傭兵、異世界に召喚される (藤咲晃)
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第一章 異世界テルカ・アトラス
1-0.死闘の果てに


本日から異世界召喚物の新連載開始!



 雨降る秋の荒野に無数の屍の山が築かれ、そこはまさに地獄のような戦場。

 咽せる程の血と硝煙の臭い。激しい戦闘が終わり、雨音だけが響く静寂の中に二人の姿が有った。

 片や所々血に汚れた金髪、紅い瞳に三白眼をした二十代前半の男は、首にぶら下げたIDタグを揺らし息を荒げながら身の丈程の銃と大剣が組み合わさった特殊な武器ーーガンバスターを片手に歩き出す。

 そして雨に濡れた地面に倒れ込み、絹のようにきめ細やかな美しい銀髪を雨に濡れた地面に汚れながら近付く男に少女が息を吐く。

 まだ幼さを残す十代前半の少女に男ーー傭兵のスヴェンがガンバスターを仰向けに倒れる少女。その細い喉元に刃を突き付ける。

 

「こいつで終わりだ」

 

 スヴェンの宣言に少女が悔しさに顔を歪めた。

 

「ここで終わり……私の夢も。貴方は満足?」

 

 少女の夢を潰す。それは他の誰でも無い自分だーー彼女の眩しく尊敬する芽生える夢を。

 

「……いや、アンタの夢は眩しいよ。戦争屋の外道と違ってな」

 

 スヴェンの受け答えに少女――覇王と呼ばれたエルデはため息を吐く。

 

「分かってて刃を向ける。傭兵って難儀だね」

 

 エルデの哀れみにも似た眼差しにスヴェンは苦笑を浮かべた。

 彼女は今でこそ覇王と呼ばれているが、その本質は単に戦争の無い世界を望んだ少女でしかない。

 戦争が無い世界を望んだ彼女は、火種を消すため統一戦争を仕掛けた。結局戦争によって成り立つ平和だが、エルデに統治された国は少なくとも平和を得た。

 戦争経済によって成り立つ生活を打ち壊し、全く別の方法による新しい経済を打ち立た生活を自国民に与えた。

 偉業とも思われる大業を成した……そんなエルデを今から金欲しさのために斬る。そこに葛藤は有れ何ら迷いは無いーースヴェンは傭兵という名の金に雇われた正真正銘の外道だからだ。

 

「そうだな、日銭欲しさに戦争する外道だ」

 

 スヴェンは自身の相棒、ガンバスターを振り上げる。

 振り下ろしエルデの首を斬る。それで今の戦争は終わり、次は各国の覇権戦争が始まる。

 傭兵が覇王の討伐を命じられた背景には、各国が自軍の兵力を消耗せずに覇王を排除したいがためだ。

 戦争が有れば同業を含めた傭兵は金に困ることは無い。

 ゆえにスヴェンは次の戦争の引き金を引くべく、振り上げた刃を振り下ろす。

 エルデの細い喉元に迫る重圧な刃ーーだがスヴェンは寸前の所でわずかに迷いが生じた。

 

 ーー本当にコイツを殺していいのか?

 

 一瞬の迷い。それが悪かったのか突如としてスヴェンとエルデの間に眩い閃光が生じる!

 スヴェンは咄嗟に眼を覆い隠すがーー閃光がスヴェンだけを飲み込んだ。




更新頻度に付いては一章は早め更新にしつつ、二章以降は週に2、3話更新を予定してます。


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1-1.閃光の先

 閃光が止み、スヴェンの聴覚と嗅覚がすぐさま違和感を訴える。

 先程まで聴こえていた雨音がせず、鼻で感じていた血と硝煙の臭いが感じられない。

 何だ? 何が起こった? スヴェンは状況に混乱するも、視力の回復と共にゆっくりと眼を開ける。

 出血も手伝って眩暈を覚えるが、真っ先に視界に映り込んだ人物に言葉を失った。

 綺麗なドレスを着こなした長い金髪ーーそれこそきめ細やかで美髪と称される程の美しい金髪だ。

 そしてこちらを真っ直ぐ見詰める純粋で優しささえ感じる碧眼の少女にスヴェンは息を飲む。

 人目を惹きつけるーー正に少し触れれば儚く崩れ去ってしまいそうな可憐な少女が覇王エルデの替わりに眼前に立っていたのだ。

 そして少女の隣で様子を見護る王冠を被った髭面の中年男性の姿も手伝い、スヴェンは警戒心から咄嗟にガンバスターを構え直す。

 

 警戒のため視線を動かし、即座にその場の情報を頭に叩き込む。

 大理石のような床、奥に見える玉座ーー現代では到底有り得ない歴史の記録に残る建築式。

 少女と中年男性の背後に控えるように佇む、これまた今では過去の遺物と成り果てた甲冑姿の兵士。

 スヴェンの知るどの国家でも採用していない甲冑に眉が歪み、嫌な憶測に冷や汗が滲む。

 そして警戒と困惑を宿すスヴェンと同様に動き出す兵士。

 武器を構えたこちらを警戒してか、兵士が剣を引き抜くが少女の静かな静止に剣を納めるーーどうやら向こうには敵意が無いらしい。

 一先ず襲撃される危険性が減り、次に足元に視線を向ける。足元に広がる不可思議な円形の模様にスヴェンは呆気に取られた。

 どうにも自分の住む地域とは相当異なる場所、言語が通じるのかすら怪しい場所だった。そもそも現代なのかすら怪しい場所だ。

 何より足元の存在が異質感を際立たせるには十分な物だ。

 

 ーーなんなんだこの状況は!

 スヴェンの戸惑いを受け、ようやく金髪碧眼の少女がくすりと小さく笑う。

 

「ようこそ異界人。ここは貴方の世界とは異なるテルカ・アトラスよ……その前に治療が必要のようね」

 

 理解できる言語で語る少女が片手を挙げると、青髪の少女がスヴェンに駆け寄った。

 スヴェンは青髪の少女に警戒を浮かべるも、彼女は気にした素振りを見せず木製の杖を向け、

 

「傷付きし哀れな仔羊に、癒しの光りを」

 

 何か呪文めいた言葉を紡ぐと杖が淡い緑色の光りを放つ。

 警戒するスヴェンを他所に、緑色の光りがたちまち負っていた傷が塞がる!

 不思議な現象だがーーこれは魔法による治療だ。

 理解が及び同時に此処にも魔法文明が在るのだと理解する。

 

 言語の理解、似た魔法文明の存在にホッとした束の間、一つだけ聞き捨てならない情報に眉が歪む。

 少女は確かに『ようこそ異界人』『テルカ・アトラス』と語った。

 つまり此処はスヴェンが住むデウス・ウェポンでは無い全く別の場所。

 頭で理解が追い付くがーーなんの冗談だ。スヴェンが少女を三白眼で睨む。

 治療した少女は凄んだスヴェンに驚き、すぐさまその場を離れた。

 内心で礼を言いそびれたと悔やむが、それよりもスヴェンは確認を優先させる。

 

「治療に付いては礼を言うが、異なる世界だと?」

 

「えぇ、此処は貴方にとっての異世界よ。魔法に驚かない所を見るに魔法文明は共通して存在してるようだけど」

 

 確かにスヴェンの住む世界、デウス・ウェポンにも魔法文明は存在している。

 しかしそれは過去の遺物に過ぎず、また魔力は星の中枢から発掘されたが、魔力が星のエネルギーと理解した人類は枯渇の影響を危惧した。

 だから人類はモンスターの脅威を目前にしても、魔力に頼らない技術ーー神に導かれるままに機械文明を開発した。

 スヴェンの世界で使われている機械技術には、多少なりとも魔法技術が取り込まれているが、あくまでも星に影響しない微量程度に過ぎない。

 故に人類が魔法を使わなくなって数千年なのだが……。

 スヴェンに起きた状況とあの閃光、そして足元のソレが魔法陣なら随分と魔法文明に大きな差異が有ると理解する。

 スヴェンは自身の世界における技術の発達と細かな違いを浮かべーー思考するスヴェンを不自然に思ったのか、少女は不思議そうに言った。

 

「言葉は通じてるわよね?」

 

 思考から少女に意識を戻す。

 そして思い出す。そういえばまだ問答の途中だったと。

 

「あぁ、確かに魔法文明はこっちにも在るが今は使われてない」

 

「そう。共通点が有ると説明の手間が省けるわね」

 

 確かに魔法文明という共通認識は有るが、それでも此処に居る状況に対する理解は難しい。

 それは幾ら経験豊富な傭兵でも理解することは難しいだろう。

 

「どんな方法で俺がこんな場所に居るのか説明しろ」

 

 少女に強めに口調を荒げると、一人の兵士が吠えた。

 

「姫様になんたる無礼な態度か!」

 

 ──姫様? つまり目の前に居る少女は王族で、隣で傍観してる中年は国王ってところか?

 

 スヴェンにほんのりと冷や汗が滲む。

 王家の人間に対する無礼な態度は、極刑されてもおかしくないことだからだ。

 例えそれがデウス・ウェポンでは過去の遺物であろうとも冷や汗が頬を伝う。

 仮に兵士を向けられたとしても抵抗する意志が有るが、それでは現状把握が困難になる。

 何よりもエルデとの一戦を終えた後に一国の軍隊とやり合う気力は愚か装備も無い。

 だからこそスヴェンは膝を折り、姫に頭を下げた。

 

「教養の無い野蛮人ゆえに無礼な態度を取って失礼した」

 

「構わないわ。召喚魔法で貴方を呼んだのは私ですもの、むしろ罵詈雑言を向けられるのも当然よ」

 

 姫にスヴェンは頭を上げ、立ち上がる。

 罵詈雑言を受けるなら話しは早い。

 

「ならすぐに俺を元の世界に帰せ、こっちは仕事の最中だったんでな」

 

 あの時は一瞬でも迷ってしまったが、不可思議な状況が挟み込まれた今ーースヴェンの迷いは晴れていた。

 しかし、いま戻った所でエルデはもうあの場所には居ないだろう。

 また彼女と一戦やり合うのは、正直言って手札が割れてる状態のため勝ち目も無い。

 何よりも武装の大半を消耗し、残りの銃弾も三発となればなおさら。

 それでも傭兵として一度請けた仕事は最後まで真っ当しなければならない。

 それがスヴェンに自ら課した戒めだ。

 戒めとどんな言葉で取り繕うとも外道の行動に過ぎないが……。

 内心で外道は所詮外道だと浮かべーーなぜか姫が罪悪感に満ちた表情を浮かべた。

 なぜ召喚した本人が罪悪感に苛まれるのか。

 

「そう……残念だけど貴方の召喚時に私は魔力を三年分消耗しちゃってね、返還魔法の使用は三年後になるわ」

 

「他に方法は?」

 

「召喚された者は召喚者の意志でしか返還できないのよ」

 

「アンタを殺せばどうなる?」

 

「物騒ね。だけど、私が死亡したら貴方は元の世界に帰ることは愚か存在も消えてしまうわ。謂わば私は貴方をこの世界に繋ぎ止める鎖のようなものよ」

 

 何から何まで術者に都合の良い魔法だな。

 スヴェンは内心で皮肉を浮かべるが、三年待てば帰れることが分かっただけでも儲けだ。

 尤も三年も有ればエルデは世界を統一できるだろうが……。

 そもそもわざわざ少女が異世界の人間を召喚する理由は何だ?

 スヴェンは今更ながらの疑問を問いかけた。

 

「俺をわざわざ召喚した理由は?」

 

「異界人の貴方にやって欲しいことが有ってね」

 

 異世界からわざわざ召喚する程の理由、それは自分の想像にも及ばない余程の理由なのだろうか?

 

「傭兵の俺に? 生憎と俺は金の為なら戦争すらやる外道だぞ」

 

「それはある意味で都合が良いわね……貴方には魔王救出を依頼したいのよ」

 

 姫の語る依頼内容に傭兵のスヴェンは絶句した。

 何処の世界に魔王と呼ばれる存在を、あろうことか救出を願う者が居るのだろうか?

 魔王とは時に世界を滅ぼしたりとかする物語の存在だ。

 いや、此処が異世界なら常識も通用しないのかもしれない。

 スヴェンが口を開きかけた時ーーぐらりっと視界が歪む。

 戦闘の疲労は元より血を流し過ぎたと理解した時には、スヴェンの身体が硬い床に倒れた。



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1-2.目覚める傭兵

 薬草の臭いとウールの柔かな感触、窓から入り込む暖かな風と視線にスヴェンは飛び起きた。

 同時に壁に立て掛けられたガンバスターを握り締めると、何処かで見た青髪の少女が驚いた様子で床に尻餅付いた。

 

「び、びっくりしたぁ〜。目覚めたら飛び起きちゃうんだもの」

 

 スヴェンは何故自分がベッドで寝ていたのかを思い出し、ガンバスターを背中の鞘に納める。

 

「……アンタは?」

 

「嫌ですねぇ、治療した私の顔を忘れちゃったんですか? これでも印象深い容姿だと自負してるのですが」

 

 青髪の少女は心外そうに言ってるがーー正直なところ彼女の容姿はあまり印象に残ってない。

 改めて少女を見れば、確かに綺麗な長い青色の髪と翡翠の瞳。それに華奢な身体付き程度の認識だ。

 服装はノースリーブの上着にローブ、そしてショートパンツに、ロングソックスとロングブーツといった身軽さを確保しながらも洒落に気を使った装い。

 静かに観察して出したスヴェンの答えは普通の少女だった。特に気絶前に会話していた姫と比べればなおさら。

 

「さっき会った姫と比べるとなぁ」

 

「うぐっ……そりゃあ魔法大国エルリアで随一の美少女と名高いレーナ様と比較されちゃねぇ?」

 

「エルリア? レーナ? あー、この国と姫の名か」

 

「お互いに名乗らずに問答を繰り返しちゃうだもん、あなたは誰なんだろうって不思議でしたよ」

 

 そういうば自己紹介もせず話しを進めていたなぁ。

 周りの連中もよく指摘しなかったとスヴェンは自分の愚かさに改めてため息を吐く。

 それだけ自分に余裕が無かったのだ、初歩と礼儀を忘れるほどに。

 

「そうだな、遅くになったが俺はスヴェン。向こうじゃあフリーの単独傭兵をやってる外道だ」

 

「スヴェンさんっと。後でレーナ様に報告するとして、私は治療師のミアと言います。倒れたあなたの面倒を任されてるわ」

 

「あー、そいつは手間をかけたな。言いそびれたが治療も助かった」

 

 遅れて礼を告げるとミアは何処か人を小馬鹿にした笑みを浮かべる。

 

「おやおや、紅い瞳に三白眼で怖い顔、不思議な格好をしてますが意外と礼儀は持ち合わせてるのですね」

 

 黒いノースリーブの防弾シャツと黒ズボンは別段に珍しく無いだろう。ただ防弾シャツが弾力性と耐衝撃材質で造られている程度だ。

 

 ーー此処は異世界だったな、防弾性は珍しいか。

 

 にやにやと笑うミアをクソガキと認識しつつも問答を続けた。

 

「依頼を請けるに当たって礼節は大事だからな」

 

「その割に言葉遣いがなってませんが?」

 

「その辺はいいんだよ。要は互いに得をすりゃあいいんだ」

 

「ほほう? つまりあなたにとっての得は元の世界への帰還ですか」

 

 元の世界に帰還すること。

 それも当面の目的だが、それは協力関係を結ぶに当たり当然の前提条件だ。

 そもそもスヴェンはまだレーナから正式に依頼を請負ったわけでもない。

 特に交渉するに当たって異世界の適正価格も分からないのだ。知識も常識も文明も何一つ判らないままは危険すぎる。

 

「そいつは別件だな。勝手に呼ばれた身だ、帰還を願うのは当然の権利だろ」

 

 ーー三年待てば帰れるなら適当に過ごすのもいいかもな。

 

 レーナは返還に付いて依頼を請けることを条件付けしなかった。なら依頼を請けようが請けまいがこちらの自由だ。

 

「そうですね。姫様もその点は重々承知してますよ、それに帰還を望んだ異界人はすぐに帰してますからね」

 

 すぐ帰せる異界人と帰せない異界人の違いが有るのか?

 スヴェンは新しく生まれた疑問に眉を歪める。

 

「俺の場合は3年掛かるらしいが?」

 

「今回の召喚は戦闘ができる強者を指定した条件召喚ですからね……あなたの召喚には姫様の膨大な魔力と触媒を利用してるので、それに随分遠い異世界だったようですよ?」

 

「あー、つまり距離に応じて使う魔力量も違うと」

 

「そう理解して貰えると助かります。何せ私は召喚魔法を使えませんし専門外なので」

 

「なるほど? ま、詳しい話しは明日になるだろうが……幾つか質問が有る」

 

「私に答えられる範囲なら何でも答えますよ。あっ! スリーサイズとかはダメですからね!」

 

 わざとらしく身体を抱いて隠して見せるミアに、スヴェンは苛立ちを堪えながら質問した。

 

「今の季節は?」

 

「今は春で5月20日ですね」

 

 異世界なだけ有って時間の流れは大分異なるようだ。

 スヴェンは次に本題とも言える質問をぶつけた。

 

「今まで召喚された異界人はどうなった?」

 

 勝手に召喚して処分される。それが一番最悪の状況だが、ミアはなんとも言えない表情を浮かべた。

 困っているような表情に何か有る。それは必ず聞き出さなければならない。

 スヴェンは少々眼孔を鋭くさせ問い直す。

 

「どうした? 説明できねぇのか?」

 

「いえ、異界人はその……なんと言いますか、自由過ぎて大変なんですよ」

 

「具体的に頼む」

 

「……姫様の話しをろくに聴かず都市を飛び出して平原に、門から数メートル先でモンスターに殺されちゃったり」

 

 スヴェンはモンスターの存在を認識しつつ、困り顔を浮かべるミアの話しに耳を傾ける。

 

「そもそも異界人は魔法文明が無い世界から召喚されるのが大半で、先ずは魔法の素質に目覚め訓練を受けることから始まるんです」

 

 魔王救出ーー聞くからに急を要するかと思いきや、無駄な浪費と被害を避けている。スヴェンはそんな印象を受けた。

 

「そいつは親切だな」

 

「殺さずに生かして帰す。それが姫様の理念ですから、あとは困ったことに目覚めた魔力に溺れてこちらを裏切ったり、好き勝手生きたり、事件を引き起こす輩も結構居るんです」

 

 不本意な異世界に召喚され不満が爆発する。それも判るが、訓練を受けるということはレーナの依頼を承諾したということだーー魔力に目覚め、裏切るなどそれはあまりにも不義理だろ。

 同時に異世界召喚を行ったレーナの信用問題にも関わる。

 

「あー、その手合いはどうなる?」

 

「捕縛して記憶を消してから元の世界に強制返還ですかね。……重罪を犯した者はその限りではありませんが」

 

 いくら異世界から召喚した身とは言え、国民の優先度が高いのだとスヴェンは理解した。

 交渉次第では今後の身の振り方を改める必要性も有る。

 スヴェンが交渉ごとに置いて売り込めるのは、自身の戦闘能力の一点。

 こちらの世界でデウス・ウェポンの技術が何処まで通用するのかも確認しておく必要が有る。

 それとこの世界の言語は理解できたが、文字が読めるとも限らないのだ。

 スヴェンはいま把握しておくべき事柄を再確認すると、ミアが不思議そうな顔で覗き込んでいた。

 

「随分と考え事が長いんですね。何か不安とか、元の世界に愛する者を置いて来た! とかですか?」

 

 手振り身振りを交えた質問に若干呆れつつも答える。

 

「俺にそんや奴は居ねえよ。居るとしたら殺し損ねた標的ぐらいだ」

 

「物騒なお人ですねぇ。それで何を考えてたんですか?」

 

「文字が読めるのかどうかだとか、こっちの武器が通用するのかとかな」

 

「それでしたら食事の用意がてら書物を用意して置きますよ。あとは紙と羽ペンですかね」

 

「あん? 食事も出るのかよ」

 

「そりゃあ出しますよ。貴方はエルリア城に滞在する客人扱いですから」

 

 スヴェンは宿賃が必要無くて助かるっと安堵した。

 そんなスヴェンを尻目にミアは身を翻し、軽やかな足取りで部屋を出て行く。

 スヴェンは彼女が完全に部屋から遠ざかったのを確認し、机に置かれたサイドポーチと装備を確認した。

 エルデとの戦闘時にスヴェンは大半の装備を失った。

 サイドポーチの中身は三日分のレーションと治療キット。

 交渉時と素顔を隠す用のサングラス。

 ヒートダガーは根元から折れ、予備弾数も無い。

 幸いハンドグレネードとスタングレネード、空薬莢に雷管が残っているが、グレネード類は各種一つだ。

 おまけに弾頭も無いと来た。

 スヴェンは渇いた笑いを浮かべ、

 

「ジリ貧だな」

 

 現状を嘆く他になかった。

 

 ガンバスターに予め装填された.600GWマグナム弾は残り三発。

 補給の当てがない異世界で無駄弾を使わないに越した事は無いだろう。

 そもそも覇王エルデに射撃は無意味だった。彼女の異常なまでの身体能力ーーまさか荷電粒子による電磁加速が乗った.600GWマグナム弾を簡単に避られるとは誰にも想像できないだろう。

 おまけにエルデの繰り出した一撃で荷電粒子モジュールが破損してしまった。

 直そうにも修理道具は向こうの世界だ。何か修理の手立てを考えなければこちらの世界で保たないだろう。

 ジリ貧な装備にため息を吐くと、ふと脳裏にエルデとの戦闘が浮かぶ。

 

 素早い身のこなし、小柄な体格から想像もできない大地を砕く一撃。

 おまけにエルデが扱うヘルズガンによる正確な射撃とプラズマソードによる剣技が非常に厄介で、何度も死を覚悟したものだ。

 

「悪夢みてぇな戦闘だったな」

 

 振り返って見れば、よく自分は生きてたと感心すら覚える始末だ。

 

「まだ反動抑制モジュールが無事なのは儲けか?」

 

 元の世界に帰ったら損失分もしっかり請求しなければ割に合わない。

 そう考えるも、スヴェンは三年という期間を冷静に見つめ直す。

 三年も有れば向こうの世界では、スヴェンという男は死亡認定されているだろう。

 そもそもひと月も存命が確認できない人間は、政府機関が資金の凍結、傭兵ライセンスの凍結が決行される。

 仮に元の世界に戻ったら戻ったらで行方不明期間の経緯と説明も求められるだろう。傭兵ライセンスの再発効という面倒な手続き付きで。

 面倒臭いこのうえないが、こればかりはどうにもならないっと深いため息が漏れる。

 おまけに腹が減って仕方ないが、スヴェンは異世界の食事に何も期待してなかった。

 文明が発達してるデウス・ウェポンの食事ですら最低最悪レベルだ。

 天然食品はもう存在せず、全ての食材は人工による製造品。

 既に動物も絶滅し、生きている生物は人類とモンスターのみ。

 

「ゴム並みの肉、紙みてぇな食感の魚はなぁ」

 

 また何度目かのため息が漏れるとドアが開く。

 その瞬間、スヴェンの鼻が香ばしく豊かな香りを捉えた。

 

「スヴェンさん、お待たせしました〜」

 

 意気揚々とトレイに食事を乗せたミアは、サイドテーブルにトレイを乗せる。

 皿に盛られた焼いただけの獣肉、贅沢にも様々な野菜をふんだんに使ったスープ、そして湯気を放つ焼き立てのパン。

 スヴェンは困惑したーー俺の知ってる料理じゃない!! 

 困惑を浮かべるスヴェンにミアは微笑んだまま動かない。

 一先ずスヴェンは、フォークで焼かれた獣肉を刺す。

 ほんの僅かな力加減でフォークが肉厚の獣肉に突き刺さる! おまけに穴から留めなく溢れる脂に眼を見開く。

 スヴェンはこの世の物とは思えない獣肉、いや未知の食材に驚愕を隠せなかった。

 

「な、に!? 俺の知ってる肉は中々ブッ刺さらねえんだが!」

 

「えー? どんなお肉なのよ、おっと失礼しました、うっかり素が出ちゃいました」

 

 素の彼女が出す態度にスヴェンは気にした素振り、いや未知の料理の存在を前にして一切気にもならない。

 

「あ? 素のアンタでいいよ。敬語で接されても窮屈だ」

 

 そう告げながらスヴェンはいよいよ未知の料理を口に運ぶ。

 ひと口噛めば歯がソレを容易く噛みちぎり、肉汁と香料がスヴェンの口内に一瞬で広がる。

 スヴェンはゆっくりと噛み締め、そしてスッーと涙を流した。

 

 ーーはじめてだ。こんなに食事が旨いと感じたのは!

 

 涙を流したスヴェンにミアが眼を見開く。

 同時に彼女から憐れみの眼差しを向けれる。

 

「い、今までどんな食事を? これまでの異界人は多少驚くはするけど、そこまで大袈裟じゃなかったわ」

 

「……食事? アレはそんな高尚な領域じゃねえ。俺が食ってたのは……一体なんだろうな?」

 

 スヴェンも訳が分からなかった。

 人生で食べ続けていた料理と信じていた物が、実は違う紛い物だった真実を前に食に対する常識が儚くも脆く崩れ去ったのだ。

 今まで食べていた肉は肉を騙るーー子供がその場の思い付きと勢いで無計画に造った工作品程度に自身の世界の食文化を罵った。

 

「よく分からないけど、悲惨なのは想像できたよ。……その武器とか見てると文明は発達してるように見えるけど」

 

「……発達してんのは科学だけだな。飯はこっちの方が圧勝だわ」

 

 そもそも比較の土俵にすら立てない。

 それが両方の世界で食べた食事に対する評価だった。

 スヴェンは味わうように、そして噛み締めるようにゆっくりと食事を続け、食べ終える頃には心が満たされていた。

 デウス・ウェポンは長い年月による遺伝子の進化と科学技術により人類の平均寿命を五百歳に引き伸ばした。

 人類の発展と進化の代償とも言うべきか、一万年前に動物は絶滅し、当時栄えていた食文化が失われてしまった。

 幾ら技術が凄かろうと人に幸福を齎す食事を蘇らせることは無理だった。

 

「俺はぁ、食事で心が満たされたのははじめてだ」

 

「そ、そう。でも今日から毎日食べられるよ」

 

「異世界、最高かよ」

 

 温かく旨い食事が食べられるなら報酬などどうでも良いとさえ思えた。

 それでもスヴェンが帰還の意志は変わらないのだが……。

 

「腹も膨れたところで……」

 

 スヴェンはミアが持って来た書物を開く。

 見た事も無い言語による文字列にスヴェンは、そっと本を閉じた。

 

「読めねぇ」

 

「じゃあ勉強が必要だね。明日の姫様との謁見後、私が直々に教えてあげるわ!」

 

 文字の読み書きならこの国の誰にでもできる。

 そう思ったが、ミアという少女はレーナの命令に従って行動してるのだろう。

 恐らく彼女に与えられた任務はスヴェンの監視。

 スヴェンはガンバスターを壁に立て掛け、

 

「そんじゃあ明日から頼む」

 

 さっそくふかふかなベッドに身を沈めるのであった。

 その際、ミアが何か言いたげな視線を向けていたが、今のスヴェンは気に留める余裕も無く、彼はそのまま浅い眠りに就く。



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1-3.依頼の話し

 部屋のシャワールームで汗を流し、身形を整えたスヴェンはミアに連れられ謁見の間に案内される。

 そこは昨日召喚された部屋と同じ場所で、特に真新しい物は無く代わりに玉座に国王が腰掛けていた。

 

「ご苦労ミア、下がっていいわよ」

 

「はい、それでは失礼させてもらいます」

 

 ミアはそのまま退出し、この場所にスヴェンとレーナ、そして国王だけが残される。

 護衛の居ない謁見の間――かと思いきや天井、玉座の天幕の裏と支柱の裏から感じる視線にスヴェンは用事深いと感心を示す。

 数名の護衛、昨日見た兵士とは違う。隠密や影から護衛を得意とした部隊が居る。

 そう推測を立て、昨日の己が取った行動を振り返る。

 

 ーー昨日、あそこで暴れ出そうものなら危険だったな。

 

「それで今日は依頼の話しでいいのか?」

 

「えぇ、改めて傭兵スヴェンに魔王救出を依頼するわ。と言っても事情が分からないまま承諾はできないわよね」

 

 言われたスヴェンは頷く。

 こちらは戦争屋の外道に過ぎない。善意で人助けなどやるような人種でも無いのだ。

 ソレをやるのはお人好しか、それこそ電子書籍の物語に登場する勇者と呼ばれる物好きだ。

 特に依頼者の望みと依頼に対する姿勢、考えや背後関係を知っておく必要が有る。

 以前、まだ新米だったスヴェンは提示された報酬に目が眩み、酷い失敗をしたことが有った。

 依頼者に騙され、殺されかけたから逆に返り討ちにした苦い記憶を背景にスヴェンはレーナの言葉に耳を傾ける。

 

「もう3年になるわ。邪神教団によって魔王アルディアが凍結封印されてしまったのは」

 

「物騒な名だな。何か? 邪神を目覚めさせ世界征服ってか」

 

 冗談混じりに言うと、場の空気が重くなるのをスヴェンは肌で感じ取った。

 同時にレーナは意外そうな表情で、

 

「あら神の存在はそちらの世界にも居るのかしら?」

 

「機械神デウスって神なら崇められてるが、こっちにも居るのか」

 

「機械神……こちらの神はアトラス神と呼ばれてるわ」

 

 異なる世界の神、何処の世界にも神は居るもんだなと一人納得する。

 そして邪神教団が邪神復活を望む組織ならろくでもない連中なのだと想像が働く。

 それが態度に出ていたのか、レーナは小さく笑って。

 

「貴方の想像通りよ。連中の目的は世界各地に散らばる邪神を封印した鍵を集め、邪神を復活させること」

 

「復活すればどうなる?」

 

「先ず人の身では勝てないでしょうね。そもそも邪神を始めとした神は不変不滅、倒すこともできないから封印するしか方法がないわ」

 

 復活すれば邪神を再封印しなければならない。

 それは頭で理解できるがスヴェンにはそこまでしてやる義理が無い。

 せいぜいが魔王救出までが良い所だろう。

 目的の障害となるものは排除を前提として。

 

「邪神の復活はどうでもいいが、その邪神教団が魔王を凍結封印した理由は?」

 

「アルディアから封印の鍵を奪い、各国に対する人質及び魔族を戦力として利用するためでしょうね」

 

 自国の王が人質に取られた状況下で国民である魔族は救出に出そうだが、スヴェンはその事を踏まえて状況に付いて訪ねる。

 

「魔王の民は救出の為に動いてんのか?」

 

「アルディアの身柄を抑えられたお陰で魔族は邪神教団に従わざるおえない状況下に落ちてるわ」

 

「随分と忠誠心が高いこって」

 

「アルディアは国民に愛され、他国からも信頼厚いもの。こちらも迂闊に救援部隊を差し出さないのが現状よ」

 

「なるほど。各国の動きは理解できたが、人質を取った連中は何か要求したのか?」

 

「邪神教団が各国に発信した要求は、各国の戦力を差し向けないこと。鍵を明け渡すこと、邪神を崇めること」

 

「最後のはどうでもいいが、それなら俺達異界人も各国の戦力に入ると思うが?」

 

 なぜわざわざ異世界から召喚するのか。

 それが分からなかったが、スヴェンの疑問はすぐに解消されることになる。

 

「邪神教団にとって異界人に対する認識は取るに足らない存在。現に異界人の何人かは逆に向こうに寝返ってるわ」

 

 なるほどと妙に納得できる。

 邪神教団にとって異界人を取り込むことは、消耗品の戦力として利用できるのだと。

 同時に魔王救出に当たり、異界人の召喚を任されているレーナの信頼失落に繋がる外的要因を邪神教団がわざわざ手放す必要も無いことも理解できた。

 

「消耗品としても使い捨てにできるわけだ」

 

「……私はそうは思わないわ。貴方だって使い捨ては嫌でしょう?」

 

「傭兵は金さえ払えば何でもやる。それこそ戦争の火種を振り撒く事だろうともな」

 

「そう。なおさら貴方にはこちらの依頼を請けて貰わないとね」

 

「魔王救出だけならな。邪神復活の阻止だとかは……まあ、封印の鍵を見付けたら奪うぐらいのサービスはしてやる」

 

 レーナの表情が明るくなるが、スヴェンは一つだけ釘を刺す。

 

「待て、俺はまだこっちの戦闘も価格相場も知らねえ。何より文字も読めねえんだ……正式な受理は戦闘を体験してからでも遅くねぇだろ」

 

「あら? 昨日見せた状況判断力と身のこなしから相当数の修羅場は潜り抜けてると判断したのだけど」

 

 いい観察眼を持っている。スヴェンはレーナを評価したうえで自分に足りない経験に付いて話す。

 

「俺は魔法を使用した戦闘を知らねえ、謂わば未知の領域、情報不足は危険だ。それに俺自身が魔法を使えねぇから経験も必要なんだよ」

 

「そこそこの魔力は有るのに?」

 

「こっちの世界じゃあ魔力は、武器に流し込む程度にしか使われて無いんだよ。俺はその魔力を扱ったこともねえ」

 

 この世界でどの規模で魔法が使用されているのか、武器が通用するのか怪しい状況でスヴェンは依頼を請ける気になれない。

 仮に即決で依頼を請負ったとして、この世界に自身の戦闘技術が通用しない。だから依頼を破棄したいでは不義理だ。

「そう、確かに貴方の言うことも一理あるわね。ミアと訓練場に行くように、あと先に言っておくけど報酬に糸目は付けないわよ」

 

「そいつは期待できそうだが、国王陛下から何か言うことは無いのか?」

 

「……娘が判断したこと、ワシの許容範囲ゆえ口出しはせん」

 

 どっしりとした声、それでいて眼差しからレーナを信頼してることが窺える。

 

「そうかい。あー、一つ確認だが……この国で注意事項、守るべき法律は?」

 

「国内において殺人禁止、やも得ない場合は許可するけどそうでも無い場合は無力化が望ましいわ。それから法に抵触することは後でリストに纏めて置くから」

 

 スヴェンは殺人禁止と自身に言い聞かせ、

 

「承知した。殺しはしないように善処する、それで話しは一先ず終わりか?」

 

「そうね、続きは貴方の戦闘が終わってからね」

 

 こうしてレーナとの謁見も終わり、スヴェンはミアに事情を伝えのち訓練場に足を運んだ。



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1-4.異世界の戦闘

 エルリア城の中庭に設けられた訓練場に案内されたスヴェンはさっそく周囲を見渡す。

 訓練に励む兵士ーーこの国では騎士と呼ばれる者達。

 土の足場、地面に残る何かで破壊された痕跡。

 訓練場の奥に閉ざされた分厚い木製の大扉、そして中から聴こえる唸り声ーー人を殺したくて仕方ない感覚にスヴェンは眉を歪める。

 

「モンスターでも飼育してんのか?」

 

 呟いた疑問にミアが頷く。

 

「えぇ、捕獲した訓練用のモンスターがね。異界人も此処で訓練して行くけど……あっ、ちょうどあそこで先日召喚された子がやってるよ」

 

 言われて視線を向ければ、騎士に剣の手解きを受ける若い少年の姿が有った。

 少年の身体は剣を振り回すには筋力が足りず、剣を一度振れば身体が振り回される始末。

 随分とお粗末で何処か焦っている印象を受けるが、そもそも武器を手に戦う事を必要としない世界から召喚されたのならそれも合点が行くことで、お粗末と称するには畑違いだと考えを改めた。

 

「何であっちのガキは戦うことを選んだ?」

 

「さあ? 召喚直後に『異世界召喚キター!!』なんてすごい喜んでて自分には秘められた力が有るとかなんとか?」

 

「へぇ? そういや魔力を有するのは当たり前な感覚だが、魔力が無い世界も有るんだよな」

 

「それがそうでも無いみたいよ? 魔法技術は無いけど誰しもが魔力を持ってる。ただ、魔力が眠ってる状態で引き出せないだけでね」

 

 どの世界にも共通点として魔力が有ることにスヴェンは少しだけ驚く。

 ただ、その世界の状況や成り立ち、文化の違いで魔法技術が発展するかどうかの違いなのだろうか?

 スヴェンはごちゃごちゃ考えても仕方ないと判断して、訓練場を歩き出す。

 

「そんで俺の相手は誰になるんだ? 全員訓練中みてぇだが」

 

「それなら……」

 

 ミアが言いかけると、顔に大傷を負った大柄の騎士がスヴェンに近付く。

 腰に差した大剣と隙のない足運びから、そこら辺の騎士とは遥かに違うのだと理解できる。

 

「スヴェン殿だな? 話しは姫様から聴いてる。自分はラオ、魔法騎士団の副団長をしている者だ」

 

 ラオの差し伸べられた握手にスヴェンは応じた。

 グローブ越しから感じる手甲と握り締められる握力ーー軋む腕、コイツは試されている。

 悪くない筋力だ。スヴェンも強めに握り返し、握手を交わした両者の腕の骨が軋む。

 

「ほう? 細身と思えば中々の力、流石はデカブツを扱うだけはありますな」

 

「傭兵は身体が資本だからな。それで俺の訓練相手は誰だ? アンタか?」

 

「貴殿との訓練も面白そうでは有るが、貴殿のお相手はあの者が担当しよう」

 

 ラオの視線の先に居る人物にスヴェンは視線を向ける。

 細身ながら鋭く素早い剣戟を繰り出す金髪の整った顔立ちの若い騎士。

 スヴェンから見ても訓練相手の騎士に対し、素早い切返しが見事としか言えなかった。

 中々の手練れ、異世界の戦闘を明確に実感するには申し分ない相手だ。

 

「アイツは?」

 

「彼はレイ。先月入隊したばかりの新米では有るが、魔法学院を首席で卒業した英才だ」

 

「あー、レイかぁ。私、彼が苦手なんだよね」

 

 ミアはそう言って苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。

 

「そう言えばミア殿は同級生でしたな」

 

「話しは後にしてくんね? 文字の学習も有るんでな」

 

 さっさと確認を済ませ、次に移りたいスヴェンにミアが苦笑を浮かべる。

 

「そんなに焦らなくともゆっくりで良いじゃん」

 

「こっちは大事な商談が控えてんだ。そうそう待たせてられるかよ」

 

 そう伝えるとラオがいい笑みを浮かべ、レイの元に駆け寄った。

 すると訓練相手が剣を納め退がると、ラオがこちらを手招き。

 スヴェンはガンバスターの柄に手を掛け、レイの前に立った。

 

「キミが次の相手かい? 随分と物騒な得物を扱うんだね」

 

 不敵な笑みを浮かべるレイから自身の腕前に対する自信が強く伝わる。

 こちらも彼に対して油断する気は一切無い。

 まだ彼がどんな魔法を扱うのか判らない。そもそも魔力をどれほど有しているのか、デウス・ウェポン出身のスヴェンが知る術など無いのだから。

 

「ま、一つ手合わせを頼む。こっちは本気で挑むからよ」

 

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、片腕で構えを取る。

 それを見たレイも長剣を構える。

 二人が互いの得物を構えた時、

 

「両者、尋常に勝負!」

 

 ラオの合図に真っ先にスヴェンが動く。

 地を蹴り、縮地でレイの背後に回り込む。

 同時にガンバスターを振り抜く。

 ガキィーンっ! レイは振り向かず長剣でガンバスターの刃を受け流し、スヴェンはすぐさま距離を取る。

 スヴェンが離れてから僅かに遅れて、先程まで居た場所に一閃が走った。

 

「なるほど、英才と呼ばれるだけはあんだな」

 

 受け流しから反撃までの判断が速い。

 瞬時の判断力、観察眼、相手が誰であろうとも油断しない姿勢。レイは間違いなく強い分類に入るだろう。

 

「キミこそあれだけ早く動けるとは予想外だったよ、まだその武器には仕掛けが有りそうだけど?」

 

「あー、こいつは人間に使うもんじゃねえよ」

 

 スヴェンはそう言いながら、今度は真っ正面から斬り込む。

 レイは再び刃を弾こうと長剣を振るうが、ガキィーンーー訓練場に鈍い音が響き渡る。

 ガンバスターと長剣の間に火花が散る。

 レイは受け流せなかったことに僅かに眉を歪めた。

 受け流しをされては埒があかない。だからスヴェンはガンバスターを受け流し難い角度から斬り込んだのだ。

 ガンバスターの重みと押しかかる重圧にレイの表情が歪み長剣の刃が軋む。

 スヴェンはそのまま一歩踏込み、レイを長剣ごと打ち上げた。

 宙に飛ばされたレイは受け身を取りながら。

 

「炎の刃よ!」

 

 レイの詠唱に呼応し、彼の周囲に魔法陣が浮かび上がる。

 不味い! 空気の変化から危険と判断したスヴェンはその場から大きく飛び退く。

 瞬間、スヴェンの居た場所から手前にずれた位置に爆炎が襲う!

 炎の熱量と轟音、爆風と舞い上がる土煙。深く抉り取られるように破壊された地面にスヴェンの眉が歪む。

 ロケット弾並みの火力。レイはそれを瞬時に発動して見せたのだ。

 おまけに魔法を放ったレイは涼しい顔でこちらの出方を窺っている。

 此処ではじめてスヴェンはこの世界の魔法技術が高度で驚異的な物だと実感した。

 

「おいおい、俺が使う武器の方がまだ可愛げ有るじゃねえか」

 

「そうかい? 初歩的な攻撃魔法なんだけどね」

 

「今ので初歩かよ!」

 

「けれど、中には治療魔法に才能を全振りした人も居るんだよ」

 

 レイの視線の先にミアが居た。

 面白くなったのかミアはすかさず噛み付く。

 

「なによぉ! あなたがケガしても治療してあげないからね!」

 

「自分の傷ぐらい治療できるさ」

 

 余裕の笑みで返すレイにミアが杖を片手に青筋を浮かべる。

 どうにも二人の相性はあまり良くないようだ。

 

「魔法を見れたのは儲けだが、もうちょい付き合ってくれるよな?」

 

「いいとも!」

 

 スヴェンとレイ同時に駆け出す。

 ガンバスターによる重い剣戟をレイは巧みに捌くが、突如放たれる拳に殴り飛ばされる。

 彼は負け時と攻撃魔法による反撃を行い、スヴェンを吹き飛ばす。

 魔法により吹き飛ばされたスヴェンは着地と同時に、ガンバスターを振り回し地面に突き刺す。

 純粋な力技による衝撃波が地面を走り、レイは横転することで避けた。

 

「おらよ!」

 

 スヴェンはレイの両側に向け衝撃波を飛ばし、レイの退路を塞ぐ。

 そのまま直進するスヴェン。

 対するレイは長剣を構え直し、彼を迎え撃つ姿勢を取る。

 ガンバスターを縦に振り抜くスヴェンと長剣に魔力宿し、薙ぎ払うレイ。

 両者の一撃が重なりーー二人の武器が弾かれ宙を舞う。

 すかさず拳を構えるスヴェンに、

 

「両者そこまで!」

 

 ラオの静止の声にスヴェンは構えを解く。

 

「あー、終わりか」

 

「まさか引き分けるとはね」

 

「魔法と立ち回りに関して勉強になった」

 

 スヴェンが素直に礼を告げると、レイは小さく笑って。

 

「こちらこそ。まさか魔力を使わずあんな動きができるなんて驚かされたよ、特に衝撃波には驚いたね」

 

 戦闘中ずっと真顔だったレイに対して、スヴェンとミアは疑惑の視線を向けた。

 本当に彼は驚いたのだろうか? 確かに眉を歪めることは有ったが、その割には表情の変化が薄い。

 

「ふむ、スヴェン殿。次はモンスターと戦闘するか?」

 

「頼む」

 

「あっ! 一応説明するけど、モンスターは常に魔力を障壁に利用してるからまともにダメージを与えるには魔力を消耗させるか、魔法が有効だよ」

 

 つまりモンスターは魔力を消耗させない限りまともなダメージを与えられないと。

 デウス・ウェポンのモンスターは普通に物理攻撃が通じるが、こちらの世界はどうにも勝手が違うらしい。

 デウス・ウェポンのモンスターは障壁が無い代わりに人類から取り込んだ兵器や銃火器による火力制圧を行なって来るが……。

 モンスターと戦闘を始める前にスヴェンは、ミアに大切なことを伝える。

 

「……魔法や魔力を武器に流す方法も使えねえが?」

 

 すると彼女は笑顔を浮かべ、親指を立ててこう言った。

 

「かんばれ! 私も治療魔法以外は一切使えないから!」

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 スヴェンはミアを巻き込み、彼女をモンスターの囮にしようかと一瞬思案するがまだ銃弾が通用しないとは限らないっと思い直す。

 

「……一人で挑戦すっから怪我したら治療頼む」

 

「そこは死なない程度に頑張って!」

 

 あくまでも他人事のように語る彼女に、実際他人事なのだからスヴェンは何も言えず木製の扉まで近付く。

 そしてガンバスターを構えると、ラオの合図で重々しい扉が独りでに開く!




はじめて戦闘描写に擬音を入れてみたけど、意外と武器ごとよって生じる擬音考えるのが大変。


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1-5.異世界モンスターの脅威

 扉から飛び出す影にスヴェンは冷静に観察眼を向けた。

 赤黒い大猪のモンスターーーデウス・ウェポンのラオフェンに姿形は似ているが、違いが有るとすれば体格と重火器を纏っていないことだろうか。

 ラオフェンの特徴的な鼻と口から伸びた凶々しく鋭利な四本の牙。

 あれに貫かれれば容易く千切られるだろう。

 おまけに屈強な四本の脚から駆り出される突進が厄介か。

 スヴェンはガンバスターを引き抜いたまま、ラオフェンの出方を窺う。

 

「動きませんね」

 

「様子見しておるのだろう。あのブルータスの牙は強固ゆえ魔法を弾くからな」

 

 ミアとラオの会話にスヴェンは、ラオフェンをブルータスと再認識しーーガンバスターの銃口をブルータスに向け安全装置を外し、引き金に指を掛ける。

 するとブルータスが後脚で蹴り始めた。

 

 ーー突進の合図か、そこは変わらねえのか?

 

 スヴェンはブルータスを注意深く観察し、いつでも避けられるように足腰に力を入れる。

 ブルータスは突進と同時に風を纏いスヴェンに迫った!

 風圧と突進の速度にスヴェンは驚きこそするものの、大きく右に跳ぶことでブルータスの突進を避ける。

 そしてスヴェンが振り向き様に銃口を向け、彼はギョッと眼を見開く。

 

「おい! そっちに行ってるぞ!」

 

 ブルータスはそのまま見物人の集団に直進していたのだ。

 止まることを知らない猪突猛進……だが、ブルータスが見物人の集団を弾き飛ばすことは無かった。

 魔法陣による障壁がブルータスの突進を防いだのだ。

 

「あー、なるほどなぁ。だから余裕だったのか」

 

「うむ! こちらの心配はせず、スヴェン殿は思いっ切り戦うとよいぞ!」

 

 ラオのしてやったりと言いたげな表情に、スヴェンは動きを止めたブルータスに照準を定める。

 そしてブルータスがこちらを振り向いた瞬間を狙って彼は引き金を引く。同時に内部に備わった反動抑制モジュールが作動しーーガンバスターの銃口から火が吹き、同時にズガァァンーー1発の銃声が訓練所に響き渡る。

 放たれた.600GWマグナム弾の弾丸がブルータスの胴体を目前に障壁に阻まれーーポロリっと虚しく地面に落ちた。

 それは非情であり、同時にスヴェンに虚しさと悲しみを与えるには十分過ぎる結果だ。

 

「マジかよ、人体なら軽く風穴は空くんだがなぁ」

 

 銃弾が通用しない。ましてや荷電粒子モジュールが破損した状態ではこれ以上の火力は望めない。

 そう理解したスヴェンは、ブルータスの真正面に立たないように距離を詰める。

 先程纏うように見せた風に対する警戒も含め、スヴェンはガンバスターをブルータスの横腹目掛け横薙ぎに払う。

 そしてガキィーンっと障壁に弾かれる。

 その手応えは、例えるなら柔らかなクッションを殴り付けたような感触だった。

 これが魔力による感触なのか、障壁の感触なのかは判らないが、スヴェンは更にガンバスターを左右に斬り払う。

 その度に障壁に弾かれ、その都度スヴェンが周り込みながら障壁を斬り付ける。

 対するブルータスは魔力障壁による余裕からか、鼻で笑い始めた。

 

「あっ? こっちのモンスターは随分と感情豊かじゃねえか」

 

 スヴェンは冷静のまま何度もガンバスターによる斬撃を繰り返す。

 それが数分と続くと、ブルータスは突如身体を暴れるように振り回し始めたのだ。

 跳躍して避けるスヴェンに、ブルータスが突進を繰り出した。

 先程とは違って風を纏わない普通の突進。

 これにスヴェンはようやく魔力切れが訪れたのだと理解し、ブルータスを睨む。

 そして足腰に力を入れ、地面を踏み抜くとスヴェンは迫るブルータスを跳ぶことで避け……動きを止めたブルータスの背中に上空から刃を突き刺す。

 重量を乗せた一撃に腹部を貫かれ血飛沫が舞い、地面が鮮血に染まる。

 ブルータスは弱々しい鼻息を荒げーー身体から魔力が粒子状に離散して行く。

 そして数秒も経たない内にブルータスは骨だけを残して消滅した。

 何方の世界も共通のモンスターの死を意味する現象。違いが有るとすれば骨か重火器の違いか。

 スヴェンはガンバスターを背中の鞘に納め、額の汗を拭う。

 

「ふぅ、面倒臭え」

 

 それがスヴェンのこの世界におけるモンスター戦の感想だった。

 そんな彼にミアが駆け寄り、

 

「平原でそこそこ強いブルータスを一人で倒し切るなんて、すごいね!」

 

 笑みを浮かべていた。

 しかしスヴェンから見て、彼女の笑みは何処か作為的で何か意図が有るように感じられた。

 そもそもスヴェンの知るラオフェンは複数で縄張りを動くモンスターだ。

 似た存在のブルータスもそうなら、群れと戦闘すればどうなるのかは明白だった。

 それでも魔法が扱えるテルカ・アトラスの人間なら苦戦もしないのだろう。

 

「そうかぁ? 魔法がありゃあ楽勝なんだろ」

 

「うん……実際はかなり弱い分類」

 

 ーーコイツ、褒めて調子付かせようとしたのか?

 

 スヴェンはミアの言動と態度に呆れた視線を向ける。

 

「次は勉強の時間、スヴェンさんは分からないことだらけだから私が丁寧に教えてあげるよ」

 

 ドヤ顔を浮かべるミアから視線を外し、

 

「なあレイ、後で読み書きを教えてくんね?」

 

「そうしてあげたいのは山々だけど、僕はこれから副団長と調査に出向かなければならなくてね」

 

「ちょっと!?」

 

 隣で抗議を始めるミアを無視しつつ、スヴェンは調査に疑問を感じたが、気にしても仕方ないとして歩き出す。

 

「あっ! こっちは姫様から頼まれてるんだから!」

 

 なら最初からそう言えばいいものの。スヴェンはそう思いながらミアと訓練所を立ち去った。

 ……その際に敵意を宿した視線を感じたが、スヴェンにとってどうでもいいことだった。

 いま重要すべき事はレーナの依頼を請けるどうかだが、もうスヴェンは結論を出していた。




明日は観たいアニメが有るんで更新お休みです。
続きは明後日の土曜日に更新予定となります。


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間章1
目撃者


 企業連盟が雇った傭兵スヴェンが、覇王エルデをあと一歩の所で突如として世界から消失した。

 監視ドローンによる戦場中継を天体モニターで目撃していた者達が一様に困惑した目付きで会議テーブル越しに息を吐く。

 天体モニターを中継していた茶髪のスーツ姿の女性も困惑した表情を見せるが、それは一瞬だけですぐさま冷静に無感情を顕にした。

 

「……傭兵スヴェンの消失。覇王エルデの健在、いや痛手を与えたことに意義を見出すべきか」

 

 一人冷静に事態を認識した老人の枯れた声に注目が集まる。

 

「何を言う、我々連盟が雇った傭兵が全滅したのだぞ! これは明らかな損害だ!」

 

 一人は連盟が被った損害額に嘆き、会議に参加していた者達に動揺を走らせる。

 

「確かに小娘に対する損失は釣り合いが取れんな。……だが小娘も重症、あの傷では再生治療処置を行ったところで時間がかかるだろう」

 

「その間にまた傭兵を雇うと? 是非ともこの機会に我が社の最新鋭の機械兵導入を検討して欲しいな」

 

 若い男性の期待を宿した眼差しに老人は眼を伏せる。

 機械兵、この世界のモンスターが数多の重火器を取り込む性質を参考に人体改造を施した人類。

 戦場での活躍は老人も耳にし、実際にそれ相応の評価もしていたがーー所詮は重火器を纏った改造人間、結局戦場に乱入したモンスターに取り込まれるのがオチだった。

 結局の所人類が許された兵器はモンスターが興味を示さないギリギリの性能に落とし込む必要が有る。

 今回の戦場に導入しなかったのもあらゆる懸念を排除してだった。

 

「モンスター生息域外ならば検討はしよう」

 

 老人は物言いたげな若い男性を無視して、スーツ姿の女性ーー傭兵管理企業【アライアンス】の仲介役に視線を向けた。

 

「あの若僧が今まで仕事を放り出したことは?」

 

「例外を除けば傭兵スヴェンが一度請けた仕事を放り出した事は無いです」

 

「例外とは?」

 

「雇主側が彼を裏切らない、依頼そのものが意味を成さない状況です」

 

 なるほどっと老人は顎髭を撫でると、スヴェンに付いて記されたデータの記述が浮かぶ。

 最初は傭兵派遣会社【アライアンス】が定めた正当な評価だと納得したが、改めて覇王エルデとの戦闘を眼にすれば考えも変わる。

 

「ふむ、では若僧の傭兵評価は如何だった? あれは正当かね」

 

 老人の質問に仲介役は真顔で頷き、

 

「貴方が訊ねる理由も分かります。傭兵スヴェンに対する我が社の評価はDランク。しかしこれはあくまでもあらゆる分野、つまり保有戦力や物資、部隊の規模を査定した評価です」

 

 スヴェンは単独傭兵だ、評価査定では個人で動く彼は評価を上げる事は叶わないのだろう、

 老人は評価の査定基準に納得を示しつつ、

 

「単独傭兵でDランクは高いと聞くが、あの戦闘能力ではワンラク上でも良かろうに」

 

「我々アライアンスが傭兵に求めるのは、部隊を統括し率いるカリスマ性です。今回の状況もスヴェンに仲間が居たので有れば最悪覇王エルデの討伐は成し得たと推測してますわ」

 

 厳格な態度を崩さない仲介役に老人は満足気な笑みを浮かべる。

 彼女らが傭兵に対する評価は私情を持ち込まない正当な評価だと。

 だが今更の質問に若い男性が疑問を口にする。

 

「今更なぜそんなくだらん質問を? 貴方だって事前に確認はしているだろう。それとも400を超え、ボケたのかね?」

 

「まだボケちゃいないさ。あの若僧を呑み込んだ閃光が気になってな」

 

 当初は不当な評価による離反か、覇王エルデとの結託を疑いもしたが、老人の中でその可能性は無くなった。

 となれば第三者の介入を疑わざるおえないのだ。

 

「覇王の最後の悪足掻きでは?」

 

「お前は映像の何を観ていた? 小娘が何かを仕掛ける機会は有ったが、何の動作もなく人間一人を消すことなど難しいだろう」

 

 老人は改めて仲介役に視線を戻す。

 

「アライアンスは既に分析もしているのだろう?」

 

「流石は古くから連盟を支える大黒柱ですね。えぇ、貴方がおっしゃる通り、我々はあの戦場を分析しました」

 

「むろん結果を我々にも提供して頂けるのだろう?」

 

「もちろんです。貴方方は我々の大事なビジネスパートナーですから」

 

 そう言って仲介役は懐から小型の端末を取り出し、新たな映像をテーブルの中央に投映させた。

 そこには様々な項目に分別された数式の羅列が一挙に流れ、この場に集まった者達が数式に眼を通す。

 やがて一つの数式が異常数値を示すことに気が付き、

 

「魔力濃度の異常数値……何者かが古の魔法を発動させたと?」

 

「えぇ、それも異空間を開き人間を瞬間移動させる程の魔法です」

 

 魔法という現在では僅かに道具の補助程度にしか使われていない技術に一人の青年が動揺した。

 

「魔法、それに異空間だと? そんな物が開いた瞬間は映像には無かった筈だぞ」

 

 老人は知識の中から異空間の開きに生じる現象を思い起こし、

 

「あの閃光が異空間を開く瞬間に生じる現象ならば説明は付くが、それ以上のことは何も知りようが無いか」

 

 諦観した様子で言葉を閉めた。

 

「えぇ、あの魔法に付いてはデウス神も『何も干渉するな』と警告を発令していますからね」

 

 機械神デウスがそう告げるのであれば、この場に集った者達はスヴェンが消えた真相を解明する手段も理由も無くなった。

 ただ一つだけ分かったことが有る。それはスヴェンが依頼を放棄したという可能性が消えたことだ。

 会議の話題は消えたスヴェンに移り、腹黒そうな眼鏡の少年が仲介役に視線を向ける。

 

「ふむ。戦場を彷徨う一匹狼の処遇は如何するんだい? そちらで傭兵ライセンスを剥奪するならウチのPMCで引き取りたいところだけど」

 

「ご冗談を。あの男は戦場でしか生を見出させないモンスターです。なので我々が適切に管理を続けると上層部が既に決定してますよ」

 

「孤狼は未だ解き放たれず、か。しかし何処に消えたかにもよるが?」

 

 確かにスヴェンが何処に消えたのかは誰にも分からないことだった。

 この場に居る全員が異世界に召喚されたなどと誰も想像すらしないだろう。

 仲介役はため息を吐き、老人がそんな隙を見せる彼女に珍しげな視線を向けた。

 

「珍しいな、貴女が人前でため息を吐くなど」

 

「まあ、付き合いは長い方ですから」

 

「なるほど……しかしこれ以上の問答はプライベートの領域か。であれば我々は一度傭兵スヴェンの話題を忘れ、本題に戻らねばな」

 

 老人の舵切りに集った者達は一様に頷く。

 

「覇王エルデの討伐。果たしてどのようにして成果を出すか、国連もそう長くは待てない様子だしね」

 

「国連が本腰を挙げれば済む事では有るが……」

 

 それからというもの、仲介役を交えた会議は長く続き。

 漸く結論を出したのはスヴェン消失から一日経過した頃だった。




はい、今回はスヴェンが消えた直後のデウス・ウェポンの話しでした。


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第二章 出発に向けて
2-1.ミアの報告


 スヴェンに基本的な言語学習のコツを教え、昼時を前に一度彼の部屋から退室した。

 軽い足取りでとある場所に向かう途中の廊下でーー異界人の少年が待ち構えていたのだ。

 異世界の学生服を着崩した出立ち、顔のそばかすと茶髪が特徴的な少年はミアを前にして表情を曇らせた。

 深妙な顔付きの彼を前にミアは足を止め、

 

「何か悩み事ですか?」

 

 愛想笑いを浮かべ訪ねる。

 

「いや、違う。そうじゃないんだ」

 

 異界人の少年――名前は何だったかな? 

 ミアは担当が違うから彼の名を把握していなかった。

 その事を隠しつつも、何か言いたげながら迷いを見せる彼に、

 

「言いたい事ははっきり言った方がいいですよ」

 

 用件が有るなら早く告げて欲しい。内心で思いながらも、異界人の繊細な精神を刺激しないよう優しく丁寧な口調で接する。

 すると異界人の少年はわずかに表情を明るくさせ、弾む様に語り出した。

 

「さっきの物騒で怖い顔付きの人ってさぁ、ミアちゃんの担当なの?」

 

 確かにスヴェンは顔付きが怖く、紅い瞳の三白眼で睨まれては萎縮してしまうだろう。

 それでもスヴェンは顔に似合わず意外にも丁寧な字を書くのだ。

 そして食事で感涙するほど、彼の一面を知ればするほど怖いとは思えないが物騒なのには変わりがない。

 異界人の少年の指摘に同意しつつもーーなぜ彼がそんな事を聞くのか、何故担当を気にしているのか分からなかった。

 依頼を請た異界人には治療師や護衛が最低一人は担当することとなっているーー表向きでは。

 確か、彼の担当は魔道士ヴィルだったはず。その担当の姿が見えないが、異界人も一人で居たい時ぐらい有るのだろう。

 

「まだそうと決まった訳じゃないですね。担当になるかは彼次第でしょうか」

 

「そ、それならさ。俺の担当になって一緒に魔王救出を目指さないか?」

 

 担当決めはレーナの采配だ。

 彼は知らずの内にレーナの決定に意を唱えているのだ。

 尤も彼がレーナの決定を知る機会は少ないため、指摘しようか迷ったが異界人を不安にさせてはいけないと思い直す。

 

「残念ながら私の一存では決められないですよ。国に所属する治療師の一人ですから」

 

 表向きの理由を告げるとなぜか異界人の少年の顔が明るくなる。

 

「それなら! 今から姫様の所に行って話してみようぜ」

 

 どうしたものかと彼の提案に困り顔を浮かべる。

 

「はぁ、それは困りますね。私は今から姫様と大事なお話が有るので、それに姫様のお部屋は男子禁制ですよ」

 

「入ったら処刑されちゃう系?」

 

「行方不明になる系ですね、この城内で」

 

 笑みを浮かべて物騒な事を伝えると異界人の少年の顔が引き攣る。

 これで彼が同行を諦めてくれれば良いのだが、ミアが内心でため息を吐くと。

 

「あ、言い忘れるところだった。……あの男は非常に危険だ」

 

 彼がスヴェンの何を指して危険と評しているのか、それはミアでも理解が及んだ。

 背中に背負った重々しく分厚い、一風変わった大剣ーー容姿から見れば怖い人程度の認識で終わる。

 したし問題はスヴェンの戦闘能力だ。

 弱い個体とはいえ、魔力を使わずにモンスターを討伐できる力量と判断力。

 何より嫌いでは有るが、訓練とはいえ負け無しのレイと互角に持ち込んだ実力者だ。

 万が一スヴェンが魔王救出を断り、邪神教団に手を貸せば危険だーー彼はそう言いたいのだろう。

 

「ご忠告ありがとうございます。でも、魔法と魔力が使えない今のスヴェンさんは大した脅威になりませんよ」

 

「知らないのか? アイツが使う武器、大剣と銃の一体型は弾丸を撃てるってことだ。それは遠くから狙い撃ちにもできるってことなんだぜ、アレで何人殺してきたのか分かりやしない」

 

 したり顔で語り出す異界人の少年にミアは、顎に指を添える。

 あの場所で一番近くで見学していたから、スヴェンの武器が特殊なのは判る。

 それとも彼の言う指摘は的外れなのか、それとも正しいのか。

 銃という物を知らないミアにとってそれは判断が難しい物だった。

 確かに物騒な轟音が鳴り響いた時は驚いたものだが、弾丸という物はモンスターの障壁を貫くことができない。

 障壁を常に展開できない人間に対して撃てば、確かに脅威かもしれないが……。

 

「うーん、ちょっと私の方で判断が難しいので姫様と相談してみますね」

 

 報告項目が増えたことにミアは内心で『面倒だな』っと愚痴る。

 反面異界人の少年の期待に満ち溢れた眼差しに引っ掛かりを覚えるがーー責めて異界人同士で仲良くして欲しい。

 同じ異世界出身はすぐに意気投合するのに、その辺は心に余裕が無い現れなのかもしれない。

 もう用は済んだとミアは歩き始め、ふと彼の名前を知らないことを思い出す。

 

「そういえば、あなたのお名前は何でしたっけ?」

 

「へっ? 佐藤竜司だけど……まさか覚えてなかったのか!」

 

 覚えるも何もはじめて聴いたと思う。

 ミアは酸味な記憶に自信が無かったが、誤魔化す様に微笑んで見せる。

 すると佐藤竜司は照れ臭そうに顔を逸らしーーその隙に、

 

「そろそろ時間なので失礼しますね!」

 

 ミアはそのまま廊下を走り出し、レーナの自室に向かうのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 色鮮やかな装飾品と花瓶が飾れた部屋ーーテーブル椅子に座ったミアは、緊張した面持ちでレーナと対面していた。

 昨晩スヴェンの件を詳細に報告したが、王族との対面は平民出身のミアにとって慣れ難いものだ。

 

「ミア、スヴェンに関する報告を」

 

 促されるままにミアはスヴェンのことを告げる。  

 とは言え、既に昨晩で知り得る範囲で報告したのだが、

 

「本日のスヴェンさんは戦闘訓練後、自室で読み書きの勉学中ですね。その際、『あー、姫さんの所に行かねえとなぁ』とボヤいてました」

 

 ミアはスヴェンの行動と様子を報告した。

 

「そう、彼とはまだ交渉も済んで無いものね。……彼の戦闘の様子はテラスから見物させて貰ったけど、中々のものね。特にあの轟音には驚かされたわ」

 

 嬉しそうに語り出すレーナにミアの緊張が自然と解れる。

 レーナの優しい笑みは見てるこっちも安心感を覚えるほどだ。

 それに漸くレーナが待ち望んだ魔王救出ーー友の救出を果たしてくれる逸材かもしれない男。

 これまでの異界人はレーナに期待され手厚い支援を受けたにも関わらず邪神教団に入信した者、旅先で何かが起こり裏切りーー時には魔法の暴発事故を引き起こすことも。

 後者は魔法に対する知識不足から来る事故だが、勝手に元の世界から召喚された立場を考えれば、いつか何処かで裏切るのは仕方ないとも思える。

 ただミアが出会った異界人は誰しもがレーナに惹かれながらも召喚された状況を楽しんでるようにも見えたーー如何して異界人が突然心変わりしたのか、スヴェンに同行すれば判るかもしれない。

 つい考え事に没頭していたのか、こちらを見詰めるレーナの視線に気付く。

 

「あっ、すみません。お話しの途中でぼうとしてしまって!」

 

「良いのよ、慣れない仕事で疲れてるでしょうし」

 

 何処から言葉が楽しげに弾むレーナの様子に、ミアは彼女がスヴェンに期待を寄せているのだと悟る。

 レーナの彼に対する期待値が高まって行くに連れ、また裏切られてレーナが傷を負う前にミアは一つ釘を刺す。

 

「期待し過ぎるのも危ないかもですね。さっき、異界人のサトウリュウジさんに警告されましたし、まだ裏切らないとも限りませんよ」

 

 これまでの異界人はレーナに期待され手厚い支援を受けたにも関わらず邪神教団に入信した者、旅先で何かが起こり裏切りーー時には魔法の暴発事故を引き起こすことも。

 後者は魔法に対する知識不足から来る事故だが、前者は紛れも無い裏切りだ。

 勝手に元の世界から召喚された立場を考えれば、いつか何処かで裏切るのは仕方ないとも思える。

 ただミアが出会った異界人は誰しもがレーナに惹かれながらも召喚された状況を楽しんでるようにも見えたーー如何して異界人が突然心変わりしたのか、彼に同行すれば判るのかな?

 

「そうかしら? 彼の目的は明確よ。元の世界に帰りたいという一点。逆に言えば彼の望みを叶えられない時こそスヴェンは脅威になるでしょうけど」

 

 こちらがスヴェンの期待を裏切れば敵対するかもしれない。

 レーナの魔力回復には三年の期間を有する。その間レーナの身に何か起こらないとも限らない。

 スヴェンが邪神教団に唆されないとも限らないのだ。

 

「リスクを承知ということですか」

 

「えぇ、できれば直ぐに帰してあげたいところだけど」

 

 レーナの表情が曇る。

 それはミアも同じだった。

 召喚時のスヴェンは重傷だった、それこそ生きているのが不思議な程に。

 治療こそしたが元の世界でそれだけ手傷を負う程の戦闘を繰り広げたのだと理解が及ぶ。  

 それはミアでも推測できたが、肝心のスヴェンには今の所焦りが見えないのだ。

 本当に彼は依頼を請け、元の世界に帰りたいと思っているのか。

 

「昨日の夕飯でスヴェンさんは涙を流したというのは報告しましたよね?」   

 

「えぇ、聴いた時は耳を疑ったわ」

 

「もしかしたら食事で心変わりしたかもしれませんよ? 元の世界に帰りたく無い、帰ればこんなに素晴らしい食事が得られないっと!」

 

 もしもスヴェンが帰還を望まなくなった理由として挙げるなら、こちらの食事が彼にとって魅力的という点だろう。

 彼が心変わりしたとなれば報酬の条件も変わるかもしれない。

 

「……そんなに単純かしら?」

 

「甘いですね! 姫様は男性を理解していないからそう言えるのです!」

 

 ミアは言っていてーー自分も男性に付いてあまり知らないなぁっと他人事の様に思い浮かべた。

 それはそうと強く言い出したため、後に引かない状況が生じている。

 現にレーナの興味深けで好奇心に満ち溢れた純粋な瞳が、なおさら後に引けない状況を生み出していた。

 

「コホン、男という生き物は単純に見えて実は複雑、そう乙女心のように!!」

 

「……そうなのかしら? 後でスヴェンに確認してみようかな?」

 

「それがよろしいです。あ、そろそろスヴェンさんに昼食を届けないと」

 

「それ、貴女がする必要が有るの?」

 

 本来食事を運ぶはメイドの仕事だ。

 ミアがやる必要も無い仕事だが、あの衝撃的な行動と次はどんな反応を見せるのか。

 それが見たいからミアは給仕を買って出たのだ。

 それとは別に思惑も有るのだが……。

 

「スヴェンさんの食に対する反応も確認しておきたいので」

 

 そう伝えたミアはレーナの部屋から退出し、厨房からスヴェンに用意された食事を彼の部屋まで運ぶのだった。



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2-2.スヴェンの交渉

 ミアが運んだ昼食を食べまた感動を味わった。

 長く体験したい感動だが、それは虚しくも終わりを告げる。

 

 ーーやめてくれ、感動を奪わないでくれ!

 

 激情にも似た感情が込み上がるが、スヴェンは空になった皿を前に現実に引き戻る。

 意外と教え上手なミアのおかげでわずかな単語が読めるようになったスヴェンは、早速レーナの元に向かい趣旨を彼女に伝えた。

 

「姫さんと交渉してぇんだが、空いてる時間はいつだ?」

 

「今の時間なら空いてる筈よ。謁見の間で待ってて、私が呼んで来るから」

 

「そいつは助かる……それにしても今日も感動する食事だった、なんつったかな?」

 

 程よい辛味のパスタ料理に付いて質問すると、ミアは可笑そうに笑って答えた。

 

「パスタの唐辛子和えよ。それにしても本当どんな食事だったのよ」

 

 あの悲惨な食事もどきを体験すれば、ミアも嫌という程理解するだろう。

 どれだけ不味く、天地の差が有るのか。

 食事から得られる筈の幸福、それが全く得られない無意味な食事という名の地獄を。

 そう考えたスヴェンはサイドポーチの中身からレーションを一つ取り出し、ミアに差し出す。

 受け取った当人はきょとんと首を傾げ、更にデウス・ウェポンの文字に眉を歪め『よ、読めない』と呟いた。

 

「包みを開けてみろ。中にデウス・ウェポンの食いもんが入ってる」

 

「えっ! 異世界の食べ物を貰っていいの!?」

 

 ミアが物珍しさから瞳を輝かせる。

 それはまるで物珍しさから来る好奇心による純粋な感情の表れだ。  

 

「あぁ、その方が理解も早えだろ」

 

 スヴェンは自分なりに精一杯の笑顔を向け、ミアは気恥ずかしそうにしてからレーションの包みを開ける。

 そして出て来た肌色の固形物にミアの表情が死んだ。

 

「硬い感触、どことなく生臭い……なにこれ?」

 

「だからこっちの食事もどきの一種だ」

 

 はじめて見るレーションに驚きを隠せないミアは、じっくりとその様を観察し、一部をひと口サイズに砕いてから口に運ぶ。

 レーションを噛み締めたミアは、パサつき想像を絶する不味い味、更にねっとりと口に残り飲み込み難いレーションを吐き出してなるものかと懸命に飲み込む。

 そしてあまりにも不味い味から息を乱したミアに、スヴェンが笑みを浮かべる。

 

「分かったか、こっちの食事事情を」

 

「……持ち運びに特化させ過ぎて味と食感を犠牲にし過ぎてる! というか、凄く不味い!!」

 

「あぁ、びっくりするほど不味いだろ? だが、それが基本食なんだ……しかもそいつは一つで一食分の栄養が得られる」

 

 レーションの栄養価を告げるとミアの瞳から光が消えた。

 昼食を終えた年頃の少女にとってある種の地獄。

 絶望に染まった彼女を他所にスヴェンは、椅子から立ち上がる。

 

「……うそ、これ一つで一食分……まだひと口だけだからセーフ? でも何も知らずに一つ食べてたら運動コース確実じゃない!!」

 

 ミアが落としたレーションを拾い上げ、スヴェンは捨てる事を躊躇い、レーションを一気に完食する。

 相変わらずクソ不味い固形物、デウス・ウェポンは異世界の食事という物を学んで欲しいと強く願った。

 

「先に行ってから。姫さんに伝言頼むぞ」

 

「あ、うん。……ゔっ! あ、後味最悪!」

 

 レーションの後味はしばらく口に残る。

 その事実を伝えようかと思ったが、スヴェンはこれ以上ミアに精神的苦痛を与える事を躊躇した。

 食事もどきで誰かを苦しめるのは良くないことだ。

 今後のレーションの使い道は捕らえた邪神教団に対する拷問道具として活用しよう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 謁見の間を訪れ、ほどなくしてレーナが姿を見せた。

 彼女は定位置に着くや否や訝しげな表情をスヴェンに向ける。

 敵意は無いが、強い疑念を宿したレーナにスヴェンは訪ねた。

 

「どうしたよ? 俺は騒ぎになるようなことは何もしてないが?」

 

「貴方、ミアに何を食べさせたのよ……呼びに来たミアの表情が死んでいたわ」

 

「なんだその事か。そいつはこっちの世界の食事もどきを与えた結果だ」

 

「……よほどだったのね」

 

 頭を抱えるレーナにスヴェンは頷く。

 そしてさっそく交渉の件に切り出す。

 自身の弱点を曝け出す交渉の形は気が進まないが、スヴェンが三年も生活するには相応の対価が求められる。

 それこそ傭兵稼業をこの世界で続け、何の支援も無しにモンスターと渡り合える保障など無い、ましてやリスクだらけだ。

 加えて孤立無縁の状況では生存確率も極端に低いだろう。

 

「俺なりにこの世界の戦闘を体験した結果、一人で生き抜くにはちと厳しい環境だ」

 

 この世界で傭兵としての実績、信頼と信用も無ければ先立つ資金も無い。

 

「そうね、モンスターに対する有効打が無いと厳しいわ」

 

「そこで俺は姫様の依頼を請けようと考えた」

 

「考えたということは、何か条件が有るのね。いいわよ、話してみなさい」

 

 交渉に応じるレーナの姿勢に、一瞬スヴェンは呆気に取られた。

 一国の姫が出自も判らない、しかも異界人の交渉に応じようとは甘い姫なのか。

 それともーーそれだけ魔王救出に対して本気なのか。

 スヴェンはその辺を踏まえ、交渉を始める前に大事な確認を口にした。

 

「その前に確認だが、俺を元の世界への返還。コイツに嘘偽りはねぇな?」

 

「えぇ、それが貴方が依頼を請ける前提条件なのは理解してるわ。報酬の件も貴方が魔王救出成功から返還の準備が整う期間の生活の保証の用意もね」

 

 ーー依頼達成時に当面の生活に困る事はねえか。

 

 スヴェンは内心で破格な報酬だと考え、同時にそれ以上は高望みだと思えたが、スヴェンには元の世界に持ち帰りたいものが有った。

 

「悪いが追加で数頭の家畜をデウス・ウェポンに持ち帰りてえてんだが可能か?」

 

 この世界で得た食事を元の世界で食すには家畜が必要だ。だからスヴェンは数頭の家畜を要求したのだが、レーナの困り顔に眉が歪む。

 

「ごめんなさい。返還魔法は召喚した者を返す魔法なのだけど、その者が元々所持していた物や重量と質量に影響を与えない小物程度しか持ち込みできないの」

 

 まさかの重量の制限にスヴェンの空いた口が塞がらず、家畜の持ち帰りを諦める他にないと渋々と断念した。

 

「家畜が持ち帰れねえなら、報酬の件はアンタが提示した通りで構わねえ」

 

「ごめんなさい………だけど少し安心したわ」

 

「何がだ? 生活の保証がされる以上の報酬はねえだろ」

 

 スヴェンの疑問にレーナは何かを思い出したのか、

 

「たまに異界人は私とアルディアとの婚約を報酬に要求する事も有ったのよ。当然そんな要求は呑めないし、私はもちろんのことアルディアにだって相手を選ぶ権利が有るのよ」

 

 ため息混じりの返答にスヴェンは滲み出る苦労に同情心を宿す。

 その異界人はニ国の君主に対して随分と強気に出たものだと、呆れを通り越してむしろ関心が湧く。

 

「……あー、そろそろ本題に移るか」

 

「そ、そうね! 他の人の報酬の内容を話しても仕方ないことだもんね!」

 

 二人の間に微妙な空気が漂うが、スヴェンは気にした素振りを見せず本題を口にする。

 

「報酬とは別件でアンタらに求めんのは、魔王救出に当たり必要な支援と協力だ。だが俺からアンタらに示せるのは近接戦闘能力だけになる」

 

「後者は理解してるわ。それで、貴方が望む支援と協力は何かしら?」

 

 その都度支援要請は変わるが、今はこの城内で揃えて置きたい物を解決するのが先だ。

 スヴェンはサイドポーチの中身から空薬莢と雷管を取り出し、事前にガンバスターから取り出していた.600GWマグナム弾をレーナに差し出す。

 レーナは興味深そうに受け取った空薬莢と銃弾を掌で転がし、

 

「片方は重いのね」

 

 重みと形を観察し、興味深げにスヴェンに視線を向ける。

 

「その薬莢には弾頭、弾頭を撃ち出す火薬が詰まってるからな。ま、こっちの世界に火薬が在れば話しは早いが」

 

「火薬……ごめんなさい。聴いたことも無いわ」

 

「火薬は硝石(しょうせき)、木炭の粉末、硫黄を調合することで完成するんだが……原料は有るのか?」

 

「木炭の粉末は作れるわ。だけど硝石と硫黄は聴いたことも無いわね」

 

 申し訳無さそうに語るレーナにスヴェンは、予想していた最悪のケースに眉を歪めた。

 

 ーー原料ぐらいは有ると踏んでいたが、まさか未発見なのか?

 

 温泉の源泉か火山地帯が有れば硫黄は採掘できる。そう考えたスヴェンは質問を重ねる。

 

「この国の採掘場で悪臭を放つ鉱石が発見されたことは?」

 

「無いわね。国内の鉱山や採掘場は王家が取り仕切っているけど、過去に一度もそんな鉱石の発見は聞いたことも無いわ。他国でもそんな鉱石が産出されたとも聞いた事も無いし」

 

「……一応聞くが、可燃性の高い鉱石だとか刺激を与えると爆発する鉱石とか有るか?」

 

「掘削作業で使用されているプロージョン鉱石なら有るわよ」

 

 その鉱石単体で火薬の役割を果たしているのだろうか?

 スヴェンは疑問からまた質問を重ねる。

 

「そいつは刺激を与えると爆発すると言ったが、着火するとどうなる?」

 

「煙が発生して爆発の威力が増すわね。昔、粉末にして実験したことも有ったらしいけど」

 

「あー、俺が求めてるもんがプロージョン鉱石単体で賄えるかもしれねえな」

 

 漸く光明が差した気がした。

 そう感じたスヴェンは、渡した銃弾に付いて説明を加える。

 

「アンタらには弾頭と薬莢に詰めるプロージョン鉱石の加工……渡した銃弾は分解しても構わねえから、そいつと同じ物を量産して欲しい」

 

「同じ物を……技術研究部門に回してみるわ」

 

 見本を渡したが、この国で銃弾を生産できるとは限らない。

 そこでスヴェンはもう一つだけ製作に当たって妥協点を提示した。

 

「同じ物が量産できるとも限らねえからな。この際魔力を使った技術でも構わねえ」

 

 最悪銃弾の製造が無理なら諦めて別の方法で火力を補う必要も有るが、これはスヴェンが現状で打てる手段の一つだ。

 

「いいのかしら? 貴方は魔力を扱えないと聴いたけど」

 

「そいつは訓練次第でどうにかなるんだろう?」

 

 スヴェンの質問にレーナがはっきりと答えた。

 

「えぇ、訓練次第で使えるようになるわ。ただ、眠っていた魔力を目覚めさせた時に船酔いに似た現象に悩まされるけど」

 

 魔法大国の王族から使えると判断されたのは、スヴェンにとって大きな利点だった。

 あとはミア辺りにコツを聞き、短期間の集中訓練を重ねる他にない。

 銃弾の補給の当てが付いたことで、スヴェンは本心から困り顔を浮かべる。

 

「悪いが俺は無一文だ」

 

 一応デウス・ウェポンで使えるキャシュカードは持っているが、電子マネーによる支払いのためこの世界で使用できない代物だ。

 

「旅に必要な資金を提供してほしいのね。それは最初からそのつもりよ」   

 

 魔王救出に出る異界人に資金の提供もする。これは傭兵が請ける通常の依頼と大きく異なる手厚い支援だ。

 だからこそ旅先で資金提供に恥じない実績を示す必要が有る。傭兵スヴェンは魔法大国エルリアで有用で有り、信用に足る人物で有ると評価を得るために。

 

「これで俺が抱える不安要素はある程度消えた……そんじゃあ契約と行こうか」

 

「意外とあっさり決めるのね。……それともそれだけ元の世界に帰りたいのかしら?」

 

 元の世界に帰る。それはスヴェンがテルカ・アトラスで活動するための動機であり目標だ。

 それを曲げる気は最初から無い。

 デウス・ウェポンで請けた覇王討伐の仕事がまだ途中だからだ。

 

「俺は傭兵だ、外道に頼む仕事なんざ基本ろくなもんじゃねえ。仕事の過程で人殺しは常だ、金のために好き勝手殺す外道はどんな理由があれ、一度請けた仕事は死ぬまでやり遂げる。それが俺なりの誓いだ」

 

 だからこそスヴェンは残した仕事をやり遂げるために元の世界に帰る事を強く熱望する。

 例え、クソ不味い食事もどきの生活や面倒な手続きが待っていようとも。

 それを抜きにしてもスヴェンという男は、この世界における異物に過ぎず自分の居場所では無い。

 本来在るべき場所、産まれた世界ならそこがスヴェンが帰るべき居場所なのだ。

 それを抜きにしてもスヴェンは傭兵以外の生き方を見出せず、戦場でしか生を実感できない。

 特に他国間で戦争が起こっているとも聞かない現状、この世界にはスヴェンが求める戦場が無い。

 レーナはスヴェンの瞳から何かを感じ取ったのか、その紅い瞳を真っ直ぐ見詰めた。

 

「……そう、貴方の誓いは理解したわ。それじゃあ、この契約書にサインしてちょうだい」

 

 レーナから差し出された書類に目を通したスヴェンは、テルカ・アトラス語で自身の名を記載した。

 まだ全ての内容を理解できるわけでは無いが、当面の生活保証が確約されるのなら些細な問題でしかない。

 

「ほらよ、これでアンタは正式に俺の雇主だ。さっそく魔王救出の旅に出るか?」

 

「こちらも諸々手続きが必要でね、だから貴方の旅立ちは一週間後になるわ。もちろん貴方には同行人を付けさせてもらうけど」

 

「同行人、要は監視か」

 

「……その言い方は好ましく無いわ。でも貴方が知ってるミアを同行させるから、旅は賑やかになるとも思う」

 

 顔見知りが同行人と聴いてスヴェンの眉が歪んだ。

 治療魔法が扱えるミアの同行は心強いと感じるが、治療魔法以外は扱えないらしい彼女は、いざという時の火力不足に悩まされることだろう。

 

「別の奴を用意してくれね?」

 

「あの子じゃ不服? 少しアホな所が有るけどあれでも愛嬌が有って人気者なのよ、アホだけど」

 

 微笑みながらアホと二度強調するレーナに、スヴェンは余程なのだろうとジト目を向け、どうにか人選を変えられないか訪ねた。

 

「騎士団から一人借りられねぇか?」

 

 戦闘に慣れ、モンスターに対する明確な有効打を備えた騎士なら同行人としても申し分ないだろう。

 

「無理よ、騎士団をはじめとした組織はお父様の直轄だもの。私がせいぜい出来るのは人理と経理、内政干渉と他国と外交。それと有事の際の戦略的戦力よ」

 

「最後のは物騒だが、やけにアンタの仕事が多いんだな」

 

「この歳の王族が内政を担うのは普通なのよ。それにアルディアが人質に取られてなかったら連中なんて召喚魔法で瞬殺できるもの」

 

 レーナの溢れ出る自信からスヴェンは、魔王が凍結封印された理由をなんとなく察した。

 レーナに対する牽制も手段の一つだ。

 そしてスヴェンは交渉ごとを諦め、

 

「分かった、同行人に付いてはもう何も言わねえ」

 

「なんなら私が同行しましょうか?」

 

「勘弁してくれ、下手すれば俺の首が瞬時に飛ぶ。ってかアンタはお転婆って感じでもないだろ」

 

「そうかしら? これでも公務以外で自由に出歩けない身なのよ」

 

 王族の務めに付いて今一つ理解が及ばないながらスヴェンは、王族に産まれた彼女に対しての同情は失礼だと悟る。

 

「……傭兵に依頼すりゃあ、金次第で連れ出すこともできるが?」

 

 だから自分なりの妥協案を彼女に提示した。

 レーナを外へ連れ出す。ただ連れ出しては問題になるが、レーナを通した正式な依頼なら疑似的な目的を添えるだけで成立する。

 スヴェンの提案にレーナは一緒驚いた表情を浮かべ、柔らかくもどこか眩しく感じる笑みを浮かべた。

 

「そう、その時は是非ともお願いするわ」

 

 ーー随分と眩しい笑みだ、笑う時は立場なんざ関係ねえか。いや、何故俺は彼女に笑みを眩しいと思った?

 

 自身が感じた感覚に小さな疑問を浮かべると、

 

「そういえば男性の心は乙女心のように繊細だと聴いたのだけど、スヴェンもそうなの?」

 

「俺は違えよ。だいたい乙女心とは違うが、思春期を迎えたガキの精神は繊細だ」

 

「そう、乙女心とは違うのね。……ねえ、時間が有るのなら少しお話ししない?」

 

 スヴェンは雇主でも有るレーナの提案を無碍にする気にもなれず、かと言って馴れ合う気も無いがーー魔法に情勢や貿易、色々と知るには姫さんが早いか。

 その後、スヴェンは少しだけレーナと魔法や世界情勢に付いていくつか話しをしたのちーー謁見の間を退室した。

 自室に戻り、さっそく言語の習得に励むのだが、

 

「スヴェンさんは顔に似合わず真面目ね! あっ! 姫様と二人だけでドキドキしたかな?」

 

 何故か小煩いミアに苛立つ。

 そもそも部屋に入り浸りな気もするが、これもミアの仕事の一つなのだろう。

 

「少し黙ってろクソガキ」

 

 そう言ってスヴェンは睨む事でミアを黙らせ、夜分遅くまで勉強を続けた。

 やがて一息付き疲れから肩を伸ばし時だ、窓が勝手に開き風と共に招かざる侵入者が入り込んだのは!



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2-3.月下の襲撃者

 窓から入り込んだ侵入者にスヴェンは、ガンバスターを構えた。

 部屋を照らしていた蝋燭は風に掻き消え、暗闇に包まれる。

 スヴェンの警戒を他所に暗闇の中で影が動く。

 刃が風を斬る音にいち早く反応したスヴェンは、ガンバスターを盾に防ぐ。

 

 ーー繰り返される二撃の刃と一撃の軽さ。敵は短剣の二刀流か。

 

「おい、ミア!」

 

 言語と書き取りを教えていたミアに叫ぶと、

 

「……すぅー、すぅー」

 

 少女らしい年相当の小さな寝息が返ってきた。

 勉強の最中にミアは一人早く眠りに着いたーーおまけに他人のベッドで。

 その件にスヴェンは青筋を浮かべ、二振りの刃を身を屈め避ける。

 侵入者の腹部に反撃の蹴りを放ち、その感触からスヴェンは眉を歪める。

 

 ーーこの筋肉の感触……いや、珍しいことでもねぇか。

 

「ぐっ!」

 

 少女とも取れるまだあどけない呻き声にスヴェンは、力の限り蹴りで侵入者の身体を押し出す。

 そのまま窓の位置に向け侵入者を突き飛ばすことで外へ追いやった。

 スヴェンは未だすやすやと眠るミアに視線を向けーー涎を垂らす彼女に起こす気にもなれず、そのまま窓から外へ飛び出す。

 三階の窓から侵入者が落ちた庭へ着地したスヴェンは、月明かりに照らされる侵入者にため息を吐く。

 首辺りまで伸ばされた白髪、兎を彷彿とされる赤い瞳の少女。

 その出立ちは暗殺者と思わせる身軽な軽装だった。

 おまけにフードに隠された上半身から暗器の類いに注意を向けなければならない点を面倒に思う。

 

「ガキは寝る時間だ」

 

「む、仕事の時間」

 

 頬を膨らませ抗議する少女に、スヴェンのやる気はますます削がれる。

 だが、レーナから依頼を請負ったその日の内に襲撃されたのだ。

 むろんスヴェンとしても少女を見逃す気が無い。

 万が一少女の目的がスヴェンとレーナの排除だった場合、雇主が危険に曝される。

 レーナはスヴェンが元の世界に帰る唯一の手段だ、それ以前に彼女の死は異界人の消滅を意味する。

 殺人禁止、情報を得る為にも捕縛を念頭にスヴェンは少女との距離を詰める。

 腕を伸ばし少女が避けるよりも早く、スヴェンは少女のフードを掴む。

 そのまま少女を掴み上げ、容赦無く小柄な身体を地面に叩き付けた。

 

「あぐぅっ!」

 

 地面に響く鈍い音、衝撃に咳き込む少女。

 これで終わりだ。そう思ったのも束の間、突如掴んでいた筈の少女が霧に変わり消えた!

 

  ーー魔法か!

 

 スヴェンは背後から迫る気配にガンバスターを振り抜く。

 ガキィーンっ! 鈍い音が闇夜に紛れ響き渡った。

 これで誰か騎士でも駆け付ければ楽だーーそう思った時、この状況がそもそも可笑しいことに気付く。

 ここは国の中核を担うエルリア城だ。まず簡単に侵入など不可能に近いだろう。

 なおさら彼女が邪神教団が差し向けた刺客ならだ。

 それともスヴェンの考えとは裏腹にエルリア城の警備はザルなのだろうか?

 いや、それは無いと断言できる。

 昼間見た騎士は絶えず城内を警備していた。

 それこそネズミ一匹通さないほどに。

 思考が戦闘から考え事に傾いたスヴェンに凶刃が迫る。

 

 先程よりも比べ物にならない速度で繰り出される二振の刃。

 反応が遅れ回避が間に合わず、刃が肉を斬る。

 ……しかし凶刃はスヴェンの首を狙わず、足を軽く斬り付ける程度だった。

 薄らと切傷から流れる血と少女の動きにスヴェンは違和感を覚える。

 同時に思考を遮った自身に苛立つーー本気で殺しに来られていたら死んでいた。何よりも油断した大馬鹿野郎は自分だ。

 

「クソガキ相手とはいえ、気も抜けねえわけか」

 

「ガキじゃない」

 

 どうにもこの少女は子供扱いされる事に険悪感を感じるようだ。

 スヴェンは仕方ないっと息を吐く。

 本気で少女を制圧する。

 両脚に力を入れ、地面を蹴り抜く。 

 縮地によって少女の目前に迫ったスヴェンは、容赦無くガンバスターの腹部分を薙ぎ払う。

 少女は目前に現れたスヴェンに驚き、反応が遅れ小さな腹部に容赦無くガンバスターの腹部分が打ち付ける。

 少女の身体がくの字に曲がり、メキッと骨の折れる音を奏でーー地面を二、三度転げた少女にスヴェンが畳み掛ける。

 地面を転がった少女の首を鷲掴み、地面に押さえ付けガンバスターの刃を当てる。

 

「……かはっ! ごほっ……っ!」

 

 少し強めに首を握り締めてしまった。

 

 ーーこのままでは絞め殺してしまうな。

 

 スヴェンは掴んだ首の拘束を緩め、

 

「さて、詳しく話してもらおうか?」

 

「……いや、まだ負けてないもんっ」

 

 今にも泣き出してしまいそうな少女に、スヴェンは困惑を隠し切れず。

 

「お、おい。何も泣くことはねぇだろ」

 

 確かに強くやり過ぎたとは思う。

 

「な、泣いてないもん」

 

 目から涙を流して否定する少女に、スヴェンは何も言えずどうしたものかと困惑を強めた。

 このまま情報を吐かせたいが、いっそのこと城内に侵入した狼藉者として騎士団に丸投げすべきか。

 迷っている内に駆け付ける足音にスヴェンは視線を向けた。

 

「あー!! スヴェンさん何してるの!!」

 

 そんな怒声と共に現れたミアに、スヴェンは安堵する。

 これで侵入者の件は終わりだと。

 

「侵入者を捕らえただけだ。テメェが人のベッドで居眠りしてる間にな!」

 

「あら〜そうだったかなぁ? ってそうじゃない! 侵入者って誰のこと!?」

 

 スヴェンはガンバスターを下げーー少女の首根っこを掴み直しミアに差し向ける。

 

「コイツ」

 

 ミアは訝しげに少女を見詰め、スヴェンに顔を向けた。

 

「この子は侵入者じゃない。エルリア特殊作戦部隊のアシュナだよ」

 

 ミアの説明にスヴェンは掴んだ手を離す。

 そして、どういうわけだと三白眼でミアを睨んだ。

 

「わ、私を睨んでも! アシュナは、スヴェンさんの暗殺をオルゼア王に命令されたの?」

 

「? 違うよ、軽く襲撃して来いって」

 

 ーー軽く襲撃ってなんだ! 悪戯ってレベルじゃねえぞ!?

 

 オルゼア王の突飛な行動にスヴェンは頭を抱え、

 

「じゃあアンタは邪神教団の刺客って訳でもねえんだな」

 

「うん。影から要人警護、救出、情報収集が仕事」

 

 アシュナは眠そうな眼差しで仕事に付いて話した。

 平和そうな魔法大国エルリアで特殊作戦部隊が組織されていることにーー少なくともスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなスヴェンを他所にアシュナは、スヴェンに身体を預け眠りに就いてしまう。

 

「寝やがったよ……それで特殊作戦部隊ってのは暗殺もやるのか?」

 

「やらないよ。元々特殊作戦部隊は身寄りの無い孤児の為に編成された組織だけど、暗殺業はさせずに警護と救出、あと異界人の救援を担ってるよ」

 

「救援?」

 

「うん、戦闘の最中に危なくなった異界人を助けるのもこの子達の仕事なんだ」

 

 随分と異界人に対して手厚いっと小さく感心を寄せた。

 特殊作戦部隊と言うからには、救援時には影から見守っているのだろう。

 つまり謁見の間で感じた視線は、レーナとオルゼア王の警護のため。

 それだけの人材を保有しながら魔王救出は未だ果たせていない。

 邪神教団の戦力、人質として取られた魔王のために働く魔族と呼ばれる種族。

 ひょっとすると今回の依頼はスヴェンの想像以上に過酷なものなのかもしれない。

 

 ーー過酷だろうが困難だろうが、傭兵として達成するまでだ。

 

「そうかい、アンタはコイツを寝室まで運んでやれ……骨も何本か折れてる筈だ、治療も頼む」

 

「治療はいいけど、スヴェンさんはどうするの?」

 

「寝るに決まってんだろ」

 

 暗殺者紛いのガキを差し向けられた件に付いて、国王に文句の一つでも言ってやりたかったが、部隊の目的を聞けばその気も無くなった。

 だからスヴェンは明日に備えて寝る事を選んだ。



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2-4.レーナとオルゼア王

 エルリア城の中央塔、最上階の一室。

 ベッドで眠るレーナは窓から射し込む朝日を受け、二、三度寝返りを繰り返す。

 鳥の囀りに薄らっと眼を開け身体を起こした。

 

「ふぁ〜……もうあさぁ?」

 

 まだ寝ぼけ気味の瞼を擦ると、丁度数人のメイドが部屋に入って来る。

 そして彼女達はいつも通りのあいさつを口にした。

 

「「「レーナ姫様、おはようございます」」」

 

「おはよう……もう少し寝かせてくれると嬉しいのだけど」

 

 昨晩処理すべき書類やら手続き、スヴェンに頼まれた物品を技術研究所に提供。

 レーナが就寝したのは深夜の二時を過ぎた辺りだ。

 それでもメイド達は笑みを浮かべ、

 

「ダメですよレーナ姫様、オルゼア王から目が覚めたら執務室に来るようにと言伝を預かっております」

 

 オルゼア王が呼んでいると語った。

 父、オルゼア王の要件が何か全く心当たりが無い。

 どんな要件か首を傾げメイド達に告げる。

 

「直ぐに支度して向かうわ」

 

「では、本日はこちらのドレスは如何でしょうか?」

 

 そう言ってメイドが広げて見せたのは、青を基調とした清楚な印象を受けるドレスだった。

 もう五月二十二日とは言え、青基調のドレスはいささか早い気もする。

 気もするがメイド達が嬉々として広げるドレスの数々、その内の一つから選ぶのも億劫に思えた。

 この際何でもいいと思ったレーナは頷く。

 

「お父様に会うだけだもの、それでいいわよ」

 

 ベッドから降りて、メイド達の前で両手を広げる。

 

「かしこまりました。それでは失礼します!」

 

 これも毎朝の日課。

 数人のメイド達が寝巻きを脱がし、身体を温かいタオルで拭くのも。

 そして下着やドレスの着替えをやってもらうのも、髪の毛を梳かすのも全てメイド達任せだ。 

 これぐらい自分一人で出来るのだが、以前一人で支度を済ませたらメイド達に『我々メイドの生き甲斐と仕事を奪わないでください!!』っと号泣され、仕事を奪った罪悪感も相まって今に至る。

 少し昔の思い出に浸り、気付けばあっという間に完了した身支度に感謝の意を込めて告げた。

 

「毎朝ありがとう」

 

「いえ! これも我々メイドの仕事ですから!」

 

 身支度を調え終えたメイド達がベッドメイキングと部屋の清掃に移る。

 レーナはそんな彼女達に有り難みを感じながらオルゼア王が待つ中央塔の執務室に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

「昨晩、スヴェンに刺客を差し向けてみた」

 

 執務室を訪れ、開口一番にオルゼア王がそんなことを……。

 レーナはオルゼア王の言った言葉を正しく認識しーーこの人を如何してやろうかと黒い笑みを浮かべる。

 

「竜王召喚と竜王召喚、どちらがよろしいですか?」

 

 優しい姫は王に二択を告げる。

 迷う必要もない単純明解な選択肢だ。

 二択を突き付けられた王は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、

 

「実質一択だな……なに、お前が心配することは何も起こってはない」

 

 一国の王が異界人に刺客を送るだけでも問題だが、始末の悪い事にオルゼア王はその辺りと退き際を重々理解している。

 変な所で悪戯好きだったが、まさかスヴェンに刺客を差し向けるとは誰が予想できようか。

 レーナは呆れた眼差しを向け、後でスヴェンに謝罪しようと心に誓う。

 

「スヴェンは依頼を請負ったのよ? 如何して刺客なんか差し向けたのよ、それも特殊作戦部隊からなのでしょう」

 

 オルゼア王が自由に動かせる部隊、しかも隠密行動となれば特殊作戦部隊のあの子達しか居ない。

 

「スヴェンが国内の刺客にどう対処するのか確かめるためだ。……レーナ、彼奴はお前に言われた通りに殺人禁止を守ったぞ」

 

 わざわざそれを確かめるために刺客を送り込んだのか。

 スヴェンが国内で人を殺さない、それは彼の依頼に対する姿勢の現れなのだろう。

 

「本当にそれだけの理由ですか?」

 

「……彼奴の影の護衛はアシュナに任せると決めた時、ワシの子らを預けてよいものかとなぁ」

 

 オルゼア王は国民と娘である自分含め平等に大切にしているが、それと同等に孤児院から集めた特殊作戦部隊の子達も大切にしている。

 それを娘の立場から理解しているが、一歩間違えればアシュナがスヴェンに殺され、スヴェンがアシュナに殺されていたかもしれない。

 

「最悪の想定はしなかったのかしら?」

 

「想定したうえでアシュナに制限を言い渡した。結果的に手酷い反撃に有ったようだがな」

 

「そう、納得はできないけど理解はできるわ」

 

 王家としてオルゼア王はスヴェンを試す必要が有った。

 傭兵として殺しも辞さないスヴェンを国内に放っていいのか、ましてや異界人の彼をオルゼア王が信用できる理由が今のところ無い。

 オルゼア王は異界人に対してはあまり口を開かない、それは異界人に対する警戒心の現れだ。

 オルゼア王が異界人を警戒するようになった理由も当然理解できる。

 度重なる異界人の裏切りと事件が国内外で起これば、新たに召喚した異界人に対しても警戒してしまうのは無理もないことだ。

 

「まぁ、ワシのお茶目な話しは終いにして……レーナよ、各地に散る異界人の様子は如何だ?」

 

 言われてレーナは少量の魔力で、執務机にチェス盤を召喚した。

 遊戯用のチェス盤とは異なる世界地図を基にしたチェス盤ーー盤上に配置された白い駒に視線を落とし、エルリア城から最も近いメルリアに黒い駒が滞在してる事が少々気掛かりだが、

 

「以前と大きな変わりは無いわね。スヴェンの分が城内に追加されたぐらいで」

 

 他に新たに邪神教団に付いた異界人は現れていない。

 

「ふむ、それは行幸だな。しかし、果たしてスヴェンは何処まで行けるか」

 

「彼なら……いえ、異界人達なら依頼を達成してくれる。私はそう信じてるわ」

 

「信じる心も大事だが……それでお前が心を壊し、臣下や国民から信頼を失っては意味が無いぞ」

 

 確かに異界人の引き起こす問題はレーナに間接的に降り掛かっていた。

 アトラス神の信託と自身の判断も合わさって実行した異界人の召喚政策は未だ実を結んではいない。

 加えて異界人に渡す資金も引き起こされた事件に対する補填も全てレーナの個人資産から賄っているのが現状だ。

 オルゼア王の心配している眼差しに、レーナは気丈に振る舞った。

 

「大丈夫よお父様、私の精神は亡くなったお母様譲りよ」

 

 オルゼア王は目を伏せ、小さな吐息を吐く。

 

「……そうだったな。だが忘れるな? 王族である前にお前もまた一人の人の子なのだと、苦しい時は誰かに相談すると良い」

 

 誰かに相談、気軽に相談できる相手っとレーナは友人のアルディアを思い浮かべるが、すぐに苦笑を浮かべる。

 

 ーー凍結封印中で相談もできないわね。

 

「本当に苦しくなったら相談するわ、それじゃあ私は自分の仕事に戻らせてもらうわよ」

 

 オルゼア王は笑みを浮かべ、レーナは父の温かな眼差しを背に執務室から退出し東塔の執務室に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 自身の執務室に向かう廊下の途中でーースヴェンとばったり出会う。

 

「昨夜はお父様がごめんなさい」

 

「あ? あー、理由は分からんでもねえさ」

 

 スヴェンは一晩寝たからなのか、襲撃に対して特に気にした様子を見せなかった。

 むしろアシュナに関して気にしてる様な様子を見せ、

 

「昨夜は加減を誤ったが、あのガキは平気なのか? 一応ミアに治療を頼んだが……」

 

 意外にもアシュナを気遣う様子にレーナは小さく微笑む。

 

「ミアが治療したなら大丈夫よ。だけど今日はまだ会って無から後で様子を確かめてみるわ……それより貴方の方は大丈夫なの?」

 

「俺か? 見ての通り元気だ」

 

「元気なら良いわ、何か足りない物が有ったら遠慮なく言ってちょうだい」

 

 ズボンの縫い跡を見るにアシュナに斬られたのだろう。

 こうしてスヴェンと対面して判ることも有る。

 彼の瞳は底抜けに冷たい。そんな冷たい感情を瞳に宿す割には他者を気遣う一面も有るのか。

 なぜそんなにも冷たい感情を宿しているのか、どんな人生を歩んだのかーー少しだけ話しをしようかと思ったが、午前中に片付けてしまいたい書類がまだ多い。

 少し遅れて気付く、この場所にミアの姿が見えない事に。

 

「そういえば、ミアを連れず何処に向かう途中なのかしら?」

 

「一人で資料庫で勉強だな、それにアイツは喧しい」

 

 連れて行かない方が喧しいと思う。レーナはなんとなくそう思ったが、意外と勉強熱心な彼に感心を寄せた。

 

「そう、貴方って意外と努力家なのね。正直言って勉強は不得意に思ってたわ」

 

「事実教養はねえからな。だが、コイツは商売に繋がる必要な事だ。やらねえ手はねえのさ」

 

 あくまでも商売の為と語る彼にーーレーナは小さく手を振って、

 

「近々、異界人達とお茶会も有るから貴方も出席するように」

 

 そう告げると非常に嫌そうな顔をされた。

 それでもスヴェンは一言、考えておくとだけ言い残して立ち去る彼の背中を見送る。

 スヴェンの出立まであと六日、レーナは残りの手続きを片付ける為に執務室に歩き出す。

 



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2-5.スヴェンとミア

 アシュナの襲撃から翌日、廊下で遭遇したレーナと別れたスヴェンは一人で資料庫に来ていた。

 エルリア城東塔の一階と二階に続く一般開放された資料庫は、城下町に住む一般人や学生らしき少年少女達が勉強に励んでいた。

 そんな中、背中にガンバスターを背負った異界人スヴェンは嫌でも目立つらしい。

 

 ーー武器が珍しいのか、それとも異界人が珍しいのか?

 

 スヴェンは両者か、それとも自分がとても資料庫で勉強するような人種に見えないと考え直す。

 確かにさっき遭遇したレーナは意外そうな表情をしていた。

 とは言え、誰にどう思われようがテルカ・アトラス語が完璧では無い。まともに読み書きが出来なければ何処かで躓くのは明白。

 だからこそスヴェンは人目に目も向けず、ミアから教わった単語と読み方を紙に書き始める。

 黙読しながら羽ペンを動かす。隣に誰かが座ったが、それでもスヴェンは本から眼を離さない。

 

「熱心だねぇ。分からないことは私に遠慮なく質問してよ」

 

 小煩い声にスヴェンは目も向けず。

 

 ーーなんだ、ミアか。

 

 ミアを無視して言語の修得を進める。

 しかし、それが良くなかったのか。

 

「無視よくない!」

 

 耳元でミアに騒がれ、一般客の注目が集まる。

 様々な視線とミアの声に集中力が地平線の彼方に飛んで行く。

 漸くスヴェンはミアに睨むように視線を向け、

 

「煩えなぁ、表の看板が見えなかったのか」

 

「看板の文字が読めたの?」

 

 まだ看板の文字は読めないが、そこに書いて有る単語は簡単に推測できるーー此処が資料庫ならなおさら。

 

「資料庫内では静かにしろ、だろ?」

 

「違うよ。好き勝手騒いでいいよ、だよ」

 

 真顔で答えるミアにスヴェンは、自分の推測が外れた事に少しだけショックを受ける。

 

「……マジかよ」

 

「嘘だよ」

 

 平然と嘘を吐くミアにスヴェンはジト目を向け、手を動かす。

 紙に単語と通貨を書きながらスヴェンは、

 

「俺に何か用があんのか?」

 

 漸く彼女の目的を聴くと、ミアは少し考え込む素振りを見せては、

 

「部屋に行ったらスヴェンさんが居なかったから」

 

 微笑みながらそんな事を語った。

 それは紛れもない嘘だ。

 質問に対しミアの視線は確かに泳ぎ、何かを隠している様子だがーー既にスヴェンは検討が付いていた。

 異界人の行動に対する監視。

 それがミアの役割なのだろう。

 現にレーナに監視の件をそれとなく口にしたが、彼女は監視員に対して、『その言葉は好ましくない』っと監視員の存在を否定はしなかったのだ。

 ただミアが監視員と仮定した場合、他の異界人の耳も有るこの場所でそれを口にしては余計な騒ぎを招く。

 スヴェンは単語を頭に叩き込みながら自然な形で話題を続ける。

 

「自由に散策でもさせて欲しいもんだがな」

 

 エルリア城は城内が北塔、東塔、中央塔、西塔の四区画に別れていた。それだけでも内部構造把握のために散策もしたいところだ。

 特にデウス・ウェポンでは既に記録でしか存在しない建造物だ。興味本意で暇を潰すには丁度いいだろう。

 

「……城内には立ち入り禁止区画も在るから、間違えて入りでもしたら大騒ぎになるよ」

 

 こちらの考えを見透かしたのか釘を刺され、スヴェンは残念そうに肩を竦めた。

 

「そいつは気を付けてねえとな」

 

「なので城内では私と行動するように」

 

 胸を張ってそう語るミアに、スヴェンは諦めに似た感情を浮かべ羽ペンの手を止める。

 ふと資料庫の天井を見上げれば、宙を浮かぶ魔法時計に眼が行く。

 既に十時を差す魔法時計ーーもう二時間が経過していたのか。

 時間の経過が早いと実感しながらスヴェンは道具を纏め立ち上がった。

 

「およ? 次は何処に行くの?」

 

「丁度いい、魔力の使い方を俺に教えてくれねえか?」

 

「任せて! 場所は中庭でいいかな、それともラピス魔法学院でやる?」

 

「学生に紛れてか? ってかラピス魔法学院ってのはこの城の隣に建ってる城のことか?」

 

「うん、西塔とラピス魔法学院は繋がってるからね」

 

 果たして部外者が立ち入っていい場所なのか。

 そもそもそこまで移動するのも面倒に感じたスヴェンはそこそこ広い東塔の中庭を選んだ。

 あそこなら万が一魔力が暴発したとしても周囲に被害を与えることは無いだろう。

 そう考えたスヴェンは、早速ミアと中庭で魔力と操作に付いて学ぶことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔力は人体の下丹田に宿る。

 そこはデウス・ウェポンとテルカ・アトラスで違いが無い事にスヴェンは小さく安堵した。

 宿る場所が違えば身体から取り出す感覚も異なるからだ。

 

「スヴェンさん、まずは下丹田に宿る魔力を感じることから始めよ。意識を集中させて、風も草木の音も無視するのがコツ」

 

 ミアの説明にスヴェンは眼を閉じる。

 そして下丹田に強く意識を集中させた。

 まだ集中が足りないのか何も感じない。下丹田に自然と力が入るぐらいだ。

 それでもスヴェンは下丹田に宿っている筈の魔力に意識を向ける。

 だが、想像以上に魔力を感じ取るのは難しいようだ。

 尤もすぐに出来るとも思ってないが。

 額に汗が流れ、眼を開けると目前にミアが映り込む。

 どうやら接近に気付かない程度には集中していたようだ。

 だが、スヴェンはミアが咄嗟に隠した羽ペンを見逃さなかった。

 

 ーーこのクソガキ、悪戯する気だったな。

 

「すごい集中力だね! それで、魔力は感じられた?」

 

 悪戯を誤魔化すように問われたが、

 

「いや、どうにも簡単にはいかねえようだ」

 

 事実を伝えるとミアは少しだけ考え込み、何か閃いたのか手を軽く叩く。

 

「そうだ! スヴェンさん、服を捲り上げて!」

 

 スヴェンは言われた通りに服を捲り上げ、八つに割れた腹筋が顕となる。

 それをミアがマジマジと見つめ、

 

「服の上から見ても腹筋が割れてるのは分かってたけど……だ、男性のお腹ってこうなってるのね」

 

 気恥ずかしさを浮かべた。

 少女に中庭で腹筋を見せる。デウス・ウェポンなら痴漢で即逮捕されてもおかしくない状況だ。

 

「腹筋が見たかっただけか?」

 

「違うよ、こうして魔力を刺激するんだよ!」

 

 ミアが掌をスヴェンの腹筋に当て、彼女の掌から何か温かな物が流れ込む感覚が走った。

 するとスヴェンの下丹田に違和感が襲い、突如として視界が歪む。

 それはまるで船酔いに似た感覚だった。

 揺れる視界と軽度の吐き気がスヴェンを襲う。

 

 ーーこれが魔力が動いた影響か?

 

「うん、さっきよりも活性化してる」

 

「見て分かるもんなのか?」

 

「治療魔法に才能全振りしてるけど、魔力の流れぐらいは理解できるもんだよ。さ、もう一度意識してみて!」

 

 船酔いに襲われる中、スヴェンは眼を閉じ再度下丹田に意識を向ける。

 すると今度は、下丹田の底から緑の光りが見えた。

 確かにこれは星の中核で発見された魔力エネルギーと同じだと理解が及ぶ。

 だが、先程はいくら集中しようとも魔力を感じることができなかった。

 

「魔力が見えたな、しかしどういう原理だ?」

 

「眠ってる魔力に強引に魔力で刺激を与えたからね、刺激によってスヴェンさんの魔力が目覚めたんだよ」

 

「なら、異界人は魔力に目覚め放題だな」

 

「そうでもないよ。スヴェンさんは元々鍛えてるから魔力の通りも良かったんだ」

 

「そんなもんか?」

 

 魔力が感じれただけでも儲けものだと一人納得し、捲り上げた服を戻す。

 

「次はどうすればいい?」

 

「次は下丹田の魔力を利腕に流し込んでみよう!」

 

 言うのは容易いが実行は難しい。

 スヴェンはミアのお気楽な言動を他所に、それがどれだけ自分にとって困難なのか理解し『簡単に言ってくれる』と苦笑した。

 早速スヴェンは下丹田の魔力に意識を向け、右手に流し込むイメージを浮かべる。

 するとわずかに下丹田の魔力が右腕に向かって動いたがーー臍を超えた辺りで魔力の動きが止まった。

 更に強く意識を集中させるが、魔力はそれ以上動く事は無かった。

 

「……中々難しいな」

 

「最初はそんなもんだよ。私達も魔力が扱えるようになったのは5歳の頃だもん」

 

「ガキに出来て大人が出来ねぇじゃあ格好が付かねえな」

 

「や、魔力は物心付いた頃から認識できるから。スヴェンさんはまだ魔力を認識して数分だよ? それに視覚で魔力が視えるようになると王都や町を囲む守護結界も視えるようになるよ」

 

 魔力の知覚化に関する利点を説くミアに、スヴェンは一つ疑問を浮かべた。

 王都を囲む守護結界の存在。形や範囲はどうあれモンスターの驚異から生活圏を護る物だと理解が及ぶ。

 同時に守護結界が在りながら平原に出た異界人の死亡率の高さに一つの推測が立つが、スヴェンは今は目の前の事に集中すべきだと切り替えた。

 

「なら常に魔力を意識することから始めるか……そうと決まれば昼飯前に実戦も兼ねて騎士団の訓練に参加すっか」

 

 魔法騎士団の訓練で騎士と交流しつつ、自身の身体が鈍らないように鍛錬を積む。

 その後、昼食前に東塔五階に設けられた客人用の大浴場で汗を流す。

 流石魔法文明が発達してることだけは有り、サウナも完備されていたことに驚いたのはスヴェンの記憶に新しい。

 

「およ、訓練なんて随分と熱心だね」

 

「今の俺は鍛錬と勉強ぐらいしかやる事がねえんだよ」

  

 騎士団の訓練に参加する事はスヴェンにとって得られる利点が多い。

 何処の町で犯罪が急増したことや、ラオ率いる部隊の調査が難航していること。そう言った情報が得られるのだ。

 そこまで考えたスヴェンは、背中のガンバスターに視線を移す。

 

「出発前までには武器の整備もしてぇところだ」

 

「スヴェンさんの武器はかなり特殊だもんね。一応城下町に王国お抱えの鍛冶屋が在るけど、明日行ってみる?」

 

「そいつはいいな。だが、俺は金を持ってねぇ」

 

「そこは姫様に伝えておくから心配ないよ」

 

 ミアに言われ金の心配が無くなった事に安堵する反面、スヴェンの中でこれは一種のヒモなのでは? そんな危機感が宿る。

 一先ずスヴェンはその件を思考の外に追い出し、一度自室に戻ってから改めて訓練場に足を運ぶのだった。



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2-6.城下町の鍛冶屋

 五月二十三日。温かな気候と晴れた青空、陽気な日差しが照らす城下町は道行く人々に溢れ返り賑わいを見せていた。

 城下町の上空を漂う水玉、大通りのあちこちに設けられた翡翠色の光りを放つ街灯にスヴェンは不思議な感覚に見舞われる。

 スヴェンは歩道を歩きながら自分の知る道路との違いに、新鮮味を感じた。

 特に爬虫類のような獰猛な瞳とどっしりとした体格、背中に生え揃った針のような毛並み、そして二足歩行で歩きーー四本指の前脚で木箱を荷獣車に乗せる生物にスヴェンは年甲斐も無く好奇心に駆られる。

 

「変わったあの生物はなんだ?」

 

 隣りを歩くミアに質問すると、彼女は納得した様子を浮かべ答えた。

 

「あれはハリラドンと呼ばれる草食獣だよ。脚力が凄くてどんな悪路も踏破できるんだ……だけど何故か異界人には名前がすごく不評なの」

 

 あの見た目で草食獣、獣も見かけに寄らないらしい。

 ハリラドンという名が何故異界人に不評なのか、スヴェンからしても理解に苦しむがーー異界人の世界で何か有ったのだろう。

 

「魔法騎士団の乗り物にも使われてんのか?」

 

「魔法騎士団に限らずかな。足も速いから王都からメルリアまで2時間弱で到着できるしね」

 

 スヴェンは頭にエルリア国内の地図を浮かべた。

 此処から百二十キロ先のメルリアに到着するとなれば、ハリラドンは時速を約六十キロ出すことになる。

 あの風圧の抵抗をモロに受け易い木製の荷獣車でだ。

 魔法大国と呼ばれるだけは有ってそこも魔法技術絡みなのだろうか?

 

「風圧でぶっ壊れそうなもんだがな」

 

 疑問も兼ねた荷獣車への感想を呟いた。

 

「モンスターに襲われても良いよう防護魔法で護られてるんだよ。ほら、よく見てみて? 荷獣車の外壁側面に魔力で魔法陣が刻まれてるよね」

 

 言われて荷獣車に意識を集中するーー昨日と比べすんなりと魔力が視認出来る。どうやら一日中魔力を意識していた影響が早くも現れているようだ。

 確かにミアの言う通り荷獣車の側面に魔法陣が刻まれていた。

 そういえば謁見の間では意識せずともはっきりと魔法陣が視認できたが、何か違いが有るのだろうか。

 

「召喚魔法陣ははっきりと見えたが何が違えんだ?」

 

「単純に使用魔力量かな。魔法陣の形成と発動に使用した魔力が多ければ多いほど、魔力に目覚めなくても肉眼で見えるの」

 

「そういやレイの魔法陣も見えたな」

 

「攻撃魔法はどうしても使用量が増すからね」

 

 その知識はスヴェンにとって大きな利点だ。

 魔法陣が視認できるということはつまり、危険性が高いとも認識できる。

 例えば施設の床に構築された魔法陣。罠の可能性も考慮できるのはスヴェンにとって有難い知識だ。

 そんな感心を浮かべた矢先、笑みを浮かべたミアが空を指差す。

 スヴェンは訝しげに魔力を知覚化したまま空を見上げた。

 するとエルリア城を魔力の膜でドーム状に覆われていることが判る。

 これは恐らく昨日ミアが口にしていた結界なのだろう。

 

「空のあれが結界ってのは判ったが、随分と範囲が広いんだな」

 

 目視だけでも平原の彼方まで続く結界。

 これで平原に出た異界人の死亡率が高いと云うのだから、内通者の存在を疑わざるおえない。

 

「空のあれは守護結界って言って、王都はもちろんのこと町や村をモンスターの驚異から護ってくれてるんだ」

 

「へぇ、なら道中も安全な旅が望まそうだな」

 

「それがそうでも無いんだ。守護結界の範囲にも限界が有るの、だから結界と結界の間はモンスターの生息地域になってるわ」

 

 スヴェンには守護結界の範囲が何処まで続いているのか分からなかったが、改めて再認識させるに至る。次の結界到着までは決して油断できないと。

 同時にこうも考えられた。幾らモンスターから町を護る守護結界とは言え、先日騎士団の訓練所で戦ったブルータスのように意図的にモンスターを結界内部に入れることも可能なのだと。

 でなければモンスターを訓練用に飼育も出来なければ、異界人の死亡率の高さにも説明ができない。

 この世界の魔法技術に強く関心しながらスヴェンは、

 

「アンタと出掛けるってのには不安を覚えたが、物を知るにはアンタが居た方が良かったな」

 

 大事な知識を得られたと笑った。

 

「不安ってなに!? だいたい鍛冶屋の場所も知らないでしょ!」

 

 確かに知らないがそこは適当に散策がてら捜すつもりだった。

 城下町の地理の把握もスヴェンにとっては必要なことだからだ。

 すれ違う人の多さに、改めてミアに聞く。

 

「それにしても平常時からこうも人通りが多いのか」

 

「いつもこんな感じだよ。特に市場の方は買い物客で溢れてるし」

 

「目的の鍛冶屋は何処だ?」

 

「職人通りだよ。場所は大通りから西通りに進んで坂を降った先が職人通り」

 

 ミアの説明にスヴェンは西通りに向けて歩みを進める。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 西通りを進み、大聖堂の前に差し掛かったスヴェンは足を止める。

 スヴェンの世界ではデウス教会が運営していた礼拝堂が各地に点在してるがーー何十世紀も昔の人類は神々の存在を認識しながら礼拝堂で祈らなくなった。

 その結果、デウス教会は廃れ。現在の廃堂は孤児院として利用されるか、自分のような傭兵の活動拠点として利用されることになった。

 あそこに残して来た数々の装備とメルトバイクが名残惜しが、きっと三年の間に誰かに回収され使われているだろう。

 つい物思いに耽るとミアは小首を傾け、不思議そうに聞いてくる。

 

「アトラス教会に用でも有るの?」

 

「いんや。前の世界じゃあ廃堂を拠点にしてたが、はじめてまともな教会の施設を目にしたな」

 

「スヴェンさんの世界は信仰を忘れたの?」

 

「忘れちゃあいねえが、機械神デウスは各国の主要都市に設置された端末に居るからな、わざわざ礼拝堂で祈る必要がねえのさ」

 

 ミアは都市に神が何処にでも居るのかと、想像を膨らませ楽しげに微笑んだ。

 

「スヴェンさんの世界は何だかとっても不思議」

 

「そいつはお互い様だ」

 

 スヴェンは歩みを再開させ、そのまま職人通りと書かれた看板を頼りに坂道を降りはじめる。

 そんな彼にミアは置い行かれまいと走り出した。

 

 しばらくして職人通りのーー人通りが多い場所に設けられた鍛冶屋【ブラックスミス】に到着した。

 建物を見上げるスヴェンを他所にミアは通い慣れた様子で、店の扉を開け放つ。

 

「おじさーん! エリシェ! 居る〜?」

 

 スヴェンはミアに続き店に入った。

 すると丁度良く、店の奥から駆け付ける足音が響く。

 そしてポニーテルに纏めたクリーム色の髪に、翡翠色の瞳の少女がミアに飛び付いた。

 

「ミア! 卒業式以来になるかな!」

 

「ちょっとエリシェ、卒業式からまだ1ヶ月しか経ってないよ」

 

 如何やら二人は同い年で学友だったようだ。

 スヴェンがそんな事を思いつつ、棚に陳列された短剣を手に取る。

 どれも精巧な作りかつ、見ただけで判る鋭い斬れ味にスヴェンはこの鍛冶屋に期待を膨らませた。  

 此処ならいずれガンバスターを製造できるかもしれないと。

 スヴェンは様々な短剣の中から重さと振り易さ重視でーー刃の厚さ10ミリ、全長24センチの黒柄のナイフを選び取った。

 他にも武器なら色々と有るが結局、つい元の世界で似た形の武器を選んでしまう。

 それだけ似た武器が手に馴染むという表れでも有るが。

 一人納得するとエリシェがこちらに視線を向け、

 

「おっ、クロミスリル製のナイフを選ぶなんてお目が高いねぇ!」

 

「にしてもミアが異界人のお客さんを連れて来るなんて珍しいね」

 

「これも仕事でね。それで彼はスヴェンさん、武器の買い物……はもう済んだね。えっと整備のことで相談に来たんだ」

 

 エリシェは観察するようにスヴェンを見詰め、背中のガンバスターの存在に気付く。

 するとエリシェは眼を輝かせ、ミアを押し退けてスヴェンに駆け寄った。

 

「その武器……見た事も無い構造だけど異世界の!? 材質は? 重さとその回転しそうな部品は!?」

 

 興奮した様子のエリシェにスヴェンは、武器好きのガキと認識しては口を開く。

 

「コイツの名称はガンバスターだ。大剣に射撃機構を掛け合わせた武器で、材質はメテオニス合金つう隕鉄とマナ結晶を加工したもんを使ってる」

 

 恐らくこの世界にメテオニス合金は存在しないだろう。

 スヴェンはそれを理解しながら材質に付いて話した。

 すると案の定、エリシェは混乱顔を浮かべ。

 

「メテオニス、マナ結晶。それに隕鉄……どれも聴いたことがないよ! ミア、この人は何者!?」

 

「だから異界人だってば。それでおじさんは?」

 

「少し待ってて」

 

 そう言ってエリシェが呼びに戻ろうとすると、奥から頭にタンコブを作った大柄な中年男性が姿を現した。

 

「お父さん、なんでタンコブなんて作ってるの?」

 

「それはなぁ、お前がお父さんを弾き飛ばしたからだ。いくらミアとは卒業式以来とはいえ、興奮し過ぎるのはよくないぞ」

 

 鍛冶屋の男は豪快に笑い、エリシェが羞恥心から頬を赤らめる。

 そして大柄の男はカウンター越しからスヴェンに気のいい笑みを浮かべた。

 

「オレの名はブラック。話しなら聞こえていた、買い物と整備の相談だってな」

 

 スヴェンは鞘からガンバスターを引き抜き、ブラックに手渡す。

 するとブラックは瞳に魔法陣を発動させ、興味深げに驚く。

 

「解析魔法で構造は把握できるが、材質に付いて未知っと出るなんてなぁ」

 

 ブラックが驚くのを他所にスヴェンも彼が発動させた魔法に驚きを隠さずにいた。

 ガンバスターの内部構造は銃を構成するパーツ、荷電粒子モジュールと反動抑制モジュールによって複雑化してる。

 それを瞬時に解析し、理解してしまうのだから改めてアルカ・アトラスの魔法技術が末恐ろしいと実感を得た。

 

「整備の相談って言ったが、荷電粒子モジュールを取り外して貰いてえんだ」

 

「すぐに取り掛かりたい所だが、コイツを開けるための道具を一から造らねばならん」

 

 道具さえ有れば機構の取り外しができる。

 スヴェンはその点を踏まえ完成日数を尋ねた。

 

「どれぐらい掛かるんだ? あと5日もすれば俺は旅に出るんだが」

 

「今から作業となれば最短最速で6日だ」

 

「短縮はできねのか?」

 

「無理だな。まず造った事もねえ道具の作製だ、図面を引く必要も有る。道具が完成したら速達便で届くように手配はするさ」

 

 魔王救出に向けて出発しても道具は届く。それなら此処で頼んで損も無いだろう。

 スヴェンは先程選んだ二本のナイフをカウンターに置き、

 

「こいつ二本とついでに潤滑油を頼みたいが、配達料を含め幾らだ?」

 

「オーダーメイド、材料費、費用諸々合わせアルカ銀貨34枚だな」

 

 スヴェンは出掛ける直前にレーナから受け取った金袋からアルカ銀貨を取り出した。

 

「領収書ってのは有るか?」

 

「もちろん有るが、領収書の発行は物と同時にだな」

 

「なら領収書の宛先だけエルリア城にしてくれ」

 

「了解した。エリシェ、早速図面の作製に取り掛かるぞ!」

 

「分かった! スヴェン、今度じっくりその武器を触らせてね!」

 

「機会が有ればな」

 

 そう言ってスヴェンはミアに視線を向ける。

 

「俺は先に帰るが、アンタは如何する?」

 

「私も帰るよ。じゃあねエリシェ、今度はお土産話に期待してて」

 

 二人の会話を他所にスヴェンは、購入したばかりのナイフを鞘ごと腰ベルトの留め具に装着した。

 こうして用事を済ませた二人はエルリア城に戻り、城門でミアと別れたスヴェンは、さっそくナイフを試すべく騎士団の訓練所に足を運んだ。

 その日、スヴェンは訓練所でミアの巧みな杖捌きを目撃することに……。



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2-7.技術研究部門

 五月二十四日。暖かな陽射しが差す中、エルリア魔法騎士団と戦闘訓練を終えたスヴェンが東塔の城内を歩いていると。

 

「おや? もしや貴殿が……」

 

 すれ違ったモノクロメガネの中年の男性が歩みを止め、スヴェンは思案顔を向ける彼の視線に足を止める。

 

「俺に何か用か?」

 

「ふむ、貴殿はもしやスヴェン殿に違いないかね?」

 

 スヴェンは訝しげな姿勢を向けるとモノクロメガネの男性が軟らかな笑顔を見せた。

 

「失礼、我輩はクルシュナ。技術研究部門の副所長を務めている者だ」

 

「技術研究部門つうと銃弾を預けた……」

 

「うむ、もし貴殿が良ければ我々の研究室に御足労願っても?」

 

 今後の弾薬補給の件を考えればクルシュナの提案を断る理由が無い。

 スヴェンは頷くことで彼の誘いに応じ、

 

「おお! ではこちらえ」

 

 廊下を歩き出すクルシュナに付いて歩く。

 廊下を抜け、西塔の庭に出たスヴェンは井戸の前で足を止めたクルシュナに訝しげな表情を浮かべた。

 まさか入り口が井戸底に? そんな疑いの眼差しを向けるスヴェンを他所にクルシュナは、

 

「隠されし道よ、開きたまえ」

 

 呪文を唱えた。

 突如スヴェンの目の前に有った井戸が消え、代わりその場所に魔法陣が現れる。

 

 ーー魔法は何でもありなのか? 

 

 確かに存在していた井戸が消えたことにスヴェンは驚きを隠せずーークルシュナの微笑ましげな瞳に肩を竦める。

 

「どうなってんだ?」

 

「井戸を触れば確かな手触りと感触が有るが、井戸は質量を待った幻覚でしてな。我々職員の固有魔力のみに入り口が開かれるのだ」

 

「秘匿性の高え入り口だな……ま、技術開発ならそれだけ用心するに越した事はねえか」

 

「さよう、我々は裏切りに備えておるのでね」

 

 裏切り。確かにこの城内に裏切り者が居ないとも限らない話しだ。

 スヴェンの中で城内に潜む裏切り者を想定しつつ、目的は封印の鍵の所在だと当たりを付ける。    

 他にも城内の警備配置、内部情報、国営に不利な情報など様々な事柄が浮かぶが、邪神教団が内通者や裏切り者を利用する目的とすれば封印の鍵の所在だろう。

 それに最悪なケースだが、異界人が裏切り内部情報を初めとした不利になる情報を流さないとも限らないのだ。

 

「その慎重な姿勢と疑心、好ましいな」

 

「お褒めに預かり光栄の至り。では、時間も惜しいので詳しい話しは中でしましょうか」

 

 そう言ってクルシュナは魔法陣に入るように促す。

 スヴェンが魔法陣に入ったその瞬間! 視界が歪み、ワープにも似た感覚が襲う!

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔法陣による転送の先ーー転送先は淡く青い発光色を放つ壁、職員が魔法を操り、何かの装置が動く光景が広がっていた。

 スヴェンが魔法陣から出るとクルシュナが現れ、

 

「ささ、奥へ!」

 

 促されるままに研究室を進む。

 その傍ら物珍しい様子で観察する視線にーースヴェンは鬱陶しさを覚えたが、彼らの技術力によってはこちらの力になる。

 そう考えれば彼らを無碍に扱うことなどできない。

 

「あの者がアレを預けた異界人か」

 

「そうみたいよ。異界人が持ち込む道具はどれもつまらないものだったけど、久しぶりに面白い仕事ができたわぁ」

 

「あぁ、量産したところでスヴェン殿の武器が無ければ意味を成さないからね。盗用されたとしても一定の安全性は有る!」

 

 そんな研究者の会話にスヴェンは漸くクルシュナに口を開く。

 

「銃弾が完成したのか?」

 

「数日後には旅立つ貴殿に合わせ、どうにか形だけは成したのだが……」

 

 そもそもテルカ・アトラスに銃が無い。

 そのため銃弾が完成したところで撃つための武器が無いのでは試験もできない。

 ここにスヴェンが訪れ、銃弾をはじめて撃つことで彼らの研究が実るのだ。

 

「試し撃ちは願ってもねぇよ、銃弾は俺の命を繋ぐ商売道具だからな」

 

「いやはや、これで漸く完成に漕ぎ着けるというもの」

 

 そして奥の作業場に到着したスヴェンは、机に置かれた二発の銃弾に眼を見開く。

 僅か三日で二発も製造した。これで完成すれば銃弾の安定供給も叶う。

 さっそくスヴェンは.600GWマグナム弾と全く同じ銃弾を、ガンバスターのシリンダーに装填する。

 周囲を見渡すと障壁を展開している壁に気付く。

 

「あの壁に試し撃ちを、強度はブルータスの障壁と同規模ですぞ」

 

 なるほどと、スヴェンは鋭く笑みを強めた。

 ガンバスターの最大射程ーー800メートルまで距離を取る。

 そして銃口を障壁に向け構える。

 クルシュナをはじめとした研究者の緊張がーースヴェンの肌に伝わる。

 そして、スヴェンは狙いを定め引き金を引いた。

 ズドォォーーン! 一発の銃声が鳴り弾丸が真っ直ぐ障壁に放たれーー弾丸は障壁に阻まれた。

 惜しむ研究者達を他所にスヴェンは前回の結果を踏まえ、口角を吊り上げた。

 

「上出来だ」

 

「おや? なぜですかな、銃弾は障壁を貫けなかったのですぞ」

 

「よく見てみろ」

 

 クルシュナは言われた通り障壁に視線を向け、そこではじめて気が付く。

 床に弾丸が落ちず、障壁に依然として弾丸が嵌まったままなことに。

 

「前回は虚しくも弾かれたが今回は違え」

 

 あと二発、三発撃ち込めばブルータスの障壁程度なら貫けるだろう。

 まだ弱い分類のブルータスが展開する障壁に対する成果だ。決して手放しでは喜べないが、着実な進歩にスヴェンは一人納得した。

 

「ふむ、改良の必要性ありと。時にスヴェン殿は魔力を込めましたかな? 銃弾の雷管部分に小さく魔法陣を刻んだのですがな」

 

 言われてスヴェンは銃弾の雷管部分を見る。

 意識を集中すれば雷管部分に細かく刻まれた魔法陣の存在にはじめて気付く。

 

「気付かなかったが、次は魔力を込めてみるか」

 

 まだスヴェンは利腕にしか魔力を宿せない。

 ガンバスターの柄を通して銃弾から銃口に宿すーーまだ至難の技だが、依頼を達成する為に習得する他にない。

 スヴェンは再びーー今度は銃弾を一発装填し、銃口を向ける。

 今度は魔力をガンバスターに流し込むように強く意識を集中させて。

 だがスヴェンが思うようにガンバスターに魔力が流せず、魔力が宿らない。

 大柄なガンバスター全体、更に細かく銃機構に魔力を流せないのはスヴェンの努力が足らない証拠だ。

 

「なるほど、スヴェン殿はまだ魔力制御が完璧では無いようですな」

 

 スヴェンは構えを取り肩を竦める。

 不甲斐無いと感じる反面、スヴェンの闘志は何が何でも魔力制御を物にして見せると燃え上がった。

 

「時に吾輩気になるのですが、普通の壁に撃った場合の威力は如何程なのだろうかと」

 

 クルシュナは愚か研究者の『気になる! 撃って見せて!』と言いたげな強い視線を受け、銃口を壁に構える。

 

「念の為に聞くが壁の向こうは?」

 

「此処は地下室ですからな、壁の向こうは土壁ですぞ」

 

 それを聴いたスヴェンは躊躇なく引き金を引く。

 耳をつん裂く銃声が研究室に響くーー同時に破壊音と土埃が研究室を襲った。

 弾丸は研究室の壁を何層も破壊し、一発の弾丸によって生み出された破壊の跡にクルシュナ達は驚愕した。

 

「まさか! 防護陣を機能させてないとはいえ強固な造りの壁を貫くとは!」

 

 クルシュナ達の驚き以前にーースヴェンは防護陣の存在に驚愕する。

 

「聞くが何処の建物にも防護陣は備わってんのか?」

 

「あれは維持に定期的な魔力供給が必要、故に防護陣は重要施設となりますな」

 

 エルリア城の防護陣がどの程度の強度か全く想像できないがーーシェルター並みと仮定すれば.600GMマグナム弾で防護陣を貫くことは不可能と言えるだろう。

 ふとスヴェンは気付く。.600GMマグナム弾はGMメーカーの銃弾だ。

 此処で製造された銃弾は名を改める必要が有るのではないかと。

 

「では我々は、貴殿の出発までに.600LRマグナム弾の量産を続けよう」

 

 既に銃弾の品名を付けていることにクルシュナを抜け目のない御仁と評した。

 

「頼んだ。……あー、ちなみに聞くが一発の製作にいくらかかる予定だ?」

 

「プロージョン鉱石の粉末を収める薬莢と雷管はスヴェン殿の提供品。我々が一から製造したのは弾頭のみですから安く済みますが……まともに一から製造ともなればアルカ銅貨210枚ですかな」

 

 デウス・ウェポンの弾頭は一つ十五ポイント。

 銃弾一発の価格が二百ポイントになる。

 アルカ銅貨一枚が何ポイントに相当するのかは判らないが、恐らく製造コストはテルカ・アトラスの方が遥かに安いのだろう。

 利益にもならない製造では有るが。

 つい傭兵として弾薬補給と取引先の利益を考える癖が出たことに苦笑を浮かべる。

 そんなことよりも彼らに礼を告げるのが先決なのだ。

 

「銃弾の製造、心から感謝する。……アンタにはこれから世話になるな」

 

「それは我々の方ですぞ。今回の弾頭作製といい、新たな魔法の知見を広げることもできたのでね」

 

 スヴェンとクルシュナは互いに握手を交わし、スヴェンの銃弾に対する知識を彼らに伝えーー友好を深め、自室に戻ったのはすっかり夜も深まった頃だった。



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2-8.異界人の茶会

 五月二十六日の晴れ渡った午後十五時。

 スヴェンは傭兵の自分が非常に場違いな空間に、内心で心底うんざりしていた。

 エルリア城の中央塔最上階に位置する空中庭園、噴水が噴き花壇に囲まれた庭ーー城下町が見渡せ、鮮やかに咲き誇る花の風景はちょっとした気分転換にもなるだろう。

 しかしスヴェンにとってこの空間は似つかわしくない。むしろ場違いだ。

 風景から視線を逸らせば、困惑気味のレーナと三人の少年少女が和気藹々と談笑する姿が映り込む。

 不意にレーナと目が合う。すると彼女は微笑み、

 

「そういえば、スヴェンが元の世界でどんな体験をしたのか全然知らないわね」

 

 話題をこちらに振った。

 それを受けて興味を抱く者、敵意を抱く者、警戒する者ーーそれぞれの視線がスヴェンに集中する。

 

「俺の体験は此処で話すには場違いだ、第一柄じゃねえし守秘義務もあんだよ」

 

 自身の体験話しなど人に語り聴かせるようなものではない。

 スヴェンが断るとレーナが察したのか、

 

「そうだったわね、それなら別の機会に聴かせてちょうだい」

 

 スヴェンはそれに応じるか一瞬迷ったが、雇主に傭兵の危険性を認識させておくには良い機会だと考えた。

 

「その機会が有ればな」

 

「なんならワインでも飲みながら如何かしら?」

 

 スヴェンは少しだけ驚く。

 レーナがワインを嗜む歳には見えなかったからだ。

 

「アンタは酒が飲める歳だったのか?」

 

「この国の飲酒は自己責任と自己判断よ。それに私は16歳だから成人済みなの」

 

「へぇ、自己責任なのか」

 

 スヴェンは未成年の前で飲酒を控えていたが、飲酒に対して制限が無いならレーナに付き合っても問題ないと頷く。

 彼女の立場上、あらゆる方面から振り返る精神的負担も有るのだろう。

 

「なぁ、お前は何歳なんだよ」

 

 訓練所で時折りこちらに敵意を剥き出しーー今も敵意を隠さず苛立ちを募らせた眼差しで睨む黒髪の異界人に、スヴェンは特に気にもせず質問に答えた。

 

「俺は24だ。そういうアンタは?」

 

「15だ、此処に居る異界人は全員同い年で同じ世界出身なんだよ」

 

 彼の言う言葉にスヴェンは成程と納得が行く。

 道理でお互いの共通の話題で会話が弾み、自分は愚かレーナも話題に置いてかれているのだと。

 

「同じ世界から召喚……そういうこともあんのか?」

 

「同じようで実際は何かが違ってる場合も多いわよ。例えばリュウジの世界は戦争が一度も起こらなかったとか」

 

 戦争が一度も起こらない世界。それはある意味で究極的な平和な世界だ。

 戦争を好き好んで起こす者は外道か、戦争経済に飢えた国連と企業連盟。そう言った戦争屋が居ない世界は想像も付かないがスヴェンにとって戦場が全てーーだから戦争の無い世界は退屈で窮屈に思えて仕方ない。

 

「そいつは幸福な世界だな。戦争なんざやるもんじゃんねえ」

 

「戦争屋が言う言葉かよ」

 

 噛み付く竜司にレーナは困り顔を浮かべ、スヴェンは彼の青臭と感情の制御が覚束無い様子に小さく笑う。

 成長した後ーーふとした瞬間に振り返ると黒歴史になると。

 

「なに笑ってんだよ」

 

「別にアンタを笑った訳じゃねぇ。ま、確かにアンタの指摘は正しいがな」

 

 スヴェンは何処まで行っても傭兵だ。

 その本質は金の為に戦争を起こす外道に変わりない。

 そんな当たり前の事がぼんやりと頭に浮かぶと、何故か気を良くした竜司がドヤ顔で言い出す。

 

「ならよ、ミアちゃんを巻き込むなよ」

 

 巻き込んだ覚えも無ければ、彼女の同行はレーナの決定だ。それ以前に本人の意志も有るだろう。

 それに対してスヴェンは一度だけ人選を変えるように言ったが叶うことは無かった。

 同時に竜司の敵意の表れが、何処から来るのかも理解する。

 つまりこの異界人の少年はーー何かを間違えミアに好意を寄せ、こちらに嫉妬を向けている。

 スヴェンからすれば迷惑で非常に面倒だが、竜司の青臭さは年相応の感情だと理解を示す。

 

「巻き込む気はねぇが……そうだな、気になるなら告白の一つでもしてやればいい」

 

 スヴェンの一言に全員が眼を見開く。

 何か可笑しな事を言ったか? スヴェンは周囲にそう言いたげな眼差しを向ける。

 

「貴方から告白なんて単語が出るなんて思いもしなかったわ」

 

 レーナの言葉に竜司は愚か全員が頷く。

 

 ーーそんなに意外だったのか。

 

「……お前はミアちゃんに対して何とも想ってないのかよ」

 

 出会って数日の少女に何を想えば良いのだろうか?

 

「アイツの印象は騒がしいクソガキ程度だな」

 

「そ、そうか」

 

 何とも言えない表情を浮かべた竜司から敵意を感じなくなった。

 これで面倒事の心配は少なくなるだろう。

 女一人を独占したいが為に同僚達の情報を売り、壊滅させた同業は決して少なくは無い。

 スヴェンもそんな嫉妬の暴走に巻き添えを喰らった身の一人だ。

 特に異世界で色恋沙汰の嫉妬に駆られ、スヴェンのあらゆる情報を邪神教団にリークされれば依頼の達成率が極端に減る。

 本心と今後の危険性を考えたスヴェンは、ミアをダシに竜司の敵意を削ぐ事に成功した。

 最も今回は偶然竜司がミアに好意を抱いていると知ったからこそだが……。

 相変わらず場違いな空間から一刻も早く逃れたいスヴェンは、椅子から立ち上がった。

 

「俺はここで失礼させてもらうが構わないよな?」

 

「えぇ、今日は意外な一面が見れて楽しかったわ」

 

 スヴェンは『そいつはよかった』そう一言だけ告げ足早とその場を立ち去った。



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2-9.出発前夜

 出発前日の昼時。城内の食堂は騎士や城勤の役員で溢れ、食欲を引き立つ芳ばしい香りと楽しげな会話で満ちる。

 そんなエルリア城の食堂に足を運んだスヴェンとミアは食事を済ませ、

 

「そういや、ラオとレイは何の調査に向かったんだ?」

 

 偶然相席した顔見知りの騎士に尋ねた。

 すると騎士は困り顔を浮かべ、隣のミアが意外そうな表情で呟く。

 

「不在のラオさんを気にしてたんだね」

 

「副団長ってのは騎士団長の留守を預かる重要なスポットだろ? それが7日も不在となりゃなあ」

 

 調査なんて副団長がやるべき仕事じゃない。それこそ部下を動かすものだ。

 ラオが現場主義なら話は別だが、ラオが動かなければならない案件だったと推測も立つ。

 

「俺は明日の早朝に旅立つ身だ。旅路は極力安全で行きてぇ、情報一つ知ってるだけでも随分違うだろ?」

 

「確かにそうだけどなぁ」

 

 彼は話していいのかっと迷う素振りを見せたがーー後々の影響を考慮したのか、耳を貸すように動作で訴えた。

 二人は騎士に耳を傾け、彼の語り出した情報にスヴェンは眉を歪めーーミアは信じられないと喉元を震わせる。

 騎士は耳元から顔を遠ざけ、わざとらしい笑みを浮かべた。

 他言無用、この情報は口にしてはならない。

 スヴェンは彼の笑みから意図を読み取り、

 

「へぇ、俺の杞憂だったわけか」

 

 騎士に話しを合わせた。

 隣のミアが漸く意図を察したのか笑みを浮かべる。

 

「スヴェンさんは顔に似合わず心配症だね」

 

「傭兵ってのは少々のことで警戒しちまう臆病者なんだよ」

 

「真正面からモンスターを討ち破る君が臆病者なら、大半が臆病者になるよ」

 

 笑い声と共に立ち上がった騎士は、

 

「今回こそ成功するようにアトラス神に祈っておくよ」

 

「おう、アンタらとの訓練も楽しかった」

 

「帰って来たらまた参加してくれよな、団長も居ない状況じゃ刺激も少なくて仕方ないからよ」

 

 そう言って騎士は立ち去りーー彼の背中を見送ったミアが意外そうな眼差しで尋ねた。

 

「いつの間に交流関係を広げたの?」

 

 いつと聞かれれば答えは限られている。

 

「そりゃあ訓練の時だろ」

 

「それもそっか。でも本当に意外だなぁ」

 

 妙に優しげな眼差しを向ける彼女にスヴェンは嫌そうに顔を歪めた。

 

「何がだよ、つうかなんだその眼差しは」

 

「母親が息子の巣立ちを見送る優しい眼差し? あっ! 冗談だから殴ろうとしないで!」

 

 スヴェンは振り上げた拳を下げる。

 

「で? 何を意外に感じたんだ?」

 

「元の世界に帰りたいスヴェンさんが交流関係を広めた事にかな」

 

 孤立してれば傭兵として情報を仕入れる時に足枷になる。

 あくまで交流関係を広げたのは確実に依頼達成に繋げるために過ぎない。

 その過程がどうあれ、スヴェンはこの世界で誰かと深く付き合うつもりは無かった。

 

「浅く広くが丁度良いんだよ」

 

「私に対しても?」

 

 ミアの問いに簡素に頷く。

 

 明日からミアを連れ、影の護衛としてアシュナが同行する。

 女二人連れという居心地の悪い旅路になるが、スヴェンにとって二人は仕事上の付き合い程度だ。

 それが最も適した距離感だろう。特に年相応かつ難しい年頃の少女が二人となればなおさら。

 ウェイトレスが運ぶ料理を尻目に沈黙が流れる。

 だが、沈黙はそう長くは続くことは無く、先に沈黙を破ったのはミアだった。

 

「そういえば昨日、リュウジさんに告白されたんだけど」

 

 色恋の話しを持ち出されてもなぁーーそう思ったが、敵意を逸らすために誘導したのは他ならないスヴェンだ。

 これも佐藤竜司を焚き付けた責任として、スヴェンは頬杖を付くミアに視線だけ向ける。

 

「おっ、それは聴いてくれるってことだね。いやぁ、私も驚いたよ?」

 

 話が長くなると感じたスヴェンは結果だけを催促した。

 

「前置きはどうでもいい。そいつの想いを受け止めたのか?」

 

「断ったよ」

 

 呆気なく答えるミアにスヴェンは一言だけ呟く。

 

「そうか」

 

「うん。リュウジさんが私の何処に惹かれたのか分かんないし、私もリュウジさんの魅力とか素敵な一面が見付けられないからね」

 

「それが断った理由か。そんなのは交際の中に理解するもんじゃねえのか?」

 

 ミアはどうかなぁ? っと首を傾げる。

 そして彼女ははっきりと告げた。

 

「多分身体目当てかな、私かわいいから!」

 

「へぇ〜」

 

 気の抜けた返事にミアは面白くなさそうな眼差しを向け、

「なにさぁ〜、少しは真面目に聴いてよ」

 

 右腕を指で突かれ、ミアのウザ絡みにスヴェンはため息を吐く。

 本当に竜司はミアに対して幻想を抱き過ぎてるのでは無いか? そんな心配が頭に過ぎるがーースヴェンは一瞬で頭の外に追い出す。

 こちらに実害が無ければ他人が誰に恋心を抱こうがどうでもいい。

 

「悪りぃな、他人の恋愛沙汰に真面目になれねえ性分でな」

 

「じゃあしょうがないか。あっ、私は物資の確認が有るからもう行くけど、スヴェンさんはどうするの?」

 

 自己鍛錬と言語の学習でもっと考えたが、明日から慣れないハリラドンに乗って旅立つ。

 魔王アルディアが治めるヴェルハイム魔聖国への進入経路も見直しておく必要が有るだろう。

 騎士団との連携も考慮に入れた旅路にーーレーナに確認しておくことも有ったと顔を顰める。

 

「そうだな、姫さんと打ち合わせしておくか」

 

「旅の順路とか確かにそうかも。分かった、姫様には私から伝えおくからスヴェンさんは自室で待ってて」

 

 言うが早いかミアはすぐさま行動に移し、スヴェンは呼ばれるまで自室で待機する事に。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 夕暮れに染まる空ーーミアに案内されたスヴェンは、室内でワイングラスを並べるレーナに驚きを隠せずにいた。

 

「私はこれで失礼させてもらいます……スヴェンさんは飲み過ぎないようにね」

 

 ミアの気遣う言葉を他所に、スヴェンは困惑から立ち直れずにーー半ば現実逃避の如く室内を見渡す。

 良く言えばば王族の一人娘らしい部屋、悪く言えば調度品や高級感溢れ居心地が悪い部屋。

 スヴェンはそんな印象を包み隠さず黙りを決め込む。

 目前で手を振るミアも気にならないほどスヴェンの思考は停止していた。

 

「お、おーい? ……固まってますよ」

 

「そうみたいね、スヴェンは一昨日のお茶会の時も居心地悪そうにしてたわ。もしかしてこういう場が嫌いなのかしら?」

 

 申し訳ない事をした。そう言いたげなレーナの眼差しを受けたスヴェンは漸く口を開く。

 

「交渉時に色鮮やかな部屋に通されることも有ったが……王族、それも姫さんの部屋に通されるなんて誰が思うよ」

 

「王族の前に一人の小娘よ。それにたまには誰かとお酒を飲みたい時ぐらい有るわ」

 

 現実に引き戻されたスヴェンは本来の用事を思い出す。

 

「いや、俺は旅路に付いて話しに来たんだよ」

 

 本来の用事を済ませ早急に部屋から立ち去る。

 スヴェンは用事を済ませるべく、口を開きかけたその時だ。

 

「一緒に飲んでくれないの?」

 

 潤んだ瞳で弱々しい声で訴えられたのは。

 そんな瞳をされ、先日酒に付き合う話しをした手前ーースヴェンが断る理由が何処にも無かった。

 

「アンタには負けたよ、明日に支障が出ねえ程度には付き合わせてもらう」

  

 背負っていたガンバスターを壁に立て掛け、

 

「今度こそ私は戻るからね」

 

 そう言ってため息混じりにミアが退出する。

 スヴェンはレーナの向かいに座り、持ってきた地図を広げ本題を切り出した。

 

「俺達は魔王救出を目的に旅に出るが……」

 

 スヴェンは地図のエルリア城から西へ指をなぞり北西からヴェルハイム魔聖国を回り込むように動かす。

 ヴェルハイム魔聖国のフェルム霊峰から南下し侵入を試みるルートを示した。

 レーナはワイングラスに葡萄酒を注ぎながら、スヴェンの示したルートに興味深そうに目を細めた。

 

「如何して遠回りを思い付いたのかしら? それにフェルム霊峰はかなり険しい山脈、そこに辿り着くにも此処から最低でも2ヶ月はかかるわ」

 

 エルリア城から北の国境線を通れば、最短二週間でヴェルハイム魔聖国に到着が可能だ。

 それは平常時に限った話しで、今は邪神教団によって魔王アルディアが抑えられ魔族が実質支配下に置かれている状況にある。

 

「此処から何百キロも離れた北の国境線じゃあ、騎士団長が邪神教団を牽制してるつう話しだろ? 救出すんのに馬鹿正直に真正面から攻め込む必要がねえんだよ」

 

 今までの異界人は真正面から乗り込もうとしたが、国境線に辿り着く前に失敗した。

 中には別ルートからの侵入を試みた者も居るがーーその殆どがエルリア魔法大国の国内で死亡しているか、心変わりしたのか途中で諦めている。

 昼間に騎士から聞いた情報も合わせスヴェンはこのルートを選んだ。

 

「それにアンタはもう把握してんだろうが、ラオ達の調査対象つうのがメルリアで邪神教団の動きが有ったからなんだろ?」

 

 それとは別に昼間の騎士は城内に内通者が居ると示唆した。

 その情報は異界人の失敗率、技術研究部門の警戒姿勢から正しいのだろう。

 出発時期やルートが敵に漏れている可能性が高い。

 

「えぇ、メルリアの地下遺跡に邪神教団が潜伏してることは城内に潜んでいた内通者を追跡させることで発覚したわ」

 

「そいつはそっちに任せていいのか? メルリアで始末してやってもいいが」

 

 そう言ってスヴェンは葡萄酒をひと口飲み、その芳醇な旨味と酸味に舌鼓打つ。

 デウス・ウェポンの飲酒は酒を真似た、アルコールをゲテモノに注いだだけの何かーースヴェンの中でデウス・ウェポンの飲食関係が軒並み最低評価に落ちた。

 葡萄酒に感動しているとレーナははっきりとした強い眼差しを向ける。

 

「内通者の件は騎士団に任せて貴方には邪神教団の方を叩いて欲しいのよ」

 

 当初は邪神教団と接触せず安全ルートで魔王救出を試みる。そう想定していたが、内通者の存在によってスヴェンの素性が既に敵に伝わっている前提で動く必要性が出た。

 その件を踏まえフェイク情報の流出も視野に入れる。

 出発直前に流す情報ーー普通なら遅いフェイクだと感づくが、傭兵という素性が情報に錯綜を齎す。

 

「そいつは構わねえが、俺の旅は表向きは異世界観光ってことにさせてもらうがいいな?」

 

 スヴェンの提案にレーナは目を伏せ、

 

「なるほど、偽情報を流すことで貴方はあくまでも巻き込まれた風を装うということね。差し詰めミアは観光案内係と言ったところかしら」

 

 納得した様子で葡萄酒に口付けた。

 芳醇な味わいにレーナは『うん、美味しいわね』っと小さく呟く。

 

「おう、こういう時は傭兵って肩書きが便利なんだよ。金さえ払えばどんな仕事もやるからな」

 

「頼もしいわね。……でも決して油断してはいけないわ、邪神教団は禁術も平気で使って来るわよ」

 

「禁術……具体的にはどんなのが有る?」

 

「種類が多いけど、死の魔法や生命を冒涜するような魔法が主に禁術に指定されてるわ。あとは術者に破滅を齎す魔法、簡単に言えば魔力暴走を利用した自爆とかね」

 

 死の魔法がどんな物かスヴェンには理解が及ばないが、その単語だけで警戒を一気に引き上げた。

 

「生命を冒涜ってのは死体を操るような魔法か?」

 

「えぇ、そう言った魔法も指定されてるわ」

 

 外道に対して外道が相手するのが相応しい。

 スヴェンはそんな考えを頭の中で浮かべ、重要なことを思い出す。

 

「そういや、救出は良いが凍結封印ってのはどうやって解除すりゃあいい? まさかそのまま運び出す訳にも行かねえだろ」

 

 質問を受けたレーナはワイングラスを置き、地図に視線を落とすーーその表情は杞憂や不安に苛まれた様子だった。

 

「ヴェルハイムの西に位置する小国パルミド……エルリアからだと北西、フェルム山脈の麓に位置してるわ」

 

「そこまで長旅だけど、パルミドから更に北西の大海に浮かぶ孤島諸島にどんな氷を溶かすとも言われている伝説の炎が有るそうよ」

 

 伝説と呼ばれるだけ有って確実に存在しているとも確証がない。だからレーナの内心は不安と杞憂に満ちているのだろう。

 

「伝説に頼らずとも解除する方法は他にねえのか?」

 

「凍結封印によって発生した氷はどんな解除魔法でも溶かせないのよ……解除できるのは術者と伝説の炎だけ」

 

「術者を脅す方が手っ取り早いが、そいつに自害されれば解除不可になる可能性も有るつうことか」

 

「えぇ、基本封印魔法や結界魔法は術者の死後にも効力を発揮し続ける魔法よ。だから解除される前に死なれるとアルディアを救い出すこともできなくなるわ」

 

 術者があらゆる要因で死亡しないとも限らない。

 だからこそレーナが伝説の炎に縋りたくなる理由も理解できた。

 それに何処に存在するのかも、恐らくレーナは調べあげたのだろう。

 

「伝説の炎って奴に賭けるしかねえな。……いや、持ち運びできるもんなのか?」

 

「伝説の炎ーー瑠璃の浄炎を封じ込める魔道具を貴方に預けるわ。それで理論上は持ち出し可能な筈よ」

 

「そこまで用意してあんなら不安材料は一つだけだな。……ここで保険の一つでも掛けて置くか」

 

「保険? 私に可能な範囲ならいいわよ」

 

 スヴェンはレーナの保険を伝えーー彼女は一瞬驚き、そして人を惹き付ける笑みを浮かべるのだった。



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2-10.旅立ちの時

 五月二十八日、スヴェンの旅立ちの日。

 スヴェンはミアに連れられ、エルリア城の地下広間に到着していた。

 青白い燭台の炎が灯す地下広間ーーその中心で箱を抱えたレーナと周囲を浮かぶ幾つもの浮遊物にスヴェンが眉を歪める。

 何故地下広間なのかスヴェンは疑問を浮かべ、すぐさま答えに行き着く。

 今日は魔王救出のために出発する日の筈だ。それなら地下広間から地下通路を経由しーー旅立つ段取りだろうと当たりを付ける。

 

「此処から出発ってのは理解できたが、アンタの周りに浮いてるソイツはなんだ?」

 

 人の大きさほど有る水色の結晶体に指差す。

 意識して見れば結晶体一つ一つに膨大な魔力が濃縮されていることが判る。

 スヴェンの疑問にレーナが箱を持ちながら近寄った。

 

「この浮遊物は大型転移クリスタルと呼ばれる我が国が誇る技術の集大成の一つよ」

 

「大型転移クリスタル……召喚魔法が在るぐれえだ、転送の類も有るだろうとは踏んでいたが」

 

 デウス・ウェポンにも転送装置が存在するが、座標計算や環境計算やら必要な演算を補うために装置は大型されていた。

 科学技術の進歩は人間が神から知恵を借りながら編み出したと言うが、魔力と詠唱で様々な現象を発動するテルカ・アトラスの魔法技術も馬鹿にはできない。

 スヴェンが一人世界間の技術の違いとそれぞれの良さに付いて思案しているとーーレーナが言うより早いと判断したのか箱を開け中身を見せた。

 中には魔法陣が刻まれた筒と大型の転移クリスタルに似た物がーー掌程のサイズが四つ程納められ、隣で静かだったミアが眼を輝かせる。

 

「貴方にはこの転移クリスタルと封炎筒を預けるわ。前者は一つ何処かに設置するだけで此処といつでも自由に行き来が可能に、後者は瑠璃の浄炎を封じ込めるための魔道具よ」

 

 スヴェンは昨晩話した内容を頭に浮かべ、意識を転移クリスタルに向ける。

 大型の転移クリスタルは出口、この転移クリスタルは入口なら何処でも自由にエルリア城に出入りが可能だ。

 便利だが、裏を返せば敵の侵入を容易に許す危険性も高い。

 

「そいつは便利だが、万が一俺が裏切る可能性を考えなかったのか? 謂わばそいつは万能の合鍵だろ」

 

 スヴェンの指摘にミアが表情を曇らせ、レーナが悲しげな眼差しを向けた。

 

「貴方の指摘通りこれを預けた異界人は邪神教団に寝返ったわ。でもね、コレを無策に渡す筈が無いじゃない」

 

 裏切りに対する何らかの対策が施されている。

 レーナの口振りからそう捉えるが、そもそも異界人がいつ裏切ったのか即座に理解できるのだろうか?

 

「貴方には隠していたのだけど……正直に言うわ」

 

「いいんですか!?」

 

 ミアが驚愕した理由に付いてスヴェンは、彼女の反応から様々な推測の中から一番当たりに近い物を選び取る。

 そもそもレーナは異界人を召喚した側だ。召喚されたのなら召喚者との間に何かが有る。

 例えば行動を逐一監視できるような魔法だ。それならいつ異界人が裏切ろうが即座に判るーー可能性としてはこの推測が一番当たりに近いとスヴェンは内心で納得した。

 

「姫さん自身が何らかの手段で俺達の行動、敵対したかどうか判る……だいたいそんなところか?」

 

 答え合わせにレーナは微笑み、ミアが驚き眼を見開く。

 

「正解よ、私はチェス盤を通して貴方達の居場所、生命力、敵対したかどうかーーそうね、監視させてもらっていたわ」

 

 一瞬言葉に詰まったが、レーナは『監視』という表現を使った。

 彼女なら見守っていたと表現しても不思議では無いが、こちらに対し包み隠さ無い点が傭兵として好ましいと思えた。

 

「召喚したとはいえ、異界人は簡単に信用できねえってのも納得だ。……しかし便利な物があんなら一週間も待つ必要は無かったんじゃねえか?」

 

「自由に転移できるとは言ったけど、設置は転移クリスタル一つに一度までなのよ。それに身分証も無い貴方達に身分証発行手続きとか、旅券の発行だって必要なの」

 

 確かにスヴェンはこの世界で己の身分を証明する物が無い。

 幾らレーナが召喚した異界人の協力者とはいえ、組織の末端までその情報が行き届いているとは限らない。

 彼女の指摘にスヴェンは納得した。そして箱から四つの転移クリスタルを取り出しサイドポーチに仕舞い込む。

 大型の転移クリスタルの仕組みに付いて詳細を訊ねたい所だが、まだこちらはレーナから信頼を得る実績も無い。ならコレを訊ねるべきだ。

 

「ところでコイツは誰にでも使えるもんなのか?」

 

「転移クリスタルに登録した者の魔力に反応するわ。既に貴方達の三人は登録済みだからその点は心配要らないわよ」

 

 敵陣に転移クリスタルを設置させ、エルリア城の地下を経由して奇襲に使えそうだ。

 使用用途が移動に限られているが、要人の救出も転移クリスタル一つ有れば可能だ。

 だが、数に限りが有る状況で無作為に使うこともできない。

 

「なるほど、コイツは大事に使わせて貰うが、出発もそいつかでか?」

 

 大型の転移クリスタルに視線を向け訊ねた。

 

「えぇ、転移先にハリラドンと彼女を待機させてるわ……この方法は旅立つ異界人のみんなから不評だったのよね」

 

「あー、『未来の英雄に対してなんだこの仕打ちは!』とか、『未来の英雄の出発が、こんなコソ泥紛いな方法なんて!』ってみんな凄かったですよね」

 

「この方法は間違ってるのかなって不安になったわ。でもスヴェンは違うのね」

 

 出発一つに文句を言う気にもなれない。

 そもそもレーナが打てる最善の安全策が転移による出発だ。

 これまで異界人は幾人も大門を抜け、数メートル先でモンスターに殺されるかーー邪神教団の刺客に暗殺されてきた。

 彼女の取った方法は安全かつ確実に出発させるための処置に過ぎないのだ。

 

「依頼の達成を優先すんなら俺はこの方法を支持する。第一俺は傭兵だ、見送られんのは性に合わねえ」

 

「ふふっ。本当に仕事熱心なのね」

 

 レーナは小さく笑うと、深妙な表情で語り出す。

 

「スヴェン、貴方は私が召喚したことを忘れず、無事にアルディアと生還してくれる事を心から祈ってるわ」

 

 転移クリスタルで自由に行き来できる状況で、無事も何も無い。

 思わずそんな指摘が浮かんだが、それを口にするのは野暮だとスヴェンは胸の中にしまう。

 

「ミア、後の事は頼んだわよ」

 

「えぇ、スヴェンさんの面倒は私に任せてください!」

 

 胸を張って答えるミアに、レーナは不安に感じたのかこちらに顔を向けた。

 

「……ミアのことお願いね?」

 

 その問いにスヴェンは敢えて答えず、浮遊している大型の転移クリスタルに手を触れた。

 

「そろそろ出発してえが、銃弾やら必要物資は既に積み込み済みか?」

 

「そこは私がちゃんとやったよ! 夜中に誰にも悟られないようにね!」

 

 こいつはこいつで仕事していた。スヴェンの中で一瞬感心が浮かぶ。

 

「へぇ、なら早いところメルリアに向けて出発すっか」

 

「分かったよ。それでは姫様、行って参ります!」

 

 そう言ってミアは転移クリスタルに魔力を流し込み、転移魔法を発動させた。

 スヴェンとミアは一瞬で光りに包まれ、眼を開けるとそこは潜伏に適した岩場だった。

 まさに瞬きの内ーーしかも転送時特有の身体が一度粒子レベルで分解され再構築される感覚も無く転移を果たした。

 その事にスヴェンは驚きを隠さず、草木の香りに息を吸い込む。

 そしてスヴェンは屋根のかかった荷獣車に乗り込んだ。

 すると中にはーー積み込まれた木箱とずだ袋に膝を抱えたアシュナの姿が有った。

 

「これから護衛、よろしく」

 

「あぁ、ヤバくなったら手を借りる」

 

「ん。暗殺もやる?」

 

 純粋無垢な表情でそんな事を言い出すアシュナに、スヴェンは考え込んだ。

 暗殺という手段が使えなら使うに越した事は無いーーそれが同じ外道ならスヴェンは平気でアシュナに命じただろう。

 しかし彼女は特殊作戦部隊の一員であり、オルゼア王の部下だ。

 仮に彼女に暗殺を命じれば、オルゼア王の信用など永久に得られずーーむしろ不協を買うだろう。

 

「アンタが暗殺をする必要はねえ。アンタの仕事は俺とあいつを影から護ることだ、それ以外は……まあ、細かい事は頼む事もあんだろ」

 

「分かった」

 

 アシュナはそれだけ言うと荷獣車の天井を開けーー天井裏に引っ込んだ。

 どうやらそこがアシュナの定位置らしい。

 スヴェンはテルカ・アトラス語で銃弾入れと書かれた小箱からーー六発の銃弾をガンバスターに装填した。

 これで残り残弾は元々持っていた弾を合わせて一発。

 まだ魔力操作が完璧では無いが、銃弾に多少の余裕が出るのは精神的にも楽だ。

 スヴェンは荷獣車の小窓から手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「アンタに任せて大丈夫なのか?」

 

「スヴェンさんは手綱を握ったことないでしょ。それにハリラドンの扱い方は学院の実習で習うから大丈夫よ」

 

「そうかい、それなら任せるが……後で手綱の握り方教えてくれよ」

 

「これぐらいは私に頼ってもいいんだよ?」

 

 手綱を握ったままミアはこちらに顔を向け、頼って欲しそうな眼差しを向けていた。

 戦闘中に治療しかできない負い目でも有るのかーー治療魔法という存在は謂わば瞬時に癒せる魔法だ。それは戦場に置いて傭兵の誰しもが渇望して止まない魔法。

 スヴェンは深妙な表情を浮かべると、ミアの不安な眼差しが向けれる。

 

「アンタが倒れた時に手綱を握れる奴が居ねえと困るだろ」

 

「それもそっか。てっきり治療だけの能無しって思われてるんじゃないかなって」

 

 スヴェンは見先日た。騎士団の訓練場で杖を巧みに操り騎士を制圧したミアの姿を。

 彼女なりに足りない部分を棒術で補っている。それだけで治療だけの能無しとは否定できない。

 むしろ足りない部分を補おうとする姿勢が戦場に立つ者として好感を抱く。

 

「アンタの棒術を見た。そいつでモンスター以外の連中は制圧できんだろ。なんなら撲殺ついでに相手を治療、また撲殺を繰り返してもいい」

 

 常人ならやらない外道的な手段を拷問の一種としてスヴェンが提案すると、ミアは微笑んでいた。

 その笑みは普段の彼女が見せる愛想笑いとは違う、陰りを含んだ笑みだった。

 

「まさかスヴェンさんも治療魔法の有効活用方法を思い付くとはねぇ〜。私、治療魔法以外の魔法実技って赤点なんだよね」

 

「そりゃあ他の魔法が使えねえならな。それで、その話と活用方法とどう結び付くんだ?」

 

「魔法学院の実技には実戦も有るの……私はね、レイ以外には負けた事ないんだよ」

 

 妖美すら感じる小悪魔的な笑みを浮かべるミアに、スヴェンは撲殺の挙句治療魔法を施されまた撲殺された生徒達の姿を幻視した。

 同時に彼女の容赦無い一面を垣間見れた。ならもう少し踏み込んだ質問をしてもいいだろうーースヴェンは今後の方針を含めた質問を問いかけた。

 

「なるほど。殺しの経験は?」

 

「それは無いけど」

 

「なら、殺しは俺が全面的に引き受ける」

 

 元よりレーナの依頼を引き受けた時点で他人に殺しはさせない。

 手を汚す必要が無い人間がわざわざ手を汚すことも無い。

 それは傭兵としてーー外道は一人で十分だからだ。

 

「……スヴェンさんはそれでいいの?」

 

 何かを訴えかける眼差しにスヴェンは真っ直ぐ沈黙で返す。

 そんな眼差しを受けたミアはため息を吐き、前を向き直した。

 そして彼女はハリラドンを走らせた。

 走り出すハリラドンーー徐々に加速する中、スヴェンは壁に背を預け、いつでもガンバスターを振れるように手を掛けメルリア到着まで眼を瞑った。




次回から3章開始です。


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第三章 狂信の崇拝
3-1.旅に問題は付き物


 エルリア城を内密に出発してから整備された街道を進み、早くも一時間が経過した頃、荷獣車は何事も無くエルリア城の守護結界領域を抜けた。

 程なくしてすれ違う荷獣車、隣を並行する荷獣車が増え始める中ーースヴェンは予定に付いて切り出す。

 

「そういえぁ、メルリアの観光名所ってのはまだ聴いて無かったな」

 

 事前に決めた装い。これはレーナを通して既に二人に伝わっている内容だ。

 うっかり忘れていなければの話だが。

 

「町中と外に立つ風車群や古代の石碑、高所から眺める噴水広場とか大市場で毎週行われる競り合いかな。でもなんと言っても観光に欠かせないのは地下遺跡が一番の見所だよ!」   

 

 楽しみで仕方ないと会話を弾ませるミアにスヴェンは並行する荷獣車から視線をーーこちらを探るような視線を受けながら会話を続けた。

 

「地下遺跡か、宝の一つや二つでもありゃあ興味が湧くんだがな」

 

「残念ながらそれは無理かな。観光客を装った盗掘人も居るからね」   

 

「そいつは仕方ねえな。一儲け出来そうな仕事もありゃあいいが」

 

 そう言ってスヴェンは眼を瞑る。  

 

「先からずっとそうしてるけど、もしかして眠いの?」

 

 視線だけ向けるミアに首を振った。

 

「違えよ。襲撃に備えて警戒してんだよ」

 

 移動中、特に気を抜いた時が一番襲撃に遭いやすい。

 護衛の依頼で護送車があと数メートルというところでミサイル砲撃で吹っ飛びかけたことも有る。

 あの時はいち早く気付き、電磁加速による狙撃で事な気を得たがーー今は頼みの綱が破損状態だ。

 こればかりはブラック・スミスで注文した品が届くまで待つしかない。

 

「これだけの速度で移動してもモンスターって普通に追い付いて来る奴も居るからね」

 

 特に周囲にはハリラドンが引く荷獣車が多い。

 ここでそんな速度を出せるモンスターに襲撃を受ければ混乱により大惨事が引き起こされることも有るだろう。

 

「ここで遭遇したくねえな」

 

「でも中には知能が低くて直線一方で大した事ない奴も多いよ」

 

 本当に大した事無いのだろうか?

 推定時速八十五キロで走行するモンスターを果たして魔法も無しに相対しーー大したことが無いと言い切れるのか。

 スヴェンは無理だと結論付けた。

 デウス・ウェポンのモンスターで二門ブースターと爆撃機搭載型バハムートですら万全の装備でやっとまともに戦える手合いだからだ。

 尤もあちらは音速飛行による強襲を得意としていたが、

 

「……この世界にやぁ、爆撃機搭載型バハムートが居ないだけマシか?」

 

 それと類似するモンスターが居ないと願うばかりだ。

 

「なに? その聞くからに物騒なモンスターは? えっ、というか竜種ってスヴェンさんの世界にも居るんだ」

 

「もって事はやっぱ竜種は居んのかよ」

 

「こっちの世界の竜種はモンスターじゃないけどね」

 

 モンスターではない竜種がテルカ・アトラスに存在している。

 その事実にスヴェンは驚きを隠せないが、敵対の可能性に付いて問うた。

 

「竜種は人を襲うのか?」

 

「基本霊峰とか人が寄り付かない秘境でお爺ちゃんみたいな生活送ってるよ。でも巣に入ると適度に追い返そうとしてくるかな」

 

 巣穴に入らなければ敵対はしない。

 そうとも言い切れない自分も居る事にスヴェンは肩を竦める。

 

「間違って竜種と遭遇しねえ事を祈るしかねえな」

 

「うーん、その可能性も捨て切れないよね。たまに人里近くに棲み着く竜が居ないこともないし、姫様が使役する竜王は気紛れにエルリアの空を飛んでるしさ」

 

「竜王ってのは気になるがその話は後だな」

 

 ミアと事実を隠しながら話す会話に、スヴェンは警戒すべき点を浮かべた。

 まだ他国に付いて知らないことが多いが、魔王アルディアを人質に取ることでレーナが真っ先に無力化されていることを考えれば、他国に対しても個別に何かしらの手を打っている事は予想も難しくない。

 特に邪神教団が竜種を操るか手懐け、襲撃に利用しないとも限らないだろう。

 スヴェンが思考を並べる最中、何かが近付く気配に一度思考を片隅に追いやりーー砂塵の中に見えた影に眼を開く。

 

「スヴェンさん!」

 

 ミアの焦り混じりの叫び声にスヴェンは窓を開け眉を歪めた。

 土煙を撒き散らしながら荷獣車を片手にハリラドンを咥えた獰猛なモンスターが真っ直ぐこちらに迫っているのだ。

 徐々に距離が縮まる中、はっきりと視認できる姿に一瞬言葉を失う。

 それはまるでゴリラのような背格好に尻尾の先端に刃状に発達した赤黒い刃ーー刺突と斬撃に発展した刺剣尾と凶悪な顔を誇るモンスターが他の荷獣車に一切眼もくれずこちらを標的にしているのだ。

 分厚い筋肉に血がこびり付いたような外皮を纏うモンスターにガンバスターを握り締める。

 

「何でこんな場所にタイラントが!?」

 

 ミアが有り得ないと言わんばかりに叫ぶ。

 彼女の言葉に本来この地方に生息しないモンスターだと判る。

 

「普段の生息場所は?」

 

「荒野と山岳地帯だよ!」

 

 辺りを見渡せば山岳地帯とは縁遠い平原の街道。

 エルリア城を出発して一時間弱で生息地域が異なるモンスターの来襲ーー偶然と考えるには楽観的過ぎる。

 タイラントと交戦は避けたいが、向こうはこちらに目掛けーーハリラドンと荷獣車を手放さず突進している。

 スヴェンはあの荷獣車を投擲利用される事を踏まえ、

 

「次の守護結界領域までは?」

 

「この子の脚でも30分! だけどタイラントの瞬発力には逃げ切れないよ!」

 

 確かにあの速度では他の荷獣車を避けながら逃げるのは無理そうだ。

 それに、無理に逃げようとすれば最悪荷獣車同士の衝突事故も起きかねない。

 

「なら最低限の距離を保てよ」

 

 簡素な指示を出し、軽々と屋根に登った。

 そしてガンバスターの銃口をタイラントに構える。

 

「おいおい! 兄ちゃん、何する気だ!」

 

 こちらを観察するような視線を向けていたーー並行を続ける人物の声にスヴェンはわずかに視線を向ける。

 茶色のコートを纏った頬が痩せこけた銀髪の男性、彼の容姿を再認識したスヴェンは、

 

「あん? こうすんだよ!」

 

 タイラントに躊躇なく引き金を引いた。

 ズドォォーーン!! 一発の銃声が平原に轟く!

 迫る銃弾を前にタイラントは避けず、身を護る障壁が銃弾を弾く。

 突き刺さりもしない銃弾ーー予想の範疇だとスヴェンはガンバスター両手に構え直す。

 タイラントが握る荷獣車を強く握り締める。

 そしてタイラントは咥えていたハリラドンを噛みちぎりながら荷獣車を投げ放つ。

 弾丸のように力強く投げ放たれた荷獣車に向けーースヴェンは飛び込むように跳躍した。

 

「オラァッ!!」

 

 怒声と共にガンバスターを縦に振り抜き、荷獣車を真っ二つに叩き斬る。

 二つに斬り裂かれた荷獣車の残骸が弾け飛ぶ。

 中に乗車している奴が居れば、そいつは運が無かった。

 簡単に割り切ったスヴェンは地面に降り立ちーーミア達の無事を確認しつつタイラントと対峙する。

 

「魔法支援でも有ればなぁ」

 

 言動とは裏腹にたタイラントと対峙したスヴェンの表情が変わる。

 胸の内側から熱が沸き立ち、強敵を前に生の実感が宿る。

 彼の表情にタイラントは興奮したのか、血のような外皮を赤黒く変貌させーー更に形相を悪魔染みた顔に変貌させた。

 暴君の名を冠するだけは有る。

 スヴェンはタイラントが放つ威圧に動じず、冷静にその動きを見定める。

 左右に揺れ動く刺剣尾が突如ブレれ、地を走りながらこちらに伸びる。

 スヴェンはガンバスターを右薙に払うもーータイラントが纏う障壁を前に刃が阻まれた。

 

「チッ!」

 

 ガンバスターの刃が火花を散らし弾かれ、がら空きの胴体に刺剣尾が容赦無く迫った。

 刹那の瞬間、この戦闘を見守っていた誰しもが息を呑み、ミアの悲鳴が届く。誰しもがスヴェンーー名も知れない異界人の死を連想した。

 だが連想通りとはいかなかった。

 スヴェンは身体を捻ることで辛うじて凶刃を避け、即座に薙ぎ払われた刺剣尾を後転することで躱したからだ。

 

 獲物を仕留め損なった事にタイラントが両腕の筋肉を膨張させ熱気を放つ。

 ハリラドンの捕食を続けながら駆り出される拳をーースヴェンは縮地の出発力を利用することで背後に回り込み避ける。

 同時に拳が深々と地面を破壊し、亀裂が街道に向かって広がった。

 タイラントは亀裂に魔法を唱えたのか、裂けた大地から地の槍が剣山の如く突き出る。

 あの攻撃に誰一人巻き込まれなかったのは幸いと言えるだろう。

 

「馬鹿力がっ」

 

 吐き捨てるようにスヴェンはタイラントの背後に一閃放つ。

 障壁に刃が弾かれる反動を利用し、浮き上がる刃を強引に両手腕で振り下ろす。

 重厚な鈍い音が平原に響く。

 障壁に護れ、弾かれる刃を鬱陶しいと思ったのかーータイラントは捕食を続けながらその場で身体を引き、腰を捻り出す。

 地面に亀裂を走らせる程の馬鹿力を誇るモンスターが力任せに回転を駆り出せばーー嫌でも想像が付く。

 スヴェンはタイラントの行動よりもいち早くその場から、大きく斜め方向に飛び退いた。

 地面に着地と同時、タイラントが剛腕と馬鹿力、刺剣尾による斬撃から真空波と竜巻を駆り出す。

 狙いの定まらない真空波が四方八方に飛び平原に鋭利な斬痕を刻む。

 竜巻がスヴェンが直前まで立っていた地面ごと深く抉り、地面を空に打ち上げる。

 馬鹿げた力技に驚く暇も無くタイラントが打ち上がった地面に向けて跳躍した。

 

「スヴェンさん!!」

 

 遠くからミアの叫び声が聴こえるが、スヴェンはガンバスターを霞に構える。

 ぶっつけ本番の荒技ーー下丹田の魔力を右腕にかけてガンバスターに流し込む。

 ガンバスターの刃に魔力が宿る。

 その過程で銃弾に刻まれた魔法陣が魔力に呼応するがーー何処まで破壊力が増すのか試す価値も有るが成功するとも限らない。

 スヴェンは生死を分けた賭けに出る。

 同時にタイラントがスヴェンに向けーー打ち上がった地面を弾丸の如く撃ち出す。

 迫る弾丸の地面。

 失敗は死、だがあの速度は避けられない。ならやるしかやい。

 スヴェンは縦薙ぎに衝撃波を放つ。

 鋭い刃となった衝撃波が目前に迫る地面を斬り裂く。

 衝撃波がそのまま宙で滞空していたタイラントを巻き込む。

 地面の破壊と衝撃波が生み出した破壊力に土煙が舞う。

 スヴェンはタイラントから距離を保ち、汗を滲ませ息を吐く。

 

「……こいつは」

 

 衝撃波は普段の戦闘で使用する技だが、そこに魔力を加えて放つだけでスヴェンの体力と気力がごっそりと削がれたのだ。

 まだまだ荒削りの魔力操作の影響が著しく、これは何度も乱発できない。

 土煙の中からタイラントの咆哮が驚く。そしてあらぬ方向に投げ飛ばされる食べかけのハリラドンの死体が無惨にも平原に叩き付けられる。

 怒り狂い殺意を纏った咆哮が空気を震撼し、荷獣車から顔を覗かせるアシュナに気付く。

 いま彼女を目撃者の眼に曝す訳にはいかない。

 後の事を考えたスヴェンは今にも駆け付けそうな彼女をーー小さく頭を横に振ることで制する。

 それを受けたアシュナが不服そうに頬を膨らませた。

 だがスヴェンの考えとは裏腹に隣りに立つ影が。

 

「手を貸そう」

 

 黒い紳士服を着こなし、両目を布で覆い隠した白髪の双剣士が隣で構えを取る。

 気配も無く隣りに立つ人物に眉を歪めーー宿していた熱が急激に冷めた。

 

「……助力は助かるが、その眼でやれんのか?」

 

「視界以外のあらゆる五感なら眼が見えずとも戦えるさ」

 

 砂塵が晴れ、ひび割れた障壁を纏いながら拳と刺剣尾を振り抜くタイラントにスヴェンと双剣士が左右に飛び散る。

 追撃して来る刺剣尾の斬撃を巧みに避けながらスヴェンはタイラントの拳を躱した男に目を向ける、

 どうやら彼が言ったことは本当らしい。

 おまけに双剣士は二本の剣に風と雷を纏わせ、タイラントの障壁を斬り裂く。

 砕け散る障壁に双剣士から疑問の声が漏れた。

 

「ふむ? 随分と削られていたようだ」

 

 スヴェンはそんな疑問に、刺剣尾をガンバスターで弾き返しーー縦斬りで刺剣尾を切断した。

 宙を舞う刺剣尾に眼もくれずタイラントとの距離を詰め、右腕を斬り落とし素早く背中に跳躍し深く斬り付ける。

 

「魔法の効果がでけえんじゃねえか?」

 

「いや、風の音と血の臭い……それにタイラントの荒々しい吐息から判るとも。奴が風前の灯だってことはね」

 

 軽口から双剣士が繰り出した二閃が、タイラントの首を斬り飛ばす。

 断面図から血飛沫が噴出されーータイラントの肉体が魔力と共に散る。

 あとにタイラントの骨と切断された刺剣尾だけが残された平原でスヴェンはガンバスターを背中に仕舞う。

 そして警戒心を最大限に双剣士に向き直る。

 

「アンタ……名は?」

 

「ヴェイグ、そういうお前は?」

 

「スヴェンだ。単なる旅行者だがな」

 

「単なる旅行者が勇敢にタイラントに立ち向かうかな」

 

 こちらの素性を怪しむヴェイグにスヴェンは澄ました顔で続ける。

 

「何かと物騒だからな、自衛手段は備えてんだよ」

 

「ふむ……確かに正論だ。わたしも襲撃されれば手も足も出るな」

 

 ヴェイグは納得した素振りを見せるも、不審感を拭い切れない様子だ。

 そこまで不審に思われるのは単に用心深いのか、それとも……。

 

「怪しまれても困るんだがな」

 

「誰しもが交戦を避けるタイラントに率先して挑む……これ自体が自作自演の線も有るだろ?」

 

 彼の言い分は確かに有り得る手方だ。

 手っ取り早く実力を示し、一時凌ぎで名を売りたい場合なんかは傭兵がよく使う手方でも有る。

 逆に言えば恩を売りたい場合にも使われるのだ。

 仮にスヴェンがそうするなら、もっと手軽に討伐できるモンスターを選ぶ。

 

「なるほど……だが、そいつはアンタにも言えるだろ」

 

「ふむ、これまた正論だ。しかしタイラントをわざわざ襲撃させるメリットがわたしには無い」

 

「なぜ断言できる?」

 

「これでもわたしはアルセム商会の会長でね」

 

 そう言って双剣を鞘に納めーー手下りで懐を漁り、

 

「ふむ? 何処に仕舞ったかな……ああ、ここか」

 

 名刺をスヴェンに差出す。

 確かに名刺にアルセム商会会長ヴェイグと書かれていた。

 スヴェンはそれだけで敵の線を消す気は無いが、一先ず警戒を引っ込める。

 ここで必要以上に警戒する必要もない。むしろ過剰な警戒心は要らぬ勘繰りを与えるからだ。

 

「へぇ、会長ってのは剣の腕も立つのか」

 

「ふむ? その声色から警戒は解けたようだ。いやしかし、勇敢にもタイラントに挑んだ者に対する非礼だったな。メルリアで開催されるパーティに是非とも招待したいのだが、どうかな?」

 

 質問には答えず芝居のかかった口調でそんな事を。

 情報も手に入るが、単なる旅行者がパーティに出席。それは素性を問われることになる。

 スヴェンは面倒臭そうな口調で返答した。

 

「パーティってのは性に合わねえんだよ」

 

「称賛されるべき行動……そう、まるで英雄のような行動を称賛しない手は無いだろう」

 

 外道染みた傭兵を英雄と称賛、こちら素性を知らないとはいえ彼の言葉は的外れだ。

 

「バカ言え、うんな名声いるか」

 

「釣れないな……いや、しかし異界人なら喜んで飛び付く提案なのだが」

 

「異界人に限らず、会長主催のパーティなら誰だって飛び付くだろうよ。俺はうんな賑やかな場所より静かな場所で酒を呑んでる方が性に合ってんだよ」

 

 そもそもスヴェンは出発してから一度も異界人とは口にしていない。

 一応異界人の異世界観光という名目だがーーヴェイグの嗅覚がこの世界とは違う臭いを正確に嗅ぎ分けたのだろうか?

 それとも連れが服装からそう判断したのか。

 ふとスヴェンの脳裏に斬り裂いた荷車が浮かぶ。

 疑問よりも先に自身が斬った荷車の確認が先決だ。

 街道に転がる荷車の残骸に近付き中を確かめる。

 中身は散乱した荷物とあちこちに散らばる邪悪な一つ目の紋様を描いた布だけが残されていた。

 レーナ達から事前に聴いた邪神教団のシンボルーーそれが邪悪な一つ目の紋章。

 それ以外は比較的綺麗で血痕も死体も見付からない。

 タイラントは邪神教団の仕込み。そう理解したスヴェンはミアが待つ荷車に乗り込むと。

 

「わたしは君のストイックな姿勢が気に入った! 今度は君を口説き落とす品を用意しておこうではないか!」

 

 ヴェイグの突然の叫び声が響く。

 アルセム商会の会長の叫びに周囲の荷車から響めき声が、

 

「タイラントを相手に俊敏に立ち回り、異界人には無い修羅場を潜り抜けた貫禄……おまけに変人と名高いヴェイグ会長に気に入られたアイツは異界人で間違いないが……?」

 

 ーー変人なのかよ!!

 

「う、羨ましいわ! あのヴェイグ様に気に入られるなんて! ああ! アトラス神よ、嫉妬の炎で奴を焼き殺す許可を!」

 

 女性の嫉妬の炎が宿った視線にスヴェンは溜息を吐く。

 そしてあらゆる雑音を無視して、

 

「おい、早く出せ」

 

 ミアにさっさとこの場を離れるように伝え、ハリラドンが動き出す。

 そんな中、ミアがこちらに視線を向ける。

 

「目立ったね」

 

「想定内だ」

 

 タイラントとの戦闘の目撃者はスヴェンのガンバスターから既に異界人だと特定している。

 しかしモンスターに効かない銃弾に対する警戒心は薄められるだろう。

 むしろ身体能力と衝撃波の方に警戒が向く。

 だがこの手が上手くとは限らないと己に言い聞かせ、ミアの声に耳を傾ける。

 

「でも惜しいことしたね? アルザム商会って創業千年の歴史を誇る大商会で、定期的に主催するパーティはそれはもう豪勢なんだって」

 

「興味ねえよ」

 

「……あーあ、生ハムメロンとか普段食べられない高級料理が並ぶって噂なのに」

 

 スヴェンは高級料理を想像してーー自身の選択を非常に後悔した。

 後悔を若干引きずりながら荷車の残骸で見た物を二人に伝え、スヴェンは町に到着まで荷獣車の揺れに身を委ねた。



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3-2.遺跡の町メルリア

 木造の建物風車や古代の石碑が町外問わず立ち並び、空を漂う浮遊岩が陽光を遮り町の至る所が影で覆われる。

 スヴェンは遺跡の町メルリアの町並みを荷獣車の窓から眺め、慌ただしくも騒がしく何処か浮き足立つ通行人ーーその中でも何人か暗い表情を浮かべる者達に首を傾げた。

 

「(単なる個人的な問題か、何らかの事件か。いずれにせよ直接関係ねえなら放置だな)」

 

 スヴェンは暗い表情を浮かべる者達から視線を外し、手綱を握るミアの背中に視線を向ける。

 

「ところで町の何処に向かってんだ?」

 

「サフィアっていう宿屋だよ。荷解きして観光したいでしょ」

 

「地理に疎いからな、その辺は任せる」

 

 スヴェンは再び町並みに視線を移しーー人目を忍んで路地に入りる数人の怪しげな人物に眉を歪める。

 怪しげな行動だ。いま尾行すれば何か出て来るかもしれない。

 そう考えたスヴェンがガンバスターに手を掛けたがーー同じく路地に入り込む数人の顔見知りを見て柄から手放した。

 ラオ率いる騎士が路地に入ったのが見えた。ならあそこは彼等に任せた方がいいだろう。

 まだ土地勘も町の全容も把握していない人間が下手に首を突っ込めば返って邪魔になる。

 そうスヴェンが結論付け、ハリラドンは路地を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐサフィアに向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋の荷獣車の繋ぎ場にハリラドンを停めたスヴェン達は受付に向かった。

 その際ミアはアシュナに声を掛けたのだが、影の護衛としてアシュナは宿屋の宿泊を拒んだ。

 そもそも荷獣車の天井裏は彼女の部屋として改装されているらしい。

 そんな一連のやり取りを思い出しながら受付に声を掛ける。

 振り向いた受付員の青年は張り詰めた表情を浮かべたが、それは一瞬のことでスヴェンは見間違いか自分の恐い顔が原因だと仮定した。

 

「部屋を二つ取りたいんだが空いてるか?」

 

 そう、要望を伝えると応じた受付員の青年が申し訳無さそうな表情を浮かべる。

 彼のそんな表情にスヴェンは嫌な予感を覚えた。

 

「申し訳ございません、現在当店は一部屋しか空きがなくて」

 

「他に部屋が空いてそうな宿屋は有るか?」

 

「それが……何故か一昨日から宿泊客が多く何処も満員状態なんです。火祭りもまだ先なのに」

 

 何処の宿屋も満員、しかし受付にもその原因が判らない。

 しかしスヴェンにはその原因に思い当たる節が有る。

 街道で出会ったヴェイグを思い出しーーそういえばパーティを開催するとか言っていたな。

 その影響かどうかは判らないが宿屋に宿泊客が多く来ているのは間違いないのだろう。

 

「ならコイツだけでも泊めてやってもらねえか?」

 

 スヴェンは背後で成り行きを見守るミアに指差す。

 

「えぇ、それなら問題ございませんが……一部屋にあなたも共に泊まるという選択肢もございますが」

 

「私は同室でも構わないけど、スヴェンさんってもしかして気にしてるの〜? 見かけに寄らず初心なの?」

 

 視線だけ背後に向ければ、にやにやと挑発的に笑みを浮かべるミアが映り込む。

 

「寝言は寝てから言えクソガキ……騒がしいガキと同室なんざ喧しくて休めねぇだろうが」

 

「本当は美少女と同室で狼が抑えられない〜とかじゃないの?」

 

 幾ら外道で傭兵だと言っても見境なく女を漁る趣味は無い。

 そもそもっとスヴェンは改めて向き直る。

 そしてミアにじっと視線を向けた。

 何処からどう見ても自称美少女、何処に欲情する要素が有るのか理解できない。

 しかしスヴェンの視線を勘違いしたのか、ミアがわざとらしく恥じらうようにその貧相な身体を抱き締めた。

 

「そ、そんなにじろじろ見られると照れるじゃん」

 

「あん? 美少女ってのは何処のどいつか探してたんだが……如何やら馬鹿には見ない類いらしいな」

 

「へぇ〜……ん? それって私が美少女に見えないって言ってるようなもんじゃん!!」

 

 スヴェンは騒ぐミアを無視して受付員に振り向く。

 

「た、大変ですね……あっ、宿泊はこちらのリストに記載をお願いします」

 

 スヴェンは手早くリストにミアの名を書き、硬貨一杯で膨らんだ金袋を取り出す。

 

「一泊いくらだ?」

 

「お一人様アトラス銅貨を前払いで8枚になります」

 

「こいつの知り合いが何度か訪ねに来ると思うが、そんな時はシャワーなり使わせても問題ねえよな?」

 

「えぇ、そちらでトラブルが起こらないのなら問題ありませんよ」

 

 受付に数日分の金を置いたスヴェンはそのまま出口まで歩き、

 

「荷解き済ませてしまえよ」

 

 ミアに伝えから外へ出た。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ハリラドンにエサの干草を与え、暇を持て余しながら荷獣車の側でミアを待つと。

 

「もし、旅のお人かな?」

 

 紫色の髪に灰色の瞳をした妙齢の女性に声をかけられた。

 物騒なガンバスターを携行する自身に自ら話しかける女性は物好きに思える。それとも何か理由でも有るのか。

 

「ああ、旅行者だ」

 

 簡素で素気なく答えるスヴェンに女性が探るような視線で、

 

「何か大事な使命が有る……少なくともわたくしにはそう見えますけど?」

 

 大事な使命なんて大層な言葉では無いが、まだ達成していない仕事が元の世界に有る。

 ただ、彼女の言う大事な使命は別の事を遠回しに聞いているのだろう。

 魔王救出を請けたどうか。タイラントの件も有るーー馬鹿正直に質問に答えてやる必要も無い。

 

「何でそう見えんだ?」

 

 はぐらかすように質問を返すと女性がにこりと笑みを浮かべる。

 

「変わった服装、特に見慣れないデザインは異界人が多いですから……大国の君主から何か頼まれたのだと」

 

「頼まれたが、勝手に召喚された身だ。連中の頼みを聞く理由もねえだろ?」

 

「……それで旅を、なるほど」

 

 何か思案する様子を見せる女性に、スヴェンは密かに警戒した。

 相手に勘付かれないように意識を集中してみればーー女性の下丹田に通常とは異なる魔力、禍々しく殺意で満たされた魔力が巡っているからだ。

 スヴェンは宿屋からミアが出て来るのを見て、

 

「連れが来たな、俺はもう行くがアンタは?」

 

「わたくしももう行きますよ、この町は物騒ですので観光ならお気を付けて」

 

 物騒。確かに怪しげな連中が路地に入り込むぐらいには物騒なのだろう。

 その連中が何者かにもよるが。

 スヴェンは立ち去る女性の背中を見送り、ミアに振り向く。

 

「……スヴェンさん、今の人はなに? あんな魔力見た事も無いけど」

 

 顔面蒼白で肩を小さく震わせていた。

 どうにもミアには刺激が強過ぎたようだ。

 このまま連れ回してもしかたないため、一度ミアを荷獣車の入り口に座らせ訊ねる。

 

「魔力ってのはあんな色をするもんなのか?」

 

「普通はしないよ……けど悪魔とか邪神眷属ならそうなのかも」

 

「悪魔、邪神眷属?」

 

 聞き慣れない単語を聞き返すと、ミアはスヴェンの手を握り締めた。

 震える小さな手をスヴェンは拒むことはしなかった。

 

「封神戦争で邪神が使役した煉獄の住人は悪魔と呼ばれる……人間ともモンスターとも全く異なる住人なんだって」

 

「それで邪神は自身の力を眷属に分け与え、アトラス陣営に多大な損害を与えたんだ。でも眷属は邪神と一緒に封印されたの」

 

「あの女が悪魔か邪神眷属なら封印は大分解かれたじゃねえか?」

 

「……まだ各国が管理してる封印の鍵は無事だよ。でも誰にも管理されてない鍵は何とも言えないかな」

 

 悪魔と邪神眷属は封印の鍵とは別に何らかの方法で復活したのかもしれない。

 邪神に関係する存在が魔王救出を阻む障害ーー不思議とスヴェンは戦場に近い感覚を感じた。

 

「嬉しそうだね、タイラントと戦ってる時も……」

 

 ミアは言いかけた言葉を止め、もう大丈夫だと言わんばかりに立ち上がった。

 彼女が何を言いたいのか理解出来るがーー握られていたミアの手を払い除ける。

 

「辛いなら宿で寝てろ」

 

「もう大丈夫だよ……それに町を歩かないと判らないことも有るでしょ? 妙な違和感も有るしさ」

 

 彼女の言う違和感とは何か。確かにスヴェンも漠然と違和感を感じているが、それが何かは今の所分からない。

 

「なら案内は頼む」

 

 黒いサングラスを装着するとミアが引き攣った表情で、

 

「観光に来た旅行者よりもマフィアに見えるよ」

 

 そんな事を言い出した。

 これでも町中を歩く際の気遣いと洒落、依頼人との交渉に欠かせない道具なのだがーースヴェンはサングラス自体を単純なファッションとしても気に入っていた。

 

「こいつは俺なりの洒落だ、それに瞳の色を隠すには丁度良いんだよ」

 

「あぁ、尋人は特徴で伝わるもんね」

 

 スヴェンとミアはサフィアを離れ、メルリアの散策を開始したーー影の護衛を受けながら。



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3-3.メルリア観光

 ミアに案内されるままサングラスを装着したスヴェンはメルリアの至る所を歩いた。

 町中の丘上から見下ろす噴水広場、そこから坂を下り途中の碑文に眼を向け、そのまま市場に向かえば競り合う商人の熱気が待っていた。

 町の活気、エルリアの城下町でもそうだったが、この世界の住人は生々しているように感じられる。

 デウス・ウェポンの都市は昼夜問わず街灯とモニターの明かりや雑音に包まれていたが、住人はこの世界ほど活気付いてはいなかった。

 望んだ物は大抵の物が金で買える。戦争経済により循環する莫大な経済が何も知らない一般人に幸福を与え、同時に活気や熱意を奪った。

 平和という言葉もあの世界では情報統制や改竄による上辺だけの文字に過ぎない。

 

「どうしたの?」

 

 呆然と両世界の違いを認識しているとミアが姿勢を低めに覗き込んでいた。

 彼女が纏う柔かな雰囲気とは裏腹に、ミアの瞳はこちらを気遣いながら観察する複雑さを内包していた。

 こいつは諜報員や監視員には到底向かないな。そう内心で浮かべながら宿屋を出発してから感じる視線に眉が歪む。

 物影からこちらを窺う視線ーーアシュナとは違う複数の視線にスヴェンは歩き出し、先程のミアの質問に答えた。

 

「何でもねえよ」

 

「ほんとに? てっきりこの熱気に呑まれたんだと思ったけど」

 

 確かに彼女の言う通りだ。

 町の熱気にある種の居心地の悪さーー自分の場違いさが嫌でも目立つ。平和とは程遠い人間と現在進行形で平和を謳歌する者達とでは圧倒的に違う。

 自身の戦場の経験と平和を表面的にしか知らないから、ある種の熱気に呑まれたのだろう。

 スヴェンは内心で慣れない空気に舌打ちし、商人達が競り合う様子に眼を向け、

 

「先から何が競売に賭けられてんだ?」

 

 ミアの質問に答えず、こちらの質問を問うた。

 それに対してミアは嫌な顔をせずーーそれどころか寧ろ楽しむように微笑んだ。

 

「今日は夜晶石だね、夜の月明かりを放つ鉱石で工芸家に買付を頼まれたんだと思う」

 

 ミアの答えにスヴェンは商人達の声に耳を傾ける。

 

「そっちが銀貨20枚なら、こっちは二十箱を銀貨200枚で買った!」

 

「な、なにぃ!? 一つ銀貨1枚の夜晶石を!?」

 

「へっ、ウチのお得意様は良質な材料に金を惜しまないのさ!」

 

 勝ち誇った商人の声に競り合っていた商人達の顔が曇る。

 そして夜晶石が入った二十箱は一人の商人の手に渡り、競売は幕を閉じた。

 競売を見届けたスヴェンとミアは市場の少し離れたベンチに座り、

 

「慣れねえと疲れるもんだな」

 

「スヴェンさんは一戦したあとだし……それにまだ身体が魔力に馴染んで無いから消耗も激しいんだよ」

 

「道理で魔力を込めた衝撃波は疲れるはずだ」

 

 これはもう訓練が必要な領域だ。

 何度も魔力を武器に纏わせ、身体に魔力を馴染ませる必要が有る。

 まだ利腕にしか魔力を流し込めない。全身に魔力を流し込む事が可能になればこの世界での戦闘の幅も増す。

 思えば異世界に召喚されてから今日まで覚える事が多い日々だ。

 それも誰かに教えられなければ儘ならなかっただろう。

 その意味ではスヴェンはミアに感謝していた。

 あくまで与えられた仕事の一環だろうとも。

 

「アンタにはまだまだ教わる事が多そうだな」

 

「ふふん! もっと私を頼って感謝してくれて良いんだよ!」

 

「あぁ、頼らせてもらう」

 

 素直に応じるとミアは驚いた様子でーーそして照れた様子ではにかんだ。

 ふと先程まで感じていたアシュナの気配が途絶え、スヴェンの眉が歪む。

 つけている人物と接触したのか? ミアに訊ねるには人目も多いこの場所では自然体で振舞う必要性が有る。

 スヴェンは過去の経験から適切な行動を選び、そしてミアに顔を近付け、

 

「うえっ!? す、スヴェンさん、こんな人前で……っ」

 

 盛大な勘違いを口走る彼女に呆れた眼差しが浮かぶ。

 何の脈絡も理由もなくキスでもされると思ったのだろうか? しかし彼女の反応も好都合だった。

 現に合い挽きと勘違いした通行人が視線を逸らし、わざとらしい口笛を奏でた。

 

 ーー尾行人に対してこいつが何かしら反応を見せんのは得策とは言えねえな。

 

 スヴェンは頬を赤く染め、眼をぎゅっと瞑る彼女に対し、

 

「アシュナの気配が感じられねぇ」

 

 耳元で囁く。

 急速に熱が冷めたミアは真顔を向け、

 

「……アシュナは気配を絶つ魔法が使えるから、多分意図的に消してるんじゃないかな」

 

 小声で魔法による作用だと答えた。

 便利な魔法もあるもんだな。スヴェンは内心で感心を浮かべミアから顔を離す。

 そして空に浮かぶ浮遊岩を見上げ、

 

「この町に来てから気になってはいたが、空に浮かぶアレは何なんだ?」

 

「アレは浮遊石だね。岩の底に翡翠色の石が見えるでしょ? アレで浮いてるんだよ。それでそう言った地形を浮遊群って言うんだ」

 

「アレは自然物なのか?」

 

「えっと、浮遊石は内部に何年も魔力を蓄積させていずれ空に浮かぶの。だから浮遊石が地底に眠っているといずれその場所も空に浮かぶから自然物だね」

 

 人工的に空に滞空させることはデウス・ウェポンでも可能だが、まさか自然物が魔力の蓄積で空を滞空するとは想像にも及ばなかった。

 

「元々住んでた土地が突如空に浮かぶってのも考えもんだな」

 

「人は空を飛べないからね。まあ一応大地が徐々に浮かぶ予兆が有って、それが頻発する地域に住む住人は近場の町や村に避難することになってるから浮遊群に取り残されることは少ないかなぁ」

 

 ミアの解説にスヴェンは納得を浮かべ、ベンチから立ち上がる。

 そろそろ観察されるのもうんざりだーースヴェンはミアに路地を指差し、

 

「ここは人目が多いな」

 

「もうスヴェンさんのスケベ!」

 

 今度は察したようで腕に組み付くミアを連れ、狭い路地に足を運ぶ。

 拙い尾行にスヴェンは内心で呆れを浮かべ、そのまま路地の奥まで足を進めた。

 やがて行き止まりに行き着き足を止める。

 

「は、はじめてなのでお手柔らかに」

 

 照れた様子でいながら小悪魔的な笑みを浮かべるミアに、スヴェンは胸のナイフに密かに手を延ばす。

 背後から接近する気配を頼りに、ナイフを引抜き振り向く。

 振り向いた拍子に刃が尾行していた男性の頬を掠めた。

 

「な、何をするんだ!」

 

 それはスヴェンとミアの台詞だ。

 スヴェンはサングラス越しに男を睨んだ。

 

「俺達をつけておいてよく言えたもんだな」

 

 はっきりと突き付けると男の顔が滑稽に思えるほどに驚愕に染まった。

 此処で男を捕らえるのは簡単だが、邪神教団と繋がっている可能性も有る。

 その事を踏まえた上でスヴェンは敢えて問う。

 

「俺達をつけた理由は何だ?」

 

 男は観念したのか、懐に手の忍ばせた。

 スヴェンは男に警戒を浮かべナイフを構える。

 いつでも男の喉元を掻き斬れるように。

 男はスヴェンの構えに余裕な態度で鼻で嘲笑い、懐から一枚の紙切れを見せ付け、

 

「異界人ならレーナ姫と直に会ってる筈だ! あのお方の美しさと可憐さを同時に同居させたかのような佇まい! この国、いや世界中が愛して止まないレーナ姫のファンクラブに入会しないか!」

 

 興奮と熱意を同時に放つ男にスヴェンは無言で構えを解く。

 そして呆れた眼差しを向けた。

 

「ファンクラブなんざに興味はねえよ」

 

「それじゃあレーナ姫との交際を望むと!?」

 

 話しが飛躍し過ぎてスヴェンは眩暈を感じた。

 そして背後から楽しげな忍び笑いに眉が歪む。

 

「交際の気もねぇよ。あー、そういや姫さんも報酬に婚約を望まれる事も有るとか言ってたな……多いのか?」

 

「割と多いよ。魔王救出達成の報酬として姫様との婚約を望んだり、魔王共々って考えの人も。まあ姫様もその手合いの要求は頑なに拒んでるけどね」

 

「そりゃあそうだ」

 

 スヴェンは納得しつつ男を押し退けて歩き出す。

 すると男はスヴェンの前に立ち塞がり、

 

「おい、俺は断った筈だが?」

 

「待ってくれ! 我々はレーナ様に存在を認知されず活動しているんだ」

 

 つまり此処での会話はお互いに無かった事にして欲しい。そう結論付けたスヴェンは、

 

「なるほど、非公式の活動だからか」

 

「ん? レーナ様に認可はされていないが、これはオルゼア王公認のファンクラブだ。というかファンクラブ会長は何を隠そう我らが王なのだよ!」

 

 オルゼア王、娘大好きすぎじゃないか? そんな言葉を呑み込んだスヴェンはため息混じりに、

 

「じゃあ何が目的なんだ」

 

 立ち塞がる意図を問う。

 

「レーナ様だけには決して口外しない事を約束して欲しい。それと異界人の貴方があのお方を裏切らないことも!」

 

 懇願するファンクラブの男にスヴェンは、レーナがどれほど国民から愛されているのかーーその一部を垣間見た気がした。

 そもそもスヴェンの結論は最初から、誰に頼まれる事もなく決まっているのだ。

 

「俺は姫さんの依頼を断った身だ。アンタの期待に添えそうにもねえが、まあ異界人として姫様を傷付けねえことは約束しよう」

 

 例えレーナを慕うファンクラブ相手でもスヴェンは気を抜かず演技を続けた。 

 それを受けたファンクラブの男は落胆した様子で道を譲る。

 

「できればレーナ様の手助けをして欲しいものだが、それは仕方ないか」

 

 スヴェンとミアは彼の横を通り抜け、路地裏から市場の表通りに戻る。

 丁度その頃からアシュナの気配も感じるようになりーー取り越し苦労にスヴェンはため息を吐いた。

 

「ため息ばかりで幸せが逃げるよ? まぁ、ファンクラブに入会してる私からしたら是非ともあなたにも入会して欲しいところだけど」

 

 ミア、アンタもか。そんな言葉がつい口から出掛けたが、スヴェンはグッと呑み込む。

 

「……案外無理強いはしねえんだな」

 

「ファンクラブの活動で姫様の印象を悪くさせるのはご法度だからよ。勧誘も適度にかつ浅く広くがモットー!」

 

 レーナファンクラブの在り方にスヴェンは納得を示しつつ町の散策に戻った。

 町の表通りや往来の多い場所を通る度に、スヴェンは一つ違和感を覚える。

 確かに往来する人々は生々としているが、中には暗い表情を浮かべる者ーーそして不自然な程に子供の姿が見当たらない。

 スヴェンはこの町に何かが既に起こったのだと察しながら歩き続ける。

 



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3-4.メルリアの影

昼時、噴水広場に到着したスヴェンとミアは食欲を掻き立てる芳ばしい匂いと空腹に、多数並ぶ屋台の中から近場の屋台に立ち寄った。

 鉄板の上でタレに漬けられた獣肉の串焼きが焼かれ、益々空腹を刺激されたスヴェンは店員に視線を向け、

 

「串焼きを六つ……って、随分と浮かない顔してんな」

 

 接客業を営む店員とは思えない不安と焦り、苦悩に駆られた表情ーー特に美味い料理を提供する店員の笑みが苦悩に満ちているともなれば思わず突っ込まずにはいられなかった。

 スヴェンの問い掛けを受けた店員は無理矢理笑みを取り繕う。

 

「……あぁ、すまんね。何でもないんだ、特に異界人にはね」

 

 何でもないと拒絶はしているが、店員の表情は苦悩に満ちていた。

 隠し切れないほどの苦悩だが、誰かに助けを求められない事実を察したスヴェンはミアに視線を移す。

 異界人では相談できない内容なら同じ世界の彼女になら話せるだろう。

 ミアはスヴェンの視線を受け、意外そうな表情を浮かべながら店員に話しかける。

 

「えっと、流石にそんな何か有りますって顔されたら聞かずには居られないですね。異界人に話せないことでも私になら相談に乗れるかもしれませんよ?」

 

 店員は益々苦悩を強め、ミアの真っ直ぐな視線を受け漸く口を紡ぎ始めた。

 

「気が付いてないと思うけど、周りの屋台を見てくれ」

 

 言われて二人は周りの屋台を見渡す。

 噴水広場に並ぶ屋台の店員の誰しもが心ここに在らずと言った表情で営業していた。

 市場の商人とはまた違った彼らの表情にスヴェンとミアは何か有ると眉を歪め店員に向き直る。

 

「何が起きたんですか?」

 

 改めてミアの質問に店員が苦しげに話す。

 

「……二週間も前になるんだけど、町の子供達が全員行方不明になったんだ」

 

「行方不明事件ですか、それも子供が全員となると不穏ですけど、騎士団に通報したんですか?」

 

 店員は苦痛に満ちた表情でポケットから一枚の紙を取り出した。

 邪神教団の紋章が刻まれた紙、これだけで誘拐犯が誰か一目瞭然なのだがーー問題は内容だ。

 スヴェンは自身が読める範囲で文字を読み上げる。

 

「……『3000人、子供は誘拐、騎士団に通報するな、子供は皆殺し』、なるほど」

 

「君は……異界人の割には随分と文字が読める方なんだね」

「今は必要な情報だけだが……ミア、念の為内容を全文読み上げてくれ」

 

「分かった……えっと、『メルリアに住む諸君! 我々邪神教団が君達の大切な子供達、3000人を誘拐させてもらった。我々に対して行動を起こせない騎士団に通報したところで無駄ではあるが、あえて言わせてもらう。騎士団に通報するな、万が一1人でも騎士団に通報した愚か者が居れば子供は皆殺しにする』って脅迫文だね」

 

 一体どうやって三千人の子供を誘拐したのか疑問も有るが、スヴェンは話しを続ける。

 

「なるほど、目的は何だ?」

 

「うーん、脅迫だけで要求は書かれて無いよ」

 

 なんだその脅迫文は! そう叫びたい衝動をグッと呑み込んだ。

 目的を示さない脅迫文。しかし騎士団の邪魔が入っては都合が悪い。

 内容からそう理解したスヴェンはため息を吐く。

 邪神教団の潜伏先は地下遺跡という事は既に把握されている。

 問題は心許ない装備で邪神教団の始末と子供救出をしなければならないことだ。

 しかも三千人を無傷で救出、それをたったの二人で。それはどんなに経験を重ねた熟練の傭兵でも厳しいだろう。

 

「それで誰にも相談できねえわけか」

 

「魔王様を人質に取る卑劣な連中に自分達は愚か、国までも動けない」

 

「スヴェンさん、如何するの?」

 

 ここで自分達が子供救出を買って出るのは簡単だが、スヴェンは傭兵だ。

 金にもならない慈善事業はやらないが、旅立つ前にレーナからメルリアの邪神教団を叩いて欲しいと頼まれている。

 だが、今は素性を異界人の旅行者と偽っている身だ。此処でレーナの依頼を請け動いているとは口が裂けても言えない。

 だからスヴェンは敢えて素っ気無い態度で看板に書かれた獣肉の串焼きの料金分を金袋を取り出し、

 

「話してもらって悪いが、俺達にはどうにもならねえな。何せ異界人の旅行者だからよ」

 

 屋台の上に置く。

 

「……話しを聴いておいて手を差し伸べてくれさえしないなんて。やっぱり異界人なんかに頼るべき……いや、三千人の救出なんて……少しでも期待した自分が馬鹿だったよ」

 

 スヴェンに対して理性と険悪感、己の無力感に苛まれた複雑な感情を隠さず、それでも店員として注文を受けた獣肉の串焼きを売るのは彼なりのプライドなのだろう。

 六本の獣肉の串焼きを受け取ったスヴェンとミアは屋台から離れ、明確な敵意を背中に受けながらそのまま噴水広場から立ち去った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 人の気配が一切無い路地の椅子に腰掛けたスヴェンは、

 

「アシュナ、出て来い」

 

 彼女の名を呼ぶと、屋根からアシュナが飛び降りた。

 そしてスヴェンが獣肉の串焼きを二本差出すと、アシュナはそれを受け取りまたすぐさま姿を絡ませた。

 

「忙しい奴だな」

 

「それがアシュナの仕事だからね。……それにしてもこの町で誘拐事件が起きてたなんて」

 

 事件は大小の違いはあれど何処でも起こり得る。しかしメルリアで子供の誘拐事件が発生しながらアルセム商会はパーティを主催していた。

 パーティともなれば子連れの招待客が居てもおかしないが、疑問点は子供の同行拒否が行われて当然だと一人勝手に思考しては疑問点が解消される。

 

「そりゃあどんな町でも事件の一つは起こるだろうが、この国に限らず珍しい事じゃねえだろ?」

 

「そうだけど、でもどうにか出来ないかなって」

 

 ミアの期待を寄せる眼差しに肩を竦めて返す。

 

「仮に助けに向ったとしてガキ共の安全を保証できねえだろ。それに善意ってのは時に余計な被害を齎すもんなんだよ」

 

 例えば今回の件で言えば子供救出を異界人が勝手に乗り出したとしよう、どちらにせよ間違いなく戦闘に入り囚われた子供に被害が及ぶのは明白だ。

 意図しない形で助かる子供と巻き込まれて助からない子供の差を産む。

 現状の人数と装備で囚われた子供を全員、確実に無事に救出する方法は無い。無事に助かるのは良い所で半分も満たないだろう。

 しかし幾ら人の気配が無い場所とは言え、此処で話す気にはなれなかった。

 そもそも邪神教団を叩くという事は必然的に子供救出も行う必要性が有る。

 スヴェンはすっかり冷めてしまった獣肉の串焼きに齧り付き、冷めていながらタレと肉汁の旨味に驚きながら瞬く間に一本食べ終え、

 

「ま、俺から言える事は覚悟だけはしておけってことぐれぇだな」

 

 それだけミアに伝えた。

 すると彼女は神妙な表情で獣肉の串焼きに齧り付く。

 こうして遅めの昼食を済ませた二人は、また町巡りを再開させる。

 

 一見すると平和な町だが、注意深く住人、行商人、旅人を観察すれば彼らの明確な違いが浮彫りになる。

 例えば行商人は今日の売上や仕入れに対する儲けに満足顔で頷き、旅人は観光名所や屋台の食べ物に眼を輝かせる。

 ではメルリアの住人は? 彼らは一見すると気丈に振る舞っているが、その瞳の奥に隠された不安や哀しみは誤魔化せはしない。

 特に傭兵として恐怖や幸福を奪ってきたスヴェンからすれば、メルリアの住人がひた隠しにする感情は分かり易いものだった。

 スヴェンは住人が知らずに発する張り詰めた空気を肌で感じながら警戒を深める。

 三千人の子供を誘拐してしまえる邪神教団の組織的な規模に。



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3-5.流れる虹

 メルリアの町を巡り歩き、観光に来た異界人を装いながらスヴェンとミアは散策を続けーー空は既に夕暮れに染まっていた。

 スヴェンはある程度町全体の地図を頭に叩き込み、

 

「明日は地下遺跡の観光ってところか」

 

 肌に直接纏わりつく不穏な空気、メルリアで起こった事件とは別に傭兵かテロリストの工作時に感じる気配から地面に視線を向けた。

 

「町一つ分の広さを誇る地下遺跡だから一日で観光は終わらないかも」

 

 広大な地下遺跡で邪神教団は子供を誘拐しながら何を企むのか。 

 エルリアの王族を交渉席に着かせるためか、それとも此処に鍵が眠っていると判断したのかは情報不足でまだ分からない。

 

「この町は遺跡の上に建ってんだったな」

 

「そうだけど、それがどうしたの?」

 

 遺跡の真上に建設された町を崩すには、支えとなる支柱を破壊してしまえばいい。

 例え破壊しなくとも仕掛けを施し、誘拐した子供達を人質にレーナ達に封印の鍵明け渡しを要求する。

 外道やテロリストが考えそうな手段の一つを頭に浮かべ、ミアに訊ねる。

 

「支柱を壊しちまったらこの町は崩壊すんのか?」

 

 それに対してミアが冗談! と声高らかに笑った。

 

「昔の魔法使いは支柱が壊れたら簡単に崩れる町造りなんかしてないよ。支柱を失っても地下遺跡とメルリアの間に浮遊魔法が展開されてるんだから」

 

 例え支柱を破壊したとしてもメルリアの町は浮遊魔法に護られ崩壊しない。

 そう語るミアにーー魔法はつくづく反則だと思う。

 逆に言えばその油断が致命的な命取りにもなるが、魔法陣の強度を知らないスヴェンにとっては彼女の安心感も半信半疑だ。

 

「本当かよ」

 

「本当だよ? 仮に誰かが誤って支柱を壊しても町は崩壊しない……過去に何度も地下遺跡の支柱は壊されてるから、しかも去年は異界人にもねーー」

 

「あと浮遊魔法も近年改良を加えられて自己修復陣が追加されてるから物理的にも解除も難しいはずだよ」

 

 徹底した安全面に心底唸る。

 ならメルリアは邪神教団の単なる活動拠点に過ぎないかもしれない。

 丁度エルリア城には邪神教団が送り込んだ内通者も居る。連絡を取り合うには適した距離とも言えるだろう。

 いずれにせよ長居は無用だ。

 

「地下遺跡の観光が終わったら次の町に移動した方が良さそうだな」

 

 既にラオ率いる騎士団が動いているが彼らは邪神教団に武力行使に出られない。

 ましてや子供が人質に取られているならなおさらに。

 ならこちらは彼らに禍々しい魔力を持つ女性に関して伝え、諸々の問題を含め地下遺跡に潜む邪神教団を叩く。

 その後の後始末は専門家に任せるに限る。

 

「そうだね……そろそろ夕飯に丁度良い時間だし、酒場にでも行かない?」

 

「あん? 食事なら宿で良いだろう」

 

「あー、サフィアは食事の提供はしてないんだ」

 

「風呂はあんのか?」

 

「ちゃんと有るよ。此処は魔法大国だよ? お風呂なんて魔法で簡単に沸かせるもん」

 

 スヴェンはこれまで何度か魔法を眼にする機会が有った。

 確かに魔法という力は生活にも使われ、便利で豊かな時代を築いているとさえ思う。

 デウス・ウェポンでは魔力が星のエネルギー源だったから機械文明をモンスターの対抗手段として発展させた。

 それならテルカ・アトラスの魔力は?

 

「テルカ・アトラスの魔力ってのは星のエネルギーじゃねえのか?」

 

「星の内を巡る魔力は確かに星の血とも言えるけど、私達は自分の体内で生成した魔力で魔法を行使してるから影響は無いみたいよ」

 

「……星の内部を巡るってのはデウス・ウェポンと共通か。なら星から魔力を利用した場合は?」

 

 その質問にミアは思い出す素振りを見せ、

 

「これは授業で習って実践した結果なんだけど、人に星の内部を巡る魔力は扱えないわ。星の魔力は強力で膨大過ぎるから操作も受け付けないよ」

 

 ミアの説明に納得がいく。

 星という母なる大地が産み出す魔力は人間には到底扱えるものではない事にも。

 逆にデウス・ウェポンは扱える術を産み出したが、危険性を恐れ不干渉を貫いた。

 自ら産まれた星を滅ぼしたくない。どんな外道や大企業が絶対に踏み越えない暗黙の了解によってデウス・ウェポンは今を維持している。

 それでも未だ戦争経済から脱却できずにいるが、覇王が存命の今ならそれも遠くない未来だろう。

 スヴェンは元の世界の情勢を浮かべつつも、テルカ・アトラスの魔法に安堵の意を示す。

 

「なら安心して魔法が使い放題だな」

 

「まあね! 私は治療しかできないけど!」

 

 自慢げに語るミアを尻目にスヴェンは、視界の端に人混みに紛れる神父や修道女の数が多いことに気付く。

 アトラス教会と邪神教団は敵対関係に有ると聴いてはいたが、こうして町を見回る程度には邪神教団の活動も活発なのか。

 スヴェンは地上の何処かに潜む邪神教団に警戒を浮かべながら、空腹を知らせる腹の虫に眉を歪めた。

 腹が減ってはなんとやらだ。

 

「俺は腹が減った。早いところ酒場に案内してくんねえか?」

 

「良いよ、私もお腹空いたしね。それに今から行く場所は私のとっておきだよ」

 

 楽しみにして! そう言いたげな笑みを浮かべ先頭を歩く彼女の背中に着いて歩く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 空が夕暮れに染まった十八時頃、酒場に到着したスヴェンとミアは人目に付かない片隅の席に座る。

 酒場内は労働者やそうでもない者達が溢れ喧騒や楽しげな声に包まれていた。

 スヴェンはメニューを決め、いつの間にか隣に座っていたアシュナに視線を移す。

 

「アンタは何が食いてえ?」

 

 メニュー表を差出すとアシュナが意外そうな表情を浮かべた。

 

「驚かないんだ、それに案外優しい?」

 

「付いて来ているってのは分かってんだから驚きようもねぇよ。……それに飯食う時は普通だろ?」

 

「普通……姫様のお金で食べるのも?」

 

 周りに聴こえないように充分配慮された小声にスヴェンが肩を竦め、ミアがくすくすと小さく笑う。

 レーナから貰った活動資金で食事する事に関しては否定しないが、

 

「言い方には気を付けろよ。こいつは俺達三人の旅費から賄ってんだ」

 

「そっか。じゃあ此処から下まで全部」

 

 メニュー表の上から下まで差した指を動かした彼女に、スヴェンの顔が引き攣る。

 

「……冗談だよな?」

 

「冗談だよ? 全メニュー三人前が正解」

 

 誰も酒場の料理全部なんて食べ切れない。ましてやアシュナの小さな身体の何処に入るんだと突っ込みたくもなる。

 

「食い切れんのかよ」

 

「無理、スヴェンならいける」

 

 無理なのかよ。内心で突っ込みを入れたスヴェンはため息混じりに、

 

「全部は無理だ、せいぜい大盛り三品が限界だな」

 

 そう答えるとアシュナの残念そうな視線が突き刺さった。

 

「大人は沢山食べるって聞いた。スヴェンは大人だよね?」

 

「人の胃袋には個々人で許容範囲が決まってんだよ……ってかそんな話し誰から聴いた?」

 

「ミアから」

 

 スヴェンは何を適当な事を教えてるんだと言いたげな視線をミアに向けーー彼女は視線を左右に彷徨わせ、やがて『てへっ』と舌を出して笑った。

 一度こいつをはっ倒してやろうか? そんな思いが腹の奥底から込み上がるが、確かな足取りで訪れた来客に視線が向く。

 私服姿のラオとレイの二人組。そしてこちらの様子を伺う数名の騎士を確認したスヴェンは何食わぬ顔で口を開いた。

 

「おう、アンタらか」

 

 二人はそんな適当なあいさつに頷き、ラオとレイが向かいの席に座る。

 如何やら二人は確かな要件が有って訪れたらしい。

 

「貴殿が旅行のため出発したと聴き驚きはしたが、いやはや納得もする」

 

「全く、僕としては君には是非とも協力して欲しかったんだけどね」

 

 片やおおらかに笑い、片や残念がる素振りを見せる。

 そんな二人にスヴェンは出発前日にレーナと決めた作戦が伝わっていることに感心した。

 本来の目的は避け、スヴェンは表向きの話題を告げる。

 

「そういや、此処に来る道中タイラントに襲われたんだが?」

 

 目撃者多数の襲撃に付いて出すと二人は感情を押し殺した様子で、

 

「なるほど、小隊が追っていたタイラントを討伐したのは貴殿だったか。して、何か見たのかね?」

 

「討伐したのは別の奴だが……襲われた荷獣車から正気を疑うクソダサい紋章を見た」

 

 それが邪神教団のシンボルだと知らない風を装う。

 スヴェンの様子にラオが顎に指を添え思案する素振りを見せ、レイが何か察した様子で口を開きかけーーそれをラオが視線で静止する。

 

「貴殿が見た物は邪悪を象徴する物、深入りせず水に流す事が吉だろう」

 

「あんなバケモンに襲われたのにか?」

 

「命あっての物種と言うではないか。それに慈善事業は金にならんぞ?」

 

 表向きは深入りするなと告げられるがーーテーブルの下越しに手渡された紙にスヴェンは納得した様子で、事前に纏めていた小さな紙を渡す。

 

「分かった、副団長様にそう言われちゃあ仕方ねえ」

 

 わざとらしく肩を竦めるとラオがいい笑顔を向けた。

 

「不甲斐無い騎士団の詫びという訳では無いが、貴殿らには一杯奢ろう」

 

「お酒は呑めない、ジュースでお願い」

 

「あいわかった、ミア殿は如何かな?」

 

「副団長、スヴェンの苦労を考えるなら馬鹿に更に馬鹿になる薬を投与するのは酷なんじゃないかな」

 

 レイの発言にミアが噛み付く。

 

「なによぉ!! 私だってお酒ぐらい呑めますよ! そこの店員さん! 火酒を一杯!」

 

 勢任せに度数が高そうな注文にスヴェンが頭を抱える。

 

「レイ、頼むからそこの馬鹿を煽るな」

 

「すまない、まさかこんなに煽り耐性が低下してるとは思ってもなくてね」

 

「二人して私を何だと思ってるんですか! 美少女とお酒を呑めるだけでもお金払っていいレベルですよ!?」

 

 まだ彼女が酒に対する酒量を知らないが、妙に自信満々な様子が不安を煽る。

 嫌な予感が拭えないスヴェンはレイに視線を向けた。

 

「ミアは酒に強えのか?」

 

「……弱いよ。ただ悪酔いすることは無かったかな」

 

「ふむ、所属問わずの新人歓迎会を思い出すな。あの時のミア殿は即酔い潰れ大人しかった」

 

 それなら別にミアが酒を飲んでも別段問題無いように聞こえる。

 ただ、二人の泳いだ視線がどうにも引っ掛かりを覚えるのだ。

 しかし煽り耐性の低下を考えればーーミアなりにストレスを感じているのかもしれない。

 旅は始まったばかりだが、ストレスで倒れられても面倒だ。

 そう考えたスヴェンは決めていたメニューを注文し、

 

「そういや、妙な女に会ったな」

 

 昼前に出会った女性に付いて切り出した。

 

「妙な? それはどんな女性だったのかな?」

 

「紫の髪に……顔はあんま覚えてねえが、禍々しい魔力を宿してやがったよ」

 

 それだけ告げるとラオとレイが深妙な顔付きで互いに顔を見合わせた。

 恐らく彼女は騎士団が独自に追っていた存在なのだろう。

 ミアから聴いた邪神眷属や悪魔のことも有る。警戒するに越したことはない。

 

「まさかこの町に潜んでいたとは、有益な情報感謝する」

 

 別に大した事は無い。スヴェンは態度でそう示し、運ばれて来たビールを呷る。

 ついでに例の女性に対する警戒を深めるためにスヴェンは質問した。

 

「あの女は何者なんだ?」

 

 するとラオは伏せ目で静かにスヴェンだけに聴こえる声量で答える。

 

「身体に禍々しい魔力を宿しては居るが、かつて邪神に呪われた一族の末裔らしい。それゆえに体内の魔力を正常に浄化する方法を捜しているとも聞く」

 

「邪神眷属や悪魔ってわけじゃねえのか」

 

「うむ。封印から抜け出した邪神眷属や悪魔は邪神教団と共に行動していると聞くが……あの者は単に呪いを解く方法を捜しているに過ぎんのだ」

 

「それでアンタらが追ってる理由ってのは何だ? 聴く限り危険性は少ないと感じるが」

 

「彼女自身に危険性は無いだろうなぁ。しかし、邪神教団にとって邪神が残した呪いは正に邪神の力の一部。謂わば彼女は生きた封印の鍵なのだ」

 

 ラオの耳を疑うような言葉にスヴェンは一瞬だけ言葉を失う。

 これまで封印の鍵が何らかの形をした物だと思い込んでいたからだ。

 

「封印の鍵ってのは生物でも有り得んのかよ」

 

「把握してる生きた封印の鍵は彼女だけでは有るが、スヴェン殿はそちらに関与せず目の前のことに集中するとよいだろう」

 

 確かにラオの言う通り魔王アルディアの救出に専念すべきだ。

 

「そっちの事はアンタらに任せるが……肝心のあの女の名は?」

 

「さて、今は何と名乗ってるのやら」

 

 ビールジョッキを片手に分からないと口走るラオに、スヴェンはそういうものかと理解しては再びビールを呷る。

 その傍ら火酒を一気に飲み干したミアが顔を真っ赤にこちらに詰め寄る。

 酔ったミアが小悪魔的な表情を浮かべ、

 

「スヴェンさ〜ん、楽しんでる? それとも私と愉しむ?」

 

 色気も何も感じさせない阿呆な事を抜かした。

 スヴェンは近付けられた顔を手で遠ざけながら呆れる。

 

「酔うの早えよ」

 

 話しに聞いた通り酒に弱い。次から彼女に酒を呑ませる時は注意を払う必要性に頭痛が起こる。

 

 ーーそこまで面倒見てられるか。

 

 酔い潰れるなら勝手に酔い潰れろ。それがミアに対して出した結論だった。

 

「スヴェン、運ぶのはお願い」

 

 いくらアシュナでも酔い潰れたミアを運ぶのは嫌なのだろうか。

 そもそも身長差的にアシュナでは厳しいものがある。

 それからスヴェンは数十分後にアシュナの言葉の意味を嫌でも理解することになった。

 隣でテーブルに突っ伏して寝息を立てるアシュナに、

 

「運ぶってのはそっちの意味かよ!」

 

 苛立ち混じりに声を荒げた。

 そして左隣に移動してはウザ絡みを続けるミアに苛立ちが加速する。

 

「すゔぇんさ〜んは、もっとわたしをあまやかなさいとだめだよぉ〜?」

 

 酔いのせいか何処か幼さを感じる口調に眉が歪む。

 

「これは地獄かな?」

 

「変わってくんねえかな」

 

「すまない、僕も彼女は苦手なんだ」

 

 お互いに苦手同士でよく食事を摂ろうと思えたもんだ。

 スヴェンは豪快な笑みを浮かべるラオに忌々しげな視線を向け、

 

「明日は地下遺跡観光も控えてんだ、ここいらでお暇させてもらうが構わねえよな?」

 

「うむ、構わぬが公共物を壊してはならぬぞ。あぁ、それと此処は奢ろう」

 

 ラオの忠告にスヴェンは頷き、脇にアシュナを抱え完全に酔っ払い足取りも覚束無いミアを連れ出て行く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 月灯りと街灯が照らす夜の町並み、影に覆われた路地で酸っぱい臭いが鼻に突く。

 そして視線の下には嘔吐を繰り返し醜態を晒す自称美少女の姿が有った。

 

「残念の間違いだろ」

 

「うぇっ、気持ち悪ぃ〜スヴェンさん、助けて〜」

 

 吐いたお陰が元の口調に戻った彼女に、

 

「宿に着くまで我慢しろクソガキ」

 

 吐き捨てるように告げ、足を動かすと掴まれた。

 訝しげにミアに視線を向けーー申し訳なさそうな表情で、

 

「あの、立てないので運んでくれない?」

 

 そう告げられた瞬間、眉間に皺が寄る。

 運ぶのは簡単だが、脇にアシュナを抱え背中には大切な相棒を背負っている。

 つまり今の自分にはミアを運ぶ余裕が無い。

 

「生憎と埋まってる」

 

「……肩を貸してくれるだけで良いから」

 

「それなら構わねえが吐くなよ?」

 

「全部出したからもう大丈夫」

 

 ミアを立たせ、肩を貸しながらスヴェンはサフィアに戻る。

 そして最初にアシュナを荷獣車に放り込み、宿部屋にミアをベッドに放り投げ、スヴェンは荷獣車の中で睡眠を摂るのだった。



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3-6.警戒

 メルリア到着から二日目の朝。

 スヴェンとミアは本来の予定を変更して礼拝堂に足を運んでいた。

 招かれた談話室で目前で食えない笑みを浮かべるノルエ司祭にスヴェンが話しを切り出す。

 

「ラオから渡された紙には此処に向かえ。そう一言だけ書かれていたが、何か知らねえか?」

 

「我々はラオ殿から異界人の旅行者と協力しろと要請を受けている」

 

 ノルエ司祭は協力と口にしているが、彼の視線には明確な警戒心が表れていた。

 幾ら副団長経由の協力要請であろうともスヴェンは異界人だ。これまでの異界人の行動、引き起こした事件を考えれば信用されず警戒されて当然に思える。

 スヴェンは面倒半分と納得した様子を浮かべ、

 

「異界人の行動が姫さんの評判を落としてるとは思っちゃいたが、露骨に警戒されるとはな」

 

 ノルエ司祭がわざとらしく肩を竦めた。

 

「悪く思わないでくれ、こちらも貴方を判断する材料が不足しているのでね。それに万が一救出作戦が異教徒共に漏れる恐れも有るだろう?」

 

 彼の言う言葉は正論だった。

 裏切りかねない異界人を誰も信用できない。レーナが召喚したという肩書きだけでは最早異界人はこの世界に受け入れ難い存在になりつつ有るーー前任者達に文句の一つも言いたいところだが、まだ実績も無いスヴェンにそれを言う資格が無い。

 だからこそスヴェンは敢えて旅行者という姿勢を崩さず、

 

「ま、元々指示に従っただけで協力だとかガキの救出に興味はねえ、俺達は勝手に地下遺跡の観光に向かうだけだ」

 

 あくまでも観光だと強調する。それに対してノルエ司祭はお互いに表立って協力する必要性が無いと判断したのか頷いて見せた。

 

「勝手に地下遺跡に向かうのは構わないが、子供達を如何する考えだった?」

 

 元々囚われた三千人の子供は突入前にミアを経由してエルリア城に保護を要請、アシュナに転移クリスタルを預け救出を任されるつもりだった。

 その際にスヴェンは陽動役に徹しつつ邪神教団を叩くーーしかしそれでも子供に及ぶ被害は免れない。

 子供を護りつつ、転移クリスタルを起動させ誘導するには戦力が圧倒的に足りない。

 現状採れる手段では子供の無事を保証出来ず、かと言って部外者に協力を求める訳にもいかなかった。

 部外者を経由してスヴェンの行動が邪神教団に知られては拙い。まさに孤立無縁の状態。

 そしてそこに来て今日、アトラス教会が救出作戦を計画していると知れたのはある意味で朗報だった。

 明らかに人数がこちらよりも多いアトラス教会なら子供を任せられる。

 そう判断したスヴェンはサングラスを外し、ノルエ司祭の眼を真っ直ぐ見つめた。

 

「迷子のガキ共を導くのも聖職者の仕事だろ」

 

「……瞳の奥底に秘められた底抜けの冷たさはさて置き、確かに貴方の言う通り迷子を導くのも我々聖職者の役目だ」

 

 眼を見て意図を察したノルエ司祭にスヴェンがサングラスをかけ直すと、静観していたミアが胸を撫で下ろす。

 

「スヴェンさんの三白眼で余計に話が拗れるかと思ったけど、眼を見て真意を判断するなんて流石はノルエ司祭ですね!」

 

 称賛の言葉を向けられたノルエ司祭は笑みを浮かべた。

 用事は済んだと判断したスヴェンが椅子から立ち上がると、

 

「あぁ、少しミア殿と話したいのだが、貴方は先に出てくれないかね?」

 

 ノルエ司祭がミアにどんな要件が有るのか容易に察しが付いたスヴェンは、何か言いたげな彼女を置いて先に談話室を出た。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 礼拝堂の外でミアを待つこと一時間。空を眺めていると西の方角から羽ばたき音に視線を向けーースヴェンは言葉を失った。

 突風を撒き散らしながら礼拝堂の上空を通過する大の大人を二、三人程度は乗せられる大鷲の姿に漸く声を絞り出す。

 

「……マジかよ」

 

 その大鷲が地上に降下し、滞空を始めると大鷲の背中からゴーグルをした少女が飛び降りた。

 脇に荷物を抱え、スヴェンの目前で華麗に着地した少女が愛想笑いを浮かべ、

 

「毎度〜空が繋がる限り何処でも最速でお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

 営業文句を上機嫌に奏でた。

 

「あなたがスヴェン様で間違いない?」

 

「あぁ、間違いねぇよ。……にしてもデケェ大鷲だな」  

 

「およよ? 大鷲を見るのははじめて?」

 

 少女の問い掛けにスヴェンは頷く。

 デウス・ウェポンでは既に動物が絶滅し、大鷲もアーカイブに記された記録だけの存在だった。故にスヴェンは内心で密かに本物の大鷲に感動していた。

 スヴェンの様子に少女は愛想笑いを向けながら受取り票と羽ペンを差し出す。

 

「こちらにサインをお願いします!」

 

 手早く受取り票にサインを記し、スヴェンは少女から荷物を受け取る。

 そして少女はその場から跳躍しては大鷲の背中に飛び移り、

 

「それではまたのご利用をお待ちしております!」

 

 そう言って大鷲が土煙りを派手に撒き散らしながら北へ飛び去って行った。

 早速スヴェンは備え付けの椅子に座り、荷物からガンバスターの整備用道具、潤滑油と二本の鉄棒ーーそしてブラックからの手紙を取り出した。

 

「『お前さん、武器構造……内部に空洞、鉄棒二本……』なるほど、武器関係はブラック・スミスに限るな」

 

 辛うじて読める箇所を読み進め、内容を理解したスヴェンは今後もブラック・スミスを贔屓にすると決意する。

 そして早速鞘から引き抜いたガンバスターの腹部分に固定されたボルトを外し、腹部分を取り外した。

 ガンバスター内部に装着された銃本体とは別に、ひび割れた荷電粒子モジュールを外す。

 

「見事にコイツだけぶっ壊れてんな」

 

 ガンバスターの内部はご丁寧に荷電粒子モジュールだけを破壊されているが、他の箇所には一切の損傷が無い所を見るに覇王エルデがどれだけの使い手か窺い知れる。

 次にスヴェンは銃本体を柄ごと取り外し、シリンダーを開く。

 シリンダーから装填していた.600LRマグナム弾を取り出し、手慣れた手付きで素早く銃本体の整備を済ませる。

 続いて銃本体を元の位置に装着し直し、銃身を挟んでいた二本の電極を外し、代わりに二本の鉄棒を嵌め込んだ。

 そして最後にガンバスターの腹部分をしっかりと固定させ、懸念していた応急処置を済ませるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 丁度ガンバスターの整備を終えた頃、ミアが浮かない表情でスヴェンの元に戻って来た。

 真っ直ぐとこちらに向ける瞳ーー何か言いたげな眼差しにスヴェンは視線を向け椅子から立ち上がった。

 彼女の視線を前にスヴェンは、

 

「観光案内役を降りるか?」

 

 突き放す態度で接した。

 ノルエ司祭にミアが何を話したのか興味は無いが、レーナの依頼に支障をきたすなら此処で彼女を切り捨てるのも選択の一つだ。

 しかしミアはスヴェンの考えとは裏腹に取り繕った笑みを浮かべ、

 

「お給料も良い案内役を降りるとか冗談!」

 

 そう答えた彼女にスヴェンは歩き出し、

 

「ならさっさと行くぞ」

 

「早く終わらせて美味しいご飯を一杯食べよ! もちろんスヴェンさんのお金で!」

 

 既にミアから浮かない表情は消え、いつも通りの愛想笑いに戻っていた。

 切り替えの速さを見習うべきか。それはそうと一つ訂正しなければならない事が有る。

 

「そいつは実績を示した後でだ」

 

「そういう所は変に真面目だよね」

 

「信頼で成り立つ傭兵稼業だからな、当然のことなんだよ」

 

 こうして軽口を叩き合いながら二人は地下遺跡の入り口へと向かう。



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3-7.拷問と潜入

 晴れ渡った空が嘘のように雨雲に隠れた頃、スヴェンとミアの二人はーーアシュナが密かに付いて来ている事を確認しつつ地下遺跡の入り口に到着していた。

 入り口付近に二人組の男が立っているが、二人がお構い無しに入り口に近付くと。

 

「待った! 悪いけど本日遺跡ツアーは休業だ」

 

 二人組の男、その片方が淡々と事務的に語る。

 男の言い分にミアは可笑しいと首を傾げた。

 

「可笑しいですね、メルリアの地下遺跡ツアーは年中無休の筈ですよ。それが何の告知も無く突然休業だなんて変です」

 

 パンフレットをチラつかせた彼女の指摘に二人組の男の肩が僅かに強張るのをスヴェンは見逃さなかった。

 地下遺跡が邪神教団の潜伏先なら彼らは邪神教団の手先か。それとも子供を人質に取られた従業員の可能性も高い。

 前者なら幾らでも脅しようが有るが、後者は人質の安全の為に如何なる脅しにも屈しないだろうーーそれが子を愛する親という存在なら。

 思案するスヴェンを他所にミアが任せてと言わんばかりにこちらに視線を向け、一先ずこの場を彼女に任せることにした。

 

「ツアーを休業しなければならない理由を是非とも教えてくれませんかね?」

 

 ミアは男に愛らしく片目を瞑ると、

 

「……り、理由か。あまり表沙汰にできない事件が起こったんだ」

 

 男は瞳を泳がせ額に汗を流しながら答え、隣で控えていた男が突如声を荒げる。

 

「おい! なに勝手なことを!」

 

 叫ばれた男は肩を震わせ、強い緊張感から苦し気に息を乱す。

 つまり、事件に付いて話した男は子供を人質に取られたこの町の住人だと判断できる。

 そしてミアは声を荒げた男に対して論ずるように笑みを向けた。

 

「まあまあ、つい守秘義務を口に出しちゃうほど緊張してるようですし? あなたもあまり怒鳴らない方が良いですよ、異界人風に言えばパワハラで訴えられるとかなんとか」

 

「よく分からんが、兎も角ここは立ち入り禁止だ!」

 

「そうなんですか。私の調査によれば地下に子供達が居ると通報も有ったんですがね……それも三千人も」

 

 これは動揺を誘う為のブラフだ。

 確かに地下遺跡に町の子供達が集められ、人質に取られている事はノルエ司祭との会話でも察する事ができる。

 その証拠に緊張に苛まれていた男はミアに安堵した様子を浮かべ、片や殺意を剥き出しに懐から短剣を取り出した。

 男が今にもミアに斬りかからんと動き出す。

 こうなればスヴェンの行動は迅速だった。

 ナイフを引き抜き、素早く短剣持ちの男の短剣を叩き落とす。

 突然の事に怯んだ男が咄嗟に魔法の詠唱に入る為に、口を開いた瞬間ーースヴェンは背後に周り込み、背後から羽交締めにナイフを喉元に突き付ける。

 ついでに男の首を締め上げながらスヴェンは声に殺気を込めた。

 

「言え、お前は何者だ?」

 

 彼が魔法を唱えるよりも早くナイフが喉元を掻き切る。

 男もそれを理解したのか、魔力を引っ込め詠唱を中断した。

 

「ぐ、ぐぇ……こ、こんなことして……タダで……」

 

 しかし、どうも拘束した男は状況を把握していないようだ。

 スヴェンは敢えてナイフを喉元から離し、

 

 「おっとうっかり手が滑った」

 

 男が一瞬安堵した瞬間ーー刃を頬に突き刺した。

 そしてナイフの刃で頬を抉り、血が刃を通たい床にポタリと落ちる。

 スヴェンはわざとらしく戯けた態度で男の頬からナイフを引き抜く。

 

「〜〜〜〜っ!?!?」

 

 男は声にならない悲鳴を上げ、激痛と突然の状況から額に脂汗を滲ませ、そして歯茎が見える程の穴が空いた頬から血が流れ出る。

 それを目撃していたミアと男が正気を疑う眼差しをスヴェンに向けていた。

 スヴェンはそんな視線を気に留めず平然とミアに告げる。

 

「おい、コイツの傷を癒やしてやれ」

 

「えっ? わ、分かったーーかの者に癒しの水よ」

 

 ミアは杖を羽交締めにされた男にかざし、呪文を唱えると淡い緑の光が瞬く間に男の頬の傷口が綺麗に癒える。

 頬に穴が空く程の怪我を一瞬で治療してしまえる魔法ーーミアが自負する通り治療魔法はスヴェンが舌を巻くほど素晴らしいものだった。

 

「もう一度質問する。お前は何者だ? あぁ、警告しておくが、アンタが間違えれば俺は何度も刃を突き立て、そこの女が傷を癒すぞ?」

 

 スヴェンの警告に男の顔が恐怖に染まる。

 彼は想像してしまったのだ。何度もナイフで身体の一部を斬られ突かれ苦痛に苛まれ、治療魔法によって傷を綺麗さっぱり癒される拷問を。

 男は口元を震わせ、ようやく答える。

 

「お、オレは……邪神教団の信徒。その一人だ」

 

「地下遺跡に潜伏する教団の人数は?」

 

「し、知らない! 他に何も知らないんだ! オレはただ、此処で誰も入れるとだけ命じられてただけなんだ!」

 

「捕まえたガキ共、捕縛方法は?」

 

「だから知らないんだ! だいたいオレがこの町に呼ばれて来たのは昨晩のことなんだ!」

 

 男は必死に訴えるように叫んだ。彼の言葉にスヴェンはナイフの刃をゆっくりと喉元に近付けた。

 その行動に男は息を飲み、やがて死を覚悟したのか眼を瞑る。

 

「あぁ、我らが邪神様。敬虔なる信徒がいまそちらに!」

 

 先程までの恐怖と焦りが嘘のように消え、幸福に満ち溢れた表情で邪神に対する忠誠とも取れる言葉を口にした。

 どうやら男は本当に何も知らないようだ。

 一人脅せば情報が幾らでも得られると鷹を括っていたが、邪神教団は並の兵士とは違うらしい。

 スヴェンはナイフの柄の先端を男の側頭部に強く打ち付け意識を刈り取る。

 気絶した男をもう一人の男に預け、

 

「そいつを厳重に拘束しておけ」

 

 言われた男は頷き、

 

「あ、あなたはなぜあんな事を? 異界人は大抵平和な世界から来たと聞いていたが……」

 

「中には平和とは縁遠い奴も居るってことだ。……地下遺跡の地図かなにか持ってるか?」

 

「あ、あぁ。観光に訪れた客人に案内図を渡すのも仕事の内だからね」

 

 そう言って男は懐から案内図を取り出し、ミアに手渡した。

 

「確かに預かりました……いま見たことと私達の事は他言無用でお願いしますね」

 

「わ、分かったよ。……地下遺跡には邪神教団が蔓延ってる、くれぐれも子供達に危害を及ぶような真似だけはしないでくれよ」

 

 男の忠告にスヴェンとミアは頷き、地下遺跡に続く螺旋階段から遺跡に入り込んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 太陽の光も届かない螺旋階段を壁の至る所に設置された魔法による照明の灯りが、足下は愚か螺旋階段全体を照らす。

 お互いに無言のまま魔法と気配に対する警戒を最大限に長い螺旋階段を降り進む。

 行動を前に非常に良くない空気がミアから発せられ、漸くスヴェンが観念したように口を開いた。

 

「何か言いたけだな」

 

 恐らく彼女は先程の拷問に付いて言いたいのだろう。半ば予想を立て足を止めず聞けば、

 

「さっきの行動、いくら相手が邪神教団でもやり過ぎじゃないの?」

 

 想定内の鋭い棘を含んだ言葉、声量は抑えられているが今のミアは感情的だ。

 

「ガキ共を人質に取るような連中相手に甘えは許されねえよ。下手をすれば奴から俺達の侵入が露呈する、そうなりゃあガキ共はどうなる?」

 

「確かに子供達は危険に曝されちゃう。だけど、拷問なんてせず気絶だけで良かったじゃない」

 

「何の情報も無しに突入する馬鹿はいねぇよ。だがまぁ、期待通りの情報は何も得られなかったがな」

 

 拷問の結果で得られたのは邪神教団の不気味なまでの信仰心だけだった。

 死さえ恐れない手合いは非常に厄介だ。傭兵として戦場を駆け抜けた経験にーー死こそ安寧と洗脳された少年兵達による自爆特攻を受けた経験も有る。

 

「代わりに連中の信仰心を知れた、あれは十分に警戒するべきだな」

 

 あの場を眼を背けずに見ていたミアも同意を示すように頷く。

 

「噂には聴いていたけど、間近で見ると一種の狂気すら感じたわ。だけどスヴェンさんはあの方法をこれからも続けるの?」

 

 視線から感じる先程の男に対する同情心にスヴェンは肩を竦めた。

 

「俺が傭兵である以上はそうするさ。だが、アンタが敵に対する同情心や情けを持とうがそいつは別に構わねえ」

 

 意外に思ったのかミアは小難しいそうに眉を歪める。

 

「如何して? 普通なら敵に情けをかけるなって言う所でしょ」

 

 戦場に立つ傭兵をはじめとした兵士になら情けをかけるな、同情するなと教えるがーーミアは兵士以前に傷付いた者を癒す治療師だ。

 一応彼女も治療部隊に所属する人間ではあるが、聞くところによれば治療部隊は、傷付いた者達の救護及び治療を最優先に編成された部隊だ。

 そこに慈悲の心も有れば、傷付いた者に対する同情心も生まれる。

 そんな感情を捨てろとまで言う気にもならなければ、そもそもこの場で外道は一人で事足りるからだ。

 

「外道は一人で充分だ」

 

「スヴェンさんはそうやって一人でやろうとしてない?」

 

「勘違いすんなクソガキ、互いの得意分野を活かしてるだけだ」

 

 不満気な視線がガンバスター越しに背中に突き刺さるが、幾らミアが相手に打撃と治療魔法を繰り返す運用方法を使えたとしてもスヴェンの答えは変わらない。

 魔法学院の実習、すなわちルールが明言された実習と戦闘や拷問は違うからだ。

 スヴェンはミアの視線を無視して、螺旋階段を降り進んだ。



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3-8.邪神教団

 スヴェン達が螺旋階段を降り進んでいる頃。

 地下遺跡には入口から各区画に続く通路が有るが、そこを通り抜ければかつて繁栄を築いた町の名残が出迎える観光地だ。

 だが、本来観光客で賑わう地下遺跡は何処で啜り泣く子供達の声が絶えず響き、怪し気な集団が徘徊していた。

 そんな地下遺跡の何処かの部屋ーー紫色の炎が灯る暗がりの部屋に二つの影が揺らめく。

 どちらも邪神教団の紋章を刻んだ白いフードを目深に被り、正体を隠しながら華奢な体格の方が口を開いた。

 

「報告を。昨日メルリアに入った異界人に付いて」

 

 淡々と男性とも女性とも判断が付かない中性的な声が響く。

 報告を受けた銀髪の男ーーランズはメルリアに入った二人組の顔を思い起こしながら耳を傾ける。

 同時に昨日街道で行われた戦闘もランズは、荷獣車の中で見ていた。

 可憐な青髪の美少女が手綱握るハリラドンの荷獣車に並走していたのもランズが乗っていた荷獣車だった。

 

「タイラントを助太刀有りとはいえ、単独で相手にする異界人に監視を付けた所。昨日の昼頃に数人の監視員が消息を絶った」

 

 この場を預かる身として自身の預かり知らない所で監視員が消息を絶つ。

 むろん目の前の信徒が取った行動に何も間違いは無い。エルリア城から出発した異界人は警戒するに越したことはないのだから。

 ましてや単独で、しかも魔法を使わずに戦闘経験と身体能力だけでタイラントを相手に切り抜ける人物を警戒しない方がおかしい。

 しかし、気配遮断に長けた監視員が行方不明になった点に引っ掛かりを覚える。

 邪神復活を誓った同志は、恐らく始末されてしまったのだろう。

 ランズは溢れ出す怒りを抑え、冷静に確認するように問うた。

 

「なに? 我々が保有する監視員がか?」

 

「そうだ。定時連絡の時刻を過ぎても彼らは誰一人戻って来ることは無かった」

 

 気配遮断に長けた監視員を感知するには、相応の感知魔法や技量が必要不可欠だ。

 あの異界人は魔法を使えない、それはタイラントとの戦闘を見れば一目瞭然だ。

 なら同行していた青髪の少女か。いや、それも無いだろう。あの少女はエルリア城に潜む内通者によれば治療魔法しか使えないと聴く。

 二人の何方でも無いなら自ずと彼らの姿が浮かぶ。

 

「エルリア魔法騎士団が動き出したのであれば魔王を砕くしかないが……」

 

 万が一エルリア魔法騎士団が動いたとなれば、こちらは見せしめに魔王アルディアを砕く。

 だがそれをしてしまえば人質を失い、あの召喚魔法に長けたレーナの手によって邪神教団は想像以上の痛手を被ることに。

 ランズは空に召喚される無数の竜、精霊を想像して顔を青褪めさせた。

 

「……騎士団は誰も我々に対して動いていない。いや、昨日は今朝から路地裏を根城にした泥棒を拿捕した程度かな」

 

 それでは誰が監視員ーー同志を始末したというのか。

 

「もしや監視対象が何か行動を? それとも誰か協力者が居る可能性も」

 

 協力者の存在。確かにその線は濃厚と言えるだろうが、果たしてレーナの依頼を断った異界人に対して誰が協力するのか。

 

 ーー確実に居る。異界人に協力してもおかしくない勢力が。

 

 メルリアには忌々しいアトラス教会が我が物顔で活動している。

 二週間程前に町の子供を全員攫い、エルリア王家に対する交渉及び戦闘の準備を進めてきた。

 町の子供が全員誘拐されるという大きな事件を起こしたのだから教会が異界人の出発に合わせて動くのも必然とも思えた。

 しかし教会が動くと言うことは殲滅戦に移行する準備が既に完了しているに違いない。

 敵対しているとはいえ、教会の調査能力も決して侮れない。

 

「異教徒共が動き出したか。拠点の防備を固めた所でもう遅いのだろう?」

 

「アトラス教会は今日中に攻め込むだろう」

 

 報告を受けたランズがため息を吐く。

 エルリア城に内通者を忍び込ませ、内部事情を探らせつつ子供を盾に攻め込む段取りだったが儘ならないものだ。

 まだ攻め込む為の準備が整わず、集う筈の戦力も各地に分散したまま。

 それも仕方ない。本来の目的は封印の鍵の探索と回収なのだから。

 優先事項の違いにランズが眼を伏せると、暗がりの部屋にコツコツと足音が響く。二人が警戒を向けると、

 

「折角協力してやってるのに、いちいち警戒されるのは心外なんだけどなぁ」

 

 紫色の灯りに照らされ、腰に一風変わった武器を携行した黒髪の少年の姿が顕になる。

 彼もまた邪神教団に降った異界人の一人だ。

 

「今から侵入者が此処に来るが、お前にも戦ってもらうぞ」

 

「へぇ? 侵入者って同じ異界人かな」

 

「アトラス教会の執行者達だ。お前と同じ異界人は今は何をしてるのやら」

 

 監視員が消息を絶ったため、二人組の足取りが追えなくなった。

 タイラントを単独で相手に出来る奴など野放しにしていい理由も無いが。

 

「ふーん? なら異界人の方は俺が始末してこよう。ほら愛刀にも血を吸わせてやりたい所だったし」

 

 そう言って黒髪の少年は自慢げに得物を引き抜いた。

 異世界の刀と呼ばれる武器をエルリアの鍛治職人に鍛造させた物らしいがーーランズは思考を打ち切る。

 彼の実力であの異界人を倒せるとは思えないが、気分を害しては余計な事を話される可能性も高い。

 ランズは取り繕った笑みを浮かべ、褒めるような口調で

 

「ほう……お前の剣ならば敵はそうそう居ないだろう。ならば異界人同士、存分に殺し合ってくれ」

 

「そう来なくちゃ。敵に音もなく殺される恐怖を存分に味合わせてやるさ」

 

「……お前の魔法には邪神様も期待している」

 

 その言葉に気を良くしたのか、黒髪の少年は意気揚々と出て行った。

 彼の気配が遠かったのを確認したランズが改めて訊ねる。

 

「時に某国で活動している同志から何か連絡は?」

 

「あぁ、それに付いては朗報が届いている」

 

 期待を胸に膨らませ、朗報に耳を傾ける。

 

「『計画は上手く行った。八月には行動を起こせるだろう、成功すれば教団の懸念は幾つも解決することになる』と」

 

 ここ一番の朗報に胸が弾む。

 

「わたしにこの場を任せてくださったあのお方にもいい報告ができるな」

 

「……あぁ、最後に異教徒共にも我々の意地と執念を見せて付けてやろう」

 

 二人は覚悟を持った面構えで互いに頷き合う。そしてそれぞれの得物を手に、地下遺跡に施した魔法を発動させた。

 それから程なくして地下遺跡全土を激しい揺れが襲い、亡者の叫び声が反響する……。



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3-9.死者と生者

 長い螺旋階段を降りた矢先、地下遺跡全体を激しい揺れが襲った。

 突然の揺れにスヴェンは動じず、揺れに動揺しこちらの腕を掴むミアに視線を向ける。

 

「この国は地震が多いのか?」

 

「ごく稀に起きる程度だけど、ほら此処は地下だから」

 

 彼女が何に動揺し、怯えているのかはすぐに理解が及ぶ。

 メルリアの地下遺跡、その真上は町が建っているが町と地下遺跡の間に存在する魔法によって町全土が崩壊することは無い。

 だが地下遺跡は地震によって崩壊する恐れは有る。そうなれば自分達は愚か、邪神教団と人質に囚われた子供達まで生き埋めだ。

 推測を立てている間に持ち直したミアが腕から離れる。

 スヴェンは周囲を見渡し、想像していた以上に開放的な地下遺跡内部に内心で驚きながらも目前に続く複数の通路に視線を向けた。

 遮蔽物が何一つ無い開放的な通路、傭兵としてそんな場所を進むことは避けたいが、

 

「意図的にせよ、急いだ方が良さそうだな」

 

 地下遺跡内部から天井まで伸びる支柱ーーあれがいつ邪神教団の手によって崩されるか分かったものではない。

 

「うん、アトラス教会も独自ルートを使って侵入してる頃合いだろうし」

 

 侵入口が他にも有るなら是非とも紹介して欲しいものだが、今更言っても仕方ないと思い直したスヴェンが薄暗い通路に足を踏み込む。

 すると何処からか、それとも地下遺跡全土からか。広範囲に声が響き渡った。

 

「うぁぁぁ」

 

 まるで生気を感じさせない呻き声にスヴェンは眉を歪め、隣りに立つミアが肩を震わせ顔面蒼白に息を荒げる。

 

「い、今のは……亡者の声」

 

「連中は死者を操る魔法を使うって事は姫さんから聞いちゃあいたが、こうも速く遭遇するとはな」

 

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、薄暗い通路を歩き出す。

 

「アンタは現在地を確認しつつ、連中が潜んでそうな場所に目星を付けろ」

 

 言われたミアは受付の男性から受け取った地図を広げ、

 

「一番怪しいのは中央区画の礼拝堂かな。入り口の通路を北東にずっと進んだ場所に在るね」

 

 すぐさま潜伏場所を検討した。

 そんな彼女にスヴェンは感心した様子を浮かべ、根拠を求める。

 

「アンタの推測を裏付ける根拠は?」

 

「死霊魔法を発動させるにも事前の仕掛けは必要だし、何よりも一度に仕掛けを発動させるのに全体に魔力が届き易い場所が好ましいんだ。特に亡者を遺跡内部に発生させるならね」

 

「つまり連中は間抜けにも居場所を曝した訳か」

 

 スヴェンの呟きにミアは頷き、背中に背負っていた杖を引き抜いた。

 

 邪神教団がわざわざこのタイミングで魔法を発動させたとなれば、既にアトラス教会の突入は知られていたことになる。

 また一つ気掛かりな点も有った。

 

「さっきの地震は教会諸共道連れにする算段か?」

 

「うーん。仕掛けた魔法陣の発動時に生じた揺れかもしれないし、判断が難しいかな。……それにエルリア全土は広大な地下通路で繋がってるから何とも言えないわ」

 

 地下遺跡の下に更にまだ地下通路が存在している事に色々と質問したい事もできたが、スヴェンはその件を気に留めつつも中央区画を目指し薄暗い通路を進む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 中央区画に続く薄暗い通路を抜けた先、石壁に壁画が刻まれた広い通路に出た。

 デウス・ウェポンでも見慣れた単なる絵とは違う、観る者に何かを訴えかける情熱が篭った絵を前に、スヴェンは此処が敵地という事を思わず忘れて絵に足を止めた。

 

「コイツは……AIで量産され尽くした絵とは全然違えな。なんつうか『祈りを捧げてる人』つう単純な構造だが、描き手の情熱が伝わってきやがる」

 

「えーと、急ぐんだよね? というかスヴェンさんの世界の絵って感動も感じられないの?」

 

「あぁ。AI……人工知能による絵が何千年も昔に流行しちまった影響で、当時の絵描きは才能を示す場から放逐されちまったんだ。そのおかげで絵を描く人間が居なくなっちまって、感動も何もねえ似た絵ばかりが量産され続けた」

 

「虚しいね。古代のエルリア人はこの地で起きた歴史を残そうとして石壁に刻んだんだけど、そんな想いも残されなくなちゃったんだ」

 

「文明の発達ってのはそんなもんだ。いちいち何かを犠牲にして進歩してんだよ……いや、場合によっては退化と破滅を生む」

 

「……食べ物とか?」

 

 腹立たしい笑みを浮かべるミアにスヴェンは苦虫を噛み潰したような表情で頷く。

 スヴェンはこの遺跡に刻まれた偉人の想いは後でゆっくり鑑賞すれば良い、そう思い振り向くと。

 広い通路の真ん中に足音だけが響く。

 足音だけで人の姿は無い、だが確かに何者かがそこに居る気配が有る。

 同様にミアも何者が居ることを察して警戒心を向けていた。

 スヴェンはガンバスターを片手に様子を窺うーー敵がどんな得物を所持しているのかまでは判らない。今はまだ迂闊に仕掛けられない状況だ。

 

 鞘から刃を引き抜く音。やがて風を斬り裂く鋭い音が響いた。

 敵の得物は鋭利な刃、スヴェンは石畳みの床に刃を擦った跡が生じたのを見逃さなかった。

 敵は推定160センチの身長、得物の重みに石畳みの床を擦ったのか、それとも刃渡りが長い類いの武器か。

 姿が見えず間合いを計り辛いが、血糊を掛けてやれば容易に居場所も特定できるーーだが、この先の戦闘と亡者の敏感な嗅覚を考えれば血糊を使うのは下作だ。

 思考を浮かべるスヴェンに対し、ゆったりと近付く足音に焦ったさを感じ、

 

「オラァァ!!」

 

 怒声と共にガンバスターを薙ぎ払った。

 隣りで驚くミアの視線を他所に、ガンバスターの刃が鋭利な刃に防がれたのか、金切り音が二人の耳をつん裂く。

 

「うわっ! なんて不快な音!」

 

 不快感を顕にするミアの反応に、通路から声が響くーー同時に這いずり何かを引きずる足音も近付いていた。

 

「次は肉を断つ音を聴かせてあげようか、何処が良い? 腕? 足か。それともその愛らしい顔がいいかな? あぁ、亡者に生きたまま食われることを望むのかな」

 

 優越感に浸り狂気を剥き出しにした言動にミアが眉を歪めた。

 

「うげ、スヴェンさんを無視して私を狙ってきた? はぁ〜かわいいって罪作りだよね」

 

「単にアンタが一番殺し易いからじゃねえか? その証拠に奴は姿を隠さねえとまともに戦えねえ臆病者だ」

 

 スヴェンのわざとらしい挑発に、殺意を宿した眼差しが向けられる。

 最初の位置から依然として動かない敵。恐らく戦闘に関しては素人だが背後から刻々と近付いている集団が厄介だ。

 姿が見えない敵と同士討ちも考えられたが、恐らく邪神教団が放った亡者は敵味方を識別してる可能性も有る。

 そうでもなければ敵は悠々とこの場所に立っては居ないだろう。

 スヴェンは妙な期待を捨て、再度ガンバスターを構えた。

 すると先程の安い挑発が効いたのか、敵がその場から動き出す。

 

「姿無き刃に怯えろ!」

 

 そんな威勢のいい声と共に見えない刃が振り抜かれるーーよりも速くスヴェンの膝蹴りが敵の腹を穿つ。

 

「ぐえぇ……」

 

 たたらを踏む足音にスヴェンは畳み掛けるように、ガンバスターを薙ぎ払うと刃が折れる音が響く。

 どうやら敵は咄嗟に武器を盾に防ごうとしたが、ガンバスターの重量に耐え切れず折れたようだ。

 まだ姿が見えない敵が放つ確かな動揺と怯えの感情ーーそんな感情を前にしたスヴェンは躊躇も無くガンバスターの腹を横薙ぎに放つ。

 骨が軋み、バキバキッーー折れる音が通路に響き、まともに食らった敵が石壁に衝突した。

 亡者が刻々と迫る中、石壁に横たわる人物にミアが眉を歪める。

 

「この人……確か異界人のナルカミタズナだったかな」

 

 鳴神タズナと呼ばれた黒髪の少年にスヴェンは目も向けず、迫る亡者を叩き斬った。

 既に大多数の亡者に埋め尽くされた通路。この状況で気絶した鳴神タズナを担いで運ぶ程の余裕は無い。

 そう判断したスヴェンは迫り来る亡者にガンバスターの一閃を叩き込む。

 グチャリっと頭部を潰された亡者が一体倒れるが、通路の前後から数えるのも馬鹿らしい亡者が迫る。

 スヴェンの隣で、ミアは掴みかかろうと躍り出る亡者を相手に杖を巧みに操りーー杖の先端で打撃を与え、亡者を吹き飛ばした。

 そのままミアは亡者の群れを杖で捌く。だが、依然として数は減らない。

 

「このままじゃあジリ貧だよ」

 

「通路で全員を相手にすんじゃねえよ。こういうのは進路上の亡者だけ排除すりゃあいいんだ」

 

 スヴェンは進行方向の亡者を蹴り飛ばし、邪魔な亡者だけを排除しつつ進路を作り出す。

 二人は亡者の群れに生じた進路を駆け抜けることでどうにか通路を抜け切ることに成功した。

 しかし漸く切り抜けた通路の先ーー崩れた噴水付近に群がる亡者がひと息付く暇を与えず待ち構えていた。



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3-10.信徒の意地

 広い噴水広場跡地で待ち構えていた亡者の群れにスヴェンとミアに冷や汗が浮かぶ。

 

「コイツは面倒だな」

 

「何処を切り抜けても亡者、完全に囲まれる前に中央区画に行かないと」

 

 ミアは焦りを顕に、杖を強く握り込んだ。恐らく亡者に完全に囲まれた状況が脳に過ってしまったのだろう。

 スヴェンは過去に一度体験した事が有る光景だが、アレは二度と体験したくもない。

 

 ーー本命に辿り着いたとして、コイツらが止まる保証はねえな。

 

 しかし行動が遅れれば遅れる程、進路も退路も断たれ窮地に陥るのは眼に見えていた。

 スヴェンはミアに視線を向け、アシュナが近場に潜んでいることを確認し、

 

「このまま突っ切る」

 

 ガンバスターを振り回し、刃を地面に叩き付けることで衝撃波を放った。

 衝撃波は前方の亡者を呑み込み、出来た進路に向けて駆け出す。

 噴水広場跡地を駆け抜けるがーードッカーンッ! 地下遺跡に爆音が鳴り響く!

 やがて亡者は音の方向に身体を向け、スヴェンとミアに目も向けず、ぞろぞろと歩き出した。

 腐敗の酷い身体を引きずり歩く亡者の背中を二人は警戒心を剥き出しに見送る。

 やがて噴水広場跡地は嘘のように静寂に包まれ、

 

「さっきの爆音は、アトラス教会の連中か?」

 

「そうだと思うけど、目的は子供達の救出の筈だよね」

 

 亡者が突入したアトラス教会の侵入者に向かって行ったとすれば、子供の救出も困難になると思われるがーー連中はそれ相応の戦力を導入してんのか?

 スヴェンはアトラス教会の戦力に僅かな期待を寄せ、

 

「仕方ねえ、俺達は潜伏中の邪神教団に集中するしかねえな」

 

「そうだね……でもあの人を置いて来てよかったの?」

 

 ミアは通った通路を振り向き、杞憂に満ちた眼差しを向けていた。

 恐らく彼女は鳴神タズナが逃げる可能性を危惧しているのだろう。

 

「腰骨は砕いた、奴は動けねえよ」

 

「そっか。万が一動けたとしても地上のラオさんに捕縛される可能性の方がずっと高いか」

 

 ミアの結論にスヴェンは頷き、そのまま噴水広場跡地を駆け抜ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 受け取った地図を頼りに地下遺跡を突き進むが、中央区画に近付けば近付く程、激しい戦闘音が近付く。

 幸いスヴェンとミアが辿り着いたーー崩れ風化した建物が並ぶ大通りには戦闘の様子は見られず。

 スヴェンとミアは警戒を最大限に、礼拝堂に続く道を進む。

 思えば地下遺跡と聴いて古い施設を連想していたが、実際に訪れてみればメルリアの地下遺跡は過去の町だと判る。

 繁栄を築いた町が滅ぶことなど歴史の中で特段珍しいこともでない。

 スヴェンが内心で過去の歴史に付いて意識を傾けた時、突如崩れた建物の影から一つ影が飛び出した。

 一つ目の紋章が刻まれた白いフードを目深に被った邪神教団の信徒にミアが敵意を剥き出しに杖を構える。

 ミアの敵意に邪神教団の信徒が槍を構えーー丈夫な造りかつ到底邪神教団が用意するには難しそうな質の良い武器にスヴェンは眉を歪めた。

 

「良い武器を持ってんじゃねえか。邪神教団ってのは武器を鍛造する施設でも持ってんのか?」

 

「我らの崇高なる目的に共感した同志は意外と多いのだよ」

 

 馬鹿正直に答えた邪神教団の信徒にスヴェンは拍子抜けに感じつつも、エルリア国内は愚か様々な国の内部に邪神教団の協力者が存在していると認識した。

 スヴェンはミアに視線だけを向け、槍を身構える邪神教団の信徒に突っ込む。

 距離を縮めたスヴェンに対して邪神教団の信徒は、魔力を纏った突きを放った。

 ガンバスターを横薙ぎに払うも、魔力を纏った槍の刃に弾かれる!

 魔力の障壁を斬った時と似た感覚に眉を歪めながら、スヴェンは迫る突きを咄嗟に身体を捻ることで躱す。

 邪神教団の信徒はミアを視界に捉えつつ、スヴェンに向けて連続の突きを放つ。

 スヴェンはガンバスターを盾にーーガキン、ガキン、ガキン! 絶え間なく放たれる突きを防いだ。

 

「やはり普通の異界人とは違うようだな。如何だ? 貴様も我々と共に来る気はないか?」

 

 邪神教団の信徒が放った勧誘の言葉にミアはスヴェンの背中に視線を向けた。

 

 ーー万が一此処で彼が裏切るようなことがあれば。

 

 ミアは密かな決意を胸に宿す。

 しかしスヴェンはそんなミアの決意を他所に、ガンバスターを一閃。

 ぼとりっと槍を持った邪神教団の信徒の腕が地面に舞う。そして邪神教団の信徒の切断面から血飛沫が噴き、地下遺跡の床を鮮血で汚す。

 邪神教団の信徒は突然の事に一瞬だけ呆然とする。しかし想像を絶する激痛によって現実に引き戻れた邪神教団は、

 

「ぎいやぁぁ!! う、腕がァァ!!」

 

 悲痛な叫び声が崩れた建物が並ぶ大通りに響き渡る。

 そこにスヴェンは、容赦無く邪神教団の信徒にガンバスターを突き付けた。

 

「ひっ!」

 

 邪神教団の信徒は見た。冷酷な瞳でコチラを見据える男の眼差しを。

 殺しに躊躇も無い無感情かつ無機質な瞳に邪神教団の信徒は心から恐怖した。 

 だが、邪神教団の信徒は心の底から這いずる恐怖に負けじと、

 

「ふふっ、これで我が魂が邪神様の贄になるのであれば本望!」

 

 意地と邪神に対する信仰心から祝福の眼差しを向けた。

 

「情報を吐けば助かるとしてもか?」

 

「同志を売るならば死を選ぶ!」

 

 スヴェンは名も知らない邪神教団の信徒にーー自分なりの敬意を評してガンバスターの刃で首を刎ねた。

 地面に転がる邪神教団の信徒の首ーーフードから曝け出された素顔は幸福に満ち溢れた表情だった。

 絶望も恐怖も一切感じさせない満ち足りた表情、とても殺害される人物が浮かべるものとは程遠い感情にスヴェンとミアは眉を歪めた。

 邪神教団の信徒が邪神に抱く信仰心の高さは大きな脅威になり得る。

 スヴェンは大通りの先に続く礼拝堂を真っ直ぐと見詰め、確かな足取りで歩き出す。

 そんな彼にミアも気を引き締めて後に続く。



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3-11.信仰と狂人

 紫色の炎が灯る中央区画の礼拝堂に辿り着いたスヴェンとミアは、準備万全と言わんばかりに待ち構える二人組に眉を歪めた。

 だが邪神教団の二人組の片割れ、ランズもスヴェンとミアに眉を歪めていた。

 

「テメェは昨日の」

 

 タイラントとの戦闘時によじ登った荷獣車の屋根で目撃した男だと判断してガンバスターを構える。

 何処かで監視はされると推測していたが、まさかあの時点で戦闘を見られていたとは。

 スヴェンは敵の周到さに舌を巻きながらランズの言葉に耳を傾ける。

 

「なぜお前達が此処に? まさかいらぬ正義感で来たとでも言うのか」

 

「単なる観光で来たが、亡者共に襲われてな」

 

 恍けるように答えるスヴェンに、ランズは仇を見る眼差しを向け憎悪を吐き出した。

 

「何を言う! よくも俺達の同志達を殺してくれたな!」

 

 ランズの激しい憎しみの眼差しにスヴェンは首を捻る。

 確かに此処に到着する道中で邪神教団を一人殺したが、スヴェンはわざとらしい態度で煽るように嘯く。

 

「あぁ、邪神に対する信仰心を見せながら死んで逝ったぞ? 良かったじゃねえか、死んで邪神の贄になれんだからよ」

 

 ランズは怒りから強く握り締め、その拳を白く滲ませ、

 

「ならば貴様の魂も邪神様の贄に捧げてやろう!」

 

 腰から曲刀を引抜き、同時に側で控えていた信徒が短剣を抜き放つ。

 スヴェンとミアは武器を構えつつ魔力に意識を集中させ、相対する二人の身体から魔力が駆け巡る様子に身構えた。

 

 ーーどんな魔法が飛ぶ? 亡者か、それとも攻撃魔法?

 

 スヴェンの思考とは裏腹に信徒が素早く中性的な声で魔法を唱える。

 

「水よ充せ!」

 

 信徒の目前に構築させる魔法陣に魔力が集い、水流がスヴェンとミアを襲う。

 だが二人はその場を跳ぶとこで水流を避け、礼拝堂が瞬く間に水浸しになる様子に眉が歪む。

 

「礼拝堂を水浸しにして窒息を狙うつもり?」

 

 訝しむミアに信徒が小馬鹿にした様子で鼻で笑った。

 この水は単なる布石でしかない。その証拠に攻撃魔法としては威力も低い水流だった。

 単体で効果の薄い魔法は別の魔法と組み合わせることで真価を発揮する。

 スヴェンはそんな話しをレーナから聴いた事を思い出す。

 

 ーー今になって思い出すってことはぁ、コイツはヤベェな。

 

 スヴェンが両足に力を込める頃にはランズが曲刀を掲げ、

 

「何をしようが遅い! 紫電よ走れ!」

 

 曲刀に展開される魔法陣から紫電が迸り、スヴェンは冷汗を浮かぶミアの下に跳びーー彼女を片腕で抱えながら天井まで跳躍。

 ガンバスターを礼拝堂の天井に突き刺し宙にぶら下がると、水浸しになった礼拝堂に紫電が走る!

 普通なら下に降りれば感電、耐えられたところで身体が痺れ満足に身体が動けずに殺されるだろう。

 そこまで判断したスヴェンは、魔法陣を足場に宙に浮かぶ彼らに舌打ちした。

 

「流石に自爆してくんねえか」

 

「す、スヴェンさん。この状態で打つ手は有るの?」

 

 スヴェンは下で既に魔法の準備を終えている二人を睨みつつ、タイミングを伺う。

 ミアを抱えたまま魔法を避け、ガンバスターで天井を破壊すること。

 この状況を打開する方法はそれと、礼拝堂を破壊できるハンドグレネードの使用ぐらいだ。

 

「身動きもできぬまま二人仲良く死ね」

 

「恋人同士で邪神様の贄に!」

 

 スヴェンは信徒の発言に青筋を浮かべ、ミアは突然の言葉に動揺から瞳を揺らす。そんな二人をお構い無しにランズと信徒は同時に詠唱を唱える。

 

「「炎よ爆ぜろ」」

 

 形成された魔法陣から爆炎が灯り、二人に容赦なく放たれた。

 だがスヴェンは着弾よりも早く、助走を加えながら天井に突き刺したガンバスターを引抜き、爆風の勢に乗って壁を足場に天井を斬り裂く。

 そのまま天井から礼拝堂の屋根に登り、片腕で抱えていたミアを屋根の床に落とす。

 尻餅付いたミアが痛みからスヴェンを睨むが、

 

「連中が来るぞ」

 

 斬り裂いた天井の瓦礫を避け、屋根に跳ぶ二人にスヴェンはそのままガンバスターを縦に振り下ろした。

 キィィーン! ガンバスターの刃が曲刀の鋭利な刃で受け止められるが、魔法陣を足場に形成したランズの顔が歪む。

 下は未だ電流が流れる水浸しの礼拝堂だ、そこに叩き込まれればどうなる?

 スヴェンの凶悪な眼差しにランズの肝が冷える。

 

「貴様ぁ!」

 

 スヴェンはそのまま力任せにガンバスターを振り切り、ランズを魔法陣ごと礼拝堂に叩き落とすーーだが、

 

「仕方ない人」

 

 そんな中性的な声と共に落下したランズの身体が魔法陣によって受け止められ、信徒がミアに迫る。

 短剣の刃が風を斬り、凶刃がミアに振り抜かれる。

 素早く鋭い凶刃をミアは難なく木製の杖の持ち手で刃を受け止め、

 

「スヴェンさんはもう一人の方を!」

 

 一度杖で短剣の刃を押し返し、素早く引き寄せた杖で信徒の顎を殴り飛ばした。

 スヴェンはたたらを踏む信徒を尻目に、再び屋根を目指して上昇するランズにガンバスターの銃口を構える。

 .600LRマグナム銃は残り五発だが、此処で確実に目撃者を消すーースヴェンは身構えるランズに躊躇なく引き金を引く。

 ズガァァン!! 一発の銃声が地下遺跡に響き渡り、弾丸がランズに迫る。

 ランズは曲刀で受け止める事を試みたが、弾丸が曲刀の刃に触れた直後、刃が粉々に砕けーーグシャリ!

 まともに.600LRマグナム弾を受けたランズの身体が右肩から左腰にかけて消し飛んだ。

 ランズは絶叫を挙げる暇も、懺悔も邪神に祈る暇さえ与えられず絶命し、その遺体は電流が流れる水浸しの礼拝堂に落ちた。

 遺体は激しく感電し、煙とと共に焼け焦げた臭いが屋根まで届く。

 スヴェンは次に始末すべき標的に冷酷な眼差しを向けた。

 

「このぉ!」

 

 ミアは怒声と共に杖の先端で信徒の腹を殴り、更に床に突き立て杖を軸に信徒の頭部に踵落としを喰らわせていた。

 腹部による打撃と頭部に生じた衝撃によろける信徒、ミアはそこに畳み掛けるように押し倒しーー信徒の首を杖で押さえ付ける。

 ギシギシっと信徒の首が軋む。だが、ミアの腕力では信徒を完全には抑え付けられずーー信徒はミアの腹部を蹴り飛ばすことで彼女を退かせた。

 

「ゲホ、ゲホッ……この女!」

 

「うぐっ……美少女のお腹を蹴るなんて最低」

 

 スヴェンはどっちもどっちだっと内心で突っ込みつつ、信徒の背後からガンバスターの刃を向けた。

 ガンバスターの刃が信徒の肩に喰い込み、血が滲み出る。

 

「質問だ。アンタらを殺せば亡者は消えるのか?」

 

 信徒は決して短剣を手放さず、忌々しげな眼差しでスヴェンを睨む。

 完全に殺意がミアからスヴェンに逸れた。

 これ以上ミアがコイツの標的にされることはないだろう。なにせ相方を殺したのはスヴェンだからだ。

 

「一度呼び出した亡者は消えない! 異界人こそ、我々の同志をどうした! 監視していた同志を!」

 

 スヴェンは昨日町に入ったタイミングで監視されていたと悟りーーアシュナの気配が途絶えた時が有ったな、恐らくそん時には監視とやらを片付けたのか。

 後で彼女が手を汚してしまったのか確認するとして、スヴェンは信徒の質問に答える。

 

「あぁ、一人残らずこの手で殺した。俺は単なる異界人の旅行者でしかねえが、鬱陶しい奴は簡単に殺しちまえる狂人だ」

 

「我々と同類なら邪神様を崇め、我々の野望の為に手を貸せ。そうすればお前の好きな殺しができる、この町の人間だって一人残らず」

 

 スヴェンは未だ強気に出る信徒に呆れからため息を吐く。

 心惹かれない誘いの言葉。口説き文句としても落第点の戯言だ。

 スヴェンがこのままガンバスターを振り下ろせば、信徒の身体は容易く両断できる。

 にも関わらず信徒から殺意は感じるが、焦りの様子がまるで無い。味方が一人殺されている状況下でだ。

 まだ何か有るのだとスヴェンは警戒を宿し、信徒の魔力の流れに注視する。

 すると何か魔法を放つ準備なのか、下丹田から全身に魔力が巡り廻る様子が視認できた。

 

「……無駄な抵抗はよせ。アンタは情報を吐いて死ぬだけでいい」

 

「何を今更。我々は死を恐れない! いや、この町の連中ごと巻き添えにしたって……!?」

 

 からんっと鋼鉄が床に落ちる音が響きーーバチィィーン!! と頬を引っ叩く音が聞こえた。

 スヴェンが視線を向けると、信徒の手から短剣を落とした上で、頬を引っ叩いたミアの姿が有った。

 

「ふざけないで! 過去に封印された神様の為に色んな人の生活を滅茶苦茶にして! この町の子供達だって攫って、邪神を信仰したいならひっそりと誰の迷惑もかからないところで勝手にやってよ!」

 

 ミアが邪神教団に対する明確な怒りを向けていた。

 彼女と知り合ってはじめて本心から見せた感情の色に、スヴェンはある意味で安堵した。

 彼女は本心を隠し打算で愛想笑いを浮かべるだけの少女では無いのだと。

 しっかりと感情に乗せ、想いをぶつけられる普通の少女なのだと。

 ミアは自分のような外道とは違う、真っ当に平和の中で育った普通の少女だ。

 

「勝手にだと? 我々が、先祖が今までどんな想いで地の底で邪神様の復活を望んだか、何も知らない癖に!」

 

 信徒は怒りを爆発させ、身体を巡っていた魔力が異常に膨れ上がるのをスヴェンは見逃さずーーそのままガンバスターを振り抜き、信徒の身体を両断した。

 両断された遺体が床に崩れ落ちるーーしかし、死んだ筈なのに奇妙なことに魔力の巡りが止まらない。

 それどころか魔力が膨張するように膨れ上がりーー拙い!

 スヴェンはミアを庇うように屋根から突き飛ばし、

 

「す、スヴェンさんっ!?」

 

 ミアは身体が落下する中、呆然と見ていることしか出来なかった。

 スヴェンが魔力暴走を利用した禁術による自爆に呑み込まれる瞬間を。

 激しい轟音が響く地下遺跡の中でミアの絶叫に似た悲鳴が響き渡った……。

 更に爆音を聞き付けた複数の足跡が暗い地下遺跡に忙しなく反響音を奏でる。



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3-12.戦地に生きる者

 礼拝堂の屋根から落下し、信徒の自爆を逃れたミアは瓦礫の山を必死の形相で掻き分けていた。

 瓦礫の破片で手を傷付け血を流そうがお構い無しに、

 

「スヴェンさん! 何処に居るの!? 聞こえていたら返事をして!」

 

 足音がこちらに近付く中、ミアはスヴェンの名を叫ぶ。

 だが返事は無く帰って来るのは近付く足音、それも複数の音だけだ。

 まだ足音と距離を感じられるがそれも時間の問題で、早急にスヴェンを発見しなければ。

 此処でスヴェンを死なせる訳にはいかない。そもそも彼に庇われ、死なせてしまっては自分が同行した意味も無くなってしまう。

 ミアが手を休めず瓦礫を掻き分ける中ーードサッと、音が聞こえそちらに視線を向け声を失った。

 

「っ」

 

 大量の血が石畳みの床に流れ、視線の先にはアシュナと床に倒れたスヴェンの姿だ。

 衣服は丈夫な造りなのか、自爆を受けたにも拘らず損傷も無い。おまけにスヴェンが肌身離さず首にぶら下げている装飾品も無傷だった。

 だが、スヴェンの状態は酷いものだったーー爆発の衝撃波により全身に負った火傷、骨折と変色した両腕、更に夥しい出血量、恐らく幾つもの臓器が損傷を受けている。

 スヴェンのあんまりな姿に言葉を失い呆然と見詰めるミアに、

 

「この人の治療を」

 

 アシュナの呼び掛けに、漸くミアは現実に引き戻される。

 此処で何もしなければそれこそスヴェンが死ぬ。それではレーナの願いも果たされず、また新しい異界人に運命を委ねるだけの日々が始まる。

 それでは自分が同行した意味も無くなってしまう。

 頭の中で駆け巡る想いと共にミアは横たわるスヴェンに駆け寄り杖をかざす。

 下丹田の魔力を最大限に巡らせ、

 

「アシュナは影で護衛をお願い」

 

「こっちに向かって来てるよ?」

 

 確かに邪神教団かアトラス教会か、何方か分からない者達がこちらに向かっている。

 今からスヴェンの治療に専念すればミアは動けなくなる。その状態で敵に遭遇すれば始末される恐れも有るが、スヴェンならきっとこの状況下でもアシュナの存在を隠すことを選ぶだろう。

 

「あなたは私達の切り札よ、だからスヴェンさんのことは任せて」

 

 言われたアシュナは釈然としないまでも従う他に無いと判断したのか、その場から姿を消す。

 ミアは改めてスヴェンの状態を観る。まだわずかに息が有り、治療魔法で再生不可能な損傷を負ったわけでは無かった。

 

 ーーこれならまだ間に合う。

 

「死に誘われし者に癒しの水と風よ再生の加護を」

 

 詠唱と共にスヴェンの下に魔法陣を形成させ、ミアはスヴェンの体内に意識を集中させる。

 全身火傷にあらゆる内臓器官の損傷と骨折に、ミアは眉を歪め、全身火傷と損傷した内蔵器官、骨折した箇所に治療魔法を施す。

 魔力の消耗も多いが、一度に治療するには火傷も損傷箇所、骨折に止血と再生を同時に行うのが最適かつ迅速な治療方法だ。

 やがてミアの治療魔法を受けた細胞が活性化現象を起こし、スヴェンの身体が脈動する。

 治療魔法を受けるスヴェンの身体から全身火傷が消え、負っていた傷口が塞がり顔色に活力が戻る。

 やがて血が止まった様子にミアは一息吐く。

 

「これで出血死の心配は無いかな」

 

 あとは本人の気力次第となるが、例え治療が完璧でもスヴェンはすぐには動けないだろう。

 いくら治療魔法による再生を施したとはいえ、失った血液は複元できない。

 損傷した内蔵や骨折だって、魔力と細胞、人が持つ生命力に働きかけて活性化させ治療したに過ぎないのだ。

 

「急いで運ばないと……うっ、お、重い〜」

 

 ガンバスターを握り締めたスヴェンはミアの腕力では中々持ち上げられずーー両脚を持って安全な場所に移動しようとした矢先に。

 

「そこで何をしてる!」

 

 白いフードで顔を隠した集団ーー邪神教団の一団がミアに向けて既に魔法陣と武器を構えていた。

 動けないスヴェンと攻撃魔法も防御魔法も使えないミア。絶対絶命の窮地にミアは背中にスヴェンを隠す。

 

「えっと観光に訪れたんですけど、突然爆発が発生して彼が巻き込まれちゃったんです」

 

 杖を下ろして見せると、信徒がミアの足元に風の光弾を放った。

 風の光弾が石畳みの床を砕き、破片がミアの頬を掠る。

 頬の傷口から薄らっと血が滲む。

 

 ーーやっぱり見逃してくれないか。

 

 ミアはアシュナに頼るという選択肢を最初から排除した上で、どう切り抜けるか思考に思考を重ねた。

 打開策も浮かばない中、先頭に立つ女性の信徒が怒鳴る。

 

「此処で指令を出していたランズとユーヘンはどうした!」

 

 何方も知らない名だが、恐らく彼女の言う二人はスヴェンが始末した信徒だ。

 

「貴様らか? 我らを異教徒に通報したのは?」

 

 通報する必要も無く邪神教団の潜伏先は露見していた。そもそも彼らが子供達を攫わなければ。ミアは出掛けた言葉をグッと呑み込み、手の震えを悟られないように抑えた。

 

「どっちも知りませんが、子供達が誘拐されたのは知ってますよ?」

 

「誘拐した子供か。それなら我らの背後を見るといい」

 

 言われて漸くミアは、邪神教団の集団の背後に虚な瞳で立ち尽くす子供達の姿に気が付くがーー嘘でしょ?

 子供達が握り締めた短剣に滲んだ血と彼らの衣服に付着した返り血をミアは嘘だと思い込みたかった。

 なおも虚な瞳で虚空を見詰める一人の少女が呟く。

 

「パパ、ママ、わるいひとをおいかえしたよ? だからおいしいあめをちょうだい」

 

 少女の言葉にミアの眉が歪む。

 邪神教団は子供達に禁術を使った。それもアメを触媒にした洗脳魔法を。

 なんて卑劣な連中だ。ミアは内心で込み上がる怒りを隠し、

 

「御褒美は後だ。さあ答えろ! 貴様らの目的を!」

 

 叫ぶ信徒にミアは杖を強く握り締める。

 治療魔法では子供達の洗脳は解けない。アトラス教会に連れて行き、浄化魔法による集中治療が必要だ。

 そもそもこの場をどうやって切り抜けるか、公明も見えない状況だーーアトラス教会の信徒が駆け付けてくれたら。

 だがそんな希望は訪れず、ミアの背後から立ち上がる音が耳に届く。

 

「……めんどくせぇ」

 

 言動に殺意を滲ませるスヴェンにミアは狼狽えた。

 本来ならまだ動けるまで回復もしていないのだ。なら何故彼は立ち上がれる?

 疑問と当惑を浮かべるミアを他所に、スヴェンが歩き出す。

 

「待って、戦うつもりなの?」

 

 スヴェンはミアの問いに答えず目の前から姿が消えーー集団の中心から突如鮮血が舞う。

 

「同志が邪神様の元へ召されたぞ!」

 

 集団の中心に突然姿を現したスヴェンが、ガンバスターを薙ぎ払い、周辺に居た信徒の命を刈り取った。

 それをミアが認識したのは信徒の叫び声を受けてからだった。

 ミアは鮮血が舞う様子を呆然と眺めることしか出来なかった。

 信徒の集団がスヴェン一人に攻撃魔法を集中させるも、魔法による弾幕を前に彼は足を一歩たりとも止めずーー弾幕を掻い潜り一人、また一人と葬り去る。

 体内に魔力を巡らせ素早い動きで集団を翻弄させ、時には信徒の魔法を利用して同士討ちに持ち込ませ、接近戦に切り替えた信徒をガンバスターで叩き斬る。

 返り血に金髪と衣服を汚し、確実に信徒の数を減らして行く。

 そんなスヴェンの表情は楽しげでーー目の前に広がる戦場が本来居るべき場所だと言わんばかりに、彼はガンバスターを振り回していた。

 戦場の中で存在の証明、生を実感してる様子にミアは眼を背けず、スヴェンの背中を目で追う。

 やがて信徒の指示で前に出る子供達にミアが息を呑む。

 頭の中で最悪の想像が描かれ、ミアは叫ぶ。

 

「ダメ! その子達を殺しちゃダメ!」

 

「強要されたガキ共にはこれで充分だ」

 

 返って来た返答。スヴェンは短剣を手にした群がる子供達の背後に回り込み、一人一人に手刀で意識を刈り取った。

 ミアははじめてスヴェンを誤解していたのだと悟る。

 常々自分を外道と評していた彼なら子供を手に掛けることすら厭わないのだとーーだけどそれは間違いだった。

 スヴェンは子供の制圧を終えると、今度は血濡れた表情でにやりと邪神教団に笑みを浮かべる。

 その様は『今から一人残らず殺す』と宣告してる様で、信徒は恐怖に顔を青褪めさせた。

 ガンバスターを片手に近付くスヴェンを前に、信徒の一人一人が恐怖に震え後退り、

 

「ま、待て。此処は互いに無かったことにしないか?」

 

 一人が情け無い声で命乞いを発し、

 

「あー、降伏する奴は捕虜って扱いが適切だがーー」

 

 見逃してくれると油断した信徒の一人がスヴェンに近付くーーその瞬間、ガンバスターの刃が近寄った信徒を頭部から斬り裂いた。

 

「ソイツはこっちの世界の暗黙の了解だが、生憎と俺はこっちのルールをよく知らねえ。まぁ、ガキ共に殺しを強要させたクソ共には必要もねえよな」

 

 その言葉を皮切りにスヴェンはこの場に集った信徒をーー重傷を負った筈にも関わらず一人で殺し尽くしてしまった。

 しかし、一人だけ石畳みの床で尻餅を付いた信徒にスヴェンはガンバスターを振り下ろさず、

 

「ガキ共は治るのか?」

 

「あ、あぁ。異教徒ーーアトラス教会なら洗脳魔法を解ける。連中は我々の敵だが腕に関しては信用できる」

 

「へぇ。それで? 此処に侵入したアトラス教会はどうした?」

 

「異教徒狩りを指導しながら子供の保護、そこに亡者を差し向けた」

 

「連中は全滅したのか?」

 

「ま、まさか……あの程度の戦力で全滅できたら苦労はしない」

 

 アトラス教会はまだ地下遺跡内部で亡者を相手に足止めを食らっている。

 おまけに保護した子供達と一緒に。

 ミアは彼らが全滅してしまったのでは? そう考えていたが、無事な報告に安堵の息を吐く。

 

「アンタらは統率が取れてるようで、統括者らしき者は居なかったな」

 

「……そ、それは命に替えても答えられない」

 

「随分と仲間意識が高えな……質問を変えるが、一体どうやって三千人のガキ共を気付かれずに攫った?」

 

「……町で無料でアメを配ったんだ。魔薬と洗脳魔法で作り上げたアメを……みんなタダには弱いからな、喜んで食べてくれたさ」

 

 何故三千人の子供が飴を食べたのかも理解ができた。タダという甘味に惑わされ、無警戒に食べてしまったーーつまり邪神教団は以前から飴屋を経営して、以前から住民から信頼を得ていたってこと?

 一度に子供が誘拐されたのも洗脳魔法に予め命令を施しておいたのだろう。

 スヴェンは聞き出したいことを充分に得たと判断したのか、信徒にガンバスターの刃を振り下ろした。

 これ以上の問答は無駄で、自爆を警戒して早急に片付けたとも思える。

 事実ミアからしてもスヴェンの判断は適切だと思えた。邪神教団が抱く邪神に対する信仰心は狂気染みているが、死を目前にしても決して口を破らない意志が有る。

 だからスヴェンはいくつか質問したのち始末したのだ。

 しかしこの場に集った邪神教団は全滅したが、地下遺跡内部にまだどれだけの信徒が潜んでいるのか。

 ミアは考えるだけでも億劫に感じながら、急ぎスヴェンに駆け寄る。

 

「スヴェンさん!」

 

 ふらつく彼を支えると、スヴェンの瞳がまた底抜けに冷たい瞳に戻り、

 

「……一旦撤収した方が良いな」

 

 自身の身体の状態、敵の戦力を把握した冷静な判断で告げる。

 殺しに対する余韻も一切感じさせない様子にミアはため息を吐いた。

 

 ーー私はとんでもない人の同行者になったなぁ。

 

 彼に対して宿る複雑な感情に眉が歪みつつも、ミアはスヴェンに愛想笑いを向ける。

 

「気絶させた子供達はどうするの?」

 

「それこそラオ達に丸投げでいいだろ。俺達は単なる旅行に来てんだからよ」

 

 確かに小隊で来ているラオ副団長達の方が子供達を安全に運び出せるだろう。

 そう考えたミアはアシュナの居る方向に顔を向け、

 

「ラオさんに伝言をお願い」

 

 そう告げると、アシュナの気配が遠くのを感じる。そしてスヴェンに振り向く。

 

「スヴェンさんは安静! これ以上動くと本当に死んじゃうよ!」

 

「あぁ、血を流し過ぎた。一度シャワーでも浴びて腹一杯に飯を食いてえもんだ」

 

 スヴェンはミアから離れ、蹌踉めく身体を引き摺りながら歩き出した。

 どうにも彼は一人でやろうとする性が有るらしい。

 知らない知識は誰かに頼る反面、戦闘面は誰にも頼ろうとはしない。それは自身が治療魔法しか扱えないから、頼りにならないからーーそう思われてもしょうがない。

 だけど重傷を負った状態で誰も頼ろうとしない姿勢。そんなのは認めないし、何よりも何の為の同行者か分からなくなるではないか。

 だからミアは蹌踉めくスヴェンの身体を支え、

 

「治療師の前でそんな無茶は認めないよ」

 

「……そうだな、アンタが居るんだ。此処はアンタにも頼るべきだったな……地上まで頼む」

 

 スヴェンは自身の身体の状態をよく理解してるのか、素直にミアに身を預けた。

 こうして二人は道中で鳴神タズナが未だ気絶していることを確認してから一度地上に戻り、亡者の腐臭が染み付いた身体を清めるのだった。

 



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3-13.後は任せて

 メルリアの中央広場に有る魔法時計が昼を告げる鐘の音を鳴り響かせる。

 スヴェンとミアの二人は昼時にも拘らず他の客が居ない酒場を訪れ、テーブル一杯に大量注文した料理に舌鼓鳴らしている頃だった。

 

「いやぁ、スヴェンは案外大食いなんだね」

 

 さも当然のようにスヴェンの隣席に座るヴェイグに、スヴェンは嫌そうに表情を歪ませる。

 

「招いた覚えはねえぞ」

 

「招かれずともわたしは何処にでも現れるさ。しかし、主催者の誘いを断って此処で食事するなんて本当につれないなぁ」

 

 残念そうに肩を竦めるヴェイグにスヴェンの表情が益々歪む。

 そんなスヴェンにミアは苦笑を浮かべ、ヴェイグに訊ねた。

 

「えっと、ヴェイグさんはパーティの主催者でしたよね? 良いんですか、主催の人がこんな場所に居て」

 

「パーティは昨晩で終わったからね、わたしが此処に居てもなんの問題もないのさ」

 

 なるほどとミアが納得する中、スヴェンは彼に対して一つ質問をぶつける。

 

「そういやぁ、この町のガキ共は邪神教団に誘拐されてたらしいな。そんな状況下でパーティってのはどうなんだ?」

 

 ヴェイグは眉一つ動かさず、

 

「先月からこの町でパーティを主催すると取引先は愚か、様々な顧客に招待状を送っていた。事件の発生が二週間前ともなれば、遠方の招待客はこの地を目指して移動してる最中だった」

 

 淡々と答えた。

 彼の言う理由にも納得ができるがーー判断材料も少ない状況でコイツをこれ以上疑うのは危険だな。

 それにアルセム商会会長という立場を持つヴェイグに、スヴェンの目的を知られるのは危険に思えたからだ。

 尤もスヴェンがヴェイグを頑なに疑うのにも理由は有る。

 邪神教団が何者からか武具の支援を受けている。その第三者か仲介人の存在が明るみに出ない限り、相手が誰であろうとも油断できないからだ。

 今は彼に対する疑念と疑心は忘れよう。

 スヴェンはヴェイグに抱いた疑心を消しながら肩を竦める。

 

「中止もできねえから開催する他になかったと。主催者ってのは大変だな」

 

「信用にも関わるからね。もちろん子連れの招待客にはこちらで用意した護衛を付けさせて貰ったけどね」  

 

「抜かりなしか。……で? アンタはなんで俺達と飯を食ってんだ? それも人のもんを勝手に」

 

 スヴェンは何食わぬ顔で羽獣のハチミツ漬け焼きを食べるヴェイグに青筋を浮かべる。

 

「良いじゃないか。食事は大勢で分かち合うものだろう? 君もそう思うだろ、愛らしいレディ」

 

 目元を隠し、愛想笑いを浮かべるヴェイグにミアも愛想笑いで返す。

 ミアの反応は意外だった。普段から美少女を自称する彼女がヴェイグの社交辞令に乗らないことが、心の底から意外に思えたからだ。

 スヴェンは愛想笑いを浮かべ続けるミアに耳を傾けた。

 

「ヴェイグさんは口達者ですね。目も見えないのにそうやって泣かせて来た女の子は多いんでしょうけど」

 

「これでも未だいい相手と巡り合わなくてね。いやはや、中々出会いというのは難しいものだね。それに目が見えずとも美しいかどうかは判るものさ」

 

 視覚情報を得られずどうやって判断しているのか。疑問に感じるが……ヴェイグの経験による分析能力だと考え、疑問を頭の中から追い出した。

 やがて羽獣のハチミツ漬け焼きを完食したヴェイグは椅子から立ち上がり、

 

「それじゃあわたしはこれで失礼させてもらうよ。君達が旅の出会いに恵まれる事を祈ってるとも」

 

 そんな事を言い残して立ち去った。

 目が見えないにも拘らず、誘導杖も無しに確かな足取りで進むヴェイグの背中を見送る。

 そして漸く去ったヴェイグの代わりにアシュナが現れ、

 

「やっとご飯食べられる」

 

 厄介者が立ち去ったと言わんばかりに適当な料理を口に運ぶ。

 スヴェンはそんなアシュナに視線を向け、

 

「そういや連中は監視員がどうの言っていたが……どうした?」

 

 質問に対してアシュナは咀嚼していた食べ物を呑み込んでから答える。

 

「簀巻きにして騎士団に預けた」

 

 予想していたアシュナの行動と判断にスヴェンは舌を巻く。

 アシュナは殺さず無力化という選択肢を選んだ。敵となれば誰構わず殺してしまうスヴェンとは違い、まだ幼いながらもアシュナの方が利口的に思えた。

 しかし、無力化した邪神教団が生きている点にはどうしても懸念が拭えないのも仕方ないと言える。

 

「いい判断だが、連中に悟られてはねえか?」

 

 正体が露見していないか。それがスヴェンにとって最大の懸念だった。

 その意味でも訊ねるとアシュナは胸を張って、

 

「気付かれる前に気絶させたよ」

 

 悟られてはいないと主張した。同時に褒めて欲しそうな眼差しにスヴェンは眼を背ける。

 

「褒めてもらいてえならミアに頼め」

 

「ケチ。でもミアでいいや」

 

「あれ、もしかして私で妥協された? でもアシュナは偉いよ、本当に。あの時スヴェンさんを連れて来てくれなかったらどうなってたことか」

 

 自爆をまともに食らって薄れ行く意識の中、スヴェンは自身を抱えてミアの下に跳ぶアシュナの姿を見た。

 小さな身体で大の大人を運べる腕力が何処に有るのか? そんな疑問も有るが、結局アシュナとミアに生命を救われた事実には変わりないのだ。

 

「あん時は世話になったな」

 

「それがわたしの仕事」

 

「そうかい、次もその調子で頼むわ」

 

 正直に言えばスヴェンはミアとアシュナの同行を快くは思っていなかった。それはいくらレーナの采配であってもだ。

 しかしミアとアシュナの何方が欠けていれば、スヴェンは最初の町で早急に脱落していたことになる。

 結果論に過ぎないが、こうして生き永らえた事実が二人を認めざるおえないのだ。

 スヴェンは感謝の言葉を浮かべたがーー性に合わねえ。

 決して頭に浮かんだ感謝の言葉を口にすることはしなかった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 注文した料理を食べ終え満腹による幸福に満ちた頃、スヴェンは改めてアシュナに訊ねる。

 

「ラオには報告したのか?」

 

「したよ。今頃騎士団が地下遺跡に向って異界人と子供達の回収に動いてると思う。あと伝言を預かってるーー」

 

「『この地の事は任せて旅を続けるといい』って」

 

 確かにラオの伝言を聴いたスヴェンは頷き、同時に思案する。

 まだ地下遺跡内部に潜伏している邪神教団とラオ達が鉢合わせになる危険性も十分に有るが、気絶させた子供を全員連れ出すには騎士団が適切だった。

 それにとスヴェンは思う。地下遺跡内部に放たれた亡者の処理、邪神教団の死体の処理も彼らに任せていいと。

 後始末中の地下遺跡を一時的に封鎖する必要も有るだろう、それを円滑に行えるのは信望も厚い騎士団に置いて居ない。

 そもそも異界人に施設を一つ封鎖する権限も信頼も無い。

 

「そんじゃあ後の事は任せて、俺達はのんびり過ごすとするか」

 

「それが良いよ。正直スヴェンさんは戦える状態でも無いし、今日一日ゆっくり療養しなきゃ」

 

 治療魔法で重傷は治ったが、失った血液と体力は戻らない。

 これ以上の労働は本来の目的そのものに支障をきたしかねない。なら今日は療養に専念させ、メルリアを出発するに限る。

 

「なら明日にでも此処を発つか」

 

「メルリアの次は、ハリラドンで一日かけてルーメンっていう農村だね」

 

 ルーメンに到着するまで一度野宿を挟む。下手をすれば守護結界の領域外ーーモンスターが蔓延る地域で野宿を迎えることになるだろう。

 スヴェンは野宿の危険性を充分に理解したうえで、

 

「流石にハリラドンも一日中走れねえか」

 

 一日走れればどんなに楽か、そう愚痴るとミアが困り顔を浮かべる。

 

「無理だよ。どんな悪路でも踏破しちゃうけど、脚も速い分脚にかける負担もすごくて最大六時間しか走れないんだ」

 

「……充分過ぎるな」

 

 ハリラドンが乗り物として重宝されている理由の一旦にあ触れ、感心せざるを得ない。

 ふとミアが不安そうな視線を向けている事に気付き、スヴェンはそんな視線を鬱陶しいと感じながらも理由を聞く。

 

「何が不安なんだ?」

 

「えっと、ルーメンは前に異界人に酷い目に遭わされて……それで異界人を嫌うようになったからトラブルは避けられないかなって」

 

「……まあ、仕方ねえだろ。他人とは言え異界人が引き起こした問題は俺達異界人に巡り回って来るもんだ」

 

 スヴェンは『非常に面倒臭いこの上ないがな』と付け加え、もう一つ気掛かりな点が頭に浮かぶ。

 それはラオ達が気にしていた紫色の髪をした女性のことだった。

 ラオ達は接触したのか、それとも既に町を離れたのか。あるいは邪神教団と接触し同行したのか。

 スヴェンにはその点が気掛かりで、しかし確かめようがない状況にひと息吐く。

 そしてふと酒場の窓から外に視線を移すと、涙ながらに子供を抱き締める大人達の姿が映り、

 

「案外速く片付いたんだな」

 

 何となくその光景を眺めるが、何の感情も湧かない。単なる第三者の視点に過ぎない感想にスヴェンはゆっくりと視線を外した。

 その視線の先に何か言いたげなミアの様子に、

 

「何か言いたそうだな」

 

 誰も酒場に居ないからこそスヴェンは質問した。

 するとミアはぽつりと呟く。

 

「今回邪神教団が誘拐した子供達の中には、アメを媒介に洗脳魔法を施された子供達も居るから……その子達はまだ親の下に帰れないんだなぁって」

 

「そいつはアトラス教会に任せるしかねえだろ。……だが、洗脳魔法を解除した後が大変だろうな」

 

「後が大変ってどういうこと?」

 

「ガキが手に握っていた短剣には血痕が付着していたろ、それも人を刺殺した量のな。洗脳時に意識が残っているかどうかにもよるが……一度殺した罪悪感は忘れらねえもんさ」

 

「……精神面のケアもアトラス教会に任せるほかにないなぁ。傷付いた精神は治療魔法で癒してあげることもできないから」

 

 項垂れるミアにスヴェンは何も言わず、ただ黙って思い悩むミアを見守った。

 彼女の悩みに外道のスヴェンが何かアドバイスするのも違うと思えたからだ。

 とは言え、食事も済んだ状態でいつまでも酒場に留まっては店員に不審にも思われるだろう。

 

「悩むのは良いが、そろそろ行くぞ」

 

 そう呼び掛けるとミアは立ち上がり、そしていつの間にか姿を消していたアシュナに二人は思わず顔を見合わせては苦笑が漏れた。

 一先ずメルリアの地下遺跡に潜伏していた邪神教団は壊滅した。その残党や亡者と異界人は魔法騎士団に任せ、二人は明日に備えサフィアに戻る。



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3-14.ミアの独白

 鳥の囀りに目が覚める。

 備え付けの時計に眼を向けるとまだ朝の五時だ。

 二度寝したい所だが、スヴェンがいつシャワーを借りに来るか分からない。

 ミアはベッドの上で起き上がり両腕を伸ばす。

 

「う〜ん、早起きも悪くないかなぁ……うぇ?」

 

 ふと視線を動かすと椅子に座っていたアシュナと目が合い、情けない声が漏れる。

 アシュナは先に朝のシャワーを浴びたのか、湯気に包まれ濡れた髪をタオルで拭き取りながら、

 

「先に借りたよ」

 

 そう言っては白髪の髪を雑に扱う。

 折角の綺麗な白髪がもったいないと感じたミアは、アシュナに手招き。

 誘われるがままに近寄る彼女の頭からタオルを取り、目の前に座らせてから丁寧に髪を拭き取った。

 

「折角の髪がもったいないよ」

 

「めんどい」

 

 かわいい分類に入るアシュナはどうにも髪をぞんざいに扱う傾向に有るようだ。

 

「髪は女の命なんだから丁寧に扱わないと、素敵な大人になれないよ」

 

「……がんばる」

 

 彼女は大人に対して強い憧れを抱いている。それはオルゼア王への恩義から早く大人になりたい現れなのかは判らない。

 それでもまだ十歳のアシュナはよくやっていると思えた。それこそ治療以外で役に立たない自分とは違って。

 同時にミアは昨日の地下遺跡の事が頭に過ぎるーーもしもあの信徒に思いの丈をぶつけなければスヴェンが自爆に巻き込まれる事も無かったのかもしれないと。

 

 ーー思い返せば思い返す程にあの行動は軽率だった。

 

 アシュナの髪を拭き、乾かしながら後悔と反省の念が胸を締め付けると。

 

「ミアの治療魔法は凄いね」

 

 ぽつりとアシュナからそんな声が呟かれた。

 

「うーん、治療魔法は私の唯一の取り柄だからね。例え手足が千切れようとも元通りに繋げることもできるよ」

 

 

「才能の塊」

 

「逆に治療魔法以外はできないんだけどね」   

 

 自身の長所を伸ばすためにミアは人体構造を学び、その甲斐も有って外的要因の怪我なら癒せる程に。

 治療魔法が二人の役に立つなら喜んで使うが、それは同時に二人が負傷する事を意味する。

 動きが素早く注意深い二人ならそう簡単に負傷するとは思えないが、スヴェンに至ってはまだ魔法に対する経験が薄い。

 いくら元の世界の戦闘経験がーーそこまで考えた瞬間にこれまで戦闘で見せたスヴェンの顔が浮かぶ。

 

「……っ」

 

 ミアは息を呑み、手を止めた。

 そんな様子にアシュナが顔だけ向けては不思議そうに首を傾げる。

 スヴェンに対する印象、付き合い始めて一週間過ぎた自分と僅か数日のアシュナが受ける印象の違い。

 改めてその違いを再認識しておこうとミアは思案顔で訊ねた。

 

「アシュナはスヴェンさんにどんな印象を感じた?」

 

 突然の質問にアシュナは戸惑いを浮かべ、それでも彼女が答えるにはそう時間を要さなかった。

 

「敵に徹底して容赦無い鬼畜非道、群れるのを嫌がる狼?」

 

 表現に悩んだのか首を傾げた。

 確かにスヴェンは人と交流することを嫌がる。むしろ必要最低限の交流に留めている印象だ。

 それは元の世界に帰ることも起因しているのだと思っていたがーー違う、彼の本質がそうなのだ。

 確かに一匹狼という印象も受けるが、生きる事に直結する知識を貪欲なまでに取り込む。最初は生き抜く手段に対して勤勉な男性という印象も受けたがそれも違う。

 

「ミアはどんな印象? それともこれ?」

 

 アシュナが無表情ながら手でハートを形作る。

 確かにアシュナも恋愛に興味を抱く歳頃だが、それは無いと手を振り否定した。

 

「私が彼に抱いた印象は、タイラントや邪神教団と戦ってる時の彼はまるで此処が自分の生きる場所、居場所だと言わんばかりに楽しそうだった。うん、恐くはないんだけど言葉で表現できない印象かな」  

 

「そうなの?」

 

 アシュナの問いに頷き、ミアはスヴェンに対して考え込む。

 はじめてスヴェンの底無しに冷たい瞳の理由が分かった時でも有る。

 スヴェンは戦いの中でしか生を実感できない人なのだ。

 それが死闘であればあるほど、激しい戦場であればあるほどにスヴェンは生を実感できる。

 タイラント戦で見せたスヴェンの心の底から渇望していた居場所を得たようなーー楽しそうな凶悪な笑みがそう感じさせるのだ。

 そして地下遺跡の戦闘の時もそうだ。通路が亡者に埋め尽くされた時や、自爆に巻き込まれる直前でさえ。

 邪神教団の魔法が集中的に降り注いだ時もーー彼は確かに生を実感していた。

 恐らくスヴェンの表情の変化は無意識だと思うが、敵を撃ち倒した後のスヴェンが見せる瞳は、また底抜けに冷たい眼差しに戻るのだ。

 また居場所を失った寂しげな印象さえ受ける背中ーーなぜスヴェンさんはそんな感情を宿すの?

 ミアはスヴェンの過去に疑問を向けた。どんな過酷な環境だったのか、どんな経験をしたのか。 

 同時にノルエ司祭に告げられた警告が頭に過ぎる。

 

『あれは殺しに生きる哀しきモンスターだ。人の愛情など到底理解できない、戦うことに以外に意義を見出せない男だ。君がそんなモンスターに同行を続ければ、君自身に身の破滅を齎すだろう』

 

 人を見る眼を持つ司祭の言葉は、スヴェンをモンスターと評する程の過去が秘められているのだとミアはなんとなく察しーー破滅だろうと姫様の為を想えば怖くないわ。

 ノルエ司祭の警告を頭の中から追い出す。

 長く、それとも一瞬か。思考に耽っていたミアにアシュナの一言が現実に引き戻す。

 

「スヴェンは可哀想?」

 

 アシュナの憐れむような視線を否定する。

 

「それはスヴェンさんにとって最大の侮辱じゃないかな。彼は傭兵でそういう生き方しかできないかもだけど、それを自分で選んだのは結局のところ彼本人だから」

 

 スヴェンに対して恐怖を感じなければ憐れみも浮かばない。

 むしろ彼に見えた本質は戦場を彷徨う一匹狼。

 そんなスヴェンだからこそ、危険な魔王救出もやり遂げられるのかもしれない。

 それにレーナは言っていた『彼は私の立場を憐れみも否定もしない人だ』だと。

 その人の在り方や本質をスヴェンは重視しているのだと。

 そう内心でレーナと話した事を思い出していると、

 

「難しい事はよく分からないけど、なんとなく分かった」

 

 小難しい表情で眉間に小皺を作った彼女を小さく笑った。

 折角の可愛い顔がこれでは台無しだ。将来早めの老け顔になってしまう。

 

「小難しい話は終わりにして……はい、もう良いよ」

 

「ん、ありがと。ミアもシャワー浴び来たら?」

 

「そうさせて貰う。スヴェンさんとシャワー室でかち合ったら大変なことになっちゃうしね!」

 

「それは無いと思う」

 

 冷ややかで冷静なアシュナのツッコミにミアは黙り込み、そのまま着替えを手にシャワー室に向かう。

 その後、支度を済ませ程なくしてスヴェンがシャワーを借りに部屋を訪れーー彼の支度完了と共にメルリアの地を旅立った。

  

 ……出発前にレーナに報告書を送る事を忘れずに。

 



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3-15.報告

 五月三十一日、スヴェンとミアがメルリアを出発した頃。

 エルリア城の謁見の間で玉座に座るレーナは、膝を突くラオに告げる。

 

「メルリアでの任務ご苦労様。報告は事前に受けているけれど、改めて貴方の口からあの地で何が有ったのか聴かせて貰えるかしら?」

 

「承知。姫様もご存知の通り、メルリアでは全子供達が誘拐される前代未聞の事件が発生。我々騎士団が事態に気付いたのは十日前のことでしたな」

 

 事態に気付くのが遅れたのはメルリアの住人が邪神教団に脅され、魔法騎士団に通報しなかった影響も有る。

 しかし通報を受け直ぐに動けたかと問われれば、邪神教団に人質に取られたアルディアの件もあり形だけの調査になっていた。

 それ以前に城内部に入り込んだ内通者の調査と洗い出しに時間をかけ過ぎたのも事実。

 

「えぇ。丁度その頃だったわね、内通者の移動先と邪神教団の潜伏先を知ったのは」

 

 いつも邪神教団が行動を起こした時に思うーー自分が王家の者でもなく国家に帰属しない単なる個人だったらと。

 それはそれで自身の扱える召喚魔法の影響であらゆる国から監視と警戒されるだろうが、邪神教団に表立って行動を起こせない魔法騎士団の歯痒さを想えば自身の想いなど小さな問題に過ぎない。

 

「おかげで我々は、表向きは治安維持調査及びモンスターの討伐任務としてメルリアに入る事も出来ましたがね。しかし現場に向かい、出来たことと言えば任務を進め軽犯罪の摘発、アトラス教会が地下遺跡に侵入するルートを提示するだけでしたがな」

 

「貴方達が事を進めている最中に丁度スヴェンとミアが到着したけど……報告書には彼らとアトラス教会の間で協力関係は結ばなかったと有ったのだけど、原因はやっぱり?」

 

 レーナはスヴェンの底抜けに冷たい眼差しを思い出しながら、苦笑を浮かべるとラオも同じ結論に至ったのか渋い顔で頷く。

 

「スヴェン殿の眼を見たノルエ司祭は、恐らく戦場の中でしか生を実感できない彼の本質を危惧したのでしょうな」

 

 確かにレーナから見てもスヴェンはそんな眼をしていた。

 少なくとも数回言葉を交わしただけだが、彼と会話してみれば眼から感じる印象など些細に思えた。

 とは言えスヴェンの全てを理解し、知ってる訳では無い。彼に対して他者が抱く印象も決して否定できないのだ。

 

「ノルエ司祭にも困ったものね。なまじ観察眼がずば抜けてるから本質を見落としてしまう……けれど今回は別行動が功を成したとも言えるのかしら?」

 

 ミアから速達で届いた報告書には、邪神教団の注意がアトラス教会に向いてる最中、スヴェンが地下遺跡に潜伏していた邪神教団の信徒を蹴散らし、異界人の鳴神タズナを捕縛したと記されていた。

 その件を含め話題にするとラオも豪快な笑みを浮かべ、

 

「ええ! スヴェン殿は地下遺跡内部に潜伏していた邪神教団の信徒を叩き……異界人の捕縛は愚か洗脳された子供達を気絶させ無力化! 誠に天晴れな活躍振り!」

 

 珍しく大手を広げて喜ぶラオにレーナは小さくくすりと笑う。

 スヴェンを頼って正解だったと改めて思える程に。

 しかし、レーナはラオの耳がぴくりと動いたのを見逃さなかった。

 彼は何かを隠す時、無意識に耳が動く。幼い頃から付き従う副団長ラオの癖にレーナはじと眼を向ける。

 このまま訊ねてもラオは決して話さないだろう。彼は秘密を話すほど軽い口をお持ち合わせてはいないからだ。

 しかし、魔法大国エルリアではファミリーネームを隠す風習が有るーーファミリーネームを教えるのは忠誠を誓う相手か、信頼を寄せる人物に限られる。

 フルネームを利用した呪いを避け、家族を危機から護る為の制約魔法の一つだがーーラオが隠し事を話すにはフルネームで『命令』すれば良い。しかし彼がいま話さないのは恐らく自身を気遣ってのことだろう。

 

「貴方が何を隠してるのか、今は聴かないでおくわ」

 

 ラオの隠し事、そしてミアの直筆に滲み出た迷い。

 それは恐らくスヴェンに関する事なのだろう。

 告げるべきか告げないべきか。本音を言えば異界人をはじめスヴェンの状態は正確に告げて欲しいが。

 

「……出ていましたかな?」

  

 何食わぬ顔で頬を掻く彼に、レーナは笑みを浮かべる。

 

「えぇ」

 

「癖とは中々抜けないものですな」

 

 それ以前に根が正直なラオには隠し事は向かない。

 レーナはそんな事を内心で思いつつも、ラオの報告に耳を傾ける。

 

「……事後処理に関してですが先に腰骨を粉砕骨折した鳴神タズナ及び捕縛された邪神教団の信徒を回収。事後をレイとノルエ司祭に託した」

 

 

 報告書通りの内容にレーナは頷き、やがて以前から気になっていた人物に関する話題に移す。

 

「ところでメルリアに来ていたらしい、彼女とは会えたのかしら?」

 

 話題の切り替えにラオは深妙な表情を浮かべ、次第に頭を掻きはじめ、

 

「そ、その……接触は出来たのですが、保護には失敗しまして」

 

 言い辛そうに言葉を濁した。

 元々素直に保護を受け容れるとは思ってもなかった。

 彼女は封神戦争当時に邪神から呪いを受けた一族ーーそして生きた封印の鍵の一つでもあり、呪いに生かされ続ける身体を持つ女性だ。

 

「それで、彼女はどうしたの?」

 

「呪いがエルリア王家に災いを齎す事を避けるため、まだ旅を続けると」

 

 ラオの言葉にレーナは眼を瞑った。

 彼女の呪いは非常に厄介だと歴史書にも記されるほどだ。

 一定期間その場に留まれば、破壊と腐敗の呪いが周辺一帯にばら撒かれ厄災を齎しーー腐敗した大地による自浄作用により強力なモンスターが発生する。

 それでも歴代のエルリア王家は一度彼女に危機を救われたことが有る。だからいつか先祖が受けた恩義を返したいのだが、彼女が旅を続けるのなら意志を尊重する他にないのも事実。

 

「出来れば王家として邪神復活の懸念も有る彼女を保護したいのだけど……そもそも烏滸がましい提案だったわね」

 

「……あの人とは幼き頃から何度も会ったことが有りますが、自分の事は自分で解決しないと気が済まない頑固者でしたからな」

 

 当時を懐かしむラオの様子に、レーナの頬が綻ぶ。

 

「そう、頑固者なら仕方ないわね。……ところで接触できたのなら、いま彼女が名乗ってる名は聞けたわよね?」

 

「えぇ、今はノーマッド(放浪者)と」

 

 ノーマッド。レーナは自身にその名を刻み込むように何度も反復した。

 自分が生きてる限り先祖がノーマッドから受けた恩を忘れない為にも。

 そしてレーナは次に訊ねるべき報告に頭を痛め、表情を歪ませた。

 様子を見守っていたラオも心中を察したのか、

 

「ご心労痛みいりますな。しかし鳴神タズナに対する処遇は厳選な判断で決めなければなりませんぞ……殺されたフリオ達の為にも」

 

 厳格な態度で告げた。

 罪を犯した異界人に対して甘い処遇は決して赦されない。

 召喚政策を始めた頃から覚悟していたことだ。

 

 ーー召喚した私も罪の一旦を担ったとも言えるわ。

 

 異界人を召喚しなければ国民が異界人に殺されることも、邪神教団に寝返ることも無かった。

 これまでレーナは、依頼を途中で諦めた者や邪神教団に惑わされ罪を犯してしまった者に対し、この世界に関する記憶消去を施したうえで帰してきた。

 しかし、今回のように旅に同行したフリオの殺害をはじめ……数々の罪を犯した異界人を赦せる筈もない。

 ゆえにレーナは厳格な表情でラオに告げる。

 

「厳選に彼の犯した罪を執政官と審議したうえで決めるわ」

 

 口ではそう語るがもはや形と形式ばかりの裁判だ。

 

「例の如く、再認、摩耗、消滅の三刑に処されるでしょうけど」

 

 己の犯した罪を自身の第三者の視点として再認識させ、犯した罪の重さだけ魂を摩耗させ、肉体と魂を永久に消滅させる魔法を使用した処刑方法。

 これは、エルリア国内で国民を六人も殺害した重罪者に適応される処刑方法だ。

 やがてレーナは一息吐き、

 

「……スヴェンが次に向かう到着する場所は、農村ルーメンだったわね」

 

 彼の次の行き先を呟く。

 貿易都市フェルシオンに向かうには、ファザール運河を越える必要が有る。

 その為にはルーメンを経由し、ファザール橋を越える方が速い。

 同時にレーナは次に公務で訪れる場所を思い出す。

 

「……ラオ、次の公務地での護衛は私が用意するわ」

 

「ほう、もしやスヴェン殿ですかな?」

 

「えぇ。傭兵の彼に魔王救出とは別件にね」

 

 今回の公務は素性を隠して内密に行わなければならない。

 その点を考えればあらゆる面倒がスヴェンにも降り掛かるが、王家の者としてあの地に漂う暗雲を見逃す訳にもいかない。

 レーナは波乱を予測しては現在進行形で進めている例の計画を急がせるべきだと判断し、

 

「報告は以上かしら?」

 

 そう訊ねるが、ラオの報告はまだ終わる事は無かった。

 街道整備、出現したタイラントが如何にして放たれたのか、またその実行犯に付いて報告をレーナは受けることに。



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第四章 赤子と農村ルーメン
4-1.残骸の生存者


 スヴェン達を乗せたハリラドンの荷獣車は軽快な足取りで街道を順調に進み、メルリアの守護結界領域を抜けた。

 やがてモンスターの生息地域に入ると、濃密な血の臭いが漂う。

 荷獣車の窓から外を覗き込めば、無残にも破壊された荷獣車とハリラドンとも人とも判別が付かない程に食い散らかされた肉片にスヴェンは眉を歪める。

 あの様子では生存者も絶望的だろう。そう思い、眼を逸らすとーー赤子の泣き声がはっきりとスヴェンの耳に届く。

 

「スヴェンさん! 赤ちゃんの泣き声が!」

 

 思わぬ生存者の存在にミアが叫ぶ。

 言われずとも聴こえているが、彼女が焦るのも無理は無いだろう。

 赤子の泣き声が腹を空かせたモンスターを次々呼び寄せる。

 更に間の悪いことに此処はメルリアの守護結界領域に比較的近い場所であり、ルーメンに続く一本道の街道だ。

 こんな場所にモンスターが集えばどうなるのか。想像も難くない。

 

「荷獣車を停めろ。ガキの回収は俺がやる……万が一モンスターが接近した時はハリラドンを走らせろ」

 

「それは良いけど、スヴェンさんはどうやって戻るつもり?」

 

 スヴェンはミアの疑問に答えるよりも早く、走る荷馬車から飛び降りる。

 そして疾走する平原を転がり、赤子の泣き声がする荷獣車の残骸付近に駆け出す。

 周囲にモンスターの気配が無いか、細心の注意を払いつつガンバスターを片手に荷獣車の残骸に近付く。

 

「おぎぁ! おぎぁ! おぎぁぁ!」

 

 残骸に到着すれば赤子の泣き声がスヴェンの耳を打つ。

 泣き声を頼りに残骸を掻き分けると、残骸に下敷きにされた女性の片腕と大事そうに抱え込まれ、血に汚れた宝箱が見つかる。

 力任せに残骸を退かせばーー女性と赤子の姿は無く、その場に片腕と宝箱だけが残されていた。

 恐らく赤子の母親は、助からないと判断して我が子を宝箱に入れ、身を挺して護ったのだろう。

 

 ーー赤子を戦場に置き去りにした連中とは大違いだな。

 

 過ぎ去った過去と話しにだけ聴かされていた思い出にスヴェンは舌打ちする。

 

「……チッ」

 

 遠方に見える獰猛なモンスターの姿が見えた。

 幸いこちらにはまだ気が付いて無いが、感傷に浸ってる場合では無い。

 一刻も早く赤子を連れて荷獣車に戻らなければ。

 スヴェンが宝箱を開けると、中身は赤茶色の髪が薄らと生えた赤子と箱一杯に引き詰められた金貨だった。

 

 ーー大量の金貨か。こいつならガキを一人育て上げるには充分過ぎるだろ。

 

 スヴェンは引き取り先の件を考え、宝箱ごと赤子を抱えた。

 すると赤子は涙に濡れた小さな水色の瞳でこちらをじっと見詰め、

 

「あぅ〜、あーあ!」

 

 赤子が笑いながら小さな、まだ手首も出来上がっていない小さな手でスヴェンの服を掴む。

 

「安心したって言いてえのか? ……赤子の考えることは理解できねえ」

 

 モンスターが近寄って来ない事を確認したスヴェンは、しっかりと宝箱ごと赤子を抱えたままミアが待つ荷獣車に戻った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ハリラドンの手綱を引くミアを他所に、天井裏の部屋から出て来たアシュナが赤子に興味深そうな眼差しを向け、

 

「お姉ちゃんだよ?」

 

「むー」

 

 指を近付けると赤子はアシュナの指を払い除けるように、小さな手を振る。

 

「お気に召さないようだな」

 

「スヴェンには懐いてる」

 

 面倒な事にこの赤子はスヴェンから離れようとしない。

 無理に引き剥がそうとすれば、『大泣きするぞ? いいのか!?』と言わんばかりに泪ぐむのだ。

 グローブ越しに触れてるとはいえ、血に汚れ過ぎた手で赤子を触れ続ける訳にもいかず。

 

「いい迷惑だ。……このガキはルーメンで預けるが、問題はねえな?」

 

 危険を伴う旅に最初から赤子を連れ回す気はない。

 そもそもこの荷獣車には赤子が食べられる食料はミルク程度しかなく、加えて赤子に必要な日用品、特に替えのオムツなど有りはしない。

 

「孤児院に預けるのもいいと思う」

 

「うーん、でもルーメンが引き取ってくれるとは限らないよ? それにあの村には修道院や孤児院なんて施設は無かったと思う」

 

 アトラス教会が運営する孤児院に預けられれば、それに越したことは無いがーー施設が無ければ引き取り先を捜す他にない。

 戦闘よりも非常に面倒な状況にスヴェンは困り顔を浮かべる。

 元々子供は苦手だった。特に幼少の頃から武器を手に戦場を駆け抜ける少年少女の兵士は。

 

「都合よく引き取り手が見付かればいいが……この金なら文句は言えねえだろう」

 

「いっそのことスヴェンさんがパパになったら? 贅沢も出来るお金も手に入って一石二鳥だよ」

 

 真剣な声色で語るミアに、スヴェンは肩を竦める。

 

「傭兵に育てられたガキはろくな奴に成長しねえ」

 

 自分がそうだった。

 デウス・ウェポンの赤子は、生後2ヶ月で立ち上がり言葉を話せるようになる。

 二年もすれば軽量な武器を扱えるまでに成長するのだ。

 そして五歳を迎える頃には既に幾つもの戦場を経験する。

 拾った傭兵団の団長が自身に殺しの術を叩き込み、戦場を連れ回したーーその点と育てられた恩義は有るが、成長したのは人殺し以外に生き方を知らないモンスターだ。

 この赤子が同じ末路を辿るとも限らないが、あの世界では良くある事例の一つ。

 

「それってスヴェンさんの経験談?」

 

「ああ、真っ当に成長できる奴はごく僅かだな。こんなガキを外道にしてえか?」

 

 スヴェンの問いにミアとアシュナは首を横に振る。

 

「決まりだな。ルーメンでコイツの引き取り手捜し、そいつが無理なら……姫さんに相談するしかねえか」

 

「その方が確実だよね、その子の引き取り手が居なかったら私が姫様に一報入れるよ」

 

 ルーメンは通り抜けるだけの予定だったが、このまま赤子を連れ回すよりはずっと良いだろう。

 スヴェンは窓の外に視線を向けると、

 

「この子、名前は?」

 

 アシュナの疑問にスヴェンは愚かミアも息を呑む。

 名も知らない赤子。それどころか性別も知らない。

 そう思ったスヴェンは赤子のおくるみを調べるーーしかし、おくるみには赤子の名を示す刺繍らしきものも見当たらず。ならばと宝箱の中身を漁れば、親元を示す手掛かりらしい物は何一つ出て来ず、何処の誰の子かも分からない状態だった。

 

 

「責めてファミリーネームが判れば親族に引き渡せることも出来るんだが……あ?」

 

「如何したの?」

 

「いや、こっちの世界はファミリーネームは無えと思ってな」

 

「えっ? ファミリーネームならちゃんと有るよ。私もアシュナにも……だけど他人に教える訳にはいかない大事な名なんだ」

 

 デウス・ウェポンでもそんな風習を持つ都市国家が存在していた。だからスヴェンは今更な情報にたいして驚きもせず、隠し名程度の認識を持つ。

 

「スヴェンさんはちゃんと覚えておいてよ? ファミリーネームを教えるのは忠誠を誓った相手か、将来を誓い合った仲ぐらいだって」

 

「ああ、覚えておこう。そいつで面倒なトラブルは招きたくねえからな。だが、なぜそんな面倒な風習が有る?」

 

 フルネームを名乗るのは普通に有ることだ。そう認識していたスヴェンからすれば、ミア達の風習は不思議なものだった。

 

「えっとね、相手を効率的に最大の効果で呪う時にフルネームを知られてると、血が受け継ぐ記憶の影響で末代まで呪いに侵されるからなんだ。だからエルリアでは呪いから家族を護る為にフルネームを隠すの……他にも伝統的な理由も有るんだけど聴きたい?」

 

 血が受け継いだ記憶の影響。フルネームを媒介に遺伝子そのものに呪いを与える仕組みなのだろうか?

 

「伝統的な理由……そっちにはあんま興味はねえな。だが、呪いを半減させるためか。そいつは魔法の研究が発展してるエルリアだからこそって訳か」

 

「そっ。他の国じゃ当たり前にフルネームを名乗ってるから呪いを使用した事件が多発するんだ」

 

 ミアの説明に理解したスヴェンは、自分は呪いに付いて心配する必要は薄いと判断した。

 元々スヴェンにはファミリーネームが無い。そのため呪いの影響も半減するからだ。

 そして気が付けば赤子は寝ており、

 

「……まさか俺はこのままなのか?」

 

 切実に問うと誰も答える者は居なかった。

 その日、スヴェンが赤子から解放されたのはーー野営の時だった。



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4-2.不穏な野宿

 星灯りが灯す夜。様々な方向からモンスターの遠吠えが鳴り響く静寂と安心安全とは程遠い一夜。

 ルーメンとメルリアの間に聳える森と川の近場でスヴェン達は焚火を囲んでいた。

 焚火が揺らめく炎の脇で、ハリラドンが木製のバケツに山盛りに入った干草を食べる。

 赤茶色の髪の赤子には何度も薄めたミルクを与え、腹が満たされたのか今ではミアの側で眠っていた。

 そして自身の膝下に視線を向ければ、木製の皿に盛られた焦げた干し肉と色の悪いスープに息が漏れる。

 

「ご、ごめん。少し失敗しちゃった」

 

 そう言って詫びれた様子で謝るミアを他所に、スヴェンは何も言わず焦げた干し肉を口に運ぶ。

 どんな食事もデウス・ウェポンの食事擬きよりは遥かにマシに思えたからだ。

 現に苦味は強いが、食えない訳でも腹を壊す心配もない程度だった。

 

「平気なの?」

 

 アシュナの疑う眼差しにスヴェンは、咀嚼した干し肉を呑み込む。

 焦げ味がするが肉の食感と肉汁に混ざる塩分に不味いとは思えない。

 あの科学の叡智を結晶させて製造したと謳う食事擬きと天然自然の新鮮な食事を加工した食材では天地の差……いや、比較するのも烏滸がましい。

 

「クソ不味いデウス・ウェポンの食事擬きと比べればなぁ」

 

 訳が分からないと言わんばかりに首を傾げるアシュナに、ミアは何とも言えない表情で自身の作った料理に視線を落とす。

 

「可笑しいなぁ。干し肉は火で炙るだけ、スープも用意されてた食材で作ったのに」

 

 そんな彼女の疑問にスヴェンは考え込む。

 ミアの調理工程に何か問題が有った。

 しかしスヴェンは料理をしないから調理工程で何が正しく間違いなのかが分からない。

 傭兵として必要最低限のサバイバル能力は備わっているが、そもそもレーションさえあれば料理をする必要が無かった。

 食材に恵まれた豊かな世界に生きるミア達は、普段から料理など作るのか? そんな疑問がふとした瞬間に湧く。

 

「アシュナは料理できんのか?」

 

「やったことない」

 

 料理を全くしないと自信満々に語るアシュナから視線を外し、次にミアに視線を移す。

 するとミアは頬を掻きながら答えた。

 

「えっと、小さい頃は実家のお母さんが……ラピス魔法学院の初等部に入学してからは学食で、治療師として城勤めになってからは食堂で食べてたから」

 

 ーー確かに城の飯もまた食いてえ程に美味かったな。

 

 この面子は誰も料理ができない。そもそも料理を造る必要性が無い環境に居ればそれは必然とも思えた。

 ただ、お互いにはじめて知った事実に焚火を挟んで赤子の寝息だけが響く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 沈黙が続く食事を終え、アシュナが赤子を連れて荷獣車の天井裏に引っ込んだ頃だった。

 何を思ったのか、ミアが隣に座り込んだのは。

 

「なんか用でもあんのか?」

 

 そう訊ねれば静かに頷くばかりで、どうにもミアの表情が優れない。

 

「用があんならとっとと済ませて寝ろ。明日も速いだろ」

 

 するとミアはこちらに顔を向け、しばしこちらの眼を見詰めてから漸く口を開く。

 

「上着脱いで」

 

 突飛もない言葉に一瞬だけ彼女を睨むーーそういや、コイツは治療師だったな。

 重傷を負ったスヴェンを治療したのは他ならないミアだ。なら彼女が突飛もなく上着を脱げと言った理由にも納得がいく。

 スヴェンは無言のまま背中のガンバスターを鞘ごと地面に降ろし、防弾シャツを脱いだ。

 

「あ、相変わらず……す、すごい身体」

 

 気恥ずかしさと羞恥心から頬を赤く染めたミアの様子にため息が漏れる。

 単なる検査に過ぎないうえに、治療師ならこういった機会が増えるだろうに。

 それはそうとじっと上半身を興味深そうに見詰めるミアにスヴェンの方から訊ねる。

 

「身体に違和感がねえが、何を調べるつもりだ?」

 

 言われて漸く気が付いたのか、ミアは慌てて取り繕ったような笑みを浮かべた。

 ミアも歳頃の少女だ。異性の身体に興味を示す頃合いのだろうーースヴェンは勝手に納得してミアから視線を晒す。

 するとミアは上半身の至る所、特に深傷を負った箇所を重点的に触れはじめた。

 

「……さっき何処も違和感は無いって言ってたけど、痛みとか吐気は無い? 眩暈や視界の色素が抜けて見たりとか」

 

「いや、特にそんな症状もねえな。……強いて言うなら食い足りないってところか」

 

「それはスヴェンさんがまだ回復しきってない証拠だよ。あと単純にご飯が美味しくないから」

 

 そう言ってミアは杖を構え、

 

「……この哀れな狼に癒しの水よ」

 

 以前聴いた詠唱とはまた違った詠唱を唱えた。

 そして杖の先端に構成される魔法陣が淡い水色の光りを放つ。

 なんとも言えない心地良さと安らぎを感じさせる光りの温もりに息が漏れる。

 同時に完治とまではいかないが、殆どの傷は癒えた状態だ。にも関わらず唱えられた魔法に疑問が湧く。

 

「今の治療魔法に何の意味があんだ?」

 

「今の魔法は念の為にだよ。戦闘中に塞いだ傷がまた開くのは嫌でしょ?」

 

「確かに戦場で何度か傷口が開くことは有ったな。……その度に生きた心地がしねえ」

 

 出血に視界が霞み、頬を掠める銃弾や刃。戦場には常に万全の状態で臨みたいが、そうも言えない状況が時として起こる。

 拠点に対する夜襲や襲撃、行き付けの病院で細胞治療中に施設ごと爆撃されることもデウス・ウェポンではよく有ることだ。

 

「それと……その、やっぱり私があの信徒を怒らせたからだよね?」

 

 彼女は重傷を負った原因は自分に有る。そう語る罪悪感を宿した眼差しに、スヴェンは無言でミアの額にデコピンを放つ。

 ゴチンっ! いい音が星明かりの下に響き渡る。

 

「いったぁぁ!? なにするの!?」

 

「重傷をテメェの責任だと勘違いしたバカにはコイツが充分だろ」

 

「か、勘違い?」

 

 痛む額を摩りながら訊ねるミアにスヴェンは頷いた。

 あの信徒の自爆はミアが怒りをぶつけなくとも、敵がこちらを巻き込む覚悟で放ったーー文字通り邪神に対する信仰心によって。

 恐らくあの信徒はガンバスターを突き付けた時点で自爆を決意していた。

 これは単なる推測と結果論に過ぎないが、そうでも考えなければあの状況下での魔力の巡りに説明が付かない。

 

「奴はあの時から既に俺達を道連れにする算段だった……ま、予想外なのは殺した筈が発動を止められねえことだがな」

 

「……禁術の中には自爆も有るって知識としては知ってたけど、具体的な方法とか詠唱も知らなかった。禁術にたいしてもう少し知識が在れば少なくともあの結果にはならなかったと思う」

 

 ミアは自らの知識不足に眼を伏せた。彼女なりに至らない点を反省し、次に繋げようとしているの事が表情からも見て取れる。

 確かに自身も禁術に対する知識が不足していた。だから手痛い反撃を受けたと。

 

 ーーコイツはミアだけの問題じゃねえ、俺にも必要な知識だ。

 

「何処かで禁術を識る必要があんな。そん時はアンタが学院で学んだ知識を頼らせてもらうが、それで文句はねえな」

 

「私の知識……スヴェンさんは責めたりしないんだ」

 

「あん? 怪我は自爆に対する警戒を怠った俺の責任だ、だいたいデウス・ウェポンじゃあ即死だぞ……それとも次はデコピンよりもグーの方がいいか?」

 

 拳を握って見せれば、ミアが顔を全力で横に振る。

 そもそもミアは自爆に対して負い目に感じてるが、あの場所に彼女が居なければ死んでいたのはスヴェンだ。

 だからミアを取り分け責める気もさらさら無ければ、元々気にもしてない。

 それはそうと六月に入ったばかりとは言え、いつまでも上半身を晒すのは忍びない。

 

「もう診察は終わりか?」

 

「あっ、うん。もう着ていいよ」 

 

 スヴェンは手早く防弾シャツを着て、ガンバスターを鞘ごと背中に背負うーータイミングが良いのか悪いか、複数の唸り声と足音にスヴェンはため息混じりにガンバスターを引き抜く。

 薄暗い地点から聴こえる足音、姿も見えないモンスターを相手にするのは自殺行為だ。

 スヴェンは手早く焚火の火を足音がする方向に放り込む。

 すると火の灯りがなんとも不思議なモンスターの群れを捉える。

 頭部は三つに別れた狼だが胴体は獅子に近く、尾は生きた蛇といったチグハグに思えるようなモンスターだった。それが涎を滴らしながら六頭も居る。

 おまけに唾液は強い酸性を含んでいるのか、滴れた草花が一瞬で溶け、異臭が鼻に付く。

 少なくともスヴェンが識るモンスターとは到底かけ離れてる風貌だ。

 

「奴に対して知識は有るのか?」

 

「えっ? なにあのモンスター……あんなモンスター見た事も聴いたことも無いよ」

 

 ミアでさえ知らない未知のモンスターにスヴェンの眉が歪む。

 いずれにせよ視界の悪い夜間でモンスターと戦闘するのは自殺行為だ。

 

「ハリラドンは夜道も平気か?」

 

「うん、あの子達の視界は昼夜も関係ないよ」

 

 そうと決まれば結論が出るのは直ぐだ。

 

「俺が時間を稼ぐ。その間にアンタはハリラドンを走らせろ」

 

「……分かった。でも気を付けてよ?」

 

 スヴェンは頷き、ゆっくりと未知のモンスターーアンノウンに近付く。

 六頭のアンノウンはスヴェンを取り囲むべく、周囲を緩やかな足取りで包囲するように動いた。

 囲まれては厄介だ。そう判断したスヴェンは、囲まれないように距離を保ちつつガンバスターを構える。

 中々距離が縮まらないことに痺れを切らしたのか、一頭のアンノウンが魔法陣を形成した。

 それを合図に他のアンノウンも続く形で魔法陣を形成する。

 今のスヴェンにはアンノウンの魔法を止める手段が無い。

 加えて.600LR弾の残弾が四発、しかも今のスヴェンでは銃弾の魔法陣を発動させることもできず、モンスターの障壁を貫くことは叶わない。

 

 ーーなら、魔法を誘発させ魔力を減らすか。

 

 目的は単なる時間稼ぎだが、魔法騎士団に報告するだけの情報も欲しい。

 スヴェンは膨張する魔法陣に身を屈めるーーやがて一つ一つの魔法陣から放たれる影に眼が行く。

 その影はゆっくりと暗闇が広がる地面に落ちると、影が暗闇に溶け込む。

 スヴェンは焚火の側まで飛び退くことで奇襲を警戒する。

 案の定とも言うべきか。先程までスヴェンが立っていた位置に無数の影が剣山のように突き出るではないか。

 

 ーーあのタイラントといい、地面に何か生やすのはモンスターの間で流行ってんのか?

 

 いずれにせよ灯りから離れるのは得策では無い。

 むしろ影の存在がスヴェンの行動範囲を狭めた。

 先程のように焚火の火を放り投げれば、幾らか視界と移動範囲を確保できるがーースヴェンは密かに荷獣車の方に視線を向ける。

 既に準備が整ったのか、ハリラドンがミアの手綱によって動き出す。

 

 ーーもう少し情報が欲しいが、時間切れか。

 

 スヴェンはこちらに向かう荷獣車の屋根に飛び移り、

 

「このまま逃げろ!」

 

 闇に紛れ駆けるアンノウンに警戒を向ける。

 しかしアンノウンの脚はそう速くは無いのか、ハリラドンが引く荷獣車はあっという間に距離を引き離して行く。

 

 ーーあのガキの家族を襲ったモンスターは連中じゃねえな。

 

 スヴェンは他にも厄介なモンスターの存在を認識しつつ、荷獣車の中に戻る。

 すると眠そうなアシュナと今にも『抱っこしないと泣くぞ!』と言わんばかりに涙ぐむ赤子に息が漏れた。

 仕方なく赤子を抱っこしてやり、目を擦るアシュナに視線を向ける。

 

「アンタは休んでおけ」

 

「モンスターに遭遇した後、まだ頑張る」

 

 確かにアシュナが起きていればモンスターの相手が多少なりとも楽になるだろう。

 

「……またモンスターが来た時は頼らせて貰う」

 

 アシュナは腰に挿した二振りの短剣に指を滑らせ頷く。

 同時にスヴェンは手綱を引くミアに視線を向けると、

 

「私は大丈夫だよ。これでも三徹は余裕だからね!」

 

 こちらの意図を察したのか、顔だけ振り向き平気だと言わんばかりに微笑んで見せた。

 突然のモンスター襲撃にも動じない少女達にスヴェンは頼もしさを覚えながら腕の中で眠る赤子に視線を向け、

 

「コイツは将来大物になるな」

 

 感心を宿したため息が暗闇の中に響き渡る。



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4-3.農村ルーメン

 アンノウンの追撃を振り切り、漸く休めたのは農村ルーメンの守護結界領域に到着した頃だった。

 整備された街道の両脇に広大に広がる農地にスヴェンは首を傾げる。

 アーカイブで閲覧した農地とは違い、白い灰を被った農地に疑問が湧く。

 

「一面真っ白だな、それに何も育ててねえのか?」

 

 何も植えられていない寂しい畑にミアは深妙な顔付きで答えた。

 

「もう2年になるかな。ルーメンの農地が異界人の作った肥料で塩害になっちゃったのは」

 

 大量の塩分によって起こる被害だとは知識では知っているが、肥料にどれだけの塩を混ぜれば広範囲で塩害を引き起こせるのか。

 

「肥料に大量の塩を? ってか、大事な農地を異界人に弄らせるわけもねえか」

 

「うん。元々エルリアの農地は畑の地中に分離と増殖の魔法で肥料を効率的に拡散させて何千年も成長させてきたんだ」

 

 魔法と肥料を使った農地がたった一度の不純物が混入しただけで壊滅的な被害を受けた。

 元々塩害の被害は海風や地中の塩分が溶け、地上に噴き出したことで起こる自然現象だが、なぜ異界人は海とは遠い内陸部のエルリアで塩を混ぜた肥料を使おうと考えたのか。

 そもそも異界人にとっては単に少量程度の塩分だったが、分離と増殖の魔法が致命的に相性が最悪だったと推測もできる。

 不幸な偶然とも考えられるが理由など判らない。ましてや異界人が善意にせよ、実害を出されたルーメンの農民が恨みを抱かない筈が無い。

 

「塩害は分離の魔法でどうにかな成らねえのか?」

 

「えっと、増殖の魔法陣を一度停止させて塩分を分解させてるらしいんだけど、それでも時間が掛かるんだって。それに別の土地から土を持って来ても土地の性質と相性で適した土を造るにも何年もかかるから難しいかな」

 

 塩害で駄目になった畑の再生には時間を要する。

 農地の生産性低下がどれだけエルリアに実害を齎すのかは判らないが。

 

「異界人を止める奴は誰も居なかったのか」

 

「当時同行していたラフェットさんが、異界人に魔法と土地の性質を説明して止めたらしいんだけど……何者かに唆されたって報告が有ったの」

 

 異界人を唆した第三者の存在。そんな事をして得するのは普通なら敵対国だが、エルリアの周辺国は友好同盟を結んだ国家ばかり。

 そもそも魔法技術を各国に提供するエルリアを敵に回す真似などしないだろう。

 時期を考えれば必然的に第三者は邪神教団に限られる。

 尤もスヴェンが把握している状況から推察した結果に過ぎない。

 実際には他の農村による嫉妬や嫉みの可能性もある。

 

「第三者か。ルーメンの農民か邪神教団の工作か……何方にしろ農民にとっちゃあ迷惑な話しだな」

 

「そうだね。幸い畜産業も盛んだから収入と飢える心配も無いし、姫様から補填されてるから生活の心配も無いよ。だけど、やっぱり若者離れが深刻化しつつ有るみたい」

 

「……まぁ、どの道俺は荷獣車で寝泊まりが確定ってことだな」

 

 そもそもこれだけの被害を被った状況で村に入れて貰えるのかさえ怪しい。

 

「治療師としてスヴェンさんにはベッドで眠って欲しい所だけど?」

 

「屋根さえありゃあ何処でも十分休める。少なくとも爆撃に怯えながら過ごすよりはマシだ」

 

「……一応私の方でも交渉とまではいかないけど、スヴェンさんが無害だってことは伝えておくよ。赤ちゃんのことだって有るし」

 

 果たして塩害被害に遭ったルーメンで赤子の引き取り先か現れるのだろうか?

 スヴェンは疑問を浮かべながら、ミアが手綱引く荷獣車の中で今後の事に付いてしばし思考に耽った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 柵に囲まれた村の中から動物の鳴き声が響き渡り、荷獣車がルーメンの門に到着すると。

 

「お嬢ちゃん。ルーメンには通行、それとも旅行かい?」

 

「旅行ですよ。ルーメンには通行の為に1日、2日の滞在を予定してます」

 

「そうか、なら荷獣車の中身を見させてもいいかな?」

 

「ルーメンはいつから出入りが厳しくなったんですか」

 

「先日メルリアで子供達が誘拐されるなんて事件が起きたろ。それで村長も慎重になってさ」

 

「そうなんですか。でもメルリアの件はあまり知れ渡って無い印象でしたが……」

 

「あぁ、その事なら昨日の夕暮れ頃にアルセム商会の隊商が訪れてな。ほら、もう時期フェルシオンで闘技大会が行われるだろ?」

 

「そういえばもう6月ですもんね。うーん、順当に行けば闘技大会に間に合えば良いんですけど」

 

 スヴェンはミアと門番の会話、特にアルセム商会と聴いた途端に背筋に悪寒を感じ取っては嫌そうに眉を歪める。

 

 ーーアルセム商会……いや、まさかな。

 

 出来れば会いたくも無い人物の顔を浮かべないように努め、荷獣車に近付く門番の足音に息を吐く。

 果たして村に入れるのかどうか。問題はそこからだろう。

 スヴェンは搬入口が開かれ、太陽の光に顔を顰めた。

 

「荷獣車の中に男と荷物……側の物騒な武器と風貌からして異界人か。悪いが村長命令により異界人を村に入れることはできない」

 

 異界人に対する憎しみを宿した眼差しを向ける中年の門番に、スヴェンは背中にガンバスターを背負い大人しく荷獣車から降りる。

 しっかりと赤子を抱きながら。

 

「……ちょっと待ちなさい」

 

「あん? 俺は大人しく従っただけだが?」

 

「いや、それについては問題は無いさ。だけど……なぜ赤子を連れている? まさかあちらのお嬢ちゃんとの子か」

 

 勘繰る門番にスヴェンは嫌そうな眼差しを向けた。

 

「それこそまさかだろ……このガキはメルリアの守護結界領域の近場で拾ったんだよ」

 

 モンスターの生息地域に位置する街道で赤子を拾った。

 そう伝えるだけで門番は、赤子を襲った悲劇を容易に察したのか憐憫な眼差しを向ける。

 

「可哀想に。旅行者や行商人がモンスターに襲われることは常だけど、こんな赤子を残さなきゃならない親御さんも無念だったろうに」

 

 門番は祈るように手を合わせた。

 この世界なりの死者に対する祈りにスヴェンはミアの下に歩き出す。

 

「赤子の引き取り先はアンタに任せる」

 

 抱いた赤子をミアに手渡すと、彼女は不満気な眼差しを門番に向けた。

 

「……村の事情は把握してるけど、スヴェンさんが泊まれそうな場所は無いの?」

 

 訊ねられた門番は困り顔を浮かべ、明後日の方向に顔を背ける。

 

「村長命令は絶対だ。だけど、此処から少し歩いた場所に牧場跡地が在る」

 

 意外と融通を利かせる門番にスヴェンは、彼が顔を向けている南西の方角に顔を向けた。

 確かに村から多少歩いた距離に牧場らしき建物が見える。

 比較的近い場所、村からも監視しやすい位置だ。

 

 ーー性に合わねえが、勝手に動き回んのは得策じゃねえな。

 

 勝手に動けば村に滞在するミアとアシュナに悪影響を及ぼす。単なる同行者の二人を異界人が直面する問題に巻き込むのも性に合わない。

 スヴェンは改めて門番に向き直り、

 

「寝れる場所があんなら何処でもいいさ」

 

 気楽に答えて見せた。

 そんな様子に門番が意外半分と、何故こうなったのか訳を話す。

 

「……異界人の割に逞しいんだな。でも悪く思わなでくれ、俺も村人も姫様を尊敬してるし敬愛してもいる。ただ、それ以上に王家からこの土地を任された先祖が代々護ってきた土地を害された俺達の憤りを、理解しろとは言わないが……なんとなく判るだろ?」

 

 何千年も護ってきた土地をこの世界の人間ですらない人物に害される。

 確かにそれは護り通してきたルーメンの村人からしても憤り、異界人を恨んでも仕方ないと納得もすれば理解も及ぶ。

 

「……元凶の異界人はどうなった?」

 

 誰かに利用された異界人に付いて訊ねると、門番は眉を歪た。

 

「奴の行動は農地を更に豊かにしようとした善意だった。むろん、彼に悪気が有った訳でも殺人を犯した訳でも無い。だから姫様は異界人を元の世界に返還したのさ」

 

 彼が握った拳から滲み出る血が、異界人に対して恨みをぶつけたいと語っていた。

 しかし、もう事件を起こした異界人はテルカ・アトラスには居ない。

 門番もルーメンの村人も怒りを発散出来ず、忘れようとも農地に刻まれた塩害が忌々しい記憶として刻む。

 異界人の起こす事件はスヴェンの想像以上に根が深い。

 さっそくスヴェンが魔王救出を成功させたところで、異界人に対する評価は覆らないだろう。

 そもそも赤の他人が引き起こした問題の為に行動する気にもなれない。

 

「そうかい……一つ警告しておくが、俺を害そうなんざ考えるなよ?」

 

 スヴェンの警告に門番は顰め面で渋々といった様子で頷いた。

 そんな彼を背中に牧場らしき建物を目指して一人歩き出す。



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4-4.赤子の親探し

 スヴェンと別れたミアは村の入口付近の荷獣車の繋ぎ場でハリラドンを停め、

 

「アシュナはどうするの?」

 

 アシュナに声をかけると返事が無い。

 しばし待てども返事が返ってこない。寝てるのかと思いつつも天井裏を開く。

 アシュナの部屋として改装された天井裏を覗くと、そこには固定されたベッドが一つぽつんと置かれていた。

 そのベットの上で静かな寝息を立てるアシュナの姿が映り込む。

 

「昨日は遅かったもんね」

 

 疲労を蓄積させたアシュナが疲れて眠っている。そう判断したミアは静かに天井裏の入り口を閉じた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宝箱や着替え用品が入った荷物と赤子を抱えながらルーメンを歩くに連れ、村人の沈んだ表情が目に付くようになる。

 門から宿屋ソランまでたいして距離は無いが、すれ違う村人の表情が目に付く。

 事実を知ってる身としては、彼らの感情は理解もできるし同情もする。

 しかし、そんな暗い表情を浮かべる者に赤子を託していいものか。ミアは迷いながら小脇に逸れ、井戸前に集まる女性達に声をかけた。

 

「すみません、少しお話し良いですか?」

 

 得意の愛想笑いを浮かべ訊ねると、女性は訝しげな表情でこちらと赤子に顔を向ける。

 彼女達の眼差しから感じる同情心と憐れみの感情にミアは首を傾げつつ、

 

「この中に子育てにご興味が有る方は居ませんか?」

 

 直球に訊ねた。それがいけなかったのか、女性の視線は険悪感に一変する。

 

「産んだ赤子を人に譲る? どんな神経をしてるのかしら?」

 

「きっと若いからって男遊びにハマちゃったのよ、それでいざ産まれた子が邪魔に……」

 

「とんだ最低女ね。壁みたいな胸だけど、きっと顔だけが取り柄だったのよ!」

 

 盛大に勘違いされていることに漸く気付いたミアは、一つ咳払いを鳴らす。

 確かに勘違いされるような言動をしたこちらに非が有る。ただ、理由を聞く前に憶測と邪推で蔑まれるのは不愉快ではあるがーー壁って言った人は覚えてろよ?

 ミアは憤りを抑え、改めて彼女達に赤子に起きた悲劇を情に訴えるように語り出した。

 すると女性達の視線は険悪感から赤子に対する同情心に変わり、中には心を痛め胸を抑える者も。

 

 ーーふふ、あとはこの子を引き取る人が居れば!

 

 ミアは畳み掛けるように言葉を続ける。

 

「それで、この子を育ててくれる心優しいお方を探しているのですが、どなたご存知ありませんか?」

 

 敢えて切り札を出さずに伝えると、女性は一様に視線を逸らした。

 

「申し訳ないけど、ウチではその子を育てられないわ。息子と娘がラピス魔法学院に入学したから学費も掛かるし」

 

「経済的な余裕はあるけれど、ルーメンの畑があんなんじゃ……それに今の私達が抱える心の影はその子にいい影響を与えないと思うの」

 

 確かにそう言われれば納得もできる。

 赤子の為を想うなら辛気臭い村よりも明るく活気に溢れた場所の方が良いのではないか?

 ミアはそう思いつつも、次に到着するフェルシオンの距離を考えーーやっぱり赤ちゃんの安全を考えるとここの方が良いのかな。

 赤子の安全を考慮して、話しを切り出す。

 

「旅を続ける私達にこの子を連れ回す方が危ないですよ。……他に誰か引き取ってくれそうなお方に心当たりはありませんか?」

 

 彼女達が無理でも誰か居るかもしれない。そう思い質問すると一様に互いに顔を見合わせて頷いた。

 

「……先日妻とお子さんを同時に無くしたライス先生ならもしかしたら」

 

「あの人もまだ立ち直れていないけど、子供も好きだから多分引き取ってくれるかも」

 

「そのライス先生というのは?」

 

 知らない人物に付いて訊ねると女性達は誇らしげな笑みを浮かべた。

 

「彼はルーメンの村医者よ」

 

「優しくて病人が居れば何処にでもすっ飛んで来るわ」

 

「それに人格者でもあるから、その子にきっと良い影響を与えると思う」

 

 ライスの評判を聴いたミアは少しだけ思考を巡らす。

 妻と子を亡くしたばかりの男性。子供好きで人格者、おまけに医者ともなれば安定とまではいかないが収入も有る。

 それに万が一赤子が病気に罹ろうとも治療できる可能性が高い。

 それらを踏まえ、ミアは宿部屋を確保した後に会おうと決意を固めた。

 

「ありがとうございます。後で会いに行ってみますね!」

 

 井戸前の女性達に別れを告げたミアは、軽い足取りで宿屋ソランに足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ルーメンの村中にぽつんと佇む小さな宿屋ソラン。

 壁は所々蔓が伸び、御世辞も綺麗とは言い難い外観をしてるが、重視すべきは値段と室内だ。

 ミアがいざドアを開け中に入るとーー見慣れた少女が愛想笑いを浮かべていた。

 

「いらっしゃいませ! ようこそソランへ! 今なら追加料金で誠心誠意……っ!?」

 

 桃色の髪、紫色の瞳と目が合うと彼女は固まった様子で狼狽えていた。

 まさか同級生がルーメンで働いてるとは想像もしていなかったミアは、内心で驚くも恍けるように訊ねる。

 

「およ? セシナじゃないですか。卒業以来ですね」

 

「……なんであんたが此処に来るの?」

 

 セシナは心底嫌そうな眼差しを向けて来るが、彼女に嫌われるような事をした覚えは無い。

 逆に在学中、散々小馬鹿にされた被害者はこちらなのだがーー実技で鬱憤を晴らしたのが原因かな?

 それとは別に今のミアは宿泊客として訪れている。セシナがこちらに向ける感情など関係無い。

 こっちは金を払う立場にあり、セシナは金を受け取る側だ。多少強気に出てもバチは当たらないだろう。

 

「私は此処に宿泊に来たんですよ。……それとも私が嫌だからとお客様を蔑ろにするつもりですか?」

 

 事実を率直に伝えるとセシナは、悔しそうに下唇を噛みながら唸った。

 

「ぐぬぬ! 分かってるわよ! ここは食事とお風呂付きでお一人様一泊銅貨12枚よ!」

 

 ミアは料金を差出すと、セシナの視線が赤子に注がれていることに気付く。

 

「この子を育ててみますか?」

 

「かわいいとは思うけど、私じゃあ責任が待てないわよ……というか、あんたの子じゃないわよね?」

 

「この子は拾った子ですよ。……まあ、私も育てられないのでこうして引取り先を探してるわけなんですけどね」

 

「なるほど、大体の事情は察したわ。けど、なんでエルリア城に勤めているあんたがルーメンに来てるのよ」

 

 確かに治療部隊としてルーメンを訪れることは不思議では無いが、個人としてルーメンを訪れる理由がセシナには思い付かないようだ。

 

「私は観光旅行ですよ……異界人とですが」

 

 表向きの理由を隠して伝えれば、セシナは呆れた様子でため息を吐く。

 

「なんで異界人の旅行に同行を申し出たのよ。……あんたは治療部隊にかなり重宝されてるでしょうに」

 

 セシナの疑問にミアははぐらかすように笑っては、

 

「これでもお給料は出るので」

 

 一部の事実を伝えた。

 するとセシナはまるで雷が落ちたような表情を浮かべ、

 

「う、嘘でしょ? ただでさえ治療部隊の給金はそこそこ良いのに……異界人の旅行に同行するだけで給料が支払われる?」  

 

 収入の違いにショックを隠せず、受付カウンターに伏せてしまった。

 

「あの、部屋の案内は?」

 

「二階廊下の最奥よ。他は別の宿泊客で埋まってるから間違えないように」

 

 どうやら案内する気力も無いようで、困ったように周囲に視線を泳がせるとーーセシナに笑みを浮かべる中年男性の存在に気付く。

 彼女に雷が落ちると判断したミアはそそくさっとその場を離れ、階段を登り終えた頃にはセシナの悲鳴が響いた。

 悲鳴に苦笑を浮かべ宿部屋に荷物を置きに向かう。

 すると通りかかった宿部屋から『おい! うちの会長は何処行った!?』という話が聞こえ、なんとなく耳を澄ませると。

 

『気が付いたら何処にも居ねえ!』

 

『草の根掻き分けでも探せ! あの人を自由に行動させるな!』

 

 

 ーーそう言えば隊商が来てるって聴いたけど、何処の商会なんだろ?

 

 騒ぎ声を奏でる宿泊客に後髪惹かれるが、優先すべきことは赤子の引き取り先と魔法騎士団に未知のモンスターについて報告することだ。

 そして一人寂しく牧場跡地で過ごすスヴェンに差し入れを持って行かなければならない。

 

「スヴェンさんには何を差し入れしようかな? 君は何が良いと思う」

 

 返事もできるはずがない。そう理解しながら赤子に訊ねると赤子はきょとんした眼差しで、

 

「あー?」

 

 窮屈そうに身体を動かす。

 反応の悪い赤子についため息が漏れ、一度赤子をベッドの上に寝かせてから荷解きする。

 そして再度赤子を抱っこすると、

 

「むー!!」

 

 不服そうに唸られた。

 昨夜から感じていたが、この子はスヴェンに懐いている。

 スヴェンと赤子を引き離して良いものかと思うが、彼は自身が育てれば外道に堕ちると断言していた。

 その言葉には身を持って経験した実体験も含まれ、彼がどんな過去を歩んだのかなんとなく想像できてしまう。

 あくまでも想像と憶測だが、スヴェンも誰かに拾われ育てられた。それが傭兵で彼の生き方を決めてしまった要因なのではないか?

 そんな憶測が立つがーー彼が過去を語りでもしない限り真相は闇の中だ。

 

「あとでスヴェンさんに抱っこしてもらえるから、それまでは私で我慢してくださいよ」

 

 そう優しく話しかけると赤子は理解したのか、

 

「う〜」

 

 唸り声を挙げるや否や、微睡に身を任せてスヤスヤと眠り始める。

 

 ーー親が亡くなって、この子は私達にたいして一度も泣かない。

 

 親の死を理解していないのか、そもそも両親の顔をまだ認識できていないのか。

 生後二、三ヶ月なら無理もないかもしれないが……。

 

「先に騎士団の駐屯所に行かなきゃ」

 

 赤子を連れてというのは憚れるが、ライスに託すにせよ込み入った話も必要になる。

 特に未知のモンスターに関する情報は早く届けるに越したことはない。

 ミアは未知のモンスターに対する知見とスヴェンから得た情報を基に頭の中で報告を纏め、宝箱を入れた荷物を忘れずに宿部屋を後にする。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋ソランから真っ直ぐ魔法騎士団の駐屯所に向かったが、

 

「誰か居ませんか〜?」

 

 先程から何度も声を掛けても反応が無い。

 魔法騎士団が出払ってること事態が珍しくもないが、なんとも間が悪いと思えた。

 仕方ないと諦めたミアは、此処から近いライスの診療所に足を伸ばす。

 怪我人が絶えない駐屯所の側に建てられた診療所に到着したミアは、さっそくドアを叩く。

 

「すみません! ライス先生は居ますか!」

 

 中まで聴こえるように訊ねるとドアが開き、優しげな紳士然とした男性が姿を現した。

 

「おや、診察かな?」

 

「いえ、実はこの子の引き取り先を探してまして」

 

 柔らかく愛想笑いで簡潔的に伝え、ライスは思案顔を浮かべると。

 

「……詳しい話は中で聴こうか」

 

 ミアを招き、そのまま診察室に通される。

 様々な薬品の匂いが漂い、薬品と医療道具が並ぶ棚に囲まれた診察室で椅子に座ったミアは早速話しを切り出す。

 

「実はこの子の両親はメルリア守護結界領域の近くでモンスターに襲われたようで……私達が通り掛かった時にはもう」

 

 赤子が血に汚れた宝箱に隠されていたこと、その宝箱には大量の金貨も入っていたことも含め、実物を見せながら話した。

 だがライスは宝箱に詰められた大量の金貨に興味が無い様子で、真っ直ぐこちらを見詰める。

 

「……モンスターに襲われ、孤児が出るのは珍しい話では無いけどね。それで君はわたしにその子を引き取って欲しいと?」

 

「はい。この子の将来とかを考えれば先生が育てた方が一番だと思いましてね」

 

「確かに子の将来を考えればわたしが育てるのが一番だね」

 

 ライスは眼を伏せ、亡くした妻と子を想ってかゆっくりと息を吐き出した。

 やがて赤子とこちらを見据えたライスは優しげな眼差しで、

 

「わたしが育てる。そう結論は出ているんだけどね、一度君の同行者とも話しをしたいんだ。もしかしたらわたしよりも君達の方が良いことも有るだろうし」

 

 それは無いと断言はできないが、スヴェンにもしも心変わりが訪れればその可能性も無いとは言い切れない。

 なによりもミアから見てライスは善人と判断できるが、スヴェンがどう判断するのかはまだ判らない。

 

「分かりました。彼は暇してると思うので直ぐにでもどうですか?」

 

「いや、悪いけどこれから健診に訪れる患者が居てね。だからお昼過ぎ辺りにわたしの方から訪ねるよ。……ま、午後からも診察が有るけど」

 

「それじゃあ彼にはそう伝えておきますけど、この子と少し過ごしてみますか?」

 

「まだわたしが引き取れるとは限らないからね、それにその子を置いて行かれても困る」

 

 確かにその選択肢も無い訳ではないが、どうせなら赤子を無事に引き取られるのを見届けてから出発したい。

 スヴェンがなんと言おうとそれだけは拾った者として果たすべき責任だ。だからこそ譲れないし、ハリラドンを動かす気も無い。

 

「そんなことはしませんよ。……あっ、そういえば話は変わりますが、村の皆さんは何処か暗い様子でしたけど何か有ったんですか?」

 

「……3年前からみんな気持ちが沈んでるけど、いやこれは後で話そう」

 

 そう言われて気にもなるが、間が悪くライスを呼ぶ声に、

 

「いま行きますよ! さ、診察の時間だ、君もそろそろ行くと良いよ」

 

 長いしては彼の邪魔になる。ミアは彼に一礼した後、診療所を静かに立ち去る。

 村の外は相変わらず沈んだ空気に包まれ、誰かを捜す一団で溢れていたがーールーメンの名物料理をスヴェンに届けると決めたミアは、早速料理を買いに行動を移した。



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4-5.村外れに訪れる者

 倒壊した牧場跡地に到着したスヴェンは、屋根が崩れた小屋を訪れ、

 

「干草のベッドか、悪くねえ」

 

 思ったよりも小綺麗な小屋に口笛を鳴らした。

 しかし現在時刻は十時だ。まだ休むには早過ぎるが、こんな時こそやっておくべきことは多い。

 特に誰の気配もない広々とした場所は、ちょっとした鍛錬や確認に適している。

 さっそくスヴェンは鞘からガンバスターを引抜き、下丹田の魔力に意識を集中させる。

 両手でガンバスターの柄を強く握り込み、射撃の構えを取った。

 下丹田から両腕に魔力を流すイメージを浮かべ実行に移す。

 魔力がスヴェンの下丹田から両腕に流れ込む。此処までは問題無いがーー問題はこの後だ。

 柄を通してガンバスターに魔力が伝わるが、魔力は柄からシリンダー部分で動きを止めてしまう。

 利腕の右手だけならガンバスターの全体に魔力をスムーズに送れるのだが、何故か両腕となると魔力の流れが分散し、止まってしまうのだ。

 

「何が問題だ?」

 

 まだ左腕に魔力が伝達し難いのか、単なる素質の問題か。

 それとも素材ーーメテオニス合金が魔力の流れを阻害してるのか?

 元々メテオニス合金は宇宙から飛来した隕鉄と魔力が結晶化したマナ結晶を加工して製造された物だ。

 メテオニス合金は衝撃や銃弾を跳ね除ける硬度を誇り、ガンバスターに内蔵する粒子回路の強度を高め、各モジュールの伝達率を効率的に上昇させ、全体の強度を確保している。

 そのメテオニス合金が魔力の流れを阻害しているのか、それとも粒子回路と魔力が干渉した結果、互いを相殺しているのか。

 考えても原因が判らず、ため息混じりに周囲に視線を落とすとーー立て掛けられた刺又に目が行く。

 

「試してみるか」

 

 ガンバスターを鞘に納め、刺又を手に取る。

 そして先程と同じ様に魔力を操作すると、驚くべき事に両腕の魔力が刺又に容易く宿った。

 

「……確か木製ってのは魔力と相性が良いんだったか?」

 

 自然物の素材と魔力の結び付き。そんな話しを依頼を請た日にレーナから聴いた覚えが有った。

 しかし片腕ならガンバスターに魔力を送る事はできる。できるが、装填した銃弾にまでは細かく行き届きかず、クルシュナ達が用意した魔法陣を発動させることもできない。

 両腕はダメで片腕が成功する理由ーー原因は力量と材質か。

 この仮説を立てるにはまだ判断材料が少ない。そう結論付けたスヴェンはシリンダーから.600LRマグナム弾を取り出した。

 

「小さい物ならどうだ?」

 

 物は試しにと銃弾に魔力を流し込む。

 すると.600LR弾がスヴェンの魔力に反応を起こし、雷管に刻まれた魔法陣が発動した。

 赤く輝く銃弾にスヴェンは眉を歪める。わざわざガンバスターに魔力を流し込む必要性が無かったと。

 赤く輝く銃弾をシリンダーに装填した、その瞬間ーー赤い輝きが消え、通常の状態に戻ってしまう。

 結局魔力を流し込みながら引き金を引かなければ銃弾に刻まれた魔法陣は効果を発揮しないことが改めて判明した。

 

「……次は.600GW弾で試してみるか」

 

 サイドポーチから.600GW弾を取り出し、魔力を流し込む。

 すると銃弾に魔力が流れ込むがスヴェンは意識を集中させ魔力の流れを視るとーー.600GW弾に流れた魔力は一箇所に留まらず、拡散してることが判る。

 

「原因はこれか?」

 

 今までガンバスターに魔力を流し込む際は注意深く意識を集中させて無かった。

 改めてスヴェンは、ガンバスターを引抜き魔力を流し込む。

 やはりと言った様子で片腕でガンバスターに流し込んだ魔力が拡散している。

 次に両腕で実行してみれば、より細かく魔力が拡散してることが判る。

 この現象を力量不足と見るかーーいや、刺又は上手くいったな。

 スヴェンは再度刺又を持ち上げ魔力を流す。すると魔力は拡散せず濃密に流れ込んでる様子が視認できた。

 今度はナイフを引き抜き魔力を流し込めば、魔力は拡散せず濃密に流れ込んでいた。

 

 ーーこいつは確か、クロミスリル製とか言っていたな。

 

 つまり魔力操作の練度不足に加え、ガンバスターの材質と魔力の相性が悪い。そんな結論が頭の中で浮かび、スヴェンの額に汗が滲む。

 

「……ブラックに頼んで材質の交換が必要か。いや、完成まで時間を要するか」

 

 それまで相棒で戦い続ける必要が有る。

 ここにテルカ・アトラス製のナイフも有るが、ナイフは拷問と緊急時の手段に過ぎず、そこまで扱いに長けてる訳でも無い。

 

「今の装備でモンスターの相手はやっぱキツいな」

 

 結論付けたスヴェンはサイドポーチから紙と羽ペンの一式を取り出し、ブラックとクルシュナ宛に手紙を書く。

 後はミアに頼んで配達して貰えば済む話だが、

 

「緊急時に村に入れねえのが厄介か」

 

 肩を竦めると、ジャリっ。土を踏んだ足音にスヴェンはガンバスターを構える。

 

「出て来い」

 

 警戒心と威圧を込めると、スヴェンが最も会いたく無い人物が爽やかな笑みを浮かべながら姿を見せた。

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、明後日の方向に顔を逸らす。

 つまり彼を見なかった事にする。それがスヴェンの取った方法だった。

 自分は何も見ていないし出会ってもいない。そう言い聞かせながら口笛を吹く。

 

「奇遇だねスヴェン! 君もまさかルーメンに来てるなんて驚いたよ! それともこれはもはや運命かな?」

 

 何が運命だ! スヴェンは出掛けた言葉をグッと呑み込む。

 ヴェイグを相手に叫ぶのは体力の無駄に思えたからだ。

 

「……会長のアンタこそ、自らルーメンに商談か?」

 

「いやいや、此処には単なる通行のために立ち寄っただけだよ」

 

 通行のため。ルーメンの西にはファザール運河、そして運河を超えた先は貿易都市フェルシオンだ。

 可能ならファザール運河で船に乗り継ぎ、北上したい所だがーーエルリア城で得た情報によれば水路は邪神教団に従う魔族が見張っている。

 だから陸路で旅を続ける他に無いのだが、

 

「アンタの次の目的地はフェルシオンってことか?」

 

「そうだよ。此処から北のネルリアには部下達が商談に行ってるからね……それに大事な商談は部下に任せられないのさ」

 

 目元を隠しながら真っ直ぐとこちらに顔を向けるヴェイグに、スヴェンはこれ以上の詮索も野暮だと判断した。

 旅の道行に偶然の重なりも有るのだろうっと。

 同時にヴェイグに幾つか訊ねておくべきことも浮かぶ。

 

「会長ってのは大変なんだな……話しは変わるが、メルリアの守護結界領域でモンスターに襲われた荷獣車を見た」

 

 自身が見た光景に付いて話すと、ヴェイグは興味深そうに息を吐いた。

 

「モンスターが蔓延るこの世界で特別珍しい話しじゃないけど、もしかしてわたしの商会の一員かもしれないと?」

 

「あるいはアンタがパーティに招待した客かも知れねえが、残骸には身分証らしき物は無かった」

 

「ふむ……招待客に被害が出ればわたしの方にも連絡は来るが、発覚から時間も掛かる」

 

 ヴェイグは赤子に対して言及してこなかった。

 

 ーー村の中でミアと会わなかったのか?

 

 そう広くも無い村の中でミアと再会せず、此処に真っ直ぐ足を運んだとは考え難いが赤子の件も有る。

 変に疑わず、赤子の保護先を優先すべきだ。

 

「招待客の中に赤子を連れた親子は居なかったか?」

 

「あぁ、なるほど。君はわたしが招待した客人に被害が出たと考えたわけだね。……だけどわたしが招待した客人の中に赤子連れは居なかったよ」

 

 フェルシオンに向けて出発するヴェイグの隊商に赤子を任せる。

 旅は続くが少なくとも赤子の生活は良いだろう。そこに人並みの愛情が注がれるかは別問題だが。

 スヴェンはそこまで考えーーやっぱ、ガキには愛情ってヤツが必要か。

 自分のような愛情を知らずに育つよりはずっとマシに思える。

 血の繋がりが全てでは無いと理解こそしてるが、赤子の引取り先は中々難しいだろう。

 

「そうかい。アンタは養子に興味は有るか?」

 

「……今の所養子を取るつもりは無いな。これでも商会の会長を勤めていると色々と面倒ごとも多い、出来れば赤子を巻き込みたくは無いかな」

 

 すんなりと自身の立場から断るヴェイグにスヴェンは仕方ないと頷く。

 

「なら他に宛を探すしかねえな」

 

「お前は赤子なんて軽んじると思っていたけどね」

 

 意外そうに呟かれた言葉に、スヴェンは宝箱を抱えた女性の右腕を思い出す。

 

「死んでまでガキを守ろうとした姿を見ちまったら、責めて発見者として義理は果たしてぇだろ」

 

 それが銅貨一枚の価値にもならないと理解しながら、命を落としてまで赤子を護った親に対する敬意を一度でも抱いてしまえば無視もできない。

 

「似た境遇から来る同情ではないと?」

 

 ヴェイグの言葉にスヴェンは鼻で笑った。

 

「まさか、一々境遇で同情なんざしてらんねえよ」

 

「へぇ。それでこそわたしが気に入った男でも有るな!」

 

 嬉々として両手を大袈裟に広げて見せるヴェイグに嫌気が差す。

 彼のそういう一面がスヴェンは苦手で、どうにも近付きたいとも思えないのだ。

 

「……それで、俺に何か用が有ったのか? 忙しいアンタがわざわざ訊ねるとも思えねえが」

 

「いや、偶然お前の血と煙に似た臭いを感じたからね」

 

 彼の言う煙に似た臭いとは、恐らく硝煙のことだろう。

 何方にせよ臭いで居場所を特定されては、鳥肌と悪寒を感じざるおえない。

 

「気持ち悪いことを平然と……これ以上近付くなよ? 近付いたらぶった斬るぞ?」

 

 ガンバスターを構えて威嚇して見せると、ヴェイグは音から察したのかわざとらしく肩を竦めて見せた。

 

「やれやれ冗談だよ。本当は優しくも甘く愛らしい匂いがしたものでね。そう、お前の連れの少女の匂いがね」

 

 メルリアでヴェイグと再会した時、どうやってミアを判別したのか敢えて言及しなかったがーーやっぱ、嗅覚と気配か。

 これで小さな村と多少離れた距離ならヴェイグに居場所がバレる事が発覚した。

 ならメルリアの地下遺跡に向かった事も既に彼には知られてる可能性が高い。

 しかし、それ以前にスヴェンはヴェイグに変質者を見るような冷ややかな眼差しを向けた。

 

「お、おや? わたしの渾身のジョークなんだけど、やはり受けが悪いのかな?」

 

「匂いで居場所が特定できるって言ってるようなもんだからな。喜ぶのは奇異な奴ぐらいだろ」

 

「可笑しいな、女性は匂いを褒めると歓声を挙げるのだが……?」

 

 真面目に考え込むヴェイグの様子に、女性の感性と自身の常識を疑った。

 

「おっと、そろそろわたしも戻らなくてはね。そうそう、この村の獣肉のチーズ乗せは絶品だから一度食べる事をオススメするよ」

 

 食欲を唆る情報を残してヴェイグは村の方向に去って行く。

 同時に立ち去った彼と入れ替わるようにミアが訪れ、

 

「赤子の引取り先は見つかったか?」

 

「この子の件だけど、午後から村医者のライス先生と会う約束を取り付けたよ。それで出来ればスヴェンさんにも同伴して欲しいの」

 

「……村に入れねえ俺がか?」

 

「うん。その辺はライス先生も理解してるから話し合いはこの場所でね」

 

 そもそも人の善意はミアでも把握できる。なら改めてそこに立ち会う必要性が無いようにも感じられた。

 

「アンタ一人でも十分だろ」

 

「そうだけど、どんな人に引き取られるのかスヴェンさんも安心したいじゃない? 赤ちゃんが一番懐いているのはスヴェンさんなんだしさ」

 

「血と硝煙に汚れた外道に懐くってのも考えもんだな」

 

「多分、本能的にこの人と居れば安心だって理解してるんじゃないかな」

 

「赤子の本能や直感は本物だが……赤子からすればアンタら二人は頼りないってことか」

 

「……も、もう少し胸が大きかったから赤ちゃんだって母性を感じてくれたはず!」

 

 自身の真っ平な胸を嘆き悲しむ彼女を他所に、スヴェンは肩に掛けられたバスケットに視線が行く。

 

「ソイツは飯か? 丁度も腹も減ってたところだ」

 

「……もうすぐお昼だと思って、ルーメン村の名物を持って来たよ」

 

「獣肉のチーズ乗せか!?」

 

「えっ、そ、そうだけど……如何して判ったの?」

 

「さっきまでヴェイグが此処に来てたんだよ。去り際にこの村のオススメを聴いてな」

 

 そう伝えるとミアは何か思案する様子を見せ、

 

「そう言えば此処に来る途中ですれ違ったけど……スヴェンさんを訪ねてたんだ。でも村で会っても無いのに、よく此処だって判ったね」

 

 疑問に首を傾げた。

 

「臭いで特定されたらしい」

 

 隠す必要もないと判断して、どうやって居場所を知ったのか教えるとミアが頬を引き攣らせた。

 彼女の反応は無理もない。幾ら盲目で他の五感で補っているとは言え、堂々と嗅覚で特定されと公言されれば引いてしまうのは仕方ない。

 

「……出来れば奴とはもう会いたくないな」

 

「無理じゃないかな? スヴェンさんはすごく気に入られてるみたいだし」

 

 何処に気に入られる様子が有ったのか疑問が湧くが、ヴェイグのことは忘れて食事に入ろう。

 そう結論付けたスヴェンは早速ミアが持参した獣肉のチーズ乗せを堪能することに。



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4-6.引取り先

 幸福に満ちた昼食も終えた頃、牧場跡地に白衣を羽織った村医者ライスが訪れた。

 ライスはスヴェンとミアに一礼すると、

 

「ルーメンで医者をしているライスという」

 

 丁寧な物腰と紳士的な笑みを浮かべるライスに、スヴェンは彼の青い瞳を見つめた。

 裏表も後ろ暗い気配もしない真っ当な人間。寧ろライスの視線は赤子に向けられ、同情と心配を宿した感情が強く伝わって来る。

 スヴェンはライスに優し気な真っ当な村医者という印象を受け警戒を解く。

 

「改めて私はミア、それでこっちの恐い目付きの人がスヴェンさん」

 

 ミアが簡潔的に紹介を終えると、ライスは握手の手を差し出した。

 なんとも汚れを知らない綺麗な手。人を生かすために使われてきた手だ。

 自身の汚れた手では彼の高潔な手とは釣り合わない。

 だからこそ彼の握手に応じる気になれなかった。

 

「悪いな、アンタと握手を交わす気はねえ」

 

 理由も告げずに断るとライスは残念そうに肩を竦め、代わりにミアが握手に応じる。

 ライスはスヴェンが抱く赤子に優し気な眼差しを向け、赤子も彼が心から優しいのだと察したのか。

 

「あーあ! ああぁ!!」

 

 笑い声を上げながらライスに両手を伸ばした。

 

「……抱っこしても?」

 

 何処か緊張した様子で訊ねる彼に、スヴェンは短く答える。

 

「あぁ」

 

 なんとなく彼に多くの言葉も話しも不要に思えたからだ。

 医者という立場の彼は出会って数分程度だが信頼できる。

 だからこそスヴェンはライスに赤子を手渡した。

 嬉しそうに喜ぶ赤子とライスの穏やかな笑みーー向けれた事もねえ笑みだな。

 自身が向けられた事も見た事も無い笑みを赤子に向けるライスに、スヴェンは一つだけ確認するように訊ねる。

 

「アンタの医者としての立場は信用してるが、金目的じゃねえよな?」

 

「……金よりもその子の生命と未来が大切だ。その子の親もそう思ったからこそ、宝箱一杯の金貨を遺したのだろう」

 

 確認の為に訊ねた質問だったが、改めてライスには無駄だと理解したスヴェンは頭を下げた。

 突然頭を下げたスヴェンにライスは愚かミアまでもが驚き、慌てふためく。

 

「アンタを試すような質問をしてすまなかった」   

 

 そんな不躾な謝罪の言葉に慌ていたライスは動きを止め、やがて冷静な眼差しをスヴェンに向ける。

 

「いや、良いんだ。スヴェンが試すのも理解できる……あの大量の金貨を見れば欲に眩むのもね」

 

 理解を示すライスにスヴェンは静かに頷く。

 

「えっと、それでライスさんはその子を引き取ってくれるんですか?」

 

「見た所、この子はスヴェンに非常に懐いている様子だ。この子を彼から引き離して良いものか」

 

 戦場を求め、金の為に殺しも厭わない傭兵と共に過ごすよりは、人を生かす為に奔走するライスの下で育った方が健全だ。

 そもそもスヴェンは子育てに興味無ければ、赤子の選択肢に外道の道を加えることも良しとはしない。

 

「俺は今はこの世界を旅行してるが、元の世界じゃあ傭兵だ」

 

 傭兵と告げるだけでライスは、スヴェンがどんな事をして来たのか漠然と想像したのか眉を顰める。

 ただ、ライスの見詰める眼差しは肯定はしないが否定もしない感情が宿っていた。

 

「なるほど、この子の未来を案じればこそか」

 

「そんな大層な理由じゃねえが、アンタなら間違えることも無さそうだ」

 

 ライスは意を決ししたのか、

 

「人は過ちを犯すものだ。しかし、この子が踏み外さないように丁重に見護る事を約束しよう」

 

 スヴェンとミアにそう宣言した。

 そしてライスは赤子に改めて視線を向け、

 

「今日から君の御両親に変わり、君を育てよう」

 

 改めて赤子に語り掛けた。赤子は言葉の意味も分からず無邪気にはしゃぐだ。

 するとライスはこちらに振り向き、そして口にした。

 

「スヴェン、君のことはこの子が物心付いた頃に話しても良いかね?」

 

「あん? 何をだ」

 

「君が命の恩人という事実を」

 

 元の世界に帰る。それは本来テルカ・アトラスに存在しないスヴェンが消える事を意味する。

 そんな居もしない幻想を赤子に遺すことにスヴェンは眉を歪める。

 

「3年もすれば元の世界に帰る人間を赤子に伝え聞かせる必要はねえよ」

 

 赤子にとって大切なのは、実の両親が身を挺して護ったこととライスに育てられた事実だけで充分だ。

 スヴェンはそう考え、言葉を続ける。  

 

「外道の俺なんざよりも、両親はモンスターから命懸けで護ったと伝えてやれ」

 

「……そうか。それもこの子の為か」

  

 ミアから疑念を宿した眼差しを向けられる中、スヴェンは村の方に視線を向ける。

 ライスが此処を訪ねてから既に一時間ほど経過している。そろそろ村の方でも彼を求める患者が訪ねて来るだろう。

 

「アンタはそろそろ行かなくて良いのか?」

 

「おっと、午後から健診の予約が入っているんだった。これで失礼させて……あー、大事な話しを忘れていた」

 

 大事な話し。一体どんな内容かと疑問を示せばライスは実に困った様子で語った。

 

「実は一昨日から不審な集団が村の近辺を彷徨いているっと話しが出ていてな……村に駐屯してる魔法騎士団は不審な集団の調査の為に不在なんだ」

 

 本来村を護る魔法騎士団が不在。加えて不審な集団が邪神教団なら魔法騎士団は手が出せなくなる。

 相手が邪神教団ともなればライスが不安を抱くのも頷けた。

 

「その不審な集団ってのは邪神教団か?」

 

「いや、遠目からになるが彼らが身に付けている白いフードは確認できなかったらしい」

 

 邪神教団とは関係ない不審な一団。もしや野盗の可能性が?

 スヴェンが見てきた範囲のエルリアは、夢物語りのような平和を誇っていた。

 邪神教団の問題が有るとはいえ、生活も満ち足りた平和な国に思える。

 そんな国で野盗なんて存在するのだろうか?

 

「……エルリアに野盗なんざ実在してんのか?」

 

 普通は居ても可笑しくはない野盗の存在を疑うと、

 

「エルリアじゃ珍しいけど、他国の野盗が流れ込むことは有るかな」

 

 ルーメン近辺に野盗が出没した可能性が浮上する。

 しかし、野盗の存在よりもスヴェンは昨夜遭遇した未知のモンスターが気掛かりだった。

 

「野盗なんざよりも、川付近で襲撃して来た未知のモンスターの方が気になるな」

 

「魔法騎士団に報告したいけど、不在だったんだよね。今にして思えば留守なのも肯けるけどさ」

 

 そもそもライスが何故スヴェンにこの話しを持ち込んだのかーー不在の魔法騎士団に代わって村の外だけでも見張って欲しいってわけか。

 ライスの目論みを察したスヴェンは、先程ブラックとクルシュナ宛に書いた手紙と荷電粒子モジュールをミアに手渡す。

 

「俺は単なる旅行者に過ぎねえが、それ以前に傭兵だ」

 

「金なら幾らでも払おう」

 

 今日からライスは赤子の親だ。子育てに必要な硬貨はミアが明け渡す予定だが、もしも彼が異界人を金で雇ったと村人に知れ渡ればどうなるかは予想が付かない。

 ライスな信頼度が高い点で言えば杞憂とも思えるが、それだけ異界人の評判も信頼も悪い。最悪ライスが村八分にされる可能性も有る。

 そうなってしまえば育ての親が見付かった赤子が不憫だ。

 

「さっき獣肉のチーズ乗せを喰ったんだが、アレがまた食いてえんだ……そいつに合う酒もありゃあ今回はそれで充分だ」

 

 だからこそスヴェンは金ではなく、物で対価を要求した。

 それに契約書を介さない口約束ならライスが疑われる可能性も低いだろう。

 

「……っ! 恩に着る!」

 

「その言葉はアンタの中に留めておけ……だいたい杞憂で終わる可能性の方が高えだろう」

 

 杞憂で終われば誰も心配などせずに済むが、メルリアで邪神教団が行動を起こしてまだ新しい。

 おまけに野盗と未知のモンスターの存在が、単なる不審な集団でさえ警戒対象に入る。

 スヴェンはそんな事を頭で考えては、

 

「もう用事も済んだろ」

 

 ライスの早めの帰宅を促した。

 言われたライスは赤子を愛おしそうに抱き抱えながら、ルーメンに歩いて行く。

 そんな彼の背中をスヴェンが見送る、その隣でミアが不満げな眼差しを向けていた。

 一体何が気に食わないと言うのか。スヴェンは考えても仕方ないと改めてミアに問う。

 

「何が不満なんだ?」

 

「……スヴェンさんは村に入れないのに、危険の前兆が有ると頼るんだなって」

 

 なにも彼女が不満に感じる必要性は無い筈だ。

 スヴェンは出掛けた言葉を呑み込み、ルーメンが被った被害を考えれば仕方ない処置だと思えた。

 

「魔法騎士団が不在なんだ、ライスだって頼りたくはねえだろうよ」

 

「それはそうかもだけど……いえ、私が不満を顕にしてもスヴェンさんは納得してるんだよね」

 

「ああ、納得もしてる。……いや、それよりも村に戻るんならアシュナに頼み事をしてくれねえか?」

 

「頼み事? アシュナに周辺の情報を探らせるとか?」

 

 小首を傾げながら正解を引くミアに、スヴェンは頷いた。

 

「……分かったよ、アシュナに頼んでおくね。それとさっき手渡された手紙と球体? どっちも速達で良いんだよね」

 

「ああ、球体と手紙はセットでクルシュナ宛にな」

 

 そう言ってスヴェンはミアに銅貨を手渡した。

 それから程なくしてミアがルーメンに戻ると、スヴェンは牧場跡地を静かに立ち去る。

 アシュナばかりに任せられない調査、それが単なる杞憂で終わればそれで良し。

 そうでなければ傭兵として動くまでだ。

 



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4-7.風と痕跡

 不審な一団の調査に出たスヴェンは、一先ず塩害に侵された農地から牧場跡地を中心に調査を開始したのだが、

 

「この辺りには手掛かりはねえか」

 

 しらみ潰しに土や踏み潰された草花を調べるも、どれも小動物の足跡ばかりだった。

 別の場所を捜すか、一旦アシュナと合流するか思案したスヴェンは空を見上げる。

 既に夕暮れが訪れ、今晩は雨が降るのか雨雲が漂っていた。

 痕跡が無ければ無いでそれに越したことは無いが、ルーメンの外を見張るにしても限度が有る。

 根城に奇襲を仕掛け、ルーメンの村人は何も知らずに過ごす。それがスヴェンの考えられる最良の結果だった。

 彼らが異界人の活動を識る必要も無ければ、感謝の念を抱く必要もない。

 これはライスに雇われた傭兵が行動してるに過ぎなければ、単なる見張りの範疇に収まる。

 スヴェンは改めて空から周辺に視線を移す。そして周囲一帯を見渡すと、こちらに駆け寄るアシュナの姿が見えた。

 

 スヴェンの下に到着したアシュナは、相変わらず感情を押し殺した様な無表情で告げる。

 

「此処から北の洞窟に怪しげな一団を見た」

 

「北か。敵の規模や素性は?」

 

「六人、素性は不明」

 

 素性不明の一団。単独で制圧可能な人数だが、決して油断できる相手でもない。

 

「魔法騎士団は?」

 

「さっき北の洞窟に向かうのが見えた」

 

 魔法騎士団が制圧するなら確かにスヴェンの出る幕は無い。

 しかし気楽に喜べない。核たる痕跡も根拠も無いが、戦場で培ってきた経験が勘に訴えかけるのだ。

 

「……一応念入りに調べるぞ」

 

「一団は一つとは限らないから?」

 

 意外と理解が速いアシュナに頷くことで肯定する。

 するとアシュナは掌を開き、そこに魔力を集め始めた。

 今から何をするのか興味が湧いたスヴェンは、彼女の小さな掌で渦巻く魔力に注視する。

 

「風よ呼び掛けに答えて」

 

 アシュナが詠唱を唱えると掌の魔力が魔法陣を描き、完成した魔法陣から翠色の光りが溢れる。

 光りが収まるとーーなんだこれ?

 スヴェンはアシュナの掌に鎮座する存在を凝視した。

 羽が生えた小さな生き物、理解し難い生き物に面食らっていると。

 

「精霊ははじめて?」

 

 首を傾げるアシュナに頷く。

 

「あぁ、精霊なんてお伽噺みてえな存在が実在してるなんざ考えもしなかった」

 

「勉強不足だね」

 

 確かにアシュナの言う通り勉強不足だ。魔法に種類が有るとは理解していたが、スヴェンが理解してるのは精々が攻撃魔法、治療魔法、召喚魔法、結界魔法と言った戦闘に使える魔法ばかりだ。

 

「そうだな、勉強は必要だ……それで? ソイツをどう使うんだ?」

 

「使うんじゃない。お願いするの、精霊は大自然に生きる神聖な生き物だから敬意は大事」

 

 アシュナの棘を刺す様な視線を受け、更に彼女の掌の上で腰を手に当てた精霊にスヴェンは頭を掻く。

 面倒なガキが増えた。なんとなくそう感じたが、余計な一言を口走れば話が逸れるばかりで調査に遅れも出る。

 そう判断したスヴェンはしっかりとアシュナと精霊の瞳を見詰め、

 

「そいつは悪かったな」

 

 軽い謝罪の言葉を口にした。

 それに気を良くしたのか、精霊はアシュナの掌から浮かび上がり、彼女の周囲を一周飛び回る。

 

「それじゃあその精霊様に何をお願いするんだ?」

 

「この辺りに悪い人が居ないか調べて欲しい」

 

 アシュナが精霊に抽象的な言葉で頼むと、精霊は風を操り周囲一帯に風を吹かせた。

 やがて精霊はこちらを凝視しては指差す。

 

「……あー、俺か」

 

 悪い人と言われてある意味妥当な判断と思えた。

 散々戦場で人殺しに明け暮れたんだ、精霊に悪人判定されてもおかしくはない。

 スヴェンが一人妙に納得してると、

 

「違うよ。この人とは別の悪い人」

 

 精霊は落胆気味に肩を落とした。

 そして再度風を操ると、精霊は南の方角と北西のルーメンに指差す。

 やがて精霊は要件を果たしたからなのか、風と共にその姿を消した。

 

 ーールーメンにもだと? いや、判定的に如何なんだ?

 

 ルーメンに居るのは単なる犯罪者か軽犯罪。それとも不審な一団の一人か。

 スヴェンはそこまで思案してから改めて南の方角に身体を向ける。

 数キロ先に森が見える。確かに一団が潜伏するなら最適な場所とも言えるだろう。

 

「森か。アンタはこの事をミアに伝えて来い」

 

「一人で行くの?」

 

「アンタのことだ、報告が終われば付いて来るだろ」

 

「それがお仕事。ミアはどうする?」

 

 彼女を村に残すかどうか。確かに精霊の判定基準は正しいと思えるが、ふと精霊が指差した方角を思い出す。

 

 ーー待て、精霊は北の方角を指差さなかったな。

 

 北の洞窟には不審な一団が居るが、精霊は何も反応を示さなかった。

 つまり北の洞窟に居る不審な一団は悪人ではない。

 しかも魔法騎士団は北の洞窟に向かった。確かに相手が不審な一団だと判れば安全面を考慮して乗り込むのも無理はないだろう。

 

「一つ聴いておくが、精霊魔法ってのは誰にでも使えんのか?」

 

「珍しい魔法、魔法騎士団に使える人は居ないぐらい。……姫様は契約召喚で凄い精霊も呼び出せるけど」

 

 レーナが規格外なのか、精霊魔法と召喚魔法にそこまで差異はないのか。そんな疑問が浮かぶが、一先ず珍しい魔法と理解する。

 だから魔法騎士団が北の洞窟に潜む一団に向かったのも調査の過程で怪しいと判断したからこそだ。

 そもそも精霊魔法が無ければ、スヴェンも北の洞窟に関して勘違いしていたと断言できる。

 しかし、厄介なことに村は手薄な状態ーー緊急時には村に入ることも厭わないが、スヴェンは万が一の可能性を考え一つ結論を出した。

 

「……二人には村の方を頼む」

 

「スヴェンは一人で大丈夫? あそこの森、そんなに広くは無さそうだけど」

 

 土地勘も無ければ夕暮れ、おまけに雨も降りかねない天候だ。

 だが、その状況がスヴェンにとって好ましい環境だった。

 潜入時に雨音が足跡を掻き消し臭いを消す。逆に言えば一団の痕跡も洗い流されてしまうリスクも有るが。

 

「問題ねえよ」

 

 それだけアシュナに告げ、森に向かって歩き出す。

 



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4-8.森に潜む者

 雨がぽつぽつと降り始めた森の中で、スヴェンは至る所に遺された足跡と車輪の痕跡を頼りに進んでいた。

 本降りとなればこの痕跡も消える。その前に一刻も早く一団の下に辿り着かなければ。

 スヴェンは木々を遮蔽物として利用しながら歩く速度を速める。

 その都度、罠と気配に加えて魔力に細心の注意を払うがーー意識を集中させた途端に地面から僅かな魔力を感じた。

 スヴェンはその場の土を掻き分けると、姿を見せた魔法陣が怪しげな光を発する。

 

「埋まった魔法陣……地雷か何かか?」

 

 ご丁寧に用意された罠が『この先に何かありますよ』と語っているも同然だ。

 痕跡を遺す点から素人とも思えたが、足跡と車輪跡は罠から注意を逸らす為の偽装。

 魔法が発達してるからこその罠。魔力の無音無臭の性質が仕掛けとして理想的な効果を発揮していた。

 中々侮れない危険性にスヴェンはぼやく。

 

「硝煙も鉄の臭いもしねえ……判別方法は魔力の知覚化だけか」

 

 テルカ・アトラス出身の者に対してはたいした効果も見込めないだろうが、魔法技術の知識に乏しい異界人には最大の効果を発揮する。

 ただ、何故敵がミア達に対して効果の薄い罠を仕掛けたのかーー魔力の知覚化は常に集中を要するが、果たして森の中でいつまで保つか。

 森は他の生物も棲息し、時折り小動物が鳴らす足音さえも神経が過敏に反応する。

 高い集中力を要するからこそ時として環境が仇になる。

 周辺の環境と足元の魔法陣に注意を払い、森の中を進む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔法陣に馴れない進行はスヴェンの足を鈍らせ、森に入ってから随分と時間が経過した。

 既に森は暗闇と激しい雨音に覆われ、視界が狭まる。

 しかし敵は迂闊にも森の中で火を焚き、スヴェンに進むべき方向を示していた。

 灯りの方向から感じる複数人の気配ーーざっと、四、五人ってところか。

 

「油断か、誘いか」

 

 罠の危険性も十分に考えられる。

 しかし魔法陣が仕掛けられた地点は既に通り抜けたようで、周囲一帯に魔力の気配が無い。

 誘い込まれている気もするが、スヴェンにとってやるべきことは単純明快だ。

 情報を吐かせつつ殲滅する。至ってシンプルな答えにスヴェンはガンバスターを片手に迂回しつつ、灯りを目指す。

 徐々に距離が近付くに連れ、武器を構え何やら話し合う五人組みと雨に身を震わせるハリラドンの姿が見える。

 スヴェンは茂みに身を潜め、耳を研ぎ澄ませると、

 

「連中を撒けたが、どうする?」

 

 焚火で暖を取るアホ面の男が話しを切り出した。

 どうにも何かかから逃げて此処まで来たようにも思えるが、スヴェンは更に情報を得るべく会話を盗み聞きする。

 

「食糧も残りわずか……フェルシオンまで商品が保たないわ」

 

「近くに農村が在ったろ。夜明け前に夜襲を仕掛け略奪する」

 

 リーダー格と思われる体格に恵まれ、大剣を背負った男の提案に少女が訝しむ。

 

「エルリア魔法騎士団が駐屯してる筈よ。この人数で略奪が成功すると思う?」

 

「確かに普通なら瞬殺される……だが、連中は邪神教団に屈服した」

 

「えぇ? 農村襲撃のためだけに邪神教団に入信するつもり? オイラは嫌だよ? あんな嘘臭くてナメクジみたいな連中と一緒になるの」

 

「おまえ、優しそうな顔に似合わずはっきりと言うよね? いや、わざわざあんな狂った連中と協力する必要はない」

 

「もしかして先日手に入れた邪神教団のフードを身に付けて装うってこと?」

 

「そうだ。流石はウチの中で一番頭が良いだけは有るな」

 

「褒められてもねぇ」

 

 何者かから逃げていたが、邪神教団に装い食糧略奪を目的にルーメンを襲撃する。

 そんな計画を話し合う五人組みにスヴェンは、ガンバスターを構えた。

 本来なら射撃による一方的な制圧が好ましいが、銃声は雨音に掻き消されない。

 むしろ風に乗って村まで聴こえる可能性も高い。ルーメンの村人が何かを知る必要は無い、ましてや襲撃に遭う恐れも森の中の遺体にも。

 スヴェンは足音を消しながら、ゆっくりと一団に近付く。

 やがて徐々に距離が縮まり、こちらに気付かれる前にスヴェンは脚の筋力をバネに跳ぶ。

 暗闇に紛れ、跳躍の勢いを乗せたまま振り抜いたガンバスターがリーダー格の頭部を斬り裂く。

 鮮血が噴き、リーダー格の男が地面に崩れ落ちるまで一団は呆然と立ち尽くした。

 現実の理解が追い付かず、直視したくもない現実に一団の表情は酷く歪んでいる。

 

 無理もない。ついさっきまで言葉を交わしていた仲間が突然死を迎えたのだから。

 

「り、リーダー? ど、如何して……お、お前は!?」

 

 漸くスヴェンを認識したアホ面の男が怒りに身を震わせ、腰の斧に手を伸ばすがーー遅えよ。

 ガンバスターの横薙ぎがアホ面の腹部を骨ごと斬り裂く。

 スヴェンはそこから続け様に少女に袈裟斬りを放ち、返り血が身体に振り返る。

 残り二人。スヴェンが血に汚れた身体で振り返ると、太った男が振り抜く大剣が視界に移る。

 魔力を流し込んだ刃ーー以前、似たような状態の刃を弾こうとしたが、逆に刃が弾かれた。

 剣身に纏わせた密度の高い魔力がそうさせるのか。

 あれもその類なのか。いずれにせよ弾かれる可能性が有る以上、馬鹿正直に付き合う必要はない。

 スヴェンは迫る刃を身を屈めることで避け、縦に振り下ろされた一閃を横転して避ける。

 泥の飛沫が飛び散る中、素早く体制を立て直すと、既に魔法を放つべく憎悪を宿した眼差しで二人が詠唱を唱えていた。

 

「炎よ焼き尽くせ!」

 

「風よ刻め!」

 

 太った男が魔法陣から火球を放ち、細身の男が魔法陣から風の刃を飛ばす。

 レイや邪神教団が繰り出す魔法と比較して勢いも速度も遅い。ゆえにスヴェンが飛来する魔法の中を直進しつつ避けることも、そこから二人を纏めて斬ることも造作もないことだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 森に雨音とハリラドンの鳴き声が響き、血の臭いが漂う。

 不審な一団の死骸をスヴェンが漁るとリーダー格の懐から、

 

「……獅子の勲章? 何処の所属を表す物か?」

 

 血に汚れた勲章を雨で洗い流し、勲章に刻まれた文字に目を細める。

 

「簒奪、略奪の下に欲望を満たせ……?」

 

 犯罪を正当化させる為の単語にため息が漏れた。

 北の洞窟に潜伏していた一団は彼らを何らかの理由で追うが撒かれ、彼らは森の中で潜んだ。

 そこまでは会話から察することも出来るが、一体連中はどんな商品を運んでいたのか。

 スヴェンは改めて荷獣車の中に入り込むと縄で縛られた少年や女子供が気を失い力無く壁にもたれていた。

 

 ーー何処も人攫いってのは居るもんだな。

 

 一団の少女はフェルシオンまで保たないと語っていたが、問題は人身売買の取引がフェルシオンで行われるかどうかだ。

 犯罪組織を相手に足止めを食う訳にも行かない。ならその辺を含めた調査は魔法騎士団に任せて本命に集中すべきだ。

 結論を出したスヴェンは荷獣車の中に置かれた箱を開けては、

 

「邪神教団の白いフードに……なるほど」

 

 数点のフードと僅かな食糧と幾許かの金貨が入った金袋が発見された。

 資金と残りの食糧から連中のリーダーはルーメンを襲撃を選んだ。

 そこで森で食糧の確保は思い浮かばなかったのか。いや、思い付いたのだろう。

 雨風に耐える小動物や木の実。森の中で見掛けた食糧だが、一狩りで獲られる量と一団と商品を合わせた食糧が必要になる。

 特に人攫い中の集団が分け合う食糧も限られ、結果としてルーメンから略奪以外の選択肢が思い付かなかったのだろう。

 実際にリーダーがどんな思考をしていたのかは判らない。これも単なる状況と照らし合わせた推測に過ぎない。

 推測を終えたスヴェンは、箱を閉じながら有益な情報を得られなかったことにため息を漏らす。

 

 邪神教団と何も繋がりは見えて来ない人身売買を行う犯罪者集団ーー未知のモンスターの情報も無し、ハズレだな。

 内心でハズレとぼやき、気絶している彼らをどうするべきか考え込む。

 このままルーメンまで連れて行くのが道理だが、その前にとスヴェンは魔力に意識を集中させた。

 気絶した彼らに注意深く観察すれば、身体に紫色の怪しげな輝きを放つ魔法陣が刻まれていることが判る。

 それがどんな効果を齎すのかはスヴェンの知識では不明だがかと言って解除することも叶わない。

 ただ魔法陣の影響か。刻まれた彼らは弱っているようにも思えた。

 もしも刻んだ対象から死なない程度に生命力を奪う類いの魔法なら放置は危険だ。

 

「仕方ねえ、村まで連れて行くか」

 

 ミアや魔法騎士団なら彼らをどうにか出来ると判断したスヴェンは、早速ハリラドンを退けて荷獣車を引っ張り歩くのだった。

 その後村人に知られない様にスヴェンはアシュナを呼び出し、森の入口で魔法騎士団が駆け付けるように通報。

 魔法騎士団が駆けつける前にスヴェンは牧場跡地に戻り、ミアとライスが用意したと思われる獣肉のチーズ乗せと赤ワインを堪能することにした。



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4-9.事後処理

 ルーメンの牧場跡地で一夜を明かしたスヴェンは雨音と共に訪れる足跡に目を覚まし、ガンバスターを手に取る。

 警戒心を剥き出しに視線を出入り口に向ければ、そこには呆れた様子で腰に手を当てるミアの姿が有った。

 

「スヴェンさん、いくら何でも警戒過ぎじゃない? 毎回寝てる所に近付くと飛び起きるなんてさ」

 

 そんな事を言われても長年戦場で身に付けた癖と習慣は消えない。

 ただミアの言い分も理解できる。毎度別々に泊まるスヴェンを起こしに来れば警戒されてはミア自身も気分が良いものではないのだと。

 それでも癖というのは中々抜けるものでも無く、

 

「習慣なんだよ。それよか、もう出発の時間だったか?」

 

 慣れろと言わんばかりに返し、聞けばミアが微笑む。何か裏の有る笑みだ。

 

「実はスヴェンさんが対峙した未知のモンスターに付いて、魔法騎士団が詳しく聞きたいそうで……あと森で発見された遺体と人攫いの被害者に付いても質問が有るそうよ」

 

 正直に言えば面倒だ。魔法騎士団としても立場上の職務質問の一環で有ることは理解が及ぶがーー協力関係を明確にするには仕方ねえか。

 結局信頼の無い異界人として各地の魔法騎士団からは信頼を得なければままならない。

 現に先日のアトラス教会の件もスヴェンの素性を含めた異界人の問題が浮き彫りに出た影響も大きい。

 そう考えたスヴェンは改めてミアに向き直る。

 

「で? 魔法騎士団は此処に来るのか?」

 

「えっと、村の中に在る魔法騎士団の駐屯所まで来てほしいって。既に村長には許可を得てるからスヴェンさんも一時的にだけど村に入れるよ」

 

 そう告げたミアは何処か嬉しそうで、心が弾んでる様にも見えたが、何故彼女がこうも眩しい笑みを浮かべるのか。

 恐らく村と多少離れた牧場跡地との行き来が面倒に感じていたのだろう。おまけに今日も雨となればなおさら。

 

「報告を終えたら出発か……いや、待て。村内に居ると思われた悪人はどうなった?」

 

 森の一団はスヴェンの手によって壊滅した。しかしルーメンに潜んでいる悪人はどうなったのかすら判らない。

 現状確認の為に問うと、ミアは疑問を浮かべる様に頬に指を添えながら答えた。

 

「えっと、私とアシュナもそれとなく探りを入れたんだけど、村人の中には何かを企む不審な人物は居なかったよ」

 

 村人の中には居ない。となると怪しいのは滞在中のアルセム商会ということになるが。

 

「アルセム商会は如何だ? 連中は村に滞在してたろ」

 

「うーん、確かにアルセム商会の中に居ないとも限らないけど……アシュナが戻って来た時には出発しちゃったから確認もできなかったよ」

 

 間の悪いことだが、アルセム商会が貿易都市フェルシオンに向かうなら後で探りも入れられるがーーいや、調査は魔法騎士団に任せるか。

 ヴェイグに臭いで居場所を悟られる以上、迂闊にアルセム商会と接触することは避けたい。

 そもそも人身売買組織もフェルシオンを目指していた。行き先に何か有ると予感を感じながらため息が漏れる。

 

「もう一人の悪人の件は保留だな。特に邪神教団と関係がねえならなおさら」

 

「そうだね。表立って動きが無い以上、そうするしかないよね。……だけど、良いの? あなたが表立って動けば評価はずっと変わると思うけど」

 

「逆に動き辛くもなる。まだ魔族と遭遇した訳でもねえが、なるべく連中との交戦も避けてえ」

 

 目的は魔王救出。魔族と敵対し信用を失くせばいざという時に協力を得られない。

 その過程で邪神教団に警戒されるとなれば行き先で妨害に遭う。

 それは何としても避けなければ、ヴァルハイム魔聖国の侵入が困難になるからだ。

 スヴェンはそこまで考えたうえで、

 

「それに目立つよか、密かに敵を排除した方が都合が良いだろ」

 

 そう宣うとミアは納得した様子で頷いた。

 彼女の理解も得た所でスヴェンはミアと共にルーメンに足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 村の中を訪れば敵意と蔑む視線がスヴェンを迎えた。

 村人にそんな視線を向けられることは分かりきっていた事であり、だからと言って何か思うことも無い。

 スヴェンはミアの案内に従い、魔法騎士団の駐屯所を訪れる。

 そこで尋問室の一室に通されーー椅子に座り、しばし待つと眼帯の騎士が現れ、

 

「ようこそ、スヴェン殿。自分はルーメンの安全を任されているバルアだ……貴殿の些細はミア殿から聴いている」

 

 バルアがこちらの事を知ってるなら改めて名乗る必要は無い。手早く用件を済ませ立ち去るのが先決だ。

 

「そうかい。なら話しも早くて済むな」

 

「あぁ、こちらもオールデン調査団と協力体制も有ることだしな」

 

 知らない組織名、恐らく北の洞窟で潜伏していた一団と思えるが、スヴェンは疑問を問うように訊ねる。

 

「……オールデン調査団?」

 

「貴殿も知っての通り、北の洞窟に潜伏していた一団だ。元々人身売買組織ーーゴスペルという名の野盗集団を追っているミルディル森林国の調査部隊の一つでな」

 

 スヴェンは資料庫で得た情報を記憶から呼び起こす。

 確かミルディル森林国はエルリアとの同盟国の一つであり、南西部に位置する大森林を国土とする国家だ。

 自然と水源に恵まれた土地と群生する薬草はどれも高い効能を秘めている為、国益の一つとしても知られているとも。

 他にも穀物や果物、酒の産出国でも有名らしい。

 

「昨日呑んだワインも確か、ミルディル産だとか書かれてたな……いや、それよりもわざわざエルリア国内に逃亡したゴスペルを追ってか?」

 

 怪しいと言えば怪しい。いくらゴスペル討伐のためにとは言え、ルーメンの魔法騎士団に何も一報すら入れないのは不信感を宿すには十分だ。

 通常、他国の軍隊が他国内で活動するには国の承諾を得る必要が有る。仮に得ていたとしてもルーメンの魔法騎士団に何も連絡が無いのは不自然だ。

 

「貴殿の疑いも理解できる。事実、一度対峙した我々もオールデン調査団を疑いもしたさ……だが、彼らは内密に動かざる負えない状況に迫れていたのだ」

 

「内密に……邪神教団か?」

 

 なんとなく邪神教団の名を口にするとバルアは渋い顔を浮かべ、

 

「邪神教団もゴスペルにとっては取引先の一つに過ぎん。しかし今回の件は如何も違うらしい」

 

 ゴスペルにとって邪神教団は取引相手の一つ? スヴェンは森で盗み聴きした会話を思い出す。

 確かに邪神教団と取引きしていると思える会話は無かった。それとも単なる末端による活動か?

 いずれにせよスヴェンがゴスペルの人員を壊滅させたため、今となっては情報を得ようが無い。

 

「(チッ、失敗したな。もう少し詳しい背後関係を聴いてけとば良かったか)違うってのは? エルリア国内に人身売買に手を出す外道が居るってことか?」

 

「……信じたくは無いが、そちらの調査は我々とオールデン調査団に任せて貴殿は旅行を続けると良いさ」

 

 バルアは淡々とそうは言うが、どうにも邪神教団が関わっていたらこちらを巻き込む気で居ると思えて仕方なかった。

 元々各国の軍隊が邪神教団に対して動けない以上、スヴェンがそれらの要請を断る可能性も低いが。

 

「そうさせて貰うが……本題は森の一団と俺が実際に交戦した未知のモンスターに付いてだろ?」

 

 本題に入るとバルアは頷き、しかしながらスヴェンに疑念に満ちた視線を向ける。

 彼の疑念は恐らく、『なぜ全員殺した?』そう聞きたいのだろう。

 しかしバルアから直接それを訊ねることはできない。

 今のスヴェンはあくまでも単なる旅行者に過ぎないからだ。

 

「森の一団……昨夜にゴスペルの構成員の遺体が発見された。貴殿は彼らを惨殺した人物を目撃したかね?」

 

「いや、俺は何も見てねえな」

 

 分かりきった嘘を吐くとミアから視線を向けられる。

 嘘に対する疑問の視線ーー確かに嘘を吐く必要は無いが、これも今後の為に必要なことだ。

 

「……攫われた人々の解放、危険組織の構成員の討伐。それを行った人物は勲章を授与されるべき功績を立てたと思うが?」

 

「俺に言われてもなぁ。第一目撃者が居ねえならアンタらの功績にしちまえ、邪神教団に対して動けねえ状況で名誉を回復させておく必要が有るだろ」

 

 魔王救出後の先、万が一にでも邪神教団が再び王家や国の重鎮を人質に取れば国に対する国民の信頼も失落する。

 邪神教団に対して動けないが、犯罪組織に対する抑制や活躍を示し続ければ、魔法騎士団の支持を失うことは避けられる可能性が十分に有る。

 それを理解したバルアは眼を伏せながら息を吐く。

 

「……では、心苦しいがその人物の功績は我々の物としよう。それで貴殿が遭遇したモンスターというのは?」

 

 スヴェンは一昨日の戦闘とモンスターの風貌を思い出しながら話した。

 

「あー、頭部は三頭の狼、身体は獅子、尾は蛇つうなんともチグハグな風貌だったな」

 

「……そんなモンスターは今まで一度も遭遇した例を聴かないが、他には?」

 

「群れリーダーを中心にした集団行動。リーダーの指示で動き影を操り、足元の影から剣山を作り出したりとかされたな……俺はまだ魔法に関して無知だが、影を操る魔法ってのは存在すんのか?」

 

「確かに影を操る魔法は存在する。他にも光の屈折や自身を透明化させると言った個性的な魔法も実在しているな」

 

 テルカ・アトラスには実に様々な魔法が実在している。

 全てを理解し把握するには時間と膨大な知識量が必要になり、現状では全てを把握することは叶わない。

 その都度、魔法に対しては事前の知識と経験で対応する他に無いようだ。

 

「……魔法に関しては知識の蓄えが必要だな。ま、モンスターに関してもアンタらに任せるわ」

 

「うむ、モンスターの脅威を排除するのも我々騎士団の役目だ。……それはそうと未知のモンスターをなんと呼称すべきか」

 

 それはバルアが頭を悩ませる程のことなのだろうか? スヴェンが疑問を眼差しで向けると、ほとんど静観していたミアが口を開いた。

 

「じゃあ! ワンヘビというのは!?」

 

 壊滅的なネーミングセンスにスヴェンとバルアの間に沈黙が流れた。

 何とも言えない気不味い空気にミアも察したのか、

 

「……此処は第一発見者のスヴェンさんに決めて貰うのはどうでしょう!」

 

 こちらに丸投げしてきた。

 スヴェンは面倒に思いつつも、内心で呼んでいた名を口にする。

 

「アンノウンってのは如何だ? デウス・ウェポンじゃあ未知だとか未確認に対する総称だが、新種ってのはそう何度も誕生する訳でもねえんだろ?」

 

「……ここ千年の間は新種の誕生は記録されていないな。ふむ、ならモンスター研究班が詳しい生態系を解明する間はアンノウンと呼称するとしよう」

 

 未知のモンスターの名称がアンノウンと決まった所で、スヴェンは椅子から立ち上がる。

 

「そろそろ出発しねえとまた守護結界外で野宿する事に成りそうだな」

 

「そうだった! それではバルア隊長! 私達はこれで!」

 

 そう言ってミアはスヴェンの手を引っ張り、急ぐように尋問室を退出する。

 その後、スヴェンとミアはアシュナと共にライスに何も告げずーー宝箱の大量の金貨だけを置いてルーメンを後にした。



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4-10.舞い降りる依頼

 雨が降り続ける平原をハリラドンの荷獣車が走る。

 空から近付く羽ばたき音にスヴェンは窓に視線を移す。

 荷獣車に追い付く大鷲とその背中に乗ったゴーグルを掛けた少女と目が合う。

 そして満面の笑みを浮かべた少女が声高らかに叫んだ。

 

「空が繋がる限り何処でもお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

 時速六十キロは出すハリラドン、更に大鷲が放つ風圧の中で確かに宣伝する少女にスヴェンは思わず感心を浮かべ、手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「おい、荷獣車を停めてやれ」

 

「え〜? ウチの子と大鷲のどっちが速いか気になりません?」

 

 何故か張り合う姿勢を見せるミアに呆れた視線で睨む。

 そもそも地を走るハリラドンと自由に空を飛べる大鷲が競った所で、勝負は恐らく大鷲に軍配が上がるだろう。

 実際に競い合わせない限り結果は判らないが、スヴェンとしては無駄にハリラドンの体力を消耗させることも避けたかった。

 

「勝負ごとなら町に到着した後で勝手にやれ」

 

「スヴェンさんはノリが悪いなぁ〜。でも速達という事は、ブラックさんからだよね」

 

 先日送ったガンバスターの改良に付いての返事がもう来た。そう考えたスヴェンは珍しく心が弾むのを抑えながら、配達員の少女に視線を向ける。

 そしてハリラドンが足を止めると大鷲も地上に降り、少女が軽やかな身のこなしで着地した。

 

「スヴェン様とは二度目ですね! まさか同じお客様と続けて会う日が来るとは思ってもみませんでしたよ!」

 

 愛想笑いと彼女なりの社交辞令だと理解したスヴェンは適当に頷くと、少女は愛想笑いのまま荷物箱から手紙を取り出す。

 

「届け物は一通だけか?」

 

「いえ、スヴェン様宛に二通ですね」

 

 ブラックから手紙が届くならまだ理解できたが、もう一通の送り主にミアと共に疑問を浮かべた。

 クルシュナからとも考えられたが、手紙の両面を見ても差出人の名は書かれておらず、なら魔法で秘匿してるのかと思えばそれも違う。

 配達する少女なら差出人に付いて何か聴いている可能性も有る。そう考え少女に訊ねる。

 

「もう一通の差出人は誰だ」

 

 すると少女は困った様子で簡潔に答えた。

 

「こちらにも守秘義務が有るので読んで判断して欲しいですね。あっ! でも開けたら爆発するとかそういう危険性の高い魔法は常に省いているので大丈夫ですよ!」

 

 少女の言う通りなら手紙が開いた瞬間に爆死することは無さそうだ。

 

「安全面から信頼も高そうだな」

 

「はい! なので安心してこちらにサインをお願いしますね!」

 

 愛想笑いとは違う眩しい笑顔を浮かべる少女に、よほどデリバリー・イーグルで働く事に誇りを持っていることが判る。

 スヴェンは慣れた手付きで受取票にサインを記入し、少女から二通の手紙を受け取った。

 そのままスヴェンが荷獣車の中に戻ると、

 

「それではまたのご利用お待ちしております!」

 

 少女は軽やかに大鷲に跳躍しては、雨が降る大空を舞う。

 大鷲は瞬く間に南に飛び去り、スヴェンはミアが荷獣車に戻ったのを確認してから最初にブラックの手紙を開いた。

 手紙に視線を落とせば、ブラックが書いたとは思えない文字と字面にスヴェンは疑問を浮かべる。

 以前に読んだブラックの文字はデカく力の篭ったものだったが、今回の文字はどうにも少女らしい文字だ。

 

 ーーそういや、ブラックには娘が居たな。名は何だったか?

 

 確かミアと同級生だったこととクロミスリル製のナイフを鍛造した少女。スヴェンがブラックの娘に対して覚えている情報はその二つだけだった。

 幾ら記憶を探っても肝心の娘の名が出て来ない。スヴェンは仕方ないとため息混じりにミアに視線を向ける。

 

「アンタの同級生……ブラックの娘の名はなんだったか」

 

「スヴェンさん、忘れちゃったの? まあ、会ったのは一度きりでろくに会話もしてなかったもんねーー」

 

「エリシェ、ブラックさんの娘はエリシェだよ。ちゃんと覚えてあげてね、あの子はすごい武器好きで在学中も色んな考案をしてたんだから」

 

「あー、それでか」

 

 ブラックの真意は不明だが、娘のエリシェの修行の為にガンバスターの改良を任せた。それが今回の手紙に繋がると推測したスヴェンは改めて手紙に視線を落とす。

 

「『スヴェン、ミア! 今度、フェルシオンに行く、ガンバスターの改良計画、引き受ける』って書いてあんな」

 

「エリシェがフェルシオンに? でもエルリア城からフェルシオンまで最速で5日はかかるけど」

 

 ガンバスターの改良の為だけにフェルシオンでエリシェを待つか、そのまま先を進むか。

 いずれガンバスターの改良はやらなければならない課題であり、それは速い事に越した事はない。

 ただ無事にエリシェが辿り着けるとも限らないが、そこは彼女を信じる他にない。

 

「ならフェルシオンで数日滞在だな……問題はこっちの手紙だが、さて何が書いてあるのやら」

 

 謎の人物から送られた手紙にスヴェンは嫌そうな眼差しを向け、ミアは好奇心に満ちた視線を手紙に向けた。

 すると天井裏から顔を覗かせるアシュナも、『早く手紙を読んで!』と言わんばかりに瞳を輝かせていた。

 なぜいつも無表情のアシュナが手紙一つに感情を見せるのかが不思議だが、読まない事には何も始まらない。

 逆に読まないという選択肢も有るが、経験上この手の手紙を無視してろくな目に遭わない。

 スヴェンは一息吐き、面倒臭そうに差出人不明の手紙を開く。

 すると見慣れた字面にどっと冷や汗が噴き出る。

 手紙の差出人こそ書かれていないが、読み取れる内容は、

 

「……『フェルシオンで調査を行う、貴方にだけ護衛を依頼、期日は調査完了まで、待ち合わせは、ミラルザ・カフェ』」

 

 紛れもない護衛の依頼だが、恐らく送り主はレーナなのだろう。

 だとすれば彼女が何を目的に調査を、しかも自ら内密で行うのかが疑問でも有るがーー依頼を引き受ければ都合も良い。

 そう考えたスヴェンはミアとアシュナに視線を向け、

 

「姫さんから護衛の依頼が来た」

 

 改めてレーナからの依頼を告げるとミアとアシュナが嬉しそうに頬を緩めた。

 心を弾ませる二人を他所にスヴェンは、小難しい顔で思考に耽る。

 フェルシオンで何かが起ころうとしているのか、既に起きた後なのか。レーナが調査に出るということは恐らく邪神教団の対策を含めてか。

 いずれにせよフェルシオンに行けば判ることだ。



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間章2
用意する者


 新しい武器、未知の構造と出会える。そんな機会に恵まれたエリシェが上機嫌に店のカウンターで鼻歌を奏でると、一人の客が訪れた。

 訪れた客に顔を向けたエリシェは思わず声を失うーー綺麗な金髪と吸い込まれそうな程綺麗な碧眼、そして赤と青基調の軽装を着こなした少女に眼が離せない。

 

 ーーな、なんて美しい人なの!? まるでレーナ姫みたい!

 

 レーナと似た雰囲気、気品と美しさを滲み出す少女にエリシェは笑顔を取り繕う。

 

「お、お客様! 本日は何をお求めで?」

 

 少女は一度辺りを見渡してから指を頬に添えーーそれだけの仕草で愛らしさが醸し出され、エリシェの胸が高鳴る。

 まるで恋でもしたかのように高鳴る胸にエリシェは、大きく息を吸い込む。

 そんな様子を見ていた少女はくすりと小さく笑い、

 

「あの子から話には聴いていたけれど、反応が面白いわね」

 

 透き通る声に漸くエリシェは気持ちを落ち着かせ、一つ生じた疑問を訊ねる。

 

「あの子……あたしの知り合いなのかな?」

 

 すると少女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、愛らしく小首を傾げて見せた。

 

「うーん、どうでしょう?」

 

 少女と知り合いと思える人物に繋がりが見えて来ないが、それは目の前の少女の仕草を前では些細な問題でしかないのかもしれない。

 そう考えたエリシェは質問を止め、

 

「えっと……それでお客様は本日は何をお求めで?」

 

「そうねぇ、剣を一つ……だけど貴女本来の口調で接客して欲しいかな」

 

 言われてハッとする。そういえばあまりにも美少女な彼女を前に自分はいつの間にか緊張していたのか、本来では有り得ない丁寧な接客になっていた。

 危うく自身の接客スタイルを見失うところだったと、エリシェは額の汗を拭い、改めて少女に告げる。

 

「それじゃあ、おすすめはそっちの壁に立て掛けられてる一本の長剣だよ!」

 

 なんと言ってもそれは自身の力作だ。職人として厳しいブラックからのお墨付きと評価を得た自慢の一級品。

 それを彼女が扱えば絵になるだろう。何よりも職人として誉れ高いと思えた。

 

「そう。少し試してみても良いかしら?」

 

「構わないよ」

 

 すると許可を得た少女は、軽やかに鞘から長剣を抜き放ちーー蒼白い剣身が顕となる。

 少女は透き通る刃の美しさに感心を寄せ、縦に一振り。

 単なる縦斬りだが、鋭く素速い一撃にエリシェは眼を見開く。

 

 ーーうそ、美少女ってだけでもすごいのに、剣術も相当だ!

 

 学生の頃からレイを始めとした剣術を得意とする生徒達の試合を観てきたエリシェにとって、少女が放った一撃は彼らの数段上を行ってるように思えた。

 ただ、剣術に関する素人目からの判断だ。今は留守にしてる父なら少女の剣術がどのレベルまで届いているのか一眼で判断もできただろう。

 長剣を構える少女を見詰めるエリシェに、彼女は笑みを向けた。

 

「気に入ったわ」

 

 力作なだけは有って、素材に糸目を付けず気が付けば中々高価な一品物になっていた。

 エリシェは価格から少女が断念するかもしれない。そんな不安を胸に抱きながら料金を告げる。

 

「……っ! それ一本で銀貨50枚になるよ!」

 

 すると少女は何の躊躇も無くテルカ銀貨五十枚が入った金袋を差し出した。

 金袋の中身を鑑定すると、確かにテルカ銀貨五十枚。頭で力作が売れたのだと理解した瞬間、エリシェの心は晴れやかな感情に溢れた。

 そんなエリシェを他所に、少女はショートパンツの帯ベルトに鞘を挿す。

 そして少女はエリシェに満面の笑みを向ける。

 

「ありがとう、これで私もフェルシオンに出発できるわ」

 

「い、いやぁ……え? あなたもフェルシオンに行くの?」

 

「えぇ、もしかして貴女もあの町に?」

 

 なんの因果かお互いに同じ町に向かう。エリシェはスヴェンのガンバスターの改良の為に向かうが、果たして目の前の少女は何を目的にしているのだろうか?

 開催される闘技大会は全員木製の剣で出場することになっている。だから大会が目的では無いのだと理解が及ぶが、

 

「あたしは出張で……そういうあなたは?」

 

「私? うーん、デートかな」

 

 少女は恍けるように答えたが、真意はいずれにせよもしも彼女とデートできる男性が居たら、その人は町中で刺されても可笑しくは無いとさえ思えた。

 

「えぇ、姫様と似てる美少女とデートできる相手が羨ましいなぁ!」

 

「……似てるか。うん、よく言われるわね」

 

 笑みを浮かべる少女にエリシェは首を傾げた。何処か楽しいそうで悪戯が成功した時に浮かべるような笑みーーその笑みの理由は判らないが、此処で少女と一度きりの関係も惜しいとさえ思える。

 だからこそエリシェは一つ提案する。

 

「此処からフェルシオンまで五日、モンスターの生息地域は危険で一杯。だからあなたが良ければあたしも同行させて欲しいなぁ、なあんて」

 

 同伴する理由が少女には無い。自分でも無理を言ってると理解し、半ば諦めていると少女はエリシェにとって予想外の返答を返した。

 

「いいわよ。何なら五日なんてかけず転移で一瞬よ」

 

「いいの!?」

 

「一人も二人も変わらないもの。それに歳の近い子と一緒にお出掛けに憧れていたから」

 

 言動から高貴な身分だと理解できるが、エリシェは少女の素性を詮索するのは野暮だと思えた。

 ただ、少女をなんと呼べばいいのか判らない。

 

「あっ、そう言えばお互いにまだ名乗ってなかったよね。あたしはエリシェ、あなたは?」

 

 自己紹介をすると少女は、思案顔を浮かべていた。

 

 ーーもしかして名を聞いちゃダメなやつ?

 

 妙な緊張と不安に襲われると、漸く少女はエリシェを真っ直ぐと見詰め、

 

「レヴィよ、私はレヴィ」

 

 レヴィと名乗った。

 

「それじゃあ短い間だけどよろしくね、レヴィ!」

 

「えぇ、こちらこそよろしくエリシェ」

 

 お互いに握手を交わし、くすりと笑みが漏れる。

 こうしてエリシェはブラックが帰宅した後、荷物を背中にレヴィと共にフェルシオンに旅立つ。

 去り際にブラックがレヴィに驚いた様子で凝視していたが、それが何を意味するのかこの時のエリシェには理解も及ばなかった。



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第五章 護衛と蔓延る陰謀
5-0.前触れ


 薄暗い水路で慌しい足音と水飛沫が反響していた。

 雨による洪水によって水路の水は激しく流れ、一歩でも足を滑らせれば瞬く間に流されてしまうだろう。

 そんな水路で青みかかった黒髪、紫色の瞳に紳士服を着こなした少年ーーアラタが長剣を片手に全身包帯で覆われた痛々しい少女を支えながら追手から逃げていた。

 傷だらけの少女は肩にぐったりと身体を預け、彼女の弱りきった様子にアラタが声を掛ける。

 

「お嬢様! もうすぐ出口です!」

 

 お嬢様と呼ばれた少女リリナは呻き声をあげ、アラタは悲しげに眉を歪めた。

 なぜ? 如何して? 心優しいお嬢様がこんな目に遭わなければならないのか。

 アラタには彼女の身に起きた悲劇が何一つ理解出来ず、背後から追って来る気配を鋭く睨む。

 憎悪と必ず復讐してやると強い殺意を込めて。

 

 ーーでも、今はその時じゃない。

 

 一人で突っ走ってまたリリナが囚われの身になれば今度はどんな仕打ちがされるのか。

 両目を潰され、両足の神経を切られ皮膚を剥がされるだけじゃ済まされない。

 次はリリナの命が危ぶまれるーーいっそのことこれ以上の苦痛から解放するべきか。

 しかしアラタに愛する彼女を苦しみから解放する勇気も度胸もない。

 希は優秀な治療師に彼女を治してもらう他にない。

 問題はそれ以前に彼女の父親、ユーリがいよいよ連中の脅しに屈してしまうかもしれない。

 だから今は急がなければならない。そう足に力を入れ、アラタは歩く速度を速める。

 追手をやり過ごすように水路を進み、事前に予定していた出口が見え始めた頃、アラタはリリナに声をかけた。

 

「お嬢様、もう少しで救出隊とも合流できます。だからもう少しの辛抱です……っ」

 

 出口の方向から突然影が差し、アラタは恐る恐る視線を向ける。

 そこには長い赤髪に整った顔立ちの男性が漆黒の刃を片手に佇んでいた。

 味方と一瞬思ったが、アラタはその男性の姿を見て息を飲む。

 男性の頭部には生え揃った角、蝙蝠の翼と尻尾ーー魔族の証が鮮明に刻まれ、彼が敵の可能性にアラタはリリナを肩に寄せながら剣を向ける。

 

「魔族……そこを退け!」

 

 敵意を向けると魔族の男性が眼を伏せ、残念そうに肩を竦めた。

 

「……彼女に訪れた悲劇は心苦しいが、悪いが此処を通すわけにはいかん」

 

 謝罪と罪悪感を宿した言葉を吐くと魔族の男性が突如姿を消す。

 アラタは背後に警戒を向け剣を一振り。

 鈍い金属が水路に響き、アラタの右肩から血飛沫が噴き出た。

 

「……なっ?」

 

 確かに防いだ、その手応えは有った。

 なのに強烈な痛みが肩を襲う。

 アラタは恐る恐ると自身の剣に視線を向けると、そこには無惨にも折られた剣の姿だった。

 アラタが斬られたのだと理解するよりも速く、腹部に衝撃が襲う。

 ドスっ! 漆黒の刃が腹部を貫き、魔族の男性が剣を引き抜く。

 腹部から流れ出る血と脱力感にアラタの身体は、リリナを残して水路に傾く。

 必死に彼女の手を掴もうと伸ばすが、その手は包帯だらけの少女の小さな手に届かずーーアラタの身体は水路の激流に呑み込まれた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔族の男性は呻き声をあげるリリナを支え、激流に流し出される水路に視線を落とし呟く。

 

「……これでいい」

 

 彼は助かる可能性は有るが、あの水路の先はモンスターの生息地域だ。余程の運が無い限りアラタはモンスターの餌になるだろう。

 運が良ければ誰かに拾われ、運が悪ければモンスターの餌食に。

 どちらに転ぶかは運次第。運が絡んだ要素ならば下手に疑われることも無いだろう。

 ままらないものだ。魔族が自身の立場と置かれた状況にため息を吐く。

 そんな彼の背後にアラタを追っていた一団がようやく追い付き、現状を理解した荒くれ者がため息混じりにぼやく。

 

「旦那、あんまり勝手に動かれちゃ困りまっせ」

 

「……次は気を付けよう」

 

「頼みまっせ? ……あー、でもこの後どうしやすかね? 取引する筈の出荷物が届かないんじゃ、あっしらも動かざるおえやせんぜ」

 

 荒くれ者の困った様子に魔族の男性は知らんと言わんばかりに顔を背け、拠点にまともに歩くことさえできないリリナを連れて行く。



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5-1.拾う者に福無し

 スヴェン達を乗せた荷獣車が豪雨の中、鋼鉄の大橋を進む。

 梅雨の豪雨がファザール運河を増水させ、濁流が激しく流れ荒波がファザール橋を波打つ。

 激しい水飛沫がファザール橋に振り撒かれ、窓から眺めていたスヴェンがぼやく。

 

「随分と降るな」

 

「そりゃあ梅雨だもん」

 

 確かに梅雨ともなれば豪雨に見舞われても可笑しくは無いが、どうにもエルリア城出発から今日までいい旅路とは言い難い。

 こんな雨の日もきっと何かの前触れなのだろう。漠然とした思考でファザール運河に視線を落とすと、激流に流される少年の姿に思わず眉が歪んだ。

 

 ーーフェルシオンまで平和に行きてぇもんだ。

 

 スヴェンの内心とは裏腹に、少年の存在に気付いたミアが声を張り上げる。

 

「スヴェンさん! 運河に人が! ど、どうする!?」

 

 そんなものは見捨ててしまえと言いたいが、これからレーナと会う約束も有る。

 問題は極力避けたいがあの少年が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い以上、レーナの身を護る為には仕方ないと言えた。

 スヴェンは荷物から丈夫な縄を取り出し、

 

「荷獣車を停めろ」

 

 言われたミアはすぐさま手綱を操りハリラドンを停め、スヴェンは荷獣車から飛び出し、素早く車輪に縄を巻き付ける。

 そして少年の位置と大橋までの距離を確かめたスヴェンは、躊躇無くガンバスターと縄を片手に激流が流れるファザール運河に飛び込んだ。

 命綱をしっかりと握り締め、濁流に身体を流されまいと耐える。

 やがて流れに身を任せた少年が近付き、スヴェンはその身体を受け止め、命綱を伝ってファザール橋に上がるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ずぶ濡れの身体をそのままに、少年を荷獣車の中に運び込んだスヴェンは眉を歪めた。

 腹部から血を流す青みのかかった黒髪に紳士服を着こなした少年。服を捲り上げれば、鋭利な刃で貫かれたが故意に致命傷が避けられている。

 それよりも問題は水を大量に飲み込んだ少年の息も無く、出血で弱りきっていることだ。

 呼吸の確保と治療を優先すべきだと判断したスヴェンは拳を握り、拳を少年の腹に叩き込んだ。

 衝撃で血が噴き出るが代わりに少年が、

 

「げほ……がはっ……おえっ!」

 

 水を吐き出し、荒々しく息を吸い込む。

 

「ミア、コイツを治療してやれ」

 

「……うん。それは良いけど、もう少し優しく助けてあげてよ」

 

「人工呼吸が嫌な時はこの手に限んだよ」

 

「……かなづちの私は気を付けないとダメじゃん」

 

 運動神経は悪くないと思っていたが、意外にも泳げないとは。

 意外に思いながらスヴェンはその場をミアに譲り、防弾シャツを脱ぎ出した。

 桶の上から防弾シャツを絞り水を捻り出す。このままズボンから水分を絞り出したいが、生憎と側にはミアが居る。

 今は防弾シャツだけで我慢だ。そう思考を浮かべるとーー治療を行うミアと視線が合う。

 ミアの歳頃なら異性の身体に興味を持つこと事態が自然だ。ただ、治療魔法を使用している彼女が意識を逸らして大丈夫なのか? 

 そんなふと沸いた疑問をミアに訊ねた。

 

「……意識を治療に向けなくていいのか?」

 

「私ぐらいになると治療魔法はよそ見しても余裕だよ」

 

 ドヤ顔を浮かべているが、高揚した頬までは誤魔化せない。

 スヴェンはミアにジト眼を向け、

 

「……ソイツの華奢な肉体でも眺めてろエロガキ」

 

「え、エロガキとは失礼な」

 

 反論するミアを無視し、素早く防弾シャツを着ては、タオルを取り出し濡れた髪を拭く。

 すると治療を終えたミアが立ち上がり、

 

「はい、治療完了。呼吸も安定してるけど、先ずは温かいスープを飲ませてあげないとね」

 

 そう告げてはそそくさと先頭に戻って行った。

   

 ▽ ▽ ▽

 

 身形を整え、少年に温かいスープを飲ませてからしばらくして豪雨は嘘のように晴れ、曇り空の隙間から陽射しが差し込んだ。

 

「うっ……こ、ここは?」

 

 漸く意識を取り戻した少年が起き上がり、不思議そうに辺りを見渡したかと思えば突如血相を変え、

 

「そ、そうだ! お嬢様!? お、お嬢様はどうなったのですか!」

 

 事実も何も知らないスヴェンは少年の頭にチョップを叩き込んだ。

 痛みから頭を抑え、悶絶する少年にスヴェンはため息混じりに訊ねる。

 

「お嬢様とやらは知らねえが、アンタの名は? その身形から見て何処かの使用人にも見えるが……」

 

「……あっ、すみません。取り乱してしまって……ボクはアラタ。ユーリ様の一人娘、リリナお嬢様に支える使用人です」

 

 ユーリ、リリナ、そしてアラタの名を記憶したスヴェンは手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「ユーリ様と言えば、フェルシオンを王家から任された貴族様だね」

 

そんな貴族の一人娘に何かが起こり、アラタは負傷しファザール運河に流されたと。

 何らかの事件がフェルシオンで起きたのは明白だが、スヴェンは考え込む素振りを見せながらアラタに質問を重ねる。

 

「何でアンタはファザール運河に?」

 

「……恐らく、フェルシオンの水路で刺された時に……あの都市の水路はファザール運河と繋がってるから」

 

「刺した奴の顔は見たのか?」

 

「名前までは知りませんが……あれは、間違いなく魔族でした……きっとお嬢様はまた連中にっ!」

 

 アラタは力足らず、リリナを護り切れなかった不甲斐なさに怒りから拳を強く握り締めた。

 それは血が滲むほどで、そんな怒りを抱くアラタにスヴェンは真っ直ぐと見詰める。

 

「あー、お嬢様が囚われた理由やソイツを実行した犯行勢力に着いてはどの程度知ってんだ?」

 

「お嬢様を攫った連中の正体までは判らないけど、お嬢様を誘拐した理由は旦那様が知ってるはず」

 

「アンタは聴いてねえのか?」

 

「今回の件に関しては旦那様も酷く動揺なさってましたから、何も教えてくれませんでした」

 

 理由を他者に、例え娘の使用人であろうとも答えられない要求が何か。

 スヴェンは封印の鍵絡みかと推測したが、それなら邪神教団が魔法騎士団を牽制する為に公言する可能性が高いと思えた。

 なら今回は邪神教団では無い別の組織か。それとも魔族が魔王解放の為に犯行に及んだのかまでは推測の域でしかない。

 この件はレーナの耳にも入れておくべきだろうと判断したスヴェンは、自身やミアの素性を隠した上でアラタに訊ねた。

 

「あー、質問を重ねるが、なぜアンタはファザール運河に?」

 

「それは……旦那様の私兵部隊とお嬢様の救出を試みたんです。それで、お嬢様を連れ出すことまでは成功したのですが、出口ももう少しという所で魔族に……っ」

 

「他に仲間は同行してなかったのか?」

 

「……? いえ、大所帯で乗り込んでもすぐにバレてしまいますから救出は自分一人でした」

 

 単独侵入による救出。救出対象が一人だけならそれも可能だったが、最後に魔族に阻まれたことを考えるに、恐らく魔族が協力していたことまでは掴めなかったのだろう。

 

「……お嬢様は誘拐されてからどれぐらい経つんだ?」

 

「それは、二週間と五日程になりますかね」

 

 それは丁度メルリアで三千人の子供が誘拐された時期と重なる期間だ。

 同時期にフェルシオンでも事件が発生し、更にゴスペルがフェルシオンで人身売買を計画していた。

 何らかの繋がりを感じるが、偶然の可能性も有る。

 考え込むスヴェンにアラタは不思議そうに訊ねた。

 

「あの、先から質問ばかりですが……貴方方は騎士団の人ですか?」

 

「いや、単なる旅行者だ」

 

「旅行者が事件を詳しく……?」

 

 こちらを疑う眼差しにスヴェンは、それも当然な眼差しだと受け止めた。

 リリナの救出作戦に失敗した直後に、質問責めに合えば疑うのも仕方ない。

 

「俺が気にしてんのは、旅先に安全が有るのかどうかだ。旅行ってのは楽しく心穏やかに行きてもんだろ?」

 

「……それもそうですね。すみません、変に疑ってしまって」

 

 随分と素直な姿勢なアラタにスヴェンは、彼の人の良さに一株の不安を抱いた。

 正直に言えばスヴェンの素性は怪しい点ばかりだ。それを疑いもせず信じ込むアラタに、あまり情報を与えるのも得策とは思えない。

 スヴェンが質問は終わりだと言わんばかりにアラタから視線を外すと、今度はアラタがスヴェンを真っ直ぐ見詰め、

 

「あの! ボクの傷を治療したのは何方でしょうか!」

 

 スヴェンはミアの方に視線を向け、

 

「そっちの自称美少女が治療したんだよ」

 

「自称とはなによ!」

 

 こちらを振り向き、反論するミアにアラタが顎に指を添え、

 

「貴女は皮膚を削がれ、潰された両目を治療できますか!?」

 

 突如アラタから飛び出した物騒な単語に、リリナの身に何が起こったのか容易に察したスヴェンはミアを見つめた。

 

 ーー確かにコイツなら治療できそうな気がもするが、どうなんだ?

 

 できるのかできないのか、そう視線で問う。するとミアは、

 

「どんな状態にもよるけど、眼球の細胞が少しでも残ってればそこから再生治療も出来るし、削がれた皮膚だって生きてる限りは元通りに治療できるよ!」

 

 自信満々に胸を張って答えた。

 動き回る喧しい細胞治療装置。スヴェンは内心でミアをそう評しつつも横目でアラタに視線を向ける。

 すると彼は希望を見出した様子で眼を輝かせ、何かを決意したのかはっきりと告げた。

 

「お嬢様は必ずボク達が救出します! だからその時は、貴女に治療を依頼してもいいでしょうか!?」

 

「良いけど、フェルシオンに長居してるとも限らないよ」

 

 確かにフェルシオンに滞在する目的は、レーナの護衛とエリシェとの合流だ。

 それが済めばフェルシオンに滞在する理由も無ければ、魔王救出を急ぐ旅だ。

 項垂れるアラタを他所に、スヴェンは見え始めた港町に視線を移しーーレーナの目的次第にもなんのか。

 アラタが抱える事件に関わるのはレーナ次第だと、スヴェンは人知れずため息を吐く。



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5-2.再会

 貿易都市フェルシオンに到着したスヴェンは、別れを告げるアラタを真っ直ぐ見つめ、

 

「良いのか? 下手をすりゃあアンタは町中で始末される可能性だって有るだろ」

 

 アラタは一度リリナの救出を試みて失敗し、敵に顔を見られている。

 町中に危険が潜んでいる。それは誰にも言えることだが、彼の見つめ返す眼差しは覚悟を抱いた戦士のそれだった。

 そんな目をされてはスヴェンが何も言う事は無い。

 

「……愚問だったな。ま、無事に救出できたんならミアを頼れ」

 

 それだけ告げるとアラタは神妙な表情で頷き、

 

「その時は頼りにさせて貰います。あ、ちゃんとお礼も弾みますので!」

 

 最後にそれだけ言い残して、アラタは大衆の中に消えて行く。

 スヴェンは改めて木造の船が停泊する港に眼を向け、各国の国旗を掲げる商船に目を奪われる。

 木造の材質はモンスターの対策としては心許ないように感じるが、魔力を意識すればそんな不安は杞憂だとすぐさま理解した。

 船の全体に張り巡らされた魔法陣、マストの帆に刻まれた魔法陣の存在が恐らくモンスターの対策に使われてるのだろう。

 船に限らず、乗員の屈強な面構えからモンスターを退けてきたという戦歴が窺えたーー魔法大国に限らず各国に施された備えにスヴェンは舌を巻く。

 そこからスヴェンは各国の商船が掲げる国家に眼を向け、ファザール運河の地理を頭に浮かべた。

 ファザール運河は四国と繋がる大河だ。丁度ファザール運河の中間に位置するこのフェルシオンは、各国にとっても交易場所としては都合が良いのだろう。

 スヴェンはそう考え、改めて旅行者らしく気掛かりな点をミアに訊ねた。

 

「流石にヴァルハイムの商船は入港してねえか」

 

「うん。ファザール運河の上流に位置するけど、今の現状だとね。それに邪神教団が積荷に紛れ込む侵入者を警戒して交易を止めちゃったんだよ」

 

 確かに侵入者を警戒するなら交易を止めるのは理に適っていると言える。ましてや国など関係無い邪神教団にとって、交易を開く理由も無いのだ。

 連中には独自の調達ルートと専門の行商人や仲介人が存在する。それらを叩かない限り邪神教団が衰えることも無い。

 

「まあ、魔族にとっちゃ迷惑な話しだろうな」

 

「魔族に限らず、ヴァルハイムは周辺国と比べて畜産物がトップだからね。実は各国は獣肉や魚肉なんかはヴァルハイムから輸入してるんだよ」

 

 スヴェンが見た限りのエルリアではあまり影響が無いようにも思えるが、ミルディル森林国やドルセラム交響国を始めとした周辺同盟国やパルミド小国も決して無視はできない影響を受けているかもしれない。

 魔王アルディアの身に何かが起これば、これまでの貿易に少なくない影響を受ける。スヴェンはそれが各国が魔王一人を切り捨てられない理由の一つだと考えた。

 

「……魔王を切り捨てられねえ理由の一つか?」

 

「うーん、ミルディルは菜食主義の国だから影響は皆無だし……それ以前に封神戦争時代に初代魔王がアトラス神の陣営として各国の祖を救った影響が大きかも」

 

「なるほど、先祖の恩人の血を引くなら無碍にはできねえわけか。それなら何故切り捨てられねえんだとか、疑問の解消にもなるが……それにしちゃあ姫さん一人に荷を負わせすぎじゃねえか」

 

「スヴェンさんがそう言うのも仕方ないけど、これでも色んな援助は受けてるんだよ?」

 

 どんな援助を受けてるのか。純粋に気になる点も有るが、それでもレーナは異界人が齎した被害に対する補填を自らの資産で補ってきた。

 そもそも邪神教団に対して各国が強く出られない状況では仕方ないのかもしれない。

 スヴェンはミアの話しに納得した姿勢を見せつつ、予定に付いて切り出す。

 

「あ〜ハリラドンを何処に停めるんだ?」

 

 基本荷獣車は町や村の入り口か、各宿屋の繋ぎ止めに限られている。

 一応路上停車も可能だが、時間が経つに連れ駐車料金を支払うことにもなる。資金はなるべく無駄遣いしたくないため、路上停車は控えたいが。

 

「うーん、私も色々と考えたけどさ。今回は護衛の依頼だから同じ宿屋の方が好ましいんだよね? だから待ち合わせ場所まではこの子も一緒かな」

 

 結局護衛対象と同じ宿泊場を利用する以上、路上停車は避けられない。

 スヴェンはミアの判断に同意を示すように肯定すると、

 

「それじゃあミラルザ・カフェに向かうけど、護衛の指定はスヴェンさんだけなんだよね?」

 

 手紙の内容に付いて改めて問われ、ついでに天井裏から覗き込むアシュナと目が合う。

 

「あ〜、指定は俺だけだが……そうだな、アンタらは宿屋で休むやり観光なりで楽しんで来い」

 

 五月二十八日にエルリア城を旅立ち、今日は六月三日だ。まだ旅立ってそんなに時が経過してる訳では無いが、一度休暇を入れても良い頃合いだ。

 そもそも二人は少女だ。男と違って色々と準備や補充も必要になるだろう。その事を踏まえた提案だったのが、二人は不服そうにスヴェンを睨んでいた。

 

「……何が言いてえ?」

 

 睨まれる言われも無ければ、思い当たる節も無い。スヴェンは逆に鋭い眼光で睨み返すと、ミアとアシュナが視線を逸らした。

 

 ーーあー、アシュナは知らねえが、ミアは姫さんのファンクラブ会員だったな。

 

 スヴェンは漸く睨まれた理由に至り、如何するべきか思案した。

 同行者を増やすにしては、男一人に女三人連れは目立つ。それは傭兵としても好ましくない。

 弾除けにはなるが、ここでミアとアシュナに何かあれば魔王救出は遠退く。

 なら取れる手段は一つしかないっとスヴェンは、二人に提案することにした。

 

「仕方ねえ、護衛者にバレねえように後から着いて来い」

 

 不測の事態に備えればこの方法は妥当と言えるだろう。

 ましてや、フェルシオンで活動してる犯罪組織や魔族の件も有る。ミアは兎も角としてアシュナが影から着いて来るのであればある程度の懸念は拭える。

 

「スヴェンって話が分かるよね」

 

 無表情でそう告げるアシュナだったが、心無しか気合いが入っているようにも見えるーー姫さんがそれだけ慕われてるってことか。

 

「任せてよ。いつでも不埒者を刺せるようにするから!」

 

 その不埒者に自身が数えられてないかスヴェンは疑問視したが、笑顔を見せるミアに黙りを決め込むことにした。

 何処かに居るかもしれないレーナファンクラブを敵に回すのは得策とは言えない。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェン達がミラルザ・カフェに到着し、店内に入ろうとドアに近寄ると外に並べられたテーブル席で、

 

「あっ! スヴェンとミアだ! お〜い!」

 

 元気な呼び声にスヴェンとミアは思わず足を止め、其方に視線を向けては二人の顔が驚愕に染まった。

 エルリア城でフェルシオンまで五日は掛かる距離の筈が、何故かこちらに手を振るエリシェとその隣で静かにティーカップを口に運ぶ金髪碧眼の少女に驚きを隠せない。

 

「え、エリシェ!? ど、如何してもうこの町に!?」

 

 確かにミアの驚きも頷けるが、スヴェンは改めて冷静に隣の少女に視線を向けーーまさか、変装のつもりなのか?

 普段の着飾ったドレスとは程遠い、軽装な服装を着こなしたレーナの姿がスヴェンに冷静さと答えを齎す。

 エリシェがレーナと同行しているなら、彼女が保有する転移クリスタルでこの町に転移して来た。

 なぜ都合よくエリシェと一緒なのかは謎だが、スヴェンは考えても仕方ないと思い、二人の下に歩み寄る。

 するとレーナはこちらに静かに顔を向けては微笑み、

 

「いらっしゃい。二人共座ったら?」

 

 相席するように促した。それにスヴェンとミアは従い、改めてミアは『悪態が成功した!』と言わんばかりに笑みを浮かべるエリシェに訊ねた。

 

「如何してエリシェがもうこの町に居るの?」

 

「いやぁ〜偶然そこのレヴィさんがフェルシオンで待ち合わせしてるって聞いて、あたしも同行させて貰ったの。転移クリスタルでこの町まで一瞬でね!」

 

 レヴィと紹介されたレーナにスヴェンが視線を向けると、彼女は片目を瞑りミアとエリシェに気付かれないように人差し指を立てた。

 どうやらエリシェには正体を隠すために偽名を名乗っているようだ。そこまで理解したスヴェンは、まだ気付いていないミアに何とも言えない眼差しを向ける。

 

「転移クリスタルって便利ね。でもエリシェが無事に到着できて良かったよ」

 

「あたしもまだ職人として未熟なうちは簡単に死ねないよ。それに! スヴェンがガンバスターを触らせてくれるんだから引き受けない手は無いでしょ!」

 

「俺はてっきりブラックが来ると踏んでたんだがな」

 

 あの予想外の手紙を思い出しながらそう告げると、レヴィが鞘から長剣を引き抜いて見せた。

 見事な剣身と握り込み易い柄。一眼見て鋭い斬れ味をほのりながら、レヴィの引き抜いて見せた動作はあまりにも軽やかだった。

 これまで数々の武器を曲がりなりにも扱ってきた経験からこれを鍛造した職人は一流だと判断する。

 

「貴方ならこれを見て職人の腕前を理解できるんじゃないかしら?」

 

「あぁ、見事としか言えねえよ。そんな奴に相棒を任せられるが……あー、ひょっとしてそいつを鍛えたのはエリシェなのか」

 

 レヴィの意図を察したスヴェンがエリシェに視線を移すと、彼女は照れた様子で頬を掻いていた。

 

「まだ父さんと比べたら未熟だけど、鍛造したその剣を見た父さんが今回の件をあたしに任せてくれたんだ」

 

「ブラックの推薦なら安心か。……ってか改めて挨拶しておく必要は?」

 

 先程から隣でレヴィを『誰? 姫様は??』っと言わんばかりに凝視してるミアを見兼ねて訊ねると、レヴィは苦笑を浮かべた。

 単に服装を変え、髪型をポニーテールに変えただけで正体を隠せるとは本人も内心で複雑なのかもしれない。

 レヴィは一旦咳払いすると、改めてミアを真っ直ぐと見詰めては名を名乗る。

 

「改めまして私はレヴィ。今回は急遽あのお方の代行としてこの場所に来たわ」

 

 柔かな笑みを浮かべ、依頼書をスヴェンに差し出した。

 

「そ、そうですか……私は彼の案内人のミアと言います。本日は護衛の依頼とのことでしたが具体的なことは?」

 

「えぇ、何処を調査するのかも聴いているわ」 

 

 ーー心無しかしょげてるミアに対して姫様さんは楽しそうだな。

 

 会えると期待していたミアだが、実際に来たのはレヴィと名乗る謎の少女だった。確かにミアにとっては落胆なのだろうが、何故正体に気付かないのかが理解に苦しむ。

 普段コイツらはレーナの何処を見て判断してるのか。

 スヴェンが内心でそんな事を考えていると、ミアはレヴィを真っ直ぐと見詰め、

 

「……レヴィさんって髪を解いたら、姫様に似てるって言われませんか?」

 

 そんな会話を他所にスヴェンは依頼書に眼を通し、護衛内容や注意点、今回の目的を頭に叩き込む。

 最後に高額報酬に目が行くが、金額よりも今は信頼を得るのが先決だ。

 依頼書に眼を通し終え、受諾のサインを記してから二人の会話に耳を傾ける。

 

「よく言われるわね。けれど私と姫様は別人よ」

 

 レヴィは微笑みながらティーカップを口に付けるが、その仕草は優雅で滲み出る気品にスヴェンは一人だけ苦笑を浮かべる。

 隠す気が有るのか無いのか、それとも元来身に沁みた気品は隠しようがないのか?

 スヴェンがそんな事を疑問に浮かべると、ミアが小声で耳打ちしてくる。

 

「(あの、もしかしてレヴィさんって姫様?)」

 

 漸くレヴィの正体を理解したミアに、

 

「(やっと気付いたな)」

 

 正解だと告げるとミアは、一瞬硬直しては瞬時に理解が及んだのか微笑んだ。

 

「えっと、レヴィさんのことはレヴィって呼んでも良いですか?」

 

「およ? 打ち解けないと呼び捨てしないミアが珍しいね。でもレヴィさんと仲良くなりたいって気持ちは分かるよ!」

 

「そりゃあねえ? 私も歳の近い友達ってエリシェぐらいだしさ」

 

「……そう、友達……それじゃあ私には敬語は不要よ。だからよろしくねミア、エリシェ」

 

 三人の親睦が深まったっと感じたスヴェンは、頃合いだと判断して改めて護衛に付いて切り出す。

 

「あー、さっきそこの天然ボケも言ったが、本題に移って良いか?」

 

「構わないけれど、エリシェは如何するのかしら?」

 

「あ、あたし? うーん、まさかレヴィの待ち合わせ人がスヴェンだって思ってなかったけど、あたしの方は夜とか空いてる時間でも大丈夫だよ」

 

 スヴェンとしてはその辺りは如何でも良いが、確かに日中含めた時間をレヴィ、もといレーナの護衛に時間を使うならエリシェとガンバスターに付いて話し合うのは必然的に夜になるだろう。

 尤も今回もスヴェンがまともに宿泊できるとは限らないが、折角フェルシオンまで来たエリシェに詫びの一言は入れるべきだ。

 

「悪りぃな、折角来てもらってよ」

 

「そこは別に構わないよ。でも詳しいことも聞きたいから沢山付き合ってもらうよ?」

 

 そう言って楽しげにウィックを見せるエリシェにスヴェンは、それで済むならと承諾した。

 

「……アンタとは共有して起きて情報も有るが、そいつは移動しながらで構わねえか」

 

「それで構わないわ」

 

 そう言ってレヴィは立ち上がると、

 

「あっ、私とエリシェは港の宿屋フェルに部屋を取って有るけれど、もう二人ほど追加で宿泊できるわよ……スヴェンの部屋は隣に確保させて貰ったけど問題無いかしら?」

 

 護衛として考えればレヴィの采配は好ましい最善手だ。だからスヴェンが彼女の決定に文句を言うことも無かった。

 特に同室にミア、エリシェ、アシュナが宿泊するならレヴィの護りに関して心配する必要ーーミアは以前アシュナが潜入しても気付かずに寝ていたが、大丈夫なのだろうか?

 別の不安要素にスヴェンは眼を細める。

 

「宿部屋を確保する手間が省けたが……ミア、アンタも気を張っておけよ? 前回みてえに気付かねえで寝坊なんざ、笑えねえからな」

 

「わ、分かってるよ。今回は緊張して眠れないかもだし」

 

 そこは護衛に支障をきたさないようにしっかりと睡眠を取って欲しいが、スヴェンがそこまで気にかけてやる必要も無い。

 そろそろ仕事に移るべきか。スヴェンは早速立ち上がり、

 

「そんじゃあ行くか」

 

 ミアとエリシェと別れ、レヴィの護衛を開始した。



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5-3.スヴェンとレヴィ

 貿易都市フェルシオンの中央区に到着したスヴェンとレヴィは、周囲を通行する人々の話し声に眉を歪めた。

 

『リリナお嬢様は無事なのか?』

 

『分からない。だけど、さっき港の用水路で全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体が発見されたって』

 

『ぜ、全身の皮膚をだって!? なんでそんな猟奇殺人が……いや、被害者は誰なんだ?』

 

『……あまりにも惨過ぎて何処の誰かも分からないそうだ』

 

 港の用水路で発見された全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体。果たしてそれがリリナなのかは、生憎とスヴェンに確かめる方法は無い。

 それとも全くの別人なのか。そんな考えを頭に、視界の先に映り込む巨大な塔に思わず足を止める。

 スヴェンは隣りを歩くレヴィを他所に、町の中心に位置する時計塔を見上げた。

 町を訪れた時は港の商船に眼を奪われたが、時計塔の高さは狙撃地点として有効な位置だ。

 魔法の射程距離にもよるが、あの開放的な最上階は遠距離魔法に注意を向けるには十分だろう。

 逆に開放的過ぎる最上階で狙撃に移ろうものなら、地上からはっきりと見える位置から多人数に目撃される。

 それは狙撃地点としても落第点だ。従ってスヴェンは時計塔を警戒リストから除外した。

 

「時計塔が気になるのかしら?」

 

 こちらの視線に気付いたレヴィの問い掛けにスヴェンは、彼女に視線を戻し歩き出す。

 

「いや、観光客らしく名所を見上げただけだ」

 

 護衛対象のレーナーーレヴィには襲撃の脅威に曝されず、視察を無事に終えて欲しいものだ。

 内心ではそう思う反面、傭兵としての経験と理性が望み通りにはならないと訴えかけてくる。

 それも当然だと思えた。既にフェルシオンは何かしらの陰謀が渦巻いている状況だ。現に猟奇殺人が行われ、警戒を十分に引き上げる必要も有る。

 スヴェンの内心とは裏腹に隣りを並走して歩くレヴィが、

 

「観光名所といえば、明日から闘技大会が開催されるわね。出場の受付は今日の夕方までだけど、貴方も出場してみる?」

 

 事件の噂を敢えて話題に出さず、彼女の誘いにスヴェンは冗談はよしてくれと言いたげに肩を竦める。

 

「アンタの護衛が離れる訳にもいかねえだろ? 第一観戦する分にはいいが、見せもんになんのは願い下げだ」

 

 そう告げるとレヴィは意外そうな表情で愛らしく小首を傾げる。

 何の意図も無い天然で行われる仕草に、彼女の元々の美しさと愛らしさに魅了された通行人がレヴィに老若男女問わず一眼奪われていた。

 

 ーーただの仕草でこうも注目を集めただと!?

 

 スヴェンが内心で冷や汗を浮かべると訊ねられる。

 

「訓練はよく参加するのに?」

 

 先程の返答に対する疑問。それとこれとは別だと話しを終わらせるのも簡単だが、訓練と大会における姿勢の違いもむろん有る。

 

「俺が訓練に参加すんのは生残る技術を磨くためだ。だが、大会は娯楽と腕試しだろ? 生憎と大会に参加してまで力を誇示してぇとも思えねえんだよ」

 

「なるほど……それじゃあ明日は一緒に観戦できるわね」

 

 何処か嬉しそうなレヴィの笑みーーあぁ、自由に観戦もできねえのか。

 彼女の立場では視察という名目が無ければ観戦も難しいのだろう。確かに王族の身に何か有れば大事では済まないのも事実だ。

 そもそも以前、何かを理由にして護衛として連れ出すという提案をしたが、彼女の思惑は別に有るのだろう。

 そう考えたスヴェンは、歩きながら今回の目的に付いて本題を切り出した。

 

「……あー、そろそろ今回の目的に付いて話しを聞いても良いか?」

 

「もちろんよ。目的は幾つか有るのだけど、その一つがフェルシオンで起きている事件の調査ね」

 

 わざわざ王女の立場に有るレーナがやるべきことでは無い。 

 

「……そいつは魔法騎士団に任せておけ」

 

 低めの声で告げると、レヴィは静かに首を横に振る。

 

「まだ邪神教団が事件を起こしたとも限らないけれど……リリナが誘拐されたのは私の耳にも届いてるわ」

 

「あー、その話しなら専属の使用人に聴いたな」

 

「そうアラタから、なら話しが速いわね。リリナを誘拐した理由までは魔法騎士団も把握し切れていないけれど、最近この町では禁じられてる人身売買が行われてるそうなのよ」

 

「……ルーメンの南の森でゴスペルの構成員が惨殺されたらしいな」

 

 恍けるように話すスヴェンに、レヴィはじと目を向けた。

 それは『それやったの貴方よね?』っと確信を抱いた眼差しだった。

 既にレヴィの耳にルーメンの件が耳に届いてるなら話も早い。

 

「それで? ルーメンの件とリリナ誘拐に繋がりはあんのか?」

 

「それを含めた調査よ。と言っても邪神教団が起こした事件なら魔法騎士団は介入できないわよね?」

 

「それでわざわざアンタが調査に乗り出したってか? あんま褒められた行動でもねえぞ」

 

「それは分かってるわ。だけど私はレヴィよ? 事件調査事務所を設立したっておかしな話しじゃないわ」

 

 微笑みながら語られた単語にスヴェンは一瞬だけ思考が停止した。

 エルリア魔法騎士団も各国の戦力と見做される組織は邪神教団に対して行動できない。だが、何処の国家にも属さないアトラス教会はその範疇には入らない。

 では、合法的に邪神教団に対して介入するにはどうすればいいか。

 それは誰かが事件の調査及び解決を目的にした個人営業所を開業してしまえばいい。

 そこまで思考してレヴィが何をやろうとしてるのか理解したスヴェンはーーマジかよ。

 ただ、微笑む彼女を前に呆然とすることしかできなかった。

 

「だからスヴェン。傭兵の貴方を護衛として個人的に雇ってるのよ」

 

 レヴィのそんな言葉に漸く理性と理解が現実に追い付いたスヴェンは、

 

「許可は降りたのかよ」

 

 一つ大事なことを訊ねる。

 彼女はレヴィと名乗っているが、実際はエルリアのレーナ姫だ。そんな立場も有る彼女が動くにオルゼア王の認可が必要になるはずだ。

 

「先日漸く許可が降りたわよ。それに用意した書類も手続きも既に受理されてるわ」

 

 邪神教団が必要以上に彼女を警戒する理由は、単なる召喚魔法に限らない。彼女のその裏を突くような行動力が脅威と見做されたのだろう。

 そもそもそんな計画を立てていたなら、ますます異界人の必要性は皆無に等しいーー異界人が切り捨てられたと誤解を与えそうなものだが。

 スヴェンは敢えてその話題を頭の片隅に追い遣り、

 

「そうかい。それで? 活動すんにもお偉いさんの許可は必要だろ」

 

「えぇ、だから今からユーリ様の屋敷に向かうわ」

 

「……っつうか、今のままじゃあ正体がバレんだろ」

 

「そうかしら? エリシェは誤魔化せたわ……ミアには遅れて気付かれちゃったけれど」

 

 何処か悪戯を楽しむ様子で笑みを浮かべたレヴィに、スヴェンは肩を竦めた。

 以前、彼女に『お転婆でもないだろうに』そう聴いたことも有ったがーー今のレヴィは年相応のお転婆娘だ。

 それともレーナという立場は表面上で、レヴィという内面が彼女本来の性格なのだろうか?

 どっちにしろレーナとレヴィでも雇主に変わりはない。そう結論付けたスヴェンは、サイドポーチから愛用のサングラスを取り出す。

 サングラスをレヴィに手渡すときょとんっとサングラスを見詰めた。

 レヴィは普通にしていても容姿から目立つ。特にレーナと共通点ーー本人だから共通点もないが、一先ず特徴の一つで有る瞳を隠せば正体が露呈し難いだろう。

 

「そいつならアンタの瞳も隠せる」

 

 そう告げるとレヴィは自らサングラスを掛けーー物陰に潜むミアとアシュナの鋭い視線がスヴェンの背中に突き刺さる。

 ちらりと視線を向ければ、物陰の壁に亀裂を入れるミアとアシュナ、そんな二人に苦笑を浮かべるエリシェにスヴェンはそっと視線を逸らす。

 

「ど、どうかしら? 変な所はない?」

 

「お〜、ばっちりだ。何処からどう見てもあや……レヴィにしか見えねえよ」

 

「いま怪しいって言いかけたかしら? でも良いわ、一度こういう変装をしてみたいと思っていたから」

 

「そいつは良かったよ。……んじゃあ、そろそろ行くか」

 

 そんなありふれた提案をすると、レヴィは楽しそうに歩き出した。

 そんな彼女の背中にスヴェンは、年相応の少女らしい一面を感じながら歩き出す。

 背後から三人の視線を背中に感じながら。

 



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5-4.浮かぶ疑念

 スヴェンとレヴィはフェルシオンの中央区に位置する豪邸に到着していた。

 フェルシオンを王家から任されたユーリ伯爵の住まいは、娘のリリナが誘拐された影響もあり魔法騎士団とは違った武装集団によって厳重な警備が敷かれていた。

 

「……あんま金持ちには良い思い出がねえが、お嬢様の件は確認すんのか?」

 

 スヴェンの問い掛けに対してレヴィは愚問だと言いたげな眼差しで頷いた。

 町中で耳にした全身の皮膚が剥がされた水死体。それがリリナなのか、それとも全く別の事件で発生した猟奇殺人なのかは今の所不明だ。

 どちらにせよはっきりさせる必要性は有るが、果たして真相は如何なるのか。

 スヴェンが事件に付いてあれこれ考え込んでいると、レヴィは真っ直ぐ門まで歩き始め、二人の門番が立ち塞がるが、

 

「ユーリ伯爵様と面会の約束を取り付けているレヴィという者ですが、お会いになれませんか?」

 

 透き通るような声と丁寧な物腰、そして堂々とした立ち振る舞いに二人の門番が怯む。

 やがて二人の門番は互いに顔を見合わせると、

 

「えぇ、旦那様から話しは伺っております。そちらの護衛の方もどうぞ中へ」

 

 どうやら既に話しは通っていたようで、待たされる必要も無くスヴェンとレヴィは屋敷に通された。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 色鮮やかな調度品で飾られた応対室に通された二人は、既に部屋で待っていた人物に一礼した。

 

「よくいらっしゃった。お二人とはお初になるのかな?」

 

 スヴェンはちらりと視線を向ける。茶髪、長身痩躯に窶れた頬と疲弊した表情が印象に残る男性ーーユーリの優しげな眼差しにスヴェンがは密かに視線を外した。 

 リリナの誘拐と猟奇殺人に彼が心労から疲弊するのも無理はない。

 

「えぇ、初めまして。私はレヴィ、それでこちらが護衛のスヴェンですわ」

 

「おお! 君が……話しはアラタから聴いているよ。いや、本当に彼を救ってくれてありがとう」

 

 既にアラタから話を聴いていたのか。スヴェンはそう理解しては、

 

「偶然通りかかっただけだ」

 

 当たり障りも無い態度で返答した。    

 そんな返答にユーリは笑みを浮かべたまま、仕草で座るように促す。

 スヴェンは護衛の立場ということもあり、レヴィの背後に立つ。

 するとレヴィは真っ直ぐユーリの瞳を見つめながら話しを切り出した。

 

「此処を訪ねる前に町中である噂を耳にしたのですが、お聴きしてもよろしいでしょうか?」

 

 町中で色々な噂が飛び交うのか、ユーリはどの噂か検討が付かないと言いたげに少々困ったような笑みを浮かべた。

 

「噂……貴女が耳にした噂ですか」

 

 確かに町を護る貴族ともなれば日々様々な噂や憶測が飛び交うのだろう。

 スヴェンは情報に踊らされる人々を浮かべては、二人の会話に耳を傾ける。

 

「港で全身の皮膚を剥がされた水死体に付いてです」

 

「……それは、確かについさっき、まさに貴女方が訪れる少し前に飛び込んできたね。既に死体の検死を始めている頃合いだろうけど……君の気掛かりは猟奇殺人犯かね?」

 

「そちらも気掛かりですが、最も気掛かりなのはリリナお嬢様の安否です」

 

「というと、まさかリリナが犠牲に?」

 

 娘が犠牲になった可能性が高い話に、ユーリは比較的落ち着いた様子だ。

 その事に疑問を感じたのはスヴェンだけでは無く、質疑をしているレヴィもだった。

 だがレヴィは敢えて話を続けていた。

 

「リリナお嬢様が誘拐された話とスヴェンが聴いた彼女の状態と符合する部分もあり……もしやと思い訊ねたのですが、貴方を様子を見るにお嬢様は無事なのですね」

 

 レヴィの確信を持った指摘にユーリは静かに頷いたが、決して笑みを浮かべることはしなかった。

 父親として喜ばしい状態だが素直に喜べない状態でリリナが帰って来たと言ったところか。

 スヴェンはユーリの瞳の感情の揺らぎとアラタとの会話から結論を浮かべながら彼の言葉、言動と感情の揺らぎを注視した。

 

「あぁ、リリナは無事さ。いや、猟奇殺人が起きる前に屋敷に帰って来たんだよ」

 

 リリナは無事だと告げるユーリの姿に、スヴェンは疑心を向ける。

 あまりにも不審な点が多すぎる。

 誘拐し、皮膚を剥がされるなど拷問を受けたリリナをわざわざ誘拐犯が返すなど有り得ない。

 それは自ら人質を手放すも当然の行為だ。特に娘の状態を見た者なら怒りを胸に、誘拐犯に報復に出る可能性だって高い。

 なら何故誘拐犯はリリナを返したのか。わざわざアラタを水路に流し一度は捕縛したリリナを。

 レヴィも不審に感じたのか、思考を並べるスヴェンに視線を向けてはユーリに向き直す。

 

「……犯人がわざわざお嬢様を返還したと?」

 

「公に言えないから内密にして欲しいんだけど、魔族が娘を救出してくれたそうなんだ」

 

「魔族が、ですか? ……そうですか。それではお嬢様は今は?」

 

 魔族が動いてるとなれば邪神教団の関与を疑って当然だが、レヴィが質問しないという事は彼女には何か考えが有るのだろう。

 スヴェンがそう考えていると、今度はユーリの表情が苦痛と涙に歪む。

 

「……リリナは帰って来たけど、全身の皮膚が剥がされ……っ。なんの怨みが有ったのか……っ! 両目を潰されていたんだ」

 

 リリナの現状に悲しみと怒りが入り混ざり、それでも感情を剥き出しにしまいと堪えるユーリにレヴィが眼を伏せた。

 

「……お嬢様の身に起こった不幸は忌むべきですが、彼の連れに優秀な治療師が居ます。その者に頼めばお嬢様の怪我は癒えるでしょう」

 

「ああ、だからリリナの生還を知ったアラタがミアさんを捜しに町に出ているんだ」

 

 そのミアなら屋敷近くの物陰に潜んでいる。流石にそんな事は言えず、スヴェンとレヴィは互いに間の悪い状況に困惑を浮かべた。

 しかしスヴェンとレヴィが言い出す前に、背後のドアが突如勢いよく開きーースヴェンは右腕を背中のガンバスターに伸ばす。

 視線をだけを向けれるとミアを引き摺るように連れて来たアラタと眼が合う。

 

「あ、あれ!? スヴェン、来てたんですか……あっ! 旦那様! ミアを連れて来ましたよ!」

 

「うん、ご苦労様。だけどアラタ? 幾ら急いでいたとは言えら大切な客人をぞんざいに扱うのはどうかと思うよ?」

 

 此処まで勢いで連れて来られたのか、ミアは白目を剥いたままぐったりとしていた。

 

 ーーコイツが此処に居るってことは、アシュナとエリシェは外か?

 

 スヴェンはミアの心配などせず、外に居るであろう二人が乗り込まないことを願いながら事の成り行きを見護ることにした。

 そしてアラタがそのままミアを連れて退出すると、微妙な空気が応対室に漂う。

 

「えっと、本題は治療が終わってからにしましょうか?」

 

「いや、大丈夫だよ。多分、完治したリリナの姿を見たら今日は号泣し続けてまともに応対もできないだろうから」

 

「そ、そうですか。では、本題に移りましょう」

 

「うむ。君の要件は【レヴィ調査事務所】の活動認可だったね……具体的にどんな調査を主にするのか聴いてもいいかな?」

 

「もちろんです。私が設立した調査事務所は邪神教団が関与してると思われる事件の調査及び解決を目指すことを主目的にしていますわ」

 

「例えば今回なら、猟奇殺人とお嬢様誘拐犯に付いて。そして巷で行われている人身売買の摘発になります」

 

 この町で起きている事件に付いて調査する。そう告げるレヴィに対して僅かにユーリの眉が動いた。それをスヴェンがは見逃さず、ふと疑問に思う。

 一体彼は誘拐犯から何を要求されていたのか。要求を拒んだからこそリリナは見せしめに拷問を受けたのではないか?

 犯人から告げられた要求によっては、邪神教団の関与がすぐに分かりそうだがーー今回は簡単にはいかねえか?

 ゴスペルとそれを追うオールデン調査団。そして人身売買に魔族など問題は山積みだ。

 

 ーー邪神教団絡みは魔王救出で大分解決するが、到着するまでに連中の戦力を削るに越したことはねえな。

 

 スヴェンにとって異世界で起きた事件はどうでもいいが、魔王救出の依頼を果たす為なら多少の寄り道も厭わない。

 呆然と思考を並べるスヴェンを他所に、レヴィが差し出していた書類にサインを記すユーリの姿にスヴェンは視線を向けた。

 

「連中から届いたわたしに対する要求は、君達に他言もできないけれど……どうかこの町を悪辣な犯罪者から救って欲しい」

 

「えぇ、最善は尽くします」

 

 そう言ってレヴィは立ち上がり、

 

「あっ、最後にリリナお嬢様を一眼見ても大丈夫でしょうか?」

 

「ふむ? それは何故かね」

 

「これも調査の一環と思って頂ければ」

 

「そうか。あまり長い時間面会はできないと思うけど、リリナの気晴らしになるなら是非ともお願いしよう」

 

 そう言って笑みを浮かべるユーリを背中に、スヴェンとレヴィは静かに応対室から退出する。

 そして静かな誰も居ない廊下でスヴェンは彼女に訊ねる。

 

「アンタの正体は知られてんのか?」

 

「うーん、あの様子だと知られて無いと思うわ。だけどその方が好都合よ」

 

 確かにレヴィの正体がレーナだと露呈するのは得策ではない。

 邪神教団の耳が何処に有るのか。既に何かしら仕込みを終えた後だと警戒すれば、迂闊にレヴィの正体に繋がる言動は控えるべきだ。

 でなければ、彼女がわざわざ介入する口実や用意も無意味になるーーそうなれば最後、特急戦力の介入と見做した邪神教団が魔王アルディアを殺害する可能性もあり得た。

 改めて綱渡り的な状況にレヴィの度胸と駆け引きに、スヴェンは内心で彼女に対する評価を改めていた。



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5-5.救われたお嬢様

 アラタに拉致も同然にユーリの屋敷に招かれたミアは、一瞬スヴェンとレヴィに会ったのだが、それも眼を回している間のことでーー気付けば車椅子に座った全身包帯が巻かれた重傷の少女の前に連れられていた。

 自身の扱い方にアラタに文句の一言も言いたく、睨み付けるが、当人はリリナを心配するあまりこちらの様子など気に留めていない様子だ。

 

「……はぁ、私の雑な扱いはこの際いいですよ。さっそく治療に入りますから貴方は部屋の隅っこに居てください」

 

 そう告げると文句も無しにアラタは部屋の隅に向かった。

 改めて痛々しい姿のリリナに胸が痛む。彼女はラピス魔法学院に在学していた先輩だったーー何度か眼にする機会は有ったが、まさかこうして治療しに訪れるとは一体誰が想像できたか。

 感傷に浸ってる場合じゃない。そう切り替えたミアは車椅子を部屋の中心に移動させると、リリナの呻き声が耳に届く。

 どうやら喉も潰されている様子。かなり大掛かりな治療魔法が必要だと判断したミアは杖を引き抜く。

 そして杖の先端に魔力を流し込み、杖を巧みに操りリリナを中心に魔法陣を床に構築させる。

 

「魔法陣を床に? えっと、どんな治療を?」

 

 アラタの疑問にミアは答えようか迷ったが、実践と結果を見せた方が早いと判断し、魔法陣の外側で杖を掲げ、

 

「悍ましき傷負し者に癒しの風を吹き込まん」

 

 通常の詠唱とは異なるもう一つの詠唱を加える。

 

「再生と癒しと共に汝に失われし光を」

 

 やがて高まったミアの魔力を魔法陣に注ぎ込み、癒しの風がリリナの身体を優しく包み込む。

 彼女はスヴェンとは違う一般人だ。身体が鍛え上げらても無ければ弱った生命力に再生は負担が大きい。

 そう判断して少々詠唱の手間は有るが、広範かつ確実に傷を治療できる癒しの風を唱えた。

 しかしミアの想定よりもリリナの包帯が取れ、元通りに治療された素肌が顕になる。

 

 ーー幾ら私が優秀だからって速すぎる。

 

 本来治療魔法陣に対象を置き、癒しの風が治療し終えるには早くて半日は掛かるはずだ。

 なのにリリナの治療はわずか数分で終わりーー疑念を浮かべるミアは漸く気付く。

 包帯が取れ、顔を真っ赤に染め上げるリリナの様子に。

 そして彼女が何も纏わず、産まれたての姿なことに。

 

「アラタさんは大至急着替えの用意を! あと眼を開けずに出てください!」

 

「じ、自分は何も見てません!!」

 

 そんな反論に視線を向ければ、アラタはしっかりと眼を強く瞑っていた。

 なんとも紳士的だと思いながら器用に部屋から退出する彼を見送る。

 そしてミアはリリナに眼を合わせないように気を付けながら向き直った。

 リリナの茶髪を視界に移すと、

 

「眼を合わせてくれないんですの?」

 

「今のあなたは全裸ですから……」

 

 同性とはいえ、全裸のお嬢様を視界に入れる度胸をミアは持ち合わせてはいなかった。

 だから視線を合わせずにいるのだが、リリナの不服そうなため息が聞こえる。

 

「そうですの。……あっ、それよりも治療の謝礼が先ですわね」

 

「それは服を着てからで構いませんが……あの、一体どうやって救出されたんですか?」

 

 アラタから得た情報が正しければ、人質同然のリリナが安易に解放される筈がない。

 きっとスヴェンとレヴィもその不審点を疑っている事だろう。

 

「目も見えず、歩けないわたくしを誰かが運び出してくれたのは確かですけれど……それがどなたかは存じ上げませんわ」

 

 確かに眼を潰されていたリリナが視覚から情報を得るのは難しい。

 ましてやヴェイグのように他の五感が発達してる訳でもないから、彼女が犯人やわざわざ連れ出した人物の手掛かりを得る事はないのだろう。

 それを理解して犯人はわざわざ解放した?

 ミアは浮かんだ疑問からリリナに意識を集中させ、身体に巡る魔力に異常が無いか知覚させる。

 すると魔力は減ってこそいるが、極めて正常に下丹田に渦巻いている様子が確認できる。

 怪しい点も魔法を刻まれた様子も無い。なぜリリナが解放されたのか益々疑問が強まるが、ミアは開いたドアの音に振り向く。

 

「失礼、お客様。お嬢様を着替えさせるので一時退出をお願いしても」

 

 入室したアラタに似たメイドがリリナの着替えを手に、ミアに一礼していた。

 

「構いませんよ。廊下で待機してますので終わったら呼んでくださいね……まだ治療魔法の具合や魔法陣の解除も終わってませんから」

 

 ミアはちらりと魔法陣に視線を向け、部屋を後にする。

 廊下で待つ間、先程部屋に残した魔法陣に付いて頭に浮かぶ。

 あの魔法陣は解析しようとも術者でもあり、魔法陣の基礎部分を一から構築した自身以外には誰にも扱えない治療魔法だ。

 特に秘匿性も無い魔法陣ーーふと、自身が必要以上に警戒してる様子に困惑が浮かぶ。

 

 ーー私ってこんなに疑い深い性格だったかな?

 

 自身に何かしらの変化が訪れたのか、それとも誰かの影響を受けたのか。きっと後者に違いないっと結論付けたミアが改めて廊下を見合わすとスヴェンとレヴィの姿が映り込む。

 

「ミア、もう治療は終わったの?」

 

 仕事が速い。そう感心した様子を見せるレヴィにミアは頬を緩める。

 

「えぇ、治療に関しては優秀だからね!」

 

 胸を張って答えると、意外にもスヴェンが肯定的に頷いていた。

 それが意外に思えて思わずスヴェンの紅い瞳を見詰めれば、彼は鬱陶しいそうに眼光を鋭める。

 そんな彼から視線を背けると、

 

「治療を体験? まさかスヴェンはケガを?」

 

 確かに彼は死んでもおかしくは無い重傷を負い、レーナに心配をかけまいとその件に関しては報告しなかった。

 だからいま真相を告げる訳にもいかず、ミアが視線を泳がせると、

 

「あー、言い間違えだ。何度か眼にしてれば優秀だってのは理解できんだろ」

 

「スヴェンさんが言い間違えなんて珍しいね? もしかして護衛と貴族様の屋敷で緊張してるの?」

 

「そんな所だ。貴族の屋敷ってのはデウス・ウェポンじゃあ訪れる機会なんざねえから、ましてや古代遺物に指定される内装はな」

 

「……そう、確かに観てるとミアがどれだけ優秀な治療師かは理解できるわね」

 

 レヴィのサングラス越しの視線に、ミアは改めて自身とスヴェンの発言が苦しい言い訳に思えた。

 事実、レヴィーーレーナはチェス盤で異界人の状態を確認することができる。

 彼女も忙しい立場だ。いつもチェス盤を確認してる事は無いだろうが、偶々スヴェンの重傷時を目撃していたら?

 ミアは報告に偽りが有る点に、改めて胃に痛みを感じては取り繕った笑みを浮かべた。

 

「あ、それでお二人はリリナ様にあいさつに?」

 

「えぇ。治療を受けて疲れてるでしょうけど、確認しておきたいことも有るからね」

 

 何を確認したいのだろうか? 確かに解放された点に置いては不信感が湧くが、レヴィが疑う程のなのか。

 ミアは疑問から改めてスヴェンに視線を向ける。

 

「確認したいことって? もしかしてスヴェンさんも何か疑ってるの?」

 

「……町中で眼を潰され、全身の皮膚が剥がされた水死体が発見されたそうだ」

 

 フェルシオンでそんな猟奇殺人が起こったことにも驚きだが、何よりも被害者の状態がリリナと一致してる箇所が多過ぎる。

 何方も皮膚を剥がされているから本人なのか確証を得るのも難しい。

 だがミアが治療魔法を施したことで、あの部屋に居るリリナは紛う事なき本人だと確定してるようなものだ。

 

「私、リリナ様をラピス魔法学院で何度か眼にしたことが有るんだけど、部屋に居るリリナ様は当時見た容姿と同じだったよ」

 

「そういえば貴女とリリナ様は先輩後輩の間柄だったわね」

 

「あん? アンタは学院で会わなかったのか?」

 

 スヴェンがレヴィにそんな質問するのも無理はないと思えた。

 彼はレヴィがラピス魔法学院に入学していない事実も、なぜ入学出来なかったのかその理由も知らないからだ。

 

「その事は……そうね、貴方になら話しても良いわね」

 

 同時にレヴィが話すと決めたことも意外だった。

 エルリア国民がラピス魔法学院に入学を義務付けられているが、王族のレーナが学院に通えず成人した事実を。

 当時の事や起きた事件は隠すべき汚点では無いが、王族としては口外も安易に相談もできなかった内容をスヴェンに話すと決めた。それはレヴィーーレーナの中でそれだけスヴェンは信用に値することなのだろうか?

 

「いいの? 確かにスヴェンさんは他言するような人じゃないけど」

 

「良いのよ。彼は私が雇った護衛だもの、私の事は知って貰った方がいいでしょ?」

 

「アンタが話したくねえなら別に聴く気はねえよ」

 

 スヴェンは他人の事情に踏み込むことを嫌がってるようにも思えるが、実際の所どうなのかはミアには理解できない。

 同時に彼の事も同行者として知りたいという想いが、胸の中で湧き立つがーーミアが口を開きかけた時にドアが開いた。

 

「お嬢様の召替えが終わりましたので、どうぞ」

 

 それだけ告げたメイドは一目散に退出しては、三人はお互いに顔を見合わせリリナが待つ部屋に入ることにした。

 

 ▽ ▽ ▽

  

 貴族らしい装飾品で着飾ったドレスに着替えたリリナが優雅な振舞いで出迎えた。

 

「改めまして、わたくしはリリナと申しますわ。そちらのミアさんでしたから? 貴女には治療をしていただき心から感謝しておりますの」

 

 こちらに近寄っては手を取り、ふふっと微笑むリリナにミアは愛想笑いを返す。

 するとリリナはスヴェンとレヴィに目も向けず、

 

「そこでわたくしは考えましたの。貴女をわたくし専属の治療師として雇うのはいかがかと」

 

 突飛な提案にミアは動揺せず何の反応も示さないスヴェンを横目に、

 

「今の私はそこの彼の案内人ですので、その提案は丁重にお断りさせて頂きます」

 

 当たり障りの無い返答を述べると、リリナは残念そうに肩を竦めてはミアから離れる。

 

「それは残念ですわ。そちらの殿方は貴女にとって余程大事ということですのね」

 

 別にそんな事は無い。反論しようかとも思ったが、スヴェンに視線を向ければ彼はどうでもよさそうな眼差しだ。

 そろそろ彼にはミアという超優秀な治療師をぞんざいに扱うことの恐ろしさを分からせる時が来たのかもしれない。

 

 ーー待って、姫様が居る場所で冗談はやめておくべきだよね。

 

 スヴェンをこの場でからおうとも思ったが、レヴィも居る手前話が妙な方向に拗れることは避けなければ。最悪の場合、スヴェンの同行者から外されかねないのだ。

 それはまだ目的も達成していない状況ではあまりにも不都合な話しだ。

 故にミアはリリナの返答にはぐらかすように微笑む。

 すると相手も漸く理解したのか、これ以上は詮索せず改めてスヴェンとレヴィに顔を向ける。

 

「それで、そちらのお二人方はわたくしにどんなご用ですの?」

 

「アンタにいくつか質問してえんだが、アンタにとっちゃ辛い質問になるがそれでも構わねえか?」

 

 辛い質問。それは事件に付いて調べる為に彼女に起きたことを改めて問うのだろう。

 皮膚を剥がされ、光を奪われる恐怖体験をしたばかりのリリナにとって辛い質問だ。

 現にミアが思っている以上にリリナの身体は恐怖で震え、呼吸を荒げていた。

 

「……その様子を見るに質問は無理そうだな」

 

「それじゃあ話題を変えましょうか」

 

「な、なんですの?」

 

 すっかりスヴェンとレヴィに怯えた様子を見せるリリナに、二人に恐怖を感じるのも無理はないのかもしれない。

 しかしレヴィの正体を知られるのは得策とは言い難い。例え、相手が貴族の娘であるリリナであろうとも彼女になんらかの暗示が施されていないとも限らないからだ。

 

「貴女とアラタの関係に付いて質問してもいいかしら?」

 

「えっ? わたくしとアラタのですか? それは……まぁ、彼とは将来を誓い合った仲ですわ」

 

 リリナは頬を高揚させ、恥ずかしそうに答えた。

 確かに二人は在学当時からそういう仲だともっぱらの噂だった。

 ただ、リリナがレヴィのその質問に素直に答えるという事は、まだ彼女はレヴィの正体に勘付いていないのだ。

 

「そう、なおさら身体が元通りになって良かったわね」

 

「えぇ。一時期はどうなるかと不安でしたけれど、それもこれもミアさんのお陰ですわ」

 

 笑みを浮かべるリリナに対し、スヴェンは何を思ったのか彼女に近寄りーー真剣な様子で顔の全体を触れた。

 突然のことに思考停止に陥るレヴィとリリナ、そしてミアはなおも顔を触れ続けるスヴェンの横脇に回し蹴りを放つ。

 だが子憎たらしいことに不意を付いた筈の回し蹴りはあっさりと回避され、

 

「なにしてんの!? 貴族のご令嬢に失礼でしょ!?」

 

 スヴェンにそう叫ぶが、彼は特に意に介した様子も無く何か考え込むばかり。

 そんな彼の姿に漸く、なんの理由もなく淫にリリナの顔を触れた訳ではないのだと理解が及ぶ。

 

「……ま、まぁ、い、異界人の殿方は大胆ですのね」

 

「私の護衛が無礼を働いてごめんなさいね」

 

 戸惑いを浮かべるリリナに対し、真意を察したレヴィは微笑みながら謝罪を告げると、まだ治療も間もないせいかリリナはふらつきながら車椅子に腰を下ろした。

 

「ごめなさい、まだ体力は万全じゃないようですわ」

 

「そうですね。リリナ様は数日絶対安静が必要な身体ですから、ゆっくり休んだ方がいいですよ」

 

 治療師として診断を告げ、手早く床に描いていた魔法陣を掻き消す。

 こうして用も済んだスヴェンとレヴィに続き、ミアは謝礼金の入った金袋をしっかり懐に収めてからユーリの屋敷を去るのだった。

 



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5-6.人の心在らず

 ミアと別れたスヴェンとレヴィは、発見された水死体に付いて調べる為に魔法騎士団の死体安置所を訪れていた。

 別れ際のミアはなぜそこまで調べるのか、そんな疑問を宿していたが魔法という存在があらゆる犯行の可能性に繋がる。

 少なくともスヴェンはそう考えており、同時に一度宿した疑念は中々払えるものではなかった。

 見張りの騎士が見護る中、スヴェンは台の上に置かれた遺体袋を開くーー全身の皮膚が剥がされ、恥部は愚か胸すらも抉り取られた猟奇的な痕跡にレヴィが眼を逸らす。

 この死体の前には騎士でさえ直視できず、そんなものは見たくないっと言わんばかりに顔を背ける始末だ。

 無理もない。頭部を丸ごと潰され頭髪さえも失った死体だ、まともな感性をしてる人間には辛いだろう。

 スヴェンは犯人の周到さに眼を伏せ、

 

「……ここまで徹底してやがるとはな」

 

 デウス・ウェポンでさえ時折り惨殺事件は起きるが、ここまで酷いのは中々無い。

 有るとすればそれこそ戦場で兵器をまともに受けるか、モンスターに惨たらしく殺害された兵士ぐらいだろう。

 

「貴方がリリナ様の顔をやたら触れたのは、骨格を調べるためだったのよね?」

 

 レヴィの問い掛けに対してスヴェンは、

 

「ああ、頭部の骨格が一致すりゃあ生きてる奴が犯人の一味だろ」

 

 屋敷で出会ったリリナが偽者と想定したうえで答えた。

 当然姿を真似る類の魔法の線も有るが、リリナの体内を巡る魔力も何らかの魔法が発動されている様子は無かった。

 そもそもミアが治療した時点で再生した皮膚から考えれば、彼女が本物だと証拠を確定してるようなものだ。

 それでもスヴェンの中で一種の疑念が拭えない。

 頭部さえ潰してしまえば死体が誰なのか判らない、にも関わらず死体は全身の皮膚を剥がされた挙句頭部まで潰されていた。

 ならこうも考えられるーー剥ぎ取った皮膚を魔法で被せ、完璧な変装を可能にしたと。

 しかしスヴェンの推測は仮説に過ぎない。この哀れな少女の死体が誰なのか判別しない事には何も始まらないだろう。

 仮にテルカ・アトラスにDNA鑑定技術が在るなら面倒はないがーースヴェンはダメ元でレヴィに訊ねる。

 

「この世界の医学は血液からDNA鑑定はできんのか?」

 

 レヴィにとって聴き慣れない単語だったのか、彼女は小首を傾げた。

 

「でぃえぬえ? よく分からないけど、貴方の言う医学が有れば死体の特定ができるの?」

 

「幾ら全身の皮膚が剥がされようが、体内に流れる血に刻まれた遺伝子は誤魔化せねえ」

 

「そう、魔法技術の研究ばかりしてるものね。魔法は便利だけれど死体の検死に向かない……エルリアでも医学の研究を進めるべきかしら」

 

「医学が進歩すりゃあ技術だけで肉体の欠損も治せる……ミアの才能が誰にでも使える便利な道具を生み出せると考えりゃあ一考の余地はあんだろ」

 

「……そんな技術が発展したらミアが泣きそうね」

 

 二人は泣き喚くミアの姿を想像し、つい二人の間に小さな笑みが漏れる。

 まだ技術が進歩していないなら別の方法で詮索するしかない。スヴェンが死体を丁重に調べていると、

 

「……そういえばスヴェン、実は20年ほど前にも全身の皮膚が剥ぎ取られた死体が発見される事件が有ったのよ」

 

 突然レヴィが過去に起きた事件に付いて語り始めた。

 

「場所はエルリア国内、フェル湖畔。犯人はまだ発見もされていないそうよ」

 

 魔法大国エルリアで起きた事件。魔法に関して発展したエルリアが犯人を発見できなかった。

 それは犯人が上手で隠蔽する協力者も居たとスヴェンは考える。

 

「その被害者の年齢は?」

 

「身長と体格から見て6歳の男の子よ……生きていれば26歳になるかしら」

 

 自身よりも二つ上になったであろう男の子。

 もしも犯人が共通した魔法を使っていたなら同一人物かそれともーー全く別の犯人か? 

 スヴェンは一先ず死体に指を滑らせ、レヴィが訝しげな眼差しを向ける。

 

「一応女の子の死体なのよ? あんまり触れたら失礼じゃないかしら」

 

「アンタが咎めたくなるのも判るが、触れてみてはじめて判ることもあんだよ」

 

「それで何か分かったの?」

 

 レヴィの質問にスヴェンはすぐに答えず、結論を得る為に慎重に遺体を触れる。

 やがて少女の遺体から痕跡を見つけた。

 まず犯人は鋭利な刃で肉の繊維に傷を付けていること。

 皮を削ぐ作業に慣れない素人が何度も同じ位置から刃を入れたのか、深く抉られた箇所も有る。

 ただ犯行に使われた獲物は鋭いが刃渡は短い、動物の皮を削ぐに適したナイフか。

 傷に魔力の痕跡も無いところを見るに、物理的に強引に無理矢理剥がしたーー無理に剥がしたせいか、肉の繊維が変な方向に向いてやがるな。

 

「刃物、それもナイフだな。それに犯人は随分と細かい作業が苦手らしい」

 

「触れるだけでそこまで判るものなの?」

 

「……傭兵ともなりゃあ、同部隊が何で殺されたか調べる事もあんだよ」

 

 尤もここまで猟奇的な死体は中々見ることも無いっとスヴェンは肩を竦めてみせた。

 そんなスヴェンに呆然と静観していた騎士が、

 

「そんな観点から検死を……貴方は現場を引っ掻き回す異界人とは違うのだな」

 

 感心した様子で技術として取り込めないか。そんな期待の眼差しにスヴェンはなんとも言えない表情で返した。

 自身も同じ異界人である意味事件を引っ掻き回しているからだ。

 

「俺も検死に関しちゃあ素人の浅知恵程度だ。だいたい魔法が使われたかどうかは結局のところ判らねえ」

 

「肝心な所よね……けれど、モンスターに殺された可能性が消えただけでも上出来よ」

 

「まあ、そっちならそっちで事故死つうことになるだろうが……そもそも変身魔法の類いに対象の一部を必要とする魔法はあんのか?」

 

「有るとすれば禁術の類いになるわね。私も全ての魔法を把握してるわけじゃないから、この後図書館に行ってみましょうか」

 

 それは都合が良いと思えた。以前自爆を受けたこともそうだが、まだまだ禁術に関する知識が少ない。

 ここで一度知識の更新が必要だ。そう考えたスヴェンは彼女に同意を示すように頷き、また一つ疑問を訊ねる。

 

「魔法大国エルリアで把握してねえ魔法があんのか?」

 

「個人間で開発、創造された魔法は把握が遅れるわね。例えばミアの再生魔法、あれは彼女が一から開発した魔法よ」

 

「開発者専用の魔法ってことか?」

 

「うーん、そうとも限らないわ。基礎理論と発動に必要な魔法陣の構築式さえ理解しちゃえば修得は可能ね。ただ、ミアの治療魔法は本人の才能に依存した魔法だから難しいでしょうけど」

 

 新しく生み出された魔法は、この瞬間にも誕生してるのだろうか? もしそそうなら邪神教団が新たに魔法を開発すれば初見殺しに遭う可能性も高い。

 スヴェンは厄介だなと眉を歪めては、

 

「邪神教団が魔法を開発した事もあんだろうな」

 

「……報告で把握してる限りの話にはなるけれど、邪神教団が扱う魔法は全て邪神から授かった魔法なのよ。信仰してる関係も有ってアトラス教会も基本的にはアトラス神から授かる魔法を使用してるわね」

 

「魔法を授かる……頭ん中に知識と構築式が刻まれんのか?」

 

「だいたいそんな感じかしらね。ただ、未だ異界人にアトラス神が魔法を授けたことは無いけど」

 

 それは賢明な判断だとスヴェンは肩を竦めた。

 まだ精神的に未熟な面が目立つ異界人に神が魔法を授けでもすれば、それを特別な力と解釈して増長を生む可能性も有る。

 あくまで可能性だが、これ以上異界人の行動でこちらの動きが抑制されては叶わない。

 

「ルーメンじゃあ村にすら入れねえからな、次は異界人を理由に逮捕されそうだ」

 

「……そんな事は無いと思いたいけど、あっ、そこの騎士さんは聴いていた会話は他言無用でお願いね」

 

 レヴィはサングラスを付けたまま、手を合わせて見上げて見せるとーー騎士は何か聴いてはならない事を聴いた。そう理解したのか、顔を青ざめさせていた。

 

「じ、自分は何も聴いてません! あなた方が何故事件を調査してるのかも関与しません!」

 

 それは魔法騎士団として如何なのかとも思うが、妙に詮索され外部に情報が漏れることは避けたい。

 

「まあ、調べられる事は調べたが……まだ調べるか?」

 

「もう充分と言いたい所だけれど、ごめんなさいね。ほんとん貴方に任せてしまって」

 

 申し訳なさそうに顔を伏せる彼女に、なんとも言えないやり辛さを感じては自身の頭を乱暴に掻く。

 

「適材適所って奴だ。アンタがそこまで気にする事はねえよ」 

 

「そう……それじゃあ一度外へ出ましょうか。あっ、図書館に向かう前に犯人の拠点を調べておきたいけれど」

 

 そう語るレヴィに騎士は慌てた様子で、

 

「だ、ダメです! 今は隊長方が調査中です、いくら調査許可証を得ていても調査の邪魔になる部外者を立ち入れる訳には!」

 

 拠点に踏み込むことを良しとしなかった。

 

「それは仕方ないわね。まだ立ち上げた事務所ですものね、魔法騎士団と対立することだけは避けたいわ」

 

 ーー魔法騎士団ですら頭の上がらねえ立場で何言ってんだか。

 

 スヴェンは内心でレヴィに対してツッコミを入れ、改めて遺体に向き直る。

 犯人は上等な外道だと結論付けーーレヴィと共に死体安置所を立ち去る。



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5-7.禁術書庫

 フェルシオンの図書館に向か前に昼を告げる鐘楼が鳴り響き、スヴェンとレヴィは手近なレストランに足を運ぶことに。

 店内に満ちる芳ばしい香りがスヴェンの食欲を引き立てる。

 二人は適当な席に座り、スヴェンはメニュー票を取る傍ら物陰に位置する席でこちらの様子を窺うミア達に感心を浮かべた。

 

 ーー昼飯ぐれぇ、好きなもん食いに行っても良いんだかなぁ。

 

 昼時まで影から護衛を手伝う必要は無い。ましてやエリシェに限っては完全に巻き込まれた人物だ。

 スヴェンがメニュー票に視線を落としながら思案すると、

 

「私はサラダサンドと紅茶でいいわ」

 

 小食な注文にレヴィに視線を向けた。

 恐らく死体安置所の遺体が彼女の食欲を削ったのだろう。

 確かにアレを見た直後で、常人がまともな食事など出来るはずもない。

 自身のような殺しや死体に慣れすぎた外道は別だが、メニューの数種類のケーキに眼が止まる。

 デウス・ウェポンではデザートは別腹だと記録に遺されるほどの格言だ。

 デザートなら大丈夫だろう。そう考えたスヴェンは、

 

「ケーキだとか甘いもんは食えんだろ?」

 

 そう提案するとレヴィは意外そうな視線を向け、やがてくすりと笑った。

 

「そうね。それならショートケーキでも頼もうかしら? 貴方はもう決まったの?」

 

 聞かれたらスヴェンは一度メニュー票のオススメ一覧に視線を落とす。そこから選んだ料理なら失敗もないだろう。

 本日のオススメと書かれた中から一品選ぶ。

 

「魚肉とエビの蒸し焼きだな」 

 

「そう、それじゃあ……そこの店員さん、いいかしら?」

 

 レヴィは通り掛かったウェイトレスに声をかけ料理を注文した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 食事も終え、一息付いたスヴェンとレヴィは町の港に位置する図書館に足を運んだ。

 エルリア城の資料庫と負けず劣らずの資料数を見渡しているとレヴィが受付に向かい、

 

「すみません、禁術書庫はどちらかしら?」

 

 そう訊ねると受付の女性が険悪感を剥き出した。

 

「あの、常識的に考えて禁術書庫は一般人の立入は禁止ですよ。騎士団に通報されたくなったから大人しくお引き取りください」

 

 横暴とも取れる態度だが、確かに禁術が誰でも閲覧できるなら修得されてしまう恐れも有る。

 むろん、邪神教団が一般人に紛れ本を持ち出す可能性を考えれば、受付の態度は正当に思えた。

 ただ彼女は相手が悪過ぎたーー相手は一般人どころか王族だ。

 スヴェンはちらりとレヴィの表情を伺うと、何故か彼女は嬉しそうに頬を緩ませていた。

 

 ーーあれか? 一般人扱いされたのが嬉しかったのか。

 

 スヴェンは内心でそんな風に思っていると、レヴィが懐から認識票を取り出す。

 すると認識票を見た受付の女性はため息を吐く。

 

「なんだ、特別許可証をお待ちでしたか。それならそうと早めに提示してくださいよ」

 

「あら、ごめんなさいね。あまり使う機会が無かったものだから」

 

「はぁ? 魔法騎士団や調査部に発行される特別許可証の筈ですが……まあいいでしょう。禁術書庫は最奥の扉に在りますのでどうぞ」

 

 レヴィに疑う眼差しを向けたが、詮索すること事態が面倒に感じたのか、受付の女性はぶっきらぼうに最奥の扉を指差した。

 

「許可も得たから行きましょう」

 

 受付から離れ、人気もない最奥の扉の前でスヴェンはレヴィの行動を思い返す。

 今回は詮索嫌いの相手だったから良かったが、下手をすれば面倒ごとに繋がっていた。

 護衛として軽い注意はしておくべきだろう。そう判断したスヴェンはレヴィに告げる。

 

「あ〜、あんま疑われるような行動は控えてくれよ」

 

「ごめんなさい。少し反応を見たかったのよ」

 

 彼女にとってはレヴィとして認識され、レヴィとしての対応を楽しみたいという純粋な気持ちも有るのだろう。

 

「それで? 満足の行く反応は得られたのか」

 

「ええ! サングラスのおかげもあるけれど、誰も私を認識してないわ!」

 

 嬉しそうに語り出すレヴィに、スヴェンはそれは良かったなっと言いたげな眼差しを向けーー最奥の扉を開けた。

 禁術書庫に足を踏み込む。内部は燭台の明りに照らされ、薄暗い空間が広がっていた。

 誰も居ない広い書庫と不穏な気配にスヴェンはガンバスターの柄に手を伸ばす。

 

「誰も居ないわよ?」

 

「いや、なんか妙な気配を感じるんだが?」

 

「それは禁書が発する魔の気配よ」

 

 気配の正体を知ったスヴェンは警戒を解き、改めて書庫を見渡す。

 並ぶ本棚と二人で調べるには多い量に眉が歪む。

 

「読み書きも完璧じゃねえが、こいつを二人で調べんのは骨が折れそうだな」

 

「そうね……人の姿を真似る、人体の一部を使用した変身魔法の類いを重点的に調べましょう」

 

 そう言ってレヴィは本棚の禁術・変身編と書かれた本棚に歩き出した。

 スヴェンも彼女に倣い、本棚に並べられた書物に眼を向ける。

 正直に言えば何処から手を付ければいいものか。電子やネットの検索に慣れしたんだスヴェンにとっては、資料探しも調べごとも億劫に思えた。

 だが不信感や疑念を払うには知識が必要だ。それに、また自爆を喰らっては堪らない。

 スヴェンは適当に分厚い書物を四冊ほど選び取り、長テーブルに運んでは本を開く。

 

 さっそく目次から禁術とされる変身魔法に『必要な条件と触媒』と記された項目を開いた。

 

「禁術・姿写しに必要な条件と触媒……対象の正確な姿と性別の一致……対価となる触媒は大量の魔力と新月の光り」

  

 そこまで読み進めたスヴェンは、こいつは違うと判断して目次のページに戻る。

 しかし、どうやら禁術・姿写しに関する書物のようで他の変身系統の禁術は記されてはいないようだ。

 スヴェンはこの本はハズレだと判断し、次の本を開く。

 するとレヴィも選び終えたのか、サングラスを外しては本を読み始めた。

 その後、お互いに無言のまま変身系統に関する資料を読み漁るが、スヴェンとレヴィが求めていた禁術が出ることは無かった。

 あと最後の一冊を前にスヴェンは、対象の皮膚を触媒にした禁術はまだ記録されていないのでは? 

 そもそも最初から存在しない可能性もあり、全身の皮膚を剥がした遺体はリリナとも過去の事件とも別件に思えてくる。

 単なる偶然の重なりと魔法が関与しない事件でしかない。

 

 ーーなんにせよ、この時間は無駄じゃねえんだがなぁ。

 

 調べて無いならそれはそれで良い。不信感を拭う判断材料と禁術に対する知識も得られた。 

 調べ物にかけた時間は決して裏切らない。そう判断したスヴェンが、凝った肩をほぐすとーー最後の一冊を開いていたレヴィがため息吐く。

 如何やら最後の一冊もハズレだったようだ。

 

「まあ、判明しねえこともあるわな」

 

「そうね……あとは犯人が拠点にしていた水路で何か証拠が出ればいいのだけれど」

 

 魔法騎士団が調査している水路で何が発見されるのか。

 あわよくば連中の潜伏先も突き止めて貰いたいが、魔族の関与と人身売買などまだまだ留意すべき懸念が残っていた。

 まだ調査は始まったばかり。それでもレヴィの焦りの色にスヴェンは口を開く。

 

「まだ何も判らねえ状態だが、調査ってのは時間を要するもんだ。だからアンタがそう焦る必要もねえさ」

 

「……焦りは禁物ってことかしら?」

 

「ああ、先急ぐ調査なんざろくな結果は出ねえ。むしろ大事な情報を見落としちまうだろうよ」

 

 傭兵としての経験も有るが、実際にスヴェンは過去に請けた護衛で失敗した。

 護衛対象から提示された高額の報酬を何も疑いもせず、背後関係を調べることを怠りーー結果は同じく請けた護衛者同士の殺し合いが発生した。

 味方だった者を敵と認識し、排除した後に護衛対象と関連組織を始末したのはスヴェンにとっても、何も利益にもならない無価値な戦闘と依頼ーー苦い思い出と失敗に眉が歪む。

 

「貴方は過去に焦って失敗したことがあるのね」

 

「あー、アレを失敗って言うならそうだな。報酬に眼が眩んだのは確かだ」

 

「そう。貴方が体験した失敗談は聞かない方がいいのかしら? いえ、聴いても話してくれないのでしょう?」

 

 何処から寂しげな眼差しを向けるレヴィに、スヴェンはそっと眼を背ける。

 

「まあいいわ……それよりも人が居ない場所に来たのだから、少し話しておくべきね」

 

「あん? メルリアで捕縛した異界人と邪神教団の処遇だとかか?」

 

「それも有るけれど、タイラントをエルリア城とメルリアの守護結界間に放った者に付いてよ」

 

 そういえばタイラントは邪神教団が仕向けたことだけ判っていたが、それ以上の詳細は結局何も判らず。そもそも調べる時間も調べる宛ても無かった。

 スヴェンはレヴィに真っ直ぐと視線を向け、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「邪神教団の司祭の一人でアルディアを凍結封印した張本人……エルロイという人物よ」

 

「エルロイ? そいつの特徴や顔は?」

 

「赤黒い髪に人とは思えない爬虫類染みた瞳が特徴的ね。顔は中性的な顔立ちで年齢と共に性別も不明よ」

 

 性別が不明なのは兎も角、年齢が不明とは一体どういうことだ? スヴェンが疑問を浮かべるとレヴィも困り顔を浮かべていた。

 

「過去にエルロイと思われる人物が各国で目撃されているのよ。それが時代問わず……もしかしたら不老不死かもしれないし、エルロイの役目を継いだ人物かもしれないわ」 

 

 過去に目撃証言が有る邪神教団の司祭の一人。不老不死ならコンクリートに固め海に捨てるなど対策は充分に取れるが、スヴェンは確認を含めた意味で訊ねる。

 

「姿形は過去に目撃されたエルロイなんだろ?」

 

 質問に対してレヴィはこくりと頷く。

 

「なら不老不死って線は疑った方がいいだろ。それに何だってタイラントを放ったんだ?」

 

「恐らくメルリアで人質に取った子供を使って脅迫、応じなければエルリア城内にタイラントを出現させるつもりだったんじゃないかしら? 一応その懸念も有ってラオ達がタイラントを追っていたのだけどね」

 

 つまりあのタイラントの遭遇は単なる偶然でしかなかった。

 スヴェンはそう考えたが、タイラントが襲った荷獣車には邪神教団を示す紋章が残されていた。

 

「タイラントに邪神教団の荷獣車が襲われたようだが、そいつは単なる事故か?」

 

「いえ、恐らく違うとおもうわ。現場の荷獣車から血痕は必見されなかったそうね……なら邪神教団はタイラントを操れる。そう暗に語りたいのかもしれないわ」

 

 大々的な戦力アピールと従わなければモンスターを町中に放つ。

 立派な脅迫だが、逆に邪神教団は守護結界内にモンスターを召喚する術を持っていると確定付けることになる。

 

「どおりで結界内で異界人の死者が多いわけだ」

 

「一応内通者も捕縛したから、これ以上守護結界内部でモンスターは召喚できないと思いたいけれど……」

 

「油断はできねえってことか」

 

 旅路の道中で警戒を怠る理由も道理もないが、これで邪神教団の司祭は自ら行動することが判った。

 

 ーーそういや、メルリアで指示を出してた奴が居たらしいが……ソイツは何処へ行ったんだ?

 

 何処かに行った邪神教団の司祭よりも、今はレヴィの護衛が最優先事項か。

 スヴェンはそう頭を切り替え、興味は無いが情報共有は必要なためレヴィに異界人と信徒の処遇に付いて問う。

 

「それで? 異界人と信徒はどうなる?」

 

「異界人の鳴神タズナは処刑、現在監獄町に護送中よ。それから信徒はアトラス教会預かりになったわ」

 

 淡々と感情を押し殺して告げるレヴィに、スヴェンは眼を伏せる。

 レヴィには感情を押し殺した表情が似合わない。心がそう感じるが、異界人を召喚をすると決めた時から覚悟していたのだろう。

 あくまでも推測に過ぎないがレーナとして決断、決意した事柄にスヴェンが何か口を出すことはない。

 

「そうか、監獄町ってのは気になるが……他に共有する情報はねえか?」

 

 確かめるように確認すれば、レヴィは何か思い出したように腰のポーチを探った。

 そしてうっかりしていたと小さく舌を出しながら笑っては紙袋を一つ差し出す。

 ずっしりとした重みと紙底から感じる銃弾の感触に、スヴェンはその場で紙袋の中身を改める。

 すると中身は二十発の.600LRマグナム弾と二つのパイナップル型の物体ーーどう見てもハンドグレネードにスヴェンは眼を見開いた。

 見間違えるはずもないハンドグレネードには安全ピンが無い。

 スヴェンが所持する上部を捻って投げるだけのハンドグレネードとは違う。

 それともこれも何かしらの魔法陣が施されてるのか?

 

「クルシュナからそのしゅりゅうだんという代物に付いて、説明は聞いてるわよ。何でも魔力を流し込んで内部のプロージョン粉末に刺激を与え爆発するとか」

 

 スヴェンが疑問を訊ねるよりも早くレヴィが答えた。

 

「魔力を流し込まない限りは爆発しねえと? いや、そもそもハンドグレネードの製造知識は教えてねえ筈なんだが、異界人から聴いたのか?」

 

「なんでもキサラギシロウ(如月紫郎)が知識を披露したとか、それで物は試しにと開発に至ったそうよ」

 

 魔力で起爆させる兵器がテルカ・アトラスに誕生した。

 状況に応じてハンドグレネードの製造を依頼するつもりだったため、スヴェンは手間が省けたことに息を吐く。

 ただ安全性が保たれているが、これを王族であるレーナが運んだことの方が大問題だ。

 

「……コイツはアンタが運ぶべき代物じゃねえよ。次からは【デリバリー・イーグル】に頼め」

 

「そんなに危ない物なの?」

 

「コイツの威力は知らねえが、俺が所持してる方は一個小隊に壊滅的被害を与えられるな。爆破すりゃあアンタの人体は粉々になるのは間違いねぇ」

 

 もしも町中で誤って暴発すればどうなるのか。最悪な事故を想像したレヴィの顔が青ざめる。

 無理もない。自分は愚か周囲に居る一般人が巻き込まれ爆死するのだから。

 

「安全性に関しちゃあクルシュナ達の技術力を信じる他にねえか」

 

「……次からそれの運搬は専門家に頼むことにするわ」

 

 スヴェンは改めて紙袋をサイドポーチに仕舞い、椅子から立ち上がる。

 

「そろそろいい時間だな。一度宿に戻るか?」

 

 室内の魔法時計に眼を向ければ、既に時刻は十八時を差していた。

 

「そうね……歓楽街方面の視察もしたいところだけど、そっちは後日でいいわね」

 

「歓楽街か。異世界文化に乏しいが、どんな娯楽施設があんだ?」

 

「オペラハウスやカジノにコロシアムっと色々有るわよ」

 

 オペラに興味は無いが、カジノは息抜きにいいかもしれない。

 尤もスヴェンの待ち合わせは目の前に居る彼女から渡された資金だ。

 下手に賭け事に浸かり資金を浪費することは避けたい。そうでもしなければ、レーナを敬愛するファンクラブ連中に袋叩きにされる可能性が高い。

 

「まあ、カジノだとかは本来の仕事を片付けた後にでも洒落込むか」

 

「ミアも言っていたけれど、貴方って変なところで真面目なのね」

 

「アイツにも言ったが、傭兵は信頼第一の職業だからな」

 

 そう告げるとレヴィは納得しては、取り出した書物を本棚に戻した後、宿屋フェルに向かった。



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5-8.宿屋の個室で

 夕食を終えたスヴェンは、エリシェが宿部屋を訪ねる前にと個室に備え付けの浴室に向かった。

 ついでに洗濯もしてしまおうとタルに水を注ぎ、洗剤を入れてから衣類を軽く揉み洗う。

 そして宿部屋干ししては、浴槽の魔法陣に魔力を送り込む。

 すると蛇口から熱め湯が出始めた。

 

「ミアに説明されたが……マジでこれだけで湯が出んのかよ」

 

 ボイラーや燃料の類いも必要としない魔法技術。ミアは浴槽自体が一つの魔道具っと言っていたが、そんな話を聴いた時は半信半疑だった。

 宿屋の経営で個室に備え付けられた浴槽。当然維持費や燃料費がかかると踏まえていたら、実際は魔力一つで湯が張れる。

 

「便利な時代だな」

 

 恐らくこの世界と比べて文明自体が遥か未来に位置するであろうデウス・ウェポンの出身だが、便利性の高い魔道具には舌を唸るばかり。

 スヴェンは改めて魔法文明に関心を寄せながら、湯に満たされた湯船に浸かりーー安堵と気の抜けた息を吐いた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 風呂で気分もすっきりし、身体の水分を拭き取ってからパンツを履いたスヴェンが浴室のドアに手を掛けると、室内に人の気配を感じ眉を歪める。

 誰かが宿部屋を訪れた。順当に考えればエリシェの可能性も高いがーーいや、仲介人とホテルに泊まった時は、敵襲だったな。

 以前に受けた襲撃の経験からスヴェンは予めタオル置場に隠していたナイフを取り出す。

 柄を強く握り締め、静かにドアを開けーー対象を確認するよりも早くスヴェンは侵入者が声も反応することも許さず、素早くベッドに押し倒しナイフの刃を向けた。

 不意に鼻に漂う香水と少女特有の甘い香りにスヴェンは視線を侵入者に向ける。

 とても侵入者には似付かわしくない作業着。そこから視線を上に移動させれば、ミアよりも若干明るい翡翠色の瞳と目が合う。

 ベッドに乱れた長いクリーム色の髪と真っ赤に染め上げた表情にスヴェンはため息を吐く。

 

「アンタだったか」

 

 身体を退け、ナイフを鞘に納めてからエリシェに向き直る。

 未だベッドで仰向けに倒れ、顔を赤く染めたままの彼女は、

 

「あ、あのね……ミアにスヴェンは警戒心が強いから、返事が返って来るまで部屋には入らない方がいいって言われてたんだ。だけど、が、ガンバスターに我慢できなくって!!」

 

 恥じらいと共に叫ばれた言葉。武器好きのガキと認識ていたが、まさか不用心に男性の宿部屋に入るとは。

 それだけエリシェは武器に対する熱意が高いのだろうか? 連日のようにトラブルが起きるのも好ましくはない。

 いっそのこと次からは入浴時間にも気を使うべきかと一案しては、既に渇いた衣服に着替える。

 ふと部屋干しとドアの位置関係に眼が行く。丁度部屋干しはドアを開ければすぐに眼に入る位置だ。

 

「部屋干しした服に気が付いたろうに」

 

 そう指摘するとエリシェは眼を合わせず、いや考えてみれば彼女の反応は当然とも言える。

 パンツ一丁の男性に押し倒され、ナイフを向けられては眼も合わせ辛いだろう。

 

「……気付いてたけど、スヴェンは替えの着替えが有るっと思って」

 

「生憎とコイツが俺の一張羅だ」

 

「えっ? それだけ……スヴェンは洗濯とかしてた?」

 

 スヴェンは一応ミアとアシュナに気を遣い、朝方の朝日も昇らない時間に洗濯をしていた。

 だが流石に毎日とも行かず、そもそも防弾シャツやズボンは汚れ難くく汗を弾く繊維で製造されている。だから毎日の洗濯は必要無いが、歳頃のエリシェに伝えるべきか迷う。

 スヴェンが返答に困っていると、

 

「えっと、無理に答えなくてもいいよ!」

 

 すっかり熱も冷めたのか、笑顔でそんなことを。

 不潔な印象を持たれたかもしれないが、そんなことは問題にもならない。

 スヴェンは壁に立て掛けたガンバスターを手に取り、それを備え付けの机の上に置く。

 

「早速仕事の話と行こうじゃねえか」

 

 そう告げれば鍛冶屋の娘なだけあり切り替えも瞬時で、エリシェの顔は職人顔負けの面構えを浮かべる。

 エリシェは持って来ていたバックから設計図に必要な道具一式とメモ帳を取り出した。

 

「うーんっと。完全オーダーメイド製の作製になるから、諸経費込みで銀貨500枚。設計次第と試作品によっては金貨5枚相当に膨れるかもしれないけど予算の方は大丈夫?」

 

「予算は金貨10枚までなら出せる」

 

「判った。それじゃあ早速ガンバスターを見せて! 触らせて!」

 

 早いうちに設計して貰えるのは助かるが、まだエリシェには銃に関する構造や仕組みの説明をしていない。

 ガンバスターは銃と剣が一体化した特殊武器だ。どちらかが欠ければ意味を成さない。

 

「見るのは構わねえが触るのは後だ。先ずはコイツの内部構造に付いて説明する」

 

「内部構造……あ! 父さんが複雑な構造をしてるって言ってたね!」

 

「ああ、単なる鍛造で済むなら簡単なんだが、コイツは射撃が可能な武器でな……ソイツを大剣の内部に取り付ける必要があんだ」

 

「射撃……アトラス教会が使うクロスボウとか?」

 

 随分と古い遺物の名にスヴェンは逆に驚いたが、確かに彼女に分かりやすく説明するならクロスボウの構造知識も必要に思えた。

 

「クロスボウは矢をつがえ弦を引き絞るが、銃は引き金を引くだけでシリンダーに装填した銃弾の雷管を撃鉄で撃ち出す」

 

 エリシェに銃のパーツを指差しながら話すと、彼女はすぐにメモ帳に羽ペンを滑らせていた。

 部品用語が多い説明になったが、彼女は真剣な眼差しで考え込むと。

 

「銃弾はさっぱりだけど、武器の構造は改めて解析魔法で覗いてもいい?」

 

 ブラックと同じ魔法が使える。そう語るエリシェにスヴェンは関心を寄せ、

 

「そっちの方が早えだろうな。だが、その前に俺が扱う銃ってのは、各種モジュールパーツと連動する仕組みになっていてな。例えば銃の安全装置解除で内部の反動抑制モジュールが作動すんだ」

 

「も、もじゅーる? それってどんな形で、材質や構造はどうなってるの?」

 

 スヴェンは説明するよりも見せた方が速いと判断し、工具を取り出してはガンバスターの留め具を緩めーー剣身の腹部分を取り外す。

 そして顕になった銃と球体状の形をしたパーツにエリシェの眼が輝く。

 

「基本内部に装着するモジュールは球体状になってんだ。こいつを銃の上部分の窪みに取り付けることで機能が連動して作動する仕組みだ」

 

 当然機能を作動させる為には粒子回路も必要になるが、エリシェが一から製造する武器に最初から反動抑制モジュールと同様の魔法陣を刻めば済むかもしれない。

 

「まあ、コイツに関しちゃあ粒子回路つう専門知識と素材がねえと作れねな」

 

「えっと、反動……つまり銃は撃ち出す時の衝撃が強いってこと?」

 

「弾種によるが、俺が扱う.600GWマグナム弾は下手をすりゃあ両肩が吹き飛ぶレベルだ」

 

 スヴェンは鍛錬によって反動抑制モジュールが無くとも扱えるが、有るのと無いではかなり違う。

 戦場を転々とする傭兵が一発撃つごとに肩を痛めては意味が無い。

 隙を無くし瞬時に近接戦闘に切り替える意味でも反動の抑制が急務だ。

 

「諸刃の剣ってことかぁ……それじゃあ職人として使用者を護る為にも絶対に取り付けなきゃね」

 

 意気込みを見せるエリシェの姿勢はプロの職人と思える程だった。

 ミアと同い年の少女。彼女らはまだ魔法学院を卒業して半年も経たないのだ。

 そんなエリシェがプロ意識を持ち、迷う姿勢を見せないことにスヴェンは驚きを隠せず、

 

「いいのか? かなり無茶な注文をしてる自覚が有るんだが」

 

 彼女に対する幾許かの申し訳なさを口にした。

 自身の拙い説明、それに異界人の都合に付き合わせている。それは嫌という程自覚しているが、そんなスヴェンに対してエリシェは楽しそうに頬を緩ませていた。

 

「無茶な注文でもそれを達成した時は、確かな経験があたしを成長させるってことだよ」

 

 エリシェの向上心にスヴェンは何も言えず、開いたガンバスターから銃を取り出す。

 そしてシリンダーを開き、装填していた.600LRマグナム弾を外した。

 そして銃の柄をエリシェに差し出す。

 

「触っていいの!?」

 

 触れなければ分からないことも有るだろう。そう言いたげな眼差しを向けるも、エリシェの純粋な瞳にスヴェンはたじろぐ。

 今まで武器に対して純粋な瞳を向ける者は居ただろうか?

 少なくともスヴェンの知り合いには居なかった。誰しもが殺しの商売道具として割り切り、冷めた眼差しをしていたのはよく覚えている。

 

「あー、操作も試してみるといい」

 

 そう伝えるとエリシェが早速柄を掴む。

 そして早速魔力を操作し、銃に魔力を流し込もうとしたエリシェが首を傾げる。

 

「あれ? 思った以上に魔力が拡散するね」

 

 よくこれで今まで戦ってきたと言いたげな眼差しだ。

 確かにエリシェの言いたい事は良く分かる。

 スヴェンはルーメンの牧場跡地で行った実験結果をエリシェに伝え、彼女は納得したのか銃に視線を戻し、

 

「それじゃあ素材もこっちで用意するとして……課題は銃の構造とスヴェンが扱っても問題にならない硬度の確保かな」

 

 一人確かめるように呟く。

 そして改めて銃を試す為に構えを取ろうとーーエリシェが固まった。

 どう構えていいのか分からず、助けを求める眼差しにーーそりゃそうか。初見で銃を正確に構られる奴は居ねえな。

 スヴェンはエリシェの背後に回り込み、彼女の両手を手に取った。

 

「っ!?」

 

 エリシェは突然のことに驚いた様子で頬を赤らめる。

 恥ずかしがる彼女の反応を無視したスヴェンは、

 

「構えはこうだ。こん時に足を開き脇をしっかり絞めろ」

 

「あ、うん!」

 

 正しい姿勢になったエリシェに続けて告げる。

 

「撃鉄……ソイツを親指で手前に引け。それで安全装置が解除される。一度安全装置を解除しちまえばまた撃鉄を引き直す必要はねえ」

 

 エリシェは言われた通りに撃鉄を親指で引く。するとシリンダーが回転し、同時に引き金が引かれる。

 これであとは引き金を引くだけ。

 

「あとは引き金を引く。それだけだ」

 

 エリシェは緊張した様子で引き金を引いた。

 ジャキン!! 撃鉄が弾倉をからぶる。

 

「……お、おお〜! これが銃なんだ!」

 

 嬉しそうに顔を向けるエリシェと目が合う。

 スヴェンは背後から彼女を支えていた。だから顔が近いのも必然的で、慌ててエリシェが顔を背けるのもまた必然だった。

 エリシェから離れ、妙に恥じらう彼女になぜだ? 疑問から考え込むとすぐに答えが頭に過ぎる。

 

 ーー最初のアレか。

 

 男慣れしていない初々しい反応を見せるが、まさか魔法学院に水練が無いではないか?

 疑問が生じるが、後日ミアにでも聞けば解決する程度の問題だ。

 スヴェンはそう結論付け、魔法時計に視線を向ける。

 既に時刻は二十一時だ。これ以上彼女を付き合わせる訳にもいかないか。

 

「もういい時間だな」

 

「えっ? あたしはまだ平気だよ。それに銃の仕組みはまだまだ知りたいし」

 

 エリシェはまだ大丈夫だと笑顔を向けていた。

 そこには既に恥じらいは消えており、なんとも切り替えの早いガキだと思う。

 

「あんま遅くなるとミアが心配すんだろ」

 

「大丈夫だよ。ミアとレヴィ、それにアシュナちゃんには遅くなるって伝えておいたから」

 

「……まさか、徹夜する気か? この部屋で」

 

 そう言えばエリシェは設計用具を持参していた。それは此処で作業をしてしまう顕なのだと今更になって理解が及ぶ。

 

「創作意欲、特に新しい武器の設計は職人の憧れだよ! こんな熱い想いを抱えて寝れるわけないじゃん!」

 

 翡翠色の瞳を燃やすエリシェの気迫にスヴェンはたじろぐ。

 職人魂此処に極まり。なんとなくそんな単語が浮かぶ。

 明日も朝から夕方にかけてレヴィの護衛が続く。そして夜にはエリシェとガンバスターの設計となれば、必然的に作業が遅くなる。

 言うなればこっちは自分達の都合にエリシェを付き合わせている身だ。

 

「アンタの職人魂には負けた。好きなだけ作業すりゃあいい」

 

「やったぁー!! じゃあ早速解析魔法で内部構造を把握しなきゃ!」

 

 喜びを顕にエリシェは椅子に座っては、瞳に魔法陣を構築させ銃をじっくりと観察する。

 細かく念入りに、一つも見逃してたまるか。そんな強い姿勢を宿した背中にスヴェンはベッドの淵に座る。

 何か質問が来るかもしれない。そう考えたスヴェンは暫く宿部屋で呆然としては、時折りエリシェにコーヒーを差出す。

 

 ……銃とガンバスターに関する質問を問われれば答え。そんなやり取りを繰り返すと時刻は深夜二時を迎えていた。



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5-9.雨降らずのコロシアム

 雨音と体内時間の感覚で眼を覚ましたスヴェンは、人の気配に飛び起きた。

 床に着地してはガンバスターに手を伸ばすが、壁に立て掛けた筈のガンバスターが無いことに気付く。

 

「……そういや、エリシェに預けたままだったな」

 

 昨晩のことを思い出したスヴェンは、宿部屋を見渡すと机に突っ伏して小さな寝息を立てるエリシェの姿が有った。

 わずかに着崩れた作業着。あまりにも無防備な姿にスヴェンは呆れた。

 彼女を叩き起こすべく近付くと机に書きかけの設計図、事細かに描かれた銃の構成部品と設計に目が行く。

 銃の銃身そのものを変えず、材質の変更を重点的に成された設計にスヴェンは思わず感心から唸った。

 このままエリシェを寝かせ、ガンバスターを持ち出そうとも思ったが、彼女の手にはすっかりと握り締められた銃身がーーこのままではガンバスターを元に戻せない。

 

「……仕方ねえ」

 

 スヴェンは銃を取り上げてから、まだ眠っているエリシェを抱えベッドに運び込む。

 そしてエリシェをベッドを降ろし、毛布を掛けては静かにガンバスターを元通りに戻す。

 眠っているエリシェに目も向けず、スヴェンは支度を済ませてから部屋を物音立てずに退出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋フェルの一階ロビーに降りると、既に用意を済ませたレヴィと物言いたげなミアの眼差しが突き刺さる。

 大方ミアが問いたいのは部屋に戻らないエリシェの件だろう。

 返答が面倒臭いが、伝えなければ要らぬ誤解が広まる。

 

「アンタの友人なら徹夜で寝落ちしてやがる」

 

 ミアから質問が来る前に告げると、彼女は一瞬考え込む様子を見せてはため息混じりに額を抑えた。

 

「はぁ〜エリシェったらもう。相変わらず夢中になると後先考えないんだから」

 

「ま、良いもん見せて貰ったからな……礼って訳じゃねえが功労者をこのまま寝かせてやれ」

 

 良い物にレヴィとミアが引っ掛かりを覚えたのか、互いに顔を見合わせーー二人は察したのか何も問うことは無かった。

 妙に大人しいミアに違和感を感じるが、普段喧しいだけ有って大人しい日も有る。そう結論付けミアに視線を向けると、目の下の隈に目が行く。

 

「……徹夜したのか?」

 

 何で徹夜したのか。皆目見当も付かなず訊ねるとミアはこちらに近寄り、

 

「ひ……レヴィと同じベッドで私が眠れるわけないじゃん」

 

 ミアは小声で姫様と言いかけたが、王族と同室で眠れずに徹夜したと語った。

 緊張して眠れない時は誰にだって有る。それは自身だって例外じゃない。

 ただ眠れない時は寝ない。寝れる時はとことん寝る。それが傭兵として培った経験だ。

 だからミアにこのアドバイスは不適切に思えた。

 

「そうかい、今から寝て来たら如何だ?」

 

「それこそ嫌だよ。私だって闘技大会を観戦したい!」

 

 今頃になって気付く。ミアも観戦に向かうことに。

 スヴェンは改めてレヴィに向き直る。

 

「このクソガキも連れて行くのか?」

 

「また私をクソガキ扱い! そろそろ売られた喧嘩を買ってもいいんだよ!?」

 

 背後で杖を片手に騒ぎ立てるミアを無視すると、

 

「良いじゃない一人増えたって。それに入場料を出すのは私よ」

 

 レヴィの有無を言わせない笑みにスヴェンは黙り込んだ。

 同時に護衛が一人、つまりレヴィの弾除けが増えるに越したことはないのだ。

 会場で最悪を想定すればミアは居た方がいい。

 それだけ彼女の治療魔法は優秀だからだ。

 

「あー、そんじゃあ行くか」

 

 スヴェンは背後の物影に密かに視線を向け、アシュナと目が合う。

 影の護衛は任せろっと言わんばかりに気合いの入った眼差しーーその気合いが妙に方向で空回りしないことを願うばかり。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ファルシオンの歓楽街の中心に位置するコロシアム会場に入場した三人は一般の観戦席座り、レヴィがVIP席に視線を向けては顔を顰めていた。

 スヴェンも密かにVIP席に眼を向ければ、そこには昨日治療を受けたばかりのリリナと背後に控えるアラタをはじめとした複数人の護衛の姿が見える。

 リリナだけでなくユーリの姿に親子水入らずと思えば理解もできるが、脅迫されて間もないユーリがこの場に居るのは不用心に感じられた。

 特にコロシアムに天井も何も無い。ユーリ達の居るVIP席は丁度スヴェン達が居る一般席の真正面だ。

 

 ーー真正面から魔法を放つ馬鹿居ねえとも限らねえが。

 

 そもそも天井が存在しないにも関わらず、雨が会場に降らないことにスヴェンは空に眼を向ける。

 するとレヴィの左隣に座ったミアがこちらに顔を向け、

 

「梅雨の時期は観戦試合が多いけど……」

 

「天井代わりに雨除けの魔法でも使ってんだろ」

 

 ミアが言い切る前に答えると、彼女は面白くなさそうに顔を会場に向けた。

 

「確かに雨除けの結界が使われてるわね。……だけど、普段は臨場感を損なわないように試合会場にだけ雨が降るように結界の中心に穴が空いてるのだけれど」

 

 言われてスヴェンは出場選手が並ぶ会場に視線を落とす。

 選手も雨が降らない状況に困惑している様子を見せ、スヴェンは大会運営の役員と司会者に視線を移す。

 すると役員は特に気にした様子も見せない者も居れば、結界の不備を疑う役員と司会者の様子も伺えた。

 

「……まさかとは思うが結界で密閉されたか?」

 

 スヴェンは空に向けて意識を集中させ、コロシアム全体が結界に覆われていることに気付く。

 だがスヴェンは結界を視たところで、魔法陣の内容に理解が及ばない。

 

「……もしかしてアレって、閉鎖結界? あの結界はあの村に使われてるのと同じ?」

 

「いえ、違うわね。あの村は時獄で封じられているけれど、このコロシアムを覆う結界は単なる閉鎖結界よ」

 

 あの村、時獄という不穏な単語が気になるが、ミアの表情が顔面蒼白なことから彼女と何か関係が有る魔法なのだろうか?

 それがミアが魔王救出に同行した動機か。それとも単なるトラウマなのかは判らないがいま気にしても仕方ない。

 

「閉鎖結界、普通に考えりゃあ要人守護の為だと認識もするが……襲撃のためか?」

 

「今の所は何も判断が出来ないわね」 

 

 襲撃なら状況に応じてレヴィを連れて脱出する。それがスヴェンにとって最優先事項だ。

 スヴェンがそう決断を下すと、ミアの視線を感じてはそちらに視線を向ける。

 気を取り直した彼女は意を決した様子で、

 

「覚悟は必要だよね」

 

 ミアの発言にスヴェンは眼を伏せる。

 彼女の翡翠の色の瞳から感じる強い眼差しは、既に最悪の状況を想定した覚悟が決まっていると語っていた。

 だが果たしてレヴィに他人を見捨てる覚悟が有るのか。

 護衛として大事なのは護衛対象の安全だが、同時に雇主の意向に沿うのも傭兵だ。

 スヴェンは確認の為にレヴィに密かに問う。

 

「有事の際はアンタを強引にでも連れて行くが、アンタは他者の被害、犠牲を容認できんのか?」

 

 そんな問い掛けにレヴィは眼を伏せる。

 王族としての立場なら十分な護衛と万全な備えが有った。しかし此処に居るのは一般人に扮したレヴィだ。

 レヴィが行動を起こすという事は、それは襲撃犯に警戒を与える要因にもなり得る。

 だからこそスヴェンとしては彼女に我慢して欲しいが、国民から愛され慕われる彼女には酷な選択だ。

 

「……そうね、有事の際はユーリ様の兵に任せましょう。ただ道を阻む敵は任せるわよ」

 

 レヴィの脱出ルートに現れる敵は排除する。当然だと言わんばかりにスヴェンは静かに頷いた。

 そもそも結界に異常が有るなら運営側は調べるか、開始時刻の延期を伝えてもおかしくはない。

 視線を試合会場に戻せば、駆け付ける一人の運営員に目が行く。

 その運営員は確認を急ぐ司会者の下に駆け寄った。

 そして何かを伝え受けた司会者が、観戦席に向かって声を張り上げる。

 

「みなさま! ご安心ください、多少の結界に不備が確認されましたが試合進行に問題ないとのことで、もう間も無く試合が開始されます!」

 

 如何やら司会者は既に確認を急がせていたようだ。

 だが結界の不備に一切動じない役員が居たのは確かだ。

 スヴェンが疑念に満ちた眼差しで試合会場を見詰めると、観客席から徐々に声があがりはじめる。

 

『結界の不備だってさ』

 

『結構古い結界なんだろ? そりゃあ不備ぐらい起こるか』

 

『いや、それは妙な話しよ。誰かが結界に手を加えたのかもしれないじゃない』

 

『えー? それは結界が正常に起動するのか確かめるためじゃないか? その時に誤って魔法陣を弄ってしまったのもかな』

 

『確かにコロシアムの結界は試合会場に穴が空くようにされてるけど、新人が塞いじゃったってこと?』

 

 耳に届く会話にスヴェンは、確かにそんな事故も有り得ると考えた。

 だからと言って警戒を緩め気も無い。

 自然と座席の右手側に立て掛けたガンバスターの柄を強く握り締めると、左手に暖かい温もりに驚く。

 視線を向ければ左手を握り締めるレヴィに、

 

「……なんだ?」

 

「今は事が起こるまで楽しみましょう」

 

 それは護衛の立場として如何なんだ? そう言いたげな眼差しを向けるとレヴィは笑って返すばかりだ。

 そもそも木製の武器で行われる試合にあまり興味がない。

 そう思いながらもスヴェンはガンバスターを握った右手の力を緩める。

 

「スヴェンさんってレヴィには素直だよね。私にも素直になってくれても良いんだよ?」

 

 にやりと笑みを向けるミアに、スヴェンは鬱陶しいさを感じては、会場の出店で売られていたなんとも食欲唆るチリドッグを取り出した。

 

「アンタらも食うか?」

 

 二人分を差し出すと、レヴィはチリドッグの包みを珍しげに見詰める。

 

「……それじゃあ私も頂こうかしら」

 

「あっ! 私も食べる!」

 

 スヴェンは二人にチリドッグを手渡し、試合会場に視線を戻す。

 既に会場では二人の選手が互いに向かい合い、片方は木製の剣を。そしてもう片方は木製の槍を構えていた。

 

「もうすぐ始まんな」

 

 そして宣言される試合開始の合図に観戦客の壮大な声援が一斉に放たれることに。



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5-10.観戦試合

 試合が始まる最中、スヴェンはチリドッグに齧り付きスパイスの絶妙な辛さとソーセージにかけられたトマトソースのバランスに舌鼓打つ。

 小腹を満たす軽食に観戦席から鳴り響く熱気と選手同士のせめぎ合い。

 魔法使用禁止のルールで行われる単なる武力による試合だが、選手間の同程度の力量は観戦客に熱気を与えるには充分に思えた。

 

 ーーあの槍使いはかなり戦闘慣れしてんな。

 

 青年は低姿勢に構えた槍を高速で突き出していた。

 槍捌きで決して相手選手を間合いに入れないよう立ち回り、対する対戦選手は剣を曲芸のように扱い巧みに槍を弾く。

 命のやり取りもない単なるチャンバラと最初は思っていたが、実際に試合が始まれば中々捨てたものではない。

 そんな感心を浮かべると、木剣を持つ選手が槍使いの間合いを詰め込む。

 

「あっ! そこ! 綺麗な顔を木剣で強打! あ〜防がれちゃった」

 

 ミアの声援が響く。だが彼女の声援も虚しく、槍使いは振り下ろされた木剣を避けーー追撃が放たれる前に剣先を足で踏み押さえた。

 そして槍使いは木槍を回転させ、矛先で対戦選手の腹部を狙い穿つ。

 だが対戦選手も迫る矛先に動じず、負けじと木剣を手放し、寸前の所で避ける。

 おまけに矛先を脇で押さえ込み、両選手がお互いを押さえ合う。

 

「互いの武器が封じられたが、近接戦闘はどっちが上か」

 

「如何かしらね……案外2人とも近接戦闘は不得意かもしれないわよ」

 

 レヴィの言う通り確かにその可能性も充分に有り得る。

 本来武器と魔法を主体に戦闘する者達は、わざわざ接近してまで格闘に持ち込む機会も少ないのかもしれない。

 そう考えていると両選手は押さえ合いを止め、互いに拳を構え始める。

 それはスヴェンから見れば、ただ拳を握り込んだだけの構えだ。

 特に両選手は親指を中に握り込んでしまっている。アレでは下手をすれば親指の骨が折れる可能性も充分に有り得る。

 

「拳の握り方は知らねえか。槍使いの方は戦闘慣れしてる印象だったが、まだ経験は多くはねえようだな」

 

「2人とも毎年出場してる選手なのだけれど、戦闘の専門家である貴方の眼では素人の喧嘩に見えるのかしら?」

 

「得物を手放す前は意外にも見応えはあったんだがなぁ」

 

 素直で率直な感想をレヴィに述べると、槍使いの放った渾身の拳が対戦選手の顔面を強打!

 対戦選手は地に仰向けに倒れ伏し、完全に気を失った。

 

「そこまで! 第一試合勝者、リンド選手!!」

 

 審判の宣言に観戦席から両選手を讃える拍手が鳴り響く。

 

「ブーイングがねえのは意外だな」

 

「そうかしら? 最後は喧嘩みたいな泥試合になっちゃったけれど、お互いの武術は観客を満足させるものだったわ。だから彼らを悪戯に批判する者は居ないのよ」

 

 デウス・ウェポンなら確実に野次が飛び、おまけにゴミまで投げ付けられる。

 魔法技術による発展と科学技術による発展。その違いこそ有るが、そこまで人間の精神性は変わらない。

 そう思っていたが実際は、テルカ・アトラスの人間は高潔な精神を宿している。

 

「こっちの世界は進化と発展に色々犠牲にし過ぎたな」

 

「貴方の世界も気になるけれど、ほら第二試合がはじま……あら?」

 

 レヴィは第二試合の両選手に驚いた様子を見せ、ちらりとミアに視線を移せば彼女もレヴィ同様驚いていた。

 

「選手は知り合いか?」

 

「赤の他人と言い切れない……貴方と私の関係かしら?」

 

 レヴィ、いやレーナが死ねばスヴェンも消滅する。謂わば運命共同体。

 彼女がそう告げると言う事は第二試合の選手は一人が異界人だと分かる。

 スヴェンは前足を前に後足の踵を上げ僅かに後ろに、そして木剣を両手で構え少々緊張に汗を滲ませる選手に眼を向ける。

 変わった構えを取る黒髪の少女にスヴェンは見覚えが無い。

 少なくともエルリア城に滞在していた異界人ではない事は確かだ。

 ただ少女の名も何故試合に参加してるのかも、スヴェンは興味を抱かずただ試合を眺める。

  

「そろそろ始まるね」

 

 ミアの声と同時に試合開始の宣言が発せられーーその瞬間、試合会場の地面に大規模な魔法陣が突如して展開された!

 スヴェンはガンバスターを片手に立ち上がるも、魔法陣から放たれた眩い閃光に眼を押さえる。

 身に覚えの有る閃光と感覚。突如試合会場に出現する複数の気配と獣の息遣い。

 

「召喚魔法か」

 

 閃光が止み、回復した視界を開くと既に試合会場は複数の荒くれ者と複数のモンスターに占拠されていた。

 スヴェンは鎮座する三頭の狼に眉を歪める。

 

「アイツは、アンノウンか」

 

 見間違える訳もない以前に遭遇したアンノウンが荒くれ者の指示で選手と審判を取り押さえていた。

 

「えっ? モンスターが人の言う事を聞いた?」

 

「うそ、モンスターは世界の自浄作用……それが人の指示を?」

 

 戸惑いと混乱を見せるミアとレヴィ。

 世界の自浄作用、星が産んだモンスターが人の指示に従う姿を見せられては無理もない。

 むしろ根強い常識が音を崩れ崩壊しては、動揺から判断が鈍るのも仕方ないことだ。

 周囲の叫び、戸惑いを他所にスヴェンは一度座り直す。

 荒くれ者の一人ーー眼帯に丸坊主頭の頭目と思われる人物が会場に向かって叫んだ。

 

「全員その場から動くな! 動けばコイツらを殺す!」

 

 集団の頭目か連中の誰か、あるいは外の仲間に召喚魔法の使い手が居る。

 敵対戦力もまだ未知数の中でスヴェンは一先ず静観することにした。

 するとVIP席に居たユーリが彼らに向かって叫ぶ。

 

「貴様らは一体何者だ! 何が目的だ!」

 

「目的だぁ? テメェが散々俺達に明け渡さなかった物を奪い取りに来たんだよ!」

 

 頭目の怒声にユーリの眉が歪み、密かにアラタ達がリリナを連れ出す様子が見えた。

 この場でリリナの移動は危険に見えたが、位置関係のせいか集団にはリリナが移動したことに気付いてないようだ。

 いや、ユーリが集団の注意を引き付けたのだ。

 

「俺達の要求は一つ! ユーリが所持する封印の鍵を渡してもらおうか! さもなくばこの会場に居る全員を殺す!」

 

 頭目の脅迫を合図に武装した荒くれ者共が一般観戦席の出口を塞ぎ、観戦客の騒然とした声がスヴェン達の耳に酷く響き渡った。



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5-11.制圧コロシアム

 出入り口を荒くれ者集団に固められ、試合会場には頭目とその配下及びアンノウン。

 彼らに抑えられた二名の選手と審判はどうでも良いが、問題は得物を携えた一団が観戦客の数名を人質に取っている状況だ。

 幸いレヴィとミアが人質に選ばれる事はなかったが、スヴェンはどう動くべきか思考を巡らせる。

 

 ーーこの場で派手に暴れるわけにもいかねえか。

 

 未だ敵の規模が掴めない状態で下手に動けば最悪の事態を引き起こす。

 頭目の要求から邪神教団と繋がりが有るのは明白だが、

 

「……どう切り抜けるか」

 

 レヴィとミアだけに聴こえる声量で呟く。

 

「アンノウンっと言ったかしら? どんなモンスターか判らない以上、迂闊に行動するのは危険ね」

 

「分かってることは影の魔法を使うことぐらいかな」

 

 試合会場に出場選手とアンノウンさえ居なければ、昨日受け取ったハンドグレネードで片付けられるが相手にも魔法が有る。

 同時に行動を起こせば人質は確実に始末され、ユーリが封印の鍵を渡す可能性は低くなる。

 それはスヴェンにとってはどうでもいいが、エルリアをはじめとした各国にとって重視すべき問題だ。

 なら人質を犠牲にせず観戦席の障害排除、多少の犠牲に眼を瞑れば人質の解放、レヴィをこの場から逃すことが可能になる。

 そう上手く事が運ぶとは限らないが、スヴェンは思案しつつ周囲に眼を向けた。

 誰しもがこの状況は良くないと理解していながら動こうにも動けず、そんな表情を浮かべている。

 

 ーー誰だって自分の行動で死者を出したくねえか。

 

 他人に対してそこまで気遣う必要は皆無だ。結局自分の身は自分で守るほかにない。

 ただ誰かが行動を起こせば、それに呼応して行動に出る。

 この場に居る一般人は自ら犠牲者を生みたくないのだ。

 スヴェンは仕方ないとため息を吐く。

 人を焚き付けるのもいつだって外道の役目だ。

 今の装備で出来ることは限られているが、十秒以内に観客席の障害を排除すれば事態も変わる。

 少なくともユーリを救出する為に彼の私兵は戻って来る可能性が見込めた。

 

「仕方ねえ、今から俺が行動を起こす……その間にミアは隙を見て彼女を連れ出せ」

 

 二人はこちらの考えを理解したのか、眉を歪めていた。

 

「殺人禁止と言いたいけれど、相手が罪人ならしょうがないわね……だけど彼女達はどうなるのかしら?」

 

 レヴィの問い掛けに対する答えは決まっている。

 

「最悪死ぬ。この状況で理想的な結果を求めるには、敵対戦力が多過ぎんだよ」

 

「……魔法さえ使えれば戦力差は覆せるのに」

 

 現時点で魔法が使えないレヴィは苦渋の表情を浮かべ、

 

「あん? 返還を確約されてんだ。多少の期間が延びる分には構わねえよ」

 

「いえ、それがそういう訳にもいかないのよ。三年分の魔力の間借り、それは本来三年の間に得られる魔力を先に借りた状態なの。だから私の魔力が回復を始めるのはどう足掻いても三年後よ」

 

 三年内で回復する魔力だと思っていたが、実際は三年後に回復という事実にスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなリスクを背負ってまで召喚魔法を行使したことに、スヴェンは考え込みーー事実とも言える状況を思い出す。

 スヴェンが召喚される直前、あの場所にはもう一人居た。それこそこの程度の戦力差など物ともせず、装備に左右されない破格の戦力があの場所に。

 

 ーー俺を召喚した魔法は、本来なら覇王エルデを呼ぶ為のもんだったのか?

 

 実際にレヴィ、いやレーナが抱えたリスクとスヴェンという戦力は釣り合いが取れていない状態だ。

 真実に近い推測にスヴェンは息を呑む。ただ今話してどうなる話でもない。この話は無事にコロシアムから脱出した後にすべきだ。

 

「……アンタの意向を極力叶えんのも傭兵の勤めだったな。ま、あんま期待はしねえでくれよ」

 

「ごめんなさい、私の我儘に振り回す結果になってしまって。だから貴方は私の護衛として無事に戻って来るように」

 

 レヴィの言葉を命令と受け取ったスヴェンは頷き、密かにサイドポーチからスタングレネードを取り出す。

 そして一度は試合会場の三名を見捨てる方針を立てたが、視線を向ければ三人の闘志は衰えてはいない。

 それどころか隙を窺い、事態の好転を待っている様子だ。

 戦う気力が有るなら事が起これば自ら抵抗するだろう。

 

「いいか? 俺が合図したら眼と耳を塞げ。それとアンタに貸したサングラスは返してくれ」

 

「気に入っていたのだけれど、いま使うのかしら?」

 

 受け取ったサングラスを掛けながら問いに答える。

 

「ああ、今から会場の視界を奪う……いいか? バカでもクソガキに分かるようにもう一度言うぞ」

 

「スヴェンさん? 私をバカにしすぎじゃないかな?」

 

「最悪な事故を引き起こさねえためだ。俺が合図したら眼と耳を塞げ」

 

 スヴェンはミアがスタングレネードに巻き込まれないように念を押して告げると、彼女は不服そうな眼差しを向けるも指示に従うと頷いて見せた。

 改めて観戦席の敵ーー六人の人質を取った十二人の荒くれ者。幸いな事に人質と荒くれ者は一箇所に固まっているのは好都合だ。

 そして四箇所の出入り口を塞ぐ四人の位置を確認する。

 次にVIP席の方に視線を向ければ、既にユーリの保護に戻って来ていたアラタ達の姿が視認できる。

 正直に言えば作戦でも何でもない出たところ勝負にスヴェンはスタングレネードの上部を捻る。

 コロシアムの上空に投げ込むと同時にガンバスターを握り締め、

 

「塞げ!」

 

 スヴェンの指示にレヴィとミアが眼と耳を塞ぐ。

 そしてスヴェンが駆け出した瞬間、眩い閃光と爆裂音がコロシアム全土を襲う!

 

「ぐわぁぁぁ!! め、目がァ!」

 

「な、なにごとだい!?」

 

「なんなのよ一体!」

 

 突然の事に叫び声をあげる会場の一般客。

 スヴェンは背凭れを足場にコロシアムを駆け抜け、最初に出入り口を塞ぐ敵をガンバスターで斬り伏せながら駆け抜ける。

 続けて現在地と西の出入り口、その間に位置する広めの通路で人質を見張る荒くれ者に接近。

 スヴェンは人質の中心に飛び込み、十二名の荒くれ者の背後にガンバスターを一閃する。

 背中から肉を両断された十二名の鮮血が舞う中、次の場所へ駆け出す。

 

 ーー閃光が晴れるまで残り9秒。

 

 西の出入り口を塞ぐ敵の頭部をガンバスターで斬り裂き、そのまま北の出入り口に駆け出す。

 まだ視界も回復せず耳もやられた敵はスヴェンの接近に気が付かず、

 

「……な、なにが……ごふっ」

 

 すれ違いざまに背中から腹部を斬り裂かれ床に崩れ落ちる。

 スヴェンは既に殺した相手を気に留めず、東の出入り口に急ぐ。

 コロシアムを駆け巡り、時には椅子を足場に最短ルートで突き進む。

 ちらりとレヴィとミアの方に視線を移せば、出入り口に向かう二人の姿が見える。

 予定通りに動いた二人に安堵したスヴェンは、最後の敵にガンバスターで叩き斬った。

 出入り口を塞ぐ四人の敵を始末を終え、その場を一瞬で離れながらガンバスターにこびり付いた血を払う。

 そして閃光が晴れる前にスヴェンは何食わぬ顔で元の客席に座り直す。

 閃光が離れるのと同時にサングラスをサイドポーチにしまう。

 

「な、何が起こってんだ! おい、ユーリィィ!! オレの部下に何をしやがった!?」

 

 出入り口を塞いだ味方全員が惨ったらしく死亡してる姿を見た頭目の怒声が響き渡る。

 ユーリは起きた出来事に戸惑い、

 

「……これは!? いや、今が好機か……突入せよ!!」

 

 状況が好転したと判断したユーリの指示にアラタ達が動き出す。

 怒り荒狂う頭目に荒くれ者は戸惑い、出場選手と審判を抑えていたアンノウが血の臭いに動き出した。

 モンスターと言えども所詮は獣。血の臭いがすれば獲物の方に向かう。

 例え星の自浄作用として存在していようが、刻まれた生物の本能に抗える訳ではない。

 

「ぼ、ボス! 試作品が勝手に!」

 

「チッ! 食欲を抑えられねえか! 野郎ども! 直ぐに構えろ! ユーリの私兵が来るぞ!」

 

 頭目が指示を叫ぶ中、荒くれ者の声をスヴェンは決して聴き逃さなかった。

 連中はモンスターを人工的に製造した。だからチグハグな姿をしていると言われれば説明も付くが、一体どんな技術でモンスターを人工的に製造したのか。

 デウス・ウェポンの科学技術でさえ到達しなかった禁忌を誰かが成し得たとしたら?

 

 ーーいや、今は二人と合流すんのが先だな。

 

 もう既にアンノウから離れた二名の出場選手と審判は魔法を唱え、会場の壁を飛び越えんとするアンノウンに魔法を放つ。

 それぞれ放たれた魔法が各アンノウンの身体を貫き、夥しい鮮血が舞う。

 

「今だ! 全員突入ぅぅ!! 奴らを捕縛せよ!!」

 

 敵の隙を付く形でユーリの私兵が試合会場に雪崩れ込む。

 それに負けじと応戦を開始する荒くれ者集団。

 瞬く間に剣戟と魔法が飛び交う戦場化した試合会場、その中で巻き込まれないと姿勢を低く移動する二名の選手。

 そしてそんな光景を目撃した一般人は安堵した様子で椅子に深々と座り込んでいた。

 スヴェンは交戦状態に入った両陣営を見届け、静かに誰にも気付かれることなく観客席から脱出する。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 コロシアムの廊下に出たスヴェンは、斬撃音と打撃音に足を急がせた。

 離れた途端にレヴィとミアが襲撃を受けた。想定していた最悪の当たりを引いたスヴェンは内心で舌打ちし、廊下を駆ける。

 すると廊下の先々で気を失う荒くれ集団に眼を細め、円卓状の廊下を曲がるとーーレヴィとミア、そしてアシュナが襲い来る荒くれ者を制圧してる姿が映り込む。

 

 荒くれ者はレヴィの剣から放たれた剣圧で吹き飛ばされ、壁に衝突。

 更に一番弱いと判断されたミアを荒くれ者が囲むが、彼女は杖を巧みにその場で鋭い回転を放つことで取り囲んだ荒くれ者を弾き飛ばしていた。

 アシュナに至っては荒くれ者に気付かれず、背後から強襲を仕掛け意識を刈り取る。

 そして荒くれ者はアシュナの存在に気付くことなく地に倒れ伏していた。

 完全に護衛の意味と自身の立場や存在意義を見失ったスヴェンは静かな足取りで三人に近付き話しかける。

 

「アンタまで戦ったら護衛の意味がねえだろうに」

 

 レヴィは剣を片手に微笑んで見せた。

 

「如何かしら? 魔法騎士団団長から剣の手解きは受けていたのだけれど」

 

 一部始終しか目撃していなかったが、レヴィの剣術は召喚者の認識を改めるには充分過ぎる程の腕前だった。

 本来召喚魔法は召喚者が死ねば召喚したものも消滅してしまう。

 その特性上前に出る必要は無いが、基本後衛は前衛と違って接近戦を苦手としている印象が有った。

 だがそれは間違いだ。特にレヴィの素早く華麗かつ強烈な一撃を叩き込む剣技を観てしまえばなおさら。

 

「良くも悪くも召喚師の認識が変わった。それぐらいアンタの剣は鮮麗されていた……ってかアンタに護衛は必要か?」

 

「護衛は必要よ。なにせ私の活動は護衛を付けることが最低条件だからね」

 

 そう言って剣を鞘に納めるレヴィを尻目にスヴェンはミアとアシュナに視線を向ける。

 

「廊下にこんだけ待機してやがったのか」

 

「私達が廊下に出た途端に襲いかかって来たんだよ。しかも私達は美少女だからね! 捕らえて売り飛ばすって叫んでたよ」

 

 ミアはドヤ顔で美少女と強調するが、やはりスヴェンの眼には彼女が美少女には見えない。

 スヴェンはミアの戯言を半分無視して、

 

「売り飛ばすってことはコイツらは人身売買に加担していると考えるべきか?」

 

「魔法騎士団とオールデン調査団の人がコロシアムの外で立ち往生してた」

 

 壁の影からアシュナに告げられた報告に、スヴェン達は廊下の窓に視線を向ける。

 するとコロシアムに入れないのか、立ち往生を繰り返す魔法騎士団やユーリの私兵に限らず、オールデン調査団と書かれた腕章を持つ集団に眉が歪む。

 

「……入れねえのか?」

 

 スヴェンの疑問を他所にミアは窓を開けーーそして手を外に出そうしたが見えない何かに彼女の手がバチンッ! 弾かれた。

 

「いつつ……結界に阻まれてるよ」

 

「閉じ込められたってことか」

 

 元々会場に居る全員を人質にする予定だったが、ほんの些細な混乱から予定が崩れた。

 廊下に気絶してる人数を考えれば、もしも敵の予定通りなら一般観戦客の客は彼らに何処かに連れ出されていたかもしれない。

 

「確か連中は召喚魔法で乗り込んで来たな……ってことは召喚陣自体は前々から仕込まれてたか?」

 

「その可能性が高いわね。本来召喚魔法は召喚陣を媒介にして呼ぶ魔法だから、コロシアムの何処かに召喚師が居る筈よ」

 

 まだ敵は潜んでいる事にスヴェンは頭を搔く。

 

「……簡単に終わらねえか。いや、先ずはアンタを外に出す方が先決だな」

 

「それじゃあ結界をどうにかしないといけないわね。この状況が片付くまで最後まで付き合うわよ」

 

 強い意志を宿した眼差しを向けるレヴィにため息が漏れる。

 本来なら結界を破り、レヴィを連れて脱出する。それが一番の最優先事項かつ尤も重視すべき結果だ。

 ただ外に脱出した先で何が起こるとも限らない。

 此処は少しでもレヴィの安全に繋がる行動に出るべきだろう。そう判断したスヴェンは、外に向けて話しかけるミアに視線を向ける。

 

「……ダメ、向こうもこっちの声も完全に遮断されてるみたい」

 

 外に居る連中は必死にミアに何かを告げようと口を動かしていた。

 スヴェンは彼らの口の動きを見詰め、

 

「あ〜『我々は外部から結界の突破を試みる。ミア殿は内部から結界の突破を試みて欲しい』だとよ」

 

 戦場で尤も役に立つ読唇術で内容を告げると、三人から奇妙な者を見る視線を向けられた。

  

「本当に言ってるの? もしかして適当に言ってないよね?」

 

 疑うように問うミアにスヴェンは鬱陶しいげな口調で返す。

 

「戦場じゃあ時に話し声が命取りになる時があんだ。そんな時に相手の表情と口の動きを読み取って内容を把握すんだよ」

 

「へぇ〜?」

 

 まだ疑いが晴れないのか。ミアは口だけを動かしはじめる。

 

「あん? 『そろそろ治療魔法の有用性を理解したでしょ?』『次から死にたく無かったら私を敬い甘やかすことね!』だと?」

 

 ミアが語り出した主張にスヴェンは青筋を浮かべながら握り拳を作る。

 そしてギリギリっと筋肉が軋むまで力強く握った拳をミアに振り上げると、

 

「ちょ、調子に乗ってごめんなさい!」

 

 彼女はしゃがみ込んで頭を抑えた。

 まさか本気で拳を振り下ろすことなどしない。

 

「分かったら先を急ぐぞ……外の連中が呆れてるからよ」

 

 ちらりと視線を向ければ、『こんな時に遊んでんじゃねえよ馬鹿野郎!』そう言いたげな複数の眼差しがスヴェンとミアに突き刺さる。

 スヴェンとミアはレヴィを連れて結界解除に向けて駆け出した。



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5-12..結界の守護者

 

「結界魔法陣は何処に在る?」

 

 コロシアムの廊下を駆け抜けながら隣りを並走するレヴィに問うと、彼女は速度を早め前に出た。

 

「地下室よ」

 

 彼女の長い金髪が風に揺られ、華奢な背中にスヴェンは眼を細める。

 あの背中にどれだけの期待を背負っているのか。単なる傭兵でしかない自身には想像も付かない。

 少なくともラピス魔法学院に入学しなかった事を考えれば、もっと幼い時から王族として国を背負っていたのか。

 そう考えれば考えるほど、彼女の背中があまりにも大きく見えた。

 スヴェンは速度を速め、レヴィの隣りに並走する。

 

「コロシアムは円状だが、地下室の入り口は何処だ?」

 

「次の曲がり角を真っ直ぐ進むとVIP席の廊下に出るの、それで廊下の支柱に魔法で秘匿された隠し扉が在るわ」

 

 魔法で秘匿された隠し扉ーー技術研究所の入り口をれんそうしたスヴェンは隣りに追い付いたミアに視線を移す。

 

「アンタは魔法の解除はできんのか?」

 

「専用の詠唱を知ってれば誰でも解除できるよ。例えば私みたいに治療魔法しか使えない人でもね」

 

「ってことは詠唱は合言葉のようなもんか」

 

「そうなるかな。でも魔法に対する基礎知識と基礎理論が必要だけど」

 

 つまりこのまま先に先行してもスヴェンでは隠し扉を破る方法がない。

 できればミアにはレヴィを連れて安全な場所に隠れて欲しいがーーそう思った矢先に試合会場の方から爆音と複数の獣の咆哮が響き渡った!

 まだ敵の召喚師を無力化していない。それはこの状況が長引けば長引く程、ユーリの私兵と一般人に損害が出る。

 三人は更に足を速め、秘匿された隠し扉の下へ向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 到着した壁際の支柱に魔力を意識すれば、無透明な魔法陣が展開されてる事が分かる。

 一度魔力を視認してしまえば認識可能な魔法陣。しかしそれは事前にそこに魔法陣が在ると理解しているからこそ気が付けることだ。

 特に魔法大国エルリアは魔道具はもちろんのこと、日常的に常に暮らしの至る所で魔法が使われている。

 そんな日常の中で常に魔法に意識を集中させるのは非効率だ。

 ミアが魔法陣に杖の先端を向け、魔力に意識を集中させている間にスヴェンはそんな事を考えていた。

 スヴェンの思考を他所にミアが詠唱を唱える。

 

「神秘に護られ、秘匿されし存在よ。我が呼び声に応じてその姿を現したまえ」

 

 ミアの詠唱に魔法陣が円の外側から中心にかけて砕け始めた。

 そして完全に砕けた魔法陣の残影が淡い光りを放ち、スヴェン達の目の前から支柱が消えーー秘匿されていた扉が出現した。

 スヴェンは扉の向こう側から敵意に満ちた気配を感じ取り、ガンバスターを引き抜く。

 扉の先にハンドグレネードを投げ込み、内部の敵を一掃する。傭兵らしい方法が瞬時に浮かびーーまだ人質が居ないとも限らない状況にスヴェンは内心で舌打ちする。

 

「今回も正面突破か」

 

「うわぁ〜不服そう。もしも他に入り口とか通気口が有ったらどうしてたの?」

 

 ミアの質問にスヴェンは無表情で淡々と答えた。

 

「位置取りにもよるが、気付かれる前に背後から始末する」

 

「容赦ないね……そういえばさっき使った道具は? アレだったら真正面から乗り込んでも大丈夫じゃない」

 

 ミアのさっきの道具はまだ有るんでしょ? そう言いたげな眼差しにスヴェンは肩を竦める。

 

「スタングレネードはさっき使ったので最後だ」

 

「……スヴェンさんって意外と物を持たないタイプ?」

 

「……召喚直前まで殺し合ってた標的相手に武器をほとんど使い切ったんだよ」

 

 その話を隣で聴いていたレヴィは何かに気付いた様子で、

 

「召喚直前……いえ、この話は後にしましょう」

 

 スヴェンを確かめるように見つめ、扉に向き直った。

 これでレヴィは自身が誤って召喚された可能性に気付いた筈だ。

 今更気付いた所でどうにかなる訳ではないが、彼女が外道を信頼することは一先ず無くなるだろう。

 それはスヴェンにとって尤も望ましい事だった。彼女の向ける笑みと信頼はあまりにも眩し過ぎる。

 だからといって魔王救出を途中破棄する気は無いが、スヴェンは考える事を後回しに扉を蹴り破った。

 扉の先、ガンバスターを振るにはあまりにも狭い一本通路に、スヴェンはガンバスターを鞘に納め、変わりにナイフを抜き構える。

 

「よし、ミアとアンタはここで待機してろ」

 

 狭い一本道だ。背後を強襲されては叶わない。

 その考えから提案したのだが、ミアとレヴィは不満気な眼差しを向けていた。

 また何か勘違い。いや、今の伝え方は言葉が足りなかったと考え直す。

 

「背後から襲撃されりゃあ危険だろ? だから二人……いや、ミアにはここを護って欲しいんだよ」

 

 そもそもレヴィは護衛対象だ。本来なら彼女を連れたまま行動に出るべきではない。

 自身がやっている行動は護衛として三流以下、無能の極みだ。

 

「……ダメよ。貴方は結界魔法の止め方を知らないでしょう」

 

 あくまでも付いて来る。そう頑なに語るレヴィにミアはこちらの考えを察したのか、

 

「じゃあ敵の制圧をお願い。その間に私達は手が空いてる誰かを呼ぶから!」

 

「方法を教えさえすりゃあ済むんだが?」

 

「いやぁ〜結界魔法はさっきの合言葉とは違って、結界を構成する魔法陣に干渉して魔法式を書き換える必要が有るから私達には無理だよ」

 

 確かにミアは治療魔法しか使えず、レヴィは魔力が枯渇。そして自分はといえば魔法に関する知識が無い。

 アシュナなら可能そうでは有るが、彼女を頼るなら敵を片付けたあとになる。

 そもそも、この場の誰も結界魔法を解除できない面子でよく結界をどうにかしようと行動に出たものだ。

 今更言ってもしょうがない事にスヴェンはため息を吐く。

 そんなスヴェンに通路の先を見詰めていたレヴィが、意を決した眼差しで、

 

「スヴェン、この先からかなりの魔力量を感じるわ。だから無茶だけはしないで」

 

 この先は危険だが無茶はするなと告げられた。

 スヴェンは改めてレヴィに向き直れば、彼女の表情は不安を浮かべている。

 レヴィを安心させる言葉、例え上辺だけの意味を成さない言葉よりも結果が全てだ。

 だからこそスヴェンは結果を得るために、レヴィに何も告げず狭い通路を歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 狭い通路を抜け、地下室に続く階段を降り終えたスヴェンは警戒心を最大限に引き上げていた。

 ここまで何も無かった。魔法は愚か罠の一つも存在しない単なる道。

 それこそが油断を誘う最大の罠だ。

 階段を降りた先に一本道の石造りの通路。警戒を宿しながら周囲を観察すれば本当に何もない事が分かる。

 

 ーー普通なら此処で警戒を緩めるが、熟練の傭兵は終着地点に罠を仕掛けるな。

 

 視界の先に見える終着地点。そこを目指して駆け出す者を確実に葬る罠。

 スヴェンは左手にナイフを持ち直し、右手でガンバスターの柄を握り締める。

 そして通路をカツン、カツンと足音を鳴らしながら進む。

 これで敵は接近に確実に気付いた。

 徐々に地下室の入り口と距離が縮まり、地下室の全体が見える。

 円卓状の一室にそこそこの広さ、そして部屋の中心、宙に浮かぶ魔法陣ーーアレがコロシアムの結界を維持する魔法陣か。

 しかし問題の敵の姿は見えないが一人分の気配を感じる。

 地下室の入り口に到着したスヴェンが一歩、地下室に踏み込んだ瞬間、視界の先が煌めく。

 突如飛来する矢をナイフで払い落とす。そして第二射が放たれるよりも速く、スヴェンは矢が飛んで来た真っ正面にナイフを投擲した。

 

「うわっ!」

 

 見えない敵の身体に突き刺さったナイフから鮮血が伝う。

 血が見えない敵の衣服を汚す。これで一人の位置は判明した。

 スヴェンは続けてガンバスターを構え、地を蹴り駆け出す。

 真っ直ぐ見えない敵に向かってガンバスターを一閃。

 だがガンバスターは空を斬り裂くだけで終わった。

 どうやら敵に避けられたようだが、床に滴る血が居場所を教えている。

 再度スヴェンは宙に浮かぶナイフと血を目印に駆け出す。

 

「ちょ! 旦那! こいつをどうにかして〜!」

 

 少女の助けを呼ぶ声が地下室に響き渡る。

 同時に突如二人目の気配が現れーースヴェンの真横から漆黒の刃が迫った。

 スヴェンは直進したままガンバスターを強引に盾に刃を防ぐーーだが防いだ瞬間、スヴェンの身体はガンバスターと共に弾かれていた。

 舌打ちを鳴らしながら受け身を取るスヴェンの足元に矢が飛来する。

 さっきの矢とは違う炎を纏った矢に、スヴェンは横転する事で避けた。

 そして続け様にこちらに降り注ぐ炎の矢を地を蹴り、筋力の瞬発力で避ける。

 

「今の避けるって……普通の異界人より戦い慣れてるよ!」

 

 姿が見えない少女が誰かに語りかける。

 いい加減に正体を拝みたい所だが、まずはこの状況をどうするか。

 少女の身体にナイフが刺さったままーーあの状態で弓矢を?

 ナイフを抜かないのは余計な出血を避けるため。しかし目測で肩の位置に刺さったまま矢を引き絞り放った。

 痛みに対する耐性も高いと見える。

 まだ出血している少女の位置は把握できるが、問題はもう一人の方だ。

 相手は奇襲による初撃を放ってから気配を消した。

 気配も読み取れず、足音も無く強襲してきた見えない敵。

 姿は見えないが何故か漆黒の剣だけは視認できた。

 つまり敵はわざと攻撃を見えるようにしていた。

 敵だが敵ではない。つまりそういう事なのだと察したスヴェンは、もう一人に構わず少女の方に駆け出す。

 

「げっ! またこっちに来る! ああもう! 消し飛べ!」

 

 突如魔力が増大すると同時に、スヴェンに標準を定めた魔法陣に眉が歪む。

 詠唱も無く構築された魔法陣から光りが膨れ上がる。

 

 ーーこいつはヤベェ! 

 

 あの魔法は即死級の一撃、直撃すれば身体など残らないだろう。そう判断したスヴェンは地を蹴り大きく跳躍した。

 同時に極光のレーザーが地下室の通路まで呑み込み、爆音が響き渡る。

 

「やった! 女の子を必要以上に狙う暴漢撃退!」

 

 喜ぶ少女の声が地下室に響く。

 そんな少女の背後に回り込んでいたスヴェンは、ガンバスターの刃を背中に押し当てた。

 

「動くな。動けば殺す」

 

「……背後を取られた? ……()()()()()()()()!」

 

 ドスッ! 突如鈍い音と小さな衝撃、滲み広がるような痛覚がスヴェンの腹部を襲う。

 視線を下に向ければ、何かに貫かれた自身の腹部。自身の血で汚れた見えない突起物。

 しかしそれでスヴェンが止まることは無い。

 スヴェンは自身の腹部を貫いている突起物を掴む。

 

「ひ、ひゃん! ち、ちょ……し、しっぽはだめぇ〜」

 

 突然響く甘く淫乱な声にスヴェンは鋭い眼孔を向けたまま、魔族の尻尾を自身の腹部から引き抜く。

 そして尻尾を掴んだままスヴェンは、尻尾を乱暴に振り回し、そのまま背後の壁に叩き付けた。

 

「ぐぺっ!」

 

 鈍い衝突音と情けない声が聞こえた瞬間、見えなかった少女の姿が顕になる。

 長い灰色の髪にヘソ丸出しの軽装。そして握り締められた弓矢。

 頭部の角、背中の蝙蝠の羽、そして尻尾。それはまさに噂に聴いていた魔族の種族を象徴する特徴だった。

 魔族が敵だろうとも魔王救出を考えれば、此処で魔族を殺害するのは得策ではない。

 先程から襲って来ないもう一人の魔族にスヴェンは、

 

「此処の結界を解除すりゃあ俺は帰る」

 

 そう語りかけた。

 本来目撃者を残すのは得策とも言えないが、相手が魔族では仕方ない。

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、気絶する魔族少女の肩からナイフを回収する。

 すると漸くもう一人の魔族から、

 

「……異界人、お前を試させてもらう」

 

 そんな返答と共に長い赤髪の魔族が漆黒の剣を片手に姿を見せた。

 

「めんどくせぇ」

 

 依然として腹部から血が流れる。

 だが此処で手を抜けば魔族は納得せず、むしろいざという時に協力を得られないだろう。

 スヴェンはガンバスターを引き抜き両手で構えた。

 二人は睨み合い、一滴の血が床に落ちた時ーー二人が同時に動き出す!



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5-13.試しの死闘

 スヴェンが放つガンバスターの一閃を赤髪の魔族が容易く漆黒の刃で受け止め、

 

「……名は?」

 

 火花が散る最中に名を問われた。

 魔族の中の裏切り者。その可能性も捨て切れないが、どうにも彼の瞳は策略に向かない純粋な色をしている。

 現状敵か協力者かは判らないが、

 

「スヴェンだ。そういうアンタは?」

 

 名を知らなければ何も始まらない。

 

「アウリオン・アゼスト……っとこの国ではフルネームは特別な意味を持っていたな」

 

 涼しげな顔でアウリオンが一歩、床を踏み抜く。

 足に込められた力で床がひび割れ、漆黒の一閃がスヴェンをガンバスターごと弾き飛ばす。

 対するスヴェンも黙ってやられる性分ではない。

 空中に弾かれ、宙で体勢を立て直すと同時にガンバスターの銃口をアウリオンに向ける。

 これは幾度も死線を潜り抜けた経験から来る直感に過ぎないがアウリオンは強い。覇王エルデと戦った時と同じ高揚がスヴェンの底抜けに冷めた瞳に熱を宿す。

 故にスヴェンは躊躇なくアウリオンに向けて引き金を引く。

 

 ズドォォーーン!! 一発の銃声が地下室に響き渡る。

 銃弾が真っ直ぐアウリオンに飛来する中、対する彼は初見の銃弾に漆黒の刃を縦に振り下ろした。

 普通なら刃ごと.600LRマグナム弾が貫くが現実はどうだ?

 漆黒の刃から火花が散るもそれは一瞬の出来事で……スヴェンの瞳に映ったのは両断された銃弾が床に落ちる瞬間だった。

 スヴェンは冷静に、着地すると同時に突進するアウリオンにガンバスターの刃を下から斬り上げる。

 

「むっ」

 

 アウリオンが小さく唸り声をあげるも漆黒の剣を盾に防ぐ。

 ガキィーン!! 鈍い音が響く中、スヴェンは刃が弾かれる瞬間に素早く斬り返す。

 それに応じるようにアウリオンもまた刃を斬り返した。

 幾度も刃が打つかり、火花が散っては刃が弾かれ合う。

 まだアウリオンは全力など出してはいない。全力なら魔法を、魔力を武器に宿すはずだ。

 それともこちらが魔力を使うのを待っているのか。

 剣戟の最中、スヴェンは下丹田の魔力に意識を集中させ、右手からガンバスターに魔力を流し込む。

 魔力を纏ったガンバスターに漆黒の剣が大きく弾かれ、アウリオンの胴体ががら空きにーーそれは誘い込みだ。

 スヴェンが予想した通り、アウリオンは素早く体勢を立て直し一度後方に飛び退く。

 

「誘いに乗らないか……判断力と戦闘能力。確かにお前は他の異界人とは違うらしい」

 

 あのまま一撃を入れに踏み込めば、逆にスヴェンの首が飛んでいた。

 

「こっちは戦うこと以外を知らねえ傭兵だ。戦闘能力で簡単に遅れをとってたまるか」

 

「そうか……単なる下層街の暴れ坊とは違うか」

 

 それはアウリオン自身の事を指し示す言葉なのだろうか。

 アウリオンの過去に興味は無いが、彼の素性には興味が有る。

 これだけ戦えて単なる一兵士な筈がないのは明白だが、今は問答をしてる場合でもない。

 それはアウリオンも同じ考えだったのか、二人は同時に動き出していた。

 しかし先程とは違い、アウリオンも魔力を漆黒の剣に魔力を纏わせーー黒炎の刃を纏わせ、更に彼の周囲に魔法陣が宙に現れる。

 

「これをどう対処するのか見せてくれ」

 

 こちらに駆け出しながら魔法陣から爆炎、雷槍、風の弾、氷の刃、土の塊が同時に放たれる。

 スヴェンは脚を止めず、魔法の弾幕を掻い潜るように直進した。

 だが避けた一発の爆炎がスヴェンの横脇を掠め、床に着弾と同時に爆風が襲う。

 爆風の勢いに合わせ、スヴェンは跳躍した。

 一斉に魔法陣が宙に浮かぶスヴェンに向けられ、アウリオンが落胆した様子で息を吐く。

 同時に数種類の魔法が宙に向けて放たれる。空中ではまともに身動きが取れず魔法を避けられない。

  少なくともアウリオンはそんな結論を出したのだろう。だがそれは不正解だ。

 スヴェンは敢えて反動抑制モジュールの機能を切り、左方向に銃口を向け、魔法が到達し着弾するよりも速く引き金を引く。

 射撃の反動により無抵抗の身体が壁方向に吹き飛び、対象を失った魔法が天井に着弾し、砕けた天井の破片が床に落下した。

 スヴェンは壁に衝突する前に体勢を立て直し、壁を足場に駆け出す。

 

「これは……」

 

 助走と壁を踏み抜いた反動を利用したスヴェンがアウリオンの下に迫る。

 スヴェンは勢いを殺さずガンバスターを振り抜く。それに対してアウリオンも黒炎を纏った剣を横に振り抜いた。

 両者の繰り出す一撃が激しい金属音を響きかせ、刃同士が凌ぎ合う。

 力を下丹田に入れる度に腹部から夥しい血が噴き出る。そんな状態になろうともスヴェンは僅かに後方に退がり、またアウリオンも同時に退がっていた。

 そして二人はほぼ同時に魔力を宿した一閃を放つ。

 魔力を込めた二人の刃が繰り出す一撃がーー衝突する前にスヴェンは刃の魔力を操作して解放させた。

 すると刃同士が激しい衝撃を生み、スヴェンとアウリオンの身体が弾かれる。

 

 ーーなるほど、こうやんのか。

 

 今のでスヴェンはアウリオンが剣に宿した魔力をどのように扱っているのか理解した。

 この世界の者は武器に纏った魔力を解放させることで、衝撃を生み出している。

 それは相手の刃を防ぐ瞬間にやれば、相手の刃ごと身体を弾かせることも可能だ。

 逆に同時に同じタイミングで魔力を解放すれば、さっきと同じように相殺された力場に弾かれる。

 

「魔力ってのは便利だな」

 

 ガンバスターに魔力を宿し放つ衝撃波同様に宿した魔力の解放もスヴェンから体力を奪う。

 今の魔力操作では長期戦闘に向かない。それをアウリオンは見抜き距離を縮めながら、

 

「お前の魔力操作はまだ荒いが……なるほど、手強い」

 

 興味深けな眼差しと共に縦に黒炎の刃を鋭く振り下ろした。

 迫る黒炎の斬撃が目で追え、反応できるにもかかわずスヴェンの身体は消耗により動けない。

 やがて黒炎の斬撃がスヴェンの左肩に食い込みーースヴェンは苦痛に眉を歪ませる。

 腹部の出血と左肩から生じる熱と激痛。

 ちらりと視線を向ければ、後方に飛ぶ自身の左肩ごと左腕の姿が瞳に映り込んだ。

 同時に認識がスヴェンにより激しい苦痛を齎す。

 だがこんな痛みは何度も味わい、その度にスヴェンは噛み締めて叫び声を上げず耐えてきた。

 スヴェンはガンバスターから手を離し、一瞬の油断を見せたアウリオンの右頬に右拳を叩き込む!

 

 ゴスゥゥ!! そのままスヴェンは上半身を捻り、アウリオンを殴り飛ばす。

 宙に浮かぶアウリオンに向けてスヴェンはガンバスターを持ち直し、そのまま駆け抜け、床を踏み抜き跳躍してはアウリオンに一閃叩き込む。

 片腕で繰り出された一撃ーー魔法陣に刃が阻まれ、スヴェンは舌打ち鳴らす。

 

「チッ!」

 

 魔法陣と魔力を纏った一閃による生じた反発力に、二人は弾かれるように床に着地した。

 するとアウリオンは眉を歪めながら尻尾を揺らす。

 

「……その状態で、フェアではない状況でここまで動くとは」

 

 確かにスヴェンは灰髪の魔族少女から傷を受けた。

 そして今度は体力を消耗した状態で左肩を切断され、いまなお綺麗な切断面と腹部から夥しい出血が床を汚している。

 だがそれがなんだ? お互いにフェアな状態? そんな物は戦場なら最初から存在しなければ、いつだって不利な状況を強いられる殺し合いだ。

 

「戦場を渡り歩くイカれた外道には関係ねえよ」

 

 スヴェンは魔法陣を展開しているアウリオンに衝撃波を飛ばすーー同時に衝撃波を囮に縮地を繰り出す。

 アウリオンは迫り来る衝撃波を魔法陣で受け止めるが、徐々に魔法陣に亀裂が生じる様にーー小さく笑った。

 そして魔法陣がバリーン!! ガラスのように破れた瞬間、アウリオンが両手で握り締めた漆黒の剣で衝撃波を受け止める。

 完全にがら空きのアウリオンの背後に回り込んだスヴェンは、ガンバスターの銃口を彼の後頭部に押し付け、

 

「こいつで終いだ」

 

「先程の飛来物の速度と威力……なるほど、この距離なら確実だな」

 

「アンタが引き金を引くよりも早く魔法を唱えれば違うが?」

 

 そう告げるとアウリオンは受け止めていた衝撃波を、漆黒の一閃で弾き返した。

 衝撃波は地下室の天井に弾かれーー衝撃音と共に天井が崩れる。

 幸いスヴェンの左腕も気絶してる灰髪の魔族少女も巻き込まれることは無かったが、巻き込んだらどうするんだ? そう言いたげな眼差しで睨むとアウリオンがこちらに振り向く。

 同時に漆黒の剣を鞘に納め、

 

「スヴェン……お前が魔王様の救出に協力してくれる事を願う」

 

 小さな笑みを浮かべていた。

 どうやら彼の中で納得する判断材料を見つけたようで、これ以上の戦闘は無意味だ。

 スヴェンはまたいつもの眼差しに戻り、ガンバスターを鞘に納める。

 しかし出血多量で視界が歪む。気を失うまでそう長くは保たないだろう。

 

「今は単なる旅行者だ」

 

「……なるほど、馬鹿正直に魔王救出を掲げては消されると考えたな」

 

 理解が速くて助かる。同時にアウリオンは頭の回転も状況を見据える能力も高いように思えた。

 それならここで幾つか情報を得ておく必要が有る。

 

「アンタは魔王のために邪神教団に従ってる状況だな?」

 

「俺に限らず、そこに気絶してるリンもそうだ」

 

 魔王に対する忠誠心。それも有るが従わなければ邪神教団は本気で凍結封印したアルディアを砕くのだろう。

 だから不本意な指示に従わざるを得ない。ここで戦闘という茶番を演じたのも疑いを躱すための工作。

 スヴェンはこの町で起きた事件の情報を得るために訊ねる。

 

「……リリナ、アイツを屋敷に帰したのはアンタか?」

 

「ああ、連中の指示に従ってだが……なぜわざわざ彼女を帰したのかは理解に苦しむが」

 

「港で発見された全身の皮膚を剥がされた少女の水死体、アンタがリリナを帰したのと同時に起きた事件だ。そっちの件に何か心当たりはねえか」

 

 アウリオンは考え込むように顔を顰め、やがて意図を察した様子で頷いた。

 

「なるほど、お前がそう疑うのも道理だな。それならばこちらでも調べておく……その状態にした俺が言うのもなんだが、一刻も速く治療すべきだ」

 

 霞む視界と滲む汗。確かに早めにミアの治療を受けなければ出血多量で死ぬ。

 まだ情報が欲しい所だが、

 

「なら後で情報でも流してくれ」

 

「ようやく得られた協力者だ、連中に悟られん程度に協力させてもらおう」

 

 明確な協力関係の構築。これで多少は魔王救出が前進すると思うが、まだ布石が足りない。

 故にスヴェンはアウリオンととある言葉を交わし、とある密約を協定として取り付けた。

 そしてスヴェンはアウリオンに背中を見せ、

 

「最後に結界だけはそっちで解除してくれ」

 

 アウリオンはスヴェンの頼み事に快諾した。

 こうしてスヴェンは左肩を回収し、すっかり荒れ果てた地下室を背にレヴィとミアが待つ廊下へ歩んだ。



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5-14.解放

 スヴェンが地下室に向かってしばらく経過した頃。

 レヴィは地下室から聴こえる破壊音、銃声、襲撃音と斬撃音に眉を歪めていた。

 地下室でスヴェンが一人だけで誰かと戦っている。

 傭兵としての本質、護衛として彼が戦うのは納得も理解も及ぶ。

 しかし黙ってこの場で待つことしかできないレヴィは、隣で地下室を見詰めるミアに視線を向ける。

 

「選手会場から増援は難しいのね」

 

 先程ミアが増援を呼びに向かったが、戻って来た彼女の表情は優れなかった。

 だから改めて確認のために聴いたのだが、

 

「うん、集団とアンノウの連携に苦戦状況で……スヴェンさんに戦力を回す余裕がないわ」

 

 やはり返ってくる返答は増援が難しいという事実だけ。

 せめて一人で戦う彼のために増援を送りたいが、それも叶わず待つしかできない。

 もどかしい状況に地下室に続く狭い通路を見詰める。

 

「ミアはどうして彼を一人で行かせたのかしら?」

 

 なんとなく先程のミアの選択を訊ねると、彼女は小難しい表情を浮かべーーやがて小さな笑みを浮かべた。

 

「近接戦闘と治療魔法しかできない私が付いて行っても邪魔になるだけ……でもそれは分かってるけど、スヴェンさんが此処を任せてくれたからだよ」

 

 敵の増援が地下室に雪崩れ込むを防ぐ。それがスヴェンに頼まれたことだった。

 人を疑い、頼ろうとしない孤高にも近いスヴェンがこうして二人を頼った。

 それは単なる傭兵としての判断なのか、それとも彼自身の考えかはレヴィには依然として判らない。

 ただ言えることは、彼に任された以上はこちらも期待に応えなければならないという事だ。

 レヴィは改めて周囲を見渡すと、今度はミアから質問が飛ぶ。

 

「レヴィは如何して安全な所に隠れようとしないの?」

 

「こんな状況下で果たして安全な場所なんて有るのかしら? それにこんな状況で危険に曝される彼らを見捨てる真似が私にできると思う?」

 

 今は素性を偽り単なるレヴィとしてこの場に居るが、自身の本質は何一つ変わらない。

 王族としての責務とレーナ個人として国民の安全が最優先事項だ。

 ただレヴィは眉を歪める。今の状況こそが自身の信念に矛盾を与えている。

 先にコロシアムの廊下に出たのは他ならない自分達だ。まだ危険な状況に置かれた観戦客を置いて。

 矛盾と国民に対する想いが胸を締め付ける中、ミアが心配そうに覗き込んでいた。

 

「……レヴィ?」

 

 ーーいけない。弱音を見せるなんてらしくないわ。

 

「少し考え事をしていただけだから大丈夫よ」

 

「それなら良いけど……」

 

 まだ心配そうに見詰める彼女にレヴィは心配ないと笑みを見せる。

 やがて地下室から戦闘音が止んだことに気付いた二人は、狭い通路に向き直りーー声を失い、絶句してしまう。

 左肩を失い腹部から夥しい出血を流すスヴェンが、自身の左肩を右脇に挟みながらこちらに歩いている姿に血の気が引く。

 なぜ彼はあんな重傷を負っても意識を保てるのか、なぜ苦痛に顔色一つ変えず歩き続けられるのか。

 なぜそんなになるまで戦い続けられるのか。

 疑問が頭の中を駆け巡ると、カツン、カツン。そんな足音に漸く現実に引き戻されたレヴィは顔面蒼白のミアに叫ぶ。

 

「……ミア、早く治療を!」

 

「はい!」

 

 出血多量により身体を蹌踉めくスヴェンをミアが支え、狭い通路から廊下に出る。

 するとスヴェンの意識は朦朧としているのか、瞳の焦点が定まらず、

 

「ミアとアンタか……」

 

 ミアの名を呼び、こちらの名を呼ばない。そういえば彼は一度もレヴィとは呼んでくれさえしない。

 それが少しだけ不服でもどかしいと感じたが、

 

「スヴェン! 意識を保ちなさい! 死んではダメよ!」

 

 今は彼に呼びかけることが最優先だ。

 そしてスヴェンを壁際に座らせたミアが杖を構えながら、彼の左肩をこちらに差し出す。

 

「今からスヴェンさんに再生治療を施します! だから左肩を切断面に合わせて支えてください!」

 

 ミアの治療師としての指示に、レヴィは迷うことなくスヴェンの左肩を受け取り、血が衣服に付着しようがお構い無しに彼の左肩を切断面に合わせ支える。

 そしてミアは杖をかざしたままスヴェンを中心に魔法陣を構築させ、

 

「水と風よ、この者に再生と活力を与えよ」

 

 詠唱を唱えることで魔法を発動させた。

 魔法陣から放たれた青と緑の光りがスヴェンを包み込む。

 すると支えていた左肩はスヴェンの切断面と接合し、腹部の穴が完全に塞がれる。

 改めて見ればミアの治療師としての才能はずば抜けて高い。

 いや、欠損した人体を骨ごと元通りに治せる治療師などミア以外には居ないのかもしれない。それだけミアはエルリアでも貴重な人材だ。

 

「ふぅ……今回はこれだけで済んだけど、スヴェンさんは一体何と戦ったのかな?」

 

 あの地下室から感じた魔力にレヴィは覚えがあった。

 いや、早速間違える筈もない魔力だ。つまりスヴェンはアルディアの大切な側近にして近衛兵隊長のアウリオンと戦った。

 レヴィがミアに伝えようと口を開きかけると、

 

「……油断した。まさか荒くれ者に此処まで追い詰められるとはなぁ」

 

 スヴェンが嘘の情報を口にする。

 例え相手がミアであろうともスヴェンは嘘を吐いた。

 それは恐らくアウリオン達の行動が邪神教団に漏れる可能性を考慮してだ。

 レヴィが察するのと同様にミアも察した様子でいながら呆れたため息を吐く。

 

「……はぁ〜、そういうことにしておくけど、しばらく絶対安静に!!」

 

 彼女の語気を強めた一言にスヴェンが嫌そうに眉を歪める。

 今の彼は出血多量だ。そんな状態のスヴェンに無茶をさせる訳にはいかない。

 

「スヴェン、そんな状態で護衛が務まると思っているのかしら?」

 

 二人の追撃にスヴェンはますます顔を顰めた。

 やがて困った様子で不服そうに唸り声をあげ、そして盛大なため息を吐く。

 ため息を吐きたいのはこっちだ。まさか左肩を切断されるような戦闘を繰り広げるなど想像もしていなかった。

 そもそもなぜアウリオンとそんな戦闘を演じたのか。

 いま彼に訊ねても恐らく答えないだろう。なんとなくだが勘がそう告げている。

 

「ところで動けるかしら?」

 

 この場所に居ても仕方ない。そう思いスヴェンに手を差し伸ばすと、彼はその手を取らずに一人で立ち上がった。

  

「問題ねえよ……」

 

 そして何かに気付いたのか背中のガンバスターの柄に右手を伸ばす。

 そこで漸く鋼鉄を伴う足音に気が付く。

 

「こっちに人が居るぞ!」

 

「おっ! ミア殿と噂に聴くスヴェン殿じゃないか!」

 

 どうやら駆け付けたのは外で立ち往生していた魔法騎士団で、レヴィとミアは互いに顔を見合わせては事態の終息に安堵の息を吐く。

 

「そちらの……な、なんてお美しいお方か!」

 

 こっちの顔を見つめそんな事を述べる騎士にレヴィは笑みを向ける。

 

「試合観戦中に事件に巻き込まれた観戦客よ……貴方達が突入したということはもう結界は解除されたのよね?」

 

「は、はい。あっ、これから直ちにユーリ様と観戦客の救出に向かいますが……三人は先に外へ出た方がよいでしょう」

 

 壁際に広がったスヴェンの血痕に気付いた騎士の配慮にレヴィは迷うことはなかった。

 今は一刻も早く彼を休ませるのが先決だ。それに魔法騎士団の三部隊とオールデン調査団が突入したのだ、あとは彼らに任せても大丈夫だ。

 レヴィは騎士に頷くことで返答を返す。その後騎士によってコロシアムの外へ連れ出されることに。



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5-15.望まない休養

 スヴェンは移動途中で気を失い、目覚めた時には宿部屋のベッドの上だった。

 コロシアムを襲った事件は魔法騎士団とオールデン調査団の突入によって一旦の終息に向かった。

 しかし捕えたのはレヴィ達が気絶をさせた荒くれ者共ばかりで、試合会場に居た頭目をはじめとした主力を取り逃がす結果に終わったらしい。

 アシュナの気配が感じられないことを訊ねると、どうやら彼女は情報収集に当たっているようだ。

 そんな報告を受け愛想笑いを浮かべるミアに、スヴェンはベッドに拘束された状態に青筋を浮かべる。

 

「話しは理解した……だがこの状況はなんだ?」

 

 顔だけミアに向ければ、彼女の背後でこちらの様子を見守るレヴィとエリシェの姿も。

 ミアはこちらの問いに対し、口元は笑っているが触った眼差しを向け、

 

「絶対安静!」

 

 鋭い怒声で告げた。

 

「ざけんな! こんな状態じゃあ飯もまともに食えねえだろうがっ! だいたいアンタの治療魔法のおかげで後は食って寝りゃあ回復すんだよ!」

 

 正直に言えば食事と睡眠だけで体力は万全な状態に回復する。だからこの拘束は過剰で、そもそも拘束の意味を成さない。

 

「ふーん? 拘束を解いたら一人で調査に出かけたりしない?」

 

 確かに試合会場に襲撃した敵は未だ健在だ。またレヴィが巻き込まれる前に対処したいところだが、潜伏先が判らない以上調査は必要になる。

 本音は一人で調べ、あの水死体が誰なのか把握しておく必要性も高い。そして敵対勢力を始末しておきたい。だが如何にもミアを納得させなければ拘束を解いてくれない様子だ。

 正直に言えば自身の身体の状態は自分が一番よく理解している。

 この状態では満足に身体が動かないだろう。

 

「やんねえよ。調査だとかは万全の状態でやるもんだ」

 

 スヴェンは真っ直ぐミアの翡翠の瞳を見詰めて話すと、

 

「レヴィ、スヴェンさんは嘘を付いてない?」

 

「……嘘は付いてないわね。スヴェンは自分の身体の状態ぐらい把握してるもの」

 

 確かに嘘は付いていないが、レヴィの瞳に内心を見透かされたようで居心地の悪さが身体を駆け巡る。

 そもそもクソガキ、護衛対象、鍛治職人の看病は不要。休める時は静かに休むのが回復の秘訣だ。

 スヴェンは自身の経験と自論を浮かべながら、

 

「じゃあアンタらは拘束を解除して部屋に戻れ」

 

 はっきりと告げると何を思ったのかミアは、小悪魔のような笑みを浮かべていた。

 

「えっ? 看病するよ、それとも美少女三人に看病なんて嬉しいイベントを拒むの?」

 

「拒むに決まってんだろ、バカじゃねえのか?」

 

「レヴィ、エリシェ〜!! 真顔で拒否られたんだけど!?」

 

 二人に泣き付くミアに、レヴィとエリシェはお互いに顔を見合わせ小さな笑みをこぼす。

 

「こうなることはなんとなく予想していたけれど、本当に看病は不要なの?」

 

「ああ、静かに寝てりゃあ回復するもんだ」

 

「そう……だけど貴方の左肩は完全には治ってないのよね?」

 

 スヴェンは自身の左肩を動かし左手を握り開く。その動作を何度か繰り返し、未だ左肩が離れた感覚から完全に細胞同士が結合していないのだと理解する。

 無理をすれば癒着しかけた細胞に亀裂が走り、左肩が千切れる。

 

「ああ、如何やらそうらしいな」

 

「本当に看病は不要なの?」

 

「不要だな」

 

「……はぁ〜、スヴェンさんがそこまで言うなら無理強いはしないけど、せめて食事の用意はさせてよ」

 

 宿屋の食堂から料理を運ぶ。それぐらいの手を借りてもいいだろう。

 なによりも未だミアとレヴィは看病できないことに納得していない様子だ。

 そこで食事の用意も断れば話が拗れ、ますます面倒臭い状態が続くことになる。それだけは全力で回避して幸福に満ちた食事を堪能したい。

 

「ああ、美味いもんを頼む」

 

 そう告げるとミアは晴れやかな笑みを浮かべ、気合をみせるように拳を握りーー嫌な予感がする。

 スヴェンが二人を止めようとするも、意気揚々と動き出したミアとレヴィはこちらに気付くことなく部屋から退出してしまった。

 普通に宿屋の食堂の料理を堪能できればそれで済む話しだったがーーそういや、ミアはあんま料理する機会がねえとか言ってたな。

 野宿時の食事が美味くなるなら何も問題無いようにも思えた。冷静に考え直せば特に焦る理由も無ければ嫌な予感も気のせいだ。

 そしてスヴェンは未だ部屋に居座るエリシェに視線を向ける。

 

「アンタも部屋に戻ったら如何だ」

 

「此処で作業を続けてダメかな?」

 

「また徹夜して寝過ごされる訳にはいかねえんだよ」

 

「そ、それは……だ、大丈夫。それにミアとレヴィと一緒だと女子会になって作業が進まなくなるから」

 

 まだガンバスターは基礎設計の途中だった。だから設計作業を集中して終わらせたいのだろうか。

 そう言えば作業中のエリシェは異様なほど静かだった。

 初対面の武器に興味を見せ、興奮していた様子が嘘だと思えるほどに。

 一つだけ疑問なのはミアと学友だったエリシェが、女子会を避ける理由だ。

 

「女子会ってのはよく判んねえが、アンタは嫌いなのか?」

 

「女子会はむしろ好きだよ。夜遅くまで色んな話で盛り上がって、それにレヴィのことも知りたいし」

 

 それならわざわざこっちで作業しなくとも良いように思える。

 彼女の集中力なら喧しいミアの雑音も気にならないだろう。

 

「なら元の部屋で良いんじゃねえのか?」

 

「いやぁ〜楽しそうに談笑してると混ざりたくなるから。それにあたしは仕事で来てるから、流石に楽しい女子会は請けた仕事がひと段落してからって決めてるんだ」

 

 仕事に対する姿勢を語るエリシェに、スヴェンは眼を瞑る。

 彼女の作業効率が上がるならそれに越したことはない。特にアウリオンは強かった、魔王救出を確実に達するには材質を魔力に適した物に変えたガンバスターが必要だ。

 

「……アンタの作業が効率的に進むなら好きにしろ」

 

 そう告げるとエリシェは安堵した様子を見せ、

 

「良かったぁ〜これで作業が捗るよ!」

 

 やがて何か思い出したのか、急に血の気が引いた表情を浮かべていた。

 ころころ表情が変わるガキだ。スヴェンはそんな印象を受けながら疑問を示す。

 

「み、ミアにご飯作らせて大丈夫?」

 

 ミアの作った料理は既に一度食べことが有るが、彼女が青褪めるほど酷い料理ではなかった。

 同時にスヴェンの腹から空腹を告げる音が鳴る。

 

「アイツの料理はそこまで酷くねえと思うが……まあ経験を重ねれば上達はすんじゃねえか?」

 

「そ、そうなのかなぁ? ミアはラピス魔法学院で同級生全員を医務室送りにした伝説を持つのに」

 

 焦げた干し肉と色の悪いスープの味は今でも憶えている。あの味で学生が医務室送りなら、デウス・ウェポンの食事擬きは窒死級だろう。

 

「食事と語る身の程知らずな食事擬きを当たり前のように食い続けた身としちゃあ、アイツの料理は遥かにマシだぞ」

 

「……逆に気になるんだけど? スヴェンの世界のこととかさ」

 

「あ〜食事擬きは数少ない拷問道具だ。アンタに分ける訳にはいかねえよ」

 

 はっきりと不味いと伝えながら断ると、エリシェは壁に立て掛けれたガンバスターに視線を向け、

 

「食事が大変な世界ってことは分かったけど、武器を造る技術はテルカ・アトラスより進んでるよね?」

 

 確かに技術は進んでいる。しかしそれは長い人類の殺し合いで発展させてきた技術だ。

 武器が進歩すると言うことは、それだけ戦争経済から抜け出せない証拠だった。

 だからこそスヴェンはエリシェの質問を沈黙で答える。

 

「あっ、話したくないんだ。……なら別に答えなくていいけど」

 

 人には話し難い質問がある。その事をよく理解しているか、エリシェはあっさりと引き下がった。

 しかし彼女の顔はデウス・ウェポンの技術に興味が尽きない様子だ。

 デウス・ウェポンの武器は容易くテルカ・アトラスの武器市場を塗り替える。

 完璧な再現は技術と素材の違いから無理だが、技術を魔法で素材を別の物で代用が可能だ。

 自身の望む戦場が、傭兵の存在意義が生まれる可能性が高まる。だからこそデウス・ウェポンの武器技術を伝える訳にはいかない。

 既に銃に関する技術を伝えているが、

 

「昨日言い忘れたが、アンタが設計してる武器は簡単に人を殺せる武器だ」

 

 脅しのつもりで事実を告げると、意外なことにエリシェは動じた様子を見せずーー寧ろ自分がどんな武器を設計しているのか明確に把握した様子で、

 

「知ってる。ガンバスターと銃の構造を解析して図面を引いた時、どうしてこんな構造なのか、武器一つに2種類の武器を詰め込んだのか考えた時……あぁ、これは人を殺す為の武器なんだって」

 

 彼女が理解した事を告げられた。そこにこちらに対する険悪感を見せず既に決意していたのか語り出した。

 

「だからあたしは他の人に銃もガンバスターも売らないし、造らない。これはスヴェンの完全オーダーメイド製品だから!」

 

 それはそれで鍛治職人としての利益が得られないように思えるが、エリシェの決意は本物でそれを否定するのは失礼だ。

 寧ろ自身のような戦争屋の外道が大量に現れない状況になるだけマシだ。

 同時にエリシェのような思慮深い職人が専属鍛治師なら、どれだけ武器の都合が付くか。

 そう考えたスヴェンは自身も気付かない内に口にしていた。

 

「アンタのような職人が専属なら気楽でいいんだかな」

 

 漸く自身の口から内心が漏れたことに気付いたスヴェンは、自身の失敗に顔を顰める。

 いずれテルカ・アトラスから消える人間が専属を雇うなどどうかしている。

 我ながら情けない失敗に自嘲気味に険悪感を宿すと、

 

「……スヴェンの専属ならなってもいいかもね」

 

 はっきりとそんな言葉が耳に届く。

 気が早過ぎるなどツッコミたいことは多いが、聴き間違えならどんなに対応が楽か。

 スヴェンははっきりと彼女の申し出を断る為にエリシェに視線を向けると、突然彼女が噴き出すように笑った。

 

「あははっ! 冗談だよ! まだあたしの半人前の腕前じゃ誰かの専属なんて烏滸がましいもん!」

 

 少なくとも彼女の武器に対する意欲は半人前とは思えない。

 ただスヴェンはその事を追求せず、自身の誤りから逃れるように沈黙した。

 それから微妙な空気が室内に漂う。

 しかしそれはミアとレヴィが宿部屋に戻って来たことで終わりを告げる。

 漸く来た食事に期待を込めながら二人に顔だけ向けると……ミアとレヴィは瞳を潤ませていた。

 何が起きてそんな結果になったのか、スヴェンはゆっくりと視線を下に移す。

 ミアが待つトレイに乗せられた四皿から立ち昇る紫色の怪しげな煙に眉が歪む。

 生憎と此処からでは皿の中身が見えない。

 

「……スープか?」

 

 なんの料理か訊ねれば、ミアは視線を明後日の方向に逸らしながら、

 

「えっと、滋養強壮と鉄分の補給……その他栄養バランスを重点的に選んだ食材で作った……料理、です」

 

 しょんぼりとした声で答えた。

 先程の意気揚々としていた二人の表情は嘘のように沈んでいる。

 だがそんな事は関係ない。いまは血が足りずに腹が減っている状態だ。

 

「拘束を解いて飯をくれ」

 

「た、食べるの? い、一応味見はしたのだけど……美味しくないわよ」

 

 食べる事を拒むレヴィにスヴェンは無理でも拘束を解こうともがく。

 

「そ、そんなにお腹空いてるんだ」

 

 トレイを持ったまま困惑を浮かべるミアを他所に、仕方ないとエリシェがミアからトレイを受け取る。

 そしてベッドに近寄り、眉を歪めながらエリシェはフォークに赤黒い獣肉らしき物体を刺した。

 刺された物体から紫色の湯気が立ち昇る。一見すると毒物に見えなくもないが食べてみないことには判らない。

 

「……こ、これ。本当に食べるの?」

 

「食うが、その前に拘束外せよ」

 

 そう告げるとフォークで刺した赤黒い獣肉の一口が口に入れられた。

 突然口に入れられた肉を反射的に噛む。すると強く刺激的な辛味が口内に広がる。

 同時にスヴェンの額から汗が滲み出た。  

 

「結構辛えが、悪くねえな」

 

 デウス・ウェポンの食事擬きと比較して遥かにマシな料理に対する感想を述べると、ミアとレヴィは申し訳なさそうに床に手を付くように崩れ落ちた。

 

「スヴェンさん、それは美味しくないの。本当に美味しくないんだよ」

 

「貴方の味覚が正常なら真っ先に出る単語は、不味いなのよ……」

 

 確かにテルカ・アトラスの食事水準で比較すれば二人の作った料理は不味い。

 別にスヴェンは特別味覚音痴という訳ではない。

 それよりも問題はなぜ拘束を解かれないのか。それが食事の味よりも最大の問題だ。

 

「……それよりも飯の前に拘束を解け!」

 

 万全の状態ならこの程度の拘束具は腕力に物を言わせて破壊することができるが、いかせん血が足りな過ぎて力が入らない。

 この状態では誰かには拘束具を解除してもらう他にないのだが、漸く立ち直ったレヴィがベッドに近付き、拘束具を外した。

 そしてエリシェが差し出すトレイを受け取り、そのまま勢いよく二人が作った料理を口に運ぶ。

 

「……ミア、ほんとにスヴェンは大丈夫なの?」

 

「私が食べたレーションよりは酷くないけど、でも平気で食べて貰えるのもそれはそれで複雑!」

 

 エリシェとミアのそんな会話を耳に、スヴェンは己の空腹を満たすべく一心不乱に食事を続ける。

 やがて腹を満たしたスヴェンはそのまま、意識を手放すように眠った。



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第六章 騒乱の一日
6-1.告げられる情報


 窓から差し込む朝陽を受けたスヴェンは眼を覚ます。

 眼を開け、視線を動かすと机にうつ伏せのまま眠るエリシェの姿が有った。

 またか。仕事熱心なのはいいが、二度目となれば考えものだ。

 スヴェンは呆れたため息と共に身体を動かす。そして左肩を動かす。

 

「万全だな」

 

 完全に傷は癒え、体力も回復した。これで緊急時の戦闘にも対応できる。

 さっそくベッドから降りては、今度は眠っているエリシェをベッドに運ぶ。

 そしてスヴェンは机に向かい、置かれた設計図に舌を巻く。

 既に完成された設計図、そして図面の隅に書かれた反動抑制モジュールを参考にした魔法陣の構築式や魔法式が完成時の期待を膨らませるには十分だった。

 まだ完成まで程遠いが、滞在中に試作品の試験が出来れば上等的に思える。そんな期待感を胸にスヴェンはシャワーの支度を済ませ、浴室に足を運んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 朝のシャワーを済ませ、一人で宿屋フェルの食堂に足を運んだスヴェンは適当な席に着く。

 ちらりと辺りを見渡せば子連れの家族、一人で朝の紅茶を嗜む者ーー自分を含めた六人の客が居る。

 さて、朝は何を食べようか。スヴェンがメニューに手を伸ばすと騒ぎ声が響く。

 

「だから! このマヨネーズを採用すれば売り上げ増加間違いなしなんだって!」

 

 カウンターの店員に叫ぶ金髪の少年に目が行く。

 朝から面倒な騒動は勘弁して欲しいが、カウンターの店員は冷ややかな態度で、

 

「あんなカロリーのバケモノを採用したらお客さんの健康が損なわれ、お腹をくだしますよ。……現に貴方の指示で作ったまよねーず? でしたか? それを試食した厨房スタフが全員病院に運ばれましたからね」

 

 試食で病院送りにする食材? スヴェンは多少の興味が惹かれるが腹を壊すような物は極力食べようとも思えない。

 

「ぐっ……そ、それは胃が鍛えられてないから。でも! 慣れると病み付きになる万能調味料なんだよ!」

 

「あんな油に油を更に油を追加した調味料を受け入れるには数百年掛かりますよ」

 

 分かったら早く帰れ。そう鋭い視線で語る店員に金髪の少年が悔しそうに歯軋りを鳴らし、ようやくその場を立ち去る。

 そんな彼とレヴィがすれ違うようにやって来ては、こちらに近付く。

 そして無言のまま椅子に座ると、

 

「……貴方が昨日遭遇したのって、やっぱり?」

 

 昨日のコロシアム地下室で誰と戦ったのか、既に察してが付いている様子で訊ねられる。

 スヴェンは肯定とも否定とも取れる酸味な態度で肩を竦め、

 

「今日も調査か?」

 

「むっ、逸らすか。まあいいわ、今日は調査だけれど……っ!?」

 

 何かに気付いたレヴィが突如椅子を蹴って立ち上がると、突如食堂全体の空間が歪む。

 スヴェンは警戒から背中のガンバスターの柄に手を伸ばすと、空間の歪みの中から二人の魔族が姿を現す。

 突然のアウリオンとリンの登場にスヴェンは冷や汗を流しつつ、ガンバスターの柄から手を離した。

 ふと、突然魔族が出現した状況で嫌に静かな様子に違和感が芽生える。

 レヴィが冷静なのは理解が及ぶが普通なら魔族の出現に店員と客が騒ぎ出す。

 だからスヴェンが周囲に視線を移すーー店員と客は静止たまま動かない。

 まるで時の流れが止まったのか、一切動かない店員と客。極め付けは子供が落としたフォークまでもが、宙で静止している。

 

「……これは、時間停止か」

 

 状況とデウス・ウェポンの技術を当て嵌めてアウリオンに問えば、彼は冷静な面持ちで口を動かす。

 

「実際には違う。時間停止のような大規模な魔法を発動すれば連中に気付かれる」

 

 この現象は単なる空間停止の類なのか。スヴェンはそう頭の中で推測を浮かべると、レヴィが当然の如く動いた事に眼を見開く。

 この状況で空間停止の影響を受けずに動け、なおかつため息を吐く彼女にスヴェンは愚か、アウリオンとリンも驚愕を隠せず動揺を見せていた。

 

 ーー二人の反応を見るに元々この空間で動けるのは俺だけ。なんだって姫さんは動けてんだ?

 

 魔法が使えない状況で空間停止の影響を受けないレヴィに、少なくともスヴェンの頭では理解が追い付かない。

 

「空間の一時的な固定化……この様子だとフェルシオン全土まで及んでそうだけど?」

 

 レヴィの指摘にアウリオンは彼女に探るような眼差しを向け、

 

「貴女は一体……いや、似てるがまさかな」

 

 ここにレーナが居る筈がない。そう言い聞かせるように呟いた。

 アウリオンならレヴィの正体に辿り着ける。だからこそ彼は敢えて気付いていないフリをしたのだ。

 現にまだ察しが付いていないリンは、レヴィに訝しげな眼差しを向け鋭く睨む。

 

「何者なの? ……邪魔なら消しておく?」

 

 レヴィに対する警戒心から敵意を向けるリンに、スヴェンは鋭い眼孔でガンバスターを抜き放ち、レヴィを守るように背中に隠す。

 するとリンは肩を震わせ、アウリオンの背中に隠れた。

 

「リン、彼女に手を出すな……スヴェンが敵に回る」

 

「護衛対象を危険に曝すならな」

 

 例え相手が魔族であろうとも優先順位が違う。最優先すべきは現在進行で依頼を請けているレヴィの安全と魔王救出だ。

 

「すまない。いや、話を戻そう……彼女の指摘通りフェルシオンの守護結界領域の空間を停止させた。……こうでもしなければお前に情報を与えられそうにないからな」

 

 わざわざ空間停止まで行使してまで接触して来たという事は、それだけ事態が動いたか。それとも敵対者が次の行動に出た。

 

「旦那、本当にこいつを信用していいの?」

 

 こちらに敵意を向けるリンにアウリオンがため息を吐く。

 

「現状で頼れる者は彼しか居ないんだ。お前だっていつまでもアルディア様の腹を冷やし続けるわけにはいかんだろ?」

 

「そりゃあ早く助け出したいけどぉ……というかまだお腹冷やしてると思ってるの?」

 

 凍結封印が対象者にどんな作用を与えるのか知らないが、リンから警戒されるのは当然だ。

 逆に警戒もなくこちらを信用する相手ほど信用できない。

 協力関係はあくまでも利害の一致や互いに利用し合うのが好ましいーーレーナはそんな腹の探り合いも必要がない程に純粋だったが、彼女のような人間はそう多くは居ない。

 スヴェンは背中に居るレヴィを例外と認識しつつ、二人に声を掛けた。

 

「互いに警戒して行こうじゃねえか。俺は傭兵、アンタらは邪神教団に従わされている先兵だろ?」

 

「確かにそうだな……そろそろ本題に入ろう」

 

 アウリオンは椅子に座り、スヴェンも話しを聴くために椅子に座る。

 改めてスヴェンはアウリオンに視線を向け、

 

「それで、情報ってのはなんだ?」

 

「昨日コロシアムを襲撃した連中に付いては?」

 

 情報を告げる前にこちらがどの程度把握してるのか、確認のために問われた。

 確かにコロシアムを襲撃した連中の名を知らなければ、まだゴスペルや邪神教団の行動も把握していない。

 こちらが一日の調査で得られた成果は、お世辞にも多いとは言えない。

 しかしヒントは有った。占拠されたコロシアムに現れたオールデン調査団。

 その組織はゴスペルを追って国境を越え、ルーメンに辿り着いた。そしてゴスペルの取引がフェルシオンで行われていると知ればそこに現れるのも必然と言える。

 

「情報不足の推測になるが、コロシアムを襲撃した連中はゴスペルか?」

 

 スヴェンの返答にアウリオンは眼を伏せ、やがて納得した様子で口を開いた。

 

「なるほど、昨日の状況で推察したか」

 

 推測が正解に変わった。となれば問題はゴスペルがなぜ封印の鍵をユーリに脅迫したのかだ。

 そもそもリリナを攫った連中がゴスペルなら、元々封印の鍵を狙っていた事は頭目の言動から察しも付く。

 ただゴスペルと邪神教団の関係は数ある取引相手程度の関係しか知らない。

 

「連中は何を目的に封印の鍵を? 邪神教団がなりふり構わず脅迫すんなら理解もできんだがなぁ」

 

 そもそもの疑問を訊ねれば、アウリオンは冷静で静かな眼差しを向けて来る。

 

「確かに問題はそこにも有るが、俺は元々邪神教団のエルロイ司祭からゴスペルのおもりを任されていた。……つまり魔族を派遣してまで連中にやって欲しいことが有るのだろう」

 

「確かにそう考えんのが自然か……だが邪神教団ってのは、ガキに薬物が混入したアメを配る外道だろ? 封印の鍵が狙いならユーリに洗脳魔法を混ぜ込んだアメを食わせりゃあ済むだろ」

 

「それは無理に等しいな。貴族や王族はあらゆる危険を想定され護られている。例えば、食事一つにしろ厳重な仕入れルート、調理工程、毒味による警戒が成されているのだ」

 

 アウリオンの言動にスヴェンは密かに隣りに立つレヴィに視線を移す。

 思い当たる節しかないレヴィは頷いて見せ、

 

「確かに毒殺、洗脳を仕込むのは至難の業ね。……そんな厳重な護りでどうやって魔王様を凍結封印したのか謎でも有るのだけどね」

 

 確かに厳重に護られていながら魔王アルディアは凍結封印された。

 それは内部に裏切り者、あるいはメルリアのケースを考えれば配下の一人が洗脳を受けた可能性も有る。

 

「……サルヴァトーレ大臣、彼が邪神教団を手引きしたことに間違いないが……今となっては証拠も掴めまい」

 

「証拠隠滅に始末されたか」

 

「ああ、彼が記憶する全てを吸い出されたうえにな」

 

 大臣ともなれば重要な情報を持っているだろう。邪神教団はそこに狙いを付けた。

 ならばますますユーリの屋敷に戻ったリリナが怪しくなる。

 

「記憶、洗脳……いや、それよか、ゴスペルの動きだな。人攫いに関しちゃあエルリア国内の誰かと取引してる可能性もあんだろ?」

 

「俺達が立ち入る訳にはいかない問題だが、元々ルーメン経由から届く筈だった商品を取引先が受け取る手筈だったようだ……だが、そこに邪神教団が生贄を注文した履歴は無かった」

 

 ーー邪神教団は今回の人身売買に関しては関与してねえ? ならゴスペルは何のために封印の鍵を?

 

 スヴェンが内心で疑問を浮かべるとアウリオンは懐から紙束を取り出した。

 ぎっしりと細かく書かれた行商ルートと伏せられた仲介業者の名。

 幾度も繰り返される人身売買の売買取引。追う者は翻弄され最終的な目標を見失うようにされた巧妙な計画書にスヴェンとレヴィは喉から手が出るほどの思いに駆られた。

 

「そいつが有れば少なくともエルリア国内の人身売買は阻止できんな」

 

「ああ、これは有益な情報を提供できなかった代わりの手土産程度に過ぎんが……昨日のコロシアム襲撃事件はルーメンから届く筈だった商品が魔法騎士団に抑えられた事に起因する」

 

 スヴェンは書類を受け取り、

 

「用意できなかった商品の代わりに、元々狙っていた封印の鍵を求めた……だからコロシアムを襲撃して封印の鍵を狙ったてか?」

 

 人身売買が上手くいかず代わりとなる封印の鍵を求められたーー猟奇殺人の件も合わせてスヴェンは眉を歪めた。

 なぜゴスペルの取引相手が封印の鍵を欲するのか。ゴスペルの取引相手、その最終的な顧客が邪神教団なら事件にも説明が付くが。

 

「そうだな。ゴスペルの封印の鍵も取引内容の一つだが、ゴスペルがユーリを脅迫していたのはもう一つ有る」

 

「まだあんのかよ。どうせろくな要求じゃねえんだろうな」

 

「連中がリリナの身柄と引き換えに要求したのは、封印の鍵とレーナ姫の遺体だ」

 

 告げられる情報にスヴェンはレヴィの様子にちらりと視線を向ける。

 自分のせいで誰かが犠牲になろうとしていた。そんな思い詰めた表情をレヴィは浮かべていた。

 今のレヴィは動揺している。だからこそスヴェンは冷静に問題を考え込む。

 

 あまりにも釣り合いが取れない要求だ。一国の姫君と領主の一人娘の身柄。

 釣り合いが取れない。誰も応じない取引だといつもなら鼻で笑う。

 だがスヴェンは、親が子のためならどんな方法を使ってでもーー例えば自身の命を引き換えに子を護ることも有り得る。

 同時に納得も及ぶ。要求に応じられず他言できないからこそ、ユーリはアラタにリリナの救出を命じた。

 しかし返答はリリナの返還。そして翌日にコロシアムの襲撃。

 

「要求が通らない。だからユーリを直接襲ったと?」

 

「そう見るのが自然では有るが、襲撃に失敗した現在ゴスペルは南東の遺跡に拠点を移している」

 

 ゴスペルを叩くならいまが好奇ーー確かに理に適った状況だが、

 

「アンタらどうすんだ? 護りを任されてんだろ」

 

「これも不自然……いや、裏が有るのは明白だが、俺とリンはエルロイに呼び戻されているんだ」

 

「……確かに不自然な状況だが、魔族を派遣した目的は達成したと考えるべきか」

 

 まだ封印の鍵とレーナは健在。ユーリも無事だ。それとは別に果たした目的が何か。

 やはり最初に感じた疑念が頭の中から離れない。

 スヴェンは状況から南東の遺跡は罠が待っていると判断した。それでも面倒では有るが、向かわなければ何も情報は得られない。

 

「ゴスペルの潜伏先がわかりゃあ後は叩くだけだ」

 

「罠と知りながら向かうのか」

 

「連中の行動は不審な点が多過ぎんだよ……邪神教団の誰かが内部に紛れてねえとも限らねえだろ」

 

「確かに連中ならやりかねんな……む、そろそろ向かわなければ怪しまれるか」

 

 そう言ってアウリオンは離席し沈黙を貫くリンをと共に、空間の歪みの中に消えて行く。

 やがて空間が元の状態に戻り、フォークが床に落ちた音が食堂に反響した。

 

「ってわけで俺は行くが、アンタはミアと部屋で休んでおけ」

 

 そう告げると先程まで思い詰めいた表情は嘘のように消え、

 

「ミアを連れて行かなくて良いのかしら?」

 

 彼女が感情を押し殺して気丈に振る舞っているのは、スヴェンが見ても明らかだった。

 どうにも素直で嘘が苦手、だが悪態好きの一面も合わせ持つ彼女に小さく息が漏れる。

 

「アイツまで連れて行ったら、精神状態が不安定なアンタの面倒を誰が見る?」

 

「……私は、そこまで弱くないわよ」

 

 確かにレヴィは決して弱くない。それは異世界から召喚してまで魔王救出を願い、そして異界人が起こした事件で生じたあらゆる責任を抱え込みーーそれでも異界人を信じ、自ら行動に出る彼女を弱いとは誰も思わない。

 思わないが、逆に儚く脆い一面も抱えている。

 精神的苦痛の積み重ねによる摩耗が人を弱らせる。それは最初から狂った外道を除けば例外なく訪れる。

 

「アンタには休憩が必要だ」

 

「休憩? こんな時に休憩なんて……」

 

「休息も無しに戦い続けられる奴は居ねえ」

 

 真っ直ぐレヴィの瞳を見詰めると、ようやく観念したのかため息を漏らす。

 

「そんなに見つめられちゃ敵わないわ」

 

 護衛として側を離れるのは得策ではないが、ミアとアシュナを信じればこそ選べる選択だ。

 説得したレヴィと共にスヴェンは一度部屋に戻り、まだ眠っているミアとアシュナを叩き起こしてから事実を伝え、レヴィを二人に任せた。

 そして自身の宿部屋に戻ったスヴェンは、保険をかけてから出発するのだった。



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6-2.意外な同行人

 スヴェンが一人の例外を除き、誰にも悟れずにフェルシオンを静かに出発した。

 大地に雨が降り草木に潤いを与える光景を見渡すと、背後から気配を感じてはガンバスターを振り抜く。そして刃を背後の自分に向けると、

 

「ちょ!? 待ってください! ボクは敵じゃないよ!」

 

 慌てふためくアラタが視界に映る。

 敵か思えば使用人のアラタが腰に剣を携帯して町の外に現れた。なぜリリナの専属使用人の彼が雨の中平原に来たのか。スヴェンは疑問を浮かべながらガンバスターを鞘にしまう。

 

「外になんか用でもあんのか?」

 

「実はお嬢様が、ゴスペルが南東の遺跡に向かうという話しをコロシアムで聴いたそうで」  

 

 そういえばコロシアムに居た全員が結界に閉じ込められた。その時は気にしてる暇も無かったが、リリナはコロシアムの何処に隠れやり過ごしたのかが疑問に浮かぶ。

 

「へぇ? 盗み聴きできるほど隠れる場所は多くは無かったろ」

 

 疑念混じりの疑問の訊ねるとアラタは苦笑を浮かべ、

 

「実はお嬢様ぐらいの華奢な少女なら無理矢理押し込める木箱がありまして」

 

 如何にして隠したのか答えた。

 木箱に押し込められ狭さに苦むリリナの顔が浮かび、内心で彼女に同情を向ける。

 

「……あー、それでやり過ごしたってわけか。それでアンタがわざわざ外に居る理由は? 状況的に主人の側を離れる訳にはいかねえ筈だが?」

 

 なぜアラタが護るべき主人の下を離れているのか。それが気になって訊ねると、アラタも困った様子を浮かべていた。

 どうやら彼もこの状況は不本意らしい。それでも使用人として主人の命令に背けられない。

 雇われる側はいつだって大変だ。そんな同情にも似た感情を押し殺したスヴェンは、口を開くアラタに耳を傾ける。

 

「貴方の言う通りですよ。本当ならボクも離れるべきじゃないんです……だけどお嬢様は夜明けにこっそりとボクに南東にゴスペルが潜伏しているのか調べて来て欲しいと命じたのです」

 

 なぜアラタに内密に命令を? それこそゴスペルの討伐が絡むなら魔法騎士団に命令すべきだ。

 彼は単なる使用人に過ぎない、例え魔法学院を卒業していても一般人のアラタが討伐や偵察に向かうべきじゃない。

 

「普通なら魔法騎士団に命令するところじゃねえのか?」

 

「ボクも魔法騎士団を頼るべきだと言ったんですけどね。でももしも南東の遺跡にゴスペルが居なかったら? 魔法騎士団が不在の隙を狙われたら? そう言われたら偵察する他にないじゃないですか」

 

 確かにアラタの言う通りだが、どうにもリリナはアラタを引き離そうとしているようにも取れる。

 単に疑い過ぎで余計な邪推も入っているかもしれないが、スヴェンは南東の遺跡に向けて歩き出す。

 するとアラタも目的は同じだと言わんばかりに、

 

「スヴェンさんも南東の遺跡に? ミアさんとレヴィさんは連れて行かないのですか?」

 

 そう不思議そうな眼差しで訊ねてきた。

 スヴェンはさも当然のように嘘を吐く。

 

「たまには一人で観光してえだろ? 丁度こっちの世界にはねえ遺跡が在るって言われりゃあロマンを追求したくもなんだよ」

 

「そういうものなんですか? いや、でもスヴェンさんはレヴィさんの護衛でしたよね?」

 

 何かを疑うように探るような眼差しを向けて来る。意外と用心深いのか、観光に出向くことに疑問を示している。

 まさかゴスペルと繋がりの有る異界人ーーアラタの瞳に宿る疑念を読み取ったスヴェンはため息混じりに、

 

「昨日の襲撃もあってアイツには宿屋で大人しく休んで貰ったんだよ……金の為とはいえ、危険な橋ばかりは渡ってらんねえのさ」

 

 嘘の中にミアがレヴィに付いているという事実を伝える。

 するとアラタの中で疑いが一応は解消されたのか、瞳から疑念が消えていた。

 すぐに他人を信じる所は、アラタも含めて甘いと言わざる負えない。

 疑うならあらゆる可能性を徹底的に洗い出し、危険性が無い、信用できると判断してはじめてソイツを信じられる。

 尤もそこまで警戒して他人を疑い続けるのは自分のような外道ぐらいだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 二時間程平原を進み、南東の方角ーーまだ遠い位置に木々に覆われた巨大船のような建造物が見え始めた。

 二人はそのまま真っ直ぐ遺跡を目指して歩み続けると、突如雨が豪雨に変わり、スヴェンとアラタは近場の洞窟に駆け込んだ。

 雷が鳴り、豪雨から嵐に変貌する。そんな様子を眺めながら、

 

「さっき見えた遺跡ってのは船の形に見えるが、昔はこの辺りは川か何かだったのか?」

 

 焚火を焚き服を乾かすアラタに訊ねる。

 

「この辺りは昔から平原ですよ。……あの船は昔に起きた戦争。今から1000年前に異世界から侵攻してきた侵略者が乗って来た空を飛ぶ船と言われてますね」

 

「異世界から侵攻……穏やかな話しじゃねえな」

 

 異世界が空を飛ぶ船で侵攻ーーそれだけの技術を有する異世界がテルカ・アトラスに眼を付け、侵略に及んだのか。

 そう推測を浮かべる中、アラタはかつて起きた戦争について語り始める。

 

「元々は最初に召喚された異界人を元の世界に返したことがきっかけで起きたそうです……何でも魔力を資源として狙ったとか」

 

「異世界に渡れる技術があんなら魔力は必要なのかって疑問にもなるが、余程資源に困ってたのか」

 

「恐らくそうかもですね。それで戦争は異界戦争と称されてますが、実は戦争は長く続かなかった、むしろ短期間で終結したそうであまり記憶には残って無いそうです」

 

 空戦戦力を保持した異界人の軍隊が敗北した。それは魔法という力の前に敗れたのか、それとも別の要因か。

 歴史の記憶に残らないのも開戦から程なく終結したならある意味で納得だ。

 人々が記憶に刻むほどの凄惨な殺し合いが無ければ、歴史の記憶というのはこの日に起きた程度の些細な情報しか残されない。

 同時にスヴェンはなぜ異界人が敗北したのか興味深かそうにアラタに眼を向ける。

 

「異界人が乗っていた空を飛ぶ船が制御不能に陥って不時着したんです。学者の見解ではこの世界に漂う魔力が空を飛ぶ船に何らかの影響を与えたと」

 

 魔力が動力源に影響を与え船が墜落。結果は軍隊の衝突が起こる前に異界戦争は不慮の事故で終幕した。

 蓋を開けてみればつまらない結末にスヴェンはため息を吐く。

 同時にミアが言っていたレーナは異界人の記憶を消してから帰す。あれは恐らくテルカ・アトラスの記憶を保持したまま異界人を帰さないーー二度目の異界戦争を防ぐための処置だ。

 恐らくスヴェンもこの世界の記憶を消される。それはお互いに影響を残さない最良の判断とも言えるが、問題はスヴェンが三年も行方不明になっていた期間が説明できなくなる。

 

 ーーソイツは魔王救出をやり遂げてから考えるか。

 

 先の事を後回しにスヴェンは改めてアラタに、

 

「あの様子じゃあ動力源は死んでんだろうが……遺跡の調査は何度かされてんのか?」

 

 船の調査について訊ねる。

 調査の結果次第では一部の技術が流用、改善され使用されている可能性も有る。

 

「何度か調査に出向いたそうですが、入り口が鋼鉄の扉で硬く閉ざされて中に入れない。だから外壁を登って侵入を試みたそうですけどーー」

 

「結局何処の遺跡も内部に入れなかったそうです」

 

 硬く閉ざされた鋼鉄の入り口。デウス・ウェポンに近い科学技術が使われているなら恐らく、失った動力の替わりに雷の魔法を回路に流し込めば一時的に復旧は可能か。

 回路が切れて無ければだが。

 

「扉を破壊して開けようとはしなかったのか?」

 

「一応内部は死者が眠る場所として極力強行突破は控えたみですね。それに、エルリアの学者も各国の学者もあまり異世界の空を飛ぶ船に興味が無いようです」

 

「不慮の事故で墜落したもんを造りてぇとは思わねえか」

 

 スヴェンのぼやきにアラタが肯定する様に頷く。

 しかし問題はどうやってゴスペルが遺跡を拠点にしているのかだ。

 遺跡の外から奇襲を仕掛けられるが、万が一内部を拠点にしていれば手間がかかる。

 一応保険はかけて来たが、それもタイミング次第では意味を成さなくなる。

 そもそもなぜゴスペルが遺跡に眼を付けたのか。

 

「ゴスペルにロマンを理解できる奴が居んのか?」

 

「……人の皮膚を剥がしてしまえる外道に遺跡のロマンを理解できるとは思えないですけどね」

 

 アラタは確かな増悪と敵意を向けていた。その増悪の根幹はリリナの為の復讐心か。

 焚火の火種がバチっと跳ね、アラタの薄暗い感情が洞窟の中に淀みを与える。

 戦場で慣れ親しんだ感覚にスヴェンは静かに遺跡の方角を睨む。

 目的はゴスペルの始末と情報を得ること。そして疑心を確信に変えるためだ。

 その邪魔をアラタがするなら彼も障害を阻む者だ。

 スヴェンはアラタの増悪を背中に受けーー嵐は待っても止まないと判断したスヴェンは遺跡に向けて歩き出す。



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6-3.嵐の貿易都市

 町の外は雷雨と嵐に見舞われているが、フェルシオンの町中は雨が降り続ける程度で外と比べれば穏やかなものだった。

 雨に濡れる石畳の道路を窓から眺めていたレヴィは、魔法の恩恵に一息を吐く。

 同時に町の外で降り続ける嵐を鋭く睨む。

 

 ーーあれは極致的な嵐を引き起こす魔法。

 

 何者かが意図的に唱えた魔法で極致的な嵐を引き起こしている。

 直ぐにでも術者を捕らえたいが、レヴィは背後に居るミアにため息を吐く。

 先から彼女はこちらから視線を外そうとしない。眼を離せば窓から飛び出すと理解してるからだ。

 レヴィはダメ元でミアに振り向き、苦笑を浮かべて見せる。

 

「そんなに見つめられると落ち着かないわ」

 

 正直に告げるとミアが笑みを浮かべて返す。

 

「あなたから絶対に眼を離すなってスヴェンさんに頼まれちゃったので!」

 

 そういえばスヴェンは去り際、ミアに小声で何かを告げていた。

 既にあの時からこちらが大人しく待っている筈がない。そうスヴェンには見抜かれていたのだろう。

 そしてミアに頼みながら天井裏に潜むアシュナにも同様の頼みをしていたーーアシュナは出掛けているのか気配が無いけれど。

 ミアは王族として命令を出せばこちらに従わざるおえない。しかしそれをしてしまえばレヴィとして居る意味が無い。

 此処に居るのはレヴィとしての偽名であり、レーナという王族は居ない。それを自らの正体と権力を使えば今後レヴィとして活動することは叶わない。

 邪神教団は何処に潜伏し、彼らの耳と目が有るのか分からないからこそ警戒すべきだ。

 その点で言えばスヴェンは本当に痛い所を的確に突いたと思う。 

 そう結論付けた時、自然とレヴィの頬が緩む。

 

「スヴェンは狡いわね」

 

 ミアはよく判らないと言いたげに小首を傾げ、

 

「狡いのかなぁ? 仕事のためならって感じがするけど」

 

 彼女の言葉にレヴィは黙り込みやがて考え込んだ。

 確かにミアの言う通り、彼は傭兵で護衛として雇った人物。彼の中に在るのは依頼を達成することにある。

 それに魔王救出という依頼を請けた彼は、護衛対象の死亡を何が何でも避けようとする。

 きっと自身が死ねばスヴェンを始めとした異界人の全員が消えるからだ。

 だからこそレヴィは自身の行動を可能な限り弁えなければならない。

 

「私は彼が依頼を達成出来るようにするべきね」

 

「依頼をしたのは姫様ですけど、でも流石にスヴェンさんもあの嵐には足止めかなぁ」

 

 本当に彼は嵐で足止めされるような男だろうか? 左肩を失っても撤退せずに戦い続けようとするような男だ。

 しかしだからこそ術者は見付け出すべきだ。彼は嵐で止まるような男では無いが、平原と荒野の空を覆う魔法陣に嫌な予感が拭えない。

 何の為に発動したのか、魔法の発動には必ず意味が有る。

 例えば退路を断つ為に発動させた。それはフェルシオンの地形を考えれば、必然的に敵襲が目的だと注意が向く。

 敵襲に備えるからこそ魔法騎士団とオールデン調査団は南東の遺跡に向かえない。

 

「敵の思惑通りかしら?」

 

「敵って、昨日のゴスペルのこと?」

 

「ゴスペルもそうだけど、まだ行動を起こしていない連中が気掛かりなのよね」

 

 そもそも嵐を起こしたとなれば、魔法騎士団とオールデン調査団は町に留まる。

 ゴスペルを囮に魔法騎士団を始めとした戦力を一網打尽に、そんな方法も思い浮かぶがーーそうなると嵐の存在が矛盾する。

 レヴィが頭悩ましげにあれこれ思考を巡らせると、ミアが頬に指を添えながら、

 

「案外仲間割れとか、ユーリ様がゴスペルの足留め目的だったり?」

 

 有り得なさそうで一番有り得る答えを告げた。

 同時に嵐の目的と未だ正体が判らない敵の思惑。正解が前者なら敵は用済みになったゴスペルを排除しようとしている。

 後者が正解ならやはり矛盾が邪魔をする。魔法騎士団とオールデン調査団が嵐を警戒して町に留まるからだ。

 なおさら二つの戦力は昨日の襲撃も合わさり、厳戒態勢で警戒しているはず。

 そもそもユーリとリリナには嵐を起こす魔法は使えない。

 それにフェルシオンに限定すれば国民の中に、嵐を起こす魔法を使える者は居ない。だからこそ自然と思考が仲間割れと結論付ける。

 

「状況を考えれば仲間割れの線が濃厚ね……」

 

「うーん、それならゴスペルは誰に裏切られたのかな?」

 

 そこが未だ判らない。今回の件に邪神教団が動いているという証拠が無い。

 実際には邪神教団はアウリオンとリンにゴスペルを守らせていた程度だ。

 問題は邪神教団がなんの目的でアウリオンとリンを派遣し、その後撤退させたのかだ。

 そもそも今回のゴスペルの取引相手と邪神教団ーーエルロイ司祭が個人的な交友関係から二人の魔族を派遣させた事も充分に考えられる。

 

「やっぱり怪しいのは最初の疑念よね」

 

「リリナ様が偽者っていう疑い……確かに一番怪しいかな」

 

 もしも彼女が偽者で嵐を起こしたなら説明が付く。

 しかし未だ正体が判らない水死体、加えて禁術書庫で調べた情報が疑いの域程度に留まらせる。

 最初から敵と仮定して疑い、調べれば水死体は単なる偶然の重なりに過ぎずーー禁術が誰にも知られていない未登録の魔法だとすれば現状で調べる方法が無い。

 だからこそレヴィの中で消えかけた疑いが再び浮上する。

 屋敷に居るリリナは全くの別人の可能性が。

 

「リリナと接触するべきかしら」

 

「それは危険だよ。正体を疑ったら消される可能性だって」

 

 慎重に動くべきか大胆に動くべきか。レヴィが二択の間で揺れていると、アシュナが部屋に降り立つ。

 

「れ……レヴィ、リリナが此処に向かってる」

 

 疑念の相手が此処に来る。だからこそレヴィは冷静にアシュナに訊ねる。

 

「リリナが? 理由は何か判るかしら?」

 

「ミアをスカウトしに」

 

 無表情で告げられる報告にレヴィは顔を顰める。

 

「いやぁ、才能が注目されちゃったかぁ〜って、私に!?」

 

 照れ笑いを浮かべては急に青褪める。なんとも忙しい子だと笑みが溢れた。

 同時にこれは好奇と捉えるべきか、それともスヴェンを信じて危険から遠ざかるべきか。

 いや、此処は慎重に動くべきだ。そう結論付けたレヴィはミアとアシュナに指示を出す。

 

「アシュナは天井裏に待機、ミアは私と一緒にリリナを迎えるわよ」

 

「む、迎えてどうするの?」

 

「ただ口裏を合わせるだけよ。私達は貴女を疑ってません、スヴェンは休養中とね」

 

 こちらの指示にミアとアシュナは頷き、レヴィは確認の為にスヴェンの宿部屋に駆け出す。

 そして部屋に訪れると既に起きて居たエリシェと不自然に膨らんだベッドに目が行く。

 

「もう起きたのね……それで、そのベッドは一体?」

 

「えっと、スヴェンだよ。休養中のスヴェン……って無理があるよね? 一応彼から誰か訊ねてきたらベッドに人が寝てるように装えって言われたけど」

 

 まさかスヴェンはリリナの行動を予見していた? いや、もしもそうなら彼はリリナが来た後に動く可能性の方が高い。

 つまりエリシェに伝えた事はあらゆる方面に対するスヴェンの保険だ。

 レヴィは用心深く疑い深いスヴェンに頼もしさを感じては、

 

「そう、それなら誰かが来ても絶対にスヴェンが居るように振る舞ってね」

 

「それはいいけど……あっ、あたしが立ち入れない仕事の話かぁ」

 

 最初は蚊帳の外に置かれていることに不満を抱いたのか、不満気なら眼差しを向けていたがーーすぐに察する辺り、彼女も利口だ。

 

「そうよ。けれど危なくなったから迷わず逃げるように」

 

 今から危険が訪れるかもしれない。そう告げるとエリシェは一瞬だけ迷った様子を見せ、視線がクローゼットに向いたのを見逃さなかった。

 

「……クローゼットに何か有るの?」

 

「えっ? そ、それは……スヴェンの着替えとか」

 

 確かにクローゼットにスヴェンの着替えが仕舞い込まれてもおかしくはない。

 エリシェが慌てたのもきっと、彼がクローゼットに仕舞う様子を目撃したからだ。

 レヴィは特に疑わず、エリシェに視線を向けると宿屋の前に停まる獣車の車輪の音が外から響く。

 一瞬だけ心臓が高鳴り、それでも態度に出さないように平静を装う。

 

「それじゃあ私は部屋に戻るわ……もし貴女の仕事がひと段落したら女子会というものを開きたいわね」

 

「設計図は完成したので今晩にでも!」

 

 レヴィは今晩はミア達と女子会、そんな予定を頭に入れてから自身の宿部屋に戻りーーリリナが訪れるのをミアと共に待つ。



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6-4.突入殲滅

 嵐の中を突き進み、草木に覆われた遺跡に到着したスヴェンは背後で息を荒げるアラタに視線を向ける。

 嵐の中を強行すれば慣れない者にとって体力を大きく奪う。

 アラタは使用人だが訓練を受けた兵士じゃない。

 

「あの洞窟で雨宿りしてりゃあ良かったろ」

 

 そう指摘すると彼はいまさら連れないと言いたげな眼差しで肩を竦めた。

 

「此処まで来てそれは無いですよ」

 

 顔は和やかな笑みを浮かべているが、今から遺跡に居る敵を殺す。

 あまりにも強い復讐心から来る殺意が隠せていない。

 敵を殺すことに付いては全面的に同意だが、殺意を隠せないようでは連れて行くにはリスクが有る。

 

「責めて漏れ過ぎてる殺意は抑えろ」

 

「……そんなにですか?」

 

 本人が気付いていない。ある種の狂気を感じるが、恐らくアラタにとってリリナはそこまで大切な人なのだろう。

 自身には理解できない感情から来る殺意だが、人はそういうものだと理解は及ぶ。

 特に今のアラタを一人にしては暴走して敵に一人で突っ込みかねない。

 スヴェンは未だ殺意を放つアラタにため息を吐く。

 正直に言えば面倒の塊でしかないが魔法は役に立つ。

 

「仕方ねえ、突入前に確認するが……アンタはどんな魔法が使えんだ?」

 

「魔法は雷の攻撃魔法ぐらいですね。あとは剣にそこそこ自信が有ります」

 

 いまいち頼りないがーーこの遺跡が船だとすりゃあ俺とアラタの剣身はちと長ぇ。

 スヴェンは船の通路幅を想定しながら鋼鉄の扉に近付く。

 開閉スイッチらしき部分から草木を取り除き、ボタンを押す。

 しかしボタンは何も反応が無い。

 

「……やっぱ動力が死んでるな」

 

 それならゴスペルはどうやって内部に入り込んだのか。

 墜落した割に船体に目立った損傷が無い所を見るに頑丈な装甲ーー甲板に登ったか、破損した船底から入り込んだ。

 扉から入らなかったなら連中は扉は開かない物だと認識している。

 そこまで推測したスヴェンは、開閉スイッチに拳を叩き込む。

 開閉スイッチのカバーが破損し、内部の回路が剥き出しになる。

 

「……随分と古い技術だな」

  

 少なくともデウス・ウェポンでは数万年前に採用されていた電子回路だ。

 

「古いんですか? 確かに大昔の遺跡ですけどボクからみたら意味不明ですよ」

 

 こんな物は見た事も無い。そう言いたげに剥き出しの回路にアラタが興味津々に見つめる。

 アラタが知らないのも無理は無い。何せ異世界の技術で造船された戦艦だ。

  

「興味を向けんのは構わねえが、試しに雷を撃ってみろ」

 

 言われたアラタは特に疑いもせず、回路に掌をかざす。

 

「微弱な雷よ走れ!」

 

 詠唱と共に製作された魔法陣から電流が走る。

 そして電流が回路に直撃するがーー回路は愚か扉になんら変化が起こらない。

 疑問を宿した眼差しをこちらに向けるアラタに、スヴェンは肩を竦める。

 

「完全に回路も死んでるらしい……つまり静かに入れねえってことだ」

 

 スヴェンは背中のガンバスターを引抜き、鋼鉄の扉に一閃放った。

 ズガァァン!! 轟音と共に扉が崩れ去り、内部から騒ぎ声が響き渡る。

 

「何事だぁ!?」

 

「魔法騎士団の奇襲かー!!」

 

「全員武器を手に取れ! そして奴らを殺せぇぇ!!」

 

 怒声と共に足音が鳴り響く、真っ直ぐこちらに駆け付けるゴスペルの荒くれ者共にスヴェンはサイドポーチからハンドグレネードを取り出す。

 そして魔力を流し込み、紅く光るハンドグレネードを躊躇なく集団の中心に投げ込む。

 アラタを引っ張り崩れた扉の壁際に身を隠すと、爆音と爆風が通路を通じて外に伝わる!

 通路を覗き込めば爆破によって、焼け焦げた肉片と溶けた武器が通路に散乱していた。

 

「今ので次々来るぞ」

 

 通路を駆け付ける足音にスヴェンはガンバスターの銃口を構えた。

 

「じゃあボクが前に出ますか?」

 

 そう言って剣を引き抜くアラタに眼を向けず、

 

「巻き込まれねえ自身があんなら突っ込め」

  

 通路に駆け付けた集団ーー十三人の敵にスヴェンは淡々とした表情を浮かべる。

 そして引き金に指を添えるとアラタが足を止め、通路と駆け付ける敵の集団を交互に見つめーーぎこちない表情でこちらに顔を向ける。

 

「まさか、さっきみたいな爆発ですか?」

 

 確かに威力も申し分ない。あの集団を効率的に片付けるには有効な手段なのも確かだ。

 だがハンドグレネードは今後に備えて温存しておきたい。

 特にたった十三人に使うのはもったいないと思えた。

 

「いや、射撃つう方法だ」

 

 それだけ告げては躊躇無く引き金を引く。

 ズドォォーーン!! 射撃音が嵐の中で響き渡り、先頭を走る敵の胴体を撃ち抜き、弾頭が後続ごと胴体を貫く。

 弾頭が十人纏めて貫き、血飛沫と肉片が通路に崩れ落ちる。

 

 ーー残り三人。.600マグナムLR弾の残弾は二十二発か。

 

 運良く弾頭の射線上から逃れていた敵が恐怖に怯えた表情で後退り、

 

「なんなんだコイツは!? 仲間をこうもあっさりと!」

 

 震えた手に握られた斧や槍、剣がカタカタと揺れる。

 三人は戦意を完全に失っているが、スヴェンはガンバスターを構えたまま敵に近寄る。

 そしてアラタに視線を向け、一瞬だけ迷う様子を見せた彼に、

 

「アンタの復讐、そいつの手助けをしてやるよ」

 

 怯える敵にガンバスターを構える。そして突きの体勢を取ったスヴェンに敵が叫ぶ。

 

「こ、殺さない……がふっ」

 

 スヴェンは命乞いに耳を傾けず、ガンバスターの刃で敵の上半身を貫いた。

 刃を通して血が床に流れ、敵は苦しみながらガンバスターの剣身に爪を立てながら意識を手放す。

 物言わぬ死体に成り果てた敵から刃を引抜き、血糊の感触が刃を通して右手に伝う。

 そんな光景を目撃していた残り二人の敵が、涙で顔を汚しながら命乞いにも似た悲痛な叫び声を上げる。

 彼らが最後に見た光景は頭部に振り下ろされるガンバスターの刃と隣で鮮血を噴出する仲間の最後の姿、そして自分の最後の時だった。

 鮮血に汚れた通路でスヴェンはアラタに振り向く。

 

「どうして貴方が殺しを? そ、それはボクがやるべき復讐ですよ」

 

 視線を向ければ足を震わせているアラタの姿が瞳に映り込む。

 案の定だ。アラタは復讐心と強い殺意を放っていたが、いざとなれば殺しに躊躇して怯える。

 だからこそアラタはまだ引き返せ、同時にその機会も今だ。

 

「震えは正直に語るもんだ……アンタの心は何処かで人を殺したくねえのさ。だから足が竦んで動けねえ」

 

 スヴェンの指摘にアラタは顔を伏せ強く拳を握り込んだ。

 握り拳から流れる血が彼の悔しさと不甲斐無さを物語る。

 

「俺は躊躇無く殺せるが、アンタは違えだろ? アンタのその子綺麗な手は誰のためのもんだ?」

 

「ボクのこの手はお嬢様とユーリ様のための……」

 

 これでアラタが帰ればどんなに気楽か。やはり戦闘は単独に限るーーそんなスヴェンの内心とは裏腹にアラタは意を決した表情で、

 

「だからこそボクは今回の件を見届けます!」

 

 硬い決意で隣りに立った。

 完全な誤算にスヴェンは諦めた眼差しでため息を吐く。

 

 ーーままならねえなぁ。

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、ちぃと計画の変更を考えてたんだよ」

 

 ゴスペルの構成員を何人か捕縛し、連中の取引相手に関する情報を得る。

 ついでにリリナと水死体に関する情報も得られれば良いが、その時にアラタは復讐に囚われる可能性が高い。

 だからこそスヴェンはままならないと息を吐きながら通路を歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 鋼鉄に覆われた通路と無惨にも転がる武装した白骨死体にアラタから小さな悲鳴が漏れた。

 外装に目立った損傷は見られず、それなら落下時の衝撃で乗組員は全員死亡ーー仮に助かったとして、動力源が故障したなら乗組員に餓死が襲う。

 これが異世界に攻め込んだ軍隊の末路。これは決して他人事とは言えない。

 何かのきっかけでレーナが自身の記憶を消さず、デウス・ウェポンに返還した時、スヴェンは行方不明期間何処で何をしていたのかアライアンスに説明する義務が有る。

 そこではじめて異世界を知り、豊富な資源に関する情報が国連に漏れでもすればーー同じ轍を踏むことになるな。

 スヴェンは白骨死体から眼を逸らし、鯖付き銃身の半分が折れた銃火器を拾い上げた。

 そして弾倉を取り出し、中身を調べてみれば錆びた銃弾が装填されている。

 

「一応持ち帰るか?」

 

 冗談混じりにアラタに話すと、彼は頬を引き攣らせていた。

 

「よく死者の装備品を触れますね……呪われても知りませんよ?」

 

「呪いだとか怨念が恐くて調べられねえじゃあ、大事なもんを見落とすだろ」

 

 スヴェンは拾った銃火器を投げ捨て、改めて白骨死体に視線を戻す。

 どれも肋骨や背骨、頭骨が砕けている。つまり墜落時の衝撃によって死亡したのだ。

 

「コイツらは落下時の衝撃で死亡……ってことは誰かが侵入して殺したって線は無くなるだろ」

 

「それはそうかもですが……どうして1000年前の白骨死体を調べたんですか?」

 

「仮に墜落後、コイツらがまだ生きていたと仮定しろ」

 

 生きていたなら餓死か誰かに殺害された。それも骨を砕くような殺し方を。

 そうなればモンスターが内部に侵入し、悉く殺し尽くしたという推測が浮かぶ。

 そしてモンスターは魔力が保つ限り生き続ける。

 

「つまり……モンスターの可能性が消えたから進みやすいってことですか?」

 

 アラタの結論にスヴェンは正解だと頷く。

 こんな狭い通路でモンスターと戦闘なんてしたくない。その可能性が消えた以上、幾許か気楽になる。

 

「さて、本命は何処に居るかだが……やっぱブリッジ辺りか?」

 

「なんとかは高い所を好むのと同じ感じですかね?」

 

 確かにバカや権力者は高所を好むとアーカイブにも記されているが、戦艦を拠点にするなら頭目はブリッジを抑える。

 

「必ずしもそうとは限らねえが、ブリッジってのは入り口はダクトを含めりゃあ二カ所だ。侵入者に対して待ち伏せが可能な場所を選んでも可笑しくはねえだろ」

 

「確かにそうですね……だけど、妙ですよね。入り口は固く閉ざされているのに、連中は何処から入り込んだでしょうか? 少なくとも遺跡調査隊は内部に入り込むことすらできなかったんですけど」

 

「外壁に亀裂がねえとなれば船底が一番怪しいだろうなぁ。まあ、考察もいいがそろそろ進むぞ」

 

 白骨死体を調べ、雑談混じりの考察をするだけの時間的余裕が有った。

 それはつまり敵が何処かで待ち構えている可能性が高い。あるいは閉ざされた扉が多く遠回りしなければ出入り口に辿り着けないのかもしれない。

 こうしてスヴェンとアラタは警戒しながら通路を進んだ。

 



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6-5.崩壊全滅

 船内を駆けるスヴェンは内心で拍子抜けしていた。

 もうすぐブリッジに到達するというのに敵が居ない。最後に敵と遭遇したのは出入り口のあの時ぐらいだ。

 

「また扉ですよ!」

 

 並走するアラタの呼び声にスヴェンは前方の道を塞ぐ鋼鉄の扉にガンバスターを振り抜く。

 振り抜かれた一閃が鋼鉄の扉を容易く砕き散らす。

 轟音を奏で崩れ去る鋼鉄の扉ーーこうやって進むのももう何度目か。

 そして轟音に敵が誘き寄せられないのもこれで何度目だろうか?

 

「ブリッジに集まってんなら良いんだがなぁ」

 

「うーん、ここまで遭遇しないとなると……昨日の襲撃で大半の戦力が捕えられたんですかね?」

 

 アラタの述べた可能性の方が高い。そうなるとコロシアムの廊下に居た連中が該当する。そしてそれを制圧したのはレヴィ達だ。

 武器を持てば性別など関係ないが、たった三人で魔法も使わずに制圧するのだがらやはり強いと思えた。

 ならここには大した敵戦力は残されていないのでは? そんな結論が出るが、やはり傭兵としての経験が警戒を緩めない。

 

「まあ、敵が残りわずかだとしても警戒は怠んなよ。窮地に立たされた奴らほど何をしでかすか読めねえからな」

 

「スヴェンさんは用心深いんですね。ただの異界人とは思えません」

 

 それは質問なのか単なる疑問なのか。どらちとも取れる言葉にスヴェンは無視を決め込み、足を進める。

 やがて見えた梯子を登り上げ、嵐に曝される甲板に出た。

 激しい豪雨がブリッジの窓を水滴で覆い尽くす様子に、スヴェンは入り口へ駆け抜ける。

 そして扉に到着したところで様子を窺うアラタに合図を出す。

 それに応じて梯子からアラタが飛び出し、こちらに駆け付けようとするもーーアラタの表情に警戒心が顕になる。

 スヴェンは壁の影に隠れナイフを取り出す。

 勝手にゆっくりと開かれる鋼鉄の扉。そこから煙草を口に咥えた一人の人物が姿を見せーーアラタに気付いた男の背後をスヴェンが取る。

 男が敵に知らせるよりも早くスヴェンは男の口元を塞ぎ、ナイフを首筋に当てた。

 雨と共に滲む汗がスヴェンのグローブに伝う。

 

「ブリッジに何人居る?」

 

 質問と脅しの意味を込め、男の首筋にナイフの刃を数ミリ程度食い込ませる。

 そのまま黙りを決め込めば、刃が頸動脈を斬る。

 男はスヴェンに眼を向け、こちらが容赦なく人を殺せる。そう判断したようで、

 

「ご、5人だ。ボスを含めた5人が居る」

 

「他には?」

 

「船内……唯一の出入り口に見張りが10人、すぐ近くの通路に13人の見張りが居る筈だ」

 

 彼の証言が正しいなら最初の奇襲で殆ど死んだ。

 スヴェンは敢えてその事実を告げず質問を重ねる。

 

「ユーリの屋敷になぜリリナを返した?」

 

「わ、分からねえ……理由はボスが知ってるが、ボスも納得していなかったのは間違いない」

 

「質問を変える……港で発見された水死体、全身の皮膚を剥がし、頭部を潰してから流したのはお前達か?」

 

 スヴェンの低い声に男の表情が青ざめ、同時にアラタも一つの疑念に辿り着くいた様子で顔を青ざめさせる。

 

「い、いや……俺達は用意された死体を流したんだ」

 

「それは誰の指示だ? 邪神教団か?」

 

 そう質問を重ねると男の瞳に疑問が浮かぶ。

 

「いや、それは違う筈だ。その指示を出して来たのは取引先だ。ただ連中も邪神教団と繋がりが有るのか、届かなかった商品の替わりに封印の鍵を要求してきたんだ」

 

 一連の取引は間接的に邪神教団が関与しているが、どちらも下請けの立場に過ぎないのか。

 

「ならアンタらの取引相手は? ゴスペルの規模はなんだ?」

 

「そ、それは言えない。ゴスペルとしてのプライドが俺にも有るんだ」

 

 取引相手だけは隠す。商売人として顧客の情報は護るが、味方の情報は売る。

 明らかな矛盾にスヴェンは瞳に魔力を集中させ、男に眼を向けた。

 すると頭部に何らかの魔法陣が刻まれ、怪しげな光を放っている。

 情報漏洩を防ぐための暗示系統の魔法か。コイツを回収し、魔法を解呪すれば幾つも情報が手に入りそうだが、スヴェンは静かなアラタに視線を向ける。

 

「何らかの魔法を受けてるコイツから取引相手は聞き出せそうにねえな」

 

「……ゴスペルまでも利用されている? そういうことなんですか?」

 

「トカゲの尻尾切りだな。身の安全のためなら取引相手だろうが利用するってことだろう」

 

 そんな会話に男は狼狽えた様子を見せ、次第に混乱した様子で息を荒げる。

 

「そ、それじゃあ……俺達は何の為に国境を越えたんだ? ゴスペルの右足として……いや、与えられた役割を全うするため??」

 

 混乱から思考が乱れ、瞳を激しく彷徨わせる男にスヴェンは、発狂する前にナイフで頸動脈を斬り裂いた。

 声を発する間も無く、男は首筋の夥しい出血と共に崩れ落ちる。

 スヴェンは血糊が付いたナイフから血糊を払い、上着の鞘にしまう。

 

「殺してしまってよかったんですか?」

 

 殺人を躊躇なく実行できるスヴェンに対する恐れを顕にしたアラタの視線が突き刺さる。

 それに対してスヴェンは何も感じず、

 

「必要な情報は吐き出した。それにコイツに仕掛けられた魔法ってのが自爆もするようなもんなら、連れて行けねえだろ」

 

「それは考え過ぎじゃ……」

 

 確かに彼の言う通り過剰な行動だろう。

 しかしこうでもしなければ確かな安全を保証できない。傭兵として外道に染まりきったスヴェンは、自身の中で明確な安全を得るためならどんなことでもする。

 それがスヴェンという名と人の形を持ったーー戦場で育ったモンスターだ。

 

「残り5人だが、リーダー格だけは生きて連行してぇ」

 

「他は殺すんですね」

 

「目の前で殺されんのが嫌ならアンタが俺よりも先に無力化すりゃあ済む」

 

 そう告げるとすっかり復讐心が消えたアラタは、人命優先と言わんばかりに意を決した表情を浮かべた。

 彼の決意に何も言うことも無ければ、むしろ期待感が膨らむ。

 殺し意外の方法を見出せないスヴェンと一度は復讐を誓い、道を踏み外す前に戻れたアラタの決意。どちらにも正解などありはしないが、どちらが最良の結果を得られるのか。

 片方が失敗したとしても片方が成功すればいい。

 スヴェンはそんな保険に近い思考を浮かべながらブリッジに続く階段を登る。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 階段を登り終え、少し進めば鋼鉄の扉が行く手を阻む。

 先程の扉は開閉された。つまりブリッジとその周辺だけは動力が行き届いてる。

 スヴェンは一度扉の前で足を止め、ガンバスターを片手に開閉スイッチに近付く。

 さっき鋼鉄の扉は勝手に開いたーーつまりブリッジ周辺だけ一時的に電力が復旧されている。

 そう考えたスヴェンに何の躊躇いもなく開閉スイッチを押した。

 

「ちょ!?」

 

 アラタの悲鳴混じりの声が耳に響くが、同時に鋼鉄の扉が自動で開かれる。

 そして内部で集まっていたリーダーとその部下が一斉にこちらに敵意を剥き出しに視線を向けた。

 

「何者だ? いや、それよりも嵐の中をここまで来たのか?」

 

 禿頭の頭目が二振りの戦斧を両手に構える。

 

「嵐で足止めを喰らうほどお利口じゃねえんだよ」

 

 スヴェンがガンバスターを構えると、その横脇を雷電が通り抜ける。

 雷電が四人の部下を穿ち、音もなく硬い床に崩れ落ちた。

 視線を隣に向ければ、先手必勝と言わんばかりに魔法陣を向けるアラタの姿が映り込む。

 敵が武器を構え魔法を唱えるよりも先に無力化する。悪く無い判断にスヴェンはブリッジ内に駆け出す。

 コンソロールパネルを足場に跳躍し、頭目に向けてガンバスターを振り下ろした。

 体重と助走を乗せた一撃を、魔力を纏った双戦斧で刃を受け止める。

 ガンバスターの刃が受け止められたことにより、スヴェンの身体が宙に浮く。

 しかし彼はその体勢を利用し、頭目の顔に横から膝蹴りを放った。

 ゴシィンン!! 鈍い打撃音と共に頭目がコンソロールパネルに尻餅付く。

 

「オラァッ!!」

 

 そこにスヴェンは容赦なくガンバスターを一閃放つ。

 だが、頭目は咄嗟に横に転がることで刃を避ける。

 刃はコンソロールパネルを斬り裂き、損傷した回路から放電が流れた。

 スヴェンは放電をものともせず、

 

「この施設を一時的に復旧したのはテメェか?」

 

「へっ! 古代の遺跡って言うからどんな物かと思えば、叩けば動く単純な代物だ!」

 

 一応戦艦は精密機械と緻密な設計により建造された代物なのだが、そんな原始的な方法で一部の施設を復旧させたことにスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなスヴェンに頭目が双戦斧を突進しながら構える。

 突進と同時に刃を振り抜く。動きを読んだスヴェンがガンバスターを構えると、真横を雷刃が駆け抜けた。

 頭目は一度足を止め、雷刃を双戦斧の刃で弾く。

 

「完全に不意を付いたつもりだったんですけどね」

 

「あ? 今更だがなんだって使用人がこんな所に居る?」

 

「お嬢様の命令で偵察に来たんですけどね、彼と協力して制圧した方が早いと判断したんです」

 

「……そういや、昨日のコロシアムにも居たな」

 

 悠長に始まる会話。スヴェンはそんな隙を見逃す筈も無く、ガンバスターの腹部分で頭目の腹部を振り抜いた。

 くの字に身体を曲げ、またコンソロールパネルに身体を叩き付けられる。

 頭目は衝撃により血反吐を吐き、容赦無い一撃に豪快な笑い声を上げた。

 

「容赦ねえなチクショぉぉ! だが、兄ちゃんのその姿勢は嫌いじゃねえぜ? 偽善と正義感を剥き出しの青臭い連中よか好感が持てる!」

 

「今から殺す相手から好感を得てもなぁ」

 

「へぇ? オレを殺すか。ゴスペルの右足を任されたオレを舐めんな!」

 

 頭目は叫ぶが、彼の眼差しからは冷静さを欠いていない。

 言動こそ荒々しく、とても冷静ではない。一見そんな感想が芽生えるが改めて対峙すれば目の前の敵は、ずっと冷静で戦闘を楽しむ余裕を持っている。

 それは殺し慣れた手合いだ。故に彼が次に出る行動も予想が付く。

 スヴェンは頭目が切り札を出すと予想しながら動き出した。

 

「合成獣ども餌の時間だ!」

 

 魔力を宿した叫びに呼応するように、ブリッジの天井に魔法陣が現れる。

 その魔法陣から二頭のアンノウンが出現し、スヴェンとアラタの前に立ち塞がった。

 魔法が使えないスヴェンにとって障壁を展開できるモンスター、それが二頭とならば厄介な敵でしかない。

 だがスヴェンはそれでも脚を止めず、二頭のアンノウンの頭上を跳び抜ける。

 こちらの行動に対して頭目は驚愕を顕にーースヴェンがガンバスターを振り抜くべく構えた瞬間、窓から差す真紅の光にその場に居る全員が静止した。

 すっかり止んだ嵐。窓から空を見上げれば、燦爛と輝く紅い魔法陣が遺跡の頭上に展開されている光景が映り込む。

 いつ発動してもおかしくない魔法陣の出現に緊張感が漂う。

 状況を確認したスヴェンは再びガンバスターを構えると、

 

「ぜ、全員ストップだ! 合成獣共もお座り!」

 

 頭目の指示にアンノウンは大人しくその場に座り込み、やがて頭目は焦りを滲ませながら武器を納める。

 どうやら戦闘している状態ではない。それは空に浮かぶ魔法陣が危険だと証明している。

 同時にスヴェンはこれが何者かによる証拠隠滅による行動だと判断した。

 ゴスペルの取引相手か、それとも最初の疑念が仕掛けたものか。

 

「あの空の魔法陣は何だ?」

 

「……局地的に業火が降り注ぐ魔法だ。そいつの規模はここら一帯を焦土に変える」

 

 遺跡から離脱して離れるにも時間が足りない。そもそも証拠隠滅を目的にしてるならそんな猶予を与える筈がない。

 

「今から逃げたところで間に合わねえな」

 

 冷静に判断したスヴェンは、焦りを滲ませるアラタに視線を向け、

 

「落ち着け。慌てたところでどうこうなる状況でもねえ」

 

「いや、このままだと死ぬんですよ!?」

 

「兄ちゃんよぉ、そいつの言う通りだ。……恐らくあの魔法は事実を知るオレを消す為に展開された魔法だろうよ」

 

「事実か。アンタはまだ助かりてえと思ってるか?」

 

「そりゃあ命あればなんとやらだ。それとも兄ちゃんはアレをどうにかできる魔法があんのか?」

 

「俺は魔法が使えねえ」

 

「「ダメじゃねえか!!」」

 

 二人のツッコミにスヴェンは眉を歪める。

 

 ーー危機的な状況だから息が合うのか? 

 

 内心でツッコミを入れると、同時に空の魔法陣がより一層激しく輝き出した。

 もう助からないと叫ぶアラタと諦め切れず悔む頭目に、スヴェンはサイドポーチからとある物を取り出しながら駆け出す。

 床に転がる者達はもう無理だ。なら手が届く範囲に動くまで。

 そしてとある物を放り投げ、同時に二人の首根っこを掴みながら投げた物に向けて駆け出すーーそれと時を同じくして業火の光が南東の遺跡を無慈悲にも呑み込む。



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6-6.来訪問答

 スヴェンとアラタが南東の遺跡に乗り込んだ頃。

 レヴィとミアが滞在する宿部屋にノック音が鳴り響く。

 

「リリナですわ! いまお時間よろしいでしょうか?」

 

 リリナの声にレヴィはタオルを手に持ち、自然な足取りでドアを開け、

 

「雨の中わざわざ訊ねるなんて、よほど重要なのかしら?」

 

「善は急げと言いますわ!」

 

 本来の目的がアシュナの告げた通りならさほど重要とは思えない。

 加えてレヴィは微笑むリリナが一切濡れていない事を見逃さなかった。

 この様子ならタオルは必要ない。

 

「タオルは要らなかったようね……話しがあるなら部屋へどうぞ」

 

 彼女を宿部屋に招き入れる。

 そしてリリナを椅子に招くと、彼女は警戒した素振りを見せず優雅な振る舞いで椅子に座った。

 やはり貴族の教育が身に染みた仕草は変身程度で真似ることなどできない。

 レヴィの中で疑念が再び消えかけ、改めてミアと共にリリナの正面に座る。

 

「お二人は以前からお知り合いでしたの?」

 

 そんな質問にミアが微笑む。

 

「知り合ったのはこの町で出会ってからですね。それで話しをするうちに意気投合しちゃってルームシェアするほどにですね」

 

 事実を知るレヴィからすれば、澱みなく嘘を並べられる彼女に思わず内心で感心が浮かぶ。

 対するリリナは何かを確かめるようにミアの眼を真っ直ぐ見つめ、しかしミアは視線をわずかに逸らした。

 彼女の眼に何か有るのか? そう思って直視しようとした瞬間に謎の悪寒が背筋を駆け巡る。

 彼女の眼を直視してはならない。そんな直感が警鐘を鳴らす!

 

「あら、今回も眼を合わせてくれませんのね」

 

「貴族のお方と眼を合わせて話すことは、平民出身の私には難しいのです」

 

 緊張していると苦笑を浮かべて見せるミアに、リリナは深く追求せず納得した様子を見せる。

 

「そうですのね……そういえばミアさんの故郷は何処ですの?」

 

 リリナがミアの故郷を知らない? 

 それはあまりにも可笑しな話だ。彼女の故郷に起きた事件、そして村の外に残された二人の内の一人であるミアを貴族のリリナが知らない?

 あの事件は王族をはじめ貴族の間で共有され、どう取り組み解決すべき事件か協議されている。

 そしてリリナは間違いなくユーリと一緒にその協議会に出席していた。

 レヴィが内心で疑念を浮かべる中、

 

「私の故郷ですか? 言われてすぐに出て来ないような小さな小さな田舎ですよ」

 

 ミアは嘘でその場を切り抜けた。

  

「あら? そうですの、それなら聴いてもピンと来ないかもしれませんわね」

 

 嘘を間に受けたのか、リリナは深く疑いもせず相変わらずミアを見つめている。

 そして数回息を吐いたリリナがミアの小さな手を両手に取り、

 

「それはそうとやっぱり貴女はわたくしに仕えるべきですわ」

 

 専属の治療師として雇われないか? そんな誘いをミアに問う。

 しかしミアは迷うことなく彼女と眼を合わせずに、

 

「嬉しいお誘いですけど、以前も申した通り丁重にお断りさせて頂きます」

 

「お父様も賛同してくだってますのに、どうしてですの?」

 

「前にも言いましたが今の私はスヴェンさんの案内人だからです」

 

「それはレーナ姫の命令ですの? もし権力を盾に命じられているのならお父様を通してオルゼア王に掛け合ってもよろしくてよ」

 

 気付かないとは此処まで恐ろしいのものだとは思わなかった。

 現にリリナは本人を眼の前に意を唱えている。

 しかしそこに不快感は無い。むしろ王族の権力で強制されていると影で思われても仕方ないのだ。

 同時に一つ確信した事がある。以前婚礼の儀に付いて話に来たリリナとは違うのだと。

 あの時の彼女は幸せに満ち溢れ、常にアラタを側に置いて居たーーその彼もなぜか今日は不在だ。

 

「いいえ、自ら志願したんですよ。次に召喚される異界人の同行者にと……まあ、彼は旅行を選びましたけどね」

 

「……どうやら意思は硬いようですわね。仮にですわよ? スヴェンが死亡した場合はどうするんですの?」

 

「彼を死なせませんよ。そのための私ですから」

 

「そう、ところで彼は今はどちらへ?」

 

 ミアからスヴェンに話題が移った。

 内心で事前に示し合わせて良かったと息が漏れ、

 

「昨日のコロシアム襲撃時にスヴェンは私を庇って負傷したわ。傷は完治してるけれど、大事をとって休養してるわ」

 

 ミアに変わり雇主として質問に答えると、リリナはなるほどと頷き、

 

「昨日の襲撃でケガを……それは実力が足りなかったと判断するべきですわね」

 

 彼女の中でスヴェンは取るに足らないと結論付けたのか、そんな言葉が放たれた。

 実際には庇われて負傷した訳では無いが、他人にスヴェンをどうこう言われるのは面白くない。

 

「護衛としての勤めは立派に果たしたわよ。現に私はこうして無傷ですもの」

 

 鋭い視線をリリナに向けると、彼女から冷や汗が滲み出る。

 同時に隣に座るからミアから焦りの視線も向けられ、

 

「ごめんなさい。少しだけ取り乱したわ」

 

 先に謝罪するとリリナも非を改めた態度を見せる。

 

「い、いえ……わたくしこそ無礼なことを」

 

 彼女の態度と声、口調も仕草もまるで本物だ。

 しかし疑念から確信に変わりつつあった疑惑は、よりいっそ確信を得た。

 彼女は本物のリリナじゃない。紛れもない偽者だと。

 それじゃあ本物はどうなったのか? それももう明白だ。

 どんな魔法を使用したのかまでは判らないが、眼の前に居る人物は本物の姿を奪ったのだと。

 記憶も奪われたと見るべきだが、先程の問答で記憶が奪われていないことは明らか。

 同時にアラタやユーリ達の関係性は事前に調べることは可能だ。だからこそ眼の前の人物は人間関係を自然に振る舞える。

 証拠は何も無いが、恐らく魔法解除を行えば正体が露呈するだろうーーだが彼女が動く前に此処で斬るべきか。

 一瞬だけレヴィが迷うと廊下から騒ぎ声が響く、三人は何事かと互いに顔を見合わせーー廊下に顔を出した。

 

「おい! 南東の遺跡が消滅したってのは本当か!?」

 

「本当だ! 疑うなら南東の空を見ろ! あんな魔法を唱えられる奴はそんなに居ないはずだぞ!」

 

 南東の遺跡が消滅? そんな単語にレヴィはスヴェンの背中を幻視しては、同時にミアと共に窓へ身を乗り出していた。

 そして南東の方角の空を見上げれば、嵐は嘘のように晴れ……変わりに燃え盛るように空が紅蓮に染まっていた。

 

「……た、大変なことになりましたわね。わたくしはすぐにこの件をお父様に知らせて参りますわ!」

 

 リリナが何かを告げてその場から居なくなったのも気にならず、レヴィはただ呆然と空を眺めることしかできず、

 

「……スヴェンさんは……えっ? 嘘だよね?」

 

 ミアが床に崩れ落ちたのも、涙が頬を伝うことにも気が付かずーー気の動転からスヴェンの無事を祈ることしかできなかった。



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6-7.貴重な証言

 エルリア城の地下広間で大型転移クリスタルが輝きを増し、やがて転移の光が地下広間全体を包み込む。

 程なくして光が止むとスヴェンと彼に掴まれたアラタと頭目が地下広間の床に足を付けた。

 

「間に合うかどうかは賭けだったが、上手くいったな」

 

 出発直前にレーナから渡された転移クリスタルが緊急時の離脱用として役に立った。

 むろん本来の使用用途でも無ければ、恐らくあの船内のブリッジに設置した転移クリスタルは破壊されてしまっただろう。

 

「い、生きてる? えっ!? いや、それよりもここは? 一体何処に転移したんですか!?」

 

 まだ生きている。目の前の光景が信じられないと騒ぐアラタを尻目に床に座り込む頭目に視線を落とす。

 自分は助かったが部下を失った。そう背中から伝わる哀愁にスヴェンは、

 

「アンタは生かされたんだ。この意味が判るな?」

 

 背中にガンバスターを向けながら無情にも告げる。

 

「……容赦ねえなぁ。部下を失ったんだ、感傷に浸る時間ぐらいはくれよ」

 

 それぐらいの猶予は与えてもいいとは思うが、生憎と此処はエルリア城の地下広間だ。

 そして彼は現在国際的にも手配されているゴスペルの一員であり、部隊の一つ右足を束ねる幹部の一人だ。

 此処に魔法騎士団が駆け付ければ感傷に浸る時間も無くなる。

 それにゴスペルを始末した黒幕が次に取る行動が予想も付かない。だから一刻も早く戻る必要もあった。

 

「生憎と此処はエルリア城の地下広間だ。アンタがうだうだしてれば遺跡を消し飛ばした奴に何も出来ねえぞ?」

 

「遺跡を消滅させた奴が……まさかオレ達は取引相手に裏切られたのか?」

 

 甲板で尋問した敵は、取引相手の話題に移ったあと様子が急変した。この男にも何が起こる可能性が高い、もしそうなら今は取引相手に付いて避けるべきだ。

 

「そいつも必要な情報だが一番確認してえのは、リリナと水死体のことだ」

 

「あの件か……なんで兄ちゃんが調べてんのかはこの際聞かねえが、()()()()()()()()

 

 頭目の放った簡素な答えにスヴェンは予想が有ったことに僅かに眉を歪め、今にも飛びかかろうとするアラタの肩を強く掴む。

 

「離してください! コイツはお嬢様を、お嬢様ぉぉ!!」

 

 冷静になれとは思わないが、スヴェンは駆け付ける金属音の足音に、

 

「魔法騎士団の目の前でソイツを殺してみろ。アンタはともかくユーリの立場はどうなる?」

 

「……ボクが此処で重要参考人を殺したら旦那様の立場に影響及ぼす……っ!」

 

 アラタは下唇を噛み締めるように悔しげに顔を歪また。

 リリナが偽者ならユーリが無事の可能性は限りなく低い。

 むしろ全身の治療を施したミア、あの場に話を聴き来たレヴィの身すら危うい状態だ。

 スヴェンは駆け付けた騎士ーーレイの姿に、また暴走それては叶わないと判断してアラタを放り込むように投げ渡す。

 

「おっと……ってアラタ先輩とスヴェンがなぜここに?」

 

「敵の罠に嵌った結果、転移クリスタルで一時的に避難したんだよ。それと、床に座り込んでるソイツはゴスペルの一員だ」

 

「ゴスペル……指名手配中の犯罪組織の構成員、しかも実働部隊の右足を統べるグランか。スヴェン、これは君の功績になるけど?」

 

 恩賞を受けるか? そう言いたげな眼差しを向けるレイにスヴェンは極めて嫌そうな眼差しを向ける。

 魔王救出を優先する以上、下手に目立つような真似は避けたい。特に手柄を得て注目を集めるようなことは。

 

「功績ならアンタに譲るさ」

 

「人の功績を掠め取るような真似はしないよ。……けど、君の立場を考えれば、功績はアラタ先輩の物ということで如何だろうか?」

 

 話しが判るレイにスヴェンはニヤリっと笑み浮かべると、レイも笑みを浮かべ返した。

 

「ボクだってそんな他人の功績は要りませんよ」

 

 アラタの冷ややかなツッコミを他所にスヴェンは改めて頭目ーーグランに視線を戻す。

 偽者の正体はまだ聞いていない。先に偽者の正体を知る方が先決か。

 

「リリナの皮を被った偽者の正体をアンタは知ってんのか?」

 

「いや、それが知らねえんだ。取引相手のアイツに彼女をユーリの屋敷に帰すように命じられてよ、そん時にアイツが用意した死体を流すようにも指示を受けたんだ」

  

 彼女ということは偽者は女性と考えるべきか? それとも変化や変装の禁術には性別など関係が無いのか。

 まだ判らないことも多いが、どの道殺すなら性別はこの際関係ない。

 それにゴスペルも利用された組織と判明したのも大きいだろう。

 先から大人しいアラタに視線を移せば、彼はその件を踏まえたのか、何かを確信するようにボヤいた。

 

「ならお嬢様……いや、偽者はボクが勘付く可能性を考えて始末しようとした?」

 

 確かに長年使用人として仕えたアラタなら偽者の些細な変化に違和感を覚えるだろう。そして小さな違和感は徐々に大きな波紋を呼び確信に変わる。

 それを想定した偽者はアラタをついでに始末するために南東の遺跡に送ったということになる。

 

「あの遺跡に潜伏するように指示を出したのは?」

 

「あー、それが偽者からなんだよ。取引相手がそこで落ち合うって伝言を受けたんだが、如何やらオレ達は最初から裏切られていたらしい」

 

 偽者がゴスペルに指示を出せた機会は恐らく、アラタ達の眼が離れたコロシアム襲撃時の時だろう。

 そして偽者はゴスペルの取引相手と別口に繋がりが有る。

 そう結論付けたスヴェンは、面倒な状況に眉を歪めた。

 

「アイツを偽者って判断する証拠はあんのか? 過去の会話だとか記憶の行き違いは証拠にもなるが、確証を得る物的な証拠は?」

 

「……どんな禁術を使ってるのか知らないが、恐らく物的な証拠は無い」

 

 物的な証拠が無ければ偽者を殺害した事後処理が面倒だ。

 なにせこの情報を知っているのは此処に居る者達だけ、特に部外者のレイは半信半疑にグランを疑っている。

 そう、偽者の正体が大々的に公表でもされない限りリリナ殺害の汚名をこちらが被ることになる。

 だから面倒な状況にスヴェンは仕方ないとため息を吐く。

 

「一つ確認しておくが、変身だとかその類の魔法は術者の死亡時に解除されるもんなのか?」

 

「変身系の魔法は解除されるけど、禁術となれば如何なるかは判らないんだ。だからスヴェン、僕は捕縛を推奨するよ」

 

「善処はする」

 

 レヴィとミアが危う状況だ。なら依頼を請けた護衛として迷うことも躊躇することもない。

 だがまだグランには聴きたいことが有るのも事実だ。

 本命の質問に移る前にスヴェンはレイに視線を向け、

 

「この城に優秀な解呪師は居るか?」

 

「むろん居るさ……君がその質問をするということは、重要参考人に何か仕掛けられているんだね」

 

 レイの理解の速さにスヴェンが頷き、彼が解呪師を呼びに駆け出そうとしたーーその時、グランの様子が急変した。

 

「オレ達の取引相手は……アイツだ。アイツ、アイツ! アイツあいつ、あい……あ、い……ごふっ?」

 

 グランの異常な言動に反応するよりも速く、彼は全身から血を噴き出し地下広間の冷たい床に崩れ落ちた。

 どうやら解呪師に解除させることもグランに仕掛けられた魔法が発動するトリガーだったようだ。

 スヴェンとレイは重要参考人の死亡に肩を落とす。

 そしてこんな惨状を目の当たりにしていたアラタは苦痛に顔を歪ませ涙を流した。

 

「如何して! 如何してこうも簡単に人が殺されるんですか!?」

 

 アラタの慟哭の叫びが地下広間に響き渡る。

 しかしスヴェンはそんな彼にかける言葉など持ち合わせておらず、

 

「レイ、悪いがソイツの保護を頼めるか?」

 

「……半信半疑だけど、彼はリリナが偽者と知る証言者だ。そんな彼を連れて行かなくて良いのかい?」

 

 確かに部外者がリリナを偽者と証言したところで鼻で笑われ、貴族の娘に対する非礼で捕縛されてもおかしくはない。

 だが今のアラタを連れて行くのは足手纏いだ。

 それに例え偽者でもリリナの姿をした敵の前で、彼は躊躇する可能性が高い。

 戦場で躊躇すれば死ぬのはアラタの方だ。それはレヴィの護衛を受けた立場としても都合が悪い。

 なによりもレヴィーーレーナには人の死をあまり見せたくない。

 

「今の状態のソイツを連れて何になる? 余計な犠牲者を増やすだけだろ」

 

「……君がそう判断したのなら僕は何も言わないさ」

 

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、背後に浮かぶ大型転移クリスタルに手を添える。

 クリスタルの淡い温かな光がスヴェンの触れた手に纏わり付く。

 どうにも温かな感触には慣れない。ましてや人肌に近い温もりは苦手だ。

 スヴェンは内心に駆け巡る感情を押し殺すと、

 

「そういえば君はどうやってフェルシオンに戻るつもりだい?」

 

「んなの保険に転移クリスタルを設置したに決まってんだろ」

 

 レイの質問に答え、彼が返答するよりも速くスヴェンは大型転移クリスタルに魔力を送り込む。

 そして転移したい場所を頭の中で浮かべ、最初に南東の遺跡を浮かべるも大型転移クリスタルは反応せず。

 これで確実に転移クリスタルは消滅したのだと確認を済ませ、フェルシオンの宿屋フェルの宿部屋を頭の中に思い描く。

 すると大型転移クリスタルは淡い光りを放ち、スヴェンを包み込むように光りが飲み込んだ。

 地下広間に残されたレイとアラタは静かにその場を去り、ラオ福団長に事の経緯を告げるのだった。



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6-8.嗤い唄う者

 時は遡り、六月六日のコロシアム襲撃事件が収束した夜二十一時。

 前髪を撫でながらリリナは空に浮かぶ月に三日月のように口元を吊り上げ嗤う。

 誰も警戒しない、誰も言動を疑わず信じ込む。こんなに楽な潜入が今まで有っただろうか?

 ゴスペルの取引相手ーーあの食えない男が提案した成りすまし計画を利用する形だったが、現状の計画は手筈通りに進行している。あとは邪魔者を始末し目的を達成するまで。

 しかし今回の計画は完璧とは行かなかった。邪神教団の司祭の一人としていずれ、最高幹部の枢機卿に昇り詰めるには計画は完璧に完遂しなければならない。

 

「……忌々しいわね」

 

 なぜ計画に誤算が生じたのか。それも一つではない複数の誤算がだ。 

 最初の誤算は計画通りに使用人アラタに救出され屋敷に生還できなかったことだ。

 司祭の一人エルロイが寄越したアウリオンが余計なことをしたが為に多少の計画を変更せざる負えなかった。

 アウリオンに自身をユーリの屋敷に運ばせ、彼が待ち望んだ娘の生還を演出することに。

 だが親としてユーリが素直にリリナの生還を喜ぶなら良かったが、流石はエルリア王家から封印の鍵を任された守護者の一人だ。

 彼は娘の生還を素直に喜ばず、逆に本物かどうか疑心に満ちた眼差しで疑ったのだ。

 

 ーーユーリに軽い催眠魔法を施し、疑心を回避したことはできだけど。

 

 お陰であらゆる来客を追い返すように命じられなくなり、あろうことか生きていたアラタによって治療師ミアを招く事態にもなった。

 そして屋敷を訪れたスヴェンとレヴィと名乗る二人の人物。

 

「警戒対象として報告すべきか、秘密裏に始末しておくべきか」

 

 後者のレヴィは取るに足らない少女に過ぎないが、あの護衛として同行していた男は遥かに危険な存在だ。

 魔力量自体は自身の半分にも満たないが、警戒すべきは身のこなしとあの底抜けに冷たい瞳だ。

 あんな瞳をした人間は恐らく決して多くはないだろう。それにっとリリナは息を吐く。

 一体どれだけの人間を殺し続け、平然として居られるのか。

 ある意味で一番狂った男だとリリナはスヴェンに最大限の警戒心を向ける。

 

「現段階で不要なリスクは避けるべき、か」

 

 スヴェンとレヴィよりも治療師ミアを最優先で始末すべきだ。

 彼女は全身の皮膚、潰された眼球を元通りに再生してしまえる。それはどんな治療師と比較しても異常な領域に達している程だ。

 邪神復活のためにエルリアは最大の障害になる。あのオルゼア王一人にでさえ、当時の枢機卿と十二人の司祭の内半分が殺されーー犠牲を払い、忘却の魔法で己が誰で何者なのか忘れさせ、数年間行方不明にさせることがやっとだった。

 そんな化け物が健在の状態で国王として復帰したのも頭痛の種だ。

 加えて娘のレーナも化け物級の召喚師だ。恐らく魔王アルディアを人質にしなければ、邪神教団は本拠地ごと世界地図から消滅していた可能性がずっと高い。

 そんな化け物二人に対して多大な犠牲を払ってまで致命傷を負わせたとしてもミアが生きている限り、恐らくエルリアの王族は討ち取れない。

 

 ーー国境線にエルリア最高戦力の魔法騎士団長、彼女を釘付けにしてもまだ足りないなんて。

 

 邪神教団の司祭としていずれ討つべき敵に対する対策は講じておく必要が急務だが、今は計画に集中すべきだとリリナは逃避するように思考を切り替える。

 ユーリには計画通り服従下に入れ、封印の鍵を取りに行かせる。そこまでは可能として、このまま何食わぬ顔で潜伏生活が可能かと言えば、結論から言えば不可能だ。

 自身はリリナという小娘の皮膚を被った偽者に過ぎない。本物のリリナが持つ記憶も交流も知らないからだ。

 リリナの全身の皮膚を用意したのはあの男だがーー口調と仕草、癖や口癖に近しい交流関係を徹底的に調べ事前の準備を重ねた結果、邪神から授かった変身魔法も合わさりリリナを演じている状態に過ぎない。

 いずれ記憶と知識不足からボロが出る。特にアラタは用済みのゴスペルとあの男を合わせて始末しておく必要が有る。

 

「決行するなら早い方が良いわね」

 

 そうと決まればリリナの行動は速かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 父ユーリが詰める執務室前でリリナはドアをノックし、

 

「リリナですわ。お父様に伝えるべき火急の知らせを伝えるべく参りましたわ」

 

「火急の知らせ……? 入りたまえ」

 

 ユーリの返事に応じて執務室に踏み込む。

 そして優雅に一礼してからユーリの目前に近付き、書類に羽ペンを走らせる彼に顔を近付けた。

 

「そんなに顔を近付けてどうしたんだい?」

 

 こちらの瞳を見て訊ねるユーリにリリナは薄らと嗤う。

 事前に瞳に仕込んだ魔法がリリナの瞳に現れ、ユーリが咄嗟に椅子から立ち上がるも既に手遅れだ。

 

「我が命に従い、秘匿されし封印の鍵を譲渡なさい」

 

 たった単純な命令をユーリに告げる。彼は『なにを馬鹿な事を』そんな疑念に満ちた表情を浮かべるが、リリナの瞳から放たれた妖しい輝きがユーリの瞳に映り込む。

 瞳を介して対象を服従状態に置く洗脳魔法の一種がユーリの思考を侵蝕する。

 

「……こ、ここれは……ぐっ! いや、洗脳されて……なる、ものか」

 

 服従させたい対象と眼を合わせなければならない魔法だが、条件さえ揃えば自身の魔力量以下の者なら簡単に支配下に置ける。

 しかしユーリとリリナの魔力量はそこまで大きな差が無く、ユーリは服従魔法に抵抗するように髪を掻きだした。

 リリナが内心で冷や汗を浮かべ、服従魔法を重ねかけるかと一歩踏み込んだ頃ーーようやくユーリは虚な瞳を浮かべ、その場で立ち尽くした。

 

「……鍵さえ手に入れば用済みになる男、念には念が必要ね」

 

 彼の顔を動かないように両手で押さえたリリナは、再度洗脳魔法を施す。

 二度の重複がユーリの自我に膨大な影響を与え、自我の崩壊を招く。

 

「封印の鍵を我が手に」

 

「……封印の鍵。ここに無い」

 

 この屋敷の何処かに秘匿されているとは考えてはいない。そうでなければ邪神教団が苦労する必要もないからだ。

 

「封印の鍵を私の所に持って来なさい」

 

「……半日、お待ち」

 

 言動に異常が現れ始めているが、半日程度で封印の鍵が譲渡されるなら取るに足らない問題だ。

 

「封印の鍵を私に譲渡したら、お前は私から離れた所で自爆なさい」

 

「しょ、ショうち」

 

 命令を施されたユーリはそのまま執務室を静かに去り行く。

 エルリア王家からフェルシオンを任され、封印の鍵の守護者を勤めた末裔があっさりと堕ちた。

 これで計画の成功が実現する。これも邪神から授かった特別な変身魔法と入念な準備のおかげだ。

 しかしこの変身魔法は変身したい対象の皮膚を要するため、そう何度も潜入に使える魔法ではない。

 だが一度対象の皮膚を自身に取り込んでしまえばいつでも自由自在に変身が可能になる。

 リリナの皮膚を被った偽者ーーアイラが妖しい笑い声を奏でる。

 

 そしてアイラは緊張した足取りでアラタにゴスペルが潜伏する南東の遺跡に向かうように尤もらしい理由を添えて告げた。

 こうしてアラタが出立の準備に入る中、自身の寝室に戻ったアイラは上機嫌に嗤う。

 これで事前に仕込んだ灼熱の魔法が発動する時、全ての証拠隠滅が完了する。

 あとは邪魔者を始末するだけだが、ミアの治療魔法は邪神教団の役に立つ。

 彼女の人格など不要だ。ユーリと同じように従順に従う人形にしてしまえば済む。

 治療師として膨大な魔力量を有する邪神の生贄としても。

 しかしこの計画には問題も有る。彼女は一度こちらと眼を合わせようとしなかった。恐らく瞳に宿る魔力に反応してだろう。

 もしも明日、会いに行って服従魔法が施せないなら始末するしかない。

 そうなれば関係性は不明瞭だが、スヴェンとレヴィが事件を嗅ぎ付け敵対する可能性も有る。

 ならばミアの始末は別の者達に任せれば調査の手がこちらに伸びる前に、アイラは封印の鍵を持って本拠地に帰還できる。

 

「明日の方針は決まりね」

 

 行動方針が決まれば後は思い描いた結果を現実にするために、アイラは更に策謀を巡らせる。



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6-9.帰還

 スヴェンの宿部屋、そのクローゼットから転移クリスタルの輝きが漏れ出す。

 狭いクローゼットの中に転移したスヴェンは、室内に居る三人の気配にクローゼットの扉を蹴り開けた。

 

「す、スヴェンさんがクローゼットから!? 二人とも下がって! きっと彼は偽者だよ!」

 

 驚愕に染まりながら杖を構え、背中にレヴィとエリシェを隠すミアの様子にスヴェンは呆れた眼差しで睨む。

 おおかたあの空の魔法を見て死んだと誤解したのだろう。そしてクローゼットの中から現れたことに何も疑わずに武器を構えた。

 護衛としてはその対応は決して間違いではないが、スヴェンは今にも殴り掛かりそうなミアに鋭い眼孔で睨み付け、

 

「よく見ろ、俺が死者に見えるかクソガキ?」

 

「……ほ、本物なら私のことは美少女って言うよ」

 

 そんな事は一度も言ったことが無ければ思ったことさえない。

 この後に及んで何を言い出すんだこいつは? 内心で巫山戯るミアに呆れながら拳を握り締め、骨を軋ませる。

 

「俺がいつそんなくだらねえ戯言を言った? それともアンタの言う本物のスヴェンって奴はそう言ったのか?」

 

 次に何か言えばその小顔を鷲掴みにして握り潰す。スヴェンがクローゼットから一歩踏み出すとミアは咄嗟にエリシェの背中に隠れ、彼女の背中から顔を覗かせては、

 

「い、嫌だなぁ〜心配しちゃった分だけ冗談を言っただけじゃない」

 

 冷や汗を滝のように流し視線を彷徨わせていた。

 この際ミアの戯言は単なる冗談と捨て置き、改めてレヴィとエリシェに視線を向ける。

 すると未だ二人はこちらが死んだものばかりと思い込んでいたのか、今にも泣き出しそうな程に瞳を震わせていた。

 

 ーー外道の死ってのは哀しまれるべきじゃねえ、むしろ喜ばれるべきだ。

 

 なぜ二人がこうも哀しげな眼差しを向け、やがて安堵したのか。それがスヴェンには理解の難しい感情の動きだった。

 それはともかく、レヴィならこちらの居場所を把握できる方法が有る。それを使っていたなら死を誤解することも無かったろうに。

 スヴェンは安心したように胸を撫でおろすレヴィに視線を向け、

 

「アンタなら俺の居場所が分かっただろ」

 

 指摘するとレヴィは顔を赤く染め、エリシェの背中に顔を埋めては今にも消えてしまいそうな小さな声で告げる。

 

「……気が動転し過ぎて失念していたわっ」

 

 確かにあの空の魔法を見れば死んだと誤解してもおかしくはない話だ。

 ならこれ以上レヴィに指摘にするのは野暮だ。そう結論付け、

 

「エリシェ、この部屋に誰か訪ねて来たか?」

 

 来客の有無を確認すべく訊ねる。

 

「誰も訪ねて来なかったよ。でも、スヴェンがクローゼットに何か設置してたのは分かってだけど転移クリスタルだなんて……ちゃんと事前に伝えて欲しかったなぁ」

 

 エリシェは、こっちは散々心配したと言わんばかりにじと眼で睨んだ。

 行動に出る際の保険は内密にすべき切り札だ。だから四人には何も告げなかったのが、逆に自暴自棄にさせ敵につっこませる要因になりかねなかった。

 それは少女達の他人に対する思い遣りを考慮しなかったこちらに非があり反省すべき点だ。

 

「悪かったな、アンタの言う通り伝えておくべきだった」

 

「およ? 言った手前あれだけど、スヴェンって案外素直なんだね」

 

「傭兵ってのは素直な生き物なんだよ」

 

 冗談混じりに語るとエリシェの興味深そうな眼差しがスヴェンの紅い瞳を捉える。

 エリシェのそんな視線にスヴェンは無視を決め込み、改めて彼女の背中に隠れているレヴィとミアに問いかけた。

 

「俺から報告が有るが、先ずエリシェの背中から出ろ。そいつは今回の件に関しちゃあ部外者だぞ」

 

「むぅ〜そう言われるとあたしは席を外すしか無いかぁ。でも後で何が起きたとか話してはくれるの?」

 

 事件に関する情報を知りたい。そう語るエリシェにスヴェンは嫌そうな表情で物語る。

 彼女はあくまでもガンバスターの改良依頼を請けた鍛治師だ。戦闘を生業とする者でも無ければ、レヴィ調査事務所の関係者でもない。

 そんな彼女に情報を与えるという事は何かしらの事件に巻き込まれる可能性も充分に有り得るーーいや、こうしてこの場に居る時点で既にエリシェも敵からすれば排除すべき対象に数えられてもおかしくないのだ。

 そもそも護衛を請けた傭兵として彼女に教えられる情報は極端に少ない。それこそ町中で起きた事件程度の誰でも知り得る情報に限られる。

 

「スヴェンが物凄く嫌そうな顔してるけど、あれってどんな時の表情なの?」

 

 スヴェンが内心で彼女に対する配慮を浮かべていると、当人のエリシェがレヴィとミアに訊ねていた。

 

「スヴェンさんのあの表情は事件に巻き込みたくないけど、既に巻き込まれる可能性も有って……でも説明はしたくないって感じ?」

 

「どうなのかしらね? スヴェンは多くは語ろうとしないでしょうし、あの嫌そうな顔は本当に話すのが嫌って感じかしら」

 

 好き勝手に言い出す二人にスヴェンは呆れた様子でため息を吐く。

 二人の言う事は白状すれば正解に近い。だが心配だから言えないとなれば、告げられた者は逆に心配事を抱え余計な面倒を生む。

 なら今回の件に関する情報は伝えず、彼女に伝わる情報は後の祭りーーそれこそ町中の噂話程度に落ち着かせる方がいい。

 

「この件が終わればその内アンタの耳にも入るだろ」

 

「……スヴェンが無関係な人を巻き込みたくないって優しい人なんだって分かっただけで充分だよ」

 

 エリシェから語られた言葉に思わず顔を顰める。

 何処の世界に人