木下秀吉(♀)の災難 (おさくら)
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第一話


女の子にした私が言うのもなんですが、秀吉からアレをとるのはナンセンスだと思います。
でも女の子になった秀吉も見たいんです。心が2つある〜


 

 

 

 演劇において重要な要素は多々あるが、その中の一つとして自己管理の徹底が挙げられる。

 舞台に立つ役者は集中力に体力に加え、言葉や表情、果ては着ている衣装の動きまでも利用する卓越した表現力が求められる。

 そして、それらを生み出すのは他でもない役者自身の肉体であり、畢竟(ひっきょう)、質の高いパフォーマンスを発揮するために自己管理は肝要なものとなる。

 自他ともに認める演劇バカである文月(ふみつき)学園の3年生、『木下(きのした)秀吉(ひでよし)』も当然そのことは理解しており、自分の体の状態には逐一気を配っている。

 

 だからだろうか。

 

 

「……なんじゃ?」

 

 

 昨年度の冬に当時の3年生と繰り広げた試召戦争(ししょうせんそう)や血塗られたクリスマスを乗り越え、波乱の新学期を迎えて一ヶ月ほど経った日の早朝。

 日課であるランニングと発声練習に取り組むために起床した秀吉は、太陽の光が自室の窓から洪水のように流れ込み、掛け布団に不定形な図形を作っていく様子をベッドの上で身を起こしたまま眺めつつ、頻繁に女子と間違われる端正な顔立ちをくてんと横に傾けた。

 昨晩床に就いたときには感じなかった明らかな違和感を、秀吉は起床して間もなく覚えていたからである。

 それまであったものを失ったような、なかったものを得たような……。

 

 

「風邪……ではないようじゃが、なにやら釈然とせんのう。早いうちに原因を突き止めてスッキリしたいものじゃが」

 

 

 言いようのない不安感に苛まれつつも、今自分にできることは無さそうだと早々に判断した秀吉は、気分を切り替えるために歯磨きや洗顔の前にランニング用のウェアに着替えることにした。

 ベッドから降り、クローゼットからウェアを取り出した後に着用していたパジャマの上着のボタンをぷちりぷちりと上から順に外していく。そして、下がっていった両手をそのまま流れるように履いていたジョガーパンツに掛けて下ろそうとして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「◎△$♪×¥●&%#+▼$~~〜〜ッッッ!?!?!?」

 

 

 朝の木下家に怪鳥の鳴き声のような悲鳴が響き渡った。

 

 

「うっっっさい!! 今何時だと思ってんのよ秀吉!」

 

 

 直後、荒々しい音を立てて部屋のドアが開け放たれる。

 現れたのは寝惚け眼を擦りながらも全身から殺気を立ち昇らせている、桃色のパジャマを着た秀吉と瓜二つの容姿の少女。双子の姉の優子(ゆうこ)である。

 先の絶叫で安眠を妨害されたからだろう、既に折檻(せっかん)の体勢に入っている姉を前に、平素ならば即座に許しを乞うはずである秀吉は焦燥も露わにして優子の足に縋り着いた。

 

 

「あ、姉上! ワシから盗ったのか!?」

 

「はぁ? 何の話をしてるのよ。とにかく、アタシはまだ寝ていたいんだから静かに──」

 

「何の話も何もなかろう! 盗ったのならば早くワシに返して欲しいのじゃ──!」

 

 

 

「──ワシの●●●(ピー)を!」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「朝から姉にセクハラだなんて剛毅じゃない秀吉。その度胸に免じて4つ目は勘弁してあげるわ」

 

「うむ、申し訳ない。気が動転していたのじゃ」

 

 

 頭部に拳大ほどのタンコブを3つ作った秀吉は、床に倒れ伏しながらも優子に謝罪した。

 

 確かに起きがけにするような会話ではなかったとはいえ、あの発言の直後足払いを喰らってマウントポジションを取られ、ゲンコツを叩き込まれるまでの流れがあまりに無駄がなく流麗だったものだから、驚きのあまり逆に冷静さが戻ってきたようだ。

 むしろ優子の十八番(おはこ)ともいえる関節技をお見舞いされなかっただけラッキーだったとさえ秀吉は考える。あの痛みは後に引くのだ。

 

 

「で? 何があったのよ」

 

 

 うつ伏せになった秀吉を下敷きにするように、彼の臀部付近に腰を下ろした優子が尋ねてくる。

 一応姉弟だからか、秀吉の身になにやらただならぬ異常が起こっていることは察知しているようで、意志の強さを感じさせる瞳からは微かに弟の身を案じる意思が感じられた。

 

 

「それなのじゃが……」

 

 

 正直な話、「何があった」かは、未だに秀吉本人も全貌を把握できていない。それほどに今朝自身の身に起きた現象は不可解かつ衝撃的なものであるからだ。

 ただ、可能な限り端的に表現するならば。

 

 

「ワシは……女子になってしまったようじゃ……」

 

「は?」

 

 

 とどのつまり、そういうことである。

 

 昨晩まであった()()が失われていることに気付いたのを皮切りに、普段より若干柔らかくなった胸部だとか、丸みを帯びた関節部分だとか、次々と判明した違和感の正体。

 それらを総合して考えてみると、どう考えても自分は「女子になった」と解釈するしかない。受け入れ難いことだが。

 

 非常に受け入れ難いことではあるが! 

 

 

「なにそれ……? ありえないでしょ」

 

「ワシも同感と言いたいが、実際そうなっているのじゃからそうも言ってられんっ」

 

 

 訝る優子に、手足をバタつかせながら答える秀吉。

 そう、どれだけ否定しようとも事実はこれ以上ないほど間近に突きつけられている。否定しても意味がないし、しようもない。

 ところでいつになったらこの姉は自分の尻から降りてくれるのだろうか。

 そう秀吉が思っているとおもむろに優子が腰を上げ、秀吉が着替えかけたままのパジャマの下に手を差し込み、体をゴソゴソとまさぐり始めた。

 

 

「あ、姉上、何を」

 

「確認よ。体つきは元々貧弱だったから変化はよくわからないけど……うん……うん……」

 

「待つのじゃ、そこは……ひぅっ!」

 

「本当に無くなってるわね。それに胸も柔らかく……ん?」

 

 

 無遠慮に服の中を撫で回され、秀吉の口から熱っぽい吐息が漏れ出す。

 

 

「ひぁ、んんっ! あ、姉上……!」

 

「なんだか若干アタシのより大きいような……!? なんでこのバカのポッと出の胸に負けなきゃなんないのよ……!」

 

「あっ……! 姉上違っ……! それは取り外しできるものでは……!」

 

 

 無遠慮に胸部装甲を引っ張られ、秀吉の口から苦悶の声が漏れ出す。

 

 相変わらずの恐ろしい握力だが、なんの前触れもなく理不尽に矛先を向けられるのは御免(こうむ)りたいものである。

 しばらくして確認を終えたのか、優子が憮然とした態度ながらも納得したように溜め息を吐いた。

 

 

「信じられないけど本当に女子になってるみたい。現時点でもアタシより人気があるらしいのに性別まで変わるなんて、忌々しいことこの上ないわね──今のうちに始末しておこうかしら」

 

「り、理不尽じゃ! ワシとてこの現状は望むところではないのに!」

 

 

 据わった目つきでボソリと呟いた優子から秀吉は素早く距離を取った。

 肉親である優子を除き、秀吉の性別を正しく認識している人物として主に友人の坂本(さかもと)雄二(ゆうじ)吉井(よしい)(あきら)、鉄人こと西村(にしむら)教諭の名が挙げられるが、秀吉の現状が学園内外に知れ渡れば、その最後の砦も脆く崩れ去ることだろう。

 それは秀吉にとっての心の拠り所が自宅を除いて完全に消失することを意味しており、是が非でも避けなければならない事態でもある。

 いや、誤解ではなく実際に性別が変わっているのだから、自宅での扱いすら危うくなる可能性も十分にある。両親にも極力現状の露見は避けるべきだ。

 

 

「故にワシは一刻も早く元の体に戻らなければならんのじゃ! 姉上にも助力を願いたい!」

 

「協力といってもアタシにできることは特に無さそうに感じるけど……まあ、いいわよ」

 

「よ、よいのか?」

 

「なによ、自分から頼んできたくせに」

 

 

 アッサリと秀吉からの協力要請を受諾した優子に秀吉が拍子抜けしたように目を丸くすると、優子は苦虫を噛み潰したような表情をして続けた。

 

 

「仕方ないじゃない。女になったアンタがこの先妙な性癖を持った彼氏を作ったりしたら、巡り巡ってアタシまでそういう趣味の人だって見られるかもしれないし」

 

「中身は男なのじゃから彼氏なぞ作らんが!?」

 

 

 なぜこの姉といい自分の友人たちといい、自分に恋人ができるという仮定をした際に決まって相手の性別が男になるのだろうか。

 いや、今回は身体が女なのだからそれが自然なのだろうか? 考えると気が滅入ってくる。

 

 

「同性愛を否定する気はないわよ。ただ、以前アンタと入れ替わってから、一部からはアタシの異性の趣味は倒錯したモノとして見られかけてるんだからね。加えてアタシに風評被害をもたらしたらタダじゃおかないわよ」

 

「いや、姉上の異性の趣味が倒錯しておるのは事実じゃ(メキッ)ああああ姉上! ワシの腕はそっちには曲がらな……っ!」

 

「創作の趣味と現実の趣味は違うって何度も言ってるでしょうが! とにかく、その体でいる間はいつも以上に誤解を招く言動に気をつけなさい! いいわね!」

 

「りょ、了解じゃ……」

 

 

 結局優子の関節技を喰らう羽目になり、秀吉は息も絶え絶えに優子の言葉に頷いた。

 

 

それにしてもコレはそういう病気なのかしら……? だとしてもあまりにも急すぎる気がするし……何か他に原因が……

 

 

 この短い間に三度痛めつけられ、既に瀕死の秀吉を尻目になにやらぶつぶつとつぶやきながら考えを巡らせている様子の優子。

 秀吉も最近は、数ヶ月前の演劇にすべてのリソースを振っていた頃と比較すれば勉強もできるようになったと自負しているものの、それでも成績は優子には到底及ばないし、こういった状況で必要となる思考力・推測能力に関しても同様である。

 余計な口を挟むと今度こそ致命傷を負わされかねないので秀吉が口を噤んで見守っていると、ある程度考えがまとまった様子の優子が質問をしてきた。

 

 

「一応聞くけど、そうなった心当たりはないのよね」

 

「まったくない……と、言いたいところなのじゃが。よくよく考えてみれば、ないこともないのじゃ」

 

「へぇ?」

 

 

 興味深そうに秀吉の次の言葉を待つ優子。

 そう、今の秀吉のように誰かの性別が反転したという話に覚えはないのだが、それと同じくらい摩訶不思議な──『異なる二人の人格が入れ替わる』という事態が人為的に引き起こされたケースを、実際に目の当たりにしたのを秀吉は思い出したのだ。

 現実に起きた非現実的な現象、という点以外に一切共通点はないのだが、今のところそれしか縋れるような心当たりは秀吉の中にはなかった。

 

 すなわちそれは、

 

 

霧島(きりしま)の『実践・本格黒魔術』と言ったか。そういう題名の分厚い本じゃ」

 

「代表の?」

 

 

 秀吉たちが3年生に進級して行われた振り分け試験の結果、優子や雄二、そして霧島翔子(しょうこ)が所属することとなった3年Aクラスの代表は翔子が務めることとなった。

 昨年度でも優子と翔子が所属していたAクラスの代表は翔子であったため、優子が「代表」と呼称する人物は引き続き翔子のこととなる。

 

 

「うむ。性別の反転とはまた違うが、こういった面妖な現象を引き起こす心当たりのひとつとして、霧島が所持していた本が挙げられるのじゃ。というか、現状ワシにそれ以外の心当たりはない」

 

「どういう本なのよそれは……。とりあえず、学校で代表に話を聞いてみるしかないってことね。わざわざ秀吉を狙う理由が代表にはない気がするけど」

 

「そうじゃな……」

 

 

 仮に例の本を利用して他人を女子に変える術があったとして、翔子が秀吉の性別を女にしよう! という考えに至る経緯がわからない。

 しかし、なんにせよ自分たちに今できることは他にない以上、彼女に話を聞いてみるしかないだろうというのが優子と秀吉の出した結論であった。

 

 

「そうと決まればさっさと学校に行くわよ。ったく、アンタが騒いだおかげで、もうすっかりいい時間じゃない」

 

「申し訳ないのじゃ……」

 

 

 優子に促され、肩を落としつつも登校の準備を始める秀吉。日課のランニングと発声練習をサボったのはいつぶりだろうか。

 普段の日常通りの行動をとっていると、余計に普段とは違う体が気になり、秀吉は悩ましげに呻いた。

 

 

「うぅ……早く……、一刻も早く男の体に戻らなければ……」

 

 

 突如自分の身に起こった原因不明の超常現象。

 

 その影響で発生し得る今後の学園生活における安寧の危機。

 

 さらにその影響で予想外の方向から迫り来る生命の危機。

 

 たった一晩で生まれた数多の懸念に秀吉は頭を抱え、再びベッドに潜り込んで目を覚ませばすべてが夢だったということにならないだろうかと考えるのだった。

 

 

 

 





続きはまた来年!(不定期更新)


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第二話


続きました。思いの外多くの人に読んでもらえているようで嬉しいです。
ここまでがプロローグ。




 

 

 

「イィッシャァアアア──ッ!」

 

 

 朝の文月学園の新校舎内に威勢のいい掛け声が響き渡る。

 その声の主である男子生徒は叫ぶと同時に校舎二階の窓を開け放ち、躊躇いなくそこから飛び降りた。

 常人ならば大怪我の可能性がある高さであったが、男子生徒はズダン! と派手な音を立てながらも両足での見事な着地を決め、そのまま何事もなかったかのようにどこかへと駆けて行く。

 学生離れした超人的な脚力。今しがた登校してきたばかりで一部始終を偶然目撃していた生徒たちが目を剥いていた。

 

 

『チクショウ! 野郎、飛び降りやがった!』

 

『あのクズ野郎……! 異端審問会の血の掟に背いておいて自ら腹を切ろうともしないとは、見下げ果てた野郎だ! 須川(すがわ)会長、どうします!』

 

『一階に待機させてあるC、D班に連絡をしてヤツを追跡させろ! 我々A班はB班と合流して旧校舎の出入口を固めつつ1、2年生にヤツの悪評と顔写真を流布する! 二度とこの学園内で顔を晒して生活できないようにしてやれ!』

 

『『『了解!!』』』

 

 

 男子生徒の姿が新校舎と渡り廊下で繋がった旧校舎の方へと遠ざかっていく中、怒号の応酬が聞こえてくる。

 怒号の発生源と思しき場所には、なぜか覆面マント姿の異様な集団が各々釘バットや竹刀などで武装して忙しなく動き回っており、これ以上ないほどに近寄り難い雰囲気を醸し出していた。

 

 

『『『逃げられると思うなよ吉井(よしい)ゴルルァッッッ!』』』

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「朝から騒がしいのう」

 

「もう見慣れたと思っていたけれど、朝一番だとやっぱり刺激が強いわね、アンタの元クラスメイトたちは……」

 

「あやつららしいと言えばあやつららしいがの」

 

「アレが『らしい』っていうのもどうかと思うけどね」

 

 

 木下秀吉の性別が“秀吉”から“女子”へと変容したことが判明してからしばらく。

 秀吉と優子は姉弟並んで登校し、その途中で一連の騒動を新校舎の昇降口付近から目撃していた。瓜二つの顔がそれぞれ苦笑と呆れの表情を浮かべる。

 

 とある新校則の実施以降、一層凄絶さを増した異端審問会──名目上は学園内の風紀秩序を維持するためとなっているが、その実態は旧2-Fクラスの生徒を中核として組織された他人の幸せを許さない者たちの巣窟──の活動であるが、それに抗する者たちの力量も新学期となって向上しており、日々熾烈なバトルが校内で繰り広げられていた。

 女子である(と認識されている)秀吉と優子は彼らの標的にはなり得ないものの、傍から見ているだけでもかなり迫力がある。

 

 

「(ガサッ)あっ、おはよう秀吉……と、木下さんも。こんな時間に、しかも二人で登校してくるなんて珍しいね?」

 

「え? あの、どこかで会ったかしら?」

 

 

 二人が話していると、突然昇降口横の植え込みから一人の女子生徒が姿を現し、挨拶をしてきた。

 女子にしては背が高めでしっかりした体格、くりっと丸い瞳や背中まで伸ばされた栗色の髪、霧島翔子のようなある種神秘的な可憐さとはまた違う、親しみやすさのある可愛らしい顔立ち。

 

 一目見た後すぐに忘れてしまうような印象の薄い容姿ではないようにも思えたが、実際のところ優子に女子生徒の顔や名前の覚えはないようで、申し訳なさそうに問い返す。

 しかし女子生徒の方もそれに不快感を表すことはなく、むしろ彼女も申し訳なさそうに笑いながら眉を下げた。

 

 

「っとゴメン。この格好じゃ分かんないよね。僕は──」

 

明久(あきひさ)じゃな。おはようなのじゃ」

 

「吉井君!?」

 

「木下さん! あまり大きな声を出さないで!」

 

 

 事もなげに挨拶を返す秀吉の言葉に優子が驚愕し、そんな優子を咎めるように女子生徒が口元で人差し指を立て、声量を抑えるようにジェスチャーをしてくる。その動きが、彼が吉井明久その人であるという事実を裏付けていた。

 

 

「気をつけてよ木下さん。せっかく異端審問会の追手を撒いたんだから」

 

「ご、ごめんなさい。というか吉井君はなんで女装してるの……?」

 

「僕も不本意だけど、あのクズ共の目を欺くために仕方なくね。有事の際に備えて旧校舎の裏に衣装とメイクセットを忍ばせてあるんだよ」

 

 

 物資を隠し、性別も容姿も変えて追手を撒く明久の姿は学生というよりも脱獄囚か何かに見えた。

 

 

「して明久よ。今回は何が原因で目をつけられたのじゃ?」

 

 

 異端審問会は他者の幸せを決して許容しない。

 学園内でも指折りの美少女である姫路(ひめじ)瑞希(みずき)や島田美波から好意を寄せられている明久は常に彼らの粛清対象となっているものの、今回の粛清未遂の熱量から、また別の燃料が新たに投下されたものと秀吉は推測した。

 そしてそれは的中していたようで、明久は疲労困憊といった様子で溜め息を吐いた。

 

 

「昨日美波(みなみ)と買い物していたところを見られてたみたいでね……」

 

島田(しまだ)さんと買い物? 二人きりで?」

 

「いや、元々僕は姉さんと二人でスーパーに買い物に来てたんだよ。そしたらちょうど美波も小学生の妹の葉月(はづき)ちゃんと一緒に夕飯の食材を買いに来てて、偶然はち合わせただけなんだ」

 

「ご家族の方と一緒だったのね。それじゃあそれを改めてみんなに説明すれば誤解が解け──」

 

「説明すればまず確実に命を取られるじゃろうな」

 

「そうなんだよね」

 

「なんでよ」

 

 

 目撃されたのは美波とのツーショットのみのようだが、それに加えて玲と葉月も同伴していたことがバレれば、粛清内容が『半殺し』から『凄惨な拷問の後に嬲り殺し』にランクアップすることは想像に難くない。

 それを十分に理解している秀吉と明久は深く頷きあった。

 

 

「明久の姉上も島田の妹も整った容姿をしておるのでな。話すだけ損じゃろ」

 

「そうは言っても、島田さん以外は身内と年端もいかない子供でしょ? そんな人たちと一緒にいたからって咎められる謂れはないじゃない」

 

「いやいや、甘いね。木下さんはFクラスの思考回路っていうものを全然わかってないよ」

 

「な、なによ。どういうこと?」

 

 

 若干引き気味になっていた優子に気付いているのかいないのか、女装したままの明久は無知な子供に諭すような口調で問いかける。

 

 

「身内だからとか小さい子供だからとか、そんな言い分を異端審問会(アイツら)が聞き入れると思う?」

 

 

 優子が無言で目を逸らした。つまりはそういうことだ。

 そんな風に話し込んでいると、ふと明久が学園の敷地内に備えつけられた時計を見て、何かに気づいたように声を上げた。

 

 

「急がないとホームルームに遅れちゃうね。引き止めちゃったけど、何か用事とかあった?」

 

「大丈夫よ。本当は朝のうちに秀吉と一緒に代表に会いに行こうとしてたけど、どうせ吉井君と話してなくても間に合わなかったしね」

 

「秀吉が霧島さんに……?」

 

「こっちの話じゃ。明久が気にすることではないぞい」

 

「? そっか」

 

 

 秀吉の体の異変の原因を探るために朝一番に翔子との接触を図っていた木下姉弟だったが、今朝のドタバタや、僅かな胸の膨らみを誤魔化すためにサラシを巻くのに手間取ったせいで家を出るのが送れ、結局遅刻ギリギリに登校する羽目になってしまった。

 つまり、クラスの違う秀吉本人が翔子と対面するのは最短でも昼休みごろとなる。

 それまで秀吉は自身の尊厳と今後の学園生活のために女子の体となってしまったことを周囲から隠し通さなければならないが、目の前の明久は秀吉の異変に気付く様子はない。あえてこの場で現状を説明する必要もないだろう。

 

 

「それじゃアタシは教室に行くわね。一応代表には──でアンタを待つように伝えておくから」

 

「了解じゃ」

 

「またね木下さん。僕らも行こうか、秀吉」

 

「それはよいが、お主はその格好のまま教室に行くのかの……?」

 

 

 

 優子と別れた後、人目につきにくい校舎の端のトイレで女装を解いた明久と秀吉は、自分たちが在籍するクラス──“3-D”クラスの教室へと足を踏み入れた。

 パッと教室内を見渡す限り秀吉たちが最後の出席者のようであり、他のクラスメイトは教室内で思い思いの時間を過ごしていた。

 

 振り分け試験の点数を参照した公正なジャッジの結果、二人が在籍することが決まったクラスであるのだが、バカの代名詞である『観察処分者』の名を冠した明久と、演劇に関連する科目以外はサッパリだった自分がFクラスではなくDクラスにいると思うと、秀吉は今でも妙な気分になる。

 しかし明久の方はそんなことは微塵も考えていないどころか、一切ものを考えていなさそうな呑気な顔で言った。

 

 

「いやー、つくづくラッキーだった思うよ。Fクラスと違ってDクラスでは教室内での命の危険がないから「来ましたね豚野郎! 殺します!」死の気配ッッッ!!!」

 

 

 明久が横に飛んだ刹那、先ほどまで彼が立っていた地点に数本の金属製のシャープペンが突き刺さった。命の危険がないと言いかけた途端にコレである。

 

 

「くっ、清水(しみず)さんか……!」

 

「よくもおめおめと教室に来れたものですね豚野郎。あなたが昨日お姉様と二人きりで外出していたことは調べがついています。普段からお姉様にまとわりつくだけでは飽き足らず、並んで買い物など言語道断です!」

 

 

 両手の指と指の間に文房具(凶器)を挟み持ち、羅刹のような貌で明久を睨みつけ言い放ったのは、二つに結んだ髪の毛をドリルのように巻いた髪型が特徴的な女子生徒、清水美春(みはる)だ。

 昨年度に引き続きDクラス所属となり、秀吉たちとは同じクラスの仲間という立場になったはずなのだが、彼女が明久に向ける視線は養豚場の豚を見る目に等しかった。なんなら普通に口頭でも豚扱いしているし。

 

 

「誤解だよ清水さん! 異端審問会の連中も勘違いしてたけど、昨日は姉さんや葉月ちゃんと一緒だったしそもそも僕は姫路さんのことが、」

 

「問答無用! 殺します!」

 

「話を聞いてふぬおおおぉぉ──!」

 

 

 文月学園に名を轟かすDクラスの狂戦士の猛攻を死に物狂いで捌く明久。

 手助けしたい気持ちはあるのだが、薄い胸の男らしい美人といった観点から美春の偏愛の対象になりかけている節のある秀吉としては、首を突っ込みにくくもあるマッチングだ。

 何かの拍子に秀吉の現在の性別が美春にバレれば取り返しがつかない事態に陥るかもしれない。主に貞操面で。

 

 どうしたものかと秀吉が迷っていると、教室の奥から一人の女子生徒が秀吉の方へと近寄ってきた。

 

 

「おはようございます、木下さん」

 

「む、玉野(たまの)か。おはようじゃ」

 

 

 玉野美紀(みき)。黒髪をお下げの形に結っている彼女もまた3年Dクラスの生徒の一人であり、言葉遣いや所作からは落ち着きが窺える、淑やかな雰囲気の生徒である。

 

 

「今日はいい朝ですねっ。空には雲ひとつないですし、クラスメイト全員が怪我や病気なく出席できていますし、アキちゃんの制服姿を拝めたし……」

 

「待て、なぜ玉野が明久が女装していたことを知っておるのじゃ? あの時周囲に人影は無かったはずじゃが」

 

「古今東西、アキちゃんがいるところに私はいますっ!!!」

 

「そ、 そうか」

 

 

 淑やかな雰囲気の生徒であるが、明久が女装する機会が訪れた際はその限りでない。力強く主張する美紀の目は、興奮からかギラギラと飢えた獣のように血走っていた。

 

 

「ところで木下さん。今朝は木下さん用にもいくつか男の子の衣装を見繕ってきたの。女装の至高・アキちゃんと男装の究極・木下さんとで二大巨頭を打ち立てたいと思わない? 思うよね? 思おう……?」

 

「いや、()()()()なのじゃから男の服を着たところで男装ということにはならん……

 

「なんで急に声量が尻すぼみになったんですか?」

 

「惨たらしくくたばりなさいピッグマン! お姉様の寵愛ヲ賜ルノハ美春ダケデイインデス……!」

 

「秀吉、手を貸して! 清水さんが人類の枠組みから外れようとしているんだ!」

 

ディア・マイ・オネエサマァァァ──! 

 

 

 結局、Dクラスの担任教師が現れてホームルームが開始されたのは、清水美春だったナニカが握るシャープペンの先端が、明久の額にあと数ミリで突き立てられんとした寸前であった。

 

 

 

 一日の始まりは凄絶極まりなかったものの、ホームルームが終わってからは至って楽なものであり、秀吉の変化に気づいた者は秀吉自身が認知する範囲では現れなかった。

 明久や玉野といった知己の仲はもちろんのこと、3-Dクラスとなって始めた交流を持った生徒たちも普段通りに秀吉と接してきている。

 

 そう、普段通り。『女の子にしか見えないけれど生物学的には男子』という最終防衛ラインを普段通りに維持しなければならない。くどいようだが、女子として扱われるのと身体構造からしてまんま女子であると認識されるのとではまったくもって重みが違うのだ。

 秀吉は細心の注意を払いながらも、『いつもの木下秀吉』を演じて学園生活を過ごしていた。

 

 ただ一人、清水美晴だけは彼女特有のセンサーに反応があったのか、「なんだか今日の木下さんはやたら魅力的に感じます……」だの「余計なモノが削ぎ落とされて垢抜けたような気がします……」だの呟きながらこちらを凝視してきていた。決定的な部分は気づかれなかったにせよ、気が気ではなかった。

 

 しかしそんな時間も間もなく終わりを迎えるだろう。

 時刻は正午を少し過ぎ、昼休憩の時間と相成った。これから秀吉は翔子との集合場所へと赴き、翔子に元の身体へと戻るための手法を聞いてそれを実行する。それですべてが丸く収まるハズなのだ。

 

 

「秀吉、お昼ご飯はどうする? 霧島さんのところに何か話を聞きに行くって言ってたけど」

 

 

 秀吉が逸る気持ちを抑えつつ直前の授業に使用した教材をまとめていると、明久が通学用のカバンから弁当箱を取り出しつつ伺ってきた。

 昼食が塩と水といった修行僧じみたものでないところを見ると、玲による日々の食事の栄養管理は続いているようだった。明久自身は健全な食事を用意するためにゲームを購入する費用を削られることが不服なようだが、彼の体調を案じる友人としてはこちらの方が見ていて安心できるというものだった。

 

 

「うむ。すまんが今日は一緒に昼食をとることはできぬかもしれん。どれだけ時間がかかるかワシもわからんが、ワシのことは気にせんでも良いぞい」

 

「そっか。何か困ったことがあったら言ってね?」

 

 

 秀吉が何かを隠しているということは分かっているだろうが、深入りはしてこない明久の姿勢がありがたい。同時に多少の罪悪感を覚えもしたがやむを得まい。

 断り文句もそこそこに秀吉は席を立ち、教室を後にした。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 朝別れる前に優子が翔子を待たせておくと言っていた場所は、旧校舎3階の渡り廊下に面した空き教室のひとつである。

 基本的に空き教室への人の出入りは少ないものの、ここは校舎の端に位置すると共に、廊下の対面は昼に利用されることの少ない文化部部室、隣は同学年のAクラスと比べれば騒がしく、個々の会話が聞こえにくい2ーFクラスである。防音機能は新校舎と比較して心もとないものの、元々小声でするような人に聞かれたくない話をする際にはもっとも適した場所のひとつといえる。

 

 秀吉が人目を避けつつコソコソと忍び足で空き教室へ入ると、そこには既に腰辺りまで黒髪を伸ばした涼し気な雰囲気の美少女──霧島翔子が立っていた。

 翔子は秀吉に気付くと表情を動かさないまま軽く手を挙げて挨拶をしてきたので、秀吉もそれに手を挙げて返した。

 

 

「……優子からは、木下が私に何か聞きたいことがあると聞いている」

 

「その通りじゃ。呼びつけるような迷惑な真似をして申し訳ないが、急用かつあまり他人には聞かれたく話なのでな」

 

「……構わない。それに、友人のために時間をとることを私は迷惑だとは考えない」

 

「そう言ってくれるとありがたいのう」

 

「……うん。……」

 

 

 秀吉の言葉に答えながらも顎に指を当てて思考する翔子。

 自身が持つ情報と秀吉が知りたがるようなことの共通点を考えているのだろう。秀吉の現状を認知していなければ答えを出すのは難しいだろうと思ったが、すぐに翔子はピンときた様子で目を見開いた。

 さすがは学年一の秀才。こういった推察能力もズバ抜けているらしかった。

 

 

「……けれど、雄二(ゆうじ)を譲れという話なら聞き入れることはできない」

 

「まっっったく違う話なので心配せずともよいぞ」

 

 

 さすがは学年一の秀才。なぜ男子である秀吉がそういう申し出をしてくると思い至ったのか、秀吉にはそのあさっての方向へズバ抜けた思考回路が理解できなかった。

 

 

「……じゃあ、何の用?」

 

「うむ。お主が所有していた『実践・本格黒魔術』という本について話を聞きたいのじゃ」

 

「……あれはいいもの」

 

 

 こくりと頷く翔子。

 いいものと言うにはあまりに傍迷惑な騒動を引き起こしたような気もするが、今回の話の肝はそこではない。自分が知りたいのは、件の書物に例えばそう、『対象の人物の性別を反転させる方法』のような内容が記載されているか否かである。

 

 

「では霧島よ。その本に『対象の──』」

 

「……でも、やっぱり書いてある内容の中にはいくつか眉唾もあるみたい。……昨晩『対象の人物の性別を反転させる黒魔術』を試してみたけど、何も変化がなかった」

 

「詳しく聞かせてもらいたい!!!」

 

 

 日々の発声練習で鍛え上げた声量が空き教室の窓を揺らした。

 

 

 

 一度学んだことは決して忘れない、卓越した記憶力を持つという翔子から語られた性転換の黒魔術の内容は至って単純なものだった。

 

一つ。付属のロウソクに火をつけ、対象の人物を思い浮かべる。そのままロウソクの火を消さずに燃え尽きさせると、対象の性別が反転する。

 

一つ。途中でロウソクの火が消えたり、まだロウソクが残っている間に術者が対象を思い浮かべるのを打ち切ると効果がない。

 

 恐ろしいことに、性転換が完了するまでの過程で対象となる人物の意志は一切反映されないようだった。あくまで結果が術者の意思に依存する辺り、さすがは黒魔術といったところか。

 

 

「……昨晩私は、この魔術を私自身に施して男子になろうとした」

 

「お主自身をじゃと? それはまた、なにゆえ……」

 

「……発端は例の新校則」

 

 

 翔子の言葉に秀吉は想起する。

 文月学園にて新たに制定された校則──文月学園則第12条5項、【学生恋愛の全面禁止】。

 

 その字面の通り、学園内における一切の恋愛を禁止するといった内容の校則であり、これの実施を機に当校則に反する要教育的指導者の摘発・矯正を目的とした『治安維持生徒会』の設立や、異端審問会の活動範囲拡大など、様々な変革が学園内で進んでいる。

 

 学生の本分は勉学であるとはいえ少々時代錯誤な校則であるが、もっとも反発するであろう層がそもそも当校則が施行されるに至った原因であること、また、秘密裏に治安維持生徒会による反対勢力の懐柔が行われたことなどから、現在では一部を除いて学園生たちに比較的受け入れられている。

 

 

「……私も()()()()()()()()()を受け入れたから、今さら校則の撤回を訴える気はない。……だから、校則の穴を突いて雄二との夫婦の営みを試みた」

 

「それがなぜ霧島が男性になることに繋がるのかわからんのじゃが……、穴とやらに関係があるのかの」

 

「……恋愛禁止が謳われてから、異性との過度な接触は校則違反とされるようになった。……つまり、私が男子になればいくら雄二とくっついてもそれは友人同士の付き合いにしかならず、校則違反であると咎められることはないという寸法」

 

「う、うむぅ。見事な論法なような気もするし、本末転倒であるような気もするぞい」

 

 

 普段寡黙な彼女にしては珍しく長々とした説明を、『完璧な理論っ!』とばかりに胸を張りながら語る翔子だが、夫婦として触れ合うために自身が男になるというのはいかがなものかと思う。

 

 

「雄二も霧島がずっと男のままというのは好ましく思わんじゃろう」

 

「……私もしょうゆが作れなくなるのは困る」

 

 

 しょうゆ=翔子が提案する雄二との子供の名前。翔子以外には不評。

 

 

「……そこで、この黒魔術の解除方法が光る」

 

 

 翔子の意味深な言葉の意図を秀吉が視線で問うと、翔子はさらに、性転換の黒魔術に隠された新たな内容を補足した。

 

一つ。性別反転の効果は永続であるが、対象者と相思相愛の関係にある相手と接吻(キス)をすることで強制的に効果を打ち消すことができる。

 

 呪いを解くのは王子様のキスということだろうか。理不尽極まりない効果の割に、解き方だけ妙にファンシーだった。

 

 

「……雄二が男子の私を受け入れるのなら、そのまま校則の穴を突いて学園内でも接触ができる」

 

「雄二が霧島に女子であることを望むのならば、解除のためという名目で雄二からキスをしてもらえる……ということかの」

 

「…………(こくり)」

 

 

 雄二にとっては二者択一。しかし翔子にしてみればどっちに転んでも役得という一見完璧な作戦。

 しかし──。

 

 

「仮に雄二が男子になったお主に愛想を尽かしてしまった場合、どうするつもりだったのじゃ?」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……失敗してよかった」

 

「……いや、まあ、雄二が霧島に愛想を尽かすなんてことはないとは思うがの」

 

 

 愛想を尽かさないにしても、雄二が生物学的に完全に男子になった翔子とのキスに少なからず抵抗感を覚えてしまう可能性はなきにしも非ず。

 せっかくのキスをそんな形で済ませてしまうというのは、翔子、そして恐らく雄二にとっても不本意だろう。

 

 

「そのようなことをせずとも、ありのままの霧島でおればよいじゃろ。雄二が惹かれたのは今の霧島なわけじゃからの」

 

「……うん。焦らないって、決めてたつもりだったんだけど……」

 

 

 少し頬を赤らめ、されど嬉しそうに頷く翔子。

 昨年度にお互いの気持ちを確かめ合ったとはいえ、こうも厳格な校則で接触すら咎められるようになってしまっては、少しばかり不安になるのも致し方ないだろう。

 雄二のことを信じているとはいえ、その時まで一切彼と触れ合うことができないというのはまた話が別なのだ。

 

 

「……木下と話せて良かった。……じゃあ、私は教室に戻る」

 

「うむ。またなのじゃ」

 

 

 ………………………………。

 

 

「あっ! 違うのじゃ違うのじゃ、まだ話は終わっておらん、待つのじゃ霧島! その失敗した黒魔術とやら、本当に失敗したのかの!?」

 

「……どういうこと?」

 

「その、例えば霧島本人ではなく他人を対象として魔術が発動してしまったという可能性じゃ」

 

「……それはありえない。私はロウソクが燃えている間、確かに男子になりたいと念じ続けた」

 

 

 ふるふると頭を振り、当時の様子を思い出すかのように翔子は語った。

 

 

「……ただ男子になるといっても、容姿も大幅に変化して、雄二に私であると気づかれなくなってしまっては意味がない」

 

「……だから見た目は今のままで、分類的には男子といった形になるのが望ましかった」

 

「……そう。例えば木下のような形が理想的だった」

 

「……木下のようになりたいと私は思った。男子だけれど、今まで通り女子として雄二に意識される存在でありたいと」

 

 

 秀吉のように。秀吉のように。秀吉のように。

 

 翔子はそう念じ続け、ロウソクが燃え尽きるのを待ったという。しかし結果としては翔子の体は女子のまま。彼女の願望が実現に至ることはなかったのだと。

 

 だがその話を聞いて秀吉は気づいた。翔子の願いは叶わなかったが、黒魔術そのものは問題なく発動していたのではないかと。

 翔子は秀吉のように、見た目は女子のままで性別は男子という存在になり、校則の穴を突こうとした。

 

 翔子は秀吉のようになりたいと念じ続けた。

 ロウソクの火が燃えている間、自分が理想とする()()()()()()()()()()()()()

 

 いや、もはやこれは確信だ。

 

 

「……ところで霧島よ。少しワシの胸板を触ってみてくれんか?」

 

「……? ……構わない、けど」

 

 

 会話を打ち切り、唐突に妙な要求をしてきた秀吉に困惑しながらも翔子は素直にぺたりと秀吉の霧島に手を当てる。

 サラシ越しのために微かな、しかし確かな弾力をもって、昨日までは存在しなかった自分の胸が翔子の指を押し返すのがわかった。

 

 

「……???」

 

 

 翔子が目を見開いて不思議そうに秀吉の顔を見た。

 しかしそんな翔子を尻目に、秀吉はすぅっと息を吸い込む。

 

 翔子が試みた黒魔術はしっかりと発動していた。

 ただ、それは彼女が当初予定していた翔子自身ではなく──

 

 

「……優子?」

 

「とんだ()()()()()ではないかああああ──っ!?」

 

 

 ──秀吉を対象として発動していたというわけだ。

 

 

 

 

 

 





秀吉をメインに据え作品を投稿しているわけですが、バカテスにおける私の最推しは工藤愛子です。

次回以降も続いたり続かなかったりします。



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第三話


今回は趣向を変えて一人称かつ明久視点です。

秀吉視点の時も原作に沿うのなら一人称視点がマッチするんでしょうが、ジジイ口調での一人称はなんだか難易度が高いです。


 

 

 新学期となってしばらくが経ち、今年もムッツリ商会が主催する『収穫報告祭(春)』の時期となった。

 

 辛く苦しかった期末試験や振り分け試験、性根が腐ったクラスメイトたちからの強襲、血も涙もない悪徳教師の鉄拳補習フルコースを乗り越えてきた同志たちは、いよいよ今年度から最高学年となる。

 文月学園で過ごす最後の一年。その幕開けを精一杯彩るべく、僕らは各々が思う珠玉の逸品(エロ本)を持ち寄り、健闘を讃え合うのだ。

 

 

 

「あれ? 雄二(ゆうじ)?」

 

「おう明久(あきひさ)。やっぱりお前も参加するのか」

 

 

 昼休み。

 クラスメイトの木下秀吉と教室で別れた僕こと吉井明久が3ーFクラスの方へと向かおうとしていたところ、廊下の反対側から歩いてきたライオンのたてがみのように立ち上げた髪の毛と野性味溢れる顔立ちが特徴的な僕の悪友、坂本(さかもと)雄二と鉢合わせた。

 雄二の方は僕が現れることを予想していたようで、面食らう様子もなくニッと笑って挨拶をしてきたけど、僕としてはこの邂逅は予想外だ。

 

 

「よく霧島(きりしま)さんにバレずに出てこれたね雄二? てっきり今回は不参加になると思ってたけど」

 

「年に数回しかない収穫報告祭だからな。是が非でも参加したかったってのもあるが……どういうわけか、今日は翔子(しょうこ)が秀吉と話をすると言って不在だったんだ」

 

「あ、そっか。そういえば秀吉も霧島さんに聞きたいことがあるって言ってたよ」

 

 

 なるほどと納得する。

 平素であれば今年度から同じ3ーAクラスとなった霧島さんから雄二が離れられる術はないし、参加を試みた収穫報告祭(春)の詳細が彼女にバレれば、雄二の肉体と魂が離別させられることになるだろう。

 ただ今日は偶然、収穫報告祭(春)開催のタイミングで霧島さんが席を外したために、こうして会場に馳せ参じることができたというわけだ。運のいいヤツめ。

 

 

姫路(ひめじ)さんがうっかり口を滑らせて霧島さんにバレなきゃいいけどね」

 

 

 雄二本人から聞き出されることはなくとも、元Fクラス所属の姫路さんも霧島さんと同じAクラスの所属である以上、特定の時期にクラスの面々が一斉にエロ本を持参するときがあることや、その面々に雄二が含まれることが暴露される可能性がある。

 もっとも、優しい姫路さんが悪意をもってバラすようなことはないだろうけど。

 

 

「心配ない。口止め料として明久の女装写真を数枚手渡しておいたからな」

 

「雄二キサマぁ──!」

 

 

 自分の身可愛さに僕を売ろうなんて、コイツに人としての倫理観は存在しないのか! 

 というか僕の女装写真って何枚くらい学園内に出回ってるの!? 回収しても回収しても一向に根絶される気配がないんだけど! 

 

 

「落ち着け明久。お前に配慮してきちんと女装していない普段の姿の写真もいくつか渡してある」

 

「違う! 配分の問題じゃなくて僕はそもそも女装をしている写真を渡すなと言ってるんだ!」

 

「それにしても、一体秀吉は翔子に何を聞こうとしてるんだかな」

 

 

 今にも掴みかからんとしている僕を無視してしれっと別の話題に移る雄二。後で絶対に霧島さんにすべてをバラしてやろうと心に決めた。

 だけど、確かに秀吉が霧島さんに何を聞きたがっているのかは僕も気になる。

 

 

「明久は何か聞いてないのか?」

 

「僕はなんにも。秀吉もあまり知られたくないみたいだったし」

 

「そうか。翔子が力になってやれたらいいんだがな」

 

「まったくだね」

 

 

 秀吉が何か悩みを抱えているのなら、それが一刻も早く解消されて欲しいと思うのは僕も雄二も同じだ。これが秀吉ではなくお互いの悩みや弱みだったなら、鬼の首を取ったような騒ぎになることは想像に難くない。

 

 そんな風に雑談しながら歩を進めていると、3ーFクラスの前へと到着した。

 かつて僕らが在籍していた2ーFクラスと瓜二つの設備の教室の入口前には見覚えのある元クラスメイト──福村(ふくむら)くんが通せんぼをするように立っており、僕らの姿を認めた途端にボソリと呟いてきた。

 

 

「……【鉄人の恋人は?】」

 

 

 これはFクラス内で秘密裏に伝わっている合言葉だ。

 滅多にいないけれど、Fクラスではない生徒が収穫報告祭への参加を希望する場合は、学園側への密告者の潜入を防ぐためにこの合言葉への回答が求められる。

 前もって主催者との取引で回答を知る手もあるんだけど、元Fクラスである僕らは当然最初から回答を把握していた。

 

 

「「【チンパンジー】」」

 

「よし、通れ」

 

 

 なにかの不手際でこの合言葉の情報が鉄人の耳に入れば、僕らは皆殺しの憂き目に遭うだろう。

 

 門番の福村くんから承認を得て僕と雄二が3ーFクラスの教室に入ると、見慣れたFクラスの面々が爽やかな笑顔で僕を出迎えてくれた。

 

 

『よう吉井、坂本! やっぱり今年も来たんだな!』

『クラスが違っても俺たちは志を同じくした仲間だもんな!』

『至高の逸品を期待してるぜ!』

 

「もちろんだよ! みんなこそ今期も期待してるからね!」

 

 

 素晴らしきかなFクラス。所属するクラスが別々になったとしてもその絆まで切れることはない。

 僕が懐から秘蔵の聖典や至極の被写体を捉えた写真を封入した袋を掲げながら挨拶をすると、彼らはその笑みをより一層濃くした。

 

 

『ノコノコと現れやがって吉井のバカが……! 隙を見て報いを受けさせちゃる……!』

『島田に加えて謎の巨乳のお姉さんや美幼女と共に買い物を満喫していた件について、体に問い質してやらなきゃなぁ……!』

『今はまだ殺るなよ。正義の鉄槌を下すのはヤツの持つ聖典の中身を確認して略奪した後だ……!』

 

「…………」

 

「なんだ、また何かやらかしたのか明久」

 

 

 素晴らしきかなFクラス。所属クラスが別々になったとしてもその殺意と腐った性根が改善されることはない。

 小声で話しながら濃密な殺意を辺りに撒き散らす彼らの粛清対象となっている僕にとって、抱え持った聖典(エロ本)肖像(生写真)はそのまま僕の生命保障だ。これを奪われ僕から搾り取れる利がないと判断された瞬間、連中は狂戦士となって僕に襲いかかってくるだろう。

 

 周囲からヒリつくような殺気を受けながら、僕らは教室の中心に陣取っていた友人の方へと歩いていく。

 小柄な体躯に若干のくせっ毛。彼は僕らが近づいて来ていることにも気が付いていない様子で、一心不乱に高価そうな大型のカメラの手入れをしていた。

 

 

「おはようムッツリーニ」

 

「っ! …………明久か」

 

 

 僕が声をかけるとムッツリーニの愛称で呼ばれる今回のイベントの主催者、土屋(つちや)康太(こうた)は一瞬ひどく驚いたように肩を跳ねさせながらバッとこちら振り向き、僕らの姿を見て安堵したように息を吐いた。

 かつて抜き打ちの持ち物検査で頓挫したイベントということもあって、主催者としてはこの時期気が張るのだろう。

 

 

「…………背後から声をかけるな。ガサ入れと勘違いする」

 

 

 それにしても会話内容が危ういというか、どう聞いても犯罪者のそれなのはいかがなものだろうか。

 

 

「あー、ごめん。でも、そんなに警戒するなら今回はなんでこんな時間に開催することにしたのさ?」

 

「それは俺も気になっていたな。例年通りなら放課後に開催されていたはずだ。もっとも、俺にとっては好都合だったが」

 

 

 普段なら職員会議がある放課後に収穫報告祭は開催されることが多い。だって、単純に学園内に出回る先生たちの数が昼と比較して格段に少なくなるし、使える時間だって昼休みの限られた時間より確実に多くなるはずだから。

 なぜ今回はわざわざ教師の目につきやすい昼休みに開催したのかとムッツリーニに聞くと、彼もまた不本意そうな表情をした。

 

 

「…………事情がある」

 

「事情?」

 

「(コクリ)…………最近、教師たちに放課後の校舎内の見回りを強化する旨の通達がされていた」

 

「そんな! どうして急に!?」

 

 

 思わず声を上げてしまう。ムッツリーニがこの手の情報でガセを掴まされることはほぼない。

 そもそも、これまで見回りと称されるほどの監視体制は学園内に敷かれていなかったはずだ。一体何がキッカケでそんなことに!? 

 

 

「…………昨年度に『学園一のバカ』を筆頭とした問題児たちが度々騒動を巻き起こしたことが原因らしい」

 

「なるほど。雄二が諸悪の根源ってことだね」

 

「十中八九お前のことだろ」

 

「…………(コクコク)」

 

 

 雄二の言葉にムッツリーニまでもが同意するように頷いているけど、僕は断じて認める気はない。

 

 

「…………盗聴した会議中では『Dクラス相当まで総合学力が向上したとはいえ、依然として問題行動は見られますからね』という会話があった」

 

「そうなんだ。じゃあ秀吉のことかもしれないね」

 

「…………『吉井なんとか久くんにも困ったものです』とも」

 

「そこまで呼ぶのならもう一思いに名指ししなよ! というか本当にそんな会話があったの!?」

 

 

 僕だって好き好んで騒動に巻き込まれているわけではないのに不服もいいところだ。

 

 

「まっ、そういうことなら無理を押してでも昼休み中にやっちまった方がかえって安全かもな」

 

「…………そういうこと」

 

「それなら早く始めようよ。外部の参加者も僕と雄二だけでしょ?」

 

 

 教室の入口の方に視線をやっても追加で誰かが参加してくる気配はない。恐らく、入口前で見張りをしている福村くんを呼び戻したら参加者全員が揃うだろう。

 僕の言葉にムッツリーニはこくりと頷き、卓袱台(ちゃぶだい)に置かれていたリモコンのような機械を手に取って操作し始めた。

 

 

「なんだそりゃ? また見たことのない機械だな」

 

「…………赤外線センサーの操作リモコン。廊下から教室に誰かが近付いてくると警報が鳴る」

 

 

 およそ学生が所持し得ない機材を新たに取り揃えている辺り、今イベント開催に向けるムッツリーニの本気が伺えた。ああいう機械、本当にいくらするんだろう……。

 慄く僕らを尻目に、福村くんが教室内に戻ったのを確認したムッツリーニが教壇へ登って僕らを見渡した。

 

 同志たちを慈しみ、また今回のイベントのために身命を賭して親を始めとする身内から物品を隠し通したことに対して労るような優しい目だ。

 誰よりもこの時を待ち望んでいたであろう男は、静かに、されど力のこもった声で呼びかけた。

 

 

「…………祭を始めよう」

 

『『『YEAH! LET'S PARTY!』』』

 

 ガラッ

 

「全員その場から動くな」

 

『『『散開ッッッ!!!』』』

 

 

 突如として現れた筋骨隆々の補習教師の姿を見た僕らは静かに、されど力強く足を踏み出してその場から一斉に離脱を図った。

 

 

 

 

「貴様らは懲りるということを知らんのか」

 

 

 鉄人の姿を見た瞬間に一斉に窓や教室の出入口からの脱出を試みた僕らを、凄まじい反応速度と体捌きをもって一人残らず捕獲した鉄人は呆れたように溜め息を吐いた。

 どうしてたった一人の人間が、一斉に逃げ出した52人の男子高校生全員を捕まえることができるんだろう……。トライアスロンに参加する人は誰も彼もがこんな怪物なんだろうか。

 

 

(ムッツリーニィィィーッ! どういうこと!? 誰かが近付いてきたら警報が鳴るんじゃなかったの!?)

 

(センサーが故障していたのか!? お前ほどの男が機材の整備を怠ったのか!)

 

 

 鉄人の前で正座させられた僕と雄二が声を出さずに唇の動きだけでムッツリーニを問い質す。Fクラスの面々は一通り読唇や視線のみによる意思疎通を習得しているため、これでも十分僕らの意図は伝わる。

 ムッツリーニ本人も納得がいってないようで、眉をひそめつつセンサーの動作を確認するためのものらしいリモコンを僕らに見せてきた。

 

 

(…………動作は直前まで完璧だった。故障の可能性は限りなく低い)

 

(でも現に音は聞こえなかったじゃないか!)

 

(…………センサーは温度変化が感知できる速度の物体でないと反応しない)

 

(……鉄人の足が速すぎてセンサーが感知できなかったと言いたいのか?)

 

(…………恐らく。扉が開けられるまで、人の気配を感じ取れなかったことも頷ける)

 

(そんなバカな!?)

 

 

 センサーが反応しないレベルだなんて、この補習教師は一体どういう脚力をしているんだ!? というか、教師が廊下をそんな速度で走ってもいいの!? 

 

 

「吉井と坂本が2人で歩いているという話を聞き、嫌な予感がしたのでここに来てみれば案の定だ。まったく……」

 

 

 いつの間にか僕と雄二は2人で並んでいるだけで鉄人へ通報されるくらい目を付けられていたらしい。おのれ雄二め、つくづく僕の邪魔をしてくれる……! 

 怒りに打ち震えながら隣にいるバカの顔を睨みつけてみれば、雄二も僕の方を忌々しげに見下ろしてきていた。

 

 

「鉄人! これは誤解だ! 今回の一件はすべて明久の独断専行によるもので(ゴッ)」

 

「話を聞いてください鉄人! このイベントは全部雄二が手引きしたものなんで(ゴッ)」

 

「静かにしていろ」

 

「「はい」」

 

 

 鉄人の鉄拳制裁は罪の押しつけ合いをも許さない。

 弁明する間もなく脳天に巌のような拳を叩き込まれ、僕らは蹲りながら答えた。ぐぅぅ、体罰教師め……! 

 

 

「いいか吉井に坂本。確かにお前たちは振り分け試験の結果Fクラスを脱却したかもしれないが、普段の素行が悪ければそこに大した意味は生まれんのだ。学業に加えて私生活も品行方正であることで初めて一人前の──」

 

「いや、ですからこれには事情が」

 

「50人あまりの男子生徒が揃ってエロ本を持参しなければならない事情とはなんだ。言ってみろ」

 

 

 即座に目を逸らした。さすがは鉄人、一筋縄では説き伏せられないということか……。

 

 

『待ってください西村先生! 俺たちはそこのバカ2人に命令されて仕方なく保険体育の参考書を持ち込んだだけなんです!』

『そうなんです! 補習室送りにするのはどうかそのカス2人だけでお願いします!』

『没収した参考書の返却をお願いします西村先生! ついでにそのクズ2人が持ち込んだ参考書を僕らに寄越してください!』

 

『『『お願いします!!』』』

 

 

 鉄人を引き寄せたのが僕ら2人だと判明した途端に、全責任を僕らに押しつけるように動き始めたFクラス連中。こういう時の初動の速さと一体感は驚嘆に値する。

 しかし、当然そんな言い訳が鉄人に通用するはずもない。

 

 

「黙れ。放課後はここにいる者全員で不要物持ち込みのペナルティとして補習を行うこととする。……くれぐれも逃亡しようなどと考えるんじゃないぞ」

 

『『『嫌じゃぁああああ──っっ!』』』

 

 

 クラスは違えど僕ら同志は一蓮托生。

 君らも一緒に死ぬんだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 鉄人が3ーF教室を去ってから数分後。

 僕らは持ち込んだ聖典や肖像をすべて没収され、生気の抜けたような表情でモソモソとお昼ご飯を食べていた。

 本当なら今すぐにでも鉄人が帰っていった職員室への襲撃をかけたいところだけど、確実性の高い計画を立案してから実行に移すまでの時間が圧倒的に足りない。昼休みの僅かな時間を利用した弊害がこんなところにも出てくるなんて予想外だ。

 

 

「まったくついてないね……。今回も以前の交流野球みたいな、合法的に没収品を取り戻せる機会があればいいんだけど」

 

「難しいだろうな。アレは俺たちだけでなく他クラスからも抜き打ちの持ち物検査への不満が噴出していたからこそ成立した条件だ」

 

 

 昨年度は学年単位で行われた持ち物検査で没収された物を、体育祭の交流野球大会で教師チームに勝利することで取り戻すことができたけれど(僕らの望まない形での返却だったけれど)、今回はそれも難しいらしい。

 

 

「どうにもならねえ。すっぱり諦めるか」

 

「「そんな!?」」

 

 

 予想だにしなかった雄二の言葉に僕とムッツリーニが驚く声が重なる。

 馬鹿な。かつては家の天井裏や水槽にまでエロ本を忍ばせ、それが没収された時にはFクラスを率いて職員室へ突貫するほどの情熱を持っていた男の台詞とは思えない。

 今の雄二からはある種の余裕すら感じられる。いや、こんな状況でこんな態度、僕らからすればそれは余裕ではなくただの腑抜け──! 

 

 と、そこまで考えたところで僕は納得した。

 

 

「あ、そっか。雄二はもうあんなのに頼らなくても霧島さんとイチャイチャできるからか……」

 

『『『坂本雄二を処刑します(ユウジ・マスト・ダーイ)』』』

 

「滅多なことを言うな明久。見ろ、俺の首筋にカッターの刃が当てられているぞ」

 

 

 雄二からハングリー精神が消失した理由がよくわかった。

 非常に妬ましいことだけれど、今の雄二は美人でスタイルも良い霧島さんと相思相愛の関係にある。

 雄二は素直じゃないから普段は最近実施された新校則を盾に霧島さんから逃げ回っているけれど、あんな綺麗な人と気持ちが通じ合ったんだ、わざわざ危険を侵してまでエロ本を確保しようという気勢が()がれてしまっていてもおかしくはない。

 

 

「まあ、恋人ができると人は丸くなるって言うしね」

 

「…………幸福ゆえの微睡み」

 

『『『死体を山に埋葬します(ベリー・イン・グレイブ)』』』

 

「やめろお前ら! 大型のビニールシートとスコップを用意して近寄ってくるんじゃない!」

 

 

 多種多様な凶器に加えて死体処理用具を抱えながら雄二を囲み、その距離を縮めていく異端審問会。もはやヤツの命は風前の灯だろう。

 

 

「落ち着け! 俺と翔子との間にお前らが思っているようなことは何もない! 学園内では例の校則もあるし、接触が断たれているのはお前らも知っているだろう!」

 

『『『むっ……』』』

 

 

 覆面集団の動きがピタリと止まる。

 確かに、雄二の学園内における霧島さんとの過剰な接触は認められていない。ヤツには『治安維持生徒会』の役員という立場もあるし、霧島さんもそれに納得しているのか、普段はあくまで仲の良い友人の距離感を保っているように見える。

 だからこそ、今日までヤツが生き永らえてこられたわけであり、妬心から正気を失いかけていた異端審問会の連中が落ち着きを取り戻し始めているのがわかった。

 

 しかし僕には前から雄二にひとつ聞いてみたいことがあった。

 

 

「ねえ雄二」

 

「なんだ明久。というかお前こそどうなんだ、姫路との仲は──」

 

「学校の中では確かに接触はないけどさ。家ではどうなの? 今までも霧島さんが朝起こしてくれたり料理を作ってくれたりしてたんでしょ?」

 

 

 雄二がすっと真顔になった。恐らくここが自分が生きるか死ぬかの瀬戸際だと察したのだろう。

 

 

「どういうつもりだ明久……! キサマ、ここで俺を亡き者にする気か……!?」

 

「……忘れたのか雄二。僕はまだ例の校則の撤廃を諦めたわけじゃないんだ……!」

 

 

【学生恋愛の全面禁止】。それは前三年生との勝負を終えた僕らに対して学園長(ババァ)が課した、時代錯誤も甚だしい(くびき)だ。

 

 この新校則の強制力が学園内においてこれ以上ないほどに高まっている理由として、目の前の雄二(バカ)の働きが非常に大きい。

 他者の幸福を阻害することに全霊を懸けているFクラスの連中もそこに貢献しているものの、彼らはたとえ普段は自分たちの手綱を取る立場にある雄二が相手であっても粛清の手を緩めることはない。今この場に限っては僕の味方といえる。

 コイツがこの場で抹殺されれば、また一歩僕らが学生らしい青春を謳歌できる生活に近づくだろう。僕としてはそれは歓迎すべきことだ。

 

 ……あと、下世話なのはわかってるけど、コイツが霧島さんとどこまで進んでいるのかという点に単純に興味があったりする。

 

 

「それで、どうなの?」

 

「言ったはずだ。俺と翔子の間には依然何もない」

 

「ホントに?」

 

「本当だ」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………………………キスはもうした?」

 

「………………(泳ぐ雄二の目)」

 

 

 ダウト。

 

 

『『『坂本を殺せぇええええっ!!』』』

 

「ちくしょぉおお──っ!! 覚えてろよ明久ぁあっ!」

 

 

 殺意が臨界点を突破して、修羅の集団となった異端審問会が雄二へ襲いかかる。僕の悪友は即座に身を翻し、綺麗なフォームで教室を飛び出して行った。生存率はよくて五分五分といったところだろう。

 

 

「…………明久。よくやった」

 

「うん、ムッツリーニ」

 

 

 ムッツリーニが突き出してきた拳に僕もまた拳を突き出し、コツンと合わせる。

 興味本位で聞き入りすぎてしまったかなとも思うけれど、これも幸せ税として雄二には受け入れてもらおう。ヤツを霧島さんの思いに答えるよう散々焚きつけたのは僕らだけど、それはそれ。

霧島さんが悲しい思いをせず、そして僕らが負い目を感じることなく雄二の幸せを根絶できる方法をこれからも模索していきたいと切に思う。

 

 

「……それにしても、キスか……」

 

 

 ふと、ふわふわとした質感の髪と可愛らしい笑顔が特徴的な、一人の女の子の顔が僕の脳裏に浮かぶ。

 

 彼女とは、その、()()()()()()をした経験がないというわけじゃないけれど、あの時はほとんど不意打ちみたいなもので、こうして意識してみるとやっぱりまだ恥ずかしくなってしまう。

 

 いっそのこと、いつぞやのクリスマスイヴに開催された異文化体験会のような、『やむを得ずキスをしなければならない状況』になったりすれば僕も勇気を出せるんだろうか。

 

 

「でもなぁ……。そんな状況が都合良く生まれるわけもないし……」

 

「…………なんの話?」

 

 

 独り言を呟き続ける僕に反応したムッツリーニが不思議そうに声をかけてくる。

 

 

「いや、前のクリスマスイヴに異文化体験パーティみたいなのが学園主催で開かれたじゃない? あれを思い出して」

 

「…………明久と雄二がクリスマスツリーの下に転がり込んだときの話か」

 

「あっもういい忘れてそのことについては二度と話さないで」

 

 

 最悪の記憶がフラッシュバックして、思わずエチケット袋が欲しくなってきた。うぅ……気持ち悪い……。

 

 

 

 ──そうして吐き気を催していたこの時の僕には想像もつかなかった。

 

『やむを得ずキスをしなければならない状況』。

 そんな突飛にも程があるシチュエーションに、今まさに僕の友人が陥っていようだなんて、僕にはさっぱり思いつかなかったんだ──。





吉井明久(恋愛脳のすがた)。

話の都合上ちょっぴり下世話になってもらいましたが、原作の明久たちはそういう恋人同士のステップについてはどこまで友人間で語るんでしょうね。
同原作者の「ぐらんぶる」のように思いの外ズバズバ語り合うのか、それともプライベートとしてしっかり線を引くのか……この辺も私の独自解釈ということになりますね。


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