星刻学園の落ちこぼれ (4kibou)
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序章 / 幸せに包まれて
0/プロローグ



石鹸枠を復活させろ。





 

 

 

 それは今から十年前。

 まだその身に宿る『星』の意味を知らなかった、純真で無垢だった頃の話。

 

 とある地方都市の片田舎で彼女は生まれた。

 

 まわりは山と森に覆われた町はずれの辺境。

 町中の公園へ遊びに行くのはおろか、学校へ通うことすら大変な山中の家。

 

 けれども、不便な代わりに満ち足りた幸せがあった、今でも大好きな故郷だ。

 

 幼い時分、遠くに出かけるのも大変となれば、もっぱら遊び場はその大自然になる。

 幸いなことに近くには一軒だけ隣家もあって、そこには同い年の男の子もいた。

 彼は気弱で臆病で、ともすれば彼女と正反対の性格だったが、お互い遊び相手がいないというのもあってずっと一緒だった。

 

 どこかへ行くのも、なにをするのもふたり一緒。

 気づけば隣にいるのが当たり前になるぐらいで、その日も彼女は彼を引き連れて野山を駆けまわっていた。

 

 家の裏側に広がる山林は、何度も走り倒した彼女にとって庭のようなものだ。

 どこになにがあるのか、どこをどう行けば戻れるかなんてお手のもの。

 

 だから当然、彼女にとってその声に気づくのはなんら不思議なことでもなかった。

 

()()()ー、なにか聞こえないか?』

『……? わかんない』

『えー、聞こえるぞ。ほら、なんか、鳴いてる』

『そう?』

 

 首をかしげて耳を澄ます彼をよそに、彼女は声のほうへと歩いていく。

 

 春先から夏にかけての山は、比較的静かなものだ。

 真夏のように蝉がうるさいぐらいの鳴き声をあげることも、秋みたいに鈴虫が揃って大合唱をはじめるわけでもない。

 

 彼女たちがしばらく進んでいくと、声の主の姿が見えた。

 

 地面から並び立つように生えた、大人が寄りかかってもビクともしないほど大きな木。

 ちょうど目線より一メートル上の枝に、ちいさな声をあげる〝白〟がいる。

 

『猫さん……?』

『怪我してるみたいだな。……うん、かがり』

『え、なに。どうするの()()()ちゃん』

『ちょっとあの猫、助けてくる』

『えっ!?』

 

 少年が驚くのも束の間、彼女はするすると木の幹に手をかけてよじ登った。

 生来の身体能力の高さだろう。そのときの彼女は知る由もなかったが、それは同年代で見ても頭ひとつ抜きん出る才能のひとつだった。

 

 あっという間に枝まで辿り着いた彼女は、そのまま白猫に手を伸ばす。

 体がちいさいのは子猫だからだろう。群れからはぐれたのか、置いていかれたのか。

 

 子猫はわずかに怯えながらも、彼女の胸に飛びこんだ。

 

 そのとき、

 

『あ』

 

 ばきん、と足元からなにやら割れる……もとい折れる音。

 

 しまった、と思うがもう遅い。

 なんの準備もできないまま、彼女の体は無防備な状態で空中へ投げ出された。

 

『ひ、ひなみちゃんっ!?』

 

 ぐしゃり、と自分でもわかる尋常じゃない落下の音。

 明滅する視界と、思わず意識が遠退きかける激痛。

 

 ぐぇ、なんて潰れたカエルみたいな声をあげながら、彼女は見事地面へ倒れこんだ。

 

 〝…………すごい、痛い……〟

 

 瞼を持ち上げた視界に映ったのは、一昔前の3Dメガネみたいな青色と赤色。

 木々の隙間から覗く空模様の半分を、どこかから現れた別のモノが染め上げている。

 

『うわあ!? ち、血! ひなみちゃん、血が! 血がでてるー!!』

 

 そんな幼馴染みの声で、やっとそれが自分の頭から流れているのだと気づいた。

 

 大方、落ちたとき盛大にぶつけたせいで出血したのだろう。

 すぐ傍に座り込んで「どうしようどうしよう!?」なんて慌てる彼の頭を撫でながら、頭痛を何倍も酷くしたような痛みに目を閉じる。

 

『わーーー! ひなみちゃん! だめ、寝ちゃったらだめだよ! だめだめ! やだ! ひ、ひなみちゃんが、ひなみちゃんが死んじゃうーーー!!』

『………………、』

『誰かー! 誰か助けてえー! お願いだから! ひ、ひな、ひなみちゃんがっ』

『…………かがり』

『ふ、ふぇ、ふぇえん! うぇええん! やだぁ! やだぁーーー!!』

 

 と、泣きわめく幼馴染みに耐えきれなくなったのか彼女は起き上がって一言。

 

『ごめん、うるさい』

『いだぁい!?』

 

 ぎゅーっと耳をつねられた少年が涙声で悲鳴をあげる。

 今さっきまでの脱力感はどこへやら、彼女は若干むすっとした表情で彼を見ていた。

 

『頭、いたい、響く、声……分かるか?』

『えっ、あ、ごめ、いやでも血が……っ』

『ばか。ばかかがり。()()()()

()()()()!?』

 

 謎の罵倒にショックを受ける少年をよそに、彼女は呆れまじりのため息をついて自分の首元を指差した。

 

 そこには細く、重なるように浮かび上がる稲妻模様の青い刻印。

 痣のようにも見える、彼女たちが生まれた時から持つ特殊な紋様だ。

 

『私たちには『星刻(せいこく)』があるだろう。このくらいの傷はすぐに治る。ほら、もうそろそろ……血も止まってきた』

『……あ、そうだった』

『………………、』

 

 自分も持ってるだろうに大丈夫かこの幼馴染み、と心配になる彼女だった。

 

 数の大小や色、形の違いはあれど、彼にだって『星刻』はきちんとある。

 性別はもちろん、性格や趣味嗜好まで違っているふたりだが、そこについてはおそろい。

 

 彼女としては悪い気がしなくもない部分なのだが、目の前の少年はあまりのパニックにそんなことすら忘れてしまっていたらしい。

 

『とにかく大丈夫だから。ほら、血も拭けばとれるし』

『う、うん……』

『……って、余計涙を流してどうする!?』

『だ、だっでぇ……!』

『あーもう! ほんとかがりは泣き虫なんだから……!』

 

 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、「よがっだよぉ」なんて声を震わせて言う少年。

 心配してくれるのは素直に嬉しいのだが、ここまでだとなんというか、ちょっと複雑な気持ちにさせられる彼女である。

 

 情けないと叱りたい気持ちと、らしいなと思う幼馴染み故の甘さだった。

 

『……よしよし。もう泣き止んだか?』

『うん……だいじょ、だいじょうぶ……』

『まったく……っと、そういえば……』

 

 ふと思い出したように、彼女はぐるりと辺りを見渡した。

 そもそもの発端、どうしてこのような事態に陥ったのか。

 

 その原因を見つけようとして――ふと、ふたりの間に近寄るふわふわなものを見る。

 

 足を怪我した拙い歩き方で迫るそれは、間違いなく先ほどの白猫だった。

 

『おお、おまえも無事か……! かがり、救出成功だぞ!』

『……成功じゃないと思う……』

『そうか?』

『そうだよ!』

 

 あんなに血が出てたのに! とぷんすか怒る少年。

 泣いて怒ってと今日は忙しいな、と思う彼女だったが、口には出さないでおいた。

 

 おそらくというか、間違いなく藪蛇であるだろうと。

 

『とにかく戻って手当てしてあげよう。遊ぶのはまたそれからだ。救急箱どこにあったかな……というか人に使うのって猫にも使っていいのかな?』

『わ、わかんない……っていうかまだ遊ぶの? 今日は休んだほうが……』

『ばか、ばかがり。こんなにいい天気なのに遊ばなくてどうするんだ』

『それやめて!』

 

 叫ぶ少年をあとにしながら、彼女はずんずんと来た道を戻っていく。

 それにすこし遅れながら、取り残されかけた少年も後を追う。

 

 その後の顛末はふたりのどちらも知るところ。

 

 結局、家にいた両親に伝えて子猫は応急処置の後、彼女の家で飼うことになった。

 ……ついでに、幼馴染みが木から落ちたことを伝えて、その日の彼女は家での生活を余儀なくされたことも。

 

 なにはともあれ、すべてが懐かしくて、すべてが楽しい日々だった。

 

 いまはもう遠く離れた生まれ故郷。

 

 薄れゆく古い記憶のなかで、なお鮮明な彼との思い出。

 なによりも満ち足りていて、なによりも幸せだった彼女の過去。

 

 願わくば、どうか、彼にとってもそれが大切な思い出であってくれますように。

 心に残ってくれるような、大事な時間でありますように。

 

 そう、喩え、彼女自身が――

 

 

 

 

 



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第一章/ 序列一位【青電姫】
1/少女たちの朝


 

 

 

 鮮やかに、後悔はなく、振り向きもせず。

 

 人生とは舞台だ。

 一度上がれば観客はその時それぞれ。良いも悪いも自分の手で決められるもの。

 その中で変わらないのはたったひとつ。最初に見る〝私〟という人間だけ。

 

 ならば私は、それこそ落雷のよう強烈に。

 

 すべてを痺れさせて、駆け抜けていく人生でありたい。

 それが一瞬で消えていく儚いものだとしても、そうとしてやり遂げた人生はきっと――

 

 ――きっと、どんな結末より誇れる価値があるだろうから。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 じりじりと、けたたましい音が鳴っている。

 

「…………、」

 

 耳元でうるさいぐらい響くのは、昨夜かけた目覚まし時計だ。

 今日も今日とて定時を確認した彼は、自らの職務を全うしようと「起きろ起きろ」なんて盛大に頭のベルを叩いている。

 

 染み付いた習慣か、はたまたその音の性質によるものだろう。

 重たい眠気を引き摺りながらも、彼女の瞼はゆっくり持ち上げられていく。

 

『ぅぁ……』

 

 くあ、と大きな欠伸をひとつ。

 

 ちらりと音の元凶に目を向ければ、ちょうど針はどちらも真下を回った頃だった。

 

 時刻は午前六時半過ぎ。まだ陽も昇りかけた朝の時間帯。

 

 これが休日ならもう一眠りと洒落こむところなのだが、あいにく本日は平日である。

 学生である彼女はもちろん学校へ行かなくてはならない。

 

 なので、ここはさっさと布団から出てしまうのが賢い選択なのだが、

 

『むぅ…………、』

 

 じぃっと、時計とにらめっこ。

 

 起き抜けの気分はお世辞にもいいとは言えない。

 もともと低血圧気味であった彼女だが、それに加えて先ほどの〝夢〟の件もある。

 

 文句なしで良いモノだった夢の内容は、思い出してもちょっと悶えるほどだった。

 それが空気を読まない器物の絶叫で打ち消されたというのだから、すこしご機嫌ななめになってしまうのも仕方がないだろう。

 

 〝コイツが起こさなければもっと長く味わえたのに……!〟

 

 そんな八つ当たりをするも、時計(かれ)にはまったく罪はない。

 むしろ主人を寝坊させない為、職務に忠実であろうとしたコトは褒められるべきだ。

 

 はあ、とひとつため息をつく。

 

 寝惚け眼をごしごしと擦りながら、布団にくるまっていま一度時計を見る。

 

「…………、」

 

 ホームルームの時間は八時半、その十分前に教室へ着いていればいいので、諸々の準備に要る時間を考えても七時半までは寝ていられる。

 ギリギリにはなるだろうが、それでも身支度はちゃんと整えられるだろうし、なんなら睡魔も解消されて一石二鳥だ。

 

 尤も、その時間ちょうどに起きられるかどうかと言われると、朝に弱い彼女にはちょっと自信がなかった。

 

 取るべき選択は現在(いま)の贅沢か、未来(さき)の余裕か。

 

 ……すこし考えて、彼女は観念したように時計の頭を叩いてベッドから這い出た。

 

 暦の上では十二月。真冬の寒さは容赦がない。寝間着の上からでも容赦なく肌を刺す冷気に凍えながら、部屋を横断して窓際へ。

 

 カーテンを開ける。

 まだ白んでいる空の向こうを視界の端におさめながら、クローゼットまで歩いていく。

 

 二年ほどになる制服に袖を通して、軽く身嗜みを整えつつ、姿見の前でくるりと一回転。

 

「…………ん、よし」

 

 ひととおり満足したところで、とっておきであるクローバーの髪留めと毛糸のマフラーを身につけて、彼女は部屋を後にした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 自室から繋がる扉をくぐって、居間へと足を踏み入れる。

 

 早朝の気温で本来冷めきっているはずのリビングは意外にも暖かい。

 どうしてかなんて考えるまでもなく、彼女はソファーでくつろぐ先客へと目を向けた。

 

「お、今日は十五分も早い」

「……伽蓮(かれん)

「おはよ、姫奈美(ひなみ)。すごかったよー、アラームの音」

 

 くすくす笑いながらからかってきたのは、かれこれ制服と同じぐらいの付き合いになる同居人である。

 

 彼女たちが暮らしているのは学園の敷地内にある学生寮で、原則としてふたり一部屋というのがルールとなっている。

 部屋割りは入学時に決められ、余程の事情や問題がなければ、その時の相手が卒業まで寝食を共にするパートナーになる。

 

 彼女にとってのそれが目の前にいる少女だった。

 

 子波(こなみ)伽蓮。

 

 緑がかった黒髪を後ろでひとつにまとめた髪型と、エメラルドに光る碧色の瞳。

 全体的に着崩された制服と、ところどころに散りばめられた赤いイヤリングやネックレスといった装飾品(アクセサリー)の数々。

 色々と着飾られた姿は、本人の意向はともかくどこか軽めの雰囲気を醸し出している。

 

 白くて細い手足は伽蓮曰く「日頃の努力の賜物」だ。

 

 彼女は居間に入ってきた相方をちらりと見つつも、早々に視線を手元へ戻す。

 左手のマグカップと、テーブルに置かれたブロック状の簡易食を見るに、どうやら既に朝食を摂りはじめているらしい。

 

 忙しなく動く目は、空いた片手のファッション雑誌へと向けられていた。

 

「そういう伽蓮は……朝は強かったな。前から」

「そりゃあまあ。早寝早起きはお肌の味方ですから」

 

 何事も健康一番、といいながら伽蓮はブロック菓子をマグカップの紅茶と共に流しこむ。

 

「……ちゃんとしたものを食べないと体、壊すぞ」

「へーきへーき! 大丈夫だって! なにより栄養はちゃんと摂ってますし?」

「そういう問題じゃないだろう……」

 

 まったく、とぼやきつつリビングを抜けて台所に向かう。

 

 朝の時間は有限だ、彼女も早々に食事を用意しなくてはいけない。

 寝起きからフライパンを振る気にはなれないので、即席でつくれるモノにする。

 

 冷蔵庫から昨日の残りのご飯とインスタントの焼き魚、それとお湯を注ぐだけの味噌汁の素を用意して、準備できたものからお盆に載せていく。

 

「あーっ! そういう姫奈美だって手抜きしてるじゃん!」

「私はいいんだ。それにほら、内容はちゃんとした朝ご飯だぞ。献立を見れば圧勝だ」

「インスタントで偉そうにしてもダメですー! どうせなら玉子焼きでもつくってよー」

「伽蓮がつくればいいじゃないか」

「いやだって、めんどーだし」

「私もそういうことだよ」

 

 十代の女子としてある意味飾らない本音をこぼしつつ、彼女は出来上がった朝食と共に伽蓮の対面になるよう反対側のソファーに腰掛けた。

 

 テーブルに置かれたのはレンジでチンしたご飯と焼き魚、即席の味噌汁と温かい緑茶。

 見た目だけは古き良き日本の食卓、といった光景を前にいただきますと手を合わせる。

 

 最近のインスタント食品は手軽さだけでなく、味のほどもなかなか侮れない。

 

「朝からそんなに食べると太るよー、ぜったい太る! ……太る筈なんだけどなあ……?」

「そうでもないが」

「姫奈美がおかしいんだって! その栄養はどこへいってるワケ? 筋肉?」

「……私、そこまで筋肉質じゃないぞ」

 

 すくなくとも腹筋は割れていない、たぶん。

 

「じゃあ胸かー」

「おい……」

「てかマジでなんなの姫奈美は。スタイル良いし肌も白いしおまけに頭も良くて腕っ節も強いとか、あれじゃん。完璧超人じゃん」

「そんなに褒めてもお茶以外出てこないぞ」

「いいや。あたし紅茶派だし」

「……む、そうか」

 

 そういえば〝彼〟も紅茶派だったな、なんて思いながら緑茶を啜る。

 

 このほんのりとした渋みと温かさが食事のお供にちょうど良いのだが、手前の同居人はとくに気にした様子もなく簡易食と紅茶を淡々と口へ運んでいた。

 

 味を楽しむというよりは、雑誌を読むのに夢中です、といった様子。

 

「……ん? なに? あたしの顔になんかついてる?」

「いや……よく食べきれるものだな、と」

「ああ、コレ? そりゃあ食べれるでしょー。食べ物として売ってるんだから」

 

 ボリボリとブロック菓子を平らげる伽蓮を、少女は胡乱げな目で見つめている。

 

 彼女も以前に勧められてひとつ食べたことがあったが、味はともかく食感がダメだった。

 土を食べているようなパサパサ感はどうにも好きになれそうにない。

 

「それにほら、紅茶と一緒に流しこんじゃえば全然オッケーだし!」

「結局無理してるじゃないか……」

「いや、水分がとられるから……」

 

 最後の一欠片を放りこんで、伽蓮はぐいとマグカップを大きく傾けた。

 

 それで向こうの朝食はおしまい。

 あとは登校まで自由時間です、とでも言うように雑誌とのにらめっこに専念する。

 

 ……マナーに関してはともかく、その切り替えの早さは美点だ。

 

 すこし呆れるように苦笑を漏らしつつ、彼女も自分の食事をお腹におさめていく。

 

「あ、そういやさ。たまたま気になったんだけど」

「? うん。どうしたんだ?」

「姫奈美ってさ、いっつもマフラーしてるよね。部屋のなかでも」

 

 なんで? と純粋に疑問のこもった視線で見てくる伽蓮。

 その質問にぴたりと一瞬箸を止めつつも、彼女は「ああ」と頷いて焼き魚を頬張った。

 

「星刻」

「? うん、それが?」

「だから、(ココ)にあるんだよ、星刻が。昔それで色々あってな。その時からの習慣で隠してるんだ。今はもう、ないと落ち着かないからだけど」

「へー……てか意外とつくり良いんだね。毛糸? どこで買ったの」

「………………内緒」

「えー」

 

 言うべきかどうか悩みつつ、結局口をつぐんでもぐもぐとご飯を咀嚼する。

 声だけで本気じゃないと分かる「けちー」なんて伽蓮の抗議は聞かないことにした。

 

 おそらくあっちも単に気になっただけで、なにか意図があってのコトではないだろう。

 無言のまま手抜きとは思えない味に舌鼓を打ちつつ、朝食を片付けていく。

 

 暖房の効いたリビング。

 

 ひざ掛けをして手元へ視線を落とす伽蓮と、黙々と箸を動かす少女は、こうして穏やかな朝を過ごすのだった。

 

 

 

 



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2/おはようの挨拶

 

 

 

 ふたり揃って部屋を出ると、すでに通学路は多くの生徒で溢れかえっていた。

 

 時刻はすでに七時半。

 いくら寝ぼすけの人間でも、そろそろ起きなくてはまずい頃だ。

 

 学園内にある寮から校舎までは歩いておよそ十分、走っても半分の五分程度かかる。

 授業間の休憩時間によく忘れ物をした生徒が取りに帰っているが、よほどの鈍足でもない限りギリギリで間に合う距離だ。

 

「ひゃぁー……さすが十二月。朝はとことん寒いねー……」

「たしかに。手袋でもしてくれば良かったかな」

「姫奈美、姫奈美。そのマフラー貸して。半分でいいから」

「却下」

「なんでー!」

 

 はくじょうものー! と叫びながらこすり合わせた手にほうと息をかける伽蓮。

 

 かじかむ指先は本当に凍えそうなほど冷えてしまう。

 まだ外に出て数分も経っていないが、朝の冷気はそれだけ強烈だ。

 

 一筋の希望だった同居人は、このとおり首元の暖かさを独占しているので意味がない。

 

「……まあ、電車乗り継いだり、自転車漕ぐよりかはいいんだろうけどね、まだ」

「だろうな。私の地元は山奥だから、中学なんて登下校に片道三十分以上かかってたぞ」

「うわ、なにそれどこの秘境? もしくは僻地?」

「二軒だけ隣り合った山の麓。電気もネットも通ってる。ただし時々鹿が出る」

「鹿って……え、あの鹿? 奈良公園とかにいる、あの?」

「あの鹿。気性が荒い奴だと突進とかしてくる。めっちゃ痛い」

「食らったことあるんだ……」

 

 ちなみにあわや肋骨が二本ほど折れるところだったのは言うまでもない。

 一本だけで済んだのはちょっとした奇跡だ。

 

「そう考えると、姫奈美にとってこっちは大都会なワケだ。校舎もあんなに大きいし」

「そりゃそうだろう。大体、国内に十二しかない超有名特別指定校のひとつだぞ、うち」

「そういえばそんな肩書きもあったねー」

 

 なんか普通すぎて忘れそう、なんてぼやきながらふたりは遠方の建物に視線を向ける。

 

 総敷地面積六百三十平方キロメートル。

 

 中央にでんと構える校舎と、それを取り囲むよう立ち並ぶ八つの円形闘技場や図書館。

 一学年五クラスの、生徒と教師を含めた総勢七百人以上から構成される巨大学業施設。

 

 それが彼女たちの通う学舎。

 古くから伝わる、とある〝神秘〟を専門とする学びの園。

 

 国立北関東天蠍(てんかつ)星刻学園。

 

 通称『天蠍学園』と呼ばれる、普通の高等学校とは一風変わった学園だった。

 

「うぅ……しかし冷える冷える……こういう日は鍋とか食べたくない?」

「ん、いいな、鍋物。今度具材でも買ってきて作るか」

「おっ、乗り気だ。はいはい賛成賛成ー。あたし水炊きがいい!」

「ポン酢は余ってたかな」

「たぶん。まあ無かったらそっちも買えばいいでしょ」

 

 それもそうだな、と頷きつつまだ見ぬ夕飯に思いを馳せるふたり。

 冬場につつく鍋というのは趣がある。なにしろ定番中の定番だ。

 

「っと――あ、(かがり)っちだ」

「……篝っち?」

「ほら、そこ。昇降口のとこに立ってる。……へぇ、そっか。今日は篝っちの当番だ」

 

 言うなり、伽蓮はとててっと軽い足取りで正門をくぐっていく。

 

 見れば彼女の向かう先、ガラス張りである大扉の前に、ひとりの少年が立っていた。

 

 目元まで伸びる赤茶けた頭髪と、眼鏡の奥から覗く青玉の瞳。

 全体的にほっそりした体つきと、吹けば飛んでしまいそうな覇気のなさ。

 

 誰かさんと同じマフラーを首に巻いた彼は、彼女にとっても無視できない人物だ。

 

 仕方なく、……そう本当に仕方なく、歩くスピードをあげた伽蓮を追って歩いていく。

 

「おっはよー篝っちー!」

「あ、おはよう伽蓮さん」

「……おはよう、篝」

「うんっ。姫奈美ちゃんも、おはよう」

 

 にっこりと笑いながら挨拶を返す少年に、彼女もつられるよう微笑んで応えた。

 

 内心はドキドキであるが、気づかれるワケにはいかないとどうにか平静を保つ。

 

 今朝方の懐かしい夢を見てしまったせいだろう。

 どうしてこういう日にかぎって、と嬉しいやら悲しいやら複雑な気分の少女。

 

「いやー、学級委員も大変だねー。朝からこんなことして」

「伽蓮さんだって学級委員でしょ。当番来週だから、忘れないでね」

「えー、めんどくさいなー……篝っち、替わって?」

「だめだよ。僕たち一応クラスの代表なんだから、ちゃんとしないと」

「そう言わずにさー、お願い!」

「だーめ」

 

 伽蓮の要望に首を横に振りつつ、少年は通りがかる生徒それぞれに声をかけていく。

 

 彼――折原(おりわら)篝がここに立っているのは、もはや天蠍学園にて恒例となった、学級委員が行う毎朝の挨拶運動によるものだ。

 

 一クラスから一名ずつ、各々の学級で選出された合計十五人の生徒から成る委員会は、活動の一環としてこのような取り組みを当番で回している。

 

 ひとり一回ずつの、およそ三週間に一度。誰よりも早く登校して、昇降口に立ちながら来る生徒全員に挨拶をしろというのだから、在校生からは苦行と言われても仕方ない。

 そのお陰かむしろ名誉あるクラス代表などではなく、貧乏くじのなすりつけあいと化している役職であるのは公然の秘密である。

 

 彼もまた、そんな周りの空気に流された被害者……もとい、他の誰もやる気がなかったので仕方なく立候補した一人だった。

 

「それに分かってるからね、伽蓮さん」

「ん? なにが?」

「そんなこと言って、一度も委員会の仕事さぼったことなかったでしょ。今まで」

 

 なんだかんだで凄い真面目だもんね、と純粋な瞳を向ける篝。

 それに伽蓮はどこかすこし、居心地悪そうに視線をずらしていた。

 

「い、いやー、まあ? あたしほどマジメなヒトもそういないし? いやほんとマジメ、ちょうマジメだよねー!」

「? うん」

「なあ伽蓮」

「しっ! 姫奈美!」

 

 がばっと後ろを振り向いて口もとに手をあてる自称マジメなヒト。

 果たしてこの少女のソレを彼に暴露するべきかどうか、彼女はわずかに悩むのだった。

 

「……? どうしたの、ふたりとも」

「な、なんでもなーいなんでもなーい! ほんとほんと!」

「篝ー、伽蓮って実はすごいズボ――」

「わあああああ! ちょ、黙って! 黙って姫奈美! あたしにもイメージがあんの!」

「ずぼ……?」

「か、篝っち! はいこれ! アメあげる! なんでもないから気にしないでね!」

「う、うん…………あ、おいしい」

 

 コロコロと貰ったあめ玉を早速口の中で転がしている純朴少年から視線を切り、伽蓮は余計なコトを口走りかけていた同居人をキッと睨みつける。

 

「おい、餌付けをするな」

「餌付けじゃないですプレゼントですー。……姫奈美」

「なんだ」

「あんたの体重言うよ」

「――わかった。取引成立だ。この事はお互い内密にしよう」

「話が早くて助かる。やっぱり持つべきものは秘密を共有する友人だよねー!」

「そうだな!」

 

 あはは、と笑いながら硬い握手を交わすふたり。

 その手とこめかみに青筋が浮かんでいるのは、まあ、きっと、たぶん気のせいだろう。

 

「仲良いね、ふたりとも」

「そうだよ! あたしらめっちゃ仲良いよ!」

「ああもちろんだ。ところで篝、私の体重何キロぐらいだと思う?」

「!?」

「え、どうしたの急に…………四十七キロぐらい?」

「おお、すごいな、当たりだ。ああ、それと話は変わるがコイツはマジメじゃないからな。私生活とかてんでダメダメだし」

「あ、そうなんだ……」

「あんた姫奈美ィ!!」

「はっはっは」

 

 秒で寝返った裏切り者にキレながら、伽蓮はガクガクと肩を掴んで揺さぶる。

 下手人は「悪役ここに討ち取ったり」なんてしたり顔でからからと笑っていた。

 

「本当に仲良いんだね、姫奈美ちゃんと、伽蓮さん」

「どこが!?」

「そうだぞー、めちゃくちゃ良いぞー」

「あーっ! この顔! この顔殴りたいぃい……っ!」

「はっはっは、どうどう」

 

 余裕綽々といった表情で伽蓮の暴挙を受け止める少女だった。

 

「……っと、伽蓮。ストップ」

「? なに、どしたの」

「うむ、いやちょっと」

「ちょっと?」

「篝」

「……え、僕?」

 

 こくん、と頷いて答えながら、少女は友人の拘束からするりと抜け出す。

 

 スタスタと一メートルもない距離を詰めれば、あっという間に肌と肌が触れ合う近さだ。

 思わず緊張する篝少年だが、彼女はそんなこと気にした様子もない。

 

 そのまま何をするかと思えばそっと手を伸ばして、彼の黄色いネクタイを手に取った。

 

「ちょっと曲がってる。マフラー巻くからって、油断しただろう」

「あ……ご、ごめん。今朝、急いでたから……」

 

 しゅるしゅると襟飾を直していく彼女の手つきは慣れたものだ。

 幼馴染み同士、以前からそういうコトもしていたのだろう、と伽蓮はふたりの様子を傍から見ながら考察なんてしてみる。

 

 しかしながら、よくマフラーで隠されたネクタイのズレが分かったなあ、なんて、

 

「……ん? そういや篝っちのマフラーって姫奈美のと同じ模様(がら)だよね」

 

 ペアルック? と興味本位で訊いてみる伽蓮。

 

「まあ、そう……だね……?」

「だよねー、めっちゃあったかそうだし! どこで買ったの? 姫奈美に訊いても教えてくれなくてさー」

「あ、これ、中学のとき僕が編んだやつで……」

「え? うそ、篝っちが? 自分で!?」

「う、うん。得意だから、手芸。それで、ちょうど良いから誕生日プレゼントにって」

「へー! ……へぇー!! すごいねーいいねー! ね、姫奈美!」

「うるさいっ。――あと篝」

「ひゃいっ!?」

「…………あんまり、動くな。あと余計なコト言うな、ばかもの」

「す、すいません……」

 

 目がマジだった。思わず視線を受けた彼がびしっと背筋を正してしまうほど。

 

 事の発端である伽蓮はというと、斜め後ろに下がってしたり顔のまま篝を見ている。

 なんだか理不尽な気がするのは、もちろん彼の気のせいではない。

 

「はい、これでよし……っと。うん、完璧だ」

「あ、ありがと……」

「……って、髪の毛もボサボサじゃないか。寝癖が残ってるぞ。まったくおまえは……」

「――へっ!?」

 

 と、彼女が頭に手をやろうともう一歩踏み出したところで、

 

「え、や、だ、大丈夫! このぐらい、自分でもやれるから、ね?」

「あっ、ちょっ……こら! そんな乱暴に……! ああもう私がするから……!」

「い、いいよ! ぜんぜん! ほんと! 気にしなくていいから!」

「…………、そうか?」

「そ、そうそう。ほんと」

「……ならいいけど」

 

 それじゃあ行くぞ、と彼女はくるりと踵を返して下駄箱へ向かう。

 

 どこか面白くなさそうな口調なのは、誰の耳に聞いても明らかだった。

 去りゆく背中を見つつ、伽蓮はちろりと舌を出してみる。

 

 その態度になにを感じたのか、篝はひとつため息をついて、ふたりをそっと見送った。

 

 

 

 

 



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3/ステキな招待状

 

 

 

「はぁぁぁああああ…………」

 

 自分の席に辿り着いた瞬間、彼女――十藤(とおどう)姫奈美は、がくんと膝から崩れ落ちた。

 

 校内でも比較的優秀な生徒が集められた二年一組の教室。

 

 思いっきり項垂れて大きなため息をつく姿は、間違っても先ほどまでの少女と同一人物だとは思えない。

 

「かがりぃぃいいい……どうしてぇ……?」

『毎回思うけどコレ、よく篝っちの前で暴発しないな』

 

 その点だけはきちんと制御できているのか、なんて益体もないコトを考えながら、伽蓮も姫奈美の隣の席へと腰掛ける。

 

「昔はあんなに一緒だったのに……!」

「昔って……篝っちだってもう十七でしょ。……あれ、まだ十六だっけ」

「いや十七だ。篝は六月十四日生まれのふたご座のB型だからな」

「お、おお……そっか……」

 

 聞いてもいないのになぜか自信満々な様子でプロフィールを語る姫奈美。

 それにツッコむべきかどうか悩んで、伽蓮は一旦スルーしておくことにした。

 

 触らぬ神に祟りなし、的な考えで。

 

「でも、そっかぁ……そうだよなあ、もう十七かあ、篝。大きくなったなあ……」

「あたしらも同い年ですよ、おばあちゃん」

「いやだって、ついこの前までこんな小さくて、ちょこちょこついて来てたのになぁ」

 

 可愛かったなあ、なんて懐かしい思い出に耽る幼馴染み。

 もちろん今の彼が可愛くないというわけではないし、むしろ男の子らしさが増した姿は良い、と内心で勝手に納得していた。

 

 あのほっそりした立ち姿を見て「男らしい」なんて感想が出るのは彼女ぐらいだろうが。

 

「けど、別に髪ぐらい良いだろう……はねてたのは本当だし」

「あはは……たぶん篝っちが拒否った理由ってソコじゃないと思うなー……」

「はあ…………かがりぃ…………」

 

 ぼそっと核心じみたコトを呟く伽蓮だったが、落ちこむ少女は聞いてすらいない。

 

 実は彼の髪を触るのがわりと好きで、ちょっとした楽しみだった為に落胆も一入。

 うわごとのように「かがりぃ……」なんて漏らしながら窓の外へ視線を向ける。

 

『もうあまり時間もないのに……』

 

 暦の上では十二月も半分を過ぎたほど。一週間もすればクリスマスも目の前になる。

 

 だからといってどうという事ではないが、生きている以上時間は有限だ。

 まばらに歩いて行く生徒の姿をぼんやり眺めながら、いま一度大きなため息をついた。

 

 まったくどうして、人生とはままならない――

 

「十藤さーん。なんか、用事があるって子が」

「! 篝かッ!?」

「え、や、折原くんじゃないけど」

「篝じゃないのか……」

 

 はあ、なんて一瞬でしょげる姫奈美。

 そのあまりの切り替えように呼びかけた女子生徒すらも苦笑していた。

 

「なんか、一年生の子が話があるって。廊下で待ってるよ」

「一年生?」

 

 なんだろう、と首をかしげながら教室を横断していく。

 

 彼女と親しい人物のなかに下級生の名前はないので、知り合いという線はない。

 篝や伽蓮のように委員会にも入っていない事から、何事かの業務連絡とも違うだろう。

 

 疑問に思いながらも廊下に顔を出して、姫奈美はきょろきょろと周囲を見渡してみる。

 

「あ、すいません。こっちです」

「む、これはどうも。……っと、君が?」

「はい、僭越ながら」

 

 突然お呼び立てしてすいません、と少女はぺこりと頭を下げた。

 

 申し訳なさそうな表情で笑う仕草は、どこか立ち振る舞いよりも丁寧な印象を受ける。

 ともすれば彼女の幼馴染みより自分が無さそうな穏やかな雰囲気。

 

 柔らかな態度にほだされかけて、ふと――彼女は見過ごせない僅かな〝影〟に気づいた。

 

 大人しめの所作に隠されているが、よく見てみれば誤魔化しているほどでもない。

 

「それで、話というのは」

「はい。では手短に、十藤先輩。率直に言ってお願いがあります」

「うん、なんだ?」

「――私と決闘をしてもらえませんか」

 

 スッと、線を引いたように細められていた瞳が、ゆるりと開いて彼女を映す。

 

 なんてことはない。

 初めから隠すも何もない欲望と自信に満ちあふれた瞳。

 

 姫奈美はその目を知っている。

 なによりも一番、彼女自身がその意味をよく分かっている。

 

 凶暴で悪質、傲慢で貪欲な、獣の如き愚かな本能――すなわち、同類の匂い。

 

「――――ほう?」

 

 瞬間、吹き荒れる風と共に広範囲へまき散らされたのは微かな痺れだった。

 彼女のなかで起きた感情の発露が、その首元に刻まれた印を通して力を巻き起こす。

 

 ――天蠍学園では特例として、生徒同士による戦闘行為、即ち決闘が認められている。

 

 不思議な力、人智を超えた〝神秘〟を取り扱うが故の特色だ。

 無論、これは生徒間に起きるいざこざの解決から、果てには学園のなかで選ばれた十人……序列を決める際にも用いられている正式な果たし合いの場と言っていい。

 

 学内序列。

 別名、学園内ランキング。

 

 単純な実力によって決定されるそれは、学年、クラスを問わず強いものが選ばれる。

 

 席は全部で十。

 そこへ入るためには三年生が卒業する時期に力を示すか、現在序列に名を連ねている人間に決闘を挑んで勝利する、または最低引き分けなくてはならない。

 

 何を隠そう姫奈美もそんな序列を持つ一人だった。

 

 群青色の髪に、赤い瞳。

 冬の月を思わせる白い肌と、あまりにも整った容姿。

 姫奈美が〝とある条件〟を提示していたのもあり、当初は彼女の見た目に惹かれて闘いを挑んだ者もいたが、今となっては遠い過去の話。

 

 紛うことなき美人、百人中百人が振り向くほどの美少女と自他ともに認められる姫奈美だが、その本質を知った生徒たちは揃って手を引いたからだ。

 

 立てば鬼神、座れば戦神、歩く姿は阿修羅の如し。

 女子相手にきゃっきゃうふふなかわいいごっこ遊びができる、なんて考えていた野郎共は、全身を返り血に染めて高笑う少女に戦慄した。

 

 端的に言うとガチで引いた。

 

 折れた腕は鞭のように振り回し、千切れた足は飛び道具代わりに投げつけ、あまつさえ視覚を遮る相手を前に自ら目を潰す行為。

 これで「さあその綺麗な容姿に惚れろ」といって素直に頷ける傑物は、彼女を見た目で判断した集団の中にいなかったのである。

 

 薙ぎ倒してきた敵の量は数知れず、心に傷を負った生徒だって少なくない。

 

 要するに多くの勝利と屍を積み上げてきた、彼ら天蠍学園の誇る正真正銘の最強。

 その〝神秘〟の特性をもって、この学園の生徒たちは彼女のコトをこう呼ぶ。

 

 ――学内序列第一位、神速を示す孤高の雷、青い稲妻の【青電姫】――と。

 

「……おいおい、今の聞いたかおまえら……!」

「はは、久々にうちのトップに決闘申請だって? しかも相手は一年ときた!」

「まだ誰も相手してないよね、今年の新入生。とんだ腑抜けばっかだと思ってたけど……いるところにはいるもんだねえ、命知らず」

「まあ、二年生以上も十藤さんの怖さは知ってるから基本挑まないんだけどねー……ね、やめた方がいいよー君。私たちみたいに酷いトラウマ抱えちゃうよー?」

「一生まともに戦えなくなってもいいなら好きにしろよ! はは、思い出して震えがッ」

「……あんな風に言われてるが、どうする?」

 

 クラスメートの反応に呆れつつ、ちらりと女子生徒に視線を向ける。

 腰が引けるか顔が青ざめるか、そういう手合いは何人もいたが……、

 

「どうするも何もないでしょう」

 

 見事、微笑で答えた少女に心臓が高鳴った。

 

「悪いですけど、そんな程度では退けない。こっちにも意地がありますから」

「……ほう、意地か。意地、ねえ……」

「ええ。単刀直入に言います。――貴女と斬り合いたいんだ、【青電姫】」

「――――ハ」

 

 ビシリ、と周囲の窓ガラスに亀裂が走る。

 

 不可視の圧力。

 溢れ出た濃すぎる〝神秘〟が現実へと影響を与える。

 

 善悪も好悪の感情もそこには存在しない。

 たかだか彼女の外見に惑わされて挑んだ人間とは明らかに〝芯〟が違う。

 

 久しぶりに巡り逢えた。

 ならば鼓動が早まるのも無理はない。

 

 そう。

 彼女は。

 ただ純粋に、命のやり取りを愉しむような傑物(どうるい)……!

 

「ぎゃーーーっ!? ちょ、コレ、コレやばくね!?」

「ぴしって言ったぞいま! 割れるか!? 割れるな!!」

「おお、我らが【青電姫】がバチバチしていらっしゃる……」

「言ってる場合か! なんとかしねぇと去年みたいに蛍光灯の雨が降るぞ! おい子波! おまえの嫁だろなんとかしろ!」

「嫁じゃないですけど!? いやでもそうだね! 一旦落ち着こうか姫奈美!」

 

 ざわざわと焦ったように騒ぎはじめる二年一組の優等生一同。

 本来は大人しさと真面目さを好む彼らだが、こと決闘沙汰、しかも自分たちの頭を張る姫奈美のことなら余計に無視できない。

 

 主に野次馬根性で。

 

「…………、」

 

 ともあれ、そんな彼らの反応は、今回に限って吉と出ていた。

 熱に浮かされたような感情の高ぶりを、姫奈美は密かに、吐き出すように静めていく。

 

 ……思い出すのはちょうど一年前。

 その時も歯応えのない相手ばかりとの決闘に嫌気がさしていた彼女は、珍しく純粋な力量を比べたいという生徒を前にはっちゃけたのだ。

 

 つまるところ決闘を挑まれた直後、余波だけで蛍光灯を全部ぶち割っていた。

 

 後になって教師からめちゃくちゃ怒られた、弁解の余地もない失態である。

 

「……すまない。ちょっと、逸った」

「いえ、むしろ嬉しいです。それほどまで期待されるなら、こちらとしても本望ですから」

「――――――――」

 

 ビシビシと、二つ目の亀裂が走った。

 

「おいばか! 一年! それ以上言うなー!」

「やめろー! このまま被害をでかくする気か!? そろそろ理事長がキレるぞ!」

「清掃班用意できました! 箒とちりとり、ヨシ!」

「ヨシ、じゃねえんだよなあ……さっさと止めろよ、誰か。俺は嫌だけど」

「姫奈美、姫奈美ー、落ち着いてー……深呼吸しよう。ひっひっふー」

「子波、それ出るやつ」

 

 途端、ぎゃーぎゃーと騒ぎはじめる教室と、それに再度心を落ち着けさせる姫奈美。

 

 彼女のような相手を前に気分があがるのは仕方ないが、今は我慢、と己に言い聞かせる。

 そうでもしないと、下手すればこのままぜんぶ吹き飛ばしてしまいかねなかった。

 

「気持ちは理解した。良いだろう。その決闘、ここに受諾する」

「ありがとうございます。……ええ、本当に良かった。でなきゃここに立った意味がない」

「満足するのは早いぞ、まだ始まってすらいない」

「……そうでした。すいません。では、改めて自己紹介を」

 

 すっと、綺麗な佇まいのまま――瞳だけは鋭く彼女を射貫いて――少女が前を向く。

 

「一年三組、峰鐘逸希(ほうしょういつき)。学年首席を務めています」

「二年一組、十藤姫奈美。……そうか、おまえがな」

「意外ですか?」

「いや納得だ。――日時を決めてくれ、峰鐘一年生。私はそれに合わせる」

「では今日の放課後、五時半。場所は第二アリーナで」

「承知した。いや、今回は随分なようで何よりだ。楽しみにしておくぞ?」

「はい。私も、是非とも心待ちにしております」

 

 穏やかな表情のまま微笑んで、くるりと峰鐘女史は踵を返した。

 

 その背中に微塵も不安の色はない。

 

 ひとつの学園の頂点に挑んでおいて、自分が負けるという考えを抱いていない――のではなく。

 勝ち負け以前に、あの少女は目の前の強者としのぎを削り合うコトを悦んでいる。

 

 握りしめた拳からは血が見えた。

 我慢ならないと食い込んだ爪が肉を裂いたのだろう。

 

 だから、彼女にもその気持ちは痛いほど分かった。

 分かってしまった。

 

「――――あはっ」

「!?」

 

 ばしゃーん! と粉々に砕け散る窓ガラスと蛍光灯。

 堪えきれずに漏れた笑い声と共に、姫奈美の体から青白い電光が迸る。

 

 パラパラと降りしきる破片はさながら光の結晶のように。

 

 幻想的な光景に一時正常な判断を停止させながら、生徒たちは揃って悲鳴をあげた。

 

「ぎゃあああ!? て、敵襲っ! 敵襲ー!!」

「ああもうやっぱりこうなるじゃん!! 十藤さんのバカー!!」

「ちくしょう廊下から窓際まで吹き抜けてやがる! 修繕費誰が払うんだコレ!」

「学園側だろうなあ……あはは、やべ。十藤のアレ見たらまた蕁麻疹出てきた」

「姫奈美! 姫奈美! 落ち着いて! 震えるぞハート……燃え尽きるほどヒート!」

「子波、それ波紋のやつ」

「てかアンタらふざけてないで先生呼びなさいよ! 掃除がクソ大変でしょうがっ!!」

 

 どったんばったんの大騒ぎになる教室をよそに、少女の周囲でバチバチと青雷が舞う。

 

 規格外の〝余波〟をぶちまけた姫奈美が、その惨状に気づくのはおよそ五分後。

 冷静になった頭で被害のほどを確認し、遠からずやってくる担任教師からのお説教を前に「またやってしまった」なんて頭を抱えるのだった。

 

 

 

 

 



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4/落ちこぼれクラス

 

 

 

 一方その頃。

 今日一の大事件が起こっている一組から遠く離れた校舎の片隅。

 

 人気も絶えた薄暗い廊下を歩きながら、篝は自教室へと向かっていた。

 

 天蠍学園の本校舎は五階建ての建物で、中庭を囲むようにコの字型の構造をしている。

 各階ごとに大まかな分類で教室が集められ、一階は職員室と来客用の部屋、二階は主に一年生の教室、三階は二年生、四階は三年生、そして残る五階が特別教室となっている。

 

 篝がいるのはその三階、ちょうど東側の突き当たりに向かう通路だ。

 

 これより先、一つを除いて空き教室ばかりの廊下を潜るのは彼を含め四十人のみ。

 選ばれし者の特権である道の先には、端の方に追いやられたようなクラスが存在する。

 

 ……いや、実際、意図的に追いやられたであろう場所が、彼らにとっての教室だった。

 

 この学園におけるクラス分けは一種の目安で、一年時は入試の成績、二年時からは前年度の学期末試験の結果を基に一組から順に割り振られていく。

 当然、成績優秀者は前に。逆に悪かった者や、あまりにも素行に問題のある生徒なんかは後ろの方へと回されるのがクラス分けのルールだ。

 

「……っと」

 

 要するに、ここはそんな選ばれなかった生徒たちの最後の砦。

 落ちこぼれの掃き溜めとまで揶揄される、最低レベルの成績不良者たちの集団。

 

 二年五組。正真正銘、文字通り学園内における最下層に身を置く彼らの教室は――、

 

「おはよう、みんな」

「お! おーっす! おはよー委員長!」

「今日も挨拶お疲れさん! まだ先生は来てないぜー!」

「折原ー! 制服のボタン取れちゃってさあー!」

「あ、うん。貸して貸して。すぐ直しちゃうから」

「まじ!? ありがとー! いやあ、やっぱ持つべきものは手先が器用な友人だよな!」

「あんまり篝くんに頼ってんじゃないわよ、男子ども」

「だって折原上手いしなー、それにほら、うちの女子って基本ガサツだし」

「なんですってぇ!?」

「お! 喧嘩か! やれやれー!」

 

 このように、誰も冷遇を気にすることない賑やかさと親愛に満ちあふれていた。

 

「ちょっ、落ち着いて。ね? これでまたモノ壊したら怒られちゃうよ。……僕が」

「大丈夫だ折原! 善処する!」

「篝くん。女子にはね、退けないときってのがあんのよ。それが今なの」

「ええ……」

 

 絶対ちがうと思う、とは思っても言えない篝だった。

 偏に気の弱さである。

 

「さあ張った張った! 賭けたい奴は前に出てこいやあ!」

「ジュースにお茶もあるぞー!」

「ひゅーひゅー! どんどんぱふぱふー! 誰かゴング代わりに鍋もってこーい!」

「あったよ! フライパンが!」

「でかした!」

 

 カーン、とお玉を金槌がわりに鳴らされる調理器具による鐘の音。

 

 どうして教室にまでそんな物を持って来ているのか、というのは考えてはいけない。

 そも成績の悪い、良く言えばさっぱりした、悪く言えば馬鹿な人間の集まりであるこのクラスは、面白いことがあればそれはもう全力で騒ぎだす。

 

 そこに悪意や害意がないとは言え、学級委員である篝としては目下頭痛のタネであるのは間違いなかった。

 

「――うるせえこのアホウども! 他人(ヒト)様を堂々と困らせてんじゃねえよ! 申し訳なさとか微塵でも感じねえのかテメエらは!」

 

 と、盛り上がりを増していく集団へ冷水をぶっかけるように投げ掛けられる鶴の一声。

 

 しんと静まり返った生徒の視線が、窓際の後ろから二番目の席へと向けられる。

 

 叱責を飛ばしたのはそこに座っていた男子生徒だ。

 ウェーブのかかった金髪と、周囲を容赦なく睨みつけるつり目がちな双眸。

 紫水晶の瞳がギラギラと鋭く光っている。

 

 伽蓮のように服装を崩しているワケではないが、第二ボタンまで開けられたワイシャツだとか、だらしなく椅子に腰掛ける姿が見るからに宜しくない。

 

 成績云々というよりは、明らかな素行、態度の悪さ。

 そんな、一見して恐怖を抱きそうになる男子生徒の一喝へ返されたのは。

 

「んだよ鷹矢間(たかやま)、イライラすんなよー。糖分足りてねえんじゃねえか?」

「相変わらず折原のことになると変わるよなあ、おまえ。……さてはホモだな!」

「助け船にしてもド下手くそすぎるでしょー、むしろいまの怒声で余計うるさいし」

「その金色ワカメストレートにすっぞエセヤンキー! いちばん頭いいクセしてよお!」

「――――――、」

 

 彼らなりの愛情……もとい完全になめ腐った軽い罵倒と挑発の数々だった。

 

「じょ、上等だよ……! 死にたい奴からかかってこい! 徹底的に潰してやる!」

「は、悠鹿(はるか)、悠鹿、落ち着いて!」

「離せ篝! こいつら全員ふん縛って二度と忘れないように朝まで素因数分解のコトしか考えられないようにしてやる!!」

「テスト範囲的に凄い助かる報復だ!」

 

 ただしその内容を聞いた瞬間、他のクラスメートたちは一様に闘争の意志を消していた。

 

 中には粛々と土下座の準備を敢行している者までいる。

 勉強嫌いであるが故に、それがどんな罰より恐ろしく見えたからだ。

 

「え、なに? 鷹矢間のパーフェクト算数教室またやるの……?」

「あの……それはちょっと……勘弁してほしいなーって……」

「いやだ……! 数Aの教科書と一晩中にらめっこするのはもう嫌だ……!」

「ああだこうだ言ってんじゃねえ! だいたい誰のおかげでおまえらが今までの期末試験を赤点回避できてると思ってんだ! ああ!?」

「え、でも折原……」

 

 ちらり、と向けられた視線にビクリと反応する篝。

 

 恥ずかしいことに約一名、その恩恵にあずかれていない超の付く劣等生がいるのである。

 誰かなんてのは言うまでもない。

 

 ダラダラと垂れる脂汗が何より如実に語っていた。

 

「篝はいいんだよ! コイツは頑張って頑張って俺の出した課題も全部クリアして、必死こいて赤点取ってんだから! 全力でやった上で脳みそ足りてねえんだよ!」

「うぐっ」

「分かるか!? この違いが分かるか!? ヒトの二倍三倍やりゃあギリギリ回避できるおまえらと違って篝は十倍二十倍しないとまともな点数取れないんだぞ!?」

「ううっ」

「鷹矢間、それフォローになってない。委員長泣きそうになってる」

「これぐらいで泣かないもん……」

「よーしよーし、折原くんはえらいねー、大丈夫だからねー」

 

 近くにいた女子に頭を撫でられる涙目の男子生徒がここにいた。

 とてつもなく情けない絵面なのは言うまでもないだろう。

 

 ……余談ではあるが、その瞬間にどこかで少女が『ちょっと待てそれは幼馴染みである私の役目だろうが!?』なんて毒電波を受信していたのだが、勿論彼らが知る由もない。

 

「ったく……あ? おい篝、なんで泣いてやがる。――誰だコイツ泣かしたのは!!」

「おまえだよ!」

「自分の言動棚にあげてんじゃねえナチュラルクソ野郎!」

「鬼! 悪魔! 金髪ワカメ! インテリエセヤンキー! ただの頭良いバカ!」

「誰がバカだアァン!?」

「いちばんキレるところはそこなんだな……」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるクラスメートへと憤怒の形相で胴間声をあげる男子。

 

 彼――鷹矢間悠鹿は、その見た目に反してトップクラスの成績の良さを誇る。

 荒々しい言動と派手な外見は周囲を威圧させるが、本人はどちらかというと暴力よりも静かな日常を好む……のだが、だからといって売られた喧嘩を買わないワケではない。

 

 篝としては血みどろの殴り合いよりも眼鏡をかけて参考書を読んでいるほうが似合うと思うなあ、なんて考えてしまう、なんだかんだで仲の良い友人のひとりだ。

 

「……あ、そうだ。悠鹿、これ」

「あん? ……て、おお。上着か、サンキュー。そういやテーブルに忘れてたな」

「本当だよ。しかも分かりやすいようにほつれた部分見せてるし。……今度からちゃんと言ってよね?」

「ん、悪い。助かった。いや、真冬のこの時期にワイシャツとセーターは自殺行為だな」

 

 寒くてかなわん、と悠鹿は身震いしつつ篝から受け取った上着を羽織る。

 

 ふたりの友人関係はそれこそ姫奈美と伽蓮のように、寮の部屋が同室だったのを発端としている。

 一年時は偶然にも同じ、二年生である現在はこうして仲良く最低クラス。

 

 篝は純粋な学力の低さで、悠鹿は何度か授業をすっぽかして転がり落ちたのであった。

 

「……っと、そういや篝。おまえ、なんか良い事でもあったのか?」

「? どうしたの、いきなり。僕、どこか変……?」

「ビッミヨーに口元にやけてんぞ。なんだ、女子の着替えでも覗いたか」

「ナニィ!? 折原、それどこだ! 言え!」

「教えろ教えろ! そして俺たちも連れてイクんだッ!!」

「え、いや違うよ? というかなんでそんなに女の子の着替え覗くのに必死なの……?」

 

 そこまでする? と純粋な瞳で訊ねる清く正しい青少年。

 

 穢れなき眼を前に、欲望に塗れた男子どもの群れは一気に崩れ去った。

 はあ、とため息をつきながら「委員長は男子(ヒト)の心が分からない」とゾロゾロ列を成して戻っていく。

 

 女子からの視線が冷ややかだったのは言うまでもない。

 

「……ま、おまえはそういうの興味薄いだろうとは前々から思ってたが。じゃあ一体なにがあったんだ? ちょいと気になるぜ」

「なにって……あー……、まあ、うん」

「……なんだよ。はぐらかすなって」

「えっと……その、大したことないよ? ほんと、大したことないんだけど……」

 

 しゅるり、と彼は自分の胸にかかる黄色い襟飾を手に取って、

 

「――姫奈美ちゃんに、ネクタイ直してもらっちゃった……っ」

 

 えへへ、と見るからに幸せでいっぱいな表情を見せるのだった。

 

「……なんだ、また例の発作か」

「ほ、発作?」

「いつものいつもの。篝くん、ほんと十藤さんのこと好きですもんなぁ」

「え、や、そりゃ……」

「幼馴染みだもんねー。あたしらはちょっと、まあ、うん。……だけど」

「なんせ学園一位【青電姫】サマだもんなあ。おっかなくて仕方ねえよ、まったく」

「オレいまだに十藤見ると震えが止まんないんだけど……一回戦ったトラウマで」

「俺も俺も。ま、うちの学園(トオドオ)(リアリティ)(ショック)患ってる奴多いからなあ……」

「……え、なにこれ。この、なんていうか、なに、これ……? 」

 

 どうしてこうなった、なんて思わず思考を放棄してしまいたくなる雰囲気に困惑する。

 さも当然みたいに「はいはいそういうことね」と流されているところから彼の日常的な言動はおおよそ察せるだろう。

 

 ……つまりはまあ、あっちがあっちならこっちもこっち。

 

「へいへい。そろそろホームルームだぞ。惚気もそんぐらいにしてとっとと座れよ」

「え、あ、うん…………って惚気じゃないよ?」

「はっはっは。今世紀最大に面白いジョークだなオイ。十五点」

「低い!」

「この前おまえが取った数学の点数だバカヤロウ!」

 

 容赦ない友人の指摘にぐさりと胸を刺されながら、鞄を片手に自分の席へと向かう。

 

 黒板上の時計を見れば、たしかにもうすこしでホームルームだ。

 ほどなくして来るであろう担任教師の顔を思い浮べつつ、篝も椅子に腰掛ける。

 

 冬の寒空。

 暖房と馬鹿騒ぎで若干暖まってきた室内から外を眺めつつ、ほんのり赤くなった頬を隠すようにマフラーへ顔を埋める。

 

 窓際の寒さはそれでしのげたが、もちろん、顔を覆うには些か面積が足りていなかった。

 

 

 

 

 



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5/ひみつの篝くん

 

 

 

 

 放課後、授業を終えた篝は談笑もそこそこに、急ぎ足で教室を飛び出した。

 

 三階の端である自教室から廊下を回って、階段を降りて昇降口へと向かう。

 わりと自由な校風である天蠍学園は、部活動の参加も強制ではない。

 

 下駄箱まで行けば、朝よりすこし少ない程度の人波ができている。

 それをちらりと確認しながら、篝は寮とは反対側の校舎裏へ足を伸ばした。

 

 人の流れとは遡行して、どんどんと人気のない通路へ。

 

 しばらくして見えてきた渡り廊下から外へ出て、そのまま奥へと進んでいく。

 

 途中の道には木々や雑草が鬱蒼として生い茂っていた。

 学園設立当初は庭園として活躍した花壇の名残だ。

 いまとなっては「森か林か」なんて在校生に言われるほどの荒れっぷりだが、田舎育ちの彼からするとこの程度はなんともないらしい。

 

 藪を抜けて、背の高い草むらを通り越せば、やがてひとつの大きな建物が見えた。

 

 ――天蠍学園には八つの大型アリーナ、すなわち円形闘技場が存在する。

 

 彼らが持つ〝神秘〟を最大限に発揮できるようにと用意された施設は、単純な大きさ、広さだけで言えば本校舎に負けずとも劣らない。

 

 ここは第六アリーナ。

 

 校舎から西側に存在する、唯一の道が閉ざされかけた自然の中に建てられた、ひときわ利用者の少ない闘技場だ。

 生徒であれば基本的に自由な使用が認められている闘技場だが、主に使われるのは校舎から最も近い第一アリーナか、その次にあたる第二アリーナになる。

 広さも設備もそれで申し分ないのだから、わざわざこんな場所に来る必要もない。

 

 それでも彼がこうやって足を運んだのは、まあ、色々と思うところがあるからで。

 

「……今日も、誰もいない」

 

 観客席をぐるりと見回しながら、よし、とひとり気合いを込める。

 

 彼が立っているのは中央の広場、四方に百メートルはある床張りになった舞台の上。

 そこからの一眸に人影が混ざったのは、かれこれ一年以上使ってきた今でもない。

 

 室内の空気は風に揺れることもなかった。

 静かすぎる決闘場、本来は血の流れるそこで、精神(ココロ)を低く落ち着かせていく。

 

「………………、」

 

 深く、長く、息を吸って全身へ通わせる。

 意識を向けるのはもっぱら内側だ。

 無音のまま流れる外の情報をシャットアウトして、ただ自身の中にあるモノへと向かって埋没する。

 

 ――感触は、慣れきった手触りと共に胸から込み上げてきた。

 

「いくよ――――」

 

 ごう、と吹くはずもない風が吹き荒れる。

 肩口にある生まれ持った不可思議な〝紋様〟が、熱を持ってどくどくと脈を打つ。

 

 それはかつて三百年ほど昔、忽然として人類史に姿を現した。

 

 奇跡や魔法と呼ばれた幻想が否定され、科学と現実が肯定されていった時代の一幕。

 かつての神秘と取って代わるように生まれたそれは、瞬く間に数を増やし、人々の間に持つべき力として地位を確立した。

 

 曰く、いまより高い次元に存在する生命体――『星霊(せいれい)』と繋がった、選ばれし者の証。

 その力の一端と、身に余る恩恵を受けることによって、人智を超えた現象を引き起こす最大にして最新の超能力者。

 

 ――人は彼らを、『星刻使い』と呼ぶ。

 

紅蓮星霜(ぐれんせいそう)

 

 言霊に込められた架空の燃料が、肩の紋様、篝の『星刻』を通して溢れ出す。

 

 時を置かずして巻き起こる爆炎。

 虚空から出現する幻想の熱量を、彼は鋭く睨みつけた。

 

 何度とくり返してきた工程をなぞるように、その腕を火炎のなかへと突き立てる。

 

 不思議と焼けるような匂いはしない。

 借り受けたモノであっても、炎は主人に従順だ。

 

 だから恐れることはない。

 ぐっと握りしめた手指にたしかなカタチを掴んで、そのまま一気に引き摺りあげる――

 

「――――っ」

 

 予兆もなく現れた炎は、予兆もなく空間へと消えた。

 

 残っているのは傷一つない彼の体と――その手に握られた一本の刀剣。

 

 それこそが彼らを彼らたらしめる代名詞。

 星の銘を冠する唯一無二の武装。

 

 高次元に存在する『星霊』によって、そのカラダを構成する高密度の架空要素(エーテル)から練り上げられた、星刻使いに与えられる一振りの星の力。

 

 その名も『星剣』――彼の手に収まったのは、そんな規格外を小さな刃に換えた代物だ。

 

 見た目は完全に鞘付きの日本刀。

 無骨なまでの鍔と柄に、それを払拭するよう炎の紋様が走った黒い鞘。

 重さは当然、鉄の塊。

 

「――――――」

 

 そっと、低く落とした腰へ『星剣』を回して息を吐く。

 一意専心、余計なコトは考えるな、と全部の感覚を手元の得物へと向けた。

 

 ……抜刀は一瞬のうちに。

 

 閃く刃は綺麗な線を描いて、彼の眼前を鋭く通り過ぎ――

 

 

 

 

 

 

     『〝 あはっ、いた 〟』

 

 

 

 

 

 

 どくん、と。

 

 高鳴った胸の鼓動と一緒に、耳朶を震わせるナニカを聞いた。

 

 ずるずると伸びている。

 先についているのは蝸牛か蛞蝓みたいな触覚と瞳。

 

 それはまるで蔦のように、ゆっくり、やんわりと彼の周りを取り囲んで。

 

「――――誰っ!?」

 

 ばっと、振り向いて声をあげる。

 

 背後には誰もいない。

 ただ数秒前と同じよう、無人の空間がどこまでも広がっているだけだった。

 

「――――、…………」

 

 はあ、と緊張を吐き出すように大きくため息をひとつ。

 

 どうやらまったく彼の勘違い。

 最近になって増えてきた、どうにも分からない錯覚だ。

 

「…………疲れてるのかな、僕」

 

 ちゃんと寝てるはずなんだけど、なんて気落ちしながら、ふと彼は手元の刀を見た。

 

 ……握りしめた刀身は震えている。

 タイミングが悪いことに、これでは先ほどの錯覚に怯えているようだった。

 

 実際は、そんなものじゃない情けなさの証明である。

 

「あはは――やっぱり、ダメかあ……」

 

 いくら力を入れても震えは止まらない。

 どころか、むしろ時間が経つに連れてその酷さは増している。

 

「……今朝ので、もうずいぶんかなと思ったのに……」

 

 どうしてこう、と嘆きたい気持ちが一杯になって天を仰ぐ。

 

 アリーナの屋根から空は覗けない。

 覗いたとしても夕方の茜色だろう。

 

 昼間の青空が見えないのは良いことか悪いことか。

 どちらにしても事実は事実だ。

 

 ――折原篝は、十藤姫奈美にトラウマを抱えている。

 

 昔から一緒に過ごしてきた幼馴染みで、この学園の誰よりも彼女との付き合いは長い。

 いちばん近くにいて、いちばん仲の良かった立場。

 

 そんな経歴なんてまるで意味がなかった。

 実際こうして、彼は一年前に授業の一環で行われた姫奈美との模擬戦で負けて以降、まともに剣を握れないでいる。

 

 自分の『星刻』の力を使うのも、『星剣』を出すのも、戦いの舞台に立つのも問題ない。

 相手の有無、場所の違い、環境の差異はおそらく影響を与えないのだろう。

 

 ただ――その刀身を抜いたとき、必ず数秒後には指先が痙攣するだけ。

 

 それは『星剣』を用いて戦う『星刻使い』にとって、致命的とも言える欠陥だった。

 

『……仕方ない、と言えばそうなんだけど。僕、弱いし……』

 

 体の傷は『星刻』が機能の一部として治しても、心の傷はそう簡単に消えてくれない。

 抱えたトラウマは、思っている以上に深かった。

 

「……うん。でも。悔やんでばかりじゃ、いけない」

 

 ぱしん、と気持ちを入れるために軽く両の頬を叩く。

 ぎゅっと震える剣を握り締めて、篝は真っ直ぐ正面を見据えた。

 

 才能はそれほどでもなく、成功は少ないが、失敗は数えるのも嫌になるぐらい。

 

 努力が実った試しはないけれど、せめて自分にできるコトからは逃げ出さないように。

 それこそが彼にとって、こんな無駄ともいえるものを続ける理由になる。

 

「――――っ、…………!」

 

 ……つまりこんな場所まで来ているワケは、震えて剣を振る姿を他人にあまり見られたくないから、だというのは……まあ、彼らしいと言える羞恥心なのだろう。

 

 

 

 



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6/決闘その敵は――

 

 

 

 

 ――五時半、第二アリーナ。

 

 舞台にはふたりの少女。

 観客席にはそこそこの見物人。

 そのほとんどが二年生……もっといえば二年一組の面々である。

 

 一年生の姿はまったく見えない。

 逸希の勝利を疑っていないのか、それとも彼女に対して並々ならぬ感情を抱いている相手が多いのか。

 

 どちらにせよ正式な手順に則ってはじまった決闘は――良くも悪くも予想通りの流れとなった。

 

「どうしたどうした一年生!?」

 

 青雷が爆ぜる。

 決闘用の舞台が見るも無惨に荒らされていく。

 

 姫奈美の力によるものだ。

 

 駆ける速度は雷を超え、光に迫る勢い。

 

 振り下ろされる刃の威力だって単純な質量だけではない。

 落雷じみた神秘の暴威は容赦なく人体を焦がしていく。

 

『――――これが、序列一位――……』

 

 稲妻を裂きながら挑戦者――峰鐘逸希はくすりと笑った。

 

 天蠍学園に入ってはや八ヶ月。

 並み居る同級生を打ち倒して勝ち取った学年首席の座。

 

 そこに昇るまでの相手は殆どが――まあ、退屈といえばその通りで。

 

 どうにも心に残る何かがなかったと、少なからず不満に思っていた。

 

 勝手なコトと言えばそれはそう。

 けれど本心なのだから仕方ない。

 

 端的に言って――他の一年生など全員なんてことはない雑魚だ。

 

『なんて――――』

 

 ……馬鹿げた神秘の奔流。

 

 星刻にはそれぞれ色と属性がある。

 それらの特性によって扱える異能が変わってくるワケだ。

 

 彼女――――姫奈美の星刻は青色の雷属性。

 

 通常の物差しで測れば特筆して良いわけでも無い相性のふたつ。

 だというのに――

 

「あはははははッ!!」

 

 圧倒的なまでの素質によって成される破壊の連鎖。

 もはや暴力といってもいい身の振り方。

 

 ひとつ刃を交えるだけで意識が飛びそうになる。

 ふたつ剣を弾くだけで痺れた手が震えを起こす。

 みっつ斬撃を防ぐだけで恐怖に腰が引けてくる。

 

 着実に、確実に。

 

 ――彼女の刃は、刻一刻と心臓めがけて進んでいる。

 

「は――――あははっ……!」

 

 つられて思わず逸希も笑う。

 笑ってしまう。

 

 こんなのは笑うしかない。

 

 たった一年、されど一年だ。

 

 なにも知らなかった少女が己の才能を自覚して、磨き上げるのには十分な時間。

 相手にならない有象無象を稲穂のごとく薙ぎ倒して頂点にだって上り詰めた。

 

 正真正銘、天蠍学園一年生に彼女以上の実力者など存在しない。

 

 ――だからそれがどうしたのだと。

 

「あっはっは! なんだ、強いな!? 流石に手応えが違う! 滾るぞ峰鐘一年生!! おまえ、やるじゃないか、えぇ!?」

「――――ッ、は、ははっ、あははは……!!」

 

 笑う、笑う、笑う。

 

 身の危険と共に這い上がってくる恐怖と、

 斬り合いの最中に見出した微かな歓喜。

 

 知らなかった、こんなのは初めてだ。

 

 一撃、一刀、一振り。

 

 ただの一瞬でも気を抜けばそのまま己は雷に打たれて死ぬ。

 そんな予感を常に覚えている中で繰り返される剣戟の嵐。

 

 ――青色の星刻、その性質は事象の『加速』だ。

 

 時間が経てば経つほどに効果は着々と発揮されていく。

 

 一秒前より今、今より先、先のその向こう――

 

 不味いと思った瞬間にはなにもかもがもう〝遅い〟。

 姫奈美の速度はすでに逸希の認識限界を超えている。

 

 ……ああ、けれど仕方ない。

 

 こんなのはしょうがない、詮無きこと。

 なにせ彼女が戦ってきた相手の中でひとりとしても、ここまで頭の悪い跳ね上がり方をするような人間はいなかった。

 

 ここまで信じられないほど――――星刻の力を使いこなせる相手はいなかった。

 

「まだだ、まだだろう!? もっとだ!! 私に付いてこい! 無理とは言わせんぞ!? ほらほらどうした!! これでも私は余力を残しているが!?」

 

 笑いながら戦姫が刃を振るう。

 

 太刀筋は見えない。

 切り裂かれたあとに痛みと熱を帯びる。

 

 出血はいまさら傷を思い出したとでも言わんばかりに後出しだ。

 

『――――随分、無茶を――――……』

 

 返す刃なんて挟めない。

 弾くのだって必死でぎりぎり。

 

 それでも歯を食いしばりながら、逸希は星剣を握りしめた。

 

「言ってくれる……!」

「!!」

 

 直後、轟音と共に舞台は砕けた。

 

 姫奈美の足下、逸希の手前。

 

 直下から突き上げるように()()()土の槍が少女の身体を天へ飛ばす。

 

 それこそがこれまで倒れなかった逸希の絡繰。

 何度致命傷じみた一撃を受けても多少の出血で押しとどめた神秘の組み合わせ。

 

「――成る程。〝黄〟の〝土〟か? 質も高い。硬いだけとは言え厄介だな?」

 

 地上五十メートルの高みで楽しそうに笑う姫奈美。

 ふわりゆらりと遊覧飛行中の姿にこれといったダメージの影はない。

 

 ……とはいえ打ち上げられた身体が浮かんだ後は重力に引かれるだけ。

 

 これから待ち受けるのは凄惨な地面との衝突のみなのだが――加えて彼女は真下で構える相手の姿を視認した。

 

「ほほう?」

 

 舞台一面に広がる針の山じみた鋭利な岩の群れ。

 こちらに先端を向けて少女の周囲に漂う鋭い矢か槍じみた岩塊。

 

 流石の姫奈美と言えどもこれほどまで用意されてはひとたまりもない。

 

 全部余すことなく受ければ間違いなく持っていかれるだろう。

 

「ほうほう! 素晴らしいな! とんでもない! おまえ、私を追い詰めているぞ!? そんなのはここ一年でも片手で数えられるほどだ! あっはっは!!」

 

 口の端がつり上がる。

 唇は三日月のように見事な弧を描いた。

 

 予感に外れはない。

 

 やはり相手にとって不足なしだった、と姫奈美は満足に頷いて。

 

「――――誇れ、()()

「!!」

 

 それは間違いなく、紛うことなき、一筋の閃光だった。

 

 自由落下なんて生易しいものじゃない。

 

 一秒と待たずして落ちた雷は逸希の展開した岩石の悉くを砕く。

 舞台の上に咲いた棘も、周囲へ浮かべた槍も無惨に散っていく。

 

 後に残るのは火花みたいにはじける青い電光だけ。

 

「――――――」

 

 なら次は、当人だ。

 

 刀が返される。

 斜め下から掬い上げるように刃が走る。

 

 ――ま、ずい――

 

 振り抜かれた瞬間に逸希は認識した。

 間延びした刹那の瞬間に思考だけが加速していく。

 

 ――避けろ、避けろ、避けろ――――

 

 身体は動かない。

 その速さにはついていけない。

 

 当然のコト。

 

 すでに姫奈美の動作は彼女にどうにかできるものでもなく――

 

「あははははははははははは!!!!」

 

 哄笑と共に少女の首が宙を舞う。

 

 意識を手放す間際、死に物狂いで動かせたのは星剣を持った手だけだ。

 それだって決定打には及ばない、姫奈美の脇腹を中ほどまで裂いて止まっている。

 

 ならばこそ勝敗は決した。

 

 いくら『星刻』の治癒能力があろうと首をくっつけるまでは通常、一日以上かかるもの。

 

 これ以上の戦闘継続は不可能だ。

 

 

 

 ――――こうして、久方ぶりになる【青電姫】の運動は終了と相成った。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 きゅっと蛇口をひねる。

 

 アリーナに備え付けの女子更衣室。

 そのうちにシャワールームまであるのは、まあ、先ほどの光景を見ていれば然もありなんで。

 

「…………、」

 

 ひとり静かに、姫奈美は頭からシャワーを浴びていく。

 

 腹部の傷はもう塞がっていた。

 逸希ほどでなくとも本来なら真っ先に手当てしなければならない大怪我だったが、彼女の素質からすればなんてことはない。

 

 刀を抜いたその瞬間から、すでに血は止まっていたし肉も繋がりかけていた。

 そのまま三十秒も放っておけば見事跡形もなく完治だ。

 

 あり余る『星刻』というのはなんとも恐ろしい。

 きっと胴体が上下ふたつに泣き別れたとして、一時間もあればくっつくだろう。

 

『……しかしまあ……楽しかったな……』

 

 返り血を落としながらふわりと笑う。

 

 その感情に嘘はない。

 あまりにはしゃいでつい盛大に首を落としてしまったぐらいだ。

 

 見物に来ていた何人かが蹲ったり嘔吐(えず)いたり震えていたりしたが、決闘なんて血生臭いものなので我慢して欲しい、と思う姫奈美である。

 

 そもそも星刻使いである限り死んではいないのだし、と。

 

『大体、去年の勢いはどうした、まったく。たかだか一回手合わせしたぐらいで、なにをそんなに怯えることがあるんだ、みんなして……』

 

 私を除け者にしようとでもしているのか、なんてふてくされながら思ってみる絶対王者。

 その半分冗談交じりな考えを聞けば大半の在校生が「すいません許してください勘弁してください違うんですお願いします」と五体投地するであろうことは想像に難くない。

 

「…………、」

 

 ……そう、本当に久しい、懐かしく感情が高ぶった仕合い。

 

 結果はともかく、その内容に思うコトはあった。

 身に纏う衣服もない今、くるりと背を向ければ鏡に映るものがある。

 

 首元に重なった稲妻模様の刻印とはまた違う、印象的な――――

 

『……認めるしかない、か。そうだな。……また、星刻が増えているのだし……』

 

 ほう、と息を吐きながら蛇口をしめる。

 

 目下の悩み事なんてその程度。

 とりあえず考えるコトはしっかりと、なんて決意しながらシャワールームを出る。

 

 生き方は――在り方はすでに決めたとおり。

 

 そこを曲げることなんて出来ないし、考えられない。

 それが十藤姫奈美という人間だ。

 

 だから、そう。

 

 なにをどうするかなんて、はじめからずっと――決まっていた。

 

「……そうだろう? なあ、篝」

 

 愛しい幼馴染みの名前を呟きながらタオルで身体を拭いていく。

 

 濡れた前髪の隙間から見えたマフラーになにを思ったのか。

 くすくすと笑って、少女は手早く肌の雫を拭き取っていった。

 

 

 



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第二章/ 国立北関東天蠍星刻学園
7/赤色のお誘い


 

 

 

 ――つまり一年前の模擬戦に於いて、彼はソレを垣間見ていた。

 

「どうした篝ぃ!!」

 

 がつん、と手元に大きな衝撃が走る。

 

 眼前に迫るのは銀色の刃と、それに付き従う青い稲妻。

 彼女の『星刻』が起こす現象は、現実を塗り潰して余りある。

 

 避けることはおろか、防ぐことすらままならない。

 

「軽い! 遅い! 鈍い! もっと、もっとだ! もっとおまえの意地を見せてみろ!!」

「……ッ、ぐぅ……!」

 

 幼馴染みの口元に浮かぶ諧謔の笑み。

 彼女は心底からこの模擬戦を愉しんでいる。

 

 実力の差は歴然だった。斬撃の重さ、速さ、鋭さ、どれを取っても敵わない。

 

 本気の斬り合い、殺し合い。

 

 それに青ざめた表情で怯える少年と、それを至高だと喜悦を交えて笑う少女。

 

 どちらに天秤が傾くなんてのは、分かりきったこと。

 

「――――あははっ!!」

「っ!!」

 

 銀閃の火花が散る。

 

 打ち上げられた彼の『星剣』はくるくると頭上の空へ。

 打ち上げた彼女の刀身は、その鋭い切っ先を標的へと向ける。

 

 ふたりの間は数にしてわずか一メートル。最早無いにも等しい至近距離。

 

 ――落雷のような刃が迫る。

 

 回避するような時間はない。防御する手段はつい先ほどに消え失せた。

 ならば待っているのは、どうしようもない〝痛み〟の到来で――、

 

『――――――』

 

 一瞬の空白。焼け爛れた思考回路がなにもない状態を生んだ。

 

 ドクンとはねる心臓に、冷たいモノが入りこんでくる。

 ずぶずぶと、泥に沈むように、けれど蠢く何かが滾るように。

 

 どくん、どくんと。

 

 脈打つ鼓動が正常性を失って、不規則化していく刹那の合間。

 

 

『     』

 

 

 ――〝死〟が、魂に触れた気がした。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 翌日、学園にはこんな噂が流れていた。

 

『序列一位【青電姫】が一年生の首席と決闘し、激戦の末、完膚なきまでに勝利した』

 

 風の噂はどこから流れたものか。

 朝のホームルームが始まる頃には、すでに篝の耳にも入っていた。

 クラスの噂好きな女子から聞いたお陰だ。

 

 そんな話の信憑性を裏付けるように、件の一年生は本日欠席扱いとなっているらしい。

 

『……まあ、姫奈美ちゃんのコトだから本当なんだろうけど』

 

 くすりと笑いつつ、呵々大笑な様子で後輩相手に本気を出す彼女を思い浮べる。

 

 おそらくは久しぶりの決闘相手、しかも首席というからには「純粋な力比べ」の相手として姫奈美を選んだのだろう。

 そうなると、彼女の気分が上がらないワケがない。

 

 現在の学園トップ、十藤姫奈美が決闘好きなのは生徒の間で周知の事実だ。

 返り血と無数の傷に笑いながら斬り合いを尊ぶ美少女……と言えば刺さる人には刺さる魅力かもしれないが、生憎とそう生易しいものでもないのが現実である。

 

 鮮烈、苛烈、強烈――言葉にすればその類いの彼女を相手にすれば、誰しもが少なからず心に傷を抱える。

 実際問題、篝だって例外ではない。

 

 一年生は今回挑んだ首席の生徒だけだが、二年生以上は姫奈美と争った経験などザラだ。

 特に男子は彼女が提示した条件もあって、命知らずな野郎どもが何人も挑んでいる。

 

 〝――これより先、私に勝った者のみ交際の有無を考える〟

 

 入学して数ヶ月。

 当時、人並み外れた容姿と比較的いまより大人しい性格で人気を集めていた姫奈美は、連日に渡る告白ラッシュに辟易としていた。

 

 毎日どこかしらに呼び出されては「一目惚れでした」「本気で愛してます」「結婚を前提に付き合ってください」などなど(エトセトラエトセトラ)

 

 ついぞ我慢の限界を迎えた彼女は、こうして前述の宣言を全校生徒へ放つに至った。

 

 無論、効果は絶大。

 これを勝機だと無謀な思春期の少年らは少女に戦いを申し込み――見事、そのすべてが心身ともに大きな傷を負わされて敗北。

 もはや二度と彼女には近付かない、近付けないほどのトラウマを抱えてしまったのだった。

 

 ……冷静に考えて、たとえどんなに美人だとしても、血みどろになりながら平然と腕を切り落としてくるわ、逆に切り落とされては「あははははっ!!」と狂ったような笑みを浮かべるわ、という体験をすれば百年の恋も冷めるというもの。

 そう、この幼馴染み大好き至上主義者の少年を除いて。

 

『――――ん、いた』

 

 カツカツと廊下を歩くこと数分。

 授業まで数分となった合間の休憩時間で、篝は階段をのぼってくる目的の人物を視界におさめた。

 

朱丘(あかおか)先生!」

「はい! ……って、折原くん? どうしたんですか?」

 

 なにかご用でも? と首をかしげながら、腕に大量の本を抱えて歩いてくる女性。

 

 遠くからでも分かる真紅の長髪と、この学園の教師には珍しい白衣をまとった姿。

 髪色と同じ赤縁の眼鏡の奥からは碧色の虹彩が覗いている。

 

 生徒の間でも「優しくて綺麗」と評判な彼女は、何を隠そう篝たちのクラスを受け持つ担任教師。

 名前を朱丘紅葉(もみじ)という、彼らの誇る美人若手教師だった。

 

「その、お手伝いに来ました。……荷物、持ちましょうか?」

「まあ! それは、ええ……とってもありがたいですね、はい」

 

 先生助かります、と微笑む彼女の腕には、見るからに重そうな装丁の書物が積まれている。

 今の時間に運んでいるのを見るに、次の授業で使う予定の教材なのだろう。

 

「じゃあ、とりあえず一旦預けてもいいですか?」

「はい、任せてくださいっ。これでも多少は筋肉が――」

 

 あるんです、という自信は次の瞬間、紅葉が本を手渡した直後に砕け散った。

 

『!?』

 

 ずしん、と腕にかかる予想を遙かに上回った負荷。

 ギチギチと筋繊維かナニカが悲鳴をあげる音が聞こえてくる。

 

 重い。

 

 言葉にすればその二文字に集約される、純粋なまでの質量の暴力だった。

 田舎の人間として三十キロの米袋を持ったコトがある篝だが、腕の本はそれより重いのでは、と疑ってしまうぐらいなものだ。

 

 よくこれをここまで、と思わず紅葉を見てしまう。

 

「――っと、流石に全部は重いですもんね、半分でいいですよ」

 

 言いながら、ひょいっと軽々しく本を持ち上げる紅葉。

 

『……いや、半分になってもコレ結構重いよ……!? せ、先生って何者なの……!?』

 

 ちょっと驚愕、というか衝撃、を通り越して若干引いてしまう篝だった。

 

 ニコニコと笑顔を絶やさずに、紅葉は〝一応〟軽くなった本を抱えて階段を上っていく。

 

 その足取りに一切の不安定さはない。

 そも彼女からして負担が減ったのだから当たり前なのだが、こうも平然とした様子だと色々考えてしまうのも事実だった。

 

 主に男の子としての自信とか。

 

 篝にそんなものがあるかと言われれば、まあ、これでも歴とした十代の少年であると主張したい。

 

「……えっと、先生。もしかして毎回、こんな重いのを一人で……?」

「いえ、このぐらい大したことありませんよ。いつもはもっと重いので!」

 

 きらきらとした笑顔で言う紅葉に、「おお、もう……」なんて言葉を失う。

 

 きっと皮肉を言ったり、からかっているのではない。

 真面目な彼女はあくまで真摯に、生徒の質問に真面目に答えただけである。

 

 ……その解答が良いかどうかはともかく。

 

「……今度から手伝わせてください。僕、学級委員ですし」

「? 良いんですか、折原くん。結構忙しいと思いますけど」

「そんなことないですよ。部活もしてないですし、特にやってることもないですから」

 

 いつでも大丈夫です、と軽く笑いながら篝が言う。

 それに紅葉は、ピタリと足を止めてすこしだけ目を細めていた。

 

「――折原くん」

「? はい」

「嘘、ついちゃダメですよ。先生はちゃんと分かってますから」

「……? えっと、その……それは……?」

 

 なにかおかしなコト言ったっけ、としばし自分の言動を振り返る。

 

 学級委員であるのも、部活をしていないのも篝にとっては本当のことだ。

 では一体なにが嘘なのだろう、と彼は首をかしげて、

 

「手にタコ、できてましたよ」

「………………へ」

 

 その指摘に、かあっと頬を赤く染めるのだった。

 

「さっき本を渡すとき気づいちゃいました。練習、頑張ってるみたいですね」

「あっ……す、すいません……その、汚い手で……」

「どうして謝るんですか。……汚くなんかありませんよ。歴とした努力の証拠です」

 

 恥ずかしくともなんともありませんよ、と振り向いて篝と視線を合わせる紅葉。

 なんでもお見通し、と言わんばかりの碧眼に少年の姿が映り込む。

 

 どこか頼りなさげな姿は、彼女から見てもそう変わらない。

 気弱な一人の男子生徒だ。

 

 だからこそ、そうだと自分を認めて尚、続けている事があるのが喜ばしかった。

 

「当たり前を当たり前にできるのは凄いことですよ。折原くんは凄い子です」

「え。いや……そんなことは……ないですけど……」

「自分を卑下しちゃダメです。ちゃんと自信を持ちましょう。頑張ってるんですから」

 

 本を片手に抱え直しつつ、紅葉は「えらいえらい」と篝の頭を撫でる。

 傍から見れば子供扱いでも、当事者である篝にそこまで把握できる冷静さはない。

 

 内心で『なにこれ!? なんなのこれー!?』とひとり混乱の渦中にあった。

 

 もちろん羞恥心で。

 廊下で思いっきりこんなことをされるとか、予想外にも程がある。

 

「……でも、ありがとうございます。なんか、元気出ました」

「そうですか? それなら良いんですけど」

 

 くすりと微笑みながら、いま一度両手に本を抱えて紅葉は歩いていく。

 

 ……気のせいでもなんでもなく。

 少しの間とはいえ、あの重量を片手で支えていた事実に二度目の衝撃を受ける篝だった。

 

「それにわたし、実は折原くんのこと結構気にかけてるんですよ?」

「そ、そうなんですか?」

「はい。なんせ『星刻』の〝色〟と〝属性〟が同じですから」

 

 パチリとウインクをしながら篝のほうを向く紅葉。

 

「……あ、そっか。先生の『星刻』って……」

「はい。〝赤色〟の、〝火属性〟です」

 

 滅多にいない組み合わせですから、と語りながら紅葉は視線を前に戻した。

 その理由になるほど、と頷きつつ篝も彼女へ追従する。

 

「――っと、もうそろそろですね。ここまでで大丈夫ですよ、折原くん」

「え? でも……」

「荷物はわたしが全部持っておくので。折原くんは代わりにドアを開けてくれませんか?」

 

 このとおり両手が塞がってしまいますので、なんて紅葉は篝の腕にある本をパッと奪い去って自分のモノに重ねる。

 はたしてその一瞬をどうにかできる力があるなら手伝い自体初めから要らなかったのでは、と思いかけて、

 

『……そうだった。目的は……いちおう達成、なのかな』

 

 どうして休み時間に彼女を探していたのか。

 その本当の意味を思い出して、くすくすと微笑みながら教室の扉に手をかけた。

 

 ガラリ、と横にスライドしていく簡素なドア。

 開いていく景色が一瞬、視界を白く染めるように溢れていく。

 

 紅葉に先を促して、篝はもう一度微笑を浮かべてみせた。

 

 

 

 

 つまるところ、二年五組の生徒間の仲は、なんだかんだ言ってとてもよろしい。

 

 

 

 

 



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8/紅葉先生の楽しい星刻教室

説明回なので一気にこう、ざっと。


 

 

 

「「「おめでとうございます、先生!」」」

 

 パーン、と弾けるクラッカーの音。

 何事かと言うほどドアの周りに集まった生徒たち。

 

 教室に足を踏み入れた紅葉は、あまりの出来事にポカンと口を開けて呆けていた。

 

「へ? え、ええっと……これは、あの……?」

「待ってました! 朱丘先生!」

「これからも何卒よろしくお願いします!」

「ナイスだ委員長! グッドタイミング! おいおまえら! さっさと用意しろー!」

「言われなくても分かってるっての! はい先生! あたしらからプレゼントね!」

「ケーキもあるぞー! 紅葉先生らしく赤色意識していちごケーキだぜ!」

「ひゅーひゅー! 祭りだ祭りだー!」

「宴だー!」

 

 わっしょいわっしょいとはしゃぎはじめる二年五組一同。

 妙に連帯感のある歓迎体制に紅葉は殊更戸惑うばかりだ。

 

 一体全体この騒ぎはなんなのだろう、と右へ左へぐるぐると目を回す。

 

「ほ、ほんとに何事ですかこれ? ていうかなんなんですこれ!?」

「え? なに、まさか先生忘れてるの?」

「まっさかー……とは思うけど、この反応ガチっぽいな。おいカレンダー!」

「へいお待ち!」

「朱丘先生! 今日の日付は!?」

「へ!? えーっと……」

 

 しゅばっと差し出されたカレンダーに、近くに居た女子生徒が勢いよく指をさす。

 

 十二月も半ばを過ぎた頃。今日を乗り切れば土日の休みとなる金曜日。

 すなわち、

 

「……十九日って……あっ」

 

 十二月十九日。それが示すところは彼女がいちばんよく知っている。

 

「す、すっかり忘れてました……今日、わたしの誕生日ですね……」

「えー! 本人が忘れてるとかそんなんアリかよー!!」

「ご、ごめんなさい……」

「いいですって! おめでたなんですし! とにかく祝え! 飲め! 歌えーっ!!」

「はいはい乾杯乾杯。未成年だからジュースだけど」

「いいんだよ雰囲気さえ出てりゃあ! それで先生、御年おいくつでしたっけ?」

「オイ待てこら男子」

「たしか用意したロウソクの数が二十五本だから……」

「だからデリカシーがないっつってんでしょ! 大人の女性に年齢の話を振るなバカ!」

「大声でそう言ってるそっちもデリカシーねえんだよなあ……」

「なんか言った!?」

「いえなにも」

 

 ざっけんなコラーやんのかコラーと闘争に発展する一部を無視して、本日の主役のもとには大量のプレゼントとケーキが運ばれている。

 

 大がかり、というか大袈裟だがさもありなん。

 落ちこぼれだ劣等生だと言われる五組の生徒たちだが、そのノリの良さと賑やかさは学園随一。

 他を圧倒的に寄せ付けないフットワークの軽さと他にはない謎の団結力がある。

 

 こういうサプライズは優等生だらけの一組や、それに追いつけ追い越せと躍起になっている二組ではまず起こらない。

 彼らの担任を務めるからこその特権だった。

 

「――ありがとうございます、みなさん。先生、とっても嬉しいですっ」

「よっしゃあ大成功太鼓判! ミッションコンプリートだぁー!」

「やあ……そう言ってもらえるとオレらも自腹を切った甲斐があるなあ……」

「おかげで今月のお小遣いがもうないよ私……残金たったの千五百円……」

「まだ良いじゃねえか。俺なんて八十円だぜ? 自販機のジュースすら買えねえ……」

「売店のガムなら買えるわよ」

「ガム食って生きろってか!? 満腹中枢だけ刺激してろってか!? 無理だわ!!」

「大人しく仕送り頼んどけよ。無理なら、まあ、なんだ。奢ってやるから……ガムぐらい」

「結局ガムじゃねえか!!」

 

 各々の財布事情をネタにして騒ぐ生徒たちに、紅葉が曖昧な表情で微笑みかける。

 

 そこまでしてくれたという嬉しさと、そこまでしなくてもという申し訳なさだ。

 紅葉としては本気でありがたいどころか泣きたいぐらい嬉しいが、教師としては無理をするぐらいなら計画的に、と言っておくべき部分だろう。

 

 ……まあ、言ったとしても彼らのコトなので聞かないか、聞いてもすぐ忘れるかのどっちかなのだが。

 

「でも、納得しました。それで折原くんが珍しくお手伝いに来たんですね」

「あはは……まあ、そういうことで。僕からもおめでとうございます、先生」

「ふふ、ありがとうございます。なるほど、うん――やっぱりいいですね、わたし、このクラス大好きです」

 

「俺たちも紅葉先生のこと大好きっすよー!」

「マジ愛してるッス! マジラブ百パーセントッス! ドキドキで壊れそうッス!」

「それ千パーセントじゃないの?」

 

「ところで始業のチャイム鳴ってるけど、いいのかよ。もう他は授業はじめてんぞ」

「あっ、そ、そうです! 授業! はい! とても、大変、非常に嬉しいんですけど授業はしないといけませんからね!?」

「おいおい空気読めねえこと言うなよ鷹矢間ー!!」

「もうちょっとで十分……いや十五分は授業時間潰せたのにー!」

 

「うるせえ。バカがバカになることしてんじゃねえ。とっとと席付けバカ野郎ども。お前らバカなんだから授業受けねえとバカから脱却できねえだろうが」

「バカバカ言うなバカこの……このバカ!」

「誰がバカだアァン!?」

「やっぱキレるのそこなんだな……」

 

「はいはい! とりあえず始めますよー! みんな用意して、はい! 折原くん! まず号令からお願いします!」

 

 

 大慌てで一旦片付けに入る教室に、やいのやいのと大勢の騒ぎ声が響きわたる。

 

 ちょっとだけうるさいぐらいの、賑やかな彼らの日常だ。

 それにほんのりと満足しながら、落ち着いてきたところで「起立」と篝が声を上げた。

 

 学級委員である彼の合図を皮切りに、二年五組の授業は親しげな空気と共に幕を開けるのだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――それでは早速今回の授業、『星刻学』についてやっていきたいと思いますけど……そうですね。皆さんからとびっきりのサプライズをもらっちゃいましたし、わたしからも一つサプライズ――もとい、ちょっとした抜き打ちテストでもしましょうか!」

 

 ニコリと微笑んで告げた紅葉の一言に、教室中から「えー!」というブーイングの合唱が巻き起こる。

 成績の悪い彼らにとってテスト自体に悪いイメージしかないのに、それにプラスして抜き打ちなんて付いていれば尚更だ。

 

「ああ、大丈夫です。安心してください。ちょっとした基本の復習ですよ。いまから先生が問題を出すので、指名された人は元気よく答えてくださいね」

 

 それならまあ、といった感じで「はーい」とやる気なさげに答えるクラス一同。

 ちょっと心配になる返事だが、いつもの事だと苦笑して紅葉は言葉を続けた。

 

「ではひとつめ。わたしを含め皆さん、この学園にいる全員が持っている紋様、『星刻』と呼ばれるモノですが、これは一体なんでしょう? じゃあ――はい! 折原くん!」

「うわっ、最初……!」

「頑張れ篝ぃー?」

 

 ニヤニヤと笑ってあからさまに気持ちのこもっていない応援をするのは悠鹿だ。

 他人事だと思ってからかう彼へとわずかにジト目を向けながら、ええっと、なんて篝は質問の答えを脳内で模索する。

 

「その、『星刻』っていうのは一部の人間が生まれつき持っている不思議な紋様で、主に高次元にいる『星霊』と繋がった証とされています。身体に刻まれた数、色、形によって様々な力を扱うことができて、大体は生まれたときから変化しないまま、です」

「はい、ありがとうございます! いいですよ」

「ほっ……」

 

 安堵の息と共に着席する篝。

 目の前の友人が「おめでとー」なんてニヤけづらで拍手をしているのを、自分の手で挟み込むようにパンと叩く。

 

 ――ふたりして悶絶した。

 

「傷の回復、特殊な力の操作、武器の呼び出し……沢山の効果を持つ『星刻』は、要するにわたしたちが『星霊』と呼ぶモノの力になります。さて、では次の問題。この『星刻』が繋がった先にいる『星霊』とはなんでしょう? はい、鷹矢間くん! ……って、二人ともどうしました?」

「い、いや、なんでもねぇっす……」

「いたい……ちょういたい……」

「ばかがり……ばかかがり……!」

「ばかがりはやめて……!」

「??」

 

 サンドイッチされた拍手の威力は相当なものだったらしい。

 手をおさえてぷるぷると肩を小刻みに震わせながら、なんとか悠鹿が立ち上がる。

 

「はいはい……っと。あー、『星霊』だっけ。つまり『星霊』っつうのは高次元にいる謎の生命体で、俺たちに『星刻』を授けてる元凶……もとい原因とかなんとか。全部で五体確認されてて、俺らの『星刻』はそれぞれの『星霊』に対応した属性の形をしてますね。でもって、その属性の力を扱うことができると」

「はい、それぐらいで大丈夫ですよ。オッケーです」

「はっ、どんなもんだ?」

「言っとくけどもうアレはやらないよ」

「アホ。やったらもう一回ふたりで悶える羽目になんぞ」

 

 それだけは嫌だね、とうんうん頷き合う男子ふたり。

 彼らは本日も非常に仲が宜しい。

 

「わたしたちの暮らす此処より更に高い次元、星の外側、世界の裏側……なんて言われる別のどこかに存在するのが『星霊』です。彼らは事実この星に居ますが、基本的には通常の観測すら不可能、むしろわたしたちが観測されているという状態で、一説によると『星刻』とは彼らの瞳や触覚代わりなのでは、とも言われています。まあ、難しい事を言っても仕方ないので。全部で五体の『星霊』がいる、とだけ。ではではお次も、この五体の『星霊』に属した属性ですが、これらを説明してもらいましょう! はい、見槻(みつき)さん!」

「あっ、はい!」

 

 ガタン、と立ったのは篝の隣の席にあたる女子生徒だった。

 普段から気軽に話したり、教科書を忘れた時は度々お世話になる少女である。

 

「五体の『星霊』それぞれの属性は、『火』、『水』、『雷』、『風』、『土』の五つに別れていて、私たち星刻使いはその属性と、星刻の〝色〟によって発現する能力を織り交ぜて戦うのが基本になり、ます」

「うん、完璧ですね。ありがとうございます、座って良いですよ」

「……やったね、見槻さん」

「やったよ篝くん……!」

「そこまで喜ぶところかおまえら」

 

 がっしと手をつかみ合ってブンブンと振るふたりに、悠鹿が呆れ気味の視線を向ける。

 

 余談ではあるが、またもや某所で毒電波を受信した幼馴染みが「うがーーーっ!!」と内心で猛り狂っていたのは言うまでもない。

 

「五つの『星霊』と五つの属性。ここまでの関係はいいですか? いいですよね? ……一年時の復習内容ですから、よくないとアレなんですけど……はい、先生みんなのこと、信じてますから。次に行きましょう! では先ほど見槻さんの言ってくれた星刻の〝色〟についてですが、こちらを全部言ってもらいましょうか。はい、遠埜(とおの)くん!」

「げぇっ! いきなりキタ!」

「返事は〝はい〟です!」

「はいぃいっ!」

 

 やけくそ気味に声をあげる遠埜少年。

 無駄に元気があってよろしいのは、まあ、五組の全員に言えることなのでわざわざツッコむものでもないだろう。

 

「星刻の色? 色ね、色……赤と、青と、黄と、緑と、黒っすね!」

「素晴らしい! ではその色ごとの特徴、能力は言えますか?」

「えッ……いやそれは、ちょっと……」

 

 わかんないっすねーあっはっはー、と頭をかきながら着席する遠埜某。

 ちなみにコレも一年生の履修範囲であるので、彼らのごとく忘れているのは間違いなかった。

 

「はあ……仕方ないですね。じゃあ能力はわたしのほうから説明します。きちんと聞いてもう忘れないようにしてくださいね? ほんと、サービスですよこういうの」

 

 うぇーい、とまたもや一段とやる気の無い声をあげるクラスメートたち。

 

 自分たちは劣等生だから、と落ちこんで暗くならないのは良いのだが、軽く受け止めすぎるのもどうか。

 目下悩みどころである授業態度に、ひっそりため息をつく紅葉である。

 

「……ではまず、赤色から。赤の『星刻』が持つ特性は力の集中、解放になります。ある一点、または一定期間、溜めた力を解き放つことで強力な攻撃や、とても高い身体能力の再現を可能にします。例えば――」

 

 言いつつ、紅葉はひょいっと持っていたチョークを見せびらかすように揺らしてみる。

 

 何の変哲もない白墨は、彼女が先ほどまで使っていたものだ。

 若干先端が削れている。

 

「このチョーク。これをこのように……えいっ、と弾いても、特に変わりませんね」

「動いてまーす」

「動いてますけど、はい……動いてますけどぉ、その、壊れたりはしないでしょう?」

「そっすねー」

「はいはい。では……」

 

 スッと、片手に白墨を持ったまま、紅葉が逆の手で親指と中指の輪っかをつくる。

 

 その指先に見える赤い燐光は、気のせいでもなければ錯覚でもない。

 彼女の星刻、そこから通された星の力が、光と共に肉体を駆け巡っている証拠だ。

 

 赤の力。集中と解放。それが示す結果は、つまり、

 

「――――ふっ!」

 

 ざあ、と。

 

 デコピンの要領で打ち出された指先が、一瞬にして白墨を粉微塵へと変えた。

 

「……このように、溜めた力を一気に撃ち出すことで、威力を増すことができます」

「せ、先生すげえな……」

「割れるどころか粉になって流れていったぞ、チョーク……」

「俺、人間の手でチョークが粉末状になるの初めて見たわ……」

「ふふっ」

 

 若干ドヤ顔で決める紅葉へ、若干引きつつも尊敬の視線を向ける二年五組。

 その中でも同じ色、同じ属性である篝の驚愕は特段大きい。

 

 ……あれほどの威力は今の篝では発揮できないだろう。

 せいぜいが割れるぐらいなもので、消し去るなんて当然無理だ。

 

 まだまだ技術的にも、足りない部分は多い。

 

「はい、ではどんどん行きますよ。次は青色の『星刻』になりますが……これの特性は、知ってる人も多いですかね、やっぱり」

「当たり前でしょー。なんたってうちらの学園トップだもんねー」

「知ってるっつうか、一度体感したら忘れられないっつうか……」

「トラウマ級だわ、十藤の強さ……マジで脳内からこびりついて離れねえ……」

 

「姫奈美ちゃんは人気だなあ……」

「篝。おまえのその、幼馴染みに対しての激甘判定は本当どうかと思う」

 

 悠鹿の言葉もいまの篝には聞こえていないようだった。

 姫奈美の話題になると希によくなる精神状態である。

 

「でも一応、授業なので説明しておきます。青の能力は〝加速〟……シンプルで汎用性も高い特色のひとつですね。剣を振る速度から、純粋な移動速度まで。使いこなせば音速ぐらいは軽く超えられるとも言われてますね。果てには擬似的な時間の停止も可能とか」

 

「十藤はどのレベルなんだっけ。折原ー?」

「姫奈美ちゃんなら光速一歩手前が限度じゃないかな……? あ、でも分かんない。前に決闘で勝ち続けてたらまた星刻の数が増えたとか言ってたし」

「うへー! あれでまだ増えるのかよ……まじ化け物だろ……」

「こら、折原くんの前でそんなコト言わない。傷付いちゃうでしょーが」

「いや、大丈夫……だよ? うん」

 

 実際化け物と言っても過言ではない実力なのは篝も認めている。

 が、言い方は言い方なので、できれば天才的とか神童とかそこら辺に変更してもらえないかなとも思っていた。

 

 やはり判定は激甘らしい。

 

「はいはい、静かにー。では次も行きますよー。次は緑です。緑の特色は五感の強化……遠くのものを見たり、小さな音を拾ったり、という使い方ですね。制御が難しいのが欠点ですけれど、上手く使い所を見極めれば優位に立ち回れます。……まあ、その分、無闇矢鱈に発動させるとやられちゃう特性なんですけど」

 

「正直ハズレ枠だよねー……あたし斬り合いの途中で鼓膜やられたコトあるもん」

「分かるわー……少しでも切られると感度上がってるからめっちゃ痛いんだよな……」

「普通に失神するよなアレ。まじ不遇色でしょ緑……青とか赤とか交換してぇ……」

 

 ひそひそと漏れる会話は実際に緑の『星刻』を持っている生徒からのものだ。

 

 感覚の強化、とは言うが、強化された感覚はその分傷を受けた時にも機能してしまう。

 結果、痛みが何十倍、何百倍となってしまうのが扱いの悪さ……もとい難しさだった。

 

「そんなネガティブに捉えないでください! 緑の『星刻』でもちゃんと結果を残してる人はいますよ! 例えば……一組の子波さんとか!」

「序列第八位の【波風】じゃないっすか! しかもエリートクラスの一組生!」

「星刻だってそこそこの数を持ってて、しかも〝色合わせ〟ですよ!?」

「比べものになんないっすね! つか無理!」

 

 逡巡の余地もない生徒たちの全否定に、がっくりと肩を落とす紅葉。

 

 実際名前をあげた彼女が理想的な『緑色』の使い方をするのだがさもありなん。

 後々どうにかフォローできないかと考えを巡らせつつ、次の話に移った。

 

「……では次、黄色。これについては青色同様とてもシンプルな効果ですね。ええ、はい。――〝効果(こうか)〟は〝硬化(こうか)〟! 硬くなる! 以上です」

 

 しん、と静まり返る教室。あまりの静寂に頬を伝う一筋の汗。

 全員が「何言ってんだコイツ」みたいな目で担任教師を責めていた。

 

 

 

 

 

「ふふっ……」

「あッ! バカ折原! なに笑ってんだ紅葉ちゃんが喜んじゃうだろ!」

「ご、ごめん……いや、なんか、ツボ入っちゃった。あははっ」

「! そ、そうですよね折原くん! いまの面白かったですよね!?」

「いやまあ、そこそこ」

「そこそこっ!?」

「さらっとトドメ刺しやがった! ナイスアシスト折原!」

「ナイスなのか……」

 

 ……まあ、時折こういったギャグを挟みつつも、授業はつつがなく進行していく。

 

「では最後、黒色の『星刻』です。こちらの特性はエネルギーの吸収、反射。相手の直接攻撃だったり、属性だったりを利用した戦い方が特徴ですね。二工程に分けられた能力になりますから、即座に反射したりは無理ですし、吸収する量にも限界があります。コンスタントに能力を使用するのが無難になるかと」

 

「たしか十藤の雷撃を吸収した奴いたよな。一瞬で破裂したが」

「肉片になっても再生する『星刻』を凄えって言うべきか……肉片にしても嫌な顔ひとつしてねえ十藤さん凄えって言うところか……」

「どっちもどっちでしょ……いや、あいつ腕切られて笑うようなヤツだからね?」

「ひぇっ……なんでそんなのと折原は何年も幼馴染み続けられてんですかね……」

「折原はほら。バカだから。すげえバカだから」

 

「悠鹿、悠鹿。なんかすっごいナチュラルに悪口言われてるよ」

「おまえはいま、泣いて良い」

 

 無言で机にうずくまる篝を、例の如く隣の席の見槻女史がよしよしと慰める。

 

 話題にあがっている幼馴染みが見ていれば歯ぎしりしながら殺意を宿していても不思議ではない光景だった。

 というか見ていなくても毒電波を受信してキレそうになっている。

 

 幼馴染みの間にある運命的な見えない糸は、ちょっと色々おかしい。

 

「はい、ということで『星刻』の色が一通り終わりましたし、少し深い部分へ突っ込んでいきましょうか。この『星刻』、見た目で強さ、才能の度合いがはっきり見えます。要は紋様が幾つあるか、というところですね。これを『星刻』の画数と言うのですが、これらをランク分けした詳細を言えますか? はい、有坂(ありさか)くん!」

 

「うーっす。えーっと、たしか一から五画までがEランク、六から十画でDランク、十一から十五画がCランク、十六から二十画はBランク、二十一画以上でAランク……じゃあなかったですかね?」

「はい、正解。お見事です。……とまあ、このように『星刻』はその数でランク付けされていて、基本的に画数が多ければ多いほど使い勝手、またその威力や応用範囲も広がっていきます。また詳しく解明されてはいませんが、過去に画数が増減した、という事例は幾つもあがっていますね。もしかするとこれから増えるかもしれませんし、減っちゃうかもしれない、ということですね」

 

「Aランクはうちの学園内でも十藤だけだっけ? 先生らでもBが限度だろ、たしか」

「だなだな。マジモンの規格外だぜ。……いや、規格外って言ったらウチにもいるが」

「うん、いるな。真逆の意味での規格外が。……一画って相当だよなあ、折原」

 

「悠鹿、悠鹿。なんだろう。眼鏡が曇ってるみたい」

「篝。泣いていいんだぞ」

 

 二度目の涙を流すたった一つしか『星刻』を持たない少年。

 それは出力的にも使い道的にも正真正銘〝才能ナシ〟であることを示している。

 

 なお、姫奈美同様にこの学園で『星刻』の数が一つであるのは篝だけだ。

 

 素直に喜べない複雑な部分でトップとワーストお揃いなのが歯痒い。

 

「だ、大丈夫ですよ? 折原くんは滅多にいない〝色合わせ〟の『星刻』ですからね! ……まあ、十藤さんはその〝色合わせ〟ですらない普通の組み合わせで強いんですけど」

 

「――――――」

「オイオイオイ。死んだわ折原」

「今日は委員長の厄日だな……つか天誅殺? 大丈夫か、お祓い行く?」

「大丈夫じゃねえだろお前ら。この顔見てみろ。チベットスナギツネみたいだ」

 

 感情を失ってやがる、と冗談でおののいてみせる悠鹿。

 地味に名演なのが芸細(ゲイコマ)だ。

 

「そ、そう! ちょうどいいので、〝色合わせ〟の解説でもしましょうかっ!?」

「話を逸らしたな」

「あからさまに誤魔化したわね」

 

「はいはい! えーっと、色合わせというのは『星刻』の属性と色が最も相性のいい組み合わせのことを言います! これはとても珍しくて、星刻使いの中でも百人、二百人以上のうちのひとりほどしかいません! それぞれ対応するのが、火と赤、水と青、風と緑、雷と黄、土と黒、といったところですね! 私と折原くんはそのうち火と赤になります! お揃いですね! 頑張りましょうね! ね!? 折原くん!!」

 

「はい……」

「ダメだ、覇気を失ってやがる」

 

 俯きながら返事をした篝は小声で「ひなみちゃん……」と呟くだけだった。

 打ちのめされて尚出てくる単語がそれでいいのかと思わないでもない悠鹿である。

 

「そ、それじゃあ後は……っと、残りはなにがありましたかね……発現すると限界を超えて『星刻』の力を使える代わり、一月後に『星霊』に連れ去られて肉体が消失する星形の痣……とかはまあ、そもそも実力者しか出ないモノですから皆さんには関係ないですし……」

 

「おい、紅葉先生がナチュラルに俺たちに喧嘩を売ってきたぜ。どうする」

「上等ォ! そうだ! でもって喧嘩だ! 喧嘩をしてやらあッ!!」

 

「えッ、ちょ、落ち着いてください! 違います違います! そういう意味じゃなくってですね!? えーと、えーと……! そ、そうです! いちばん大事な『星剣』の説明がまだでしたね!」

 

 ステイステイ、と一部の過激派を落ち着かせながら、紅葉がピンと人差し指をたてる。

 

「こほん。えー、『星剣』というのは文字通り、我々『星刻使い』が主武装とするモノになります。大体は刀剣の形をしていることからこの名前になっていますが、形状自体は千差万別ですね。両刃だったり片刃だったり、日本刀だったり青竜刀だったり、あと西洋剣とかも。これらは一見すると普通の武器にしか見えませんが、実は高密度のエーテル……『星霊』たちが居る高次元に溢れている第五要素を凝縮してつくられたものだと言われています。要するに彼ら『星霊』のつくった特殊な武装、その強大な力の一端ですね」

 

 あくまで最後の言葉を強調しつつ、くるくると紅葉が指を回す。

 

 彼女が得意げに解説するときのクセだろう。

 同時に、気分があがってきている証拠でもあった。

 

 ……このとき。

 篝を含め一年時からお世話になっていた生徒全員がこのあとの展開を「あっ……」と察したのだが、もちろん紅葉自身はそれに気づかない。

 

「あとは……一応、コレも説明しておきましょうか。わたしたち『星刻使い』にとっての必殺技とも言える一撃。即ち、姿なき『星霊』すら魅了する動作を以てして、その一連の流れを後押しされる。彼らが至高と仰ぐ究極の一。これを『渇仰劔舞(ラウダーティオ)』と言います。この技術に至るのはあくまで『星霊』にその動きを認められる攻撃、一撃を練り上げることなので……みなさんでもチャンス自体はある、かもしれません! まあ、うちの学園の生徒でそこに至っているのは序列一位の十藤さんぐらいなんですけど」

 

「いやそれ無理……十藤レベルでやっとって、基準がぶっ壊れてるわ……」

「それこそありえないよねー……てかあの強さで奥の手あるのがズルい」

「つか意味がわかんねえ。なんだよ『星霊』に認められる動きって……綺麗さか?」

「たしかに十藤の剣捌きとか、体捌きとか、綺麗っちゃ綺麗だけどよぉ……」

 

 不満の声をあげる生徒に、紅葉がいま一度「こほん」と咳払いをする。

 

「強いことが大事ってワケでもないですよ。わたしたちは『星刻』を通して呼びかけることで、何時でも手元に『星剣』を出現させることができます。これは自衛のためを思うと便利ですが、逆にいつでも相手を傷付ける凶器を持っているのと同じなんです。色や属性の能力だってそう。生まれつきで、望んだものではないとしてもそれが事実。だからわたしたち『星刻使い』は、こうやって特別に定められた学園で正しい知識を得ることで、正しい身の振り方、力の使い方を覚えていくわけなんですよ。勉強がすこしできないぐらいなんてことありませんけど、無闇矢鱈に力を振るうのは駄目ですからね。時と場合と場所、そして節度を守って、『星刻使い』としての意識を高く持っていきましょう! ね!」

 

 はーい、と真面目な紅葉に合わせるよう、今度は真面目な返事で応える五組一同。

 これで話は終わり、あとはのほほんと授業を続けていけばいいのだと、油断した一部の生徒が気を抜こうとする。

 

 もちろん、経験者は全員冷や汗をだくだくと垂らして。

 

「――じゃあ早速時間もいいところですし、実践でもしましょうか! ちょうど今は第一アリーナが空いていた筈ですし! うん! 皆さん一緒に運動と行きましょう! 先生にどんどんかかってきてくださいね!」

 

 全員みっちりしごきますので! と満面の笑みで紅葉はクラス中へ告げた。

 かわいさ満点、善意百パーセントの笑顔は見る者を魅了するが、今回に限っては上手く機能しない。

 

 なにしろその台詞は地獄への片道切符。

 

 美人で若手、授業も明るく分からないところは何度もくり返す。

 生徒から人気を博している紅葉だが、ある一点においては非常に畏怖の念を抱かれていた。

 

「これでもBランクの色合わせ。先生、手抜きとかしませんよ?」

 

 こと試合形式、戦闘のコトになると他とは比べものにならないほどのスパルタ教育。

 いつもの穏和な口調のまま激しい剣戟をくり出してくると有名な、わりと体育会系とも言えるノリと実力を併せ持つのが彼女の本質である。

 

 ……その後。

 もちろんアリーナへ移動して授業風景を変えた篝たちは、揃ってボロボロになるまで地面やら壁やらを転がされることになるのだった。

 

 

 

 



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9/週末なにしてますか?

ドーウシターラー





 

 

 

 

「――おや、やっぱり来ましたね折原くん」

「あはは……はい」

 

 土の味と打撲の痛みを嫌というほど思い知った授業のあと。

 昼休みに入って食事も早めに済ませた篝は、そのまま職員室へと足を運んでいた。

 

「いつも通り、休日のアリーナ使用申請ですよね?」

「そう、ですね。……毎週毎週、すいません」

 

 ぺこりと頭を下げながら、入り口近くで書いたA4用紙半分程度の書類を差し出す。

 

 平日は誰もが自由に、平等に使用が許可されている学内のアリーナであるが、土日祝日を含む休日は勝手が違う。

 なにかのイベントや地域の催しなどに場所として貸し出されることがあるからだ。

 そのため休みの日にアリーナを使う際は、こうして生徒自ら事前に申請用の書類を提出しなくてはいけない決まりになっている。

 

「いえいえ、良いんですよ。土曜日ですよね? ただ、今週はちょっと」

「? なにか、別の予定が……?」

「ええ。午後から一斉点検がありますから。ですので、使えるのは午前中だけになるかと思いますけど……それでも良いですか?」

「あ、はい。全然。それだけでも、使えるなら全然っ」

 

 問題ないです、と曇りのない微笑を浮かべる篝に、紅葉はそっと瞳を緩めた。

 

 当初の予定とは違って半分の時間しか使えない。

 そう告げられた少年の顔に残念そうな色はあれど、すぐさま消えて明るいものになっている。

 

 気落ちするのではなく、限られた時間でなにをしようか、と考えているのだろう。

 

「……そういえば、土曜日はわたしも書類整理ぐらい、でしたっけ」

「? そう、なんですか?」

「はい。なので、まあ、なんていうか。折原くんが良いなら、わたし直々に指導を――」

「いいんですかっ!?」

 

 がばっ、と飛びつかん勢いで距離をつめる篝。

 

 迷いも葛藤も微塵もない。

 その申し出を嬉しい事と素直に受け止めている瞳は、心なしかキラキラと輝いている。

 

「え、ええ……いいですけど……ちょ、ちょっと予想外の反応でした。先ほどの授業で、散々やっちゃいましたから……」

「え? ……ああ。あのぐらいなら、まあ」

 

 あはは、と篝は頭をかいて笑う。

 

 つい三十分も前になる途中からの実戦形式。

 他の生徒と並んで紅葉に挑んだ彼は、見事手も足も出ずに瞬殺されていた。

 

『まだまだですねッ!!』

 

 そう言われて地面に頭からめり込まされた記憶が思い出される。

 格好はもっぱら地中版犬○家の一族だ。

 

「それに、やっぱり――すこしでも近付きたい、ですから」

「……そうですね。そうですもんね、折原くんは。先生、その目標は素敵だと思います」

「……無謀とか、思いません?」

「あら。良いじゃないですか、無謀、蛮勇。そういうのを理解した上で、貫き通してこその男の子じゃありません? 無理無茶無謀は押し通してこそです!」

「そ、そうですか?」

「そうですとも!」

 

 なんとなく、彼女のスパルタ気質の根本である考え方を垣間見た篝だった。

 

「そうと決まれば、明日、楽しみにしておきます。ビシバシいきますから、覚悟しておいてくださいね? もちろん手加減容赦は抜きですよ?」

「――はいっ」

 

 パチリとウインクしていう紅葉に、篝も元気よく笑顔で返した。

 

 期待と喜びに胸を弾ませつつ、職員室を後にする。

 彼女のスパルタ事情を考えれば特訓のあとがすこし心配だが、それでも先達から直々に指導してもらえるというのは非常に心強い。

 

 しかも『星刻』の色や属性がまったく同じ紅葉からだ。

 きっとタメにもなるし、後々に活かしていけることもあるだろう。

 

 これは気を抜いていられないな、と微笑みながら篝は教室への帰途について、

 

「む」

「あ」

 

 ばったりと。曲がり角の先で、見知った顔と出くわした。

 

「――見つけたぞ篝っ!」

「へっ!? え、なに!? 姫奈美ちゃん!?」

「動くな! おまえは完全に包囲されているっ!!」

「僕なんか悪いコトしたっけ!?」

 

 手を拳銃の形にしてずびしっ! と突き付けてくる幼馴染み……もとい姫奈美。

 

 見れば彼女の肩はわずかに上下していた。

 頬も赤みを帯びている。

 おそらく今の今まで学園中を駆け巡って探し回っていたのだろう。

 

 ……尤も肝心な篝は、今の今まで職員室で紅葉と話していたワケで。

 なんとなく申しわけない気持ちになって、彼は大人しく体から力を抜いた。

 

「……どうしたの、なにかあった?」

「あった。よし、動くな。そこを動くなよ」

「あ、うん」

 

 言われるがまま、ピタリと篝はその場に立ち尽くす。

 

「じゃあ、失礼して」

「?」

 

 ぽん、と軽い接触。

 頭の上にのせられた姫奈美の細い手指が、さらさらと髪を撫でる。

 

 ――というか、頭を撫でている。

 

 驚いて彼女の顔を覗きこむと、意外にも表情は真剣一色だった。

 

「え、いや、本当にどうしたの……?」

「いや、なんとなくしなきゃいけない気になって」

「ええ……?」

「まあ、なんだ。大人しくしていろ、うん。それがいい」

 

 ジッと鋭い視線を彼と合わせたまま、ぽんぽん、ぽふぽふ、なでなで、さすさす――と動物もかくやといった風に撫で回してくる。

 

 突然始まった不思議なスキンシップは、それから十分間続けられた。

 

「……ん、よし。もういいぞ!」

「……満足した……?」

「うん! 満足した! 篝成分補給完了だ! これであと一週間生きられるな!」

「あれで一週間なんだ……」

 

 効率が良いのか悪いのか、どうにも判断しがたい篝である。

 

 姫奈美のこういった行動は今に始まったことでもない。

 星刻学園に入った頃から定期的に発生する、所謂発作みたいなもの……らしい。

 

 それに苦笑しつつも苦言を呈さないのは、彼としてもこういったふれあいが満更でもないからなのだろう。

 ……実際、幼馴染みとしてもうめちゃくちゃ嬉しくはあるのだが。

 

「まあその話はともかく。篝。明日の土曜、空いてるか?」

「? えっと、一日は無理だけど、午後からなら」

「む? そうか。いや、それでも良いのか……? うん。良いな、良いぞ、良いんだ」

 

 三段活用でうんうん、と頷きつつ篝のほうを見る姫奈美。

 赤い宝石みたいな視線が、真っ直ぐと眼鏡を通した彼の瞳を捉える。

 

「ではひとつ、私からちょっとした提案を」

「な、なに? 急に、改まって……僕にできることなら出来る限りするけど」

「ああ、いや、そう身構えるな。別に大した事じゃない。ただのお誘いだよ」

 

 くすくすと笑って、姫奈美はそっと、少年の前に手を差し出した。

 

「――篝。私と、デートに行かないか?」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「おー! 良い感じだねぇ……!」

「ふふ、そうだな」

 

 ぐつぐつと煮え立つ鍋を囲みながら、姫奈美と伽蓮は本日の夕食と相成った。

 

 今日の献立は以前にふたりで話していたように鍋物。

 伽蓮の提案した水炊きである。

 

 お玉と菜箸を片手に鍋をつつきあう時間は、金曜の夜というのもあって贅沢さも一入。

 この日まで頑張ってよかった、と思わず顔が綻んでしまうぐらいのものだった。

 

「――んー! 美味しい! 成功成功! コレキタって! あぁー……体に沁みる……」

「……む! いや、行き当たりばったりでもなんとかなるもんだな……?」

「ポン酢は偉大。大根おろしも偉大。でもって鍋も偉大! グレートスリーってやつ?」

 

 日本に生まれて良かったわー、とぼやきながら豆腐を口に含む伽蓮。

 はふはふと熱を冷ますのに必死になりつつも笑顔なのが味を物語っている。

 

「やっぱり冬は鍋だよね。ね、ね、今度はおでんとかつくらない?」

「気が早いな……まあ、近いうちに出来たら」

「ぃよっしゃ!」

 

 ぐっとガッツポーズをする伽蓮に、姫奈美が呆れまじりの微笑を浮かべた。

 お互い料理の腕は半人前だが、ふたり合わせればそこそこにできるモノがある。

 

 切磋琢磨、二人三脚、足りない部分は補って。

 

 二年近くになる同居生活が育んでくれたものは意外と大きい。

 

「ふんふふーん♪」

「…………、」

 

 鼻唄を歌いながら鍋をつつく伽蓮を穏やかに眺めつつ、姫奈美も白菜をひとつかじる。

 

 いつも通りの食事風景。

 そこに変わった部分など本来ありはしない。

 

 筈なのだが、

 

「――てか、なんか、姫奈美、機嫌いいね?」

「ん?」

 

 このように、長年の付き合いになるパートナーはその機微をちゃっかり拾っていた。

 

「ああ、うん。ちょっとな?」

「えー、なになに。良い事あったんだ。教えて?」

「……聞きたいか?」

「聞きたい聞きたーい!」

 

 ブンブン箸を振って意見を主張する伽蓮。

 はしたない姿にため息をつきながら、姫奈美はほんのり赤く染まった頬を隠すようお椀を持ち上げて、そっと視線を逸らす。

 

「……実は、篝と明日、デートするんだ」

「へぇー……、へぇーっ!? えぇーっ!? 嘘マジ!?」

「マジもマジ。大マジだ。今日誘って、了解をもらった」

 

 昼からだけどな、と付け足しながらも姫奈美は満面の笑みを浮かべていた。

 おそらく相当嬉しいのだろう。なんともまあ、幼馴染み想いの同居人である。

 

「篝と二人っきりで遊ぶの、久しぶりだからな……この前が一年生のとき、一緒に水族館へ行ったときだから……ちょうど一年と三ヶ月ぶりだな」

「なに、そんな細かいところまで覚えてるワケ?」

「そりゃもちろん。なんなら時間まできっちりソラで言えるぞ!」

「お、おぅ……マジっすか……」

 

 ニコニコと案外洒落にならないコトを言う姫奈美に、伽蓮はおずおずと答えた。

 

 てか若干引いた。

 ちょっと、知り合いの彼にプライベートがあるか、とか心配になる。

 

「……姫奈美と篝っちってさあ」

「? うん」

「なんか、意外っていうか。こう、珍しい組み合わせだよね」

「そうか?」

「そうでしょー」

 

 そうだろうか? なんて一段と首を傾げながら思う姫奈美。

 

「だってふたりとも正反対だし。気が合うとか、趣味が合うとか? そういう部分、あんまりなさそうなのになーって」

「……ああ、なるほど。そういうことか」

 

 くすりと微笑みつつ、姫奈美は静かにお椀を置いた。

 

 たしかに伽蓮の言う通りである。

 一見する自分と彼とでは、重なる姿がどうにも。

 

「一番はたぶん、幼馴染みだからっていうのが大きいな。たしかに私と篝じゃ色々と違うところも多いけど、そうだって分かってたらやりようもあるだろう?」

「……まあ、たしかに」

「それに――あぁ……いや、私自身……昔は仲の良い幼馴染みー……ってぐらいの認識、だったんだけ、ど」

「? うんうん」

 

 くるくると自分の髪の毛をいじる彼女は、誰から見ても分かるぐらい妙に歯切れが悪い。

 

 その視線はしずしずと首元のマフラーに落とされている。

 篝お手製だと伽蓮も聞いた、夏場であろうと春先であろうと、いつも彼女が身に付けている一種のトレードマークだ。

 

「……惚れちゃった、からな……私のほうが」

「あらあら」

 

 そりゃまあなんとも、と伽蓮も苦笑と共に箸を動かす手を止めて、話に耳を傾ける。

 

「……伽蓮はもう知ってるから、いいか」

「?」

「いや……このマフラー、中学二年の誕生日に篝からもらったんだ。手作りだってのは、知ってるだろう?」

「まあねー。アレでしょ。最初は星刻を隠してたんでしょー?」

「ああ。で、この際告白すると……あー……その頃、ちょっと……いじめられてて」

「え?」

 

 唐突なカミングアウトに、伽蓮はまじまじと姫奈美の目を見つめてしまう。

 

「姫奈美が? 中学のときに?」

「……うん。私の星刻、首元で割と目立つし、その時から二十幾つあったからな。気持ち悪いとか、不気味だとか、おかしいとか、な。……色々言われた時があった」

 

 そう言いながら項垂れる彼女の姿は、過去の話と割り切っているにせよ弱々しい。

 学園一位、常勝無敗の最強として頂点に立つ少女からは想像できないとしてもだ。

 

 きっと語っている以上に苦痛はあったし、悲痛もあったのだろう。

 

「本当、あの時期は辛くってなあ……嫌がらせも受けたし、そもそも普通に生活すること自体嫌にもなってた。もうこのまま全部壊れてしまえー……とか、思ってさ。でも、流石にそんなことできないだろ? ……だからずっと耐えてて、でもきつくて、悔しくて」

「……うん」

「そしたらさ、篝がこれ、渡してきて。大丈夫だよって。これで首を隠せば見えないし、僕も一緒にするから変じゃないー……とか、言うんだよ。しかも目元に隈までつくって。ありえないだろ本当。――――あれ、駄目だ。ズルいんだよ。あいつ、もう……っ」

 

 思い出したのか、かぁっと顔をまっ赤にして姫奈美がそっぽを向く。

 

 〝――めっちゃイカしてるムーブしてんじゃん篝っち!〟

 

 それに胸中、落雷でも落ちたかのような衝撃を受けているのが伽蓮だった。

 

 たしかにずるい。

 そんなのは反則だ。

 しかもお揃いで用意しているというのが余計クる。

 

 ちょっと篝の内心評価を二段階ほどあげておいた。

 彼女的にポイント高い。

 

「……ま、気持ち分からないでもないし。そうなると余計なちょっかいはかけられないね。明日、しっかり楽しんできなよ?」

「ああ。時間的にも、そんなに無いからな」

「? 午後からまるまる遊ぶんでしょ?」

「ああ、そうだが……いや。そうだな、こっちの話だ」

「??」

 

 なんでもない、と切り上げて姫奈美は再度お椀と箸を両手に持つ。

 

 それで夕食の席は再開された。

 

 気になる言い方ではあるが、いまはそれよりも優先度の高い話がある。

 主に十代のアオハル的好奇心によって。

 

「ね、ね。もっと他になんかあったりする? 篝っちとのエピソード!」

「他って……大抵、話せば長くなるぞ?」

「いいよ全然! 長くても! 私は聞きたーい!」

「……まったく」

 

 仕方ないという風に息を吐いて、それから少しずつ姫奈美は語り出した。

 

 鍋を囲んだ食卓には賑やかな会話がよく似合う。

 

 結局、ふたりが完食するまで、懐かしい幼馴染みたちの昔話は続けられるのだった。

 

 

 

 

 



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第三章/ お姫様との休日
10/少年、空に吼える


 

 

 

 そうしてやって来た土曜日の昼下がり。

 篝は疲労のにじむ体を押して、待ち合わせ場所の喫茶店へと辿り着いた。

 

 時刻は十二時四十五分。

 約束の時間は一時からなので、十五分の猶予を持っての到着。

 

 いちおう遅刻にはなっていないけど、と息を切らしながら店内を奥へ進んでいく。

 

「…………、」

 

 ざっと見回してみたところ、姫奈美はまだ来ていない。

 幸か不幸かで言えば、まあ、女の子を待たせなかっただけ僥倖である。

 

 容赦ない外の寒気と比べて、店内は暖房が効いていた。

 暖色のライトが余計にそのあたたかみを増している。

 

 コートを脱ぎつつ、どこで待っていようかと逡巡して、篝は入り口からいちばん遠い、最奥にあたる席へと腰掛けた。

 

『走ってきたからちょっと疲れちゃった……いや、朱丘先生のお陰で身体はもう限界寸前っていうか……ギリギリ一杯みたいな感じなんだけど……』

 

 午前中の自主練習に付き合ってくれた担任教師を思い返して、苦笑と共に力を抜く。

 

 休日でも彼女のスパルタっぷりは健在だった。

 何度も転がされて地面を這いずり回ったのが記憶に新しい。

 

 というか、むしろそれぐらいしか記憶にない。

 

『まだまだ全然足りてない……焦っちゃ駄目なんだろうけど、でも……』

 

 二年近く続けてきてこの結果はどうなんだろう、と。

 

 そんな風に思いかけたところで、カランコロンと入店を告げる鈴の音が耳に入った。

 ふと見てみれば、そこに群青色の髪をなびかせた少女の姿がある。

 

「あ、こっちこっち」

「む? 篝? 早いな」

「そうでもないよ。僕もついさっき来たばかりで――」

 

 ピタリ、と。

 続けようとした言葉を途切れさせて、篝はしばし固まった。

 

 それは別に身体機能の影響だとか、何か異常が起きたからとか、そういうのではなく。

 

 空白にも近い思考の停止は、純粋な驚きによるものだ。

 

「……? どうかした……って、ああ。格好(コレ)か? ちょっと女の子らしく気合いを入れてみたんだが……どうだ? も、もしかして、変……だろうか……?」

「へっ!? え、それは、あの、その……!」

 

 ――いや、なんというか。とんでもなく、とんでもなかっただけで。

 

「……?」

 

 不思議そうに、あるいは心配そうに首を傾げる姫奈美。

 その姿は日頃の彼女そのものだが、休日の外出に装いが変わっている。

 

 いつもつけているマフラーとクローバーの髪留めはそのまま、上はケーブル編みのニットセーターで、下は紺色のロングスカートだった。

 素肌だと寒いのかストッキングを履いていて、肌の露出を最低限減らしている。

 

 冬場のこの時期、寒さを防ぐために厚着は欠かせない。

 それでも彼女なりのスタイルの良さだとか、スラッとした立ち姿が乱れていないのは流石としか言いようがなかった。

 

「……す、すごい似合ってるなって……うん。とっても、かわいいと思う」

「そ、そうか? そうか!? それなら良いんだが!?」

 

 〝――やったぁぁああーーー!! かがりに褒められたーーー!!〟

 

 なお、彼女の内心はそんな格好とは裏腹に丸裸になっていた。

 一分の誤魔化しもしないストレートな感情を胸中で吠え叫ぶ。

 

 正直口に出していないだけまだ冷静だ。

 

「で、では早速行こうか! 時間は有限だし、きっちり使っていかないとな!」

「そのことなんだけど……もうどこで遊ぶかは決めてるの?」

「もちろんそのあたりもばっちり抜かりない! 場所は――着いてからのお楽しみ、だ」

 

 くすりと楽しげに微笑んで、ほらほらと篝の手を引っ張りながら姫奈美が駆けていく。

 

 明らかに上がったテンションは合わせるのにも一苦労……の筈なのだが、篝にとっては何ら苦でもないらしい。

 同じように柔らかな微笑を浮かべながら、彼女の後を追いかける。

 

 久方ぶりになる幼馴染みでのデート。

 楽しめるかどうかなんてのは、ふたりの顔を見るだけで明らかだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――ガタガタと、震える体が足場と共に上昇していく。

 

 見上げた空は冬の寒さを秘めた薄青色。

 流れる白い雲も併せて、晴天とは言えないが、かといって曇天というほど暗くもない。

 

 昼下がりの外気温は十二月らしくそれなりに低かった。

 地上でも防寒着がなければ耐えられないような寒さは、〝上〟へ行けばそれこそ酷くなる。

 

 頬を刺すような冷気、前髪をさらう強風、そして。

 

「――――――、」

 

 眼下に広がる、ミニチュアじみた地上の光景。

 

 遠く幹線道路を走る自動車も、足元を行き交う人集りも豆粒みたいに現実味がない。

 けれども、跳ねる心臓とぐるぐる回る思考が、間違いないリアルなのだと伝えてくる。

 

 地上五十メートルの高み。

 

 普通なら辿り着けない空の座標で、篝は静かに息を呑む。

 

「――顔、真っ青だな」

「姫奈美ちゃん……」

「そう気張るな。別に、死ぬワケじゃないからな?」

 

 安心しろ、なんて言ってくるどこかワクワクした様子の幼馴染み。

 それはそうだ、分かっている。身の安全は細心の注意を払ったうえで確保されている。

 

 彼もそのあたりはきちんと把握しているのだが――

 

「…………っ!」

 

 安全(ソレ)安全(ソレ)として、怖いものは怖いのだから仕方ない。

 

「……まったく。無理なら待っていても良かったのに」

「それはそれで、勿体ない、っていうか……いやでも、どうなんだろう……?」

「しっかりしろ篝ー。ぶれちゃ駄目だぞー。自分を強く持て、自分を」

「も、勿体ないです、ハイ」

「ならばよし」

 

 ニッコリと笑う姫奈美に、束の間、震え上がった心が癒やされる。

 

 ああ、この顔を拝めるならどんな恐怖だって耐えていけそう――なんて考えは、ものの数秒で打ち砕かれた。

 

 ガコン、と停止する機械。

 この場における最高峰、高さ六十メートルの上空で、篝たちは遙か向こうまで伸びる絶景を一眸する。

 

 綺麗だ。

 

 町中の景色であってもその感想に揺らぎはない。

 ただ、こぼれた感想を塗り潰してしまうぐらいの恐怖が、胸を占めていたけれど。

 

「……くるぞ、篝」

「!」

 

 きゅっと、隣の彼女から手を握られる。

 

 不意の接触。

 意識の隙間をつくような暖かさは、真実凍えた頬まで伝わった。

 

 残された微かな間、ほんのりと穏やかな空気が形成される。

 時間が止まればいい。思わずそう考えてしまうぐらいの瞬間に。

 

 〝あ〟

 

 ぐらりと傾いていく足場。

 急激に這い上がってくる怖気と、ぐるんと回転して真下を向く視界。

 心の準備をする暇なんて与えないと言わんばかりの怒濤の変化。

 

 モノが落下する速度はそれ自体の質量、高さによって威力と共に増していく。

 ほぼ直角と言って良いほどに傾いた足場には当然その法則が適用される。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。断頭台の刃を待つように、風と音が下から上がってきて、

 

 

 

 ――ふたりを乗せたジェットコースターは、その激しい旅路をスタートさせた。

 

 

 

「きゃぁぁぁああああああああ!!!!」

「いやぁぁぁああああああああ!!??」

 

 凄まじい速度で走るコースターの快音と、重なり合うような絶叫が響き渡る。

 園内を駆け巡るレールは行き先を上下左右へと変更、時にぐるりと回転しながら、広い敷地のなかを踏破する。

 

 ――つまるところ、姫奈美が行き先として選んだのがここ、町外れの遊園地だった。

 

 客足はそこそこ、経営不振になるほどでもなければ、儲かっています、とおおっぴらに言えるほどでもない集客力。

 入園料もお財布に優しく、ちょっとした気分転換や遊び場にはもってこいの場所である。

 

 超有名だとか、巨大だとか、そういう言葉が頭につくモノと比べればどうしても劣ってしまうが、そこは中小企業の意地か底力か。

 細かい工夫を凝らされたつくりで、入園者を楽しませるという目的は高い水準で保たれている。

 

 現にこのコースターにしてもそうだ。

 

 速度と緩急、さらには長さで勝負をしかける構造は、絶叫マシンとして申し分ない。

 

「あは、あははは! 篝! 声! 悲鳴! 女の子かーーー!!」

「違、ぁああああ!! うわむり! これむり! ひゃあああああああーーーー!!!」

「あははははははは! きゃーーーーーーーー!!!!」

 

 遊園地中に張り巡らされた骨組みの上を疾走するコースター。

 

 その速さは尋常ではない。

 そもそも、ジェットコースターの最高速度は優に百キロを超える。

 

 速度とスリルは比例し、またスリルと恐怖も比例する。

 ならば必然、スリルを求める利用者の多いこの遊具に、速さが足りないということはない。

 

「ま、まってこれ、まって、まってまっていやあああああーーーー!!???」

「あはは! あははははは! くふははははは! きゃあああーーー!!!!」

 

 手を握って隣同士に座っているふたりだが、その反応はまったく違うものだ。

 

 ニコニコと満面の笑みでかわいらしい悲鳴をあげている姫奈美は、純粋に、心の底からこのアトラクションを楽しんでいる。

 天地の逆転も落下じみた走行も、程よいドキドキ感だと呑み込んで心を弾ませる慣れっぷり。

 きっとこの遊具の設計者が見れば、その嬉しげな反応に喜ぶだろう。

 

 一方篝は、泣きそうな顔で……もとい実際に涙を流しながら、かわいらしいと言えばかわいらしい絶叫をあげている。

 偏にアトラクションの怖さに耐えられないが故だ。

 彼にとっては身の安全を保証したスリルであっても、怖さの深度はそう浅くない。

 ぐるぐるぎゅんぎゅんと回りうねって進むコースターはもはや拷問器具にも等しい。

 

 ではどうして踏ん張れているのかと言うと、隣で件の少女がずっと手を握ってくれているからだった。

 それでもちょっと意識がトビそうになっているあたり、彼も彼だったが。

 

「ひゃあああああああーーー!!!! ああ、あわ、あわわわぁぁあああ!!??」

「あは! あはは! あはははは!! きゃあああああああーーーーーー!!!!」

 

 各々、それぞれの感情をのせて叫びながら、マシンはレールを駆け抜けていく。

 

 旅路の時間は五分ほど。

 そこそこ広い敷地を一周と少しするまで、心安まるような時間はない。

 

 響く声は冬色の空によく通る。

 薄い青は空気の色まで薄くするように、その色彩をクリアな状態で保っている。

 

 ……その後、しばらくしてコースターが停まり、しっかりと地面に足を着けるまで、篝は生きた心地がしなかった。

 

 

 

 

 



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11/ドキドキデート大作戦

 

 

 

「大丈夫かー、篝ー?」

「な、なんとか……」

 

 目元を腕で覆いながら、篝は上から降ってくる声に弱々しく返した。

 

 遊園地の片隅にある木製のベンチ。

 遊具から離れた場所に設置されているからか、周囲に人影はあまりない。

 お陰でゆっくりと体を休めることができる。

 

 先ほどのジェットコースターの影響だろう。

 篝はくたびれたように横たわっている。

 

 その頭を膝の上にのせて、ついでとばかりに手櫛で髪を梳いているのが姫奈美だった。

 

 事ここに至って役得は彼女のほうらしい。

 いつぶりかになる幼馴染みの髪の毛をいじりながら、鼻歌まじりでこの時間を堪能していた。

 

「絶叫系、やっぱり苦手なの変わらないなぁ、うん?」

「う……、だ、だって……怖いものは、怖いし……」

「ああ、別に責めてるわけじゃない。ただ、篝らしくて良いなあって」

「なにが良いの……」

「なんでも良い。篝だからな。うん、よしよし、もう怖くないぞー」

「子供扱いしないで……」

 

 同い年だよ、とちょっと怒った様子で瞳を覗かせる篝。

 そんな幼馴染みに「ごめんごめん」と謝りつつ、姫奈美は再度ぽんぽんと頭を撫でた。

 

 怒った顔もかわいいぞー、なんて言わんばかりの態度である。

 

「……っと、そろそろ落ち着いてきたみたい。ありがと。もう大丈夫だよ」

「そうか? まだ顔色がすこし悪いぞ?」

「平気平気。これぐらいなんてことないから」

「ん、そっか」

 

 ぽんぽん、さらさら、なでなでと。

 

「……姫奈美ちゃん?」

「なんだ?」

「あの、手……」

「手が、なんだ?」

「えっと……ほら。ちょっとずつ回復してきたから……」

「そうかそうか」

 

 よかったなあ、なんて言いつつ姫奈美は頭を撫で続けている。

 はたして本当に声が聞こえているのかどうか。

 

 一向にその手は止まりそうにない。

 

「……姫奈美ちゃん、撫ですぎ……」

「えー」

「えーじゃないよ。恥ずかしいからそのぐらいに……」

「あと五分……」

「まだ粘るんだ……!?」

 

 果たして頭を撫でるのがそんなに楽しいのだろうか、なんて疑問に思う篝。

 

 彼自身、ちょっとクセのある髪の毛は寝癖やシャンプーで苦戦する代物でしかない。

 とくにコレといった思い入れもこだわりもないのだが、彼女はどうにも違う様子。

 

 ゆっくりと篝の頭に指を這わせる表情は、なんというか、偏執的な慈愛に満ちている。

 

「ん、よし、一旦満足。それじゃあ次に行くか」

 

 これで一旦なんだ、とはあえて言わなかった。

 

 理由は分からない。

 こう、直感的に。

 

「どこにする? 一応パンフレットは取ってきておいたが」

「うん、どうしよっか。ここから近いのだと……メリーゴーラウンド?」

「近場から回っていくか? それだと味気ない気もするが……」

「それもそうだね。うーん……」

 

 はてさてどうするべきか、と頭を悩ませる幼馴染みズ。

 

 初っ端からインパクトある遊具を選んだのもあって、これから先はわりと大人しめ。

 絶叫系はいくつかあるが、流石に二回連続してというのも風情がない。

 

 かといってどれが良いかと言われると、やっぱり考えこんでしまうわけで。

 

「――ん、こういうときは神様仏様星霊様だな。あみだで決めよう」

「あ、なるほど」

 

 ガリガリと近くにあった木の枝で、姫奈美が地面に線を引いていく。

 

 線の数は六つ。

 それぞれ適当に良さそうだと思ったものを終点に書いて、お互いまばらに横の分岐を書き足していく。

 

 始点はカンで真ん中から。

 スルスルと土の上のルートをなぞりながら、枝の先端は揺れに揺れて。

 

「む」

「あ」

 

 ピタリと、止まった位置をふたり分の視線が見つめた。

 そこに書かれていたのは――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 それはひっそりと、広い遊園地の片隅に、隠れるように建てられていた。

 

 つくり自体は新しい。

 外見はどことなく古びているが、それは塗装によるものだろう。

 

 中に入ると、すぐ傍に受付があった。

 電灯の殆どが落とされている室内で、そこだけが異様な明るさを放っている。

 

 学生ふたり分の代金と、貸し出し用の懐中電灯(ライト)を受け取って、篝たちは促されるまま奥へと足を向けた。

 

 通路はそれなりに広い。

 隣に並んで歩いてもまだ余裕があるぐらいで、建物のなか特有の狭さは感じられない。

 

 代わりに、薄暗闇がちょっとした息苦しさを演出している。

 

 暗い廊下。

 静かな屋内に、物音はよく響く。

 コツコツと反響する靴音と、ため息とも取れないような吐息、それと、わずかに聞こえる衣擦れの音。

 

「姫奈美ちゃん?」

「……なんだ?」

「平気?」

「……全然」

 

 断言する彼女に、そっか、とだけ答えて歩を進める。

 

 大体、顔色を見ればわざわざ聞かなくても分かるコトだった、と。

 

 意図的につくられた暗闇のなかを歩くこと数秒。

 ほどなくして彼らの目の前に現れたのは、ボロボロになった木製の扉だった。

 

 剥げたペンキ、欠けた木片、風雨を浴びたかのような腐蝕の度合い。

 金のドアノブには強引にメッキを剥がされた痕がある。

 

 やはりというか、そういう装飾なのだろう。

 

「入り口、みたいだね」

「……ああ」

「入るよ?」

「……ああ」

「……姫奈美ちゃん?」

「……ああ」

 

 ちらりと彼女のほうを窺うが、ここでは最早暗くて顔はあまり見えない。

 

 ただ分かるのは、篝の腕にぎゅっと抱きつく誰かが居る事と、その誰かが小刻みに体を震わせている事ぐらいである。

 いや、本当、聞かなくても分かるコトだった。

 

「……じゃあ、行くよ」

 

 メッキの剥がれたドアノブを回して、篝はゆっくりと扉を開いていく。

 

 これより先の光源はできる限り排除されている。

 今まで歩いてきた通路ですら明るく見えるほどの暗闇。

 

 手元のライトを点けながら、一歩足を踏み入れた。

 

 コツン、と高く響く足音。

 ドアの向こうには未だ続く長い通路と、荒れ果てた内装。

 

 ジェットコースターのような激しさは無いが、遊園地を代表するアトラクションとしては鉄板とも言える屋内型の施設。

 人の手によって昼間からつくられた暗闇は、自然のものとは違って計算され尽くした恐怖をあおる。

 訪れた者を原初の不安で歓迎する、静けさと気味の悪さに満ちあふれた遊戯の館。

 

 ホーンテッドハウス。

 

 またの名をお化け屋敷というそれが、彼らの偶然が引き寄せた次の行き先だった。

 

「…………、」

「…………っ」

 

 向かう先を懐中電灯で照らしつつ、言葉も少なに奥へと進んでいく。

 

 通路の様子は一言でいってしまうと悲惨。

 割れた窓ガラスに、傷付きラクガキをされたまま放置された壁面や床。

 鍵付きのロッカーがびっしりと並ぶ様は少し不気味だ。

 

 自然の闇、深い山奥や夜の森の怖さを知っている篝たちだが、だからといって人の手が入った闇も侮れない。

 そこに理論、知識が混ざっているが故に、怖さは勝るとも劣らない。

 

「……凄い本格的だね。幽霊とか本当に出そう」

「そう、だな」

 

 カツカツと、足並みを揃えて通路を直進する。

 

 入り口から伸びる廊下は、ある程度まで先に行くと右に曲がるようになっている。

 分かれ道や寄り道の類いはない。

 

 とりあえず今のところはなにもなし。

 始まったばかりなら、まだ派手な仕掛けもないのだろう。

 

 ――と、曲がり角の先へ進もうとしたとき。

 

「――!?」

 

 バガン! と。

 

 背後から強烈な音を叩きつけられる。

 静寂を切り裂くような、なにかを打ち破る轟音。

 

 油断したところへ差し込むように訪れた衝撃は、一瞬、思考の一切を空白化させる。

 

 理解に一秒、それから反応して行動に移すのに一秒。

 くるりと振り向いた篝は、今し方来た道をライトで照らした。

 

 ――そこに。

 

「…………ロッカーの、扉?」

 

 きぃきぃと、金属製の軋みをあげながら揺れる音の正体。

 風に揺れるでもなく、誰かに動かされるでもない微弱な動作は慣性・惰性によるものだ。

 

 通り抜けたときは全部が閉まっていた。

 そこそこあるロッカーの扉だ、開いていれば否が応でも邪魔になる。

 

 それを閉めた記憶も、避けるように歩いた記憶もない。

 仕掛けであるのは明白だった。

 

「――びっくり、したぁ……雰囲気も、あるのかな。簡単な仕掛けなのに、頭が追いつかなかった……ね、姫奈美ちゃんはどう――」

 

 と、隣の幼馴染みに声をかけたところで、あ、と彼女の事情を全て思い出した。

 

「――――、……――!」

『……そっか、そうだよね。そうなるよね……』

 

 曖昧な笑みを浮かべつつ、よいしょと懐中電灯を手に膝を折る。

 

 蹲る姫奈美の肩は、気持ち微かに震えているようだった。

 いや、実際に震えている。

 

 ガクガクブルブルと全身をマナーモードの携帯みたいに振動させる彼女に、いつものような鮮烈さはない。

 胸を張るどころか怯えて頭を抱えている様子は、真実年相応の一人の少女としての姿だけが残っている。

 

 ――そう。

 にわかには信じがたいし、きっと学園での活躍を知る誰もが信じることはないだろうが。

 

 彼女――十藤姫奈美は、幽霊とかお化けとか、そういうホラー系が大の苦手だった。

 

「……大丈夫、姫奈美ちゃん?」

「な、なな、なんだいまの! いまのなんだ!? オト、すごいオトした――!!」

「ああ、うん。ロッカーが開いただけみたい」

「か、勝手に? なんで!? あああッだから怖いのは嫌なんだよもうー!!」

「……心霊現象とかじゃないよ?」

「それでも怖いのは怖いんだよぉ! うぇぇー! かがりぃー!!」

「わわっ」

 

 がばぁっ、と凄まじい勢いで抱きついてくる姫奈美をなんとか受け止める。

 

 本気で怖かったのだろう。

 目尻に涙をためた彼女は、普段とはまた違った可愛らしさがある。

 

 ……若干バチっているのは篝的にトラウマを抉られかねないので無視しておいた。

 

「やっぱり駄目? こういうの」

「だ、だって、だって! うぅう! と、というかっ、おまえも小さい頃は苦手だった筈だろ!? 一緒に怖い話とか見て怯えてたじゃないかー!!」

「あ、うん。なんていうか、慣れちゃって」

「慣れるのか!? これが!?」

 

 ありえない! と叫ぶ姫奈美だが、よもや彼女が知る由もない。

 

 遡ること去年の夏休み。

 お盆を前にして学期末テストの赤点補習で学園に残っていた彼は、事情を同じくしていた悠鹿(ゆうじん)に、とくにコレといった意図もなくホラーモノが苦手と話した。

 話してしまった。

 

 その翌日である。

 

『とりあえず有名どころ二十作借りてきたから徹夜でマラソンな!』

 

 帰ってくるなり早々、レンタルビデオ屋の袋を掲げながら満面の笑みで言う同居人。

 

 そこからは見るも無惨、聞くも凄惨な地獄のパーティータイムだ。

 

 四六時中見せられる恐怖映像の数々。

 小さな物音やインターホンの音ですら心臓を縮み上がらせる毎日。

 電話をまともに握れなくなり、鏡面恐怖症に陥り、日常生活がどうしようもなくなりはじめたそのとき――篝は弾けた。

 

 要するに、あまりの恐怖にキャパオーバーを起こして心が麻痺、ついでにとんでもないホラー耐性を獲得して今に至る、というわけなのだった。

 

「うぅ……もうやだぁ……」

「……引き返そうか? 入り口はすぐそこだけど」

「引くぐらいなら前に進む……」

「あ、そこは曲げないんだ……」

 

 こんなときでも彼女らしい解答にちょっとだけ嬉しくなる。

 迷いも躊躇いも一切ない即答は、最初から姫奈美の心に根付いた考え方からだろう。

 

 怖くはあるし、嫌でもある。

 が、それはそれとして後ろへは下がらない。

 動くなら前進あるのみ。

 退くのは本当にどうしようもなくなった最後の最後だけ。

 

 ……そんな彼女の事を、やっぱり篝は眩しいと思った。

 こんな時でも、とても綺麗だと。

 

「……手」

「? どうしたの、なにか」

「手! ……を、握ってて、ほしい。あと、その……腕に摑まってても、いいか……?」

「――うん。ぜんぜん」

「……ん」

 

 ぎゅ、と左手に絡まる姫奈美の指と、それを握り込む篝の手。

 お互い自然に繋いだ形がいわゆる〝恋人繋ぎ(そういうもの)〟になっている事なんて気にしてもいない。

 

 ただ相手の温かさを感じて、息を整えて、跳ねる鼓動を落ち着かせていく。

 

 幼馴染み同士、長年の付き合いはすこし距離があいても誤差のようなもの。

 篝は篝なりの、姫奈美は姫奈美なりの、ふたりで過ごす当たり前が胸に残っていた。

 

「……じゃあ、行こっか。なにかあったら、骨ぐらい持っていってもいいからね」

「そんなことするか、ばか。私をなんだと思ってるんだ」

「だって模擬戦のとき――あ、いや、なんでもない。タンマ。これちょっと、タイム」

「??」

 

 迂闊にもトラウマスイッチを入れかけて、篝はぶんぶんと首を振る。

 

「……っし、気を取り直して。行こう」

「…………うん」

 

 手と手を強く握りしめながら、ふたりは通路を更に奥へと進んでいく。

 

 薄暗闇を照らすのは手元のライトひとつだけ。

 あまりにも頼りない光源を走らせて、不気味に溢れた施設をゆっくりと踏破する。

 

 恐怖の旅路は、まだ始まったばかり。

 

「きゃーーーっ!!?? かがり!? なんか、なんかいたーーー!!」

「落ち着いて姫奈美ちゃん。あれ模型、人体模型だから……」

「う、うごっ、動かなかったかいま!? 気のせい!? かがり!? なあかがり!?」

「大丈夫だから。ほら。大丈夫。だから落ち着いて。なんか、バチッてるから」

「かがりぃぃいいーーーーー!!!!」

 

 ……そうしてしばらく、お化け屋敷には少女の悲鳴と、青白い稲妻が迸ったという。

 

 

 

 

 



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12/夜の空に浮かぶもの

 

 

 

「こ、こわかった……」

「……お疲れさま」

 

 がっくりと項垂れる姫奈美の頭を撫でながら、篝は緩く微笑んだ。

 

 場所は変わって比較的遊具の集まった中央側。

 ぐるぐる回るコーヒーカップに乗り込んで、ふたりはどちらかというと大人しめのアトラクションで身体を休めている。

 

「なんか、こう、どっと疲れた……叫びすぎて喉、カラカラだし……」

「そうだと思って、はい。さっき買っておいたよ」

「うん?」

 

 わずかに顔をあげて見れば、対面に座った篝がペットボトルを差し出してきた。

 ラベルには見慣れた市販の緑茶のデザイン。

 

 感謝しつつ受け取ると、彼も自分の分である紅茶を取り出して栓を開けていた。

 

 なんとも、こういうところはちゃっかりしている。

 

「ありがとう……いくらだった?」

「いいよ、このぐらい。僕が好きでやったことだし」

「そうか? じゃあ、ありがたく」

「うん。お願いします」

「……ふふっ」

「あはは……」

 

 なんだかすこしズレている会話をくり広げつつ、ふたりは飲み物に口をつける。

 

 彼なりに寒さを気遣ってか、購入したのはホットだった。

 外の冷えた空気にさらされている以上、温かいのはどちらにとってもありがたい。

 

 お互いに一呼吸ついたところで、ようやく向かいあって話す。

 

「……いや、うん。こうしてみると不思議だ。よくここまでの付き合いになったな、私たち……どこも違うところだらけなのに」

「……たしかに。それもそうだね。僕は絶叫系苦手だけど、姫奈美ちゃんは好きだし」

「私は怖いの苦手なのに、篝はもう平気だもんなー? ……なんか、ずるいぞ」

「って言われても……うん。苦手なままで良いと思うよ? 僕は」

「そうかぁ……?」

 

 そうそう、と割かし全力でうなずく篝である。

 

 姫奈美に自分と同じ〝あんな〟地獄を体験してもらおうとは思わない。

 というかしてほしくない。

 

「ああ、あと、飲み物もそうだな。私は緑茶派だけど、篝は紅茶派だ」

「うん。……ちなみに言うと、伽蓮さんも紅茶派だよ?」

「む、どうして知ってるんだ? 聞いたのか?」

「いや、僕が勧めておいたから」

「……どうりで。最近よく朝食に紅茶を淹れてるわけだ……」

 

 ひとつ謎が解けた、とばかりに息を吐く姫奈美。

 野菜ジュースだったりタピオカだったりカフェオレだったりと疎らな様子だった伽蓮の飲み物事情だが、ここ数ヶ月間はずっと紅茶で固定されている。

 

 布教活動は順調なようだ。

 

「……でもまあ、だからこそなのかもな。私たち」

「?」

「足りない部分とか、欠けてるところがあって……それをお互いうまく埋められるから、良いのかもしれない。ほら、二人だと負ける気がしないだろう?」

「……そう? 姫奈美ちゃん一人でも、負けそうな気はしないけど……」

「そんなことはない。私だけだったら、きっとここまで来られなかった」

 

 きゅっと首元のマフラーを握りしめながら、ぽつりとこぼすように呟く。

 

 支えているだけではない。

 彼は彼女に、彼女は彼に、頼っているか必要にしている部分が少なからずある。

 

 それは気のせいでもなんでもない。

 幼馴染みとしての価値観だ。

 

「篝が居たから良くて、篝だから良かったんだな。他の誰かじゃあ代わりは務まらない。……いっぱい救われてるんだ、私は。これでもか弱い乙女だからな?」

「……か弱い乙女は学校の窓ガラスを割ったりしないよ……?」

「う、聞いたのか」

「偶々。……気をつけてね、姫奈美ちゃんもそうだけど、周りも危ないし」

「分かってる……いや、あれはなぁ……うん。どうにも、こう、昂ぶってしまって……」

「知ってます。……戦うの大好きだもんね、姫奈美ちゃん」

「もちろん! ……篝は、あー……あんまり好きじゃない、か?」

「……痛いのも怖いのも苦手だからね」

「そうだよなあ……」

 

 ちょっと残念がる様子に苦笑しながら、篝は残りの紅茶をひと息で飲み干す。

 

 彼女の期待に応えたいのは山々だが、そこの主義主張は彼も同じ。

 怖いものは、怖い。

 

 おまけに幼馴染みとしてそれはどうか、というトラウマまで負ってしまっているのだから、簡単に頷けるはずもなかった。

 

 ……ほんと。自分の情けなさに、ひととき空を仰ぐ。

 

「でも、そういうとこ含めて篝だもんな。うん。〝私〟の篝だ」

「……姫奈美ちゃんの?」

「ダメか?」

「…………ご自由にお願いします」

「じゃあ遠慮無く」

 

 くすりと微笑む姫奈美と向き合いながら、赤くなった頬を隠すようにそっぽを向く。

 

 果たしてその言葉にはどういう意図が込められているのか。

 混乱する彼にはさっぱり理解できないが、すくなくとも。

 

『……こういうのが、ダメ、なんだろうな……僕って……』

 

 悪い気はしないのが、いまの篝の素直な心境だった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 充実した時間は過ぎていくのも早い。それが誰かと一緒なら尚更だ。

 

 時刻は午後八時過ぎ。

 閉園も間近に迫った園内に、昼間ほどの人気はなくなっている。

 

 すれ違う人は大半が出口へ向かっていた。

 時たま開催されるパレードも、本日は鳴りを潜めてお休み中。

 日の落ちた遊園地にはアトラクションの明かりだけが灯っている。

 

 そんな中を遡行して、篝たちが向かったのは敷地内のど真ん中。

 この遊園地の代名詞にもなっている巨大観覧車は、いまだ電飾を伴ってゆるやかに動いている。

 

 姫奈美の「最後にあれ、乗ろう」という誘いにうなずく形で足を運べば、ちょうど乗り場からゴンドラが出るところだった。

 近くにいた係員の案内に従って乗り込めば、ほどなくして小さな箱が静かに揺れる。

 

 ……ふたり向き合う形での、穏やかな空の道中だ。

 

「タイミングが良かったな、降りる頃には時間もちょうど良さそうだ」

「そうだね……ちょっとだけ、走らなきゃいけないかもしれないけど」

「星刻の力で引っ張っていってやろうか?」

「市街での無断使用は厳禁でしょ。校則違反どころじゃないよ、もう」

「分かってる。冗談だ冗談」

 

 からからと笑う姫奈美に、篝は曖昧に微笑んで返す。

 

 なんだかんだで彼女も学園が誇る優等生には違いない。

 ちょっと気分があがって窓ガラスを粉砕するコトはあれど、決められたルールを破ることは滅多にない。

 

 すくなくとも、戦いが関わらない限りは、たぶん。

 

「……ここだと街が一眸できるな。見てみろ、篝。夜景が綺麗だぞ」

「ほんとだ。すごい……こういうのって、あんまり気づかないよね」

 

 日常の落とし穴みたい、と窓の外を眺めながらこぼす篝。と、

 

「……私は?」

「? 姫奈美ちゃんはいつも綺麗だよ?」

「え、あッ――いや、今のは、その、ああッ……何言ってるんだ私は……!?」

「??」

 

 思わず、といった様子でこぼれた一言にド直球、しかも望んでいた一言を返されて混乱する姫奈美だった。

 要求に対して百パーセント叶える形で放たれた反撃は重い。

 

「と、というか、そう素直に答えるなよ、ばか……もう……恥ずかしい……」

「ご、ごめん……?」

「……そういうとこも含めて、愛しているよ」

「え」

「お返しだ」

 

 んべーっ、と舌を出して言う姫奈美に、かぁっと耳までまっ赤になる純朴少年。

 

 不意打ちじみた言葉への反応は彼の敗北を示している。

 見事な作戦成功を飾って、いま一度姫奈美は窓の外へ視線を向けた。

 

 依然変わらず、遠くには街の夜景。

 

「……む、雪だ」

 

 ふと、そこに一片、白い結晶が混ざりはじめた。

 

 日中は晴れていたが、夜になってから本格的に雲が出始めたのだろう。

 暗い景色のなかにぽつぽつと、白い粉雪が落ちていく。

 

「わあ……なんだろう、なんか、こう……いいね。すごくいいかも。うん」

「初雪だったな、たしか。このタイミングは正直、作為的だが――」

 

 ……そう。

 

 本当にこんなタイミングで。

 しかも彼と二人っきりのときにやってくるのだから、作為的と言う他ない。

 

 思わず微笑んでしまうほどの状況だ。

 姫奈美にとって、今日がなにより特別であったからだろう。

 

「……ん、悪くない。おまえとこうして見られる雪も、また幸せだ」

「……そっか」

「ああ、そうとも。知らなかったのか? 私は篝と一緒なら、なんでも幸せなんだ」

「それは……知らなかったなぁ……ほんと?」

「ほんとだ。こんな嘘をついてどうする」

 

 大体、おまえはどれだけ私が想っているかを理解していない、なんて。

 つい口からこぼれそうになった言葉を、姫奈美は喉元でこらえた。

 

 理由は明白。

 

 それをここで言ってしまうのは、自分にとっても、彼にとっても良い方向には働かないだろうと。

 代わりに座っている場所をズラして、ポンポンと横の空いたスペースを叩く。

 

「……篝。こっち、来ないか。隣」

「いいの? 狭くない?」

「そういうこと気にしてるんじゃない。……近くがいいんだよ、ばか」

「……じゃあ、遠慮なく」

 

 珍しい姫奈美のいじらしさに苦笑しつつ、狭いゴンドラのなかを歩いて、すとんと彼女の傍に腰を下ろす。

 ちょうどふたり分、高校生でも密着すれば座れるぐらいの幅である。

 

「お、思ったより近いな……」

「そう? いつもこのぐらいだよ、僕たちの距離」

「そ、そうか? ……そうだな。そう言えば、そんなものか」

「うん」

 

 嬉しげに笑う篝に、どこかぽーっと見とれそうになるのを堪えて、姫奈美はスカートの端を握りしめた。

 結局、なんだかんだ言ってこういうのは惚れた方が負けなのだ。

 

 それで言えば確実に自分の負け。

 完敗だ。

 

 もうどうしようもないほどに、胸の内には抱えているモノがある。だけど、

 

「…………、」

 

 だけど、それを言葉にすることも、伝えることも、きっと――

 

「篝」

「ん、なに?」

「ありがとう。今日はすっごく楽しかった。長いようで短い時間だったけど、私はとても大満足だ! もう、心残りなんてないぐらい!」

「なにそれ、ふふっ……じゃあ、また一緒に来ようよ。いつか」

「――――……ああ、そうだなっ。またいつか、来られるといいな!」

「うん」

 

 笑顔をつくる姫奈美に、篝は心の底から期待した声で返答する。

 それぐらいの分かりやすい感情の機微、幼馴染みとして育ってきた彼女にすれば、手に取るように分かる。

 

 思わず衝動的に抱きしめたくなって、姫奈美はぐっと我慢した。

 いつもならこうも感情に引っ張られることはない。

 

 ……ない筈だ、たぶん。

 だから、冷静でいなくてはならない。

 

「……時間が止まれば、良いのにな」

「え?」

「……ううん。なんでもない。ただの戯れ言、独り言だ。気にしないでくれ」

「? そう……?」

 

 なら良いんだけど、と遠慮がちにうなずく篝。

 不意に漏れた言葉は、運が良いコトに届いていなかったらしい。

 

 それでいい、と姫奈美もわずかに笑顔をこぼした。

 いまの気弱な発言を抱えるのは、正真正銘最初で最後、自分一人だけで良いだろう。

 

「――――――、」

「………………、」

 

 会話が途切れるのと、ゴンドラが頂点へ差し掛かるのはほぼ同時だった。

 

 いまだ光の絶えない地上と、一面の闇を背景にした夜空に挟まれて静かに揺られる。

 

 空からは音もなく落ちてくる雪の結晶。

 ひらひらと舞う白い欠片は、街を彩るように優しく降り注いでいる。

 さながら映画のワンシーンにも思える幻想的な光景。

 

 だからか。

 

『あ…………』

 

 気づけばふたりは手を取り合って、きゅっと固く結んでいた。

 

「…………、」

 

 手のひらを通して伝わる熱、人肌の暖かさ。

 それらに緩く微笑みながら、篝は夜景から姫奈美のほうへ視線を向けた。

 

 彼女はまだ遠く、街の景色を眺めている。

 

 その横顔はどこか満ち足りている。

 心残りがない、という感想は本当だったらしい。

 

 疑っていたワケではないのだけれど、それは篝にとって若干、喉に引っ掛かるようなものだった。

 なんというか直感的に、どうも頷きがたい意味合いが含まれている気がして。

 

 

 

 

 

 

〝――――――え?〟

 

 

 

 

 

 

 不意に。

 

 視界の端に映ったモノに、妙なざわめきを覚えた。

 

 理由だとか、理屈だとか、そういう頭で考えるものとは全く違ったところで、なにかを確実に察している。

 

 感覚は星刻の力を使う時のソレに似ていた。

 教えられるまでもなく、生まれ持った当たり前として扱える技術の一つ。

 

 だとするなら、どういうコトになるのだろう。

 

 ――すこしズレた姫奈美のマフラー。

 

 その影に隠れるように、首の裏側に浮かぶ何かが見える。

 

 形は見慣れている。

 彼女の稲妻模様の星刻とそう遠くない位置に、同じ色を持って輝いている。

 

 まるで、

 

 ――まるで、『』のように――

 

 

 

 

 

「篝?」

「っ」

 

 呼びかける声に、ビクリと肩が跳ねた。

 

 思考が千々に乱れている。

 声を出す余裕があまりなくて、絞り出した言葉は「え」とか「あぁ」とかその程度にしかならない。

 

 ああ、なんだろうこれは。

 どういうことだろう。

 

 分からない。

 その意味がまったく分からない。

 知る由もない。

 

 なのに――

 

「……まさか、おまえ……〝見た〟……のか?」

「ぇ……あ、いや……そ、の……」

 

 なのに、それがなんであるのか気づきかけている自分が居る。

 『星刻』なんてモノを、持っているがために。

 

「――――参ったな……最後まで、隠し通すつもりだったのだが」

「っ……」

 

 ふぅ、と諦めるような吐息。

 焦る篝を落ち着かせるように、脱力した姫奈美はゆっくりと彼のほうを向く。

 

 繋いだ手は離さない。

 全身から力を抜いても、そこだけはずっと。

 

「この際だ。正直に話すとしようか。どうせ、後になれば分かることだし」

 

 眉尻を下げていう姫奈美は、真夜中の雪も相まってどこか儚げだ。

 

 手折れそうなぐらいの細さと、吹けば飛びそうな脆さを感じさせる。

 一言でいえば、らしくもない様子。

 

 けれど――篝にとっては二度目になる、いつも強くて鮮やかな少女の、心の奥底に秘められた弱さの発露だった。

 

「……実はな、篝。私は――」

 

 語りだしは静寂を切り裂くように。

 

 夢のような景色は、されど覆しようもない現実だ。

 うたかたのような風景のなかで、彼女は消え入るように微笑む。

 

 それから小さく、この夢を終わらせるように、姫奈美は言葉を続けた。

 

 

 

 

 



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第四章/ 別離に燃える
13/揺れる篝火


 

 

 

 週明けの月曜日。つつがなく進んだ授業は、すでに四限目を迎えていた。

 

 時計の針も緩慢に進む十二時前。

 二年五組の科目は、担任教師である紅葉の現代文だ。

 

 彼女は黒板と向かいあって白墨を走らせ、教科書に沿った丁寧な解説をしていく。

 

 他のクラス、それこそ一つ上の四組ですら理解に苦労しないほど噛み砕いた説明だが、それでもなお赤点候補が残ってしまうのが彼らである。

 その理由の最たるものとして、板書はおろか、堂々と机に突っ伏しているような生徒がいるというのも頭が痛い。

 

 例えば、篝の目の前で熟睡する誰かさんとか。

 

「………………、」

 

 はあ、とため息をこぼしながら窓の外を眺める。

 

 こぼれた吐息は眠っている友人を非難してのもの……ではなく、もっと別の問題からだった。

 いつもは優しく宥めつつも注意を飛ばすクラスのまとめ役だが、今日に限ってはそれもできそうにない。

 

 遠く、ガラス越しに見える風景は寒々しさを感じさせる屋外の様子。

 別館の図書館と、敷地内に造林された微かな森を越えて、幾つかアリーナが見えている。

 

 中の様子は窺えない。

 緑の星刻でもあれば違うのだろうが、あいにく彼の星刻は赤色だ。

 

 ……一組の四時限目は、たしか、二組と合同での模擬戦だった。

 

 試合には当然アリーナが使われる。

 おそらくはどこかに、彼女の姿もあるのだろう、と。

 

『………………、はあ』

 

 思い出して、いま一度大きく息を吐いた。

 

 睡魔と食欲に襲われる魔の四時限目。

 どんな科目にせよ成績のよろしくない篝にとって、手を抜いていい授業というのはひとつも存在しない。

 全部が全部、本気で取り組まなくては理解できない難問だ。

 

 こんな風に余所見をしている暇はない、と頭では理解しているのだが――、

 

「折原くん!」

「ふぇっ!? あ、はい!!」

 

 ふと。

 

 力強く名前を呼ばれて、篝は跳ねるように立ち上がった。

 

 ぴしゃりと言い放つように声をあげた紅葉へ、慌てながらも大きな声で返答する。

 先ほどまで背を向けていた彼女の姿は、いまや教壇から生徒たちを一眸する立ち位置に変わっている。

 

 しっかりと見られていたのだろう。

 

 分かりやすく「わたし怒ってます」といった表情をつくる紅葉は、腰に手を当てて茜色の髪をゆらゆらと揺らしていた。

 

「ずっと集中して、とまでは言いませんけど、せめて話ぐらいは耳を傾けてください。今度の期末、赤点取っちゃったらお正月に帰れなくなっちゃいますよ」

「は、はい、すいません……」

「……いまは授業中ですからね。そうあからさまにスルーされちゃうと困りますし、先生だって悲しいんです。……悩み事があるなら、あとで相談にも乗りますから」

「あ、いえ……ありがとう、ございます……」

「……はい。まあ、起きているだけ、折原くんはまだ偉いのかもしれませんけど……」

 

 どこか複雑そうに目を伏せながら、紅葉がすぅっと息を吸う。

 可視化された色を含む音の波形と、喉へと集まる赤い燐光。

 

 叱られたばかりで思考も一時的に戻っていた篝は「あっ」と気づいて、ゆっくりと腰を下ろしながら両耳を指で塞いだ。

 

「――おはようございますみなさーーーーーん!!!!!!」

「「「ぎゃああああああああああああッ!!!????」」」

 

 ビリビリと窓ガラスが割れんばかりに響き渡る極大の声量。

 赤の力を使った爆音にも等しい目覚めの挨拶は、真実眠っていた生徒たち全員の意識を取り戻した。

 

「お、おは、おはよ……ござ……うっ」

「がぁ、あぁっ……! き、効いたぜ久々の紅葉ちゃんのおはようコール……!」

「こ、鼓膜がっ、鼓膜がーっ!」

「キンキンしゅるう……頭いたいぃ……うぇえ……」

「相変わらず容赦がないなあ……朱丘センセ……」

「……おはよう、悠鹿」

「……おす、篝」

「はい、みなさん起きましたね! ではやっていきますよー!」

 

 死屍累々一歩手前に陥るクラスを眺めて、「よーし!」と微笑みながら授業を再開する朱丘教諭。

 その心境を表すように、気持ち黒板を叩く白墨の音が強くなっている。

 

 なにはともあれ自業自得。

 授業中に眠るなんて不誠実な行為をする生徒に情け容赦は無用だ。

 

「――――、」

 

 衝撃波の悶絶から戻りつつある生徒に紛れて、篝もひとつ息を吐きながらペンを握った。

 

 開いたノートは真っ白のまま。

 教科書のページも授業の開始から変わっていない。

 

 自分の不甲斐なさにいま一度肩を落として、黒板の内容を手早く書き写していく。

 

 ……頭では理解している。

 

 けれど、それに心が追いつくかはまた別の問題。

 

 結局その日、篝は授業が終わるまで、どうにも集中することができなかった。

 

 理由は一体なんなのか。

 そんなのは、まあ、考えるまでもなく決まっていることで。

 

 ――間違いなく、土曜日の遊園地で姫奈美から聞いた、例のコトが原因なのだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ちょうど時計の針が頂点を回ったところで、本日午前中の授業は終了となった。

 

 誰もが待ちに待った昼休み。

 ぞろぞろと教室を出ていく学食派の生徒たちと、残って自分の机に昼食を広げる弁当派の生徒たち。

 

 彼らの割合は八対二と言ったところで、大半が学食、または購買で食事をすませている。

 ましてや朝早くから自炊して、手作りの弁当なんて持って来ている生徒はとても少ない。

 

 そんな絶滅危惧種に名を連ねている男子がふたりもいるあたり、このクラスの謎の希少性はちょっと偶然ではすまされないレベルだった。

 

 無論、篝と悠鹿のことである。

 

 もともと裁縫上手で手先も器用、姫奈美の欠点を補うようにどちらかと言えば家庭的な篝は当然として、荒々しい言動の目立つ悠鹿は意外の声も多い。

 

 が、そんなのは所詮見た目だけの話。

 わりと家事に関してはちゃっかりしている彼は、炊事洗濯掃除の一切に手を抜かない。

 

 下手すれば篝でさえ手を出せないぐらいなものだ。

 

「あぁ……まだ耳のなかキンキンしてやがる……朱丘センセ、まじで容赦ねえって……」

「寝ちゃうからだよ……昨日、あんまり寝られなかったの?」

「いや、寝た。ぐっすり寝たわ。でもそれはそれ、これはこれだ。なんだろうな、授業中の睡魔って……チョークの音と朱丘センセの声が合わさって子守歌になってんのかな」

「そうはならないでしょ……」

 

 呆れまじりの苦笑で応えつつ、ぐるりと体を反転させた悠鹿と一緒に机を囲む。

 

 席が前後になっている関係上、彼らの昼食風景はそのまま前の席の悠鹿が後ろを向くだけになる。

 わざわざ机を動かしてくっつけるというのは面倒だからやらない、とのこと。

 

 すこし行儀が悪いのは否めないが、学生の、それも教室でとる食事である。

 

 篝もそこまで気にはせず、早々に自分の弁当へ箸をつけていた。

 

「それより、寝られなかったのはおまえのほうじゃねぇの。隈、できてんぞ」

「え……うそ、ほんと?」

「ほんとほんと。眼鏡で隠れてるから目立ちはしねえがな。……おとといの晩から寝不足なのは知ってんぞ。なにがあったかは、まあ、聞かないでおいてやるけど」

「……ごめん、ありがと」

「ん」

 

 目元に指を這わせながら、ぶっきらぼうに返す友人に感謝する。

 こういうときの気遣いというか、人を見る目はとんでもなく鋭い悠鹿だ。

 

 篝自身が言いたくない、言いづらい事はあえて触れないでおいているのだろう。

 それを聞くのは本人が言いたくなったとき、と決めている彼の方針だ。

 

「てか、聞かなくてもなんとなく分かるしな。土曜はお姫さまとデートしてたワケだし」

「う…………」

「でもって、おかしくなったのは帰ってきてからだ。露骨にも程があるな。告ってフラれた、なんてベタな真似はおまえらの間で起きねえし、とするなら面倒事に決まってる」

「………………、」

「その上でおまえが俺に話したくないんなら、俺の力が必要ないか、俺が協力してもどうにもならないことだろ? そうじゃないなら相談とか言って話してるよ、おまえは」

「……すごいね。悠鹿は。なんでもお見通しみたい」

「経験則と直感だな。ま、そういうワケだから気にすんな。好きにやれよ」

 

 俺は関係なさそうだし、と言いながら弁当を食べていく悠鹿。

 突き放しているようだが、その実、彼なりに心配しているのはちゃんと感じ取れた。

 

 なによりここまで話してくれているのがその証拠だ。

 遠回しな友人のフォローに、篝はいま一度苦笑を浮かべる。

 

「……やっぱりさ、他人同士って、そういう感じなのかな……?」

「あん?」

「あんまり突っ込まないほうがいいって言うか……本人の問題には、口出しちゃいけないみたいな……」

「そりゃあ……あー……どうだろうな。時と場合と、相手によるとしか言えねえが……」

 

 この場合相手が分かっているだけマシか、と悠鹿は箸を置いて頭をかく。

 

「人間関係に公式や正解なんてねえからな。水物で割れ物、誤解に理解に衝突折衝、何から何まで考える事だらけの難解なパズルだぜ。しかもピース数は無限、自分の持ってる分だけで完成するとは限らない、クソにも程がある仕様ときた」

「……パズル……、……パズル?」

 

 わりと大きめのジグソーパズルを連想して、ふんふむとうなずく篝。

 その想像が本当に合っているかどうかは、まあ、この際置いておくとして。

 

「おまけに一度壊れりゃそれまでだ。同じ画は絶対につくれない。そんなんだからみんな必死こいて隣のヤツをカンニングしたり、同じ形ではめたりして、できるだけ失敗しないようにうまくやっていくワケだが……」

「うん」

「たまに、どんな形でもガッチリ噛み合うような場所(だれか)ってのがある」

「どんな、形でも……?」

「何しようが何言おうが、とはまた違うんだがな、つまり、テメエの持ってるもんのどれを使っても、その全部がテメエならなんでも合っちまうってことだ。それが本気で考えたことなら、本気で想ったことなら、どんなことでも壊れない。でもってそういう場合、大体壊れるような要素ってのは相手にも自分にも用意できないモンなんだよ。考え方とか、在り方とか、あるいはそいつの性質、性別、体格、技術的にな」

 

 例えばそれは、彼にとっての彼女のように。

 あるいは、彼女にとっての彼のように。

 

「バラバラに吐き出されたネジとドライバー探して、偶然ピッタリ合うふたつを見つけるみてえな感じだな。そいつ以外とは絶対合わねえし、合ってしまう事もない。似ている何かでも代えは効かない。そいつじゃなきゃダメだ。そこにいるそいつじゃなきゃ、頭や体が納得しても魂が絶対にうなずかない。そういう相手ってのは、いるもんだ」

「……なんか、よく分かんなくなってきちゃった。悠鹿の話、時々難しい……」

「ああ、すまねえ。じゃあ簡単に言ってやろう」

「うん、ごめん、お願い」

 

 こほん、と悠鹿はひとつ咳払いをして、篝を見ながらニヤリと頬をつり上げた。

 

「思うようにしたらいいってこった。悩んで迷って手探りで考えて、そんでもって決めたらそのまま突き進めばいい。あとは悩むな、迷うな、考えるな。こうと決めたら最後まで走り抜けろ……ってあたりか? 俺に言えるのは。まあ、何とは言わねえがよ」

「……えっと。結局、どうなの……? 遠慮、したほうがいいのかな。それとも……」

「んなの知るかよ俺に聞くなばーか」

「んなっ――!?」

 

 なんでそうなるの!? と立ち上がりかける篝。

 今の今まで語っておいてなにを、という意見は、ストンと額に当てられた指が止めた。

 

 ぐぐっ、とおでこにめり込むほどの力で押し返しながら、悠鹿は意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「いたい、悠鹿いたい。ごめん、ごめんって。はい。冷静じゃなかったです……」

「そうやってすーぐ謝る。男なら意地を通せ意地を。見せてみろよオイ」

「いや、こんな場面で意地張っても……」

 

「いいか、篝。俺たちは個だ。誰にも成れねえし誰でもねえ。自分は自分で完成してる。それが醜かろうが不完全だろうが、地に足二本くっつけて立った時点でもう一人になってんだよ。他人の気持ちも考えも、完全に理解なんてできないだろ。じゃあ最後に決めるのは自分自身、誰でもないおまえ自身だ。そもそも生きてる以上は誰かに迷惑かけんだよ。要はそれを少なくするか、もしくは気にしないかの二つに一つだ。だったらちょっと誰かに意見するぐらいどうってこともねえ。そうは思わねえか? 親友(かがり)

 

「……そう思えたら楽じゃないよ、親友(はるか)……」

「そりゃそうだな。俺もそう思う。あっはっは! ――おい待て落ち着け。そのフォークを大人しく捨てるんだ。構えをとけ」

「うー……! うぅー……!」

「あーあーすまん! 悪かった! すまねえ! 許せ! 謝る! 悪ぃ!」

 

「謝って済んだら警察は要らないんだよ……!」

「いや警察はいるだろ。冷静に考えて。事務関連の事後処理的に」

「はーるーかー!」

 

「あっはっは! すまねえ許せ! 後生だ篝! ちとおちょくりすぎたなこりゃあ!」

 

 冷や汗を垂らしつつフォークを箸で受け止める同居人。なんだかんだ言いつつも、お互いに仲の良いふたりだった。

 

 



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14/彼女のヒミツ

 

 

 

 つまるところ。土曜日の夜、こういうことがあった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「私は、もうおまえと一緒に居られないんだ」

 

 見ようによっては、なにかを堪えるような表情で。

 あるいはどこか、なにかを諦めたような表情で。

 

 十藤姫奈美は、目の前の少年にそう告げた。

 

「――――っ」

 

 ひく、と喉が干上がっていく感覚。

 あまりの衝撃、驚愕に、思考より先に体が反応した。

 

 もう一緒に居られない。

 共に過ごすことはできない。

 

 それはある程度予測できていた、けれど、あまりにも予想だにしなかった言葉。

 

 飾らない台詞は、そのまま容赦なく彼の心を抉っていく。

 

「っ……な、んで……」

「……理由、分かるだろ?」

 

 分からない。

 分かりたくもない。

 

 そんな彼の主張は、現実を前に通用しない。

 単なる子供のワガママを容認するほど、この世界は甘くない。

 

「……っ、……だ、って……」

「……だってもなにもない。多分これは、ずっと前から決まってたことなんだ」

 

 運命みたいなものだよ、と語る姫奈美の声に、ある筈の弱々しさはなかった。

 

 表情だけが曖昧に歪んでいて、けれど、声音にはしっかりとした強さがある。

 もう既に、心の奥底ではなにもかもを決めているようなブレのなさ。

 

 ――そんな彼女の姿を、篝は、何度も見たことがあった。

 

「見たんだろう、私の、首元」

「っ…………」

「だったら、言うまでもないじゃないか。おまえも聞いたことぐらいあるだろう。まあ、私もこうして発現するまでは半信半疑だったがな……実際、出てからは理解できた」

 

 ゆっくりと、姫奈美の手が首元のマフラーにかかる。

 

 そこに隠されているのは、彼女にとっても、彼にとっても複雑な思い出を抱える稲妻模様の星刻。

 三十を超えた青色の雷は、幾つにも重なって姫奈美の首に浮かんでいる。

 

 けれど、今は。

 

「――ほら。これ、見えるだろう?」

 

 しゅるりとマフラーを解いた姫奈美が、そのまま首筋――うなじから肩へかけてのあたり――を見せるように肌を出した。

 そこにあるのはもちろん星刻ではない。

 

 一瞬の錯覚、ひとときの空目。

 

 はたまた幻覚、幻視、そういった類いであるという可能性が消失する。

 たしかに存在するソレは、彼女の肌へ浮かぶように現れていた。

 

 見慣れた形と、少女を表す力と同じ色。

 五角形の頂点同士を合わせたような星の形は、変わったモノでもなんでもない。

 

 ――それが、痣のように浮かんでいなければ。

 

「そう。星形の、痣だよ」

「…………っ」

 

 答え合わせは無慈悲にも。

 脳内に響くのは、いつしか聞いた担任教師の言葉。

 

『……発現すると限界を超えて『星刻』の力を使える代わり一月後に『星霊』に連れ去られて肉体ごと消失する星形の痣……とかはまあ、そも実力者しか出ないモノですから皆さんには関係ないですし……』

 

 そうだ、たしかに篝たちには関係がなかった。

 

 事実五組に所属する生徒たちは、学内の成績が振るわない、実力的にも難がある問題児ばかり。

 だから彼らにその可能性は存在しない。

 

 けれど、

 

 ――けれど、この学園でただ一人、誰もが口を揃えて最強と認める彼女となれば、話は違ってくる。

 

「先月の終わり頃かな。その日も三年生と決闘があって、帰ったあと、シャワーを浴びていたらもう浮かんでいた。……驚いたよ。まさかそんな、と疑ったし、眉唾物の話だから偶然かなにかだろうとも思った。……けどな」

 

 何故なら。

 十藤姫奈美は紛れもない、入学してから一度も負けていない〝実力者〟だ。

 

「それから、すこぶる調子が良いんだ。星刻から湧き出るように力が溢れてくる。それをどう扱っていいかも、どうすれば何を出来るかも手に取るように分かる。今まで感じてた無意識の〝壁〟っていうんだろうかな、それが、壊れた気がした。――ああ、これは本当のコトだったんだって、それから後の試合のなかで、確信した」

 

 どこか嬉しそうに微笑む姫奈美。

 

 その顔に嘘偽りは一切ない。

 本心からの言葉、彼女がなによりも追い求めたであろうモノ。

 

 その想いがなんとなく分かってしまうのは、幼馴染みとして長く一緒に居た結果か。

 

「前よりずっと、もっと速く、もっと強烈に、もっと凄絶に。そう思えば星刻は応えてくれた。繋がった先、高い座にある星霊が私を認めてくれている。どうして一月後に消えるのか、その真相を垣間見た。……この痣は、印なんだと思う」

「……し、るし?」

「ああ。星霊が定めた人に宿る印。それが星形の痣。……星の外側、高次元へと導かれる選ばれた証だ。その猶予期間が一か月。なんてことはない。私は消えて、彼らと同じ場所へと導かれる。そうしてまた、夜空に浮かぶ星の一つになるようなものだ」

 

 要するに、つまり、それは。

 

「才ある者、頭角を現した者、人の身では辿り着けない領域に立った者。星刻の力とは、すなわち星霊の力だ。彼らの力を上手く扱える人間が欲しいと思うのは、まあ、彼らの事情故なのだろうな。真実は知らない。だが、私は呼ばれた」

 

 目的も、考えも、どうしてそうなるかも分からない。

 

 知っているのはただ触れるコトもできない別次元の星霊だけ。

 その一端、触覚ですらこの世にとって超常となり得る未知の脅威そのもの。

 

 ならば当然、思考を理解する事なんて人間の目線からは叶わないだろう。

 

「声を聞いたんだ。誰かも分からない、なにかの声。だけど理解はできた。そう語っているのだと、頭ではなく、どこか別の部分で。……十中八九ソレ以外にない。ならば最早、目を逸らしている場合でもないだろう。なにより恩恵だけを受けて、その不利益から目を背けるというコト自体が気にくわなかったのもある。だから、はっきり言うぞ」

 

 彼女らしい、なんとも強かな理由だった。

 こんな状況でもなければ思わず微笑んでしまいそうなほど、姫奈美らしい考え方。

 

 でもそれは、この場に置いて非情な現実を彼に叩きつけるだけのものだった。

 

「――私は一週間もしないうちに、この世界から消えて居なくなる」

「っ…………!」

 

 察していた。

 考えていた。

 予想していた。

 読んでいた。

 

 けれど、ああ、けれども。

 

「その為の今日のデートだったのだ。まあ……なんというか、心残りを減らす目的を兼ねて……な。たったひとつ、おまえとあまり遊べてないのが、一緒に過ごせてないのが後悔だったんだ。うん。……それも、こうやって片付けられた」

 

 ふんわりと、どこまでも穏やかに姫奈美は微笑む。

 

 生への執着も、消失への恐怖も、ここに来て一切持ち得てはいない。

 

 無いということではなく。

 

 きっと、彼女はそれすら容易く、簡単に乗り越えてしまっているのだろう。

 

「悔いはない。未練もなくなった。お陰でな、今日一日、本当に楽しかったんだ。とても、とってもだ。……ありがとう、篝。ずっとずっと、おまえには感謝で一杯だった。おまえと出会えたことも、一緒に過ごせたことも、幼馴染みであれたことも……ぜんぶがぜんぶ、私にとってかけがえのないことなんだ」

 

 心構え、準備、用意、そんなものでどうにかなる問題ではない。

 だってこれは、どうしようもない。

 こんなのはどうにもできるはずだない。

 

 だって、そうだ、こんな――

 

「沢山の〝思い出〟をくれて、沢山の〝優しさ〟をくれて。そして沢山の……〝好き〟をくれた。最高だよ、篝。おまえと過ごせた時間は、なにより幸せだった」

 

 こんなのは、分かっていても、我慢できるものではない。

 

「……そう泣くな、篝。私もまあ……おまえと会えなくなるのは寂しいが」

「――――っ」

 

 どうしても零れてしまう。

 流れてしまう。

 ああ、これではダメだと分かっているのに。

 こんな態度では彼女に合わせる顔もないと分かっているのに。

 

 それでも。

 

 それでも、涙は流れていってしまう。

 情けない、ただ悲しむだけの、脆い涙が。

 

「実際、あんまり落ち込んではいないんだよ。十七年だ。短い人生だったが、その分充実していたように思う。……悪くはなかった、むしろ良かったな。私はおおむね私らしく、ずっとここまで来れた。なら最後までそうあるだけだ。胸を張れる私のまま、終わりまで堂々と前を向いていることに決めた」

 

 一体どの口が並び立ちたいと、幼馴染みだと言うのだろう。

 こんなにも弱々しくて、こんなにも無様を晒して泣きじゃくっている。

 

 涙は止まらない。

 

 泣いてしまう自分をどうにもできない。

 篝として譲れない大事なものは、そこにあるというのに。

 

「落雷のよう強烈に。痺れさせて、轟いて。……そうやって駆け抜けた人生は、きっと鮮やかで素敵だ。その輝きが一瞬だとしても、それが私の納得いく人生なら尚更。覚悟は決めた。準備もこうして済ませた。なら、あとは時を待つだけだ」

 

 もしも彼女が、一ミリでも恐怖していれば。

 もしも彼女が、ほんのわずかでもその終わり方に異を唱えるならば。

 

 きっと篝にだって、なにか言えることがあったのだろう。

 声をかけることができたのだろう。

 

 でも、それはおそらく十藤姫奈美としてありえない。

 彼女という存在が、そんな軟弱な自分を許容できるような器ではない。

 

 彼女は強かだ。

 

 故に。

 

「ああ、でも、ちょっと心配だな。篝のことは」

「っ――――…………」

「私がいないからって、適当なことしたらダメだぞ。ちゃんと制服はネクタイを締めて、髪も梳いて、しっかりご飯食べて」

「……っ、――――っ」

「それから勉強もきちんとして、テストも頑張って、それから、それから――」

 

 故に、誰かに救われて欲しいなどと望む弱さは、微塵も備えていなかった。

 

「――それから、ちゃんと、私の分まで生きるんだぞ」

「――――――っ」

 

 もう何も言えない、もう何も語れない。

 

 ただ涙だけが流れてしまう。

 篝の瞳からとめどなく、大粒の涙だけが流れてしまう。

 

 なぜ、どうして、自分は、彼女は。

 

 こんなにも――

 

「……大丈夫、大丈夫だ。篝。私の最高の幼馴染み。おまえはずっと、ずっと――」

 

 

 

 ――こんなにも、強い(弱い)のだろう――

 

 

 

 

 



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15/星の導くままに

 

 

 

 昼食を手早く片付けた篝は、そのまま学園の図書館へと向かった。

 

 本校舎から南側への渡り廊下を行った先。

 近隣でも随一の蔵書数と、並大抵ではない広さを持つ本の海へと足を踏み入れる。

 

 中は静かで人気も少ない。

 昼休みが始まってから三十分と経たない時間、人影はカウンターに座る図書委員の姿ぐらいなものだ。

 係であろうその女生徒にぺこりと会釈をして、篝はすたすたと室内を歩いていく。

 

 ……天井の高さもさることながら、大きな図書館は縦横にも十二分なスペースが設けられている。

 ずらりと並ぶ大小様々な本棚。

 ぎっしりと詰め込まれた厚みも装丁もバラバラな書物は、一冊抜けば雪崩を巻き起こしそうな錯覚すら覚える。

 

 奇跡的なバランスで保っているようにも、当たり前のように固定されているようにも思える本の山。

 流石にこれだけの数にもなると、全部の中から目当ての一冊を探し出すのも一苦労だ。

 

 一応、本はジャンル毎に分けられているが、それにしたって完璧とはいかない。

 人間のする仕事はどうしても小さなミスや見落としが出来てしまう。

 が、これに関しては責めるばかりではなく、これほどの蔵書数を捌いている図書委員を褒めるべきだ。

 

 彼らの仕事は大変だが、その分、役目を全うしようという心意気に満ちている。

 

 本棚を奥へ進んで、入り口からそこそこ離れたあたりで篝の足は止まった。

 主に手芸関連の書籍が並んでいる一角である。

 

『……僕にいまできることなんて、これぐらいしか思いつかないし……』

 

 そう内心でひとりごちて、近くの梯子へと足をかける。

 広い図書館、高い本棚は一番上まで登らなくては目を通せない。

 

 高所は当然苦手な篝だが、土曜日の経験がすこしだけ足の震えをマシにしていた。

 

 比べるのもどうかという高さだが、お陰で恐怖も薄れている。

 

『新しいマフラーか……手袋、かなあ。……どっちでも、無駄になっちゃうけど』

 

 梯子を上りながら、思わず自嘲してしまう。

 最後には価値がなくなるもの、けれどそれを贈るということ自体に意味が無いとは限らない。

 

 それは分かっている。

 でも、なにより胸につかえているのは、その結末で。

 

『…………、』

 

 きっと、いくらプレゼントを用意したところで、いくら泣き叫んだところで、姫奈美の消失は避けられない。

 どうすれば避けられるのかも篝には分からない。

 いや、そもそもが今現在、確固たる証拠として存在していなかった。

 

 星形の痣。

 

 星刻の限界点を超える象徴は、発生するのもごく稀だ。

 史実でもいまだ三人は居ないほどのレアケース。

 当然、その処置方法、対処方法の解明も進んでいない。

 

 曰く、彼女が言うには星の導き。

 星刻の力をうまく扱える人間を求めて、星霊たちが選定する高次元へと招く印だという。

 

 星刻から流れる力は星霊と同質だ。

 ならば彼女の星刻が〝壁〟を超えたのも、三十以上と多い画数を持っているのも頷ける。

 それだけ星霊に認められ、力を貸し与えられているということなのだろう。

 

『……このまま、お別れ……、……っ、ううん、姫奈美ちゃんはもう覚悟してる。なのに僕が弱気のままじゃ、本当に合わせる顔がどこにもない……!』

 

 最上段まで梯子を上りきって、しっかりしろと篝は頬を叩く。

 

 いつまでもめそめそしてはいられなかった。

 なによりまったく時間がない。

 

 こうなった以上、やれる事ぐらいやらなくては彼女の信頼を裏切ることになる。

 泣くのも悲しむのも最後の最後、全部が終わって無くなってからだ。

 

 それまで涙は、もう流さないと。

 

『こういうとき、ひとつでも特技があって良かったな……ちょっとでも恩返しができる。なにがいいだろう。姫奈美ちゃん、なになら喜んでくれるかな……』

 

 きっとなんでも喜んでくれるだろうことは、なんとなく篝も察している。

 あの幼馴染みは彼の手作りならどんな物でも笑顔で受け取ってくれるのだ。

 

 その優しさは暖かいけれど、どうせなら最期、これ以上ないものを選びたい。

 とりあえず右端から順に本を引き抜いていって、何か良さげなものはないかと探してみる。

 

『…………、』

 

 ペラペラとめくられる本の頁。

 パタンと閉じて戻されて、隣の一冊がまた引き抜かれていく。

 

 しばらくはその繰り返し。

 

 頭に浮かんできたいくつかの案と、その中のどれにするかを悩みかけてきた頃。

 ふと、次に伸ばした指先の感覚が、一際固いところにあたった。

 

『ん?』

 

 ぐいぐいと引っ張ってみるも、指は一向に引き抜ける様子がない。

 

 およそ中央寄り。

 左右から挟まれて詰まった分厚い装丁の本がひとつ、本棚を圧迫して抜け難くしている。

 

 背表紙にはタイトルも著書名も書かれていない。

 薄かったり小さかったりする手芸用の本のなかで、その一冊だけがどことなく異彩を放っている。

 

 だから、だろうか。

 

 妙に気になって、篝は思いっきりその本を引っ張り出そうとし――、

 

「わわっ!?」

 

 ずるん、と。

 勢い余って、梯子にかけていた足が見事に滑った。

 

 ふわりと空中に投げ出される身体。

 永遠にも感じる一瞬の浮遊感。

 

 急激な状態の変化は、知覚よりも先に脳内を混乱が埋め尽くす。

 考えるよりも先に本能が反応する。

 

 ああ、ダメだ、落ちる、間に合わない。

 

 受け身を取ろうにもパニックで体の動かし方さえ曖昧だった。

 四肢を放り出したまま、篝はゆっくりと、重力に従って瞬く間に落ちていく。

 

 衝撃は、一秒後にきっかりと。

 

「っだぁ――――!?」

 

 どったんばったんどささささーっ! と、最上段から流れてきた本に押し潰されながら無惨にも倒れこむのだった。

 

「――ちょっ、なに今の音……って、だ、大丈夫ですか折原さん!?」

「だ、だいじょう、ぶ、です……」

「全然そうは見えませんが!? というかよく無事でしたね!!」

「僕もいちおう、星刻、ありますから……」

 

 いてて、と腰をさすりながら起き上がる篝。

 その体には何冊もの本が土砂のように覆い被さっている。

 

 希によくある天蠍学園大図書館の恒例災害、別名『紙雪崩』だ。

 彼のような二年生はともかく、本来ならこの図書館の大きさに慣れていない入学したばかりの一年生が起こすコトなのだが……、

 

「と、とにかく一旦、落ちちゃった本を元に戻しましょう。私も手伝いますので」

「あ、はい……ごめんなさい、ありがとうございます」

「いいですよ、別に。こういうのも図書委員の仕事ですから」

 

 ニコリと笑う女生徒にぺこぺこと頭を下げつつ、篝もせっせと足元の本を拾っていく。

 

「……あ、これ」

「はい? ……ああ、それ、星霊についての本ですね。たしか、大分昔からあるとかで、誰が書いたかも分かってないんですよ。……振り分けのときに間違えちゃってたみたいですね。あとで戻しておきます」

「……星霊、の……?」

「ええ。私も委員の一人なので、一度全部目は通しましたけど……お恥ずかしい話、あまりよく分かりませんでした。なんだか、難しいことばかり書いていて」

 

 資格とか選定基準がどうとかー、なんておぼろげな記憶を語る女子生徒。

 

 事実、それは意味の分からない言葉の羅列だったのだろう。

 気にした様子もなく片付けを続ける少女の横で、けれど篝は、どうにも無視できない予感を覚えた。

 

 資格と、選定基準。

 

 それが一体なにを意味するものなのかを、彼は一瞬考えて。

 

《秘匿を破る為に、先ず知恵が必要だ。我々は星へ至る為に理解しなくてはならない》

 

 気づけば自然と、その中を覗き込んでいた。

 

《彼らは元来、我々と同位であった。星の外側、首領の座には消失した原初の神秘を持っていなければ至れない。故に生を全うした彼らは、生ある我々にそれを分け与えた》

 

 文字を追う目を止められない。

 

 頭の中にはぐるぐると渦巻く予測の回答。

 良心の呵責が同時にページを捲る手を止めようとする。

 

 今はこんなことをしている場合ではない。

 人に手伝って貰っているのだから、本を片付けるのが先だと。

 

 なのに。

 

《意思は五つ。機構も五つ。だがその役割は既に破綻している。火はまだ強い。だが地は擦れている。選定が疎らだ。それでも秘匿だけは固く閉じている。残滓はそれでも強い》

 

 胸の奥で跳ねる心臓が、頭のなかで囁くなにかが、一向に止まらない。

 

《認めし者には導きを。逆しまならば撤回を。基準は承認されていない。我々には不足している知識がある。隠されているものを解くのは、やはり星に触れた知恵だ》

 

 何を書いているのか、何を示しているのか、さっぱり分からない。

 理解もできない。

 

 けれどもたしかに、するりと入り込むような何かがあった。

 

《望むなら指標とせよ。拒むなら反面とせよ。全て彼ら、座の意思に委ねられている》

 

 確信は、どこまでも体の内側に。

 

《薪を焼べろ。燃料は灯るものだ。熱を抱く者よ、斯くて己の心に実直であり、想え》

 

《常に心は波紋を立てず。大海に於いて微動は許されない。流れる者よ、静寂を好め》

 

《揺らし、揺らされ、其れを抱えろ。唯一を無二と定めよ。吹き荒ぶのは一人のみだ》

 

《震えを超え、崩壊を越え、やがて固まる。二足で立て陸の勇者。不屈の名を示して》

 

 記述は曖昧で回りくどいものだった。

 他者への理解、習得を前提としていない走り書き、メモ書きにも似た自分へ宛てた文章だ。

 

 けれど、間違いなくそこに解答は存在する。

 

《響き鳴り轟かせろ。空を裂き走れ天地を繋ぐ申し子。その身に勝利以外の功は非ず》

 

「――――――」

「……折原さん?」

 

 果たして、前提として実力が高いという括りがあったとして。

 それだけで星霊が決めるのなら、彼女だけではなく他の序列を持つ生徒たちにも痣が出ていなければおかしい。

 

 星刻の違い。

 色と属性。

 それぞれが異なった要素を持つ五と五の組み合わせ。

 

 引っ掛かる部分はどこか。

 通常なら滅多に起きない星刻の増減、それが姫奈美にはよく起こることがあったらしい。

 それも、この学園に入ってからのことだ。

 

 なら、それまでと今で違っているところはどこか。

 

 ……言うまでもない。

 幾度にも行われる星刻使い同士の決闘は、学園でのみだった。

 

『響く唸る、天地を繋ぐ……稲妻、落雷……? なら、勝利以外ってことは――』

 

 思い出せ、と篝は自分の脳内へ訴えかける。

 彼女から星刻がまた増えたと聞いたとき、事前に必ず起きているコトが無かったか。

 

 いいや、あった筈だ。

 

 間違いなく、彼女は毎回のように決闘が終わったあと、三回に一回ほどのペースで星刻が増えていた。

 

「――勝ち続けているから、選ばれた……?」

「? あの、折原さん?」

「……いや、違う。逆だ。負けてないからだ。それ以外は要らないなら、それ以外がない姫奈美ちゃんを決めるのは当然だった。うん。そうだ、じゃあ、それって――」

 

 つまり、その荒野に積み上がった戦果を台無しにするだけでいい。

 

『――――なに、それ』

「!?」

 

 導き出した答えに、思わず頬が引き攣る。

 相反する感情、思想に表情筋が動いた。

 

「どっ、どうしたんです折原さん? やっぱり頭とか打っちゃいました? 保健室行きましょうか? むしろ連れていきましょうか!?」

「……いえ。大丈夫です。ごめんなさい。二度目になりますけど、本当にありがとうございます」

「え、いや、そこまで謝らずとも……」

「それでも、言いたくなっちゃって。――おかげで、すこし、元気が出ました」

 

 にこりと微笑んだ篝は、そのままテキパキと散らばった本を拾っていく。

 とりあえず、今は目の前のコトから。

 それから先は、アレコレと考えるまでもなく。

 

 ただ出来上がった目標以外に、余所見はできないと前を向いていた。

 

 

 

 

 



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16/決意の灯火

 

 

 

「失礼します」

 

 昼休みも残り十分と終わりの迫った間際。

 

 篝は二年一組の教室へ足を踏み入れて、ぐるりとあたりを見回した。

 優等生の集まったクラスなだけあって、すでに生徒たちは全員が席へ着いている。

 

 空席はない。

 

 目当ての人物は、そう苦労することもなく見つけられた。

 

「……篝?」

 

 首を傾げてこちらを向く姫奈美は、どこか驚いているようだった。

 

 当然だ。

 

 あんなことがあった手前、篝から連絡なんて取れるはずもなく。

 ともすれば消えるまでに割り切れるかどうか、なんて自分の心配ではなく彼の心配をしていたぐらいである。

 

 そんな少女の心境を知ってか知らずか。

 篝はスタスタと教室を横断して、姫奈美の席の近くまで足を運ぶ。

 

「どうしたんだ? いきなり。何か用事でも……」

「うん。お願いがあるんだ」

 

 ピタリ、とほんの一瞬、姫奈美の動きが止まった。

 それはちょうど、彼としっかり〝目〟を合わせた瞬間。

 

 声に含まれた芯、目の前に立つ姿勢、なにより瞳の奥で揺れるモノ。

 

 正体不明の直感に弾かれるように、彼女の心が杭を打たれたように震える。

 

「どんな、お願いだ?」

「僕と決闘してほしい」

 

 間髪入れずに篝は応える。

 

 半ば姫奈美が期待していた言葉を。

 二人以外のこの場の誰もが、予想だにしなかったありえない一言を。

 

「おおおおお!? まじか!? おいまじかこれ!?」

「十藤と折原が決闘だって? 因縁の幼馴染み対決じゃねーか!」

「模擬戦以来のカードだよ! ていうかなんでいま!? すっごい急だね!」

「この前は折原の大敗だったな! 二の舞にはなんなよー!」

「号外だ号外だー! 全クラスに飛ばせー! うちの【青電姫】に五組の折原が決闘申し込んだぞー! ほらさっさと五組のアホ共にも送ってやれー!」

 

 途端騒がしくなる教室に、湧き立つ一組の生徒一同。

 同じクラスにいるだけ、姫奈美の決闘事情に関してはとくに盛り上がる彼らである。

 

 が、当の本人はそんなざわめきを気にしないどころか、一切耳に入れてはいない。

 代わりと言わんばかりに、ぎらりと口の隙間から覗く犬歯が光る。

 

 ――青い雷撃を微かに迸らせながら、少女はその顔に獰猛な笑みを湛えていた。

 

「ふふっ、あははっ……」

「…………、」

「なんだ、篝、おまえ。く、ふははっ……あははっ! 言ったな? 本気だな!?」

「もちろん。これが、僕の決めたこと。折原篝は正式に、君に決闘を申し込む」

「あはははははっ! ははは! あはははははは――!!」

 

 バチン、バチンと弾ける稲妻。

 青い電光は姫奈美の感情を示すように周囲で瞬く。

 

 それもそのはず。

 なにせ仕方がない。

 

 こんな風に言われて、こんな風に堂々と勝負を挑まれて、しかもその相手が「彼」だという。

 

 なんて至上、なんて至高、なんて至極。

 これ以上はないほどの殺し文句だ。

 

「――いいぞ、ああ、もとより断る気など毛頭無い。受けて立つ。いいや受けさせてくれ。私の結実を飾るのはお前こそが相応しい!」

「……そっか。ありがとう」

 

 こくり、とひとつ篝は頷いて、

 

「でも、ごめん」

「……?」

「今回は僕が勝つ。何が何でも、絶対に」

「――――――、」

 

 真っ直ぐ姫奈美の瞳を見据えながら、篝はそう啖呵を切った。

 

 ……そう、既に予感は確信へと変わり、理解も把握も済ませている。

 時間も選択肢も限られたこの現状、頼みの綱はあるだけマシだと信じ切るのが最善だ。

 

 もはや篝の目に映るのはただ一つの結果のみ。

 

 彼女が終わりを受け入れている以上、仕込んだ〝わざと〟なんて情けない真似はできないが故の、どんでん返し。

 その荒野に戦果以外が要らぬというのなら、不要なモノをつくってしまえばいい。

 どんなに美味しい飲み物でも、それに一滴毒が混ざれば価値が崩れ去るように。

 

 無敗の勝利を重ねて召し上げられる彼女に、たった一度の傷をつければどうなるか。

 

 彼はその結末を、半ば確信の域にまで昇華している。

 

「ははははははっ! 良いぞ良いぞ! 最っ高だ! いつ仕合う!? 私はいつでも構わない! なんなら今からでも大丈夫だが!!」

「……すぐじゃないよ。明日の放課後、第六アリーナで」

「ああ、承知した! しかと聞き受けた! 明日の放課後だな! ふふ、ふふふふふっ、久しぶりだこんな気分、こんな楽しみは! 心待ちにしていよう! 篝!!」

「僕もそう。こんな風に思うのは久しぶり。――だからもう、振り向かない」

「ふふっ、良い眼だ! 心が躍る! 思わず抑えきれなくなりそうだ! だが堪えよう、我慢しよう! おまえとの決闘だ! 万全でなくては、私が満足できない……!」

「……そうだね。僕も本気で、全力で君を討ち倒す」

「はははっ! 応とも、来てくれ! 負かせるものなら負かしてみればいい!」

 

 ――手は抜かない。

 

 どんな理由があろうとも容赦はしない。

 

 彼女は瞳でそう語っている。

 同様に、篝も同じ言葉で返すよう見つめ合った。

 

 交錯する視線の間には、目に見えない明確な火花。

 去り行く篝の背中を眺めて、いま一度姫奈美は諧謔の笑みを浮かべる。

 

 最早彼女にとっては、自身の喪失すらどうでもいい些事へと成り果てていた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 その日の放課後。

 

 篝は授業が終わると、いつも通りにアリーナへと向かった。

 相変わらず人気のない道を進んで、誰一人いない広場の舞台に足をかける。

 

 ……明日の決闘に選んだ場所。

 

 同じ内装のアリーナはどこにしても同じだが、それでも慣れている空気というのは彼にとって大きな要素だ。

 それが本番まで続くかは別として、ここを指定したのは単に通い慣れているというだけでもないだろう。

 

 ――音の反響、空気の震え、屋内では無に等しい風の流れ、どこになにがあるか。

 

 見えなくても身体に染み付いた感覚は容易く消えない。

 静かに深呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと手のひらを前に突き出す。

 

「紅蓮星霜」

 

 爆ぜる火炎と架空の熱量。

 星霊から借り受けた力の一端が、彼の肩にある星刻を通してその場に現出する。

 

 慣れきった動作は、依然として躊躇いもなく済まされた。

 

 炎に突き刺した手指を握りしめ、たしかなカタチを捉えるよう引き抜く。

 無骨なまでの鍔と柄、赤い火炎の走る黒い鞘。

 星剣としてはある意味異質な、抜き身ではない状態での顕現状態。

 

 けれどもそれは、篝にとって悪いコトばかりでもない。

 

「――――――、」

 

 深く、低く、沈みこむように息をする。

 体内を駆け巡る血流、弛緩と伸縮を繰り返す筋肉に、絶えず脈動する臓器のリズムを感じ取る。

 

 集中は、それで成された。

 

 一瞬の静寂、どこまでも続くような無音の空間。

 放っておけばそのまま石にでもなっていそうな様子は、傍から見れば格好もつかない光景なのだろう。

 

 それでも彼は集中を乱さない。

 

 ただひとつ、目の前のコトにだけ全神経を総動員させる。

 腰だめに構えた星剣へと手をかければ、自然と頭が冴えた。

 

 閉じていた瞼を開く。

 

 眼前に広がるのはいつも通りに無人の舞台。

 そこへ線を引くように、篝は勢いよく鞘から刀身を抜き放って――、

 

 

 

 

 

 

     『〝 見 ぃ つ け た 〟』

 

 

 

 

 

 

 瞬間、誰のものでもない、誰かの声を聞いた。

 

 ぞっと底冷えするような感覚。

 身体の中で渦巻いていた熱が一瞬で冷めていく。

 

 なんだろう、分からない。

 

 ただこの感覚には何度も覚えがあって、何度も体験していた。

 声は近い。

 おそらく今までよりずっと迫っている。

 

 彼の背後、誰もいないはずの空間から響いてきた音は、ヒトには理解できないモノを含んで囁かれる。

 

 伸びてくる、近付いてくる、迫ってくる。

 後ろから。

 背中から。

 

 何かが。

 

 何かが。

 

 

 ――――何かが。

 

 

 

 

 

「なにしてんだ、篝っ」

 

 

 

「ひゃあッ!!??」

「うぉわッ!!??」

 

 ビクゥ! と跳ね上がる篝の肩と、同じように驚愕の声をあげて手を踊らせる、

 

「…………悠、鹿?」

「お、おう。……なんか、おまえがどっか行くの見えたから付いてきたんだが……こっちが驚くほどビビらせちまったみたいだな。悪ぃ。許せ」

「あ……いや、ううん、別に。大丈夫。ちょっと……勘違い、したみたい……」

「? そうか」

 

 不思議そうな顔をする友人に、篝はどうにか苦笑で答える。

 

 ……そう、本当に、ただの幻覚みたいな勘違い。

 耳朶を震わせた音に聞き慣れた色がなかったのは、きっと他に集中しすぎていたせいだ。

 

 そうでなくてはおかしい、と自分自身に言い聞かせる。

 

 明確な根拠は、それでも掴めそうになかったけれど。

 

「ま、なんでもいいや。それより、まさかとは思ってたが。……おまえ、わざわざこんなところで練習してたのかよ?」

「それは……まあ……」

 

 お恥ずかしながら、と頬をかいて言う篝に、悠鹿は露骨に呆れたような顔をした。

 

「意気地なしめ。みんなの前が恥ずかしいなら決闘なんて挑んでんじゃねえよ」

「う…………、……ごもっともです……」

「だからそうやってすぐ……っと、嫌味ばっか言っててもいけねえか。堂々と啖呵切ったことは褒めるべきだろうしな。ちゃんとしてんじゃねえか、篝」

「……うん。僕なりに、意地、見せられたかな……?」

「ばーか。まだまだこれからだろ、本番は。簡単に負けんじゃねえぞ」

「負けないよ。今度は絶対、僕が勝つ」

「……そうか」

 

 くすりと微笑んで、悠鹿はそのまま遠くの観客席へ視線を投げる。

 

 気にかかって後を追ってきた彼だったが、その心配はまったくの杞憂だったようだ。

 目の前の少年は真っ直ぐに前を向いて、きちんと決意を固めている。

 

 それが勢い任せの行為だとしても、あれほど悩み抜いていた末の結論。

 言うまでもなく、後悔なんてしていないだろう。

 

「問題点は、山積みだろうけどな……」

「?」

「いいや、なんでも」

 

 ちらりと横目で見た〝篝の手〟から目を逸らして、くるりと悠鹿は踵を返す。

 

 心と体の起こす反応は、頭で考えるのとはまた別だ。

 一朝一夕でどうにかなるものでもない。

 なにより今日まで引き摺っている以上、無くすコトも難しいレベルになる。

 

 ただでさえ厳しいところに、彼はもう一つハンデを背負って戦わなくてはならない。

 

「ちょっと見ていっていいか? おまえの〝鍛錬〟」

「え」

「ほら、ここまで離れてりゃ十分だろ? 存分に動き回ってくれていいぜ」

「えぇ……いきなりだよ……っていうか、分かってやってない、悠鹿……?」

「そら当たり前だろ。おまえの恥ずかしがるところ見て笑いたい。つか笑える」

「い、いぢわるー!」

 

 こんな酷い同居人だなんて……! と冗談交じりに睨みつける篝。

 その視線を爽やかにスルーして、広場と観客席を隔てる壁に背を預けた友人は「ほれほれ」とあからさまな表情をしながら促してくる。

 

 何か言ったところで、そこから退く気はないだろう。

 

「…………、」

 

 はあ、とひとつ笑いながらため息を吐く。

 仕方なさげに剣を構えると、それで向こうもからかうような態度をすっぱりとおさめた。

 

 ……本当、そういうところがまた、どうも。

 

『悠鹿らしくて好き、なんだけどね――』

 

 震える両手で星剣を握りしめる。

 

 カタカタと音を立てて揺れる刀身。

 行方の定まらない切っ先を、極限まで低く落とした呼吸と心臓で緩和する。

 痙攣じみた手指の震動をぐっと堪えれば、あとはそのまま振るだけでいい。

 

 喩えそれが、焼け石に水程度のモノでも。

 

「――――――っ」

 

 何も無い虚空に、線を描くよう篝の刃が走っていく。

 

 彼の瞳は真剣一色だ。

 その表情に一切の緩みも、いつものような柔らかさも介在してはいない。

 

 そうまでして振り抜かれた剣閃は、けれども、傍から見ればどこまでも格好悪いモノ。

 ガタガタで揺れに揺れた横薙ぎ、真っ二つになんてできそうもない振り下ろし、どこを狙っているのかと言いたくなる袈裟斬り。

 そこには鋭さもなければ、力強さだってない。

 

 下手糞、不細工、不格好。

 非力で拙い、粗悪で劣等な、二年間もこの学園に通っているとは思えないほど弱々しい剣の振り方だ。

 

 姫奈美のような凄烈さも、磨き抜かれた技術の美しさも持ち合わせてはいない未熟な剣筋。

 

『………………、』

 

 そんなことは、審美眼なんぞ持ち合わせていない悠鹿でも分かる。

 

 彼の星剣の扱いは見るからに心の傷が足を引っ張っていて、下手すれば一年生のほうがまだ綺麗と言えた。

 

 才能はない。

 重ねた努力が実を結ぶ様子も皆無。

 

 その場で足踏みを繰り返すばかりの中で、目指しているゴールだけが遠退いていく。

 それはどうあっても他人でしかいられない悠鹿をして、痛々しさで眉間に皺を寄せてしまうぐらい非情な現実だった。

 

 暗闇の中で目隠しをして、いつ来るかも分からない終わりに向かって走り続けているようなものだ。

 

 なのに、

 

「――――っ、――――」

「…………、」

 

 彼はそれに対する苦悩も苦痛も、頭の片隅にすら過らせてはいなかった。

 

「……な、篝」

「っ――……っと、うん。どう、したの? なにか、駄目なところ、あった?」

「いや、駄目と言えば全部が全部駄目になるが」

「うぐっ」

 

 ストレートな事実にグサッと心を刺される少年。

 先ほどまで真面目な顔だったのに、そこで涙目になっているのがなんともおかしい。

 

「……ちょっとな。つまんねえこと、訊いていいか?」

「? 大丈夫だけど……つまんないこと?」

 

 なにそれ、と篝は星剣を振り回した疲れからか、肩で息をしながら首を傾げる。

 何を問われるかまったく想像ができなかったからだ。

 

 そんな彼に、悠鹿は、

 

「おまえさ、なんでそこまで十藤にこだわるんだ?」

「――――――、」

 

 何でもない口ぶりで、けれど、無視できないようなコトを呟くのだった。

 

「幼馴染みで付き合いも長い、仲も悪くないってのは分かってるよ。おまえと十藤が楽しそうに話してるのは何度も見てるしな。十藤からしてみりゃあ嫌うほうがおかしいってのも、なんとなく察せるし。でも、おまえはまた違う事情が混じってくるだろ?」

「…………、」

「なんせみんなのトラウマ、おまえにとっても引き摺るぐらいのもんだ。それでどんどん先に行って、誰も追いつけない地位でずっと勝ち続けてやがる。正直、ありゃ誰も勝てるとは思えねえ。少なくともうちの学園にあいつから玉座を奪えるようなヤツはいない」

 

 当然、学園全体で見ても底辺に位置する篝に、勝ち目なんてある筈もない。

 

「……そうだね。姫奈美ちゃん、本当に強いから」

「ああ強い。恐ろしいぐらい強い。届かない、歯がたたなくて当たり前だ。だからまあ、俺はこう思うワケだ。人間それぞれ十人十色、得意不得意あって然るべき。なら無理して追いかけなくても変わんねえもんは変わんねえ。すっぱり諦めるのも手だってな。どうせ無駄だって分かってんなら、その時間を他に使う方が有意義ってのもある。余裕のある、楽な生き方ってのをしても良いんじゃないのかってよ」

「………………、」

 

 悠鹿の言っていることは正しい。

 真実それは、篝にとって自己の核心に触れるような、鋭いナイフの切っ先じみた言葉だった。

 

 胸に突き刺さるモノはたしかにある。

 何度も何度も心の隙間から顔を覗かせた、情けない弱音に酷く似ている告発。

 

 罪状は不明。

 けれど、

 

「……そうかもしれない。うん、そうだね。楽な生き方、簡単な方法があるなら、それも良いと思うよ。難しいのは、どうしても嫌になっちゃうし。……そうやって気を遣ってくれる悠鹿の優しいところ、僕、凄い好きだよ」

「は? ……はぁッ!? いや、違うが!?」

「ふふ、誤魔化さなくてもいいって」

「いや違うからな!? 本当だからな!? だあああもうテメエはー!」

 

 けれどやはり、少年は前を見据えて言葉を続けた。

 

「でもね、悠鹿。実際、姫奈美ちゃんに比べれば、僕の苦労なんてそう大したことでもないんだよ。きっと昔から、姫奈美ちゃんのほうがいっぱい苦労してる。なにより僕がそれを知ってるんだ。苦しくて、辛くて、もう泣きたいぐらい……って」

 

 ……そう、彼はたった一度だけ、姫奈美の涙を見たことがある。

 

 どんな怪我をしても泣かなかった彼女が、堪えきれずに頬を濡らした瞬間。

 周囲との軋轢から生じた悪循環。

 

 喩えどれほど凄まじい才能を持っていても、喩えどれほど他人とは隔絶されていても、十藤姫奈美はあくまで人間だ。

 

 ひとりの少女に変わりない。

 それを深く心に刻み付けた時から、彼の目標は一切ブレなかった。

 

「それを知ってるから。その時があって、今みたいになってるのを知ってるから。だから諦められないよ。僕よりずっと苦労した幼馴染みが、僕よりずっと頑張ってた。なのに僕が頑張らないなんて、それこそおかしい。……うん。おかしいね、本当」

 

 クスクスと笑う篝に、なにがおかしいのかと悠鹿が苦笑まじりで視線を向けている。

 

 言ったとおりにつまらないこと。

 嘘でもなんでもなく、彼の質問はそのようになった。

 

「格好良いんだよ、姫奈美ちゃん。だから追いかけたい。でも時々心配になるんだ。だから傍に居たい。でもって、やる前から無理とか無駄とか言ってられないでしょ。やってみなくちゃ分からない。ううん、やるっきゃない、やってやる。なにより僕がそうしたい」

「ああ、なるほどな。ちょっと分かった。――おまえら、やっぱ幼馴染みだわ」

 

 呆れるような悠鹿と、屈託のない笑みを浮かべる篝。

 明確な答えはその胸に、そこまで決めているのならなにを言っても同じだろう。

 

 鮮烈な姿に憧れて、弱々しい姿に胸を打たれて、抱えた想いは純粋にして強固だ。

 それに彼が気づくのは遠くない先。

 

 これから起こる一波乱が、今か今かと待っていた。

 

 

 

 

 



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第五章/ 星刻学園の落ちこぼれ
17/最弱と最強


 

 

 

 斯くて役者は揃い、時間は針を合わせるように。

 翌日の授業はあっという間に過ぎて、すぐさま約束の場面はやってくる。

 

 束の間の平穏も運命じみた接触を前に意味はない。

 

 全ては星の導きのままに。

 彼方より呼びかける声が、深く低く響いていた――

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 篝が中央広場へ繋がる扉を開けると、そこには思わず目を疑う光景が広がっていた。

 

 会場内に響き渡る大小の歓声と人のざわめき。

 いつもなら無人の筈の観客席は、今日に限ってまったく逆の様相を呈している。

 

 ――見渡す限りの人、人、人。

 

 舞台をぐるりと取り囲んだ観覧スペースは多くの生徒たちで溢れかえっていた。

 

『え……なにこれ、すご……!?』

 

「お! ようやく挑戦者(チャレンジャー)が来たぞー!」

「待ってたよ折原くん! せいぜい瞬殺されないよう頑張れー!」

「あれだけでかい啖呵切ったんだ! いっそ目にもの見せてくれや!」

「勝つのは無理でもせめて一泡吹かせろよー!」

 

 どっと湧き上がる客席は、どうやら二年生の一団であるらしい。

 仲良く……というには若干の距離を置いて、綺麗に一組から五組まで横並びになっているのは彼らの学年らしい統率の取れ方だろう。

 

 入学以来ずっと姫奈美の姿に引っ張られ、その強さを一番身をもって体験している勇者達でもある。

 当然篝との関係についても周知の事実だった。

 

「ファイトォーっ! 委員長ー! フレー、フレー!」

「頑張れ折原ー! 五組の意地を見せてやれー!」

「折原くん! 私たち精一杯応援するからねー! いけるよいけるよー!」

「おらボケッとしてんなシャキッとしろシャキッとぉ! そんな顔じゃ勝てねえぞ!」

「鷹矢間、野球観戦の親父みてえだな。ガラ悪ぃ」

「愛情表現の裏返しでしょ。相変わらず素直じゃないヤツ」

「うっせーわボケェ!?」

 

 ……色んな意味で賑やかな一団から視線を切りつつ、真っ直ぐ伸びる道を歩いて行く。

 

 遙か先、遠く舞台の上には既にひとつの影があった。

 威風堂々と待ち構える、この学園において唯一無二の玉座へ座るひとりの少女。

 

 ある種の憧憬と恐怖すら覚える立ち姿は、決闘を前にしてより鮮やかさと鋭さを増している。

 

 ――まるで真冬の夜気だ。

 そう感じてしまうほどの気迫に、自然と足が速まった。

 

「……お待たせ。姫奈美ちゃん」

 

 声をかけると、眼前の少女はゆったりと瞼を持ち上げた。

 群青の髪に紛れて、赤い虹彩が彼の体を射貫くように見据える。

 

「ああ、漸くか。待ち侘びたぞ、篝」

 

 気落ちした様子もなく答える姫奈美。

 その表情には隠しきれない愉悦が浮かんでいる。

 

 声は大気を震わせるほどの言霊を帯びながら響いていく。

 偏に、彼女の感情が力となって吹き荒れているからに他ならない。

 

「なんともまあ、賑やかだな。だが華々しいぐらいがちょうどいい。私たちの最後の決闘……いいや、訣別か。なにはともあれ、この機会に恵まれたことは素直に喜ばしいな」

「……そうだね。本当に、機会には恵まれたと思う」

 

 ぎゅっと拳を握り締めながら、篝はその部分にだけ同意した。

 良い意味でも悪い意味でも後ろを振り向かない彼女は、一度決めたコトを簡単には覆さない。

 

 なにより覚悟をして決めた道筋、それを侮辱するような生き方を容認しないだろう。

 それは正しく、少女にとって消失よりも恐ろしい自身の崩壊に他ならない。

 

「だから君に勝つ。今まで待たせちゃった分、ここで全部取り返す。それが僕の、やるべきことだと思うから」

 

 くすりと、距離を挟んで立ち続ける姫奈美が口の端を吊り上げた。

 

「――いいだろう。ならば宣言を。正式な決闘手順だ。やり方は、知っているな?」

「……もちろん」

 

 凪いだ空気と、瞬間の静けさが包む舞台の上。

 

 睨みあう二人の間に他の要素は一つも介在していない。

 無粋な立会人が入る隙間がないままに、彼らは高く声をあげる。

 

「……二年五組、出席番号七番、折原篝。我が誇りと名誉にかけて、星の導きのもと、互いに刃を向け合う権利を提示します」

「二年一組、出席番号二十八番、十藤姫奈美。我が誇りと名誉にかけて、星の導きのもと、その権利を受諾しよう」

 

 カチリと、歯車の噛み合うような起動音が響いていく。

 

 学園指定の制服、その肩部分に縫い込まれた校章には、声に反応してアリーナの記録装置へ呼びかける機構が含まれている。

 必要な言葉はふたりともが発した。

 微塵も問題なく認証された動作は、これが冗談や生半可なモノではなく、本気で序列をかけた争いだと設定した。

 

 後には退けない。

 いや、はじめからどちらも、退くつもりなんて更々ない。

 

「誓いをここに。僕は君に――」

「代価はここに。私はお前に――」

 

 眼光が、鋭い視線と共にぶつかって火花を散らした。

 

「「決闘を申し込む」」

 

 声は重なり合って、開始を告げる合図が会場中へと鳴り渡る。

 声を大にして騒ぎだす多くの観衆、建物すら揺らすほどのあまりにも凄絶な反応。

 

 それらを全て一笑に付して、姫奈美は大きく右手を突き上げた。

 

 視界に映すのは広がる舞台でも、後ろの観客席でもない。

 ただひとつ、この場に於いて同じ舞台に立つのは彼の少年たった一人のみ。

 

「――さあ、行くぞ篝……!」

 

 瞬間、たしかに彼女を中心に風が巻き起こる。

 閉じられた屋内円形闘技場、室内では先ずありえない不自然な空気の流れ。

 

 それだけではない。

 

 迸る青い稲妻、深い海を思わせる電荷は、バチバチと唸りながら空を裂く。

 蒼光を放つ首もとの星刻は今にも焼き切れんばかりだ。

 息の苦しさに眉を顰めながら、それでも彼女は人の身に余る領域へと手をかけていた。

 

 途端。

 

 姫奈美の頭上に暗雲が立ち込める。

 何層にも重なった灰色の雲。

 内側で音と共に閃く稲光を、けれども彼女は諧謔の笑みと共に引き摺り墜とす。

 

雷撃皇帝(らいげきこうてい)ッ!!」

 

 直後、光を放つ落雷は少女目掛けて振り下ろされた。

 

 命を削る自然の暴力、現実を歪めて神秘により再現された光景は、ただ星の力の一端を形成するだけの現象でしかない。

 

 臙脂色の布が揺れる。

 銀色の刃は細くしなやかに、けれど両刃の剣という特異なカタチをした一振りだった。

 

 鍔はない。

 

 柄に巻かれたぼろ切れだけを靡かせるそれは、少女だけが手にするコトを許された不敗の証明。

 何人をも玉座に寄せ付けなかった、十藤姫奈美の得物たるこの学園で最も優れた星の刀剣。

 

「さあ、次はお前の番だ。見せてくれ、出してくれ。そしていざ尋常に――」

 

 〝斬り合おう、私の幼馴染み(かがり)……!〟

 

「……うん。分かってる。行くよ」

 

 姫奈美から向けられる零れる笑みを受け止めながら、篝は静かに目を閉じた。

 

 何度も繰り返した工程、慣れきった動作。

 当たり前がそうと成る束の間の安心が、彼の不安をひとときの内の吹き飛ばす。

 

 ――その一瞬こそは、何よりも、誰よりも真剣に。

 

「紅蓮星霜」

 

 爆発する火炎の中から引き抜いた星剣を、素早く腰だめに構える。

 

 震えは起こらない。

 鯉口を切り、刀身が姿を見せるそのときまで無意識は反応しない。

 

 ……だからといって、剣を抜かなければ戦えないのが現実だ。

 

 このまま固まっていたところで、何の抵抗もできずに負けて終わるだけ。

 

 ――そんなのは、喩え誰が許しても篝自身が納得できない。

 

「――――っ!!」

 

 閃きは火炎を伴って。

 引き抜かれた刃は、虚空を裂きながらその銀色を見せた。

 

 ……指先が震える。

 行方が定まらない切っ先と高鳴る動悸を押さえつけて、ただただ正面を睨みつける。

 

 頭のなかに響く声はあったかどうか。

 

 脳内で反響するナニカを無理やり堪えながら、篝は星剣の柄を強く握りしめた。

 

「……っ、勝つのは、〝僕〟だよ……!」

「見事だ、良いぞ。だが違うな。勝つのは〝私〟だ!」

 

 再度火花を散らす視線の交錯。

 気勢をあげる両者の意思が交わり拮抗する。

 

 彼女の行く末を、彼の身勝手を、そして学園最強の座をかけた舞台。

 

 決戦の火蓋は、ここに堂々と切って落とされた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「先手は貰ったぁ!」

 

 宣言と変化は一瞬だった。

 直後に割れ砕ける地面と、スパークじみた青い発光。

 

 加速の性質を持った姫奈美の星刻は、彼我の距離を一秒足らずで零へと縮める。

 

『まず――――』

 

 地面を伝う稲妻のように〝何も無い〟場所を青雷が走っていく。

 

 聴覚はおろか、視覚ですら認識が追いつかない。

 既に通り過ぎた彼女の位置は特定の隙もなく迫っている。

 

 ゾクリ、と。

 

 正体不明の悪寒だけが、紛うことなき脅威のタイミングを捉えていた。

 

「ぐ――――!?」

「ははっ、反応したか! 良いぞ良いぞ!」

 

 直感のみで受け止めた刃が、速度の乗った一撃にあらぬ方向へと飛んでいく。

 

 トラウマ以上に痺れるのは星剣から伝わる雷撃の余波だ。

 ランクで言えば最高基準のA以上、星形の痣を発現した彼女は既に限界点を超えている。

 

 つまりその神秘は最早、人の器にない。

 

「しかしまだだ!」

「っ!!」

 

 霞と消える姫奈美の姿。

 空気と一体化したとしか思えない光景に、遅れて耳朶を震わせる轟音が響いていく。

 

 青色の本質はあくまで速度の向上。

 時間の経過と共に増していく速さで圧倒するのが基本戦術となる。

 

 だが、コレはどうか。

 

 〝――っ、後ろ――!!〟

 

 振り向きざまに放った刃は、けれど確かな手触りと共に彼女の一撃を拒んだ。

 

 背後からの奇襲。

 瞬間移動としか思えない現象に歯噛みするも、ぶつかり合った星剣が互いの力量差に悲鳴をあげる。

 

 決闘が始まって一分も経っていない状態。

 なのに姫奈美の最高速度は軽く音を越えている。

 

 それは『加速』というにはあまりにも速い、彼女の出鱈目さだ。

 

「っぅ…………!!」

「あははっ! これもか! ではこれならどうだ!?」

 

 バヂン、と一際大きく青雷が迸る。

 手に握られた星剣が彼女の意思に応えるよう、ぼろ切れをはためかせながら刀身へと稲妻を巡らせていく。

 

「見せてくれ! ああ、魅せてくれよ! 篝!!」

「ッ!!」

 

 物理法則の悉くを無視しながら、電荷を帯びた〝七つ〟の刃が篝へと襲いかかる。

 

 その差はコンマ一秒以下のほぼ同時に行われる連鎖斬撃。

 一つを凌いだところでその隙をもう一つの太刀筋が切り裂き追い詰める。

 

 防御は、不可能に近い。

 

 〝――――、赤の、力……!!〟

 

 ギチギチと負荷に軋みをあげる軸足。

 だが構っている場合ではない。

 

 篝は一瞬の判断で右脚に力を集中させ、不安定な姿勢のまま足場を蹴り抜いた。

 

『っ、ぅ…………!!』

 

 超高速の斬撃の嵐を躱しながら、水平に飛び抜ける身体を強引に捻る。

 

 このまま遊覧飛行なんてしている余裕はない。

 地面に突き刺した星剣を支えに、ざりざりと滑りながら体勢を立て直す。

 

 脚はまだ使い物になるぐらいには無事。

 

 だが、

 

「はぁあ――ッ!!」

「!!」

 

 その停止位置を狙うかのように、上段へと構えた姫奈美が天井を背景に映った。

 その全身を、刀身の切っ先に至るまでの全てを、青い稲妻で覆いながら。

 

 〝なん、て……速さ……!!〟

 

 驚いている場合ではないのに、その速度にただ驚嘆する。

 

 こんなものは加速とは言えない。

 純粋なまでの速度の暴力だ。

 

 流れる時間、一秒間に行える動作の回数、手数の多さ、決定打の有無ですらかけ離れた圧倒的な差異。

 彼女にとって舞台上の距離、どこに身を潜めているかなんていうのは時間稼ぎにもならない。

 

『ッ――――!!』

「あはっ」

 

 頭上から振り下ろされる剣閃を、横へ転がりながら回避する。

 

 とっくに星剣はただ掴んでいるだけ、構えも何もない後手に回った状態だ。

 けれどもしょうがない。

 なにせ今の篝にあの素早さを凌駕する手札がない。

 

 勝機はここに来て――いいや、そもそも初めから閉ざされているようなもので。

 

「あははははっ! 良いぞ! だが足りない! 足りないなぁ!!」

「がッ――――!?」

 

 腹部へ襲い来る急激な激痛と、再度身体を包み込む浮遊の感覚。

 

 今度は篝の意思によるものではない。

 唐突な変化は事実、彼の思考に空白じみた穴をつくった。

 

 口内に溢れる血の味に顔をしかめる。

 瞼を開けるのもどうにかやっとという事態。

 

 少し離れた姫奈美は、剣を振り下ろしたままこちら側へと足裏を向けている。

 

『け、蹴ら、れた……? 地面に降りた、あの、一瞬で――』

 

 着地の反動を真横へと流して蹴り飛ばしたというのか。

 

『――っ、……! でも、姫奈美ちゃん、なら……ッ』

 

 ありえないと思いつつも納得してしまうのは、偏に篝としても姫奈美を理解しているからだ。

 不可能なんて言葉で片付けられるほどあの少女は甘くない。

 道理を捩じ曲げてでも事を為す力がその身には宿っている。

 

 星の輝きは、そうそう人の尺度で測れないだろう。

 

「――っく、ぅ……げほ、えほっ……!」

「もっとだ。もっと〝おまえ〟を見せてくれ、私の篝。おまえこそが私の唯一だと!」

 

 爆ぜる快音は三度青雷を撒き散らしていく。

 

 うずくまる篝に反撃の手段はない。

 即座に上半身を持ち上げながら、なんとか震える指先で星剣を握り締めることはできた。

 

 呼吸をくり返しながら思考を素早く、冷静に回す。

 

 落ち着け、焦るな。

 見えないモノはどう足掻いても見えない。

 頼れない情報はどう解釈しても同じだ。

 

 考えて、常に感じろ。

 

 幼馴染みとして傍に居た時間はダントツで長い。

 彼女はどこへどう向かうか、どう動いているか、その気配は、匂いは、雰囲気はどこから漂ってくるか――

 

「――そこ……っ!」

「正解だッ!!」

 

 衝撃波に並んで響く甲高い音。

 斜め横から襲い来る凶刃を弱々しくも受け流す。

 

 鍔迫り合いはできない。

 できたとしても勝ち目が無い。

 

 手の震えは剣へと伝わる力さえまともに通してはくれない酷さだ。

 剣戟は捌けても、当の剣を握った腕は跳ね上げられる。

 

 篝はそこから切り返す術を持っていない。

 

「っ、ぅ、ぐ…………!」

「ははははは! どうした、もっとだ! まだまだ足りないぞ! 意地を見せてみろ!」

「――ぅ、い、ぁあッ……!!」

 

 至近距離から放たれる青の斬撃を逸らしながら、歯を食い縛って痛みを堪える。

 

 全部に反応することは間に合わない。

 傷は一秒ごとに数十と増えていく。

 

 飛び散る血痕は篝だけの流しているものだ。

 対等に渡り合うなんて夢物語。

 

 差はどこまでも広がり続ける。

 

「あはは! あはははは! ああ愉しい! 愉しいな篝! おまえと仕合うのがこんなにも心躍るというコトを、改めて実感した! だから、さあ、もっとだ!!」

「ッ――――!!」

「この程度で終わるような男じゃないだろう!? おまえは――!!」

 

 斬撃は彼女の期待を表すように速くなっていく。

 

 一合一合が生死の分け目だ。

 篝の力では撃ち落とすコトなんて望めない。

 

 受け流す、逸らすのが精一杯。

 それでも身体は後退していく。

 

 剣は押されて刃があらぬ方向へと切っ先を向ける。

 

「はははっ、あははははは! ははははは――!!」

「――っ、ぐ、つぅ……!!」

 

 息が苦しい。

 

 目眩がする。

 

 胸も痛い。

 

 先ほど蹴られた衝撃で何本か肋が折れていた。

 

 それを治す星刻ですら、彼にはたったの一画しかないのだから笑えない。

 能力の扱いも必要最低限、出力は言わずもがな、治癒の速度ですら他人と比べて遅々に過ぎる。

 

 対する少女はその全てが最高峰。

 素質は篝を遙かに凌駕している。

 

 天才と謳われる才能と強さを求める精神が噛み合わさった結果は揺るぎない。

 

 剣閃一つ、体の動かし方を見ても鮮やかに磨き上げられた美しさがあった。

 

『……っ、あぁッ……!』

 

 敵わない、敵う筈がない。

 この場に居る誰もがその現実を信じて疑わない。

 

 当たり前だ。

 

 前代未聞の優等生と、落ちこぼれの劣等生。

 特別な才能なんて何一つもなければ、彼女に勝てるようなモノだってありはしない。

 

 勝敗は目に見えている。絶望的なまでの結果が。

 

『――ッ、だから、どうしたの……!!』

 

 そんな逡巡を気迫と共に嚥下して、篝は必死で刃を走らせる。

 

 迷うな、悩むな、振り向くな。

 いま大事なのはそんな事じゃない。

 

 この結果がどうなるか、勝つか負けるかでさえ、この瞬間の彼にとっては二の次のどうでもいい事だ。

 

『目の前のことに集中しろ……! いま僕が戦ってるのが誰か、分かってるのか……!』

 

 青い電荷は容赦なく彼の身体を傷付ける。

 

 手加減は一切なし。

 彼女は本気で彼を殺さんばかりに刃を振るっている。

 

 星刻があるから死ぬ事は無い、傷付いても治るから大丈夫、そんな甘い考えではない事は明らかだった。

 

 他者を圧倒する異常性。

 普通の日常生活を送っていた人間ほど、彼女の本気に触れれば心に深い疵を負う。

 

 なにせ簡単な話。

 

「は、はは、ははははははは!! あはははははははは――!!」

 

 前に突き進む砲弾を人の身で受け止めれば、止めることはおろか生きてはいられない。

 

 彼女の生き方は鮮烈にして強烈だ。

 その本質は環境や才覚で揺らぐモノでもないだろう。

 

 力の有無、他者との差異、強弱の関係性、その全てが姫奈美にとってはスパイスでしかないように。

 彼女は心の底から闘争を、命を賭けた斬り合いを尊んでいる――

 

「――――あぁぁああッ!!!!」

「!!」

 

 震える両手で握り締めた星剣を、篝は薙ぎ払うように強く振り抜いた。

 

 呼吸の隙間、意識の外側、視線、手足の動き、その全ての裏をかいて作り上げた好機。

 偶然は多分にあって、その中でも掴めたのは奇跡に等しい大博打。

 

 けれども成したのならそれこそが必然であったと言えよう。

 

 ――目を見開いた姫奈美が、弾かれた剣もそのままにこちらを見据えている。

 

 胴はがら空き、チャンスはその一瞬に。

 

『これで……!』

「――――ふ、は」

 

 ニィ、と。

 

 篝はたしかに、振るわれた刃を見て笑う、彼女の表情を垣間見た。

 

 〝なっ――――〟

 

 だが気づいたところでもう遅い。

 一度決めた動作はそう簡単に覆せない。

 

 星剣は揺れながらも真っ直ぐに、彼女の胸目掛けて走っていく。

 

 それを、

 

「――――はぁッ!!」

 

 目を灼かんばかりの勢いで差し込まれた、銀と青の雷霆が悉く防ぎ切った。

 

「はははっ、良い良い、実に良いぞ。今のはヒヤッとした。危なかったな。だが――心が躍った。正しく期待以上だったぞ、篝」

「っ…………、」

「ではこちらも一つ、おまえの本気に応えて見せるとしよう。なに、心配することはない。もう一段〝ギア〟を上げるだけだ。――――ついて来れないとは、言わせんよ?」

 

 眼前で吹き荒れる星の力。

 撒き散らされる青雷に皮膚を焼かれながら、篝は頬を引き攣らせる。

 

 その先の自分の未来は、全くもって想像もできないようだった。

 

 

 

 

 



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18/それは圧倒的なまでの

 

 

 

 一方その頃。

 観客席で勝負の行方を見守っていた悠鹿は、ところどころからヒソヒソと囁かれる声に眉を顰めていた。

 

「なんか、一方的……」

「あんまり強くないのかな、あの、【青電姫】と戦ってる先輩」

「さっき五組って言われてなかった? 二年生以上の五組って……」

「わ……マジ? 最底辺ってことじゃん。それがなんで序列一位と決闘してんの?」

「これ、もう勝負決まってるだろ……あんな剣筋じゃ勝てねえって。絶対」

 

 チラリと視線を向ければ、比較的真新しい制服と白色の襟飾が目に入る。

 

 今年に入学した一年生たちのものだ。

 八ヶ月になる学園生活で既に慣れきったのだろう。

 新入生特有の不安そうな態度、浮いた様は見られない。

 

 ……すくなくとも、その感想を除いて。

 

『いや、まあ……十藤のことあんまり知らないヤツから見たらそうなるか、そりゃあ』

 

 仕方なげに笑みをこぼしつつ、悠鹿は舞台の上の篝を再度眺める。

 

 彼らの言っている事は決して間違いではない。

 実際のところ篝は姫奈美の攻撃を防ぐのに手一杯、防戦一方な状態で、それも次第に崩れ始めている。

 

 落ちこぼれの五組所属、天地がひっくり返っても強いとは言えない劣等生の彼が奮闘しても、ワンサイドゲームに見えてしまうのはある。

 

『俺らもヒトのことは言えねえけど、ホント弱え。剣筋は相変わらずガッタガタだし、動きは繊細さの欠片もねえし、今んとこ一撃も十藤に入れられてねえし。そりゃそうだ。誰がこんな決闘を良い勝負だって言える? 言えねえよなあ、こんなモンは』

 

 公開処刑、あるいはただの陵辱。

 同じ土俵に立ってすらいない。

 

 誰がどう見ても彼の奮闘は讃えられるものではなく、無意味で無価値だと蔑まれるくらいな惨状だ。

 

 嫌なものだと目を背けるか、酷い光景だと目を伏せるか。

 それぐらいに彼我の実力差は歴然としている。

 

 篝の攻撃を寄せ付けないほどに姫奈美は強く、姫奈美の攻撃を防ぐことができないほど篝は弱い。

 

 今この瞬間にも彼は追い詰められている。

 

『ああ、バカだ、無謀だ。頑張る必要なんて微塵もない。分かってるよ、そんなことは。けど、相手を誰だと思ってやがる? 〝あの〟十藤姫奈美だぜ』

 

 知らぬが仏とはよく言ったもので。

 

 初めての挑戦者が彼らの学年首席であった一年生達は、姫奈美の強さを実際に体感した者がそれ以外にいない。

 ただ知っているのは彼らの頂点に躍り出た少年より遙かに強いという事実のみ。

 

 自分で経験しているかどうか、その違いは軽いようでいてどこまでも重要な差異だ。

 なら、もし知っていたならどうなるか。

 そんなものは言うまでもなく、二年生以上の生徒全員が体現していた。

 

 彼らは一様に黙って決闘を眺めている。

 純粋に応援しに来た者、友人に連れられて仕方なく足を運んだ者、暇潰し代わりに顔を出した者、からかい交じりの気分で来ていた者。

 その全てが当初の目的を忘れて、無言のまま、篝と姫奈美の戦いをじっと見つめている。

 

 それもその筈。

 

 一時期美人だなんだと騒ぎになり、交際条件に決闘を持ち出していた姫奈美だ。

 彼らの殆どは自分自身の体で少女の怖さを理解している。

 正面切って向かい合ったとき、ましてや一度敗北してトラウマを負った後の戦闘がどれほどなものなのかを、我が事のように思い浮べることができる。

 

 であれば、ああでもして立ち向かう少年がどう見えているかなんて言うまでもなかった。

 

『分かってんだ、知ってんだよ。あんな馬鹿げた自殺行為、誰にもできるもんじゃねえ。少なくとも手前には無理だって、そう思っちまうんだよ。十藤姫奈美は別格だ。住む世界が違う、生き方が違う、考え方が違う。そうやって理由付けて離れそうなモン前にしやがってんのに』

 

 それでも彼は目を逸らさずに、少女と向き合い続けている。

 

『だったら俺たちは笑えねえ。これっぽっちも笑えねえよなあ。仕方ねえだろ、ほんと。一番弱っちいクセして、一番本気で十藤を倒そうとしてんだから。マジで、いや、全く。――情けなくてちっとも笑えねえわ、こりゃあ』

 

 誰もが不可能だと断じた玉座の簒奪。

 学園最強の地位へと手を伸ばす向上心。

 

 それらとは全く関係ないところで、しかし、それら全てを目指している少年がいた。

 

 本来有り難がるべき報酬でさえ要らないと断じて、その結果のみを欲した彼の姿が。

 

「いやあ、頑張ってるねえ篝っち」

「……子波か。なんのようだよ、一組の優等生が」

「いやー? なんかみんな黙っちゃって落ち着かないから、見やすそうなところにー?」

「ああ、そういうことか。じゃ好きにしろ。分かりやすくてありがたい」

「あはは。じゃ、お邪魔しまーす」

 

 ストンと悠鹿の隣の席に腰を下ろす伽蓮。

 その顔は笑いながらも篝から目を離していない様子だった。

 

 緑の星刻、風の属性を併せ持った希少性の高い色合わせの星刻使い。

 

 曰く戦うのが好きじゃないとしている序列七位の【波風】は、しかしどうやら自分の色と好みの色は違っているらしい。

 暗緑色の黒髪を後ろでひとつにまとめ上げるリボンと、耳や腕につけられたリング状のアクセサリー。

 

 その色が赤色なのは、果たして同居人である〝青〟に対抗してのものか、別の理由があるからか。

 

「……ね、鷹矢間くんは篝っちが勝てると思う?」

「無理だな」

 

 ばっさりと。悩む暇もなく悠鹿は即答した。

 

「うわ、ひっどー……篝っちが聞いたら泣くよ? それ」

「泣くかよ、男子だぞ。……いや、待て。分からん。泣くか? 泣くのか、あいつ。いや多分泣くな、うん。泣くわ、やっぱり」

「そりゃ篝っちだもん。涙腺ガバガバでしょ。あはは」

 

『……女子がそういうコト言うのは、うん。どうかと思うんだが』

 

 そのあたり突っ込んでも火傷するだけなので、一先ず置いておくとする。

 

「でも、なんでー? 鷹矢間くん篝っちと仲良いのに」

「俺はあいつの友人であってファンや信者じゃねえからな。盲目的に信じるなんてそれこそ御免だ。無理なモンは無理って見てた方が良いだろ。できるなんて確証もなしに他人に押しつけることじゃねえよ」

「ふーん……なんか、意外かも。ちゃんと考えてるんだ、そういうところ?」

「適当だ適当。頭使うのは苦手で仕方ねえしな。そういうおまえはどうなんだよ、子波」

「あたし? あたしはまあ……勝てるほうかなー」

「……ほう?」

 

 その理由は? と胡乱げな視線で問う悠鹿。

 くすくすと笑う伽蓮はどこか悪戯っぽく口元を隠して、遠くの少年を見据えながら呟いた。

 

「だってあたし、篝っちの友達じゃないから」

「……ハッ。そっちこそ篝が聞いたら泣きそうじゃねえか?」

「あー、うん。たしかに。絶対泣くね。もうお目々うるうるさせてそう。正直かわ――」

 

 しゅばっ、と手で口を覆う伽蓮に、悠鹿が一時複雑な……もとい残念そうなモノを見る目を向ける。

 

 理由は言わずもがな。

 そっと目を逸らす少女は、何とも気まずそうだった。

 

「……まあ、今のは聞かなかったことにしておくわ。うん。それがいい」

「そ、そだねー! いや、聞かれちゃねー! うん! ……姫奈美に殺されそう」

 

 最後の一言にはちょっとだけ同意できる悠鹿だった。

 やはり【青電姫】は恐ろしい。

 

「しっかし勝てるほう、ねえ。何をどうしたらそれが叶うのか甚だ疑問だが」

「ま、勝ち負け一票ずつでちょうどいいんじゃない?」

「――あら、それじゃあわたしも勝つ方に入れましょう、是非に」

「……紅葉センセ」

 

 不意に後ろからかけられた声に振り向くと、ちょうど揺れる赤髪が見えた。

 微笑をたたえてふたりの近くまで来た朱丘教諭は、ニコニコと笑顔のままに舞台を眺める。

 

「勝てると思うんすか? あいつが、十藤に」

「いえ、厳しいと思いますよ。正直折原くん、ダメダメな部分が多いですし」

「そうでしょうそうでしょう」

 

 うんうんと頷く悠鹿に、紅葉は苦笑を浮かべつつ「そうですね」と応えた。

 技術も才能も足りない彼が、その全てを持っている少女に勝利するなんて青写真はない。

 

「でも、勝ちますよ。……いえ、正確には勝って欲しい、ですかね?」

 

 ピタリ、と首の動きを止めた悠鹿が紅葉を見遣る。

 その視線を微笑みのまま受け流して、彼女は穏やかな表情のままに言葉を続けた。

 

「きっと誰かに褒めてほしいわけでも、認められたいわけでもなかったんです。ただ目指した人に一歩でも近付きたい、その為の力が欲しい。そう思ってずっと頑張ってきたんですよ。なら、もうそろそろ、ちょっとは報われてもいいと思いません?」

「あたしは思う! すっごい思うよー! 朱丘先生!」

「……チッ。二対一かよ。どうしてこう……なんていうか、望まれるもんかねえ……」

「そりゃあ、折原くんですし」

「まあ、篝っちだしね」

「……まったく分からん。負けるのが当たり前だと思うけどなあ、俺は」

 

 それ以外に考えられないだろ、と悠鹿は吐き捨てる。

 さっぱり理解できない、どういう思考回路をしていればそう思えるのかと。

 

 回りくどくも思ってしまう。

 だからそれは同時に、自らの予想を覆すなにかを望んでいるのと同義でもあって――

 

「動きますよ、ほら」

「!」

 

 紅葉の言葉につられて、勢いよくアリーナの舞台へと視線を戻す。

 

 そこには。

 

 

 

 姫奈美の一撃を受けて盛大によろめく、ボロボロに傷付いた少年の姿があった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 要するに、結果を率直に言ってしまえば。

 

 例えどんな奇跡が起きても、どんなに目を輝かせるような幸運に恵まれたとしても。

 

 なにを願って望んだところで、いまの篝が姫奈美に勝てる筈もなかったのである。

 

「――はははははっ! どうした、動きが鈍いぞ! 隙だらけだ!」

「あッ……ぐ、ぅ……!」

「そんなものか? その程度か!? 違うぞまだだそうじゃないッ!!」

「ッ…………!」

 

 弾かれる刃と、青電を纏って肉を裂いていく斬撃の雨霰。

 

 無理を押し通してきた身体はすでに限界寸前、ギリギリのところで保っているとも言えない死に体だ。

 

 捌ける剣戟の数は五つに一つから八つに一つにまで減っている。

 否、彼女の剣速が天井なしに上がっているが故に単純な回数が増えている。

 その上でこの状態、むしろ倍に増えていないだけ十分以上に食らいつけていた。

 

 長年の経験で培った直感が、寸分の狂いもなく彼女の太刀筋を捉えているのがなによりの証拠だ。

 

『い――たい、辛い、苦しい、泣きたい……ッ、でも、まだ、駄目だ……!』

 

 込み上げるモノを必死で堪えて、篝はひたすらに剣を振るう。

 

 痛いのも怖いのも大嫌いだ、弱い自分がそう訴えている。

 

 でもしょうがない。

 情けないコトにどこまで言ってもそれが彼の本音。

 

 激痛も、苦痛も、艱難辛苦に恐怖の類いだってそのとおり。

 

 彼にとっては忌避すべき対象以外のなにものでもないのに。

 

『我慢しろ……! 痛くても、泣くんじゃない……! 怖くても怯えるな……!』

 

 その全てが目の前の彼女から、自分に向けて放たれている。

 

『もう、逃げないって、決め、て……、――――――っ』

 

 

 

 

 

 〝――ああ、怖い。怖い、怖い、怖い!〟

 

 

 

 

 

 いくら押さえつけても本心を隠し通すには限界がある。

 

 脳裏には黒い靄のように立ち込める何者かの影。

 血液を送らんと拍動する心臓、生きる為に必要な活動のすべてが一瞬にして停止する錯覚。

 

 ――大好きで大事な彼女が、怖くて怖くてたまらない――!

 

 

 

 

 

 

『――ッ、恐怖(それ)が、なんに、なるって言うのぉ……!!』

 

 

 

 

 

 沈みかけた気持ちを引き摺りあげて、無理やり前へと蹴り上げる。

 

 そうだ、なんにもならない。

 なるわけがない。

 

 逃げているばかりで変わる事があるなら、彼自身がとっくの昔に弱い自分から変われている。

 

「あぁぁあぁあああああ……ッ!!!!」

「あはは! あははははは! そうだそうだ! そうこなくてはなァ!!」

「あぅッ――!?」

 

 ドスン、と鉛を撃ち込まれたように陥没する鳩尾。

 

 肺にため込んでいた空気が口と鼻から一気に外へと流れ出る。

 骨が数本、内臓が幾つか破裂したようだった。

 

 噴き出る鮮血と内側の痛みが冷静な思考を根本から奪っていく。

 

「――――、――――、――――」

 

 真っ白になる頭のなか。

 

 酸素を求めてあえぐ呼吸器官。

 耳鳴りと目眩が平衡感覚すらも失わせる。

 いまはどこで、どう立っていて、どちらが地面でどちらが空かも分からない。

 

 けれど、力がなくなる最後の最後まで、身体は必死に生きようとしてくれていた。

 

 〝――――赤の、力、火……属、性っ――――〟

 

 何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。

 丑三つ時の暗闇じみた世界で、右手に握る星剣に限りなく力を込める。

 

 寸前まで正面切って姫奈美と打ち合っていた。

 胸を衝かれたのはその直後。

 重力に引っ張られる感覚は前にある。

 

「ぁあッ――――――――!!」

 

 刀身に宿る赤色の火炎。

 星刻が齎す最小の神秘の力。

 

 それを掬い上げるように振り抜きながら、篝は身体を強引に捻ることで縦の円を描く。

 

 瞬間のうちに取りこまれる酸素、彩を取り戻していく視界、回復する五感の情報を整理しながら、眼前の光景を捉えた。

 

 

 

 

 

「――――ハ」

 

 

 

 

 

 ニィとつり上がる口角と、愉しげに細められる紅の瞳。

 群青色の髪はわずかに濡れて、その毛先までもが乱雑に落とされている。

 左肩から噴出する血は紛うことなき姫奈美のモノだ。

 

 ――ここに来て初めて、彼女の体に傷が入った。

 

『…………っ』

 

 だが浅い。

 あの程度の怪我は怪我とも言えない。

 

 篝と姫奈美とでは星刻の恩恵が何もかも違っている。

 

 彼にとっては治癒に数十秒とかかる傷跡も、彼女にとってはその場の一瞬で回復できるものでしかない。

 

 一秒経てば、もうすでに止血は済んでいた。

 

「……良くやった。凄いぞ、篝」

 

 決闘の空気にはてんで似合わない、優しい声音が耳元で囁かれる。

 純粋に、どこまでも彼の奮闘を褒め称えるような甘い言葉だった。

 

 思わず、力を抜きかけてしまうほど。

 

「だから、お返しだ」

 

 〝ッ、やば――――〟

 

 不安定な体勢から地面に足を着けて、篝は即座に距離を取ろうとする。

 

「逃がすかッ!!」

「いっ……!?」

 

 ギィン、と跳ね上げられる右手の星剣。

 体重ごと宙へと浮かび上がらせた一撃は、篝にとってこれ以上ないほどの隙を生む。

 

 追撃は速い。

 青色の稲妻は容赦なく迫る。

 

 ――迅雷耳を掩うに暇あらず。

 

 それは正しく、人の反射限界を超える速度で放たれた。

 

 〝こ、れは――――〟

 

 ――間に合わない。

 

 深く考えるまでもなく、そう直感するほど致命的な絶死の一撃。

 

 青雷は光もかくやという速度で迫る。

 星剣に赤の力を乗せて走らせたところで刃を打ち合わせるのは難しい。

 いや、コンマの秒数でわずかに足りない。

 

 胴はガラ空き、生身で受ければきっとこの仕合ではもう立ち上がれない。

 戦意を無くすか負けを認めるか、または一方が戦闘続行不能と判断されれば決闘は終わる。

 

 終わってしまう。

 

 まだなにもしていないのに、まだなにも為せていないのに。

 大切な、大事な、彼女との時間が終わって――

 

 

 

 

 

「――――あぁあぁぁああぁああああああッ!!!!」

 

 

 

 

 

 ばっさりと。

 

 なにか、とても。

 

 とても重いモノが、体から消えた気がした。

 

 ――意識が、遠退く。

 

 ……思考が錯乱する。

 

 ああ、でも、

 

 それでもどうにか、冷静に。

 

 だって。

 

 だって、まだ。

 

 

 

『――――ま、だ……勝負は……っ、終わって、ない……!!』

 

 

 

 姫奈美の斬撃は当たっていない。

 

 彼女の刃を防いだのは握り込んだ微かな隙間。

 間に合わせた〝剣の柄〟による防御は、けれど、代償を払ってやっと叶った結果だ。

 

 ボタボタと滴る血液。

 熱に魘されるような激痛と、それを越える冷気のような喪失感。

 

 ――篝の左腕は、肘から先が無くなっていた。

 

「ハハハハハハ!! なんだそれは!? 躊躇いすらしないとはどういう了見だ!? ああ、すまない! 悪かった! ごめん、篝!! 私はおまえを勘違いしていたよ!!」

 

 ギチギチと、胸の前で構えた柄が刃に押し切られて震える。

 男女の膂力の差など関係ないとばかりに吹き荒れる青色の電荷。

 

 そもそも、至極情けないことに、篝は今日まで忘れかけていた事実を今更ながら思い出した。

 

 ――そう。

 

 素の彼女とですら、力比べの類いは一度も勝った事がなかったと。

 

「謝罪だ! 極大の一撃を以て謝罪としよう! これでぇ――」

「ッ!!」

 

 力任せに弾かれた体が、そのまま数歩よろめいて後ずさる。

 同時に耳をつんざく音と、痺れるぐらいの皮膚の震えに目を見開く。

 

 視線を上げたそこに、原因は存在した。

 

『――――――――、』

 

 刃に纏う、刀身に走らせる。

 そんな児戯にも等しい程度ではない。

 

 あれは暴威とも呼ぶべき災禍の具現。

 この極小空間に於いて天災を再現させた神霊の如き権能によるモノ。

 

 ――天を閉じた闘技の舞台に雷霆が犇めき合う。

 

 撒き散らされる青雷は一つ一つが落雷以上の威力を誇る超高電圧。

 地面を砕き空を喰らい、彼女は高く星の雷刃を掲げた。

 

「どうだぁあぁあぁぁぁあああぁぁぁああッ!!!!」

 

 振り下ろされる大質量の雷火の塊。

 あまりに異常な規模、光景を前に〝逃げる〟という選択肢すら出てこない。

 

 防御するにしてもあんなものを相手にどう防ごうと言うのか。

 

 なにができる、なにをやれる。

 取り留めなく暴走する思考と感情、荒れ狂う青雷を前にただひたすら目を焼かれていく。

 

 ああ、もう駄目だ、逃げられない。

 そのまま篝は、極大の雷撃に包まれて――

 

 

 

 

 

 

 



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19/ユメのアト イマのオト

 

 

 

 

 

『かがりっ、かーがーりっ』

『――え?』

 

 ふと、誰かの呼びかける声で目を覚ました。

 

 頬を撫でる気持ちの良いそよ風。

 いつかに見ていた澄んだ青空。

 

 一面の草原のなかで、彼はぼんやりと寝転がっている。

 

『やっと起きたか、寝ぼすけめ』

 

 眼前でにこりと笑う群青の髪をした少女。

 赤い瞳がどこか眩しい。

 

 それが誰なのかをしっかりと思い出して、彼もくすりと微笑みで返した。

 

『……寝ぼすけなのは姫奈美ちゃんでしょ。朝、弱いんだから』

『う……それは、それだ。いまは朝じゃないからなっ』

『ふふ、そっか』

『む……なんだその顔は。仕方ないだろう、睡眠は人間の三大欲求だぞ』

 

 口を尖らせてぶつぶつと不満をこぼす姫奈美に、「ごめん」と謝りつつ体を起こす。

 

 広い、広い、どこまでも続くような緑の平原。

 遠く離れた周りは木々で囲まれていて、ここが山のどこかなのだと察することができた。

 

 どうりでなんだか、妙に見覚えがある。

 

『……懐かしいなあ。こんな場所も、あったっけ』

『ふふ、何を言ってるんだ。私たち、毎日のようにここまで来て、また家に帰ってたよ』

『……そっか。そうだった。こんなに綺麗で広いから、遊び場に持って来いだって、ここを目的地に決めてたんだっけ』

『ああ。ずっとずっと、ここでいっぱい、篝と遊んだんだ』

 

 故郷の裏山、小さい頃に駆け回った自然の景色だ。

 

 だからとても心地よくて、とても体に馴染むようだった。

 昔は地平線の向こうまで続いていると信じて疑わなかった光景も、今となっては違った風に見えてくる。

 

 郷愁の念は、きちんと胸の中に。

 

『……楽しかったね、あの頃は』

『そうだな、楽しかった。今よりずっと、とっても楽しかった!』

『ふふっ……そっか。そうなんだ』

 

 意外かも、と篝は誰に言うでもなく呟く。

 

 歳を重ねた今、幼い頃の記憶はおぼろげで、不鮮明にしか思い返せない。

 何があったか、どんな毎日を過ごしたかなんて、記憶に残るぐらい強烈なものを除けば忘れているのが殆どだ。

 

 あの時間を楽しく過ごした気持ちは、あの頃の自分たちだけが持てる特権だろう。

 

『篝は違うのか?』

『ううん、違わない。楽しかったよ。とっても楽しかった。――ああ、うん。本当に』

 

 古い記憶(モノ)は埃を被って、いつしか新しい記憶(モノ)に取って代わられる。

 新鮮だった景色は擦れていって、それよりも鮮やかな光景にかき消されていく。

 

 それは万物における当たり前のルールだ。

 

 いつかは廃れ、何かが生まれ、そしてまた流れてしまう。

 だから、そんな中でも残っている記憶(モノ)があるとすれば、きっとなにより大事なものなのだ。

 

 何も知らなかった、無垢だった子供の頃。

 彼女と笑い合って過ごした日々は、もう残り香でしかなくなってしまったけれど。

 

 ――それでも、楽しい記憶(モノ)で溢れていた。

 

『楽しかったんだ、僕は。姫奈美ちゃんと、一緒に居るのが』

『……そっか』

『うん。だって、そうでもなきゃ、理由が――』

 

 とくん、と。小さな心臓の鼓動が、どこか高く響いていく。

 

『篝?』

『――ああ、ごめんね。ちょっと……唐突に、思い出しちゃって』

 

 草原の上はふわふわとしていてまるで実感がない。

 このままどこかへ飛んでいってしまいそうな体は、けれどしっかりその場で停止している。

 

 そこだけが彼の居場所だとでも言わんばかり。

 

 ……まったくもって、ほんと、格好悪い。

 

『……夢を、見てたんだ』

『夢?』

『うん。とても痛くて、辛くて、怖い。今にも逃げ出したくなっちゃうような夢』

 

 内容は曖昧で、映像は乱れている。

 ただそこにあるべき感情だけは、明確に感じ取る事ができた。

 

 おそらくは■■だからだろう。

 ならば間違いはひとつもない。

 

『なるほど、悪夢か?』

『いや、そうでもなかった。悪い夢じゃないよ。ただ、良い夢でもないのは、正直』

『ふーん……それで、篝はその夢から無事逃げ出してきたワケだな?』

 

 頑張ったじゃないか、なんて微笑みかける姫奈美。

 

 ゆっくりと伸ばされる手は、きっと彼を褒めてくれる。

 よくやったと。努力したんだなと、優しく慰めてくれるだろう。

 

『ううん。それは、違うよ』

 

 けれど。

 篝はその手を掴んで、少女の気持ちを明確に拒んだ。

 

『……どうしてだ?』

『逃げちゃ駄目なんだ。良くないことでも、目を逸らすのはいけないから』

『でも、痛かったんだろう。辛かったんだろう。怖くて、逃げ出したいほど』

『……うん。でもね、やっと分かった。そんなのは、ただの僕の事情。理由じゃないよ』

『…………、』

 

 さあ、と風がふたりの間を吹き抜けていく。

 幸せだった時間。幻じみた彼女との、何に邪魔されることも、誰に憚られることもなく、一緒に居られた幸福な過去。

 

 けれども、そんな甘い夢に縋っていられるほど、■■は甘くない。

 

『さっきは逃げちゃ駄目、って言ったけど……ごめん、あれ、嘘。僕はさ、逃げたくないんだ。痛くて、辛くて、怖くて。もう逃げたい逃げたいって思っても、逃げたくない』

『なんだそれ……矛盾してないか?』

『そうかな? ……そうかも。でも、そう思っちゃったから。だって逃げたら、今まで僕がしてきたコトの意味がなくなっちゃう。ずっとずっとやってきた地道な積み重ねも、誰かが懸けてくれた期待も、全部裏切ることになっちゃう。……そんなの嫌だよ。痛いのも怖いのも嫌だけど、それはもっともっと嫌だ。だから、逃げることだけはしたくない』

『……じゃあ、ひとつだけ。質問』

 

 じっと、姫奈美は篝の瞳を覗き込んで。

 

『そこまでして、篝はなにが欲しかったんだ?』

『それは――――』

 

 それは、何かなんて、言うまでもない。

 

『……ふふっ』

『?』

『ああ、なんだか。……そうだね。なんていうか、すっごい、馬鹿げてるけど――』

 

 徐々に千切れていく原風景。

 泡と消えていく幻想は、名頃惜しさすら感じさせず光に呑まれていく。

 心には下らない、けれど確かな答えの在処。

 

 だからそれは、とても。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 全身に走る激痛が、瞬間、霞んでいた意識を強制的に引き戻した。

 

 〝ッ―――…………〟

 

 体は痙攣するも、手足はピクリとも動かない。

 

 口の中には血と土の味が広がっている。

 姫奈美の雷撃によって舞台の床板が剥がされ、下の土砂が露出した結果だろう。

 

 つまりは倒れこんでいるらしい、と気づいたのは少ししてからだった。

 

 〝……あはは……そっか……〟

 

 生きているのすらやっとの重症は呼吸一つとっても苦しみが伴う。

 平時なら泣きだしそうなぐらいの痛みも、今はこれが現実だと認識させる一因だ。

 

 ……そう、苦しくて、辛くて、怖い。

 

 逃げ出したくなる現実の光景。

 

 〝なんか……すごい、良い夢、みちゃったなあ……〟

 

 記憶が途切れる寸前、彼女が放った極大の雷撃。

 それが脳髄まで痺れさせたことで、何の因果か根底にある幻想が表出した。

 

 自覚すらしていなかった深層心理を、虚ろな意識が読み取ってしまった。

 だからこその、あんな。

 

 〝……姫奈美ちゃんと……ふたりっきりで。穏やかに、静かに、過ごしていく……〟

 

 あんな、涙が出るぐらい悔しくなってしまう、

 

 〝どこまでも幸せな、夢〟

 

 これ以上ないほど満たされた、彼にとっての理想郷。

 

 〝……でもさ、あれは、夢だ。現実じゃない〟

 

 本当に馬鹿げている。

 まさかこんな、どうにもならない土壇場の、窮地に陥った場面で。

 

 〝ここにはない、ただの、夢なんだよ――〟

 

 ずっとずっと気付かなかった、自分の気持ちを自覚させられるなんて。

 

 〝馬鹿だ……本当、馬鹿だ。僕は。こんな、簡単なことすら……〟

 

 何のために頑張っていたか。

 どうしてここまで引き下がりたくないと思ったのか。

 

 諦めない理由、逃げたくないと思った原因。

 そんなのは突き詰めればシンプルで。

 

 

 

 〝――僕はただ、姫奈美ちゃんと一緒に生きていたかったんだ――〟

 

 

 

 彼女の隣に立ちたいと思ったのも、彼女の傍に居たいと願ったのも、全ては彼の淡い慕情。

 言葉にするのも無粋な、たったひとりの少女を想った切なる気持ち。

 

 それは鮮烈な覚悟を掲げた姫奈美と比べてあまりにも女々しく、そしてあまりにも弱々しい、喪失を否定する未熟なまでの輝きだった。

 

「……もう終わりか? 倒れたまま動かねえけど」

「腕、千切れてるしな……ありゃ立てねえだろ。まあ、粘った方じゃね」

「五組の先輩なんでしょ? 学園トップを相手にこれだけできたら十分凄いでしょ」

「まあ……良くやったよな。最後まで勝てそうにはなかったけど」

「てか、俺らでもあそこまで食らいつけねえって。はは、【青電姫】の先輩こえー……」

 

 否が応でも耳に入ってくる言葉は、このまま彼の敗北を見届けようとしていた。

 

 終わりだ、立てない、十分凄い、良くやった、自分たちでも無理。

 

 素直な賞賛、または哀れみや同情。

 善意も悪意も関係なく、今の篝はそういう状況だ。

 

 なにせ本当に立ち上がれない。

 先ほどから痛む身体はビクともしてくれない。

 

 それもその筈、受けたのは姫奈美の全力全開の一撃だ。

 

 そんなものを真正面から喰らってタダで済むワケがない。

 おまけに片腕がなくなっている。

 

 これで、どう戦えというのだろう。

 

「……終わりか、篝」

 

 離れた場所から姫奈美の声が聞こえる。

 先ほどまでとは打って変わって、仄かに喜色を消した声音。

 

 この瞬間にでも決着がついていそうな静寂に、その音はいやに響いた。

 

 夢とは違う。

 本物の彼女の声は耳によく馴染んで、低く冷たいけれど、とても暖かい。

 

 大好きだ。

 

 消えて欲しくない。

 お願いだから居なくならないで。

 

 どうか、傍に。

 

 君の隣で微笑んだり、涙を流すような日常が大事だった。

 ありきたりでも、そんな日々がなにより自分にとっての幸せだった。

 

 なのにそれは、もう二度と、ありえなくなる。

 

 〝――――――――〟

 

 もっと早くに気付いていれば。

 もっと沢山彼女と過ごしていれば。

 

 そんな〝もしも〟の話をしたところで意味なんてない。

 

 きっとどれだけ長い時間があったとしても、たかだか十数年程度で満足できるワケがないだろう。

 

 〝――――、………………〟

 

 過ぎたことはどうにもならない。

 過去はどうやっても変えられない。

 今を生きている以上は、現実と向き合わなくてならない。

 

 例えそれが、どんなに痛いことだとしても。

 

 〝………………、〟

 

 最早後戻りは不可能だ。

 残された時間は少なすぎる。

 

 彼女は消えて、見ることも会うこともできないどこかへと居なくなるのだから。

 

 だというのに。

 

 〝…………っ〟

 

 そんな遅すぎる場面で、気付いてしまった。

 

 自覚してしまった。

 分かってしまった。

 

 彼女のことが好きだ。

 とてもとても大好きだ。

 

 傍に居たい、一緒に過ごしたい。

 

 離れたくない離したくない!

 

 ……なんて無様なんだろう。

 醜いにも程がある。

 

 ――だけど。

 

 〝……っ、…………!〟

 

 ああ、ほんと、馬鹿げている。

 このタイミングで、そんな事を知ってしまったら。

 

 ――絶対に、諦めるわけにはいかなくなってしまうだろう。

 

 〝……立て……〟

 

 壊れ果てた身体に命令を送る。

 

 指先が微かに反応した。

 右手にはたしかな星剣の感触。

 

 〝……動け……〟

 

 喘ぐように胸を打つ心臓の鼓動。

 酸素を取りこもうと伸縮を繰り返す肺の動き。

 

 人間のカラダはよくできている。

 

 どれほど絶望的な状況でも、どれほど後がなくなっても、命は最後まで生きようと足掻いてくれる。

 

 〝……まだだ……まだ……っ〟

 

 言わずもがな。

 彼はここに来て一度も、その志を折っていたりはしなかった。

 

 〝負けたくない……まだ負けてない……!〟

 

 足の爪先に力が入る。

 

 右手で星剣を砕けんばかりに握り締める。

 

 左手は無い。

 出血は星刻がどうにかおさえてくれていた。

 

 バランスを崩した肉体は、容易に立ち上がることもできなくなっている。

 けれど、その方が軽くて良いと彼は無理やり笑った。

 

 〝……こんなところで、諦めたくない……っ!〟

 

 その意志は前に向いている。

 後ろは振り返らない。

 

 そんな強い生き方は、弱い篝には出来る筈もない夢のような在り方だ。

 この先ずっと、後ろ髪を引かれることなく、ただ前だけを見て歩いていく。

 長い人生でそれを貫き通すのは、きっと難しいから。

 

 ――でも、今だけは。

 

 この瞬間だけなら、難しくともなんともない。

 

 〝彼女に勝つんだ……! 勝ってその手を掴むんだ……っ〟

 

 片腕を支えにして上半身を持ち上げる。

 揺れるように動く背中と、明確なまでの体勢の変化。

 

 静まり返っていた場内が、ふとざわめき始めた。

 

「おい、あれ……」

「嘘だろ、まだやんのか……?」

「む、無理だって。勝てるワケねえよ。あんな、状態で……」

「わ、わたしもう見てらんない……」

「いい加減それぐらいにしとけよ……見苦しいぜ、先輩……」

 

 前進を引き止めるような声に、停止を促す言葉に、頭を振って歯を食いしばった。

 

 〝見苦しくたっていい! 格好悪くても、醜くても構わない!〟

 

 体は鉛のように重たい。

 鉄枷でもつけられているのかという動きづらさとぎこちなさ。

 

 それでも我武者羅に力を込めていく。

 膝を曲げて、足を動かして。

 地面から少しずつ、少しずつ、欠けた身体を離していく。

 

 〝それが僕なんだ! 僕自身の、心の底からの本音なんだよ……!〟

 

 

 

 

「――ハ、そうかよ、オイ。悪ぃ、訂正だ。紅葉センセ、子波。俺の間違いだわこりゃ」

 

 聞き慣れた友人の声が耳朶を震わせる。

 

 その詳しい意味は分からない。

 ただ、彼の笑い声に同調するように、篝も自然と笑みを浮かべてしまっただけ。

 

 〝だったら誰に否定されても関係ない! もとより僕の勝手なワガママなら!〟

 

「篝……」

 

 正面から響く鈴を鳴らしたような音。

 それがいっそう、限界間際の肉体に活を入れる。

 

 姫奈美のものだ。

 間違いない。

 聞き間違える筈がない。

 

 だって、彼は。

 

 〝ああそうだよ! 好きなんだ彼女のことが! ずっと一緒に居たいんだよ!〟

 

 揺るぎない、本当の心の在処を知っているのだから。

 

 〝なら立て! 立って動け!〟

 

 痛みに歪んでいく景色、震える脳髄、ぶつりぶつりと何かが途切れていくオト。

 倒れそうな身体を必死に支え、持ち直しながら、篝は真っ直ぐ正面を見据える。

 

 〝力を振り絞れ! 今ここで意地を見せなきゃどこで見せるっていうんだ!〟

 

 霞か靄がかかったようにぼやけた視界。その中で、一際輝く群青に目を凝らす。

 

 〝止まってちゃなにもできない! 振り返ってちゃ前に進めない!〟

 

「そうだ、そうだよ。そうだよなあ、篝。ここまで踏ん張ったんだもんなあ?」

 

 そうだ。その通りだ。

 友人(はるか)の声に同意する。

 

 ここまで踏み止まった。

 逃げられないと踏み止まり続けた。

 

 でもそれは結局、そこに在るだけの簡単なコト。

 

 〝そんなの御免だ! もっと彼女との差が開く!〟

 

「このまま置いていかれるだけなんてありえねえよなあ!?」

 

 〝それを認められるはずがない! 認めていいわけがない!〟

 

「たかだか手も足も出なかったぐらいがどうした!!」

 

 〝第一この程度で折れるなら彼女に挑んでなんていない!〟

 

 言葉は反響する。

 

 内と外。

 表と裏。

 

 聞こえるはずのない声は、不思議なぐらいに噛み合って背中を蹴り上げているようだった。

 

 ……本当に、あの同居人には頭があがらない。

 

 〝だから! 立つんだ! 無理でも、無謀でも――!〟

 

「まだまだこれから本番だろうが! 見せてやれ篝! テメエの意地を!」

 

 〝言われなくても! 僕だって男の子だ!〟

 

 静寂を振り払い、ざわめきすら断ち切って。

 

 悠鹿の声は淋しくアリーナに響き渡る。

 他人はそれをどう見ただろう。

 

 それまで小さな感想をこぼしていた彼らはどう見ているのだろう。

 篝には分からない。

 

 けれど、

 

 

 

「頑張れー! 篝っちー!!」

 

 大きく響く声は、もう一つ、たしかにあがっていた。

 いや、それだけではない。

 

「正念場ですよ折原くん! もうひと踏ん張りです!」

 

 続く声の二つともに聞き覚えはあった。

 

 一つは彼女の同居人にして、同じ委員会に入っている少女の声。

 もう一つは彼の担任にして、二年間お世話になった恩師の声。

 

「気合い見せろ折原ぁ!!」

「俺たちの代表、落ちこぼれの五組のド根性見せてやれー!」

「委員長ー! ふぁい、とぉーーー!!」

「ここまでやっといて何もしないままなんてそうは問屋が卸さねえぞ!」

「おっしゃアンタら声上げろー! 鷹矢間のキモいツンデレに負けてんなー!!」

「誰がキモいだゴラァ!! てかツンデレじゃねえわアホかボケェ!!」

 

 限界を迎えていた身体に力が入る。

 内側からは引き裂くような痛みと、機械のパーツを無理やり動かすような断裂の悲鳴。

 

 星刻で保っているだけの体は今にも崩れ落ちそうなほど脆い。

 

 それでも篝は、膝を立てて渾身の力で地を踏みしめた。

 

「あーもうなんだよちくしょう! あのバカどもに負けてられるかよ! 一組も声出せ! 立て折原ー! 十藤さんがまだ期待してんぞー!」

「どうしたどうした二年五組ぃ! そんな程度かおまえらは!?」

「うちのお姫様なめてんじゃねえぞ! まだやれるんだからな! 全然だよ! ぶっ倒れてる場合じゃないからなぁ!!」

「おっはよーーーう!! 折原くーーーん!!」

「ぶはっ、朝の挨拶運動かよ……っ、オイ折原! こうも長引かせてくれたんだ! ここからなにもせずに負けるなんて許さねえからなぁ! 俺らのアタマぶっ叩いてやれ!」

 

 湧き上がる声は会場を包み込んでいく。

 

 舞台にいるふたりの耳にまで確かに届く声援の数々。

 彼を知っている誰か、彼女を知っている誰か、またはそのどちらをも知っている誰か。

 

 降り注ぐ音は重なり合ってアリーナをも揺らさんと響き渡る。

 

 

 

「――――ぁ、あッ」

 

 

 

 奥歯を砕かんばかりに歯を食い縛る。

 

 痛み、苦しみ、無理だと叫ぶ己の弱さ。

 その全てに鞭を打って、傷だらけの身体を引き摺り上げていく。

 

 左手がない。

 だからどうした、右手があるなら星剣はまだ振れる。

 

 怪我が酷い。

 だからどうした、生きているのなら体はまだ動ける。

 

 痛みが辛い。

 だからどうした、その程度も我慢しなくて何が彼女の幼馴染みだ。

 

 〝好き勝手……ううん、僕も。ほんと、みんなみんな大好きだ。だったら――〟

 

 後はすべて、突き進むだけ。

 

 

 

 

 

「……ったく、時間かけすぎだわ。遅えんだよ、バーカ」

 

 

 

 

 

 

 舞台の上に〝立つ〟のはたったふたり。

 

 依然として待ち構える姫奈美の眼前に、不安定な影がゆらゆらと揺らめく。

 二本の足で地面を踏みしめて、曲げた腰を懸命に伸ばして、片腕一本になった右手で星剣を握り締めるひとりの少年。

 

 眼鏡の奥、レンズ越しの瞳は彼女だけを映すようにギラギラと。

 

 ――折原篝は、ここに堂々と立ち上がった。

 

「……ああ、そうか。そうだったな……」

 

 くすりと。

 わずかに微笑む姫奈美は、どこか嬉しそうに目を伏せる。

 

「おまえはそういう奴だったな。……昔からそうだ。篝、おまえは必ず、私の期待に……いや、期待以上に応えてくれていた」

 

 滲み出るのは抑えきれない嬉しさと、これ以上はないという彼への賞賛だ。

 

 その目を見ているだけで思わず抱き締めたくなる。

 今すぐにでも触れ合いたい。

 

 ああ、でも、今は訣別の刻。

 傷付け斬り合う死闘の時間であるから。

 

「ありがとう、篝。私の大好きな幼馴染み。そして――」

 

 もとよりそんな覚悟を見せた少年への返礼は、明確に決まっていた。

 

「――そこまで見せられては、私も黙っていられない」

 

 風が凪ぐ。空気が震える。それは見えざるものを呼び覚ます、一際高い星の輝き。

 

 

 

 

 

「〝颯然(アオ)を示す星の速さに於いて告げる〟」

 

 

 

 

 

 宣言は高らかに。彼女は独り、詠うように言葉を紡いだ。

 

「〝駆け抜けろ、彼方は万象を示す世の理〟」

 

 バチバチと唸る電荷、周囲の景色すら呑み込んでいく星刻の光。

 迸る力の奔流は留まるところをしらない。

 

 上昇する架空の熱量は、既に人の域を逸脱しかけている。

 

「〝轟き叫べ勝利の歓声、光は切り裂く稲妻の如く〟」

 

 溢れ出した光は止まらない。

 

 空間に走る青色の亀裂。

 断裂ともいうべき現象を前に、誰もが言葉の一つも発することができない。

 

 無音の会場は、けれどもいやに賑やかだった。

 まるでこの『次元』が耐えられないとでも言うように、空間が負荷に千切れていく。

 

「〝唸り、砕き、踏破しろ。闘争こそが至高の極致〟」

 

 紅の光を反射する両の瞳。

 その声は間違いなく姫奈美のものであるはずなのに、まるで別人のような音を含んでいる。

 

 通常の声帯では発音できない響きだ。

 あまりの埒外に言いようも無い恐怖が背筋を駆け抜けていく。

 

 同時に、それがなんなのかを篝は悟った。

 

「〝愛しき者よ、最大の感謝を。これより幕は閉じられる〟」

 

 ずるずる、ずるずると。

 

 這いずるように忍び寄る見えない影。

 

 誰もいない、何もいない。

 けれどその力の正体こそがソコにある。

 

 次元を越えた星の裏側。

 

 高みに潜むモノは。

 

「〝血湧き肉躍る生死の境目で、残滓の生を謳歌しよう〟」

 

 五つに連なる絶対なる座。

 星霊が究極と仰ぐ一撃を前に、無数の瞳が伸びていた。

 

「〝総てこの命は尊いが故に〟」

 

 次元が歪む。

 空間が軋む。

 

 この世にあるまじき規格外を引き出す少女を前に、世界そのものが悲鳴をあげていた。

 

「〝疾走を謳え、猛き王者の超新星〟」

 

 青電が舞う。

 

 静寂に支配されたアリーナのなか。

 

 姫奈美は真っ直ぐ、彼を見据え――

 

 

 

「〝渇仰劔舞(ラウダーティオ)〟――!!」

 

 

 

 ――瞬間、爆撃じみた雷光が全方位へ向けて放たれた。

 

 皮膚を貫く電荷の衝撃、一瞬の意識の喪失をぐっと堪え、篝はなんとか立ち続ける。

 

「――――ッ」

 

 攻撃ではない。今のはただの宣言だ。

 敵意も何もありはしなかった。

 

 あれは自身の内側に、そして外側の星へと語りかけられた決意の表明に過ぎない。

 

 吹き荒れたのは単なる開放の余波。

 高次元たる星霊が見惚れ、認め、至高と仰ぎ絶賛する技術の結晶。

 

 渇仰劔舞。

 

 星刻使いが辿り着く必殺にして最強の限界領域。

 学園の生徒では真実姫奈美以外の誰もが指先すらかけられていない奥義を前にして、篝は。

 

 〝――――――、〟

 

 恐れ、怯える……コトは一切なく。

 ただ、目の前の感覚に妙な既視感を覚えていた。

 

 ――ドクン、と心臓が跳ねる。

 

 共鳴するように、倣うように、何かを呼び覚ます星の鼓動。

 

 紛うことなき天賦の才と、弛まぬ努力が実を結んだ姫奈美の実力は圧倒的だ。

 満ち足りた強さは痣を発現したことによって、最早誰も手を付けられなくなっている。

 

 何もかもが足りていない篝とは大違い。

 だから、いま彼女が行ったコトにしたって一ミリも理解はできない。

 できる筈がない。

 

 ――その、はずだった。

 

 〝なん……だろう……この……〟

 

 ドクン、と。肩の星刻がやけに脈動する。

 

 予感は確信へ。

 そうだという胸中の肯定が、星剣をより激しく握り締めていた。

 

 ――彼は知っている。

 

 この得体の知れない気配を。

 言いようもない恐怖を。

 たしかにどこかで感じたことがある。

 

 それが一体いつのモノだったのか。

 脳裏に浮かんだ疑問は綺麗さっぱりと、あからさまなまでの解答を示した。

 

「………………――――」

 

 知っている、識っている、シっている。

 

 ぞくぞくと背筋を這い上がる奇妙な感覚。

 胸の奥から湧き上がる原初の感情。

 

 そうだ、彼はこの機関(カラクリ)を知っている。

 

 ひとつ、深く沈みこむように息を吸う。

 酸素は肺を伝い、血液を流れ、全身へと行き渡っていた。

 余分なモノは何一つない。

 

 

 

 ――そして篝は、握っていた星剣を鞘におさめた。

 

 

 

「は!? おい、なにしてんだ折原のやつ!」

「剣を仕舞いやがった……まさか、諦めちまったのか……?」

「え、ええ!? 折角立ち上がったのに!」

「オイオイふざけんじゃねぞ! つまんねえことしてんじゃねえ!!」

 

 遠く離れた観衆の声も既に彼の耳には入っていない。

 そんな外部の情報をすべてシャットアウトして、ただひたすらに内側へと意識を向ける。

 

 ヒントは、それこそそこら中に。

 

「――――――」

 

 繋がるべき座、示された道標。

 

 それは最近になって何度か起きていたコト。

 彼が星剣を抜き放つその一瞬、すなわちトラウマが関与しない初撃の一太刀を振るう時に――

 

 

 

『〝 フフ 〟』

 

 

 

 正体不明の、見えない誰かの声を聞く。

 

『〝ああ、やっと。やっと気付いてくれたのね。私の子、かわいい火〟』

 

 全身を包み込むように向けられる無数の瞳は、今より高い次元から覗く彼女の触覚だ。

 褒め称え、その輝きを認めるが故に、彼女たちは〝技〟を視ようと現世へ介入する。

 

『〝本当にそっくり。何もかもがそのものだわ。ええ、だから推しているの、貴方を〟』

 

 私みたいと、顔も知らない星霊が投げかける。

 

 篝は応えない。

 余計な情報は全くとして彼の頭に受け付けられない。

 

 だが、それも理解(わか)っていると言わんばかりに星は語る。

 

『〝さあ、それじゃあ高らかに詠いましょう! 言葉は既にある筈よ、貴方の中に!〟』

 

 不思議な感覚が思考を支配する。

 

 分からないのに分かっている。

 意味は理解できないのに、それが成す意味を理解している。

 

 脳裡にはぐるぐると渦巻く単語の羅列。

 

『〝声を合わせて! 私と貴方は、既に繋がっているのだから!〟』

 

 都合二度目の震撼は、青色の光を弾くように閃いた。

 

 

 

 

 

 

「〝明瞭(アカ)を示す星の力に於いて告げる〟」

「!!」

 

 

 

 

 

 声は驚くほどあたりへ響く。

 

 轟音を放って撒き散らされる雷電、空間に起きる物理法則を無視した断裂、そのどれにも邪魔されずに鼓膜を震わせていく。

 

 遠く、刃を構えた姫奈美の顔が驚愕に染まっていた。

 

「〝解き放て、彼方は空を焦がす陽の理〟」

 

 二重に連なる声と言葉。背後にそびえる未知の脅威が、強大な指で背中を押す。

 

「〝炉心を回せ胸の鼓動、熱は尽きぬ焔の如く〟」

 

 その摂理は無理やりでもなければ、破綻してなどいない。

 雷の星が無限の勝利を求めたように、火の星はまた別のモノを尊び選定していた。

 

「〝集め、収め、一つに束ねろ。この身は紅蓮の雪月花〟」

 

 曰く《熱を抱く者よ、斯くて己の心に実直であり、想え》……その意味は、深く考えるまでもなく示されている。

 すなわち火の星が願った人の輝き。

 

「〝鮮やかな君を想う。愛しい群青、どうか共に生きて欲しい〟」

 

 純粋に何かを思い、何かを欲し、何かを望む。

 強く激しい人の感情こそが、星の燃料。

 

「〝その道程(みちのり)は何よりも、幸せに満ちているだろうから〟」

 

 だから篝は真に詠う。

 何より強い気持ち、そんなのは言うまでもない。

 

「〝総てを懸けて此処に誓う〟」

 

 ただ彼女だけを想う、己の心情なれば――

 

「――〝収斂を示せ、熱き激情の超新星〟!」

 

『〝見事だわ! 仕上げといきましょう! 私はそれを至高と賛美するの!〟』

 

 

 

 

 

「〝渇仰劔舞〟――――――ッ!!!!」

 

 

 

 

 

 遥か高みの限界領域へと。

 

 今ここに、二つ目の足跡が辿り着いた。

 

 

 

 

 



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20/渇仰劔舞

 

 

 

 地面から湧き上がるように逆巻く火炎の渦。

 限りなく放出する星の力。

 腰だめに構え、鞘へとおさまった星剣に灼熱の色が灯っていく。

 

『…………っ!』

 

 怖いほどに高まっていく神秘の奔流。

 気を抜けば自我さえ塗り潰しそうな星刻の光を、篝は確固たる意志を持って凌駕する。

 

 握り込んだ柄にはたしかな感触、身体中に満たされたエネルギーは不足を補って余りあった。

 最早、後ろを振り向く気などない。

 彼らにとっては広く、力を開放するにはあまりにも狭い舞台の上。

 

 それまで何物にも押されることのなかった青雷が、燃え盛る赤炎とぶつかり千切れていく。

 

「――――――ハ」

 

 その光景に、現象に、何よりたしかな現実に。

 青雷の主は、弾けるように笑った。

 

「く、ふは、はははっ――あはははははははは――――!!」

 

 心の底から浮かべる、吹っ切れたような喜色満面の笑み。

 

 姫奈美の瞳は爛々と輝いている。

 つり上がった口の端は裂けるかとでも言わんばかりだ。

 

 その感情に呼応するかのように、撒き散らされる稲妻が威力のほどを増していく。

 

「篝、篝っ……ああ篝!!」

 

 名前を呼んだ少年は真っ直ぐ見据えた先にいる。

 低く腰を落とし、星剣の柄へと手をかけた抜刀の構え。

 

 彼に居合術の心得はない。

 それは磨かれた技ではなく、唯一濁らなかった本来の太刀筋が閃く残滓。

 全ての原因、全ての根源、そして全ての始まりだった篝の過去を示す反応そのもの。

 

 故に火星霊は、ただその一刀にこそ賛美を傾ける。

 

「おまえはやっぱり最高だ!!」

 

 これ以上はない解答に心が躍る。

 感情が否応なしに昂ぶる。

 

 仕方がない、なにせ相手はかの少年。

 彼女が誰よりも信じた唯一無二の幼馴染みだ。

 

「何度も何度も立ち上がって! 折れずに諦めないでいてくれて! その上この土壇場で、同じ領域にまで辿り着いたというのか!?」

 

 唸る青雷が叫び声のごとく快音を鳴らす。

 周囲の空気を切り裂いて、空間ごと削り取りながら、最愛の好敵手を前に天井すら突き破る勢いでのたうち回る。

 

「ああ、それは――」

 

 顔がほころぶ。

 

 抑えられない。

 抑えきれるはずがない。

 

 なにせこんな展開、こんな場面、こんな状況を前にして、冷静でいられるのなら彼女はとっくに戦いを止めている。

 

「それは、なんて――――ッ!!」

 

 身体をうち震わせる声にならない歓喜の衝動。

 

 姫奈美の目には篝しか映っていない。

 映す必要がまるでない。

 

 観衆の声? 周りの環境? そんなものはどうでもいい!

 

 他にはない無二の光、素晴らしい、見事だ、至高だ最高だ誰より何より大好きだ!

 

 これでなにをどうすれば、荒ぶる心を静めさせるコトができる――!

 

「ああ、ズルい、ズルいぞ篝! そんなモノを向けられたら堪えきれない! タガなんか外れるに決まっている! いいや、むしろこんなのは興奮しないほうが間違いだ!」

 

 銀色の刃、彼とは対照的な鞘も鍔もない星剣の切っ先が、一心に構える篝へと鋭く向けられる。

 雷撃は大蛇か龍の化身じみた暴威で世界を埋め尽くす。

 

 轟く雷霆は不敗にして常勝たる無傷の玉座そのもの。

 

 ならば、逡巡は一秒とて無かった。

 

「後先なんて考えるまでもない! 正真正銘、全力全開で行かせてもらう――!!」

 

 顔の横に構えられる鋭利な先端。

 

 翻弄、攪乱、または幻惑。

 青の速さは活用こそ多岐にして強力な性質だ。

 

 だが必殺、必中、必滅を再現するなら余計な動作は要らない。

 

 ――疾走し、突き抜ける。

 

 面ではなく、線ではなく、描かれるのは〝点〟の刺突。

 それこそが雷星霊が究極の一と認知した、勝利を表す彼女の極意。

 

「さあ、勝負だ!!」

「――――ッ」

 

 右脚にため込まれる力と、破裂の寸前を思わせる静かな構え。

 遠く離れた眼前から放たれる雷撃の余波が、篝の火炎と反発して消えていく。

 

 恐ろしきは相手と自分が成している現象すべてだった。

 こんな馬鹿げた力を、威力を、己の意思一つでどうにかできる。

 

 それと同じかはたまた上の力が、今からこの身に降りかかる。けれど、

 

『――目を逸らすな! 歯を食いしばれ!』

 

 それでも篝は姫奈美を見据えて、残った右手だけで剣の柄を握り締める。

 

『退いたら駄目だ! 怖じ気づいてちゃ始まらない!』

 

 鞘は固まっている。

 押さえるまでもない。

 この状況を尊ぶ()()()()が見えざるモノで押さえている。

 

『頑張れ! 頑張れ頑張れ頑張れ!』

 

 最弱にして勝利はなし。

 屑星と断じられた彼の素質は、それでもなお開花した。

 

『その為に今まで努力してきたんだろ! その為にここまで必死になってきたんだろ!』

 

 奇跡が起きようと勝てる道理はない。

 彼我の実力差が埋まることはない。

 

 ならばそれは奇跡ではなく。

 彼の培ってきたモノが練り上げられた確かな軌跡だ。

 

『だったらこんなところで立ち止まってなんていられない!!』

 

 ――さあ、期待がないなら目を見開かせ。

 知らないのならとくと見るが良い。

 

 ここに在るのは赤炎を纏う灼熱の剣。

 胸に抱えた想いで限界を越えた一人の男児。

 

 これより運命を塗り替える、新たなる史上類を見ない技の担い手――

 

『弱気で泣き虫で臆病者で! ダサくて格好悪い僕だけど――!』

 

 燃え上がる火を集中・解放に特化させた色合わせの星刻使い――!

 

『――それでも! 譲れないものがあるんだ――――!!』

 

 吹き荒れる熱風が大挙する青雷と衝突を繰り返す。

 

 膨大な数と才能で塗り固められた盤石なチカラと、それに及ばずとも性質の相性とかっちり嵌まったコトで対を成すチカラ。

 

 互いの実力差はかけ離れているが、同時に鬩ぎ合ってもいる。

 勝敗はどちらに転がってもおかしくはないように。

 

 正しくこれは意地の張り合いに他ならない。

 

『――真ん前から貫き穿つ!!』

『――真正面から迎え撃つ!!』

 

 ガンとぶつかる強烈な視線。

 交錯する意志が稲妻のように火花を散らす。

 

「行くぞ篝ぃぃぃいいいいッ!!!!」

 

 絶叫と共にため込まれた右脚の力が解き放たれる。

 青の加速。

 通常時を遙かに上回る能力は、彼女の体を一瞬で神速へと引き上げた。

 

 星刻の輝きはおさまらない。

 星形の痣がなにかを訴えるように疼いている。

 

 だが構わない。

 構うものかと、姫奈美は躊躇なく自らの終焉の象徴たる青雷を迸らせた。

 

『先が短いことなんかもうどうでもいい!!』

 

 突き進む肉体は砲弾や弾丸よりもなお速い。

 踏み砕いた地面がその衝撃に粉塵と散る。

 

『ああそうだ! ついに見つけた! これが私の求めた生の真髄だ!』

 

 疾走する青い稲妻は音を越え、光を裂き、空を断ち世界を歪める。

 

『篝!! おまえと全力を出して斬り合うのなら他のなにも些事に過ぎない!!』

 

 握り締めた刃には極光のごとき雷霆。

 すべてを打ち砕く勝利の輝きは、己の身体すら傷付けて脅威をこの世に知らしめるものだ。

 

『長く生きる必要がどこにある!! 今この時が私の総てだ!!』

 

 止まらない、止まれない。

 止まる必要が微塵も無い。

 その理由も見当たらない。

 

『これで終わっても悔いはない!!』

 

 真っさらな心には素直な感情だけが残っている。

 余分なモノは後方へ千切れて消えた。

 

『ずっとずっと待ち侘びていた!! ならば後悔も心残りもとっくの昔に消えているさ!! この先ある筈だった何年、何十年にも勝る至高のひとときだ!!』

 

 カッと見開かれた紅い瞳に、少年の影が色濃く映る。

 

『間違いない! いま確信した! 私は、この一瞬の為に走ってきたのだと――!!』

 

 数々の記憶、覚悟、長年に渡る彼への想い。

 走馬灯のように脳裡へ蘇る過去を、姫奈美は凄絶な笑顔と共に突き進む動力へと変換する。

 

 

 

蒼雷戟尖(そうらいげきせん)稲彌狩(いなびかり)――――!!!!」

 

 

 

 たったひとつの確かなもの。

 勝利を告げる超高速の青い刺突。

 

 磨き抜かれた人の御技は、星の輝きに後押しされて鋭い切っ先を走らせる。

 

 さながら天を翔る龍の顎門だ。

 川を遡行し滝を登り、宙へと舞い上がる青き龍。

 

 ――ならば、その先に待ち構えるのは空に浮かぶ日輪か。

 

『――集中しろ! 余計なことは頭に入れるな!』

 

 今にも暴れ出しそうな星の力を押さえ込みながら、篝は迫る落雷を真っ直ぐ見詰める。

 

 神速の突きは通り過ぎるのも瞬きの合間だ。

 おそらく決め手はたったの一合しかない。

 

 そもそも、こんな状況になっても彼のトラウマは残っている。

 刀身を抜いてしばらくすれば、またみっともなく手が震えてしまうのは目に見えていた。

 

『そうだ! 今はただ、彼女にこの刃を当てるコトだけ考えていればいい!!』

 

 交差は一瞬、タイミングはコンマ以下の世界。

 チャンスは一度きりで、それを逃がせば身体的にも時間的にも次はない――

 

『――それがどうした! 分かりやすくてちょうどいい! 一回しかないならそこに全てを注ぎ込むだけだ!!』

 

 まともに振るえるのはただ一撃。

 それこそが彼に許された唯一の煌めき。

 

『ほんの一瞬、たった一度だけでもいい! 彼女に手が届くならそれで十分すぎる!!』

 

 純粋な眼が好敵手を捉える。

 

 大事な人だった。

 大切な幼馴染みだった。

 大好きな女の子だった。

 

 彼の存在意義、胸に抱えた愛情そのもの。

 

 男としてはらしくない。

 重い気持ちはきっとどこか女々しい自分の抱えた余分な贅肉だ。

 

 だけど、

 

「――おぉぉおおおぉおおおおおッ――――――!!!!」

 

 悔いはなかった。

 自覚したことに対する嫌悪もない。

 

 ああ、きっとあの時、まだ自我も曖昧な幼い時分に会っていなければこうはならなかっただろう。

 彼女と他人同然の関係であれば、これ程までに辛い思いをすることもなかったはずだ。

 

 ……でも、出会ってしまった。

 あの時に相まみえてしまった。

 

 なら仕方がない。

 もう戻れない。

 それがすべてだ。

 

 否定するまでもなく、現実という高い壁として存在している。

 

 ――そうだ。

 

 目の前にあるのは壁。

 互いの未来を、行く先を、悉くを断絶する高い高い強固な壁だ。

 

 だったら尚更、こんなところで退いてなんていられない――!

 

 

 

集束抜刀(しゅうそくばっとう)紅壱天(こういってん)――――!!!!」

 

 

 

 地上に咲き誇る人工の太陽。

 鞘から解き放たれた抜き身の刃が、膨大な熱量を伴って周囲の空気を灼き尽くしていく。

 

 眼鏡の奥で揺れる瞳は目指す場所と同じ青色。

 茶髪交じりの黒髪は燃えるような紅に染まっている。

 溢れ出した星刻の力の奔流に、その身体ごと侵食された影響だ。

 

 真紅の姿は烈火のごとく。彼は、己の全てをそこに解き放った。

 

『篝ぃぃいい――――――!!!!』

『姫奈美ちゃん――――ッ!!!!』

 

 はたしてそれを視認できる者がいるとすれば、天賦の才覚に目を光らせただろう。

 誰も指摘する事の無かった、または心に負った傷がひたすらに隠していた。

 折原篝という少年が持っていた生来の技術。

 

 すなわち――見惚れるほどの鮮やかな居合抜き。

 

『避ける? 冗談! そんな事をして何になる! だったらこのまま突き進む!!』

『逃げない! 下がらない! 振り向かない! 誰でもない僕の手で切り開く!!』

 

『『今ここにある、最強の力で――――ッ!!』』

 

 声が重なる。

 想いが伝わる。

 気持ちが同調する。

 

 彼らの世界にはただふたり。

 目の前にいる愛した人こそが斃したい相手。

 

 ならばここに、言葉は要らず。

 

『――――――ッ!!!!』

 

 互いの距離は二メートルを切っている。

 直後に迫る決着のとき。

 

 そんな間近に、篝は明確な地力の差を体感した。

 

 ――皮膚が焼け落ちるように熱い。

 星刻の力、その暴威に耐えられない肉体が悲鳴をあげている。

 

 だが止めない。

 止まれない。

 止まるワケがどこにもない。

 

 彼女もそうしたように、彼だってそうするように。

 

『最初から弱いのなんて分かりきってる! 彼女がめちゃくちゃ強いことも! 僕なんかじゃ到底敵わない相手だってことも!!』

 

 星剣を握り締める。

 片腕に渾身の力を込めて立ち向かう。

 

 それが無謀な炎だとしても。

 

『それでも一緒に居たいんだ! 諦められるか! 諦めてたまるか! 全部全部変えてやる! こんな現実も結末も! 認められない! 認めたくない! そうだろう!!』

 

 そうだ、そうとも、そうであるのなら。

 

『一歩でも前に進め! それが今、僕に出来る最大限の精一杯なら――!!』

 

 走る刃は円を描いて焔を吹き飛ばす。

 駆ける切っ先は線を描いて雷撃を撒き散らす。

 

 青雷の龍と赤炎の太陽。

 どちらも人智を超えた力を纏った一撃は、次元をも引き裂かんとする衝撃で現世を破壊していく。

 

 

 

 

 ――――交錯は、刹那のうちに。

 

 

 

 

 突き抜けた刃、無欠にして不動の証。

 振り抜かれた刃もまた、無傷にして万全の輝き。

 

 地面を抉りながら進む姫奈美と、地面を回り滑るように勢いを殺す篝。

 

 両者は背中を向けながら、きっかり五メートルの間隔をあけて停止した。

 

 

 

 〝――――――――〟

 

 

 

 時が止まったように静まり返る会場。

 アリーナを賑やかす観衆の声がピタリと止んだ。

 

 紅蓮に揺れていた彼の髪色が抜け落ちていく。

 逆立たせていた全身の電流が彼女の体から放出されていく。

 

 神秘とはこの世にあるまじき現象の再現。

 

 不自然に起こった力は、現実に塗り潰されるようにまた不自然に消えていった。

 

 そして、

 

 

 

 

 

「――――ハ」

 

 

 

 

 

 ぐらり、と。

 

 

 

「――――――、」

 

 

 

 一気に。

 

 さながらそれは、水の入ったバケツをひっくり返すみたいに。

 

 

「………………ッ」

 

 

 人影が、崩れ落ちる。

 

 ……静寂が再び支配する。

 

 あれほどまでに騒がしかった舞台には音の一つもない。

 

 あるのは倒れ臥した影と、その音を聞き受けて姿勢を正していく影。

 

 それには覇気がない。

 それには力がない。

 それには体力がない。

 

 

 

 

 

 それには――〝左腕〟がない。

 

 満身創痍。

 限界の間際。

 つまりは死に体。

 

 死闘の末に立つ亡者のごとき肉体だった。

 

 けれども。

 

「………………ッ!」

 

 立ち上がり、二足で佇み、ゆっくりと空を仰ぐ。

 

 全身の痛み。

 失神しそうな激しい苦痛を必死に堪えて、彼は剣をいま一度握り締めた。

 

 刀ごと握られた拳の形。

 不格好で不器用な、彼の在り方を象徴するもの。

 それを――

 

「――――ッ!!」

 

 高く、高く、天へと突き上げる。

 

「うおおおおおおッ!? マジか! マジかよ! マジですかぁ!?」

「すげえ! すげえ! あははは! あいつ、本気で十藤に勝ちやがった――!!」

「やったー!! 委員長の勝利だぁー!! バンザイっ! バンザーイ!!」

「偉いです! よく頑張りました! おめでとう折原くん! 先生感激です!」

「いやったぁー! 篝っちー! 素敵ー! てか姫奈美生きてるー!? 平気ー!?」

「……ったく、勿体振りすぎなんだよ、ばかがり」

 

 どっと湧き上がる歓声に圧倒されながら、ゆるりと笑みを浮かべる少年。

 

 振り向いた先にいる彼女は、糸が切れたように地面へと転がっている。

 

 見るも無惨な刃を滑らせた傷跡。

 後で星刻が治すにしても、いまは目を背けたくなる姿を――しかし篝は最後に残った力で眺めた。

 

 首もとからほどけたマフラー。

 衝撃ではだけた制服、うつ伏せに倒れこんだ姫奈美の背中に、一本だけ走る稲妻模様の星刻と〝何もない〟肌を見る。

 

 〝――――ああ。良かった――――〟

 

 ぷつりと途切れたのは張っていた気か、それとも手足を動かしていた最後の力か。

 

 手元の星剣を霧散させながら、ぐしゃりと膝から崩れ落ちる。

 

 もう限界だ。

 なにを残しておく必要もない。

 

 沈んでいく意識を手放しながら、篝は静かに目を閉じる。

 

 ……幾つもの想い、感情、その発露。

 悩んだ末で掴んだモノ。

 

 例えそれが、誰かにとっての間違いだったとしても――

 

 ――それでも彼は、後悔だけは微塵もしていなかった。

 

 

 

 

 

 



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21/告白

 

 

 

 陽は落ちて、やがて、暗い夜がやってくる。

 

 午後八時過ぎ。

 明かりを失った校舎の一角に、ほんのりと光を漏らす部屋があった。

 

 一階東側にある保健室は、忘れ去られたような静寂に支配されている。

 他の教室に人気はない。

 廊下にも誰かが残っている様子は見られない。

 

 広い建物の狭い空間、そこで穏やかに息をして眠る少年を、姫奈美はただひたすらに見詰めていた。

 

「………………、」

 

 握る左手は、変わりのない彼の温もりに満たされている。

 一度は躊躇いなく切り落とし、そして星刻の力によって復元した身体の一部分。

 

 ――彼女に消えても構わないという覚悟があったように、あの時の彼には腕の一本すらどうでもいいと思える覚悟があったのだ。

 

 それを喜ばしくも、寂しくも感じる。

 喩え一瞬でしかない輝きだったとしても、彼は間違いなく自分と同等かそれ以上の強さを持っていた。

 

 ……いいや、そもそも。

 

『……おまえはずっと強かったんだもんな、篝』

 

 そんな当たり前のコトを、今回の顛末で改めて思い知らされた。

 

 天賦の才というのなら他にないだろう。

 生まれながらにして決まっている運命じみた人の強弱。

 鍛え上げられた力だとか、磨き抜かれた技術なんて関係のない絶対値。

 

 きっと未来永劫、天地がひっくり返っても、姫奈美が本当の意味で篝に勝利することはない。

 

 ただ一人の誰かを想い、その為に生き、共に在る。

 彼という人間を傍から見れば、そういう形で生まれたとしか考えられないような生き方をしていた。

 

 まるで特効薬だ。

 

 でもなければ、専用の装備か何かであるように。

 姫奈美の隣に篝という命が灯った瞬間から、ふたりの行く末は決まっていたも同然なのだろう。

 

『些か、ロマンチック過ぎるかな。……だが仕方あるまい。おまえと出会った瞬間から、私の総てはそこにあったんだ。ああ、今なら分かる。――おまえが、私の太陽だった』

 

 他のなにかでは満たされない。

 きっと別人であったなら、こうにも想いは募らせない。

 

 この情熱も、恋慕の情も、全ては彼であったからこそ。

 似たような誰かも、名前とガワを借り受けただけの凡百にも渡さない。

 

 どんなに素敵でも、どんなに強くても、どんなに格好良くても彼女の心には響かない。

 響くことなんて絶対にありえない。

 なぜなら、

 

「…………ひなみ、ちゃん……?」

 

 彼女の一番は多元宇宙に於いてただ一人。

 気弱で、臆病で、泣き虫で、けれどちょっぴりだけ優しい、笑顔の素敵な、大切な幼馴染みだけなのだから。

 

「……おはよう、篝」

 

 なら、きっと出会わなくてもずっと影を追い続けた。

 運命の相手を〝そう〟だと直感して、いずれどこかへ会いに行くのだ。

 

 であれば、生まれた瞬間から傍に居た自分は、なにより幸せ者であるのだろうと。

 

「もう夜だがな。……ずっと眠っていたぞ。体の調子はどうだ?」

「あ、うん……一応、平気っぽい。腕もちゃんと、治ってるみたいだし」

 

 ほら、と姫奈美の眼前でぐっぱと左手を握って見せる篝。

 

「こういうの、便利だよね。星刻。こればっかりは悪くないと思うよ、僕も」

「……そっか。それならまあ、良くはあるのかな」

「……まあ、痛いのも怖いのも、もうこりごりだけど」

 

 二度としたくないや、と軽い調子でもらす篝だが、その言葉には真逆の意味が込められているようだった。

 

 〝次があったとしても、今回みたいに止めてみせる〟

 

 密かな覚悟は短い距離を通じて伝わるように。

 何度星霊が彼女を見初めても、それをなんとかしてみせると彼は誓っていた。

 

 偏に、答えを見つけたが故だ。

 

「まったく、おまえは……」

「……うん。でも、ちょっとだけ楽しかったよ? 多分、相手が姫奈美ちゃんだったからだろうけど……」

「ほほう? なら今から再戦といくか? なあに心配するな。私も既に回復している」

「え。……あの、それは……ちょっと、ご遠慮、お願いします……」

 

 病み上がりなんです……と拒否する篝に、姫奈美は微かに苦笑する。

 それを受けてベッドに寝転がったままの篝も柔らかく微笑んだ。

 

 ふたりの間は、距離にして三十センチ。

 

「――――僕の勝ち、だね」

「…………ああ。そして、私の負けだな」

 

 潔く、なにもかもをするりと呑み込むように、姫奈美はその結果を肯定した。

 

「完敗だよ。悔しいという気持ちすらどこかへいったぐらいだ。……ああ、本当とんでもないことをしてくれたな、おまえは」

 

 責めるような台詞だが、声音はどこまでも優しかった。

 きっと彼女自身も徹頭徹尾分かっていたからだろう。

 

 この結末を招いた少年の心と、そこに込められた感情を。

 

「痣は消えたよ。ついでに、あれだけあった星刻もだ。……大方見限られたのだろうな。三十幾つとあったものが、たったの一つになってしまった。一画だぞ、一画。……あれ、でも、そうか。一つってことは篝とお揃いか。それはちょっと、良いなあ……」

 

 くすりと微笑む姫奈美。

 その瞳には、篝の姿だけが映っている。

 

「まあ、それはともかく……どうしてくれるんだ、本当に。あれだけ言っておいて、これでは格好がつかんではないか、ばかもの」

 

 ちょっとした悪戯心が生んだ意地悪に、篝は困ったように眉を下げた。

 気持ちの大小はあれど、その恨み言を言われるのが分かっていたように。

 

「……ごめんね。勝手なことをしたっていうのは、分かってるよ」

 

 覚悟を抱いて、消えることを良しとした。

 

 その行く末になんの未練もなく、それこそが最高の幕引きだと駆け抜けた少女のゴールを目前で奪い去った。

 

 単純に考えてみれば彼のしたことはそれだ。

 酷いモノを敢行したのだという自覚は、ある。

 

 だとしても、

 

「……でも、……でも、さあ……っ」

 

 それでもやり遂げたのは、彼にとって心の底から望んだ未来があったからで。

 

「……やっぱり、さあ……っ、僕は、まだ、姫奈美ちゃんと一緒に居たいよ……」

 

 情けない声を、それと同じぐらい弱い本音を、こぼすように篝は吐露する。

 

「まだ二人でやりたい事とか、行きたい場所とか、沢山、あるし……っ」

 

 泣きそうな声は実際に震えている。

 目には自然と大粒の涙が浮かんでいた。

 

 倫理観ではない。

 良し悪しでもない。

 

 男として何度も泣くのは、彼自身が恥ずかしい。

 だから弱い自分も、泣き虫な自分も嫌いだった。

 

「ぜんぜん、思い出とか、足りないぐらいだし……っ」

 

 ――でも、彼女は知っている。

 

 流した涙の数だけ、心を痛めた悲しみの数だけ、彼は強くなっていたことを。

 だから、弱い彼は、泣き虫な彼は、姫奈美にとって愛しい彼でしかない。

 

「もう、ずっと、ずっとさぁ……姫奈美ちゃんの隣で、胸張って一生過ごせたらって……」

 

 呟かれる言葉一つ一つが、心に響いて新鮮だった。

 鼓膜を震わせる音も、肌で感じる熱も、息遣いさえ見惚れるぐらい。

 

「そう、思いっぱなしで……っ」

 

 引き攣る喉、涙に歪んでいく景色。

 その中で、姫奈美がほんのり笑った気がした。

 

 表情はよく、分からなかったけれど。

 

「だからっ……お願い、だから……!」

 

 祈りは、想いを打ち明けるように。

 

「――僕を、ずっと姫奈美ちゃんの傍にいさせてください……っ!」

 

 みっともない、みじめな言葉は、それでも真っ直ぐ放たれていた。

 

「駄目なところは頑張って治すから……! ちゃんと自分でするから……!」

 

 男として見るなら落第も良いところ。

 劣等生もここに極まれり、といった感じ。

 

「どうか、いかないで……! ひとりに、しないでよぉ……!」

 

 悲痛な叫びはどこか重く、静かに響いていく。

 

 姫奈美は黙ってそれを聞いていた。

 身じろぎ一つせず、ただ少年の言葉を聞き届けた。

 

 ……たしかに、男らしくはない。

 弱々しくて惨めで無様、そういう評価もあるだろう。

 

 けれど、

 

「…………それは」

 

 けれども、違う見方をするのであれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――つまりそれは、プロポーズということでいいんだな!?」

「……………………ふぇ?」

 

 折原篝として見るなら、彼女の中で合格のラインなど余裕で突き抜けていた。

 

「もちろん返事はイエスだ! というか断る筈ないだろ普通!?」

「ひゃっ!?」

 

 ぎゅっと手を握りながら、姫奈美は勢いよく篝に顔を近付ける。

 

「結婚はいつにする!? 届けも用意しないとなっ! あ、指輪はどちらでもいいぞ! ある方が嬉しいには嬉しいが……」

「へ? あ、えと、その……」

「それと式の場所はどこにしよう! 私としてはやっぱり地元が鉄板だと思うのだが!」

「う、いや、姫奈美ちゃ」

「海外とか沖縄あたりも良いけどなあ……ほら、私たちならやっぱりこう、あそこだし」

「え、あ、それもそう、だけど」

「あとあと、新婚旅行の行き先も決めないとなあ……! 篝はどこがいい!? 私は個人的に北海道とか、行ってみたいな!」

「ちょ、あのね、だから」

「ああもう本当大好きだ篝! ずっとずっと一緒だからな! もう絶対離さないぞ!」

「す、すとっぷ! すとっぷすとっぷーーー!!」

 

 ヒートアップする姫奈美の話をどうにか打ち切る。

 いや、まったく今更の話だが。

 

「け、結婚とかまだ早いし、式場とか新婚旅行とか、すっごく夢が膨らむし正直僕もその話題で一晩中姫奈美ちゃんといっぱい話す事はできるんだけど……!」

「? うん」

「――それだけはしっかりと、僕から、言わせて」

「……ああ、分かったよ」

 

 泣いていても男の子だもんな、と姫奈美は微笑んで居住まいを直す。

 

 一瞬の静けさ。

 部屋を照らす明かりは小さな電灯と、窓から差しこむ月明かりだけ。

 

 暗闇があたりを包み込むなかで、ごくりと唾を呑み込む音が響いた。

 

「――――ずっとずっと昔から。出会ったときから、君のことが好きでした」

 

 そっと、彼の手が差し出される。

 

「どうか、僕のお嫁さんになってください」

 

 無論、その手を握る感触は間を置かず。

 

「――――はい」

 

 彼女は強く、でもちょっとだけ泣きそうになりながら、返答の言葉を紡ぐ。

 

「ずっとずっと昔から。出会ったときから、貴方のことが大好きでした」

 

 いつも真っ直ぐで、鮮烈で、強烈な少女は、その時だけただの女の子みたいに。

 

「どうか、私を、篝のお嫁さんにしてください――」

 

 見惚れるぐらいとても綺麗な、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 



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終章 / 雷の落ちた日
22/エピローグ


 

 

 

「――というわけで、星刻の数が減ったっていう異例の事態の措置らしいから……」

「今日からこのクラスで授業を受けることになった。どうぞよろしく」

 

「「「なんでそうなるんだよっ!!!!」」」

 

 翌日の二年五組。

 姫奈美と篝が行った決闘の熱も冷めやらない中で、彼らのクラスだけはまったく違う様相を呈していた。

 

 ボロボロになりながらも無事勝利した我らが委員長の隣、ペコリと頭を下げて一礼するのは学園最強……の座を譲った少女である。

 

「おかしいだろ! なんで一組から五組にいきなり来る!? せめて二組に!!」

「おい折原! 十藤離すなよ、絶対離すなよ! マジで!」

「あば、あばばばばっ、と、十藤さんキテルキテル……ヤバイヤバイ……」

「あっはっは。あんたら本当情けないわね。十藤さんがどうしたってのよ」

「そう言いながら膝が震えてるのは錯覚か見間違いでしょうか」

「星刻が一画しかなくても十藤は十藤なんだよなあ……トラウマ、つらい……」

 

 ざりざりと距離を取って教室の隅に固まる一団は、どれも篝と同等かそれ以上の恐怖を姫奈美に植え付けられた敗北者たちだ。

 顔面蒼白、今にも泣きそうだったり吐きそうだったりしている彼らは、おまえこそが盾になれと言わんばかりに後ろへ後ろへ下がっていく。

 

「…………ふむ。これはあれか。フリというやつか?」

「え、そうなの」

「ふふ、なんか良いな。一組はどうにも真面目な人ばかりだったから、こういう馬鹿騒ぎができるクラスはちょっと憧れてたんだ。おまえも楽しそうだったし」

「それは、まあ……退屈しないよね、なんだかんだで」

 

 なにより過ごしやすいし、気を遣わなくていいという部分もある。

 彼自身を含め単細胞じみた馬鹿ばかりというのが大きいのだろう。

 

 なにを比べても計ってもどんぐりの背比べであれば、闘争心こそあれど嫉妬渦巻くようなことも少ない。

 

「――よし、じゃあ景気付けにひとつ。物は試しだ」

「?」

「青の……〝加速〟ッ!!」

「あ、ちょっ」

 

 決闘以外で星刻の無断使用は禁止……、と言おうとした篝だったが、止める暇もなく彼女は弾丸じみたスピードで走りだしていた。

 

「ぎゃあああああああッ!? 青!? 青色!? なんでぇ!?」

「逃げろー! メーデーメーデー! こちら二年五組ィ! 誰か先生呼んでこい!」

「南無阿弥陀仏! 諸行無常! 神様仏様姫奈美様ー!!」

「つか速いんだよマジか!? あれで星刻一画か!? 弱体化ってなんだバカ野郎!!」

「みんなここは任せて! あたしが黄色の能力で防ぐか――がばぁー!?」

「なにやってんだ!? いくら硬化でもアレ止めるのは辛いぞ!?」

「あははははは! 待て待て! 仲良くしようじゃないか! ほら!」

 

「「「「いやああああああああああ!!??」」」」

 

 どったんばったんの大騒ぎを見せるクラスメートたち。

 それをどこか暖かい視線で眺めながら、篝はほうとひとつ息をつこうとして、

 

「ようチャンピオン。今日はまた一段と随分賑やかじゃねえか」

「あ、悠鹿」

 

 がっしと後ろから肩を組んできた、同居人兼友人のほうへと顔を向ける。

 

「……ん? て、ありゃ十藤か。なにしてんだあれ」

「今日からうちのクラス。凄いよね、姫奈美ちゃん。もうみんなと仲良くなってる」

「……俺には血に飢えた獣が獲物を狩っているようにしか見えないが」

「そんなことないよ? だって、ほら、楽しそうだし」

「楽しそうだからなんだよなあ……」

 

 幼馴染み贔屓で節穴評価というか、フィルターを通した結果の激甘評価というか、そういう部分は相変わらずだな、とため息をつく。

 欠点と言えばわりと無視できない欠点なのだが、そのあたりは既に突っ込むのも諦めかけている悠鹿だった。

 

 いずれにせよ愛は強い。

 

「それより、チャンピオンって?」

「あ? そりゃおまえ、序列だよ序列。学内序列。昨日十藤と決闘しただろうが」

「? うん……。あ、そっか。姫奈美ちゃんに勝ったから、いまの僕って……」

「そういうことだよ。おめでとう。序列一位【篝火】サン? 一躍有名人だぜ」

「う、うわー……、うわぁあ……! ええ? なんで? いや分かるんだけど、そうなるのはそうなんだけど、でも、ええ……? 僕があ……? なんでえ……?」

 

 なんでと言われても、そういうルール、決まり事なのだから仕方ない。

 

 事実篝は姫奈美を打ち倒して、誰にも分かる明確な勝利を刻み付けた。

 ならば文句を言うのも、違うと言い張るのも筋違いである。

 

「ま、せいぜい頑張れ。何日天下か見物だな。お姫さまの座ってた玉座だ。どこぞの奴等にゃ簡単にくれてやんじゃねえぞ?」

「それはそのつもりだけどさ……僕にこの学園の看板は重すぎるよ……」

「おいおい弱気だな。十藤は二年近く背負ってきてたのにおまえがそれでいいのか?」

「……いぢわる。分かってて言ってるでしょ、悠鹿」

「お互い様だろ馬鹿野郎」

「それもそうだね。……うん。そう言われたら、やるしかないよ」

「そりゃあなにより。テメエの意地はしっかり見せてもらったからな」

 

 ニィッと笑う悠鹿に、篝もくしゃりと表情をほころばせた。

 ほんと、こういう時の彼はなにより頼もしい。

 

「……あ、そういえばありがとうね」

「あん?」

「昨日の決闘。悠鹿の声、ちゃんと聞こえてた。すごく力になった。だから、ありがとう。僕、悠鹿のそういうところすっごい大好き」

「……きしょいコト言うなよばーか。十藤に捕捉されたらどうすんだ」

「大丈夫だよ。ちゃんと、プロポーズはした、から……」

「あーはいはい。リア充末永く爆発してやがれ」

 

 顔を赤らめてもじもじと人差し指をくっつける篝から目を逸らしながら、ちらりと黒板上にある掛け時計に目を向ける。

 そろそろ時間だ。

 

「おーい! テメエら席に着け! ホームルームまで一分切ってるぞ馬鹿野郎! 十藤もそのあたりにしろ! なんなら俺が席替わってやるから!」

「いや、ありがたい申し出だが不要だ! 私はこの女子から隣の席を奪――もとい譲ってもらうのでな! 気持ちだけ受け取っておくとしよう!」

「いやあーーー!? なんていうとばっちり!? 私なにもしてないのに!?」

 

「ちょくちょく委員長の頭撫でてたよな」

「あと教科書見せてもらったりとかしてたな」

「ノート貸し借りしてんのあたし見たわ」

「そういや二年になってから学食から購買に切り替えたよね。わざわざ教室戻るのに」

 

「ほう? 面白い話を聞いた。どういう事か説明してもらおうか? ん?」

「しまった!? というか仲間がいない!? うわーん篝くーん!!」

「させるかぁ!! 篝は私のモノだということをその身に刻み込んでやる!!」

「ちょっ、あの、姫奈美ちゃん! 星刻使うのは校則違反だって! まずいよ!」

 

「席に着けって言ってんのが分かんねえのかこの阿呆どもは!! ええいクソが!!」

 

 がやがやと騒がしくなる教室と、無慈悲にも進んでいく時計の針。

 もうしばらくすれば顔を出す担任教師の反応を思いながら、誰もが笑顔のままに制止を振り切っていく。

 

 うるさいぐらいの周囲の声は、けれどもなにより間違いない平穏の音だった。

 

 クラスメートたちは悪乗りが好きで、それを友人が嫌味交じりに止めて、罵詈雑言が飛び交いながらも深い悪意は一切ない。

 ちょっとだけ賑やかな、いつもの日常。

 

 でも、それが良いのだと篝は思った。

 きっとそこに、特別な光なんてなくても。

 

 ただ誰かと一緒に微笑んだり、あるいは時に涙を流すような。

 そんなささやかな幸せこそが、なにより大事なのだと思って。

 

 

 

 

 ――これはただ、そんな日々の中に起きた、すこし変わった物語。

 

 進み続けた果てに少年は星を掴み、地上にて共に在ることを誓った。

 

 ならばきっと。

 繋がれた手はもう二度と、離れることもないだろう――

 

 

 









ご愛読ありがとうございました! 4kibou先生の次回作にご期待ください!


以下あとがき。












ということで走り抜けさせていただきました石鹸モドキです。最近の子は知らないでしょうが今は昔「石鹸枠」というアニメがあったんじゃよ……(遠い目)そんな感じのラノベテイストな話が書きたくて気付けばやってました。

うん。石鹸だァ……(節穴)

一先ず書きたいモノ書いて駆けたので満足です。プロットだとこの後くっそ長いシリーズモノになるけどそれ書いてると余裕で二百話超えそうなのでキリよくここで一旦終了とさせていただきます。

お付き合いくださりありがとうございました! お疲れさまでした! またご縁があれば何卒宜しくお願い致します。




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