悪いほど落ち着いていた。鮮明で、とてもクリーン。相手の動きがはっきりと見える。太刀筋や脈拍、推進機の駆動音が、全て知覚出来るのだ。これほど気味が悪いことはなかった。

「――――あっ…」

 周りの女子からの視線を感じた明日乃は身を竦めた。今まで喧騒の中で気にした様子がなかった女子たちの視線は私に集中していた。

(なんで、見てるんだ………?)

 一瞬だが、背中に何かがうねる。たとえるなら背中に鰻を入れられるような感じだ。

 これは普段から目立たない自分がこんなに注目されることに慣れていないからだった。

 だから、明日乃は背を女子たちに向け、適当に動きを誤魔化すような行動に出た。

 とった行動はウォーミングアップに近い行動だ。

 

 

 ――――ズキン !!

 

 

 明日乃は不思議な痛みに顔をしかめた。片眼を閉じ、眉を中心に集め、そっと額に手を添え、その場に膝をつく。――――激しいことはしていない、なぜだ?

 はあはあと、動悸が早くなり、視界が眩む。

 首を横に振り、否定するように意識を正す。

 その時だった。

 

 

 ――――ガタンッッ!!

 

 

 反射より思考よりも、早く研ぎ澄まされた神経がそこを追う。

 見開いた瞳は、何を見た。

 微動だにしない打鉄と鉄の塊が地を這うように寝転がっていた。

 明日乃は微動だにしない打鉄の方に目線は釘づけになっていた。

 打鉄は何かを持ち上げていた。地に伏せたのと同じ―――打鉄を。

 一体目は地に虚しく転がっていて動く様子がなかった。二体目、今まさにそれが落ちようとしていた。

 悶え苦しむ姿を快楽のように感じ、手中に少女の首を収める姿に明日乃は眼を見開き、その場で硬調し、間髪入れる前に自分のなかでさらに神経が研ぎ澄まされるのを感じた。

 不可思議な痛みと緊張感が何事もないように消えたのはそのあとすぐのことだった。

 

 

 ―――ガタンッッ!!

 

 

 二度目。

 それが引き金(トリガー)となった。

 歯を食い縛り、地を思いっきり蹴りこむと鈍い音がアリーナ内に轟く。それはまるで明日乃の内心を表しているかのようだった。

 明日乃は何かに弾かれたかのように推進機(スラスター)を吹かす。

 打鉄との距離はざっと、一〇〇メートルだが、こんな距離は造作もなくすぐに追い付くような距離だった。

 瞬く間に地に伏せた打鉄を通りすぎると、ハイライトを失った瞳で私を見ていた。

 まるで、糸が切れた操り人形のような姿をしていた。グデッと、骨を抜かれた状態とも言える姿に明日乃の心中で何かが萎(しぼ)む。

 ―――大丈夫なのか?…………心の片隅にある気持ちが口走る。

 いや、今は…………。同情で、なにか変わるのかっ!?

 視線を落ちた打鉄から打鉄に集中させた。

 ギュッと、さらに奥歯に力を入れ、近接ブレードを呼び出す。

キンッと、束を強く握りしめ直す。

 手元にある近接ブレードを鞘から抜刀し、 その勢いで鞘を投げ捨て、両手で束を掴み取り加速という勢いで思いっきり斬りかかる。

「はアァアァアアッ!」

 上段に持ち上げられた腕、近接ブレードは綺麗な弧を描きながら相手の面と胴のラインを捉え、右肩斜めに流れる勢いで振り落とす。

 近接ブレードを引いた際に砂嵐が巻き起こり、明日乃と相手を互いに見失いかけたが、打ち込むことはできたはずという確信が優先された。それと絶対防御はちゃんと発動してはいたのだろうか?という疑問が一の次に思考をもやもやさせた。

 絶対防御とは、量産機から専用機に備われているパイロットを守るための能力だ。

 これを破らない限りはパイロットに直接のダメージは与えることはできないという優れものだ。だが、この能力がパイロットを守る際は極端にシールドエネルギーを消耗する。当たらなければどうということはない。という言葉が身にしみる。

 明日乃が心配していたことだ。もし相手がこれを切っていたとしたら?と考えてしまうと戦慄が体を支配する。

 相手を切った時にシールドのようなものに当たった感触がしなかったからだ。本当に人を切ったような―――気のせいだ。これが切るということなのか?

 自問をして数拍の間が過ぎ砂嵐が、晴れていく。

 回復してきた視界に入る影は武者の鎧を模した―――打鉄が佇んでいる。

口元を眼にとどかんばかりに歪ませる。

「はっ!?」

「どうした?………終わりか?」

 えっ………!?

 ドウイウコトダ…………?思考が混乱を生じ、動揺の表情を浮かべその場に佇む形になった。

「じゃあ、こっちのターンだ」

「なっ…………!」

 冷ややかな声は明日乃の身体を舐める。

そして頬に汗を一筋垂らす。

 身の毛が逆立ち、何かに弾かれるように推進機を噴かし、その場から逆方向に離脱。

 その刹那、明日乃が離脱した場所からはヒュッと、風を切る音が聞こえた。

 そう。打鉄は自分の刀の方を天に向けるように切り上げたのだ。紙一重で回避はできたものの体を 震わす戦慄はより一層酷さを増していた。

 思いっきり推進機を付加したおかげで距離は2,3メートルは離れることができた。

 推進機を思いっきり噴かさない限りはすぐには顔を直接会わすようなことはないだろう。

 虚脱感が体中を支配する。無意識に膝から地面に跪(ひざまず)く。近接ブレードを杖のように地面に突き立て起き上がり周辺を見やった。

 周囲は蛻(もぬけ)の殻のように、私と前の打鉄しかいなかった。

転がった打鉄たちはすでに回収されていた。

 いつの間にという感想があったが、これで思う存分暴れられるといってもいいのだろうか。………そこは分からないが助かったという気持ちは身体の底から込み上げてくるのは分かった。

 

 

 



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第九話 疾り出すそこに

 

 

 

 

「ぐっ……」

 頭上に走る痛みは激しさを増し、意識が持っていかれかける。よろけた身体は次ぐようにその場で両足から崩れ、四つん這いの体勢になり、黄褐色のグラウンドに写る自分の影を明日乃は見つめた。

 近付く、推進機(スラスター)の駆動音に耳を傾けるつもりだったが、意識朦朧として身体に自由が利かなかった。

 辛うじて動かせた瞳を向かってくるなにかを一瞥するや否、そこで意識が無くなっていた。

 

 

 

 

 私は昔から変わった夢を見続けている。

 この変わった夢には少し悩むところがあるが、予知夢(よちむ)という分類に入る。

 この言葉の元を辿るとなると、予知夢という言葉は予知と夢の二つを絡めたものだ。

 言葉は未来のことを夢の中で見ることや、夢で見たことが現実となることだ……ということを小さい頃にフリップかなんかで簡単に教えられた記憶が微かにあるが、なぜか病院が嫌いなのである。

 

 

 

 

 私が見る夢は、決まって“天使のような少女”と“私”が手を繋いで、空をただただ観ている夢だ。客観からすれば至極つまらないだろう。

けれど、私たちはその時間をとても楽しんでいた、満足していた。堪能していた。

 そんな時間が私は好き。

 この時間がずっと続くのであれば、続いてほしかった。

 時間はいつまでもというものではない。無限ではない、有限なのだ。――――私が目覚めるまでの有限の時間。

 ――――――それを告げるように―――――。

 彼女は決まって繋いだ手を離れて、蒼穹の空に吸い込まれて行くようにどこかに消えてしまう。

 それを、掴めるはずもなく虚空を虚しく仰ぐのみ私にその子は不意に毎回違う言葉を紡ぐのだ。

 それが、今日の出来事を暗示し、予知夢に変える。

 過去にも何度も助けられてきた言葉。

 でも、私はその子を知らない。顔もよく分からない、容姿も、性格も………。知っている、分かっているのは彼女の声と温もりだけなのだ。

 天使のような優しいソプラノのかかった声に私は安堵を覚えるのだ。

 眠たくなるような。彼女の温もりを身体を伝って感じる。柔らかい……それは人本来が持つ優しさにも似た感触。

 そして、うつらうつらな私に囁くように、彼女が唇を震わす。

 

 

 

 

 ―――――諦めないで………。諦めないで、ちゃんと前を見て………。

 

 

 

 

 ―――――ハッ――――!

 

 

 

 

(今、私はどうしていた………?何をしていた………?)

 明日乃は一方的に自問をし、思考を揺るがす。

 ブンブンと頭を左右に振る。それに伴って栗色のポニーテールが乱れるように揺れる。

 眼が醒めるまでに数秒を有した。

 今、自分が何をしようとしているのかに理解が要されたが、それは眼前で余裕をこいて私を挑発する打鉄の姿ですべてを思い出せた。

 まだ、終わっちゃいない。そう思えるのはなぜだ?なぜ、意識を別のところに移す余裕ができたのか。どうして夢のことを思い出すのだ。

 自然と先ほどの痛みは消えていた。

 関係があるのはわかるが、このような時に。明日乃の頭は熱くなり今にもパンクしてしまいそうだった。

 再び自問自答をする。一瞬でいい。時を止まってくれ…………!

 

 

 

 

 そんな時だった。

 

 

 

 

 一瞬、景色(ヴィジョン)が反転したように思えた。

 カチッと、時計の針が刻んだような感覚が襲ったのち、体が無重力を体感しているはずなのに対し、重力を感じるようになった。

 同時に時も止まったように感じられた。

 全ては気のせいだと、そっぽを向きたかったがこれはリアルであった。

 景色は写真にあるポジとネガのように、ネガの方が強調される感じに写し出され、次ぐように周囲を見渡すとどれもこれも反転し、さらに人も時間が止まってマネキンのように静止し誰も動こうともしない。否、動けないのだ。

 実に不可解な体験をしている。

 それを体感した明日乃は吐き気さえ覚えた。

(私が願えば、叶うのか…………?)

 もはや明日乃は自問を止め、過去を振り返っていた。思い出すためには朝から。朝から思い出すことにした。

 確かに朝に何か変な感じはしたのは事実。でも、こんなことを予想の範疇に入れた覚えはない。というか予想の範疇をすでに超えていた。

 あまつさえ時間が止まり、ポジがネガになるなんて誰が予想したもんか。出来ても神くらいか?――――それすらも危ういか。

「一体どうしたら、戻るんだよっ!!」

 明日乃は心中の内をこの場におもいっきり吐いた。吐いて、吐いて、吐いて。嗚咽が出るまで吐きに吐いた。

 息を切らし、明日乃はネガになった打鉄を睨んだ。「なんで、こんなことになるんだよ。あんたがいたから狂った、どうしてくれんだよっ!!」

 明日乃はその場で地団駄を踏む。

 次第に威力は無くなり、その場に落ち着き、拳を血が出んばかりに力一杯に握った。

 そんな、時・・・

『眼の前のやつ、なんか腹立つよな?』

「確かに、ね。…………って、だれ!?」

 明日乃は顎に手を当てて、質問に対して冷静に答えたのと同時に、右側面から何かがにゅっと顔を突き立てていた。人の顔をしたなにか・・・?

 冷静に考える前に明日乃は身を跳ね上がらせんばかりに驚いた。

 そこには反転も、時も止まっていない自由に動き回っているなにかがいた。それでいて私に手を振って、笑っていた。

 私は再び、不快を感じた。

 ぞわぞわと背筋が逆反るような感覚が襲うのは何なのだろうか。

 彼女があまりにもこの空間で奇抜だからだろうか。あまりにも特別というか。

 綺麗に指が流れるであろう黒髪は右側だけを輪っかに纏め、左側をストレートな感じに流していた。奇抜とは違う感情が脳裏を過るがまあ、受け流すことにする。

 視線を代えようとすると、目と目が合う。こちらをジッと見つめてきた。

 夜空色の瞳は大きく見開かれていて、ブラックホールのように吸い込まれてしまいそうだったので、慌てて視線を違うとこに移した。

 真珠のような白い肌は少し血管が透けて見え、無駄な肉がついていない腕、太股は大胆に披露され、私は同姓なはずなのにも関わらず、胸が高鳴っていた。

 服装に私は疑問点を感じていた。そう、布切れ一枚だったからだ。色は褐色。所々が焼き焦げていた。辛うじて服と言えるラインだがもう少し焦げていたのなら危ないという領域だった。

なりふり構わず彼女は動き回るので少し華奢な肩と浮き出た鎖骨が布越しからちらちらと覗かしている。無意識にそこに眼が行ってしまい、挙句。眼を逸らすも何度も何度もそこに眼が行ってしまう。

非常にドキドキしていた。

 理由はともあれ、彼女はここの世界の住人に違いないと明日乃は確信を得ていた。

 不意に彼女の声が耳に届く。

 彼女の声のトーンは夢の少女の波長と少し似ていたが彼女ではない。

『おーい。聞こえてるー?』

「わっ!?」

『わっ!って、こっちを驚かしてどうするよ?』

「ごめんなさい」

 ………って、なんで謝ってるんだ?しかも平謝り。

「ところで、ここって…………?」

 まずはさり気なくこの空間のことを聴いてみた。

 ここと、彼女はジェスチャーで示した。人差し指を両方下に向けて。

『君、名前は?私は…………あれっ?なんだったっけなー………』

 言下とともにやってきた静寂という風に明日乃は武者震えを覚えたのと同時にズコッと、その場で転ける明日乃。

(ボケているのか?………私にツッコミを期待しているのか?)

 けれど、表情は真剣そのものだ。けれども・・・・。

「名前が、な………い?」

 呟くように口にした。

 今だ、必死に眉間にシワを寄せて考えている姿を見ると………やはり。

 何か閃いたような明日乃はこう言う。

「じゃあ………えっと、神楽『かぐら』なんてどうかな………?」

 彼女は一度見開き、そしてすぐに瞼を閉じ笑った。

 嬉しかったのか嬉しくなかったのかはよく分からないけれど。

 この風景でなければ、私も心から喜べだろうか。気分は名付け親みたいな気分だ。

 その刹那、拍子抜けしたような声が耳に届く。

『いいねー。神楽か………!』

「気に入った?」

『うん。………私は名前決めてもらったけど、君の名前はまだ聞いてなかった』

「私は明日乃だ」

 よろしくと明日乃は次いで、右手を差し出す。

『ああ、よろしく』

 と、掌と掌を絡め合わせた。

 少しだけ、神楽に強く握られたような気がした。

 

 

 

 

「………で、いつになったら出られるんだ?」

 明日乃はついに不安に達してしまった。

 あれからどれだけの時が過ぎたのだろうか。否、この空間では時間がない。あったしても体内時計くらいだろうか。・・・と、そんな茶番はどこかに置いといて。

 今は怖いのだ。このネガの世界が。

 ―――時も動かず。

 ―――ダークカラーが気持ちを沈ませ。

 ―――そして極め付けが神楽と名付けた彼女が時間に干渉、制限されていないのがなによりも奇妙でほかならなかった。けれど、話しているうちになんとなく解消されていくのだが、ここを出るということは解消できず、こうして愚痴を吐いているのだ。

 彼女はただ何も言わずに話を聞いては補足や解説などを時々挟んできてくれるので、少し明日乃は嬉しくなった。

 寡黙な少女じゃなくて良かったと、胸を撫で下ろした。

 だが、この言動を聴いた神楽はシュッと顔を引き締め、明日乃に囁くように言った。

『君はそう願うか?―――外に出たいと………出たい。出た後どうするのさ?君はこれを見て打開できるほどの力が備わっているのか?』

「分からないな………。でも、ここに居続けるのはなにもできない気がして」

 明日乃は俯き、地を見た。やはり、気を沈ませる色は気を沈ませる。

 視線が足元に落ち着くと学校指定のスニーカーが見えた。というか履いていた。

 いつの間にか、身に纏っていたはずの打鉄がどこかに消えていた。いままで違うところに意識を配らせていたせいだろう。どうりで、体が重いわけだった。

 あたふたと、明日乃は自分の肢体を何度も見直した。パイロットスーツに四肢に纏うサポーター。 ただそれだけを身に纏っていた。

 視線を神楽に向き直す。すると、彼女は全てを知っているような表情を浮かべ、口元を動かす。

『今の君を見ていると、どうしても焦っているようにしか見えない。焦る気持ちはわかる。不安を感じる気持ちもわかる』

「本当に分かっているのか。君には分からないと思う。……私がここに居たくない理由が・・・」

『そうだね、私には分からない。外のような知能が発達した人とは違うから。でも、私がここに君を読んだのは今の明日乃が危険だから』

「危険?……これのことか?」

 クイッと、親指をネガの打鉄を指差した。

『それもだけど、これからあなたはもっともっと、危険に晒される。それを防ぎたいの。見た感じあなたは優しいから、なんでも快く受け付けちゃうと思う』

「それが何だって言うんだ?眼の前に困っている人がいたら助けるだろう?」

『それが逆に自分を殺す。君は自分が変わろうなんて考えてはいないだろうね?……もし考えているのであれば、考えを変えた方がいい』

 ――――自分を殺す?考え一つで、か?いくらなんでもそれは大袈裟な気がする。

 でも、この胸騒ぎは何なのだろうか?まるで、私が変わろうとしていたのを見抜かれたような気持ちだ。

「なら……なら、どうしたらいいんだ。私が救われるのは」

『気が変わったの?明日乃』

 神楽は口端を歪ませ弧を描いていた。その笑みはほくそ笑んでいた。

「あくまで聞くんだ。それが参考程度になるのであればだが・・・ね?」

『今の君の使っている打鉄つまり私なんだけど、もうじき量産型ではなくなる。理由は明日乃、あなた自身がプログラムをとっさに書き換えるの』

「書き変える・・・?この私が・・・?」

 そんなセンスが私にあるのだろうか。人生で私は機械に触るような時はパソコンくらいでネットを見る時のみだ。それ以外にパソコンをいじるなんて。

「ばかな……、別人じゃないのか?私が君を書き換えるなんて」

『できるんだよ…。人間には誰にも潜在能力が存在するのは君にだってわかるはず、君の潜在能力はプログラミングなんだよ』

 彼女の熱弁を聴いていると本当に自分にはそのような力があるのではないのかとそう思えてしまう。

「――――そんな、そんなことがあるんだな……。っくく、あははははは」

『?――――何がおかしいんだよ?こっちは真剣に話してるっていうのにさ』

「ごめんごめん。急におもしろくなっちゃって、あー腹痛てェ」

 左手で腹をさすり、右手で神楽にごめんとジェスチャーでアピールした。

「…でもさ、これが私だからな・・・。いくら忠告を言われようがな・・・、でも嬉しかった。初対面の娘にここまで言われるとはさ。ビックリさ…」

 明日乃は照れ臭そうに笑みを浮かべ、双眸をどこかに彷徨わせる。

 次いで言う。

「そんな神楽の忠告を踏まえて、私はたった今決めた。私は運命を受け止める。さっきは自分を変えようって言葉に動揺したけど、今思えば何も変えようだなんて最初から考えていなかった。今更変えようだなんて事はしない。やっぱり、変えるにも変えられないんだよ。私の場合は眼の前で困っている人がいると助けたくなっちゃう病気なんだ、持病なんだよ。治らないんだよ、これは。だったら、一緒にこれからも歩いて行くしかないんだよ」

『それが明日乃の、たたか、い……?』

 少し困惑の表情を顔に出す神楽。様子から察するに予想外のことを解答されて混乱している。そんなような顔をしていた。

 眉根を引き寄せ、眉間にシワを浅く刻んでいた。

「……それは、どうかな?でも、あの状態は打開できると思う。ていうか、やんないと。物語がいつまで経っても進まないでしょう?」

 視線を一回、神楽から打鉄に向き直す。相変わらず嫌な顔してんな。

 明日乃はその嫌な顔にパンチを食らわしたくなった。……が、今は堪えた。

『だ、だったらここにいればいいでしょう?それなら安心だし……!』

「確かに、安全だな…。でも、こんな薄暗い所にいつまで、もってのはあまり好かないし、人間として腐っちゃいそうで、ね。こんな色より明るい色見てる方が私はいい」

 それに、と明日乃は言葉を続かす。

「私にはプログラムを書き換えるっていうすばらしい力があるんだろ?んで、神楽。お前を書き換えてしまうんだろ?こんなすごい能力があるんなら、逆手にとっちまうしかないだろ。有利とか不利とかは関係ないはずだ。要は使うか使わないかなんだよ」

『だから、私を……使うのか?』

「や、てか何その顔?さっきまでまるでわかりきってますーみたいな口調だったのに、どうしたんだよ?……もしかして怖気づいてます…?急にこんな話をしだしたから……?」

『か、かかからかわないでほしいなっ!!!』

 神楽は頬をにわかに桜色に染め、照れ隠しの為にそっぽ向いた。

 気のせいか、言動にもそれが影響されているような気がする。

「意外と、冗談じゃないんだよね、……真剣だ」

 冗談じゃないんだよねと真剣だ、の間には一瞬の沈黙があった。その時の顔を神楽はたぶん一生忘れないだろう。

 決意の眼差し。今日この空間で初めて見た明日乃の気持ち。それが彼女から発せられる風に乗って神楽の心中を射止めた。

 彼女の思いに対して、何をしてあげればいいのか。実のところ神楽には悩ましいことだった。

 彼女が外に出たいと訴えている。それを素直に帰すべきか、と。もしかしたらもう会えないのではないかという気持ちが神楽の首を縦には頷かせなかった。かといって横にも振ることが出来ずにその場に突っ立ていたまんまだった。それがしばらく続く。

 頭中に渦巻く不安。

 いつの間にか明日乃は笑顔を浮かべ、神楽を優しく見守っていた。

 まるで、彼女の意志、決断を待っているかのように。

「大丈夫。大丈夫だから。焦らずに……」

 神楽は明日乃の言下ののち視線を下へ落とす。

 まだはっきりとは決まっていない。七割は彼女を信じること。二割はここに留めておくこと。一割は分からない、

『もう、いっそのこと賭けてみようか・・・?』

 眼を細め、体中を引き締める。

 そして、右手に念を込める。すると掌に粒子が集まり、形を成していく。

 みるみると粒子は長い長方形の少し反りがある何かに変わった。

 構築完了と言わんばかりにはっきりと姿が肉眼で見れるようなった途端、重量が片手中に広がる。

 鉄灰を中心としたカラーリングに縁取るように走る赤の鞘。少し反っているライン。勇雄しい突起した鋼の柄。

 神楽はこれを一瞥し、ゆっくりと右腕を前に持っていく。

 鞘をこちらに、柄を明日乃の方へ差し出す。

 沈黙が再びこの場を支配した。

『なら、これを引き抜け、明日乃。お前の覚悟とやらをみせてくれ…!?』

「――――えっ…!?」

 明日乃は驚愕の声を漏らした。

 なぜなら、

「刀……」

 そう。そこには刀があった。一本の刀。

 見覚えのある形状に、色使いをした刀が…。

 刀と言っても、形状は打鉄の近接ブレードにとても似ていた。――――それを私は知っていた。

 それが彼女の掌に収まっている。柄をこちらに向けて、それを引き抜けるようにしてある。

 勇気の試練というべきであろうか。

 明日乃はおもわず生唾を飲み込む。

 

 

 

 

 なぜ―――?ここに。これがあるのだ?

 

 

 

 

 明日乃は運命のイタズラか、何かかと、疑った。こんなことをして、何が楽しいんのだろうかと。

 一度刀から、神楽の方を見やった。

 彼女の顔からは先程までの元気な姿は何処かにいき、古風のような印象を受ける顔立ちになっていた。

 彼女は一文字にきゅっと結んでいた。

 瞳はとても鋭く、こちらを試している。

 明日乃の手は震えていた。

 打鉄に乗れば、こんなものは当たり前のように振る舞えるが、生身ではとんだ臆病になるんだなと、滑稽に思えた。

 口元が緩む。まさかな……………。

「これを抜けば、元に戻れるんだな?」

『うん。確かに戻ることはできる。……が、本当にいいのだな?』

 神楽は止まったネガの打鉄に指を指した。

 明日乃は振り返り見やった。

 確かに戻さない方がいいのか?――――と、さっきまではそう鑑みてはいたが今は、多分違う。

 再び刀に視線を落とす。

 じりっと、額から汗が流れる。

 一度眼を閉じ、暫し考える。

 一瞬の間、綾陽の顔が横切る。

 そうだよな。

「そうだよな…綾陽。お前があっちにいるんだもんな」

 覚醒し、開口一番に吹っ切れた様子でそう言った。

「私は、今帰るから…待ってて」

 呟くようにその場に唇を震わした。 

「いくよ…?」『いつでもいいぞ。抜け、明日乃』と二人のやり取りが続いた後、ガシッと、近接ブレードの束を鷲掴みする。

 一瞬、重みが腕を支配する。

 綱引きの要領で、刀を後ろに向けて引き抜く。カシャンとかん高い重い引き抜けた音が聞こえ安堵を一瞬覚えた。

 刹那、光が鞘の中から迸り、明日乃を襲う。次いで、体中に取り巻く。

 なんだ、と、少し動揺交えた明日乃が自分の体を眺めるようにみやった。

 取り巻く光は打鉄の装甲(アーマー)を形成し、四肢、胸部、脚部に装着されていく。

 それはほんの一瞬で完了し、最後にヘッドギアがつくはずなのだが、変わったことに神楽が眼前にいた。

『明日乃(あすの)と出会えて良かった。楽しかったよ』

 そっと、彼女は寄り添い額に優しくキスをした。

 それが合図となり、彼女は粒子化し、ヘッドギアとなった。

 右手に重みを感じた明日乃は手を見やると、鋼色の刃が握られていた。刃は鈍く照り返り、明日乃の白面(はくめん)を映す。

 その刃の光の反射によって、神楽が刃の中に映し出される。

 鏡や反射するものに中の世界は存在しない。そんなことはあり得ないはずだと、明日乃は思うが、 それを察した神楽は口元を緩め、次いで言う。

『ここはまだ、私の世界だよ。私がどこにいたって、どこに行けたって、不思議じゃないでしょ?』

「まあ…………、確かに」

『ふ……。ちょっと幻想的でしょう?』

 神楽は言下とともにその場でくるりと一周回る。

 ふわりと、結った黒髪が宙を遊ぶ。それでいて彼女の頬には紅潮の色に染めていた。

「に、似合ってるよ。不思議なくらいに……ね」

 頬をポリポリと掻きながら明日乃は言った。

 刀に向けて明日乃は微笑を浮かべ、すぐに口元を真一文字にきゅっと結ぶ。

「さてと、神楽。ここから出してくれ」

『釣れないね。………分かった。分かったよ。今の君には冗談が通じそうにないや…』

 神楽は一人で、何かを悟ったように会話を進め、それを終始無言で明日乃は聞いた。

 独りでに落ち込んでいる姿が印象的だった。やれやれと両手を挙げお手上げのポーズをとる。

 明日乃はネガの世界を一瞥し、溜め息がこころの底から出た。―――どうにかしないと。

 そして刀をもう一度見やると、こちらが見ているのを気づいてないのか、憂鬱な表情(かお)を刻んでいた。

「そんな暗い顔すんな。また、ここに来るから。――――今は、今だけは頼む。あっちに戻してくれ」

『……。また来てくれるのか………?』

 眉を八という形に歪め、怪訝の表情を浮かべる神楽は明日乃に問うたが、明日乃自身はこう返した。

「ああ、お前が私を望むなら、それは立派な招待状みたいなもんじゃないか。断る理由なんてない」

『本当か?』

「ああ、本当だ」

『本当に、本当か?』

 まるで子どもがオモチャを買ってもらうように何度も何度も聞き返してくるのを明日乃は言葉を噛み締めながら、返した。

「本当の本当だ。………だから、私を信じろ」

『――――分かった。信じる、………信じるよ。で、最後に言い残すことは?……あるか?』

「なに、ベタな死亡フラグ立ててんだよ。言うことなんてない。―――――また、な。神楽」

 最後にほほ笑みを浮かべた。

 いつの間にか、意識もなにもかも、無くなっていた。

 それは夢が覚めるという感覚にとても似ていた。それが最後の夢での感覚だ。

 

 

 



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第十話 其ノ瞳ガ直視ル世界

 

 

 

 ガシンッ!と、鈍い音がなった。そして火花が散る。それは正面で刃と刃が激しくぶつかり合い、まるで鍔迫り合いのような形になった。

 徐々に上段から、下段へと刃を落としつつ両者は犬歯をチラつかせながら唸っていた。

 両者共に退くという文字が無く、互いの力を万遍なく近接ブレードに行き渡らせ力だけでその場は成立させるような光景を演出をしてみせた。

 けれど、明日乃は刃を交え通して薄々と気づいてしまったことがあった。―――力量の懸隔。それが存在していたのだ。―――そもそも力量とか玄人、素人以前の問題になるのだが、まず気持ちの持ちようが違った。

 私は怒りに狩られて今に至る。

 相手は初めからこれをやろうと決めていたのだろう。だから、今に至ることを実に楽しんでいるのだ。真剣なやり取りをしている最中なのに笑顔にさえなれるのだ。こういうタイプのことを戦闘狂とか言うのだろう。実に不思議だ。気持ち悪かった。

 奥歯を食い縛り、腹に力を更にいれる。

 顔は鬼の形相に似、シワを数多刻んでいた。

 それを見て。

「怖い顔しないでよォ~。これは遊びなんだからァ」

「ふざけんなよォ!遊びでこんなことをしていいわけないだろッ!?」

 明日乃は心底怒り、そして吼えた。

 けれど、明日乃の声は相手をむしろやる気にさせ、言下の後にスピードを上げ乱撃かのような物理攻撃を明日乃に襲撃する。

 明日乃はこれに衝撃を受けた。攻撃的にではなくて、行動的に。

 刀を通して痺れが手中に、次に体へとダメージを蓄積させていく。一発一発のダメージがデカイ分に対し、明日乃は後退を余儀なくされる一方、打鉄は笑みを絶やさずに進撃を繰り返してきた。

 明日乃は苦虫を噛み潰したかのような顔を全体的に表現し、尚も勝気という名の一握りにもならないチャンスを窺っていた。

「くっ…………!」

「いいねェ。いいねェ~~~~。たまんないなァ~その顔!」

「気持ち悪いんだよッ!」

 明日乃が怒りに任せた薙ぎの一閃。けれど、これといった手応えはなく虚空を裂いた。  

この攻撃をあちらはひらりと舞い踊るように避けて見せた。

「危ないなぁ~~~。当たったらいたいじゃんかッ!?ダメだぞォ~!メッ!」

 打鉄のパイロットは人のいけないところを諭すような言い種に明日乃の怒りメーターは上昇した。

 人にものを言うくらいな自分から直せッ!ってね。

「くくっ!くひひひ……!」

「なにが……………、なにが、おかしいんだよッ!?」

「えっ?!………それはね~~お前が良いようにリアクションしてくれるからだよ」

「あっ………!?」

 一瞬凍りつくような痛覚が身体を支配した。なぜだろうか。いままで笑っていたようなやつが急に笑わなくなると気持ちが悪い。いろんな意味で心配になってくる。

そのようなことを眼前でしかも、間近で目の当たりにしたのだから尚気持ち悪い。というか気持ち悪いを通り越して、憎悪に切り変わっていた。

「好きあり」

「しまった!」

 そっちのけに意識を集中させ過ぎたせいで、完全に武器の存在を忘れてしまっていた。

だから――――

「うっ………!」

 一突き。しかもかなりきつい攻撃を受けた。

 幸いオートガードというなの絶対防御と自動姿勢制御が同時に働き攻撃を受けた最終地点のところから少し動いた程度で済んで良かった。少し体が振り回され嗚咽がする。

「なんだ…まだ粘るんだ~?早くドロップアウトしちゃいなよ。ユ~?」

「生憎と、こちとら諦めが悪いんでね」

「ふ~ん。じゃっ!」

 刹那、身体に感じたことのない衝撃が胸部にヒットし、ついで体が何か固いものに衝突した。言うのであればコンクリートらしかぬものに物色。傷みは面に背中と胸部。背中が五割、胸部が三割、その他に二割。

 最初にパニック。次に呼吸が出来ないことを思い出し咳が止まらなかった。その吐き出される息の中に鉄の味が混じっていた。勢いよく背中から接触したためにか血液が逆流したのかもしれない。次に胸が圧迫されて息が出来なかった。

 そして膝から崩れて、またしても笑顔が絶えなかった打鉄のパイロットを下から眺め、悲痛の声を声にもならぬ声で吐き出した。そして鮮血を吐き出した。

 赤い血が地面を濡らす。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 今にも吐き出したい気持ちがある。そこをなんとか押さえつけ明日乃は自分の今の姿を黙視した。

 微量ながらも息はできている。身体中に力が入る。手中には近接ブレードがある。

 なら、意識がなくなるまで戦ってやる。

 キッと、明日乃は瞳をすがめた。

 あちら側としてはどういう気持ちでこちらを見つめているのだろうか。一瞬怯んだ?ないな。そんなこと。

「よっこいしょ…………。なん、か………年寄、り臭いな………まだ若いってのに。ははは………」

「むしろ、感服しちゃうな。いや、惚れちゃう………?でも、ここまで立ってたんだもんね。じゃあ、特別に私の名前を教えてあ・げ・る♪………まあ、意識があるかはどうでもいいだけどね♪ただ、言いたいだけだから、独り言と認識してもいいよ♪」

「……………」

「私の名前は吉音(よしね)火織(かおり)って言うの。まあ、聞こえてないと思うけどね」

「よしね…………か、おり………?」

「へぇ~~~。立ったまんま気絶とかいうオチじゃないんだ。いっがーい!!」

「棒読みだぞ………火織」

 明日乃は近接ブレードを地に差し、杖のようにして突っ立っていた。ついでに左脇に違和感があるので押さえている。

 一様、オートガードが守るとはいっても、先程は死ぬようなシチュエーションではないも関わらず不可視なバリアが守ってはくれた。けれど、先程の時は発生しなかった。という判断ミスがかなり痛手についてはいるが、先程のことでは死なないと判断されたのではなんにも言い返すことはしない。今になって裏方をチラッと一瞥をしたが言葉が詰まってなんとリアクションをしたものかと少々混乱した。

 なんたって、人形のクレーターが彫刻のように深々と刻まれていたのだからリアクションも戸惑うだろう。なにか言えなんて無茶を強いられてもイマイチのことしか言えない自信がある。

 相変わらず火織は笑みを浮かべ、こちらの様子を窺っている。というより、観察されている………に近い眼差しを向けていた。

 大体はそうなりますよね。だって、あんな彫刻を刻んでもこうして息して、―――まるで二次元の主人公みたいだって、なんつって。

 こうしてボケられるほどの余裕がどこにあるというのか。それすらも分からない。

「おーっ!ツッコミまでしてくれるなんて!君って本当は人間じゃないんじゃないの?」

「私は、私は藤崎明日乃だ。どっから見ても人形をした人だ。ただ、傷の治りや人より体力がある一人の人間だ」

 火織は小首を傾げた。

 明日乃は彼女が首を傾けた瞬間に気がついた。普通に話せていると。

 もしかしたら、話で解決できるかも………。

「なっ、分けないじゃん。明日乃はこっこでおっしまーぁい!なんだから!?

(まさかっ!心話を盗み聞きしてたのか?!)

 またもや、隙を憑かれ火織に攻撃をされかけるというイベントを立ててしまった。

 今度は背後。ハイパーセンサーなどという優れたものが頭部に装着され、死角というものが存在しないというのは有りがたいのだけれども、反応速度はあまり変わらずという感想だ。

 だが、人間は学習する。一度あることは二度ある。もしそれが奇襲というものであるのならば私が混乱を起こしたときだ。

 それが今。

 動揺を誘い込んだとき。

 明日乃は少し踊り出、そして振り向き際に刀を流すように構える。

 そこに吸い込まれるように火織が一閃。

 刃と刃が擦れる音が鳴り響く中で明日乃は火織の近接ブレードを捕まえた。

 空いた手を力強く握り、打鉄目掛けて鉄拳を放る。

 オートガードが彼女を守るとさえ思ってはいたのだけれど、案の定、死への別状はないと判断したのだろうか作動されず、物理的攻撃は彼女を引き下がらせた。

「人は学習するんだよ!覚えておけッ!火織」

「あはは♪本当だね藤崎明日乃。君はタフだね。普通なら壁の下りから降参するはずなんだけど。気に入った」

「お前。人のことをフルネームで呼ぶタイプなのか?………そんな堅苦しい呼び方は止めて、明日乃でいいんだぜ」

 口の端が上向きに引き吊っていた。悪い意味ではなく、良い意味で。つまり、私は火織と同然のように笑っていた。

 けれども私は刀、近接ブレードを力強く握りしめていた。

「火織。お前とは良い友になれそうだ。だが、一つ悔しいのがこうして、こうしてぶつかり合う方じゃなくて、言葉と言葉で分かり会えたら良かった。それが、私のミスだ」

 それに、と明日乃は口を止めずに話した。

「お前の笑顔を、もっと見ていたから………。だって、火織の笑顔、屈託がなくて素敵なんだぜ?見たことあるか?自分の笑顔を……」

「気持ち悪いな………!知った気になって、私を語るな!」

 火織が無理に力を入れ、振りほどく。無論こちらも振り回され姿勢を立て直す。

 明日乃がロックしていた近接ブレードは自由になり、目と鼻の先にいるはずなのに遠く感じた。肩を怒らせ、こちらを睨む火織を見ている限りに闇が潜んでいるのはわかった。瞳に濁りがあったからだ。

「それがお前なんだな。自分を偽って、嘘を嘘で塗り固めて………」

 ―――――本当に残念だよ………。これでしか分かり会えないなんて、本当に―――。

「だから、だから私が火織の友達になってやるんだ。悪いことは悪いって、今まで言ってあげられる人がいなかったから。好き放題に暴れる化け者を作り上げてしまった。それなら、私が全身全霊を以てお前の中の化け物を駆逐する」

 明日乃自身もなぜこのようなセリフを発しているのか分からなかったし、それにこれまでにないくらいの清涼感。指先までクリアが行き渡っていた。

 自分が握るのは刀なんかじゃない。自分自信の想いを具現化したものだ。

「藤崎明日乃並びに〝神楽〟――――いざ、尋常に。参るッ!」

 

 

 

 

 明らかに先程とは違う太刀捌きを披露する明日乃に火織は少々焦りの顔を浮かべていたのと同時にワクワクが込み上げてきていた。

 先まではこちらが打ち込んでいたにも関わらず、今ではあちらからの乱撃が火織を襲うというスタイルが続いていた。

 まるで別人のようだった。

 やる気になってくれたのなら、こちらも嬉しい。その行動に私も全部をぶつけよう。

 藤崎明日乃か―――。おもしろいッ!

「今度はこっちのターンだ」

火織は新しいおもちゃを買ってもらったような子供のようにひどくあどけない笑みを顔全体で表現した。

 

 

 

 

 体が軽い。―――いままでにないくらいに。

 全てが、透き通って鮮明に眼に映る。

 火織の息使い、太刀筋、癖、行動が手に取るように分かる。

 そして、彼女の動きが見える。見えるのだ。気持ち悪いくらいに。何もかもが包み隠さずにとも丸裸だ。

 上段から下段にかけての一振りが明日乃を襲うが、素早く横へスライドするように動き、振り下ろすよりも早く鉄拳を腹部に目掛けて放つ。またしても守ることなくダメージは火織を苦しませる。

 正直に言えば力加減を入れたつもりはなく、顔の歪ませ具合からするにキツいのを一発咬ましたらしい。

 火織の顔に曇りが表れてきた。――――あと少し。

「たァッ!」

「クソッ!クソッ!」

 火織が悔しがるのも無理もなく、近接ブレードをやたら乱暴に振り回す。

 それらの軌道が見える。残像が先走るのが見える。

 明日乃は頭より高い位置に近接ブレードを横に構え、体重を全身に掛ける。

 そこに流れてくる火織の近接ブレードを受け止めたと同時に、回し蹴りを籠手の部分に見舞い。

 予想外にうまく決まった。手ごたえ……足ごたえは彼女から武器を奪ったのだ。

 虚しい音を地面に叩きつけながら火織の近接ブレードは粒子化した。

 明日乃は止まることなく更に攻撃を仕掛けていく。

 武器が無くなったのをいいことに拳が放たれる。一発、また一発。

 明日乃は完全に自分の中でリズムを作ったのだ。火織のリズムを読み取ったことによって、それを上回るようなものを産み出したのが今の動きなのだ。

「降参は………?しないのか?」

「嫌だね。……………待ってるんだ、アイツを………」

「あっ…………!?」

 あとの言葉を呪文のようにゴニョゴニョと籠るようなしゃべり方をしたのに疑問を感じた。

 できることなら、早くどうにかしないと。

 明日乃の中で焦燥感が渦巻くのを感じた。焦りからか先程のような澄んだことはできないようになっていた。けれども、攻撃をやめというのには至らなかった。だから、闇が出るまで殴り続けたし、火織も何も言わずに殴られていた。

 

 

 

 

 第三アリーナを脱け、更衣室に設けられたモニターから中の映像を拝見しているときにハッと、驚愕の面に歪ませたのは藤崎綾陽一人くらいだろう。

 藤崎綾陽はあの第三アリーナで、ISの基礎動作をクラスごとに行っているときに、起きた事故をきっかけに避難をするよう言われ、更衣室に逃げ込んできたのだが、何やら一人の新入生が勇敢に立ち向かっているという情報を聴いた。それと同時に綾陽は胸が圧迫されそうな苦痛を感じた。一瞬息が思うように出来ず、脳裏に姉――明日乃のことを想い描いた。

 嫌な予感が背中を舐めるような感覚がし、変な汗が額から幾条の粒を浮かばらせた。

 そして、モニター越しから映るあちらの風景に綾陽の予想は的中した。

 栗毛をポニーテールに纏めた女生徒。一房に纏め上げられた髪は動くに連れて激しく揺れた。

 刀を振るわす姿なんかもちろん見たことなんてない。でも、顔を認識するのには十分のパフォーマーではないかと綾陽は考えた。

 端正な顔立ちは本人が否定するよりも美しく、獲物を捕らえるような野生の力は眼光が既に答えを導いているのだろうか。そしてなんにでも首を突っ込む悪い癖は幼い頃からで、それをひっくり交えてもなにをしても行動力があるのはどう考えても姉しか考えられなかった。

「おね…………ぇ、ちゃん……!」

 誰かに聞こえるか聞こえない程度の声がポツリと響く。同様が隠しきれない綾陽は一線の涙をただ流すだけ。

 体が縮こまって、その場で崩れ震えた。

 ――――涙が止まらない。

 その言葉の通りに幾条もの熱い涙が、第三アリーナのフロアを濡らす。粒が幾つもの泣いた跡を残していた。ひどく慟哭していたのだ。

 そんなとき――――。

『何泣いてんだよ?!姉貴が死んだわけじゃないんだろ?』

 肩がひどく震え、声もそのせいか、しゃっくりが返事代わりになっていた。

「………ひ、ひっひ、ひか……げ………っ?!」

『モニター見てみろよ。姉貴は何やってるかはよくわからないけど、戦っているのは一目瞭然だな?!………なら、お前はどうする?私は加戦したい気分だが………?』

 泣き止まぬ涙が落ち着いた後、深呼吸を適当にやって気が紛れたので、綾陽は会話に入ることにした。

 というより、こんな大事な時にただ黙って日景の愚痴を聞くのは御免被るからだ。

「突然、そんなこと言われたって…………」

『まだ………、まだ第三アリーナ「あっち」にはあれっ、あるんじゃないの?』

 クイッと、親指を立てて日景はそれを指した。

 日景―――。彼女はもう一人の綾陽だ。いつの日にか生まれ、今までこうして暮らしてきている。追い出す気にもない。もう一人の私というのなら、仕方がなかった。私の片割れ―――ブラック綾陽。

 動力原は綾陽のストレス。今のところ分かっているのは空腹、当たり前のように日常の理不尽や差別その他諸々に対するものが多い。

 さて、日景が指を指したのは明日乃や反乱者が所有している〝打鉄〟のことだ。

 加戦したいという気持ちは分からなくもないが、果たして本当に現場に打鉄は残っているかどうかなのだ。

『なに、ごちゃごちゃ悩み更けてんだよ………!やるんだよ!』

「はいっ?!」

 ―――――たくっ!ものわかりが悪いな!という愚痴を次ぐように日景は綾陽に怒鳴るように言い、ボサボサと髪を掻き上げた。

『変われっ!』

「嫌だ!」

 はぁ!?―――怒り成分MAXと言わんばかりの声は正直勘弁願いたかった。

 大体、状況整理ができてないからおかしくなるんだ。整理しよう。

 

 

 ①、私達新入生はISの機動動作を学ぶために第三アリーナに集まって実技を各々行っていた。

 ②、テロ紛いの事件が発生。

 ③、姉がテロ紛いと交戦中。

 

 

 という感じになる。③は未だ続いている。

 綾陽はモニターを覗き込んだ。状況はやはり姉が不利な場面が多い。表情も曇りが続いている。

 返ってテロ紛いは不適な笑みを浮かべて姉を苦しめていた。

 モニターを眺めている女生徒達の顔も曇り、不安という言葉が更衣室中に漂っていてとても息苦しかった。中には泣き出しているものや怒声、罵声をモニターに浴びせるものもいた。

 そんな中で私はどうしたら良いのか思考が停止して、その場に佇んでモニターを見ていることしかできなかった。ここで指を組んで祈るほど私は姉を信用をしていないわけじゃない。ちゃんと場を弁えているここではそんな軽いものではないのだということを綾陽は理解していた。

 だからこそ、その瞳、表情には色々な思いが含まれていた。

「おねえちゃん……」

 ぼそりと呟き、唇を少しだけ噛んだ。そんな時、戦況は大きく動いていた。

 

 

 

 

 姉は昔から負けず嫌いで、頑固で、常に面白いことをして私のことを笑わしてくれた。そしてなにより優しかった。

 けれど、今、私の眼前で目の当たりにしている光景はとてもとても違和感を覚えさせるものが多かった。

 

 

 遡ること、数分前――――。

 

 

 モニター越しから映る第三アリーナは既に修羅場であり、戦場でもあった。

 刃を交える二人の武士。

 緊張が常にそこにはあって、私の胸を絞め続けてきた。

 一瞬、胸が楽になったのだ。姉が負ける―――そうエンディングが見えた。多分、私の思い込みだ。

 姉から武器がなくなって、地に伏して、隙があらばそこに一線を刻まれて試合終了。―――我ながら皮肉だ。

 本当は負けてほしかった?―――それすらも分からなくなっていた。感情がどこかに流されてどこかで楽を得ようという思考が極限に達した時に描いてしまった斬殺未来【デッドエンド】。

『あほくさっ!』

「えっ………?」

『アホ臭いって言ってんの……!言語機能まで狂っちまったのか?バカッ!』

「ば、バカって、言った方がバカなんだよっ!」

 つい頭に来て、怒鳴ってしまった。

『お前、水やら風だの嵐だの、流され過ぎ………。でも、――――戻ってきたからいいか』

 うん………?最後の方あまりよく聞こえなかったけれど、顔色を見る限りに照れていた。―――なんだか、よくわからないけど、ありがとう―――。

 綾陽は日景と、小さく呟いてモニターから踵を返して歩き出した。

 向かう場所――――足を進める先は、第三アリーナ。ただ、一点。

『おいっ、どこ向かってんだよっ!?』

「どこって?……第三アリーナに決まってるでしょ?」

『はぁ!?―――なにしにいくんだよ?!』

 綾陽は口を真一文にきゅっと結んだ。自然と眼も習うようにシュッと、見違えるほどに細め気合いを身体中に送る。

 心なしに足が早くなっていた。

「お姉ちゃんを助けにいくの。なにか疑問でもあるの?―――最初に言い出したのは日景だよ」

『ちょっ、ちょっと待て!綾陽。お前なんかが行ってどうにかなんのかよ?大体………』

「やってみないとわかんないでしょっ?!」

 日景が続けるところを綾陽が食いかかるように怒鳴ったのだ。日常風景ではけしてない光景に日景は口ごもりをしてしばらく終始無言であった。

「まさか……遊び半分で言ったの?」

『………………』

 図星か………。

 綾陽からすればがっかりだった。冗談半分で物事を口にしたのだから、尚更。なにか大きな物を踏み潰されたという表現が今最も適切ではないかと思えた。

人それぞれ感慨は違うけれども、綾陽には何が正しくて、何が間違えているのかなどというのは今は分からなかった。

 綾陽はさらに足を早めて進む。

 大股で、とてもはしたないなという気持ちがあるが、今日は多めに見てほしかった。

 更衣室を真っ直ぐ歩いて、二つ目の角を右に曲がると第三アリーナがあるのは知っていた。

 曲がって真っ直ぐ綾陽は足を進めた。けれど、一歩、また一歩足を進めるに連れて息苦しくなってくる。肌にピリピリと緊張感が触れる。

 一度は眼を伏したが、ここまで来たのだ。行かなければ、いつ行くのか?

 綾陽は眼から熱い何かが零れる前に手の甲で拭った。そして前を見た。

 眼前には光りが満ちてむしろ溢れていた。

 四角い長方形のドア。それを型とるのは向こうからの太陽の光。

 見てとれるのはドアだけ。教員の姿がなければ影らしきものもなかったので綾陽は無意識に安堵をしていた。今このやる気満々の綾陽が教員に捕まったら、喧嘩騒動になるかやる気を根刮ぎ持ってかれて虚しくモニターで姉の苦しむ姿を指をくわえながら見る。という展開が五分五分で予想することが綾陽にはできていた。だからこそいなくて安心している。

 だが今、手の空いている人はいないのではないだろうか。各々担当しているクラスの教員は女生徒が危険行為をしないように見張っているだろうし。逆に手の空いている教員は待機を命じられていつでも動けるようにしていたりなんてのも考えられる。

 現時点での第三アリーナは未だ交戦中で、教員側も思うように指示が出せないはずだ。なんたって、こんな非常なことを一人やってのけようとしている者がいるのなら教員側もそちらに賭けているように私には思える。隙が生まれればいつでも捕まえることができる………とかだろうか?

 けれども、前者のことを述べていたとしてもそれらしき動きがなくむしろ返って気持ちが悪かった。

 廊下に響くの靴の踵がコンクリートの床に当たって響く音と綾陽が出す息音くらいだ。

 足は先よりかなり落ち着いた。太陽光が綾陽を照らす。

眼が眩む。眼を少し細めた。

でも、綾陽は自分が改め〝人間なんだな〟と、実感が湧いた。切実に。

 そう、一歩で、あと一歩で別世界に入るわけなのだ。だから自分が本当に人間なのだよなという疑問が脳裏を過ったがそれは思いすごしなのだと思った。

 綾陽は豊富な胸に手を当て鼓動を確かめる。早まっているのは元々押さえようのないもの。それを抑えるのはおもしかしたら、死に繋がるのではないかと綾陽は思ってしまうのは変な年頃のせいだろうか。

 そこまでは疎いから後でお姉ちゃんに聞く事にしよう。そうしよう。

 足を踏み入れた場所は本当に現実なのだろうか。

 張り詰められた緊張感。それはまるで私が感じていたものとは比にならないくらいに。

 身体を突き抜ける風。それはとても人が立っていられるのがやっとのことで、全身で風を受けたせいか身体中が震え上がって大笑いしていた。

 傷み、殺気、妬み、怨み…………とにかく言葉にできないなにかがその風には含まれていた。

 脚が無意識に一歩また一歩と退くていく。

 野生の勘が訴えているのが分かる。分かろうとしていないのに分かる。

「逃げろ…………っていう、警告だよね……?」

 喉に何かが、張り付いている。それはなにか―――なんてわからない。

 網膜や神経系にはもうだましは効かない。これは既に恐怖以外の何者でもなくなってしまった。

 もし、もしだが。日景がこのギクシャクしているなかで急にしゃべりましたら、なんと言うだろうか。

 ―――なに考えてんだ。お前がやりたいことをしろ。

 ………とか、なに俯いてんだ。前を見ろ。そこはまた変わった世界でワクワクしないか?

 ―――とか、お前には何が見える?絶望か?希望か?―――なんだ?

 なんて――――。

『…………おしいなァ。二十点だ』

「え……………に、にじゅってん…………?!」

 ――――えっ。どういうこと―――?

 綾陽は頭なしに単純に考えた。………日景とはさっき喧嘩をした。それに酷いことも言った………と思う。

 綾陽は内心忸怩たる思いをしていた。

 けれど悩みがあろうがなかろうが、日景はついで口を震わす。

『そうだ。なんか文句あんの?ないだろ?―――じゃあ認めろ……!』

「待って、待ってよ。何が〝二十点だ〟よっ!何を基準に点数決めてるのよ!もう、もう、も………ぅ、ばか―――」

 ――――なんだが、スッキリした。と、綾陽が思えたのは吐き溜めて出すことのできなかったストレス源を吐き出すことができたからだった。

 そういえば、どうして仲が悪いときになるとやたら顔会わす機会が多くなるのだろうか?という疑問がどこからか転がってきたが、そのままスルーすることにした。でも、少し気になってたりする綾陽がいたりする。

『バカっていう方がバカなんだろ?』

「日景………?」

『?………どうした?いつもならそれなりに言い返すはずなんだけど……?』

「今は場所が違う。だから、悪ふざけはできない。日景も、私のなかで見てたんでしょ?なら、話は早いからすぐに話に入らせてもらうけど……」

『だから、ちょっと待て!?お前本気なのかよッ!?大体さっきも言ったけど、悪いがお前一人じゃあ何にも変わんねェんだぞ?!』

 必死な日景は血管をこめかみに何個も浮かんでいる。

 私を必死に説得をしようと試みているのは分かる。血管だけじゃない、全身全霊で今の私を説得しようとしている。

 言葉を聞いている限り、未だに私を臆病者かなにかと間違えている。

 私は、臆病者じゃない。臆病者は過去の私だ。

 ――――確かに、恐い。怖くて逃げたしたいよ。けれど、お姉ちゃんが無理をして戦っている。そんなのを見てられないし、なにもできないのももっとなにもできないと思う。

 日景の言葉は確かに正確かもしれない。私のことを考慮している言い方だ。でも逆をつつけば、自分が危険な眼に合いたくないとも摂れる。

 さっきは日景の言葉を利用して後ろに下がりたがった。

 甘い蜜を吸い続けたかった。

 姉にすがりたい。甘えたい。私を構って。

 だけど、今は我慢だ。我慢が必要なんだ。それは譲る。今だけ我慢。

 けれど、今は譲れないものだって私にはある。

 だからこそ。

「それでも、守りたいものがあるから」

『――――分かった。お前の好きな通りにしろ。けどな、逃げ出すなよ。最後までだ』

 言葉返事の代わりに綾陽は笑った。そして、光の扉を大きく足を開き跨いだ。

 歩くその姿はまた勇ましかった。

 

 

 



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第十一話 一難去ってまた一難

 

 織斑先生が保健室から出たのち私は傷元から走る痛みと闘いながら再びベッドに背を預けた。

 最初に比べれば明らかに痛みの方は引いている。正直、楽になってきている。明日くらいには動けるとは思う…とは、言っても正確の診断結果を言われたわけじゃないので何とも言えない。

 頭を枕の定位置に預け、休むことなく首を左右に向ける。

 まず、栗毛の少女―――妹の綾陽の方を見やった。次いで、灼熱の炎を連想させる濃い赤毛の少女の方を向いた。

 今更ながら、火織の髪の毛の色を確認した。なぜ、こんな目立つ色なのに気がつかなかったのだろう。多分注意力の問題なのだろうな。だから、気付いた時の衝撃というのは大きかったりする。

 けれども、こうして互いの顔を覗き込んだって、互いに目を伏しているのでは話相手にはならない。一瞬死んでるんじゃないの?なんて思ってしまうのだが、保健室にはこれといった阻害物が置かれているわけではない。その上外部からの部活動の声援なんてのも今日に限っては(新入生だから部活のスタイルがわからんのよね)聴こえたりはしなかった。だから、妨害されることはなくむしろ物に反響して彼女らの寝息は少し盛大に聴こえたりする(私的にだけど)。

 阻害というか妨害というか強いて言うなら真中に囲まれている私がうるさいように感じられる。落ち着かないのではなく心配性なだけだ。

 ある程度二人の事を眺めた後、外の方が気になった。

 窓ガラスを反射した光は保健室を紅色に染め上げつつもどことなく黒色が混じっているような複雑な色。もう直日が暮れて夜が来る前触れを表しているようだ。

 まあ、そんなものを見ていたとて明日乃はこの部屋が真っ暗になったら大変なことになるんだろうな……と至極どうでもいいことを思いつくが眼を伏し、シャットダウン。

 頭の後ろで腕を組み、眼を開き天井を見た。何度も見ていると見なれるんだな……。

 

 

「それにしても、暇だな」

 ベッドに長時間居続けるのはいつ振りだろうか?小学生の中学年くらいが最後だ。季節性のウイルスに掛かって散々な思いをした記憶が強く焼き付いている。

 そのときよりも今の方が時数的に少ないがその時に比べればとても長く感じられた。

 少しづつだが、苦が大きくなってきている。

 私の治療法といえば汗を沢山かいて悪いものを出すというシンプルなやつなのだが、今回のはどうしたらいいのだろうかという領域だ。

 こんな大きな怪我をするのだって初めてだし。沢山汗を・・・という言葉のループはいいとして。いかんせん寝ているより、動いている方が実は私らしいのだ。

 ベッドが柔らかこうとも硬くともこう、筋肉が少し落ちたんじゃあないの?とかいう話だったりする。別にガチムチ系が好きとかそういうのじゃあない。むしろちょっと引くくらいだ。

 こういうことになった発端があるのだ。まあ、一言で言い表すのであれば、自業自得。

 自分で蒔いた種が育ちすぎるほどに芽を息吹させ、どうしようもできなくなり仕舞には妹までに手を出させてしまうという行動力、判断力、注意力の無さがそして今に至る。

 保健室に横たわるのも実に情けない有様だ。体中に巻かれた包帯が自分の行動の末路の結果を雄弁に訴えていた。

 先ほどは織斑先生と話していたときは気付かなかったのだが、実は裸だ。というのもなんだが、傷の具合からする(肌の露出より包帯の巻かれている方の面積が広い)にパイロットスーツを脱がした方が効率が良かったのだろう。あっちの考え的に。

 それと全身打撲が付いているわけで。説明するよりとにかく体が痛い。

 私は深いため息をその場に吐いた。自分のブレス音を聴くほど静寂しているとは本人も分かっていた。それに次ぐように控えめな寝息がついてきた。

 外は先ほどよりも暗くなってきており、一層部屋が物哀しくなってきた。

 出入り口のドアやその上のガラスの小窓が対になる方を見やると、パッと廊下に蛍光灯の明かりが宿る。人通りが多いのかな?まあ、夜の廊下が怖いっていう生徒も居るのかもしれない……って、全寮制だからそれはないか。

 窓の小窓から蛍光灯の明かりが漏れて入ってくる。正直、これくらいしか明かりがない。かといって、ベッドから二十mもない場所にわざわざ明かりと付けに行くのもなんだか気が引ける。というかめんどくさい。

 正直、学校の保健室で一日過ごすのも悪くはないのだけれど、なんだか損した気分になる。保健室の醍醐味は風邪を偽って、ベッドで寝ることではないだろうか(個人的に)?平日の平常授業しかも二時間目あたりにやってきて熱計って、様子見て。なんていう手順じゃなかったっけ?

 私の場合はそうだったんですけどね。で、その時に気付いたのが自分がベッドで寝ていられなかったこと。意外と落ち着かないのだ。

 なんか変に申し訳なくなっちゃって、一時間休んで教室に戻った。

 それ以来は、保健室に行くことも無くなっちゃったわけ。で、久々と思ったらこの有様。

 できれば、これからもあまりお世話になりたくはないんだよなと明日乃。

 そこに、コンコンと二度ノック音がドアを叩く。荒々しいわけじゃあなくむしろ丁寧なくらい。

(織斑先生か……?)

 そう連想してドアの方を集中した。スライドするタイプのドアが開くと、織斑先生とは違うシルエットが部屋に少し入る。

 止まった位置からすると、電気のスイッチのある場所だ。

 カチッと、ボタンの押す音が鳴ると、明かりが薄暗い保健室を照らした。

 明日乃は眼を細め、視線を逸らした。

 眼を閉じている間にコツコツと足音がこちらに歩み寄って来ていた。軽快に踵の音を床に奏でながら。

 光に馴染むなり明日乃は眼を開いた。すると眼前には白衣を着た女性教員が佇んでいた。二十代後半から三十代前半くらいの落ち着いた雰囲気があり、一つ一つの仕草に何か惹かれるようなものがあった。どちらかというと両親より……が、気のせいだろう。ほら、学校で先生のことをお母さんと呼び間違えるみたいな・・・?違うか?

 いつの間にか、その女性は私の眠るベッドの隣へ近寄って来ていた。私が反応を促す前に先制攻撃を仕掛けてきた。

「体調はどう?良い?悪い?というか私の声は聴こえているか?」

「………分かります。分かりますけど、その一辺に質問しないでください」

 私は掌をバリケードのように胸の前で構えた。

「その様子からするに元気みたいだな。よかったよかった・・・」

 人を本当に心配にしているのだろうか?…と、疑いたくなるような言葉の抑揚の無さ。

元々、ハスキーの掛かった声なので少し惹かれるが、上記のとおりに抑揚がないのと淡々と話されてその上、どこか違う方向を向いているのだからなおさらだ。第一印象はマイナスからと。

「ごめんなさいね。わざわざご心配をかけさせて・・・」

 少々引きつった笑顔を明日乃は無理に歪ませ、心にもないことを言った。仕返しとかじゃない。断じて。

「二人の様子はどうかな?変わったことは無いとは思うのだけど?」

「はい、特になにも……これといったことは無かったですけど」

「そう」

 短く返事すると、先生は隅に設けられた机の方に踵を返す。

 机は銀色のシンプルな作り。その上には厚いファイルが何冊か並ぶ。きちんとまとめているのですね。ペン立てには数本のボールペンにシャープペンが刺さっている。見る限り必要最低限の品しか置かれていない。あまりここにはこないのか?

 とまあ、詮索の仕様もないことを明日乃は思うが、すぐに忘れることにする。

 先生は机に就くことなく、机の脇に突っ立ていた。小刻みに肩が揺れていたのでなにか書類に目を通しているのだろう。

 集中しているような空気が先生の周辺から漂っているのを感知した明日乃は適当に目線を配る。

 けれど、どこを見ても落ち着かずで、結局先生の背中に落ち着いてしまう。

 何というのだろう、どことなく両親の背中を彷彿させるようなものがある。匂いか?哀愁?―――多分後者は無いだろう。前者もまだよくわからない。

 そういえば、今頃何をしてんだろう?両親たち。

 昔から職種に関しては何にも話してくれないし、そろそろ知りたいんですけどね。

 今度帰ってきたら聞いてみるかな。

 無意識に胸の前で腕を組んでうんうんと首を縦に頷かせていた。

 ぎゅるる~。

 なにか歯止めが切れたような感覚がした。

それにしても、腹が減ったな。いつから腹にものを入れてなかったっけ?朝以来か?

 あちゃ~。と心中で恥じるのを余所に、隅の方からくすくすと小さく笑う声が聴こえた。気のせいじゃなくて、本当に。なんせ、体をよじらせながら笑っている人がいるのだ。もちろん、犯人は一人しかいないわけで・・・。

よっぽど、おもしろかったのだろうがこっちは何が何だかさっぱり。

「そんなに面白かったですか?先生?」

「ああ、とってもね」

 笑い成分が混じったような声がすると思ったら、そんなことはなかった。残念。

 急にけろっと、今の光景は何事もなかったみたいに淡々と話した。

「腹が減るのは元気な証拠さ。よかった。よかった」

 その〝よかった。よかった〟はあなたの口癖ですか?変なキャラ設定を作らない方がいいと思うのですが、人それぞれだからこうも言えないのですけどね。

 今更になってあの情けない音のことを思い出し、急に体温が上昇を通り越して逆流するのではないかと疑うくらい明日乃の毛穴の毛穴から汗が噴き出す。ついでに耳の先まで真っ赤に染めて。

 パタパタと掌を内輪のようにして煽ぐが決して清涼感が訪れたとかそういうのはなかった。

「なにか、持ってこようか?」

「いえ、一人で……どうに、か」

「その格好で?行くのなら、別に止めはしないが、なかなかの趣味だとは言っておこう」

 クイッと、先生の指が私の全体を指す。

 釣られるように下に目線を落とすと、ああ。なるほど・・・・。これって……。

「わすれてたぁぁぁぁぁあ」

 そう。自分が全裸だということを。正確には全裸というより包帯がほとんど肌の露出を防いでいるが実際のところ全裸。

言い換えれば、ミイラみたいな恰好をしている。決してやましい事をしているわけじゃあないよ。

 わわわわと、私はテンパリながらも近くにあったシーツを剥ぎ、体に巻きつけた。

「別に、女同士何だし気にしなくてもいいような」

 先生はまいったなと言わんばかりの渋面を作り、無造作に髪を搔き上げた。

 瑠璃色の髪を搔き上げた事により妖艶さが増し、本人は無意識にやっているとは思うが明日乃はドキッとしていた。毛の質が違うのだろうか?と、明日乃は肩口にくすぐるぐらいの長さしかない栗毛の毛先を弄る。

 そんなどこか呪文めいていた明日乃を尻目に、

「適当に何か持ってくる・・・」

 ただ一言を添えて保健室から出て行った。

 

 

「あれっ?先生は?」

 ぐるりと一周見渡すと、そこには蛍光灯の明かりと静かになった(元々静かだったのだが、更に静かになった)物気のない空間に置き去りされた私たちしかいなかった。相変わらず外は真っ暗であった。

 なぜ、気付かなかったのかは一人妄想に励んでいたわけで・・・。

 一言何か言ってくれれば、良いのに。多分言ってたとは思うんだけど。

 ぎゅるる~~~。

 はあ、腹が減った。多分先生はなにか食べるようなものを持ってくるだろう・・・。

 腹の虫がさきより旺盛に泣いている。分かってるんだけど、この姿じゃあ無理なんだよね。

「早く、先生帰ってこないかなぁ~」

 ガクッと、頭を垂れて愚痴もたれた。

 退屈―――しのぎなんかに保健室を何度も視線を回した。…がほとんど見終わって、今は絶賛シーツとにらめっこ中。勝敗ところかこの白さが、良からぬ方向に進んでいる気がする。

 ぎゅるるる~~。ほら、食欲に繋がっちゃったよ。多分、今ならこれ食べてと差し出されたらなんでも食べ得る気がする。・・・これ食べたら、どうなるのかな?症状は優しいのかな?などと明日乃は眼下、絶賛にらめっこ中のシーツに視線を集中させていた。

 なんでだろ、よだれが、止まらない。

「早く先生戻ってきて……」

 

 

 

 

 保健室担当の新人教員の入谷(いりや)理恵(りえ)が何事もなかったように保健室に戻ってくると、ベッドで思いつめたような表情に歪ませていた藤崎明日乃が口に何かを含もうとめい一杯に広げ突っ込んだのは、案の定真っ白な布―――シーツだった。

 何というか、一瞬焦燥感に駆られた。この一瞬を返してもらいたいくらいだ。

 と、茶番を止めにかかるとして……いや、このまま続けてもらうのもアリだな。私に気付くまで。

 ドアの片隅に身を潜ませ、しばし明日乃の様子を観察した。

 本人は全く気付く気配なし。むしろ、真剣にシーツに喰らいついていて少し引け気味な感じがした。

相当、精神的に来ているわね……?

 理恵が引くのも無理はなかった。明日乃はシーツを舐めては、吸い、伸ばし・・・言語的表現を否定したくなるような本能を剥き出しにした野獣のような眼でそれを喰らいついていたのだ。正直、止めにかかるのはやめにしようかこちら側が悩まされるくらい生生しい。というか恥ずかしい。見ているこっちが。

 これ以上あんな姿を見るのは願い下げだ。

 理恵は一歩踏み込んだ。ふっきれたような清々しさとはまた違った感覚だったが、そのまま見続けるのも後々めんどくさいし、片付けよう。

そのまま勢いがついたようにまっすぐと明日乃のベッドへ向かす。

 明日乃は理恵に気が付いていないのか、無我夢中にシーツに喰らいついていた。

 一旦、盆を適当なところに置き、自らの手をピッと、伸ばす。俗に言う手刀というやつを作った。

 適当にスイングを二、三回行い。理恵はターゲットを見定めた。狙うところは明日乃の側等部。

 胸のあたりまで手を掲げ、そのまま降下。ひゅっと、風を切る音とともに綺麗に明日乃の側等部目掛けて軌跡を描きながら何の躊躇いの無い痛恨の一撃を繰り出す。

 ゴン!!!

 なにも変化がない。もう一発。

 ゴン!!!

 もうい・・・・。と、理恵の手は三発目を繰り出そうと構えるが、そこで気がつく。

 当の藤崎明日乃は泡を吹き、体は痙攣を起こし、眼は白目を向いていた。仰向けに倒れていたのでそう判断することが出きたが、もしうつ伏せだったらどうだっただろうかなんて理恵は慈悲の考えを持たず、これどうしようか?と、目線を持ってきた食事の載る盆の方へ移した。

 タイミング良く、腹の虫が鳴く。

「まあ、私が持ってきたんだしいいか」

 苦笑を浮かべた理恵は、持ってきた食事のやっつけにかかった。

 

 

 

 

 闇色の空はいつしか青色にバトンタッチをして薄暗くながらも世界を照らし始めていた。

 入谷理恵はそんな頼りない空を保健室の窓枠から眺めていた。

朝は良く冷える。淹れたてのコーヒーが少し特別に感じられる季節になった。白い湯気がゆらゆらと天に昇る。

適当にマグカップを回し、口に含む。鼻孔をくすぐるコーヒー豆の挽きたての香ばしい匂いを楽しみ、今度は口中に広げ転がす。酸味と苦みが程よく混ざっていておいしい。どれも絶妙なバランス。おいしくできている。85点。上出来、上出来。

ついつい理恵は滅多に笑わない口の端を上へ傾かせる。

「今日のこれ。配合がちょうどよい」

 カラになったマグカップを机に置き、ノートを拾い上げる。慣れた手つきでページをめくる。ペンを白衣の胸ポケットから取り出し、綴る。

「むぅ……もう少し、まったりとした味わいが楽しみたいな」

 これが今回85点の意味だった。出来栄えは良かったが、求めているのと少し的が外れていたり温度が温かったりとその日の気分によって求めているものは変わって結果このようになるのだ。

「ああでも、まったり系を出したいのなら、やはり……」

 一言自分に宣言すると、再びノートに綴る。筆が止まらない。止まることを知らない。ペンが止まるころにはページが4ページ目を終えようとしているところだった。いつの間にか図まで丁寧に描いているとは思いもしなかった。

次回のテーマはまったり系と・・・書き忘れることなく次回のテーマを書き綴って理恵はノートを閉じた。

 パタン―――。

「結局、また朝になってしまった」

 ため息交じりの吐息が窓にかかり、その場を白く染めた。

 彼女は新米職員というのはここだけで、ここ十数年前は地元の教師で担任を受け持っていた身だ。といっても、田舎町の方だが。

 田舎の方では、色々あって、色々あって、色々あったのだ。

 で、ここの理事長と名乗る人にここに来ないかと言われたので言葉に甘えて現在に至る。急な出来事で住む場所がなかったところを、ここを住み込み場所として構わないという懐の大きさに感動して、保健室を拠点としている活動している。理事長の方から部屋を用意してくれるとは言っていたが遠慮しておいた。だって、めんどくさいじゃないか年頃の餓鬼って。

 それにしても、なぜ起きているって?簡単。不眠症だから。田舎の時は自然と寝れたんだけど。やはり環境の違いというやつだ。眠らない街なんて言われてるくらいだからな。

 理恵は小さく欠伸をした。

 しょぼしょぼする眼を擦り、窓枠からベッドの方へ方向を変える。

 ベッドに眠る三人は静かで、実にうれしい。こうして仕事がはかどっている。といっても趣味の方でだが。

「昔はこういうのをかわいいと思えていたのだが、はていつからめんどくさいと思えるようになったのかな?」

 理恵は小首を傾げ、考えるが見当たらない。環境の問題だろう。さっきも似たようなセリフを言ったような?気のせいか。

 ふっと、鼻で小さく悪い、先ほど机に置いたマグカップを手に取り爪先をドアの方へと向き直す。

「もう一杯、コーヒーでも楽しもうかな……?」

 言下とともに、理恵はドアへ歩み寄る。

 ガラガラと、滑らかにドアがスライドし、開門する。

 給湯室まで遠いなと、愚痴りながら理恵は保健室を速足で出て行った。

 

 

 

 

「ううん……。―――ううん!」

 私が眼を醒ますと、柔らかい感触が背中を優しく包み込んでいて心地が非常に良い。昨日はなんとも思わなかったはずなのに不思議なことに今日はすこぶる良好だ。ああ、気分がね。

 寝起きもすっきりで、疲れが無い。けれど、気分とか身体的には問題無いのだが、反対に視界が揺らぐ、頭もぼーっとしていて気持が悪い。寝起きだからしかたない。

(さて、っと。起きるかな……?)

 よこいしょっと、少し年寄りくさいところを言語披露してしまったけれど、私は気を取り直して腕に力を集中させた。

 ―――持ち上がらない。いやいや、おかしいな。もう一回だ。

 腕をもたげようと力をこの上なく入れる。なのに、持ち上がらない。持ち上がらないのだ。はて、なぜ?

 私は眠り眼で視線を腕の方へ落とす。そこで私は気付く。というか、驚きで眠気が吹っ飛んだ。

 そこには二色の玉―――いや、玉ではなく髪の毛が腕に載っていた。右に赤。左に茶色。まさかと思い双方のベッドを見やる。正解。

 私の予想は案の定外れてはいなかった。彼女たちだ。綾陽と火織の二人が腕に添い寝しているのだ。実際頭の部分しか見えないのが残念なところと、かわいい寝顔を覗けないという意味と二十の苦。

 私は気持ちよさそうに寝ている二人に挟まれすんごくドキドキしていた。

 心拍数の上昇。現在進行形で右肩昇り。心臓から送られてくる血液が体中から溢れんばかり。

そして私の顔を赤色に染め上げた。

 ―――まずは、落ち着こう。こういうイベントはゲームとかマンガとかでしか楽しめないものかと思っていたが……じゃあ、なくて、深呼吸をしよう。

 ―――スーハー。スーハー。ん~~~良い香り。うん、落ち着かない。落ち着くわけがない。

 だって、こんな夢みたいなことが現実であってたまるもんか!!?

(私が女子にモテるわけがないっ!!!?)

 そう叫びたかったが、吐きだす寸でのところで、無理に喉に押し込んだ。

 夢だと思うんだったら、どこかをつねればいいんだ!―――って、両手塞がっているから無理だぁ~~~!

 この短時間で喜び、怒り、悲しみ、楽しんだ。まさに喜怒哀楽という四字熟語をやってのけた。て、こんな事をしている場合じゃあない。

 結局、私は何をしたいのか分からなくなったのが現状。彼女たちを起こしたいのか。眠らしたいのか。

 すると―――

「………ぅううん。……ん、ん……」

 唸り声というか寝言に似つかわしいものがうっすらと明日乃の耳を打つ。その声の主は右の腕を陣取っている火織のものだった。初めて、寝言を聴いた感想はかわいい声をしているんだなという素直なものを私は感想として上げてしまう。

彼女は黙っていても、黙っていなくてもかわいいという得するをタイプなのだ。彼女と第三アリーナで丁々発止中にひそかに気付いてしまった。ま、そこまでの余裕はこちらにもいかんせん無かったのだが、たまたま見れたみたいな感じだ。

 火織は私の腕の中で寝がえりを適当にしたのち。

「あ~す~のぉ~~~!」

 と、とても幸せそうな顔を浮かべた火織は寝言で明日乃の名前をゆっくりとだが呼んだ。―――一体どんな夢見てるんだか、しかも私夢に出ちゃってるんか。

 突然後頭部が痒くなったので搔こうと思ったが、二人が寝ていることを忘れていたのでその場しのぎでどうにかすることにした。枕で誤魔化すのが関の山か。

 実際やって見ても、枕がふわふわしていてあまり効果が出なかった。このかゆみをどうにかしたいから早く起きてくれないかな。かといって、自分から起こすのも気が引けるし、機嫌が悪いのはもっと太刀が悪いし―――。

 溜息を一回。意識を二人に集中し過ぎたせいで、周りが見えていなかった事に私は気づく。部屋がそもそも薄暗かったのだ。カーテンが昨日とは違って完全に閉まりっきりで、カーテンの裾から零れる朝日の光が保健室の床を照らすのと、籠る光で外が明るいということが分かった。つまるところ朝になっていた。もしくは昼時か。

「もう、朝なのか…」

「そうだよ」

「う、ん?」

 こちらに顔を覗かす赤毛の少女火織が、今まさに眠りから醒め私の眼前で楽しそうに微笑んでいた。正直なところ不意打ちを食らった。

こちらは受け身を取っていなかったので生返事を余儀なくされる始末。

「おはよ」

「え、あ、……おはよ」

「明日乃寝ぼけてる?」

「いや、ああ、今起きたばかりだからな」

 「お前も今起きたんだろ?」と返すと、火織は首を縦に頷かせた。

 にゃあといって、火織は自分の楽な格好に直し、明日乃に密着した。特に体と体を密着させてきて、火織は明日乃を抱きついてきた。徐々に力を入れていき離さないと言わんばかりの強さになった時、明日乃は心臓を酷く跳ね上がらせた。このとき非常に心臓に悪いということが分かった気がする。

まず、障害でこんなに人に抱きつかれることはあるのだろうか?多分ない。あっても一回。そもそも彼女の抱き方には特徴がある。何も目的のない空っぽのタイプではなくて、意図的にかつ驚異的パワーを秘めていたのだ。甘え慣れているとしか言う得ざるを得なかった。本当に驚異的だった。抱きつかれることに慣れていない私的には。

「どうしたの?明日乃?汗がすごいよ?」

「だ、大丈夫、だいじょうぶだから」

 身振り手振り…は出来ない上動くと綾陽が起きてしまう。火織はキャッキャッと、こちらの様子を半笑いでテンション高く、こちらの様子を探る。

「へ~そっ」

 短く吐き捨てたと同時にくるりと、反転。今度は内側に潜り顔を確かめることが出来なくなったが、時々眼をこちらに向ける彼女の行動に私の心は再びドキドキしていた。

「それにしても、火織。元気そうで良かった。昨日の姿が嘘のようだ」

 お前はどこの両親だ!って、自分が自分に突っ込んでしまった。それでも、八割近くは本当に心配していた。見ている当初はもやもやがひどかったけど、今となれば少しモヤが晴れた気がする。こうして今笑っているのだから。

「明日乃、お母さんみたい」

「そうか?火織のところもこんな感じだったのか?」

「ううん。私、その施設にいたから、これといったお母さん像はないけれど」

(悪いこと聞いちゃったな…)

「気にしないで。明日乃は何にも悪くない。悪くないんだよ」

 すっかり気が沈んでしまった私に励ましの言葉を送る火織の方が明らかにお母さんよりだった。彼女は私のおでこに手を添え優しく撫でた。

「お前の方がお母さんお母さんだぞ?」

「えっ、そうかな?」

「ああ、マジだったぞ!?火織はそういう器質があるのかもな。将来が楽しみだ」

 私は優しくそう言った。

 互いに正面を向いていて、今も彼女の掌が私の額の上にある中で私は真剣な面立ちで唇を震わす。真に受けた彼女は少し硬直し、我に返ったと思ったら、慌てて背をこちらに向けた。背中から恥ずかしさが蒸気とともに噴き出していた。なんでだろ?

 多分、あちら側からすれば不意打ちだったのだろう。無意識に行っていた行動がそうだと指摘されれば、誰だって恥ずかしくなるだろう。私もそうだ。

「不意打ち…不意打ちだぞ。あすの…」

「悪い」

 私は先ほど、火織がしてくれたように今度は私が火織の頭を撫でた。そしたらぼっと、何かが彼女の頭で着火した。まるでマンガみたいに。

「にゃっ、にゃに。な、なななにしてんの」

「いや、悪いなと思って。ほれ」

「にゃっ!?」

 もう一度、火織の頭を撫でる。撫でることは慣れているから何度でも撫でてやることはできる。こんくらいしかしてあげられないのが残念だ。

 受けの火織は借りてきた猫みたいにやけに大人しくされるがままな状態を保ち続けてきた。途中途中ビクンと体を震わす様子を伺うに慣れていないのがよくわかった。

「嫌だったら、嫌って言ってもいいんだぞ?」

「嫌じゃない。明日乃手はあったかいし気持がいい」

 そうかと私は短く返事をして、撫で続ける。

 こうしてる分、あの時の出来事が嘘のように感じられてくる。本当に人が変わったようだ。そう錯覚してしまう。

「火織……?」

「……ん?」

「生きていてよかった。本当に」

 世の中には変わった人間はいくらでもいるということを改めて私は知る。要するに人生楽しんだもんが勝ちっていうやつだ。

 一人うんうんと頷く中、一人プルプルと小刻みに揺れ、揺れが大きくなったと同時に彼女は勢いよくその場に、上半身を起こした。私はあまりの出来事に目を大きく見開いていた。

「どうした?」

「どしたもこうしたも、関係ない。どうして、私が死ななければならないのよ!?」

 そう、火織は背中で語った。

「いや、だから、そのまんまの意味だって。私の大事にしていた人が、物が眼の前で無くならなくて良かったって、言ってるんだ。……火織だって嫌だろう?眼の前でたった今出来た友人を失うのは?―――私は嫌だ。大切なものをこれ以上は失いたくはない。欲張りだけど出来れば全部守りたい。それが、火織に突き当たった理由。もしかしたら、この娘と仲良くなれるんじゃないかって、……そう思ったから、今がこうしてあるんだし……、火織と友達になれて良かったって・・・!」

 いつの間にか、真剣に話している自分がいた。つい拳まで握っちゃって熱弁している。振り上げた拳を見つめ、再度火織に視点を変える。

 先ほどまでの勢いは既に落ち着いており、どこか遠目で、思いつめた面立ちへと変わっていた。

「私は、明日乃に酷いことをした。もしかしたら、明日乃は死んでたかも!?―――知れないんだよ?」

「だから、どうしたんだって話。今ここに居るのは私。本物。偽物じゃあない。過ぎたことは仕方がないのさ。受け止めないと。失敗は誰でもする。失敗をしなくちゃ分からないものだってあるんだよ?……でも、火織はそれに気づけた。……でしょ?―――だからお互い様」

「―――――本当に許してくれるの?私なんか……?」

「ああ。まず私がお前を許す。それから、今回の被害者に謝罪をするんだ。本気で謝れば、分かってくれるって」

―――こういうのも青春、なんだよな。笑ってはいけないような場面でもあるが、私は思わず、小さく笑う。それを見かねた火織がプイッと、さらにそっぽを向いてしまう。

「ごめん。でも、これからは楽しい思い出をたくさん作っていこう?私がいるんだ。お前を不幸にはさせない。私はお前の最後の希望になる」

 一瞬火織の方が揺れた気がした。

「……く、……そ…、………約束だよ……!?」

「おう……」

 私は小指だけを立てた状態の手を前に突き出した。彼女は依然後ろを向いたまんまだったが、ちゃんと手を返してくれた。そして二人で指切りをした。

 彼女の指の感覚が残るうちに指を切った私は少し名残惜しいが、彼女との約束を守ることを誓った。―――最後の希望―――。なんか、恥ずかしいな。

 

 

 

 



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第十二話 良くも悪くもこれが日常

 

 

「ほら、ちんたら歩いたら置いて行くぞ~」

「待って、お姉ちゃん」

「明日乃~」

 綾陽と火織の姿を尻目に私はずかずかようもなく早く歩いてみる。

 いつもというか、何というか、とかく歩くのだ。ええ、そりゃあもう毎日、足が太くなるくらい。

 少しばかし足を速め、教室までの道筋を歩む。そのあとに、もちろん遅れて綾陽と火織の二人がついてくる。なにか後ろから聞こえるが、私は気にすることなくスタスタと進む進む。

 そんなことで、無心に歩くこと数分。教室の前に到着。ちょっとって、表現はないと思うが歩くスピードを誤った私は廊下に一人ポツンと取り残されている状態だ。タイミングがいいのか悪いのか誰も来ない。右、左に首を振るが誰も来ない。

 

 ひとまず、苦笑。

 

「明日乃。速いって」

「はぁはぁ……ほんとだよ…おねえちゃん…」

「たはは……!」

 息を上がらせた二人が、ようやく私に辿り着いた。

 あーだこーだ文句をぶーたれている。

 悪い悪い。ちょっとしたいたずら心が働いてしまった。

「まあ、ここでごちゃごちゃ言うのもなんだから中に入るか?」

 二人は無言で頷く。

 荒い息を整えた二人が私を見つめる。つい流れ的に生唾を飲み込んでしまう。妙に緊張するな。

 自然と緊張するこの空気がまるで、ここから先はゲームで言うボス戦みたいな感じがしたのは多分私一人だと思う。軽い気持ちで入りたいのですが……。

 

 私が意を決めてドアに触れると、プシュッと風の抜ける音がし、ドアが開く。

 

 クラスの娘たちはドアが開くなり、視線を私たちに向けた。

 

 まあ、クラスに入れば誰が入って来たくらいかは知りたいから見るのは分かるけど、会話を完全に止めてまで私を見るかね?普通。

 まるで、私たちを珍獣が入って来たみたいな眼で見て。そんなに難しいかね?

 息の合ったクラス中の娘の反応に私はすかさず、顔をへの字に歪ませ、一歩引いてしまった。

 

 こういうのは、進めばいいんだよ。進めば。

 

 そう思うならば、私は実行していた。ちなみに後ろからちょっと、早く進んでよとか、どうかしたの?とか色々言われていたが私は何も聞いていない事にする。

 とにかく私は自分の席まで歩いているが、視線は私を指している。後ろの二人は何の疑問を持たずについてくる。私たち三人は一連の事件の関係者ということで席がまとめられている。席に着くなり、話に花を咲かせるが、やはり視線が気になり話に集中できない。一様あちら側も話を再開している模様だが視線は以前に私のままだ。まるで、私のこそこそ話をしているように見える。

 どうしてこうなったのか、心当たりが一つあるかないかなのだが、多分これではないだろうか。遡ること昨日の事だ。

 

 

 

 遅咲きの桜が教室の窓から見受けられる頃、風は突然吹く。

 

 入学式も何事もなく済まされ、四月の第二週のある日。適当に友達が出来始め、少しずつだが、学園生活を充実し始めていた。その日は晴れていた。

 私たちは今日みたいに少しおびえて入るような光景もなく、ごく自然に教室に入り席について、授業の時間まで適当に潰すことにした。

『おはようございます。今日は―――――』

 話は学級委員を決める事で、少し背伸びをした私たちの担任こと、山田麻耶先生がその話題を持ち出したのが始まりだった。

 山田先生は興味のある人は大歓迎ですと一言エール的なこと放つが、そのあと副担任の織斑先生が学級委員について補足を付け足す。

 そもそも学級委員というのはクラスの代表であるのは常識。これぐらいなら赤ん坊でもわかる。 だが、それはあくまで常識に過ぎず、この学園内ではクラスの長になるものはクラス代表戦と言われているものに参加しなくてはならない。さらにクラス代表戦といわれるものは簡単に言えば、クラスの長同士が戦い、頂点を目指すといういかにもシンプルな内容な企画だ。

 だが、やるのであれば頂点を目指すのは当たり前なのだが、優勝賞品はなんと学食のデザート無料券らしい。そりゃあ女子たるものその話を飲まないわけにはいかないのである。だからこそ本気、いやそれ以上で戦いに挑まなければならないということだ。それだけ重いのだ学級委員というのは。たかが紙切れされどお宝となりうる代物だ。だからこそ舐めてかかれば後で後悔する。

 それが、織斑先生の口から説明されたときに、固唾を飲んだ。

 そのあとももちろん教室は暖まる事もなく、むしろ逆に凍ってしまった。進んで立候補するのもいず、私たちも冷静に見守るわけで。

 なんのリアクションをしない私たちに山田先生はキョロキョロする。その姿を微笑ましい表情で私は見ていた。

 そんな時、この静寂を破るものが現われた。聴こえたのは後方の方で、私たちは反射的に首をそちらに向ける。実際こういうのは気になるものだろう?

 私たちの視線を受けながらも怯まず、己の意志を貫こうとする姿はその場の空気を自分の物のように使えていた。まるで、このような光景を幾度も体験したかのような堂々とした物腰に私たちは すごいの一言で片づけてしまう。

 理由は簡単。こんなに堂々とした人がやってくれれば、優勝も間違いなしと。ただそれだけ。

はなから学級委員になろうとする者は誰もいないだろう。唯でさえ、扱いがままならないISに乗って、そりゃあ時が経てばうまく扱えるようにはなるとは思うが、実際そこまでリーグに残っていられるだろうか?……ここからはあくまでの話だが、一回戦で負けてしまったら、どうだろうか?他人からの残念な視線を受けて学校に居られないだろうな。多分心が折れると思う。だったら、はじめから周りに押しつけちゃえという考えに至ると思うんだ。だから現に今こうして互い同士で牽制し合っているわけで。

 だが、だが今、その厄介事に首を突っ込んだ人がいてくれている。

『では、この私イギリス代表候補生のセシリア・オルッコット自身が学級委員に立候補いたしますわ!』

(あー、残念系だな……)

 率直な感想を心中で言ってみる。なんせ、自分の胸に手を当て自己主張をして見せてくれるのは、まあ、……関心するところだが、何かが違う気がするんだ。

 口調や口癖はまあ、いいとして。行動は演劇とかやってますか?と少し疑問を問いかけたくなるくらいその場をうまく使って表現していた。一言でまとめるなら、自分に酔いしれている感じ。

 そのセシリア……なんちゃらさんって子は上記のようなこと一旦忘れると結構お嬢様っぽい印象を受ける。

 金髪の金が染めたような輝きを見せるわけではなく、生まれつきの地毛であるのは初見でもわかる位だった。腰まで届くその長さと縦ロールがいかにもお嬢様って感じがしてしかたがなかった。 つまり、隅積みまで手が込んでいたということを私は言いたかった。

 端正な顔立ちにして色白。他の顔の部品もそれに負けじと整っている。正直かわいい。悔しいけど。

 視線を変えて、スタイルを見た。服越しからでも細いのが分かる。すらっと伸びた指や腕なんかも手入れが十分に施されていてつい見とれてしまう。下半身は机が邪魔で見えない。でもなんとなく細いんでしょうねと嫌味を七割ほど混ぜた溜息をその場で時間をかけてゆっくり吐き、そのあと体勢を前に戻した。

『であって、この私が学級委員になった暁には―――――』

 まだしゃべってる。

 体勢を前に戻してみたものの、彼女の演説的なものは、未だ終わらない。時間にして十分はとうに過ぎている。正直、こちらもベラベラ話され続けると、心穏やかでは無くなってくる。

 

 そろそろ、織斑先生が……

 

(あれ……?)

 教壇の脇に織村先生が腕を組み、眼を伏していた。もしかして…寝てます?

 だが、その疑いはすぐに解消された。セシリアの話が終盤になったことが分かった瞬間、先生の眼がゆっくりとだが開く。

『……というわけですの。これで、ひとまず―――――』

『いや、もう十分だ』

『ですが、まだ私の―――』

『もういいと言っている』

 織斑先生は眼を見開き、セシリアの像をしっかりと捉えていた。

 それでもと彼女が言うと、制止がてらに出席名簿を肩のところまで持ち上げるとセシリアはぐぬぬと、した表情を見せ、大人しく席に着いた。彼女の中で折り合いがついたのだろう。

(やっと、終わった・・・ありがとう、織斑先生。皆も感謝してると思うぜ・・・)

 同意を求めようと後方に体を回すと、起きているのは数人しかいず、ほとんどの者が夢見ごちだった。

『他に立候補する方はいませんか?』

 と、山田先生。それに続くように、織斑先生が出席名簿で教壇を叩く。木の部分ではないところを叩いた。その瞬間ゴオォ―ンと凄まじい音が教室中に鳴り響く。

 それに反射して、クラスの夢見ごち中の女子が跳ね上がらんばかりに身を起こす。

『セシリアがこう言っているが、他に立候補するものはいるか?この際、自薦他薦も構わない。このままだとセシリアの無投票当選になるぞ』

 最初は良いかなって思ったけど、後々から見えてくる嫌な部分がちょっと鼻につく。ただでさえ頭が高い性格の上に、学級委員という称号を付けてみろ!更に高飛車な性格になるに違いない。

 

(誰か、手を挙げてくれ)

『はいっ!』

いいね。こういう子に学級委員をやってもらいたいね。

『はい。吉音さん』

『他薦なんですけど、藤村明日乃が私は良いと思います』

『あっ、私も!』

(ヘ―、同姓同名で私と同じ名前か・・・、これは挨拶しないと。で、藤村さんって・・・私の後ろかな?いや前か?)

 私は落ち着きのない子のごとく、周りを見渡すと、おもしろいことに全女子の視線を受けていた。いやー、まいちゃうなぁ~。で、もう一人の私は・・・。

『藤村、お前的にはどうだ?』

『いや、これは話合わないと……』

『お前、ふざけているのか?』

いや、ほらもう一人・・・・・・。

『このクラスでは、あなたしかいませんよ?藤村さん』

『ああ~~~、そうですかぁ』

 って、ええええええ!!!

 条件反射で私は席から立ってしまった。勢いよく後ろの席の綾陽に当たってしまった。とりあえず、謝っといたけど。

『それって、ほんとですか?!』

『なぜ、お前に嘘を憑かなければならない。馬鹿者が!』

 ――――ですよね。

 一旦、この状況を飲み込もう。私はクラスの誰かに立候補をされてしまい、・・・・・いや、どこかで聞いたことがあるような声だったがまあいい。ってことは、あらかじめ立候補したセシリアと選挙をしなければならないってことか。……参ったな。勝つ要素が無い。ってか勝つ気はないんだけどな。

 この状況をどう打開しようか。

『あっ、私も藤崎さんに一票』

 私が耳を立てると私も私もと賛成の異口同音の声がちらほら聞こえた。嬉しいんだけど、どうして私なのだろう。他にも出るでしょう?……はて?

 

 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン~。

 

 私の思考を遮るように授業終了のチャイムが鳴る。

 

『はぁ、では、後日改めて決めることとする。それまでに話がすんなりと済むように、話し合いでも……終われば、まぁいいか』

 織斑先生の言葉がつっかえている間に教室から出て行ってしまう。

 話合っても、何を話せばいいんだよ…。

 私ははぁ、深いため息を机に突っ伏した。

 

 

 

 



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第十三話 笑って私を追い越して

 

 

 前の授業(学級委員を決める件)が終わってからの休み時間の事だった。

 毎度のことながら、いつものメンバーこと綾陽、火織の三人で談笑をしていると、私は後ろに人気がある気がした。なのでとりあえず、首だけを後ろに向けると、案の定誰かがそこに立っていた。えっと、確か名前が…ヘルシア・ダイエット?―――さん?―――いやいや、でもなんていう名前だっけ?

 後ろに首を向けたまんまだとさすがにきついので、一度首を戻し、姿勢をセ、セ、セ……セシリア?そうそう。セシリア・チョロコットさんだ!その人に向け直した。

 さすがに人に背を向けたままだと失礼になりますからね。

 正面にセシリアを私は無言で見詰めた。

『な、なんですの?』

 やっぱり、先ほど熱演していたセシリアに間違いなかった。遠目で見ていたせいか近くになったら、思っていた以上に整っていた全体的に。それと良い匂いがした。多分香水の匂いだと思う。

『良い匂いだね?セシリアちゃん?』

『ちょっと、近すぎますわ!』

『えっ?あっ、ごめん。つい良い匂いがしたもので』

 セシリアが制止するのも無理ない。なぜなら、私が匂いを嗅ぐのを夢中になってしまったがばかりに互いの吐息が掛かる距離まで急接近していた。

 白人独特の肌の白さに少し赤味が増していた。―――もしかして、照れてる?

 それに透き通ったブルーの瞳がしっかりと私を捉えていて、眼があう。そんでもって、私がひとたび笑顔を作ると更に赤味が増した。

『からかうのも大概にしてくださいな!私はおちょくられるのが嫌いですの!』

『いや、かわいいから、ついね』

『あなたと話していると、調子が狂いますわね』

『そう?』

 セシリアが、はあと溜息を吐く。なにもそんな嫌そうな顔しないでよ。見てるこっちまで悲しくなってしまうよ。

『えっと、セシリアちゃん。用件があるんだよね?邪魔してごめん』

『そ、そうですわ。まんまとあなたの罠にはまるところでしたわ!少し、お時間良いですか?』

『あっ、うん。セシリアちゃんの為なら時間をいくらでも作るよ』

『先程のお時間の事で、引っかかるところがありましたの。あなた、私より後に名前を出されたはずなのにどうして人の気を留めていたように見えましたが、どのような巧妙な手段をお使いになったんですの?』

『いや、これといったことは……なあ?』

 私の後ろで話を聴いてあるという定で綾陽と火織に問いかける。

『それは簡単だよ。セシリア』

『うんうん』

 私の問いかけに素早く返答した綾陽と火織は私が悩んでいる間に答えに導こうとしていた。

 これまでに時間を共にしてきたが、この二人がこんな息ぴったりな姿を見せるのは初めてかもしれない。

 ただし、ややこしい方向に話がもつれていないかが実は一番私的に気になるところだった。なぜなら、この二人が息を合わすようなことをしなかったからだ。だからこそ、恐怖半分、楽しさ半分という結果に辿り着くのかもしれない。

 『それは…』と、綾陽が音頭をとる。続くように二人ほぼ同時に息を吸う。はっきりと聴こえる点からかなり期待できる一言が来るはずだ。

『お姉ちゃんが〝アナタ〟より強いからに決まってるからじゃない!』『明日乃が〝お前〟より弱いわけがないだろうっ!』

 ビシッと、二人はセシリアの顔に向かって、人差し指を近付けた。それに急に立ち上がるものだから、教室中の視線の的となり変わるわけ。そんでもって、私が強い宣言をされてしまう始末。これって、私今物凄く恥ずかしいこと言われてなかった?

『ほぅ…それは私への宣戦布告ということでよろしいですわね?』

『い、や……これは』

『おう!そうに決まってるぜ!』

 あのぉ…私の話を聞いてくれませんか?火織さん。

『うん!もういっそ、お姉ちゃんが学級委員になるしかないよ!もうその道しかないよ!』

 いや、だからね、綾陽。二人とも私の承諾なしで話をトントン進めないでよ。

 それに二人ともチラチラとこっちの様子を窺うのやめてくれないかな。

『わかりましたわ。ならば、その挑戦受けて立ちますわ!そんな大声を出したことを後悔させて上げますわ』

 セシリアは二人の手を払いのけ、自席に戻っていった。

 そのあとは授業に手も付くわけ無く、何度も織斑先生に叩かれかは言うまでもない。 

 

 

 ――――――はあ…、また溜息をしている。

 

 

 いけない。いけない。―――あっ、外が暗くなってきたな。そろそろ帰らないと二人が心配してしまう。

 教室はいつの間にか、薄暗くなりつつあり、光の源が窓越しの茜色の光のみだった。

 だれが、電気を消したんだか……と、溜息交じりで私が小言を言う。それにクラスに私しか残ってないし。

(もう、夕方か……)

 明日乃は重い腰を上げ、のろのろと教室を後にした。

 我ながら、悄然としていない。気持ちも釈然としていない。おそらく、学級委員の件で気が乗らないのだろう。綾陽と火織が余計なことを言ったから?それともセシリアに負けるのが怖いから?  ―――というかそもそも何で競うんだよって話。この学園内のルールだとISを使った争いになるんだろうな。

 はあ……。また、溜息をついた。

(私は何に悩まされているのだろう)

 帰ったら、寝よう。

 一人、計画にもないことを思い、ただただ長い寮までの道を憂鬱な気分で明日乃は歩いた。

 

 

『……えちゃん』

『あ……す、のぉ~』

 私は一階の廊下を歩いている時、何かの声が耳に付いた。

 でも、気のせいだと自己解釈をした私は振り向き直してそのまま歩きだす。

 それでも、やはり名前を呼ぶ声が聴こえる。しかも、聞き覚えのあるような名前で、その名を〝あすの〟というらしい。へぇ~、この学園の中にも私と同じ名前のやつがいるんだ。もしかして、〝あすの〟って名前はメジャーになりつつあるのかね。なんだか嬉しいよ。うんうん。

『おねえちゃーん!』『あすのぉ~!』

 そこに人影が二つ。あいにくと、逆光でシルエットしか目視できなかったが、走っているのは分かる。なぜなら、私のもとに人影が近ついてきているからだ。

 私は一瞬、後ろを見やった。誰もいない。ということは私が〝あすの〟って呼ばれていた人物だ。あー、なるほどね。ずっと私が呼ばれていたのね。

『おねえちゃ―ん!』

『あすのぉ~~!』

『おう、どうした?』

『あまりにも帰ってこないから、捜しちゃったよ』

『わるい』

『で、お姉ちゃん。朗報だよ』

 な、なんだ?もしかして本当に〝あすの〟って名前が子供につけたい名前ベストテンみたいなやつに急上昇したって話じゃ……!―――それ一回離れよう。

『何が?』

『『セシリアちゃんとの決闘が……』』

 二人がまたシンクロしようとしていた。

 息を吸う音が鮮明に聞こえる。これは今日の学級委員の件の時と酷く酷似していた。

 また良からぬ方向に駒が進みそうだった。

『『決まったよ!!』』

 だと、思いました。今更ながら驚くようなこともない。

 私がきょとんとしている間に二人は私のリアクション待ちをしているのか、ジャーンと両手を広げながら、―――まあ、はたから見ればハグでもする一歩手前見たいに見えるのではないだろうかって状況。

『一旦、部屋戻るか?』

『『うん!』』

 彼女らに数テンポ遅らせてリアクションを返すと、うんと首を縦に頷かせた。かわいいやつらめ。

 

 

 仕切り直しにと場を私たちの部屋に移し、各々ラフな格好に着替え、テーブルをかこうするように座り、ついでにおやつの時間はとうに過ぎているがお茶にすることにした。

『ふぇ~落ち着く~』

『だねぇ~』

『二人とも、本当にリラックスしてるね。クスス』

『別に、良いだろう?自室なんだし、こういうことしたって』

『あっ、明日乃が元に戻った』

『人をおもちゃのように言うなよ』

 小話を挟みつつ、お茶に、お菓子とこれはもうTT(ティータイム)だということを分かっていたが、改めて確認した。私はアップルティを綾陽はレモンティ、火織はミルクティとかなり楽しんでいる。

というか夕食前にお菓子ってのが女子って感じがする。あとで、夕飯残しても知らないぞ―。

 って、いう自分もさっきからクッキーを頬張っているんだけどさ。

 お茶請け用のクッキーは綾陽たちが買い置きしておいたものなのだが、意外とおいしいものでついつい枚数を両頬にため込んでしまう。その姿を見た火織が・・・

『明日乃ったら、リスみたいだぞォ~!』

『クスス。そうだね。かわいいよ』

 はいっと、火織が言下直後にティッシュ箱を私に差し出してくる。察するに口周りが汚れているからこれで拭けって事らしい。

 私は素直に一枚受け取り、口の中のクッキーを咀嚼し、アップルティで流し込む。そのあとにティッシュで口回りを拭く。

(もしかして、お姉ちゃんが元気なかったのって、お腹すいてただけじゃ)

(たぶんね、本人はその自覚がないみたいだぞ?)

 私と火織ちゃんがこそこそ話している間にもお姉ちゃんは幸せそうな表情でクッキーを頬張っていた。

『さぁて、適当に腹が膨れて良い気分なとこれで、さっきのセシリアとの決闘の件を話してくれよ?』

 話す直前に腹を一叩きをした姉。もうちょっと女の子なんだし、デリカシーを守ろうよ。

 こちら側もタイミング良く話そうと思っていたところに話が転がって来たので、ちょうどよかった。

『……で、さっきは決闘が決まったぐらいしか聞いていないから、日にちはいつになった?』

『うん。今からちょうど一週間後の月曜日だよ』

『そんでもって、場所は第三アリーナなんだよね』

『ほぉ…なるほどね。―――ん?でもいつそんなこと言いに行ったんだよ?てか、勝手に決闘とか決めちゃダメだろ?!第一、セシリアだって……』

『本人、すごくやる気あるみたいだったよ』

『もしかして、話したの?』

『『うん』』

 あー、なるほど……。あっちのやる気を駆り立ててしまったか…。

『ううんと言った何の話をしたのかな?』

『大した話じゃないよ』

『そ、そうか……』

 世の中には聞いていい話と聞いちゃいけない話の二種類があるから、今回は耳を塞ぐとしよう。うん、そうしよう。

 ついでに話も切り替えよう。

『で、いつそのことを言ってきたんだ?』

『あ、うん。お姉ちゃんが落ちてる時に、何言っても上の空って感じだったから。サササって、言ってきちゃった』

『そっか、ここまで来ちまったら、やらないわけにはいかないか・・・?よし、腹をくくろう』

『それと、お姉ちゃん。さっきはごめんなさい』

 急に綾陽がその場で謝った。頭を深く下げて謝って来たのだ。

 私は、少し動揺をしたがすぐに気持ちが整った。

 そのとき、分かった。この二人は心から私に学級委員になってほしいものだと。

 未だに頭を下げている面では本当に反省の色があると私には見えているし、そう思いたい。自身の妹一人信じられないのでは恰好がつかないではないか。

それとここまでされてしまうとやはりやるを得ざるを得ないじゃないか。

『ほら、顔を上げて。大丈夫。ちゃんとセシリアとは……あんまやりあいたくないけど、やるだけやって見るし、それと……』

『『それと?』』

 綾陽と火織が同タイミングで、小首を傾げる。本当に息が合ってるな。

『それと、セシリアとは仲良くなると思う』

『そうかな?』

『この私が言ってんだから、大丈夫だろ?なっ、火織?』

 明日乃が急に真剣な表情で私の名前を呼ぶ。

 そんな眼で私を見ないでよ。調子狂っちゃうよ。ほんとに。

 そう思うと、急に体中に熱が込み上げるような感覚がした。

『は、はいっ!!』

『こうして、お前とも仲良くなれたんだ。なっ?大丈夫だろ?』

 更に明日乃はニッと、子供のような無邪気な笑みを表現した。

 何の穢れもない、純粋無垢な笑顔だった。

『ああ、そうそう。ひとついいか?』

 またまた急に何かを思い出した明日乃は、右手の人差し指を立てて二人に問いかけた。

『打鉄とか練習場所とはどうすんだ?』

『もうそれも申請済みだよ。明日の朝位に許可が下りるかわかるから。その時まで待っててね』

 ぐっと、親指を立てる二人は本当にシンクロしているんだなと明日乃を底無く関心させた。

『よし、じゃあさっそく明日から特訓だ』

 私は天高く拳を突き上げ気合いを注入する。

『よし、このまま、食堂に行くぞ―!!』

『『おおぉ!!』』

 と、そのままの空気で私たちは部屋を飛び出し、食堂に向かったのだった。

 

 

 

 



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二章 覚醒した蒼い鎧
第十四話 私は迷路の中にいる


 学級委員を決める―――という一連の出来事から、丸々二日が経った早朝のこと。

 セシリアとの決闘が決まって、昨日からアリーナを借りて、練習を行っている。

 ISの操縦には慣れたもので、細かい動作ができるようになっていた。はて、どうしたものか?……たぶん気分の持ちようかもしれない。

 相変わらず私は綾陽と火織の二人に練習を頼んでいる。二人ともうまいもので、私以上に動けているかもしれないと思わせることがいくつかあった。

 そんでもって、アリーナの使用できる時間ギリギリまで、使わせてもらったら、今日は絶賛筋肉痛というわけだ。自称鍛えてますからと、言っていた頃の自分が恥ずかしくなってきた。

 私はベッドの上で動かない体を必死に動かそうとしていた。いまさらながら。

 そろそろベッド脇に置いてある電波時計が鳴るだろう。そんな感じがする。直感的に。

 ―――二人はちゃんと私を起こしてくれるだろうか?

 今更ながらに、少し怖くなってきた。なので、私は眼で左右を見やった。

 腕、脚が動かない。それに首も痛い。だから今は眼しか……。

 左に綾陽、右に火織。間に私ときている。―――右はうん。幸せそうだ。涎なんか垂らしちゃって。左は……いない。

 もしかして、トイレか?なら、大丈夫だろ。……ね、るか。

 眼を伏せると眠りの波はあっという間に訪れ、自分の呼吸する音が間遠になってきた。

 

「お姉ちゃん、朝だよ?」

「う、うん…もうチョイ」

「だめだよ~!さ、起きて、WAKEUP!!」

「うわっ!!」

 バサッと、私にかかっている毛布が無くなる。その後に訪れる寒気は一気に眼を覚まさせるものだった。犯人はもちろん綾陽で、火織もこの後餌食になるのではないだろうか?

「眼覚めた?」

 毛布を持ち上げながら、私に問いかけた。

「うーん、おはよ……あやひ……」

「うん。おはよ。お姉ちゃん」

 私は寝癖ではねた部分を手で押さえつつ、綾陽のいる方向、声の聞こえる方に眼と耳を向けた。あくびが出る。しかも大きいの。

「火織は……今から起こすのか?」

 うんと綾陽は縦に頷いた。つまり手伝えってことか。了解と私は頷いた。

 私が頷く頃に、彼女は火織を起こしにかかっていた。眠り眼の私は浅い知恵を巡らせ、ひとつ思い出した。火織は単純に朝に弱いということを忘れていた。

 良く言えば、元気になる源注入中。悪く言えば、皆に迷惑かけちゃうタイプ。でも、少なからず私たちはそのようなことは思っていない。逆にこういうのは歓迎だ。相部屋の中に一人くらい手を焼くような娘がいてもいいような気がするんだ。その方が何倍も楽しいってことをつい最近気づいた。まあ、綾陽はそのかん真面目すぎちゃって……。

 私はひとつ笑みを零す。

「火織ちゃん、朝だよ!起きて」

「う~んう~ん」

 綾陽が火織をやさしく摩る。この様子だと毛布剥ぐな。もしくは摩るのが震度が上がるような感じか?

 火織もなにやらうなされている。夢の中で揺らされているような夢見てなければいいけど。少なからずこの現状は火織のささやかな抵抗と感じて見守ろう。―――って、突っ立てるのもあとでとやかく言われるのも嫌だし、形だけでもやっとかないと。

「火織。朝だぞ。早く起きないと一人でいくハメになるぞ?いいのか?」

「お姉ちゃん。それじゃ起きないよ?」

「いやいや。綾陽のもどうかなって、思うぞ?」

 珍しく、話が拗れそうな気がしてきた。なんか久しぶりだな。小さい頃はよくやったっけな。結局、綾陽が泣いて、母さんに怒られるのが定番だっけ?

「――ちゃん。おねえちゃん?」

「あっ、何だっけ?」

「もう。……もしかして、喧嘩のことで昔のこと思い出してた?」

「うん。なんか珍しくて、な」

「実は私もそうなんだよね?」

「だよ、・・・」

「待って、今すぐ着替えるから!!!?」

 へっと、火織は面食らったような、非常に力が力が抜けた情けない顔をしていた。多分私たちもそのような顔をいているような気がする。

「「く、あははははは」」

 明日乃と綾陽は互いの顔を見合わせて、くすくす……いや、大きく笑った。抱腹絶倒といわんばかりに。

「あのぉ・・・いったい何が?」

 困り果てた火織が大笑いする私たちに申し訳なさそうに尋ねてきた。

「おぅ、おはよ。火織。悪夢でも見たのか?涙で出てるぞ?」

 くいっと、人差し指で彼女の瞳に溜まった涙の玉を拭う。

「あっ、ほんとだ……。ねえ、明日乃?明日乃はどこにも行かないよね?――行かないよね?」

 は?――どうして私がどこかに行かなくちゃ行けないんだよ?

 ぽんと、少し呆れ気味の私が火織の頭の天辺に手を置いた。

「なに、寝ぼけてんだよ?ばか。大丈夫。…大丈夫。お前の手がかからなくなるまで、そばにいてやる。まずはそれまで。後のことは、後で考える。それでOK?」

 ぐりぐりと、彼女が嫌がるくらいまで、髪がぐちゃぐちゃになるくらいまで、撫でてやった。

「ありがとね。じゃあ、着替えてくるや」

 そういって、火織はバッと瞬間的に私の眼前から姿を消した。まるで脱猫のように。素早かった。

「お姉ちゃん。なにか飲む?」

「ああ、緑茶で」

「分かった。お姉ちゃんも早く準備しないと遅れちゃうよ?」

 またあくびでた。そんでもって、腹を掻いていた。これはもう女子じゃあない。

 それにまだ寝巻きであった以前に私はなにも準備をしていなかった。火織に次ぐように私も洗面所に向かっていた。一様、火織の着替えを持って。

 

 

「最近どう?」

 洗面所に入るなり、家ではめったに話さない、親子みたいな会話を切り出す私。シャカシャカと歯を磨く音に、狭い鏡に二人並んで顔を映していた。しかも見えるのは互いの反面のみなのだが、なんだかすこし楽しいと思う自分がいる。

 そんな中で、こんな会話を切り出している私はまだ寝ぼけているのだろうか?

「あすのぉ~~~~。なんか家であんまり会話をしない親子みたいな感じの会話だけどぉ…そふぉそふぉ、おにゃじきょうしゅつで、しぇきもちかいし、かふぁったこふけいなんてしょふぉしきないでしょぉ」

 ごめんよく分からないな。でもなんとなく言いたいことが分かった。

「それもそうだな」

 ごもっとも。でも私なりに人笑いをとろうとしたのに、寝ぼけたやつに突っ込まれてしまったこの残念感。ミスったか……。

 「ちょっと、ごめんね~~」火織はいち早く洗面台を占領し、口を濯ぐ。がらがらぺって。その後もシャカシャカとゆっくりスピードの私を無視して、火織は寝巻きを脱ぎだす。

 ブラウスに袖を通し、ボタンを留めていく。次いでスカートを履き、最後に靴下を履いて準備を完了させた。リボンは朝食を食べた後に巻くのが彼女のポリシーらしい。だから、現時点でブラウスをスカートにインさせている状態。まだ成長の余地がある二つの膨らみが妙に強調していてなぜだか私は反応をしてしまう。

 私が洗面台を独占している間にきゅっと何かを結う音が後方から聞こえた。

「はい、できた。どう?」

「ん?ああ、かわいいぞ。すっごく」

「~~ぶぅ、ちゃんと見てよ、ほめてよ~~!」

 支度を終えた火織が鏡の前で自分の姿をいろんな角度で映していた。

 そのとき私は適当に褒めてしまったのが仇となって、気まずい情景を作り上げてしまった。顔を洗い終えて、タオルで拭き終わった。

 視線を鏡に映る火織ではなく、本物の火織を見た。急に視線が変わったことに火織の目線は上目遣いとなり、瞳は少し震えていた。

(正直、まともに見れないんだよな・・・)

 今日の一番の変化といえば彼女の髪の毛だった。通常はおろしている姿が多く、それに慣れていないという面で今日の彼女に驚いている。後ろをアップにしただけなのだが、そこがまたつぼというかギャップに私の心は鷲掴みにされた。

 そりゃあ、変化に気づかないわけがないじゃないか。正直に言ってしまえば、かわいくないわけがない。

「か……まぁ、たまにはそういうのもありだな、うんうん」

「もしかして、惚れちゃいました~~~?明日乃、顔真っ赤だよ?もしかして、熱でもあるのかな~~?私が熱ははかってあげようかぁ~?」

「か、からかうなよ」

「きゃっ!?」

 私はからかう火織に仕返しといわんばかりに、彼女の頭を容赦なく撫でてやった。

 最初の方は勢いがあったものの、しだいに衝撃は弱くなって、いつもみたいに撫でるような形になってしまった。正直、恥ずかしさを隠すためのアクションなのだったが、うまくごまかせただろうか?本心を言ってしまえば、根負けだ。かわいいです。

 えへへ。と火織は屈託のない笑みを全開で私の前で曝け出した。

「ありがとう。よし、今日もがんばろっ!!ねっ、明日乃」

「おお、そう・・・だ、な・・・」

 歯切れが悪いのと表情が引きつった私の姿を不思議そうに見つめる火織の頭には〝?〟が浮かんでいるだろう。すくなくとも私にはそう見えている。

 火織は私の視線に倣うように後ろを振り返った。だが、何の変化もなく、むしろ疑問に感じ取っている。私の眼前にいるのは火織を除いて、一人しかいない。それはとてもとても顔なじみのある、我生涯の最高の宝にして姉妹の綾陽がそこには立っていました。そしてそこには笑顔がありました。

 表面上は笑顔なのだが、効果で顔半分特に上らへんに影がかかってる感じ。笑ってるけど、眼は笑ってないやつにすごくそっくりだ。もしかして、そうなんじゃ・・・。

 いやいや、そんなわけ。

「いゃ、綾陽?どうしたのかな……?」

「お茶の準備ができたのですけど、お取り込み中みたいでしたか・・・?」

「?…いつもみたいに、元気注入をしてもらってただけだよ?」

「火織ちゃんは先飲んでていいですよ?」

「うん。明日乃と綾陽は?」

 小首を傾げる火織。

「少し、乱れちゃって。直そうかなと・・・」

 一拍くらいだろうか?それくらいの時間が空いたが火織はわかったと一言残して、自席に座ったと思われる。

「私も準備しないとな~~~!」

「・・・・・・・・・・」

 私の後ろにぴったりとついて、離れるという様子はないと見えた。

 後ろからの無言プレッシャーがものすごく怖い。そして、笑み。

 ぶるるると背筋が凍るかと思った。それくらい彼女のプレッシャーは大きいものだった。

「な、なにか、な……?」

 声が震えてる。

「いいえ。なにも?」

「じゃあ、どうしてそこにいるのかな?」

「いちゃいけませんか?」

「いや、なんか怖いなぁ~って」

 「そう」と一言短く言葉を切ると、綾陽は踵を返し、私の視界から後ろ髪とともに消えていなくなってしまう。

 おそらく、火織の元へ行ったのだろう。

 よくはわからないけれど、怒っているのだろう。その要素が彼女の体位から滲むのが分かった。

 ここは胸を撫で下ろすべきなのか分からなかった。正直わからない。世の中分からないことだらけで悩む。分からなかった。乙女の心が。一様私もなんだけど。

「まあ、早く終わらせないとな」

 歯は磨き終わってるし、後は髪くらいか……。

 早速、髪の毛をとかすが、思った以上に髪がまとまらない。水で抑えたところが、ぼっと破裂した。

(そういえば、水って髪の毛と相性悪いんだよな…)

 鏡に映る自分の顔が少し落ち込んでいる。一体どうしてかな。

 

 

 その後も、準備を終えた私は自席に腰を落とすと、すでに二人はお茶を楽しんでいた。さて、私の分は……って、ティーポッドを手に取ると、妙に軽い。

 それぞれお茶の種類が違うため、一人一個のポッドが設けれれているが、私のはすっと持ち上がった。かといって、二人のを持ち上げたのではないが。

 ポッドを傾けて、カップに入れようとしたが、残念。一滴も出てこない。あれ?

「なぁ、綾陽。お茶出ないんだけど?」

「・・・・・・・」

 綾陽の対応はニッコリと笑うだけだけど、せめてなにか言ってよ。

「なぁ、怒ってるの?」

「怒ってないよ」

 私は、はあとため息をついて席を立ち、ベッドの上に置いた鞄を取り上げ、そのまま部屋を出て行った。

 あまりこういうことで腹を立てないけれど、今日はどこか虫が悪い。

 一昔前はしょっちゅうやってたけど、いつぶりかな。こういうことって。 

 

 



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第十五話 それからとこれからと

「はあ…」

 分かっていてもつい溜息をしてしまう。

 それだけ、胸が締め付けられるように痛い。というより苦しくて息すらまともにできていない状態に近い。

 自然を胸元を強く握っていた。

 ふと、周囲を見やる。と広がるのは教室のような広さ、解放感ではなく、細くただただ後ろにも前にも伸びる一本のコンクリートの道。それに、窓が張り巡らされているからするに・・・ここは渡り廊下だ!ただ、何回かは知らないけれど。そんでもって、中央に突っ立っていた。

 はて?いつの間に?小首を傾げても答えはなかなか思い出すことはできなかった。

 私の中の最後の記憶が廊下まで出て行ったというところまでしか残っていない。ということは何かに引かれるように私はここに辿り着いたってことになりそう。大体そうしておけば、ファンタジー要素がでてテンションが上がるもんよ。

 だが、私は顎に手を添えて考えた。一つだけ、引っかかって気になるのが一つある。それは、今日どこで寝よう?―――ってことだけだった。

 単純に謝ればすべて済むんだけど、なんかこう気に病めない感じがしてかつ、素直になれない感じが今の私。多分口も聞いてくれないんだよな……。―――だったら、しばらく部屋に戻らないっていう考えもあるのだけれど、今のところどれがいいのか判断できないのが現状。

 ふと、窓越しから廊下に入る光源の月明かりがヒントをくれた。――屋上?―――なんてのもどうだろうか?この寒い時期に屋上で野宿って・・・。風邪引くな。絶対。

 でも、それだけを理由にして案を消すのもなにかもったいない気がする。そこで私は屋上に下見に行くことにした。

 ならば、まず動かなければならない。私はその場で屈伸運動、伸びなどの軽いストレッチを適当にやって屋上に向かうことにした。真っ暗で本当に何も見えない。正直何か出てきそうな感じがしてしょうがない。

 ここは楽しい気分で行かないと、ここから動けない…。

 よしっと、気合いを注入して、真っ暗な先が知れない渡り廊下を歩くことにした。光源の月明かりだけが頼りだった。

 

 

 放課後からどれくらい経ったのだろう?生憎と時間を知らせるようなものは現在手元になかった。携帯端末も部屋に置いてきてしまった。朝の一件の時に持ち忘れてしまったらしい。

 既に日は暮れ、真っ暗な空が広がる。そこに月が、きらきらと輝いて自己証明を強調している。今の私とは真逆の存在だ。どこか憎い。―――ごめん、ちょっとした八つ当たり。

 無意識に手を伸ばし、掴もうと掌を握ったり、開いたりと動作に出ていた。もちろん掴めるわけはない。虚空を掴むのだ。

 てっぺんに月が昇り、月明かりが周囲、私を明るく照らす。

 人工の芝生が夜風に吹かれ、かさかさと擦れる音が聴こえる。

 こういう空は誰かと見たい気分だが、二人はおろか、友達もまだできていない。結果的に一人。 だからこうして行くあてもなくて、屋上で月を眺めていることしか出来無くて…。

 そんな途方に暮れる気持ちを誤魔化すために、私はその場に腰を下ろし、その勢いで背中を芝生に預けてごろんと寝転がった。

 頭のところで指を組み、リラックスした状態で月を見直す。

 月はどうしてこんな大きいのだろう?……なんて、分かりっこの無いことを問題にしてしまうのはどうしてだろうか?そういう専門的なことは知らない。シリアスになるとどうでもいいことを考えてしまう。

「実は月の大きさは変わらないのです。今は真上に昇っていますが、それは周りのビル、木などの比べるようなものがあるから小さいと感じてしまう。いわゆる眼の錯覚。でも地平線の近くにある月はなぜか大きく見えてしまう。これは先の真逆のことを言ってるのですが…?」

「君は月が好きなの?」

「はい。好きです。あなたもですか?」

 私は視線を月にしたまま話していた。月に見惚れていたとかそういう意味じゃなくて、もう寝ちゃってるのかなって、思ったから。

「うん。なんていうかさ、つい話しかけちゃうってやつ…?別に、返事なんてしてくれないわけだけどさ、でもどことなく安心しちゃうっていうか…、あはは。なに言っちゃってるんだか」

「別に、変じゃあないですわ?その気持ち共感できますわ」

 あ、そりゃあどうも。

「私も毎晩お月見をしていますが、ついつい話しかけてしまいますの」

 それにしても、夢って事にしちゃあなにか会話成立してないか?

 私は閉じていた眼を開いた。

 ついでに芝生をかさかさと踏む音がした。ゆっくりとだが視線をそちらに持っていく。すると細い足に当たるものが眼前に現れた。黒い。ということはストッキングあるいは紺ソックスに当たるのではないだろうか。

 気になった私は、視線を持ち上げると白装束……ではなくて、うちの制服のスカートが入る。ロングタイプだった。

 それでもって、二つの山があって、顔は前髪が隠れて良く見えない。でもうっすらと笑っているということは分かった。

 月明かりに輝く白銀。夜風に吹かれ、髪が弄ばれる。

 私の中で、一瞬時が止まったようだった。

 すると、風が止むと同時に私の中の時間が再び刻み出した。

 あっと、今自分が息をしていないということ思い出した。

 肺に酸素が行き渡る喜びを噛み締めつつ、私は起き上がっていることをさらに思い出した。

「えっと・・・」

 なぜだろう。彼女が私の眼前に現れた瞬間、動機が乱れた。

 しかも腰を落として、正面に顔が見れるようになるともっとドキドキする。

「お隣座ってもよろしいですか?」

「どどど、どうぞ」

 うまく口が動かない。震えている?―――寒さでか?なんつって、でもこう冗談でも言わないと気持ちが落ち着かないってのが心情。

 彼女は私の返事を受け取り芝生に腰を落とした。さっそく月を眺めていた。横顔がなんていうのだろうかわいいってか、あはは…にやけが止まらない。

「どうかしましたか?先ほどから笑っているようですが・・・」

「あ、ごめん。そのつい君がかわいくて、その・・・」

「あ、・・・ありがとうございます……」

 急に真っ赤になった彼女。

 あれ、言われ慣れてるんじゃないの?―――なんか新鮮な気がするな。

「あ、そうだ。私は藤崎明日乃ってんだ。ここであったのも何かの縁ってことで宜しく!」

「私はクラウンですわ」

 私は右手を差し出した、もちろん宜しくって意味で。

 クラウンもどことなく躊躇いを見せるような面もあったけれど、ちゃんと手を握ってくれた。

「手…冷たいね?まあ、私もか…!」

「ごめんなさい。冷たくて。でも、明日乃様の手は暖かいですわね?ずっと握っていたいですわ」

「照れる…、それと、その明日乃様ってやめてくれない?なんかムズ痒いよ。明日乃でいいよ、明日乃で」

「分かりましたわ。明日乃」

 なんか本当に顔が熱いな。こんなかわいい娘に名前で呼ばれるのって。

 しばらく沈黙が続いて、私は彼女の顔を見続けた。もちろん彼女は月を眺めていた。

 ハーフっぽい出で立ちで、翡翠色の玉を宿している。穢れが無く、純粋そうなその瞳は多分憶測だが良い生活をしているように私には見て取れる。

 白銀のその髪は綺麗に手入れをされていて、つい触りたく……。

「どうしました?明日乃?……髪の毛を触りたいのですか?」

 あ、はい。………こくこく。

「だめですわ。これはまたのお楽しみです」

「あ、はい……」

 まあ、そんなこと分かってましたよ。

「明日乃は今日どうしてこちらに来られたのですか?」

「えっと……」

 どこまで話したらいいのかな。初対面だし、深くまで話すのもどうかなって、思うし。

「一つ、当ててみましょうか?」

 彼女は月から目線を合わせたまま、口を動かした。

 ふっふっふと、笑っているからするにふざけているのだろうか?

 でも、さっきだって、私の心の中読んでたし、あながち嘘ではないだろう。多分、クラウンの演出と見た方がよさそうだ。

「あなたは友人や妹さんと喧嘩をしたのではないでしょうか?」

「あ、・・・・・・あぁ、そうなんだけど……さ」

「どこまで話したらいいのか分からない?」

「そう、分かんないんだよね。どこまで話す以前に、君とは初対面なわけだし……」

「それでもって、友達を作っておけばよかった・・・とも、考えていますね?だから、ここに来た。野宿しに・・・」

 何だかわからないけど、彼女は特別な力でも持っているのだろうか?ここまで、綺麗に見抜けられるとなぜだろう、逆に気分が良い気がする。

「すごいね。もしかして能力者?」

「いいえ。少し変わっているだけですわ」

 変わってるっちゃ、変わってるけど・・・さ。自分でも言い切っちゃうんだな。

「今までの私の推測に間違えはありませんか?」

「ああ、間違いない。大体、当たってる」

「では、一つ聞かせてもらえませんか?」

 いいのかなって、私は思った。

 というか、ここまで筒抜け状態の私が何を今更隠し戸惑うのだろうか?―――もういっそ思っていることを全部話してしまえばいい。それで気が済むのだったら。

 一度、眼を伏し深呼吸をし、気持ちを整える。

「じゃあ、聞いてくれ――――」

 私は覚悟を決めて、クラウンに穴を残さず、綾陽との喧嘩のことを話した。―――そして、いつの間にか意識が途切れていた。

 

 



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第十六話 彼女の笑顔

 

 

『ん――――』

 何かに呼ばれるように私、明日乃は眼を醒ました。寝起きみたいな気だるさもなければ、さっぱりとしていて気持ちが良かった。

 身を起こしして首を二、三回ほど軽く回し、周囲を見渡す。そこには大草原の緑を主とした世界が広がっていた。

 胸一杯に空気を吸い込み、口の端を上に吊りあがらせた。

 そこに一陣の風が吹き、葉がかさかさと鳴く。巻きあがって来た風は私の肩をくすぐる位の髪を靡かせた。靡く髪を押さえ心地いい風だと、私はぼそりと呟いた。

 この時、ここが夢の中だと判断が出来た。

 根拠として、ここが現実世界と異なっている生物や草類、花が生い茂っているからである。故に空想上の生き物(私が想像した生き物)が我もの顔でそこらへんに生い茂る草を頬張っていたり、闘争していたりと、実にファンタスティックな世界を展開している点において、述べれば大体私の夢と自己的解釈が完了するわけだ。

 だから―――――。

『ってことは、どっかにあの娘がいるってことか・・・』

 ここでの役割というのが存在したりするわけだ。

 天使みたいな容姿な女の子。特に笑うと無邪気で、陰りが無い本当の笑顔を魅せてくるそんな子だ。

 大体私と同じくらいの背格好で、やたらと髪を伸ばしている。その長さは太もものところまで届く。綺麗な淡桃色でなぜかしら私が手入れをしている。彼女が喜ぶからついつい気合いが入ってしまって、やり過ぎてしまうのだがね…。

 ちなみに私の背は170センチです。そうなるとデカイね。

 積もる話もまだまだあるのだけれど、当の本人が一向に現れない。―――ということで、私が彼女を探しに行くことになる。というかそういう展開が多々ある。―――それでもって、そんなリズムに慣れてしまった私ということだ。

 概ね、居る場所は予想が付いている。

 さっそく、軽い体を起こし、彼女がいるであろう場所に向かうことにした。なんだか足が軽い気がする。気のせいか。―――といった感じに私にはこの夢でやらなければならないことがあったりするのです。

 

 

―――コンコン。

 

 

『お姫様?―――迎えに来ましたよ?』

『ああ、いらっしゃい明日乃?!……どうしたんだい今日は?』

 歩く事数分、私は彼女がいるであろう巣穴に足を運ばせていた。普通、岩肌にノックしても綺麗な音は出ないが、そうここは私の夢だから、こんなことも出来るわけだ。

 何というのだろう。とにかく彼女がいるであろう場所は巣穴なのだ。動物が冬眠の際に使うような土に穴を掘ったタイプの。例として、熊―――なのがしっくりくる。

 でも、サイズ的には洞穴に近いから洞穴と言ったら洞穴になるだろう。

 私がある程度歩むことで彼女に接近することが出来た。奥に背を向けて座っていた。ちょこんと。

 すかさず私の声に反応して、こちらを向く。驚きの顔から一瞬にして笑顔いや、喜びの眼差しを向ける顔になった。まるで犬。おもちゃで遊んでもらえることが分かったような犬にとても近かった。だからつい向きになって遊んでしまう。

『迎えに来たって、言っただろう?』

『ああ、そうだったね。で、今日は何して遊ぼうか?』

 口調は冷静にして、行動は素直・・・っと。自分じゃあ隠してるみたいだけれど、これじゃあ丸わかりだ。さっきから、手の、いや全体的に疼いている。

『こんな狭いところじゃあ、病気になるぞ?ほれ、外で遊ぼうぜ?』

『いや、間違っているぞ、明日乃?―――ここには光がある。風がある。故に私は病気にならない!!』

『いやいや、それこそ間違ってる!お前は風の子だ!…子供は外で遊んでなんぼなの!!――わかったら、外行くよ!?』

 少し乱暴気味に彼女の手首を掴んだ。おっと、一歩間違えれば、折れちまいそうな華奢な身体の部品だ。だから、少し力を緩めて相手に害を与えないように心がけた。

『―――わ、わわわかったから、手を離しておくれ?……ちゃんと自分で歩くから?ね?ね?』

『いいや、ここで手を離したら戻るだろう?まだ、百メートルも歩いてない。そうやって、何度その言葉に騙されてきたか。……ほら、行くよ?』

『はい………!』

『素直でよろしい!』

 そこから彼女は借りてきた猫のように大人しくなってしまった。

 いつもこうだと非常に助かるんだけど。なぜだろう少し虚しい。

 ともや後ろで小言が聴こえたが無視してスピードアップ。

 

 

『……な?たまにこうやって走るのもいいだろ?』

『うん……!』

『そろそろ、時間か?』

『うん……』

 最初の内は軽くじゃれている程度だったが、次第にエンジンが掛かって来て、いつの間にか走りまわっていた。小一時間ほど。

 だから、草を背に二人は大の字になって、寝転がっていた。いつの間にか汗も引いて、呼吸も楽にできるようになっていた。

 そんなこれからが盛り上がるというところで、彼女は時間の終わりを眼で物語っていたところを私が問うと物悲しげに彼女が頷く。

 いつの間にか、蒼天の空が茜色に変わろうとしていた。生まれて初めてこの世界に時間系列があることを知った。

 ここ十四年生きてきたが、そのような現象は一度たりとも無かった。多分それは私のイメージが足らなかったり、気持ちが不十分だったりとその日限りのアクションが原因だろう。

 でも、今回はどこかすっきりしていてこの時間が続けばって、何度も願った。…そうは言ってられないのが現状だ。時間は無限ではなく有限。そして彼女といつかは別れを惜しむ日が来る。それは私が年を重ねることに意味があるのだろうか。正直分からない。胸が苦しい。彼女が暗い顔をするたびにだ。

 胸を抑えつつ、それにもうひとつ、睡魔が襲ってくると、目が回ったかのような感覚に陥った。

 そう。私は夢の中で、寝ようとしていた。

 瞼がだんだんと沈み始めている。霞む視界。自分の呼吸音がいつの間にか聴こえているのさえ分からなくなってきた。もう一度、私は彼女の横顔を見たと同時に完全に意識が眠りの海に飲まれていった。

 

 

「―――ん…!」

 ねていた?―――本当にか?

 ―――ってか、あたたかいなぁ……。なんというか毛布に包まれているみたいな…?

 私は眠り眼を擦り、視界の確保をする。―――すると、その予想は半々という結果で当たることになる。

 真っ白な天井。見覚えのある壁紙。しかも白。そして高級ホテル並みの施設完備。……と、ええ、えっと、ベッドが二つ。とりあえず周りを見た辺り最初に気になったのがベッドだった。ベッドメイキングが施されているのか分からないという印象を受けた。

 でも、いつの間に自室に?……昨日部屋に戻った記憶はないし、ってかあのクラウンって娘と話しているうちに急に眠くなってしまって、それから・・・・。

 一つ気になると、ワッと気になっていたものが出てくる。

 ひとまず、起き上がることにしよう。気になることは、まあ…いずれかタイミングが出来ると思うからその時にしよう。

「よいしょっと……!」

 ―――すんすん。

 良い年をした女子がジジくさい掛け声とともに身を起こしたと同時に、まず鼻孔をくすぐる香ばしい匂いがした。

 とりあえず、匂いを嗅いだら腹が減ったに変わりはなかった。ぎゅるる~~~っと威勢のいいけれど、少し行儀悪い腹の虫が鳴る。

 ベッドが降り、匂いの根源に赴く事にした。こう獲付けされているみたいで、私は苦笑した。

 多分、どこの部屋も同じ感じの設計のはずだから、角を曲がったら台所があると思う。

「あっ……!」

 角を曲がると、女子が調理をしていた。―――白銀の少女。昨日屋上で邂逅した女子が台所で調理していたのだ。

 私は軽く口を開けて、表情を変える。そこに私の存在に気がついた彼女がクルリとスカートを翻しながら、こちらに踵を返した。

 彼女の翡翠色の瞳と私の眼が合った。彼女はこちらに大きな瞳線のように細めるようにして笑って見せた。私はそのまま魅せられ硬直してしまった。

 戻るや否や真っ先に制服にエプロン姿が目に付いた。エプロン姿の外国人はテレビ位でしか見たことがないが、はるかに美しくなんというか懐かしかった。

 彼女がしていたのは紺生地の年季の入ったエプロンだった。長さは彼女の膝に届くくらいで、間違えて違う部屋で寝ちゃったみたいな(まあ、事実)私はあいかわらずそこに突っ立ってることしかできなかった。

「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」

「あ、ああ……、ええっと。おはよう。うん、なんかごめんね?」

「なぜ、謝るんですか?」

 彼女は私が来る前まで包丁を扱っていた。なぜなら、私の存在に気付いた瞬間に一度手を止めた。そして私の顔を確認し終えると再び切り始めた。

 適当にあいさつを済ませる。白銀の少女の声音少し楽しそうに感じ取れた。

 音を聴くだけで料理が出来ると分かる手際の良さから、小さい時から何かしら手伝っていたのかもしれないと私は予想していた。

 それに楽しそうにやっているのがなにより印象強い。もしかして、クラウンはこの部屋の同居人がいないのでは?―――なぜ、たまたまにも関わらずベッドが一つ空いていた?仮にだけど同居人がいた。だけど馬が合わず部屋を変えてもらったとか?そういう線も考えられるが無いだろう。だって、彼女は……。

「……す…、あす……明日乃?どうかなさいました?」

「――――っ!……ああ。ごめんごめん。なんだかぼーっとしちゃって・・・」

 物事を考え過ぎていて、一瞬彼女のことを忘れていた。

 すでに朝食の準備が整ったのだろう。クラウンはエプロンを取り、たたみ終わり、席に着こうとしていた。

「いや―――。ほら私重かった、……だ、ろ?」

 私は照れ臭そうに頭を欠きつつ、笑いながら彼女に問うた。

「いいえ、とても悲しそうな顔をしていた……ですので私の方で回収させてもらいました」

「とにかく、ありがとう」

 クラウンは首を横に振り、優しく私に笑む。よく笑う子だ。

 そう一言言って、私は彼女に深く頭を下げて、ちょうど昼食ということもあるので部屋を去ろうとした心がけたが……。

「お持ちになって、もしよろしかったら、どうですか?一人でこの量は食べきれませんわ……!?」

「?」

 何を言っているのだろうと、私は一旦視線を丸テーブルに送る。

 和風サラダに、カリカリに焼けたベーコンと目玉焼き、トーストの表面に付いた焦げ目が食欲をそそる。そして、スープが各二個ずつテーブルに置いてあるのだ。

 片方はクラウンが座っておりもう片方は、空席つまり私が座るところだろう。

「どうですか?明日乃……?なにかお気に召さなかったのでもありました?」

 上目遣いで、私を見つめてくるクラウンに私はどぎまぎしていた。なんというのだろう段ボール箱に入った子猫(捨て猫)みたいにこちらを伺っていた。

 正直、食べたいんだけど……。

 

 

 ぎゅるるるるるるるるぅ~~~~。

 

 

「くすっ。かわいらしいですわ。どうですか?明日乃?」

「いいのか?本当に?」

 構いませんわと一言。

 いつまでも意地を張るのも時間がもったいないし、ここはお言葉に甘えて頂く事にしよう。

 空いた席に腰を下ろし、手を合わせ、頂きますと豪語し、頬張った。

 終始、クラウンは嬉しそうにしていた。なんだか、彼女の力になれたら良いのだけれど・・・。

 

 

 



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第十七話 悲しきその瞳

 

 

 クラウンの作った朝食は非常に美味で、驚いていた。

 マンガやテレビの影響で、お嬢様は料理が出来ないと、根深く認識をしていた私の歴史は既に古いのかもしれない。そもそも、彼女がお嬢様なのかもわからない。―――残念ながらそこまで深く彼女に対して情報が得る事が出来なかった。

「明日乃?どうかなさいましたか?」

「いや。さっきの、同居人になってほしい話なんだけど……」

 結局、白銀の彼女は一人で生活していた。そこまでは分かった。―――ほかは秘密ですと口を塞がれてしまったが。

 概ね私の予想はあっていたに越したことはない、が……勝手に部屋を変えるのはどうなのだろうか?一様私は一連の事で、監視対象にされている。しかもいつ監視がほどかれるかもわからないと、――――独り言は置いといて。

 とにかく私は、食後にこの部屋の同居人になってほしいと彼女に誘われたのだ。

 ありがたい気持ちがある。とてもうれしい。―――でもそれって、綾陽や火織たちから逃げるみたいでなにか虫が悪い気がする。

 だから、考える時間がほしいという旨を彼女に伝えて部屋を出た。ちなみに一人ではなくクラウンも一緒に。

「突然すみませんわ。明日乃。無理な注文をしてしまいまして……」

「ああ、本当にびっくりしたよ。―――でも、すっごく嬉しかった!ありがとう。クラウン」

「いいえ。一人だとさみしいのです。ですから……」

 隣を歩くクラウンが不安そうな顔をした。口元に添えた掌が艶っぽくてもし私が男なら落ちていただろう。それくらい彼女は魅力的で、かわいいのだ。―――だから。

「そんな不安そうな顔すんなよ!…おりゃあ」

「きゃぅ!?」

 彼女の白銀の髪を撫でてやる。優しくというより少し乱暴気味。でもなんだか嬉しそうで。―――これが少しでも彼女の中のさみしさが和らいでくれたらと私は内心で思う。

「さみしくなったら、いつでもうちの教室来いよ!」

 私の教室に着いた。ついでに親指で教室を指し、強調した。

「わかりましたわ。明日乃。では私は隣ですので、後ほど」

 彼女は手を軽く上げ、隣の教室に飲み込まれるようにして消えた。

 彼女が消えてから私も上げていた手を下ろし、踵を返し教室に入った。というより、入ろうとしたところで私は驚愕し、硬直した。なぜならそこに綾陽と火織がいたからだ。

「よぅ…!」

「………」

 綾陽の虫の悪さは今日にも及んでいた。挨拶を無視された挙句、教室の中に消えていった。後ろ髪を見送りながら、私は背後で謝る火織を見て苦笑した。

 

 

 夕刻の時、私はいくつかの場所を転々と移動し、有り余った時間を潰し、早めの夕食を摂ろうと食堂へ赴くことにした。―――なぜなら、綾陽たちと接触しないためにだ。

 逆戻ること、朝の教室の扉の前――――。

 あれから、彼女とコンタクトを取ろうと休み時間中に声を掛けてみたりはした。だが、綾陽はそもそもご立腹なのか私の存在を完全にシャットダウンしているのか分からない状態だった。なので、声をかける前に火織を連れてどこかに行ったり、急いだ様子を見せその場からいなくなってしまうことがよくあった。詰まる所一回も彼女が引っかからなかったということ。

 昼時、またしても声は彼女に届くことはなかった。

 教室を出ていく後ろ髪が角で靡く姿を見て、盛大に溜息をついた。

(また駄目だった……)

 肩を落とす私に背後から火織の声がした。実の申し訳なさそうで、それでいて彼女自身にも元気がないことから、参っているのだろう。

 そんな私が火織に何と声をかけたらいいのか正直分からなかった。

 でも、最初に声をかけたのは自分でも驚く事に、私の方だった。

『どうした?』

『本当にごめんね……?明日乃。わた、し……』

 今にも泣き出しそうな弱弱しい声音。大きな彼女のチャームポイントである瞳には大粒の涙が今にも零れそうで――――。だから、そんな彼女の気持ちを先読みして声をかけたのではないかと私は思った。

『き、気にすんなよ…!お前にも迷惑かけちまったしさ。はは。―――でさ、あいつ最近どうなんだよ?意地張ってんのか?やっぱり』

 こくんと、火織は指で涙を拭いながら縦に頷いた。―――なるほど、やっぱり意地か。

 なぜ彼女にこんなことを聴いたかというと姉として心配しているのだ。

 学校じゃ顔を合わせる度に適当に声をかけているが、当の妹―綾陽は私を無視して、通り過ぎてしまう。そして後ろで謝る火織の姿を見て笑うという光景が記憶に新しく、記憶に強く印象を与えている。

『ありがとな。火織』

 そう一言お礼を述べ、私は彼女の頭を優しく撫でた。撫でながら、走馬灯のごとく、今まで三人で過ごしてきた記憶が蘇ってくる。常に笑う二人の顔が私の胸を痛める。

 火織は友達思いで、いたずらが大好きで、常に私たちを楽しませようと頑張って来てくれた。そんな火織が今笑っていない。泣きそうで、泣き出しそうで。でも、私はどうしたらいいのかってそれが分からなくて。

 だったら、私はもう一度火織を笑顔にして――――。してしまえばいい。あの娘は元気でなんぼじゃあないか。火織が笑っててくれなくちゃあ、調子が狂うっつうの!!―――私は彼女の笑顔が好きなんだ。

『火織、すまない・・・』

 今に弱っている火織に対してのすまないと、綾陽の存在に気付かなかったことへのすまないという二重の意味を併せ持った言葉だった。―――と、座ったままだが、深く頭を下げ、ゴンと机に頭をぶつけた音が響いた。

『いいよ。…私だって、綾陽を止められなかった、んだし……これって、お互い様って奴じゃあないかな?』

『いいの、か???』

『うん。―――でも、次こんなことをしたら許すものも許さないからね!?』

『ああ、なるべく、綾陽と和解するからさ―――それまで、あ、あいつのこと頼む……!この通り』

 私は綾陽に対する旨を話し、その場でもう一度深く頭を下げた。それに、火織が話している時に背後に現れた般若みたいなのが私の中でなるべく話をつけようと決心させたのはまた別の話だった。

 

 

 午後の授業が始まる前に綾陽は戻って来た。先ほどの火織との約束を果たすために私は綾陽に声をかけたのだ。―――が、彼女は全て分かっていた。否、彼女は最初からこうなることを計算に入れていたと言うべきか。

 高揚した私はいつものような感じで彼女に声をかけた。だがしかしだ。

『私は怒ってなどいません。笑っているでしょう?―――火織に何か拭きこまれたんですね?』

『お、おい綾陽どうしちまったんだよ?!眼が……』

 いざ声を聴くとなると、彼女はいつもの彼女に違いが無かった。が、眼が死んでいた。正確に言えばハイライトが失せていたのだ。私は震えた。武者震えをしていた。―――そこに違和感があったから。

 それでもと両肩を掴んで、旨を聴こうとした――――そんな時、授業の始まりを告げる本鈴が鳴り響く。と同時に織斑先生が教室に入って来た。

 私も仕方なく、綾陽の肩を離すと織斑先生に注意を促された。釈然としない気持ちを隠し、大人しく席に着いた。―――そのあとも先ほどの綾陽の様態を何度も思い出し、その度に織斑先生に叩かれた。

 

 

 放課後。―――綾陽たちはそそくさと教室を出て行ってしまった。結局、あれから昼間の綾陽の様態が何度も脳内でリプレイされ、それが軽いトラウマとなって声をかけられずにいた。彼女のことを考えると手が無意識に震えるからだ。

 それからはというと私は昼間の一件をずっと引きづっていた。あの時何と言えばよかったのか、追求するべきだったのか?―――震える手を強く握って誤魔化した。

 いつまでも教室で黄昏ているのも自分らしくないと思い、教室を出て転々と時間をつぶせる場所を探した。

 

 

 夕食の時間(一般)にしてはまだ早く、周囲を見渡せば、点々と座っているのが目立つ程度で、席には何の困りもなく座れそうだ。

 私は販売機で食券を買い、食堂もおばちゃんに出した。頼んだのは月見うどんと揚げ物の盛り合わせだ。

「月見に揚げ盛りね。はいよ」

 盆を手に取り、出来上がるまで少々待つことになった。この調子だとすぐに出てきそうだ。

 おばちゃんがうどんの玉をゆがき始めるころ、私の横に一組の女子がやってきた。皆目無視で、おばちゃんの後姿を見つめていた。―――ついでに、早朝のクラウンのことを思い出していた。……まあ、クラウンに失礼だな。苦笑。

 ちらつく声音に私の耳は自然と傾いていた。おばちゃんが調理中に歌う鼻歌を聴きつつも。―――会話の内容までは聞き取れないが、声は聞き取れる。そう。聞き覚えのある声だった。

「・・・?」

 疑問符を頭の上に散らつかせた。視線はそのままおばちゃんで、会話を聴いていただけで、なにを動揺しているのだろうか。まだ、顔とか見てないし、そうと決まったわけではない。そう断じて、そう決まったわけではないのだ!!―――もしかしたら、一違いなこともあるし……。

(なんだか、要らぬ気を巡らせ過ぎてしまった……)

「はい、月見と揚げ盛りね!」

 今まで考えていたことを吹き飛ばすくらいのおばちゃんの威勢のいい声だ。それとおばちゃんスマイルに反射的に笑顔を返す。月見うどんは相変わらずとして、この揚げ盛りは一つの楽しみであった。皿に盛られたのは唐揚げ、天ぷら(魚介類や野菜もの)に、高さ十センチはありそうな筒上のかきあげなどの匂いに食欲をそそられる。

 素早く盆に載せ、席に向かおうと足を動かそうとした時に尻目で確認をした。

 どうやら、人違いではなかった。栗色の長髪を腰まで流し、楽しそうに話す姿はどこか愛らしく、立ち姿も背筋が伸びすらっとして見える。元々が細いので尚更だ。

 かわいいというのもあるが、彼女は少女から大人の女性になろうという段階を昇りつつあるのは一目瞭然だった。

 彼女は会話に夢中でこちらに気づくことはなく、それに私は昼間の違和感を思い出しつつ窓側の席で一人食事を摂った。

(綾陽のやつ、楽しくやってんじゃん)

 そう会話をしていたのは紛れもなく私の妹である綾陽だった。決定打になったのは後ろのツンツン頭の火織の存在だった。

 

 

 ―――でもこの時は楽しそうに笑っている顔が偽りの綾陽の顔だということを私はもう少し後に体感することになる。

 

 夕食後、火照った身体を冷やすために屋上に来ていた。

 涼しいとは程遠い風が頬を撫でる。といってもこれはあくまで一般的な感想で私にとってはちょうどいい風であった。

 白い息を吐き、空を仰ぐ。真っ暗な空は眼前に広がる。

 昨日同様、曇りなき良く星が見える空だった。―――ふと、クラウンのことを思い出す。本日二度目だ。

(昨日、ここで彼女と出会ったんだよな……)

 

 白銀の髪を夜風で靡かせ、色白い肌が月明かりで更にほのかに輝く、翡翠色のまさに宝石のようなその双眸は私をしっかりと射止めていた。一言で表すなら―――降り立つ場を間違えた天使。非常に幻想的で緊張感を覚えるほどだった。

 

「明日乃?」

「飽くることのないその容姿、に・・・」

「明日乃?」

 ―――って、何言っちゃってんだろ――――?!

 我に返ると、最初に私の名を呼ぶ声がした。

 聞き覚えのある優しくかつ力強い声音。その声の方向へ身体を向けた。

 月を背に、彼女―クラウンは微笑んでいた。実に絵になる一枚だ。私は指で長方形を作り枠に彼女を収めた。

「どうしたのですか?明日乃」

「クラウンは今日もここで月見か?」

「今宵も美しい月ですこと…!」

「そうだな。昨日と一緒だな」

「なにか、考え事をしていたみたいですけれど?」

「ああ、クラウンのことを考えていた」

 一瞬、クラウンは眼を見開き、驚いたような表情を作り、頬に手を当て、目線を彷徨わせていた。

「わ、私のことを考えていたのですか?」

「ああ、どこか急に、な!」

「そうですか……?」

「ああ――――なんだか、急に恥ずかしくなってきた……言ってることをよくよく考えなおすと・・・」

 私が自分の言動に違和感を抱いたのはクラウンが頬を朱に染め、少し歯切れが悪くなったときのことだった。一字一句思い返すと発した言葉がそれなりに意味を持ち、場合によっちゃあ、誤解を逃れない一言だったりする。今、それを追体験すると顔、耳まで真っ赤になっていた。

 そこで、掌をうちわのように煽いでも何の意味ももたらさなかった。

「そうですわね。今までそのようなセリフを幾度となく聞いてきましたが、やはり明日乃の言葉が一番心に届きましたわ」

「そりゃあ、どうも。……ってか、どんだけいわれたんだよ!!ふふ。あっ、一ついいか?」

 クスクスと口元に手をあて、お上品に笑うクラウンの頬はまだ赤く、それでいて少し艶っぽく見えてしまう。

 私は彼女の笑いが引いたところで、クラウンが言った言葉を拾い、投げ返した。

「なあ、クラウン。今の言葉なんだけれどさ。もしかして、お前はどこかいいところのお嬢さんなんじゃあないかなって、私は思うんだけれどさ……?」

「確かに私は、良いところの育ちですわ!―――私の名はクラウン・ヴィクターですわ。IS学園理事長のジェイル・ヴィクターの娘ですわ」

「――――やっぱり、そうか。だよな~~。こんなにしっかりしてるもんな」

「明日乃はヴィクタ―社を御存ですか?」

 

 

 ヴィクタ―社。――――ジェイル・ヴィクターが創立させたIS関連会社の一つにしてトップに君臨する大手企業会社だ。その方針の主になるのが、天災と称された篠ノ乃束と唯一肩を並べる事の出来るジェイル自身が作るISだった。彼の作る作品はハイスペックにおいて、誰でも使えるのが売りで、注文は十年待ちとか。

 ジェイル自身、甘いマスクを持ち紳士で優しく、そして口が巧妙でこれまで数多くの人の心を鷲掴みにしてきた。

 爆発的ヒットを何度も世に排出し、瞬く間に頂点に君臨した。

 最近では福祉関係にも手を出し、ISに搭載されている機能やシステムを応用したものを五体不満足の方たちに提供している。

 

 

 と、クラウンから聞いた内容をざっくりとまとめてみた。

「にしても、すごいな。社長の娘は」

 クラウンは私の聞きたかった旨を察してくれかつ必要以上に話してくれた。まるで、昨日初めて会ったとは思えない信頼度を指していた。少し申し訳ない気がしたがいつか返さないとな。

 最終的には彼女の愚痴を聴くこととなったが、これが思った以上に面白くついつい話し込んでしまった。

 すっかり冷えてしまった私たちは何発も風を喰らいクラウンの口から提案が出てきた。

「そろそろ、部屋に戻りますか?」

「おう、そうだな―――ここに長いしたら風邪をひいてしまう」

「決定ですわね!」

 言葉の意味が分からず私は小首を傾げた。

 クラウンが口元に手を当てて、片眼を瞑る。

「口は災いの元!……ですわ!明日乃」

「わ、わかった…。今夜だけだぞ―」

 仕方なく、彼女の言葉通りに従う。―――自分でも気づいていたけど、まずこんなところで寝たら即風邪ひく。だから、屋根がある部屋で寝れたらそれはとってもうれしいなって・・・。

 力なく立ち上がり、お尻をはたく。既にクラウンは私の眼に入る距離には姿はなく、その数秒後に私を呼ぶ声がした。とても、歓喜に満ちた声だった。

 苦笑する私の眼前に既に踊り場に立つ人影があった。クラウンだ。

 彼女は笑って、こちらに手をブンブンと振っている姿からに大変ご機嫌なのだろう。またも苦笑し続ける私。まさに相対的にどこか面白くなってきた。

「明日乃~~~。遅いですわ!!早くしないと夜が明けてしまいますわよ~~!」

「わ~~~ってる。てか、まだ夜は始まったばかりだっての!!」

 クラウンは早く来いとジェスチャーで私に早く来いと促してくる。

 吊られるように彼女のもとに行くと、よくできましたーっと、背伸びをして、私の頭を彼女は優しく撫でたのだ。それがどことなく懐かしくて。

 

 

 

 ―――つい、過去に浸るのだった。

 

 

 



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第十八話 君の笑顔が好き

 

 

 すっかりと夜も更けて、先ほどまで壁越しからうっすらと聴こえていた女生徒達の喧騒は消灯時間が迫るに連れて静かになっていった。そんな私たちも、時間が迫るにつれていくつか小さな欠伸をしていた。―――私の場合はけしてリラックスをしているのではなく身体的に、精神的にともに疲れているからであった。それを隣で見つめられると尚緊張しちゃって―――ふぁぁぁあ~~。

 こんなことになったのはものの数刻前のことだった。

 昨日と同じく、屋上に私が赴くと彼女に出会ってしまう。まるで私がここに来ることを知っていたかのように彼女は現われた。

 それで、夜風が厳しくなったことで彼女は私に部屋に来ないかと誘ってきた。断る理由もないので着いて行ってしまった。―――要はクラウンに言いくるめられた私―明日乃は丸々二日ほど自室に戻っていないということになる。―――ということは彼女の部屋でまたお世話になるということを表していた。あまり迷惑をこちらとしては掛けたくないのだが……。―――最初は少ししたらお暇しようとした、でも出来なかった。

 泊まるとなると寝巻きはおろか下着まで持ち合わせていない。さすがに他人に自分のを貸すのは年この頃の女子には出来まいと、胸の内で潜ませていたが、その手を返すがごとく結局部屋の主、クラウンが喜んで両方を貸してくれた。―――彼女の趨勢にまた一歩近づいているのが眼に見えた。

 寝巻きはというとYシャツ(しかもぶかぶかの)が一枚手渡されただけだった。――いちゃもんをつけられるほど私の現在の身分が低いのは分かっている。だから彼女にありがとうと称して、とりあえず制服を脱ぐことにした。

 けれどそれと引き換えに無言の刻が生まれてしまった。生地のすれる音と主に鼻息の荒い音が目立った。

 私が着替え終わるまでそれは続き、さらにクラウンの無言の凝視付きときて、内心の緊張は更に強化され、時折聞こえてくる声はすべて無視をした。

「あのぉ……クラウン、さ…恥ずかしい、んだよね……そんなに見つめられると……さ!」

 私は恥ずかしい旨を伝えた。けれどそれが逆効果となってしまい、彼女は更に興奮し鼻血を出してしまった。真っ赤な鮮血が辺りに迸りベッド(未使用の方)を大きく汚してしまう。広がる血はみるみると湖を型取っていき、止まるころにはシーツが、いや多分マットまで駄目にしてしまった可能性が高い。

「どうする?………クラウン?先生呼ぶか?」

「いえ、しょふとうじかんがせまふてまふので……これは明日どうにかしまふぉ」

 鼻を拭きながら、話しているのも相まって、もふもふと所ところ発音が変になっていた。私は思わず苦笑してしまって、クラウンがぷくっと頬膨らませた。

「明日か……。シミ抜きしなくて大丈夫かな?」

「大丈夫です!―――できれば今すぐにでもやりたいところなのですが、やはり時間が……」

「仕方ない…か?よし!―――って、こういう場合誰に相談すればいいんだ?」

「事務に行けばどうにかなるかと思いますわ……!」

 二人して弱気だが、今ここで中途半端に手を出して諦めるのもなにか虫がよくないので、とりあえず寝ることにした。消灯時間に針が届きそうだったからだ。

 とりあえずクラウンをベッドの方へ促す。ベッドは一つしかない。狭いが我慢して眠るしかない。あんな血生臭いベッドで眠るのだけはごめんだから。

 彼女を壁際に寄せて、通路側に私が寝る事で解決した。

 電気を消して、布団に潜るとすぐに睡魔が訪れたが、それをクラウンが搔き消すように話しかけてきた。それは少し甘えているような声音だった。

「あすの……。腕借りていいですか?」

「腕?どうしてさ?」

 実は、彼女が照れ恥ずかしいことなのですが…と耳元で話したことで腕を求められている旨が分かった。それに彼女の表情は暗闇の中でなぜか読み取ることができた。―――気がした。

「ああ、その気持ちわかるな」

「お恥ずかしながら……」

「ほら、つかんでいいぞ?」

 少し脇との感覚を空けて、腕を差し出した。

 すると、すぐに気持ちに応えるかのように自身の腕を絡めてきて、それから腕に温もりが宿った。特に胸が左腕に絡まれた時、少しどきりとしたが暗闇の中ということもアリ多分誤魔化せたかと思う。

 ある程度経つと、さすがに押し付けている胸が、腕を本格的にロックしてきた。でも、彼女の為ということもあって結局黙って、眼を閉じて眠る選択をする得ざるを得なかった。けれど、疲れている分案外早くと睡眠の波に乗ることができ、最後になにか聴こえたような聴こえなかったようなあやむやな感じで眠りに着いてしまった。

 

 

 あらかじめセットさせていた電波時計のアラームに目が醒めた。

 寝ぼけつつもアラームを止めた。身を起こし、少し身体を動かして窓際へ。

 カーテンに手を掛け、思いっきりに陽光を浴びるかのようにカーテンを引いた。ここで、朝だと寝ぼけた頭が確認する。伸びをして欠伸をした。

 その時、血生臭いにおいを思いっきり吸って、昨日のことが脳裏に浮かぶ。

 クラウンが鼻血を吹き、その際にベッドを大半以上真っ赤に染めてしまったのだ。どこからそんな血が……と、私は苦笑しつつ、その張本人に値する白銀の少女の眠るベッドに向かう。

 一度、優しく名前を呼ぶと、ゆっくりとだが白銀の少女は眼を開く。

 元々が西洋人形のような容姿をしているためか、この一瞬の出来事が幻想的で、まるで生を受けた人形が眼を醒ますワンシーンを眼前で体験しているかのような一瞬だった。つい感嘆を漏らしていた。

 彼女は寝ぼけ眼を擦りつつ、何も発さない私に小首を傾げ、見守っていた。

 その射るような翡翠の玉を宿した双眸は立っている私を上目使いで覗かしていた。

「ああ…、おはよう。クラウン?」

「は、…い。おはよ、う……ございます……!明日乃」

「昨日はよく眠れたか?」

「はい…。明日乃の腕がとてもよくて、……本当に」

 ワンテンポリズムが遅れた私の様子に何の疑問を持たずに、クラウンは眼を擦り返答して見せた。

 言動と抑揚からするに、よく眠れたのだろうということがわかった。本人がよかったというのなら良かったのだろう。

「さて、そろそろ起きようぜ?」

「ふぁ~~~。わかってます、わ……!」

 彼女事態にエンジンが掛かるのは時間が有するようだ。朝が弱いか……。

 ベッドの上で伸びをする。

 こう、互いにYシャツを着ているとなると、あまり恥ずかしくはないものだった。けれど、それに合う身体というのも同時に付いてくるのも忘れていた。――なんとなくある一部分の差でインパクトが変わってしまうようだ。

「なんか、同じ服着ているのにクラウンの方がエロく見えるわ・・・」

「そうですか?」

 一見パッと見てもそこまでの大差はないはずだ。引きしまった余分な肉が付いていないウエスト。手が行き届いている綺麗な脚。そしてここで大差が出てしまった胸。―――手の届く範囲は怠らずにケアをしているがさすがに胸に関することは―――効果がない。まだ希望はあるはずなのだが、今後に期待したい!としか―――。

 伸びをした際にシャツのボタンが飛ぶのではないか?と疑ってしまうほどのバストに、女子ながらつばを飲んでしまった。それに、彼女は全体的に少女より女性よりのスタイルに傾いているのが分かった。―――豊富な胸囲に、程良く筋肉がついた脚部、そして艶めかしい腰つきが、全てが私の敗北に喫していることを痛感させる。唯一勝っているのは背丈くらいか――――。

「―――明日乃?」

「あっ、いや、その……」

 クラウンはベッドから立ち上がり、いつの間にか身を寄せてこちらの顔色をうかがっていた。少し頬に赤味が増して、やけに身体を密着させてくるのに対して私は意識してしまう。

 彼女の肩に手を置き、一度遠ざけ、頭が取れるのではないかと思うくらい振り、とっさに思い浮かんだことを口にした。

「さ、さぁ…きがえようか……?時間もそんなにないしな!」

「どうして、私の背中を押しますの?!……あ、明日乃?」

 言下とともにくるんとクラウンを回転させ、浴室の方に押す形になってしまった。それにもちろん反応を見せるクラウンはどこか焦躁としていて、どこか残念そうな声音を出していた。

 パタンとドアの開閉音を背中で受け、その場にずるずると背を預けたまんま床に腰を下ろす。もちろん彼女の着替えに値するものは渡した。準備にぬかりはない。それもとっさの判断だったが。

(昨日みたいに、見られたまま着替えるのはどこか疲れる。別に一緒に着替えるのが嫌というのではなくて、圧殺されそうで、怖かった)

 そうこう落ち着いている暇はない。そろそろ彼女が準備を済ませて、出てきそうだから、私も早く準備を済ませることにした。これでもし準備をしていなければ、何のために私は頑張ったのだろうと反省会を開くところだろう。そうなるわけにもいかない!

 

 

「どうして、先ほどは別々に準備をなさったのですか?」

 さっそく、人が触れてきてほしくないところを触ってきた。

「クラウンの方が早く済みそうだったから、少し強引に……」

「―――そうですか……」

 納得したのかクラウンはこれ以上、この話に触れてこなかった。そして私もホッとしてゆっくりとこのことを忘れていく。

 さておき、今日は少し早めに部屋を出てきた。理由は一つ。ベッドの件だ。朝早くに頼んでおけば夕方くらいには最低でも仕上がっていると踏んだ私はそれをクラウンに道中で伝える。本人の反応はナイスアイディアと言わんばかりの笑みだった。―――そして彼女の笑みで今日が始めるわけで―――。

 それから積もる話もほどほどに私たちは二人の時間を有意義に楽しんでいた。―――が、クラウンの表情が暗澹としていたことに私は優しく接してみた。

「どうした?……元気ないな?」

 そのことを口にしたのは食堂の席に着いてからだった。私と彼女は対面し合い適当に食しつつ聞いてみるのだ。けれど、どこか声に張りが無く別人を彷彿させるのだった。

「ははは…。実はベッドの件で」

「ふぅ…。心配し過ぎだって、……まぁ何考えているかはわかんないけど、さ。あまり深く考えないでほしい。今は、ちょっとわかんないな…?」

「そうですわね……?」

 少しの間、噤んでしまった。互いに箸は適当に動いていたが、どこか味気が無く。釈然としない気持ちがその場に残っていた。ご飯茶椀を見つめ、意を介した言葉が私の口から自然と彼女に伝えようと紡ごうとしていた。

「あのさ…。なんで私がベッドの件について首を突っ込んでいるのか分かるか?」

「お人好しだからですか?」

 今度は茶碗じゃなく彼女を見つめていた。

「多分ね。―――よく言われる。でもベッドの件はクラウン一人に任せるわけにはいかないんだよね。だって、さ。―――私もあの部屋の同居人だしさ!」

「―――えっ!?それって……」

「ああ、よろしくな?こんな私でよければ!」

「私と一緒に、居てくれますの?」

「ああ、お前、一人っきりだと危なっかしい。って、私の野生の感がそう言っている」

「ほんとうに……?本当に?!―――本当にいいんですか!?」

「ああ!何度も言わせんなっての!?」

 悪戯成分の入った私の笑みがあり、決めポーズのかような指で銃を作りバンっと射抜いて見せる。

「これは昨日寝るときにそう決めた。これは宣誓だ!」

 私の思いが伝わったのかクラウンは握っていた箸を落としてしまう。お茶碗は何とかキャッチ。

 それが地面に転がり落ちた時、食堂が静まり返り、視線が私たちに集まった。―――クラウンが泣いたのだ。

 彼女の大きな瞳には大粒の泪が溜まって、今にも頬を濡らしそうだった。

 私が手を差し出そうとする前に自身の手で塞ぎこんでしまった。これでは表情を見てとることができない。そしてこの俯き具合が他の生徒にも煽ってしまい、ところどころでコソコソと話をする姿が見受けられた。

「立てるか?ここじゃ話が出来そうにない。場所を変えようぜ?」

 無言にも縦に頷き、彼女の腕を私が取り上げ、連れていく。行先は―――やっぱ、あそこか。

 食堂を出るまで終始視線の嵐は絶えることを知らなかった。それでも、前を見据え手をとり彼女を引っ張ったのには変わりはない。

 なるべく人通りが少ないところを選び、なんとか目的地まであとわずかとなった。最後に目的地まで伸びる階段を登ればフィニッシュとなるわけだ。

「明日乃……手を離して下さいな……?もうあるけ、ますから?」

「ああ、そうか」

 ゆっくりと彼女の腕を離し、様子を伺う。もしかしたら、転んでしまうのではないだろうかと心配してしまうのだ。だが、その心配も不要だったらしく、彼女はいつも通りに振舞って見せた。

「どうして、あの時、涙が出たのでしょう?」

「じゃあ逆に聞くけどさ、感情的にはどうだったんだよ?」

「―――嬉しかった。とても―――」

「じゃあ、涙流しても良いんじゃないか?」

「どうしてですの?」

 白銀の少女は不思議そうに聞いてきた。

「そりゃあ、涙は嬉しい時も悲しい時も流せるから。その、まずは驚かせて悪かった」

「こちらこそ、明日乃にまた御迷惑を―――」

「そんなのいいって!」

 ぽんぽんと彼女の頭の上で手を弾ませる。

 くすぐったそうに俯く。

「これからは、泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑うでいいんじゃないか?」

「ふふ。明日乃らしいですわね」

「だろ!?」

 ひとまず、彼女が笑った。私は彼女の笑顔が好きだ。そのほかはまだ分からない。だけど、これから触れていけばいい。

 ここを選んだのは本当によかった。――――屋上。ここは彼女との思い出の場所であり、始まりの場所でもある。

 普段から解放されていて、誰でも使用することが可能だ。だからよく利用させてもらっている。けれど、今朝みたいな明るい時間に利用するものは多分私たちくらいしかいない。せいぜい利用されるのは昼頃だろし、あえてそこに注目してクラウンを連れてきたわけだ。

 蒼穹の蒼が悩み事を忘れさせ、雲の白が風に乗って流されるように悩みも消え、いつの間にか笑いに変えてしまう。

 それにもう一つここを選んだ理由がある。―――騒いでもいいように、つまり彼女が泣いた時のことも考慮するとここは色々と都合がいい。

「あの……明日乃」

「どうした?」

「胸借りていいですか?」

「胸?」

 胸を貸せといきなり言われると、違う方を想像してしまった。彼女の言葉足らずで一瞬思考が止まるが、良く考えるとそういうことだったのかと納得した。

「分かった。思いっきり泣け!泣いて泣いて!強くなれ!」

 ガバッと、天に腕を預けると彼女が真正面から強く飛びついてくる。

 それからすぐに彼女は泣いた。

 私は気兼ねたように彼女を抱き止めた。彼女の温もりが体中に染みわたってくるのが分かる。

 大きく泣き、それに優しき頭を撫で落ち着かせる。

 こうしてクラウンが貯めた鬱積のほんの一部は私の中で解消された。こうただ泣き続けられるとなると相当な数がまだ残っていることが見受けられる。なら、少しでも私は彼女を助けられたら――――という感情に気付くのはまだ少し先のことだ。

「無茶し過ぎなんだよ…!」

 日は浅いけれど、彼女のひとりの孤独さが少しわかる。――無理をして、強がった演技を見せて、でもそれが誰にもわからなくて。悔しくて―――。

 でも、そんな時私と出会った。月という処とともに。

 ―――クラウンはどこか行き過ぎているところがあるけれど、それも彼女で。私は彼女の笑顔が好きなんだ。

 時にたくましく、時に負けず嫌いで、時に――――あれ?なんで出会った日が浅いのにクラウンのことをここまで、知ってるんだ?

 

 

「―――明日乃?」

「――おお、泣きやんだか?」

「はい。すっかりと。もう大丈夫ですわ!」

「そりゃあ、心強いな」

 安堵している自分がいて、疑問をどこかに抱え込んでいる二種類の私がいた。

「クラウン。さっきの件だけどさ、あれは本物だからな?」

「分かってますわ!」

「では、放課後に行くこに――――」

 

 

 キ―ンコーンカ―ンコーン

 

 

 彼女の声は途中で途切れ、私は茫然としていた。

 予鈴だと思われるが、生憎と時計を持ち合わせていない。なので、クラウンに聞くと、どうやら予鈴らしい。ということはHRがすでに終わって授業に入ろうとしている。―――たしか一限目は織斑先生の授業が入っていたはず。走れば間に合うが、彼女はどうすれば?と、ふと、過る。

「一様聞くけどさ、クラウンってなにか言い訳できるたち?」

「いいえ、私はそのままのことを……」

「それだけはちょっと……!」

 白銀の少女は小首を傾げているものの、言いたいことはどうして?だろう。言わなくてもわかる。

 狼狽しつつも、それなりに旨を伝えると表情上は納得している模様ではあるものの内面はどうだろうか?

 どこまでも追及してくるその翡翠の玉は私を非常に困らせた。小時間話合っても彼女の正論が飛んでくるばかりで、私の気持ちはクラウンに傾き始めていた。というより、もう倒れていた。

 話し合いの結果、互いに正直に話すで輪は修復された。

 足取りが重いが教室へ向かうことにした。

 彼女を見送り、いざ教室の前に立つと緊張して腹が痛くなってきたのだ。ここで、変に言いわけをすると相手が相手なので、彼女の約束通りに正直に話すこととなった。

 

 

 授業には途中参加で、昼休みに織斑先生に及ばれすると、レポートを書くか、グラウンドを走るかの二択が迫られた。逡巡はしたもののやはり走って解消することを選び、放課後に至る。

 グラウンドに到着するや否やさっそく部活動の風景が映る。

 走っているのは陸上部や歓声が聴こえるのはもっと奥の方からだった。ユニフォームを着ているのはソフトボール部だろうか……etc。

 とりあえず、ISの関連さえなければ、どこにでもある私立の女子高と大差ない。

 今まで、何かと変わったことに巻きこまれてきたけれど、こう改めて見返してみると、何が変わったのかと思い返してしまう。とりわけ最近気付いたのが勇気があることだった。それと、良心的くらいだろうか。―――それでもこうして自分と向き合うことが出来るようになったのが一番の成果ではないだろうか。

「なに、かっこつけちゃってるんだか・・・」

 自分に苦笑をし、グラウンドに踏み込む前にストレッチを重要にやっていく。

 そんな時だった。声がした。すごく近く。しかも聞き覚えのある声で―――

「明日乃!」

「おお!!クラウンじゃないか?どうした?」

「私も走ろうかと思いまして……ちょうど明日乃もいる事ですし」

「そうかい」

 私の傍に着くなり、白銀の少女はストレッチを私と同じようにし始める。

 私と同じ学校指定のジャージを身に纏い、いつも流している髪を一つの房にまとめていた。

「クラウンは、纏めていても、流していても似合うね」

「ふぇぇ!?」

 ストレッチをやめ、身体をくねらせる。本人なりに照れているのだろう。

 思わぬ一言が彼女を困らせてしまったようだ。

「―――ふふふふ、ふいうちはだめですよ!」

「悪い。つい変化に感想を言ってしまった。これ、本音な」

「―――うれしいですけど……明日乃のはそこらの人が言うより突発性があって、免疫がつきませんわ―――」

 白銀の少女は悶え、力なく崩れ落ちた。

 

 

 



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第十九話 我流であなたを強くします

 

 

「事務局って、何時までやってんだ?」

「日が暮れる前には、閉めてしまいそうですわね?」

「そうだな。なるべく急ぐとしよう!」

「そうですわね!」

 今朝の遅刻の件で、グラウンドを走ることを選んだ私、それにクラウンは一時間ほど掛けてメニューを消化させ、そのままの勢いを殺さずに事務局へと向かうことにした。

 用件はもちろんクラウンが汚したベッドの件についてだ。

 廊下は走るなと教員に見つかるとそう念を押されそうなので、早歩きで歩いていた。本来なら制服で、のところを学校指定のジャージのままで向かうのは大丈夫だろうか?二人して制服の中に生徒手帳を入れっぱなしで、事務局の時間帯が――――多分書いてあると思うが―――分からずじまいで、結局とりに行く時間も惜しいという意見も二人の中であったのでそのまま向かうことになったのだ。

 盲点だった。一月もいるはずなのに、事務の空いている時間も把握しきれておらず、クラウンを困らせてしまった。―――彼女はどこか楽しそうな雰囲気を醸し出している。

「クラウン。ごめんな?」

「なぜ、謝るのです?」

「君をリードできなくて―――」

「それでしたら、私もですわ!―――特に今日は明日乃を酷く困らせてしまいました。その点においてはおあいこでどうでしょうか?」

 これからは気を付けていこうと改めて再認識をする一瞬であり、彼女の器の大きさを確認する一瞬でもあった。

 私は歩む速度を落とし、一度俯き、顔を上げると微笑んだ。

「はぁ。クラウンは器が大きいな……。本当に」

「そうでしょうか?」

 小首を傾げ、手を顔に付くところからすると自覚がないようだ。それを見て微笑をした。

 昇降口から事務局までの距離はまずラウンジを抜けるとT字に分かれる。左手の方まっすぐ伸びた廊下を進むと私たちが使用している教室より少し小さめの部屋が現れる。

 カウンターがあり、半面をガラス張りで覆っている。その中で、動く人影が私たちのきている制服とは違う、ブラウスやラフし過ぎない恰好を身に纏っているところからここが事務局であることを頭が理解した

 さっそく、近づきコンコンと軽く二度ノックした。

 中では手の離せない―――電話への応答。書類の整理。PCで書類を作成している―――が音には反応して見せたが忙しいと言わんばかりにわざとらしく振舞っている。その中で一人がこちらに向かってきた。―――女性で、年は二十代後半と思わしき容姿の人だ。ここで私が初めて見た人でもあった。

「どうかなさいました?」

「あの~~」

「明日乃。―――私が説明しますからいいですわ」

「お、おう」

 女性のハスキーがかった声に反応しようと前に出たのだが、クラウンが一言私に添えると前に出た。

 私はそのまま、後ろに下がりなるべく彼女の邪魔をしないように遠ざかった。

 二人で話すよりかは合理がいい。と判断したのだろう。

 小さいながらにも彼女の声が聴こえていた。腰は低めで相手に下手で要望を連ねていく。

 相手も何度か頷いているから脈ありと見ていいだろう。

 やはり彼女の性格は相手を怒らせないタイプらしい。なるべく平和的に済ませたいのだろう。それがこちらにも伝わってくる。―――数分ほど時間が立ち、話し合いがついたようだ。そして、これから部屋を視察に行くといい私は二人の後ろに付いて行くことになった。

「これですわ」

「これは、酷いですね……」

「この場合って、どうなりますか?」

 三人が部屋に入るなり、まずお出ましになったものは干からびたベッドだった。これはくどく言うがクラウンが一人で出した血の量で染めたベッドだ。

 丸一日放置というわけで、少し匂う。

 事務の女性―――確か三嶋さんと言っていた―――が訝しい表情でベッドの周囲を徘徊していた。時に、シーツや毛布をめくってみたり、何かを確認している素振りが見受けられる。それをメモに取り、数分間ぶつぶつと唸りながら、一人頷いていた。そして、なにかの区切りがついたかのように息をふぅと吐いた。

「―――どうでしょうか?三嶋さん」

 少し遠くから見詰めていた私たちはタイミングを待って聞いてみた。

「そうですね……」

 目線はあくまでメモにとどめたまま、ペンを何度か顎に当て私の質問に厳しそうに答えた。

「シーツも、その下のマッドも結構やられていて、ベッドを代えなければなりませんね……。どうしますか……?」

 想像から現実になった。無理もないか……。ベッドを代えるとなると費用だってかかるし……ここはクラウンと相談しないと―――。

「ベッドを取り外してくれませんか?三嶋さん」

「はぁ―――それで、よろしければ、可能ですが。でも、一つで大丈夫ですか?」

「はい!大丈夫ですわ♪」

「……ちょっ!―――クラウン!?」

「一つでも構いませんわ!」

「ですが、一つを二人でとなると危ないのでは?」

「そこは、問題ありませんわ!既に実証済みですので!」

 その言葉を聞いた瞬間に、私の脳内でその出来事がリプレイされる。

「そ、そうですか・・・?」

 三嶋さんの表情が引き吊ったように見えたのは私だけだろうか?

 それに対してクラウンがほくそ笑んだのもまた私の見間違いなのだろうか?―――ということははなからこれが目的だったのだろう。あえて、汚し、そして回収させるために巧妙な罠を仕掛けたということなのか―――どうして、こんなことを?……なにか裏がありそうだ。

 そのあともトントンと話が流れて私の干渉が聞かなくなったことで、部屋に黒服を纏った大男たちがベッドを片づけていった。流れるように持っていかれたベッドとこのことを報告しなくちゃと三嶋さんの部屋から出て行ったしまった。―――残ったのはそのベッドの跡とスペースだけだった。

 とりあえず、落ち込んでいる間もないのでこのことを保留とし、次は職員室に、と思ったのだがまずは更衣室で着替えなくては―――。

 

 

「あ~、結局ベッドは一つのまんまか、というわけか~~」

「なにか、御不満でも?」

「いえ、なにも~」

 ―――それは数時間前に起きたこと。クラウンが汚したベッドがこの部屋から無くなり、すっきりとした。ベッドの跡地で残った跡を撫でながら感傷に浸っていたが、それは数時間前のことで、今は一つとなったベッドを見つめるばかり、もちろんこの部屋の主がクラウンだから文句は言えないのだけれども。それに他にもやることがあったのだからもちろん保留となった。―――そういって、部屋を出た。まずは制服に着替えに行ったわけだけど。

 ―――更に遡って、グラウンドにてメニューを解消していたとき、隣に肩を並べ一緒に走っていたクラウンに相談事をしていた。

 一つは学級委員を決めるために私とセシリアが決闘をすること。

 もう一つはそのセシリア戦に向けて、一緒に手伝ってほしいことがあると誘いをしたことの二つだった。

 あとは彼女の返事を待つだけだ。

 けれど、返事をもらう前から答えは彼女の行動に出ていた。

 制服に着替え終わると私が何も言わずとも職員室に向かい、ISの使用許可をとりに行ってもらたり、色々と歩いてくれた。おかげで予定していた時間を大幅に削減できたのには間違えがなかった。

 そして、夕食はさすがに何から何までやってもらったお礼に私が奢ることになった。せめてもの感謝の表れだ。

 私と同じ焼き魚定食を頼み、席に着くと焼き魚の焼き目が食欲をそそる。

「さ、食べようぜ!?」

「「いただきます!!」」

 両手で合唱をし、いただきますと唱和。

 箸をとり、焼き魚をさっそくつつく。

 流暢に箸を扱うクラウンの姿は何度見ても新鮮だ。ここで本人にポロっと言ってしまうと動揺して食べれなくなる。―――私なりに言葉には責任と学習を持ち合わせた結果だ。つまり黙って、見てるんだけど。

 動いた後ということもあるので、食事はすぐに片付いた。

 食後のお茶ということで彼女に渡すとおいしそうに飲んでくれた。これもまた、不思議と新鮮なのだ。

 少し落ち着いたところで、私は先ほどの相談の件を持ち出してみる。

「クラウン。さっきの件なんだけど……」

「わざわざ、聞く必要ありますか―――?」

 クラウンは口を濡らすようにお茶を飲んだ。

 倣うようにして私も飲む。

「―――って、ことは。OKでいいんだよな?」

「もちろんですわ♪明日乃にはこの際学級委員にでもなってもらいたいですし」

「だよな……!」

 相槌を何度か返していると、クラウンが協力してくれる。と首を縦に頷かせてくれた。―――これほど、嬉しいことはなく、つい口元がゆるんでしまう―――。

「そんなに嬉しいですか?」

「もちろんだよ!―――ありがとうクラウン!!」

「明日乃は思っていることが顔に出て、分かりやすいですわ!」

「あはは……。本当にうれしくて」

「そう」

「こんなにうれしいことはないくらいにな!」

「―――でも、やるからにはちゃんと勝って下さいね?」

 先ほどから冷ややかな氷を思わせるような彼女の態度とは裏腹に、手元を見やるとその手は震えていた。―――なんだかんだで本人も楽しみにしているようだ。あくまで私の見解だけれども。

「じゃあ、さっそく!」

「今日は座学です」

「くっ―――。お手柔らかに」

 クラウンがお茶を一気に飲み終えると―――。

「何を甘えたことを言っているのですか?私のは我流です。―――我流であなたを強くして見せますわ」

 

 

 部屋に戻って来た私たちはさっそく座学を始める。

 特に必要なものはなく、一対一の対面方式をきっかけとし、会話の中でイメージを掴み取れとのこと。

 四の五の言わずとも、既にそれは始まっていて、問題を出すのはもちろんクラウンで応えるのはもちろん私だ。その会話の中で時々質問を返せとのこと。――授業の復習にもなるし、一石二鳥だ。ただただこうして教科書を見つめているだけでは頭に入らない私でもこれなら頭に入るかもしれない。それほど、彼女の口は巧く、引きこまれるものだった。

 ついつい話し込んで、消灯時間まで残りわずかとなった時。

「―――そろそろ、終わりにしましょうか?」

「ああ、そうだな」

「明日は座学と使用許可の出たISを使ったことをしようと思います」

「わかった。ありがとな?」

 彼女は一言述べると、浴室に吸い込まれてしまった。つまり、考えずとも風呂に入ったということが分かる。

 腰をベッドに下ろし、背中を預け、寝転がった。

「ISは物ではなく、パートナーか……。そういえば授業でもそんなことを言っていた気がする」

 その言葉を口ずさむと、山田先生の授業風景が蘇る。なぜなら、先生の授業を受けているからだ。当たり前のことを言えるようになったものだと自分でも感心してしまった。―――ここ最近は授業に参加しているのだ。少し前は綾陽や火織なんかと付き合っていたのもあり参加より寝ていた方が強い。そのたびに織斑先生の名簿が頭を打って…。

 ―――今は少し懐かしいことで、いつかは元に戻る日が来ると信じて。

 

 

 セシリア戦まで残り三日―――。

 昨日予告されていた通り、ISを使った実戦形式でクラウンと交えた。

 朝と放課後の二回アリーナを使って特訓をしている。まだ一回もクラウンに勝てず、一日が終わろうとしていた。

 二日目になるとギャラリーが付いてきた。

 それでもお構いなく、刃を交える。今日は根を詰めて、あちこちが痛い。

 けれど、その時その時にクラウンは私にアドバイスをくれた。悪いポイントが圧倒的に多く、直すまでは時間がかかりそうだ。

 さすがに一朝一夕で力は手に入らない。無理にオーバーワークをして身体を壊すのも心配の元になってしまう。だから、無理はせず、クラウンから言われたことに気を付ければ多分―――いや、大丈夫だろう。

 

 

 三日目。今日がセシリア戦に向けての一区切りとなるわけだ。

 今しがた緊張してきた。

「明日乃?―――今日は用事がありまして、特訓に参加することが出来ませんの」

「そっか、残念だな……。わかった、私の方でも出来る事をやってみる」

「くれぐれも無茶はしないでくださいね?―――約束ですよ?」

 そう言い残すと、走ってどこかに向かっていくクラウンを見送って、私もやるべきことに努めることにした。

 

 

 



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第二十話 さあ、お取りなさい

 

 

「よし。今日のメニューはこんなもんで、終わりにするかな?」

 他の人の耳に聞こえるか聞こえない程度の声量をトレーニングルームで一人ごちる。

 セシリア戦まで残りわずかとなり、焦躁する気持ちもあるが、躍起になって身体を壊してからではクラウンに顔向けができない。では限りのある時間で何が出来るか。それはクラウンが渡してくれたメニューと短い時間で掴んだ感覚を忘れないことだった。要は落ち着いていれば普通に戦えるということだ。

 そのメニューを小一時間ほど掛けて消化させたのだった。基礎からの体力作り。ISを動かすのにだって体力は必要だ。小さなことでもコツコツとこなしていけば力がつく。それを知っているから、今こうしてトレーニングで汗を流しているのだ。一朝一夕で力が手に入るは入るが、やはりそれはやり続ける事に意味がある。

 トレーニングルームの脇に設けられた休憩室でトレーニングの際に出た、汗の玉をタオルで拭い、先ほど買った自販機のスポーツドリンクを口に運ぶ。

 渇いた体にスポーツドリンクが染みわたる。思わず、息を漏らす。

 それからある程度身体を冷やしたところで女子更衣室に向かうことにした。

 ある程度歩くと喉が渇く。その都度その都度、スポーツドリンクを歩きながら飲んでしまう。幸いに人影は私以外に存在せず、のびのびとした廊下だったが、少し気味が悪い気がした。

 曲がり角を曲がろうとし、ほんの一瞬周囲を一瞥した。

 先ほどから誰かに見られているような気がしたため、反射的にみやる。少し注意深く。

 何ともないのなら、そのまま通り過ぎるはずだった。―――が、私は見てしまった。―――白い何かを。

 

 

 最初は軽い感じで見たのだ。

(誰かがいる……?)

 周囲を見るなり、眼が止まったのは角の近くに設けられた空いた教室だった。

 ここの角はT字に分かれる道で、右手の方は私が歩いてきた道。つまり先がある。左手はエレベーターがあり、見ての通り行き止まりだ。まあ、エレベーターに乗ってしまえば話が変わるが一般生徒には残念ながら解放されていない。それと違って、この教室は開放されてはいるが、普段から使われるような教室ではない。それ故教室で使用されない机や椅子が所狭しとこの場所に敷き詰められている。以前間違えてこの教室に入った時に確認した。

 その視線らしきものは教室から発されているのではないかと思う。とりあえず、何らかの疑問を持った私はその教室に赴き、ドアをくぐり、教室の中に身を乗り出そうとしたのだが、私の過去の記憶はやはり正しかった。

 改めてドアを開けると、所狭しに机、椅子が並べられていてとても人が身体の自由を利かすことの出来ない状態を物語っていて、綺麗に積まれた机と椅子は一つの芸術を作り上げていた。そんな場所に留まることは多分出来ない。だって、隙間がほとんどないのだ。よほど身体が細いのか、それとも人じゃあないのか……。考えただけで背筋がゾクッとした。無闇に考えるのはやめよう。特に後者の件については。

 そんな場所から私を見ていたとすると、まず無理だろう。

 根拠といったものはないが、直感で分かることは、相手方が明らかに不利だってこと。壁と机の距離はほんの十センチ未満なのだから動けばそれなりに反動があってもいいはず。それが無いということはやはり――――。

(いやいや―――それはないだろう?!)

 ブルンブルンと頭が取れるのではないかと思うくらい頭を横に振って悪い思考を遮った。

 でも、先ほどからここが秘密基地か何かに見えてきた。やはり、幼少時代に外で遊びまわっていたせいだろうか。―――思わず苦笑を浮かべる。

 私は笑顔を引っ込め、真一文字に口を結び、背後を見やった。

「――――!」

 私の微動作に気がついたそれはさっきの白い何かだろう。視線が似たような感じがした。

 多分その白というのは髪の毛の白のことだろう。後ろ髪でそう解釈させてもらった。

 つまり、逃げた。

 それに吊られるようにして私も廊下を走った。

 ぺたぺたとコンクリートに吸いつく足音。上履きのゴムとは違う吸いつく音がした。言うのであれば、素足に近い音だった。

そんなことよりも廊下を駆ける速度のほうが私としてはよっぽど驚いていた。常人とは思えぬほどの脚力に私は―――。

「は、はえーな?!」

 とリアクションをしてしまう。次第に距離を伸ばされて足音は小さくなり、完全に音が途絶えてしまった。

 既に日が傾き始めている。暗くなる前に見つけたいところだ。

 でも、どこにいるのだろうか―――。ふと、自分らしくもない神頼みというやつしてみた。

 少なからず私はその子に期待の念を押している。分からないが、出来る事ならその子に聞きたいことがある。―――どうして私から逃げるのかを―――。

 もしかしたら、座敷わらしかもしれない。実際に見たものは幸福が訪れ、家も裕福になる。こういう言い伝えもある。まあ、悪戯をするっていう面はまさに今の状態を絵に描いたようだし。

 そんな微塵の可能性もない迷信に惑わされるのも悪くない。と、口の端を吊りあがらせると不思議と気持ちが落ち着き、身体に清涼感が訪れる。

「こっちだ!」

 これまでにないくらい落ち着いているのが自分でもよくわかる。

 聴覚を緊張させ、眼を閉じ集中する。すると、ひそかだが足音が聞こえる。それも下の方から。深く、深く底からその音は聞こえるのだ。

 眼を見開き、眼前には階段がある。そこから、下へ、下へ降下してゆく。

 階段を降り切ると、急に暗闇が支配する。

 私は臆することなく、歩くことにした。見えないはずなのに、足が前へ前へと誘われるように進んでいく。眼は慣れ、うっすらとだが周囲が分かる。その中にも微かにだが、あの子の気配を感じ取っていた。どこかに潜んでいるとみていいらしい。

 この暗さは人工的で、光が無い。だとすると、ここは倉庫ではないだろうか?この学園には色々と設備が設けられているのだから今日たまたま使われてないってこともありえる。本当にたまたま迷い込んでしまっただけで。

 ―――ゴン!!―――

 一瞬の油断だった。

 顔面を酷く打った。特に額部分に堅い何かがぶつかった。その際に当たった方からも鈍い金属のような音がした。

(―――壁?)

 片手を額に添え、もう片方の手でその金属らしいものに触れた。

 ドアや壁ではない、また違う感覚。ひんやりとしていて、手に吸いつく感触。そしてなにより、このさわり心地は―――。

「ISっ!?」

 紛れもないそれであった。はじめに甲高い金属音が耳をつんざき、直接触っていることで本体から流れ込んでくる情報量に眉を中心に集め、低温やけどをしているみたいに芯から痺れが流れ込んでくる。

 顔は歪むことを止め、次第に顔が和らいでくる。それに倣うように産毛も逆立つことを止めた。

 それは手を離したからだ。まだ手が痺れの余韻が残っている。

 今分かったことは眼前にあるのがISであるのに間違いはない。唯それだけだ。そして、もう一つ分かったことがある。そのISに触れたことでわかったことだ。

 ――――あの子の気配が、触ったISから感じられたということ―――。

 思わず退く。じゃあ、座敷わらしじゃなくて……。

「一体何なんだ?!」

 でもこれはある意味千載一遇ではないだろうか?

 こうしてわざわざ私の前に現れて、何らかのアピールをするということはどこか裏があるような気がする。

 そうして、吸い込まれるように私の手は再びISに触れるのだ。何かを確かめるかのように―――。

 ――――ピタ。

 今度は何も起こらない。――――ということは私の僻見とみていいだろう。考えすぎだったのか?

 鎌首を垂れる。あにはからんや良い線をたどっていたはずなのにやはり駄目だったか。思わず吐露を吐いてしまう。

 では、なぜここに私を呼んだのか。遺憾しがたい気持ちでいっぱいだった。

(じゃあ、ここまで来たのってなんなんだよっ!!)

 激昂する気持がどうやらそれに伝わったらしく、黙っていたISが急に夥しいほどの光をその場に散らした。

 眼前に広がる光が私を包み込むような形となり、思考を遮った。

 

 

「……!―――ここは、教室?」

 何かに引っ張られるように身を起こすと、机や椅子が綺麗に整頓されていて、外の景色から差し込む茜色の夕差しが教室を真っ赤に染め上げていた。私の口がポロっと口走ると案の定そこは教室であった。でもどこの教室なのだろうと混乱する間もなく私はまたしても何かに気がつく。そう、黒板。黒板の右側に日付と日直が書いてあって、藤崎と吉音とそう綴られていた。

 そして私が突っ伏して寝ていた席も紛れもなく私が使用しているものであった。なぜ、突っ伏して寝ていたのがわかったかというと、腕が痛かったからだ。

 それと、どうやら私一人がこの教室に居るわけではないそうだ。

「もしかして、さっきから私を見ていたのって君かな?」

 完全に振り向くのではなく、尻目で確認する程度だ。

 その子は窓側の後ろに机に腰を下ろしていた。足を組み、手をついてどこか楽しそうな雰囲気を醸し出しながらこちらを見つめていた。

 数拍置いて、返事が返って来た。

「どうして、背中を向けているの?僕、君のお顔がよく見たいんだけれど―――?」

「それは悪かったね。じゃあ、私も君の近くに行っていいかな?」

「いいよ」

 短い返事を相槌ち、私は席を立ちあがり、その子の元に足を運ばす。

 その子も腰かけていた机から離れ、私たちは互いの顔が拝見できる距離まで迫っていた。

「君、背がデカイネ?」

「そういう君こそ、私の友人にそっくりだよ」

「それはどんな人?」

「私より、強くて、たくましい女の子だよ」

 その子の髪は白く、ついクラウンを彷彿させてしまう。でも、似たよってても明らかな違いだっていくつかもある。

 一つは髪の長さだ。肩をくすぐる位の長さで先ほど後ろ髪を拝見した時に確認済みだ。

 二つ目は容姿そのものだ。外観的にはクラウンを小さめにした感じで、小学三年生か四年生くらいの大きさしかない。まるで幼少期の彼女を見ているみたいだが、残念ながら私の思い込みに違いない。

 私はクラウンについての大まかな旨を話した。

「へえ。その子は面白い子だね。ちょっと羨ましいよ」

「もしかして君、友達いないの?」

 なんとも失礼な発言だ。我ながら口にした後に後悔をしているよ。

 でもその子は微笑を浮かべ、こう言った。

「あはは。そうだね、君の言うとおり僕には親しい友と呼べるものがいないんだ。まず、ここから僕は出る事が出来ない」

「どういうことだよ?」

 今度はその子が自分に対しての旨を私に話した。

 それは惨いものなのかもしれない。彼女は自身のことをコアといった。

 コアつまりは中心核と呼ばれるものだ。それは多分ISのコアのことを指しているのだろうか?

 それはまだよくは分からないが、彼女はこうも言っていた。―――私が見えるのは稀にいると。だとするとやはりこれは降って湧いた好奇と思ってもよさそうだ。

「だったら、私とダチにならないか?」

「ダチ?それなに?」

「ふっ。ダチっていうのはな友達って意味だよ。私は照れ臭いからダチって言ってんだけどさ」

「そっか。ダチか……」

 私はあの子を見ていると、どうしてもクラウンの影を感じてしまう。特に笑顔は彼女と同じ笑い方をしてみせる。それが影と重なってクラウンという虚像を一瞬魅せる。

「ダチったら、まず名前を呼び合うことだな。私は明日乃。君は?」

「僕は――――久遠」

「くおん?―――変わった名前だな?」

「それは明日乃もじゃないかな?」

「それもそうだな!」

 ぷっと、吹き出し笑いをして見せるとつられて久遠も声をあげて大笑いした。何が面白いのか分からないがとにかく笑いが出るのだ。笑いに理由なんかあるか。面白いと思ったら笑う。それに笑うっていうのは色々と守ってくれる。病気とか病気とか。

「こんなに笑うの初めて」

「なら、良かった。これで、私たちはダチだ。ほい」

 私は友達の証として握手を要求した。要求というかとにかく握手をしてくれると嬉しいのだけれど。

「あの……これは?」

「友達の証だ。なっ?ほら」

「うん」

 私に促されると、久遠は私の右手に自身の手を絡めてくる。肌がさらさらしていて、私より手が小さい。力加減を間違えたらぽきっと逝ってしまいそうな華奢な体つきだった。

 思いっきり握手をした後、ゆっくりと久遠の手が名残惜しそうに離れていく。

「そろそろ、お別れの時間ってやつか?」

「―――!……どうしてそれを!」

「そりゃあ、久遠の顔が沈んでたからだよ。見ればわかる。―――そっか、やっぱりここはお前さんの世界で合ってたみたいだな」

「いつから?分かってたの?」

 久遠の歯切れが悪くなってきた。まるで、知られることが怖いみたいだ。

「確かに知られると困ることもあるな。それはわかる。でもさ私たちはダチだ。今日が最初で最後とは言わせねえ。この感じだと、もう何回か顔を合わせそうなんだよな……」

「そうだといいね」

「こういうときは笑うの?!」

 そういうなり私は久遠のほっぺを思いっきり引っ張り顔を引きつらせる。もちもちの肌が心地よい。

「やめちぇくだふぁい」

「お前が笑うまで止めない」

「わ、わかりまふぅた」

 ほっぺから指をはがすと久遠は精一杯の笑顔を浮かべたのだった。

「やりゃあ、出来んじゃないか」

 うっすらと久遠が見定める事が出来なくなってきた。時間が迫って来ているみたいだ視界がぼやけているのは私の方かあちらの方か。でも、言葉は通じるだろう。

なら、最後のに――――。

 

 

「またな!久遠」

 

 

 この言葉はしっかり久遠に届いているのだろうか。それを知るのは神のみの話だった。

 

 

「まぶしっ!?」

 開口一番に放ったのがその言葉だった。

 本当にまぶしいのだ。

 腕で光を遮り、ようやく目が慣れてきたところで腕をどかす。

 瞬刻、もしかしてと鑑みたが、私の感は百八度間違っていた。

 なぜなら、私のよく知る人が眼前にいたのだから。

「く、クラウン?!」

「明日乃?!―――良かった」

 私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。それを見た白銀の彼女はクスクスと笑う。

「クラウン。どうして君がここに?」

「それはこちらのセリフですわ」

「私は、その妖精を見て……だね……」

「妖精?」

「ああ、そう。妖精。クラウンをそのまま小さくした感じの女の子でさ!」

 彼女に思い当たる節があるのだろうか一瞬険しい表情を刻む。だが、すぐにいつもの表情に戻ったのは言うまでもない。

 でも、この後の彼女の発言には私は少々驚かせられる。

「もしかして、久遠を拝見したのですか?」

「ん?―――いま、久遠って……?」

「はい。確かに言いましたわ。でも、本当にあなたは久遠を―――」

「ダチになった。ちゃんと、会話をして、握手もした。けして、久遠は悪い奴じゃない」

「―――分かりましたわ。少々お待ち下さい」

 私は少し剣幕になっていた。悪い方に考えを捉えてしまい声を荒げてしまった。あのクラウンの顔は何を意味するのか私は知りたい。悪い方に話が傾いてほしくない。

 彼女が携帯端末を操作し、耳元に当てたということは電話をするのだろう。相手は多分上だ。

 もしかしたら、このIS。なにか特別の力があるのではないだろうか?

 蒼く輝く装甲のIS。

 この機体とは一波乱がありそうだ。私は口角をあげ、口元を緩ます。

「お待たせしましたわ。明日乃」

「で、私に下るのは何だ?」

 クラウンだろうが――――。

 でも、そのクラウンの表情が辛辣なものではなく、どこか祝福している表情だった。私もファイティングポーズを解き、クラウンに正面から向き合う。

「どこか、嬉しそうだね?」

「はい。たったいま、喜ばしい報告がありましたの」

「それは私宛でいいのかな?」

「はい」

「じゃあ、話してくれ」

 ここにいるのは私たち二人と蒼く輝くISしかない。

 案の定ここは私が読んでいた通り倉庫で間違えは無かった。照明が全てを照らし、ようやく判断が出来るようになった。広領的に教室四つ分。隅に必要な機材が収納できる棚がいくつか見受けられる。

 ポツンと中心部にこれだけ置かれているとなると少々変な気分にもなる。それに辿り着いた私も我ながらすごいと思う。

 沈黙がいつの間にか私たちのいる空間を支配していた。

 どこか言いにくそうなことなのだろうか。もじもじと少々落ち着きが無い。

 頬を朱に染め、頭を垂れ、上目使いでこちらをチラチラと覗かしてくる。

「もしもし、クラウンさん?」

「あっ、はい」

「もしかして言いにくいことか?」

「はい。明日乃がこれを聞いて、承諾してくれるかどうか気なってしまって―――」

「で、なかなか言い出せなかったと?」

 こくんと首を縦に頷かせるクラウン。

 私は彼女の肩を掴み母親が子を諭すような口調で彼女に聞いてみた。

「もしかして、久遠のこと?」

「はい。―――明日乃はなんでもお見通しですね」

「忘れろって?」

「いえ、その。できれば、久遠のパイロットになってほしいのです」

「いいのか?―――どっから見てもお前の専用機みたいだが」

「はい。父から頂きました。でも、明日乃は久遠を直に拝見されている。私には見る事も出来なかった。多分それは気持ちの差だと思います。久遠は第四世代のISです。力を求めるものにはこの力が必要だと私は思っております。ですのでこれは―――」

 私はクラウンを無意識に抱きしめていた。そして頭を撫でていた。

「ありがとう。でもこれだけは忘れないで、私は力がほしいのではないんだ。これを出来るだけ巧く使えるかそれを知りたい」

「わかりましたわ。あなたの信念を私にもどうか見せてください」

「口下手だから、クラウンにちゃんと伝わったかどうかわからないけど、うん。やるだけやってみるから、見てて」

 クラウンが、パイロットスーツの入った小包を私に寄越してきた。ヴィクター社製のものだった。半袖の紺のインナーに、膝までの紺色のスパッツが小包に入っていた。ヴィクタ―社のパイロットスーツの特性は軽量感、解放感などをコンセプトに作られている。まるで付けているのが分からないなどといったキャッチコピーなどもあったが、これが面白いことに爆発的ヒットを記録した。値段もリーズナブルで誰でも手に入れる事が可能だった。いまでは数多くの商品が出回っている。なかでも今回私が手にしたのはカタログで見たことのない商品だった。脇に蒼色のラインが施されている。キャッチーなデザインで私は少し嬉しくなった。

 着替え終わると、蒼い装甲―――久遠。の背にコードのようなものを接続していた。

 その配線を辿ると宙にディスプレイを六枚展開したクラウンが心待ちにしていた。

「よお……おまたせ」

「素敵ですわ!明日乃♪」

「そりゃあ、どうも」

 心なしの返事を返し、久遠の前で立ち止まり、一度撫でる。

 そしてクラウンの指示でフェッティングとパーソナイズが施された。

「一通りのことは分かった。ってか、久遠の武器って、花の名前っぽいのが多いけど…」

「父が絶賛中二病なもので――――」

 眼を逸らされた。それに困っている娘ってか。大変だな。同情しか出来ないけれど。

「とりあえず、ありがとう。これなら、セシリアに……」

「あなたは大きな剣を掴もうとしている。―――さあ、お取りなさい」

「なにか、言ったか?」

「いいえ、独り言ですわ」

 ふーん。了解。

 

 

 



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第二十一話 私がお前を守る

 

 

「藤崎。これ(HR)が終わったら、理事長室に行け。お前に話があるそうだ。もちろん、お前には拒否権なんてない。これは絶対命令だ」

「――はい。藤崎さんにはこの後理事長室に行ってもらいます。用件は、理事長が藤崎さんとお話がしたいと……」

 HR(ホームルーム)がテンポよく進んだおかげで、いつもより早く終わった。ところが突然私の名前が呼ばれた。

 用件は以下の通りで、私には心当たりがある。というよりもいつ呼ばれるのかという点で昨日の夜から考えていた。やはり、早めに手を打ってきた。この耳飾りの件について。

 窓側に私の席はあり、差し込んだ陽光がこの耳飾りを一際輝かせた。

 子犬のような目線を浴びせる山田先生を横目に私はそんな事だろうと、軽く返事を済ませ、席を立つ。

 なにより動揺していたのは私より周囲の女生徒たちだった。多分皆気が付いているのだろう。私の異変に。そして自然と耳飾りを撫でる。

 やはりそれは昨日が原因であった。

 倉庫にて久遠と呼ばれるISを起動させ、まんまと操縦者になり、フィッティング、パーソナライズを済ませた。ともに調整を行ってくれたのは他でもなくクラウンであった。どうしてあの場所に現れたのかはあの時感じてしまったがそれは日が経てば聞くチャンスは自ずとやってくるものだ。

 そして待機モードが左耳にイヤ―フックとして収まった。蒼く輝く重厚な作りはなぜだかしっくりとくる。だが、今日はなぜだか髪をアップにしてしまったためにか教室、いや色々なところでお披露目となってしまった。あまつさえ校則上ではアクセサリーを身につけるのは禁止となっている。―――だからだろうか。

「さあ、藤崎さん。準備は良いですか?」

「ああ、はい」

 いつもはあまり頼もしいという感情はないのだがこの時は少し、頼もしいと思ってしまったが、すぐに撤回をせざるを得なかった。

 それは性というのだろうか。ドアのレールに足を引っ掛け、転んだのだ。さっきまでの勇ましい姿はどこへやら。クスッと笑う。

「笑いましたね?」

「はい。クスッ。すみません」

「恥ずかしいので笑わないでくださいね!」

「はーい……」

 よほど恥ずかしかったのだろうか、顔を真っ赤にして、少し俯き気味でせかせかと教室を出ていく。それに無言で付いて行くついでにドアを閉めた。律儀ではない。

教室を出るまで、あちこちから聞こえる喧騒は私一色だったのは言うまでもなかった。

 

 

 周囲のガヤが無くなると、少し身体が楽になった。どうしてクラスメイトが茶地を入れてくるのか正直分からなくもない。もし同じような立場なら私も似たようなことをしているだろう。

 長い渡り廊下を歩き、階段を昇る。最上階まで行って、そこからエレベーターを使用し、またまた最上階まで昇ると、理事長室がエレベーターのドアが開いたと同時に眼前に現れる。

 さらに香ばしい匂いも対となって、明日乃と山田先生の鼻孔をくすぐる。

「いい匂いですね。藤崎さん」

「そうですね。山田先生」

 二人して共感を得ていたのも束の間で、この匂いの発信源はどうやら理事長室から発せられていると私とおそらく山田先生は印を踏んでいるようだ。

 とりあえず、まずは部屋を入ることから始めなくては。

 そう思い至った後、最初に行動に出たのは山田先生だった。さすが教員。

 チョコレート色のドアにノックを二回。間もなく返事が返って来て山田先生が謙遜気味に部屋へ。

「失礼します」

「……失礼します」

 ドアを開くなりまず目についたのが、男性がいたということだ。もちろん彼の存在を知ってはいるがまさか本物に出会えるとは思ってもいなかった。―――ジェイル・ヴィククターがそこにいた。

 執務席を立ち、鼻歌を歌い、適当に揺れていた。そんな人物が眼前にいた。

「お待ちしていたよ!?藤崎明日乃君!?」

「ど、どうも」

 白いスーツを身に纏ったジェイルが歓喜の声を上げて、腕を天に捧げながら、私の歓迎をしてくれた。

 チン!

「おや、ちょうど焼けたみたいだ」

 長身が一瞬にして、机に隠れてしまった。すると、鋼色の型を緑色を主とした鍋つかみらしきもので掴んで、むくっと立ち上がる。その型を専用のナイフで中身を削ぎ落とす。大きめな皿の上にその型を落とすと香ばしいにおいとともに金色のスポンジケーキが現れる。彼のそのあとの行動は実に圧巻とするものだった。

 そこに現れたのはホールのショートケーキであった。

「すまないね。今日はお客さんが来るという―――より、私が呼んだのだけれど、何もおもてなしをしないのは失礼かなと思ってね。私の趣味であるスウィーツ作りでも、と思って。どうかな?」

 棒立ちになった山田先生と私は顔を見合わせて、笑い合った。それに答えも出ていた。

「「いただきます」」

 見事にハモったのだ。理事長もクスクスと手を口元に添えて上品に笑っていた。

 彼を改めてみると、クラウンの父というのが全面的に出ているような気がする。この気さくな感じがとても彼女と重なるところがある。

 外観でも目立つのは髪だ。白銀の髪は肩をくすぐる程の長さをもち、それでいてさらさらと流れている。揺れる度にそれが強調されるからだ。

 続いて、漆黒色の瞳は白銀とは対照的でどこか神秘的に思えてしまう。吸い込まれそうなその瞳はやはり彼がかっこいいからだろうか。

 甘いマスクに、長身、そして紳士と聞くに情報は誤ではないことがよくわかる。

 しばし、見とれてしまう。

「どうしたのかな?」

「すみません」

「こちらにどうぞ。山田先生もどうぞ?」

 一度謝ると、彼に促されるように案内された席に着いた。真っ赤な絨毯の上を歩くと、気分は女優になったようだった。

「飲み物は……コーヒー?それとも紅茶かな?」

「じゃあ、私はコーヒーで」

「私もコーヒーで」

 二人からのオーダーを聞いたジェイルはウェルダーを呼ぶかのように天に腕を預けるとパチンと指を鳴らす。綺麗な音が響いた後、奥から物音がした。かちゃかちゃとカップが揺れる音、それが徐々に近づいてきて、持ってきた人の正体がそこで判明する。

「ごきげんよう。明日乃」

「クラウン?―――クラウンじゃあないか?!」

 勢い余って、立ち上がってしまう。ついでに席も倒してしまった。クラウンは動じず、一つ笑うと私たちに飲み物を淹れてくれた。コーヒー豆の香ばしい匂いを思い切り肺に吸い込む。それだけでお腹がいっぱいになりそうだった。

 カップに口を付け、一口頂くと―――。

「おいしい……!」

 その一言に限る。

 普段はあまり苦味があるものは避けてきたのだが、今日ばかりは少し見栄を張り、頼んでしまった。後悔をしていたのだが、それを巻き返す味であった。

 口中に広がる苦味はコクがあって、後味はすっきりとしていた。これはもしかしたら、決め手の一杯かもしれない。

「クラウン。おいしいよ」

「良かったですわ!明日乃に喜んでもらえて♪」

 そのあともコーヒーだけで一杯を飲みほしてしまった。それほど、この一杯は私の中でコーヒーという概念を捻じ曲げた逸品であった。

 コーヒーに興味が湧いてきたところで、隣に座る山田先生がクスクスと笑うのだった。

「どうしました?」

「藤崎さんはそういう風に笑えるんですね?」

「私、変な風に見えてました?」

「多少は……。でも、今は新たな一面も見れて嬉しいです」

 (嬉しいですか……。ちょっと照れるな)

 照れ臭くなった私はカップを視点に黙り込んでしまう。

 それから、時が過ぎて。山田先生がそろそろと、席を立った。私も釣られて立とうとしたが理事長の言葉で、私は席に再び腰を下ろした。

「理事長。私はここでお暇させてもらいます」

「ありがとう。楽しかったよ」

「では、失礼します」

 山田先生は腰を折ると、部屋から出て行ってしまう。

「あのぉ、私は―――?」

「ああ、用件がまだだったね。これから話すとしようか」

 ケーキが載っていた小皿はからであった。もちろん食して無くなったのだが。

「私も席についていいですか?」

「もちろんだよ」

 コーヒーを入れた透明なポッドを私たちが座っている丸机の中心に置き、空いた席にクラウンは席に着いた。

 全面ガラス張りに覆われているこの空間は、やはりこの学園に位置する最高の場所である。故にそこから眺める景色はさぞかしきれいであろう。私たちが座っている丸机の配置場所はまさしくそんな景色の一部を一人占めできる場所に設けられていた。特に私の席は格別であった。

「さて、君を呼んだのは他でもない。君がここにこうしているのは分かるかな?」

「―――はい。それは、これですよね?」

 彼の言いたいことを汲み、左耳に飾られたイヤ―フックを見せた。きらりと一回輝く。それは返事をするかのように。

「分かっていたんだね。こうなることも?」

「はい。昨日の段階でこうなることはある程度予想は付いていました」

「ふふっ。さすがだね。藤崎明日乃君!――彼女の見込んだ通りだ」

 ジェイルの手はクラウンを指していた。それを眼で追う。

「じゃあ、彼女が私に近づいてきたのは、あなたの策の一手ですか?」

「いいや。彼女の意志だよ。―――まあ、私は君が入学をする前から気にはしていたがね」

「それは嬉しいですね」

 二人とも変化はない。落ち着いた様子で、口元を濡らしていた。

 ジェイルは子供のような表情で、私が質問をしてくるのを今か今かと待ち遠しくしていた。

「他には?」

「えっと……。そういえば、どうして私を知っていたのですか?」

 そういえばと言葉を拾い、投げ返した。

「君の両親は何をしているか知っているかい?」

「はぁ……?」

「その感じだと、知らないととった方がよさそうだね。君の両親のことだけど、実は私の社で働いているんだ。もちろん、設計から色々と幅広い活動してもらっているよ」

「そうだったんですか?」

「そう。二人はかなりの熱心家でね。そのせいで君たち二人と接する時間が取れないみたいだけれど」

「まったくです。でも、知れてよかったです。そっか―――」

 少し呆れた感じで、でもなんだか嬉しくて、この気持ちは何だろうか。

 とりあえず心当たりが無いので、コーヒーを口に含む。ちょうど、カラになって、クラウンが席を立ち、注いでくれた。湯気が上がり、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。

「明日乃の顔、少し緊張がほぐれましたね?」

 コーヒーを注ぎながら、クラウンは私の感情を肌で感じ取ったのか、聞き返してきた。

 言われてみれば、確かに気にはしていたが、理事長から事情を聞いたとなると、少し安堵感に包まれる。

「理事長。もしかしてなんですけど―――これと関係アリますか?」

 私が耳飾りを理事長に見せつけると、首肯した。

「ああ。それを作成したのは藤崎夫婦だよ。それが出来上がったのは君が入学する前の―――ー週間ほど前かな」

「本当に最近なんですね」

「私にもおかわり」

「はい」

 ちょうど理事長のカップにコーヒーを注ぎ終える頃にはポッドの中身がカラになっていた。クラウンはカラのポッドを手に、部屋から一時姿を消した。そんな時だった。

「明日乃君。君に娘を任せていいかな?」

「クラウンをですか?」

「私も、いつもここにいるとは限らない。時には長く席をはずすこともある。彼女は寂しがり屋でね。君と出会ってから、笑顔が増えたんだ。君と出会ったことで、彼女は変わろうとしている。これから一皮も二皮もむけるだろう。それを共に歩んではくれないだろうか?―――私のささやかなわがままだ。君の両親と同じく少し不器用だ」

「もしかして、私を呼んだのはこれを?」

「そうだ。君にはきっと引き受けてくれるだろうと信じてここに呼んだんだ。分かってくれるかい?」

「ちょっと、無責任ですね。――でも、その願いは引き受けます。私だって、彼女に頭上がりませんから」

 作り笑顔を浮かべ、席を立ちあがった。そして手を差し伸べる。少し私も偉そうになったなと心中で呟く。

「ありがとう」

 彼は私の手を握ってくれた。これは約束。そして理事長からの試練でもある。

 少々照れ臭い感じもするが、これもまたいい。

「コーヒーの追加入りましたよ―!」

 奥から出てきたクラウンが小首を傾げる。

「何やっているのですか?二人して握手して?」

「ああ、少し頼みごとをしたんだ?」

「どのような?」

「ナイショ!」

「内緒さ」

「二人して、いやらしいですわ!」

 クラウンがぷくーっと頬を膨らませ、そっぽ向く。やっぱ、かわいいって思ってしまう自分がいる。

 明日乃はジェイルの手を解き、そっぽを向くクラウンに詰め寄った。背後から、優しく彼女を全身で包み込む。

「あ、あすの―――!」

 たじろぐクラウンの表情が何とも言えない。

「私がお前を守ってやる」

 彼女の耳元で、彼女だけに聞こえるような声でそっと囁いた。

 その刹那、彼女はぼっと、顔を真っ赤にし、明日乃の馬鹿と口を尖がらせぼやいた。

 その一瞬が甘く、明日乃にはそのやり取りがどこか懐かしく思えた。

 

 

 



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第二十二話 心強い仲間がいる

 

 

「あのぅ、私の両親ってどんな人なんですか?」

「そうだね―――。一言で言ってしまえば明るい人たちでね。笑顔が絶えない、そんな理想を描いた人たちさ。頭も切れていてね、私の発想を遥かに超えてしまうんだ。いい意味でも悪い意味でも。そんな二人に私は感謝をしている」

「そんなにすごいんですか?」

 にわかにも信じ難いが、理事長が優しい笑顔を浮かべながら話していた。それは過去に浸りながら、懐かしくそして一瞬の出来事の線をなぞるように話していたのだから私はすっかりとその話に飲まれていた。

 それから、口が開くたびに両親の話を聞いてしまうのだ。本当は会って話を聞けばいいのだけれど、それが出来ないからついつい理事長に話を振ってしまうのだ。嫌な顔を見せずとも話してくれるその顔に委ねてしまって―――。

 時間が迫る中、いよいよこれが最後の質問となる。―――が、先に手を打ってきたのは理事長の方だった。

「今日の放課後はクラス代表を決める決闘があるみたいだけれど、心境はどうかな?」

「あ、理事長の耳にもこの話が通っていましたか。お恥ずかしいながら、そのようなことになりました。身内が相手を怒らせてしまって、その影響で決闘という形に落ち着きました。話によると、相手はイギリスの代表候補生とのことで―――」

「もしかして……、怖い?」

「―――はい」

 緊張感がある。胃が多少なりともキリキリと痛む。

「君は、何も心配することはない。これは私からのささやかな気持ちだ」

「ありがとうございます」

「そろそろ、時間かな?」

 ちらりとクラウンの方向に視線を流す。それを予知していたかのようにクラウンは時間を知らせる。まさに阿吽の呼吸だ。さすが親子。

「藤崎明日乃君。今日は楽しかったよ。私はこの後ここをしばらく留守にする予定だ。その際彼女をお任せするよ」

「あのぉ――どうしてクラウンと名前を呼ばないんですか?」

 先ほどから彼女の名前を呼ぶのは私だけなのだ。理事長は彼女やこの子とまるで名前を呼ぶことを避けているようだ。

「ふふっ。私たちはわけありでね。名前を呼ばなくても意思疎通が出来る。今はこれくらいしか言えないかな。もうちょっと親密度が上がればポロっと口走ってしまうかもしれないね」

 クススと、ジェイルが上品に笑う。

「分かりました。このような機会があればまた」

 私は席を立ち、チョコレート色のドアのノブを捻る。何事もないかのようにお辞儀をし、退出した。

 その際に理事長が手を振っていたが、不自然な場所に手を振っていたのが最後だった。

 

 

 藤崎明日乃がゆっくりと戸を閉め、しばらくが過ぎた理事長室はヴィククター親子の空間となっていた。

 しばらく沈黙が過ぎ、二人は口元を濡らすが、一向に会話が弾まない。これは稀なことではなく、日常から頻繁にある当たり前のことなのだ。

クラウンに父を恭しく思う気持などないはなく、単に苦手なだけだった。分かりやすく言えば反抗期なのだ。

父は何を考えているのか分からない人なのだが、その割にはよく目が行き届いている。それがなんだか嫌なのだ。監視されているみたいで。

「ところであの子は面白いね?藤崎明日乃君は!」

「それはどうも……!」

「あまり嬉しそうじゃないね?」

「いえ、嬉しいですわ」

「本当に?」

「本当ですわ」

 一方的に話を切ろうとするのがクラウンだった。この時ばかりはあまり楽しくない。

「釣れないね~~~」

「釣らないでください」

 抑揚のない言葉が彼女の口から放たれるが、会話がしたいジェイルには痛く、子供の嘘泣きをまねるようにジェイルは両手で握りこぶしを作り、眼のところに添える。そしてえーんと、声を上げ、必死にアピールするのだ。

(無視、無視―――)

 最初は無視をするクラウンは手頃な所に本があったため、それを手元に寄せ、ぺらぺらとページを捲って世界に集中する。

「えーん、えーん!!真紅が構ってくれないよ~~~!」

「なんでそこで本名出しますの!?」

「あっ、やっと返事をしてくれた♪」

 はあ―――と、深い深い溜息が肺いっぱいに吐きだされる。

 クラウン・ヴィクター。本名、不知火真紅「しらぬいしんく」―――。現在は分け合ってクラウンという名を使用しているが、こう構ってくれないときにだけ名を呼ぶ父が……嫌いだ。今はまだ語れないが、後にこの名を明日乃にも知られるだろう。その時に語るとしよう。

 父の名は不知火紡「しらぬいつむぐ」

 現在世界指名手配中の篠ノ之束と肩を並べられる唯一の男性だ。そして彼もその厄介人として指名手配中となっている。

 どうして、わざわざ名前まで変えたのかは知る由もなく、私は今まで平和的に過ごしてきた。しれずとも私の名前が付けられる頃に束は姿をくらまし、紡も後を絶つように姿を消した。最近では紡の死体が発見されたというニュースが耳に入ったが、隣でぴんぴんとしている彼の姿をみると、どこかで細工を施したと心中で笑うことがしばしばある。

 早い話であると彼のDNAと死体のDNAがあったことでこの件は幕を閉じ念願とおりになったということ。

 そこで第二の人生を歩んでいるが、そこでも異彩とまで称され、不知火紡の再来と世間から注目されることとなる。

「お父様。ですから、真紅はもういません!」

「いやいや、そこにいるではないか?」

「茶番はよしてください!?」

 パンと丸めた本を机に叩きつけるように置いた。軽やかな音がして、置いた本人も多少なりとも驚いていた。

「そう、気を立てないでおくれ?」

「私はあなたに話すようなことなどありませんわ!!」

 今度は踵を返し、この部屋を出ようとした。

 その時――――。

「また、君はISを乗ろうとしてるんじゃあないのかな?」

「ッ!!?」

 足を止め、すかさず父の方を射るように見つめた。その瞳には動揺と怒りが走っていた。

「なぜ、そのことを?!」

「私は君の親だよ?娘の考えていることも理解できなくては親失格だからね?」

「何を、綺麗事を!」

「綺麗事だね。でも、私は真紅の親だからね」

「―――できるだけ、その名前は世間に出さないでくださいね……。今見つかったら、ややこしいことになりますから」

「そこは弁えているよ。さぁ、真紅。親子会議を始めようか?」

 いつもの笑みとは違う、妖艶な笑みはこれから起こることの前兆を示している。もちろんジェイル以外誰も内容を知る者はいない。

 

 

二時限目の終了を告げる本鈴を聞いたのは、理事長室からかなり離れた、私の教室に近づいた時だった。それからものの数分で教室に辿り着いた。

教室のドアを開くと、騒がしかったクラスの中が蜘蛛の子を散らしたかのように静かになった。クラス中がドアの方向へ目線を集める。一点集中の的になったのは紛れもなく私だ。とんだ差別である。

目線には睨み、怯え、中には興味を持たずとも確認するものもいたが大概が私を見ていた。以前に何度かこのようなこともあったが、今日は何か違う。そう、私の感が訴えている。未だに見続けられている。

気にすることはなく、私は席に付き、どうしようもなく暇になったため天井を仰ぐ。

依然に緊張感は解けることはなく、沈黙を保ったままである。

(私がなんかしたんかね?)

 身に覚えはなく、頭中にいくつかの疑問符を浮かべる事になった。

 そして、沈黙を引き裂くように、金髪の少女は私の眼前に現れたのだ。

「この空気を作ったのはお前か?」

 目線はそのまま天井を見詰めた状態で、金髪の少女セシリアに問うた。

「なんのことかしら?身に覚え場ありませんわ?」

「そっ。ナラあんたは、いい度胸をしているな?―――セシリア・オルコット」

「あら、覚えてくださいましたの?あなたみたいな庶民にも」

「ああ。私は名前を覚えるのが、昔から苦手でな。出来れば、お前の名前なんて、覚える気は微塵もなかったけど、うちの妹が世話になっちまったから、仕方なく覚えてやっただけだ。むしろ感謝しろ。―――それと、にやついてんじゃあね……。気持ち悪いぞ?!」

「なっ!――なんと下品な言葉を。これだから極東の猿は嫌いですのよ!?」

「てめぇの個人的な感情で、先祖を語るな。―――なんだ、それだけを言いに来たわけか?」

 ハッと、鼻で笑う明日乃。

 目線を下ろし、セシリアに合わせると、彼女の顔は唇を歪ませていた。吊り目が更に吊りあがりもう少しでセシリアという原形を保てなくなりそうなぐらいになっていた。

 もともと、腰に手をつくのが癖らしく、引き絞まった容姿からモデルを彷彿させるが、モデルという言葉もこの時ばかりは地に落ちたものだと思えてしまう。

 我ながら喧嘩腰と来ているし、私らしくないといったら私らしくない。

「貴女みたいな野蛮人を好きに言わせておけば、言いたい放題ですわね!?」

「当たり前だろ?この空気を作ったのはおまえだろ?―――そもそもここはお前の領域じゃあないだろ?まだ学級委員は決まっていないのに早速指揮を執るってか?」

「ふん。貴方こそ眼障りですわ!―――学級委員はイギリス代表候補生のこの私、セシリア・オルコットですわ!」

 胸に手をついて、自己アピールをしてくる。その姿、舞台を演じる女優か何かだ。

「―――で、何が言いたいわけ?」

「簡単ですわ。放課後の決闘、私が勝つと言っていますの。―――そうね、もし貴女が勝ったら、貴女の望みを一つ聞きましょうか?この私が。まあ、勝てるわけないですけれど……」

 いちいち腹の立つ言い方をするなこの女は。

「じゃあ、あんたが勝ったら?」

「それはもちろん、貴女は眼障りですから、ここから消えてもらいましょうか?」

「つまり退学と?―――ハッ。面白い」

 セシリアの言葉にクラス中ざわめきが奔る。

 中には「どうして、こんなことに」「あれはまずいんじゃない?」「撤回してもらったら?」……などという若干引いた意見が耳に入るが、勢いで決してしまった決断に後に引く気などは毛頭ない。こういうピンチとチャンスの間を味わうのも悪くない。要は勝てばいい。負けのイメージはしない。

 実はこの時いや、それよりも前から気になっていたことがある。

 皆の眼がセシリアに向いていることをいいことに私はそれを見た。もちろんセシリアは勝手にしゃべっている。こういうときに助かる。さて―――

 私の席と隣の席のちょっと私よりに近いところにちょこんと膝を折る子がいた。

 髪は白い。それだけで検索が引っかかる。もしかして―――。

「お前―――久遠か?」

「……(こくこく)」

 誰かに聞こえるか聞こえない程度の声でその子に問うた。

何度か首肯をする久遠。

 初めて知った。―――実は昨日のあたりから彼女の存在に気づいていた――のだが、あまり怖いことが得意じゃあないので怖くて見て見ぬふりをして今まで過ごしていた。

 だから、理事長のあいさつに違和感を感じていたわけか。納得。それを思い出せたことですっきりした。

 どうして気がつかなかったかな、私のバカ!――内心で吠えた。

 クスクスと久遠は笑う。やはりクラウンに重なるものがある。――あの時質問しとけばよかった―――。いや、だってケーキが……。と、言いわけは後回しにして。

 じ――――――っと、射るように見つめる久遠に気がついた私はどうしたと小声で話す。

 特に眉を逆ハの字にして、雄弁に訴えているのだ、それを気がつかないほど鈍チンではない。

 私からの言葉を聞きとることはできるみたいだが、自分からものを言うことは出来ないみたいだ。それから何度かリアクションをしてもらった。

 頷く、傾げる、首を横に振るという少ないレパートリーを披露して見せたが、やはりジェスチャーで返すことが多い。どうしたものか―――後で考えよう。

 その時、袖を引っ張る久遠に反応し、何かを見つめていることに気がつく。そして久遠の目先を私は追う。

 私はギョッとした。

 視線の先はセシリアだった。

 既に彼女は怒髪天を迎えていた。喋ることもなく無言でこちらを射抜いていた。

 周囲は先ほどより状況が悪化していた。「こりゃあもう、おしまいだな」「あ~あ、喋ることなく一人減っちゃうのかな?」「燃えてきたわね?!」最後のはマンガの見過ぎだな。

 キ―ンコーンカンコーン。

 私とセシリアは、三時間目の本鈴を聞き、ハッとする。

 扉を抜けてきたのは織斑先生だった。次の授業は織斑先生の担当するものであった。

「いいこと?逃げるんじゃなくてよ?」

 逃げねえよっと―――。

 セシリアは一度髪をふぁさっと、手で靡かせる。どこまでお嬢様意識が高いんだか。

 その背を一瞥し、わたわたと急いで席に戻る生徒たちなどに目もくれず私は綾陽と火織の方をみた。

 私に気がついたのか、綾陽はすぐに背を向けてしまう。―――もしかしたら、今日が最後かもな。なんて。

 でも綾陽も心配してくれてるみたいだし、がんばんないとな?

 コクコクと久遠が首肯する。さり気なく頭を撫でてやる。触れるということに気がついた瞬間でもあった。

「―――心強い仲間がここに入る。なっ?」

 

 

 

 



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第二十三話 ダチになるために

 月曜の放課後。―――時は訪れた。

 私たち、明日乃とクラウンは第三アリーナ・Bピットにて、最終調整をしていた。――何の?ああ、作戦だよ。さ・く・せ・ん!

「藤村さん、藤村さん~~~!」

 そこに駆け足でやって来たのが、副担任の山田先生だ。その後ろを追うようにゆっくりと向かってきたのが織斑先生だった。

「そんな慌てなくても私はここにいますから。ね?」

「教員として、先に着いて待ってようかと思ったのですけど、無理でした……」

 息を整えながら、山田先生はそういう。走っている時の方がよっぽどハラハラしますよ。

「山田先生、HRが終わった瞬間に捕まってましたもんね?」

 遠くの方で聞いているに、今日の山田先生の授業にて、早速課題が出されたのだ。それがHR終了後にワッと、生徒たちの質問攻めが待っていて抜けだすことが出来ず仕舞い。―――思い通りに行かないのも教職の性というものである。見物していて大変だなと内心思うのだった。

 それから、開始時間前にわたわたとやって来て息を整えつつも談笑を交わしつつ、本台へと切り替わっていく。

「はい。切り上げるのに少し苦労しました」

「そろそろ、準備をしろ。藤崎」

「はい!」

 現実に戻す織斑先生の一喝。背筋が一瞬ビクッとした後に意識が現実に引き戻される。

 そして促されるように、私は久遠を起動させる。優しく撫で、深呼吸をして、行くぞと己に鼓舞をし―――そして、久遠が起動した。

 

 

 イヤ―フックからトクンと鼓動を感じたかと思えば、全身に薄い膜状な物が私を包み込む。展開までおよそ0.5秒。キラキラと輝く膨大な粒子は解き放たれたかのように周囲に散布され、感想を述べるより先にそれは結集して形を成し、久遠というIS本体を成していく。

 各種センサーに意識を接続し、世界の解像度が上がる。地面から身体が宙に浮く。十センチほど浮いていた。

 何事もなく、パラメーターも正常数値を表していた。気分は悪くないし、不具合もない。―――行ける!!

 一度瞬きをすると、山田先生とクラウン二人の感嘆が聞こえた。

 そちらに意識を向ける。眼は向ける必要が無い、なんたって全方向がハイパーセンサーを伝わって見えているから。だから見る必要はない。

「どうしました?」

 私は依然前を向いたまま、二人に話しかけると、綺麗ですねとかさすが明日乃という声が耳に入ってくる。

 深海を思わせるような深い青は、自身に本当にあっているのか正直不安だ。

 パーソナライズ、自動調節、フィッティング。それが久遠の弾き出した私色ということだ。

改めて自身のIS、久遠を見やると初期設定のままの凹凸機械染みたカクカクした設計は微塵もなく、それでいて流形、洗礼された美しい装甲へと切り替わっていた。思わず見惚れてしまうのも分かる。

「―――?!」

 一枚のウインドウが、何かを知らせる。

 

 ―――戦闘待機状態のISを確認。操縦者セシリア・オルコット。ISネーム【ブル―ティアーズ】戦闘タイプ・中距離射撃型。特殊装備有り―――。

 

 詰まる所、彼女を待たせているということだ。

「藤崎。身体の具合はどうだ?」

「大丈夫です」

「そうか、―――ここを使用出来るのは限りがあるから、気を付けろよ」

 織斑先生が一瞬、笑みを浮かべた気がしたが、気のせいだろう。あの人は笑っているより、ちょっと無愛想な顔の方がしっくりくる。

「明日乃……?」

「どうした?クラウン」

 人一倍緊張したかのような声音を発するクラウン。どこか落ち着かないのだろうか指をもじもじと弄んでいる。でも、彼女の気持ちは口にしなくとも分かる気がした。自身の直観てやつだ。

「行ってくるや……!」

「勝ってきて―――!」

「当たり前だっての!」

 さすがにそろそろゲートの方に向かわないと本気で怒られそうなので、前に姿勢を傾けるとふわっと、軽く前に進んだ。

 カタパルトに足を預け、歯を食いしばる。刹那、物凄い勢いで私はピット・ゲートから吐き出された。

 何かのアトラクションみたいでスカッとしたのだけれど、タイミングがうまく合わず、宙空で軽く、三回転したのち姿勢を整えセシリアに一言添えた。

「わるぃ。遅れた」

「デートなら帰ってましたわ!―――それにしても随分と派手な登場でしたけれど、パフォーマンスと捉えていいのかしら?」

「まぁ、ざっくりそんなとこ!」

 まったく痛いところをついてくる。

 それにしても癖の腰に手を当てるポーズは相変わらず、様になっている。それがまったくもって似合っているから嫉妬深い。

 満遍な笑みを浮かべたセシリアは皮肉気に口を滑らせた。

「てっきり、怖気づいて棄権したのかと思いましたわ」

「いいや、逃げねぇっての!―――てか、逃げたら退学だし、それこそ生き恥だ。だったら、気が乗らなくても、やるきゃっないでしょ?」

 ―――ブル―ティアーズ。鮮やかな青色をしたそれはそういう名前らしい。おまけに色が被っている(多分、あっちも同じこと考えている)。けれど、中世の鎧を彷彿させる。その端正な仕上がりからどこかの城に置いてあっても違和感はない気高さを感じる。

 まず目に着いたのが、推進器(スラスター)に値する位置に設けられた四つの突起。あれに怪しい匂いが漂っている。

 それと、二メートルはあろうか長大な銃器―――六七口径特殊レーザーライフル《スターライトMKⅢ》と検索が上がったライフルが特徴的であり、いつ射抜かれるか分からない緊張感が張り廻られている。もしかしたら、特集装備と謳っているそれはこれらの二つなのかも知れない。

 元々ISは宇宙での活動が前提とされているため、原則浮遊している。そのため使用する武器が身の丈を越えることはそう珍しくもない。

 試合に意識を戻すと、既にブザーは鳴っている。

 それなのにセシリアは撃ってこない。それどころか銃を下ろしている。

 なにか、話がありそうだ。そんな笑みを貼り付けている。

 セシリアはふふんと鼻を鳴らし、私の範疇通りの行動に出てきた。相変わらず腰に手を当て我もの顔でこう言ってきた。

「これがラストチャンスですわ!」

「一体何の?」

 純粋に分からなかった私はあっけらかんとした態度で聞き返した。

「鈍いにもほどがありますわ!―――ううんっ!!今ここで降参すれば、私の僕として―――」

「嫌だね。意見は変えない主義なんでね」

「とことこん食えない人ですわね?!」

 交渉決裂と言わんばかりのすっかり呆れた表情で溜息を一つ吐き出す。仕方なくではないが、ゆっくりと銃口が持ち上がって、私を狙う。

 

 ―――警告!敵IS射撃体勢にに移行。トリガー確認。初弾エネルギー装填。

 

 刹那、耳を劈くような音がした後、それは一瞬にてこちらを射抜く。

 アリーナは直径二百メートル。レーザーがこちらに届くまでおよそ0.4秒。

 私は身を捻って回避。その流れた初弾は今まで私がいたところを貫く。

 それを見送ると同時に二発、三発と紙一重で避けていく。それでも、セシリアは痛いところを的確に狙って来ていた。

「へぇ、今の攻撃を良く避けれましたわね?」

 関心の念が籠った一声だった。まるでこの数発で幾人が倒れてきたのだろうと推察することが出来るものだった。

「もしかして、ビビってんのか?」

「ビビってなどいませんわ!――ふん、むしろこうでなくては!」

 ムキなったセシリアは、推進器(スラスター)に着いていた突起を排出。四つの突起がこちらを狙う。

 放たれる射撃の雨。辛うじて、反応は追い付いている。

 曲芸交じりの回避運動は、未だにダメージを私に与えない。

 青いレーザーが網のように張り廻られ、行動に制限をかける。すかさず、空いたスペースに身を捻じらすように回避。

「素敵ですわよ!―――踊りなさい。躍りなさい。この私、セシリア・オルコットの奏でる円舞曲で!!」

「ああ、躍りきってやんよ!!」

 私の放った威勢のいい声にセシリアは口角を不敵に吊りあがらせるのだった。

 

 

「あら?少し動きに切れが無くなって来ていますわよ?」

「くっ……、うっさい!!」

 射撃。射撃の弾雨が降ってくる。

 私は未だに持ち前の武器を呼び出し(コール)しておらず、素手で戦闘に臨んでいた。

 生憎と相手側の方の隙が見当たらない。一つを狙うとすると、もう一つがカバーし、補っている。それが四器分ときたら、しんどい。

 何より驚いているのが、あの突起もといフィン・アーマーの先端に銃器が仕込まれているということだ。《スターライトMKⅢ》よりか発射時の音声が低いが、音の波長からするに同じような特殊なものなのだろう。いずれかはそれに当たる。

 けれど、絶対防御と呼ばれる能力が必ずしもISには備わっている。とりわけ、ダメージを受けてしまっても死ぬようなケースはなく、命の保証はついてくる。その代わり、もしそれが発動したら、大幅なダメージを喰らってしまうということ。操縦者を守るというわけなのだが、その判断をするのはやはりIS自身というわけなのだが。

「さあ、もっと激しく!躍るのですわ!!」

「ふっざけんなァ!!」

 怒号を吐く捨て、無茶な加速をして見せた私は、レーザーの雨から掻い潜り抜け、眼前にセシリアの姿を収めたと同時に、更に距離を詰めるのだ。これにまでないくらい近づき、渾身の右ストレートを食らわす!

 セシリアより速く!もっと速く!

 その一撃は彼女の握る《スターライトMKⅢ》を貫いた。

 彼女がとっさの判断で撃とうと銃口をこちらに向けたところに私の拳が貫いてしまったのだ。青い稲妻が走り、セシリアはすかさず手を離し、早急にバックステップで私との距離を稼いだ。

 ぶんと腕を振り回し、貫いた銃を遠心力で抜き取ると一秒後に爆ぜた。

 背中に爆発の衝撃を感じる前に推進器(スラスター)全開で再び距離を詰める。

 二度目の右ストレートが、彼女の血相を著しく変化させた。

 前後に二器ずつフィン・アーマーは構えていた。けれど、撃ってはこなかった。もし私が回避をしたら、自身に当たると計算したのだろう。

 私は勢いを殺さず、そのまま打突。吸い込まれるようにブル―ティアーズに右ストレートが炸裂した。その刹那堅い何かが立ちはだかる。膜状の断面が氷みたいに堅いそれは絶対防御ではないかと私は考える。だが、殺しきれなかった勢いはセシリアを少し飛ばした。その情報が一瞬途絶えたところにフィン・アーマーを潰しにいく。

 後方の二器を潰し、前方の二器はセシリアについて行く。

 こちらの方が優勢だ。このままいけば勝てる。

 放たれるレーザーをいとも簡単に避けてみせ、回転蹴りの要領で、もう一器潰す。

 ゴゥと、腹に響くような音だ。残りは一器。ブルーティアーズに残る装備はそれだけだろう。

 ―――ブル―ティアーズ……。特殊装備は《スターライトMKⅢ》だけなのだろうか?

 あの宙空に浮かぶフィン・アーマー。あれは、何なのだろう。もしかしたらあれも特殊装備なのかもしれない。特に《スターライトMKⅢ》と似たような波長を感じた。だとしたら、あのフィン・アーマーに名前が付いていてもおかしくないような気がする。

 後付装備を主とするのが第三世代。だとすればあのフィン・アーマーは第三世代の実戦投入初めてということだと判断できる。初めての試みだから名前を付けたってことか……ややこしい。

「おい、セシリア」

「な、なんですの?」

「さっき飛んでたのって、もしかしてブルーティアーズって名前の特殊装備か?」

「それが……?あなたには関係ありませんわ!」

「いいや、答え合わせだよ?――気になったから聞いたんだ」

「まあ、その通りですわ」

「それにしても、実戦投入器に名前つけるのも滑稽だよな」

 ぶふっと、吹き出す私。

「調子に乗るなですわ!!」

 再び、彼女を逆撫でしてしまったらしい。相変わらず挑発的で困るな、我ながら。

 残り一器が切羽詰まりながらも臨戦していた。避けるのも容易い。まるで赤子の手を捻るように。

 三度、これで決める。

 失速。失速。失速。とことん速度を落としあえて、的になることでフィン・アーマーに自身を見せつける。

 これでは相手の良いように的になっている。どうぞ撃って下さいと言っているようなものだ。

「いただきますわ!」

 食いついてきた!

 フィン・アーマーとの距離は二十メートル。一気に駆ければ確実に倒せる。

 チャンスは撃つ時。銃口が青白く発光するその一瞬に。賭ける

 その時は来た。

 標準を合わせ、青白く発光。

 今だ!!

 上昇を図る。一秒後に発射され、レーザーの一糸が刻まれる。

 ゴンと、フィン・アーマーの上に立ち、踏み台のようにワンクッションを置く、加速の波に乗った明日乃。前には障害物が無い。これは千万一隅のチャンス。

「あっ!?―――なんて、ブルーティアーズは四器だけではないですのよ!」

「なにっ!?」

 一瞬の油断。慢性は戦いの後に生まれるもの。その緊張がほどけた時、すなわち今ということだ。これで終わると、頭の中で安堵をしてしまったこの時に生まれてしまった。

 ブル―ティアーズの腰部がマウントする。ヴンッと、銀色の突起が現れた!

 突起から顔を出したのは、レーザーではなかった。―――弾道型(ミサイル)だ。

 初めての後退。けれど、私の反応よりもそれは早く、逃げることを許さなかった。

 

 ドドォォォォオオオオンンン!!!!

 

 爆発。白から黒の黒煙が盛大に舞い上がり、セシリア、明日乃の視界を存分に奪った。

 

「やりましたの……?」

 少しずつ、黒煙が晴れつつある、セシリアは固唾を飲み晴れるのを、半分の期待、半分の恐怖で見守っていた。ブザーは鳴っていない。ということは試合はまだ―――。

「終わってないよ?」

「そうでしょうね―――?予想は付いていましたわ?」

「そりゃあ、有りがたいね」

 明日乃が作り笑顔を浮かべ、セシリアにその笑みを張り付ける。

 そして、彼女は手に大きな剣を握っていた。

 機体を隠せるほどの幅を併せ持つ一・六メートルの大剣。それを盾のように構え、今の攻撃を完全にガードして見せた。

「それが、あなたの武器ですの……?」

「ああ。そうだ」

 言下の後に、一閃。空を切る。そして、肩に落ち着かせる。

「風花―――これの名前らしい。素敵だろ?」

 驚きの顔が隠せていないセシリア。

「あれ、素敵じゃあない―――?」

 小首を傾げ、セシリアに問うたが返事が無い。―――どうして?

「そんな……私のすべてをもっても貴女を倒せないなんて―――!!」

「いや、あんたはすげぇと思う。私の信念を曲げたから。ほんとは今回の戦いでこれを使う気なんてなかったんだけど、これを使わせるきっかけをあんたはしっかりと達成したんだよ」

「貴女みたいな……野蛮人が……考えることなんて………理解できませんわ!!!」

 銀色の突起が再びマウントする。そして数多に発射された弾道弾は容赦なく私に振って掛かる。けれど、風花があれば―――。

 明日乃は正面に構え直し、一呼吸おいて一閃。

 数多の弾道弾が、次々と両断されていく。明日乃には軌道が全て見えていた。そして流れるように剣を振るっていく。唯それだけで、両断された弾道弾は慣性に従い、明日乃を避けるようにして爆散していく。

「今は、分からないかもしれない。けれど、ここにいれば、分かるようになるさ!―――人を見下すようなことさえ、疑わなければ、人は応えてくれる。自分の気持ちに正直と」

 だから、と明日乃は続ける。

「だから、私はお前、セシリア・オルコットとダチになるため、お前に勝たなくちゃあだめなんだよ!!」

 

 ――――オオォォォォォォォオォ!!!

 

 セシリアの空いた懐に滑り込み、横薙ぎを一つ、その勢いを殺さず止めの逆袈裟切りを風花をわき腹から肩にかけて放つ―――明日乃の思いを乗せた、一撃がセシリアを切り抜けた 

 再度、絶対防御が作動し、膜状のバリアがセシリアを守るように展開された。風花によってそれが絡め取られていく。

わき腹から肩を滑るように流れた一撃が決め手となった。

 

 

 ―――試合終了。勝者、藤崎明日乃―――。

 

 

試合終了のブザーが鳴り響くと同時にギャラリーが沸いた。黄色い声の拍手喝采が明日乃にははっきりと聞こえていた。

試合終了の一声。不思議と落ち着いている。けれど、不思議と胸がはずんでいる。

あまり胸を張って、喜べないが結果として私の勝ちだ。これで、ここから抜けなくていいみたいだ。私は安堵の息を盛大に吐き出し、天を仰いだ。

 



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第二十四話 彼女の瞳

 

 

 ブザーが鳴り響いてから、手元に重力を感じていた。

 手元を見やると、彼女―――セシリア・オルコットが項垂れていた。

「セシリア!!」

 思わず、声を張り上げてしまった。注意力が足りないのがよくわかった。どうりで視界に入らなかったわけだ。もうちょっと、遅れていたら危なかった。

 顔を正面に向け直すと、セシリアは目を瞑っていた。ブル―ティアーズは待機状態になっており、彼女はパイロットスーツのみの格好となっていた。

 抱っこをするが、どれもしっくりとこない。―――ならばと思い、明日乃はいっそのことお姫様抱っこをしてみる。そのまま、地上に高度落としていき、私も久遠を待機状態にすると無重力からの開放から着地すると同時に思ってもみない程の重力を身体が受けた。

 一瞬、セシリアを落としそうになったが、そこは気合いで持ち直した。

 こんなにも慣れ親しんだものが、まさかのラスボスみたいな立ち位置となるのは人生の経験上初めてだ。

 ようやく、誰かがこちらに走ってくる。

「藤村さ~~~~ん!」

 声の主は、誰でもなく山田先生だった。それとクラウンもセットのようだ。後方を走っていたのだが、等々抜いてしまった。私は思わず苦笑。

「明日乃ッ!?」

「っは、クラウン。先生抜いちゃあ駄目だろ?」

「あはは……」

 クラウンも薄幸そうな笑みを浮かべた。

「藤崎さん――――はぁはぁ……セ、……シリアさんは?」

「先生頑張り過ぎ!」

 ようやく追いついた山田先生に労わった一言を添えた。

「ああ、セシリアは私が保健室に連れてきますよ?」

「本当ですか?」

「あ、はい。―――あ、そうだった」

 何かを思い出したかのように明日乃は真耶に訪ねた。

「この後って、なにか集まりますか?」

「いえ、私たちもこれから職員会議がありますので、本日は解散で……」

「てことは、後日ってことですか?」

 そうなりますねと見ているほうが気持ち良くなるような山田先生の極上の笑みを受け、どきりとした。

 私はAピットから、一言挨拶し、後ずさるように踵を返した。山田先生はBピットからとぼとぼと消えていった。

 クラウンは先に部屋に戻っててという指示に首を縦に頷かせ、山田先生と同じくBピットに消えていった。

 なぜ、Aピットを選んだのかは単純に保健室がこちらの方が近いからだ。

 セシリアを起こさないように細心の注意をしながら、私は保健室までの路を歩むのだ。

「かわいい、寝顔しやがって―――!」

 一つ文句を吐いたが、これはいい意味でのいわゆる褒め言葉だ。

 

 

「それにしても、セシリアのやつ。軽いな」

 第三アリーナから伝わる痛い気を掻い潜り抜け、保健室への路を歩んでいる。

 薄暗い廊下だ。外は夕焼け色だが、残念なことにこちらには日が入ってこない。電気を付ければ話は早いのだが、こう電気のスイッチがどこにあるのか分からなかった。こう言うのに限って、廊下の端っこに設けられているんだ。

 それよりもセシリアだ。私の手の中で収まるセシリアは本当にお嬢様といっても過言ではない。もしかしたらそうかもしれない。

 伏せられた双眸、小さい寝息、化粧品か何かの甘い香り。どれをとっても私はかないそうにないな。それくらい起きている時と寝ている時のセシリアの印象は違うものだった。別に起きているセシリアが嫌いというわけではない。ギャップというやつだ。それに少したじろっただけ。

 セシリアの瞼が何度かぴくぴくっと力が入る。それからゆっくりと青色の双眸を開かせた。寝ぼけ眼が辺りを一周。この姿勢に気付かず、不思議そうに観察に勤しむ。

 腕の中で何度か動くとようやく私に気がついたのか、こちらを一瞥。

「あんま、動くと落ちるぞ?」

「………」

「セシリア?」

「………」

 私に興味があるのかそれとも寝ぼけているのか分からないが、セシリアは私を凝視した。私は思わず、歩みを止めて硬直した。

「あなた……どこかで見たことのある顔ですね?」

「おいおい、私だよ、藤崎明日乃!――忘れちまったのかよ?」

「―――!、あすの……?」

 訝しげな表情から一変、何かを思い出したかのような顔をしたかと思えば、また顔が難しい顔になってしまった。

 セシリアは首をぐいーーーーーーっと、横に傾ける。釣られて私もぐいーーーっと、傾けてしまうが、彼女に変化はおろかこの状況を楽しんでいるように私の瞳には映った。

 もしかしたら一時的に記憶を失っているのかもしれない。となると、それは風花のあの一撃に何かあるのかもしれない。

「あすの?―――どうしてそんな顔をするの?」

「えっ……?」

 そこで意識が現実に引き戻され、自分の現状を知らされる。要するに私が怖い顔をしていたということだ。ついつい悪い方向へ話を傾けてしまった。少し自重しなくては。

「ありがとう。セシリア……」

「あすの、元気出して?」

「あの、セシリア?―――君の頭の天辺あたりにあるドアを引いてくれないかな?」

「はーい」

 元気のいい返事をし、片手でドアをスライドさせた。

 まず目に入ったのが藍色と夕焼け色を混ぜたかのような空が透明ガラス越しから覗く事が出来た。

「きれい――。きれいだね?あすの」

「ああ、とってもね」

 腕に収まるセシリアが一言感想を述べた。声もそれとなく高く本当に驚いているようだ。

私もそれに共感できる。藍色と夕焼け色の二色のコントラストが混ざることで描き出される芸術的な絵は当たり前のように見てきたこの時でさえ、再び関心を湧かせるものだった。セシリアがそういうことで私も首肯することが出来た。これにはセシリアにお礼を言わなくては。

 先生の名を呼ぶも反応が無い。いないのかな?

 とりあえず、セシリアを近くに空いたベッドに下ろす。

「よいしょっと」

「ありがとう。あすの?―――でも私どうして寝てたの?」

「私とセシリアは戦ってたんだ、学級委員ってやつを決めるためにさ」

「がっきゅういいん?」

 小首を傾げるセシリア。この時私はどこまで彼女は記憶を無くしたのだろう?と、考えてしまった。

「そこまで、忘れてるのか……?」

「?」

「ああ、ごめんごめん。こっちの話」

 何から順に追って話せばいいんだ?――――この学園のことからか?いやいや急には難しいだろ!?―――私たちの間柄か?―――決闘仲間だな。いやいやいや。それもどうかと思うな……。なにから、話したらいいんだよ。

 思わず手を頭に着いて嘆きたい気持ちになった。でも、それが出来ないので、内心で激しく叫んだ。

「よし、順に君がここにいる理由について話していくから、良く聞くんだぞ?」

「うん!」

 セシリアは首肯する。それを皮切りに私はセシリアについて話し始めた。

 その話は夜の帳がどっぷり浸かるまで掛かったそうな。

 

 

「ふ・じ・さ・き、あ・す・の」

 疲れた素振りを見せずに保健室を退出していった明日乃。その前に保健室の先生、入谷(いりや)が帰って来た事で、明日乃はセシリアの様態を簡潔にまとめ、入谷に肩を叩かれていたが、内容そのものはセシリアには届いていなかった。

 最後に、頭を軽く撫でられ、また明日な。と、一言残して消えていった。

 今はデスクに向かう入谷の姿と、空調を整えるために空けた窓ガラスから入ってくるまだ肌寒い風のみだった。

 急に寂しくなり、彼女の名前を一字ずつ唇を震わせながら、声に出していく。出来るだけ入谷に聞こえない程度の声量で挑戦してみる。

 ぽっかりと空いた隙間に明日乃という文字がはまっていく。この気持ちは何だろう?落ち着くっていうのかな?心が満たされていく、というのもある。この幸福感は一体。

 胸が高鳴る。息をまともにさせぬほど苦しい。つい胸に手を当て心拍数を測るのだ。―――ドクンドクンドクン。心の臓は早鐘を鳴らしていた。今までにないくらいの不可思議な現象に身が震えた。

 意識をすると尚胸が苦しくなる。これは一体なんなのだろう。今の浅知恵では到底導き出すことのできないものであった。数学の公式よりも難しく、その正体を知ると尚苦しくなるものだ。

 なるべく入谷に悟られずに、足をパタパタしてみたり、コロコロ転がって見たり、とかく忙しなく動き回ることで落ち着きを得ろうとしていたのかそうでないのかは本人のみぞ知る。それほど、明日乃と明日というのが待ち切れなかった。―――というより明日ってなんなのだろう?お菓子かな?という陳腐な発想が彼女の頭を支配していた。

 そこにデスクワークを済ませた入谷が肩をコキコキと鳴らしながら、興味無さ気に問うてきた。抑揚など無く、言葉では感情を読み取ることが出来ないのに対し、表情も眠そうに眼を半分開けている程度で、謎という言葉が似合いそうな人だった。

「ごきげんだね……。なにか良いことでもあったのかい?」

「うん!……ねぇ~~入谷~~~」

「ん?―――なんだい」

「明日とはなにぃ?」

 ああ、と手慣れたように入谷はハスキーがかった声音で説明をしだした。

 入谷は甥っ子が遊びに来たかのような扱いをして、セシリアとの時間を潰した。もちろん明日乃から聞いたことを元に導きだした答えだった。―――そのあとは彼女、セシリアが眠りに着くまで傍にいてやった。

 

 

 ―――コンコン。

 

 

 夕焼け色の空が理事長室を赤く染める頃、一つの渇いたノック音が静寂を破った。

「ど~~ぞ~~」

 ジェイルはいつもの快活そうな声を上げ、ドアを鳴らした主を入るよう促した。

 それは躊躇いもなくノブを捻り、当たり前のように、まるで自室にでも戻るかのような自然さを醸し出しながらも、丁寧な振る前を忘れることはなく、パタンとドアを閉めた。

「やぁ、待ってたよ?」

「失礼します」

 ジェイルは窓に張り付き、クラウンのことなどを全く視界に入れていなかった。純白なスーツは夕焼け色が反映して赤く染まったような幻惑を受け、その姿は実に無気味であった。

「用件は―――藤崎明日乃の使用する久遠についてですよね?」

 少しうんざりしたような声音の主は紛れもなくクラウンであった。

 にぃと振り向くジェイルの顔も返り血を浴びたかのように深紅に染まっていたがけしてクラウンは臆することはなかった。

なぜなら、父が悪戯好きにも程があるからだ。これもすべて彼の計算通りということだろう。だから、尚疲れるというわけで、先に顔に出してまった。

「クラウン。どうしてそんな辛気臭い顔をしているんだい?笑いなよ?ほら?」

 そう言い、ジェイルは自身の口の端を上に押し上げ、笑顔を作る。

「早く帰りたいのですが……。とりあえずそちらに試合の映像を添付したのを送らせてもらいましたが、拝見なされましたか?」

「クラウン。そんなに堅くならなくていい。もっと、柔らかく。ソフトにソフトに!!」

「―――」

「母さんの時は常に笑ってたくせに。どうして私の前では……」

「お母様は関係ありません。これは生まれつきです」

「―――まあ、いいや。試合の映像は確かに拝見させてもらったよ。彼女は―――」

 ジェイルはデスクにつき、頬杖をついてパソコンのディスプレイを流す。

 そこには放課後に撮影された試合の映像が流れていた。もちろん明日乃の試合だ。

「大変興味深い。―――が、まだ歩きだしたばかりだ」

「私も同感ですが、セシリアを破ったのはまぐれではないかと」

「そんなこと分かってるよ。いやまぁ、あんな世代が違うのに負けるわけないし…。多分……いや、確実に強くなるね。明日乃君―――それと君も」

「何を言っているのですか?理事長」

 デスクに頬杖をついたままだがジェイルはリズムをとっていた。それもとても楽しそうに。表情はこのあとも何があっても絶対に変えることはないだろう。現に眼を細め睨みつけるクラウンが眼前にいるのだから。

「文字どおりだよ?」

 

―――コンコン。

 

 それはこの時を満に持したかのように、唐突にやって来た。

 口角を吊りあげ、喉の奥で笑うジェイル。この時、クラウンは背筋に何かが走った。

「入りたまえ!」

 一拍置き、ドアが抵抗なく開く。

「失礼します。理事長殿」

「君まで、畏まらないでくれよ。ははは」

「すみません。これが営業スタイルですので……。父さん」

 部屋に入って来たのはスーツがよく似合う女性であり、クラウンのよく知る人でもあった。

「お姉さま!?」

 不知火(しらぬい)星羅(せいら)。クラウンもとい真紅の姉にあたる存在だ。

 現在はヴィクター社に席を置き、IS関係の仕事に携わっているが、実際日本にはおらず世界を股にかけるエリートといったところなのだ。だから突然帰ってきたり、こうしてわざわざここに顔を出したりするのだ。そしてすぐにいなくなってしまう。神出鬼没という言葉が似合う人で、それが定番だ。

 漆黒のジャケットに袖を通し、スラリと伸びた足にパンツがよく似合う。カツカツとヒールの足音を響かせながらジェイルの元まで距離を詰める。

 灼熱を彷彿させるその髪はよく目立ち、一つの房に纏めてある。そのためか清潔感を醸し出している。端正な顔立ちは人目を釘付けにするだろう。情のある瞳は強い信念を燃やす。そこに私は強い信頼感を得ている。姉としてもあるのだが、人生の先輩としてもだ。

「やあ、真紅。元気にしてたかい?」

「はい!―――姉さまは?」

「積もる話もしたいところだが……悪い、先に父さんに話がある。それからだ」

「じゃあ、私は……」

「いいや。真紅もここにいてくれ」

「はい。わかりました……」

 そう言いクラウンから視線を外し、肩に掛けたカバンから茶封筒を出して見せた。

 A4サイズの厚みのある封筒だった。

「うん。これが例の?」

「はい。報告書です」

 どれどれと、早速封筒の中身に食らいついたジェイルから笑顔が控えめになった。それほど大事なことなのだろうかとクラウンも渋い顔となった。もちろん姉も。

 パラパラと紙が擦れる音のみで未だに静寂の時間が続いていた。読み始めてから十分が経とうとしていたが、クラウンからすればこの時間がとても長く感じられた。まるで自分が提出した企画書かのように。それほど身近に感じ取ることが出来た。

「―――うん。なるほどね。第四世代の試験は順調みたいだね?よかったよかった」

「はい。喜んでもらえてよかったです。」

「まあ、経過報告としてちょくちょく連絡は貰ってたし、そこまで驚く事はないかな」

 再びジェイルは頬杖をつき、にぃと笑顔を張り付けた。それと同時に二人の糸も和らいだ。特にクラウンはジェイルの見えるところで胸をなでおろした。

「で、その試験パイロットなのですが……」

(試験パイロット?)

 クラウンの思考の中で、試験パイロットというワードが引っかかった。

 以前、姉がその仕事にも携わっていたからだ。今は忙しいということもあり、違う人―――つまり時々私が駆り出されるわけで―――に任せているみたいだが、今回はそうではないらしい。面立ちも十分に恐いし、声も少し震えている。よっぽど重要な作業ということだろうとクラウンは悟った。

「試験パイロット?」

「ああ、今制作中の第四世代の試験パイロットを探しているのだが、いかんせん我がグループにはそこまでの逸材が存在しなくてね。困っているんだ」

 そこで、と星羅が続ける。

「真紅さえよければ、手伝ってほしい」

「私は……」

「苦い思い出があるのは分かる。それでも君が必要なんだ」

「そう言っているんだけど、クラウンはどうする?どうしたい?」

「私は、ISにならないと決めてます。あの日をさかえにそう決めました」

「冷徹の歌姫【プリンセス】だっけ?かわいいじゃあないか」

「はい。その名の通りです。―――もう恐いのです。正直」

 無意識に震える手手を見つめながら、そう告げた。姉は曇り、父は飄々としていた。

「でも、君はいつかそれを強く欲する時が来る。―――まあ、その時まで私が温めておこうかな?―――他に代理にできそうなのはいるかな?」

「はい、こうなるとわ――――」

「すみません」

 クラウンは二人の会話の間に割って入り、一度深々と礼を済ませ、踵を返し部屋から出て行った。

 一度は星羅も止めに入ろうとしたのだが、ヴィクターが首を横に振ったことで、指示通りに見送った。

「あ……」

 ぼそりと、星羅が呟く。手を伸ばしたのにそれを掴むことが出来なかった。

 クラウンは顔を下げ、前髪が影となり、表情が読み取ることが出来なかったが、星羅にはあの顔が沈んでいるように見えてしょうがなかった。

「あれでいい、彼女は。ところで藤崎夫婦はどうしてるかね?」

 父は冷たく切り離すが、今は何を言っても意味が無いだろう。そして話題を変えるように促す。

「二人ともぴんぴんしてますよ」

「そうか、ならいい」

 疑問符を浮かべ、星羅はジェイルに問うてみた。

「もしかして明日乃ちゃんのことですか?」

「ああ、一度親子の時間を与えなくては、そろそろ彼女も会いたそうにしてるしね。―――ここまでの褒美としてね」

「ふふ。父さん。そういうこところは相変わらず変わってませんね」

「変わる必要はないのさ。それより星羅はここにどれくらいいるのかな?」

「そうですね、ざっと二日間といったところでしょうか♪」

 星羅は人差し指を立て、少し得意げに申した。それとどこか頬が紅潮して、上に吊り上がっていた。

「ほどほどにね」

 短く言葉を切り、くるりと椅子を回し、外に張り付いた。

 昔から星羅がご機嫌の時は、大抵妹の真紅にべったりなのだ。だから、突然彼女の前に連絡なしで現れるのは妹の驚く顔が見たいからでもあり、父親譲りの精神が強いからである。

 そんな姿を見ているのも気持ちが悪いとジェイルは視線を逸らし、短く告げる。

「クラウンの部屋は、明日乃君と同じだ」

 案の定、くねくねと身をよじらせていた星羅の姿はそれはそれは気持ちが悪かった。もしこの光景を誰かが今見たとすれば、ドン引きだろうし、こうインプットするだろう。仕事のできる人は皆変態だ!と。彼女は残念ながら、知らない国民はいない。いや、全世界でこの人を知らない者はいないと置き変えた方がいいのだろう。深いことは言えないが彼女は有名人だからだ。

「ところで、明日乃ちゃんと同じということは。相部屋で解釈していいのかな?」

「ああ。君にも好都合だろう。好きにしていい。私が許可をする。けれど、ちゃんと人型にして返してね?」

「分かってますよ♪」

 はぁはぁと荒い息を吐きながら、身をよじることを止めない星羅は極上の笑みを顔面に張り付けていた。依然ジェイルは外に張り付きぱなしだったが。

「では、真紅の方に行ってきます!」

 ピシと敬礼を決めて、スキップしながら退出する星羅の姿を尻目に、ひらひらと手を煽るジェイルは、どこで成長過程を間違えたのかなと、一人薄く感じ取っていた。

 パタンと扉が閉まりきったと同時にくるりと反転。デスクに頬杖をついた。

「今日はお客様が多いねぇ~~~」

 そのジェイルの声に応答はない。

 再び始まる沈黙。十メートル未満の二人の距離は詰まるの一言だ。

 恍惚そうな瞳を晒し、ジェイルは本日最大級の笑顔を浮かべる。線のように細くなったその瞳がそれを射とめる。

 漆黒のドレスを身に纏い。輝く白銀の癖っ毛交じりのボブカット。印象に受けるのが夜だ。

 その子が、沈黙の圧に押し潰されることもなく、ジェイルを凝視していた。くりくりとした宝石のような瞳がジッと見つめている。

「喋れないんだよね~~~」

 こてんと首を傾け、残念そうな視線を向けた。その子も同じくこてんと首を傾けた。

 やってなすことはかわいいのだが、言語がほしい!喋ってほしい!ぜひとも声を吹きこみたい!―――押さえきれぬ悶々とした気持ちが爆発しそうになり、デスクの上で激しく転がり、鎮静化を図るがむしろ逆効果。もっと妄想が膨らむばかりで、この気持ちが収まらない!!!!!!

「ぜひとも、今すぐやろう!!!いいね!!?」

 ビシッと、その子がいた場所は指す。―――が、そこには何もなく、ジェイルは眼を何度もぱちくりさせた。思わず立ってしまった自分が少し恥ずかしい。次第と気持ちが落ち着き始めて、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。そして先ほどと同様にデスクに頬杖をついた。

 その子は、あらかじめこうなることを推測していたのだろう。ちょくちょく遊びに来るので自然と学んでしまったのかもしれない。前まではここにずっといたのにな―――と頬を膨らませながらジェイルがぼやく。

 盛大に溜息を吐きだし、天を仰ぐ。

「明日乃君、声欲しいとか言わないかな―――」

 

 

 彼女の名は久遠。

 現在のパイロット兼パートナー。藤崎明日乃………。

 

 

 



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第二十五話 はーい。私がクラウンの姉でーす

 

 

「ただいま~…」

「おかえりなさい。明日乃♪」

「うわぁ!!急に飛びついてくるなって!!危ないだろ?」

「いいじゃあ、ありませんか?」

 私が部屋に戻るころには、すっかり日も暮れ、夜の帳が降りていた。

 待ち構えていたのかクラウンが、ドアを開けるやいなや飛びついて来た。――今までこんなことなかったのに一体どうして?――それと、彼女が飛びついて来た位置がちょうど臍のあたりで私はおぅと声をあげてしまう。

 この自然と部屋に戻る感じを私は当たり前のようにしていた。まるで自室にでも戻るかのように。

 それよりも腹をガシッとロックしたクラウンの様子の方が今は何よりも大事だ。

「なにか、嫌なことでもあった?聞くよ?」

「……」

「おいおい。言わないとこれ(抱きつきのことね)剥がすぞ?」

 更にギュッと、腕が絞まる。その度にわき腹が絞まる。

 珍しいことをする時は大抵、なにかがあったという。理由は気を晴らすためだ。

 声は漏れるが、けして痛くはなかった。すっかり、黙り込んだクラウンを剥がすことを止め、とりあえずドアは―――閉めていた。

(気が動転してるな……)

 思わず苦笑。

 しばらくこの状態が続き、彼女が落ち着くまで頭を撫でたり、背中をさすってみたり、人が落ち着くであろういくつかの行動をしてみた。

 そろそろかなっと明日乃が考えていると、突然左腕のジャケットが何者かによって引っ張られた気がした。否、確実にそれは引っ張られていた。

「?」

 反射的に左側を見やった。そこには裾を何度も引っ張る久遠が佇んでいた。しっかりとした引きに腕が持ってかれそうになる。おまけに身体はロックされているし……。とりあえず、今動けるのは表情筋のみだった。待って、待ってと強く念を表情に込める。

 すると、伝わったのか彼女もなにかジェスチャーで返してきた。―――よし、久遠の通りにしてみよう。

「そ、そうだ!クラウン。腹減ってないか?」

 久遠の出した指示がこれだった。

 腹のあたりで、何度か円を描くように擦ってみせた。つまり言葉にしたように腹が減ったというサインであった。その数秒後に腹が鳴った。

 久遠は話せない代わりにサインもといジェスチャーが多彩である。大体は一目見て分かるものが多い。それに表情でも読み取ることも可能で非常に助かるの言葉に尽きる。

「はい!ぺこぺこですわ!!」

 今日のクラウン変だなっと、私は笑ってしまう。

「うおぅ!!?私の妹がそんなに懐いているの久しぶりに見たァ!!」

「えっ?」

「おお、おねえさまぁ~~~~~!?」

「ええ、えっ~~~~!!!??」

 突然ドアを開けて何かを叫ばれることよりも、覗いている人が実の姉ってことを聞かされた方が何よりの驚愕な事であった。

 私は思わず二度三度左右を見返してしまい、つい声をあげてしまった。しかも周りが何事っと、野次馬が湧くくらいに。

 

 

「へぇ~~~。君が藤崎明日乃君か~~」

「えっ、あっ、はい。明日乃です……」

 場所は変わって、食堂。

先ほどは周囲に野次馬が湧きに湧くという事態を生んでしまい、一歩間違えれば、こっぴどく言われるので、速いところズラを刈り、食堂に逃げ込んだ。ちょうど腹もすいていたところもあるのと、食事中に話が済めばいいかなってというノリで訪れた。現在各々の食事が済み、食後のお茶を啜って、談笑としゃれこんでいる。

 席の配順は前にクラウンのお姉さん。左にクラウンが来ていた。

 先に食いついてきたのはお姉さんの方だった。恍惚そうな瞳を浮かべ、あれやこれやとどっちかというと事情徴収みたいな感じで時は流れていく。

「ところで、姉さまはどうして部屋の方に?」

「いやぁ、妹のことが心配でね。泣いてないかなっと思ってね?」

 私は言葉にはしなかったが、さすが姉妹と関心をしてしまう。常に通じているということが改めて分かった。簡単にわかるような世界ではないことを私は知っている。現私は……。

「暗い顔をしてどうしたのさ?」

「ああ……すみません。こっちのことで」

「ん?悩み事?」

「まあ、そんな感じですね」

 ふーんと残念そうな表情を浮かべ、口元をお茶で濡らす姉。

「そういえば……、お名前は?」

「あ、言ってなかったけ?私はカトレア・ヴィクタ―っていうのさ。一様クラウンの姉で―す」

「対照的ですよね?なんか太陽と月見たいで…」

「その口説き文句はよく言われるね。髪でも見たのかな~~?」

 そう言い、ふて腐れたように灼熱を彷彿されるその髪の毛先を弄ぶ。心なしか口を少し尖らせている。

「いや、……それもありますが性格なことでも」

「それもよく言われるかな。私が元気印で、妹が大人しめのしっかり者って」

 ○○は背もたれにふんぞり返る。少し呆れたような表情を作って。

「クラウンは確かに大人しめかもしれませんが、人情がとても熱い娘だと私は思っています。私が間違えた時はしっかりと叱ってくれるでしょう」

「ふ~ん。クラウンがそこまで、熱くなる娘だとはね。それだけ、君のことを気にいっているのかな?」

 ぶ―――――!!

 クラウンが口に含んだお茶を吹きだした。それでもって器官にでも入ったのか思いっきり咳込んでいた。

「―――どうして、いつもデリカシーが無いのですか?」

「わるい、わるい。これも私の癖だ。思っていることをつい言ってしまうんだ。こういう風にさ」

「いいと思いますよ?そういうの。ちょっと羨ましい」

「明日乃…」

「ひょっとして君一人っ子?」

「いえ、一人います……でも、今は喧嘩中で」

 頬を搔きながら、気まずそうに明日乃は言葉をつぐんだ。

 クラウンは姉を睨み、カトレアはごめんと言いたげな表情を浮かべていた。

「あ……悪い」

「あ―――で、でもちゃんと仲直りをしたいなって考えているんです。ただ、タイミングが悪いのと、向こうが距離を置いてるって言うか」

「姉さま……」

 熱のあった会話はいつの間にか冷め、沈黙の時が訪れていた。

 明日乃は珍しくおろおろと何の話題を切り出そうか悩んでいるみたいで、クラウンは無言の圧殺を姉に決め、カトレアは参ったな~~と、表情を曇らせている始末。

「あ~~、さて、私がここにいるのはもう一つ訳があってね。明日乃君にもちょっと手を貸してほしいんだ」

「私に?」

「そうそう」

 頬杖をついたカトレアがにっこり笑う。

 それと、先ほどからちょくちょく視線を浴びていた。多方向から。主にカトレアさんの方に。

「ん?―――先程から妙に視線を感じるねぇ。明日乃君?」

「あ…多分。珍しいからでは?」

 謙遜した明日乃がおずおずと答える。

「そうかな?」

 再び髪の毛を弄りだす。

 灼熱を彷彿させるその髪が原因なのか漆黒のスーツが目立つのか……それとも両方とも目立つのか。

 分からないが、人目を引くには十二分、それ以上にあるのではないかと私はカトレアさんという人物に触れて分かったことだ。これはクラウンの時にもあったから、やっぱり変わった何かを持っていると考えてもいいかもしれない。

「なーにぃ。じろじろ見てんのさぁ?そんなに私に魅力を感じてんのかい?」

「はぁ……でも、魅力があるのは本当ですね」

「照れるなぁ…。からかうつもりが逆にからかわれるとはね。君も私と同じで正直だね。もしかしてクラウンを落とせたのもその正直なところなのかもしれないね?」

 カトレアは片目を瞑り、ウインクをした。

「………」

 私は隣に座るクラウンに自然と目が行っていた。本人は下を向いている。おかげで髪の毛が影となり表情が読み取ることが出来ない。気のせいかもしれないが、彼女に少し熱が帯びている。それに恥ずかしそうにスカートを握っている面から相当恥ずかしいのか照れているのか、にわかだが読み取ることが出来た。

(ここで、フォローしなくては)

 内心でぐっと、拳を握る。言葉も思いついたし、タイミングは今。

「まぁまぁ…。クラウンを落とすとか、そういう気持ちとかないんですから」

「……」

 キッと無言の圧視。私は思わず口が引きつった―――あれこれじゃないの?

 そのままクラウンはこちらを見続けていた。背の高さから自然と上目遣いになるのでこの時が一番どきりとする。だが、私の目はあながち間違ってはいないようだった。彼女の頬は予想通りに熱を帯びて、紅潮していた。少し妖艶さも入っていた。でも、涙の粒を翡翠色の瞳に貯めてこちらを見ている時、少し胸が痛んだ。

「ああ……ええっと」

「君はつくづく幸せ者だね。これなら、この娘を任せてもいいかな。私の公認で」

 ふふんと得意げに鼻を鳴らすカトレア。とても表情が映えていて、思わず見とれてしまう。

「ああ~~~。そうだ。君たち、相部屋になってどれくらい経つんだ?」

「「実は……」」

 二人は互いに目を合わせ、実に気まずそうな表情を浮かべたのち口をほぼ同時に滑らせた。

 その間、カトレアはうん?と頭に疑問符を何個か並べていた。

「え~~。忘れたの?」

「はい。実は最近ばたばたしてたので、時間感覚が鈍ってまして……」

「あはは!!ふたりしておっかしい」

「記憶だと、明日には大丈夫だと思いますが……」

 あははと腹を抱えて笑うカトレアに言い返す言葉が見当たらなかった。

 二人して顔を真っ赤にしていた。互いに顔を見合わせてクスッと小さく笑う。

「―――でさ、話し戻るけど、いままでどこにいたのさ?」

「話はほんの前に戻りますが、その話に辿り着くまで小話がありまして」

「早く話しなよ?」

「ここって、入学前に研修ってありますよね?」

「ああ、入学してから乗り遅れないために行われるプログラムのことかな」

「はい。その時に一つ事件というか内輪もめみたいになったのがありまして…」

「ああ、そんなことがあったねぇ。その件は表沙汰にはなってないよ。私の記憶では」

「そうですか。――――その件が起きたのはISの基本動作を行うプログラム中で、突然一人の女子生徒が暴れ出したんです。二人被害にあってしまって…。その時に間に入ったのが私です」

「君か……」

「はい。その暴れ出した女子生徒てのが―――」

「吉音火織君だね?―――今思い出したよ。確かそれから、君が彼女を止めて、学校に彼女の世話をするようにと命令させたはず」

「はい。あの時は監視と部屋割が変わる位で済まされました。その時に妹と火織と私の三人での生活が始まりました。それから学校が始まって順調に日が立ちまして、それで妹とぶつかって、今に至るんです。情けないですよね?」

 明日乃は頭を垂れた。前髪が影となり、表情はもちろん読み取ることが出来ない。

 隣で見ていたクラウンは明日乃が自身の手を強く握れることに胸が痛んだ。

「君って、結構人思い何だね?話を聞いてると私と被るところが何個かある。だから本当は冷たく見放すとか色々あるのだけれど。気が変わった。―――しばらくクラウンの傍にいて感じるといい。君は臆病ものではない。ただ、考え過ぎなんだ。だから自身が納得するような結論が出るまでとことん悩め、そして知れ。自分の愚かさって奴を――――ん?ちょっと待て、君何も持たずにクラウンの部屋に上がり込んだのか?」

「……」

 急に身をよじらせるクラウン。

「あ……そうなりますね……」

「―――どうりで同じ匂いがするわけだ。もしかしてそれクラウンの一式?!!」

 応える間を与えず、カトレアは首をもたげた。

 

 

「さて、積もる話はこれくらいにして、さっきの話し覚えているかな?」

「―――手伝ってほしいって、話ですか・」

「そうそう」

「姉さま、これはどういうことですか?」

「ああ、クラウン。きみはさっきの話覚えているかな?」

 その言葉を聞いた瞬間に奥歯を噛むような音がした。表情も一変、なにか都合が悪いことでもあったのであろうか。

「クラウンはこんな感じなんだよね?―――明日乃君君はどうしようか?」

「私?ですか……」

「今日君は一皮剥けたんだ。―――久遠、どう?」

 私は左耳のイヤ―フックを反射的に撫でる。ちゃんとあることを確認するために。待機状態の時はアクセサリー形状でいつでも呼び出すことが出来る。

「これは父さんと母さんがくれたもの。何不自由なんてありませよ」

「そう、良かった。でさ、私からのお願いなんだけどさ。君確かISランク測定不能だったよね?―――それゆえにイレギュラーって言われてるのは知ってる?」

「時々言われます。それっと、どういう意味ですか?」

「人によっては悪く言い人もいるかな。私たちの中では解放者とか無限の可能性を持つ人って呼ばれたりしてるね」

「どういう意味ですか?」

 くすくすと笑ってしまう明日乃に対し、言った本人は不思議そうにしていた。

「君にとっては、おかしいかな?―――でね、君にISランクを与えようと思うんだ。まあ、拘束具で縛る感じなんだけれどね。どうかな?」

 まるで、父を投影を見ているようだった。

 口だけではなく、技術ともに才を見出し、それを商売道具として生きてきた父の姿がそこにはあった。クラウンの瞳にはそう映っていた。

 とうとう姉にまでその影があることが分かった。そして見ることが出来る。これは喜ばしいことなのだろうか?

「クラウン。―――クラウン?」

「あっ、はい!」

「明日乃君はOKって言ってるんだけれど、クラウンはやっぱり駄目だよね?」

「明日乃からデータをとるんですか?」

「うん。ちゃんと頂こうと思うのだけど。でもぉ、対戦相手がほしいかなって…。あ~~どっかにいないかな?」

 後半はほとんど棒読みそのものだった。

「分かりました。その話乗りましょう」

「おっ、話し分かってくれたのか。嬉しいな」

 含み笑いプラスほくそ笑みを混ぜたかのようなその顔はあたかもこうなることを前提に話を進めていたものだとこの時ようやく理解することが出来た。

「よし、じゃあ、後で連絡するから、宜しくね~~~。それじゃあ、私はこの辺でお暇しましょうかね」

 一度、こちらに立ち寄り、クラウンの頭を撫で、手をひらひらと呷りながら退出していった。その間も人目を奪っていたのは言うまでもない。

 

 



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第二十六話 揺れる乙女

 

 

「大変だったな……?」

「………」

 会話が続かない。

 カトレアさんと食堂で別れてから、ろくに会話が弾まない。

 食堂から部屋までの空気がとてつもなく重く、足取りも軽くない。

 クラウンは思いつめたように黙ったまま、あれこれと話しかけてもうんともすんとも言わなかった。

 角を曲がり、三つ目のドアまで直進すると私たちの部屋がある。

 いつのまにか着いていた。クラウンは慣れた様子でカギを指し、ロックを外す。抵抗の無くなったノブを捻り、私に入るように静かにドアを開いた。その際にぼそっと、何か言ったらしいが、よく聞き取れなかったのが事実だ。

「……ありがとう」

「…………」

 コツコツと靴音のみが響く中で、部屋に入ってすぐに電気を入れた。

 そのあとも会話はしばらくない。沈黙。肩にのしかかった重し。息苦しい。溜息が自然と漏れる。

 ベッドに腰を下ろし、前かがみに姿勢を傾ける。同じくクラウンも腰を下ろしているが私に後ろの眼はないのだから、彼女のそのあとはもちろん分からない。

 あれこれと考えるが思考は悪い方向に考えてしまうようだった。そもそもこういう思った苦しい空気は嫌だ。それが嫌だから、妹を笑わすと決めたのだったっけ?

 ガス抜き。今度は重い溜息ではなく、気合いを入れるために己に鼓舞を入れたのだ。

 よっこいしょと、ババくさい言葉とともにベッドを立ち上がると同時にクラウンのいる方に踵を返す。

 目を見開き、こちらの行動に少々動揺を表しているようだ。そして申し訳なさそうに目を逸らす。

「ふぅ。―――お嬢様?こんな私目でございますが、出来ることがあったらなんなりと申してくださいね?」

 彼女の眼の前でひざまつき、ウインクと同時に言葉を添えた。執事風に。

 急に肩の怒りが抜けたように、彼女も声をかけてきた。

「ふ、ふふ。どうしたんですの?明日乃。急にざらにもないことを、少し驚きましたよ?」

 そこからクラウンはつぼに入ったらしく腹を抱えて笑っていた。わざとではない偶然が呼んだ一瞬だ。ようやく笑顔になってくれた。それがなんとなく嬉しかった。私は照れ臭そうに笑った。

「ようやく笑ってくれたな?」

「?」

 小首を傾げるクラウン。

「お前、なんか思いだったような顔してたし、私のことなんか思いっきり避けてるし、そんなわけでこれってわけだ」

「でも、何でも言ってくれって今、言いましたわね?じゃあ、早速……」

「あぁ……、そんなこと言ったっけ?」

「………」

「はい。分かりました……」

 笑ったクラウンがそこにいました。でも、眼は思いっきり笑ってませんでした。

「で、用件は?」

「そうですね……」

 顎に手を添えてクラウンは視線を彷徨わす。と、ある一点で眼が止まる。そして口角を少し上がらせる。

「むふー。じゃあ、今日は一緒に寝ましょう」

「一緒に、って時々寝てるだろう?特にクラウンが私のベッドの方に忍び込んでくるのが多いんですけどね?」

「誰に説明してるんですか?明日乃」

「それは、クラウンさんにですよ」

「……」

「すみません」

 眼を線のように細めたクラウンがこちらを見つめていた。まるでこちらが言っていることに茶地を入れるような感じで。

「でもさ、これは―――」

「別に、今日だけなんて言ってませんわ♪」

「と言いますと?」

 あっと、明日乃は彼女がこの後に言おうとした言葉を先に感知した。その時は既に遅く、クラウンは口を滑らせていたのだが……。

「今後しばらく一緒に。私淋しいんですの。人肌が恋しくて、だから明日乃がそう言ってくれたときにピンときましたの」

「まあ、この部屋の主はお前だし、別に嫌じゃない。淋しいなら傍にいてやる。お前が落ち着くまでな?」

「そう言ってくれると、信じてましたわ。本当にお優しいのですわね、明日乃は」

 私は自身のベッドに腰を下ろし、逆にクラウンは冷蔵庫の方へ姿を消した。

 少し出来た個人の時間はとても短く、とても長いようなあるいはそれらの間に存在するのではないかとさえ思ってしまう。けれど、その時間が唐突すぎるのもなにかの縁でたまたまやることが無く、つい唯何も考えずに天井を仰ぐ。すると。

 

 ――――ぐいぐい。

 

 唐突に袖を強く引っ張られた。気のせいではない。それは私が気付いた後も強く引いていたから。

「どうした?久遠?」

 一旦、周りをぐるっと一瞥し、何もないと確認を済ませてようやく彼女の名前を呼ぶことが出来た。

 白銀の髪を靡かせ、小首を傾げる。前髪からくりくりとした瞳を覗かせこちらを逆に不思議そうに見つめていた。その姿は硬直した猫にとても似ていた。

「どうしたんだよ」

 あまりにおかしいと思った私は思わず二回同じことを聞いてしまった。

「明日乃?どうしたんですの?」

 奥にいたクラウンがペットボトルを二本持ちながら、戻って来た。それを受け取り、口を空けちょうど渇いた身体に染み渡らせていく。これでまた喋れそうだ。なんてね。

 ぽふっと、私側のベッドに腰を下ろすクラウンは身を寄せてくる。これといった反応はない明日乃は続けざまに口に水を運ぶ。それを倣うように久遠も身を寄せてくる。双方から温もりが伝わってくる。クラウンは分かる。前に触れた時に暖かいと分かったから。逆に久遠方が暖かいというのが意外だった。どういう原理でまずこの子が見えているかが分からないのだが……。今度理事長に話を聞くとしよう。

 小さな欠伸を一つ。犯人はクラウンだった。けれど、次に私と感染して行く。閉めに久遠が欠伸をして、クラウンの号令がここで発せられる。

「じゃあ、そろそろ寝ましょうか?」「そうだな」「……(こくこく)」

 再び各々が寝巻きに着替えるために、動き出す。クラウンは髪をときに浴室の方へ。私はとりあえず着替えようということで、クローゼットに手を掛ける。

 小さい欠伸を幾度加えながら、寝巻きに着替え終わり、クラウンが戻ってくるまで先ほどと同じような形になる。

「お待たせしましたわ」

「じゃあ、私も歯磨いてくるわ」

 いってらっしゃいとご機嫌な彼女は手を振る。それに促されるように私はふらふらと浴室に入っていった。

 私が浴室の方から戻って来ても彼女は上機嫌を崩さずに私のベッドの上で小さく揺れていた。

「じゃあ寝るか…?」

「はい!」

 そんな調子で寝れるのかな?ちょっと心配になる明日乃。

 ベッドに入り、リモコンで電気を消す。真っ暗になった。当たり前のことだが。

 けれど、今日は色々あった。最後に、二人に囲まれて寝るまでは。

 右にクラウン、左に久遠がギュッと、両腕をロックしていた。左右に感じるものも違うが、互いに温もりを感じられてなんかこう嬉しい。

 しばらくして、眠気が私を支配するが、クラウンはまだ寝てないのだろうかと心配する気持ちも出てきたが、やっぱり眠いものは眠かった。だが、着摺れるような音が右の方から聞こえた。

「――――明日乃?まだ、起きてますか?」

「――――んん?あぁ、まあ」

「良かった。寝てたらどうしようかと」

「結構、眠いよ?用件なら、早く言わないとやばいぞ?」

「わかりました……」

 神妙な声音が、眼を開かなくともニュアンスで感じることが出来た。そんなに真剣に話すことなんかあっただろうか?―――明日乃が思考を巡らす前に答えが口走られる。

「先ほどは姉が失礼しました」

「何だそんなことだったのか……、気にすんな。楽しい人ですぐに打ち解けられたから。あれは私の本心だから……、嘘が苦手そうなのが印象深いよ」

 私はこの際に出来るだけ多く話そうと思いこうして話した。カトレアさんの素直なところに正直、ホッとしている。もし、ああいうのが上司なら気持ちよく仕事ができそうだなと、うつらうつらとボケてきた頭が情報を処理する前に私は暗闇に飲まれた。

 そんなことも知らずに、クラウンはようやくここで熱が入って来たかのように口を滑らす。

 正直、自分でも熱が入っていると認識できるくらいに。

「明日乃は、どう思いますか?」

「………」

「明日乃?」

 暗闇で良く見えないクラウンは思いっきり顔を近付け、その時に明日乃が寝ていると分かった。すぅ~っと、微かに寝息が聞こえた。クスッとクラウンは今日起きた出来事をその顔を近付けたまま走馬灯のごとく思い更けるのだった。

 その距離はまさに互いの鼻息が感じられる位、酷くするのであればキスが出来るくらいの距離。―――いっそしても気づかれないのではないかと悪い考えがクラウンの脳内を支配する。頭を横に振り煩悩を絶つ。―――けれど、ほっぺなら―――。

 更に顔を近付けるクラウンはチュッと、小さく頬にキスをした。

「これは私からのご褒美。なんだから……」

 次いでぽふっと、明日乃のそこまで豊富ではない胸に顔を預け、眼を閉じ安堵感をひそかに味わうのだった。

 

 

「君の部屋はここだ。セシリア君?」

「ここが私の?本当に?」

 まだ日が昇りきっていない朝方。

 セシリアと呼ばれる少女は、頭に何個もの疑問符を浮かばせていた。本来のセシリアならこの小学一年生でも十分に理解できる話を何かに引っかかったように何度も聞き入れる。―――場所は彼女の部屋の前だというのに。

 なかなか話を理解しないセシリア相手に憤りを覚えることもなく接しているのが、入谷だった。入谷は何度も頭を搔き、顔色を変えることはしなかった。その聞かれるたびに話すこと十数回。その眠たそうな瞳は今よりに細くなる。その姿は今にも寝てしまうのではないかと心配をしてしまいそうな状態だった。

 彼女、セシリアは一時的に記憶を失っているに過ぎない。それは昨日に遡るが彼女たちが藤崎明日乃とセシリアが学級委員を決めるための戦いにて彼女は記憶を失った。

 そして、眼が醒めるとまるで別人ではないかと錯覚してしまうほど、天真爛漫な姿を現した。ほとんどの記憶が無いとみていいようだ。人の名前はおろか、自分が誰なのか素で忘れていたのだから。とりあえず彼女の名前、そして藤崎明日乃という唯一覚えていただけを完全にインプットさせたが、そのあとは正直、明日乃君に任せたいところだ。非常に無責任極まりないが、いかんせん私は彼女を知らないからだ。

「とりあえず、入って見たまえ。そうすれば少しは思い出すかもしれない」

「うん、わかった。入ってみる。ありがとう入谷」

 手を振りながら、セシリアは扉に連れ去られてしまった。

「ふぅ……。やっとかぁ……」

 安堵感かに包まれた入谷はその場で骨抜きにあったかのように膝から崩れて廊下にうつ伏せになって寝てしまった。

 しばらくすると、この部屋の前に通る生徒たちは彼女の姿に驚くものはいなかった。なぜなら、これが日常茶飯事だからだ。要は戻るのがめんどくさくてその場で寝てしまうのだそうだ。

 そういう性格なのだ。それがここに入ってから、ほぼ毎日のようにして起こっているのだ。だから、いつの間にか慣れてしまって、静かに見守るものが多くなったのだ。

 

 

 そんなことも知らずに、セシリアは浴室に入り、シャワーを浴びていた。実はこれ、無意識のうちにやっていたのだ。身体が覚えていたといえば説得力はあるのだろうか。

 本人もシャワーを浴び始めてからそのことに気がついた。

 シャワーノズルから熱い湯がセシリアの流形美な身体を弾きながら、身体を濡らしていく。本人もこの姿を見た時少し驚いていた。ここだけの話だが。

 そこらのアイドルよりも仕上がった身体。すらりと伸びた脚は長く滑らかだ。上に上がっていき次に腰部。くびれた腰回り。流れるお湯がそのラインをなぞっていく。更に上がって、胸囲。これは基準が今の彼女には分からないが、形がいいというのは分かる。気を使っているのは分かる。―――ふと、心臓が高鳴った気がした。

 シャワーを止め、纏わりついた滴がぽたぽたと床に落ちていくのを余所に、脳裏に明日乃が現れた。

「ふ・じ・さ・き・あ・す・の」

 クスッと、無意識に彼女の名前を口にした瞬間綻んでしまった。

 胸の高まりは、おそらく、いや絶対に彼女によるものだとセシリアは確信めいていた。彼女の顔が更に脳裏で流れる。

 くしゅん!

 自分の状態を知らずに、セシリアはくしゃみをした。慌ててバスタオルで体をふき、着替え小一時間妄想に浸るのだった。

 

 

 



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三章 投げられた賽・割れる道
第二十七話 必殺の一撃


 

 

「ふぁあ~~あ……」

 年頃の女子とは到底思えないほどの大きく口を空けた欠伸。

 登校時間をとっくに迎え、いつもより遅めに登校をした。廊下のあちこちで女子たちが話に花を咲かせている姿が見受けられる。

 そんな話すパートナーのいない藤崎明日乃は気だるそうにその場を通り過ぎる。

 明日乃のパートナー的存在、クラウン・ヴィクターは特別なことに今日は隣にいない。なぜなら、彼女は明日乃より先に部屋を出ていったからだ。加味するのであれば明日乃が眼を醒ましたと同時に一言添えて出て行ったというべきだろうか。だから、明日乃は普段の二十分ばかり遅い登校ということになった。

 四月も半ばを過ぎ、ようやく複雑なこの学園のことを理解し始めていた。たまたま窓から見えた桜が早咲きということもあってほとんどが散っている。それと同じように私たちもあっさりとここを出て行ってしまうのだろうかと連想していると、不意に見覚えのある女子らしき影が視界に入った。

 踵を返して、その影が消えた方向に歩きだす。

 遠目でも分かる位綺麗な金髪は、いつ見ても美しいと思ってしまう。毛先が縦に渦巻いているのがチャームポイントで、この子が……。

「セシリア?」

 と私に囁く。

 私の声に反応して振り向いて見せたのが、案の定セシリア・オルコットであった。

 昨日の一連のことで記憶を無くした少女がそこに佇んでいた。

「……!あすの!!」

「ちょ、ぅおっと、もぅ……ッセシリアまで……」

 一瞬は混乱するかもと思ったのだが、思ってのほか私と知った瞬間にクラウン並みの飛び付きを喰らった。

 怒ろうかなって、逡巡したが元はと言えば私がこの子の記憶を消してしまったので結局クラウンと同様な対処になってしまうわけで……。私って弱いな……。

 そのセシリアは上目使いでこちらを伺っているのだから、私はどぎまぎしてしまう。それと相まって、登校時間がちょうどいいのもあって周囲の目線が痛い。突き刺すというのではなく甘ったるいような目線をこちらに送っているのだ。見返すとそそくさといなくなってしまう。

「セシリア、ところで迷子か?」

「……!」

 顔がみるみる真っ赤に色を変える。それを隠すように俯くセシリアの仕草がどこかかわいらしい。その様子から察するに図星か。

「安心しろ。私と同じクラスだから……」

 上着の裾をギュッと握ったセシリアがゆっくりと顔を上げた。照れ臭そうな喜んでいるんだか何だかよくわからない表情を作っていた。

 安心させるように頭を軽く撫でてやる。それが講じたのか笑顔を返してきた。

「ほらあんまりゆっくりとしていると、織斑先生に怒られちまいから、急ぐぞ?」

「はい!」

「元気でよろしい!」

「えへへ」

 ようやく話してくれた。それが今一番の喜びだった。

 少し急ぎ気味で、教室へ向かうよう勤しむ。その間セシリアが腕をガシッとロックしていたが今は気にしているような時ではなかった。

 

 

 教室の前に着いたときは時間に余裕があった。

 セシリアのことを織斑先生に話しに行かなくてはならない。昨日は報告することが出来なかったからだ。だから、空いた時間にと思ったのだけれど、職員会議が始まってないよな?という心配する気持ちも出てきた。できれば早めに連絡しないと何かがあった時にはもう遅いのだ。

 そんな、数秒後に予期せぬ事態が起きるのは明日乃を含めてセシリア、その他もろもろ知る由もない。

 

 パン!パン!パンパンパン!!!!

 

 私が考え事をしていると同時に教室のドアをくぐろうとしたところに突如けたたましい程の音量が一気に私を現実に引き戻らせた!

 私は条件反射で一歩引きさがりファイティングポーズを構えてしまう。次の瞬間に事態を把握した。

 まず火薬独特の煙たい匂いが鼻孔を燻ぶる。そこで、けたたましい音の正体を知る。クラッカーだ。クラスのほとんどがそれを所持していた。

「『藤崎さん学級委員就任おめでとう!!』」

「へっ」

 あっけらかんとした態度だっただろう。手厳しく守っていたファイティングポーズはだらんと下にぶら下がっていた。それに顔、顔が特にひどかっただろう。呆けてまるで阿呆そのものだ。

「さすが、特別なだけはあるよね?!」

「惚れちゃったよ!!」

「あ、あのこれ読んでください!!」ラブレターもらった。複数の女子から。

「抜けかけはだめだぞっ!!」

 一瞬にて、私の周りには女子が群がる。まるで、ヒーローにでもなったような気分だ。

最初に手をとられたのが原因だな。

 軽く周囲を見渡したが、綾陽、火織の姿はそこにはなかった。

 そんな少し物悲しい気持ちが胸をチクリと刺す。

 さも自然に歩み寄って来たセシリアは私の耳に、いや、このクラスの皆にも聞こえるような声量でこう言った。

「ところで、この人たちは誰ですの?」

 彼女には悪気はない。本人は知りたかったのだから当然のように聞いてきた。だがそれに関しては、今この現状ではとてもまずい発言であった。

 その言葉を聞くまで和気会い合いとなっていた空気が一瞬にして凍った。ピキッと、亀裂の入るような擬音もしっかりと聞こえた。

 当の本人には、この状況を把握できておらず、小首を傾げていた。

 所々からひそひそと彼女を非難する声が聴こえる。周囲を見やると空気は濁っていて、一歩間違えば対立が起きてしまいそうな緊迫とした空間を作り上げていた。

 その空気をようやく読み取ったセシリアは身を丸めるように私の背に隠れる。

 よし、こうなったら――――。

「み、みんなごめん!実はセシリアは、昨日の試合の後から記憶が無いんだ。症状的には一時的な記憶喪失なんだ!だから、今の発言は大目に見てほしい。この通りだ!」

 両手を合わせ、祈るように深く頭を下げた。眼を強く瞑り、念を飛ばすように強く分かってくれと何度も心の中で復唱した。

 セシリアの件の旨が伝わったのか、クラスの皆が分かったと話を理解してくれたのかは定かではないが、できることならそうだと思いたい。

 それから、少し落ち着いたところで、後処理に精を出すのだった。

 

 

 今日一日セシリアと一緒過ごしたが、なんとか無事に放課後を迎えようとしていた。

 ただ、一つ言うのであれば、セシリアの件で織斑先生に報告が遅れたことで一回叩かれている。それくらいだ。

 セシリアは一人で教室を出て行った場面を目の当たりにしたが、急いでいるようだったから声はかけなかった。だから、私は今一人だ。

 私も既に教室から出て、行くあてもないからそこら辺を徘徊していた。

 逆にクラウンとは今朝以外顔を合わしていない。

 こういう日もあるんだなって、久々に感じた。

(そういえばカトレアさんからの連絡はすべてクラウンなわけだし、実質彼女に会わないと話が成立しないんだよな……)

 外は夕焼け色。

 いつの間にかこんな時間になっていた。そんな時、私は見覚えのあるシルエットを確認する。

 そう言えば、ここは今朝―――。

「セシリア?―――セシリアじゃないか」

「――――あすの?」

「どうした?元気ないな」

「今朝、皆さんに失礼な事を言ってしまったなって…」

 結局謝れなくて……。気持ちの尾を引きづっているようだ。

「まあ、確かに。酷いこと言ってたな。うんうん」

「うっ、結構正直に言うんだね。あすのは」

「でも、さ。そうやって気付いたんだろ?……だったら、それで良いじゃん。私はそういうの間違ってないと思うけどな。謝りたかったら、謝ればいいし。とりあえず、悔い残らないようにする…くらいかな?」

 巧く言葉にできない自分に少々苛立ちを覚えていたが、なんとか言いたいことは伝えたつもりだ。

 くすっと、セシリアが小さく笑う。暗いその顔が少しの間だけ晴れた。

「明日乃~~~!」

 セシリアの声とは違う、気品のある感じられる声が後方から聞こえた。反転し、その声の主を確かめる。

 白銀の髪を持つ少女が走って来た。綺麗なフォームにほぉと感嘆を漏らす。

「彼女さんですか?」

「そう見える?」

「はい。すごくきれいです」

「まあ、本人にも言っておく。私は見ての通りこれから用事だ。ちゃんと部屋に帰るんだぞ?いいな?」

 セシリアの頭を軽く触って、明日乃は何かにはじかれたように白銀の少女の元に向かっていった。

 

 

「やぁ、明日乃君」

「カトレアさん。お邪魔します」

「そんな畏まらなくていい。むしろ私が借りているしね。さて、今日呼んだのは他でもないね。君たちには……まぁ、いいや。まずは着替えておいで」

 一度軽く挨拶をして、カトレアさんの指示に従う。

 私とクラウンはカトレアさんのメールにてここ、第三アリーナ・Aピットに召集された。

 Aピットに足を運ぶとまず目についたのが、白衣を纏った女性……カトレアさんがキーボード、コンソールを手慣れたように扱っている後姿だった。その後ろ姿から哀愁を感じたのはどうしてだろうか?―――それと彼女の助手なのか同じく白衣を着た研究員4、5人がそこらへんで何かとにらめっこしているのも印象に深い。

 カトレアさんの指示に速やかに答えるように、女子更衣室に足を運ぶのだった。

 着替え終えて戻ってくると、先ほどの研究員が手に何かを持ってこちらに近づいてくる。紺色のブレスレットのようなものをこちらに渡してくる。そこに説明を加えるカトレアさん。

「それはね、ISに制限を入れることのできる拘束具だよ。いつまでも解放状態だといずれは一人くらいあやめてもおかしくないからね」

「えっ……」

「姉さん!」

「まぁ焦ることはない。だって今から、それに制限をいれようとしているんだよ?恐い顔はしなくていいよ。軽く君たちには今から一戦交えてもらうけれど。それにはデータを転送する機能と、制御する機能を担っているんだ。まあ、それを付けるとこちらの監視下に入っちゃうわけなんだけど……。今回はお試しということで使ってみてよ」

 軽い素材を使っているのか一瞬落としそうになる。この拘束具は全部で四つ。両手首、両手足に二個ずつ。一見アクセサリーのよう見える。カチャンと軽快な音が手、足をロックする音が聴こえた。

「まあ、明日乃君のやつは今はデータ転送しかない。だから、今だけ好きに暴れればいい。こちらもデータがほしいしね。クラウンを殺す気で行かないと勝てないよ?彼女激ツヨだから」

「分かってますよ。彼女の強さは」

「ほぅ…」

 ほんの僅かな時間だった。

 通り過ぎ様に軽い耳打ち程度の時間だった。

 けれど、その瞬間でもひそかに応援してくれているというのがわかる。

 なら、その期待に添えなくてはならないだろう。

「クラウンには、我が社の第三.五世代アイシャを使用して頂きたい」

「アイシャ?―――ということはカスタム機で?」

「はい。貴女がかつて使用されていたものですよ」

 私はその時、クラウンの曇る表情を目の当たりにした。

 その表情は己を嫌悪しているような顔だった。過去に何かがあったというのが何も知らない私にも察することが出来るくらい。

「……分かりました」

「では早速準備をしましょうか」

 重く進まない返事が彼女の答えであった。

 カトレアはこうなることをさも当然なような表情で、ピット内で叫ぶ。

「さあ、今日は宴だ!!姫が舞うぞ!お前たち仕事にかかれッ!!!」

「「おおぉぉぉぉッ!!!!!」

 天高くその拳を捧げるカトレア含めその他研究員は雄叫びを上げて、揚々と仕事に取り掛かっていたのと相対的にクラウンはどこかあきらめたかのような表情を張り付けていた。周りがうるさいだけでそう見えるのかもしれない。

 これから何が起きるのか分からないがそれが逆に楽しみへと変わっていく。握った拳を胸の前に持ってきて、気合いを注入する。

 いい結果が残せますようにと―――――。

 柄にもなく神に祈ってみた。

 

 

 照明の入ったアリーナを見るのは初めての出来事だった。

 外は夜の帳が降り、すっかり夜のムードを醸し出していた。

 普段は暗くなる前に出るのだが、今日は少し特別だ。なんたってヴィクタ―社の社員が直々にここに足を運び、データを採りたいというのだから。それは緊張の一つ、二つくらいはするだろう。おかげで手が冷たい。

 それにしてもクラウンは相変わらず落ち着いているのが遠目でもよくわかる。ハイパーセンサーの解像度のおかげなんですけどね。

 私は視線を前へ。すると、クラウンが忙しなくディスプレイをいじっている姿が目に入った。空中に四枚のディスプレイも一緒に浮かべながら慣れた手つきで一枚一枚問題を

解決しているようだった。そのピアノを奏でるかのような動きに明日乃は感嘆を上げ、見惚れてしまうのだった。

 ものの数分後にディスプレイは全て片づけられていた。一息を吐くクラウンの元にさり気なく近づいてみた。

「ふぃ……」

「終わったか?」

「ええ。これでなんとか」

 〝アイシャ〟―――たしか、ヴィクター社製の第三世代型ISで、近距離型。武装も話では剣と盾しかなく、持ち手を選ぶ機体としても有名だ(クラウンから聞いた)。元々この会社が作るものがオーバー作品なのだから、どの世代と交えても引けを取らないものだ。そう言われれば納得するものだ。更にそれを仕えるクラウンの勇士がいつもと違う雰囲気を出していてどこか怖い。

 ヴィクタ―社の基本カラ―は白を強調としているものが大半だ。追加されるのであれば、内側部品の色を変えることくらいだろうか。現にクラウンが使用している〝アイシャ〟の内部部品がエメラルドグリーンで眩しい。

 なにより驚くところがこの機体に特殊兵装があるということだ。

 だから私はセシリアの〝ブル―・ティアーズ〟の時のような非固定浮遊部位を連想し。それらしきものが付いてないか注意深くその部位を見やった。同じく浮遊しているそれにはそれらしいものがついてはいなかった。ということは、自然と二択に絞られるわけだ。剣か盾か。

『お二人さーん?そろそろ準備は出来たかねぇ~~~』

 突然通信がつながり明日乃は驚愕を露わにする。隣にいたクラウンも声には出さなかったものの態度にもろ出ていた。

『びっくりしましたよ』

『そっちがいちゃいちゃしているのがイケないんだよ?』

『「すみません」』

『まあ、早くしてよ。時間は無限じゃないしね?』

 とりあえず、距離を置く事にした二人は互いに背を向け、十メートルの距離を空けることにした。

 その間に彼女の後姿を一瞥した。スラリと伸びた白いブーツを彷彿させるアーマー、それに引けを取らない、胸部のアーマーも堅苦しくなくそして麗しい。

『準備完了。いつでもいいですわ。姉さま』

 くるりと身を翻すと、倣うように白銀の髪が弧を描き、そして纏まる。彼女のやることなすことがカッコよく見えると明日乃は内心で笑う。

 一秒ほど遅れて私も連絡を返す。

『こちらもオッケイです』

 通信に応答する二人に、カトレアは軽く息を吐く。

『よし、じゃあ、ブザーがなったら始めるんだよ?』

 するとプチンと通信が切れ、天で点読みのカウントダウンが刻まれる。3…2…1

 ビーっと、ブザーが鳴る。鳴ったのを確認し、改めて気を引き締め、クラウンを力強く見据えた。

 しかし対峙をしたまま二人は少しの間動く事はなかった。

 試合は既に始まっている。それはお互いに承知のことだ。

―――リラックスすること。何事も落ち着くこと。焦っていても周りが見えなくなるだけだ。それをここ最近制御できるようになった。まあ、深呼吸するだけなんだけどさ。

 私は突然、腕を上げ力なくゆっくり下に落とす。それを三回。…よし、落ち着いた。

 それを知っているクラウンはクスッと小さく笑い、前進してくれた。その波に乗るように私も前進した。

 勢いを殺さずに、互いの距離が交えた時、組み手の要領でぶつかり合った。

 一進一退の攻防線が繰り広げられる。やはりクラウンは強い。専用ISがあるのだからいままでの何倍かの力を軽く出しているはずだ。それを辛うじて避けているのが私だ。

 他人事のように言っているが私も一様専用器持ちだ。日が浅いとか言い訳してると、後で絞られそうだから必死について行っているのが今の現状だ。

 胸の前でブロックしているが、ドシン、ドシンと腹に響く重い撃。間違えなく後ろに後退している。隙を見つけてパンチを放つが、虚空を切り、そしてその勢いを利用され、一本背負い。

 宙空で一旦彷徨い、身を捻り、姿勢を立てなおす。再びファイティングポーズを構え、突貫。今度は私のタ―ンだ。

 出し惜しみなく力をもって発揮するが、全て掌で読まれているのか、受け流されるか紙一重で避けられているの二つで、顔は冷ややかでまだ余裕の表情だ。こちらは息が上がり始めている。苦し紛れの上段回し蹴り。

「なっ……!」

 クラウンが姿を消した。否、急速にしゃがんだのだ。そして一蹴され、バランスを崩したのと同時に隙を作り、鳩尾辺りにパンチを繰り出す。

 めり込んだパンチは重く、そして吹き飛ばされた。不幸中の幸いか絶対防御は発動してはいなかったが、意識がこんがらがっている。多分意識を落とさないためにブラックアウト防止が働いたのだろうか。うつ伏せで、寝転がっている。

 手をつき、無理やりにでも身体を起こし、膝を立て、立ち上がる。

『相変わらず、強いなァ……』

『ここまで付き合ってくれたのは明日乃位ですよ?嬉しいです』

 オープン・チャンネルを開き、クラウンにコンタクトを図ると快く返してくれた。それともう一つ。

『機体大丈夫か?なんか、調子悪そうに見えて……』

『―――っ、よくわかりましたわね?ええ、結構やばいですわ。明日乃。だから受け止めてくれますか?』

『もちろんさ』

 ハイパーセンサーの解像度が上がり、〝アイシャ〟の節節を写す。動きにぎこちがないように私には見えた。特に左側が動きづらそうだ。

 私は迷いなく返事を返す。刹那、〝アイシャ〟の左腰部に光が集まり刀剣の形を帯びた武器が現れた。一瞬の爆発。それは一薙ぎすると軌跡を描きながら散らばり粒子がキラキラと舞う。蝶々が舞っているみたいで、神秘的でまたも目を奪われてしまった。

 そしてもう一つ。盾がそこに現れた。機体の半分はあろう大きさの盾は地面にサクッと軽音を鳴らし刀剣と同じ要領で出現した。

 クラウンはどちらも引き抜き、構えをとる。盾を前に構えるのだ。その力強さは動かない岩といってもいいかもしれない。ずしりとした佇まいに明日乃は一度躊躇いを覚える。けれど、こちらも負けじと風花を展開する。そして中段正面に風花を持ってくる。

 明日乃は心の中で三つ数え、動いた。

 動いたのは私だけで、彼女は相変わらずビクリともしなかった。脇に構えている風花を打突の出来る状態に構え直し、大きな盾に吸い込まれるように正面衝突を図った。

 案の定、ギンッと金属に当たったような感触は掌を伝わり、全身に染みた。

 けれど、その衝撃に意に介さないのが彼女だった。後ずさる要素が無く、それは受け止まれられたという結果になった。しっかりとした手応えはあったにも関わらず、押しても逆にこちらに力が働き、宙をさまよう形になってしまう。

 もしかしてだが、あの盾になにか搭載されているのではないかと私はふと過った。

 刹那、風花が当てもなく右に受け流される。もちろんそれの柄を握っている私も引っ張られる形となり一瞬、そちらに気を取られてしまう。要はクラウンが盾で風花を流したということだった。気を取られているうちに空いたボディに一閃が刻まれる。

 その煌めく光刃の軌跡を私はしっかりと捉えていた。ゆっくりとだがこちらに近づいて来ていた。

 盾を右に受け流した直後、彼女にも当然隙が生まれていた。だが、それは凡人には一瞬、いやそれ以上の早さだったのかもしれない。

 柄に手を掛け、中段腰だめ、力強く踏ん張った両足。それら条件が揃った時、居合切りの要領で抜かれた刀剣は迷いが無く、私の右斜め下から上へ這いずり上がって、天へと昇る。照明に当たったその刀剣は赤く煌めいていた。

 そして絡め取られるように私のシールドエネルギーは底を尽き―――。

 バザーが鳴り響く。

 ―――ということは私の負けだ。そう納得するよりも先に膝から崩れ、前に、地面に倒れるの方が早かった。

 

 

 ―――試合が開始されるほんの数分間前。

『真紅。君のお得意技を久々に見せてもらってもいいかな?』

 

 それが入ったのは彼女、明日乃に背を向け、少し進んだところだった。切ったはずの通信回線が繋がるということはよっぽど大事なことかどうでもいいことなのか、そこに分け隔てなく関わってくるのは……。

クラウンはつい溜息を洩らす。相手は姉カトレアと名乗る不知火星羅だったからだ。これが明日乃だったら、どれほどうれしいことかと想像すると自然と出てしまったのだ。

『明日乃君かと思った?残念、星羅お姉ちゃんでした!』

 画面前で、両手を顔の前で開くやんちゃな姉が映った。舌なんかだして自分がかわいいとでも思っているのだろうか。

『用件は何ですか?姉さん?』

『一度はお姉ちゃんと呼ばれたい。ねえ呼んでよ?』

『嫌です。早く用件言わないと、嫌いになりますよ?』

『真紅は辛辣だなァ。明日乃君が羨ましいよ』

『なんでそこにあ、明日乃が出てくるんですかッ!!』

『あっ、図星かな?分かりやすいね』

 今目の前にいるなら、もれなく殴っている。そんなクラスだ。

 画面前で真っ赤を通り越し真っ青になったクラウンが握り拳を一つ、そして笑っている。顔の横にその拳を持ってくると星羅はおお、怖い怖いと、ざらでもないリアクションを返して見せた。

『暴力反対だからね。そんな妹にした覚えはないし、……まあ、当たらないけどさ☆』

 反省の色見せない姉に怒りが冷めたクラウン・真紅は拳を下ろしもう一度聞き直した。

『用件は、なんですか?』

『なんだろうね~~~♪』

『……』

『うわっ、ごめんごめん!!』

『……』

 冷めたはずの怒りが再び昇り、拳を再び画面前に持ってくるのと同時に少し殺気を混ぜ込んだのが相手にも伝わったのか、真剣な謝りが帰って来た。

 冷や汗をかきながら、身振り手振りを返す姉の姿を久々に見たものだ。実に滑稽。たまにこういい目に遭うのも必要だ。

『……で、用件は?』

『真紅。君のお得意技を久々に見せてもらってもいいかな?』

『最初にそう言ってくれたら、気持ちよく受けましたのに、はぐらかす姉さんがこれに関してはいけませんね。でも、明日乃がこれに対してどう返してくるのか気になるところですし……分かりましたわ』

 デスクに頬杖をついた姉の姿が実に嬉々としていてなんだかうらめない気持ちになる。

 クラウンは溜息を吐き、意識を前の試合に戻す。先ほど姉が言っていた私の得意技。それについて少々考えなくてはならないようだ。

 そもそも必殺技なんてものは存在しない。それに見合った言い方を姉はしただけのこと。だが、それの形的には技と言っても申し分はないのかもしれない。なぜならそれで今まで勝ち残って来ているからだ。

 必殺技…この世界の言葉で言うのであれば、単一仕様能力と言う。文字通り機体が持っているたった一つの力だ。発動条件は機体とパイロットが最高潮の相性になった時に発動する。そして、基本は第二形態から使用することが可能だが、稀に第一形態から使用できるのも存在する。それが私の使用する〝アイシャ〟だ。

 重要なところはクラウンというところだ。量産型の機体を使っての単一仕様能力はおそらくクラウンくらいしか扱えないだろう。ということは他のパイロットが使用しても発動しないということでもある。

 おそらくクラウンが使用しているパイロットスーツからISに流れる電気信号が強く、濃いのかもしれない。それと同様に藤崎明日乃も測定不能まで陥らせるほど強い何かを持っているということが伺える。それを調べるのが今回の目的でもある。

 それらの作用が功を奏し、形態チェンジを行わずとも発動できるのではないかとクラウンは考えていた。深くはこの後に分かるかもしれない。

 月が満ちる時―――これが〝アイシャ〟の能力の名だ。

 慣性エネルギーを変換し、その蓄えを刀身にのせることで放つことのできる斬撃。シールドエネルギーおよび対象エネルギーの消失が可能なうえ、相手に直接ダメ―ジを与えることが出来る最大能力だ。けれど、それを逆手にとれば相手に直接攻撃を与える上に怪我まで追わせてしまう可能性もある。そうなる前にシールドバリアーが張られて大幅に削ることが出来るのだが、過去に何度か相手に危険な目に遭わせて以来この能力及びISすら使っていない。そして久しく操るこれは果たしてどのような結果を招くのか。

 そのエネルギーを貯める要が、大型の盾満月だ。中心部に外部エネルギーを介することで本体に取り込み、放つというシンプルにして強力な力を確実に使用できるようにチューンアップされているものの、やはり会社の印象のせいかじしつこれを公式ライセンスとして取得するという点についてはあまりおもんぱくない。

 今時、剣一本で戦うことが古いのかもしれない。実に銃は剣より強しと言われているご時世だ。そもそもそこまで戦いに固着していないのかもしれない。所詮遊びということなのだろうか。

 クラウンは物哀しくなり、いつもの要領で居合の練習に励む。

 神経を研ぎ澄まして、己の思いを刀身に込め―――一閃。

 

 

 ビ―――――――ィ。

 ブザーが鳴り響く。と、同時に明日乃はゆっくりと崩れ、クラウンは意識を取り戻す。

 剣と盾を投げ捨て、明日乃の元に滑り込むクラウン。地面に顔が付く前に腕が明日乃を優しく包み込む。

『姉さん!!』

『はいよっと!』

 同タイミングで白衣を着た人が駆け寄ってくる。星羅の研究員だ。

『大丈夫だ。明日乃君は―――あっ』

 強引に通信を切り、研究員の後を追うクラウン。切れた通信に顔をしかめた星羅はすぐにクスッと小さく笑った。

「さて、私も向かいますかね?」

 立ち上がり、何度か身体をほぐすストレッチをして、ゆっくりと明日乃の向かう場所に足を引きずるように向かうのだった。

 

 

「ううん……」

「明日乃ッ!?」

 頭を押さえながら起き上がるとともに何か強い引力に身体が激しく揺れるのだった。

 声を知っている。優しい声音。ああ、頭がぼけてて思い出せなかった。

「苦しいよ?」

 クラウン。クラウンがまたも抱きついていた。

 まいったな。軽く笑い。彼女に優しくお願いする。

「クラウン。私はほら元気だから、ね?一旦離れて」

 小刻みに一回揺れ、ゆっくりと離れていく。ベッドから降り、背もたれのない椅子に腰を下ろし、そこで落ち着く。

「大丈夫ですか?明日乃?」

「ああ、本当に強いな。お前は?―――効いたぜ。あの一撃」

 最後のあの一撃の下りになるとクラウンの表情があからさまに悪くなる。

「ところで、ここは保健室か?」

 無機質な白一色。

 周囲一周ぐるりと見てから、クラウンに問うたが、ますます顔色が悪くなったのはここだけの話だ。あちゃー。話題変えなくちゃな…

「そういえば、カトレアさんは?」

「ここだよ。明日乃君。だけどねレディの前で他の女の名前を出すのは御法度だよ?次から注意すること!」

 おお、いきなり説教ですか。

 カトレアさんと呼んだ瞬間にシャーとカーテンが引かれた。そして顔を出したのが本人だった。そして、間から覗く入谷先生の姿があった。

「カトレア。うるさいから静かにしてくれ」

「えー、酷いな。昔はそんなこと言わなかったのにぃ」

「あの時は、我慢していたんだ」

「ちぇっ!」

 ふて腐れるカトレアさんが駄々をこねる子供のように見えるのは私だけだろうか。普段寡黙無言な入谷先生もよくしゃべっているし……。これは夢?

「あー、今これ夢?!とか思ったでしょう?明日乃君は分かりやすい!」 

 うわぁ、心の中読まれた!って、すごいな……。まるで、分かりやすい顔って言われているみたいだ。

「すごい……なあ」

「もっと、褒めてもいいよ?」

「いえ」

「釣れないね~」

 足をガバッと開き、腰に両手をあて、胸を張るカトレア。その姿は実に愚かと思ってしまう入谷。うるさすぎてデスクに集中が出来ないのが彼女の内心だ。

 カトレアとは古い付き合いだ。小学生からの付き合いといってもいいかもしれない。

 それがこうも成長しないのがおかしいのか、それとも私がおかしいのか毎回悩むところだ。

 不思議と彼女の背中を見ていると、悩みが吹き飛ぶような気がする。そう、気がする程度だ。

「なぁ?入谷。お前もそう思うだろ?」

「なんだい?藪から棒に」

「?―――お前話し聞いてなかったのかよ。もう」

 両頬をぷくーと膨らますカトレアを鼻で笑う。

「あぁ、笑ったな!?」「あほみたいな顔してたから」「何だと―――!!」

「話し進めてもらっていいですかね?」

 謙虚な態度で尋ねてみると、話を切り返してくれた。

「で、私はあの後…」

「まあ、見事に倒れたよね?」

 話をクラウンにキラーパス。話の意図に視線を彷徨わすのが関の山。

「まぁまぁ、クラウンは悪くないし」

「君が受けたのはエネルギー刃なのね?わかる」

「刃?」

「そうそう。刃。切れ味のいい刃だね」

「でも、あんなにシールドエネルギーを奪っちゃうのは……」

「おかしいいよね?」

「もしかして、あの盾が絡んできますか?」

「おっ、いい線通ってるよ」

「あれだけの力を出せるとなると、あの盾にエネルギーを変換できる装置が付いてるとしか」

「おっ!でで?」

「だから……ここまでしか」

「八割正解だね」

 親指を立てて、グーのサインを私に返してくれた。

「まあ、さ。簡単に言っちゃえば、彼女の使う能力には対象エネルギーを消失させることが出来るんだ。だから、パイロットに危機を感じて絶対防御が発動するんだ。だから、君は負けた。常時に使用可能だけど、シールドエネルギーを喰らってしまうのが問題でね」

「なるほど」

「すみません」

「クラウンは悪くない。指示したのはね私だし」

「で…、ちゃんとデータの方は?」

「ばっちり!…さっき本部の方に転送しておいたし、明日には新作の良い糧になるだろう」

 けどねと、少し残念そうにカトレアさんが続けて言う。

「一つ惜しいものを失った」

「私の使っていた〝アイシャ〟が……」

「なるほど、なんというか残念だったとしか」

「まあ、クラウンに専用機を与えたいと思うんだけど~~。明日乃君はどう思う?」

「良いと思いますが、私同様彼女はどの国の……」

「さあ~~」

「それで、戦争の火種にでもなったら」

「ならない。絶対に。けど、後でそれが分かる時が来るよ。……専用機の話はまだ内緒だよ?」

口元に人差し指を当て、ウインクを一つし、高笑いをしながら保健室からゆうかいに出て行った。

「明日乃。私は専用機持ちになっても……」

「お前にはそれを手にするだけの力がある。過去に何があったかは知らない。けど、今は今だ。過去は過去。これからはこれからだ。だから、今を先を大切にしろ。償いはその世界でしか解消されない。それくらいは覚えといてほしいな。わるぃ、くさいセリフだったよな?」

「ありがとうございます」

「いいよ、こんくらしか私には出来ない」

 最後に彼女の頭を撫でてやる。今日は自分から頭を差し出してきた。上目使いで頼んできたので、どうしても断れない。だから、撫でてやる。

 それを羨ましい顔で見ていた久遠の頭も撫でてやる。ふわっとした感触が何とも言えなかった。

 夜はまだ長い。

 デスクに就く入谷先生の横顔を見て、そう感じた傷ついた夜のことだった。

 

 

 



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第二十八話 私にはこいつがいる

 

 私は少し勘違いをしていた。

 学年別トーナメントが始まるのは来月の六月下旬。私は今それが始まるもんだと認識していた。本当は―――クラス対抗戦というのだ。

 クラス対抗戦。文字通りクラスの長たちによるリーグマッチだ。はなしによれば、これからIS実習も本格的になるのはもちろんだが、まだそれすらまともに始まっていない。だからこれはスタート時点での実力指標を作るために行うらしい。

 またクラスでの交流およびクラスの団結を固めるためのイベントでもある。

 そしてそれを行うにはもちろん景品も付くわけだ。やる気を出させるために優勝クラスには学食デザート半年のフリーパスが贈られる。それにクラスの順位が下位だろうがなんだろうが、それ相応の商品が贈られるという話もあるが結果が出るまでのお楽しみという―――なるほど。どうりで女子が熱中するわけだ!―――とまあ、ここまでは一年生内での話しを簡単に纏めたかんじだ。

 学年が上がると、クラス対抗戦はもちろん、チーム部門といった一年生には無かったコースを選ぶこともできるらしい。商品はやっぱりデザートらしいです……。

 ―――でその開催日が一年が五月。二年が六月。三年が七月といった一月ごとずれた日付となっている。――で、それが終わると学年別トーナメントに移り変わる。

 今度は全学年が強制的に行うイベントなため、一週間程かけてやるそうだ。

 そんな事細かく覚えられない私、藤崎明日乃はこうして、クラス対抗戦当日にパンフレットと睨めっこをしていた。

 既によそのクラスの戦闘が始まっていて、私は控え室で待機中だ。モニターはリアルタイムを中継していて中には入れなった生徒たち用というわけで、外がやけに忙しなかった。おそらく、いや絶対に観客席は満席と謳っている。そんな中で戦うのだからなお緊張する。

 こういうイベント事だからこそクラスの垣根を越えて友達を作ることもできそうだ。ちょっと羨ましかったりもする。

 今行っている試合が終わると、次は私の番だ。この後に昼休憩が間に入って、午後一番から行うそうだ。

 私の対戦相手は―――三組の島原(しまばら)百花(ももか)という生徒だった。その子の前情報をあらかじめ持っていないので私にとっては本番までのお楽しみということだ。

 今日もクラウンは朝からいない。紙のメモを見るに、午後には戻りますとしか書いてなかった。おそらくヴィクタ―社に赴いているのだろう。

 カトレアさんの研究が終わったのがつい昨日のことで、データを持ってそそくさと去っていった。発つカトレア後を濁さずってやつだ。

 だから、早速彼女が呼ばれてもおかしくはないと韻を踏んでいた。そしたら案の定今朝には既にいなかった。カトレアさんのことだからすぐに終わるだろうな、なんて呆けていると視界が唐突に暗くなった。

 眼を包み込む優しい温もり。次に聞き覚えのある声音が聴覚を支配した。何度か耳の中で反芻し、落ち着いた私は名前を当てに行く。

「クラウン?」

「やけに自身が無いように感じられますが?ファイナルアンサー?」

「おぅ、ファイナルアンサー?!」

 どこのクイズ番組だよって、思わず心中で突っ込んだ。そういえば日本の番組好きだもんなって、ずっと日本育ちか。

「正解です。ただ今戻りました」

「おう。眼がちかちかする。あぁ、おかえり。クラウン」

 視界が回復し、クラウンの無鉄砲な笑みに私はドキッとした。

 丁度、ブザーの鳴る音がして、視線をそちらに配る。

「次は、私か……?」

 自ずと声が震えていることに気が付いた。手も冷たいし、心臓は早鐘を打ってるわで。

 隣にいるフリルたっぷりの藍色のドレスを纏った少女・久遠はくりくりとした瞳でこちらを見上げるように凝視していた。なにも知らないあどけなさが残る子供のような目線だった。

 片目を瞑り、ウインクをすると、納得が言ったかのように久遠は笑った。腕にしがみつく彼女の細い腕は私の腕をより一層大事そうに握った。

 

 

 昼食も済ませたところで、いつのまにか緊張は解れていた。これもクラウンのおかげだな。早速、第三アリーナに入り、軽いストレッチを開始する。時間まで後十五分くらいある。

 手の行き届く範囲でこなした時には、身体がぽかぽかと温まって来ていた。

アナウンスが入り、ISの装着許可が降りたところで、早速、久遠を呼び出す!

 左耳のイヤ―フックに手を添え、光が体中から溢れ出す。解放された光は明日乃を包み込み、再集結するように纏まり、IS本体として形成される。

 各部に接続され、身体が浮遊する。何の問題もない。すこぶる良好だ。

 展開まで0.5秒の出来事。

 機体を上空へ。

 そして、対戦相手が打鉄を駆って、私に釣られるように彼女も上がって来た。ここまでてこずったような場面はなく、動きも滑らかでまるで手足のように扱っていた。

 打鉄は、純国産の第二世代型ISで、安定した性能を誇るガードタイプ。初心者でも扱いやすいというのもあって、企業並びに国家などでも採用され、もちろんIS学園でも一般的に使われている機体の一つだ。

 打鉄自体が西洋鎧というイメージより甲冑に近いイメージの為、どうしても彼女が現代に生ける武者にしか見えない。それだけ様になっているともいえるのだが。―――余談だが、彼女が使用しているこの学園の打鉄は誰でもが使用できるためにパーソナライズ、フィッティングはもちろん切られている。

 基本武装が刀型近接ブレードのみで今まさに鞘から抜き身となり、鉄色の実体剣独特の渋さ、鋭さが、そこで披露された。刀身に乗る冷たさが私を武者震えさせる。

「私は島原百花だ。宜しく。今日の試合互いに楽しもう」

「私は藤崎明日乃だ。同じく試合に全力を注ぐつもりだ。だから、受け止めてくれ!」

 プライベート・チャンネルが繋がり、彼女――島原百花の顔が画面に映った。

 突然ではあるが、遅かれ早かれこちらもそうするつもりだったから、丁度いい。

 短い言葉の交わしだが、私なりに纏めたつもりだ。それをどう受け止めるのかはさて置き、もうじき試合が始める。

デジタル時計を見ながら、心の中でカウントダウンを行う。――5、4、3、2、1……。

ビーーーーーーィ!!

 ブザーが鳴るのとほぼ同時に、百花の先制を許す。

 ブレードを顔の横に構え、腰溜めのように姿勢を低くすると、それがブザーが鳴るのとほぼ同時に解放され、突進してくる。突きの構えのようなスタイルはこちらに吸い込まれるように一気に間合いを殺したのだった。

 一つに結った真っ黒な髪は振り子のように激しく揺れた。

 ―――来い!風花!

 私は右腕を前に持ってきて、そう願った。

 光が右腕に集まり、それは像を結び、形を形成し、一瞬の爆発的な光を放つとそれは――風花は手に収まっていた。

 素早く盾のように風花を構えると、丁度のタイミングで百花の近接ブレードが突進してくる。それを同じ力で相殺し、相手の勢いを利用して私は押し返し、逆手で柄をとり袈裟切り。

 逃げ遅れた百花はもろにダメージを受け、後退する。

 解像度を上げ、百花の顔をアップにする。冷ややかな表情はこの事態を想定としていたのだろうか、全く変化することはなかった。―――端正な出で立ちをしているんだから、もっと喜怒哀楽になった方が得な気がするな。(たとえば値引きとかさ、それは少し違うか?!でも、将来的に必要だぜ?)―――それじゃあ、宝の持ち腐れだぜ?クールキャラは今時古いんだぜ?

 風花をくるんとバトンの要領で顔の正面に持ってくる。スラスターをふかし、リズミカルに百花の懐に流れ込む。

 一閃。刹那、百花は身を捻り逆立ちのような体勢になり、反転してさらに捻りを加えたことで上手く背後に回り込まれた。つまり背中が開いてしまったのだ。剣を振るう私の腕が遠心力を利用して切り回しを計るよりも先に背中に痛みが走った。

「くっ!!」

 苦悶の表情と悲痛の声が漏れた。

 更に、背中に蹴りが入り、身が崩れた隙に正面から×字の切りを刻まれた。

 力なく地上に落ちていく。

 観客の悲鳴のような黄色い声援が耳をこれでもかってくらい劈くようにうるさい。顔もそれなりに強張っているし……、まるで、私の負けを暗示しているようでいやだなァ……。

 ―――ズドォオオオオォオォンッ!!!!!

 盛大な音を出しているわりには、Gや衝撃による被害はなく、小さなクレ―タ―を作ったくらいで済んだ。ゆっくりと身体を起こすと、制止するように鉄色に鈍く光る刀。そう近接ブレードが眼前に映った。喉元付近にそれは向けられていた。

 見下すような冷ややかな瞳。光が無く。慈悲という文字は彼女の心の中のあるとは到底思えないような印象を与えた。何のためらいもなくただ勝利にのみこだわる……そんな感じがした。

 手をつき、その時気が付く。不幸中の幸いというのか風花はしっかりと手中に収まっていたということを。

 視線を手元から百花に移す。唇を少し尖らせて、反骨心を露わにし、睨みつけるように見やった。

「こんなものですか。藤崎明日乃?――少し買被りすぎました。恐くも無いその睨みは猫の威嚇にしかすぎない。……でも、次の一手で貴女は負ける。だってそうでしょう?」

 百花の言葉通り、これは悪あがきにしかすぎず、シールドバリアーも百を切っていたし、本当にあと一撃を喰らえば間違いなく負ける。

 けれど、これほど悔しいのはどうしてだろう。手も足も出なかったこと?―――いや、もっと簡単なはず―――そうだ。彼女の熱意だ。

 彼女の動きから、言動から楽しむという思いがこれっきし伝わってこない。本当に、本当にだ。まるで自分の本心を殺して無理しているような……。

 最大まで掲げられた近接ブレード。振り下ろされるまでそう時間はかからないはずだ。

 だが、私にもチャンスはある。逃げるチャンス?いいや、勝つためのチャンス。手に収まった風花を強く握り、歯を食いしばる。奥歯がぎりっと鳴る。

「これで、おしまいです!!」

 この時、彼女の闇を見た。不気味に弧を描き、極上の笑顔を張り付けたそんな彼女の姿を。

 剣戟のコースは脳天を真っ二つに切り裂く事が出来るだろう一直線ど真ん中。

 ゆっくりと軌道を描きながら刃は容赦なく明日乃を切り裂こうとしていた。視覚が先行してゆっくりと見える。この感じは交通事故なんかを連想させた。

 再び上がる観客席の悲鳴を、搔き消すようにグラウンドに剣を叩きつけたような音が支配する。

 ―――ドォォォォォオオオンッ!!!!

 

 

 アリーナ外のリアルタイム中継を観ながら、クラウンは衝撃映像に茫然自失の一歩手前まで来ていた。

 相手側の打鉄の攻撃が決まったのか、判断が出来ない程グラウンドの土は舞い上がり、未だにモニターが晴れない。

 クラウンは思わず手を合わせ指を絡め、天に祈った。

 しばらくする映像が回復し、モニターを、眼を細くして堪えた。おそらく観客席でも同じような事を皆しているだろう。

 そして、会場の皆の表情が一変した。

「明日乃ッ!?」

 

 

 ――ガギィンッ!!

 

 リアルタイムモニターに、視界が回復された時、第一に聞こえた音がそれだった。

 剣と剣とが弾く音。その間に散る火花。

 そこでは今まさに鍔迫り合いが展開されていた。丁々発止といった言葉が似合う光景だ。

 幾度も響く剣の音。両者が切り抜ける姿がまるで、舞っているようにみえる。

 自ずと観客席まで熱を持ち、先ほどまでの畏怖をどこかにやったかのように黄色い声援が会場、アリーナ外を支配していた。

 互いに鎬を削り、一進一退といった隙あらば攻撃するスタイルが観客を奮い立たせた。二人の勝利を譲らない信念を強く感じさせるワンシーンでもあった。そこに明日乃の放ったハイキックが百花に命中した。

 現に明日乃の攻撃ターンがやって来た。雄叫びに似たそれを吐きながら、下段から上段に向けての逆袈裟。

「ハァァァァアアア!!」

 天まで持ち上がった風花は、左肩から右の脇腹を目掛け更に攻撃の後を刻む。

 私の攻撃に堪えたのか百花に次のステップは来なかった。明日乃は距離を置いてスラスターを噴かし、フラフラの百花の腹めかけ切り抜ける。

 明日乃はその勢いを殺さずに反転。もう一撃を彼女の胸に鋭く速い逆袈裟を放つ。×字に切り刻まれ、よろめいた隙に止めの一撃をお見舞いする。

 会場、モニターは時代劇のワンシーンを観ているようだった。

 次の瞬間、全体的に静寂に包まれた。明日乃は自然体に戻ると同時に後方を見やった。

 島原百花は前のめり、そして重力に従うようにグラウンドに沈んでいく。

 その時―――ビィィィィ!!

 ブザーの報せ。

 静寂に支配された会場は何テンポか遅れて、その時に状況を理解。そして歓声が会場を支配した。拍手喝采の鳴りやまない雨に明日乃は棒立ちになった。

「君のかち…だろ?……素直によろこびなよ?」

 両手、両足を大胆に広げた島原百花が、肩で息を整えながら、話しかけてきた。とても同じ女子とは思えない行動が自分を観ているみたいで、急に恥ずかしくなった。

「女の子なのだから、足を開くな!!」

「あ、ああ……」

 さぞ言われた本人はびっくりしただろう。眼を瞬かせ、口を何度か痙攣させたのち力ない返事を返した。

 それと同時に私は手を差し伸べる。釣られるように百花は私の手を掴んだの。

「ごめん。強く言ってしまった……」

「父にもよく言われた。癖ってやつだ。気を緩ませると出てしまう」

「それにしても、島原さんは強かったけど、なにかやってたの?」

「まあ、齧っていた。ほんの少々な」

 照れ臭そうに答えてくれた百花は、ジェスチャーでほんの少しを表現してくれた。

「その……藤崎。あのだな――」

「なんだよ?急にかしこまって」

 頭に疑問符を何個か浮かべた私は、彼女の余所余所しさに不思議と可愛いと感じてしまった。ぎこちなく視線を彷徨わせ、心なしか頬も赤く、なんかとても緊張しているみたいな印象を与えた。―――されたことないけど、告白でもこの後受けるのではないか?とさえ錯覚してしまいそうなそんな一場面であり、こちらにも変な緊張感が漂っていた。

「―――わ、私と……友達になってほしい!!!!」

「え……あぁ、友達ね。オッケ、オッケ。――てか、そんなことか。こっちも変に緊張しちゃったよ」

 いやだな、と私は頭をかきながら、顔を赤らめた。今度は百花に疑問符が何個も乗ることになった。

「ダメ……だろうか?藤崎」

「いいや。もちろんおっけーだ。それと、藤崎じゃなくて明日乃なっ!!」

 クスッと、百花は笑う。そんなに面白かっただろうか?さておき、そろそろ上がらないと怒られそうだ。

「積もる話は後にしてさ、まずは上がろうぜ?」

「ああ、そうしよう。明日乃」

「な、なんか照れるな……」

 急に名前を呼ばれたので条件的に驚く半面、こそばゆい感じがして、次に照れがやって来た。なんかいろいろな感情が一気に込み上げてきたというべきなのだろうか。それと、優しく笑った感じで言われたのも少しあったりする。

「なんか堅苦しい喋り方だけど、あんま無理しなくていいよ?同期だし」

「いや、実は昔からそうでな。父からの遺伝みたいというか」

「なんか侍みたいだな?そういうのかっこいいぜ?」

 今度は百花が照れた。顔をうずくめて表情を悟られまいとする行動をやってみせた。

「そういえば、さっきから百花のお父さんが過去形になってるんだけどさ。もしかしてさ……」

「ああ、すまない。変な勘違いを呼んでいるみたいだな。父はぴんぴんしているよ。この頃会っていないからかもしれないな」

「そっか。なんか安心した」

 引っかかった疑問も晴れ、同時にピット前まで到着。

 とりあえず私側のピットに入るなり、ISを解除した。ISが担っていたものから解放され、どっと身体に重力という荷物を私たちに背負わせた。

 そこに追い打ちをかけるようにクラウンがやって来て……。

「明日乃!!御無事で!?」

「あぁ、大丈夫だ……。心配掛けさせて悪かった……」

「はい。本当に……、どうにかなりそうでしたわ!!……バカ…!」

 私の胸に顔を埋めて文句を吐いたかと思うと次にぽかぽかと何度か叩いてきた。胸による緩和で痛みというのはなかったは嘘になるがほとんど効いていなかった。けれど、ここまで心配させてしまったという点においてはかなり胸が痛い。

 そこに、謙虚に入って来たのが百花だった。一瞬、彼女のことを素で忘れていたのはここだけの話だ。

「あ、あのぉ……。明日乃?彼女は?」

「あぁ、彼女はクラウン・ヴィクタ―だ」

「ヴィクタ―?」

 聞き覚えが無いはずが無い。だって、ヴィクタ―社は世界的に有名な大手企業なのだから。とくにこの学園を援助している点においても彼ジェイル・ヴィクタ―がバックにいるのだから知らないわけがない。逆に知っていて当然というわけだ。さらにここの理事長なわけだし。

 百花は一瞬逡巡するかのように顎に手を添えた。そして眼を見開き紡ぐ。

「もしかして、ヴィクタ―社の令嬢か?」

「あぁ、そうだ」

 そこで迷いから革新に変わった百花は頭のてっぺんからつま先まで見て、私の方に身体を寄せて小さな声でこう言ってきた。

「どういう関係かな?」

「どうもしないけど。強いて言うなら、恩人ってところかな?」

「普通逆では?」

「確かにな……」

 多分、クラウンがこちらに媚を売るように近づいてきているのが、百花にとって不思議な光景に映ったのだろう。本来なら私がその立場のなのだろうが、いかんせん甘えるのが下手なのだ。もしかしたらそれを見計らって彼女からスキンシップをとってくれているのかもしれない。

 おっと。二人でコソコソしていることに違和感を感じたクラウンが静かながらこちらに圧をかけてきていた。背筋がぞーっとした。

「ああ、すまないね。私は島原百花だ」

 百花は思い出したかのように自己紹介を始めた。差し伸べた手をクラウンは握ろうとはせず、明日乃背中で小さく威嚇していた。多分身長差かもしれない。私とほとんど同じくらいだ。私が170㎝だから。ざっと、168~9㎝くらいかなって。

 百花は黒髪が似合う長身美人だと思うのだが、クラウンからは恐いのかもしれない。それに、ここでクラウンの知らない一面を確認することが出来た。意外と人見知りな面があるということを。

「なんかさみしいね」

「すまない。ちょっと、照れているんだ」

「照れてません」

 抑揚のない言葉だ。それじゃあ、友達作れないぞ。

 ここで、百花に対して少し申し訳ない気持ちがしてきた。本人はもちろん苦笑い。

 手で謝るポーズをして、善意を露わすとクスッと百花が笑った。

「さてと、これから宜しくな、百花!」

「こちらこそ宜しく。明日乃!」

 手をガシッと握って、本台は次の試合についてに変わった。

 話を持ちかけたのは百花の方からだった。

「次の対戦相手は七組だな。大丈夫か?」

「ふふ、あぁ!大丈夫だ。私にはこいつがいる!」

「ひゃぅ!!」

 私はクラウンの肩をこちらに引き寄せ、身体を密着させた。すると、クラウンが素っ頓狂な声を上げた。

「ななな、なにをいきなり!!!?」

 顔を真っ赤にしたクラウンが更に詰め寄る。互いの顔が更に近づく。まるでキスをするみたいに。こちらが見つめ返すと彼女の瞳に同様の色が生じ、慌てて眼を離すと同時に身体も明日乃から離れた。

「何がともあれ、私のパートナーはクラウンなんだ。彼女は強い。だから、背中を預けることが出来る。いや、強ければ誰でもなんてわけじゃあない。彼女は特別なんだ。でも、時々他の意見ほしいんだ。その時は頼んでもいいか?」

「あぁ、いつでもいいさ。こんな私でよければな」

「ありがとう」

「いいよべつに」

「じゃあ、今日はこれくらいにしますかな?疲れてるだろう?百花」

「まあ、疲れてないって言ったら嘘になるがめずらしく疲れた気がする。そうしよう」

 最後に互いに握手し、明日乃はクラウンと共に部屋に戻っていった。百花は明日乃たちと違って反対を指している。だから必然的に反対方向へと歩き始めていた。

 明日乃とクラウンが角を曲がるとき、百花の姿はそこには当たり前のようにいなかった。

 

 

 



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第二十九話 見える所と見えない所

 

 

 クラス対抗戦一日目の夜がやって来た。昼間の島原百花との対戦は反響を呼んだらしく、終わった後、特に夕食中は色々とせがまれるという現象があった。握手をしてくれだとか、サイン貰っていいですか?とか……隣に座るクラウンの眼も恐かったが、断るのも忍びないので全てに応えるとさすがに疲れるものだった。だから今こうして一人夕闇の天が支配する屋上で夜風に当たりながら、色々と物耽るのだった。

 五月に入ってまだ日は浅いものだが、時を早く感じるのは充実している証拠なのか唯忙しくてそう感じるのか分からないのだった。六月に入れば学年別トーナメントや授業の方だってそれなりにハードにもなる。身体持つかな……。正直心配かなって、心中でぼやいてみるが、気を確かにして弱音を飲み込む。後で、クラウンにでも話してみるかな、溜めこむのは良くないし。

 少し湿っぽい風が頬を撫でる。

「夏が近づいてきてるんだよな」

 手すりに肘を預け、点々と灯る街々に目を配りながら、ぼそりと季節の移り変わりに一言添える。日中はそれなりに暑くなってきている。そろそろ半袖の時期ですかね。衣替え……は出来無いな。部屋がまず違う。

 ふと脳裏に妹の綾陽の顔が一瞬過った。この頃あまり見ていないから元気というか様子がはっきりと分からない。気になっちゃうのが姉というか家族としての務めみたいなものがあるからだ。後で顔でも出すかな。謝りたいし。

 力なく天を見やると、ポツンと浮かぶ真ん丸な月が神々しく漆黒の空で唯一自己出張をしている。続いて手を伸ばし、届くはずもない月を何度も虚空で掴む。自ずと小さく笑ってしまった。

 掴めもしないはずのものを必死に掴もうとする意気込みで不可能を可能にするとでも言いたいのだろうか今の自分は。綾陽とのいさかいもなかったことにでもしたいのだろうか。本当に今日は疲れているなぁ、部屋戻って風呂入って、早めに就寝と行きますかねぇ。

 くるんとゆっくり身体を反転させ、ドアの方に身体を近付ける。夜風で冷えた手をポケットにしまおうとワンステップの間でやってみせるが、すぐに出すことになる。

 丁度反転した時、明日乃は眼を閉じていた。瞼を瞬かせる間に縦状の薄暗い影のようなものが明日乃の顔を射とめていた。

 天には雲が確かに流れてはいるが、こんな縦状なものなど見たこともないし、聞いたことが無い。その時明日乃は思う。―――違う、私狙われてる!!?

 前に飛び込む勢いで受け身を図る。刹那、金属の独特の鈍い直接腹に響く音がした。

 ほんの数秒前まで私がいた場所に、人の足。特に女子のものが踵落としらしきものを決めた姿が明日乃の眼に映った。そして網膜に強くその姿が焼きつけられる。

 手すりはアルミ缶を連想させるかのようにぐしゃぐしゃに拉げていた。ゆっくりと足を下ろし、身体をこちらに向け、力なく歩んでくる。

 明日乃は受け身に成功したが、先ほどの像が脳内に強く焼き付いているせいで、身体が縮こまり、小さく震えていた。自身の野生の感が危険を知らせているが、腰が抜けてしまい、それどころではなくなった。

 おまけに月は雲が重なったことで遮断され、更に薄暗くなり相手の顔を見るどころか視界は悪くなる一方で、足元を確認するのが関の山だった。

 いつ攻撃されるか分からないという緊張感に神経を集中させるので精一杯だった。幻聴かもしれないがこの光景を嘲笑する声が聞こえる。

 手は汗ばみ、脂汗が纏わりついて気持ちが悪い。乱れた呼吸が相手に場所を教えているかのようで、さらに混乱状態に陥る。逃げたい一心で手を使って後退するが、これは明らかに悪あがきにすぎず有限が決まっていることだ。逃げ切れるか、壁に背をぶつけゲームオーバーか。

 足跡は近く、一歩一歩と確実に近付いてきている。まるで蛇か何か?と彷彿させる。

 乱れる呼吸に、恐怖で身体が言うことを効いてくれないので空回りしている。

 どんと背中に小さな衝撃が走る。―――どうやら壁に行きついたようだ。一気に込み上げる汗がもたらす物凄く気持ち悪い感触など二の次三の次だった。まずはこの状態をどうにかしないと……。

 こんがらがっている思考を落ち着かせるためには深呼吸をする必要があったが、いかんせん脳がパニックに陥り、それどころではなくなった。けれど、瞬刻、私は嫌でも落ち着きを取り戻すことになる。

 雲が流れたのか月は再び輝きを取り戻した。と、同時に隠れていた顔も晒されることになる。広がる視界。探究心を胸に宿し、明日乃は顔を上げ、晒された顔を見やった。

 固まった。目を見張りながら。一瞬時が止まったかのように明日乃は錯覚する。

 足を止め、堂々と顔を晒したその娘は口角を最大限に吊り上げ、下衆いた笑いを喉の奥で鳴らしていた。

 ―――そんな、はずは……。

「く、ひひひひひひぃぃぃひ」

「どうして……」

 問うが、答えはない。

 また一歩。一歩と足は引きづるようにしてこちらに向かってくるのだ。

「あ、……どうしてなんだよッ!!?あ、綾陽!!」

「――なぁ~~にぃ。お姉ちゃん?きひひひぃ」

「帰ってこない……腹いせ、か?」

「待ってたんだよ?ずっと。お姉ちゃんのこと」

「ごめん。でも、今のこれはなんだ!!」

 謝って済むのなら、最初からそう言えば良かった。こうなる前に。

 多分、綾陽がこういう方法に行きついたのも気になるところだが、一番苦しめたのは他でもなく私だろう。それなりの罰は受けてもいい、というネガティブな考えに至るまでさほどかからなかった。

 小刻みに揺れる身体を壁を使って起こす。これだけの動きなだけなのに身体がバテている。

「でも、ね。今そんな過ぎたことなんてどうでもいいんだよね?元が無くなれば、全てチャラになるわけだし―――だからね、お姉ちゃんには!!」

「カハッ!!?」

 綾陽の空を切るパンチが鳩尾に当たり、肺の空気もろとも吐き出す。

 膝をつき、肩で息をしていると、間髪入れずに顔に中段蹴りを喰らう。綺麗に入った反動、私は何度もコンクリートの上を跳ね、柵に身体をぶつけようやく落ち着く。

うつ伏せの状態で、何度も力を入れるが、その度に力が抜け伏してしまう。

 綾陽が近付く音がして、相変わらず下衆いた笑いを披露している。聞いていて非常に腹が立つ。不愉快極まりない。

 明日乃は近付いてくる綾陽に向かって、力のない睨みを利かすが、彼女の光のない瞳に圧倒され言葉を失う。それは綾陽の心の深淵を書き写したかのように現れていた。

 眼を細め、極上の笑みを張り付けている綾陽の表情は先ほどとは違った含みのある妖艶な笑みをしていた。まるで、快楽に目覚めたかのような楽しみを見つけたみたいな。

「そんなに立ちたいのなら、起こしますよ?」

 胸倉を掴まれ、腕の力のみで持ち上げられる。女子の膂力とは到底思えない力を発揮していた。

 腕に捻りを加えた綾陽は私から酸素を奪う。次第に頭がぼーっとしてきた。

 宙空に持ち上げられた私は足を何度もバタつかせるも綾陽はちっとも気にするようなことはなかった。むしろ私の苦しむ顔を見て喜んでいるようだった。―――これが夢であってほしい。そう刹那に願った。

「そ、……そんな…風に、そだて、たつもり、はねぇ」

「ううん。全部お姉ちゃんがイケないんだぞっ♪」

 より力が加わり本当に死ぬのではないかと思った。走馬灯も流れた。今までたいして姉らしきことした事無かったなぁ。ここにきて悔いの念が出てきた。これじゃあ、成仏できないじゃあないか――――悪い。父さん。母さん。私、先に行くわ……。親より先に死ぬのは一番の親不孝だっけ……。

 いつしか明日乃の瞳から灯は消え、諦め、眼をゆっくりと閉じ、静かな最後を―――。それは、来なかった。そうそれは新参者の手によって阻止されたからだ。

「明日乃ッ!!!?うぉぉおおおおおおオオッ!!」

 突然、屋上へと繋がるドアがけたたましく開いた。その刹那、私は解放されコンクリートに尻餅をついた。肺が空気で満たされる喜びを初めて知った。

 まだ荒く呼吸する胸に手をついた私を置いて、あちらでは激しい闘争を繰り広げていた。

 綾陽と見覚えのある紅い髪を結った少女は余裕があるのかこちらに顔を向けた。

「よう!元気してっか?!明日乃!!?」

「かおり……」

「悪い。明日乃を巻き込まずに済めば良かったが、眼を離した隙にそっちに行ってしまった。本当にすまない」

 火織は綾陽をあしらいながらもこちらに謝罪の旨を伝えてきた。

 それよりも火織の話し方が変わっていた事が何よりも驚きであった。前は甲高で、ちょっと鼻につくような感じだったはず。私がいなくなってから綾陽の身に何かがあった事を物語っているように思える。それに制服も所々破れていたり、ダメ―ジを追っていてかつてのような面影を思わせるものは残っていなかった。一言で言うなら逞しいと言うべきか。

「どいつも、こいつも、うっさい!!」

「一番うるさいのは他でもなく、お前だぜ?綾陽!!」

 足を刈ろうとした火織。それを寸でのところで回避した綾陽は更に距離をあけ、身を縮め自身を弾丸かのように前に発射した。瞬く間に距離は無くなり、そこに待ち構えた火織のカウンターをすれすれのところで回避し、滑り込むように背後をとり、バックドロップを図った。けれど、その勢いを逆に利用した火織が足をコンクリートにしっかりと着地し、腕のロックがゆるんだと同時に後方に跳躍。

 スタッと、私の横に並び立った火織は、ニッと笑った。

「私も成長しただろう?」

「ああ、すごいな……」

「明日乃。お前はここにいたらだめだ。とりあえず部屋に戻って大人しくしていろ?いいな?」

 火織の真剣な瞳が、胸を打つ。冗談ではないというのは分かる。こんなときに冗談を言ってなんになるのだろうか。けれど、ここで大人しく逃げるのはいささか胸が痛む。

「今の綾陽は明らかにおかしい。これは何か憑いているのかもしれないな。その表情から知っているみたいだが、聞く気はない。問答無用でここで始末する予定だからだ。もし、ここで戦うような真似をするようであれば、ただではおかない。だから、行け!明日乃」

「でも……」

「何度も言わすな!お前は私が倒れた時の保険。そして切り札だ。ここで共倒れなどという失態を犯したらどうする?!どう責任を取る?今のやつならここの生徒を皆仕留めることができる力を持っている……。だから」

 火織が苦渋な面を張り付けている。ぴくぴくと肩を何度も痙攣させ、眼を強く瞑っている。見開き、眼力のある瞳をこちらに向け直し、口を開いた。

 あの眼を閉じていた一瞬は、多分私に対する怒りを変換するのに必要な時間だったのだろう。

「だから、行け!!?今は逃げるんだ!!」

「どけ!雑魚が!!」

「どかない。一緒にいてやる」

 横目で、明日乃が屋上から降りて行くのを見守ってから、綾陽を剥がす。

「さて、ここからが―――本番だ!!」

 身体を何度か弾ませてから、ファイティングポーズを構えて、ステップを刻み、そして戦闘の火蓋が切って落とされたかのように火織は前進した。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……!!」

 あれからどれくらい走っただろうか。息の切れた私は、フラフラになりながらも辛うじて走っている。そう辛うじてだ。

 その途中で足を解れさせ、何度も転倒しただろうか。今の私には数えるどころではなかった。後ろからいつ追いついて来るかわからない私の血を分けた肉親、藤崎綾陽のことを考えると自ずと身体が強張ってしまう。走っていないとおかしくなってしまいそうな気がしたからだ。けれど、何度転んでも痛みを覚えることはなかった。それはアドレナリンが分泌されて興奮状態になっているからだろう。落ち着いた時が何より一番怖かった。

 鎮まりを次第に覚えてきたこの身体は、私を部屋に辿り着けると同時に眠りへと誘った。霞む視界に、短くドアがバタンと閉まる音を残して私は傾いたままの記憶が最後であった。

 

 

 ―――バタン!!!

 

 そのドアの強く閉まる音は他でもなく自室から聞こえたものであった。

 クラウンは明日乃が戻ってくるまでの間、テレビでも見ていようと思って、つけていた。

 消灯までも近く、短く区切りが良いと言ったらやはりニュースとなるのが適当なところだろう。聞き流しにしてもよしだし、何より見なくても大抵想像がつくからだ。鼻歌でも歌いながら、寝巻きに着替えようと制服を脱いでいた時―――ちょうど、ブレザーを脱いだ辺りに、その音は唐突にやって来た。盛大というよりも自身の事を知らせようとしているというのであろうか力強さが一瞬だけ感じ取れた。

 何事かと思ったクラウンはちょこんと顔を覗かせると、項垂れる茶髪に男性みたいな容姿をした人がドアに背を預けて寝ていた。

 脱ぎかけのスカートがパサッと、力なく落ち、弾かれたようにその場に項垂れる生徒に近付いた。すかさず、自身の肩にその生徒の腕を滑り込ませて、持ち上げる。

 一呼吸置いて、立ち上がる。予想以上に重く何度も身体が持って行かれそうになる。その生徒が重いとかそいうのではなく、人は本気で気を失うととても重いのだ。実際に今一人で持ち上げているのが何よりの奇跡と称してもいいくらいにだ。

「明日乃。もうすぐ、ベッドですよ……」

 ドアに項垂れていたのは他でもなく、明日乃であった。だから、条件反射のように身体が無意識に動いたのだろう。彼女を失いたくない一心に。そして女子の膂力とは思えない程の火事場の馬鹿力を発揮させた。

「よいしょ……!!」

 正直この際、明日乃を投げてしまった。

 けれど、着地場所は彼女のベッドだからなんの問題もない。―――というよりまず人を投げるのはどうかと…。

 そして、微調整を加えて、介抱できる体勢にすると、ブレザーを最初に捲るともちろんブラウスが顔を出すわけだが、クラウンにとってはそれだけで実のところ大興奮だった。

 人肌に己から触れたことが少ない初心なクラウンは、一つ大人への階段を上った気がした。

 先ほどよりパニックに陥っているクラウンは、次にズボンを脱がすと、可愛らしいボーダーの下着に、シュッとした太ももを含め総称して脚部が露わになる。所々に痣のようなものが腫れあがっていた。

 思わず生唾を飲み込む。

 呼吸も早くなっているし、心の臓も激しく血液を送っている。夥しく送っていそうなので爆発しないよね?なんて、初歩的な考えをするので一杯だった。

 ぐるぐると視界が回る。頭中は真っ白。考えてはすぐに消えの繰り返しで一向に答えに行きつかない。とりあえず、その肌に触りたい……。

 ブンブンと頭を被る。心頭滅却すれば明日乃の肌はすべすべと・・・。だからダメだって。

 歯止めの利かなくなった私はブラウスのボタンに指を掛け、一個一個外していく。プチンプチンとリズミカルにボタンが外れ、露わになる小ぶりな双丘。それと、下と違ったブラジャー。元々が肌白い明日乃なのだが、一際際立たせる。それは普段から彼女の肌を見ていないからだろうか。括れた腰つきには妖艶さがあり、無駄な肉が付いていない理想的な腹部には輝きがあって、抑えきれない何かが込み上げてくる。

 触るくらいなら、と。小刻みに震えたクラウンの指が明日乃の腹部に着陸した。吸い付いて剥がれそうもない。できれば触ってい続けたいそんな気持ちにさせる彼女の安心感が纏う腹部であったのだが、そこに―――。一滴の滴。純血。ピチャン……!波紋が広がるみたいにその一滴は彼女の白い肌を汚した。

 クラウンはそこで我に返り、近場のティッシュを抜き、身体に付いた鮮血を拭う。

 急に興奮が冷めたクラウンは、包帯を近くに持ってきて、彼女から衣類を剥ぐ。なるべく刺激しないように身体を持ち上げて、ブラウスとブレザーをベッド下に投げる。続いてズボンに関しては足を軽く持ち上げてその隙に抜き、同じくぽいした。

 そこからは授業で習った応急手当てを予習感覚でやってのける。手際がよく、瞬く間に明日乃に湿布や絆創膏に包帯が巻かれるが、色々とクラウンの考えた範囲でやるに布の面積大目というミイラみたいな容姿になった。

 治療の最中に何度か苦しげな声が上げていたが、一つ気になることがあった。「あやひ」というワードだ。彼女は明日乃の妹と聞く。何かがあった時ようにデータを拝見させてもらったが大したスキルもない一般生徒というのがクラウンの評価であった。

 それが、今の明日乃をしたというのであれば、場合によれば、手を出すかも知れない。明日乃は優しいから彼女を守る。そう韻を踏むクラウンは、すやすやと寝息を鳴らす明日乃の頭を優しく撫でた。

 

 

 



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第三十話 後悔という念を

あ、お久しぶりでね。

更新はいつ振りか、報告はのちほど書きます

とりあえず、溜まってるの出しちゃいます!


 

『……はぁ、はぁはぁはぁ……』

 闇雲に、ただひたすらに、足を走らせるのはどうだろうか?

 おそらく常人であればある程度走ると、筋肉疲労を起こし走ることを止めてしまうだろう。正直のところ、藤崎明日乃はその上記のとおりに足を止めてしまいたかった。だが、理由はどうであれ、走ることを止めることはできなかった。

 ただ、一つ分かることはこれであった。《走らなければ、後ろから何かが来て掴まってしまう》という心理。なら尚更のことである。が、今しがたこの変わらない情景に私は夢だと心の内から解き放って訴えたかったが根拠なんてものは無い。強いて言えば直観である。

 だから私は一度冷静になってみたかった。しかし落ち着きたいが、落ち着けない。なぜなら走っているからだ。

 次第に足がもつれ、その場に転んでしまう。それも派手に。けれど痛みは無い。アドレナリンによる興奮作用か?思考よりも早く身体が動いて、再び考えることは出来なくなってしまう。

『――っ』

 起き上がってすぐに再び、転倒。今度は横転だ。ようやく落ち着いた時、天を否、……漆黒よりも黒き虚無な空は周囲を支配していた。それほどにこの空間は何もなく、私を一人受け入れることすらなにも感じることは―――。

『つっかまえた~~!』

 胸で息をしながら、少しシリアスチックに物思いにふけっていたときに、私がどうして逃げているのか、その言及がわざわざ足をこちらに運んできた。ご苦労なこって。―――過剰な運動のせいか言葉がおかしい気がする。いやそもそも、私は運動なんかしt(以下略)

『断末魔はどんな声で鳴くのかな?…にゃあ?それともわん?』

『―――それ、は……無いと思、うぜ?』

『明日乃?いくら夢だからって、何もないなんて事は無いんだよ?』

 寝ころぶ、明日乃は南の方向から来た、血を分けた妹、藤崎綾陽と接触していた。

 身動きが出来ない明日乃に対し綾陽はゆっくりとこちらに近づいてきている。それに綾陽が話しながらこちらに向かう際に手に持っているものがあった。

 それは近接ブレード。日本の第二世代IS打鉄の標準装備である。それを片手で軽々と持っているのは夢の影響であろうにもかなりの迫力だ。

 あえてゆっくり来るのはこちらの平常心を狂わすためだろうか。正直のところかなり恐い。急に身体の血液が青ざめていくのが分かるくらいに。

 あいにくとこちらには策というものが無い。もう切られるのを待つくらいか?

『私の顔を見る度に、震えてね♪』

『や、止めろォォォォォォォォオオオ!!!』

 天上まで掲げられたブレードは、彼女の言下と共に振り下ろされ、綺麗な弧と空を切る音、スピード、何においても優れていた。躊躇のない一太刀は、私の胃を境に真っ二つに切り裂いた。

 派手に裂かれた私の胴は臓器を始めとするありとあらゆる部品は、シャワーのような鮮血とともに四散していた。その彼方には私の下半身と思しきものがあった。その下半身であったものはすでに肉塊となり、力なくただただ置かれていた置物に近かった。

 うっすらと意識が混濁する中で、私の鮮血を頬に染めた少女はにたっと極上の笑みを張り付けていた。

 

 

「うわっあ!!!――っ……」

 覚醒するや否や、私は悪夢に魘されたが如く、上半身をこれでもかってぐらいの早さで起こそうとした。だが、それは違うものによってあいまいなものとなってしまう。

 それは身体の節節から伝わってくる痛みであった。

「―――っう……いってぇ」

 ベッドの上で一人うずくまり愚痴を吐くほどに傷が痛む。

「痛みを感じるのも生きてる証拠……」

 どこかで聞いたことがある売り文句をぶつぶつと呟きながら、なんとか落ち着きを取り戻す。

 改めて、周囲を見渡すとここが自室であることを知る。カーテン越しから入ってくる陽光。鼻を抜ける女子独特の甘い香り。なににおいても、ここが私の部屋であることに間違いが無かった。

 落ち着いたことで昨日の件について覚えていることについて整理しよう。―――昨日の出来事だが、私はざっくりな話夜襲撃を受けた。屋上でまったりとしているところにだ。別にいつでも乱入は大歓迎だが、それとは違う要素を含んだもっともっと複雑な上手く言葉にできないわけありな感情を抱いたそれに近い。近いので言えば復讐。―――結果として犯人は妹の、綾陽で随分と様変わりした姿だった。

 そこに現れるのがかつてのルームメイトの吉音火織であった。満身創痍の私は屋上から離れ、ひたすらに歩いてやっとの思いで自室に辿り着いた…らしい。

 各々に思うものは私には分からないが、私がここにいるということはなにかのチャンスであろうものを手にしたのだろう。

「ゆめとは違って、胴は繋がってるしな…!」

 ポンポンと腹を叩くと、足元で何かが動いた。

 ふと、下の方向に目線を落とすとクラウンが猫みたいに丸まって寝ていた。じしつ、腕を組んでベッドの脇で突っ伏しているのだが。

 絹糸のようにさらさらとした髪が揺れる。腕の中で寝返っている。

「ほんと、かわいいやつ。ありがとな…」

 明日乃はクラウンの方に近づき、頭を撫でてやる。

 すると、後方から誰かに見られている気がした。だから、反転。反転した先に久遠が体育座りをしてジ――――――っと、こちらを見つめていた。明日乃は小さく笑い、久遠にも同じことをしてやる。久遠は気持ちよさそうに頭を撫でられている。

 それでもって、更に背後から、つまりクラウンのいる方向から衣擦れの音がした。

 案の定、それはクラウンのもので、眠気眼を擦りながら私の方向をジッと見据えていた。

 次第に眼が醒めてきたのか、その瞳は見開き、私の方にダイブしてきた。

「……あ、すの?―――わぁぁぁぁぁ!!よかった!明日乃が生きてるぅ!!?」

「おいおい……。勝手に殺すなっての?!一様ここに付いたんだしさ」

「でも、でも……、ぼろぼろで……死んじゃったんじゃないかって、ほんとにほんとに。ありがとう」

「ありがとうって、こっちのセリフだっての。心配かけさせちゃってホントごめん」

 クラウンは私の胸の中で、ポカポカと拳を交互に叩いた。私はクラウンの後頭部を優しく右手で包み、左手で優しく背中を抱きしめる。そして耳元で囁くようにこう言った。

「私は、ここにいる。少し距離が開いても、ここにちゃんと戻ってくる。だってお前がいるから。たとえ今みたいのが明日、明後日続いたとしても……」

「明日乃が、明日乃が困ったら、私がいます!傷ついたら、私が癒します。それでこそパートナーってものです!」

「――あ、ははは……。なんかいいとこ持ってかれた気がする。でも言いたいことはそのままだから、クラウンが同じこと思っていてくれてよかった!」

「わかります。明日乃が考えていることぐらいは?」

「そりゃあ、助かるぜ」

 明日乃はクラウンに微笑みかける。クラウンも反射するように微笑んでくれた。

 急に意識しだすと、私はなんてことを言っているのだろうか?……一緒だとか、戻ってくるとか、これではまるで告白をしているみたいではないか?!そう思うと顔が熱い。

 言葉にはしないが、クラウンも顔を覗かせてくる。み、みるな!?

「顔赤いですよ?」

「な、なんでもない!?」

「本当ですか?」

「ああ、本当だ!?」

 更に際どい動きをしたせいか、眼前に彼女の顔がある。距離は互いの鼻息が掛かる位。一歩間違えばこのまま……っておい。自重しろ!私!

「あすの……ぉ」

「………(ジ――――)」

 後ろからうなじを触られたみたいに、背筋にぞわぞわとした感触が身体を支配する。俗に言う鳥肌とか、悪寒とか。

 とび跳ねた私は後方、おそらく久遠を見やった。

 もう何度も言うが、この部屋には久遠とクラウンしかいない。右向け右、左向け左という感じなのだ。

 とりあえず、逃げる口実が出来たので今日のところはこれで仕舞にした。半強制的に。

 それからのクラウンは少しご機嫌が悪い。それに鼻に付いた血のことは何ともいい難かった。

 

 

 放課後。

 朝の一連の件で、今日はなにかと一人でいることが多かった。休み時間とか昼休みとか。なにより昨日のことを思い出す、否、私がうっかりしていたのだが一人の時はなにかと屋上にいることが多い、ということは必然的に昨日の跡を知ることになるのだ。

 綾陽が踵落としをした―――アルミニウムみたいにいとも簡単に陥没した痕跡が残る――手すり。

 それの記憶が鮮明にフラッシュバックする。奇妙な笑い方をした綾陽。それは常人では考えられないくらいの狂った理性の崩壊を許した笑い方。それが一番強く記憶に残っていることであった。

 そもそも綾陽にはもう一人の性格がある。いや、人間だれしもがもう一つの顔を持っているのだが、特に印象に残っているのが、どうしても彼女の顔である。名は日景という。なにより名を付けたのは他でもなく私である。

 出てくるタイミングが空腹時やストレスが過度の域まで達すると出てきてしまう、つまり機嫌を損ねた時の綾陽なのだ。

 話は変わって、この学園に入って初めの頃。私と綾陽、火織と三人でルームメイトをしていた。ある時に仲違いを起こしてから、私がその部屋から出ていく形でその場を治めたという言い方はよくないが、あやふやな終わり方だったとあの頃からそう思っている。それからおそらく一月は経つだろう。

 ここからは私の推測になるが。そこから日々増しにストレスを溜め込んだせいで、ついに歯止めを利かすことが出来ないくらいの化け物と化してしまったのではないかと思う。今まで傍にいてそこまで酷い姿にならなかったのはやはり私という存在が大きいのだろう。

 言葉であれこれ言う前に誠意で表現しないと……口は災いのもとである。これほどに後悔をするのであれば早めに謝っていればよかったと切実に思う。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、明日乃は力なく教室の方向に歩きだす。

 その間にクラウンと鉢合わせる。が、ふいっとそっぽむいて私を追い越してしまう。

 もうそこから、授業に集中出来ず、散々なことになった。

 ―――という流れで今に至る。

 放課後はアリーナでクラウンとトレーニングと決めている。その習慣により無意識のうちにここにパイロットスーツを纏ってここに突っ立っているわけだ。周囲でもまばらだが使用者はいる。それにギャラリーもいる。いつになく増しでいるように思えるのは自意識過剰か?

 適当に体操を初めて、息が上がっているのとは違う深い深いため息に近いものが発せられる。これは何なのだろう。

 隣で私と同じ所作をする藍色のドレスを纏うクラウンと同じく白銀の癖っ毛の髪を持つ幼女に問いかけた。

「なんなんだろうな?久遠」

「……(?)」

 幼女は小首を傾げるのであった。

 その瞳には答えというより疑問の色を宿していた。まあ、無理もないと明日乃は苦笑して一瞬悩みを忘れた。

 明日乃は時間が気になった。だから時計を探し、見つけては凝視するといつもの待ち合わせる時間帯に彼女は現れなかった。やはり彼女なりにも悩んでいるものがあるのだろう。だからあわせるか、おも――――。ふと、久遠が彼方の方向を見つめている。だから私も倣ってその方向を見やった。

「――――えっ?!」

 Bピットの方からゆっくりとこちらに向かってくる栗毛の少女。長さは腰くらい。それが歩くたびに揺れ、弾む。歩き方一つにも品が見られる。だが、その顔には品などなく、下衆いた、実に酷い笑みを張り付けていた。そう、それは私の妹。藤崎綾陽、本人であった。

 手には、白銀の束。おそらく三十センチはある。この時明日乃はぞっとした。

「やっぱり、こんなところにいた。お姉ちゃん♪探す手間が省けて良かった、良かった。あ、お姉ちゃんが待っている人はここには来ないよ?」

「綾陽……」

 今日一日教室に顔を出さなかった綾陽。なにをしていたとか詮索はしない。だが、一つ気になっている。それは手に握られている束のことで。それに綾陽が彼女がここに来ないという意味深的な発言。明日乃はうすうすとそれに付いて気付き始めていた。だがそれは仮説程度で立証はされていない。先走り過ぎて綾陽に矛先を突き付けて……。

「次にお姉ちゃんはこういう。その束はまさかってね?」

「綾陽、ふざけている場合じゃあない!!?」

「ちぇ、反応が悪いなぁ…。まあいいや。お姉ちゃんが先程から気になっています、これのことでも……教えちゃいます★」

 綾陽が手を離すとハラハラとそれがグラウンドに落ちていく。それは落ちていく上で確信へと変わっていく。あの長さ、絹糸のような質、……あれはクラウンの髪だ。

「それは、クラウンの髪……だよな?」

「へぇ~~良くわかってんじゃん。羨ましいなぁ、このクソアマ。私のことよりもこの女の方がいいって?」

 地に落ちた髪を綾陽は地団駄を踏むかのように踏みつけ、爪先でぐりぐりと更に踏みつける。実に見苦しい光景であるが、上手く言葉に出来ない状態でもあったがこれだけははっきりと言えた。

「それは何だよ?!綾陽!?」

「だめだよぉ……お姉ちゃん。私のことだけを見てくれなくちゃあ…」

「だからといって、そこまでしなくても!?クラウンに何の非があるって言うんだ!」

「それはねぇ、お姉ちゃんに近づきすぎたからに決まってんじゃん♪」

 綾陽の声は低く、それでいて腹に響く。極上の笑みを張り付けていて、女らしい仕草が目立つが、はっきり言えば彼女は狂っている。ここまで酷いとは……明日乃は自分を心底バカな奴だと戒めた。だが、事変わらずましてや覆水盆に返らず。もうこの状態を作りだしたのだから、最後までやり遂げるしかない。

 明日乃が地に膝を落とし、頭を垂れている頃には彼女はこちらに近づいて来ていた。

 耳を澄ますと、ちょきちょきとハサミを閉じたり開いたりなどの仕草をしながら。

「お姉ちゃん。どうして私があのクソアマに天誅を下したのはね。本当にお姉ちゃんに近づきすぎたからなんだよ?」

「どうして………私が、何をしようが勝手だ……ろ、う―――」

 シュッと、左側に何かが切り抜ける。眼だけを動かし左側を見ると髪の端が切り落とされて、はらはらと散る。

「……っ!」

 頬が切られたのか、痛みが生じる。

「そうそう。こんな感じにね?」

 よく見ると綾陽の瞳には光が宿っていなかった。だから、これほどの仕打ちが出来たのかと明日乃は一人納得した。いつの間にか身体は脱力し、震えていた。もしかしたら私も殺られるのではないかと。

「なぁ……一ついいか……?クラウンは、生きてるんだよな?」

「あぁ、うん?いや、抵抗したから手足を適当に刺しちゃったし、もしかしたら出血多量でぽっくり逝っちゃったかも?」

「う、うそ…だ、ろ…?―――お前!自分がしたことが―――!」

 私が話し続けるよりも綾陽の手が私の頬に辿り着く方が先で、明日乃は動揺して言葉を噤む。

「お姉ちゃんは本当に分かりやすいなぁ。大丈夫!!……かも。殺してないけど、どんな姿かは見てのお楽しみってね!?」

「じゃあ、火織は!?」

「結構抵抗したからね。半殺し」

 明日乃は綾陽を突き飛ばした。適当に足踏みをしてから体勢を立て直す綾陽だが、既に明日乃は怒髪天であった。

「なにが、半殺しだ……。いい加減眼を覚ませよ!?綾陽!!お前のやったことはその身を以て償え!!行くぞ!久遠!」

「何向きになってんのよ?バカじゃないの?まあ、頭脳的より直観的なのは今も昔も変わらないか。むしろ好きなんだけどお姉ちゃんのそういうと・こ・ろ」

 明日乃は怒号交じりの口調で、IS久遠を呼び出した。いつも以上に気迫が全体から滲み出ている。おおらかなその表情は鬼そのもので。一瞬綾陽が怯む。だが、むしろそこまで本気になる姉を見るのも久しぶりであった。だからこそ完膚無きにまで倒し、仕舞にはこの手で殺めるのも悪くない。

 綾陽は手が冷たくなってきていた。それほどまでの気迫。腹の底から緊張が伝わってくる。

「そっちから来ないんだったら、こちらから行かせてもらう!!」

「おいで」

 綾陽は生身であった。それでいてなんとも涼しい顔をしている。実に完成度の高いポーカーフェイスである。とりあえず一発殴っとけば眼も醒ますはず!

 明日乃は綾陽との距離を一瞬で殺し、その勢いで渾身のストレートを綾陽に向かって放つ。

 綾陽は後退ということはしなかった。迫るパンチにむしろ肉薄した。そして両腕をクロス。防御の型で迎え撃つ。明日乃は驚愕を面に張り付けた。勢いの付いた拳は急には止められない。だから、それは綾陽に吸い込まれるように当たってしまう。

 当たった衝撃により、宙空へと投げ飛ばされた綾陽。もうちょっとで、壁に当たってしまう。だが、綾陽は身を捻り、むしろそれを足場にし、こちらに向かってきた。反応が僅かに遅れた明日乃は彼女の蹴りを受けしまう。威力はそこそこなのだが、何より驚いたのはその身体能力であった。

「綾陽、お前は一体……」

「お姉ちゃんにもその質問してあげる。《お前は誰だ》ってね?」

「知るかよッ!!」

 クスッと、小さく綾陽は笑う。それは私を侮蔑するみたいに。ほんの少しの迷い。またしても綾陽の良いようにされてしまう。地に伏せている身体を起き上がらせる。

 クスクスと小さく笑いながら綾陽はアリーナの中心部に鎮座している打鉄に身を預けた。

 ようやくこれで、まともにやりあえる。なんて、言ってみたいよな……。ただでさえ、生身で押されているのに。

 明日乃は刹那の間、昨日見たデジャヴュを思い出した。些細なことではあるが、結末がそれになるのではないかと思えてしまえたからだ。だからと言って、ここで素直にやられるわけにはいかない。だから精一杯に抗ってやるさ。

 風花を呼び出し、正面に構える。

 ふと、周囲が静かだなと思い、見てみると人っ子一人いないことが分かった。だから、何気なくうるさいなと思ったわけだ。

「さて、専用機持ちが、第二世代に勝てないわけないよね?お姉ちゃん?」

「ッたりめぇだ!」

 

 

「……っ、うぅん。ここは……!?」

 クラウン・ヴィクタ―は窓から差し込む夕日によって眼を醒ました。

 混濁する意識の中で、身体を起き上がらせようと腕に力を入れるが、それは叶わなかった。言うことを効かないことで、寝ぼ気はどこかヘ吹っ飛び、今起きている現状を確認するために目下を見やった。すると腕部周辺に一本のロープ、脚部特に踝に一本さらに手首と、はたから見たらそういうプレイをしているみたいにとれてしまう。別にクラウンがロープで縛られようが、何をされようが相手が明日乃ならば許してしまうこのMっ気は認めるとしてどこの誰かも分からない相手に縛られるのはさすがに許せない。という話は別としてこの縛り方よりも亀甲縛りの方が――そろそろ話を戻しましょう。

「はて、ここはどこでしょう?」

「ここはね、かつて明日乃がいた部屋なんだよ?」

「へぇ~~。それはご丁寧にどうもって―――」

 クラウンは固まった。まず、人がいるなら教えてほしかったこと。その中で自身がMっ気が強いということをふと思ってしまったこと。あれこれ思っても過去には戻れない。とりあえず、冷静を装い後ろから声がしたので後ろを向いてみることにしました。

 またはや面を喰らいました。泡を喰らいました。なんとそこにいた人も縛られていたのです。何より驚いたのはそのあとにさわやかな顔をして自己紹介をし始めたこと、ついでに私も自己紹介をしました。というよりも相手方が私のことを知っていたのです。

「はぁ~、助かったぁ~~クラウンさんは大丈夫?」

「はい。でも私たちここで何用に?」

「言葉で説明するよりも、君には現状を知っておいてほしいな。綾陽が何をしたかをね!?」

 私は吉音火織さんという人に、背を押されながら洗面台のほうへ向かいました。この時さすがに自身に起きていることに分かっていました。それは髪が肩口まで削ぎ落とされていたことでした。

「あらぁ……」

「あれ、驚かない?髪を大事にしてる子かと思ったんだけど…違ったかな?」

「いえ、確かに髪の毛は大切にしていました。なにせ、明日乃に羨ましいなと言われたくらいですから」

「アンタ、強いな?」

「はい?」

 クラウンは小首を傾げた。先ほどまで吉音さんは無理して笑っているようないないような複雑な表情をしているような方でしたが、今本当の顔を見たような気がしました。

 そのポニーテールに纏めた髪は姉と、いいえ、色素の赤っ気がこちらの方が濃く、灼熱を彷彿させるその赤は今の吉音さんの表情と相まって凛々しく見えたのです。その瞳にも赤く燃えるものも見れますし、彼女なりに確信に行きついたと判断できました。でも、彼女の発言にクラウンが小首を傾げたのは本当の話である。

「誰にだって、譲れないモノはあります」

「アンタにとって、それは明日乃ってか?」

「はい!」

「いい返事だな。明日乃が羨ましいぜ」

「ところで、私たちはどうしてここにいるのでしょうか?」

「君が運ばれてきたのは、ほんの二時間前かな。私は前日の内に捕まっちゃってさ。ほぼ一日中この体勢で」

「私を捕まえたのって、明日乃の妹さんの……」

「そうだよ。綾陽なのさ。彼女がこうなったのは明日乃がいなくなってからなんだよね。前は抑え込めたんだけどさ。最近はこれが日常で。いつの間にか縄解きもお手のものになっちゃって……」

 恥ずかしそうに頬を掻きながら吉音さんは言う。

「それより、早く明日乃のところに行かなくては……?!」

「そうだな。今頃どうなっているやら」

「明日乃は簡単にはやられませんよ」

 

 

「お姉ちゃぁ~ん。こんな生温いことして私が喜ぶと思ってるの?」

「………」

「喋らないとぉ、こうしちゃうぞォ♪」

 綾陽の力は圧倒的であった。

 風花と鎬を削った時に、刃から何とも形容し難い重いものを感じ取った。それから、すっかり身体が縮こまってしまい、今では刃が立たない始末で彼女が私を起こさない限り一人では立ち上がることすらままならない。まるで力を吸われているみたいで、気だるい。

 何度目かの綾陽の薙ぎは、久遠のシールドエネルギーを容赦なく奪っていく。もう少しで底をついてしまうだろう。今の攻撃の反動で私はグラウンドを何回転した後、天を息を切らしながら仰ぐ。息をすることすら面倒に思うくらい、いっそこのまま死んじまうのも悪くない……。明日乃は力なく眼を閉じた。

 

―――いや、ここで諦めるのにはもったいない。もったいなさすぎる!

 

 一度閉じた眼を開き、震えるどうしようもない身体に鞭を効かせ、風花を杖代わりに、明日乃は起き上がった。

 

「ここで、ぽっくり逝くのもいいけど。まだまだ知りたいことがあるんだな。これが!」

「さすが、生命力がゴキブリ並みのお姉ちゃんだね?」

「おうさ、あんま嬉しくないけどその言葉受け取っとくぜ?!」

「私の本気でポックリ逝っちゃえェェ!!」

「はは、もうお前の攻撃は、私には通じない!」

 綾陽の持つ近接ブレードのその打突力は、あまりの軽さからいくつもの残像を残す。この動きはレイピアのようだった。だから、私の風花の幅広の剣との相性が悪く、一方的な展開を広げたというわけだ。いまなら種も分かる。だから、私も軽く。もっと軽く!

 ――――OPEN!―――

 カシュッと空気の抜ける音がしたと思ったら、風花は中心を境目に真っ二つに分かれたのだ。私の要望通りに軽く、そして少し渡りが短くなっている。

「だから、もう同じ手には引っかからないの!?」

「えっ!」

 私も綾陽と同じスピードに付いていける。バトンのように軽々しく操り、そしてアクロバットな曲芸を織り交ぜ、ついに綾陽を後退させることに成功した。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。だんだん綾陽の顔色に余裕の色が無くなってきている。もうひと押し!諦めてたまるか!

 近接ブレードを右手でロックし、左手で脇腹を狙う。綾陽も一筋縄でやられるような奴ではない。宙に身を捻り、二回転するかと思えば、着地し、空いた所に突いてくる。私は小さく唸り声を上げ、後退した。

 すかさず立て直し、剣を天上に掲げるが行き場が無く、躊躇いを私はみせる。振りおろそうと思った時、風花を逆手に持ち替え、屈み思い切り後方に突きだした!

「ば、かなぁ……」

「はあああぁぁあああああア!!」

 綾陽の唸り声、それは断末魔の叫び。彼女の声ではなく悪魔の声綾陽を惑わし、仲間を苦しめた、苦しみの権化。それを断つ!!

 風花は柄と柄をドッキングさせることでナギナタモードへと姿を変える。明日乃は自分でも信じられないくらいの剣捌きで宙に躍り出た綾陽に連撃を噛ました。

「ウラアアッ!!」

 打鉄は地に落ち、綾陽を吐きだすと、糸人形の糸が切れたみたいに、ぴくりともしなかった。

「ざまぁみろってんだぁ……」

 この時すでに息が切れ、意識もままならない中に、飛び込んで来る人影を確認。―――よぅ、クラウン……。

 瞳に涙を溜める少女は果たして幻覚か本物か、明日乃は確認する前に視界が真っ暗になってしまった。

 

 

 

『――君は、また一つ強くなった。これからも精進してほしい……。願わくは私と一つにならんことを―――』

 

 

 

「―――ゆ、め……?」

 明日乃の寝ざめはすっきりとしていてとても清々しいものであった。

 これが、朝であれば、朝日に当たり光合成をしたいものだ。まあ、誰も突っ込んでくれないのでそのままスル―します。

 カーテンの閉まっていない窓から茜色に染まった空がうかがえた。この空からするに、これは今日起きた出来事が、全て夢ではなく事実で、綾陽の心の闇を取り除けたまでは分からないが、思いっきりぶつかったという事実がはっきりと残っている。この手で綾陽を倒したというのも。

 なによりも……。

「久遠。お前がそばにいて私に力をくれたからだ。ありがとう」

「……(こくこく)」

 それに、さっきのセリフは一体誰が。今まで聞いたことのない、知りもしなかった。新たな情報。それがモヤモヤとした感情を引き起こしたわけでもなく、むしろ心地よかったとも思えた。だから……今言えるのはこの言葉を片隅に閉まっておけばいずれかは分かるだろうという心理である。

 そんな一人佇んでいる時、光が伸びる。自然光ではない方、人工光である。それも、浴槽がある方から伸びている。

「まぶしっ!?」

「あ、明日乃。眼が醒めたんですね」

「お、おぅ。お前こそなんで……」

 藍色の空は次第に黒くなり、明かりを灯すのにはちょうどよかった。だが、浴槽の方から出てきた彼女――――クラウンは、濡れた髪に、バスタオル一枚と異性ならこの光景に飛びつくこと間違いなし!……だろう。―――だからとはならないが、いきなり電気をつけるのはさすがに引けた。そんな事よりも私が驚いていたのが、バスタオル一枚とか濡れた髪とかもあるが、一番の変化ともいえる髪の長さであった。今までは腰くらいまで伸ばしていたのだ。私が褒めると本当に喜んでいたという印象が強い。その髪を切るということは、やはり―――。

「クラウン。その髪……」

「あ、気付きました?イメチェンをしようと思って吉音さんに……」

「よっす!明日乃!相変わらず冴えない顔してるな?」

「火織!―――っつ……!お前こそ、バカに元気じゃあないか?」

「うっさい!」

「なんだ……二人とも、無事だったんだぁ……」

 私は二人の顔を暗闇越しから確認した。その安堵感に立っていることが出来なくなり、せっかくベッドから降りたのに、カーペットの上で尻餅をついた。

クラウンは髪が肩口までで整えられていて、短くても美人は美人だ。隣の火織も同じくシャワーを浴びたのか濡れている。顔には傷パッドのような絆創膏が張られていて、ますます少年のオーラを醸し出している。

「なに、泣いてんだよ、明日乃……」

 火織が、照れ困りのどっちつかずの顔でぼろぼろと泣く私に声をかけてきた。なぜだろう。なんで、泣いてんだろう?

「明日乃は優しいですから!」

「やさしいってか、ただのお節介焼きだな。うんうん」

「―――ぐずっ。ばか、そんなんじゃねぇしぃ」

「はいはい。明日乃。ちーん」

「ちーん」

 こんな時間が続けばいいな……と明日乃は口にはしなかったが、内心そう思っていた。本来ならここに綾陽もいて……。でも、今のこの時間も悪くない。この三人で出来ることをしよう。

 

 また綾陽みたいなことが起こらないように。

 

 切なる私の小さな思いを。

 

 

 



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第三十一話 新たなルート。

 

 

「クソッ!クソクソ!!!―――どうして、どうしてこの私が、あんな奴に負けるのよォ……」

 ―――ほんの数時間前のことだ。

 私――藤崎綾陽は実姉の藤崎明日乃に手を掛けた。結果として失敗。これまでにないくらいの惨敗という苦水を啜る形になり、隙を見て人通りの少ないピット付近の廊下に身を転がしてきたのだ。

 死ぬ物狂いでここまで来たのだから、息は上がり、気分も悪い。

 背を壁に預け、暗闇の天井を睨み、奥場を噛んだ。

 敗因は未だ分からない。どうしてこうなったのかそれすらも分からない。大人しく寝ていれば楽になれたのになどと祭りの後のような戯言を綾陽は誰かに同意を求めるわけではないのだが、誰もいないその空間に独白するのだ。もちろん反応は無い。あってたまるものか……。同意、同情は情けなくなる。

 綾陽は反転し、気が済むまで拳を壁に叩きつけた。それと同じく発せられた怒号の混じった声には、ありとあらゆる怒りの成分が込められている。どのようなことを思ってはいているのかは本人にしか分からない。――今がまさに綾陽が一番人間らしいのかもしれない。

 それではまるで綾陽が今まで人という名の皮を被っていた。それでは彼女を否定してしまうことになってしまう。人と同じように笑い、泣き、怒ることや喜ぶようなことをしてきたはずなのに……。

 ただ、言うならば綾陽は明日乃という存在に依存していただけなのだ。更に言うのであれば甘えん坊なのである。人に頼り、自分は後ろでそれを待つ―――みたいな、けして自分の手を汚さない。そのスタイルを貫き通してきたこの幾歳。それがある時、ちいさなアクシデント一つで、いとも簡単に崩れてしまうものである。

 

―――明日乃が綾陽の前からいなくなったのだ。死亡や行方不明とはまた違う、一言で言えば姉妹喧嘩。仲違い。部屋を出て行ったきり帰ってくることはなかった。

 この手駒を失うこの消失感も、いつの間にか小さなストレスが積もりに積もり、いつしか爆発させてしまった。それが明日乃に対しての攻撃である。昨日の出来事、今日の出来事に後悔はない。―――だって、悪いのは明日乃なんだから―――。

 言葉にならない声を吐きに吐いた綾陽はズルズルと、力なく廊下に倒れてしまう。まるで蛇のように這っているようだった。胸を掴みこのすっきりとしない気持ち悪い感情をどこかに再びぶつけたいのだが、その気力が無いければ、力もない。

 壁に付いた血も、吐いた悪物も、今はどうだっていい。どうだっていいのだ。

 私は誰を憎み、誰を殺そうとしたのだろう。それは本当に誰でもよくて、たまたまそこにいた明日乃に牙を向けてしまっただけで、本当は明日乃を殺めても何の解決にもならないのだろうということを知っていた。けれど本当にやってしまったのなら、そのあとに待ちよせる後悔という念に押し潰されるのが関の山だということも知っていた。

 ではどうしてこれほどに落ち着いているのに、先ほどの憤りは嘘みたいに思えるのに、明日乃に手を出してしまったのだろう。先の見えない自問自答を繰り返しているうちに本当に先が見えなくなってしまいそうな感覚に襲われた。

 結局、私は誰かに見ていてほしかった。そして自分のわがままを聞いてほしかった。――まるで甘えん坊そのものではないと己に軽蔑した。

 自分が悲劇のヒロインでありたい。だから自分を救ってほしい。誰だっていい、私を救ってほしい!今までにないくらい願った。誰でもいいこの手をとって―――。

「では、救ってあげよう――藤崎綾陽君」

「えっ―――?」

 天から聞こえた声。―――幻聴?否、それは間違えである。

 聞こえたのは幻聴だ。では、なぜ眼前に人がいるという新たな問題が発生する?ということは簡単だ。それは幻でもなければ、幻覚でも、幻聴でもない。すなわち、人そのものであり、私に声をかけてきたからだ。実に簡単で、考えるという事をしなくても分かることだ。

 綾陽は天を睨むように見上げた。

 太陽のように輝く、純白なスーツに身を包み、こちらにほほ笑みを送る。

 その笑みに偽りがあって、でもなぜか安心できて、とても不思議な感覚に綾陽は驚いていた。

 無意識に手を伸ばし、助けを請う。それは赤ん坊のように。

「立ちたければ、自身の力で立つんだ。君はもう一人だ。誰かに請うなどという甘えは必要ない」

 払われた手が、廊下に付くなり、綾陽は早速行動に出た。自身の力で立ち上がろうとしたのだ。

「やればできるじゃあないか」

「その胡散臭い笑いどうにかした方がいいですよ。理事長」

「あはっ、そうかな~~。私の渾身のスマイルなんだけれどね!―――さてさて、君が今日したことは分かるよね?」

「はい。退学ですか?」

「おいおい、そんなわけないじゃあないか。君の実力に見込んで面白い話を持ってきたのにぃ~~」

 くねくねと身体の柔らかいアピールしたジェイルは奇妙な動きを披露した。綾陽はそれを意に介さない。なんせ、理事長がこの綾陽に話があると言うのだから。そんな前座よりも中身が気になる子供の心理に元づいていた。

「君の願いは力、だったよね?」

「どうしてそれを……!」

「眼を見ればわかる。その渇きに渇いたその眼。実にいい!すばらしいよ!だから君の欲望を叶えてあげよう」

 胡散臭い。実に胡散臭かった。なにが欲望を叶えると言うのだ。確かに理事長の考えることは強さへと近付くのには容易い。だが、私は楽して強さを得たいのではない。険しい道を渡り、そこに新の力があると信じているからだ。だからなおさら、それは許せないことなのだ。

「だけどね、その君のくだらないプライドは一生強くはならないよ?君見たいのにはとくにね」

「なにが……知ったような口をきくな!!」

「そうやって、自身の意見を否定されたら、まず相手に飛びつくっていうのはねガキがするもんなんだよ!そろそろ大人になりたまえ。いつまでも絵空事では食ってけないんだよ!!現実を受け止めろ」

「ただただ年を重ねただけで偉そうなこと、言うんじゃあない!」

「―――これで、分かっただろう?」

「―――!!」

 飛びついた綾陽はいつの間にか地に抑えられていた。関節を取られ、絞めていく。ジェイルは分かればいいと一言残し、いつもの胡散臭い方に戻った。

「で、話を戻すけど、君には我が社に協力してほしい。テストパイロットとして」

 身体を縛る重しのようなジェイルの体重も、絞まった腕の開放とともになくなり、綾陽は立ち上がる。ぽんぽんと叩きながら聞き流すかのような感じでジェイルの話を聞いていた。なぜなら急な誘いではあるが、概ね予想は出来ていたからだ。

「私なんかより、明日乃の方が何倍もいいかと思いますがね」

「それを言って、どう返してほしいかい?――ああ、そうかいって諦めてほしいかね?全く素直じゃない。もっと素直になりなさい。こんな千載一隅のチャンスを逃すのもどうかしてるけどね。―――さぁ、最後に聞くよ。私の申し入れを受け入れるか受け入れないか?」

「私は、力がほしい。力がほしい!」

「では、承諾かな?」

「はい!」

「ふむよろしい。ではこの後付き合ってもらうよ?」

「分かりました」

 こうして、見えない闇の部分の取引が成立した。

 綾陽は胡散臭い彼の背を追いながら、深淵にも似た空間に連れて行かれるのだった。

 

 

「あ、ちなみに……、君は甘えん坊じゃなくて、ただ汚いだけだからね?言葉を履き違えないでほしいね。わかったかい?綾陽君?」

 そこに綾陽の返事はなかった。

 

 

「ふふ~ん♪ふふふ~ん♪今日は、ツイてるな~~。もしかしたら生涯で一番運がいいのかな??そうだとは思わないかい?!綾陽君?」

 夕焼け色が空を支配し、その一つ向こう側は藍色が夜の帳を降ろそうとしているのが学園越しからでも一目でわかるほど、圧倒的に自己主張をしている。まさに文字通り夕刻と言わんばかりの景色だ。だが、それは夕焼けという現象を眼中に入れ、気付くようなアクションをすれば、また違うのだが、あえて気付かないかそもそも眼中に入っていないのか全く分からない、はたまた見過ぎて至極当たり前のようになってしまったということもあるが、―――ではどうして今、論を述べているかというと私の前をベラベラベラと口うるさく物言う長身の男性がいるのだ。口調は滑り滑って饒舌そのもの。

 暖色とは程遠い、無機質な白。それは、全身にまで影響されている。肩口にまで届くその綺麗な白銀の髪は、ほんの数時間前に自身が手にしたその髪の束を彷彿させる髪質。自身の手中を見ようとすればそれが幻覚として今なら見れそうだと、綾陽はそう思った。

 綾陽は、いまどうしてこの男の背を大人しくついて行っているのか正直、理由があやふやになりつつある。あの時はつい力と答えたが、それがいざ手に入りそうになると躊躇の念が身体を掬わせる。

「力を求めるのは悪いことではないよ。良いじゃあないか、人間らしくて非常に」

「どうして、私の……!」

「君、本当に集中していたんだね?小さくだけど、君のひとりごとが耳に聞こえた。そして、私が話を脱線させた!迷ってるね?って耳打ちしたらベラベラと、ね?」

「貴方は何者なんですか……?」

「私はね、欲望に飢えた人の見方だよ?――なんてね」

(欲望……ね)

「さぁ、着いたよ」

 チンと、エレベーターが最上階を意味するところで止まり、ドアが開く。するとチョコレート色をしたドアが私たちを出迎えてくれた。重量感のあるその妙な威圧感を醸し出しているそのドアの上には理事長室と看板が打ってあった。

 綾陽が少し、ビビっているのを見かねたその長身の男――ジェイル・ヴィクタ―は小さく微笑み、こう言った。

「君に紹介したい人がいるんだ。さあ、私の合図で中に入るんだ」

 手を指し伸ばされたが、綾陽はその手をとることはしなかった。

 ジェイルは落ち込むも立ち直るのもまた早く、上機嫌な様子で、ドアを開けた。

 

 

 

「ただいまぁ~。待たせたね~我が愛娘たちよ!!おっと、時間が少し過ぎてしまったね?」

「ううん、私は今着いたばかりだからいいよ。父さん」

「それは姉さんだけ。私は二十分も待ちました…」

「ははは、こうも性格が違うと、おもしろいね」

「はぁ……何が、面白いですか!?こちらは全然楽しくありません!!」

 ――と、扉を抜けてすぐ左側に真っ白の服――IS学園の制服を纏った少女、クラウン・ヴィクタ―が頬をぷくーっと膨らましながら、愚痴る。

クラウンはジェイルの愛娘である。故に何をしても可愛いのだ。

 続いて右の方は、真っ赤なスーツを着こなす女性が立っていた。これも私の娘だ。名はカトレア・ヴィクタ―だ。今では立派な社会人で、戸籍上は我がヴィクタ―社に置いてある。……そうではあるのだが、我が社よりも世界中のあちこちにいることが多いといってもいいくらい海外の方で活躍の方をしてくれている。だがそれが返って都合のいいことに電話一本でこっちに赴いてくれるので非常に便利であり、頼もしいビジネスなんチャラである。

 左右違う華が揃ったことで、ジェイルがデスクに就くと顔つきが変わる。

 二人も空気を呼んで真面目モードに移行した。ジェイルは頬づえをつき、一呼吸後に本題に入る。

「さて、二人をここに呼んだのは他でもない。君たちの出番だよ」

「ということは、いつものテストのことですか?」

 クラウンが真剣な面立ちで問うた。眉根が立ち、身に力が入っている。それを気迫なんてもいう。気合いが入ってるのは十分だ。だが、気合いが入り過ぎて壊れないでもらいたい。ジェイルは目線だけをカトレアに向けると、クラウンとは真逆の色を醸し出していた。ということは落ち着いているということだ。リラックスしていて彼女がパイロットならいい結果が出せそうだ。

 ジェイルがこの二人を呼び出すときの大概がヴィクタ―社のテストパイロットとしての件である。ヴィクタ―社の今までの功績はこの二人と一人の研究員によって出来上がったものだ。ジェイルの役割は総監督。ただそれだけだ。

 仕事中の父には威厳を感じさせるものがある。一つは家庭的な一面があるその顔が鬼のような形相になること。もう一つは口調。単純にいえば、口が悪い。が、それでも人を見捨てるようなことはしない人だ。冷徹な一面を見せるも的確なアドヴァイスを与え、人人を更なる進化へと誘うヒントをみせるその姿を私たち姉妹は見てきたつもりだ。

 ―――その父の顔つきに今は威厳を微塵も感じさせない――非常ににんまりしていて気持ち悪い――それは私たちよりも先の方を見据えていた。つまり扉の向こうに答えがあるものだと、ヴィクタ―姉妹は感づいた。変な顔をするのはなにかいいことがあった時にこそ出る。喜びに善し悪しは関係ないが、極端な変化は玉に瑕だ。

「まあ、そうなるが今回は協力者がいるんだ。入ってくれたまえ」

「失礼します」

 ジェイルの言葉に一拍置いてからノックする音が聴こえ後に、抑揚のない無機質な声を発しながらそれは入って来た。

 クラウンは顔が引きつり、カトレアはぱあっと、喜びの顔になる。対照的な反応を示した二人だが、クラウンはそれに噛みつくような勢いを隠しきれなかいほどの憤りを感じていた。

「どうして、貴女がここにいるんですか!!!!」

「落ち着きたまえ、彼女が今回の協力者だ。それ以上もそれ以下もない。仲良くするように」

「はーい♪」

 快活そうな声を発するカトレアに対し、クラウンはジェイルの言葉がうまく飲み込めず、感情的になって、吠えた。

「貴女が今日私にしたことをお分かりの上でここにいらしたのですか!?答えなさい!!藤崎綾陽!!」

「………」

 彼女は口を閉ざしたまま、ただクラウンを見つめていた。数時間前までの彼女とはまるで別人であり、今の姿はまるで抜け殻のようであった。無気力そのもので、殺気は感じられないし、眼は暗い。心ここに在らずですって、表現をわざとらしくしている。そこに腹が立つ。拳を固め、感情を押し込めようと勇む。

「や~ん!かわいいィ!!!♪」

 そんなことよりも真隣でくねくね身をよじらす姉のモーションおよびリアクションの方が何倍ものストレスを胃に与える。騒がしくて彼女にあれやこれやとぶつけてやろうとしていた怒りが、姉の行動により行き場を無くし挙句、自然的消滅を果たし、溜息にクリーニングされた。

「この茶髪って、地毛?こんなに綺麗に手入れしてある。指を透き抜けるこの感覚は一級品ね。でもあなた、髪を下ろしているのはどうかと思うわ。長さはある程度あるんだから括った方がいいんじゃないかしら。私だったら、ポニーとか、ツインテなんても王道で燃えるわ!それから、―――それから――――」

「カトレアは気に入ったようだね?クラウンは?」

「私は、私は彼女を受け入れることはできません。やるのであれば、明日乃がいいです!」

「君の言いたいことも分かる。出来ればそうしたかったけどね。世の中自分の主張でどうこうできるとは限らない。では、どうして私が綾陽君を選んだと思う?一つ目の理由は、彼女が藤崎家の系譜に乗っかってるから。二つ目は?」

「彼女が負け犬だから」

「確かにそうだね。彼女は負け犬。明日乃君との戦闘という名の姉妹喧嘩において敗北した。それも一つとしていいんじゃあないかな。正解は彼女には闇がある、からだ。これから我が社で、君たちも体験したことをやってもらうには、綺麗事だけがすべてではないという世界。その中で強くなってもらう。できれば、明日乃君にその世界でいきてもらいたいところではあるんだけど、いづれにせよ、私は敗者にしか興味が無い。かといって復讐のために、っとか言ってるようじゃあもう、結果は知れているんだ。それより強く、志を伸ばしてもらいたいところだけどね。おっと、言いすぎちゃったね。顔が怖いよ?クラウン」

「いつものことです」

「そうか。君を大人しくさせてしまったのは、私のせいだね。他に聞きたいことはあるかい」

「貴方は悪くありません。私が強く生きるためにはできるだけ、冷徹にいることですから……で、彼女は何に協力させようとお思いで?」

「プランBの方だよ。ウェポン担当。とは、考えているけど、両方かな」

「ふ~ん。藤崎って言うんだから、結果は想像通りでいいのかな。父さん!それにしてもこの娘可愛いね!気にいった!」

 今まで綾陽とじゃれ合っていたカトレアは突然会話に割って入って来たのだが、どこかずれている

 カトレアは綾陽の肩を両手でしっかりと捕まえている。そのままの状態で彼女の体躯をてっぺんから爪先まで舐めるように見ながら、ぶつくさと垂れる。

 怯える様子が無い。本当に先程の彼女なのかにわかにも信じ難い光景であった。これが明日乃の妹―――。そもそも明日乃が特別であって、藤崎とは関係が無い。だがしかし、今の言葉には矛盾が生じるのだ、明日乃だけが今は特別ではない。彼女も力に覚醒し、常人離れした身体能力を披露した。故に藤崎という家柄には何らかの秘密があるのではないかとクラウンは一人考察していた。

「まあ、今日のこれを見たまえ。姉妹喧嘩を録画しておいたのだが、それでも嘘とはいえないだろう。まあ、我が娘の髪を失うのは少し心痛いがね…」

 さっと、クラウンが自身の髪を触る。今しがた髪を整えたのだが、あの長かった髪のことを思い出すと隣にいる彼女を今すぐ殺したくなる。

「私は、長くても、短くてもクラウンはクラウンで可愛いよ!」

「もちろん、同意見だよ!!」

 親バカに、シスコンが!!っと、心中で吐き気持ちを整えてクラウンは本題を激しく脱線してしまったので戻すよう努めた。

「こほん、私の髪の話はこれでおしまい。私たちを呼び出したのって、それだけ?」

「そうだ、ね……」

「新作は、どうするんです?」

「クラウン、それなら。基本形は完成済みだ。あとは要領や、武装……上げたらきりがないくらい残ってる。そのときは協力してね」

「はい姉さん。それと、いつ行かれるんですか?」

「そうだね、近いうちさ。彼女の心が出来上がり次第ってところかな」

 そういい、私は綾陽の横顔をこっそり覗くのだ。本当に大丈夫なのかと―――。

 



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第三十二話 双方の望

 

 五月の終日。早朝五時。

 藍色のまだ薄暗い空が天を支配している時間。目の前には昇る日があり、無意識のうちに伸びでもしたくなる。―――ただ人影が無ければの話なのだが。

 この時間帯は部活動の朝練と被ることはまずないだろが、ぽつぽつと人影が目視できる。なので、変なことが返って目立つことになる。別に変なことをしようとかは今のところ考えていないのが、もしかしたら出てしまうかもしれない。……かもしれない。

このIS学園の敷地内で、ぽつぽつ疎らな中にも一際目立つ生徒がいた。

 ―――セシリア・オルコット。海外からここ日本にやって来た西洋人の留学生だ。独特の色素の薄い出で立ちに、小金に輝く縦巻きの髪。それをポニーテールにまとめ、全身をブルーのジャージで決めている。頬は走って火照っているせいか桜色を示し、息もそこそこ上がってきていた。

 現時点で、学園の周りをぐるりと三周。息が上がりきっていないのは、日々の賜物に違いない―――のだが、ここ最近は安静な日々を送っていた。なぜなら、話で聞くところの【きおくそうしつ】とかいう症状らしく―――現時点では詳細不明―――。

係り付けの入谷(保健室の先生)とほぼ一緒にいることが多く、放課後になると顔を出す「あすの」は今日起きた出来事や適当なおしゃべりに花咲かす。彼女の部屋と化す保健室は入谷が使用を許可しているためにセシリア専用のベッドがあり、そこで生活をしていた。

 これがおかしなことに、楽しい。入谷の見た目から陰湿そうな性格かと思ったら、意外なことにユーモラスな一面を魅せる。だから彼女といて笑わない日なんてない。

 そんなある日のこと、入谷の口から運動の許可が降りた。日々の様子を見て、記憶の回復する兆しが無いとみたからだ。だからといって、彼女のことを諦めたというわけではないのだ。

 学園の方針にのっとりこれ以上の遅れをとらせないためにもと思いのことだった。

 かつて、彼女がISに乗っていたように、再び彼女がブルー・ティアーズに触れれば何かしらのヒントで思い出すかもしれないと入谷は慮った。―――まずは、基礎体力が落ちている可能性が高い。他の学生と混じって運動でもすれば、友と体力、視野が広がるだろう―――と。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 四週目が終わろうとしていた。

 息も上がり、少し苦しそうな一面を見せるセシリア。走るペースは落ちたが、走るフォームは綺麗で、周囲の視線を集めていた。五週目に差し掛かろうとした―――その時!

 視界の飛びこんで来る真っ白な布。

 疲労感があるのか他に気を取られてしまったのかはさせておき、反応があからさまに後れをとってしまった。その瞬間に顔面に真っ白な布が覆い被さった。

 突然の出来事にパニックに陥るも基本動作は身体が勝手にしてくれた。徐々にスピードを落とし、ジョギングと同じくらいの速さになった時、それは落ちてセシリアの手に収まった。足は止まり手元に集中。これはタオル?

「―――昔は、お前がこうして私に、タオルを渡してたんだぜ?覚えてるか?セシリア。まぁ、全部とってたけどな。今のお前みたく顔面でキャッチした事はさすがになかったけどな……!!!」

「…………?」

「なんだ、返事も忘れちまったか?セシリア」

 セシリアが手に取ったタオルを見つめ、頭を垂れていた。ぱっとみ、相手の物言いも考慮すると一方的に攻められていると感じ取ることが出来る。だから、朝練をしている生徒たちも足を止めるものや横目で流すもの、各人がリアクションをとっている中で、セシリアの眼前で仁王立ちする少女は、セシリアと同じようにジャージを纏う。それでもって私と同じく色素が薄い出で立ちをしていた。ただ、一つ言うなればこんな幼女と関わりを築いていたかという疑問点。だけれど、話からすると私を知っているということが分かる。

 だが、それは過去の自分であって、今の自分ではない。―――何も知らないし、知らないままだ。でもこのタオルの温もりはどこか懐かしさを感じさせるも、頭が知らないと一点張り。

 分からないものはわから――――!!?

 頭に片隅にある記憶、それを引きずりだそうとしないばかりに、熱を持ち始めた。

 額に手を覆うように抱え込む、次第に苦しそうに唸り声のセシリアに、少女は血相を変え迅速に近寄って来た。

 セシリアが膝から倒れる瞬く間、彼女の肩に身を預けた。

「……あな、たは――――誰?」

「―――っ!!本当に忘れちまったのかよ……!」

 セシリアを抱きしめる少女、リリス・R・ペンドラコは次第に彼女を抱きしめる力を増していく。それと同時にある一人の人物に怨嗟を覚える。

 自分が彼女に負荷をかけ過ぎたばかりに……。リリスは、ほんの冗談を言ったつもりなのだが、捉え方によれば混乱させるものがあったのかもしれない。リリスは、セシリアを抱きかかえて、その場から去ったのだった。

 リリスはすぐさまに立ち上がり、身を収縮させたかと思うと跳躍し壁を目指す。そして蹴ってはまた蹴ってと交差させるように、並ならぬ身体能力を披露し、ものの数秒で頂きに達し、いなくなってしまう。

 痛い程に抱きしめられたセシリアは宙を舞うリリスに身を任せ、次第に遠くなる意識の中、明日乃を脳裏に宿した。

 

 

「―――ん。眼を醒ましたか。セシリア」

「――――ここは?」

 見なれた一室。独特な匂いはアルコールだろう。頭上には二本の蛍光灯があるが点灯はしてない。就寝の際は白いカーテンが敷かれるのだが、敷いていない。両脇で束になっているからだ。

 上半身を起こすと、視界のど真中に本を読む入谷がいた。私に気が付いたのか、本をパタンと閉じ、こちらに近づいてきた。セシリアは入谷の無意識の優しさにどこか安堵を覚える。

 無抑揚な声を聞き、更に安堵した。

「君は倒れた。それは覚えているか?」

「―――はい。でも、よくわからないです。ぐにゃぐにゃってなって……気が付いたら少女……って、いないですよね。その子の肩で寝ちゃって…」

「その彼女は、さっきまでいたんだけどね。帰ってしまったよ」

「その子の名前って……」

「リリス・R・ペンドラコ……」

 入谷のかたことによれば、イギリスの貴族中の貴族だということ。

 ―――とは、言われてみても、セシリアにはこれといってピンとこないみたいだ。小首を傾げて悶絶していた。

「そんなに難しく考えなくていい。記憶に留めておいてやれ。それだけでいい今はな。セシリア、もう動いてもいいぞ?ただ、時間が、な……?」

 入谷に倣い、時計のある方を見やると、時間が時間を言っていた。セシリアは一拍置くと急に我に返ったのか、準備をし始めた。―――ドッタン、バッタン!!!!

 忙しない。だが、準備は出来ていた。ただ一ついうならば、嵐の後は毎回どうにかしてもらいたい。言っても、あれなのだが……。

 入谷は溜息を吐き、彼女の後始末に掛かるのだった。無意識にどこか小さく笑う自分がいて少々気味が悪かった。

 記憶を取り戻したわけでもなく、それでいて恐いだろう。それでもセシリアは前に進んでいる。今日みたいな旧知に会おうならば毎回倒れてしまうのもあれだし、どうにかしてあげたいものだ。

 教室に何ら抵抗はなく、笑顔で帰ってくる。―――やはり思い入れの違いなのか?

 リリス・R・ペンドラコは幼馴染だという。そこは長年友情を育んできたからだろう。生憎と思考している私にもそのような人材は皆目いない。故に、分からない。

「……よし、片付けはおしまい……。ひと眠りするか」

 そう一人ごちると、デスクに突っ伏せ、眼を閉じた。もの数秒で吐息が寝息に変わり、上空にはZZZマークが昇天して行く像が見えるくらいはっきりとした後姿がそこにあった。

 

 

 

 

「ふぃ~~。すっきりした……」

 そう言い、浴槽から髪の毛をごしごしと乾かしながら出てくる明日乃の姿はどうにもこうにも男の娘であった。実際のところ、一糸纏わぬ生まれた姿をしてそこら辺を歩いていた。ここらでクラウンが鼻血を垂らしながら、女の子なんだからと実に幸せそうな顔で物を言ってくるのだが。その本人が今朝から見当たらない。置き手紙を一つも残さずに行ってしまった。だからといってこのままはなんだか……恥ずかしい気がしてきた……。

 慌てて、下着に、制服を纏うと、髪をちょちょっと分けると部屋を後にする。時間にして八時を少し過ぎている程度で生徒が登校するのには何ら問題はない。

 今一度、明日乃は箒との今朝の稽古という名のプライベート特訓について、思い返していた。できるだけ今日手に入れたイメージは物にしておきたいものだ。だから、いつものように屋上に赴くのだった。あそこなら今以上のイメージが期待できるだろう。

 屋上に繋がる扉に手を掛け、思いっきり引くと一天の蒼穹がこれでもかと広がっていた。明日乃は眼を眇め、手で陽を覆った。じりじりと照りつける陽光は既に夏季のそれを含むもので長時間陽に当たったら日焼けでもしそうだ。だから日陰に隠れるように動いた。

 日陰に腰を落とし、楽な姿勢で精神統一を計る。深呼吸を三回。すぐに自分の空間に入り込めた。

 

 

「………ふぅ!」

「精神統一は出来た?―――藤崎明日乃?」

「せ、―――セシリアじゃない。お前は!!」

 明日乃は立ち上がらんばかりの勢いで、その声の主に接近した。

 が、それも束の間でトンっと軽く押されると素直に後方で尻餅をついた。

 眼前で仁王立ちするその少女は、金髪碧眼。まるでセシリアの像を彷彿させるほど、美しいという言葉より、可愛いとか可憐という部類の方が似合う気がする。それは容姿が原因だと思われる。身長にして150~155センチくらいで、まな板、吊り目。――どう言ってもロリボディそのものである。私もそこまで胸があるかどうかなんて言ったらない……かも、あぁなんか悲しくなってきた。

 話は脱線したが、私がセシリアと彼女の名前を口にしたことで、進展はあった。

「セシリアだと……、貴様が容易く呼んでいい名ではないぞ!!!」

 彼女の口から出た反応は明日乃の予想を遥かに上回るもので、彼女の鬼迫は明日乃の総毛を奮い立たせる程の威力を併せ持っていた。鬼迫は思いもよらぬ出来事を引き起こし、明日乃は数刻意識が定まらなかった。

「それって、どういうことだよ……」

「どうしたもこうしたのも、全てはお前のせいだって言ってんだよ!!藤崎明日乃ッ!!」

 ズキッーーー!!!

 明日乃は胸を痛めた。彼女の言う通りで、あの『クラス代表』を決める時に初めてセシリアとぶつかって、何らかの衝撃で彼女から記憶を奪った。今は普通に、いや記憶があった以上に彼女と接しているのだが、あの時のことはもちろん忘れてもいないし、もし本人がそれを思い出して私を怨むようなことがあったとしても、私はそれを受け止めるし、逃げもしないで向き合おうとあの時にそう決めた。

「私は、確かにセシリアに取り返しのつかないことをしたと思っている。原因は未だに分かっていない―――」

「――いくら御託を並べても、それはお前が犯した過ちにしかすぎない!!懺悔感覚でセシリアに近づくな!!そういうのが一番目障りなんだよ!!」

「私は……!」

「お前は私に切られ、ここを去る!!ここに私は貴様に決闘を申し込む!!」

 明日乃は口出しを許されず相手の言いように頷くことしかできなかった。

 その表情には物凄い剣幕がここに張られていたのだから。息することを忘れ、いやな汗を背中で感じさせられた。言うなれば蛇に睨まれた蛙に近かった。

「ふん――貴様には、有無も言わせない。なぜなら、今日この後貴様と闘うからだ」

 ―――この後、ということは。クラス対抗戦しか考えられない。しかも決勝戦。私と彼女――。

「お、お前、名前……!」

「あ?そう言えば言ってなかったな。藤崎明日乃。その身に刻め、我が名はリリス・R・ペンドラコ。貴様を地獄に落とす者の名だ!!」

 リリス。彼女はそう言下した後、スカートを翻し、屋上から姿を消した。

 反して明日乃は膝を折り、その場で息を上げていた。幾粒の汗の玉がぽたぽたと床を濡らしていた。

 

 

 朝の出来事から、数時間後。

 明日乃はすっかりと落ち着きを取り戻し、更衣室で着替えていた。がらんとした風景にこう思っていた。

 決勝。なんていい響きだろうか。この言葉を聞くとそのあとには優勝というのが待っているが、正直自身がここまで昇って来られるとは思ってもいなかった。――運が強い、かな。

 リリス・R・ペンドラコ。彼女と刃を交え勝利することで初めて優勝という文字に辿り着けるが、今のところその言葉に深いこだわりはないし、どちらかといえば私は彼女と話がしたい。

「―――あすの?」

「お、おぅ。どうしたんだよ?セシリア」

 がらんと空いた更衣室に現れた金髪の少女ことセシリア。不安げな表情一つ、胸の前で手を握っていた。微かに揺れる手は、不安を物語る。それに倣うように私も声が上ずった。互いに小さく笑いあった。心なしかセシリアの顔が少し赤い気がする。

「セシリア。今日、リリスというやつに出会った。様子からしてお前の旧知だろう。君のことで酷く怒ってて、決闘を申し込まれた」

「私も、わたしも……!!リリスに会いました。――本当にこわくて、でもわたし、そのあとに寝ちゃったみたいで……。眼を醒ました入谷がいました」

「うん。それで、入谷先生はなんて?」

「リリスという名前と、彼女のことを覚えておいてやれって……それだけで」

「そっか。セシリアと、こうしてまた顔が見れて良かった。もうちょっと、時間あったら教室に顔だそうかと思ってたんだ」

「皆、明日乃を応援してます。勝って来てください!」

「ああ。言われなくとも。約束だ!セシリア」

 堅く握手を交わしたセシリアと明日乃はそのままアリーナの方に赴いた。

 

 

 Bピットに行くように明日乃に促されたセシリア。ごく自然のように入り込み、モニターに目を落とすとBピットの控え室をモニタリングしていた。明日乃が一人いる中で、縦横無尽に動いている。そう一人で。もしかしたら体操をしているのかもしれない……。

 一瞬眼を疑った。もしかしたら電話しているのかも……?でも、手は自由で、それもひらひらと。このマイクを使えば、あっちにアナウンスを促せるが、なんか楽しそうに見える。邪魔するのもなんか悪いし……。

「ちょっとごめんね……」

「あっ、はい……!」

 オペレーターの一人が、セシリアに一声かけ、マイク前に流れるようにキャスターの付いた椅子が割り込む。慣れた手つきでそれを使い、アナウンスを始めた。

『藤崎さん。スタンバイ宜しくお願いします』

 返事のような身振り手振りを一つ、IS装甲を展開。

 明日乃の肢体は発光。次いで、蒼穹を纏う少女がモニターに映った。そして流れるようにハッチから明日乃は吐き出された。

 何も言えず、ただ、少女は戦地に向かったのだった。

 少女への祈りを胸に、セシリアはモニターを強く見つめた。

 

 

『藤崎明日乃。発進する!』

 蒼い装甲を纏った明日乃は、ハッチから覗く蒼穹を一望し、カタパルトが前進。無重力で何も感じないけど、気持ち的にGを感じながら、ハッチから放たれた。

コーン状のスラスターを翻し、体勢を整える。その数刻の後、上空に黒を主体とした機体が日輪を背負いながら舞い降りた。そうそれがリリスの機体〝レムフォント〟の姿であった。

 〝レムフォント〟……〝久遠〟と同じくヴィクタ―社の識別コードを持つ。

同じく第四世代。黒を主体とした装甲に、副装甲は金色。骨骨しいフレームを邪魔しない最小限のパーツ創りで所々刺々しいのが目立つ。それは相手を引き寄せないためなのか…理由はどうあれこれだけは言えた。それがスタイリッシュでかっこいい。男子が好きそうな創りであること。ハイパーセンサーはヘッドフォンみたいで、でもそれも上記と同じように刺々しい。

 

 

『藤崎!!さっきの約束忘れてないな?!』

『――ああ、ってか、ほんのちょっと前の出来事を忘れるかっての!』

『ふんッ。さっきより喋るようになったな?だが、その口も今日で塞いでやる!』

 相変わらずの強気で、腹の底がきゅうっとなる。これが緊張。いままで感じたことのないプレッシャー。プライベートチャンネルだというのに。物凄い剣幕だ。

 リリスと対峙すると尚身体が強張る。それでも戦わなければ……。

『私も、私も条件がある。私が勝ったら……ダチになれ!!』

『戯言をッ!!!!!!』

 リリスが前傾姿勢となった頃時、ブザーが鳴った。その刹那!眼前から少女は姿を消していた。

 ガキンッ―――!!!

 手中に広がる鈍い痛み。風花を瞬間的に呼び出して、盾のように構えたのも束の間だった。それにこれが正解だった。だが―――

リリスの打点を相殺しきれず、明日乃は後方に風花が持ってかれた。離したいという気持ちが若干あった。けれどだ、今の自分に風花以外の武装は積んでいない。だから、離さなかったのは意地に近い。

 ある程度宙空を彷徨うと、明日乃は風花をハンマー投げの要領で軽く一回転した後、推進器とミニブースターで姿勢制御を行う。だが、リリスに手加減という文字は存在しなかっただろう。眼が血走り、眉間に深く刻まれた皺が嘘ではない本気であることを示していたからだ。

 追撃&連撃。身体が追い付かない。守っている所とは違うところが痛む。まるで今見ているのが幻で本当の攻撃は軌道をずらした上に、致命打になるところばかりを狙っているようだ。それでもその致命打を更にずらして半殺し近いように仕向けていることも読める。

殴られるたびに漏れる息が、だんだん苦しくなって来ている。

 展開されているのがただの一方的な殴られている映像で、観客のざわめく声が、ガラスを通して聞こえた気がした。そう気がしただけで実際はどうだかわからない。

 最後に入った拳が右頬にしっかりと入ると慣性に従い、飛距離を伸ばす。降下を始め、適当な所で、閉じていた眼を醒まし、明日乃はその身を翻す。頭を被り、意識を正す。後少し遅かったらどうなっていたことか。というよりもこのブラックアウトシステムが無かったら本当にやばかった。

 流れる時間は全てが一瞬の出来事。時間にして数秒。長く感じられたのは、身の程に起こりえるモーションを脳がゆっくりに魅せている……のかもしれない。

『大したことないな……。まるで赤子か何か、いや赤子に失礼な発言をしてしまった……』

『騎士っぽいやつかと思ったけど、唯の……人をばかにするような奴だったとはね!』

『弱い奴を弱いと言って何が悪い?――ふっ、いやここは……。お前は強い。だが、その強さに、私は屈しなかった。なぜならそれ以上の力を兼ね備えていたからだ、とでも言えばいいか?藤崎明日乃?』

『人をどこまで、蔑めば気が済むんだ!?お前は!?』

 上にリリスがいて、私が下で彼女を睨む。この開いた距離が実力を示すようなものであれば、私はそれを認めないだろう。ムキになって激を飛ばすだろう。それでも距離は縮まらない。そうそれを知っていながらも私は抑えることのできない怒りを前に、握り拳をして堪えて見せた。

『ふん。ほざけ!その程で偉そうなことを言うな。人なんて、優しいのは最初だけだ』

「はぁ?――お前何言ってんだよ?」

『貴様は、大事なものを失ったことはあるか?――その調子だとなさそうだな。なら、一つ教えといてやろう。この世で何かを守ろうと講じるとかえってそれが離れていく、とな。私はセシリアを貴様に奪われた。あれほど大切にしてきたのに、だ。それなのに貴様のようなぽっと出の極東の女に全てを持っていかれた!これは許させ難いことだ。それをと思い彼女に接近したら、むしろ傷をつけしまった。どういうことだ!!なぜ家族の次に彼女を失わなければならないんだ!!答えろ!!この悪魔がッ!!!!!』

『―――ふっ、ざけんなッ!!!!お前、セシリアのことを物でしか認識してないのか!?なにが、彼女の為だ!このエゴイストが!!全部自分のことしか考えていないじゃないか!――あの時のことは悔やんでも、懺悔だろうが、何をしようが報いることはできない。だがな、私だって好きで記憶を奪ったんじゃない!それくらいお前でも分かるんじゃないのか。少し頭冷やせよ……。過去がどうであれ、未来がどうであれ、彼女は今を歩んでるんだ。それを素直に応援できないのか?リリス!!?』

『なにィ、綺麗事言ってんだ……!?過去がどうでもいいって?じゃあ、それで死んだセシリアの両親と私の両親を思いは誰が受け継ぐんだ!!――他の誰でもなく私たちだろうが!!貴様のような生温い湯の中で暮らしてきた奴とは生き方がまず違うんだよ!!身の程を知れ!!」

『クソッ!!この分からずや!!』

 際限のない二人の攻防は、本心を据えての本気のやり取りだった。

互角の鍔迫り合い。その度に宙に散る火花の芸術に、互いの口を元に繰り出される言葉という名の弾。そして先ほどとは違う盛り上がりを見せる会場の観客席からは黄色い声が怒号のように飛び交い、会場の熱気はピークに達していた。

 明日乃の右手がリリスの頬に見事にヒットした。それを境に殴り、蹴りなどの応酬劇に移り、いつしか体力の消耗戦へとなっていた。

 ―――ズドンッッ!!!!

 盛大な地響きと、観客は一時アリーナを黙視することが出来ない程の砂塵が空中を渦巻くように立ちこめる。それでも二人の掛け声と、生々しい骨の鳴る音だけはピット、観客席、モニターからはっきりと聞こえていた。

『はぁ、はぁ、はぁ…!』

『はぁはぁ……、最初こそ見誤っていたが、どこにそんな力が……だが、この一撃で!!』

 ハイパーセンサーであっても、この眼中を漂う砂塵をクリーンに写すことはできなかった。だけど、本能が、野生の感が前方に殺気を感じ取った。条件反射。明日乃はファイティングポーズの構え。その刹那!!

 身を屈めたリリスが案の定のごとく砂塵を裂いて、明日乃の眼前に躍り出た。両拳を胸の前で構えているのはすぐにカウンターが出来るようにか、一瞬逡巡するが止めた。明日乃も前に肉迫する。

 互いが対面し合う中、右ストレートを互いに振るった刹那、二人のいる方とは違う方向からけたたましいいや、それ以上の破壊力を持った言葉のたとえようのない何かが天から、降って来た。それは視界が悪い今を更に状況悪化をさせる程のもので明日乃、リリスの二人は急な出来事により、迫りくる巨大な砂塵に一瞬にして飲み込まれたのだった。

 アリーナのグラウンドは灼け、そこから黒煙が狼煙を上げる。開いた天上の穴から黒煙が漏れていた。それが全ての始まりを告げる警鐘のようであった。

 

 

 この事態を生徒が理解するまでに要した時間は意外と速かった。否、間接的にそれを知ったのだ。アリーナの中心から巻きあがった砂塵の猛攻は、明日乃、リリスだけではなく生徒のいる観客席にも最小ではあるが被害は起きていた。巨大地震を彷彿させる程の地響きが中心を震源地として波打つ。第一波。ついで第二波がIS学園を襲う。

 それに伴いアリーナ天井が突き破られたことにより発動した遮断シールドダメージレベル4。観客席の防護シャッターが全て降り、扉を締め切ってしまう程の厳重体勢を敷くものであった。だが、シャッターを降ろしたところで生徒たちはごった返したかのように余計パニックになってしまう。だがそれはいたしかたない。全ては生徒を守るためなのだ。

 ――ぽりぽりぽり。ぽりぽりぽり。

「ポップコーンは塩に限るねェ~ぽりぽり」

「理事長。貴方も少しは緊張感を持って下さいよ……!」

「え?どうしてさ?逆にこの雰囲気を楽しむのも面白い気がするんだけど?」

「―――はぁ、これは遊びではないんですよ!?実際に被害が出てるんです!!」

「そう怒らないの?なんなら、君も生徒たちと一緒にパニックにでもなってればいい。私はこれを食べ終わるまで何もしませんので!……まだ半分もあるな―――ぽりぽり」

 完全に光がシャットアウトされた空間。観客席。非常用の赤色ライトが灯るが、それは反って逆効果になった。生徒たちは忙しなく動き回っている上に集団パニックに陥っている。こういうときは誰かが冷静でなければならないのだが。私の助手の彼女もパニックに陥っているし、無論私はポップコーンを食すに呈しているから無理。

 ブ、ブ、ブ、ブ――――。

 一拍ずつ切れるバイブレーションが彼の羽織っているジャケットの内ポケットで小さく遊んでいる。入っているのはもちろん携帯端末で、マナーモードの上に着信相手は来賓様である。その来賓客等は別室でモニタ二ング中だ。それで電話が掛かってくると言うのはあちらも映像が中断された可能性が高いとみた。それと苦情か…。

 とりあえず、彼は携帯端末を操作し、電話に出た。

「はーいこちら生徒たちとにこにこ戯れていますIS学園理事長のジェイル・ヴィクタ―です!!」

「ジェイル。ふざけている場合ではなかろう!この状況でよくそんなことを……、まあいいモニターが消えた。現場はどうなっている!?」

「ですからー。こちらも――――ツー、ツー、ツー……あれ、切れちゃった」

 受話器から耳を離すと通話終了の文字がディスプレイに表示されていた。更に斜め右上を見やると圏外。詰まる所それが原因で電話が強制終了したらしい。ジェイルは目線を周囲に向けるとあちらこちらで携帯端末らしきものを大事そうに握りしめ、何かやっている女生徒たちの姿が見受けられる。おさらくいや確信的にSOS発信だろう。

 ジェイルはやれやれと席に座り直し、ポップコーンの入ったバケツタイプの容器に手を突っ込んだ。中を探るが、すかすか。ジェイルは顔を覗かせるとそこにはものポップコーンの姿は無かった。

「やれやれ……。ほーら皆ぁ、一回深呼吸をしてみよう!!すーはーすーはー。ねぇ?落ち着かない?」

 ジェイルは二度手を鳴らす。パンパンと渇いた音がバケツの水をひっくり返したかのようなこの観客席に驚くくらい綺麗に響いた。それは叩いた本人が一番いい反応を示したのだから。ついで、一つ目の提案が飛んできた。深呼吸をするという最も簡単で、効果が早く出る方法だ。

 それを今一度生徒たちの眼の前でやって見せる。三回目に差し掛かるころには生徒たちがジェイルを倣うように深呼吸をするというなんともシュールな光景を描いていた。それもジェイルからすればこれも計算通りのことだった。

「皆、一旦携帯の使用を遠慮してもらいたい。見ての通りこの空間は閉鎖されてしまっている。なにが出来るかは二つ、自力で出るか外部との連携で外に出るかだ。そのためにも是非とも協力願う。外部と連絡できるのは私のみにしたい。この危機を逸脱しよう!」

 よく響く声だな……内心関心気味のジェイル。

 すると彼女らの手は次第に下に力が抜けたように沈んでいく。困っている時だからこそ誰かが指示を送らなければならない。それがジェイルであっただけのことで実際にだれでもよかった。

 ジェイルは携帯端末に視線を落とす。ふぅ、電波が戻っていく。

 早速外部との連絡を試みる。相手は―――。

「――――頼むね?」

 生徒たちに思いっきり背を背けるジェイル。その長身の背中からも語るものが生徒たちには見えたもので、通話が終わって踵を返すとそこには子犬のような眼差しを向ける視線の山があった。それにはサムズアップと、にこっと返してその場を丸く収めた。のちにその子たちが彼のファンとなる存在だった。

 



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第三十三話 ジェイルの笑み

 

生徒たちは今どうしているだろうか。無事に避難出来ているだろうか?

こうして私たちが囮になることで、彼女たちの寿命が少しでも伸びれば……それでよかった。

 

 

全身真っ黒の装甲を纏う奇妙な珍入者は、背に黒煙を宿し少し、少しとこちらに近付きつつあった。ズシン、ズシンと重厚な音が聞こえてきそうだ。もし聞こえてきたら、それは幻聴だ。

 腹の底から感じるこの緊張感はリリスの時とは圧倒的に違う。怪訝そうな顔をした明日乃はそんな事を思った。

 二人の眼前に現れたその黒い機体は異形を成していた。肉体とIS装甲の一体感が実に気味が悪く、肩と首がくっついていて、言うなればボディービルダー風なごつごつとした肉体の印象がそこにはあった。

 フルスキンタイプ……漢字にすれば全身装甲。文字通り、肌の露出が一ミリもない状態を示している。そもそもISは部分的の装甲があれば十分なのである。なぜなら不可視な加護“シールドバリア”があるからして、わざわざ全身に装甲を纏うことは必要なく、全てはシールドバリアが処理をしていて、実際のところアーマーはそれほど意味を成さない。防御特化の機体はもちろん存在して、その機体に物理シールドを装備していても肌の露出をしていない機体などない。故に私たちの眼前にいる黒いISは一般の機体とは似ても似つかぬ存在だということが分かった。

 そして、それを見上げるほどもある巨躯は二メートルもある。大袈裟にあるのなら三メートルはあるように見えた。それを支えるかのようにとりつけられているブースター。

 不規則に並ぶセンサーレンズが幾個もあり、キリキリと動いている音が聞こえそうだ。腕にはここの遮断シールドを派手に壊した砲台を四門も構え、こちらを望む。実に奇妙で寒気がする。

『あれは……?あれはなんだ?!』

『――分からない。でもなんか、まずい……!!!!?』

 明日乃たちも初めは理解までに時間を要した。事を飲み込むことが出来たのは黒煙が少しほど収まって、奴がこちらに向かって来ているその時であった。

 ターゲットは明日乃。そうオペレートされた。だから風花を呼び出し、身構える。

 黒い奴は砲台をこちらに向け、淡い桜色の光線を短発で放ってくる。弾速は早く、少しの判断ミスで当たってしまう可能性があった。

糸を縫うような感じで、黒い機体の前に躍り出た!上段からの一閃は流れる所作からして早く、時間にして一瞬程で放たれた。弧を描き、空を切るもの速さは充分にあった。奴はそこまでのろまでは無かったのだ。ブースターを即座に吹かすこと、定まった像がぼやけた状態になった。

 空振り。明日乃は宙でバランスを崩しそうになったが、なんとか持ち直した。その刹那に正面からリリスが雄叫びを上げながら、奴に急接近を図ったのだが、それをも軽々しく避けて見せ、終いには拳を叩きこむほどの余裕というやつを私たちに見せびらかした。

 案の定、リリスはその拳に打たれ、バックグラウンドの壁に打ち込まれ、煙に隠されてしまった。

『リリスッ!!!』

 腹の底から声を張り上げる。悲痛の叫びは彼女に届く前に様々な音により掻き消され、そしてこのとき改めて理解をする。

――とんでもないものがこの学園に入って来た、ということを。

『こんな時……、どうすれば……』

戦意を削がれ、迷いが生まれ、呆然とその場を滞空する。

しまいには腕が力を抜いたようにぶらんと垂れる。

そんな弱い私を見かねたかはさておき、通信が入る。彼女の姿が見えずとも彼女は生きている。なのに、私はなにを勝手に仇を取ろうとしているのだろうか。

『―――簡単だ。前を向け!藤崎明日乃!!』

『リリス……。そ、そうだよな。―――さんきゅうな!』

 黒いISを正面に捉え、その向こう壁側のリリスを網膜に焼きつけるように見つめる。煙が上がり彼女の姿を捉えることはできない。それどころか明日乃の眼の前は急に不安が込み上げてくる。リリスのこともあるが、それを上回るほどの自身がどうしたらいいのか分からなくなったという恐怖感。それはなぜか、単純だ。眼前に強敵がいて頼もしいと思った仲間が一瞬で敗れたからだ。

 恐怖のそれはこちらにぐるんとセンサーレンズを向けた。込み上げる恐怖で顔が引きつる。自身の身体とは到底思えない程に硬直している。振るえる手。笑う脚。動揺する心理。もう―――。そんな時、声が聴こえた。それもリリスのだ。すると、どうだろうか?

『なに、マイナスになってん、だか……あほらしぃ―――さ、いくぞ…!!』

 明日乃は眼に浮かんだ弾を拭い、風花を二分割。気を引き締め、いないリリスの為にも……。本当に気を引き締めないと、な…!!

 

 

 スイッチが入った明日乃を止めることは今のところ誰にもいなかった。

 縦横無尽。文字通りに暴れ回っている明日乃はこのアリーナを支配するような動きで珍入者の黒いISを撹乱させていたのだが、ISにはハイパーセンサーなるものがあるのだから死角などなく、ただ無駄な体力を使っているだけのように思われるが、これが仮に人では無かったら…と考えるのなら、この話はまた違う方向に傾くのだ。

 けして、明日乃は冷静を取り戻したわけではなかった。冷静とは違う、表現するならば言葉の力。リリスの言葉。いわば鶴の一声的な言葉が私に力をくれた。

 まず根本的な所からおかしかった。なぜ全身装甲なのか。そして、こちらになんらかな興味があるのか。様子を見るのとは違う、言葉を換えれば観察。見られている感がすごかった。そして常人並み以上の身体能力の披露。それはリリスの動きから読み取ることが出来た。私もリリスと今一度刃を交えて分かった。彼女は本気ではない。相当手を抜かれていたのが分かる。でもさきの黒いのと刃を交えたこと、それを上回るほどの能力を兼ね備えかつ、瞬発的、爆発的な力を常人でも放てるだろうか。あんな一瞬で。まるで…人というよりも機械人形見たいではないか。―――という考えに行きついた明日乃はこうして行動に出ていた。

 やれることはやる。今そう決めた。

 雄叫びを上げながら明日乃。加速。加速、加速。加速。まだまだ振り切る!!!

 それでも、奴は反応を示す。

いくつかの行動選択が脳内で選択されていくが、いざ行動に移すとどれもこれも受け止められてしまう。守備範囲が広くかつ攻撃範囲も広い。あまつさえ死角もないと来ている。はたして、勝つことなどできるのだろうか?――不安的要素が脳裏の片隅で肥大化する。これも時間の問題だ。そもそもこいつが入って来てからどれだけの時間が経ったのかもすら分からない……。

(気持ち的に、外部との連絡が取れれば……、そんな時間があれば……)

 一進一退、攻守交替、危機不可避。――ああ、もぅ……。

 桜色の光線を放ち、距離を一気に殺してきた黒い奴から身を翻し、反手を狙うが功を奏しない。風花でビームを弾く事で精一杯。しかも場所を間違えると、観客席にも被害が―――。これではなにも出来ない。

 明日乃は力んだ肩を落とすかのように深く一回息を吐いた。

『あれこれ考えてもしょうがない!!今は……ああもうヤケだッ!!!!!』

 ギュィィィン―――!!!!!!

 推進器を全開に吹かす音がした。擬音を付けるならその音が今まさしく似合っている。明日乃は風花を胸の正面に構え、一縷の望みに近い、打突進。青い一筋の線は黒いISに吸い込まれるような形で猛スピード。時間にして一瞬…数秒の出来事であった。

 次いで、耳を劈くような機械音が、明日乃と奴とでの衝突の際に生まれ、それでもって小規模の被害もこの時同時に生まれた。

『――――いっけえええええッ!!!!!!!』

 張り裂けんばかりに声を上げ、そして望みを乗せ………。

 

 

『――――っ、………!!』

 小さな唸り声を一つ、ぼんやりとした意識の中、明日乃は覚醒した。

 寝像が悪いのか、ベッドから落ちたのか分からないが、何かに寄りかかっているのが背中越しから伝わってくる。材質からして、低反発?―――いやいや、それはないね。だってここのベッドは反発よりも沈むからね―――。じゃあ、このふわふわとした感じは―――。それと、この地面に腰をかけてるお尻が次第に痛くなるこの座り心地の悪さは―――。ところで私は、何をしていたのか……そうだ、変なのが入って来て、それからどうしたんだっけ?倒したんだっけ?負けたんだっけ?あれ、どうして肝心のところの記憶が無いんだ?

 そう思い、明日乃は自身を見た。手――IS装甲を纏うものとし、その他の脚、胴……そして頭。―――ああ、ようやく思い出せた。私は負けても、勝ってもいない。これは現在進行形で話が進んでいるんだ―――!?

 ――――装甲ダメージは全体して中傷、特に右腕の装甲にダメージ蓄積が目立つ。その他のパーツは右腕程とはならないが、ダメージがどのような時に現れるのか分からない。

 そんな事よりも、だ。私以外動いてないような気がする。それは走馬灯を彷彿させるときに起こりうるそれに近い何かが、あるのだが今それが発動しているようなのだ。詳しくは分からないけれど、だがこれはある意味チャンス。千載一遇のチャンスというやつではないか?

 だが、何かがおかしい。

 どうして、どうして、黒いあいつは私に向かって撃ってこない?それは桜色の光線を砲身に溜め、いまにも撃つことが可能なはずの体勢になっていた。

 明日乃はそれに気が付いた時には固唾をのみ、戦慄した。深く逡巡する間もなく、それを理解。―――身体は動かず、動くのは眼球のみ。

 声も出ない。助けも呼べず。その中で一体何が出来るか。そんな一時。緊張の糸を紐解くものがあった。それは馴染みのある声で、どこか落ち着く―――。

『――ふふ、そう言ってくれると嬉しいね。明日乃』

『―――――――!!!?』

『あ、喋れないね―――。もぅ、ちょっとまってぇ……!はいッ!』

『―――ちょっと、これどういうことなのさ!!!?』

 桜色の女性が言下と共に姿を現したかと思うと、人差し指を立てスッと右から左にスライドさせるととりあえず口の自由を手に入れた。他は試してないからわからないとして、まず理解が不能。口調はもう勢いなのだ。

 桜色の…は、やれやれ言わんばかりの仕草をしたかと思えば、小さく笑う。なんかよくわからないな、釣られて苦笑。

『もしかして死んだかと思った?』

『……どうかな』

『でもね、今のままだと確実にこれだよね?』

 首筋をシュッと薙ぐような素振りの桜色の女性。

 これは腑に落ちる。ああ、もう納得ものだ。しかし、この結末を迎える前に彼女が時を止める【仮】をしたなら、なにかしらあるのではないか?なら聞こう。

『そうならないために、あなたがここにいる。そうじゃなくて?』

『おっ、おっ……!!正解!!すごいねって……、普通に考えれば誰でもわかるんだけどね。―――でも、ね。助かると言うのもまたハッタリもの。百パーセントなんていう数字はないんだ。結局は運任せなんだよ?それほどの運が君にはあるのかな?明日乃?』

『―――ふん。いままでまともに運を使って来てないんだ、上等ってとこかな。私の運が強すぎてビビんなよ?!』

『なんとも心強い発言。気に入った。では可能性に賭けてみますか。お嬢さん?』

『望むっところだ!!』

 

 

身体の自由が完全に祓われたことにより、明日乃は現実と向き合う。

 背を預けた地面から素早く、立ち上がり風花を槍投げの要領で正面に放つ。正面は奴の砲身がこちらに向きかつ桜色の光線を放とうとしている。しかも質力高めのきつい一発を。  

でもそんなことは関係ない。投げた風花は吸い込まれるようにして向かい、あちらはノーモーションで発射。迸る光条は案の定なくらい爆発的火力でかつ、そこに風花が盾のように被さるのでダメージはない。

 だがしかし、私は武器を失っていない。なぜなら風花は二本あるのだ。そう片刃の風花が明日乃の手中に収まっている。そして明日乃を隠すのには片方の風花だけでも十分なのだ。

 攻撃の相殺化に成功した風花は力なく地に刺さり、黒い機体が視点を合わす頃には、明日乃は眼前にいて、攻撃を再開させるキーアイテムとして一時役割を終える。

 木偶の坊と化した黒い機体に一発ぶちかます!!

『当たァれェェぇェぇぇぇぇぇッ!!』

 腰溜めからの抜刀炸裂!!

敵は木偶の坊と化しているのだから、当たると明日乃は確信していた。

距離なんてほんのミリ単位。現在進行形で明日乃も進んでいた。そう思惑通りに事が済んでくれれば、良かった。

 

 ガキンッ!!!

 金属同士の擦れる音。手中に広がる金属の重み。打ち返す敵の右腕。

刹那、敵は大きく姿勢を乱す。なぜなら奴よりも早く反応し、一定の距離の離脱を図る。―――成功。奴はコマのように私に振り回される。そこにチャンスが出来た。

そのチャンスに明日乃は連撃を試みる。放たれた剣戟の数々は見事に当たることと、これまでの流れが変わりだしていること……。

―――と錯覚している私は痛い目を見て現実を知るのだ。そう背後からきた〝あれ〟に気が付かずに――――。

 無我夢中で前しか見えなかった。そこが盲点だった。

 

――――ザシュッ!!!

 ――――えッ!?

 

 

 背中に走る激痛。痛みは稲妻に撃たれたかの如く駆け抜けたかと思うと、身体の自由が一瞬にして奪われた。

 根こそぎ持ってかれるシールドエネルギーをただ眼で追うのみしかできず、そして空になったシールドエネルギー。

前に傾く私の体。

それに追い打ちをかける前方の黒い奴の回転パンチ。身構えていないこの一撃がどれだけのものかは当たる前から分かるものがある。案の定当たり私もリリスと同様な姿になり下がるのだ。―――そう、今になって分かった。背後にいたのはもう一機の黒いISであること。―――でもどうして?

 思わず、振り返る必要もない状態なはずなのに見やってしまった。なぜなら、ハイパーセンサーの恩恵があるのだから全方位見渡せる、それなのに振り返って見てしまうのは性……否、普段からの癖に近い何かがそうさせたのだ。

(……くそっ……!肝心な時にィ……ちくしょぉ……!!)

 ドゥォンッ!!という鈍い音を響かせ、明日乃は堅い地面にクレーターを作った。うつ伏せの状態で身悶える姿がどことなく美しくもあり、そして汚くもあった。

 

 

『こちら、ヴィクタ―社所属の不知火真紅です。貴校の緊急事態をそちらの理事長から直属に連絡をいただきました―――――』

「うぅーん!!そんな堅苦しく言わなくても大丈夫だよって!!真紅くぅん!!―――その機体は試作機のぉ、秋桜タイプだぁ……!!やっぱりいいなぁ~!!……ということで、織斑先生。彼女一人をこの学園の中に入れるけどいいよね?答えは聞いてないけどね♪」

「ええ……!」

「大変です!!!織斑先生。リリスさんと、藤崎さんの二人が……!!!!」

「あれぇ……、もしかしてやられちゃった?」

「――――はぃ……!!!」

「でもぉ~~、大丈夫!!とっておきの秘策があるんだ!?」

 恍惚とした眼差しを送るジェイル。今度は得意げな表情に切り替わり、口を走らせる。

 

 

 見動きの出来ないまま、時間は流れていく。その中で、唯一はっきりとしているのは意識のみ。

 そして止まなく、出現し続けるミニウインドウ。

 そのウインドウが、私にはカウントダウンのように思えた。いや、そのようにしか見えなかった。

 ――――未確認の機体二機からターゲットの対象となっています。

 ――――二機の内一機が高出力砲発射体勢に入っています―――発射まで十秒前後。

 ――――機体ダメージ、後部ユニット中破。これ以上のダメ―ジはパイロットの命に関わるやもしれません。どうしますか?

 ――――どうするも、こうするも、貴女はこのまま死を選ぶのですか?その選択を受け入れるのですか?――――なーんて、そう簡単に殺すようには出来てないんですよねェ~~。命ある限り、貴女にはもう少し頑張ってもらいますからね?―――藤崎明日乃さん♪

「ざっ……け、んなァッ!!」

 力なく開かれた手は地に。しかし、次第に怒りと共に力が入る。

 力強く固められた拳で地を何度か殴ると、怒れる瞳を正面……二機のエネミ―を睨みつけた!!

 悪い夢を見ているような気分だ。胸クソが物凄く悪い。何かが詰まったかのような、まるで反吐。それを汚い言葉で周囲にまき散らすが、憂さを晴らすことにはならず、ただ立ち上がるための動力源になっただけ。明日乃は片刃の風花を杖のようにして立ち上がった。

 だが、明日乃が立ち上がっただけで何かが変わると言うわけでもない。危機はいつまでも危機であった。なにより明日乃の精神はかなり弱っていて、この状況を納めなくては!という使命感と、野心のみが今の彼女を支えている活力と化していた。

 睨むようにして桜色の光線を明日乃。点火は任意といったところか……。さて、どうしようか………。

 小さく二ィッと笑った明日乃。なにか策があるわけでもないのになぜか笑ってしまう。絶体絶命過ぎて気が狂ってしまったのか疑ってしまうほどに笑いが止まらない。

『藤崎!!なにを笑っている!?笑っている暇があるのなら、戦え!!―――っても、ケガ人は引っ込んでな。後は私が殺る!!』

 土煙りの彼方から現れかつ、渇を叩きこんできたのは他でもなくリリスで、私のことを気遣ってか、いやそれは私の気のせいということにして、私はリリスの隣まで歩く。

『ケガ人でも……休んでられない。無理って言っても、やるけどね』

『藤崎!!お前動きが鈍いんだよ!!そのままだと死ぬぞ!!』

『――――あぁ、おかげさまで、ね。よし、速いところ片を付けよう……』

 悠然と話にしゃれこんでいるが、私はあと一歩のところで危うく死んでいたことだろう。それをほんの少しほど助けてくれたのがしばらく出番のなかったリリス少女であった。

 迫りくる桜色の光線を二つに分割させたかと思えば、開いた口からは愚痴のオンパレード。それを完全に無視でやり過ごす。

 リリスが私の肩を軽く叩いたかと思うと彼女は空にいた。そんな彼女の後姿に背中を押され明日乃も気だるい身体に鞭を打ち、空を目指す。

 

 

『うぉぉぉおおおおおッ!!!!――――あぁ、もう当たらないし、しんどい……』

 息を切らしながら、上空を漂う。

相手にしているのは砲身をもつ黒いあいつで、リリスは眼前にいる奴とは一か所だけ違う、それは砲身があるところに剣幅が広い剣を持っているのが特徴的であれに切られたのかと思うと背筋に悪寒が走る。それにしても楽しそうにリリスは戦っていた。こんなときでも笑っていられる……そもそもこの流れを掴んだ時点で彼女の勝利は確信に近いだろう。それに彼女の心は強いのかもしれないな……。

 あまつさえこちらはおかげさまでぼろぼろだ。もっと早く帰って来いっての……愚痴は挙げればキリが無いけど、とりあえず助かるからそれでプラスマイナスゼロにするほど優しくないけど、あとで文句言ってやろう。そうしよう。

『オラァッ!!!!!』

 眼前に迫る奴の拳が来たのだから、反射なるもので紙一重で避けて見せ、逆手に構えた風花で奴の腹丁度、腸辺りに軽く当たった。そして引く。腹を抜ける爽快感がこれまでの積もった憤りが晴らされていく感覚がして、すぐに現実。

くの字に身体をくねらせ、抜けた剣それと反転、明日乃はリズムに乗り、一撃、二撃と奴に傷を付けていく!トドメの切り返しが決まり、奴はなすがされるるままにアリーナの壁にクレーターを作り、沈黙。―――等々二人間の戦いは終結を迎えたと共に明日乃自身の体力も底を尽いていた。

「――――はぁはぁ、やったァ……ぜぇ」

 ゆっくりと降下を始め、言下の頃に膝をつき、風花を杖のようにしているのが精いっぱいのことであった。

 アーマーは霧散。光となり明日乃の周囲に散ってしまった。それと同時に明日乃も吸い込まれるようにして地に伏してしまった。

『藤崎!!?』

 剣の装備をした黒いISを相手にしている時にリリスは明日乃の方を見やり、声を荒げた。それでも隙は生まれることはなく、今のところリリスが相手を牽制していた。

 一瞬の動揺もチャンスと変えて、相手の懐に入り、柄で突く。

 リリスの感じるところは、ここで倒れるようでは甘い。―――それであり、地に伏している彼女の過大評価をしていた自分の眼の甘さ、とんだパチモンだった。

『フンッ!!どこを狙っている!?』

 どこを狙っているのかわからない一発を完全に受け流し、背中に蹴りをぶつけ、距離を作る。隙あらば明日乃の安否を確認するために――――、私は、何を考えているのだ……あんな奴に気を使う必要などないのだ。なんたってあいつは……。セシリアの……。

 集中力が途切れた。思考が明日乃をどうにも意識して、戦闘に支障が出ていて剣が乱れている。距離を離したかと思えば……見誤りで実は眼前にいたなんていう実に下らないミスを引き起こしていた。迫る拳にも気付かず……。―――しまった!!?

 ゴキッという鈍い音響かせ、リリスも明日乃の二の舞を演じてしまった。高さといい、なにといい、全ての悪い条件をクリアしてしまったかのような感じだ。

隣には眼を瞑ったままの明日乃、このまま眼を開かぬのではないかとさえ錯覚してしまうほど、深く閉じた瞼にリリスは“ふざけんな”と小さく呟いた。だが、それでも思い届かず、ただただ動かぬ身体に鞭を利かす。

「く、そぉ……、起ってくれぇ……眼の前に敵がいるんだ。私を戦わせてくれェ!!」

 奴は高度を落とし、地面に浮遊。それからゆっくりとこちらの心理を狂わすような速さで近寄って来た。みるみる大きくなる像にリリスは平常ではとても居られなかった。

 その時、リリスの網膜に白く光る輝きが焼きついた。

 

 

 リリスの瞳には青白く光る光線に釘付けとなり、それでいて強く網膜に焼きついていた。

 間髪入れず、パシュンという短発の音を四つ響かせ、再びリリスの視界を奪う。

「なんだ……!!?なんだったんだ……今のは!?」

 リリスの視界が回復したのは数秒後の事であった。

 上空に鎌首を持ち上げるが、攻撃を仕掛けたと思しき人影はいない……。おそらく攻撃を仕掛けたのはぽっかりと空いた天井の隙間からだ。それ以外からは出来ないと私は考えている。

「―――う、ううん……!!」

 隣で小さい唸り声とともに眼を醒ましたのは他でもなく明日乃。

『いつまで寝ている。起きろ、藤崎明日乃!!』

『そんな寝起きに、酷いこと言うなぁ……で、どうなったんだ?勝ったのか?』

『いいところまでは行った・・・・・・。今は機能を停止している。トドメを刺したのは私ではない。藤崎明日乃、今の内に先生たちに連絡をとるんだ…』

『あぁ、……そうさせてもらうよ……』

 そうして、明日乃は回線を引っ張って、先生たちのいるピットに連絡をした。

 

 

『―――あ、あーあーマイクテス、マイクテス……ピット聞こえますか?』

「!!――藤崎さんですか?!」

『……はい、藤崎です。そっちに連絡が遅くなってすみません……』

「藤崎、猿芝居はその辺にして、そっちの状況を報告しろ」

『あ、はい……こっちの状況は乱入機が二機。二機ともに沈黙しています。それでもって私とリリスで抑えました……』

「藤崎さ―――」

「そうか。ご苦労だった……と言いたいところだが、まずはこちらに報告しろ。自身の判断がどうなるか、今ので分かっただろう。だが生憎と私たちもお前たちを強く攻めることはできない。だからといって何事も怠るな。そしてこの状況を打開し、帰ってこい!!」

『はい。織斑先生……』

―――敵機の再起動を確認!!―――

 ―――敵機の再起動を確認!!―――

『織斑先生……、他の皆を頼みますよ……?』

「ああ、任せておけ」

 プツンッと、通信の切れる音。その途切れる直後に明日乃の勇ましい叫びがスピーカー越しからピット内に飽和した。

 

 

『まったくさぁ……私ってどんだけお人好しって、キャラなんだか……ね?さぁて必殺技行ってみようかァ?』

 先から私の周囲にキラキラした粉みたいなのが散布されてるんだけど……、掃う仕草をすると粉が私に動きについて来る。てことは、なんらかのヒントをくれてるわけだから、そう、これは必殺技だね!!!――――粉撒く必殺技なんてないな……普通。こんなときにポジティブキャラもどうだかな……。ああもう考えるのやめた!!

『行くぞ!!風花!!』

 愛剣を胸の前まで持ってきて、突き出すと……粉がついて来るが向かうのは左手の方で…するともう一本の片刃の風花が瞬時に形成され、明日乃の空いた左手の手中で収まる。

私が驚いているのはいつもより軽い。言うなれば木の枝を持っているみたいな感覚だ。

『よくわかんないけど、私は強くなった!!だから――――お前を切る』

 明日乃は切っ先を再起動した奴に向けた。

 その直後、明日乃を軸として散布されていた粉が結晶になり、この会場、アリーナを蒼緑色に包まれたかと思えば、弾けた。弾けた先にあったものは修復された天井に、クレーターを開けたグラウンドに壁、それらが一瞬の内にして元に戻ったのだ。

 それだけではない。散布された粉がもたらした効力は修復のほかにもまだあり、次に相手の戦力を奪ったようだ。なぜなら眼前には奴がいて、同じように蒼緑の粉の影響を受けていたからだ。

 〝天華奏蘭〟発動中。シンクロ率99パーセント。さらに上昇。二機の未確認機80パーセントの戦力削減に成功。能力継続……残り120秒――――

『しゃぁ―――!!一気に片すぞォ!!!』

 心なしか身体が軽い。ううん、これは皆が私に力を貸してくれているからなんだ!!気のせいかな?ううんきっとそうに違いない!!

 全力の今の明日乃は迫りくる二機の奴らに恐怖を感じてすらいなかった。

『ひとぉ―つ!!』

 後から入って来た一機に切り抜けからのくるんと反転し、右肩から左腰に抜けての一太刀。さらに空いた背中に蹴りをかまし、その勢いを次のもう一機にぶつける枷とした。

『これで、おしまいッ!!!』

 勢い殺さず、風花を胸の前に持ってきて、打突の構えで相手を貫いた。

 前々から気が付いていたからこそこのような危険な賭けに出られたのかもしれない。

 鮮血を模した機械オイルのようなものが、奴の体内から吐き出される。貫いた感じも人というよりも人に近い素材を使った偽物であることが分かる。ただ、貫くことが限界で、迫る拳に気がつくころにはそれを睨むことしか出来ない現状であった、にも関わらずその拳は直前で止まった。明日乃は眼を見開いた。なぜならその腕は粒子と化した。しかも腕から全身にかけての粒子化はほんの瞬き程度の速さであったからだ。

 すぐさま背後を振り向くと、最初に来たやつが地面に伏していた。特に何もなく、ただ黙っていた。

 

 

『また、この時間か……。周りは静止し、私だけが動ける。そんな不思議な空間を作れてかつ私の顔を見に来たのかはさておき、はぁ…戦いにはちゃんと勝った。運命とかそんな固定概念的ルールで私を縛ろうとか……まぁ、そういうめんどくさそうなのはどうでもいいとしてさ、今度は何しに来たの?』

『ちなみに、これは貴女が発生させたフィールドなんですけど?』

『私が?まさか?』

『まさかって、私が嘘をついてどうするんですか?逆に貴女は私に何用なんですか?』

 そう言われると、急にだんまりしちゃうじゃん。

 桜色の女性がおもむろに退屈そうにした。

 すぐに態度に出すのは彼女の悪い癖だ。

 だから彼女が好きそうな言葉をとりあえず並べてみようと思う。

『だから、運命って奴を代えてやった。以上』

『……ぁあ、そう』

『反応薄くない?』

 えぇ?!みたいなリアクションはないのだろうか?

 まるでこうなることを最初から分かっていたみたいな。そんな低反応に明日乃は頭をかいた。

『ちなみに自分の意志でこの空間を閉じられますんで。じゃ!』

 手をひらひらされながら、彼女の後姿はぼやけ、ぼやけ、消えてしまった。

 にわかにも信じ堅い助言を鵜呑み。早速試してみた。――――戻れ戻れ戻れ………。

 一見、世界が時間を取り戻したようには思えなかった。どこか固まったまんまなのではないかと疑ってしまう。けれど、すぐに結果が分かるものだった。

「―――――ッ!……おい!おい、藤崎!!」

「!!?」

「何をびっくりしている!!気を確かにもて!!」

「ここは……はぁはぁ……」

「すごい汗だぞ!――――!」

 声の主はリリスであった。心配を装ってるかはさておき、怒鳴り声を私に浴びせ、肩を上下に揺らす。―――ぁあ、気持ち悪くなるからやめて……。そしてものの数秒後に表情が一変。眼を見開き、私から距離を置いた。すると私自身にも多少……いや、かなりの痛みが体中を支配する。胸の内から表現のしようのないくらいの衝撃が明日乃を――――。

「ぅぅぅう、ううううぅぅぅぅうううう……ぅう、あぁぁ…!!!!!!!!」

 明日乃は胸を押さえ、のた打ち回る。

 明日乃の変わり果てた姿にリリスは顔色を変えた。

 明日乃に起こっている現状は、栗色の髪が色素を失った白。綺麗に抜けた白に、肩までしかなかった長さが急に腰まで伸び、アリーナに立つリリスの足場を白が彩る。

 額には大粒の汗の玉が幾つも浮かび、苦しんでいるのがよくわかる。それでいて瞳は金色を宿していて、これもまた綺麗で見惚れてしまいそうだ。伸びた犬歯に、爪。更に顔の色素が白くなりつつ血の気が引いている印象から、彼女が吸血鬼にしか見えなくなったリリス。

「お前を救うには、血が必要なのか?」

「―――――ぅうううう!!」

 返事のない自問自答を繰り返すリリス。すると、アリーナの非常口あるいは出入り口から一人の女性の教員がこちらに向かって来ていた。入谷先生だ。

「ペンドラコ。藤崎の様子は?この状態になってどれくらい経つ?」

「ほんの二、三分前です。藤崎は……藤崎は、大丈夫ですか!?助かるんですか!!?」

「大丈夫。それよりもペンドラコも避難しろ。いいね?」

 ハイとは言えず、リリスは明日乃に起きている現状に身がすくんでしまっていた。―――あいつは何者なんだ……。

 

 

「――――。――――。――――」

 ゆっくりと明日乃は覚醒した。

 寝ぼけ眼を彷徨わせると、窓から差し込む光が、眩しい。というか痛い。

 外は夕ぐれ……橙色の空が一面を支配し、その中に黒い一面がある。……もう夜か。なんてぼんやり思うと、私以外にスースーと寝息が聞こえる。また入谷か……なんて?考えていると、それは意外なお客様であった。

 黄金に輝く髪をかき上げたショート。小さな体ながら頑張るその姿に明日乃も少しながら心が揺らいでいる。ツンケンとした態度はいわばツンデレみたいなもので、いつかはデレが来るはず……。無理に相手と張り合っていると疲れてまうぜ?―――なーんて言っても聞かないんじゃないかって私は思うんだけどさ。

 椅子にちょこんと座るリリスは舟を漕いでいる。

 それにしても今日は疲れた。身体もだるいし、あちこちが痛い。

 身体に力を入れると痛みに顔を歪めた。思わず息が抜ける。

「無理はよくないね?藤崎。傷口が開いちゃうよ?」

 え、嘘?―――私は思わず体中を調べた。

 それと同時に笑い声が聞こえた。犯人はもちろん入谷なわけで……。だから、私に声をかけたのは誰とも言わず、入谷なのだ。その隣にはセシリがちょこちょこと入谷の後ろから姿を現すのだ。小動物かよって……。

「―――って、傷口ないじゃん!」

「ああ、ないよ」

「驚かさないでよ。入谷先生」

「正常……と」

 入谷の手には、ボードが握られており、それに書いていた。

 そわそわしたセシリアが、こちらをチラチラと。

「どうしたんだよ?こっちにおいで」

「…………」

「ん?―――あ、もしかして、私死んだかと思ってた?」

 正解みたいだ。

「大丈夫。心配することはないよ?いまこうしてセシリアと話してるのは?私でしょう?」

 なんだか、母親になった気分だ。セシリアに諭すような口調で話しているからそう感じるのかもしれない。

「息をして、笑ってるのは?」

「……あ、あすの……!」

 怯えている。微かにいやかなり派手に手が震えていた。それに手が冷たかった。

「そう、私だ――――」

「ん、んん!!」

 隣からわざとらしい咳ばらいがしたので見た。

「リリス!!」

「貴様はそうやってセシリアを落としたのか!!?」

「落としたって、違う意味では落としたけど……」

「違う意味とはなんだ!!おい、答えろ!!」

「君たち、ここは保健室だぞ。静かにしないと……!」

 ゴンッ!!!!

「ほら、言わんこっちゃない!」

「すみませんね。入谷先生。このバカどもが先生にご迷惑をおかけしたことでしょう」

「いや、そんなことはないよ。織斑先生。お忙しい所お呼びして、こちらこそすみませんね」

「構いませんよ」

「二人からなにか言いたげですぞ?」

 ジト―ッと明日乃とリリスは織斑先生を見やった。

 二人して後頭部を押さえ、それでもって舌を出していた。

 千冬のお得意のチョップをノ―ガードで受けたのとあまつさえ、口が動いていたのがうまく重なって今の現状になった。

「………!」

「何か言いたげだな、貴様ら。だが、一つ絶対に言い逃れを出来無い一言をくれてやろう。ここがどこだかわかるか?そうだ、保健室だ。そしてここが騒いでいい場所ではないな?それくらい小学生でもわかる。では貴様らは?もういい大人ではないか?それなのに―――」

 小一時間ほど床で正座の説教だ。

 

 

 明日乃が深く眠りについていた頃――――IS学園の屋上。

 夕焼け色の空に、白銀の髪を彩らせ、靡かせる。

表情は無。次第に表情が曇り、すすり泣き始める。

 緊張の紐が切れたのか、抑えきれない程にその場で泣き崩れてしまった。膝をつき、顔を手で覆うようにして、機械のようなその表情は次第に少女の本当の姿を投影させる。

 止まらぬ泪。拭いてみても、それが逆効果へとつなげてしまう。出来ることならば明日乃の胸に飛び込みたいほどに……。でもそれは出来ない。こんな姿を彼女には見せることは出来ない。

 全身をボディースーツに包み、顔にはマスク。これがさす意味。

 私は……。

 彼の人形だ。

 ――――そう、叫びたかった。でも叶わなかった。なぜなら、屋上に来るには階段を上る必要がある。階段を昇る靴の音。敏感になっている神経がクラウンに知らせる。慌てて身を隠す。

 現れたのは一般生徒だった。―――明日乃でなくて良かった。内心ほっとする。

 しばらくその生徒は動く事はないだろう。足音からして手すりの方にまっすぐに向かったからだ。夕日がきれいだ。それは分かる。ここから膝を折って見ても美しい。

 少し待ちぼうけだ。誰を?――はは、おかしな話だ。待ち人なんていない。ただこじゃれただけだ。

 心なしにおかしくなったようだ。空笑いが漏れる。聞こえてないかと様子を伺うが反応が無い。大丈夫だろうか。

 ―――その一般生徒はこちらに近づいて来ている、ようだ。どうであれ、私もここに居続けるのもどうかと思う。生徒がこちらに近づいてきた隙に入れ替わるように出ればいい。

 立ち上がり、行動に移る。どうして、こそこそ動いてるんだっけ?そんな理由を探すがもちろん出てこない。たぶんこれからも。

 とか悩みつつも廊下に出ることに成功。なぜか疲労感もあった。

 エレベーターで理事長のいる最上階へ向かうのだが、そこまでもが格闘の始まりである。

 夕暮れ時、それは部活動活動真っ盛りの時間である。外は体育会系の部活の掛け声が、はたまた室内からは各クラスの隙間から生徒の笑い声が両面から聞こえる。普段ならこの声に耳を傾けないのだが、今日は違う。一分一秒が命取りとなりうるやも知れない。

だから、戸が開く音がすれば、天井に張り付き。

 身に危険を諭す行動にはそれ相応の行動でどうにかする。しかないようで……。

 結局、天辺につくまでにクラウンは疲れ果てていた。

 それを見かねた理事長ことジェイルは………

「?―誰だね?あ、クラウンかい?酷くやつれてるんだから、分からなかったよぉ」

  であった。

 



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第三十四話 


おはよー、ございます。

仕事上がりのテンションでアップです。

事前に、また一人キャラが立ちました。

あと、何人増えるんや……。

では、どうぞ。


 

 六月の初週。

 夏の訪れを肌で感じつつ、だらりとした姿勢で明日乃は廊下を歩いていた。

 早朝七時。ほんの一時間前まで、剣道場で篠ノ之箒にみっちりと稽古をつけてもらっていたのだが、これといって歯が立たず、コテンパンにやられてしまった。

 ほんの数日前―――クラス対抗戦決勝ステージ。

 開戦二十分から三十分くらい過ぎた頃、それは嵐のごとくやってきた。黒を強調とした強躯は装甲。それにフルスキンのぎょろっとした幾個のセンサーレンズが蠢き、アリーナを一瞬で焼く程の威力を持つ砲を構え、IS学園にテロを図ってきた―――!!

 その敵は一機だけではなく、もう一機いて私たちは満身創痍になりながらもそれらを倒したのだ。

 しかし、不可解な出来事もあって……。

 今ではすっかりと修繕された屋根――遮断シールド。それが天を穿つ時には白い機体が一瞬ちらつかせたかと思うと僥倖の光を差し伸べ、勝利へと私たちを誘う。

 私、リリスが戦闘中の時にも生徒の避難を務め、最悪の危機を免れた。不幸中の幸い、被害はアリーナだけで済んだのだった。

 今ではすっかりと元通り。私たちは少し変わったアリーナを気持ちよく使わせてもらっている。ちなみに私の〝天華奏蘭〟の効果で修復しました。

 長い廊下を歩き、一年フロアを通過し、我がクラスルームが丁度十メートル先にあるのを確認した後、視点を一点に合わせる。

 前側のドアの付近にぽつんと一人、腕を組みこちらを伺う金髪の生徒に明日乃は眼を奪われる。とりあえず、名前を呼んで見る。

「リリス~~~!!!」

 彼女―――リリスの今でも恐いその表情に拍車がかかり、眼は鋭さを増し――いやもしかしたら眼が悪いのか?――、こちらへの嫌悪感を全身で、オーラで表しているように見えた。第一印象は感じ悪っ!!で決まりだ。

「おはよう。藤崎明日乃……いい夢は見れたか?ふっ、それが最後の夢にならないことを祈るよ」

「なんだよ?私にそれが言いたいのがためにわざわざ、待ってたのか?ご苦労なこって……じゃ!!」

「まて…いまのは言いすぎた……!」

 私は流れるように、教室の入るようだった。なんたって、開口一番にあんな事を言われたら、寝覚めが悪い。―――まあ、起床から随分経ってますけどね。

 過ぎ去ろうとした私を、幼女はガシッと華奢な身体からは考えられない程の膂力で腕をホールドした。

 それでもって、ツンデレのデレの方が出た。上目で、弱気で、今にも泣き出しそうな眼。

 思わず、言葉が詰まり―――

「ふじさきはわたしと…もういちど、たたかいたいか?」

「へ?………うーん。戦いたいけどさ……あれって、結局どうなったのさ?」

 ―――そして素っ頓狂な声が出た。

 急なキャラ変更はよし子さんだぜ……リアクションに戸惑ってしまう。

 ―――この話は置いといて。

 あれとは決勝戦のことで、珍入者が見事に荒らしてくれたおかげで、一旦中止。

 再開は教員達に全てを委ねられ、やるかやらないかはうやむや。未だにやるよという返事はなし。生徒たちも今か今かと優勝賞品が自クラスに届くのを喉から腕が出る気持で待っている。正直やらないといけない気がして、それでも気持ちは下がって来ているはで、一体何が正解なのか……。

 だから、話をずらして見る。

「………ところで、リリスはこの件をどう考えてるのさ?」

「わたしは、くらすのこたちのよろこぶかおがみたい。だから、わたしはたたかわなくちゃいけない……きがする。でも……」

「もしかして、リリスも気持ちが冷めてたりしない?」

 びくっと肩を小さく揺らす。あ、図星か……。

「実はさ、私もなんだ?気持ちが定まってないから、さ……、他の娘から聞かれたら先生たちがGOサイン出さないんだよって、誤魔化してるんだけどね……!」

 私は少し照れくさくなって、頭を搔いた。

「馬鹿者が……!試合再開は貴様らの意志で決まる。やるかやらないかは貴様らで決めろ。ただし、外野がそれでいいのかはわからんのだがな。楽しいお話はおしまいだ。リリス時間だ、教室に戻れ」

 リリスは私の背後かつ、名簿アタックを慣れた動作で発動した織斑先生。見事に喰らった明日乃は悶絶。

 その間にリリスはすたすたと教室の方に消えていく。ちらちらとこちらを伺うが、私はうっすらとしか黙認を出来なかった。

 教室で、ひりひりとした頭を優しく撫でながら、先のことを思い出し、聞きそびれた事を思い描く。“セシリアのことで頭にキてたのでは?”と。あくまでこれは私に関する個人的な復讐……(言葉は悪いがこの場合はこの字の方が、妙に説得力があるように思える)で、本当の目的はそういうことなのかもしれない。さてはかなりの甘党か?

 クスクスと小さくにやけていると……。

 ゴンッ!!

「今、そんなに面白いところか?」

「あっ……!」

「そんなに面白いのなら、読ませてやる。立て。ではこれからいくつかの所を質問していく。無論黙っているのはなしだ。答えてもらおうか?なぁにぃ、笑うくらいの余裕があるんだったら、教科書も見ないでもいけるよなぁ?藤崎」

「は……はぃ」

「声が小さいなァ?」

「はいっ!!?」

 考えている時間がまず間違いだった。

 現時点で三時間目の中盤、しかも織斑先生の授業で、私が苦手とする範囲で、それでもって笑っているところを、名簿アタック&耳元での囁きのダブルパンチを喰らわせかつ、おまけに教科書剥奪の上に質問攻撃が展開、私は二十問中たったの三問しか正解できず、更にペナルティーが加算される結果となり……。

 現在。

 一人教室で、渡された課題に頭を抱えながらも、ペンを走らせる。

 この渡された課題は、織斑先生直筆の総作プリントで、“一年の押さえておきたい”シリーズらしく、(右上にシリーズ二と書かれていたのでそういうことだろう)最初は文章問題から。ついで練習問題に応用問題。分からないときはヒントが書かれている。

「あ、そういうことね!!……わかりやすい……!」

 あっという間に表が終了。裏を捲ると同じような感じの流れが載っている。これなら授業がおもしろくなりそうって、頭になる。

 普段の様子からして辛辣なイメージが定着しつつあるが、この問題のおかげで少し印象が変わりそうだ。

「ねぇ、藤崎さん。ここ分からないんだけど……分かる?」

「ん?……ああ、ここね意外と引っ掛け問題なんだ。一見、教科書の三十三ページの十三行目の太文字に見せかけて、実は次のページに答えがあるんだ!」

「もしかして……これ?」

「正解!ね?似たようなことが書いてあるでしょ?私もそこでつまずいちゃって…、見つけるまで大変だったんだぁ」

「藤崎さんって、頭いいね?」

「えへへ……そうかな?」

「でも、ここ間違ってるよ?」

「え?まじに!?」

「はい。答えはこれね?」

「うわぁ~~、騙されたぁっ!!」

 あちゃ~~と照れ隠しのように頭を搔いた明日乃の前に突如として現れたのは、えっ……とぉ……。

「一深(いつみ)紫阿(しあ)です。自己紹介がまだでした……。というか私の自己紹介をあの時聞いてなかった?」

「ごめん」

「君はいつだって、話を聞いていないんだね……」

「え?今なんて?」

「ん?やっと話せたなって、ね。藤崎明日乃君」

 一深紫阿。私は彼女を知らない?いや、知らないはずはない。だって…クラスメイトだから?私は心底自分が嫌な奴だと悟る。人の顔どころか名前まで…物覚えが悪いのは分かってたけど、まさかここまでとは……。

「無理もないよ。私、無口だし。影薄いし、友達なんて今までまともに作ったことないし…」

「そうなのか?それでもなんか否めないな……、私の意識のなさにも問題あるけど、一深さん本人にも問題が……あ!!」

 つい、口が滑った拍子に思っていることを言ってしまった。慌てて明日乃は口に手を当て表情を隠すようにした。

 やばい、怒られるなんて眼を瞑った。しかし…。

「あっははははは!そうだね!私にも問題がある。それは認めるよ。そこまではっきり言ってくれたのは、君が初めてだけど。一深紫阿だ。改めて宜しく!!」

「知ってる……。改めて宜しく、一深さん」

 第一印象から与える相手のイメージとコミュニティを通じてから分かることは予想を覆すことがある。何事も蓋を開けてみないと分からないのと一緒で、毛嫌って話さないとではやはり与える刺激もない。それまでの関係になってしまう。

 けれど、こうして会話をしてみて、新たな発見をすることが出来た。

 彼女は一見、大人しそうな外見をして、陰湿なイメージを連想されるかもしれない。だがしかし、彼女は優しい笑顔を私に見せてくれた。それは大きなアクションでイメージが変わる。もしかしたら優しいんじゃないのって。

 結論に至るまではまだ早いが、今のところ彼女は魅力的な何かを持っていると垣間見た。

 彼女が一旦私から離れ、自席から課題を拾い上げ、再びこちらに歩んで来る。

「藤崎さん。私課題の方を出してくるね?」

「もう終わったの?早いなぁ……」

「それは藤崎さんがぶつぶつ話しているのを聞いたら自然と……!」

 明日乃は無意識に独り言を話していたらしく…またもや記憶が無い…。それだけ夢中になっていたのだろう。でも、私は後一枚残っていた。彼女の手にも三枚。

「待って、一深さん!?君もしかして……」

 教室を出ようとする紫阿を引き止め……。

「頭いいの?」

「そんなこと……あるね」

「じゃあさ、ちょっと、教えてよ?」

「やぁだ♪」

 頼みを請うが……だめだった。

 最後に小さく舌を出し、片目を閉じ、小悪魔チックな表情を一つ残し、いなくなってしまった。

 後ろ髪を追ってまでも、引き止めるべきか悩んだのだが、自分に言い聞かせ、机に鎮座する。

 課題が終わるのは、それから数分後の出来事で、職員室に行くなり、呼び出しをくらう。

 相手はジェイル・ヴィクタ―理事長なのである。

 

 

 職員室までの長い距離を済ませ、二回短いノックをする。実に簡素で静寂が支配する空間にはちょうどいい音だ。シュッと空を切る音もいい加減に聞き慣れた。

 短く礼を言い、中に入ろうとする。

 廊下と打って、景色が変わって、辛気臭い職員室が姿を現す。そこに誘われるかのように脚を一歩また一歩踏み入れると、職員の名……ここでは織斑先生を呼ぶのだが、逆に織斑先生がこちらに向かってくる。後ろに山田先生と紫阿がこちらを見つめている。

 ―――なにかやらかしただろうか?疑問符を頭上に浮かべながら、織斑先生を見つめる。すると。

「藤崎。いいところに来たな。今から、理事長室に迎え。理事長がお前と一深に話があるようだ。これに関しては私にも分からない。課題を渡しに来たのだろ?受け取ってやる。さぁ、行って来い!」

 職員室に入るなり、織斑先生に課題を取られ、あまつさえ追い出された。今度は理事長室に行けだのなんだので、結局―――現在。

 紫阿を横につけ、私は理事長室に向かっている。チンっと、特設エレベーターにて最上階を目指し、エレベーターのドアが開くと見慣れたチョコレート色のドアがお出迎え。

 紫阿は初見らしく、はぁ…だのと感嘆を上げていた。無理もない私も初見の時驚いたものだ。重厚感溢れるその扉に二回ノック。中からどうぞーっと、籠った声が聴こえた。

 なので、失礼しますと一言。

 重たそうなドアを押し開けると、すぐに理事長のジェイルが腕を広げての歓迎ムード全開で、私たちを出迎えてくれた。

「……で、何用ですか?理事長」

「う~~ん!!その冷たさ!たまらないぃぃッ!!!?もっと頂戴ィ!!」

 煙たがる明日乃は、理事長を粗雑に扱うと、後ろの紫阿は小さく拍手をした。

 だが、当のジェイルはこの態様が逆効果となり、身をくねくねさせながら、さらに近寄って来たのだ。

 感想としてはキモいなのだが、口を裂いてでも言うわけにいかない。かれこれ色々とお世話になっている身であるからして……、ここは話を逸らすことにした。

「ぉううんッ!!はい。理事長、用件は何ですか?!」

「あぁ…、はいはい。簡単に……、君たち二人にはチームを組んでもらい、試練に挑んでもらいます!?」

「しれん?」

 試練といえば、やっぱそっちだろう。この意見は揺るがない、絶対に。

「今、君が想像した通りさ、壁を越えてもらうよ?二人で、ね」

「でも、私は一般生徒です。藤崎さんは…。ともかく私と彼女とでは吊り合いません!!」

「そうかな?私はいいと思うぜ?」

「と、彼女は言っているが?一深君は?どうしたい、意見を聞こうじゃないか?」

 紫阿は口籠る。堅く結び黙ること二分。

 私にはこの時間がとても長く感じた。もしかしたら彼女にはとてつもなく感じているのかもしれないが。

「私に……何を望むので……すか?私は期待通りには出来ませんし、非力です。もしかしたら藤崎さんの脚を……」

「んん……。じゃあ、二人とも眼を閉じて。私がいいよというまで、ね」

 すると、二人は眼を大人しく瞑り、それでいて呼吸も止めたかのように静かになる。

 ただ、響くのは彼の靴底が床と音を奏でるだけで、後は何も……。

「いいよ。二人とも」

 静かに目を開くと、何も変化はない。

 変化はないはずなのに、ないはずなのに……眼がそれを探す。間違いというやつを。

 明日乃には見つけられなかった。なぜなら……。

「気付いた?一深君?」

「私が……、私が……」

 声音が震えている。すぐさま明日乃もそれに気づく、目線の先には紫阿がいて……天辺か爪先まで行く間に分かった。

 彼女の手には……かみきれ?いや、手紙だ。

 彼女が目線を落とすように、私も覗き見る。するとそこには……。

“ハッピーバースデー。一深紫阿。君は選ばれた。君が触るべき力に。そう今日から君は特別者だ”と。

 すると、ジェイル本人から鍵が渡された。

「それ持って、ISガレージに行きなさい。君を待っている。―――私からの用件は以上。あ、後ぉ後日に重大な発表があるからね♪」

 最後まで話が分からなかったが、次に二人はガレージの方に行くことにした。ちなみに地下にあり、ここからだとすぐにつくが、今日は移動が多い気がする。

 明日乃は溜息を一つ吐き、再びエレベーターに乗り今度は下へ降りて行くのだった。

 

 

「藤崎さん……私……」

 だんまりとした空間に一石を投じたのは一深紫阿であった。

 気まずい空気ではなく、いつでも話せる状態ではあった。

 ただ、なんとなく黙っていた。そんなときに、彼女が声をかけるわけなのだが、それがどことなく嬉しかった。

 エレベーターの稼働音を感じながら、なにか話そうと話題を詮索するが……まず、今日が初絡みということもあって、何を話したらいいかが分からなかった。

 普段の私なら何かしら話題を見つけることが出来るのだが、今日はそうはいかないようだ。妙な緊張感。圧迫感に喉を詰まらせる。

「もしかして、迷惑だった?」

「ううん。むしろ嬉しいかな?」

 明日乃は、彼女に背を向けたまま、じっと降りていく光を見つめていた。

 それを不審に思った紫阿が声をかけてきたので、私は振り返りそう告げた。

「嬉しい?」

「うん。なんか良くわからないけどさ……なんていうの…友達が出来たから……かな?」

「ともだち、か……!」

 私が率直にそう言下した時、再び静寂が訪れる。

 もどかしいというか居た堪れない雰囲気というか……。

 静寂の間を破らんとばかりに、目的階についたエレベーターはチンと鳴り、扉が開く。

 光が零れ、先に進めをと、言うかのように電気が点灯して行く。

先の先まで、それは予想だにできない程の距離を表しかつ、私の好奇心を逆なでする。

「さぁ…、行こうか?私たちを……呼んでいるみたいだ?」

「うん」

 二人は、お互いの顔を見ないまま、ただ言葉だけで相槌を交わし、エレベーターから降り、先の分からない道を歩き始めた。

 

 

 長い長いその道のりを歩むこと、数分。

 ―――とうとう、目的の所に行きつく。

 重厚感ある扉に、ロックの堅いセキュリティーはカードキータイプ。

 紫阿は迷わず、胸ポケットからカードキーなるものを取り出し、上から下へスライドさせると、ピ―っと音を一つ鳴らし、ロックが解除される。

 ドアがスライドし、二人はアイコンタクトをし、漆黒の闇が広がる世界に身を投じた。

 暗転から明転。

 世界は変わる。いや、変わった気がした。違う、変わったんだ……。

 強い点灯のより、二人は眼を瞑り、眼を覚醒させると、そこには鎧が鎮座していた。

 ―――鎧、いやここではISだ。私たちが日々共に進化する存在。機械ではなく、自身の一部として、役割を担うそんな大事な存在。

 君たちの、私たちの、新たな出会いでもある。そんな一瞬がまた、めぐり。そして会える。今度は……一深紫阿の番。

「これが……私の……!」

「―――らしい、な……」

 階段をいち早く降りたのは、明日乃の方だった。

 もらう本人より、嬉しそうな、まるで子供のような表情をして機体の方に向かう。

 紫阿は冷静に、ヴィクタ―からもらった機体データに目を通しながら、ゆっくりながらも機体の方に歩んでいる。

 

―――機体名。サラシナ。

 ―――識別コード。VT‐347型菫タイプ。

 ―――全方位支援タイプ。

 ―――アサルトライフル一挺、アサルトブレード一本、バススロットに空きあり。

 

 ふーん。などと、鼻で受け答えする紫阿。

 眼前で、“サラシナ”を見やると、ただの機体ではないかと思う。

 モスグリーンのボディに、実体シールドが双翼部に構え、それ以外は特に興味が無い。というか湧かない。

 武装も、見た目も地味で、取り得といえば、誰にでも使い捨てにされる存在?的な。

 いやいや、シールドがあろうとなかろうと、避けきれればいい。

 あまり使いどころが見えない……専用機をもらえようと、使い勝手がよくないとただのガラクタだ…。

 紫阿は深い深い溜息を吐き、先ほど理事長室にて言われたことを振り返る。

 

『これは君を最大限に活かす。これは君自身。そして、これで番狂わせを狙ってもらいたい!!―――これは不可能ではない。確率の高い賭けだ。君が彼女を救うんだ!』

 

 ―――などと、言われたが私がこれだと!?まるで私が殻に籠っているみたいではないか。こんな守ることしかできない存在だというのか?分かっていないのは、アンタだ。ジェイル・ヴィクタ―!!

 怒り心頭。今にもジェイルのところに苦情を届けに行きそうな紫阿に明日乃は……。

「なぁ、紫阿?これの名前は、なんていうんだ?」

「サラシナ……。肩のシールド以外はただの鉄クズだ!」

「へぇ~~、私にはとても頼もしく見えるぜぇ?ちょっとそれ貸して!」

 明日乃は一人暗い紫阿を放って、恍惚な眼差しを“サラシナ”に向ける。全身を舐めるように見渡し、終いには紫阿の持つ、機体テキストを取り上げ、自分の機体のようにチェックし始める。

「紫阿。“サラシナ”は使えない機体じゃない。よく見ろ!!この実体シールドはエネルギーを使い、相手に攻撃もできるんだ。角度を決められるし、質量も上げれば、相手に大ダメージも与えられる。これのどこが役に立たないんだ?十分に役立つじゃないか!?」

「私は、もっと派手にやりたい……」

「そうか?私的には充分派手なんだけど?これ以上を求める?随分と見た目からは予想だにできない存在になっちゃうんだけど……」

 明日乃はとりあえず、フィッティングを済ませようと、雰囲気を変えるために言ってみた。

「どうだ?気分変わった?」

「―――うん。少し、藤崎さんのおかげ……」

「そろそろ、明日乃でいいや。同学年にも妹がいてさ、まどろっこしいんだよね…」

「じゃあ、私も紫阿で、いいよ……?」

「じゃぁ、紫阿?」

「なに?明日乃?」

「さて、さくっと済ませちゃおうぜ?」

「うん。明日乃のおかげでこれを持つ者として、気持ちを作ろうと思う。だから、その一歩を今、挑戦する!!!」

「その活きだ。えっと、これを、当てて……」

 不慣れだが、明日乃乃手つきが、私を安心させる。

 ―――とはいいつつも、先ほど理事長からもらったテキストに実は彼女のデータが書き込まれていたそれを打ち込むと、あっという間に“サラシナ”は彼女タイプに姿を変える。

 四枚二対の実体シールドが特徴的なそれを宙空に浮かせながら、紫阿は顔つきを変える。少し大人びたというか…、なんかかっこいいかなって。

 

 

 

「いりや~!!」

「セシリア。よく来たね!」

「うん!!よびだしたのは、いりやだよ?なんで、なでるの~~?」

「うん?ついね。さて、来てもらったのはほかでもないんだけど……」

「だって、わたしのへやだよ?かえってくるのはあたりまえだよ!!」

 放課後の保健室。

 からからとアナログな感じを漂わせるスライドドアをけたたましく鳴らしながら、金髪の少女が職員の名を呼び捨てに叫びながら保健室に踊るように入ってくる。

 少女の名はセシリア・オルコット。イギリスの代表候補生。

 現在は記憶喪失。しばらく運動をしていないので、基礎練に精を出している少女だ。

 ここ毎日の頑張りと、結果に基づき、今日は彼女の愛機〝ブルー・ティアーズ〟に触れさせようと思う所存である。

 だが、その前に、一つ確かめようと思う入谷。

「セシリア。君は……、もう一度……」

 いつもと雰囲気が違う入谷を心配の眼差しを送るセシリア。実に歯切れが悪く、小さいながらも震えていた。

「わたしは、だいじょうぶだよ?おはなしはもしかして、わたしのこと?だったら、まよわずいって?」

「セシリア。君はもう一度、引き金を引けるか?」

「ひきがね?」

 セシリアは単語を唱えた瞬間、固まってしまった。

 

 

『お久しぶりですわ?もう一人の私』

『だれ?』

 セシリアが声に導かれるようにして、振り返ると、そこにはもう一人のセシリアが腰に手を当て、まるでモデルかなにかのようなポーズを決めながら、立っていた。

 二人のセシリアが相見えたことで、そこは別世界へのきっかけとなる。

 ここでは、せしりあとセシリアによる二人の対話が始まる。

『あなたですわ。セシリア・オルコット』

『へぇ……じゃあ、ここは二人だけのせかいなんだ?』

『私はこの時を待ち望んでいましたわ。貴女が“ブルー・ティアーズ”か“引き金”というワードを口ずさむのを!!』

『うん。わかった!』

『あまり驚かないんですわね?』

 そう、せしりあに表情の変化はない。まるでこうなること最初から分かっていたかのような風貌だ。

『おもいだしたんだぁ』

『思い出したぁ?なにをですの!?』

 セシリアよりせしりあの方が一枚上手だ。その笑みに幼さを感じさせない。

『何を考えているんですの!!?』

『しつもんばっかりですなぁ。わたしね、キミのオトナになれなかったブブンなんだ。いってるイミわかる?』

『そうとしか言えない言動、行動、思考を中で感じていましたわ』

『だよね。オトナなわ・た・し♪』

『貴女は本当に、私ですの?!』

 もう一人の自分は首肯。否定はしない。

『わたしはキミに、しょうじきな気持ちをとりもどしてほしかった。キミはタイセツなモノをうしない、そのかわりにはやくオトナになりたいとベンキョウをした。それはまちがえではない。なぜならいまにけっかがでているからだ。それとどうじに、うたがうきもちがうまれ、ひとをしんじることができなくなった。そのときにわたしもどうじにきえかけそうになったけど、ずいぶんとたって、あすのがでてきた。そこにチャンスをかけた。で、あんのじょうチャンスはきた。―――で、いまにいたるわけね。わかった?』

 話を締めるように、指パッチンのせしりあ。

『本物ですわね…』

『うん。ほんものだよ。まごうことなきジジツ!!さぁ、うけいれて?キミはすこし、いやかなりカタブツにもなってしまった。思い出して?昔の純真さを……』

『我を貫くためですわ!!?……ん?いいえ、自分の意見を通すためでもありますわ!!』

『けっきょく、ガがつよいんじゃん……。それでこそ、ワタシってかんじかな』

 せしりあは苦笑。

『ええ、ですから、この身体を私に返してくれませんこと?』

『え~。いちよぅワタシのからだでもあるしぃ……そこんところも―――』

 せしりあは俯き、駄々をこねる子供のように話をあやふやな方向に持っていこうとしていた。

 そんな中でも、セシリアはすこし、余裕な表情を張り付けていた。

『私の身体は、そこにあって私ではない。それは別の人格が支配しているからですわ。では私は?どこにいるのでしょうか?―――私はここにいますわ!!別の人格が支配しようとも私は起死回生の一手を打って見せますわ!!そこに私の器があるのでしたら!!』

『しんだりょうしんがきいたらなくレベルのねつべんだね……。まいったなぁ……そこまでいわれちゃあ、ことわれないじゃん?』

 せしりあは、主人格に値するセシリアの強い眼差に断りを入れることが出来なかった。

『きみは、そんなにあすのといっしょにいたいの?』

 セシリア悶絶。せしりあはほくそ笑む。

 これは随分と遡る。遡ると言っても、随分でもない。強いて言えば、彼女がまだ主人格で、せしりあが闇の中で垣間見た一瞬の光の頃だ。

 クラス委員を決める際に、明日乃とセシリアの一騎打ちとして勝敗を決めるきっかけとなったバトルは、明日乃の勝利とセシリアの記憶喪失による苦い結末で閉まる。

 話は、王手の一撃が決まるときに見せた明日乃の表情だった。

 強い眼光に、雄々しい叫び声、荒い中にも鋭くも凛々しい彼女を引き寄せる魅力があった。

……それとは別にセシリアにとって明日乃は一条の光に過ぎなかった。そのため、過ぎ去る光のごとく存在が、この一瞬において逆に彼女のよりどころになることになった。

 もしかしたら、さきの未来に影響が出るのではないか?くらいには。

 その微かな望みが、主人格を逆転させるきっかけとなる。

 しかし、せしりあはセシリアを怨んではいない。すこし、懲らしめる程度で充分に値した。そして、明日乃という存在に触れてしまったがために、すこし気になり始めていた。

 だがしかし、このままではいけないわけだ。

 なぜなら、そろそろ彼女の愛機であるISと和解しなければならないからだ。

 和解といっても、せしりあがそんな電波じみたことができるのであれば、末恐ろしい存在となりうる。

 言葉が間違っていた。私たちが共に一・心・体とならなければ、この先は暗いという意味だ。そう言いたかった。一人の戦いもいいが、私たちは二人で一人だ。だから、二人で戦わなくちゃ、成長も止まってしまう。隙勝って言えるのは、今だけだ。これからは分からない。でもそうなるように、賭けてみようかなって、せしりあは思った。

『そんなに、あのこのそばにいたいなら、いいはなしがある。そのひょうじょうはまんざらではないだろう?』

『別に、私は……』

『そういいなさんな。もっと、すなおになりなよ?ツンデレはいまどきうれないぜ?』

『わかって、ますわ!!そんなことくらい……』

 自分で、自分をいじめるというのもまた乙なモノ。

 みるみる赤面していく自分を見ているのが、せしりあにとって、快楽的趣向の表れだ。

 子供、というかじゃれっ気が旺盛なのかもしれない。

 そういった、経験を持つものが傍にいなかったせいで。

 なにごとも全ては独学から始まり。

 彼女はそうして大人になった。そうなるしかなかったのかもしれない。

 その渇いた叫びに、誰も応えてはくれなかった。

 だから、力を求めた。人と対等に話せるのは、やはり力。力がモノを言うのだ。

 いつも、傍にいるのは大きな人。しかも、かなりの権力者揃いの中にいつも自分がいて、難しい話ばかり。子供っぽい面影なんて、微塵もない。いつだって、気の抜けない罠ばかりで、ちょっとの油断が明日さえ奪うのだ。

 そんな世界で育ってきた私たちは、同学年を知らない。

 知らないから、ついつい相手を突き放してしまう。そして、周囲から浮き、孤立して日陰の中を彷徨う。

 昔と違って、今は日を浴びている。明るい場所にいる。願えば、外に出られるということを知人から知る。

 だから、今、この時が何気なく、嬉しく、嬉しく思えるのだ。

 唯一の分かり合える友、セシリアと共に。

 せしりあは、思ったことを並べてみることにした。

『じゃあ、さ。ワタシひとりじめするのもカワイソウだし、なんなら……、きょうとしない?これはおたがいにわるいはなしじゃあないきがするんだけどなぁ~~』

『それだけに釣られてしまったみたいで、不本意ですけれど、毛頭そのつもりですわ!!今の私には貴女の力が必要ですの!!』

『キミがそこにいて、ワタシもそこにいる。こうしょうせいりつだね?じごくのそこまで、あいのりしてくれる、ね?』

『もちろんですわ…!』

 二人の彼女が相対し、手を合わせ、瞳をゆっくりと閉じる。

 すると、相手の思考がすらすらと脳裏に焼き付けられていく。あまりのデータ処理により頭が熱く、唸り声を上げながらも、彼女を受け入れようと努力した。その結果、苦痛から解放され、暖かい気持ちに切り替わっていく。

 今まで凍っていた空間が、時間を取り戻し、元の世界に帰ろうとしていた。

「その様子だと、意見がまとまったみたいだね?」

 止まったはずの入谷が、眼前で急にそんなこと言うのだから、私たちは戸惑いを隠せなかった。

「なんだいその顔は?事実を言っただけだろうが?そんなに驚く事ないでしょう?」

 あ~、と入谷。

 私たちに状況を理解させるためかはさておき、ポケットから手鏡を取り出すと、鏡を私たちの方に向ける。

「君たちは、ひとつになった。わかった?」

「うん……、えぇぇぇぇぇえ!!」

 こうして、二人で一人のセシリアが保健室で誕生した。

 

 





Angelaさんの楽曲を拝聴しながら、制作していると、重い話になるのは、気のせいですね!!はい。

ただ、これが言いたくなりました。すみません。

次回も、あればいいですね。

ではでは


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キャラクター紹介


あ、どうも。理十日です。

執筆中に、キャラクターがこんわかすることが多いのですが、今更ながらキャラクター情報を書いてみました。

というか、書いても見ないかった結果がありました(泣き)

初期原稿と現在のを見比べてみて、思ったことを書いてみました。

できれば、イラスト投稿したいんだけど、できるのだろうか?だめだ、わからん。

とまあ、いったん脱線します。

第一回目は、我が主人公の明日乃です。




 

 藤崎 明日乃(Fuzisaki Asuno)

 

【容姿】

 

 百七十センチの長身を持ち、肩口まで伸ばした栗毛。

 黒目がはっきりとした瞳は、少し鋭さがある。

 胸囲は乏しい。それが、彼女のコンプレックスではあるが、Bはあるらしい(自称)実際はBよりのAカップ。

 全体からして、体育会系の体つきで無駄な肉が無く、すらっとしたスタイル。筋肉は付きやすい体質。なので、激しい運動した翌日は筋肉痛が多い。

 

【性格】

 

 見た目からして、そのまんま。要はがさつで、大雑把。口調は大人しい。

 双子の妹がいるが、どっちが姉に見られるかは一目瞭然な話。…そんな次元な話まで行ってしまう。

 (脱線話を戻す)それでも、姉としての責務は果たし、常に妹を気遣う一面もある。社交性、人見知りもなく、誰とでもすぐに話せるところが自他共に認める長所だ。

 逆に短所は集中力が乏しい。とはいいつつも、集中した時は爆発的威力を発揮する。潜在能力の粗い所もあるが、磨けば輝く事間違いはないようだ。ただし、危機感が無いとそれは発揮されないという条件がある。

 全体をまとめれば、正義心が強く、それでいてどこか危なっかしい一面を持つが、人に好かれやすい性格の持ち主ではないだろうか。

 余談だが、実は料理を少し嗜んでいる。

 

【趣味のようなものを書く】

 

 歌を歌うことを好む。ちなみに風呂場で。

 絵を描くことも可。うまい方に入るが、美術がだめな方。イラスト描きになってしまい、それが仇となるパターン。でもうまい。

 痛い気なポエムを執筆。または小説。

 なんだかんだ、興味を持つと火がついたように取りかかるが、逆に冷めるのも早いということ。

 

【家族間】

 

 両親共働き。

 帰宅はたまに帰ってくる程度で、なんらか料理を残して行ってしまう。帰ってくと言っても着替えを取りに帰ってくるほど。

 たまに休みがある時は、家族サービスをふんだんに行うのが家族ルール。

 (脱線)世間の流れからして、ISというのは主流なものかつ、最先端なものそれでもって女子たちにしか扱えないというのも相まり、自然と娘たちも興味を示すようになった。

 実のところ、両親共にIS関係の仕事をしていた。しかもヴィクタ―社に籍を持っていることを最近知った。

 そんなこともあり、“久遠”をもらうわけなのだが、それが七光だのなんだのというが、もらったのは私なんだし、悔しかったら同じ土俵に立てっての。(脱線終了)

 最終的に家族間は円満を保たれている。

 反抗期もなく、家族で入れることをなにより嬉しく思っている。

 

【その他概要】

 

・誕生日→八月三日。

 

・血液型→B型。

 

・星座→獅子座。

 

 

 





明「あの、理十日ぃ……。私って、長身貧乳なんだな……」

理「貧乳で何がわるい?いいじゃん。俺好みになったんだから」

明「もうちょっと、大きくしてくれても……」

理「大丈夫。まだ成長期でしょ?大きくなるよ!!うんうん」

明「いやいや、成長のカギを握ってるのって、あなたですよね……」

理「え~きこえないぁ~い。さて、はじめてキャラとしゃべってみたけど、案外面白いな……となりで呪詛が聞こえないけど、あえてスル―で、でも初見でおっぱいの話からだと、今後身体関係の悩み相談しか来ないんじゃあ……!!ともまあ、初めての進行だからうまく〆られないけれど・・・・、お相手は、理十日と……」

明「……(ぶつぶつ)」

理「明日乃。最後くらいちゃんと〆てよ」

明「藤崎明日乃でした……」

理「では、二回目で!!」



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第三十五話 


理「せーの……」

理・明「「あけましておめでとうございます!!」」

理「年明けちゃったね?年末は仕事がぎりぎりまであったから、疲れて、早く寝ちゃったなぁ……結局年越しそば食べれてないしね……」

明「別に、ここでプライベートの話をしなくてもいいんじゃない?私なんて、まだ六月の始めだよ?だんだん気温が高くなってるんだから……」

理「ごめんね、書くの遅くて……」

明「いや、別に……そういう意味じゃなくて……」

理「なんか、明日乃と話してると、友達のいない奴が必至こいてるよって、思われそうだな……」

明「ほんと、マイナスな考えしかできないんだな……新年早々、縁起が悪いな。ほら、今日くらいは明るくしなさい!!」

理「ほらさ、こういうところでしか話すタイミングがないからさ、つい。実際にさ、友達はいなし、携帯は壊れるし、去年はいろいろあったな……」

明「そうやって、語れるくらいの出来事がちゃんとあったんだから、いいじゃん。そういう刺激もある方が、生きがいってものがあるじゃん。いいじゃん、生きてんだから」

理「明日乃。よし、暗い話はここまでにしよう。フリを頼むぞ!」

明「季節は六月。湿っぽい季節がやってきた。そんな中で、二つの物語が幕を開ける。少女は手にした力を正しい方向に導けるのだろうか?善と悪が交わりし時、少女が見つめる先にはいったい何が!?――――こんな感じ?」

理「オッケイ!!また後ほど」


 

 

 明日乃・一深紫阿の二人は地下ガレージより紫阿の機体〝サラシナ〟の調整を行う最中、セシリア・せしりあの二人は心を通わせた頃。

 それより少し前、……日が傾くか傾かない頃合い、ざっくり言えば放課後になったばかりの時間だ。

生徒たちが各々の行動に走る中、もう一つの物語が幕を開ける。

 

 

「久々に、ここに来れましたわ……。明日乃は元気にやっているでしょうか?あぁ、早く会いたいですわ……!!」

 放課後の廊下に、響き渡る声音の持ち主はクラウン・ヴィクタ―だ。

 普段は、学園に身を置いているのだが、ここのところ父―――ジェイルの会社であるヴィクタ―社に新作開発も兼ねて、学園を休みがちになりつつも隙を見つければ、こうして訪れていた。

今日は父に最近の研究成果について報告も兼ね、赴いていた。

 現在はその報告も済み、緊張感のない理事長室を出たところだ。

 理事長室を出て、第一声に発したのが、これであった。

 慣れたもので、特設エレベーターで降下した後、明日乃のいた教室までとぼとぼと歩き、いない教室を覗き、一人感傷に浸る。

 実のところ、明日乃に会ってしまえば話は早い。それでは戻るときに脚がふんずまってしまう。それを起こさせないための、せめてもの私への褒美になるだろう。

 それでも、声をかけたいという気持ちも出てきて…、結局―――。

「これでは、歴としたストーカーではありませんか……?」

 自問自答。自らに質問をしたところでまず返ってこなかった。

 クラウンは教室のドアにしがみつき、隙間から中を伺う。幸い、周囲には人がいず、教室には明日乃と他の生徒が一人いて、机で何かに取りかかっていた。なので私の存在には気付かないわけで、絶好の目の保養タイムが訪れる。周囲に配慮しながら、明日乃を目でばっちりロックオン。一ミリも狂いはありませんわ!!

 ―――しかしその時背後に、いえ、視線を感じましたわ。

 私は反射条件に倣い、背後を見やる。最初は一瞥程度のつもりではあったのだが、そうはいかないようで……。

 教室の位置からして、その場から目に入って来たのは壁。

 壁……曲がり角の位置から人の指が挑発のポーズ。ここでいうところの、くいくいっと指でこちらを煽るような仕草をして見せたので、仕方なくクラウンは相手の挑発に乗ってみることにした。

 曲がり角を抜けると、―――誰もいない。

 周囲を見渡しても……、誰一人いない。

 何より外からの夕日が窓ガラスを抜け、廊下に描かれる暖色と寒色の絶妙なコントラストに目が引かれ、一瞬目的を忘れそうになる。

 頭を被り、集中する。

 すると背後に気配が!!―――また手がこちらを挑発。

「道化が……!」

 小さく舌打ちをし、冷静を欠いたクラインは走り出し―――。

 幾度の挑発の末に、場面は屋上に移る。

 戸を勢いよく潜り抜けると、眼を眇める。

 この光景に、クラウンはデジャヴュを感じた。

「良い夕日だよね……!!?感動しちゃうなぁ~~!」

「貴女だったのですわね?―――あの時の、一般生徒は?」

「あの日の夕日。君が実にしんみりそうにしてるから、こっちまで悲しくなっちゃったよ?」

 夕日をバックにしているせいでその少女の全てを捉えることは出来ず、声音だけが頼りであった。

 あの夕日とは、クラウンが本名 不知火真紅 であった時に一人黄昏ていた。

 彼女の口からそのようなことが出るのは、現場にいたとされ、クラウンが思い当たるのは一人の一般生徒が上がって来た時のみである。

 あの日の出来事は、酷く緊張感に苛まれ、あまり記憶に残っていない。達成感と安堵感から泣いてしまったが、それをすべて見られていたことになる。

 だからなんなのかというレベルで、私からしたらあまりにどうでもいい気分になる。

「そんなにあいつがいいのかい?」

「ええ。貴女には分からないでしょう?」

「そうだね。君みたいなストーカーがついちゃうくらいねぇ?」

「それは私に対する侮辱ですか?!それとも明日乃に対する侮辱ですか!!?」

「両者だね!見ていて、実に生温い!子供のままごとか!ッてレベルだよ?本当にさ!!」

「貴様!!」

 沸点に達したクラウンには既に怒りに任せた思考しか残っておらず、全てを力で解決することしか考えることが出来ない状態に至っていた。

 先に手を出したのはクラウン。リリスは守りの体勢に入り攻撃を相殺する。

「おぉ!やる気?ぴゅ~♪いいねぇ。でもなッ!どうなっても……しらねぇぞ!!?」

 挑発的な口調に切り替わった少女は、言動とともに行動も様変わり。

 荒々しくそして、優美で力強い一面を披露した。

 屋上という特別なステージで、二人は所狭しに縦横に舞っていた。

 アクション映画さながらの動きで、共に一進一退の鬩ぎ合いを展開していた。

 可もなく不可もなく、二人は背に夕日を宿し、無言の、空を切る音のみでその場を支配していた。

 放課後の屋上に誰も脚を運ばないので、二人のやり取りはエンドレスだ。

 勝敗は一体何で決めるのか……?対価はどちらかの命か?などと少し洒落てみるが、答えは二人の中にあるのではないか?と、明確にはできないものがその場の雰囲気で感じ取れる。

「貴女は、何者なの……?」

「わたし?私はね……、ペンドラコの血を引く者だ!そして力はペンドラコ流だ!!覚えておけ!!」

 自分でも恐い顔をしていることに心当たりがあるが、それ以上の剣幕にクラウンは一線を引いた。

「ペンドラコ?―――」

 聞き覚えのない名前だ。

 なので、クラウンは眉根を中心に寄せた。

 それを見かねたペンドラコと名乗る少女は――。

「無理もない。ここ最近で大きくなった存在で、家族ともども成功を収めたのだからな」

「成功?」

「父は、独自の企業の成功。母も同様だ。兄はキレ者で、学者の道を歩んでいる。では、この流派は?と思っただろう。これは代々に受け継がれる格闘術の一つだ。兄が世界大会を制覇したこともあるが、兄は注目を置かれる存在であった。そして結果が出たことで、人気は爆発。そして我々の株の上昇にすべてがひっくり返った。一夜にしてビッグドリームを掴んだってところね。ざっくり言えば」

「随分と他人行儀みたいな話し方ですわね?」

 組み手を崩し、身形を整えるペンドラコ。クラウンは突っ立っていた。

 ビンゴと言わんばかりの表情の変化。

「そう、だ…。一夜のビッグドリームは家族を変えてしまったのかもしれない。価値観の変化が最ものところだ。金というのは恐ろしいな…」

「ええ。その通りですわ。お金は人を変えてしまう恐ろしいモノですわ。人はどこかで一線を引かないと猛者になってしまう。………それが今、重要なことかしら?」

「たしかに、君にとってどうでもいいことだ。だが、貴様を見ているとイライラする。なぜだかな……。でも、安心したよ。お前の力に偽りが無くてさ!!」

 試合再開。

 彼女の語りは本当なのかは知らない。それでも、彼女の口から出たのだから、少しは信じなくてはいけないのだろうか。

 共にファイティングポーズを決めて、佇む。無言の静寂が再び始まり、緊張の糸が張り詰める。

「私の前に立ちはだかる生涯はすべて取り除きますわ……」

「いいねぇ。その勢いを、―――と思ったのだが、今日は止めとくわ。明日。決闘をキミに申し込むぜ!!」

 決闘。その響きは嫌いではない。むしろ好ましいいい響きだ。血が騒ぐ。

「ええ。いいですわ。その決闘を受け取りますわ!」

 クラウンの返事はYES。

 それに対してあちらのリアクションは“だよね”であった。

「じゃぁ、今日はこれで」

「―――えっ!?―――ちょっ―――」

 ペンドラコは一人後方に歩いて行く。クラウンの反応余所に、手すりに背が当たると同時に、片手を重心にとるその姿が道化師にしかクラウンには映らなかったが、またそれが妙技で、滑らかで、そして感嘆を漏らす一瞬で……でも、反対側は生と死で表すのであれば、死を指すゾーン。彼女はゆっくり死のゾーンに身を投じるのであった。

 クラウンは血相を変え、その手すりに向かい、すぐさま下を確認した。逆に見ているクラウンの方が心配になる様子で、慌ただしく動き回っていた。しかし、数分すると一つの結果に行きつく。

「死体どころか、何もありませんとは……やはり、道化師としか言えませんわ……」

 何とも心臓に悪い、後味の悪い最後だ。結果からして彼女は死んでいない。生きている。

 改めて、自分の未熟さの痛感。

 私が、私に、無傷なのは彼女の手加減があってのモノ。

 そして、すぐに相手の挑発に乗り、好き放題やられてこと。

 クラウンは自身の手を強く握りしめ、怒りを覚える瞳を、夕日にぶつけた。

 強く、強く、強く、強く………、強く夕日を睨み続けた。

 

 

 六月の風には湿気がある風が吹いている中に、少し寒さも混じっている。

 クラウン・ヴィクタ―は肌でそれを感じていた。

 風に当たれるのは、外に出るしかない。もしかしたら室内でも感じられるかもしれないが、概ねそれぐらいだろう。

 夕日を睨みつけていた小一時間前の彼女はもういない。

 早いもので、空は夕日色から漆黒色に染まろうとしていた。丁度、彼女が見ているのがまだ、空に赤みがかった部分ではあった。

 しかし、クラウンはジッと空を、手元を見つめるや否や、動こうとはしなかった。

 心なしか手に力が入って、終いには手すりを壊してしまうのではないかと思うくらいに力が入っていたが、ハッと気づいたクラウンは、力なく手を離した。

 ほんのり朱色に染まった手を力なく見やると、先の光景をフラッシュバックされる。

 劣るほどでもなかったが、越す程でもなかった。可もなく不可もなく、ただ流れるだけの時間を過ごしたようだった。

 しかし、彼女には先があるように思えた。……多分、だが。

 それでも、垣間見させるほどの余裕を具現させるのであれば、それは余裕の表れなのかもしれない。私はそれに達せざる事も出来ずしまいでいたことに腹が立っていた。

 未熟。その言葉が、今最も似合う言葉なのかもしれない。いや、そうしておきたい気分だ。

 悲観している自分が、少し嘆かましい所だ。

 眉根を深く刻み、目を閉じ、力を抜く。

 この状況で、唯一の最善策は、やはり―――。

 丁度、小一時間前に申し込まれたあの言葉―――決闘。私は

私は覚醒し、懐から携帯端末を取り出し、耳に当てる。

 コール音が、相手を呼び出す。かけた先は―――。

「私、真紅だ。頼みがある……」

 受話器から聞こえたのは、陽気な声。その聞き覚えのある安堵を覚える声に、私の緊張は解け、いつもの調子で話そうとした。

 姉、カトレアこと星羅は数拍の間を挟み、開口二番に言ったのが…。

「おっかない声してるけど、喧嘩した?」

 図星。…いいや、喧嘩ではない。次いで……。

「それで、IS持ち出そうとしているんじゃないの?ほんっと、負けず嫌いだよね?」

「う……」

「でも、そこまで本気にさせる相手なんでしょう?だったら、しょうがないわね……」

「ありが―――」

 クラウンの勢いを相殺する。

「その代わり、ちゃんと勝つこと。いいわね?」

「――とぅ……。うん。約束する!!」

「よろしい。んで、貸し出し用の機体なんだけど、全部組みかえてるんだわぁ……、あ、システムね。でね、残ってるのが無いから、どうする?」

「え、私のは?」

「全部組変えてるんだっての。しょーがない。試作機で行くかい?」

「だめ、あれは、だめなんだ……明日乃と共鳴してしまうから……」

「別に、近くにいなければ、いいんじゃないの?」

「あの学園内じゃあ、狭い。ここからそこまでなら範囲があるから、なんとかだけど、最近の明日乃の成長ぶりには驚かされている。最近ではアビリティの取得にまで成功しているんだ。迂闊に近付けたら、明日乃が危ない」

「うーん、分かった。ならどうしたいの?」

「いまからそっちに向かうから、パーツ揃えてといて、私が組み立てるから」

 なんか受話器から聞こえたが、あまりに小さいから聞こえなかったが、なんか星羅は文句言っていた気がする。

「じゃ、姉さん」

「はい。ほんじゃぁ……(ぶつぶつ)」

 電話を切り、早々に階段を降り、校門をくぐり抜けた。

 もちろん、外出届を出して。

 

 

 徒歩十分弱で、ヴィクタ―社のガレージに脚速に着いた。重い扉を開けばそこには姉、星羅がいて、全ての準備は整えられているという証拠と姉の仁王立ちが印象深い。

 姉から視点を離す。周囲を見やれば、どれも灰系色のオンパレードで、目がくらみそうになった。

「すごいね……、どれも使っていいの?」

「ええ、お好きなように。私は、上にあがってるわ」

「姉さん。どれも灰色だけど、これ全部塗装する前のやつ?」

「ええ、そうよ。生まれた時は皆、そういうものなのよ」

 星羅は、一度も立ち止まらず、ガレージの階段をコツコツ鳴らしながら、上がっていき、手をひらひら振りながら、そこからいなくなってしまった。

「何かあったら、連絡する!!」

 無反応。それと同時に、静寂と虚しさが込み上げてくるが、そこは気合いを入れて吹き飛ばす。

「よしっ!創るぞ!!」

 一人静寂の中で、己に鼓舞する少女、クラウン。

 彼女の言葉に、リアクションをすることは誰も出来ないわけだが、こういう時明日乃ならリアクションしてくれるのに、などと一人妄想に入りそうになる思考を、被り、現実に引き戻す。

 深く深呼吸。自身の世界を思い描き、一気に覚醒し作業に取り掛かる。

 

 

「ふぅ……。これで完成かな?」

 愛用の作業服を汚し、額に浮かぶ玉を拭い、息を吐くように発した言葉。

 作業時間は二時間。体感時間は朝方を指しているかのような高揚感。悪く言えば徹夜明けの朝……なのかもしれない。

 だるんとした身体を、伸びで引き延ばす。

 そして今一度、地べたに座り、子供のような目線から出来上がったそれを見やる。

 灰系色の細いながらも芯の通った腕。

 吊り上がったデザインの肩パーツに、同様の角ばった脚パーツ。

 天高く伸びるクリア素材の採用が決定したばかりの推進機翼は触っただけで指が切れてしまいそうなほど鋭く、それでいて脆そうで、迂闊に触れない、そんなイメージ。

 四枚二対の翼だが、それは先端をピットとして使用も可能。驚くのはそれがピット以外でも役割を持っていること。

 付属のランスにドッキングさせることで、質力が四十五割増しの結果を出している。

 それは砲撃扱いとなり、発射するにあたって、今までの世代ではそれに耐えきれないとされている一撃。つまりは必殺の一撃かつ諸刃の剣だ。

 当たれば、シールドエネルギーほど貫通し、パイロットにまで多大な被害を被る。結果からしてどちらにも損しか与えない。

 なので、試験段階で足踏みを喰らっている中で、クラウンが今回引き上げたのだ。未だに研究に進展が無い。データが無いのであれば、私がデータをくれてやろうと、企てた。

 実際、これでもしないと彼女にはかなわないと後ろ向きな考えではあるが、探究精神からそれを使ってみようと足を踏み入れた。

 今まで耐えきれなかったのは、機体のせいじゃない。放ったときに相殺するそれが無いから撃った方にも被害が出たのだ。

 ヘリの原理を用いて、思考錯誤してみようと思う。

 だが、もしあった時はどうしたらいいのか、正直分からないし、恐い。もしかしたら殺してしまうのではないかと、悪い方を考えてしまう。

 そうすると、手が震える。

 でも、後戻りはできない。クラウンは一人、逡巡した。

 

 

 迷っている間にも、期日が来てしまった。

 迷いのなかにも恐怖があった。

 

 

 ――――放課後。

 

 足取り重いクラウン。

 脚はちゃんとアリーナに向かっていた。

 観客席からアリーナを見やると、一人中心で佇む、小柄な少女がいた。

 金髪の少女。あれが、ペンドラコ。

 クラウンは着替え、恐る恐る、アリーナの中心に向かう。

「遅かったな?ヴィクタ―のお嬢さんよォ?」

「貴女が、ペンドラコ?さん」

「いかにも、私がペンドラコが娘のリリスだ。よく怖気ずここまで来たな。それは褒めてやろう」

「ペンドラコさん。想像していたのとはまた違いましたわ。もっと、こう高身長なイメージが……」

「テメェ!喧嘩売ってんのか!?」

 やはり、身長はタブーなんだね。私は内心小さく苦笑。

「いえ、……ごめんなさい」

「ふん!残念だよ…。過大評価をした私が間違っていたようだ。その眼は、戸惑いがある。自身の力に確信を持てず、私を見た瞬間に更に増幅したようだな。ならば、去れ!!」

「去れって、言われて、去ったら負け犬と言うのでしょう?」

「ああ、その通りだ!口答えをするってことは、逃げないんだ?」

 ここで、クラウンは昨日のことを脳裏で思い出す。

 喧嘩口調はそのままで、でも容姿からして、過去になにか嫌なことでもあったのかもしれない……。そんな私ごとだが、簡潔に私個人の見解では……。

「ひねくれた……のですね」

「んぁ?!!テメェ、世の中にはなァ…、言っていいことと言っちゃいけないことがあるんだ……!!」

 どうやらタブーを再び引いてしまったようです……。

 喧嘩上等の文字が似合うお嬢様は、我慢の限界を迎えたようで、IS〝レムフォント〟を起動させた。

「あらら……」

 クラウンは〝レムフォント〟を前に、ある程度の知識を呼び覚ました。

 四世代型の格闘専用機。サポート武装は存在するが、カテゴリーに分けると大体そうなる。

 主に、黒剣。文字通り、黒い剣だ。

 西洋の剣を型取ったそれはなんでも断つことができる。しかし、彼女の握っている黒剣は、予想だと初期あるいは全三形態の中でも、一または初期に匹敵するのではないだろうか。見極めるポイントは黒の濃さ。形態チェンジを行うと、色が少し明るくなる。

 大袈裟に言えば、金色の剣。

 一度輝かせたのなら、全てをリセットに誘う終焉の一撃を屠るだろう。……などと、言われてはいる、がしかし実際に見たものはいない。だから、こんなロマンあふれるような事を口にできるのだ。

 ともあれ、彼女がそれを最初の段階で踏みとどまっているのだから、クラウンはすこし安堵する。

 しかし、日進月歩の要領で、人はまた先へ歩むこともある。そう、今がその時。

「ふっ、甘んじられているみたいだ……、すこし、驚かせよう……!」

 クラウンは驚愕。

 刹那、金色の閃光がクラウンのいた場所に穿たれる!!

「!!―――あ、ぶなかった……」

 虫の知らせ。野生の感。それらのあらゆるものが度重なって、クラウンは緊急回避を成功させる。

 土ぼこりが舞う。

 クラウンが前いた場所にクレーターが、穿たれていた。

 クラウンは固唾をのみ、額の球を拭う。

「やるじゃねえの?てっきり、温室育ちのお嬢様かと思ったぜえ?まぁ、なにしろ昨日のが偽物じゃねって、ことがわかった。どうする?ヴィクタ―のお嬢さんよォ?」

「挑まれた決闘。私は、逃げも隠れもしません。そこに私を奮い立たせてくれる者がいるのでしたら、それは私の立派な壁ですわ……。躊躇いも、なにもありません。これが私の全力全開。受け取ってくれますわね?!」

 クラウンもISを纏い、対峙する。

 穂先がクリア素材のランスを二本構え、気張る。

「はい~~!そこまでだ。二人とも」

「ぁ?」

 おそらく二人は、頭の上に?を幾個も浮かべていることだろう。

 アリーナ入口に、人影が二つ。次第に近付いて来てそのシルエットが判明する。

 割って来たのは、入谷。その後ろにセシリア。

 入谷はセシリアを置き、単身でしかもポッケに手を入れながら歩んでいる。仲裁にでも入るのだろうか?……否、この女教員は怖気た様子はない。むしろぐいぐい入ってくる。脚を止めたのは丁度真中、そして開口。

「喧嘩は好きにしていい。だがしかし、君たちを含め二人。私たちを入れると四人になる。ということは?」

「ツーマンセルでバトろうってか?いいじゃねえか!!?」

 好奇を剥き出しにするリリス。クラウンはすこし、ほんの少し安堵する。

「チーム分けは、君たち二人と私たち二人だ。反論は受け付けない。では、始めるぞ?!配置に着け」

 セシリアはブルー・ティアーズを呼び出す。

 入谷は指を鳴らすと、アリーナ奥から灰色の塊がすっ飛んで来る。宙で一回転をかまし、搭乗した。

 二人の準備はあっという間である。圧巻のスピードにクラウン、リリスは頬けた。

「さぁ、おっぱじめようぜ?先生よォ!!」

「……、やれやれ、これだから盛んな子供は苦手なんだ。準備はいいな?セシリア」

「はい。いつでも、行ける。今なら少し明日乃に近付けます」

「近付くな、それは変な勘違いを生む。お前はお前でいろ」

「なに、ちゃっかり先公面してんだよ!?」

 リリスはすっかり逆上せ上っている。セシリアを思うように扱っていることに腹が立っているのだろうか。その胸の内を知っているのは、本人のみである。

 怒れる瞳を以て、激昂、怒号を混じり、黒剣を立て、灰色の塊―――入谷―――に突っ込んだ。

 入谷の使用するISは〝紅茶〟

「こうちゃ?―――」

「ふっ、少しは落ち着いたか?コイツは“こうさ”と呼ぶ。実に会長らしいネーミングセンスだろ?」

「ふん!そんなのはどうでもいい!!そいつが私を満足させてくれるのであればな!!」

 ノ―モーションの入谷。

 ノ―ガード戦法なのか?それともやる気が無いのか?―――この際どうでもいい!!

 やる気が無いのであれば、大人しく私の剣の錆となれ!!

 黒剣が入谷を裂く事のできる圏内に入る中、以前彼女は動こうとしない。

 この時、リリスにはスローモーションに映っていた。刃がゆっくりと入谷の首根っこを断つことは絶対のこと。いやそれしかあり得ない。だってもう、回避のしようが無い、のだから。

「!!?」

「君はこう思ったはず。このリーチからどうやって、回避するのかと。一歩違えば、私に大ダメージを与えることが出来る。その反面君は私の心配もしてくれていたはず。つい、怒りに任せ、行動してしまった、と。しかし、君の質疑応答に私は応えなければならならない義務がある。だが、私の今の現状をした君がその答えを本当に必要としているのか、私には、回りくどいことを何度もループさせるが、きちんと説明をしないと……」

「動け、ない……!!」

 動揺を隠しきれない。動揺を隠しきれなかったリリス。

 なぜなら、黒剣を宙空で受け止められたまま、身動きが取れない。それでいて、入谷の表情は余裕、というか変化が見受け取れない。

 ブーストをかましても意味をなさなかった。

「何をカリカリしている?私をぎゃふんと言わせたいのだろう?ならば言ってやる。ぎゃふん」

「テェメェエエエエエエエエッ!!!!!!」

 身動きのできないのは剣を捉えているからだ。ならば、それを手放し、肉弾戦に持ち込む。

「まぁ、そうなるよね、あながち間違いではないけれど、だ…」

 入谷によるスリーステップの奇跡劇が幕を開ける。

 ――――ワンステップ目。

 リリスの黒剣を放り、その反動で、左足を浮かせ、後方にもってきて、同時に、左腕も引く。この時、右足軸の構えに、弓を射った構えも成立した。ならばあとは放つだけだ。的は勝手に突っ込んで来るお嬢様と言ったところだ。なにより、自動的に突っ込んで来てくれるのはありがたいのだが、ちと力量が心配な所だ。危うく……なんて、考えが結果を呼ぶケースもある。入谷は全身全霊の力で、屠る。

 結果は、リリスにダメージを追わせることになるのだが、致命打までは行かなかったようだ。それでも、怪訝そうな表情に入谷は内心ニヤけた。

 ――――ツーステップ目。

 入谷にとって強がるリリスの表情には俄然やる気がもたらす結果を生んだ。クロスガードのリリスは、腕の隙間からこちらを睨む。余裕はあるようだ。

 入谷は、力を抜き腕をだらんと垂らしてから、すぐに腕を持ち上げる。ファイティングポーズを作り、リリスに挑発。もちろん乗ってくる。これも計算の内、ここでステップ終了。

 ――――スリーステップ目。

 光の速さで向かってくるリリスに、入谷はゆっくりと迎え撃つ。

 やはり、小柄なこともあるリリスはISを纏うこともあって、強力な力を出し切っていた。

 こちら側が少し、守りの体勢となり、歯を食いしばる形となる。しかしこれも作戦。相手の全てを受け止め、それでもって、全てを倍返しで返す。

 足払いからの上段回し蹴り。果敢にリリスは、回避運動をとる。が、急な機転に反応が追い付かず……。

 身を縮ませながら、背面タックル。隙のできたリリスの懐に入るのも容易い。直撃後に退き、追撃のチャンスも自ずと訪れる。しかし、追撃をしない、いや、しようか悩んでいた所だ。

 悩むより先に、攻撃を仕掛けてきたのはリリスの方だ。思いのほかダメージはないようで、入谷は小さく笑う。ざっくり言えば微笑んだ。この光景が実に奇妙であるかは本人すらよくわかっていない。

 最後に、リリスを宙で側転させたことで、この三つの演目は閉幕となる。だが、地味であるからこそ、おもしろいのかもしれない。

 ただ、側転をさせたのではない。この場所から五十~六十メートルはあろうバックグラウンドまで、回転を利用し、吹っ飛ばしたのだ。

 結果として、派手な演目になったので、良しとしよう。彼女も別条なし、どこも破壊していない。彼女は壁に到達するまで、自力で解決したようだ。

「入谷……やり過ぎです」

 思いのほか、声をかけてきたのはセシリアであった。

 その表情は、強張っている。それに、ほんの少しの殺意を感じられる。ああ、記憶が戻ったからか……。友を守りたいからか……。

「まぁだ、まだぁ、まだ終わってねぇ……」

 本当に感心するよ。

 でも、次で……。君を使う気はなかった。でも、使わないといけないみたいだ。スメラギ。

 中腰。居合の構え。

 入谷は確実に、何かを出す構えをしていた。

「入谷!!」

「ちょっと待ったァあああ!!」

 天井から、声がした。

 しかも馴染みのある、声。

 セシリアは無意識に空を見やった。希望の眼差しを込めて。

 そう、そこには彼女がいた。

 今もっともそこにいてほしかった人物がそこにいた。

 セシリアは無意識に手を伸ばした。その希望に手を伸ばして掴まんとするかのように、強く、望む。そして渇いた口がその名前を叫ぶように、求めるように、喉の奥からそれを口にする。

「明日乃!!」

「今ここに、光纏いて、蒼嵐が全てを無に帰す。―――誰かの泪を観たくはないし、力をそんな風に使わせはしない!誰が何と言おうと私の力が絶対だ。行くぞ!!天華奏蘭!!」

 アリーナ中に明日乃の想いが支配する。

 力を振るわんとするものから、武器を奪い。

 恐怖するものに安らぎを与え。

 怒れるものに、幸福感を。

 そうした、明日乃の思念が全てを包み込む。

 エメラルドの風が、全てを優しく包んだ、そんな時であった。

 





明「セシリアが二人いたとはびっくりだ」

理「明日乃は鈍いからね」

明「そんなことないよ!!ばっちりだし、人の心読みまくりで、逆に疲れちゃうくらいだもんね!!?」

理「じゃあ、いま何考えてるかわかるか?」

明「おぅ、任せてとけ!!………」

理「わかった?」

明「え、っと……、紅茶が飲みたい」

理「それ、今の君でしょ?」

明「ぎくっ!?なぜ、それを」

理「俺だからね?書いてるの?」

明「どうせ、セクハラまがいのことを考えてるのだろう?」

理「うん。いやぁ、もう夏じゃん?そっちはさ、どういうのがいいかなって……」

明「どうせなら、かわいいのが・・・・」

理「いっそ、際どいのが……、はあ、こんなことしか考えられないのがかなしい。そろそろ〆よう」

明「そうだ。それでいい!!」

理「新年早々、マイナス思考の理十日と……」

明「藤崎明日乃がお送りしました!ではでは」




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第三十六話

 

 

 放課後のアリーナ。午後四時を越し、生徒たちのギャラリーも増えてきている。今日は生徒たちを沸かす程の演芸が開幕されていた。

 リリス・ペンドラコ。クラウン・ヴィクタ―。セシリア・オルコット。入谷理恵。

 その四名によるタッグバトルが行われていたが、実際に戦っていたのは、リリスと入谷であった。

 そもそも入谷は教員。保健室の先生だ。

 驚きはその入谷が専用機を持ち、リリスを負かしている像。

 一見は生徒に稽古をつけているかのような映像ではあるが、入谷が一方的に仕掛けているみたいな、言葉を悪くすれば虐待、いやこの場合、体罰に当たるのかもしれない。そんな情景だ。

 力量をあからさまに相手に分からせているそんなシーンだ。一昔前の教育方針みたいで、なぜだか時代感を漂わせる。それでもこの情景に変化は生まれない。

リリスが何度目かの横転をし、その度に立つが、見ていてわかる。満身創痍だ。

 リリスは体形に似合わず、タフだ。負けん気が強いがそろそろ体力の限界を迎えようとしていた。

それに伴いギャラリーからも阿鼻叫喚が鳴り続けている。

 私とセシリアはこの緊迫とした空気に身体の自由を完全に奪われていた。言葉を発するところか、何もできないなんて……。

 諦めかけたその時―――!

 一条の眩い光がアリーナを支配した。それは明くる夜空に昇る太陽のごとく神々しくも儚く、美しい……。私にとって、手に届きそうで届かない存在だ。それに一人、その座に到達しそうな人物に心当たりがある。彼女ならその壁すらも簡単に越えられるだろう。

 眩い光に目を眇めたクラウンが覚醒すると光は落ち着き、聴覚に風の音を覚えた。優しい風ではなく、暴風。まさしく嵐。そう。アリーナ内で嵐が巻き起こっていた。特徴なのは四つの首を持った翡翠色の竜巻。中心にはリリスや入谷のようなシルエットではない者が浮遊。

 蛇に睨まれた蛙。それとの距離は大体二十メートルは離れている。それなのにその瞳に、寒気を覚え、それと殺意、なにより憤怒の念が強かった。睨まれ続けていれば、圧に潰されてしまうだろう。まるで鬼。

 それがゆっくりと、ゆっくりと、こちらに近付いて来ているのは、やはり彼女であった。

 この状況に割って入って来たのは、そう。藤崎明日乃であった。

 

 

 栗毛の彼女は、隣に一深紫阿を連れ、ひとりでにISを起動させ、アリーナの強化ガラスを突き破り、自身のワンオフアビリティーの開放による作用で、ガラスを修復。そして、エメラルドの風が、アリーナを一瞬にして包む。

 この時、明日乃に異変が起きていた。

 アドレナリンが爆発し、明日乃がその異変に気がつくのはまだ少し先の話だ。

 栗毛が一気に伸びる。新しく伸びる毛先は白髪。それが徐々に色を彼女から奪っていくようだった。元々の栗色の髪も白くなり、その大きな黒眼も左から金色にカラーチェンジ。

 そこにいたのは従来の彼女ではなく、新しくなった明日乃であった。

 そんな彼女が、手を伸ばす。両手をクラウンとリリスの方を範囲に押さえた。刹那、リリスとクラウン、入谷、セシリアから武力を奪う。それは手品のように一瞬だった。皆が自身の手を眺めているという光景を広げていた。しかし、明日乃には関係ないことだった。

「これはどういうことだ!?リリス!クラウン!セシリア!入谷先生!!?」

 明日乃は吠えた。しかし、反応はない。

 天華奏蘭の発動時中。

 この時、明日乃の瞳には憤怒の念が宿っていた。今にも煮えくりかえりそうになるくらいに滾っている。もう自分では抑えられないくらいに溜まっていた。

 過去より今、それは明日乃を鬼に変化させようとしていた。

 それと同時にある指数が異常に上昇の値を示していた。―――シンクロ率。

 それは久遠と明日乃の二人を紡ぐ生命線のことだ。一定の波を刻み、平常の指数を先までは示していたのだが、今は今だ。その波が一気に酷く荒ぶり、大きな波が明日乃を深海に沈めた。

 シンクロ率百パーセント――――百二十パーセント、……百五十、……百七十、二百パーセント、更に上昇。

「ぐぅ……ぅ、はぁはぁ……」

 顔の堀が更に深く刻むほど明日乃は、息苦しく悶えていた。一瞬にしてこの様態の変化に動揺を隠せない。どんな痛みよりも先に、胸に物凄い圧迫感を覚えた。

 力が全身から抜け、汗が止まらない。呼吸が出来ぬほどに圧迫し、焦点が合わない。姿勢も前屈みで、今にも膝を折りそうだが、猫背のままを保っていた。

 明日乃はぼんやりとした意識の中で脳裏に過ることがあった。

 この感じは今一度、このアビリティを使用した時の事を思い出す。リリスと初めて戦ったクラス対抗戦・決勝の一場面。あの日の痛みを忘れはしない。それをもう一度体現している自分がいた。でも、でも今ここで止めなければ、何が起こるか分からない。そんな後悔に悩まされるのなら、私はどんな痛みでも味わってやる

 ――――でも、今日の痛みはその時よりもずっと重い、押し潰されそうだ……。

「―――ぅう……ぐッ!!」

 いつのまにか、アビリティを制御出来ない程に、力が暴発していた。

 言葉にすれば、暴力。そんな暴力を制御できないとは……少し情けない。

 エメラルドの翠嵐が、四本の竜巻を現出させ、文字通り暴れていた。

 各々に意思があるように、好き勝手に、暴れていた。

 それを明日乃は泪の玉を浮かばせながら、悶え苦しみ、うずくまっていたのだ。既に膝を折り、正座で、言葉を悪くすれば土下座のような体勢だった。

「あーぁ、こりゃあ、酷いねぇ……。アリーナのカメラに異常な映像が映ったから…って、管理の人に言われて来たけどぉ……、予想外だね。でも、美しいではないか?えッ?!藤崎くぅんッ!!?」

 身悶える明日乃にはこの声が届かなかった。しかし、他のメンバーにははっきりと聞こえていた。

 その声の主は、この学園の理事長で、クラウンの父親である。ジェイル・ヴィクタ―であった。

 入ってくるなり、早々に一人ミュージカル開演。

 騒がしくも迫力のある実に目の離せない口回しで、他の面々を引き込んでいく。

 というよりも意思の持った竜巻を対処するので精一杯であった。

 この光景は外には映っていない。なぜなら、エメラルドの嵐が強化ガラス一面を完全に支配していたのもあるが、これが彼からしたら絶好の機会であった。

 この後に起こる彼のワンアクションが、全ての問題を一瞬にして解決をもたらすが、 その反面、少しややこしい事態も呼ぶこともアリ、その光景が実に気味が悪く、意地汚いものになってしまうため、明日乃のアビリティは目隠しのような役割を担うことになる。

 そのシーンまで、三、二、一―――。

「悪しき姿を、少し見せることになるが、忘れたまえ……セシリア君」

 ジェイルはポケットに手を突っ込み、スイッチを取り出す。

 実にコンパクトで典型的なスイッチであった。

 それをジェイルは、躊躇いもなく、道端に落ちたごみを拾い上げるかのような感じで押したのだ。

 すると、セシリアを覗く、明日乃、リリス、クラウン、入谷の四名が急に踏ん反り返る。

 糸の絡まったマリオネットのように狂った舞いの宴の開幕。その姿は実に見苦しく、ジェイルを奮い立たせる。彼のその瞳は恍惚としていた。

 奇声を上げるもの。

 白目を剥くもの。

 泡を吐くもの。

 痙攣を起こすもの。

 汚物を撒き散らすもの。

「――――――――!!!!!!!!!」

 次第に、各々が独自の現象を治めると、ばたばたとグラウンドに顔から突っ込んでいく。

 断末魔のような叫びを上げた後ISは霧散。四人は瞳孔を引っ込ませ、その場で伸びていた。

 魂が抜かれた少女、女性の精巧に再現された人形がそこに転がるように錯覚した。

 それは本当に糸の切れた操り人形のように見えて、セシリアは胃をガシッと掴まれる感覚を覚えた。

「……………」

 一瞬の間にセシリアは、口元に手を当てたまま、小刻みを揺れていたのがいつの間にか意思とは関係なく笑っていた。背筋に寒気を覚え、過呼吸になりそうなくらいに荒い呼吸。次いで、吐き気を催し、その場で胃の中の汚物をその場に撒き散らしてしまった。

 セシリアの様態など意に介しないジェイルは、はぁ―――と、溜息を吐き、四人の所に向かう。実に軽い足取りでその場に向かう姿から、まるでこの状況を理解していない、いや、このような情景を常に見続けていることが今のジェイルを築かせているのかもしれない。つまりは、彼はこの光景を好き好んでいるようだった。いや、彼とて辛い光景だろう。

 場違いな白い紳士は振り向きセシリアにこう言った。

「セシリア君。君の使っている〝ブルー・ティアーズ〟は最小限にもダメージはある。その結果が、それだけで済んでよかった。君には今しがた手伝ってもらいたい。この四人を保健室に運びたいのだ」

「………」

 セシリアは小さく首肯。

 まだ、力の入らないその体に鞭を打ち、立ち上がらせる。

「君にも手伝ってほしい!!一深君」

 いつものジェイルの口調とは違う印象。どこか悲しい瞳を向けていた。そんな彼をセシリアは放って置けなかった。彼女らを救うにはそれなりに理由は他にもあった。それが彼の慈悲の心なのかもしれない。

 それと、アリーナ口から姿を現す一深という生徒。

 彼女には何にも影響が無いらしい。すたすたとこちらに寄ってきて、クラウンを抱いた。

 ジェイルは明日乃と入谷の二人。となるとセシリアはリリスになる。

 思ったほどに重くなく、晴れない霧の中で焦る気持ちもあり、私らは早々に保健室まで行きつくのだが、保健室の前には織斑先生と山田先生の二人がいた。

「理事長。これはどういうことです?」

「子供の喧嘩に親が出た?みたいな―――悪いんだけど、そこをどいてくれないか?」

「子供の喧嘩ならまだ可愛い。しかし、それに教員が出てくるのはどうなんだ。これは体罰に当たる。一方的な絵面であったと生徒から情報が届いている」

「君は実際に見たのかい?」

「はい。アリーナの映像を見させていただきました。これは居た堪れないものを感じます。ISは現在スポーツの域に留まっていますが、今のはただの暴力でしかない。そんな教員をこの学園に置いておくのはどうなのですか?理事長」

「君は生徒思いでいい先生だ。だがしかし、君が見ていたのは、最初の方だ。リリス君はよく噛みついていました。負けん気があってよい。それでいてわんぱく。相当自身の力に過信を抱いているようなクソみたいな映像でした。私はこんな風に力を使ってほしいとは思っていません。だから、プログラムを一時的に切りました。その結果がこれです。どんなに優秀でも力の使い方が分からなければ、ただの破壊者でしかない。私は争い無くすためにこのISを作りましたが、がっかりです……がっかりでしかない。よって、この四人にはそれ相応の罰を与えようと思います。いいですね?入谷先生もです。分かりましたか織斑先生」

 物凄い剣幕に、この織斑先生もたじろいだ。押切り、ジェイルは保健室に入っていく。倣うようにセシリアも中に入っていった。

 

 

『―――ちょっ、ちょっと……待って!!』

 がばっと、上半身を勢いよく起こす。

 明日乃は息を上げながら、虚空を掴もうとする右手に、よく伸びた腕に視点を置き、荒げた息使いを整える。

 ここまではっきりとした像に、明日乃は驚愕していた。なにをしても痛くはないという利点に少し興奮気味だが、それと同時に恐怖感もついて来る。

 真っ白の空間。それは雲の上、或るいは天国?―――は、ないとして。

 よく見る夢によく似ているなぁ……程度の感動しかなかった。

 あの桜色の髪をした女性がよく語りかけてくるそんな夢。どこか現実味のあるような、無いような、アイマイなどう形容したらいいか、多分この先はっきり答えられないもどかしい気持ちに苛むこと絶対的な、よくわからない話なのだ。

 桜色の女性で思い出した。最近、久遠を見ていない。

 久遠というのは、白銀の髪を肩口でくすぐるくらいの女の子で、藍色のドレスを纏っている。笑うと可愛らしいそんな子だ。最近じゃあ、毛先が癖のある髪質になっていることを知った。それに私たちと一緒で成長もしている。そんな彼女に私は会っていない。

 まるで、私が大人になるにつれて、見えなくなってきているのかもしれない。あくまで憶測だが、可能性はあるのかもしれない。

『やべぇ、なんだか泣けてきたぞ?まるで、走馬灯を見ているみたいで……』

 泪がポロポロ、意思に関係なく流れてくる。拭っても拭っても、止まらない。

『あー、久遠どこにいるんだよ!!』

 そう、こう隣に自然と温かみがあってだね………。

『って―――いるじゃんか!?もう、どこに行ってたんだ!?見ないから心配したんだぞ……』

 あー泪、止まんないしぃ……。

 明日乃は思う存分に、久遠をかわいがった。頭撫でたり、頭撫でたり、それでも嫌がらないのだから、育ちがいいんだなと、関心した後、上記を繰り返す。主に頭した撫でないのだが。

 久遠はどこか思い悩んだ目をしていた。どこか遠くを見つめ、じっとじっと耐えていた。

 どうやら、彼女と入れるのは時間が限られているみたいだ。

『久遠。行っちゃうんだな。お前も』

 明日乃は久遠と同じ方向を見やり、小さく囁いた。すると、久遠の表情も一変。

 眼を思い切り瞬かせていた。―――なんとなくそんな雰囲気だろ?私間違ってるのか?

 よくわからないけれど、話を進める。

 更に、久遠が泣きだす始末。

 私は物凄く驚いていた。彼女が泣いていたのだ。感情を表さない彼女が、今こうして泣いているのだ。私は呆けて、次いで彼女に取り付いた。

『久遠。やったじゃないか!?お前、お前、感情が……私は今猛烈に嬉しい!!最後にお前の新たな発見が出来て、さ!!』

 私は立ち上がり、最後に久遠の頭を思いっきり撫でた後に、幻想の空間を歩み始めた。答えはどこにあるのかわからない。分からないけれど、とりあえず、歩む。これは基礎中の基礎にあたるのではないだろうか。

 そんな行き先分からない、私の手を後ろから取ったのは、別れを告げた久遠である。どうやらついて来いとでも言わん感じだ。

 平行に手をつなぎながら歩むこと、どれくらい経つだろうか……。

 まだ、よくわからない。定まらない。なにをしたらいいかすらわからない。それでもここが始まりラインらしい。カッコよく言えばの話だ。

『おい、っちょ!久遠。ちょっと、どこ行くん……あ、そういうことか』

 これはさっきのデジャヴだったのだ。誰かとの別れ、それが久遠。いやそうなのか、だめだ、全く分からない。でも、この別れは……。

『あ、行っちまった』

 すると、夢なはずなのに、急に眠気が襲ってきて。瞼が物凄く重たい。眠り眼を擦るも、それより速く睡魔が勝り、明日乃は膝から、突っ伏す。

 ―――コツコツ。

 あれ、久遠じゃん……。

 膝を折り、片目の瞑った明日乃の前に再び現れた久遠。

 なにかいい忘れたのか?いや、彼女はしゃべれない……はずだった。

 口をパクパクと動かしていた。

 

 

 ――――さ・よ・う・な・ら――――

 

 

 すると立ち上がり、久遠はどこからか持ってきた鈍器……そのシルエットは馴染みのある風花。それを天に預け、上段で構える。なんともおかしな姿だ。

 その光景は死刑囚にギロチンを落とす、まさに処刑のワンシーン。拘束具に身の自由を奪われ、最後の時を待つかのような。

 ―――あ、そういうことなのね。

 明日乃は悟る。自分の置かれた状態を。でも私はこの情景を案外良しとしている。ほら、悪い夢は吉夢に変わる、って聞いたことがある。だから、これは私の悪いものを断ってくれると信じているからだ。

 だからこれが、私の一回目の死。

 全く、夢くらいゆっくり見させてくれよ。

 風花が落とされるまでの時間はすこしヒヤヒヤさせられる。

 ――――時間が来たようだ。

 久遠自身の意思が固まったのだろう。こんな子にまで、大変な思いをさせちゃう私はまだまだ子供なのだろう。

 痛みもなく、あっさりと断たれた気分は、睡魔のおかげなのかもしれない?

 あれこれ考えたとて私は、この時完全にシャットダウンしたのだ。

 お先が真っ暗で、考えることすらできなかった。

 

 

「―――ん、んん……」

 明日乃の目覚めは案外、すっきりとしていた。

 ゆっくりと覚醒し、身体を起こしながら、頭に手を突きた。

 一瞬の思考。

 明日乃は夢をはっきりと覚えていた。いや、これは一時的に覚えているもので、時間が経つにつれて忘れていくものなのかもしれない。だがしかし、私は時が経とうとこの夢は忘れないのかもしれない。はっきりしないところがもどかしいが今はこれがいいのかもしれない。

 夢の中で、久遠にサヨナラと言われて。

 そのあとに、私は自身でも愛用している風花によって、何かを断たれた所で、夢は途切れてしまう。つい首元を手で確認してしまった。

 それでも、寝覚めは良く、少し身体が軽く感じる。また、はっきりと言えないが悪夢って、ストレスからくるものらしい……、でも私は、いや、無意識に人はストレスを感じるもの。それが塵のように積もり、案の定山となってしまった。で、話はここからで、それを断ってくれたのが、久遠で……と、私は都合よくこの事態を受け取りたい。サヨナラってのは悪夢に対してで―――、私と久遠とあの人との縁はそうそう切れそうにないと心得ているというか、悟っている。

 ともあれ、私は一度深呼吸をして、暗い気持ちをリセットしたのだった。それにしても、なんか違和感があるぞ?

「賢者タイムかね?」

「うわぁ!!?―――けんじゃ、たいむ?」

「まぁいい。お目覚めかな?藤崎」

 盛大にふんぞり返っていた明日乃の真隣で、腕を組んで立っていたのが、入谷であった。そんでもって、隣で良くわからない単語を言われた。なんだよ、けんじゃたいむって―――。

「はい、ここって、保健室だよね……?」

「ああ、君が最後に目覚めた」

 寝ぼけ眼で、ぼんやりとしていた視界がはっきりとそれを写す。

 いや、私が周囲に目を配らなかったせいでもある。実は皆、リリスにクラウン、セシリアに紫阿、最後に入谷の五人が私を取り囲んでいた。

 皆、パイロットスーツに身を包み、その上に各々の上着を羽織る。もちろん入谷も。

 ただ、私を見る目が悲観じみていて、疑問を感じた矢先、入谷が手鏡をこちらに向ける。柄がこちらに向いているということは、これを見ろと言うのだろう。だったら、見てやる。

 明日乃は言葉に詰まる。

 この時、鏡に映った少女。真っ白の髪は、雪化粧を施した山のようで、この場合ゲレンデでのたとえも可。

 それにしても、一瞬でこんなに老けるとは……。

 ベッドを覆うほどに伸ばされた長髪は自身の性格じゃあ到底かなわないだろう前代未聞の長さだ。それにさらさらしてる。え、これどういうケアしたらなるの?やっぱりいいトリートメント使ってるのかな?

 一瞬思考の停止が生じた。(注釈)一見ふざけてるのか思うところなんだけど、本人はいたって真剣です。―――え、どちら様?え、なにかのドッキリ?ウィッグ?もしかしてこれウィッグだな?さては―――。

 明日乃は、この時、静かに冷静を失っていたし、正常ではなかったと思うし、髪を引っ張って見たりもした―――。

 ―――でも、身振り手振りに、一秒の狂いもなくて、仕草も癖も同じで……。ただ、髪を引っ張ると物凄く痛くて、人類のテクノロジーを思い知った瞬間だった。

「――――これが、これが私。これが今の私なんだ……」

 少し、落ちつきを手に入れること十分。もうこれでもかってほどに鏡を睨むように見つめ、舐め回すように見た。それで納得した。もう納得せざるを得ない。どこをどうしても私なんだって。

 それにしても、綺麗な瞳だ。金色って―――。まるで久遠みたいだな、ここまでくると。でも、クラウンにも似てるよな……。もしかして私って美人なんじゃあ……。じぶんで言ってて照れてくる。

「ううん!!そろそろいいかな?」

 咳払いをする入谷。どうやら、話があるみたいだ。しかもお堅い話だろう。入谷の眼が真剣そのもの。

「では、話すぞいいな?――――」

 入谷が一呼吸空いて、今母音を発するであろう時に閉まったカーテンシャッターが一斉に開く。

「おはようぅお~~~!!」

 端から始まり、端までのカーテンをまとめ。一息吐いたのが、ジェイル・ヴィクターである。実に爽やかで少し、イラっとした。

 質の高そうな髪を靡かせながら歩くジェイルは、各々散る面々をまとめ、おチャラ気た雰囲気を一変させ、今まで見たことのない表情をして見せた。

 緊張感が張り詰め、開口してもその雰囲気は解けることはなかった。

「随分待った、と……。どうだい?君たちの力を奪われた気分は。あれ?もしかして気付いてないのかな?」

 セシリア、紫阿以外は呆けた。眼を見開き、各々がISアクセサリーに触れてみる。無論明日乃も無意識に、左耳の久遠を撫でる。

 ――――もしかして、あの時のサヨナラって、これを示唆させるものなのか?

 そう思うと、背筋に嫌な何かが、まるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を明日乃はこの瞬間に肌で感じられた。

「おっと、藤崎明日乃君は心当たりがありそうだね……、まぁ、その格好が何よりの証拠だもんね。それにしても久我遠子に君は良く似ている」

 久我遠子?―――明日乃はその名前に、心当たりが無い。というよりも私が彼女に似てきたと言われても、その答えに疑問であることに変わりはないし、聞こうにも周囲の面々が再びまじまじと見てくるのだから、なんかこう、もういいかなって。いずれかはその久我遠子という人物を知るきっかけがあるはずだ。その時まで閉まっておこう。

「えと、私……。小さい頃から、よく同じ夢を見るんです。しかも場面は変わるんだけれど、登場人物が私と桜色の髪をした女性のみで、いつもいいところでその女性はバリエーション変われど、姿を消してしまう。それを追ってると、いつの間にか現実に……あはは、信じてもらえないかな?」

「すばらしい。実にすばらしい!!そうして君は導かれるように、久遠を手にしたと。ぅうんッ!?まさにシンデレラストーリーだァ!!?」

「バカなッ!?最初からこうなることを明日乃は悟っていたのか?」

 首を突っ込んできたのは、意外にもリリスであった。私的には理事長の言ったシンデレラストーリーにツッコみたいところではあったのだが、いかんせんタイミングを失った。

「悟ってたわけじゃないし、こうなることも分かっちゃいないんだ。でも、リリスの言う通り、無意識になんらかな情報があって今の自分がいるのだったら、私は、操り人形じゃあないかな?」

「別にそう言ったんじゃなくて……、そうだったら、こわいなって……」

 リリスの表情が崩れちゃったぞ……。

「おいで、リリス」

 そう、呼ぶとリリスは素直にこちらに寄って来て、胸のところですぐに泣き出してしまった。背中を擦りながら、彼女を宥める。この場合落ち着かせるだろうか。とりわけ、それ以外の出来事もないが、周りの視線がやけに痛々しいのが、記憶に残っていた。

 胸にリリスを宿しながらも議題はまだ完結していない。話を終わらせなければ―――。

「私は、私です。そのなんでしょう。よくわからない事を言われても、今、ここにいるのが私なんです。髪が伸びようと、目が金色になっても、それが私だと言うのなら、それは現在の私の変化なのではないでしょうか?」

「随分と、成長したみたいだね。でも、君たちには罰を与えなくてはならない。そう、罰を」

 罰。それは間違った行動に、命令無視、上官に逆らう行為など、訳ば広いが、まとめると二度と過ちを犯さないための躾だろう。

 私たちが今回犯した過ちは……。

「決闘罪かな。まぁ、色々とおかしいんだけど、ここは決闘をしていい場所じゃない。君たちにはいざとなったら最前線で頑張ってもらうかもしれないが、今は平穏な時代でこれは戦争ごっこじゃない。そんな教育をした覚えはないし、モラルに反している。よって、君たちには一カ月間のIS使用許可の剥奪に、放課後はこの学園内の掃除を命ずる。いいね?あと、授業でのIS使用許可は可。それにことあるイベント事には率先して出てもらう。これもいいね?―――返事は?」

 はい、と保健室内に唱和されるお通夜のような、聞きざわりの悪い返事。

 その時は、皆素直に返事をしてみたが、よくよく思い返すと、彼の趣味が混じっている気がして……、あとあと体感してみると、いいトレーニングのようなものであったと思えた。ある一点、いやこれも今となればいい思い出になった。

 

 

 IS使用許可の剥奪から一日目の朝。

 いつもと変わらない朝が来た。天気は快晴。午後から気温が上がる模様らしい。これもいつも通りのルーティーンだ。

 歯を磨いて、髪を櫛で解く。唯一転、変わったことがあった。髪の長さだ。

 すっかりと脱色した上に髪色まで変わってしまった。驚くのはその長さだ、昨日の時点では、あれは寝ていたからさほど気にしてなかったのだが、膝くらいまであるように思えて、でも実際は太ももの長さまであった。驚きはその髪を維持するのに要する時間だ。ここではドライヤ―と言わざるを得ない。今までそこまで伸ばしたことのない長さが、私から時間という自由を奪っていく。

 櫛で解きながら、流していく。あぁ、いっそ切りたい。じゃあ切ろうとすると、同居人のクラウンがダメと一点張りを貫く。仕方なく、今日一日くらいはね、という口約束。それと手入れがしたい~~と、クラウンが駄々をこねるので、了承した結果が朝、七時頃を指し、椅子の上でテレビを見つめている自分と鼻歌を歌いながら私の髪を手入れするクラウンの二人がそこにいた。

「機嫌がいいな?」

「ええ、今が一番幸せかも……」

「いいのか?こんなことで幸せを感じちゃって」

「うん。もしかしたら、今日髪切ろうとしてたりするでしょ?だったら、この髪を触れるのって、レアだと思わない?」

「いつでも、触らせてやるよ?」

「なまいき……」

 二人は、笑いあった。この光景を明日乃は久々に見た気がした。ここ最近彼女とはまともに会っていないことに気がつき、この光景を肌で噛みしめていた。

 こんなに笑ったのはいつ振りだろう。お腹が痛い。

「はい。できましたよ」

「おっ、早速みようかな~~」

 明日乃は椅子を立ち、足早に鏡の前に向かった。

 すると、昨日の自分とは見違える変化だ。アップされた髪。襟足が掻き揚げられていて、首元が涼しい。

「あ、かわいい。これも私なんだな?ありがと、クラウン」

「いいえ、私もうれしいですわ。明日乃が喜んでくれて、やりがいがあるってもんです!」

 クラウンが胸を反らす。あぁ、いつ見ても大きくて羨ましいです。そうそう、うらしいで思い出したんだけど、私も少し大きくなっていたんだ。肩が凝るって、大きい人は皆言うけど……まだわかんないや……。

「どうしました?」

「ううん。それより腹が減った。飯でも食いに行くぞ?」

「はい!」

 本能も赴くままに。なんて、言葉があるが実際昨日の今日だ。

 女子らの噂の広まり力は恐ろしい。

 そう、部屋の前には、今の私を一目見ようと群がっている女子たちが待ち構えていた。現在待機中!

「お人形さんみたーい!!」

「噂以上に可愛い!!」

「女子力高めで、ファンになっちゃいそう!!」

「もっと、近くで見させてよ~~」

「え~、昔の藤崎さんの方が私は好きだな」

 それ、同感。

「さて、お嬢様。ここを抜けましょうかね?」

「明日乃……?」

 急に明日乃がカッコよく見えた。いえ、いつもですけれど……今日はそれ以上に輝いてみえます!!

 クラウンは興奮を抑えられない。そして、興奮冷めやらぬまま、明日乃はクラウンをお姫様抱っこし、軽く膝を曲げると、あっという間に、最後尾まで跳躍していた。柔らかく、廊下に着地し、そのまま食堂までダッシュだ!

 クラウンは喜びと羞恥と空腹とが混じり合い結果、幸せそうな顔に行きついた。

 食事を終え、教室までに行くまでも、女子たちは私を囲む。まるで、包囲網を掛けられたみたいだ。ここで言うなら、明日乃包囲網が布かれている。これは全学年にも知り渡っているみたいで、放課後までにかなりの生徒たちと会話をした。その中で、印象に残っているのは、―――結婚して下さいだったかな?

 明日乃は今日一番の深いため息を吐き、机にぐでーっと身体をナメクジみたいに吸着させた、その時だった。

 アナウンスが私たちを、理事長室まで来いと誘う。

 リリスに、クラウン、入谷に、私だ。

 もちろんこのことも知られている。人気者であり、もっとも危険な人物が私だろうか?よくそれでも寄ってくるな、感心する。

 あ、その件でも、新聞部から取材と面じた軽いセクハラを強いられたものだ。まぁ、これも無事回避できたわけで。

「明日乃?」

「あ、クラウン……」

 そんな事を言っている間に、クラウンが迎えに来た。

 長い道すがら、私たちは今日のことを語り合った。主に上記の件だが。それでもおもしろかったから良いかなって―――。

 それから、誰とも遭遇するわけでもなく私たちは、理事長室まで不気味なぐらいに一瞬恐怖を覚えた。

 特設エレベーターから降りて、見慣れたチョコレート色のドアの前に二人は息の合ったように立ち止り、ドアをノックした。

 返事を待つより先に、ドアを開いてしまった。開いたのは明日乃である。

「『失礼します』」

 静寂の部屋に二人の声は大いに反響した。

「いらっしゃい。明日乃君に、クラウン」

「遅いぞ、二人とも」

「やっと、それったか……」

 既に、リリスと入谷の二人がいて、それと話した順番だ。

 二人とも速くない?お堅い空気が周囲を漂っている。息苦しい……。

「遅いぞ?これデートだったら私帰ってるよ?」

「はい、こういうのって、五分前に着いてるんだよ?あすの」

 これまたびっくり。

 右に入谷・リリス。

 左にセシリア・紫阿の四人が仁王立ち。

 セシリアと紫阿は関係ないのでは?明日乃はすこし考えた。

「はいはぃ~~!時間押してるから、巻き気味で行くよォ~~」

 ジェイルが手を叩く。すると、部屋の隅から人が湧いてくる。床に魔法陣でも描いてあるのかってくらい、スムーズに人が流れてくる。その数、十~十五人はいた。

 その出てきた人物等が纏っていたものは……。

「メイドォッ!?本物だよ!本物だよ!?ねぇ!ねぇ!」

 子供みたいな反応を示した明日乃。その手手はクラウンの腕をがっちし掴んで離そうとしなかった。

 左手を握られたクラウンの心臓は今にも爆発しそうで非常に困惑した。

 警鐘の早鐘を知らせる程の血液の奔流に、クラウンは口元に手を当てる。そう、今にも体液を吐き出してしまう可能性がそこにあったからだ。

 隣の明日乃は、頬を真っ赤にして、メイドたちに興奮の意を示していた。

 このメイドたちは、ヴィクタ―家に仕える方々で、今いる面々は各国の代表。つまりはその国のメイドの顔ともいえる存在がこのIS学園に集結しているのだ。これは正式に行われているメイドの全国大会に出場していたメンバーをいくらの額で雇ったのかは知らないが、とりあえず父に良いように利用されているが、由緒ある人たちには変わらない。

 こうして、一声で集まるのだから相当なものだ。その中に同学年でその地位に立った娘がいた。その娘もこの中にいて、小さく手を振ってくれた。私はすこしはにかんだ。

 落ち着きを取り戻したのは、明日乃が手を離してからだった。

 その頃には、皆がある衣装に着替え終わっていた。

 メイドたちが私たちを取り囲むようにして、三分も掛からないうちに皆のサイズ感を完全に把握し、ぴったりサイズの完全演出を完了。

 メイドたちが再びジェイルの元に戻る。

「綺麗です……明日乃」

「そう、かな?それにしてもぴったりで動きやすい……感動してる……」

 明日乃がその場を一転。

 明日乃が纏っているのは、ミニスカートタイプのメイド服。紺よりの黒。膝上五センチ短い。

 それでいて装飾が少なめな使用から仕事着に適した作りである。これこそジャパニーズメイドと総称するのがいいのではないかと私は思う。

 明日乃の二―ソックス姿を網膜に強力目に焼き付けたい。出来ることならば、今すぐ撮影会を開きたい!それでもって、連写したい。連写したい。終始明日乃の表情と仕草を逐一細かく記録に残したい。それでもってポーズの注文、恥じる仕草を肌で感じたい。もう、今死んでもいい。それくらい私は幸せだ。声を大にして言いたい!!明日乃はかわいい!!明日乃は私の嫁!!

「ぐふっ!!」

「大丈夫か!クラウン?」

「明日乃……その仕草も、ぐっどです……」

「ほう、藤崎はこういうのを履いているのか……」

「入谷!なに見てるんだ!?」

 明日乃が赤面。慌てて、スカートを手で隠す。その姿が初々しくてクラウンは直視できず、目をそらす。

「お~~い、もぉ、理事長も何とか言ってくれェ……!?」

 それから、十分余りの時間が流れた。ざっくり言えば、撮影会となった。昂進的に動いていたのはクラウンであった。

「そろそろ、服と馴染みを得てきたかな?さて、説明しようかな。君たちにここに来てもらったのは他でもない。堅い話はなし。君たちには一カ月間メイドとして、放課後働いてもらう。外部者も手伝ってもらっていいのかな?」

「おっけ!」

「はい。こんな私でもお役にたてれば」

 いつの間にかセシリアと紫阿もメイド服に着替えていた。スカートはロングタイプ。てか、私以外皆スカート長いぞ!?

 クレームもさておき、私たちはメイドたちと一緒に各ブロックに分かれて掃除することとなる。普段から彼女らが掃除しているのは知っているが、まさか自分もこうして学園の為に貢献するとは予想もしなかった。

 

 



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第三十七話

 

 

「これにて、終了です。お疲れ様でした。お嬢様、明日乃様」

 ヴィクタ―家直属のメイドたちに、終了宣言をされるまで、明日乃とペアのクラウンはゴミをまとめていた。

 すっかり火が付いてしまい、終了の合図があってからも少し片づけていた。

 私とクラウン、入谷にリリスの四人と+αのセシリアと紫阿の計六人は各フロアに分かれ掃除をし、その主な作業内容はトイレ掃除、モップ掛け、窓ふき……各教室の掃除なんてのもあった。数えれば多い。でもいざ始まれば案外愉しめるものであった。最初の一時間は。

 まず始めたのが、トイレ掃除だ。馴染みのある個室の空間にメイド姿の私とクラウン。ぼちぼちメイドさんたちがいる。それに、なにか泣いている。……おそらくクラウンの晴れ姿を見て感極まっているのだろう。こんなに祝福されるのであれば羨ましい限りだ。

「はぁ~~、つっかれたなぁ……あちこち痛いや…ははは」

「お疲れ様。明日乃」

「なんか、ぜんぜん余裕そうだね?」

「ええ。普段のトレーニングに比べれば、余裕ですし、明日乃と働けたことが何よりのスパイスでした。ほんとにかわいくて、もぉ~~ごちそうさまでした♪」

 なんか良くわからないけど、喜んでくれたら、それはそれで嬉しい。

 クラウンが身をくねくねして、その姿が彼女の父親の姿に似ていて少し可笑しくなった。

「なにか、変ですか?」

「え、…ああ、いやね、理事長に似てきてるなぁって……」

「え~~、そうですか?!」

 その姿も似てますよっと、言いたかったが彼女の為に言わないでおこう。

 掃除道具をロッカーに戻し、メイドたちとも別れ、とりあえずこのメイド服をどうするのか分からないから一旦理事長室に行くことにする。

 手慣れた手順で、理事長室に到着。チョコレート色のドアにノックを二回。返事と同時にノブを捻る。抵抗もなくスッと開いてその空間に身を投じる。

 中には私たち以外のメンバーが集まっていて、既に制服に着替えていた。

「ごくろうさま。随分と時間が掛かっていたみたいだけど、そんなに大変だったかい?」

「ええ、まぁ」

「そう。では、二人が来たことだし、解散!明日も宜しく」

 一番最初に部屋を出ていったのは入谷であった。次いで、リリスとセシリア。リリスは身長差があるので腰辺りにワンパンチをかまして、セシリアは手をひらひらと振るなり出て行ってしまった。

 紫阿に関しては、『疲れたね』の一言に肩に手を置いて、去る。

 二人と白い紳士が部屋の残る。

「さ、君たちも着替えなさい」

「服はそこにハンガ―があるから、掛けといて」

 白い紳士は、左の方向を指す。倣え左、二人は左を見やる。すると空きのハンガ―が二本。それに、他のメンバーが着ていた服が掛けられていた。

 白い紳士は椅子に鎮座したまま、動こうとしない。だから、そのハンガ―の所で二人は着替え始めた。なにせ覗きに来るわけではないと信じているからだ。

 二人はすぐに下着姿になった。明日乃はこの姿になった瞬間に、背中に何かが走るのが分かった。

 背後を振り返ると、クラウンが恍惚とした表情で私をてっぺんからつま先までを舐め回すように見つめていた。私はすかさず両腕でとりあえず胸を隠す。脚は内股気味で。

「な、なに……」

「………」

 クラウンは返事をしない。もしかして、気を失ってる?まさかね。

 とりあえず、顔の前で手を振ってみた。本当に気を失っていた。あらら……そんなに刺激が強かったのかな……?

 明日乃は自分の体をまじまじと見渡した。たしかに、アビリティの影響もあるのだが、女っぽくなったのは実感がある。でも、そんなに?と思うところもある。これで私が本当にいい女になったらクラウンは昇天してしまうのではない・と、少し心配してしまった。彼女の人生的に。

「あ、ごめんなさい」

 ここでクラウンが、意識を取り戻す。……よかった。

「そんなに刺激的かな?」

「はい♪とっても!!」

「あ、そう……」

 赤面を隠せないクラウン。それを目を逸らしたり、手で覆ってみたり、忙しそうにしていた。

「クラウン」

「は、はいぃぃぃ!!」

 ただ、名前を呼んだだけだったのだが、素っ頓狂な返事をかましてくれた。

「私、髪切るから、手伝って?」

 私は間髪入れずに、そう彼女に伝えた。返事は……。

「はい。切っちゃうんですね?―――分かりましたお手伝いします」

「少し、だけね?」

 口約束とはいえ、私は真剣だ。今日一日体験して、髪が重いし、邪魔だなということに気が付いた。やはり長さは肩か最高で腰の辺りだな。

 私は早々に制服に着替えるつもりであったが、あちこちが悲鳴を上げている。なので、脚がもつれ、前に転倒しそうになるが、寸でのところで、クラウンの胸に飛び込む……でも、だめだった。

 純白の下着に顔を埋めてしまった明日乃。手から解放される制服一式を余所にそれから逃げようと体が無意識に動いた。

「ごめん。クラウン」

 つい、姿勢を立て直した時に上目使いになってしまった。それがまた、クラウンにダメージを与えるきっかけになってしまった。

 そしてもう一度彼女の胸の内にインすることになった。今度はクラウンが勝手にやった。

「か、かわいい………!!!」

「く、くるしい……!!」

 もれなく、クラウンの胸の内で息絶えてしまうところだった。

 クラウンの左腕を二回叩く。すると慌てて、手を離し、私は解放される。そして、肺に空気が満たされる喜びを、全身を以て感じた。

 うっすら涙眼になりつつ、クラウンを明日乃は焦点に捉えた。

「だ、だいじょう…じゃなくて、ごめんなさい!!」

「いいよ。いつつ……」

 急に動いたことで、痛めた筋肉が悲鳴を上げる。ピキッと、脇腹辺りに稲妻が走ったのだ。明日乃は一瞬顔をしかめる。

「本当に……」

「大丈夫!!大丈夫!!」

 筋肉痛の痛みは良くわかっているつもりだが、急に来るとなんの耐性もないから、びっくりするものだ。

 脇腹を押さえながら、明日乃は理事長室を出て、エレベーターに乗った。

 口では何ともないように振舞えるが、顔は正直である。

「はぁ~~~、落ち着いたぁ~!」

 部屋に着き、一息のあったかい紅茶を一口含み口中に広げたことで、ようやく安心を実感した、そんな時だった。

 椅子に腰深く座り、全身から力を抜いていくと、行儀の悪い格好に落ち着いてしまうが、これをクラウンは可笑しそうにはにかんでいた。

「ん?どしたの?可笑しいかな?」

「はい。とっても。―――そろそろ、お夕食と行きませんか?」

 丁度、紅茶を飲みほした明日乃はすこししかめながら、立ち上がる。

 クラウンが自身の腕時計を見やり、そういうので、私は壁に埋め込まれた時計に一目。時間はとっくに六時を回っていた。今から行けば、空いているだろう。

「そうだな。行くか―――てえい!」

「本当に大丈夫なんですか?明日乃」

「あちこちが痛いよ……」

 私は涙眼になって、少しアピールした。それにサムズアップもしといた。

 差し伸ばされた手を掴み立ち上がった明日乃は勢いと共に、部屋のノブを引いた。

 すると、どこから嗅ぎつけたのか分からないが、ここぞというタイミングで生徒らが待ち構えていた。―――どうやら、少し修羅場になりそうです……。

 

 

「はぁ~~くったぁ!!でも筋肉痛であちこち痛いぃ~~~!!」

「食ったではありませんよ?!明日乃。頂きましたです!」

「いいの!私はこれで!クラウンったら、お母さん見たいだぞ?」

「明日乃のお母様だなんて、照れますわぁ♪」

 両頬を手で覆うクラウン。本当に理事長に似てきたな、と明日乃は内心でそう思った。しかし口にはしなかった。

「いや、そこ照れなくていいよ」

 明日乃は適当に相槌を打った。それでもクラウンは身をくねらせながら、ひとりでに妄想の世界に浸っていた。

 そんな彼女を一人にし、明日乃は制服を脱ぎ、風呂の方に向かっていく。

 風呂に入る前に、髪を切りたかったからだ。クラウンの手を借りたい気もあったが、あんな感じだから、しょうがなく一人で始めると思う。まずは髪を濡らし、前髪から……。

「案外、明日乃はぶきっチョさんなんですね?そこも可愛いですけれど。貸して下さい」

 そういい、背後に立っていたクラウンに明日乃は何のリアクションもなくハサミと櫛を手渡した。すると、彼女は何のためらいもなく、後ろ髪を濡らし、カットしていく。

「明日乃は最大でどこまで伸ばしたことあります?」

「唐突に言われても、なぁ。ん~~、ちっちゃい頃に、少しね。妹もいたし、見分けがつかなかった。まさに瓜二つってな。だから、私はその時を境に髪を伸ばすのを止めた。その意思は妹が継いでくれてると思う。最近はどこっほついてんだかわからないけど、早く帰って来いっての……あ、ごめん。愚痴っちゃったな?」

「……構いませんよ。よかったら話してくれませんか?」

「まぁ、その時が来たら勝手に話すから、よし、暗い話はここまでな。そういえば、クラウンだって、あの綺麗な髪切っちゃたみたいだけど、どうして?」

「黙秘権を使います。―――なんて、イメチェンです。イメチェン。―――もしかしたら、貴女を少し投影したのかも……」

「え?水の音でよくきこえない……」

「後ろはこんな感じでどうですか?」

 自動で回る奴ではないので、自力で回る。すると自分の後ろ髪を鏡に映されている…まぁ単純思考の動作で、それを確認すると、髪は肩胛骨辺りに髪が収まっている。束ねれば、楽と感じる程度だろう。

「いいじゃん」

「じゃあ、周りのボリュームを少し落としていくね」

 櫛を上手いことに使いこなし、あっという間に、横に広がった髪は暴れるのでなく、シュッと縦に流れていた。指心地もよく、何度か遊んでしまった。

「トップはどうしようか?」

「あんま、落とさなくていい。少し梳いてくれ」

「かしこまり」

 それから、思考錯誤の末もの三十分ほどで私の髪は完成系を迎えた。

 そのまま、手入れまでしてくれたクラウンには本当に感謝だ。もう頭が上がらない。

 でも、あの時水の音で聞こえなった言葉が少し気になった。でも、私もそうだが、時が来たら話してくれそうだ。その時まで待とう。

 就寝の時間があっという間に訪れて、ベッドに入るなり、睡魔がやって来て、すぐ闇夜の中に意識を溶け込ませていくのだった。

 

 

「つててて……!!」

 筋肉痛で目が醒めたのは、朝方五時のこと。

 目覚まし時計より早く目覚めた朝は、あちこちが筋肉痛で悲鳴を上げている最中であり、ベッドから起き上がる勢いがまた衝撃を走らせる。

 顔中の筋肉を派手に使う。もう、既に泣き顔であった。

 楽な姿勢を見つけ、そこで落ち着ける。睡魔よりも痛みが勝った時だった。

 隣ですやすや眠るクラウンを尻目に明日乃はただただ痛みに泣かされていた。

 すっかり睡魔もどこへやらな状態で、目覚ましが鳴る時間がやってくる。

 きっちり時間通りに目覚めたクラウンにあいさつを交わし、明日乃は一人奮闘する。

 まずベッドから降りられず、降りたとしても、ふくらはぎが痛い為、歩くたびに悲鳴を上げていた。―――もう、挫折しそう……。

 辛いながらも、きっちりと準備を済ませると、少し眠気が襲う。欠伸をするとクラウンにも映った。初笑いをその時に治め、早めに食堂に向かうことにした。

 動きにおぼつきが目立ち、これまた周囲の的になったことは今日だけだ。普段から動いているつもりではあったが、思いのほか動いていないのかもしれない。だから、こうして苦労をしているのかも……。

 朝の長い奮闘劇は、無事に終わると、今度は放課後に流れる。

 授業中での行動が結構目立ったり、実技の時はぎこちなく、もう散々だがそれはそれで、いい思い出に変わった。みんなと笑い、その度に腹筋の崩壊を起こしそうになったが、人といることになんらかの影響が出ることくらいは知っていたが、案外いい環境なのかもしれない。―――と、しみじみ掃除に奮闘を強いられている時に脳裏の傍らで明日乃は感じていた。

 痛い筋肉痛も少し慣れた気がした。身体は重いが気持ちは結構前の方向を向いているし、これが楽しいと心のどこかで思えてきた。

「そんなに、楽しいかね?藤崎君?」

「ええ、実はこういうの好きなのかもしれない。入谷先生は嫌い?」

 一瞬の間こそあったが、嫌いとはっきりと言われた。

「じゃぁ、これを期に……」

「嫌だね。無理だ」

「いや、まだ言ってないし……」

「好きになりましょうと、言おうとしたはずだ。だから、私は嫌だと言った。わかるかい?」

「へぇ……どうしてわかったんですか?!」

「いや、大体わかるだろ?こうなりそうとか、ああなりそうだなとか」

 私は、口を開け、納得の意を入谷に見せると、呆れた顔をした。しかも額に手を当て、あからさまなポーズを一つして。

「先生って、なにかやってるんですか?」

「……。過去に相手の心を読んでいた時があった」

「えっと、かりちゅらむ……じゃなくて、えっと……」

 間が空いた。静寂の間がやって来て、二人の空間を凍てつかせた。

 それっぽいこと大声で言った時には入谷は彼方の方向にいた。でも、ちゃんと掃除をしていた。嫌い嫌いなんて、人前だけで本当は好きなんじゃないのかなって、明日乃は内心そう思った。

 すごい静かな時間が流れた。その甲斐あって物凄い集中力が発揮されて、いつの間にかそのフロアの端から端までを明日乃は綺麗に掃除していた。そう、一息つくまで。

 額に浮かぶたまころを腕で拭い、外を見ると綺麗な茜色をしていた。

 それと同時にこつこつと廊下に響き靴の音に耳を傾けると、闇の中から本物のメイドさんが姿を現した。これは終了宣告の時間を告げに来たパターンだろうか。

「見てください!綺麗に掃除で――――!!!!!」

 刹那、明日乃の表情は引き攣った。

 メイドさんは、低姿勢に身を構えると、姿を消す。次いで、背中に違和感を覚え振り向く!すでに背後になんらかな形で回り込まれていた。明日乃の顔は強張ったまま、そう思考する。

 今は軽い守りしか出来ない。三手目に一回反撃をする。しかし、軽々しいのと私自身でも相手の反応より遅れを取っていることを悟り、怒りを内に宿す。

 大きく腕を空振り、バランスを崩したのと同時にメイドさんが割り込む。

 伊達に、ヴィクタ―の名を背負っていない!と明日乃は――――刹那!綺麗なバク天を決めている最中にそう思う。

 舞う銀髪は茜の赤を受け、艶やかに染まっていた。それは私のことではなく、メイドさんのことであった。今の言葉に偽りがるのなら、美しいのは私たちなのかもしれない。

 いやはや驚くところは、彼女も君が銀であること。ここまで身内に銀というのはいささか不思議な気持ちにさせる。

 先は、薄暗い廊下を歩いていたメイドさんのことなど、はっきり分かるはずもなく、対峙した時に初めて知るものだって沢山ある。今がそれだ。彼女の顔に面を被せ、銀色の髪をストレートに流していた。メイド服は今明日乃が纏っているミニスカートタイプで、黒色の二―ソックスは黒光り、そしてほんのり茜色だ。

 スタイル面は細く大体百五十センチ台、それでいてがっちりとした攻撃を放ってくる。なにかやっていたのだろうかと余所身。

「いい反応です。クラウン様から聞いていた通りのお方ですね?」

「そりゃ、どうも!!」

 ふざけた面を被り、その中から籠った声音が聞こえた。可愛い声音だった。しかし、明日乃の思考はこの一言のこともアリ、吹っ飛んで真っ白になった。

 彼女の腕をがっちりホールドした上でのこのワンシーン。

 メイドさんが手を振り解く仕草をし、思いがけない力加減に、明日乃は素直に振りほどかれる。身軽なのは明日乃もだが、それよりもメイドさんは上を行くくらい俊敏であった。

 空いた隙間にアドバンテージを仕掛けるメイドさんに、明日乃もすぐさま臨戦態勢を整えた。再び二人が拳を交えた所で、攻手のメイドさんが懐から武器を自然な流れで手中に召喚した。

 それは一体どうすれば、懐に収まるのかわからない代物が出てきた。T字の箒。それを棒術の要領で操ると、明日乃に襲いかかる。

 明日乃は紙一重で回避運動をこなしていく。少し少しと、細かな動きが彼女からスタミナを奪っていく。

 最初のような勢いは失いつつも、それでも明日乃はダメージを最小限に抑えていた。

 相手側……メイドさんが明日乃にとって、だんだんと脅威的存在に変わりつつある。そんな中で明日乃は後退している自身に鼓舞を打ち、当て身の体勢で前に出た!

 薄手の明日乃は防御から一転、攻めに行った!

 先よりダメージの蓄積は酷くなるのと、メイドさんが容赦なく箒を突いて来るのと、筋肉痛なんかもあり、正直しんどい。かなりしんどい。しかし、それでもメイドさんから武器の箒を取り上げることに成功したという功績を導き出した。

 箒の先端を捕まえ、綱引きの要領で引き寄せ、それでも抵抗をしてくる。目線は下に向きがちで私にはあまり向いていないというチャンスが舞い降りた。だから私は、メイドさんの方に大きく一歩踏み入れると、ついで先端から中間部に手を滑らせる。少し摩擦で熱いが、でもこれで簡単に彼女から武器を取れる範囲に潜入することに成功した。後は力一杯に箒を後ろ目掛けて引っ張る。すると、あっという間に後方部で箒が床に打たれる音に滑る音の両方が明日乃の耳に入る。

 その踏み込んだままの明日乃が、拳を引き、一発拳をかます!!

 メイドさんは、回避運動が間に合わず、明日乃の猛進に成す術なく、当たってしまった。殴った時の手応えは確かであった。それにメイドさんは床を滑り、五メートル先で止まり、沈黙。

 止まったまま、ピクリとも動かない。―――もしかして、気を失ってしまったのだろうか?でも、近寄ろうにも何かがあるだろうし、―――明日乃は、ファイティングポーズを解き、楽な姿勢。でも、いつでも動けるように、気持ちは作っていた。

 ―――こわい。でも、暴いてやる。という気持ちに駆られていた明日乃はメイドさんの方に恐る恐る近付いていた。

 メイドさんを目と鼻の先に捉えた明日乃は、膝を折り、仮面に手を掛けた―――刹那!腕に激痛が走った。痛みは背後からのものだった。

 そして、私が地を這い、メイドさんが立ち上がっていたのだ。

「攻守逆転です」

「そうみたいだな。参った――――ってか!!」

 刈り技を図るが、軽々しく飛び越え、そのまま反撃を私に食らわす。

 明日乃も何も考えてはいなかった。しかし、筋肉痛が突然襲ってきたのもあり、全てが無に帰す。振り出しに戻ったのだ。

「なぁ、さっき普通じゃ考えられないところから箒を出したが、あれはなんのマジックだ?」

「なんだろうね?君がよくわかってるんじゃないかな?」

「天華奏蘭?―――というのか?」

「原理はね?大体察しがつくんじゃないかな?」

「じゃぁ、君の髪の色も、天華奏蘭と同じような作用があるって……じゃあ、ジェイル・ヴィクタ―は何をしようとしているんだ……」

「さぁ、旦那さまにしか分からないですね。既にお嬢様も貴女と同じ様態です」

「クラウンもか……、じゃあ、私たちはどうなっちまうんだ……」

 だらりと、腕を降ろし、立ち上がるほどの力がこの時は入らなかった。

「喋りすぎですよ?メアリー」

 彼方のほの暗い廊下から現れたのは、クラウンであった。

 既に、外は夜の帳が降りようとしていた。

「お嬢様……申し訳ありません!」

 私の時とは百八十度別人で、深々と頭を下げた。その頭を垂れる姿勢も無駄な動作が無く、むしろ美しいとさえ思った。

 メイドさんの名はメアリーという。これからはメアリーと呼ぼう。

 夜色の世界になろうか、ならないかの狭間でクラウンもとい我ら三人は銀の髪をその色に染めようとしていた。

 しかし、クラウンも自分に置かれている様態にまでは気が付いていないようだった。それは彼女の表情を見れば一発である。

「いいえ、謝らなくて結構ですわ。いずれ、明日乃もこれを知らされるはずですから。正直、私からしても知られざる事実に驚きを隠せないでいるんですのよ?」

 クラウンはウインクをし、話を続けた。

「ですが、私が聞きたいのは明日乃に手を出したことです。説明をしてもらいましょうか?メアリー」

「申し訳ありません。あれほど、お嬢様が明日乃様のことをお慕いしていましたので、ぜひともお力の方をと思いまして……」

 はぁと、クラウンは軽く溜息を吐いた。しかし、呆れた様子ではなく、なんというのだろう。昔からそれをよく知っていて、度々それが出てくるのをまたかという様子で、頭を抱えている主人的な?―――そんな姿だが、愛を感じるのは長い付き合い故なのか、それとも私にも見えるほど息が合っているからだろうか。

「またですのね」

「すみません」

 明日乃は頭の上に?を浮かべた。まったくというほど、話が見えないことに、だ。

「そうでしたわね。メアリーは昔とからっきし、人が変わってしまったのです。それは今からほんの前の話です。ちょうど、私たちがISに触れた頃。会社に貢献をしていた、今でも貢献してますけれど、本当に最初の右左が分からない時でした。我が社のISは人と人とのつながりを強く望むものでした。なので、最初のタイプはパイロットとオペレーターの二人体勢の機体の開発に成功し、そこから今に至るようになります。明日乃はISに他の魂が宿っていると考えたことはありますか?」

「ああ、現に見えている」

「そうですか。だから、明日乃は強いですのね」

「見えると強くなれるのか?」

 クラウンは無言で首肯。

「少し、前の話をしましょうか。では、なぜ今のようなISに至ったのか教えましょう。それは今からISのテスト運用時のことでした。ここでは神白……貴女のお母様と久我遠子の二人が試験を行っていました。久我遠子がパイロットで、明日乃のお母様がオペレータ―でした。元々久我遠子は不思議な子で、研究メンバーの中で一番適性が高く、持続、運動能力、空間把握、理解力、何事に関しても適性が高かった。しかし、欠点がありました。力をもつものは寿命が短いという惜しいものです。人類で初めてワンオフアビリティを開花させ、世に知らしめた。しかし、彼女はその試験中に消えてしまった。それも異常な数値を叩きだして」

 珍しくクラウンが熱くなっていた。

「じゃぁ、久我遠子っていうのがいなくなったから、それは中止に終わった、と?事故が起きたからか?」

「それから父は彼女を捜索するも結局行方を暗ましたそうですが、未だに発見できないようです」

「ちょっと、待って……もしかして、桃色の髪してないか?それで、背も小柄で……」

「やはりそうですか。久我遠子は何年も前から明日乃と接触している。それがどういう意味か分かりますよね?」

「じゃぁ、私は死ぬのか?」

「いいえ、死なせません!今ここで、貴女から久遠を引き離します!」

「おっと、生徒がそんな物騒なモノを持っているとは、感心しないな……」

「いりや……」

 忽然と姿をくらませた入谷が、この時を待っていたかのようにタイミング良く出てきた。

 クラウンは手に持ちかまえていたのは、ISを引き剥がすものだ。

 善良なクラウンはそうならまいと、気持ちを決めた矢先ではあった。しかし、それは違反に当たると入谷は言う。

「私の大切な人を私は失いたくありませんわ!!」

「だからと言って、それを使うのも良くないね?それは一度使えば、二度と効力を発揮しなくなるという欠陥品だ。仮に今それを使用したとして、明日乃君がすぐに身につけたらどうする?」

「させません!絶対に!」

「やれやれ、気が立っているのかもしれないな」

「私は、やりますよ?たとえ、先生でも……」

「これは休学か退学かの二択だな……」

 クラウンがファイティングポーズを決める。呆れた様子の入谷も一様構える。

 クラウンの表情に迷いもなく、殺気が立っていた。眼元に力が入り、睨むだけで、人が死にそうなくらいの眼力を発揮。既にその瞳から光が消えていた。

「はいはぁ~~い!!―――まったく……、この学園の生徒は血の気が多くて困るんだよね……。どうしてだろう?まぁ、いいや。私が怒らないうちに、たいさ~ん!」

 手を二度叩き、掛け声とともにこちらに近付いてきたのは、クラウンの父こと、ジェイル・ヴィクタ―である。

 すぐさま、メアリーは頭を垂れるのを明日乃は見逃さなかった。二人も、大人しく拳を降ろし、ジェイルはクラウンの元に駆け寄り、パチンッと頬を引っ叩く!

 反動で、後ろに押されるのも踏ん張ることに成功したクラウンはキッとジェイルを睨んだ。

「これは、没収と……。罰はどうしようかな……」

 はらりと、クラウンの手から剥離剤を取り上げる。

「………して、………うして……父さんは明日乃に何をしようとしているのですか!!?」

「はぁ……もう少し、大人だと私は思っていたけれど、いつからガキみたいになったのかな?彼女に情が湧いた?――ふふ、かわいいけれど……弱くなった」

 ジェイルはクラウンから、私――明日乃に目線を切り替えた。その視線に武者震えを覚えた。

「私が、私が、私のどこが弱くなったと言うのです!!」

「うん?全て。お前は鏡をちゃんと見たことはあるか?その甘え切った表情はかつてのクラウン・ヴィクタ―とはまるで変わってしまった。彼女に牙を抜かれたか?彼女に忠誠でも誓ったか?はは、ならそれでいいが……君はもう進化は出来そうにないね?残念だ!」

 クラウンは耐えていた。怒りを。沸々と煮える自身の怒りを。必死に押さえていた。

「ぜ~んぶ、明日乃君君のせいだ?」

「えっ……」

「おっ、怒れる獅子は強いってか?温い、温いんだよ?そうやって、すぐに喰らいつくところがね?」

 クラウンはジェイルに手を上げた。でも、手首を掴まれ、それでもって、軽々しく持ち上げられてしまう。それは、木の枝を持ち上げるように簡単に。

 クラウンとジェイルの身長の差は頭一個と半分。明日乃だと顔半分だ。

 クラウンは、犬歯を剥き出し、今まで見たことのない表情をしていた。鬼のような形相で彼を睨みながら、空をじたばたし、必死の抵抗を続けていた。

 明日乃からしては、これには無理があると心中で悟っていた。それでも、必死に抗うクラウンの姿に胸が痛い。

 どんなに足掻いても、ジェイルには何ら意味をもたらず、全てが裏目に出、終いには床に投げ出されてしまう。

「――――かはッ!!」

 床に叩きつけられてしまったクラウンは、背面から着地。同時に、空気の抜ける音。しばし、クラウンは息が出来ずにむせ込む。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 メアリーに肩を借りて、立ち上がった明日乃は話に終止を打つ。筋肉痛が痛む。

「この話に、私が絡むのは分かった。でも、私はどうなろうが正直、気にしていない。それが私の運命だからだ。そこでくたばるのであれば、それはそれでいい―――!」

「あ……す……のぉ……!!」

「大丈夫!私は、割と……これを楽しんでいる。う…!」

「だとさ?――彼女は受け入れているみたいだよ?娘よ?」

「で、も……」

 クラウンは、仰向けからうつ伏せにひっくり返り、這いずるような姿勢で、辛そうに口を開いていた。か細い声音を吐き続けた。

 諦めの悪いクラウンの態度にジェイルは、やれやれとジェスチャー。

「なぁ、理事長さんよォ……一体私は、どうなっちゃうのかな?」

「君には、起動者になってもらいたい」

 唐突ではあった。

 しかし、私は既にその運命から、逃れる術も、また新たに知ることも得ることもなく、運命の時がやって来たのだ。

 

 



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第三十八話

 

 

六月の夜風には、少し湿っ気が含まれている。その風を体全体で受け入れると夏がすぐそこまで近づいてきていると、感じられるものだった。日中も夏に劣ろうこともなく日差しが肌を射すように照り付ける日々が続いてきている。しかし、このご時世の環境の変化は定まることもなく、気温の変化に対応できずにバテる生徒もいた。うち一人に私、藤崎明日乃もいたのは少し情けない話だ。

 

実はほんの3日前にバテてしまった。原因は上に挙げた通りなのだが、詳しくはわからない。多分夏風邪だろう。急に雨が降ったり、風が強かったり、思いの外室内と室外の温度差に敏感に反応してしまったのだろう。それと疲れがたまっていたのかもしれない。うん、そうに違いない。そう三日前が本当に大変だったから。

 

ーーーーー3日前。

晴天でありながらも、暑くもなく寒くもなく心地よい日中を満喫したのだが、問題は放課後にあった。

校則違反をした私たちは、罰則として校内掃除をすることになったことは割と最近の話だ。しかし、3日前はいつもの雰囲気と異なるものだった。

掃除に関しては、普段と変わらず行っていた。自分でもわかるくらい成果が出ていたし、逆に楽しいとさえ思えた。この感情に掃除嫌いの入谷はわからないと首を傾げたり、どことなく罰さえ除けば良い感じに学園生活をエンジョイしているように見える。

 

掃除の途中で姿を隠す入谷。そんな折りに、銀髪の髪を靡かせる入谷とは似つかわしいメイドがふざけた狐のような面を被り、渡り廊下の真ん中を歩みながらこちらに近づいてきたのだ。それは、廊下の中央線を仕切る白線をぶれずに歩む。その姿はモデルか何かを彷彿させるものであった。

コツコツと、廊下に鳴り響く踵は心地良く、一定のリズムを刻み、私を魅了させる。しかし、私は自身に迫る危機感を一旦忘れていた。

 

その束の間も僅かである。明日乃との距離およそ十メートル手前の所で歩みを止め突然体勢を低くしたかと思えば、姿を消す。煙のようにスッと、霧散したのだ。だが、今日の私は冴えに冴えていた。

怪しく茜色の空に染まる教室に、銀が映えると同時に私の回し蹴りが炸裂したのだ。

 

そのメイドの名はメアリー。クラウンに仕える一人であった。メアリー彼女に言わすと私の実力を知りたかったと言っていた。危うく死ぬところだったが……。この時クラウン本人の制止がなければ、本当に収集がつかないことになっていたかもしれない。だけど、明日乃はおかしいとこの時思った。どうして彼女がここにいることに違和感を覚えなかったのか、と。それは疑うことを忘れるくらい自然であったからだ。

 

わざわざ、こんな手の込んだことをしたのにはこういう訳があった。

 

「明日乃は、私と同様に、残り時間がありません。薄々と気がついていると思いますが、私たちの体にどれだけの影響を与えているか、全て父が作り出したISが絡んでいて、それでいてアビリティを解放させたものだけにしか起こらない症状。それがKO現象。以前にも話したかもしれませんが久我遠子のこと、そして彼女の頭文字を取った名前の症状。彼女のことは私もよくわからないことばかりです。だから怖いのです!どうなるのか…。だから、こんな手の込んだことをしてまでも、明日乃に知って欲しかった。非常に残念ですけれど、貴女から久遠を引き剥がします!!」

 

懐から取り出される剥離剤。手には銃の模したアタッチメントがクラウンの手中には収まっていた。

クラウンは泣き出す手前。その眼には涙の玉が浮かび上がる。一粒の涙が頬を濡らし、零れた。

同時にメアリーが私の背後をガッチリと取り付き、クラウンの迫る剥離剤を逃がさまいとがっちりと押さえつけた。身動きのできないことに焦りが生じる。この時私は確かに確かに怖いという概念はあったのだ。それでもクラウンが私を思っての行動なのだろうというのは一瞬にして理解したし、これは彼女の断腸の思いというやつなのか。しかし、彼女の行動にいかんという者が出てきた。

 

タイミングはバッチリと合わせ、クラウンが事を起こそうとした時にそれはやってきた。そう、それは姿を消した入谷である。それと同時に、理事長も現場に参加した。こうして役者は揃ったのは藍色の空が支配する夕刻の時であった。

 

一触即発の場面。クラウン、入谷とエメリーに私と理事長の濃い面々が揃ったことで何かが起こるのは、一目のことだ。しかし、意外なことに現場は割れた。対峙する入谷とクラウン。無条件で解放される明日乃。エメリーは急に動かなくなり、一点のクラウンに視線を預けていた。

私はすかさず彼女らを止めるようにと理事長に、お願いしてみた。

 

「理事長!現場を、なんとかしてください!!このままだと……」

「怖いかい?人が傷つくのは?」

「ええ!怖いです!!ですから……」

 

私は半分切れたように、相手を誰がかを弁えずに強く発言をしてしまった。

理事長の反応は無。子供の喧嘩に親が口出しをする年頃かい?と小さく吸った息を吐くみたいに言った。

 

「でも、これ……!!ぁーーーー!!」

 

ジェイルの視線がこれまで感じたことのないくらいに冷たく痛々しいものだった。条件反射の要領で明日乃は言葉を飲み込む。

大人が仲裁に入らないのなら、子供がこの事態を解決に持ち込まなければならないと悟った明日乃は、意を決して会話に参加した!!

 

「二人とも!!誰のことで揉めてるのは分かるけど……!止めないか?私は大丈夫だから。大丈夫だから…………さ!」

「わかってない……明日乃はことの重大さをまるで分かっていません!!何が大丈夫だ?そんな泣きそうな目で強がらないでください!!貴女だけの問題じゃないんです!各国の……」

「それくらいにしておきなさい。クラウン。君が今一番未熟なことを口にしている!それがなぜわからない?ーーー少し買い被り過ぎたのかな。我が娘だからと。少し頭を冷やしなさい。入谷先生。よろしくお願いしますよ?」

「はい。理事長」

 

入谷は淡々と返事をし、一瞬にしてクラウンから自由を、剥離剤を奪うことに成功した。床に叩きつけられたクラウンから普段は考えられない行動がしばしば展開される。

唸り声を上げ、犬歯を剥き出し、野生そのものにでもなろうとでも言うのか目付きも言葉使いも全部が百八十度別人に変わり果てていた。

 

「藤崎君。君はKO症状を知っているか?娘から聞いていると思うが、KO症状の先に何があるかは聞いていないだろう?では教えよう。それは、人外を超えた存在。すなわち、起動者。それを育成するのが我が教育の最終成果にして、目標だ。しかし、その目標ももう少しで達せられる。なぜなら目の前に逸材がいるからだ。もっとも器に適用し、その彼女からも目を付けられている、それが君だ!!藤崎明日乃君!!!ぜひ、君には我が国を代表とする起動者の一人になったもらいたい!!」

 

只々、理解ができなかった。

明日乃には到底理解ができない。というよりも、なにを言っているのかがまずわからなかった。

起動者?ーーーはて?

ジェイルはなにを言っているのだろう?

KO症状?ーーーダメだ……。しかし、今の私には、でも症状からするに着実に近づいてきているのは、それだけなら分かる。

それと、この状況は仕組まれていたということも。つまり、クラウンの思考を先読みした結果が今だ。敢えて、娘を泳がせ、確信かつ目的を探る行為はさすがであろう。見事なまでにクラウンは翻弄されていた。

 

「ダメです!!父さん……。明日乃を、彼女と同じようにしてどうするんです?!」

「そうだ。それで、世界は救済されるのだよ?戦いの絶えない世界に平穏をーーー」

「創って、どうする?」

 

明日乃は、そう言ったがジェイルは明日乃のことを横目に見る程度だった。

しかし、その瞳には冷徹で冷やなものがあった。一瞥を送っただけなのに、こんなに体が強張ってしまうなんて……、正直驚きを隠せないでいた。ものすごい重圧で、今にも押しつぶされそうなくらい。

その中でもクラウンは、入谷に抑えられながらでも、必死にジェイルに食いついていた!!まるで、彼のやることなすことが、気に入らないみたいに。そうだ!!反抗期を迎えた娘みたいだ。

その瞳には明らかに怒りを表してはいるが、体は昔から抵抗できないように仕組まれた何かが働いているのかもしれない。なので、クラウンの様子に明らかな変化がある。痙攣を起こしながらも、入谷を引き剥がそうと試みている。が、度重なるアクションは無駄な抵抗で終わるも、クラウンの持続力があるために、少しずつ形勢に変化が出始める。まるで、もう一人彼女がいるかのように、パワフルで野生的だ。

彼女の起こす痙攣は、おそらく彼に仕組まれた何かが作動しているからだろう。それを必死に抗っている彼女のポテンシャルは計り知れない。そうこうしている内に、変化がまたも起こる!!

ついに、入谷を引きがしたクラウンは、その勢いをジェイルとの間合いに変換させ、実の父に拳を突き出した!!

尻もちをついた入谷は呑気の一言であるが、それよりも、今にも襲いかかろうとしているクラウンを止めなくては!!

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「やめろォォォォ!!!」

 

咄嗟の判断で、明日乃はジェイルの前に立った!!間に合ったという安堵感はない。あるのは、恐怖のみ。

私の体が動いたのは別に彼を守るわけではないが、一瞬のビジョンに取り返しの付かないことが起きてしまうのではないかと悟った明日乃が行動に出たのだった。

案の定、クラウンの突き出した拳を、野生を全面的に解放した彼女に最早、止める術はなく、明日乃の頬に硬い拳が当たった!

反動で、後方にグラついた明日乃に、獰猛なクラウン。吐く息が荒い。

 

「なぜ、邪魔をする!!明日乃!!」

「バカだ、バカだよ!クラウンは!!もし、本当に理事長を殴ったらクラウンは後悔する!!それに、傷が付く。一生癒えないほどの傷を!!」

「その通りだ。藤崎くん。しかし、君もバカだ。君がそこまで傷つく必要もなかった。なぜなら、クラウンは私を殴れないからだ」

「っ……!!やっぱり、な。ISが絡んでいるのと同時に、なんらかの施術をクラウンに施してもいる」

 

先ほどのクラウンの痙攣を見て、鑑みる限り、明日乃もそうだろうと心の隅に追いやっていた。しかし、それが確信へと姿を変えた。それとよくわからない感情が湧き上がってきた!

 

「本当に、人を離れた存在に・・・しようとしているのか?」

「ああ。悲しいけれどね。これが現実だ。何かを得るためにはそれ相応の対価が必要なのだ」

「おかしい。おかしいよ。こんなことのためにこの学園は、ここに通う生徒は実験台ってことか・・・・・・」

「怖いかい?私の目的の一部を知った感じは?しかし、これで驚いてもらっては困る。私にはまだやりたいことがある。そのうちの一つなのだよ?」

「天災・・・・・・、あんたは、いるだけで世界を混乱に陥らせる権化になるだろう、ううん、既に篠ノ之束と同じように世界になんらかの影響を与えているんだ」

 

憤りを感じる。明日乃は腹に力を入れ、拳を血が出るような勢いで固める。今すぐにジェイルを殴りたいと心のそこから願ったが、言うまでもなく叶うわけがない。なので、顔を俯かせ、何もできない自分に叱責を心中で吐露した。

 

「ま、その様子だと、抗おうと思っているみたいだね?でもね、残念なことに君はおかしなくらいに私の手中で踊っているのだ。もう、爆笑が止まらないくらいに、ね」

「私は、ーーーー私は、少しでも人として、生きたい、1秒、1分でも多く。憶測だけど、久遠を取り除いても私のIS化は止まらないだろう。だから、力の抑止力にでもアビリティを封印する!!」

「ふん。かわいいね?でも、君は自分の意思問わずアビリティを使いたくなる。それはIS同士の共鳴が鍵になるだろうね。最近の君の力の振る舞いに久遠のリミッターは緩くなりつつあるからね。あー、楽しみだ。何分間抑えられるかなぁ?」

 

ジェイルの挑発を飲み込めず、明日乃は今にも怒髪天を迎え、ジェイルを断ちたかった!それは、逆に彼の思う壺になる。

 

「クソッ!!どうしたらいいんだよ!!」

「まずは、抗え!ーーー抗って、抗って、壊れて、真の意味で救世主へと昇華するんだ。それは美しい。さぞ、美しいだろう。考えただけで、体の震えが止まらないだろう!!?」

 

ジェイルはそっと、明日乃の顎を軽く持ち上げ、急接近。その距離10センチ足らず、まるでキスでもするかのようなシチュだ。しかし、こんな嫌悪感を孕む明日乃にジェイルは離れ、言下とともに体をクネクネさせながら、自身を抱きしめるような仕草を掘ろうした。一色離れた光景に改めて、身が引くのを肌で感じた。

しかし、この光景に一石を投じたのは意外にも彼女である。

 

「父さんは、この世界が、嫌いなのですか?」

「ああ、嫌いだ。こんな世界」

「こんな世界?ーーーわかりました……。父さんにとっては、こんな世界か……。でもね、あなたの感情だけが全てじゃない!!気に入らない?はは、笑わせるよ!まるで何様だよ?神?神様にでもなったの?ーーーじゃあ、そんな神は、無価値だね?」

 

思い切ったクラウンの言動に、明日乃は小さく口を開けたままであった。

 

「わからないものか?君の方が無価値だと思うよ?ーーーいや、わからない方が幸せか?わからないうちに変えてしまうのも悪くないか?もっとより良い世界に誘おうではないか?」

 

ジェイル自身に火がついてしまったかのような言動が見受けられる。しかし、クラウンも堪えることはできない様子で、既にくらいついているが、更に牙を押し込んでいきそうな様子だ。今はアマガミな状態を示唆させる。

このままでは、収集がつかないだろう。ならば、こうする他ない。

 

「ちょっと、ちょっと待って⁉︎」

「なんだね?これは私たちのーー」

「そうです。これは私たちのーー」

「二人だけの問題じゃないだろう!はぁーー元に私を巻き込んでるあたりから、話は単純じゃないだろう?なんか、よくわからない親子喧嘩されても、実際に皆真実を知ってるのか?その事実を言われた国民はなんか言ったか?私なら、反発する。私たちを騙したなって!」

「だが、永遠の命を授かると言われたら?どうする」

「永遠の命?違う、愛する者がいなければ、永遠なんて無価値だ。逆にそれ失ってからの方が地獄だろうに⁉︎何故だ?何故、自分が神であろうとする?近くで、クラウンは泣いているんだぞ⁉︎貴方を止めたくて、でもうまく伝わらなくて!」

「明日乃」

 

クラウンの湿っぽく、声音には綻びが解け、涙の成分を感じさせる。クラウンはすすり泣く。

情の増した明日乃は言葉を続けた。

 

「それすらも気付けないのなら、私は貴方を撃つ!!」

「撃てぬさ。創造主を」

「撃てない?もしかして、ああ、コアに何らかな仕込みがされてるみたいだね。こういうことをされない様に、いやこうなることを楽しみにしているみたいに思える。子供のイタズラかい?私にだって…」

ジェイルが何らかの仕込みをしているのは百も承知。創造主を撃てはしない。しかし、ジェイルはいずれかこういうことが起こることを視野に入れていたはず、もしかしたらアビリティでそれを無効化することができるのではないだろうか?

「策はある。しかし、それが本当に正解なのか?と、考えてるね?君はアビリティで無効化を図ろうとしている。それはいい。実に機転を利かしている。ハッキリ言えば、君はいい感を持ってる。しか〜しぃ、アビリティを視野に入れたというのは、君の寿命を食らうという結論にも至る。まあ、実力行使なんてのもあるけど、それはやめた方がいい。なぜなら、君を指名手配に上げることが簡単にできるからね。あ、因みに私を殺したら、ISは鉄屑に変わるからね?!」

 

彼の守りは堅い。それに高い。

現段階では無理だ。到底登りきれない。しかし、このままだと、私は彼の言う存在になるということになる。いやーー

 

「次に君はこういう。いっそ、人外になれば彼を止められる、と」

「っ……!」

「明日乃、もういいです!?」

「クラウン?」

 

明日乃はクラウンの方を見やる。

時既に遅し、クラウンの涙腺は崩れ、暖かい何かを流していた。そう。それは、他でもなく涙である。

もういいと、言わんばかりに、苦しそうに胸を押さえていた。

 

「彼にあれこれ言ったって、堅物に変わりはありません。明日乃の言葉も届かなかった。だったらーーーー」

 

クラウンは今一度、眼を閉じた。涙を拭い、ギンッと開眼した!

開眼させた、クラウンには光が宿る。その宿る光も神神しくも儚い力を感じさせ、クラウンから歪な空気が漂わせるも、どこか妖艶で引かれる。いやはや、そんな空気を肌で感じた明日乃はクラウンの肩を両の手でしっかりと掴んだ。

 

「クラウン!お前まで、変わらなくたっていいんだ⁉︎その瞳の代償は、お前から大事な物を奪ってしまうんだぞ?おい!」

 

ーーーーーーーーパチパチ。

 

背後で聞こえた乾いた手の鳴る音。

ついで、素晴らしい!と、はち切れんばかりの場を支配するジェイルの声音に驚愕よりも怒りが勝る明日乃は、クラウンの気を取り戻そうと試みる。

 

「ちくしょぉ……。おい!おい!」

「無駄だ。その瞳は鏡架粋月。ありとあらゆる感情を一定量以上保ち、高め、そして爆発させる。すると、こうなる」

「こうなる、じゃない!?自分の娘に何してんだよ!感情を爆発?そんなことしたら、クラウンは壊れてしまう。いや、もう遅いかもしれない。でも、彼女が壊れる前に救い出す!」

「君は先ほどから矛盾を言っている。しかし、心変わりもしている。君は、そうだな。優柔不断ではないか?君の本当の気持ちは?どうしたい?」

 

自分の言っていることのメチャクチャさは今から始まったわけじゃない。前からそうだ。ああしたいでも、これだから、と何かと訳を付けて退けて来た。いや、逃げ出していたんだ。うまくいかなかったら?と、後先のことを考えると怖くなるし、そんな自分が嫌になる。ヒーローに憧れてはいないけど、でも飛び込んでいける勇気が私にはないし、逆にそれを渇望してたはずだ。ほんの少しの後押しという名の勇気が私には必要だったんだ。

 

「メアリー、クラウンを」

「はい。旦那様」

 

結局は何もできなくて。

膝から崩れ落ちるクラウンを受け止められず、口を開け、呆然としか私にはできなかった。

 

「君は臆病者だ。しかし、それでいい。ーーーー今日は引き上げる。いい物が手に入った。メアリー、後は任せる。私は非常に興奮している。少し、出かけるよ」

「はい。旦那様。」

 

メアリーがいつの間に私の眼前に現れ、慣れた手つきでクラウンを担ぎ出し、淡々とジェイルに深く頭を垂れる。

ブレない彼女に明日乃は心の底から恐怖を込み上げさせた。

 

「明日乃様。良き判断でした。貴女はまだ、人です。迷い、泣き、恐怖。貴女から感じられる感情は美しいです。私もそうでありたかった。今宵は冷えます。お身体にお気をつけて下さい。では」

最後までブレることなかったメアリーの後ろ姿を見つめる明日乃はいつしか惚けてしまう。

「藤崎。これが、現実だ。知ると怖くなる。だから、人は耳を塞ぎたくなるんだ。しかし、まだ先が暗くなるわけじゃないだろう?今は暗くても、いずれは光が差す。今は悩め」

「入谷先生……」

「そんな顔をするな。今は立て。話はそれからだ」

「はい……」

「今日はもう休め、疲れただろう。何も考えず、目を閉じろ。そして、また私のところに来い。話なら聞いてやる」

 

入谷に支えらるながら私は自室まで向かった。程なくして部屋につき、言われたまま私は着替え、横たわるとすぐに眠気が襲ってきた。

いつ寝たのかまでは覚えていない。

次に目を醒ますと、朝が近くに来ていた。

 

 



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