傭兵、異世界に召喚される (藤咲晃)
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第一章 異世界テルカ・アトラス
1-0.死闘の果てに


本日から異世界召喚物の新連載開始!



 雨降る秋の荒野に無数の屍の山が築かれ、そこはまさに地獄のような戦場。

 咽せる程の血と硝煙の臭い。激しい戦闘が終わり、雨音だけが響く静寂の中に二人の姿が有った。

 片や所々血に汚れた金髪、紅い瞳に三白眼をした二十代前半の男は、首にぶら下げたIDタグを揺らし息を荒げながら身の丈程の銃と大剣が組み合わさった特殊な武器ーーガンバスターを片手に歩き出す。

 そして雨に濡れた地面に倒れ込み、絹のようにきめ細やかな美しい銀髪を雨と血に濡れた地面で穢れ、近付く男に少女が息を吐く。

 まだ幼さを残す十代前半の少女に男ーー傭兵のスヴェンがガンバスターを仰向けに倒れる少女。その細い喉元に刃を突き付ける。

 

「こいつで終わりだ」

 

 スヴェンの宣言に少女が悔しさに顔を歪めた。

 

「ここで終わり……私の夢も。貴方は満足?」

 

 少女の夢を潰す。それは他の誰でも無い自分だーー彼女の眩しく尊敬する芽生える夢を。

 

「……いや、アンタの夢は眩しいよ。戦争屋の外道と違ってな」

 

 スヴェンの受け答えに少女――覇王と呼ばれたエルデはため息を吐く。

 

「分かってて刃を向ける。傭兵って難儀だね」

 

 エルデの哀れみにも似た眼差しにスヴェンは苦笑を浮かべた。

 彼女は今でこそ覇王と呼ばれているが、その本質は単に戦争の無い世界を望んだ少女でしかない。

 戦争が無い世界を望んだ彼女は、火種を消すため統一戦争を仕掛けた。結局戦争によって成り立つ平和だが、エルデに統治された国は少なくとも平和を得た。

 戦争経済によって成り立つ生活を打ち壊し、全く別の方法による新しい経済を打ち立た生活を自国民に与えた。

 偉業とも思われる大業を成した……そんなエルデを今から金欲しさのために斬る。そこに葛藤は有れ何ら迷いは無いーースヴェンは傭兵という名の金に雇われた正真正銘の外道だからだ。

 

「そうだな、日銭欲しさに戦争する外道だ」

 

 スヴェンは自身の相棒、ガンバスターを振り上げる。

 振り下ろしエルデの首を斬る。それで今の戦争は終わり、次は各国の覇権戦争が始まる。

 傭兵が覇王の討伐を命じられた背景には、各国が自軍の兵力を消耗せずに覇王を排除したいがためだ。

 戦争が有れば同業を含めた傭兵は金に困ることは無い。

 ゆえにスヴェンは次の戦争の引き金を引くべく、振り上げた刃を振り下ろす。

 エルデの細い喉元に迫る重圧な刃ーーだがスヴェンは寸前の所でわずかに迷いが生じた。

 

 ーー本当にコイツを殺していいのか?

 

 一瞬の迷い。それが悪かったのか突如としてスヴェンとエルデの間に眩い閃光が生じる!

 スヴェンは咄嗟に眼を覆い隠すがーー閃光がスヴェンだけを呑み込んだ。




更新頻度に付いては一章は早め更新にしつつ、二章以降は週に2、3話更新を予定してます。


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1-1.閃光の先

 閃光が止み、スヴェンの聴覚と嗅覚がすぐさま違和感を訴える。

 先程まで聴こえていた雨音がせず、鼻で感じていた血と硝煙の臭いが感じられない。

 何だ? 何が起こった? スヴェンは状況に混乱するも、視力の回復と共にゆっくりと眼を開ける。

 出血も手伝って眩暈を覚えるが、真っ先に視界に映り込んだ人物に言葉を失った。

 綺麗なドレスを着こなした長い金髪ーーそれこそきめ細やかで美髪と称される程の美しい金髪だ。

 そしてこちらを真っ直ぐ見詰める純粋で優しささえ感じる碧眼の少女にスヴェンは息を飲む。

 人目を惹きつけるーー正に少し触れれば儚く崩れ去ってしまいそうな可憐な少女が覇王エルデの替わりに眼前に立っていたのだ。

 そして少女の隣で様子を見護る王冠を被った髭面の中年男性の姿も手伝い、スヴェンは警戒心から咄嗟にガンバスターを構え直す。

 

 警戒のため視線を動かし、即座にその場の情報を頭に叩き込む。

 大理石のような床、奥に見える玉座ーー現代では到底有り得ない歴史の記録に残る建築式。

 少女と中年男性の背後に控えるように佇む、これまた今では過去の遺物と成り果てた甲冑姿の兵士。

 スヴェンの知るどの国家でも採用していない甲冑に眉が歪み、嫌な憶測に冷や汗が滲む。

 そして警戒と困惑を宿すスヴェンと同様に動き出す兵士。

 武器を構えたこちらを警戒してか、兵士が剣を引き抜くが少女の静かな静止に剣を納めるーーどうやら向こうには敵意が無いらしい。

 一先ず襲撃される危険性が減り、次に足元に視線を向ける。足元に広がる不可思議な円形の模様にスヴェンは呆気に取られた。

 どうにも自分の住む地域とは相当異なる場所、言語が通じるのかすら怪しい場所だった。そもそも現代なのかすら怪しい場所だ。

 何より足元の存在が異質感を際立たせるには十分な物だ。

 

 ーーなんなんだこの状況は!

 スヴェンの戸惑いを受け、ようやく金髪碧眼の少女がくすりと小さく笑う。

 

「ようこそ異界人。ここは貴方の世界とは異なるテルカ・アトラスよ……その前に治療が必要のようね」

 

 理解できる言語で語る少女が片手を挙げると、青髪の少女がスヴェンに駆け寄った。

 スヴェンは青髪の少女に警戒を浮かべるも、彼女は気にした素振りを見せず木製の杖を向け、

 

「傷付きし哀れな仔羊に、癒しの光りを」

 

 何か呪文めいた言葉を紡ぐと杖が淡い緑色の光りを放つ。

 警戒するスヴェンを他所に、緑色の光りがたちまち負っていた傷が塞がる!

 不思議な現象だがーーこれは魔法による治療だ。

 理解が及び同時に此処にも魔法文明が在るのだと理解する。

 

 言語の理解、似た魔法文明の存在にホッとした束の間、一つだけ聞き捨てならない情報に眉が歪む。

 少女は確かに『ようこそ異界人』『テルカ・アトラス』と語った。

 つまり此処はスヴェンが住むデウス・ウェポンでは無い全く別の場所。

 頭で理解が追い付くがーーなんの冗談だ。スヴェンが少女を三白眼で睨む。

 治療した少女は凄んだスヴェンに驚き、すぐさまその場を離れた。

 内心で礼を言いそびれたと悔やむが、それよりもスヴェンは確認を優先させる。

 

「治療に付いては礼を言うが、異なる世界だと?」

 

「えぇ、此処は貴方にとっての異世界よ。魔法に驚かない所を見るに魔法文明は共通して存在してるようだけど」

 

 確かにスヴェンの住む世界、デウス・ウェポンにも魔法文明は存在している。

 しかしそれは過去の遺物に過ぎず、また魔力は星の中枢から発掘されたが、魔力が星のエネルギーと理解した人類は枯渇の影響を危惧した。

 だから人類はモンスターの脅威を目前にしても、魔力に頼らない技術ーー神に導かれるままに機械文明を開発した。

 スヴェンの世界で使われている機械技術には、多少なりとも魔法技術が取り込まれているが、あくまでも星に影響しない微量程度に過ぎない。

 故に人類が魔法を使わなくなって数千年なのだが……。

 スヴェンに起きた状況とあの閃光、そして足元のソレが魔法陣なら随分と魔法文明に大きな差異が有ると理解する。

 スヴェンは自身の世界における技術の発達と細かな違いを浮かべーー思考するスヴェンを不自然に思ったのか、少女は不思議そうに言った。

 

「言葉は通じてるわよね?」

 

 思考から少女に意識を戻す。

 そして思い出す。そういえばまだ問答の途中だったと。

 

「あぁ、確かに魔法文明はこっちにも在るが今は使われてない」

 

「そう。共通点が有ると説明の手間が省けるわね」

 

 確かに魔法文明という共通認識は有るが、それでも此処に居る状況に対する理解は難しい。

 それは幾ら経験豊富な傭兵でも理解することは難しいだろう。

 

「どんな方法で俺がこんな場所に居るのか説明しろ」

 

 少女に強めに口調を荒げると、一人の兵士が吠えた。

 

「姫様になんたる無礼な態度か!」

 

 ──姫様? つまり目の前に居る少女は王族で、隣で傍観してる中年は国王ってところか?

 

 スヴェンにほんのりと冷や汗が滲む。

 王家の人間に対する無礼な態度は、極刑されてもおかしくないことだからだ。

 例えそれがデウス・ウェポンでは過去の遺物であろうとも冷や汗が頬を伝う。

 仮に兵士を向けられたとしても抵抗する意志が有るが、それでは現状把握が困難になる。

 何よりもエルデとの一戦を終えた後に一国の軍隊とやり合う気力は愚か装備も無い。

 だからこそスヴェンは膝を折り、姫に頭を下げた。

 

「教養の無い野蛮人ゆえに無礼な態度を取って失礼した」

 

「構わないわ。召喚魔法で貴方を呼んだのは私ですもの、むしろ罵詈雑言を向けられるのも当然よ」

 

 姫にスヴェンは頭を上げ、立ち上がる。

 罵詈雑言を受けるなら話しは早い。

 

「ならすぐに俺を元の世界に帰せ、こっちは仕事の最中だったんでな」

 

 あの時は一瞬でも迷ってしまったが、不可思議な状況が挟み込まれた今ーースヴェンの迷いは晴れていた。

 しかし、いま戻った所でエルデはもうあの場所には居ないだろう。

 また彼女と一戦やり合うのは、正直言って手札が割れてる状態のため勝ち目も無い。

 何よりも武装の大半を消耗し、残りの銃弾も三発となればなおさら。

 それでも傭兵として一度請けた仕事は最後まで真っ当しなければならない。

 それがスヴェンに自ら課した戒めだ。

 戒めとどんな言葉で取り繕うとも外道の行動に過ぎないが……。

 内心で外道は所詮外道だと浮かべーーなぜか姫が罪悪感に満ちた表情を浮かべた。

 なぜ召喚した本人が罪悪感に苛まれるのか。

 

「そう……残念だけど貴方の召喚時に私は魔力を三年分消耗しちゃってね、返還魔法の使用は三年後になるわ」

 

「他に方法は?」

 

「召喚された者は召喚者の意志でしか返還できないのよ」

 

「アンタを殺せばどうなる?」

 

「物騒ね。だけど、私が死亡したら貴方は元の世界に帰ることは愚か存在も消えてしまうわ。謂わば私は貴方をこの世界に繋ぎ止める鎖のようなものよ」

 

 何から何まで術者に都合の良い魔法だな。

 スヴェンは内心で皮肉を浮かべるが、三年待てば帰れることが分かっただけでも儲けだ。

 尤も三年も有ればエルデは世界を統一できるだろうが……。

 そもそもわざわざ少女が異世界の人間を召喚する理由は何だ?

 スヴェンは今更ながらの疑問を問いかけた。

 

「俺をわざわざ召喚した理由は?」

 

「異界人の貴方にやって欲しいことが有ってね」

 

 異世界からわざわざ召喚する程の理由、それは自分の想像にも及ばない余程の理由なのだろうか?

 

「傭兵の俺に? 生憎と俺は金の為なら戦争すらやる外道だぞ」

 

「それはある意味で都合が良いわね……貴方には魔王救出を依頼したいのよ」

 

 姫の語る依頼内容に傭兵のスヴェンは絶句した。

 何処の世界に魔王と呼ばれる存在を、あろうことか救出を願う者が居るのだろうか?

 魔王とは時に世界を滅ぼしたりとかする物語の存在だ。

 いや、此処が異世界なら常識も通用しないのかもしれない。

 スヴェンが口を開きかけた時ーーぐらりっと視界が歪む。

 戦闘の疲労は元より血を流し過ぎたと理解した時には、スヴェンの身体が硬い床に倒れた。



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1-2.目覚める傭兵

 薬草の臭いとウールの柔かな感触、窓から入り込む暖かな風と視線にスヴェンは飛び起きた。

 同時に壁に立て掛けられたガンバスターを握り締めると、何処かで見た青髪の少女が驚いた様子で床に尻餅付いた。

 

「び、びっくりしたぁ〜。目覚めたら飛び起きちゃうんだもの」

 

 スヴェンは何故自分がベッドで寝ていたのかを思い出し、ガンバスターを背中の鞘に納める。

 

「……アンタは?」

 

「嫌ですねぇ、治療した私の顔を忘れちゃったんですか? これでも印象深い容姿だと自負してるのですが」

 

 青髪の少女は心外そうに言ってるがーー正直なところ彼女の容姿はあまり印象に残ってない。

 改めて少女を見れば、確かに綺麗な長い青色の髪と翡翠の瞳。それに華奢な身体付き程度の認識だ。

 服装はノースリーブの上着にローブ、そしてショートパンツに、ロングソックスとロングブーツといった身軽さを確保しながらも洒落に気を使った装い。

 静かに観察して出したスヴェンの答えは普通の少女だった。特に気絶前に会話していた姫と比べればなおさら。

 

「さっき会った姫と比べるとなぁ」

 

「うぐっ……そりゃあ魔法大国エルリアで随一の美少女と名高いレーナ様と比較されちゃねぇ?」

 

「エルリア? レーナ? あー、この国と姫の名か」

 

「お互いに名乗らずに問答を繰り返しちゃうだもん、あなたは誰なんだろうって不思議でしたよ」

 

 そういうば自己紹介もせず話しを進めていたなぁ。

 周りの連中もよく指摘しなかったとスヴェンは自分の愚かさに改めてため息を吐く。

 それだけ自分に余裕が無かったのだ、初歩と礼儀を忘れるほどに。

 

「そうだな、遅くになったが俺はスヴェン。向こうじゃあフリーの単独傭兵をやってる外道だ」

 

「スヴェンさんっと。後でレーナ様に報告するとして、私は治療師のミアと言います。倒れたあなたの面倒を任されてるわ」

 

「あー、そいつは手間をかけたな。言いそびれたが治療も助かった」

 

 遅れて礼を告げるとミアは何処か人を小馬鹿にした笑みを浮かべる。

 

「おやおや、紅い瞳に三白眼で怖い顔、不思議な格好をしてますが意外と礼儀は持ち合わせてるのですね」

 

 黒いノースリーブの防弾シャツと黒ズボンは別段に珍しく無いだろう。ただ防弾シャツが弾力性と耐衝撃材質で造られている程度だ。

 

 ーー此処は異世界だったな、防弾性は珍しいか。

 

 にやにやと笑うミアをクソガキと認識しつつも問答を続けた。

 

「依頼を請けるに当たって礼節は大事だからな」

 

「その割に言葉遣いがなってませんが?」

 

「その辺はいいんだよ。要は互いに得をすりゃあいいんだ」

 

「ほほう? つまりあなたにとっての得は元の世界への帰還ですか」

 

 元の世界に帰還すること。

 それも当面の目的だが、それは協力関係を結ぶに当たり当然の前提条件だ。

 そもそもスヴェンはまだレーナから正式に依頼を請負ったわけでもない。

 特に交渉するに当たって異世界の適正価格も分からないのだ。知識も常識も文明も何一つ判らないままは危険すぎる。

 

「そいつは別件だな。勝手に呼ばれた身だ、帰還を願うのは当然の権利だろ」

 

 ーー三年待てば帰れるなら適当に過ごすのもいいかもな。

 

 レーナは返還に付いて依頼を請けることを条件付けしなかった。なら依頼を請けようが請けまいがこちらの自由だ。

 

「そうですね。姫様もその点は重々承知してますよ、それに帰還を望んだ異界人はすぐに帰してますからね」

 

 すぐ帰せる異界人と帰せない異界人の違いが有るのか?

 スヴェンは新しく生まれた疑問に眉を歪める。

 

「俺の場合は3年掛かるらしいが?」

 

「今回の召喚は戦闘ができる強者を指定した条件召喚ですからね……あなたの召喚には姫様の膨大な魔力と触媒を利用してるので、それに随分遠い異世界だったようですよ?」

 

「あー、つまり距離に応じて使う魔力量も違うと」

 

「そう理解して貰えると助かります。何せ私は召喚魔法を使えませんし専門外なので」

 

「なるほど? ま、詳しい話しは明日になるだろうが……幾つか質問が有る」

 

「私に答えられる範囲なら何でも答えますよ。あっ! スリーサイズとかはダメですからね!」

 

 わざとらしく身体を抱いて隠して見せるミアに、スヴェンは苛立ちを堪えながら質問した。

 

「今の季節は?」

 

「今は春で5月20日ですね」

 

 異世界なだけ有って時間の流れは大分異なるようだ。

 スヴェンは次に本題とも言える質問をぶつけた。

 

「今まで召喚された異界人はどうなった?」

 

 勝手に召喚して処分される。それが一番最悪の状況だが、ミアはなんとも言えない表情を浮かべた。

 困っているような表情に何か有る。それは必ず聞き出さなければならない。

 スヴェンは少々眼孔を鋭くさせ問い直す。

 

「どうした? 説明できねぇのか?」

 

「いえ、異界人はその……なんと言いますか、自由過ぎて大変なんですよ」

 

「具体的に頼む」

 

「……姫様の話しをろくに聴かず都市を飛び出して平原に、門から数メートル先でモンスターに殺されちゃったり」

 

 スヴェンはモンスターの存在を認識しつつ、困り顔を浮かべるミアの話しに耳を傾ける。

 

「そもそも異界人は魔法文明が無い世界から召喚されるのが大半で、先ずは魔法の素質に目覚め訓練を受けることから始まるんです」

 

 魔王救出ーー聞くからに急を要するかと思いきや、無駄な浪費と被害を避けている。スヴェンはそんな印象を受けた。

 

「そいつは親切だな」

 

「殺さずに生かして帰す。それが姫様の理念ですから、あとは困ったことに目覚めた魔力に溺れてこちらを裏切ったり、好き勝手生きたり、事件を引き起こす輩も結構居るんです」

 

 不本意な異世界に召喚され不満が爆発する。それも判るが、訓練を受けるということはレーナの依頼を承諾したということだーー魔力に目覚め、裏切るなどそれはあまりにも不義理だろ。

 同時に異世界召喚を行ったレーナの信用問題にも関わる。

 

「あー、その手合いはどうなる?」

 

「捕縛して記憶を消してから元の世界に強制返還ですかね。……重罪を犯した者はその限りではありませんが」

 

 いくら異世界から召喚した身とは言え、国民の優先度が高いのだとスヴェンは理解した。

 交渉次第では今後の身の振り方を改める必要性も有る。

 スヴェンが交渉ごとに置いて売り込めるのは、自身の戦闘能力の一点。

 こちらの世界でデウス・ウェポンの技術が何処まで通用するのかも確認しておく必要が有る。

 それとこの世界の言語は理解できたが、文字が読めるとも限らないのだ。

 スヴェンはいま把握しておくべき事柄を再確認すると、ミアが不思議そうな顔で覗き込んでいた。

 

「随分と考え事が長いんですね。何か不安とか、元の世界に愛する者を置いて来た! とかですか?」

 

 手振り身振りを交えた質問に若干呆れつつも答える。

 

「俺にそんや奴は居ねえよ。居るとしたら殺し損ねた標的ぐらいだ」

 

「物騒なお人ですねぇ。それで何を考えてたんですか?」

 

「文字が読めるのかどうかだとか、こっちの武器が通用するのかとかな」

 

「それでしたら食事の用意がてら書物を用意して置きますよ。あとは紙と羽ペンですかね」

 

「あん? 食事も出るのかよ」

 

「そりゃあ出しますよ。貴方はエルリア城に滞在する客人扱いですから」

 

 スヴェンは宿賃が必要無くて助かるっと安堵した。

 そんなスヴェンを尻目にミアは身を翻し、軽やかな足取りで部屋を出て行く。

 スヴェンは彼女が完全に部屋から遠ざかったのを確認し、机に置かれたサイドポーチと装備を確認した。

 エルデとの戦闘時にスヴェンは大半の装備を失った。

 サイドポーチの中身は三日分のレーションと治療キット。

 交渉時と素顔を隠す用のサングラス。

 ヒートダガーは根元から折れ、予備弾数も無い。

 幸いハンドグレネードとスタングレネード、空薬莢に雷管が残っているが、グレネード類は各種一つだ。

 おまけに弾頭も無いと来た。

 スヴェンは渇いた笑いを浮かべ、

 

「ジリ貧だな」

 

 現状を嘆く他になかった。

 

 ガンバスターに予め装填された.600GWマグナム弾は残り三発。

 補給の当てがない異世界で無駄弾を使わないに越した事は無いだろう。

 そもそも覇王エルデに射撃は無意味だった。彼女の異常なまでの身体能力ーーまさか荷電粒子による電磁加速が乗った.600GWマグナム弾を簡単に避られるとは誰にも想像できないだろう。

 おまけにエルデの繰り出した一撃で荷電粒子モジュールが破損してしまった。

 直そうにも修理道具は向こうの世界だ。何か修理の手立てを考えなければこちらの世界で保たないだろう。

 ジリ貧な装備にため息を吐くと、ふと脳裏にエルデとの戦闘が浮かぶ。

 

 素早い身のこなし、小柄な体格から想像もできない大地を砕く一撃。

 おまけにエルデが扱うヘルズガンによる正確な射撃とプラズマソードによる剣技が非常に厄介で、何度も死を覚悟したものだ。

 

「悪夢みてぇな戦闘だったな」

 

 振り返って見れば、よく自分は生きてたと感心すら覚える始末だ。

 

「まだ反動抑制モジュールが無事なのは儲けか?」

 

 元の世界に帰ったら損失分もしっかり請求しなければ割に合わない。

 そう考えるも、スヴェンは三年という期間を冷静に見つめ直す。

 三年も有れば向こうの世界では、スヴェンという男は死亡認定されているだろう。

 そもそもひと月も存命が確認できない人間は、政府機関が資金の凍結、傭兵ライセンスの凍結が決行される。

 仮に元の世界に戻ったら戻ったらで行方不明期間の経緯と説明も求められるだろう。傭兵ライセンスの再発効という面倒な手続き付きで。

 面倒臭いこのうえないが、こればかりはどうにもならないっと深いため息が漏れる。

 おまけに腹が減って仕方ないが、スヴェンは異世界の食事に何も期待してなかった。

 文明が発達してるデウス・ウェポンの食事ですら最低最悪レベルだ。

 天然食品はもう存在せず、全ての食材は人工による製造品。

 既に動物も絶滅し、生きている生物は人類とモンスターのみ。

 

「ゴム並みの肉、紙みてぇな食感の魚はなぁ」

 

 また何度目かのため息が漏れるとドアが開く。

 その瞬間、スヴェンの鼻が香ばしく豊かな香りを捉えた。

 

「スヴェンさん、お待たせしました〜」

 

 意気揚々とトレイに食事を乗せたミアは、サイドテーブルにトレイを乗せる。

 皿に盛られた焼いただけの獣肉、贅沢にも様々な野菜をふんだんに使ったスープ、そして湯気を放つ焼き立てのパン。

 スヴェンは困惑したーー俺の知ってる料理じゃない!! 

 困惑を浮かべるスヴェンにミアは微笑んだまま動かない。

 一先ずスヴェンは、フォークで焼かれた獣肉を刺す。

 ほんの僅かな力加減でフォークが肉厚の獣肉に突き刺さる! おまけに穴から留めなく溢れる脂に眼を見開く。

 スヴェンはこの世の物とは思えない獣肉、いや未知の食材に驚愕を隠せなかった。

 

「な、に!? 俺の知ってる肉は中々ブッ刺さらねえんだが!」

 

「えー? どんなお肉なのよ、おっと失礼しました、うっかり素が出ちゃいました」

 

 素の彼女が出す態度にスヴェンは気にした素振り、いや未知の料理の存在を前にして一切気にもならない。

 

「あ? 素のアンタでいいよ。敬語で接されても窮屈だ」

 

 そう告げながらスヴェンはいよいよ未知の料理を口に運ぶ。

 ひと口噛めば歯がソレを容易く噛みちぎり、肉汁と香料がスヴェンの口内に一瞬で広がる。

 スヴェンはゆっくりと噛み締め、そしてスッーと涙を流した。

 

 ーーはじめてだ。こんなに食事が旨いと感じたのは!

 

 涙を流したスヴェンにミアが眼を見開く。

 同時に彼女から憐れみの眼差しを向けれる。

 

「い、今までどんな食事を? これまでの異界人は多少驚くはするけど、そこまで大袈裟じゃなかったわ」

 

「……食事? アレはそんな高尚な領域じゃねえ。俺が食ってたのは……一体なんだろうな?」

 

 スヴェンも訳が分からなかった。

 人生で食べ続けていた料理と信じていた物が、実は違う紛い物だった真実を前に食に対する常識が儚くも脆く崩れ去ったのだ。

 今まで食べていた肉は肉を騙るーー子供がその場の思い付きと勢いで無計画に造った工作品程度に自身の世界の食文化を罵った。

 

「よく分からないけど、悲惨なのは想像できたよ。……その武器とか見てると文明は発達してるように見えるけど」

 

「……発達してんのは科学だけだな。飯はこっちの方が圧勝だわ」

 

 そもそも比較の土俵にすら立てない。

 それが両方の世界で食べた食事に対する評価だった。

 スヴェンは味わうように、そして噛み締めるようにゆっくりと食事を続け、食べ終える頃には心が満たされていた。

 デウス・ウェポンは長い年月による遺伝子の進化と科学技術により人類の平均寿命を五百歳に引き伸ばした。

 人類の発展と進化の代償とも言うべきか、一万年前に動物は絶滅し、当時栄えていた食文化が失われてしまった。

 幾ら技術が凄かろうと人に幸福を齎す食事を蘇らせることは無理だった。

 

「俺はぁ、食事で心が満たされたのははじめてだ」

 

「そ、そう。でも今日から毎日食べられるよ」

 

「異世界、最高かよ」

 

 温かく旨い食事が食べられるなら報酬などどうでも良いとさえ思えた。

 それでもスヴェンが帰還の意志は変わらないのだが……。

 

「腹も膨れたところで……」

 

 スヴェンはミアが持って来た書物を開く。

 見た事も無い言語による文字列にスヴェンは、そっと本を閉じた。

 

「読めねぇ」

 

「じゃあ勉強が必要だね。明日の姫様との謁見後、私が直々に教えてあげるわ!」

 

 文字の読み書きならこの国の誰にでもできる。

 そう思ったが、ミアという少女はレーナの命令に従って行動してるのだろう。

 恐らく彼女に与えられた任務はスヴェンの監視。

 スヴェンはガンバスターを壁に立て掛け、

 

「そんじゃあ明日から頼む」

 

 さっそくふかふかなベッドに身を沈めるのであった。

 その際、ミアが何か言いたげな視線を向けていたが、今のスヴェンは気に留める余裕も無く、彼はそのまま浅い眠りに就く。



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1-3.依頼の話し

 部屋のシャワールームで汗を流し、身形を整えたスヴェンはミアに連れられ謁見の間に案内される。

 そこは昨日召喚された部屋と同じ場所で、特に真新しい物は無く代わりに玉座に国王が腰掛けていた。

 

「ご苦労ミア、下がっていいわよ」

 

「はい、それでは失礼させてもらいます」

 

 ミアはそのまま退出し、この場所にスヴェンとレーナ、そして国王だけが残される。

 護衛の居ない謁見の間――かと思いきや天井、玉座の天幕の裏と支柱の裏から感じる視線にスヴェンは用事深いと感心を示す。

 数名の護衛、昨日見た兵士とは違う。隠密や影から護衛を得意とした部隊が居る。

 そう推測を立て、昨日の己が取った行動を振り返る。

 

 ーー昨日、あそこで暴れ出そうものなら危険だったな。

 

「それで今日は依頼の話しでいいのか?」

 

「えぇ、改めて傭兵スヴェンに魔王救出を依頼するわ。と言っても事情が分からないまま承諾はできないわよね」

 

 言われたスヴェンは頷く。

 こちらは戦争屋の外道に過ぎない。善意で人助けなどやるような人種でも無いのだ。

 ソレをやるのはお人好しか、それこそ電子書籍の物語に登場する勇者と呼ばれる物好きだ。

 特に依頼者の望みと依頼に対する姿勢、考えや背後関係を知っておく必要が有る。

 以前、まだ新米だったスヴェンは提示された報酬に目が眩み、酷い失敗をしたことが有った。

 依頼者に騙され、殺されかけたから逆に返り討ちにした苦い記憶を背景にスヴェンはレーナの言葉に耳を傾ける。

 

「もう3年になるわ。邪神教団によって魔王アルディアが凍結封印されてしまったのは」

 

「物騒な名だな。何か? 邪神を目覚めさせ世界征服ってか」

 

 冗談混じりに言うと、場の空気が重くなるのをスヴェンは肌で感じ取った。

 同時にレーナは意外そうな表情で、

 

「あら神の存在はそちらの世界にも居るのかしら?」

 

「機械神デウスって神なら崇められてるが、こっちにも居るのか」

 

「機械神……こちらの神はアトラス神と呼ばれてるわ」

 

 異なる世界の神、何処の世界にも神は居るもんだなと一人納得する。

 そして邪神教団が邪神復活を望む組織ならろくでもない連中なのだと想像が働く。

 それが態度に出ていたのか、レーナは小さく笑って。

 

「貴方の想像通りよ。連中の目的は世界各地に散らばる邪神を封印した鍵を集め、邪神を復活させること」

 

「復活すればどうなる?」

 

「先ず人の身では勝てないでしょうね。そもそも邪神を始めとした神は不変不滅、倒すこともできないから封印するしか方法がないわ」

 

 復活すれば邪神を再封印しなければならない。

 それは頭で理解できるがスヴェンにはそこまでしてやる義理が無い。

 せいぜいが魔王救出までが良い所だろう。

 目的の障害となるものは排除を前提として。

 

「邪神の復活はどうでもいいが、その邪神教団が魔王を凍結封印した理由は?」

 

「アルディアから封印の鍵を奪い、各国に対する人質及び魔族を戦力として利用するためでしょうね」

 

 自国の王が人質に取られた状況下で国民である魔族は救出に出そうだが、スヴェンはその事を踏まえて状況に付いて訊ねる。

 

「魔王の民は救出の為に動いてんのか?」

 

「アルディアの身柄を抑えられたお陰で魔族は邪神教団に従わざるおえない状況下に落ちてるわ」

 

「随分と忠誠心が高いこって」

 

「アルディアは国民に愛され、他国からも信頼厚いもの。こちらも迂闊に救援部隊を差し出さないのが現状よ」

 

「なるほど。各国の動きは理解できたが、人質を取った連中は何か要求したのか?」

 

「邪神教団が各国に発信した要求は、各国の戦力を差し向けないこと。鍵を明け渡すこと、邪神を崇めること」

 

「最後のはどうでもいいが、それなら俺達異界人も各国の戦力に入ると思うが?」

 

 なぜわざわざ異世界から召喚するのか。

 それが分からなかったが、スヴェンの疑問はすぐに解消されることになる。

 

「邪神教団にとって異界人に対する認識は取るに足らない存在。現に異界人の何人かは逆に向こうに寝返ってるわ」

 

 なるほどと妙に納得できる。

 邪神教団にとって異界人を取り込むことは、消耗品の戦力として利用できるのだと。

 同時に魔王救出に当たり、異界人の召喚を任されているレーナの信頼失落に繋がる外的要因を邪神教団がわざわざ手放す必要も無いことも理解できた。

 

「消耗品としても使い捨てにできるわけだ」

 

「……私はそうは思わないわ。貴方だって使い捨ては嫌でしょう?」

 

「傭兵は金さえ払えば何でもやる。それこそ戦争の火種を振り撒く事だろうともな」

 

「そう。なおさら貴方にはこちらの依頼を請けて貰わないとね」

 

「魔王救出だけならな。邪神復活の阻止だとかは……まあ、封印の鍵を見付けたら奪うぐらいのサービスはしてやる」

 

 レーナの表情が明るくなるが、スヴェンは一つだけ釘を刺す。

 

「待て、俺はまだこっちの戦闘も価格相場も知らねえ。何より文字も読めねえんだ……正式な受理は戦闘を体験してからでも遅くねぇだろ」

 

「あら? 昨日見せた状況判断力と身のこなしから相当数の修羅場は潜り抜けてると判断したのだけど」

 

 いい観察眼を持っている。スヴェンはレーナを評価したうえで自分に足りない経験に付いて話す。

 

「俺は魔法を使用した戦闘を知らねえ、謂わば未知の領域、情報不足は危険だ。それに俺自身が魔法を使えねぇから経験も必要なんだよ」

 

「そこそこの魔力は有るのに?」

 

「こっちの世界じゃあ魔力は、武器に流し込む程度にしか使われて無いんだよ。俺はその魔力を扱ったこともねえ」

 

 この世界でどの規模で魔法が使用されているのか、武器が通用するのか怪しい状況でスヴェンは依頼を請ける気になれない。

 仮に即決で依頼を請負ったとして、この世界に自身の戦闘技術が通用しない。だから依頼を破棄したいでは不義理だ。

「そう、確かに貴方の言うことも一理あるわね。ミアと訓練場に行くように、あと先に言っておくけど報酬に糸目は付けないわよ」

 

「そいつは期待できそうだが、国王陛下から何か言うことは無いのか?」

 

「……娘が判断したこと、ワシの許容範囲ゆえ口出しはせん」

 

 どっしりとした声、それでいて眼差しからレーナを信頼してることが窺える。

 

「そうかい。あー、一つ確認だが……この国で注意事項、守るべき法律は?」

 

「国内において殺人禁止、やも得ない場合は許可するけどそうでも無い場合は無力化が望ましいわ。それから法に抵触することは後でリストに纏めて置くから」

 

 スヴェンは殺人禁止と自身に言い聞かせ、

 

「承知した。殺しはしないように善処する、それで話しは一先ず終わりか?」

 

「そうね、続きは貴方の戦闘が終わってからね」

 

 こうしてレーナとの謁見も終わり、スヴェンはミアに事情を伝えのち訓練場に足を運んだ。



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1-4.異世界の戦闘

 エルリア城の中庭に設けられた訓練場に案内されたスヴェンはさっそく周囲を見渡す。

 訓練に励む兵士ーーこの国では騎士と呼ばれる者達。

 土の足場、地面に残る何かで破壊された痕跡。

 訓練場の奥に閉ざされた分厚い木製の大扉、そして中から聴こえる唸り声ーー人を殺したくて仕方ない感覚にスヴェンは眉を歪める。

 

「モンスターでも飼育してんのか?」

 

 呟いた疑問にミアが頷く。

 

「えぇ、捕獲した訓練用のモンスターがね。異界人も此処で訓練して行くけど……あっ、ちょうどあそこで先日召喚された子がやってるよ」

 

 言われて視線を向ければ、騎士に剣の手解きを受ける若い少年の姿が有った。

 少年の身体は剣を振り回すには筋力が足りず、剣を一度振れば身体が振り回される始末。

 随分とお粗末で何処か焦っている印象を受けるが、そもそも武器を手に戦う事を必要としない世界から召喚されたのならそれも合点が行くことで、お粗末と称するには畑違いだと考えを改めた。

 

「何であっちのガキは戦うことを選んだ?」

 

「さあ? 召喚直後に『異世界召喚キター!!』なんてすごい喜んでて自分には秘められた力が有るとかなんとか?」

 

「へぇ? そういや魔力を有するのは当たり前な感覚だが、魔力が無い世界も有るんだよな」

 

「それがそうでも無いみたいよ? 魔法技術は無いけど誰しもが魔力を持ってる。ただ、魔力が眠ってる状態で引き出せないだけでね」

 

 どの世界にも共通点として魔力が有ることにスヴェンは少しだけ驚く。

 ただ、その世界の状況や成り立ち、文化の違いで魔法技術が発展するかどうかの違いなのだろうか?

 スヴェンはごちゃごちゃ考えても仕方ないと判断して、訓練場を歩き出す。

 

「そんで俺の相手は誰になるんだ? 全員訓練中みてぇだが」

 

「それなら……」

 

 ミアが言いかけると、顔に大傷を負った大柄の騎士がスヴェンに近付く。

 腰に差した大剣と隙のない足運びから、そこら辺の騎士とは遥かに違うのだと理解できる。

 

「スヴェン殿だな? 話は姫様から聴いてる。自分はラオ、魔法騎士団の副団長をしている者だ」

 

 ラオの差し伸べられた握手にスヴェンは応じた。

 グローブ越しから感じる手甲と握り締められる握力ーー軋む腕、コイツは試されている。

 悪くない筋力だ。スヴェンも強めに握り返し、握手を交わした両者の腕の骨が軋む。

 

「ほう? 細身と思えば中々の力、流石はデカブツを扱うだけはありますな」

 

「傭兵は身体が資本だからな。それで俺の訓練相手は誰だ? アンタか?」

 

「貴殿との訓練も面白そうでは有るが、貴殿のお相手はあの者が担当しよう」

 

 ラオの視線の先に居る人物にスヴェンは視線を向ける。

 細身ながら鋭く素早い剣戟を繰り出す金髪の整った顔立ちの若い騎士。

 スヴェンから見ても訓練相手の騎士に対し、素早い切返しが見事としか言えなかった。

 中々の手練れ、異世界の戦闘を明確に実感するには申し分ない相手だ。

 

「アイツは?」

 

「彼はレイ。先月入隊したばかりの新米では有るが、魔法学院を首席で卒業した英才だ」

 

「あー、レイかぁ。私、彼が苦手なんだよね」

 

 ミアはそう言って苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。

 

「そう言えばミア殿は同級生でしたな」

 

「話は後にしてくんね? 文字の学習も有るんでな」

 

 さっさと確認を済ませ、次に移りたいスヴェンにミアが苦笑を浮かべる。

 

「そんなに焦らなくともゆっくりで良いじゃん」

 

「こっちは大事な商談が控えてんだ。そうそう待たせてられるかよ」

 

 そう伝えるとラオがいい笑みを浮かべ、レイの元に駆け寄った。

 すると訓練相手が剣を納め退がると、ラオがこちらを手招き。

 スヴェンはガンバスターの柄に手を掛け、レイの前に立った。

 

「キミが次の相手かい? 随分と物騒な得物を扱うんだね」

 

 不敵な笑みを浮かべるレイから自身の腕前に対する自信が強く伝わる。

 こちらも彼に対して油断する気は一切無い。

 まだ彼がどんな魔法を扱うのか判らない。そもそも魔力をどれほど有しているのか、デウス・ウェポン出身のスヴェンが知る術など無いのだから。

 

「ま、一つ手合わせを頼む。こっちは本気で挑むからよ」

 

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、片腕で構えを取る。

 それを見たレイも長剣を構える。

 二人が互いの得物を構えた時、

 

「両者、尋常に勝負!」

 

 ラオの合図に真っ先にスヴェンが動く。

 地を蹴り、縮地でレイの背後に回り込む。

 同時にガンバスターを振り抜く。

 ガキィーンっ! レイは振り向かず長剣でガンバスターの刃を受け流し、スヴェンはすぐさま距離を取る。

 スヴェンが離れてから僅かに遅れて、先程まで居た場所に一閃が走った。

 

「なるほど、英才と呼ばれるだけはあんだな」

 

 受け流しから反撃までの判断が速い。

 瞬時の判断力、観察眼、相手が誰であろうとも油断しない姿勢。レイは間違いなく強い分類に入るだろう。

 

「キミこそあれだけ早く動けるとは予想外だったよ、まだその武器には仕掛けが有りそうだけど?」

 

「あー、こいつは人間に使うもんじゃねえよ」

 

 スヴェンはそう言いながら、今度は真っ正面から斬り込む。

 レイは再び刃を弾こうと長剣を振るうが、ガキィーンーー訓練場に鈍い音が響き渡る。

 ガンバスターと長剣の間に火花が散る。

 レイは受け流せなかったことに僅かに眉を歪めた。

 受け流しをされては埒があかない。だからスヴェンはガンバスターを受け流し難い角度から斬り込んだのだ。

 ガンバスターの重みと押しかかる重圧にレイの表情が歪み長剣の刃が軋む。

 スヴェンはそのまま一歩踏込み、レイを長剣ごと打ち上げた。

 宙に飛ばされたレイは受け身を取りながら。

 

「炎の刃よ!」

 

 レイの詠唱に呼応し、彼の周囲に魔法陣が浮かび上がる。

 不味い! 空気の変化から危険と判断したスヴェンはその場から大きく飛び退く。

 瞬間、スヴェンの居た場所から手前にずれた位置に爆炎が襲う!

 炎の熱量と轟音、爆風と舞い上がる土煙。深く抉り取られるように破壊された地面にスヴェンの眉が歪む。

 ロケット弾並みの火力。レイはそれを瞬時に発動して見せたのだ。

 おまけに魔法を放ったレイは涼しい顔でこちらの出方を窺っている。

 此処ではじめてスヴェンはこの世界の魔法技術が高度で驚異的な物だと実感した。

 

「おいおい、俺が使う武器の方がまだ可愛げ有るじゃねえか」

 

「そうかい? 初歩的な攻撃魔法なんだけどね」

 

「今ので初歩かよ!」

 

「けれど、中には治療魔法に才能を全振りした人も居るんだよ」

 

 レイの視線の先にミアが居た。

 面白くなったのかミアはすかさず噛み付く。

 

「なによぉ! あなたがケガしても治療してあげないからね!」

 

「自分の傷ぐらい治療できるさ」

 

 余裕の笑みで返すレイにミアが杖を片手に青筋を浮かべる。

 どうにも二人の相性はあまり良くないようだ。

 

「魔法を見れたのは儲けだが、もうちょい付き合ってくれるよな?」

 

「いいとも!」

 

 スヴェンとレイ同時に駆け出す。

 ガンバスターによる重い剣戟をレイは巧みに捌くが、突如放たれる拳に殴り飛ばされる。

 彼は負け時と攻撃魔法による反撃を行い、スヴェンを吹き飛ばす。

 魔法により吹き飛ばされたスヴェンは着地と同時に、ガンバスターを振り回し地面に突き刺す。

 純粋な力技による衝撃波が地面を走り、レイは横転することで避けた。

 

「おらよ!」

 

 スヴェンはレイの両側に向け衝撃波を飛ばし、レイの退路を塞ぐ。

 そのまま直進するスヴェン。

 対するレイは長剣を構え直し、彼を迎え撃つ姿勢を取る。

 ガンバスターを縦に振り抜くスヴェンと長剣に魔力宿し、薙ぎ払うレイ。

 両者の一撃が重なりーー二人の武器が弾かれ宙を舞う。

 すかさず拳を構えるスヴェンに、

 

「両者そこまで!」

 

 ラオの静止の声にスヴェンは構えを解く。

 

「あー、終わりか」

 

「まさか引き分けるとはね」

 

「魔法と立ち回りに関して勉強になった」

 

 スヴェンが素直に礼を告げると、レイは小さく笑って。

 

「こちらこそ。まさか魔力を使わずあんな動きができるなんて驚かされたよ、特に衝撃波には驚いたね」

 

 戦闘中ずっと真顔だったレイに対して、スヴェンとミアは疑惑の視線を向けた。

 本当に彼は驚いたのだろうか? 確かに眉を歪めることは有ったが、その割には表情の変化が薄い。

 

「ふむ、スヴェン殿。次はモンスターと戦闘するか?」

 

「頼む」

 

「あっ! 一応説明するけど、モンスターは常に魔力を障壁に利用してるからまともにダメージを与えるには魔力を消耗させるか、魔法が有効だよ」

 

 つまりモンスターは魔力を消耗させない限りまともなダメージを与えられないと。

 デウス・ウェポンのモンスターは普通に物理攻撃が通じるが、こちらの世界はどうにも勝手が違うらしい。

 デウス・ウェポンのモンスターは障壁が無い代わりに人類から取り込んだ兵器や銃火器による火力制圧を行なって来るが……。

 モンスターと戦闘を始める前にスヴェンは、ミアに大切なことを伝える。

 

「……魔法や魔力を武器に流す方法も使えねえが?」

 

 すると彼女は笑顔を浮かべ、親指を立ててこう言った。

 

「かんばれ! 私も治療魔法以外は一切使えないから!」

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 スヴェンはミアを巻き込み、彼女をモンスターの囮にしようかと一瞬思案するがまだ銃弾が通用しないとは限らないっと思い直す。

 

「……一人で挑戦すっから怪我したら治療頼む」

 

「そこは死なない程度に頑張って!」

 

 あくまでも他人事のように語る彼女に、実際他人事なのだからスヴェンは何も言えず木製の扉まで近付く。

 そしてガンバスターを構えると、ラオの合図で重々しい扉が独りでに開く!




はじめて戦闘描写に擬音を入れてみたけど、意外と武器ごとよって生じる擬音考えるのが大変。


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1-5.異世界モンスターの脅威

 扉から飛び出す影にスヴェンは冷静に観察眼を向けた。

 赤黒い大猪のモンスターーーデウス・ウェポンのラオフェンに姿形は似ているが、違いが有るとすれば体格と重火器を纏っていないことだろうか。

 ラオフェンの特徴的な鼻と口から伸びた凶々しく鋭利な四本の牙。

 あれに貫かれれば容易く千切られるだろう。

 おまけに屈強な四本の脚から駆り出される突進が厄介か。

 スヴェンはガンバスターを引き抜いたまま、ラオフェンの出方を窺う。

 

「動きませんね」

 

「様子見しておるのだろう。あのブルータスの牙は強固ゆえ魔法を弾くからな」

 

 ミアとラオの会話にスヴェンは、ラオフェンをブルータスと再認識しーーガンバスターの銃口をブルータスに向け安全装置を外し、引き金に指を掛ける。

 するとブルータスが後脚で蹴り始めた。

 

 ーー突進の合図か、そこは変わらねえのか?

 

 スヴェンはブルータスを注意深く観察し、いつでも避けられるように足腰に力を入れる。

 ブルータスは突進と同時に風を纏いスヴェンに迫った!

 風圧と突進の速度にスヴェンは驚きこそするものの、大きく右に跳ぶことでブルータスの突進を避ける。

 そしてスヴェンが振り向き様に銃口を向け、彼はギョッと眼を見開く。

 

「おい! そっちに行ってるぞ!」

 

 ブルータスはそのまま見物人の集団に直進していたのだ。

 止まることを知らない猪突猛進……だが、ブルータスが見物人の集団を弾き飛ばすことは無かった。

 魔法陣による障壁がブルータスの突進を防いだのだ。

 

「あー、なるほどなぁ。だから余裕だったのか」

 

「うむ! こちらの心配はせず、スヴェン殿は思いっ切り戦うとよいぞ!」

 

 ラオのしてやったりと言いたげな表情に、スヴェンは動きを止めたブルータスに照準を定める。

 そしてブルータスがこちらを振り向いた瞬間を狙って彼は引き金を引く。同時に内部に備わった反動抑制モジュールが作動しーーガンバスターの銃口から火が吹き、同時にズガァァンーー1発の銃声が訓練所に響き渡る。

 放たれた.600GWマグナム弾の弾丸がブルータスの胴体を目前に障壁に阻まれーーポロリっと虚しく地面に落ちた。

 それは非情であり、同時にスヴェンに虚しさと悲しみを与えるには十分過ぎる結果だ。

 

「マジかよ、人体なら軽く風穴は空くんだがなぁ」

 

 銃弾が通用しない。ましてや荷電粒子モジュールが破損した状態ではこれ以上の火力は望めない。

 そう理解したスヴェンは、ブルータスの真正面に立たないように距離を詰める。

 先程纏うように見せた風に対する警戒も含め、スヴェンはガンバスターをブルータスの横腹目掛け横薙ぎに払う。

 そしてガキィーンっと障壁に弾かれる。

 その手応えは、例えるなら柔らかなクッションを殴り付けたような感触だった。

 これが魔力による感触なのか、障壁の感触なのかは判らないが、スヴェンは更にガンバスターを左右に斬り払う。

 その度に障壁に弾かれ、その都度スヴェンが周り込みながら障壁を斬り付ける。

 対するブルータスは魔力障壁による余裕からか、鼻で笑い始めた。

 

「あっ? こっちのモンスターは随分と感情豊かじゃねえか」

 

 スヴェンは冷静のまま何度もガンバスターによる斬撃を繰り返す。

 それが数分と続くと、ブルータスは突如身体を暴れるように振り回し始めたのだ。

 跳躍して避けるスヴェンに、ブルータスが突進を繰り出した。

 先程とは違って風を纏わない普通の突進。

 これにスヴェンはようやく魔力切れが訪れたのだと理解し、ブルータスを睨む。

 そして足腰に力を入れ、地面を踏み抜くとスヴェンは迫るブルータスを跳ぶことで避け……動きを止めたブルータスの背中に上空から刃を突き刺す。

 重量を乗せた一撃に腹部を貫かれ血飛沫が舞い、地面が鮮血に染まる。

 ブルータスは弱々しい鼻息を荒げーー身体から魔力が粒子状に離散して行く。

 そして数秒も経たない内にブルータスは骨だけを残して消滅した。

 何方の世界も共通のモンスターの死を意味する現象。違いが有るとすれば骨か重火器の違いか。

 スヴェンはガンバスターを背中の鞘に納め、額の汗を拭う。

 

「ふぅ、面倒臭え」

 

 それがスヴェンのこの世界におけるモンスター戦の感想だった。

 そんな彼にミアが駆け寄り、

 

「平原でそこそこ強いブルータスを一人で倒し切るなんて、すごいね!」

 

 笑みを浮かべていた。

 しかしスヴェンから見て、彼女の笑みは何処か作為的で何か意図が有るように感じられた。

 そもそもスヴェンの知るラオフェンは複数で縄張りを動くモンスターだ。

 似た存在のブルータスもそうなら、群れと戦闘すればどうなるのかは明白だった。

 それでも魔法が扱えるテルカ・アトラスの人間なら苦戦もしないのだろう。

 

「そうかぁ? 魔法がありゃあ楽勝なんだろ」

 

「うん……実際はかなり弱い分類」

 

 ーーコイツ、褒めて調子付かせようとしたのか?

 

 スヴェンはミアの言動と態度に呆れた視線を向ける。

 

「次は勉強の時間、スヴェンさんは分からないことだらけだから私が丁寧に教えてあげるよ」

 

 ドヤ顔を浮かべるミアから視線を外し、

 

「なあレイ、後で読み書きを教えてくんね?」

 

「そうしてあげたいのは山々だけど、僕はこれから副団長と調査に出向かなければならなくてね」

 

「ちょっと!?」

 

 隣で抗議を始めるミアを無視しつつ、スヴェンは調査に疑問を感じたが、気にしても仕方ないとして歩き出す。

 

「あっ! こっちは姫様から頼まれてるんだから!」

 

 なら最初からそう言えばいいものの。スヴェンはそう思いながらミアと訓練所を立ち去った。

 ……その際に敵意を宿した視線を感じたが、スヴェンにとってどうでもいいことだった。

 いま重要すべき事はレーナの依頼を請けるどうかだが、もうスヴェンは結論を出していた。



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異章一
目撃者


 企業連盟が雇った傭兵スヴェンが、覇王エルデをあと一歩の所で突如として世界から消失した。

 監視ドローンによる戦場中継を天体モニターで目撃していた者達が一様に困惑した目付きで会議テーブル越しに息を吐く。

 天体モニターを中継していた茶髪のスーツ姿の女性も困惑した表情を見せるが、それは一瞬だけですぐさま冷静に無感情を顕にした。

 

「……傭兵スヴェンの消失。覇王エルデの健在、いや痛手を与えたことに意義を見出すべきか」

 

 一人冷静に事態を認識した老人の枯れた声に注目が集まる。

 

「何を言う、我々連盟が雇った傭兵が全滅したのだぞ! これは明らかな損害だ!」

 

 一人は連盟が被った損害額に嘆き、会議に参加していた者達に動揺を走らせる。

 

「確かに小娘に対する損失は釣り合いが取れんな。……だが小娘も重症、あの傷では再生治療処置を行ったところで時間がかかるだろう」

 

「その間にまた傭兵を雇うと? 是非ともこの機会に我が社の最新鋭の機械兵導入を検討して欲しいな」

 

 若い男性の期待を宿した眼差しに老人は眼を伏せる。

 機械兵、この世界のモンスターが数多の重火器を取り込む性質を参考に人体改造を施した人類。

 戦場での活躍は老人も耳にし、実際にそれ相応の評価もしていたがーー所詮は重火器を纏った改造人間、結局戦場に乱入したモンスターに取り込まれるのがオチだった。

 結局の所人類が許された兵器はモンスターが興味を示さないギリギリの性能に落とし込む必要が有る。

 今回の戦場に導入しなかったのもあらゆる懸念を排除してだった。

 

「モンスター生息域外ならば検討はしよう」

 

 老人は物言いたげな若い男性を無視して、スーツ姿の女性ーー傭兵管理企業【アライアンス】の仲介役に視線を向けた。

 

「あの若僧が今まで仕事を放り出したことは?」

 

「例外を除けば傭兵スヴェンが一度請けた仕事を放り出した事は無いです」

 

「例外とは?」

 

「雇主側が彼を裏切らない、依頼そのものが意味を成さない状況です」

 

 なるほどっと老人は顎髭を撫でると、スヴェンに付いて記されたデータの記述が浮かぶ。

 最初は傭兵派遣会社【アライアンス】が定めた正当な評価だと納得したが、改めて覇王エルデとの戦闘を眼にすれば考えも変わる。

 

「ふむ、では若僧の傭兵評価は如何だった? あれは正当かね」

 

 老人の質問に仲介役は真顔で頷き、

 

「貴方が訊ねる理由も分かります。傭兵スヴェンに対する我が社の評価はDランク。しかしこれはあくまでもあらゆる分野、つまり保有戦力や物資、部隊の規模を査定した評価です」

 

 スヴェンは単独傭兵だ、評価査定では個人で動く彼は評価を上げる事は叶わないのだろう。

 老人は評価の査定基準に納得を示しつつ、

 

「単独傭兵でDランクは高いと聞くが、あの戦闘能力ではワンランク上でも良かろうに」

 

「我々アライアンスが傭兵に求めるのは、部隊を統括し率いるカリスマ性です。今回の状況もスヴェンに仲間が居たので有れば覇王エルデの討伐は成し得たと推測してますわ」

 

 厳格な態度を崩さない仲介役に老人は満足気な笑みを浮かべる。

 彼女らが傭兵に対する評価は私情を持ち込まない正当な評価だと。

 だが今更の質問に若い男性が疑問を口にする。

 

「今更なぜそんなくだらん質問を? 貴方だって事前に確認はしているだろう。それとも400を超え、ボケたのかね?」

 

「まだボケちゃいないさ。あの若僧を呑み込んだ閃光が気になってな」

 

 当初は不当な評価による離反か、覇王エルデとの結託を疑いもしたが、老人の中でその可能性は無くなった。

 となれば第三者の介入を疑わざるおえないのだ。

 

「覇王の最後の悪足掻きでは?」

 

「お前は映像の何を観ていた? 小娘が何かを仕掛ける機会は有ったが、何の動作もなく人間一人を消すことなど難しいだろう」

 

 老人は改めて仲介役に視線を戻す。

 

「アライアンスは既に分析もしているのだろう?」

 

「流石は古くから連盟を支える大黒柱ですね。えぇ、貴方がおっしゃる通り、我々はあの戦場を分析しました」

 

「むろん結果を我々にも提供して頂けるのだろう?」

 

「もちろんです。貴方方は我々の大事なビジネスパートナーですから」

 

 そう言って仲介役は懐から小型の端末を取り出し、新たな映像をテーブルの中央に投映させた。

 そこには様々な項目に分別された数式の羅列が一挙に流れ、この場に集まった者達が数式に眼を通す。

 やがて一つの数式が異常数値を示すことに気が付き、

 

「魔力濃度の異常数値……何者かが古の魔法を発動させたと?」

 

「えぇ、それも異空間を開き人間を瞬間移動させる程の魔法です」

 

 魔法という現在では僅かに道具の補助程度にしか使われていない技術に一人の青年が動揺した。

 

「魔法、それに異空間だと? そんな物が開いた瞬間は映像には無かった筈だぞ」

 

 老人は知識の中から異空間の開きに生じる現象を思い起こし、

 

「あの閃光が異空間を開く瞬間に生じる現象ならば説明は付くが、それ以上のことは何も知りようが無いか」

 

 諦観した様子で言葉を閉めた。

 

「えぇ、あの魔法に付いてはデウス神も『何も干渉するな』と警告を発令していますからね」

 

 機械神デウスがそう告げるのであれば、この場に集った者達はスヴェンが消えた真相を解明する手段も理由も無くなった。

 ただ一つだけ分かったことが有る。それはスヴェンが依頼を放棄したという可能性が消えたことだ。

 会議の話題は消えたスヴェンに移り、腹黒そうな眼鏡の少年が仲介役に視線を向ける。

 

「ふむ。戦場を彷徨う一匹狼の処遇は如何するんだい? そちらで傭兵ライセンスを剥奪するならウチのPMCで引き取りたいところだけど」

 

「ご冗談を。あの男は戦場でしか生を見出させないモンスターです。なので我々が適切に管理を続けると上層部が既に決定してますよ」

 

「孤狼は未だ解き放たれず、か。しかし何処に消えたかにもよるが?」

 

 確かにスヴェンが何処に消えたのかは誰にも分からないことだった。

 この場に居る全員が異世界に召喚されたなどと誰も想像すらしないだろう。

 仲介役はため息を吐き、老人がそんな隙を見せる彼女に珍しげな視線を向けた。

 

「珍しいな、貴女が人前でため息を吐くなど」

 

「まあ、付き合いは長い方ですから」

 

「なるほど……しかしこれ以上の問答はプライベートの領域か。であれば我々は一度傭兵スヴェンの話題を忘れ、本題に戻らねばな」

 

 老人の舵切りに集った者達は一様に頷く。

 

「覇王エルデの討伐。果たしてどのようにして成果を出すか、国連もそう長くは待てない様子だしね」

 

「国連が本腰を挙げれば済む事では有るが……」

 

 それからというもの、仲介役を交えた会議は長く続き。

 漸く結論を出したのはスヴェン消失から一日経過した頃だった。




はい、今回はスヴェンが消えた直後のデウス・ウェポンの話しでした。


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第二章 出発に向けて
2-1.ミアの報告


 スヴェンに基本的な言語学習のコツを教え、昼時を前に一度彼の部屋から退室した。

 軽い足取りでとある場所に向かう途中の廊下でーー異界人の少年が待ち構えていたのだ。

 異世界の学生服を着崩した出立ち、顔のそばかすと茶髪が特徴的な少年はミアを前にして表情を曇らせた。

 深妙な顔付きの彼を前にミアは足を止め、

 

「何か悩み事ですか?」

 

 愛想笑いを浮かべ訊ねる。

 

「いや、違う。そうじゃないんだ」

 

 異界人の少年――名前は何だったかな? 

 ミアは担当が違うから彼の名を把握していなかった。

 その事を隠しつつも、何か言いたげながら迷いを見せる彼に、

 

「言いたい事ははっきり言った方がいいですよ」

 

 用件が有るなら早く告げて欲しい。内心で思いながらも、異界人の繊細な精神を刺激しないよう優しく丁寧な口調で接する。

 すると異界人の少年はわずかに表情を明るくさせ、弾む様に語り出した。

 

「さっきの物騒で怖い顔付きの人ってさぁ、ミアちゃんの担当なの?」

 

 確かにスヴェンは顔付きが怖く、紅い瞳の三白眼で睨まれては萎縮してしまうだろう。

 それでもスヴェンは顔に似合わず意外にも丁寧な字を書くのだ。

 そして食事で感涙するほど、彼の一面を知ればするほど怖いとは思えないが物騒なのには変わりがない。

 異界人の少年の指摘に同意しつつもーーなぜ彼がそんな事を聞くのか、何故担当を気にしているのか分からなかった。

 依頼を請た異界人には治療師や護衛が最低一人は担当することとなっているーー表向きでは。

 確か、彼の担当は魔道士ヴィルだったはず。その担当の姿が見えないが、異界人も一人で居たい時ぐらい有るのだろう。

 

「まだそうと決まった訳じゃないですね。担当になるかは彼次第でしょうか」

 

「そ、それならさ。俺の担当になって一緒に魔王救出を目指さないか?」

 

 担当決めはレーナの采配だ。

 彼は知らずの内にレーナの決定に意を唱えているのだ。

 尤も彼がレーナの決定を知る機会は少ないため、指摘しようか迷ったが異界人を不安にさせてはいけないと思い直す。

 

「残念ながら私の一存では決められないですよ。国に所属する治療師の一人ですから」

 

 表向きの理由を告げるとなぜか異界人の少年の顔が明るくなる。

 

「それなら! 今から姫様の所に行って話してみようぜ」

 

 どうしたものかと彼の提案に困り顔を浮かべる。

 

「はぁ、それは困りますね。私は今から姫様と大事なお話が有るので、それに姫様のお部屋は男子禁制ですよ」

 

「入ったら処刑されちゃう系?」

 

「行方不明になる系ですね、この城内で」

 

 笑みを浮かべて物騒な事を伝えると異界人の少年の顔が引き攣る。

 これで彼が同行を諦めてくれれば良いのだが、ミアが内心でため息を吐くと。

 

「あ、言い忘れるところだった。……あの男は非常に危険だ」

 

 彼がスヴェンの何を指して危険と評しているのか、それはミアでも理解が及んだ。

 背中に背負った重々しく分厚い、一風変わった大剣ーー容姿から見れば怖い人程度の認識で終わる。

 したし問題はスヴェンの戦闘能力だ。

 弱い個体とはいえ、魔力を使わずにモンスターを討伐できる力量と判断力。

 何より嫌いでは有るが、訓練とはいえ負け無しのレイと互角に持ち込んだ実力者だ。

 万が一スヴェンが魔王救出を断り、邪神教団に手を貸せば危険だーー彼はそう言いたいのだろう。

 

「ご忠告ありがとうございます。でも、魔法と魔力が使えない今のスヴェンさんは大した脅威になりませんよ」

 

「知らないのか? アイツが使う武器、大剣と銃の一体型は弾丸を撃てるってことだ。それは遠くから狙い撃ちにもできるってことなんだぜ、アレで何人殺してきたのか分かりやしない」

 

 したり顔で語り出す異界人の少年にミアは、顎に指を添える。

 あの場所で一番近くで見学していたから、スヴェンの武器が特殊なのは判る。

 それとも彼の言う指摘は的外れなのか、それとも正しいのか。

 銃という物を知らないミアにとってそれは判断が難しい物だった。

 確かに物騒な轟音が鳴り響いた時は驚いたものだが、弾丸という物はモンスターの障壁を貫くことができない。

 障壁を常に展開できない人間に対して撃てば、確かに脅威かもしれないが……。

 

「うーん、ちょっと私の方で判断が難しいので姫様と相談してみますね」

 

 報告項目が増えたことにミアは内心で『面倒だな』っと愚痴る。

 反面異界人の少年の期待に満ち溢れた眼差しに引っ掛かりを覚えるがーー責めて異界人同士で仲良くして欲しい。

 同じ異世界出身はすぐに意気投合するのに、その辺は心に余裕が無い現れなのかもしれない。

 もう用は済んだとミアは歩き始め、ふと彼の名前を知らないことを思い出す。

 

「そういえば、あなたのお名前は何でしたっけ?」

 

「へっ? 佐藤竜司だけど……まさか覚えてなかったのか!」

 

 覚えるも何もはじめて聴いたと思う。

 ミアは酸味な記憶に自信が無かったが、誤魔化す様に微笑んで見せる。

 すると佐藤竜司は照れ臭そうに顔を逸らしーーその隙に、

 

「そろそろ時間なので失礼しますね!」

 

 ミアはそのまま廊下を走り出し、レーナの自室に向かうのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 色鮮やかな装飾品と花瓶が飾れた部屋ーーテーブル椅子に座ったミアは、緊張した面持ちでレーナと対面していた。

 昨晩スヴェンの件を詳細に報告したが、王族との対面は平民出身のミアにとって慣れ難いものだ。

 

「ミア、スヴェンに関する報告を」

 

 促されるままにミアはスヴェンのことを告げる。  

 とは言え、既に昨晩で知り得る範囲で報告したのだが、

 

「本日のスヴェンさんは戦闘訓練後、自室で読み書きの勉学中ですね。その際、『あー、姫さんの所に行かねえとなぁ』とボヤいてました」

 

 ミアはスヴェンの行動と様子を報告した。

 

「そう、彼とはまだ交渉も済んで無いものね。……彼の戦闘の様子はテラスから見物させて貰ったけど、中々のものね。特にあの轟音には驚かされたわ」

 

 嬉しそうに語り出すレーナにミアの緊張が自然と解れる。

 レーナの優しい笑みは見てるこっちも安心感を覚えるほどだ。

 それに漸くレーナが待ち望んだ魔王救出ーー友の救出を果たしてくれる逸材かもしれない男。

 これまでの異界人はレーナに期待され手厚い支援を受けたにも関わらず邪神教団に入信した者、旅先で何かが起こり裏切りーー時には魔法の暴発事故を引き起こすことも。

 後者は魔法に対する知識不足から来る事故だが、勝手に元の世界から召喚された立場を考えれば、いつか何処かで裏切るのは仕方ないとも思える。

 ただミアが出会った異界人は誰しもがレーナに惹かれながらも召喚された状況を楽しんでるようにも見えたーー如何して異界人が突然心変わりしたのか、スヴェンに同行すれば判るかもしれない。

 つい考え事に没頭していたのか、こちらを見詰めるレーナの視線に気付く。

 

「あっ、すみません。お話しの途中でぼうとしてしまって!」

 

「良いのよ、慣れない仕事で疲れてるでしょうし」

 

 何処から言葉が楽しげに弾むレーナの様子に、ミアは彼女がスヴェンに期待を寄せているのだと悟る。

 レーナの彼に対する期待値が高まって行くに連れ、また裏切られてレーナが傷を負う前にミアは一つ釘を刺す。

 

「期待し過ぎるのも危ないかもですね。さっき、異界人のサトウリュウジさんに警告されましたし、まだ裏切らないとも限りませんよ」

 

「そうかしら? 彼の目的は明確よ。元の世界に帰りたいという一点。逆に言えば彼の望みを叶えられない時こそスヴェンは脅威になるでしょうけど」

 

 こちらがスヴェンの期待を裏切れば敵対するかもしれない。

 レーナの魔力回復には三年の期間を有する。その間レーナの身に何か起こらないとも限らない。

 スヴェンが邪神教団に唆されないとも限らないのだ。

 

「リスクを承知ということですか」

 

「えぇ、できれば直ぐに帰してあげたいところだけど」

 

 レーナの表情が曇る。

 それはミアも同じだった。

 召喚時のスヴェンは重傷だった、それこそ生きているのが不思議な程に。

 治療こそしたが元の世界でそれだけ手傷を負う程の戦闘を繰り広げたのだと理解が及ぶ。  

 それはミアでも推測できたが、肝心のスヴェンには今の所焦りが見えないのだ。

 本当に彼は依頼を請け、元の世界に帰りたいと思っているのか。

 

「昨日の夕飯でスヴェンさんは涙を流したというのは報告しましたよね?」   

 

「えぇ、聴いた時は耳を疑ったわ」

 

「もしかしたら食事で心変わりしたかもしれませんよ? 元の世界に帰りたく無い、帰ればこんなに素晴らしい食事が得られないっと!」

 

 もしもスヴェンが帰還を望まなくなった理由として挙げるなら、こちらの食事が彼にとって魅力的という点だろう。

 彼が心変わりしたとなれば報酬の条件も変わるかもしれない。

 

「……そんなに単純かしら?」

 

「甘いですね! 姫様は男性を理解していないからそう言えるのです!」

 

 ミアは言っていてーー自分も男性に付いてあまり知らないなぁっと他人事の様に思い浮かべた。

 それはそうと強く言い出したため、後に引かない状況が生じている。

 現にレーナの興味深けで好奇心に満ち溢れた純粋な瞳が、なおさら後に引けない状況を生み出していた。

 

「コホン、男という生き物は単純に見えて実は複雑、そう乙女心のように!!」

 

「……そうなのかしら? 後でスヴェンに確認してみようかな?」

 

「それがよろしいです。あ、そろそろスヴェンさんに昼食を届けないと」

 

「それ、貴女がする必要が有るの?」

 

 本来食事を運ぶはメイドの仕事だ。

 ミアがやる必要も無い仕事だが、あの衝撃的な行動と次はどんな反応を見せるのか。

 それが見たいからミアは給仕を買って出たのだ。

 それとは別に思惑も有るのだが……。

 

「スヴェンさんの食に対する反応も確認しておきたいので」

 

 そう伝えたミアはレーナの部屋から退出し、厨房からスヴェンに用意された食事を彼の部屋まで運ぶのだった。



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2-2.スヴェンの交渉

 ミアが運んだ昼食を食べまた感動を味わった。

 長く体験したい感動だが、それは虚しくも終わりを告げる。

 

 ーーやめてくれ、感動を奪わないでくれ!

 

 激情にも似た感情が込み上がるが、スヴェンは空になった皿を前に現実に引き戻る。

 意外と教え上手なミアのおかげでわずかな単語が読めるようになったスヴェンは、早速レーナの元に向かい趣旨を彼女に伝えた。

 

「姫さんと交渉してぇんだが、空いてる時間はいつだ?」

 

「今の時間なら空いてる筈よ。謁見の間で待ってて、私が呼んで来るから」

 

「そいつは助かる……それにしても今日も感動する食事だった、なんつったかな?」

 

 程よい辛味のパスタ料理に付いて質問すると、ミアは可笑そうに笑って答えた。

 

「パスタの唐辛子和えよ。それにしても本当どんな食事だったのよ」

 

 あの悲惨な食事もどきを体験すれば、ミアも嫌という程理解するだろう。

 どれだけ不味く、天地の差が有るのか。

 食事から得られる筈の幸福、それが全く得られない無意味な食事という名の地獄を。

 そう考えたスヴェンはサイドポーチの中身からレーションを一つ取り出し、ミアに差し出す。

 受け取った当人はきょとんと首を傾げ、更にデウス・ウェポンの文字に眉を歪め『よ、読めない』と呟いた。

 

「包みを開けてみろ。中にデウス・ウェポンの食いもんが入ってる」

 

「えっ! 異世界の食べ物を貰っていいの!?」

 

 ミアが物珍しさから瞳を輝かせる。

 それはまるで物珍しさから来る好奇心による純粋な感情の表れだ。  

 

「あぁ、その方が理解も早えだろ」

 

 スヴェンは自分なりに精一杯の笑顔を向け、ミアは気恥ずかしそうにしてからレーションの包みを開ける。

 そして出て来た肌色の固形物にミアの表情が死んだ。

 

「硬い感触、どことなく生臭い……なにこれ?」

 

「だからこっちの食事もどきの一種だ」

 

 はじめて見るレーションに驚きを隠せないミアは、じっくりとその様を観察し、一部をひと口サイズに砕いてから口に運ぶ。

 レーションを噛み締めたミアは、パサつき想像を絶する不味い味、更にねっとりと口に残り飲み込み難いレーションを吐き出してなるものかと懸命に飲み込む。

 そしてあまりにも不味い味から息を乱したミアに、スヴェンが笑みを浮かべる。

 

「分かったか、こっちの食事事情を」

 

「……持ち運びに特化させ過ぎて味と食感を犠牲にし過ぎてる! というか、凄く不味い!!」

 

「あぁ、びっくりするほど不味いだろ? だが、それが基本食なんだ……しかもそいつは一つで一食分の栄養が得られる」

 

 レーションの栄養価を告げるとミアの瞳から光が消えた。

 昼食を終えた年頃の少女にとってある種の地獄。

 絶望に染まった彼女を他所にスヴェンは、椅子から立ち上がる。

 

「……うそ、これ一つで一食分……まだひと口だけだからセーフ? でも何も知らずに一つ食べてたら運動コース確実じゃない!!」

 

 ミアが落としたレーションを拾い上げ、スヴェンは捨てる事を躊躇い、レーションを一気に完食する。

 相変わらずクソ不味い固形物、デウス・ウェポンは異世界の食事という物を学んで欲しいと強く願った。

 

「先に行ってから。姫さんに伝言頼むぞ」

 

「あ、うん。……ゔっ! あ、後味最悪!」

 

 レーションの後味はしばらく口に残る。

 その事実を伝えようかと思ったが、スヴェンはこれ以上ミアに精神的苦痛を与える事を躊躇した。

 食事もどきで誰かを苦しめるのは良くないことだ。

 今後のレーションの使い道は捕らえた邪神教団に対する拷問道具として活用しよう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 謁見の間を訪れ、ほどなくしてレーナが姿を見せた。

 彼女は定位置に着くや否や訝しげな表情をスヴェンに向ける。

 敵意は無いが、強い疑念を宿したレーナにスヴェンは訊ねた。

 

「どうしたよ? 俺は騒ぎになるようなことは何もしてないが?」

 

「貴方、ミアに何を食べさせたのよ……呼びに来たミアの表情が死んでいたわ」

 

「なんだその事か。そいつはこっちの世界の食事もどきを与えた結果だ」

 

「……よほどだったのね」

 

 頭を抱えるレーナにスヴェンは頷く。

 そしてさっそく交渉の件に切り出す。

 自身の弱点を曝け出す交渉の形は気が進まないが、スヴェンが三年も生活するには相応の対価が求められる。

 それこそ傭兵稼業をこの世界で続け、何の支援も無しにモンスターと渡り合える保障など無い、ましてやリスクだらけだ。

 加えて孤立無縁の状況では生存確率も極端に低いだろう。

 

「俺なりにこの世界の戦闘を体験した結果、一人で生き抜くにはちと厳しい環境だ」

 

 この世界で傭兵としての実績、信頼と信用も無ければ先立つ資金も無い。

 

「そうね、モンスターに対する有効打が無いと厳しいわ」

 

「そこで俺は姫様の依頼を請けようと考えた」

 

「考えたということは、何か条件が有るのね。いいわよ、話してみなさい」

 

 交渉に応じるレーナの姿勢に、一瞬スヴェンは呆気に取られた。

 一国の姫が出自も判らない、しかも異界人の交渉に応じようとは甘い姫なのか。

 それともーーそれだけ魔王救出に対して本気なのか。

 スヴェンはその辺を踏まえ、交渉を始める前に大事な確認を口にした。

 

「その前に確認だが、俺を元の世界への返還。コイツに嘘偽りはねぇな?」

 

「えぇ、それが貴方が依頼を請ける前提条件なのは理解してるわ。報酬の件も貴方が魔王救出成功から返還の準備が整う期間の生活の保証の用意もね」

 

 ーー依頼達成時に当面の生活に困る事はねえか。

 

 スヴェンは内心で破格な報酬だと考え、同時にそれ以上は高望みだと思えたが、スヴェンには元の世界に持ち帰りたいものが有った。

 

「悪いが追加で数頭の家畜をデウス・ウェポンに持ち帰りてえてんだが可能か?」

 

 この世界で得た食事を元の世界で食すには家畜が必要だ。だからスヴェンは数頭の家畜を要求したのだが、レーナの困り顔に眉が歪む。

 

「ごめんなさい。返還魔法は召喚した者を返す魔法なのだけど、その者が元々所持していた物や重量と質量に影響を与えない小物程度しか持ち込みできないの」

 

 まさかの重量制限にスヴェンの空いた口が塞がらず、家畜の持ち帰りを諦める他にないと渋々と断念した。

 

「家畜が持ち帰れねえなら、報酬の件はアンタが提示した通りで構わねえ」

 

「ごめんなさい………だけど少し安心したわ」

 

「何がだ? 生活の保証がされる以上の報酬はねえだろ」

 

 スヴェンの疑問にレーナは何かを思い出したのか、

 

「たまに異界人は私とアルディアとの婚約を報酬に要求する事も有ったのよ。当然そんな要求は呑めないし、私はもちろんのことアルディアにだって相手を選ぶ権利が有るのよ」

 

 ため息混じりの返答にスヴェンは滲み出る苦労に同情心を宿す。

 その異界人は二国の君主に対して随分と強気に出たものだと、呆れを通り越してむしろ関心が湧く。

 

「……あー、そろそろ本題に移るか」

 

「そ、そうね! 他の人の報酬の内容を話しても仕方ないことだもんね!」

 

 二人の間に微妙な空気が漂うが、スヴェンは気にした素振りを見せず本題を口にする。

 

「報酬とは別件でアンタらに求めんのは、魔王救出に当たり必要な支援と協力だ。だが俺からアンタらに示せるのは近接戦闘能力だけになる」

 

「後者は理解してるわ。それで、貴方が望む支援と協力は何かしら?」

 

 その都度支援要請は変わるが、今はこの城内で揃えて置きたい物を解決するのが先だ。

 スヴェンはサイドポーチの中身から空薬莢と雷管を取り出し、事前にガンバスターから取り出していた.600GWマグナム弾をレーナに差し出す。

 レーナは興味深そうに受け取った空薬莢と銃弾を掌で転がし、

 

「片方は重いのね」

 

 重みと形を観察し、興味深げにスヴェンに視線を向ける。

 

「その薬莢には弾頭、弾頭を撃ち出す火薬が詰まってるからな。ま、こっちの世界に火薬が在れば話しは早いが」

 

「火薬……ごめんなさい。聴いたことも無いわ」

 

「火薬は硝石(しょうせき)、木炭の粉末、硫黄を調合することで完成するんだが……原料は有るのか?」

 

「木炭の粉末は作れるわ。だけど硝石と硫黄は聴いたことも無いわね」

 

 申し訳無さそうに語るレーナにスヴェンは、予想していた最悪のケースに眉を歪めた。

 

 ーー原料ぐらいは有ると踏んでいたが、まさか未発見なのか?

 

 温泉の源泉か火山地帯が有れば硫黄は採掘できる。だがあの独特の臭いは硫化水素による臭いで硫黄自体は無臭。

 しかし採掘場で悪臭がすればそこに硫黄が在る可能性は高い。そう考えたスヴェンは質問を重ねる。

 

「この国の採掘場で悪臭を放つ鉱石が発見されたことは?」

 

「無いわね。国内の鉱山や採掘場は王家が取り仕切っているけど、過去に一度もそんな鉱石の発見は聞いたことも無いわ。他国でもそんな鉱石が産出されたとも聞いた事も無いし」

 

「……一応聞くが、可燃性の高い鉱石だとか刺激を与えると爆発する鉱石とか有るか?」

 

「掘削作業で使用されているプロージョン鉱石なら有るわよ」

 

 その鉱石単体で火薬の役割を果たしているのだろうか?

 スヴェンは疑問からまた質問を重ねる。

 

「そいつは刺激を与えると爆発すると言ったが、着火するとどうなる?」

 

「煙が発生して爆発の威力が増すわね。昔、粉末にして実験したことも有ったらしいけど」

 

「あー、俺が求めてるもんがプロージョン鉱石単体で賄えるかもしれねえな」

 

 漸く光明が差した気がした。

 そう感じたスヴェンは、渡した銃弾に付いて説明を加える。

 

「アンタらには弾頭と薬莢に詰めるプロージョン鉱石の加工……渡した銃弾は分解しても構わねえから、そいつと同じ物を量産して欲しい」

 

「同じ物を……技術研究部門に回してみるわ」

 

 見本を渡したが、この国で銃弾を生産できるとは限らない。

 そこでスヴェンはもう一つだけ製作に当たって妥協点を提示した。

 

「同じ物が量産できるとも限らねえからな。この際魔力を使った技術でも構わねえ」

 

 最悪銃弾の製造が無理なら諦めて別の方法で火力を補う必要も有るが、これはスヴェンが現状で打てる手段の一つだ。

 

「いいのかしら? 貴方は魔力を扱えないと聴いたけど」

 

「そいつは訓練次第でどうにかなるんだろう?」

 

 スヴェンの質問にレーナがはっきりと答えた。

 

「えぇ、訓練次第で使えるようになるわ。ただ、眠っていた魔力を目覚めさせた時に船酔いに似た現象に悩まされるけど」

 

 魔法大国の王族から使えると判断されたのは、スヴェンにとって大きな利点だった。

 あとはミア辺りにコツを聞き、短期間の集中訓練を重ねる他にない。

 銃弾の補給の当てが付いたことで、スヴェンは本心から困り顔を浮かべる。

 

「悪いが俺は無一文だ」

 

 一応デウス・ウェポンで使えるキャシュカードは持っているが、電子マネーによる支払いのためこの世界で使用できない代物だ。

 

「旅に必要な資金を提供してほしいのね。それは最初からそのつもりよ」   

 

 魔王救出に出る異界人に資金の提供もする。これは傭兵が請ける通常の依頼と大きく異なる手厚い支援だ。

 だからこそ旅先で資金提供に恥じない実績を示す必要が有る。傭兵スヴェンは魔法大国エルリアで有用で有り、信用に足る人物で有ると評価を得るために。

 

「これで俺が抱える不安要素はある程度消えた……そんじゃあ契約と行こうか」

 

「意外とあっさり決めるのね。……それともそれだけ元の世界に帰りたいのかしら?」

 

 元の世界に帰る。それはスヴェンがテルカ・アトラスで活動するための動機であり目標だ。

 それを曲げる気は最初から無い。

 デウス・ウェポンで請けた覇王討伐の仕事がまだ途中だからだ。

 

「俺は傭兵だ、外道に頼む仕事なんざ基本ろくなもんじゃねえ。仕事の過程で人殺しは常だ、金のために好き勝手殺す外道はどんな理由があれ、一度請けた仕事は死ぬまでやり遂げる。それが俺なりの誓いだ」

 

 だからこそスヴェンは残した仕事をやり遂げるために元の世界に帰る事を強く熱望する。

 例え、クソ不味い食事もどきの生活や面倒な手続きが待っていようとも。

 それを抜きにしてもスヴェンという男は、この世界における異物に過ぎず自分の居場所では無い。

 本来在るべき場所、産まれた世界ならそこがスヴェンが帰るべき居場所なのだ。

 それを抜きにしてもスヴェンは傭兵以外の生き方を見出せず、戦場でしか生を実感できない。

 特に他国間で戦争が起こっているとも聞かない現状、この世界にはスヴェンが求める戦場が無い。

 レーナはスヴェンの瞳から何かを感じ取ったのか、その紅い瞳を真っ直ぐ見詰めた。

 

「……そう、貴方の誓いは理解したわ。それじゃあ、この契約書にサインしてちょうだい」

 

 レーナから差し出された書類に目を通したスヴェンは、テルカ・アトラス語で自身の名を記載した。

 まだ全ての内容を理解できるわけでは無いが、当面の生活保証が確約されるのなら些細な問題でしかない。

 

「ほらよ、これでアンタは正式に俺の雇主だ。さっそく魔王救出の旅に出るか?」

 

「こちらも諸々手続きが必要でね、だから貴方の旅立ちは一週間後になるわ。もちろん貴方には同行人を付けさせてもらうけど」

 

「同行人、要は監視か」

 

「……その言い方は好ましく無いわ。でも貴方が知ってるミアを同行させるから、旅は賑やかになるとも思う」

 

 顔見知りが同行人と聴いてスヴェンの眉が歪んだ。

 治療魔法が扱えるミアの同行は心強いと感じるが、治療魔法以外は扱えないらしい彼女は、いざという時の火力不足に悩まされることだろう。

 

「別の奴を用意してくれね?」

 

「あの子じゃ不服? 少しアホな所が有るけどあれでも愛嬌が有って人気者なのよ、アホだけど」

 

 微笑みながらアホと二度強調するレーナに、スヴェンは余程なのだろうとじと目を向け、どうにか人選を変えられないか訊ねた。

 

「騎士団から一人借りられねぇか?」

 

 戦闘に慣れ、モンスターに対する明確な有効打を備えた騎士なら同行人としても申し分ないだろう。

 

「無理よ、騎士団をはじめとした組織はお父様の直轄だもの。私がせいぜい出来るのは人理と経理、内政干渉と他国と外交。それと有事の際の戦略的戦力よ」

 

「最後のは物騒だが、やけにアンタの仕事が多いんだな」

 

「この歳の王族が内政を担うのは普通なのよ。それにアルディアが人質に取られてなかったら連中なんて召喚魔法で瞬殺できるもの」

 

 レーナの溢れ出る自信からスヴェンは、魔王が凍結封印された理由をなんとなく察した。

 レーナに対する牽制も手段の一つだ。

 そしてスヴェンは交渉ごとを諦め、

 

「分かった、同行人に付いてはもう何も言わねえ」

 

「なんなら私が同行しましょうか?」

 

「勘弁してくれ、下手すれば俺の首が瞬時に飛ぶ。ってかアンタはお転婆って感じでもないだろ」

 

「そうかしら? これでも公務以外で自由に出歩けない身なのよ」

 

 王族の務めに付いて今一つ理解が及ばないながらスヴェンは、王族に産まれた彼女に対しての同情は失礼だと悟る。

 

「……傭兵に依頼すりゃあ、金次第で連れ出すこともできるが?」

 

 だから自分なりの妥協案を彼女に提示した。

 レーナを外へ連れ出す。ただ連れ出しては問題になるが、レーナを通した正式な依頼なら疑似的な目的を添えるだけで成立する。

 スヴェンの提案にレーナは一緒驚いた表情を浮かべ、柔らかくもどこか眩しく感じる笑みを浮かべた。

 

「そう、その時は是非ともお願いするわ」

 

 ーー随分と眩しい笑みだ、笑う時は立場なんざ関係ねえか。……俺はなぜ彼女の笑みを眩しいと思った?

 

 自身が感じた感覚に小さな疑問を浮かべると、

 

「そういえば男性の心は乙女心のように繊細だと聴いたのだけど、スヴェンもそうなの?」

 

「俺は違えよ。だいたい乙女心とは違うが、思春期を迎えたガキの精神は繊細だ」

 

「そう、乙女心とは違うのね。……ねえ、時間が有るのなら少しお話ししない?」

 

 スヴェンは雇主でも有るレーナの提案を無碍にする気にもなれず、かと言って馴れ合う気も無いがーー魔法に情勢や貿易、色々と知るには姫さんが早いか。

 その後、スヴェンは少しだけレーナと魔法や世界情勢に付いていくつか話しをしたのちーー謁見の間を退室した。

 自室に戻り、さっそく言語の習得に励むのだが、

 

「スヴェンさんは顔に似合わず真面目ね! あっ! 姫様と二人だけでドキドキしたかな?」

 

 何故か小煩いミアに苛立つ。

 そもそも部屋に入り浸りな気もするが、これもミアの仕事の一つなのだろう。

 

「少し黙ってろクソガキ」

 

 そう言ってスヴェンは睨む事でミアを黙らせ、夜分遅くまで勉強を続けた。

 やがて一息付き疲れから肩を伸ばし時だ、窓が勝手に開き風と共に招かざる侵入者が入り込んだのは!



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2-3.月下の襲撃者

 窓から入り込んだ侵入者にスヴェンは、ガンバスターを構えた。

 部屋を照らしていた蝋燭は風に掻き消え、暗闇に包まれる。

 スヴェンの警戒を他所に暗闇の中で影が動く。

 刃が風を斬る音にいち早く反応したスヴェンは、ガンバスターを盾に防ぐ。

 

 ーー繰り返される二撃の刃と一撃の軽さ。敵は短剣の二刀流か。

 

「おい、ミア!」

 

 言語と書き取りを教えていたミアに叫ぶと、

 

「……すぅー、すぅー」

 

 少女らしい年相当の小さな寝息が返ってきた。

 勉強の最中にミアは一人早く眠りに着いたーーおまけに他人のベッドで。

 その件にスヴェンは青筋を浮かべ、二振りの刃を身を屈め避ける。

 侵入者の腹部に反撃の蹴りを放ち、その感触からスヴェンは眉を歪める。

 

 ーーこの筋肉の感触……いや、珍しいことでもねぇか。

 

「ぐっ!」

 

 少女とも取れるまだあどけない呻き声にスヴェンは、力の限り蹴りで侵入者の身体を押し出す。

 そのまま窓の位置に向け侵入者を突き飛ばすことで外へ追いやった。

 スヴェンは未だすやすやと眠るミアに視線を向けーー涎を垂らす彼女に起こす気にもなれず、そのまま窓から外へ飛び出す。

 三階の窓から侵入者が落ちた庭へ着地したスヴェンは、月明かりに照らされる侵入者にため息を吐く。

 首辺りまで伸ばされた白髪、兎を彷彿とされる赤い瞳の少女。

 その出立ちは暗殺者と思わせる身軽な軽装だった。

 おまけにフードに隠された上半身から暗器の類いに注意を向けなければならない点を面倒に思う。

 

「ガキは寝る時間だ」

 

「む、仕事の時間」

 

 頬を膨らませ抗議する少女に、スヴェンのやる気はますます削がれる。

 だが、レーナから依頼を請負ったその日の内に襲撃されたのだ。

 むろんスヴェンとしても少女を見逃す気が無い。

 万が一少女の目的がスヴェンとレーナの排除だった場合、雇主が危険に曝される。

 レーナはスヴェンが元の世界に帰る唯一の手段だ、それ以前に彼女の死は異界人の消滅を意味する。

 殺人禁止、情報を得る為にも捕縛を念頭にスヴェンは少女との距離を詰める。

 腕を伸ばし少女が避けるよりも早く、スヴェンは少女のフードを掴む。

 そのまま少女を掴み上げ、容赦無く小柄な身体を地面に叩き付けた。

 

「あぐぅっ!」

 

 地面に響く鈍い音、衝撃に咳き込む少女。

 これで終わりだ。そう思ったのも束の間、突如掴んでいた筈の少女が霧に変わり消えた!

 

  ーー魔法か!

 

 スヴェンは背後から迫る気配にガンバスターを振り抜く。

 ガキィーンっ! 鈍い音が闇夜に紛れ響き渡った。

 これで誰か騎士でも駆け付ければ楽だーーそう思った時、この状況がそもそも可笑しいことに気付く。

 ここは国の中核を担うエルリア城だ。まず簡単に侵入など不可能に近いだろう。

 なおさら彼女が邪神教団が差し向けた刺客ならだ。

 それともスヴェンの考えとは裏腹にエルリア城の警備はザルなのだろうか?

 いや、それは無いと断言できる。

 昼間見た騎士は絶えず城内を警備していた。

 それこそネズミ一匹通さないほどに。

 思考が戦闘から考え事に傾いたスヴェンに凶刃が迫る。

 

 先程よりも比べ物にならない速度で繰り出される二振の刃。

 反応が遅れ回避が間に合わず、刃が肉を斬る。

 ……しかし凶刃はスヴェンの首を狙わず、足を軽く斬り付ける程度だった。

 薄らと切傷から流れる血と少女の動きにスヴェンは違和感を覚える。

 同時に思考を遮った自身に苛立つーー本気で殺しに来られていたら死んでいた。何よりも油断した大馬鹿野郎は自分だ。

 

「クソガキ相手とはいえ、気も抜けねえわけか」

 

「ガキじゃない」

 

 どうにもこの少女は子供扱いされる事に険悪感を感じるようだ。

 スヴェンは仕方ないっと息を吐く。

 本気で少女を制圧する。

 両脚に力を入れ、地面を蹴り抜く。 

 縮地によって少女の目前に迫ったスヴェンは、容赦無くガンバスターの腹部分を薙ぎ払う。

 少女は目前に現れたスヴェンに驚き、反応が遅れ小さな腹部に容赦無くガンバスターの腹部分が打ち付ける。

 少女の身体がくの字に曲がり、メキッと骨の折れる音を奏でーー地面を二、三度転げた少女にスヴェンが畳み掛ける。

 地面を転がった少女の首を鷲掴み、地面に押さえ付けガンバスターの刃を当てる。

 

「……かはっ! ごほっ……っ!」

 

 少し強めに首を握り締めてしまった。

 

 ーーこのままでは絞め殺してしまうな。

 

 スヴェンは掴んだ首の拘束を緩め、

 

「さて、詳しく話してもらおうか?」

 

「……いや、まだ負けてないもんっ」

 

 今にも泣き出してしまいそうな少女に、スヴェンは困惑を隠し切れず。

 

「お、おい。何も泣くことはねぇだろ」

 

 確かに強くやり過ぎたとは思う。

 

「な、泣いてないもん」

 

 目から涙を流して否定する少女に、スヴェンは何も言えずどうしたものかと困惑を強めた。

 このまま情報を吐かせたいが、いっそのこと城内に侵入した狼藉者として騎士団に丸投げすべきか。

 迷っている内に駆け付ける足音にスヴェンは視線を向けた。

 

「あー!! スヴェンさん何してるの!!」

 

 そんな怒声と共に現れたミアに、スヴェンは安堵する。

 これで侵入者の件は終わりだと。

 

「侵入者を捕らえただけだ。テメェが人のベッドで居眠りしてる間にな!」

 

「あら〜そうだったかなぁ? ってそうじゃない! 侵入者って誰のこと!?」

 

 スヴェンはガンバスターを下げーー少女の首根っこを掴み直しミアに差し向ける。

 

「コイツ」

 

 ミアは訝しげに少女を見詰め、スヴェンに顔を向けた。

 

「この子は侵入者じゃない。エルリア特殊作戦部隊のアシュナだよ」

 

 ミアの説明にスヴェンは掴んだ手を離す。

 そして、どういうわけだと三白眼でミアを睨んだ。

 

「わ、私を睨んでも! アシュナは、スヴェンさんの暗殺をオルゼア王に命令されたの?」

 

「? 違うよ、軽く襲撃して来いって」

 

 ーー軽く襲撃ってなんだ! 悪戯ってレベルじゃねえぞ!?

 

 オルゼア王の突飛な行動にスヴェンは頭を抱え、

 

「じゃあアンタは邪神教団の刺客って訳でもねえんだな」

 

「うん。影から要人警護、救出、情報収集が仕事」

 

 アシュナは眠そうな眼差しで仕事に付いて話した。

 平和そうな魔法大国エルリアで特殊作戦部隊が組織されていることにーー少なくともスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなスヴェンを他所にアシュナは、スヴェンに身体を預け眠りに就いてしまう。

 

「寝やがったよ……それで特殊作戦部隊ってのは暗殺もやるのか?」

 

「やらないよ。元々特殊作戦部隊は身寄りの無い孤児の為に編成された組織だけど、暗殺業はさせずに警護と救出、あと異界人の救援を担ってるよ」

 

「救援?」

 

「うん、戦闘の最中に危なくなった異界人を助けるのもこの子達の仕事なんだ」

 

 随分と異界人に対して手厚いっと小さく感心を寄せた。

 特殊作戦部隊と言うからには、救援時には影から見守っているのだろう。

 つまり謁見の間で感じた視線は、レーナとオルゼア王の警護のため。

 それだけの人材を保有しながら魔王救出は未だ果たせていない。

 邪神教団の戦力、人質として取られた魔王のために働く魔族と呼ばれる種族。

 ひょっとすると今回の依頼はスヴェンの想像以上に過酷なものなのかもしれない。

 

 ーー過酷だろうが困難だろうが、傭兵として達成するまでだ。

 

「そうかい、アンタはコイツを寝室まで運んでやれ……骨も何本か折れてる筈だ、治療も頼む」

 

「治療はいいけど、スヴェンさんはどうするの?」

 

「寝るに決まってんだろ」

 

 暗殺者紛いのガキを差し向けられた件に付いて、国王に文句の一つでも言ってやりたかったが、部隊の目的を聞けばその気も無くなった。

 だからスヴェンは明日に備えて寝る事を選んだ。



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2-4.レーナとオルゼア王

 エルリア城の中央塔、最上階の一室。

 ベッドで眠るレーナは窓から射し込む朝日を受け、二、三度寝返りを繰り返す。

 鳥の囀りに薄らっと眼を開け身体を起こした。

 

「ふぁ〜……もうあさぁ?」

 

 まだ寝ぼけ気味の瞼を擦ると、丁度数人のメイドが部屋に入って来る。

 そして彼女達はいつも通りのあいさつを口にした。

 

「「「レーナ姫様、おはようございます」」」

 

「おはよう……もう少し寝かせてくれると嬉しいのだけど」

 

 昨晩処理すべき書類やら手続き、スヴェンに頼まれた物品を技術研究所に提供。

 レーナが就寝したのは深夜の二時を過ぎた辺りだ。

 それでもメイド達は笑みを浮かべ、

 

「ダメですよレーナ姫様、オルゼア王から目が覚めたら執務室に来るようにと言伝を預かっております」

 

 オルゼア王が呼んでいると語った。

 父、オルゼア王の要件が何か全く心当たりが無い。

 どんな要件か首を傾げメイド達に告げる。

 

「直ぐに支度して向かうわ」

 

「では、本日はこちらのドレスは如何でしょうか?」

 

 そう言ってメイドが広げて見せたのは、青を基調とした清楚な印象を受けるドレスだった。

 もう五月二十二日とは言え、青基調のドレスはいささか早い気もする。

 気もするがメイド達が嬉々として広げるドレスの数々、その内の一つから選ぶのも億劫に思えた。

 この際何でもいいと思ったレーナは頷く。

 

「お父様に会うだけだもの、それでいいわよ」

 

 ベッドから降りて、メイド達の前で両手を広げる。

 

「かしこまりました。それでは失礼します!」

 

 これも毎朝の日課。

 数人のメイド達が寝巻きを脱がし、身体を温かいタオルで拭くのも。

 そして下着やドレスの着替えをやってもらうのも、髪の毛を梳かすのも全てメイド達任せだ。 

 これぐらい自分一人で出来るのだが、以前一人で支度を済ませたらメイド達に『我々メイドの生き甲斐と仕事を奪わないでください!!』っと号泣され、仕事を奪った罪悪感も相まって今に至る。

 少し昔の思い出に浸り、気付けばあっという間に完了した身支度に感謝の意を込めて告げた。

 

「毎朝ありがとう」

 

「いえ! これも我々メイドの仕事ですから!」

 

 身支度を調え終えたメイド達がベッドメイキングと部屋の清掃に移る。

 レーナはそんな彼女達に有り難みを感じながらオルゼア王が待つ中央塔の執務室に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

「昨晩、スヴェンに刺客を差し向けてみた」

 

 執務室を訪れ、開口一番にオルゼア王がそんなことを……。

 レーナはオルゼア王の言った言葉を正しく認識しーーこの人を如何してやろうかと黒い笑みを浮かべる。

 

「竜王召喚と竜王召喚、どちらがよろしいですか?」

 

 優しい姫は王に二択を告げる。

 迷う必要もない単純明解な選択肢だ。

 二択を突き付けられた王は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、

 

「実質一択だな……なに、お前が心配することは何も起こってはない」

 

 一国の王が異界人に刺客を送るだけでも問題だが、始末の悪い事にオルゼア王はその辺りと退き際を重々理解している。

 変な所で悪戯好きだったが、まさかスヴェンに刺客を差し向けるとは誰が予想できようか。

 レーナは呆れた眼差しを向け、後でスヴェンに謝罪しようと心に誓う。

 

「スヴェンは依頼を請負ったのよ? 如何して刺客なんか差し向けたのよ、それも特殊作戦部隊からなのでしょう」

 

 オルゼア王が自由に動かせる部隊、しかも隠密行動となれば特殊作戦部隊のあの子達しか居ない。

 

「スヴェンが国内の刺客にどう対処するのか確かめるためだ。……レーナ、彼奴はお前に言われた通りに殺人禁止を守ったぞ」

 

 わざわざそれを確かめるために刺客を送り込んだのか。

 スヴェンが国内で人を殺さない、それは彼の依頼に対する姿勢の現れなのだろう。

 

「本当にそれだけの理由ですか?」

 

「……彼奴の影の護衛はアシュナに任せると決めた時、ワシの子らを預けてよいものかとなぁ」

 

 オルゼア王は国民と娘である自分含め平等に大切にしているが、それと同等に孤児院から集めた特殊作戦部隊の子達も大切にしている。

 それを娘の立場から理解しているが、一歩間違えればアシュナがスヴェンに殺され、スヴェンがアシュナに殺されていたかもしれない。

 

「最悪の想定はしなかったのかしら?」

 

「想定したうえでアシュナに制限を言い渡した。結果的に手酷い反撃に有ったようだがな」

 

「そう、納得はできないけど理解はできるわ」

 

 王家としてオルゼア王はスヴェンを試す必要が有った。

 傭兵として殺しも辞さないスヴェンを国内に放っていいのか、ましてや異界人の彼をオルゼア王が信用できる理由が今のところ無い。

 オルゼア王は異界人に対してはあまり口を開かない、それは異界人に対する警戒心の現れだ。

 オルゼア王が異界人を警戒するようになった理由も当然理解できる。

 度重なる異界人の裏切りと事件が国内外で起これば、新たに召喚した異界人に対しても警戒してしまうのは無理もないことだ。

 

「まぁ、ワシのお茶目な話しは終いにして……レーナよ、各地に散る異界人の様子は如何だ?」

 

 言われてレーナは少量の魔力で、執務机にチェス盤を召喚した。

 遊戯用のチェス盤とは異なる世界地図を基にしたチェス盤ーー盤上に配置された白い駒に視線を落とし、エルリア城から最も近いメルリアに黒い駒が滞在してる事が少々気掛かりだが、

 

「以前と大きな変わりは無いわね。スヴェンの分が城内に追加されたぐらいで」

 

 他に新たに邪神教団に付いた異界人は現れていない。

 

「ふむ、それは行幸だな。しかし、果たしてスヴェンは何処まで行けるか」

 

「彼なら……いえ、異界人達なら依頼を達成してくれる。私はそう信じてるわ」

 

「信じる心も大事だが……それでお前が心を壊し、臣下や国民から信頼を失っては意味が無いぞ」

 

 確かに異界人の引き起こす問題はレーナに間接的に降り掛かっていた。

 アトラス神の信託と自身の判断も合わさって実行した異界人の召喚政策は未だ実を結んではいない。

 加えて異界人に渡す資金も引き起こされた事件に対する補填も全てレーナの個人資産から賄っているのが現状だ。

 オルゼア王の心配している眼差しに、レーナは気丈に振る舞った。

 

「大丈夫よお父様、私の精神は亡くなったお母様譲りよ」

 

 オルゼア王は目を伏せ、小さな吐息を吐く。

 

「……そうだったな。だが忘れるな? 王族である前にお前もまた一人の人の子なのだと、苦しい時は誰かに相談すると良い」

 

 誰かに相談、気軽に相談できる相手っとレーナは友人のアルディアを思い浮かべるが、すぐに苦笑を浮かべる。

 

 ーー凍結封印中で相談もできないわね。

 

「本当に苦しくなったら相談するわ、それじゃあ私は自分の仕事に戻らせてもらうわよ」

 

 オルゼア王は笑みを浮かべ、レーナは父の温かな眼差しを背に執務室から退出し東塔の執務室に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 自身の執務室に向かう廊下の途中でーースヴェンとばったり出会う。

 

「昨夜はお父様がごめんなさい」

 

「あ? あー、理由は分からんでもねえさ」

 

 スヴェンは一晩寝たからなのか、襲撃に対して特に気にした様子を見せなかった。

 むしろアシュナに関して気にしてる様な様子を見せ、

 

「昨夜は加減を誤ったが、あのガキは平気なのか? 一応ミアに治療を頼んだが……」

 

 意外にもアシュナを気遣う様子にレーナは小さく微笑む。

 

「ミアが治療したなら大丈夫よ。だけど今日はまだ会って無から後で様子を確かめてみるわ……それより貴方の方は大丈夫なの?」

 

「俺か? 見ての通り元気だ」

 

「元気なら良いわ、何か足りない物が有ったら遠慮なく言ってちょうだい」

 

 ズボンの縫い跡を見るにアシュナに斬られたのだろう。

 こうしてスヴェンと対面して判ることも有る。

 彼の瞳は底抜けに冷たい。そんな冷たい感情を瞳に宿す割には他者を気遣う一面も有るのか。

 なぜそんなにも冷たい感情を宿しているのか、どんな人生を歩んだのかーー少しだけ話しをしようかと思ったが、午前中に片付けてしまいたい書類がまだ多い。

 少し遅れて気付く、この場所にミアの姿が見えない事に。

 

「そういえば、ミアを連れず何処に向かう途中なのかしら?」

 

「一人で資料庫で勉強だな、それにアイツは喧しい」

 

 連れて行かない方が喧しいと思う。レーナはなんとなくそう思ったが、意外と勉強熱心な彼に感心を寄せた。

 

「そう、貴方って意外と努力家なのね。正直言って勉強は不得意に思ってたわ」

 

「事実教養はねえからな。だが、コイツは商売に繋がる必要な事だ。やらねえ手はねえのさ」

 

 あくまでも商売の為と語る彼にーーレーナは小さく手を振って、

 

「近々、異界人達とお茶会も有るから貴方も出席するように」

 

 そう告げると非常に嫌そうな顔をされた。

 それでもスヴェンは一言、考えておくとだけ言い残して立ち去る彼の背中を見送る。

 スヴェンの出立まであと六日、レーナは残りの手続きを片付ける為に執務室に歩き出す。



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2-5.スヴェンとミア

 アシュナの襲撃から翌日、廊下で遭遇したレーナと別れたスヴェンは一人で資料庫に来ていた。

 エルリア城東塔の一階と二階に続く一般開放された資料庫は、城下町に住む一般人や学生らしき少年少女達が勉強に励んでいた。

 そんな中、背中にガンバスターを背負った異界人スヴェンは嫌でも目立つらしい。

 

 ーー武器が珍しいのか、それとも異界人が珍しいのか?

 

 スヴェンは両者か、それとも自分がとても資料庫で勉強するような人種に見えないと考え直す。

 確かにさっき遭遇したレーナは意外そうな表情をしていた。

 とは言え、誰にどう思われようがテルカ・アトラス語が完璧では無い。まともに読み書きが出来なければ何処かで躓くのは明白。

 だからこそスヴェンは人目に目も向けず、ミアから教わった単語と読み方を紙に書き始める。

 黙読しながら羽ペンを動かす。隣に誰かが座ったが、それでもスヴェンは本から眼を離さない。

 

「熱心だねぇ。分からないことは私に遠慮なく質問してよ」

 

 小煩い声にスヴェンは目も向けず。

 

 ーーなんだ、ミアか。

 

 ミアを無視して言語の修得を進める。

 しかし、それが良くなかったのか。

 

「無視よくない!」

 

 耳元でミアに騒がれ、一般客の注目が集まる。

 様々な視線とミアの声に集中力が地平線の彼方に飛んで行く。

 漸くスヴェンはミアに睨むように視線を向け、

 

「煩えなぁ、表の看板が見えなかったのか」

 

「看板の文字が読めたの?」

 

 まだ看板の文字は読めないが、そこに書いて有る単語は簡単に推測できるーー此処が資料庫ならなおさら。

 

「資料庫内では静かにしろ、だろ?」

 

「違うよ。好き勝手騒いでいいよ、だよ」

 

 真顔で答えるミアにスヴェンは、自分の推測が外れた事に少しだけショックを受ける。

 

「……マジかよ」

 

「嘘だよ」

 

 平然と嘘を吐くミアにスヴェンはジト目を向け、手を動かす。

 紙に単語と通貨を書きながらスヴェンは、

 

「俺に何か用があんのか?」

 

 漸く彼女の目的を聴くと、ミアは少し考え込む素振りを見せては、

 

「部屋に行ったらスヴェンさんが居なかったから」

 

 微笑みながらそんな事を語った。

 それは紛れもない嘘だ。

 質問に対しミアの視線は確かに泳ぎ、何かを隠している様子だがーー既にスヴェンは検討が付いていた。

 異界人の行動に対する監視。

 それがミアの役割なのだろう。

 現にレーナに監視の件をそれとなく口にしたが、彼女は監視員に対して、『その言葉は好ましくない』っと監視員の存在を否定はしなかったのだ。

 ただミアが監視員と仮定した場合、他の異界人の耳も有るこの場所でそれを口にしては余計な騒ぎを招く。

 スヴェンは単語を頭に叩き込みながら自然な形で話題を続ける。

 

「自由に散策でもさせて欲しいもんだがな」

 

 エルリア城は城内が北塔、東塔、中央塔、西塔の四区画に別れていた。それだけでも内部構造把握のために散策もしたいところだ。

 特にデウス・ウェポンでは既に記録でしか存在しない建造物だ。興味本意で暇を潰すには丁度いいだろう。

 

「……城内には立ち入り禁止区画も在るから、間違えて入りでもしたら大騒ぎになるよ」

 

 こちらの考えを見透かしたのか釘を刺され、スヴェンは残念そうに肩を竦めた。

 

「そいつは気を付けてねえとな」

 

「なので城内では私と行動するように」

 

 胸を張ってそう語るミアに、スヴェンは諦めに似た感情を浮かべ羽ペンの手を止める。

 ふと資料庫の天井を見上げれば、宙を浮かぶ魔法時計に眼が行く。

 既に十時を差す魔法時計ーーもう二時間が経過していたのか。

 時間の経過が早いと実感しながらスヴェンは道具を纏め立ち上がった。

 

「およ? 次は何処に行くの?」

 

「丁度いい、魔力の使い方を俺に教えてくれねえか?」

 

「任せて! 場所は中庭でいいかな、それともラピス魔法学院でやる?」

 

「学生に紛れてか? ってかラピス魔法学院ってのはこの城の隣に建ってる城のことか?」

 

「うん、西塔とラピス魔法学院は繋がってるからね」

 

 果たして部外者が立ち入っていい場所なのか。

 そもそもそこまで移動するのも面倒に感じたスヴェンはそこそこ広い東塔の中庭を選んだ。

 あそこなら万が一魔力が暴発したとしても周囲に被害を与えることは無いだろう。

 そう考えたスヴェンは、早速ミアと中庭で魔力と操作に付いて学ぶことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔力は人体の下丹田に宿る。

 そこはデウス・ウェポンとテルカ・アトラスで違いが無い事にスヴェンは小さく安堵した。

 宿る場所が違えば身体から取り出す感覚も異なるからだ。

 

「スヴェンさん、まずは下丹田に宿る魔力を感じることから始めよ。意識を集中させて、風も草木の音も無視するのがコツ」

 

 ミアの説明にスヴェンは眼を閉じる。

 そして下丹田に強く意識を集中させた。

 まだ集中が足りないのか何も感じない。下丹田に自然と力が入るぐらいだ。

 それでもスヴェンは下丹田に宿っている筈の魔力に意識を向ける。

 だが、想像以上に魔力を感じ取るのは難しいようだ。

 尤もすぐに出来るとも思ってないが。

 額に汗が流れ、眼を開けると目前にミアが映り込む。

 どうやら接近に気付かない程度には集中していたようだ。

 だが、スヴェンはミアが咄嗟に隠した羽ペンを見逃さなかった。

 

 ーーこのクソガキ、悪戯する気だったな。

 

「すごい集中力だね! それで、魔力は感じられた?」

 

 悪戯を誤魔化すように問われたが、

 

「いや、どうにも簡単にはいかねえようだ」

 

 事実を伝えるとミアは少しだけ考え込み、何か閃いたのか手を軽く叩く。

 

「そうだ! スヴェンさん、服を捲り上げて!」

 

 スヴェンは言われた通りに服を捲り上げ、八つに割れた腹筋が顕となる。

 それをミアがマジマジと見つめ、

 

「服の上から見ても腹筋が割れてるのは分かってたけど……だ、男性のお腹ってこうなってるのね」

 

 気恥ずかしさを浮かべた。

 少女に中庭で腹筋を見せる。デウス・ウェポンなら痴漢で即逮捕されてもおかしくない状況だ。

 

「腹筋が見たかっただけか?」

 

「違うよ、こうして魔力を刺激するんだよ!」

 

 ミアが掌をスヴェンの腹筋に当て、彼女の掌から何か温かな物が流れ込む感覚が走った。

 するとスヴェンの下丹田に違和感が襲い、突如として視界が歪む。

 それはまるで船酔いに似た感覚だった。

 揺れる視界と軽度の吐き気がスヴェンを襲う。

 

 ーーこれが魔力が動いた影響か?

 

「うん、さっきよりも活性化してる」

 

「見て分かるもんなのか?」

 

「治療魔法に才能全振りしてるけど、魔力の流れぐらいは理解できるもんだよ。さ、もう一度意識してみて!」

 

 船酔いに襲われる中、スヴェンは眼を閉じ再度下丹田に意識を向ける。

 すると今度は、下丹田の底から緑の光りが見えた。

 確かにこれは星の中核で発見された魔力エネルギーと同じだと理解が及ぶ。

 だが、先程はいくら集中しようとも魔力を感じることができなかった。

 

「魔力が見えたな、しかしどういう原理だ?」

 

「眠ってる魔力に強引に魔力で刺激を与えたからね、刺激によってスヴェンさんの魔力が目覚めたんだよ」

 

「なら、異界人は魔力に目覚め放題だな」

 

「そうでもないよ。スヴェンさんは元々鍛えてるから魔力の通りも良かったんだ」

 

「そんなもんか?」

 

 魔力が感じれただけでも儲けものだと一人納得し、捲り上げた服を戻す。

 

「次はどうすればいい?」

 

「次は下丹田の魔力を利腕に流し込んでみよう!」

 

 言うのは容易いが実行は難しい。

 スヴェンはミアのお気楽な言動を他所に、それがどれだけ自分にとって困難なのか理解し『簡単に言ってくれる』と苦笑した。

 早速スヴェンは下丹田の魔力に意識を向け、右手に流し込むイメージを浮かべる。

 するとわずかに下丹田の魔力が右腕に向かって動いたがーー臍を超えた辺りで魔力の動きが止まった。

 更に強く意識を集中させるが、魔力はそれ以上動く事は無かった。

 

「……中々難しいな」

 

「最初はそんなもんだよ。私達も魔力が扱えるようになったのは5歳の頃だもん」

 

「ガキに出来て大人が出来ねぇじゃあ格好が付かねえな」

 

「や、魔力は物心付いた頃から認識できるから。スヴェンさんはまだ魔力を認識して数分だよ? それに視覚で魔力が視えるようになると王都や町を囲む守護結界も視えるようになるよ」

 

 魔力の知覚化に関する利点を説くミアに、スヴェンは一つ疑問を浮かべた。

 王都を囲む守護結界の存在。形や範囲はどうあれモンスターの驚異から生活圏を護る物だと理解が及ぶ。

 同時に守護結界が在りながら平原に出た異界人の死亡率の高さに一つの推測が立つが、スヴェンは今は目の前の事に集中すべきだと切り替えた。

 

「なら常に魔力を意識することから始めるか……そうと決まれば昼飯前に実戦も兼ねて騎士団の訓練に参加すっか」

 

 魔法騎士団の訓練で騎士と交流しつつ、自身の身体が鈍らないように鍛錬を積む。

 その後、昼食前に東塔五階に設けられた客人用の大浴場で汗を流す。

 流石魔法文明が発達してることだけは有り、サウナも完備されていたことに驚いたのはスヴェンの記憶に新しい。

 

「およ、訓練なんて随分と熱心だね」

 

「今の俺は鍛錬と勉強ぐらいしかやる事がねえんだよ」

  

 騎士団の訓練に参加する事はスヴェンにとって得られる利点が多い。

 何処の町で犯罪が急増したことや、ラオ率いる部隊の調査が難航していること。そう言った情報が得られるのだ。

 そこまで考えたスヴェンは、背中のガンバスターに視線を移す。

 

「出発前までには武器の整備もしてぇところだ」

 

「スヴェンさんの武器はかなり特殊だもんね。一応城下町に王国お抱えの鍛冶屋が在るけど、明日行ってみる?」

 

「そいつはいいな。だが、俺は金を持ってねぇ」

 

「そこは姫様に伝えておくから心配ないよ」

 

 ミアに言われ金の心配が無くなった事に安堵する反面、スヴェンの中でこれは一種のヒモなのでは? そんな危機感が宿る。

 一先ずスヴェンはその件を思考の外に追い出し、一度自室に戻ってから改めて訓練場に足を運ぶのだった。



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2-6.城下町の鍛冶屋

 五月二十三日。温かな気候と晴れた青空、陽気な日差しが照らす城下町は道行く人々に溢れ返り賑わいを見せていた。

 城下町の上空を漂う水玉、大通りのあちこちに設けられた翡翠色の光りを放つ街灯にスヴェンは不思議な感覚に見舞われる。

 スヴェンは歩道を歩きながら自分の知る道路との違いに、新鮮味を感じた。

 特に爬虫類のような獰猛な瞳とどっしりとした体格、背中に生え揃った針のような毛並み、そして二足歩行で歩きーー四本指の前脚で木箱を荷獣車に乗せる生物にスヴェンは年甲斐も無く好奇心に駆られる。

 

「変わったあの生物はなんだ?」

 

 隣りを歩くミアに質問すると、彼女は納得した様子を浮かべ答えた。

 

「あれはハリラドンと呼ばれる草食獣だよ。脚力が凄くてどんな悪路も踏破できるんだ……だけど何故か異界人には名前がすごく不評なの」

 

 あの見た目で草食獣、獣も見かけに寄らないらしい。

 ハリラドンという名が何故異界人に不評なのか、スヴェンからしても理解に苦しむがーー異界人の世界で何か有ったのだろう。

 

「魔法騎士団の乗り物にも使われてんのか?」

 

「魔法騎士団に限らずかな。足も速いから王都からメルリアまで2時間弱で到着できるしね」

 

 スヴェンは頭にエルリア国内の地図を浮かべた。

 此処から百二十キロ先のメルリアに到着するとなれば、ハリラドンは時速を約六十キロ出すことになる。

 あの風圧の抵抗をモロに受け易い木製の荷獣車でだ。

 魔法大国と呼ばれるだけは有ってそこも魔法技術絡みなのだろうか?

 

「風圧でぶっ壊れそうなもんだがな」

 

 疑問も兼ねた荷獣車への感想を呟いた。

 

「モンスターに襲われても良いよう防護魔法で護られてるんだよ。ほら、よく見てみて? 荷獣車の外壁側面に魔力で魔法陣が刻まれてるよね」

 

 言われて荷獣車に意識を集中するーー昨日と比べすんなりと魔力が視認出来る。どうやら一日中魔力を意識していた影響が早くも現れているようだ。

 確かにミアの言う通り荷獣車の側面に魔法陣が刻まれていた。

 そういえば謁見の間では意識せずともはっきりと魔法陣が視認できたが、何か違いが有るのだろうか。

 

「召喚魔法陣ははっきりと見えたが何が違えんだ?」

 

「単純に使用魔力量かな。魔法陣の形成と発動に使用した魔力が多ければ多いほど、魔力に目覚めなくても肉眼で見えるの」

 

「そういやレイの魔法陣も見えたな」

 

「攻撃魔法はどうしても使用量が増すからね」

 

 その知識はスヴェンにとって大きな利点だ。

 魔法陣が視認できるということはつまり、危険性が高いとも認識できる。

 例えば施設の床に構築された魔法陣。罠の可能性も考慮できるのはスヴェンにとって有難い知識だ。

 そんな感心を浮かべた矢先、笑みを浮かべたミアが空を指差す。

 スヴェンは訝しげに魔力を知覚化したまま空を見上げた。

 するとエルリア城を魔力の膜でドーム状に覆われていることが判る。

 これは恐らく昨日ミアが口にしていた結界なのだろう。

 

「空のあれが結界ってのは判ったが、随分と範囲が広いんだな」

 

 目視だけでも平原の彼方まで続く結界。

 これで平原に出た異界人の死亡率が高いと云うのだから、内通者の存在を疑わざるおえない。

 

「空のあれは守護結界って言って、王都はもちろんのこと町や村をモンスターの驚異から護ってくれてるんだ」

 

「へぇ、なら道中も安全な旅が望めそうだな」

 

「それがそうでも無いんだ。守護結界の範囲にも限界が有るの、だから結界と結界の間はモンスターの生息地域になってるわ」

 

 スヴェンには守護結界の範囲が何処まで続いているのか分からなかったが、改めて再認識させるに至る。次の結界到着までは決して油断できないと。

 同時にこうも考えられた。幾らモンスターから町を護る守護結界とは言え、先日騎士団の訓練所で戦ったブルータスのように意図的にモンスターを結界内部に入れることも可能なのだと。

 でなければモンスターを訓練用に飼育も出来なければ、異界人の死亡率の高さにも説明ができない。

 この世界の魔法技術に強く関心しながらスヴェンは、

 

「アンタと出掛けるってのには不安を覚えたが、物を知るにはアンタが居た方が良かったな」

 

 大事な知識を得られたと笑った。

 

「不安ってなに!? だいたい鍛冶屋の場所も知らないでしょ!」

 

 確かに知らないがそこは適当に散策がてら捜すつもりだった。

 城下町の地理の把握もスヴェンにとっては必要なことだからだ。

 すれ違う人の多さに、改めてミアに聞く。

 

「それにしても平常時からこうも人通りが多いのか」

 

「いつもこんな感じだよ。特に市場の方は買い物客で溢れてるし」

 

「目的の鍛冶屋は何処だ?」

 

「職人通りだよ。場所は大通りから西通りに進んで坂を降った先が職人通り」

 

 ミアの説明にスヴェンは西通りに向けて歩みを進める。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 西通りを進み、大聖堂の前に差し掛かったスヴェンは足を止める。

 スヴェンの世界ではデウス教会が運営していた礼拝堂が各地に点在してるがーー何十世紀も昔の人類は神々の存在を認識しながら礼拝堂で祈らなくなった。

 その結果、デウス教会は廃れ。現在の廃堂は孤児院として利用されるか、自分のような傭兵の活動拠点として利用されることになった。

 あそこに残して来た数々の装備とメルトバイクが名残惜しが、きっと三年の間に誰かに回収され使われているだろう。

 つい物思いに耽るとミアは小首を傾け、不思議そうに聞いてくる。

 

「アトラス教会に用でも有るの?」

 

「いんや。前の世界じゃあ廃堂を拠点にしてたが、はじめてまともな教会の施設を目にしたな」

 

「スヴェンさんの世界は信仰を忘れたの?」

 

「忘れちゃあいねえが、機械神デウスは各国の主要都市に設置された端末に居るからな、わざわざ礼拝堂で祈る必要がねえのさ」

 

 ミアは都市に神が何処にでも居るのかと、想像を膨らませ楽しげに微笑んだ。

 

「スヴェンさんの世界は何だかとっても不思議」

 

「そいつはお互い様だ」

 

 スヴェンは歩みを再開させ、そのまま職人通りと書かれた看板を頼りに坂道を降りはじめる。

 そんな彼にミアは置い行かれまいと走り出した。

 

 しばらくして職人通りのーー人通りが多い場所に設けられた鍛冶屋【ブラックスミス】に到着した。

 建物を見上げるスヴェンを他所にミアは通い慣れた様子で、店の扉を開け放つ。

 

「おじさーん! エリシェ! 居る〜?」

 

 スヴェンはミアに続き店に入った。

 すると丁度良く、店の奥から駆け付ける足音が響く。

 そしてポニーテルに纏めたクリーム色の髪に、翡翠色の瞳の少女がミアに飛び付いた。

 

「ミア! 卒業式以来になるかな!」

 

「ちょっとエリシェ、卒業式からまだ1ヶ月しか経ってないよ」

 

 如何やら二人は同い年で学友だったようだ。

 スヴェンがそんな事を思いつつ、棚に陳列された短剣を手に取る。

 どれも精巧な作りかつ、見ただけで判る鋭い斬れ味にスヴェンはこの鍛冶屋に期待を膨らませた。  

 此処ならいずれガンバスターを製造できるかもしれないと。

 スヴェンは様々な短剣の中から重さと振り易さ重視でーー刃の厚さ10ミリ、全長24センチの黒柄のナイフを選び取った。

 他にも武器なら色々と有るが結局、つい元の世界で似た形の武器を選んでしまう。

 それだけ似た武器が手に馴染むという表れでも有るが。

 一人納得するとエリシェがこちらに視線を向け、

 

「おっ、クロミスリル製のナイフを選ぶなんてお目が高いねぇ!」

 

「にしてもミアが異界人のお客さんを連れて来るなんて珍しいね」

 

「これも仕事でね。それで彼はスヴェンさん、武器の買い物……はもう済んだね。えっと整備のことで相談に来たんだ」

 

 エリシェは観察するようにスヴェンを見詰め、背中のガンバスターの存在に気付く。

 するとエリシェは眼を輝かせ、ミアを押し退けてスヴェンに駆け寄った。

 

「その武器……見た事も無い構造だけど異世界の!? 材質は? 重さとその回転しそうな部品は!?」

 

 興奮した様子のエリシェにスヴェンは、武器好きのガキと認識しては口を開く。

 

「コイツの名称はガンバスターだ。大剣に射撃機構を掛け合わせた武器で、材質はメテオニス合金つう隕鉄とマナ結晶を加工したもんを使ってる」

 

 恐らくこの世界にメテオニス合金は存在しないだろう。

 スヴェンはそれを理解しながら材質に付いて話した。

 すると案の定、エリシェは混乱顔を浮かべ。

 

「メテオニス、マナ結晶。それに隕鉄……どれも聴いたことがないよ! ミア、この人は何者!?」

 

「だから異界人だってば。それでおじさんは?」

 

「少し待ってて」

 

 そう言ってエリシェが呼びに戻ろうとすると、奥から頭にタンコブを作った大柄な中年男性が姿を現した。

 

「父さん、なんでタンコブなんて作ってるの?」

 

「それはなぁ、お前が父さんを弾き飛ばしたからだ。いくらミアとは卒業式以来とはいえ、興奮し過ぎるのはよくないぞ」

 

 鍛冶屋の男は豪快に笑い、エリシェが羞恥心から頬を赤らめる。

 そして大柄の男はカウンター越しからスヴェンに気のいい笑みを浮かべた。

 

「オレの名はブラック。話しなら聞こえていた、買い物と整備の相談だってな」

 

 スヴェンは鞘からガンバスターを引き抜き、ブラックに手渡す。

 するとブラックは瞳に魔法陣を発動させ、興味深げに驚く。

 

「解析魔法で構造は把握できるが、材質に付いて未知っと出るなんてなぁ」

 

 ブラックが驚くのを他所にスヴェンも彼が発動させた魔法に驚きを隠さずにいた。

 ガンバスターの内部構造は銃を構成するパーツ、荷電粒子モジュールと反動抑制モジュールによって複雑化してる。

 それを瞬時に解析し、理解してしまうのだから改めてテルカ・アトラスの魔法技術が末恐ろしいと実感を得た。

 

「整備の相談って言ったが、荷電粒子モジュールを取り外して貰いてえんだ」

 

「すぐに取り掛かりたい所だが、コイツを開けるための道具を一から造らねばならん」

 

 道具さえ有れば機構の取り外しができる。

 スヴェンはその点を踏まえ完成日数を尋ねた。

 

「どれぐらい掛かるんだ? あと5日もすれば俺は旅に出るんだが」

 

「今から作業となれば最短最速で6日だ」

 

「短縮はできねのか?」

 

「無理だな。まず造った事もねえ道具の作製だ、図面を引く必要も有る。道具が完成したら速達便で届くように手配はするさ」

 

 魔王救出に向けて出発しても道具は届く。それなら此処で頼んで損も無いだろう。

 スヴェンは先程選んだ二本のナイフをカウンターに置き、

 

「こいつ二本とついでに潤滑油を頼みたいが、配達料を含め幾らだ?」

 

「オーダーメイド、材料費、費用諸々合わせアルカ銀貨34枚だな」

 

 スヴェンは出掛ける直前にレーナから受け取った金袋からアルカ銀貨を取り出した。

 

「領収書ってのは有るか?」

 

「もちろん有るが、領収書の発行は物と同時にだな」

 

「なら領収書の宛先だけエルリア城にしてくれ」

 

「了解した。エリシェ、早速図面の作製に取り掛かるぞ!」

 

「分かった! スヴェン、今度じっくりその武器を触らせてね!」

 

「機会が有ればな」

 

 そう言ってスヴェンはミアに視線を向ける。

 

「俺は先に帰るが、アンタは如何する?」

 

「私も帰るよ。じゃあねエリシェ、今度はお土産話に期待してて」

 

 二人の会話を他所にスヴェンは、購入したばかりのナイフを鞘ごと腰ベルトの留め具に装着した。

 こうして用事を済ませた二人はエルリア城に戻り、城門でミアと別れたスヴェンは、さっそくナイフを試すべく騎士団の訓練所に足を運んだ。

 その日、スヴェンは訓練所でミアの巧みな杖捌きを目撃することに……。



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2-7.技術研究部門

 五月二十四日。暖かな陽射しが差す中、エルリア魔法騎士団と戦闘訓練を終えたスヴェンが東塔の城内を歩いていると。

 

「おや? もしや貴殿が……」

 

 すれ違ったモノクロメガネの中年の男性が歩みを止め、スヴェンは思案顔を向ける彼の視線に足を止める。

 

「俺に何か用か?」

 

「ふむ、貴殿はもしやスヴェン殿に違いないかね?」

 

 スヴェンは訝しげな姿勢を向けるとモノクロメガネの男性が軟らかな笑顔を見せた。

 

「失礼、我輩はクルシュナ。技術研究部門の副所長を務めている者だ」

 

「技術研究部門つうと銃弾を預けた……」

 

「うむ、もし貴殿が良ければ我々の研究室に御足労願っても?」

 

 今後の弾薬補給の件を考えればクルシュナの提案を断る理由が無い。

 スヴェンは頷くことで彼の誘いに応じ、

 

「おお! ではこちらへ」

 

 廊下を歩き出すクルシュナに付いて歩く。

 廊下を抜け、西塔の庭に出たスヴェンは井戸の前で足を止めたクルシュナに訝しげな表情を浮かべた。

 まさか入り口が井戸底に? そんな疑いの眼差しを向けるスヴェンを他所にクルシュナは、

 

「隠されし道よ、開きたまえ」

 

 呪文を唱えた。

 突如スヴェンの目の前に有った井戸が消え、代わりその場所に魔法陣が現れる。

 

 ーー魔法は何でもありなのか? 

 

 確かに存在していた井戸が消えたことにスヴェンは驚きを隠せずーークルシュナの微笑ましげな瞳に肩を竦める。

 

「どうなってんだ?」

 

「井戸を触れば確かな手触りと感触が有るが、井戸は質量を待った幻覚でしてな。我々職員の固有魔力のみに入り口が開かれるのだ」

 

「秘匿性の高え入り口だな……ま、技術開発ならそれだけ用心するに越した事はねえか」

 

「さよう、我々は裏切りに備えておるのでね」

 

 裏切り。確かにこの城内に裏切り者が居ないとも限らない話しだ。

 スヴェンの中で城内に潜む裏切り者を想定しつつ、目的は封印の鍵の所在だと当たりを付ける。    

 他にも城内の警備配置、内部情報、国営に不利な情報など様々な事柄が浮かぶが、邪神教団が内通者や裏切り者を利用する目的とすれば封印の鍵の所在だろう。

 それに最悪なケースだが、異界人が裏切り内部情報を初めとした不利になる情報を流さないとも限らないのだ。

 

「その慎重な姿勢と疑心、好ましいな」

 

「お褒めに預かり光栄の至り。では、時間も惜しいので詳しい話しは中でしましょうか」

 

 そう言ってクルシュナは魔法陣に入るように促す。

 スヴェンが魔法陣に入ったその瞬間! 視界が歪み、ワープにも似た感覚が襲う!

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔法陣による転送の先ーー転送先は淡く青い発光色を放つ壁、職員が魔法を操り、何かの装置が動く光景が広がっていた。

 スヴェンが魔法陣から出るとクルシュナが現れ、

 

「ささ、奥へ!」

 

 促されるままに研究室を進む。

 その傍ら物珍しい様子で観察する視線にーースヴェンは鬱陶しさを覚えたが、彼らの技術力によってはこちらの力になる。

 そう考えれば彼らを無碍に扱うことなどできない。

 

「あの者がアレを預けた異界人か」

 

「そうみたいよ。異界人が持ち込む道具はどれもつまらないものだったけど、久しぶりに面白い仕事ができたわぁ」

 

「あぁ、量産したところでスヴェン殿の武器が無ければ意味を成さないからね。盗用されたとしても一定の安全性は有る!」

 

 そんな研究者の会話にスヴェンは漸くクルシュナに口を開く。

 

「銃弾が完成したのか?」

 

「数日後には旅立つ貴殿に合わせ、どうにか形だけは成したのだが……」

 

 そもそもテルカ・アトラスに銃が無い。

 そのため銃弾が完成したところで撃つための武器が無いのでは試験もできない。

 ここにスヴェンが訪れ、銃弾をはじめて撃つことで彼らの研究が実るのだ。

 

「試し撃ちは願ってもねぇよ、銃弾は俺の命を繋ぐ商売道具だからな」

 

「いやはや、これで漸く完成に漕ぎ着けるというもの」

 

 そして奥の作業場に到着したスヴェンは、机に置かれた二発の銃弾に眼を見開く。

 僅か三日で二発も製造した。これで完成すれば銃弾の安定供給も叶う。

 さっそくスヴェンは.600GWマグナム弾と全く同じ銃弾を、ガンバスターのシリンダーに装填する。

 周囲を見渡すと障壁を展開している壁に気付く。

 

「あの壁に試し撃ちを、強度はブルータスの障壁と同規模ですぞ」

 

 なるほどと、スヴェンは鋭く笑みを強めた。

 ガンバスターの最大射程ーー800メートルまで距離を取る。

 そして銃口を障壁に向け構える。

 クルシュナをはじめとした研究者の緊張がーースヴェンの肌に伝わる。

 そして、スヴェンは狙いを定め引き金を引いた。

 ズドォォーーン! 一発の銃声が鳴り弾丸が真っ直ぐ障壁に放たれーー弾丸は障壁に阻まれた。

 惜しむ研究者達を他所にスヴェンは前回の結果を踏まえ、口角を吊り上げた。

 

「上出来だ」

 

「おや? なぜですかな、銃弾は障壁を貫けなかったのですぞ」

 

「よく見てみろ」

 

 クルシュナは言われた通り障壁に視線を向け、そこではじめて気が付く。

 床に弾丸が落ちず、障壁に依然として弾丸が嵌まったままなことに。

 

「前回は虚しくも弾かれたが今回は違え」

 

 あと二発、三発撃ち込めばブルータスの障壁程度なら貫けるだろう。

 まだ弱い分類のブルータスが展開する障壁に対する成果だ。決して手放しでは喜べないが、着実な進歩にスヴェンは一人納得した。

 

「ふむ、改良の必要性ありと。時にスヴェン殿は魔力を込めましたかな? 銃弾の雷管部分に小さく魔法陣を刻んだのですがな」

 

 言われてスヴェンは銃弾の雷管部分を見る。

 意識を集中すれば雷管部分に細かく刻まれた魔法陣の存在にはじめて気付く。

 

「気付かなかったが、次は魔力を込めてみるか」

 

 まだスヴェンは利腕にしか魔力を宿せない。

 ガンバスターの柄を通して銃弾から銃口に宿すーーまだ至難の技だが、依頼を達成する為に習得する他にない。

 スヴェンは再びーー今度は銃弾を一発装填し、銃口を向ける。

 今度は魔力をガンバスターに流し込むように強く意識を集中させて。

 だがスヴェンが思うようにガンバスターに魔力が流せず、魔力が宿らない。

 大柄なガンバスター全体、更に細かく銃機構に魔力を流せないのはスヴェンの努力が足らない証拠だ。

 

「なるほど、スヴェン殿はまだ魔力制御が完璧では無いようですな」

 

 スヴェンは構えを取り肩を竦める。

 不甲斐無いと感じる反面、スヴェンの闘志は何が何でも魔力制御を物にして見せると燃え上がった。

 

「時に吾輩気になるのですが、普通の壁に撃った場合の威力は如何程なのだろうかと」

 

 クルシュナは愚か研究者の『気になる! 撃って見せて!』と言いたげな強い視線を受け、銃口を壁に構える。

 

「念の為に聞くが壁の向こうは?」

 

「此処は地下室ですからな、壁の向こうは土壁ですぞ」

 

 それを聴いたスヴェンは躊躇なく引き金を引く。

 耳をつん裂く銃声が研究室に響くーー同時に破壊音と土埃が研究室を襲った。

 弾丸は研究室の壁を何層も破壊し、一発の弾丸によって生み出された破壊の跡にクルシュナ達は驚愕した。

 

「まさか! 防護陣を機能させてないとはいえ強固な造りの壁を貫くとは!」

 

 クルシュナ達の驚き以前にーースヴェンは防護陣の存在に驚愕する。

 

「聞くが何処の建物にも防護陣は備わってんのか?」

 

「あれは維持に定期的な魔力供給が必要、故に防護陣は重要施設となりますな」

 

 エルリア城の防護陣がどの程度の強度か全く想像できないがーーシェルター並みと仮定すれば.600GMマグナム弾で防護陣を貫くことは不可能と言えるだろう。

 ふとスヴェンは気付く。.600GMマグナム弾はGMメーカーの銃弾だ。

 此処で製造された銃弾は名を改める必要が有るのではないかと。

 

「では我々は、貴殿の出発までに.600LRマグナム弾の量産を続けよう」

 

 既に銃弾の品名を付けていることにクルシュナを抜け目のない御仁と評した。

 

「頼んだ。……あー、ちなみに聞くが一発の製作にいくらかかる予定だ?」

 

「プロージョン鉱石の粉末を収める薬莢と雷管はスヴェン殿の提供品。我々が一から製造したのは弾頭のみですから安く済みますが……まともに一から製造ともなればアルカ銅貨210枚ですかな」

 

 デウス・ウェポンの弾頭は一つ十五ポイント。

 銃弾一発の価格が二百ポイントになる。

 アルカ銅貨一枚が何ポイントに相当するのかは判らないが、恐らく製造コストはテルカ・アトラスの方が遥かに安いのだろう。

 利益にもならない製造では有るが。

 つい傭兵として弾薬補給と取引先の利益を考える癖が出たことに苦笑を浮かべる。

 そんなことよりも彼らに礼を告げるのが先決なのだ。

 

「銃弾の製造、心から感謝する。……アンタにはこれから世話になるな」

 

「それは我々の方ですぞ。今回の弾頭作製といい、新たな魔法の知見を広げることもできたのでね」

 

 スヴェンとクルシュナは互いに握手を交わし、スヴェンの銃弾に対する知識を彼らに伝えーー友好を深め、自室に戻ったのはすっかり夜も深まった頃だった。



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2-8.異界人の茶会

 五月二十六日の晴れ渡った午後十五時。

 スヴェンは傭兵の自分が非常に場違いな空間に、内心で心底うんざりしていた。

 エルリア城の中央塔最上階に位置する空中庭園、噴水が噴き花壇に囲まれた庭ーー城下町が見渡せ、鮮やかに咲き誇る花の風景はちょっとした気分転換にもなるだろう。

 しかしスヴェンにとってこの空間は似つかわしくない。むしろ場違いだ。

 風景から視線を逸らせば、困惑気味のレーナと三人の少年少女が和気藹々と談笑する姿が映り込む。

 不意にレーナと目が合う。すると彼女は微笑み、

 

「そういえば、スヴェンが元の世界でどんな体験をしたのか全然知らないわね」

 

 話題をこちらに振った。

 それを受けて興味を抱く者、敵意を抱く者、警戒する者ーーそれぞれの視線がスヴェンに集中する。

 

「俺の体験は此処で話すには場違いだ、第一柄じゃねえし守秘義務もあんだよ」

 

 自身の体験話しなど人に語り聴かせるようなものではない。

 スヴェンが断るとレーナが察したのか、

 

「そうだったわね、それなら別の機会に聴かせてちょうだい」

 

 スヴェンはそれに応じるか一瞬迷ったが、雇主に傭兵の危険性を認識させておくには良い機会だと考えた。

 

「その機会が有ればな」

 

「なんならワインでも飲みながら如何かしら?」

 

 スヴェンは少しだけ驚く。

 レーナがワインを嗜む歳には見えなかったからだ。

 

「アンタは酒が飲める歳だったのか?」

 

「この国の飲酒は自己責任と自己判断よ。それに私は16歳だから成人済みなの」

 

「へぇ、自己責任なのか」

 

 スヴェンは未成年の前で飲酒を控えていたが、飲酒に対して制限が無いならレーナに付き合っても問題ないと頷く。

 彼女の立場上、あらゆる方面から振り返る精神的負担も有るのだろう。

 

「なぁ、お前は何歳なんだよ」

 

 訓練所で時折りこちらに敵意を剥き出しーー今も敵意を隠さず苛立ちを募らせた眼差しで睨む黒髪の異界人に、スヴェンは特に気にもせず質問に答えた。

 

「俺は24だ。そういうアンタは?」

 

「15だ、此処に居る異界人は全員同い年で同じ世界出身なんだよ」

 

 彼の言う言葉にスヴェンは成程と納得が行く。

 道理でお互いの共通の話題で会話が弾み、自分は愚かレーナも話題に置いてかれているのだと。

 

「同じ世界から召喚……そういうこともあんのか?」

 

「同じようで実際は何かが違ってる場合も多いわよ。例えばリュウジの世界は戦争が一度も起こらなかったとか」

 

 戦争が一度も起こらない世界。それはある意味で究極的な平和な世界だ。

 戦争を好き好んで起こす者は外道か、戦争経済に飢えた国連と企業連盟。そう言った戦争屋が居ない世界は想像も付かないがスヴェンにとって戦場が全てーーだから戦争の無い世界は退屈で窮屈に思えて仕方ない。

 

「そいつは幸福な世界だな。戦争なんざやるもんじゃんねえ」

 

「戦争屋が言う言葉かよ」

 

 噛み付く竜司にレーナは困り顔を浮かべ、スヴェンは彼の青臭と感情の制御が覚束無い様子に小さく笑う。

 成長した後ーーふとした瞬間に振り返ると黒歴史になると。

 

「なに笑ってんだよ」

 

「別にアンタを笑った訳じゃねぇ。ま、確かにアンタの指摘は正しいがな」

 

 スヴェンは何処まで行っても傭兵だ。

 その本質は金の為に戦争を起こす外道に変わりない。

 そんな当たり前の事がぼんやりと頭に浮かぶと、何故か気を良くした竜司がドヤ顔で言い出す。

 

「ならよ、ミアちゃんを巻き込むなよ」

 

 巻き込んだ覚えも無ければ、彼女の同行はレーナの決定だ。それ以前に本人の意志も有るだろう。

 それに対してスヴェンは一度だけ人選を変えるように言ったが叶うことは無かった。

 同時に竜司の敵意の表れが、何処から来るのかも理解する。

 つまりこの異界人の少年はーー何かを間違えミアに好意を寄せ、こちらに嫉妬を向けている。

 スヴェンからすれば迷惑で非常に面倒だが、竜司の青臭さは年相応の感情だと理解を示す。

 

「巻き込む気はねぇが……そうだな、気になるなら告白の一つでもしてやればいい」

 

 スヴェンの一言に全員が眼を見開く。

 何か可笑しな事を言ったか? スヴェンは周囲にそう言いたげな眼差しを向ける。

 

「貴方から告白なんて単語が出るなんて思いもしなかったわ」

 

 レーナの言葉に竜司は愚か全員が頷く。

 

 ーーそんなに意外だったのか。

 

「……お前はミアちゃんに対して何とも想ってないのかよ」

 

 出会って数日の少女に何を想えば良いのだろうか?

 

「アイツの印象は騒がしいクソガキ程度だな」

 

「そ、そうか」

 

 何とも言えない表情を浮かべた竜司から敵意を感じなくなった。

 これで面倒事の心配は少なくなるだろう。

 女一人を独占したいが為に同僚達の情報を売り、壊滅させた同業は決して少なくは無い。

 スヴェンもそんな嫉妬の暴走に巻き添えを喰らった身の一人だ。

 特に異世界で色恋沙汰の嫉妬に駆られ、スヴェンのあらゆる情報を邪神教団にリークされれば依頼の達成率が極端に減る。

 本心と今後の危険性を考えたスヴェンは、ミアをダシに竜司の敵意を削ぐ事に成功した。

 最も今回は偶然竜司がミアに好意を抱いていると知ったからこそだが……。

 相変わらず場違いな空間から一刻も早く逃れたいスヴェンは、椅子から立ち上がった。

 

「俺はここで失礼させてもらうが構わないよな?」

 

「えぇ、今日は意外な一面が見れて楽しかったわ」

 

 スヴェンは『そいつはよかった』そう一言だけ告げ足早とその場を立ち去った。



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2-9.出発前夜

 出発前日の昼時。城内の食堂は騎士や城勤の役員で溢れ、食欲を引き立つ芳ばしい香りと楽しげな会話で満ちる。

 そんなエルリア城の食堂に足を運んだスヴェンとミアは食事を済ませ、

 

「そういや、ラオとレイは何の調査に向かったんだ?」

 

 偶然相席した顔見知りの騎士に尋ねた。

 すると騎士は困り顔を浮かべ、隣のミアが意外そうな表情で呟く。

 

「不在のラオさんを気にしてたんだね」

 

「副団長ってのは騎士団長の留守を預かる重要なスポットだろ? それが7日も不在となりゃなあ」

 

 調査なんて副団長がやるべき仕事じゃない。それこそ部下を動かすものだ。

 ラオが現場主義なら話は別だが、ラオが動かなければならない案件だったと推測も立つ。

 

「俺は明日の早朝に旅立つ身だ。旅路は極力安全で行きてぇ、情報一つ知ってるだけでも随分違うだろ?」

 

「確かにそうだけどなぁ」

 

 彼は話していいのかっと迷う素振りを見せたがーー後々の影響を考慮したのか、耳を貸すように動作で訴えた。

 二人は騎士に耳を傾け、彼の語り出した情報にスヴェンは眉を歪めーーミアは信じられないと喉元を震わせる。

 騎士は耳元から顔を遠ざけ、わざとらしい笑みを浮かべた。

 他言無用、この情報は口にしてはならない。

 スヴェンは彼の笑みから意図を読み取り、

 

「へぇ、俺の杞憂だったわけか」

 

 騎士に話しを合わせた。

 隣のミアが漸く意図を察したのか笑みを浮かべる。

 

「スヴェンさんは顔に似合わず心配症だね」

 

「傭兵ってのは少々のことで警戒しちまう臆病者なんだよ」

 

「真正面からモンスターを討ち破る君が臆病者なら、大半が臆病者になるよ」

 

 笑い声と共に立ち上がった騎士は、

 

「今回こそ成功するようにアトラス神に祈っておくよ」

 

「おう、アンタらとの訓練も楽しかった」

 

「帰って来たらまた参加してくれよな、団長も居ない状況じゃ刺激も少なくて仕方ないからよ」

 

 そう言って騎士は立ち去りーー彼の背中を見送ったミアが意外そうな眼差しで尋ねた。

 

「いつの間に交流関係を広げたの?」

 

 いつと聞かれれば答えは限られている。

 

「そりゃあ訓練の時だろ」

 

「それもそっか。でも本当に意外だなぁ」

 

 妙に優しげな眼差しを向ける彼女にスヴェンは嫌そうに顔を歪めた。

 

「何がだよ、つうかなんだその眼差しは」

 

「母親が息子の巣立ちを見送る優しい眼差し? あっ! 冗談だから殴ろうとしないで!」

 

 スヴェンは振り上げた拳を下げる。

 

「で? 何を意外に感じたんだ?」

 

「元の世界に帰りたいスヴェンさんが交流関係を広めた事にかな」

 

 孤立してれば傭兵として情報を仕入れる時に足枷になる。

 あくまで交流関係を広げたのは確実に依頼達成に繋げるために過ぎない。

 その過程がどうあれ、スヴェンはこの世界で誰かと深く付き合うつもりは無かった。

 

「浅く広くが丁度良いんだよ」

 

「私に対しても?」

 

 ミアの問いに簡素に頷く。

 

 明日からミアを連れ、影の護衛としてアシュナが同行する。

 女二人連れという居心地の悪い旅路になるが、スヴェンにとって二人は仕事上の付き合い程度だ。

 それが最も適した距離感だろう。特に年相応かつ難しい年頃の少女が二人となればなおさら。

 ウェイトレスが運ぶ料理を尻目に沈黙が流れる。

 だが、沈黙はそう長くは続くことは無く、先に沈黙を破ったのはミアだった。

 

「そういえば昨日、リュウジさんに告白されたんだけど」

 

 色恋の話しを持ち出されてもなぁーーそう思ったが、敵意を逸らすために誘導したのは他ならないスヴェンだ。

 これも佐藤竜司を焚き付けた責任として、スヴェンは頬杖を付くミアに視線だけ向ける。

 

「おっ、それは聴いてくれるってことだね。いやぁ、私も驚いたよ?」

 

 話が長くなると感じたスヴェンは結果だけを催促した。

 

「前置きはどうでもいい。そいつの想いを受け止めたのか?」

 

「断ったよ」

 

 呆気なく答えるミアにスヴェンは一言だけ呟く。

 

「そうか」

 

「うん。リュウジさんが私の何処に惹かれたのか分かんないし、私もリュウジさんの魅力とか素敵な一面が見付けられないからね」

 

「それが断った理由か。そんなのは交際の中に理解するもんじゃねえのか?」

 

 ミアはどうかなぁ? っと首を傾げる。

 そして彼女ははっきりと告げた。

 

「多分身体目当てかな、私かわいいから!」

 

「へぇ〜」

 

 気の抜けた返事にミアは面白くなさそうな眼差しを向け、

「なにさぁ〜、少しは真面目に聴いてよ」

 

 右腕を指で突かれ、ミアのウザ絡みにスヴェンはため息を吐く。

 本当に竜司はミアに対して幻想を抱き過ぎてるのでは無いか? そんな心配が頭に過ぎるがーースヴェンは一瞬で頭の外に追い出す。

 こちらに実害が無ければ他人が誰に恋心を抱こうがどうでもいい。

 

「悪りぃな、他人の恋愛沙汰に真面目になれねえ性分でな」

 

「じゃあしょうがないか。あっ、私は物資の確認が有るからもう行くけど、スヴェンさんはどうするの?」

 

 自己鍛錬と言語の学習でもっと考えたが、明日から慣れないハリラドンに乗って旅立つ。

 魔王アルディアが治めるヴェルハイム魔聖国への進入経路も見直しておく必要が有るだろう。

 騎士団との連携も考慮に入れた旅路にーーレーナに確認しておくことも有ったと顔を顰める。

 

「そうだな、姫さんと打ち合わせしておくか」

 

「旅の順路とか確かにそうかも。分かった、姫様には私から伝えおくからスヴェンさんは自室で待ってて」

 

 言うが早いかミアはすぐさま行動に移し、スヴェンは呼ばれるまで自室で待機する事に。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 夕暮れに染まる空ーーミアに案内されたスヴェンは、室内でワイングラスを並べるレーナに驚きを隠せずにいた。

 

「私はこれで失礼させてもらいます……スヴェンさんは飲み過ぎないようにね」

 

 ミアの気遣う言葉を他所に、スヴェンは困惑から立ち直れずにーー半ば現実逃避の如く室内を見渡す。

 良く言えばば王族の一人娘らしい部屋、悪く言えば調度品や高級感溢れ居心地が悪い部屋。

 スヴェンはそんな印象を包み隠さず黙りを決め込む。

 目前で手を振るミアも気にならないほどスヴェンの思考は停止していた。

 

「お、おーい? ……固まってますよ」

 

「そうみたいね、スヴェンは先日のお茶会の時も居心地悪そうにしてたわ。もしかしてこういう場が嫌いなのかしら?」

 

 申し訳ない事をした。そう言いたげなレーナの眼差しを受けたスヴェンは漸く口を開く。

 

「交渉時に色鮮やかな部屋に通されることも有ったが……王族、それも姫さんの部屋に通されるなんて誰が思うよ」

 

「王族の前に一人の小娘よ。それにたまには誰かとお酒を飲みたい時ぐらい有るわ」

 

 現実に引き戻されたスヴェンは本来の用事を思い出す。

 

「いや、俺は旅路に付いて話しに来たんだよ」

 

 本来の用事を済ませ早急に部屋から立ち去る。

 スヴェンは用事を済ませるべく、口を開きかけたその時だ。

 

「一緒に飲んでくれないの?」

 

 潤んだ瞳で弱々しい声で訴えられたのは。

 そんな瞳をされ、先日酒に付き合う話しをした手前ーースヴェンが断る理由が何処にも無かった。

 

「アンタには負けたよ、明日に支障が出ねえ程度には付き合わせてもらう」

  

 背負っていたガンバスターを壁に立て掛け、

 

「今度こそ私は戻るからね」

 

 そう言ってため息混じりにミアが退出する。

 スヴェンはレーナの向かいに座り、持ってきた地図を広げ本題を切り出した。

 

「俺達は魔王救出を目的に旅に出るが……」

 

 スヴェンは地図のエルリア城から西へ指をなぞり北西からヴェルハイム魔聖国を回り込むように動かす。

 ヴェルハイム魔聖国のフェルム山脈から南下し侵入を試みるルートを示した。

 レーナはワイングラスに葡萄酒を注ぎながら、スヴェンの示したルートに興味深そうに目を細めた。

 

「如何して遠回りを思い付いたのかしら? それにフェルム山脈はかなり険しい山脈、そこに辿り着くにも此処から最低でも2ヶ月はかかるわ」

 

 エルリア城から北の国境線を通れば、最短二週間でヴェルハイム魔聖国に到着が可能だ。

 それは平常時に限った話しで、今は邪神教団によって魔王アルディアが抑えられ魔族が実質支配下に置かれている状況にある。

 

「此処から何百キロも離れた北の国境線じゃあ、騎士団長が邪神教団を牽制してるつう話しだろ? 救出すんのに馬鹿正直に真正面から攻め込む必要がねえんだよ」

 

 今までの異界人は真正面から乗り込もうとしたが、国境線に辿り着く前に失敗した。

 中には別ルートからの侵入を試みた者も居るがーーその殆どがエルリア魔法大国の国内で死亡しているか、心変わりしたのか途中で諦めている。

 昼間に騎士から聞いた情報も合わせスヴェンはこのルートを選んだ。

 

「それにアンタはもう把握してんだろうが、ラオ達の調査対象つうのがメルリアで邪神教団の動きが有ったからなんだろ?」

 

 それとは別に昼間の騎士は城内に内通者が居ると示唆した。

 その情報は異界人の失敗率、技術研究部門の警戒姿勢から正しいのだろう。

 出発時期やルートが敵に漏れている可能性が高い。

 

「えぇ、メルリアの地下遺跡に邪神教団が潜伏してることは城内に潜んでいた内通者を追跡させることで発覚したわ」

 

「そいつはそっちに任せていいのか? メルリアで始末してやってもいいが」

 

 そう言ってスヴェンは葡萄酒をひと口飲み、その芳醇な旨味と酸味に舌鼓打つ。

 デウス・ウェポンの飲酒は酒を真似た、アルコールをゲテモノに注いだだけの何かーースヴェンの中でデウス・ウェポンの飲食関係が軒並み最低評価に落ちた。

 葡萄酒に感動しているとレーナははっきりとした強い眼差しを向ける。

 

「内通者の件は騎士団に任せて貴方には邪神教団の方を叩いて欲しいのよ」

 

 当初は邪神教団と接触せず安全ルートで魔王救出を試みる。そう想定していたが、内通者の存在によってスヴェンの素性が既に敵に伝わっている前提で動く必要性が出た。

 その件を踏まえフェイク情報の流出も視野に入れる。

 出発直前に流す情報ーー普通なら遅いフェイクだと感づくが、傭兵という素性が情報に錯綜を齎す。

 

「そいつは構わねえが、俺の旅は表向きは異世界観光ってことにさせてもらうがいいな?」

 

 スヴェンの提案にレーナは目を伏せ、

 

「なるほど、偽情報を流すことで貴方はあくまでも巻き込まれた風を装うということね。差し詰めミアは観光案内係と言ったところかしら」

 

 納得した様子で葡萄酒に口付けた。

 芳醇な味わいにレーナは『うん、美味しいわね』っと小さく呟く。

 

「おう、こういう時は傭兵って肩書きが便利なんだよ。金さえ払えばどんな仕事もやるからな」

 

「頼もしいわね。……でも決して油断してはいけないわ、邪神教団は禁術も平気で使って来るわよ」

 

「禁術……具体的にはどんなのが有る?」

 

「種類が多いけど、死の魔法や生命を冒涜するような魔法が主に禁術に指定されてるわ。あとは術者に破滅を齎す魔法、簡単に言えば魔力暴走を利用した自爆とかね」

 

 死の魔法がどんな物かスヴェンには理解が及ばないが、その単語だけで警戒を一気に引き上げた。

 

「生命を冒涜ってのは死体を操るような魔法か?」

 

「えぇ、そう言った魔法も指定されてるわ」

 

 外道に対して外道が相手するのが相応しい。

 スヴェンはそんな考えを頭の中で浮かべ、重要なことを思い出す。

 

「そういや、救出は良いが凍結封印ってのはどうやって解除すりゃあいい? まさかそのまま運び出す訳にも行かねえだろ」

 

 質問を受けたレーナはワイングラスを置き、地図に視線を落とすーーその表情は杞憂や不安に苛まれた様子だった。

 

「ヴェルハイムの西に位置する小国パルミド……エルリアからだと北西、フェルム山脈の麓に位置してるわ」

 

「そこまで長旅だけど、パルミドから更に北西の大海に浮かぶ孤島諸島にどんな氷を溶かすとも言われている伝説の炎が有るそうよ」

 

 伝説と呼ばれるだけ有って確実に存在しているとも確証がない。だからレーナの内心は不安と杞憂に満ちているのだろう。

 

「伝説に頼らずとも解除する方法は他にねえのか?」

 

「凍結封印によって発生した氷はどんな解除魔法でも溶かせないのよ……解除できるのは術者と伝説の炎だけ」

 

「術者を脅す方が手っ取り早いが、そいつに自害されれば解除不可になる可能性も有るつうことか」

 

「えぇ、基本封印魔法や結界魔法は術者の死後にも効力を発揮し続ける魔法よ。だから解除される前に死なれるとアルディアを救い出すこともできなくなるわ」

 

 術者があらゆる要因で死亡しないとも限らない。

 だからこそレーナが伝説の炎に縋りたくなる理由も理解できた。

 それに何処に存在するのかも、恐らくレーナは調べあげたのだろう。

 

「伝説の炎って奴に賭けるしかねえな。……いや、持ち運びできるもんなのか?」

 

「伝説の炎ーー瑠璃の浄炎を封じ込める魔道具を貴方に預けるわ。それで理論上は持ち出し可能な筈よ」

 

「そこまで用意してあんなら不安材料は一つだけだな。……ここで保険の一つでも掛けて置くか」

 

「保険? 私に可能な範囲ならいいわよ」

 

 スヴェンはレーナの保険を伝えーー彼女は一瞬驚き、そして人を惹き付ける笑みを浮かべるのだった。



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2-10.旅立ちの時

 五月二十八日、スヴェンの旅立ちの日。

 スヴェンはミアに連れられ、エルリア城の地下広間に到着していた。

 青白い燭台の炎が灯す地下広間ーーその中心で箱を抱えたレーナと周囲を浮かぶ幾つもの浮遊物にスヴェンが眉を歪める。

 何故地下広間なのかスヴェンは疑問を浮かべ、すぐさま答えに行き着く。

 今日は魔王救出のために出発する日の筈だ。それなら地下広間から地下通路を経由しーー旅立つ段取りだろうと当たりを付ける。

 

「此処から出発ってのは理解できたが、アンタの周りに浮いてるソイツはなんだ?」

 

 人の大きさほど有る水色の結晶体に指差す。

 意識して見れば結晶体一つ一つに膨大な魔力が濃縮されていることが判る。

 スヴェンの疑問にレーナが箱を持ちながら近寄った。

 

「この浮遊物は大型転移クリスタルと呼ばれる我が国が誇る技術の集大成の一つよ」

 

「大型転移クリスタル……召喚魔法が在るぐれえだ、転送の類も有るだろうとは踏んでいたが」

 

 デウス・ウェポンにも転送装置が存在するが、座標計算や環境計算やら必要な演算を補うために装置は大型されていた。

 科学技術の進歩は人間が神から知恵を借りながら編み出したと言うが、魔力と詠唱で様々な現象を発動するテルカ・アトラスの魔法技術も馬鹿にはできない。

 スヴェンが一人世界間の技術の違いとそれぞれの良さに付いて思案しているとーーレーナが言うより早いと判断したのか箱を開け中身を見せた。

 中には魔法陣が刻まれた筒と大型の転移クリスタルに似た物がーー掌程のサイズが四つ程納められ、隣で静かだったミアが眼を輝かせる。

 

「貴方にはこの転移クリスタルと封炎筒を預けるわ。前者は一つ何処かに設置するだけで此処といつでも自由に行き来が可能に、後者は瑠璃の浄炎を封じ込めるための魔道具よ」

 

 スヴェンは昨晩話した内容を頭に浮かべ、意識を転移クリスタルに向ける。

 大型の転移クリスタルは出口、この転移クリスタルは入口なら何処でも自由にエルリア城に出入りが可能だ。

 便利だが、裏を返せば敵の侵入を容易に許す危険性も高い。

 

「そいつは便利だが、万が一俺が裏切る可能性を考えなかったのか? 謂わばそいつは万能の合鍵だろ」

 

 スヴェンの指摘にミアが表情を曇らせ、レーナが悲しげな眼差しを向けた。

 

「貴方の指摘通りこれを預けた異界人は邪神教団に寝返ったわ。でもね、コレを無策に渡す筈が無いじゃない」

 

 裏切りに対する何らかの対策が施されている。

 レーナの口振りからそう捉えるが、そもそも異界人がいつ裏切ったのか即座に理解できるのだろうか?

 

「貴方には隠していたのだけど……正直に言うわ」

 

「いいんですか!?」

 

 ミアが驚愕した理由に付いてスヴェンは、彼女の反応から様々な推測の中から一番当たりに近い物を選び取る。

 そもそもレーナは異界人を召喚した側だ。召喚されたのなら召喚者との間に何かが有る。

 例えば行動を逐一監視できるような魔法だ。それならいつ異界人が裏切ろうが即座に判るーー可能性としてはこの推測が一番当たりに近いとスヴェンは内心で納得した。

 

「姫さん自身が何らかの手段で俺達の行動、敵対したかどうか判る……だいたいそんなところか?」

 

 答え合わせにレーナは微笑み、ミアが驚き眼を見開く。

 

「正解よ、私はチェス盤を通して貴方達の居場所、生命力、敵対したかどうかーーそうね、監視させてもらっていたわ」

 

 一瞬言葉に詰まったが、レーナは『監視』という表現を使った。

 彼女なら見守っていたと表現しても不思議では無いが、こちらに対し包み隠さ無い点が傭兵として好ましいと思えた。

 

「召喚したとはいえ、異界人は簡単に信用できねえってのも納得だ。……しかし便利な物があんなら一週間も待つ必要は無かったんじゃねえか?」

 

「自由に転移できるとは言ったけど、設置は転移クリスタル一つに一度までなのよ。それに身分証も無い貴方達に身分証発行手続きとか、旅券の発行だって必要なの」

 

 確かにスヴェンはこの世界で己の身分を証明する物が無い。

 幾らレーナが召喚した異界人の協力者とはいえ、組織の末端までその情報が行き届いているとは限らない。

 彼女の指摘にスヴェンは納得した。そして箱から四つの転移クリスタルを取り出しサイドポーチに仕舞い込む。

 大型の転移クリスタルの仕組みに付いて詳細を訊ねたい所だが、まだこちらはレーナから信頼を得る実績も無い。ならコレを訊ねるべきだ。

 

「ところでコイツは誰にでも使えるもんなのか?」

 

「転移クリスタルに登録した者の魔力に反応するわ。既に貴方達の三人は登録済みだからその点は心配要らないわよ」

 

 敵陣に転移クリスタルを設置させ、エルリア城の地下を経由して奇襲に使えそうだ。

 使用用途が移動に限られているが、要人の救出も転移クリスタル一つ有れば可能だ。

 だが、数に限りが有る状況で無作為に使うこともできない。

 

「なるほど、コイツは大事に使わせて貰うが、出発もそいつかでか?」

 

 大型の転移クリスタルに視線を向け訊ねた。

 

「えぇ、転移先にハリラドンと彼女を待機させてるわ……この方法は旅立つ異界人のみんなから不評だったのよね」

 

「あー、『未来の英雄に対してなんだこの仕打ちは!』とか、『未来の英雄の出発が、こんなコソ泥紛いな方法なんて!』ってみんな凄かったですよね」

 

「この方法は間違ってるのかなって不安になったわ。でもスヴェンは違うのね」

 

 出発一つに文句を言う気にもなれない。

 そもそもレーナが打てる最善の安全策が転移による出発だ。

 これまで異界人は幾人も大門を抜け、数メートル先でモンスターに殺されるかーー邪神教団の刺客に暗殺されてきた。

 彼女の取った方法は安全かつ確実に出発させるための処置に過ぎないのだ。

 

「依頼の達成を優先すんなら俺はこの方法を支持する。第一俺は傭兵だ、見送られんのは性に合わねえ」

 

「ふふっ。本当に仕事熱心なのね」

 

 レーナは小さく笑うと、深妙な表情で語り出す。

 

「スヴェン、貴方は私が召喚したことを忘れず、無事にアルディアと生還してくれる事を心から祈ってるわ」

 

 転移クリスタルで自由に行き来できる状況で、無事も何も無い。

 思わずそんな指摘が浮かんだが、それを口にするのは野暮だとスヴェンは胸の中にしまう。

 

「ミア、後の事は頼んだわよ」

 

「えぇ、スヴェンさんの面倒は私に任せてください!」

 

 胸を張って答えるミアに、レーナは不安に感じたのかこちらに顔を向けた。

 

「……ミアのことお願いね?」

 

 その問いにスヴェンは敢えて答えず、浮遊している大型の転移クリスタルに手を触れた。

 

「そろそろ出発してえが、銃弾やら必要物資は既に積み込み済みか?」

 

「そこは私がちゃんとやったよ! 夜中に誰にも悟られないようにね!」

 

 こいつはこいつで仕事していた。スヴェンの中で一瞬感心が浮かぶ。

 

「へぇ、なら早いところメルリアに向けて出発すっか」

 

「分かったよ。それでは姫様、行って参ります!」

 

 そう言ってミアは転移クリスタルに魔力を流し込み、転移魔法を発動させた。

 スヴェンとミアは一瞬で光りに包まれ、眼を開けるとそこは潜伏に適した岩場だった。

 まさに瞬きの内ーーしかも転送時特有の身体が一度粒子レベルで分解され再構築される感覚も無く転移を果たした。

 その事にスヴェンは驚きを隠さず、草木の香りに息を吸い込む。

 そしてスヴェンは屋根のかかった荷獣車に乗り込んだ。

 すると中にはーー積み込まれた木箱とずだ袋に膝を抱えたアシュナの姿が有った。

 

「これから護衛、よろしく」

 

「あぁ、ヤバくなったら手を借りる」

 

「ん。暗殺もやる?」

 

 純粋無垢な表情でそんな事を言い出すアシュナに、スヴェンは考え込んだ。

 暗殺という手段が使えなら使うに越した事は無いーーそれが同じ外道ならスヴェンは平気でアシュナに命じただろう。

 しかし彼女は特殊作戦部隊の一員であり、オルゼア王の部下だ。

 仮に彼女に暗殺を命じれば、オルゼア王の信用など永久に得られずーーむしろ不協を買うだろう。

 

「アンタが暗殺をする必要はねえ。アンタの仕事は俺とあいつを影から護ることだ、それ以外は……まあ、細かい事は頼む事もあんだろ」

 

「分かった」

 

 アシュナはそれだけ言うと荷獣車の天井を開けーー天井裏に引っ込んだ。

 どうやらそこがアシュナの定位置らしい。

 スヴェンはテルカ・アトラス語で銃弾入れと書かれた小箱からーー六発の銃弾をガンバスターに装填した。

 これで残り残弾は元々持っていた弾を合わせて一発。

 まだ魔力操作が完璧では無いが、銃弾に多少の余裕が出るのは精神的にも楽だ。

 スヴェンは荷獣車の小窓から手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「アンタに任せて大丈夫なのか?」

 

「スヴェンさんは手綱を握ったことないでしょ。それにハリラドンの扱い方は学院の実習で習うから大丈夫よ」

 

「そうかい、それなら任せるが……後で手綱の握り方教えてくれよ」

 

「これぐらいは私に頼ってもいいんだよ?」

 

 手綱を握ったままミアはこちらに顔を向け、頼って欲しそうな眼差しを向けていた。

 戦闘中に治療しかできない負い目でも有るのかーー治療魔法という存在は謂わば瞬時に癒せる魔法だ。それは戦場に置いて傭兵の誰しもが渇望して止まない魔法。

 スヴェンは深妙な表情を浮かべると、ミアの不安な眼差しが向けれる。

 

「アンタが倒れた時に手綱を握れる奴が居ねえと困るだろ」

 

「それもそっか。てっきり治療だけの能無しって思われてるんじゃないかなって」

 

 スヴェンは見先日た。騎士団の訓練場で杖を巧みに操り騎士を制圧したミアの姿を。

 彼女なりに足りない部分を棒術で補っている。それだけで治療だけの能無しとは否定できない。

 むしろ足りない部分を補おうとする姿勢が戦場に立つ者として好感を抱く。

 

「アンタの棒術を見た。そいつでモンスター以外の連中は制圧できんだろ。なんなら撲殺ついでに相手を治療、また撲殺を繰り返してもいい」

 

 常人ならやらない外道的な手段を拷問の一種としてスヴェンが提案すると、ミアは微笑んでいた。

 その笑みは普段の彼女が見せる愛想笑いとは違う、陰りを含んだ笑みだった。

 

「まさかスヴェンさんも治療魔法の有効活用方法を思い付くとはねぇ〜。私、治療魔法以外の魔法実技って赤点なんだよね」

 

「そりゃあ他の魔法が使えねえならな。それで、その話と活用方法とどう結び付くんだ?」

 

「魔法学院の実技には実戦も有るの……私はね、レイ以外には負けた事ないんだよ」

 

 妖美すら感じる小悪魔的な笑みを浮かべるミアに、スヴェンは撲殺の挙句治療魔法を施されまた撲殺された生徒達の姿を幻視した。

 同時に彼女の容赦無い一面を垣間見れた。ならもう少し踏み込んだ質問をしてもいいだろうーースヴェンは今後の方針を含めた質問を問いかけた。

 

「なるほど。殺しの経験は?」

 

「それは無いけど」

 

「なら、殺しは俺が全面的に引き受ける」

 

 元よりレーナの依頼を引き受けた時点で他人に殺しはさせない。

 手を汚す必要が無い人間がわざわざ手を汚すことも無い。

 それは傭兵としてーー外道は一人で十分だからだ。

 

「……スヴェンさんはそれでいいの?」

 

 何かを訴えかける眼差しにスヴェンは真っ直ぐ沈黙で返す。

 そんな眼差しを受けたミアはため息を吐き、前を向き直した。

 そして彼女はハリラドンを走らせた。

 走り出すハリラドンーー徐々に加速する中、スヴェンは壁に背を預け、いつでもガンバスターを振れるように手を掛けメルリア到着まで眼を瞑った。




次回から3章開始です。


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第三章 狂信の崇拝
3-1.旅に問題は付き物


 エルリア城を内密に出発してから整備された街道を進み、早くも一時間が経過した頃、荷獣車は何事も無くエルリア城の守護結界領域を抜けた。

 程なくしてすれ違う荷獣車、隣を並行する荷獣車が増え始める中ーースヴェンは予定に付いて切り出す。

 

「そういえぁ、メルリアの観光名所ってのはまだ聴いて無かったな」

 

 事前に決めた装い。これはレーナを通して既に二人に伝わっている内容だ。

 うっかり忘れていなければの話だが。

 

「町中と外に立つ風車群や古代の石碑、高所から眺める噴水広場とか大市場で毎週行われる競り合いかな。でもなんと言っても観光に欠かせないのは地下遺跡が一番の見所だよ!」   

 

 楽しみで仕方ないと会話を弾ませるミアにスヴェンは並行する荷獣車から視線をーーこちらを探るような視線を受けながら会話を続けた。

 

「地下遺跡か、宝の一つや二つでもありゃあ興味が湧くんだがな」

 

「残念ながらそれは無理かな。観光客を装った盗掘人も居るからね」   

 

「そいつは仕方ねえな。一儲け出来そうな仕事もありゃあいいが」

 

 そう言ってスヴェンは眼を瞑る。  

 

「先からずっとそうしてるけど、もしかして眠いの?」

 

 視線だけ向けるミアに首を振った。

 

「違えよ。襲撃に備えて警戒してんだよ」

 

 移動中、特に気を抜いた時が一番襲撃に遭いやすい。

 護衛の依頼で護送車があと数メートルというところでミサイル砲撃で吹っ飛びかけたことも有る。

 あの時はいち早く気付き、電磁加速による狙撃で事な気を得たがーー今は頼みの綱が破損状態だ。

 こればかりはブラック・スミスで注文した品が届くまで待つしかない。

 

「これだけの速度で移動してもモンスターって普通に追い付いて来る奴も居るからね」

 

 特に周囲にはハリラドンが引く荷獣車が多い。

 ここでそんな速度を出せるモンスターに襲撃を受ければ混乱により大惨事が引き起こされることも有るだろう。

 

「ここで遭遇したくねえな」

 

「でも中には知能が低くて直線一方で大した事ない奴も多いよ」

 

 本当に大した事無いのだろうか?

 推定時速八十五キロで走行するモンスターを果たして魔法も無しに相対しーー大したことが無いと言い切れるのか。

 スヴェンは無理だと結論付けた。

 デウス・ウェポンのモンスターで二門ブースターと爆撃機搭載型バハムートですら万全の装備でやっとまともに戦える手合いだからだ。

 尤もあちらは音速飛行による強襲を得意としていたが、

 

「……この世界にやぁ、爆撃機搭載型バハムートが居ないだけマシか?」

 

 それと類似するモンスターが居ないと願うばかりだ。

 

「なに? その聞くからに物騒なモンスターは? えっ、というか竜種ってスヴェンさんの世界にも居るんだ」

 

「もって事はやっぱ竜種は居んのかよ」

 

「こっちの世界の竜種はモンスターじゃないけどね」

 

 モンスターではない竜種がテルカ・アトラスに存在している。

 その事実にスヴェンは驚きを隠せないが、敵対の可能性に付いて問うた。

 

「竜種は人を襲うのか?」

 

「基本霊峰とか人が寄り付かない秘境でお爺ちゃんみたいな生活送ってるよ。でも巣に入ると適度に追い返そうとしてくるかな」

 

 巣穴に入らなければ敵対はしない。

 そうとも言い切れない自分も居る事にスヴェンは肩を竦める。

 

「間違って竜種と遭遇しねえ事を祈るしかねえな」

 

「うーん、その可能性も捨て切れないよね。たまに人里近くに棲み着く竜が居ないこともないし、姫様が使役する竜王は気紛れにエルリアの空を飛んでるしさ」

 

「竜王ってのは気になるがその話は後だな」

 

 ミアと事実を隠しながら話す会話に、スヴェンは警戒すべき点を浮かべた。

 まだ他国に付いて知らないことが多いが、魔王アルディアを人質に取ることでレーナが真っ先に無力化されていることを考えれば、他国に対しても個別に何かしらの手を打っている事は予想も難しくない。

 特に邪神教団が竜種を操るか手懐け、襲撃に利用しないとも限らないだろう。

 スヴェンが思考を並べる最中、何かが近付く気配に一度思考を片隅に追いやりーー砂塵の中に見えた影に眼を開く。

 

「スヴェンさん!」

 

 ミアの焦り混じりの叫び声にスヴェンは窓を開け眉を歪めた。

 土煙を撒き散らしながら荷獣車を片手にハリラドンを咥えた獰猛なモンスターが真っ直ぐこちらに迫っているのだ。

 徐々に距離が縮まる中、はっきりと視認できる姿に一瞬言葉を失う。

 それはまるでゴリラのような背格好に尻尾の先端に刃状に発達した赤黒い刃ーー刺突と斬撃に発展した刺剣尾と凶悪な顔を誇るモンスターが他の荷獣車に一切眼もくれずこちらを標的にしているのだ。

 分厚い筋肉に血がこびり付いたような外皮を纏うモンスターにガンバスターを握り締める。

 

「何でこんな場所にタイラントが!?」

 

 ミアが有り得ないと言わんばかりに叫ぶ。

 彼女の言葉に本来この地方に生息しないモンスターだと判る。

 

「普段の生息場所は?」

 

「荒野と山岳地帯だよ!」

 

 辺りを見渡せば山岳地帯とは縁遠い平原の街道。

 エルリア城を出発して一時間弱で生息地域が異なるモンスターの来襲ーー偶然と考えるには楽観的過ぎる。

 タイラントと交戦は避けたいが、向こうはこちらに目掛けーーハリラドンと荷獣車を手放さず突進している。

 スヴェンはあの荷獣車を投擲利用される事を踏まえ、

 

「次の守護結界領域までは?」

 

「この子の脚でも30分! だけどタイラントの瞬発力には逃げ切れないよ!」

 

 確かにあの速度では他の荷獣車を避けながら逃げるのは無理そうだ。

 それに、無理に逃げようとすれば最悪荷獣車同士の衝突事故も起きかねない。

 

「なら最低限の距離を保てよ」

 

 簡素な指示を出し、軽々と屋根に登った。

 そしてガンバスターの銃口をタイラントに構える。

 

「おいおい! 兄ちゃん、何する気だ!」

 

 こちらを観察するような視線を向けていたーー並行を続ける人物の声にスヴェンはわずかに視線を向ける。

 茶色のコートを纏った頬が痩せこけた銀髪の男性、彼の容姿を再認識したスヴェンは、

 

「あん? こうすんだよ!」

 

 タイラントに躊躇なく引き金を引いた。

 ズドォォーーン!! 一発の銃声が平原に轟く!

 迫る銃弾を前にタイラントは避けず、身を護る障壁が銃弾を弾く。

 突き刺さりもしない銃弾ーー予想の範疇だとスヴェンはガンバスター両手に構え直す。

 タイラントが握る荷獣車を強く握り締める。

 そしてタイラントは咥えていたハリラドンを噛みちぎりながら荷獣車を投げ放つ。

 弾丸のように力強く投げ放たれた荷獣車に向けーースヴェンは飛び込むように跳躍した。

 

「オラァッ!!」

 

 怒声と共にガンバスターを縦に振り抜き、荷獣車を真っ二つに叩き斬る。

 二つに斬り裂かれた荷獣車の残骸が弾け飛ぶ。

 中に乗車している奴が居れば、そいつは運が無かった。

 簡単に割り切ったスヴェンは地面に降り立ちーーミア達の無事を確認しつつタイラントと対峙する。

 

「魔法支援でも有ればなぁ」

 

 言動とは裏腹にたタイラントと対峙したスヴェンの表情が変わる。

 胸の内側から熱が沸き立ち、強敵を前に生の実感が宿る。

 彼の表情にタイラントは興奮したのか、血のような外皮を赤黒く変貌させーー更に形相を悪魔染みた顔に変貌させた。

 暴君の名を冠するだけは有る。

 スヴェンはタイラントが放つ威圧に動じず、冷静にその動きを見定める。

 左右に揺れ動く刺剣尾が突如ブレれ、地を走りながらこちらに伸びる。

 スヴェンはガンバスターを右薙に払うもーータイラントが纏う障壁を前に刃が阻まれた。

 

「チッ!」

 

 ガンバスターの刃が火花を散らし弾かれ、がら空きの胴体に刺剣尾が容赦無く迫った。

 刹那の瞬間、この戦闘を見守っていた誰しもが息を呑み、ミアの悲鳴が届く。誰しもがスヴェンーー名も知れない異界人の死を連想した。

 だが連想通りとはいかなかった。

 スヴェンは身体を捻ることで辛うじて凶刃を避け、即座に薙ぎ払われた刺剣尾を後転することで躱したからだ。

 

 獲物を仕留め損なった事にタイラントが両腕の筋肉を膨張させ熱気を放つ。

 ハリラドンの捕食を続けながら駆り出される拳をーースヴェンは縮地の出発力を利用することで背後に回り込み避ける。

 同時に拳が深々と地面を破壊し、亀裂が街道に向かって広がった。

 タイラントは亀裂に魔法を唱えたのか、裂けた大地から地の槍が剣山の如く突き出る。

 あの攻撃に誰一人巻き込まれなかったのは幸いと言えるだろう。

 

「馬鹿力がっ」

 

 吐き捨てるようにスヴェンはタイラントの背後に一閃放つ。

 障壁に刃が弾かれる反動を利用し、浮き上がる刃を強引に両手腕で振り下ろす。

 重厚な鈍い音が平原に響く。

 障壁に護れ、弾かれる刃を鬱陶しいと思ったのかーータイラントは捕食を続けながらその場で身体を引き、腰を捻り出す。

 地面に亀裂を走らせる程の馬鹿力を誇るモンスターが力任せに回転を駆り出せばーー嫌でも想像が付く。

 スヴェンはタイラントの行動よりもいち早くその場から、大きく斜め方向に飛び退いた。

 地面に着地と同時、タイラントが剛腕と馬鹿力、刺剣尾による斬撃から真空波と竜巻を駆り出す。

 狙いの定まらない真空波が四方八方に飛び平原に鋭利な斬痕を刻む。

 竜巻がスヴェンが直前まで立っていた地面ごと深く抉り、地面を空に打ち上げる。

 馬鹿げた力技に驚く暇も無くタイラントが打ち上がった地面に向けて跳躍した。

 

「スヴェンさん!!」

 

 遠くからミアの叫び声が聴こえるが、スヴェンはガンバスターを霞に構える。

 ぶっつけ本番の荒技ーー下丹田の魔力を右腕にかけてガンバスターに流し込む。

 ガンバスターの刃に魔力が宿る。

 その過程で銃弾に刻まれた魔法陣が魔力に呼応するがーー何処まで破壊力が増すのか試す価値も有るが成功するとも限らない。

 スヴェンは生死を分けた賭けに出る。

 同時にタイラントがスヴェンに向けーー打ち上がった地面を弾丸の如く撃ち出す。

 迫る弾丸の地面。

 失敗は死、だがあの速度は避けられない。ならやるしかやい。

 スヴェンは縦薙ぎに衝撃波を放つ。

 鋭い刃となった衝撃波が目前に迫る地面を斬り裂く。

 衝撃波がそのまま宙で滞空していたタイラントを巻き込む。

 地面の破壊と衝撃波が生み出した破壊力に土煙が舞う。

 スヴェンはタイラントから距離を保ち、汗を滲ませ息を吐く。

 

「……こいつは」

 

 衝撃波は普段の戦闘で使用する技だが、そこに魔力を加えて放つだけでスヴェンの体力と気力がごっそりと削がれたのだ。

 まだまだ荒削りの魔力操作の影響が著しく、これは何度も乱発できない。

 土煙の中からタイラントの咆哮が驚く。そしてあらぬ方向に投げ飛ばされる食べかけのハリラドンの死体が無惨にも平原に叩き付けられる。

 怒り狂い殺意を纏った咆哮が空気を震撼し、荷獣車から顔を覗かせるアシュナに気付く。

 いま彼女を目撃者の眼に曝す訳にはいかない。

 後の事を考えたスヴェンは今にも駆け付けそうな彼女をーー小さく頭を横に振ることで制する。

 それを受けたアシュナが不服そうに頬を膨らませた。

 だがスヴェンの考えとは裏腹に隣りに立つ影が。

 

「手を貸そう」

 

 黒い紳士服を着こなし、両目を布で覆い隠した白髪の双剣士が隣で構えを取る。

 気配も無く隣りに立つ人物に眉を歪めーー宿していた熱が急激に冷めた。

 

「……助力は助かるが、その眼でやれんのか?」

 

「視界以外のあらゆる五感なら眼が見えずとも戦えるさ」

 

 砂塵が晴れ、ひび割れた障壁を纏いながら拳と刺剣尾を振り抜くタイラントにスヴェンと双剣士が左右に飛び散る。

 追撃して来る刺剣尾の斬撃を巧みに避けながらスヴェンはタイラントの拳を躱した男に目を向ける、

 どうやら彼が言ったことは本当らしい。

 おまけに双剣士は二本の剣に風と雷を纏わせ、タイラントの障壁を斬り裂く。

 砕け散る障壁に双剣士から疑問の声が漏れた。

 

「ふむ? 随分と削られていたようだ」

 

 スヴェンはそんな疑問に、刺剣尾をガンバスターで弾き返しーー縦斬りで刺剣尾を切断した。

 宙を舞う刺剣尾に眼もくれずタイラントとの距離を詰め、右腕を斬り落とし素早く背中に跳躍し深く斬り付ける。

 

「魔法の効果がでけえんじゃねえか?」

 

「いや、風の音と血の臭い……それにタイラントの荒々しい吐息から判るとも。奴が風前の灯だってことはね」

 

 軽口から双剣士が繰り出した二閃が、タイラントの首を斬り飛ばす。

 断面図から血飛沫が噴出されーータイラントの肉体が魔力と共に散る。

 あとにタイラントの骨と切断された刺剣尾だけが残された平原でスヴェンはガンバスターを背中に仕舞う。

 そして警戒心を最大限に双剣士に向き直る。

 

「アンタ……名は?」

 

「ヴェイグ、そういうお前は?」

 

「スヴェンだ。単なる旅行者だがな」

 

「単なる旅行者が勇敢にタイラントに立ち向かうかな」

 

 こちらの素性を怪しむヴェイグにスヴェンは澄ました顔で続ける。

 

「何かと物騒だからな、自衛手段は備えてんだよ」

 

「ふむ……確かに正論だ。わたしも襲撃されれば手も足も出るな」

 

 ヴェイグは納得した素振りを見せるも、不審感を拭い切れない様子だ。

 そこまで不審に思われるのは単に用心深いのか、それとも……。

 

「怪しまれても困るんだがな」

 

「誰しもが交戦を避けるタイラントに率先して挑む……これ自体が自作自演の線も有るだろ?」

 

 彼の言い分は確かに有り得る手方だ。

 手っ取り早く実力を示し、一時凌ぎで名を売りたい場合なんかは傭兵がよく使う手方でも有る。

 逆に言えば恩を売りたい場合にも使われるのだ。

 仮にスヴェンがそうするなら、もっと手軽に討伐できるモンスターを選ぶ。

 

「なるほど……だが、そいつはアンタにも言えるだろ」

 

「ふむ、これまた正論だ。しかしタイラントをわざわざ襲撃させるメリットがわたしには無い」

 

「なぜ断言できる?」

 

「これでもわたしはアルセム商会の会長でね」

 

 そう言って双剣を鞘に納めーー手下りで懐を漁り、

 

「ふむ? 何処に仕舞ったかな……ああ、ここか」

 

 名刺をスヴェンに差出す。

 確かに名刺にアルセム商会会長ヴェイグと書かれていた。

 スヴェンはそれだけで敵の線を消す気は無いが、一先ず警戒を引っ込める。

 ここで必要以上に警戒する必要もない。むしろ過剰な警戒心は要らぬ勘繰りを与えるからだ。

 

「へぇ、会長ってのは剣の腕も立つのか」

 

「ふむ? その声色から警戒は解けたようだ。いやしかし、勇敢にもタイラントに挑んだ者に対する非礼だったな。メルリアで開催されるパーティに是非とも招待したいのだが、どうかな?」

 

 質問には答えず芝居のかかった口調でそんな事を。

 情報も手に入るが、単なる旅行者がパーティに出席。それは素性を問われることになる。

 スヴェンは面倒臭そうな口調で返答した。

 

「パーティってのは性に合わねえんだよ」

 

「称賛されるべき行動……そう、まるで英雄のような行動を称賛しない手は無いだろう」

 

 外道染みた傭兵を英雄と称賛、こちら素性を知らないとはいえ彼の言葉は的外れだ。

 

「バカ言え、うんな名声いるか」

 

「釣れないな……いや、しかし異界人なら喜んで飛び付く提案なのだが」

 

「異界人に限らず、会長主催のパーティなら誰だって飛び付くだろうよ。俺はうんな賑やかな場所より静かな場所で酒を呑んでる方が性に合ってんだよ」

 

 そもそもスヴェンは出発してから一度も異界人とは口にしていない。

 一応異界人の異世界観光という名目だがーーヴェイグの嗅覚がこの世界とは違う臭いを正確に嗅ぎ分けたのだろうか?

 それとも連れが服装からそう判断したのか。

 ふとスヴェンの脳裏に斬り裂いた荷車が浮かぶ。

 疑問よりも先に自身が斬った荷車の確認が先決だ。

 街道に転がる荷車の残骸に近付き中を確かめる。

 中身は散乱した荷物とあちこちに散らばる邪悪な一つ目の紋様を描いた布だけが残されていた。

 レーナ達から事前に聴いた邪神教団のシンボルーーそれが邪悪な一つ目の紋章。

 それ以外は比較的綺麗で血痕も死体も見付からない。

 タイラントは邪神教団の仕込み。そう理解したスヴェンはミアが待つ荷車に乗り込むと。

 

「わたしは君のストイックな姿勢が気に入った! 今度は君を口説き落とす品を用意しておこうではないか!」

 

 ヴェイグの突然の叫び声が響く。

 アルセム商会の会長の叫びに周囲の荷車から響めき声が、

 

「タイラントを相手に俊敏に立ち回り、異界人には無い修羅場を潜り抜けた貫禄……おまけに変人と名高いヴェイグ会長に気に入られたアイツは異界人で間違いないが……?」

 

 ーー変人なのかよ!!

 

「う、羨ましいわ! あのヴェイグ様に気に入られるなんて! ああ! アトラス神よ、嫉妬の炎で奴を焼き殺す許可を!」

 

 女性の嫉妬の炎が宿った視線にスヴェンは溜息を吐く。

 そしてあらゆる雑音を無視して、

 

「おい、早く出せ」

 

 ミアにさっさとこの場を離れるように伝え、ハリラドンが動き出す。

 そんな中、ミアがこちらに視線を向ける。

 

「目立ったね」

 

「想定内だ」

 

 タイラントとの戦闘の目撃者はスヴェンのガンバスターから既に異界人だと特定している。

 しかしモンスターに効かない銃弾に対する警戒心は薄められるだろう。

 むしろ身体能力と衝撃波の方に警戒が向く。

 だがこの手が上手くとは限らないと己に言い聞かせ、ミアの声に耳を傾ける。

 

「でも惜しいことしたね? アルザム商会って創業千年の歴史を誇る大商会で、定期的に主催するパーティはそれはもう豪勢なんだって」

 

「興味ねえよ」

 

「……あーあ、生ハムメロンとか普段食べられない高級料理が並ぶって噂なのに」

 

 スヴェンは高級料理を想像してーー自身の選択を非常に後悔した。

 後悔を若干引きずりながら荷車の残骸で見た物を二人に伝え、スヴェンは町に到着まで荷獣車の揺れに身を委ねた。



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3-2.遺跡の町メルリア

 木造の建物風車や古代の石碑が町外問わず立ち並び、空を漂う浮遊岩が陽光を遮り町の至る所が影で覆われる。

 スヴェンは遺跡の町メルリアの町並みを荷獣車の窓から眺め、慌ただしくも騒がしく何処か浮き足立つ通行人ーーその中でも何人か暗い表情を浮かべる者達に首を傾げた。

 

「(単なる個人的な問題か、何らかの事件か。いずれにせよ直接関係ねえなら放置だな)」

 

 スヴェンは暗い表情を浮かべる者達から視線を外し、手綱を握るミアの背中に視線を向ける。

 

「ところで町の何処に向かってんだ?」

 

「サフィアっていう宿屋だよ。荷解きして観光したいでしょ」

 

「地理に疎いからな、その辺は任せる」

 

 スヴェンは再び町並みに視線を移しーー人目を忍んで路地に入りる数人の怪しげな人物に眉を歪める。

 怪しげな行動だ。いま尾行すれば何か出て来るかもしれない。

 そう考えたスヴェンがガンバスターに手を掛けたがーー同じく路地に入り込む数人の顔見知りを見て柄から手放した。

 ラオ率いる騎士が路地に入ったのが見えた。ならあそこは彼等に任せた方がいいだろう。

 まだ土地勘も町の全容も把握していない人間が下手に首を突っ込めば返って邪魔になる。

 そうスヴェンが結論付け、ハリラドンは路地を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐサフィアに向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋の荷獣車の繋ぎ場にハリラドンを停めたスヴェン達は受付に向かった。

 その際ミアはアシュナに声を掛けたのだが、影の護衛としてアシュナは宿屋の宿泊を拒んだ。

 そもそも荷獣車の天井裏は彼女の部屋として改装されているらしい。

 そんな一連のやり取りを思い出しながら受付に声を掛ける。

 振り向いた受付員の青年は張り詰めた表情を浮かべたが、それは一瞬のことでスヴェンは見間違いか自分の恐い顔が原因だと仮定した。

 

「部屋を二つ取りたいんだが空いてるか?」

 

 そう、要望を伝えると応じた受付員の青年が申し訳無さそうな表情を浮かべる。

 彼のそんな表情にスヴェンは嫌な予感を覚えた。

 

「申し訳ございません、現在当店は一部屋しか空きがなくて」

 

「他に部屋が空いてそうな宿屋は有るか?」

 

「それが……何故か一昨日から宿泊客が多く何処も満員状態なんです。火祭りもまだ先なのに」

 

 何処の宿屋も満員、しかし受付にもその原因が判らない。

 しかしスヴェンにはその原因に思い当たる節が有る。

 街道で出会ったヴェイグを思い出しーーそういえばパーティを開催するとか言っていたな。

 その影響かどうかは判らないが宿屋に宿泊客が多く来ているのは間違いないのだろう。

 

「ならコイツだけでも泊めてやってもらねえか?」

 

 スヴェンは背後で成り行きを見守るミアに指差す。

 

「えぇ、それなら問題ございませんが……一部屋にあなたも共に泊まるという選択肢もございますが」

 

「私は同室でも構わないけど、スヴェンさんってもしかして気にしてるの〜? 見かけに寄らず初心なの?」

 

 視線だけ背後に向ければ、にやにやと挑発的に笑みを浮かべるミアが映り込む。

 

「寝言は寝てから言えクソガキ……騒がしいガキと同室なんざ喧しくて休めねぇだろうが」

 

「本当は美少女と同室で狼が抑えられない〜とかじゃないの?」

 

 幾ら外道で傭兵だと言っても見境なく女を漁る趣味は無い。

 そもそもっとスヴェンは改めて向き直る。

 そしてミアにじっと視線を向けた。

 何処からどう見ても自称美少女、何処に欲情する要素が有るのか理解できない。

 しかしスヴェンの視線を勘違いしたのか、ミアがわざとらしく恥じらうようにその貧相な身体を抱き締めた。

 

「そ、そんなにじろじろ見られると照れるじゃん」

 

「あん? 美少女ってのは何処のどいつか探してたんだが……如何やら馬鹿には見ない類いらしいな」

 

「へぇ〜……ん? それって私が美少女に見えないって言ってるようなもんじゃん!!」

 

 スヴェンは騒ぐミアを無視して受付員に振り向く。

 

「た、大変ですね……あっ、宿泊はこちらのリストに記載をお願いします」

 

 スヴェンは手早くリストにミアの名を書き、硬貨一杯で膨らんだ金袋を取り出す。

 

「一泊いくらだ?」

 

「お一人様アトラス銅貨を前払いで8枚になります」

 

「こいつの知り合いが何度か訪ねに来ると思うが、そんな時はシャワーなり使わせても問題ねえよな?」

 

「えぇ、そちらでトラブルが起こらないのなら問題ありませんよ」

 

 受付に数日分の金を置いたスヴェンはそのまま出口まで歩き、

 

「荷解き済ませてしまえよ」

 

 ミアに伝えから外へ出た。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ハリラドンにエサの干草を与え、暇を持て余しながら荷獣車の側でミアを待つと。

 

「もし、旅のお人かな?」

 

 紫色の髪に灰色の瞳をした妙齢の女性に声をかけられた。

 物騒なガンバスターを携行する自身に自ら話しかける女性は物好きに思える。それとも何か理由でも有るのか。

 

「ああ、旅行者だ」

 

 簡素で素気なく答えるスヴェンに女性が探るような視線で、

 

「何か大事な使命が有る……少なくともわたくしにはそう見えますけど?」

 

 大事な使命なんて大層な言葉では無いが、まだ達成していない仕事が元の世界に有る。

 ただ、彼女の言う大事な使命は別の事を遠回しに聞いているのだろう。

 魔王救出を請けたどうか。タイラントの件も有るーー馬鹿正直に質問に答えてやる必要も無い。

 

「何でそう見えんだ?」

 

 はぐらかすように質問を返すと女性がにこりと笑みを浮かべる。

 

「変わった服装、特に見慣れないデザインは異界人が多いですから……大国の君主から何か頼まれたのだと」

 

「頼まれたが、勝手に召喚された身だ。連中の頼みを聞く理由もねえだろ?」

 

「……それで旅を、なるほど」

 

 何か思案する様子を見せる女性に、スヴェンは密かに警戒した。

 相手に勘付かれないように意識を集中してみればーー女性の下丹田に通常とは異なる魔力、禍々しく殺意で満たされた魔力が巡っているからだ。

 スヴェンは宿屋からミアが出て来るのを見て、

 

「連れが来たな、俺はもう行くがアンタは?」

 

「わたくしももう行きますよ、この町は物騒ですので観光ならお気を付けて」

 

 物騒。確かに怪しげな連中が路地に入り込むぐらいには物騒なのだろう。

 その連中が何者かにもよるが。

 スヴェンは立ち去る女性の背中を見送り、ミアに振り向く。

 

「……スヴェンさん、今の人はなに? あんな魔力見た事も無いけど」

 

 顔面蒼白で肩を小さく震わせていた。

 どうにもミアには刺激が強過ぎたようだ。

 このまま連れ回してもしかたないため、一度ミアを荷獣車の入り口に座らせ訊ねる。

 

「魔力ってのはあんな色をするもんなのか?」

 

「普通はしないよ……けど悪魔とか邪神眷属ならそうなのかも」

 

「悪魔、邪神眷属?」

 

 聞き慣れない単語を聞き返すと、ミアはスヴェンの手を握り締めた。

 震える小さな手をスヴェンは拒むことはしなかった。

 

「封神戦争で邪神が使役した煉獄の住人は悪魔と呼ばれる……人間ともモンスターとも全く異なる住人なんだって」

 

「それで邪神は自身の力を眷属に分け与え、アトラス陣営に多大な損害を与えたんだ。でも眷属は邪神と一緒に封印されたの」

 

「あの女が悪魔か邪神眷属なら封印は大分解かれたじゃねえか?」

 

「……まだ各国が管理してる封印の鍵は無事だよ。でも誰にも管理されてない鍵は何とも言えないかな」

 

 悪魔と邪神眷属は封印の鍵とは別に何らかの方法で復活したのかもしれない。

 邪神に関係する存在が魔王救出を阻む障害ーー不思議とスヴェンは戦場に近い感覚を感じた。

 

「嬉しそうだね、タイラントと戦ってる時も……」

 

 ミアは言いかけた言葉を止め、もう大丈夫だと言わんばかりに立ち上がった。

 彼女が何を言いたいのか理解出来るがーー握られていたミアの手を払い除ける。

 

「辛いなら宿で寝てろ」

 

「もう大丈夫だよ……それに町を歩かないと判らないことも有るでしょ? 妙な違和感も有るしさ」

 

 彼女の言う違和感とは何か。確かにスヴェンも漠然と違和感を感じているが、それが何かは今の所分からない。

 

「なら案内は頼む」

 

 黒いサングラスを装着するとミアが引き攣った表情で、

 

「観光に来た旅行者よりもマフィアに見えるよ」

 

 そんな事を言い出した。

 これでも町中を歩く際の気遣いと洒落、依頼人との交渉に欠かせない道具なのだがーースヴェンはサングラス自体を単純なファッションとしても気に入っていた。

 

「こいつは俺なりの洒落だ、それに瞳の色を隠すには丁度良いんだよ」

 

「あぁ、尋人は特徴で伝わるもんね」

 

 スヴェンとミアはサフィアを離れ、メルリアの散策を開始したーー影の護衛を受けながら。



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3-3.メルリア観光

 ミアに案内されるままサングラスを装着したスヴェンはメルリアの至る所を歩いた。

 町中の丘上から見下ろす噴水広場、そこから坂を下り途中の碑文に眼を向け、そのまま市場に向かえば競り合う商人の熱気が待っていた。

 町の活気、エルリアの城下町でもそうだったが、この世界の住人は生々しているように感じられる。

 デウス・ウェポンの都市は昼夜問わず街灯とモニターの明かりや雑音に包まれていたが、住人はこの世界ほど活気付いてはいなかった。

 望んだ物は大抵の物が金で買える。戦争経済により循環する莫大な経済が何も知らない一般人に幸福を与え、同時に活気や熱意を奪った。

 平和という言葉もあの世界では情報統制や改竄による上辺だけの文字に過ぎない。

 

「どうしたの?」

 

 呆然と両世界の違いを認識しているとミアが姿勢を低めに覗き込んでいた。

 彼女が纏う柔かな雰囲気とは裏腹に、ミアの瞳はこちらを気遣いながら観察する複雑さを内包していた。

 こいつは諜報員や監視員には到底向かないな。そう内心で浮かべながら宿屋を出発してから感じる視線に眉が歪む。

 物影からこちらを窺う視線ーーアシュナとは違う複数の視線にスヴェンは歩き出し、先程のミアの質問に答えた。

 

「何でもねえよ」

 

「ほんとに? てっきりこの熱気に呑まれたんだと思ったけど」

 

 確かに彼女の言う通りだ。

 町の熱気にある種の居心地の悪さーー自分の場違いさが嫌でも目立つ。平和とは程遠い人間と現在進行形で平和を謳歌する者達とでは圧倒的に違う。

 自身の戦場の経験と平和を表面的にしか知らないから、ある種の熱気に呑まれたのだろう。

 スヴェンは内心で慣れない空気に舌打ちし、商人達が競り合う様子に眼を向け、

 

「先から何が競売に賭けられてんだ?」

 

 ミアの質問に答えず、こちらの質問を問うた。

 それに対してミアは嫌な顔をせずーーそれどころか寧ろ楽しむように微笑んだ。

 

「今日は夜晶石だね、夜の月明かりを放つ鉱石で工芸家に買付を頼まれたんだと思う」

 

 ミアの答えにスヴェンは商人達の声に耳を傾ける。

 

「そっちが銀貨20枚なら、こっちは二十箱を銀貨200枚で買った!」

 

「な、なにぃ!? 一つ銀貨1枚の夜晶石を!?」

 

「へっ、ウチのお得意様は良質な材料に金を惜しまないのさ!」

 

 勝ち誇った商人の声に競り合っていた商人達の顔が曇る。

 そして夜晶石が入った二十箱は一人の商人の手に渡り、競売は幕を閉じた。

 競売を見届けたスヴェンとミアは市場の少し離れたベンチに座り、

 

「慣れねえと疲れるもんだな」

 

「スヴェンさんは一戦したあとだし……それにまだ身体が魔力に馴染んで無いから消耗も激しいんだよ」

 

「道理で魔力を込めた衝撃波は疲れるはずだ」

 

 これはもう訓練が必要な領域だ。

 何度も魔力を武器に纏わせ、身体に魔力を馴染ませる必要が有る。

 まだ利腕にしか魔力を流し込めない。全身に魔力を流し込む事が可能になればこの世界での戦闘の幅も増す。

 思えば異世界に召喚されてから今日まで覚える事が多い日々だ。

 それも誰かに教えられなければ儘ならなかっただろう。

 その意味ではスヴェンはミアに感謝していた。

 あくまで与えられた仕事の一環だろうとも。

 

「アンタにはまだまだ教わる事が多そうだな」

 

「ふふん! もっと私を頼って感謝してくれて良いんだよ!」

 

「あぁ、頼らせてもらう」

 

 素直に応じるとミアは驚いた様子でーーそして照れた様子ではにかんだ。

 ふと先程まで感じていたアシュナの気配が途絶え、スヴェンの眉が歪む。

 つけている人物と接触したのか? ミアに訊ねるには人目も多いこの場所では自然体で振舞う必要性が有る。

 スヴェンは過去の経験から適切な行動を選び、そしてミアに顔を近付け、

 

「うえっ!? す、スヴェンさん、こんな人前で……っ」

 

 盛大な勘違いを口走る彼女に呆れた眼差しが浮かぶ。

 何の脈絡も理由もなくキスでもされると思ったのだろうか? しかし彼女の反応も好都合だった。

 現に逢い引きと勘違いした通行人が視線を逸らし、わざとらしい口笛を奏でた。

 

 ーー尾行人に対してこいつが何かしら反応を見せんのは得策とは言えねえな。

 

 スヴェンは頬を赤く染め、眼をぎゅっと瞑る彼女に対し、

 

「アシュナの気配が感じられねぇ」

 

 耳元で囁く。

 急速に熱が冷めたミアは真顔を向け、

 

「……アシュナは気配を絶つ魔法が使えるから、多分意図的に消してるんじゃないかな」

 

 小声で魔法による作用だと答えた。

 便利な魔法もあるもんだな。スヴェンは内心で感心を浮かべミアから顔を離す。

 そして空に浮かぶ浮遊岩を見上げ、

 

「この町に来てから気になってはいたが、空に浮かぶアレは何なんだ?」

 

「アレは浮遊石だね。岩の底に翡翠色の石が見えるでしょ? アレで浮いてるんだよ。それでそう言った地形を浮遊群って言うんだ」

 

「アレは自然物なのか?」

 

「えっと、浮遊石は内部に何年も魔力を蓄積させていずれ空に浮かぶの。だから浮遊石が地底に眠っているといずれその場所も空に浮かぶから自然物だね」

 

 人工的に空に滞空させることはデウス・ウェポンでも可能だが、まさか自然物が魔力の蓄積で空を滞空するとは想像にも及ばなかった。

 

「元々住んでた土地が突如空に浮かぶってのも考えもんだな」

 

「人は空を飛べないからね。まあ一応大地が徐々に浮かぶ予兆が有って、それが頻発する地域に住む住人は近場の町や村に避難することになってるから浮遊群に取り残されることは少ないかなぁ」

 

 ミアの解説にスヴェンは納得を浮かべ、ベンチから立ち上がる。

 そろそろ観察されるのもうんざりだーースヴェンはミアに路地を指差し、

 

「ここは人目が多いな」

 

「もうスヴェンさんのスケベ!」

 

 今度は察したようで腕に組み付くミアを連れ、狭い路地に足を運ぶ。

 拙い尾行にスヴェンは内心で呆れを浮かべ、そのまま路地の奥まで足を進めた。

 やがて行き止まりに行き着き足を止める。

 

「は、はじめてなのでお手柔らかに」

 

 照れた様子でいながら小悪魔的な笑みを浮かべるミアに、スヴェンは胸のナイフに密かに手を延ばす。

 背後から接近する気配を頼りに、ナイフを引抜き振り向く。

 振り向いた拍子に刃が尾行していた男性の頬を掠めた。

 

「な、何をするんだ!」

 

 それはスヴェンとミアの台詞だ。

 スヴェンはサングラス越しに男を睨んだ。

 

「俺達をつけておいてよく言えたもんだな」

 

 はっきりと突き付けると男の顔が滑稽に思えるほどに驚愕に染まった。

 此処で男を捕らえるのは簡単だが、邪神教団と繋がっている可能性も有る。

 その事を踏まえた上でスヴェンは敢えて問う。

 

「俺達をつけた理由は何だ?」

 

 男は観念したのか、懐に手の忍ばせた。

 スヴェンは男に警戒を浮かべナイフを構える。

 いつでも男の喉元を掻き斬れるように。

 男はスヴェンの構えに余裕な態度で鼻で嘲笑い、懐から一枚の紙切れを見せ付け、

 

「異界人ならレーナ姫と直に会ってる筈だ! あのお方の美しさと可憐さを同時に同居させたかのような佇まい! この国、いや世界中が愛して止まないレーナ姫のファンクラブに入会しないか!」

 

 興奮と熱意を同時に放つ男にスヴェンは無言で構えを解く。

 そして呆れた眼差しを向けた。

 

「ファンクラブなんざに興味はねえよ」

 

「それじゃあレーナ姫との交際を望むと!?」

 

 話しが飛躍し過ぎてスヴェンは眩暈を感じた。

 そして背後から楽しげな忍び笑いに眉が歪む。

 

「交際の気もねぇよ。あー、そういや姫さんも報酬に婚約を望まれる事も有るとか言ってたな……多いのか?」

 

「割と多いよ。魔王救出達成の報酬として姫様との婚約を望んだり、魔王共々って考えの人も。まあ姫様もその手合いの要求は頑なに拒んでるけどね」

 

「そりゃあそうだ」

 

 スヴェンは納得しつつ男を押し退けて歩き出す。

 すると男はスヴェンの前に立ち塞がり、

 

「おい、俺は断った筈だが?」

 

「待ってくれ! 我々はレーナ様に存在を認知されず活動しているんだ」

 

 つまり此処での会話はお互いに無かった事にして欲しい。そう結論付けたスヴェンは、

 

「なるほど、非公式の活動だからか」

 

「ん? レーナ様に認可はされていないが、これはオルゼア王公認のファンクラブだ。というかファンクラブ会長は何を隠そう我らが王なのだよ!」

 

 オルゼア王、娘大好きすぎじゃないか? そんな言葉を呑み込んだスヴェンはため息混じりに、

 

「じゃあ何が目的なんだ」

 

 立ち塞がる意図を問う。

 

「レーナ様だけには決して口外しない事を約束して欲しい。それと異界人の貴方があのお方を裏切らないことも!」

 

 懇願するファンクラブの男にスヴェンは、レーナがどれほど国民から愛されているのかーーその一部を垣間見た気がした。

 そもそもスヴェンの結論は最初から、誰に頼まれる事もなく決まっているのだ。

 

「俺は姫さんの依頼を断った身だ。アンタの期待に添えそうにもねえが、まあ異界人として姫様を傷付けねえことは約束しよう」

 

 例えレーナを慕うファンクラブ相手でもスヴェンは気を抜かず演技を続けた。 

 それを受けたファンクラブの男は落胆した様子で道を譲る。

 

「できればレーナ様の手助けをして欲しいものだが、それは仕方ないか」

 

 スヴェンとミアは彼の横を通り抜け、路地裏から市場の表通りに戻る。

 丁度その頃からアシュナの気配も感じるようになりーー取り越し苦労にスヴェンはため息を吐いた。

 

「ため息ばかりで幸せが逃げるよ? まぁ、ファンクラブに入会してる私からしたら是非ともあなたにも入会して欲しいところだけど」

 

 ミア、アンタもか。そんな言葉がつい口から出掛けたが、スヴェンはグッと呑み込む。

 

「……案外無理強いはしねえんだな」

 

「ファンクラブの活動で姫様の印象を悪くさせるのはご法度だからよ。勧誘も適度にかつ浅く広くがモットー!」

 

 レーナファンクラブの在り方にスヴェンは納得を示しつつ町の散策に戻った。

 町の表通りや往来の多い場所を通る度に、スヴェンは一つ違和感を覚える。

 確かに往来する人々は生々としているが、中には暗い表情を浮かべる者ーーそして不自然な程に子供の姿が見当たらない。

 スヴェンはこの町に何かが既に起こったのだと察しながら歩き続ける。



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3-4.メルリアの影

 昼時、噴水広場に到着したスヴェンとミアは食欲を掻き立てる芳ばしい匂いと空腹に、多数並ぶ屋台の中から近場の屋台に立ち寄った。

 鉄板の上でタレに漬けられた獣肉の串焼きが焼かれ、益々空腹を刺激されたスヴェンは店員に視線を向け、

 

「串焼きを六つ……って、随分と浮かない顔してんな」

 

 接客業を営む店員とは思えない不安と焦り、苦悩に駆られた表情ーー特に美味い料理を提供する店員の笑みが苦悩に満ちているともなれば思わず突っ込まずにはいられなかった。

 スヴェンの問い掛けを受けた店員は無理矢理笑みを取り繕う。

 

「……あぁ、すまんね。何でもないんだ、特に異界人にはね」

 

 何でもないと拒絶はしているが、店員の表情は苦悩に満ちていた。

 隠し切れないほどの苦悩だが、誰かに助けを求められない事実を察したスヴェンはミアに視線を移す。

 異界人では相談できない内容なら同じ世界の彼女になら話せるだろう。

 ミアはスヴェンの視線を受け、意外そうな表情を浮かべながら店員に話しかける。

 

「えっと、流石にそんな何か有りますって顔されたら聞かずには居られないですね。異界人に話せないことでも私になら相談に乗れるかもしれませんよ?」

 

 店員は益々苦悩を強め、ミアの真っ直ぐな視線を受け漸く口を紡ぎ始めた。

 

「気が付いてないと思うけど、周りの屋台を見てくれ」

 

 言われて二人は周りの屋台を見渡す。

 噴水広場に並ぶ屋台の店員の誰しもが心ここに在らずと言った表情で営業していた。

 市場の商人とはまた違った彼らの表情にスヴェンとミアは何か有ると眉を歪め店員に向き直る。

 

「何が起きたんですか?」

 

 改めてミアの質問に店員が苦しげに話す。

 

「……二週間も前になるんだけど、町の子供達が全員行方不明になったんだ」

 

「行方不明事件ですか、それも子供が全員となると不穏ですけど、騎士団に通報したんですか?」

 

 店員は苦痛に満ちた表情でポケットから一枚の紙を取り出した。

 邪神教団の紋章が刻まれた紙、これだけで誘拐犯が誰か一目瞭然なのだがーー問題は内容だ。

 スヴェンは自身が読める範囲で文字を読み上げる。

 

「……『3000人、子供は誘拐、騎士団に通報するな、子供は皆殺し』、なるほど」

 

「君は……異界人の割には随分と文字が読める方なんだね」

「今は必要な情報だけだが……ミア、念の為内容を全文読み上げてくれ」

 

「分かった……えっと、『メルリアに住む諸君! 我々邪神教団が君達の大切な子供達、3000人を誘拐させてもらった。我々に対して行動を起こせない騎士団に通報したところで無駄ではあるが、あえて言わせてもらう。騎士団に通報するな、万が一1人でも騎士団に通報した愚か者が居れば子供は皆殺しにする』って脅迫文だね」

 

 一体どうやって三千人の子供を誘拐したのか疑問も有るが、スヴェンは話しを続ける。

 

「なるほど、目的は何だ?」

 

「うーん、脅迫だけで要求は書かれて無いよ」

 

 なんだその脅迫文は! そう叫びたい衝動をグッと呑み込んだ。

 目的を示さない脅迫文。しかし騎士団の邪魔が入っては都合が悪い。

 内容からそう理解したスヴェンはため息を吐く。

 邪神教団の潜伏先は地下遺跡という事は既に把握されている。

 問題は心許ない装備で邪神教団の始末と子供救出をしなければならないことだ。

 しかも三千人を無傷で救出、それをたったの二人で。それはどんなに経験を重ねた熟練の傭兵でも厳しいだろう。

 

「それで誰にも相談できねえわけか」

 

「魔王様を人質に取る卑劣な連中に自分達は愚か、国までも動けない」

 

「スヴェンさん、如何するの?」

 

 ここで自分達が子供救出を買って出るのは簡単だが、スヴェンは傭兵だ。

 金にもならない慈善事業はやらないが、旅立つ前にレーナからメルリアの邪神教団を叩いて欲しいと頼まれている。

 だが、今は素性を異界人の旅行者と偽っている身だ。此処でレーナの依頼を請け動いているとは口が裂けても言えない。

 だからスヴェンは敢えて素っ気無い態度で看板に書かれた獣肉の串焼きの料金分を金袋を取り出し、

 

「話してもらって悪いが、俺達にはどうにもならねえな。何せ異界人の旅行者だからよ」

 

 屋台の上に置く。

 

「……話しを聴いておいて手を差し伸べてくれさえしないなんて。やっぱり異界人なんかに頼るべき……いや、三千人の救出なんて……少しでも期待した自分が馬鹿だったよ」

 

 スヴェンに対して理性と険悪感、己の無力感に苛まれた複雑な感情を隠さず、それでも店員として注文を受けた獣肉の串焼きを売るのは彼なりのプライドなのだろう。

 六本の獣肉の串焼きを受け取ったスヴェンとミアは屋台から離れ、明確な敵意を背中に受けながらそのまま噴水広場から立ち去った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 人の気配が一切無い路地の椅子に腰掛けたスヴェンは、

 

「アシュナ、出て来い」

 

 彼女の名を呼ぶと、屋根からアシュナが飛び降りた。

 そしてスヴェンが獣肉の串焼きを二本差出すと、アシュナはそれを受け取りまたすぐさま姿を絡ませた。

 

「忙しい奴だな」

 

「それがアシュナの仕事だからね。……それにしてもこの町で誘拐事件が起きてたなんて」

 

 事件は大小の違いはあれど何処でも起こり得る。しかしメルリアで子供の誘拐事件が発生しながらアルセム商会はパーティを主催していた。

 パーティともなれば子連れの招待客が居てもおかしないが、疑問点は子供の同行拒否が行われて当然だと一人勝手に思考しては疑問点が解消される。

 

「そりゃあどんな町でも事件の一つは起こるだろうが、この国に限らず珍しい事じゃねえだろ?」

 

「そうだけど、でもどうにか出来ないかなって」

 

 ミアの期待を寄せる眼差しに肩を竦めて返す。

 

「仮に助けに向ったとしてガキ共の安全を保証できねえだろ。それに善意ってのは時に余計な被害を齎すもんなんだよ」

 

 例えば今回の件で言えば子供救出を異界人が勝手に乗り出したとしよう、どちらにせよ間違いなく戦闘に入り囚われた子供に被害が及ぶのは明白だ。

 意図しない形で助かる子供と巻き込まれて助からない子供の差を産む。

 現状の人数と装備で囚われた子供を全員、確実に無事に救出する方法は無い。無事に助かるのは良い所で半分も満たないだろう。

 しかし幾ら人の気配が無い場所とは言え、此処で話す気にはなれなかった。

 そもそも邪神教団を叩くという事は必然的に子供救出も行う必要性が有る。

 スヴェンはすっかり冷めてしまった獣肉の串焼きに齧り付き、冷めていながらタレと肉汁の旨味に驚きながら瞬く間に一本食べ終え、

 

「ま、俺から言える事は覚悟だけはしておけってことぐれぇだな」

 

 それだけミアに伝えた。

 すると彼女は神妙な表情で獣肉の串焼きに齧り付く。

 こうして遅めの昼食を済ませた二人は、また町巡りを再開させる。

 

 一見すると平和な町だが、注意深く住人、行商人、旅人を観察すれば彼らの明確な違いが浮彫りになる。

 例えば行商人は今日の売上や仕入れに対する儲けに満足顔で頷き、旅人は観光名所や屋台の食べ物に眼を輝かせる。

 ではメルリアの住人は? 彼らは一見すると気丈に振る舞っているが、その瞳の奥に隠された不安や哀しみは誤魔化せはしない。

 特に傭兵として恐怖や幸福を奪ってきたスヴェンからすれば、メルリアの住人がひた隠しにする感情は分かり易いものだった。

 スヴェンは住人が知らずに発する張り詰めた空気を肌で感じながら警戒を深める。

 三千人の子供を誘拐してしまえる邪神教団の組織的な規模に。



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3-5.流れる虹

 メルリアの町を巡り歩き、観光に来た異界人を装いながらスヴェンとミアは散策を続けーー空は既に夕暮れに染まっていた。

 スヴェンはある程度町全体の地図を頭に叩き込み、

 

「明日は地下遺跡の観光ってところか」

 

 肌に直接纏わりつく不穏な空気、メルリアで起こった事件とは別に傭兵かテロリストの工作時に感じる気配から地面に視線を向けた。

 

「町一つ分の広さを誇る地下遺跡だから一日で観光は終わらないかも」

 

 広大な地下遺跡で邪神教団は子供を誘拐しながら何を企むのか。 

 エルリアの王族を交渉席に着かせるためか、それとも此処に鍵が眠っていると判断したのかは情報不足でまだ分からない。

 

「この町は遺跡の上に建ってんだったな」

 

「そうだけど、それがどうしたの?」

 

 遺跡の真上に建設された町を崩すには、支えとなる支柱を破壊してしまえばいい。

 例え破壊しなくとも仕掛けを施し、誘拐した子供達を人質にレーナ達に封印の鍵明け渡しを要求する。

 外道やテロリストが考えそうな手段の一つを頭に浮かべ、ミアに訊ねる。

 

「支柱を壊しちまったらこの町は崩壊すんのか?」

 

 それに対してミアが冗談! と声高らかに笑った。

 

「昔の魔法使いは支柱が壊れたら簡単に崩れる町造りなんかしてないよ。支柱を失っても地下遺跡とメルリアの間に浮遊魔法が展開されてるんだから」

 

 例え支柱を破壊したとしてもメルリアの町は浮遊魔法に護られ崩壊しない。

 そう語るミアにーー魔法はつくづく反則だと思う。

 逆に言えばその油断が致命的な命取りにもなるが、魔法陣の強度を知らないスヴェンにとっては彼女の安心感も半信半疑だ。

 

「本当かよ」

 

「本当だよ? 仮に誰かが誤って支柱を壊しても町は崩壊しない……過去に何度も地下遺跡の支柱は壊されてるから、しかも去年は異界人にもねーー」

 

「あと浮遊魔法も近年改良を加えられて自己修復陣が追加されてるから物理的にも解除も難しいはずだよ」

 

 徹底した安全面に心底唸る。

 ならメルリアは邪神教団の単なる活動拠点に過ぎないかもしれない。

 丁度エルリア城には邪神教団が送り込んだ内通者も居る。連絡を取り合うには適した距離とも言えるだろう。

 いずれにせよ長居は無用だ。

 

「地下遺跡の観光が終わったら次の町に移動した方が良さそうだな」

 

 既にラオ率いる騎士団が動いているが彼らは邪神教団に武力行使に出られない。

 ましてや子供が人質に取られているならなおさらに。

 ならこちらは彼らに禍々しい魔力を持つ女性に関して伝え、諸々の問題を含め地下遺跡に潜む邪神教団を叩く。

 その後の後始末は専門家に任せるに限る。

 

「そうだね……そろそろ夕飯に丁度良い時間だし、酒場にでも行かない?」

 

「あん? 食事なら宿で良いだろう」

 

「あー、サフィアは食事の提供はしてないんだ」

 

「風呂はあんのか?」

 

「ちゃんと有るよ。此処は魔法大国だよ? お風呂なんて魔法で簡単に沸かせるもん」

 

 スヴェンはこれまで何度か魔法を眼にする機会が有った。

 確かに魔法という力は生活にも使われ、便利で豊かな時代を築いているとさえ思う。

 デウス・ウェポンでは魔力が星のエネルギー源だったから機械文明をモンスターの対抗手段として発展させた。

 それならテルカ・アトラスの魔力は?

 

「テルカ・アトラスの魔力ってのは星のエネルギーじゃねえのか?」

 

「星の内を巡る魔力は確かに星の血とも言えるけど、私達は自分の体内で生成した魔力で魔法を行使してるから影響は無いみたいよ」

 

「……星の内部を巡るってのはデウス・ウェポンと共通か。なら星から魔力を利用した場合は?」

 

 その質問にミアは思い出す素振りを見せ、

 

「これは授業で習って実践した結果なんだけど、人に星の内部を巡る魔力は扱えないわ。星の魔力は強力で膨大過ぎるから操作も受け付けないよ」

 

 ミアの説明に納得がいく。

 星という母なる大地が産み出す魔力は人間には到底扱えるものではない事にも。

 逆にデウス・ウェポンは扱える術を産み出したが、危険性を恐れ不干渉を貫いた。

 自ら産まれた星を滅ぼしたくない。どんな外道や大企業が絶対に踏み越えない暗黙の了解によってデウス・ウェポンは今を維持している。

 それでも未だ戦争経済から脱却できずにいるが、覇王が存命の今ならそれも遠くない未来だろう。

 スヴェンは元の世界の情勢を浮かべつつも、テルカ・アトラスの魔法に安堵の意を示す。

 

「なら安心して魔法が使い放題だな」

 

「まあね! 私は治療しかできないけど!」

 

 自慢げに語るミアを尻目にスヴェンは、視界の端に人混みに紛れる神父や修道女の数が多いことに気付く。

 アトラス教会と邪神教団は敵対関係に有ると聴いてはいたが、こうして町を見回る程度には邪神教団の活動も活発なのか。

 スヴェンは地上の何処かに潜む邪神教団に警戒を浮かべながら、空腹を知らせる腹の虫に眉を歪めた。

 腹が減ってはなんとやらだ。

 

「俺は腹が減った。早いところ酒場に案内してくんねえか?」

 

「良いよ、私もお腹空いたしね。それに今から行く場所は私のとっておきだよ」

 

 楽しみにして! そう言いたげな笑みを浮かべ先頭を歩く彼女の背中に着いて歩く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 空が夕暮れに染まった十八時頃、酒場に到着したスヴェンとミアは人目に付かない片隅の席に座る。

 酒場内は労働者やそうでもない者達が溢れ喧騒や楽しげな声に包まれていた。

 スヴェンはメニューを決め、いつの間にか隣に座っていたアシュナに視線を移す。

 

「アンタは何が食いてえ?」

 

 メニュー表を差出すとアシュナが意外そうな表情を浮かべた。

 

「驚かないんだ、それに案外優しい?」

 

「付いて来ているってのは分かってんだから驚きようもねぇよ。……それに飯食う時は普通だろ?」

 

「普通……姫様のお金で食べるのも?」

 

 周りに聴こえないように充分配慮された小声にスヴェンが肩を竦め、ミアがくすくすと小さく笑う。

 レーナから貰った活動資金で食事する事に関しては否定しないが、

 

「言い方には気を付けろよ。こいつは俺達三人の旅費から賄ってんだ」

 

「そっか。じゃあ此処から下まで全部」

 

 メニュー表の上から下まで差した指を動かした彼女に、スヴェンの顔が引き攣る。

 

「……冗談だよな?」

 

「冗談だよ? 全メニュー三人前が正解」

 

 誰も酒場の料理全部なんて食べ切れない。ましてやアシュナの小さな身体の何処に入るんだと突っ込みたくもなる。

 

「食い切れんのかよ」

 

「無理、スヴェンならいける」

 

 無理なのかよ。内心で突っ込みを入れたスヴェンはため息混じりに、

 

「全部は無理だ、せいぜい大盛り三品が限界だな」

 

 そう答えるとアシュナの残念そうな視線が突き刺さった。

 

「大人は沢山食べるって聞いた。スヴェンは大人だよね?」

 

「人の胃袋には個々人で許容範囲が決まってんだよ……ってかそんな話し誰から聴いた?」

 

「ミアから」

 

 スヴェンは何を適当な事を教えてるんだと言いたげな視線をミアに向けーー彼女は視線を左右に彷徨わせ、やがて『てへっ』と舌を出して笑った。

 一度こいつをはっ倒してやろうか? そんな思いが腹の奥底から込み上がるが、確かな足取りで訪れた来客に視線が向く。

 私服姿のラオとレイの二人組。そしてこちらの様子を伺う数名の騎士を確認したスヴェンは何食わぬ顔で口を開いた。

 

「おう、アンタらか」

 

 二人はそんな適当なあいさつに頷き、ラオとレイが向かいの席に座る。

 如何やら二人は確かな要件が有って訪れたらしい。

 

「貴殿が旅行のため出発したと聴き驚きはしたが、いやはや納得もする」

 

「全く、僕としては君には是非とも協力して欲しかったんだけどね」

 

 片やおおらかに笑い、片や残念がる素振りを見せる。

 そんな二人にスヴェンは出発前日にレーナと決めた作戦が伝わっていることに感心した。

 本来の目的は避け、スヴェンは表向きの話題を告げる。

 

「そういや、此処に来る道中タイラントに襲われたんだが?」

 

 目撃者多数の襲撃に付いて出すと二人は感情を押し殺した様子で、

 

「なるほど、小隊が追っていたタイラントを討伐したのは貴殿だったか。して、何か見たのかね?」

 

「討伐したのは別の奴だが……襲われた荷獣車から正気を疑うクソダサい紋章を見た」

 

 それが邪神教団のシンボルだと知らない風を装う。

 スヴェンの様子にラオが顎に指を添え思案する素振りを見せ、レイが何か察した様子で口を開きかけーーそれをラオが視線で静止する。

 

「貴殿が見た物は邪悪を象徴する物、深入りせず水に流す事が吉だろう」

 

「あんなバケモンに襲われたのにか?」

 

「命あっての物種と言うではないか。それに慈善事業は金にならんぞ?」

 

 表向きは深入りするなと告げられるがーーテーブルの下越しに手渡された紙にスヴェンは納得した様子で、事前に纏めていた小さな紙を渡す。

 

「分かった、副団長様にそう言われちゃあ仕方ねえ」

 

 わざとらしく肩を竦めるとラオがいい笑顔を向けた。

 

「不甲斐無い騎士団の詫びという訳では無いが、貴殿らには一杯奢ろう」

 

「お酒は呑めない、ジュースでお願い」

 

「あいわかった、ミア殿は如何かな?」

 

「副団長、スヴェンの苦労を考えるなら馬鹿に更に馬鹿になる薬を投与するのは酷なんじゃないかな」

 

 レイの発言にミアが噛み付く。

 

「なによぉ!! 私だってお酒ぐらい呑めますよ! そこの店員さん! 火酒を一杯!」

 

 勢任せに度数が高そうな注文にスヴェンが頭を抱える。

 

「レイ、頼むからそこの馬鹿を煽るな」

 

「すまない、まさかこんなに煽り耐性が低下してるとは思ってもなくてね」

 

「二人して私を何だと思ってるんですか! 美少女とお酒を呑めるだけでもお金払っていいレベルですよ!?」

 

 まだ彼女が酒に対する酒量を知らないが、妙に自信満々な様子が不安を煽る。

 嫌な予感が拭えないスヴェンはレイに視線を向けた。

 

「ミアは酒に強えのか?」

 

「……弱いよ。ただ悪酔いすることは無かったかな」

 

「ふむ、所属問わずの新人歓迎会を思い出すな。あの時のミア殿は即酔い潰れ大人しかった」

 

 それなら別にミアが酒を飲んでも別段問題無いように聞こえる。

 ただ、二人の泳いだ視線がどうにも引っ掛かりを覚えるのだ。

 しかし煽り耐性の低下を考えればーーミアなりにストレスを感じているのかもしれない。

 旅は始まったばかりだが、ストレスで倒れられても面倒だ。

 そう考えたスヴェンは決めていたメニューを注文し、

 

「そういや、妙な女に会ったな」

 

 昼前に出会った女性に付いて切り出した。

 

「妙な? それはどんな女性だったのかな?」

 

「紫の髪に……顔はあんま覚えてねえが、禍々しい魔力を宿してやがったよ」

 

 それだけ告げるとラオとレイが深妙な顔付きで互いに顔を見合わせた。

 恐らく彼女は騎士団が独自に追っていた存在なのだろう。

 ミアから聴いた邪神眷属や悪魔のことも有る。警戒するに越したことはない。

 

「まさかこの町に潜んでいたとは、有益な情報感謝する」

 

 別に大した事は無い。スヴェンは態度でそう示し、運ばれて来たビールを呷る。

 ついでに例の女性に対する警戒を深めるためにスヴェンは質問した。

 

「あの女は何者なんだ?」

 

 するとラオは伏せ目で静かにスヴェンだけに聴こえる声量で答える。

 

「身体に禍々しい魔力を宿しては居るが、かつて邪神に呪われた一族の末裔らしい。それゆえに体内の魔力を正常に浄化する方法を捜しているとも聞く」

 

「邪神眷属や悪魔ってわけじゃねえのか」

 

「うむ。封印から抜け出した邪神眷属や悪魔は邪神教団と共に行動していると聞くが……あの者は単に呪いを解く方法を捜しているに過ぎんのだ」

 

「それでアンタらが追ってる理由ってのは何だ? 聴く限り危険性は少ないと感じるが」

 

「彼女自身に危険性は無いだろうなぁ。しかし、邪神教団にとって邪神が残した呪いは正に邪神の力の一部。謂わば彼女は生きた封印の鍵なのだ」

 

 ラオの耳を疑うような言葉にスヴェンは一瞬だけ言葉を失う。

 これまで封印の鍵が何らかの形をした物だと思い込んでいたからだ。

 

「封印の鍵ってのは生物でも有り得んのかよ」

 

「把握してる生きた封印の鍵は彼女だけでは有るが、スヴェン殿はそちらに関与せず目の前のことに集中するとよいだろう」

 

 確かにラオの言う通り魔王アルディアの救出に専念すべきだ。

 

「そっちの事はアンタらに任せるが……肝心のあの女の名は?」

 

「さて、今は何と名乗ってるのやら」

 

 ビールジョッキを片手に分からないと口走るラオに、スヴェンはそういうものかと理解しては再びビールを呷る。

 その傍ら火酒を一気に飲み干したミアが顔を真っ赤にこちらに詰め寄る。

 酔ったミアが小悪魔的な表情を浮かべ、

 

「スヴェンさ〜ん、楽しんでる? それとも私と愉しむ?」

 

 色気も何も感じさせない阿呆な事を抜かした。

 スヴェンは近付けられた顔を手で遠ざけながら呆れる。

 

「酔うの早えよ」

 

 話しに聞いた通り酒に弱い。次から彼女に酒を呑ませる時は注意を払う必要性に頭痛が起こる。

 

 ーーそこまで面倒見てられるか。

 

 酔い潰れるなら勝手に酔い潰れろ。それがミアに対して出した結論だった。

 

「スヴェン、運ぶのはお願い」

 

 いくらアシュナでも酔い潰れたミアを運ぶのは嫌なのだろうか。

 そもそも身長差的にアシュナでは厳しいものがある。

 それからスヴェンは数十分後にアシュナの言葉の意味を嫌でも理解することになった。

 隣でテーブルに突っ伏して寝息を立てるアシュナに、

 

「運ぶってのはそっちの意味かよ!」

 

 苛立ち混じりに声を荒げた。

 そして左隣に移動してはウザ絡みを続けるミアに苛立ちが加速する。

 

「すゔぇんさ〜んは、もっとわたしをあまやかなさいとだめだよぉ〜?」

 

 酔いのせいか何処か幼さを感じる口調に眉が歪む。

 

「これは地獄かな?」

 

「変わってくんねえかな」

 

「すまない、僕も彼女は苦手なんだ」

 

 お互いに苦手同士でよく食事を摂ろうと思えたもんだ。

 スヴェンは豪快な笑みを浮かべるラオに忌々しげな視線を向け、

 

「明日は地下遺跡観光も控えてんだ、ここいらでお暇させてもらうが構わねえよな?」

 

「うむ、構わぬが公共物を壊してはならぬぞ。あぁ、それと此処は奢ろう」

 

 ラオの忠告にスヴェンは頷き、脇にアシュナを抱え完全に酔っ払い足取りも覚束無いミアを連れ出て行く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 月灯りと街灯が照らす夜の町並み、影に覆われた路地で酸っぱい臭いが鼻に突く。

 そして視線の下には嘔吐を繰り返し醜態を晒す自称美少女の姿が有った。

 

「残念の間違いだろ」

 

「うぇっ、気持ち悪ぃ〜スヴェンさん、助けて〜」

 

 吐いたお陰が元の口調に戻った彼女に、

 

「宿に着くまで我慢しろクソガキ」

 

 吐き捨てるように告げ、足を動かすと掴まれた。

 訝しげにミアに視線を向けーー申し訳なさそうな表情で、

 

「あの、立てないので運んでくれない?」

 

 そう告げられた瞬間、眉間に皺が寄る。

 運ぶのは簡単だが、脇にアシュナを抱え背中には大切な相棒を背負っている。

 つまり今の自分にはミアを運ぶ余裕が無い。

 

「生憎と埋まってる」

 

「……肩を貸してくれるだけで良いから」

 

「それなら構わねえが吐くなよ?」

 

「全部出したからもう大丈夫」

 

 ミアを立たせ、肩を貸しながらスヴェンはサフィアに戻る。

 そして最初にアシュナを荷獣車に放り込み、宿部屋にミアをベッドに放り投げ、スヴェンは荷獣車の中で睡眠を摂るのだった。



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3-6.警戒

 メルリア到着から二日目の朝。

 スヴェンとミアは本来の予定を変更して礼拝堂に足を運んでいた。

 招かれた談話室で目前で食えない笑みを浮かべるノルエ司祭にスヴェンが話しを切り出す。

 

「ラオから渡された紙には此処に向かえ。そう一言だけ書かれていたが、何か知らねえか?」

 

「我々はラオ殿から異界人の旅行者と協力しろと要請を受けている」

 

 ノルエ司祭は協力と口にしているが、彼の視線には明確な警戒心が表れていた。

 幾ら副団長経由の協力要請であろうともスヴェンは異界人だ。これまでの異界人の行動、引き起こした事件を考えれば信用されず警戒されて当然に思える。

 スヴェンは面倒半分と納得した様子を浮かべ、

 

「異界人の行動が姫さんの評判を落としてるとは思っちゃいたが、露骨に警戒されるとはな」

 

 ノルエ司祭がわざとらしく肩を竦めた。

 

「悪く思わないでくれ、こちらも貴方を判断する材料が不足しているのでね。それに万が一救出作戦が異教徒共に漏れる恐れも有るだろう?」

 

 彼の言う言葉は正論だった。

 裏切りかねない異界人を誰も信用できない。レーナが召喚したという肩書きだけでは最早異界人はこの世界に受け入れ難い存在になりつつ有るーー前任者達に文句の一つも言いたいところだが、まだ実績も無いスヴェンにそれを言う資格が無い。

 だからこそスヴェンは敢えて旅行者という姿勢を崩さず、

 

「ま、元々指示に従っただけで協力だとかガキの救出に興味はねえ、俺達は勝手に地下遺跡の観光に向かうだけだ」

 

 あくまでも観光だと強調する。それに対してノルエ司祭はお互いに表立って協力する必要性が無いと判断したのか頷いて見せた。

 

「勝手に地下遺跡に向かうのは構わないが、子供達を如何する考えだった?」

 

 元々囚われた三千人の子供は突入前にミアを経由してエルリア城に保護を要請、アシュナに転移クリスタルを預け救出を任されるつもりだった。

 その際にスヴェンは陽動役に徹しつつ邪神教団を叩くーーしかしそれでも子供に及ぶ被害は免れない。

 子供を護りつつ、転移クリスタルを起動させ誘導するには戦力が圧倒的に足りない。

 現状採れる手段では子供の無事を保証出来ず、かと言って部外者に協力を求める訳にもいかなかった。

 部外者を経由してスヴェンの行動が邪神教団に知られては拙い。まさに孤立無縁の状態。

 そしてそこに来て今日、アトラス教会が救出作戦を計画していると知れたのはある意味で朗報だった。

 明らかに人数がこちらよりも多いアトラス教会なら子供を任せられる。

 そう判断したスヴェンはサングラスを外し、ノルエ司祭の眼を真っ直ぐ見つめた。

 

「迷子のガキ共を導くのも聖職者の仕事だろ」

 

「……瞳の奥底に秘められた底抜けの冷たさはさて置き、確かに貴方の言う通り迷子を導くのも我々聖職者の役目だ」

 

 眼を見て意図を察したノルエ司祭にスヴェンがサングラスをかけ直すと、静観していたミアが胸を撫で下ろす。

 

「スヴェンさんの三白眼で余計に話が拗れるかと思ったけど、眼を見て真意を判断するなんて流石はノルエ司祭ですね!」

 

 称賛の言葉を向けられたノルエ司祭は笑みを浮かべた。

 用事は済んだと判断したスヴェンが椅子から立ち上がると、

 

「あぁ、少しミア殿と話したいのだが、貴方は先に出てくれないかね?」

 

 ノルエ司祭がミアにどんな要件が有るのか容易に察しが付いたスヴェンは、何か言いたげな彼女を置いて先に談話室を出た。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 礼拝堂の外でミアを待つこと一時間。空を眺めていると西の方角から羽ばたき音に視線を向けーースヴェンは言葉を失った。

 突風を撒き散らしながら礼拝堂の上空を通過する大の大人を二、三人程度は乗せられる大鷲の姿に漸く声を絞り出す。

 

「……マジかよ」

 

 その大鷲が地上に降下し、滞空を始めると大鷲の背中からゴーグルをした少女が飛び降りた。

 脇に荷物を抱え、スヴェンの目前で華麗に着地した少女が愛想笑いを浮かべ、

 

「毎度〜空が繋がる限り何処でも最速でお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

 営業文句を上機嫌に奏でた。

 

「あなたがスヴェン様で間違いない?」

 

「あぁ、間違いねぇよ。……にしてもデケェ大鷲だな」  

 

「およよ? 大鷲を見るのははじめて?」

 

 少女の問い掛けにスヴェンは頷く。

 デウス・ウェポンでは既に動物が絶滅し、大鷲もアーカイブに記された記録だけの存在だった。故にスヴェンは内心で密かに本物の大鷲に感動していた。

 スヴェンの様子に少女は愛想笑いを向けながら受取り票と羽ペンを差し出す。

 

「こちらにサインをお願いします!」

 

 手早く受取り票にサインを記し、スヴェンは少女から荷物を受け取る。

 そして少女はその場から跳躍しては大鷲の背中に飛び移り、

 

「それではまたのご利用をお待ちしております!」

 

 そう言って大鷲が土煙りを派手に撒き散らしながら北へ飛び去って行った。

 早速スヴェンは備え付けの椅子に座り、荷物からガンバスターの整備用道具、潤滑油と二本の鉄棒ーーそしてブラックからの手紙を取り出した。

 

「『お前さん、武器構造……内部に空洞、鉄棒二本……』なるほど、武器関係はブラック・スミスに限るな」

 

 辛うじて読める箇所を読み進め、内容を理解したスヴェンは今後もブラック・スミスを贔屓にすると決意する。

 そして早速鞘から引き抜いたガンバスターの腹部分に固定されたボルトを外し、腹部分を取り外した。

 ガンバスター内部に装着された銃本体とは別に、ひび割れた荷電粒子モジュールを外す。

 

「見事にコイツだけぶっ壊れてんな」

 

 ガンバスターの内部はご丁寧に荷電粒子モジュールだけを破壊されているが、他の箇所には一切の損傷が無い所を見るに覇王エルデがどれだけの使い手か窺い知れる。

 次にスヴェンは銃本体を柄ごと取り外し、シリンダーを開く。

 シリンダーから装填していた.600LRマグナム弾を取り出し、手慣れた手付きで素早く銃本体の整備を済ませる。

 続いて銃本体を元の位置に装着し直し、銃身を挟んでいた二本の電極を外し、代わりに二本の鉄棒を嵌め込んだ。

 そして最後にガンバスターの腹部分をしっかりと固定させ、懸念していた応急処置を済ませるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 丁度ガンバスターの整備を終えた頃、ミアが浮かない表情でスヴェンの元に戻って来た。

 真っ直ぐとこちらに向ける瞳ーー何か言いたげな眼差しにスヴェンは視線を向け椅子から立ち上がった。

 彼女の視線を前にスヴェンは、

 

「観光案内役を降りるか?」

 

 突き放す態度で接した。

 ノルエ司祭にミアが何を話したのか興味は無いが、レーナの依頼に支障をきたすなら此処で彼女を切り捨てるのも選択の一つだ。

 しかしミアはスヴェンの考えとは裏腹に取り繕った笑みを浮かべ、

 

「お給料も良い案内役を降りるとか冗談!」

 

 そう答えた彼女にスヴェンは歩き出し、

 

「ならさっさと行くぞ」

 

「早く終わらせて美味しいご飯を一杯食べよ! もちろんスヴェンさんのお金で!」

 

 既にミアから浮かない表情は消え、いつも通りの愛想笑いに戻っていた。

 切り替えの速さを見習うべきか。それはそうと一つ訂正しなければならない事が有る。

 

「そいつは実績を示した後でだ」

 

「そういう所は変に真面目だよね」

 

「信頼で成り立つ傭兵稼業だからな、当然のことなんだよ」

 

 こうして軽口を叩き合いながら二人は地下遺跡の入り口へと向かう。



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3-7.拷問と潜入

 晴れ渡った空が嘘のように雨雲に隠れた頃、スヴェンとミアの二人はーーアシュナが密かに付いて来ている事を確認しつつ地下遺跡の入り口に到着していた。

 入り口付近に二人組の男が立っているが、二人がお構い無しに入り口に近付くと。

 

「待った! 悪いけど本日遺跡ツアーは休業だ」

 

 二人組の男、その片方が淡々と事務的に語る。

 男の言い分にミアは可笑しいと首を傾げた。

 

「可笑しいですね、メルリアの地下遺跡ツアーは年中無休の筈ですよ。それが何の告知も無く突然休業だなんて変です」

 

 パンフレットをチラつかせた彼女の指摘に二人組の男の肩が僅かに強張るのをスヴェンは見逃さなかった。

 地下遺跡が邪神教団の潜伏先なら彼らは邪神教団の手先か。それとも子供を人質に取られた従業員の可能性も高い。

 前者なら幾らでも脅しようが有るが、後者は人質の安全の為に如何なる脅しにも屈しないだろうーーそれが子を愛する親という存在なら。

 思案するスヴェンを他所にミアが任せてと言わんばかりにこちらに視線を向け、一先ずこの場を彼女に任せることにした。

 

「ツアーを休業しなければならない理由を是非とも教えてくれませんかね?」

 

 ミアは男に愛らしく片目を瞑ると、

 

「……り、理由か。あまり表沙汰にできない事件が起こったんだ」

 

 男は瞳を泳がせ額に汗を流しながら答え、隣で控えていた男が突如声を荒げる。

 

「おい! なに勝手なことを!」

 

 叫ばれた男は肩を震わせ、強い緊張感から苦し気に息を乱す。

 つまり、事件に付いて話した男は子供を人質に取られたこの町の住人だと判断できる。

 そしてミアは声を荒げた男に対して論ずるように笑みを向けた。

 

「まあまあ、つい守秘義務を口に出しちゃうほど緊張してるようですし? あなたもあまり怒鳴らない方が良いですよ、異界人風に言えばパワハラで訴えられるとかなんとか」

 

「よく分からんが、兎も角ここは立ち入り禁止だ!」

 

「そうなんですか。私の調査によれば地下に子供達が居ると通報も有ったんですがね……それも三千人も」

 

 これは動揺を誘う為のブラフだ。

 確かに地下遺跡に町の子供達が集められ、人質に取られている事はノルエ司祭との会話でも察する事ができる。

 その証拠に緊張に苛まれていた男はミアに安堵した様子を浮かべ、片や殺意を剥き出しに懐から短剣を取り出した。

 男が今にもミアに斬りかからんと動き出す。

 こうなればスヴェンの行動は迅速だった。

 ナイフを引き抜き、素早く短剣持ちの男の短剣を叩き落とす。

 突然の事に怯んだ男が咄嗟に魔法の詠唱に入る為に、口を開いた瞬間ーースヴェンは背後に周り込み、背後から羽交締めにナイフを喉元に突き付ける。

 ついでに男の首を締め上げながらスヴェンは声に殺気を込めた。

 

「言え、お前は何者だ?」

 

 彼が魔法を唱えるよりも早くナイフが喉元を掻き切る。

 男もそれを理解したのか、魔力を引っ込め詠唱を中断した。

 

「ぐ、ぐぇ……こ、こんなことして……タダで……」

 

 しかし、どうも拘束した男は状況を把握していないようだ。

 スヴェンは敢えてナイフを喉元から離し、

 

 「おっとうっかり手が滑った」

 

 男が一瞬安堵した瞬間ーー刃を頬に突き刺した。

 そしてナイフの刃で頬を抉り、血が刃を通たい床にポタリと落ちる。

 スヴェンはわざとらしく戯けた態度で男の頬からナイフを引き抜く。

 

「〜〜〜〜っ!?!?」

 

 男は声にならない悲鳴を上げ、激痛と突然の状況から額に脂汗を滲ませ、そして歯茎が見える程の穴が空いた頬から血が流れ出る。

 それを目撃していたミアと男が正気を疑う眼差しをスヴェンに向けていた。

 スヴェンはそんな視線を気に留めず平然とミアに告げる。

 

「おい、コイツの傷を癒やしてやれ」

 

「えっ? わ、分かったーーかの者に癒しの水よ」

 

 ミアは杖を羽交締めにされた男にかざし、呪文を唱えると淡い緑の光が瞬く間に男の頬の傷口が綺麗に癒える。

 頬に穴が空く程の怪我を一瞬で治療してしまえる魔法ーーミアが自負する通り治療魔法はスヴェンが舌を巻くほど素晴らしいものだった。

 

「もう一度質問する。お前は何者だ? あぁ、警告しておくが、アンタが間違えれば俺は何度も刃を突き立て、そこの女が傷を癒すぞ?」

 

 スヴェンの警告に男の顔が恐怖に染まる。

 彼は想像してしまったのだ。何度もナイフで身体の一部を斬られ突かれ苦痛に苛まれ、治療魔法によって傷を綺麗さっぱり癒される拷問を。

 男は口元を震わせ、ようやく答える。

 

「お、オレは……邪神教団の信徒。その一人だ」

 

「地下遺跡に潜伏する教団の人数は?」

 

「し、知らない! 他に何も知らないんだ! オレはただ、此処で誰も入れるとだけ命じられてただけなんだ!」

 

「捕まえたガキ共、捕縛方法は?」

 

「だから知らないんだ! だいたいオレがこの町に呼ばれて来たのは昨晩のことなんだ!」

 

 男は必死に訴えるように叫んだ。彼の言葉にスヴェンはナイフの刃をゆっくりと喉元に近付けた。

 その行動に男は息を飲み、やがて死を覚悟したのか眼を瞑る。

 

「あぁ、我らが邪神様。敬虔なる信徒がいまそちらに!」

 

 先程までの恐怖と焦りが嘘のように消え、幸福に満ち溢れた表情で邪神に対する忠誠とも取れる言葉を口にした。

 どうやら男は本当に何も知らないようだ。

 一人脅せば情報が幾らでも得られると鷹を括っていたが、邪神教団は並の兵士とは違うらしい。

 スヴェンはナイフの柄の先端を男の側頭部に強く打ち付け意識を刈り取る。

 気絶した男をもう一人の男に預け、

 

「そいつを厳重に拘束しておけ」

 

 言われた男は頷き、

 

「あ、あなたはなぜあんな事を? 異界人は大抵平和な世界から来たと聞いていたが……」

 

「中には平和とは縁遠い奴も居るってことだ。……地下遺跡の地図かなにか持ってるか?」

 

「あ、あぁ。観光に訪れた客人に案内図を渡すのも仕事の内だからね」

 

 そう言って男は懐から案内図を取り出し、ミアに手渡した。

 

「確かに預かりました……いま見たことと私達の事は他言無用でお願いしますね」

 

「わ、分かったよ。……地下遺跡には邪神教団が蔓延ってる、くれぐれも子供達に危害を及ぶような真似だけはしないでくれよ」

 

 男の忠告にスヴェンとミアは頷き、地下遺跡に続く螺旋階段から遺跡に入り込んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 太陽の光も届かない螺旋階段を壁の至る所に設置された魔法による照明の灯りが、足下は愚か螺旋階段全体を照らす。

 お互いに無言のまま魔法と気配に対する警戒を最大限に長い螺旋階段を降り進む。

 行動を前に非常に良くない空気がミアから発せられ、漸くスヴェンが観念したように口を開いた。

 

「何か言いたけだな」

 

 恐らく彼女は先程の拷問に付いて言いたいのだろう。半ば予想を立て足を止めず聞けば、

 

「さっきの行動、いくら相手が邪神教団でもやり過ぎじゃないの?」

 

 想定内の鋭い棘を含んだ言葉、声量は抑えられているが今のミアは感情的だ。

 

「ガキ共を人質に取るような連中相手に甘えは許されねえよ。下手をすれば奴から俺達の侵入が露呈する、そうなりゃあガキ共はどうなる?」

 

「確かに子供達は危険に曝されちゃう。だけど、拷問なんてせず気絶だけで良かったじゃない」

 

「何の情報も無しに突入する馬鹿はいねぇよ。だがまぁ、期待通りの情報は何も得られなかったがな」

 

 拷問の結果で得られたのは邪神教団の不気味なまでの信仰心だけだった。

 死さえ恐れない手合いは非常に厄介だ。傭兵として戦場を駆け抜けた経験にーー死こそ安寧と洗脳された少年兵達による自爆特攻を受けた経験も有る。

 

「代わりに連中の信仰心を知れた、あれは十分に警戒するべきだな」

 

 あの場を眼を背けずに見ていたミアも同意を示すように頷く。

 

「噂には聴いていたけど、間近で見ると一種の狂気すら感じたわ。だけどスヴェンさんはあの方法をこれからも続けるの?」

 

 視線から感じる先程の男に対する同情心にスヴェンは肩を竦めた。

 

「俺が傭兵である以上はそうするさ。だが、アンタが敵に対する同情心や情けを持とうがそいつは別に構わねえ」

 

 意外に思ったのかミアは小難しいそうに眉を歪める。

 

「如何して? 普通なら敵に情けをかけるなって言う所でしょ」

 

 戦場に立つ傭兵をはじめとした兵士になら情けをかけるな、同情するなと教えるがーーミアは兵士以前に傷付いた者を癒す治療師だ。

 一応彼女も治療部隊に所属する人間ではあるが、聞くところによれば治療部隊は、傷付いた者達の救護及び治療を最優先に編成された部隊だ。

 そこに慈悲の心も有れば、傷付いた者に対する同情心も生まれる。

 そんな感情を捨てろとまで言う気にもならなければ、そもそもこの場で外道は一人で事足りるからだ。

 

「外道は一人で充分だ」

 

「スヴェンさんはそうやって一人でやろうとしてない?」

 

「勘違いすんなクソガキ、互いの得意分野を活かしてるだけだ」

 

 不満気な視線がガンバスター越しに背中に突き刺さるが、幾らミアが相手に打撃と治療魔法を繰り返す運用方法を使えたとしてもスヴェンの答えは変わらない。

 魔法学院の実習、すなわちルールが明言された実習と戦闘や拷問は違うからだ。

 スヴェンはミアの視線を無視して、螺旋階段を降り進んだ。



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3-8.邪神教団

 スヴェン達が螺旋階段を降り進んでいる頃。

 地下遺跡には入口から各区画に続く通路が有るが、そこを通り抜ければかつて繁栄を築いた町の名残が出迎える観光地だ。

 だが、本来観光客で賑わう地下遺跡は何処で啜り泣く子供達の声が絶えず響き、怪し気な集団が徘徊していた。

 そんな地下遺跡の何処かの部屋ーー紫色の炎が灯る暗がりの部屋に二つの影が揺らめく。

 どちらも邪神教団の紋章を刻んだ白いフードを目深に被り、正体を隠しながら華奢な体格の方が口を開いた。

 

「報告を。昨日メルリアに入った異界人に付いて」

 

 淡々と男性とも女性とも判断が付かない中性的な声が響く。

 報告を受けた銀髪の男ーーランズはメルリアに入った二人組の顔を思い起こしながら耳を傾ける。

 同時に昨日街道で行われた戦闘もランズは、荷獣車の中で見ていた。

 可憐な青髪の美少女が手綱握るハリラドンの荷獣車に並走していたのもランズが乗っていた荷獣車だった。

 

「タイラントを助太刀有りとはいえ、単独で相手にする異界人に監視を付けた所。昨日の昼頃に数人の監視員が消息を絶った」

 

 この場を預かる身として自身の預かり知らない所で監視員が消息を絶つ。

 むろん目の前の信徒が取った行動に何も間違いは無い。エルリア城から出発した異界人は警戒するに越したことはないのだから。

 ましてや単独で、しかも魔法を使わずに戦闘経験と身体能力だけでタイラントを相手に切り抜ける人物を警戒しない方がおかしい。

 しかし、気配遮断に長けた監視員が行方不明になった点に引っ掛かりを覚える。

 邪神復活を誓った同志は、恐らく始末されてしまったのだろう。

 ランズは溢れ出す怒りを抑え、冷静に確認するように問うた。

 

「なに? 我々が保有する監視員がか?」

 

「そうだ。定時連絡の時刻を過ぎても彼らは誰一人戻って来ることは無かった」

 

 気配遮断に長けた監視員を感知するには、相応の感知魔法や技量が必要不可欠だ。

 あの異界人は魔法を使えない、それはタイラントとの戦闘を見れば一目瞭然だ。

 なら同行していた青髪の少女か。いや、それも無いだろう。あの少女はエルリア城に潜む内通者によれば治療魔法しか使えないと聴く。

 二人の何方でも無いなら自ずと彼らの姿が浮かぶ。

 

「エルリア魔法騎士団が動き出したのであれば魔王を砕くしかないが……」

 

 万が一エルリア魔法騎士団が動いたとなれば、こちらは見せしめに魔王アルディアを砕く。

 だがそれをしてしまえば人質を失い、あの召喚魔法に長けたレーナの手によって邪神教団は想像以上の痛手を被ることに。

 ランズは空に召喚される無数の竜、精霊を想像して顔を青褪めさせた。

 

「……騎士団は誰も我々に対して動いていない。いや、昨日は今朝から路地裏を根城にした泥棒を拿捕した程度かな」

 

 それでは誰が監視員ーー同志を始末したというのか。

 

「もしや監視対象が何か行動を? それとも誰か協力者が居る可能性も」

 

 協力者の存在。確かにその線は濃厚と言えるだろうが、果たしてレーナの依頼を断った異界人に対して誰が協力するのか。

 

 ーー確実に居る。異界人に協力してもおかしくない勢力が。

 

 メルリアには忌々しいアトラス教会が我が物顔で活動している。

 二週間程前に町の子供を全員攫い、エルリア王家に対する交渉及び戦闘の準備を進めてきた。

 町の子供が全員誘拐されるという大きな事件を起こしたのだから教会が異界人の出発に合わせて動くのも必然とも思えた。

 しかし教会が動くと言うことは殲滅戦に移行する準備が既に完了しているに違いない。

 敵対しているとはいえ、教会の調査能力も決して侮れない。

 

「異教徒共が動き出したか。拠点の防備を固めた所でもう遅いのだろう?」

 

「アトラス教会は今日中に攻め込むだろう」

 

 報告を受けたランズがため息を吐く。

 エルリア城に内通者を忍び込ませ、内部事情を探らせつつ子供を盾に攻め込む段取りだったが儘ならないものだ。

 まだ攻め込む為の準備が整わず、集う筈の戦力も各地に分散したまま。

 それも仕方ない。本来の目的は封印の鍵の探索と回収なのだから。

 優先事項の違いにランズが眼を伏せると、暗がりの部屋にコツコツと足音が響く。二人が警戒を向けると、

 

「折角協力してやってるのに、いちいち警戒されるのは心外なんだけどなぁ」

 

 紫色の灯りに照らされ、腰に一風変わった武器を携行した黒髪の少年の姿が顕になる。

 彼もまた邪神教団に降った異界人の一人だ。

 

「今から侵入者が此処に来るが、お前にも戦ってもらうぞ」

 

「へぇ? 侵入者って同じ異界人かな」

 

「アトラス教会の執行者達だ。お前と同じ異界人は今は何をしてるのやら」

 

 監視員が消息を絶ったため、二人組の足取りが追えなくなった。

 タイラントを単独で相手に出来る奴など野放しにしていい理由も無いが。

 

「ふーん? なら異界人の方は俺が始末してこよう。ほら愛刀にも血を吸わせてやりたい所だったし」

 

 そう言って黒髪の少年は自慢げに得物を引き抜いた。

 異世界の刀と呼ばれる武器をエルリアの鍛治職人に鍛造させた物らしいがーーランズは思考を打ち切る。

 彼の実力であの異界人を倒せるとは思えないが、気分を害しては余計な事を話される可能性も高い。

 ランズは取り繕った笑みを浮かべ、褒めるような口調で

 

「ほう……お前の剣ならば敵はそうそう居ないだろう。ならば異界人同士、存分に殺し合ってくれ」

 

「そう来なくちゃ。敵に音もなく殺される恐怖を存分に味合わせてやるさ」

 

「……お前の魔法には邪神様も期待している」

 

 その言葉に気を良くしたのか、黒髪の少年は意気揚々と出て行った。

 彼の気配が遠かったのを確認したランズが改めて訊ねる。

 

「時に某国で活動している同志から何か連絡は?」

 

「あぁ、それに付いては朗報が届いている」

 

 期待を胸に膨らませ、朗報に耳を傾ける。

 

「『計画は上手く行った。八月には行動を起こせるだろう、成功すれば教団の懸念は幾つも解決することになる』と」

 

 ここ一番の朗報に胸が弾む。

 

「わたしにこの場を任せてくださったあのお方にもいい報告ができるな」

 

「……あぁ、最後に異教徒共にも我々の意地と執念を見せて付けてやろう」

 

 二人は覚悟を持った面構えで互いに頷き合う。そしてそれぞれの得物を手に、地下遺跡に施した魔法を発動させた。

 それから程なくして地下遺跡全土を激しい揺れが襲い、亡者の叫び声が反響する……。



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3-9.死者と生者

 長い螺旋階段を降りた矢先、地下遺跡全体を激しい揺れが襲った。

 突然の揺れにスヴェンは動じず、揺れに動揺しこちらの腕を掴むミアに視線を向ける。

 

「この国は地震が多いのか?」

 

「ごく稀に起きる程度だけど、ほら此処は地下だから」

 

 彼女が何に動揺し、怯えているのかはすぐに理解が及ぶ。

 メルリアの地下遺跡、その真上は町が建っているが町と地下遺跡の間に存在する魔法によって町全土が崩壊することは無い。

 だが地下遺跡は地震によって崩壊する恐れは有る。そうなれば自分達は愚か、邪神教団と人質に囚われた子供達まで生き埋めだ。

 推測を立てている間に持ち直したミアが腕から離れる。

 スヴェンは周囲を見渡し、想像していた以上に開放的な地下遺跡内部に内心で驚きながらも目前に続く複数の通路に視線を向けた。

 遮蔽物が何一つ無い開放的な通路、傭兵としてそんな場所を進むことは避けたいが、

 

「意図的にせよ、急いだ方が良さそうだな」

 

 地下遺跡内部から天井まで伸びる支柱ーーあれがいつ邪神教団の手によって崩されるか分かったものではない。

 

「うん、アトラス教会も独自ルートを使って侵入してる頃合いだろうし」

 

 侵入口が他にも有るなら是非とも紹介して欲しいものだが、今更言っても仕方ないと思い直したスヴェンが薄暗い通路に足を踏み込む。

 すると何処からか、それとも地下遺跡全土からか。広範囲に声が響き渡った。

 

「うぁぁぁ」

 

 まるで生気を感じさせない呻き声にスヴェンは眉を歪め、隣りに立つミアが肩を震わせ顔面蒼白に息を荒げる。

 

「い、今のは……亡者の声」

 

「連中は死者を操る魔法を使うって事は姫さんから聞いちゃあいたが、こうも速く遭遇するとはな」

 

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、薄暗い通路を歩き出す。

 

「アンタは現在地を確認しつつ、連中が潜んでそうな場所に目星を付けろ」

 

 言われたミアは受付の男性から受け取った地図を広げ、

 

「一番怪しいのは中央区画の礼拝堂かな。入り口の通路を北東にずっと進んだ場所に在るね」

 

 すぐさま潜伏場所を検討した。

 そんな彼女にスヴェンは感心した様子を浮かべ、根拠を求める。

 

「アンタの推測を裏付ける根拠は?」

 

「死霊魔法を発動させるにも事前の仕掛けは必要だし、何よりも一度に仕掛けを発動させるのに全体に魔力が届き易い場所が好ましいんだ。特に亡者を遺跡内部に発生させるならね」

 

「つまり連中は間抜けにも居場所を曝した訳か」

 

 スヴェンの呟きにミアは頷き、背中に背負っていた杖を引き抜いた。

 

 邪神教団がわざわざこのタイミングで魔法を発動させたとなれば、既にアトラス教会の突入は知られていたことになる。

 また一つ気掛かりな点も有った。

 

「さっきの地震は教会諸共道連れにする算段か?」

 

「うーん。仕掛けた魔法陣の発動時に生じた揺れかもしれないし、判断が難しいかな。……それにエルリア全土は広大な地下通路で繋がってるから何とも言えないわ」

 

 地下遺跡の下に更にまだ地下通路が存在している事に色々と質問したい事もできたが、スヴェンはその件を気に留めつつも中央区画を目指し薄暗い通路を進む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 中央区画に続く薄暗い通路を抜けた先、石壁に壁画が刻まれた広い通路に出た。

 デウス・ウェポンでも見慣れた単なる絵とは違う、観る者に何かを訴えかける情熱が篭った絵を前に、スヴェンは此処が敵地という事を思わず忘れて絵に足を止めた。

 

「コイツは……AIで量産され尽くした絵とは全然違えな。なんつうか『祈りを捧げてる人』つう単純な構造だが、描き手の情熱が伝わってきやがる」

 

「えーと、急ぐんだよね? というかスヴェンさんの世界の絵って感動も感じられないの?」

 

「あぁ。AI……人工知能による絵が何千年も昔に流行しちまった影響で、当時の絵描きは才能を示す場から放逐されちまったんだ。そのおかげで絵を描く人間が居なくなっちまって、感動も何もねえ似た絵ばかりが量産され続けた」

 

「虚しいね。古代のエルリア人はこの地で起きた歴史を残そうとして石壁に刻んだんだけど、そんな想いも残されなくなちゃったんだ」

 

「文明の発達ってのはそんなもんだ。いちいち何かを犠牲にして進歩してんだよ……いや、場合によっては退化と破滅を生む」

 

「……食べ物とか?」

 

 腹立たしい笑みを浮かべるミアにスヴェンは苦虫を噛み潰したような表情で頷く。

 スヴェンはこの遺跡に刻まれた偉人の想いは後でゆっくり鑑賞すれば良い、そう思い振り向くと。

 広い通路の真ん中に足音だけが響く。

 足音だけで人の姿は無い、だが確かに何者かがそこに居る気配が有る。

 同様にミアも何者が居ることを察して警戒心を向けていた。

 スヴェンはガンバスターを片手に様子を窺うーー敵がどんな得物を所持しているのかまでは判らない。今はまだ迂闊に仕掛けられない状況だ。

 

 鞘から刃を引き抜く音。やがて風を斬り裂く鋭い音が響いた。

 敵の得物は鋭利な刃、スヴェンは石畳みの床に刃を擦った跡が生じたのを見逃さなかった。

 敵は推定160センチの身長、得物の重みに石畳みの床を擦ったのか、それとも刃渡りが長い類いの武器か。

 姿が見えず間合いを計り辛いが、血糊を掛けてやれば容易に居場所も特定できるーーだが、この先の戦闘と亡者の敏感な嗅覚を考えれば血糊を使うのは下作だ。

 思考を浮かべるスヴェンに対し、ゆったりと近付く足音に焦ったさを感じ、

 

「オラァァ!!」

 

 怒声と共にガンバスターを薙ぎ払った。

 隣りで驚くミアの視線を他所に、ガンバスターの刃が鋭利な刃に防がれたのか、金切り音が二人の耳をつん裂く。

 

「うわっ! なんて不快な音!」

 

 不快感を顕にするミアの反応に、通路から声が響くーー同時に這いずり何かを引きずる足音も近付いていた。

 

「次は肉を断つ音を聴かせてあげようか、何処が良い? 腕? 足か。それともその愛らしい顔がいいかな? あぁ、亡者に生きたまま食われることを望むのかな」

 

 優越感に浸り狂気を剥き出しにした言動にミアが眉を歪めた。

 

「うげ、スヴェンさんを無視して私を狙ってきた? はぁ〜かわいいって罪作りだよね」

 

「単にアンタが一番殺し易いからじゃねえか? その証拠に奴は姿を隠さねえとまともに戦えねえ臆病者だ」

 

 スヴェンのわざとらしい挑発に、殺意を宿した眼差しが向けられる。

 最初の位置から依然として動かない敵。恐らく戦闘に関しては素人だが背後から刻々と近付いている集団が厄介だ。

 姿が見えない敵と同士討ちも考えられたが、恐らく邪神教団が放った亡者は敵味方を識別してる可能性も有る。

 そうでもなければ敵は悠々とこの場所に立っては居ないだろう。

 スヴェンは妙な期待を捨て、再度ガンバスターを構えた。

 すると先程の安い挑発が効いたのか、敵がその場から動き出す。

 

「姿無き刃に怯えろ!」

 

 そんな威勢のいい声と共に見えない刃が振り抜かれるーーよりも速くスヴェンの膝蹴りが敵の腹を穿つ。

 

「ぐえぇ……」

 

 たたらを踏む足音にスヴェンは畳み掛けるように、ガンバスターを薙ぎ払うと刃が折れる音が響く。

 どうやら敵は咄嗟に武器を盾に防ごうとしたが、ガンバスターの重量に耐え切れず折れたようだ。

 まだ姿が見えない敵が放つ確かな動揺と怯えの感情ーーそんな感情を前にしたスヴェンは躊躇も無くガンバスターの腹を横薙ぎに放つ。

 骨が軋み、バキバキッーー折れる音が通路に響き、まともに食らった敵が石壁に衝突した。

 亡者が刻々と迫る中、石壁に横たわる人物にミアが眉を歪める。

 

「この人……確か異界人のナルカミタズナだったかな」

 

 鳴神タズナと呼ばれた黒髪の少年にスヴェンは目も向けず、迫る亡者を叩き斬った。

 既に大多数の亡者に埋め尽くされた通路。この状況で気絶した鳴神タズナを担いで運ぶ程の余裕は無い。

 そう判断したスヴェンは迫り来る亡者にガンバスターの一閃を叩き込む。

 グチャリっと頭部を潰された亡者が一体倒れるが、通路の前後から数えるのも馬鹿らしい亡者が迫る。

 スヴェンの隣で、ミアは掴みかかろうと躍り出る亡者を相手に杖を巧みに操りーー杖の先端で打撃を与え、亡者を吹き飛ばした。

 そのままミアは亡者の群れを杖で捌く。だが、依然として数は減らない。

 

「このままじゃあジリ貧だよ」

 

「通路で全員を相手にすんじゃねえよ。こういうのは進路上の亡者だけ排除すりゃあいいんだ」

 

 スヴェンは進行方向の亡者を蹴り飛ばし、邪魔な亡者だけを排除しつつ進路を作り出す。

 二人は亡者の群れに生じた進路を駆け抜けることでどうにか通路を抜け切ることに成功した。

 しかし漸く切り抜けた通路の先ーー崩れた噴水付近に群がる亡者がひと息付く暇を与えず待ち構えていた。



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3-10.信徒の意地

 広い噴水広場跡地で待ち構えていた亡者の群れにスヴェンとミアに冷や汗が浮かぶ。

 

「コイツは面倒だな」

 

「何処を切り抜けても亡者、完全に囲まれる前に中央区画に行かないと」

 

 ミアは焦りを顕に、杖を強く握り込んだ。恐らく亡者に完全に囲まれた状況が脳に過ってしまったのだろう。

 スヴェンは過去に一度体験した事が有る光景だが、アレは二度と体験したくもない。

 

 ーー本命に辿り着いたとして、コイツらが止まる保証はねえな。

 

 しかし行動が遅れれば遅れる程、進路も退路も断たれ窮地に陥るのは眼に見えていた。

 スヴェンはミアに視線を向け、アシュナが近場に潜んでいることを確認し、

 

「このまま突っ切る」

 

 ガンバスターを振り回し、刃を地面に叩き付けることで衝撃波を放った。

 衝撃波は前方の亡者を呑み込み、出来た進路に向けて駆け出す。

 噴水広場跡地を駆け抜けるがーードッカーンッ! 地下遺跡に爆音が鳴り響く!

 やがて亡者は音の方向に身体を向け、スヴェンとミアに目も向けず、ぞろぞろと歩き出した。

 腐敗の酷い身体を引きずり歩く亡者の背中を二人は警戒心を剥き出しに見送る。

 やがて噴水広場跡地は嘘のように静寂に包まれ、

 

「さっきの爆音は、アトラス教会の連中か?」

 

「そうだと思うけど、目的は子供達の救出の筈だよね」

 

 亡者が突入したアトラス教会の侵入者に向かって行ったとすれば、子供の救出も困難になると思われるがーー連中はそれ相応の戦力を導入してんのか?

 スヴェンはアトラス教会の戦力に僅かな期待を寄せ、

 

「仕方ねえ、俺達は潜伏中の邪神教団に集中するしかねえな」

 

「そうだね……でもあの人を置いて来てよかったの?」

 

 ミアは通った通路を振り向き、杞憂に満ちた眼差しを向けていた。

 恐らく彼女は鳴神タズナが逃げる可能性を危惧しているのだろう。

 

「腰骨は砕いた、奴は動けねえよ」

 

「そっか。万が一動けたとしても地上のラオさんに捕縛される可能性の方がずっと高いか」

 

 ミアの結論にスヴェンは頷き、そのまま噴水広場跡地を駆け抜ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 受け取った地図を頼りに地下遺跡を突き進むが、中央区画に近付けば近付く程、激しい戦闘音が近付く。

 幸いスヴェンとミアが辿り着いたーー崩れ風化した建物が並ぶ大通りには戦闘の様子は見られず。

 スヴェンとミアは警戒を最大限に、礼拝堂に続く道を進む。

 思えば地下遺跡と聴いて古い施設を連想していたが、実際に訪れてみればメルリアの地下遺跡は過去の町だと判る。

 繁栄を築いた町が滅ぶことなど歴史の中で特段珍しいこともでない。

 スヴェンが内心で過去の歴史に付いて意識を傾けた時、突如崩れた建物の影から一つ影が飛び出した。

 一つ目の紋章が刻まれた白いフードを目深に被った邪神教団の信徒にミアが敵意を剥き出しに杖を構える。

 ミアの敵意に邪神教団の信徒が槍を構えーー丈夫な造りかつ到底邪神教団が用意するには難しそうな質の良い武器にスヴェンは眉を歪めた。

 

「良い武器を持ってんじゃねえか。邪神教団ってのは武器を鍛造する施設でも持ってんのか?」

 

「我らの崇高なる目的に共感した同志は意外と多いのだよ」

 

 馬鹿正直に答えた邪神教団の信徒にスヴェンは拍子抜けに感じつつも、エルリア国内は愚か様々な国の内部に邪神教団の協力者が存在していると認識した。

 スヴェンはミアに視線だけを向け、槍を身構える邪神教団の信徒に突っ込む。

 距離を縮めたスヴェンに対して邪神教団の信徒は、魔力を纏った突きを放った。

 ガンバスターを横薙ぎに払うも、魔力を纏った槍の刃に弾かれる!

 魔力の障壁を斬った時と似た感覚に眉を歪めながら、スヴェンは迫る突きを咄嗟に身体を捻ることで躱す。

 邪神教団の信徒はミアを視界に捉えつつ、スヴェンに向けて連続の突きを放つ。

 スヴェンはガンバスターを盾にーーガキン、ガキン、ガキン! 絶え間なく放たれる突きを防いだ。

 

「やはり普通の異界人とは違うようだな。如何だ? 貴様も我々と共に来る気はないか?」

 

 邪神教団の信徒が放った勧誘の言葉にミアはスヴェンの背中に視線を向けた。

 

 ーー万が一此処で彼が裏切るようなことがあれば。

 

 ミアは密かな決意を胸に宿す。

 しかしスヴェンはそんなミアの決意を他所に、ガンバスターを一閃。

 ぼとりっと槍を持った邪神教団の信徒の腕が地面に舞う。そして邪神教団の信徒の切断面から血飛沫が噴き、地下遺跡の床を鮮血で汚す。

 邪神教団の信徒は突然の事に一瞬だけ呆然とする。しかし想像を絶する激痛によって現実に引き戻れた邪神教団は、

 

「ぎいやぁぁ!! う、腕がァァ!!」

 

 悲痛な叫び声が崩れた建物が並ぶ大通りに響き渡る。

 そこにスヴェンは、容赦無く邪神教団の信徒にガンバスターを突き付けた。

 

「ひっ!」

 

 邪神教団の信徒は見た。冷酷な瞳でコチラを見据える男の眼差しを。

 殺しに躊躇も無い無感情かつ無機質な瞳に邪神教団の信徒は心から恐怖した。 

 だが、邪神教団の信徒は心の底から這いずる恐怖に負けじと、

 

「ふふっ、これで我が魂が邪神様の贄になるのであれば本望!」

 

 意地と邪神に対する信仰心から祝福の眼差しを向けた。

 

「情報を吐けば助かるとしてもか?」

 

「同志を売るならば死を選ぶ!」

 

 スヴェンは名も知らない邪神教団の信徒にーー自分なりの敬意を評してガンバスターの刃で首を刎ねた。

 地面に転がる邪神教団の信徒の首ーーフードから曝け出された素顔は幸福に満ち溢れた表情だった。

 絶望も恐怖も一切感じさせない満ち足りた表情、とても殺害される人物が浮かべるものとは程遠い感情にスヴェンとミアは眉を歪めた。

 邪神教団の信徒が邪神に抱く信仰心の高さは大きな脅威になり得る。

 スヴェンは大通りの先に続く礼拝堂を真っ直ぐと見詰め、確かな足取りで歩き出す。

 そんな彼にミアも気を引き締めて後に続く。



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3-11.信仰と狂人

 紫色の炎が灯る中央区画の礼拝堂に辿り着いたスヴェンとミアは、準備万全と言わんばかりに待ち構える二人組に眉を歪めた。

 だが邪神教団の二人組の片割れ、ランズもスヴェンとミアに眉を歪めていた。

 

「テメェは昨日の」

 

 タイラントとの戦闘時によじ登った荷獣車の屋根で目撃した男だと判断してガンバスターを構える。

 何処かで監視はされると推測していたが、まさかあの時点で戦闘を見られていたとは。

 スヴェンは敵の周到さに舌を巻きながらランズの言葉に耳を傾ける。

 

「なぜお前達が此処に? まさかいらぬ正義感で来たとでも言うのか」

 

「単なる観光で来たが、亡者共に襲われてな」

 

 恍けるように答えるスヴェンに、ランズは仇を見る眼差しを向け憎悪を吐き出した。

 

「何を言う! よくも俺達の同志達を殺してくれたな!」

 

 ランズの激しい憎しみの眼差しにスヴェンは首を捻る。

 確かに此処に到着する道中で邪神教団を一人殺したが、スヴェンはわざとらしい態度で煽るように嘯く。

 

「あぁ、邪神に対する信仰心を見せながら死んで逝ったぞ? 良かったじゃねえか、死んで邪神の贄になれんだからよ」

 

 ランズは怒りから強く握り締め、その拳を白く滲ませ、

 

「ならば貴様の魂も邪神様の贄に捧げてやろう!」

 

 腰から曲刀を引抜き、同時に側で控えていた信徒が短剣を抜き放つ。

 スヴェンとミアは武器を構えつつ魔力に意識を集中させ、相対する二人の身体から魔力が駆け巡る様子に身構えた。

 

 ーーどんな魔法が飛ぶ? 亡者か、それとも攻撃魔法?

 

 スヴェンの思考とは裏腹に信徒が素早く中性的な声で魔法を唱える。

 

「水よ充せ!」

 

 信徒の目前に構築させる魔法陣に魔力が集い、水流がスヴェンとミアを襲う。

 だが二人はその場を跳ぶとこで水流を避け、礼拝堂が瞬く間に水浸しになる様子に眉が歪む。

 

「礼拝堂を水浸しにして窒息を狙うつもり?」

 

 訝しむミアに信徒が小馬鹿にした様子で鼻で笑った。

 この水は単なる布石でしかない。その証拠に攻撃魔法としては威力も低い水流だった。

 単体で効果の薄い魔法は別の魔法と組み合わせることで真価を発揮する。

 スヴェンはそんな話しをレーナから聴いた事を思い出す。

 

 ーー今になって思い出すってことはぁ、コイツはヤベェな。

 

 スヴェンが両足に力を込める頃にはランズが曲刀を掲げ、

 

「何をしようが遅い! 紫電よ走れ!」

 

 曲刀に展開される魔法陣から紫電が迸り、スヴェンは冷汗を浮かぶミアの下に跳びーー彼女を片腕で抱えながら天井まで跳躍。

 ガンバスターを礼拝堂の天井に突き刺し宙にぶら下がると、水浸しになった礼拝堂に紫電が走る!

 普通なら下に降りれば感電、耐えられたところで身体が痺れ満足に身体が動けずに殺されるだろう。

 そこまで判断したスヴェンは、魔法陣を足場に宙に浮かぶ彼らに舌打ちした。

 

「流石に自爆してくんねえか」

 

「す、スヴェンさん。この状態で打つ手は有るの?」

 

 スヴェンは下で既に魔法の準備を終えている二人を睨みつつ、タイミングを伺う。

 ミアを抱えたまま魔法を避け、ガンバスターで天井を破壊すること。

 この状況を打開する方法はそれと、礼拝堂を破壊できるハンドグレネードの使用ぐらいだ。

 

「身動きもできぬまま二人仲良く死ね」

 

「恋人同士で邪神様の贄に!」

 

 スヴェンは信徒の発言に青筋を浮かべ、ミアは突然の言葉に動揺から瞳を揺らす。そんな二人をお構い無しにランズと信徒は同時に詠唱を唱える。

 

「「炎よ爆ぜろ」」

 

 形成された魔法陣から爆炎が灯り、二人に容赦なく放たれた。

 だがスヴェンは着弾よりも早く、助走を加えながら天井に突き刺したガンバスターを引抜き、爆風の勢に乗って壁を足場に天井を斬り裂く。

 そのまま天井から礼拝堂の屋根に登り、片腕で抱えていたミアを屋根の床に落とす。

 尻餅付いたミアが痛みからスヴェンを睨むが、

 

「連中が来るぞ」

 

 斬り裂いた天井の瓦礫を避け、屋根に跳ぶ二人にスヴェンはそのままガンバスターを縦に振り下ろした。

 キィィーン! ガンバスターの刃が曲刀の鋭利な刃で受け止められるが、魔法陣を足場に形成したランズの顔が歪む。

 下は未だ電流が流れる水浸しの礼拝堂だ、そこに叩き込まれればどうなる?

 スヴェンの凶悪な眼差しにランズの肝が冷える。

 

「貴様ぁ!」

 

 スヴェンはそのまま力任せにガンバスターを振り切り、ランズを魔法陣ごと礼拝堂に叩き落とすーーだが、

 

「仕方ない人」

 

 そんな中性的な声と共に落下したランズの身体が魔法陣によって受け止められ、信徒がミアに迫る。

 短剣の刃が風を斬り、凶刃がミアに振り抜かれる。

 素早く鋭い凶刃をミアは難なく木製の杖の持ち手で刃を受け止め、

 

「スヴェンさんはもう一人の方を!」

 

 一度杖で短剣の刃を押し返し、素早く引き寄せた杖で信徒の顎を殴り飛ばした。

 スヴェンはたたらを踏む信徒を尻目に、再び屋根を目指して上昇するランズにガンバスターの銃口を構える。

 .600LRマグナム銃は残り五発だが、此処で確実に目撃者を消すーースヴェンは身構えるランズに躊躇なく引き金を引く。

 ズガァァン!! 一発の銃声が地下遺跡に響き渡り、弾丸がランズに迫る。

 ランズは曲刀で受け止める事を試みたが、弾丸が曲刀の刃に触れた直後、刃が粉々に砕けーーグシャリ!

 まともに.600LRマグナム弾を受けたランズの身体が右肩から左腰にかけて消し飛んだ。

 ランズは絶叫を挙げる暇も、懺悔も邪神に祈る暇さえ与えられず絶命し、その遺体は電流が流れる水浸しの礼拝堂に落ちた。

 遺体は激しく感電し、煙とと共に焼け焦げた臭いが屋根まで届く。

 スヴェンは次に始末すべき標的に冷酷な眼差しを向けた。

 

「このぉ!」

 

 ミアは怒声と共に杖の先端で信徒の腹を殴り、更に床に突き立て杖を軸に信徒の頭部に踵落としを喰らわせていた。

 腹部による打撃と頭部に生じた衝撃によろける信徒、ミアはそこに畳み掛けるように押し倒しーー信徒の首を杖で押さえ付ける。

 ギシギシっと信徒の首が軋む。だが、ミアの腕力では信徒を完全には抑え付けられずーー信徒はミアの腹部を蹴り飛ばすことで彼女を退かせた。

 

「ゲホ、ゲホッ……この女!」

 

「うぐっ……美少女のお腹を蹴るなんて最低」

 

 スヴェンはどっちもどっちだっと内心で突っ込みつつ、信徒の背後からガンバスターの刃を向けた。

 ガンバスターの刃が信徒の肩に喰い込み、血が滲み出る。

 

「質問だ。アンタらを殺せば亡者は消えるのか?」

 

 信徒は決して短剣を手放さず、忌々しげな眼差しでスヴェンを睨む。

 完全に殺意がミアからスヴェンに逸れた。

 これ以上ミアがコイツの標的にされることはないだろう。なにせ相方を殺したのはスヴェンだからだ。

 

「一度呼び出した亡者は消えない! 異界人こそ、我々の同志をどうした! 監視していた同志を!」

 

 スヴェンは昨日町に入ったタイミングで監視されていたと悟りーーアシュナの気配が途絶えた時が有ったな、恐らくそん時には監視とやらを片付けたのか。

 後で彼女が手を汚してしまったのか確認するとして、スヴェンは信徒の質問に答える。

 

「あぁ、一人残らずこの手で殺した。俺は単なる異界人の旅行者でしかねえが、鬱陶しい奴は簡単に殺しちまえる狂人だ」

 

「我々と同類なら邪神様を崇め、我々の野望の為に手を貸せ。そうすればお前の好きな殺しができる、この町の人間だって一人残らず」

 

 スヴェンは未だ強気に出る信徒に呆れからため息を吐く。

 心惹かれない誘いの言葉。口説き文句としても落第点の戯言だ。

 スヴェンがこのままガンバスターを振り下ろせば、信徒の身体は容易く両断できる。

 にも関わらず信徒から殺意は感じるが、焦りの様子がまるで無い。味方が一人殺されている状況下でだ。

 まだ何か有るのだとスヴェンは警戒を宿し、信徒の魔力の流れに注視する。

 すると何か魔法を放つ準備なのか、下丹田から全身に魔力が巡り廻る様子が視認できた。

 

「……無駄な抵抗はよせ。アンタは情報を吐いて死ぬだけでいい」

 

「何を今更。我々は死を恐れない! いや、この町の連中ごと巻き添えにしたって……!?」

 

 からんっと鋼鉄が床に落ちる音が響きーーバチィィーン!! と頬を引っ叩く音が聞こえた。

 スヴェンが視線を向けると、信徒の手から短剣を落とした上で、頬を引っ叩いたミアの姿が有った。

 

「ふざけないで! 過去に封印された神様の為に色んな人の生活を滅茶苦茶にして! この町の子供達だって攫って、邪神を信仰したいならひっそりと誰の迷惑もかからないところで勝手にやってよ!」

 

 ミアが邪神教団に対する明確な怒りを向けていた。

 彼女と知り合ってはじめて本心から見せた感情の色に、スヴェンはある意味で安堵した。

 彼女は本心を隠し打算で愛想笑いを浮かべるだけの少女では無いのだと。

 しっかりと感情に乗せ、想いをぶつけられる普通の少女なのだと。

 ミアは自分のような外道とは違う、真っ当に平和の中で育った普通の少女だ。

 

「勝手にだと? 我々が、先祖が今までどんな想いで地の底で邪神様の復活を望んだか、何も知らない癖に!」

 

 信徒は怒りを爆発させ、身体を巡っていた魔力が異常に膨れ上がるのをスヴェンは見逃さずーーそのままガンバスターを振り抜き、信徒の身体を両断した。

 両断された遺体が床に崩れ落ちるーーしかし、死んだ筈なのに奇妙なことに魔力の巡りが止まらない。

 それどころか魔力が膨張するように膨れ上がりーー拙い!

 スヴェンはミアを庇うように屋根から突き飛ばし、

 

「す、スヴェンさんっ!?」

 

 ミアは身体が落下する中、呆然と見ていることしか出来なかった。

 スヴェンが魔力暴走を利用した禁術による自爆に呑み込まれる瞬間を。

 激しい轟音が響く地下遺跡の中でミアの絶叫に似た悲鳴が響き渡った……。

 更に爆音を聞き付けた複数の足跡が暗い地下遺跡に忙しなく反響音を奏でる。



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3-12.戦地に生きる者

 礼拝堂の屋根から落下し、信徒の自爆を逃れたミアは瓦礫の山を必死の形相で掻き分けていた。

 瓦礫の破片で手を傷付け血を流そうがお構い無しに、

 

「スヴェンさん! 何処に居るの!? 聞こえていたら返事をして!」

 

 足音がこちらに近付く中、ミアはスヴェンの名を叫ぶ。

 だが返事は無く帰って来るのは近付く足音、それも複数の音だけだ。

 まだ足音と距離を感じられるがそれも時間の問題で、早急にスヴェンを発見しなければ。

 此処でスヴェンを死なせる訳にはいかない。そもそも彼に庇われ、死なせてしまっては自分が同行した意味も無くなってしまう。

 ミアが手を休めず瓦礫を掻き分ける中ーードサッと、音が聞こえそちらに視線を向け声を失った。

 

「っ」

 

 大量の血が石畳みの床に流れ、視線の先にはアシュナと床に倒れたスヴェンの姿だ。

 衣服は丈夫な造りなのか、自爆を受けたにも拘らず損傷も無い。おまけにスヴェンが肌身離さず首にぶら下げている装飾品も無傷だった。

 だが、スヴェンの状態は酷いものだったーー爆発の衝撃波により全身に負った火傷、骨折と変色した両腕、更に夥しい出血量、恐らく幾つもの臓器が損傷を受けている。

 スヴェンのあんまりな姿に言葉を失い呆然と見詰めるミアに、

 

「この人の治療を」

 

 アシュナの呼び掛けに、漸くミアは現実に引き戻される。

 此処で何もしなければそれこそスヴェンが死ぬ。それではレーナの願いも果たされず、また新しい異界人に運命を委ねるだけの日々が始まる。

 それでは自分が同行した意味も無くなってしまう。

 頭の中で駆け巡る想いと共にミアは横たわるスヴェンに駆け寄り杖をかざす。

 下丹田の魔力を最大限に巡らせ、

 

「アシュナは影で護衛をお願い」

 

「こっちに向かって来てるよ?」

 

 確かに邪神教団かアトラス教会か、何方か分からない者達がこちらに向かっている。

 今からスヴェンの治療に専念すればミアは動けなくなる。その状態で敵に遭遇すれば始末される恐れも有るが、スヴェンならきっとこの状況下でもアシュナの存在を隠すことを選ぶだろう。

 

「あなたは私達の切り札よ、だからスヴェンさんのことは任せて」

 

 言われたアシュナは釈然としないまでも従う他に無いと判断したのか、その場から姿を消す。

 ミアは改めてスヴェンの状態を観る。まだわずかに息が有り、治療魔法で再生不可能な損傷を負ったわけでは無かった。

 

 ーーこれならまだ間に合う。

 

「死に誘われし者に癒しの水と風よ再生の加護を」

 

 詠唱と共にスヴェンの下に魔法陣を形成させ、ミアはスヴェンの体内に意識を集中させる。

 全身火傷にあらゆる内臓器官の損傷と骨折に、ミアは眉を歪め、全身火傷と損傷した内蔵器官、骨折した箇所に治療魔法を施す。

 魔力の消耗も多いが、一度に治療するには火傷も損傷箇所、骨折に止血と再生を同時に行うのが最適かつ迅速な治療方法だ。

 やがてミアの治療魔法を受けた細胞が活性化現象を起こし、スヴェンの身体が脈動する。

 治療魔法を受けるスヴェンの身体から全身火傷が消え、負っていた傷口が塞がり顔色に活力が戻る。

 やがて血が止まった様子にミアは一息吐く。

 

「これで出血死の心配は無いかな」

 

 あとは本人の気力次第となるが、例え治療が完璧でもスヴェンはすぐには動けないだろう。

 いくら治療魔法による再生を施したとはいえ、失った血液は複元できない。

 損傷した内蔵や骨折だって、魔力と細胞、人が持つ生命力に働きかけて活性化させ治療したに過ぎないのだ。

 

「急いで運ばないと……うっ、お、重い〜」

 

 ガンバスターを握り締めたスヴェンはミアの腕力では中々持ち上げられずーー両脚を持って安全な場所に移動しようとした矢先に。

 

「そこで何をしてる!」

 

 白いフードで顔を隠した集団ーー邪神教団の一団がミアに向けて既に魔法陣と武器を構えていた。

 動けないスヴェンと攻撃魔法も防御魔法も使えないミア。絶対絶命の窮地にミアは背中にスヴェンを隠す。

 

「えっと観光に訪れたんですけど、突然爆発が発生して彼が巻き込まれちゃったんです」

 

 杖を下ろして見せると、信徒がミアの足元に風の光弾を放った。

 風の光弾が石畳みの床を砕き、破片がミアの頬を掠る。

 頬の傷口から薄らっと血が滲む。

 

 ーーやっぱり見逃してくれないか。

 

 ミアはアシュナに頼るという選択肢を最初から排除した上で、どう切り抜けるか思考に思考を重ねた。

 打開策も浮かばない中、先頭に立つ女性の信徒が怒鳴る。

 

「此処で指令を出していたランズとユーヘンはどうした!」

 

 何方も知らない名だが、恐らく彼女の言う二人はスヴェンが始末した信徒だ。

 

「貴様らか? 我らを異教徒に通報したのは?」

 

 通報する必要も無く邪神教団の潜伏先は露見していた。そもそも彼らが子供達を攫わなければ。ミアは出掛けた言葉をグッと呑み込み、手の震えを悟られないように抑えた。

 

「どっちも知りませんが、子供達が誘拐されたのは知ってますよ?」

 

「誘拐した子供か。それなら我らの背後を見るといい」

 

 言われて漸くミアは、邪神教団の集団の背後に虚な瞳で立ち尽くす子供達の姿に気が付くがーー嘘でしょ?

 子供達が握り締めた短剣に滲んだ血と彼らの衣服に付着した返り血をミアは嘘だと思い込みたかった。

 なおも虚な瞳で虚空を見詰める一人の少女が呟く。

 

「パパ、ママ、わるいひとをおいかえしたよ? だからおいしいあめをちょうだい」

 

 少女の言葉にミアの眉が歪む。

 邪神教団は子供達に禁術を使った。それもアメを触媒にした洗脳魔法を。

 なんて卑劣な連中だ。ミアは内心で込み上がる怒りを隠し、

 

「御褒美は後だ。さあ答えろ! 貴様らの目的を!」

 

 叫ぶ信徒にミアは杖を強く握り締める。

 治療魔法では子供達の洗脳は解けない。アトラス教会に連れて行き、浄化魔法による集中治療が必要だ。

 そもそもこの場をどうやって切り抜けるか、公明も見えない状況だーーアトラス教会の信徒が駆け付けてくれたら。

 だがそんな希望は訪れず、ミアの背後から立ち上がる音が耳に届く。

 

「……めんどくせぇ」

 

 言動に殺意を滲ませるスヴェンにミアは狼狽えた。

 本来ならまだ動けるまで回復もしていないのだ。なら何故彼は立ち上がれる?

 疑問と当惑を浮かべるミアを他所に、スヴェンが歩き出す。

 

「待って、戦うつもりなの?」

 

 スヴェンはミアの問いに答えず目の前から姿が消えーー集団の中心から突如鮮血が舞う。

 

「同志が邪神様の元へ召されたぞ!」

 

 集団の中心に突然姿を現したスヴェンが、ガンバスターを薙ぎ払い、周辺に居た信徒の命を刈り取った。

 それをミアが認識したのは信徒の叫び声を受けてからだった。

 ミアは鮮血が舞う様子を呆然と眺めることしか出来なかった。

 信徒の集団がスヴェン一人に攻撃魔法を集中させるも、魔法による弾幕を前に彼は足を一歩たりとも止めずーー弾幕を掻い潜り一人、また一人と葬り去る。

 体内に魔力を巡らせ素早い動きで集団を翻弄させ、時には信徒の魔法を利用して同士討ちに持ち込ませ、接近戦に切り替えた信徒をガンバスターで叩き斬る。

 返り血に金髪と衣服を汚し、確実に信徒の数を減らして行く。

 そんなスヴェンの表情は楽しげでーー目の前に広がる戦場が本来居るべき場所だと言わんばかりに、彼はガンバスターを振り回していた。

 戦場の中で存在の証明、生を実感してる様子にミアは眼を背けず、スヴェンの背中を目で追う。

 やがて信徒の指示で前に出る子供達にミアが息を呑む。

 頭の中で最悪の想像が描かれ、ミアは叫ぶ。

 

「ダメ! その子達を殺しちゃダメ!」

 

「強要されたガキ共にはこれで充分だ」

 

 返って来た返答。スヴェンは短剣を手にした群がる子供達の背後に回り込み、一人一人に手刀で意識を刈り取った。

 ミアははじめてスヴェンを誤解していたのだと悟る。

 常々自分を外道と評していた彼なら子供を手に掛けることすら厭わないのだとーーだけどそれは間違いだった。

 スヴェンは子供の制圧を終えると、今度は血濡れた表情でにやりと邪神教団に笑みを浮かべる。

 その様は『今から一人残らず殺す』と宣告してる様で、信徒は恐怖に顔を青褪めさせた。

 ガンバスターを片手に近付くスヴェンを前に、信徒の一人一人が恐怖に震え後退り、

 

「ま、待て。此処は互いに無かったことにしないか?」

 

 一人が情け無い声で命乞いを発し、

 

「あー、降伏する奴は捕虜って扱いが適切だがーー」

 

 見逃してくれると油断した信徒の一人がスヴェンに近付くーーその瞬間、ガンバスターの刃が近寄った信徒を頭部から斬り裂いた。

 

「ソイツはこっちの世界の暗黙の了解だが、生憎と俺はこっちのルールをよく知らねえ。まぁ、ガキ共に殺しを強要させたクソ共には必要もねえよな」

 

 その言葉を皮切りにスヴェンはこの場に集った信徒をーー重傷を負った筈にも関わらず一人で殺し尽くしてしまった。

 しかし、一人だけ石畳みの床で尻餅を付いた信徒にスヴェンはガンバスターを振り下ろさず、

 

「ガキ共は治るのか?」

 

「あ、あぁ。異教徒ーーアトラス教会なら洗脳魔法を解ける。連中は我々の敵だが腕に関しては信用できる」

 

「へぇ。それで? 此処に侵入したアトラス教会はどうした?」

 

「異教徒狩りを指導しながら子供の保護、そこに亡者を差し向けた」

 

「連中は全滅したのか?」

 

「ま、まさか……あの程度の戦力で全滅できたら苦労はしない」

 

 アトラス教会はまだ地下遺跡内部で亡者を相手に足止めを食らっている。

 おまけに保護した子供達と一緒に。

 ミアは彼らが全滅してしまったのでは? そう考えていたが、無事な報告に安堵の息を吐く。

 

「アンタらは統率が取れてるようで、統括者らしき者は居なかったな」

 

「……そ、それは命に替えても答えられない」

 

「随分と仲間意識が高えな……質問を変えるが、一体どうやって三千人のガキ共を気付かれずに攫った?」

 

「……町で無料でアメを配ったんだ。魔薬と洗脳魔法で作り上げたアメを……みんなタダには弱いからな、喜んで食べてくれたさ」

 

 何故三千人の子供が飴を食べたのかも理解ができた。タダという甘味に惑わされ、無警戒に食べてしまったーーつまり邪神教団は以前から飴屋を経営して、以前から住民から信頼を得ていたってこと?

 一度に子供が誘拐されたのも洗脳魔法に予め命令を施しておいたのだろう。

 スヴェンは聞き出したいことを充分に得たと判断したのか、信徒にガンバスターの刃を振り下ろした。

 これ以上の問答は無駄で、自爆を警戒して早急に片付けたとも思える。

 事実ミアからしてもスヴェンの判断は適切だと思えた。邪神教団が抱く邪神に対する信仰心は狂気染みているが、死を目前にしても決して口を破らない意志が有る。

 だからスヴェンはいくつか質問したのち始末したのだ。

 しかしこの場に集った邪神教団は全滅したが、地下遺跡内部にまだどれだけの信徒が潜んでいるのか。

 ミアは考えるだけでも億劫に感じながら、急ぎスヴェンに駆け寄る。

 

「スヴェンさん!」

 

 ふらつく彼を支えると、スヴェンの瞳がまた底抜けに冷たい瞳に戻り、

 

「……一旦撤収した方が良いな」

 

 自身の身体の状態、敵の戦力を把握した冷静な判断で告げる。

 殺しに対する余韻も一切感じさせない様子にミアはため息を吐いた。

 

 ーー私はとんでもない人の同行者になったなぁ。

 

 彼に対して宿る複雑な感情に眉が歪みつつも、ミアはスヴェンに愛想笑いを向ける。

 

「気絶させた子供達はどうするの?」

 

「それこそラオ達に丸投げでいいだろ。俺達は単なる旅行に来てんだからよ」

 

 確かに小隊で来ているラオ副団長達の方が子供達を安全に運び出せるだろう。

 そう考えたミアはアシュナの居る方向に顔を向け、

 

「ラオさんに伝言をお願い」

 

 そう告げると、アシュナの気配が遠くのを感じる。そしてスヴェンに振り向く。

 

「スヴェンさんは安静! これ以上動くと本当に死んじゃうよ!」

 

「あぁ、血を流し過ぎた。一度シャワーでも浴びて腹一杯に飯を食いてえもんだ」

 

 スヴェンはミアから離れ、蹌踉めく身体を引き摺りながら歩き出した。

 どうにも彼は一人でやろうとする性が有るらしい。

 知らない知識は誰かに頼る反面、戦闘面は誰にも頼ろうとはしない。それは自身が治療魔法しか扱えないから、頼りにならないからーーそう思われてもしょうがない。

 だけど重傷を負った状態で誰も頼ろうとしない姿勢。そんなのは認めないし、何よりも何の為の同行者か分からなくなるではないか。

 だからミアは蹌踉めくスヴェンの身体を支え、

 

「治療師の前でそんな無茶は認めないよ」

 

「……そうだな、アンタが居るんだ。此処はアンタにも頼るべきだったな……地上まで頼む」

 

 スヴェンは自身の身体の状態をよく理解してるのか、素直にミアに身を預けた。

 こうして二人は道中で鳴神タズナが未だ気絶していることを確認してから一度地上に戻り、亡者の腐臭が染み付いた身体を清めるのだった。



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3-13.後は任せて

 雨が降る中、メルリアの中央広場に有る魔法時計が昼を告げる鐘の音を鳴り響かせる。

 スヴェンとミアの二人は昼時にも拘らず他の客が居ない酒場を訪れ、テーブル一杯に大量注文した料理に舌鼓鳴らしている頃だった。

 

「いやぁ、スヴェンは案外大食いなんだね」

 

 さも当然のようにスヴェンの隣席に座るヴェイグに、スヴェンは嫌そうに表情を歪ませる。

 

「招いた覚えはねえぞ」

 

「招かれずともわたしは何処にでも現れるさ。しかし、主催者の誘いを断って此処で食事するなんて本当につれないなぁ」

 

 残念そうに肩を竦めるヴェイグにスヴェンの表情が益々歪む。

 そんなスヴェンにミアは苦笑を浮かべ、ヴェイグに訊ねた。

 

「えっと、ヴェイグさんはパーティの主催者でしたよね? 良いんですか、主催の人がこんな場所に居て」

 

「パーティは昨晩で終わったからね、わたしが此処に居てもなんの問題もないのさ」

 

 なるほどとミアが納得する中、スヴェンは彼に対して一つ質問をぶつける。

 

「そういやぁ、この町のガキ共は邪神教団に誘拐されてたらしいな。そんな状況下でパーティってのはどうなんだ?」

 

 ヴェイグは眉一つ動かさず、

 

「先月からこの町でパーティを主催すると取引先は愚か、様々な顧客に招待状を送っていた。事件の発生が二週間前ともなれば、遠方の招待客はこの地を目指して移動してる最中だった」

 

 淡々と答えた。

 彼の言う理由にも納得ができるがーー判断材料も少ない状況でコイツをこれ以上疑うのは危険だな。

 それにアルセム商会会長という立場を持つヴェイグに、スヴェンの目的を知られるのは危険に思えたからだ。

 尤もスヴェンがヴェイグを頑なに疑うのにも理由は有る。

 邪神教団が何者からか武具の支援を受けている。その第三者か仲介人の存在が明るみに出ない限り、相手が誰であろうとも油断できないからだ。

 今は彼に対する疑念と疑心は忘れよう。

 スヴェンはヴェイグに抱いた疑心を消しながら肩を竦める。

 

「中止もできねえから開催する他になかったと。主催者ってのは大変だな」

 

「信用にも関わるからね。もちろん子連れの招待客にはこちらで用意した護衛を付けさせて貰ったけどね」  

 

「抜かりなしか。……で? アンタはなんで俺達と飯を食ってんだ? それも人のもんを勝手に」

 

 スヴェンは何食わぬ顔で羽獣のハチミツ漬け焼きを食べるヴェイグに青筋を浮かべる。

 

「良いじゃないか。食事は大勢で分かち合うものだろう? 君もそう思うだろ、愛らしいレディ」

 

 目元を隠し、愛想笑いを浮かべるヴェイグにミアも愛想笑いで返す。

 ミアの反応は意外だった。普段から美少女を自称する彼女がヴェイグの社交辞令に乗らないことが、心の底から意外に思えたからだ。

 スヴェンは愛想笑いを浮かべ続けるミアに耳を傾けた。

 

「ヴェイグさんは口達者ですね。目も見えないのにそうやって泣かせて来た女の子は多いんでしょうけど」

 

「これでも未だいい相手と巡り合わなくてね。いやはや、中々出会いというのは難しいものだね。それに目が見えずとも美しいかどうかは判るものさ」

 

 視覚情報を得られずどうやって判断しているのか。疑問に感じるが……ヴェイグの経験による分析能力だと考え、疑問を頭の中から追い出した。

 やがて羽獣のハチミツ漬け焼きを完食したヴェイグは椅子から立ち上がり、

 

「それじゃあわたしはこれで失礼させてもらうよ。君達が旅の出会いに恵まれる事を祈ってるとも」

 

 そんな事を言い残して立ち去った。

 目が見えないにも拘らず、誘導杖も無しに確かな足取りで進むヴェイグの背中を見送る。

 そして漸く去ったヴェイグの代わりにアシュナが現れ、

 

「やっとご飯食べられる」

 

 厄介者が立ち去ったと言わんばかりに適当な料理を口に運ぶ。

 スヴェンはそんなアシュナに視線を向け、

 

「そういや連中は監視員がどうの言っていたが……どうした?」

 

 質問に対してアシュナは咀嚼していた食べ物を呑み込んでから答える。

 

「簀巻きにして騎士団に預けた」

 

 予想していたアシュナの行動と判断にスヴェンは舌を巻く。

 アシュナは殺さず無力化という選択肢を選んだ。敵となれば誰構わず殺してしまうスヴェンとは違い、まだ幼いながらもアシュナの方が利口的に思えた。

 しかし、無力化した邪神教団が生きている点にはどうしても懸念が拭えないのも仕方ないと言える。

 

「いい判断だが、連中に悟られてはねえか?」

 

 正体が露見していないか。それがスヴェンにとって最大の懸念だった。

 その意味でも訊ねるとアシュナは胸を張って、

 

「気付かれる前に気絶させたよ」

 

 悟られてはいないと主張した。同時に褒めて欲しそうな眼差しにスヴェンは眼を背ける。

 

「褒めてもらいてえならミアに頼め」

 

「ケチ。でもミアでいいや」

 

「あれ、もしかして私で妥協された? でもアシュナは偉いよ、本当に。あの時スヴェンさんを連れて来てくれなかったらどうなってたことか」

 

 自爆をまともに食らって薄れ行く意識の中、スヴェンは自身を抱えてミアの下に跳ぶアシュナの姿を見た。

 小さな身体で大の大人を運べる腕力が何処に有るのか? そんな疑問も有るが、結局アシュナとミアに生命を救われた事実には変わりないのだ。

 

「あん時は世話になったな」

 

「それがわたしの仕事」

 

「そうかい、次もその調子で頼むわ」

 

 正直に言えばスヴェンはミアとアシュナの同行を快くは思っていなかった。それはいくらレーナの采配であってもだ。

 しかしミアとアシュナの何方が欠けていれば、スヴェンは最初の町で早急に脱落していたことになる。

 結果論に過ぎないが、こうして生き永らえた事実が二人を認めざるおえないのだ。

 スヴェンは感謝の言葉を浮かべたがーー性に合わねえ。

 決して頭に浮かんだ感謝の言葉を口にすることはしなかった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 注文した料理を食べ終え満腹による幸福に満ちた頃、スヴェンは改めてアシュナに訊ねる。

 

「ラオには報告したのか?」

 

「したよ。今頃騎士団が地下遺跡に向って異界人と子供達の回収に動いてると思う。あと伝言を預かってるーー」

 

「『この地の事は任せて旅を続けるといい』って」

 

 確かにラオの伝言を聴いたスヴェンは頷き、同時に思案する。

 まだ地下遺跡内部に潜伏している邪神教団とラオ達が鉢合わせになる危険性も十分に有るが、気絶させた子供を全員連れ出すには騎士団が適切だった。

 それにとスヴェンは思う。地下遺跡内部に放たれた亡者の処理、邪神教団の死体の処理も彼らに任せていいと。

 後始末中の地下遺跡を一時的に封鎖する必要も有るだろう、それを円滑に行えるのは信望も厚い騎士団に置いて居ない。

 そもそも異界人に施設を一つ封鎖する権限も信頼も無い。

 

「そんじゃあ後の事は任せて、俺達はのんびり過ごすとするか」

 

「それが良いよ。正直スヴェンさんは戦える状態でも無いし、今日一日ゆっくり療養しなきゃ」

 

 治療魔法で重傷は治ったが、失った血液と体力は戻らない。

 これ以上の労働は本来の目的そのものに支障をきたしかねない。なら今日は療養に専念させ、メルリアを出発するに限る。

 

「なら明日にでも此処を発つか」

 

「メルリアの次は、ハリラドンで一日かけてルーメンっていう農村だね」

 

 ルーメンに到着するまで一度野宿を挟む。下手をすれば守護結界の領域外ーーモンスターが蔓延る地域で野宿を迎えることになるだろう。

 スヴェンは野宿の危険性を充分に理解したうえで、

 

「流石にハリラドンも一日中走れねえか」

 

 一日走れればどんなに楽か、そう愚痴るとミアが困り顔を浮かべる。

 

「無理だよ。どんな悪路でも踏破しちゃうけど、脚も速い分脚にかける負担もすごくて最大六時間しか走れないんだ」

 

「……充分過ぎるな」

 

 ハリラドンが乗り物として重宝されている理由の一旦にあ触れ、感心せざるを得ない。

 ふとミアが不安そうな視線を向けている事に気付き、スヴェンはそんな視線を鬱陶しいと感じながらも理由を聞く。

 

「何が不安なんだ?」

 

「えっと、ルーメンは前に異界人に酷い目に遭わされて……それで異界人を嫌うようになったからトラブルは避けられないかなって」

 

「……まあ、仕方ねえだろ。他人とは言え異界人が引き起こした問題は俺達異界人に巡り回って来るもんだ」

 

 スヴェンは『非常に面倒臭いこの上ないがな』と付け加え、もう一つ気掛かりな点が頭に浮かぶ。

 それはラオ達が気にしていた紫色の髪をした女性のことだった。

 ラオ達は接触したのか、それとも既に町を離れたのか。あるいは邪神教団と接触し同行したのか。

 スヴェンにはその点が気掛かりで、しかし確かめようがない状況にひと息吐く。

 そしてふと酒場の窓から外に視線を移すと、涙ながらに子供を抱き締める大人達の姿が映り、

 

「案外速く片付いたんだな」

 

 何となくその光景を眺めるが、何の感情も湧かない。単なる第三者の視点に過ぎない感想にスヴェンはゆっくりと視線を外した。

 その視線の先に何か言いたげなミアの様子に、

 

「何か言いたそうだな」

 

 誰も酒場に居ないからこそスヴェンは質問した。

 するとミアはぽつりと呟く。

 

「今回邪神教団が誘拐した子供達の中には、アメを媒介に洗脳魔法を施された子供達も居るから……その子達はまだ親の下に帰れないんだなぁって」

 

「そいつはアトラス教会に任せるしかねえだろ。……だが、洗脳魔法を解除した後が大変だろうな」

 

「後が大変ってどういうこと?」

 

「ガキが手に握っていた短剣には血痕が付着していたろ、それも人を刺殺した量のな。洗脳時に意識が残っているかどうかにもよるが……一度殺した罪悪感は忘れらねえもんさ」

 

「……精神面のケアもアトラス教会に任せるほかにないなぁ。傷付いた精神は治療魔法で癒してあげることもできないから」

 

 項垂れるミアにスヴェンは何も言わず、ただ黙って思い悩むミアを見守った。

 彼女の悩みに外道のスヴェンが何かアドバイスするのも違うと思えたからだ。

 とは言え、食事も済んだ状態でいつまでも酒場に留まっては店員に不審にも思われるだろう。

 

「悩むのは良いが、そろそろ行くぞ」

 

 そう呼び掛けるとミアは立ち上がり、そしていつの間にか姿を消していたアシュナに二人は思わず顔を見合わせては苦笑が漏れた。

 一先ずメルリアの地下遺跡に潜伏していた邪神教団は壊滅した。その残党や亡者と異界人は魔法騎士団に任せ、二人は明日に備えサフィアに戻る。



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3-14.ミアの独白

 鳥の囀りに目が覚める。

 備え付けの時計に眼を向けるとまだ朝の五時だ。

 二度寝したい所だが、スヴェンがいつシャワーを借りに来るか分からない。

 ミアはベッドの上で起き上がり両腕を伸ばす。

 

「う〜ん、早起きも悪くないかなぁ……うぇ?」

 

 ふと視線を動かすと椅子に座っていたアシュナと目が合い、情けない声が漏れる。

 アシュナは先に朝のシャワーを浴びたのか、湯気に包まれ濡れた髪をタオルで拭き取りながら、

 

「先に借りたよ」

 

 そう言っては白髪の髪を雑に扱う。

 折角の綺麗な白髪がもったいないと感じたミアは、アシュナに手招き。

 誘われるがままに近寄る彼女の頭からタオルを取り、目の前に座らせてから丁寧に髪を拭き取った。

 

「折角の髪がもったいないよ」

 

「めんどい」

 

 かわいい分類に入るアシュナはどうにも髪をぞんざいに扱う傾向に有るようだ。

 

「髪は女の命なんだから丁寧に扱わないと、素敵な大人になれないよ」

 

「……がんばる」

 

 彼女は大人に対して強い憧れを抱いている。それはオルゼア王への恩義から早く大人になりたい現れなのかは判らない。

 それでもまだ十歳のアシュナはよくやっていると思えた。それこそ治療以外で役に立たない自分とは違って。

 同時にミアは昨日の地下遺跡の事が頭に過ぎるーーもしもあの信徒に思いの丈をぶつけなければスヴェンが自爆に巻き込まれる事も無かったのかもしれないと。

 

 ーー思い返せば思い返す程にあの行動は軽率だった。

 

 アシュナの髪を拭き、乾かしながら後悔と反省の念が胸を締め付けると。

 

「ミアの治療魔法は凄いね」

 

 ぽつりとアシュナからそんな声が呟かれた。

 

「うーん、治療魔法は私の唯一の取り柄だからね。例え手足が千切れようとも元通りに繋げることもできるよ」

 

 

「才能の塊」

 

「逆に治療魔法以外はできないんだけどね」   

 

 自身の長所を伸ばすためにミアは人体構造を学び、その甲斐も有って外的要因の怪我なら癒せる程に。

 治療魔法が二人の役に立つなら喜んで使うが、それは同時に二人が負傷する事を意味する。

 動きが素早く注意深い二人ならそう簡単に負傷するとは思えないが、スヴェンに至ってはまだ魔法に対する経験が薄い。

 いくら元の世界の戦闘経験がーーそこまで考えた瞬間にこれまで戦闘で見せたスヴェンの顔が浮かぶ。

 

「……っ」

 

 ミアは息を呑み、手を止めた。

 そんな様子にアシュナが顔だけ向けては不思議そうに首を傾げる。

 スヴェンに対する印象、付き合い始めて一週間過ぎた自分と僅か数日のアシュナが受ける印象の違い。

 改めてその違いを再認識しておこうとミアは思案顔で訊ねた。

 

「アシュナはスヴェンさんにどんな印象を感じた?」

 

 突然の質問にアシュナは戸惑いを浮かべ、それでも彼女が答えるにはそう時間を要さなかった。

 

「敵に徹底して容赦無い鬼畜非道、群れるのを嫌がる狼?」

 

 表現に悩んだのか首を傾げた。

 確かにスヴェンは人と交流することを嫌がる。むしろ必要最低限の交流に留めている印象だ。

 それは元の世界に帰ることも起因しているのだと思っていたがーー違う、彼の本質がそうなのだ。

 確かに一匹狼という印象も受けるが、生きる事に直結する知識を貪欲なまでに取り込む。最初は生き抜く手段に対して勤勉な男性という印象も受けたがそれも違う。

 

「ミアはどんな印象? それともこれ?」

 

 アシュナが無表情ながら手でハートを形作る。

 確かにアシュナも恋愛に興味を抱く歳頃だが、それは無いと手を振り否定した。

 

「私が彼に抱いた印象は、タイラントや邪神教団と戦ってる時の彼はまるで此処が自分の生きる場所、居場所だと言わんばかりに楽しそうだった。うん、恐くはないんだけど言葉で表現できない印象かな」  

 

「そうなの?」

 

 アシュナの問いに頷き、ミアはスヴェンに対して考え込む。

 はじめてスヴェンの底無しに冷たい瞳の理由が分かった時でも有る。

 スヴェンは戦いの中でしか生を実感できない人なのだ。

 それが死闘であればあるほど、激しい戦場であればあるほどにスヴェンは生を実感できる。

 タイラント戦で見せたスヴェンの心の底から渇望していた居場所を得たようなーー楽しそうな凶悪な笑みがそう感じさせるのだ。

 そして地下遺跡の戦闘の時もそうだ。通路が亡者に埋め尽くされた時や、自爆に巻き込まれる直前でさえ。

 邪神教団の魔法が集中的に降り注いだ時もーー彼は確かに生を実感していた。

 恐らくスヴェンの表情の変化は無意識だと思うが、敵を撃ち倒した後のスヴェンが見せる瞳は、また底抜けに冷たい眼差しに戻るのだ。

 また居場所を失った寂しげな印象さえ受ける背中ーーなぜスヴェンさんはそんな感情を宿すの?

 ミアはスヴェンの過去に疑問を向けた。どんな過酷な環境だったのか、どんな経験をしたのか。 

 同時にノルエ司祭に告げられた警告が頭に過ぎる。

 

『あれは殺しに生きる哀しきモンスターだ。人の愛情など到底理解できない、戦うことに以外に意義を見出せない男だ。君がそんなモンスターに同行を続ければ、君自身に身の破滅を齎すだろう』

 

 人を見る眼を持つ司祭の言葉は、スヴェンをモンスターと評する程の過去が秘められているのだとミアはなんとなく察しーー破滅だろうと姫様の為を想えば怖くないわ。

 ノルエ司祭の警告を頭の中から追い出す。

 長く、それとも一瞬か。思考に耽っていたミアにアシュナの一言が現実に引き戻す。

 

「スヴェンは可哀想?」

 

 アシュナの憐れむような視線を否定する。

 

「それはスヴェンさんにとって最大の侮辱じゃないかな。彼は傭兵でそういう生き方しかできないかもだけど、それを自分で選んだのは結局のところ彼本人だから」

 

 スヴェンに対して恐怖を感じなければ憐れみも浮かばない。

 むしろ彼に見えた本質は戦場を彷徨う一匹狼。

 そんなスヴェンだからこそ、危険な魔王救出もやり遂げられるのかもしれない。

 それにレーナは言っていた『彼は私の立場を憐れみも否定もしない人だ』だと。

 その人の在り方や本質をスヴェンは重視しているのだと。

 そう内心でレーナと話した事を思い出していると、

 

「難しい事はよく分からないけど、なんとなく分かった」

 

 小難しい表情で眉間に小皺を作った彼女を小さく笑った。

 折角の可愛い顔がこれでは台無しだ。将来早めの老け顔になってしまう。

 

「小難しい話は終わりにして……はい、もう良いよ」

 

「ん、ありがと。ミアもシャワー浴び来たら?」

 

「そうさせて貰う。スヴェンさんとシャワー室でかち合ったら大変なことになっちゃうしね!」

 

「それは無いと思う」

 

 冷ややかで冷静なアシュナのツッコミにミアは黙り込み、そのまま着替えを手にシャワー室に向かう。

 その後、支度を済ませ程なくしてスヴェンがシャワーを借りに部屋を訪れーー彼の支度完了と共にメルリアの地を旅立った。

  

 ……出発前にレーナに報告書を送る事を忘れずに。



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3-15.報告

 五月三十日、スヴェンとミアがメルリアを出発した頃。

 エルリア城の謁見の間で玉座に座るレーナは、膝を突くラオに告げる。

 

「メルリアでの任務ご苦労様。報告は事前に受けているけれど、改めて貴方の口からあの地で何が有ったのか聴かせて貰えるかしら?」

 

「承知。姫様もご存知の通り、メルリアでは全子供達が誘拐される前代未聞の事件が発生。我々騎士団が事態に気付いたのは十日前のことでしたな」

 

 事態に気付くのが遅れたのはメルリアの住人が邪神教団に脅され、魔法騎士団に通報しなかった影響も有る。

 しかし通報を受け直ぐに動けたかと問われれば、邪神教団に人質に取られたアルディアの件もあり形だけの調査になっていた。

 それ以前に城内部に入り込んだ内通者の調査と洗い出しに時間をかけ過ぎたのも事実。

 

「えぇ。丁度その頃だったわね、内通者の移動先と邪神教団の潜伏先を知ったのは」

 

 いつも邪神教団が行動を起こした時に思うーー自分が王家の者でもなく国家に帰属しない単なる個人だったらと。

 それはそれで自身の扱える召喚魔法の影響であらゆる国から監視と警戒されるだろうが、邪神教団に表立って行動を起こせない魔法騎士団の歯痒さを想えば自身の想いなど小さな問題に過ぎない。

 

「おかげで我々は、表向きは治安維持調査及びモンスターの討伐任務としてメルリアに入る事も出来ましたがね。しかし現場に向かい、出来たことと言えば任務を進め軽犯罪の摘発、アトラス教会が地下遺跡に侵入するルートを提示するだけでしたがな」

 

「貴方達が事を進めている最中に丁度スヴェンとミアが到着したけど……報告書には彼らとアトラス教会の間で協力関係は結ばなかったと有ったのだけど、原因はやっぱり?」

 

 レーナはスヴェンの底抜けに冷たい眼差しを思い出しながら、苦笑を浮かべるとラオも同じ結論に至ったのか渋い顔で頷く。

 

「スヴェン殿の眼を見たノルエ司祭は、恐らく戦場の中でしか生を実感できない彼の本質を危惧したのでしょうな」

 

 確かにレーナから見てもスヴェンはそんな眼をしていた。

 少なくとも数回言葉を交わしただけだが、彼と会話してみれば眼から感じる印象など些細に思えた。

 とは言えスヴェンの全てを理解し、知ってる訳では無い。彼に対して他者が抱く印象も決して否定できないのだ。

 

「ノルエ司祭にも困ったものね。なまじ観察眼がずば抜けてるから本質を見落としてしまう……けれど今回は別行動が功を成したとも言えるのかしら?」

 

 ミアから速達で届いた報告書には、邪神教団の注意がアトラス教会に向いてる最中、スヴェンが地下遺跡に潜伏していた邪神教団の信徒を蹴散らし、異界人の鳴神タズナを捕縛したと記されていた。

 その件を含め話題にするとラオも豪快な笑みを浮かべ、

 

「ええ! スヴェン殿は地下遺跡内部に潜伏していた邪神教団の信徒を叩き……異界人の捕縛は愚か洗脳された子供達を気絶させ無力化! 誠に天晴れな活躍振り!」

 

 珍しく大手を広げて喜ぶラオにレーナは小さくくすりと笑う。

 スヴェンを頼って正解だったと改めて思える程に。

 しかし、レーナはラオの耳がぴくりと動いたのを見逃さなかった。

 彼は何かを隠す時、無意識に耳が動く。幼い頃から付き従う副団長ラオの癖にレーナはじと眼を向ける。

 このまま訊ねてもラオは決して話さないだろう。彼は秘密を話すほど軽い口をお持ち合わせてはいないからだ。

 しかし、魔法大国エルリアではファミリーネームを隠す風習が有るーーファミリーネームを教えるのは忠誠を誓う相手か、信頼を寄せる人物に限られる。

 フルネームを利用した呪いを避け、家族を危機から護る為の制約魔法の一つだがーーラオが隠し事を話すにはフルネームで『命令』すれば良い。しかし彼がいま話さないのは恐らく自身を気遣ってのことだろう。

 

「貴方が何を隠してるのか、今は聴かないでおくわ」

 

 ラオの隠し事、そしてミアの直筆に滲み出た迷い。

 それは恐らくスヴェンに関する事なのだろう。

 告げるべきか告げないべきか。本音を言えば異界人をはじめスヴェンの状態は正確に告げて欲しいが。

 

「……出ていましたかな?」

  

 何食わぬ顔で頬を掻く彼に、レーナは笑みを浮かべる。

 

「えぇ」

 

「癖とは中々抜けないものですな」

 

 それ以前に根が正直なラオには隠し事は向かない。

 レーナはそんな事を内心で思いつつも、ラオの報告に耳を傾ける。

 

「……事後処理に関してですが先に腰骨を粉砕骨折した鳴神タズナ及び捕縛された邪神教団の信徒を回収。事後をレイとノルエ司祭に託した」

 

 

 報告書通りの内容にレーナは頷き、やがて以前から気になっていた人物に関する話題に移す。

 

「ところでメルリアに来ていたらしい、彼女とは会えたのかしら?」

 

 話題の切り替えにラオは深妙な表情を浮かべ、次第に頭を掻きはじめ、

 

「そ、その……接触は出来たのですが、保護には失敗しまして」

 

 言い辛そうに言葉を濁した。

 元々素直に保護を受け容れるとは思ってもなかった。

 彼女は封神戦争当時に邪神から呪いを受けた一族ーーそして生きた封印の鍵の一つでもあり、呪いに生かされ続ける身体を持つ女性だ。

 

「それで、彼女はどうしたの?」

 

「呪いがエルリア王家に災いを齎す事を避けるため、まだ旅を続けると」

 

 ラオの言葉にレーナは眼を瞑った。

 彼女の呪いは非常に厄介だと歴史書にも記されるほどだ。

 一定期間その場に留まれば、破壊と腐敗の呪いが周辺一帯にばら撒かれ厄災を齎しーー腐敗した大地による自浄作用により強力なモンスターが発生する。

 それでも歴代のエルリア王家は一度彼女に危機を救われたことが有る。だからいつか先祖が受けた恩義を返したいのだが、彼女が旅を続けるのなら意志を尊重する他にないのも事実。

 

「出来れば王家として邪神復活の懸念も有る彼女を保護したいのだけど……そもそも烏滸がましい提案だったわね」

 

「……あの人とは幼き頃から何度も会ったことが有りますが、自分の事は自分で解決しないと気が済まない頑固者でしたからな」

 

 当時を懐かしむラオの様子に、レーナの頬が綻ぶ。

 

「そう、頑固者なら仕方ないわね。……ところで接触できたのなら、いま彼女が名乗ってる名は聞けたわよね?」

 

「えぇ、今はノーマッド(放浪者)と」

 

 ノーマッド。レーナは自身にその名を刻み込むように何度も反復した。

 自分が生きてる限り先祖がノーマッドから受けた恩を忘れない為にも。

 そしてレーナは次に訊ねるべき報告に頭を痛め、表情を歪ませた。

 様子を見守っていたラオも心中を察したのか、

 

「ご心労痛みいりますな。しかし鳴神タズナに対する処遇は厳選な判断で決めなければなりませんぞ……殺されたフリオ達の為にも」

 

 厳格な態度で告げた。

 罪を犯した異界人に対して甘い処遇は決して赦されない。

 召喚政策を始めた頃から覚悟していたことだ。

 

 ーー召喚した私も罪の一旦を担ったとも言えるわ。

 

 異界人を召喚しなければ国民が異界人に殺されることも、邪神教団に寝返ることも無かった。

 これまでレーナは、依頼を途中で諦めた者や邪神教団に惑わされ罪を犯してしまった者に対し、この世界に関する記憶消去を施したうえで帰してきた。

 しかし、今回のように旅に同行したフリオの殺害をはじめ……数々の罪を犯した異界人を赦せる筈もない。

 ゆえにレーナは厳格な表情でラオに告げる。

 

「厳選に彼の犯した罪を執政官と審議したうえで決めるわ」

 

 口ではそう語るがもはや形と形式ばかりの裁判だ。

 

「例の如く、再認、摩耗、消滅の三刑に処されるでしょうけど」

 

 己の犯した罪を自身の第三者の視点として再認識させ、犯した罪の重さだけ魂を摩耗させ、肉体と魂を永久に消滅させる魔法を使用した処刑方法。

 これは、エルリア国内で国民を六人も殺害した重罪者に適応される処刑方法だ。

 やがてレーナは一息吐き、

 

「……スヴェンが次に向かう到着する場所は、農村ルーメンだったわね」

 

 彼の次の行き先を呟く。

 貿易都市フェルシオンに向かうには、ファザール運河を越える必要が有る。

 その為にはルーメンを経由し、ファザール橋を越える方が速い。

 同時にレーナは次に公務で訪れる場所を思い出す。

 

「……ラオ、次の公務地での護衛は私が用意するわ」

 

「ほう、もしやスヴェン殿ですかな?」

 

「えぇ。傭兵の彼に魔王救出とは別件にね」

 

 今回の公務は素性を隠して内密に行わなければならない。

 その点を考えればあらゆる面倒がスヴェンにも降り掛かるが、王家の者としてあの地に漂う暗雲を見逃す訳にもいかない。

 レーナは波乱を予測しては現在進行形で進めている例の計画を急がせるべきだと判断し、

 

「報告は以上かしら?」

 

 そう訊ねるが、ラオの報告はまだ終わる事は無かった。

 街道整備、出現したタイラントが如何にして放たれたのか、またその実行犯に付いて報告をレーナは受けることに。



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第四章 赤子と農村ルーメン
4-1.残骸の生存者


 スヴェン達を乗せたハリラドンの荷獣車は軽快な足取りで街道を順調に進み、メルリアの守護結界領域を抜けた。

 やがてモンスターの生息地域に入ると、濃密な血の臭いが漂う。

 荷獣車の窓から外を覗き込めば、無残にも破壊された荷獣車とハリラドンとも人とも判別が付かない程に食い散らかされた肉片にスヴェンは眉を歪める。

 あの様子では生存者も絶望的だろう。そう思い、眼を逸らすとーー赤子の泣き声がはっきりとスヴェンの耳に届く。

 

「スヴェンさん! 赤ちゃんの泣き声が!」

 

 思わぬ生存者の存在にミアが叫ぶ。

 言われずとも聴こえているが、彼女が焦りるのも無理は無いだろう。

 赤子の泣き声が腹を空かせたモンスターを次々呼び寄せる。

 更に間の悪いことに此処はメルリアの守護結界領域に比較的近い場所であり、ルーメンに続く一本道の街道だ。

 こんな場所にモンスターが集えばどうなるのか。想像も難くない。

 

「荷獣車を停めろ。ガキの回収は俺がやる……万が一モンスターが接近した時はハリラドンを走らせろ」

 

「それは良いけど、スヴェンさんはどうやって戻るつもり?」

 

 スヴェンはミアの疑問に答えるよりも早く、走る荷馬車から飛び降りる。

 そして疾走する平原を転がり、赤子の泣き声がする荷獣車の残骸付近に駆け出す。

 周囲にモンスターの気配が無いか、細心の注意を払いつつガンバスターを片手に荷獣車の残骸に近付く。

 

「おぎぁ! おぎぁ! おぎぁぁ!」

 

 残骸に到着すれば赤子の泣き声がスヴェンの耳を打つ。

 泣き声を頼りに残骸を掻き分けると、残骸に下敷きにされた女性の片腕と大事そうに抱え込まれ、血に汚れた宝箱が見つかる。

 力任せに残骸を退かせばーー女性と赤子の姿は無く、その場に片腕と宝箱だけが残されていた。

 恐らく赤子の母親は、助からないと判断して我が子を宝箱に入れ、身を挺して護ったのだろう。

 

 ーー赤子を戦場に置き去りにした連中とは大違いだな。

 

 過ぎ去った過去と話しにだけ聴かされていた思い出にスヴェンは舌打ちする。

 

「……チッ」

 

 遠方に見える獰猛なモンスターの姿が見えた。

 幸いこちらにはまだ気が付いて無いが、感傷に浸ってる場合では無い。

 一刻も早く赤子を連れて荷獣車に戻らなければ。

 スヴェンが宝箱を開けると、中身は赤茶色の髪が薄らと生えた赤子と箱一杯に引き詰められた金貨だった。

 

 ーー大量の金貨か。こいつならガキを一人育て上げるには充分過ぎるだろ。

 

 スヴェンは引き取り先の件を考え、宝箱ごと赤子を抱えた。

 すると赤子は涙に濡れた小さな水色の瞳でこちらをじっと見詰め、

 

「あぅ〜、あーあ!」

 

 赤子が笑いながら小さな、まだ手首も出来上がっていない小さな手でスヴェンの服を掴む。

 

「安心したって言いてえのか? ……赤子の考えることは理解できねえ」

 

 モンスターが近寄って来ない事を確認したスヴェンは、しっかりと宝箱ごと赤子を抱えたままミアが待つ荷獣車に戻った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ハリラドンの手綱を引くミアを他所に、天井裏の部屋から出て来たアシュナが赤子に興味深そうな眼差しを向け、

 

「お姉ちゃんだよ?」

 

「むー」

 

 指を近付けると赤子はアシュナの指を払い除けるように、小さな手を振る。

 

「お気に召さないようだな」

 

「スヴェンには懐いてる」

 

 面倒な事にこの赤子はスヴェンから離れようとしない。

 無理に引き剥がそうとすれば、『大泣きするぞ? いいのか!?』と言わんばかりに泪ぐむのだ。

 グローブ越しに触れてるとはいえ、血に汚れ過ぎた手で赤子を触れ続ける訳にもいかず。

 

「いい迷惑だ。……このガキはルーメンで預けるが、問題はねえな?」

 

 危険を伴う旅に最初から赤子を連れ回す気はない。

 そもそもこの荷獣車には赤子が食べられる食料はミルク程度しかなく、加えて赤子に必要な日用品、特に替えのオムツなど有りはしない。

 

「孤児院に預けるのもいいと思う」

 

「うーん、でもルーメンが引き取ってくれるとは限らないよ? それにあの村には修道院や孤児院なんて施設は無かったと思う」

 

 アトラス教会が運営する孤児院に預けられれば、それに越したことは無いがーー施設が無ければ引き取り先を捜す他にない。

 戦闘よりも非常に面倒な状況にスヴェンは困り顔を浮かべる。

 元々子供は苦手だった。特に幼少の頃から武器を手に戦場を駆け抜ける少年少女の兵士は。

 

「都合よく引き取り手が見付かればいいが……この金なら文句は言えねえだろう」

 

「いっそのことスヴェンさんがパパになったら? 贅沢も出来るお金も手に入って一石二鳥だよ」

 

 真剣な声色で語るミアに、スヴェンは肩を竦める。

 

「傭兵に育てられたガキはろくな奴に成長しねえ」

 

 自分がそうだった。

 デウス・ウェポンの赤子は、生後2ヶ月で立ち上がり言葉を話せるようになる。

 二年もすれば軽量な武器を扱えるまでに成長するのだ。

 そして五歳を迎える頃には既に幾つもの戦場を経験する。

 拾った傭兵団の団長が自身に殺しの術を叩き込み、戦場を連れ回したーーその点と育てられた恩義は有るが、成長したのは人殺し以外に生き方を知らないモンスターだ。

 この赤子が同じ末路を辿るとも限らないが、あの世界では良くある事例の一つ。

 

「それってスヴェンさんの経験談?」

 

「ああ、真っ当に成長できる奴はごく僅かだな。こんなガキを外道にしてえか?」

 

 スヴェンの問いにミアとアシュナは首を横に振る。

 

「決まりだな。ルーメンでコイツの引き取り手捜し、そいつが無理なら……姫さんに相談するしかねえか」

 

「その方が確実だよね、その子の引き取り手が居なかったら私が姫様に一報入れるよ」

 

 ルーメンは通り抜けるだけの予定だったが、このまま赤子を連れ回すよりはずっと良いだろう。

 スヴェンは窓の外に視線を向けると、

 

「この子、名前は?」

 

 アシュナの疑問にスヴェンは愚かミアも息を呑む。

 名も知らない赤子。それどころか性別も知らない。

 そう思ったスヴェンは赤子のおくるみを調べるーーしかし、おくるみには赤子の名を示す刺繍らしきものも見当たらず。ならばと宝箱の中身を漁れば、親元を示す手掛かりらしい物は何一つ出て来ず、何処の誰の子かも分からない状態だった。

 

 

「責めてファミリーネームが判れば親族に引き渡せることも出来るんだが……あ?」

 

「如何したの?」

 

「いや、こっちの世界はファミリーネームは無えと思ってな」

 

「えっ? ファミリーネームならちゃんと有るよ。私もアシュナにも……だけど他人に教える訳にはいかない大事な名なんだ」

 

 デウス・ウェポンでもそんな風習を持つ都市国家が存在していた。だからスヴェンは今更な情報にたいして驚きもせず、隠し名程度の認識を持つ。

 

「スヴェンさんはちゃんと覚えておいてよ? ファミリーネームを教えるのは忠誠を誓った相手か、将来を誓い合った仲ぐらいだって」

 

「ああ、覚えておこう。そいつで面倒なトラブルは招きたくねえからな。だが、なぜそんな面倒な風習が有る?」

 

 フルネームを名乗るのは普通に有ることだ。そう認識していたスヴェンからすれば、ミア達の風習は不思議なものだった。

 

「えっとね、相手を効率的に最大の効果で呪う時にフルネームを知られてると、血が受け継ぐ記憶の影響で末代まで呪いに侵されるからなんだ。だからエルリアでは呪いから家族を護る為にフルネームを隠すの……他にも伝統的な理由も有るんだけど聴きたい?」

 

 血が受け継いだ記憶の影響。フルネームを媒介に遺伝子そのものに呪いを与える仕組みなのだろうか?

 

「伝統的な理由……そっちにはあんま興味はねえな。だが、呪いを半減させるためか。そいつは魔法の研究が発展してるエルリアだからこそって訳か」

 

「そっ。他の国じゃ当たり前にフルネームを名乗ってるから呪いを使用した事件が多発するんだ」

 

 ミアの説明に理解したスヴェンは、自分は呪いに付いて心配する必要は薄いと判断した。

 元々スヴェンにはファミリーネームが無い。そのため呪いの影響も半減するからだ。

 そして気が付けば赤子は寝ており、

 

「……まさか俺はこのままなのか?」

 

 切実に問うと誰も答える者は居なかった。

 その日、スヴェンが赤子から解放されたのはーー野営の時だった。



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4-2.不穏な野宿

 星灯りが灯す夜。様々な方向からモンスターの遠吠えが鳴り響く静寂と安心安全とは程遠い一夜。

 ルーメンとメルリアの間に聳える森と川の近場でスヴェン達は焚火を囲んでいた。

 焚火が揺らめく炎の脇で、ハリラドンが木製のバケツに山盛りに入った干草を食べる。

 赤茶色の髪の赤子には何度も薄めたミルクを与え、腹が満たされたのか今ではミアの側で眠っていた。

 そして自身の膝下に視線を向ければ、木製の皿に盛られた焦げた干し肉と色の悪いスープに息が漏れる。

 

「ご、ごめん。少し失敗しちゃった」

 

 そう言って詫びれた様子で謝るミアを他所に、スヴェンは何も言わず焦げた干し肉を口に運ぶ。

 どんな食事もデウス・ウェポンの食事擬きよりは遥かにマシに思えたからだ。

 現に苦味は強いが、食えない訳でも腹を壊す心配もない程度だった。

 

「平気なの?」

 

 アシュナの疑う眼差しにスヴェンは、咀嚼した干し肉を呑み込む。

 焦げ味がするが肉の食感と肉汁に混ざる塩分に不味いとは思えない。

 あの科学の叡智を結晶させて製造したと謳う食事擬きと天然自然の新鮮な食事を加工した食材では天地の差……いや、比較するのも烏滸がましい。

 

「クソ不味いデウス・ウェポンの食事擬きと比べればなぁ」

 

 訳が分からないと言わんばかりに首を傾げるアシュナに、ミアは何とも言えない表情で自身の作った料理に視線を落とす。

 

「可笑しいなぁ。干し肉は火で炙るだけ、スープも用意されてた食材で作ったのに」

 

 そんな彼女の疑問にスヴェンは考え込む。

 ミアの調理工程に何か問題が有った。

 しかしスヴェンは料理をしないから調理工程で何が正しく間違いなのかが分からない。

 傭兵として必要最低限のサバイバル能力は備わっているが、そもそもレーションさえあれば料理をする必要が無かった。

 食材に恵まれた豊かな世界に生きるミア達は、普段から料理など作るのか? そんな疑問がふとした瞬間に湧く。

 

「アシュナは料理できんのか?」

 

「やったことない」

 

 料理を全くしないと自信満々に語るアシュナから視線を外し、次にミアに視線を移す。

 するとミアは頬を掻きながら答えた。

 

「えっと、小さい頃は実家のお母さんが……ラピス魔法学院の初等部に入学してからは学食で、治療師として城勤めになってからは食堂で食べてたから」

 

 ーー確かに城の飯もまた食いてえ程に美味かったな。

 

 この面子は誰も料理ができない。そもそも料理を造る必要性が無い環境に居ればそれは必然とも思えた。

 ただ、お互いにはじめて知った事実に焚火を挟んで赤子の寝息だけが響く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 沈黙が続く食事を終え、アシュナが赤子を連れて荷獣車の天井裏に引っ込んだ頃だった。

 何を思ったのか、ミアが隣に座り込んだのは。

 

「なんか用でもあんのか?」

 

 そう訊ねれば静かに頷くばかりで、どうにもミアの表情が優れない。

 

「用があんならとっとと済ませて寝ろ。明日も速いだろ」

 

 するとミアはこちらに顔を向け、しばしこちらの眼を見詰めてから漸く口を開く。

 

「上着脱いで」

 

 突飛もない言葉に一瞬だけ彼女を睨むーーそういや、コイツは治療師だったな。

 重傷を負ったスヴェンを治療したのは他ならないミアだ。なら彼女が突飛もなく上着を脱げと言った理由にも納得がいく。

 スヴェンは無言のまま背中のガンバスターを鞘ごと地面に降ろし、防弾シャツを脱いだ。

 

「あ、相変わらず……す、すごい身体」

 

 気恥ずかしさと羞恥心から頬を赤く染めたミアの様子にため息が漏れる。

 単なる検査に過ぎないうえに、治療師ならこういった機会が増えるだろうに。

 それはそうとじっと上半身を興味深そうに見詰めるミアにスヴェンの方から訊ねる。

 

「身体に違和感がねえが、何を調べるつもりだ?」

 

 言われて漸く気が付いたのか、ミアは慌てて取り繕ったような笑みを浮かべた。

 ミアも歳頃の少女だ。異性の身体に興味を示す頃合いのだろうーースヴェンは勝手に納得してミアから視線を晒す。

 するとミアは上半身の至る所、特に深傷を負った箇所を重点的に触れはじめた。

 

「……さっき何処も違和感は無いって言ってたけど、痛みとか吐気は無い? 眩暈や視界の色素が抜けて見たりとか」

 

「いや、特にそんな症状もねえな。……強いて言うなら食い足りないってところか」

 

「それはスヴェンさんがまだ回復しきってない証拠だよ。あと単純にご飯が美味しくないから」

 

 そう言ってミアは杖を構え、

 

「……この哀れな狼に癒しの水よ」

 

 以前聴いた詠唱とはまた違った詠唱を唱えた。

 そして杖の先端に構成される魔法陣が淡い水色の光りを放つ。

 なんとも言えない心地良さと安らぎを感じさせる光りの温もりに息が漏れる。

 同時に完治とまではいかないが、殆どの傷は癒えた状態だ。にも関わらず唱えられた魔法に疑問が湧く。

 

「今の治療魔法に何の意味があんだ?」

 

「今の魔法は念の為にだよ。戦闘中に塞いだ傷がまた開くのは嫌でしょ?」

 

「確かに戦場で何度か傷口が開くことは有ったな。……その度に生きた心地がしねえ」

 

 出血に視界が霞み、頬を掠める銃弾や刃。戦場には常に万全の状態で臨みたいが、そうも言えない状況が時として起こる。

 拠点に対する夜襲や襲撃、行き付けの病院で細胞治療中に施設ごと爆撃されることもデウス・ウェポンではよく有ることだ。

 

「それと……その、やっぱり私があの信徒を怒らせたからだよね?」

 

 彼女は重傷を負った原因は自分に有る。そう語る罪悪感を宿した眼差しに、スヴェンは無言でミアの額にデコピンを放つ。

 ゴチンっ! いい音が星明かりの下に響き渡る。

 

「いったぁぁ!? なにするの!?」

 

「重傷をテメェの責任だと勘違いしたバカにはコイツが充分だろ」

 

「か、勘違い?」

 

 痛む額を摩りながら訊ねるミアにスヴェンは頷いた。

 あの信徒の自爆はミアが怒りをぶつけなくとも、敵がこちらを巻き込む覚悟で放ったーー文字通り邪神に対する信仰心によって。

 恐らくあの信徒はガンバスターを突き付けた時点で自爆を決意していた。

 これは単なる推測と結果論に過ぎないが、そうでも考えなければあの状況下での魔力の巡りに説明が付かない。

 

「奴はあの時から既に俺達を道連れにする算段だった……ま、予想外なのは殺した筈が発動を止められねえことだがな」

 

「……禁術の中には自爆も有るって知識としては知ってたけど、具体的な方法とか詠唱も知らなかった。禁術にたいしてもう少し知識が在れば少なくともあの結果にはならなかったと思う」

 

 ミアは自らの知識不足に眼を伏せた。彼女なりに至らない点を反省し、次に繋げようとしているの事が表情からも見て取れる。

 確かに自身も禁術に対する知識が不足していた。だから手痛い反撃を受けたと。

 

 ーーコイツはミアだけの問題じゃねえ、俺にも必要な知識だ。

 

「何処かで禁術を識る必要があんな。そん時はアンタが学院で学んだ知識を頼らせてもらうが、それで文句はねえな」

 

「私の知識……スヴェンさんは責めたりしないんだ」

 

「あん? 怪我は自爆に対する警戒を怠った俺の責任だ、だいたいデウス・ウェポンじゃあ即死だぞ……それとも次はデコピンよりもグーの方がいいか?」

 

 拳を握って見せれば、ミアが顔を全力で横に振る。

 そもそもミアは自爆に対して負い目に感じてるが、あの場所に彼女が居なければ死んでいたのはスヴェンだ。

 だからミアを取り分け責める気もさらさら無ければ、元々気にもしてない。

 それはそうと六月に入ったばかりとは言え、いつまでも上半身を晒すのは忍びない。

 

「もう診察は終わりか?」

 

「あっ、うん。もう着ていいよ」 

 

 スヴェンは手早く防弾シャツを着て、ガンバスターを鞘ごと背中に背負うーータイミングが良いのか悪いか、複数の唸り声と足音にスヴェンはため息混じりにガンバスターを引き抜く。

 薄暗い地点から聴こえる足音、姿も見えないモンスターを相手にするのは自殺行為だ。

 スヴェンは手早く焚火の火を足音がする方向に放り込む。

 すると火の灯りがなんとも不思議なモンスターの群れを捉える。

 頭部は三つに別れた狼だが胴体は獅子に近く、尾は生きた蛇といったチグハグに思えるようなモンスターだった。それが涎を滴らしながら六頭も居る。

 おまけに唾液は強い酸性を含んでいるのか、滴れた草花が一瞬で溶け、異臭が鼻に付く。

 少なくともスヴェンが識るモンスターとは到底かけ離れてる風貌だ。

 

「奴に対して知識は有るのか?」

 

「えっ? なにあのモンスター……あんなモンスター見た事も聴いたことも無いよ」

 

 ミアでさえ知らない未知のモンスターにスヴェンの眉が歪む。

 いずれにせよ視界の悪い夜間でモンスターと戦闘するのは自殺行為だ。

 

「ハリラドンは夜道も平気か?」

 

「うん、あの子達の視界は昼夜も関係ないよ」

 

 そうと決まれば結論が出るのは直ぐだ。

 

「俺が時間を稼ぐ。その間にアンタはハリラドンを走らせろ」

 

「……分かった。でも気を付けてよ?」

 

 スヴェンは頷き、ゆっくりと未知のモンスターーアンノウンに近付く。

 六頭のアンノウンはスヴェンを取り囲むべく、周囲を緩やかな足取りで包囲するように動いた。

 囲まれては厄介だ。そう判断したスヴェンは、囲まれないように距離を保ちつつガンバスターを構える。

 中々距離が縮まらないことに痺れを切らしたのか、一頭のアンノウンが魔法陣を形成した。

 それを合図に他のアンノウンも続く形で魔法陣を形成する。

 今のスヴェンにはアンノウンの魔法を止める手段が無い。

 加えて.600LR弾の残弾が四発、しかも今のスヴェンでは銃弾の魔法陣を発動させることもできず、モンスターの障壁を貫くことは叶わない。

 

 ーーなら、魔法を誘発させ魔力を減らすか。

 

 目的は単なる時間稼ぎだが、魔法騎士団に報告するだけの情報も欲しい。

 スヴェンは膨張する魔法陣に身を屈めるーーやがて一つ一つの魔法陣から放たれる影に眼が行く。

 その影はゆっくりと暗闇が広がる地面に落ちると、影が暗闇に溶け込む。

 スヴェンは焚火の側まで飛び退くことで奇襲を警戒する。

 案の定とも言うべきか。先程までスヴェンが立っていた位置に無数の影が剣山のように突き出るではないか。

 

 ーーあのタイラントといい、地面に何か生やすのはモンスターの間で流行ってんのか?

 

 いずれにせよ灯りから離れるのは得策では無い。

 むしろ影の存在がスヴェンの行動範囲を狭めた。

 先程のように焚火の火を放り投げれば、幾らか視界と移動範囲を確保できるがーースヴェンは密かに荷獣車の方に視線を向ける。

 既に準備が整ったのか、ハリラドンがミアの手綱によって動き出す。

 

 ーーもう少し情報が欲しいが、時間切れか。

 

 スヴェンはこちらに向かう荷獣車の屋根に飛び移り、

 

「このまま逃げろ!」

 

 闇に紛れ駆けるアンノウンに警戒を向ける。

 しかしアンノウンの脚はそう速くは無いのか、ハリラドンが引く荷獣車はあっという間に距離を引き離して行く。

 

 ーーあのガキの家族を襲ったモンスターは連中じゃねえな。

 

 スヴェンは他にも厄介なモンスターの存在を認識しつつ、荷獣車の中に戻る。

 すると眠そうなアシュナと今にも『抱っこしないと泣くぞ!』と言わんばかりに涙ぐむ赤子に息が漏れた。

 仕方なく赤子を抱っこしてやり、目を擦るアシュナに視線を向ける。

 

「アンタは休んでおけ」

 

「モンスターに遭遇した後、まだ頑張る」

 

 確かにアシュナが起きていればモンスターの相手が多少なりとも楽になるだろう。

 

「……またモンスターが来た時は頼らせて貰う」

 

 アシュナは腰に挿した二振りの短剣に指を滑らせ頷く。

 同時にスヴェンは手綱を引くミアに視線を向けると、

 

「私は大丈夫だよ。これでも三徹は余裕だからね!」

 

 こちらの意図を察したのか、顔だけ振り向き平気だと言わんばかりに微笑んで見せた。

 突然のモンスター襲撃にも動じない少女達にスヴェンは頼もしさを覚えながら腕の中で眠る赤子に視線を向け、

 

「コイツは将来大物になるな」

 

 感心を宿したため息が暗闇の中に響き渡る。



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4-3.農村ルーメン

 アンノウンの追撃を振り切り、漸く休めたのは農村ルーメンの守護結界領域に到着した頃だった。

 整備された街道の両脇に広大に広がる農地にスヴェンは首を傾げる。

 アーカイブで閲覧した農地とは違い、白い灰を被った農地に疑問が湧く。

 

「一面真っ白だな、それに何も育ててねえのか?」

 

 何も植えられていない寂しい畑にミアは深妙な顔付きで答えた。

 

「もう2年になるかな。ルーメンの農地が異界人の作った肥料で塩害になっちゃったのは」

 

 大量の塩分によって起こる被害だとは知識では知っているが、肥料にどれだけの塩を混ぜれば広範囲で塩害を引き起こせるのか。

 

「肥料に大量の塩を? ってか、大事な農地を異界人に弄らせるわけもねえか」

 

「うん。元々エルリアの農地は畑の地中に分離と増殖の魔法で肥料を効率的に拡散させて何千年も成長させてきたんだ」

 

 魔法と肥料を使った農地がたった一度の不純物が混入しただけで壊滅的な被害を受けた。

 元々塩害の被害は海風や地中の塩分が溶け、地上に噴き出したことで起こる自然現象だが、なぜ異界人は海とは遠い内陸部のエルリアで塩を混ぜた肥料を使おうと考えたのか。

 そもそも異界人にとっては単に少量程度の塩分だったが、分離と増殖の魔法が致命的に相性が最悪だったと推測もできる。

 不幸な偶然とも考えられるが理由など判らない。ましてや異界人が善意にせよ、実害を出されたルーメンの農民が恨みを抱かない筈が無い。

 

「塩害は分離の魔法でどうにかな成らねえのか?」

 

「えっと、増殖の魔法陣を一度停止させて塩分を分解させてるらしいんだけど、それでも時間が掛かるんだって。それに別の土地から土を持って来ても土地の性質と相性で適した土を造るにも何年もかかるから難しいかな」

 

 塩害で駄目になった畑の再生には時間を要する。

 農地の生産性低下がどれだけエルリアに実害を齎すのかは判らないが。

 

「異界人を止める奴は誰も居なかったのか」

 

「当時同行していたラフェットさんが、異界人に魔法と土地の性質を説明して止めたらしいんだけど……何者かに唆されたって報告が有ったの」

 

 異界人を唆した第三者の存在。そんな事をして得するのは普通なら敵対国だが、エルリアの周辺国は友好同盟を結んだ国家ばかり。

 そもそも魔法技術を各国に提供するエルリアを敵に回す真似などしないだろう。

 時期を考えれば必然的に第三者は邪神教団に限られる。

 尤もスヴェンが把握している状況から推察した結果に過ぎない。

 実際には他の農村による嫉妬や嫉みの可能性もある。

 

「第三者か。ルーメンの農民か邪神教団の工作か……何方にしろ農民にとっちゃあ迷惑な話しだな」

 

「そうだね。幸い畜産業も盛んだから収入と飢える心配も無いし、姫様から補填されてるから生活の心配も無いよ。だけど、やっぱり若者離れが深刻化しつつ有るみたい」

 

「……まぁ、どの道俺は荷獣車で寝泊まりが確定ってことだな」

 

 そもそもこれだけの被害を被った状況で村に入れて貰えるのかさえ怪しい。

 

「治療師としてスヴェンさんにはベッドで眠って欲しい所だけど?」

 

「屋根さえありゃあ何処でも十分休める。少なくとも爆撃に怯えながら過ごすよりはマシだ」

 

「……一応私の方でも交渉とまではいかないけど、スヴェンさんが無害だってことは伝えておくよ。赤ちゃんのことだって有るし」

 

 果たして塩害被害に遭ったルーメンで赤子の引き取り先か現れるのだろうか?

 スヴェンは疑問を浮かべながら、ミアが手綱引く荷獣車の中で今後の事に付いてしばし思考に耽った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 柵に囲まれた村の中から動物の鳴き声が響き渡り、荷獣車がルーメンの門に到着すると。

 

「お嬢ちゃん。ルーメンには通行、それとも旅行かい?」

 

「旅行ですよ。ルーメンには通行の為に1日、2日の滞在を予定してます」

 

「そうか、なら荷獣車の中身を見させてもいいかな?」

 

「ルーメンはいつから出入りが厳しくなったんですか」

 

「先日メルリアで子供達が誘拐されるなんて事件が起きたろ。それで村長も慎重になってさ」

 

「そうなんですか。でもメルリアの件はあまり知れ渡って無い印象でしたが……」

 

「あぁ、その事なら昨日の夕暮れ頃にアルセム商会の隊商が訪れてな。ほら、もう時期フェルシオンで闘技大会が行われるだろ?」

 

「そういえばもう6月ですもんね。うーん、順当に行けば闘技大会に間に合えば良いんですけど」

 

 スヴェンはミアと門番の会話、特にアルセム商会と聴いた途端に背筋に悪寒を感じ取っては嫌そうに眉を歪める。

 

 ーーアルセム商会……いや、まさかな。

 

 出来れば会いたくも無い人物の顔を浮かべないように努め、荷獣車に近付く門番の足音に息を吐く。

 果たして村に入れるのかどうか。問題はそこからだろう。

 スヴェンは搬入口が開かれ、太陽の光に顔を顰めた。

 

「荷獣車の中に男と荷物……側の物騒な武器と風貌からして異界人か。悪いが村長命令により異界人を村に入れることはできない」

 

 異界人に対する憎しみを宿した眼差しを向ける中年の門番に、スヴェンは背中にガンバスターを背負い大人しく荷獣車から降りる。

 しっかりと赤子を抱きながら。

 

「……ちょっと待ちなさい」

 

「あん? 俺は大人しく従っただけだが?」

 

「いや、それについては問題は無いさ。だけど……なぜ赤子を連れている? まさかあちらのお嬢ちゃんとの子か」

 

 勘繰る門番にスヴェンは嫌そうな眼差しを向けた。

 

「それこそまさかだろ……このガキはメルリアの守護結界領域の近場で拾ったんだよ」

 

 モンスターの生息地域に位置する街道で赤子を拾った。

 そう伝えるだけで門番は、赤子を襲った悲劇を容易に察したのか憐憫な眼差しを向ける。

 

「可哀想に。旅行者や行商人がモンスターに襲われることは常だけど、こんな赤子を残さなきゃならない親御さんも無念だったろうに」

 

 門番は祈るように手を合わせた。

 この世界なりの死者に対する祈りにスヴェンはミアの下に歩き出す。

 

「赤子の引き取り先はアンタに任せる」

 

 抱いた赤子をミアに手渡すと、彼女は不満気な眼差しを門番に向けた。

 

「……村の事情は把握してるけど、スヴェンさんが泊まれそうな場所は無いの?」

 

 訊ねられた門番は困り顔を浮かべ、明後日の方向に顔を背ける。

 

「村長命令は絶対だ。だけど、此処から少し歩いた場所に牧場跡地が在る」

 

 意外と融通を利かせる門番にスヴェンは、彼が顔を向けている南西の方角に顔を向けた。

 確かに村から多少歩いた距離に牧場らしき建物が見える。

 比較的近い場所、村からも監視しやすい位置だ。

 

 ーー性に合わねえが、勝手に動き回んのは得策じゃねえな。

 

 勝手に動けば村に滞在するミアとアシュナに悪影響を及ぼす。単なる同行者の二人を異界人が直面する問題に巻き込むのも性に合わない。

 スヴェンは改めて門番に向き直り、

 

「寝れる場所があんなら何処でもいいさ」

 

 気楽に答えて見せた。

 そんな様子に門番が意外半分と、何故こうなったのか訳を話す。

 

「……異界人の割に逞しいんだな。でも悪く思わなでくれ、俺も村人も姫様を尊敬してるし敬愛してもいる。ただ、それ以上に王家からこの土地を任された先祖が代々護ってきた土地を害された俺達の憤りを、理解しろとは言わないが……なんとなく判るだろ?」

 

 何千年も護ってきた土地をこの世界の人間ですらない人物に害される。

 確かにそれは護り通してきたルーメンの村人からしても憤り、異界人を恨んでも仕方ないと納得もすれば理解も及ぶ。

 

「……元凶の異界人はどうなった?」

 

 誰かに利用された異界人に付いて訊ねると、門番は眉を歪た。

 

「奴の行動は農地を更に豊かにしようとした善意だった。むろん、彼に悪気が有った訳でも殺人を犯した訳でも無い。だから姫様は異界人を元の世界に返還したのさ」

 

 彼が握った拳から滲み出る血が、異界人に対して恨みをぶつけたいと語っていた。

 しかし、もう事件を起こした異界人はテルカ・アトラスには居ない。

 門番もルーメンの村人も怒りを発散出来ず、忘れようとも農地に刻まれた塩害が忌々しい記憶として刻む。

 異界人の起こす事件はスヴェンの想像以上に根が深い。

 さっそくスヴェンが魔王救出を成功させたところで、異界人に対する評価は覆らないだろう。

 そもそも赤の他人が引き起こした問題の為に行動する気にもなれない。

 

「そうかい……一つ警告しておくが、俺を害そうなんざ考えるなよ?」

 

 スヴェンの警告に門番は顰め面で渋々といった様子で頷いた。

 そんな彼を背中に牧場らしき建物を目指して一人歩き出す。



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4-4.赤子の親探し

 スヴェンと別れたミアは村の入口付近の荷獣車の繋ぎ場でハリラドンを停め、

 

「アシュナはどうするの?」

 

 アシュナに声をかけると返事が無い。

 しばし待てども返事が返ってこない。寝てるのかと思いつつも天井裏を開く。

 アシュナの部屋として改装された天井裏を覗くと、そこには固定されたベッドが一つぽつんと置かれていた。

 そのベットの上で静かな寝息を立てるアシュナの姿が映り込む。

 

「昨日は遅かったもんね」

 

 疲労を蓄積させたアシュナが疲れて眠っている。そう判断したミアは静かに天井裏の入り口を閉じた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宝箱や着替え用品が入った荷物と赤子を抱えながらルーメンを歩くに連れ、村人の沈んだ表情が目に付くようになる。

 門から宿屋ソランまでたいして距離は無いが、すれ違う村人の表情が目に付く。

 事実を知ってる身としては、彼らの感情は理解もできるし同情もする。

 しかし、そんな暗い表情を浮かべる者に赤子を託していいものか。ミアは迷いながら小脇に逸れ、井戸前に集まる女性達に声をかけた。

 

「すみません、少しお話し良いですか?」

 

 得意の愛想笑いを浮かべ訊ねると、女性は訝しげな表情でこちらと赤子に顔を向ける。

 彼女達の眼差しから感じる同情心と憐れみの感情にミアは首を傾げつつ、

 

「この中に子育てにご興味が有る方は居ませんか?」

 

 直球に訊ねた。それがいけなかったのか、女性の視線は険悪感に一変する。

 

「産んだ赤子を人に譲る? どんな神経をしてるのかしら?」

 

「きっと若いからって男遊びにハマちゃったのよ、それでいざ産まれた子が邪魔に……」

 

「とんだ最低女ね。壁みたいな胸だけど、きっと顔だけが取り柄だったのよ!」

 

 盛大に勘違いされていることに漸く気付いたミアは、一つ咳払いを鳴らす。

 確かに勘違いされるような言動をしたこちらに非が有る。ただ、理由を聞く前に憶測と邪推で蔑まれるのは不愉快ではあるがーー壁って言った人は覚えてろよ?

 ミアは憤りを抑え、改めて彼女達に赤子に起きた悲劇を情に訴えるように語り出した。

 すると女性達の視線は険悪感から赤子に対する同情心に変わり、中には心を痛め胸を抑える者も。

 

 ーーふふ、あとはこの子を引き取る人が居れば!

 

 ミアは畳み掛けるように言葉を続ける。

 

「それで、この子を育ててくれる心優しいお方を探しているのですが、どなたご存知ありませんか?」

 

 敢えて切り札を出さずに伝えると、女性は一様に視線を逸らした。

 

「申し訳ないけど、ウチではその子を育てられないわ。息子と娘がラピス魔法学院に入学したから学費も掛かるし」

 

「経済的な余裕はあるけれど、ルーメンの畑があんなんじゃ……それに今の私達が抱える心の影はその子にいい影響を与えないと思うの」

 

 確かにそう言われれば納得もできる。

 赤子の為を想うなら辛気臭い村よりも明るく活気に溢れた場所の方が良いのではないか?

 ミアはそう思いつつも、次に到着するフェルシオンの距離を考えーーやっぱり赤ちゃんの安全を考えるとここの方が良いのかな。

 赤子の安全を考慮して、話しを切り出す。

 

「旅を続ける私達にこの子を連れ回す方が危ないですよ。……他に誰か引き取ってくれそうなお方に心当たりはありませんか?」

 

 彼女達が無理でも誰か居るかもしれない。そう思い質問すると一様に互いに顔を見合わせて頷いた。

 

「……先日妻とお子さんを同時に無くしたライス先生ならもしかしたら」

 

「あの人もまだ立ち直れていないけど、子供も好きだから多分引き取ってくれるかも」

 

「そのライス先生というのは?」

 

 知らない人物に付いて訊ねると女性達は誇らしげな笑みを浮かべた。

 

「彼はルーメンの村医者よ」

 

「優しくて病人が居れば何処にでもすっ飛んで来るわ」

 

「それに人格者でもあるから、その子にきっと良い影響を与えると思う」

 

 ライスの評判を聴いたミアは少しだけ思考を巡らす。

 妻と子を亡くしたばかりの男性。子供好きで人格者、おまけに医者ともなれば安定とまではいかないが収入も有る。

 それに万が一赤子が病気に罹ろうとも治療できる可能性が高い。

 それらを踏まえ、ミアは宿部屋を確保した後に会おうと決意を固めた。

 

「ありがとうございます。後で会いに行ってみますね!」

 

 井戸前の女性達に別れを告げたミアは、軽い足取りで宿屋ソランに足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ルーメンの村中にぽつんと佇む小さな宿屋ソラン。

 壁は所々蔓が伸び、御世辞も綺麗とは言い難い外観をしてるが、重視すべきは値段と室内だ。

 ミアがいざドアを開け中に入るとーー見慣れた少女が愛想笑いを浮かべていた。

 

「いらっしゃいませ! ようこそソランへ! 今なら追加料金で誠心誠意……っ!?」

 

 桃色の髪、紫色の瞳と目が合うと彼女は固まった様子で狼狽えていた。

 まさか同級生がルーメンで働いてるとは想像もしていなかったミアは、内心で驚くも恍けるように訊ねる。

 

「およ? セシナじゃないですか。卒業以来ですね」

 

「……なんであんたが此処に来るの?」

 

 セシナは心底嫌そうな眼差しを向けて来るが、彼女に嫌われるような事をした覚えは無い。

 逆に在学中、散々小馬鹿にされた被害者はこちらなのだがーー実技で鬱憤を晴らしたのが原因かな?

 それとは別に今のミアは宿泊客として訪れている。セシナがこちらに向ける感情など関係無い。

 こっちは金を払う立場にあり、セシナは金を受け取る側だ。多少強気に出てもバチは当たらないだろう。

 

「私は此処に宿泊に来たんですよ。……それとも私が嫌だからとお客様を蔑ろにするつもりですか?」

 

 事実を率直に伝えるとセシナは、悔しそうに下唇を噛みながら唸った。

 

「ぐぬぬ! 分かってるわよ! ここは食事とお風呂付きでお一人様一泊銅貨12枚よ!」

 

 ミアは料金を差出すと、セシナの視線が赤子に注がれていることに気付く。

 

「この子を育ててみますか?」

 

「かわいいとは思うけど、私じゃあ責任が待てないわよ……というか、あんたの子じゃないわよね?」

 

「この子は拾った子ですよ。……まあ、私も育てられないのでこうして引取り先を探してるわけなんですけどね」

 

「なるほど、大体の事情は察したわ。けど、なんでエルリア城に勤めているあんたがルーメンに来てるのよ」

 

 確かに治療部隊としてルーメンを訪れることは不思議では無いが、個人としてルーメンを訪れる理由がセシナには思い付かないようだ。

 

「私は観光旅行ですよ……異界人とですが」

 

 表向きの理由を隠して伝えれば、セシナは呆れた様子でため息を吐く。

 

「なんで異界人の旅行に同行を申し出たのよ。……あんたは治療部隊にかなり重宝されてるでしょうに」

 

 セシナの疑問にミアははぐらかすように笑っては、

 

「これでもお給料は出るので」

 

 一部の事実を伝えた。

 するとセシナはまるで雷が落ちたような表情を浮かべ、

 

「う、嘘でしょ? ただでさえ治療部隊の給金はそこそこ良いのに……異界人の旅行に同行するだけで給料が支払われる?」  

 

 収入の違いにショックを隠せず、受付カウンターに伏せてしまった。

 

「あの、部屋の案内は?」

 

「二階廊下の最奥よ。他は別の宿泊客で埋まってるから間違えないように」

 

 どうやら案内する気力も無いようで、困ったように周囲に視線を泳がせるとーーセシナに笑みを浮かべる中年男性の存在に気付く。

 彼女に雷が落ちると判断したミアはそそくさっとその場を離れ、階段を登り終えた頃にはセシナの悲鳴が響いた。

 悲鳴に苦笑を浮かべ宿部屋に荷物を置きに向かう。

 すると通りかかった宿部屋から『おい! うちの会長は何処行った!?』という話が聞こえ、なんとなく耳を澄ませると。

 

『気が付いたら何処にも居ねえ!』

 

『草の根掻き分けでも探せ! あの人を自由に行動させるな!』

 

 

 ーーそう言えば隊商が来てるって聴いたけど、何処の商会なんだろ?

 

 騒ぎ声を奏でる宿泊客に後髪惹かれるが、優先すべきことは赤子の引き取り先と魔法騎士団に未知のモンスターについて報告することだ。

 そして一人寂しく牧場跡地で過ごすスヴェンに差し入れを持って行かなければならない。

 

「スヴェンさんには何を差し入れしようかな? 君は何が良いと思う」

 

 返事もできるはずがない。そう理解しながら赤子に訊ねると赤子はきょとんした眼差しで、

 

「あー?」

 

 窮屈そうに身体を動かす。

 反応の悪い赤子についため息が漏れ、一度赤子をベッドの上に寝かせてから荷解きする。

 そして再度赤子を抱っこすると、

 

「むー!!」

 

 不服そうに唸られた。

 昨夜から感じていたが、この子はスヴェンに懐いている。

 スヴェンと赤子を引き離して良いものかと思うが、彼は自身が育てれば外道に堕ちると断言していた。

 その言葉には身を持って経験した実体験も含まれ、彼がどんな過去を歩んだのかなんとなく想像できてしまう。

 あくまでも想像と憶測だが、スヴェンも誰かに拾われ育てられた。それが傭兵で彼の生き方を決めてしまった要因なのではないか?

 そんな憶測が立つがーー彼が過去を語りでもしない限り真相は闇の中だ。

 

「あとでスヴェンさんに抱っこしてもらえるから、それまでは私で我慢してくださいよ」

 

 そう優しく話しかけると赤子は理解したのか、

 

「う〜」

 

 唸り声を挙げるや否や、微睡に身を任せてスヤスヤと眠り始める。

 

 ーー親が亡くなって、この子は私達にたいして一度も泣かない。

 

 親の死を理解していないのか、そもそも両親の顔をまだ認識できていないのか。

 生後二、三ヶ月なら無理もないかもしれないが……。

 

「先に騎士団の駐屯所に行かなきゃ」

 

 赤子を連れてというのは憚れるが、ライスに託すにせよ込み入った話も必要になる。

 特に未知のモンスターに関する情報は早く届けるに越したことはない。

 ミアは未知のモンスターに対する知見とスヴェンから得た情報を基に頭の中で報告を纏め、宝箱を入れた荷物を忘れずに宿部屋を後にする。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋ソランから真っ直ぐ魔法騎士団の駐屯所に向かったが、

 

「誰か居ませんか〜?」

 

 先程から何度も声を掛けても反応が無い。

 魔法騎士団が出払ってること事態が珍しくもないが、なんとも間が悪いと思えた。

 仕方ないと諦めたミアは、此処から近いライスの診療所に足を伸ばす。

 怪我人が絶えない駐屯所の側に建てられた診療所に到着したミアは、さっそくドアを叩く。

 

「すみません! ライス先生は居ますか!」

 

 中まで聴こえるように訊ねるとドアが開き、優しげな紳士然とした男性が姿を現した。

 

「おや、診察かな?」

 

「いえ、実はこの子の引き取り先を探してまして」

 

 柔らかく愛想笑いで簡潔的に伝え、ライスは思案顔を浮かべると。

 

「……詳しい話は中で聴こうか」

 

 ミアを招き、そのまま診察室に通される。

 様々な薬品の匂いが漂い、薬品と医療道具が並ぶ棚に囲まれた診察室で椅子に座ったミアは早速話しを切り出す。

 

「実はこの子の両親はメルリア守護結界領域の近くでモンスターに襲われたようで……私達が通り掛かった時にはもう」

 

 赤子が血に汚れた宝箱に隠されていたこと、その宝箱には大量の金貨も入っていたことも含め、実物を見せながら話した。

 だがライスは宝箱に詰められた大量の金貨に興味が無い様子で、真っ直ぐこちらを見詰める。

 

「……モンスターに襲われ、孤児が出るのは珍しい話では無いけどね。それで君はわたしにその子を引き取って欲しいと?」

 

「はい。この子の将来とかを考えれば先生が育てた方が一番だと思いましてね」

 

「確かに子の将来を考えればわたしが育てるのが一番だね」

 

 ライスは眼を伏せ、亡くした妻と子を想ってかゆっくりと息を吐き出した。

 やがて赤子とこちらを見据えたライスは優しげな眼差しで、

 

「わたしが育てる。そう結論は出ているんだけどね、一度君の同行者とも話しをしたいんだ。もしかしたらわたしよりも君達の方が良いことも有るだろうし」

 

 それは無いと断言はできないが、スヴェンにもしも心変わりが訪れればその可能性も無いとは言い切れない。

 なによりもミアから見てライスは善人と判断できるが、スヴェンがどう判断するのかはまだ判らない。

 

「分かりました。彼は暇してると思うので直ぐにでもどうですか?」

 

「いや、悪いけどこれから健診に訪れる患者が居てね。だからお昼過ぎ辺りにわたしの方から訪ねるよ。……ま、午後からも診察が有るけど」

 

「それじゃあ彼にはそう伝えておきますけど、この子と少し過ごしてみますか?」

 

「まだわたしが引き取れるとは限らないからね、それにその子を置いて行かれても困る」

 

 確かにその選択肢も無い訳ではないが、どうせなら赤子を無事に引き取られるのを見届けてから出発したい。

 スヴェンがなんと言おうとそれだけは拾った者として果たすべき責任だ。だからこそ譲れないし、ハリラドンを動かす気も無い。

 

「そんなことはしませんよ。……あっ、そういえば話は変わりますが、村の皆さんは何処か暗い様子でしたけど何か有ったんですか?」

 

「……3年前からみんな気持ちが沈んでるけど、いやこれは後で話そう」

 

 そう言われて気にもなるが、間が悪くライスを呼ぶ声に、

 

「いま行きますよ! さ、診察の時間だ、君もそろそろ行くと良いよ」

 

 長いしては彼の邪魔になる。ミアは彼に一礼した後、診療所を静かに立ち去る。

 村の外は相変わらず沈んだ空気に包まれ、誰かを捜す一団で溢れていたがーールーメンの名物料理をスヴェンに届けると決めたミアは、早速料理を買いに行動を移した。



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4-5.村外れに訪れる者

 倒壊した牧場跡地に到着したスヴェンは、屋根が崩れた小屋を訪れ、

 

「干草のベッドか、悪くねえ」

 

 思ったよりも小綺麗な小屋に口笛を鳴らした。

 しかし現在時刻は十時だ。まだ休むには早過ぎるが、こんな時こそやっておくべきことは多い。

 特に誰の気配もない広々とした場所は、ちょっとした鍛錬や確認に適している。

 さっそくスヴェンは鞘からガンバスターを引抜き、下丹田の魔力に意識を集中させる。

 両手でガンバスターの柄を強く握り込み、射撃の構えを取った。

 下丹田から両腕に魔力を流すイメージを浮かべ実行に移す。

 魔力がスヴェンの下丹田から両腕に流れ込む。此処までは問題無いがーー問題はこの後だ。

 柄を通してガンバスターに魔力が伝わるが、魔力は柄からシリンダー部分で動きを止めてしまう。

 利腕の右手だけならガンバスターの全体に魔力をスムーズに送れるのだが、何故か両腕となると魔力の流れが分散し、止まってしまうのだ。

 

「何が問題だ?」

 

 まだ左腕に魔力が伝達し難いのか、単なる素質の問題か。

 それとも素材ーーメテオニス合金が魔力の流れを阻害してるのか?

 元々メテオニス合金は宇宙から飛来した隕鉄と魔力が結晶化したマナ結晶を加工して製造された物だ。

 メテオニス合金は衝撃や銃弾を跳ね除ける硬度を誇り、ガンバスターに内蔵する粒子回路の強度を高め、各モジュールの伝達率を効率的に上昇させ、全体の強度を確保している。

 そのメテオニス合金が魔力の流れを阻害しているのか、それとも粒子回路と魔力が干渉した結果、互いを相殺しているのか。

 考えても原因が判らず、ため息混じりに周囲に視線を落とすとーー立て掛けられた刺又に目が行く。

 

「試してみるか」

 

 ガンバスターを鞘に納め、刺又を手に取る。

 そして先程と同じ様に魔力を操作すると、驚くべき事に両腕の魔力が刺又に容易く宿った。

 

「……確か木製ってのは魔力と相性が良いんだったか?」

 

 自然物の素材と魔力の結び付き。そんな話しを依頼を請た日にレーナから聴いた覚えが有った。

 しかし片腕ならガンバスターに魔力を送る事はできる。できるが、装填した銃弾にまでは細かく行き届きかず、クルシュナ達が用意した魔法陣を発動させることもできない。

 両腕はダメで片腕が成功する理由ーー原因は力量と材質か。

 この仮説を立てるにはまだ判断材料が少ない。そう結論付けたスヴェンはシリンダーから.600LRマグナム弾を取り出した。

 

「小さい物ならどうだ?」

 

 物は試しにと銃弾に魔力を流し込む。

 すると.600LR弾がスヴェンの魔力に反応を起こし、雷管に刻まれた魔法陣が発動した。

 赤く輝く銃弾にスヴェンは眉を歪める。わざわざガンバスターに魔力を流し込む必要性が無かったと。

 赤く輝く銃弾をシリンダーに装填した、その瞬間ーー赤い輝きが消え、通常の状態に戻ってしまう。

 結局魔力を流し込みながら引き金を引かなければ銃弾に刻まれた魔法陣は効果を発揮しないことが改めて判明した。

 

「……次は.600GW弾で試してみるか」

 

 サイドポーチから.600GW弾を取り出し、魔力を流し込む。

 すると銃弾に魔力が流れ込むがスヴェンは意識を集中させ魔力の流れを視るとーー.600GW弾に流れた魔力は一箇所に留まらず、拡散してることが判る。

 

「原因はこれか?」

 

 今までガンバスターに魔力を流し込む際は注意深く意識を集中させて無かった。

 改めてスヴェンは、ガンバスターを引抜き魔力を流し込む。

 やはりと言った様子で片腕でガンバスターに流し込んだ魔力が拡散している。

 次に両腕で実行してみれば、より細かく魔力が拡散してることが判る。

 この現象を力量不足と見るかーーいや、刺又は上手くいったな。

 スヴェンは再度刺又を持ち上げ魔力を流す。すると魔力は拡散せず濃密に流れ込んでる様子が視認できた。

 今度はナイフを引き抜き魔力を流し込めば、魔力は拡散せず濃密に流れ込んでいた。

 

 ーーこいつは確か、クロミスリル製とか言っていたな。

 

 つまり魔力操作の練度不足に加え、ガンバスターの材質と魔力の相性が悪い。そんな結論が頭の中で浮かび、スヴェンの額に汗が滲む。

 

「……ブラックに頼んで材質の交換が必要か。いや、完成まで時間を要するか」

 

 それまで相棒で戦い続ける必要が有る。

 ここにテルカ・アトラス製のナイフも有るが、ナイフは拷問と緊急時の手段に過ぎず、そこまで扱いに長けてる訳でも無い。

 

「今の装備でモンスターの相手はやっぱキツいな」

 

 結論付けたスヴェンはサイドポーチから紙と羽ペンの一式を取り出し、ブラックとクルシュナ宛に手紙を書く。

 後はミアに頼んで配達して貰えば済む話だが、

 

「緊急時に村に入れねえのが厄介か」

 

 肩を竦めると、ジャリっ。土を踏んだ足音にスヴェンはガンバスターを構える。

 

「出て来い」

 

 警戒心と威圧を込めると、スヴェンが最も会いたく無い人物が爽やかな笑みを浮かべながら姿を見せた。

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、明後日の方向に顔を逸らす。

 つまり彼を見なかった事にする。それがスヴェンの取った方法だった。

 自分は何も見ていないし出会ってもいない。そう言い聞かせながら口笛を吹く。

 

「奇遇だねスヴェン! 君もまさかルーメンに来てるなんて驚いたよ! それともこれはもはや運命かな?」

 

 何が運命だ! スヴェンは出掛けた言葉をグッと呑み込む。

 ヴェイグを相手に叫ぶのは体力の無駄に思えたからだ。

 

「……会長のアンタこそ、自らルーメンに商談か?」

 

「いやいや、此処には単なる通行のために立ち寄っただけだよ」

 

 通行のため。ルーメンの西にはファザール運河、そして運河を超えた先は貿易都市フェルシオンだ。

 可能ならファザール運河で船に乗り継ぎ、北上したい所だがーーエルリア城で得た情報によれば水路は邪神教団に従う魔族が見張っている。

 だから陸路で旅を続ける他に無いのだが、

 

「アンタの次の目的地はフェルシオンってことか?」

 

「そうだよ。此処から北のネルリアには部下達が商談に行ってるからね……それに大事な商談は部下に任せられないのさ」

 

 目元を隠しながら真っ直ぐとこちらに顔を向けるヴェイグに、スヴェンはこれ以上の詮索も野暮だと判断した。

 旅の道行に偶然の重なりも有るのだろうっと。

 同時にヴェイグに幾つか訊ねておくべきことも浮かぶ。

 

「会長ってのは大変なんだな……話しは変わるが、メルリアの守護結界領域でモンスターに襲われた荷獣車を見た」

 

 自身が見た光景に付いて話すと、ヴェイグは興味深そうに息を吐いた。

 

「モンスターが蔓延るこの世界で特別珍しい話しじゃないけど、もしかしてわたしの商会の一員かもしれないと?」

 

「あるいはアンタがパーティに招待した客かも知れねえが、残骸には身分証らしき物は無かった」

 

「ふむ……招待客に被害が出ればわたしの方にも連絡は来るが、発覚から時間も掛かる」

 

 ヴェイグは赤子に対して言及してこなかった。

 

 ーー村の中でミアと会わなかったのか?

 

 そう広くも無い村の中でミアと再会せず、此処に真っ直ぐ足を運んだとは考え難いが赤子の件も有る。

 変に疑わず、赤子の保護先を優先すべきだ。

 

「招待客の中に赤子を連れた親子は居なかったか?」

 

「あぁ、なるほど。君はわたしが招待した客人に被害が出たと考えたわけだね。……だけどわたしが招待した客人の中に赤子連れは居なかったよ」

 

 フェルシオンに向けて出発するヴェイグの隊商に赤子を任せる。

 旅は続くが少なくとも赤子の生活は良いだろう。そこに人並みの愛情が注がれるかは別問題だが。

 スヴェンはそこまで考えーーやっぱ、ガキには愛情ってヤツが必要か。

 自分のような愛情を知らずに育つよりはずっとマシに思える。

 血の繋がりが全てでは無いと理解こそしてるが、赤子の引取り先は中々難しいだろう。

 

「そうかい。アンタは養子に興味は有るか?」

 

「……今の所養子を取るつもりは無いな。これでも商会の会長を勤めていると色々と面倒ごとも多い、出来れば赤子を巻き込みたくは無いかな」

 

 すんなりと自身の立場から断るヴェイグにスヴェンは仕方ないと頷く。

 

「なら他に宛を探すしかねえな」

 

「お前は赤子なんて軽んじると思っていたけどね」

 

 意外そうに呟かれた言葉に、スヴェンは宝箱を抱えた女性の右腕を思い出す。

 

「死んでまでガキを守ろうとした姿を見ちまったら、責めて発見者として義理は果たしてぇだろ」

 

 それが銅貨一枚の価値にもならないと理解しながら、命を落としてまで赤子を護った親に対する敬意を一度でも抱いてしまえば無視もできない。

 

「似た境遇から来る同情ではないと?」

 

 ヴェイグの言葉にスヴェンは鼻で笑った。

 

「まさか、一々境遇で同情なんざしてらんねえよ」

 

「へぇ。それでこそわたしが気に入った男でも有るな!」

 

 嬉々として両手を大袈裟に広げて見せるヴェイグに嫌気が差す。

 彼のそういう一面がスヴェンは苦手で、どうにも近付きたいとも思えないのだ。

 

「……それで、俺に何か用が有ったのか? 忙しいアンタがわざわざ訊ねるとも思えねえが」

 

「いや、偶然お前の血と煙に似た臭いを感じたからね」

 

 彼の言う煙に似た臭いとは、恐らく硝煙のことだろう。

 何方にせよ臭いで居場所を特定されては、鳥肌と悪寒を感じざるおえない。

 

「気持ち悪いことを平然と……これ以上近付くなよ? 近付いたらぶった斬るぞ?」

 

 ガンバスターを構えて威嚇して見せると、ヴェイグは音から察したのかわざとらしく肩を竦めて見せた。

 

「やれやれ冗談だよ。本当は優しくも甘く愛らしい匂いがしたものでね。そう、お前の連れの少女の匂いがね」

 

 メルリアでヴェイグと再会した時、どうやってミアを判別したのか敢えて言及しなかったがーーやっぱ、嗅覚と気配か。

 これで小さな村と多少離れた距離ならヴェイグに居場所がバレる事が発覚した。

 ならメルリアの地下遺跡に向かった事も既に彼には知られてる可能性が高い。

 しかし、それ以前にスヴェンはヴェイグに変質者を見るような冷ややかな眼差しを向けた。

 

「お、おや? わたしの渾身のジョークなんだけど、やはり受けが悪いのかな?」

 

「匂いで居場所が特定できるって言ってるようなもんだからな。喜ぶのは奇異な奴ぐらいだろ」

 

「可笑しいな、女性は匂いを褒めると歓声を挙げるのだが……?」

 

 真面目に考え込むヴェイグの様子に、女性の感性と自身の常識を疑った。

 

「おっと、そろそろわたしも戻らなくてはね。そうそう、この村の獣肉のチーズ乗せは絶品だから一度食べる事をオススメするよ」

 

 食欲を唆る情報を残してヴェイグは村の方向に去って行く。

 同時に立ち去った彼と入れ替わるようにミアが訪れ、

 

「赤子の引取り先は見つかったか?」

 

「この子の件だけど、午後から村医者のライス先生と会う約束を取り付けたよ。それで出来ればスヴェンさんにも同伴して欲しいの」

 

「……村に入れねえ俺がか?」

 

「うん。その辺はライス先生も理解してるから話し合いはこの場所でね」

 

 そもそも人の善意はミアでも把握できる。なら改めてそこに立ち会う必要性が無いようにも感じられた。

 

「アンタ一人でも十分だろ」

 

「そうだけど、どんな人に引き取られるのかスヴェンさんも安心したいじゃない? 赤ちゃんが一番懐いているのはスヴェンさんなんだしさ」

 

「血と硝煙に汚れた外道に懐くってのも考えもんだな」

 

「多分、本能的にこの人と居れば安心だって理解してるんじゃないかな」

 

「赤子の本能や直感は本物だが……赤子からすればアンタら二人は頼りないってことか」

 

「……も、もう少し胸が大きかったから赤ちゃんだって母性を感じてくれたはず!」

 

 自身の真っ平な胸を嘆き悲しむ彼女を他所に、スヴェンは肩に掛けられたバスケットに視線が行く。

 

「ソイツは飯か? 丁度も腹も減ってたところだ」

 

「……もうすぐお昼だと思って、ルーメン村の名物を持って来たよ」

 

「獣肉のチーズ乗せか!?」

 

「えっ、そ、そうだけど……如何して判ったの?」

 

「さっきまでヴェイグが此処に来てたんだよ。去り際にこの村のオススメを聴いてな」

 

 そう伝えるとミアは何か思案する様子を見せ、

 

「そう言えば此処に来る途中ですれ違ったけど……スヴェンさんを訪ねてたんだ。でも村で会っても無いのに、よく此処だって判ったね」

 

 疑問に首を傾げた。

 

「臭いで特定されたらしい」

 

 隠す必要もないと判断して、どうやって居場所を知ったのか教えるとミアが頬を引き攣らせた。

 彼女の反応は無理もない。幾ら盲目で他の五感で補っているとは言え、堂々と嗅覚で特定されと公言されれば引いてしまうのは仕方ない。

 

「……出来れば奴とはもう会いたくないな」

 

「無理じゃないかな? スヴェンさんはすごく気に入られてるみたいだし」

 

 何処に気に入られる様子が有ったのか疑問が湧くが、ヴェイグのことは忘れて食事に入ろう。

 そう結論付けたスヴェンは早速ミアが持参した獣肉のチーズ乗せを堪能することに。



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4-6.引取り先

 幸福に満ちた昼食も終えた頃、牧場跡地に白衣を羽織った村医者ライスが訪れた。

 ライスはスヴェンとミアに一礼すると、

 

「ルーメンで医者をしているライスという」

 

 丁寧な物腰と紳士的な笑みを浮かべるライスに、スヴェンは彼の青い瞳を見つめた。

 裏表も後ろ暗い気配もしない真っ当な人間。寧ろライスの視線は赤子に向けられ、同情と心配を宿した感情が強く伝わって来る。

 スヴェンはライスに優し気な真っ当な村医者という印象を受け警戒を解く。

 

「改めて私はミア、それでこっちの恐い目付きの人がスヴェンさん」

 

 ミアが簡潔的に紹介を終えると、ライスは握手の手を差し出した。

 なんとも汚れを知らない綺麗な手。人を生かすために使われてきた手だ。

 自身の汚れた手では彼の高潔な手とは釣り合わない。

 だからこそ彼の握手に応じる気になれなかった。

 

「悪いな、アンタと握手を交わす気はねえ」

 

 理由も告げずに断るとライスは残念そうに肩を竦め、代わりにミアが握手に応じる。

 ライスはスヴェンが抱く赤子に優し気な眼差しを向け、赤子も彼が心から優しいのだと察したのか。

 

「あーあ! ああぁ!!」

 

 笑い声を上げながらライスに両手を伸ばした。

 

「……抱っこしても?」

 

 何処か緊張した様子で訊ねる彼に、スヴェンは短く答える。

 

「あぁ」

 

 なんとなく彼に多くの言葉も話しも不要に思えたからだ。

 医者という立場の彼は出会って数分程度だが信頼できる。

 だからこそスヴェンはライスに赤子を手渡した。

 嬉しそうに喜ぶ赤子とライスの穏やかな笑みーー向けれた事もねえ笑みだな。

 自身が向けられた事も見た事も無い笑みを赤子に向けるライスに、スヴェンは一つだけ確認するように訊ねる。

 

「アンタの医者としての立場は信用してるが、金目的じゃねえよな?」

 

「……金よりもその子の生命と未来が大切だ。その子の親もそう思ったからこそ、宝箱一杯の金貨を遺したのだろう」

 

 確認の為に訊ねた質問だったが、改めてライスには無駄だと理解したスヴェンは頭を下げた。

 突然頭を下げたスヴェンにライスは愚かミアまでもが驚き、慌てふためく。

 

「アンタを試すような質問をしてすまなかった」   

 

 そんな不躾な謝罪の言葉に慌ていたライスは動きを止め、やがて冷静な眼差しをスヴェンに向ける。

 

「いや、良いんだ。スヴェンが試すのも理解できる……あの大量の金貨を見れば欲に眩むのもね」

 

 理解を示すライスにスヴェンは静かに頷く。

 

「えっと、それでライスさんはその子を引き取ってくれるんですか?」

 

「見た所、この子はスヴェンに非常に懐いている様子だ。この子を彼から引き離して良いものか」

 

 戦場を求め、金の為に殺しも厭わない傭兵と共に過ごすよりは、人を生かす為に奔走するライスの下で育った方が健全だ。

 そもそもスヴェンは子育てに興味無ければ、赤子の選択肢に外道の道を加えることも良しとはしない。

 

「俺は今はこの世界を旅行してるが、元の世界じゃあ傭兵だ」

 

 傭兵と告げるだけでライスは、スヴェンがどんな事をして来たのか漠然と想像したのか眉を顰める。

 ただ、ライスの見詰める眼差しは肯定はしないが否定もしない感情が宿っていた。

 

「なるほど、この子の未来を案じればこそか」

 

「そんな大層な理由じゃねえが、アンタなら間違えることも無さそうだ」

 

 ライスは意を決ししたのか、

 

「人は過ちを犯すものだ。しかし、この子が踏み外さないように丁重に見護る事を約束しよう」

 

 スヴェンとミアにそう宣言した。

 そしてライスは赤子に改めて視線を向け、

 

「今日から君の御両親に変わり、君を育てよう」

 

 改めて赤子に語り掛けた。赤子は言葉の意味も分からず無邪気にはしゃぐだ。

 するとライスはこちらに振り向き、そして口にした。

 

「スヴェン、君のことはこの子が物心付いた頃に話しても良いかね?」

 

「あん? 何をだ」

 

「君が命の恩人という事実を」

 

 元の世界に帰る。それは本来テルカ・アトラスに存在しないスヴェンが消える事を意味する。

 そんな居もしない幻想を赤子に遺すことにスヴェンは眉を歪める。

 

「3年もすれば元の世界に帰る人間を赤子に伝え聞かせる必要はねえよ」

 

 赤子にとって大切なのは、実の両親が身を挺して護ったこととライスに育てられた事実だけで充分だ。

 スヴェンはそう考え、言葉を続ける。  

 

「外道の俺なんざよりも、両親はモンスターから命懸けで護ったと伝えてやれ」

 

「……そうか。それもこの子の為か」

  

 ミアから疑念を宿した眼差しを向けられる中、スヴェンは村の方に視線を向ける。

 ライスが此処を訪ねてから既に一時間ほど経過している。そろそろ村の方でも彼を求める患者が訪ねて来るだろう。

 

「アンタはそろそろ行かなくて良いのか?」

 

「おっと、午後から健診の予約が入っているんだった。これで失礼させて……あー、大事な話しを忘れていた」

 

 大事な話し。一体どんな内容かと疑問を示せばライスは実に困った様子で語った。

 

「実は一昨日から不審な集団が村の近辺を彷徨いているっと話しが出ていてな……村に駐屯してる魔法騎士団は不審な集団の調査の為に不在なんだ」

 

 本来村を護る魔法騎士団が不在。加えて不審な集団が邪神教団なら魔法騎士団は手が出せなくなる。

 相手が邪神教団ともなればライスが不安を抱くのも頷けた。

 

「その不審な集団ってのは邪神教団か?」

 

「いや、遠目からになるが彼らが身に付けている白いフードは確認できなかったらしい」

 

 邪神教団とは関係ない不審な一団。もしや野盗の可能性が?

 スヴェンが見てきた範囲のエルリアは、夢物語りのような平和を誇っていた。

 邪神教団の問題が有るとはいえ、生活も満ち足りた平和な国に思える。

 そんな国で野盗なんて存在するのだろうか?

 

「……エルリアに野盗なんざ実在してんのか?」

 

 普通は居ても可笑しくはない野盗の存在を疑うと、

 

「エルリアじゃ珍しいけど、他国の野盗が流れ込むことは有るかな」

 

 ルーメン近辺に野盗が出没した可能性が浮上する。

 しかし、野盗の存在よりもスヴェンは昨夜遭遇した未知のモンスターが気掛かりだった。

 

「野盗なんざよりも、川付近で襲撃して来た未知のモンスターの方が気になるな」

 

「魔法騎士団に報告したいけど、不在だったんだよね。今にして思えば留守なのも肯けるけどさ」

 

 そもそもライスが何故スヴェンにこの話しを持ち込んだのかーー不在の魔法騎士団に代わって村の外だけでも見張って欲しいってわけか。

 ライスの目論みを察したスヴェンは、先程ブラックとクルシュナ宛に書いた手紙と荷電粒子モジュールをミアに手渡す。

 

「俺は単なる旅行者に過ぎねえが、それ以前に傭兵だ」

 

「金なら幾らでも払おう」

 

 今日からライスは赤子の親だ。子育てに必要な硬貨はミアが明け渡す予定だが、もしも彼が異界人を金で雇ったと村人に知れ渡ればどうなるかは予想が付かない。

 ライスな信頼度が高い点で言えば杞憂とも思えるが、それだけ異界人の評判も信頼も悪い。最悪ライスが村八分にされる可能性も有る。

 そうなってしまえば育ての親が見付かった赤子が不憫だ。

 

「さっき獣肉のチーズ乗せを喰ったんだが、アレがまた食いてえんだ……そいつに合う酒もありゃあ今回はそれで充分だ」

 

 だからこそスヴェンは金ではなく、物で対価を要求した。

 それに契約書を介さない口約束ならライスが疑われる可能性も低いだろう。

 

「……っ! 恩に着る!」

 

「その言葉はアンタの中に留めておけ……だいたい杞憂で終わる可能性の方が高えだろう」

 

 杞憂で終われば誰も心配などせずに済むが、メルリアで邪神教団が行動を起こしてまだ新しい。

 おまけに野盗と未知のモンスターの存在が、単なる不審な集団でさえ警戒対象に入る。

 スヴェンはそんな事を頭で考えては、

 

「もう用事も済んだろ」

 

 ライスの早めの帰宅を促した。

 言われたライスは赤子を愛おしそうに抱き抱えながら、ルーメンに歩いて行く。

 そんな彼の背中をスヴェンが見送る、その隣でミアが不満げな眼差しを向けていた。

 一体何が気に食わないと言うのか。スヴェンは考えても仕方ないと改めてミアに問う。

 

「何が不満なんだ?」

 

「……スヴェンさんは村に入れないのに、危険の前兆が有ると頼るんだなって」

 

 なにも彼女が不満に感じる必要性は無い筈だ。

 スヴェンは出掛けた言葉を呑み込み、ルーメンが被った被害を考えれば仕方ない処置だと思えた。

 

「魔法騎士団が不在なんだ、ライスだって頼りたくはねえだろうよ」

 

「それはそうかもだけど……いえ、私が不満を顕にしてもスヴェンさんは納得してるんだよね」

 

「ああ、納得もしてる。……いや、それよりも村に戻るんならアシュナに頼み事をしてくれねえか?」

 

「頼み事? アシュナに周辺の情報を探らせるとか?」

 

 小首を傾げながら正解を引くミアに、スヴェンは頷いた。

 

「……分かったよ、アシュナに頼んでおくね。それとさっき手渡された手紙と球体? どっちも速達で良いんだよね」

 

「ああ、球体と手紙はセットでクルシュナ宛にな」

 

 そう言ってスヴェンはミアに銅貨を手渡した。

 それから程なくしてミアがルーメンに戻ると、スヴェンは牧場跡地を静かに立ち去る。

 アシュナばかりに任せられない調査、それが単なる杞憂で終わればそれで良し。

 そうでなければ傭兵として動くまでだ。



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4-7.風と痕跡

 不審な一団の調査に出たスヴェンは、一先ず塩害に侵された農地から牧場跡地を中心に調査を開始したのだが、

 

「この辺りには手掛かりはねえか」

 

 しらみ潰しに土や踏み潰された草花を調べるも、どれも小動物の足跡ばかりだった。

 別の場所を捜すか、一旦アシュナと合流するか思案したスヴェンは空を見上げる。

 既に夕暮れが訪れ、今晩は雨が降るのか雨雲が漂っていた。

 痕跡が無ければ無いでそれに越したことは無いが、ルーメンの外を見張るにしても限度が有る。

 根城に奇襲を仕掛け、ルーメンの村人は何も知らずに過ごす。それがスヴェンの考えられる最良の結果だった。

 彼らが異界人の活動を識る必要も無ければ、感謝の念を抱く必要もない。

 これはライスに雇われた傭兵が行動してるに過ぎなければ、単なる見張りの範疇に収まる。

 スヴェンは改めて空から周辺に視線を移す。そして周囲一帯を見渡すと、こちらに駆け寄るアシュナの姿が見えた。

 

 スヴェンの下に到着したアシュナは、相変わらず感情を押し殺した様な無表情で告げる。

 

「此処から北の洞窟に怪しげな一団を見た」

 

「北か。敵の規模や素性は?」

 

「六人、素性は不明」

 

 素性不明の一団。単独で制圧可能な人数だが、決して油断できる相手でもない。

 

「魔法騎士団は?」

 

「さっき北の洞窟に向かうのが見えた」

 

 魔法騎士団が制圧するなら確かにスヴェンの出る幕は無い。

 しかし気楽に喜べない。核たる痕跡も根拠も無いが、戦場で培ってきた経験が勘に訴えかけるのだ。

 

「……一応念入りに調べるぞ」

 

「一団は一つとは限らないから?」

 

 意外と理解が速いアシュナに頷くことで肯定する。

 するとアシュナは掌を開き、そこに魔力を集め始めた。

 今から何をするのか興味が湧いたスヴェンは、彼女の小さな掌で渦巻く魔力に注視する。

 

「風よ呼び掛けに答えて」

 

 アシュナが詠唱を唱えると掌の魔力が魔法陣を描き、完成した魔法陣から翠色の光りが溢れる。

 光りが収まるとーーなんだこれ?

 スヴェンはアシュナの掌に鎮座する存在を凝視した。

 羽が生えた小さな生き物、理解し難い生き物に面食らっていると。

 

「精霊ははじめて?」

 

 首を傾げるアシュナに頷く。

 

「あぁ、精霊なんてお伽噺みてえな存在が実在してるなんざ考えもしなかった」

 

「勉強不足だね」

 

 確かにアシュナの言う通り勉強不足だ。魔法に種類が有るとは理解していたが、スヴェンが理解してるのは精々が攻撃魔法、治療魔法、召喚魔法、結界魔法と言った戦闘に使える魔法ばかりだ。

 

「そうだな、勉強は必要だ……それで? ソイツをどう使うんだ?」

 

「使うんじゃない。お願いするの、精霊は大自然に生きる神聖な生き物だから敬意は大事」

 

 アシュナの棘を刺す様な視線を受け、更に彼女の掌の上で腰を手に当てた精霊にスヴェンは頭を掻く。

 面倒なガキが増えた。なんとなくそう感じたが、余計な一言を口走れば話が逸れるばかりで調査に遅れも出る。

 そう判断したスヴェンはしっかりとアシュナと精霊の瞳を見詰め、

 

「そいつは悪かったな」

 

 軽い謝罪の言葉を口にした。

 それに気を良くしたのか、精霊はアシュナの掌から浮かび上がり、彼女の周囲を一周飛び回る。

 

「それじゃあその精霊様に何をお願いするんだ?」

 

「この辺りに悪い人が居ないか調べて欲しい」

 

 アシュナが精霊に抽象的な言葉で頼むと、精霊は風を操り周囲一帯に風を吹かせた。

 やがて精霊はこちらを凝視しては指差す。

 

「……あー、俺か」

 

 悪い人と言われてある意味妥当な判断と思えた。

 散々戦場で人殺しに明け暮れたんだ、精霊に悪人判定されてもおかしくはない。

 スヴェンが一人妙に納得してると、

 

「違うよ。この人とは別の悪い人」

 

 精霊は落胆気味に肩を落とした。

 そして再度風を操ると、精霊は南の方角と北西のルーメンに指差す。

 やがて精霊は要件を果たしたからなのか、風と共にその姿を消した。

 

 ーールーメンにもだと? いや、判定的に如何なんだ?

 

 ルーメンに居るのは単なる犯罪者か軽犯罪。それとも不審な一団の一人か。

 スヴェンはそこまで思案してから改めて南の方角に身体を向ける。

 数キロ先に森が見える。確かに一団が潜伏するなら最適な場所とも言えるだろう。

 

「森か。アンタはこの事をミアに伝えて来い」

 

「一人で行くの?」

 

「アンタのことだ、報告が終われば付いて来るだろ」

 

「それがお仕事。ミアはどうする?」

 

 彼女を村に残すかどうか。確かに精霊の判定基準は正しいと思えるが、ふと精霊が指差した方角を思い出す。

 

 ーー待て、精霊は北の方角を指差さなかったな。

 

 北の洞窟には不審な一団が居るが、精霊は何も反応を示さなかった。

 つまり北の洞窟に居る不審な一団は悪人ではない。

 しかも魔法騎士団は北の洞窟に向かった。確かに相手が不審な一団だと判れば安全面を考慮して乗り込むのも無理はないだろう。

 

「一つ聴いておくが、精霊魔法ってのは誰にでも使えんのか?」

 

「珍しい魔法、魔法騎士団に使える人は居ないぐらい。……姫様は契約召喚で凄い精霊も呼び出せるけど」

 

 レーナが規格外なのか、精霊魔法と召喚魔法にそこまで差異はないのか。そんな疑問が浮かぶが、一先ず珍しい魔法と理解する。

 だから魔法騎士団が北の洞窟に潜む一団に向かったのも調査の過程で怪しいと判断したからこそだ。

 そもそも精霊魔法が無ければ、スヴェンも北の洞窟に関して勘違いしていたと断言できる。

 しかし、厄介なことに村は手薄な状態ーー緊急時には村に入ることも厭わないが、スヴェンは万が一の可能性を考え一つ結論を出した。

 

「……二人には村の方を頼む」

 

「スヴェンは一人で大丈夫? あそこの森、そんなに広くは無さそうだけど」

 

 土地勘も無ければ夕暮れ、おまけに雨も降りかねない天候だ。

 だが、その状況がスヴェンにとって好ましい環境だった。

 潜入時に雨音が足跡を掻き消し臭いを消す。逆に言えば一団の痕跡も洗い流されてしまうリスクも有るが。

 

「問題ねえよ」

 

 それだけアシュナに告げ、森に向かって歩き出す。



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4-8.森に潜む者

 雨がぽつぽつと降り始めた森の中で、スヴェンは至る所に遺された足跡と車輪の痕跡を頼りに進んでいた。

 本降りとなればこの痕跡も消える。その前に一刻も早く一団の下に辿り着かなければ。

 スヴェンは木々を遮蔽物として利用しながら歩く速度を速める。

 その都度、罠と気配に加えて魔力に細心の注意を払うがーー意識を集中させた途端に地面から僅かな魔力を感じた。

 スヴェンはその場の土を掻き分けると、姿を見せた魔法陣が怪しげな光を発する。

 

「埋まった魔法陣……地雷か何かか?」

 

 ご丁寧に用意された罠が『この先に何かありますよ』と語っているも同然だ。

 痕跡を遺す点から素人とも思えたが、足跡と車輪跡は罠から注意を逸らす為の偽装。

 魔法が発達してるからこその罠。魔力の無音無臭の性質が仕掛けとして理想的な効果を発揮していた。

 中々侮れない危険性にスヴェンはぼやく。

 

「硝煙も鉄の臭いもしねえ……判別方法は魔力の知覚化だけか」

 

 テルカ・アトラス出身の者に対してはたいした効果も見込めないだろうが、魔法技術の知識に乏しい異界人には最大の効果を発揮する。

 ただ、何故敵がミア達に対して効果の薄い罠を仕掛けたのかーー魔力の知覚化は常に集中を要するが、果たして森の中でいつまで保つか。

 森は他の生物も棲息し、時折り小動物が鳴らす足音さえも神経が過敏に反応する。

 高い集中力を要するからこそ時として環境が仇になる。

 周辺の環境と足元の魔法陣に注意を払い、森の中を進む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔法陣に馴れない進行はスヴェンの足を鈍らせ、森に入ってから随分と時間が経過した。

 既に森は暗闇と激しい雨音に覆われ、視界が狭まる。

 しかし敵は迂闊にも森の中で火を焚き、スヴェンに進むべき方向を示していた。

 灯りの方向から感じる複数人の気配ーーざっと、四、五人ってところか。

 

「油断か、誘いか」

 

 罠の危険性も十分に考えられる。

 しかし魔法陣が仕掛けられた地点は既に通り抜けたようで、周囲一帯に魔力の気配が無い。

 誘い込まれている気もするが、スヴェンにとってやるべきことは単純明快だ。

 情報を吐かせつつ殲滅する。至ってシンプルな答えにスヴェンはガンバスターを片手に迂回しつつ、灯りを目指す。

 徐々に距離が近付くに連れ、武器を構え何やら話し合う五人組みと雨に身を震わせるハリラドンの姿が見える。

 スヴェンは茂みに身を潜め、耳を研ぎ澄ませると、

 

「連中を撒けたが、どうする?」

 

 焚火で暖を取るアホ面の男が話しを切り出した。

 どうにも何かかから逃げて此処まで来たようにも思えるが、スヴェンは更に情報を得るべく会話を盗み聞きする。

 

「食糧も残りわずか……フェルシオンまで商品が保たないわ」

 

「近くに農村が在ったろ。夜明け前に夜襲を仕掛け略奪する」

 

 リーダー格と思われる体格に恵まれ、大剣を背負った男の提案に少女が訝しむ。

 

「エルリア魔法騎士団が駐屯してる筈よ。この人数で略奪が成功すると思う?」

 

「確かに普通なら瞬殺される……だが、連中は邪神教団に屈服した」

 

「えぇ? 農村襲撃のためだけに邪神教団に入信するつもり? オイラは嫌だよ? あんな嘘臭くてナメクジみたいな連中と一緒になるの」

 

「おまえ、優しそうな顔に似合わずはっきりと言うよね? いや、わざわざあんな狂った連中と協力する必要はない」

 

「もしかして先日手に入れた邪神教団のフードを身に付けて装うってこと?」

 

「そうだ。流石はウチの中で一番頭が良いだけは有るな」

 

「褒められてもねぇ」

 

 何者かから逃げていたが、邪神教団に装い食糧略奪を目的にルーメンを襲撃する。

 そんな計画を話し合う五人組みにスヴェンは、ガンバスターを構えた。

 本来なら射撃による一方的な制圧が好ましいが、銃声は雨音に掻き消されない。

 むしろ風に乗って村まで聴こえる可能性も高い。ルーメンの村人が何かを知る必要は無い、ましてや襲撃に遭う恐れも森の中の遺体にも。

 スヴェンは足音を消しながら、ゆっくりと一団に近付く。

 やがて徐々に距離が縮まり、こちらに気付かれる前にスヴェンは脚の筋力をバネに跳ぶ。

 暗闇に紛れ、跳躍の勢いを乗せたまま振り抜いたガンバスターがリーダー格の頭部を斬り裂く。

 鮮血が噴き、リーダー格の男が地面に崩れ落ちるまで一団は呆然と立ち尽くした。

 現実の理解が追い付かず、直視したくもない現実に一団の表情は酷く歪んでいる。

 

 無理もない。ついさっきまで言葉を交わしていた仲間が突然死を迎えたのだから。

 

「り、リーダー? ど、如何して……お、お前は!?」

 

 漸くスヴェンを認識したアホ面の男が怒りに身を震わせ、腰の斧に手を伸ばすがーー遅えよ。

 ガンバスターの横薙ぎがアホ面の腹部を骨ごと斬り裂く。

 スヴェンはそこから続け様に少女に袈裟斬りを放ち、返り血が身体に振り返る。

 残り二人。スヴェンが血に汚れた身体で振り返ると、太った男が振り抜く大剣が視界に移る。

 魔力を流し込んだ刃ーー以前、似たような状態の刃を弾こうとしたが、逆に刃が弾かれた。

 剣身に纏わせた密度の高い魔力がそうさせるのか。

 あれもその類なのか。いずれにせよ弾かれる可能性が有る以上、馬鹿正直に付き合う必要はない。

 スヴェンは迫る刃を身を屈めることで避け、縦に振り下ろされた一閃を横転して避ける。

 泥の飛沫が飛び散る中、素早く体制を立て直すと、既に魔法を放つべく憎悪を宿した眼差しで二人が詠唱を唱えていた。

 

「炎よ焼き尽くせ!」

 

「風よ刻め!」

 

 太った男が魔法陣から火球を放ち、細身の男が魔法陣から風の刃を飛ばす。

 レイや邪神教団が繰り出す魔法と比較して勢いも速度も遅い。ゆえにスヴェンが飛来する魔法の中を直進しつつ避けることも、そこから二人を纏めて斬ることも造作もないことだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 森に雨音とハリラドンの鳴き声が響き、血の臭いが漂う。

 不審な一団の死骸をスヴェンが漁るとリーダー格の懐から、

 

「……獅子の勲章? 何処の所属を表す物か?」

 

 血に汚れた勲章を雨で洗い流し、勲章に刻まれた文字に目を細める。

 

「簒奪、略奪の下に欲望を満たせ……?」

 

 犯罪を正当化させる為の単語にため息が漏れた。

 北の洞窟に潜伏していた一団は彼らを何らかの理由で追うが撒かれ、彼らは森の中で潜んだ。

 そこまでは会話から察することも出来るが、一体連中はどんな商品を運んでいたのか。

 スヴェンは改めて荷獣車の中に入り込むと縄で縛られた少年や女子供が気を失い力無く壁にもたれていた。

 

 ーー何処も人攫いってのは居るもんだな。

 

 一団の少女はフェルシオンまで保たないと語っていたが、問題は人身売買の取引がフェルシオンで行われるかどうかだ。

 犯罪組織を相手に足止めを食う訳にも行かない。ならその辺を含めた調査は魔法騎士団に任せて本命に集中すべきだ。

 結論を出したスヴェンは荷獣車の中に置かれた箱を開けては、

 

「邪神教団の白いフードに……なるほど」

 

 数点のフードと僅かな食糧と幾許かの金貨が入った金袋が発見された。

 資金と残りの食糧から連中のリーダーはルーメンを襲撃を選んだ。

 そこで森で食糧の確保は思い浮かばなかったのか。いや、思い付いたのだろう。

 雨風に耐える小動物や木の実。森の中で見掛けた食糧だが、一狩りで獲られる量と一団と商品を合わせた食糧が必要になる。

 特に人攫い中の集団が分け合う食糧も限られ、結果としてルーメンから略奪以外の選択肢が思い付かなかったのだろう。

 実際にリーダーがどんな思考をしていたのかは判らない。これも単なる状況と照らし合わせた推測に過ぎない。

 推測を終えたスヴェンは、箱を閉じながら有益な情報を得られなかったことにため息を漏らす。

 

 邪神教団と何も繋がりは見えて来ない人身売買を行う犯罪者集団ーー未知のモンスターの情報も無し、ハズレだな。

 内心でハズレとぼやき、気絶している彼らをどうするべきか考え込む。

 このままルーメンまで連れて行くのが道理だが、その前にとスヴェンは魔力に意識を集中させた。

 気絶した彼らに注意深く観察すれば、身体に紫色の怪しげな輝きを放つ魔法陣が刻まれていることが判る。

 それがどんな効果を齎すのかはスヴェンの知識では不明だがかと言って解除することも叶わない。

 ただ魔法陣の影響か。刻まれた彼らは弱っているようにも思えた。

 もしも刻んだ対象から死なない程度に生命力を奪う類いの魔法なら放置は危険だ。

 

「仕方ねえ、村まで連れて行くか」

 

 ミアや魔法騎士団なら彼らをどうにか出来ると判断したスヴェンは、早速ハリラドンを退けて荷獣車を引っ張り歩くのだった。

 その後村人に知られない様にスヴェンはアシュナを呼び出し、森の入口で魔法騎士団が駆け付けるように通報。

 魔法騎士団が駆けつける前にスヴェンは牧場跡地に戻り、ミアとライスが用意したと思われる獣肉のチーズ乗せと赤ワインを堪能することにした。



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4-9.事後処理

 ルーメンの牧場跡地で一夜を明かしたスヴェンは雨音と共に訪れる足跡に目を覚まし、ガンバスターを手に取る。

 警戒心を剥き出しに視線を出入り口に向ければ、そこには呆れた様子で腰に手を当てるミアの姿が有った。

 

「スヴェンさん、いくら何でも警戒過ぎじゃない? 毎回寝てる所に近付くと飛び起きるなんてさ」

 

 そんな事を言われても長年戦場で身に付けた癖と習慣は消えない。

 ただミアの言い分も理解できる。毎度別々に泊まるスヴェンを起こしに来れば警戒されてはミア自身も気分が良いものではないのだと。

 それでも癖というのは中々抜けるものでも無く、

 

「習慣なんだよ。それよか、もう出発の時間だったか?」

 

 慣れろと言わんばかりに返し、聞けばミアが微笑む。何か裏の有る笑みだ。

 

「実はスヴェンさんが対峙した未知のモンスターに付いて、魔法騎士団が詳しく聞きたいそうで……あと森で発見された遺体と人攫いの被害者に付いても質問が有るそうよ」

 

 正直に言えば面倒だ。魔法騎士団としても立場上の職務質問の一環で有ることは理解が及ぶがーー協力関係を明確にするには仕方ねえか。

 結局信頼の無い異界人として各地の魔法騎士団からは信頼を得なければままならない。

 現に先日のアトラス教会の件もスヴェンの素性を含めた異界人の問題が浮き彫りに出た影響も大きい。

 そう考えたスヴェンは改めてミアに向き直る。

 

「で? 魔法騎士団は此処に来るのか?」

 

「えっと、村の中に在る魔法騎士団の駐屯所まで来てほしいって。既に村長には許可を得てるからスヴェンさんも一時的にだけど村に入れるよ」

 

 そう告げたミアは何処か嬉しそうで、心が弾んでる様にも見えたが、何故彼女がこうも眩しい笑みを浮かべるのか。

 恐らく村と多少離れた牧場跡地との行き来が面倒に感じていたのだろう。おまけに今日も雨となればなおさら。

 

「報告を終えたら出発か……いや、待て。村内に居ると思われた悪人はどうなった?」

 

 森の一団はスヴェンの手によって壊滅した。しかしルーメンに潜んでいる悪人はどうなったのかすら判らない。

 現状確認の為に問うと、ミアは疑問を浮かべる様に頬に指を添えながら答えた。

 

「えっと、私とアシュナもそれとなく探りを入れたんだけど、村人の中には何かを企む不審な人物は居なかったよ」

 

 村人の中には居ない。となると怪しいのは滞在中のアルセム商会ということになるが。

 

「アルセム商会は如何だ? 連中は村に滞在してたろ」

 

「うーん、確かにアルセム商会の中に居ないとも限らないけど……アシュナが戻って来た時には出発しちゃったから確認もできなかったよ」

 

 間の悪いことだが、アルセム商会が貿易都市フェルシオンに向かうなら後で探りも入れられるがーーいや、調査は魔法騎士団に任せるか。

 ヴェイグに臭いで居場所を悟られる以上、迂闊にアルセム商会と接触することは避けたい。

 そもそも人身売買組織もフェルシオンを目指していた。行き先に何か有ると予感を感じながらため息が漏れる。

 

「もう一人の悪人の件は保留だな。特に邪神教団と関係がねえならなおさら」

 

「そうだね。表立って動きが無い以上、そうするしかないよね。……だけど、良いの? あなたが表立って動けば評価はずっと変わると思うけど」

 

「逆に動き辛くもなる。まだ魔族と遭遇した訳でもねえが、なるべく連中との交戦も避けてえ」

 

 目的は魔王救出。魔族と敵対し信用を失くせばいざという時に協力を得られない。

 その過程で邪神教団に警戒されるとなれば行き先で妨害に遭う。

 それは何としても避けなければ、ヴァルハイム魔聖国の侵入が困難になるからだ。

 スヴェンはそこまで考えたうえで、

 

「それに目立つよか、密かに敵を排除した方が都合が良いだろ」

 

 そう宣うとミアは納得した様子で頷いた。

 彼女の理解も得た所でスヴェンはミアと共にルーメンに足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 村の中を訪れば敵意と蔑む視線がスヴェンを迎えた。

 村人にそんな視線を向けられることは分かりきっていた事であり、だからと言って何か思うことも無い。

 スヴェンはミアの案内に従い、魔法騎士団の駐屯所を訪れる。

 そこで尋問室の一室に通されーー椅子に座り、しばし待つと眼帯の騎士が現れ、

 

「ようこそ、スヴェン殿。自分はルーメンの安全を任されているバルアだ……貴殿の些細はミア殿から聴いている」

 

 バルアがこちらの事を知ってるなら改めて名乗る必要は無い。手早く用件を済ませ立ち去るのが先決だ。

 

「そうかい。なら話しも早くて済むな」

 

「あぁ、こちらもオールデン調査団と協力体制も有ることだしな」

 

 知らない組織名、恐らく北の洞窟で潜伏していた一団と思えるが、スヴェンは疑問を問うように訊ねる。

 

「……オールデン調査団?」

 

「貴殿も知っての通り、北の洞窟に潜伏していた一団だ。元々人身売買組織ーーゴスペルという名の野盗集団を追っているミルディル森林国の調査部隊の一つでな」

 

 スヴェンは資料庫で得た情報を記憶から呼び起こす。

 確かミルディル森林国はエルリアとの同盟国の一つであり、南西部に位置する大森林を国土とする国家だ。

 自然と水源に恵まれた土地と群生する薬草はどれも高い効能を秘めている為、国益の一つとしても知られているとも。

 他にも穀物や果物、酒の産出国でも有名らしい。

 

「昨日呑んだワインも確か、ミルディル産だとか書かれてたな……いや、それよりもわざわざエルリア国内に逃亡したゴスペルを追ってか?」

 

 怪しいと言えば怪しい。いくらゴスペル討伐のためにとは言え、ルーメンの魔法騎士団に何も一報すら入れないのは不信感を宿すには十分だ。

 通常、他国の軍隊が他国内で活動するには国の承諾を得る必要が有る。仮に得ていたとしてもルーメンの魔法騎士団に何も連絡が無いのは不自然だ。

 

「貴殿の疑いも理解できる。事実、一度対峙した我々もオールデン調査団を疑いもしたさ……だが、彼らは内密に動かざる負えない状況に迫れていたのだ」

 

「内密に……邪神教団か?」

 

 なんとなく邪神教団の名を口にするとバルアは渋い顔を浮かべ、

 

「邪神教団もゴスペルにとっては取引先の一つに過ぎん。しかし今回の件は如何も違うらしい」

 

 ゴスペルにとって邪神教団は取引相手の一つ? スヴェンは森で盗み聴きした会話を思い出す。

 確かに邪神教団と取引きしていると思える会話は無かった。それとも単なる末端による活動か?

 いずれにせよスヴェンがゴスペルの人員を壊滅させたため、今となっては情報を得ようが無い。

 

「(チッ、失敗したな。もう少し詳しい背後関係を聴いてけとば良かったか)違うってのは? エルリア国内に人身売買に手を出す外道が居るってことか?」

 

「……信じたくは無いが、そちらの調査は我々とオールデン調査団に任せて貴殿は旅行を続けると良いさ」

 

 バルアは淡々とそうは言うが、どうにも邪神教団が関わっていたらこちらを巻き込む気で居ると思えて仕方なかった。

 元々各国の軍隊が邪神教団に対して動けない以上、スヴェンがそれらの要請を断る可能性も低いが。

 

「そうさせて貰うが……本題は森の一団と俺が実際に交戦した未知のモンスターに付いてだろ?」

 

 本題に入るとバルアは頷き、しかしながらスヴェンに疑念に満ちた視線を向ける。

 彼の疑念は恐らく、『なぜ全員殺した?』そう聞きたいのだろう。

 しかしバルアから直接それを訊ねることはできない。

 今のスヴェンはあくまでも単なる旅行者に過ぎないからだ。

 

「森の一団……昨夜にゴスペルの構成員の遺体が発見された。貴殿は彼らを惨殺した人物を目撃したかね?」

 

「いや、俺は何も見てねえな」

 

 分かりきった嘘を吐くとミアから視線を向けられる。

 嘘に対する疑問の視線ーー確かに嘘を吐く必要は無いが、これも今後の為に必要なことだ。

 

「……攫われた人々の解放、危険組織の構成員の討伐。それを行った人物は勲章を授与されるべき功績を立てたと思うが?」

 

「俺に言われてもなぁ。第一目撃者が居ねえならアンタらの功績にしちまえ、邪神教団に対して動けねえ状況で名誉を回復させておく必要が有るだろ」

 

 魔王救出後の先、万が一にでも邪神教団が再び王家や国の重鎮を人質に取れば国に対する国民の信頼も失落する。

 邪神教団に対して動けないが、犯罪組織に対する抑制や活躍を示し続ければ、魔法騎士団の支持を失うことは避けられる可能性が十分に有る。

 それを理解したバルアは眼を伏せながら息を吐く。

 

「……では、心苦しいがその人物の功績は我々の物としよう。それで貴殿が遭遇したモンスターというのは?」

 

 スヴェンは一昨日の戦闘とモンスターの風貌を思い出しながら話した。

 

「あー、頭部は三頭の狼、身体は獅子、尾は蛇つうなんともチグハグな風貌だったな」

 

「……そんなモンスターは今まで一度も遭遇した例を聴かないが、他には?」

 

「群れリーダーを中心にした集団行動。リーダーの指示で動き影を操り、足元の影から剣山を作り出したりとかされたな……俺はまだ魔法に関して無知だが、影を操る魔法ってのは存在すんのか?」

 

「確かに影を操る魔法は存在する。他にも光の屈折や自身を透明化させると言った個性的な魔法も実在しているな」

 

 テルカ・アトラスには実に様々な魔法が実在している。

 全てを理解し把握するには時間と膨大な知識量が必要になり、現状では全てを把握することは叶わない。

 その都度、魔法に対しては事前の知識と経験で対応する他に無いようだ。

 

「……魔法に関しては知識の蓄えが必要だな。ま、モンスターに関してもアンタらに任せるわ」

 

「うむ、モンスターの脅威を排除するのも我々騎士団の役目だ。……それはそうと未知のモンスターをなんと呼称すべきか」

 

 それはバルアが頭を悩ませる程のことなのだろうか? スヴェンが疑問を眼差しで向けると、ほとんど静観していたミアが口を開いた。

 

「じゃあ! ワンヘビというのは!?」

 

 壊滅的なネーミングセンスにスヴェンとバルアの間に沈黙が流れた。

 何とも言えない気不味い空気にミアも察したのか、

 

「……此処は第一発見者のスヴェンさんに決めて貰うのはどうでしょう!」

 

 こちらに丸投げしてきた。

 スヴェンは面倒に思いつつも、内心で呼んでいた名を口にする。

 

「アンノウンってのは如何だ? デウス・ウェポンじゃあ未知だとか未確認に対する総称だが、新種ってのはそう何度も誕生する訳でもねえんだろ?」

 

「……ここ千年の間は新種の誕生は記録されていないな。ふむ、ならモンスター研究班が詳しい生態系を解明する間はアンノウンと呼称するとしよう」

 

 未知のモンスターの名称がアンノウンと決まった所で、スヴェンは椅子から立ち上がる。

 

「そろそろ出発しねえとまた守護結界外で野宿する事に成りそうだな」

 

「そうだった! それではバルア隊長! 私達はこれで!」

 

 そう言ってミアはスヴェンの手を引っ張り、急ぐように尋問室を退出する。

 その後、スヴェンとミアはアシュナと共にライスに何も告げずーー宝箱の大量の金貨だけを置いてルーメンを後にした。



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4-10.舞い降りる依頼

 雨が降り続ける平原をハリラドンの荷獣車が走る。

 空から近付く羽ばたき音にスヴェンは窓に視線を移す。

 荷獣車に追い付く大鷲とその背中に乗ったゴーグルを掛けた少女と目が合う。

 そして満面の笑みを浮かべた少女が声高らかに叫んだ。

 

「空が繋がる限り何処でもお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

 時速六十キロは出すハリラドン、更に大鷲が放つ風圧の中で確かに宣伝する少女にスヴェンは思わず感心を浮かべ、手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「おい、荷獣車を停めてやれ」

 

「え〜? ウチの子と大鷲のどっちが速いか気になりません?」

 

 何故か張り合う姿勢を見せるミアに呆れた視線で睨む。

 そもそも地を走るハリラドンと自由に空を飛べる大鷲が競った所で、勝負は恐らく大鷲に軍配が上がるだろう。

 実際に競い合わせない限り結果は判らないが、スヴェンとしては無駄にハリラドンの体力を消耗させることも避けたかった。

 

「勝負ごとなら町に到着した後で勝手にやれ」

 

「スヴェンさんはノリが悪いなぁ〜。でも速達という事は、ブラックさんからだよね」

 

 先日送ったガンバスターの改良に付いての返事がもう来た。そう考えたスヴェンは珍しく心が弾むのを抑えながら、配達員の少女に視線を向ける。

 そしてハリラドンが足を止めると大鷲も地上に降り、少女が軽やかな身のこなしで着地した。

 

「スヴェン様とは二度目ですね! まさか同じお客様と続けて会う日が来るとは思ってもみませんでしたよ!」

 

 愛想笑いと彼女なりの社交辞令だと理解したスヴェンは適当に頷くと、少女は愛想笑いのまま荷物箱から手紙を取り出す。

 

「届け物は一通だけか?」

 

「いえ、スヴェン様宛に二通ですね」

 

 ブラックから手紙が届くならまだ理解できたが、もう一通の送り主にミアと共に疑問を浮かべた。

 クルシュナからとも考えられたが、手紙の両面を見ても差出人の名は書かれておらず、なら魔法で秘匿してるのかと思えばそれも違う。

 配達する少女なら差出人に付いて何か聴いている可能性も有る。そう考え少女に訊ねる。

 

「もう一通の差出人は誰だ」

 

 すると少女は困った様子で簡潔に答えた。

 

「こちらにも守秘義務が有るので読んで判断して欲しいですね。あっ! でも開けたら爆発するとかそういう危険性の高い魔法は常に省いているので大丈夫ですよ!」

 

 少女の言う通りなら手紙が開いた瞬間に爆死することは無さそうだ。

 

「安全面から信頼も高そうだな」

 

「はい! なので安心してこちらにサインをお願いしますね!」

 

 愛想笑いとは違う眩しい笑顔を浮かべる少女に、よほどデリバリー・イーグルで働く事に誇りを持っていることが判る。

 スヴェンは慣れた手付きで受取票にサインを記入し、少女から二通の手紙を受け取った。

 そのままスヴェンが荷獣車の中に戻ると、

 

「それではまたのご利用お待ちしております!」

 

 少女は軽やかに大鷲に跳躍しては、雨が降る大空を舞う。

 大鷲は瞬く間に南に飛び去り、スヴェンはミアが荷獣車に戻ったのを確認してから最初にブラックの手紙を開いた。

 手紙に視線を落とせば、ブラックが書いたとは思えない文字と字面にスヴェンは疑問を浮かべる。

 以前に読んだブラックの文字はデカく力の篭ったものだったが、今回の文字はどうにも少女らしい文字だ。

 

 ーーそういや、ブラックには娘が居たな。名は何だったか?

 

 確かミアと同級生だったこととクロミスリル製のナイフを鍛造した少女。スヴェンがブラックの娘に対して覚えている情報はその二つだけだった。

 幾ら記憶を探っても肝心の娘の名が出て来ない。スヴェンは仕方ないとため息混じりにミアに視線を向ける。

 

「アンタの同級生……ブラックの娘の名はなんだったか」

 

「スヴェンさん、忘れちゃったの? まあ、会ったのは一度きりでろくに会話もしてなかったもんねーー」

 

「エリシェ、ブラックさんの娘はエリシェだよ。ちゃんと覚えてあげてね、あの子はすごい武器好きで在学中も色んな考案をしてたんだから」

 

「あー、それでか」

 

 ブラックの真意は不明だが、娘のエリシェの修行の為にガンバスターの改良を任せた。それが今回の手紙に繋がると推測したスヴェンは改めて手紙に視線を落とす。

 

「『スヴェン、ミア! 今度、フェルシオンに行く、ガンバスターの改良計画、引き受ける』って書いてあんな」

 

「エリシェがフェルシオンに? でもエルリア城からフェルシオンまで最速で5日はかかるけど」

 

 ガンバスターの改良の為だけにフェルシオンでエリシェを待つか、そのまま先を進むか。

 いずれガンバスターの改良はやらなければならない課題であり、それは速い事に越した事はない。

 ただ無事にエリシェが辿り着けるとも限らないが、そこは彼女を信じる他にない。

 

「ならフェルシオンで数日滞在だな……問題はこっちの手紙だが、さて何が書いてあるのやら」

 

 謎の人物から送られた手紙にスヴェンは嫌そうな眼差しを向け、ミアは好奇心に満ちた視線を手紙に向けた。

 すると天井裏から顔を覗かせるアシュナも、『早く手紙を読んで!』と言わんばかりに瞳を輝かせていた。

 なぜいつも無表情のアシュナが手紙一つに感情を見せるのかが不思議だが、読まない事には何も始まらない。

 逆に読まないという選択肢も有るが、経験上この手の手紙を無視してろくな目に遭わない。

 スヴェンは一息吐き、面倒臭そうに差出人不明の手紙を開く。

 すると見慣れた字面にどっと冷や汗が噴き出る。

 手紙の差出人こそ書かれていないが、読み取れる内容は、

 

「……『フェルシオンで調査を行う、貴方にだけ護衛を依頼、期日は調査完了まで、待ち合わせは、ミラルザ・カフェ』」

 

 紛れもない護衛の依頼だが、恐らく送り主はレーナなのだろう。

 だとすれば彼女が何を目的に調査を、しかも自ら内密で行うのかが疑問でも有るがーー依頼を引き受ければ都合も良い。

 そう考えたスヴェンはミアとアシュナに視線を向け、

 

「姫さんから護衛の依頼が来た」

 

 改めてレーナからの依頼を告げるとミアとアシュナが嬉しそうに頬を緩めた。

 心を弾ませる二人を他所にスヴェンは、小難しい顔で思考に耽る。

 フェルシオンで何かが起ころうとしているのか、既に起きた後なのか。レーナが調査に出るということは恐らく邪神教団の対策を含めてか。

 いずれにせよフェルシオンに行けば判ることだ。



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間章一
用意する者


 新しい武器、未知の構造と出会える。そんな機会に恵まれたエリシェが上機嫌に店のカウンターで鼻歌を奏でると、一人の客が訪れた。

 訪れた客に顔を向けたエリシェは思わず声を失うーー綺麗な金髪と吸い込まれそうな程綺麗な碧眼、そして赤と青基調の軽装を着こなした少女に眼が離せない。

 

 ーーな、なんて美しい人なの!? まるでレーナ姫みたい!

 

 レーナと似た雰囲気、気品と美しさを滲み出す少女にエリシェは笑顔を取り繕う。

 

「お、お客様! 本日は何をお求めで?」

 

 少女は一度辺りを見渡してから指を頬に添えーーそれだけの仕草で愛らしさが醸し出され、エリシェの胸が高鳴る。

 まるで恋でもしたかのように高鳴る胸にエリシェは、大きく息を吸い込む。

 そんな様子を見ていた少女はくすりと小さく笑い、

 

「あの子から話には聴いていたけれど、反応が面白いわね」

 

 透き通る声に漸くエリシェは気持ちを落ち着かせ、一つ生じた疑問を訊ねる。

 

「あの子……あたしの知り合いなのかな?」

 

 すると少女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、愛らしく小首を傾げて見せた。

 

「うーん、どうでしょう?」

 

 少女と知り合いと思える人物に繋がりが見えて来ないが、それは目の前の少女の仕草を前では些細な問題でしかないのかもしれない。

 そう考えたエリシェは質問を止め、

 

「えっと……それでお客様は本日は何をお求めで?」

 

「そうねぇ、剣を一つ……だけど貴女本来の口調で接客して欲しいかな」

 

 言われてハッとする。そういえばあまりにも美少女な彼女を前に自分はいつの間にか緊張していたのか、本来では有り得ない丁寧な接客になっていた。

 危うく自身の接客スタイルを見失うところだったと、エリシェは額の汗を拭い、改めて少女に告げる。

 

「それじゃあ、おすすめはそっちの壁に立て掛けられてる一本の長剣だよ!」

 

 なんと言ってもそれは自身の力作だ。職人として厳しいブラックからのお墨付きと評価を得た自慢の一級品。

 それを彼女が扱えば絵になるだろう。何よりも職人として誉れ高いと思えた。

 

「そう。少し試してみても良いかしら?」

 

「構わないよ」

 

 すると許可を得た少女は、軽やかに鞘から長剣を抜き放ちーー蒼白い剣身が顕となる。

 少女は透き通る刃の美しさに感心を寄せ、縦に一振り。

 単なる縦斬りだが、鋭く素速い一撃にエリシェは眼を見開く。

 

 ーーうそ、美少女ってだけでもすごいのに、剣術も相当だ!

 

 学生の頃からレイを始めとした剣術を得意とする生徒達の試合を観てきたエリシェにとって、少女が放った一撃は彼らの数段上を行ってるように思えた。

 ただ、剣術に関する素人目からの判断だ。今は留守にしてる父なら少女の剣術がどのレベルまで届いているのか一眼で判断もできただろう。

 長剣を構える少女を見詰めるエリシェに、彼女は笑みを向けた。

 

「気に入ったわ」

 

 力作なだけは有って、素材に糸目を付けず気が付けば中々高価な一品物になっていた。

 エリシェは価格から少女が断念するかもしれない。そんな不安を胸に抱きながら料金を告げる。

 

「……っ! それ一本で銀貨50枚になるよ!」

 

 すると少女は何の躊躇も無くテルカ銀貨五十枚が入った金袋を差し出した。

 金袋の中身を鑑定すると、確かにテルカ銀貨五十枚。頭で力作が売れたのだと理解した瞬間、エリシェの心は晴れやかな感情に溢れた。

 そんなエリシェを他所に、少女はショートパンツの帯ベルトに鞘を挿す。

 そして少女はエリシェに満面の笑みを向ける。

 

「ありがとう、これで私もフェルシオンに出発できるわ」

 

「い、いやぁ……え? あなたもフェルシオンに行くの?」

 

「えぇ、もしかして貴女もあの町に?」

 

 なんの因果かお互いに同じ町に向かう。エリシェはスヴェンのガンバスターの改良の為に向かうが、果たして目の前の少女は何を目的にしているのだろうか?

 開催される闘技大会は全員木製の剣で出場することになっている。だから大会が目的では無いのだと理解が及ぶが、

 

「あたしは出張で……そういうあなたは?」

 

「私? うーん、デートかな」

 

 少女は恍けるように答えたが、真意はいずれにせよもしも彼女とデートできる男性が居たら、その人は町中で刺されても可笑しくは無いとさえ思えた。

 

「えぇ、姫様と似てる美少女とデートできる相手が羨ましいなぁ!」

 

「……似てるか。うん、よく言われるわね」

 

 笑みを浮かべる少女にエリシェは首を傾げた。何処か楽しいそうで悪戯が成功した時に浮かべるような笑みーーその笑みの理由は判らないが、此処で少女と一度きりの関係も惜しいとさえ思える。

 だからこそエリシェは一つ提案する。

 

「此処からフェルシオンまで五日、モンスターの生息地域は危険で一杯。だからあなたが良ければあたしも同行させて欲しいなぁ、なあんて」

 

 同伴する理由が少女には無い。自分でも無理を言ってると理解し、半ば諦めていると少女はエリシェにとって予想外の返答を返した。

 

「いいわよ。何なら五日なんてかけず転移で一瞬よ」

 

「いいの!?」

 

「一人も二人も変わらないもの。それに歳の近い子と一緒にお出掛けに憧れていたから」

 

 言動から高貴な身分だと理解できるが、エリシェは少女の素性を詮索するのは野暮だと思えた。

 ただ、少女をなんと呼べばいいのか判らない。

 

「あっ、そう言えばお互いにまだ名乗ってなかったよね。あたしはエリシェ、あなたは?」

 

 自己紹介をすると少女は、思案顔を浮かべていた。

 

 ーーもしかして名を聞いちゃダメなやつ?

 

 妙な緊張と不安に襲われると、漸く少女はエリシェを真っ直ぐと見詰め、

 

「レヴィよ、私はレヴィ」

 

 レヴィと名乗った。

 

「それじゃあ短い間だけどよろしくね、レヴィ!」

 

「えぇ、こちらこそよろしくエリシェ」

 

 お互いに握手を交わし、くすりと笑みが漏れる。

 こうしてエリシェはブラックが帰宅した後、荷物を背中にレヴィと共にフェルシオンに旅立つ。

 去り際にブラックがレヴィに驚いた様子で凝視していたが、それが何を意味するのかこの時のエリシェには理解も及ばなかった。



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第五章 護衛と蔓延る陰謀
5-0.前触れ


 薄暗い水路で慌しい足音と水飛沫が反響していた。

 雨による洪水によって水路の水は激しく流れ、一歩でも足を滑らせれば瞬く間に流されてしまうだろう。

 そんな水路で青みかかった黒髪、紫色の瞳に紳士服を着こなした少年ーーアラタが長剣を片手に全身包帯で覆われた痛々しい少女を支えながら追手から逃げていた。

 傷だらけの少女は肩にぐったりと身体を預け、彼女の弱りきった様子にアラタが声を掛ける。

 

「お嬢様! もうすぐ出口です!」

 

 お嬢様と呼ばれた少女リリナは呻き声をあげ、アラタは悲しげに眉を歪めた。

 なぜ? 如何して? 心優しいお嬢様がこんな目に遭わなければならないのか。

 アラタには彼女の身に起きた悲劇が何一つ理解出来ず、背後から追って来る気配を鋭く睨む。

 憎悪と必ず復讐してやると強い殺意を込めて。

 

 ーーでも、今はその時じゃない。

 

 一人で突っ走ってまたリリナが囚われの身になれば今度はどんな仕打ちがされるのか。

 両目を潰され、両足の神経を切られ皮膚を剥がされるだけじゃ済まされない。

 次はリリナの命が危ぶまれるーーいっそのことこれ以上の苦痛から解放するべきか。

 しかしアラタに愛する彼女を苦しみから解放する勇気も度胸もない。

 希は優秀な治療師に彼女を治してもらう他にない。

 問題はそれ以前に彼女の父親、ユーリがいよいよ連中の脅しに屈してしまうかもしれない。

 だから今は急がなければならない。そう足に力を入れ、アラタは歩く速度を速める。

 追手をやり過ごすように水路を進み、事前に予定していた出口が見え始めた頃、アラタはリリナに声をかけた。

 

「お嬢様、もう少しで救出隊とも合流できます。だからもう少しの辛抱です……っ」

 

 出口の方向から突然影が差し、アラタは恐る恐る視線を向ける。

 そこには長い赤髪に整った顔立ちの男性が漆黒の刃を片手に佇んでいた。

 味方と一瞬思ったが、アラタはその男性の姿を見て息を飲む。

 男性の頭部には生え揃った角、蝙蝠の翼と尻尾ーー魔族の証が鮮明に刻まれ、彼が敵の可能性にアラタはリリナを肩に寄せながら剣を向ける。

 

「魔族……そこを退け!」

 

 敵意を向けると魔族の男性が眼を伏せ、残念そうに肩を竦めた。

 

「……彼女に訪れた悲劇は心苦しいが、悪いが此処を通すわけにはいかん」

 

 謝罪と罪悪感を宿した言葉を吐くと魔族の男性が突如姿を消す。

 アラタは背後に警戒を向け剣を一振り。

 鈍い金属が水路に響き、アラタの右肩から血飛沫が噴き出た。

 

「……なっ?」

 

 確かに防いだ、その手応えは有った。

 なのに強烈な痛みが肩を襲う。

 アラタは恐る恐ると自身の剣に視線を向けると、そこには無惨にも折られた剣の姿だった。

 アラタが斬られたのだと理解するよりも速く、腹部に衝撃が襲う。

 ドスっ! 漆黒の刃が腹部を貫き、魔族の男性が剣を引き抜く。

 腹部から流れ出る血と脱力感にアラタの身体は、リリナを残して水路に傾く。

 必死に彼女の手を掴もうと伸ばすが、その手は包帯だらけの少女の小さな手に届かずーーアラタの身体は水路の激流に呑み込まれた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 魔族の男性は呻き声をあげるリリナを支え、激流に流し出される水路に視線を落とし呟く。

 

「……これでいい」

 

 彼は助かる可能性は有るが、あの水路の先はモンスターの生息地域だ。余程の運が無い限りアラタはモンスターの餌になるだろう。

 運が良ければ誰かに拾われ、運が悪ければモンスターの餌食に。

 どちらに転ぶかは運次第。運が絡んだ要素ならば下手に疑われることも無いだろう。

 ままらないものだ。魔族が自身の立場と置かれた状況にため息を吐く。

 そんな彼の背後にアラタを追っていた一団がようやく追い付き、現状を理解した荒くれ者がため息混じりにぼやく。

 

「旦那、あんまり勝手に動かれちゃ困りまっせ」

 

「……次は気を付けよう」

 

「頼みまっせ? ……あー、でもこの後どうしやすかね? 取引する筈の出荷物が届かないんじゃ、あっしらも動かざるおえやせんぜ」

 

 荒くれ者の困った様子に魔族の男性は知らんと言わんばかりに顔を背け、拠点にまともに歩くことさえできないリリナを連れて行く。



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5-1.拾う者に福無し

 スヴェン達を乗せた荷獣車が豪雨の中、鋼鉄の大橋を進む。

 梅雨の豪雨がファザール運河を増水させ、濁流が激しく流れ荒波がファザール橋を波打つ。

 激しい水飛沫がファザール橋に振り撒かれ、窓から眺めていたスヴェンがぼやく。

 

「随分と降るな」

 

「そりゃあ梅雨だもん」

 

 確かに梅雨ともなれば豪雨に見舞われても可笑しくは無いが、どうにもエルリア城出発から今日までいい旅路とは言い難い。

 こんな雨の日もきっと何かの前触れなのだろう。漠然とした思考でファザール運河に視線を落とすと、激流に流される少年の姿に思わず眉が歪んだ。

 

 ーーフェルシオンまで平和に行きてぇもんだ。

 

 スヴェンの内心とは裏腹に、少年の存在に気付いたミアが声を張り上げる。

 

「スヴェンさん! 運河に人が! ど、どうする!?」

 

 そんなものは見捨ててしまえと言いたいが、これからレーナと会う約束も有る。

 問題は極力避けたいがあの少年が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い以上、レーナの身を護る為には仕方ないと言えた。

 スヴェンは荷物から丈夫な縄を取り出し、

 

「荷獣車を停めろ」

 

 言われたミアはすぐさま手綱を操りハリラドンを停め、スヴェンは荷獣車から飛び出し、素早く車輪に縄を巻き付ける。

 そして少年の位置と大橋までの距離を確かめたスヴェンは、躊躇無くガンバスターと縄を片手に激流が流れるファザール運河に飛び込んだ。

 命綱をしっかりと握り締め、濁流に身体を流されまいと耐える。

 やがて流れに身を任せた少年が近付き、スヴェンはその身体を受け止め、命綱を伝ってファザール橋に上がるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ずぶ濡れの身体をそのままに、少年を荷獣車の中に運び込んだスヴェンは眉を歪めた。

 腹部から血を流す青みのかかった黒髪に紳士服を着こなした少年。服を捲り上げれば、鋭利な刃で貫かれたが故意に致命傷が避けられている。

 それよりも問題は水を大量に飲み込んだ少年の息も無く、出血で弱りきっていることだ。

 呼吸の確保と治療を優先すべきだと判断したスヴェンは拳を握り、拳を少年の腹に叩き込んだ。

 衝撃で血が噴き出るが代わりに少年が、

 

「げほ……がはっ……おえっ!」

 

 水を吐き出し、荒々しく息を吸い込む。

 

「ミア、コイツを治療してやれ」

 

「……うん。それは良いけど、もう少し優しく助けてあげてよ」

 

「人工呼吸が嫌な時はこの手に限んだよ」

 

「……かなづちの私は気を付けないとダメじゃん」

 

 運動神経は悪くないと思っていたが、意外にも泳げないとは。

 意外に思いながらスヴェンはその場をミアに譲り、防弾シャツを脱ぎ出した。

 桶の上から防弾シャツを絞り水を捻り出す。このままズボンから水分を絞り出したいが、生憎と側にはミアが居る。

 今は防弾シャツだけで我慢だ。そう思考を浮かべるとーー治療を行うミアと視線が合う。

 ミアの歳頃なら異性の身体に興味を持つこと事態が自然だ。ただ、治療魔法を使用している彼女が意識を逸らして大丈夫なのか? 

 そんなふと沸いた疑問をミアに訊ねた。

 

「……意識を治療に向けなくていいのか?」

 

「私ぐらいになると治療魔法はよそ見しても余裕だよ」

 

 ドヤ顔を浮かべているが、高揚した頬までは誤魔化せない。

 スヴェンはミアにジト眼を向け、

 

「……ソイツの華奢な肉体でも眺めてろエロガキ」

 

「え、エロガキとは失礼な」

 

 反論するミアを無視し、素早く防弾シャツを着ては、タオルを取り出し濡れた髪を拭く。

 すると治療を終えたミアが立ち上がり、

 

「はい、治療完了。呼吸も安定してるけど、先ずは温かいスープを飲ませてあげないとね」

 

 そう告げてはそそくさと先頭に戻って行った。

   

 ▽ ▽ ▽

 

 身形を整え、少年に温かいスープを飲ませてからしばらくして豪雨は嘘のように晴れ、曇り空の隙間から陽射しが差し込んだ。

 

「うっ……こ、ここは?」

 

 漸く意識を取り戻した少年が起き上がり、不思議そうに辺りを見渡したかと思えば突如血相を変え、

 

「そ、そうだ! お嬢様!? お、お嬢様はどうなったのですか!」

 

 事実も何も知らないスヴェンは少年の頭にチョップを叩き込んだ。

 痛みから頭を抑え、悶絶する少年にスヴェンはため息混じりに訊ねる。

 

「お嬢様とやらは知らねえが、アンタの名は? その身形から見て何処かの使用人にも見えるが……」

 

「……あっ、すみません。取り乱してしまって……ボクはアラタ。ユーリ様の一人娘、リリナお嬢様に支える使用人です」

 

 ユーリ、リリナ、そしてアラタの名を記憶したスヴェンは手綱を握るミアに視線を向けた。

 

「ユーリ様と言えば、フェルシオンを王家から任された貴族様だね」

 

そんな貴族の一人娘に何かが起こり、アラタは負傷しファザール運河に流されたと。

 何らかの事件がフェルシオンで起きたのは明白だが、スヴェンは考え込む素振りを見せながらアラタに質問を重ねる。

 

「何でアンタはファザール運河に?」

 

「……恐らく、フェルシオンの水路で刺された時に……あの都市の水路はファザール運河と繋がってるから」

 

「刺した奴の顔は見たのか?」

 

「名前までは知りませんが……あれは、間違いなく魔族でした……きっとお嬢様はまた連中にっ!」

 

 アラタは力足らず、リリナを護り切れなかった不甲斐なさに怒りから拳を強く握り締めた。

 それは血が滲むほどで、そんな怒りを抱くアラタにスヴェンは真っ直ぐと見詰める。

 

「あー、お嬢様が囚われた理由やソイツを実行した犯行勢力に着いてはどの程度知ってんだ?」

 

「お嬢様を攫った連中の正体までは判らないけど、お嬢様を誘拐した理由は旦那様が知ってるはず」

 

「アンタは聴いてねえのか?」

 

「今回の件に関しては旦那様も酷く動揺なさってましたから、何も教えてくれませんでした」

 

 理由を他者に、例え娘の使用人であろうとも答えられない要求が何か。

 スヴェンは封印の鍵絡みかと推測したが、それなら邪神教団が魔法騎士団を牽制する為に公言する可能性が高いと思えた。

 なら今回は邪神教団では無い別の組織か。それとも魔族が魔王解放の為に犯行に及んだのかまでは推測の域でしかない。

 この件はレーナの耳にも入れておくべきだろうと判断したスヴェンは、自身やミアの素性を隠した上でアラタに訊ねた。

 

「あー、質問を重ねるが、なぜアンタはファザール運河に?」

 

「それは……旦那様の私兵部隊とお嬢様の救出を試みたんです。それで、お嬢様を連れ出すことまでは成功したのですが、出口ももう少しという所で魔族に……っ」

 

「他に仲間は同行してなかったのか?」

 

「……? いえ、大所帯で乗り込んでもすぐにバレてしまいますから救出は自分一人でした」

 

 単独侵入による救出。救出対象が一人だけならそれも可能だったが、最後に魔族に阻まれたことを考えるに、恐らく魔族が協力していたことまでは掴めなかったのだろう。

 

「……お嬢様は誘拐されてからどれぐらい経つんだ?」

 

「それは、二週間と五日程になりますかね」

 

 それは丁度メルリアで三千人の子供が誘拐された時期と重なる期間だ。

 同時期にフェルシオンでも事件が発生し、更にゴスペルがフェルシオンで人身売買を計画していた。

 何らかの繋がりを感じるが、偶然の可能性も有る。

 考え込むスヴェンにアラタは不思議そうに訊ねた。

 

「あの、先から質問ばかりですが……貴方方は騎士団の人ですか?」

 

「いや、単なる旅行者だ」

 

「旅行者が事件を詳しく……?」

 

 こちらを疑う眼差しにスヴェンは、それも当然な眼差しだと受け止めた。

 リリナの救出作戦に失敗した直後に、質問責めに合えば疑うのも仕方ない。

 

「俺が気にしてんのは、旅先に安全が有るのかどうかだ。旅行ってのは楽しく心穏やかに行きてもんだろ?」

 

「……それもそうですね。すみません、変に疑ってしまって」

 

 随分と素直な姿勢なアラタにスヴェンは、彼の人の良さに一株の不安を抱いた。

 正直に言えばスヴェンの素性は怪しい点ばかりだ。それを疑いもせず信じ込むアラタに、あまり情報を与えるのも得策とは思えない。

 スヴェンが質問は終わりだと言わんばかりにアラタから視線を外すと、今度はアラタがスヴェンを真っ直ぐ見詰め、

 

「あの! ボクの傷を治療したのは何方でしょうか!」

 

 スヴェンはミアの方に視線を向け、

 

「そっちの自称美少女が治療したんだよ」

 

「自称とはなによ!」

 

 こちらを振り向き、反論するミアにアラタが顎に指を添え、

 

「貴女は皮膚を削がれ、潰された両目を治療できますか!?」

 

 突如アラタから飛び出した物騒な単語に、リリナの身に何が起こったのか容易に察したスヴェンはミアを見つめた。

 

 ーー確かにコイツなら治療できそうな気がもするが、どうなんだ?

 

 できるのかできないのか、そう視線で問う。するとミアは、

 

「どんな状態にもよるけど、眼球の細胞が少しでも残ってればそこから再生治療も出来るし、削がれた皮膚だって生きてる限りは元通りに治療できるよ!」

 

 自信満々に胸を張って答えた。

 動き回る喧しい細胞治療装置。スヴェンは内心でミアをそう評しつつも横目でアラタに視線を向ける。

 すると彼は希望を見出した様子で眼を輝かせ、何かを決意したのかはっきりと告げた。

 

「お嬢様は必ずボク達が救出します! だからその時は、貴女に治療を依頼してもいいでしょうか!?」

 

「良いけど、フェルシオンに長居てるとも限らないよ」

 

 確かにフェルシオンに滞在する目的は、レーナの護衛とエリシェとの合流だ。

 それが済めばフェルシオンに滞在する理由も無ければ、魔王救出を急ぐ旅だ。

 項垂れるアラタを他所に、スヴェンは見え始めた港町に視線を移しーーレーナの目的次第にもなんのか。

 アラタが抱える事件に関わるのはレーナ次第だと、スヴェンは人知れずため息を吐く。



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5-2.再会

 貿易都市フェルシオンに到着したスヴェンは、別れを告げるアラタを真っ直ぐ見つめ、

 

「良いのか? 下手をすりゃあアンタは町中で始末される可能性だって有るだろ」

 

 アラタは一度リリナの救出を試みて失敗し、敵に顔を見られている。

 町中に危険が潜んでいる。それは誰にも言えることだが、彼の見つめ返す眼差しは覚悟を抱いた戦士のそれだった。

 そんな目をされてはスヴェンが何も言う事は無い。

 

「……愚問だったな。ま、無事に救出できたんならミアを頼れ」

 

 それだけ告げるとアラタは神妙な表情で頷き、

 

「その時は頼りにさせて貰います。あ、ちゃんとお礼も弾みますので!」

 

 最後にそれだけ言い残して、アラタは大衆の中に消えて行く。

 スヴェンは改めて木造の船が停泊する港に眼を向け、各国の国旗を掲げる商船に目を奪われる。

 木造の材質はモンスターの対策としては心許ないように感じるが、魔力を意識すればそんな不安は杞憂だとすぐさま理解した。

 船の全体に張り巡らされた魔法陣、マストの帆に刻まれた魔法陣の存在が恐らくモンスターの対策に使われてるのだろう。

 船に限らず、乗員の屈強な面構えからモンスターを退けてきたという戦歴が窺えたーー魔法大国に限らず各国に施された備えにスヴェンは舌を巻く。

 そこからスヴェンは各国の商船が掲げる国家に眼を向け、ファザール運河の地理を頭に浮かべた。

 ファザール運河は四国と繋がる大河だ。丁度ファザール運河の中間に位置するこのフェルシオンは、各国にとっても交易場所としては都合が良いのだろう。

 スヴェンはそう考え、改めて旅行者らしく気掛かりな点をミアに訊ねた。

 

「流石にヴェルハイムの商船は入港してねえか」

 

「うん。ファザール運河の上流に位置するけど、今の現状だとね。それに邪神教団が積荷に紛れ込む侵入者を警戒して交易を止めちゃったんだよ」

 

 確かに侵入者を警戒するなら交易を止めるのは理に適っていると言える。ましてや国など関係無い邪神教団にとって、交易を開く理由も無いのだ。

 連中には独自の調達ルートと専門の行商人や仲介人が存在する。それらを叩かない限り邪神教団が衰えることも無い。

 

「まあ、魔族にとっちゃ迷惑な話しだろうな」

 

「魔族に限らず、ヴェルハイムは周辺国と比べて畜産物がトップだからね。実は各国は獣肉や魚肉なんかはヴェルハイムから輸入してるんだよ」

 

 スヴェンが見た限りのエルリアではあまり影響が無いようにも思えるが、ミルディル森林国やドルセラム交響国を始めとした周辺同盟国やパルミド小国も決して無視はできない影響を受けているかもしれない。

 魔王アルディアの身に何かが起これば、これまでの貿易に少なくない影響を受ける。スヴェンはそれが各国が魔王一人を切り捨てられない理由の一つだと考えた。

 

「……魔王を切り捨てられねえ理由の一つか?」

 

「うーん、ミルディルは菜食主義の国だから影響は皆無だし……それ以前に封神戦争時代に初代魔王がアトラス神の陣営として各国の祖を救った影響が大きかも」

 

「なるほど、先祖の恩人の血を引くなら無碍にはできねえわけか。それなら何故切り捨てられねえんだとか、疑問の解消にもなるが……それにしちゃあ姫さん一人に荷を負わせすぎじゃねえか」

 

「スヴェンさんがそう言うのも仕方ないけど、これでも色んな援助は受けてるんだよ?」

 

 どんな援助を受けてるのか。純粋に気になる点も有るが、それでもレーナは異界人が齎した被害に対する補填を自らの資産で補ってきた。

 そもそも邪神教団に対して各国が強く出られない状況では仕方ないのかもしれない。

 スヴェンはミアの話しに納得した姿勢を見せつつ、予定に付いて切り出す。

 

「あ〜ハリラドンを何処に停めるんだ?」

 

 基本荷獣車は町や村の入り口か、各宿屋の繋ぎ止めに限られている。

 一応路上停車も可能だが、時間が経つに連れ駐車料金を支払うことにもなる。資金はなるべく無駄遣いしたくないため、路上停車は控えたいが。

 

「うーん、私も色々と考えたけどさ。今回は護衛の依頼だから同じ宿屋の方が好ましいんだよね? だから待ち合わせ場所まではこの子も一緒かな」

 

 結局護衛対象と同じ宿泊場を利用する以上、路上停車は避けられない。

 スヴェンはミアの判断に同意を示すように肯定すると、

 

「それじゃあミラルザ・カフェに向かうけど、護衛の指定はスヴェンさんだけなんだよね?」

 

 手紙の内容に付いて改めて問われ、ついでに天井裏から覗き込むアシュナと目が合う。

 

「あ〜、指定は俺だけだが……そうだな、アンタらは宿屋で休むやり観光なりで楽しんで来い」

 

 五月二十八日にエルリア城を旅立ち、今日は六月三日だ。まだ旅立ってそんなに時が経過してる訳では無いが、一度休暇を入れても良い頃合いだ。

 そもそも二人は少女だ。男と違って色々と準備や補充も必要になるだろう。その事を踏まえた提案だったのが、二人は不服そうにスヴェンを睨んでいた。

 

「……何が言いてえ?」

 

 睨まれる言われも無ければ、思い当たる節も無い。スヴェンは逆に鋭い眼光で睨み返すと、ミアとアシュナが視線を逸らした。

 

 ーーあー、アシュナは知らねえが、ミアは姫さんのファンクラブ会員だったな。

 

 スヴェンは漸く睨まれた理由に至り、如何するべきか思案した。

 同行者を増やすにしては、男一人に女三人連れは目立つ。それは傭兵としても好ましくない。

 弾除けにはなるが、ここでミアとアシュナに何かあれば魔王救出は遠退く。

 なら取れる手段は一つしかないっとスヴェンは、二人に提案することにした。

 

「仕方ねえ、護衛者にバレねえように後から着いて来い」

 

 不測の事態に備えればこの方法は妥当と言えるだろう。

 ましてや、フェルシオンで活動してる犯罪組織や魔族の件も有る。ミアは兎も角としてアシュナが影から着いて来るのであればある程度の懸念は拭える。

 

「スヴェンって話が分かるよね」

 

 無表情でそう告げるアシュナだったが、心無しか気合いが入っているようにも見えるーー姫さんがそれだけ慕われてるってことか。

 

「任せてよ。いつでも不埒者を刺せるようにするから!」

 

 その不埒者に自身が数えられてないかスヴェンは疑問視したが、笑顔を見せるミアに黙りを決め込むことにした。

 何処かに居るかもしれないレーナファンクラブを敵に回すのは得策とは言えない。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェン達がミラルザ・カフェに到着し、店内に入ろうとドアに近寄ると外に並べられたテーブル席で、

 

「あっ! スヴェンとミアだ! お〜い!」

 

 元気な呼び声にスヴェンとミアは思わず足を止め、其方に視線を向けては二人の顔が驚愕に染まった。

 エルリア城でフェルシオンまで五日は掛かる距離の筈が、何故かこちらに手を振るエリシェとその隣で静かにティーカップを口に運ぶ金髪碧眼の少女に驚きを隠せない。

 

「え、エリシェ!? ど、如何してもうこの町に!?」

 

 確かにミアの驚きも頷けるが、スヴェンは改めて冷静に隣の少女に視線を向けーーまさか、変装のつもりなのか?

 普段の着飾ったドレスとは程遠い、軽装な服装を着こなしたレーナの姿がスヴェンに冷静さと答えを齎す。

 エリシェがレーナと同行しているなら、彼女が保有する転移クリスタルでこの町に転移して来た。

 なぜ都合よくエリシェと一緒なのかは謎だが、スヴェンは考えても仕方ないと思い、二人の下に歩み寄る。

 するとレーナはこちらに静かに顔を向けては微笑み、

 

「いらっしゃい。二人共座ったら?」

 

 相席するように促した。それにスヴェンとミアは従い、改めてミアは『悪態が成功した!』と言わんばかりに笑みを浮かべるエリシェに訊ねた。

 

「如何してエリシェがもうこの町に居るの?」

 

「いやぁ〜偶然そこのレヴィさんがフェルシオンで待ち合わせしてるって聞いて、あたしも同行させて貰ったの。転移クリスタルでこの町まで一瞬でね!」

 

 レヴィと紹介されたレーナにスヴェンが視線を向けると、彼女は片目を瞑りミアとエリシェに気付かれないように人差し指を立てた。

 どうやらエリシェには正体を隠すために偽名を名乗っているようだ。そこまで理解したスヴェンは、まだ気付いていないミアに何とも言えない眼差しを向ける。

 

「転移クリスタルって便利ね。でもエリシェが無事に到着できて良かったよ」

 

「あたしもまだ職人として未熟なうちは簡単に死ねないよ。それに! スヴェンがガンバスターを触らせてくれるんだから引き受けない手は無いでしょ!」

 

「俺はてっきりブラックが来ると踏んでたんだがな」

 

 あの予想外の手紙を思い出しながらそう告げると、レヴィが鞘から長剣を引き抜いて見せた。

 見事な剣身と握り込み易い柄。一眼見て鋭い斬れ味をほのりながら、レヴィの引き抜いて見せた動作はあまりにも軽やかだった。

 これまで数々の武器を曲がりなりにも扱ってきた経験からこれを鍛造した職人は一流だと判断する。

 

「貴方ならこれを見て職人の腕前を理解できるんじゃないかしら?」

 

「あぁ、見事としか言えねえよ。そんな奴に相棒を任せられるが……あー、ひょっとしてそいつを鍛えたのはエリシェなのか」

 

 レヴィの意図を察したスヴェンがエリシェに視線を移すと、彼女は照れた様子で頬を掻いていた。

 

「まだ父さんと比べたら未熟だけど、鍛造したその剣を見た父さんが今回の件をあたしに任せてくれたんだ」

 

「ブラックの推薦なら安心か。……ってか改めて挨拶しておく必要は?」

 

 先程から隣でレヴィを『誰? 姫様は??』っと言わんばかりに凝視してるミアを見兼ねて訊ねると、レヴィは苦笑を浮かべた。

 単に服装を変え、髪型をポニーテールに変えただけで正体を隠せるとは本人も内心で複雑なのかもしれない。

 レヴィは一旦咳払いすると、改めてミアを真っ直ぐと見詰めては名を名乗る。

 

「改めまして私はレヴィ。今回は急遽あのお方の代行としてこの場所に来たわ」

 

 柔かな笑みを浮かべ、依頼書をスヴェンに差し出した。

 

「そ、そうですか……私は彼の案内人のミアと言います。本日は護衛の依頼とのことでしたが具体的なことは?」

 

「えぇ、何処を調査するのかも聴いているわ」 

 

 ーー心無しかしょげてるミアに対して姫様さんは楽しそうだな。

 

 会えると期待していたミアだが、実際に来たのはレヴィと名乗る謎の少女だった。確かにミアにとっては落胆なのだろうが、何故正体に気付かないのかが理解に苦しむ。

 普段コイツらはレーナの何処を見て判断してるのか。

 スヴェンが内心でそんな事を考えていると、ミアはレヴィを真っ直ぐと見詰め、

 

「……レヴィさんって髪を解いたら、姫様に似てるって言われませんか?」

 

 そんな会話を他所にスヴェンは依頼書に眼を通し、護衛内容や注意点、今回の目的を頭に叩き込む。

 最後に高額報酬に目が行くが、金額よりも今は信頼を得るのが先決だ。

 依頼書に眼を通し終え、受諾のサインを記してから二人の会話に耳を傾ける。

 

「よく言われるわね。けれど私と姫様は別人よ」

 

 レヴィは微笑みながらティーカップを口に付けるが、その仕草は優雅で滲み出る気品にスヴェンは一人だけ苦笑を浮かべる。

 隠す気が有るのか無いのか、それとも元来身に沁みた気品は隠しようがないのか?

 スヴェンがそんな事を疑問に浮かべると、ミアが小声で耳打ちしてくる。

 

「(あの、もしかしてレヴィさんって姫様?)」

 

 漸くレヴィの正体を理解したミアに、

 

「(やっと気付いたな)」

 

 正解だと告げるとミアは、一瞬硬直しては瞬時に理解が及んだのか微笑んだ。

 

「えっと、レヴィさんのことはレヴィって呼んでも良いですか?」

 

「およ? 打ち解けないと呼び捨てしないミアが珍しいね。でもレヴィさんと仲良くなりたいって気持ちは分かるよ!」

 

「そりゃあねえ? 私も歳の近い友達ってエリシェぐらいだしさ」

 

「……そう、友達……それじゃあ私には敬語は不要よ。だからよろしくねミア、エリシェ」

 

 三人の親睦が深まったっと感じたスヴェンは、頃合いだと判断して改めて護衛に付いて切り出す。

 

「あー、さっきそこの天然ボケも言ったが、本題に移って良いか?」

 

「構わないけれど、エリシェは如何するのかしら?」

 

「あ、あたし? うーん、まさかレヴィの待ち合わせ人がスヴェンだって思ってなかったけど、あたしの方は夜とか空いてる時間でも大丈夫だよ」

 

 スヴェンとしてはその辺りは如何でも良いが、確かに日中含めた時間をレヴィ、もといレーナの護衛に時間を使うならエリシェとガンバスターに付いて話し合うのは必然的に夜になるだろう。

 尤も今回もスヴェンがまともに宿泊できるとは限らないが、折角フェルシオンまで来たエリシェに詫びの一言は入れるべきだ。

 

「悪りぃな、折角来てもらってよ」

 

「そこは別に構わないよ。でも詳しいことも聞きたいから沢山付き合ってもらうよ?」

 

 そう言って楽しげにウィックを見せるエリシェにスヴェンは、それで済むならと承諾した。

 

「……アンタとは共有して起きて情報も有るが、そいつは移動しながらで構わねえか」

 

「それで構わないわ」

 

 そう言ってレヴィは立ち上がると、

 

「あっ、私とエリシェは港の宿屋フェルに部屋を取って有るけれど、もう二人ほど追加で宿泊できるわよ……スヴェンの部屋は隣に確保させて貰ったけど問題無いかしら?」

 

 護衛として考えればレヴィの采配は好ましい最善手だ。だからスヴェンが彼女の決定に文句を言うことも無かった。

 特に同室にミア、エリシェ、アシュナが宿泊するならレヴィの護りに関して心配する必要ーーミアは以前アシュナが潜入しても気付かずに寝ていたが、大丈夫なのだろうか?

 別の不安要素にスヴェンは眼を細める。

 

「宿部屋を確保する手間が省けたが……ミア、アンタも気を張っておけよ? 前回みてえに気付かねえで寝坊なんざ、笑えねえからな」

 

「わ、分かってるよ。今回は緊張して眠れないかもだし」

 

 そこは護衛に支障をきたさないようにしっかりと睡眠を取って欲しいが、スヴェンがそこまで気にかけてやる必要も無い。

 そろそろ仕事に移るべきか。スヴェンは早速立ち上がり、

 

「そんじゃあ行くか」

 

 ミアとエリシェと別れ、レヴィの護衛を開始した。



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5-3.スヴェンとレヴィ

 貿易都市フェルシオンの中央区に到着したスヴェンとレヴィは、周囲を通行する人々の話し声に眉を歪めた。

 

『リリナお嬢様は無事なのか?』

 

『分からない。だけど、さっき港の用水路で全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体が発見されたって』

 

『ぜ、全身の皮膚をだって!? なんでそんな猟奇殺人が……いや、被害者は誰なんだ?』

 

『……あまりにも惨過ぎて何処の誰かも分からないそうだ』

 

 港の用水路で発見された全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体。果たしてそれがリリナなのかは、生憎とスヴェンに確かめる方法は無い。

 それとも全くの別人なのか。そんな考えを頭に、視界の先に映り込む巨大な塔に思わず足を止める。

 スヴェンは隣りを歩くレヴィを他所に、町の中心に位置する時計塔を見上げた。

 町を訪れた時は港の商船に眼を奪われたが、時計塔の高さは狙撃地点として有効な位置だ。

 魔法の射程距離にもよるが、あの開放的な最上階は遠距離魔法に注意を向けるには十分だろう。

 逆に開放的過ぎる最上階で狙撃に移ろうものなら、地上からはっきりと見える位置から多人数に目撃される。

 それは狙撃地点としても落第点だ。従ってスヴェンは時計塔を警戒リストから除外した。

 

「時計塔が気になるのかしら?」

 

 こちらの視線に気付いたレヴィの問い掛けにスヴェンは、彼女に視線を戻し歩き出す。

 

「いや、観光客らしく名所を見上げただけだ」

 

 護衛対象のレーナーーレヴィには襲撃の脅威に曝されず、視察を無事に終えて欲しいものだ。

 内心ではそう思う反面、傭兵としての経験と理性が望み通りにはならないと訴えかけてくる。

 それも当然だと思えた。既にフェルシオンは何かしらの陰謀が渦巻いている状況だ。現に猟奇殺人が行われ、警戒を十分に引き上げる必要も有る。

 スヴェンの内心とは裏腹に隣りを並走して歩くレヴィが、

 

「観光名所といえば、明日から闘技大会が開催されるわね。出場の受付は今日の夕方までだけど、貴方も出場してみる?」

 

 事件の噂を敢えて話題に出さず、彼女の誘いにスヴェンは冗談はよしてくれと言いたげに肩を竦める。

 

「アンタの護衛が離れる訳にもいかねえだろ? 第一観戦する分にはいいが、見せもんになんのは願い下げだ」

 

 そう告げるとレヴィは意外そうな表情で愛らしく小首を傾げる。

 何の意図も無い天然で行われる仕草に、彼女の元々の美しさと愛らしさに魅了された通行人がレヴィに老若男女問わず一眼奪われていた。

 

 ーーただの仕草でこうも注目を集めただと!?

 

 スヴェンが内心で冷や汗を浮かべると訊ねられる。

 

「訓練はよく参加するのに?」

 

 先程の返答に対する疑問。それとこれとは別だと話しを終わらせるのも簡単だが、訓練と大会における姿勢の違いもむろん有る。

 

「俺が訓練に参加すんのは生残る技術を磨くためだ。だが、大会は娯楽と腕試しだろ? 生憎と大会に参加してまで力を誇示してぇとも思えねえんだよ」

 

「なるほど……それじゃあ明日は一緒に観戦できるわね」

 

 何処か嬉しそうなレヴィの笑みーーあぁ、自由に観戦もできねえのか。

 彼女の立場では視察という名目が無ければ観戦も難しいのだろう。確かに王族の身に何か有れば大事では済まないのも事実だ。

 そもそも以前、何かを理由にして護衛として連れ出すという提案をしたが、彼女の思惑は別に有るのだろう。

 そう考えたスヴェンは、歩きながら今回の目的に付いて本題を切り出した。

 

「……あー、そろそろ今回の目的に付いて話しを聞いても良いか?」

 

「もちろんよ。目的は幾つか有るのだけど、その一つがフェルシオンで起きている事件の調査ね」

 

 わざわざ王女の立場に有るレーナがやるべきことでは無い。 

 

「……そいつは魔法騎士団に任せておけ」

 

 低めの声で告げると、レヴィは静かに首を横に振る。

 

「まだ邪神教団が事件を起こしたとも限らないけれど……リリナが誘拐されたのは私の耳にも届いてるわ」

 

「あー、その話しなら専属の使用人に聴いたな」

 

「そうアラタから、なら話しが速いわね。リリナを誘拐した理由までは魔法騎士団も把握し切れていないけれど、最近この町では禁じられてる人身売買が行われてるそうなのよ」

 

「……ルーメンの南の森でゴスペルの構成員が惨殺されたらしいな」

 

 恍けるように話すスヴェンに、レヴィはじと目を向けた。

 それは『それやったの貴方よね?』っと確信を抱いた眼差しだった。

 既にレヴィの耳にルーメンの件が耳に届いてるなら話も早い。

 

「それで? ルーメンの件とリリナ誘拐に繋がりはあんのか?」

 

「それを含めた調査よ。と言っても邪神教団が起こした事件なら魔法騎士団は介入できないわよね?」

 

「それでわざわざアンタが調査に乗り出したってか? あんま褒められた行動でもねえぞ」

 

「それは分かってるわ。だけど私はレヴィよ? 事件調査事務所を設立したっておかしな話しじゃないわ」

 

 微笑みながら語られた単語にスヴェンは一瞬だけ思考が停止した。

 エルリア魔法騎士団も各国の戦力と見做される組織は邪神教団に対して行動できない。だが、何処の国家にも属さないアトラス教会はその範疇には入らない。

 では、合法的に邪神教団に対して介入するにはどうすればいいか。

 それは誰かが事件の調査及び解決を目的にした個人営業所を開業してしまえばいい。

 そこまで思考してレヴィが何をやろうとしてるのか理解したスヴェンはーーマジかよ。

 ただ、微笑む彼女を前に呆然とすることしかできなかった。

 

「だからスヴェン。傭兵の貴方を護衛として個人的に雇ってるのよ」

 

 レヴィのそんな言葉に漸く理性と理解が現実に追い付いたスヴェンは、

 

「許可は降りたのかよ」

 

 一つ大事なことを訊ねる。

 彼女はレヴィと名乗っているが、実際はエルリアのレーナ姫だ。そんな立場も有る彼女が動くにオルゼア王の認可が必要になるはずだ。

 

「先日漸く許可が降りたわよ。それに用意した書類も手続きも既に受理されてるわ」

 

 邪神教団が必要以上に彼女を警戒する理由は、単なる召喚魔法に限らない。彼女のその裏を突くような行動力が脅威と見做されたのだろう。

 そもそもそんな計画を立てていたなら、ますます異界人の必要性は皆無に等しいーー異界人が切り捨てられたと誤解を与えそうなものだが。

 スヴェンは敢えてその話題を頭の片隅に追い遣り、

 

「そうかい。それで? 活動すんにもお偉いさんの許可は必要だろ」

 

「えぇ、だから今からユーリ様の屋敷に向かうわ」

 

「……っつうか、今のままじゃあ正体がバレんだろ」

 

「そうかしら? エリシェは誤魔化せたわ……ミアには遅れて気付かれちゃったけれど」

 

 何処か悪戯を楽しむ様子で笑みを浮かべたレヴィに、スヴェンは肩を竦めた。

 以前、彼女に『お転婆でもないだろうに』そう聴いたことも有ったがーー今のレヴィは年相応のお転婆娘だ。

 それともレーナという立場は表面上で、レヴィという内面が彼女本来の性格なのだろうか?

 どっちにしろレーナとレヴィでも雇主に変わりはない。そう結論付けたスヴェンは、サイドポーチから愛用のサングラスを取り出す。

 サングラスをレヴィに手渡すときょとんっとサングラスを見詰めた。

 レヴィは普通にしていても容姿から目立つ。特にレーナと共通点ーー本人だから共通点もないが、一先ず特徴の一つで有る瞳を隠せば正体が露呈し難いだろう。

 

「そいつならアンタの瞳も隠せる」

 

 そう告げるとレヴィは自らサングラスを掛けーー物陰に潜むミアとアシュナの鋭い視線がスヴェンの背中に突き刺さる。

 ちらりと視線を向ければ、物陰の壁に亀裂を入れるミアとアシュナ、そんな二人に苦笑を浮かべるエリシェにスヴェンはそっと視線を逸らす。

 

「ど、どうかしら? 変な所はない?」

 

「お〜、ばっちりだ。何処からどう見てもあや……レヴィにしか見えねえよ」

 

「いま怪しいって言いかけたかしら? でも良いわ、一度こういう変装をしてみたいと思っていたから」

 

「そいつは良かったよ。……んじゃあ、そろそろ行くか」

 

 そんなありふれた提案をすると、レヴィは楽しそうに歩き出した。

 そんな彼女の背中にスヴェンは、年相応の少女らしい一面を感じながら歩き出す。

 背後から三人の視線を背中に感じながら。



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5-4.浮かぶ疑念

 スヴェンとレヴィはフェルシオンの中央区に位置する豪邸に到着していた。

 フェルシオンを王家から任されたユーリ伯爵の住まいは、娘のリリナが誘拐された影響もあり魔法騎士団とは違った武装集団によって厳重な警備が敷かれていた。

 

「……あんま金持ちには良い思い出がねえが、お嬢様の件は確認すんのか?」

 

 スヴェンの問い掛けに対してレヴィは愚問だと言いたげな眼差しで頷いた。

 町中で耳にした全身の皮膚が剥がされた水死体。それがリリナなのか、それとも全く別の事件で発生した猟奇殺人なのかは今の所不明だ。

 どちらにせよはっきりさせる必要性は有るが、果たして真相は如何なるのか。

 スヴェンが事件に付いてあれこれ考え込んでいると、レヴィは真っ直ぐ門まで歩き始め、二人の門番が立ち塞がるが、

 

「ユーリ伯爵様と面会の約束を取り付けているレヴィという者ですが、お会いになれませんか?」

 

 透き通るような声と丁寧な物腰、そして堂々とした立ち振る舞いに二人の門番が怯む。

 やがて二人の門番は互いに顔を見合わせると、

 

「えぇ、旦那様から話しは伺っております。そちらの護衛の方もどうぞ中へ」

 

 どうやら既に話しは通っていたようで、待たされる必要も無くスヴェンとレヴィは屋敷に通された。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 色鮮やかな調度品で飾られた応対室に通された二人は、既に部屋で待っていた人物に一礼した。

 

「よくいらっしゃった。お二人とはお初になるのかな?」

 

 スヴェンはちらりと視線を向ける。茶髪、長身痩躯に窶れた頬と疲弊した表情が印象に残る男性ーーユーリの優しげな眼差しにスヴェンがは密かに視線を外した。 

 リリナの誘拐と猟奇殺人に彼が心労から疲弊するのも無理はない。

 

「えぇ、初めまして。私はレヴィ、それでこちらが護衛のスヴェンですわ」

 

「おお! 君が……話しはアラタから聴いているよ。いや、本当に彼を救ってくれてありがとう」

 

 既にアラタから話を聴いていたのか。スヴェンはそう理解しては、

 

「偶然通りかかっただけだ」

 

 当たり障りも無い態度で返答した。    

 そんな返答にユーリは笑みを浮かべたまま、仕草で座るように促す。

 スヴェンは護衛の立場ということもあり、レヴィの背後に立つ。

 するとレヴィは真っ直ぐユーリの瞳を見つめながら話しを切り出した。

 

「此処を訪ねる前に町中である噂を耳にしたのですが、お聴きしてもよろしいでしょうか?」

 

 町中で色々な噂が飛び交うのか、ユーリはどの噂か検討が付かないと言いたげに少々困ったような笑みを浮かべた。

 

「噂……貴女が耳にした噂ですか」

 

 確かに町を護る貴族ともなれば日々様々な噂や憶測が飛び交うのだろう。

 スヴェンは情報に踊らされる人々を浮かべては、二人の会話に耳を傾ける。

 

「港で全身の皮膚を剥がされた水死体に付いてです」

 

「……それは、確かについさっき、まさに貴女方が訪れる少し前に飛び込んできたね。既に死体の検死を始めている頃合いだろうけど……君の気掛かりは猟奇殺人犯かね?」

 

「そちらも気掛かりですが、最も気掛かりなのはリリナお嬢様の安否です」

 

「というと、まさかリリナが犠牲に?」

 

 娘が犠牲になった可能性が高い話に、ユーリは比較的落ち着いた様子だ。

 その事に疑問を感じたのはスヴェンだけでは無く、質疑をしているレヴィもだった。

 だがレヴィは敢えて話を続けていた。

 

「リリナお嬢様が誘拐された話とスヴェンが聴いた彼女の状態と符合する部分もあり……もしやと思い訊ねたのですが、貴方を様子を見るにお嬢様は無事なのですね」

 

 レヴィの確信を持った指摘にユーリは静かに頷いたが、決して笑みを浮かべることはしなかった。

 父親として喜ばしい状態だが素直に喜べない状態でリリナが帰って来たと言ったところか。

 スヴェンはユーリの瞳の感情の揺らぎとアラタとの会話から結論を浮かべながら彼の言葉、言動と感情の揺らぎを注視した。

 

「あぁ、リリナは無事さ。いや、猟奇殺人が起きる前に屋敷に帰って来たんだよ」

 

 リリナは無事だと告げるユーリの姿に、スヴェンは疑心を向ける。

 あまりにも不審な点が多すぎる。

 誘拐し、皮膚を剥がされるなど拷問を受けたリリナをわざわざ誘拐犯が返すなど有り得ない。

 それは自ら人質を手放すも当然の行為だ。特に娘の状態を見た者なら怒りを胸に、誘拐犯に報復に出る可能性だって高い。

 なら何故誘拐犯はリリナを返したのか。わざわざアラタを水路に流し一度は捕縛したリリナを。

 レヴィも不審に感じたのか、思考を並べるスヴェンに視線を向けてはユーリに向き直す。

 

「……犯人がわざわざお嬢様を返還したと?」

 

「公に言えないから内密にして欲しいんだけど、魔族が娘を救出してくれたそうなんだ」

 

「魔族が、ですか? ……そうですか。それではお嬢様は今は?」

 

 魔族が動いてるとなれば邪神教団の関与を疑って当然だが、レヴィが質問しないという事は彼女には何か考えが有るのだろう。

 スヴェンがそう考えていると、今度はユーリの表情が苦痛と涙に歪む。

 

「……リリナは帰って来たけど、全身の皮膚が剥がされ……っ。なんの怨みが有ったのか……っ! 両目を潰されていたんだ」

 

 リリナの現状に悲しみと怒りが入り混ざり、それでも感情を剥き出しにしまいと堪えるユーリにレヴィが眼を伏せた。

 

「……お嬢様の身に起こった不幸は忌むべきですが、彼の連れに優秀な治療師が居ます。その者に頼めばお嬢様の怪我は癒えるでしょう」

 

「ああ、だからリリナの生還を知ったアラタがミアさんを捜しに町に出ているんだ」

 

 そのミアなら屋敷近くの物陰に潜んでいる。流石にそんな事は言えず、スヴェンとレヴィは互いに間の悪い状況に困惑を浮かべた。

 しかしスヴェンとレヴィが言い出す前に、背後のドアが突如勢いよく開きーースヴェンは右腕を背中のガンバスターに伸ばす。

 視線をだけを向けれるとミアを引き摺るように連れて来たアラタと眼が合う。

 

「あ、あれ!? スヴェン、来てたんですか……あっ! 旦那様! ミアを連れて来ましたよ!」

 

「うん、ご苦労様。だけどアラタ? 幾ら急いでいたとは言えら大切な客人をぞんざいに扱うのはどうかと思うよ?」

 

 此処まで勢いで連れて来られたのか、ミアは白目を剥いたままぐったりとしていた。

 

 ーーコイツが此処に居るってことは、アシュナとエリシェは外か?

 

 スヴェンはミアの心配などせず、外に居るであろう二人が乗り込まないことを願いながら事の成り行きを見護ることにした。

 そしてアラタがそのままミアを連れて退出すると、微妙な空気が応対室に漂う。

 

「えっと、本題は治療が終わってからにしましょうか?」

 

「いや、大丈夫だよ。多分、完治したリリナの姿を見たら今日は号泣し続けてまともに応対もできないだろうから」

 

「そ、そうですか。では、本題に移りましょう」

 

「うむ。君の要件は【レヴィ調査事務所】の活動認可だったね……具体的にどんな調査を主にするのか聴いてもいいかな?」

 

「もちろんです。私が設立した調査事務所は邪神教団が関与してると思われる事件の調査及び解決を目指すことを主目的にしていますわ」

 

「例えば今回なら、猟奇殺人とお嬢様誘拐犯に付いて。そして巷で行われている人身売買の摘発になります」

 

 この町で起きている事件に付いて調査する。そう告げるレヴィに対して僅かにユーリの眉が動いた。それをスヴェンがは見逃さず、ふと疑問に思う。

 一体彼は誘拐犯から何を要求されていたのか。要求を拒んだからこそリリナは見せしめに拷問を受けたのではないか?

 犯人から告げられた要求によっては、邪神教団の関与がすぐに分かりそうだがーー今回は簡単にはいかねえか?

 ゴスペルとそれを追うオールデン調査団。そして人身売買に魔族など問題は山積みだ。

 

 ーー邪神教団絡みは魔王救出で大分解決するが、到着するまでに連中の戦力を削るに越したことはねえな。

 

 スヴェンにとって異世界で起きた事件はどうでもいいが、魔王救出の依頼を果たす為なら多少の寄り道も厭わない。

 呆然と思考を並べるスヴェンを他所に、レヴィが差し出していた書類にサインを記すユーリの姿にスヴェンは視線を向けた。

 

「連中から届いたわたしに対する要求は、君達に他言もできないけれど……どうかこの町を悪辣な犯罪者から救って欲しい」

 

「えぇ、最善は尽くします」

 

 そう言ってレヴィは立ち上がり、

 

「あっ、最後にリリナお嬢様を一眼見ても大丈夫でしょうか?」

 

「ふむ? それは何故かね」

 

「これも調査の一環と思って頂ければ」

 

「そうか。あまり長い時間面会はできないと思うけど、リリナの気晴らしになるなら是非ともお願いしよう」

 

 そう言って笑みを浮かべるユーリを背中に、スヴェンとレヴィは静かに応対室から退出する。

 そして静かな誰も居ない廊下でスヴェンは彼女に訊ねる。

 

「アンタの正体は知られてんのか?」

 

「うーん、あの様子だと知られて無いと思うわ。だけどその方が好都合よ」

 

 確かにレヴィの正体がレーナだと露呈するのは得策ではない。

 邪神教団の耳が何処に有るのか。既に何かしら仕込みを終えた後だと警戒すれば、迂闊にレヴィの正体に繋がる言動は控えるべきだ。

 でなければ、彼女がわざわざ介入する口実や用意も無意味になるーーそうなれば最後、特急戦力の介入と見做した邪神教団が魔王アルディアを殺害する可能性もあり得た。

 改めて綱渡り的な状況にレヴィの度胸と駆け引きに、スヴェンは内心で彼女に対する評価を改めていた。



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5-5.救われたお嬢様

 アラタに拉致も同然にユーリの屋敷に招かれたミアは、一瞬スヴェンとレヴィに会ったのだが、それも眼を回している間のことでーー気付けば車椅子に座った全身包帯が巻かれた重傷の少女の前に連れられていた。

 自身の扱い方にアラタに文句の一言も言いたく、睨み付けるが、当人はリリナを心配するあまりこちらの様子など気に留めていない様子だ。

 

「……はぁ、私の雑な扱いはこの際いいですよ。さっそく治療に入りますから貴方は部屋の隅っこに居てください」

 

 そう告げると文句も無しにアラタは部屋の隅に向かった。

 改めて痛々しい姿のリリナに胸が痛む。彼女はラピス魔法学院に在学していた先輩だったーー何度か眼にする機会は有ったが、まさかこうして治療しに訪れるとは一体誰が想像できたか。

 感傷に浸ってる場合じゃない。そう切り替えたミアは車椅子を部屋の中心に移動させると、リリナの呻き声が耳に届く。

 どうやら喉も潰されている様子。かなり大掛かりな治療魔法が必要だと判断したミアは杖を引き抜く。

 そして杖の先端に魔力を流し込み、杖を巧みに操りリリナを中心に魔法陣を床に構築させる。

 

「魔法陣を床に? えっと、どんな治療を?」

 

 アラタの疑問にミアは答えようか迷ったが、実践と結果を見せた方が早いと判断し、魔法陣の外側で杖を掲げ、

 

「悍ましき傷負し者に癒しの風を吹き込まん」

 

 通常の詠唱とは異なるもう一つの詠唱を加える。

 

「再生と癒しと共に汝に失われし光を」

 

 やがて高まったミアの魔力を魔法陣に注ぎ込み、癒しの風がリリナの身体を優しく包み込む。

 彼女はスヴェンとは違う一般人だ。身体が鍛え上げらても無ければ弱った生命力に再生は負担が大きい。

 そう判断して少々詠唱の手間は有るが、広範かつ確実に傷を治療できる癒しの風を唱えた。

 しかしミアの想定よりもリリナの包帯が取れ、元通りに治療された素肌が顕になる。

 

 ーー幾ら私が優秀だからって速すぎる。

 

 本来治療魔法陣に対象を置き、癒しの風が治療し終えるには早くて半日は掛かるはずだ。

 なのにリリナの治療はわずか数分で終わりーー疑念を浮かべるミアは漸く気付く。

 包帯が取れ、顔を真っ赤に染め上げるリリナの様子に。

 そして彼女が何も纏わず、産まれたての姿なことに。

 

「アラタさんは大至急着替えの用意を! あと眼を開けずに出てください!」

 

「じ、自分は何も見てません!!」

 

 そんな反論に視線を向ければ、アラタはしっかりと眼を強く瞑っていた。

 なんとも紳士的だと思いながら器用に部屋から退出する彼を見送る。

 そしてミアはリリナに眼を合わせないように気を付けながら向き直った。

 リリナの茶髪を視界に移すと、

 

「眼を合わせてくれないんですの?」

 

「今のあなたは全裸ですから……」

 

 同性とはいえ、全裸のお嬢様を視界に入れる度胸をミアは持ち合わせてはいなかった。

 だから視線を合わせずにいるのだが、リリナの不服そうなため息が聞こえる。

 

「そうですの。……あっ、それよりも治療の謝礼が先ですわね」

 

「それは服を着てからで構いませんが……あの、一体どうやって救出されたんですか?」

 

 アラタから得た情報が正しければ、人質同然のリリナが安易に解放される筈がない。

 きっとスヴェンとレヴィもその不審点を疑っている事だろう。

 

「目も見えず、歩けないわたくしを誰かが運び出してくれたのは確かですけれど……それがどなたかは存じ上げませんわ」

 

 確かに眼を潰されていたリリナが視覚から情報を得るのは難しい。

 ましてやヴェイグのように他の五感が発達してる訳でもないから、彼女が犯人やわざわざ連れ出した人物の手掛かりを得る事はないのだろう。

 それを理解して犯人はわざわざ解放した?

 ミアは浮かんだ疑問からリリナに意識を集中させ、身体に巡る魔力に異常が無いか知覚させる。

 すると魔力は減ってこそいるが、極めて正常に下丹田に渦巻いている様子が確認できる。

 怪しい点も魔法を刻まれた様子も無い。なぜリリナが解放されたのか益々疑問が強まるが、ミアは開いたドアの音に振り向く。

 

「失礼、お客様。お嬢様を着替えさせるので一時退出をお願いしても」

 

 入室したアラタに似たメイドがリリナの着替えを手に、ミアに一礼していた。

 

「構いませんよ。廊下で待機してますので終わったら呼んでくださいね……まだ治療魔法の具合や魔法陣の解除も終わってませんから」

 

 ミアはちらりと魔法陣に視線を向け、部屋を後にする。

 廊下で待つ間、先程部屋に残した魔法陣に付いて頭に浮かぶ。

 あの魔法陣は解析しようとも術者でもあり、魔法陣の基礎部分を一から構築した自身以外には誰にも扱えない治療魔法だ。

 特に秘匿性も無い魔法陣ーーふと、自身が必要以上に警戒してる様子に困惑が浮かぶ。

 

 ーー私ってこんなに疑い深い性格だったかな?

 

 自身に何かしらの変化が訪れたのか、それとも誰かの影響を受けたのか。きっと後者に違いないっと結論付けたミアが改めて廊下を見合わすとスヴェンとレヴィの姿が映り込む。

 

「ミア、もう治療は終わったの?」

 

 仕事が速い。そう感心した様子を見せるレヴィにミアは頬を緩める。

 

「えぇ、治療に関しては優秀だからね!」

 

「確かにアンタの治療魔法を体験すりゃあ納得もする」

 

 胸を張って答えると、意外にもスヴェンが肯定的に頷いていた。

 それが意外に思えて思わずスヴェンの紅い瞳を見詰めれば、彼は鬱陶しいそうに眼光を鋭める。

 そんな彼から視線を背けると、

 

「治療を体験? まさかスヴェンはケガを?」

 

 確かに彼は死んでもおかしくは無い重傷を負い、レーナに心配をかけまいとその件に関しては報告しなかった。

 だからいま真相を告げる訳にもいかず、ミアが視線を泳がせると、

 

「あー、言い間違えだ。何度か眼にしてれば優秀だってのは理解できんだろ」

 

「スヴェンさんが言い間違えなんて珍しいね? もしかして護衛と貴族様の屋敷で緊張してるの?」

 

「そんな所だ。貴族の屋敷ってのはデウス・ウェポンじゃあ訪れる機会なんざねえから、ましてや古代遺物に指定される内装はな」

 

「……そう、確かに観てるとミアがどれだけ優秀な治療師かは理解できるわね」

 

 レヴィのサングラス越しの視線に、ミアは改めて自身とスヴェンの発言が苦しい言い訳に思えた。

 事実、レヴィーーレーナはチェス盤で異界人の状態を確認することができる。

 彼女も忙しい立場だ。いつもチェス盤を確認してる事は無いだろうが、偶々スヴェンの重傷時を目撃していたら?

 ミアは報告に偽りが有る点に、改めて胃に痛みを感じては取り繕った笑みを浮かべた。

 

「あ、それでお二人はリリナ様にあいさつに?」

 

「えぇ。治療を受けて疲れてるでしょうけど、確認しておきたいことも有るからね」

 

 何を確認したいのだろうか? 確かに解放された点に置いては不信感が湧くが、レヴィが疑う程のなのか。

 ミアは疑問から改めてスヴェンに視線を向ける。

 

「確認したいことって? もしかしてスヴェンさんも何か疑ってるの?」

 

「……町中で眼を潰され、全身の皮膚が剥がされた水死体が発見されたそうだ」

 

 フェルシオンでそんな猟奇殺人が起こったことにも驚きだが、何よりも被害者の状態がリリナと一致してる箇所が多過ぎる。

 何方も皮膚を剥がされているから本人なのか確証を得るのも難しい。

 だがミアが治療魔法を施したことで、あの部屋に居るリリナは紛う事なき本人だと確定してるようなものだ。

 

「私、リリナ様をラピス魔法学院で何度か眼にしたことが有るんだけど、部屋に居るリリナ様は当時見た容姿と同じだったよ」

 

「そういえば貴女とリリナ様は先輩後輩の間柄だったわね」

 

「あん? アンタは学院で会わなかったのか?」

 

 スヴェンがレヴィにそんな質問するのも無理はないと思えた。

 彼はレヴィがラピス魔法学院に入学していない事実も、なぜ入学出来なかったのかその理由も知らないからだ。

 

「その事は……そうね、貴方になら話しても良いわね」

 

 同時にレヴィが話すと決めたことも意外だった。

 エルリア国民がラピス魔法学院に入学を義務付けられているが、王族のレーナが学院に通えず成人した事実を。

 当時の事や起きた事件は隠すべき汚点では無いが、王族としては口外も安易に相談もできなかった内容をスヴェンに話すと決めた。それはレヴィーーレーナの中でそれだけスヴェンは信用に値することなのだろうか?

 

「いいの? 確かにスヴェンさんは他言するような人じゃないけど」

 

「良いのよ。彼は私が雇った護衛だもの、私の事は知って貰った方がいいでしょ?」

 

「アンタが話したくねえなら別に聴く気はねえよ」

 

 スヴェンは他人の事情に踏み込むことを嫌がってるようにも思えるが、実際の所どうなのかはミアには理解できない。

 同時に彼の事も同行者として知りたいという想いが、胸の中で湧き立つがーーミアが口を開きかけた時にドアが開いた。

 

「お嬢様の召替えが終わりましたので、どうぞ」

 

 それだけ告げたメイドは一目散に退出しては、三人はお互いに顔を見合わせリリナが待つ部屋に入ることにした。

 

 ▽ ▽ ▽

  

 貴族らしい装飾品で着飾ったドレスに着替えたリリナが優雅な振舞いで出迎えた。

 

「改めまして、わたくしはリリナと申しますわ。そちらのミアさんでしたから? 貴女には治療をしていただき心から感謝しておりますの」

 

 こちらに近寄っては手を取り、ふふっと微笑むリリナにミアは愛想笑いを返す。

 するとリリナはスヴェンとレヴィに目も向けず、

 

「そこでわたくしは考えましたの。貴女をわたくし専属の治療師として雇うのはいかがかと」

 

 突飛な提案にミアは動揺せず何の反応も示さないスヴェンを横目に、

 

「今の私はそこの彼の案内人ですので、その提案は丁重にお断りさせて頂きます」

 

 当たり障りの無い返答を述べると、リリナは残念そうに肩を竦めてはミアから離れる。

 

「それは残念ですわ。そちらの殿方は貴女にとって余程大事ということですのね」

 

 別にそんな事は無い。反論しようかとも思ったが、スヴェンに視線を向ければ彼はどうでもよさそうな眼差しだ。

 そろそろ彼にはミアという超優秀な治療師をぞんざいに扱うことの恐ろしさを分からせる時が来たのかもしれない。

 

 ーー待って、姫様が居る場所で冗談はやめておくべきだよね。

 

 スヴェンをこの場でからおうとも思ったが、レヴィも居る手前話が妙な方向に拗れることは避けなければ。最悪の場合、スヴェンの同行者から外されかねないのだ。

 それはまだ目的も達成していない状況ではあまりにも不都合な話しだ。

 故にミアはリリナの返答にはぐらかすように微笑む。

 すると相手も漸く理解したのか、これ以上は詮索せず改めてスヴェンとレヴィに顔を向ける。

 

「それで、そちらのお二人方はわたくしにどんなご用ですの?」

 

「アンタにいくつか質問してえんだが、アンタにとっちゃ辛い質問になるがそれでも構わねえか?」

 

 辛い質問。それは事件に付いて調べる為に彼女に起きたことを改めて問うのだろう。

 皮膚を剥がされ、光を奪われる恐怖体験をしたばかりのリリナにとって辛い質問だ。

 現にミアが思っている以上にリリナの身体は恐怖で震え、呼吸を荒げていた。

 

「……その様子を見るに質問は無理そうだな」

 

「それじゃあ話題を変えましょうか」

 

「な、なんですの?」

 

 すっかりスヴェンとレヴィに怯えた様子を見せるリリナに、二人に恐怖を感じるのも無理はないのかもしれない。

 しかしレヴィの正体を知られるのは得策とは言い難い。例え、相手が貴族の娘であるリリナであろうとも彼女になんらかの暗示が施されていないとも限らないからだ。

 

「貴女とアラタの関係に付いて質問してもいいかしら?」

 

「えっ? わたくしとアラタのですか? それは……まぁ、彼とは将来を誓い合った仲ですわ」

 

 リリナは頬を高揚させ、恥ずかしそうに答えた。

 確かに二人は在学当時からそういう仲だともっぱらの噂だった。

 ただ、リリナがレヴィのその質問に素直に答えるという事は、まだ彼女はレヴィの正体に勘付いていないのだ。

 

「そう、なおさら身体が元通りになって良かったわね」

 

「えぇ。一時期はどうなるかと不安でしたけれど、それもこれもミアさんのお陰ですわ」

 

 笑みを浮かべるリリナに対し、スヴェンは何を思ったのか彼女に近寄りーー真剣な様子で顔の全体を触れた。

 突然のことに思考停止に陥るレヴィとリリナ、そしてミアはなおも顔を触れ続けるスヴェンの横脇に回し蹴りを放つ。

 だが子憎たらしいことに不意を付いた筈の回し蹴りはあっさりと回避され、

 

「なにしてんの!? 貴族のご令嬢に失礼でしょ!?」

 

 スヴェンにそう叫ぶが、彼は特に意に介した様子も無く何か考え込むばかり。

 そんな彼の姿に漸く、なんの理由もなく淫にリリナの顔を触れた訳ではないのだと理解が及ぶ。

 

「……ま、まぁ、い、異界人の殿方は大胆ですのね」

 

「私の護衛が無礼を働いてごめんなさいね」

 

 戸惑いを浮かべるリリナに対し、真意を察したレヴィは微笑みながら謝罪を告げると、まだ治療も間もないせいかリリナはふらつきながら車椅子に腰を下ろした。

 

「ごめなさい、まだ体力は万全じゃないようですわ」

 

「そうですね。リリナ様は数日絶対安静が必要な身体ですから、ゆっくり休んだ方がいいですよ」

 

 治療師として診断を告げ、手早く床に描いていた魔法陣を掻き消す。

 こうして用も済んだスヴェンとレヴィに続き、ミアは謝礼金の入った金袋をしっかり懐に収めてからユーリの屋敷を去るのだった。



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5-6.人の心在らず

 ミアと別れたスヴェンとレヴィは、発見された水死体に付いて調べる為に魔法騎士団の死体安置所を訪れていた。

 別れ際のミアはなぜそこまで調べるのか、そんな疑問を宿していたが魔法という存在があらゆる犯行の可能性に繋がる。

 少なくともスヴェンはそう考えており、同時に一度宿した疑念は中々払えるものではなかった。

 見張りの騎士が見護る中、スヴェンは台の上に置かれた遺体袋を開くーー全身の皮膚が剥がされ、恥部は愚か胸すらも抉り取られた猟奇的な痕跡にレヴィが眼を逸らす。

 この死体の前には騎士でさえ直視できず、そんなものは見たくないっと言わんばかりに顔を背ける始末だ。

 無理もない。頭部を丸ごと潰され頭髪さえも失った死体だ、まともな感性をしてる人間には辛いだろう。

 スヴェンは犯人の周到さに眼を伏せ、

 

「……ここまで徹底してやがるとはな」

 

 デウス・ウェポンでさえ時折り惨殺事件は起きるが、ここまで酷いのは中々無い。

 有るとすればそれこそ戦場で兵器をまともに受けるか、モンスターに惨たらしく殺害された兵士ぐらいだろう。

 

「貴方がリリナ様の顔をやたら触れたのは、骨格を調べるためだったのよね?」

 

 レヴィの問い掛けに対してスヴェンは、

 

「ああ、頭部の骨格が一致すりゃあ生きてる奴が犯人の一味だろ」

 

 屋敷で出会ったリリナが偽者と想定したうえで答えた。

 当然姿を真似る類の魔法の線も有るが、リリナの体内を巡る魔力も何らかの魔法が発動されている様子は無かった。

 そもそもミアが治療した時点で再生した皮膚から考えれば、彼女が本物だと証拠を確定してるようなものだ。

 それでもスヴェンの中で一種の疑念が拭えない。

 頭部さえ潰してしまえば死体が誰なのか判らない、にも関わらず死体は全身の皮膚を剥がされた挙句頭部まで潰されていた。

 ならこうも考えられるーー剥ぎ取った皮膚を魔法で被せ、完璧な変装を可能にしたと。

 しかしスヴェンの推測は仮説に過ぎない。この哀れな少女の死体が誰なのか判別しない事には何も始まらないだろう。

 仮にテルカ・アトラスにDNA鑑定技術が在るなら面倒はないがーースヴェンはダメ元でレヴィに訊ねる。

 

「この世界の医学は血液からDNA鑑定はできんのか?」

 

 レヴィにとって聴き慣れない単語だったのか、彼女は小首を傾げた。

 

「でぃえぬえ? よく分からないけど、貴方の言う医学が有れば死体の特定ができるの?」

 

「幾ら全身の皮膚が剥がされようが、体内に流れる血に刻まれた遺伝子は誤魔化せねえ」

 

「そう、魔法技術の研究ばかりしてるものね。魔法は便利だけれど死体の検死に向かない……エルリアでも医学の研究を進めるべきかしら」

 

「医学が進歩すりゃあ技術だけで肉体の欠損も治せる……ミアの才能が誰にでも使える便利な道具を生み出せると考えりゃあ一考の余地はあんだろ」

 

「……そんな技術が発展したらミアが泣きそうね」

 

 二人は泣き喚くミアの姿を想像し、つい二人の間に小さな笑みが漏れる。

 まだ技術が進歩していないなら別の方法で詮索するしかない。スヴェンが死体を丁重に調べていると、

 

「……そういえばスヴェン、実は20年ほど前にも全身の皮膚が剥ぎ取られた死体が発見される事件が有ったのよ」

 

 突然レヴィが過去に起きた事件に付いて語り始めた。

 

「場所はエルリア国内、フェル湖畔。犯人はまだ発見もされていないそうよ」

 

 魔法大国エルリアで起きた事件。魔法に関して発展したエルリアが犯人を発見できなかった。

 それは犯人が上手で隠蔽する協力者も居たとスヴェンは考える。

 

「その被害者の年齢は?」

 

「身長と体格から見て6歳の男の子よ……生きていれば26歳になるかしら」

 

 自身よりも二つ上になったであろう男の子。

 もしも犯人が共通した魔法を使っていたなら同一人物かそれともーー全く別の犯人か? 

 スヴェンは一先ず死体に指を滑らせ、レヴィが訝しげな眼差しを向ける。

 

「一応女の子の死体なのよ? あんまり触れたら失礼じゃないかしら」

 

「アンタが咎めたくなるのも判るが、触れてみてはじめて判ることもあんだよ」

 

「それで何か分かったの?」

 

 レヴィの質問にスヴェンはすぐに答えず、結論を得る為に慎重に遺体を触れる。

 やがて少女の遺体から痕跡を見つけた。

 まず犯人は鋭利な刃で肉の繊維に傷を付けていること。

 皮を削ぐ作業に慣れない素人が何度も同じ位置から刃を入れたのか、深く抉られた箇所も有る。

 ただ犯行に使われた獲物は鋭いが刃渡は短い、動物の皮を削ぐに適したナイフか。

 傷に魔力の痕跡も無いところを見るに、物理的に強引に無理矢理剥がしたーー無理に剥がしたせいか、肉の繊維が変な方向に向いてやがるな。

 

「刃物、それもナイフだな。それに犯人は随分と細かい作業が苦手らしい」

 

「触れるだけでそこまで判るものなの?」

 

「……傭兵ともなりゃあ、同部隊が何で殺されたか調べる事もあんだよ」

 

 尤もここまで猟奇的な死体は中々見ることも無いっとスヴェンは肩を竦めてみせた。

 そんなスヴェンに呆然と静観していた騎士が、

 

「そんな観点から検死を……貴方は現場を引っ掻き回す異界人とは違うのだな」

 

 感心した様子で技術として取り込めないか。そんな期待の眼差しにスヴェンはなんとも言えない表情で返した。

 自身も同じ異界人である意味事件を引っ掻き回しているからだ。

 

「俺も検死に関しちゃあ素人の浅知恵程度だ。だいたい魔法が使われたかどうかは結局のところ判らねえ」

 

「肝心な所よね……けれど、モンスターに殺された可能性が消えただけでも上出来よ」

 

「まあ、そっちならそっちで事故死つうことになるだろうが……そもそも変身魔法の類いに対象の一部を必要とする魔法はあんのか?」

 

「有るとすれば禁術の類いになるわね。私も全ての魔法を把握してるわけじゃないから、この後図書館に行ってみましょうか」

 

 それは都合が良いと思えた。以前自爆を受けたこともそうだが、まだまだ禁術に関する知識が少ない。

 ここで一度知識の更新が必要だ。そう考えたスヴェンは彼女に同意を示すように頷き、また一つ疑問を訊ねる。

 

「魔法大国エルリアで把握してねえ魔法があんのか?」

 

「個人間で開発、創造された魔法は把握が遅れるわね。例えばミアの再生魔法、あれは彼女が一から開発した魔法よ」

 

「開発者専用の魔法ってことか?」

 

「うーん、そうとも限らないわ。基礎理論と発動に必要な魔法陣の構築式さえ理解しちゃえば修得は可能ね。ただ、ミアの治療魔法は本人の才能に依存した魔法だから難しいでしょうけど」

 

 新しく生み出された魔法は、この瞬間にも誕生してるのだろうか? もしそそうなら邪神教団が新たに魔法を開発すれば初見殺しに遭う可能性も高い。

 スヴェンは厄介だなと眉を歪めては、

 

「邪神教団が魔法を開発した事もあんだろうな」

 

「……報告で把握してる限りの話にはなるけれど、邪神教団が扱う魔法は全て邪神から授かった魔法なのよ。信仰してる関係も有ってアトラス教会も基本的にはアトラス神から授かる魔法を使用してるわね」

 

「魔法を授かる……頭ん中に知識と構築式が刻まれんのか?」

 

「だいたいそんな感じかしらね。ただ、未だ異界人にアトラス神が魔法を授けたことは無いけど」

 

 それは賢明な判断だとスヴェンは肩を竦めた。

 まだ精神的に未熟な面が目立つ異界人に神が魔法を授けでもすれば、それを特別な力と解釈して増長を生む可能性も有る。

 あくまで可能性だが、これ以上異界人の行動でこちらの動きが抑制されては叶わない。

 

「ルーメンじゃあ村にすら入れねえからな、次は異界人を理由に逮捕されそうだ」

 

「……そんな事は無いと思いたいけど、あっ、そこの騎士さんは聴いていた会話は他言無用でお願いね」

 

 レヴィはサングラスを付けたまま、手を合わせて見上げて見せるとーー騎士は何か聴いてはならない事を聴いた。そう理解したのか、顔を青ざめさせていた。

 

「じ、自分は何も聴いてません! あなた方が何故事件を調査してるのかも関与しません!」

 

 それは魔法騎士団として如何なのかとも思うが、妙に詮索され外部に情報が漏れることは避けたい。

 

「まあ、調べられる事は調べたが……まだ調べるか?」

 

「もう充分と言いたい所だけれど、ごめんなさいね。ほんとん貴方に任せてしまって」

 

 申し訳なさそうに顔を伏せる彼女に、なんとも言えないやり辛さを感じては自身の頭を乱暴に掻く。

 

「適材適所って奴だ。アンタがそこまで気にする事はねえよ」 

 

「そう……それじゃあ一度外へ出ましょうか。あっ、図書館に向かう前に犯人の拠点を調べておきたいけれど」

 

 そう語るレヴィに騎士は慌てた様子で、

 

「だ、ダメです! 今は隊長方が調査中です、いくら調査許可証を得ていても調査の邪魔になる部外者を立ち入れる訳には!」

 

 拠点に踏み込むことを良しとしなかった。

 

「それは仕方ないわね。まだ立ち上げた事務所ですものね、魔法騎士団と対立することだけは避けたいわ」

 

 ーー魔法騎士団ですら頭の上がらねえ立場で何言ってんだか。

 

 スヴェンは内心でレヴィに対してツッコミを入れ、改めて遺体に向き直る。

 犯人は上等な外道だと結論付けーーレヴィと共に死体安置所を立ち去る。



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5-7.禁術書庫

 フェルシオンの図書館に向か前に昼を告げる鐘楼が鳴り響き、スヴェンとレヴィは手近なレストランに足を運ぶことに。

 店内に満ちる芳ばしい香りがスヴェンの食欲を引き立てる。

 二人は適当な席に座り、スヴェンはメニュー票を取る傍ら物陰に位置する席でこちらの様子を窺うミア達に感心を浮かべた。

 

 ーー昼飯ぐれぇ、好きなもん食いに行っても良いんだかなぁ。

 

 昼時まで影から護衛を手伝う必要は無い。ましてやエリシェに限っては完全に巻き込まれた人物だ。

 スヴェンがメニュー票に視線を落としながら思案すると、

 

「私はサラダサンドと紅茶でいいわ」

 

 小食な注文にレヴィに視線を向けた。

 恐らく死体安置所の遺体が彼女の食欲を削ったのだろう。

 確かにアレを見た直後で、常人がまともな食事など出来るはずもない。

 自身のような殺しや死体に慣れすぎた外道は別だが、メニューの数種類のケーキに眼が止まる。

 デウス・ウェポンではデザートは別腹だと記録に遺されるほどの格言だ。

 デザートなら大丈夫だろう。そう考えたスヴェンは、

 

「ケーキだとか甘いもんは食えんだろ?」

 

 そう提案するとレヴィは意外そうな視線を向け、やがてくすりと笑った。

 

「そうね。それならショートケーキでも頼もうかしら? 貴方はもう決まったの?」

 

 聞かれたらスヴェンは一度メニュー票のオススメ一覧に視線を落とす。そこから選んだ料理なら失敗もないだろう。

 本日のオススメと書かれた中から一品選ぶ。

 

「魚肉とエビの蒸し焼きだな」 

 

「そう、それじゃあ……そこの店員さん、いいかしら?」

 

 レヴィは通り掛かったウェイトレスに声をかけ料理を注文した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 食事も終え、一息付いたスヴェンとレヴィは町の港に位置する図書館に足を運んだ。

 エルリア城の資料庫と負けず劣らずの資料数を見渡しているとレヴィが受付に向かい、

 

「すみません、禁術書庫はどちらかしら?」

 

 そう訊ねると受付の女性が険悪感を剥き出した。

 

「あの、常識的に考えて禁術書庫は一般人の立入は禁止ですよ。騎士団に通報されたくなったから大人しくお引き取りください」

 

 横暴とも取れる態度だが、確かに禁術が誰でも閲覧できるなら修得されてしまう恐れも有る。

 むろん、邪神教団が一般人に紛れ本を持ち出す可能性を考えれば、受付の態度は正当に思えた。

 ただ彼女は相手が悪過ぎたーー相手は一般人どころか王族だ。

 スヴェンはちらりとレヴィの表情を伺うと、何故か彼女は嬉しそうに頬を緩ませていた。

 

 ーーあれか? 一般人扱いされたのが嬉しかったのか。

 

 スヴェンは内心でそんな風に思っていると、レヴィが懐から認識票を取り出す。

 すると認識票を見た受付の女性はため息を吐く。

 

「なんだ、特別許可証をお待ちでしたか。それならそうと早めに提示してくださいよ」

 

「あら、ごめんなさいね。あまり使う機会が無かったものだから」

 

「はぁ? 魔法騎士団や調査部に発行される特別許可証の筈ですが……まあいいでしょう。禁術書庫は最奥の扉に在りますのでどうぞ」

 

 レヴィに疑う眼差しを向けたが、詮索すること事態が面倒に感じたのか、受付の女性はぶっきらぼうに最奥の扉を指差した。

 

「許可も得たから行きましょう」

 

 受付から離れ、人気もない最奥の扉の前でスヴェンはレヴィの行動を思い返す。

 今回は詮索嫌いの相手だったから良かったが、下手をすれば面倒ごとに繋がっていた。

 護衛として軽い注意はしておくべきだろう。そう判断したスヴェンはレヴィに告げる。

 

「あ〜、あんま疑われるような行動は控えてくれよ」

 

「ごめんなさい。少し反応を見たかったのよ」

 

 彼女にとってはレヴィとして認識され、レヴィとしての対応を楽しみたいという純粋な気持ちも有るのだろう。

 

「それで? 満足の行く反応は得られたのか」

 

「ええ! サングラスのおかげもあるけれど、誰も私を認識してないわ!」

 

 嬉しそうに語り出すレヴィに、スヴェンはそれは良かったなっと言いたげな眼差しを向けーー最奥の扉を開けた。

 禁術書庫に足を踏み込む。内部は燭台の明りに照らされ、薄暗い空間が広がっていた。

 誰も居ない広い書庫と不穏な気配にスヴェンはガンバスターの柄に手を伸ばす。

 

「誰も居ないわよ?」

 

「いや、なんか妙な気配を感じるんだが?」

 

「それは禁書が発する魔の気配よ」

 

 気配の正体を知ったスヴェンは警戒を解き、改めて書庫を見渡す。

 並ぶ本棚と二人で調べるには多い量に眉が歪む。

 

「読み書きも完璧じゃねえが、こいつを二人で調べんのは骨が折れそうだな」

 

「そうね……人の姿を真似る、人体の一部を使用した変身魔法の類いを重点的に調べましょう」

 

 そう言ってレヴィは本棚の禁術・変身編と書かれた本棚に歩き出した。

 スヴェンも彼女に倣い、本棚に並べられた書物に眼を向ける。

 正直に言えば何処から手を付ければいいものか。電子やネットの検索に慣れしたんだスヴェンにとっては、資料探しも調べごとも億劫に思えた。

 だが不信感や疑念を払うには知識が必要だ。それに、また自爆を喰らっては堪らない。

 スヴェンは適当に分厚い書物を四冊ほど選び取り、長テーブルに運んでは本を開く。

 

 さっそく目次から禁術とされる変身魔法に『必要な条件と触媒』と記された項目を開いた。

 

「禁術・姿写しに必要な条件と触媒……対象の正確な姿と性別の一致……対価となる触媒は大量の魔力と新月の光り」

  

 そこまで読み進めたスヴェンは、こいつは違うと判断して目次のページに戻る。

 しかし、どうやら禁術・姿写しに関する書物のようで他の変身系統の禁術は記されてはいないようだ。

 スヴェンはこの本はハズレだと判断し、次の本を開く。

 するとレヴィも選び終えたのか、サングラスを外しては本を読み始めた。

 その後、お互いに無言のまま変身系統に関する資料を読み漁るが、スヴェンとレヴィが求めていた禁術が出ることは無かった。

 あと最後の一冊を前にスヴェンは、対象の皮膚を触媒にした禁術はまだ記録されていないのでは? 

 そもそも最初から存在しない可能性もあり、全身の皮膚を剥がした遺体はリリナとも過去の事件とも別件に思えてくる。

 単なる偶然の重なりと魔法が関与しない事件でしかない。

 

 ーーなんにせよ、この時間は無駄じゃねえんだがなぁ。

 

 調べて無いならそれはそれで良い。不信感を拭う判断材料と禁術に対する知識も得られた。 

 調べ物にかけた時間は決して裏切らない。そう判断したスヴェンが、凝った肩をほぐすとーー最後の一冊を開いていたレヴィがため息吐く。

 如何やら最後の一冊もハズレだったようだ。

 

「まあ、判明しねえこともあるわな」

 

「そうね……あとは犯人が拠点にしていた水路で何か証拠が出ればいいのだけれど」

 

 魔法騎士団が調査している水路で何が発見されるのか。

 あわよくば連中の潜伏先も突き止めて貰いたいが、魔族の関与と人身売買などまだまだ留意すべき懸念が残っていた。

 まだ調査は始まったばかり。それでもレヴィの焦りの色にスヴェンは口を開く。

 

「まだ何も判らねえ状態だが、調査ってのは時間を要するもんだ。だからアンタがそう焦る必要もねえさ」

 

「……焦りは禁物ってことかしら?」

 

「ああ、先急ぐ調査なんざろくな結果は出ねえ。むしろ大事な情報を見落としちまうだろうよ」

 

 傭兵としての経験も有るが、実際にスヴェンは過去に請けた護衛で失敗した。

 護衛対象から提示された高額の報酬を何も疑いもせず、背後関係を調べることを怠りーー結果は同じく請けた護衛者同士の殺し合いが発生した。

 味方だった者を敵と認識し、排除した後に護衛対象と関連組織を始末したのはスヴェンにとっても、何も利益にもならない無価値な戦闘と依頼ーー苦い思い出と失敗に眉が歪む。

 

「貴方は過去に焦って失敗したことがあるのね」

 

「あー、アレを失敗って言うならそうだな。報酬に眼が眩んだのは確かだ」

 

「そう。貴方が体験した失敗談は聞かない方がいいのかしら? いえ、聴いても話してくれないのでしょう?」

 

 何処から寂しげな眼差しを向けるレヴィに、スヴェンはそっと眼を背ける。

 

「まあいいわ……それよりも人が居ない場所に来たのだから、少し話しておくべきね」

 

「あん? メルリアで捕縛した異界人と邪神教団の処遇だとかか?」

 

「それも有るけれど、タイラントをエルリア城とメルリアの守護結界間に放った者に付いてよ」

 

 そういえばタイラントは邪神教団が仕向けたことだけ判っていたが、それ以上の詳細は結局何も判らず。そもそも調べる時間も調べる宛ても無かった。

 スヴェンはレヴィに真っ直ぐと視線を向け、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「邪神教団の司祭の一人でアルディアを凍結封印した張本人……エルロイという人物よ」

 

「エルロイ? そいつの特徴や顔は?」

 

「赤黒い髪に人とは思えない爬虫類染みた瞳が特徴的ね。顔は中性的な顔立ちで年齢と共に性別も不明よ」

 

 性別が不明なのは兎も角、年齢が不明とは一体どういうことだ? スヴェンが疑問を浮かべるとレヴィも困り顔を浮かべていた。

 

「過去にエルロイと思われる人物が各国で目撃されているのよ。それが時代問わず……もしかしたら不老不死かもしれないし、エルロイの役目を継いだ人物かもしれないわ」 

 

 過去に目撃証言が有る邪神教団の司祭の一人。不老不死ならコンクリートに固め海に捨てるなど対策は充分に取れるが、スヴェンは確認を含めた意味で訊ねる。

 

「姿形は過去に目撃されたエルロイなんだろ?」

 

 質問に対してレヴィはこくりと頷く。

 

「なら不老不死って線は疑った方がいいだろ。それに何だってタイラントを放ったんだ?」

 

「恐らくメルリアで人質に取った子供を使って脅迫、応じなければエルリア城内にタイラントを出現させるつもりだったんじゃないかしら? 一応その懸念も有ってラオ達がタイラントを追っていたのだけどね」

 

 つまりあのタイラントの遭遇は単なる偶然でしかなかった。

 スヴェンはそう考えたが、タイラントが襲った荷獣車には邪神教団を示す紋章が残されていた。

 

「タイラントに邪神教団の荷獣車が襲われたようだが、そいつは単なる事故か?」

 

「いえ、恐らく違うとおもうわ。現場の荷獣車から血痕は必見されなかったそうね……なら邪神教団はタイラントを操れる。そう暗に語りたいのかもしれないわ」

 

 大々的な戦力アピールと従わなければモンスターを町中に放つ。

 立派な脅迫だが、逆に邪神教団は守護結界内にモンスターを召喚する術を持っていると確定付けることになる。

 

「どおりで結界内で異界人の死者が多いわけだ」

 

「一応内通者も捕縛したから、これ以上守護結界内部でモンスターは召喚できないと思いたいけれど……」

 

「油断はできねえってことか」

 

 旅路の道中で警戒を怠る理由も道理もないが、これで邪神教団の司祭は自ら行動することが判った。

 

 ーーそういや、メルリアで指示を出してた奴が居たらしいが……ソイツは何処へ行ったんだ?

 

 何処かに行った邪神教団の司祭よりも、今はレヴィの護衛が最優先事項か。

 スヴェンはそう頭を切り替え、興味は無いが情報共有は必要なためレヴィに異界人と信徒の処遇に付いて問う。

 

「それで? 異界人と信徒はどうなる?」

 

「異界人の鳴神タズナは処刑、現在監獄町に護送中よ。それから信徒はアトラス教会預かりになったわ」

 

 淡々と感情を押し殺して告げるレヴィに、スヴェンは眼を伏せる。

 レヴィには感情を押し殺した表情が似合わない。心がそう感じるが、異界人を召喚をすると決めた時から覚悟していたのだろう。

 あくまでも推測に過ぎないがレーナとして決断、決意した事柄にスヴェンが何か口を出すことはない。

 

「そうか、監獄町ってのは気になるが……他に共有する情報はねえか?」

 

 確かめるように確認すれば、レヴィは何か思い出したように腰のポーチを探った。

 そしてうっかりしていたと小さく舌を出しながら笑っては紙袋を一つ差し出す。

 ずっしりとした重みと紙底から感じる銃弾の感触に、スヴェンはその場で紙袋の中身を改める。

 すると中身は二十発の.600LRマグナム弾と二つのパイナップル型の物体ーーどう見てもハンドグレネードにスヴェンは眼を見開いた。

 見間違えるはずもないハンドグレネードには安全ピンが無い。

 スヴェンが所持する上部を捻って投げるだけのハンドグレネードとは違う。

 それともこれも何かしらの魔法陣が施されてるのか?

 

「クルシュナからそのしゅりゅうだんという代物に付いて、説明は聞いてるわよ。何でも魔力を流し込んで内部のプロージョン粉末に刺激を与え爆発するとか」

 

 スヴェンが疑問を訊ねるよりも早くレヴィが答えた。

 

「魔力を流し込まない限りは爆発しねえと? いや、そもそもハンドグレネードの製造知識は教えてねえ筈なんだが、異界人から聴いたのか?」

 

「なんでもキサラギシロウ(如月紫郎)が知識を披露したとか、それで物は試しにと開発に至ったそうよ」

 

 魔力で起爆させる兵器がテルカ・アトラスに誕生した。

 状況に応じてハンドグレネードの製造を依頼するつもりだったため、スヴェンは手間が省けたことに息を吐く。

 ただ安全性が保たれているが、これを王族であるレーナが運んだことの方が大問題だ。

 

「……コイツはアンタが運ぶべき代物じゃねえよ。次からは【デリバリー・イーグル】に頼め」

 

「そんなに危ない物なの?」

 

「コイツの威力は知らねえが、俺が所持してる方は一個小隊に壊滅的被害を与えられるな。爆破すりゃあアンタの人体は粉々になるのは間違いねぇ」

 

 もしも町中で誤って暴発すればどうなるのか。最悪な事故を想像したレヴィの顔が青ざめる。

 無理もない。自分は愚か周囲に居る一般人が巻き込まれ爆死するのだから。

 

「安全性に関しちゃあクルシュナ達の技術力を信じる他にねえか」

 

「……次からそれの運搬は専門家に頼むことにするわ」

 

 スヴェンは改めて紙袋をサイドポーチに仕舞い、椅子から立ち上がる。

 

「そろそろいい時間だな。一度宿に戻るか?」

 

 室内の魔法時計に眼を向ければ、既に時刻は十八時を差していた。

 

「そうね……歓楽区方面の視察もしたいところだけど、そっちは後日でいいわね」

 

「歓楽区か。異世界文化に乏しいが、どんな娯楽施設があんだ?」

 

「オペラハウスやカジノにコロシアムっと色々有るわよ」

 

 オペラに興味は無いが、カジノは息抜きにいいかもしれない。

 尤もスヴェンの待ち合わせは目の前に居る彼女から渡された資金だ。

 下手に賭け事に浸かり資金を浪費することは避けたい。そうでもしなければ、レーナを敬愛するファンクラブ連中に袋叩きにされる可能性が高い。

 

「まあ、カジノだとかは本来の仕事を片付けた後にでも洒落込むか」

 

「ミアも言っていたけれど、貴方って変なところで真面目なのね」

 

「アイツにも言ったが、傭兵は信頼第一の職業だからな」

 

 そう告げるとレヴィは納得しては、取り出した書物を本棚に戻した後、宿屋フェルに向かった。



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5-8.宿屋の個室で

 夕食を終えたスヴェンは、エリシェが宿部屋を訪ねる前にと個室に備え付けの浴室に向かった。

 ついでに洗濯もしてしまおうとタルに水を注ぎ、洗剤を入れてから衣類を軽く揉み洗う。

 そして宿部屋干ししては、浴槽の魔法陣に魔力を送り込む。

 すると蛇口から熱め湯が出始めた。

 

「ミアに説明されたが……マジでこれだけで湯が出んのかよ」

 

 ボイラーや燃料の類いも必要としない魔法技術。ミアは浴槽自体が一つの魔道具っと言っていたが、そんな話を聴いた時は半信半疑だった。

 宿屋の経営で個室に備え付けられた浴槽。当然維持費や燃料費がかかると踏まえていたら、実際は魔力一つで湯が張れる。

 

「便利な時代だな」

 

 恐らくこの世界と比べて文明自体が遥か未来に位置するであろうデウス・ウェポンの出身だが、便利性の高い魔道具には舌を唸るばかり。

 スヴェンは改めて魔法文明に関心を寄せながら、湯に満たされた湯船に浸かりーー安堵と気の抜けた息を吐いた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 風呂で気分もすっきりし、身体の水分を拭き取ってからパンツを履いたスヴェンが浴室のドアに手を掛けると、室内に人の気配を感じ眉を歪める。

 誰かが宿部屋を訪れた。順当に考えればエリシェの可能性も高いがーーいや、仲介人とホテルに泊まった時は、敵襲だったな。

 以前に受けた襲撃の経験からスヴェンは予めタオル置場に隠していたナイフを取り出す。

 柄を強く握り締め、静かにドアを開けーー対象を確認するよりも早くスヴェンは侵入者が声も反応することも許さず、素早くベッドに押し倒しナイフの刃を向けた。

 不意に鼻に漂う香水と少女特有の甘い香りにスヴェンは視線を侵入者に向ける。

 とても侵入者には似付かわしくない作業着。そこから視線を上に移動させれば、ミアよりも若干明るい翡翠色の瞳と目が合う。

 ベッドに乱れた長いクリーム色の髪と真っ赤に染め上げた表情にスヴェンはため息を吐く。

 

「アンタだったか」

 

 身体を退け、ナイフを鞘に納めてからエリシェに向き直る。

 未だベッドで仰向けに倒れ、顔を赤く染めたままの彼女は、

 

「あ、あのね……ミアにスヴェンは警戒心が強いから、返事が返って来るまで部屋には入らない方がいいって言われてたんだ。だけど、が、ガンバスターに我慢できなくって!!」

 

 恥じらいと共に叫ばれた言葉。武器好きのガキと認識ていたが、まさか不用心に男性の宿部屋に入るとは。

 それだけエリシェは武器に対する熱意が高いのだろうか? 連日のようにトラブルが起きるのも好ましくはない。

 いっそのこと次からは入浴時間にも気を使うべきかと一案しては、既に渇いた衣服に着替える。

 ふと部屋干しとドアの位置関係に眼が行く。丁度部屋干しはドアを開ければすぐに眼に入る位置だ。

 

「部屋干しした服に気が付いたろうに」

 

 そう指摘するとエリシェは眼を合わせず、いや考えてみれば彼女の反応は当然とも言える。

 パンツ一丁の男性に押し倒され、ナイフを向けられては眼も合わせ辛いだろう。

 

「……気付いてたけど、スヴェンは替えの着替えが有るっと思って」

 

「生憎とコイツが俺の一張羅だ」

 

「えっ? それだけ……スヴェンは洗濯とかしてた?」

 

 スヴェンは一応ミアとアシュナに気を遣い、朝方の朝日も昇らない時間に洗濯をしていた。

 だが流石に毎日とも行かず、そもそも防弾シャツやズボンは汚れ難くく汗を弾く繊維で製造されている。だから毎日の洗濯は必要無いが、歳頃のエリシェに伝えるべきか迷う。

 スヴェンが返答に困っていると、

 

「えっと、無理に答えなくてもいいよ!」

 

 すっかり熱も冷めたのか、笑顔でそんなことを。

 不潔な印象を持たれたかもしれないが、そんなことは問題にもならない。

 スヴェンは壁に立て掛けたガンバスターを手に取り、それを備え付けの机の上に置く。

 

「早速仕事の話と行こうじゃねえか」

 

 そう告げれば鍛冶屋の娘なだけあり切り替えも瞬時で、エリシェの顔は職人顔負けの面構えを浮かべる。

 エリシェは持って来ていたバックから設計図に必要な道具一式とメモ帳を取り出した。

 

「うーんっと。完全オーダーメイド製の作製になるから、諸経費込みで銀貨500枚。設計次第と試作品によっては金貨5枚相当に膨れるかもしれないけど予算の方は大丈夫?」

 

「予算は金貨10枚までなら出せる」

 

「判った。それじゃあ早速ガンバスターを見せて! 触らせて!」

 

 早いうちに設計して貰えるのは助かるが、まだエリシェには銃に関する構造や仕組みの説明をしていない。

 ガンバスターは銃と剣が一体化した特殊武器だ。どちらかが欠ければ意味を成さない。

 

「見るのは構わねえが触るのは後だ。先ずはコイツの内部構造に付いて説明する」

 

「内部構造……あ! 父さんが複雑な構造をしてるって言ってたね!」

 

「ああ、単なる鍛造で済むなら簡単なんだが、コイツは射撃が可能な武器でな……ソイツを大剣の内部に取り付ける必要があんだ」

 

「射撃……アトラス教会が使うクロスボウとか?」

 

 随分と古い遺物の名にスヴェンは逆に驚いたが、確かに彼女に分かりやすく説明するならクロスボウの構造知識も必要に思えた。

 

「クロスボウは矢をつがえ弦を引き絞るが、銃は引き金を引くだけでシリンダーに装填した銃弾の雷管を撃鉄で撃ち出す」

 

 エリシェに銃のパーツを指差しながら話すと、彼女はすぐにメモ帳に羽ペンを滑らせていた。

 部品用語が多い説明になったが、彼女は真剣な眼差しで考え込むと。

 

「銃弾はさっぱりだけど、武器の構造は改めて解析魔法で覗いてもいい?」

 

 ブラックと同じ魔法が使える。そう語るエリシェにスヴェンは関心を寄せ、

 

「そっちの方が早えだろうな。だが、その前に俺が扱う銃ってのは、各種モジュールパーツと連動する仕組みになっていてな。例えば銃の安全装置解除で内部の反動抑制モジュールが作動すんだ」

 

「も、もじゅーる? それってどんな形で、材質や構造はどうなってるの?」

 

 スヴェンは説明するよりも見せた方が速いと判断し、工具を取り出してはガンバスターの留め具を緩めーー剣身の腹部分を取り外す。

 そして顕になった銃と球体状の形をしたパーツにエリシェの眼が輝く。

 

「基本内部に装着するモジュールは球体状になってんだ。こいつを銃の上部分の窪みに取り付けることで機能が連動して作動する仕組みだ」

 

 当然機能を作動させる為には粒子回路も必要になるが、エリシェが一から製造する武器に最初から反動抑制モジュールと同様の魔法陣を刻めば済むかもしれない。

 

「まあ、コイツに関しちゃあ粒子回路つう専門知識と素材がねえと作れねな」

 

「えっと、反動……つまり銃は撃ち出す時の衝撃が強いってこと?」

 

「弾種によるが、俺が扱う.600GWマグナム弾は下手をすりゃあ両肩が吹き飛ぶレベルだ」

 

 スヴェンは鍛錬によって反動抑制モジュールが無くとも扱えるが、有るのと無いではかなり違う。

 戦場を転々とする傭兵が一発撃つごとに肩を痛めては意味が無い。

 隙を無くし瞬時に近接戦闘に切り替える意味でも反動の抑制が急務だ。

 

「諸刃の剣ってことかぁ……それじゃあ職人として使用者を護る為にも絶対に取り付けなきゃね」

 

 意気込みを見せるエリシェの姿勢はプロの職人と思える程だった。

 ミアと同い年の少女。彼女らはまだ魔法学院を卒業して半年も経たないのだ。

 そんなエリシェがプロ意識を持ち、迷う姿勢を見せないことにスヴェンは驚きを隠せず、

 

「いいのか? かなり無茶な注文をしてる自覚が有るんだが」

 

 彼女に対する幾許かの申し訳なさを口にした。

 自身の拙い説明、それに異界人の都合に付き合わせている。それは嫌という程自覚しているが、そんなスヴェンに対してエリシェは楽しそうに頬を緩ませていた。

 

「無茶な注文でもそれを達成した時は、確かな経験があたしを成長させるってことだよ」

 

 エリシェの向上心にスヴェンは何も言えず、開いたガンバスターから銃を取り出す。

 そしてシリンダーを開き、装填していた.600LRマグナム弾を外した。

 そして銃の柄をエリシェに差し出す。

 

「触っていいの!?」

 

 触れなければ分からないことも有るだろう。そう言いたげな眼差しを向けるも、エリシェの純粋な瞳にスヴェンはたじろぐ。

 今まで武器に対して純粋な瞳を向ける者は居ただろうか?

 少なくともスヴェンの知り合いには居なかった。誰しもが殺しの商売道具として割り切り、冷めた眼差しをしていたのはよく覚えている。

 

「あー、操作も試してみるといい」

 

 そう伝えるとエリシェが早速柄を掴む。

 そして早速魔力を操作し、銃に魔力を流し込もうとしたエリシェが首を傾げる。

 

「あれ? 思った以上に魔力が拡散するね」

 

 よくこれで今まで戦ってきたと言いたげな眼差しだ。

 確かにエリシェの言いたい事は良く分かる。

 スヴェンはルーメンの牧場跡地で行った実験結果をエリシェに伝え、彼女は納得したのか銃に視線を戻し、

 

「それじゃあ素材もこっちで用意するとして……課題は銃の構造とスヴェンが扱っても問題にならない硬度の確保かな」

 

 一人確かめるように呟く。

 そして改めて銃を試す為に構えを取ろうとーーエリシェが固まった。

 どう構えていいのか分からず、助けを求める眼差しにーーそりゃそうか。初見で銃を正確に構られる奴は居ねえな。

 スヴェンはエリシェの背後に回り込み、彼女の両手を手に取った。

 

「っ!?」

 

 エリシェは突然のことに驚いた様子で頬を赤らめる。

 恥ずかしがる彼女の反応を無視したスヴェンは、

 

「構えはこうだ。こん時に足を開き脇をしっかり絞めろ」

 

「あ、うん!」

 

 正しい姿勢になったエリシェに続けて告げる。

 

「撃鉄……ソイツを親指で手前に引け。それで安全装置が解除される。一度安全装置を解除しちまえばまた撃鉄を引き直す必要はねえ」

 

 エリシェは言われた通りに撃鉄を親指で引く。するとシリンダーが回転し、同時に引き金が引かれる。

 これであとは引き金を引くだけ。

 

「あとは引き金を引く。それだけだ」

 

 エリシェは緊張した様子で引き金を引いた。

 ジャキン!! 撃鉄が弾倉をからぶる。

 

「……お、おお〜! これが銃なんだ!」

 

 嬉しそうに顔を向けるエリシェと目が合う。

 スヴェンは背後から彼女を支えていた。だから顔が近いのも必然的で、慌ててエリシェが顔を背けるのもまた必然だった。

 エリシェから離れ、妙に恥じらう彼女になぜだ? 疑問から考え込むとすぐに答えが頭に過ぎる。

 

 ーー最初のアレか。

 

 男慣れしていない初々しい反応を見せるが、まさか魔法学院に水練が無いではないか?

 疑問が生じるが、後日ミアにでも聞けば解決する程度の問題だ。

 スヴェンはそう結論付け、魔法時計に視線を向ける。

 既に時刻は二十一時だ。これ以上彼女を付き合わせる訳にもいかないか。

 

「もういい時間だな」

 

「えっ? あたしはまだ平気だよ。それに銃の仕組みはまだまだ知りたいし」

 

 エリシェはまだ大丈夫だと笑顔を向けていた。

 そこには既に恥じらいは消えており、なんとも切り替えの早いガキだと思う。

 

「あんま遅くなるとミアが心配すんだろ」

 

「大丈夫だよ。ミアとレヴィ、それにアシュナちゃんには遅くなるって伝えておいたから」

 

「……まさか、徹夜する気か? この部屋で」

 

 そう言えばエリシェは設計用具を持参していた。それは此処で作業をしてしまう顕なのだと今更になって理解が及ぶ。

 

「創作意欲、特に新しい武器の設計は職人の憧れだよ! こんな熱い想いを抱えて寝れるわけないじゃん!」

 

 翡翠色の瞳を燃やすエリシェの気迫にスヴェンはたじろぐ。

 職人魂此処に極まり。なんとなくそんな単語が浮かぶ。

 明日も朝から夕方にかけてレヴィの護衛が続く。そして夜にはエリシェとガンバスターの設計となれば、必然的に作業が遅くなる。

 言うなればこっちは自分達の都合にエリシェを付き合わせている身だ。

 

「アンタの職人魂には負けた。好きなだけ作業すりゃあいい」

 

「やったぁー!! じゃあ早速解析魔法で内部構造を把握しなきゃ!」

 

 喜びを顕にエリシェは椅子に座っては、瞳に魔法陣を構築させ銃をじっくりと観察する。

 細かく念入りに、一つも見逃してたまるか。そんな強い姿勢を宿した背中にスヴェンはベッドの淵に座る。

 何か質問が来るかもしれない。そう考えたスヴェンは暫く宿部屋で呆然としては、時折りエリシェにコーヒーを差出す。

 

 ……銃とガンバスターに関する質問を問われれば答え。そんなやり取りを繰り返すと時刻は深夜二時を迎えていた。



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5-9.雨降らずのコロシアム

 雨音と体内時間の感覚で眼を覚ましたスヴェンは、人の気配に飛び起きた。

 床に着地してはガンバスターに手を伸ばすが、壁に立て掛けた筈のガンバスターが無いことに気付く。

 

「……そういや、エリシェに預けたままだったな」

 

 昨晩のことを思い出したスヴェンは、宿部屋を見渡すと机に突っ伏して小さな寝息を立てるエリシェの姿が有った。

 わずかに着崩れた作業着。あまりにも無防備な姿にスヴェンは呆れた。

 彼女を叩き起こすべく近付くと机に書きかけの設計図、事細かに描かれた銃の構成部品と設計に目が行く。

 銃の銃身そのものを変えず、材質の変更を重点的に成された設計にスヴェンは思わず感心から唸った。

 このままエリシェを寝かせ、ガンバスターを持ち出そうとも思ったが、彼女の手にはすっかりと握り締められた銃身がーーこのままではガンバスターを元に戻せない。

 

「……仕方ねえ」

 

 スヴェンは銃を取り上げてから、まだ眠っているエリシェを抱えベッドに運び込む。

 そしてエリシェをベッドを降ろし、毛布を掛けては静かにガンバスターを元通りに戻す。

 眠っているエリシェに目も向けず、スヴェンは支度を済ませてから部屋を物音立てずに退出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋フェルの一階ロビーに降りると、既に用意を済ませたレヴィと物言いたげなミアの眼差しが突き刺さる。

 大方ミアが問いたいのは部屋に戻らないエリシェの件だろう。

 返答が面倒臭いが、伝えなければ要らぬ誤解が広まる。

 

「アンタの友人なら徹夜で寝落ちしてやがる」

 

 ミアから質問が来る前に告げると、彼女は一瞬考え込む様子を見せてはため息混じりに額を抑えた。

 

「はぁ〜エリシェったらもう。相変わらず夢中になると後先考えないんだから」

 

「ま、良いもん見せて貰ったからな……礼って訳じゃねえが功労者をこのまま寝かせてやれ」

 

 良い物にレヴィとミアが引っ掛かりを覚えたのか、互いに顔を見合わせーー二人は察したのか何も問うことは無かった。

 妙に大人しいミアに違和感を感じるが、普段喧しいだけ有って大人しい日も有る。そう結論付けミアに視線を向けると、目の下の隈に目が行く。

 

「……徹夜したのか?」

 

 何で徹夜したのか。皆目見当も付かなず訊ねるとミアはこちらに近寄り、

 

「ひ……レヴィと同じベッドで私が眠れるわけないじゃん」

 

 ミアは小声で姫様と言いかけたが、王族と同室で眠れずに徹夜したと語った。

 緊張して眠れない時は誰にだって有る。それは自身だって例外じゃない。

 ただ眠れない時は寝ない。寝れる時はとことん寝る。それが傭兵として培った経験だ。

 だからミアにこのアドバイスは不適切に思えた。

 

「そうかい、今から寝て来たら如何だ?」

 

「それこそ嫌だよ。私だって闘技大会を観戦したい!」

 

 今頃になって気付く。ミアも観戦に向かうことに。

 スヴェンは改めてレヴィに向き直る。

 

「このクソガキも連れて行くのか?」

 

「また私をクソガキ扱い! そろそろ売られた喧嘩を買ってもいいんだよ!?」

 

 背後で杖を片手に騒ぎ立てるミアを無視すると、

 

「良いじゃない一人増えたって。それに入場料を出すのは私よ」

 

 レヴィの有無を言わせない笑みにスヴェンは黙り込んだ。

 同時に護衛が一人、つまりレヴィの弾除けが増えるに越したことはないのだ。

 会場で最悪を想定すればミアは居た方がいい。

 それだけ彼女の治療魔法は優秀だからだ。

 

「あー、そんじゃあ行くか」

 

 スヴェンは背後の物影に密かに視線を向け、アシュナと目が合う。

 影の護衛は任せろっと言わんばかりに気合いの入った眼差しーーその気合いが妙に方向で空回りしないことを願うばかり。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ファルシオンの歓楽街の中心に位置するコロシアム会場に入場した三人は一般の観戦席座り、レヴィがVIP席に視線を向けては顔を顰めていた。

 スヴェンも密かにVIP席に眼を向ければ、そこには昨日治療を受けたばかりのリリナと背後に控えるアラタをはじめとした複数人の護衛の姿が見える。

 リリナだけでなくユーリの姿に親子水入らずと思えば理解もできるが、脅迫されて間もないユーリがこの場に居るのは不用心に感じられた。

 特にコロシアムに天井も何も無い。ユーリ達の居るVIP席は丁度スヴェン達が居る一般席の真正面だ。

 

 ーー真正面から魔法を放つ馬鹿居ねえとも限らねえが。

 

 そもそも天井が存在しないにも関わらず、雨が会場に降らないことにスヴェンは空に眼を向ける。

 するとレヴィの左隣に座ったミアがこちらに顔を向け、

 

「梅雨の時期は観戦試合が多いけど……」

 

「天井代わりに雨除けの魔法でも使ってんだろ」

 

 ミアが言い切る前に答えると、彼女は面白くなさそうに顔を会場に向けた。

 

「確かに雨除けの結界が使われてるわね。……だけど、普段は臨場感を損なわないように試合会場にだけ雨が降るように結界の中心に穴が空いてるのだけれど」

 

 言われてスヴェンは出場選手が並ぶ会場に視線を落とす。

 選手も雨が降らない状況に困惑している様子を見せ、スヴェンは大会運営の役員と司会者に視線を移す。

 すると役員は特に気にした様子も見せない者も居れば、結界の不備を疑う役員と司会者の様子も伺えた。

 

「……まさかとは思うが結界で密閉されたか?」

 

 スヴェンは空に向けて意識を集中させ、コロシアム全体が結界に覆われていることに気付く。

 だがスヴェンは結界を視たところで、魔法陣の内容に理解が及ばない。

 

「……もしかしてアレって、閉鎖結界? あの結界はあの村に使われてるのと同じ?」

 

「いえ、違うわね。あの村は時獄で封じられているけれど、このコロシアムを覆う結界は単なる閉鎖結界よ」

 

 あの村、時獄という不穏な単語が気になるが、ミアの表情が顔面蒼白なことから彼女と何か関係が有る魔法なのだろうか?

 それがミアが魔王救出に同行した動機か。それとも単なるトラウマなのかは判らないがいま気にしても仕方ない。

 

「閉鎖結界、普通に考えりゃあ要人守護の為だと認識もするが……襲撃のためか?」

 

「今の所は何も判断が出来ないわね」 

 

 襲撃なら状況に応じてレヴィを連れて脱出する。それがスヴェンにとって最優先事項だ。

 スヴェンがそう決断を下すと、ミアの視線を感じてはそちらに視線を向ける。

 気を取り直した彼女は意を決した様子で、

 

「覚悟は必要だよね」

 

 ミアの発言にスヴェンは眼を伏せる。

 彼女の翡翠の色の瞳から感じる強い眼差しは、既に最悪の状況を想定した覚悟が決まっていると語っていた。

 だが果たしてレヴィに他人を見捨てる覚悟が有るのか。

 護衛として大事なのは護衛対象の安全だが、同時に雇主の意向に沿うのも傭兵だ。

 スヴェンは確認の為にレヴィに密かに問う。

 

「有事の際はアンタを強引にでも連れて行くが、アンタは他者の被害、犠牲を容認できんのか?」

 

 そんな問い掛けにレヴィは眼を伏せる。

 王族としての立場なら十分な護衛と万全な備えが有った。しかし此処に居るのは一般人に扮したレヴィだ。

 レヴィが行動を起こすという事は、それは襲撃犯に警戒を与える要因にもなり得る。

 だからこそスヴェンとしては彼女に我慢して欲しいが、国民から愛され慕われる彼女には酷な選択だ。

 

「……そうね、有事の際はユーリ様の兵に任せましょう。ただ道を阻む敵は任せるわよ」

 

 レヴィの脱出ルートに現れる敵は排除する。当然だと言わんばかりにスヴェンは静かに頷いた。

 そもそも結界に異常が有るなら運営側は調べるか、開始時刻の延期を伝えてもおかしくはない。

 視線を試合会場に戻せば、駆け付ける一人の運営員に目が行く。

 その運営員は確認を急ぐ司会者の下に駆け寄った。

 そして何かを伝え受けた司会者が、観戦席に向かって声を張り上げる。

 

「みなさま! ご安心ください、多少の結界に不備が確認されましたが試合進行に問題ないとのことで、もう間も無く試合が開始されます!」

 

 如何やら司会者は既に確認を急がせていたようだ。

 だが結界の不備に一切動じない役員が居たのは確かだ。

 スヴェンが疑念に満ちた眼差しで試合会場を見詰めると、観客席から徐々に声があがりはじめる。

 

『結界の不備だってさ』

 

『結構古い結界なんだろ? そりゃあ不備ぐらい起こるか』

 

『いや、それは妙な話しよ。誰かが結界に手を加えたのかもしれないじゃない』

 

『えー? それは結界が正常に起動するのか確かめるためじゃないか? その時に誤って魔法陣を弄ってしまったのもかな』

 

『確かにコロシアムの結界は試合会場に穴が空くようにされてるけど、新人が塞いじゃったってこと?』

 

 耳に届く会話にスヴェンは、確かにそんな事故も有り得ると考えた。

 だからと言って警戒を緩め気も無い。

 自然と座席の右手側に立て掛けたガンバスターの柄を強く握り締めると、左手に暖かい温もりに驚く。

 視線を向ければ左手を握り締めるレヴィに、

 

「……なんだ?」

 

「今は事が起こるまで楽しみましょう」

 

 それは護衛の立場として如何なんだ? そう言いたげな眼差しを向けるとレヴィは笑って返すばかりだ。

 そもそも木製の武器で行われる試合にあまり興味がない。

 そう思いながらもスヴェンはガンバスターを握った右手の力を緩める。

 

「スヴェンさんってレヴィには素直だよね。私にも素直になってくれても良いんだよ?」

 

 にやりと笑みを向けるミアに、スヴェンは鬱陶しいさを感じては、会場の出店で売られていたなんとも食欲唆るチリドッグを取り出した。

 

「アンタらも食うか?」

 

 二人分を差し出すと、レヴィはチリドッグの包みを珍しげに見詰める。

 

「……それじゃあ私も頂こうかしら」

 

「あっ! 私も食べる!」

 

 スヴェンは二人にチリドッグを手渡し、試合会場に視線を戻す。

 既に会場では二人の選手が互いに向かい合い、片方は木製の剣を。そしてもう片方は木製の槍を構えていた。

 

「もうすぐ始まんな」

 

 そして宣言される試合開始の合図に観戦客の壮大な声援が一斉に放たれることに。



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5-10.観戦試合

 試合が始まる最中、スヴェンはチリドッグに齧り付きスパイスの絶妙な辛さとソーセージにかけられたトマトソースのバランスに舌鼓打つ。

 小腹を満たす軽食に観戦席から鳴り響く熱気と選手同士のせめぎ合い。

 魔法使用禁止のルールで行われる単なる武力による試合だが、選手間の同程度の力量は観戦客に熱気を与えるには充分に思えた。

 

 ーーあの槍使いはかなり戦闘慣れしてんな。

 

 青年は低姿勢に構えた槍を高速で突き出していた。

 槍捌きで決して相手選手を間合いに入れないよう立ち回り、対する対戦選手は剣を曲芸のように扱い巧みに槍を弾く。

 命のやり取りもない単なるチャンバラと最初は思っていたが、実際に試合が始まれば中々捨てたものではない。

 そんな感心を浮かべると、木剣を持つ選手が槍使いの間合いを詰め込む。

 

「あっ! そこ! 綺麗な顔を木剣で強打! あ〜防がれちゃった」

 

 ミアの声援が響く。だが彼女の声援も虚しく、槍使いは振り下ろされた木剣を避けーー追撃が放たれる前に剣先を足で踏み押さえた。

 そして槍使いは木槍を回転させ、矛先で対戦選手の腹部を狙い穿つ。

 だが対戦選手も迫る矛先に動じず、負けじと木剣を手放し、寸前の所で避ける。

 おまけに矛先を脇で押さえ込み、両選手がお互いを押さえ合う。

 

「互いの武器が封じられたが、近接戦闘はどっちが上か」

 

「如何かしらね……案外2人とも近接戦闘は不得意かもしれないわよ」

 

 レヴィの言う通り確かにその可能性も充分に有り得る。

 本来武器と魔法を主体に戦闘する者達は、わざわざ接近してまで格闘に持ち込む機会も少ないのかもしれない。

 そう考えていると両選手は押さえ合いを止め、互いに拳を構え始める。

 それはスヴェンから見れば、ただ拳を握り込んだだけの構えだ。

 特に両選手は親指を中に握り込んでしまっている。アレでは下手をすれば親指の骨が折れる可能性も充分に有り得る。

 

「拳の握り方は知らねえか。槍使いの方は戦闘慣れしてる印象だったが、まだ経験は多くはねえようだな」

 

「2人とも毎年出場してる選手なのだけれど、戦闘の専門家である貴方の眼では素人の喧嘩に見えるのかしら?」

 

「得物を手放す前は意外にも見応えはあったんだがなぁ」

 

 素直で率直な感想をレヴィに述べると、槍使いの放った渾身の拳が対戦選手の顔面を強打!

 対戦選手は地に仰向けに倒れ伏し、完全に気を失った。

 

「そこまで! 第一試合勝者、リンド選手!!」

 

 審判の宣言に観戦席から両選手を讃える拍手が鳴り響く。

 

「ブーイングがねえのは意外だな」

 

「そうかしら? 最後は喧嘩みたいな泥試合になっちゃったけれど、お互いの武術は観客を満足させるものだったわ。だから彼らを悪戯に批判する者は居ないのよ」

 

 デウス・ウェポンなら確実に野次が飛び、おまけにゴミまで投げ付けられる。

 魔法技術による発展と科学技術による発展。その違いこそ有るが、そこまで人間の精神性は変わらない。

 そう思っていたが実際は、テルカ・アトラスの人間は高潔な精神を宿している。

 

「こっちの世界は進化と発展に色々犠牲にし過ぎたな」

 

「貴方の世界も気になるけれど、ほら第二試合がはじま……あら?」

 

 レヴィは第二試合の両選手に驚いた様子を見せ、ちらりとミアに視線を移せば彼女もレヴィ同様驚いていた。

 

「選手は知り合いか?」

 

「赤の他人と言い切れない……貴方と私の関係かしら?」

 

 レヴィ、いやレーナが死ねばスヴェンも消滅する。謂わば運命共同体。

 彼女がそう告げると言う事は第二試合の選手は一人が異界人だと分かる。

 スヴェンは前足を前に後足の踵を上げ僅かに後ろに、そして木剣を両手で構え少々緊張に汗を滲ませる選手に眼を向ける。

 変わった構えを取る黒髪の少女にスヴェンは見覚えが無い。

 少なくともエルリア城に滞在していた異界人ではない事は確かだ。

 ただ少女の名も何故試合に参加してるのかも、スヴェンは興味を抱かずただ試合を眺める。

  

「そろそろ始まるね」

 

 ミアの声と同時に試合開始の宣言が発せられーーその瞬間、試合会場の地面に大規模な魔法陣が突如して展開された!

 スヴェンはガンバスターを片手に立ち上がるも、魔法陣から放たれた眩い閃光に眼を押さえる。

 身に覚えの有る閃光と感覚。突如試合会場に出現する複数の気配と獣の息遣い。

 

「召喚魔法か」

 

 閃光が止み、回復した視界を開くと既に試合会場は複数の荒くれ者と複数のモンスターに占拠されていた。

 スヴェンは鎮座する三頭の狼に眉を歪める。

 

「アイツは、アンノウンか」

 

 見間違える訳もない以前に遭遇したアンノウンが荒くれ者の指示で選手と審判を取り押さえていた。

 

「えっ? モンスターが人の言う事を聞いた?」

 

「うそ、モンスターは世界の自浄作用……それが人の指示を?」

 

 戸惑いと混乱を見せるミアとレヴィ。

 世界の自浄作用、星が産んだモンスターが人の指示に従う姿を見せられては無理もない。

 むしろ根強い常識が音を崩れ崩壊しては、動揺から判断が鈍るのも仕方ないことだ。

 周囲の叫び、戸惑いを他所にスヴェンは一度座り直す。

 荒くれ者の一人ーー眼帯に丸坊主頭の頭目と思われる人物が会場に向かって叫んだ。

 

「全員その場から動くな! 動けばコイツらを殺す!」

 

 集団の頭目か連中の誰か、あるいは外の仲間に召喚魔法の使い手が居る。

 敵対戦力もまだ未知数の中でスヴェンは一先ず静観することにした。

 するとVIP席に居たユーリが彼らに向かって叫ぶ。

 

「貴様らは一体何者だ! 何が目的だ!」

 

「目的だぁ? テメェが散々俺達に明け渡さなかった物を奪い取りに来たんだよ!」

 

 頭目の怒声にユーリの眉が歪み、密かにアラタ達がリリナを連れ出す様子が見えた。

 この場でリリナの移動は危険に見えたが、位置関係のせいか集団にはリリナが移動したことに気付いてないようだ。

 いや、ユーリが集団の注意を引き付けたのだ。

 

「俺達の要求は一つ! ユーリが所持する封印の鍵を渡してもらおうか! さもなくばこの会場に居る全員を殺す!」

 

 頭目の脅迫を合図に武装した荒くれ者共が一般観戦席の出口を塞ぎ、観戦客の騒然とした声がスヴェン達の耳に酷く響き渡った。



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5-11.制圧コロシアム

 出入り口を荒くれ者集団に固められ、試合会場には頭目とその配下及びアンノウン。

 彼らに抑えられた二名の選手と審判はどうでも良いが、問題は得物を携えた一団が観戦客の数名を人質に取っている状況だ。

 幸いレヴィとミアが人質に選ばれる事はなかったが、スヴェンはどう動くべきか思考を巡らせる。

 

 ーーこの場で派手に暴れるわけにもいかねえか。

 

 未だ敵の規模が掴めない状態で下手に動けば最悪の事態を引き起こす。

 頭目の要求から邪神教団と繋がりが有るのは明白だが、

 

「……どう切り抜けるか」

 

 レヴィとミアだけに聴こえる声量で呟く。

 

「アンノウンっと言ったかしら? どんなモンスターか判らない以上、迂闊に行動するのは危険ね」

 

「分かってることは影の魔法を使うことぐらいかな」

 

 試合会場に出場選手とアンノウンさえ居なければ、昨日受け取ったハンドグレネードで片付けられるが相手にも魔法が有る。

 同時に行動を起こせば人質は確実に始末され、ユーリが封印の鍵を渡す可能性は低くなる。

 それはスヴェンにとってはどうでもいいが、エルリアをはじめとした各国にとって重視すべき問題だ。

 なら人質を犠牲にせず観戦席の障害排除、多少の犠牲に眼を瞑れば人質の解放、レヴィをこの場から逃すことが可能になる。

 そう上手く事が運ぶとは限らないが、スヴェンは思案しつつ周囲に眼を向けた。

 誰しもがこの状況は良くないと理解していながら動こうにも動けず、そんな表情を浮かべている。

 

 ーー誰だって自分の行動で死者を出したくねえか。

 

 他人に対してそこまで気遣う必要は皆無だ。結局自分の身は自分で守るほかにない。

 ただ誰かが行動を起こせば、それに呼応して行動に出る。

 この場に居る一般人は自ら犠牲者を生みたくないのだ。

 スヴェンは仕方ないとため息を吐く。

 人を焚き付けるのもいつだって外道の役目だ。

 今の装備で出来ることは限られているが、十秒以内に観客席の障害を排除すれば事態も変わる。

 少なくともユーリを救出する為に彼の私兵は戻って来る可能性が見込めた。

 

「仕方ねえ、今から俺が行動を起こす……その間にミアは隙を見て彼女を連れ出せ」

 

 二人はこちらの考えを理解したのか、眉を歪めていた。

 

「殺人禁止と言いたいけれど、相手が罪人ならしょうがないわね……だけど彼女達はどうなるのかしら?」

 

 レヴィの問い掛けに対する答えは決まっている。

 

「最悪死ぬ。この状況で理想的な結果を求めるには、敵対戦力が多過ぎんだよ」

 

「……魔法さえ使えれば戦力差は覆せるのに」

 

 現時点で魔法が使えないレヴィは苦渋の表情を浮かべ、

 

「あん? 返還を確約されてんだ。多少の期間が延びる分には構わねえよ」

 

「いえ、それがそういう訳にもいかないのよ。三年分の魔力の間借り、それは本来三年の間に得られる魔力を先に借りた状態なの。だから私の魔力が回復を始めるのはどう足掻いても三年後よ」

 

 三年内で回復する魔力だと思っていたが、実際は三年後に回復という事実にスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなリスクを背負ってまで召喚魔法を行使したことに、スヴェンは考え込みーー事実とも言える状況を思い出す。

 スヴェンが召喚される直前、あの場所にはもう一人居た。それこそこの程度の戦力差など物ともせず、装備に左右されない破格の戦力があの場所に。

 

 ーー俺を召喚した魔法は、本来なら覇王エルデを呼ぶ為のもんだったのか?

 

 実際にレヴィ、いやレーナが抱えたリスクとスヴェンという戦力は釣り合いが取れていない状態だ。

 真実に近い推測にスヴェンは息を呑む。ただ今話してどうなる話でもない。この話は無事にコロシアムから脱出した後にすべきだ。

 

「……アンタの意向を極力叶えんのも傭兵の勤めだったな。ま、あんま期待はしねえでくれよ」

 

「ごめんなさい、私の我儘に振り回す結果になってしまって。だから貴方は私の護衛として無事に戻って来るように」

 

 レヴィの言葉を命令と受け取ったスヴェンは頷き、密かにサイドポーチからスタングレネードを取り出す。

 そして一度は試合会場の三名を見捨てる方針を立てたが、視線を向ければ三人の闘志は衰えてはいない。

 それどころか隙を窺い、事態の好転を待っている様子だ。

 戦う気力が有るなら事が起これば自ら抵抗するだろう。

 

「いいか? 俺が合図したら眼と耳を塞げ。それとアンタに貸したサングラスは返してくれ」

 

「気に入っていたのだけれど、いま使うのかしら?」

 

 受け取ったサングラスを掛けながら問いに答える。

 

「ああ、今から会場の視界を奪う……いいか? バカでもクソガキに分かるようにもう一度言うぞ」

 

「スヴェンさん? 私をバカにしすぎじゃないかな?」

 

「最悪な事故を引き起こさねえためだ。俺が合図したら眼と耳を塞げ」

 

 スヴェンはミアがスタングレネードに巻き込まれないように念を押して告げると、彼女は不服そうな眼差しを向けるも指示に従うと頷いて見せた。

 改めて観戦席の敵ーー六人の人質を取った十二人の荒くれ者。幸いな事に人質と荒くれ者は一箇所に固まっているのは好都合だ。

 そして四箇所の出入り口を塞ぐ四人の位置を確認する。

 次にVIP席の方に視線を向ければ、既にユーリの保護に戻って来ていたアラタ達の姿が視認できる。

 正直に言えば作戦でも何でもない出たところ勝負にスヴェンはスタングレネードの上部を捻る。

 コロシアムの上空に投げ込むと同時にガンバスターを握り締め、

 

「塞げ!」

 

 スヴェンの指示にレヴィとミアが眼と耳を塞ぐ。

 そしてスヴェンが駆け出した瞬間、眩い閃光と爆裂音がコロシアム全土を襲う!

 

「ぐわぁぁぁ!! め、目がァ!」

 

「な、なにごとだい!?」

 

「なんなのよ一体!」

 

 突然の事に叫び声をあげる会場の一般客。

 スヴェンは背凭れを足場にコロシアムを駆け抜け、最初に出入り口を塞ぐ敵をガンバスターで斬り伏せながら駆け抜ける。

 続けて現在地と西の出入り口、その間に位置する広めの通路で人質を見張る荒くれ者に接近。

 スヴェンは人質の中心に飛び込み、十二名の荒くれ者の背後にガンバスターを一閃する。

 背中から肉を両断された十二名の鮮血が舞う中、次の場所へ駆け出す。

 

 ーー閃光が晴れるまで残り9秒。

 

 西の出入り口を塞ぐ敵の頭部をガンバスターで斬り裂き、そのまま北の出入り口に駆け出す。

 まだ視界も回復せず耳もやられた敵はスヴェンの接近に気が付かず、

 

「……な、なにが……ごふっ」

 

 すれ違いざまに背中から腹部を斬り裂かれ床に崩れ落ちる。

 スヴェンは既に殺した相手を気に留めず、東の出入り口に急ぐ。

 コロシアムを駆け巡り、時には椅子を足場に最短ルートで突き進む。

 ちらりとレヴィとミアの方に視線を移せば、出入り口に向かう二人の姿が見える。

 予定通りに動いた二人に安堵したスヴェンは、最後の敵にガンバスターで叩き斬った。

 出入り口を塞ぐ四人の敵を始末を終え、その場を一瞬で離れながらガンバスターにこびり付いた血を払う。

 そして閃光が晴れる前にスヴェンは何食わぬ顔で元の客席に座り直す。

 閃光が離れるのと同時にサングラスをサイドポーチにしまう。

 

「な、何が起こってんだ! おい、ユーリィィ!! オレの部下に何をしやがった!?」

 

 出入り口を塞いだ味方全員が惨ったらしく死亡してる姿を見た頭目の怒声が響き渡る。

 ユーリは起きた出来事に戸惑い、

 

「……これは!? いや、今が好機か……突入せよ!!」

 

 状況が好転したと判断したユーリの指示にアラタ達が動き出す。

 怒り荒狂う頭目に荒くれ者は戸惑い、出場選手と審判を抑えていたアンノウが血の臭いに動き出した。

 モンスターと言えども所詮は獣。血の臭いがすれば獲物の方に向かう。

 例え星の自浄作用として存在していようが、刻まれた生物の本能に抗える訳ではない。

 

「ぼ、ボス! 試作品が勝手に!」

 

「チッ! 食欲を抑えられねえか! 野郎ども! 直ぐに構えろ! ユーリの私兵が来るぞ!」

 

 頭目が指示を叫ぶ中、荒くれ者の声をスヴェンは決して聴き逃さなかった。

 連中はモンスターを人工的に製造した。だからチグハグな姿をしていると言われれば説明も付くが、一体どんな技術でモンスターを人工的に製造したのか。

 デウス・ウェポンの科学技術でさえ到達しなかった禁忌を誰かが成し得たとしたら?

 

 ーーいや、今は二人と合流すんのが先だな。

 

 もう既にアンノウから離れた二名の出場選手と審判は魔法を唱え、会場の壁を飛び越えんとするアンノウンに魔法を放つ。

 それぞれ放たれた魔法が各アンノウンの身体を貫き、夥しい鮮血が舞う。

 

「今だ! 全員突入ぅぅ!! 奴らを捕縛せよ!!」

 

 敵の隙を付く形でユーリの私兵が試合会場に雪崩れ込む。

 それに負けじと応戦を開始する荒くれ者集団。

 瞬く間に剣戟と魔法が飛び交う戦場化した試合会場、その中で巻き込まれないと姿勢を低く移動する二名の選手。

 そしてそんな光景を目撃した一般人は安堵した様子で椅子に深々と座り込んでいた。

 スヴェンは交戦状態に入った両陣営を見届け、静かに誰にも気付かれることなく観客席から脱出する。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 コロシアムの廊下に出たスヴェンは、斬撃音と打撃音に足を急がせた。

 離れた途端にレヴィとミアが襲撃を受けた。想定していた最悪の当たりを引いたスヴェンは内心で舌打ちし、廊下を駆ける。

 すると廊下の先々で気を失う荒くれ集団に眼を細め、円卓状の廊下を曲がるとーーレヴィとミア、そしてアシュナが襲い来る荒くれ者を制圧してる姿が映り込む。

 

 荒くれ者はレヴィの剣から放たれた剣圧で吹き飛ばされ、壁に衝突。

 更に一番弱いと判断されたミアを荒くれ者が囲むが、彼女は杖を巧みにその場で鋭い回転を放つことで取り囲んだ荒くれ者を弾き飛ばしていた。

 アシュナに至っては荒くれ者に気付かれず、背後から強襲を仕掛け意識を刈り取る。

 そして荒くれ者はアシュナの存在に気付くことなく地に倒れ伏していた。

 完全に護衛の意味と自身の立場や存在意義を見失ったスヴェンは静かな足取りで三人に近付き話しかける。

 

「アンタまで戦ったら護衛の意味がねえだろうに」

 

 レヴィは剣を片手に微笑んで見せた。

 

「如何かしら? 魔法騎士団団長から剣の手解きは受けていたのだけれど」

 

 一部しか目撃していなかったが、レヴィの剣術は召喚者の認識を改めるには充分過ぎる程の腕前だった。

 本来召喚魔法は召喚者が死ねば召喚したものも消滅してしまう。

 その特性上前に出る必要は無いが、基本後衛は前衛と違って接近戦を苦手としている印象が有った。

 だがそれは間違いだ。特にレヴィの素早く華麗かつ強烈な一撃を叩き込む剣技を観てしまえばなおさら。

 

「良くも悪くも召喚師の認識が変わった。それぐらいアンタの剣は鮮麗されていた……ってかアンタに護衛は必要か?」

 

「護衛は必要よ。なにせ私の活動は護衛を付けることが最低条件だからね」

 

 そう言って剣を鞘に納めるレヴィを尻目にスヴェンはミアとアシュナに視線を向ける。

 

「廊下にこんだけ待機してやがったのか」

 

「私達が廊下に出た途端に襲いかかって来たんだよ。しかも私達は美少女だからね! 捕らえて売り飛ばすって叫んでたよ」

 

 ミアはドヤ顔で美少女と強調するが、やはりスヴェンの眼には彼女が美少女には見えない。

 スヴェンはミアの戯言を半分無視して、

 

「売り飛ばすってことはコイツらは人身売買に加担していると考えるべきか?」

 

「魔法騎士団とオールデン調査団の人がコロシアムの外で立ち往生してた」

 

 壁の影からアシュナに告げられた報告に、スヴェン達は廊下の窓に視線を向ける。

 するとコロシアムに入れないのか、立ち往生を繰り返す魔法騎士団やユーリの私兵に限らず、オールデン調査団と書かれた腕章を持つ集団に眉が歪む。

 

「……入れねえのか?」

 

 スヴェンの疑問を他所にミアは窓を開けーーそして手を外に出そうしたが見えない何かに彼女の手がバチンッ! 弾かれた。

 

「いつつ……結界に阻まれてるよ」

 

「閉じ込められたってことか」

 

 元々会場に居る全員を人質にする予定だったが、ほんの些細な混乱から予定が崩れた。

 廊下に気絶してる人数を考えれば、もしも敵の予定通りなら一般観戦客の客は彼らに何処かに連れ出されていたかもしれない。

 

「確か連中は召喚魔法で乗り込んで来たな……ってことは召喚陣自体は前々から仕込まれてたか?」

 

「その可能性が高いわね。本来召喚魔法は召喚陣を媒介にして呼ぶ魔法だから、コロシアムの何処かに召喚師が居る筈よ」

 

 まだ敵は潜んでいる事にスヴェンは頭を搔く。

 

「……簡単に終わらねえか。いや、先ずはアンタを外に出す方が先決だな」

 

「それじゃあ結界をどうにかしないといけないわね。この状況が片付くまで最後まで付き合うわよ」

 

 強い意志を宿した眼差しを向けるレヴィにため息が漏れる。

 本来なら結界を破り、レヴィを連れて脱出する。それが一番の最優先事項かつ尤も重視すべき結果だ。

 ただ外に脱出した先で何が起こるとも限らない。

 此処は少しでもレヴィの安全に繋がる行動に出るべきだろう。そう判断したスヴェンは、外に向けて話しかけるミアに視線を向ける。

 

「……ダメ、向こうもこっちの声も完全に遮断されてるみたい」

 

 外に居る連中は必死にミアに何かを告げようと口を動かしていた。

 スヴェンは彼らの口の動きを見詰め、

 

「あ〜『我々は外部から結界の突破を試みる。ミア殿は内部から結界の突破を試みて欲しい』だとよ」

 

 戦場で尤も役に立つ読唇術で内容を告げると、三人から奇妙な者を見る視線を向けられた。

  

「本当に言ってるの? もしかして適当に言ってないよね?」

 

 疑うように問うミアにスヴェンは鬱陶しいげな口調で返す。

 

「戦場じゃあ時に話し声が命取りになる時があんだ。そんな時に相手の表情と口の動きを読み取って内容を把握すんだよ」

 

「へぇ〜?」

 

 まだ疑いが晴れないのか。ミアは口だけを動かしはじめる。

 

「あん? 『そろそろ治療魔法の有用性を理解したでしょ?』『次から死にたく無かったら私を敬い甘やかすことね!』だと?」

 

 ミアが語り出した主張にスヴェンは青筋を浮かべながら握り拳を作る。

 そしてギリギリっと筋肉が軋むまで力強く握った拳をミアに振り上げると、

 

「ちょ、調子に乗ってごめんなさい!」

 

 彼女はしゃがみ込んで頭を抑えた。

 まさか本気で拳を振り下ろすことなどしない。

 

「分かったら先を急ぐぞ……外の連中が呆れてるからよ」

 

 ちらりと視線を向ければ、『こんな時に遊んでんじゃねえよ馬鹿野郎!』そう言いたげな複数の眼差しがスヴェンとミアに突き刺さる。

 スヴェンとミアはレヴィを連れて結界解除に向けて駆け出した。



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5-12..結界の守護者

 

「結界魔法陣は何処に在る?」

 

 コロシアムの廊下を駆け抜けながら隣りを並走するレヴィに問うと、彼女は速度を早め前に出た。

 

「地下室よ」

 

 彼女の長い金髪が風に揺られ、華奢な背中にスヴェンは眼を細める。

 あの背中にどれだけの期待を背負っているのか。単なる傭兵でしかない自身には想像も付かない。

 少なくともラピス魔法学院に入学しなかった事を考えれば、もっと幼い時から王族として国を背負っていたのか。

 そう考えれば考えるほど、彼女の背中があまりにも大きく見えた。

 スヴェンは速度を速め、レヴィの隣りに並走する。

 

「コロシアムは円状だが、地下室の入り口は何処だ?」

 

「次の曲がり角を真っ直ぐ進むとVIP席の廊下に出るの、それで廊下の支柱に魔法で秘匿された隠し扉が在るわ」

 

 魔法で秘匿された隠し扉ーー技術研究所の入り口をれんそうしたスヴェンは隣りに追い付いたミアに視線を移す。

 

「アンタは魔法の解除はできんのか?」

 

「専用の詠唱を知ってれば誰でも解除できるよ。例えば私みたいに治療魔法しか使えない人でもね」

 

「ってことは詠唱は合言葉のようなもんか」

 

「そうなるかな。でも魔法に対する基礎知識と基礎理論が必要だけど」

 

 つまりこのまま先に先行してもスヴェンでは隠し扉を破る方法がない。

 できればミアにはレヴィを連れて安全な場所に隠れて欲しいがーーそう思った矢先に試合会場の方から爆音と複数の獣の咆哮が響き渡った!

 まだ敵の召喚師を無力化していない。それはこの状況が長引けば長引く程、ユーリの私兵と一般人に損害が出る。

 三人は更に足を速め、秘匿された隠し扉の下へ向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 到着した壁際の支柱に魔力を意識すれば、無透明な魔法陣が展開されてる事が分かる。

 一度魔力を視認してしまえば認識可能な魔法陣。しかしそれは事前にそこに魔法陣が在ると理解しているからこそ気が付けることだ。

 特に魔法大国エルリアは魔道具はもちろんのこと、日常的に常に暮らしの至る所で魔法が使われている。

 そんな日常の中で常に魔法に意識を集中させるのは非効率だ。

 ミアが魔法陣に杖の先端を向け、魔力に意識を集中させている間にスヴェンはそんな事を考えていた。

 スヴェンの思考を他所にミアが詠唱を唱える。

 

「神秘に護られ、秘匿されし存在よ。我が呼び声に応じてその姿を現したまえ」

 

 ミアの詠唱に魔法陣が円の外側から中心にかけて砕け始めた。

 そして完全に砕けた魔法陣の残影が淡い光りを放ち、スヴェン達の目の前から支柱が消えーー秘匿されていた扉が出現した。

 スヴェンは扉の向こう側から敵意に満ちた気配を感じ取り、ガンバスターを引き抜く。

 扉の先にハンドグレネードを投げ込み、内部の敵を一掃する。傭兵らしい方法が瞬時に浮かびーーまだ人質が居ないとも限らない状況にスヴェンは内心で舌打ちする。

 

「今回も正面突破か」

 

「うわぁ〜不服そう。もしも他に入り口とか通気口が有ったらどうしてたの?」

 

 ミアの質問にスヴェンは無表情で淡々と答えた。

 

「位置取りにもよるが、気付かれる前に背後から始末する」

 

「容赦ないね……そういえばさっき使った道具は? アレだったら真正面から乗り込んでも大丈夫じゃない」

 

 ミアのさっきの道具はまだ有るんでしょ? そう言いたげな眼差しにスヴェンは肩を竦める。

 

「スタングレネードはさっき使ったので最後だ」

 

「……スヴェンさんって意外と物を持たないタイプ?」

 

「……召喚直前まで殺し合ってた標的相手に武器をほとんど使い切ったんだよ」

 

 その話を隣で聴いていたレヴィは何かに気付いた様子で、

 

「召喚直前……いえ、この話は後にしましょう」

 

 スヴェンを確かめるように見つめ、扉に向き直った。

 これでレヴィは自身が誤って召喚された可能性に気付いた筈だ。

 今更気付いた所でどうにかなる訳ではないが、彼女が外道を信頼することは一先ず無くなるだろう。

 それはスヴェンにとって尤も望ましい事だった。彼女の向ける笑みと信頼はあまりにも眩し過ぎる。

 だからといって魔王救出を途中破棄する気は無いが、スヴェンは考える事を後回しに扉を蹴り破った。

 扉の先、ガンバスターを振るにはあまりにも狭い一本通路に、スヴェンはガンバスターを鞘に納め、変わりにナイフを抜き構える。

 

「よし、ミアとアンタはここで待機してろ」

 

 狭い一本道だ。背後を強襲されては叶わない。

 その考えから提案したのだが、ミアとレヴィは不満気な眼差しを向けていた。

 また何か勘違い。いや、今の伝え方は言葉が足りなかったと考え直す。

 

「背後から襲撃されりゃあ危険だろ? だから二人……いや、ミアにはここを護って欲しいんだよ」

 

 そもそもレヴィは護衛対象だ。本来なら彼女を連れたまま行動に出るべきではない。

 自身がやっている行動は護衛として三流以下、無能の極みだ。

 

「……ダメよ。貴方は結界魔法の止め方を知らないでしょう」

 

 あくまでも付いて来る。そう頑なに語るレヴィにミアはこちらの考えを察したのか、

 

「じゃあ敵の制圧をお願い。その間に私達は手が空いてる誰かを呼ぶから!」

 

「方法を教えさえすりゃあ済むんだが?」

 

「いやぁ〜結界魔法はさっきの合言葉とは違って、結界を構成する魔法陣に干渉して魔法式を書き換える必要が有るから私達には無理だよ」

 

 確かにミアは治療魔法しか使えず、レヴィは魔力が枯渇。そして自分はといえば魔法に関する知識が無い。

 アシュナなら可能そうでは有るが、彼女を頼るなら敵を片付けたあとになる。

 そもそも、この場の誰も結界魔法を解除できない面子でよく結界をどうにかしようと行動に出たものだ。

 今更言ってもしょうがない事にスヴェンはため息を吐く。

 そんなスヴェンに通路の先を見詰めていたレヴィが、意を決した眼差しで、

 

「スヴェン、この先からかなりの魔力量を感じるわ。だから無茶だけはしないで」

 

 この先は危険だが無茶はするなと告げられた。

 スヴェンは改めてレヴィに向き直れば、彼女の表情は不安を浮かべている。

 レヴィを安心させる言葉、例え上辺だけの意味を成さない言葉よりも結果が全てだ。

 だからこそスヴェンは結果を得るために、レヴィに何も告げず狭い通路を歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 狭い通路を抜け、地下室に続く階段を降り終えたスヴェンは警戒心を最大限に引き上げていた。

 ここまで何も無かった。魔法は愚か罠の一つも存在しない単なる道。

 それこそが油断を誘う最大の罠だ。

 階段を降りた先に一本道の石造りの通路。警戒を宿しながら周囲を観察すれば本当に何もない事が分かる。

 

 ーー普通なら此処で警戒を緩めるが、熟練の傭兵は終着地点に罠を仕掛けるな。

 

 視界の先に見える終着地点。そこを目指して駆け出す者を確実に葬る罠。

 スヴェンは左手にナイフを持ち直し、右手でガンバスターの柄を握り締める。

 そして通路をカツン、カツンと足音を鳴らしながら進む。

 これで敵は接近に確実に気付いた。

 徐々に地下室の入り口と距離が縮まり、地下室の全体が見える。

 円卓状の一室にそこそこの広さ、そして部屋の中心、宙に浮かぶ魔法陣ーーアレがコロシアムの結界を維持する魔法陣か。

 しかし問題の敵の姿は見えないが一人分の気配を感じる。

 地下室の入り口に到着したスヴェンが一歩、地下室に踏み込んだ瞬間、視界の先が煌めく。

 突如飛来する矢をナイフで払い落とす。そして第二射が放たれるよりも速く、スヴェンは矢が飛んで来た真っ正面にナイフを投擲した。

 

「うわっ!」

 

 見えない敵の身体に突き刺さったナイフから鮮血が伝う。

 血が見えない敵の衣服を汚す。これで一人の位置は判明した。

 スヴェンは続けてガンバスターを構え、地を蹴り駆け出す。

 真っ直ぐ見えない敵に向かってガンバスターを一閃。

 だがガンバスターは空を斬り裂くだけで終わった。

 どうやら敵に避けられたようだが、床に滴る血が居場所を教えている。

 再度スヴェンは宙に浮かぶナイフと血を目印に駆け出す。

 

「ちょ! 旦那! こいつをどうにかして〜!」

 

 少女の助けを呼ぶ声が地下室に響き渡る。

 同時に突如二人目の気配が現れーースヴェンの真横から漆黒の刃が迫った。

 スヴェンは直進したままガンバスターを強引に盾に刃を防ぐーーだが防いだ瞬間、スヴェンの身体はガンバスターと共に弾かれていた。

 舌打ちを鳴らしながら受け身を取るスヴェンの足元に矢が飛来する。

 さっきの矢とは違う炎を纏った矢に、スヴェンは横転する事で避けた。

 そして続け様にこちらに降り注ぐ炎の矢を地を蹴り、筋力の瞬発力で避ける。

 

「今の避けるって……普通の異界人より戦い慣れてるよ!」

 

 姿が見えない少女が誰かに語りかける。

 いい加減に正体を拝みたい所だが、まずはこの状況をどうするか。

 少女の身体にナイフが刺さったままーーあの状態で弓矢を?

 ナイフを抜かないのは余計な出血を避けるため。しかし目測で肩の位置に刺さったまま矢を引き絞り放った。

 痛みに対する耐性も高いと見える。

 まだ出血している少女の位置は把握できるが、問題はもう一人の方だ。

 相手は奇襲による初撃を放ってから気配を消した。

 気配も読み取れず、足音も無く強襲してきた見えない敵。

 姿は見えないが何故か漆黒の剣だけは視認できた。

 つまり敵はわざと攻撃を見えるようにしていた。

 敵だが敵ではない。つまりそういう事なのだと察したスヴェンは、もう一人に構わず少女の方に駆け出す。

 

「げっ! またこっちに来る! ああもう! 消し飛べ!」

 

 突如魔力が増大すると同時に、スヴェンに標準を定めた魔法陣に眉が歪む。

 詠唱も無く構築された魔法陣から光りが膨れ上がる。

 

 ーーこいつはヤベェ! 

 

 あの魔法は即死級の一撃、直撃すれば身体など残らないだろう。そう判断したスヴェンは地を蹴り大きく跳躍した。

 同時に極光のレーザーが地下室の通路まで呑み込み、爆音が響き渡る。

 

「やった! 女の子を必要以上に狙う暴漢撃退!」

 

 喜ぶ少女の声が地下室に響く。

 そんな少女の背後に回り込んでいたスヴェンは、ガンバスターの刃を背中に押し当てた。

 

「動くな。動けば殺す」

 

「……背後を取られた? ……()()()()()()()()!」

 

 ドスッ! 突如鈍い音と小さな衝撃、滲み広がるような痛覚がスヴェンの腹部を襲う。

 視線を下に向ければ、何かに貫かれた自身の腹部。自身の血で汚れた見えない突起物。

 しかしそれでスヴェンが止まることは無い。

 スヴェンは自身の腹部を貫いている突起物を掴む。

 

「ひ、ひゃん! ち、ちょ……し、しっぽはだめぇ〜」

 

 突然響く甘く淫乱な声にスヴェンは鋭い眼孔を向けたまま、魔族の尻尾を自身の腹部から引き抜く。

 そして尻尾を掴んだままスヴェンは、尻尾を乱暴に振り回し、そのまま背後の壁に叩き付けた。

 

「ぐぺっ!」

 

 鈍い衝突音と情けない声が聞こえた瞬間、見えなかった少女の姿が顕になる。

 長い灰色の髪にヘソ丸出しの軽装。そして握り締められた弓矢。

 頭部の角、背中の蝙蝠の羽、そして尻尾。それはまさに噂に聴いていた魔族の種族を象徴する特徴だった。

 魔族が敵だろうとも魔王救出を考えれば、此処で魔族を殺害するのは得策ではない。

 先程から襲って来ないもう一人の魔族にスヴェンは、

 

「此処の結界を解除すりゃあ俺は帰る」

 

 そう語りかけた。

 本来目撃者を残すのは得策とも言えないが、相手が魔族では仕方ない。

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、気絶する魔族少女の肩からナイフを回収する。

 すると漸くもう一人の魔族から、

 

「……異界人、お前を試させてもらう」

 

 そんな返答と共に長い赤髪の魔族が漆黒の剣を片手に姿を見せた。

 

「めんどくせぇ」

 

 依然として腹部から血が流れる。

 だが此処で手を抜けば魔族は納得せず、むしろいざという時に協力を得られないだろう。

 スヴェンはガンバスターを引き抜き両手で構えた。

 二人は睨み合い、一滴の血が床に落ちた時ーー二人が同時に動き出す!



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5-13.試しの死闘

 スヴェンが放つガンバスターの一閃を赤髪の魔族が容易く漆黒の刃で受け止め、

 

「……名は?」

 

 火花が散る最中に名を問われた。

 魔族の中の裏切り者。その可能性も捨て切れないが、どうにも彼の瞳は策略に向かない純粋な色をしている。

 現状敵か協力者かは判らないが、

 

「スヴェンだ。そういうアンタは?」

 

 名を知らなければ何も始まらない。

 

「アウリオン・アゼスト……っとこの国ではフルネームは特別な意味を持っていたな」

 

 涼しげな顔でアウリオンが一歩、床を踏み抜く。

 足に込められた力で床がひび割れ、漆黒の一閃がスヴェンをガンバスターごと弾き飛ばす。

 対するスヴェンも黙ってやられる性分ではない。

 空中に弾かれ、宙で体勢を立て直すと同時にガンバスターの銃口をアウリオンに向ける。

 これは幾度も死線を潜り抜けた経験から来る直感に過ぎないがアウリオンは強い。覇王エルデと戦った時と同じ高揚がスヴェンの底抜けに冷めた瞳に熱を宿す。

 故にスヴェンは躊躇なくアウリオンに向けて引き金を引く。

 

 ズドォォーーン!! 一発の銃声が地下室に響き渡る。

 銃弾が真っ直ぐアウリオンに飛来する中、対する彼は初見の銃弾に漆黒の刃を縦に振り下ろした。

 普通なら刃ごと.600LRマグナム弾が貫くが現実はどうだ?

 漆黒の刃から火花が散るもそれは一瞬の出来事で……スヴェンの瞳に映ったのは両断された銃弾が床に落ちる瞬間だった。

 スヴェンは冷静に、着地すると同時に突進するアウリオンにガンバスターの刃を下から斬り上げる。

 

「むっ」

 

 アウリオンが小さく唸り声をあげるも漆黒の剣を盾に防ぐ。

 ガキィーン!! 鈍い音が響く中、スヴェンは刃が弾かれる瞬間に素早く斬り返す。

 それに応じるようにアウリオンもまた刃を斬り返した。

 幾度も刃が打つかり、火花が散っては刃が弾かれ合う。

 まだアウリオンは全力など出してはいない。全力なら魔法を、魔力を武器に宿すはずだ。

 それともこちらが魔力を使うのを待っているのか。

 剣戟の最中、スヴェンは下丹田の魔力に意識を集中させ、右手からガンバスターに魔力を流し込む。

 魔力を纏ったガンバスターに漆黒の剣が大きく弾かれ、アウリオンの胴体ががら空きにーーそれは誘い込みだ。

 スヴェンが予想した通り、アウリオンは素早く体勢を立て直し一度後方に飛び退く。

 

「誘いに乗らないか……判断力と戦闘能力。確かにお前は他の異界人とは違うらしい」

 

 あのまま一撃を入れに踏み込めば、逆にスヴェンの首が飛んでいた。

 

「こっちは戦うこと以外を知らねえ傭兵だ。戦闘能力で簡単に遅れをとってたまるか」

 

「そうか……単なる下層街の暴れ坊とは違うか」

 

 それはアウリオン自身の事を指し示す言葉なのだろうか。

 アウリオンの過去に興味は無いが、彼の素性には興味が有る。

 これだけ戦えて単なる一兵士な筈がないのは明白だが、今は問答をしてる場合でもない。

 それはアウリオンも同じ考えだったのか、二人は同時に動き出していた。

 しかし先程とは違い、アウリオンも魔力を漆黒の剣に魔力を纏わせーー黒炎の刃を纏わせ、更に彼の周囲に魔法陣が宙に現れる。

 

「これをどう対処するのか見せてくれ」

 

 こちらに駆け出しながら魔法陣から爆炎、雷槍、風の弾、氷の刃、土の塊が同時に放たれる。

 スヴェンは脚を止めず、魔法の弾幕を掻い潜るように直進した。

 だが避けた一発の爆炎がスヴェンの横脇を掠め、床に着弾と同時に爆風が襲う。

 爆風の勢いに合わせ、スヴェンは跳躍した。

 一斉に魔法陣が宙に浮かぶスヴェンに向けられ、アウリオンが落胆した様子で息を吐く。

 同時に数種類の魔法が宙に向けて放たれる。空中ではまともに身動きが取れず魔法を避けられない。

  少なくともアウリオンはそんな結論を出したのだろう。だがそれは不正解だ。

 スヴェンは敢えて反動抑制モジュールの機能を切り、左方向に銃口を向け、魔法が到達し着弾するよりも速く引き金を引く。

 射撃の反動により無抵抗の身体が壁方向に吹き飛び、対象を失った魔法が天井に着弾し、砕けた天井の破片が床に落下した。

 スヴェンは壁に衝突する前に体勢を立て直し、壁を足場に駆け出す。

 

「これは……」

 

 助走と壁を踏み抜いた反動を利用したスヴェンがアウリオンの下に迫る。

 スヴェンは勢いを殺さずガンバスターを振り抜く。それに対してアウリオンも黒炎を纏った剣を横に振り抜いた。

 両者の繰り出す一撃が激しい金属音を響きかせ、刃同士が凌ぎ合う。

 力を下丹田に入れる度に腹部から夥しい血が噴き出る。そんな状態になろうともスヴェンは僅かに後方に退がり、またアウリオンも同時に退がっていた。

 そして二人はほぼ同時に魔力を宿した一閃を放つ。

 魔力を込めた二人の刃が繰り出す一撃がーー衝突する前にスヴェンは刃の魔力を操作して解放させた。

 すると刃同士が激しい衝撃を生み、スヴェンとアウリオンの身体が弾かれる。

 

 ーーなるほど、こうやんのか。

 

 今のでスヴェンはアウリオンが剣に宿した魔力をどのように扱っているのか理解した。

 この世界の者は武器に纏った魔力を解放させることで、衝撃を生み出している。

 それは相手の刃を防ぐ瞬間にやれば、相手の刃ごと身体を弾かせることも可能だ。

 逆に同時に同じタイミングで魔力を解放すれば、さっきと同じように相殺された力場に弾かれる。

 

「魔力ってのは便利だな」

 

 ガンバスターに魔力を宿し放つ衝撃波同様に宿した魔力の解放もスヴェンから体力を奪う。

 今の魔力操作では長期戦闘に向かない。それをアウリオンは見抜き距離を縮めながら、

 

「お前の魔力操作はまだ荒いが……なるほど、手強い」

 

 興味深けな眼差しと共に縦に黒炎の刃を鋭く振り下ろした。

 迫る黒炎の斬撃が目で追え、反応できるにもかかわずスヴェンの身体は消耗により動けない。

 やがて黒炎の斬撃がスヴェンの左肩に食い込みーースヴェンは苦痛に眉を歪ませる。

 腹部の出血と左肩から生じる熱と激痛。

 ちらりと視線を向ければ、後方に飛ぶ自身の左肩ごと左腕の姿が瞳に映り込んだ。

 同時に認識がスヴェンにより激しい苦痛を齎す。

 だがこんな痛みは何度も味わい、その度にスヴェンは噛み締めて叫び声を上げず耐えてきた。

 スヴェンはガンバスターから手を離し、一瞬の油断を見せたアウリオンの右頬に右拳を叩き込む!

 

 ゴスゥゥ!! そのままスヴェンは上半身を捻り、アウリオンを殴り飛ばす。

 宙に浮かぶアウリオンに向けてスヴェンはガンバスターを持ち直し、そのまま駆け抜け、床を踏み抜き跳躍してはアウリオンに一閃叩き込む。

 片腕で繰り出された一撃ーー魔法陣に刃が阻まれ、スヴェンは舌打ち鳴らす。

 

「チッ!」

 

 魔法陣と魔力を纏った一閃による生じた反発力に、二人は弾かれるように床に着地した。

 するとアウリオンは眉を歪めながら尻尾を揺らす。

 

「……その状態で、フェアではない状況でここまで動くとは」

 

 確かにスヴェンは灰髪の魔族少女から傷を受けた。

 そして今度は体力を消耗した状態で左肩を切断され、いまなお綺麗な切断面と腹部から夥しい出血が床を汚している。

 だがそれがなんだ? お互いにフェアな状態? そんな物は戦場なら最初から存在しなければ、いつだって不利な状況を強いられる殺し合いだ。

 

「戦場を渡り歩くイカれた外道には関係ねえよ」

 

 スヴェンは魔法陣を展開しているアウリオンに衝撃波を飛ばすーー同時に衝撃波を囮に縮地を繰り出す。

 アウリオンは迫り来る衝撃波を魔法陣で受け止めるが、徐々に魔法陣に亀裂が生じる様にーー小さく笑った。

 そして魔法陣がバリーン!! ガラスのように破れた瞬間、アウリオンが両手で握り締めた漆黒の剣で衝撃波を受け止める。

 完全にがら空きのアウリオンの背後に回り込んだスヴェンは、ガンバスターの銃口を彼の後頭部に押し付け、

 

「こいつで終いだ」

 

「先程の飛来物の速度と威力……なるほど、この距離なら確実だな」

 

「アンタが引き金を引くよりも早く魔法を唱えれば違うが?」

 

 そう告げるとアウリオンは受け止めていた衝撃波を、漆黒の一閃で弾き返した。

 衝撃波は地下室の天井に弾かれーー衝撃音と共に天井が崩れる。

 幸いスヴェンの左腕も気絶してる灰髪の魔族少女も巻き込まれることは無かったが、巻き込んだらどうするんだ? そう言いたげな眼差しで睨むとアウリオンがこちらに振り向く。

 同時に漆黒の剣を鞘に納め、

 

「スヴェン……お前が魔王様の救出に協力してくれる事を願う」

 

 小さな笑みを浮かべていた。

 どうやら彼の中で納得する判断材料を見つけたようで、これ以上の戦闘は無意味だ。

 スヴェンはまたいつもの眼差しに戻り、ガンバスターを鞘に納める。

 しかし出血多量で視界が歪む。気を失うまでそう長くは保たないだろう。

 

「今は単なる旅行者だ」

 

「……なるほど、馬鹿正直に魔王救出を掲げては消されると考えたな」

 

 理解が速くて助かる。同時にアウリオンは頭の回転も状況を見据える能力も高いように思えた。

 それならここで幾つか情報を得ておく必要が有る。

 

「アンタは魔王のために邪神教団に従ってる状況だな?」

 

「俺に限らず、そこに気絶してるリンもそうだ」

 

 魔王に対する忠誠心。それも有るが従わなければ邪神教団は本気で凍結封印したアルディアを砕くのだろう。

 だから不本意な指示に従わざるを得ない。ここで戦闘という茶番を演じたのも疑いを躱すための工作。

 スヴェンはこの町で起きた事件の情報を得るために訊ねる。

 

「……リリナ、アイツを屋敷に帰したのはアンタか?」

 

「ああ、連中の指示に従ってだが……なぜわざわざ彼女を帰したのかは理解に苦しむが」

 

「港で発見された全身の皮膚を剥がされた少女の水死体、アンタがリリナを帰したのと同時に起きた事件だ。そっちの件に何か心当たりはねえか」

 

 アウリオンは考え込むように顔を顰め、やがて意図を察した様子で頷いた。

 

「なるほど、お前がそう疑うのも道理だな。それならばこちらでも調べておく……その状態にした俺が言うのもなんだが、一刻も速く治療すべきだ」

 

 霞む視界と滲む汗。確かに早めにミアの治療を受けなければ出血多量で死ぬ。

 まだ情報が欲しい所だが、

 

「なら後で情報でも流してくれ」

 

「ようやく得られた協力者だ、連中に悟られん程度に協力させてもらおう」

 

 明確な協力関係の構築。これで多少は魔王救出が前進すると思うが、まだ布石が足りない。

 故にスヴェンはアウリオンととある言葉を交わし、とある密約を協定として取り付けた。

 そしてスヴェンはアウリオンに背中を見せ、

 

「最後に結界だけはそっちで解除してくれ」

 

 アウリオンはスヴェンの頼み事に快諾した。

 こうしてスヴェンは左肩を回収し、すっかり荒れ果てた地下室を背にレヴィとミアが待つ廊下へ歩んだ。



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5-14.解放

 スヴェンが地下室に向かってしばらく経過した頃。

 レヴィは地下室から聴こえる破壊音、銃声、襲撃音と斬撃音に眉を歪めていた。

 地下室でスヴェンが一人だけで誰かと戦っている。

 傭兵としての本質、護衛として彼が戦うのは納得も理解も及ぶ。

 しかし黙ってこの場で待つことしかできないレヴィは、隣で地下室を見詰めるミアに視線を向ける。

 

「選手会場から増援は難しいのね」

 

 先程ミアが増援を呼びに向かったが、戻って来た彼女の表情は優れなかった。

 だから改めて確認のために聴いたのだが、

 

「うん、集団とアンノウの連携に苦戦状況で……スヴェンさんに戦力を回す余裕がないわ」

 

 やはり返ってくる返答は増援が難しいという事実だけ。

 せめて一人で戦う彼のために増援を送りたいが、それも叶わず待つしかできない。

 もどかしい状況に地下室に続く狭い通路を見詰める。

 

「ミアはどうして彼を一人で行かせたのかしら?」

 

 なんとなく先程のミアの選択を訊ねると、彼女は小難しい表情を浮かべーーやがて小さな笑みを浮かべた。

 

「近接戦闘と治療魔法しかできない私が付いて行っても邪魔になるだけ……でもそれは分かってるけど、スヴェンさんが此処を任せてくれたからだよ」

 

 敵の増援が地下室に雪崩れ込むを防ぐ。それがスヴェンに頼まれたことだった。

 人を疑い、頼ろうとしない孤高にも近いスヴェンがこうして二人を頼った。

 それは単なる傭兵としての判断なのか、それとも彼自身の考えかはレヴィには依然として判らない。

 ただ言えることは、彼に任された以上はこちらも期待に応えなければならないという事だ。

 レヴィは改めて周囲を見渡すと、今度はミアから質問が飛ぶ。

 

「レヴィは如何して安全な所に隠れようとしないの?」

 

「こんな状況下で果たして安全な場所なんて有るのかしら? それにこんな状況で危険に曝される彼らを見捨てる真似が私にできると思う?」

 

 今は素性を偽り単なるレヴィとしてこの場に居るが、自身の本質は何一つ変わらない。

 王族としての責務とレーナ個人として国民の安全が最優先事項だ。

 ただレヴィは眉を歪める。今の状況こそが自身の信念に矛盾を与えている。

 先にコロシアムの廊下に出たのは他ならない自分達だ。まだ危険な状況に置かれた観戦客を置いて。

 矛盾と国民に対する想いが胸を締め付ける中、ミアが心配そうに覗き込んでいた。

 

「……レヴィ?」

 

 ーーいけない。弱音を見せるなんてらしくないわ。

 

「少し考え事をしていただけだから大丈夫よ」

 

「それなら良いけど……」

 

 まだ心配そうに見詰める彼女にレヴィは心配ないと笑みを見せる。

 やがて地下室から戦闘音が止んだことに気付いた二人は、狭い通路に向き直りーー声を失い、絶句してしまう。

 左肩を失い腹部から夥しい出血を流すスヴェンが、自身の左肩を右脇に挟みながらこちらに歩いている姿に血の気が引く。

 なぜ彼はあんな重傷を負っても意識を保てるのか、なぜ苦痛に顔色一つ変えず歩き続けられるのか。

 なぜそんなになるまで戦い続けられるのか。

 疑問が頭の中を駆け巡ると、カツン、カツン。そんな足音に漸く現実に引き戻されたレヴィは顔面蒼白のミアに叫ぶ。

 

「……ミア、早く治療を!」

 

「はい!」

 

 出血多量により身体を蹌踉めくスヴェンをミアが支え、狭い通路から廊下に出る。

 するとスヴェンの意識は朦朧としているのか、瞳の焦点が定まらず、

 

「ミアとアンタか……」

 

 ミアの名を呼び、こちらの名を呼ばない。そういえば彼は一度もレヴィとは呼んでくれさえしない。

 それが少しだけ不服でもどかしいと感じたが、

 

「スヴェン! 意識を保ちなさい! 死んではダメよ!」

 

 今は彼に呼びかけることが最優先だ。

 そしてスヴェンを壁際に座らせたミアが杖を構えながら、彼の左肩をこちらに差し出す。

 

「今からスヴェンさんに再生治療を施します! だから左肩を切断面に合わせて支えてください!」

 

 ミアの治療師としての指示に、レヴィは迷うことなくスヴェンの左肩を受け取り、血が衣服に付着しようがお構い無しに彼の左肩を切断面に合わせ支える。

 そしてミアは杖をかざしたままスヴェンを中心に魔法陣を構築させ、

 

「水と風よ、この者に再生と活力を与えよ」

 

 詠唱を唱えることで魔法を発動させた。

 魔法陣から放たれた青と緑の光りがスヴェンを包み込む。

 すると支えていた左肩はスヴェンの切断面と接合し、腹部の穴が完全に塞がれる。

 改めて見ればミアの治療師としての才能はずば抜けて高い。

 いや、欠損した人体を骨ごと元通りに治せる治療師などミア以外には居ないのかもしれない。それだけミアはエルリアでも貴重な人材だ。

 

「ふぅ……今回はこれだけで済んだけど、スヴェンさんは一体何と戦ったのかな?」

 

 あの地下室から感じた魔力にレヴィは覚えがあった。

 いや、早速間違える筈もない魔力だ。つまりスヴェンはアルディアの大切な側近にして近衛兵隊長のアウリオンと戦った。

 レヴィがミアに伝えようと口を開きかけると、

 

「……油断した。まさか荒くれ者に此処まで追い詰められるとはなぁ」

 

 スヴェンが嘘の情報を口にする。

 例え相手がミアであろうともスヴェンは嘘を吐いた。

 それは恐らくアウリオン達の行動が邪神教団に漏れる可能性を考慮してだ。

 レヴィが察するのと同様にミアも察した様子でいながら呆れたため息を吐く。

 

「……はぁ〜、そういうことにしておくけど、しばらく絶対安静に!!」

 

 彼女の語気を強めた一言にスヴェンが嫌そうに眉を歪める。

 今の彼は出血多量だ。そんな状態のスヴェンに無茶をさせる訳にはいかない。

 

「スヴェン、そんな状態で護衛が務まると思っているのかしら?」

 

 二人の追撃にスヴェンはますます顔を顰めた。

 やがて困った様子で不服そうに唸り声をあげ、そして盛大なため息を吐く。

 ため息を吐きたいのはこっちだ。まさか左肩を切断されるような戦闘を繰り広げるなど想像もしていなかった。

 そもそもなぜアウリオンとそんな戦闘を演じたのか。

 いま彼に訊ねても恐らく答えないだろう。なんとなくだが勘がそう告げている。

 

「ところで動けるかしら?」

 

 この場所に居ても仕方ない。そう思いスヴェンに手を差し伸ばすと、彼はその手を取らずに一人で立ち上がった。

  

「問題ねえよ……」

 

 そして何かに気付いたのか背中のガンバスターの柄に右手を伸ばす。

 そこで漸く鋼鉄を伴う足音に気が付く。

 

「こっちに人が居るぞ!」

 

「おっ! ミア殿と噂に聴くスヴェン殿じゃないか!」

 

 どうやら駆け付けたのは外で立ち往生していた魔法騎士団で、レヴィとミアは互いに顔を見合わせては事態の終息に安堵の息を吐く。

 

「そちらの……な、なんてお美しいお方か!」

 

 こっちの顔を見つめそんな事を述べる騎士にレヴィは笑みを向ける。

 

「試合観戦中に事件に巻き込まれた観戦客よ……貴方達が突入したということはもう結界は解除されたのよね?」

 

「は、はい。あっ、これから直ちにユーリ様と観戦客の救出に向かいますが……三人は先に外へ出た方がよいでしょう」

 

 壁際に広がったスヴェンの血痕に気付いた騎士の配慮にレヴィは迷うことはなかった。

 今は一刻も早く彼を休ませるのが先決だ。それに魔法騎士団の三部隊とオールデン調査団が突入したのだ、あとは彼らに任せても大丈夫だ。

 レヴィは騎士に頷くことで返答を返す。その後騎士によってコロシアムの外へ連れ出されることに。



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5-15.望まない休養

 スヴェンは移動途中で気を失い、目覚めた時には宿部屋のベッドの上だった。

 コロシアムを襲った事件は魔法騎士団とオールデン調査団の突入によって一旦の終息に向かった。

 しかし捕えたのはレヴィ達が気絶をさせた荒くれ者共ばかりで、試合会場に居た頭目をはじめとした主力を取り逃がす結果に終わったらしい。

 アシュナの気配が感じられないことを訊ねると、どうやら彼女は情報収集に当たっているようだ。

 そんな報告を受け愛想笑いを浮かべるミアに、スヴェンはベッドに拘束された状態に青筋を浮かべる。

 

「話しは理解した……だがこの状況はなんだ?」

 

 顔だけミアに向ければ、彼女の背後でこちらの様子を見守るレヴィとエリシェの姿も。

 ミアはこちらの問いに対し、口元は笑っているが触った眼差しを向け、

 

「絶対安静!」

 

 鋭い怒声で告げた。

 

「ざけんな! こんな状態じゃあ飯もまともに食えねえだろうがっ! だいたいアンタの治療魔法のおかげで後は食って寝りゃあ回復すんだよ!」

 

 正直に言えば食事と睡眠だけで体力は万全な状態に回復する。だからこの拘束は過剰で、そもそも拘束の意味を成さない。

 

「ふーん? 拘束を解いたら一人で調査に出かけたりしない?」

 

 確かに試合会場に襲撃した敵は未だ健在だ。またレヴィが巻き込まれる前に対処したいところだが、潜伏先が判らない以上調査は必要になる。

 本音は一人で調べ、あの水死体が誰なのか把握しておく必要性も高い。そして敵対勢力を始末しておきたい。だが如何にもミアを納得させなければ拘束を解いてくれない様子だ。

 正直に言えば自身の身体の状態は自分が一番よく理解している。

 この状態では満足に身体が動かないだろう。

 

「やんねえよ。調査だとかは万全の状態でやるもんだ」

 

 スヴェンは真っ直ぐミアの翡翠の瞳を見詰めて話すと、

 

「レヴィ、スヴェンさんは嘘を付いてない?」

 

「……嘘は付いてないわね。スヴェンは自分の身体の状態ぐらい把握してるもの」

 

 確かに嘘は付いていないが、レヴィの瞳に内心を見透かされたようで居心地の悪さが身体を駆け巡る。

 そもそもクソガキ、護衛対象、鍛治職人の看病は不要。休める時は静かに休むのが回復の秘訣だ。

 スヴェンは自身の経験と自論を浮かべながら、

 

「じゃあアンタらは拘束を解除して部屋に戻れ」

 

 はっきりと告げると何を思ったのかミアは、小悪魔のような笑みを浮かべていた。

 

「えっ? 看病するよ、それとも美少女三人に看病なんて嬉しいイベントを拒むの?」

 

「拒むに決まってんだろ、バカじゃねえのか?」

 

「レヴィ、エリシェ〜!! 真顔で拒否られたんだけど!?」

 

 二人に泣き付くミアに、レヴィとエリシェはお互いに顔を見合わせ小さな笑みをこぼす。

 

「こうなることはなんとなく予想していたけれど、本当に看病は不要なの?」

 

「ああ、静かに寝てりゃあ回復するもんだ」

 

「そう……だけど貴方の左肩は完全には治ってないのよね?」

 

 スヴェンは自身の左肩を動かし左手を握り開く。その動作を何度か繰り返し、未だ左肩が離れた感覚から完全に細胞同士が結合していないのだと理解する。

 無理をすれば癒着しかけた細胞に亀裂が走り、左肩が千切れる。

 

「ああ、如何やらそうらしいな」

 

「本当に看病は不要なの?」

 

「不要だな」

 

「……はぁ〜、スヴェンさんがそこまで言うなら無理強いはしないけど、せめて食事の用意はさせてよ」

 

 宿屋の食堂から料理を運ぶ。それぐらいの手を借りてもいいだろう。

 なによりも未だミアとレヴィは看病できないことに納得していない様子だ。

 そこで食事の用意も断れば話が拗れ、ますます面倒臭い状態が続くことになる。それだけは全力で回避して幸福に満ちた食事を堪能したい。

 

「ああ、美味いもんを頼む」

 

 そう告げるとミアは晴れやかな笑みを浮かべ、気合をみせるように拳を握りーー嫌な予感がする。

 スヴェンが二人を止めようとするも、意気揚々と動き出したミアとレヴィはこちらに気付くことなく部屋から退出してしまった。

 普通に宿屋の食堂の料理を堪能できればそれで済む話しだったがーーそういや、ミアはあんま料理する機会がねえとか言ってたな。

 野宿時の食事が美味くなるなら何も問題無いようにも思えた。冷静に考え直せば特に焦る理由も無ければ嫌な予感も気のせいだ。

 そしてスヴェンは未だ部屋に居座るエリシェに視線を向ける。

 

「アンタも部屋に戻ったら如何だ」

 

「此処で作業を続けてダメかな?」

 

「また徹夜して寝過ごされる訳にはいかねえんだよ」

 

「そ、それは……だ、大丈夫。それにミアとレヴィと一緒だと女子会になって作業が進まなくなるから」

 

 まだガンバスターは基礎設計の途中だった。だから設計作業を集中して終わらせたいのだろうか。

 そう言えば作業中のエリシェは異様なほど静かだった。

 初対面の武器に興味を見せ、興奮していた様子が嘘だと思えるほどに。

 一つだけ疑問なのはミアと学友だったエリシェが、女子会を避ける理由だ。

 

「女子会ってのはよく判んねえが、アンタは嫌いなのか?」

 

「女子会はむしろ好きだよ。夜遅くまで色んな話で盛り上がって、それにレヴィのことも知りたいし」

 

 それならわざわざこっちで作業しなくとも良いように思える。

 彼女の集中力なら喧しいミアの雑音も気にならないだろう。

 

「なら元の部屋で良いんじゃねえのか?」

 

「いやぁ〜楽しそうに談笑してると混ざりたくなるから。それにあたしは仕事で来てるから、流石に楽しい女子会は請けた仕事がひと段落してからって決めてるんだ」

 

 仕事に対する姿勢を語るエリシェに、スヴェンは眼を瞑る。

 彼女の作業効率が上がるならそれに越したことはない。特にアウリオンは強かった、魔王救出を確実に達するには材質を魔力に適した物に変えたガンバスターが必要だ。

 

「……アンタの作業が効率的に進むなら好きにしろ」

 

 そう告げるとエリシェは安堵した様子を見せ、

 

「良かったぁ〜これで作業が捗るよ!」

 

 やがて何か思い出したのか、急に血の気が引いた表情を浮かべていた。

 ころころ表情が変わるガキだ。スヴェンはそんな印象を受けながら疑問を示す。

 

「み、ミアにご飯作らせて大丈夫?」

 

 ミアの作った料理は既に一度食べことが有るが、彼女が青褪めるほど酷い料理ではなかった。

 同時にスヴェンの腹から空腹を告げる音が鳴る。

 

「アイツの料理はそこまで酷くねえと思うが……まあ経験を重ねれば上達はすんじゃねえか?」

 

「そ、そうなのかなぁ? ミアはラピス魔法学院で同級生全員を医務室送りにした伝説を持つのに」

 

 焦げた干し肉と色の悪いスープの味は今でも憶えている。あの味で学生が医務室送りなら、デウス・ウェポンの食事擬きは窒死級だろう。

 

「食事と語る身の程知らずな食事擬きを当たり前のように食い続けた身としちゃあ、アイツの料理は遥かにマシだぞ」

 

「……逆に気になるんだけど? スヴェンの世界のこととかさ」

 

「あ〜食事擬きは数少ない拷問道具だ。アンタに分ける訳にはいかねえよ」

 

 はっきりと不味いと伝えながら断ると、エリシェは壁に立て掛けれたガンバスターに視線を向け、

 

「食事が大変な世界ってことは分かったけど、武器を造る技術はテルカ・アトラスより進んでるよね?」

 

 確かに技術は進んでいる。しかしそれは長い人類の殺し合いで発展させてきた技術だ。

 武器が進歩すると言うことは、それだけ戦争経済から抜け出せない証拠だった。

 だからこそスヴェンはエリシェの質問を沈黙で答える。

 

「あっ、話したくないんだ。……なら別に答えなくていいけど」

 

 人には話し難い質問がある。その事をよく理解しているか、エリシェはあっさりと引き下がった。

 しかし彼女の顔はデウス・ウェポンの技術に興味が尽きない様子だ。

 デウス・ウェポンの武器は容易くテルカ・アトラスの武器市場を塗り替える。

 完璧な再現は技術と素材の違いから無理だが、技術を魔法で素材を別の物で代用が可能だ。

 自身の望む戦場が、傭兵の存在意義が生まれる可能性が高まる。だからこそデウス・ウェポンの武器技術を伝える訳にはいかない。

 既に銃に関する技術を伝えているが、

 

「昨日言い忘れたが、アンタが設計してる武器は簡単に人を殺せる武器だ」

 

 脅しのつもりで事実を告げると、意外なことにエリシェは動じた様子を見せずーー寧ろ自分がどんな武器を設計しているのか明確に把握した様子で、

 

「知ってる。ガンバスターと銃の構造を解析して図面を引いた時、どうしてこんな構造なのか、武器一つに2種類の武器を詰め込んだのか考えた時……あぁ、これは人を殺す為の武器なんだって」

 

 彼女が理解した事を告げられた。そこにこちらに対する険悪感を見せず既に決意していたのか語り出した。

 

「だからあたしは他の人に銃もガンバスターも売らないし、造らない。これはスヴェンの完全オーダーメイド製品だから!」

 

 それはそれで鍛治職人としての利益が得られないように思えるが、エリシェの決意は本物でそれを否定するのは失礼だ。

 寧ろ自身のような戦争屋の外道が大量に現れない状況になるだけマシだ。

 同時にエリシェのような思慮深い職人が専属鍛治師なら、どれだけ武器の都合が付くか。

 そう考えたスヴェンは自身も気付かない内に口にしていた。

 

「アンタのような職人が専属なら気楽でいいんだかな」

 

 漸く自身の口から内心が漏れたことに気付いたスヴェンは、自身の失敗に顔を顰める。

 いずれテルカ・アトラスから消える人間が専属を雇うなどどうかしている。

 我ながら情けない失敗に自嘲気味に険悪感を宿すと、

 

「……スヴェンの専属ならなってもいいかもね」

 

 はっきりとそんな言葉が耳に届く。

 気が早過ぎるなどツッコミたいことは多いが、聴き間違えならどんなに対応が楽か。

 スヴェンははっきりと彼女の申し出を断る為にエリシェに視線を向けると、突然彼女が噴き出すように笑った。

 

「あははっ! 冗談だよ! まだあたしの半人前の腕前じゃ誰かの専属なんて烏滸がましいもん!」

 

 少なくとも彼女の武器に対する意欲は半人前とは思えない。

 ただスヴェンはその事を追求せず、自身の誤りから逃れるように沈黙した。

 それから微妙な空気が室内に漂う。

 しかしそれはミアとレヴィが宿部屋に戻って来たことで終わりを告げる。

 漸く来た食事に期待を込めながら二人に顔だけ向けると……ミアとレヴィは瞳を潤ませていた。

 何が起きてそんな結果になったのか、スヴェンはゆっくりと視線を下に移す。

 ミアが待つトレイに乗せられた四皿から立ち昇る紫色の怪しげな煙に眉が歪む。

 生憎と此処からでは皿の中身が見えない。

 

「……スープか?」

 

 なんの料理か訊ねれば、ミアは視線を明後日の方向に逸らしながら、

 

「えっと、滋養強壮と鉄分の補給……その他栄養バランスを重点的に選んだ食材で作った……料理、です」

 

 しょんぼりとした声で答えた。

 先程の意気揚々としていた二人の表情は嘘のように沈んでいる。

 だがそんな事は関係ない。いまは血が足りずに腹が減っている状態だ。

 

「拘束を解いて飯をくれ」

 

「た、食べるの? い、一応味見はしたのだけど……美味しくないわよ」

 

 食べる事を拒むレヴィにスヴェンは無理でも拘束を解こうともがく。

 

「そ、そんなにお腹空いてるんだ」

 

 トレイを持ったまま困惑を浮かべるミアを他所に、仕方ないとエリシェがミアからトレイを受け取る。

 そしてベッドに近寄り、眉を歪めながらエリシェはフォークに赤黒い獣肉らしき物体を刺した。

 刺された物体から紫色の湯気が立ち昇る。一見すると毒物に見えなくもないが食べてみないことには判らない。

 

「……こ、これ。本当に食べるの?」

 

「食うが、その前に拘束外せよ」

 

 そう告げるとフォークで刺した赤黒い獣肉の一口が口に入れられた。

 突然口に入れられた肉を反射的に噛む。すると強く刺激的な辛味が口内に広がる。

 同時にスヴェンの額から汗が滲み出た。  

 

「結構辛えが、悪くねえな」

 

 デウス・ウェポンの食事擬きと比較して遥かにマシな料理に対する感想を述べると、ミアとレヴィは申し訳なさそうに床に手を付くように崩れ落ちた。

 

「スヴェンさん、それは美味しくないの。本当に美味しくないんだよ」

 

「貴方の味覚が正常なら真っ先に出る単語は、不味いなのよ……」

 

 確かにテルカ・アトラスの食事水準で比較すれば二人の作った料理は不味い。

 別にスヴェンは特別味覚音痴という訳ではない。

 それよりも問題はなぜ拘束を解かれないのか。それが食事の味よりも最大の問題だ。

 

「……それよりも飯の前に拘束を解け!」

 

 万全の状態ならこの程度の拘束具は腕力に物を言わせて破壊することができるが、いかせん血が足りな過ぎて力が入らない。

 この状態では誰かには拘束具を解除してもらう他にないのだが、漸く立ち直ったレヴィがベッドに近付き、拘束具を外した。

 そしてエリシェが差し出すトレイを受け取り、そのまま勢いよく二人が作った料理を口に運ぶ。

 

「……ミア、ほんとにスヴェンは大丈夫なの?」

 

「私が食べたレーションよりは酷くないけど、でも平気で食べて貰えるのもそれはそれで複雑!」

 

 エリシェとミアのそんな会話を耳に、スヴェンは己の空腹を満たすべく一心不乱に食事を続ける。

 やがて腹を満たしたスヴェンはそのまま、意識を手放すように眠った。



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第六章 騒乱の一日
6-1.告げられる情報


 窓から差し込む朝陽を受けたスヴェンは眼を覚ます。

 眼を開け、視線を動かすと机にうつ伏せのまま眠るエリシェの姿が有った。

 またか。仕事熱心なのはいいが、二度目となれば考えものだ。

 スヴェンは呆れたため息と共に身体を動かす。そして左肩を動かす。

 

「万全だな」

 

 完全に傷は癒え、体力も回復した。これで緊急時の戦闘にも対応できる。

 さっそくベッドから降りては、今度は眠っているエリシェをベッドに運ぶ。

 そしてスヴェンは机に向かい、置かれた設計図に舌を巻く。

 既に完成された設計図、そして図面の隅に書かれた反動抑制モジュールを参考にした魔法陣の構築式や魔法式が完成時の期待を膨らませるには十分だった。

 まだ完成まで程遠いが、滞在中に試作品の試験が出来れば上等的に思える。そんな期待感を胸にスヴェンはシャワーの支度を済ませ、浴室に足を運んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 朝のシャワーを済ませ、一人で宿屋フェルの食堂に足を運んだスヴェンは適当な席に着く。

 ちらりと辺りを見渡せば子連れの家族、一人で朝の紅茶を嗜む者ーー自分を含めた六人の客が居る。

 さて、朝は何を食べようか。スヴェンがメニューに手を伸ばすと騒ぎ声が響く。

 

「だから! このマヨネーズを採用すれば売り上げ増加間違いなしなんだって!」

 

 カウンターの店員に叫ぶ金髪の少年に目が行く。

 朝から面倒な騒動は勘弁して欲しいが、カウンターの店員は冷ややかな態度で、

 

「あんなカロリーのバケモノを採用したらお客さんの健康が損なわれ、お腹をくだしますよ。……現に貴方の指示で作ったまよねーず? でしたか? それを試食した厨房スタフが全員病院に運ばれましたからね」

 

 試食で病院送りにする食材? スヴェンは多少の興味が惹かれるが腹を壊すような物は極力食べようとも思えない。

 

「ぐっ……そ、それは胃が鍛えられてないから。でも! 慣れると病み付きになる万能調味料なんだよ!」

 

「あんな油に油を更に油を追加した調味料を受け入れるには数百年掛かりますよ」

 

 分かったら早く帰れ。そう鋭い視線で語る店員に金髪の少年が悔しそうに歯軋りを鳴らし、ようやくその場を立ち去る。

 そんな彼とレヴィがすれ違うようにやって来ては、こちらに近付く。

 そして無言のまま椅子に座ると、

 

「……貴方が昨日遭遇したのって、やっぱり?」

 

 昨日のコロシアム地下室で誰と戦ったのか、既に察してが付いている様子で訊ねられる。

 スヴェンは肯定とも否定とも取れる酸味な態度で肩を竦め、

 

「今日も調査か?」

 

「むっ、逸らすか。まあいいわ、今日は調査だけれど……っ!?」

 

 何かに気付いたレヴィが突如椅子を蹴って立ち上がると、突如食堂全体の空間が歪む。

 スヴェンは警戒から背中のガンバスターの柄に手を伸ばすと、空間の歪みの中から二人の魔族が姿を現す。

 突然のアウリオンとリンの登場にスヴェンは冷や汗を流しつつ、ガンバスターの柄から手を離した。

 ふと、突然魔族が出現した状況で嫌に静かな様子に違和感が芽生える。

 レヴィが冷静なのは理解が及ぶが普通なら魔族の出現に店員と客が騒ぎ出す。

 だからスヴェンが周囲に視線を移すーー店員と客は静止たまま動かない。

 まるで時の流れが止まったのか、一切動かない店員と客。極め付けは子供が落としたフォークまでもが、宙で静止している。

 

「……これは、時間停止か」

 

 状況とデウス・ウェポンの技術を当て嵌めてアウリオンに問えば、彼は冷静な面持ちで口を動かす。

 

「実際には違う。時間停止のような大規模な魔法を発動すれば連中に気付かれる」

 

 この現象は単なる空間停止の類なのか。スヴェンはそう頭の中で推測を浮かべると、レヴィが当然の如く動いた事に眼を見開く。

 この状況で空間停止の影響を受けずに動け、なおかつため息を吐く彼女にスヴェンは愚か、アウリオンとリンも驚愕を隠せず動揺を見せていた。

 

 ーー二人の反応を見るに元々この空間で動けるのは俺だけ。なんだって姫さんは動けてんだ?

 

 魔法が使えない状況で空間停止の影響を受けないレヴィに、少なくともスヴェンの頭では理解が追い付かない。

 

「空間の一時的な固定化……この様子だとフェルシオン全土まで及んでそうだけど?」

 

 レヴィの指摘にアウリオンは彼女に探るような眼差しを向け、

 

「貴女は一体……いや、似てるがまさかな」

 

 ここにレーナが居る筈がない。そう言い聞かせるように呟いた。

 アウリオンならレヴィの正体に辿り着ける。だからこそ彼は敢えて気付いていないフリをしたのだ。

 現にまだ察しが付いていないリンは、レヴィに訝しげな眼差しを向け鋭く睨む。

 

「何者なの? ……邪魔なら消しておく?」

 

 レヴィに対する警戒心から敵意を向けるリンに、スヴェンは鋭い眼孔でガンバスターを抜き放ち、レヴィを守るように背中に隠す。

 するとリンは肩を震わせ、アウリオンの背中に隠れた。

 

「リン、彼女に手を出すな……スヴェンが敵に回る」

 

「護衛対象を危険に曝すならな」

 

 例え相手が魔族であろうとも優先順位が違う。最優先すべきは現在進行で依頼を請けているレヴィの安全と魔王救出だ。

 

「すまない。いや、話を戻そう……彼女の指摘通りフェルシオンの守護結界領域の空間を停止させた。……こうでもしなければお前に情報を与えられそうにないからな」

 

 わざわざ空間停止まで行使してまで接触して来たという事は、それだけ事態が動いたか。それとも敵対者が次の行動に出た。

 

「旦那、本当にこいつを信用していいの?」

 

 こちらに敵意を向けるリンにアウリオンがため息を吐く。

 

「現状で頼れる者は彼しか居ないんだ。お前だっていつまでもアルディア様の腹を冷やし続けるわけにはいかんだろ?」

 

「そりゃあ早く助け出したいけどぉ……というかまだお腹冷やしてると思ってるの?」

 

 凍結封印が対象者にどんな作用を与えるのか知らないが、リンから警戒されるのは当然だ。

 逆に警戒もなくこちらを信用する相手ほど信用できない。

 協力関係はあくまでも利害の一致や互いに利用し合うのが好ましいーーレーナはそんな腹の探り合いも必要がない程に純粋だったが、彼女のような人間はそう多くは居ない。

 スヴェンは背中に居るレヴィを例外と認識しつつ、二人に声を掛けた。

 

「互いに警戒して行こうじゃねえか。俺は傭兵、アンタらは邪神教団に従わされている先兵だろ?」

 

「確かにそうだな……そろそろ本題に入ろう」

 

 アウリオンは椅子に座り、スヴェンも話しを聴くために椅子に座る。

 改めてスヴェンはアウリオンに視線を向け、

 

「それで、情報ってのはなんだ?」

 

「昨日コロシアムを襲撃した連中に付いては?」

 

 情報を告げる前にこちらがどの程度把握してるのか、確認のために問われた。

 確かにコロシアムを襲撃した連中の名を知らなければ、まだゴスペルや邪神教団の行動も把握していない。

 こちらが一日の調査で得られた成果は、お世辞にも多いとは言えない。

 しかしヒントは有った。占拠されたコロシアムに現れたオールデン調査団。

 その組織はゴスペルを追って国境を越え、ルーメンに辿り着いた。そしてゴスペルの取引がフェルシオンで行われていると知ればそこに現れるのも必然と言える。

 

「情報不足の推測になるが、コロシアムを襲撃した連中はゴスペルか?」

 

 スヴェンの返答にアウリオンは眼を伏せ、やがて納得した様子で口を開いた。

 

「なるほど、昨日の状況で推察したか」

 

 推測が正解に変わった。となれば問題はゴスペルがなぜ封印の鍵をユーリに脅迫したのかだ。

 そもそもリリナを攫った連中がゴスペルなら、元々封印の鍵を狙っていた事は頭目の言動から察しも付く。

 ただゴスペルと邪神教団の関係は数ある取引相手程度の関係しか知らない。

 

「連中は何を目的に封印の鍵を? 邪神教団がなりふり構わず脅迫すんなら理解もできんだがなぁ」

 

 そもそもの疑問を訊ねれば、アウリオンは冷静で静かな眼差しを向けて来る。

 

「確かに問題はそこにも有るが、俺は元々邪神教団のエルロイ司祭からゴスペルのおもりを任されていた。……つまり魔族を派遣してまで連中にやって欲しいことが有るのだろう」

 

「確かにそう考えんのが自然か……だが邪神教団ってのは、ガキに薬物が混入したアメを配る外道だろ? 封印の鍵が狙いならユーリに洗脳魔法を混ぜ込んだアメを食わせりゃあ済むだろ」

 

「それは無理に等しいな。貴族や王族はあらゆる危険を想定され護られている。例えば、食事一つにしろ厳重な仕入れルート、調理工程、毒味による警戒が成されているのだ」

 

 アウリオンの言動にスヴェンは密かに隣りに立つレヴィに視線を移す。

 思い当たる節しかないレヴィは頷いて見せ、

 

「確かに毒殺、洗脳を仕込むのは至難の業ね。……そんな厳重な護りでどうやって魔王様を凍結封印したのか謎でも有るのだけどね」

 

 確かに厳重に護られていながら魔王アルディアは凍結封印された。

 それは内部に裏切り者、あるいはメルリアのケースを考えれば配下の一人が洗脳を受けた可能性も有る。

 

「……サルヴァトーレ大臣、彼が邪神教団を手引きしたことに間違いないが……今となっては証拠も掴めまい」

 

「証拠隠滅に始末されたか」

 

「ああ、彼が記憶する全てを吸い出されたうえにな」

 

 大臣ともなれば重要な情報を持っているだろう。邪神教団はそこに狙いを付けた。

 ならばますますユーリの屋敷に戻ったリリナが怪しくなる。

 

「記憶、洗脳……いや、それよか、ゴスペルの動きだな。人攫いに関しちゃあエルリア国内の誰かと取引してる可能性もあんだろ?」

 

「俺達が立ち入る訳にはいかない問題だが、元々ルーメン経由から届く筈だった商品を取引先が受け取る手筈だったようだ……だが、そこに邪神教団が生贄を注文した履歴は無かった」

 

 ーー邪神教団は今回の人身売買に関しては関与してねえ? ならゴスペルは何のために封印の鍵を?

 

 スヴェンが内心で疑問を浮かべるとアウリオンは懐から紙束を取り出した。

 ぎっしりと細かく書かれた行商ルートと伏せられた仲介業者の名。

 幾度も繰り返される人身売買の売買取引。追う者は翻弄され最終的な目標を見失うようにされた巧妙な計画書にスヴェンとレヴィは喉から手が出るほどの思いに駆られた。

 

「そいつが有れば少なくともエルリア国内の人身売買は阻止できんな」

 

「ああ、これは有益な情報を提供できなかった代わりの手土産程度に過ぎんが……昨日のコロシアム襲撃事件はルーメンから届く筈だった商品が魔法騎士団に抑えられた事に起因する」

 

 スヴェンは書類を受け取り、

 

「用意できなかった商品の代わりに、元々狙っていた封印の鍵を求めた……だからコロシアムを襲撃して封印の鍵を狙ったてか?」

 

 人身売買が上手くいかず代わりとなる封印の鍵を求められたーー猟奇殺人の件も合わせてスヴェンは眉を歪めた。

 なぜゴスペルの取引相手が封印の鍵を欲するのか。ゴスペルの取引相手、その最終的な顧客が邪神教団なら事件にも説明が付くが。

 

「そうだな。ゴスペルの封印の鍵も取引内容の一つだが、ゴスペルがユーリを脅迫していたのはもう一つ有る」

 

「まだあんのかよ。どうせろくな要求じゃねえんだろうな」

 

「連中がリリナの身柄と引き換えに要求したのは、封印の鍵とレーナ姫の遺体だ」

 

 告げられる情報にスヴェンはレヴィの様子にちらりと視線を向ける。

 自分のせいで誰かが犠牲になろうとしていた。そんな思い詰めた表情をレヴィは浮かべていた。

 今のレヴィは動揺している。だからこそスヴェンは冷静に問題を考え込む。

 

 あまりにも釣り合いが取れない要求だ。一国の姫君と領主の一人娘の身柄。

 釣り合いが取れない。誰も応じない取引だといつもなら鼻で笑う。

 だがスヴェンは、親が子のためならどんな方法を使ってでもーー例えば自身の命を引き換えに子を護ることも有り得る。

 同時に納得も及ぶ。要求に応じられず他言できないからこそ、ユーリはアラタにリリナの救出を命じた。

 しかし返答はリリナの返還。そして翌日にコロシアムの襲撃。

 

「要求が通らない。だからユーリを直接襲ったと?」

 

「そう見るのが自然では有るが、襲撃に失敗した現在ゴスペルは南東の遺跡に拠点を移している」

 

 ゴスペルを叩くならいまが好奇ーー確かに理に適った状況だが、

 

「アンタらどうすんだ? 護りを任されてんだろ」

 

「これも不自然……いや、裏が有るのは明白だが、俺とリンはエルロイに呼び戻されているんだ」

 

「……確かに不自然な状況だが、魔族を派遣した目的は達成したと考えるべきか」

 

 まだ封印の鍵とレーナは健在。ユーリも無事だ。それとは別に果たした目的が何か。

 やはり最初に感じた疑念が頭の中から離れない。

 スヴェンは状況から南東の遺跡は罠が待っていると判断した。それでも面倒では有るが、向かわなければ何も情報は得られない。

 

「ゴスペルの潜伏先がわかりゃあ後は叩くだけだ」

 

「罠と知りながら向かうのか」

 

「連中の行動は不審な点が多過ぎんだよ……邪神教団の誰かが内部に紛れてねえとも限らねえだろ」

 

「確かに連中ならやりかねんな……む、そろそろ向かわなければ怪しまれるか」

 

 そう言ってアウリオンは離席し沈黙を貫くリンをと共に、空間の歪みの中に消えて行く。

 やがて空間が元の状態に戻り、フォークが床に落ちた音が食堂に反響した。

 

「ってわけで俺は行くが、アンタはミアと部屋で休んでおけ」

 

 そう告げると先程まで思い詰めいた表情は嘘のように消え、

 

「ミアを連れて行かなくて良いのかしら?」

 

 彼女が感情を押し殺して気丈に振る舞っているのは、スヴェンが見ても明らかだった。

 どうにも素直で嘘が苦手、だが悪態好きの一面も合わせ持つ彼女に小さく息が漏れる。

 

「アイツまで連れて行ったら、精神状態が不安定なアンタの面倒を誰が見る?」

 

「……私は、そこまで弱くないわよ」

 

 確かにレヴィは決して弱くない。それは異世界から召喚してまで魔王救出を願い、そして異界人が起こした事件で生じたあらゆる責任を抱え込みーーそれでも異界人を信じ、自ら行動に出る彼女を弱いとは誰も思わない。

 思わないが、逆に儚く脆い一面も抱えている。

 精神的苦痛の積み重ねによる摩耗が人を弱らせる。それは最初から狂った外道を除けば例外なく訪れる。

 

「アンタには休憩が必要だ」

 

「休憩? こんな時に休憩なんて……」

 

「休息も無しに戦い続けられる奴は居ねえ」

 

 真っ直ぐレヴィの瞳を見詰めると、ようやく観念したのかため息を漏らす。

 

「そんなに見つめられちゃ敵わないわ」

 

 護衛として側を離れるのは得策ではないが、ミアとアシュナを信じればこそ選べる選択だ。

 説得したレヴィと共にスヴェンは一度部屋に戻り、まだ眠っているミアとアシュナを叩き起こしてから事実を伝え、レヴィを二人に任せた。

 そして自身の宿部屋に戻ったスヴェンは、保険をかけてから出発するのだった。



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6-2.意外な同行人

 スヴェンが一人の例外を除き、誰にも悟れずにフェルシオンを静かに出発した。

 大地に雨が降り草木に潤いを与える光景を見渡すと、背後から気配を感じてはガンバスターを振り抜く。そして刃を背後の自分に向けると、

 

「ちょ!? 待ってください! ボクは敵じゃないよ!」

 

 慌てふためくアラタが視界に映る。

 敵か思えば使用人のアラタが腰に剣を携帯して町の外に現れた。なぜリリナの専属使用人の彼が雨の中平原に来たのか。スヴェンは疑問を浮かべながらガンバスターを鞘にしまう。

 

「外になんか用でもあんのか?」

 

「実はお嬢様が、ゴスペルが南東の遺跡に向かうという話しをコロシアムで聴いたそうで」  

 

 そういえばコロシアムに居た全員が結界に閉じ込められた。その時は気にしてる暇も無かったが、リリナはコロシアムの何処に隠れやり過ごしたのかが疑問に浮かぶ。

 

「へぇ? 盗み聴きできるほど隠れる場所は多くは無かったろ」

 

 疑念混じりの疑問の訊ねるとアラタは苦笑を浮かべ、

 

「実はお嬢様ぐらいの華奢な少女なら無理矢理押し込める木箱がありまして」

 

 如何にして隠したのか答えた。

 木箱に押し込められ狭さに苦むリリナの顔が浮かび、内心で彼女に同情を向ける。

 

「……あー、それでやり過ごしたってわけか。それでアンタがわざわざ外に居る理由は? 状況的に主人の側を離れる訳にはいかねえ筈だが?」

 

 なぜアラタが護るべき主人の下を離れているのか。それが気になって訊ねると、アラタも困った様子を浮かべていた。

 どうやら彼もこの状況は不本意らしい。それでも使用人として主人の命令に背けられない。

 雇われる側はいつだって大変だ。そんな同情にも似た感情を押し殺したスヴェンは、口を開くアラタに耳を傾ける。

 

「貴方の言う通りですよ。本当ならボクも離れるべきじゃないんです……だけどお嬢様は夜明けにこっそりとボクに南東にゴスペルが潜伏しているのか調べて来て欲しいと命じたのです」

 

 なぜアラタに内密に命令を? それこそゴスペルの討伐が絡むなら魔法騎士団に命令すべきだ。

 彼は単なる使用人に過ぎない、例え魔法学院を卒業していても一般人のアラタが討伐や偵察に向かうべきじゃない。

 

「普通なら魔法騎士団に命令するところじゃねえのか?」

 

「ボクも魔法騎士団を頼るべきだと言ったんですけどね。でももしも南東の遺跡にゴスペルが居なかったら? 魔法騎士団が不在の隙を狙われたら? そう言われたら偵察する他にないじゃないですか」

 

 確かにアラタの言う通りだが、どうにもリリナはアラタを引き離そうとしているようにも取れる。

 単に疑い過ぎで余計な邪推も入っているかもしれないが、スヴェンは南東の遺跡に向けて歩き出す。

 するとアラタも目的は同じだと言わんばかりに、

 

「スヴェンさんも南東の遺跡に? ミアさんとレヴィさんは連れて行かないのですか?」

 

 そう不思議そうな眼差しで訊ねてきた。

 スヴェンはさも当然のように嘘を吐く。

 

「たまには一人で観光してえだろ? 丁度こっちの世界にはねえ遺跡が在るって言われりゃあロマンを追求したくもなんだよ」

 

「そういうものなんですか? いや、でもスヴェンさんはレヴィさんの護衛でしたよね?」

 

 何かを疑うように探るような眼差しを向けて来る。意外と用心深いのか、観光に出向くことに疑問を示している。

 まさかゴスペルと繋がりの有る異界人ーーアラタの瞳に宿る疑念を読み取ったスヴェンはため息混じりに、

 

「昨日の襲撃もあってアイツには宿屋で大人しく休んで貰ったんだよ……金の為とはいえ、危険な橋ばかりは渡ってらんねえのさ」

 

 嘘の中にミアがレヴィに付いているという事実を伝える。

 するとアラタの中で疑いが一応は解消されたのか、瞳から疑念が消えていた。

 すぐに他人を信じる所は、アラタも含めて甘いと言わざる負えない。

 疑うならあらゆる可能性を徹底的に洗い出し、危険性が無い、信用できると判断してはじめてソイツを信じられる。

 尤もそこまで警戒して他人を疑い続けるのは自分のような外道ぐらいだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 二時間程平原を進み、南東の方角ーーまだ遠い位置に木々に覆われた巨大船のような建造物が見え始めた。

 二人はそのまま真っ直ぐ遺跡を目指して歩み続けると、突如雨が豪雨に変わり、スヴェンとアラタは近場の洞窟に駆け込んだ。

 雷が鳴り、豪雨から嵐に変貌する。そんな様子を眺めながら、

 

「さっき見えた遺跡ってのは船の形に見えるが、昔はこの辺りは川か何かだったのか?」

 

 焚火を焚き服を乾かすアラタに訊ねる。

 

「この辺りは昔から平原ですよ。……あの船は昔に起きた戦争。今から1000年前に異世界から侵攻してきた侵略者が乗って来た空を飛ぶ船と言われてますね」

 

「異世界から侵攻……穏やかな話しじゃねえな」

 

 異世界が空を飛ぶ船で侵攻ーーそれだけの技術を有する異世界がテルカ・アトラスに眼を付け、侵略に及んだのか。

 そう推測を浮かべる中、アラタはかつて起きた戦争について語り始める。

 

「元々は最初に召喚された異界人を元の世界に返したことがきっかけで起きたそうです……何でも魔力を資源として狙ったとか」

 

「異世界に渡れる技術があんなら魔力は必要なのかって疑問にもなるが、余程資源に困ってたのか」

 

「恐らくそうかもですね。それで戦争は異界戦争と称されてますが、実は戦争は長く続かなかった、むしろ短期間で終結したそうであまり記憶には残って無いそうです」

 

 空戦戦力を保持した異界人の軍隊が敗北した。それは魔法という力の前に敗れたのか、それとも別の要因か。

 歴史の記憶に残らないのも開戦から程なく終結したならある意味で納得だ。

 人々が記憶に刻むほどの凄惨な殺し合いが無ければ、歴史の記憶というのはこの日に起きた程度の些細な情報しか残されない。

 同時にスヴェンはなぜ異界人が敗北したのか興味深かそうにアラタに眼を向ける。

 

「異界人が乗っていた空を飛ぶ船が制御不能に陥って不時着したんです。学者の見解ではこの世界に漂う魔力が空を飛ぶ船に何らかの影響を与えたと」

 

 魔力が動力源に影響を与え船が墜落。結果は軍隊の衝突が起こる前に異界戦争は不慮の事故で終幕した。

 蓋を開けてみればつまらない結末にスヴェンはため息を吐く。

 同時にミアが言っていたレーナは異界人の記憶を消してから帰す。あれは恐らくテルカ・アトラスの記憶を保持したまま異界人を帰さないーー二度目の異界戦争を防ぐための処置だ。

 恐らくスヴェンもこの世界の記憶を消される。それはお互いに影響を残さない最良の判断とも言えるが、問題はスヴェンが三年も行方不明になっていた期間が説明できなくなる。

 

 ーーソイツは魔王救出をやり遂げてから考えるか。

 

 先の事を後回しにスヴェンは改めてアラタに、

 

「あの様子じゃあ動力源は死んでんだろうが……遺跡の調査は何度かされてんのか?」

 

 船の調査について訊ねる。

 調査の結果次第では一部の技術が流用、改善され使用されている可能性も有る。

 

「何度か調査に出向いたそうですが、入り口が鋼鉄の扉で硬く閉ざされて中に入れない。だから外壁を登って侵入を試みたそうですけどーー」

 

「結局何処の遺跡も内部に入れなかったそうです」

 

 硬く閉ざされた鋼鉄の入り口。デウス・ウェポンに近い科学技術が使われているなら恐らく、失った動力の替わりに雷の魔法を回路に流し込めば一時的に復旧は可能か。

 回路が切れて無ければだが。

 

「扉を破壊して開けようとはしなかったのか?」

 

「一応内部は死者が眠る場所として極力強行突破は控えたみですね。それに、エルリアの学者も各国の学者もあまり異世界の空を飛ぶ船に興味が無いようです」

 

「不慮の事故で墜落したもんを造りてぇとは思わねえか」

 

 スヴェンのぼやきにアラタが肯定する様に頷く。

 しかし問題はどうやってゴスペルが遺跡を拠点にしているのかだ。

 遺跡の外から奇襲を仕掛けられるが、万が一内部を拠点にしていれば手間がかかる。

 一応保険はかけて来たが、それもタイミング次第では意味を成さなくなる。

 そもそもなぜゴスペルが遺跡に眼を付けたのか。

 

「ゴスペルにロマンを理解できる奴が居んのか?」

 

「……人の皮膚を剥がしてしまえる外道に遺跡のロマンを理解できるとは思えないですけどね」

 

 アラタは確かな増悪と敵意を向けていた。その増悪の根幹はリリナの為の復讐心か。

 焚火の火種がバチっと跳ね、アラタの薄暗い感情が洞窟の中に淀みを与える。

 戦場で慣れ親しんだ感覚にスヴェンは静かに遺跡の方角を睨む。

 目的はゴスペルの始末と情報を得ること。そして疑心を確信に変えるためだ。

 その邪魔をアラタがするなら彼も障害を阻む者だ。

 スヴェンはアラタの増悪を背中に受けーー嵐は待っても止まないと判断したスヴェンは遺跡に向けて歩き出す。



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6-3.嵐の貿易都市

 町の外は雷雨と嵐に見舞われているが、フェルシオンの町中は雨が降り続ける程度で外と比べれば穏やかなものだった。

 雨に濡れる石畳の道路を窓から眺めていたレヴィは、魔法の恩恵に一息を吐く。

 同時に町の外で降り続ける嵐を鋭く睨む。

 

 ーーあれは極致的な嵐を引き起こす魔法。

 

 何者かが意図的に唱えた魔法で極致的な嵐を引き起こしている。

 直ぐにでも術者を捕らえたいが、レヴィは背後に居るミアにため息を吐く。

 先から彼女はこちらから視線を外そうとしない。眼を離せば窓から飛び出すと理解してるからだ。

 レヴィはダメ元でミアに振り向き、苦笑を浮かべて見せる。

 

「そんなに見つめられると落ち着かないわ」

 

 正直に告げるとミアが笑みを浮かべて返す。

 

「あなたから絶対に眼を離すなってスヴェンさんに頼まれちゃったので!」

 

 そういえばスヴェンは去り際、ミアに小声で何かを告げていた。

 既にあの時からこちらが大人しく待っている筈がない。そうスヴェンには見抜かれていたのだろう。

 そしてミアに頼みながら天井裏に潜むアシュナにも同様の頼みをしていたーーアシュナは出掛けているのか気配が無いけれど。

 ミアは王族として命令を出せばこちらに従わざるおえない。しかしそれをしてしまえばレヴィとして居る意味が無い。

 此処に居るのはレヴィとしての偽名であり、レーナという王族は居ない。それを自らの正体と権力を使えば今後レヴィとして活動することは叶わない。

 邪神教団は何処に潜伏し、彼らの耳と目が有るのか分からないからこそ警戒すべきだ。

 その点で言えばスヴェンは本当に痛い所を的確に突いたと思う。 

 そう結論付けた時、自然とレヴィの頬が緩む。

 

「スヴェンは狡いわね」

 

 ミアはよく判らないと言いたげに小首を傾げ、

 

「狡いのかなぁ? 仕事のためならって感じがするけど」

 

 彼女の言葉にレヴィは黙り込みやがて考え込んだ。

 確かにミアの言う通り、彼は傭兵で護衛として雇った人物。彼の中に在るのは依頼を達成することにある。

 それに魔王救出という依頼を請けた彼は、護衛対象の死亡を何が何でも避けようとする。

 きっと自身が死ねばスヴェンを始めとした異界人の全員が消えるからだ。

 だからこそレヴィは自身の行動を可能な限り弁えなければならない。

 

「私は彼が依頼を達成出来るようにするべきね」

 

「依頼をしたのは姫様ですけど、でも流石にスヴェンさんもあの嵐には足止めかなぁ」

 

 本当に彼は嵐で足止めされるような男だろうか? 左肩を失っても撤退せずに戦い続けようとするような男だ。

 しかしだからこそ術者は見付け出すべきだ。彼は嵐で止まるような男では無いが、平原と荒野の空を覆う魔法陣に嫌な予感が拭えない。

 何の為に発動したのか、魔法の発動には必ず意味が有る。

 例えば退路を断つ為に発動させた。それはフェルシオンの地形を考えれば、必然的に敵襲が目的だと注意が向く。

 敵襲に備えるからこそ魔法騎士団とオールデン調査団は南東の遺跡に向かえない。

 

「敵の思惑通りかしら?」

 

「敵って、昨日のゴスペルのこと?」

 

「ゴスペルもそうだけど、まだ行動を起こしていない連中が気掛かりなのよね」

 

 そもそも嵐を起こしたとなれば、魔法騎士団とオールデン調査団は町に留まる。

 ゴスペルを囮に魔法騎士団を始めとした戦力を一網打尽に、そんな方法も思い浮かぶがーーそうなると嵐の存在が矛盾する。

 レヴィが頭悩ましげにあれこれ思考を巡らせると、ミアが頬に指を添えながら、

 

「案外仲間割れとか、ユーリ様がゴスペルの足留め目的だったり?」

 

 有り得なさそうで一番有り得る答えを告げた。

 同時に嵐の目的と未だ正体が判らない敵の思惑。正解が前者なら敵は用済みになったゴスペルを排除しようとしている。

 後者が正解ならやはり矛盾が邪魔をする。魔法騎士団とオールデン調査団が嵐を警戒して町に留まるからだ。

 なおさら二つの戦力は昨日の襲撃も合わさり、厳戒態勢で警戒しているはず。

 そもそもユーリとリリナには嵐を起こす魔法は使えない。

 それにフェルシオンに限定すれば国民の中に、嵐を起こす魔法を使える者は居ない。だからこそ自然と思考が仲間割れと結論付ける。

 

「状況を考えれば仲間割れの線が濃厚ね……」

 

「うーん、それならゴスペルは誰に裏切られたのかな?」

 

 そこが未だ判らない。今回の件に邪神教団が動いているという証拠が無い。

 実際には邪神教団はアウリオンとリンにゴスペルを守らせていた程度だ。

 問題は邪神教団がなんの目的でアウリオンとリンを派遣し、その後撤退させたのかだ。

 そもそも今回のゴスペルの取引相手と邪神教団ーーエルロイ司祭が個人的な交友関係から二人の魔族を派遣させた事も充分に考えられる。

 

「やっぱり怪しいのは最初の疑念よね」

 

「リリナ様が偽者っていう疑い……確かに一番怪しいかな」

 

 もしも彼女が偽者で嵐を起こしたなら説明が付く。

 しかし未だ正体が判らない水死体、加えて禁術書庫で調べた情報が疑いの域程度に留まらせる。

 最初から敵と仮定して疑い、調べれば水死体は単なる偶然の重なりに過ぎずーー禁術が誰にも知られていない未登録の魔法だとすれば現状で調べる方法が無い。

 だからこそレヴィの中で消えかけた疑いが再び浮上する。

 屋敷に居るリリナは全くの別人の可能性が。

 

「リリナと接触するべきかしら」

 

「それは危険だよ。正体を疑ったら消される可能性だって」

 

 慎重に動くべきか大胆に動くべきか。レヴィが二択の間で揺れていると、アシュナが部屋に降り立つ。

 

「れ……レヴィ、リリナが此処に向かってる」

 

 疑念の相手が此処に来る。だからこそレヴィは冷静にアシュナに訊ねる。

 

「リリナが? 理由は何か判るかしら?」

 

「ミアをスカウトしに」

 

 無表情で告げられる報告にレヴィは顔を顰める。

 

「いやぁ、才能が注目されちゃったかぁ〜って、私に!?」

 

 照れ笑いを浮かべては急に青褪める。なんとも忙しい子だと笑みが溢れた。

 同時にこれは好奇と捉えるべきか、それともスヴェンを信じて危険から遠ざかるべきか。

 いや、此処は慎重に動くべきだ。そう結論付けたレヴィはミアとアシュナに指示を出す。

 

「アシュナは天井裏に待機、ミアは私と一緒にリリナを迎えるわよ」

 

「む、迎えてどうするの?」

 

「ただ口裏を合わせるだけよ。私達は貴女を疑ってません、スヴェンは休養中とね」

 

 こちらの指示にミアとアシュナは頷き、レヴィは確認の為にスヴェンの宿部屋に駆け出す。

 そして部屋に訪れると既に起きて居たエリシェと不自然に膨らんだベッドに目が行く。

 

「もう起きたのね……それで、そのベッドは一体?」

 

「えっと、スヴェンだよ。休養中のスヴェン……って無理があるよね? 一応彼から誰か訊ねてきたらベッドに人が寝てるように装えって言われたけど」

 

 まさかスヴェンはリリナの行動を予見していた? いや、もしもそうなら彼はリリナが来た後に動く可能性の方が高い。

 つまりエリシェに伝えた事はあらゆる方面に対するスヴェンの保険だ。

 レヴィは用心深く疑い深いスヴェンに頼もしさを感じては、

 

「そう、それなら誰かが来ても絶対にスヴェンが居るように振る舞ってね」

 

「それはいいけど……あっ、あたしが立ち入れない仕事の話かぁ」

 

 最初は蚊帳の外に置かれていることに不満を抱いたのか、不満気なら眼差しを向けていたがーーすぐに察する辺り、彼女も利口だ。

 

「そうよ。けれど危なくなったから迷わず逃げるように」

 

 今から危険が訪れるかもしれない。そう告げるとエリシェは一瞬だけ迷った様子を見せ、視線がクローゼットに向いたのを見逃さなかった。

 

「……クローゼットに何か有るの?」

 

「えっ? そ、それは……スヴェンの着替えとか」

 

 確かにクローゼットにスヴェンの着替えが仕舞い込まれてもおかしくはない。

 エリシェが慌てたのもきっと、彼がクローゼットに仕舞う様子を目撃したからだ。

 レヴィは特に疑わず、エリシェに視線を向けると宿屋の前に停まる獣車の車輪の音が外から響く。

 一瞬だけ心臓が高鳴り、それでも態度に出さないように平静を装う。

 

「それじゃあ私は部屋に戻るわ……もし貴女の仕事がひと段落したら女子会というものを開きたいわね」

 

「設計図は完成したので今晩にでも!」

 

 レヴィは今晩はミア達と女子会、そんな予定を頭に入れてから自身の宿部屋に戻りーーリリナが訪れるのをミアと共に待つ。



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6-4.突入殲滅

 嵐の中を突き進み、草木に覆われた遺跡に到着したスヴェンは背後で息を荒げるアラタに視線を向ける。

 嵐の中を強行すれば慣れない者にとって体力を大きく奪う。

 アラタは使用人だが訓練を受けた兵士じゃない。

 

「あの洞窟で雨宿りしてりゃあ良かったろ」

 

 そう指摘すると彼はいまさら連れないと言いたげな眼差しで肩を竦めた。

 

「此処まで来てそれは無いですよ」

 

 顔は和やかな笑みを浮かべているが、今から遺跡に居る敵を殺す。

 あまりにも強い復讐心から来る殺意が隠せていない。

 敵を殺すことに付いては全面的に同意だが、殺意を隠せないようでは連れて行くにはリスクが有る。

 

「責めて漏れ過ぎてる殺意は抑えろ」

 

「……そんなにですか?」

 

 本人が気付いていない。ある種の狂気を感じるが、恐らくアラタにとってリリナはそこまで大切な人なのだろう。

 自身には理解できない感情から来る殺意だが、人はそういうものだと理解は及ぶ。

 特に今のアラタを一人にしては暴走して敵に一人で突っ込みかねない。

 スヴェンは未だ殺意を放つアラタにため息を吐く。

 正直に言えば面倒の塊でしかないが魔法は役に立つ。

 

「仕方ねえ、突入前に確認するが……アンタはどんな魔法が使えんだ?」

 

「魔法は雷の攻撃魔法ぐらいですね。あとは剣にそこそこ自信が有ります」

 

 いまいち頼りないがーーこの遺跡が船だとすりゃあ俺とアラタの剣身はちと長ぇ。

 スヴェンは船の通路幅を想定しながら鋼鉄の扉に近付く。

 開閉スイッチらしき部分から草木を取り除き、ボタンを押す。

 しかしボタンは何も反応が無い。

 

「……やっぱ動力が死んでるな」

 

 それならゴスペルはどうやって内部に入り込んだのか。

 墜落した割に船体に目立った損傷が無い所を見るに頑丈な装甲ーー甲板に登ったか、破損した船底から入り込んだ。

 扉から入らなかったなら連中は扉は開かない物だと認識している。

 そこまで推測したスヴェンは、開閉スイッチに拳を叩き込む。

 開閉スイッチのカバーが破損し、内部の回路が剥き出しになる。

 

「……随分と古い技術だな」

  

 少なくともデウス・ウェポンでは数万年前に採用されていた電子回路だ。

 

「古いんですか? 確かに大昔の遺跡ですけどボクからみたら意味不明ですよ」

 

 こんな物は見た事も無い。そう言いたげに剥き出しの回路にアラタが興味津々に見つめる。

 アラタが知らないのも無理は無い。何せ異世界の技術で造船された戦艦だ。

  

「興味を向けんのは構わねえが、試しに雷を撃ってみろ」

 

 言われたアラタは特に疑いもせず、回路に掌をかざす。

 

「微弱な雷よ走れ!」

 

 詠唱と共に製作された魔法陣から電流が走る。

 そして電流が回路に直撃するがーー回路は愚か扉になんら変化が起こらない。

 疑問を宿した眼差しをこちらに向けるアラタに、スヴェンは肩を竦める。

 

「完全に回路も死んでるらしい……つまり静かに入れねえってことだ」

 

 スヴェンは背中のガンバスターを引抜き、鋼鉄の扉に一閃放った。

 ズガァァン!! 轟音と共に扉が崩れ去り、内部から騒ぎ声が響き渡る。

 

「何事だぁ!?」

 

「魔法騎士団の奇襲かー!!」

 

「全員武器を手に取れ! そして奴らを殺せぇぇ!!」

 

 怒声と共に足音が鳴り響く、真っ直ぐこちらに駆け付けるゴスペルの荒くれ者共にスヴェンはサイドポーチからハンドグレネードを取り出す。

 そして魔力を流し込み、紅く光るハンドグレネードを躊躇なく集団の中心に投げ込む。

 アラタを引っ張り崩れた扉の壁際に身を隠すと、爆音と爆風が通路を通じて外に伝わる!

 通路を覗き込めば爆破によって、焼け焦げた肉片と溶けた武器が通路に散乱していた。

 

「今ので次々来るぞ」

 

 通路を駆け付ける足音にスヴェンはガンバスターの銃口を構えた。

 

「じゃあボクが前に出ますか?」

 

 そう言って剣を引き抜くアラタに眼を向けず、

 

「巻き込まれねえ自身があんなら突っ込め」

  

 通路に駆け付けた集団ーー十三人の敵にスヴェンは淡々とした表情を浮かべる。

 そして引き金に指を添えるとアラタが足を止め、通路と駆け付ける敵の集団を交互に見つめーーぎこちない表情でこちらに顔を向ける。

 

「まさか、さっきみたいな爆発ですか?」

 

 確かに威力も申し分ない。あの集団を効率的に片付けるには有効な手段なのも確かだ。

 だがハンドグレネードは今後に備えて温存しておきたい。

 特にたった十三人に使うのはもったいないと思えた。

 

「いや、射撃つう方法だ」

 

 それだけ告げては躊躇無く引き金を引く。

 ズドォォーーン!! 射撃音が嵐の中で響き渡り、先頭を走る敵の胴体を撃ち抜き、弾頭が後続ごと胴体を貫く。

 弾頭が十人纏めて貫き、血飛沫と肉片が通路に崩れ落ちる。

 

 ーー残り三人。.600マグナムLR弾の残弾は二十二発か。

 

 運良く弾頭の射線上から逃れていた敵が恐怖に怯えた表情で後退り、

 

「なんなんだコイツは!? 仲間をこうもあっさりと!」

 

 震えた手に握られた斧や槍、剣がカタカタと揺れる。

 三人は戦意を完全に失っているが、スヴェンはガンバスターを構えたまま敵に近寄る。

 そしてアラタに視線を向け、一瞬だけ迷う様子を見せた彼に、

 

「アンタの復讐、そいつの手助けをしてやるよ」

 

 怯える敵にガンバスターを構える。そして突きの体勢を取ったスヴェンに敵が叫ぶ。

 

「こ、殺さない……がふっ」

 

 スヴェンは命乞いに耳を傾けず、ガンバスターの刃で敵の上半身を貫いた。

 刃を通して血が床に流れ、敵は苦しみながらガンバスターの剣身に爪を立てながら意識を手放す。

 物言わぬ死体に成り果てた敵から刃を引抜き、血糊の感触が刃を通して右手に伝う。

 そんな光景を目撃していた残り二人の敵が、涙で顔を汚しながら命乞いにも似た悲痛な叫び声を上げる。

 彼らが最後に見た光景は頭部に振り下ろされるガンバスターの刃と隣で鮮血を噴出する仲間の最後の姿、そして自分の最後の時だった。

 鮮血に汚れた通路でスヴェンはアラタに振り向く。

 

「どうして貴方が殺しを? そ、それはボクがやるべき復讐ですよ」

 

 視線を向ければ足を震わせているアラタの姿が瞳に映り込む。

 案の定だ。アラタは復讐心と強い殺意を放っていたが、いざとなれば殺しに躊躇して怯える。

 だからこそアラタはまだ引き返せ、同時にその機会も今だ。

 

「震えは正直に語るもんだ……アンタの心は何処かで人を殺したくねえのさ。だから足が竦んで動けねえ」

 

 スヴェンの指摘にアラタは顔を伏せ強く拳を握り込んだ。

 握り拳から流れる血が彼の悔しさと不甲斐無さを物語る。

 

「俺は躊躇無く殺せるが、アンタは違えだろ? アンタのその子綺麗な手は誰のためのもんだ?」

 

「ボクのこの手はお嬢様とユーリ様のための……」

 

 これでアラタが帰ればどんなに気楽か。やはり戦闘は単独に限るーーそんなスヴェンの内心とは裏腹にアラタは意を決した表情で、

 

「だからこそボクは今回の件を見届けます!」

 

 硬い決意で隣りに立った。

 完全な誤算にスヴェンは諦めた眼差しでため息を吐く。

 

 ーーままならねえなぁ。

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、ちぃと計画の変更を考えてたんだよ」

 

 ゴスペルの構成員を何人か捕縛し、連中の取引相手に関する情報を得る。

 ついでにリリナと水死体に関する情報も得られれば良いが、その時にアラタは復讐に囚われる可能性が高い。

 だからこそスヴェンはままならないと息を吐きながら通路を歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 鋼鉄に覆われた通路と無惨にも転がる武装した白骨死体にアラタから小さな悲鳴が漏れた。

 外装に目立った損傷は見られず、それなら落下時の衝撃で乗組員は全員死亡ーー仮に助かったとして、動力源が故障したなら乗組員に餓死が襲う。

 これが異世界に攻め込んだ軍隊の末路。これは決して他人事とは言えない。

 何かのきっかけでレーナが自身の記憶を消さず、デウス・ウェポンに返還した時、スヴェンは行方不明期間何処で何をしていたのかアライアンスに説明する義務が有る。

 そこではじめて異世界を知り、豊富な資源に関する情報が国連に漏れでもすればーー同じ轍を踏むことになるな。

 スヴェンは白骨死体から眼を逸らし、鯖付き銃身の半分が折れた銃火器を拾い上げた。

 そして弾倉を取り出し、中身を調べてみれば錆びた銃弾が装填されている。

 

「一応持ち帰るか?」

 

 冗談混じりにアラタに話すと、彼は頬を引き攣らせていた。

 

「よく死者の装備品を触れますね……呪われても知りませんよ?」

 

「呪いだとか怨念が恐くて調べられねえじゃあ、大事なもんを見落とすだろ」

 

 スヴェンは拾った銃火器を投げ捨て、改めて白骨死体に視線を戻す。

 どれも肋骨や背骨、頭骨が砕けている。つまり墜落時の衝撃によって死亡したのだ。

 

「コイツらは落下時の衝撃で死亡……ってことは誰かが侵入して殺したって線は無くなるだろ」

 

「それはそうかもですが……どうして1000年前の白骨死体を調べたんですか?」

 

「仮に墜落後、コイツらがまだ生きていたと仮定しろ」

 

 生きていたなら餓死か誰かに殺害された。それも骨を砕くような殺し方を。

 そうなればモンスターが内部に侵入し、悉く殺し尽くしたという推測が浮かぶ。

 そしてモンスターは魔力が保つ限り生き続ける。

 

「つまり……モンスターの可能性が消えたから進みやすいってことですか?」

 

 アラタの結論にスヴェンは正解だと頷く。

 こんな狭い通路でモンスターと戦闘なんてしたくない。その可能性が消えた以上、幾許か気楽になる。

 

「さて、本命は何処に居るかだが……やっぱブリッジ辺りか?」

 

「なんとかは高い所を好むのと同じ感じですかね?」

 

 確かにバカや権力者は高所を好むとアーカイブにも記されているが、戦艦を拠点にするなら頭目はブリッジを抑える。

 

「必ずしもそうとは限らねえが、ブリッジってのは入り口はダクトを含めりゃあ二カ所だ。侵入者に対して待ち伏せが可能な場所を選んでも可笑しくはねえだろ」

 

「確かにそうですね……だけど、妙ですよね。入り口は固く閉ざされているのに、連中は何処から入り込んだでしょうか? 少なくとも遺跡調査隊は内部に入り込むことすらできなかったんですけど」

 

「外壁に亀裂がねえとなれば船底が一番怪しいだろうなぁ。まあ、考察もいいがそろそろ進むぞ」

 

 白骨死体を調べ、雑談混じりの考察をするだけの時間的余裕が有った。

 それはつまり敵が何処かで待ち構えている可能性が高い。あるいは閉ざされた扉が多く遠回りしなければ出入り口に辿り着けないのかもしれない。

 こうしてスヴェンとアラタは警戒しながら通路を進んだ。



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6-5.崩壊全滅

 船内を駆けるスヴェンは内心で拍子抜けしていた。

 もうすぐブリッジに到達するというのに敵が居ない。最後に敵と遭遇したのは出入り口のあの時ぐらいだ。

 

「また扉ですよ!」

 

 並走するアラタの呼び声にスヴェンは前方の道を塞ぐ鋼鉄の扉にガンバスターを振り抜く。

 振り抜かれた一閃が鋼鉄の扉を容易く砕き散らす。

 轟音を奏で崩れ去る鋼鉄の扉ーーこうやって進むのももう何度目か。

 そして轟音に敵が誘き寄せられないのもこれで何度目だろうか?

 

「ブリッジに集まってんなら良いんだがなぁ」

 

「うーん、ここまで遭遇しないとなると……昨日の襲撃で大半の戦力が捕えられたんですかね?」

 

 アラタの述べた可能性の方が高い。そうなるとコロシアムの廊下に居た連中が該当する。そしてそれを制圧したのはレヴィ達だ。

 武器を持てば性別など関係ないが、たった三人で魔法も使わずに制圧するのだがらやはり強いと思えた。

 ならここには大した敵戦力は残されていないのでは? そんな結論が出るが、やはり傭兵としての経験が警戒を緩めない。

 

「まあ、敵が残りわずかだとしても警戒は怠んなよ。窮地に立たされた奴らほど何をしでかすか読めねえからな」

 

「スヴェンさんは用心深いんですね。ただの異界人とは思えません」

 

 それは質問なのか単なる疑問なのか。どらちとも取れる言葉にスヴェンは無視を決め込み、足を進める。

 やがて見えた梯子を登り上げ、嵐に曝される甲板に出た。

 激しい豪雨がブリッジの窓を水滴で覆い尽くす様子に、スヴェンは入り口へ駆け抜ける。

 そして扉に到着したところで様子を窺うアラタに合図を出す。

 それに応じて梯子からアラタが飛び出し、こちらに駆け付けようとするもーーアラタの表情に警戒心が顕になる。

 スヴェンは壁の影に隠れナイフを取り出す。

 勝手にゆっくりと開かれる鋼鉄の扉。そこから煙草を口に咥えた一人の人物が姿を見せーーアラタに気付いた男の背後をスヴェンが取る。

 男が敵に知らせるよりも早くスヴェンは男の口元を塞ぎ、ナイフを首筋に当てた。

 雨と共に滲む汗がスヴェンのグローブに伝う。

 

「ブリッジに何人居る?」

 

 質問と脅しの意味を込め、男の首筋にナイフの刃を数ミリ程度食い込ませる。

 そのまま黙りを決め込めば、刃が頸動脈を斬る。

 男はスヴェンに眼を向け、こちらが容赦なく人を殺せる。そう判断したようで、

 

「ご、5人だ。ボスを含めた5人が居る」

 

「他には?」

 

「船内……唯一の出入り口に見張りが10人、すぐ近くの通路に13人の見張りが居る筈だ」

 

 彼の証言が正しいなら最初の奇襲で殆ど死んだ。

 スヴェンは敢えてその事実を告げず質問を重ねる。

 

「ユーリの屋敷になぜリリナを返した?」

 

「わ、分からねえ……理由はボスが知ってるが、ボスも納得していなかったのは間違いない」

 

「質問を変える……港で発見された水死体、全身の皮膚を剥がし、頭部を潰してから流したのはお前達か?」

 

 スヴェンの低い声に男の表情が青ざめ、同時にアラタも一つの疑念に辿り着くいた様子で顔を青ざめさせる。

 

「い、いや……俺達は用意された死体を流したんだ」

 

「それは誰の指示だ? 邪神教団か?」

 

 そう質問を重ねると男の瞳に疑問が浮かぶ。

 

「いや、それは違う筈だ。その指示を出して来たのは取引先だ。ただ連中も邪神教団と繋がりが有るのか、届かなかった商品の替わりに封印の鍵を要求してきたんだ」

 

 一連の取引は間接的に邪神教団が関与しているが、どちらも下請けの立場に過ぎないのか。

 

「ならアンタらの取引相手は? ゴスペルの規模はなんだ?」

 

「そ、それは言えない。ゴスペルとしてのプライドが俺にも有るんだ」

 

 取引相手だけは隠す。商売人として顧客の情報は護るが、味方の情報は売る。

 明らかな矛盾にスヴェンは瞳に魔力を集中させ、男に眼を向けた。

 すると頭部に何らかの魔法陣が刻まれ、怪しげな光を放っている。

 情報漏洩を防ぐための暗示系統の魔法か。コイツを回収し、魔法を解呪すれば幾つも情報が手に入りそうだが、スヴェンは静かなアラタに視線を向ける。

 

「何らかの魔法を受けてるコイツから取引相手は聞き出せそうにねえな」

 

「……ゴスペルまでも利用されている? そういうことなんですか?」

 

「トカゲの尻尾切りだな。身の安全のためなら取引相手だろうが利用するってことだろう」

 

 そんな会話に男は狼狽えた様子を見せ、次第に混乱した様子で息を荒げる。

 

「そ、それじゃあ……俺達は何の為に国境を越えたんだ? ゴスペルの右足として……いや、与えられた役割を全うするため??」

 

 混乱から思考が乱れ、瞳を激しく彷徨わせる男にスヴェンは、発狂する前にナイフで頸動脈を斬り裂いた。

 声を発する間も無く、男は首筋の夥しい出血と共に崩れ落ちる。

 スヴェンは血糊が付いたナイフから血糊を払い、上着の鞘にしまう。

 

「殺してしまってよかったんですか?」

 

 殺人を躊躇なく実行できるスヴェンに対する恐れを顕にしたアラタの視線が突き刺さる。

 それに対してスヴェンは何も感じず、

 

「必要な情報は吐き出した。それにコイツに仕掛けられた魔法ってのが自爆もするようなもんなら、連れて行けねえだろ」

 

「それは考え過ぎじゃ……」

 

 確かに彼の言う通り過剰な行動だろう。

 しかしこうでもしなければ確かな安全を保証できない。傭兵として外道に染まりきったスヴェンは、自身の中で明確な安全を得るためならどんなことでもする。

 それがスヴェンという名と人の形を持ったーー戦場で育ったモンスターだ。

 

「残り5人だが、リーダー格だけは生きて連行してぇ」

 

「他は殺すんですね」

 

「目の前で殺されんのが嫌ならアンタが俺よりも先に無力化すりゃあ済む」

 

 そう告げるとすっかり復讐心が消えたアラタは、人命優先と言わんばかりに意を決した表情を浮かべた。

 彼の決意に何も言うことも無ければ、むしろ期待感が膨らむ。

 殺し意外の方法を見出せないスヴェンと一度は復讐を誓い、道を踏み外す前に戻れたアラタの決意。どちらにも正解などありはしないが、どちらが最良の結果を得られるのか。

 片方が失敗したとしても片方が成功すればいい。

 スヴェンはそんな保険に近い思考を浮かべながらブリッジに続く階段を登る。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 階段を登り終え、少し進めば鋼鉄の扉が行く手を阻む。

 先程の扉は開閉された。つまりブリッジとその周辺だけは動力が行き届いてる。

 スヴェンは一度扉の前で足を止め、ガンバスターを片手に開閉スイッチに近付く。

 さっき鋼鉄の扉は勝手に開いたーーつまりブリッジ周辺だけ一時的に電力が復旧されている。

 そう考えたスヴェンに何の躊躇いもなく開閉スイッチを押した。

 

「ちょ!?」

 

 アラタの悲鳴混じりの声が耳に響くが、同時に鋼鉄の扉が自動で開かれる。

 そして内部で集まっていたリーダーとその部下が一斉にこちらに敵意を剥き出しに視線を向けた。

 

「何者だ? いや、それよりも嵐の中をここまで来たのか?」

 

 禿頭の頭目が二振りの戦斧を両手に構える。

 

「嵐で足止めを喰らうほどお利口じゃねえんだよ」

 

 スヴェンがガンバスターを構えると、その横脇を雷電が通り抜ける。

 雷電が四人の部下を穿ち、音もなく硬い床に崩れ落ちた。

 視線を隣に向ければ、先手必勝と言わんばかりに魔法陣を向けるアラタの姿が映り込む。

 敵が武器を構え魔法を唱えるよりも先に無力化する。悪く無い判断にスヴェンはブリッジ内に駆け出す。

 コンソロールパネルを足場に跳躍し、頭目に向けてガンバスターを振り下ろした。

 体重と助走を乗せた一撃を、魔力を纏った双戦斧で刃を受け止める。

 ガンバスターの刃が受け止められたことにより、スヴェンの身体が宙に浮く。

 しかし彼はその体勢を利用し、頭目の顔に横から膝蹴りを放った。

 ゴシィンン!! 鈍い打撃音と共に頭目がコンソロールパネルに尻餅付く。

 

「オラァッ!!」

 

 そこにスヴェンは容赦なくガンバスターを一閃放つ。

 だが、頭目は咄嗟に横に転がることで刃を避ける。

 刃はコンソロールパネルを斬り裂き、損傷した回路から放電が流れた。

 スヴェンは放電をものともせず、

 

「この施設を一時的に復旧したのはテメェか?」

 

「へっ! 古代の遺跡って言うからどんな物かと思えば、叩けば動く単純な代物だ!」

 

 一応戦艦は精密機械と緻密な設計により建造された代物なのだが、そんな原始的な方法で一部の施設を復旧させたことにスヴェンは驚きを隠せなかった。

 そんなスヴェンに頭目が双戦斧を突進しながら構える。

 突進と同時に刃を振り抜く。動きを読んだスヴェンがガンバスターを構えると、真横を雷刃が駆け抜けた。

 頭目は一度足を止め、雷刃を双戦斧の刃で弾く。

 

「完全に不意を付いたつもりだったんですけどね」

 

「あ? 今更だがなんだって使用人がこんな所に居る?」

 

「お嬢様の命令で偵察に来たんですけどね、彼と協力して制圧した方が早いと判断したんです」

 

「……そういや、昨日のコロシアムにも居たな」

 

 悠長に始まる会話。スヴェンはそんな隙を見逃す筈も無く、ガンバスターの腹部分で頭目の腹部を振り抜いた。

 くの字に身体を曲げ、またコンソロールパネルに身体を叩き付けられる。

 頭目は衝撃により血反吐を吐き、容赦無い一撃に豪快な笑い声を上げた。

 

「容赦ねえなチクショぉぉ! だが、兄ちゃんのその姿勢は嫌いじゃねえぜ? 偽善と正義感を剥き出しの青臭い連中よか好感が持てる!」

 

「今から殺す相手から好感を得てもなぁ」

 

「へぇ? オレを殺すか。ゴスペルの右足を任されたオレを舐めんな!」

 

 頭目は叫ぶが、彼の眼差しからは冷静さを欠いていない。

 言動こそ荒々しく、とても冷静ではない。一見そんな感想が芽生えるが改めて対峙すれば目の前の敵は、ずっと冷静で戦闘を楽しむ余裕を持っている。

 それは殺し慣れた手合いだ。故に彼が次に出る行動も予想が付く。

 スヴェンは頭目が切り札を出すと予想しながら動き出した。

 

「合成獣ども餌の時間だ!」

 

 魔力を宿した叫びに呼応するように、ブリッジの天井に魔法陣が現れる。

 その魔法陣から二頭のアンノウンが出現し、スヴェンとアラタの前に立ち塞がった。

 魔法が使えないスヴェンにとって障壁を展開できるモンスター、それが二頭とならば厄介な敵でしかない。

 だがスヴェンはそれでも脚を止めず、二頭のアンノウンの頭上を跳び抜ける。

 こちらの行動に対して頭目は驚愕を顕にーースヴェンがガンバスターを振り抜くべく構えた瞬間、窓から差す真紅の光にその場に居る全員が静止した。

 すっかり止んだ嵐。窓から空を見上げれば、燦爛と輝く紅い魔法陣が遺跡の頭上に展開されている光景が映り込む。

 いつ発動してもおかしくない魔法陣の出現に緊張感が漂う。

 状況を確認したスヴェンは再びガンバスターを構えると、

 

「ぜ、全員ストップだ! 合成獣共もお座り!」

 

 頭目の指示にアンノウンは大人しくその場に座り込み、やがて頭目は焦りを滲ませながら武器を納める。

 どうやら戦闘している状態ではない。それは空に浮かぶ魔法陣が危険だと証明している。

 同時にスヴェンはこれが何者かによる証拠隠滅による行動だと判断した。

 ゴスペルの取引相手か、それとも最初の疑念が仕掛けたものか。

 

「あの空の魔法陣は何だ?」

 

「……局地的に業火が降り注ぐ魔法だ。そいつの規模はここら一帯を焦土に変える」

 

 遺跡から離脱して離れるにも時間が足りない。そもそも証拠隠滅を目的にしてるならそんな猶予を与える筈がない。

 

「今から逃げたところで間に合わねえな」

 

 冷静に判断したスヴェンは、焦りを滲ませるアラタに視線を向け、

 

「落ち着け。慌てたところでどうこうなる状況でもねえ」

 

「いや、このままだと死ぬんですよ!?」

 

「兄ちゃんよぉ、そいつの言う通りだ。……恐らくあの魔法は事実を知るオレを消す為に展開された魔法だろうよ」

 

「事実か。アンタはまだ助かりてえと思ってるか?」

 

「そりゃあ命あればなんとやらだ。それとも兄ちゃんはアレをどうにかできる魔法があんのか?」

 

「俺は魔法が使えねえ」

 

「「ダメじゃねえか!!」」

 

 二人のツッコミにスヴェンは眉を歪める。

 

 ーー危機的な状況だから息が合うのか? 

 

 内心でツッコミを入れると、同時に空の魔法陣がより一層激しく輝き出した。

 もう助からないと叫ぶアラタと諦め切れず悔む頭目に、スヴェンはサイドポーチからとある物を取り出しながら駆け出す。

 床に転がる者達はもう無理だ。なら手が届く範囲に動くまで。

 そしてとある物を放り投げ、同時に二人の首根っこを掴みながら投げた物に向けて駆け出すーーそれと時を同じくして業火の光が南東の遺跡を無慈悲にも呑み込む。



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6-6.来訪問答

 スヴェンとアラタが南東の遺跡に乗り込んだ頃。

 レヴィとミアが滞在する宿部屋にノック音が鳴り響く。

 

「リリナですわ! いまお時間よろしいでしょうか?」

 

 リリナの声にレヴィはタオルを手に持ち、自然な足取りでドアを開け、

 

「雨の中わざわざ訊ねるなんて、よほど重要なのかしら?」

 

「善は急げと言いますわ!」

 

 本来の目的がアシュナの告げた通りならさほど重要とは思えない。

 加えてレヴィは微笑むリリナが一切濡れていない事を見逃さなかった。

 この様子ならタオルは必要ない。

 

「タオルは要らなかったようね……話しがあるなら部屋へどうぞ」

 

 彼女を宿部屋に招き入れる。

 そしてリリナを椅子に招くと、彼女は警戒した素振りを見せず優雅な振る舞いで椅子に座った。

 やはり貴族の教育が身に染みた仕草は変身程度で真似ることなどできない。

 レヴィの中で疑念が再び消えかけ、改めてミアと共にリリナの正面に座る。

 

「お二人は以前からお知り合いでしたの?」

 

 そんな質問にミアが微笑む。

 

「知り合ったのはこの町で出会ってからですね。それで話しをするうちに意気投合しちゃってルームシェアするほどにですね」

 

 事実を知るレヴィからすれば、澱みなく嘘を並べられる彼女に思わず内心で感心が浮かぶ。

 対するリリナは何かを確かめるようにミアの眼を真っ直ぐ見つめ、しかしミアは視線をわずかに逸らした。

 彼女の眼に何か有るのか? そう思って直視しようとした瞬間に謎の悪寒が背筋を駆け巡る。

 彼女の眼を直視してはならない。そんな直感が警鐘を鳴らす!

 

「あら、今回も眼を合わせてくれませんのね」

 

「貴族のお方と眼を合わせて話すことは、平民出身の私には難しいのです」

 

 緊張していると苦笑を浮かべて見せるミアに、リリナは深く追求せず納得した様子を見せる。

 

「そうですのね……そういえばミアさんの故郷は何処ですの?」

 

 リリナがミアの故郷を知らない? 

 それはあまりにも可笑しな話だ。彼女の故郷に起きた事件、そして村の外に残された二人の内の一人であるミアを貴族のリリナが知らない?

 あの事件は王族をはじめ貴族の間で共有され、どう取り組み解決すべき事件か協議されている。

 そしてリリナは間違いなくユーリと一緒にその協議会に出席していた。

 レヴィが内心で疑念を浮かべる中、

 

「私の故郷ですか? 言われてすぐに出て来ないような小さな小さな田舎ですよ」

 

 ミアは嘘でその場を切り抜けた。

  

「あら? そうですの、それなら聴いてもピンと来ないかもしれませんわね」

 

 嘘を間に受けたのか、リリナは深く疑いもせず相変わらずミアを見つめている。

 そして数回息を吐いたリリナがミアの小さな手を両手に取り、

 

「それはそうとやっぱり貴女はわたくしに仕えるべきですわ」

 

 専属の治療師として雇われないか? そんな誘いをミアに問う。

 しかしミアは迷うことなく彼女と眼を合わせずに、

 

「嬉しいお誘いですけど、以前も申した通り丁重にお断りさせて頂きます」

 

「お父様も賛同してくだってますのに、どうしてですの?」

 

「前にも言いましたが今の私はスヴェンさんの案内人だからです」

 

「それはレーナ姫の命令ですの? もし権力を盾に命じられているのならお父様を通してオルゼア王に掛け合ってもよろしくてよ」

 

 気付かないとは此処まで恐ろしいのものだとは思わなかった。

 現にリリナは本人を眼の前に意を唱えている。

 しかしそこに不快感は無い。むしろ王族の権力で強制されていると影で思われても仕方ないのだ。

 同時に一つ確信した事がある。以前婚礼の儀に付いて話に来たリリナとは違うのだと。

 あの時の彼女は幸せに満ち溢れ、常にアラタを側に置いて居たーーその彼もなぜか今日は不在だ。

 

「いいえ、自ら志願したんですよ。次に召喚される異界人の同行者にと……まあ、彼は旅行を選びましたけどね」

 

「……どうやら意思は硬いようですわね。仮にですわよ? スヴェンが死亡した場合はどうするんですの?」

 

「彼を死なせませんよ。そのための私ですから」

 

「そう、ところで彼は今はどちらへ?」

 

 ミアからスヴェンに話題が移った。

 内心で事前に示し合わせて良かったと息が漏れ、

 

「昨日のコロシアム襲撃時にスヴェンは私を庇って負傷したわ。傷は完治してるけれど、大事をとって休養してるわ」

 

 ミアに変わり雇主として質問に答えると、リリナはなるほどと頷き、

 

「昨日の襲撃でケガを……それは実力が足りなかったと判断するべきですわね」

 

 彼女の中でスヴェンは取るに足らないと結論付けたのか、そんな言葉が放たれた。

 実際には庇われて負傷した訳では無いが、他人にスヴェンをどうこう言われるのは面白くない。

 

「護衛としての勤めは立派に果たしたわよ。現に私はこうして無傷ですもの」

 

 鋭い視線をリリナに向けると、彼女から冷や汗が滲み出る。

 同時に隣に座るからミアから焦りの視線も向けられ、

 

「ごめんなさい。少しだけ取り乱したわ」

 

 先に謝罪するとリリナも非を改めた態度を見せる。

 

「い、いえ……わたくしこそ無礼なことを」

 

 彼女の態度と声、口調も仕草もまるで本物だ。

 しかし疑念から確信に変わりつつあった疑惑は、よりいっそ確信を得た。

 彼女は本物のリリナじゃない。紛れもない偽者だと。

 それじゃあ本物はどうなったのか? それももう明白だ。

 どんな魔法を使用したのかまでは判らないが、眼の前に居る人物は本物の姿を奪ったのだと。

 記憶も奪われたと見るべきだが、先程の問答で記憶が奪われていないことは明らか。

 同時にアラタやユーリ達の関係性は事前に調べることは可能だ。だからこそ眼の前の人物は人間関係を自然に振る舞える。

 証拠は何も無いが、恐らく魔法解除を行えば正体が露呈するだろうーーだが彼女が動く前に此処で斬るべきか。

 一瞬だけレヴィが迷うと廊下から騒ぎ声が響く、三人は何事かと互いに顔を見合わせーー廊下に顔を出した。

 

「おい! 南東の遺跡が消滅したってのは本当か!?」

 

「本当だ! 疑うなら南東の空を見ろ! あんな魔法を唱えられる奴はそんなに居ないはずだぞ!」

 

 南東の遺跡が消滅? そんな単語にレヴィはスヴェンの背中を幻視しては、同時にミアと共に窓へ身を乗り出していた。

 そして南東の方角の空を見上げれば、嵐は嘘のように晴れ……変わりに燃え盛るように空が紅蓮に染まっていた。

 

「……た、大変なことになりましたわね。わたくしはすぐにこの件をお父様に知らせて参りますわ!」

 

 リリナが何かを告げてその場から居なくなったのも気にならず、レヴィはただ呆然と空を眺めることしかできず、

 

「……スヴェンさんは……えっ? 嘘だよね?」

 

 ミアが床に崩れ落ちたのも、涙が頬を伝うことにも気が付かずーー気の動転からスヴェンの無事を祈ることしかできなかった。



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6-7.貴重な証言

 エルリア城の地下広間で大型転移クリスタルが輝きを増し、やがて転移の光が地下広間全体を包み込む。

 程なくして光が止むとスヴェンと彼に掴まれたアラタと頭目が地下広間の床に足を付けた。

 

「間に合うかどうかは賭けだったが、上手くいったな」

 

 出発直前にレーナから渡された転移クリスタルが緊急時の離脱用として役に立った。

 むろん本来の使用用途でも無ければ、恐らくあの船内のブリッジに設置した転移クリスタルは破壊されてしまっただろう。

 

「い、生きてる? えっ!? いや、それよりもここは? 一体何処に転移したんですか!?」

 

 まだ生きている。目の前の光景が信じられないと騒ぐアラタを尻目に床に座り込む頭目に視線を落とす。

 自分は助かったが部下を失った。そう背中から伝わる哀愁にスヴェンは、

 

「アンタは生かされたんだ。この意味が判るな?」

 

 背中にガンバスターを向けながら無情にも告げる。

 

「……容赦ねえなぁ。部下を失ったんだ、感傷に浸る時間ぐらいはくれよ」

 

 それぐらいの猶予は与えてもいいとは思うが、生憎と此処はエルリア城の地下広間だ。

 そして彼は現在国際的にも手配されているゴスペルの一員であり、部隊の一つ右足を束ねる幹部の一人だ。

 此処に魔法騎士団が駆け付ければ感傷に浸る時間も無くなる。

 それにゴスペルを始末した黒幕が次に取る行動が予想も付かない。だから一刻も早く戻る必要もあった。

 

「生憎と此処はエルリア城の地下広間だ。アンタがうだうだしてれば遺跡を消し飛ばした奴に何も出来ねえぞ?」

 

「遺跡を消滅させた奴が……まさかオレ達は取引相手に裏切られたのか?」

 

 甲板で尋問した敵は、取引相手の話題に移ったあと様子が急変した。この男にも何が起こる可能性が高い、もしそうなら今は取引相手に付いて避けるべきだ。

 

「そいつも必要な情報だが一番確認してえのは、リリナと水死体のことだ」

 

「あの件か……なんで兄ちゃんが調べてんのかはこの際聞かねえが、()()()()()()()()

 

 頭目の放った簡素な答えにスヴェンは予想が有ったことに僅かに眉を歪め、今にも飛びかかろうとするアラタの肩を強く掴む。

 

「離してください! コイツはお嬢様を、お嬢様ぉぉ!!」

 

 冷静になれとは思わないが、スヴェンは駆け付ける金属音の足音に、

 

「魔法騎士団の目の前でソイツを殺してみろ。アンタはともかくユーリの立場はどうなる?」

 

「……ボクが此処で重要参考人を殺したら旦那様の立場に影響及ぼす……っ!」

 

 アラタは下唇を噛み締めるように悔しげに顔を歪また。

 リリナが偽者ならユーリが無事の可能性は限りなく低い。

 むしろ全身の治療を施したミア、あの場に話を聴き来たレヴィの身すら危うい状態だ。

 スヴェンは駆け付けた騎士ーーレイの姿に、また暴走それては叶わないと判断してアラタを放り込むように投げ渡す。

 

「おっと……ってアラタ先輩とスヴェンがなぜここに?」

 

「敵の罠に嵌った結果、転移クリスタルで一時的に避難したんだよ。それと、床に座り込んでるソイツはゴスペルの一員だ」

 

「ゴスペル……指名手配中の犯罪組織の構成員、しかも実働部隊の右足を統べるグランか。スヴェン、これは君の功績になるけど?」

 

 恩賞を受けるか? そう言いたげな眼差しを向けるレイにスヴェンは極めて嫌そうな眼差しを向ける。

 魔王救出を優先する以上、下手に目立つような真似は避けたい。特に手柄を得て注目を集めるようなことは。

 

「功績ならアンタに譲るさ」

 

「人の功績を掠め取るような真似はしないよ。……けど、君の立場を考えれば、功績はアラタ先輩の物ということで如何だろうか?」

 

 話しが判るレイにスヴェンはニヤリっと笑み浮かべると、レイも笑みを浮かべ返した。

 

「ボクだってそんな他人の功績は要りませんよ」

 

 アラタの冷ややかなツッコミを他所にスヴェンは改めて頭目ーーグランに視線を戻す。

 偽者の正体はまだ聞いていない。先に偽者の正体を知る方が先決か。

 

「リリナの皮を被った偽者の正体をアンタは知ってんのか?」

 

「いや、それが知らねえんだ。取引相手のアイツに彼女をユーリの屋敷に帰すように命じられてよ、そん時にアイツが用意した死体を流すようにも指示を受けたんだ」

  

 彼女ということは偽者は女性と考えるべきか? それとも変化や変装の禁術には性別など関係が無いのか。

 まだ判らないことも多いが、どの道殺すなら性別はこの際関係ない。

 それにゴスペルも利用された組織と判明したのも大きいだろう。

 先から大人しいアラタに視線を移せば、彼はその件を踏まえたのか、何かを確信するようにボヤいた。

 

「ならお嬢様……いや、偽者はボクが勘付く可能性を考えて始末しようとした?」

 

 確かに長年使用人として仕えたアラタなら偽者の些細な変化に違和感を覚えるだろう。そして小さな違和感は徐々に大きな波紋を呼び確信に変わる。

 それを想定した偽者はアラタをついでに始末するために南東の遺跡に送ったということになる。

 

「あの遺跡に潜伏するように指示を出したのは?」

 

「あー、それが偽者からなんだよ。取引相手がそこで落ち合うって伝言を受けたんだが、如何やらオレ達は最初から裏切られていたらしい」

 

 偽者がゴスペルに指示を出せた機会は恐らく、アラタ達の眼が離れたコロシアム襲撃時の時だろう。

 そして偽者はゴスペルの取引相手と別口に繋がりが有る。

 そう結論付けたスヴェンは、面倒な状況に眉を歪めた。

 

「アイツを偽者って判断する証拠はあんのか? 過去の会話だとか記憶の行き違いは証拠にもなるが、確証を得る物的な証拠は?」

 

「……どんな禁術を使ってるのか知らないが、恐らく物的な証拠は無い」

 

 物的な証拠が無ければ偽者を殺害した事後処理が面倒だ。

 なにせこの情報を知っているのは此処に居る者達だけ、特に部外者のレイは半信半疑にグランを疑っている。

 そう、偽者の正体が大々的に公表でもされない限りリリナ殺害の汚名をこちらが被ることになる。

 だから面倒な状況にスヴェンは仕方ないとため息を吐く。

 

「一つ確認しておくが、変身だとかその類の魔法は術者の死亡時に解除されるもんなのか?」

 

「変身系の魔法は解除されるけど、禁術となれば如何なるかは判らないんだ。だからスヴェン、僕は捕縛を推奨するよ」

 

「善処はする」

 

 レヴィとミアが危う状況だ。なら依頼を請けた護衛として迷うことも躊躇することもない。

 だがまだグランには聴きたいことが有るのも事実だ。

 本命の質問に移る前にスヴェンはレイに視線を向け、

 

「この城に優秀な解呪師は居るか?」

 

「むろん居るさ……君がその質問をするということは、重要参考人に何か仕掛けられているんだね」

 

 レイの理解の速さにスヴェンが頷き、彼が解呪師を呼びに駆け出そうとしたーーその時、グランの様子が急変した。

 

「オレ達の取引相手は……アイツだ。アイツ、アイツ! アイツあいつ、あい……あ、い……ごふっ?」

 

 グランの異常な言動に反応するよりも速く、彼は全身から血を噴き出し地下広間の冷たい床に崩れ落ちた。

 どうやら解呪師に解除させることもグランに仕掛けられた魔法が発動するトリガーだったようだ。

 スヴェンとレイは重要参考人の死亡に肩を落とす。

 そしてこんな惨状を目の当たりにしていたアラタは苦痛に顔を歪ませ涙を流した。

 

「如何して! 如何してこうも簡単に人が殺されるんですか!?」

 

 アラタの慟哭の叫びが地下広間に響き渡る。

 しかしスヴェンはそんな彼にかける言葉など持ち合わせておらず、

 

「レイ、悪いがソイツの保護を頼めるか?」

 

「……半信半疑だけど、彼はリリナが偽者と知る証言者だ。そんな彼を連れて行かなくて良いのかい?」

 

 確かに部外者がリリナを偽者と証言したところで鼻で笑われ、貴族の娘に対する非礼で捕縛されてもおかしくはない。

 だが今のアラタを連れて行くのは足手纏いだ。

 それに例え偽者でもリリナの姿をした敵の前で、彼は躊躇する可能性が高い。

 戦場で躊躇すれば死ぬのはアラタの方だ。それはレヴィの護衛を受けた立場としても都合が悪い。

 なによりもレヴィーーレーナには人の死をあまり見せたくない。

 

「今の状態のソイツを連れて何になる? 余計な犠牲者を増やすだけだろ」

 

「……君がそう判断したのなら僕は何も言わないさ」

 

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、背後に浮かぶ大型転移クリスタルに手を添える。

 クリスタルの淡い温かな光がスヴェンの触れた手に纏わり付く。

 どうにも温かな感触には慣れない。ましてや人肌に近い温もりは苦手だ。

 スヴェンは内心に駆け巡る感情を押し殺すと、

 

「そういえば君はどうやってフェルシオンに戻るつもりだい?」

 

「んなの保険に転移クリスタルを設置したに決まってんだろ」

 

 レイの質問に答え、彼が返答するよりも速くスヴェンは大型転移クリスタルに魔力を送り込む。

 そして転移したい場所を頭の中で浮かべ、最初に南東の遺跡を浮かべるも大型転移クリスタルは反応せず。

 これで確実に転移クリスタルは消滅したのだと確認を済ませ、フェルシオンの宿屋フェルの宿部屋を頭の中に思い描く。

 すると大型転移クリスタルは淡い光りを放ち、スヴェンを包み込むように光りが飲み込んだ。

 地下広間に残されたレイとアラタは静かにその場を去り、ラオ福団長に事の経緯を告げるのだった。



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6-8.嗤い唄う者

 時は遡り、六月六日のコロシアム襲撃事件が収束した夜二十一時。

 前髪を撫でながらリリナは空に浮かぶ月に三日月のように口元を吊り上げ嗤う。

 誰も警戒しない、誰も言動を疑わず信じ込む。こんなに楽な潜入が今まで有っただろうか?

 ゴスペルの取引相手ーーあの食えない男が提案した成りすまし計画を利用する形だったが、現状の計画は手筈通りに進行している。あとは邪魔者を始末し目的を達成するまで。

 しかし今回の計画は完璧とは行かなかった。邪神教団の司祭の一人としていずれ、最高幹部の枢機卿に昇り詰めるには計画は完璧に完遂しなければならない。

 

「……忌々しいわね」

 

 なぜ計画に誤算が生じたのか。それも一つではない複数の誤算がだ。 

 最初の誤算は計画通りに使用人アラタに救出され屋敷に生還できなかったことだ。

 司祭の一人エルロイが寄越したアウリオンが余計なことをしたが為に多少の計画を変更せざる負えなかった。

 アウリオンに自身をユーリの屋敷に運ばせ、彼が待ち望んだ娘の生還を演出することに。

 だが親としてユーリが素直にリリナの生還を喜ぶなら良かったが、流石はエルリア王家から封印の鍵を任された守護者の一人だ。

 彼は娘の生還を素直に喜ばず、逆に本物かどうか疑心に満ちた眼差しで疑ったのだ。

 

 ーーユーリに軽い催眠魔法を施し、疑心を回避したことはできだけど。

 

 お陰であらゆる来客を追い返すように命じられなくなり、あろうことか生きていたアラタによって治療師ミアを招く事態にもなった。

 そして屋敷を訪れたスヴェンとレヴィと名乗る二人の人物。

 

「警戒対象として報告すべきか、秘密裏に始末しておくべきか」

 

 後者のレヴィは取るに足らない少女に過ぎないが、あの護衛として同行していた男は遥かに危険な存在だ。

 魔力量自体は自身の半分にも満たないが、警戒すべきは身のこなしとあの底抜けに冷たい瞳だ。

 あんな瞳をした人間は恐らく決して多くはないだろう。それにっとリリナは息を吐く。

 一体どれだけの人間を殺し続け、平然として居られるのか。

 ある意味で一番狂った男だとリリナはスヴェンに最大限の警戒心を向ける。

 

「現段階で不要なリスクは避けるべき、か」

 

 スヴェンとレヴィよりも治療師ミアを最優先で始末すべきだ。

 彼女は全身の皮膚、潰された眼球を元通りに再生してしまえる。それはどんな治療師と比較しても異常な領域に達している程だ。

 邪神復活のためにエルリアは最大の障害になる。あのオルゼア王一人にでさえ、当時の枢機卿と十二人の司祭の内半分が殺されーー犠牲を払い、忘却の魔法で己が誰で何者なのか忘れさせ、数年間行方不明にさせることがやっとだった。

 そんな化け物が健在の状態で国王として復帰したのも頭痛の種だ。

 加えて娘のレーナも化け物級の召喚師だ。恐らく魔王アルディアを人質にしなければ、邪神教団は本拠地ごと世界地図から消滅していた可能性がずっと高い。

 そんな化け物二人に対して多大な犠牲を払ってまで致命傷を負わせたとしてもミアが生きている限り、恐らくエルリアの王族は討ち取れない。

 

 ーー国境線にエルリア最高戦力の魔法騎士団長、彼女を釘付けにしてもまだ足りないなんて。

 

 邪神教団の司祭としていずれ討つべき敵に対する対策は講じておく必要が急務だが、今は計画に集中すべきだとリリナは逃避するように思考を切り替える。

 ユーリには計画通り服従下に入れ、封印の鍵を取りに行かせる。そこまでは可能として、このまま何食わぬ顔で潜伏生活が可能かと言えば、結論から言えば不可能だ。

 自身はリリナという小娘の皮膚を被った偽者に過ぎない。本物のリリナが持つ記憶も交流も知らないからだ。

 リリナの全身の皮膚を用意したのはあの男だがーー口調と仕草、癖や口癖に近しい交流関係を徹底的に調べ事前の準備を重ねた結果、邪神から授かった変身魔法も合わさりリリナを演じている状態に過ぎない。

 いずれ記憶と知識不足からボロが出る。特にアラタは用済みのゴスペルとあの男を合わせて始末しておく必要が有る。

 

「決行するなら早い方が良いわね」

 

 そうと決まればリリナの行動は速かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 父ユーリが詰める執務室前でリリナはドアをノックし、

 

「リリナですわ。お父様に伝えるべき火急の知らせを伝えるべく参りましたわ」

 

「火急の知らせ……? 入りたまえ」

 

 ユーリの返事に応じて執務室に踏み込む。

 そして優雅に一礼してからユーリの目前に近付き、書類に羽ペンを走らせる彼に顔を近付けた。

 

「そんなに顔を近付けてどうしたんだい?」

 

 こちらの瞳を見て訊ねるユーリにリリナは薄らと嗤う。

 事前に瞳に仕込んだ魔法がリリナの瞳に現れ、ユーリが咄嗟に椅子から立ち上がるも既に手遅れだ。

 

「我が命に従い、秘匿されし封印の鍵を譲渡なさい」

 

 たった単純な命令をユーリに告げる。彼は『なにを馬鹿な事を』そんな疑念に満ちた表情を浮かべるが、リリナの瞳から放たれた妖しい輝きがユーリの瞳に映り込む。

 瞳を介して対象を服従状態に置く洗脳魔法の一種がユーリの思考を侵蝕する。

 

「……こ、ここれは……ぐっ! いや、洗脳されて……なる、ものか」

 

 服従させたい対象と眼を合わせなければならない魔法だが、条件さえ揃えば自身の魔力量以下の者なら簡単に支配下に置ける。

 しかしユーリとリリナの魔力量はそこまで大きな差が無く、ユーリは服従魔法に抵抗するように髪を掻きだした。

 リリナが内心で冷や汗を浮かべ、服従魔法を重ねかけるかと一歩踏み込んだ頃ーーようやくユーリは虚な瞳を浮かべ、その場で立ち尽くした。

 

「……鍵さえ手に入れば用済みになる男、念には念が必要ね」

 

 彼の顔を動かないように両手で押さえたリリナは、再度洗脳魔法を施す。

 二度の重複がユーリの自我に膨大な影響を与え、自我の崩壊を招く。

 

「封印の鍵を我が手に」

 

「……封印の鍵。ここに無い」

 

 この屋敷の何処かに秘匿されているとは考えてはいない。そうでなければ邪神教団が苦労する必要もないからだ。

 

「封印の鍵を私の所に持って来なさい」

 

「……半日、お待ち」

 

 言動に異常が現れ始めているが、半日程度で封印の鍵が譲渡されるなら取るに足らない問題だ。

 

「封印の鍵を私に譲渡したら、お前は私から離れた所で自爆なさい」

 

「しょ、ショうち」

 

 命令を施されたユーリはそのまま執務室を静かに去り行く。

 エルリア王家からフェルシオンを任され、封印の鍵の守護者を勤めた末裔があっさりと堕ちた。

 これで計画の成功が実現する。これも邪神から授かった特別な変身魔法と入念な準備のおかげだ。

 しかしこの変身魔法は変身したい対象の皮膚を要するため、そう何度も潜入に使える魔法ではない。

 だが一度対象の皮膚を自身に取り込んでしまえばいつでも自由自在に変身が可能になる。

 リリナの皮膚を被った偽者ーーアイラが妖しい笑い声を奏でる。

 

 そしてアイラは緊張した足取りでアラタにゴスペルが潜伏する南東の遺跡に向かうように尤もらしい理由を添えて告げた。

 こうしてアラタが出立の準備に入る中、自身の寝室に戻ったアイラは上機嫌に嗤う。

 これで事前に仕込んだ灼熱の魔法が発動する時、全ての証拠隠滅が完了する。

 あとは邪魔者を始末するだけだが、ミアの治療魔法は邪神教団の役に立つ。

 彼女の人格など不要だ。ユーリと同じように従順に従う人形にしてしまえば済む。

 治療師として膨大な魔力量を有する邪神の生贄としても。

 しかしこの計画には問題も有る。彼女は一度こちらと眼を合わせようとしなかった。恐らく瞳に宿る魔力に反応してだろう。

 もしも明日、会いに行って服従魔法が施せないなら始末するしかない。

 そうなれば関係性は不明瞭だが、スヴェンとレヴィが事件を嗅ぎ付け敵対する可能性も有る。

 ならばミアの始末は別の者達に任せれば調査の手がこちらに伸びる前に、アイラは封印の鍵を持って本拠地に帰還できる。

 

「明日の方針は決まりね」

 

 行動方針が決まれば後は思い描いた結果を現実にするために、アイラは更に策謀を巡らせる。



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6-9.帰還

 スヴェンの宿部屋、そのクローゼットから転移クリスタルの輝きが漏れ出す。

 狭いクローゼットの中に転移したスヴェンは、室内に居る三人の気配にクローゼットの扉を蹴り開けた。

 

「す、スヴェンさんがクローゼットから!? 二人とも下がって! きっと彼は偽者だよ!」

 

 驚愕に染まりながら杖を構え、背中にレヴィとエリシェを隠すミアの様子にスヴェンは呆れた眼差しで睨む。

 おおかたあの空の魔法を見て死んだと誤解したのだろう。そしてクローゼットの中から現れたことに何も疑わずに武器を構えた。

 護衛としてはその対応は決して間違いではないが、スヴェンは今にも殴り掛かりそうなミアに鋭い眼孔で睨み付け、

 

「よく見ろ、俺が死者に見えるかクソガキ?」

 

「……ほ、本物なら私のことは美少女って言うよ」

 

 そんな事は一度も言ったことが無ければ思ったことさえない。

 この後に及んで何を言い出すんだこいつは? 内心で巫山戯るミアに呆れながら拳を握り締め、骨を軋ませる。

 

「俺がいつそんなくだらねえ戯言を言った? それともアンタの言う本物のスヴェンって奴はそう言ったのか?」

 

 次に何か言えばその小顔を鷲掴みにして握り潰す。スヴェンがクローゼットから一歩踏み出すとミアは咄嗟にエリシェの背中に隠れ、彼女の背中から顔を覗かせては、

 

「い、嫌だなぁ〜心配しちゃった分だけ冗談を言っただけじゃない」

 

 冷や汗を滝のように流し視線を彷徨わせていた。

 この際ミアの戯言は単なる冗談と捨て置き、改めてレヴィとエリシェに視線を向ける。

 すると未だ二人はこちらが死んだものばかりと思い込んでいたのか、今にも泣き出しそうな程に瞳を震わせていた。

 

 ーー外道の死ってのは哀しまれるべきじゃねえ、むしろ喜ばれるべきだ。

 

 なぜ二人がこうも哀しげな眼差しを向け、やがて安堵したのか。それがスヴェンには理解の難しい感情の動きだった。

 それはともかく、レヴィならこちらの居場所を把握できる方法が有る。それを使っていたなら死を誤解することも無かったろうに。

 スヴェンは安心したように胸を撫でおろすレヴィに視線を向け、

 

「アンタなら俺の居場所が分かっただろ」

 

 指摘するとレヴィは顔を赤く染め、エリシェの背中に顔を埋めては今にも消えてしまいそうな小さな声で告げる。

 

「……気が動転し過ぎて失念していたわっ」

 

 確かにあの空の魔法を見れば死んだと誤解してもおかしくはない話だ。

 ならこれ以上レヴィに指摘にするのは野暮だ。そう結論付け、

 

「エリシェ、この部屋に誰か訪ねて来たか?」

 

 来客の有無を確認すべく訊ねる。

 

「誰も訪ねて来なかったよ。でも、スヴェンがクローゼットに何か設置してたのは分かってだけど転移クリスタルだなんて……ちゃんと事前に伝えて欲しかったなぁ」

 

 エリシェは、こっちは散々心配したと言わんばかりにじと眼で睨んだ。

 行動に出る際の保険は内密にすべき切り札だ。だから四人には何も告げなかったのが、逆に自暴自棄にさせ敵につっこませる要因になりかねなかった。

 それは少女達の他人に対する思い遣りを考慮しなかったこちらに非があり反省すべき点だ。

 

「悪かったな、アンタの言う通り伝えておくべきだった」

 

「およ? 言った手前あれだけど、スヴェンって案外素直なんだね」

 

「傭兵ってのは素直な生き物なんだよ」

 

 冗談混じりに語るとエリシェの興味深そうな眼差しがスヴェンの紅い瞳を捉える。

 エリシェのそんな視線にスヴェンは無視を決め込み、改めて彼女の背中に隠れているレヴィとミアに問いかけた。

 

「俺から報告が有るが、先ずエリシェの背中から出ろ。そいつは今回の件に関しちゃあ部外者だぞ」

 

「むぅ〜そう言われるとあたしは席を外すしか無いかぁ。でも後で何が起きたとか話してはくれるの?」

 

 事件に関する情報を知りたい。そう語るエリシェにスヴェンは嫌そうな表情で物語る。

 彼女はあくまでもガンバスターの改良依頼を請けた鍛治師だ。戦闘を生業とする者でも無ければ、レヴィ調査事務所の関係者でもない。

 そんな彼女に情報を与えるという事は何かしらの事件に巻き込まれる可能性も充分に有り得るーーいや、こうしてこの場に居る時点で既にエリシェも敵からすれば排除すべき対象に数えられてもおかしくないのだ。

 そもそも護衛を請けた傭兵として彼女に教えられる情報は極端に少ない。それこそ町中で起きた事件程度の誰でも知り得る情報に限られる。

 

「スヴェンが物凄く嫌そうな顔してるけど、あれってどんな時の表情なの?」

 

 スヴェンが内心で彼女に対する配慮を浮かべていると、当人のエリシェがレヴィとミアに訊ねていた。

 

「スヴェンさんのあの表情は事件に巻き込みたくないけど、既に巻き込まれる可能性も有って……でも説明はしたくないって感じ?」

 

「どうなのかしらね? スヴェンは多くは語ろうとしないでしょうし、あの嫌そうな顔は本当に話すのが嫌って感じかしら」

 

 好き勝手に言い出す二人にスヴェンは呆れた様子でため息を吐く。

 二人の言う事は白状すれば正解に近い。だが心配だから言えないとなれば、告げられた者は逆に心配事を抱え余計な面倒を生む。

 なら今回の件に関する情報は伝えず、彼女に伝わる情報は後の祭りーーそれこそ町中の噂話程度に落ち着かせる方がいい。

 

「この件が終わればその内アンタの耳にも入るだろ」

 

「……スヴェンが無関係な人を巻き込みたくないって優しい人なんだって分かっただけで充分だよ」

 

 エリシェから語られた言葉に思わず顔を顰める。

 何処の世界に人を簡単に殺せる優しい外道など居るのだろうか? エリシェは傭兵の外道としての一面を知らないからこそ優しいなどと語れる。

 そう結論付けたスヴェンは彼女の思い違いを指摘せず、

 

「時間も惜しい、話し合いは手っ取り早く済ませちまおう」

 

 改めて三人に告げるとエリシェは設計図と荷物を大事そうに抱え、静かに部屋から退出した。

 すると二人から何か言いたげな視線を向けられるが、敢えて無視しながらスヴェンは自身が得た情報を口にする。

 

「俺が得た情報だが、ゴスペルの取引相手は謎ってことが判明した」

 

「えっ? あんな魔法を使って証拠隠滅に走るぐらいだから邪神教団じゃないの?」

 

 ミアが疑問を顕に、レヴィも同様に疑問に首を傾げた。

 二人が邪神教団の証拠隠滅を疑うのは無理もないが、取引相手に関しては完全に情報と証拠が途絶えた状態だ。

 

「仮に邪神教団だとして、取引相手はわざわざゴスペルの頭目含めた配下に魔法を仕掛けたーー取引相手の話し、解呪されそうになりゃあ死んじまうような魔法を」

 

「単なる証拠隠滅ならあの魔法で事足りるわね。でも貴方のように用意周到なら話しは別じゃないかしら?」

 

 レヴィの指摘通り自身のような用心深い者ならそうしてもおかしくはない。

 

「確かにその線は充分に考えられたさ。……取引相手は呪いの行使で証拠隠滅をしたが、第三者が不都合な奴をついでに消すためなら話しは変わるだろ」

 

「……第三者にとっての不都合な人物。スヴェンの他に遺跡に乗り込んだ人が居たということね」

 

 レヴィの言葉にスヴェンは肯定する。

 

「まさかとは思うのだけれど、その人物は近々結婚が決まっているアラタかしら」

 

 そして既にリリナが偽者だと確信を持って告げた。

 彼女にしか知り得ない情報でリリナが偽者だと結論付けた。ならこちらはこの結論を確定させる情報を告げるだけで良い。

 

「アンタらが既に勘付いてるなら話しは早えな。ゴスペルの右足を束ねる頭目のグランは本物はもう居ないと言い残した」

 

 既に本物は殺された後だと告げると二人は眼を伏せ、手を強く握り締めた。

 ミアは先輩後輩の間柄、レヴィは恐らく王族として彼女と関わりが有った。だからこそ本物の死を惜しみ、同時にどうすることもできない悔しさが込み上がるのだろう。

 だがいま悔やんでも仕方ない。偽者を始末しなければそれこそ面倒な事態が引き起こされる。

 だからこそスヴェンは行動に出るべく宿部屋のドアノブを握る。

 

「アンタらは宿屋で待ってろ」

 

「証拠も無しに行くのはスヴェンさんが危なくなるよ? それでも一人で行こうとするの?」

 

「危険って分かり切ってる場所に護衛対象を連れて行くバカは居ねえだろ。それにミア、アンタも標的にされてる可能性だって高え」

 

 レヴィとミアを護りながら戦うのは厳しい。特に相手は少なからず交流が有る相手の皮を被った外道だ。

 単純な近接戦闘ならレヴィとミアに不安は無いが、いざとなれば躊躇してしまうかもしれない。

 だからスヴェンは一人で行こうとドアを開けようとドアノブを回すと、手が小さな手に掴まれる。

 

「今はもしも刺客が差し向けられ無いとも限らない状況だよ。だから私とレヴィを側で護ってよ、その代わり私がスヴェンさんが受ける傷を癒してあげるから」

 

 ミアの決意の固い眼差しにスヴェンはたじろぐ。

 そしてそんなスヴェンに畳み掛けるようにレヴィが告げる。

 

「貴方は護衛対象を安全性も無い場所に放って一人で行くと言うの?」

 

 安全性が確約されない場所にレヴィを置いて行く。確かに護衛として考えればその選択は無い。 

 なら他の者に預けるべきか。例えば魔法騎士団と宛を浮かべるも、すぐに選択肢から消えていく。

 リリナの皮を被った偽者がユーリを手中に収めーー身分を明かさないレヴィとミアを魔法騎士団に預けた時、それは魔法騎士団の手で二人が捕縛され排除される可能性が充分に考えられた。

 仮にレヴィが素性を明かしたとすれば、状況は変わるかもしれないがーー洗脳魔法の可能性がスヴェンから安全な選択を悉く排除してしまう。

 そうなってしまえば自身の側に二人を置いて置いた方が比較的安全だ。

 

「……あらゆる可能性を考えたが、確実な安全性が得られねえなら仕方ねえか」

 

 漸く諦め、観念したスヴェンに二人は手を叩き合い喜ぶ様子を見せた。

 レヴィとミアは正直に言えば変わっている。どうしようもない外道と知りながら、そこに危険と死が有ると知りながら着いて来ようとする。

 金も対価も得られない危険な場所に好き好んで。傭兵の身からすれば考えられない行動だーー逆にそこまでしてなぜ二人が行動するのか興味も湧くが、今はどうでもいいことだな。

 

「あ〜、アシュナはどうしてんだ?」

 

「彼女なら偵察に出てると思うわ」

 

 アシュナが秘密裏に偵察に出ている。それなら何かしらの情報も期待できるがーー最初からアイツの風の精霊を頼れば町に潜む悪人から早急に調べが着いたんじゃあ?

 スヴェンはやっとアシュナが使える魔法に気が付き、なんとも言えない真顔を浮かべては黙り込んだ。

 

「もしかしてアシュナの精霊魔法で調べた方が速いって考えたのかしら?」

 

 こちらの思考を読んだのか、片目目を瞑って言い当てるレヴィに思わず頷く。

 するとレヴィは苦笑を浮かべ、

 

「アシュナが使える精霊魔法は便利では有るけど制約も多いのよ。例えば前回の召喚から短期間で再召喚できないとかね」

 

「んな制約があんのかよ……いや、精霊つう不思議な生物に力を借りるってのもタダじゃねえのか」

 

 召喚の類で何かに力を借りるには制約や対価が必要になる。そう言いたげにレヴィが頷き、スヴェンは一つ精霊魔法に関して理解を深めたところでドアを開け放つ。

 完全に開け離れたドア、そして廊下で斧を振り下ろす宿屋のウェイターの姿が目前に映り込んだ……。



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6-10.暴徒汚染

 宿部屋のドアを開けた瞬間、目前に振り下ろされた斧が迫る。

 ミアから小さな悲鳴が漏れる中、スヴェンはウェイターの右手首を掴み取りーーミシミシミシィー!! 彼の右手首が骨が軋んだ音が廊下に響き渡った。

 

「ぬぁぁー!!」

 

 ウェイターは右手首に走る痛みに耐えきれず斧を手放し、斧は回転しながら床に突き刺さった。

 スヴェンは突き刺さった斧に一瞬だけ視線を向け、ウェイターの顔面に左拳を放つ。

 顔にめり込む左拳がそのまま振り抜かれ、ウェイターの身体が真向かいの廊下に吹き飛ぶ。

 そして、ウェイターが真向かいの宿部屋の壁を突き破り、倒れ伏した。

 

「な、なにごとぉ!?」

 

「きゃあぁっ!」

 

 真向かいの男女の宿泊客がお楽しみ中であろうともスヴェンは気にした素振りを見せず、ミアとレヴィに振り向くと二人の顔が赤く染まり視線はスヴェンの背後に向けられていた。

 二人は歳頃の少女だ。真向かいの二人が行っていた行為に多少なりとも興味があるのだろう。

 スヴェンは内心で二人に理解を示しながら、

 

「さっきのウェイター……目が虚だったが洗脳魔法でも施されたか?」

 

 先程のウェイターに付いて訊ねる。するといち早く現実に戻ったレヴィが顎に指を添えながら考え込む。

 

「……もし宿屋で洗脳魔法を施したのなら、魔力の流れで魔法の発動が判るわ。でも魔法の発動は感じられなかった」

 

 魔法を唱えるには魔力が必要不可欠だ。だから発動時の魔力で気付かれ安い。

 逆に事前に必要な魔力を使い魔法を条件に応じて発動するなら? その時に魔力を感じられるのか? スヴェンは頭に浮かんだ疑問を問う。

 

「魔法の発動原理は一応理解してるつもりだが、事前に魔法を唱え、待機状態を維持しながら条件に応じて発動させりゃあどうなる?」

 

「……確かにその方法なら発動時に発する魔力は感じられないわ。だけど、例えば身体の一部に発動させた魔法陣を刻んだ状態だと魔法陣から魔力が……っ!」

 

 レヴィは何かに気が付いた様子で顔を歪ませ、

 

「……さっき私達の部屋にリリナが来たわ」

 

 かなり重大な話にスヴェンは眉を歪ませた。そんな大事な話は早めに告げて欲しいものだが、既に状況が動いたいま気にすることじゃない。 

 今はレヴィの話に耳を傾けるべきだ。

 

「リリナの眼を見ようとした瞬間、背筋に悪寒が走ったわ。あの眼は見てはいけないと……可能性が有るとするなら眼に魔法を仕込んでいるわ」

 

「眼か。ソイツの眼を視界に入れず戦う必要があんな」

 

 戦闘中に顔を視認しては何かの拍子に眼を合わせてしまう危険性が高い。

 なら足下、腕の動き、全身の比重や筋肉の動きで判断、対応すれば事足りる。 

 スヴェンがどう対応するか頭の中で描き切った頃、ミアの震えた声と靴を引き摺る音が耳に響く。

 

「す、スヴェンさん、レヴィ……もしかしてけっこうヤバい状況なんじゃ?」

 

 廊下に溢れる武器を手に持つ一般人。その誰もが虚な表情でーーミアに視線を向けていた。

 敵の多さと一般人には手を出せない状態にスヴェンはため息を吐きながらレヴィ達の宿部屋のドアを蹴り破る。

 

「なな、なに!? ど、どうしたのスヴェン!」

 

 驚き慌てるエリシェにスヴェンは冷静に告げる。

 

「状況が変わった。アンタも俺達と来い」

 

「よく分からないけど分かった!」

 

 そう言って設計図が入った荷物を片手にエリシェが駆け寄り、スヴェンは階段の方向に視線を向けては、既に虚な一般人に溢れ道が塞がれた様子に舌打ちする。

 すると刻々と近付く虚な一般人の一人がうわ言を放つ。

 

「……長い青髪絶壁、コロセ」

 

 敵の標的がミアという事実にスヴェンは深いため息を吐き、レヴィとエリシェの視線がミアの胸に突き刺さる。

 

「ち、ちょっとぉ! 如何して私が標的なの!? というかいま絶壁って言った奴覚えてなさいよぉー!!」

 

 今にも杖を掲げて怒り任せに突っ込みそうなミアをレヴィとエリシェが抑え、

 

「落ち着きなさいミア! 貴女が狙われてる以上、怒りに身を任せたら相手の思うツボよ!」

 

「状況がよく分からないけど落ち着いて〜!」

 

 怒り心頭のミアと迫る虚な一般人。極めて面倒臭い状況にスヴェンはミアを囮に、レヴィとエリシェを連れ離脱する方法を取るか真剣に思案していた。

 そうなればミアが無事で居られる可能性が限りなく低いだろう。特に彼女の特徴として伝えられた胸の件は、男には理解できない何か譲れない一線が有るのだろう。

 だからここでミアを囮にしたところで対して役に立たないまま死亡する可能性が高い。

 なら優秀な治療師としての側面を重視する他に選択の余地などない。

 結論付けたスヴェンは廊下の最奥に位置する窓に視線を向け、二人に抑えられたミアに近付きーースヴェンは迷うことなくミアを肩に担ぐ。

 

「うぇ!? あ、あの! もう怒ったりしないから! だから降ろしてぇ〜!!」

 

「暴れんな……振りまわすぞ!」

 

 鋭い眼孔で睨んだスヴェンから告げられた言葉に、ミアは大人しく杖を背中に仕舞う。

 そしてスヴェンはレヴィとエリシェに視線を向け、

 

「窓から飛び降りるぞ」

 

 驚愕する二人と小さな悲鳴を漏らす一人を無視してスヴェンは、廊下の最奥の窓に駆け出す。

 そしてミアの腰をしっかりと抑えたスヴェンは窓に飛び込み、ガラスの破片と共に宿屋フェルの外へ飛び出した。

 ガラスの破片が散らばる地面に着地したスヴェンは、隣に飛び降りるレヴィとエリシェに視線を向ける。

 

「おう、よく着いて来れたな」

 

「貴方に置いてかれちゃったら意味がないもの」

 

「はぁ〜ラピス魔法学院で緊急時の脱出講義を受けてて良かったぁ」

 

 エリシェの気になる単語にスヴェンは質問しようかと一瞬だけ後髪引かれたが、駆け寄る虚の一般人の集団に駆け出した。

 するとこちらをーー正確にはミアを狙った矢尻がスヴェンの頬を掠める。

 

「いま、髪の毛先がちょっと掠った!」

 

「当たらねえならいいだろ」

 

 しかしこのまま目的地も無く逃げまわるのは危険だ。

 スヴェンはこの先に位置する路地を頭に浮かべながら、エリシェにダメ元で訊ねる。

 

「アンタは魔法で壁だとかなんか造れねえか?」

 

「壁かぁ……地面の石畳の形を変えて壁にすることはできるよ」

 

「へぇ〜ソイツは防御系の魔法なのか?」

 

「うーん、どちらかと言えば攻撃魔法の応用かな。土系統の魔法には物質の形を変える魔法が多いから」

 

 魔力で物質に干渉して形を作り替える。そう言った魔法のだとスヴェンは推測し、正面の屋根から聞こえた足音にナイフを引き抜く。

 そして視線を向けられば、屋根に登った虚な一般が放物線を描くように投げられた剣を投擲ーー肩のミアに放たれた剣をスヴェンは足を止めずナイフの刃で剣を弾く。

 石畳の通路に突き刺さる剣、それに目も向けずスヴェンは路地に駆け込む。

 少し遅れてレヴィとエリシェが同じく路地に駆け込み、

 

「路地を魔法で塞げ」

 

 エリシェに指示を告げると、彼女は両手で石畳の通路に付け、

 

「石よ、汝の形を変え行手を阻む障壁となれ!」

 

 唱えた詠唱に呼応するように展開された魔法陣が土色の光を放つ。

 やがて魔法陣から魔力の波が石畳の通路に走り、虚な一般人が路地目掛けて走り出す中、隆起した石壁が路地の道を塞ぐ。

 ゴチィーン!! 誰かが頭でも打つたのか、そんな鈍い音が壁の向こう側から聴こえた。

 

「ご、ごめーん!!」

 

 果たしてエリシェの謝罪は洗脳された彼らに通じているのか。素朴な疑問を浮かべたスヴェンは振り向くと、風に揺れる水面が映り込む。

 このまま直進すれば港区の船着場に出る。頭の中に描いた地図を基に一歩踏み出すと、頭上から感じる人の気配にスヴェンはガンバスターの柄に手を伸ばした。

 剣と槍を片手に着地した魔法騎士団の騎士二人にスヴェンは眉を歪め、ガンバスターを鞘ごと抜き取る。

 

「どうやら敵は魔法騎士団までも手中に納めたらしいな」

 

「これは厳しいわね」

 

「……もしかして有効的な魔法が使えるのってあたしだけ?」

 

 エリシェの疑問にスヴェンとレヴィは、彼女の眼を真っ直ぐと見つめながら『お前が頼りだ!』と言わんばかりに頷いて見せた。

 エリシェは仕方ないと後頭部を掻きながら身構える。

 駆け出す二人の魔法騎士団がミアを標的に武器を振り放つ。

 スヴェンは肩のミアに刃が届くより先に、

 

「えっ……ちょ、ちょまっ! きゃぁぁぁ!!」

 

 彼女を天高く放り投げた。

 放り投げられたミアを見上げ、動きを止めた二人の騎士にスヴェンはガンバスターを鞘ごと真横に振り抜いた。

 鎧の硬い感触に顔色一つ変えず、二人の騎士を壁に叩き込む。

 やがて壁の破片ごと崩れ落ちる二人の騎士を他所に、スヴェンは落下するミアを受け止め、彼女を地面に落とす。

 痛みから尻を摩るミアがこちらを見上げては涙目で睨む。

 

「痛いじゃない! 受け止めるならもっとしっかり受け止めてよ!」

 

「両手が塞がったらガンバスターが扱えねえだろ」

 

 スヴェンは抗議するように睨むミアから視線を外し、エリシェが彼女に手を貸す。

 

「大丈夫?」

 

「ありがとう……でもさっき投げ飛ばされて分かった事があるよ。洗脳状態の者は私以外を標的にしてないって」

 

 確かに二人の騎士はスヴェンとレヴィが武器を構えている状態に拘らず、標的のミアを見上げていた。

 魔法を使えば届く距離にも関わらず。洗脳状態の連中は魔法が使えないーーだからといって警戒を怠る訳にもいかない。

 

「どうあっても敵はミアを最優先に始末してえらしいな」

 

「はぁ〜狙われるってこんなに大変なんだね」

 

「大丈夫よ。貴女は私とスヴェンが護るから」

 

 レヴィの漢気溢れる言葉にスヴェンはため息を吐く。

 何処に護衛対象に護れる護衛の同行者が居るのか。考えようによっては面白い状況ではあるが、実際に目の当たりにすると結局あらゆる危険性を取り除くのは護衛だ。

 

「頼むからアンタも大人しく護られてくれ」

 

「うーんと……スヴェンがレヴィとミアを護るならあたしがあなたを手伝おうか?」

 

 護るとは言わず手を貸す。そう告げながら手を差し出すエリシェに、スヴェンは彼女の手を取らず、

 

「アンタも鍛治師として雇われた身だ……あー、要するに必然的にアンタも護衛の対象に入ってんだよ」

 

 エリシェが無事にエルリア城下町に帰るまでが、彼女をこの場に呼んだ自身の責任だ。

 それはガンバスターの改良を依頼したスヴェンが果たすべき責務だからだ。

 

「……そっか、でも魔法が必要な時には言ってよ」

 

 気恥ずかしそうに告げるエリシェにスヴェンは頷くことで答え、そしてアシュナの気配を屋根から感じながら歩き出す。

 

「さて、問題は何処を目指すかだな」

 

 偽者が何食わぬ顔でユーリの屋敷で待ち構えている。

 それとも魔法騎士団が調査した元ゴスペルの潜伏先、町の地下水路か。

 現状で考えれる二つの居場所を推測したスヴェンにレヴィが告げる。

 

「ユーリ様の屋敷はどうかしら? あの場所なら罠を仕掛ける時間も充分に有るわ」

 

「……ユーリ様の屋敷が敵に占拠されてるなら、ユーリ様はどうなったのかな?」

 

 恐らくユーリはこの町の住民と魔法騎士団と同じように洗脳された可能性が非常に高い。むしろ最初から偽者の目的はそれでーーミアの排除は単なるついでに過ぎず、偽者はミアとレヴィが行動してることを宿屋に訪れた時に知った。

 つまり一般人を使った襲撃事態はミアの排除を兼ねた時間稼ぎに過ぎないのだ。

 

「ユーリは洗脳された可能性が高え……封印の鍵でも取りに行かされてんじゃねえか?」

 

「封印の鍵って邪神の?」

 

 エリシェの疑問にスヴェン達がその鍵だと頷くと、彼女はある程度察した様子で息を吐いた。

 

「……話しを戻すが、罠だらけの屋敷に乗り込むより先にもう一つの可能性を片付けてぇ」

 

「えっと、魔法騎士団が調査に入った地下水路のアジトのこと?」

 

 正解を当てるミアに頷き、

 

「ああ、脱出経路を含めりゃあ地下水路は潜伏先に最適だろ」

 

 アラタは地下水路でアウリオンに刺され、ファザール運河に流された。

 町の用水路、地下水路を繋ぐファザール運河はいざとなれば脱出経路として最適な場所だ。

 まさか偽者が考え得る中で最も可能性の高い場所に居るとは考え難いが、疑わしい場所はしらみ潰しに捜すに限る。

 行動に出る前に一度アシュナが得た情報を聴く必要も有るが。

 

「地下水路かぁ……じゃあ一時的に水路を魔法で塞いで置く?」

 

 エリシェから提示された提案は正に偽者からしたら一番嫌な方法だろう。

 脱出には転移魔法可能性も考えられるが、提案したエリシェにレヴィが微笑んだ。

 

「それじゃあ水路の堰き止めは貴女を頼らせてもらうわ」

 

「任せてよ!」

 

 笑顔で受け答えするエリシェを他所に、スヴェンは足を止め屋根を見上げ、

 

「アシュナ、出て来い」

 

 影の護衛でもあるアシュナを呼んだ。

 すると彼女は音もなくスヴェンの目の前に着地しては、

 

「ごめん、敵に撒かれた」

 

 申し訳なさそうに告げる。

 

「姿は見られたか?」

 

「それは大丈夫……だけど歓楽街で尾行に気付かれた」

 

「撒かれちまったもんは仕方ねえな。奴は一般人に魔法を使っていたか?」

 

「うん、青髪絶壁のミアを殺害するように眼から魔法を施してた……でも見過ごせないから少しだけ妨害したよ」

 

 恐らくアシュナの尾行に気付いたのは、彼女の妨害の影響が強い。

 だが彼女が一般人対する魔法行使を見過ごせない事にも理解は及ぶ。

 

「妨害で一般人が助かったなら問題ねえさ……で? 敵は何か言っていたか?」

 

「ユーリが町に戻るまで後二時間だって」

 

 いつからユーリが町の外へ出ていたのかは判りようがないが、残されたタイムリミットが二時間と判っただけでも上等だ。

 

「二時間以内にアイツを捜し出し始末か。いや、その前に洗脳を解く方が先か」

 

「そうね、洗脳魔法は術者に解かせた方が速いわ」

 

 偽者を殺害するだけで簡単に片付くだけならどんなに楽でいいか。

 スヴェンは内心でそんな感想を浮かべては、アシュナに戻るように伝えてから再び動き出した。

 まだ調査していないゴスペルのアジトに向かって。



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6-11.拡大する被害

 スヴェン達は歓楽区を目指すも、最短距離で到着可能な通路が悉く虚の一般人に塞がれていた。

 ミアを狙いながら行く手を阻む虚の一般人、そんな彼らの背後から飛び出すアンノウンにスヴェンがいち早く動き出す。

 今にも虚の一般人を背後から喉元に喰らい付きそうなアンノウンに対して鞘から引き抜いたガンバスターを払う。

 刃がアンノウンが展開する障壁に防がれるが、虚の一般人に牙が届く前にーー虚の一般人はミアに駆け出した。

 

「自分の命さえも危険なのに……っ!」

 

 ミアの悲痛な叫びも虚しく、虚の一般人はモンスターの脅威に晒されながら命じられるままに標的に向かう。

 戦場で爆弾を背負った特攻兵を彷彿とさせる動きにスヴェンは無表情で、

 

「そっちに行ったぞ!」

 

 背後に控えるレヴィ達に警告を放つと同時に、屋根から見下ろす十頭のアンノウンの姿に眉が歪む。

 障壁に対する有効手段はエリシェとアシュナの魔法のみ。

 だがこの状況においてアシュナを選択肢の中から取り除く。

 何処かにアンノウンを町中に放った馬鹿が居る。そんな奴に彼女の姿を曝す訳にはいかない。

 

「エリシェ! アンノウン共に魔法を頼む!」

 

「任せて!」

 

 スヴェンは障壁で刃を防ぐアンノウンに渾身の一撃を繰り出し、障壁ごとアンノウンを弾き、

 

「岩よ押し潰せ!」

 

 エリシェの詠唱を合図にその場から飛び退く。すると魔法陣から放たれた岩石がスヴェンと入れ替わるようにアンノウンに殺到する。

 岩石はスヴェンの放つ一撃では傷一つ入らない障壁を破り、勢い衰えることなくアンノウンの三頭部を押し潰した。

 エリシェは魔法陣を動かし、屋根から見下ろしていた十頭のアンノウンも標的に岩石を撃ち出す。

 アンノウンは仲間が殺された光景から学習し、岩石に障壁が破れた瞬間に、一斉にその場から飛び退く。

 飛来する岩石を足場に十頭のアンノウンが一斉にエリシェに狙いを定める。

 スヴェンは魔法による効率的な戦闘に舌を唸らせながら銃口を構え、十頭のアンノウンが重なった瞬間に引き金を引く。

 

 ズガァァン!! ズガァァン!! ズガァァン!! 三発の.600LRマグナム弾が誰も巻き込まずーー十頭のアンノウンだけを同時に撃ち抜いた。

 

「うひゃ〜凄い音と威力!」

 

 アンノウンの肉片が通路に散らばる中、エリシェの感心に染まった声が耳に届く。

 アンノウンは素早く排除したが問題は虚な一般人だ。スヴェンとエリシェがアンノウンに意識を向けている最中、既に二十人の虚な一般人が二人を通り抜けレヴィとミアの下に殺到していた。

 舌打ちしながら駆け出すスヴェンを他所に、一閃が虚な一般人に走る。

 突如繰り出された剣圧が一度に虚な一般人の身体を弾き飛ばす。

 剣をわざと空振りさせ、刃に生じる剣圧だけで二十人の虚な一般人を無力させた。

 それを行ったのは他ならない長い金髪を風に靡かせるレヴィだ。

 

「……護衛の必要があんのか?」

 

 本来護るべき対象にミアが護られるという光景と結果にスヴェンがなんとも言えない眼差しを向けたのは無理もないことだった。

 魔力が使えず本来の実力である召喚魔法が封じされているにも関わらず、レヴィには空間停止現象が通じずーー剣技さえも一級品と来ればもう護衛など意味を成さないと思えても仕方ない。

 スヴェン達が唖然とする中、レヴィは何食わぬ顔で優雅に鮮やかに剣を鞘に納めながら、

 

「モンスターの被害が続出する前に先を急ぐわよ」

 

 三人にそう告げ、スヴェン達は漸く彼女の掛け声で歩みを再会させるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 普段なら訪れた者に娯楽を与え、大量の硬貨が日夜流れるフェルシオンの歓楽区は静寂と飢えた唸り声が満ちていた。

 歓楽区に到着したスヴェン達に鮮血の臭いが襲う。

 彼女達にとって地獄のように見える光景、スヴェンにとっては懐かしさと自身が居るべき居場所にも似た光景が目の前に広がっていた。

 無抵抗なままにアンノウンに食い千切られる虚な一般人達の姿にレヴィ達から小さな悲鳴が漏れる。

 やがて剣の柄を強く握り締めたレヴィから、

 

「よくも平気で……こんなことをっ」

 

 何もできなかった。大惨事を阻止できなかった悔しさに、全てを背負い込むにはあまりにも小さな肩を震わせていた。

 彼女の悔しさは理解もできれば、むしろ感情任せに突っ走らないだけマシだ。

 地下水路への道は食事中のアンノウン共によって塞がれている状態にある。

 恐らく歓楽区に居るアンノウンを全て討伐している時間は無い。

 先を急ぐべきだとスヴェンが冷静に結論を出すとーー何処からともなく複数のアンノウンが唸り声と共に姿を現す。

 食事中だったアンノウンさえも一度食事を止め、こちらを取り囲む。

 

「……コイツら何処に潜んでやがった?」

 

「分からないけど、相当ヤバい状況だって事は判るよ。しかも数に対して頼りになるのはエリシェの魔法だけ!」

 

 モンスターに対する有効手段が乏しい状況でモンスターの群れに囲まれた。

 正に最悪と言える状況にスヴェンはエリシェに視線を向け、サイドポーチのハンドグレネードに手を伸ばすと、アンノウンの群れをーー突如魔力を纏った斬撃の嵐が障壁ごと斬り裂く。

 

「やれやれ、あちこちで奇妙な臭いが充満してると思い血とラズベリーの匂い、美少女特有の甘い匂いを辿ってくれば……やあスヴェン!」

 

 一番会いたくもないヴェイグが微笑んだ。

 この状況下、どさくさに紛れて奴を始末しても問題無いのではないか? そんな衝動を悟られないように堪える。

 

「少し会わない間にわたしをそっちのけに美少女三人を侍らせるだなんて、妬けてしまうね!」

 

 気色悪い言動を発した刹那の瞬間、スヴェンはこの場に居る全てのアンノウンを奴に押し付けてしまおう。最も適切とも言える解答を導き出したスヴェンはレヴィ達を連れて地下水路の入り口へ駆け出した。

 

「おやぁ? せっかく窮地を救ったわたしに対する態度が無視かい?」

 

「俺よか背後のモンスターに注意でもしてろ」

 

 背後から飛び掛かるアンノウンに警告を飛ばすも、氷と炎を纏った双剣の刃がアンノウンを斬り裂く。

 盲目から繰り出される正確無慈悲な斬撃に、ヴェイグなら一人で問題は何も無い。むしろ関わるだけこちらの精神力が削られるだけだ。

 そう判断したのはスヴェンのみならず、レヴィ達も同様だったようで彼女達の足も迷うことなく地下水路の入り口を目指す。

 

「まあいいさ。この状況はアルセム商会としても迷惑していたからね! 町中のモンスターはこちらに任せるといい……ってあれ? もう居ない!?」

 

 地下水路の階段を駆け降りる中、背後からヴェイグの声が地下水路まで広く反響していた。

 

「……チッ、入口を魔法で塞いでくれ」

 

 スヴェンはエリシェに振り向きながらそう告げると、彼女は悪寒を感じたのか身を震わせるように抱きしめ、

 

「判ったけど、あれが噂のアルセム商会の会長なの? 父さんが絶対に出会うなって言ってたけど、その意味が判った気がする」

 

 ブラックから言われていたことに付いて言及した。

 スヴェンはヴェイグに関しては何も言えず、エリシェは魔法で入り口を塞ぎついでに水路に岩を落とすことで流れを堰き止める。

 

「歓楽区の地下水路の入り口は他にもあんのか?」

 

「歓楽区だけは一ヶ所だけよ」

 

 幾つか存在するなら全て塞いで置きたいと思い訊ねれば、レヴィが簡潔に答えた。

 これで歓楽区からアンノウンと虚な一般人が入り込むことは無い。同時にユーリが此処から偽者の元へ向かうことも阻止できた。

 だが他にも入り口が在る以上、何処からユーリが入るのか判らない状態に変わりはない。

 スヴェンは真っ直ぐ続く地下水路の通路を見据え、歩き出すと、

 

「もしかしてスヴェンさんは単独で敵の下に向かおうって考えてる?」

 

 ミアの指摘にスヴェンは足を止めた。

 確かにその方法も考え付いていたが、偽者とユーリの合流阻止に関して言えばーー偽者が待ち構える水路の入り口を塞いでしまえば済むことだ。転移魔法という存在が在る以上、封殺や窒息死が狙えないことが非常に残念ではあるが。

 当初の予定通り二手に別れずとも偽者が居る水路の流れさえ堰き止めれば、水路からの逃亡を阻止することも可能になる。

 だからわざわざ二手に別れる必要は無い。

 偽者が居る水路ごと自身だけを閉じ込めてしまえば済む話だからだ。

 

「二手に別れる必要はねえよ。敵が居る水路を塞ぎさえすりゃあ手間もねえだろ」

 

「……確かにそうかも」

 

 納得した様子を見せるミアを他所にスヴェンは三人に何も告げず、真っ直ぐ地下水路を進む。

 しばらく地下水路を進むと、何処からか人の声が反響する。

 

『遅いわね。それに依然と報告も来ない……ちょっと様子を見て来なさいよ』

 

 誰かに語りかけるような話し声に、スヴェンは通路の曲がり角に前に壁を背中に様子を窺う。

 通路の先には誰も居らず、しかし反響する声は近い。

 

『はぁ〜? 断るってあんたねぇ……じゃあ此処に何しに来たのよ』

 

 スヴェンは耳を研ぎ澄ませーー声が通路の最奥、右側の通路から反響していると特定し、三人に足音を立てないように慎重に進むように小声で指示を出した。

 そして最奥の右側に通路と距離を縮めると、

 

『……私の様子を見に来た? 薄寒い表情で言われてもねぇ。それに一体どういうつもりで魔族にゴスペルを護らせたのよ』

 

 まだこちらの接近に気が付いていないことにスヴェンは、静かな足取りでガンバスターを引き抜く。

 最奥の右側の通路に到着し、壁を背に通路の先を覗き込むとーー既に一人は立ち去ったのか、広い広間に一人の後姿だけが見えた。

 

 ーー邪神教団も一枚岩じゃねえのか? いや、二人相手にするよりはマシか。

 

 スヴェンは考え込む後姿を見せる短髪の茶髪の女性を静かに観察する。

 ゆったりとした白いローブと背中に刻まれた一つ目の紋章。今まで遭遇した信徒のローブに刻まれた紋章とは違い、より禍々しい印象を見る者に与えていた。

 

「ありゃあ特別な立場に属する奴か?」

 

「……恐らく司祭クラスね。実物ははじめて見るけれど、まさか司祭が動いていただなんて」

 

 司祭が封印の鍵の回収に直接動き出したとなれば、この状況は邪神教団の戦力を少しでも減らす好機だ。

 絶対に逃す訳にはいかない標的を前にスヴェンは、彼女から周囲の通路に視線を向ける。

 地下水路全体と繋がった水路と行き止まりに面し、辺り一面壁に囲まれた広間。

 だが広間の中心には、乾いた血痕と茶髪が散乱している。

 恐らくあの場所で本物のリリナが殺害されたのだろう。

 

「水路は一本道か……よし、塞いでしまえ」

 

 スヴェンの指示にエリシェは、町の惨状を作り出した彼女に迷うことなく魔法を唱える。

 

「石よ、汝の形を変え逃げ道を塞ぐ壁となれ!」

 

 詠唱と共に魔法陣から発せられた魔力の波を受け、石造りの通路が迫り上がる中、スヴェンは跳躍するように広間に降り立つ。

 そして驚く偽者にガンバスターを片手に、

 

「今のアンタが偽者の正体か」

 

 確信を持って告げると偽者から冷や汗が流れ、

 

「……なんのことかしら? 私はこの場の調査に訪れていた調査部隊の隊長よ」

 

 遅過ぎる言い訳にスヴェンは鼻で嘲笑う。

 

「アンタと誰かの会話は反響していた……まさか気付かなかったのか? だとすりゃあとんだマヌケだな」

 

「……チッ、此処で姿を見られたのは誤算だわ」

 

「もう一つ誤算があんだろ。此処の入口は塞いだ……アンタが待ち望んでいる封印の鍵は届かねえ。町中に放ったアンノウンもな」

 

「……町中のアンノウン? いえ、そんな事よりも邪神教団の司祭の一人、このアイラがお前如きの魔力量で殺せるとでも思っているのかしら?」

 

 スヴェンは彼女がアンノウンの存在に付いて疑問視した様子に違和感を覚えながら挑発を返す。

 

「アンタが俺の雇主を巻き込んだ以上、確実に殺すさ」

 

「それは強がりかしら? まあでも、お前の異質さは一眼見た時から理解していた。なら同じ外道同士仲良くしましょう?」

 

 妖しく嗤うアイラにスヴェンは彼女の顔を視界に入れず、鼻で笑い飛ばす。

 

「俺の異質さ、異常性を理解したんなら排除すべきだ。判るだろ? 殺しを躊躇しねえ首輪の外れた外道がどれほど危険か」

 

 スヴェンの言葉にアイラが何かを呟くと、彼女の姿が一瞬でリリナの姿に変わる。

 屋敷で見たリリナの姿にスヴェンは興味も示さない。

 

「私を殺すということは、貴方は貴族殺しの罪を被ることになりますわ……この状態で殺されても私の姿は解けませんもの」

 

 明らかな時間稼ぎーー背後の壁越しから聴こえるレヴィ達の声と呻き声にアイラの口元が歪に歪む。

 どうやらユーリが壁の向こう側まで到着したらしい。

 ならスヴェンがやるべき事は変わらず目の前の標的に、洗脳魔法を解除させてから始末することだ。

 スヴェンがガンバスターを構えれば、アイラから呆れたため息が漏れる。

 

「どうあっても分かり合えないようですわね。……ならお前を殺した後、背後の三人は邪神様の供物として捧げてやるわ」

 

 スヴェンと彼女の間に殺意が渦巻き、互いに此処で殺すべき敵と認識しながら両者は構える。



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6-12.皮膚被りの司祭アイラ

 出入り口はエリシェの魔法で塞がれた。

 スヴェンは対峙するアイラが壁の突破を試みることを念頭にどう攻めるか思案する。

 同時に背後の壁越しから響く斬撃音と魔法の音が広間まで届く。

 

「お父様がすぐそこまでいらっしゃったようですわね」

 

 ユーリが来てるならレヴィ達は足止めに徹しているはずだ。

 彼女達に誰かを殺すことはできない。それが貴族の領主であり洗脳されている相手ならなおさら。

 スヴェンは体内の魔力を巡らせるアイラにじっと見詰め、やがて彼女は腰の蛇腹剣を引き抜く。

 鞭のようにしなやかな動きで裂傷を与える武器だが、この世界は武器に魔力や魔法を纏わせる戦闘方法を使う。

 それがテルカ・アトラスの戦闘においての基本であり常識。スヴェンがそう認識するとアイラの蛇腹剣に炎と雷が宿る。

 

 ーー案の定か。なら鞭の動きに翻弄された敵に魔法で致命傷を与える算段か。

 

 次の行動を予測すると、アイラが動き出す。

 彼女が蛇腹剣の刃を床に打ち、炎と雷が混ざった衝撃波が床に広がり、スヴェンはその場を跳ぶことで衝撃波を避ける。

 その度に反動で蛇腹剣の刃が不規則で変則的な挙動でスヴェンに迫る。

 宙で炎と雷を纏った刃を避け、足が地に付くと同時に駆け出し、縮地を応用した素速い動きでアイラの背後に回り込む。

 そしてガンバスターの刃を彼女の背中に一閃放つ。

 刃がアイラの背中に届く瞬間、突如魔法陣が現れーーガンバスターの刃を阻む。

 障壁と似た感触にスヴェンは舌打ちを鳴らし、既に狙いを定める魔法陣にその場から距離を取る。

 アイラが展開した魔法陣から業火の矢が放たれ、スヴェンが直前まで居た床に業火の矢が着弾ーー爆炎が深々と破壊跡を刻む!

 

「今のを避けますのね」

 

 一発で終わる魔法じゃない。そう判断したスヴェンが駆け出すと同時に今度は三発の業火の矢が放たれる。

 スヴェンは壁を足場に駆けながらガンバスターの刃から流し込んだ魔力を解く。そして業火の矢を避け、アイラの横脇からガンバスターを一閃放つ。

 刃が届く前にまた障壁に刃が弾かれ、スヴェンは浮き上がったガンバスターを強引に振り下ろす。

 同時に衝撃波を放ち、障壁ごとアイラを土煙と共に呑み込む。

 広間に舞う土煙ーーその中で光が一瞬煌めく。

 小さく細い闇の閃光がスヴェンの頬を掠め、じんわりと頬から血が滲み視線を背後に向ければ、小さな穴が壁を貫いていた。

 あの魔法で出入り口で戦闘しているレヴィ達を貫くことも可能だ。

 スヴェンは貫通性の高い魔法に眉を歪め、再び同じ魔法を撃たせないために土煙に向け駆け出す。

 射撃で仕留めることは可能だが、射線上にはアイラとその背後に塞いだ壁が有る。

 位置関係で撃った銃弾がアイラごと壁を貫く可能性が高い。

 だからスヴェンは再びガンバスターの刃に魔力を纏わせ、袈裟斬りを放つ。

 障壁に防がれた感触が手に伝わり、そのまま三度刃を振り抜く。

 三度目の刃が障壁を斬った瞬間ーーバリーン!! ガラスが破れた音が広間に反響する。

 

「障壁が砕けたか」

 

 そのままスヴェンは四振り目に横払いを放つ。

 だがアイラは刃が当たる寸前にを屈めることで、ガンバスターの刃を避ける。

 そのまま横転しながら距離を取ったアイラが、

 

「攻撃魔法を使わずにですのね」

 

 蛇腹剣を構える。

 スヴェンはガンバスターを構え直し、先程のアイラの行動を振り返った。

 魔法を纏った蛇腹剣による攻撃、障壁による護り、魔法による遠距離攻撃。

 魔法と同時に蛇腹剣で追撃が無く、同時に障壁展開中に魔法による反撃が無かった。

 同時に複数の行動ができない。そう思考するのが自然だが、障壁を砕かれたアイラに焦る様子は見られない。

 一連のアイラの行動はブラフに過ぎず、まだ何か隠している。

 そう推測したスヴェンはアイラを殺すために魔力を纏わせた衝撃波を放つ。

 深々と床を抉りながら衝撃波がアイラに突き進む中、スヴェンを疲労が襲う。

 汗が床に垂れ落ちる様を目撃したアイラは、口元を歪めながら炎と雷を纏わせた蛇腹剣で衝撃波を弾く。

 打ち上げられた衝撃波が天井を打ち砕く。

 瓦礫と破片が広間に降り注ぐ中、スヴェンは疲労で身体を動かせないことに舌打ちを鳴らす。

 

「残念ですわね。一人で挑んだ結果、貴方の敗北で終幕ですわ」

 

 アイラが勝利を確信した様子でゆっくりと距離を詰める。

 スヴェンは疲労困憊の身体を無理矢理動かし、ガンバスターを左腕で持ち上げた。

 

「もうそれを振るう体力も残って無いのですわね」

 

 アイラは目前まで距離を縮め、蛇腹剣を大きく振り上げる。

 彼女が振り下ろすーーそれよりも速くスヴェンはナイフを引き抜き、アイラの両眼の眼球を斬る。

 両眼から鮮血が舞い、ナイフの刃に付着した血糊が床に滴る。

 

「ぎいやぁぁ!! め、眼を……よくも眼を……っ!?」

 

 両眼を抉られた激痛に踠くアイラを、スヴェンは彼女を容赦なく床に叩き付け、腹部を足で踏み抑える。

 脚に力を込め、アイラの腹部からバキハギっと骨が折れる音が反響する。

 

「ぐうぁぁ……よくもこの私をっ!」

  

 アイラが蛇腹剣を握り締めた左腕に力を込めるが、スヴェンは躊躇無くガンバスターを左腕に突き刺す。

 

「あぐぅぇ……ど、どうして殺さないのです!?」

 

 殺害可能な状況で殺さないことに怨みを込め叫ぶ。

 そんなアイラの喉元にスヴェンはガンバスターの刃を突き付け、

 

「町中に放ったアンノウン……なぜそいつを戦闘中に召喚しねえ?」

 

 疑問を問いかけるとアイラは意味が分からないと言いたげな表情を浮かべた。

 

「……あ、ごふ、アンノウンとは……あの、ごほっ……チグハグなモンスターのことですの?」

 

「……知らねえのか?」

 

「……」

 

 アイラは質問に対して沈黙でアンノウンを知らないと肯定した。

 なら町中にアンノウンを放ったのは別の人物だと結論付けたスヴェンは質問を変える。

 

「町の住民の洗脳、そいつの解除方法を教えろ」

 

「……殺され、はぁはぁっ、理解、して……教える馬鹿は、居ませんわっ」

 

 出血と激痛に息を乱すアイラにスヴェンは告げる。

 

「洗脳を解くなら見逃してやる」

 

 逃げ道を与えてやると告げるスヴェンにアイラの眉が歪む。

 やがて深く息を吸い込み、吐き出すと冷静な表情で告げる。

 

「理解してますわ。貴方は結果的にどうであれ、確実に私を殺すと……この状態では魔法を唱えるよりも首を斬り落とす方が速いですわ」

 

「解除方法も話す気はねえと」

 

「そもそも洗脳ではありませんわ。私は彼らを服従させたのですわ。術者が生存する限り命令を聴く従順な下僕ですの」

 

 アイラを殺せば住民に掛けられた服従は解けなくとも命令を出す者が居なくなる。

 素直に話すアイラにスヴェンは違和感を覚えるが、彼女の浮かべる幸福に満ちた表情にため息を吐く。

 

「随分と素直だな。それとも邪神教団として、邪神の贄になるのことが望みか?」

 

「あら、理解してるのですわね。それとも以前に我々と交戦した経験が?」

 

「死を目前に浮かべる幸福の表情……交戦経験が無くとも推測はできんだろ」

 

 スヴェンの言動にアイラは納得した様子を見せ、

 

「良いですわ、私を殺し、貴族令嬢殺害の汚名を被りなさいな」

 

 これ以上問答したところでもうアイラは答えないだろう。

 口の硬さは並の傭兵以上だ。特に司祭ともなれば邪神復活の障害になる情報は与えないだろう。

 だからこそスヴェンは躊躇なくガンバスターの刃でアイラの首を斬り落とす。

 戦闘で荒れ果てた広間に首から離れたアイラの頭部が転がる。

 無惨な死体と彼女が使用していた蛇腹感のみがこの場に残された。

 

 ーー死体はリリナに変身したままか。

 

 戦闘で得られた物はリリナ殺害の罪だけ。それでも雇主の安全を確保できたのは上出来だ。

 そもそも罪状に関してはアイラが使用していた武器が証拠になりそうなものだが、果たしてどうなるのかは魔法騎士団次第になる。

 スヴェンが振り返ると出入り口を塞いでいた壁が崩れ、通路の先ーー壁に拘束されたユーリと彼の前で両膝を突くレヴィの姿が映り込む。

 スヴェンはミアとエリシェに近寄り、

 

「何が有った?」

 

 ここで何が起きたのか訊ねるとミアが弱々しい声で答えた。

 

「……ユーリ様に掛けられた魔法が解けたけど」

 

 二人の表情は悲しみに歪み、壁に拘束されたユーリに視線を移す。

 そこにははじめて出会った時のユーリの面影を微塵にも感じさせない、虚な眼差しで虚空に譫言を繰り返す廃人の姿だった。

 

「……カギ、オモチ、オマチ、オマ……アヒャ?」

 

 アイラの施した魔法の副作用がユーリの精神と自我を壊した。

 そう理解したスヴェンは悲しみに沈む三人を他所に、冷徹な眼差しでユーリの懐を探る。

 するとユーリの内ポケットから、禍々しい輝きを放つ宝石を嵌め込んだネックレスが出て来る。

 

「コイツが封印の鍵なのか?」

 

 鍵の形状から大きく離れた装飾品に疑問を漏らすと、涙に瞳を濡らしたレヴィがこちらを見上げ、

 

「……たぶん、エルリア王家から守護を託された封印の鍵だと思うわ。貴方はそれを……どうするつもりなの?」

 

 封印の鍵に付いて質問してきた。

 これを所持する限り封印の鍵を狙う邪神教団及び取引材料として狙う犯罪組織に狙われる可能性が高い。

 だが、旅行者が何も知らず持ち歩いている情報が邪神教団に届けばエルリア城が連中に狙われる可能性が少なくなる。

 レーナの身を護ることに直結するなら、アトラス教会に預ける選択も有るがーー魔王救出を達成するまで所持した方が得策に思えた。

 

「コイツは俺の方で預かっておくか」

 

「……貴方が狙われる危険性が高くなるわよ」

 

 スヴェンはそれこそ今更だと言いたげに通路の先、広間で斃れ伏すリリナの死体に視線を向ける。

 ようやく彼女の死体に気付いたエリシェは混乱した様子で、

 

「えっ? リリナ先輩……? だってあそこに居たのは……」

 

「確かに死体は紛れもねえリリナだが、アイツはアイラつう邪神教団の司祭らしい……この場に居る全員なら理解できるが第三者は知る良しもねえだろ」

 

 彼女が邪神教団のアイラ司祭だったと疑われる可能性は限りなく低い。

 

「……スヴェンさんは貴族令嬢殺しの汚名、本物のリリナ様はもう。それにユーリ様もこの状態じゃあ治療魔法で治すことは……」

 

 治療魔法では精神や自我に作用する傷は治せない。そう暗に語ったミアにスヴェンは納得した様子を見せ、

 

「このまま此処に居ても仕方ねえ……町に戻って様子を確かめて来る。アンタらは先に宿屋フェルに戻って休んでおけ」

 

 猟奇殺人事件は一応解決したが結果は彼女達には到底納得もできない悲惨なものだ。

 心の休息が必要な三人に対してスヴェンが休むように告げると、

 

「私はまだ貴方に付き合うわ」

 

 レヴィが気丈に振る舞う。無理をしているのは眼に見えて理解が及ぶが、

 

「アンタの好きにしな」

 

 スヴェンはレヴィを止める事はしなかった。

 ミアとエリシェはこちらとレヴィを真っ直ぐ見詰め、

 

「二人が動くなら私も付き合うよ。それに怪我人は治療魔法の出番でしょ?」

 

「あたしも魔力には余力が有るから、モンスターは対処できるよ」

 

 休むより行動した方が精神的に気楽な時も有る。それを理解しているスヴェンは何も言わず地下水路を歩き出すのだった。



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6-13.町の様子

 地下水路から歓楽街に戻ったスヴェンは、町中から響き渡る怒声とアンノウンの鳴き声。そして魔法陣と武器を片手にアンノウンを追い回す魔法騎士団と住民の姿に呆然と立ち尽くした。

 

「……俺の眼はイカれちまったか?」

 

 一般人が魔法騎士団と一緒になってモンスターを追い回すなど有り得ない光景に眼を疑う他になかった。

 デウス・ウェポンの国境線で行われた市街地戦。傭兵部隊の戦争に巻き込まれた市民ですら逃げ惑うのがやっとなのだが。

 

「うーん、スヴェンさんの眼は正常だよ。私にも異常な光景が見えるもん」

 

「そうか、これは異常か……」

 

 スヴェンはアンノウンを囲い込み魔法による集中攻撃で討伐する一般人達の姿にため息を吐く。

 モンスターの討伐は魔法騎士団の領分だ。確かに洗脳解除時に町中にモンスターが入り込めば、反撃に出るのも頷けるがーーそれにしちゃあ殺意が高すぎねえか?

 アイラの洗脳の影響か、それとも元々ミアに対して向けられた殺意による副作用か。

 スヴェンは内心で一つの推測を出しながら、満足顔で歩く一人の少年に声をかける。

 

「ちょっといいか?」

 

「なんだい? 町の状況なら……気が付いたらモンスターが大量に入り込んでたぐらいしか答えられないけど」

 

「いや、コイツを見て何も感じねえか?」

 

 スヴェンは杖を握り締めるミアに親指を向けると、少年は訝しげな眼差しでミアをじっくりと観察する。

 

「青髪絶壁の美少女」

 

 少年は自身の口から発せられた言葉に驚愕していた。

 どうやら洗脳時に受けた命令とアイラに伝えられたミアの印象が根強く残っているらしい。

 だからスヴェンは今もに少年に対して殴り掛かりそうなミアを止める。

 

「落ち着け、そいつに悪意は感じられねえ」

 

「悪意が無くても! 私はその人を殴らなきゃ気が治らない!」

 

「お、落ち着きなさいミア! 胸なんて成長期で急に大きくなるらしいから!」

 

 レヴィがミアを宥めるように論すると、ミアは絶望に染まった眼差しをレヴィに向け、

 

「……私、第二次成長期からずっとなの」

 

 悲痛な声が三人の耳に小玉する。

 そんなミアに対して少年は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ごめん! 如何して無意識に侮辱的な言葉が出たのかは理解してるんだ……」

 

「青髪ぜ……青髪絶世の美少女を殺せと。如何してリリナお嬢様がそんな命令を出したのかは判らないけど、彼女の眼を見てから記憶が酷く酸味なんだ」

 

 既にリリナは死亡しており、住民に命令を与えたリリナは邪神教団のアイラ司祭が変身した姿だった。

 それを真実として伝えるのは簡単な事だが、彼らには洗脳を施された直前の記憶が有る。

 いま真相を話さなくとも彼らは自然と真相に辿り着くだろう。

 アイラの洗脳は違和感を強く残し過ぎた。洗脳時に施した命令に関する記憶が残る時点でアイラが思い描いた結果とは随分異なる。

 

「なるほど、町の現状を含めて色々と判ったが……よくもまあモンスターに挑めたな」

 

「最初は驚いたさ。気が付いたらモンスターが町中に大量に居たら誰だって驚くだろ? でもラピス魔法学院でモンスターとの戦闘方法は習っていたからそれでなんとか出来たんだ」

 

 実戦を踏まえた授業。確かに有事の際に自身の命を守るのは自分自身だ。

 誰かにタダ助けを求めるより、自身の手で打開を計ることも一つの手段になり得る。

 

「へぇ、それなら邪神教団が攻めたとしても安心か?」

 

「それは……モンスターと人が相手だと訳が違う。邪神教団と言えども同じ人間、彼らが外道だって頭で判っても怖くて魔法なんか向けられないよ」

 

 常人の一般的な感性にスヴェンは眩しい物を見るような視線を向け、自身の身を守るのは自分だ。そんな内心で浮かぶ言葉を口にはしなかった。

 殺しに畏怖や嫌悪感を感じる者に告げるべき言葉は無いからだ。

 

「そうか……最後に一つ訊ねるが、アルセム商会の会長を見掛けたか?」

 

「アルセム商会の……さあ? 歓楽街は大量のモンスターの死骸と無惨に殺された人々の死体も多いけど、ヴェイグさんは見てないかもしれない」

 

 混乱した状況で目撃したか自信がないと語る少年にスヴェンは礼を告げてから彼と別れた。

 そして少年が立ち去り、町中に静かさが戻った頃。人目を忍んでスヴェン達は路地裏に向かい、

 

「……洗脳は解除されたようだな。町中に入り込んだアンノウンも討伐完了か」

 

 少しだけ現状に付いて話し合う。

 

「問題は誰がアンノウンを町中に放ったのかね。あの人は戦闘の最中にモンスターを召喚しなかった」

 

 レヴィの提示する疑問にスヴェンは頷いて答える。

 

「いや、そもそも存在事態知らね様子だった」

 

「そう。それじゃあ一体誰が……」

 

 ゴスペルの右足を束ねるグランはスヴェンの目の前でアンノウンを召喚して見せた。

 だが彼はスヴェン、レイ、アラタの目の前で魔法によって死んだ。

 だから一先ずモンスターが召喚される事は無いと踏んでいたが、フェルシオンでモンスターを放った何者かがまだ居る。

 

「まだ事件は終わりじゃないってこと? でも召喚魔法は元々難度が高い魔法だし、それにモンスターを従えるなんて可能なの?」

 

「授業でもモンスターは星が産み出す自浄作用、星に流れる魔力より産まれた生物って習ったけど……モンスターも星の魔力と同質だから支配したりは無理だと思う」

 

 しかし理論上不可能とされた現象がフェルシオンで行われた。

 デウス・ウェポンの技術ですらモンスターの支配は不可能として断念した経緯を知識として知ってるスヴェンから見ても、モンスターを従える術を持つ何者が相当厄介な存在なのは理解が及ぶ。

 そして同時に禁術書庫で書いたタイラントの件にも引っかかりを覚える。

 

「なあ、タイラントは連中に従ったと思うか?」

 

「……視界に映る全てを襲う暴虐性を利用した計画だと思うわ」

 

 確かにレヴィは邪神教団はタイラントを操ると推測していたが、実際には完璧な支配下に置けずーー生態と特性を利用した操るに過ぎない。

 だがアンノウンを従って見せたゴスペルの右足は全滅。そんな状況で一体誰がアンノウンを操れたのか。

 地下水路でアイラと居た筈の誰かが町中にアンノウンを解き放った。

 だが、アイラとの戦闘時に救援に駆け付けることも無く、ましてや戦闘時から現在に至るまで監視の眼が無い。

 そもそもアイラはアンノウンの存在を知らなかった。メルリアで戦闘した邪神教団の信徒は同胞意識が強いのか、仲間の死に対して強い怒りを見せていた。

 そんな連中を指揮する司祭同士が情報共有を怠るとは考え難い。

 尤も組織内の派閥争いから眼を背ければの話だが。

 

「……アイツと居た何者かか、ゴスペルの取引相手か」

 

「アンノウンに付いては遺骨から調べることになるでしょうけど……はぁ〜、こんな時に所長が居てくれたら」

 

 レヴィが項垂れるように漏らした所長なる人物。

 スヴェンとエリシェは誰のことか判らず疑問に感じると、

 

「……技術開発研究所の所長のことだよ。今は、というかこの時間軸には居ないけど」

 

 曇った眼差しで答えるミアにスヴェンは鋭い眼孔を彼女に向ける。

 

「あ? 時間軸に居ねえだと? 過去か未来に居るって言いてぇのか?」

 

「そ、そんなに怖い眼で睨まないでよ……でもこの話は、その私の個人的な事情にも繋がる話だから」

 

 刻獄という単語が出た時、ミアは青ざめていた。恐らく時間や空間に関係した事件が過去に有ったのだろう。

 そこに所長が巻き込まれたか。スヴェンはそんな推測を浮かべ、冷めた眼差しをミアに向けた。

 

「アンタの個人的な事情に興味はねえな」

 

「……そう、だよね。でもその個人的な事情にあなたをいつか巻き込むかもよ」

 

 ミアには一度命を救われた。それに彼女は何かとこの世界の知識を教えてくれる。

 恩返しとは違うが、少なく無い借りが彼女には有る。

 

「旅行が終わったあと……アンタが報酬を出すなら考えてやる」

 

「うん、その時は私の方から改めて頼るから」

 

 少し安堵した様子を見せるミアに、スヴェンは気が付く。

 彼女が異界人の同行に志願した理由を。わずかにレヴィに視線を向けると、彼女は片目を瞑り『その時は頼むわ』そんな言葉を視線で訴えかけてきた。

 スヴェンはその視線に敢えて何も言わず、脱線した話を戻す。

 

「話が逸れたが、魔法騎士団に報告に行くか」

 

「モンスターの件とゴスペルの取引相手の情報が少な過ぎるけれど、あの二人をあのままにして置く訳にもいかないものね」

 

 それにと思う。フェルシオンを任された領主のユーリがあの状態では代理人を立てる必要性が急務だ。

 特に貿易都市として機能するフェルシオンを円滑に運営するには、優秀な人材を派遣しなければならない。

 その辺りの細かい事後処理はレーナとオルゼア王達の領分だ。

 そんな思考を頭の隅に追い遣っては、スヴェンはレヴィ達と共に魔法騎士団の詰所に足を向ける。



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6-14.一旦の収束

 スヴェン達は中央街の魔法騎士団詰所を訪れ、応対した騎士に応接間に通される。

 壁に飾られた騎士の剣と盾、窓際のミニテーブルに置かれた小洒落た花瓶。そして応接間に通された者の人目を一際惹くだろう幼いレーナの肖像画が飾れていた。

 なぜ幼少期の肖像画なのか多少の疑問が生じるが、スヴェンはすぐに肖像画から視線を外し、廊下から響く鎧の足音にドアに視線を移す。

 

「少々待たせてしまったかな」

 

 ドアを開けるやーー琥珀色の髪に藍色の瞳の人物がさっぱりとした笑みを浮かべ、レヴィとミアが同時に立ち上がる。

 

「いや、座ったままでいい……貴殿らに関しては既に部下から報告を聴いてる。今回の事件で調査を開始したレヴィ殿と彼女に雇われた護衛のスヴェン殿、そしてリリナ様を治療したミア殿だな」

 

 カーゼル隊長は向かいのソファに座り、既に死体安置所の騎士から報告を受けたのか。さっぱりとした笑みは一瞬で険しい眼差しに変わる。

 

「さて……先ずは何から話し合うべきか」

 

「騎士団はどこまで今回の事件を把握しているのか。そこから窺っても宜しいでしょうか?」

 

「そうさなぁ……我々が把握してる件は既にリリナ様は殺害されていること、ゴスペルは何者かに利用され使い潰されたことぐらいだろうか」

 

 スヴェンとレヴィが調査開始からアイラ司祭の始末まで約三日間。

 その間に互いに情報共有をしたわけでは無いが、既にカーゼル隊長は猟奇殺人の件に関して殆ど答えに迫っていた。

 いや、実際には地下水路のあの広間で発見された頭髪からリリナが殺害され何者かが成り代わっている所までは把握していたのだろうか。

 スヴェンはカーゼル隊長を真っ直ぐ見詰め、

 

「アンタはいつからリリナが偽者だって気付いた?」

 

「昨日のコロシアム襲撃までは疑いの段階ではあったが、昨夜の命令を告げられ薄れる意識の中で確信した」 

 

 アイラが掛けた洗脳ーー彼女は服従と言っていたが、スヴェンにはこの際何方でもいいと思えた。

 既にアイラは死に町中の人々に掛けられた魔法が解けたからだ。

 そもそもアイラが洗脳魔法を掛けなければ、事態は面倒な方向に進んでいただろう。

 それこそスヴェンが貴族令嬢殺害容疑をかけられる形で。

 スヴェンはアイラがある意味で自滅したことに若干の不信感を懐きながらレヴィに視線を向ける。

 疑問は訊ねたが、あとは所長の立場に有るレヴィの仕事だと。

 レヴィは頷きながらガーゼル隊長に告げる。

 

「詳細は私の方から」

 

 レヴィは事前に用意していた報告書と共に、これまでの調査の経緯と過程を詳細に語りーー時折りアウリオン達の情報協力を伏せながら事の結末を語った。

 報告を受けたガーゼル隊長は天を仰ぐように額を抑え、涙を流した。

 

「……リリナ様を護れず、あろうことかユーリ様の精神も……」

 

「スヴェンがアイラを殺害することで今回の事件は収束したけれど……まだ人身売買の件が片付いていないわ」

 

 まだフェルシオンに残された事件に、哀しんでる暇は無い。そう気丈に振る舞うレヴィの姿にガーゼル隊長は涙を拭い感嘆の息を漏らす。

 

「そうだな、泣いてる暇など無い……しかし証拠を握るゴスペルの右足は消されてしまった」

 

「それに一体誰が町中にモンスターを放ったのかも。その謎に付いても残されているわ」

 

「我々もゴスペルがアンノウンを従えた姿を目撃しているが、彼らがそんな方法を得ているとは考え難い。ならば第三者……邪神教団が提供したと考えるべきか」

 

「……ねえスヴェン、貴方の考えを改めて聴かせてくれないかしら?」

 

 レヴィの報告を静観していたスヴェンは話題を振られた事でようやく口を開く。

 

「邪神教団の派閥争いを疑うならアイラがアンノウンの存在を知らねえことに説明が付くが……少なくとも連中の仲間意識は強いように思えた。そんな連中が情報共有を怠るか?」

 

 スヴェンの疑問にガーゼル隊長は考え込むように顔を顰め、やがて深く息を吐いた。

 

「いや、それは無い可能性の方が高い。敵では有るが、邪神教団の同胞に対する意識は本物だ」

 

「なら必然的にゴスペルの取引相手が疑わしいが……生憎と正体が判らねえ」

 

「……まるで手繰り寄せた糸が途中で切れたような思いだな」

 

 現時点でゴスペルの取引相手とアンノウンを町中に放った人物は不明だ。

 

「アンノウンに関しちゃあ死骸サンプルが町の至る所に転がってる。調べりゃあ何かしらは判るだろうが……」

 

 調べた結果、アンノウンを放った人物にだけは辿り着けないと直感から判断して言葉を濁した。

 こちらの言動から違和感を覚えたガーゼルが確かめるように訊ねる。

 

「アンノウンを町中に放った人物には辿り着けないと?」

 

 スヴェンは頷く事で答えた。するとガーゼル隊長は追求せず、むしろ納得した様子で立ち上がりスヴェンからレヴィに視線を移す。

 

「レヴィ殿、他に報告することは?」

 

「現時点では無いと言いたいところだけれど、あとで大事な書類を提出に……それには仲介業者の計画書に付いて記されているわ」

 

「……ん? 仲介業者に関する情報の中に今回のゴスペルの取引相手が記されているのでは?」

 

 確かにスヴェンとレヴィはアウリオンから提供された計画書を読んだ。

 だがそこにフェルシオンで行うゴスペルの取引相手は元より、仲介業者をはじめ商会の名は伏せられていた。

 アウリオンはそこに邪神教団が生贄を注文した履歴が無かったと。

 

 

「ご丁寧に計画者に取引先の名が記されてりゃあ雁首揃えて悩みはしねえだろ」

 

 ガーゼル隊長は一人納得した様子を浮かべ、

 

「それもそうか……後の調査はこちらで行う。貴殿らはゆっくりと休むといい」

 

 労うように語るガーゼル隊長を他所にスヴェンは、ゴスペルの取引相手と二人の魔族を派遣したエルロイは個人的な協力関係に有ると推測を浮かべた。

 だからこう考えれば色々と辻褄も合う。取引相手のエルロイ司祭に協力する形でリリナを殺害し、アイラの変身魔法に必要な皮膚を提供したこと。

 そしてアイラはエルロイに『如何して魔族を派遣したのか?』そう確かに問いかけていた。

 エルロイの個人的な繋がりならわざわざアイラに共有する必要性は少ない。

 だからアイラは取引相手が用意したアンノウンを知らずに死んだ。

 結局の所取引相手の正体は依然と掴めないが、魔王救出を達成するなら潰しておくべき障害だ。

 スヴェンが深く思考していると、

 

「スヴェン? もう報告は終わりよ」

 

 レヴィの気遣う声がスヴェンを思考から現実に引き戻した。

 深く考え込んでいる間に何か話が有ったのか、こちらに視線を向けては、妙に納得するミアとエリシェの表情が映り込む。

 

「悪い、最後の方は聴いて無かった」

 

「何を考え込んでいたのか気にはなるけれど……貴方は今回の件で結果的に封印の鍵も護った功労者。だけど貴方は表沙汰に出る気は一切無いわよね?」

 

 どうやら思考に没頭している間、勲章か報酬を与える話が出たようだ。

 

「ああ、俺に関する公的な記録を残す訳にもいかねえからな」

 

「その辺に関しては後々話し合うことになりそうだけれど、一先ず今回の件は何も受け取らない事で決着付いたわ」

 

「なるほど、そいつは妥当な判断だな……要件が済んだならもう行くか?」

 

「そうね……正直今日はもう疲れたわ」

 

 報告の義務から解放されたからか、レヴィから疲労が色濃く顔に現れていた。

 それは彼女だけでなく報告に同行していたミアとエリシェ……そして天井裏から見守っていたアシュナも同様にだった。

 

「なら宿屋で休むか……いや、先に書類を届けちまった方が楽か?」

 

「それなら部下を同行させよう。それでは貴殿らはゆっくり休むといい」

 

 こうして四人はガーゼル隊長が同行させた騎士と共に宿屋フェルに戻ることに。

 そして大切な書類を騎士に託したレヴィ達は先に休息を摂るのだった。



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6-15.夜の貿易都市

 レヴィ達が休みはじめた頃、スヴェンは星空と外灯の光に照らされた夜の町に一人外出していた。

 南東の遺跡の消滅とフェルシオンの洗脳事件、そしてユーリとリリナに起きた悲劇。

 スヴェンは通行人に紛れながら人々の囁き声に耳を傾ける。

 

『南東の遺跡が消滅して、気が付けば町中にモンスターが入り込んでた……何者かが守護結界領域の中で召喚したのは明白だけどよ』

 

『何を目的にしてなのか……いや、それ以上にユーリ様のあの状態を見たか?』

 

『……見てしまったわ。同時に魔法騎士団が運んだ遺体も』

 

 一度に起こった事件に困惑した声とユーリとリリナに哀しみ嘆く声が港の至る所で囁かれていた。

 噂の広まりとはいつも速い。特に情報統制を行う組織が居ないなら情報の拡散は防げず、あらゆる情報が噂として住民の間に飛び交う。

 真実と虚言が入り乱れ、捻じ曲がった情報が真実として伝わる。それは魔王アルディアの救出において好都合でしかない。

 例え自身の悪評だけが広まろうとも、レーナに召喚された異界人の誰かに魔王救出が果たされたという結果が広まりさえすれば良いのだ。

 

『目の前でリリナ様が殺されたからユーリ様は精神崩壊を引き起こした……なんて取材に来てた記者は推測してたけどさ。だけど俺達にあんな命令を出したのは紛れもないリリナ様なんだよな』

 

『如何してあんな命令を?』

 

『今となっては真相は闇の中じゃないか? 魔法騎士団が調査してるとは思うけど、リリナ様を殺害した犯人はまだ何処かに居る』

 

 如何やらリリナが偽者だったという真相はまだ伝わっていないようだ。

 スヴェンは飛び交う噂を背に、酒場の看板に一度足を止めた。

 酒でも飲んで帰ろうかとも思ったが、まだ護衛は継続されている。

 それにアシュナが影から追っている中で酒場に入るのも気が引けた。

 スヴェンは止めた足を再び動かし、人混みに紛れるように港の船着場に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ファザール運河の北部から吹く風が水面に波紋を広げ、船が波に揺られる。

 スヴェンは縄で固定された積荷に視線を向けては、背後の気配にガンバスターの柄に手を伸ばす。

 

「誰だ?」

 

 暗がりの路地に向けて警戒から声をかけると、

 

「やあスヴェン! そんなに警戒して如何したんだい!」

 

 ほどよく酔ったヴェイグの姿にスヴェンは後悔を胸に抱く。

 ちょっとした気晴らし。旅行者の真似事をしてみれば会いたくない奴に遭遇した。

 慣れないことはするもんじゃないと自身に言い聞かせ、身を振り返る。

 

「ちょっと待った! せっかく月も華麗な夜に出会ったんだから多少話をしても良いとは思わないかい?」

 

 好き好んで月夜の晩に野郎と会話する趣味は無い。そう言いたげな眼差しをヴェイグに向けるも、彼は最初からそんな態度を取られると予想していたのか未開封の酒瓶をちらつかせながら、

 

「ここは一つ酒に付き合ってくれないかな?」

 

 そんな提案にスヴェンは少しだけ思案する。

 これもいい機会なのかもしれない。アルセム商会がフェルシオンで行っていた取引、それが何なのか確認しておくのも。

 

「アンタの奢りなら構わねえよ」

 

「やはりお前を誘うには酒が一番効果的だったようだね」

 

 別に酒瓶一つでヴェイグの誘いを簡単に応じたつもりは無いが、一応彼にはアンノウンに対応してもらった借りが有る。

 その借りは酒に付き合うことで一方的に返すつもりだからだ。

 スヴェンは差し出された酒瓶を受け取り、コルクを引き抜く。

 そしてコルクを引き抜いた瞬間、上品な香りが嗅覚を刺激する。

 

「これはミルディル森林国のパルセン酒造場から仕入れた蜂蜜酒さ」

 

 産地を答えるヴェイグを他所にスヴェンは、酒瓶に一口付けた。

 スッキリした甘みと飲み口が口の中に広がる。

 スヴェンにとって蜂蜜自体未知の味だが、控えめな甘さは自身の舌に合うのだとはじめて理解した。

 

「スッキリして呑みやすいな」

 

「仕事の合間、酔わずに酒を嗜むには適しているだろう?」

 

「確かに気分転換には丁度いいか」

 

 酒瓶から豪快に蜂蜜酒を呷ると、ヴェイグも気分がいいのか一気に蜂蜜酒を飲み干した。

 如何にも彼の姿がやけ酒に見えて仕方ない。アルコール度数自体はそう高く無いが、それでも量を呑めば酔うのは当然でやけ酒したくなる理由も有るのだろう。

 

「なにか失敗でもしたか?」

 

「聴いてくれるのかい?」

 

「ああ、アンノウンの件に対する礼も含めてになるがな」

 

「……そこはわたしの商会で何か買い物してくれると嬉しんだけどなぁ」

 

 そういえば旅に出てからまだまともな買い物をしていない。というのも必要な物は既に荷獣車に備蓄されている。

 改めてアルセム商会から何か買うとなれば足りない物に限られるだろう。

 そこでスヴェンは何が足りないのか頭の片隅で考えては、

 

「現状旅行に必要なもんは揃ってる。買うとなりゃあ必要なもんが出た時ぐらいか」

 

「まあ不要な物ほど荷物になるからね……あぁ、それにしてもお前は計画が台無しになった事は有るかい?」

 

 ヴェイグの問い掛けにアルセム商会の取引が破談したのだと察しながら、スヴェンは頷きながら答える。

 

「元の世界で何度も経験したが、個人的な計画ってのは成功しようが失敗しようがさほど重要視はしなかったな」

 

「ふむ、やはり責任を伴う立場との認識の違いか」

 

「そりゃあそうだろうよ。俺とアンタじゃ立場が違う……アンタは大商会の会長だ。計画一つの失敗に課せられるリスクが違い過ぎる」

 

 スヴェンは蜂蜜酒を呷り、月夜を見上げる。

 満天に輝く星空。ただ視界に映り込むそれだけの輝き、そこになんら感情も湧かない。

 スヴェンは星空に興味を失い再びヴェイグに視線を向ける。

 

「……お前が薄々察している通り、かねてより進めていた商談が頓挫してしまってね」

 

 ヴェイグは飲み干した酒瓶を石畳の路地に置き、二本目の蜂蜜酒に手を付けながら落胆していた。

 酒に逃げたくなるほどの失敗。それはヴェイグにとってどんな商談だったのか。

 

「アンタの計画していた商談ってのは?」

 

「なに、多額の大枚で購入した商品が期限中に届かなかったのさ」

 

 商品が届かなかった。その点はゴスペルの取引相手と類似する内容だが、スヴェンは顔色を変えず訊ねた。

 

「そいつはどんな商品だったんだ?」

 

「ドラセム交響国の楽器さ。お前は異界人だからエルリアの娯楽に付いてあまり詳しくはないだろう?」

 

 確かに娯楽に詳しくない。むしろエルリアどころかどの国でどんな娯楽が流行っているのかも知らない。

 だからこそヴェイグの指摘通りにスヴェンは相槌を打つ。

 

「エルリアは確かに魔法技術なら大陸随一さ、だけど娯楽に関してはお世辞にも多いとは言えない。だからアルセム商会は新しい娯楽として楽器を仕入れることにしたのさ」

 

 他にも娯楽になる物は有るだろうに。スヴェンはなぜ楽器だったのか疑問を浮かべながらヴェイグに耳を傾けた。

 

「そこであらゆる方面から信頼厚い商会を仲介に仕入れ取引を行ったんだけどね……はぁ〜まさかあの商会が人身売買に手を出しているとは予想外だったよ」

 

 エルリアに新しい娯楽として楽器を仕入れる筈が、仲介した商会が人身売買に関わっていた。

 世間の信頼も商会としての信頼性も高い商会だからこそ、信頼の裏で悪実に手を染める。それはデウス・ウェポンならよく有る話だ。

 

「人身売買の仲介か。そいつは逮捕されたのか?」

 

「つい一時間前に魔法騎士団に店ごと包囲されてね……おかげで信用した商会にも悪評が振り撒かれたよ」

 

 犯罪に関わる商会と取引をしていたアルセム商会をはじめ、数多の商会の信用にダメージを与えた。

 恐らくその結果を間接的に招いたのは、ガーゼル隊長に渡したあの計画書だろう。

 

「そいつは不運だったな」

 

「あの商会の裏を見抜けなかったわたしにもオチ度は有る……ふむ、だからこそ商会取引は面白いのだがね」

 

 自身の失敗を面白いと笑みを浮かべていた。

 既に彼の中で一応の決着は付いたようだ。それならこれ以上ヴェイグの愚痴りに付き合う必要もない。

 スヴェンは残りの蜂蜜酒を飲み干し、

 

「楽しそうでいいじゃねえか」

 

 それだけ伝えると、ふとヴェイグが何かを考え込むような表情を浮かべ。

 

「そういえばお前と同行していた三人の美少女。一人はメルリアでも同行していた子なのは分かるが他の二人……特に姫様と似た高貴で他者を魅了してやまない甘美な香りの持主は一体?」

 

 匂いでレヴィの素性に疑念を抱いたヴェイグにスヴェンは呆れた眼差しを向ける。

 コイツの嗅覚の前では居場所も素性も隠せない。いっそのことファザール運河に沈めてしまった方が安全なのでは?

 ヴェイグをどう始末するか思案しながら、

 

「さあ? 旅行費の足しとして護衛依頼を請けたが互いの素性は詮索しねえ契約を結んでる。ってか俺が守秘義務を話すとでも?」

 真実混じりの嘘をヴェイグに告げる。

 

「ふむ……あの香水の香りは貴族のみならず市民にも買える物だったな。わたしの嗅ぎ間違いか? 一人は火と鉄の臭いを隠すように香水を使用してるようだけどね」

 

 市民でも買える香水、それなら高貴な匂いってなんだ? そんなツッコミが頭の中に浮かぶも自身に浮かぶ鳥肌にグッと飲み込む。

 

「あんま度が過ぎると騎士団に通報されんじゃねえか?」

 

「……じ、実は何度かね」

 

 スヴェンは遠くからヴェイグを殺気混じりの凄まじい視線で睨む女性の姿を視認しては、

 

「……俺はもう帰るが、アンタも夜道には気を付けろよ。特にナイフを握った女にはな」

 

 一応間接的にヴェイグの商談を潰した手前、忠告だけ残してその場から離れた。

 それから間も無く港の船着場で絶叫と怒声が夜の貿易都市に響くことに。



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第七章 休暇の日々
7-1.朝食と今後の予定


 魔法騎士団が事後処理に追われフェルシオンの町中を慌しく動き回っている頃、宿屋フェルの食堂で朝食を摂るスヴェン達の耳に噂話しが飛び交う。

 

『シオン大市場の鉱石屋が竜血石を仕入れたらしいな』

 

『あー、あの鉱石マニア婆さんの所かぁ。鉱石以外を仕入れるなんて珍しいこともあるんだな』

 

『昨日の嵐はそれが原因だったかもな!』

 

 老婆が経過する鉱石屋に竜血石と呼ばれる商品が入荷したという噂に、スヴェンは興味を示さず獣肉のソーセージのソーテを口に運ぶ。

 ほんのりと口に広がるソースの酸味と獣肉のソーセージの肉汁に舌鼓を打ち、心が幸福に満たされる。

 そんなスヴェンの正面向かいの席に座るエリシェが、子供のように眼を輝かせていた。

 彼女が何に興味を示したのかは幸福な食事の前では、ほんの些細な事柄でしかない。

 スヴェンはエリシェの様子を無視するように注文していたエビとポテトのサラダが盛られた皿に視線を向けーー何度か見直す。

 確か料理が運ばれてたから二十分も経っていない筈だ。

 スヴェンが改めて見直してもエビとポテトのサラダが盛られていた筈の皿が空のまま。

 

「……なあ、サラダが空なんだが?」

 

 なんとなくレヴィとミアに訊ねてみると、レヴィは苦笑を浮かべミアは視線を背けた。

 

「……まさか全部食ったのか? それなりの量が有ったサラダを」

 

「また頼めばいいじゃない」

 

 確かにレヴィの言う通り料理はまた注文すればいい。

 スヴェンが同意するように頷くと先程まで視線を背けていたミアが幸福に満ち足りた表情を浮かべ、

 

「ふぅ〜やっぱりエビのぷりっとした食感と塩味のさっぱりした味付けは最高だなぁ。そこにホクホクの柔らかくてちょっと甘味が有るポテトと水々しい新鮮な野菜の組み合わせは神!」

 

 エビとポテトのサラダに関する感想を述べていた。

 如何やらサラダを全て食べたのはミアのようだ。

 だからといって彼女に怒りを抱くことも無ければ、どうこうすることも無い。

 

「エビはアンタの好物だったのか?」

 

「うん! エビが一番好きな食材かな!」

 

 満面の笑みを浮かべるミアに対してスヴェンは、次からはエビを使った料理は多めに注文した方が良さそうだと結論付けた。

 

「それで追加分も頼む?」

 

「そこまで食いてえわけでもねえからなぁ。無きゃ無きゃで構わねえ」

 

 スヴェンはバケットに入ったパンに手を伸ばし、豆のスープと共に口に運ぶ。

 そして自身の分として注文した料理を食べ切っては、既に食べ終えたレヴィに視線を向ける。

 

「今日も調査すんのか?」

 

 まだ解決していないゴスペルの取引相手。その正体に関する調査を行うのか。

 その意味でレヴィに訊ねると彼女は考え込み、やがてこちらを見つめ返した。

 

「ここで調査して進展が得られるのかしら?」

 

「さあ? 少なくとも昨夜逮捕された商会は人身売買の仲介業者に関わっていたらしい……ついでに言えばアルセム商会が商品の買い付けを頼んだのもそこの仲介業者らしいな」

 

「流れ的に見ればアルセム商会がクロってことかしら?」

 

「アルセム商会が買い付けを頼んだのはドラセム交響国の楽器だとさ。ヴェイグが言うには信頼の有る商会を頼った結果、巻き込まれたそうだ」

 

 昨夜ヴェイグが語った話の全てを信じるわけではないが、アルセム商会の取引履歴を見ればすぐに判明すること。

 特に昨日魔法騎士団に逮捕された商会から顧客リストや契約、依頼に関する書類が出て来るだろう。

 ヴェイグが嘘を付いていないなら、証拠品からアルセム商会は身の潔白が証明できる。

 幾らでも偽装可能だが魔法騎士団も魔法による偽装にたいして対策を講じているだろう。

 だからスヴェンはアルセム商会の取引関しては探りを入れる必要は無いと判断していた。

 

「うーん? という事はスヴェンさんは私達が寝てる間に外出してたってとこ?」

 

「昨日の騒ぎで町が荒れるようなら護衛として対応を考える必要があんだろ。その確認がてら出歩いたんだが、アイツに捕まっちまってな」

 

「そういえば匂いで判るんだよね……スヴェンさんの居場所」

 

 改めて指摘された事実にスヴェンは眉を歪め、幸福に満たされた心が冷める。

 同時にレヴィとエリシェが険しい表情を浮かべ、

 

「何か妙なことを口走ってなかったかしら?」

 

「昨日はシャワーを浴びた後だったから臭くは無かったはず……」

 

 自身の体臭や香水の指摘をされなかったどうか。歳頃の娘として気になり、同時にヴェイグに対する険悪感も感じたようだ。

 そもそも奴は口を開けば妙なことしか口走らない。

 だからこそなるべく関わりたくも無ければ、敵として相対したくもない。

 

「あ〜酒を奢られる代わりに愚痴に付き合ったぐれえだな」

 

「ふ〜ん、一人でお酒を? 狡いなぁ。そこは事件が終息したお祝いにみんなで飲むべきじゃないのぉ?」

 

 ミアの揶揄うような言動にスヴェンは嫌そうに眉を歪める。

 

「アンタがまともに酒を飲めんなら考えたが……雇主も居る状況で世間に醜態を晒すわけにもいかねえからな」

 

「ねぇ〜ミアはお酒雑魚の癖に見栄張って飲みたがるから」

 

「ちょっとエリシェ! 私はお酒そんなに弱くないよ!」

 

 ミアは自身が酒に弱い自覚が無いのか、少々怒った表情で反論していた。

 弱い犬ほどよく吠えるとアーカイブにも記されているが、正にミアはそんな状態だろう。

 

「え〜? お得意様から貰ったブランデー入りのチョコで酔っ払ってラピス像を破壊したのは誰だっけ?」

 

 友人から酔った際の醜態を暴露されたミアは冷や汗混じりに、そしてスヴェンはレヴィの眉がぴくりと動いたのを決して見逃さなかった。

 

「ごめんなさい、私です! みんなにバレる前にラピス像を修復してくれたのもエリシェです!」

 

 ーーコイツ、レーナが隣りに居るってこと忘れてねぇか?

 

 一人勝手に自爆するミアに内心でそんなツッコミを浮かべると、エリシェが爽やかな笑みを浮かべる。

 

「判ればよろしい!」

 

  学生時代に行われた二人の隠蔽工作を聴いたスヴェンは、改めてミアに酒を飲ませるべきではないと硬く誓う。

 

「……あとで減給しておこうかしら?」

 

 隣りに座るレヴィから小声で呟かれた言葉に、スヴェンは何も思う事も無く改めて話を戻す。

 

「話しが思い出話に逸れたが、今日の予定は如何すんだ?」

 

「そうね……細かい調査は騎士団の方に任せて、私達は観光を楽しみましょうか」

 

 これ以上調査しても進展する気配が薄い。そう判断したのかレヴィは観光を提案した。

 恐らく彼女なりの気持ちの切り替え。昨日の事件に一区切り付けるために提案したのだろう。

 だからこそスヴェンはレヴィの決定を肯定する形で、

 

「そういや、この町に来てたからまだろくな観光もしてなかったな」

 

 同意を示した。するとエリシェが考える素振りを見せ、

 

「ということはレヴィは今日か明日にはエルリア城に帰るってこと?」

 

「うーん、如何しようかしら? 最低二、三日はゆっくりしたいわね。それにエリシェの仕事の方は如何なの?」

 

「えっと、完成した設計図を元にバイクン叔父さんの鍛治工房で試作品を鍛造する予定かな」

 

 銃の試作品の鍛造となれば数日は要するだろう。

 ただスヴェンとしてもこの町に滞在している間に試作品のチェックまで済ませたい。

 そうでもしなければ試作品の完成次第で次の旅先で彼女と合流する手間や、デリバリー・イーグルを挟んだやり取りを行わなければならない。

 出来ればヴェルハイム魔聖国到着前に完成品を受け取りたいところだが、

 

「試作品の完成はどれぐらい掛かりそうだ?」

 

「えっと細かい部品と予備部品の製作……銃の本体の鍛造も合わせて早くて7日かな」

 

 約一週間の滞在期間をフェルシオンで設けるリスクをスヴェンは考え込んだ。

 貿易都市という物流の中心点の一つなら旅先の情報収集には事欠かない。

 必要な物は揃っているが、この先何が起こるのか予想が付かない状況だ。

 次に目指す町は宿泊村トリノスになるがーー不安そうに見つめるエリシェの視線に気がつく。

 スヴェンはミアとレヴィに確認するように話す。

 

「7日間、多少予定がズレるかもしれねえが構わねえか?」

 

「それ以上はかかるかと予想していたけれど、7日前後なら別に構わないわ」

 

「旅は急ぐだけ損するからね! 次の旅行先を含めた情報収集も大事だし……それに少し町の様子も気になるかな」

 

 ミアとしても昨日の事件で生じる影響が気掛かりのようだ。

 

「んじゃあ7日はゆっくり羽根を延ばすか」

 

 こうしてフェルシオンに観光として七日間滞在することに決まり、

 

「それじゃあスヴェン、あたしに付き合って」

 

「「えっ?」」

 

 恥じらいを見せながらエリシェがそんな提案を齎した。

 なぜエリシェがそんな提案をしたのか。一体なにに付き合えばいいのかスヴェンはレヴィとミアが騒つく中、冷静に思考を巡らせる。

 エリシェにたいして直近で思い当たる節が有るなら、恐らく噂で聴いた竜血石かこの町に仕入れられた鉱石の件だろうか。

 それならエリシェの提案にも納得できれば素材の買い出しに男手が必要になるもの頷ける。

 だからこそスヴェンは承諾するようにエリシェの明るい翡翠の瞳を真っ直ぐ見つめ、

 

「アンタが望むなら付き合うが?」

 

「やった!」

 

 エリシェは喜びを顕に椅子から立ち上がった。

 

「それじゃあ善は急げ! 早速出掛ける用意をして来るから!」

 

 そう言って自身の食事代をテーブルに置き、食堂から立ち去って行った。

 スヴェンは特に改めて用意する事も無く、そのままロビーに足を向けた。

 



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7-2.スヴェンとエリシェ

 貿易都市フェルシオンに来たなら先ずは港のシオン大市場に迎え。

 そこには各国の特産品を始め、様々な商品が集まり訪れた物に素敵な出会いを与えるだろう。

 路上で唄うように宣伝を奏でる詩人の姿にスヴェンは歩きながら、

 

「町の入り口でやるもんじゃねえのか?」

 

「あたしとレヴィが来た時には聴いたよ。たまたまじゃないのかな?」

 

 間が悪く宣伝を聴き逃したか、そもそもその日は宣伝されない日だったのか。

 少なくともスヴェンが町に訪れた時には気の利いた宣伝は聴こえなかった。

 詩人の唄う宣伝に今更感が拭えないが、七日の滞在期間を設けた以上は旅行者らしい振る舞いを心掛けるべきだと改めて自身に言い聞かせる。

 

「四国の交易品が集まる大市場ってのも見ておくべきか」

 

「そうだよ〜観光案内はミアの仕事だけど、今日はあたしが紹介してあげる」

 

 スヴェンは任せたと頷くことで答える。

 ふと上機嫌に鼻歌を奏でるエリシェに視線を向ける。

 そういえばまだ彼女の口から目的をまだ聴いていなかった。

 推測通りなら竜血石の購入だとは思うが、実際は別の代物かもしれない。そう考えたスヴェンは彼女に訊ねた。

 

「アンタの目的は竜血石ってヤツか?」

 

 質問にエリシェは驚いた様子で鼻歌を止め、じっとこちらを見つめていた。

 

「男女で出掛けるって普通なら勘違いしちゃうらしいけど、スヴェンはあたしの目的がよく分かったね」

 

「食堂の噂話が聴こえた時、アンタの眼は欲しい物を目の前にした子供のように輝いてたからな」

 

 エリシェは気恥ずかしそうに笑う中、スヴェンは背後から感じるアシュナの気配にため息が漏れる。

 レヴィの護衛は一旦の終わりを迎えたが彼女は王族だ。

 アシュナはスヴェンの影の護衛だが、彼女の本業は密かに要人の護衛を務まる特殊作戦部隊の隊員だ。

 例え安全な町中だろうとも何が起こるかは予想が付かない。

 だからこそアシュナにはレヴィに付いて欲しいのだが、スヴェンが考え込むとエリシェは不審に感じた様子で訊ねてくる。

 

「どったの? もしかして誰かに着けられてるとか?」

 

「いや、勘違いだ」

 

 敢えてアシュナの存在を隠すように答えた。

 

「……昨日の後だと神経が張り詰めちゃうか」

 

「ああ、気を抜いた時が一番恐ろしいからな……いや、そんな話よりも竜血石ってのはどんな素材なんだ?」

 

 話しを戻すためにエリシェに質問した瞬間、彼女の眼が輝く。

 

「竜血石っていうのはね! 竜の血に混ざった膨大な魔力が長い年月を得て結晶化して排出された物なの!」

 

「それで竜血石は鉱石素材と一緒に鍛えると、素材の強度と魔力伝導率を増大させる性質を秘めてるんだ! 竜血石を使うだけで鉄鉱石が鋼を超える強度になるんだよ!」

 

 饒舌に語るエリシェにスヴェンはたじろぎながら、竜血石の性質に思考を傾けた。

 産出率の高い鉄鉱石に竜血石が加わるだけで鋼を超えるなら、メテオニス合金に加えればどうなるのか。

 そこまで思考を浮かべたスヴェンは、エリシェにガンバスターの改造を依頼した意味が全て無意味になると思い直す。

 特に設計段階からエリシェの仕事の様子や武器にかける情熱を見て起きながら、彼女の努力を無意味にする行為だ。

 それは今後の信頼関係を大きく損なう最低最悪の裏切りに他ならない。

 

「竜の血か……希少価値が高そうだな」

 

「う〜ん、姫様が竜王と契約召喚を結んでから希少性は無くなったかな」

 

 レーナが竜王を召喚している。その情報は以前にミアの口から聴いたことが有ったが、なんだかんだ質問の機会を逃したままだった。

 これもいい機会と考えたスヴェンは改めて竜王に付いて訊ねる。

 

「前に耳にしたことが有ったが、竜王ってのはどんな存在なんだ?」

 

「ごく稀に竜の中から一頭だけ産まれる存在で、竜王が放つブレスは大陸を一つ消滅させるとか」

 

 エルリアが在る大陸だけでもかなり広いが、ブレス一つで広大な大陸を消してしまえる存在に嫌な汗が滲む。

 同時に戦略面で考えれば魔王アルディアの凍結封印による人質は正しい選択に思えた。

 その気になれば大陸一つを消滅させる竜王を召喚可能なレーナを無力化する最適解にして破滅を齎す諸刃の剣。

 だが、はレーナの性格から竜王に大陸を滅ぼさせるような真似はしないだろう。

 せいぜいが世界地図が書き換わる程度の事象で済むだろう。

 同時にスヴェンは一つ思い出す。ミアから聴いたあの話を。

 

「そういや、ミアから聴いたが竜王はエルリアの空を飛び回ってるだとか」

 

「うん、かなり自由に飛んでるよ。年に数回はエルリア城に来るしね」

 

「……騒ぎになんねえのか?」

 

「姫様が竜王と召喚契約を結んでもう11年になるから、慣れたかなぁ〜」

 

 笑みを浮かべるエリシェに逞しいと笑えばいいのか、少なくともスヴェンには理解が難しいことだった。

 同時にレーナが竜王を召喚したことに疑問が湧く。

 

「なんだって姫さんは竜王を召喚したんだ?」

 

「理由までは判らないけど、スヴェンなら姫様と話す機会も有るからその時に聴いてみたら?」

 

 レーナが竜王を召喚したのが十一年前となると、当時の彼女は五歳だ。

 そしてエルリアの国民は五歳を迎えるとラピス魔法学院に入学する。

 そこまで知識を呼び起こしたスヴェンはユーリの屋敷の廊下で聴いた事実を思い出した。

 

 ーーそういや、学院に入学してねえとか言ってたな。

 

 何か理由が有るのは明白だが、その話は日を改めて召喚の事実確認を交えて聴いた方がいいとスヴェンは密かに判断した。

 

「そん時までに興味が残ってりゃあ聴いてみるか」

 

「そうしてあげて。スヴェンみたいに頼れる大人は姫様に必要だからさ」

 

 レーナの周りには頼るべき大人が居る。オルゼア王やラオ副団長が頼るべき大人に該当するだろう。

 だが自分はレーナが頼るべき大人ではない。自身の立場はレーナによって召喚された異界人に過ぎない部外者だ。

 だからスヴェンは否定的にエリシェの頼みを断った。

 

「姫さんには頼れる大人が周りに居んだろ……それに外道は頼るべきじゃねえ」

 

「スヴェンが異界人なのは分かってるけどね……姫様は王族で彼女の周りに居るのは友達でも他人でもないんだよ」

 

 レーナの周りに居る大人は彼女が守るべき国民でしかない。

 むろん魔法騎士団のラオ副団長は彼女を護る騎士だが、そこに職務と立場を抜きにした気安い態度で気軽に相談できるかと問われれば難しい。

 そう考えたスヴェンはようやくエリシェの言葉の真意に気が付く。

 確かに父親のオルゼア王を抜きにすればレーナが気軽に頼れる人物は多くは居ないのかもしれない。

 しかし身分を偽ったレヴィの姿なら気軽に相談もできるだろうーー現にエリシェは正体に気付かないまま友人のように接している。

 逆に正体に気付きながら立場と重責を考慮したミアは、一人の友人としてレーナに接していた。

 相談するなら歳の近い同性の方が何かと気楽だとスヴェンは結論付けた。

 だがまだレヴィの正体を知らないエリシェにこの事を告げても意味が無い。

 むしろの人の往来で告げるべき事実じゃない。

 

「……まあ、考えておく」

 

 スヴェンは周囲の聞き耳を考慮して曖昧に答えると、エリシェも周囲の反応に気が付いたのか、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 それから程なくして二人はシオン大市場に到着し、一通り観光を楽しんだあと目的の鉱石屋に向かうのだった。



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7-3.鉱石屋の老婆

 腰を曲げた老婆が杖を付きながら若い店員に、

 

「こらぁ! プロージョン鉱石はもっと丁寧に扱わんかい! 花を慈しむように、水流の如く穏やかな心で!」

 

 怒声と共に謎の表現が飛び若い店員は苦笑混じりにプロージョン鉱石が入った箱を慎重に運び出す。

 そんな様子にエリシェは相変わらずと言わんばかりに笑みを浮かべ、老婆がこちらの存在に気が付く。

 

「なんじゃいブラック坊の所の娘かいな。そっちの男はおまえさんの彼氏かい?」

 

 気心知れた様子で冗談混じりに揶揄う老婆にエリシェは、

 

「ストラおばさん久しぶり。こっちの彼はあたしのお客様だよ」

 

 否定を入れては老婆ーーストラが落胆混じりにため息を吐く。

 

「おまえさんの家系は遠い先祖から続く鍛治師バカの家系じゃ。もう成人したんだから少しは男の気配を見せたらどうじゃ?」

 

「え〜? まだ成人して学院を卒業してから一年も満たないよ。それにあたしはまだ半人前だから彼氏とかは……考えてないよ」

 

 話を聞く限りエリシェとストラはそれなりの付き合いが有るようだ。

 スヴェンは二人の会話からそう判断しては、商品棚に置かれた鉱石の数々に視線を移す。

 赤黒い結晶石から翡翠色の光りを放つ鉱石から、青い光が波打つ鉱石に魔力を感じ取る。

 そして隣りの鉱石に視線を移せば、アーカイブで閲覧した覚えが有る鉄鉱石や銀鉱石などデウス・ウェポンで馴染みの有る鉱石が置かれていた。

 ただ違いが有るとすればどの鉱石にも魔力を含んでいる点だ。

 

 ーーデウス・ウェポンの素材、マナ結晶以外は魔力を含んでねえな。やっぱそこに魔力伝導率の違いが出るのか?

 

 スヴェンが鉱石を見比べながら考え込む中、ストラが本題に入り出す。

 

「そっちの客人は随分と熱心に鉱石を見てるようだけど、エリシェ……おまえさんの要件はなんだい?」

 

「噂で聴いたけど、ストラおばさんが竜血石を仕入れたって本当なの?」

 

「あぁ、本当じゃとも……まあ不本意ではあるがねぇ」

 

 スヴェンは一度商品棚から顔を晒し、ストラの方に顔を向ける。

 するとストラは複雑そうな表情を浮かべながらこちらを観察するようにじっと見つめていた。

 竜血石と何か関係が有るのか。それとも単に怪しい男、それも異界人に竜血石を売りたくないということなのか。

 何かを探るように観察するストラにスヴェンは特に推測はするものの、特に何も感じることもなく堂々と視線を返す。

 

「……おまえさんの名は?」

 

「スヴェンだ」

 

 聞かれたから名を名乗れば、ストラは大きなため息を吐き、やがて腰を伸ばすように動かす。

 その際にグギッ! 腰から骨の音が鳴り響くがストラは慣れた様子で特に眉を動かすこともなく、

 

「おまえさん、店の最奥に有る竜血石が入った箱を持って来てくれんか? 見ての通り荷物を運ぶのも一苦労でな、今では出来の悪い弟子に荷運びを任せる始末じゃ」

 

 その弟子に任せてしまえ。そんな言葉をスヴェンはグッと呑み込んでカウンターの奥に有るドアへ向かって歩き出した。

 

「おや、無言で引き受けてくれるとは……おまえさん、案外いい男なんだねぇ。夥しい死の気配さえ無ければ……いや、この話は年寄りの冷や水じゃな」

 

 傭兵、それも戦場で行われる殺戮でしか生き方を見出せない外道に一体なにを期待してるのか?

 スヴェンはストラの期待に応える気も問答する時間も惜しいと判断し無言のままドアを開けーー何の変哲もない木造造りの廊下が広がり、泥棒対策の魔法を警戒して魔力に意識を集中させる。

 しかし、魔法が施された気配は愚か魔力が感じられない。罠は無いと判断した奥へ続く廊下へ踏み込む。

 廊下へ足を踏み入れた途端、スヴェンの視界が酷く歪んだ。

 

 ーー魔力を感じさせねえ罠か!

 

 そう判断した時には既に遅く、異変に気が付き手を伸ばすエリシェを背後にスヴェンはストラの鉱石屋から姿を消した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンは気が付けば戦場を彷彿とさせる血と死体の山が広がった空間に飛ばされていた。

 周りを見渡すと懐かしと自身の居場所とも思える安堵感が胸を駆け巡る。

 

「良い趣味してんな」

 

 精神を消耗させやがて衰弱に至らしめる罠系統の魔法。そう推測するものの理由が判らない。

 少なくともスヴェンとストラは初対面だ。だがスヴェンは殺した相手の中にストラの身内が居たならーーそう仮定するものの、彼女の眼差しから感じた感情はこちらに対する疑問だけだった。

 同時にストラは言った。店の最奥に有る竜血石を取って来て欲しいと。

 つまりこれは竜血石を売る相手を判別するための試験のような物。

 

「エリシェじゃなく俺にか」

 

 恐らくそこに何か理由が有るのだろう。

 スヴェンはこれ以上立ち止まって推測しても仕方ないとガンバスターを引き抜きながら歩き出す。

 ふと空に視線を向ければ、血が滝のように流れ落ちる光景と紅い月から血の涙が垂れ流れる様子が見えた。

 これを常人は地獄と言うのかもしれない。

 だがスヴェンにとってこの風景も光景も胸の奥底に刻み込まれた心象風景だ。

 戦場で生まれ、戦場で捨てられ拾われ、そして戦場で育ち傭兵として殺戮を繰り返した。

 そこに刻まれたのは地獄のような光景。

 

 ーーまさか、俺の心象風景を具現化したのか?

 

 だとすればストラの目的が益々理解できない。

 

「この光景を見せて罪を再認識しろってことか?」

 

 スヴェンは靴底に感じる死者の血糊と肉片の感触に何も思うこともなく前へ突き進む。

 しばらく進み続けるとスヴェンの目前に血が噴出し、誰かの姿を形造る。

 やがて血はレーナとミアの姿を形造り、二人は武器を構えた。

 そして眼から血涙を流した二人が、

 

「どうして貴方は殺したの?」

 

「どうして私達を、信じてた私達を殺したの?」

 

 武器を振りながら訴え掛けてくる二人にスヴェンはガンバスターを躊躇無く一閃。

 血で形作られた紛い物を両断すれば二人の悲痛な悲鳴が響き渡る。

 見知った顔の殺害。傭兵として戦場で敵対したなら当然の様に訪れる結果だ。

 同時に疑問が浮かぶ。ストラは一体何をしたいのか、情に訴えかける罠なら実際に殺しても居ない二人に罪の意識を感じる事は無い。

 だからこそ目的に理解が及ばず、スヴェンはそのまま歩み続ける。

 何処へ行けばゴールなのか、それさえも判らずひたすら歩き続けるスヴェンの耳に翼が羽ばたく音が響く。

 警戒心を顕に上空を見上げれば、そこに居た存在に言葉を失う。

 血に染まった空に浮かぶ漆黒の鱗、体内に留まりきれない膨大な魔力が身体中を巡る様に覆い、獰猛な鋭い眼がスヴェンを捉える。

 突然の竜の登場に流石のスヴェンも喉を鳴らし、全力で走り出す。

 

「今の装備で竜種とやり合えるかぁ!」

 

「ほう? 無謀にも王たる我に挑まない判断力や良し」

 

 漆黒の竜から放たれた言葉にスヴェンは思わず足を止めた。

 知性の高い竜が喋ったことに特別驚きは無いが、あの竜は自ら王と評した。

 

「アンタが竜王なのか?」

 

「如何にも我は召喚に愛されし姫君と契約を交わした竜王なり」

 

「この茶番は姫さんの指示か?」

 

「いいや、姫君は関与しておらぬ。これは我が体内より排出した竜血石を託すに相応しいか試すための試練だ」

 

 なんの説明も無く始まっていた試練にスヴェンは眉を歪めた。

 竜王の独断による試練に関しては後でレーナに報告するとして、スヴェンは改めて上空に滞空する竜王に視線を向ける。

 剣を彷彿とさせる斬尾と両腕と両脚に纏わり付く羽衣の様な魔力ーー竜種はモンスターではない。ガンバスターの刃が竜王の誇る鱗に通じるのか。

 なんにせよ今の状況ではあまりにも不利だ。それこそ自身の死を脳内で幾度も再生させる程に。

 だからスヴェンはガンバスターを背中に背負い、降参するように両手を挙げた。

 

「降参だ、大陸一つ消し飛ばせるアンタに如何足掻いても勝ち目はねえ」

 

「良い判断だ狼よ」

 

 スヴェンを狼と評した竜王が風圧を巻き起こしながら目の前に降り立つ。

 単なる風圧でしかないが、吹き飛ばされないように堪えるのがやっとの状態だ。これでは勝負など成立しない。

 鋭利な牙を見せる竜王にスヴェンは底抜けに冷え切った眼差しを向け問う。

 

「そんで? 試練に失敗した俺を喰らうのか?」

 

「……死ぬと理解しながら死を恐れぬか」

 

 簡単な質問の様で言葉にするのは難しい質問だ。

 自身に関する死生観など考えたことも無いが、傭兵として戦場に立つ以上それは死と付き合うことと同義だ。

 

「傭兵として殺してんだ、いつかは理不尽に死ぬ。そういうもんだろ」

 

 質問に対して自身の感覚で答えた。

 

「ふむ……この光景は貴様が流した血の数、あの死体の山々は貴様が殺した人間の数だ」

 

 竜王が死体の山々に指差し、スヴェンは改めて振り返る。

 数えるのも馬鹿らしくなる死体の山々ーー確かに過去に殺した覚えの有る顔も居るが、そこにアイラの姿も在る。

 同時にスヴェンは過去に殺した相棒の姿を見付け、不意に言葉が出掛けたが口を硬く閉ざす。

 

「アンタは俺に罪を再認識させたかったのか?」

 

「貴様は常に己の罪を自覚していた。同時に殺す相手も明確に判断しておる……今までの異界人とは明らかに違う貴様なら魔王救出を果たせるやもな」

 

 結局の所竜王は竜血石を託すことを建前に探りを入れた様だ。

 

「アンタは今まで異界人に対してこんな試練を与えてたのか?」

 

「今までの異界人では如何足掻いても魔王を救出することは叶わん。貴様なら救出の可能性が高いが同時に死亡の可能性も高い」

 

「あぁ、実際にアンタの懸念通りに俺は一度死にかけた」

 

「貴様の力量は間違いなく本物。その得物がこの世界の物であればエルリアに生息するモンスターに殺されることは無いだろう」

 

 逆にエルリアよりも強いモンスターが生息する地域では死亡する可能性が高い。

 元々傭兵稼業は死と隣り合わせだ。死亡の可能性を告げられたとして、要注意しながら自身の戦闘能力を向上させ適応させる他にない。

 そもそもエリシェが新しいガンバスターを鍛造した所でそれを使い熟せなければ無意味だ。

 

「アンタの言葉は忠告と受け取っておくが……結局竜血石は貰えんのか? ってか婆さんが言ってた不本意ってのはアンタの関与か」

 

「うむ、貴様は合格だ。それにあの者の夢に現れ、排出した竜血石を仕入れるように仕向けたのも我だ」

 

 ストラは単に巻き込まれたに過ぎないのだと判断したスヴェンはため息を吐く。

 

「……体感時間で二時間はこの場に居たが、エリシェが姫さんに伝えてねえと良いな」

 

 そう告げると竜王の威圧と厳格に満ちた瞳が激しく狼狽え、

 

「こ、この心象風景結界は体感時間こそ狂うが、現実では十分にも満たぬ……ゆ、ゆえに姫君に我の行動がバレる可能性は少ないのだ」

 

 それはスヴェンとエリシェ、それとストラが黙秘したなら成立する竜王の計画だ。

 そもそも何故レーナにそこまで竜王が慌てるのか?

 

「なぜアンタが慌てる? 姫さんが怒るとそんなに恐えのか」

 

「……我は竜王なり。小娘の怒りに怯えてはおらぬぞ」

 

 竜王としては威厳を剥き出しにしているが、如何にも言い訳に聴こえて仕方ない。

 だがこれ以上の指摘はそれこそ証拠隠滅に消されるだろう。

 そう判断したスヴェンは手を差出す。

 

「早く竜血石を寄越して元の空間に返してくれ」

 

「……我は魔力で生み出した分身、故にこの肉体は泡沫の幻想。この場に竜血石は無い」

 

 竜王がそう告げるとスヴェンの身体を光が包み込んだ。

 スヴェンがツッコミを入れるよりも速く、心象風景結界から一人と一頭の姿が消える。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンは気が付き、辺りを見渡す。

 すると如何やら店の最奥のようで、店に置かれて無かった数々の鉱石が入った箱が並ぶ光景にため息が漏れる。

 ただ普通に廊下を進んで竜血石を持って来るだけの事が、随分と体力を消耗したように思う。

 だが竜王に対して不満を宿しても仕方ない。

 スヴェンは改めて並べられた箱を見渡すと、赤黒い光が溢れ出る箱を発見し中身を改めた。

 

「コイツが……竜血石か」

 

 箱にぎっしりと詰め込まれた大量の竜血石ーー赤黒い血が魔力によって結晶化することで生成された物質を手に取る。

 

「まるで宝石のようなもんだな……あ〜だからストラはコイツを仕入れなかったのか」

 

 手触りと材質の感触が鉱石というよりも宝石に近い物だった。

 そこに長年鉱石屋を営むストラにとって強い拘りがあったのだろう。

 なんとなくそう判断したスヴェンは一度手にした竜血石を箱に仕舞い、店内に運び出すのだった。

 店に戻ると安堵の息を吐くとエリシェと目が合い、

 

「突然消えるんだから心配したよ!」

 

「あ〜悪かったな、だが目的の物は持って来た」

 

 そう言ってカウンターに竜血石が入った箱を置くと、ストラはそれに興味が無さそうな眼差しを向け、

 

「あの夢さえ見なければ仕入れることも無い代物じゃ……そもそも店前に置かれていた廃棄物のような物、勝手に持っててよいぞ」

 

 あの竜王から排出された竜血石を廃棄物と断言したストラにスヴェンは内心で戦慄した。

 そして隣で何が起きたのかまだ知らないエリシェは喜びを顕に、

 

「えっ!? タダで貰っていいの!?」

 

 眼を輝かせはしゃいだ。

 

「構わんよ、おまえさんには心配もさせてしまったからねぇ。これは責めてもの詫びの品代わりに受け取りなさい」

 

「やったっ! これで銃の試作に取り掛かれるよ!」

 

「次はバイクンの鍛治工房に運べばいいのか?」

 

「そうだけど少し待ってて!」

 

 そう言ってエリシェは最初から眼を付けていたのか、幾つもの鉱石を手に取りカウンターに運ぶ。そして彼女は選んだ鉱石を合計五十キログラム購入するのだった。

 

「それじゃあ荷物運びお願い!」

 

 銀貨二百枚分の買い物を終えたエリシェはそう言って微笑んでいた。



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7-4.鍛治師として

 スヴェンに荷物運びを任せたエリシェは軽やかな足取りでフェルシオンの中央区に位置するバイクン・スミスへ足を運ぶ。

 そして鍛治工房に到着したエリシェは店の入り口で軽快に来訪を告げた。

 

「バイクン叔父さん〜! 工房を借りに来たよ〜!!」

 

 そう告げると奥の工房からやって来た叔父ーー作業着に槌を片手に、左眼に眼帯を着けたバイクンがおおらかな笑みを浮かべ、

 

「エリシェ! 卒業祝い以来じゃ……あっ? テメェはエリシェの何だ?」

 

 それは一瞬だけで背後に鉱石が積み込まれた荷物を持ったスヴェンに恐ろしい形相で凄んでいた。

 相変わらず叔父は一緒に居る男性にたいして勝手に早とちりしてしまう。

 職人としての腕前は尊敬できる人物だが、短気な性格が玉に瑕だ。

 それにしても叔父の形相は相変わらず人を殺してしまえるほど恐ろしいが、それを受けているスヴェンは平然としている。

 彼にとってこんな状況は馴れているのか、こんな時にスヴェンが口を開けば叔父は耳を貸さない。

 此処は自身が叔父に対して確認を含めて事実を伝えるのが一番無難な対策だ。

 

「叔父さんは手紙を読んでないの? 私が武器のオーダーメイドを請けた話をさ」

 

 手紙を読んだかどうか訊ねると叔父は薄い髪の毛を撫でながら、

 

「読んだが、男を連れて来るとは聴いてねえな」

 

「何か勘違いしるようだけど彼はあたしの客人だって。此処に来たのは荷物運びを手伝って貰ったからだよ」

 

 そう事実を告げると叔父はようやく理解が及んだのかスヴェンに申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「す、すまねぇ。異界人は随分と女遊びが激しいと聴いてたもんだからよ、てっきりかわいい姪に悪い虫が付いたとばかりなぁ?」

 

 そこでスヴェンに同意を求めるように語るのは如何とは思うが、叔父が言う通り異界人の女遊びが激しいのは周知の事実だ。

 魔法学院の同級生三人がストーカー被害を救われ、惚れたとかで異界人に同行してるなんて話も文通で聴いたことが有る。 

 そう言った理由から叔父の早とちりを半ば納得すると、スヴェンがなんとも言えない眼差しを浮かべながらため息を吐く。

 

「フェルシオンで噂になる程なのか?」

 

「実際に目撃者は多数だからよ。っつても4月頃の話だがな」

 

 スヴェンはどうでもいい存在と認識したのか、それ以上異界人に対して訊ねようとはしなかった。

 同じ異界人同士でも争うことが有るーー最悪殺し合うことが有ることは理解しているけど、異界人同士が協力し合えば少しは結果も違うように思えてくる。

 実際にレーナの依頼を請けた異界人が真面目に取り組むのは、一人握りで十人中に一人程度の割合で同行者との言い争いも絶えない程だ。

 あとはレーナから受け取った支援金で豪遊、女遊びなどは常。

 その点を踏まえればスヴェンは殺人に対して躊躇しない点を除けば異界人の中でも頼りになる大人だ。

 二人の会話からこれまで見て接して来た異界人とスヴェンを比較していると、

 

「ところでコイツを何処に運べばいいんだ?」

 

 荷物に視線を落とすスヴェンにエリシェは叔父に向き直る。

 工房を借りることに付いては同意を得ているが、何処の作業場所が割り当てられているのかは判らない。

 何せ叔父は父とは違い数多くの弟子が居る。そんな彼らの作業場所を誤って使うことは避けたい。

 

「叔父さん、奥の空いているスペースを借りても良いんだよね?」

 

「おう、エリシェのために用意しておいた作業スペースに案内するぞ」

 

 そう言って付いて来るように顎で合図を出す叔父にエリシェとスヴェンは付いて行く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 店の入り口から誰も使っていない最奥の炉と金床が設けられた作業場所に案内されたエリシェは、スヴェンに作業台の側に鉱石と竜血石が入った箱を置くように伝えた。

 

「これで俺の用は終わりだな」

 

 そう言って早速帰ろうと背中を向けるスヴェンにエリシェは、すぐに行ってしまう淡白な彼に不思議と名残り惜しさを感じた。

 なぜそう感じてしまうのかは判らないが、此処は一つ自身の職人としての腕を少しでも彼に見学してもらうべきだ。

 そう思った時には自然とスヴェンの右手を握り口から、

 

「良かったら見学して行かない?」

 

 そんな提案を告げるとスヴェンは一瞬だけ考え込む。

 彼はレヴィの護衛依頼を請けてる立場だ。だから彼女と長く離れるわけにもいかないのは判っている。

 ただ、『アンタのような専属が居たらどんなに気楽か』あの不意に言われた言葉がエリシェの頭から離れられないのだ。

 あの時はつい半人前だからと誤魔化したが、ガンバスターの製造に携わる以上はその後のメンテナンスに専門の職人が必要になる。

 しかしスヴェン自身に何か有るのか、彼は専属契約を結ぶことに消極的だ。

 

「見学してたらスヴェンの悩みを吹っ切れるかもよ?」

 

 そう言って判断を促すと彼は一つ結論を出したのか、

 

「なら見学させて貰う。正直に言えやぁデウス・ウェポンの工房は機械による製造だったからな。職人の手作業ってのは見たことがねえんだ」

 

 純粋な興味とこちらを観察するような眼差しでそう答えた。

 そこでエリシェは適当な椅子にスヴェンを座らせ、早速作業台に設計図を広げる。

 やがて荷物から自身の工具を取り出し、炉に魔力を注ぎ込み高熱の炎で満たす。

 最初に造るのは銃に必要なネジなど細かい部品だ。

 エリシェは鉄銀鉱石を炉に入れ、熱した鉄銀鉱石を一度取り出し魔力を込めた槌で叩く。

 何度も鉄銀鉱石の鍛造を繰り返しながら棒状に鍛え、竜血石を加え、最後に魔力を込めて打ち込む。

 すると元々灰色だった鉄銀の棒が赤黒い魔力を帯びた棒へと変質する。

 竜血石はどんな鉱石の色も赤黒へと変質させる性質を秘めていた。

 例えば翡翠鉱石で薄い緑の剣身を創りたいなら竜血石を加える必要はない。竜血石はどんな鉱石の色も赤黒に変質させるからだ。

 実際のところ鍛治職人も工芸家も竜血石の性質から素材して使うことは滅多に無い。

 だが竜血石を加えるだけで武器の強度も魔力伝導率も向上させるならーー些細なプライドで使用者を護れない武器なんて鉄屑と同じ! 鍛造に必要なのは職人の魂と魔力だけ!

 エリシェは工具箱から父が製造したネジ切りを取り出し、鍛え上げた棒をネジ切りに嵌め込む。

 そしてネジに切れ目を入れて一つ目のネジの完成だ。ただ、解析魔法で構造を把握した際に適切なサイズと形を模倣しただけの部品だ。

 これがスヴェンの望む部品となり得るのかは、エリシェにも判断が難しいところだった。

 

「スヴェン、はじめてネジを造ったんだけど……どうかな?」

 

 そう言って確認するようにスヴェンに完成したばかりのネジを手渡す。

 まだ熱が残ってるがスヴェンは気にした素振りも無く、真剣な眼差しでネジを観察した。

 やがてスヴェンはネジを軽く叩き、力を加えては魔力を流し込んだ。

 

「……強度も高えし魔力も流し易い、初めて造ったわりには相当な出来だな」

 

 相変わらず彼の瞳には底抜けに冷たい印象を受けるが、職人としての腕を褒められて喜ばない者は居ないだろう。

 エリシェは声に出さず内心でガッツポーズを浮かべては、早速次の作業に入るーー各種ネジとナットの製造だけで気が付けば夕暮れを迎えることに。

 

「エリシェ、今日はもう止めておきな」

 

 言われて周囲を見渡せば叔父の弟子達は片付けを済ませ、既に工房から姿を消していた。

 この場に残されたのは自身と叔父、そしてスヴェンの三人だけだった。

 

「もう夕方? 今日中に銃の部品までは漕ぎ着けたいのに……」

 

 七日の期間をスヴェンから貰ったが、試作品の銃が本来通りの作動をするのかどうかはまだ判らない。

 だからこそ期間内よりも速く試作品を仕上げ、調整を行いたいのだが、

 

「アンタの作業は見学させて貰ったが……この様子じゃあ随分余裕が出来そうだ。だから、まぁ焦る必要はねえだろう?」

 

 確かに彼の言う通りだ。焦っては余計な力と雑念が鍛造に影響を齎す。

 見た目の割に脆い銃身が完成しては、スヴェンの生命を脅かすことになる。

 

「確かにそうだね……七日の期間を設けたけど何処か不安が有ったみたい」

 

 汗ばんだ額を拭うと自然と頬が綻ぶ。

 

「静かに観察してると思ったが、エリシェのことをちゃんと見てたんだな」

 

 叔父の言う通りスヴェンは人に興味が無く見ていないようで、その実よく見ていると思う。

 

「作業もそうだが、俺はソイツの職人としての腕を観察してたんだよ」

 

「改めて思うけど、誰かに技量を観察されるのって照れるね」

 

 改めてスヴェンを真っ直ぐ見詰めれば、不意にあの日の失敗と光景が頭に浮かぶ。

 鍛え抜かれた逞しい肉体を誇り覆い被さるスヴェンに、エリシェは頬を赤く染めた。

 内心で間の悪いタイミングであの時の光景を思い出したのもだと思うが、時既に遅くスヴェンを鋭い形相で睨む叔父の姿が映り込む。

 

「やっぱ何かしやがったのか!?」

 

「思い当たる節は無いが、照れただけじゃねえのか?」

 

 あの時の事は彼にとって記憶に残っていないのか。それはそれで面白くないと思うがスヴェンは大人だ。

 それ相応の経験と大人の余裕が有るのだろう。

 これ以上叔父がスヴェンに突っ掛かる前に立ち去らねば。

 エリシェは手早く荷物に設計図と工具を仕舞い込み、

 

「スヴェン! そろそろ宿屋に戻らないとレヴィとミアが待ちくたびれてるかも!」

 

 そう言ってはスヴェンを引っ張り出すように工房を歩き出す。そして自身が出せる最大限の笑みを叔父に向け、

 

「バイクン叔父さん! あたしは明日も来るからね!」

 

 そう告げれば意外とチョロい叔父は照れ臭そうに煤で汚れた鼻を撫でていた。

 こうしてエリシェはスヴェンと宿屋フェルに戻ることに。



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7-5.少女達の女子会

 スヴェンとエリシェが外出から帰宅し、夕食とシャワーも済ませ月明かりが窓辺から差し込む頃。

 

「今夜は女子会してみない?」

 

 ミアがレヴィとエリシェに提案すると、アシュナは眠そうな眼差しで眼を摩った。

 

「ねむぅ〜」

 

 時間は既に二十一時を過ぎている。普段ならもう眠っているアシュナにとっては辛い時間だ。

 そんな彼女にレヴィはベッドを軽く叩き、布団に入るように促すとアシュナがそこに吸い込まれるように入り込む。

 すると数秒も掛からない内に小さな寝息が室内に響く。

 

「ありゃ〜アシュナにはまだ速いかぁ」

 

「この中で一番歳下だもんね。でも女子会をするとなるとあまり声は出せないよ」

 

 それはそれで構わない。寧ろ彼女には是非とも積極的に参加して欲しい。

 何せ色恋沙汰には確実に発展しないだろうが、あのスヴェンと買い物に出掛けたのだ。

 同年代で十年の付き合いの友人が彼に対してどう思っているのか正直気になるところ。

 どうやらそれはレヴィも同じ様子で、彼女はエリシェに微笑む。

 

「それじゃあエリシェから始めてもらいましょうか」

 

 特にトークテーマも決めずに唐突に振られたエリシェは馴れた様子で、

 

「じゃあ気になる異性に付いて……ミアからスタートで!」

 

 トークテーマを決めるや否や話題をこちらに振った。

 ここで話題をこちらに振られること自体は想定内。伊達にエリシェと十年の付き合いだ。

 彼女が気になっていることぐらい容易に察することもできる。

 ミアは少しだけ小悪魔のような笑みを浮かべ、

 

「私が気になるのはスヴェンさんかなぁ〜」

 

 現在身近に居るスヴェンに付いて話題に出すと、エリシェの肩がびくりと動く。

 だが彼女の反応は異性としての好意では無く、頼りになる大人か大切な客という認識だろう。

 

「スヴェンのどういうところが……正直気になる点は多過ぎるわよね、彼」

 

 彼の生を実感し、強く感情が表れるのは戦闘の最中だ。そして仕事に関しては極めて真面目で何処か義理堅くもあり、無関係な者を巻き込まないように配慮する一面も有る。

 それとは別に敵対者には容赦しない殺戮者の一面を有している。

 仕事と戦闘におけるスヴェンの内面はある程度の理解ができるが、それ以外のこととなると何も判らない。

 ミアが把握しているスヴェンの個人情報は性別と年齢、そして職業に関してのみ。

 

「そう! 過去の経歴、素性、家族や親しい関係、好みの料理や異性! 誕生日も含めてスヴェンさんは謎が多いの!」

 

 力説するように話せば、二人は同意を示すように頷いた。

 するとエリシェは思い当たることが有るのか、

 

「分かってることと言えば、眼が底抜けに冷たいことと警戒心が強いことぐらい? でもあたしが寝落ちした時は手を出さない紳士的な所と巻き込まないように気遣う優しい一面も有るかなぁ」

 

 疑問を浮かべるように話す。

 表面上で把握している事柄だが、紳士的という指摘に思わず首を傾げる。

 というもの野宿の時、スヴェンは大抵外で寝ずの番を務めるからだ。加えてメルリアで宿部屋が一つしか確保できなかった時は同室で宿泊せず荷獣車で寝泊まりしていた。

 彼はどうにも女性と同室を嫌がる傾向に有ると考えていたが、エリシェの話を聴くとどうやら違うようだ。

 だからこそスヴェンがエリシェを自身の宿部屋でそのまま眠らせたのが意外に思えた。

 

 ーースヴェンさんがエリシェを朝まで眠らせるのかなぁ? 仮に私だったら絶対に叩き起こしてるよね?

 

 もしも自身がスヴェンの宿部屋で寝落ちしようものなら確実に叩き起こされる謎の信頼感が有る。

 仕事に疲れた彼女に対する労いか、それとも単にスヴェンがエリシェのような少女が好みだからだろうか?

 そう考えたミアはエリシェの胸部に視線を向けた。以前と比べて少しだけ育ったようにも見える寝巻き越しから判る膨らみ。

 小さ過ぎず大きくもない。目測計算になるが片手で納まる大きさ。

 同時にミアはレヴィとエリシェの胸部を見比べる。

 然程違いは無いように見えるが、実際にエリシェの方が若干大きいと判断したミアの額にデコピンが炸裂した。

 

「先から何処を見てるのかしら?」

 

「いやぁ〜スヴェンさんがどうしてエリシェを部屋に寝かせていたのかなぁって〜」

 

「それであたしとレヴィの胸を見比べてたの? 胸は関係無いように思うけど……それに成長すると槌が振り辛くなるからこれ以上はねぇ?」

 

 これ以上の成長を望まないと語るエリシェに、一瞬だけ殺意が湧く。

 成長するエリシェに比べて自身の胸など初等部から成長する気配すら見せないというのに。

 この際胸の成長を嘆いてもより惨めで悲しくなるだけだ。だからこそミアは思考を元に戻す。

 

「贅沢な悩み……それで? 本当に二日もスヴェンさんに何もされなかったの?」

 

「……初日に取り押さえられたぐらいで……他には無いもないかなぁ」

 

 取り押さえられたと語るエリシェにミアとレヴィはある種の納得を得ていた。

 スヴェンなら確実にやりかねないと。

 あの男は傭兵としての警戒心から部屋に近付く者、なによりも寝ている彼に近付こうものなら一瞬で眼を覚まし武器を構えるのだ。

 それがスヴェンの入浴中に部屋に入ったからエリシェは敵と誤認され取り押さえられたということだろう。

 

「ありゃ〜私の忠告は無意味だったかぁ」

 

「だってガンバスターに我慢できなくて……」

 

 相変わらずの武器好きな友人。何が起ころうともエリシェの武器に対する情熱は変わることは無いだろう。

 

「取り押さえられたのは分かったけれど、貴女がスヴェンを紳士と思う根拠は何かしら?」

 

「え? 二日とも眼が覚めたからベッドの上だったから。だから寝てるあたしを彼がわざわざ運んだんだなぁって」

 

「それは確かに紳士的だねぇ」

 

 そういえば以前に酔い潰れて宿部屋まで運んでもらったことが有ったが、あの時はベッドに放り投げられた記憶が有る。

 明らかに自身とエリシェの扱いが違い過ぎる。これは近々猛抗議が必要だ。

 明日にでも訴えようかとミアが思案していると、

 

「なるほど。それならスヴェンの部屋にお邪魔しても問題ないかしら?」

 

 唐突にそんな事を提案するレヴィに、エリシェは困惑した様子で告げていた。

 

「昨日に続いて今日も色々遭ったから休ませてあげて」

 

 確かにスヴェンとエリシェは買い物に出掛けた。これだけ聴けばデートと勘違いする者も居るだろうが、恋愛面よりも仕事に全振りしているエリシェに限って無いと断言できる。

 だから今回の外出は単なる鉱石の買出しと鍛治工房で作業目的だったのだろう。

 それにしてもと思う。エリシェのスヴェンに対する様子は、純粋な興味が有るのは間違いないように思える。

 戦場しか知らず、敵を容赦なく葬れるーーあの戦闘時の愉しげなスヴェンの一面を知ればエリシェは恐怖心を浮かべるのか?

 できればエリシェには鍛治師としてスヴェンの支援をして欲しい。

 しかし既にエリシェはスヴェンがアイラ司祭を殺害した後を目撃している。

 単なる一般人としてあの場所に居たエリシェはどう感じたのだろうか。

 いや、昨日の出来事が遭ったにも拘らず買い物に誘った。だからエリシェはそこまで恐怖はしていないのかもしれない。

 

「確かに昨日は大変だったよね……エリシェはスヴェンさんを恐いと感じた?」

 

 昨日の件を振り返るように訊ねるとエリシェは考える素振りも見せず、

 

「人が死ぬのもモンスターも怖いけど、スヴェンの殺意が向けられているのは敵にだけだから恐いとは思わなかったかな」

 

 そう断言していた。

 半ば予想していた答えに自然とミアとレヴィから笑みが漏れる。

 するとジト目を向けるエリシェの視線が突き刺さり、なにかと視線を向けると。

 

「そういうミアはどうなの? あなたは最初に話題を提供したけど、実際には質問ばかりでスヴェンをどう思っているのか答えてないじゃない」

 

 話題の提供で主導権を握り、楽しい女子会ついでに二人の異性に対する好みを聞き出す。

 エリシェに話題を振られた時に考え付いた計画だったが、改めて話題を振られてしまっては答えない訳にはいかない。

 

「異性としては顔は怖いけど、全体的に見てかっこいい分類に入るとは思うけどね。彼は恋愛する気は無いみたいだし……私は彼のことはそういう眼で見れないかな」

 

「長く居ると恋愛感情が芽生えると聴くけれど、やっぱり小説の中の話なのね」

 

 レヴィの言う通りだ。そもそもスヴェンと行動を共にして一ヶ月未満に過ぎない。

 それに自身を含めてこの場に居る全員がスヴェンをよく知らない。

 彼の過去を含めて深い情報を知らなければ、表面上でしか理解ができない。

 それに乙女の勘がこう告げる。スヴェンは人に懐かず必要以上に群れることを嫌う狼だ。 

 

「よく知らない相手を好きにはなれないってこと」

 

「現実はそんなものだよね」

 

 エリシェの同意に頷きーー同時にこう思う時が有る。

 もしも単なる同行人じゃなくスヴェンの頼れる相棒だったら。

 彼の戦場を共に駆け抜け背中を預け合える相棒。

 そんな対等に近い関係なら。少なくとも自身の扱いの悪さは改善され、スヴェンも気楽に頼ってくれるだろう。

 それにスヴェンは自分のことは必要以上に話そうとしないが、彼が心から信頼する相棒なら気兼ねなく話してくれかもしれない。

 

「……でも、恋愛関係よりも信頼し合える相棒の関係が好ましいかな」

 

 先程の結論を訂正するように告げるとエリシェは小さく笑い、レヴィから微笑ましそうな視線を向けられる。

 

「その形も有りね」

 

 優雅と気品。そして余裕を持つレヴィにミアは視線を返し、

 

「そういえばレヴィはスヴェンさんのことどう思ってるの?」

 

「彼のことは好きよ」

 

 訊ねたら間髪入れずに答えられ、ミアは自身の耳を疑う。

 

「えっ? 待って……ごめんねレヴィ、あたしの聴き間違い?」

 

 どうやら耳を疑ったのはエリシェも同じようだが、彼女の困惑と自身の困惑は訳が違う。

 何せレヴィはレーナ姫本人だ。そんな王族という立場の彼女が異界人に過ぎず、三年後にはこの世界から消えるスヴェンを好きだと。

 これは何かの間違いであって欲しい。そう願いながらミアは恐る恐る訊ねる。

 

「えっと、レヴィ? それは友人としての好きだよね?」

 

「違うわよ? 異性としての好きよ」

 

 真顔ではっきりと答えるレヴィにミアはますます頭を抱え、隣りのエリシェは混乱した様子を浮かべている。

 あまりにも衝撃的な告白に二人が戸惑うと、

 

「ふふっ」

 

 レヴィから確かな笑い声が聴こえる。

 彼女の表情は悪戯が成功したような笑みを浮かべていた。

 

「冗談よ。確かにスヴェンは頼りになる大人よ、それこそ私が抱える問題を相談できる程にね」

 

 スヴェンを大人として頼りにしている。そう答えたレヴィだが、なぜか彼女の表情が徐々に曇る。

 

「ただ不満が有るとすれば……彼は一度も私のことを名前で呼んでくれないのよ!!」

 

 そんなことは無い筈だ。そう思い側に居た時のスヴェンの会話を思い出す。

 やがて一つの事実に行き着く。確かにスヴェンは一度もレヴィの名を口にしていないことに。

 

「「あっ!」」

 

 ミアとエリシェが同時に驚き声をあげたのは無理もないことだった。

 

「どうしたらスヴェンは私をちゃんと呼んでくれると思う?」

 

 何処か恥ずかしそうに問いかけるレヴィの姿に、ミアとエリシェは大きく息を吸い込む。 

 

「作戦を練るべきだね!」

 

 友人として一ファンクラブの会員として協力しない訳がない。

 

「今までは護衛と調査、スヴェンは張り詰めた空気の中で依頼を熟していたと考えると……気楽な状況なら名前を呼んでくれるかも」

 

「つまりエリシェみたいに出掛けるということかしら?」

 

「それもいい案だけど、思い切ってスヴェンさんの宿部屋を訪ねるのもありかも」

 

 冗談半部に告げるとレヴィは考え込む様子を見せ、自身の失言に嫌な汗が滝のように流れる。

 やがてレヴィは結論を出したのか、二人に真剣な眼差しを向ける。

 

「……その案で行くわ」

 

 彼女の決断にミアの胃からきゅっと小さな悲鳴が鳴る。

 ミアが人知れずに絶望している中、レヴィとエリシェの楽しげな会話が耳に響くのだった。



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7-6.傭兵と王族

 六月九日。スヴェンはアシュナにレヴィの護衛を任せ、昼はミアと情報収集を兼ねて町の観光に出掛け、リリナを失った町の様子を遠巻きから眺めていた。

 既にアトラス教会に葬儀の手配がされたのか、神父に運ばれる棺に涙を流す住民の長蛇の列。

 そんな時だ、エルリア城から戻って来ていたアラタと遠巻きから眼が遭ったのは。

 そして夜の現在ーー自室でガンバスターの整備中でもそれは思い起こされる。

 大切なリリナを失い、ユーリの惨状に心を痛め、そして仇も同然のアイラ司祭の死に対するアラタの複雑な感情を宿した眼差しを。

 スヴェンは手を動かしながら思考を切り替える。

 

「順路の変更を視野に入れるべきか……」

 

 ミアと観光中に仕入れた情報の中には、次に向かう予定のラデシア村に続く街道に関する情報が含まれていた。

 旅の行商人曰く、ラデシア村の守護結界領域に続く街道が守護結界外に生息するモンスターの群れによって閉鎖状態に有ると。

 スヴェンは手早くガンバスターの整備を済ませ、机に地図を広げ思案する。

 

「陸路でパルミド小国に続くルートは三ヶ所か」

 

 一つは西に真っ直ぐ進んだラデシア村からエルリアの西部に入り、北上しつつ北西部からパルミド小国に入国するルート。

 二つはフェルシオンから北西に進み、モンスターの生息域を進みながらガルドラ峠を越え、峡谷の町ジルニア経由で北西部に向かう最短ルート。

 そして三つ目は、フェルシオンの南西からエルリアの南西部を迂回したルートだ。

 だが三つ目のルートは遠回りになるため、スヴェンは自然とそのルートを選択肢から排除する。

 

「最短ルートを経由すりゃあ、パルミド小国に到着すんのは七月の頭辺りか」

 

 予定通りに進めばの話だが、どうにも行く先々の事件を考えれば恐らくどのルートを通っても予定通りには行かないだろう。

 それなら想定外の出来事を想定して多少の危険は有るが、峡谷の町ジルニアを目指すべきだ。

 しかしこのルートの変更も独断で決められない。だから明日辺りにミアとアシュナと話すべきだろう。

 些か面倒に感じるが、独断による決定は同行人から反感を強く買う。それにハリラドンの手綱を握るのはミアだ。

 スヴェンは明日話す内容を頭の中でまとめ、地図に変更予定のルートを書き足す。

 そしてガンバスターを壁に立て掛けると、ドアから小刻みノック音と共に。

 

「スヴェン? いまいいかしら?」

 

 レヴィの声にスヴェンはドアを開けーー何処か緊張した様子を浮かべる彼女に疑問を宿しながら、

 

「話しなら部屋の中でするか? それとも地下の酒場で飲むか?」

 

 二択を告げればレヴィは頷きながら即答した。

 

「大切な話も有るから部屋の中が好ましいわね」

 

 何か重要な問題に直面したのか。スヴェンは廊下や周囲に警戒を浮かべながら彼女を部屋の中に招き入れる。

 そしてソファに向かい合う様に座り、

 

「で? 大切な話ってのは?」

 

 単刀直入に本題を訊ねると、レヴィは少々困った様子で懐から金袋を取り出した。

 

「そう慌てないで……本題に入る前に貴方に払うべき報酬を渡しておくわ」

 

 テーブルに置かれた金袋にスヴェンは目を向けず、レヴィの碧眼をじっと見詰める。

 まだ護衛は継続状態に有ると思っていたが、調査の終了と共に契約が切れたのか。

 

「てっきり6月14日、アンタが帰るまで護衛は継続されると思っていたが?」

 

「それは引き続き頼むわよ。けれどフェルシオンから危険が遠ざかったわ、なら先に報酬を渡しても問題は無いでしょう」

 

 確かにそれはそれで何も問題は無い。報酬を受け取ったうえでレヴィがエルリア城に帰還するまで護衛は継続されるからだ。

 だがそれは良識とサービス精神が高い傭兵に限った話だ。中には報酬の受渡し完了後、そのまま次の依頼に向かう傭兵の方が多い。

 

「俺が報酬を受け取ってアンタの護衛を辞めるとは考えなかったのか?」

 

 レヴィに警戒心を抱かせるために脅しを含め、威圧する様に声を鋭くさせて問うとーーレヴィが眩しい笑みを浮かべていた。

 

「それは私なりの貴方への信頼の証よ。そこで貴方が護衛を辞めても、それは私の甘さが招いた結果に他ならないわ」

 

 彼女は傭兵でどうしようもない外道を信頼していると答え、あまつさえ眼を逸らしてしまう程の眩しい笑みを浮かべている。

 レヴィから伝わる信頼は確かなものだ。そこで彼女の護衛を途中放棄しようものならそれこそ彼女を裏切る行為だ。

 

 ーーやられたな。信頼を示されたからには俺も応えなきゃなんねぇ。

 

 ある意味でお人好しのレヴィにスヴェンは負けを認めるように肩を竦め、

 

「多少の警戒を抱かせるために脅したが……アンタには敵わねえなぁ」

 

 そんな事を告げてテーブルに置かれた金袋を手に取る。

 ずっしりとした重みに中身を改め、提示された報酬金額の銅貨三百枚と銀貨八百枚よりも銅貨と銀貨が二百枚も多く入っていた。

 レヴィが望む最良の結果を得られたとは言えない。だからこそスヴェンは増加された報酬に眉を歪める。

 

「随分と報酬が多いな」

 

「確かに事件の調査介入で未然に防ぐことは叶わなかったけれど、貴方は邪神教団のアイラ司祭を討伐したのよ?」

 

 確かに護衛の最中に生じた戦闘でアイラ司祭を討伐したと考えれば、邪神教団の危険性を考慮した追加ボーナスなら妥当に思えた。

 

「邪神教団の全容は未だに把握しちゃあいねえが、多少は魔王救出の足掛かりになりゃあ儲けか」

 

「えぇ、今回は被害こそ大きいけれどその分敵の戦力を一つ削ったと考えれば儲けよ」

 

 前向きに語るレヴィにスヴェンは増加分の報酬を受け取ることに付いて納得し、金袋を自身のサイドポーチに仕舞う。

 

「確かに報酬は受け取った……それで? アンタの大切な話ってのは?」

 

 改めてレヴィの用件を訊ねると、彼女は他者から確実に見惚れるだろう笑顔を浮かべながているが、その眼は決して笑ってなどいなかった。

 故にスヴェンが内心で焦りを浮かべーー何処で怒りを買った!?

 彼女を怒らせる理由を必死に探るが、いくら記憶を探ろうともレヴィを怒らせる要因が思い当たらない。

 

「……俺はアンタを怒らせるような事をしちまったのか?」

 

 平静を装いながら質問するとレヴィはじっと真っ直ぐ見つめては呆れた様子で深いため息を吐く。

 訳が分からない。少女が怒りを抱くのには確かな理由が有る。例えばこちらに対する不満だ。

 確かにスヴェンは出来た人間でも利口でもない。だからこそ知らずのうちに彼女の反感を買うってしまったのだろう。

 それとも昨日竜王との接触がレヴィに伝わったのか。

 悩むスヴェンにようやくレヴィが口を開き、

 

「思い返してみて……貴方は何度私の名前を呼んだのか」

 

 そんな事を言われ瞬時に思い返す。自分は一度も彼女の名を呼んでない。

 つまりレヴィは一度も名を呼ばなかったことに不満を感じたのか? 

 ようやく彼女の怒りの原因に辿り着いたスヴェンは深いため息を吐く。

 

「なんだ、そんなことか」

 

「そんなことって……私にとってはかなり重要なことなのよ? 責めて貴方にはレヴィとして、普通の少女として接して欲しいもの」

 

 彼女の立場を考えればそれはかなり無理が有るが、レヴィという偽りの立場として今は接して欲しい。

 レヴィの意図を察したスヴェンは仕方ないと肩を竦め、

 

「レヴィ、それだけでいいのか?」

 

 特に彼女の名を呼ぶことに躊躇いもなく告げれば、満足気な笑みを浮かべていた。

 例え偽名でもよほど名前を呼んで欲しかったのか。

 ただ普通に名前を呼ぶだけで彼女が満足するなら安い。

 ふと思う、まさか名前を呼んでもらうだけのためにわざわざ宿部屋を訊ねたのか。

 嬉しそうに笑みを浮かべるレヴィに視線を向け、目的はなんにせよ彼女が満足ならそれで良いとさえ思えた。

 スヴェンは内心で結論付け、改めてレヴィに視線を向けると、

 

「……ところで前に言った私がラピス魔法学院に入学していない話を覚えてるかしら?」

 

 ユーリの屋敷で言っていたことを切り出した。

 

「あぁ、覚えている。その理由ってのは部外者の俺が聴いていいもんなのか?」

 

「貴方だからこそ話せるのよ」

 

 エルリアの国民にとって周知の事実だが、改めて本人の口から語られる事実を彼女からの信頼の一つと捉えるべきか、スヴェンは迷いながら話を促す。

 

「……アンタがラピス魔法学院に入学しなかった理由ってのは?」

 

「もう11年前になるかしら? ラピス魔法学院の入学を控えた一月前に父であるオルゼア王が邪神教団の大規模な部隊に襲撃されて消息不明になったのは」

 

 それは相当大きな事件だ。それこそ国家を揺るがしかねない大事件。

 だがスヴェンは無事なオルゼア王と既に会っている。

 だから彼が無事に生還したのだと理解もできるが、果たしてそれは本物なのかという疑念も同時に芽生えた。

 

「待て、オルゼア王は本物なのか」

 

「えぇ、あらゆる魔法解除でお父様が本物だという証拠は既に得ているわ。それに私とお父様しか知らないフルネームを口にしていたもの」

 

 確かに家族しか知らないフルネームなら本人確認の一つとしても有効な手段だ。

 

「なるほど、それで行方不明になったオルゼア王に代わってアンタがエルリアを支えて来たのか」

 

「執政官や魔法騎士団団長……それにラオ達や周りの人々に助けられてどうにかね」

 

 まだ五歳の少女が一国を支えたという事実はスヴェンにとってあまりにも重い事実だった。

 まだ子供の肩に乗せられたエルリア国民の生活と国、それら全てを周りに助けられながら護り通したのだ。

 だがそれは彼女にとってあまりにも重い重責だ。

 そして彼女が王族である以上、その重責は何かしらの形で今も重くのしかかる。

 例えば異界人の短絡的な行動によって引き起こされる事件だが、五歳の頃から積み重ねて来たレーナの信頼はそう簡単に揺らぐとも思えない。

 同時にそれだけの積み重ねが有ったからこそ、レーナを従う者が数多く存在している。

 

「道理で一度もアンタに対して怒りをぶつかる住民が居ねえわけだ」

 

 民からの信頼を口にするとレヴィは申し訳なさそうに顔を顰めた。

 

「みんなには我慢させてる状況で心苦しいのだけど」

 

 異界人の行動により被害に遭う国民に対するレーナの優しさはあまりにも大きい。

 スヴェンにとってなぜ他人に対してそこまで優しさを向けられるのか理解が出来ず、

 

「アンタが王族だから他人に優しくなれんのか?」

 

「王族以前に私の生活も民の税収で支えられているわ。だから民に対する愛情は私なりの感謝の現れなのよ」

 

 スヴェンは一瞬彼女の言う愛情という言葉に何一つ理解が及ばず、眉を歪めるもすぐにいつも通りの表情に戻る。

 

「アンタが国民に対する想いってのはなんとなく判ったが、オルゼア王が戻って来たのは何年前になるんだ?」

 

「今から6年前の冬、12月24日になるわね」

 

「6年前か。そっからアンタらは国政を分担する形で国を支えて来たってことか」

 

「えぇ、でもあの時は驚いたわ。死んだと思われていたお父様がまさか自分も判らず世界を彷徨っていたなんてね」

 

 確かに再会するまでオルゼア王が死亡していると考えられても可笑しくは無かった。  

 戦闘時に頭部に受けた傷、精神の負担による記憶喪失は時折り起こる症例だが、この世界には魔法が存在する。

 スヴェンはオルゼア王の記憶喪失に魔法が関わっていると考え訊ねた。

 

「記憶喪失ってのは魔法による人為的なもんか?」

 

「お父様から聴いた話になるけれど、忘却の呪いで記憶を失ったそうよ……幸いファミリーネームが露見していなかったからそれだけで済んだのだけど」

 

「確か相手のフルネームが判らねえと呪いは半減するんだったな」

 

「そうよ、忘却の呪いは対象の存在も世界から忘れさせ、誰の記憶からも決してしまう恐ろしい呪いなの」

 

 それは半減して記憶喪失程度に留まったのは不幸中の幸いに思えた。

 誰にも忘れ去られ、個に関する記憶を失った者は存在証明ができず存在していないものと同義だからだ。

 

「世界の法則ってのは今ひとつ理解が及ばねえが、世界からの忘却はソイツが最初から存在してねえと証明させ、世界から消失させるってのは可能か?」

 

「えぇ、貴方の推測通りよ。忘却の呪いが齎す結果は世界からの消失。だからエルリアは建国当時からファミリーネームを隠す風習を取っているのよ」

 

「単なる魔法大国として呪い対策だと思ってたが、かなり重要な意味を持つな」

 

「えぇ、だから本当にファミリーネームを誰かに明かすのは忠誠か信頼の強い証になるわ」

 

 前にミアから聴いていた知識と改めてレヴィから聴いた体験談で、スヴェンは改めてファミリーネームの重要性を理解した。 

 

「しかしオルゼア王の復帰後は国が割れるだとか、そんな懸念は無かったのか? 大抵権力者が二人となれば争いも発生するもんなんだが」

 

 そんなことを他愛もなく質問するとレヴィは困った様子で、

 

「私もお父様に任せて転入を考えたのだけど……その、みんなどうしてもお父様を支えて欲しいって聞かなくて。挙句お父様に泣き付かれたわ」

 

 今でもその時の光景を思い出すのか、深い吐息が小さな口から漏れていた。

 

「アンタが入学しなかった……いや、出来なかった理由は判ったがアンタは自分のために生きてみてぇ。そんな欲が湧いたことはねえのか?」

 

「……異界人が事件を引き起こす度に、私の召喚政策は間違えていたと強く思うようになったわ。同時にそんな私が今も国政に関わって良いのかって」

 

 五歳の頃から積み重ねた重責が些細なきっかけが原因で音を立て崩れる。

 その衝撃は今まで小さな肩で支えていたレーナに強く襲う形で。

 恐らくその時が訪れればあらゆる苦しみが彼女を襲う。

 

「アンタは姫って立場を捨てたいのか?」

 

「王族の立場を失った私はただのレヴィになれるのかしら?」

 

「アンタが積み上げた功績と実績が普通の暮らしを許さねえ。全てを忘れてねえんなら俗世から離れた辺境で誰とも関わらず暮らすことか」

 

 口ではそう告げるが、レーナの性格では民を捨てレヴィとして生きることを良しとしないだろう。

 

「……無理ね。私がみんなを捨てられるわけが無いわ。でも王族としての責任が果たせないと判断された時にはその可能性も有り得るわ」

 

 何処の国に幼少期から十一年も支えた王族を追放する選択などする者が居るのか。

 そんなものは創作の中で行われる物語の導入部分の一つに過ぎない。

 あまり現実的とはいえないと判断したスヴェンはわざとらしく肩を竦めた。

 

「だとすりゃあそう判断した連中は短絡的な無能だな」

 

 するとレヴィは少しだけ胸のつっかえが取れたのか、安心したように小さな笑みを浮かべていた。

 

「やっぱり貴方に話してよかったと思うわ」

 

 スヴェンにとって単なる会話に過ぎないが、レヴィの精神は多少なりとも癒やされたようだ。

 同時に今度はスヴェンが浮かべた疑念を彼女に話して置くべきだ。

 

「そうかい。話についでに確認するが召喚の際に、召喚対象がその場に複数人居た場合はどうなんだ? 何を基準にして召喚魔法に選ばれる?」

 

「……そうね、異世界からの召喚だと第一に異世界に召喚されることを心から望んでいる人物が候補として選択されるわ」

 

「その場に複数人が居たならより強く異世界を渇望している人物が召喚されるわね」

 

 それは今までの異世界から召喚された異界人に当て嵌まる召喚方法だ。

 だがスヴェンが召喚された時は条件付きの召喚魔法になる。それに自分は異世界という存在を強く熱望した覚えは無い。

 

「前に言ったな。アンタに召喚されて依頼が果たせねえと」

 

「えぇ……だから私もこう推測したわ。貴方の標的がその場に居て、戦闘の最中に召喚魔法が発動したと」

 

「あぁ、その推測は正解だ。だが判らねえのは、あの場に居た覇王エルデは紛れもなく俺なんざよりも強え少女だった」

 

「それは精神面で? それとも戦闘能力として?」

 

「両方だ。アイツは世界を変えるために世界に喧嘩を売り、大抵の軍隊は返り討ちにしちまうような化け物だ」

 

「貴方が化け物と称するほどの少女……そんな彼女よりも貴方が召喚された」

 

「あ〜、俺はあの時の召喚は失敗したと考えている」

 

 現に覇王エルデよりも単純に劣る自身が召喚されている。それこそレーナが支払った対価と釣り合わずに。

 

「そうかしら? 私は覇王エルデのことを知らないわ。それに私は貴方の召喚を失敗したとは思わない」

 

「何故だ? 状況とアンタの支払った対価に釣り合わねえだろ」

 

「それを判断するのは貴方じゃないわ召喚した私よ」

 召喚された彼女に言われては黙るしかなかった。

 そもそもこんな話をしたところで自身の疑念が解消されるだけで、彼女にとっては何も成らないというのに。

 

「でも話してくれて嬉しいわ」

 

「あん? 今の話はアンタに疑念を植えるような種だぞ?」

 

「貴方の胸の中に巣食う小さな疑念が邪神教団に漬け込まれないとも限らないもの」

 

「……まあ、確かにそんな事も有り得るか」

 

「そう。だから私も貴方には気兼ねなく相談するけど、スヴェンももっと私やミアを頼って良いのよ」

 

 他人を頼ることは当たり前に出来て実際は難しいことだった。

 特に戦場で育ち、数多の裏切りと不運を経験したスヴェンは簡単に他者を信用することはできない。

 

「善処はする」

 

「むぅ〜そこは信じるとか断言して欲しいものだけど」

 

 珍しく子供のように頬を膨らませる意外な一面に、内心で驚きながらもスヴェンは語る。

 

「傭兵は他人を簡単には信じられねえんだよ」

 

「そう……いつか、テルカ・アトラスで貴方が信じて背中を預けられる相棒と巡り逢えると良いわね」

 

 レーナの言葉にスヴェンは沈黙を貫くことで硬く口を閉ざした。

 自身と対等な立場で相棒になった者はーー必ず死ぬ。

 かつて笑みを浮かべながら『私は死なないわ』そう断言した相棒もスヴェンが自ら介錯する形で死んだ。

 間違えてもテルカ・アトラスで相棒を得るわけにはいかない。

 自身が背中を預けて信じられる相棒は武器のガンバスターだけだからだ。



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7-7.話し合う旅行者達

 翌日の正午、スヴェンの宿部屋にミアとアシュナが集まっていた。

 昼食時に部屋で今後に付いて大事な話が有ると告げ、部屋まで赴いて貰ったのだがーーミアとアシュナの何かに期待する眼差しにスヴェンは僅かに眉を歪める。

 

「旅の順路に付いて相談が有ったんだが、その期待の眼はなんだ?」

 

「えっ? 判らないの!? 案外スヴェンさんって鈍いの?」

 

 思い当たる節が有るには有るがもしかしたら別の事かと訊ねれば、ミアから察しろと言いたげな舐め腐った視線で返された。

 スヴェンはそんな態度を見せるミアに仕方ないと言わんばかりにわざとらしいため息を吐く。

 そしてサイドポーチから金袋を取り出し、そこから銀貨百枚を取り出してはアシュナに手渡す。

 

「無駄遣いはすんなよ?」

 

「あんまり活躍してないけどいいの?」

 

 影の護衛として自身は元よりレヴィの身を護っていた。その働きに見合う報酬としては少ない方だが、彼女が足りなくなればその都度渡せばいい。

 

「ソイツはアンタに対する正当な分前だ。まあ、足りなくなれば言え」

 

「充分。無駄遣いはしない主義」

 

 そう無表情で語っているが身体は正直なのか、落ち着かない様子を見せていた。

 そんなアシュナの隣でより一層期待に膨らませたミアの視線が突き刺さる。

 

「アンタの報酬は、護衛にも拘らず護衛対象に護られる本末転倒な状況を考慮して無しだ」

 

「またまたご冗談を〜」

 

 愛想笑いを浮かべるミアにスヴェンは本気の眼差しを返せば、次第に彼女は冷や汗を流す。

 

「ええっと〜さっきは調子に乗ったことを言って本当にすみませんでした! 寛大でお強いスヴェン様! どうか私にも報酬をお恵みください!」

 

 テーブルに身を乗り出して下手に出るミアにスヴェンは肩を竦める。

 ここで分前を渡さなければ一向に本題に入れないのも事実だ。

 そもそもアシュナに払ってミアだけに払わない不義理を働く筈もない。

 

「冗談だ」

 

 そう伝えればミアが安堵したようにソファに座り込む。

 

「そ、そうだよねぇ〜いくらスヴェンさんでもそんな意地悪しないもんね!」

 

 傭兵として組んだ者に報酬を山分けするのは至極当然のこと。いや、それは最早信頼関係を重視する義務と言っても過言ではない。

 だからこそスヴェンは傭兵として責任を果たす。

 

「コイツがアンタの分だ」

 

 金袋から銀貨二百枚をミアに手渡すと、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 

「このお金で歓楽街で豪遊するのもありだよね!」

 

「あ〜行くならエリシェとレヴィも誘ってやれ、アイツらにも気晴らしは必要だろ」

 

「スヴェンは行かないの?」

 

 夜の歓楽街なら訪れる客も多く、何かしらの情報を得られるだろう。

 特にカジノなら様々な人物が集まる筈だ。

 情報が得られずとも気紛れ程度の息抜きと思えば自然と足も向く。

 

「その時は行くさ」

 

 同意を示すように答えると、アシュナは満足そうに眼を細めやがてテーブルに広げて置いた地図に視線を落とした。

 

「お金も貰ったから本題に入る?」

 

「あぁ、そうだな。旅の順路の変更に付いてだが、アンタらは何か有るか?」

 

「うーん、ラデシア村への街道を塞いでいるモンスターの群れは討伐隊によって掃討されると思うけど……どうかな?」

 

 確かに出発予定日に魔法騎士団の討伐隊によってモンスタの群れが討伐される可能性は充分に有り得る。

 急ぐことに越したことは無いが、わざわざ危険なルートを通る理由も少ない。

 

「その可能性も高え。ま、今回の話は予備プラン程度に認識しておけ」

 

 そう告げるとアシュナは変更予定の谷の町ジルニアに視線を落とし、

 

「ジルニアってどんな町?」

 

 ミアに視線を向けてそう訊ねた。

 

「ガルドラ峠に続くガルドラ峡谷に建造された町で、エルリアに数多く点在する鉱山地帯でも有るよ」

 

「観光として訪れるには理由が弱えか?」

 

「そうでもないよ。もう時期、浮遊魚の漁獲祭と彫刻祭が同時に行われるから旅行としては有りかもね」

 

 スヴェンはミアが語った観光の見所に付いて強い疑問を示した。

 峡谷の町で漁獲祭とは一体何なのか、そもそも浮遊魚なる存在事態はじめて聴く名だ。

 恐らく名前からして魚が空を飛ぶのだろう。

 想像して空を飛ぶ魚の姿にスヴェンはなんとも言えない表情を浮かべた。

 

「……峡谷の町で漁獲祭だとか珍妙なこともあんだな。ってかソイツは魚類に分類されんのか?」

 

「スヴェンさんから見たらそうかもしれないけど、浮遊魚は世界を渡り飛ぶ歴とした魚類だよ」

 

 立派な魚類だと語るミアにスヴェンは半ば納得し、未知の存在。その味に興味を示した。

 

「そうなのか……で? 美味えのか?」

 

「浮遊魚の魚肉を使ったスープ、魚肉の厚焼きソテーと浮遊魚の蒸し焼きは絶品かな。でも絶対に生で食べようなんて思わないでね?」

 

 肉を生で食べる食文化を少なくともスヴェンは聴いたことが無い。

 デウス・ウェポンのアーカイブにも生食の文化に付いて記されていなかった。

 

「魚ってのは生で食えんのか? 少なくとも生物が絶滅する前のデウス・ウェポンにはねえ食文化だ」

 

「私達も生で食べないよ。だけど他の異界人は生食も食べる文化だったらしくて、採れたての魚を刺身にして食べて食中毒を引き起こすことも多いんだ」

 

 元の世界で当たり前のように食べられていた方法を取るのはある意味で普通のことだ。  

 テルカ・アトラスは刺身を食べ慣れていないと考えられたが、刺身を食べ慣れた異界人が食中毒を引き起こす時点で魚類も生食に向かないということに他ならない。

 だからこそスヴェンとミアは食中毒を引き起こした異界人に同情心を示した。

 

「生は食えねえってことか。だが街道のモンスターが掃討されりゃあ峡谷の町ジルニアに向かう理由もねえな」

 

「そうだね、ガルドラ峠からガルドラ峡谷までモンスターの生息域が長いもん」

 

「じゃあ予定通りに行かなかったら……モンスターの生息域で野宿?」

 

 アシュナの浮かべた疑問にミアがげんなりとした表情を浮かべる。 

 確かにジルニア行きは危険すぎる。同時にそんな危険地帯で野盗が出没しているという情報も解せない。

 

「厄介なモンスターと野盗に警戒すんのか」

 

「野盗程度なら余裕だと思うけど、モンスターは流石にアシュナの手を借りないとダメかも」

 

「やっと頼ってくれるの?」

 

 そこに目撃者が居ないならアシュナを頼る選択肢は充分に有りだ。

 

「目撃者が居ねえなら頼るさ」

 

「頼って?」

 

 誰の入れ知恵を受けたのか、上目遣いで小首を傾げながらそんな事を頼んできた。

 特に何も響かないアシュナの仕草にスヴェンはどうでも良さそうな眼差しを向け、

 

「状況次第だ」

 

 冷静に告げるとアシュナの眼差しに不満が宿る。

 

「徹底してる。あとミアの知識は役に立たない」

 

「ちょっ!? スヴェンさんの前でそれは言わないでよ!」

 

 自身の入れ知恵だとバレたミアが慌てているが、彼女なら余計な事を吹き込むことに何の疑いもない。

 予想していた事柄にスヴェンは特に何も感じず、改めて地図に視線を落とした。

 

「話しを戻すが、順路の変更は出発予定日の状況次第ってことでいいな?」

 

「あ、それは全然問題無いよ。でもパルミド小国に最短で到着を考えると……うーん、どっちも捨て難いし、スヴェンさんが私達に相談したのも納得かも」

 

 安全面を考慮したルートを選ぶか、安全面を度外視した効率重視の最短ルートのどちらかを選ぶか。

 これは決して一人で結論など出せない計画だ。

 

「危険を伴う旅となりゃあ普通すんだろ」

 

「それって私達を頼ってるって受け取っていいの?」

 

「あん? 頼るも何もねえだろ。第一アンタは相談も無く順路を変更されてその通りに手綱を握るか?」

 

「反感も浮かべるし、多分危険な道だからラデシア村に進んでると思う」

 

 ミアの返答にスヴェンは同意を示すように相槌を打つ。

 仮に自分もミアと同じ立場なら確実に反感と反論を浮かべる。

 だからこそスヴェンはこうして二人を宿部屋に呼んで相談した。

 その結果は順路の確定とまでは行かないが、状況次第で変えるという方針に落ち着いた。

 あとは残り日数の間で二つの順路に向けて情報を集めれば、旅は比較的安全になるだろう。

 尤もここまでの旅で安全とは無縁の状況に遭遇してるため、最初から期待を持てないのも事実だが。

 話し合いも終わり、スヴェンは広げた地図を仕舞う。

 そして二人に視線で退出を促すと、

 

「それじゃあスヴェンさん、今夜辺りにでもカジノに行こ!」

 

「カジノ、楽しみ」

 

 娯楽に眼を輝かせる二人にスヴェンは呆れた様子で肩を竦める。

 まだレヴィとエリシェは同意すらしていない。そもそもレヴィは自室で報告書を纏め、エリシェはダイクンの鍛治工房で仕事中だ。

 

「先ずはエリシェとレヴィに確認でもして来い」

 

 そう促すとミアは隣り座るアシュナに視線を移した。

 

「それじゃあ私は買い物ついでにエリシェの所に行って来るから、アシュナはレヴィに伝えておいて」

 

「買い物って?」

 

「えっ、そりゃあ旅行をしてるんだから不足してる日用品の買い出しとかだよ……あと、アレとかソレとかね」

 

 ミアは素朴な疑問を浮かべるアシュナに言葉を濁して告げた。

 それは男の前で言い難い物であることは、ミアの恥ずかしがる様子から容易に察せる。

 だからこそスヴェンはその件に関しては終始無言を貫く。

 

「レヴィも誘わないの?」

 

「うーん、この際だからそれも良いかもね。じゃあ三人で買い物に行こうか」

 

「ひ……レヴィと買い物、楽しみ」

 

 スヴェンは二人の視界から外れるようにベッドに寝っ転がる。

 そして面倒に巻き込まれる前にと狸寝入りを決め込んだ。

 

「そうと決まればスヴェンさんには荷物……ありゃ、寝てる?」

 

「寝かせる? 起こす? 襲う?」

 

「反撃に遭うのが目に見えてるから撤収で!」

 

 騒ぐように二人が宿部屋から退出し、スヴェンは頃合いを見計らってから何事もなく起き上がるのだった。

 そして二人が去り静寂に包まれる宿部屋で一人、

 

「今のうちにサイドポーチの整理を済ませちまうか」

 

 あの中には魔王救出の要も入っている。それに残り二つになった転移クリスタルの補充に関する申請書も書く必要が有った。

 夜までにはまだ猶予も有ると考えたスヴェンは、手早く雑務に取り掛かることに。



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7-8.敗北者

 月と星空が浮かび、フェルシオンの歓楽街を星明かりと街灯、そしてオペラハウスから響く美声が包んでいた。

 そんな夜の町中とは裏腹に未だ事件を引きずる者達の憂に満ちた眼差しが交差する。

 ミアに連れられたスヴェン達を、魔力を受けて稼動するスロットや配られるカードの音ーー賭けに勝つ勝者の笑い声と負けた敗者の叫びが歓迎の如く迎える。

 スヴェンは魔力と導入した賭け金を受けて回るスロットに思わず口を開け感心していた。

 以前デウス・ウェポンで共に戦場を生き抜いた傭兵達に連れられる形で行ったカジノ。そこで稼動するスロットマシンと遜色無い性能を見せるスロットに自然と喉が鳴る。

 

「おやぁ? 流石のスヴェンさんでもカジノには圧巻されちゃった?」

 

 ミアの挑発混じりの視線と口調に、スヴェンは反論せず抱いた感想を口にした。

 

「圧巻とは違えが正直驚いた……これも技術開発部門の研究成果なのか?」

 

 そんな事を告げながら疑問をレヴィに向ければ、彼女の口元が柔らかく緩む。

 

「えぇ、町の街灯から娯楽用の魔道具、生活基盤を支える魔法陣もカジノの魔道具も全て技術開発部門の研究成果よ」

 

 確かにあの技術開発部門の研究力と発想力は凄まじい。

 生活に必要な魔法技術だけでなく武器に転用可能な魔法陣、銃弾やハンドグレネードの開発を所長抜きで行えるほどに。

 技術開発部門は福所長のクルシュナをはじめ優秀な人材揃いだ。

 

「技術開発部門は凄えな」

 

 改めてエルリア城で日夜研究に励む彼らを褒めれば、レヴィの頬が更に緩む。

 そんな彼女の様子を見ていたエリシェが疑問を浮かべる。

 

「レヴィの家族って技術開発部門の研究員なの?」

 

「如何してそう思うのかしら」

 

「スヴェンに褒められて凄く嬉しそうだったから」

 

「そう? 私はこの国が大好きなの。だから国の良いところを褒められるとつい嬉しくなるのよ」

 

 エリシェの疑問を愛国心ゆえの反応だと切り返すレヴィに、スヴェンは人知れず小さなため息を吐く。

 そろそろエリシェに正体を明かしても問題ない頃合いではないのか。それとも身分を隠したまま彼女と友人関係を続けるのか。

 それこそ真実を告げるかはレヴィの判断だ。部外者の自身が口出すべき事じゃない。

 スヴェンは改めてカジノの施設に視線を向け、既に受付に向かったミアとアシュナに歩む。

 

「チップの交換はここでいいのか」

 

「そうだよ。ここはドーンっと交換してもいいんだよ?」

 

 金が入ったばかりで無計画に浪費してはたちまち資金不足に陥る。加えてスヴェンは自身が稼いだ金に手を付けるが、旅の資金に手を出すつもりはない。

 

「得た報酬金から……そうだな銀貨50枚でチップを交換すっか」

 

「意外と消極的? じゃあ私は謝礼金と合わせて銀貨250枚で交換を!」

 

 賭けごとに余程の自信が有るのか、ミアは渡した山分けを全て注ぎ込む形でチップを交換した。

 確かに勝てば倍の金額が見返りとして獲られるが、その分負けた損失も高い。

 リスクリターンを計算し、しっかり遊びに興じるミアに内心で感心しながらアシュナに視線を移す。

 はじめてギャンブルに興じるのか、浮ついた様子で受付の係員に銀貨十枚を差し出し、

 

「これで交換」

 

 静かな声で告げた。すると係員はアシュナに困惑した様子を見せ、

 

「えっと、君にはまだ早いんじゃないかなぁ? それともお二人はこの子の保護者ですか?」

 

 保護者同伴かと訊ねられた。

 保護者かと問われれば違うが、ここで否定すればアシュナは遊ぶことも叶わないだろう。

 切札として温存する方針は変わらないが、頼らないということは彼女に小さな不満が蓄積される。

 それがいつ爆発するとも判らない爆弾を背負うのはリスクでしかない。

 スヴェンが口を開きかけた時、

 

「お兄ちゃん、遊べないの?」

 

 アシュナが涙目で甘えた声を発し、明確な罪悪感を係員に植え付けた。

 こうなれば後は適当に口裏を合わせれば係員は落ちる。

 

「あ〜保護者同伴なら遊べると思ってたが?」

 

「そうですねぇ〜この子の姉としてちょっと一人にするのは見過ごせませんね」

 

 こちらの演技に乗る形でミアが追撃を加えれば、係員は納得した様子で銀貨をチップに交換した。

 スヴェンは各々の場所に駆け出すミアとアシュナを見送り、自身は一台のスロットマシンに座る。

 投入口に五枚のチップを入れ、レバーの魔法陣に魔力を送ってからレバーを下げる。

 するとスロットの絵柄が回りはじめ、左から順に自動で止まりベリーの絵柄が揃う。

 小さな当たりを告げる音と共に賭け金のチップが払い戻された。

 

 ーーベリーで損得無しか。他の絵柄、特に姫さんに似た絵柄は百倍か。

 

 普通ならスリーセブンが最高だが、この国ではスリープリンセスが最も高いらしい。

 どれだけこの国がレーナを愛してるのか、些か度が過ぎる気もするが、

 

「今度こそレーナ様の絵柄を揃えてやる! そんで故郷のダチに自慢してやるぞ!」

 

 隣りで気合いを入れる男性の叫び声にスヴェンは一瞬だけ判断に迷う。

 何処の国の人間なのか、実のところ国ごとの身体的特徴が殆ど判らない。

 魔族のような身体に現れる特徴なら何処の国の住民、出身なのか判断できるのだが、まだ判断材料が少ない。

 スヴェンはそんな事を漠然と考えながら再度スロットを回す。

 何も思考せず、ただスロットを回し追加のチップを導入する。

 淡々と続ける作業にも似た感覚。そこに決して高揚感も湧き立つ感情も無い。

 ただ有るとすれば技術に関する関心のみ。

 無意味にスロットを眺めていると、左と真ん中でレーナの絵柄が止まりーーなんだて野次馬が多いんだ?

 気が付けばレーナが揃うのか揃わないか、そんな緊迫した状況にスヴェンの背後から見守る客の吐息が漏れる。

 そして最後の右側がレーナの絵柄で止まり、盛大に盛り上がる効果音と共に大量のチップが溢れ出した。

 

「うおぉ! 5年に一度揃うか揃わないかのスリープリンセスが揃ったぞ!」

 

 ーーどんだけ低確率なんだよ! 

 

一人の歓喜の声にスヴェンが内心でツッコミながら溢れ出たチップを全て回収する。

 不意に背後に視線を向ければ、にやりと含みの有る笑みを見せる客の反応に面倒そうに眉を顰める。

 

「悪いなぁ、連れが大負けしそうなんだ」

 

 適当に嘘を吐けば、ディーラーを中心にポーカーテーブルで参加者とポーカーを行っているミアから、

 

「あああぁぁっ!?」

 

 壮大な絶叫に更に眉が歪む。

 これが嘘が本当になる瞬間なのか。恐らく何か違う気もすれば、単に間が悪いだけだとスヴェンは結論付ける。

 そしてスロットマシンから離れ、カジノに併設された酒場に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 立ち飲みバー形式の酒場には既に賭けを十分に楽しんだレヴィとエリシェがカクテルを嗜んでいた。

 

「おう、調子は如何だ?」

 

 当たり障りもないあいさつにレヴィとエリシェの二人は、口元を緩ませて笑う。

 

「ギャンブルって不思議ね。5枚のチップが5000枚に膨れ上がるなんて」

 

「今日はたまたま運が良かったけど、金貨600枚相当は稼げたかな」

 

 確か銀貨一枚で交換するチップは一枚だ。

 それをレヴィとエリシェは千倍まで稼ぎ、カジノのディーラー達を泣かせた。

 現にスヴェンは二人が立ち寄ったであろうブラックジャックテーブルに視線を移せば、惨敗による絶望に涙を流す二人のディーラーの姿が映り込む。

 強運を誇る二人に負けたディーラーにスヴェンは確かな同情心を宿す。

 

「……同情する」

 

 二人に聴こえない程度の声でぼやき、カウンターの店員に適当な酒を注文する。

 そして出された青いカクテルを呷り、背後に近付く気配に視線だけを向け、

 

「金は貸さねえし、報酬が欲しいなら働けクソガキ」

 

 大敗に涙を浮かべるミアを冷徹に切り捨てる。

 

「お願い! ほんの少しだけ貸して!」

 

 ガンバスターの鞘越しに泣き縋るミアに鬱陶しさを覚え、

 

「アンタの友人は金を貸して欲しいそうだ」

 

「うーん、いくら友達でもギャンブルにお金は貸せないかな。ってミアはあたしなんかよりもずっと高給取りでしょ?」

 

「うぅ〜給金の支給日は明日だけど、今日遊ぶお金がもう無いの!」

 

「じゃあミアは敗北者だね」

 

 微笑みながら揶揄うエリシェの様子に静観していたレヴィが楽しげに笑う。

 元々必要以上に金を貸す気も無いスヴェンはミアを無視するようにカクテルを呷る。

 

「……スヴェンさんはお酒を楽しんでるけど、幾ら勝ったの?」

 

 スヴェンはチップ用の袋に入った枚数を浮かべ、

 

「500枚だな」

 

 素直に告げればミアが音を立てて背中から離れた。

 

「ギャンブル初心者の? スヴェンさんにも負けるなんてぇ〜」

 

「ギャンブル初心者はミアも同じでしょ。というかスヴェンって初心者なのかな?」

 

「まぁ元の世界で経験は有るが、初心者と変わりはねえよ」

 

 実際にギャンブルの経験はミアとそう変わりが無い。

 そもそも興じたのはスロットだけで、ディーラーと勝負ともなればチップの所持数は随分違う結果になっていたかもしれない。

 その意味では今回は運に恵まれた。

 それが今までの事件に対する帳消しにならない事を祈るばかりでは有るが。

 ふとスヴェンはアシュナが戻って居ないことに気が付く。

 

「そういや、アシュナは如何した?」

 

「あの子なら奥のポーカーで……あっ、ディーラーと客が泣き崩れたわね」

 

 レヴィの視線を追えば、ディーラーと三人の参加者が泣き崩れる光景と無表情ながら勝ち誇るアシュナの姿にスヴェンは驚愕を浮かべた。

 普段無表情で感情の動きが判り辛いアシュナだからこそ、勝負に必要な読み合いで優ったと判断すべきかは判らない。

 判らないが、ミアを除いて大勝ちした少女が周りに居ると思えば不思議と負けた気分にもなる。

 別に勝負はしてないが、なぜかそんな感情が湧き立つ。

 スヴェンは自身に浮かんだ感情を隠すようにカクテルを呷り、

 

「……まあ、チップで百枚ならミアに貸してもいいか」

 

 謎の敗北感とは別にそんな提案を彼女にした。

 

「えっ、いいの?」

 

「ああ、いつカジノだとか娯楽に立ち寄れるかは判んねえからな」

 

「実はスヴェンさんって遊ぶ時は遊ぶタイプ? それとも気紛れとか?」

 

「いや、アンタの負けザマを見て愉悦に浸るタイプだ」

 

「あははっ。次は私が大勝ちしてスヴェンさんを煽ってあげるよ」

 

 そんな冗談を交えながらミアにチップを貸し与え、意気揚々と駆け出す彼女を見送る。

 

「なんだかミアが惨敗する予感がするわね。少し見守って来るわ」

 

「あたしも行くよ。親友がこれ以上カモにされないとも限らないしね」

 

 ミアがまた負けると予想した二人は彼女の後を追って行く。

 確かにミアが惨敗して泣くのかは、正直に言えば気にもなる。

 気になるが今はゆっくりとカクテルを味わいたい気分でもである。

 同時に異世界に召喚されてから今日まで美味い食事を食べ続けて来た。だからもうあの食事擬きの生活には戻れないだろう。

 元の世界に帰る意志は変わらないが、やはり食事だけが気掛かりだ。

 すっかり自身の舌もこの世界に馴染んだと感じていると、

 

「スリープリンセスを揃えた幸運の持ち主はお前か?」

 

 そんな声をかけられ、声の主に視線をわずかに向ける。

 厳つい顔、戦闘で負った傷が身体のあちこちに見える彼にスヴェンは、

 

「なにか用か?」

 

 いつも通りの眼差しで用件を訊ねると男はニヤリと笑い、そして用件を口にした。

 

「ちょいと負けちまって酒を奢って欲しいわけよ」

 

「酒を強請るなら対価を払え」

 

「生憎と金はねえんだ。妻にぶち殺されるレベルでな」

 

 男が妻に殺されようとも如何でもいいが、酒の対価は何も金だけとは限らない。

 

「金は要らねえ。欲しいのは情報だな、どんな些細な情報でも何でもいい……それこそ世間話程度でもな」

 

「マジか、兄ちゃんは鋭い目付きに似合わず気前が良いんだな!」

 

 男は早速隣りの席に座り、バーテンダーに酒を注文しては話をして切り出した。

 

「ここ最近巷で噂になっている話なんだがな? ガルドラ峠に出没する野盗の話、兄ちゃんも聴いたことはぐらいは有るだろ」

 

「ああ、モンスターが蔓延る守護結界領域外でよくもまあやるなと」

 

「確かに危険も多ければリスクに利益が釣り合わねえ。だがな? 襲われた行商人は子供に襲われたと言ってるんだよ」

 

 子供に行商人が襲われた。見た範囲で治安のいいエルリアで子供が野盗に身を落とす。

 考えられる理由とすれば周囲との環境が合わず、折り合いも付けられず野盗に身を落としたか。あるいは単純に稼ぎとして手っ取り早いと判断したか。

 野盗に強制された子供の可能性も高いと判断したスヴェンは男の語る噂話に興味を示す。

 

「襲撃した野盗の人数は? まさか魔法が使える大人がガキ一人に襲われたなんてことはねえよな?」

 

「いや、そのまさかさ。野盗はたった一人、それもまだ10歳程度の子供となれば行商人は躊躇しちまうのさ。まぁ他にも野盗の一党が居るようだけどな」

 

「他の野盗はともかく、確かにガキを討伐すんのは躊躇もしちまうか」

 

「だから現状はケガをしない程度に追い返してるそうだ」

 

 スヴェンは襲われた行商人の考えは甘いと断じながら冷徹な眼差しを浮かべる。

 

「武器を手に魔法を唱え、襲って来る時点でガキだとか性別なんざ関係ねえと思うがな」

 

 明確な敵意で武器を手に持つならそれはもう戦士だ。

 例えそれが子供であろうとも等しく戦士なのだ。だからこそ区別も無く一人の戦士として相手にするのがスヴェンなりの自論だった。

 ただスヴェンは自身の自論を他者に押し付けることはしない。相対した敵がどんな存在で、生かすも殺すもその者達の決断次第だからだ。

 

「兄ちゃんは情けが無いねぇ。ただ、魔法騎士団も野盗に成り下がった子供をどうするのか判断に迷ってるらしい」

 

「捕縛か危険分子として討伐か、それとも野盗に襲われた事実を無視して見逃すのか……何方にせよ対応はモンスターの群れの後になんだろ」

 

「ラデシア村の往来に支障が出ているからなぁ。はぁ〜最近はあちこち物騒で気が滅入る」

 

「他にも物騒な噂があんのか?」

 

 興味本位で訊ねると男は届いた酒を呷りながら、

 

「ルーメン村の南に位置する森で虐殺された死体が発見されただとかそんな噂程度だな。あとはエルリアの北西部だとか他の地方の情報だと明日発売される情報誌頼りなのさ」

 

 明日に販売される情報誌から他の地方の情報を得るのも悪くはない。

 そう判断したスヴェンは、カウンター席に自身の酒代と男に酒代を置く。

 

「そうか。旅行でジルニアに向かうことになった時は注意しておこう」

 

 スヴェンは残りのカクテルを一気に飲み干し代金を払ってからレヴィ達の下へ歩み出す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 またポーカーテーブルに着いていたミアの様子をレヴィとエリシェと共に他の客に混ざりながら観戦する。

 

「……うーん、これは負けたかも」

 

 表情をげんなりさせて語り出したミアに、他の参加者は余程手札が良いのかそれとも単にミアの惨敗を目撃していたのか、ゲームに付いた参加者は勝ちを確信した笑みを浮かべる。

 今来たばかりのスヴェンにはゲームの進行状況が分からないが、周囲の観戦客が浮かべるミアへの同情の眼差しがある種の結果を十分過ぎるほど語っていた。

 つまり情報を得ている間にミアは負け続け、今もまた負けようとしている。

 生憎とスヴェン達側からはミアの手札は見えないが、彼女の先程の言動は明らかなブラフだ。

 その証拠に彼女の変化は表情だけで口調は比較的冷静なものだった。

 普段の鬱陶しい彼女なら口調も喧しい。だからこそスヴェンは少ない情報からミアが勝ち確の手を揃えているのだと判断した。

 

「では同時に手札を公開してください」

 

 同時に公開される手札に観客から歓声が沸く。

 スリーペアを揃えた二名とワンペアだけの一名。

 そして勝ち誇った眼差しを浮かべるミアの手札は最強の組合せ、スペードのロイヤルストレートフラッシュだった。

 

「うん! 私の一人勝ち!」

 

「クソ! 騙されたぁ〜」

 

「確実に勝てると読んでんだけどなぁ」

 

「さっきのノーペア続きの娘とは思えない強運だ!」

 

 一人の参加者が発した言葉にスヴェンは耳を疑い、ミアとエリシェの苦笑混じりの笑みを浮かべていた。

 ポーカーはひと試合五セットのゲームだ。

 それが全てノーペアで敗北するなど余程運が悪ければならない。

 ミアは人に対する観察眼はそれなりに有している筈だ。だから今までの惨敗は改めて考えれば腑に落ちない点が多い。

 

 ーーまさか、アイツは周りの参加者を欺すためにわざと惨敗したのか?

 

 ポーカーも立派なギャンブル、取り分け心理戦が主なゲームとなれば騙し合いは必須だ。

 イカサマも可能に思えるが、ディーラーの眼に現れている魔法陣がそれを許さないだろう。

 他人にチップを借りることを前提としたミアの作戦にスヴェンは、単なる偶然だと結論付ける。

 その後スヴェン達が見守る中、ミアは手札が揃えられず惨敗を重ね最終ラウンドを迎えた頃、

 

「ここに私の全てを賭ける! オールイン!」

 

 自棄になったのかチップを全て賭け、それを見た参加者達はにやりと笑みを深めた。

 

「ならオレもオールイン!」

 

「じゃあオールインだな」

 

「もうオールインしかないじゃない」

 

 全員が手札に自信を持ってオールインを宣言した。

 これの何処に心理戦が有るのかスヴェンには何一つ理解できないが、丁度戻って来たアシュナが小首を傾げる。

 そしてディーラーの宣言に参加者全員の手札が公開されるのだが、観戦していた者達は結果にどよめく。

 

「……これって?」

 

「……読みは良いんだがなぁ」

 

「あちゃ〜単純な読み合いならミアは強いけど、運が絡むとダメなんだよね」

 

「初手でノーペアは当然、手札を交換してもノーペア続き……あの子の運と確率って如何なってるのかしら?」

 

 スヴェンはポーカーテーブルに公開された其々の手札に視線を向けた。

 最終ラウンドはミアの除き全員がワンペア、肝心のミアはノーペアという悲惨な結果が彼女に現実を突き付ける。

 そして崩れるように床に座り込んだミアが結果に泣き叫ぶ。

 

「また私の一人負けっ!?」

 

 如何やら彼女はどうしようもなく賭け運に見放されているようだ。

 

「そろそろアイツを回収して帰るか?」

 

「うん、お小遣いも沢山増えて満足」

 

 アシュナは既に換金を終えたのか、大量の硬貨に膨らんだ金袋を両手一杯に抱えていた。

 一体どれだけ大勝ちしたのか気にはなるが、彼女が自由に使える金が増えたならそれで良いとさえ思える。

 

「それじゃあミアを連れて帰りましょうか……多分あの子はお酒とギャンブルはダメね」

 

「敗北者ミア〜そろそろ帰るよ」

 

「敗北者はやめてぇ〜大負けたした私が惨めになるからぁ!!」

 

 こうして四人はカジノから立ち去るのだが、スヴェンの耳にこんな会話が届く。

 

『あのお客人様方は出禁だ』

 

『あぁ、あの青髪の美少女と大剣を背負ってる男以外な』

 

『オーナーに顔向けできねえよぉぉ!!』

 

 レヴィ達の出禁が確定した中、果たして本当の敗北者は何方だったのか。

 それは三人の強運に負けたカジノ側なのかもしれない。

 スヴェンは賭けも勝ちも程々に行うべきだと結論付けながら、和気藹々と話し合う三人ーー気が付けばアシュナの姿は既に無く、ミアは既に立ち直ったようだ。

 なんとも忙しない二人にスヴェンは呆れた眼差しを向け、宿屋フェルに向かうのだった。



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7-9.双子

 六月十二日の午後。強い日差しの中、スヴェンは町の雑貨屋で販売された情報誌ーーエルリア通信誌を手にベンチで静かに内容に目を通していた。

 エルリアで月に一度だけ販売されるエルリア通信誌は、週刊誌と比べて当然の如く分厚い。

 これに一ヶ月で起きた事件や各地方の情報が載せられているのだから無理もないだろう。

 それに最初と比べ読み書きに不自由も無くなった。分厚い情報誌を読み進めるのも苦にはならない。

 スヴェンはページをめくり『エルリア中央部を襲った事件!』に眼を止める。

 

「メルリアで起きた邪神教団の蛮行、アトラス教会の手によって人質に取られた子供達の救助及び邪神教団の撃退により事件は一応の解決を見せた、か」

 

 ざっくりと読み上げた内容、当然自身も関わった事件だが記事にはスヴェンとミアに関する情報が載せられていない点に関して上々の立ち回りに思えた。

 いつ何処で記者が取材したかは判らないが、恐らくメルリアを出発した後だ。

 ただ次のページを捲る指がページの最後に掲載された写真付きの文面に前に不意に止まる。

 写真の撮影技術や印刷技術が存在することに若干の驚きを隠せない。

 これも数種類の魔法によって完成された魔法技術と魔道具のおかげか。

 今後は不意の撮影にも警戒しなければならないのか。町中で魔道具のカメラを所持した者はあまり見掛けないが、油断しないに越した事はない。

 

 ーーいや、問題は掲載された文面だな。

 

『現地で取材したわたし達、こと事件が有ればミスティとフォルドのタッグ有りと呼ばれるお馴染みの記者が読者に一つの仮説を与えよう』

 

『先ずメルアリ地下遺跡の不審点だ。魔法の痕跡が無い惨殺死体の数々、およそアトラス教会の信徒が行う殺し方ではない。故にわたし達はあの場に魔法騎士団とも違う第三者が居たと仮定した』

 

『第三者、一体何者でどんな目的でメルリア地下遺跡に向かったのか。わたし達の推測はこうだ、レーナ姫に召喚された異界人による事件介入。事実今回の事件は発生から解決まで一週間以上は有ったが、アトラス教会が動き出したその日に事件は解決した……地下遺跡を邪神教団の死体で埋め尽くす形でだ』

 

 メルリア地下遺跡で活動した異界人とスヴェンが結び付く可能性はこの文面だけでは低いが、メルリアからフェルシオンとスヴェン達が行く先々で事件が解決される。

 それが繰り返されれば町に入った通行者リストを元に記者は辿り着くだろう。

 辿り着かれる前に魔王救出を果たせば何も問題は無いが、事がそう上手く行くとは限らない。

 同時に自身の都合で探りを入れる記者二名を始末する選択も取れない。

 幸いフェルシオンの事件発生から解決までそう日は経過していない。つまりまだ例の記者はこの町に来て居ない可能性は有る。

 記者と遭遇したとしても情報を与えずに情報を得る。実際には記者とは観察眼に優れた連中が多い。

 そんな面倒な連中を相手にするならモンスターを相手にした方がずっとマシだ。

 他にページを捲るとレイがエルリア南部で野盗集団を討伐したことや、ミルディル森林国の国境に不穏な動きが有るなど様々な事件が事細かく記載されている。

 そのどの記事にもミスティとフォルドの考察や事件に対するコメントが記載されている辺り、記者に対して警戒も必要だ。

 

「面倒だな」

 

 スヴェンが小さくボヤくと、

 

「おや? 何が面倒なのか少々訊ねても?」

 

 スーツ姿の銀髪の女性が羽ペンとメモ帳を片手に取り繕った笑みを浮かべ、そんな女性の背後で呆れたため息を吐く女性と似ている顔立ちの男性ーーその手にはレンズを嵌め込んだ箱状の物体が両手に大事そうに握られている。

 

 ーーあれがテルカ・アトラスのカメラか?

 

 そんな推測を浮かべたスヴェンは女性の質問に、

 

「単なる独り言だ」

 

「エルリア通信誌を片手に面倒に思う独り言、それは何らかの事件に関り取材されることを警戒してとかでしょうか?」

 

 ミアと似た策略と本性を決して見せない取り繕った笑みと真っ直ぐ探りを入れる琥珀色の瞳にスヴェンは慣れた様子で肩を竦める。

 

「邪推も良いところだな」

 

「邪推、ですか? 貴方の瞳は普通の人は違う。それこそ殺しを、そんな状況を求めて病まない眼をしてますが」

 

 この女はよく人を観察し、本質を捉えている。

 それも僅かな時間で見抜く洞察力は侮れない。

 

「確かに俺はそんな眼をしてるが、今は単なる旅行者に過ぎねえ」

 

「おや、旅行者……事実のようですね」

 

 何も嘘は付いていない。だからこそ女はそう判断した。

 目の前の女が人の何を見て判断し、推測するのか。それさえ理解してしまえば一時的に誤魔化すことは可能だ。

 

「ミスティ、確認も済んだならそろそろ取材に行かないか?」

 

 ミスティと呼ばれた女性にスヴェンは記載された文面に視線を落とす。

 

「ってことはメルリアの取材をしたのはアンタらか」

 

「おや、バレてしまいましたか。そうです! 何を隠そうエルリア通信誌始まって以来の若手エースなのです!」

 

 若干ミアと通じるウザさを感じるが、スヴェンは彼女と似た顔立ちの男性ーーフォルドに視線を向ける。

 

「アンタらは双子か?」

 

「ご覧の通りミスティとは双子なんだ。あ、一つ記念に写真を一枚撮ってもいいかな」

 

 そう言ってカメラに似た魔道具を向ける彼に、

 

「そいつがカメラなのか」

 

「これを見た異界人はみんなカメラと呼ぶけど、正式名称は魔道念写器なんだ。魔力を送るだけで目の前の風景、人物を一枚の絵として写し出すなんて凄いでしょ?」

 

 細かな原理を覚えてはいないが、確かに魔力一つで撮影が可能なのは凄いことだ。

 

「便利だな……あーさっきの撮影に関してだが、俺は写真が嫌いなんだ」

 

「そうなの? 鋭い目付きで怖い印象を受けるけど、決して容姿は悪くない。むしろ載せるところに載せたらモテるかと」

 

「どうあれ写真は嫌いだ。理由を語るとすりゃあ、昔写真で呪われたことがあってな……それ以来どうにも嫌いなんだ」

 

 実際に一度だけ仲介人に撮影を許したことが有った。

 あまりにもしつこく、撮影を許可しなければ依頼を斡旋しないと脅されてしまえば、大抵の傭兵は彼女に屈してしまう。

 だからこそ仕事と一度だけの撮影どっちを選ぶ? などと含みの有る笑みで問われれば誰だって許可する。

 そして後日、所用で仲介人の自宅を訪ねれば、部屋一面が自身の写真で埋め尽くされればそれは呪いに近い何か、不確かな恐怖でしかない。

 そんな過去の経験を暗に告げるとフォルドは察したのか、魔道念写器を下げた。

 

「酷い目に遭ったことは察した……だからさぁミスティ? 露骨な表情を浮かべない」

 

「えぇ〜記事になると思うんだけどなぁ。それにわたしの勘が告げてるんだよ、フェルシオンの事件にも彼は関わってるってさ」

 

「だとしてもまだ取材もしてないんだ。彼が事件に関与してたか如何かは取材を重ねれば分かることだろ」

 

 記者に確実に眼を付けられた。ならスヴェンは一つだけこの場を切り抜ける情報を口にする。

 

「そういや、アルセム商会の会長が商談に失敗したとか自棄酒ついでに女に刺されたらしいな」

 

「あのヴェイグが商談に失敗? それは記事になりますねえ〜!」

 

 そう言って一人駆け出すミスティにフォルドが慌てた様子で後を追う様に走り出した。

 

「こらミスティ! まだ先方との取材がっ!」

 

 どうにも彼はミスティに苦労している様だ。

 果たして何方が兄か姉なのかは判らないが、今後は二人との付き合い方は考慮しておく必要が有る。

 特にミアが居る場所ではより注意が必要だろう。

 そう結論付けたスヴェンは読みかけのエルリア通信誌を閉じると、

 

「あっ! こんな所に居た! 探したよスヴェン!」

 

 手を振りながら駆け付けるエリシェにスヴェンはベンチから立ち上がる。

 エリシェの手に抱えられた荷物に強い期待感が胸を支配した。



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7-10.試作品テスト

 エリシェに連れられフェルシオンの外に広がる平原、並ぶ岩場の影響で人目の付かない場所に到着したスヴェンは、荷物を地面に落とす彼女に視線を向ける。

 

「人の気配も無え、試すにもいい場所だな」

 

 周囲は岩場だらけだが一応的も有る。

 岩場を的に射撃を試せば試作品のテストにはなるだろう。

 

「動きながら射撃することを想定したから、コレを的に試してみて!」

 

 そう言って大きな荷物から岩で出来た仰々しい人形が現れた。

 

「そいつは?」

 

「バイクン叔父さんが用意してくれたゴーレム十号君だよ!」

 

 ゴーレム十号君と呼ばれたゴーレムをスヴェンは静かに観察する。

 一見鈍重そうにも見えるが、対象の魔力に集中すればゴーレムの全身に魔法陣を基点に魔力が循環していることが判る。

 見た目通りだと油断すれば痛い目に遭う。それが訓練でも決して侮ってはならない。

 スヴェンはエリシェから試作品の赤黒い銃を受け取り、全身を入念にチェックする。

 元々ガンバスターは銃と剣部品で分けられた武器だ。銃に装着された大剣の刃を扱うには自然と銃身も太く長くなる。

 その点エリシェの試作品の銃は、元の銃と寸分違わない赤黒い銃身を誇っているがこちらの方が若干重い。

 ただ手触りと経験から強度が確保されていると判る。

 これなら銃身を鈍器として扱うことも可能だ。

 そしてスヴェンが撃鉄を引き、安全装置を外し銃を構えると、

 

「ど、どうかな? 凄く様になってるけど重さとか撃鉄の硬さとか……」

 

 緊張した様子で訊ねて来る。

 これを試作したエリシェは間違いなく自身の鍛治師としての腕を誇っていいとさえ思えた。

 それだけこの銃にはスヴェンの要望が詰め込まれている。なんならこれ単体で携行を考慮したい程だ。

 

「銃の重さは許容範囲内だ、こいつに剣身部品を加えるとなりゃあもうちょい重量が増すだろうが……撃鉄に関しても問題ねえな」

 

 質問に答えたスヴェンは銃フレームの左にシリンダーを振り出す。

 そしてサイドポーチの弾薬入れから六発の.600LRマグナム弾を素早く目に止まらない速さでシリンダーに装填した。

 

「はやっ!? いま手の動きがブレて何も見えなかったよ!」

 

 それはそうだ。戦場で銃弾のリロードに一秒でも時間はかけられない、リロードはコンマ単位に正確でなければスヴェンは既にこの世に居ないだろう。

 

「銃弾の補充に時間もかけられねえからな」

 

 スヴェンは一度ゴーレムから距離を取り、

 

「そろそろ始めるか」

 

「うん、スヴェンは魔力操作も忘れずにね? そのゴーレム十号君は激ヤバらしいから」

 

 何が激ヤバなのか問いたい衝動に駆られるも、エリシェの魔力を受けてゴーレムが動き出す。

 スヴェンは銃を構え、下丹田から魔力を銃身に流し込む。

 特に魔法陣を強く意識した訳でもなく、銃身に流れ込んだ魔力に刻まれていた魔法陣が作動する。

 同時にゴーレムが砂塵を残し、スヴェンの視界から消えた。

 そしてゴーレムが突如スヴェンの目前に現れ、巨腕から拳を繰り出していた!

 背後に飛び退くことで拳を避け、地面に衝撃波を生むゴーレムの性能にスヴェンは、

 

「激ヤバってそういう意味かよ!」

 

 嫌でも激ヤバという言葉の意味を身を持って理解してしまった。

 確かに見た目など当てにならない素早さだ。現に拳を繰り出したゴーレムは既にスヴェンの背後に回り込んでいる。

 しかしスヴェンは慌てず、魔力を込めた銃口を背後のゴーレムに振り抜く。

 硬い銃身でゴーレムを殴り飛ばし、ゴーレムが地面を滑る。

 手に伝わる痺れ、単なる岩だと思えば材質もある意味で詐欺だ。

 銃身で殴り飛ばした際の感触は鋼鉄と同様の感触。

 さっそくあのゴーレムを相手に視覚情報は役に立たないだろう。

 スヴェンは起き上がるゴーレムに銃口を向け、魔力を込めながら容赦無く引き金を引いた。

 流れ込んだ魔力が銃弾に刻まれていた魔法陣を発動させる!

 ズドォォーーン! 轟音と共に銃口から炎を纏った.600マグナムLR弾が放たれる。

 炎を纏った弾頭が爆炎となりゴーレムを呑み込む。

 弾頭がゴーレムに直撃する直後、スヴェンは対象が魔法陣による防御に移った事を決して見逃さずーー縮地でその場を離れた。

 先程までスヴェンが居た場所に、魔力を収縮させた光線が空を撃ち抜く。

 爆炎が晴れると共に魔法陣による防御に入ったゴーレムの右半身は銃弾の威力によって損壊していた。

 プロージョン粉末の爆発による加速と銃弾が纏った魔法の威力は、単純な破壊力だけを見ても魔力無しの.600LRマグナム弾を超えている。

 人間に撃つには火力過剰にも思えるが、あと一発撃ち込めばゴーレムは破壊できるだろう。

 

 ーーもうちょい銃の性能、銃弾に刻まれた魔法陣の効果を確かめたかったが、そいつは追々でいいか。

 

 スヴェンがゴーレムを完全に破壊するべく、銃口を向けるとーーほんの一瞬の瞬き、刹那の間に完全修復していたゴーレムに眼を疑う。

 ゴーレムを視界から決して外してはいない。なのに修復する素振りを見せず完全に修復していた。

 損壊する前の状態に戻ったゴーレムが両腕を構え出す。

 目の前のゴーレムを騙る訳の分からない存在にスヴェンは眉を歪める。

 本当に訳が分からなかった。ナノマシンを搭載した自己修復機能を有した兵器と言われればまだ理解は及ぶが、ゴーレムに使用されているのは魔法技術だ。

 残念ながら知ってる魔法知識では、どんな魔法が使用されているのか皆目検討も付かない。

 

「アンタの叔父は一体?」

 

 何者なんだとエリシェに問えば、用意した彼女も非常に驚いた様子で眼を疑っていた。

 つまり修復機能に関してはエリシェも知らない魔法が組み込まれている。

 そんな事を考えながらスヴェンは迫り来る拳を避け、反撃と言わんばかりにゴーレムに銃弾を二発撃ち込む。

 二発の銃弾を受けたゴーレムの上半身が完璧に崩れるが、やはり瞬時に修復しては拳を捻る。

 今度は両腕の巨腕が交互に繰り出す連続の拳を避けながら三発の銃弾を放つ。

 水を纏った弾頭、雷を纏った弾頭、風を纏った弾頭が正確に頭部、腹部、脚部に直撃ーー三種の魔法弾が混ざり合い轟音が平原に響き渡る。

 破壊によって土煙りがスヴェンとエリシェを呑み込む。

 スヴェンは警戒を浮かべながら銃に銃弾を再装填すると、吹いた風によって土煙りが晴れる。

 視界の先にそれは映り込んだ。全身が砕けたゴーレムは修復する事なく、無惨な残骸が大地に散っていた。

 起点となる魔法陣を撃ち抜いたのか、修復限界を迎えたのかは分からないが、今後似た手合いとの戦闘を想定すれば今回の鍛錬は有意義だと言える。

 

 ーーこれで残り残弾は十三発か。

 

「……とんでもねえゴーレムだったな」

 

 スヴェンは一度装填した弾を取り除き、銃をエリシェに返す。

 

「……想定外のこともあったけど、どうだった?」

 

 銃の感想を求めるエリシェにスヴェンは考え込む。

 戦闘中に使用したが特に改善点も見当たらず、何処かに不備が有る訳でもない。

 むしろ、わずかな魔力操作で銃身にスムーズに伝導する魔力。反動抑制魔法陣による反動抑制と射撃と連射に耐えられる銃身の強度。

 引き金と撃鉄、シリンダーのスムーズな連動に加え、打撃にも対応した強度を誇る銃に不満など有る筈も無い。

 

「完璧だ……このままコイツを持っててダメか?」

 

 そんな事を告げるとエリシェが微笑む。

 

「ダメ、まだその子は完成してないもん。未完成のままスヴェンに預けられないよ」

 

 鍛治師としての矜持がそれを許す筈もなく、スヴェンは肩を竦めた。

 

「そうか」

 

「……わぁ、凄く残念そう。あなたってそんな表情もできるんだね」

 

 そんなに残念そうな表情をしていたのか。だとすればそれは無意識のうちに表れたのだろう。

 

「心から惜しいと感じりゃあ顔に出るさ」

 

「そっか。そんなに気に入ってくれんだ……それじゃあ完成を急がせないとね」

 

 そう言って張り切るエリシェにスヴェンは一つ告げる。

 

「完成まで待てねえ。完成品はデリバリー・イーグルで配達してくれ」

 

「うん、でもちゃんとブラック・スミスに顔は出してよ? その子の整備はあたしにしかできないんだから」

 

 道具さえあれば銃の整備自体はスヴェンでも可能だが、刻まれた魔法陣はそうもいかない。

 これはエリシェが一から編み出した魔法だ。魔法陣の調整も彼女にしかできないことなのだろう。

 

「分かった……先にコイツを渡しておく」

 

 スヴェンは用意していた代金をエリシェに手渡した。

 想定の価格よりも色を乗せた金額で。

 

「本当はガンバスターが完成してから受け取りたいんだけどね」

 

「アンタの技量なら失敗する心配もねえだろ」

 

「うん、安心して任せて」

 

 はっきりと自信を示すエリシェにスヴェンは頷き、一つだけ伝え忘れていた事を思い出す。

 

「……今更なんだが、ガンバスターの内部には二本の棒が嵌め込まれてんだろ?」

 

「あー、あれかぁ。前に父さんが雷を循環させる素材でできるとか言ってたけ。もしかして雷その物を打ち出す部品だったりするの?」

 

 ガンバスターの最大武器にして最高火力を誇る荷電粒子砲に付いて、エリシェは既に感じていたようだ。

 それなら話は早いとスヴェンは口元を緩める。

 

「ガンバスター内部で生成した雷を二本の棒ーー電極つうんだが、そいつで循環させ、加速させた銃弾を撃ち出す機能だな」

 

「うーん、モジュールで生成してたって事でしょ? 流石にあたしは雷系統の魔法が扱えないからちょっと無理かなぁ」

 

 荷電粒子砲がテルカ・アトラスの技術で再現できるかと思ったが、エリシェは雷系統の魔法が使えない。

 再現できないとなればすっぱりと諦める他にない。そもそも製作の段階でかなり無茶な要求もしている。

 これ以上の追求は単なる我儘の範疇でしかなく、荷電粒子砲が必要かと問われれば首を傾げるほどだ。

 

「悪いな、さっきの話は忘れてくれ」

 

「そうするけど、いずれ再現できるように色々試行錯誤はしてみるね」

 

 拳に握りながらそんな事を語るエリシェにスヴェンはたった一言しか出なかった。

 

「……すまねえな」

 

 三年後には消え、しかもこの世界で製造したガンバスターは持ち帰ることも叶わないのだ。

 ある意味でテルカ・アトラスから消えるスヴェンの痕跡とも呼べる武器を彼女は鍛造している。

 使い手が居なくなる武器はどうなるのか。そんな事とは今まで一度も考え事も気にしたことも無いが、武器に情熱を捧ぐエリシェを見ていれば多少なりとも気掛かりになる。

 特にガンバスターが完成した時、大切な相棒を頼む必要も有る。

 

「あ〜、そうだ。ガンバスターが完成したら俺の相棒をアンタに預けて構わねえか?」

 

 そう告げるとエリシェは心底驚いた様子で眼を見開き、

 

「大切な相棒なんだよね? あたしがその子を預かって良いの?」

 

 視線が背中に背負われたガンバスターに向けれる。

 二振りのガンバスターの携行は重量も嵩張り、実用性も無い。

 ガンバスターの二刀流などロマンこそ有るが、そのロマンに殺された傭兵を数多く見てきた。

 それにエリシェなら。武器に関して信頼できる彼女だからこそ相棒を預けることに迷いが生じない。

 

「アンタならコイツを任せられる。だからガンバスターが完成した時に預かってくれねえか?」

 

 そう頼むとエリシェは微笑んだ。

 

「スヴェンにそこまで言われたら断る理由なんてないよ。でも、これは専属契約も考えないとだねぇ」

 

 三年後に消える身として。それも有るが、鍛治師としてまだ発展途上の彼女を短期間ながら拘束してしまうのはもったいないように思えた。

 それに専属契約を結ぶだけの利点をエリシェに提示できない。

 細かな道具類や替えのナイフ、予備武器の用意など考えられるがそれも一時的な物に過ぎず、果たしてエリシェに満足の行く仕事を提供できるのか。

 一個人を雇う責任を取る覚悟は有るが、今のままでは納得の行く契約は結べない。

 結論を出すなら魔王救出を終えてからでも遅くはないだろう。

 

「……そいつは今回の旅行の目的を果たすまで保留にさせてくれ」

 

「うん、じゃあその日まであたしの方でも契約内容を考えておくね」

 

 満面の笑みを浮かべるエリシェにスヴェンは頷き、改めて彼女と町へ戻った。



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7-11.エルリアの禁術

 試作品のテストを終え、エリシェと別れたスヴェンが適当に町中を歩くと、

 

「あっ! 丁度良いところに!」

 

 こちらを呼ぶミアの声に足を止め振り返る。

 相変わらず満面の笑みを浮かべているが、ふと気が付く。

 彼女から愛想笑いや人を探るような打算的な笑みを感じなくなったと。

 思い当たる節と言えば、彼女の故郷に関することか。何も愛想を向けずとも依頼という正式な立場で雇えば手を貸すのだがーーそれだけ故郷に対する想いは強いということか。

 スヴェンは駆け寄ったミアにいつも通りの眼差しで、

 

「荷物持ちだとか買い物には付き合わねえぞ」

 

 冷たく突き放す言動を取れば、ミアは違うと言わんばかりに首を横に降る。

 

「覚えてない? あの日の夜に話したこと」

 

 いつの夜だとは問わない。ミアと夜に話し込んだのは、メルリアの守護結界領域の外で野宿をした日のことだ。

 確かあの日の夜は互いに禁術に対する知識不足を何処かで知識を得る。その時にミアが学院で学んだ知識を当てにするとそんな話をしたのは今でも覚えている。

 

「んじゃあ図書館にでも行くか?」

 

 そう他愛も無く誘えばミアは意外そうに、しかし口元を緩ませ気恥ずかしそうにしていた。

 

「……覚えてたんだ」

 

 単なる口約束にもならない会話の流れで決まった予定に過ぎない。

 だからミアが気恥ずかしがる理由も無いように思えるが、歳頃の少女の心境は何かと複雑だ。

 それこそ何に対してどう捉えるのか、そんな事をいちいち考えていては身が持たない。

 何せ女性の心境、その時の想いや考えなどデウス神ですら予測ができないーーいや、それは女から見た男も同じようなもんか。

 内心でそんな結論を出したスヴェンは、

 

「行くにしても閲覧許可証を持ってねえが?」

 

 レヴィが居なければ禁術書庫に入れない。そう暗に告げれば、ミアは笑みを浮かべて閲覧許可証を提示して見せた。

 

「ふふっ、事前にレヴィから借りたから大丈夫だよ」

 

「用意がいいな」

 

 用意のいいミアに関心を浮かべながら、歩き出すミアにスヴェンは付いて歩いた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンにとっては二度目の図書館。そして受付で手続きを済ませ、禁術書庫に入ったスヴェンとミアはさっそく行動を開始する。

 自爆をはじめ片っ端から禁書を手に取りテーブルに運ぶ。

 こうして山積みになった禁書を前にスヴェンとミアは同時に椅子に座り、最初の禁書を手に取った。

 

「……自爆か」

 

 最初に手に取った本のタイトルが『魔力暴走による自爆』だった。

 確かメルアリの地下遺跡で信徒から受けた禁術は魔力暴走を引き起こしてから自爆していた。

 自爆にも色々な方法が有るだろうが、スヴェンはさっそくページを捲る。

 

「『人は意図的に魔力を過剰巡回させ暴走を引き起こすことが可能だ』……そうなのか?」

 

 はじめて知った魔力の暴走方法をミアに訊ねると、彼女は読んでいたページから眼を離し、

 

「普通は知っててもやろうとしないよ。一度火が付いた魔力は止められないの……暴走を引き起こすと魔力に身体が耐え切れなくて死んじゃうから誰も試そうなんて思わないよ、普通ならね」

 

 邪神教団は普通じゃない。連中は死を幸福と捉え、邪神に自ら魂を贄として捧げることをなによりも喜びとする。

 確かに連中は普通じゃないっと納得したスヴェンは頷く。

 

「魔力制御を暴走ギリギリまで扱ったとして、なにか利点があんのか?」

 

「誰も試して無いから空論状の仮説になるけど、暴走ギリギリの魔力は純度も高まり、詠唱効率と魔法の威力を増大させることが可能になると囁かれてるかな」

 

「でも戦闘の最中で暴走ギリギリを保つなんてやろうとしないし、それよりも普通に魔法を使った方が効率的だから誰もやらないかな」

 

 魔力制御は精神力と集中力に依存する。常に死の危険が付き纏う魔力暴走ギリギリを攻めるのは正に非現実的な行動と言えるだろう。

 ミアの仮説を聞いたスヴェンですらそんな事はやろうと思えない。

 一歩間違えて死亡するリスクを背負うぐらいなら別の方法で効率的に殺す方法を確立した方が遥かに安全だからだ。

 同時に魔力暴走で増大した魔力を攻撃に転用する方法が自爆なのだと理解が及ぶ。

 

「……なるほど、それで自爆なんざ編み出されたってわけか」

 

「うん、でも止め方が判らないよね」

 

 確かに一度発動した自爆は、術者を殺しても止まることはなかった。

 だからこそスヴェンは次のページを開く。

 

「……『万が一自爆を発動させたのなら阻止しようとせず、全力で術者から離れろ。それが自爆に対する確実な対処法だ』なるほど逃げるが勝ちってヤツか」

 

「思い付きだけど、空間魔法とか結界魔法で閉じ込めるなんて対策も取れるよね……私達には使えない方法だけど!」

 

 ミアの提案した方法は安全に自爆を処理する方法としては実に有効的だ。

 もしも護衛対象が大勢居る場所で邪神教団が自爆を唱えた場合、護衛対象を逃す暇などない。なら術者を結界内で自爆させた方が安全になる。

 

「結界魔法が使える奴が居るなら推奨すべき対策だな……アンタのお陰で結界魔法の活用方法が一つ知れた」

 

「提案してなんだけど、結界魔法は護るための魔法であって誰かを傷付ける魔法じゃないよ……いや、結果的に護ることに繋がるけど」

 

 複雑そうな眼差しで語るミアに、スヴェンは肩を竦め次のページを開く。

 しかし開いたページは最後のようであとがきで締め括られていた。

 

「あ〜?『自爆を好む者など自殺願望者か、邪神教団のようなナメクジ共のような連中だけだと切に願う』……ひでぇ煽りだな」

 

 スヴェンはあとがきを読み終え、本を閉じては次の禁書に手を伸ばす。

 すると手にしたのは『エルリアの究極魔法』と書かれたタイトルだった。

 

「なんだ、究極魔法ってのは?」

 

「あ〜それねぇ。正直言って禁術指定されてる理由がちょっと判らないんだよね」

 

 魔法大国エルリアの国民なだけはありミアは究極魔法に付いて知ってるようだ。

 つまりこの禁書の著者は外国人による執筆か。そんな予想を立てながらスヴェンはページを捲り、

 

「……『エルリアには国土を魔法陣として世界を破滅させる魔法が実在する。これを読んだ者は何を馬鹿なことをと思うだろう』」

 

 スヴェンはエルリアの地図を頭の中で思い起こした。

 エルリアは中央部を中心に東西南北で区分し、その形は円形だ。

 魔法陣も円形だが、それと国土が魔法陣はいま一つ繋がらないように思えるがーーそういや、ミアはメルリアの地下遺跡には更に地下が広がってるとか言っていたな。

 当時は疑問に思ったが、戦闘や自爆を受けてそれどころでもなくすっかり忘れてしてまっていた。

 究極魔法に関する記載が気になったスヴェンは次のページを捲る。

 

「『私の何代も前の先祖は空から堕ちる凶星を見た。絶望を与える凶星、誰しもが死を覚悟した時、エルリアの方角から強大な光が凶星を呑み込み、消滅させた瞬間を』……隕石破壊装置みてぇなもんか」

 

 究極魔法と謳う文面の割に、隕石の破壊に使用された事実にスヴェンは肩透かしを喰らったような気分だった。

 同時に隣でクスクスと笑うミアの声が耳に響く。

 

「アンタにとっちゃあ的外れな本ってことか」

 

「正直に言うとね……でもスヴェンさんが言った通りエルリアの究極魔法は凶星を破壊するための防衛魔法みたいなものだよ」

 

「エルリアの国土、その地下に刻まれた魔法陣。そして魔法陣の基点上に建築された村や町、王家の血筋が在ってはじめて発動する魔法なの」

 

 だからメルリアの地下遺跡。その更に真下に広大な地下空間が存在する。

 魔法に関して知識は多く無いが、一つだけ疑問も有る。

 

「なんだって村と町の建造場所に魔法陣が関係すんだ?」

 

「えっと、地下の魔法陣を地上に構築させるために村と町を基点に展開させるためだよ」

 

「地下の魔法陣と地上の建造物は基点の役割みてぇなもんか」

 

「だいたいそんな感じかな。あと浮遊岩に浮かぶ土地も座標軸がズレさえしなければそのまま基点として機能するんだって」

 

 浮かびかけた疑問がミアの素早い解説によって消える。

 旅の案内兼歩く治療再生装置という認識だったが、限定的な知恵袋の側面も有るか。

 そんな彼女が聞けば憤慨しそうな評価を内心で浮かべては、スヴェンはページを捲る。

 するとそこにはエルリアの究極魔法は地上に点在する国家に対する攻撃手段と書かれた文章に、陰謀論好きの著者は何処の世界にも、どの時代にも図太く居るもんだと息が漏れる。

 

「つまりエルリアの究極魔法に各国は凶星から護られてるって認識でいいか?」

 

「うん、実際にエルリア建国当初に初代エルアリ王のラピス様が各国の王と交わした契約の一つなんだって」

 

 凶星から護ることで究極魔法の存続を維持したと考えれば、ラピス王はかなりのやり手に思える。

 しかしミアから聴いた話と禁術に指定された事実がどうにも腑に落ちない。

 確かに凶星を破壊するほどの威力を誇る魔法が各国に対して撃たれたなら被害は計り知れないだろう。

 しかしフェルシオンに居る外国の者達の様子は、恐怖に支配された者達などという印象は皆無でーーむしろ、友国に気兼ねなく訪れた観光客や旅行人、商人の印象だった。

 何も知らないから楽観視していると言われればそれまでだが、究極魔法を盾にした同盟維持なら反感を買うのは必須だ。

 だがそんな様子もスヴェンが眼にした範囲では見当たらない。

 なら禁術指定には別の理由が有るのか。

 

「禁術指定の理由ってのは唱えた術者に重い代償が降りかかるからか?」

 

 スヴェンが考えられる理由として思い付くのが、命を失うほどの代償だった。

 それなら禁術指定にも納得が行くが、

 

「それも考えたけど、過去に発動させたオルゼア王は元気だし……少なくとも究極魔法を発動させた王族が代償で死亡したなんて話は聞かないよ」

 

 ミアによってスヴェンの推測は否定された。

 これで凶星の破壊によってオルゼア王とレーナが死亡するリスクが無いことが判った。

 

「……陰謀論を鵜呑みにすんなら究極魔法は各国を射程に捉えていると考えられんだが」

 

「それは無いよ。究極魔法を地上に向けて撃ったら星を大きく傷付けることになっちゃう。それに究極魔法は魔法陣がエルリア上空に出現するけど、魔法は空にしか撃てないんだ」

 

「なら禁術指定は……あ〜オルゼア王や王家の悪戯か」

 

 オルゼア王とレーナは一国を纏める君主だが、同時に親子揃って悪戯好きな一面が有る。

 それが血筋に由来するものならある意味で納得が行く。

 

「……う〜ん、その可能性の方が高いのかもだけど、案外究極魔法を王家が悪用しないための戒めかもしれないよ」

 

「確かにそうも考えられるか……ま、ここで話し合うなら姫さんから聴いた方が速いか」

 

 結局のところ究極魔法の禁術指定はレーナに直接聴いた方が速いという結論に至り、その後スヴェンは禁術と魔法に対する知識をミアから改めて教授されるのだった。



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7-12.慌しくも出発の日

 エリシェの鍛造作業が大きく進展し、レヴィは予定していた滞在日数を彼女と話し合う形で一日早めに切り上げることにした。

 六月十三日の朝、スヴェンとミアはエルリア城に帰る二人を見送るために町の入り口付近に位置する路地裏に足を運ぶ。

 路地裏の隅、どの位置からも人目に付かない場所に浮かぶ転移クリスタルにスヴェンは眼を細める。

 

「アンタらが帰ったあと、そいつはどうすんだ?」

 

「私のコレに関しては既に手配は済ませて有るわ。姫様にお願いする形になっちゃたけれど」

 

 エリシェが居る手前、わざわざレヴィがレーナの名を出し設置した転移クリスタルは王族が直々に管理すると語った。

 実際にはレーナである彼女の指令を受けた者達がこの町に設置された転移クリスタルを管理するということなのだろう。

 そういえば宿屋フェルを出る際に受付員はこう言っていた『お嬢さんに頼まれていた隣室の長期契約が完了しましたよ』と。

 転移クリスタルがクローゼットの中に設置されている以上、長期的に宿部屋を抑えておく必要が有った。

 だからレヴィは宿屋フェルの支配人と交渉して契約を済ませたのだ。

 本来ならスヴェンがやるべき手続きを彼女が代わりに済ませた。

 スヴェンは彼女に面倒をかけたことに対する謝罪を口にする。

 

「面倒をかけたな」

 

 拙い言葉で告げれば、レヴィは何でもないと言った態度で微笑む。

 

「自宅に溜まった書類の山を思えば、あのぐらいはなんて事はないもの」

 

 やはりレヴィとして活動している間にレーナが処理するべき書類が溜まっていたか。

 これからまた彼女は公務の日々に追われる。そこに有るのは王族としての責務と民を想う彼女の気持ちだけ。

 決して苦に感じさせない点がレーナの美徳の一つなのかもしれない。

 スヴェンはそんな事を思っては、ミアと言葉を交わすエリシェに視線を向ける。

 

「道中気を付けてよね? この間みたいにミアが標的にされないとも限らないんだから」

 

「私の方は大丈夫だよ。それよりもエリシェも怪我とかに気を付けてよ? 私が居ないから火傷とか骨折はすぐに治せないんだから」

 

「うん、あたしの方も怪我には気を付けるよ。なにせ今は大事な仕事中だからね」

 

 そう言って二人は互いに笑い合った。

 軽口を叩き合える二人の仲にスヴェンは視線を逸らし、改めてレヴィに視線を戻す。

 

「そろそろ行くのか」

 

 転移クリスタルに触れる彼女にそう訊ねれば、レヴィが振り向く。

 

「名残惜しいのかしら?」

 

 別れ一つで名残惜しいとは思えないが、レヴィはそう思って欲しいのか眼に期待感が宿っている。

 彼女の期待には応えられそうにない。

 

「俺がんな感傷に浸るように見えるのか」

 

「……見えないわ。けれど、いつか貴方に心境の変化が訪れたらどうかしら?」

 

 戦場と食事以外で感情が大きく揺れ動く事はかなり稀だ。

 それこそかつてデウス・ウェポンで相棒を自ら殺した時ぐらいだ。

 三年後にこの世界から去る時、果たして彼女が望むような感情を感じられるのかは予想もできない。

 

「そん時はそん時だろ」

 

 時が訪れればいずれ判ること。いま焦って結論を出さずと感情などふとした瞬間に湧くものだ。

 

「そうね……また貴方を頼ることになる日が来るかもしれないわ。その時は依頼を請けてくれるかしら?」

 

「報酬払いの良いアンタの依頼を断ろうなんざ思わねえよ」

 

「そう、それじゃあ次の調査でまた会いましょう」

 

「ミア、スヴェン! またね!」

 

 そう言ってエリシェが転移クリスタルに魔力を送り、クリスタルから放たれる光に二人が包み込まれる。

 やがて光が晴れると、レヴィとエリシェの姿はもう無い。

 

「俺達も行くか」

 

「そうだね……結局モンスターの掃討は間に合わなかったね」

 

 ここ数日間の魔法騎士団は慌しく町を駆け回っていた。

 人身売買に拘っていた仲介業者の捕縛、ユーリ不在の町の見回りとモンスターの討伐。

 討伐したアンノウンの遺骸運搬やら不安に駆られる町人の精神ケア、それらが重なり掃討に遅れが生じたのだ。

 こればかりは仕方ない。旅行者として振る舞うなら予定通りの順路を進むのみ。

 

「予定通りの順路変更だな……アイツが拗ねる前に戻るか」

 

 同時に双子の記者に遭遇しては面倒だ。そう考えるスヴェンにミアが意を唱える。

 

「宿屋に戻る前にユーリ様の屋敷に寄って行かない? アラタさんにもあいさつぐらいはしておきたいしさ」

 

「……いや、状況が状況だ。部外者の接触は避けるべきだろ。それに今のユーリの屋敷は厳戒態勢状態、俺とアンタで会うのは厳しいだろうな」

 

 レヴィが居れば事件調査の関係者として同行もできたが、既にレヴィはエルリア城に帰った後だ。

 

「やっぱり難しいかぁ。じゃあ宿屋に戻ろうっか」

 

 口ではそう言っているがユーリの状態やアラタに想う所が有るのか、ミアは諦めるように肩を落としていた。

 彼女の小さな肩には精神崩壊を起こしたユーリをどうすることもできなかった無力感がひしひしと感じる。

 ここ数日はレヴィとミアも気丈に振る舞ってはいたが、やはり心の何処かでユーリのことが気掛かりだったのだろう。

 しかし今の自分達にはもうこの町で出来ることは無い。

 出来ることは無いが、未だ正体不明の取引相手の足取りを旅の先々で追うほかに無いのだ。

 スヴェンがミアに対して口を開きかけた時、

 

「あれ〜? この辺りに面白い記事のネタが潜んでるはずなんだけど」

 

「急に飛び出したと思えば……昨日会った異界人のことかい?」

 

「そうだよ。犯行現場に遺された斬撃の痕、歓楽街の壁に刻まれた破壊痕……私の勘が事件に関与しているっと囁いているのよ!」

 

 面倒な相手に眼を付けられた。スヴェンは心底嫌そうに眉を歪めると、それを察したミアが壁に指を刺す。

 

「スヴェンさん、あそこを飛び越えて行く?」

 

 壁の向こう側を示すミアにスヴェンは頷く。

 そして彼女を脇に抱え、一息で壁を飛び越えれば二人の足音が壁越しに聞こえた。

 何事も面倒は避けたいと考えたスヴェンはミアと共に宿屋フェルに走り、その後アシュナと合流し貿易都市フェルシオンを慌しくも出発するのだった。



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間章ニ
邪神の崇拝者


 太陽の光りなど届かない深淵の底、常人が見ればたちまち発狂してまう悍ましい魔力を発するそれは畏敬の翼を広げ、頭部の角と額の眼球を持つ石像ーー邪神像の前に中性的な顔立ちの人物が佇んでいた。

 その者は邪神教団の司祭に与えられる特別なローブに身を包み、邪神像を見上げる。

 司祭の名はエルロイ。彼は封印された邪神に向けて深いため息を漏らす。

 

「呼び出しておいて遅いなぁ」

 

 邪神に語りかけるようにボヤけば、意識の中に邪神の声が響く。

 

「へいへい……幾らでも待ちますよっと。何万年も待ったんだからこれぐらいはねぇ?」

 

 軽口を叩けばエルロイの背後に複数の気配が突如として現れる。

 思ったよりも早い同士の到着にエルロイは何の感情も浮かべず背後に振り向く。

 恐らく今回の招集理由はアイラ司祭の死亡とエルリア征伐の状況確認だろう。

 頭の中で漠然と議題の予定を予測しながら、一人足りないことに気がつく。

 

「アイツはどうしたよ? まだガキとはいえ枢機卿だろ」

 

 十年程前に当時の枢機卿の死亡により適正の高さから枢機卿に任命された子供に付いて訊ねる。

 

「彼なら世界を見てまわると」

 

 なんとも子供らしい理由にエルロイは肩を落とした。

 ただ彼の行動に想うところが無いわけでは無い。

 邪神教団の本部で生まれ育った幼子達は世界の広さ、自由を知らずに育つのが大半だ。

 こんな場所から外へ出るには教団の信徒として任務に従事する以外に方法もない。

 立場を利用してある程度自由に行動したとしても誰も罰しようとはしないだろう。

 所詮は封神戦争時代に邪神に味方し、敗れた敗残兵達の末裔だ。

 世界に出たとして、果たして彼の望む自由や世界は在るのか。エルロイは枢機卿が今の世界を見てどう感じるのか、内心で期待を寄せながら本題を問う。

 

「……それで多忙人をわざわざ呼び出した理由は?」

 

「エルリアの貿易都市フェルシオンに潜伏していたアイラ司祭に付いてだ……なぜ彼女は死んだ?」

 

 なぜと問われれば簡単だ。それは単にアイラが弱かったに他ならない。

  

「弱ければ死ぬのは当たり前だろ? むしろ死んでおいた方が枢機卿の座を狙う連中にとって好都合なんじゃないか」

 

 エルロイの恍けた態度に業を煮やした若い司祭が吼える。

 

「……恍けるな老害! あの地で策謀を巡らせていたのは貴様だろ!」

 

 確かにゴスペルのおもりをアウリオンとリンに任せ、取引成立を支援させた。

 しかし取引そのものは輸送途中の商品が魔法騎士団に抑えられたことで破談。

 ゴスペルの取引先は連中に独自に産み出したモンスターを付与し、アイラ司祭の手によってゴスペルの右足が始末された。

 元々ゴスペルの切り捨ては自身と彼で計画したことだったが、計画の殆どはその場限りの思い付きによるもの。

 だからこそアイラ司祭には詳細を伝えず、何処まで彼女が鍵を入手できるのか見物していた。

 

「あ〜最近物忘れが激しくてねぇ」

 

 結果は入手一歩手前で何者かによって殺害された。

 一応あの時のアイラ司祭は大規模な魔法行使によりかなり魔力を消耗していたが、アイラ司祭が簡単に遅れを取るかと問われればーー弱いと評したが、それは自身を比較した場合の話になる。だからこそ解答は無いだ。

 エルロイは口調とは裏腹に司祭の顔色を窺う。

 アイラ司祭の死を惜しむものが大半、そしてどうでも良さそうな態度を覗かせる人物が二名だけ。

 実に同志想いの組織に育ったっと感心すれば、やはり互いに蹴落とし合う連中は湧いて出て来るものだ。

 仲間意識の低い組織は存続が危うい、特に邪神の復活を目的にすれば敵は多い。

 敵が多いからこそーー青臭い言葉になるが団結が必須だ。

 

「エルロイ司祭……貴方があの地に居てなぜ彼女を助けなったのか、その訳を聞いても?」

 

「単純に若い連中の成長振りに期待してのこと」

 

「我々の成長を試したと? いえ、普段多忙なあなたを頼り過ぎているのも事実か」

 

 半ば納得する司祭の一人にエルロイは肩を竦めてみせた。

 実際にアイラ司祭は協力関係の彼と計画を立て実行に移した。

 その結果が封印の鍵を護る守護者の一画を潰し、肝心の封印の鍵を外部に持ち出させたのだ。

 封印の鍵は得られずとも上々の成果に思える。

 問題は封印の鍵が何者かに回収され、その人物はアイラ司祭を殺害できる力量を備えていることだ。

 司祭の中で戦闘経験の低さから相手にし易い類いではあるが、首を刎ねることに躊躇しない人物。

 エルロイは異界人では到底無理な殺害方法に一人眉を歪める。

 だからといって異界人を警戒から外す理由にはならない。戦闘能力が高く非情な人物が召喚されるなら異界人の可能性も十分に有り得るからだ。

 そんな彼の様子に気付いた司祭の一人が、

 

「なにか考え込んでいるようですが?」

 

 穏やかな口調で問うた。

 次の議題に入る前に問題の提起はしておかなければならない。

 

「うーん? 一体誰がアイラ司祭を殺害したんだろうなぁと」

 

「その件は報告に聞いてますが、やはり自由に事件に介入できる異界人では?」

 

 確かに異界人はあらゆる事件に好き勝手介入するが、戦闘能力はお世辞にも高いとはいえない。

 むしろアイラ司祭を殺害可能な異界人は未だ召喚されたことが無い。

 無いがエルリア城に忍ばせた内通者がある時期に捕縛された。

 恐らく実際には戦闘可能な異界人は既に召喚され、内通者は情報秘匿のために捕縛されたのだろう。

 尤も内通者を野放しにする理由も無いが、十年も潜伏していた人物をーー魔法学院の生徒して可愛がっていた子供をよくも捕縛できたものだ。

 エルロイがエルリアに関心を示していると、剛毅な声が耳に響く。

 

「異界人は敵が女なら善人ぶった言葉を並べて見逃すような甘ちゃんだろ」

 

「確かに異界人の可能性は限りなく低いですか」

 

 限りなく低いが決して零ではない。

 

「そういえばフェルシオンに滞在していた異界人は二名だった。アイラ司祭の殺害及び封印の鍵を掻っ攫った奴はその内の誰かだろうなぁ」

 

 思い出したような語り口調で追加情報を与えれば司祭の眉が歪む。

 それでも半数の司祭は異界人は有り得ないと結論を出し、異界人の可能性を疑う者は、

 

「多忙な身で心苦しいのですが、例の異界人に関する調査は任せても?」

 

 追加の指示を与え、エルロイは柔かな笑みを浮かべる。

 

「任されたよ」

 

 承諾の意を快楽告げれば、眩しい笑みを返される。

 

「ふむ、そろそろ次の議題に移るか」

 

 枯れた声によって議題が次に移り、

 

「エルロイ司祭、魔王が管理する封印の鍵は見付かりそう?」

 

 アルディアが凍結封印の間際まで隠し続けた鍵の在り方に関する質問。

 彼女を人質に取ることで魔族を従え、封印の鍵の探索を進めているが結果は芳しくない。

 

「そっちも時間がかかる。あの巨城都市を上層から下層、だだっ広い国土から手掛かりも無しにとなればなぁ〜」

 

 進まない進捗にエルロイが苦いため息を吐くと、司祭の中で背の低い人物が語りかけて来る。

 

「まだまだかかりそうだね……手伝う?」

 

 なんとも邪神に仕える者とは思えない程の気遣いだ。

 不思議とそれだけでエルロイの疲労が和らぐ。

 

「有り難い話だけど、わたし一人で大丈夫さ。それよりもお前は放浪している彼女の探索を優勢しなさい」

 

 優しく語りかけると背の低い司祭は笑みを浮かべて頷いた。

 

「あなたと同じ邪神様に呪われた彼女は、今は何処に居るのでしょうね?」

 

「最後にメルリアで目撃したが、それ以降の足取りはぱったりと」

 

 生きた封印の鍵である彼女を確保することも急務だが、そもそも一定箇所に留まり続ければ周囲を死に誘う呪いが発動する。

 それは邪神の祝福を授かった信徒も例外ではない。

 だからこそ彼女の確保は最後でなければ邪神教団の本部はたちまち死の都市に変貌する。

 

「相変わらず我々の気配に敏感なようだね」

 

 逃げに徹する彼女はそう簡単に捕まることはないだろう。

 エルロイはそう思いながら司祭達が話し合う議題に耳を傾ける。

 邪神教団は同志に対する仲間意識は強いが、内部の者を疑うことは少ない。

 例えば枢機卿になりたいがために邪魔者を始末する者、偵察任務と称して遊び続ける信徒や外の世界へ自由を求め入信し、異端の烙印を押される者も存在し、まだまだ組織としての課題も有る。

 何万年と邪神教団を見守ってきたが、そろそろ潮時なのかもしれない。

 エルロイは今後の予定を頭の中で順序立てて浮かべ、幾つも用意した仮初の仮面を拭う日をーー彼らはどんな顔をするのかを想像しては、一人だけ楽しげに笑みを深める。



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第八章 峠の出会いと峡谷の祭り
8-1.ガルドラ峠


 貿易都市フェルシオンを出発して幾度か野宿を繰り返し、速くも数日が経過した朝。

 ハリラドンが牽引する荷獣車の中でスヴェンとアシュナは周囲に強い警戒心を浮かべていた。

 既にフェルシオンの守護結界領域を抜け、モンスターの生息地域に位置するガルドラ峠は危険が多い。

 切り立った峠道を時速六十キロで走るハリラドンに追い付けるモンスターは生息していないらしいが、

 

「なんでモンスターと遭遇しないの?」

 

 アシュナの漏らした疑問にスヴェンは同意を示しながら思考を重ねる。

 既にフェルシオンの守護結界領域を抜けモンスターの生息地域に入って数日、その間モンスターと一度も遭遇せずにガルドラ峠に到着した。

 単に運が良いと素直に喜べないのが傭兵としての性だ。 

 そもそもモンスターを数日間、生息地域で遭遇も目撃もしないことの方が異常でしかない。

 考えられる要因としては討伐部隊による掃討作戦によってモンスターが一時的に全滅したか。

 何らかの理由でモンスターが別の場所に移動したとも考えらるがラデシア村に続く街道は、ラデシア村とフェルシオンの守護結界領域外の中間地点に位置する。

 此処からモンスターが街道に移動するにはフェルシオンの守護結界領域を一度抜ける必要があり、それは物理的に有り得ない状態だ。

 

「ここら一帯のモンスターが全滅でもしたか」

 

「うーん、全滅しても三日程度で発生するから偶然が重なったとか」

 

 デウス・ウェポンとテルカ・アトラスのモンスターに関する共通点は星による自浄作用を担う生物。モンスターが襲う対象は人類に限定されているが、暴君の名を冠するタイラントはハリラドンを捕食して見せた。

 捕食行動に関しては一部例外が存在するのも確かだ。

 そして同じ共通点は決して絶滅できない点だ。

 一時的に生息地域のモンスターを全滅させたとしてもすぐにモンスターは発生する。

 モンスターに雄雌の概念が無ければ繁殖という経緯も必要とせず、星の魔力によって産み出される。

 同時にミアは三日程度でモンスターが再発生すると言った。だからこそ守護結界領域を抜けて既に四日も経つ状況でモンスターと遭遇しないことが異常なのだ。

 

「生息地域に入って既に四日になる……もう一つ考えられるとすりゃあ野盗の存在か」

 

「野盗って10歳の子供って話だよね? 幾らなんでも一人でモンスターを討伐し続けられないよ」

 

 確かに無限に発生するモンスターをたった一人で討伐し続けることは不可能だ。

 ましてや十歳程度の子供が一人でモンスターを討伐など、それこそ魔法に優れようとも数の暴力の前には無力に等しい。

 それはどんな強者でも数の暴力には敵わない。連戦に次ぐ連戦は体力と精神力を奪い、敵は敵取りに躍起になる。

 そうなれば孤立無援の強者を増悪の波が呑み込むのも容易になる。

 逆に一つだけ可能性が有るならそれは、

 

「野盗は一人だって情報だが、複数人なら話しは別だな」

 

 少人数の野盗がガルドラ峠で隊商や行商人を待ち伏せのために潜伏している。

 それなら潜伏先の確保として定期的にモンスターを討伐することも可能だろう。

 

「複数人……それじゃあ用心しないとね。なんせ私はかわいいから真っ先に襲われちゃう!」

 

 かわいい云々は彼女が語る恒例の戯言に過ぎないが、見掛けて判断するなら普段姿を隠しているアシュナを除き、尤も狙い易いのがミアだ。

 特に治療師という後衛を真っ先に潰すのは理に適った戦法の一つ。

 ただスヴェンは彼女が体術と棒術に優れていることを知っているため、ある程度の野盗ならミアが軽く返り討ちにできると判断していた。

 

「真っ先に襲って来た野郎がアンタの棒術で再起不能になるわけだな」

 

「うん! でもハリラドンの走行中に襲われるとちょっと手綱の操作で迎撃は難しいかも」

 

 確かに時速六十キロの速度で走るハリラドンの手綱をミアが手放してしまえば、事故に繋がる恐れが充分にあり得た。

 いや、そもそも野盗に合わせてわざわざ減速してやる必要も無いのだが。

 

「まあ、モンスターの全滅か遭遇しないこの状況は野盗が関係してると考えて良さそうだな」

 

「野盗って意外と役に立つ?」

 

「考えようによってはな」

 

 そんな軽口をアシュナと叩き合えば、崖上に面した木々から鳥が一斉に飛び立つ。

 同時に獣の咆哮と魔法による音がガルドラ峠に響き渡る。

 

「峡谷の町ジルニアまであとどんぐらいだ?」

 

 戦闘が崖上の森林の中で行われている中、スヴェンは予定に付いて訊ねた。

 

「えっと、山頂から峠道を下って……ジルニアの守護結界領域まであと三日かな」

 

「守護結界領域まで安全で行きてえんだがなぁ」

 

「無理……スヴェンとミアは運が無いから」

 

 アシュナの指摘にそんなことは無いと否定してやりたい気持ちも湧くが、これまでの旅路を思い出せば否定する材料が見当たらない。

 否定できないことにスヴェンはわざとらしく肩を竦める。

 同時に崖上の戦闘音が確実にこちらに近付きーー進路先の崖上からこちらを捉える敵意を宿した視線に気付いたスヴェンはガンバスターの柄に手を伸ばす。

 生憎と荷獣車の窓から待ち伏せする敵の姿は視認できない。だからスヴェンは手綱を握るミアに訊ねた。

 

「……ミア、崖上に居るか?」

 

「うん、身の丈に合わない大剣を背負った子供が一人」

 

「身形は?」

 

「シャツとズボン……でも野盗っていう割には上等な布地かも」

 

 それなりに身形の整った野盗の子供。となれば彼がガルドラ峠を騒がせていた野盗なのだろう。

 

「髪と眼の色は判るか?」

 

「黒髪と藍色の眼だね……あっ、鉤爪ロープを取り出したよ!」

 

 ミアの報告に野盗少年の狙いを察知し、素早く屋根に飛び移る。

 そして鉤爪ロープを振り回す野盗少年と目が合う中、鳴り響く爆音にスヴェンは視線を背後に向けーー荷獣車の背後に山猿に似たモンスターが落下する光景が移り込むのだった。



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8-2.混戦

 落下した山猿モンスターの衝撃波が荷獣車を襲い、岩の破片が車輪を穿つ。

 バキン! 嫌な音と共にバランスを崩した荷獣車が大きく傾く。

 

「このままじゃ……っ!」

 

 スヴェンが指示を出すよりも早くミアが手綱を操り、ハリラドンを崖ギリギリに寄せるように操る。

 傾いた荷獣車の車体が崖を擦り付け、車輪を失った箇所が地面を滑りながら速度を落とし始めた。

 ミアの上手い判断にスヴェンは感心を宿しながら屋根に飛び移る野盗少年にーー着地するよりも速く脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 叩き込んだ靴底から感じる硬い違和感にスヴェンは顔色一つ変えず、そのまま蹴りを振り切る。

 

「ごふぅっ!?」

 

 腰に巻き付けた鉤爪ロープとと共に地面に投げ飛ばされた野盗少年が失速した地面に落下した。

 

「げふっ……痛たぁ」

 

 十歳の子供にしては中々頑丈な野盗少年にスヴェンはガンバスターを構え、背後の山猿モンスターと野盗集団に息を吐く。

 

「エイプマンと旅行者か? ともかくエイプマンを排除しつつ掠奪だ!」

 

 倒れた荷獣車。そしてエイプマンの背後には野盗集団ーー少なくとも六人は居る状況でスヴェンは荷獣車から飛び降りる。

 そして密かにアシュナに隠れるように指示を出し、杖を構えたミアが荷獣車から飛び出す。

 

「アンタも危ねえから退いてろ」

 

 いくらモンスターが人間だけを襲うとしてもこの状況では誰が標的にされてもおかしくない。

 特に魔法によって手負いのエイプマンは誰に対しても見境がないだろう。

 だからこそミアに退がるように告げたのだが、

 

「エイプマンは任せるけど、責めて私にも分担させて」

 

 退がる意思を見せないミアにスヴェンは仕方ないと息を吐く。

 

「分かった、そこまで言うなら任せる」

 

 スヴェンは荷獣車の側で体勢を立て直した野盗少年に気を配りながらエイプマンに駆け出した。

 既に手負い、油断は決して出来ないが目先の脅威を最優先で排除する。

 威嚇するエイプマンの岩を彷彿とさせる肉体にガンバスターで袈裟斬りを放つ。

 刃がエイプマンの肉体を傷付け、鮮血が舞う。

 どうやら既に障壁を展開できないほどに魔力を消耗しているようだ。

 これなら野盗集団の魔法を誘発せずとも如何にかなると思案すると、斬られたことにエイプマンが咆哮を叫びながら拳を振り抜く。

 迫り来る拳を前にしたスヴェンは、跳躍することで拳を避けーーエイプマンの背中を斬り付ける。

 スヴェンが着地点に視線を向ければそこには魔法を唱える野盗集団の姿が、

 

「『炎よかの者を呑み込め』」

 

「『稲妻よ敵を穿て』」

 

「『水流よ押し流せ』」

 

 詠唱に呼応する魔法陣を前にスヴェンはガンバスターの銃口を構えーー隣りに飛び出す長い青髪に眼を細める。

 エイプマンを飛び越えたミアが魔法陣を展開する三人の野盗に対し、

 

「てりゃあ!」

 

 杖を薙ぎ払うことで野盗三人の頬を殴り飛ばした。

 中断された魔法陣が粒子状に離散し、野盗三人が立ち上がるよりも速くミアがその場を跳び、回転を加えた踵落としを放つ。

 峠道に鈍い音が響き渡り、そして地面に倒れ伏す三人の野盗にミアは胸を撫でおろす。

 そんなミアを背後から狙うエイプマンに、スヴェンは立ち塞がるようにガンバスターを盾に構える。

 残りわずかの魔力を纏った拳を前にスヴェンはガンバスターに魔力を流しーー拳がガンバスターに触れる瞬間に魔力を解き放つ!

 スヴェンは魔力によって拳が弾かれたエイプマンの頭部にガンバスターを振り下ろす。

 刃がエイプマンの頭部を斬り裂き、夥しい返り血と共にエイプマンの肉体から魔力が粒子に離散する。

 

「あとは6人か」

 

 返り血を浴びたスヴェンは、排除すべき標的に鋭い眼孔を向け歩み出す。

 先ずは野盗集団の残り二人、その後に倒れた荷獣者の影から隙を窺う野盗少年だ。

 脅威を排除すべくガンバスターを構えるスヴェンに、二人の野盗が恐怖に頬を引き攣らせる。

 

「待ってくれ、モンスターも倒したんだ。ここは一時休戦と行こうじゃないか!」

 

「そ、そうよ! アタイ達と組んだらメリットが大きいわよ!」

 

 助かりたいその場限りの命乞い。二人の瞳からこちらの隙を窺い、あわよくば寝首を掻く。そんな感情が明け透けに見て取れた。

 当然ここで甘い判断を出せばミアとアシュナが危険に曝される。

 彼らの提示するメリットとは何か。そんものに最初から興味が無いスヴェンは足を止めず進む。

 最初から野盗は掠奪目的で行動している。ならこちらの出す答えも単純明快だ。

 

「ガルドラ峠に出没する野盗退治……そっちの方が俺達が得られるメリットがでけえ」

 

「あなた達はエイプマンと交戦中の彼を狙ってましたよね?」

 

 スヴェンは気絶している野盗三人の前で足を止め、躊躇なくガンバスターをーー彼らの背中に一閃放つ。

 まとめて斬り裂かれた背中から噴き出る鮮血に野盗二人の眼差しが恐怖から怒りに染まり、同時にミアからなんとも言えない表情を向けられる。

 脅威は排除すべきだが、目の前で起こる殺しをミアが肯定する必要は無い。

 まだミアは常人の領域に居るまともな人間だ。彼女が外道の領域に足を踏み込むことも無ければ、間違ってもそんな選択肢を抱かせてはならない。

 スヴェンは互いの武器を構えながら、

 

「「よくもぉぉぉぉっ!!」

 

 怒声と我を失いながら突進する二人に対し、ガンバスターを薙ぎ払う。

 胴体から崩れ落ちる上半身が地面に落ち、二人の怨念を宿した暗い瞳がスヴェンを見据える。

 そんな亡骸にスヴェンは何も感じず、ただ無感情に背後に振り向く。

 

「さて、あとは一人だ」

 

 荷獣車の物陰に隠れる野盗少年にはっきりと告げれば、彼は意を決した表情で姿を現す。

 そして野盗少年は身の丈に合わない大剣を捨て、短剣を片手に跳躍した。

 スヴェンの懐に素早く入り込んだ野盗少年が短剣の刃を突き刺す。

 だが刃が腹部に届くよりも速く、スヴェンは短剣の刃を左手で握り締めていた。

 ガンバスターを手放したスヴェンは、右拳を野盗少年の腹部に放つ。

 鈍い打撃音と野盗少年の表情が苦痛に歪み、同時にスヴェンの拳を硬い違和感が襲う。

 何かを仕込んでいる。それも鉄かと思っていたが、どうやら違うらしい。

 魔法による防御かと推測したスヴェンは野盗少年から手放された短剣を奪い取り、地面に投げることで彼から武器を奪う。

 腹部の痛みにたたらを踏む野盗少年にスヴェンはガンバスターを拾い、

 

「ミア、眼を瞑ってろ」

 

「えっ……?」

 

「コイツを始末する」

 

 スヴェンに野盗少年を見逃す理由は無い。だから簡単に殺せてしまうのだが、ガンバスターを振り上げると背後からミアが抱き付き、

 

「待って! スヴェンさんの考えは分かるけど! まだその子にはやり直す機会が有るんだよ!」

 

 懇願するように訴えられた。

 ミアの筋力では羽交締めにされようが簡単に抜け出される。

 拘束としての意味を成していないが、スヴェンはそんなミアに眼を向けず野盗少年に問う。

 

「おい、ガキ。今まで何人殺した?」

 

「人殺し? 野盗だけど人は絶対に殺さない……それがおれの美学さ」

 

 十歳の子供が美学を語るにはまだ経験も浅いように思うが、

 

「武器を手に人を襲うなら覚悟もあんだろ?」

 

 武器を手に取り人々を襲うならそれは子供だろうが戦士だ。

 例え野盗少年が人を殺さずとも掠奪による被害者は出ている。

 

「……生きるためにこの方法を選ぶしか無かったんだ。それにおれは他に生き方を……知らない!」

 

 野盗少年の叫びにスヴェンは眼を瞑った。

 自身も目の前の少年と同じように傭兵以外の生き方を知らない。

 だからといって野盗少年に他の生き方を提示することも出来ないが、スヴェンは先程からガンバスターを振り下ろさせまいと必死に抑えるミアに漸く視線を向ける。

 

「ガキを見逃してなんになる?」

 

「何にもならないかもしれないけど、まだその子は何者にも成れるよ!」

 

 更生した後の少年が選べる道筋、可能性を訴えるミアにスヴェンは負けたように力を緩める。

 

「俺は一度だけソイツを見逃す」

 

 ここで見逃した場合、野盗少年が起こす行動に対するあらゆる責任が付き纏うがーー今回の件は俺が判断したことだ。

 スヴェンはミアに責任を求めることもせず、漸く離れたミアにため息を吐くと。

 

「スヴェンさん、この責任は必ず私が取るから」

 

 こちらの思考を、考えを見抜いたうえで覚悟を示した眼差しでそう告げられた。

 ミアの覚悟を本物と受け止めたスヴェンはガンバスターを背中の鞘に納める。

 

「ってわけだクソガキ、あとは好きにしろ」

 

 これであとは急いで予備の車輪と交換し、出発するだけ。

 そんな予定を思案するスヴェンを他所に野盗少年が、

 

「あのさ、ジルニアまで付いて行っちゃダメか?」

 

 そんな申し出にスヴェンは嫌そうに眉を歪めるも、

 

「それじゃあ車輪の交換作業を手伝ってください」

 

 微笑むミアに黙り込んだ。

 

「アニキ、姉ちゃん……おれはラウルって言うんだ、少しの間だけよろしく」

 

 そう言って一人先に倒れた荷獣車に駆け出すラウルの背中からスヴェンは視線を逸らす。

 

「あとでアシュナに恨まれても知らねぞ?」

 

「あちゃー、あの子は行動できないことに不満を抱いてるもんね。……アシュナのことは?」

 

「当然隠すさ」

 

 ラウルに対してアシュナを隠す方針を決めた二人は、彼が待つ荷獣車に駆け寄る。

 そしてスヴェンは倒れた荷獣車を起こし、三人で予備の車輪と交換作業を済ませーーモンスターの遠吠えに急ぎ出発するのだった。



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8-3.旅の休憩

 ガルドラ峠を越えガルドラ峡谷に入ったスヴェン達は、そこから数日の旅を続けて漸くジルニアの守護結界領域内に辿り着いた。

 ガルドラ峡谷の峡谷の町ジルニアまで遠くは無いが、険しい峡谷の道と練日の休まらない野宿、モンスターの襲撃の影響でミアとアシュナ、ラウル。そしてハリラドンに決して無視できない疲労が蓄積されている。

 全員の疲労を確認したスヴェンはゆっくりと口を開く。

 

「ミア、ここら辺で今日は野宿にしねえか?」

 

「まだ昼過ぎだけど、確かに休憩が必要だね……それに水浴びもしたいし」

 

 ミアの言葉にスヴェンは耳を研ぎ澄ませ、そう遠くない位置から聴こえる水音になるほどと理解が及ぶ。

 フェルシオンの守護結界領域を抜けてからモンスターに対する警戒、当然生息地域で水浴びなど出来るはずも無い。

 誰も口や態度に出さないが臭うのだ。特に荷台の中はなおさらに酷い。

 これでは精神面にも衛生面でも悪影響を与え、何かしらの病気に感染してはそれこそ笑えない冗談だ。

 戦場や旅で尤も恐ろしいのは不衛生による疫病や食糧難に置いて他にないだろう。

 

「湯を沸かすのも有りだな」

 

「……水浴び」

 

 何か考え込むラウルにスヴェンはなんとなく予想が付く。まだ十歳だが彼も男だ。

 異性に興味を抱くには充分な歳頃と言えるが、スヴェンが警告を発するよりも早くミアが顔だけこちらに向ける。

 

「覗こうなんて考えないでくださいね」

 

 はっきりとラウルを捉えた鋭い視線に彼は萎縮しながら、それでも反論を述べた。

 

「お、おれだけじゃなくてスヴェンのアニキにも言えることだよね!?」

 

 ラウルの反論にミアは小悪魔のような笑みを浮かべ、

 

「……スヴェンさんも覗きたいの?」

 

 そんな揶揄いが見て取れる言動にスヴェンは鼻で笑う。

 

「あっ? 寝言は寝てから言え」

 

「はい、この通りスヴェンさんは私の身体に興味なんて微塵もないのよ」

 

「え〜姉ちゃんはかなりかわいいと思うんだけどなぁ」

 

 ラウルに正気を疑うような眼差しをされても反応に困る。

 困りついでに荷獣車が停止するとミアが微笑みを浮かべ、

 

「ラウル君は見る目がありますね〜スヴェンさんのように他者に無関心で美的感覚に難の有る大人に成長しちゃダメですよ」

 

 ミアの発言にスヴェンはわざとらしく肩を竦め荷物を荷獣車から運び出す。

 

「あっ! 手伝うよアニキ!」

 

 ラウルがそう言って何を指示する訳でもなく自主的に手伝う。

 彼が荷獣車を離れ開けた岩場で荷物を降ろしている頃、スヴェンは天井裏から覗き込むアシュナに視線を向ける。

 

「アンタもミアと水浴びでもしてこい」

 

「ミアが溺れたら魔法で知らせるから」

 

 そう言えばミアはかなづちだと言っていた。水源がどれほどの深さか判らないが、流石に深い場所までは行かないだろう。

 彼女は言動こそ喧しいが賢い少女だ。

 スヴェンが内心でそう判断しながら頷いて見せれば、ミアは自身の荷物を手に取る。

 

「それじゃあ行ってくるから設営の方は任せるね」

 

 スヴェンは適当に頷き、ミアと密かに着いて行くアシュナを背に野営の準備に移った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 野営の設営も済ませ、しばらくしてからミアが戻った頃。スヴェンはラウルと近場の湖に足を運んでいた。

 峡谷の中腹、岩陰と岩壁に隠された湖にラウルが眼を輝かせ、

 

「おぉ! こんな所に湖が有るなんて知らなかった!」

 

 スヴェンは周囲に視線を向け、まるで強大な力によって破壊されたような地形にーー戦闘の名残りか?

 天然かもしれないが、岩壁の波状に此処で何かが有ったのだと推測する。

 スヴェンは推測を浮かべながら岩場にガンバスターを鞘ごと立て掛けてからノースリーブの上着を脱ぎ、湖の水面で手洗いを始めた。

 同時に首にぶら下げたIDタグとネックレスの封印の鍵に視線が向く。

 

 ーーあれから身に付けているが、悪影響だとか妙な兆しはねぇな。

 

 何も変化が起こらない封印の鍵にスヴェンは視線を外した。

 何も起こらないことに越した事は無いーー手洗いを続けるとラウルの疑問を浮かべた視線に気付く。

 

「えっ、天気が良いけど乾かないんじゃ?」

 

「ちと特殊な繊維でな……10分もすれば乾く」

 

「いいなぁ〜おれも洗濯したいよ」

 

 既に梅雨が明けたが、日付は六月二十三日で本格的な夏にはまだ早いが、体感温度で言えば十五℃にも満たない気温だ。

 これはデウス・ウェポンの夏の気温と比較して相当低い。

 

 ーー最高気温が80℃を超える夏と比較してもなぁ。

 

 さっそくテルカ・アトラスとデウス・ウェポンの気温の変化差は比べようも無い。

 ただ言えることは、もう少し気温が高ければラウルの服も洗濯してすぐに乾くだろうが、

 

「アンタは炎系統の魔法は使えねえのか?」

 

 魔法の応用で服はすぐに乾かせる。だからそんな疑問を聞けば彼はゆっくりと首を横に振ることで、使えないと否定した。

 

「オレは水と硬化魔法ぐらいかなぁ。……ほとんど独学だから上手く使えないけど」

 

 聞き覚えのない硬化魔法にスヴェンは、ラウルを蹴り飛ばした際の感触を思い出す。

 肉体の一部を詠唱も無く硬化させ防御に転用させる魔法。それとも事前に魔法陣を仕込み、魔力を流すだけで発動するようにしているのか。

 そこまで考えたスヴェンは服を脱ぎ捨て湖で泳ぐ彼の姿に疑念を浮かべる。

 

 ーー魔法学院に通ってんなら魔法の知識も得られるだろうが、野盗にならざるおえないガキが独学で魔法を?

 

 彼がエルリアの国民で無ければ外国の教育機関で学び、その後なんらかの出来事で野盗になったとも考えられる。

 例えば人攫いによって何処かに売り飛ばされた元商品や邪神教団の生贄ーーいずれにせよ彼とはジルニアで別れる。

 そこまで深く詮索することも世話を焼く必要もないだろう。

 思考を終えたスヴェンはズボンを脱ぎ、洗濯を済ませてから湖の水面に浸かる。

 若干冷たい水温にスヴェンは顔色一つ変えず、身体を水で洗い流すとーーラウルの興味深そうな視線が突き刺さった。

 ラウルが自身の身体とこちらの身体を交互に見比べ、悩ましげな表情に、

 

「鍛錬すりゃあ自然と筋肉は付く」

 

 そう答えてやればラウルの表情が輝く。

 彼の眼差しや反応は純粋で、そこに悪意は感じられない。

 ラウルを同行させてから三日が経つが、彼はミアの言う言葉に熱心に耳を傾け何かを模索するように悩む様子を見せていた。

 それは野盗以外の生き方を子供なりに模索しているのだろう。

 幼少期から戦場と殺しを経験し外道に堕ち、ラウルが何かを企て、寝首を掻こうものなら即座に始末する事を念頭にしてる自身よりラウルはまだマシな状態だ。

 

「オ、オレの身体を見つめてどうしたんだよ?」

 

 別に見詰めてはいないが、彼に関して推察が要らぬ誤解を招いたらしい。

 スヴェンは改めてラウルの細い身体を一眼見て、

 

「アンタの体格と筋力じゃあまだ大剣を扱うには無理があんな……いや、大剣を手にして1週間以内ってところか」

 

 筋力からそう告げればラウルの肩が強張る。

 

「見て判るようなものなのか?」

 

「観察眼っての生きるために必須だろ」

 

「……あの大剣は行商人の荷物から奪ったんだ。一番高そうだったし、なんだかカッコいいだろ?」

 

 見栄えで武器を選びたくなるのはわかる話だが、それで扱えない武器を選んだ結果、死んでも可笑しな話ではない。

 

「言いてえことは判るが、身の丈に合った武器が一番だ。てか武器商人を襲ったのか?」

 

「いや、襲ったのは雑貨商……なんで大剣が積荷に入ってたのかは分からないけど」

 

「で? その奪った大剣は捨てて来たと」

 

「いやぁ、カッコいいだけじゃダメなんだな」

 

 掠奪経緯ではあるが一つ学びを得たのならラウルの経験値として活かせるだろう。

 尤も真っ当な経験でも無ければ、常人からすれば褒められたことでもない。

 

「得物は身の丈に合った物が一番だ。特に手に馴染む物はな」

 

「アニキのあの変わった大剣もか?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 傭兵として戦場に応じて武器を替えることは有るが、決してガンバスターだけは外さなかった。

 運用面では重量から他の重火器を携行できない不便な面もあるが、強襲に適した一撃離脱と瞬時に切り替え可能な射撃という特製が自身の戦闘スタイルにも適していた。

 ガンバスターとの出会いは中々得難い経験に思える。

 武器に関して話をするのも悪くないと思えるが、ラウルの健康的だった唇は既に紫色に変色していた。

 このまま長いしては風邪を引かせることになると判断したスヴェンは水面から立ち上がり、

 

「そろそろ上がるぞ」

 

 上がるように促せばラウルも水面から立ち上がる。

 そして寒そうに身体を震わせた。

 

「なんか温かい物を呑みたいなぁ」

 

 旅の積荷に用意されている趣向品はコーヒーか紅茶ぐらいで、あとはミアがフェルシオンで買い足していたミルクぐらいだ。

 

「飲みもんは……ホットミルクで我慢しろ」

 

「オレ、そんなに子供っぽいか?」

 

「コーヒーが飲めんなら構わねえ」

 

「こーひーってなんだ?」

 

 どうやら野盗生活でコーヒー豆を見る機会が無かったようだ。

 コーヒー豆が飲食料とは思わず、奪わなかったかもしれない。

 なんとなくそんな推測をしたスヴェンはラウルを邪険に扱わず、

 

「黒くて苦い飲みもんだ」

 

 簡単に教えるとラウルは顔を顰めた。

 

「苦いのかぁ……じゃあホットミルクでいいよ」

 

 苦味は苦手だと語るラウルに、スヴェンはなるほどと理解を示しながら湖から上がる。

 そして用意していたタオルで身体を拭き、手早く着替えを済ませた。

 

「あ、アニキは行動が速いよ」

 

「あん? ゆっくり着替える理由もねえだろ」

 

「まあ、それもそうかぁ」

 

 そんな他愛もない会話を済ませたスヴェンとラウルはミアが待つ野営地に戻るのだった。



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8-4.夜明け前の絶叫

 まだ日も昇らない内に悪い夢に影響されてか、額にびっしょりと汗を掻いたラウルは飛び起きた。

 

「っまたあの夢か……」

 

 異形の黒い影に逃げても逃げても闇が周囲を侵蝕しながら永遠に追いかけられる夢。

 ここ数年は同じ夢をたまに見る。

 あの異形の影はモンスターだったのかは目覚めたラウルには判らない。

 しかし何かの警告なのか、単なる恐い夢だったのか。

 繰り返し何度も見る夢だが不思議と記憶に残らず。そんな夢だからこそラウルは深く気に留めず欠伸を掻いた。

 ふと焚火の前で目を瞑るスヴェンが視界に映る。

 丸太に座ったまま微動だにしない彼は果たして眠っているのか、この数日で学習したことと言えば眠っているスヴェンに近寄ってはいけないということだ。

 同行してから初日の夜、興味本位で眠っている彼に近付けば、一瞬の内に視界が転倒。喉元に突き付けれるナイフの刃の感触は今でも鮮明に刻まれている。

 あの時見たスヴェンは言葉に言い表せないほどに恐ろしいものだった。

 そんな彼が隙を見せているが、自分は学習する男だ。

 また下手に近付いて命を落としたくない。責めて新しい生き方を見付けて野盗としての罪を償いたい。

 ラウルはスヴェンから視線を外しては立ち上がり、寝汗まみれの身体に険悪感が浮かぶ。

 

「はぁ〜ひとまず水浴びでもしてこよ」

 

 手近な丸太に短剣でメッセージを刻んでから昨日の湖に足を運ぶ。

 暗がりの道、騒つく木々の音が夢で見た悪夢も手伝い、ラウルに恐怖心を芽生えさせる。

 

「……アニキを起こしてくればよかった」

 

 決して一人で湖まで行かないほど恐い訳では無いが、用心することに越したことはない。

 だがスヴェンに声をかけたところで『一人で行け』と言われるのもなんとなく想像できてしまう。

 

 ーーいいや! 男がこの程度で怖がってどうする!

 

 自身に喝を入れるように頬を叩き、そしてそのまま湖まで駆け出す。

 そうして木々を抜け、月明かりに照らされる湖を視界に収めたラウルはーー湖の中心、水面に佇む裸体で白髪の少女の姿に一気に血の気が引く。

 人が水面に直立で立つなど有り得ない。おまけに兎を彷彿とさせる白い肌が嫌な想像を掻き立てるには充分だった。

 この地で幼くして死亡した少女の霊体ーーそんな想像に青ざめたラウルは、

 

「で、出たぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫と共に意識を手放した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ラウルの悲鳴が湖方面から聴こえたスヴェンは眼を開く。

 

「……面倒だな」

 

 しかし情け無い悲鳴を耳にした以上、面倒ではあるが無視もできない。

 ラウルが何かに襲われたにせよ、何かを目撃して恐怖によって気絶したにせよ、野盗から足を洗おうとしている彼を放置するのも憚られる。

 スヴェンは立ち上がりガンバスターを背中に背負うと、女性用のテントからのそのそとはたげた寝巻き姿のミアが出て来た。

 

「う〜もうあさぁ?」

 

「まだ日も昇っちゃいない」

 

「ふわぁ〜……そういえばアシュナは?」

 

 ミアがまだ寝ぼけ気味の瞼を擦りながらそんな事を訊ねてきた。

 そういえばアシュナも夢見が悪かったのか、びっしょりと汗を掻いた彼女は湖に行くと言っていた。

 その事を思い出したスヴェンは湖の方向に視線を向ける。

 

「アシュナなら水浴びに行った」

 

「ふーん、夢見でも悪かったのかな? ……あれ? ラウル君も居ないけど」

 

「なんだ、悲鳴で目覚めた訳じゃねえのか」

 

 まだ完全に目覚めていないのか、ミアは頭を掻きながら薄目で欠伸をしては、

 

「ねむっ……スヴェンさんにお願いしていい?」

 

 言い終えるよりも先に身体はテントに戻っていた。

 

「ああ、何か有ればアンタを起こすがな」

 

 ミアに聴こえたかは判らないが、そのまま寝かせてやるのが吉だ。

 改めてスヴェンはラウルの回収のために湖に方向に歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

「マジで気絶してんのかよ」

 

 湖から少し離れた場所で仰向けに気絶したラウルに思わずため息が漏れる。

 これが敵対者による犯行じゃないことは喜ばしいことだが、彼は一体何を見て気絶したのか。

 スヴェンは岩陰からこちらを覗き込むアシュナの視線に気付く。

 ラウルがアシュナを目撃した可能性が有るが、

 

「……何があった?」

 

 彼女に事の詳細を訊ねると小首を傾げられる。

 

「分かんない。勝手に悲鳴を叫んで気絶した」

 

 人が何を目撃して気絶に至るのか。それは恐怖心によるものか、それとも別の原因か。

 少なくともアシュナを目撃して気絶したのだと推測は立つ。立つのだが彼女を見て恐怖を感じるかと問われれば、強い疑問しか浮かばないのも事実だ。

 いずれにせよ目覚めたラウルに改めてアシュナを見られる訳にもいかない。

 

「アンタは先に戻ってろ」

 

「ん、水浴びも終えたし戻って寝てる」

 

 そう言ってアシュナは一瞬で岩陰から姿を消し、彼女の気配が野営地に向かう。

 スヴェンは湖に視線を向け、月明かりに照らされる水面に息を吐く。

 こんな何ともない光景を見て気絶したのか? そんな疑問を頭に浮かべながら未だ気絶するラウルを脇に抱え、野営地まで引き返すのだった。

 結局翌朝に気絶した理由を訊ねてもラウルは青褪めるばかりで答えることは無く、微妙な空気が漂ったまま峡谷の町ジルニアに到着することに。



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8-5.峡谷の町と祭り

 ガルドラ峡谷の中間に位置し、崖と崖を繋ぐように建造された町ーージルニアは鉱山の産出地としても有名だがこの時期は町人にとって祭りだ。

 崖と崖を繋ぐ巨大な橋を基盤に建造された白い石造りの町並みは祭り用に飾り付けられ、石材場や鉱山から採掘した素材を使った芸術的な彫刻の展示品が並ぶ。

 これだけでも観光として訪れた意味が有るのだが……。

 スヴェン達が峡谷の町ジルニアに到着すると楽しげな賑やかな声が町全体から響く。

 

『野郎どもぉぉぉ!! 網をかけろぇぇ!!!!』

 

 先頭に立つ大柄の男による威勢のいい掛け声を合図に、町人が息を合わせ、崖の合間に網を一斉に貼った。

 そんな様子を荷獣者から覗き込んでいたスヴェンが、一体何をしているのか疑問を浮かべていると、楽しげなミアが語り出す。

 

「前に浮遊魚の漁獲時期が近付いているって言ったことを憶えている?」

 

「もちろん憶えてるが、いま行われてんのが漁ってことか」

 

 漁獲といえば海という常識、アーカイブによる知識が現在進行形で進んでる漁によって尽く否定されている。

 それはなんとも表現し難い感覚が頭と感情を駆け巡っていた。

 異界人にとって非常識だが、テルカ・アトラスにとっては常識。自身の常識との違いには慣れたつもりで居たが、まだまだ知らない経験の方が多い。

 デウス・ウェポンの平均寿命は五百年だ。五百年の間でどれだけ元の世界の常識が非常識となるのか、スヴェンはそんな事を茫然と考えながらミアの声に耳を傾ける。

 

「そう、山間に暮らす人々にとって新鮮な魚は貴重な珍味だからね。だから町人総出でお祭り騒ぎなんだよ」

 

 祭りと聴いてラウルがそわそわと身を捩らせた。

 

「祭りははじめてか?」

 

「うーん、うろ覚えだけど小さい頃に家族と行った事は有るかな」  

 

「そうか、楽しかったか?」

 

 そんな質問をするとラウルは家族を思ってか、何処か遠くを見つめていた。

 彼の瞳は十歳の子供がするにはまだ速いように思えるが、ラウルにとってそれが辛い経験で野盗になる要因だったのかは判らない。

 いずれにせよ彼とはこの町で別れる。野盗としての罪を清算するのも、この先の生き方を見つけるのもあとは彼次第だ。

 これは命を奪わず選択肢を与えた大人としては無責任な行動でしかない。

 だがスヴェンは失敗できない依頼とラウルの人生を天秤にかけるなら前者を確実に選ぶ。例えそれが無責任で非人道的とも言われようとも。

 それに彼の人生はまだまだ長い。愛情も知らず戦場でしか己に価値を見出せず、戦場を自身の産まれた帰るべき場所と定めている外道よりはラウルは遥かにマシでまともだ。例えどんな過去を抱えようとも彼に選択の自由が残されている。

 スヴェンがそんな事を思っていると町中から威勢のいい声、そしてミアとラウルの興奮した声が同時に耳に響く。

 何事かと窓を覗き込めば、

 

「……いやいや」

 

 魚の群れが空を飛び谷間を通過する。それは事前に話しに聴いて特異な生態系を誇ると認識していたが、実際に目にすると異常な光景だと判る。

 一体何処の世界に鯨並みの巨大な魚が群れ単位で空を飛ぶと言うのか。

 群れの先頭の浮遊魚が最初の網に掛かり、網を張っていた町人が引っ張られまいと踏ん張る。

 そこに続々と続く浮遊魚の群れが巨大網を引っ張りだす。

 アレが実はモンスターだと言われればまだ納得もできよう。だが悲しいことに守護結界領域を何事も無く通過できるのはモンスター以外の生物だ。

 そもそも巨大魚に等しい群れが網一つで漁獲できる筈もなくーー最初の網は見事に突破され、第二第三と網を突破して行く浮遊魚。

 そんな彼らの瞳は『どうした? 小さな生物共よ、そんなので我々を捕獲できるとでも?』とでも言いたげな挑発的な瞳をしていた。

 それに負けじと町人は魔法による筋力強化を施し、次々と第四、第五の巨大網に魔法で電流を流し、浮遊魚の勢いを削ぎーーそして最後の第八の網で。

 

「いまだぁぁ!! 全員下丹田の魔力を捻り出してでも渾身の力を込めろォォ!!」

 

 全員に指揮を飛ばしていた大柄の男による単純明快な指示に、町人全員が同時に魔力を解放する。

 最後の網にかかった浮遊魚は蓄積された疲労により、網を突破できずーーむしろ巨体同士の衝突によって網が複雑に絡み合う。

 身動きが取れなくなった浮遊魚は大柄の男の掛け声に合わせて崖上に引っ張られる。

 そして諦めたのか浮遊魚は『見事なり、我々は喜んで貴公らの糧となろう』とでも言いたげな誇らしげな眼差しで人々を見つめていた。

 漁獲できた浮遊魚は十頭。漁獲から逃れた浮遊魚の群れ空や谷間を飛行し、やがて彼方へ過ぎ去って行く。

 

「しゃあああ!! 海の幸に感謝して勝利の勝鬨を挙げよ!」

 

 大柄の男の一斉に町人全員の大歓声がガルドラ峡谷全土に響き渡った。

 漁獲の流れから最後まで静観していたスヴェンは深い息を吐く。

 戦場以外で心を刺激され、戦意が高揚する日が来るとは想像もできなかった。

 改めて自身の狭い世界と世の広さを実感させられた。

 

「祭りってのはこうも心が躍るのか」

 

「スヴェンさんが食事と戦闘以外で興味を示した……うん、活気と熱意があなたの心を動かしたのかな」

 

「んなわけ……いや、そうなんだろうなぁ」

 

 ミアの言葉を否定せずに肯定すると、彼女は晴れやかに笑っていた。

 世界の違いと文化。平和だからこそ楽しめる祭りによって自身の心は決して少なくない影響を受けた。その背景に血で血を洗う過酷な戦場から長い間離れていることも有る。

 もちろんそれだけでは無い。恐らく心に変化を齎した大きな要因は美味い食事だ。食事が心に影響を与えるっとアーカイブに残されていた記録だから間違いないのだろう。

 スヴェンは顔に出さずそんな結論を出すと、荷獣者がジルニの繋ぎ場に停まる。

 

「それじゃあ今日は宿を取って祭りを楽しもうよ」

 

 ミアの提案にラウルは何処か遠慮気味にしていたが、空腹を訴える腹の虫に、

 

「野宿であんまりまともなご飯は食べられなかったし、育ち盛りが遠慮なんかしないの」

 

 ミアの優しげな提案にラウルは次第に笑みを浮かべた。

 

「今日は美味い物を腹一杯食って……あ〜」

 

 スヴェンは視線を町中に向け、そこで民家の物影に隠れる邪神教団の信徒の姿になんとも言えない表情を浮かべた。

 それは彼らの姿を発見したミアも同じだったらしく、状況をいまひとつ飲み込まないラウルを置いて二人は同時に深いため息を吐いた。

 ふと気付けば町に入り込んでいる邪神教団をどうするべきか、それは祭りを邪魔されたくなければ答えは決まっている。



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8-6.峡谷の邪神教団

 浮遊魚の漁獲成功に賑わう町人達、そんな彼らを民家の物陰から覗き込む二人の邪神教団。

 彼らが単に邪神教団に扮したお茶目な一般人ならまだ良いだろう。

 しかし祭りで浮き足立つジルニアで彼らが行動を起こせばせっかくの祭りなど台無しになる。

 特に漁獲された浮遊魚を味わう前に台無しにされては堪らない。

 スヴェンは無言のまま荷獣車から飛び降り、ガンバスターを引き抜いた。

 

「ラウルは荷獣車で待機してろ」

 

「……聴きたいことがあっても?」

 

 ラウルの過去に邪神教団が絡んでるのだとしても彼が求める情報が得られるとは限らない。

 だが野盗から足を洗う過程で邪神教団の企み阻止に貢献したと成れば、幾らかマシな対応はされる。

 

「気配を断ちながら背後に回り込む……やれるか?」

 

「そういうのは得意なんだ」

 

 ラウルはそう言って荷獣車から静かに降り、物音一つ立てず物陰に隠れて見せた。

 隠密技術を有した野盗ーー襲撃に適した技術は体得済みってことか。

 環境が人を成長させると言うが、果たしてそれは素直に褒められるべき成長なのか?

 スヴェンはそんな疑問を胸に、気配断ちと縮地の応用で瞬時に物陰に隠れる邪神教団の背後に回り込む。

 そして引き抜いていたガンバスターの刃を二人の首に向けた。

 

「祭り中に一体何を企んでやがる?」

 

 脅しの意味を込めた殺意が伴った声に邪神教団の肩が強張る。

 二人は特に抵抗する様子を見せず、両肩を挙げながら、

 

「確かに邪神教団に所属する信徒だけどよ。……楽しそうな祭りを邪魔するなんて無粋な真似はしたくない」

 

 フードの隙間からはっきりと見えた、琥珀色の瞳の真摯な眼差しでそんな事を言い出した。

 彼の言い分を信じるのは現状で不可能に近い。何せ邪神教団の正装とも言えるフード付きの法衣を着こなしているのだ。まだ変装していたなら言い分も甘い連中には通るだろう。

 

「それを簡単に信じられるとでも?」

 

 到底信じられない。後から到着したラウルでさえ疑っているのだ。

 それだけ邪神教団は人々に受け入れ難い存在だ。

 

「それはそうだ。我々は邪神様の復活を第一に動いているからな、偵察だと疑われても仕方ないさ」

 

 達観した様子で何処か諦めに近い感情を見せる男の信徒を他所に隣りに居たーー小柄の信徒が唸る。

 

「むぅ、世知辛いよぉ〜あんな奈落から出るのに信徒になる他に選択肢が無かったのに」

 

 フード越しから聴こえる少女の声にラウルは眉を歪めていた。

 事が起これば戦闘になる。ラウルにとって幾ら邪神教団であっても歳の近い、或いは歳上の異性と殺し合うのは躊躇してしまうのか。

 外道に程遠いまともな感性を前にスヴェンは少女の放った単語に思考を移す。

 奈落……何処か深い地下を拠点としているのだろうか。そこから出るには邪神教団の入信が必須条件とも取れるが、誰しもが望んで入信しているとは限らないのか。

 それとも入信以外の選択肢を与えられず育てられたか。例えば拠点が奈落の底に位置し、外部から完全に遮断された場所と環境なら他に道が無いのも頷ける。

 だからといって境遇に同情する気も無ければ、加減してやる理由も無い。

 

「抵抗の意思が無いなら魔法騎士団に通報するが、それとも死んでおくか?」

 

「それは勘弁! まだ俺達は邪神様の贄には成りたくない……そもそも邪神教団から抜け出す機会を伺っていたんだ」

 

 やはりフードから見える眼は真摯で嘘を感じられない。

 まともに会話が通じる邪神教団とこの先出会えるか、それを考えればもう少し話を聴いておく必要もある。

 

「俺達の事を誰にも告げないって条件を護り、アンタらが知ってる情報を告げるなら見逃してやれるが?」

 

「……それは質問の内容によるかも」

 

「えっ? そこは全面的に協力するところじゃないのか? アニキ、やっぱり信用できないぞ」

 

 ラウルの言いたい事は分かるが、一度条件付きで自害に追い込まれた者達を眼にすれば短絡的な判断もできない。

 

「末端の立場には幾つか口封じされてるってことか」

 

「殺されはしないんだけど、特定の情報は喋れないように呪いを施されているんだ……まあ俺達のような異端の烙印を押された者達以外にはたいして意味も無い呪いだけど」

 

 聴きなれない単語と一見するとフードに刻まれた一つ目の紋様に違いは無いように見える。

 それとも異端の烙印とは眼に見えない特別な記号なのか?

 

「異端の烙印?」

 

 スヴェンが疑問を口にすると、おもむろに少女がフードを捲り上げ、裸出された色白の肌に刻まれた紋章に眼が行く。

 二度と開かれないように閉ざされた一つ目の紋様を中心に腹部に刻まれた魔法陣にスヴェンは、魔力に意識を集中させた。

 下丹田に宿る魔力が魔法陣によって動きを阻害されているのか、魔力の流れは弱々しささえ感じる。

 それに魔力は魔法陣を通して何処かへ抜けている印象さえ感じられた。

 

「これが異端の烙印。教団を抜けた信徒と信仰心が皆無の信徒に現れる印」

 

「教団を抜けた瞬間に刻印が発動する仕組み……叛逆されないように魔力を抑制され、魔力は邪神像に注がれる……だから強力な魔法が使えなくなるの」

 

「……なるほど、異端の烙印を刻まれた信徒はまともに戦える手段さえ奪われてるってことか。アンタらには同胞に対して強い仲間意識が有るとばかり思っていたんだがな」

 

「確かに俺達は強い仲間意識で結ばれてるさ。だけどそれは多分……家族愛に似た何かなんだと思う、みんな同じ場所でずっと一緒に過ごしてきたから」

 

 邪神教団の異常な忠誠心と強い結束力が家族愛だとするなら、それこそスヴェンには理解し難い話だ。

 家族とは単なる棲み分け程度の言語に過ぎない。閉鎖された空間ならなおさら家族ごっこなのかもしれない。

 

「家族愛だとかはこの際捨て置くが、邪神教団の本拠地ってのは何処だ?」

 

 答えられないと理解しながら踏み込んだ質問をぶつけてみると、二人は困り顔を浮かべた。

 

「えーと、光も差さない深い奈落なのは分かるだけどさ……そこが何処の大陸で何処の国なのかさっぱり分からないんだ」

 

「邪神様とアトラス神が最後に戦った場所だとは思うけど」

 

 具体的な位置と場所は判らないが歴史を辿れば判ることか。

 スヴェンはそう判断し、何かを聞きたそうにしているラウルに視線を向ける。

 

「アンタも試し感覚で質問しておけ」

 

「……南西の小国ーーリンダルでおれを含めた子供達が邪神教団に売られた。なんでそんな事をしたんだ?」

 

 邪神教団に子を売ったのは親、そう語るラウルに二人は眉を歪めながら、

 

「エルリアから遥か南西に位置する小さな島国リンダル……それは多分だけど、邪神様に捧げる生贄の確保が目的だと思う」

 

 答えられる範囲が限られてきると語っていた割には随分有益な情報に思える。

 単に邪神教団にとって露呈しても問題ない情報なのか。

 

「おれは……餌の為に家族から捨てられたのか?」

 

 自身が家族に捨てられた事にショックを受けているラウルにスヴェンは何も言わず、改めて二人の信徒に視線を向ける。

 

「他に話せる情報は?」

 

「うーん、ジルニア周辺で邪神教団は活動してないかな。今は封印の鍵の探索を最優先に動いてる感じで……あーでも、近々ヴェルハイム魔聖国に招集命令が出されてたっけ」

 

「それ、無視してもいいんでしょ? わたしは世界を見たいもん」

 

「それは俺も同じだ。だけどヴェルハイム魔聖国からエルロイ司祭達を追い出さないとどうにもならないんじゃないかな」

 

「誰か魔王様を解放してくれないかなぁ」

 

 実に他人事のように語る二人にスヴェンはため息を漏らす。

 実際に本拠地の外に出たいから邪神教団に入信した二人にとって、邪神教団の行動は他人事なのだろう。

 

「自由に動きてえならその服装をどうにかしてからにしろ」

 

「……服を買うお金も無い」

 

 切実に訴える少女にスヴェンは肩を竦める。

 

「それこそ連中の資金を持ち出せばいいだろ」

 

「邪神教団はお金持ってないよ。そもそも買い物の仕方とかも判らないし」

 

 流通している硬貨はアルカ硬貨だ。邪神教団にとって敵が刻まれた硬貨を使いたくないのだろうか。

 使える物は何でも使えると考える者にとって、宗教絡みの拘りは些細な事でしかない。

 同時にここで二人に金を渡す理由も無い。期待している眼差しを向けられようともタダでやる金など無いのだ。

 

「邪神教団から足を洗いてなら魔法騎士団を頼れ」

 

 もちろん洗いざらい情報を求められ監視はされるだろうが、真っ当に生きるには必要な通過儀礼の一つになる。

 

「……分かった、それとお兄さんのことは絶対に他言しない事を約束するよ」

 

「うん、わたしも約束する。だからその大きい剣をしまってくれないかな」

 

 スヴェンは仕方ないと言わんばかりにガンバスターを鞘に収めると、二人の信徒はフードを退けて素顔を顕に町を歩く魔法騎士団の騎士に駆け出して行った。

 紫の短髪の少年と銀髪の少女をスヴェンとラウルは静かに見送る。

 後先考えずに動いているようにも思えるが、行動力が有ることは良いことだ。

 まだどうするべきか迷っているラウルにスヴェンは視線を向け、

 

「自首するなら早い方が面倒も少なくて済むぞ」

 

「もう少しだけアニキとお姉さんと一緒に居させてくれ」

 

「結論が出せるなら好きにしろ」

 

 スヴェンはそれだけ告げ、ミアの下に足を運ぶ。

 そんな背後をラウルが付いて歩いていた。



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8-7.祭りと不良

 ミアと合流したスヴェンとラウルは一先ず宿部屋を確保した後、改めてジルニアで開催されている祭りを見て回ることに。

 その背後で気配を隠しながら付いて歩くアシュナも伴って。

 スヴェンは先程の二人組の邪神教団を気に留めながらも、先頭するミアに付いて歩く。

 やがて芳ばしい香りに惹かれたミアが屋台の前で足を止め、スヴェンとラウルは露店の看板に視線を向けた。

 一本で銅貨五枚の浮遊魚の串焼き。それが炭火焼きで焼かれている真っ最中で、なんとも香料の香りが更に食欲を引き立てる。

 

「おじさ〜ん! 浮遊魚の串焼きを八本ください!」

 

 彼女が愛想笑いを浮かべれば、店主の男性が豪快な笑みを返す。

 

「おっ、お嬢ちゃんかわいいねぇ。そんなお嬢ちゃんには2本オマケだ!」

 

 焼き立ての浮遊魚の串焼き十本をミアが受け取り、それぞれ二本ずつ手渡される。

 メルリアの露店でも獣肉の串焼きを食べ歩いたが、祭りとは関係無く美味そうに見えて仕方ない。

 そもそも祭りという賑やかな雰囲気は不要なのでは? 他者が聴けば憤慨される可能性が有る独白にスヴェンは心の内に留め、浮遊魚の串焼きに齧り付く。

 

「っ!?」

 

 一口豪快に齧り付けば香料の塩味と辛味ーー極め付けは肉に近い分厚い赤身に乗った脂と引き締まった旨みが口内に一瞬で広がる。

 魚肉といえばさっぱりとした舌触り、中には淡白で羽獣に近い食感を持つ物の有るが、浮遊魚のそれはまるでステーキだ。

 魚肉に分類されているが、獣肉のような獣臭も魚特有の生臭を感じさせない。

 

「最高だ」

 

 味と満腹感に加えて歯応えも合わさった感想を漏らすと、

 

「もっと無いんですか? 肉厚の魚肉に対する感想が」

 

 ため息混じりでそんな事をミアに問われた。

 生憎と気の利いた食レポの類は苦手だ。

 

「悪いが俺にそれを求めたところで言葉が出ねえよ」

 

 正直に告げればミアがにんまりと笑みを浮かべた。

 

「言葉は出ないけど、笑顔は出てるよ」

 

 そんな指摘にスヴェンは疑問を浮かべ、ミアに視線を向ければ彼女は笑みを浮かべたままだ。

 美味い食べ物で自然と笑みが溢れていた。それは食事の力なのかは判らないが、一つやるべき事は決まっている。

 浮遊魚の串焼きを一本食べ切り拳を強く握り締めた。

 

「歯を食いしばるか? それとも拳を食うか?」

 

「どっちも殴るってことじゃない!」

 

 単なる冗談。これもミアと慣れたやり取りの一つだが、

 

「落ち着いて! アニキが殴ったらお姉さんのかわいい顔が大変なことになるから!」

 

「単なる冗談だ、本気で殴りはしねえよ」

 

「なんだぁ〜」

 

 陽気にラウルが笑うと様子を静観していた店主が考え込む様子で、ラウルを見つめていた。

 彼はジルニアの行商人も襲撃していた。ここでラウルの素性が発覚すれば面倒になる。

 店主の様子からミアも気付いたようで、

 

「あっ! あっちで的当てをやってるよ!」

 

 彼女に引っ張られる形でスヴェンとラウルは的当て屋に向かった。

 その背後で、

 

「うーむ。何処かで見たような……ガルドラ峠を襲う野盗はつい先日死体で発見された。なら勘違いかぁ?」

 

 勘違いで落ち着いたのか、それでもラウルに対する疑念は拭えない様子だ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンは物陰から感じる視線に警戒から視線を向けた。

 そこには何処かで見覚えが有る黒髪の少女が居たが、何処で見かけたのかそれとも単なる人違いか。

 少女が向ける視線は敵意を向ける訳でも単なる興味本意からの視線だ。

 そしてそんな少女の背後に位置する壁の隅から様子を監視するアシュナの姿も見える。

 少女が何かを起こせば即刻アシュナが悟られずに対処するだろうと判断したスヴェンは、的当ての店主と話すミアとラウルに近付く。

 

「クロスボウで景品を撃ち落とすんですか? 弓矢じゃない辺りが独自性がありますね」

 

 ミアの指摘に煙草を咥えたシスターの格好をした女性店主がクロスボウを片手に、凄みを利かせた笑みを宿す。

 

「アトラス教会も資金難だからね。出店できる時に出店するのさ……時に聴くが、異教徒の気配と悍ましい気配を感じるのだが」

 

「うーん、ちょっと身に覚えがないですけど……一回いくらです?」

 

「一プレイで銅貨10枚、ボルトは五発だ……ところで隠し立てすると碌な目に遭わないよ」

 

 接客と同時に本職を忘れない彼女にスヴェンはどうでも良さげな眼差しを向けつつ、クロスボウにボルトを装填するミアに視線を移した。

 彼女は狼のぬいぐるみに向けてクロスボウを構える。その構えは一般的な構え方だった。

 ただ何処か様になっているのは何故なのか?

 スヴェンとラウルが見守る中、ミアは一呼吸整えてから狼のぬいぐるみ目掛け引き金を引く。

 引き絞られたクロスボウの弦から放たれたボルトは真っ直ぐ狼のぬいぐるみのーー頭部に直撃し、狼のぬいぐるみの頭だけが虚しく地面に落ちた。

 狼のぬいぐるみがよほど欲しかったのか、ミアの背中から重い空気が漂う。

 スヴェンはそんな彼女の背中に眼も向けず台に置かれた四本のボルトに視線を向ける。

 

 ーーよく見りゃあ鏃を潰してねえのか。

 

「一発で撃ち落とすなんてやるじゃん。おめでとう、これが景品だ」

 

 煙草の煙を口から出しながら笑う女性店主ーーその手には狼のぬいぐるみの千切れた頭だけ。

 それを手渡されたミアが彼女に食ってかかる。

 

「ちょっと! こんな景品はあんまりですよ! というかこれでお祭りの屋台として成り立つと思ってるんですか!?」

 

「しっかり場所代を払ってるんだ。成り立つに決まってるだろ」

 

「景品の問題です! というかあなたは教会のシスターですよね!? 聖職者がそれで良いんですかっ!」

 

「ふむ、お連れの小娘は何が問題と言うんだね?」

 

 詫びれる様子を一切見せない店主にスヴェンはため息を吐く。

 我の強い手合いほど交渉ごととなれば手強い。特にボルトの鏃に関しては事前に確認しないミアに非が有るとも言えるだろう。

 いや、金を受け取って尖った鏃を渡す方が不義理もいいところなのだがーー質問に答えりゃあ鏃を変えんのか?

 しかし答えたところで鏃を交換するとも限らない。

 

「質問には身に覚えがねぇと答えた筈だ、それとも望まない答えに鏃を取り違えたとでも?」

 

「私はこれでもアトラス神の聖職者だ。偉大なる神に仕える清潔清らかな私がそんな小さな事で不義理を果たすとでも?」

 

 何処の聖職者に煙草の煙を排出しながら清潔清らかなと謳う者が居るのか。

 スヴェンとラウルは白んだ眼で戯言を語った女性店主に視線を向けた。

 

「ふむ、鏃の交換は原則しない主義なんだ。それにその鏃はアトラス教会の神秘で鍛えられた対吸血鬼系モンスター用の聖装備だぞ?」

 

 吸血鬼系モンスターは気になるが、聞き間違えで無ければ彼女は聖装と語った。

 聞き間違えかとラウルと眼を合わせれば、彼もしっかりと耳にしたのか呆れた眼差しを浮かべている。

 同時にミアが怒りから肩を震わせ、

 

「一体何処の世界で! 普通の祭りの屋台で! 対吸血鬼系モンスター用の聖装を的当て用に使う人が居るんですかぁ!!」

 

「目の前に居るだろ? 細かい事を気にするから処女なんだよ」

 

「なっ!? そ、それは関係ないですよ!」

 

 なぜ女は性経験の有無を引き合いに出し合うのか。それは男も同じだが、スヴェンは赤面しながらいよいよ台に身を乗り出すミアのローブの襟を掴む。

 

「ぐえっ!」

 

「落ち着け、ボルトはあと4発残ってんだ。なら狙うべき的は判るな?」

 

 スヴェンは女性店主をしっかりと見ながらミアの耳元で囁く。

 凶器を客に手渡すとどうなるか。身を持って体験して貰った方が話も早い。

 囁き声通りにミアはクロスボウを女性店主に向ける。

 だが引き金に掛かった指が動かない。

 いくら女性店主の横暴な態度に腹を立てていたとはいえ、人を撃つことを躊躇う。やがて冷静になったミアはこちらにクロスボウを手渡し、

 

「スヴェンさんは得意だよね?」

 

 代わりに撃てと語る彼女は中々良い性格をしているのだろう。

 しかしスヴェンは相手がアトラス教会のシスターであろうとも躊躇うことはない。

 スヴェンがクロスボウの引き金に指をかけ、彼女の心臓に狙いを定める。

 

「そういや、フェルシオンで人身売買を主導していた黒幕が未だ正体不明のままらしいが教会の情報網で何か知らねえのか?」

 

 引き金を引く前に確認しておきたいことを訊ねた。

 

「ん? アトラス教会でも調査は進めているがまだ正体には至っていない。しかし景品として私をご所望とは……では明日の朝まで愉しむとしよう。むろんベッドの上でな」

 

 彼女の言動にスヴェンは一気に不快感に襲われ、クロスボウを下げた。

 

 ーーコイツ、中々手強い。しかしアトラス教会も黒幕に関してはまだ何も得てねぇのか。

 

「おや、女性経験が豊富なキミなら激しいプレイも期待できると思ったのだが?」

 

「……戦場の殺し合いなら望むところなんだが、激しいプレイが望みならならそこら辺の異界人でも誘え。それか先から興奮してるそこのガキとかな」

 

「こ、興奮なんてしてないけど!?」

 

 ラウルが鼻息を荒げながら興奮した眼で否定したところで説得力は皆無だ。

 

「青臭い童貞を食べたところで面白味も無い……ふむ? なんの話だったか」

 

 スヴェンは顔を真っ赤に魚のように口をぱくぱくと開くミアに視線を移す。

 どんだけ純情なんだとツッコミたい衝動を堪え、

 

「はぁ〜如何あっても鏃を替えねえと?」

 

「うむ、最近はジルニアの守護結界を抜けた先……北西のモンスター生息地域でドラクルが確認されているからね」

 

「……あん? つまりアンタは的当て屋にカッコ付けて対吸血鬼系モンスター用の聖装を配ってるとでも?」

 

「最初からそう言ってるではないか」

 

 さも『何を言ってるんだ?』そんな憐れみも伴った舐め腐った表情に.600LRマグナム弾をぶち込んでやりたい。

 そんな殺意の衝動を必死に堪える中、

 

「最初からそう言ってくれれば良いんですよ。でも景品はちゃんとした物が欲しいです」

 

 ミアが女性店主に告げると彼女は景品の一つでもある、狼のぬいぐるみとボルトの束を手に取りそれらをミアに投げ渡した。

 改めて狼のぬいぐるみに視線を向ければ、どう見ても懐きそうにも無く可愛げの欠片も微塵に感じさせない代物だ。

 そんな狼のぬいぐるみとボルトの束を受け取ったミアはそれを愛おしいそうに抱き締め、

 

「わぁ〜! かわいいし抱き心地もすごい!」

 

「「かわいいのか?」」

 

 図らずともラウルと同じく感想が重なる。

 

「ふむ、私が夜鍋して作った甲斐が有ったな」

 

「えっ、不良シスターが作ったの? アニキ……女性って見かけに寄らないんだな」

 

「そんなもんだ。だいたい女の外見なんざ当てにならねえんだよ」

 

 ラウルに語ると彼はなるほどと頷いては、不意に背後の路地に振り返る。

 だがラウルが振り返った路地には誰も居らず、彼は首を傾げるばかりだった。

 

「なんか見られている気がしたんだけど」

 

「そりゃあ騒げば注目されんだろ」

 

 スヴェンはアシュナのことを誤魔化しながら、間違えなく女性店主との騒ぎで注目を集めた事実を二人に告げた。

 この場に留まり続けたところで何も得られないと判断したスヴェン達は次の場所へ向かう。



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8-8.祭りの展示品

 適当な場所に移動したスヴェン達は広場に展示された彫刻品に絶句していた。

 エルリアの国民がどれだけレーナを慕っているのかは理解していたつもりでいたが、祭りに展示された彫刻品はどれもレーナを模った作品ばかり。

 それも幼少期から現在の成長過程を芸術に落とし込んだ……いや、早速成長記録を彫刻品で忠実に寸分違わず再現させたと言えるだろう。

 ただ異界人であるスヴェンから見れば、展示品に何処か敬愛を通り越した異常性を感じて仕方ない。

 石材を彫刻技術で加工された芸術品と人々は言うが、スヴェンの目の前に有る石像をはじめとした彫刻品は着せ替え人形と遜色無い程の再現だ。

 

 ーーそりゃあ衣類まで着せてりゃあ異常性も増すか。

 

 同時に隣で絶句しているミアとラウルに視線を向け、

 

「どんだけこの国の国民は姫さんが好きなんだ?」

 

「私も敬愛はしてるし尊敬してるよ? でも流石に石像は造らないかなぁ……絵画とかなら買うけど」

 

「えっと、おれはこの国の産まれじゃないから知らないけど……こんなに並ぶとなんか今にも動き出しそうで怖いよな。というかどうやって採点するんだ?」

 

 確かにラウルの言う通りだ。漁獲祭と同時に開催されている彫刻祭は祭りの最後を飾るメインイベントの一つ。それを解説したのは他ならないミアだ。

 これだけ精巧に造られた彫刻品の中から一つだけ最優秀賞を選ぶのは非常に困難な気もする。そもそも一体どうやって評価するのか。

 その事を疑問視したスヴェンは絶句から敬愛と親愛の眼差しを展示品に向けるミアに視線を移す。

 

「アンタならどれが一番に見える?」

 

「うーん、私でも甲乙付け難い……全部素晴らしい作品だからこの中から一つだけ決めるのは難しいかも」

 

 現状でレーナと友人関係に落ち着いているミアがそう語るのだから、最優秀賞を決めるのはやはり難しいのか。

 

「というかどうやって採点するのか知ってんのか?」

 

「たぶん全ファンクラブ会員と会長、運営委員会と審査員で厳選に話し合って決めるかも」

 

 確かミアもエリシェもファンクラブ会員だと旅の最中に聞いた覚えが有る。

 

「そりゃあアンタも参加するってことじゃねえか?」

 

「まだそうとは決まったわけじゃないけど、その時は参加辞退かな……姫様のためにも仕事を優先して少しでも喜ばせてあげたいしさ」

 

 それにっとミアは付け加えて、

 

「今年が異常なんだよ。今まで何度か姫様の彫刻品が展示されることは有ったけど、全作品が姫様一色に染まることは無かったよ」

 

 今年は偶然の重なりが異常を生んだ。そんな馬鹿な話が有るのかとも楽観的に言えない状態だが、スヴェン達には祭りに対して何かをする権利は何一つ持ち合わせてはいない。

 だからスヴェンは結果だけ気に留めながら展示品を見上げる客に視線を移す。

 誰しもがレーナを模った彫刻品に目を奪われながら浮遊魚を使った料理を片手に食していた。

 その中には黒髪の少女の姿も見え、ミアがそんな彼女に興味深そうな眼差しを向ける。

 

「あれ? フェルシオンの闘技大会にも参加してた……確かアンドウエリカ(安藤恵梨香)さんだったかな」

 

 初めて聴く名だとスヴェンは思いつつも、アンドウエリカを影から見護る少年の姿に気が付く。

 気配の消し方と自然体でその場に溶け込む佇まい。どうやら彼もアシュナと同じ特殊作戦部隊の一人の様だが、肝心のアンドウエリカの同行者は何処に行ったのか姿が見当たらない。

 生きているなら職務放棄など有り得ない。そう判断するスヴェンの隣でラウルが、

 

「あのお姉さんもかわいい顔してるなぁ。というかエルリアの女性って美女が多くないか? ねえアニキ?」

 

 非常に如何でもいいことを同性として同意を求めてきた。

 

「どうでもいいな」

 

 本当に他者の容姿も単なる視覚情報の一つに過ぎない。だから誰が誰か識別できる特徴を覚えればそれで充分だった。

 それ以外の容姿に関する情報はスヴェンにとってはどうでもいい事柄でしかない。

 それなのにレーナをなぜ美しいと感じたのかは今でも分からなければ、本能が理解することを拒んでいる。

 スヴェンに不服そうな視線を向けるミアとラウルを他所に、こちらの視線に気付いたアンドウエリカが近寄って来た。

 彼女はスヴェン達を一眼見るや軽く頭を下げ、

 

「こんにちは、今日は楽しい祭りの日だね」

 

 そんなあいさつを告げる。

 

「えぇ、今日はとっても良い日ですね」

 

「……こんな日に訊ねるのは野暮な気もするし、不粋なのは分かってるけど聴いてもいいかな?」

 

 何かを確かめたい真剣な眼差し。祭りの最中に不粋な質問を今からすると前置きを語るなら最初から聴くなと言いたい。

 実際にスヴェンは突き放すような冷たい眼差しを向けていた。

 

「えっと、スヴェンさんの代わりに私が答えられる範囲で答えますよ」

 

「ありがとう……鳴神タズナを止めたのは貴方達なの?」

 

 鳴神タズナは確かメルリアの地下遺跡で遭遇した異界人の名。そして邪神教団の一員として通路を阻み交戦、現在は監獄町に護送され処刑を待つ囚人の身だと聴いていた。

 そんな彼に対して訊ねるアンドウエリカにミアは頬に指を添え、

 

「うーん、誰かに鳴神タズナさんが捕縛されたのは聴いてるけど私達は何も知りませんよ」

 

「そう。同郷で道場の同門だったアイツを止めてくれた人にお礼を言いたかったんだけどなぁ」

 

 知人が捕縛されたことに遣る瀬無い感情を宿しているが、犯罪者は裁かれると理解もしている複雑な表情を浮かべる彼女にスヴェンは静かに観察する。

 改めて見れば非常に変わった服装、足が裾を踏んでしまいそうな装い。一見すると非常に動き難い印象を受けるが、恐らく彼女にとっては慣れ親しみ、服装に合わせた動きが可能なのだろう。

 同時に鳴神タズナが所持していた似た武器に眼が行く。

 横からの衝撃に脆いが斬れ味は鋭い、そんな印象を受けた武器だった。

 観察眼に気付いたのか、アンドウエリカは不快感を顕にせず愛想笑いを浮かべた。

 観察されたことに付いて不快感を宿すのは無理もない、むしろ当然の感情だ。

 

「武器が珍しい?」

 

「まあな、俺が居た世界じゃあ見たこともねえからなぁ、それにかなり変わった服装だ」

 

 そう答えると内心に隠した不快感は嘘のように、興味深そうな眼差しに変わる。

 

「……刀と胴着を知らない? じゃあこの人の世界には大和が存在しない?」

 

 一人で考察に入る彼女にスヴェンは興味を向けず視線を外した。

 するとミアには気掛かりなことが有ったのか、

 

「私から質問して良いですか?」

 

 考察の渦に入るアンドウエリカをミアの声が現実に引き戻す。

 

「あっ! うん、答えられる範囲なら」

 

「エリカさんの同行者はどうしたんですか? 確か魔術師のカトレアさんが担当だったと記憶してるのですが」

 

「カトレアなら浮遊魚の大食い大会にエントリーしに行ったよ。あの人はすごく食べるから」

 

 祭りを楽しむために別行動している。それはスヴェンでも納得も出来れば理解もできる行動だ。

 誰にも休息が必要だ。特に異界人の同行者としての負担も有るだろう。

 

「そうですか……じゃあ次の質問になりますが、如何してフェルシオンの闘技大会に?」

 

「腕試しも有るけど、やっぱり異界人の印象を少しでも和らげたくて……ううん、タズナの馬鹿を止められなかった罪滅ぼしの一つなのかも」

 

「実際に罪を犯したのは鳴神タズナさんなのですが?」

 

「あんな馬鹿でも同じ先生の下で剣術を習った兄弟弟子で幼馴染だから……」

 

 あくまでも同郷のよしみと語る彼女にそれ以外の感情が感じられない。

 正義感とは程遠い責任感から来る行動だ。異世界に来てまで幼馴染の尻拭いをしているアンドウエリカは人格者にも思えるが、お節介焼きとも取れる。

 正義感に酔い自己満足を押し付けないだけマシな部類だが、人は周りの評価と力で容易く影響を受け変わる。

 二人の問答の片隅でスヴェンが一人で思考してると、

 

「異界人ってそんなに厄介なのか? 前にガルドラ峠を移動してたけど……」

 

「あー、そいつに寄るが大体は世間の評価通りだな。で? アンタが目撃した異界人は?」

 

「アニキ達を襲った五人組の野盗に身包みを剥がされた挙句、モンスターに喰われたよ」

 

 見て来た事実を淡々と告げるラウルの表情は、何処か苦しげだ。

 そんな顔ができる内はまともで居られる証拠に他ならない。

 スヴェンはそんなラウルを尻目にアンドウエリカと別れたミアに視線を移す。

 彼女は笑みを浮かべて戻って来ては、

 

「いやぁ〜いい情報を聞けましたよ!」

 

 実に楽しげにそんなことを告げるのだった。



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8-9.祭りと別れ

 ミアがアンドウエリカから聴いた良い情報というのは、ジルニアから北西に続く守護結界領域内の山道に温泉が湧き出たと。

 ジルニアの人々はそこに温泉宿を建て、一週間の間は宿泊費と入浴料を無料にしていると。

 そんな話をミアは歩きながら熱心に語った。

 温泉と無料、そんなワードを聴いて寄らないという選択は無い。

 

「無料なら立ち寄らねえ理由がねえな」

 

「そうでしょう! 温泉で旅の疲れを癒すのって最高だよ!」

 

「温泉かぁ〜混浴ならいいなぁ!」

 

 期待に胸を膨らませるラウルに二人は足を止める。

 彼とはジルニアまでという話しだった。だからラウルを温泉宿に連れて行く事は無い。

 

「ラウル君、残念ながら君とはこの町までですよ?」

 

「あっ、そうだけど……も、もう少しだけ一緒にってのはダメ?」

 

「あのねラウル君? そんなに鼻の下を延ばされたら頷けないよ? というか混浴とは限らないんだよ?」

 

「うーん、やっぱり新しい生き方をこの町で模索した方がいいのかなぁ……罪滅ぼしもしたいし」

 

 まだ彼なりの新しい生き方は見付かって無いが、幸か不幸か邪神教団の二人組も別の生き方を模索していた。

 

「ラウル、一度魔法騎士団の詰所に行ってみるか?」

 

「行ってすぐに逮捕されないよね?」

 

 ラウルはガルドラ峠に出没する野盗の一人として手配されているだろう。

 同時に子供ということも有り魔法騎士団は積極的に討伐しなかっただけで彼から向かうなら逮捕はする。

 ただそれはラウルの新しい生き方を模索するには好都合にも思えた。

 罪人という前科は当たり前に付き纏うが、それでも十歳の子供には大人の支援と保護が必要になる。

 そういった環境も必要な居場所を自分とミアでは提供することも叶わない--なんとも力不足だが、危険な旅に同行させるよりは遥かにマシだ。

 

「行くだけ行ってみりゃあいいだろ。いずれ行くんだからよ」

 

「ラウル君、遅くなれば遅くなるほど行き辛くなって罪も重くなるんですよ?」

 

「二人がそう言うなら……善は急げだ!」

 

 ラウルは祭りで賑わう通過人の大衆に駆け出した。

 流石にラウルを生かした身としてこのまま一人で行かせる訳にも行かず、スヴェンとミア急ぎ彼の後を追う。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ラウルを追い魔法騎士団の詰所に到着すると、数人の騎士に取り囲まれたラウルと二人組の邪神教団にスヴェンとミアは唖然とした。

 確か信徒の二人は町を巡回する騎士に駆け出したが、素性から即拘束されたのだろう。

 

 ーーあー、三人とも前科持ちだからな。いや、あの二人組は罪を犯したとも限らねえか。

 

 さてどう説明したものか。スヴェンが僅かに頭を悩ませるとミアが数人の騎士に向けて話しかける。

 

「えっと、そこのラウル君は私達が連れて来た子ですけど」

 

「む? キミは……ああ! 治療師のミアか! 特徴的な容姿と聴いていたからすぐに分かったぞ」

 

 一人の騎士の言葉に他の騎士は釣られるように頷いた。

 ミアは自身の容姿に自信を持っているのか、何処か納得した様子で頷きながら笑みを浮かべる。

 

「私ってそんなに一眼で判る美少女なんですねぇ〜」

 

「「「え? ……あ、あぁ! そうなんだよ!」」」

 

 騎士の様子から悪意の有る特徴として伝えられたが、対する本人は気付いた様子が無い。

 知らぬが花とはまさにこの事を言うのかもしれない。

 スヴェンは相変わらず取り囲まれた三人に近付き、本題に入る。

 フードを外しこちらに視線を向ける紫の髪の少年と銀髪の少女を無視し、助けを求めるラウルに視線を向ける。

 

「そこの二人組は兎も角、なんだってラウルまで取り囲まれてんだ?」

 

「……まさかあの人がこの町の部隊長だったなんて」

 

「騎士団相手にやらかしやがったな」

 

 訓練を受けた魔法騎士団、その部隊長を務める相手となれば少なくともレイに近いかそれ以上の実力を有しているはず。

 そこで捕縛されていない辺り、ラウルは中々やり手だったのか。

 

「あの〜私達が取り囲まれてる状況も不服なんだけど?」

 

 邪神教団の異端とはいえ、現在進行形で多方面に戦いを挑むのは何処の組織だったか。

 不本意な形とは言えその組織に所属していたのは誰だったか。

 

「鏡と服装を見てたから言え」

 

 冷たく遇らえば背後から騎士の手が伸ばされ、スヴェンは伸ばされた手を避ける。

 

「邪神教団の信徒と知り合いらしいから詳しい話しを聴きたいのだが?」

 

 誤解されている。そう判断したのは一瞬で同時にどう対処すべきかも結論が出る。

 

「そっちのガキ二人はこの町で遭遇したが、魔法騎士団に寄ると聴いてな。勝手に自首なりなんなりすんなら祭りに水を差す訳にもいかねえだろう?」

 

「確かに折角の祭りをナメクジ共に邪魔されたくないよなぁ」

 

 騎士の発言に二人組はただ苦笑するばかりで、別段否定することもせず、

 

「その恐い顔の人の言う通りだ。俺達は組織から異端の烙印を押されてるし、抜けられるなら可能な範囲で何でもする」

 

 堂々と真っ直ぐとした眼差しを持って騎士にハッキリと告げた。

 二人組の本物の眼差しに騎士達は互いに顔を見合わせ、

 

「覚悟は本物と見受けたが、一隊員でしかない我々には直接的な判断はできない。だから二人組に関してはカノン部隊長が巡回から戻るまで拘束させてもらう」

 

 そう言って一人の騎士が警戒心を顕に周囲を見渡す。

 魔法騎士団の詰所周辺にはアシュナを除いた不審な気配も無く、また屋台の出店も無いため人の往来は皆無だ。

 しかし彼らの警戒心も何故わざわざ三人を複数人で取り囲んで居たのかも理解が及ぶ。

 他の邪神教団の信徒に二人組に対する拘束を見られては、それを口実に面倒な事態に発展しかねない。

 例え異端の烙印者であろうとも使い捨てを効率よく使い捨てる。それが組織として末端に対する処理の仕方だ。

 スヴェンとミアが見守る中、二人組は大人しく魔法陣が刻まれた手錠に拘束される。

 

 そして全員がラウルに視線を向け、

 

「ガルドラ峠で行商人を襲っていた野盗の一人がおれなんだ。他の生き方を見付ける前に罪を清算したい」

 

 彼は全員にはっきりと告げた。

 

「野盗に堕ちた理由も我々の計り知れない苦労が有ってこそ。しかし未成年とはいえ、野盗として犯した罪に同情の余地は無い。故に魔法騎士団は未成年犯罪法の適応を持って貴殿を拘束しよう」

 

 自首したラウルを子供ではなく、罪を償う一人の男として騎士は扱った。

 

「アニキ、姉さん……罪を償い終えたら二人の旅におれも付いて行っていいか?」

 

 旅の目的は魔王救出だ。依頼の完了は旅の終わりを意味する。それが魔王救出のための建前と偽りの情報の為だろうと旅は終点に行き着く。

 旅の終点はまだ先に思えるが、峡谷の町ジルニアから北西に進めばエルリア北西部に到着する。

 そこから幾つか小さな村を通り抜け、国境線の関所を通過すれば小国パルミドに。

 その後が少々苦労を強いられる予感も有るが、ラウルの罪の清算は如何あっても間に合わない。

 

「俺達の旅は長くは続かねえ。少なくとも8月中には終わる……アンタは身の振り方を考えておけ、判らなければ騎士に訪ねればいいさ」

 

「そうですよラウル君、頼りになる大人はずっと多いんですから」

 

 そう言えば自分達は結局ラウルに対して別の道を示してやる事などできなかった。

 教えるべき大人の一人である自身が他の生き方を知らないから、誰かを導くことなど不可能だ。

 同時に今回の依頼完了後、どう生計を立てるのか考えておく必要も有る。

 ある意味でラウルの事は決して他人事ではない。

 

「アニキ、姉さん。おれ、自分のやりたい事を見付けて見せるよ!」

 

 そう言ってラウルは二人組の邪神教団と魔法騎士団と共に詰所に歩き出した。

 ふとラウルの荷物は宿部屋に置いたままの事を思い出し、それはミアも同じだったようで、

 

「ラウル君の荷物は後で私が情報交換ついでに渡して来るよ」

 

 彼女の提案にスヴェンは頷いた。

 

「面倒をかけるが頼んだぞ」

 

「任されたよ! でも今日はまだ祭りが続いてるし、アシュナに美味しい物を食べさせないとね」

 

 確かにラウルが同行している間、アシュナは徹底して存在を隠した。その影響で彼女は自由に姿を見せる事もままらなず、食事はラウルが見ていない隙に差し入れることに。

 そんな扱いに当然アシュナに不満が溜まらない筈がない。

 現にスヴェンの背中にはアシュナの強い視線を感じる。

 

「アンタにケアを任せていいか?」

 

 同性同士なら互いに気楽だろう。そう判断して提案すれば、

 

「うーん、そうしたいけどね。たぶんスヴェンさんが向き合うべきだと思うんだ」

 

 彼女の言う事も一理あるのは確かだ。

 しかし一体なにと向き合えば良いのか。そこが問題で慎重に事を運ばなければ地雷原をタップダンスで踏み抜く可能性が高い。

 

「……やれるだけのことはやるが、期待すんなよ」

 

「分かってるよ、スヴェンさんは不器用だから」

 

 そこは理解していると言わんばかりに微笑むミアにスヴェンは何も言えなかった。



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8-10.スヴェンとアシュナ

 祭りを楽しんでる筈のスヴェンとミアに路地裏に呼び出されたアシュナは、

 

「ごはん?」

 

 彼らの目の前に姿を現した。

 二人はーー特にスヴェンは最初から気配で居場所を特定していた。いつか彼に気配を悟られないように技術を磨きたい。

 そんな事を考えているとミアが四本の浮遊魚の串焼きを差し出し、アシュナはそれを受け取り素早く完食しては脚力に力を入れた瞬間、

 

「あー、待て。今更だがアンタも祭りを回るか?」

 

 スヴェンに呼び止められた。

 確かにミアとラウルが祭りを楽しむ様子は影から見ていても羨ましいもので、同時に自分だけ除け者にされてる。仕事中と割り切ってはいるものの、不満や嫉妬に近いそんな感情も胸の中を刺激する。

 だからといって影の護衛として表向きに祭りを楽しむ訳にもいかず、しかし折角の祭りを逃すか。どうするべきか迷うとスヴェンが頭を掻く。

 

「楽しむべき時は仕事を忘れることも大事だ」

 

 そんな不器用にも思えるアドバイスにアシュナは素直に従うことにした。

 祭りに同行することを頷き、同時にスヴェンはメルリアでミアと恋人を装って町中を巡っていた事を思い出す。

 何処に敵の眼が有るのか分からないから二人と町中を回るには適した役が必要になる。

 祭りの中で自然体かつ変に疑われない役割り。

 

「じゃあ生き別れの兄妹設定で行く?」

 

 我ながら良い提案だと自負しているとスヴェンはなんとも言えない表情を浮かべ、

 

「あー、アンタが楽しめんならそれで良い……だが間違っても兄と呼ぶなよ?」

 

 そんな事を念押しされた。

 ラウルにはアニキと呼ばれる事を許していたが、何故自身に似た響きで呼ばれる事を嫌がるのか。

 それが不思議で首を傾げれば、

 

「それじゃあ私は報告が有るから! アシュナは存分に楽しんで来てね!」

 

 ミアが宿屋の方に駆け出して行く。

 スヴェンと二人だけで祭り巡りーー影の護衛としていい機会かも。

 以前から戦闘や偵察としてあまり頼られていないことに不満を感じれば、事実いつになったら彼は自身を頼るのかと問いたかった。

 モンスターとの戦闘時でも危険が及んでも頼らない。本来対象の異界人を危機から救うのが仕事だというのに。

 アシュナは歩き出すスヴェンの背中を追って、同時に隙のない背中に眼を細める。

 

 ーーどんな時でもずっと警戒してる。

 

 周囲の警戒も含めた護衛は自身の仕事なのだが、スヴェンは気配や敵意に敏感だ。

 それだけ彼の中で自分は頼りないのか。これも聴きたいことの一つだ。

 アシュナは隣りを駆け抜ける小さな女の子とその後を追う両親の姿に一瞬だけ目を向け、自身の両親はどんな顔だったのか。

 知らない両親の顔。物心付いた頃には既にオルゼア王が運営する孤児院で育っていた。

 親子の関係が特別羨ましい訳では無いが、

 

「スヴェンの両親ってどんな人?」

 

 何となく彼に質問してみれば、スヴェンは屋台の前で足を止めーー焼き上がりまで多少時間が掛かる浮遊魚のステーキを二つ分頼む。

 

「……アンタも食うだろ?」

 

「食べるけど」

 

 質問を食べ物ではぐらかされた気分だ。

 そんなに自分は単純では無いが、不意にブドウのジュラートが目に映る。

 エルリアの魔法技術によって生み出された瞬間冷凍箱で冷やされたジュラートは暑くなり始めた夏にはぴったりな食べ物に違いない。

 食べようか悩んでいると、

 

「店主、ブドウのジュラートを一つ」

 

「毎度!」

 

 代金を支払ったスヴェンがブドウのジュラートをこちらに差し出す。

 視線だけで感情を読み取ったのか。少なくともそんなに長く見詰めてはいないはずだ。

 そんな疑問が瞳に現れていたのか、スヴェンは無表情で答える。

 

「アンタの顔に書いてあった」

 

「顔に文字を書いた覚え無い」

 

「単なる揶揄だ。実際に書いてるわけがねえだろ」

 

 なるほどと納得してはブドウのジュラートを受け取り、一口舐める。

 冷たい食感と甘酸っぱい味にアシュナは舌鼓を打つ。

 仕事は大事だが旅の醍醐味はなんとも言っても食事を置いて他にない。

 要人の護衛中なら絶対にできない贅沢だ。これはある意味でスヴェンの護衛だからこそ可能なのかもしれない。

 現にジルニアで再会した同僚は『アンドウエリカは眼を離すとすぐに居なくなる』と疲れ気味に語っていた。

 その点で言えばスヴェンはこちらの気配を確認したうえで行動してる節が有る。

 これは普通なのかと同僚に訊ねてみたが、

 

『なにそれ恐い。僕達の隠密魔法はそうそう気配を察知できないはず……』

 

 言われて気付いた事がある。スヴェンの影の護衛時に隠密魔法を一度も解いた事はない。

 少なくともメルリアの初日はこちらを見失っていたが、ふと気付けば気配を察知されていた。

 これも聴きたいことだが、そもそもスヴェンは最初の質問に答えていないのだ。

 アシュナはジュラートを舐めながらじと眼でスヴェンを見詰める。

 

「スヴェンの両親はどんな人?」

 

「祭り中にする話でもねえだろう」

 

 つまりそれはスヴェンにとっても話し難い事情が有る。そう察知したアシュナは仕方ないと肩を竦めた。

 

「分かった、じゃあいまは聞かない」

 

「……アンタは現状に不満はねえのか?」

 

 不満が有るとすれば、今回の件で言えばラウルの一時同行だ。そのおかげで自身は彼らと昼食は愚か夕飯さえも一緒に食べることは叶わなかった。

 一人で黙々と食べる食事とミアの手料理ほど不味いものはない。

 それに自身の居場所をラウルに取られたと感じることも有れば、彼なりに夜な夜な魘され悩んでいたことも知っている。

 だからアシュナはスヴェンに告げる。

 

「仕事の内容を考えれば妥当。なんたって切り札だから、ラウルに姿を見られる訳にもいかない」

 

「そうか、自制が効く分アンタは充分大人だな」

 

「最初から大人って言ってるよ?」

 

 何故かスヴェンに視線を逸らされた。

 彼が逸らした視線の先に回り込めば再び逸らされる。

 そうこうしている内に屋台の店主が、

 

「待たせたな!」

 

 渋い声で出来立ての二人前の浮遊魚のステーキをスヴェンに手渡した。

 それからスヴェンと特に会話も無いまま町を適当に回り、人気の無い路地のベンチで浮遊魚のステーキを堪能し、一つ彼に告げる。

 

「風の精霊にまたお願いできるようになったよ」

 

「そうか、必要になったら頼る」

 

 直ぐにでも頼って欲しいが精霊に一度お願いすると、再度お願いするには次に使える日は精霊の気紛れだ。

 特に風の精霊は自由奔放で気紛れと気分屋で困ったところが多い。

 だから安易に精霊を頼らないスヴェンの判断は妥当だ。

 

「そう。戦闘で身体を動かしたいなぁ〜」

 

 妥当なのだが、戦闘時にあまりにも頼られない。だからミアに教わった上目遣いで甘えるような声で告げれば、やはりスヴェンは顔色一つ変えず、

 

「……アンタは魔王救出時の要なんだよ」

 

 そんな事を告げた。

 

「どういうこと?」

 

「まだ邪神教団には俺達のことは認識されてねえが、そいつも時間の問題だ。だがアンタの存在を隠して置けば連中を欺けるだろ」

 

 だからスヴェンは今まで徹底して自身を積極的に頼らなかったのか。

 アシュナは納得したうえでスヴェンの方針に笑みを浮かべる。

 

「なんだ、本当に切り札として頼ってくれるんだね」

 

「あぁ、アンタにしか出来ねえことだ。それに今後はいくつか頼むことも有るだろ」

 

「例えば?」

 

「ヴェルハイム魔聖国内で連絡役だとかな」

 

 魔王救出を確実にする為に彼なりに策を考えていたのか。

 これは敬愛するレーナの為にも、恩人のオルゼア王の為にも何がなんでもやり遂げなければならない。

 同時にオルゼア王に報告する内容も増えた。

 

「任された」

 

 スヴェンにそう告げると気が早いと言わんばかりに苦笑を浮かべていた。

 彼と浮遊魚のステーキを堪能し、また祭りを巡り少しだけ胸に溜まっていた不満が晴れて行く。

 そして祭りを充分に楽しんだあと、宿屋で一日を終えーー翌日の朝にジルニアを出発するのだった。



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第九章 困難を前に
9-1.温泉宿へ向けて


 峡谷の町ジルニアを出発したスヴェン達は荷獣車で山道を進む中、丁度ガルドラ峡谷の折り返し地点に見える湯煙にミアとアシュナが眼を輝かせる。

 

「スヴェンさん! 温泉宿が見えて来たよ!」

 

 言われたスヴェンは荷獣車の窓から外の様子を覗き込むが、そこに温泉特有の硫化水素の臭いがしない。

 ただの高温からなる蒸気にスヴェンは眼を細める。

 

「臭くねえ温泉ってのは新鮮だな」

 

「なに言ってるの? 温泉は臭く無いでしょ」

 

 やはり同じ温泉でも異世界ではその性質が多少なりとも異なるのか。

 同じ存在でも細部が異なる可能性を念頭に置いたスヴェンは、ふとジルニアで出会ったシスターの話を思い出した。

 ジルニアの守護結界領域は温泉宿を抜け、下り坂の中腹まで。

 そこから先は吸血鬼系モンスターと分類されるドラクルが出現するモンスターの生息地域になる。

 モンスターに対する対抗手段が乏しい現状では激戦が予想される。事実あの下り坂の向こう側から濃密な死の気配が風に乗って肌がひりつく。

 距離は有るが離れた位置から明確なプレッシャーを放つドラクルはタイラントと比較にならない強敵かもしれない。

 

「守護結界領域を抜ける前に英気を養うには打って付けか」

 

「ドラクルをはじめとした人の形をしたモンスターは狡猾で残忍。知性も高いからかなり厄介だよ……それにドラクルの死域は気を引き締めないとね」

 

 モンスターが放つ一瞬の領域。それはミアの台詞から判るが、デウス・ウェポンで言うところの爆撃地帯に近い危険度か。

 しかし魔法絡みの領域なら自身が想定する数倍は危険と判断すべきか、そう考えたスヴェンはミアに質問する。

 

「死域ってのは何だ?」

 

「吸血鬼系モンスターの中でも取り分け強力な分類に位置するドラクルが展開する紅い霧の結界領域とでも言えばいいかな」

 

「厄介なのは領域に踏み込んだ人類から徐々に生命力と魔力を奪い、恐怖で精神力を消耗させる点だよ」

 

「戦闘に必要な要素を徐々に消耗するか……そいつはどう対応すべきか」

 

「精霊召喚で一時的な加護をお願いする?」

 

 スヴェンはアシュナの提案に思案した。

 霧なら風による分散も有効に思えるが、魔法を使えず知識はこの場の誰よりも劣る。

 基礎的な知識が豊富な人物に相談する事が好ましいと言え、手綱を握るミアの背中に視線を移す。

 

「精霊の加護で死域から逃れられるのか?」

 

「召喚する精霊がドラクルを凌ぐ魔力量なら可能だけど、三人分の加護の維持となると現実的じゃないかな」

 

「むー、そんなに強い精霊は召喚できない」

 

 アシュナで召喚不可なら他にどう対策したものか。

 同時に魔法騎士団やアトラス教会はどう対応しているのか。

 

「魔法騎士団やアトラス教会は死域をどう対応してんだ? 街道の安全は魔法騎士団の職務の一つだろ?」

 

「死域に入らず領域外から魔法攻撃を死域が消えるまで撃ち続けるの」

 

 危険性を回避しつつ物量で攻め込む手段は確かに理に適っているが、今の人数と面子では到底不可能だ。 

 そもそも確実に対象を討伐できた確証が得られ難いように思える。

 

「ドラクルに逃げられる可能性はあんのか?」

 

「ドラクルは発生と同時に死域を展開するけど、これは長年のモンスター研究で判明したことだけどドラクルと死域はセットの存在なんだってさ。それに遺骨は残るでしょ?」

 

 確かにそれなら死域が晴れるまで魔法を撃ち続け、討伐の有無は遺骨を探索すれば解決する。

 その事にスヴェンは改めて物量による解決策が取れないことに歯痒さを感じた。

 

「物量さほど頼れるもんはねえなぁ」

 

「でも魔法騎士団長ーーフィルシスさんなら単独で討伐可能なんだよね」

 

 ラオは纏う強者特有の気配から分かる。出会ったアウリオンも間違いなく強者の部類だがエルリアの魔法騎士団団長はどんな実力者なのか。

 少なくとも死域に居るドラクルを簡単に討伐できる程か。

 

「魔法騎士団団長か。ラオも手強いだろうが、騎士団長ともなりゃあ相当の実力者なんだろうな」

 

 間違いなく自身よりは格上と判断しつつもミアに訊ねれば、

 

「鍛錬と評して一ヶ月もモンスターの生息地域に剣一本で篭る人と言えば理解できる?」

 

 とんでもない返答が返された。

 

「化け物じゃねえか!」

 

 モンスターの生息域を剣一本で単独で一ヶ月も。むろん魔法も有るだろうがそれを鍛錬として実行に移せるのは、間違いなく強者としての絶対的な自身の現れ。

 

「だからフィルシスさんの帰還は邪神教団にとっても好ましく無い状況なんだよね」

 

「未だに事実を把握してねえ連中にとっちゃあ、厄介な連中を一箇所に留めて置きたくはねえわぁな」

  

 今のレーナは魔法が使え無いが、オルゼア王も相当な実力者だと聴く。

 そこに魔法騎士団長フィルシスが加わればエルリアを攻めようなどと思わないだろう。

 それに他国の一部に考察されているエルリアの究極魔法の存在が戦争の抑止力に繋がっていると考えれば、周辺国で戦争の無い平和が維持されている事に納得も行く。

 もちろんそこに魔王アルディアの存在も大きく影響していることも有るだろうが。

 スヴェンは益々この世界に居続ける理由が見当たらず、戦場に飢えた外道はやはりこの世界には不要な存在だと強く実感した。

 そんなスヴェンにミアが思い出すように、

 

「そういえばジルニアのカノン部隊長が、5日後にドラクル討伐指揮を執るんだって……安全を考慮して討伐完了まで待つ?」

 

 そんな情報を告げた。

 確かにそれも一つの手だが、今後強力なモンスターの出現に足を止めていれば魔王救出に遅れが出る。

 ミアの意見は戦力と装備も考えればこそ採用すべきだ。

 だが五日の滞在は今後の予定、特にパルミド小国から一度孤島諸島へ航海する必要が有る。

 そこで瑠璃の浄炎の入手ーーもしも存在しなければ別の手段を講じる必要性も出る。

 だからこそここで足を止める訳にはいかない。

 

「いや、ここは無理をしてでも突破する必要があんだろ」

 

「パルミド小国の予定も考えると足を止める訳にはいかないか……っとそろそろ温泉宿がもうすぐだね」

 

 もう目と鼻の先に迫った温泉宿に視線を向けたスヴェンは、停泊した荷獣車の多さに思わず眉を歪める。

 一つの荷獣車にどれだけの人が乗車したかは判らないが、今回は宿部屋が空いていない可能性が高い。

 一泊だけ宿屋で休めたが、まだミアとアシュナにはまともな休息が必要だ。

 

「宿部屋、空いてりゃあいいな」

 

「無ければ野宿」

 

 温泉宿を前にそれもどうかと思うが、メルリアと同じ状況なら自身だけが野宿すれば済む話だ。

 内心でそう結論付け、ハリラドンがゆっくりと脚を止める。

 そしてスヴェン達は温泉宿に踏み込む事になるのだが……。

 



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9-2.癒されぬ温泉宿

 さっそく温泉宿のフロントに向かったスヴェンとミアは受付で手続きを行うのだが、

 

「すみません、無料効果が功を成したのか二人部屋が一部屋しか空いてなくて」

 

 やはり温泉宿で無料と聴けば遠路はるばる足を運ぶ宿泊客が後を絶たないのか。

 これも温泉の魅力の一つと考えれば納得もするが、一先ず二部屋の確保が難しいのが現状だ。

 ここはミアとアシュナを宿部屋で優先的に休ませるべきだ。

 スヴェンが口を開こうとしたその時、

 

「その部屋で良いですので、その代わりもう一人泊まらせても問題ありませんか?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 ミアが受付と交渉を始めていた。

 

「おい、何を勝手に」

 

「ドラクルの死域を突破するなら此処で万全の休息は絶対条件だよ」

 

 確かにミアの言う事は正しい。だからといって彼女達とそこまで馴れ合う気は無い。

 しかしドラクルの死域の件を考えるなら些細な問題に眼を瞑るべきか。

 魔王救出という本命を前に自身の体調管理もままならないようでは依頼達成は不可能だ。

 それに今は無理をする時では無い。そう判断したスヴェンは仕方ないと肩を竦めた。

 

「分かった、今回はアンタが正しい」

 

「素直でよろしい」

 

「お決まりようですね。では、こちらが宿部屋の鍵となります」

 

 受付から鍵を受け取ったミアは荷物を手に意気揚々と歩き出す。

 

「ほら! スヴェンさんも!」

 

 彼女に促されるままスヴェンも自身の荷物を手に宿部屋に向かう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 二人部屋が並ぶ廊下を二人が歩くと、廊下の壁際で談笑す男性の会話が聴こえる。

 

「此処の温泉は混浴限定らしいな」

 

「おー、学生だった頃は水練なんかは初等部から男女別だったからなぁ。独身の身には些か刺激が強そうだ」

 

「だよなぁ、でも混浴はともかく羽伸ばしたいよな」

 

 ミアとエリシェの反応から薄々そうなのでは無いか? と感じていたが、如何やらラピス魔法学院では特定の授業は男女別で行われるようだ。

 だからミアとエリシェはいちいち裸体一つで赤面する。初々しいと言えばそれまでだが、異性に慣れていないようでは特定の手合いに苦戦を強いられるだろう。

 例えばデウス・ウェポンの戦場に全裸で現れる変態だとかーーいや、アレは特殊過ぎるか。

 スヴェンは過去に遭遇した変態を思い浮かべては深いため息を吐く。

 

「およ、そんなに混浴は嫌? まあ同じ部屋に宿泊すること自体あまり納得してないようだし〜」

 

 ミアは何か勘違いしてるのか不服そうに頬を膨らませていた。

 

「混浴しかねえなら仕方ねえだろ。ま、時間をズラせば広い風呂場を一人で満喫できそうだ」

 

「その考えがあったかぁ。私も、その知らない人と混浴は……ちょっと勇気が居るからね」

 

 確かに普段は美少女を自称してるが、異性の裸体に対する耐性が無いのは明白だ。

 そんなミアが混浴に入ろうなら気が気で無いのかもしれない。

 

「しかしまぁ、混浴限定ってのはちと難儀か」

 

「たぶん宣伝も兼ねてるのかもね。エルリアで混浴温泉なんて聴いた事も無いし、物珍しさには人が集まるかも」

 

 その点で言えば温泉宿の期間限定ながら宿泊費と入浴費の無料は経営方針としては赤字だが、宣伝効果によりプラスの利益を得られると踏んで実行に移したと考えられる。

 温泉宿の経営者が考えた戦略か、それとも従業員に頭の回転が良い者が居るのか。

 スヴェンは思案しながら自身の宿部屋に歩き出すと、

 

「そこのお嬢ちゃん! 俺と混浴なんてどう?」

 

 誰かを口説く声が廊下に響く中、スヴェンは荷物を片手に宿部屋の鍵を開ける。

 何処の誰が誰を口説こうが興味が無い。それが例え間違ってもミアであろうとも。 

 宿部屋のドアノブを握り締めると、

 

「あのぉ〜私には連れも居ますし、それに知らない人と混浴はちょっと無理です」

 

 ミアがやんわりと断る声が聴こえる。

 

 ーー趣味が悪りぃな。そいつは喧しい治療再生装置だぞ?

 

 スヴェンが僅かに視線を向ければ、黒髪にアーカイブの記録で閲覧した学生服を彷彿とさせる衣服を着た少年の姿があった。

 見た目と服装から異界人に見えるが、アンドウエリカ(安藤恵梨香)は兎も角他の異界人が何故こんな場所に居るのか。

 邪神教団に降った奴かと警戒心を僅かに様子を窺う。

 異界人の少年は当惑するミアの両手を握り締め、対するミアは愛想笑いを浮かべているも眉が僅かに動く。

 内心ではしつこいっと嫌がっているのだろうか? それならはっきりと断れば済むはず。

 異界人と無駄な衝突を避けたいと考えてのことか。

 それともこちらから助け舟を出すべきか。もう少し見定めるべきか、スヴェンが思案する中、

 

「えっと、どうして異界人が此処に? 北の国境線からだいぶ遠いですよ」

 

「それは温泉が有ると聴いてな。もちろんレーナの依頼を忘れたわけじゃないけど、英気を養う為には必要だろ」

 

 二人の問答に他の宿泊客の表情が曇る。

 異界人のレーナを呼び捨てにされたことが面白くない。それに加えて問題を起こす異界人を好ましいとは思っていない視線だ。

 中には今にも飛び掛かりたい。そんな衝動を堪えながら事の成り行きを見守っている者も居た。

 異界人に対する敵意と失望、渦巻く負の感情が少年だけに留まらずこちらにも向けられているが、それは旅行と評して行動してる身として向けられるべき当然の感情だ。

 ただ当人の少年はミアに夢中で周囲の感情がどのように向けられているのかはまるで気付いていない。

 いつ不発弾が爆発するかも判らない状況をこのまま静観するのは危険に思えるが、どうにも少年の様子は軽薄で真剣さが感じられない。

 何処から何処までが嘘で真実なのか。

 

「そうですか……あなたのことをずっと待ってる女性達が居るようですが? あと凄い目で睨まれてるんですけど」

 

 ミアの指摘通り少年を待つ三人の少女が、ミアに対して嫉妬混じりの視線を向けている。

 そこに敵意も混じれば、向けられてるミアも居心地が悪いだろう。

 現に物陰に潜むアシュナが短剣を引き抜き、いつでも始末が出来ると言いたげな視線を向けている。

 流石に此処で異界人を始末する訳にはいかず、無言で止めろと告げれば残念そうに短剣を仕舞った。

 しかし問題も有る。異界人の少年に同行している筈の同行者と影の護衛の姿が見当たらないのは何故か。

 仮に同行者がこの場に居るなら異界人の少年の行動を咎めているはず。

 そんな思案を浮かべるとミアから『いい加減に助けて!』そんな強い視線を向けられた。

 そろそろ他の宿泊客が少年に対して武力行使に出かねない状況なのも確かだ。

 スヴェンは少年の肩を強めに握り、

 

「そいつは俺の連れなんだが、アンタの連れはどうした?」

 

 同行者に付いて遠回りに訊ねる。

 

「な、なんだよ……あの野郎なら着いて行けないとか抜かして城に戻ったさ」

 

 それはレーナから預かった資金を背後の少女達の為に浪費しているからだろうか?

 それとも単なる方針の行き違いによる仲違いか?

 

「背後のガキ共はアンタの友人か?」

 

「か、彼女達は……その、俺を強く慕う子達だ」

 

 確かに少年の言う通り少女達から彼を気にかける視線と同時に、こちらに敵意を向けている。

 誰かを慕うというのも表面上は理解できるが深くは理解できない。

 理解はできないが少女達が時折り少年に向ける眼差しから迷いを感じる。

 事の成り行きを見護るだけで意中の少年を咎めないのは、心が離れる恐れからか。

 だから盲目的に少年の行動を肯定することで側に居られる居場所を維持してるとも取れる。

 

「あ〜、なら他の女に現を抜かすより近いもんを大事にしたら如何だ?」

 

 少年にそんな言葉を掛ければ彼はミアに視線を向け、こちらに視線を向けた途端に強い敵意で睨む。

 この反応は佐藤竜司を彷彿とさせるが、彼のミアに対する好意とは違う。少年の視線は気に入った少女を手元に置かなければ気が済まない、まるで欲しい物を得られない子供の癇癪だ。

 スヴェンが少年の肩を離すと、ミアが瞬時に背中に隠れた。

 

「そんな暴力的な奴より、俺と魔王救出の旅に出た方が意義が有るし、贅沢もさせられるよ」

 

「(姫様のお金を浪費してる癖に)お断りします……それに如何してこのルートを?」

 

 ミアの小声が確かに耳に聞こえ、同時に彼女の質問に対する返答も興味が湧く。

 

「救出の旅は楽しんだ方が良いだろ? 暫くはエルリア国内を周りたいしさ。それに君も此処に居るのは同じ理由でしょ?」

 

 エルリア国内を見て周るというのは同意できるが、やはり軽薄な言動が周囲の反感を買う。 

 少年はそれに気が付いた様子は無い。何か忠告の一つでもしてやりたい衝動に駆られるが、完全にこちらに敵意を向けている相手に忠告など恐らく無駄だ。

 

「そうですか、なおさら私はあなたと行けませんよ」

 

「そうかい、まぁ宿泊場所は同じなんだ……その内気が変わるかもよ。例えば俺が君を助けることになるとかね」

 

 少年はしたり顔で捨て台詞とも取れる言葉を吐き捨て、三人の少女を連れて最奥の部屋に向かった。

 どうしてもミアを連れて行きたい理由が全く理解できない。

 確かに治療魔法という面では非常に優秀だが、恐らく少年はミアの魔法を知らないーーなら他に連れて行きたい理由が思い当たらないのだ。

 スヴェンが少年の執着に首を傾げると、

 

「はぁ〜モテるってこんなに罪深いんだね」

 

 そんなことを嘯いた。

 ミアに執着し始めた異界人の少年が温泉宿に宿泊した状態で果たして癒されるのかーーたった一泊だけなら我慢すりゃあ済むか。

 スヴェンはそう結論付け、重苦しい空気が漂う廊下から取った宿部屋に入るのだった。



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9-3.爆発と過去

 宿部屋に入った二人は無料にしては上質な内装に我が眼を疑った。

 大きめのベッドが二つ、壁側の両サイドに丈夫な机、部屋の中心にテーブルとソファのセット。

 ベッドだけでも充分だと言うのに一通り揃ったこの部屋は、本来泊まるならそれ相応の料金がするだろう。

 

「無料……これも宣伝のためってか」

 

「ジルニアは祭りの時期は人の往来が多いけど、普段は行商人の往来ばかりで旅行者は少ないんだよね」

 

 峡谷の町ジルニアに向かうには長いモンスターの生息地域を抜ける必要が有る。

 護衛を雇い、万全に備えて漸く辿り着けるとなれば往来が少ないのも頷けた。

 

「魔法騎士団でも全部はカバーできねぇだろうしな」

「毎年採用数は数百人を超えるけど、それでもここ数年は何処の部隊も邪神教団の対応に追われてるから……あと定期的なモンスターの討伐もね」

 

 魔王アルディア救出によってエルリア国内で邪神教団の活動が沈静化すれば人手不足は解消される。

 同時に依頼達成後はどう生計を立てるべきか。傭兵としての経験を活かすのは絶対条件だが、モンスター討伐を専門に請負うにはまだまだ自身の実力と経験が足りないのは明白だ。

 そもそもモンスター討伐で生計を立てるのは難しい。それならいっそのこと傭兵として護衛を請け負った方が現実的か。

 

「後のことは後で考えるとして……アシュナ、入って来ていいぞ」

 

 何処かに待機している彼女に声を掛ければ、アシュナは部屋の窓から入り込んだ。

 そして手元の荷物を壁側に置いてはベッドに座る。

 

「……面倒なのに眼を付けられたね」

 

 ミアに同情の眼差しを向けながらそんな事を。

 言われたミアは深いため息を吐き、明らかに疲れを滲ませた表情を浮かべた。

 

「はぁ〜、かわいいって罪だよね」

 

 重いため息と共に吐かれた戯言にスヴェンとアシュナは肩を竦める。

 まだ戯言を語る余裕が有る内は大丈夫だろう。

 ただそれは表面上の情報に過ぎない。もしかすれば精神的な疲労を隠すための戯言の可能性も有る。確認の意味を含めてスヴェンは問う。

 

「まだ余裕そうだな」

 

「うーん、スヴェンさんに意地張っても無駄だよね」

 

「不満や精神的疲労は溜め込まねえ方がいいだろ」

 

 これから先の事を考えれば尚更に。特にミアの力はこの先必ず必要になる。

 

「あー、俺は誰かの相談事に乗るのは苦手だが愚痴なら聴いてやれる」

 

 そう告げればミアは意外そうに眼を細め、やがて小さく笑い出した。

 

「ぷふっ……前はもっと突き放した態度だったのに最近のスヴェンさんは何処か柔らかくない?」

 

「依頼の達成が最優先事項だからな。精神的負担や疲労は依頼達成の妨げになんだろ」

 

「まぁそうだけど……じゃあ遠慮無く言うよ?」

 

 まだ控えめな様子を見せるミアにスヴェンは頷いて見せた。

 誰かの愚痴を聴くことは多い。特にデウス・ウェポンの仲介人や世渡り上手の知人に爆弾魔の不満なんかは。

 スヴェンが自身に一方的に絡んで来る連中の顔を浮かべると、

 

「馴々しく触るんじゃねぇぇ!!」

 

 普段の言葉遣いをかなぐり捨てたミアの渾身の怒声が室内に響き渡る。

 それほどミアは我慢していたのだろう。それこそ自ら手を出して揉め事を起こさないためにも。

 同時に異界人の少年を余計に増長させることになるが、それも仕方ないことだ。

 レーナが召喚した同じ異界人同士で潰し合い足の引っ張り合いをしてる暇も無ければ、それこそレーナや国民の失望を大きく買うだけになる。

 

「よく耐えたな」

 

「姫様の顔が無ければ殴り飛ばしてたところだよ! でも解せないんだよね」

 

 溜め込んだ不満を吐き出したミアは冷静な眼差しでアシュナに視線を向ける。

 恐らく彼女の懸念は同行者や特殊作戦部隊の隊員が居ないことか。

 

「同僚の気配も無いよ。たぶんオルゼア王様の指令Cに従ってだと思う」

 

 アシュナも元を正せばオルゼア王の直轄ーーいや、血の繋がりこそ無いが、ある意味で国王の子供たちと言って差し支えないだろう。

 同時に状況から指令内容の予測も簡単だ。

 

「指令Cってのは、担当異界人に魔王救出の意志が無けりゃ即時撤退ってところか」

 

 異界人には勝手に召喚されたという言い分は有るが、それ相応の支援と待遇を受けて依頼を放置するなら切り捨てられても文句は言えない。

 スヴェンの推測にアシュナは素直に頷き、

 

「継続的な監視は必要だけど、優先したい対象が多い」

 

 そう答えた。

 アシュナの言い分も当然だ。本来特殊作戦部隊は要人の護衛や救出を務める部隊だ。それをいつまでも異界人に人員を割り当てるのは得策とは言えない。

 むしろアシュナのような孤児が多く所属しているなら隊員数も決して多くないだろう。

 

「……エリカさんは異界人の信頼回復ために動いてるけど、彼は何の為に動いているの?」

 

「さあ? 態度はともかく本性は判らん。俺と同じように回り道でヴェルハイム魔聖国に向かってりゃあまだ良いがな」

 

「そうだと良いんだけど……まあ、彼の話をしてももやるだけだから昼食を食べて温泉に入らない?」

 

 あの少年のミアへの一種の執着は恐らく温泉宿に居る間は続く可能性が高い。

 三人の少女が少年を諌めれば話は別だが、彼女らの態度と様子から期待も難しそうだ。

 それにミアへの敵意も有る。彼女に何もしないとは限らないが……。

 

「そういや、あの三人とは面識がねえのか?」

 

 ふと生じた疑問を訊ねれば、ミアは記憶を探る唸った。

 

「うーん、たぶん同級生だと思うけど……あっ、三人ともレイに振られた子達かも」

 

 同級生で一応の面識が有る三人の少女。

 過去にレイに振られたが、ミアに対する嫉妬混じりの強い敵意は如何にも繋がらない。しかし学生時代のミアや交流関係を知らないため答えなど出る筈が無い。

 しかし、今後はこういった問題にも直面すると思えば面倒では有るがミアに訊ねておくべきだ。

 

「アイツは性格が良さそうだからな。それで? アンタに敵意を向ける理由は?」

 

 何か心当たりは無いのか? そう聞けばミアは一つだけ心当たりが有るのかーー彼女にしては珍しく、本当に珍しく無表情で口を開いた。

 

「大変不本意ながら私とレイは幼馴染でね、本当に不本意だけど。イケメンって評判に入学時からずっと学年主席の天才児……そんな彼に私みたいな美少女な幼馴染が居るとね?」

 

 相変わらずミアの言う美少女が見当たらないが、要するに天才レイの幼馴染。単なる関係性の一つに嫉妬心を抱いた。

 蓋を開ければつまらないし、深くは理解できないが人は恋を抱いた相手の周辺関係に敏感という事は理解が及ぶ。

 同時にミアは治療魔法に関してはずば抜けた天才だ。それこそ彼女を超える治療魔法の使い手が居ると言われれば存在自体が疑わしいほどに。

 人は慕う相手に少しでも負の印象を与える者が近付く事を拒むーー当人の意志など一方的に無視したクソ迷惑な善意という名の無自覚な悪意を押し付けて。

 

「天才児レイの幼馴染が治療魔法以外は扱えないからか?」

 

「それも有るけどさ……やっぱり三年前の大喧嘩も原因かも」

 

 魔王アルディアの凍結封印もミアの故郷に何かが起こったのも三年前。これは単なる偶然なのか? 

 スヴェンはミアの故郷も何かしらの陰謀の真っ只中に有ると予測しながら、黙って彼女に話の続きを促す。

 

「詳しいことは……ごめん、まだ私も故郷のことでスヴェンさんを巻き込んで良いのか踏ん切りが付かないからあまり話せないけど。でも! 言えることは方向性の違いとすれ違いかな」

 

 まだ詳細は話せないが、過去にレイと何が有ったのは明白だ。

 しかし仲が最悪に拗れた訳でも無ければ、互いに苦手でも煽り合いはするといった関係性か。

 そして三年前の大喧嘩でミアは多数の女子生徒から強い反感と嫉妬を買うことに。

 だが、恐らくミアは因縁付ける相手を尽く返り討ちにしてきたのだろう。

 

「なるほど、それで喧嘩を売る女子生徒を返り討ちにしたと」

 

「そうなんだよねぇ〜『レイ様に近付くな無能絶壁』って言われた時はもうね?」

 

 ただでさえ大喧嘩した相手の名前を出され、そのうえ身体的コンプレックスを刺激されては堪忍袋の尾が切れるのも無理は無い。

 むしろ喧嘩を売り逆に返り討ちされた生徒に同情すべきか。

 

「見下してた相手に返り討ち……かっこわる」

 

「アシュナ、当人の前で絶対に言うな? 面倒だからよ」

 

「分かった。でもスヴェンとミアが悪く言われると我慢できないかも」

 

 無表情ながら頬を膨らませるアシュナに、ミアが愛おしげに抱き付いた。

 

「もう! そう言ってくれるなんてかわいいわね!」

 

「訂正、ミアだけは存分に罵られていいかも」

 

「なんでぇ!?」

 

 二人のやり取りにスヴェンは、空腹を訴える自身の腹に触れ、

 

「腹が減ったな」

 

「じゃあお昼に行って……あっ」

 

 温泉宿は混浴に気付いたのか、ミアは恥ずかしそうにこちらに視線を向ける。

 

「その、混浴らしいけどさ」

 

「らしいが、あのガキのことが気掛かりか?」

 

「うん、できればスヴェンさんには守って欲しいなぁって。ほらアシュナもかわいい女の子だしね?」

 

 公衆の面前で二人を襲う度胸があの少年に有るか如何か疑わしいが、ミアとアシュナはレーナとオルゼア王から預かった人材でも有る。

 

「壁役になれってことか。そいつは構わねえが……」

 

「……もしかして私が気になっちゃうとか?」

 

 何故かドヤ顔を浮かべる彼女のその自信は何処から来るのか。

 自信に溢れるのは良いことと他は言うが、ミアのそれは虚しい虚栄だ。

 

「それはねぇよ。アンタは野郎の裸体に慣れてねえようだったからな」

 

 そんな指摘にミアは硬直し、アシュナが首を傾げる。

 

「裸? 別に見られても見ても気にしないけど」

 

 ーーそういやぁ、コイツは以前ラウルに裸体を目撃されたんだったか? 

 

 湖でラウルとアシュナに起きた出来事を思い出したが、当人が気にして居ないならそれに越したことは無い。

 スヴェンがそんな結論を出すと、

 

「ダメだよアシュナ! 異性に裸体を見せて良いのは結婚した後だけなんだから!」

 

「温泉に入るんだよ? スヴェンには見せて良いの?」

 

「それもダメだよ!? って混浴だから必然的に……や、そ、それもちがっ!?」

 

 ミアは一人で顔を真っ赤にしては慌てふためく。

 気付かないのだろうか? 公共の施設で混浴ともなれば湯着の着用を義務付ける可能性に。

 それともテルカ・アトラスでは混浴時に湯着を着用しないのだろうか。

 

「湯着があんじゃねえのか?」

 

 そんな指摘にミアは落ち着きを取り戻すように、

 

「すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜……魔法式論構築、無機物の自己修復付与に関する実験、実用化に向けた治療魔法の応用と実用的理論と検証。再生治療の応用による無機物の自己修復と……」

 

 深く深呼吸をしては、専門用語の羅列を早口で語り出した。

 ミアの治療魔法における天才的な一部分を改めて垣間見た気分だ。

 特に無機物に対する自己修復付与に関する一部分。それはまるでエリシェがバイクンから借りたゴーレムに備わっていた魔法と同じ。

 つまりミアは既に無機物に自己修復付与を再生治療魔法の応用で成功させている。

 エリシェが製造中のガンバスターに自己修復機能を付与できないものだろうか?

 

「おい、ミア?」

 

 名を呼ぶとミアはぴたっと口を止め、戯けるように笑みを浮かべる。

 

「あ、あはは〜落ち着かせるには構成中の論文を朗読するに限るよね」

 

「そいつは判ったが、ガンバスターに付与できねえか?」

 

「うーん、理論は既に検証済みだけど……まだ確実性に欠けるし、成功例がまだゴーレムだけだからもう少し待ってね」

 

 無理と断言しない辺り、治療魔法の天才ゆえか。

 既に治療魔法という概念を逸脱している気もするが、

 

「あー、そいつは構わねえが……治療魔法ってのは生命力が必要なんだよな」

 

「うん、本来生命力は生物が持つ力だけど……えっとこの話はかなり長くなるよ?」

 

 確かに長くなっては昼食を食べ逃す。それはなんとしても避けなければならない事態だ。

 

「おう、じゃあその話は機会が有ればな」

 

「うん、待たせちゃったね」

 

「背中がくっ付きそう」

 

 アシュナのそんな言葉にミアは微笑み、三人は早速食堂に移動した。



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9-4.癒して温泉

 温泉宿の食堂でジルニア直送の浮遊魚のムニエルや浮遊魚の蒸し焼きソテーを堪能したスヴェン達は一旦宿部屋に戻るのだが、その廊下で、

 

「やあ! ミアちゃん、待ってたよ」

 

 ミアを呼ぶ声に彼女は一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべ、すぐさま愛想笑いで取り繕う。

 待ち構えて居た異界人の少年は性の臭いを僅かに纏わせながらミアに笑みを浮かべる。

 ミアは彼に名を名乗った事は無いが、恐らく情報源は三人の少女なのだろう。

 

「名前を教えた覚えはありませんが?」

 

「大事な彼女達から聴いたのさ、どうだ? やっぱ混浴だけじゃなく一晩俺と楽しい夜を過ごさないか?」

 

 盛った雄のように雌を見る眼差しを向ける少年にスヴェンは内心で呆れたため息を吐く。

 隠し切れていない欲望と性への渇望、そんな感情を向けられるミアに思わず同情してしまうのも無理は無いことだ。

 スヴェンがそんな事を考えていると、ミアがスヴェンの右腕に腕を絡ませ身体を擦り付ける。

 男避けに利用する。そう視線で語る彼女にスヴェンは何も言わず、

 

「ごめんなさい、今晩は彼と過ごすので」

 

 小悪魔のような笑みを浮かべるミアの演技に黙認を貫く。

 これで少年が諦め身を引けば楽なのだが、どうにも佐藤竜司のようには行かないらしい。

 少年はスヴェンを睨み付け、

 

「ミアちゃん、付き合う男を選んだ方がいい。少なくともこんな人殺しをしてそうな恐い顔の男なんかよりなっ!」

 

 そんな事を怒鳴り声で言い放つ。

 上手く行かず当たり散らかす子供のような癇癪に、右腕に抱き付くミアの力が強まる。

 

 ーーあん? 怒ってんのか?

 

 彼女が怒る要素は何処にも無い。むしろ少年の言い分は癇癪だが、スヴェンを対象にするなら言ってる事はある意味で正しい。

 だからこそミアの怒りはお門違いなのだが、恋人を装う演技中ではその指摘をする訳にもいかない。

 

「あなたがなんと言おうとも私の愛情は変わりませんよ」

 

 ただの指摘と演技に愛情もクソも無いだろうに。

 そもそも人が他者に向ける愛情など不確で理解ができない感情の一つだ。

 スヴェンが二人を他所にそんな事を思考すると、

 

「ふん、どうかなぁ? 本当は俺の誘いを交わすためのその場限りの演技じゃないのか」

 

 少年がミアに下卑た眼差しを向ける。

 大抵売り言葉に買い言葉で人は失敗を起こす。ミアが顔を赤く染めながら何かを言い出す前に、スヴェンは彼女を素早くーーいつもなら樽担ぎか脇に抱えるのだが、今回はそういう風に見せるため、ガンバスターの整備時のように大切に抱えた。

 

「もう済んだろ。アンタもまだ足りねえならあの娘共と楽しんで来いよ」

 

 そう告げるも少年は行く手を阻むように廊下を塞ぐ。

 まだ納得もしていない少年は指を突き付け、

 

「まだ演技かどうか証明してないだろ! 俺の目の前でキスの一つをするんだ!」

 

 相手を見下すように告げる命令口調。むろん言いなりになる言われも無いが、ここで少年に手を出せば堪えていたミアの頑張りが徒労に終わる。

 断ればしつこく付き纏い、言う通りにすればどの道付き纏う。

 要するに少年は一度眼を付けた少女を手に入れるまでは、しつこく付き纏う腹詰まりなのだ。

 少年の下卑た視線から感じる思惑にスヴェンはため息を吐く。

 

「どうした? できねえのか? ま、所詮は三流の演技だ。俺なら本気の愛を捧げるのになぁ」

 

 勝利を確信したようにそんな事を言い始める。

 そもそもたかがキス一つで証明を求める発想が子供のようで、ある種の新鮮さを覚える。

 果たして本気の愛とは実在するのか疑問も有るが、どの道少年に付き合うだけ時間の無駄だ。

 だからスヴェンは古典的で実にくだらない方法を使うことにした。

 

「おい! レーナ姫がなぜここに!?」

 

 他の宿泊客に聴こえるように声を張り上げて叫ぶこと、一瞬。

 狂ったよう宿部屋から宿泊客達が我が先だと言わんばかりに、廊下に殺到する。

 そして少年を邪魔だと言わんばかりに突き飛ばす宿泊客に紛れるように、気配を殺したスヴェンがミアを抱えたまま自身の宿部屋まで通り抜けた。

 宿泊客に揉まれる少年を他所にスヴェンは自室に入った。

 それから様子見を含めてドラクルと死域に対する対策を二十三時過ぎまで話し合うことに……。

 

「寝たみたいだよ」

 

 偵察に出ていたアシュナの報告にミアが安堵のため息を吐く。

 

「はぁ〜やっと温泉に入れる〜」

 

「……俺達は癒されに来たんだよな?」

 

「むしろ疲労が蓄積されてる」

 

「二人ともごめんね? でも1時間でもゆっくり浸かろ!」

 

 こうして三人は貴重品と武器を部屋に置き、改めて湯煙が立ち込める温泉へと足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 脱衣所の着替え入れ用の籠に首に封印の鍵とIDタグをぶら下げたスヴェンは眼を見張っていた。

 

「盗難防止に結界が張ってあんのか」

 

 籠に入れた衣類や所持品は結界が入れた者の固有魔力を識別し、再度取り出せば一度結界は効力を失う。

 そして別の誰かが籠に衣類を置けば再度結界が張られる仕組みに舌を巻く。

 テルカ・アトラスは盗難防止に魔法技術の活用、万が一魔力のそのものを無力化する技術が開発された日には大事になる。

 漠然と将来起こり得る可能性の一つを頭に浮かべながらスヴェンは脱衣所に備えられた湯着を着用した。

 ドアを開ければ目前には湯気が立ち込める木造造りの浴場が広がる。

 内装も混浴を想定した広さ、そして後から敷居を築き易いように浴場の中心にはわずかな窪みが有った。

 混浴はエルリア内で物珍しさによる集客として、本格経営は男女別の温泉宿として運用するのだろうか。

 なんとなくスヴェンは温泉宿の経営方針を想像しては、掛け湯で身体を流す。

 天然の源泉を魔法で冷やし、人が入れる温度まで下げられた温泉の温度がスヴェンの身体に染み込む。

 

「は、早いね」

 

「広い」

 

 ミアとアシュナの声にスヴェンはわずかに視線を向ける。

 湯着を着用したミアとアシュナ、しかしその手には何故かひよこが握られていた。

 

 ーーひよこ? あー、浮かばせるアレか。

 

 ひよこに半ば納得したスヴェンは備え付けの石鹸を手に取る。

 すると隣に座ったミアが石鹸を掻っ攫い、

 

「背中洗ってあげる」

 

「顔真っ赤にしてなに言ってんだか」

 

 既に入浴を済ませたと言われても疑いようがない程に顔を赤く染め上げたミアに思わずため息が漏れる。

 

「い、言わないでよ〜」

 

 誰かに背中を流されるのは経験したことも無いが、自分を拾った傭兵団の団長はかつてこんなことを言っていた。

 

『この間娘に背中を流して貰ったんだが、ありゃあ良いもんだ。スヴェン、お前もやってみるか?』

 

 あの時の彼は心から気持ち良さげだった事を不意に思い出したスヴェンは、本当に良いものか試してみるか。そんな軽い気持ちでミアに背中を向けた。

 到底背中を預けるとは想像にもしてなかったのか、ミアの意外そうな視線が向けられる。

 

「なんだ、洗わねえのか?」

 

「洗うよ!」

 

「……ねぇミア、湯着の上から身体洗っても汚れって落ちるの?」

 

 垢擦りを石鹸で泡立て始めるミアの隣からアシュナの素朴な疑問が二人の耳に響いた。

 

「……スヴェンさん」

 

「アンタらの裸体は見ねえって約束するさ……だが、忠告だ。俺はあっちの離れた所で洗う」

 

 スヴェンは離れた壁際の隅を指差さす。

 あそこなら下半身を洗おうとも、湯煙も合わさりミアとアシュナの視界から映ることは無い。

 ミアは納得したのか、泡立てた垢擦りで肩を擦り始める。

 泡立つとマッサージも兼ねているのか、筋肉の疲労を解すように絶妙な力加減を加えられる。

 絶妙だからこそ不快感も無く、妙な焦ったさを感じない。むしろ自然と力が抜ける心地だ。

 

「肩が解れるでしょ?」

 

「あぁ、こいつは中々良いな」

 

 なるほど、あの男が気に入ったのも有る意味で納得が浮かびーー娘って血の繋がりも作用してるかもしれねぇな。

 

「それなら定期的にマッサージしてあげようか?」

 

 ミアの細く小さな手が垢擦りと共に背中に滑る。

 ごしごしっと泡立つ背中、掌で広げるように伸ばされる背筋。

 

「気持ちいいかな?」

 

「悪くねぇな。治療師ってのはマッサージも得意なのか?」

 

「治療魔法で筋肉に蓄積された疲労は癒せないからさ、こういう技術も治療後のケアに必要なんだよ」

 

 ミアの技術や知識は全て治療魔法に直結している。得意を極限まで活かす点は好感が持てる。

 

「腕の方もやっちゃう?」

 

 視線を向ければ、気恥ずかしそうに小悪魔のような表情を浮かべていた。

 流石に腕の方までミアに委ねる気にはなれない。

 

「いや、充分だ」

 

 スヴェンは桶に溜めていたお湯で背中を流し、ミアから垢擦りを受け取り壁際に歩き出した。

 そして髪と身体を洗い終えたスヴェンは、ミアとアシュナに背を向けるように離れた位置で温泉に浸かる。

 肩までしっかり浸かると、疲れが抜け出るように息が漏れた。

 

「硫化水素の臭いがしねえ温泉ってのも不思議だが、悪くはねぇな」

 

 硫化水素という概念が存在しないのか、浴場の床には滑り気を一切感じることはなかった。

 それともそれも魔法による対策なのだろうか。

 技術的な部分で気にもなるが、心地いい温泉で考察や推測も野暮に思える。

 異界人の少年に絡まれなければ極楽の癒しなのは明白だ。

 吐息を漏らした瞬間、スヴェンは温泉内に突然現れた覚えの有る気配を感じ取り、気配のする方向に視線を向ける。

 男性の脱衣所の出入り口、そこには人の姿は見えないが、湯煙が見えない者をそこに居ると告げていた。

 

「ちょっとアシュナ、くすぐったいから!」

 

「ここが弱いの?」

 

 洗い合うミアとアシュナの声が温泉内に響く。

 

 ーー混浴に透明魔法の類いか。

 

 スヴェンは一度湯船から立ち上がり、手近の桶を手に持つ。

 そして桶に魔力を流し込み、透化中の人物に桶を投擲する。

 ゴチィーンン!! 鈍い音が温泉内に響き渡り、ミアの驚いた声が響く。

 スヴェンは決して二人の方に視線を向けずに告げる。

 

「手が滑った」

 

「えっ、そうなの?」

 

 疑問を浮かべる声に眼も向けず、湯煙を利用しながら狼藉者を脱衣所に引っ張り出す。

 そして備え付けのタオルの山から数枚手に取り、タオルを縄に結ぶ。

 手早く狼藉者を縄で縛り上げ、掃除用具入れに押し込めたスヴェンは再び温泉に戻る。

 すると既に身体を洗い終え、湯着を着直したミアとアシュナが手を振っていた。

 

「こっちこっち!」

 

 先程のことも有る。あまり二人から距離を取るのは得策とは言い難い。

 そもそも魔法を覗きに利用されるとは世も末だ。この件は後で係員に知らせ、透明魔法の対策を促すべきか。

 スヴェンは頭の隅でそんな事を思考しながら再び温泉に浸かる。

 

「さっきどうしたの?」

 

「単に桶で魔力操作の鍛錬をしてたらな」

 

「そうなんだ……私が知らない方がいいこと?」

 

「あぁ、このまま疲れを取って寝る。それが一番だろ」

 

「ふわぁ〜気持ち良くてこのまま寝ちゃいそう」

 

 温泉の気持ちよさに欠伸をするアシュナにミアが苦笑を浮かべる。

 

「寝たら溺れるからね」

 

「スヴェンに寄り掛かればセーフ」

 

「沈めんぞ」

 

 冷たく遇らえばアシュナが不満気な視線を向けた。

 

「スヴェンのケチ」

 

「ひよこでも握ってろ」

 

 温泉に浮かべられたひよこをアシュナの方に寄越せば、彼女はそれを握り始めた。

 何が楽しいのか判らないが、熱心に握り締める彼女の姿はまだまだ年相応なのだろう。

 

「ふぅ〜いいお湯だね」

「そうだな、足を運ぶには少々不便なのがなぁ……」

 

「魔王様が救出されたら魔法騎士団にも余裕が生まれるから、それまでの辛抱かもね」

 

 帰還までの三年の間、たまの骨休めに温泉旅行も悪くはない。

 それを円滑に可能にするためにも魔王救出を何としても果たさなければならない。

 

「アンタはいずれ多忙の姫さんやエリシェでも誘ってやれ」

 

「その時はスヴェンさんもどう?」

 

「女三人の旅行に野暮だろ。第一俺が付いて来るとでも?」

 

「護衛依頼を出されたら請けそうだけど」

 

 否定はできない指摘にスヴェンは黙りを決め込んだ。 

 そんな様子にくすくすと笑うミアが若干腹立たしいが、異界人の少年に絡まれた彼女の気を紛らせられたのならそれで構わないとさえ思えた。

 温泉に浸かり、既に日付が変わった頃合いか。現にアシュナは何度も欠伸を繰り返し、うつらうつらと眼を瞑り始めている。

 

「そろそろ上がって寝るか」

 

「アシュナも限界だもんね」

 

 こうしてミアは眠そうなアシュナを連れ、先に温泉から上がった。

 充分に癒されたスヴェンも脱衣所に向かい、着替えを済ませ、廊下で偶然遭遇した係員に掃除用具入れに閉じ込めた狼藉者に付いて告げ、

 

「混浴でわざわざ覗きだと!? 魔法の無駄……いや、対策を講じなければ!」

 

 係員が狼藉者を運び出す姿を確認してから宿部屋に戻るのだった。



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9-5.深夜の語らい

 ベッドに仰向けで寝っ転がると、アシュナを背負ったミアが宿部屋に戻って来る。

 彼女は背負ったアシュナをベッドに寝かせ、自身もベッドに横になるや、こちらに顔を向けて来た。

 

「……スヴェンさん、寝る前に聞いていい?」

 

 ミアの真剣な眼差しの前にスヴェンは、彼女の翡翠色の瞳を見詰める。

 

「手短にな……ま、答えるとは限らねえが」

 

「あなたの過去に相棒が居たのとか、相棒として求める条件とか知りたいなぁって」

 

 過去に相棒は確かに三人ほど存在していた。

 最初の一人は最も長く組んでいた男だったが、とある戦場で子供を相手に躊躇した所をその子供に自身の目の前で頭を吹き飛ばされて死んだ。

 あの時は熟練の傭兵も一瞬の隙で当たり前のように死んでしまえるのだと実感した瞬間だった。

 

 ーーあの時の俺は10歳の未熟なガキだったが、アイツが躊躇しちまったのはガキに情を宿したからだ。

 

 その原因は恐らく自身に有るのだろう。

 身近に子供が居たから彼は芽生えた情に殺された。

 同時に彼の死が自身を含めた子供であろうとも武器を手に持つ以上、年齢も性別も関係ない兵士なのだと決定付ける瞬間でも有ったのはよく覚えている。

 二人目は少し歳上の少女だったが、幾度も戦場を共に渡り三年が過ぎた頃……依頼の行き違いにより所属陣営が敵味方に別れーー傭兵として与えられた仕事は敵部隊の殲滅。ゆえに相棒も含めた敵部隊を殲滅した。

 そうでもしなければ雇主側の陣営は多大な被害を被り、同部隊の死傷が多数出るのは明白だった。

 相棒だとしても戦場で出逢えば敵同士、傭兵にとって相棒同士の殺し合いは別に珍しいことでもない。

 そして三人目の相棒は同い年の女性だった。今までの相棒の中で組んだ期間こそ短いが……。

 阿吽の呼吸で戦場を蹂躙し、ある程度名声を得た頃だ。アライアンスの仲介人から紹介された依頼を請たのは。

 某国で開発されたウィルス兵器の破壊任務を複数の傭兵で部隊を組んで請け、研究所に潜入した所までは順調だったが傭兵の中に別国からウィルス兵器の情報奪取を命じられたスパイが紛れ込んでいた。

 ウィルス兵器の破壊と奪取を阻止せんと開発主任が暴走。

 それによって某国の一都市がウィルス感染により化け物化するという災害が発生した。

 むろん当時のスヴェンも感染し、運良く確保した二本のワクチンの一つを相棒に投与されることで回復。

 化け物に代わりつつあった三人目も自身の手で殺害した。

 

 ーー最後の一本は量産に必要なサンプル。なぜアイツは俺を生かした?

 

 なぜ生かされたのか、その答えも彼女の考えも今となっては知るよしも無い。

 ただ間違いなく彼女は優秀な傭兵で自身よりも価値有る人材だったのは間違いなく、だからこそ芽生えた疑問が答えを得られず彷徨い続けた。

 こうして今までの相棒を簡素に振り返ってみれば全員死んでいる。

 だからこそミアに対する返答は決まっている。

 スヴェンは長めの沈黙から漸く、

 

「居た」

 

 非常に短い過去形の返答にミアは察した様子で瞳を伏せた。

 

「そっか……じゃあ今は相棒が欲しいとかは思わないんだ」

 

 相棒を自身の手で殺すことになるなら最初から組まなけれ良い。

 三度の相棒でそのことを深く胸に刻み込んだスヴェンは、

 

「成り行きで3度組んでみたが、誰かと組んで行動すんのは性に合わねえ」

 

 相棒として誰かと組む気は無い。その意志を告げる。

 

「……それは残念だなぁ、私なら死なない自信も傷も完璧に癒してあげる自信もあったのに」

 

 残念そうに告げるミアの瞳は僅かに揺らいでいた。

 外道の相棒に好き好んで成ろうと考えるとは、いや彼女の場合は後々の依頼のためも有るのだろう。

 

「人ってのはどんなに鍛えようが脆い生き物だ。寿命を500年延ばそうが【死】は平等に訪れる」

 

「そうだよね……ん? 待って、デウス・ウェポンの寿命ってそんなに長いの!?」

 

 そういえばまだ誰にも平均寿命の話をしていなかった。

 だからこそミアの驚愕は当然と言えば当然だ。

 

「うーんと、500年も生きるってなんだか大変そうだね」

 

「だから一生を大事とすら思えねぇんだろうな」

 

「えっと、デウス・ウェポンの最悪の食事で500年も大変だなぁって」

 

 ミアの指摘にスヴェンは言葉を失い思考停止した。

 それは考えたくも無かった現実だからだ。テルカ・アトラスの幸福に満たされる食事に舌が慣れている。

 そこに食事ですら無い食事擬きを生き続ける限り摂取し続けることになる。

 正に生き地獄とも言える苦行が待っているが、帰還時にレーナが記憶を消せば恐らく地獄には堕ちないだろう。

 

 ーー記憶と一緒に味覚の経験も消せねぇかなぁ。

 

 そんな事を切望すれば、

 

「生き地獄を味わいたくない永住も考えたら?」

 

 小悪魔のような笑みを浮かべていた。

 直視しなければならない現実だが、それをわざわざ指摘されたのは腹立たしい。

 残り三つの拷問用にと保存していた劇物をどう処理するか。それはこの際、またあの味をミアに与えるべきだな。

 スヴェンはおもむろに身体を起こし、改めてミアに視線を向ける。

 するとミアは不思議そうに小首を傾げた。

 

「……俺のポーチにまだレーションが有るんだが、先に地獄を味わうか?」

 

 あのレーションの悍ましい味を瞬時に思い出したミアの表情が一瞬で絶望に染まる。

 テルカ・アトラスに召喚されてから既に一ヶ月が経過してるが、ミアの舌に刻まれたあの味は忘れられないようだ。

 

「あ、あー、急に眠気がっ!」

 

 逃げるように布団に潜り込んだミアは、やがて小さな寝息を奏でた。

 彼女は治療師として優秀だが、瞬時に眠れる辺り戦士としての素質も高い。

 スヴェンは呆然とそんな事を考えては死域に備えて眼を閉じる。

 脳裏に異世界の少年がチラつく。透明魔法を使用してまでの覗き決行と執着心。

 異世界に召喚された状況と目覚めた魔力、そして習得した魔法に内に秘めた欲望が刺激された。

 手に入れた力による慢心が招いた結果と言えばそれまでだが、あの歳頃に堕ちやすい歪みの一つとも言えるかもしれない。

 それとも過去にルーメンを訪れた異界人が何者かに唆された件と関係が有るのか。

 何方にせよ少年は温泉宿の係員に捕えられた。あとは通報を受けた魔法騎士団が捕縛するだろう。

 スヴェンは眠気に包まれる意識の中、呆然とそんなことを考えては微睡に身を委ねる。

 



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第十章 死域死闘
10-0.愚行


 朝日の陽射しに目覚めた銀髪の少女ーーキアラはまだ眠っている二人の少女に眼を向け、やがて愛おしい彼が眠るベッドに視線を向けて首を傾げる。

 

「あれ? 寝てたはずなのに」

 

 彼が居ないことに昨日廊下で出会ったミアの姿が脳裏に浮かぶ。

 まさかあの女の所に行っているのではないか? そんな予想に焦りと苛立ちが胸を駆け巡る。

 ミアは確かに顔だけは可愛いが、決して男性を満足させるような胸は無い。むしろ成長期に見限られた哀れな娘と多少の同情心が宿るほどだ。

 レイと幼馴染の少女というだけで他に何の価値も無い。

 ただそれだけならどんなに気楽で自分達の醜い自尊心を正しく認識せずにいたか。

 彼女は治療魔法だけは天才だ。それこそ再生治療魔法を開発し特許を取得するほどに。

 彼がーーミムラヨクナガ(三村夜長)がレーナから授かった使命、悔しいが魔王救出を達成するには優秀な治療師は必要だ。

 だからヨクナガがミアを口説くことには眼を瞑ろう。

 

「ヨクナガに手を出す事は許さないけど」

 

 利用するだけ利用して捨てるべき少女を睨むように天井を見上げる。

 すると窓の外からハリラドンの鳴き声が響く。

 こんなに早くから誰かが出発するのだろうか?

 興味本位で窓から覗き込むと、昨日ミアと共に行動していた男ーー金髪と紅い眼を宿し、背中に見た事もない大剣を背負う男。

 ヨクナガがミアの勧誘に成功したなら彼は、女に捨てられた哀れな人ということになるが。

 荷獣車から顔を出したミアに、

 

「ふーん、そんなにあの男が良いんだ」

 

 ヨクナガの勧誘が失敗に終わったのだと理解すると同時に、なぜ彼はまだ戻らないのか疑問が湧く。

 頭の中で浮かぶ疑問と共に窓から様子を窺えば、不意に底抜けに冷たい視線と目が合う。

 

「っ!?」

 

 あれは到底人が人に向けるような視線ではない。狂人や殺戮者が向けるような狂った眼だ。

 あんな視線をするような男がミアと行動を? 

 それも有るが、まさかヨクナガが彼に殺されてしまったのでは?

 自身でも気付かずに遭っていたストーカー被害を、魔道念写器で撮影された数々の写真という証拠と共に犯人を成敗し、危うい所を救われた。

 ヨクナガはまだ寝ている二人の少女も同様に救った。

 異界人は実力が不足していると通説が有るがヨクナガは違う。

 事件を事前に察知する鋭さ、そして戦闘時は眼で捉えきれない速度でモンスターを刈り取る実力者だ。

 そんな善人で実力を有する彼が殺されてしまったというのか?

 

「そ、そんなの有り得ない」

 

 そうこうしてる内に荷獣車は死域が展開されている方角へ走って行く。

 ただ呆然と見てる事しか出来ずーー時間ばかりが悪戯に過ぎて行く。

 部屋に備え付けられた魔法時計が六時三十五分を指した時、不意に部屋のドアが慌しく開け放たれた。

 何事かと振り返れば頭部に大きなタンコブを作ったヨクナガが息を切らしながら戻って来たのだ。

 何処か焦ってる様子だが一先ず彼が戻って来たことが喜ばしい。

 

「ヨクナガ! 無事だったのね!」

 

「ああ! それよりも急いで二人を起こせ!」

 

 叫ぶ彼に思わず肩が震える。

 

「ど、どうしたの?」

 

「あ、えっとな……さっき荷獣車が死域に入るのを見たんだ」

 

 確かにミア達は死域の方角にハリラドンを走らせた。それを目撃したという事はヨクナガは死域の側に居たことになる。

 彼は時折り朝帰りを繰り返すことも有るが、その事を問えば何処かで一人で鍛錬をしてると。

 魔王救出には鍛錬が必要だと、そう力説する彼にキアラ達は納得し深く追求する事はしなかった。

 いや、出来なかったと言った方が正しい。彼に救われた身で恩人であり最愛の彼を疑うのは裏切りと思えたからだ。

 だから今回も鍛錬の帰りにミア達を目撃したのだろう。

 

「私も窓から向かうのを見たわ、それで助けに行くの?」

 

「……いや、手遅れになる前に俺も死域に入ったんだ」

 

 まさかミア達を止めるためだけに危険な死域に単身踏み込んだのか。その事実でさえ驚愕を隠せないが、ヨクナガの正義感がそうさせるのだろう。

 ただ彼の表情が苦しそうなのは、何かあった事を暗に告げている。

 いくら嫌いな同級生とはいえ、死んで欲しいと思ったことも無い。

 ミアならなんとなく生きている。根拠も確証も無いが治療魔法の天才がそう簡単に死ぬとは考え難い。

 そんなキアラの考えを否定するようにヨクナガは、手を震わせながらポケットから数本の青い髪の毛を取り出した。

 

「……死体は骨も残さず、これしか持ち帰れなかっんだ」

 

 己の無力を悔いるようにヨクナガは顔を背けた。

 あの数本の青い髪の毛からミアの魔力を感じる。それはつまり彼女の遺髪を意味しているーー人って簡単に……。

 治療魔法の天才でも死域に潜むモンスター相手では、治療の意味も成さず死んでしまう。

 呆然と遺髪を眺めるとヨクナガが、

 

「ジルニアの魔法騎士団に手紙を、死域に犠牲者が出たこと。早急な討伐と解決を促すように送ってくれ」

 

「……キミの言う通りね。分かったジルニアのカノン先輩に速達で送るわ」

 

 彼の指示通りに、ミア達の死と共に死域に犠牲が出た趣旨を急ぎ書き上げ、手紙を転移でジルニアの魔法騎士団に送った。

 あとはまだ寝ている二人を叩き起こし、

 

「よし、あとは俺達も魔法騎士団に合流だ!」

 

 ヨクナガの言葉のままに三人は動き出すのだった。

 彼が温泉宿の係員の拘束から逃げるためだと知らずに。



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10-1.死域の吸血鬼

 ジルニアの守護結界領域を抜けた途端、視界が紅い霧に覆われる。

 同時に下丹田の魔力が意図せず少量ながら勝手に抜けはじめた。

 死域と呼ばれる領域結界に踏み込んだ瞬間にコレだ。この結界内では継続戦闘が難しいければ、何よりも紅い霧のせいで視界が悪い。

 しかし唯一の救いはハリラドンが視界不良をものともせず進むことか。

 荷獣車の屋根から見張りをしていたスヴェンは、周囲から放たれる殺意に警戒心を向け、ガンバスター握り締める。

 

「アシュナ、いつでも魔法を撃てるようにしておけ」

 

「うん、作戦通りに」

 

 温泉宿で話し合った作成。それは荷獣車の速度を維持しながらドラクルを迎撃。それにあたりスヴェンは屋根で警戒しミアの守護、アシュナは荷獣車内部から定期的に魔法で牽制というものだった。

 だが相手はモンスターだ。作戦通りに事が運ぶとは限らない。

 

「作戦ってのは単なる方針だ。大抵は状況に応じたアドリブが大事なんだよ」

 

「……話し合いの意味」

 

 それを言われては元も子もないが、行動の基準は必要だ。

 特に強力なモンスターを相手にするなら事前の示し合わせは、精神的にいくらか余裕を与える。

 

「多少は気楽になんだろ」

 

「ん。ミアは大丈夫? 室内は影響が少ないけど」

 

「私はかなり魔力が多い方だから大丈夫だよ。それにこの子は想像以上に勇敢だからね」

 

 最悪の懸念はハリラドンが怯えて足を止める事だった。

 死域に入りドラクルの殺意を浴びながらハリラドンはいつも通りに走り続けている。

 それは生物がタイラントを除いたモンスターに襲われない事を本能で理解しているからこそか。

 理由はどうあれ勇敢なハリラドンは心強い。

 無事に死域を突破した後にハリラドンには干し草をたらふく食わせよう。

 そう思考した瞬間、突如視界の端に鋭い爪が映り込む。

 咄嗟に三歩退がることで致命症は避けたが、鮮血と共に頬に三本の爪痕が刻まれる。

 

「チッ!」

 

 上空に蝙蝠の翼を広げこちらを見下す人型のモンスター、吸血鬼ドラクルが優美に佇む。

 周囲から分散する殺気に紛れるように奇襲と肌に纏わりつく殺意にスヴェンは笑みを溢す。

 

 ーーコイツァ、良い。

 

 久々の死闘、逃げに徹する状況だが戦場と同じ高揚感が胸を熱く駆け巡る。

 スヴェンはガンバスターを構え、

 

「ミア、アシュナ! ドラクルのお出ましだ!」

 

 二人にドラクルの出現を告げる。

 

「荷獣車の真上を取られた……アシュナ!」

 

「ん、これはどう?」

 

 ミアの指示にアシュナが用意していた魔法を唱える。

 荷獣車から放たれる風の刃がドラクルに飛来した。

 対するドラクルは優美に佇みながら掌に魔力を収縮し、魔力が集う。

 一点に収集させた魔力で風の刃を撫でるように弾く。

 

「そんな防ぎ方もあんのか」

 

 スヴェンはガンバスターの銃口を向け、躊躇無く銃弾を放つ。

 ズガァァン! ズガァァン! 二発の.600LRマグナム弾が飛来する中、同時にスヴェンは動く。

 飛来する銃弾をドラクルは避けるまでも無いと嘲笑うように魔力障壁で防ぐ。

 それは既に想定済みだった。故にガンバスターに魔力を流したスヴェンがドラクルの背中に一閃放つ。

 魔力を込めているとはいえ、刃が障壁に防がれる。

 ガンバスターの刃と障壁の間に火花が散る中、スヴェンの周囲に魔法陣が現れた。

 火炎の熱が漏れ出す魔法陣を冷静に見定める。

 

 ーー失敗すりゃあ灰だな、こりゃあ。

 

 轟々と燃え盛る膨大な熱が魔法陣に現れ、膨れ上がった炎がーー灼熱の一閃が四方の魔法陣から一斉に放たれた。

 その瞬間に合わせてスヴェンはドラクルの障壁を土台にガンバスターの刃で身体を浮かび上がらせ、一気に上空に跳躍する。

 対象を失った灼熱の一閃がドラクルを障壁にごとの呑み込み、スヴェンは荷獣車の屋根に着地した。

 地面に着地するつもりが、落下速度に合わせミアが手綱を操作するのが視界に映った。

 彼女はハリラドンに減速を促したのだ。

 ミアの判断にスヴェンは舌を巻きながら、上空に無傷で見下すドラクルを睨む。

 

「流石に自らの魔力で自爆しねぇか……っ」

 

 突然僅かに視界が霞んだ。

 ドラクルが何かをした様子は無い。なら死域の影響による精神力と気力の消耗か。

 特に魔力は武器に宿す程度にしか使わないが、ミアとアシュナに与える影響力は大きい。

 だからこそ短期決戦が望ましいのだが、

 

「死域突破まで何時間だ!」

 

「この速度維持なら4時間だよ!」

 

 四時間耐えるか、聖装の一撃を試みるか。後者は避けられたら終わりだが、狙う価値は十分に有る。

 スヴェンはポーチの中に入っている聖装を浮かべては、

 

「耐えるしかねぇか!」

 

 ドラクルに向けて告げた。

 言語を理解できる程の知能を有しているならドラクルは人の会話を理解してる可能も有り得た。

 だからこそ聖装の使用は慎重かつここぞという時の切り札だ。

 

 ーー保険は賭けたが、一手で仕留めるに越したことはねぇ。

 

 スヴェンはガンバスターの柄を強く握り込むとドラクルが空に右手をかざす。

 ドラクルの膨大な魔力が意識せずとも螺旋の如く渦巻き、魔力の激流がドラクルの右手を伝う。

 膨大な魔力の影響か、大気が震え空気が凍る。

 ドラクルはにやりと口元を歪ませ、上空に何重にも重ねた巨大な魔法陣を描く。

 ドラクルは詠唱も人語を話すことも無く、ただ無慈悲に魔法を放つ。

 何重にも重ねられた魔法陣から巨大な氷槍が、大気を凍つかせながら大地に向けて振り下ろされる。

 

「ハリラドン! 今だよ!」

 

 ミアの指示にハリラドンが鳴き声を上げると同時に魔法陣がハリラドンを包む。

 

「スヴェンさん! 振り落とされないでよ!」

 

 魔法による身体強化を自ら施したハリラドンが爆速で大地を駆け抜ける。

 荷獣車の屋根に居たスヴェンは腰に力を入れ、足に踏ん張りを効かせながら振り落とされまいとドラクルにガンバスターの銃口を向けた。

 ズガァァン!! 一発の銃声か響き、巨大な氷槍が大地に落下し、落下地点を中心に大地を氷土が侵食したのは同時のことだった。



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10-2.ドラクル

 大地が氷土に侵食される中、ハリラドンは血肉を燃やしながら大地を駆け抜ける。

 その速度は瞬く間にドラクルとの距離を引き離し、氷槍から逃れるほどだった。

 まさかハリラドンが魔法を使えたことに驚きを隠せなかったスヴェンは荷獣車の屋根からミアに問う。

 

「まさか、ハリラドンが魔法を使うなんてな」

 

 魔法の効力が切れたのか、ハリラドンが徐々に速度を元の速度まで落とす。

 

「ハリラドンが使う加速魔法は天敵から逃げるための魔法なんだ。だけど1日に使える回数は一度だけ」

 

「そうか、ハリラドンに外傷は?」

 

「外傷は大丈夫だけど、少し速度を落とすよ」

 

「140キロ近くまで急加速したんだ、負担がねぇなんてのは嘘だな」

 

 ミアの手綱にハリラドンは速度を落とした。

 ハリラドンが使える切り札は使い切った。逆にあの時、ハリラドンが魔法を使わなければ逃げ切れず全滅していたのは明白だ。

 同時にスヴェンは離脱時に撃った銃弾がドラクルの障壁に阻まれず、ドラクルは身体を蝙蝠に分裂させることで避けた。

 強力な魔法発動時は魔力効率から障壁を解いている。

 それならまだ一撃入れらる隙は生み出せそうだが、ドラクルが障壁を解くのは先程のような規模の大きい魔法ぐらいだろう。

 あまり現実的では無い攻めの一手にスヴェンは思考から追い出すように頭を振ると、突如背後から濃密な殺気が現れる。

 ガンバスターを盾に振り向く。

 瞬間、紅い五爪の一閃が走る。

 ギィリィィ!! 鋼を削り取る不快な音が響く。

 ドラクルの爪がガンバスターに食い込み、スヴェンは眉を歪める。

 脚に魔力を流し込み、ドラクルに蹴りを放つ。

 障壁に防がれると同時に靴底から魔力を解き放つことでドラクルを障壁ごと退がらせる。

 ドラクルが余裕の笑みを浮かべる中、スヴェンは縮地を利用しドラクルの背後に回り込む。

 そして袈裟斬りを放つが今度はドラクルの爪に弾かれ、刃を強引に引き戻し振り抜かれる爪を弾く。

 ドラクルの紅い斬撃と剣戟を繰り広げる中、スヴェンは思考を重ねる。

 

「……コイツに距離は関係ねぇのか?」

 

 短距離とは言え、ハリラドンは百四十キロの速度で駆け抜け、間違いなくドラクルを後方の氷槍に置き去りにしたはず。

 それが背後を取るように現れた。転移魔法による移動ならまだ説明も付くが、魔法の発動時に生じる魔力は感じられない。

 スヴェンはガンバスターの刃でドラクルの爪による斬撃を弾き、斬り結びながら更に思考を重ねる。

 

 魔力が感じない以上、魔法の発動では無いのは明白。

 単純にドラクルの飛行速度がハリラドンの速度魔法を上回ったとも考えられるが飛翔音は聞こえなかった。 

 それなら一体どんな方法で距離を詰めたのか。

 スヴェンはドラクルを見据えながら、周囲の紅い霧に眼を向ける。

 死域の全土を包む紅い霧、魔力と精神力に加えて気力まで奪う恐ろしい結界領域。

 恐らくそれは人に対してのみに作用する効果の一つに過ぎない。

 ドラクルに対する死域の恩恵とも言うべき効果は何か。

 一つは死域内なら何処でも自由に転移可能という可能性が浮かび上がる。

 一つの可能性を導き出したスヴェンは、ドラクルの爪を弾き胴体に向け刃を二連撃叩き込む。

 一振り一振りが火花を散らしながら弾かれ、スヴェンは身体を翻し、強引にガンバスターの刃を引き戻す。

 そして刃に魔力を込めた突きを放ち、障壁に阻まれる中引き金を引いた。

 ズガァァン!! .マグナムLR弾が障壁に食い込む。

 僅かに生じる亀裂に食い込んだ銃弾に目掛けてスヴェンは、もう一度引き金を引く。

 ズガァァン!! 二発目の銃弾が障壁に食い込んだ銃弾を押し出し、亀裂が障壁に広がる。

 やがて障壁は砕け、迫る銃弾をドラクルは首を逸らすことで避けた。

 そこにドラクルの焦りの色は見えず、むしろ『次はどんな手を披露してくれる?』そう言いたげな紅い瞳を向けれる。

 

「化け物に付き合ってられるほど暇じゃねえんだ」

 

 スヴェンは魔力の反応を感じ取り、身を屈むことで風の刃を避ける。

 風の刃は踊るようにドラクルの身体を刻み、決して逃しまいと風の刃が踊る。

 そんな目の前の光景にスヴェンの視界が酷く霞む。

 

 ーーチッ、コイツを荷獣車から引き離さねえと。

 

 霞む視界の中でドラクルは風の刃を物ともせず、魔力を全身に巡らせる。

 同時にアシュナの魔法をドラクルは片手で弾く。

 弾かれた風の刃はアシュナの制御を離れ、スヴェンに向かう。

 身を捻ることで風の刃を避けたスヴェンにドラクルが迫る。

 瞬時に伸ばされた右手がスヴェンの頭部を鷲掴み、身体が宙を浮く。そして左掌に生み出した魔法陣を腹部に殴り付けた。

 

「っ!」

 

 重い一撃が腹部から全身に伝わり、同時に魔法陣から不快な魔力が流れ込む。

 ドラクルに掴まれたスヴェンは、魔力を流し込んだ蹴り上げを放つ。

 しかし一度は砕いた障壁によって再び防がれる。

 頭部を掴まれている状況でスヴェンは、左手でドラクルの右手を掴みながら障壁を足場にドラクルに背負い投げを放った。

 荷獣車の屋根に衝突する刹那の瞬間、ドラクルは空に舞い上がる。

 このまま追撃に出る。スヴェンがガンバスターを握り締めるも、身体から急速に力が抜け出る。

 

「あん?」

 

 気が付けば腹部に怪しげな刻印が刻まれ、紅い光を放っていた。

 刻印の紅い光が輝き、スヴェンは身体が力が抜け出るような感覚に襲われた。

 刻印に吸われている。そう理解したスヴェンは息を大きく吸い込む。

 下丹田に力を入れ直し、スヴェンは立ち上がる。

 ドラクルにガンバスターを構え直すと、

 

「スヴェンさん! 空が!」

 

 ミアの悲痛な叫び声にスヴェンとドラクルは同時に空を見上げた。

 そこには戦場をーー死域を覆い尽くす程の魔法陣が展開され、今にも放たれんと魔力を輝かせていた。

 ドラクルの相手だけで拙い状況だと言うのに、更に死域外からの魔法攻撃が決行されようとしている。

 だが、魔法が放たれようが結局は死域を抜けないことには助からないのだ。

 

「ミア、降り注ぐだろう魔法を避けろ」

 

「任せて!」

 

「アシュナは魔法で援護を頼む」

 

 スヴェンは荷獣車内のアシュナに指示を出すと、彼女の詠唱が響く。

 

「嵐よ敵を捕えよ」

 

 詠唱と共に屋根に魔法陣が発生し、嵐がドラクルに放たれる。

 放たれた嵐がドラクルを捕え、無数の刃が障壁を無視して身を刻む。

 スヴェンは額から流れる汗を拭い、荒い息を調える。

 ガンバスターに装填された.600LRマグナム弾は残り一発だ。

 障壁は相変わらず展開されているが、空の魔法陣とアシュナの魔法ーー撃つ好奇を逃す訳にはいかねぇ。

 スヴェンは銃口を構えたーーそして空の魔法陣から無数に等しい魔法が死域に放たれる。



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10-3.魔法騎士団の出動

 スヴェン達がドラクルと遭遇する少し前……。

 緑の長髪に桃色の瞳を宿したジルニアの部隊長……カノンは今朝方に届いた速達の手紙に、

 

「言われずともドラクルは討伐する……ヨクナガの要請に動く形になるのは不本意だけど」

 

 不貞腐れるように呟く。

 それを耳にしていた騎士がため息混じりに、

 

「温泉宿で透明魔法を覗きに使用したと通報を受けてますが、その件はどうしますか?」

 

「既にお供を連れて逃亡してるんじゃないの? あんまり関わりたく無いし、姫様にしつこく言い寄られても嫌でしょ」

 

「確かに嫌ですが、エルリア城に送還せず詰所の牢屋に放り込めば済む話しですよね」

 

 軽犯罪を犯した異界人を私情で見逃すのは職務怠慢に他ならない。

 女性になら邪な視線を向けるヨクナガと関わりたくは無いが、魔法騎士団の部隊長の一人としてそうも言ってられない状況だ。

 ふと早朝から祭りの屋台の片付けを手伝って周るアンドウエリカ(安藤恵梨香)の姿が映る。

 

「はぁ〜エリカちゃんの努力が報われないなぁ」

 

 アンドウエリカは同行者を連れて邪神教団の積極的な捕縛に留まらず、少しでも異界人の印象を回復をさせようと努めて来た。

 それが欲望を満たしたいだけの子供に邪魔をされるのは面白くない話だ。

 そもそも何人か捕縛した異界人は『これは夢なんだ』『夢の中ぐらい好きに振る舞っていいだろ?』などと現実の区別が付いていない者も居る。

 こればかりは魔法という力や召喚された状況を現実として認識できない、一種の精神疾患や現実逃避の可能性も捨て切れず自身がどうこうできる問題じゃない。

 カノンは頭の隅でそんな事を考えながら手紙に再び視線を落とす。

 後輩キアラの手紙には、ミア達の死亡を告げ、早急な死域の排除を要請する内容だ。

 ミア達が死んだとは到底思えないが、確かに出現したドラクルは早急に討伐しなければそれだけ流通が滞る。

 予定通りに五日後にドラクル討伐を決行することはミアに告げて有った。

 だからこそ本来の目的の為に動くミア達が死域に踏み込んでいる可能性が高い。

 

「ミア達が通過するであろう予測時間は今日の12時頃。予定を早め討伐を決行するにしても昼過ぎ、か」

 

「ミア達が生存してる保証もありませんが?」

 

 確かに騎士の指摘通りだ。むしろミアは攻撃魔法は愚か治療魔法以外は使えず、本人の努力も虚しく攻撃魔法を習得することは叶わなかった。

 そんな彼女が無事にドラクルから逃げ切り、死域を突破可能かと問われれば不可能に近い。

 逆に突破中のミア達が居ると知りながら魔法による遠距離攻撃の決行ができるか。

 仲間を自らの手で切り捨て、殺すような真似を部下達にできる筈も無い。

 そもそも手紙の内容は事実なのだろうか。

 

「……これは、本当のことなの?」

 

 手紙にはキアラの字で確かにミア達の無惨な死が詳細に告げられていた。

 手紙が届いてから三十分。ミア達が早朝五時から六時ごろに出発したと仮定した場合、仮にヨクナガ達が死域に向かい到着早々にミア達の死体を発見したなら往復で一時間は掛かる。

 ミア達の正確な出発時刻は判らないが、現時刻は六時三十八分だ。

 一応ヨクナガ達がミア達の死体を確認後、キアラの転移魔法で手紙の速達なら説明は付くが、手紙の内容と震える文字が妙な信憑性を与える。

 

「……カノン隊長、早急にドラクル討伐を決行しては如何でしょうか?」

 

「……(不自然な部分も有る。これは私の騎士人生を賭ける他に無いわね)」

 

 カノンは騎士の声を聞きながら思案した。

 カノンはヨクナガという男を軽薄で身勝手な男だと認識していた。彼の語る言葉はどれも虚言が散りばめられ信じるに値しない男だと。

 情報が虚偽だった場合、ミア達ごとドラクルに魔法を放つことになりかねない。その場合指揮を執り決行したのは部隊長である自身の責任問題だ。

 この情報が真実だった場合、ドラクルはミアとスヴェンの血肉を喰らい魔力を増大させたことになる。

 数多の血肉を喰らったドラクルの死域は領域を広げ、やがて守護結界を食い破る程に成長を遂げる。

 仮に前者の場合、自らの指揮でミア達を殺すような事になれば辞職は当然だが、監獄町に収監される覚悟でカノンは決断を下す。

 

「ジルニアの騎士を集めなさい。予定通り町に少数を残し、ドラクル討伐のため温泉宿付近まで急行するわ」

 

「はっ!」

 

 告げた伝令に騎士は敬礼し、その場を走り去る。  

 万が一この手紙が虚偽の報告ならキアラは無事で済まされないだろう。

 ヨクナガに同行する二人の少女も含め。

 

「かわいい後輩が犯罪の片棒を担いでなきゃ良いけど」

 

 そんな事をボヤきながら背後の気配に騎士剣の柄を握る。

 

「乙女の独り言を立ち聞きなんて、失礼じゃないのレイ」

 

「任務のあいさつに立ち寄っただけで、立ち聞きするつもりはありませんでしたよ」

 

「それで? 小隊長に昇格間近の貴方がどんな任務を任されたのよ」

 

「ヨクナガが解決した事件……あれら全て冤罪の可能性が浮上してね」

 

 確かにヨクナガはキアラ達が被害に遭ったストーカー事件を解決し、現在三人の少女達から好意を寄せられる形で同行させている。

 それが冤罪による捏造となればーー不意に喉が震える。同じ女性だからこそストーカー被害がどれだけ恐ろしいのか理解できれば、真犯人がのうのうと側に居る事実は恐怖でしかない。

 

「待ちなさい……ヨクナガは容疑者を確かな証拠で突き出したのよね?」

 

「その証拠事態が捏造……いえ、自ら透明魔法で盗撮した写真を罪の無い者に擦り付けたんですよ。先輩、よく思い出してください、捕縛された3人の容疑者の状態を」

 

「確か、顔は酷く腫れ上がる程に殴られ右眼の失明。特に喉は酷く何度も殴られたのか喋れなくなる程だったわね……まさか、ありもしない罪を捏造するために……っ」

 

 当時容疑者達の衣服から魔道念写器と数々の盗撮写真が現れたが、三名は喉の外傷が原因でまともな証言も出来ず、具体的な立証は治療完治まで病院に入院させることで一先ず保留となった。

 仮に完治したとしても外傷と言われのない罪による制裁に精神疾患を患ってもおかしくはない。ヨクナガはそうなる事を見越して罪を捏造し、徹底的に容疑者を痛ぶった。

 レイが事件の詳細を再調査してる辺り、既に容疑者は回復したのだろう。

 これは女性の身として恐ろしい真相だ。ヨクナガは盗撮した三人、キアラ達の側に今も居る。そして当人は真相に気付かぬままヨクナガに危うい所を救われた感謝から好意を抱いている。

 

 ーー救われないわね。キアラ達も彼らも。

 

 六人には心に決して消えぬ傷が刻まれることに、カノンは遣る瀬無い想いを胸に抱く。

 そして確認するようにレイに訊ねた。

 

「貴方のことだから魔道念写器の売買記録を辿ったのね?」

 

「魔道念写器を取り扱う商会は少ないからね、雑務の片手間で調べと証言に帳簿の裏採りも取れたよ。ただ、どうやって気付かれずに盗撮したのかが判らないんです」

 

 そんな方法は知りたくも無いが、今朝の通報とついさっきまで会話していた騎士との内容を思い出す。

 温泉宿で透明魔法による覗きが行われたことを。

 

「ヨクナガは透明魔法が使えるわ。何でも三名の宿泊客が混浴中に犯行に及び、入浴中の男性に気付かれたのか掃除用具入れに拘束されていたそうよ」

 

「透明魔法は気配を完全に消せる魔法ではありませんからね。そもそもあの魔法は幼子が隠れんぼやちょっとした悪戯に使う魔法ですし……しかし温泉ともなれば気も緩みますが、拘束した者は鋭いのでしょうね」

 

 確か、通報にはヨクナガを告げた人物の特徴が記載されていた。

 

「短い金髪、紅い瞳に恐い顔、細身ながら筋肉質で鍛えられあげられた体付きっと特徴が記載されていたわね」

 

「……スヴェン? だとすればヨクナガが覗いたのはミア? いや、アイツにそこまでする魅力は皆無のはず??」

 

 ミアに対して随分酷い良いようだが、混浴で透明魔法を使ってまでわざわざ覗くという行動が不可解だ。

 その件に関しては温泉宿の宿泊客から詳細な証言が得られるだろう。

 

「とにかく最後の証拠は温泉宿の証言で得られるわ。これでヨクナガを正当に逮捕できるわね」

 

「……では、僕はこれから温泉宿に急行します」

「待ちなさい。これからドラクル討伐に出発するところよ、ついでだがら貴方も乗車して行くといいわ」

 

「ありがとうございますカノン部隊長、しかし予定では五日後のはずでは?」

 

「説明は移動しながらするわ。早くしないとヨクナガに逃げられちゃいそうだし」

 

 こうしてカノンはレイを急遽部隊に編成し、同行を許可したうえで部隊を率いて温泉宿に急行した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 その道中で温泉宿の方向から走る荷獣車が部隊の近くで停車した。

 

「やっと来たか!」

 

 そんな威勢の良い声と共にヨクナガが何食わぬ顔で姿を見せた。

 いっそ厚かましささえ覚え、思わず怒りから斬り刻んでやりたい衝動がカノンを襲うも殺意を堪える。

 大方この男は温泉宿から逃げるついでに手柄を欲したのだろう。自身の罪を手柄で塗り潰すために。

 

「全部隊、隊列! そのまま待機!」

 

 部隊に待機命令を出し、レイがヨクナガに近付く。

 三人の少女はレイに驚きを隠せない様子で、目を疑いかつての想い人に複雑な視線を向ける。

 三人は一度レイに振られた過去が有る。その事は当時在学生だったカノンも知っている事実で、だからこそ乙女の心を悪辣な行為で塗り潰したヨクナガが許せない。

 

「キミがヨクナガだね」

 

「あ? 野郎に馴々しく呼ばれる筋合いはねぇよ」

 

 ヨクナガの悪態つく態度にレイは顔を一つ変えず、何食わぬ顔を浮かべた瞬間、突如ヨクナガが腹を抱え込むように倒れたのだ。

 それは新米の騎士や三人の少女にはそう見えただろう。

 

 ーー高速で六発の打撃を正確に同じ位置に、か。

 

「ふむ、食当たりでも起こしたようだね」

 

 事件の詳細を彼女達に知られないためにもレイは、ヨクナガを気絶させることを選んだ。

 それは被害者の心を護る行為だが、事件はいずれ公表される。

 それが少しだけ、ほんの僅かに遅れるだけに過ぎない。

 行動前に余計な労力を避けられるからこそ、カノンはレイの行動を黙認した。

 そしてカノンは心配そうに駆け寄るキアラを呼び止める。

 

「キアラ、貴女が寄越した手紙は本当なのかしら?」

 

 真っ直ぐと彼女の眼を見詰め問う。

 キアラは息を呑み込み、真っ直ぐと見詰め返した。

 

「えぇ、事実ですよ先輩」

 

「そう、本当にミア達は死んだのね」

 

 確認するように再度問えば、キアラは懐から数本の青い髪の毛を取り出した。

 さもそれが証拠だと言わんばかりに、

 

「死域に入ってすぐの岩場にこれだけが残れていたんです」

 

 ミアの死亡を告げた。

 

「それは貴女の眼で確かめたの?」

 

「いえ、ヨクナガが発見したと」

 

 キアラ達も盲目的な恋で眼が曇り犯罪の片棒を担いだとも考えたが、キアラ達はヨクナガの証言を鵜呑みにした。事実確認を済ませたカノンは眼を瞑り、

 

「総員確かに聴いたな? ミア達が死亡したと」

 

 部隊全員に問う。

 

「「「はい!」」」

 

 誰しもが同時にしかと聴いたと言わんばかりに答える。

 これでミア達が生存していた場合、ヨクナガは罪を重ねることになる。

 これは道中でレイから聴いた数々の証言を基に推測した事だが、覗きの邪魔をされたヨクナガはスヴェンに敵意を抱き、自身のものにならないミア共々葬ろうと考え、そしてキアラを利用した。

 子供の癇癪に巻き込まれる方も大変だが、矛先を向けられるスヴェンには同情してしまう。

 カノンは重いため息と共にキアラを行かせ、号令の合図を出すべく騎士剣の柄を握る。

 

「……治療魔法の才能やらで忘れていたけど、ミアは騎乗障害物競争を毎年優勝してたね」

 

「そういえばそうだったわ。なら私はミアちゃんの生存と腕を信じるまでよ」

 

 カノンは騎士剣を抜刀し、掲げながら部隊に告げる。

 

「総員! 死域に魔法陣展開! 一定間隔を開けつつ魔法を放て!」

 

 下された指示に全騎士が死域内部に魔法陣を遠距離から展開した。

 やがて展開された魔法陣から無数に等しい魔法が放たれることに……。



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10-4.戦場

 魔法騎士団が展開した無数の魔法が大地に降り注ぎ、そこかしこで爆音が響く。

 魔法の破壊による衝撃と余波が荷獣車の車体を襲う。

 

「くぅぅ!」

 

 ミアが手綱を捌き荷獣車の横転を防ぎ、魔法の着弾と余波を避ける。

 車体が激しく揺れる中、スヴェンはアシュナが唱えた嵐に拘束されているドラクルに銃口の定めーーまた視界が霞み、腹部の刻印が怪しく輝いた途端、突如右眼が暗闇に包まれる。

 スヴェンは突然のことに舌打ちしながら、左眼でドラクルを捉えた。

 

 ーー魔力を纏わねえ銃弾は効果が薄いが、注意を向けることはできる。

 

 腹部の刻印が少しずつ五感を奪うならいずれ左眼も視力を失う。

 そんな事になれば他の五感を頼りに戦う他に無いが、全ての五感が奪われればそれは死を意味する。

 スヴェンは引き金を引き、ガンバスターの銃口から銃弾が炸裂する。

 銃弾が嵐に拘束されたドラクルに迫りーー銃弾は障壁に阻まれずドラクルの右半身を肉片に変えた。

 

「あっ?」

 

 .600マグナムLR弾を撃ったスヴェンは嵐から地面に落下するドラクルに呆然と見詰めた。

 疾走する地面を転がり、無数の魔法がドラクルごと大地を蹂躙する。

 魔法の集中砲火に巻き込まれたドラクルに違和感が募る。

 ドラクルの魔力は未だ障壁展開が可能なほど残されているはず。アシュナの嵐がドラクルをそこまで追い込んだとも考えられるが、ドラクルは常に余裕を見せていた。

 それは強者がこの程度で死なない確信から来る絶対の現れ。

 

「スヴェン、終わった?」

 

 荷獣車内からアシュナの問い掛けに、スヴェンは未だ紅い霧に包まれ魔法が降り注ぐ光景に息を吐く。

 死域を生み出すモンスターが随分と小賢しい真似をする。だが用心深い者には通じない。

 

「……まだ、終わっちゃいねえ。まだ出て、来るなよ」

 

 息があまり続かず、呼吸が乱れる。

 

「……? 調子悪いの?」

 

「いや、多少疲れた程度だ」

 

 まだガンバスターを振るうだけの体力と気力は残っている。

 荷獣車とハリラドン、それを操るミアが無事ならドラクルを討伐出来ずとも死域の突破が可能だ。

 スヴェンは大地に降り注ぐ魔法が奏でる破壊音と衝撃に眼を瞑る。すると失明した右眼にデウス・ウェポンの戦場が浮かび上がった。

 戦場を求め、戦場が居場所のスヴェンは小さく口元を歪め、ガンバスターを強く握り込む。

 ドラクルに距離は関係ない。そして背後から奇襲する。人の形と知識、どう襲えば恐怖を与えるのか。

 ドラクルにとって死域に踏み込んだ人類を恐怖に陥れ、殺し喰らう。それが本能による行動だ。

 ドラクルがミアとアシュナを襲わないのはそう言った理由からだろう。

 狩人が獲物を追い詰める時、狡猾に残忍に。

 

 スヴェンは背後から現れた殺意にガンバスターを振り払う。

 案の定、背後に出現したドラクルは意外そうな視線を向けながら紅い爪で刃を防いだ。

 

「ドラクルのお出ましだ!」

 

 三度目の接触を告げ、ミアとアシュナに再び緊張感が走る。

 空から降り注ぐ魔法はミアの手綱捌きとハリラドンの勇敢さによってどうにか避けられているがーーいや、意図的に発射間隔が一定に空けてあんな。

 なぜ魔法騎士団が予定を早めたのかは判らないが、状況を利用しない手は無い。

 スヴェンはドラクルの爪を弾き、魔力をガンバスターに纏わせ腹部に向けて刃を払う。

 障壁が刃を阻み火花が散る。だがスヴェンはそんなこと知ったことかぁ! そう言わんばかりに何度も障壁を斬り付ける。

 ドラクルは障壁の内部から炎を纏わせた手刀をーー死角が生じたスヴェンの右側を狙って。

 

「視力を奪えば止まると思ったか?」

 

 スヴェンは右半身を逸らすことで炎の手刀を避け、ガンバスターの一閃を放つ。

 障壁から飛び出したドラクルの右腕を切り裂き、障壁に刃の一閃が走る。

 障壁に亀裂が走り、ドラクルは楽しげに顔を歪めた。

 それはスヴェンも同じだった。

 久々の戦場、降り注ぐ魔法の爆撃。そして目前の怪物にスヴェンの戦意を高揚させる。

 同時に腹部の刻印がまた怪しい輝きを放ち、急速な疲労がスヴェンの襲い、右方向から爆音が響く。

 突然の体力低下に身体を蹌踉めかせ、飛来物に気付くのが遅れたスヴェンの右眼に何かが突き刺さる。

 左眼を向ければ岩の破片が右眼に突き刺さり、鮮血が流れていた。

 痛覚が無い。腕の感覚も無いが、ガンバスターを握れていることから筋力は健在。

 感覚に生じる狂いにスヴェンは、

 

「……チィ!」

 

 忌々しげに舌打ちを鳴らす。

 だが手を止め、隙を与えればそれだけミア達に危険が及ぶ。

 スヴェンは足を踏み止まらせ、再度ガンバスターを振り抜く。

 止まらないスヴェンにドラクルははじめて眉を歪め、同時に背後から風の槍がドラクルを貫く。

 

 ーーいいタイミングだ!

 

 アシュナの支援にスヴェンは舌を巻き、魔力を宿したガンバスターの一閃を障壁の亀裂に叩き込む。

 バリーーン!! 障壁が砕け散り、スヴェンはすかさずポーチから聖装ボルトを取り出す。

 聖装ボルトの鏃にドラクルは激しく顔を歪め、怯えた様子を見せた。

 

「そんなにコイツが怖えのか、なら腹一杯喰らえ」

 

 握り締めた聖装ボルトの束をドラクルに突き出すーーだが、突き出した左腕はドラクルの左手に掴まれ抑えられる。

 だが聖装ボルトは対吸血鬼モンスター用の聖装だ。鏃がわずかにドラクルの左腕を掠るだけで青い炎が、ドラクルの左腕を焼く。

 魔力も流さずに効力を発揮し、星が生み出したモンスターに苦痛を与える。

 アトラス教会の魔法なのか、それともアトラスが与えた魔法なのかは判らないがーー星に抗う人類は……。

 スヴェンは浮かんだ言葉を呑み込み、左腕を更に押し込む。

 しかし、ドラクルの冷気を纏った蹴りがスヴェンの腹部に突き刺さる。

 腹部が僅かに凍り、更にドラクルの強靭な脚力がスヴェンの身体を弾く。

 

「クソがっ」

 

 身体が屋根に打ち付けられ、その衝撃で聖装ボルトの束を手放してしまった。

 転がる聖装ボルトの束に左手を伸ばすが、左手、両足、腹部が紅い槍に貫かれる。

 屋根に縫い付けられた個所から夥しい血が流れ、

 

「スヴェンさん!? 大丈夫なの……っおっと!」

 

 空の魔法陣が放った魔法が荷獣車の真横を掠め、衝撃が車体を襲う。

 ドラクルは無表情でスヴェンを見下す。

 大抵は勝利を確信した者は目前の獲物の前で舌を舐めずり、不敵に笑う。最後に油断と慢心を見せる者は逆に殺されるが、ドラクルにその様子は見えない。

 隙が無いことにスヴェンはどうするべきか、思考を巡らせ空の魔法陣を見上げる。

 そして完璧に気配を断ち、ドラクルに悟られず音もなく背後に佇むアシュナが左眼に映る。

 ドラクルの背中を一本の聖装ボルトが貫く。

 鏃から放たれる青い炎がドラクルの身を焼き、ドラクルは苦しみから逃れようと蝙蝠に分離した。

 

「逃げられる」

 

 荷獣車から離れる蝙蝠の群れをアシュナが追うべく、脚に力を込めるが、

 

「必要ねぇよ……よく見てみろ」

 

 分離した蝙蝠は青い炎に包まれ、そこに畳み掛けるように魔法が続々と降り注ぐ。

 

「今度こそ?」

 

「だと良いがなぁ」

 

 基本的に運が悪い、これで終わって欲しいと願えば願うほど状況が悪化する。

 まだ油断は出来ない状況にため息を吐くと、アシュナはこちらの状態に気付いたのか、

 

「右眼……見えないの?」

 

 そんなことを珍しく泣きそうな顔で問われた。

 事実右眼は潰れて見えなければ感覚も無い。しかしそれは紅い霧とドラクルの刻印が原因だ。

 

「ドラクルが死ねば感覚は治んだろ」

 

 そう気楽に答えると紅い霧が徐々に晴れ、スヴェンの腹部に刻まれた刻印が薄れるように消えていく。

 ついでに身体を貫いた紅い槍も消失し、漸くスヴェンの身体は自由を得る。

 同時にそれはドラクルの討伐を証明し、空を覆い尽くした魔法陣も次々に消えた。

 やがて感覚も戻り、スヴェンは出血も何事もないように立ち上がる。

 そして右眼に突き刺さった破片を、眼球まで抜き出さないように引き抜く。

 

「……もう大丈夫そうだ。アンタは平気か?」

 

「かなりキツい、けどミアの方がキツいかも」

 

 ドラクルから逃げるように手綱を操り、着弾する無数の魔法を避け続けた。

 スヴェンはガンバスターを背中に屋根を駆け出す。

 そこには番頭のミアが疲労困憊で身体を蹌踉めかせた瞬間が映り込む。

 このままではミアが落ちて死ぬ。そんな判断が頭をよぎる前にスヴェンは動き出した。

 彼女の側に着地し、蹌踉めく身体を支えると、

 

「す、スヴェンさん……ごめん、ふらついちゃった」

 

 そんな謝罪の言葉が紡がれる。

 

「いや、アンタも疲れたろ」

 

「ドラクルに何もしてないよ」

 

「アンタの正確な手綱捌きとハリラドンが無きゃ、突破は無理だったろ」

 

「スヴェンさんとアシュナ、どっちか欠けても無理だったね。……今度は右眼、あなたは戦う度に酷い傷を負うね」

 

「傷を負うだけで済むなら安いもんだろ」

 

 そう告げると潰れた右瞼の傷をミアの細い指が撫でる。

 

「ごめん、今は魔力が上手く操作できない」

 

 それは無理もないことだった。死域によって魔力と精神が削られた状態だ。

 悔しそうに口元を歪めるミアに、スヴェンはハリラドンが走る道先を真っ直ぐ見据える。

 

「無理もねぇさ……だが、右眼はこのままか?」

 

「大丈夫だよ。スヴェンさんの生命力が保つ限り、どんな欠損も治せる。それこそ時間を置いてもね」

 

 そんなミアの心強い言葉に、スヴェンの身体に自然と力が入り、同時に傷口から出血した。

 血がミアの衣服を汚し、

 

「悪りぃな、血で汚れちまった」

 

 そう告げれば彼女は気にした様子も無く笑っていた。

 

「汚れなんて洗えば落ちるから大丈夫だよ」

 

「そうか」

 

 どちらにせよこのまま出血したままでは、失血死することになる。そうなる前にスヴェンはポーチから治療キットの小箱を取り出す。

 ミアの治療魔法のお陰で使用することは無かったが、デウス・ウェポンの治療キットなら傷口を完全に塞ぐことは無いがーースヴェンは治療キットの中から透明な薬液が入った注射器を取り出した。

 

「スヴェンさん、それは?」

 

「デウス・ウェポンの治療器具、中身は細胞活性化剤だな」

 

 スヴェンは注射器の針を自らの首筋に刺し、薬液を注入する。

 薬液が首筋の血管を通して全身に流れ、身体の細胞が暴れ狂う。

 そしてスヴェンの傷口から蒸気が漏れながれ、僅かに傷口が塞がる。

 同時に全身を激痛と熱が襲う。何度か使用した細胞活性化剤の副作用にーーやっぱ副作用もねぇミアの治療魔法は優秀だな。

 

「えっと、なんだか熱も凄そうだけど……」

 

「平気だがコイツは戦闘時に使えねぇからな。その点を考えりゃあアンタの治療魔法はデウス・ウェポンの細胞活性化剤を超えてやがる」

 

「そっか、それならスヴェンさんが傷付いたら何度も癒すよ。……それより死域は消失したけど、まだモンスターの生息域だよね」

 

「そうだが、手綱は握れんのか?」

 

 ミアは姿勢を正そうとするが、体力と精神力が大幅に消耗したままだ。だから蹌踉めくのも無理はない。

 

「……う、うーん、やっぱり想像以上に消耗してるみたい。むしろ戦闘してたスヴェンさんが動けるのが不思議だよ」

 

「アンタは操縦をミスりゃあ俺達ごと死ぬ……そんなプレッシャーと死域の影響が強く出たんだろ」

 

「そっか……そういえばスヴェンさんはドラクルに何かされなかった?」

 

 既に終わったことだがドラクルの刻印が齎す詳細な効果を知らない。

 だからこそ次の対策としてミアに聴いておくべきだ。

 

「腹に刻印を刻まれたぐれぇか」

 

 なんでもない様に聴けば、ミアの呆れたため息が耳に響く。

 

「はぁ〜無知って恐ろしいなぁ。……スヴェンさん、ドラクルの刻印は腐敗と吸収、刻印を刻んだ対象から五感と生命力を奪い、最後は操り人形にしちゃうの。死域の効果と合わせて生命力の消耗も早かったはずだよ」

 

 左眼を残してそれ以外の五感は奪われていた。もしもアシュナがドラクルに聖装ボルトを突き刺さなければ、間に合わずドラクルの操り人形にされていたか、あのまま殺されていた。

 

「……ヤバかったな」

 

「でも楽しそうだよ」

 

 言われたスヴェンは自身の口元を触れた。それは確かに笑っていた。

 

「傭兵の悪りぃ癖が出たな」

 

「高揚と死闘を制した余韻ってことかぁ。じゃあ、スヴェンさんの治療が終わったら夕飯は少し盛大にする? 死域を無事に突破した記念にさ」

 

「えっ、それなんて地獄?」

 

 荷獣車の屋根からアシュナの狼狽えた声が響いたが、ミアの料理はそこまで悪くはない。

 それに奇妙な偶然の重なりもあったが、確かにドラクルの死域を突破した。

 守護結界領域内の野宿、そこで少女達を労う意味でも必要なことだ。

 こうしてドラクルの死域を突破した三人は、その後何度かモンスターに奇襲されるも無事に守護結界領域に到着するのだった。



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10-5.激戦の傍ら

 スヴェン達が魔法騎士団の遠距離魔法に曝され、ドラクルと死闘を繰り広げている頃ーーわずかな戦力が残された峡谷の町ジルニアでエルロイ司祭は薄寒い笑みを浮かべた。

 アイラ司祭を殺害した異界人の調査及び奪われた封印の鍵の回収、信徒に任せるべき仕事でも有るが個人的な興味と確認のためにエルロイは人混みに紛れ対象に近付く。

 黒髪の少女ーーアンドウエリカ(安藤恵梨香)の背後で囁いた。

 

「アイラ司祭を殺したのはお前か?」

 

 ゾクッ、囁かれたエリカの全身に堪らない悪寒が駆け巡り、同行者の赤髪の女性カトレアが剣の柄に手を伸ばしかけたその時、

 

「辞めとけ。ただ質問に答えればここでは何もしないさ、祭りの余韻に浸る町人を巻き込みたくはないだろう?」

 

 エルロイはこの場所で戦闘が始まればどうなるかを語る。

 そう告げられたカトレアは剣の柄から手を離した。

 彼女の賢明な判断にエルロイは笑みを浮かべる。

 実際に町一つを蒸発させることなどエルロイにとって造作もない。 

 しかし町に滞在する魔法騎士団の主力が不在中にやるべき破壊でも無ければオルゼア王が本格的に動き出せば、現在進行中のあらゆる作戦が無意味になる。

 それは一司祭として好ましく無い状況だから行動に移さないだけだ。

 

「……質問に答えるけど、場所を移さない? それともこんな往来で話して良い内容なの?」

 

 気配を断ち周囲の町人からエルロイは姿こそ正確に認識されてはいないが、会話を聴かれるのも好ましくはない。

 だからこそエルロイはまだ少女のエリカの提案を受け入れた。

 

「質問に答えるなら構わないさ」

 

「なら適当な場所に行きましょう」

 

 エリカとカトレアに先導されるようにエルロイは人気の無い路地裏に案内される。

 

「それじゃあ早速、さっきの質問だが……」

 

「アイラ司祭っていう人を殺した覚えは無いわよ」

 

 馬鹿正直に答えるエリカにエルロイは苦笑を浮かべた。

 多少なりとも剣術を身に付けた少女。それは彼女の歩き方と姿勢、指先の指タコから努力を重ねてきたのは見ただけで判る。

 腹芸の一つも覚えれば死期を先延ばしにできただけに惜しいとさえ思えた。

 それに二人の眼には人殺し特有の闇を一切感じられない。むしろ純粋な色のままだ。

 アンドウエリカは不幸にもアイラ司祭の殺害時期にフェルシオンに滞在していた内の一人に過ぎない。

 

「アイラ司祭を殺したのはお前じゃない……となれば異界人の中で誰が殺したのか、だ。心当たりは無いか?」

 

「例え心当たりが有ったとして、邪神教団のアンタに答えると思ってる?」

 

 なら最後に残ったのが有力候補になる。

 

「まあ答えるわけないか……となればフェルシオンに居たもう一人を当たってみるか」

 

「何か察してるようだけど、探し人は死域に向かったそうよ」

 

 カトレアの言葉にエルロイの眉が歪む。

 死域が齎す影響とそこに潜むモンスターがどれだけ厄介か。

 死域は発生させるモンスターごとに効果が異なり、極め付けは高い知性と膨大な魔力から繰り出される魔法だ。

 特に有効手段が無ければ異界人が相手をするには生存率は絶望的だ。

 それが今までーー例えば目前のエリカのような普通の異界人に限るが、何事も例外は存在する。

 元の世界で殺しに明け暮れた者、絶え間ない鍛錬で一種の境地に達した者など戦闘技術や経験を最大限に活かせる者なら死域の突破は容易だ。

 ただ現在死域の突破を試みてる者は運が悪い。魔法騎士団の遠距離魔法による攻撃、あの面制圧と殲滅力を誇る魔法攻撃から、ましてや死域のモンスターを相手にしながらでは厳しい。

 だからこそエルロイは僅かに眼を瞑る。

 

 ーー計画に利用できるとも考えたが、残念だ。

 

 残りの容疑者が死亡したと判断を下した。

 そしてエルロイはエリカとカトレアに視線を向ける。

 二人は外れだが、いずれ魔王救出に来る異界人なら殺して置いて損は無い。

 

「考え事をしてるようだけど、もう行っていいかしら? これから鉱夫達と採掘作業も有ることだし」

 

 故にエルロイは空間から双剣を引き抜く。

「ああ、逝っていいよ」

 

 そんな空虚な言葉と共に二振りの斬撃を振り抜く。

 二振りの斬撃が二人の胴体に到達する寸前、ガキン! 鈍い音が路地裏に反響した。

 完全に反応が遅れていたエリカとカトレアは剣が振り抜かれたことに漸く気付き、二人は同時に後方に飛び退くことで距離を取る。

 刃を一瞬だけ防いだ銀色の鎖にエルロイは眼を細めた。

 

「……お前の魔法じゃないよな」

 

 カトレアからは魔法を発動させる隙も余裕も無い。だからこそ何者かがこの場に介入した。

 そう判断したエルロイが足を一歩踏み込めば、足元に黒炎の矢が突き刺さる。

 魔法は上空から放たれた。そう判断したエルロイが屋根に視線を向ければ、そこには見知った二人の顔と見知らぬ少年の姿が有った。

 特に前者の二人は邪神教団の本拠地で指導した事もある。

 そんな二人が異端の烙印を施されながらも魔法で介入した。

 まともに魔力も練れない状態でよく魔法を行使できたっとエルロイは笑う。

 

「ロイとエルナか……大人の邪魔をするなんて悪い子だな」

 

「邪魔? 烙印の抜け道を探してたらたまたまだよ」

 

「眼とか既に人間離れしてるヤバげな人だけどよ、この後はどうするんだ? ってか男、女? どっちなんだ?」

 

「ラウル、エルロイ司祭の性別は誰にも判らないんだ」

 

「そんなの下に付いてるか付いてないから確かめれば判ることだよ。なんならズボンを脱がす手段でも考える?」

 

 突然介入してきたかと思えば、雑談を始める三人にエルロイは苦笑を浮かべた。

 殺すのは簡単だ。だが外の世界への自由と宿命からの解放に憧れ、邪神教団に入信することで外の世界へ羽ばたいた二人をどうするべきか。

 ロイとエルナにはそれなりの情も邪神教団から脱退したい想いを理解も出来れば共感も抱く。

 

「ロイ、エルナ……お前達はこれからどうするつもりだ? 奈落の底しか知らないガキが、広い世界で生きるつもりか?」

 

「まだ道は判らないけど、生き方は自分達で考えて迷って、また考えながら少しずつ道を見付ける」

 

 エルナのはっきりとした解答にロイも力強く同意を示し、魔法陣から黒炎の剣を作り出す。

 敵意とまでは行かないが、一先ず危険に曝されているエリカとカトレアの助太刀。それが二人の、いや三人が選んだ答えなのだろう。

 

 ーーいずれわたしも選択する時が迫られるか。

 

 だからこそエルロイは優しい笑みをロイとエルナに向け、

 

「わたしは二人の選択を邪神様に代わり祝福し、祝おう」

 

 ほんの爽やかな祝福という名の異端の烙印の無力化を贈り、双剣を空間に仕舞う。

 二人は突如異端の烙印の効力が失ったことに驚愕を隠せず、なぜ? と言いたげな疑念を向けていた。

 エルロイは二人の疑念に答えず、エリカとカトレアに僅かに視線を向け、背後に振り返る。

 エルロイはそのまま何事も無かったような足取りで、アトラス教会が嗅ぎ付けて来る前にジルニアを静かに立ち去るのだった。

 困惑を残すエリカとカトレア、脅威が去ったことと思わぬ祝福に安堵を浮かべるロイとエルナ、そして正確な状況は飲み込めないが全員が助かったことにラウルは安堵した。



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間章三
潜む者たち


 ヴェルハイム魔聖国の首都は巨城都市エルデオンと呼ばれ、下層から最上層まで五層からなる。

 魔王アルディアの統治下で魔族が平穏に暮らし、エルデオンの外には広大な牧場と農地が広がる。

 魔族は農地と家畜を慈しむように育て、安寧の日々を暮らしていたーー三年前までは。

 今では魔族に替わりに邪神教団の信徒が巨城都市の町並みを我が物顔で占拠していた。

 一般人の魔族は農業に邁進しているが、魔王に仕える兵士はエルリアの国境線でエルリア魔法騎士団と剣を交える。魔王アルディアの生命を人質にされ、不本意な命令に従う形で。

 そんな中、魔族しか知らない下層の更に下に位置する最下層の地下街の一室で、

 

「君たちを待たせている状態を心苦しく思う」

 

 アウリオンは集った兵士に頭を下げた。

 本来なら国境線でフィルシス騎士団長が指揮する魔法騎士団と一戦交えているが、

 

「いやいや、アウリオン守護兵隊長。アンタこそ危ない橋を渡ってる状態だ。それに比べて俺達はフィルシス騎士団長と八百長鍛錬たぞぉ?」

 

 包帯を全身に巻いた強襲部隊長リンドウにアウリオンは冷や汗を流す。

 いくら邪神教団に悟られないように巨城都市内に反乱部隊を指揮するとはいえ、最前線の兵士を負傷兵として離脱させ死亡偽装した後にこの場に集う。

 これがフィルシス騎士団長と密会した末に立てた計画なのだが、まさか手加減も一切の妥協も無いとは。

 彼女のたった一振りで数部隊が薙ぎ払われ、魔法を放てば天を破り大地を砕く。

 八百長鍛錬とは言うが、魔王アルディア救出の準備にしてはかなり命懸けで有ることは歪めない。

 今ではフェルシス騎士団のお陰で兵は三千人まで集ったが、これ以上は邪神教団に悟られないかねない。

 そもそも邪神教団の信徒に負傷兵として搬送される彼らの精神は決して良いとは言えないだろう。

 いや、それ以前にフェルシス騎士団長の容赦の無さは負傷兵の心を折りかねない。

 

「……それで魔王城の様子は?」

 

 アウリオンは魔王城の様子を偵察に出させた兵士に訊ねる。

 すると彼らは深刻な表情を浮かべ、一つの指令書を取り出した。

 

「こちらが信徒の間に出された指令書のコピーですが、『追跡者』なる者を都市内に放つと」

 

 魔王の間で信徒に指示を出すエルロイ司祭が新たに出した指示書にアウリオンは眉を歪める。

 エルロイ司祭はいまは不在だが、指令書が出されたのは彼が何処かへ出掛ける前だ。

 フェルシオンでアイラ司祭が討伐され、都市の防備を固めたのか。

 

 ーースヴェンに気付いたのか? 

 

 エルロイ司祭がスヴェンの素性と目的に気が付き殺しに向かったとするなら、追跡者と呼ばれる者を放つ真似はしない。

 それとも兵の潜伏が気取られたのか。アウリオンはどちらの可能性も思案しながら兵士の声に耳を傾ける。

 

「この『追跡者』と呼ばれる存在に関して我々で調査してもよろしいでしょうか?」

 

 邪神教団が用意した何か、そんな物は自ら問答無用で消滅させたいが魔王アルディアが人質に取られている状態では行動にも出られない。

 

「邪神教団が放つとなれば無視はできんな。危険も伴うが調査の方は任せる」

 

 アウリオンがそう告げると兵士達は敬礼し、

 

「了解!」

 

 静かにその場を離れる。

 アウリオンはエルデオンの地図に視線を向け、

 

「……フェルム山脈から邪神教団に悟らず潜入するには、やはり地下道を通らせるのが無難か」

 

「丁度あの場所からなら此処に到着できるからな。……にしても信用できるのか? その異界人は」

 

 リンドウが異界人に対して疑心を向けるのも無理はないことだ。

 それだけ異界人は失敗を続けた。

 国境線で魔王救出を邪神教団に対して堂々と宣言し殺害され、エルリア中央部内でモンスターに殺され、邪神教団の諫言に惑わされレーナを裏切る者達。

 フェルシオンで出会ったスヴェンは異界人の中で遥かに異質な存在だ。

 右腕を一本失った時さえ悲鳴は愚か苦痛に顔色を一つ変えず、戦闘を継続した。

 苦痛に耐え不利な状況でさえ戦闘を継続させる強い意志をスヴェンは合わせ持っている。

 

「隙を見て彼と接触するつもりだが、スヴェンの他に魔王様を救い出せる異界人は居ないだろう」

 

「アンタがそこまで言うなら信じるけどよ……そういえばリンはどうしたよ?」

 

「アイツは封印の鍵探索に駆り出されている」

 

 広い国土で情報も無しに当てもなく封印の鍵を探し続けて三年が経過した。

 魔族と邪神教団を動員しても未だ発見に至らず、そもそも封印の鍵の在り方を知るのは魔王アルディアだけだ。

 

「封印の鍵ねぇ〜守護兵隊長のアンタは何か聴いてないのか?」

 

 リンドウの問い掛けにアウリオンは彼を真っ直ぐ見詰める。

 なぜそんな事を問うのか、純粋な興味か。それとも……。アウリオンは薄暗い思考を浮かべながら、

 

「魔王様が俺に語り聴かせるのは、先代魔王の功績とレーナ姫とどんな話しをしただとか……そんな他愛もない話しばかりさ」

 

 彼女がよく語っていた事を彼に告げる。

 リンドウは意外そうな眼差しを向け、

 

「なるほど、これで魔王様以外に封印の鍵の在処は判らないってことか」

 

 残念そうに肩を竦めた。

 

「……なぜそんな事を?」

 

「封印の鍵を譲渡が解放の条件だろ? 魔王様を凍結封印から一刻も早く解放させたい……アンタも判るだろ?」

 

 リンドウの言葉にアウリオンは眼を瞑った。

 レーナや各国の助力を無視して邪神教団の脅しに屈すし、魔王アルディアの勅命を無視するのか。

 早々に兵士や守護兵が諦める。それでは三年も魔族が苦渋に耐えてきた意味が無い。

 

「君の言うことも判るが今は耐えるしかない」

 

 アウリオンは室内の魔法時計に視線を向け、エルロイが指定した時間が差し迫っていることに気付く。

 

「そろそろ時間か。後のことは任せるが……あぁ、リンが戻って来たら保存庫に良い物が入ってると伝えておいてくれ」

 

「分かった伝えおこう。俺も俺で邪神教団が何か仕掛けてないか探っておくよ」

 

「連中は子供さえ人質に取る卑劣な連中だ、そちらの警戒は任せた」

 

 アウリオンはリンドウに任せ、エルロイが待つエルリアの峡谷の町ジルニアに転移するのだった。



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第十一章 入国と小さな村
11-1.夕暮れの再会


 夕暮れに包まれる空の下、スヴェンは荒地に寝かされた状態で、

 

「『この者に再生の癒しを』」

 

 詠唱と共にミアの構えた杖の先端に魔法陣が、スヴェンを緑の光りで包み込んだ。

 ドラクルから受けた傷と潰れた右眼が瞬く間に癒える。

 すっかり元通りに再生された右眼に視力が戻った。

 相変わらず凄まじい治療魔法にスヴェンは舌を巻きながら身体を起こす。

 

「すっかり元通りだが、腹も減ったな」

 

「……そりゃあ生命力の消耗も激しいからね。待っててすぐに作るから、その間に洗濯を済ませたら?」

 

「ああ、そうさせて貰う」

 

 すっかり血だらけになった上着のままでは衛生状態は最悪だ。だからこそスヴェンは近場の川に足を運んだ。

 川に上着を浸せば滲んだ血が下流に流され、手洗いを加え汚れを落とす。

 そして上着を絞り、夕暮れの太陽に向けて岩場に干した。

 戦闘の影響で所々穴が空いたが後で補修すれば済む。それともこの気にテルカ・アトラスの衣類を数着購入するべきか。

 耐久性と防御力に信頼を置いている防弾シャツに似た材質の衣類が有れば良いのだが、この世界の防具は基本金属鎧だ。

 

 --流石に高望みか、それともエリシェ辺りに依頼してみるか? いや状況が落ち着いてからでいいか。

 

 どうするべきか一旦保留したスヴェンは改めて荷獣車が停車した野営地に視線を向ける。

 エルリア中央部の平原が嘘のように、荒れ果てた大地が広がっていた。

 草木は愚かただ目の前には荒地、そして背後にはパルミド海と繋がるガリアネス川が在る。

 あと村を三つ経由し四日でアンラス関所に到着するが、幸いなのは現在居るのがアルストの守護結界領域内ということだ。

 スヴェンは頭の中で地図を浮かべる。白碧の町アルストは現在地から東に向かった先に在る。

 そこに向かう理由も無ければ、目的地のアンラス関所もアルスト守護結界領域内に位置している。

 

「しばらくはモンスターと戦闘もねぇか」

 

 スヴェンは岩場に腰を掛け、食材を切り始めるミアとそんな彼女の隣で調理を見守るアシュナに視線が向く。

 

『えっと、野菜スープは当然として。獣肉の干し肉と羽獣の干し肉は切るだけ、あとはイモを蒸して……』

 

『……今日は豪華そう、失敗しなければ』

 

『私もあれから回数を熟してるからね。流石に大丈夫だよ』

 

 そんな会話が夏の風とと共に耳に届いた。

 フェルシオンを出発し、幾度も行った野宿でミアの調理技術は少しずつ上達はしていた。

 ただそれは、ほんの些細な変化程度で作り手のミアは愚かアシュナも気付かない僅かな変化だ。

 スヴェンは上着が渇いた事を確認しては、着替えてから二人の下に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 夕暮れの空を羽ばたく巨鳥の鳴き声が響く中、焚火を囲ったスヴェンとアシュナは皿に野菜スープを盛るミアに視線を向けていた。

 そしてそんな彼女に差し出される手にミアは野菜スープを、

 

「はい、沢山作ったから食べてね」

 

 笑みを浮かべながら差し出した。

 

「あら、美味しそうね」

 

 そして返されるわずかに聴き覚えの有る声に、スヴェンはその場から飛び退いた。

 気配も悟らせずに隣りに座られ、あろうことか警戒心も与えずに何食わぬ顔で野菜スープを受け取った女性に鋭い眼孔を向ける。

 警戒心剥き出しでガンバスターを引き抜き、いつでもガンバスターの刃が首を刎ねられるように刃を首筋に当て、ミアとアシュナが一斉に女性から距離を取る。

 

「何者だ?」

 

 女性に問えば、女性は心外そうにため息を吐いた。

 

「名は名乗っては居ないけれど、メルリアで会ってますよ。旅行者さん」

 

 スヴェンは記憶を探るように思考を重ね、やがてラオが探していた紫髪の女性ーー生きた封印の鍵だと思い出すにはそう時間を要さなかった。

 魔力に意識を向ければ、禍々しい殺意で満たされた魔力が下丹田を巡っている。

 それは封印の鍵だからこそか。スヴェンはガンバスターを鞘にしまい、

 

「アンタか。こんな辺鄙な場所で会うとはな」

 

「えぇ、わたくしも想像してませんでしたよ。まさか、忌々しくも懐かしい気配と美味しそうな匂いに釣られて来てみれば、あなたと再会するなんて」

 

 彼女の言う忌々しい気配は、封印の鍵の事を指しているのだろう。

 同じ封印の鍵だからこそ惹かれ合うのか、それはスヴェンには理解が及ばない事だがーー呑気に野菜スープを食べ始める彼女を警戒するだけ無駄だ。

 女性は野菜スープの味に眉を歪め、不思議そうに野菜スープを見詰める。

 どうやら見た目は完璧だが味付けは彼女が満足するものでは無かった。スヴェンがそう結論付ける中、ミアがおずおずと訊ねる。

 

「えっと、確かラオさんが探してた女性ですよね? メルリアでラオさんに会いましたか?」

 

「えぇ、会ったわ。彼を経由してエルリア王家から提案も受けたけれど……それは断らせてもらったわ」

 

 レーナ達が何を提案したかは判らないが、女性から険悪感を感じない所を見るに彼女にとって決して悪い提案では無かったことが伺えた。

 スヴェンはミアから野菜スープを受け取り、二種の干し肉を口に運ぶ。

 

「そうですか。詳しいことは聞きませんが、名前を教えてもらっても?」

 

「今はノーマッド(放浪者)と名乗ってるわ。そういうあなた達は?」

 

「おっとこれは失礼しました。私はミア、そこで無言で食事してるのがスヴェンさんとアシュナです」

 

 ノーマッドは三人の名を記憶するように小さな声で何度も呟く。やがて名を覚えたのか、

 

「スヴェン、ミア、アシュナ。変わった組み合わせでは有るけれど、あなた達はなぜ封印の鍵を?」

 

 真意を確かめるように質問してきた。

 そこに敵対する意志は無いのか、穏やかな眼差しにスヴェンは食べる手を止める。

 

「旅行の最中に偶然拾った物だったが、アンタの探し物か?」

 

「邪神の一部を封印した鍵なんて要らないわ。それよりもこの身体を犯す呪いの解除方法が知りたいのよね」

 

 呪われた身体。以前ラオからも聴いた話を思い出しながらスヴェンは訊ねた。

 

「確か邪神の呪いを受けた一族だとか、んな話を聴いたが?」

 

「……あら意外とラオはお喋りさんなのね。まあ、歴史書を読めばわたくしの呪いは記載されてるから隠しても仕方ないわね」

 

「封印戦争時代に一族は邪神に呪われた。呪われた理由は誰にも判らないけれど、呪いが存在する限り老いることも死ぬことも許されない身体になったわ。同時に死なない存在だから封印の鍵の一つに選ばれた……簡単に語るとすればこんなところかしら」

 

 封印戦争時代がいつ起きた話しなのかは知らないが、遠い昔から呪いに生かされ続けた不老不死。

 そこに死による生からの解放など無く、齎されるのは生き続ける無限地獄だ。

 スヴェンはノーマッドの呪いをそう捉えながら、

 

「十分だ……いや、呪いに影響はあんのか?」

 

 野菜スープをスプーンで口に運ぶ。

 口の中で辛味、甘味、酸味、塩味、苦味、その五種類の薄味が変わる変わる変化を引き起こす。

 たった一口でなぜ五種の味が引き起こせるのか、一体何を入れればそうなるのかスヴェンは不思議がりながらも野菜スープを食べ続けた。

 

「一定期間その場に留まり続ければ呪いが、周囲一体に破壊と腐敗を振り撒くわ」

 

 どの程度の期間で呪いを発動するのか、それはノーマッド本人が正確に把握してるのか。

 そうでも無ければこんな場所で悠長に食事を摂ることも、こうして会話をすることも無いのだろう。

 

「歴史書に記された通りですね……他にノーマッドさんと同じ呪いを受けた人は居るんですか?」

 

 確かに一族が受けた呪いなら複数人居ても可笑しくは無いが、それとも別種の呪いを受けた者が他に存在しているのか?

 スヴェンはノーマッドが返答に躊躇する間に、野菜スープを食ながら記憶を探り一つ思い出した。

 邪神教団のエルロイ司祭はレーナが言うには、大昔から存在が確認されている人物だと。

 エルロイには不老不死との情報も有るが、彼の役割を受け継いだ人物なのではないかと。しかし各地でエルロイの姿形で目撃されていることから不老不死の線が濃厚だ。

 

「邪神教団のエルロイ司祭、そいつは如何だ?」

 

 事実確認のために訊ねると、ノーマッドは観念したように息を吐いた。

 

「……アイツも邪神に呪われた結果、不老不死になったけれどわたくしとは別種の呪いよ」

 

 そう短く語るノーマッドは昔を懐かしむような眼差しで夕暮れの空を見上げていた。

 スヴェンはそんな彼女から視線を外し、野菜スープを食べながら思考を重ねる。

 呪いによる不老不死化がテルカ・アトラスには存在する。その事実が知れただけでも有益な情報だ。

 同時に魔王アルディアを凍結封印したのはエルロイ司祭だ。魔王救出の最後の障害が不老不死だと確定した。

 殺せない相手を如何に無力化するか? 当初はコンクリートに固めて水中に放り込む方法を思案したが、材料の用意とそもそも戦場でコンクリートの使用は危険性が多過ぎる。

 戦闘による無力化か石化が好ましいが、後者に限っては該当する魔法が使用可能な魔族の力を借りる必要も……。

 邪神教団が蔓延るヴェルハイム魔聖国で魔族を一人同行させるのは、それはそれでリスクだ。

 

 ーーあれからアウリオンと接触は無し。潜入も含めて話がしてぇが、アイツから接触して来るまで待つ他にないか。

 

 考え込むスヴェンを他所にアシュナがノーマッドに視線を向け、

 

「どうしたらそんなに大きくなるの?」

 

 そんな事を唐突に訊ねた。

 スヴェンはアシュナの興味や、自身の胸を抑えながら熱心な視線を向けるミアに、歳頃の悩みに羽獣の干し肉を噛みちぎり蒸したイモを齧る。

 少女の歳頃な悩みを受けたノーマッドは少しだけ考え込む素振りを見せ、やがて笑みを浮かべた。

 

「大抵は親から受け継ぐものよ」

 

 身も蓋もない返答にミアは膝から崩れ落ち、アシュナは眉を歪める。

 

「親の顔なんて知らないよ」

 

「そう……それならアシュナは成長期を楽しみするといいわよ」

 

 やんわりと答えるノーマッドにアシュナは、思い出したようにこちらに視線を移す。

 スヴェンは彼女の視線を気にせず、空になった木製の器に野菜スープを盛る。

 

「……スヴェンの両親ってどんな人?」

 

 ジルニアで答えなかった質問にスヴェンは黙秘を行使しながら、野菜スープを口に運ぶ。

 

「アシュナ、ダメだよ? スヴェンさんにも話せないことが有るんだから」

 

 無視された事に頬を膨らませるアシュナを論ずるも、ミアも興味が尽きないのか『私も知りたいなぁ〜』っと眼が語っていた。

 

「ミアだって気になってる癖に」

 

 アシュナの尤もな指摘にミアは顔を背けながら、わざとらしく口笛を吹く。

 なぜアシュナは両親に付いて聴きたいのか。親という存在を求めているのか、それとも単なる興味本位からの質問なのかは、彼女の無表情からでは読み取れない。

 ただ自身の両親に関しては三人に話すべき内容でも無ければ、食事を不味くするだけの無価値な話題だ。

 

「食事中に話すような内容でもねぇよ。それよりも俺は、伝説と呼ばれる瑠璃の浄炎に付いて知りてぇ」

 

 話題を孤島諸島に眠る伝説に付いて、ノーマッドに視線を向けるも、

 

「何処に在るのか、何に護られているのかも知っているけれど……異界人の両親、スヴェンの底抜けに冷たい眼、普通の家庭ならそうはならないわよね?」

 

 アシュナの質問に答えなければ瑠璃の浄炎に関する正しい情報を得られない。

 レーナが調べ上げた情報をより確実にするにはノーマッドの知る情報も必要だ。

 その対価が自身の過去となれば、スヴェンは眉を歪めざる負えなかった。

 つまらない過去話と必要な情報。依頼を達するには必要不可欠な要素をーーあんな話を、綺麗なままの二人に? 

 スヴェンは眼を瞑り、自身のつまらない過去か依頼達成どちらかを選ぶべきか。それは傭兵として選択の余地もないものだった。

 

 --馬鹿正直に話してやる理由もない。

 

 スヴェンは皿にスープを置いて、一拍置いてから語り出した。

 

「俺は産まれた時には両親に戦場に置き去りにされたらしい。そんな話を俺を拾った傭兵から聴いたが、親の顔もどんな存在なのかも知らねぇ」

 

 ミアとアシュナは嘘を信じ込む形で眼を伏せた。

 事実は戦場に捨てられ、傭兵に拾われ育てられたことだが、嘘は親の顔を知らないという部分だけ。

 その程度の情報でミアとアシュナは信じ込み、疑いもせず追求を辞めた。

 逆にノーマッドは生きた年月から得た経験からわずかな嘘も見破るだろう。

 両親の顔は正直に言えば覚えてもいれば、二人を戦場で傭兵として殺害したのも他ならない自分自身だ。

 当時五歳だった子供に殺された現役の傭兵夫婦。それが自身の最初の標的だった。傭兵として再会し、殺し合いの果てに捨てた赤子が生き残るーー何度も振り返ってみたが皮肉の結果、ただそれだけだ。

 

「そう、親の存在を知らないならアシュナの求める解答はできないわね。……それじゃあ瑠璃の浄炎に付いて話すわ」

 

 ノーマッドは一呼吸置いてから情報を告げた。

 

「パルミド小国から北西、海を渡った絶海……大瀑布の側に浮かぶ孤島の遺跡、その最奥に瑠璃の浄炎は実在するわ。ただ厄介な存在が護っているけれど」

 

「厄介な存在? そいつはモンスターか?」

 

「遺跡内部はモンスターの巣窟、それだけでも厄介だけど天使が創り出したガーディアンが護っているのよ」

 

「天使のガーディアン……じゃあ孤島諸島の遺跡は封神戦争時代の物ってことですか?」

 

 ミアの疑問をノーマッドは獣肉の干し肉を食べてから答えた。

 

「いつの時代の遺跡なのかは判らないわ。ただ、言えることは帰りの手段は用意した方が賢明かしら」

 

 ノーマッドの忠告にスヴェンは頷き、空の皿を片付けた。

 

「食べながら聴いてると思ったら……今日の野菜スープは成功で良いのかな?」

 

「最初と比べりゃあ美味くなってる」

 

 着実に調理の腕を上げるミアにそう告げると、アシュナがげんなりした様子で呟く。

 

「……スヴェン、ミアに遠慮してるの?」

 

 まだアシュナの満足するレベルには達していない。それは明白だが、野菜スープ一つに様々な試行錯誤と工夫によって混ざり薄めの味付けは、五種という点を抜きにしても不思議と嫌いになれない。

 むしろ血を流し過ぎた身体には丁度いい味付けとも言える。

 

「作り手の工夫ってのは案外伝わねえもんだな」

 

「うーん、栄養と摂取効率に加えて滋養強壮薬に薬草も入れたからアシュナには合わないのかもね」

 

「口の中で5種類の味……舌がおかしくなりそう」

 

 アシュナの苦言にミアは肩を落とし、懐から取り出したメモ帳に羽ペンを滑らせた。

 

「お腹も膨れたし、わたくしはもう行くわ……何処かでまた会ったらその時はまたお話ししましょう」

 

 ノーマッドはそれだけ告げ、暗くなりはじめた荒地を歩き始めるのだった。

 彼女が何処へ行くのかは誰にも判らない。



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11-2.アンラス関所と死亡者

 七月一日の晴れた朝。三つの村を通り抜けアンラス関所が目前まで差し迫る中、スヴェン達は驚く拍子抜けしていた。

 

「これが嵐の前の静けさってヤツなのかな?」

 

 アシュナが放った一言でミアが警戒心を宿すのも無理もないと思えた。

 これまで町や村に到着すれば邪神教団絡みの事件に遭遇し、モンスター生息地域では襲撃に警戒する日々を。

 ごく最近では温泉宿のちょっとした面倒ごとと死域の戦闘が真新しいが、流石に四日も何も遭遇しない方が不気味だ。

 

「旅は平和に行きてぇとは思っちゃあいたが、いざ何も起こらねぇと不気味だな」

 

「うーん、幸先が悪かったからね。旅行はこれが普通なんだよ、きっと」

 

「普通ってなんだろ?」

 

 アシュナは彼女の言う普通に小首を傾げた。

 彼女が普通に付いて疑問を浮かべるのも無理は無い。それほど随分と濃い道中だったようにも思える。

 ただミアの言う通り何も起こらないのが普通で、行く先々で邪神教団絡みに遭遇することの方が可笑しい。

 ジルニアで出会った二人組の邪神教団、異端の烙印を押された彼らは各地の信徒がヴェルハイム魔聖国に招集されていると語っていた。

 つまりこの平穏も嵐前の静けさと考えれば、自然と下丹田に力が入る。

 そしてスヴェンは眼と鼻の先に差し迫る、エルリアとパルミド小国を繋ぐ石造りの関所に視線を移した。

 関所の向こう側は国境線、パルミド小国は異界人のスヴェンにとってはじめての外国だ。

 今までは魔法騎士団が融通を利かせていたが、外国となればそうはいかない。

 表向きはエルリア側から異界人が旅行として入国する以上、派手な行動は控えるべきだ。

 ましてやレーナに雇われている身で外交問題に発展させる以ての外だ。

 

 ーーとは言え、孤島諸島に行く為には船を探さなきゃならねぇが。

 

 果たして旅行者の遺跡観光に付き合う船乗りが居るかどうか。

 スヴェンが思案している中、荷獣車が停車し検問の騎士に声をかけられた。

 

「パルミド小国に入国かい?」

 

「えぇ、そんなところです。手続きは5月に終えてますが……」

 

 騎士は既に完了してる手続きに眉を寄せ、ミアに不信感を露わに、

 

「名を伺っても?」

 

「ミアとスヴェン、入国手続き予定リストにそう記載されてるはずです」

 

 疑われながらも自信を持ってはっきりと告げるミアに、騎士の二人は互いに顔を見合わせーーまるで幽霊でも目撃したのか、顔面蒼白で頬を引き攣らせた。

 流石に騎士の様子が可笑しい。手続きや必要事項のやり取りはミアに任せていたが、騎士の様子にスヴェンは口を挟む。

 

「顔色が悪りぃな、死者にでも会ったか?」

 

 スヴェンの問い掛けに、騎士は狼狽ながらも答える。

 

「ミアとスヴェン……この二人は六月二十七日に死域で死亡したと、そう通達が来たんだ」

 

「「はっ?」」

 

 スヴェンとミアは何故そんな事になっているのか絶句した。

 基本的に死亡は遺体が発見されるのか、明確に死んだと判らなければ消息不明扱いだ。

 それが何をどう間違えて死域で死んだことになってるのか。

  

 ーー死域の突破を試みたから誤認されたのか?

 

 確かに死域を突破してから村は通り過ぎるだけで、魔法騎士団の誰かと接触した訳でもない。

 それが情報に拍車をかけてしまったのか。

 スヴェンは一先ず推測を一旦辞め、

 

「誰が死亡報告を?」

 

 冷静に訊ねた。

 

「ジルニアのカノン部隊長からだ。なんでも異界人からミアの遺髪が提供されたらしいんだと」

 

 確かに死域でまともな死体が残るとも限らない。何処かに付着していたミアの髪の毛が回収され、遺髪として扱われた。

 それは遺髪の提供者が異界人でなければ通じるが、そもそも最近で接触した異界人は二人だけ。

 

「えっと、誰から遺髪が提供されたんですか?」

 

「異界人のヨクナガ(夜長)だ。なんでも早朝、死域の側で鍛錬していた時に君達を目撃したそうでな。それで引き止めようと彼も死域に入ったが、破壊された荷獣車の残骸とミアの髪の毛が落ちていたそうだ」

 

 異界人のヨクナガが誰なのかは知らないが、並べられた嘘は状況とタイミング次第で偽証に使える。

 死亡扱いになっていることに驚いたが、この状況は使えるのも事実だ。

 

 ーーレーナは嘘を見抜いてんだろうな。

 

 彼女は魔力を使わずとも召喚した対象の居場所を知ることが可能だ。

 当人が前回の時と同様に気が動転してうっかりしていれば話しは別だが。

 情報を利用するにしても、ヨクナガという人物が何者なのか知っておく必要も有る。

 

「……ヨクナガってのは何処に滞在してたんだ? 死域の近くとなりゃあ温泉宿しか思い付かねえが」

 

「おっ? ヨクナガも温泉地に滞在してたらしいぞ……確か、あそこに宿泊していた異界人は二人だけらしい」

 

 温泉宿に宿泊していた異界人。ミアにしつこく絡んだ少年の名に、スヴェンとミアは何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 二人の間に流れる微妙な空気に、二人の騎士が苦笑混じりに傍観を決め込む。

 

「私の髪の毛……いつも間に拾ったんだろ? あーでも、カノン先輩が情報を伝えたなら何か遭ったのかも」

 

 髪の毛に関しては、ヨクナガは何度かミアに触れる機会が有った。

 そもそも彼女の腰下まで伸びた青い長髪は、何処かで抜け毛が落ちても不思議ではない。

 それよりも問題はカノン部隊長がヨクナガの提供を鵜呑みにしたことか。

 

「ジルニアで何かが起き、ヨクナガの嘘を利用することを思い付いたなら……俺達に関することか」

 

「その可能性の方が高いと思う」

 

 考えられる可能性とすればジルニアに邪神教団が現れ、フェルシオンに滞在していた異界人を捜索していた。

 連中にとって喉から手が出るほど欲しい封印の鍵が持ち出された状態だ。追手を差し向けてもおかしくないは無い頃合いだ。

 そう考えればヨクナガの行動は、見事なファインプレーと言わざるおえない。

 賞賛すべきでは無いが、恐らくカノン部隊長のドラクル討伐が予定よりも早まったのも関係しているのだろう。

 誰かの思惑一つで状況が悪化することもあれば、いい方向に好転することも有る。

 今回は後者だからこそスヴェンはヨクナガの行動に眼を瞑ることにした。

 

「あー、騎士のお二人さん。俺達の死亡情報はそのままにしてくれ……どうにも厄介な連中に眼を付けられたらしい」

 

「事情はよく分からないが、二人の身の安全を考えれば仕方ないか」

 

 やはりエルリアの魔法騎士団は融通が効く。

 スヴェンが騎士に感心を寄せると、ミアは二人分の旅券を改めて取り出した。

 

「えっと〜それで入国許可は降りるんですか?」

 

 騎士はミアが取り出した旅券に視線を向け、それが何処から発行された物なのか一眼で見抜き、

 

「あぁ、この旅券なら問題ない」

 

 旅券に魔力を流し込み、刻まれていた魔法陣が現れる。

 すると関所の門が魔法陣に呼応し、門に施されていた幾つもの魔法陣が回転しーーガチャン! 開錠音が響き渡る。

 やがて門は独りでに開き、荒れた大地と湿った大地の境界線が視界に移り込んだ。

 

「「二人に良き旅を!」」

 

「うん! 祖国を離れるのはの少しだけ寂しいけど、楽しんで来ます!」

 

 気の利いた言葉に笑みを浮かべて返したミアが、手綱を握り締めたーーその時だ。空から大鷲の鳴き声と共に風が舞い、大鷲とその背中に乗った少女が、

 

「毎度〜空が繋がる限り何処でも最速でお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

 愛想笑いを浮かべ宣伝文句と共にアンラス関所に降り立ったのは。

 

「「「……えぇ〜」」」

 

 そして気の利いた台詞を言った三人の出鼻を挫かれたのも同時だった。



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11-3.届く荷物と外国の地

 デリバリー・イーグルの少女は軽快な笑みを浮かべ、大鷲の背中から横長の包みと小さな包み、そして紙袋に三通の手紙を取り出した。

 

「なにやら死亡したと情報も飛び交っていますが、スヴェン様にお荷物とお手紙です!」

 

 死亡情報が出回っているにも関わらず、デリバリー・イーグルはアンラス関所に到着した。

 スヴェンは差し出される受取票にサインを記載し、横長の包みに視線を移す。

 まさか、もうガンバスターが完成したのか。パルミド小国に入国前のこのタイミングで。

 それとも別の荷物が届いたのか、スヴェンは横長の包みに期待を膨らませながら少女に問う。

 

「送り主は誰だ?」

 

「えーと、こっちの武器はエリシェ様から。小さな包みはレヴィ様、紙袋はクルシュナ様からですね。それぞれ三名から手紙も預かってます!」

 

 フェルシオンでエリシェと別れてから十日以上は経過したが、こうも速くガンバスターが完成するとは思ってもみなかった。

 期待以上の成果にスヴェンは自然と笑みが浮かび、

 

「す、スヴェンさんが笑ってる!?」

 

 ミアに驚かれた。

 彼女は人を一切笑わない外道だと思っているのか。それはそれで心外だが、笑うことの方が少ないのも事実だ。

 だからスヴェンはミアを鋭く睨むことで黙らせ、三人から届いた手紙を最初に受け取る。

 最初の一通目はレヴィからだ。彼女がレーナとしてではなく、偽名を使ってまで手紙を出した理由は何か。

 考えられることと言えば、依頼か死亡情報に乗っかる形でレヴィの名を使用したか。

 スヴェンはそんなことを推測しながらレヴィの手紙に視線を移す。

 手紙には彼女の丁寧な文字で、レーナがスヴェンとミアの死亡報告を一部偽造として共有していること。

 生存を知る者はオルゼア王をはじめ国の重鎮、ラオ副団長とレイ、クルシュナ副所長、エリシェとブラック。そしてデリバリー・イーグルの職員だけだと。

 エリシェとブラック、そしてデリバリー・イーグルを除いた者達は本来の目的を知る者達だけだ。

 

 ーーレーナは既に動いてんのか。

 

 スヴェンは手紙の前半から後半を読み進める。

 申請していた二つの転移クリスタルの配達を確実に届くデリバリー・イーグルに頼んだ趣旨と謝罪の言葉だった。

 同じ異界人の死亡虚偽がカレン部隊長を通し、真実として拡散されたこと。この件に関してはジルニアに現れたエルロイを二人から遠ざけるための緊急処置だったこと。

 そして首都カイデスに到着したらエルリア大使館に立ち寄るようにとレヴィを通した手紙として記されていた。

 スヴェンは読み終えたレヴィの手紙をミアに手渡し、クルシュナの手紙を読み始める。

 内容は瑠璃の浄炎を入手したら一度、エルリア城に帰還して欲しいとのことだった。

 そこで最後の保険を完成させるという短い文章にスヴェンは息を吐き、エリシェの手紙に視線を向ける。

 最後の一通は荷獣車の中でゆっくり読めば済む。そう判断したスヴェンは届いた荷物を受け取り、先に横長の包みを開封した。

 黒革の鞘に納められた大剣が姿を現す。

 

「コイツは!?」

 

 赤黒い剣身のガンバスターにスヴェンは眼を見開き、少女に離れるように促す。

 そしてガンバスターを握り締める。本来使用しているガンバスターより若干重いがそれも誤差の範囲だ。

 二、三度素振りしては振り回し易いように、柄の長さとスムーズに引き金に指が掛かる絶妙な設計にスヴェンは舌を唸らせる。

 そして次にいつも通りの感覚で魔力を流し込めば、ガンバスターの剣身が魔力を帯びた。

 素材ひとつひとつがテルカ・アトラス製の物に加えて使用された竜血石が容易く魔力を伝達させている。

 

 ーーここまで違うのか!?

 

 あとは素振りと戦闘で新しいガンバスターに慣らすだけだが、今まで使用していた相棒と此処で別れるのは名残惜しくも有った。

 だが傭兵として依頼を達成するには、携行すべき武器は既に決まっている。

 スヴェンは背中のガンバスターを鞘から引き抜き、装填していた六発の.600LRマグナム弾を取り出しーー新しいガンバスターに装填した。

 

「コイツとは此処で別れ、か……此処で荷物の配達手続きは可能か?」

 

「宛先を記入して頂ければ可能ですよ! あと手数料として銅貨50枚頂きます!」

 

 少女に言われたスヴェンは、彼女から受け取った記入用紙にエルリア城の城下町、職人街の【ブラック・スミス】に住むエリシェ宛を記載し、銅貨五十枚を鞘に納めたガンバスターと共に手渡した。

 

「毎度ありがとうございます!」

 

 ガンバスターが大鷲の背中に有る荷物入れに収納され、それを見届けたスヴェンは残りの荷物を荷獣車に詰め込んだ。

 

「悪りぃ、待たせたな」

 

「手紙の返事を返したい時は、【デリバリー・イーグル】の支店までお越しください!」

 

 少女はそれだけ告げると大鷲の背中に飛び乗り、夏の日差しが照らす青空へ飛翔する。

 大鷲は南西の空へ飛び去り、そんな様子を静観していた二人の騎士が息を吐いた。

 

「如何する? また言うか?」

 

「二度目だからなぁ〜、流石にご自由にお通りくださいだ」

 

 如何やら出鼻を挫かれた二人は、また出発の言葉を告げるのは恥ずかしいようでただ道を譲るばかり。

 スヴェンはそのまま荷獣車に乗り込み、いよいよミアがハリラドンを走らせた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 パルミド小国との国境を結ぶアンラス関所を通過した荷獣車が確かな足取りで、整備された街道を北に向かって走る。

 窓から外の景色に視線を移せば、真っ先に標高一万を誇るフェルム山脈が視界に映り込んだ。

 北に聳えるフェルム山脈にスヴェンは思わず息を漏らす。

 

「パルミド小国はフェルム山脈の麓に位置してると聴いたが、あの高さだがまだ距離はあんだろ」

 

 スヴェンがそう訊ねると、ミアは手綱を片手に地図を広げる。

 

「えっと、アンラス関所から北に真っ直ぐ、ハリラドンで六時間走ると小さな村レギルスだって。そこから2、3日行くと首都カイデスに到着するみたい」

 

「なら今はレギルスの守護結界領域ってことか?」

 

「そうみたいだね……ところで荷物の確認しなくていいの?」

 

 二、三日、レギルスで宿泊するにせよ四日後に首都カイデスに到着する。

 エルリアからヴェルハイム魔聖国まで最低二ヶ月はかかる予定だったが、孤島諸島行きを考えれば多少遅れは生じるだろう。

 スヴェンは当面の予定を頭の中に描きながら、クルシュナから届いた紙袋の中身を改めた。

 

「.600LRマグナム弾が30発……全部で37発か。それにハンドグレネードが5に、コイツはスタングレネードか?」

 

 青いパイナップル型のソレが五個。一度使用した際に側にはレーナが居た。

 恐らくどんな効果を齎すのか彼女なりに技術開発部門に伝えたのだろう。

 スタングレネードの有無一つで潜入は大きく変わるが、スヴェンが求める性能とは限らない。

 

「何処かで試してみるか」

 

 クルシュナ達の技術は本物だ。あまり心配はしていないが、閃光の効果範囲と持続時間は確認して置かなければ万が一があり得る。

 試すなら実戦が好ましいと考えたスヴェンは、ついでに新しいガンバスターの試し斬りを思案した。

 

「悪い顔してる」

 

 天井裏から覗き込むアシュナに、スヴェンは仕方ないだろ? そう言わんばかりに肩を竦める。

 

「新しい得物にも慣れが必要だ。特に魔力操作感覚は今までと違えだろしな」

 

「そういうものなんだ。それよりもエリシェからの手紙を読まないの?」

 

「私も気になるなぁ〜」

 

 二人に催促される形でスヴェンは思考を切り替え、エリシェからの手紙を読み上げた。

 

「あーっと、『スヴェン、ミア、アシュナ元気にしてる? この手紙を読んでるってことは頼まれてたガンバスターが届いてるはず。概ねスヴェンの要望通りに何とか完成したけど、何か問題が生じたらすぐに手紙と同封してね?』」

 

 少女らしい言葉使いで綴られた手紙を読み進めたスヴェンは、一旦読むのを止めた。

 こう言ってはアレだが、男が少女らしい文章を朗読するのは中々精神的にキツいものが有る。

 

「俺が読むよりアンタらが読んだ方が良くないか?」

 

 ミアとアシュナにそう告げると、

 

「え〜? 普段のスヴェンさんが口にしない言葉使いって新鮮だしい? それに私はいま手を離せないから」

 

「読むのめんどう」

 

 腹立たしい言動だが、ミアは御者としての役割も有る。彼女に関しては仕方ないと言えるがアシュナに至っては面倒臭いときた。

 

 ーーもう少し上等な言い訳はねぇのか?

 

 如何あっても手紙を読まなければならない。覚悟を決めたスヴェンは残りの文章に視線を戻す。

 

「あー『三人の旅行の目的は詮索しないけど、無事に帰って来たら一度は家に寄ってね? その時は父さんが獣肉のミートパイを焼いてくれるってさ!』ブラックは料理ができんのか」

 

「おじさんの作る獣肉のミートパイは絶品だよ! これは絶対に生きて帰らなきゃ!」

 

「楽しみ。でもこの国の料理も楽しみ」

 

 確かに旅の醍醐味と言えば食事に置いて他に無い。

 アシュナの声を頭上に読んだ手紙を仕舞い、パルミド小国の地図を広げたスヴェンは地形を頭に叩き込む。

 パルミド小国はフェルム山脈の麓に位置し、その山脈から流れる滝がファザール運河を形成した。

 パルミド小国のファザール運河は西と南に流れ、西は海へと繋がっている。

 海と河口の真上に建造された首都カイデスなら、孤島諸島へ行く船も美味い食事も同時に有り付ける可能性が高い。

 この世界は肉も美味ければ、野菜も魚もあらゆる食材が美味だ。

 その意味でエルリア以外の国で食べる料理にスヴェンとアシュナは心躍らせるのだった。



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11-4.静寂の村

 池と畑、草を撫でる風の音と家畜の鳴き声は聴こえるが人の声は聞こえず、門番すら居ない状態だ。

 小さな村レギルスに到着したスヴェンとミアは、人の気配はするが肝心の姿が見えないことに眉を歪める。

 周囲を見渡しても奇妙な気配は感じられず、

 

「関所から一番近え村がこうも静かじゃあ、観光客はあんま多く無さそうだな」

 

 ただ民家から感じる人の気配が漂うのみ。

 

「関所に向かう宿泊客は多そうだけど、なんか遭ったのかな?」

 

 村人が昼間から出歩からない事から何かが起きたのは間違いないのだろう。

 何が起ころうとあまり関係が無いが、警戒するに越した事はない。

 

「村の入口で止まっても仕方ねえ、一先ず宿屋に行くか」

 

「そうだね……あっ、でも何か起きてたらどうするの?」

 

 ハリラドンを宿屋に向けて走らせるミアの質問に、スヴェンは眼を瞑る。

 王家が発行した旅券で入国してる身だ。表向きは扱いは異界人とその同行者の旅行になっているが、入国許可で出ている以上、それはパルミド小国も許諾した。

 そうで有る以上、パルミド小国の警察組織あるいは軍事組織の面子も有る。下手に事件に首を突っ込むべきじゃない。

 

「ここは他国だからな、法の関係もありゃあ異界人の介入に姫さんの立場も絡む。邪神教団絡みなら介入もできるが、それ以外となれば難しい問題だ」

 

「この国で起きた問題はこの国が解決すべきだもんね。でも襲われたらその限りじゃないでしょ?」

 

「武器や魔法で襲いかかるなら正当防衛は成立すんだろ」

 

 スヴェンがそう答えれば、アシュナの何か言いたげな視線を向けられる。

 

「あん?」

 

「風の精霊に頼んで悪人を探知する?」

 

 それも危険を避けるためには有効な手段なのだが、

 

「一度の使用から再使用まで期間を有するってのがなぁ。2、3日程度なら気楽に頼めんだが」

 

 最使用可能になるまでどの程度の間が開くのか判らない以上、迂闊に使う事はできない。スヴェンのそんな言葉にアシュナは無表情で淡々とした様子で答える。

 

「実は精霊の機嫌次第」

 

 そう言われてしまえば、相手が超常の存在だからだと納得もしてしまえる。

 だからこそなおさら迂闊に使えないのが現実だ。

 

「悪人を読み取りてぇ時ってのは潜入中……特に協力者に裏切り者が居ねえか確認してぇ時だな」

 

「その時は任せて」

 

 静かに淡々と答えるアシュナにスヴェンが頷くと、荷獣車が減速し、やがて村の中心に位置する宿屋の前に停車した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋アンギラスに入ったスヴェンとミアは、フロントの床で眠るように倒れている男性従業員の姿に眉を歪める。

 何かが起きたのか、スヴェンはナイフを片手に警戒した足取りで従業員に近付く。

 眼に魔力を意識させ、男性従業員とその周辺に魔力を視認させる。

 従業員に直接魔法陣が施されてる訳でも、周囲に魔法陣が仕掛けられていることも無かった。

 警戒が杞憂に終わったスヴェンは、ゆっくりと男性従業員の身体を仰向けに向ける。

 

「すぅーすぅー」

 

 寝息と口元から垂れる涎、なんとも間抜けな寝顔にスヴェンは呆れたため息を吐く。

 

「おい、起きろ」

 

 軽く肩を揺らし声を掛ければ、男性従業員は僅かに反応するだけで起きる気配が見られない。

 完全に反応が無い訳ではない。スヴェンはナイフを胸の鞘にしまい、それなら話は早いと言わんばかりに男性従業員の頬に掌を振るう。

 バチン! フロントに音が響き渡り、男性従業員は眼を覚ます。

 

「な、なんだぁ!? 人がせっかく気持ちよく寝てるところを!」

 

「おう、目覚めたか? こっちは宿泊客なんだが……なんだってフロント、しかも床で寝てんだ?」

 

 疑問を訊ねれば男性従業員はスヴェンとミアに視線を向け、漸く慌てたように立ち上がり悲しげな眼差しで答えた。

 

「じ、実は……ここ最近になって夜な夜な盗人が村を彷徨くようになりまして」

 

 夜間に徘徊する盗人。夜はその警戒のために見張りや、警戒心から眠れず昼間に寝落ちしてしまったということか。

 スヴェンはそんな推測を立てる中、ミアが続け様に質問する。

 

「えっ、盗人ですか。……その、実際に被害に遭われた方は?」

 

「村長の自宅、農家、釣り師、宿屋のオーナーから彼らが一番大切にしてるものを……」

 

「大切なものか……そいつは金品に関係無くか?」

 

「えぇ、村長の自宅からは五歳のお孫さんが、農家は牛を一頭、釣り師はカヌーを。そしてオーナーはパルミドの英雄像を盗まれてるんです」

 

 村長の孫に関しては窃盗よりも誘拐の線が強いが、そもそも盗人というよりは怪盗という印象を強く受ける。

 特に牛や英雄像ともなれば持ち運びはその重さから難しい。

 それを捕まらず盗むあたり只者ではないのだろう。

 スヴェンがそんな事を考えていると、

 

「うーん、牛と英雄像なんて重い物を人知れずに盗むあたり見境無しですね。そもそもお孫さんに関してはもう誘拐事件ですよ」

 

 事件が別方向に動いているとミアが指摘を入れた。

 彼女の言う通り警察やら兵士の調査がされても不思議じゃない。

 

「まぁ、その点を考えて既にアンラス関所の兵隊が調査に駆け付けてくれましたとも」

 

「じゃあ盗人が捕まるのも時間の問題ですね」

 

 確かに盗人が捕まるのも時間の問題で、この件は関わるべきじゃないことも事実だ。 

 

「この国を訪れる旅行者や行商人には安心して滞在して欲しいです。ああ、宿泊は二名様で、お部屋はどうなさいます?」

 

「別々で頼む。それと今は此処に居ねえが、小せえガキが一人居る。ソイツはそっちのガキと同じ部屋で構わねえ」

 

「かしこまりました。食事はお部屋に届けることも可能ですが、それとも食堂で摂りますか?」

 

 食堂か宿部屋か。一応盗人が出没する以上、警戒しておくに越した事はない。

 スヴェンがそう考えると、こちらの考えを読んだのかミアが告げる。

 

「えっと宿部屋で摂ります」

 

「では、そのように手配しますね。……っと、こちらが其々の部屋鍵になります」

 

 二階のニ〇一号室とニ〇ニ号室の部屋鍵をミアが受け取ると、バンッ! 勢いよく宿屋のドアが開け放たれた。

 三人は何事かと顔を向ければ、息を切らした女性が血相を変え叫んだ。

 

「大変だ! うちに泊まっていた息子……四人の兵隊が攫われた!」

 

 スヴェンとミアは突如舞い込んだ情報に思わず、

 

「「は?」」

 

 口を揃えて唖然とするしかなかった。



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11-5.盗まれたもの

 四人の兵隊が盗人に盗まれたと。そう語る女性にスヴェンとミアは耳を疑う。

 村人の大切なものを対象にしてるとは思っていたが、兵隊ともなれば見境が無い。

 スヴェンは冷静になった思考でミアに視線を移す。

 盗人が対象を選ばないならいずれこちらに被害も出る。警戒を怠るな、そういう意味で視線を向ければ、

 

「大切な私が盗まれるって心配してるんだ」

 

 照れ顔で戯言を吐き出した。

 何をどう考えてそんな戯言が飛び出すのか。それとも恋仲を演じた演技だというのか。

 何処かに潜む盗人がミアを対象に選ぶ。そして彼女が盗人を確保するとでも言うのか。それは囮としてはあまりにも弱過ぎる。

 スヴェンとミアの関係は観察眼に優れた者が見れば、そんな関係には見えないからだ。

 ただ盗人が村人の大切なものに限定してる辺り、事前に誰が何を大切にしてるのか情報収集と下見は済ませて有るのだろう。

 スヴェンはそこまで考えては、戯言を語り未だ照れ顔を浮かべるミアに肩を竦める。

 

「アンタより背中のガンバスターが大切なんだがなぁ」

 

 そう真顔で返すとミアは落胆しながら階段に歩き出した。

 こちらにも被害が出るそんな危惧も有るが、

 

「見張りの強化と魔法陣を仕掛けて……そういえば4人とも息子でしたね」

 

「そうだけど、おかしなことに()()()()()()()()()()()

 

 二人の会話にスヴェンは眼を細めながら宿部屋へ向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿部屋で荷解きをしたスヴェンは窓から村を眺めた。

 眠そうな村人が地面を念入りに調べては、深いため息を吐く。足跡は見当たらず、周囲の魔力の痕跡を辿ろうにも魔力は村の民家や魔道具から発する魔力、畑に使用されている魔法陣から発せられている。

 そのため痕跡は隠され手掛かりが出ない状況だ。そもそも盗人は魔法を使ったのかすら分からない。

 事件を調査するわけでも無いが警戒は必要だ。特に訓練を受けているはずの兵隊が争った痕跡も残さず誘拐された。

 

「寝込みを連れ去られたのか?」

 

 それは考え難い。いくら寝ていたとしても足音や視線、不審な気配には目が覚める。

 何らかの魔法による犯行。そこまでは考えが及ぶがその先まで思考が続かない。

 スヴェンが息を吐くと村人の会話が耳に届く。窓から離れ聴覚を研ぎ澄ませる。

 

『盗人の正体は?』

 

『まだ何とも……ただ村を熟知してるヤツだとは思う』

 

『村を熟知してる? それは、まさかアイツが?』

 

『隠れんぼじゃ負け無し、存在感も薄かったからなぁ。ただ8年前に村を飛び出して以来だ』

 

『可能性は低そうだけど……待って? それじゃあ盗人は私達の誰かって疑ってるの?』

 

 八年前に村を飛び出した人物。盗人は村人の誰かという可能性にスヴェンは息を潜める。

 

『可能性の話だよ。それにアイツが村を飛び出したのだって……』

 

『確か妹が行方不明になったからよね?』

 

 行方不明の妹と村を飛び出した人物の関係性は判るが、盗人を働く理由は何か。

 そこまで思考を巡らせたスヴェンは廊下から聴こえる足音に耳を澄ませた。

 足音はミアの宿部屋まで止まり、ドアが開く音に眉を歪める。

 不信感からガンバスターの柄に手を伸ばす。

 

『誰!? ちょっ、このぉぉ!!』

 

 壁を打ち付ける打撃音にスヴェンは宿部屋を飛び出し、すぐさま隣の宿部屋へ駆け込んだ。

 室内に視線を巡らせ、気絶したアシュナとシルクハットと紳士服、そして羽織ったマントと鉄仮面。

 怪盗を彷彿とさせる装いの男がミアの首を掴んでいる光景が映り込んだ。

 

「あっ、ぐぅ……」

 

 頸動脈を握り締められたミアの呻き声が室内に響く中、スヴェンはガンバスターを引き抜いた。

 

「おっと、この娘がどうなってもいいのかね?」

 

 ぐぐもった声にスヴェンは躊躇無くガンバスターの刃を男に向ける。

 騒動の渦中に居る盗人本人なのか判らないが、わざわざ部屋に侵入した以上は制圧すべき敵だ。

 

「一歩でも踏み込めば首を圧し折る」

 

 脅しの言葉にスヴェンは依然として構えを解かない。それどころか男を鋭く睨む。

 男はわずかに困った様子で被りを振る。すると苦しげにしていたミアが男を睨み、

 

「……っ!」

 

 鋭く魔力を流し込んだ脚で男の腕を蹴り上げ、手が離された瞬間に男の首締めから自力で脱出した。

 

「げほ! げほ! もう美少女の首を絞めるなんて最低!」

 

 息を整え素早く壁を足場にスヴェンの背後に逃げ込む。

 人質に逃げられた男は焦る様子も見せず、むしろ余裕さえ有る。

 

 ーー何かを狙ってやがるのか?

 

 例え罠だとしてもこちらに手を出された以上、制圧すべき敵だ。

 スヴェンは床を蹴り、男の懐に入り込む。

 そしてガンバスターを振り払うも男がマントを翻し、目の前で姿が消えた。

 対象を見失ったスヴェンはそのままガンバスターを振り切るも、刃が空振りに終わる。

 一瞬で消えたことに間違いなく何らかの魔法が発動されたが、

 

「この魔法って!?」

 

 思考はミアのどよめき声によって遮られる。

 何事かと視線を移したスヴェンは、黒い霧に身体が包み込まれているミアに眉を歪めた。

 何らかの魔法が接触時に仕掛けられていた。そう理解した時には既に遅く、ミアの伸ばされた手を掴むもーーミアが黒い霧に呑み込まれるように消えて行った。

 手に残されたのはミアの温もりだけ。そして彼女が寸前に流し込んだ魔力だ。

 スヴェンがミアの魔力に疑問を浮かべる中、何処からともなく盗人の声が響く。

 

『大切ものは預かった。返して欲しくば一人で我が根城に来い』

 

 盗人の言葉はミアの生存を確証するものでは無いが、彼女は優秀な治療師であり同行者だ。

 なぜ盗人がミアをわざわざ攫う真似を見せたのか。現状では罠の可能性が高いが、わざわざ目の前で痕跡を残したまま攫うなど不自然だ。

 盗人の目的にスヴェンはため息を吐き、掌に残留を続けるミアの魔力に意識を集中させる。

 彼女が残した魔力の残滓は、ミアの下を示すように薄い線で繋がっていた。

 その先に盗人の隠れ家が在ると判断したスヴェンは、あの一瞬で魔力を残したミアに感心を寄せる。

 

 ーーここで切り捨てるには惜しい人材だな。

 

 魔王救出にはミアの存在も必要不可欠になりつつ有る。そう実感したスヴェンはアシュナを起こし、

 

「しくじった……ミアは?」

 

 身体が痺れているのか、酷く動きが鈍い。

 

「奴に連れて行かれた。アンタは此処で待機してろ」

 

 簡素に状況を告げる。すると気絶させられたこと、ミアが連れ去られたことにアシュナは顔を歪めた。

 責任を感じている。それは彼女の眼を見れば明らかだが、いまはアシュナにしかできないことが有る。

 

「いいか? アンタは村人が付いて来ねえように適度に誤魔化せ」

 

「分かった。……ミアはちゃんと助けてよ?」

 

「信用がねぇな」

 

 肩を竦めてとぼけて見せれば、

 

「ミアの言動に苛ついたスヴェンが……なんてことも」

 

 真顔でそんな事を静かに語った。

 確かに助けに向かったミアが戯言をほざく可能性は十分に有る。その戯言にうっかり狙いを外す事だってあり得る話だ。

 スヴェンは敢えて何も答えず、アシュナに後を任せ、窓から飛び出しては魔力の残滓を追跡を開始した。



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11-6.囚われのミア

 魔法の副作用か。気を失っていたミアは足元から感じる浮遊感と異臭に目覚めた。

 ミアは辺りに視線を移す。薄暗く周囲がよく見えない。両腕を天井から伸ばされた鎖に吊るされ、おまけに自害を防ぐためにか口元は布で塞がれ両足も拘束されていた。

 

「(動けないし変に臭いなぁ……それにどれぐらい気絶してたのか)」

 

 あれからどれだけ時間が経過したのか。それとも然程時間は経過していないのか。少なくともスヴェンに自身の魔力を送った。

 だから然程時間は経過していないとミアは推測する。仮に時間が経過しているなら行動の速いスヴェンが既に助け出してる筈だからだーー私のことを見捨てなければだけど!

 スヴェンが見捨てる選択肢を取る可能性は決して無い訳では無いが、ミアは彼が助けに来ることを信じて自身の置かれている状況に改めて視線を向ける。

 相変わらず薄暗く周りはよく見えないが、周囲から呻き声に混じって獣の鼻息と啜り泣く声が聴こえていることから少なくとも数人と動物が居ることは間違いない。

 となれば同じように連れて来られた人々か。捕まっている人々から話を聞ければ良いが、塞がれた口ではまともに会話はできない。

 

「(こんな時スヴェンさんならどうやって脱出するのかな)」

 

 スヴェンならどう拘束から逃れるのか。

 彼は戦闘を生業とする傭兵であり、細身だが力は非常に強い。特に自身を脇に抱えた状態で町を走り続ける上にガンバスターも扱える以上、力技で拘束から逃れてしまいそうだ。

 ただ非力な自身には到底不可能な方法だ。

 魔力操作による身体能力活性化なら可能だが、大抵の拘束具には魔力操作を阻害する魔法が施されている。

 ミアはそうと知りながらダメ元で下丹田の魔力に意識を傾ける。

 いつも通りに息を吐くごとく魔力操作を試みるが、案の定拘束具の怪しげな光が魔力に反応して動きを阻害してしまう。

 

「(ダメかぁ)」

 

 現状では自力で脱出することは難しい。

 だからこそスヴェンに助けて欲しいが、こんな無様な姿をスヴェンに見られるのもそれはそれで嫌だ。

 同じ目的に向かう同行者。彼の中でミアを見る目は何処まで行っても同行者に過ぎない。

 仲間や相棒。そう認識されたことは今まで一度も無ければ彼の口からそんな単語が出た覚えが無い。

 この際同行者でも構わないが、いずれスヴェンの相棒という関係になりたい。それこそ彼の拘りや考えを変える程の対等な関係に。

 この状態は何もできないが思考を重ねることはできる。

 

「(服装は小説とかで読む怪盗みたいな格好。盗人と関係性は高いけど目的が不明なんだよね)」

 

 連れ攫われた理由がレギルスを騒がせる盗人騒動と同じなら、対象に選ばれた理由が不明だ。

 スヴェンの大切なものは、エリシェが製造したガンバスターだ。武器を相棒と扱い信頼を置く彼にとって紛れもない大切なものだ。

 

 ーー男は話を何処かで聴いていた? 私の冗談を信じる形で?

 

 そもそもフロントで他の人物が居ればスヴェンとアシュナが気が付く。

 だが自身の宿部屋に訪れたのは怪盗の装いをした男だった。

 鍵を掛けていた宿部屋をさも当然のように鍵で解錠して堂々と入り込まれた。

 それに警戒心を剥き出しに立ち向かったアシュナを一瞬、医者が重症患者に使う麻酔薬で彼女を気絶させたのだ。

 

「(あの薬は医者にだけ所持を許されてるはず。でも材料の薬草は簡単に手に入るから知識さえあれば誰にでも調合ができる)」

 

 医学者なのかと最初は考えたが、教育機関に通っていた者で調合知識を有する者なら誰にでも扱える。

 特にアシュナのような成長期途中の子供には副作用が強く出やすいーーアシュナはたぶん一日か半日はまともに動けないか。

 耐性が有れば話は別になるが、特定の薬に抗体を持つ者は稀だ。

 それに麻酔薬や薬の類、病気は治療魔法が効かない。治療魔法はケガを癒す魔法であって菌を殺す魔法では無いからだ。

 同時に身体に入り込んだ菌も治療対象になることは無いが。ミアは考えが逸れたことに一度眼を瞑る。

 

「(男が使う魔法に付いて考えるべきね)」

 

 ミアはあの男が使用した魔法に付いて思考を巡らせた。

 黒い霧が身体を包むように対象を消失させる魔法。そんな消滅魔法の類は禁術指定されているが、転移魔法に似た魔法なら実在する。

 実際にあの男が使用した魔法は知っている。

 というのも過去にエリシェと見に行った演劇場で役者に黒い霧が使用され、自身と同じように消えた役者が全く別の場所ーー天幕の天井に現れた光景を覚えていた。

 アレは転移魔法を演出用に改良を加えた演劇用の魔法だ。

 人を何処かに飛ばすにも、飛ばしたい地点に出入り口用の魔法陣の設置。そして飛ばしたい対象に印となる魔法陣を印す必要が有る。

 だから舞台の役者は観客に悟られないように魔法陣だと気付かせほど巧妙に仕掛けると云う。

 それに演劇用の魔法は役者達にしか詳細の構築を知る術は無い。

 舞台に使用されるタネが割れては演劇は面白味も欠けるから秘匿されるのだ。

 だからミアはあの男は何処かの劇団の役者だと推測した。

 

「(推測はしたけど、他国だから慎重になるだろうけどスヴェンさんは正体関係なく殺しに行くからなぁ)」

 

 それにとミアは顔を顰める。

 先程から気にしないように意識を逸らしていたが、部屋に漂う異臭は何処から来ているのか。

 腐臭とは違う臭いだが、何かの薬剤による臭いなのかは見当も付かない。

 ミアが頭を悩ませると、カツン、カツン。足音が響き渡る。

 

「ふー!! ふぐー!!」

 

「むー!! むぐぅー!!」

 

「ふっー!! ふぐぅー!!」

 

「ぬー!! ぬぐぅー!!」

 

 足音に反応して静かだった者達が一斉に騒ぎ立てる。

 唸り声から四人とも男性だとミアは推測し、頭の中に盗まれた四人の兵隊が過ぎる。

 ーーじゃあここは盗人の保管場所?

 

 村の中か離れた拠点か。どちらにせよスヴェンの到着が来なければ何もできない。

 ミアが現状に眼を細めると蝋燭に火が灯り、部屋を灯りが照らす。

 蝋燭の頼りない灯りが岩肌を照らし床には、パルミドの英雄像と縄に繋がれた牛、拘束されて口元を縄で塞がれた男の子と四人の兵隊。

 

 ーー牛、随分大人しいなぁ。

 

 異臭の正体は牛の糞尿かと思ったが、牛の周りはそんな痕跡も無く益々ミアは異種の正体に眉を歪める。

 そして自身の足元に石の棺が有ることに気が付き、冷や汗が額に浮かぶ。

 

 ーーここで盗んだ人は始末してるの?

 

 ここで殺されてしまう。そんな不安がミアを掻き立てる中、棺を眼にした四人の兵隊が一様に顔面蒼白で顔を背けた。

 この棺に死を連想したのか、それとも棺に何かあるのか。それはともかく兵隊ならもっと毅然とした態度で望んで欲しい。

 スヴェンなら棺を前にして全く動じない。むしろ持ち上げて武器代わり使用するところまで想像したミアは、不思議と気持ちが落ち着くことに気が付く。

 

 ーー死者を冒涜するスヴェンさんの方が怖いからなぁ。

 

 あくまで想像中での行動だ。ミアは内心で自身に言い聞かせると、

 

「お早いお目覚めようだね。美しいお嬢ちゃん」

 

 怪盗の装いをした男の声に不快感が宿る。

 普段なら容姿を褒められて喜ぶところだが、首を絞められ魔法で連れ攫われた挙句の果てに拘束されている現状で男に浮かぶのは敵意だけだ。

 

「ふむ。身体の自由が封じられた状態で戦意を消失しないとはね。……いや、先ずはこのような茶番に付き合わせたことを詫びよう」

 

 ーー茶番? 一体どういうことなの?

 

 ミアは冷静に男の声に耳を傾けーー同時に四人の兵隊は男に強い敵意を宿した瞳で睨んだ。



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11-7.レギルスの罪

 囚われたミアが眼を覚ました頃。

 スヴェンは村人を避けながら民家を遮蔽物に、ミアが掌に流し込んだ魔力の残滓を追跡していた。

 魔力の残滓は畑を抜け村の民家の中で一際大きい村長の自宅の裏手に位置する井戸を前にスヴェンは眼を細める。

 井戸を守るように見張る着慣れない鎧で武装した村人が三人。

 三人の内二人は男でもう一人は女。

 魔力の残滓が井戸の中まで続いてることから井戸が入り口なのは明白だ。

 だが盗人騒動で警戒してる割には、見張りの三人は厳しい表情を浮かべている。

 

 この村には余所者に知られたくない秘密が有る。

 

 ーー秘密なんざに興味はねぇが、ミアを救出したあとどうするべきか。

 

 一番ベストなのは何食わぬ顔で宿部屋に戻り、明日に何も知らずに出発することだ。

 ただそれはあの怪盗の格好をした男と村の秘密によって変わる。

 傭兵として培った経験がこう訴えるのだ。この村は何かを隠蔽し隠し通していると。

 エルリアの国境線に最も近いレギルスの秘密が邪神教団絡みなら話は別だ。

 スヴェンは足元の小石を二つ拾い上げ、三人の視線が村長の自宅から逸れた隙に一つを井戸から北、木製の塀に投げ込む。

 放物線を描いた小石が木製の塀にカツンっと当たり、見張りが一斉に音がした方向に振り向く。

 

「なんだ? そこに誰か居るのか?」

 

「誰かの悪戯か? ここには村長命令で誰も近付かない筈なんだけど」

 

「誰にせよ、見張りなんて退屈よね」

 

 スヴェンは素早く三人の背後に忍び寄り、躊躇なく女の後頭部を殴り倒す。

 

「ぐっ!?」

 

 一人が地面に倒れ、二人が振り向くよりも速く背後に回り込みまた一人の後頭部を殴り倒した。

 そして残り最後の一人を背後から羽交締めにしたスヴェンは、引き抜いたナイフを喉元に突き付ける。

 

「この井戸に何が有る?」

 

 質問に答えず騒げば頸動脈を斬る。そう脅しを含めてナイフの刃で薄らと首筋に傷を付ける。

 すると男は利口な性格のようで、

 

「い、井戸は何年も前に枯れてるんだ」

 

 枯れ井戸を見張らされている不満も有ったのか素直に答えた。

 単に枯れ井戸が盗人の通り道と考え警戒してるとも取れるが、

 

「枯れ井戸を見張る理由は? いつから見張ってる? それとも盗人騒動と関係があんのか?」

 

 男に質問を重ねる。

 

「判らない。盗人騒動が起きる前から定期的に交代で枯れ井戸を見張ってるんだ」

 

 盗人騒動以前から見張っている枯れ井戸にスヴェンは、ミアの魔力の残滓が続いてることと合わせて不振感を宿す。

 間違いなく枯れ井戸は盗人の隠れ家に続いてるが、騒動の件を考えれば村人と盗人が通じてる可能性が少ない。

 それとも八年前に村を出て行った人物と事件が何か関係してるのか。

 

「八年前に一人村を飛び出したヤツが居るそうじゃねぇか、しかも妹が行方不明になったとか」

 

 事件に関して訊ねると男は震えていた。

 ガチガチっと震えて歯を鳴らす男の眼は、後悔と恐怖に濡れた眼だ。

 既に後悔と恐怖に支配され、目の前も見えない男にこれ以上質問しても何も口を割らないだろう。

 そう判断したスヴェンはナイフの柄で男の後頭部を強打することで、意識を刈り取る。

 そして三人の見張りを発見し難い、枯れ井戸から少々離れた物陰に隠す。

 見張りを片付けたスヴェンは改めて枯れ井戸を覗き込んだ。

 垂れ下がった丈夫なロープが光も通さない底まで続いている。

 恐らく村人の誰かが定期的に枯れ井戸の底まで降りているのだろう。

 何の為に? そんな疑問が芽生えるがなるべく速くミアを助け出さなければ、彼女に遅いと文句の一つも言われる。

 それはそれで癪だと感じたスヴェンはロープを掴み、そのまま枯れ井戸の底に滑り降りた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 暗い枯れ井戸の底に到着したスヴェンは、壁伝に空気が流れる方向に歩き出す。

 こんな時はライトの一つでも有れば便利なのだが、生憎とそんな便利な道具は覇王エルデとの戦闘時に壊れ廃棄している。

 

「頼りになんのはミアの魔力だけか」

 

 果たして魔力の残滓は生きてるミアの居場所を示してるのか、少なくともあの男が使用した魔法は対象を消滅させるような魔法では無いことだけは確かだ。

 だからと言ってミアが無事で居る保証は何処にも無い。自分のような外道ならミアを嬲り殺しにするか、彼女のような優秀な治療師は何処に売り飛ばされる可能性も有る。

 最悪のケースを想定したスヴェンは足を早め、暗がりの中を突き進む。

 真っ直ぐ魔力の残滓と空気の流れを頼りに一時間程度進んだ頃、燭台の灯りに眉を歪める。

 地下空間と更に下に続く螺旋階段を一気に駆け降りる。やがて螺旋階段の終点に到着したスヴェンは、仰々しい鋼鉄の扉と魔法陣にため息を吐いた。

 

 ーー魔力の残滓はこの先まで続いてるが、どうやって開ける?

 

 物は試しにと鋼鉄の扉を押してみるが、扉は動く気配すらみせない。

 やはり魔法陣を解かなければ鋼鉄の扉を開けることは叶わないようだ。

 ガンバスターで強引にでも叩っ斬るか? そんな物理的な解決策を浮かべるスヴェンの耳に音が聴こえる。

 別の通路から人の気配と足音が響く。

 隠れられる場所は無いか。周囲を見渡したスヴェンは丁度良い壁の窪みを見つけ、そこに身を隠す。

 身を隠しながら壁越しに様子を窺えば、怪盗の装いをした盗人が意を決した様子で鋼鉄の扉の前に立つ。

 

「『我が呼び声に応じ、封印されし扉を開け』」

 

 盗人の詠唱に呼応して鋼鉄の扉に施された魔法陣が輝き、扉が独りでに動き出す。

 盗人は迷いの無い足取りで鋼鉄の扉の先に歩き出した。

 

 ーー奴はわざわざミアをあの先に拘束したのか?

 

 一度拘束して盗人は鋼鉄の扉の外に出た。盗人の単なるコレクションの保管場所とも考えられるが、枯れ井戸の見張りの様子を見るにそれだけでは無いようだ。

 この先に村が隠していた真実が眠ろうがスヴェンには関係無い話だ。ミアさえ救出できれば用も無い、例えそれが第三者に真実を目撃させようとしていたとしても。

 スヴェンは鋼鉄の扉が閉じる前に入り込み、盗人と距離を置きながら慎重に後を追跡した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 地下室の最奥の木製の扉前に到着した盗人が、扉のかんぬきを外し、

 

「『火よ灯れ』」

 

 短く微かに聴こえた詠唱によって燭台に灯りが宿る。

 そして室内に拘束されたミアと村から盗まれた大切なものにスヴェンは、木製の扉越しから中の様子を窺った。

 天井から吊るされた鎖に拘束されたミアは盗人に敵意を宿した眼差しで睨む。

 その足下に奇妙な棺が在るが、室内の様子から死体安置所には到底見えない。

 スヴェンが何か有ると警戒すると、

 

「早いお目覚めようだね。美しいお嬢ちゃん」

 

 盗人がミアに語り掛けた。

 口元を塞がれたミアが何かを反論することも冗談を話すことも叶わない。

 だが室内に捕らわれた四人の兵隊は身体を震わせるばかりだ。

 明らかに訓練を受けた兵隊の反応では無い。何かを恐れている。そんな眼差しにスヴェンは耳を研ぎ澄ませる。

 

「ふむ。身体の自由が封じられた状態で戦意を消失しないとはね。……いや、先ずはこのような茶番に付き合わせたことを詫びよう」

 

 はっきりと盗人は茶番だと語った。

 意味が判らないっと言いたげなミアに盗人は話を続ける。

 

「キミと彼にはこの村で起きた8年前の事件を知って欲しかった。謂わば目撃者として、村の部外者としてね」

 

 芝居のかかった口調で語り出す盗人はいまどんな顔をしてるのか。

 生憎とスヴェンからでは彼の背中しか見えないが、肩の震えだけははっきりと伝わる。

 同時に理解が及ぶ。八年前に村で行方不明になった男の妹。

 そして室内の棺の存在ーー盗人が震えているのは怒りからだ。

 

「8年前、この村には唯一の村医者と15歳の妹が暮らしていてね。丁度キミと同じ歳頃のね……その子は花を慈しみ、病人に寄り添う優しい少女だった」

 

「そんな少女だから村の少年達も放っては置かなかったのさ。なあ、クラウス、ケビン、バラド、ニック?」

 

 四人の兵隊はそれぞれ自身の名を呼ばれたことに激しく動揺し、身体を大きくよじろかせる。

 つまり盗人は当時事件に関わった者を対象に大切なものを盗み出したとも考えられるが、それは単なる復讐という一言では片付けられないのだろう。

 スヴェンは静かに盗人の言葉に耳を傾ける。

 

「宿屋のオーナー、村長の息子、農家、釣り師……後は当時まだ十歳だった三人の子供達だっかな? 後者に関しては単なる被害者に過ぎないけど、皆それぞれあの子に振られた者達だったね」

 

 一人の少女に複数の男が恋心を寄せた。だが枯れ井戸を見張っていた男はアレは事故だったと語っていたが、真相はもっと違うらしい。

 盗人は騒ぎ立てるように呻く四人の兵隊を鋭く睨み、

 

「……そう言えばお前達は兄弟でそれぞれ躾がなってない狂犬を4匹飼っていたけど、あの狂犬はどうしたんだい? ん?」

 

 少なくとも村には犬らしき動物も飼われていた形跡も無かった。むろんそれはスヴェンが通った民家に限った話だ。

 

「始末したんだろ? あんなに可愛いがっていたのになぁ」

 

 盗人の憎悪を滲ませた声に四人の兵隊は身体を震えさせ、恐怖心から眼に涙を浮かべていた。

 

「泣けば許されるとでも? お前達は振られた腹いせに少女ーーリンネスを悍ましい方法で嬲り、挙げ句の果てに4匹の狂犬に喰い殺させた。その事実は秘匿しようとも決して隠し通せはしない」

 

 単なる振られた腹いせにしては外道的な手段だ。

 それを村で隠匿したとなればなおさら悍ましい事件と言えるだろう。

 

「リンネスの兄は当然事件を知り、お前達を訴えようとしたね。しかし村長は村から誉れ高いパルミドの兵が入隊するから、村は免税の対象になるからと言って事件を隠匿した」

 

 単なる入隊で村が免税の対象になるのか? そんな疑問を浮かべると、

 

「他国と違ってパルミド小国は貧しいが、モンスターを定期的に討伐するためには入隊者を募る必要が有る。だから小さな村に限り、その村から入隊者が現れれば免税の対象として扱われる……むろん潔癖で犯罪歴の無い村人ならね」

 

 盗人が同様に疑問を浮かべていたミアに教えるように答えた。

 単なる免税の為だけに八年前の事件を隠匿したとなれば、この事件が明るみに出れば村人はタダでは済まされないだろう。

 特にエルリアの国境線に近いレギルスとなれば国は他国に対する面子を優先し、レギルスを廃村に追い込むことも可能だ。

 そこまでスヴェンが思考を巡らせると、盗人はミアの下に歩き出した。

 彼はそのまま壁のレバーに向かい、レバーを下ろし、ミアを床に下ろした。

 そしてミアの拘束を丁寧に解くと、

 

「さあ! 出て来たまえ! もう一人の目撃者よ!」

 

 既に存在が勘付かれていた。ただの盗人にしては気配に鋭い。スヴェンがそんな印象を抱きながらガンバスターを鞘から引き抜き、呼び掛けに応じるようにミアの下に歩き出す。

 

「スヴェンさん、来てくれたんだ」

 

 スヴェンは彼女の問い掛けに静かに頷くことで返答し、盗人と棺に視線を向けながら問う。

 

「単なる旅行者、それも村の部外者に真実を伝えてどうするつもりだ? それにそこのガキをどうする気だった?」

 

 盗人は棺に指を滑らせながら、

 

「村に対する怒りは今でも胸の奥底から渦巻いてる。それだけは変わらないのだがね、復讐して村人の魂を邪神にでも捧げれば死者は蘇るのかね?」

 

「それにその子をどうする気も無いよ、単にあの男が大切な息子が盗まれた事実に何を想うか。確かめたかったのだよ」

 

 敵を前にしても盗人は怒りこそ見せているが、殺意は向けてなどいなかった。

 

「……観たかったもんは観れたのか?」

 

「……盗まれた息子よりも真実が露呈することを恐れていたよ。何せ犯行に加担したうちの一人だからね」

 

 それを聴いていた村長の孫はショックを受けた眼差しを浮かべ、静かに涙を流していた。

 祖父と父の行動が巡り巡って子に辛い事実を突き付けることになった。そこに家族としての愛情が有ったかどうかは定かでは無いが、もう少年は純粋無垢のままで居られないのも事実だ。

 

「それで? 第三者の俺達に真実を伝えてアンタは何がしてぇんだ?」

 

「既に村長が多額の賄賂で高官に根回しを済ませている。この事件を告発したところで権力に揉み消されるだけ、なら役者として盛大に第三者に伝えようと思った次第だ」

 

 どうせ揉み消されるなら、例え少数であろうとも真実を知る者を作り出す。

 盗人の行動にスヴェンは納得を浮かべては、わざとらしく肩を竦める。

 するとミアが盗人を真っ直ぐ見詰めながら一つ訊ねた。

 

「結局あなたはリンネスさんのお兄さんなんですか?」

 

 妹の兄だからこそ今回の騒動を引き起こした。

 八年も行方を絡ませていたという点に、それまで事件を密告しなかったのかと疑問も浮かぶ。

 だがその疑問も盗人の返答によって解消される。

 

「……リンネスの兄、セオドールも都合の悪い目撃者として殺害されているのだよ。ではわたしは誰か? わたしはリンネスの恋人だった者だ」

 

 既に兄諸共始末されていたことにミアは口元を抑え、スヴェンは静かにリンネスの元恋人を名乗る盗人に視線を向けた。

 

「役者とは言っていたが、その格好も役者としての衣装か?」

 

「ああ、これは単にわたしが怪盗の一族だからさ。怪盗アロン、それがわたしの名だ」

 

「えっ、怪盗アロンって『華麗なる義賊』の主人公ですよね?」

 

 どうやら怪盗アロンは小説の主人公と同じ名前のようだが、恐らく彼や一族がどんな風に物を盗み出したのか。そんな怪盗劇を基を出版された娯楽小説なのだろう。

 

「それはわたしの一族を追う一族の者が出版した怪盗劇さ……印税はこちらに一切入らないがね」

 

 ため息混じりに答えた怪盗アロンにミアはなんとも言えない表情を浮かべ、やがて四人の兵隊と棺に視線を移す。

 

「あなたは観て来たかのように事件を語っていましたが、全部1人で調査したんですか?」

 

「いや、セオドールの手紙がわたしに真実を全て余す事なく伝えたのさ。まあセオドールを少々演じたのも事実だがね」

 

「なるほど。色々と疑問は解消されたし、俺達はもう帰って良いか?」

 

「ふむ、キミ達を巻き込んだお詫びも有る。何か欲しい物は有るかい?」

 

 そう言われても欲しい物は無いが、強いて言うなら伝手だ。

 彼が怪盗なら特殊な人材の伝手も有るかもしれない。そう考えたスヴェンは四人の兵隊を纏めて気絶させ、

 

「ちょ!? 聴かれて拙い物なの!?」

 

「拙くはねえんだが、犯行を隠蔽するような連中は信用できねえだろ? 腹いせに情報を売られても面倒だしな」

 

「それは判るけど……えっ、その子も殴る気?」

 

 スヴェンが握り拳を作ると、村長の孫は既に気を失っていた。

 小さな子供が知るにはショックの大きい話だった。だから彼が気を失うのも無理はない。

 スヴェンは改めて怪盗に振り返り、

 

「アンタの知り合いに孤島諸島まで航海できる奴は居るか?」

 

 必要な伝手を求めた。しかし怪盗アロンは仮面越しに眉を歪め、

 

「……すまないが、あの悪魔の海域を好き好んで航海するような物好きを生憎と知らない」

 

 残念そうに肩を竦めた。

 

「そうか、他に求めるもんはねぇが……俺達のことを誰にも口外するな」

 

「それは約束しよう。わたしも正体を知られれば立場が危うくなるのでね。お互いに他言無用で行こうじゃないか」

 

「話が早くて助かる」

 

 そう怪盗アロンと口約束を交わすと、彼は棺に向けて魔法を唱える。

 ミアに使用した黒い霧が棺を包み込み、やがてその場から消失した。

 これで怪盗アロンの手によって遺体は丁重に弔われるだろう。

 スヴェンとミアは事の結末に眼を伏せ、怪盗アロンと共にその場を静かに立ち去る。

 その後二人は彼が用意した抜け道を使って宿屋に戻った。

 過去の事件を知った後で村人の様子を改めて見れば印象など容易く変わる。特にミアにはそれが必要以上に現れ、彼女は複雑な感情を宿していた。

 

 ーー無理もねぇ、少なくともエルリアじゃあ考えられねぇ事件だろうよ。

 

 エルリアは村の大小の違いは有るが訪れた村は何処も幸福で平和そのものだった。

 そんな国の何処の村でレギルスのような事件が起きてないとも限らないが。

 何処の国にも小さな淀みが有れば、平和に馴染めず他者から奪うことを幸福する者も存在する。

 犯罪が起こらない国、そんな国は果たして実在するのか?

 スヴェンとミアがアシュナに事の顛末を話し終え、ほどなくして怪盗アロンに奪われたものは真実を記す一通の手紙と共に村に返され、過去の事件の隠蔽に関わった者達に深い絶望を突き付け……。

 それから翌日の早朝、村長の息子を筆頭に半狂乱に堕ちいた一部の村人が目撃者であるスヴェンとミアを始末しようと動き出すものの、既に三人は村を出発した後だった。



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11-8.予期せぬ足止め

 スヴェン達が小さな村レギルスから逃げるように出発してからはや三日が経過していた。

 夏の陽射しと海風に運ばれる磯の臭いが首都カイデスはもう間も無くだと告げ、

 

「お〜見えて来たよ!」

 

 ミアの掛け声にスヴェンは窓から外を覗き込む。

 首都を囲む外壁と西の港に停泊する木造の大型船、首都の空を跳ぶ怪鳥にスヴェンは眼を細めた。

 テルカ・アトラスの動物はデウス・ウェポンのアーカイブに記憶された動物とは若干異なる進化を告げている。

 パルミド小国の道中で見かけた体毛に包まれたモコモコラドンと呼ばれる恐竜種や四足歩行のサルギツネなど、エルリアでは見かけない動物が大自然の中で独自の生態系で生活していた。

 その中でも犬や猫はデウス・ウェポンと同じ生態系だったが、やはり違いが有るとすれば魔力を操れるところだろう。

 少なくとも首都の街並みよりは動物の方に興味が惹かれてしまうのも事実だ。

 

「カモメに近いが、ありゃあなんだ?」

 

 空を群れで飛び回る白い羽毛の怪鳥に付いてミアに訊ねると、

 

「あれは港町や海に近い町なんかに広く生息してるグリードプテラだよ。漁獲した魚をあの大きな嘴で編みごと持って行っちゃうんだ」

 

 彼女は続けてこう答えた。

 

「でも怪鳥の卵は大きいし美味しいんだよねぇ」

 

「美味いのか、そいつは楽しみだ」

 

 スヴェンは改めてグリードプテラに視線を向ける。

 あれだけ巨大なら食用としても扱われているのでは無いか?

 

「それでグリードプテラは美味いのか?」

 

「あんまりかなぁ〜グリードプテラのお肉はどこの部位もパサパサしてて脂味も無いよ。でも爪は滋養強壮剤の材料になるかな」

 

 あれだけ巨大でたいして美味くないと語るミアにスヴェンは残念そうに肩を竦める。

 

「そうかぁ」

 

「いまは振り向けないけど、声がすごい残念そうだね」

 

「なかなか見れない」

 

 天井裏から覗き込んでいたアシュナの声にミアの肩がぴくりと動く。

 

「も、もう少しで行商人で渋滞してる門に到着するけど、スヴェンさん! その表情をキープしてて!」

 

 果たして人は表情を維持できるほど器用なのか? ミアの言動にスヴェンは呆れた表情を浮かべた。

 

「アンタの言動に表情が変わっちまった」

 

「うぅ〜こんなことなら大枚払ってでも魔道念写器を買っておけば良かった!」

 

 ミアの悔しげな叫び声が空にこだまする。

 そこまで悔しがる程でも無ければ、なぜ人の表情の変化を記憶したがるのかが理解できない。

 ただ旅行者として振る舞うなら魔道念写器で旅の記憶を撮るのも決して悪い選択とは限らない。

 

 ーーまあもう少しで旅も終わるか。

 

「ソイツは別の奴と旅行した時の楽しみに取っておけ」

 

 ハリラドンの速度が徐々に落ち、やがて列の最後尾に着く。

 

「そうだねぇ〜今度はレヴィとエリシェ、アシュナと4人旅行の時にでも計画してみようかなぁ」

 

「それが良いだろ……にしても随分渋滞してんな」

 

 門兵が応対してるが門は硬く閉ざされ先頭の荷獣車から一向に進まず、

 

「うげぇ、まさかトラブルとかぁ?」

 

 げんなりとしたミアの声にスヴェンとアシュナは同意を示すように息を吐いた。

 魔法技術が発展した世界で門の開門に不具合が出た、なんてことは想像し辛い。

 門兵が手続きに不慣れな新入りか、それとも邪神教団の侵入を防ぐために念入りにしているのか。いずれにせよ時間が解決するだろう。

 そう考えたスヴェンは壁際に寄り掛かると、

 

「スヴェンさん……大変、門の開錠魔法陣が欠けてる」

 

「あん? 魔法技術が盛んなテルカ・アトラスでんな事故が起きんのか?」

 

「フェルシオンの時みたいに故意に魔法陣を書き換えたり、定期的なメンテナンスを怠ったら起きるよ」

 

 首都の門がメンテナンス不足で魔法陣に不具合を起こすなんて事は考え難いが、ついさっき浮かべた思考の中で一番可能性が低いものを引き当てた。

 特に魔法陣が欠けてるとなれば別の要因も考えられるが、

 

「メンテナンス不足で魔法陣が欠けるってことはあんのか?」

 

「有るよ。魔法陣に循環する魔力ってたまに外的干渉を受けちゃう時が有って、その時に魔力の循環を正常にしておけば防げるけど放置し続けると魔法陣が綻ぶんだ」

 

「なるほど? なら守護結界も同じ原理で綻ぶ可能性もあんのか」

 

「うーん、守護結界はあらゆる外部の干渉を跳ね除けるからその心配は無いかなあ。でも何が起きるか分からないから守護結界の起点魔法陣は週に4日は調べてるよ」

 

 村や町を護る大事な守護結界だ。それだけ念入りに調べても問題無いが、少なくともスヴェンが訪れた場所で守護結界を構成する魔法陣を見ることは無かった。

 

「守護結界の基点ってのは秘匿されてんのか?」

 

「そりゃあ各国の最重要機密の一つだもん、私でも詳しい場所は知らないわ」

 

 確かに邪神教団が暗躍してる情勢に限らず、モンスターによって地域一帯を壊滅させようなどと目論む輩が決して居ないとは限らない。

 特に戦争ともなれば先に守護結界を解除した方が有利に働く。尤も部隊がモンスターによる被害を被ることになるが。

 スヴェンがそんなことを思案していると、荷獣車の外から徐々に不満の声があちこちで聴こえ始めた。

 

『遅いぞ! こっちは納期期間が迫ってるってのに!』

 

『どうなってるの?』

 

『また開錠魔法陣の不具合か』

 

 何度も起きている開錠魔法陣の不具合。それは首都として問題に思える。特に納期の遅れが生じた行商人には損失分の補填をしなければ国としての信頼も損なう。

 

「それにしても修復部隊は来ないのかなぁ?」

 

 静かなミアの呟きが荷獣車に響き渡り、列に並ぶ荷重車に門兵が事情を説明して周る。

 不平不満の声が響く中、

 

「すみません。補填は必ず致しますのでもうしばらくお待ちください!」

 

 門兵の言葉にミアが問うた。

 

「えっと魔法陣の修復部隊はどうしたんですか?」

 

「そ、それは……旅のお方に説明するわけには」

 

 それだけ告げた門兵は逃げるように門に戻る。

 すると汗だくの兵隊が門兵に耳内し、スヴェンは兵隊の口の動きに眼を細めた。

 

『修復師がまだ見つからない。お前は引き続き場を繋いでくれ……いや、殺気立つ彼ら一刻も解放されたいと思うけどさ』

 

『勘弁してくださいよ先輩ぃ〜今月で何度目ですか? あの修復師に変わってから門が正常に機能しないじゃないですかぁ』

 

『所詮は大金を積んで職に就いたボンボンだ。責任感なんてありはしない』

 

 読唇術で会話を読み取ったスヴェンは呆れたため息を吐く。

 

 ーー質問に答えられねぇはずだ。

 

 金で職を得た者に責任感が有るかと問われれば現状が説明している。

 そんな重要な職を貢ぎ金で売る辺り、パルミド小国の内政が汚職官に汚染されつつ有る。

 レギルスで聴いた貢ぎ金で事件を揉み消している高官の件も踏まえれば、内政に汚職が入り込んでいるのだろう。

 スヴェンは他人事のようにそんな事を浮かべては、ミアとアシュナの欠伸が荷獣車内に響き、時間だけが過ぎ去って行った。



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11-9.エルリア大使館

 開錠魔法陣の修復は到着日には行われず、翌日の昼過ぎに漸く簀巻きにされた身形のいい修復師が兵隊に強引に連れられる形で作業が始まった。

 スヴェンは獣肉の干し肉を齧りながら欠けた魔法陣の修復を眺め、

 

「魔法陣に構築式を書き足してんのか。金で職に就いた割には仕事はできんのか」

 

 素人目で見ても修復されていく魔法陣に感心が浮かぶ。

 同時に欠けた魔法陣は修復され、独りでに門が開く。

 

「早く終わるならもっと早く連れて来ればいいのに」

 

 一日待たされた割にはあっさり修復作業が完了した。

 修復作業には多少待たされるかと思っていたが、実際は修復師が到着してから数分程度の作業だ。

 だからこそミアとアシュナの不満も殺意も理解できる。

 待たされ損。時間を無駄にした。そんな不満の言葉が頭の中で次々浮かぶが、もはや怒りを通り越して呆れる他になかった。

 同時に列の荷獣車から修復師に対する不満と殺意が溢れ出しながら門を通り抜ける光景は、中々見られるような光景じゃない。

 

「……大使館を通じて抗議文でも送ろうかと思ったけど、たぶん身に付けてる装飾品から貴族の子息だよねぇ」

 

 この国を訪れた目的はただ瑠璃の浄炎とフェルム山脈の登山だ。それさえ済めば何らかの依頼で訪れる程度だろう。

 

「ただの旅行者にんな権限もねぇし、そこまでする必要もねぇだろ」

 

 二列の荷獣車の流れに合わせてハリラドンがゆっくりと歩き出し、隣り合う荷獣車の御者がこちらに耳を澄ませていた。

 

 ーー行商人か、それとも情報屋か邪神教団か? 

 

 メルリアでの件を踏まえたスヴェンは警戒心から床を三度指で叩く。

 

「そうだね。そういえばあの場所に行くように言われてるんだっけ」

 

 レーナに行くように指示を受けただけで、大使館に行って何をするのか。

 パルミド小国という他国の地で転移クリスタルを領土内に設置すればそれだけで外交問題に繋がると考えれば、必然と何をするべきか理解も及ぶ。

 

「用事を済ませてあとは観光巡りで良いだろ」

 

「分かった。じゃあ観光案内書と相談して決めるよ」

 

 旅行者らしい会話をしながらハリラドンが門を通過した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 白い石造りの市場が並ぶ町の入り口にスヴェンとミアは眼を疑った。

 民家や店の壁は老朽化が原因なのかボロボロだ。その反面城を中心に豪邸が囲む様子は貧富の差を物語っているようだった。

 少なくともエルリアで見て来た町や村は大小の違いは有るが、ここまで差が激しい所は見た事がない。

 

「首都でこんなに差が激しいなら他の町はどうなってるの?」

 

「レギルスのことも有るからなぁ」

 

「少なくとも二度とあの村には立ち入れないよね」

 

 真実を知る代償として村人に襲撃される形で出発したのだから無理は無い。

 そもそも村人が村長命令でなりふり構わず、隠蔽に走る辺りもう戻れない深みまで足を突っ込んでしまったのだろう。

 既に終わったことだが、エルリア大使には一応伝えておく必要も有る。

 ぼんやりと考えを浮かべる中、荷獣車が町の中央に向かう。

 それから程なくしてエルリアの国旗ーー魔法陣に十二星座を加えた国旗を掲げた建造物に到着した。

 鉄柵に囲まれた大使館の前にミアの手綱を受けたハリラドンが足を停める。

 そしてミアが振り向き重点の定まらない視線で、

 

「大使館に到着したけど……スヴェンさん、すごく緊張しない?」

 

 額に汗を滲ませながら同意を求めた。

 傭兵として雇われた国の大使館を訪れることは何度も有り、同時に雇った国の指令で敵国の大使館を爆破したことも有る。

 それと比べて自国の大使館に訪れるミアの緊張感は度合いは違うが、何事も平常心でなければ身が保たないのも事実だ。

 ここは一つ冗談でも語って気を紛らわせるべきか。

 

「深呼吸しろ。そんで平常心を保て……じゃねえとアンタは死ぬ」

 

「死ぬの? 大使館を訪れるだけで死んじゃうの!?」

 

 単なる冗談を間に受ける辺り精神的に余裕が無いのか。そんなミアを天井裏から眺めていたアシュナが無表情で告げる。

 

「ミア、骨はエルリア城の片隅に埋めておくね」

 

「やめて! 責めて故郷の土に埋めてよ!」

 

 彼女の叫び声に大使館を警備しているエルリア魔法騎士団の騎士が近付き、

 

「先から騒がしいが、一体なにを騒いでるんだね?」

 

 訝しげな視線といつでも剣を抜けるように既に柄が握りしめられていた。

 

 ーー少し冗談が過ぎたな。

 

 まだ冷静になれないミアに変わって荷獣車の窓から顔を出し、

 

「騒いで悪りぃな、ちっと此処に用が有るんだ」

 

「大使館に? もしやミア殿とスヴェン殿、それにアシュナ殿だな」

 

 アシュナの存在を認知している。それは既にレーナを通して知らされている証拠だ。

 

「ってことは俺達の目的も知ってんのか」

 

「あぁ、公的に一応死亡扱いされてることも大使に伝わってるよ」

 

「そうか、なら速いところ要件を済ませた方がいいな」

 

 騎士にそう告げると彼は鉄柵を開き、

 

「入っていいぞ」

 

 彼の招きにスヴェンは周囲の視線を確かめてから、ミアとアシュナと共に荷獣車から降りては大使館の敷地に足を踏み込む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 騎士に案内された大使館のフロアは、調度品や飾れた魔道具よりもフロアの入り口から正面の階段に飾られたレーナの絵画が真っ先に視界に映り込む。

 ミアとアシュナは絵画に満面の笑みを浮かべていた。そんな絵画の前で立ち止まった騎士が、

 

「いやぁ、大使も姫様のファンクラブ会員でなぁ。国交で長く国を離れるからオルゼア王に頼み込んで飾らせて貰ったそうなんだ」

 

 そんな知りたくもない情報を教えた。

 そもそもレーナのファンクラブは何処まで影響を及ぼすのか、少なくともエルリア国内でファンクラブ会員と接触する機会は一度だけだった。

 ただ温泉宿に宿泊時にレーナが居ると告げた時には、宿泊客が一斉に廊下に駆け出したことがあった。あれは今になって思えばファンクラブ会員だっのでは?

 そんな思考を浮かべたスヴェンは熱意を持って絵画に付いて語り合う三人に息を吐く。

 騎士もファンクラブ会員だとすれば、ファンクラブ会員は自然体のまま溶け込み日々の生活を送っている。

 それは諜報員として理想的な形だが、恐らく彼らにーー少なくともレーナの絵画に熱い眼差しで語り合う三人にそんな思考が挟み込まれる余地など無い。

 スヴェンはいつまでも語り合う三人に、

 

「語り合いはそこまでにして案内を続けてくんねぇかな」

 

 催促するように促すとミアとアシュナの不服そうな眼差しを向けられる。

 そんな視線を向けられる言われも無ければ、胸の内に溜まった苛立ちを率直にぶつけてやろうかと一瞬頭に浮かぶ。

 額に青筋を浮かべるスヴェンに騎士は苦笑を浮かべながら歩き出す。

 

「すまない、案内を再開するとしよう」

 

 騎士の案内に従い階段を登り、二階廊下の踊り場から二階の北廊下に進む。

 廊下の最奥に位置する大扉に到着した騎士が大扉を叩く。

 

『入って参れ』

 

 室内から厳格な声が響き、ミアに緊張感を与えた。

 騎士はそんなミアの様子などお構い無しに大扉を開き、道を譲る。

 正面の執務机で書類に羽ペンを滑らせる威厳と風格を兼ね備えた白髭の老人にスヴェン達は歩き出した。

 

「先ずは名を名乗ろう。レーナ姫よりパルミド小国で外交の全てを任されたグランデじゃ」

 

「グランデ大使、はじめまして。私は治療師のミア。こちらが異界人のスヴェンさんと同行者の一人アシュナです」

 

 ミアの丁寧な仕草にグランデは満足気に頷き、

 

「パルミド小国は如何じゃった?」

 

 そんな質問をしてきた。

 ミアはグランデの青い瞳を真っ直ぐと見つめ、

 

「最初に訪れた小さな村レギルスは過去の事件を隠蔽してます。それで事件の真相を知った者は誰構わず排除する様子でした」

 

 レギルスに付いてグランデに報告した。

 彼は既に真相を把握していたのか納得した様子を浮かべながらもため息を吐く。

 

「その件はパルミド小国側から黙認せよと通達が有ったばかりじゃ。むろんエルリアとして訪れた国民が危険に曝される可能性が有る以上対処すべき問題じゃよ。しかし時期が悪いのう」

 

 この時期で大使を通じて外交交渉ができない考えられる理由の一つは、現在エルリアは魔王救出に向けて密かに行動中だ。その要にフェルム山脈の登山が許可されなければ救出が滞る。

 だからグランデは時期が悪いと語った。

 

「ああ、纏まっていた交渉を蒸し返される訳にもいかねぇだろうしな」

 

「うむ、事実黙認せねば協力しないと遠回しに言ってきおったわい」

 

「えっ、既に見返りは支払ってる筈じゃ?」

 

「詳細は言えんが、多額の金貨が既にパルミド王に支払われておるよ」

 

 対価を受け取り成立した契約を反故にする姿勢をチラつかせるパルミド王にスヴェンは眉を歪める。

 仮に話が拗れたところでパルミド小国と魔法大国エルリアで戦争に発展することは無い。

 戦争にはならないがそれだけ魔王救出に支障が出る。現にフェルム山脈の登山が許可されなければ、別の侵入経路の模索をしなければならない。

 

「レギルスに関しちゃあ俺達は完全な部外者だ。それにこれ以上異界人が姫さんに負担をかける訳にもいかねぇだろう」

 

「その言葉、レギルスでの出来事に眼を瞑ると捉えてよいのじゃな?」

 

「依頼の達成に繋がんなら構わねぇよ」

 

 そう告げるとグランデは厳格な視線を緩め、書類に羽ペンを走らせた。

 

「ところで姫様から此処に立ち寄るように言われてるんですが、何か伺ってますか?」

 

「うむ、パルミド小国の一部内政官は悪事に手を染める者も居る。姫様からは三人を大使館に宿泊させ、施設内に転移クリスタルを設置せよと指示を受け取るよ」

 

「宿代が浮くのは喜ばしいですけど、旅行者が大使館に滞在って変に疑われませんか?」

 

「一般の旅行者なら素性を疑われるじゃろうが、お前さんは別じゃ。新しい治療魔法の開発と確立を功績と実績、それに伴い半身不全だった騎士の完全復帰、応用理論と授与された所有しちょる特許を考えれば自然じゃろうって」

 

 グランデから語られるミアの治療魔法による実績と功績が、大使館に宿泊していても違和感を与えない。むしろ他国からすればミアは喉から手が出るほど欲しい人材だ。

 その意味でも大使館の宿泊は妥当とも言える。警備や諸々の不安要素さえ無ければ。

 

「大使館に宿泊事態がソイツはVIPって宣伝してるようなもんだが?」

 

「心配は及ばんよ。このエルリア大使館は一般開放されておるから一般人でも自由に出入り可能じゃ……せっかく譲り受けた姫様の絵画を他者に見せんのはもったいないしのう」

 

「……布教目的か」

 

「常日頃から一般開放しとるのが功を成したと言えるじゃろ?」

 

 したり顔で語るグランデにスヴェンは何も言えず黙り込んだ。

 事実過程や目的は如何あれ巡り巡って自然体でエルリア国民が宿泊してもおかしくない状況が成立しているのだ。そんな状態にスヴェンは文句の一つも言えるはずもない。

 

「……さっき凄い厳格な表情で『一般の旅行者なら素性を疑われるじゃろう』って言ってたのに、なんか台無しですね」

 

 ミアの指摘にグランデは厳格な表情がまるで嘘のように、優しげな笑みを浮かべた。

 

「老耄の戯言じゃよ。……宿泊用の部屋は既に用意しとるが、予定を訊ねてもよいかのう?」

 

「これから私達は孤島諸島に渡るための船を捜すつもりですが、グランデ大使の方で何か心当たりはありませんか?」

 

 ミアが予定を告げるついでに船の当てを訊ねると、グランデは白髭を撫でながら答えた。

 

「ワシの友人なら孤島諸島まで航海したかもしれんが、もう歳で体力も無いじゃろうし、その孫は悪魔の海域に出航したまま帰ってこんのじゃ」

 

「その孫が航海に出たのはいつだ?」

 

「5月3日の話じゃよ。あれから2ヶ月も経っておるからのう、生きてはおるまい」

 

「2ヶ月前か……孤島諸島まではどんぐらい日数が掛かるか判るのか?」

 

「港から北西に向かい片道10日じゃが、海域はモンスターの生息地域じゃ。地元の冒険家でも滅多に近付こうとせんよ」

 

 冒険家がテルカ・アトラスに実在してることに驚きを隠せないが、それ以上にか孤島諸島に行くための船と船乗りを捜す方が絶望的に思えてくる。

 確かにノーマッドは悪魔の海域と語っていたが、10日も船上でモンスターの襲撃に耐えながら目的地を目指すのは命を捨てる覚悟が伴う。

 そもそも船乗りにそんな危険を犯してまで孤島諸島に向かう見返りも無いのかもしれない。

 航海を如何するべきか悩むスヴェンを他所にミアが訊ねる。

 

「えっと、グランデ大使の友人のお孫さんは如何して孤島諸島に向かったんですか?」

 

「あの孤島には大昔から秘宝が眠ると船乗りの間で語り継がれておってな、実際に何百年も昔に一人の美しい女性が冒険家とと共に孤島諸島に向かい生きて帰って来た伝承も有るのじゃ。まぁ、何も持ち帰れなかったとも伝え聴いておるがな」

 

 ノーマッドから孤島諸島に瑠璃の浄炎が天使のガーディアンに護られていることは聴いていたが、あれは自身の体験に基く話しだとスヴェンとミアは理解を示す。

 同時に船乗りをその気にさせる材料は何か思考を巡らせながら、

 

「財宝が実在するとかんな逸話はねぇのか?」

 

 船乗りをその気にさせる材料を求めた。

 

「確か、伝承には持ち出せない程の莫大な財宝が眠っているとも記されておるが……孤島諸島に辿り着き財宝を持ち帰れた船乗りも冒険家もおらんのじゃ」

 

 数百年前にノーマッドを乗せた冒険家ならいざ知らず、孤島諸島に眠る財宝を儲け話と持ち出し、船乗りを金で雇えるかどうかと問われればリスクの方が高過ぎる。

 

「……船乗り探しは難航しそうだな」

 

「一応港で声をかけてみる? もしかしたら話に乗ってくれるかもよ」

 

 今まで会話を静観していたアシュナが懐に手を伸ばし、

 

「カジノで稼いだお金を使う時が来た?」

 

 ごくりと息を飲み込んだ。

 

「そいつでも足りねえだろうよ。それに金で雇う連中は慎重に選ばねぇと身包み剥がされて海に捨てられんのがオチだ」

 

「うーん、雇うにしても慎重に見極めないとだよね。そういえばスヴェンさんは船を操縦できないんですか?」

 

「デウス・ウェポンの船なら操縦できるが、テルカ・アトラスの船とじゃあ勝手が違うだろ。第一俺には航海経験がねぇよ

 

 仮に船を操縦できたとして、モンスターと戦闘可能なのは自身とアシュナだけ。それに加えて常にモンスターに警戒しながら航海しなければならない点を踏まえれば現実的じゃないどころか、わざわざモンスターの餌になりに行くようなものだ。

 しかし現状は港に行って交渉しないことに始まらないのも事実。

 

「そんじゃあまぁ、転移クリスタルを設置してから港に行って交渉でもして来るか」

 

「そうだね、動かないことには始まらないもんね」

 

「ん、影で見守ってる。必要になったら呼んで」

 

 やることを決めた三人はグランデに外出すると告げてから、執務室を立ち去った。

 そして用意された宿泊室に荷物を置き、転移クリスタルを設置してから観光客を装いながら港に足を運ぶ。



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11-10.船乗りを求めて

 静かな波が木造船を揺らし、グリードプテラの大群が空を飛び回る。

 スヴェンとミアはさっそく停泊しているいくつもの木造の大型船に視線を向け、風に揺らめく旗が視界に映り込む。

 なんの変哲も無い旗、大型船には弩砲が搭載されてるあたりモンスターへの対抗策が備えているのだろう。

 しかも魔力を意識すれば、弩砲が魔法陣を展開し魔法を放つ仕組みということが判る。

 スヴェンはそんなことを頭の隅に追いやり、ミアが小休止を挟む屈強な船乗りに声をかけた。

 

「すみませーん! 少しお話し良いですか?」

 

 ミアの愛想笑いに屈強な船乗りは訝しげな視線を向け、彼女の隣に立つスヴェンに警戒心を宿す。

 背中のガンバスターを警戒している。そう読み取ったミアが、

 

「彼は物騒な武器を所持してますが、基本手を出さない限り人畜無害な臆病な人ですので安心してください」

 

 屈強な船乗りの警戒を解くべく面白い冗談を語る。

 すると屈強な船乗りはやや呆けた表情を浮かべ、ようやく口を開いた。

 

「話ってのはなんだい? 儲け話なら船長に掛け合うが……それともケツで楽しませてくれんのか?」

 

 下卑た声にミアは毅然とした態度で愛想笑いを浮かべたまま話を続ける。

 

「生憎と私のキュートでかわいいお尻は楽しませるものじゃないですよ」

 

「ん? 別に嬢ちゃんのそのケツに興味は無いよ。そっちの兄ちゃんの方を誘ってるのさ」

 

「は? えっ? スヴェンさんの……な、な、なにを考えてるんですか!?」

 

「なにって、もちろんナニさ」

 

 慌てるミアと熱い眼差しを向けてくる屈強な船乗りにスヴェンは底に抜けに冷たい眼差しを向ける。

 傭兵問わずその類の性癖の持ち主は別段珍しい訳でも無いが、男にも抱かれる趣味は無い。

 

「興味ねぇな」

 

 屈強な船乗りは残念そうに肩を竦めた。

 

「あら〜連れないなぁ。まあナニの話は置いといて、本題はなんだい?」

 

 瞬時に諦めるあたり単なる冗談類か、それとも無理強いはしない主義なのか。それは判らないが衝撃を受けたミアは未だ顔が真っ赤のまま。

 これでは彼女が落ち着くまで使い物にならないと判断したスヴェンが代わりに交渉に入る。

 

「本題は俺を含めた3名を孤島諸島に送ること、そこに眠る金銀財宝はアンタらの物だ。儲け話にしちゃあ危険度も高いが話に乗るか?」

 

 スヴェンはわざとらしく挑発的な視線を屈強な船乗りに向ければ、彼は儲け話に興味を無くしたのか背中を向けた。

 

「冗談よしてくれ、あんな悪魔の海域に誰が好き好んで行くか」

 

 儲け話よりも命を優先した。一船員でしかない屈強な船乗りの判断は正しい。

 船長に儲け話を告げたところで断るのは明白だと分かっているからだ。だからこそ彼は船長に告げるよりも命を優先に話しを蹴った。

 

「正しい判断だ。迷わず儲け話に食いつく奴ほど信用できねぇしな」

 

「ただの物好きな兄ちゃんかと思えば、何を優先するべきか分かってるじゃないか」

 

 モンスターが多数生息する海域で航海など命を捨てに行くようなもの。

 加えて船員に養う家族なんかが居れば何をどう優先するすべきかは、家族を持たずに理解もできないスヴェンでも理解が及ぶ。

 スヴェンは屈強な船乗りに別れを告げ、ミアを連れて次の船に足を運んだーー影でこちらの様子を窺う視線を受けながら。

 学者が多数乗船する調査船、ロマンと財宝を求めて航海する冒険家の船、漁師の船から行商人の船を手当たり次第に当たるもーー結果は悉く失敗に終わった。

 依頼を請けるなら多額の金貨をチラつかせた交渉でも、誰一人として孤島諸島への航海に応じる者は居なかった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 港に居ても仕方ないと判断した二人は港の酒場に来訪し、一先ず適当な席に座ると、

 

「どうするの?」

 

 姿を現したアシュナの問いにミアがテーブルに突っ伏した。

 

「うぅ〜予想はしてたけど、こんなに難しいなんてぇ!」

 

 正直ミアが項垂れる気持ちは判らなくも無い。自身がまだ駆け出しの傭兵だった頃は交渉が上手くいかない日だって有る。

 乗組員不在の何隻かはまだ残っているが、声をかけた船乗りが全員孤島諸島と言われた途端に掌を返されては叶わない。

 ただ同時に彼らの言い分も正当だ。命が惜しいと考えるのは当たり前のことで、それを強要したところできっと上手くいかないだろう。

 

「みんな臆病なの?」

 

 悉く断った船乗りにアシュナは想うところが有るのか、不服そうな眼差しでそんな事を口にした。

 

「そいつは違ぇな。本当に実在するかどうかも判らねぇ財宝を求めてモンスターが蔓延る海域の航海ってのはリスクが高すぎる。奴らは船員の生命と家族、どっちを優先すべきか正確に判断したってことだ。だからまぁ臆病じゃねえのは確かだ」

 

「そうなの?」

 

「これに限った話しだが、本当の臆病者ってのは案外存在しねぇかもしれねぇ。誰だって命は惜しいだろ?」

 

「うん、実は船に乗ってミアが海に落ちるって考えると怖い」

 

 ミアはかなずちで泳げない。そこにモンスターの襲撃が加われば彼女が助かる可能性は限りなく低い。

 その意味でも船乗りを頼るよりエルリア魔法騎士団かパルミド小国が保有する軍艦を頼った方が妥当に思えてくる。

 だがそのぶんリスクも伴う。軍艦の移動を邪神教団に悟られた場合だ。戦力の移動とみなし不利な状況に持ち込まれる可能性も充分に有り得る。

 ここで船乗りの協力を得られなければ詰みに近い。スヴェンが事態の重さに息を吐くと、

 

「確かに私はかなずちだけど、その時はスヴェンさんが助けてくれるよね?」

 

 ミアの戯ける声が耳に響く。

 

「……必ず助けられるとは限らねぇよ。ま、ベストなのは落ちねえように気を付けることぐれぇか」

 

「まあそうだよね。ところで本当にどうしようか?」

 

 先ずは船の宛てを得るのが先決か。同時にここで時間を浪費する訳にもいかない、そんな思考が必然的に余裕を奪い焦りを招き失敗する。

 そうならないようにスヴェンは時間的を猶予を頭に入れず、どうするべきか思考を巡らせたその時はだった。

 こちらに明確に近付く足取りと共に床から鳴る木材が軋む音が響く。

 

「よお、夢を追い求める命知らずの馬鹿共ってのはあんたらか?」

 

 そんな声に視線だけを向ければ、黒より茶髪と紫色の瞳をした若い男性が戯けるような態度で佇んでいた。

 船乗りにしては上等な革の服と腰に刺した曲刀。無造作に伸ばした顎髭は若干の不潔さを感じさせるが、上等の革の服と合わせれば随分様になっている印象を受ける。

 スヴェンはそんな若い男性に警戒心を浮かべながら問う。

 

「冷やかしか?」

 

「俺は無謀と知りながら夢を追う馬鹿が大好きでな、いっちょお前達の儲け話に一枚噛もうと思った次第だ」

 

 素性は判らないが、若い男性が纏う気配からして港で影から様子を窺っていた人物で間違いないだろう。

 

「アンタは?」

 

「おう、俺の名前か? 俺は冒険家アンセム・テオドールだ。ハンサムなあんちゃんと可愛らしいお嬢ちゃん共々よろしく!」

 

 そう、冒険家アンセム・テオドールはにやりと笑みを浮かべて見せた。

 ミアはテオドール性に聞き覚えが有ったのか、彼に真っ直ぐな視線を向け問う。

 

「えっと、テオドールって希代の冒険家としてあの有名な?」

 

 アンセムはミアの質問に答える前に我が物顔でスヴェンの隣に座り、

 

「そいつは先祖の功績だ。俺はまだ何も成しちゃいないさ」

 

 戯ける態度は鳴りを潜め、深妙な眼差しでそう答えた。

 一変した態度にスヴェンは彼なりの切実さと先祖の功績に対する真面目さを見抜いたうえで本題を訊ねた。

 

「つまりアンタは俺達を孤島諸島までの冒険に連れて行ってくれると?」

 

「先ずは本題に入る前に酒で親睦を深めようじゃないか!」

 

 本題に入る前にアンセムは酒場の店員に何種類かの酒を注文しては不適な笑みを浮かべるのだった。



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第十二章 悪魔の航海へ
12-1.冒険家アンセム


 アンセムが注文した酒がテーブルに並べられ、アシュナのを除いた木製ジャッキに酒が注がれる。

 ミアは注がれた酒に愛想笑いを浮かべ、スヴェンは深いため息を吐く。

 酒を飲んだミアの醜態はメルリアで鮮明に刻まれている。

 またウザ絡みされるのも道端で嘔吐されても困る。特に宿泊中の大使館ともなればなおさらに。

 スヴェンはミアが酒を飲む前に、

 

「頼むからアンタは酒を控えてくれ」

 

 そう頼むとミアは不服そうな視線を返す。

 そんな視線を向けれたところで醜態が目に見えてる以上、止めるのは当然の結果と言える。

 

「おいおい……あー、名前をまだ聴いてなかったな」

 

 何か言いかけたアンセムは思い出したように名を訊ねてきた。

 

「エルリアから来た旅行中のスヴェンだ」

 

「私は彼の案内人兼治療師のミアです」

 

「アシュナ、よろしくおじさん」

 

「俺はまだ27だ! いや、それよりも1人だけハブるのはいかんよ」

 

 自身はまだ若いと指摘したアンセムは、落ち着き払った態度でこちらにミアをハブるなっと言いたげな視線を向けくる。

 それに同調するようにミアは小悪魔のような笑みを浮かべ、ジャッキを持ち上げた。

 

「アンセム、悪いことは言わねえ。その上等な衣服をそいつのゲロで汚されたくなかったら酒を飲ませるな」

 

「ミアはそんな弱いのか? ……ってああー!! もう飲んでるし!」

 

 アンセムの叫び声とグビグビっと酒を飲む音にスヴェンは、恐る恐るミアに視線を向けた。

 そこにはジャッキをダン! とテーブルに置きに既に顔を真っ赤にできあがったミアの姿があった。

 そんな彼女と目が合い、ミアは何を思ったのかおもむろに立ち上がり、覚束ない足取りでスヴェンの隣に座る。

 

「スヴェンさ〜ん? 飲まないんですかぁ〜? それとも飲まないんですかぁ?」

 

 小悪魔のような笑みを浮かべながら同じ事を繰り返し訊ねるミアに深いため意が漏れる。

 そしてスヴェンは驚き眼を見開くアンセムに視線を向け、

 

「分かったろ? コイツの酒の弱さを」

 

 後々の面倒臭さと腕を絡めてくるミアに対する鬱陶しさを視線に乗せてぶつける。

 するとアンセムは申し訳なさそうに視線を逸らす。

 

「あ、あぁ。悪いことをしたな。詫びと言っちゃあアレだが、奢るよ……乾杯の音頭とか台無しだな」

 

「それはクソガキが台無しにしたな。そういや、アンタは船を所持してんだよな?」

 

 念の為船の所有を確保すると、アンセムは何を言ってるんだと言わんばかりに肩を竦め、酒を呷りながら答えた。

 

「ぷはぁ〜! やっぱ酒は麦酒に限るなぁ。……質問の答えは単純明白! 船なら立派なもんを所有してる。それにクルーも少数だが俺を含めて15人ほど居るぞ」

 

 大型船なら些か少ないようにも思えるが、魔法が発達した世界で人手はそう多くは求めないのか?

 スヴェンはそんなことを思いつつも酒を呷り、ついでに顔を近付けるミアの頭を押し退ける。

 

「むぐぅ〜」

 

「アシュナ、コイツをどうにかできねぇか?」

 

「スヴェンなら投げ飛ばせる」

 

「店を荒らすわけにはいかねぇだろ」

 

「それなら任せな。麗しいお嬢ちゃん、俺の隣で酒盛りは如何かな?」

 

 完全に酔ったミアにアンセムは意気揚々と手招きし、隣の椅子に座るように誘う。

 だがミアはぴくりとも動かず、アンセムをただじっと見つめるばかり。

 酔い潰れながら心のどこかでアンセムを警戒してるのか、ミアは次第に訝しげな眼差しを向ける。

 しばし見つめたと思えばようやく小さな口を動かす。

 

「……あれぇ〜? スヴェンさん髭生やしたの?」

 

 どうやら酔いのせいで視覚が正常に働いていないようだ。

 

「オーケー分かった。ミアはスヴェンから離れたくないらしい」

 

 何をどう判断してそんな結論に達したのか、さてはアンセムも既に酔っているのでは? スヴェンが一人そんなことを考えながら酒を呷ると、アシュナがメニュー表に手を伸ばす。

 

「お腹空いた、スヴェンも食べる?」

 

「そうだな、酒場のおすすめを頼む」

 

「ん、じゃあスヴェンはエビとカニのクリームパスタ。わたしはエビのチーズグラタン。ミアは……テーブルに突っ伏してるからいっか」

 

 やけに大人しいと思えば、どうやらミアは醜態を晒すこともなく自然とダウンしたようだ。

 酔ったミアが大人しいならそれに越したことはないが、食事を摂らせないというのも問題だ。

 起こすか、またウザ絡みされるのかーー寝かせた方がお互いのためだな。

 スヴェンはミアをそのままそっとすることを結論付ける。

 

「アンセムは?」

 

 アシュナが短く問うと、彼は酒を呷りながら程よく酔った表情で上機嫌に告げる。

 

「おー、俺は魚肉の包み焼きパイだな。ここのパイは格別だぜ」

 

「それじゃあそれも頼もうかな」

 

「おう遠慮すんな! ガンガン頼め!」

 

 こうして近場の店員にそれぞれの料理を注文し、ほどなくして出来立ての料理がテーブルに運ばれて来る。

 酒の摘みにしては些か合わないようにも思えたが、夕飯となれば腹も減り、食欲が湧くのも必然と言えた。

 スヴェンはエビとカニのクリームパスタに食べ、エビの食感とカニのほぐれた身と絡み合う濃厚なクリームに舌鼓を打つ。

 そして酒を呷りジョッキが空になった途端、不敵な笑みを浮かべるアンセムが酒を注ぎ込む。

 

「酒を飲むのもいいが、そろそろ本題に入らねぇか?」

 

 酒を注ぎ終えたアンセムは不敵な笑みを浮かべたまま、

 

「そうだなぁ、スヴェン達が孤島諸島に行きたい理由までは判らないが、如何してもそこに行く必要が有る。それは間違いないな?」

 

 孤島諸島に向かう意志は本物か。そう眼で問うアンセムにスヴェンとアシュナは頷く。

 魔王救出に必要不可欠な瑠璃の浄炎が無ければ、救出は不可能だ。

 だからこそ無茶をしてでも瑠璃の浄炎を入手しなければならない。

 アンセムは二人の瞳から揺るぎない意志を感じ取ったのか、納得した様子で酒を呷る。

 やがて彼はぽつりと呟いた。

 

「まずは何から聴きたい? どんな些細な質問でも構わないぞ」

 

「ん、冒険家って何をするの?」

 

 最初にそんな質問したアシュナにアンセムは笑って答えた。

 

「国のために前人未到の地の発見と探索、その地に眠る財宝とロマンの追求だな。っつても後者は俺のような冒険家がすることだが、前者は国お抱えの調査団の役割だ」

 

「それを一括りに冒険家って呼ばれてるの?」

 

「ああ、そうだ。遺跡に眠る太古の財宝と封神戦争時代の生活の名残、もっとそれ以前の生活様式を発見した時は興奮したもんさ」

 

「ふーん、楽しそう」

 

 楽しげに語るアンセムにアシュナはそう呟き、ロマンを追い求める冒険家に興味を示していた。

 

「あーってもそういう感動を実際に味わったわけじゃねえ」

 

 そういえばアンセムはまだ何も成していないと語っていた。

 

「だからアンタは孤島諸島の財宝を求めてんのか」

 

「なんせ先祖が大量の財宝を前に持ち帰ることすら叶わなかった心残りってのもあるが、ダチが挑戦して行方不明になっちまったから……責めてアイツの冒険が無意味に終わることだけはしたくねぇのさ」

 

 彼が孤島諸島を目指す動機。

 そこに揺るぎない硬い意志が、何がなんでも成功してみせるという野心が彼の瞳に宿っていた。

 それだけで冒険家としてのアンセムと手を組むのも悪い話ではない、むしろ渡りに船だった。

 

「アンタの目的も理解した。その上で俺達3人を孤島諸島に連れて行ってくれんなら文句はねぇさ、それに財宝もアンタが総取りで構わねぇ」

 

「おいおい悪魔の海域を航海すんだぞ? 死の危険を犯してまで孤島諸島を目指すってのに、何が目的で行くんだよ」

 

「財宝には興味はねぇが、遺跡に用が有る」

 

「遺跡……先祖の冒険記にも書かれてたな『モンスター蔓延る古代遺跡、危険を犯し美しい紫髪の旅人と共に挑んだ死の領域と最奥の試練、あの時の経験は伝説の一端を担ったような不思議な高揚感が胸を駆け巡った』っと」

 

 その旅人がノーマッドなら冒険家テオドールは、天使の試練を突破し瑠璃の浄炎を発見した。

 その存在が実在することはノーマッドから既に確認も取れているため改めて訊ねる必要もない。

 

「つまりスヴェンは最奥の試練に挑みてぇのか?」

 

 アンセムは確かめるように訊ねてきた。

 

「そんなところだ」

 

 そこに確かな目的が有るのは事実だ。共に孤島諸島を目指すなら本来の目的を隠すのは些か不義理にも思えるが、こちらの目的を知る者は少人数の方が都合がいい。

 

「なるほど……孤島諸島までの航海は10日。往復と遺跡の探検を含め、余裕を持って30日分の食糧を18人分用意する必要が有るな」

 

「いや、俺達の食糧は15日分で構わねぇ」

 

「ってことは帰りの宛てが有る……そういえばお前さんらはフルネームで名乗らなかったな。となるとエルリア人、行く宛はないが帰りの宛は有る。なるほど読めてきたぞ」

 

 アンセムはエルリア人という情報だけで、こちらの素性と目的を詮索している。

 それも彼の反応を見るに既にほとんど正解に近付いているのだろう。

 洞察力と鋭い勘にスヴェンは肩を竦めた。

 

「まあ想像に任せる」

 

「へぇ……っと! 忘れるところだった! 船に乗せるにも船上で戦えねえと意味がない。ここは一つ試させてもらうぜ」

 

 確かに船上、特に常にモンスターの襲撃を受けることを考えればアンセムの言うことに同意ができる。

 同時に既に気持ち悪そうに顔を歪めてるミアにスヴェンは深いため息を吐いた。

 

「あー、試すんならコイツの酔いが醒めてからでも構わねえか?」

 

「構わねえよ、なんなら明日にするか?」

 

「食糧、医薬品だとかの用意はどれだけかかる」

 

「俺より部下達はどいつも優秀でな、食糧と医療品の調達に1日とかからねえが……先ずは貸した金の取立ても有る」

 

 資金調達も必要となればアンセムの腕試しは速い方がいい。

 そう考えたスヴェンはアシュナに視線を向け、

 

「ミアの胃の中身を空にして、冷水を頭からかけて来い」

 

「ん、行くよミア」

 

「ぶぇ〜気持ち悪いぃぃ」

 

 小さいアシュナに引き摺られて行くミアに、アンセムはなんとも言えない眼差しでこんなことを呟いた。

 

「見た目は美少女だが、酒を飲ませると残念だな」

 

 それからまもなく酒場の裏手からミアの悲鳴が響き渡り、無表情のアシュナとすっかり酔いも覚めたミアが戻って来る。

 そしてスヴェン達はアンセムに連れられ、一旦港に戻り彼の所有する大型木造船ーー船首に飾れたマーメイド、そして甲板に装備された八つの弩砲にスヴェン達が見上げる中、

 

「ようこそ! 我がテオドール冒険団を果てのない冒険に連れて行く相棒、プリンセスマーメイド号へ!」

 

 アンセムは大手を広げて自らの相棒を紹介するのだった。



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12-2.船上の試し

 自身の最高の相棒たるプリンセスマーメイド号の甲板で曲刀を引き抜いた。

 部下の船員達が見物に続々と集まる中、刃をスヴェン、ミア、アシュナの三人に向け、

 

「野郎どもを船を出せ」

 

 操舵手に指示を出す。

 

「アイアイ船長」

 

 操舵手が操舵輪を握り、数人の部下の手によって瞬時に帆が張られ、無風の中、部下達が帆に向けて風の魔法を唱え帆に風力を与える。

 プリンセスマーメイド号は出航し、速度も相まって波に船体が揺れ、ミアとアシュナがたたらを踏む。

 そんな中スヴェンだけは平然と背中の大剣を引き抜き、漆黒の剣身にアンセムは眼を細める。

 漆黒の剣身を誇る武器は数あれど、スヴェンの下丹田から流し込まれる魔力を余すことなく最高率で刃に駆け巡る武器の素材などそう多くは無い。

 それにスヴェンが構える大剣はアンセムの知るソレとはかなり違う。

 先ず柄から少し視線を移せば、剣身の腹部分の部品と柄の指をかける出っ張りのような部品に眼が行く。

 

「おいおい、そいつは竜血石か? それに随分と変わった武器だな」

 

「こいつはガンバスター、異世界の技術を知り合いの鍛治師に頼んで鍛造してもらった相棒だ」

 

 武器を相棒と呼ぶスヴェンに、プリンセスマーメイド号を相棒と呼ぶアンセムは少なからず彼に共感抱いていた。

 恐らく彼は背後の二人、下手をすると並の兵隊以上に戦闘慣れしている。

 その証拠にスヴェンの視線はこちらを捉えているが、背後のミアとアシュナをいつでもカバーできる立ち位置だ。

 船の揺れをものともせず、開始の合図を出せば彼は即座に動く、あるいはこちらの出方を窺うか。

 どちらせよ三人が甲板でどこまで戦えるのか試さないことには何も始まらない。

 

「なるほど、ならさっそく始めるとしよう。あー野郎ども、船に傷がいかねえように防護魔法を展開しておけよ」

 

「へへ、そう言うと思って既に魔法陣は構築済みでっせ」

 

「怪我をしたら言いな、治療してあげるから」

 

 部下と船医の言葉にアンセムは頷き、

 

「よし! 手加減無用だ、全力でかかって来い!」

 

 そうスヴェン達に告げれば、ミアとアシュナのこちらを心配するような視線が向けられる。

 その視線はスヴェンに全面の信頼を置いてるからか、それとも彼一強の同行者。となれば狙うは後衛のミアか。

 

 ーー待てよ、アシュナの出かけたが判らねえな。

 

 アンセムはスヴェンとアシュナの二人に警戒を最大限に、先ずはミアを沈めると思考を浮かべる。

 同時に視界に捉えていたスヴェンが既にそこには居らず、刃の風を斬り裂く音が耳をつんざく。

 拙い! 咄嗟にアンセムは身を屈めることでガンバスターの一閃を避けた。

 既に間合いを詰め、横合いからガンバスターを振り抜いた彼はやはり相当の手練れだ。

 魔法を使った素振りもなければ、痕跡も無い。ゆえに彼の単純な身体能力と一種の歩術による組み合わせだと理解が及ぶ。

 そう認識しながらアンセムは曲刀を薙ぎ払う。

 刃は容易くスヴェンに避けられーー想定済みだ。

 アンセムは足元に魔力を巡らせ、甲板の床を蹴り、一気にミアの下に跳ぶ。

 だがそこに同じく跳躍したアシュナが二本の短剣を構え、二本の短剣を振り下ろす。

 曲刀の刃で短剣の刃を滑らせ、空中で体勢が傾いたアシュナの腹部に回し蹴りを叩き込む。

 鈍い音が甲板に響き、甲板に着地するアシュナの恨めし気な視線が突き刺さるーー船員の非難の眼差しも合わさり、アンセムは非常に居心地の悪い心地で彼女から視線を逸らした。

 ミアの下に着地したアンセムは曲刀に魔力を纏わせるも、彼女は微笑みながら一歩退がり、背後に濃密な殺気が迫り来る。

 冷や汗が滲み、振り向きながら曲刀を払えばーーそこには誰の姿も無い。

 

「おいおい」

 

 アンセムは殺気を誘導に利用したスヴェンにため息を吐いた。

 もしも刃を躊躇無くミアに振り翳せばどうなっていたか。スヴェンは背後からガンバスター振り下ろしていただろう。

 逆に何もしなければ背後から斬られ、さっきのように反撃に動けばすかさずスヴェンはミアの前に何食わぬ顔で陣取る。

 現に既にミアの前でガンバスターを構えるスヴェンが警戒心を浮かべているからだ。

 アンセムは踏み込まず、その場で後方に跳び退く。

 あのまま無理に攻めたところでスヴェンとアシュナの挟撃に加えてミアの魔法による援護が入る。

 連携は上手く取れていると問われれば、現状スヴェンが二人をカバーしてるようにも見え、まだ判断が難しい。

 ふと三人の行動を振り返ってみればアンセムは、おかしいことに気が付く。

 

 ーーそういや、まだ魔法を使ってねぇな。唱える隙は幾らでも有ったにも関わらず。

 

 まさか魔法が使えないのでは? そんな疑問が頭に過ぎるも、それはすぐさま否定した。

 スヴェンはともかく、ミアとアシュナはあのエルリア人だ。

 大魔導師ラピスを祖に持つ国民の血筋、魔法大国エルリアの教育環境も合わせればパルミド人の自身よりも遥かに魔力も魔法も、魔法の知識も上回っている。

 いずれにせよ魔法を見ないことには判断も難しいが、少なくともミアとアシュナの下丹田から身体を巡る魔力は洗練されている。

 それこそ無駄の無い魔力操作だ。近接と後衛を同時に熟せるエルリアの戦闘スタイルだからこそ成せる技か。

 そんな思考を頭に浮かべながらアンセムは、

 

「『雷よ身体を駆け巡れ』」

 

 詠唱と共に作り出した魔法陣が、自身の身体を微弱な雷が駆け巡る。

 全身の筋力が雷に刺激され、アンセムは再度軽く床を蹴る。

 魔法による身体能力の活性化によって、アンセムは一瞬でミアの背後に回り込み、魔力を纏った曲刀で一閃を放つ。

 取った! ミアの背中に斬撃が迫る中、そんな確信を抱く。

 

 キィーン!! 鋼鉄よりも硬い何かを斬る鈍い音が甲板に響き渡る。

 そこにはガンバスターを盾に斬撃を防いだスヴェンと杖を構えたミアの姿だった。

 

「危なぁ……スヴェンさん、よく反応できたね」

 

「まだ眼で追える速度だったからな」

 

「はっはー冗談キツいって」

 

 曲刀を一度引き戻し、今度は回転斬りを放つもスヴェンのガンバスターに刃が弾かれる。

 ガンバスターの頑丈さもそうだが、刃が刃に打つかる瞬間にスヴェンの加えた絶妙な力が容易く曲刀の刃を弾く結果を産んだ。

 アンセムはスヴェンの技量に舌を巻きながらがら空きの胴体に眉を歪めーーそして生まれた隙についにミアが動き出した。

 魔力を身体に巡らせたミアがいよいよ魔法を放つ。アンセムを含めた船員の誰しもがそう思った瞬間、ミアは宙に跳んだ。

 宙を跳んだ時には既に体勢を整えたアンセムは彼女の行動に訝しむ。

 そんな中、ミアの回転を加えた踵落としが頭上に迫る。

 咄嗟に後方に退がるも、床に駆り出された踵落としが衝撃波を生み船体全体を揺らす。

 

「ぶ、物理攻撃!?」

 

「あんな華奢な体格で……実はゴリラ族だったのかぁ!?」

 

「私のことゴリラって言った人、顔覚えましたからね?」

 

 ミアをゴリラと語った船員は操舵手の背中に身を隠した。

 だが波を受けて船体が揺れると、ミアは僅かにたたらを踏んだ。

 転ばないあたり上等だが、これも試しだ。そんな言葉を呑み込みながらアンセムは鋭い一閃をミアに放つ。

 鋭い斬れ味を誇る曲刀、ましてや魔力を流し込んだ刃は更に斬れ味が増している。それを木製の杖で防ぐことは叶わない。

 むしろ下手をすればミアの胴体が容易く両断される。だからアンセムは自然と彼女が刃を避けるために退がると読んでいた。

 だがミアは握っていた杖を甲板に突き立て、刃を魔力で弾く。

 また弾かれる刃、そしえ杖を軸に放たれたミアの蹴りがアンセムの腹部に突き刺さる。

 

「てりゃあ!!」

 

 そんな掛け声と共に身体が蹴り上げれ、杖が薙ぎ払われた。

 それは華奢なミアから繰り出された棒術とは思えない重い魔力を纏わせた一撃ーーアンセムの身体が甲板外に飛ばされ、海に落ちまいと船のロープを掴む。

 そしてロープを軸に船の側面を駆け上がり、跳躍力しながら甲板に戻れば着地地点に魔法陣を展開したアシュナの姿にアンセムは冷や汗を流した。

 

「お返し」

 

「ノーサンキュー!」

 

 魔法陣から暴風が発生する直前に、アンセムは曲刀に刻んだ魔法陣に魔力を送り、刃に炎を纏わせる。

 そして刃を後方に向けながら纏わせた炎を刃先に集め圧縮させ、そして暴風が迫り来る直前ーーアンセムは炎を一気に解き放つ。

 圧縮され解き放たれた炎の勢いを利用することで暴風を避け、ようやく甲板に着地した。

 振り向けば魔法を避けられたことに不服そうなアシュナが、

 

「む、避けられた」

 

 息を吐くように二本の短剣に風を纏わせる。

 背後に視線を向ければ、スヴェンが既にガンバスターを構え、その背後にミアが控えていた。

 そんな様子を見守っていた船員が、

 

「船長! 今からでも加勢しやすか!?」

 

「その必要はねぇ、甲板で何処まで戦えるかの試しだ。その意味ではコイツらは合格だ、いやむしろテオドール冒険団に加入して欲しいぐらいだね!」

 

 アンセムの声にスヴェンはガンバスターを鞘に納め、戦闘態勢を解いた。

 そう、魔法の使用はアシュナだけに見られたが、魔力操作を使用した戦闘ーーモンスターの障壁を砕ける戦闘能力、常に波に揺られる足場での戦闘。

 それらを眼にしただけでも三人は及第点と言えた。

 あくまでも合格では無く及第点。近接能力が高くとも魔法が使えなければ海中から襲うモンスターには対応ができない。

 そこはこちらでカバーすれば問題無いが、悪魔の海域に潜む化け物モンスターを相手にするには少々頼りないのは歪めない。

 だからこそアンセムは曲刀を鞘に納め、三人に確認するように問う。

 

「あー、今の戦闘でどの程度動けるのかは理解した。だが、スヴェンとミアは魔法を使えるのか?」

 

「俺は使えねえが……見せた方が速いか」

 

 スヴェンはガンバスターを上空に向け、魔力を流し込むと柄の出っ張りを指で引いた。

 すると剣身の先端、その穴から雷を纏った何かが上空に放たれ雷鳴が轟く。

 

「今のはなんだ? 魔法陣を事前に刻んでるの判るけどよ」

 

「あ〜魔法陣を刻んだコイツを撃った」

 

 スヴェンはそう言いながらサイドポーチから鉛の筒のような物を投げて寄越した。

 その物体を受け取り、掌で転がるソレに視線を移すと、筒の底に細く小さな魔法陣が刻まれている。

 火炎を発生させ纏わせる。魔法陣の術式を読み解いたアンセムは眼を見開いた。

 スヴェンがさっき放ったのは雷だった。つまり彼は魔法は使えないが、数種類の属性を切り替えて撃てることを意味する。

 

「仕組みだとかはさっぱりだが、つまりお前さんは自由に属性を放てるって認識でいいのか?」

 

「いや、情け無い話だが俺は銃弾に刻まれた魔法陣がどんな効果を発揮するか、撃つまで判らねえ」

 

 ーーなるほど、スヴェンは異界人だ。魔法技術が無い世界なら魔法陣を読めないのも納得がいくな。

 

 ただそれも時間をかければスヴェンは魔法陣の術式を理解できるようになるだろう。

 彼の戦闘能力を全て見ることは無かったが、底抜けに冷たい視線は数多の戦いで相対者を葬っていたこと、戦闘の最中に放った濃密な殺気を踏まえれば彼は殺しを生業とする職業に就いてたことは予想に難しくない。

 

 ーー今回は殺し合いじゃないから、か。

 

 次にアンセムはミアに視線を向ける。

 彼女は緊張した様子で愛想笑いを浮かべた。

 

「ミアは今回魔法を使わなかったが、船を気遣ったのか?」

 

「いえ、私は治療師ですので役割りは傷付いた味方を癒すことです」

 

「ん? エルリアの治療師といえば攻撃魔法も結界魔法、防護魔法からなんでもござれだろ」

 

「……実は、その、私は治療魔法以外は使えないんです。その代わり生きてる限りどんな傷も癒せますけどね」

 

 稀に噂に聴く一芸特化型。世の中には特定の魔法の才に恵まれながら他の魔法が一切使えない者が居る。

 ミアもその類なら他の魔法が使えないことに説明も付けば理解も及ぶ。

 特に医療品に限りが有る航海で治療師は心強い味方なのは間違いない。

 だからこそアンセムは三人を歓迎するように笑みを浮かべた。

 

「いやぁ、心強い同行者を得られてラッキーだな」

 

 それに同意を示すように船員は笑い声を、暗くなり始めた甲板で奏でた。

 その後プリンセスマーメイド号を港に停泊させ、

 

「さて野郎共! 出航に向けて準備と行きたいところだが、貸した金は返金されたのか?」

 

 航海の準備に必要な資金、貸した金が返って来たのか問えば渋い顔を返される。

 

「いや、とっくに返済期限が過ぎてんのに一向に返す素振りを見せねえんですよ」

 

「アイツ、町で豪遊してるあたり金は持ってる筈なんだ」

 

「なるほど、バカな奴だ……よし、明日は俺とスヴェンで取り立てに行って来るから野郎共は必要な物質を確保しておけ。いつものババアのところでな」

 

「うっす!」

 

 指示を受けた船員が各々下船を始める中、スヴェン達が訊ねる。

 

「取立ては理解したが、具体的な出航日時はいつだ?」

 

「そうだな、守備良く明日以内に金を回収できれば必要物質はすぐにでも揃う。出航日時は早くとも7月7日、明日の午後14時だ」

 

「えっといくらお金を貸したんですか?」

 

「金貨800枚だな」

 

「そうか、ソイツを強迫すればいいんだな」

 

「おう、詳細は明日の朝に説明する」

 

「面倒だからお金出す?」

 

 アシュナの提案にアンセムは首を横に振ることで断った。

 

「気持ちは有難いが、冒険家としての矜持が俺達にも有るんだよ」

 

「よく分からないけど、ロマン?」

 

「おおそうだ! ロマンを求めるにも資金を自前で用意できなきゃ、ロマンもクソもねえだろ」

 

「そっか」

 

「あー、俺達も一旦戻るか」

 

「はい! 私は何も食べてないからお腹空きました!」

 

「そんじゃあ明日の8時まで港に来てくれ」

 

 こうしてアンセムは一旦三人と別れ、自身の寝室でも有る船長室でブドウ酒の酒瓶を呷りながら航海図に視線を向ける。

 先祖がかつて到達した伝説が眠る孤島諸島。そこに挑むと考えるだけで自然と胸が躍り血が滾る。

 同時にこれまで数々の冒険を繰り広げた部下達から少ない犠牲が、最悪全滅の可能性に葛藤が無いと言えば嘘になる。

 このままテオドール冒険団を悪魔の海域に導いていいものかーー船長が弱気になっちまったら、アイツに鼻で笑われちまうな。

 アンセムは酒を呷ることで葛藤を振り払う。アルコールがほどよく周り始めた頃、船長室の小窓を一羽の黒鷲が嘴で叩く。 

 コツコツっと窓ガラスを叩く音にアンセムは興醒めしながらーー連中も重い腰を上げたか。

 黒鷲の嘴に咥えられた一通の封筒にアンセムは、書類を受け取るべく小窓に歩み寄った。



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12-3.愚者

 指定された時間通りにプリンセスマーメイド号に向かったスヴェン達は、さっそくアンセムによって仕事を割り当てられた。

 スヴェンは当初の予定通りに彼と共に借金の取立て。そしてミアとアシュナの二人は他の船員と共に町で必要な物質の買い物を任されることに。

 さっそくアンセムに首都カイデスの中央に位置する貴族街にら連れられたスヴェンは、意気揚々と歩く彼に問う。

 

「それで、詳細ってのは?」

 

「おっと忘れるところだった。俺が金を貸したのは貴族で修復師をやってるボンクラだ、一昨日も奴が真面目に仕事しねえから大変だったろ」

 

「ああ……ん? アンタに金を借りたってことは修復師の職もそれでか」

 

「あー、まあな。今のパルミドの内政は汚職まみれでな、大金さえ積めば爵位だって買えちまう」

 

 アンセムは一瞬だけ憂いを帯びた表情を見せたが、すぐに戯けた表情に戻る。

 

「おっと奴の邸はもう目の前だ」

 

 彼の言葉に正面に顔を向けると周辺の豪邸よりも一層豪華な邸が最奥に在った。

 屋根から壁には所々散りばめられるように嵌め込まれた金が夏の光を反射し煌めく。

 そして富の象徴と言わんばかりに鎮座する庭の黄金像にスヴェンは思わず眉を歪める。

 

「悪趣味な成金だな……って、ソイツが借金ってのも解せねえ話だな」

 

「ここの当主ゴールドダイン公爵は完全実力主義にして高潔な血の持ち主に加えて厳しい御仁でな、バカ息子にいちいち金なんざ出さないさ」

 

「つまり借りた金は自分で払えってことか」

 

「あぁ、だから俺達はボンクラのティンギルをとっ捕まえて金を回収ってわけだ」

 

 ティンギルが借りた金は金貨八百枚だ。それはこの世界では高額な金額で、それを一括で貸すアンセムもただの冒険家ではないのだろう。

 

「アンタも貴族だったりすんのか?」

 

「おー、なんだ知らなかったのか? テオドール家は先祖の冒険稼業とパルミド小国を度重なる飢えと貧困から救った功績で伯爵位を賜ってんだ。ま、所謂栄誉貴族ってやつで流れる血は庶民派さ」

 

「貴族の生活ってのは判らねえが、洒落た料理なんざより気心知れた連中と飯を食った方がマシだな」

 

「分かってるじゃないの」

 

 戯けながら歩くアンセムがゴールドダイン公爵家の邸に近付くと槍を構えた禿頭の門番はすかさず槍で行く手を阻む。

 

「止まれ! 今は旦那様の不在中に来客を入れる訳にはいかん、それがテオドール家の当主でもだ!」

 

 如何あっても邸に入れないっと鋭い目付きで睨む門番にアンセムは肩を竦める。

 

「相変わらずお堅いねぇ、そんなだから頭が禿げるのさ」

 

「ふん、大きなお世話だ」

 

「ならボンクラ息子を呼んで来てくれよ。愛しいアンセムが金を回収しに来たってな」

 

 敷地内に踏み込まないならっとアンセムがティンギルを呼ぶように門番に告げると、彼は渋い表情で舌打ちした。

 

「ティンギル様なら昨日から帰っていない」

 

 ティンギル不在にスヴェンはアンセムと顔を見合わせ、互いに仕方ないと肩を竦める。

 昨日の時点でテオドール冒険団の船員がティンギルに借金の返済を迫られ断った。

 おおかた借りた金を返すのが嫌だから町の中を逃げ回っているのだろう。

 借りた金を返済せずに逃げまわるティンギルは少々痛い目に遭っても仕方ない。

 

「忠告は御当主様にも届いてるはずだよな?」

 

「旦那様からこう仰せつかってる、死なない程度に痛め付けて構わないと」

 

 それなら遠慮する必要もない。そう判断したスヴェンは拳を鳴らし、アンセムに彼が行きそうな場所に心当たりがないか訊ねた。

 

「ティンギルが行きそうな場所は?」

 

「ここから東に行った貧民街の巨乳バーだな。少々如何わしい店だが、兄ちゃんは平気かい」

 

「平気だ。町の外に出る可能性は?」

 

「野盗や人売りにとっ捕まらない限りは無いと断言できる」

 

 スヴェンは嫌な可能性に戯けるように肩を竦めてみせ、アンセムに案内するように促す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 サングラスを装着したスヴェンはアンセムと貧民街に足を運び、血と腐敗の異臭と路上で物乞いをする住人や酒を飲みながら荒んだ眼差し、スヴェンを値踏みするような視線が歓迎していた。

 あわよくば身ぐるみを剥ぐ。そんな企みが明け透けに見えたスヴェンは何食わぬ顔で巨乳バーの看板が立てられた店に歩き出す。

 同時に物陰から四人の荒くれ者がナイフを片手に行く手を阻むのも、スヴェンにとっては慣れ親しんだ光景だ。

 だからこそ次に彼らが発する脅し文句の予想も容易い。

 

「へへっ、命が惜しかったら金と背中の大剣を置いていきな!」

 

 荒くれ者のリーダー格の男が血がべったりと付着したナイフの刃を舌で舐めまわしながらそんな言葉を吐く。

 それに対して他の三人がニヤついた笑みを浮かべるのも、路上に座り込む住民が我関心せずの態度を貫くのも予定調和だ。

 彼らが飛び出した物陰に転がった、痩せ細った少女の死体にもスヴェンは顔色一つ変えず歩き出す。

 ナイフを向けるリーダー格の男に続き、三人の荒くれ者も彼に続くようにナイフを向ける。

 デウス・ウェポンの貧民街や紛争地帯の街と比べて違いが有るとすれば、やはりただの荒くれ者ですら武器に魔力を纏わせている点か。

 そんな事を考えながら進むスヴェンに、痺れを切らしたリーダー格が吠える。

 

「無視してんじゃねーよ!」

 

 振り下ろされるナイフと背後から伝わるアンセムの非情な眼差し。

 スヴェンはリーダー格の振り下ろした手首を掴み、掴んだ腕に力を込める。

 ミシミシっとリーダー格の手首が悲鳴をあげ、ナイフを落としながら、

 

「は、離せよ!」

 

 彼の叫び声に他の荒くれ者は狼狽えるばかり。

 次第にリーダー格の手首の骨が軋み、スヴェンは力任せにそのまま彼の手首を捻り折る。

 本来有り得ない方向に捻じ曲がった手首と激痛にリーダー格の絶叫が貧民街に轟く。

 

「いぎゃぁぁぁ!!」

 

 絶叫を浮かべるリーダー格に、残りの荒くれ者はナイフを下ろし後退りを始めていた。

 その背後に既にアンセムが回り込んでるとも知らずに。

 激痛のあまり地面に疼くまるリーダー格を置いて逃げようと振り向いた三人の荒くれ者に、アンセムの鋭い眼孔が威圧する。

 

「おい小物共、俺の顔を知らねえわけじゃねえよな?」

 

「も、もちろん知ってるとも!」

 

 頷きながら答える三人にアンセムは話が速いと、曲刀の柄に手を伸ばす。

 

「くだらねえ命令を出したのはティンギルのバカか?」

 

「そ、そうだよ! あんたを追い払うように雇われたんだ」

 

 彼らが束になったところでアンセム一人を害することなど不可能だ。

 単なる足止めの捨て駒、物陰に転がる少女の死体はアンセムの怒りの矛先を向けるための釣り餌だとスヴェンは推測を浮かべた。

 推測の段階だが三流のやり方に思わずため息が吐く。

 

「アンセム、コイツらは捨て駒だ」

 

「お前さんの言う通りだな。……ならさっさと失せろ」

 

 殺気を宿した眼孔に充てられた三人の荒くれ者はその場で泡を吹いて倒れ、気を失った。

 そんな彼らにアンセムは背を向け吐き捨てるように呟いた。

 

「糞虫どもがっ」

 

 そのまま巨乳バーに歩き出すアンセムの後を追い、二人は店のドアを開けそのまま中に踏み込んだ。

 店に入った途端に鼻に纏わり付く甘ったるく男を虜にする魅惑の匂い。

 そんな匂いを身体に纏わせ、際どく胸を強調する服装を着こなした女性が、獲物を狩る狩人の視線を向けながら訪れたスヴェンとアンセムに甘ったるい声で告げる。

 

「いらっしゃぁい。けっこうかわいい子達が入ってますよぉ」

 

 そんな彼女にアンセムは眉を顰めながらため息を吐く。

 

「相変わらず媚薬混じりの香水で接客してんのか、高価な香水を買うよりもお前さんに合う香水が有るだろ」

 

「あら嬉しいこと言ってくれるわねぇ〜。でも旦那のように耐性を持った男はいざ知らず、性欲盛んの男は大金を落としてくれるのよぉ」

 

 ーー興味ねぇな、さっさと用事を済ませるか。

 

 腰を曲げあからさまに胸の谷間を見せ付ける店員にスヴェンは、顔色一つ変えず変わらない眼差しで訊ねる。

 

「ここにティンギルは居るか?」

 

「あ〜あの早漏ティンギルボウヤね。彼ならほんの少し前に店の裏口から出て行ったわよ」

 

 酷い言われようだが、今から追えば間に合う。そう判断したスヴェンがアンセムに顔を向けると、彼は数人の巨乳店員に囲まれ身動きが取れない状況に陥っていた。

 

「お、おい! 腰に抱き付くな! 胸を押し当てるな! 今日は客じゃなくて借金の取立てに来たんだって!」

 

「旦那のいけず〜本当は溜まってるんでしょう?」

 

 アンセムは群がる女性店員を振り払うおとするも、全身に魔力を巡らせ全力で彼を取り押さえる女性店員達にスヴェンの頬が引き攣る。

 スヴェンはこのままではティンギルに逃げれると判断し、こちらに腕を伸ばすアンセムに背を向けそのまま店の裏口に駆け出した。

 店の裏口から一本道の路地裏に出ると、

 

『す、スヴェンんんんんっ!! 俺を置いて……ちょっ! そ、そこはっ!」

 

 アンセムの悲痛な叫び声が背後から轟く。

 彼の悲鳴を無視しながら弾けるように路地裏を駆け出し、一直線で最奥の行止まりまで駆け抜け、そのまま壁を足場に飛び越える。

 すると驚き腰を抜かす修復師と眼が合う。スヴェンは着地と同時に背中のガンバスターを引き抜き、瞬時に首筋に刃を押し当て、

 

「ティンギルだな? アンセムから借りた金を取立てに来た……抵抗すんなら分かるよな」

 

 低めの声で脅すと彼は狼狽えた眼差しでゆっくりと首を縦に何度も頷いた。

 やがて左手がズボンのポケットに伸ばされ、中から丸い玉のような物を取り出す。

 大人しく返済する気がないっと判断したスヴェンはティンギルが行動に出るより早く、左足でティンギルの左手を踏み付ける。

 地面に擦り込むように靴の底て左手の皮を捻り、

 

「何をしようとしたかは知らねえが、大人しく金を返せば無事で済んだんだが……残念だ」

 

 ガンバスターの柄を強く握り込めば、

 

「わ、分かったよ! 金貨800枚返せばいいんだろ! たく、少し返済が遅れただけで物騒な奴を雇いやがってよ」

 

 観念したのか毒付きながら膨らんだ金袋を差し出した。

 それを受け取ったスヴェンは膨らんだ金袋から伝わる重みと膨らんだ形から金が入っていないと判断する。

 恐らく重みと膨らみ方からしてただの石を入れただけ。同時にこの状況で人を欺こうとするティンギルに息を吐く。

 

「どうやら腕の一本失わねえと理解しねえようだな?」

 

「ふ、ふん! 貧乏人風情がゴールドダイン公爵家の跡取り息子に手を出してタダで済むと思うなよ!」

 

「アンタの親父に死なない程度に痛め付けてやれと言われてんだよ」

 

 スヴェンはガンバスターを振り上げるとティンギルは往生際悪く叫ぶ。

 

「いいのか!? オレ様はこの首都唯一の修復師だぞ! 傷一つ付けてみろ? 国が黙ってないぞ!」

 

 ここまで三流の台詞を惜しみなく吐けるのも珍しい。

 立場と状況をまだ理解できてないからこそか。それはそれで呆れを通り越して寧ろ感心すら浮かぶ。

 

「金で買った職だろ、それに毎回仕事をサボり損失を出す馬鹿を雇用し続ける理由が国にあんのか?」

 

「へっ! そのために毎月金貨100枚手渡してんだ!」

 

 堂々と賄賂を払っているとドヤ顔で告げる彼に、頭痛に眉を寄せた。

 

「はっ、ボンクラ息子らしいやり口だな」

 

 頭上から聴こえたアンセムの声にスヴェンが視線を向けると、顔と衣服に女性店員の口紅を大量に付けた彼の姿がそこにあった。

 

「……随分遅いと思えば楽しんだあとか」

 

「置き去りにしておいてよく言えるな!」

 

 アンセムのツッコミが路地裏に響き渡り、彼は隣に着地しては懐から一枚の紙を取り出す。

 解雇通知書と記載された紙に視線を滑らせ、細々と書かれた文章とティンギルの解雇を告げるサインにスヴェンはティンギルに視線を移した。

 解雇通知書を突き出されたティンギルが顔面蒼白になりながら息を荒げ、

 

「う、嘘だ! 賄賂だって贈ってたんだぞ!」

 

 信じられないと言わんばかりに叫んだ。

 スヴェンはさっさと金を回収して済ませたいっとアンセムに目配りすれば、彼はもう少し付き合えと視線で返した。

 

 ーー仕方ねぇ茶番に少し付き合うか。

 

「馬鹿だな、今月だけで開錠魔法陣のメンテナンスをサボりどんだけ損失を出した? お前さんが出した損失は金貨2000枚だ。先月と合わせれば金貨2500枚だぞ?」

 

 いくら首都唯一の修復師でもそれだけの損失を重ねれば、本人が解雇されても仕方ない。

 元々金で今の職に就いた男だ。賄賂さえ定期的に支払われば文句も無かったが、毎度高額の損失を出されては割に合わないと見限ったのだろう。

 所詮は金だけの薄っぺらい繋がり。その点だけで言えば傭兵と雇主との関係も同じだ。唯一違いが有るとすれば信頼関係を築けたかどうか、その程度の違いだけ。

 スヴェンが信頼関係で成り立つ傭兵としての立場からティンギルを静かに見据える中、

 

「そんだけの金が有れば代わりを探した方が早い。ってかもうエルリアの大使を通じて募集してる頃合いだろうよ」

 

 アンセムは更にティンギルに絶望を突き付ける。

 そんな彼にティンギルは青褪めた顔で、

 

「は? じゃあオレ様はどうすればいいんだ?」

 

 縋るようにアンセムに答えを求めた。だがその問いに誰も答える者は居ない。

 

「……いや、嘘だ。オレ様は信じない、オレ様はっ」

 

 現実を直視できなくなったティンギルは譫言(うわごと)を繰り返し、アンセムはそんな彼の上着のポケットから黄金の金袋を取り出した。

 

「金貨800枚丁度だな……それとお前さんが雇った荒くれ者が殺害した少女の件も有る。お前さんは暫く牢獄で反省してな」

 

 もはやティンギルにはアンセムの声は届かず、彼は振り向き戯ける態度で肩を竦めて見せた。

 

「こんな光景はミアとアシュナに見せられないだろ」

 

 一人の男を精神的に追い詰める様子は確かに二人の少女に見せる訳にはいかない。

 スヴェンは同意するように頷き、

 

「ああ、アンタのキスマークまみれの姿もな」

 

 歩きながらそんな軽口を叩く。

 

「それは言わないでくれよ」

 

 げんなりと肩を落とすアンセムにふと生じた疑問を問う。

 

「いつ書類なんて用意したんだ?」

 

「あー、昨晩にはな。ま、ティンギルを解雇したところで財政難は変わらねえし、汚職が途絶えることもねぇ。全く邪神教団には参ったよ」

 

「交易の面で損害を被ってたか」

 

「ああ、交易の取引先はエルリアが応じてくれてるが、海路経由の輸送はどうにもなぁ。他にも一応エルリアや数々の国が資金面で援助してくれてるが……」

 

 確かに交易面で言えば海路経由の輸送はモンスターの襲撃によって損害が被る。それは陸路でも同じことが言えるが、輸送船と船員の損失は少人数で済む荷獣車と比較にならないだろう。

 それに援助に関しても貧民街の現状を見るにあまり改善はされて無いように思える。

 汚職と腐敗が進んだ内政を考えるに一筋縄ではいかない問題だ。

 何がきっかけにせよ、魔王救出を成功させ交易が再会されたところで一度腐敗した内政が元通りになるかと言えば、それも難しい。

 腐敗した内政を浄化するには大規模な洗浄が必要になる。そこに指揮を担う者が居なければ解決されない問題だ。

 スヴェンはアンセムの話から内政の腐敗具合を改めて実感しては、難しい問題に密かに息を吐くのだった。



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12-4.出航と悪魔の由縁

 ティンギルから金を回収したスヴェンは、アンセムの案内に従い食材屋に足を運ぶ。

 既にそこにはテオドール冒険団の船員とミアが待っていた。

 数台の貨車に山積みになった食料と医療品など必要な物資が積み込まれ、一人の老婆にアンセムが近付く。

 

「ババア、待たせた。こんだけ有ればしばらくは飢えることもねえ……丁度町にはアルセム商会も来ることだしな」

 

 回収した金袋を老婆に手渡した。

 

「別に待っちゃいないよ、この日をね……お前もあのバカも本当に行くんだね?」

 

 老婆は哀しげな眼差しをアンセムに向け、彼は向けられた感情に戯けるように笑う。

 

「次に会う時は大量の財宝を持ち帰った時だ。そん時はまた都合を付けてくれよ」

 

 彼の言葉に老婆は皺枯れた口元を吊り上げ笑った。

 老婆はこれ以上の言葉は野暮だと判断したのか、アンセムの背中を叩き、

 

「行って来な」

 

 短い言葉をテオドール冒険団の面々に告げた。

 荷台は船員達の手によってプリンセスマーメイド号まで運ばれ、その道中でスヴェンとミアは驚くべき光景を目にした。

 町の住人が港に向かうテオドール冒険団に声援を送り、無事を祈る姿を。

 それはまるで英雄の凱旋のような光景で、同時にスヴェンはアンセムという男が首都カイデスでどれほど慕われているのか初めて理解した瞬間だった。

 そしてプリンセスマーメイド号に物資の積込みが終わると、

 

「現在時刻は12時10分か……よーし野郎共! 帆を張れ! 進路は西へ! 孤島諸島に向けて出港だぁー!!」

 

 船長アンセムの号令に船員が雄叫びと共に各々の位置に付き、やがてプリンセスマーメイドは首都カイデスの港を出港した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 七月七日の晴れ、快晴の青空と大海原を進むプリンセスマーメイド号の船上でスヴェンは海を眺め、ミアの訝しげな視線に鋭い視線を向ける。

 

「なんだ?」

 

「なんかスヴェンさんとアンセムさんから女性物の香水の匂いがしたから、それで少し遊んで来たのかなぁって」

 

「遊んでねぇよ、借金の取立てに立ち寄った場所が女が働く店だったってだけだ」

 

「あー、首都カイデスの貧民街は如何わしい店が在るって聞いたことは有ったけど、本当に有ったんだ」

 

 女性だけが働く店は他にも様々有るが、ミアは香水に含まれた媚薬の匂いを嗅ぎ分けどんな店なのか察したようだ。

 ただミアでも身体に付いた香水はキツいのか、彼女は僅かに顔を顰め、

 

「私に欲情しないよね?」

 

 バカな冗談を口にした。そんなバカなことは万が一にも起こらない。

 そもそも媚薬の類は通じない体質だ。だからミアや他の女性に発情することも特別意識することも無い。

 

「ねぇよ。俺はその類の薬物は効かねえ体質だ」

 

 そんな話をして、ふとアシュナの気配を船内から感じ取ったスヴェンは話題を変える。

 

「そういうや、アシュナは寝てんのか?」

 

「アシュナなら船内を見て回るって。それに守護結界領域を抜けるまで一日はかかるみたいだよ」

 

 明日の昼には悪魔の海域に入る。そこから先は油断禁物だ。特に航海に関しては素人の自分達が彼らの足を引っ張る訳にもいかない。

 スヴェンは船上に散らばる船員に視線を向けると、ミアは思い出したように楽しげな笑みを浮かべた。

 

「実はプリンセスマーメイド号には浴室が備わってるんだって!」

 

「なるほど、船員の衛生面を気遣ってか……悪魔の海域で風呂に入る余裕が有るのか疑問なんだが?」

 

「難しいそうだけど、船医のメルテスさん曰く昨日みたいに帆に風の魔法で風力を与えて速度をあげるんだって。それで並みのモンスターは近寄れないらしいよ」

 

 確かに船の移動速度が増せば増すほどモンスターの脅威は軽減する。

 だがそんな単純な力技で抜けられるほど甘い海域じゃないと嫌でも理解が及ぶ。

 悪魔の海域と呼ばれる由縁、その元凶が海中に潜んでいるならなおさら。

 

「海には死域を発生させるモンスターは確認されてんのか?」

 

「エルリア近海だと遭遇記録は無いけど、デーモンシャークとかはいろんな海域に出現してるかも。……あと未だ正体が掴めないモンスターも深海に居るよ。それに死域はモンスターごとに齎す効果も違うから警戒は充分にね」

 

「あぁ、しかしまあ死域を発生させるモンスターが深海に潜んでんなら対処も困難だな」

 

「そっ、他国の報告例だと魔力を分散させて魔法を封じる死域と海中から襲いくる刺々しい触手の大群、正体不明のモンスターに軍艦が沈められたっなんて話しもあるぐらいだよ」

 

 海上で魔力を分散させる死域。それだけで非常に厄介で対処も難しいモンスターだが、それに加えて触手のみで肝心な本体の詳細さえ不明となればより一層困難だ。

 

「魔力を封じられるってのは詰みに近い状態だな」

 

 スヴェンとミアはこれまでの旅路を思い出しながら、額に薄らと冷や汗を掻く。

 互いに深いため息を吐くと船長室から出て来たアンセムが、こちらを発見しては陽気な足取りで近寄る。

 

「どうした? 2人でため息なんか吐いてよ……もう陸地が恋しくなったか?」

 

「いや、悪魔の海域の由縁だとか死域を発生させるモンスターに付いて聴いていたところだ」

 

「死域を発生させるモンスターはパルミド小国近海にも、悪魔の海域に出現したなんて話は聴いたことねえな」

 

「そうなんですか? てっきり死域クラスのモンスターが出現するとばかり……」

 

「……悪魔の海域と呼ばれる由縁はいつか有るが、尤も船乗りにとっての天敵は無数に近い触手を持つ大型モンスターーキングクラーケンだ」

 

 キングクラーケン。海の怪物と言えば巨大を誇るクラーケンとデウス・ウェポンの創作物でも度々使用されているが、相手はモンスターだ。

 恐らく物語に出て来るクラーケンより遥かに凶悪なのだろう。

 

「えっ? キングクラーケンって軍艦を簡単に海中に引き摺り込むって言われてるあの? おまけに軟体の癖に鋼鉄以上の硬さを誇り、恐ろしい口を持つと言われてる?」

 

「そのキングクラーケンだ。おまけにデビルシャークの群れ、ウミナルカミ、ポイズンサーペント、マインドフレア、ゴーストシップと大盤振る舞いだ!」

 

 名を挙げられたモンスターの数々にミアはどれも知識でその危険度を知っているのか、みるみるうちに顔を青褪めさせた。

 

「……そんなモンスターが一隻の船に殺到するってことですか?」

 

「運が悪ければな。だがプリンセスマーメイド号にはとっておきが装備されてる。だからそこまで気負うほどでもないさ」

 

 アンセムは青褪めるミアを気遣うようにそんな事を告げ、多少は気が紛れたのか、彼女の顔色も徐々に健康な色に戻り始めた。

 

「そ、そうですね! ……三人旅とは違ってこの船には攻撃魔法が使える船員が沢山居ますしね!」

 

 確かにミアの言う通りだ。ここにはモンスターに対する対抗手段を備えた船員が、アンセムを含めて十五人も居る。

 それでも油断は許されない。海上で恐ろしいのは何もモンスターだけでは無いからだ。

 スヴェンが頭の中で海に警戒心を向けると、

 

「嬉しい事を言ってくれるねぇ。たがまあ、俺としちゃあお前さんら三人に期待してるぜ?」

 

 アンセムが陽気に語り、期待されたミアが胸を張る。

 

「うえへへ〜治療魔法に存分に期待してくださいよ」

 

 ミアが上機嫌に笑えば、アンセムも軽快に笑い出す。そんな二人を他所にスヴェンが船内に向かって歩き出すと、

 

「船長、みんな! 少し遅くなったが、昼飯の時間だぞ!」

 

 プリンセスマーメイド号の厨房を担うコックが呼びかけると、船上に居た全員がスヴェンとミア、そして船長であるアンセムを置いて船内に我は先にと殺到する。

 そしてスヴェンとミアはアンセムと共に船内の食堂に向かい、遅めの昼食を摂るのだった。



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12-5.昼食後の雑談

 昼食を終えたスヴェンが船内を見て周り、偶然医務室の前を通りかかると、

 

「あら、ミアの連れの……確かスヴェンだったわね」

 

 桃色の髪と青い瞳、白衣を羽織った船医メルテスと出会した。

 スヴェンが適当に相槌を打つと彼女は興味深かにじっと視線を向け、何か思い付いたのか笑みを向ける。

 ミアが他者に向ける愛想笑いとはまた違う打算と目的の笑みにスヴェンは肩を竦めた。

 

「何か用があんのか?」

 

「用ならたったいま出来たわ」

 

 何の用事かは判りかねるが、船員と一悶着起こすのは孤立を招く危険な行動だ。そう判断したスヴェンは彼女の用事に応じるべく頷く。

 すると話しが速いと言わんばかりに医務室に招かれ、薬品と消毒用アルコール、まだ未調合の薬草の匂いがスヴェンの嗅覚を刺激する。

 医務室はどこの世界でも変わらない。そんな感想を内心で浮かべたスヴェンは、机に向かい合うように椅子に腰降ろす彼女に問う。

 

「用事ってのは何だ?」

 

「うちの船員も船長も異界人とははじめて接触したからね、単純な興味と好奇心よ」

 

「ミアに聞けば済む話しだろ」

 

「確かにそうよね? でもそれは答える側がスヴェンという人間を何処まで把握してるかで成り立つ問答よ」

 

 確かにスヴェンはこれまで自身のことは必要最低限の情報しか話さず、話したのはデウス・ウェポンとテルカ・アトラスの違い、食事文化や寿命と言った内容だけだ。

 だからミアが他者にスヴェンのことを問われても、異界人の旅行者や戦闘面、彼女が見て知った範囲でしか答えられない。

 同時にミア達に話さない内容を見ず知らずの、ましてや出会って間も無い人物に話すのはそれこそ彼女達に対する不義理にも思えれば、いずれ元の世界に帰る自身の情報などノイズでしかない。

 ただ一つだけ答えられるとすれば、

 

「興味本位で聞かれて話すほど綺麗な体験談なんざ持ち合わせてねぇよ」

 

 人が好奇心で聞くには傭兵稼業の業とも言える戦場と殺戮はあまりにも重い話だ。

 

「そう、ここで根掘り葉掘り質問したいところだけど……ミアが踏み止まってる領域を無遠慮に踏み荒らす性格の悪い女じゃないのよ、私は」

 

「良い女の条件ってのは理知的で配慮深い奴らしいな」

 

「献身的で一途も合わせれば完璧な女ね。……ところで昨日の戦闘は船員達の間でも話題になってるのよね」

 

 メルテスは何か思うところが有るのかため息混じりに、そんなことをボヤいた。

 昨日の戦闘を振り返る。それは別にメルテスが憂に満ちた表情をするほどても無ければ、むしろ互いに得るものが有れば有意義な試しだったと。

 ただ女性として戦闘に夢中になる男共に想う所が有るのか、

 

「なんか問題でも有ったのか?」

 

 航海の事を考えそんな質問をすれば、メルテスはすぐさま口にした。

 

「やれ船長は本気じゃなかっただとか、お互いに本気じゃないだとかそんは幼稚な言い争いよ」

 

 得るものなど何も無かった。得たのは単になる議論と喧嘩だけ。

 スヴェンがなんとも言えない表情を浮かべると、思い出したようにメルテスから訊ねてきた。

 

「それで? 昨日の貴方は本気だったのかしら?」

 

 どっちが本気だとか戦闘に関係が無いようにも思えるが、実は彼女も彼女で船長であるアンセムが遅れを取るのは面白く無いと言ったところか。

 正直に言えば昨日の戦闘はこちらが船上で何処まで動けるのか確かめるための戦闘だった。殺し合いでも無い単なる交流試合のようなもの。

 ただスヴェンは内心でアンセムの戦闘能力を称賛していた。

 

「互いに本気じゃねぇよ。第一優劣を競うってなら頭数を対等にすりゃあ良い……だが対等でもねぇ状況でアンセムはミアまで迫ったろ? 単身で後衛に接近つう判断は中々できるもんじゃねえよ」

 

 同時にアンセムの何処を潰せば良いのか、よく理解した判断力にスヴェンは内心で舌を巻いたことをよく覚えている。

 特に雷魔法による身体強化は目で追えたが、あの時の魔法は試しのために使用された魔法だ。

 彼の下丹田の相当量の魔力を踏まえれば、電光石火の如き動きも可能だったろう。

 そんな事を告げれば、メルテスは自分の事のように口元を緩めーーついでに通路で聴き耳を立てていた数人の船員とミアとアシュナの気配にスヴェンは内心でため息を吐いた。

 

『ん? こんな所で何してる馬鹿野郎共、さっさと持ち場に着け』

 

『おっと船長! じ、実はメルテスとスヴェンが中に居てですね』

 

『なるほど、盗み聴きか。だがまあスヴェンには気付かれてるだろうよ』

 

『やっば! 私はこれで失礼させてもらいますよ!』

 

『おい! いの一番に興味を示しておいてっ! もう居ないし』

 

『あり? アシュナは?』

 

『あれ? いつの間に』

 

 そんな愉快な話し声にメルテスは楽しげに笑い、

 

「うちの船員も愉快でしょう?」

 

 同意を求められたスヴェンは、過去に組んだ愉快な傭兵団を思い起こしながら同意を示した。

 

「確かにしばらくは退屈することも無さそうだ」

 

 同時に愉快な連中でも死は平等に訪れる。明日の昼から突入する悪魔の海域でどれほどの犠牲者が出るか。

 それは自分かも知れないし、ミアとアシュナ。あるいは三人の死か。それとも全滅の可能性にスヴェンは椅子を立ち上がった。

 

「険しい顔しちゃって、もう行くの?」

 

「船の環境に早く馴れたいんでな」

 

 それだけ告げ通路に出ると戯けるアンセムとすれ違う。

 

「まさか、そんなに評価されてるとはねぇ」

 

 しっかりと会話を聴いてる辺り彼もちゃっかりしてる。

 

「さて、社交辞令ってヤツかもしれねえぞ?」

 

 恍けてみせればアンセムは笑みを浮かべながら、

 

「うちの馬鹿共にも見習わせてやりてぇもんだ」

 

 そんな軽口を叩いた。

 スヴェンは通路の角からこちらを覗き込むミア達の姿に気付く。

 ミアとアシュナの何かを期待する眼差しと船員達の視線にスヴェンは鬱陶しいげに眉を歪めた。

 

 ーー連中は俺に何を求めてんだ? ってか暇なのか?

 

 そんな疑問を浮かべながら適度にアンセムと雑談を交えなから甲板に足を運び、海の恐ろしさに付いて話し合うことに。



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12-6.襲撃と悪魔の海域

 テオドール冒険団と交流しながら一日目の航海を終え、二日目の昼前。

 晴々とした夏の空は嘘のように雷雲に覆われ、荒れ狂う波にプリンセスマーメイド号が揺れる。

 もうすぐ悪魔の海域に突入という時に悪天候に襲われ、

 

「昨日の穏やかな1日が嘘のようだね」

 

 ため息混じりに呟くミアに、こればかりは仕方ないと肩を竦め甲板から周辺の様子に警戒心を向ける。

 進路方向の前方には大渦が見え、遠くの方で鮫に似たモンスターが飛び跳ねた。

 それは鮫と言うよりは、それは姿は人に近く禍々しい鱗に覆われ、握り締められた槍にスヴェンは息を吐く。

 

 ーーあれがデビルシャークか。

 

 守護結界領域の外、悪魔の海域入り口で待ち構えるデビルシャークの群れ。仮に群れを回避しようと進路を晒せば大渦に船が呑み込まれる。

 このまま突っ込むか魔法で迎撃する方法が取れるが、それを判断するのはテオドール冒険団と船長アンセムだ。

 スヴェンは一先ず近場の船員に声をかける。

 

「前方に大渦とデビルシャークの群れを確認した」

 

「どれどれ? うわぁ、出待ちかよ。悪趣味な姿でやることもまた悪趣味とか……よし、船長に報告して来るから引き続き頼む」

 

 駆け出す船員を見送ったスヴェンは、今度は後部甲板に向かうと一隻の船に眼を細めた。

 所々散りばめられた金が埋め込まれた大型船、最近何処で見た悪趣味な邸を連想させる船の甲板には弩砲が装備されている。

 敵対か、それとも単なる冒険心か。スヴェンが後方の船に眉を歪め、そんな様子に小首を傾げながら自身の顔を見上げるミアに告げた。

 

「アンセムに武装船が一隻、後方から接近してるって伝えてきてくんねぇか?」

 

「分かったけど……うわ、悪趣味な成金船……うーん? パルミド小国の成金趣味ってゴールドダイン公爵家の保有船かも」

 

「……一昨日借金を取立てた相手が、その公爵家の御子息様だ」

 

 ミアのマジ? そう聞きたげな視線に頷くことで答える。

 しかし逆恨みでわざわざここまで追って来た? 少なくともティンギルにそんな度胸が有るとは思えないが、自業自得とはいえ追い詰められた人間がどんな行動に出るのか。

 答えは単純明白、報復に出るだ。それに悪魔の海域に近いこの場所なら犯行に及ぼうともテオドール冒険団は無惨な死を遂げたと告げれば、罪を咎められる可能性は低いと言える。

 最悪の方向で推測するスヴェンにミアは杖を握り締め、

 

「急いで報告して来た方が良さそうだね」

 

 それだけ告げて船長室に駆け出した。

 スヴェンはガンバスターの柄を握り締め、徐々に距離を詰める船の速力に眉を歪める。

 臨戦体制を取れば船内からアンセム率いる船員が続々と甲板に駆け付け、船が横合いに接近した。

 船の甲板で槍を構えるティンギルと斧や弓、短剣で武装した荒くれ者共の姿にアンセムが叫ぶ。

 

「何しに来た! ここはボンクラ共が来る遊び場じゃねーぞ!」

 

 海原に響く声と雷雲から落ちる雷、天候が荒れ始める中、ティンギルが敵意を宿した眼差しで吠える。

 

「お前のせいでオレ様の人生は終わりだ。だからよぉ、アンセム……オレ様のために死ねよ!」

 

 逆恨みの声を合図に敵船の甲板に装備された弩砲がプリンセスマーメイド号に向けられ、対するアンセムはため息混じりに操舵手に視線だけで指示を出した。

 一斉に弩砲から放たれる魔力の矢がプリンセスマーメイド号目掛けて降り注ぐーーだが、プリンセスマーメイド号は荒波を滑るように進み、降り注ぐ魔力の矢を避けてみせる。

 逆恨みから始まった敵対行動にスヴェンはガンバスターを引き抜き、隣りに近寄ったミアが、

 

「逆恨みで危険を犯してまで復讐しに来るなんて……」

 

 困惑と戸惑いの感情を浮かべていた。

 無理もないだろう。このまま進めば悪魔の海域にティンギル率いる敵も突入することになる。

 時と場合を選ばない復讐、対象を確実に始末するならベストなタイミングとも言えた。

 絶えず集中砲火のごとき魔力の矢、そして下丹田の魔力を巡らせ詠唱の準備に入る荒くれ者にスヴェンはガンバスターの銃口を向ける。

 いつでもアンセムの指示で動ける。そう彼に視線を向ければ頷き返す。

 

「逆恨みで死ぬこともねぇだろ! いいかティンギル! これが最後の警告だ、引き返すなら見逃してやる!」

 

 アンセムの忠告にティンギルは忌々し気に眉を歪め、やがて視線がミアへと移る。

 一瞬だけ彼は呆け、やがて大声で告げた。

 

「そこの青髪美少女とメルテスを渡すなら見逃してやってもいいぜ!」

 

 話にもならない幼稚な要求にスヴェンはため息を吐き、そんな傍らでミアが頬に手を添え、

 

「モテるって罪だよね」

 

 そんな戯言を口にした。

 

「節穴の方が罪だろ」

 

「……じゃあスヴェンさんは節穴だね」

 

 自分が節穴かはさておき、ティンギルの要求にアンセムが呆れ顔で曲刀を掲げる。

 

「野郎共、このまま悪魔の海域に突っ込むぞ!」

 

「「「「「おおー!!」」」」

 

 アンセムの号令に船員が雄叫び、

 

「帆に風の魔法をかけろ! 前方のモンスターと落雷に気を付けろよ!」

 

 次の指示に船員が魔法を唱え、風の魔法によって帆が追い風を受け、速力を加速させる。

 そしてアンセムはこちらに非情な眼差しで指示を出した。

 

「スヴェン、頼んだ」

 

「了解した」

 

 指示を受けたスヴェンは、横一列に並びに魔法の詠唱に入った荒くれ者にガンバスターの銃口を向け、躊躇なく引き金を引く。

 ズドォォーーン!! 海上に響き渡る轟音、敵船の甲板に夥しい鮮血と肉片が飛び散る。

 魔力を流し込まず撃った.600LR弾の一発が横一列に並んだ荒くれ者達を貫く。

 敵船を襲った惨状に敵は恐怖に慄き叫び声をあげ、ティンギルの表情が青褪める。

 

「く、クソが! 他国の者がパルミド小国の国民を手にかけたんだ! これは外交問題になるぞ!」

 

 先に敵対行動に出たのは果たしてどちらなのか。そんな言葉を飲み込んだスヴェンはガンバスターを構え直し、前方から接近する気配に、前方に視線を向け海中から飛び出すモンスターを告げる。

 

「デビルシャークが来るぞ」

 

「あぁ、進路はそのまま!」

 

 後方から放たれる魔力の矢を避けながらプリンセスマーメイド号は、守護結界領域を抜け悪魔の海域に突入した。

 そこに歓迎する様に五体のデビルシャークがプリンセスマーメイド号の甲板に降り立つ。

 スヴェンは床を蹴り先頭のデビルシャークに迫り、ガンバスターに魔力を流し込み刃を薙ぎ払う。

 すると今までモンスターの障壁に阻まれていた刃は一瞬だけ障壁に止められるが、そのまま踏込み振り抜くと消耗がガラスのように破れた。

 エリシェの手によって完成されたガンバスターの性能に内心で称賛と喜びの言葉を浮かべ、無表情でデビルシャークの肉体を斬り刻む。

 先頭の一頭の肉体から魔力が粒子状に消え、甲板に遺体だけが残される。

 

 そして船員が次々とデビルシャークに立ち向かい、魔法が甲板状に炸裂した。

 デビルシャークの障壁が次々と音を立てながら破れるが、それでも人類を殺すべく槍で船員の横脇を突き刺す。

 

「ぐわ! ちくしょう!」

 

 槍の矛が引き抜かれ、船員の横脇から鮮血が流れ、甲板を血が汚した。

 横脇の出血に眉を歪める船員に、デビルシャークが槍を突きを繰り出すが、スヴェンはガンバスターの刃で弾きながら告げる。

 

「ミアの所に走れ」

 

「わ、悪りぃ、助かった」

 

 スヴェンはデビルシャークの胴体を両断し、視線を僅かに後方に向ければ、ミアの下に駆け寄った船員が彼女の治療魔法で瞬く間に癒された。

 同時にスヴェンは次々とアンセムを筆頭にした船員達によって討伐されるデビルシャークに眉を歪める。

 何かがおかしい。あまりにも簡単に討伐できてることにスヴェンは強い違和感に警戒心を抱く。

 

「どうしたの?」

 

 険しい表情に気付いたアシュナの疑問にスヴェンは周囲を見渡す。

 モンスターとまともに戦えるガンバスターの影響か、それともテオドール冒険団の実力が単純にデビルシャークを上回ってるのか。

 槍を装備した鮫型のモンスター、つまり本来本領を発揮すべき戦場は海中だ。

 うっかり落ちなければデビルシャークの領域に入るにことは無いが、同時に槍で船底に穴でも開けられれば大事になる。

 そう理解した瞬間、スヴェンはデビルシャークにとどめを刺すアンセムに告げた。

 

「船底の警戒はどうなってる?」

 

「あぁ、こんな時に備えて竜骨を含めた船底は強固な防護魔法陣で護られてんだ。その辺は心配しなくて大丈夫だ」

 

 事前に備えられた魔法にスヴェンが納得すると、突如デビルシャークの群れが続々と海中から飛び出す。

 口元に展開された魔法陣にいち早く気付いたスヴェンは、アンセムとアシュナの頭を掴みそのまま甲板に伏せる。

 同時に魔法陣から放たれた水鉄砲が頭上を通過していく。

 

「悪りぃ助かった……被害報告!」

 

「なんとか大丈夫だ!」

 

「こっちは大丈夫ですよ!」

 

 操舵手とミアの無事を告げる声と上手く水鉄砲を避けた船員達の無事の姿にアンセムは安堵の息を吐く。

 だがデビルシャークの攻勢は続き、後部甲板の後方から悲鳴が響き渡る。

 同時にデビルシャークの攻勢が収まり、後部甲板に駆け付けるとミアが悲惨な惨状に決して眼を逸らさず見詰めていた。

 後方から必要以上に追撃していた敵船の甲板に群がるデビルシャーク。

 そして次々と荒くれ者共の肩を食い千切り、血肉を無造作に甲板に吐き捨て、また別のデビルシャークは荒くれ者の腹部を鋭い突きで貫き、見せしめように貫いた荒くれ者ごと槍を空に掲げる。

 デビルシャークは甲板に溢れ鮮血で染め上げると、ついに船内にまで入り込む。

 

「惨いが、自業自得って割り切るべきか?」

 

「選択肢は十分に与えられた……判断を間違えればこうもなるさ」

 

 選択と判断を誤った敵船の結末に視線を向けていると、涙と恐怖に破顔したティンギルがプリンセスマーメイド号の面々に向けて手を伸ばす。

 

「た、助け……助けて助けて! 助けてくれ! 頼むから、頼むから助けてくださいっ!」

 

 必死に助けを乞うティンギルにアンセムが一瞬一歩踏み出すが、既にプリンセスマーメイド号は敵船と距離を引き離していた。

 

「馬鹿野郎がっ」

 

 アンセムの吐き捨てられた声に次々と船員が苦悶の表情に歪む。

 彼らは自身とは違う真っ当な思考と感性を持った者達だ。そんな彼らの隣でスヴェンはただティンギルを無感情に眺める。

 ティンギルの背後に槍を構え、魔法陣を展開したデビルシャークの群れが徐々に近付く。

 背後のモンスターに気付いてか、それでも必死に助けを求めてティンギルが叫び続けーー彼は背後から数本の槍で心臓を貫かれた。

 口から夥しい血を吐き出し、傷口から溢れ出る血。だがデビルシャークの行動はそれで終わらない。

 ティンギルの頭部を魔法陣から放たれた水鉄砲が貫く。

 ティンギルが引き連れた荒くれ者が全滅した瞬間と光景を背後に、プリンセスマーメイド号は依然と荒波を突き進む。



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12-7.三日目は憂鬱と共に

 ティンギル達が全滅した結果、テオドール冒険団に少なからず影を落とした。

 敵対したとはいえ、目の前で殺される彼をただ見てることしかできなかったことに。

 航海三日目。七月十日の朝、昨日と変わらず絶えず雷が海に落ちる。

 スヴェンは甲板で憂鬱な面で警戒に勤しむ船員達に息を吐く。

 昨日から四、五人組、二時間交代で休憩を交えながら警戒のために見張りに付いているが、自身を除いた全員の精神状況は思わしくない。

 その原因はティンギルの死だ。いくら敵対したとはいえ、彼らは少なからずティンギルを知ってる。だからこそ彼の死に想うところがあり、また結果的にだが見殺しにしたも同然の結果が彼らの心に痛みを齎した。

 この場に常人と外道の明確な違いが表に現れているが、それは悪魔の海域で致命的だ。

 魔法の発動は精神力と集中力に依存する。この状態では詠唱に集中するのは難しい。

 こんな状況だから何も起こらなければ良い。そんな思考は海中から接近する気配に断たられる。

 海中から飛び出す影にガンバスターを引き抜き、

 

「お出ましだ、死にたくなきゃ退がってろ」

 

 まだ気持ちの整理が付かない船員を強引にでも背後に退がらせる。

 そうでもしなければ全身が雷に覆われたモンスター。ウミナルカミに殺されるからだ。

 ただ戦えない彼らを責める気にはなれない。誰だって不安と恐怖、良心の呵責に苛まれ、そこに加えて交代制の見張り。

 精神など休まる筈も持ち直す時間も得られない。それではティンギルの死を忘れることなど出来ないだろう。

 

 ーーいや、他人の死を忘れるなんざ無理か。

 

 スヴェンは内心でそんな思考を浮かべながら、ウミナルカミに魔力を纏わせた刃を振り抜く。

 昨日のデビルシャークとは違い、ウミナルカミが展開する障壁に刃が阻まれる。

 群れを成すモンスターと単体行動のモンスターが展開する障壁の強度が違う。

 刃を受け止めた障壁から火花が散る中、個体ごとの違いに納得しながらそのまま刃を振り切る。

 斬撃が障壁に亀裂を入れ、ウミナルカミの雷が迸った。

 その瞬間スヴェンの頭上と足元に魔法陣が構築され、咄嗟に後方に飛び退く。

 すると頭上と足元の魔法陣から稲妻が同時に放たれ、そこにウミナルカミが全身を震わせると魔法陣から放電が溢れ、甲板に拡散された。

 スヴェンは跳躍することで足元を走る放電を避けるが、戦闘を見ていた船員達に放電が向かう!

 一瞬の判断が遅れた船員達は防御魔法を唱えるが、このままでは詠唱が間に合わない。

 スヴェンはナイフを引き抜き、上空から船員達の間に割り込ませるように投擲し、甲板に着地した。

 甲板に突き刺さったクロミスリル製のナイフが放電を受け止め、船員達は安堵の息を吐き、やがて武器を手にする。

 

「悪いスヴェン! この調子じゃ足を引っ張るだけだよな」

 

「頭で色々考えたけど、結局ごちゃごちゃ考えるより動くのが一番だよな!」

 

 どうやら彼らなりに切り替えられたようだ。

 

「なら援護してくれ……奴が雷雲に干渉しねぇとも限らねえだろうしな」

 

「よし、なら俺達は風で奴を妨害してやる!」

 

 言い終えるのが早いか、船員は詠唱を唱え魔法陣を展開する。

 展開された四つの魔法陣から発生した風がウミナルカミに纏わり付く。

 ウミナルカミの障壁に亀裂が拡がり、そこにスヴェンが再度ガンバスターの一閃を放つ。 

 魔力を纏わせた刃に障壁が砕けたーー刹那の一瞬、ウミナルカミの口元に圧縮された雷がレーザーの如く放たれた。

 雷のレーザーがスヴェンの左肩を貫き、傷口が高電流に焼き爛れ、血管内の血液を通し電流が全身を襲う。

 スヴェンの左肩を貫いたレーザーは後方で魔法陣を展開していた船員達をも襲い、悲鳴が甲板に響き渡る。

 

 ーーあー、久しぶりにレーザーをまともに喰らったな。

 

 彼は無意識の内に魔法によるレーザーの警戒を怠った代償だ。

 戦闘中に反応が一瞬でも遅れればどうなるのか、傭兵として積み重ねた経験がこう語る。

 下手をすれば頭を貫かれ即死、船員も巻き込まれて被害を出していた。

 傭兵として無様な状況を自分自身で自嘲気味に嘲笑う。

 これではレーナの依頼を達成することなど到底不可能だと。

 

「お、おい! 治療するぞ!」

 

 船員の言葉にスヴェンは耳を傾け、また口元に雷を圧縮するウミナルカミにガンバスターを構える。

 

「次が撃たれた瞬間、奴の直線上から離れろ。だがアレが広範囲に拡散、薙ぎ払われる可能性も捨てんな」

 

「お、おう?」

 

 スヴェンはウミナルカミが放つ三つの可能性を告げ、その場を駆け出す。

 対象を中心に周りを駆け出せば、ウミナルカミは身体の向きを変えることでこちらを追う。

 狙いは手負の自身に絞られていると理解したスヴェンは、そのままウミナルカミに接近を仕掛ける。

 その傍ら五人の船員が魔法を放つが、ウミナルカミは自身を放電させることで魔法を掻き消す。

 一瞬だけ意識が他者に向いた隙を見逃さず、スヴェンは距離を縮めた瞬間、また口元から雷のレーザーが放たれる。

 だがスヴェンは真横に跳ぶことでレーザーを避け、ウミナルカミに一閃放った。

 魔力を纏わせた一閃は空を斬り裂き、スヴェンの頭上に現れたウミナルカミが雷のレーザーを拡散させる。

 甲板に降り注ぐ拡散レーザーに船員が息を呑み込む。

 スヴェンは拡散レーザーを避けながらウミナルカミに跳躍した。

 近付けさせまいと絶えず撃ち続けられる拡散レーザーをガンバスターで斬り払い、雷で構成されたウミナルカミに魔力を纏わせた渾身の一撃を叩き込む。

 ガンバスターによってウミナルカミが真っ二つに斬り裂かれ、夥しい雷が放電される。

 雷は周辺に降り注ぎ、落雷がプリンセスマーメイド号を襲う。

 十秒ほど続いた最後の悪足掻きとも言えるウミナルカミの放電が止み、魔力が粒子状に離散し、ようやく雷が止んだ。

 同時に雷雲が晴れ、夏の日照りがプリンセスマーメイド号を照らす。

 戦闘を終えたスヴェンは急ぎ周囲を見渡し、目の前の光景に眼を疑う。

 

「……明らかに雷は直撃してたが、船が無傷だと?」

 

 雷が直撃すれば木造船の炎上は避けられない。

 しかしプリンセスマーメイド号の甲板は、雷を受けた事実などまるで無かったように傷など一つも無かった。

 

「へへっ、これがプリンセスマーメイド号の魔法障壁さ。これのおかげで船は落雷で炎上するなんて心配は無いんだ」

 

「頑丈な船で安心した」

 

 そんな軽口を叩けば、船員が陽気に笑い声を奏でる。

 ふと一人の船員が真顔を浮かべ、

 

「スヴェンには治療と言いたいところだけどよ……その傷は治せないなぁ」

 

 自身には治せないと告げた。

 雷のレーザーが左肩を貫いたが、雷の高温がとっくに傷口を焼き塞いでいる。しかしこのまま放置すればいずれ腐り落ちる

 こんな時こそ頼れるのはミアだ。

 

「ミアの所に行って来る……すぐに戻るがその間、見張りは頼んだ」

 

「任せておけ……結局ウミナルカミを任せてしまったからな、ついでに少し休憩でもして来い」

 

 ここは素直に言葉に甘えるべきだが、まだ一切の油断も許されない状況だ。

 

「いや、今度は単体とも限らねえから休憩は要らねえ」

 

 それだけ告げてスヴェンはミアの元に向かい、治療を受けるついでに小言を貰うことに……。



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12-8.無尽蔵の襲撃夜戦

 悪魔の海域航海、七日目の夜。

 見張りを交代したスヴェン達は遅い夜食を掻っ込むように口に運ぶ。

 あとは軽くシャワーでも浴びて休息に入るのだが、練日の活動に船員も慣れたのか陽気な声で語った。

 

「今日も大変だったな」

 

「デビルシャークとポイズンサーペントの同時襲撃……スヴェンと同じ当番で良かったと思うよ」

 

 そんな言葉をかけられたスヴェンは戦闘時を振り返る。

 最初の頃は援護にあまり期待できないと思っていたが、五日目となると彼らは適切な援護を行うようになった。

 ティンギルの死を忘れた訳では無いが死なないために、互いに船員を死なせない為に彼らは立ち直り、迷いや不安を払うことで本来の実力が発揮されるように。

 そのおかげで戦闘時には随分と助けられ、その分甲板で雑談する時間も増えた。

 

「俺も随分楽させてもらってる」

 

「そうかぁ? 魔力を纏った衝撃波とか瞬時にモンスターを背後から強襲とかさ、かなり動き回ってるから疲れたりしないの?」

 

「常に走り続けて戦うよりはマシだ」

 

 話しを聴いていた船員がそんな戦闘を想像したのか、

 

「それは……うん、考えるだけで気が滅入りそうだ」

 

 嫌そうに眉を寄せていた。

 孤島諸島に上陸すればそんな事も言ってられない状態になるが、今は言わぬが吉だ。

 スヴェンは敢えて続く苦難を隠し、同意を示すように頷く。

 そして食事も終え、そろそろシャワーでも浴びようかと全員が立ち上がった時ーー航海士のヨハンが慌てた様子で食堂に駆け込んだ。

 彼が顔面蒼白で息を荒げる様子に、何かが起こったあるいは厄介なモンスターが出現したのだと悟ったスヴェンは、背中にガンバスターを背負う。

 

「なにが有った?」

 

「で、出たんだ! ご、ゴーストシップがっ!」

 

 夜の海域にゴーストシップの出現、デウス・ウェポンでも人気な夏定番のホラーハウスを思い出しながらスヴェンは訊ねる。

 

「ゴーストシップってのは厄介なのか?」

 

「ゴーストシップそのものは魔法も物理攻撃も通用しない! 討伐するには中に潜むネクロマンサーを討伐しなきゃダメなんだ!」

 

 それはゴーストシップというよりはネクロマンサーと呼ばれるモンスターなのでは? スヴェンがそんな疑問を浮かべと、船内が激しく揺れ出す。

 

「体当たりでも受けたか!?」

 

「いや、そんなに強い襲撃は無いから魔法か弩砲かもしれないぞ!」

 

 

 今の見張り番はミアと航海士、そして二人の船員だが、ミアには遠距離から攻撃する手段が無い。

 アシュナも呼ぶべきか? そんな事を思案したスヴェンは船員に振り向く。

 

「まあ、ここに居ても仕方ねえ。俺は甲板に行くがアンタらは休んでて良いんだぞ?」

 

「おっとスヴェン、俺達の体力を舐めて貰っちゃ困るぜ!」

 

 船員達はやる気に満ち溢れ、強気な表情を浮かべていた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 増援のために甲板に駆け付ければ既に甲板は武装したスケルトンに溢れていた。

 そしてプリンセスマーメイド号の左舷に隣接するゴーストシップが視界に映り込む。

 破れ焦げた帆、鋭く大きな何かに貫かれ、反り返った甲板に溢れるスケルトンと船員だったと思われる亡者が呻く。

 何よりもゴーストシップが纏う冷気と恐ろしげな気配がスヴェンの隣に並ぶ船員達を恐怖させた。

 

「やっぱり休んでていいかな?」

 

 さっきまでの威勢は何処へやら。そんなツッコミを呑み込み、徐々に囲まれ始めるミア達に眉が歪む。

 ミアが魔力を纏った杖で棒術を繰り出し、スケルトンを蹴散らしているものの既に彼女の側は負傷者ばかり。

 そして続々と甲板に降り立つスケルトン。これでは幾らミアでも詠唱する隙が無い。

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、こちらに駆け付けるスケルトン共をまとめて斬り払う。

 

「……障壁を纏ってねぇな。亡者と同じ原理か?」

 

 メルリアの地下遺跡で召喚された亡者は障壁を展開することは無かった。

 だからこのスケルトンもネクロマンサーに召喚された存在と推測したスヴェンは、欠けた剣を杖で防ぐミアとその背後で槍を握り締め、彼女の背中を狙うスケルトンに気が付きその場を駆け出す。

 

「数が多いな! ヨハンは他の連中にも知らせてくれ!」

 

「分かってるけど、その前にっ」

 

 スヴェンがスケルトンの頭部を足場にガンバスターをミアの背中を狙うスケルトンに投擲し、

 

「『炎よ、屍を撃ち抜け』」

 

 ヨハンの詠唱によって魔法陣がプリンセスマーメイド号の甲板に形成され、火球が甲板に群がるスケルトンに爆ぜる。

 スケルトンが爆風に舞い、甲板に隙間を生み出す。

 スヴェンはスケルトンの頭部を砕いたガンバスターを拾い、ミアに欠けた剣を振り下ろすスケルトンを彼女の横から蹴り飛ばした。

 

「す、スヴェンさん、休息はいいの?」

 

 負傷した二人の船員とゴーストシップからプリンセスマーメイド号の甲板に飛び移るスケルトンの群れに息を吐く。

 

「こんな状況で休息なんざできるか」

 

「スヴェンさんには休んでて欲しいけど、でも危なかったから助かったよ」

 

「こんな時は素直に助けを求めんのが正解だ。それよりもアンタは負傷者を治療してやれ」

 

「うん、その間は援護をお願い」

 

 ミアはすかさず杖を構え負傷者に向けて詠唱に入る。

 

「『この者達に癒しの光よ』」

 

 そんな彼女にゴーストシップのスケルトンが弓矢を構え、矢を放つ。

 脳味噌が無いから知識など無いように思えるが、治療魔法の詠唱に入ったミアを即座に狙うあたり、スケルトンとはいえバカにできない。

 スヴェンはそんな事を考えながら飛来する矢を斬り払い、ついでに突進を仕掛けるスケルトンを纏めて薙ぎ払う。

 ガンバスターの刃にスケルトン共の骨が砕け散り、そこへ再び複数のスケルトンが武器を振り抜く。

 だが、横合いから放たれた疾風がスケルトンを吹っ飛ばす。

 

「ミアのおかげで復活!」

 

「覚悟しろ骨野郎!」

 

 魔法を唱えた船員が復活と共に斧を片手にスケルトンに駆け出した。

 

「あ、流した血と体力までは回復しないのに……」

 

「キリがねえんだ、少しでも手数は必要だろ」

 

「ゴーストシップを操るネクロマンサーを討伐しない限りは終わらなさそう……それに時間をかけてると他のモンスターまで来ちゃうよね」

 

 数に押されている状態で他のモンスター襲来など勘弁して欲しい。

 嫌な状況と想像にスヴェンは眉を歪めながら飛び掛かるスケルトンを拳で殴り骨を粉砕する。

 

「まあそこまで硬くねえからマシか」

 

「スヴェンさんにとってはそうかもだけど、私達は魔力を使わないと少し厳しいよ」

 

 それはそれで早急にネクロマンサーを討伐しなければ数の暴力によって全滅してしまう。

 戦場で何が怖いかと問われれば、一騎当千の強者は当然だが絶えず湧き続ける数の暴力が最も恐ろしい。

 ここが逃げ場の無い海上ならなおさらプリンセスマーメイド号の死守も必要だ。

 スヴェンが足を一歩踏み出せば、ゴーストシップの弩砲から魔力の矢と魔力の球が同時にプリンセスマーメイド号を襲う。

 甲板の左舷を魔力の球が直撃し、船体を激しく揺らす。

 

「うわ、きゃあっ!」

 

 揺れに足を取られたミアが咄嗟にスヴェンの左腕を掴むことで転倒を防ぐ。

 そこにチャンスと言わんばかりに嬉々として欠けた剣を振り下ろすスケルトンをスヴェンが睨む。

 ミアの身体を引き寄せ右腕でガンバスターでスケルトンを欠けた剣ごと砕く。

 

「危なかったぁ〜揺れには慣れたつもりだったけど、スヴェンさんもありがとね」

 

 ミアはそう軽く礼を告げながら左腕から離れ、駆け寄るスケルトンを魔力を纏った杖で殴り飛ばす。

 

「野郎共! 待たせたな!」

 

 アンセムの声と共に同時に炎の熱線が甲板に攻め込んだスケルトンだけを薙ぎ払う。

 一度に大量のスケルトンが炎の熱線に焼かれ、視界からスケルトンが消える。

 だがそれでもゴーストシップから無尽蔵とも思える数のスケルトンがまたプリンセスマーメイド号の甲板に飛び移った。

 そこに船内から飛び出した船員達がそれぞれの武器と魔法で迎え討ち、プリンセスマーメイド号の甲板が戦場になる。

 

「やっぱ内部のネクロマンサーを討伐する必要があるな。スヴェンは俺と来い! あとは誰を連れて行くべきか」

 

 アンセムに指名されたスヴェンが頷くと、その隣でミアが手を挙げた。

 

「私も行く! 治療魔法は必要でしょ?」

 

 確かにミアの治療魔法は無尽蔵に出現するスケルトンと亡者を相手にするなら必要だ。

 だがネクロマンサーを討伐すればゴーストシップは沈む可能性が高い。スヴェンはその確認を含めてアンセムに問う。

 

「ネクロマンサーを討伐したら船は沈むのか?」

 

「あぁ、廃船も奴の魔法で無理矢理動かされてるに過ぎないからな」

 

 沈むと判ってるゴーストシップにアンセムとミアを連れて乗り込むのはかなりリスクが有る。

 そもそもミアは泳げない。此処は有る程度海中でもガンバスターを振り回せる自身が率先して行くべきだ。

 

「ならアンタとミアも船の防衛に着いた方がいいだろ」

 

「バカ言え、船長として沈むと判ってる船に船員だけを送り出せるかよ」

 

 如何あっても船長であるアンセムはゴーストシップに乗り込む。彼の眼から向けれる硬い意志に説得は時間的猶予も無い状況では無理だ。そう判断したスヴェンは肩を竦めながらミアに視線を向ける。

 

「……スヴェンさんが担いでくれるよね?」

 

「泳げねえアンタを連れて行くほどバカじゃねえよ」

 

「なんだミアは泳げないのか、なら防衛に専念してくれ。俺とスヴェンで幽霊船デートツアーして来るから」

 

 戯けるアンセムにミアは落胆し、

 

「ゴーストシップ内部で驚くスヴェンさんが見れるかと思ったのになぁ」

 

 戯言を吐きながら接近するスケルトンを蹴散した。

 しかしスヴェンはミアの震える肩を決して見逃さず、

 

「なら来るか? アンタが腰を抜かせば俺は平気で置き去りにする」

 

「ごめんなさい! 本当は怖いからかなずちを素直に喜んでますっ!」

 

 スヴェンは背後に忍び寄るスケルトンに、振り向き様にガンバスターを斬り払い、アシュナに視線を向けた。

 二本の短剣で不機嫌そうに素早くスケルトンを斬り刻む彼女にスヴェンとアンセムは顔を見合わせる。

 素早く風の魔法も使えるアシュナならゴーストシップに乗り込んでもそこまで心配は無さそうだ。

 そう考えたスヴェンはスケルトンを斬り払いながらアシュナの下に駆け付ける。

 

「今からゴーストシップに乗り込むがアンタの手を借りたい」

 

 此処で手を借りると告げられたことが意外に思ったのか、アシュナは風の風圧でスケルトンを海に落としながら首を傾げた。

 

「一緒に行って良いの?」

 

「あぁ、いざって時はアンタがアンセムを強引にでも連れて離脱しろ」

 

 アンセムの安全を優先させると告げた途端、アシュナが不満気に頬を膨らませる。

 

「むっ、魔力を活性化させれば2人とも運び出せる」

 

 それはそれで大人二人が少女に担がれるのも如何なんだ? 

 スヴェンは僅かにアシュナに担がれる様子を想像し、同時にミアが大爆笑する光景も浮かぶ。

 そんなことになればミアを海に蹴り落とさない自信が無い。

 だが安全に脱出するにはそれも些細な問題であり、膨れるアシュナを納得させるのも一つだけだ。

 

「分かった、いざとなれば頼む」

 

「任された」

 

 スヴェンとアシュナはスケルトンを斬り伏せながらアンセムの下に駆け寄り、彼からスケルトンと戦う船員達に指示が飛ぶ。

 

「よし、突入は俺、スヴェン、アシュナで決まりだな。他の野郎共は防衛に専念! 骨野郎共を船内に入れんなよ!」

 

「任せてください船長! 他のモンスターも警戒しやすんで!」

 

「スヴェン! 船長を頼むぜ! 俺は操舵手として回避に専念するからよ!」

 

 そんな声を背中に受けながらスヴェン達は冷気を放つゴーストシップに乗り込んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ゴーストシップの崩れた甲板に群がるスケルトンとかつて船員だった亡者が一斉に襲いかかる。

 スヴェンとアンセムが武器を構える中、アシュナが魔力を巡らせ、

 

「『風よ斬り刻め』」

 

 詠唱と共に魔法陣が形成され、魔法陣から無数に等しい風の刃が縦横無尽にスケルトンと亡者を切り刻んでいく。

 魔法一つで甲板に居た敵が一掃された隙に三人は崩れたドアを蹴破り、船内に入り込む。

 だが一掃したにも関わらず甲板にスケルトンが再召喚され、狭い出入り口に駆け出した。

 

「アシュナ、魔法で塞いじまえ」

 

「ん、『風壁よ我が背後を守護したまえ』」

 

 アシュナの詠唱によって形成された魔法陣が、暴風の壁を作り出し出入り口を塞ぐ。

 そこにスケルトンが突破を試みれば、暴風によって身体が弾かれる。

 あとは船内の中層。そこから感じる魔力を辿り、ネクロマンサーを討伐するだけだが、船内の抜け落ちた床と脆く朽ち果てた通路に思わず眉が歪む。

 

「下手をすりゃあ足元が抜けるか」

 

 足元と内部に潜む敵を警戒しながら歩き出す。

 

「しかも船底は浸水してるだろうな……しかしまぁ、この船はいつのもんだ?」

 

 悪魔の海域で遭遇したゴーストシップは孤島諸島を目指した冒険家と安易に推測できるが、

 

「アンタの友人の船って可能性は?」

 

 二ヶ月前に消息不明になったアンセムの友人の船の可能性に付いて訊ねた。

 

「いや、それはねえな。アイツの船首は獅子を象ってるからな」

 

 首を横に振りながらそう答え、アンセムが真っ直ぐな足取りで先に進む。

 通路を進む中、大穴が生じた壁とその側で朽ち果てた無惨な骸が無造作に投げ捨てられていた。

 あらぬ方向に捻じ曲げられた全身の骨、甲板の大穴といいこの船が一体なにに襲われたのか。

 無惨な骸の横を通り抜けるスヴェンの腕を小さな手に引っ張る。

 視線をわずかに向ければ、アシュナが外に顔を向けていた。

 

「一面海だが、何か見えたのか?」

 

「ん。この大穴って何でできたのかな」

 

 如何やら彼女も大穴を作り出したモンスターが気になる様子。そこにアンセムが普段よりもトーンを落とした声で、

 

「キングクラーケンの仕業さ」

 

 短く答えた。

 キングクラーケンによって壊滅した冒険家が後を絶たず、そして沈没した船はネクロマンサーの移動船として利用される。

 万が一キングクラーケンに組み付かれた場合、脱出することも容易では無いだろう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 朽ち果てた通路を進み、中層に降りたスヴェン達を氷の矢が突如して襲う。  

 咄嗟にガンバスターの刃で飛来した氷の矢を斬り払うが、ガンバスターの刃が凍り付き銃口が塞がれてしまう。

 凍り付いたガンバスターの刃にスヴェンは舌打ちを鳴らし、最奥に居る装飾品を身に付け、ボロフードを被った骸のモンスター、ネクロマンサーを睨む。

 しかしネクロマンサーの魔力に意識を向ければ、魔力が消耗され弱ってる様子が見え、アンセムとアシュナが不思議そうに首を傾げた。

 

 --まさか、スケルトンと亡者の召喚、船の浮上や弩砲の操作によって魔力を消耗していた? んなバカな話が有るか?

 

 何度か眼を凝らしてネクロマンサーの魔力を視認すれば、やはりデビルシャークなど遭遇したモンスターと比較して魔力が消耗してる。

 だがネクロマンサーを討伐すれば船は沈む。そう考えれば身を挺した道連れに眉を歪む。

 スヴェンはアンセムとアシュナに視線を向け、

 

「障壁は砕く、アンタらはこの位置で援護してくれ」

 

 階段と近い位置。この場所なら二人が脱出する猶予は得られる。

 それに狭い一本道の通路で三人同時にネクロマンサーに向かうのは得策とは言えない。

 自身の判断が正しいということは無いが、優先すべきはアンセムとアシュナの無事だ。

 だからこそスヴェンは二人が有無を言う前に床を蹴り、ネクロマンサーの下に駆け出す。

 

「あ、おい! たく、しょうがねえなぁ」

 

 背後から聴こえるアンセムのぼやきを聞きながら、スヴェンはネクロマンサーに魔力を纏った一閃を放った。

 狭い通路の壁ごとネクロマンサーの障壁を刃が斬り裂き、スヴェンは愚かアンセムとアシュナまでもが眼を見開く。

 障壁を展開したにも関わらずネクロマンサーが横一文字に両断され、屍が粒子状に離散していく光景になんとも言えない沈黙が漂う。

 

 --消耗しすぎだろうがぁっ!!

 

 内心でツッコミを叫び、激しく揺れ壁の穴から海水が流れ始める。

 スヴェンは急ぎ駆け出し、先行するアンセムとアシュナを追いかけるように脱出を図る。

 階段を一息で飛び越え、天井が崩れスヴェンの道を塞ぐ。

 決して足を止めずガンバスターの刃で瓦礫を排除し、道を作ったスヴェンは通路を駆け出す。

 だが船全体が縦に傾き、アンセムとアシュナが堪らず転げ落ちた。

 

「おわっ!」

 

「落ちる!」

 

 浸水が進む中、スヴェンはガンバスターを鞘にしまい、転げ落ちる二人を掴む。

 そしてすかさず両脇に二人を抱えたスヴェンが一気に壁を駆け上がる。

 

「お前さんの身体能力ってどうなってんの?」

 

「壁を垂直……ミアに自慢しよ」

 

 浸水と船が沈む状態で二人が存外余裕そうだ。

 しかし垂直に壁を駆け上がったはいいものの、出入り口が先から浸水に追い付かれるのが先か。

 スヴェンは冷や汗を滲ませながら足に魔力を流し込む。

 そして壁を一気に蹴り上げ、壁を足場に蹴り進みながら出入り口を通り抜ける。

 完全に沈みかけたゴーストシップの上空に出たスヴェンは、プリンセスマーメイド号の甲板でこちらを見上げる全員に視線を向け--アンセムとアシュナを甲板目掛けで投げ飛ばした。

 

「おわぁぁ!!」

 

「んー!!」

 

 二人の悲鳴が夜の海に響く中、スヴェンの身体は海面に落下する。

 その瞬間、船員の一人が縄を放り投げ--スヴェンは縄を掴むんだ。だが引き戻しが間に合わずスヴェンの身体が海に落ちてしまう。

 水飛沫と水圧に呑まれる身体、水分を吸った衣服が重みを増す。それでも幸いなのはモンスターが付近に居らず、サイドポーチの完全防水と銃弾のプロージョン粉末が湿気にやられない点だ。

 

「スヴェンを引っ張り上げろ!」

 

「急げよ! モンスターが来ねえとも限らないんだ!」

 

 海中に沈んだスヴェンは船員達の手で救助され、

 

「ふぅ、海水ってのは相変わらず塩っぱいな」

 

 口に入り込んだ海水を吐き出し船員達の安堵の息が響き渡った。

 



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12-9.海域の悪魔

 航海開始から十日目の昼頃。視界に目的地の孤島諸島が見え、甲板の船員達が湧き立つ。

 

「野郎ども! ついに孤島諸島が見えて来たな! だが、油断すれば諸島の後ろに在る大瀑布に呑み込まれるぞ」

 

 アンセムの注意を促す言葉に船員達が気を引き締め、スヴェンとミアは孤島諸島を視界に納めながら息を吐いた。

 

「まだ油断はできねぇが、諸島は目の前だな」

 

「うん、やっとって感じもするけど……旅の終点も近いんだね」

 

 近付く旅の終点、そう告げるミアの顔は何処か寂しげだ。

 まだ上陸すらしていない時点で名残惜しむには気が早過ぎる。

 

「んな顔するにはまだ早えよ」

 

 それに問題はここからだ。ゴーストシップを襲ったキングクラーケンの存在が未だ確認できない以上、油断はできない。

 スヴェン達が警戒を浮かべる中、海面が突如と盛り上がりプリンセスマーメイド号を数本の巨大な触手が囲む。

 

「噂に聞いてたけど、デカすぎる!」

 

 触手一本一本がプリンセスマーメイド号のマストを遥かに超える太さと長さを誇り、それを叩き付けられれば幾ら魔法障壁で護られてるプリンセスマーメイド号でも沈没は避けられないだろう。

 甲板に居る全員が武器を構える中、荒狂う波に船体が揺れ、海面から巨大なモンスター……キングクラーケンが複数の眼球と悍ましく裂け開いた口を開いた。

 そしてプリンセスマーメイド号を見下し触手が唸る。

 

「野郎ども海の悪魔がお出ましだ! いいか? ここが踏ん張りどころだ、弩砲で触手を迎撃しつつ魔力を船首に一点集中させろ!」

 

 アンセムの素早い指示が飛ぶ中、スヴェンはガンバスターの銃口を触手に向けた。

 キングクラーケンの触手を一つでも減らし、船の逃げ道を確保する。

 まともに相手をせず孤島諸島に上陸を果たしたいが、進路はキングクラーケンに阻まれそれも叶わない。 

 ならば責めて触手を減らすことが先決だ。

 スヴェンは魔力を流し込み.600LRマグナム弾に魔力を込める。

 そしてスヴェンはプリンセスマーメイド号の右舷に位置する触手に向けて引き金を引いた。

 

 ズドォォーーン!! 銃声と共に風を纏った銃弾が一本の触手に向かう。

 同時に弩砲から魔力の矢が触手に降り注ぐ。

 風を纏った銃弾が触手を貫き一本の触手が海に沈む。どうやら触手まで魔力障壁は纏っていないようだ。

 スヴェンが様子を伺いながらガンバスターを構える中、魔力の矢が次々に各触手に突き刺さるが--貫通力が足らず触手を減らすことは叶わなかった。

 それでも魔力の矢を受けた触手が動きを止めるあたり、決して通りが悪いわけでは無い。

 スヴェンが次にキングクラーケンの本体に眼を向ければ、複数の眼球に魔法陣が浮かび上がる。

 あれは拙い! 瞬時に理解したスヴェンはアンセムに視線を送り、

 

「操舵手! 右に面舵! 野朗ども、帆に風を送れ! 全速力で触手の包囲を抜けろ!」

 

 こちらの意図を理解したアンセムの素早い指示に船員が行動で答え、風の魔法が帆に風力を与える。

 加速したプリンセスマーメイド号が触手の包囲に空いた穴を抜けた瞬間、キングクラーケンの眼球から大量の赤い閃光が撃たれた。

 赤い閃光が水面を掠めた海面が蒸発し、蒸気が立ち昇る。あの場にプリンセスマーメイド号が留まっていれば如何なっていたか。

 なおも撃ち続けられる赤い閃光がプリンセスマーメイド号を貫き、船は炎上しながら沈んでいた。

 

「今の魔法、眼球一つ一つに膨大な魔力を圧縮させてた」

 

 ミアが声を震わせながら、どう放たれた魔法なのか簡潔に告げる。

 

「でもあの魔法も恐ろしいけど、触手から魔法を使われないとも限らないよ!」

 

 確かにミアの言う通りだ。触手と眼球による魔法攻撃の可能性がまだ残ってる以上、どんな時でも油断は禁物だ。

 触手に加えて眼球一つ一つを潰しては埒が開かない。

 それは頭で理解してるが、本体を叩こうにも先程の魔法攻撃が接近を躊躇させる。

 船の速度、距離とキングクラーケンの赤い閃光の発射速度。接近を仕掛けるには先ずキングクラーケンの眼球を潰すほかない。

 

「アンセム、とっておきってのは時間がかかるのか?」

 

「あぁ、魔力が貯まるまで4分はかかる。だが問題はキングクラーケンを直線に捉えねえと意味がねぇ」

 

 キングクラーケンの直接に入れば、逃げ場のない赤い閃光の集中砲火に船がやられる。

 しかしこの距離ならガンバスターの射撃も充分に届き、アシュナとアンセムや船員の魔法も合わせれば眼球をある程度減らすことは可能だ。

 

「なら触手に注意しつつ奴の眼を減らすしかねぇな……あとは海中から触手に捕まらねえようにすることか」

 

「あぁ、船の速度を維持しつつ、大瀑布の引潮に引っ張られねえようにもしねえとな」

 

 スヴェンとアンセムの会話を聴いていたアシュナ達が素早く動き出す。

 

「『風の刃よ、斬り刻め』」

 

「『爆炎よ、爆ぜろ』」

 

「『水流よ、貫け』」

 

 アシュナ、ヨハン、メルテスの詠唱が甲板に響き渡り、形成された魔法陣がキングクラーケンに向け、魔法を放つ!

 風の刃、火炎球、水鉄砲が同時にキングクラーケンに迫る中、対するキングクラーケンは魔法陣を展開させ、三種類の魔法を魔法陣で防ぐ。

 巨体だからこそ動きが鈍いのか、それとも様子見で魔法陣による防御に移ったのか? スヴェンはキングクラーケンの行動を観察しながらガンバスターの銃口を向ける。

 

 ズドォォーーン!! 氷を纏った銃弾が真っ直ぐキングクラーケンに飛来し--銃弾がキングクラーケンに届く前に二本の触手が本体の前に割って入る。

 銃弾が二本の触手を貫き、断面を凍結させながら弾頭がキングクラーケンの障壁に防がれた。

 だが障壁が凍結し、そこにアンセムが炎を纏わせた曲刀の先端を向けていた。

 

「要は貫通力があればいいんだな?」

 

 曲刀の先端に圧縮させた炎を一転集中させたアンセムが、刺突を放つことで圧縮させた炎の熱線を解き放つ。

 キングクラーケンに迫る炎の熱線にまたも触手が割って入り--熱線が触手を蒸発させながら障壁を貫き、高温の温度に曝された水面が蒸気を生じさせる。

 蒸気によってキングクラーケンにアンセムの魔法が直撃したのか、隠された結果にスヴェン達は眉を歪める中、プリンセスマーメイド号は速度を維持したまま進む。



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12-10.怒涛の悪魔

 アンセムの魔法によって生じた水蒸気が消え、そこにキングクラーケンの姿は見えず。

 彼の魔法でキングクラーケンを討伐できたならどんなに気楽か。

 キングクラーケンが炎の熱線だけで討伐できたなら悪魔の海域で被害は続出しない。

 それをテオドール冒険団の全員が理解していた。

 スヴェン達は互いに顔を見合わせ、即座に水面に警戒を向ける。

 大瀑布に向かって流れる水面、プリンセスマーメイド号を流されまいと操舵手が舵を切る。

 

「奴の触手はあと何本だ?」

 

 アンセムの問い掛けにスヴェンはアーカイブの記録を思い出す。

 通常のイカは触足八本と触腕が二本と言われてるが相手はモンスターだ。それに触手を根本から削ったわけじゃない。

 

「普通なら全部で十本らしいが、モンスターに常識は通じんのか?」

 

 特にあの胴体の眼球と大きな口がもはやスヴェンの知るイカとはかけ離れている。

 そこを含めてミアに視線を向ければ、ミアは杖を握り締めながら答えた。

 

「えっと、触手が全部で十本なのはイカと変わらないよ。それに近年の調査記録によるとキングクラーケンは戦闘中に欠けた触手を再生させることは無いと言われてるわ」

 

 触手を盾にされこちらの攻撃を軽減されることは減ったが、残りの触手は五本だ。

 まだ触手によって防がれ、障壁に阻まれると思えば油断もできない。

 スヴェンはどう攻めるかガンバスターに視線を落とすとアンセムがミアに語りかける。

 

「それを聞いて安心だが、海中であの魔法を使われる可能性は?」

 

「それは有り得るよ。だから水面が沸騰をはじめたら回避するしかないかも」

 

 確かにそれが現実的な方法だが、あの熱線の速度と射程範囲を前に視覚外からの魔法攻撃に対する対応は困難だ。

 特にプリンセスマーメイド号の真下からともなれば。

 嫌な汗が額から流れる。なるべく考えたくも無い状況を前に、アンセム達の頬が引き攣る。

 

「水面は如何なってる!?」

 

 船員の一人が甲板から身を乗り出して水面に顔を向け、

 

「なんとも無い? キングクラーケンは諦めたのか?」

 

 変化が訪れない水面に胸を撫で下ろした矢先、一人の船員の背後にキングクラーケンの触手が揺れ動く。

 アンセムが『離れ!』と告げるよりも先にスヴェンがガンバスターの銃口を向ける。

 そして躊躇なく触手に.600LRマグナム弾を撃った。

 船員の頭上を魔力を纏った弾頭が通過し触手を貫く。

 海面に崩れ落ちる触手、背後から響き渡る驚愕の声と海を掻き分ける水面の音が響き渡る。

 視線を背後に向ければミアに伸びる触手にスヴェンが駆け出す。

 彼女の華奢な身体を貫かんと触手が迫る中、スヴェンはガンバスターを盾にミアの前に割って入った。

 魔力を纏った触手をガンバスターの腹部分で防いだ瞬間、身体が宙に弾き飛ばされ、海上に投げ出された。そう理解した時にはミア達の悲痛な表情が視界に映り込む。

 

「スヴェンさんがっ!」

 

「縄をスヴェンに!」

 

 アンセムが指示を出す中、スヴェンは海中から魔力を巡らせるキングクラーケンと眼が合う。

 

「アンセム! 魔法攻撃が来る、その場から離れろ!」

 

 魔法陣の形成に移るキングクラーケンの行動を告げれば、彼の表情が苦悩に染まる。

 だが、それは一瞬で彼はすぐさま判断を下す。

 

「回避行動に移れ!」

 

 指示を受けた操舵手が舵を切り、海中から飛び出す触手を避けながらキングクラーケンからプリンセスマーメイド号を離す。

 船長として的確な判断とそれに応える操舵手にスヴェンは舌を巻きながら、こちらに振り向けられる触手に身構える。

 幸い身体は上空に投げ出されたおかげで、海面に落下するまで僅かな距離と猶予が有る。

 スヴェンは迫り来る触手に眼孔を鋭くさせ、距離を離すプリンセスマーメイド号の位置と距離を瞬時に測った。

 同時に魔法を放たんと魔法陣を形成させるキングクラーケンに銃口を向ける。

 触手が迫る中、スヴェンはガンバスターに魔力を纏わせ、反動軽減魔法陣を切り引き金を引く。

 銃口から炎を纏った弾頭が放たれ、同時にスヴェンは身体に襲う反動を利用し、空中で姿勢を触手に向ける。

 弾頭がキングクラーケンの胴体を直撃し、炎がキングクラーケンを燃やす。

 そして振り下ろされる触手にスヴェンは身体を大きく拗らせ、寸前の所で触手を避けるが--巨大な触手から放たれた風圧がスヴェンを襲う。

 風圧がスヴェンの腹部を抉り、血飛沫が海面に降る。

 刃で斬られるよりも、より激しい激痛が襲うがそれでもスヴェンは姿勢を崩さず、触手の上に着地した。

 滑る触手に魔力を纏ったガンバスターの刃を突き刺し、そのままプリンセスマーメイド号に向けて足を滑らせる。

 そしてスヴェンは助走を利用し、触手を足場にプリンセスマーメイド号に飛ぶ。

 だがキングクラーケンが海中から姿を現し、眼球に形成した魔法陣をスヴェンに向ける。

 

 --コイツは避けられねえな。

 

 スヴェンがプリンセスマーメイド号と距離が近付く中、キングクラーケンの魔法陣から赤い光が溢れ出る。

 

「本体に集中砲火を浴びせてやれ!」

 

 アンセムの怒声を合図にプリンセスマーメイド号の甲板から魔力の矢と様々な魔法がキングクラーケンに飛来した。

 後方の魔法陣と前方の弾幕にスヴェンは息を吐き、同時に魔法陣を足場に駆け付けるアシュナに度肝を抜かれる。

 

「ん、掴まって」

 

 差し伸ばされた腕を掴めば彼女は足場の魔法陣から暴風を発生させ、風圧の勢いでスヴェンごとプリンセスマーメイド号の甲板まで落下した。

 スヴェンは受け身を取り、アシュナを脇に抱えながら着地した瞬間、抉られた腹部から血が流れ出す。

 

「危ねぇ。魔法陣にあんな使い方が有ったのか」

 

「この間、投げ飛ばされた時に思い付いた方法」

 

 甲板に立ち上がったアシュナが無表情でとんでもないことを口走るが、それを実行に移す知識と機転、そして度胸がアシュナに備わってることに舌を巻く。

 

「スヴェンさん、感心するのはいいけど治療が先だから!」

 

 即座に駆け寄り治療魔法を唱えるミアを他所に、スヴェンは集中砲火を浴びるキングクラーケンに視線を移す。

 炎を纏った.600LRマグナム弾とアンセムの炎の熱線による火傷跡を目に、確実に効いてるのだと判断した。

 だが幾ら軟体とはいえ、水圧で威力が軽減してることも踏まえキングクラーケンの胴体を貫くことは不可能だった。

 過去にデウス・ウェポンの海中に潜む潜水艦アダマンタイトを貫いた火力を有してるが、それはキングクラーケンの胴体が潜水艦アダマンタイト以上に硬いのか、それとも防御魔法による影響か。

 どちらせよキングクラーケンは巨体も含めて頑丈に他ならない。

 

「奴は頑丈だな」

 

 集中砲火を浴びて魔法攻撃を中断してるところを見るに効いてはいる。

 効いてはいるが、決定打に欠けてるのも事実だ。

 

「如何やって倒したらいいのかな?」

 

 未だ健在のキングクラーケンをどう倒すか。そんなミアの疑問にスヴェンは頭の中で浮かぶ方法を口にする。

 

「外が頑丈なら内部を爆破させるか、高い貫通力を持った一撃を叩き込むって手も有る」

 

 前者はまた接近する必要性が有り、ハンドグレネードをあの口に放り込む以上現実的とは言えない。

 後者はそんな魔法が使えれば既に誰かが使用してる。

 ふと魔力が集中する船首に視線を向け、プリンセスマーメイド号のとっておきならどうかと思考が向く。

 治療魔法によって腹部の傷が完全に塞がるとスヴェンは立ち上がり、

 

「アンセム、とっておきの方はどうなんだ?」

 

「魔力は充分貯まってるが、船を奴に向ければ集中砲火が途切れる……ぶちこむにも危険な賭けだな」

 

「確かに奴と真正面から撃ち合いになれば船が無事で済まねえか……触手の方はどうなんだ?」

 

「そいつならお前さんが斬り裂いた触手で最後だ」

 

 また触手に囲まれる心配は無い。そう理解したスヴェンはガンバスターを握り締め、集中砲火を大人しく浴びるキングクラーケンを睨む。

 なぜ海中に逃げない? いくら魔法と魔力の矢によって集中砲火を浴びてるとはいえ、決して動けないわけではない筈だ。

 キングクラーケンの行動の理由にスヴェンはすぐさま船員の魔力に意識を向ける。

 すると減り続ける魔力と討伐できない焦りから精神力が乱れはじめていた。

 同時にキングクラーケンの思惑に、性格の悪さが伝わる。

 

「アンセム、奴の狙いは消耗だ」

 

「……考えたく無かった最悪の状況だな」

 

「あぁ、獲物が勝手に弱るってのは狩人にとって都合の良い状況だろ」

 

「嫌な例えだが、今の状況は正にそれだな……傷は大丈夫か?」

 

「問題ねぇ。傷よか船員の消耗を心配しろ」

 

 そう告げればアンセムは曲刀を構え、焦り出す船員の様子に眼を伏せる。

 ここでどう判断をするにしても行動しなければ状況の打開は困難だ。

 かと言って船長として下手な行動にも出られない。それは単なる同行してるスヴェンに推し量れないプレッシャーが彼に重くのしかかっていることだけは理解が及ぶ。

 判断を誤れば全滅する可能性が付き纏う以上、アンセムが慎重に思考を巡らせるのも無理はない。

 自身もこんな状況で最良の判断が下せるかと言われれば、重責も含めて難しい。

 アンセムが頭を悩ませる間にキングクラーケンに変化が訪れる。

 複数の眼球は充血したのか、真っ赤に染まり胴体が熱気を発しながら紅く染まり出した。

 そして悍まし口を大きく開き、海水を吸引させるように呑み込みはじめ、船が引き寄せれはじめた。

 

「くっ! 賭けに乗るしかねえか! 操舵手! 相棒の船首をキングクラーケンに向けろ!」

 

「っ! アイアイ船長!」

 

 どうするか察した操舵手が面舵を切り、引き寄せられる船の横転を防ぎながら船首をキングクラーケンに回頭させる。

 巧みな舵捌きと波の動きを読んだ操舵手の力量に誰もが脱帽する中、キングクラーケンがついに複眼の魔法陣から赤い閃光を放つ。

 そこにアシュナが駆け出し、

 

「『暴風よ、水面を巻き込め』」

 

 瞬時に魔法を唱え、発動させた魔法が海水を巻き上げ赤い閃光の直撃を防ぐ。

 だがすぐに魔法は赤い閃光によって相殺され、キングクラーケンの魔法陣がまた赤く輝きだす。

 

「この距離なら……」

 

 銃口を構えたスヴェンが魔法陣を形成する複眼に照準を定め、引き金を引く。

 

 ズドォォーーン!! 早撃ちによる射撃によって四発の銃声が響き、キングクラーケンの四箇所の複眼を魔力が纏った弾頭が貫く。

 僅かな間隔を空け四箇所の複眼が潰されたキングクラーケンが咆哮を叫び、海面が激しく波立つ。

 怒り狂ったキングクラーケンが欠けた触手を海面に叩き付けながら再度魔法陣に魔力を流し込む。

 弾切れになったガンバスターのシリンダーを左横にずらし、瞬時に六発の.600LRマグナム弾を再装填する。

 再び銃口を構えれば、アンセムの詠唱が響き渡った。

 

「『圧縮されし魔力よ、いまこそ解き放たれん』」

 

「『我が船の敵を、巨体を撃ち抜け』」

 

 彼の詠唱に船首のマーメイドの魔法陣が圧縮させた魔力を形成させる。

 船員の魔力を集結させ圧縮された魔力が振動し、海面を激しく揺らす。

 キングクラーケンが船を沈めんと赤い閃光を撃つが、スヴェンが撃ち抜いた複眼は全てプリンセスマーメイド号を射程に捉える位置だった。

 失った複眼から赤い閃光が撃たれず、プリンセスマーメイド号に赤い閃光が掠めることも無かった。

 潰された複眼に魔法陣が形成できないと気付いたキングクラーケンが、海中に潜ろうと巨体を沈めだすが、時既に遅く--プリンセスマーメイド号の魔法陣が圧縮した魔力を放つ。

 高密度に圧縮された魔力の閃光がキングクラーケンの胴体を貫き、巨体に風穴を穿つ。

 

「すごい威力っ」

 

 一隻から放たれた魔法にミアが息を呑み、キングクラーケンが魔力を散らしながら海中に沈んでいく。

 巨体を構成する魔力が海面から空へ粒子状に散る様子をしばらく眺め、ようやくそれが治った頃に船員達の歓声が甲板に響き渡った。

 

「しゃぁっ! あのキングクラーケンを討伐したんだ!」

 

「船長! 俺達はやったんだな!」

 

 キングクラーケンの討伐に喜ぶ船員にアンセムは、大きくため息を漏らす。

 

「野郎ども、俺達の目的はなんだ? わざわざキングクラーケンを討伐しに悪魔の海域を進んだのか?」

 

 本来の目的がなんなのか、冷静に問い掛けるアンセムに船員達は落ち着きを取り戻した。

 

「孤島諸島に眠る財宝!」

 

 船員の誰かが叫んだ解答にアンセムが頷き、孤島諸島に視線を向ける。

 

「船の状態を確認後、上陸する。だが諸島の探索は俺はもちろんだが、スヴェン、ミア、アシュナ、この四人で行うとする」

 

 船員の消耗と船の護りを考慮した船長判断に船員は拳を握り締めた。

 共に上陸できず探索にも同行できない悔しさを滲ませる彼らにスヴェンは眼を背ける。

 事実彼らにはもう魔力が残されていない。休息による魔力回復が必要なのは当然とも言えた。

 そしてプリンセスマーメイド号は孤島諸島の海岸に停泊し、スヴェン達は孤島諸島に上陸を果たした。

 視界一面に広がる森とモンスターの鳴き声、そして中央に悠然と佇む古代の遺跡、森を抜けた先に見える大瀑布とその上空に浮かぶ浮遊群、何処を目指すにも先ずは森を突破しなければならない。

 テオドール冒険団の声援を背にスヴェン達は歩き出した。



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第十三章 孤島の秘宝
13-1.オルゼア王と来訪者


 スヴェン達が孤島諸島に上陸した頃。

 オルゼア王は書類に眼を止め、不意に訪れた気配に眼を向けた。

 そこには緑の衣に吟遊詩人を彷彿とさせる装い、そしてかつて絶滅したエルフ族の血を引いた耳長の男性が申し訳なさそうな苦渋に満ちた眼差しを向けていた。 

 ミルディル森林国のカトルバス森王にオルゼア王は動じた様子もなく語りかける。

 

「謁見の申し出も公的手続きもない来訪……友よ、貴公の国で何が起こった?」

 

「すまないオルゼア王、我が息子シャルルの婚約者が人質に取られた」

 

 シャルル王子とその婚約者リーシャ。王族と平民出の婚約発表をミルディル森林国の国民は誰しもが祝福したのは記憶に新しく、レーナと共に祝福の言葉を贈ったのも一昨年の話しだった。

 彼が立場と身の危険を犯してまで内密にこの場所に訪れたということは、邪神教団が動き出したに違いない。

 オルゼア王はそう当たりを付けながら彼に問う。

 

「首謀者は邪神教団、あの者達か?」

 

「……今更何を語ろうとも言い訳に過ぎぬが、シャルルとリーシャの外交帰りを邪神教団に襲撃され、リーシャが攫われてしまった」

 

 苦しげに語るカトルバスにオルゼア王は眼を伏せた。

 王族たるシャルル王子が人質なら、その血筋と立場から人質としての価値も高い。

 逆に言えばリーシャは血筋だけを見るなら人質としての価値が薄い。そんな彼女をわざわざ人質に取ったのは連中が自身やカトルバスが民を簡単に切り捨てられないと理解してるからだ。

 カトルバスにとってリーシャは息子の婚約者であると同時に王が護るべき民の一人だ。だからこそ簡単に切り捨てられない苦悩と心情も察せられる。

 問題はリーシャを人質にして何を要求したかだ。

 

「友よ、連中に何を要求されたのだ?」

 

「……要求は三つ。リーシャとの婚約破棄、封印の鍵の譲渡、そしてレーナ姫との婚約締結。それが邪神教団の要求だ」

 

 それを聴いたオルゼア王は自身の耳を疑った。

 封印の鍵の譲渡が要求されるのはまだ理解が及ぶが、なぜそこでリーシャと婚約破棄をさせ、我が娘レーナと婚約締結になるのか。

 考えられる目論見は、理不尽な婚約締結によるレーナを慕う国民の暴走誘発。

 同時にリーシャも平民出身ではあるがシャルル同様に国民から愛され祝福された娘だ。

 ミルディル森林国の国民とエルリア魔法大国の国民による衝突の可能性。

 その可能性が有る以上、レーナもシャルルも邪神教団の要求を呑んでしまう。

 それに経緯はどうであれ王族同士が一度決めた婚約を破棄するとなれば、レーナとシャルルの経歴に傷が付く。

 それでも二人の性格と国民を想う気持ちを理解してるからこそ導き出される結論の一つだ。

 邪神教団の目論見はエルリアとミルディル森林国の武力衝突、それが無理でも王族二名の殺害か。

 そこまで推測したオルゼア王は一国の君主としてカルバトスに問う。

 

「要求を呑めばレーナとシャルル王子が、拒めばリーシャと国民同士の衝突か。この件はこちらからレーナに告げるが、友が内密に訪れたのだ。他にも有るのだろ? なぜ連中は戦力に関して何も要求せぬ?」

 

 リーシャに各国の戦力派遣を阻止する程の人質価値が無いと理解した上か、それとも別の企みが有ると判断したオルゼア王に、

 

「ミルディル森林国の兵が時期を見てエルリアの領土に進軍する。軍隊の運用に対してもリーシャには人質としての価値が薄い……いや、かなり無茶な要求では有るが連中は貴国との武力衝突を望んでいる」

 

 申し訳なさそうに告げれるカトルバスにオルゼア王は眼を伏せた。

 エルリア北部は現在邪神教団が率いる魔族の部隊と国境線で牽制中。そこに南部にミルディル森林国から進軍されればエルリアは北と南に挟まれる。

 エルリア魔法騎士団の戦力なら両軍を相手にすることも可能だが、恐らくそれだけで邪神教団は事を起こさない。

 エルリアを攻め込む準備が整ったと判断したオルゼア王はため息を吐く。

 

「南の国境線に騎士団を配備、ただ戦力を集中させるだけでは要らぬ誤解を招く、今回は行合同訓練の名目として発令するとしよう」

 

「すまない。こちらも邪神教団の眼を欺き、リーシャ救出を進めるつもりだ。……レーナ姫には今回の件になるべく関わらせたくは無いのだが」

 

 国内で起きたリリナ嬢の件も有る。シャルルかリーシャが邪神教団にすり替わってないことを祈るばかりだ。

 

「……シャルル王子を兄と慕うあの子なら決して見過ごすことはせぬだろう」

 

 それこそ誰に似たのか、偽りの身分を用意して自ら事の解決に奔走してしまうだろう。

 

「兄か、今でもその心が変わらぬならレーナ姫は動くのだな」

 

「うむ、しかし時期が悪過ぎる。魔王救出に異界人が動いておるが、救出が叶うまでこちらも大きくは動けん」

 

 アシュナとグランデ大使から孤島諸島に出航したとの報告が有る。

 無事に孤島諸島に辿り着いてるのかという問題も有るが、スヴェン達は表向きでは死亡した扱いになっている。

 それにカトルバス森王の行動が邪神教団に監視されてるとも限らない。

 

「そういえば友よ、監視の眼はどうしたのだ?」

 

「それなら影武者がわたしの代わりにシャルルの側に居る」

 

「あの者か。まだ懸念事項も有るが、今はレーナの采配を信じるしか他にあるまい」

 

「レーナ姫が召喚した異界人……我が子の婚約者とアルディアの命運を賭けるには、いや、わたしが不安を吐き出すのは御門違いだな」

 

 一国を担う君主として異界人が信用できないのは無理もない話だ。

 ふとオルゼア王は魔法時計に視線を向ければ、既にクルシュナ副所長が訪れる時刻が迫っていた。

 

「時に友よ。この部屋にクルシュナが来るのだが、貴公はしばらく城に滞在するとよい」

 

「すまない、隠し通路を使い貴殿の部屋で待てば良いんだな」

 

 幼少期にちょっとした悪戯でエルリア城内に造った秘密の隠し通路を知るのは友人の彼のみ。

 オルゼア王が過去を懐かしむとカトルバス王が執務室の床に隠された隠し通路に姿を消した。

 それから程なくしてクルシュナが執務室を訪れ、回収したアンノウンの死骸と研究成果によって判明した詳細報告を受たオルゼア王は、にやりと口元を歪めるのだった。



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13-2.森の残骸

 無事に孤島諸島に上陸を果たしたスヴェン達は森に足を踏み込み、木々に遮られた道を進んでいた。

 日差しは遮られ、薄暗さと所々に散らばる人骨が不気味な空気を醸し出す。

 見慣れた死体にスヴェンは我感心せずを貫き、モンスターの気配に気を張る。

 

「ここに辿り着いた冒険家か、それとも先住民の遺体か。スヴェン、お前さんはどう観る?」

 

 アンセムに人骨を指差され、意見を求められたスヴェンはようやく人骨に視線を向けた。

 蔦が絡み付いた人骨はモンスターに襲われたにしては、目立った損傷も無い。ただ死亡してから相当年月が経過してるか、少しでも触れれば崩れてしまいそうなほどに風化していた。

 孤島諸島の原住民か、それとも大瀑布の上空に浮かぶ浮遊群が何か関係してるのかは判断材料不足でなんとも言えないのが現状だ。

 だがそれでも考えられることは有る。

 

「運良く辿り着いたは良いが伝染病にやられたか。モンスターか動植物の毒にやられたって線も考えられるな」

 

「なるほど。木に生ってる木の実、果物は見るかに美味そうだな」

 

 アンセムの視線の先を見上げれば、そこには紅い果実と木の実が生っていた。

 一見美味そうには見えるが、毒を持ってる可能性も高い。そう考えたスヴェンは、アンセムにやめておけと視線で訴える。

 

「分かってるよ、毒の有無が確認されない限り食おうなんて考えないさ」

 

 戯れるように語るアンセムを他所にミアが杖で木を叩くことで揺らし、紅い果実と木の実が地面に落ちた。

 彼女はそれを拾い上げ、紅い果実の匂いを嗅ぎ眼を細めてからこちらに向き直ると。

 

「ナイフを貸してください」

 

 言われてナイフを引き抜き、柄の部分を向けて差し出すとミアは紅い果実の枝を摘み、ナイフを紅い果実に突き刺した。

 すると溢れ出した透明な果汁から強い酸性の臭いと地面に垂れた酸が草を枯らし地面を溶かす。

 酷い刺激臭にアンセムとアシュナは鼻を摘み、溶けた地面に眉を歪めた。

 万が一紅い果実を一口でも齧れば口内はたちまち酸性によって溶かされただろう。

 ミアは果汁がこびり付いたナイフを人の居ない方向に振り刃をハンカチで拭き取るが、ハンカチはたちまち溶けて彼女の手から残骸が落ちる。

 

「酸性を含んだ果実か、とんでもねえな」

 

「お気に入りのハンカチが……でも危険だって知れたこととクロミスリル製が耐えられるのも収穫じゃない?」

 

 確かにミアの言う通り、クロミスリル製のナイフには溶けた様子も無い。

 

「スヴェンさんの世界でこういう果実は存在しなかったの?」

 

「流石にそれは記録されてねぇな。ただひと口舐めればあの世逝き確定の果実が何種類か記録されてるぐらいか」

 

「物騒だなぁ。にしてもミア、お前さんも肝が据わってるというか。よくナイフを刺そうなんて思い付いたな」

 

 感心を浮かべるアンセムにミアは愛想笑いを浮かべて答えた。

 

「ふふ、ラピス魔法学院の授業で未知の果物を発見した時の対処法を習ってますから」

 

「へぇ、エルリアの学校じゃあそんなことも教えるのか。魔法だけじゃないんだな」

 

「新しい魔法を作り出すにも雑学や他の専門的な知識が必要になりますからね。要は魔法のために様々な知識も学ぶんです」

 

 確かにラピス魔法学院の教育方針は理に適ってるようにも思えるが、スヴェンは遠くから聴こえる足音に耳を研ぎ澄ませガンバスターの柄に手を伸ばす。

 いずれにせよこの場所で悠長に話しをしてる余裕は無さそうだ。

 

「モンスターと遭遇する前に此処を離れるか?」

 

「そうだな、上陸時に見えた遺跡も気になるが……先ずは大瀑布の方を目指すか」

 

 アンセムは懐から羅針盤を取り出し、針が指し示す方向に歩き出した。

 それに続くように歩みを再開させると、不意に森の奥から奇妙な視線を感じたスヴェンはそちらに視線を向ける。

 向けた視線の先、木々が生い茂り小動物が動き回る程度で視線の正体は見当たらず。

 

 ーー人か? それとも二ヶ月前に此処を目指した連中か?

 

 アンセムの友人という冒険家達が訪れた可能性にスヴェンは、上陸時に船が見当たらないことに生存は絶望的だと考えた。

 仮に上陸できたとしても肝心の船が破壊され、この孤島諸島に取り残された。その可能性を充分に思案しながらスヴェンはミアとアシュナの背後を歩き出す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 モンスターと遭遇を避けながら森を進むこと一時間が経過。

 荒れた獣道、草木を掻き分け進むと開けた場所に出た。

 そこはかつて人が住んでいた名残りなのか、見る影もないほどに朽ち果てた建物らしきものが至る所に点在し、崩れた古い井戸にアンセムが呟く。

 

「此処は昔村だったのか?」

 

 今では見る影も、かつて人が住んでいた面影もない廃村をスヴェンは静かに見渡す。

 

「廃村と遺跡、いつの時代のもんだか」

 

「うーん、遺跡を調べてみないことには分からないけど、ここで手掛かりはちょっと期待できなさそうだね」

 

 地面に視線を落とせば、人が訪れた足跡らしき物は無く、代わりに小動物らしき足跡から大型の足跡が地面に残されていた。

 

「……アイツの手掛かりも無さそうだな」

 

 何処か彼らの生存を期待していたのか、アンセムは少しだけ落胆気味に肩を落とした。

 単なる足跡なら雨風で流され、他の足跡に踏み消された可能性も充分に考えなれる。

 

「結論を急ぐには早いんじゃねえか? 死体と船の残骸が見つからねえ限り全滅したとは限らねえだろ」

 

「おっ、元気付けてくれてんのかい? まあお前さんの言う通りかも知れないがアイツのことは冒険のついでさ」

 

 アンセムと彼の友人がどんな間柄、何も知らないスヴェンがアンセムの強がりをどうこうする気にはなれず、わざとらしく肩を竦めた。

 

「それで折り合いが付くなら何も言わねえさ」

 

 アンセムにそれだけ告げ、廃村の中を歩き始めるとアンセムがついて歩き、

 

「そういえば傷の具合はどうなんだ?」

 

 キングクラーケンの触手に抉られた腹部の傷に付いて訊ねられた。

 その傷はミアの治療魔法によって完璧に癒え、戦闘に支障をきたすほど血を流したわけでも無い。

 

「アイツの治療魔法のおかげで平気だ」

 

「普通なら何日もかけて治療する傷の筈なんだけどなぁ。……いや、質問を変えるべきか?」

 

 何やら邪推した眼差しにスヴェンは嫌そうに顔を顰める。

 アンセムとは悪魔の海域航海中に酒を飲む程度にはそこそこの交流を重ねたが、彼が改めて何を聴きたいのかは、視線がちらちらとミアに向いてることから彼女に関係したことなのは明白だ。

 スヴェンは地面に埋もれかけた古い羊皮紙を見付け、腰を下ろしながらアンセムに耳を傾ける。

 

「ミアをキングクラーケンから庇ったお前さんを見ると女は惚れちまいそうになるよな。それに彼女は負傷するお前さんを随分と気にかけてる様子だ」

 

 古い羊皮紙を地面から掘り起こしたスヴェンは、穴だらけでまともに読めない文字にため息を吐き、

 

「治療魔法に秀でたアイツは孤島諸島の探索にも必要だろ? それに戦闘中に陣営の被害を抑えんのも普通だ。アイツが無事なら人死は減る」

 

 傭兵らしい思考で答えればアンセムは眼を細めた。

 

「ミアのことはお前さんにとって人材の1人ってことか?」

 

「冷たく言えばそうなるが、アンタが気になるような関係性でもねぇよ。なんなら口説きてぇなら好きにしろ」

 

「いや、俺は巨乳美女が好きでな。ってかお前さんを含めてこのままテオドール冒険団に居て欲しい。自由気儘な冒険ってのも悪い話しじゃないだろ?」

 

 人殺しの外道が自由気儘な冒険家生活を手にしたらどうなるのか。それは何の縛りも無くなった殺人鬼を野放しにすること同義だ。

 そんな外道だからこそ傭兵は戦場という居場所と雇用主に縛られる必要が有る。

 それにレーナの依頼を請けてる最中で彼の誘いに乗る気にはなれない。

 

「そいつは無理だな」

 

 酒場で出会った時にアンセムはこちらの素性をある程度は察していた。

 だからなのかアンセムは残念そうに肩を竦めるだけで、深く勧誘することはせず、

 

「で? 実際にお前さんから見たミアはどうなんだよ」

 

 懲りずにそんな事を聴いてくる。

 それでいて決して周囲に警戒を緩めないあたり流石だ。質問は非常にくだらなく鬱陶しいこのうえないが。

 正直に言えばミアのことは喧しい細胞再生装置だと内心で思ってる。

 ただそれを口すれば背後で聴き耳を立てているミアの反感を買うのは目に見えていた。

 

「どうと聞かれてもなぁ」

 

 だからスヴェンははぐらかすように肩を竦め、ついでに拾ったボロボロの羊皮紙をアンセムに譲る。

 彼はそれを受け取りながら話しを続けた。

 

「何か有るだろ? かわいいだとか色々とこう、な? 例えば尻が小振りでかわいいとかさ」

 

「アイツをかわいいだとか思ったことはねぇが、治療魔法と学院で習った知識は頼りにしてるさ」

 

「あー、なるほどねぇ。……一応聞くがお前さん、好みの女は居るか?」

 

 そんな質問にメモ帳と羽ペンを取り出す音が聞こえた。

 モンスターがいつ襲撃するかも分からない状況でやけに余裕たっぷりだ。

 それとも旅を重ねるうちに妙な方向で度胸が付いたと思うべきか。スヴェンはミアとアシュナの様子にため息を吐きながら自身の好みに付いて思案した。

 

 ーー判んねぇ。

 

 異性に対する好みと聞かれても、そもそもなぜ人が人を好きになるのかが人を観察して表面上でしか理解ができない。

 他人が本来持つ感情の動きと変動、愛情やそれに至る感情の動きが何一つ理解できない以上、アンセムの望む答えは得られないのだろう。

 

「さあ? 好みだとか考えたこともねぇな」

 

「なるほど、恋愛に興味無しか」

 

「あぁ、それよりもそのボロ紙は財宝としての価値はあんのか?」

 

 拾った羊皮紙に付いて訊ねれば、アンセムはにやりと口元を緩めた。

 

「孤島諸島で回収したボロ紙を財宝として観るのは、考古学者なんかだ。そいつらがコイツの価値を決めるのさ」

 

「確かにその辺に転がる物の価値は専門家それぞれだわな」

 

 アンセムは頷き、顔を真っ直ぐと大瀑布の方向に向けた。

 

「そろそろ移動するか。このまま進めば遺跡に到着するが、先に大瀑布を見に行っても構わないか?」

 

 孤島諸島の先に位置する大瀑布がどれほどの規模なのか。それは上陸してから気にもなっていたことだった。

 

「俺は構わないが、2人はどうだ?」

 

「私も構わないよ。あの浮遊群の浮上の時に出来たかもしれないしね」

 

「ん、この島は気になる」

 

 特殊作戦部隊所属のアシュナが気になること。それは先程森で感じた妙な視線のことか?

 

「森で感じた視線。アンタも気付いてたのか?」

 

「人とは違う視線だったから」

 

 アシュナも感じていたとなれば、孤島諸島には何が潜んでいる。

 遺跡の調査と瑠璃の浄炎の入手を妨げる障害の可能性を捨て切れない以上、正体を探るべきか。

 スヴェンはアンセムに視線を向けると、彼は考え込む素振りを見せ、

 

「……人じゃない何かか。モンスターなら真っ先に襲いかかるよな」

 

 彼のボヤキに三人は同時に頷いた。

 人外か、知性の高い動物か。それとも孤島諸島に棲み付いた竜種の可能性も捨て切れない。

 スヴェン達は妙な視線を頭の隅に、大瀑布を目指して歩き出した。



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13-3.大瀑布の先に見えるもの

 廃村を通り抜け大瀑布を目指しながら森を直進すれば、モンスターが木々を掻き分け目の前に姿を現した。

 虎に似てるが、漆黒の毛並みと凶悪な牙と爪。そして尻尾が剣のように発達したモンスターにスヴェンとアンセムが武器を構える。

 エルリアとパルミド小国で遭遇したことも無いモンスターに自然と警戒心が強く浮かぶ。

 

「他に気配はねぇが、単独か」

 

「頑丈な障壁と森の中……炎と雷は拙そうだな」

 

 まだ全体を把握していない森の中、おまけにモンスターが蔓延る中で火災は避けたい。

 スヴェンはガンバスターに装填した.600LRマグナム弾にうっかり魔力を流し込んで撃たないように注意を払いながら目前のモンスターに駆け出した。

 魔法を撃たれる前に先に障壁を砕く!

 ガンバスターを右薙に払った直後、尾剣が刃を弾く。

 すかさず尾剣による刺突が頭部目掛けて放たれ、ガンバスターで弾き返す。

 スヴェンが一気に間合いを詰め、魔力を込めた一閃を放つ。

 障壁に亀裂が入り、そこにアンセムが魔力を纏った曲刀で障壁を斬り裂く。

 

「グルルル」

 

 障壁が破られたことにモンスターが呻り、地面に魔法陣を形成するもーーそれよりも速くアシュナが魔法を唱え、風の刃がモンスターの胴体を貫き鮮血が舞う。

 それでもまだ動けるモンスターが負傷を厭わず魔法陣の形成に魔力を注ぎ込む。

 させるか。スヴェンは魔力を纏わせたガンバスターの刃でモンスターの首を両断し、鮮血と共にモンスターの肉体から魔力が抜け出る。

 スヴェンがすかさず周囲に警戒を移せば、森を移動する小動物が走り抜けるばかりでモンスターの遠吠えこそ聴こえるが付近に気配は無い。

 そんな中、地面に遺された遺骨の一部をアンセムが拾い上げ荷物にしまう。

 

「随分あっさりだったな」

 

 確かに魔法を抜きにしてもさっきのモンスターはウミナルカミと比較して楽な部類だった。

 二撃で砕ける障壁と詠唱の長さ、何処か人と戦い慣れていない印象すら懐くがーーモンスターに経過不足ってあんのか?

 楽な部類と言えども相手はモンスターだ。三日程度で再び出現するモンスターを相手に安全地帯の無いこの場所で戦闘を続けるのは得策とは言えない。

 

「数で攻め続けられりゃあ面倒だ……そういやキングクラーケンと戦闘から立て続けに行動してるが、アンタらの魔力はどの程度残ってんだ?」

 

 念の為に三人が使える残りの魔力を問い掛ければミアが握り拳を作って見せながら、

 

「私はたいして消耗してないから大丈夫だよ」

 

 まだまだ大丈夫だと告げた。

 

「俺は魔法をあと4回使えるぐらいか」

 

 額に汗を浮かべながら答えるアンセムとは対照的にアシュナは無表情で胸を張って答えた。

 

「ん、まだまだ余裕」

 

「そうか。森ってのも有るがアンセムは魔法を控えた方が良さそうだな」

 

「流石にプリンセスマーメイド号に魔力を注ぎ込み過ぎたからなぁ、お言葉に甘えさせてもらうぜ」

 

 彼の戯けた口調に頷き、確認を終えたスヴェン達は歩みを再会させる。

 

 ▽ ▽ ▽

 しばらく森を歩き続けると次第に滝壺の音が耳に届き始め、音を頼りに進むとようやく森を抜け、既に空が夕暮れに染まっていた。

 孤島諸島の最奥の沿岸部に辿り着いたのか耳に激しく響く滝壺の音。その方向に向かって進むと目の前の光景にスヴェンは言葉を失う。

 夕焼けに染まり、上空に浮かぶ浮遊群と視界一面に広がる大瀑布。

 何処まで大瀑布が続いてるのか。少なくとも空に浮かぶ浮遊群の面積と目前の大瀑布を比較したところで、浮遊群によって出来た大瀑布ではないことが判る。

 スヴェンが一人で大瀑布に付いて考え込むと、同じく言葉を失っていたミアが声を絞り出した。

 

「すごく綺麗な光景……こんな時に魔道念写器が有れば良い思い出と資料にもなったのになぁ」

 

「失敗したな、多少出費してでも魔道念写器を買っておくべきだったか」

 

「言葉にできないけど、なんかすごい」

 

 三者三様の言葉にスヴェンはただ呆然と大瀑布を眺めていた。

 思い出には興味は無いが、大瀑布を超えた先に一体なにが在るのか。

 この先には何も無いのかもしれない。そんな言葉が頭の中で浮かんでは消え、やがてスヴェンは大瀑布の底を覗き込む。

 流れ落ちる滝と水飛沫によって底は到底見えない。

 

「空の浮遊群と大瀑布、もしかして孤島諸島の本来の姿は広大な大陸だったのかな?」

 

 ミアの疑問にスヴェンは視線を真正面に戻し、息を吐いた。

 

「だとすりゃあ、大陸を丸ごと破壊した跡ってことにもなるが……竜王がやったか?」

 

「うーん、封印戦争真っ只中とかだと有り得る話しだけど、アトラス神と邪神の戦闘余波で大陸が跡形も無く消し飛んだなんて伝承も残ってるぐらいだから何とも言えないし、天変地異かもしれないよ」

 

 どの可能性も有り得る話で、幻影とはいえ竜王を見た今では現実味が帯びていて笑えない。

 人類の手に負えない超常的な存在は何よりも恐ろしい。

 

「魔法技術が発展しようが簡単に滅びる要因が有るってのは、何処の世界も変わらなねぇな」

 

「お前さんの異世界にも興味は有るが、ここまで進んで来たけどよ……先祖が持ち帰れなかった財宝ってのは案外この情景かもしれないな」

 

 宝の価値は人それぞれだとアンセムは前に語った。

 確かに彼の言う通り、この光景に対して金を幾ら出すとと問われれば大金を支払う物も居れば銅貨数枚を出す者も居るだろう。

 少なくともスヴェンにとっては異世界で見た光景の一つだが、メルリアの遺跡で見た壁画同様に心が刺激されたのも事実だ。

 それだけに記憶に残せないのは惜しいとさえ思えた。

 ただそれも帰還を目的に動く自分にとっては切り捨てるべき物だ。

 スヴェンはそんな思考を浮かべながらアンセムに訊ねる。彼は次は何処を目指し、冒険に出るのか。

 

「アンタは次の目的が決まってんのか?」

 

「おいおいスヴェン、まだ気が早いぞ? 俺はまだ遺跡を調査してねえ。そこに在る試練や財宝もまだ目にしちゃあいないんだぜ? 次を決めるのはそれが終わった後だ」

 

「珍しくせっかちなスヴェンさんだね」

 

「たまにはそんな時も有るさ」

 

 そんな冗談を戯けるように告げればミアとアンセムが小さく笑い、隣から空腹を告げる腹の虫が鳴った。

 視線を向ければ無表情でこちらに訴えかけるアシュナと目が合う。

 

「……お腹空いた。一度船に戻るの?」

 

 孤島諸島はそこまで広くは無さそうだが、今からプリンセスマーメイド号に戻るとなれば途中で夜になる。

 かと言ってこの場で野営をすれば、モンスターの襲撃時に背後の大瀑布に転落しないよう気を使う必要が有る。

 逆に言えばモンスターに囲まれる危険性は避けられ、警戒範囲も絞り込める点で言えば森よりは気楽だ。

 

「今から船に戻ったら夜になるな。スヴェン、お前さんならどうする?」

 

「灯も無く夜の森を進むのは危険だ。大瀑布から多少離れたところで野営すりゃあ多少の警戒は楽か……大瀑布からモンスターが現れねえとも限らねえがな」

 

 その意味では孤島諸島に居る限り何処にも気の休まる安全な場所など無い。

 だからこそ守護結界の有り難みが強く実感できる。

 

「無理に森を進めば暗い中でモンスターの襲撃か。安全性を考慮してここで野営だな」

 

「安全ってなんですかね?」

 

 ーーモンスターの生息地域にそんなものは無い。

 

 内心で浮かんだツッコミを飲み込んだスヴェンは、早速アンセムと野営の準備に入った。

 その日はアンセムが用意していた獣肉の干し肉、パン、ドライフルーツで済ませ、スヴェンとアンセムの交代でモンスターを警戒することに。



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13-4.アンセムとミア

 フクロウの鳴き声とモンスターの遠吠えに目を覚ましたアンセムが欠伸を掻く。

 テントの中でどれぐらい寝たのか。確認のためにテントから出ると月明かりと焚き火に照らされるスヴェンと目が合う。

 スヴェンがすぐに視線を外すが、底抜けに冷たい眼に一瞬だけ肝が冷え喉が鳴った。

 十日も苦楽を共にしたと言うのに彼の冷え切った感情には未だ馴れない。

 無表情でガンバスターの柄を握り締めたスヴェンから近場に視線を移すと、側にモンスターの遺体が転がっていた。

 彼一人でモンスターを討伐したのか? それにしても戦闘音もモンスターの気配も感じなかったが……。

 

「お前さんが1人で討伐したのか?」

 

「あぁ、気配を消し暗闇に紛れる類のモンスターだったからな」

 

 稀に気配を感じさせないモンスターが居るとは話には聴いていたが、スヴェンが居なければどうなっていたことか。

 寝てる間にそのまま死んでいたなんてことに成りかねなかった。

 

「声をかければ良かったろ」

 

「対応しつつ起こそうとしたが、障壁が脆かったんだ」

 

 どうやらスヴェンは普段通りにモンスターと戦闘したが、存外モンスターが纏う障壁が脆く意図せず簡単に対処できてしまった。だから起こさなかったのだと理解したアンセムは焚火の前に腰を下ろす。

 

「そろそろ交代だ」

 

 彼の眼はまだ交代に早いと語っていたが、遺跡の探索を踏まえたのか、

 

「……そうさせて貰う」

 

 こちらの意図を読んでガンバスターを背中の鞘に納め、そそくさとテントの中に入っていた。

 可愛げは一切感じられないが、警戒心が強く後先のことを慎重に考えているところは冒険家としても好感が持てる。

 できればこのままテオドール冒険団に迎入れたいところでは有るが、彼は頑なに首を縦に振ることは無い。

 彼の本質は仕事を最優先にしているからだ。

 どんなにいい条件でもスヴェンを誘うのは無理だと完全に諦めたアンセムは周囲を見渡した。

 

 ーー周りに野郎共が居ないってのも馴れないな。

 

 テオドール冒険団の部下の声が聴こえないことに一種の寂しさが芽生える。

 アンセムは寂しさを振り払うために満天の星空を見上げ、遮る浮遊岩にため息を吐く。

 

「いい肴になるんだがなぁ」

 

 酒の一つでも有れば寂しい夜を紛らわせれるが、生憎と酒は船長室だ。

 アンセムが残念そうに肩を竦めると、

 

「あれ? アンセムさんでしたか」

 

 テントから出て来たミアが意外そうな視線を向けていた。

 

「お前さんも起きたのか。……スヴェンと密談でもしたかったか?」

 

「うーん、そう言う訳じゃないんですけど、なんだか急に眼が覚めちゃいまして」

 

 交代時の物音で目が覚めたのか、それとも見張りがスヴェンから自身に代わったからなのか。

 アンセムは恐らく後者だと考えた。

 彼女は首都カイデスまでスヴェンとアシュナと三人で旅をし、見張りはスヴェンが担当していた。

 そこに彼女は安心感を覚え、野営でもぐっすりと休むことが出来ていたのかもしれない。

 

「見張りがいつもと違うってのも有るかもな」

 

「それは……そうなのかもしれませんが、偶に目が覚めることって有るじゃないですか」

 

 確かにミアの言う通り偶にそんな日も有る。

 ただ彼女は揶揄うと反応が面白いとメルテスから聞き及んでいる。

 ここは一つ不躾とは思うが、恋愛面やスヴェンとの関係を揶揄ってみるか。

 

「そういえばお前さんは俺とスヴェンの会話に耳を澄ませていたが、スヴェンの好みが気になったのかい?」

 

 戯けるように聞けば、ミアは焚火を挟んで対面に座りながら愛想笑いを浮かべる。

 

「おや、アンセムさんは如何してそんなことを聞くんですか? それとも私に少なからず気が有るのでしょうか?」

 

 彼女の向ける笑みはスヴェンとアシュナに向ける笑みとは明らかに違う。 

 率直で裏表のない気心知れた相手に向ける感情だ。

 だから少なくともスヴェンに好意が有るのではないか? 

 

「俺からお前さんにその気は無いが、むしろお前さんはスヴェンに少なくとも気が有るじゃないかと踏んでるんだ」

 

 思い切って踏み込んでみればミアは嫌な顔をせず、なるほどと納得した表情を浮かべる。

 そして彼女は一息吐いてから答えた。

 

「私はスヴェンさんをよく知りません。例えば異性の好みも過去も、だからお2人の会話に耳を澄ませたんです」

 

「よく知らない? スヴェンはお前さんにも自分のことをあまり話さないのか」

 

 少なくともスヴェンはミアとアシュナには気を許していると感じていたが、それは自身の根本的な勘違いだったか。

 アンセムが眉を歪めるとミアは呆れたようにため息を吐く。

 

「スヴェンさんはご自身がどんな人間かとか異世界に付いて少しは語りますけど、過去を話そうとはしないんです」

 

 スヴェンのあの眼は真っ当な人生を歩んではいない。それは付き合いの短い自身でも判る程だ。

 だから純粋なミアとアシュナには自身の過去を話そうとはしない。スヴェンが線引きしてると察したアンセムは息を吐く。

 仮に自身の過去を話したとして、聴いた者はどう反応を示すか。

 共感、拒絶、同情、無関心のいずれかだ。

 スヴェンはそのいずれかの感情を他者に抱かれることを煩わしく思っているのだろうか?

 それは本人に聞かなければ判らないことだが、恐らくスヴェンははぐらかすか黙りを決め込む。

 

「スヴェンが過去を話そうとしないってのは、まあ男にも色々と有るからなぁ」

 

「それは判るんですけどね、でも薄々は感じてたんですよ? スヴェンさんって恋愛に興味がないどころか、愛情そのものを理解してないんじゃないかって」

 

 ミアは胸こそ哀れなことになってるが、容姿は華奢で小顔、長く伸ばされた綺麗な青髪も合間って可愛い。

 そんなミアをスヴェンは人材として見ていた。

 人目を惹きつけるミアの容姿よりも彼女の能力を重要視してることから薄々そうじゃないのかと思っていたが、愛情を理解していないなら恋愛感情が浮かばないことに得心する。

 

「俺達の想像にも及ばないことが、スヴェンの過去にも色々有ったんだろうな。で? 話しは戻るがお前さんはどうなんだ? 結構アイツに護れてときめくことだって有るだろ」

 

「異性としてよりも、私にとってスヴェンさんは頼りになる大人ですよ。……そりゃあまぁ、偶にときめくこともありますけど、所詮は吊り橋効果ってヤツですので純粋な好意とは違うように思うんですよ」

 

 ミアは年相応に恋愛に興味を持っていると思えば、意外と恋愛面に関して冷めた一面を見せる。

 

「それに恋愛ってちょっと分からないです」

 

 愛想笑いから一転して今のミアが見せる表情は、複雑なのもだった。

 それだけで少なくともスヴェンを今の関係で終わらせたくない。その意志だけは感じられる。

 

「なら質問を変えよう。スヴェンとはどんな関係になりたいんだ?」

 

「……相棒の関係が良いですね」

 

 ーー恋愛感情は無いが、相棒として支えたいのか。

 

 男女の関係で言えば不思議とも思えるが、一つの共通に向かって進むならその関係がスヴェンにとっては一番良いのかもしれない。

 

「スヴェンの相棒か。認められるといいな」

 

 一人の大人として応援の言葉をかけるとミアは、

 

「あっ、実はそれとなく聞いたんですけど相棒は要らないと言われました」

 

 そんなことを平然と言ってのけた。

 

「傷を抉って悪かった」

 

「大丈夫ですよ。スヴェンさんのことは勝手に支えることにしましたから」

 

 ミアの心の強さにアンセムはただ呆然と夜風を浴びる彼女を前に声を失う。

 気軽に踏み込んだ自分が何よりも恥ずかしい。

 

「どうしたんですか? 恋愛の話ならアンセムさんはどうなんです? まさか、自分だけ聴いて逃げるなんてことはしませんよね?」

 

 ーー歳頃の少女は意外と手強いなぁ。

 

 アンセムは逃がさないっと眼で語るミアに深く肩を竦めた。

 

「お嬢ちゃんには濃厚で情熱的な大人の恋愛体験話はちょっと早いぞ?」

 

 そう告げるとミアは何かを想像したのか、すぐさま顔を真っ赤に染めて立ち上がる。

 

「あ、えっと、眠くなって来たのでまた寝ますね!」

 

 そう言って逃げるようにテントの中に入り込む。

 また静寂に包まれ、火が弾ける音と風の音が虚しく響き渡る。

 アンセムは交代の時間が訪れるまで警戒を続け、ただ暗い森を眺めるのだった。



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13-5.伝説眠る古代遺跡

 七月十八日の昼前、スヴェン達は森の中心に佇む古代遺跡に到着していた。

 木々の蔦に覆い尽くされた古代遺跡は古い時代からこの地に存在していたと悠然に物語り、ミアが感慨深いため息を吐く。

 

「此処に考古学者が来たらきっといつの時代の物か考察が始まりますね」

 

「いいねぇ、ロマンを前に雄弁に語り合う考古学者達の姿! 想像しただけで心躍る!」

 

 ミアの言葉に同意を示し、楽しげに笑うアンセムを他所にスヴェンはそんな光景を少しだけ想像してみた。

 考察を語り合う考古学者と彼らをモンスターから護る護衛。

 軽く想像すれば、背後でモンスターを対峙する護衛、そんな彼らの背中で嬉々として熱弁を繰り広げる考古学者の姿を幻視したスヴェンはなんとも言えない表情を浮かべる。

 

「モンスターだらけでの環境で護る身にもなって欲しいもんだ」

 

 同時に視線を出入り口に移せば、周囲は無数の蔦に覆われてるものの肝心の出入り口だけは、何者かに蔦が除去されたのか比較的綺麗な状態だ。

 

「……誰かが先に到着したのか? いや、船は見当たらなかったな」

 

 孤島諸島の海岸に見当たらなかった船はキングクラーケンに沈められたのか。

 その可能性も有る以上、遺跡内部に誰かが生存してる可能性も充分に考えられる。

 アンセムの友人か、それとも盗掘集団か。

 

「アンタはどっちの可能性が高えと考える?」

 

「アイツ……ゾルゲ・ヴァルグラムの可能性か、盗掘者か。俺はゾルゲの可能性に賭ける。なんせ此処まで航海術を持ち腕の立つ部下を従えられるのはアイツ以外に有り得ない」

 

 アンセムの言うゾルゲが無事なら合流して探索も考えられるが、果たして二ヶ月も孤島諸島で生き抜けるのか?

 自身の疑問でアンセムの期待に水を差すのも偲ばれる。

 スヴェンは自身の疑問をぐっと飲み込むことで遺跡の出入り口に歩んだ。

 スヴェンが重々しい石の扉に触れた瞬間、扉が勝手に開き内部の燭台が一斉に灯り出した。

 

「歓迎されてんのか?」

 

 警戒心を剥き出しにガンバスターの柄に手を伸ばし、灯りではっきりと視認できる幅広い一歩道の下階段に注意を向ける。

 同時に内部から無数の唸り声が出入り口まで轟き、そこに混ざるように、

 

『やっと人が訪れたぁ』

 

 男とも女とも判別が付かない声が聴こえる。

 古代遺跡から聴こえた謎の声にちらりと背後に顔を向ければ、青褪めたミアと期待に胸を含ませるアンセムとアシュナの様子にスヴェンはなんとも言えない頼もしさを感じた。

 

「さっきの声は天使か?」

 

「う、うーん、遺跡に眠る亡霊の声かもしれないよ? ほら天使ってアトラス神の僕で神秘的な種族だからあんな悪戯はしないと思う」

 

 あの声にははっきりと生を感じた。だから亡霊の可能性は低いようにも思えるが、魔法によって再現された声ならミアの言う通り亡霊の可能性も捨て切れない。

 

「天使ってのはよく判らねえが……俺とアンセムが先頭を歩く。アシュナは最後尾に付け」

 

「私が真ん中なのは護り易い位置かつ全体を素早く治療できる位置だからだね」

 

 ミアの早い理解にスヴェンは相槌を打ち、アンセムに視線を向ける。

 

「遺跡の調査経験は?」

 

「調べ尽くされた遺跡ぐらいならな。異界戦争時の遺跡なんかは入らず仕舞いだったし、経験に関して言えば少ない。そう言うスヴェンはどうなんだ?」

 

「メルリアの地下遺跡ぐれぇで遺跡探索は経験がねぇ」

 

「観光地の地下遺跡か。初心者冒険家が伝説に挑むには心許ないな!」

 

 笑うアンセムにスヴェンは、全くだっと同意を示しながら笑って返す。

 そして隊列を組んだスヴェン達は燭台の灯りに照らされた下り階段を降り進んだ。

 その先に奇妙な視線を感じ取り、視線の下へ眼を向ければやはりそこには誰も姿は無くむしろ石壁のみだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 視線の件を念頭に階段の終点に到着したスヴェンは、足を止めて幅広い左右の別れ道に眼を細める。

 魔力に意識を集中させ魔力の流れを視認するも、石壁や天井、床には魔力が流れるだけで魔法陣が仕掛けられた痕跡は無く、逆に右の通路の床には不自然な窪みが在る。

 

 ーー魔法技術が進んだテルカ・アトラスで原始的な罠か?

 

 不自然な罠に注意深く観察すれば、窪みの下に魔力が流れてることが判る。

 踏めば魔法陣が発動する仕組みだと理解したスヴェンは、発見した罠の位置をアンセム達に知らせながら思案した。

 左右どちらの道を進むのが正解か。どっちも終点に続くのか、それとも正解は片方だけなのか。

 進まないことには何も進展しないが、モンスターの気配が多く感じる遺跡内部で極力無駄な戦闘を避けながら進みたい。

 それはアンセム達も同じ考えなのか、

 

「罠が設置された右を進むか、それとも安全を選んで左に進むか。あからさまな気もするが敢えて右に進むのか?」

 

「右の方は魔力が集中的に流れてるけど、左は魔力が流れて無い……先に安全な道を行って引き返すのも手かも」

 

「ん、3人に任せる」

 

 スヴェンはアンセムとミアの意見を念頭に改めて左右の通路を見比べる。

 どちらにせよ、行き止まりだったら引き返すことになる。それなら先に左の通路を調べた方が戻りも安全だ。

 

「左から進むか。右は罠だらけで行き戻りが面倒そうだしな……ま、左には魔力を使わねえ罠が無いとも限らねえがな」

 

 スヴェンは有り得ないが決して捨て切れない可能性に付いて語り、魔力を使わない罠の存在に着いて三人に警戒心を与えた。

 そしてスヴェンが先頭を歩き左の通路を進み、五メートル程直進した頃ーー不自然に盛り上がった石床に眼を細めた。

 どう見ても踏めば罠が作動する。どう見ても自己主張の激しい罠にため息が漏れる。

 スヴェンは念の為に周囲四マスの床を注意深く観察するも、特に血痕らしき流れも何かが飛び出した痕跡も無かった。

 

「盛り上がってる床が見えるだろ」

 

「あぁ、妙に不自然だが魔力は感じられねえ……まさかこれが魔力を使わない罠なのか?」

 

「恐らくはな。だが妙に不自然な罠ってのはこの先も多いだろうし、そん時は周囲の床と壁の観察もしておけ」

 

「あ〜ブラフの警戒だね。でも魔力を使わない罠ってちょっと想像できないかも」

 

 確かに魔法が使われて当たり前のミア達からすれば、魔力を使わない罠は信じ難いのだろう。

 だが魔力の視覚化という致命的な弱点を抱える罠を仕掛け続けることにどんな意味が有る?

 常識を逆手とにとった罠こそ、最も警戒すべき罠に他ならない。

 

「常識を逆手に取ってる可能性は十分に考えられるだろ」

 

「……そうかも。でも遺跡に罠を仕掛けるってことは奥まで進まれると困るからだよね」

 

 ミアの返答にスヴェンは頷き、不自然な石床を避けながら進む。

 それからしばらく原始的な罠だらけの左通路を直進し、やがて壁に不可思議な文字が刻まれた広い部屋の前に辿り着く。

 此処まではモンスターと遭遇することもゾルゲを発見すること無く進めたが、ここに来て意味深な文字にスヴェンが警戒を深める中、

 

「えっと?『財宝を求めし者よ、先に進みたくば力と覚悟を示せ』って書いてあるね」

 

 壁の文字をミアが読み上げた。

 

「この先の広い部屋には試練が待ってるってことか。力を示せってのは何に示すんだ?」

 

「奇妙な視線と謎の声の主にじゃねえか? 問題は力を示す相手だな」

 

 広い部屋の中は薄暗ぐ、此処からはでは内部の詳細が判らないが僅かに聴こえる獣の息遣いと魔力を感じる。

 モンスターか別の何かか。スヴェンはガンバスターを引き抜き、アンセム達に視線を向けた。

 眼で準備は良いか? そう訊ねれば三人はそれぞれの武器を手に頷いて答える。

 スヴェンが一歩広い部屋に踏み込むと、部屋全体が灯りに照らされ、中心に佇むモンスターが悍ましい咆哮を叫んだ!



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13-6.試練のモンスター

 広い部屋の中心に佇む大柄な体格に角の生えた半人半牛がこの場所に踏み込んだスヴェン達を凄まじい殺気で睨んだ。

 タイラントとも劣らない殺意にスヴェンは口元を歪めガンバスターを構え、

 

「あのモンスターはなんだ?」

 

 ミアにモンスターに付いて訊ねた。

 

「あれはミノタウロス、古い遺跡なんかに発生するモンスターの中で取り分け執念深くてしつこいって有名だよ」

 

 こちらが不利な場合、背後の通路まで一旦離脱し誘い込むのも手段の一つか。

 スヴェンがそんな考えを頭の中に浮かべると前方と背後から嫌な音が響く。

 石が引き摺る音に視線を向ければ、出入り口があっという間に石壁に塞がれていた。

 

「スヴェンさん、さっき頭の中で作戦でも浮かべた?」

 

「……あぁ、目の前のモンスターがどれほどの脅威か分らねぇから自然とな」

 

 偶然の重なりか。遺跡に潜む人物による妨害か、だからミアとアシュナからしょうがない人っと言いたげな視線は大変不本意だ。

 ただ同時に出入り口が塞がれる利点は有る。

 予期せぬモンスターの増援が防がれるだけでも気持ち的には多少気楽になる。

 スヴェンは思考と裏腹に目前のミノタウロスに警戒を怠らず、両腕を構えるミノタウロスの魔力に意識を傾けた。

 魔力が両腕に流れ込み、やがて魔法陣が形成され、ミノタウロスが魔法陣から燃え盛る斧を引っ張り出す。

 斧を形どった炎を両手にミノタウロスが動き出した。

 スヴェンはミノタウロスが炎の斧を振り回す前にと、地を蹴り抜き距離を縮めてから魔力を纏わせたガンバスターを振り払う。

 魔力を宿した刃が炎の斧によって弾かれ、火の粉と共に炎が周囲に飛び散る。

 石床で燃え続ける炎にスヴェンは眉を歪めた。

 

「チッ! 受け合いは不利だな」

 

 何度も周囲に炎が振り撒かれ続ければ、やがてこの部屋一帯が逃げ場の無い火事現場に変わる。

 スヴェンは僅かに腰を落とし、縮地と共にミノタウロスの背後に回り込む。

 だがそこを読んでいたのか、スヴェンの視界に薙ぎ払われた炎の斧が迫り来る!

 魔力を宿したガンバスターを振り払い、炎の刃に当たる直前にスヴェンは刃に宿る魔力を解き放った。

 解放された魔力が衝撃波を生み、炎の刃ごとミノタウロスの身体を弾く。

 そこにミノタウロスの背後から接近したアンセムが、雷を纏わせた曲刀の刃でミノタウロスの背中に一閃放つが、背中に当たる直前で突如障壁が生じる。

 バリーーン!! 音を立てながら砕けた障壁がアンセムの刃を弾いた。

 これまでには無い方法でアンセムの刃を防がれた。

 少なくともスヴェンが対峙してきたモンスターは障壁を単純な防御として扱うのみに留まり、目の前のミノタウロスのように工夫した使い方はしてこなかった。

 

 ーー障壁に対する熟練度の差ってことか。

  

 スヴェンはミノタウロスの動きを観察しつつ、奴が立ち上がる前に魔力を纏わせたガンバスターで頭部目掛けて一閃を放つ。

 だがまたしても刃は炎の斧によって防がれ、炎が周囲に飛び散る。

 

「あちぃ! コイツ、随分厄介だな!」

 

 攻防に於いて炎を鎮火する手段を持たない限り、こちらは状況的に不利だ。

 同時に密封された大部屋は次第に熱が溜まり、アンセムとミアの額から汗が流れる。

 

「長期戦も不利か……っと!」

 

 立ち上がりと同時に薙ぎ払われた炎の斧をスヴェンは、その場で跳躍することで避け、反撃と言わんばかりにガンバスターを右薙に払う。

 それに対してミノタウロスは角で刃を弾き返すが、アンセムが雷を纏った一閃がミノタウロスの背中を斬り裂き、

 

「『風の刃よ、炎を巻き込み逆巻け』」

 

 アシュナの詠唱が響き渡り、スヴェンはミノタウロスの頭部を足場にミアの隣に着地した。

 振り向きガンバスターの銃口をミノタウロスに向け、同時に炎を巻き込んだ風の刃がミノタウロスを呑み込む。

 肉体を炎で焼かれ、風の刃で斬り裂かれた痛みにミノタウロスがもがき苦しむ。

 スヴェンは魔力を流し込み.600LRマグナム弾に刻まれた魔法陣を起動させ、そのまま引き金を引いた。

 

 ズドォォーーン!! 発砲音が大部屋に響き渡り、同時にスヴェンの耳に何者かの息を飲む音が届く。

 雷を纏った弾頭がミノタウロスに飛来し、ミノタウロスの障壁が発生するが--弾頭が障壁を貫き、ミノタウロスの左上半身が肉片に変わり、雷鳴がミノタウロスを穿つ。

 そこにアシュナが発動していた風の刃がミノタウロスの肉体を斬り刻む。

 

「オーバーキルじゃないかなぁ」

 

 ミアの哀れみの宿った声にスヴェンはわざとらしく肩を竦める。

 

「戦闘ってのは命懸けなんだ。いちいち手加減なんざしてられるかよ」

 

 アシュナの発動させた魔法が消え、ミノタウロスの死体と肉片が石床に散らばり--スヴェンは眉を歪めた。

 

「……アンセム、離れろ」

 

「妙だよな」

 

 瞬時にこちらまで戻って来たアンセムもミノタウロスの死体に激しい警戒心を向ける。

 この場に居る全員は気が付いていた。まだミノタウロスが完全に死亡してないことに。

 通常モンスターは死亡時に肉体を構成させる魔力が粒子状に散らばり、やがて遺体だけをその場に遺す。

 本来ならそれで討伐完了の合図にもなるのだが、未だミノタウロスから魔力が抜け出る様子が無い。

 スヴェンは銃口をミノタウロスの頭部に向け、魔力を纏わせたまま引き金を引く。

 銃口から放たれた.600LRマグナム弾がミノタウロスの頭部を原形を残さず破壊するも、やはりミノタウロスの肉体から魔力が抜け出る様子が無い。

 

「ミア、奴は不死身なのか?」

 

「そんな事ない筈だけど、まさか()()()()ってそういう意味なの?」

 

 スヴェンはミノタウロスの体内を巡る魔力に意識を傾け、ゆっくりと魔力が活性化しつつ有ることに気付く。

 まだミノタウロスは現在。そう理解した時だ、前方の石壁が開き通路が現れたのは。

 燃え続ける大部屋に留まりミノタウロスと再戦となれば、それこそまた閉じ込められ、蒸し焼きにされかねない。

 

 --それはそれとして復活されても面倒だ。

 

 スヴェンはガンバスターを構えながらミノタウロスに近付き、無造作に刃で肉体を斬り刻み始めた。

 

「な、なにをしてるの?」

 

 困惑するミアの声を無視して、ガンバスターを振るう手を止めず再度ミノタウロスに流れる魔力に意識を傾ける。

 すると斬られる度に魔力が鎮静化していくではないか。

 スヴェンは何度もミノタウロスの肉体を斬り付け、その度に返り血が周囲に振り返る。

 淡々と繰り返し、肉体が肉片に変わり果てた頃で漸くミノタウロスだった肉片から魔力が粒子状に散りはじめた。

 これでミノタウロスが復活することは無いが、背後を振り向けば自身の異常な行動に目を背けずに見続けていたミア達に、

 

「……恐いか?」

 

 外道の行動として自覚も有れば、三人が改めてスヴェンという異常者に恐怖を芽生えてもおかしくはない。だから訊ねた。

 

「違うよ、ミノタウロスの復活を阻止するためにはスヴェンさんの行動は正しいよ。そりゃあ最初は驚いたけど、恐怖は無いよ」

 

 肯定の意を示すミアにスヴェンは、じっと彼女の翡翠の瞳を見詰めた。

 そこに嘘偽りも無い真っ直ぐな瞳に本心からそう語ってるのだと理解が及ぶ。

 

「およ、そんなに見詰めて私に惚れちゃったの?」

 

「戯言はそこまでにして先に進むぞ」

 

「戯言って酷くない?」

 

「部屋まだ燃えてる。蒸し焼きミアになりたいの?」

 

 アシュナがそう告げるとミアがようやく歩き出し、四人は大部屋を抜け--スヴェンは大部屋で感じた何者かの息遣いに警戒心を宿しながら新しい通路を進むのだった。



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13-7.遺跡の罠

 ミノタウロスを討伐した先の通路で発見した階段を下り、地下を進むスヴェン達は、遭遇したモンスターを討伐しながら遺跡の最奥を目指していた。

 駆け抜ける四人の息遣いが幅広い通路に響く。

 

「モンスターを相手にしながらってのは中々楽しい遺跡だな!」

 

 まだ体力と魔力にも余裕が有るアンセムの軽口に、

 

「うん、罠を避けるのも案外楽しい?」

 

 アシュナが無表情ながら軽口で叩き合う。

 そんな二人の様子を見ながらスヴェンは、余裕な背中を見せる二人に一種の心強さを感じていた。

 

「スヴェン、また床に罠だ」

 

 罠に対する警告と同時、アンセムとアシュナが罠を避けるべく跳躍する。

 既に幾度も罠を回避した慣れた行動。そこに油断も無ければ慢心も無い。

 だが、魔力を使わない罠に対して経験豊富なスヴェンでも、ましてや魔力を使った罠に対して知識も警戒心も高い三人でも見抜けない罠が存在していた。

 床に不自然に浮かび上がった窪みを二人が同時に通り越したその時、遺跡全土に魔力が駆け巡り--ズゴゴォォーン!! 

 

「「「「!?」」」」

 

 激しく遺跡全土が揺れ動き、スヴェンとミアの足場が突如として消失した!

 一瞬の内に消える靴底の感触、突然の浮遊感がスヴェンとミアを襲う。

 スヴェンは咄嗟に握り締めていたガンバスターを壁に突き刺すことで落下を逃れ、一瞬の反応が遅れたミアに手を伸ばす。

 ミアが差し伸ばされた手を掴もうと腕を伸ばしたが彼女の小さな掌は、スヴェンの手にわずかに届かず空を切った。

 

「えっ……うそ」

 

 ミアの身体はそのまま重力に従って落下し、その際に絶望に染まった彼女の表情がスヴェンの瞳に焼き付く。

 

 --アンタもアイツらと同じように死ぬのか?

 

 温泉宿で『死なない』と謳い遠回しに相棒になりたいと語っていた彼女が呆気なく死ぬ。

 そんな現実をスヴェンは半ば受け入れながら、暗い底に落下する彼女をただ呆然と眺めていた。

 上を見上げればアンセムとアシュナの悲痛に歪む表情が映り込む。

 誰しもがミアは無事では済まない。早々に諦めかけた時。

 

 --ザパーン。

 

 暗い底から微かに水飛沫がスヴェンの耳に届く。

 

「……アンセム、アシュナ、聞こえたか?」

 

 聴き間違えで無ければ、あの水飛沫はミアが水面に落ちたことを意味する。

 

「微かに水飛沫が聴こえたな」

 

「ミアはかなずち……あっ」

 

 暗い底は水面である以上、スヴェンが落ちたところで助かるがミアはそのまま溺れる。

 このまま治療師として優秀なミアを死なせるのは惜しいと判断したスヴェンはガンバスターの柄を強く握り締め、

 

「俺はこのまま下に降りる。2人はそのまま探索を続行してくれ」

 

 二人に有無を言わさず、スヴェンは壁に突き刺したガンバスターを引き抜き、重力に従い落ちた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 暗く浸水した階層に落下したスヴェンは息を吸い、そのままガンバスターを片手に息を肺に溜め込みながら水中を潜る。

 灯りさえ届かない暗い底の水中。そこからミアを捜すには彼女の落下地点から探るべきだ。

 そう思考しながら潜り続けながら魔力に意識を集中させる。

 

「(どこに居る?)」

 

 ミアの魔力を捜すように周囲を見渡すが、辺り一帯から感じる魔力にスヴェンは内心で激しく舌打ちした。

 この方法ではミアの発見が遅れ、手遅れになる。

 まだミアが落下し溺れてから五分と経っていないがもしも彼女が諦めていれば息もそう長くは続かないだろう。

 スヴェンは周りを探りながら泳ぎ続け、不意に魔力の残滓が視界に映り込む。

  

「(コイツは……レギルスと同じか?)」

 

 ミアが遺した魔力の残滓なら辿った先に居る。そう判断したスヴェンは泳ぐ速度を速めた。

 三分ほど魔力の残滓を頼りに左腕と両足で泳ぎ進むと、息が続かず苦しむミアの発見に至る。

 底に沈んだ彼女に近寄り、ミアの口元から抜き出る気泡に眉が歪む。

 このまま浮上したところでミアが保たない。

 スヴェンは左腕でミアの華奢な身体を抱き寄せ、躊躇なく彼女の小さな唇に自身の唇を重ねた。

 そして口から息を送り込む。するとミアの眉がぴくりと動き、彼女の手がスヴェンの腰を掴んだ。

 

 --まだ生きてるな。

 

 意識を失ったまま反応を示したミアを抱き寄せたまま水上を目指した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 水上に辿り着き、偶然見付けた段差に上がったスヴェンは床にミアを寝かせ、彼女の頬を軽く叩く。

 痛みと衝撃に眉が動き、

 

「う、うぅ……」

 

 唸り声と共にミアが眼を覚ます。

 濡れた髪から水滴を滴らしながら呆然と見詰めるミアに、スヴェンは背を向けながらいつも通りの口調で声をかけた。

 

「意外と早えぇ目覚めだな」

 

 すると濡れた髪を掻き分け、きょとんとした表情を浮かべる。

 

「……ここは? それに私、落ちて溺れて……あぇ?」

 

 ミアは濡れて透けた自身の衣服に視線を落とし、次第に自身の唇に指を触れ、感覚と感触がまだ残っていたのか顔を真っ赤に染めはじめた。

 

「……あ、あの、何をしたの?」

 

 恥ずかしがることでも無い。そう切り捨てたい衝動と冷たい言葉が幾つも頭に浮かぶが、全て呑み込みただ事実だけを淡々と告げる。

 

「人工呼吸だ」

 

 人工呼吸に対する知識とあの場合で取れた選択肢にミアも理解が及んだのか、自身を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返した。

 

「私にとってはじめて……スヴェンさんは、そうでも無いんだよね?」

 

「傭兵をやってりゃあ嫌でもな。アンタも心肺停止状態の奴にすることもあんだろ」

 

「そうかも……もしもスヴェンさんがそうなった時は遠慮なくしてあげるよ」

 

 そんな言葉にミアの顔だけに視線を向ければ、精神的に余裕が生まれたのか小悪魔のような笑みを浮かべていた。

 自身が心肺停止に状態に陥る状況となれば、戦闘時の負傷や出血多量、戦闘に関して言えばあらゆる方法で心臓が一時的に止まることもあれば止めることも有る。

 

「そん時が訪れねえように気を付けるか」

 

「くしゅん! 訪れないといいけど、その前にアンセムとアシュナは?」

 

「二人は恐らく上層だが、ここが遺跡のどの辺りかはさっぱりだ」

 

「うーん、アンセムさんが居たら魔法で炎を出して貰ってすぐに乾かせるんだけどなぁ」

 

 互いに衣服は濡れているが、ミアの服と違って自身のボディシャツは吸った水分を絞り出せばすぐに乾く。

 しかし夏場とはいえ、遺跡の地下に位置するこの場所は周囲の水面と何処からか入り込む風が濡れた身体を冷やす。

 スヴェンは自身のボディシャツを脱ぎ、そのまま水を絞り出すと背後からベチャッ、と数回音が聴こえる。

 

「周りは暗いけどさ、こっち向かいでよ?」

 

 言われるまでもなく背後を振り向くことなどしない。

 これまでにそういった事が起き無いように細心の注意払っていたため、事故に遭遇したことは無い。

 ただ遺跡内部に蔓延るモンスターの警戒は必要だ。

 前方には暗がりの中に続く石床の一本道、それ以外は水面で開けた場所に位置する此処はモンスターから身を隠す術が無い。

 エリシェが鍛造したガンバスターのおかげで戦闘面は随分と楽になったが、それでも油断できないところがモンスターの厄介さだ。

 

「向かねえよ……だが、背後の警戒は任せる」

 

「うん、警戒も大事だけど少し休憩もしない?」

 

 ミアの身体は冷え、体力を消耗しているのは見なくとも判ることだ。

 スヴェンは床に座り、右手にガンバスターを握り締めたまま思考を重ねる。

 現在地の把握と二人だけでモンスターの対象、それ以前の問題として如何にして二人と合流するかどうかだ。

 運良くアンセムとアシュナがこの階層まで到着することに越したことは無いが、いっそのことの目的の最奥を目指すか。

 スヴェンが思案してると濡れた背中にミアが背中越しに寄り掛かった。

 彼女の濡れた長い青髪と体温が背中に感じる。

 

 --状況に絆されたのか知らねえが、気を許し過ぎじゃねぇのか?

 

 スヴェンはミアの行動に眉を歪め、距離を取ろうかと思案すれば、

 

「寒いから少しだけこのままにさせて。それに、風邪は治療魔法で治せないから」

 

 少しでも暖を取りたい。ミアの思惑を理解したスヴェンは、不本意な状況に眉を寄せた。

 お互いの濡れた身体で身を寄せ合ったところでたかが知れてる。  

 立ち上がろうと腰に力を入れ始めた頃、

 

「あのねスヴェンさん……正直に言うとね? 落下した時にあなたに見捨てられるんじゃないかって」

 

 ぽつりと不安と恐怖心を口にした。

 スヴェンは立つことを辞め、無言で彼女の声に耳を傾ける。

 

「水中に落下して、必死に踠いても身体は浮かず沈むだけ……このまま溺死するじゃないかと、ほんとは、不安で怖くて……」

 

 弱々しい声は涙声に変わる。

 なにか気の利いた言葉を掛けるべきか。

 あれこれ思案したが、結局どんな言葉もたいして思い浮かばない。

 悪手だと理解しながら背後で啜り泣くミアに無言を貫く。

 

「ぐすっ……でも、スヴェンさんはいつも私が危ない時は助けてくれて、あの時も手の伸ばして今回も助けに来てくれた……」

 

 ミアの言葉にスヴェンは、彼女が落下した時に浮かんだ感情と単語が頭に駆け巡る。

 気の利いた言葉で取り繕うか、それともあの光景に何を想ったか正直に話すべきか。

 あの落下から水中到達までの間、『生きていると信じていた』などと死の恐怖に直面したミアに嘘を語るべきでは無い。

 

「正直に言えば俺はアンタが落ちた時は助からないと半ば諦めもしたさ。だが、アンタは水中に落ちて生き延びた……やべぇ状態にも関わらず魔力の残滓を遺してな」

 

「……ああすればスヴェンさんなら見付けてくれるって信じてたから」

 

「次は助かるとも限らねぇよ」

 

「口ではそう言うけどさ……っ、今更だけどお互いに裸で話すことでも無いよね」

 

 どうやら落ち着いたからこそ、冷静に戻ったミアに羞恥心がぶり返したようだ。

 

「どうやら落ち着いたらしいな……詳しい話は服を着てからでも遅くはねぇだろ」

 

 そう切り出したスヴェンは互いの衣服が乾くまで、背中合わせでモンスターを警戒しながら待つことに……。



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13-8.合流を目指して

 スヴェンとミアとはぐれたアンセム達は、息を乱しながら遺跡の通路を駆け抜けていた。

 ミノタウロスが雷の斧を片手に背後から追いかける。

 ちらりと背後に視線を向ければ斧の雷が激しい放電を繰り返す。

 アンセムはミノタウロスの攻撃を予見し、

 

「アシュナ、跳ぶぞ!」

 

 隣で並走するアシュナを抱え、通路の床を足場に跳躍する。

 同時にアンセムとアシュナが先程まで走っていた場所に稲妻を纏った斬撃が走り抜けた。

 着地と同時に床に帯電していた雷がアンセムを襲う!

 

「ぐわっ! なかなか痺れるなぁ!」

 

「大丈夫? ミアが居ないから無茶はダメ」

 

 確かにアシュナの警告通りだ。

 完全に留めを刺さない限り倒し切れないミノタウロスを二人で相手をするのは厳しい。

 そこに構えてミノタウロスの背後から迫るモンスターの群れ。

 長期戦は元より、ミアが居ない状態で受ける負傷は拙い。

 アンセムはアシュナを抱えたまま、両足に魔力を流し込み、

 

「しっかり捕まってろ!」

 

 床を一踏み抜き、一気に通路を駆け抜ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 モンスターから逃げ切ったアンセムとアシュナの二人は通路の壁を背に乱れた息を喩えながら、

 

「2人は無事なのか?」

 

「分かんない。スヴェンは冷徹だから」

 

 スヴェンにはミアを切り捨てる可能性が有る。

 そう告げられたアンセムは信じられないとばかりに眉を顰めた。

 付き合いはかなり短いが、少なくともミアを助けに有無を言わせずに穴に飛び込んだスヴェンの行動は仲間を助けるためのものだ。

 

「切り捨てるなら飛び込まないだろ?」

 

「……助けるかどうかはミアの状態によるよ」

 

 水中に落ちたと思われるミアの状態。それはかなずちの彼女が溺れ、既に助からない状況を指すのか。

 それとも別の状態を指すのかは、無表情のアシュナからは意図が読み取れない。

 同時にプリンセスマーメイド号で見聞きしていたスヴェンとミアの会話が思い出される。

 少なくとも険悪な様子は無い。むしろスヴェンは優秀な治療師としてミアを危機から救っていたことの方が多い。

 そんなスヴェンが此処に来て冷酷にミアを見捨てると言うのは、些か信じられない話だ。

 

「……仲間を信じるのも仲間の勤めと言うだろ?」

 

 やんわりとそう告げるとアシュナは小さく首を横になって振った。

 

「スヴェンはわたし達のことは仲間と見てない。単なる同行者」

 

 スヴェンにとってミア達は単なる同行者と改めてアシュナから言われ、アンセムは考え込んだ。

 まず最初に思い出されるのは、酒場で出会った際にスヴェンは旅行者を名乗り、彼女らを同行者と称したこと。

 そもそもスヴェンの中に仲間という括りは存在しない。そう考えれば同行者と称したことにも自然と納得もできれば、アシュナの疑いにも理解が及ぶ。

 此処に来たスヴェン達は何らかの共通の目的で行動してるに過ぎず、目的さえ果たされれば関係性はそこで終わることも。

 

「単なる同行者、か。寂しい関係もあったもんだな……なんなら3人ともテオドール冒険団に入るか?」

 

「仕事が有るから嫌だ」

 

 アシュナの歳で就職してることは、パルミド小国や他国で珍しいことでは無い--魔法大国エルリアでは非常に珍しいことだが。

 ただアンセムは社交界で何度かエルリアの要人を遠目から見た事が有る。

 そんな彼ら彼女らの側や物陰には必ずアシュナに近い歳の少年少女の姿も。

 最初は要人の家族か親族を推測していたが、既に働いていると言うアシュナがそれを否定し、時たま耳にする噂が真実味を帯びる。

 魔法大国エルリアが要人護衛のために設立した特殊作戦部隊に所属する少年少女達の存在を。

 そこまで思考を巡らせたアンセムは、アシュナに視線を向け--自身の推測を馬鹿らしいと肩を竦めながら否定した。

 幾らなんでもオルゼア王が特殊作戦部隊に所属するアシュナをスヴェンに同行させるとは考え難いからだ。

 

「冒険は夢に溢れて楽しいんだけどなぁ、残念だ」

 

「ん、無職になったら考えておく」

 

 それはそれで良いのか? 思わずアンセムが呆れた表情を浮かべても無理は無いことだった。

 同時にスヴェンは元よりミアとアシュナにも興味が湧く。

 モンスターが居ない遺跡なら世間話を兼ねて様々な問答ができるが、そろそろスヴェンとミアが居る場所へ続く通路を捜さなければならない。

 

「そろそろアイツらを捜しに行くか」

 

 アンセムが曲刀を片手に通路を歩き始めると、アシュナはその場から動かず背後の通路を眺めるばかり。

 モンスターから逃げ切るために駆け込んだ何の変哲も無い通路と分かれ道。

 仮にスヴェンとミアが落ちた穴のように突如として床が消失する可能性も十分に考えられるが、分断されてからというものそういった罠に遭遇することは無かった。

 寧ろ分断された直後、通路の壁が動き出したかと思えば、壁の向こう側からミノタウロスや他のモンスターが出現する始末。

 

 --何者かが遺跡を動かしてるってか?

 

 考えられる可能性だ。少なくともスヴェンとアシュナは何者かの気配を感じ取っている。

 この遺跡に入る直前、もっと前に言えば孤島諸島の森の中で誰かの視線と気配を感じていた。

 アシュナが立ち尽くしたまま背後の通路に顔を向け、

 

「ん? 視線を感じる。そこに誰か居る?」

 

 ダメ元なのか、通路の虚空に向かって問い掛けた。

 依然と返事は返って来ず、何も変化が起こらない。

 するとアシュナはこちらに振り向き、首を横に振った。

 

「視線が消えた……もう居ないみたい」

 

「そうかい。俺達を見てる奴は一体誰なんだろうな」

 

「分かんない。けど、敵意は無いかも……仮に有ったらスヴェンがすぐに斬りかかってるよ」

 

「そんなに容赦が無いのか?」

 

「無いよ。敵なら一部例外を除いて排除する」

 

 淡々と無表情で語るアシュナにアンセムは肩を竦めた。

 スヴェンの元の世界での職業も気になる所では有るが、今は合流を目指すべきだ。

 

「スヴェンのことは後で聞くとしてだな、先ずは合流を目指すぞ」

 

「無闇に捜すよりも最奥を目指した方が良い」

 

 確かに遺跡内部は通路と大部屋といった単純な構造をしてるが、何処へ進めば次の階段が在るのかは判らない。

 それにスヴェンとミアが落ちた先に降りる階段が無いのかもしれない。

 それそれでどうやって合流できるのかという問題に直面するが、闇雲に捜すよりは最奥の前で待った方が確実だ。

 

「そっちの方が確実か……分かった、お前さんの案で進むもう」

 

「ん、ミノタウロスの足音も聴こえる。早く離れよう」

 

 二人はそのまま通路を走り出し、先を進むのだった。



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13-9.同時に

 探索を再開させたスヴェンとミアは、水面に囲まれた一本道の通路を進んでいた。

 この階は壁と遮蔽物が無く灯りも無い暗い道が続くばかりだ。

 水没した通路に落ちればまたミアが溺れる危険性も伴う。こんな通路はさっさと抜けるべきだ。

 そう判断したスヴェンは暗い道の先を警戒しながら歩みを早める。

 ミアが歩調を合わせ、僅かに杖を握り込む音と足音が反響する。

 

「暗い道だけど、モンスターの気配は今のところ感じないね」

 

「此処は戦闘に適さねえ通路だ。遭遇しねぇ方が気楽でいい」

 

 ミアに告げると突如としてスヴェンの前方に紅いローブを纏い浮遊する人型のモンスターが姿を現した。

 

 --言ったそばからこれかよ!

 ローブを纏った人型のモンスターは杖を携え、その場で小躍りを始め--スヴェンが斬るべく一歩踏み込めば、目に見える障壁がガンバスターの刃を阻む。

 障壁によってガンバスターの刃から火花が散り、徐々に拡がる障壁にスヴェンの身体が押されだす!

 

「もしかして……マジシャンツインズ? っ! スヴェンさん! そいつは2体で一つの存在だよ!」

 

 ミアの警告にスヴェンさんはすぐさまガンバスターの刃を引き戻し、彼女の隣に退がった。

 二体で一つの存在。目に見える分厚く拡がる障壁と水面に挟まれた一本道の通路。

 そこから導き出される結論が一つだけ浮かぶ。

 前方と後方からの障壁拡大、それによる物理的な圧死にスヴェンは舌打ちした。

 同時に背後に視線を向ければ既に蒼いローブを纏った人型のモンスター……マジシャンツインズの片割れが杖を携えながら小躍りしている。

 

「水面に落ちれば圧死は逃れらるか?」

 

「そうもいかないみたいだよ……障壁を拡大させながら魔力を活性化させてる」

 

 言われてマジシャンツインズの魔力に意識を集中すれば、既に魔法の発動に必要な魔力が下丹田から身体を駆け巡っていた。

 魔法を発動され、障壁に圧死される前に突破する。瞬時に結論を出したスヴェンがガンバスターに魔力を纏わせ紅いマジシャンツインズに駆け出すと、同時に杖に魔力を纏わせたミアが蒼いマジシャンツインズに駆け出した。

 

 --二体で一つの存在……そういうことか。

 

 ミアの行動と先程の言葉の意味を理解したスヴェンは、ミアの動きに合わせてガンバスターを右薙に払う。

 同時にミアが蒼いマジシャンツインズが展開する障壁の中心の一点、魔力が集中している中心地点に、

 

「ここ! てやぁ!」

 

 魔力を纏わせた杖の突きが蒼いマジシャンツインズの障壁を粉々に砕いた。

 ミアの技量にスヴェンは舌を巻き、同時に紅いマジシャンツインズの障壁を斬り裂く。

 マジシャンツインズの障壁が砕け、紅い魔法陣と蒼い魔法陣から炎と氷が同時に放たれる。

 前方からの熱気と後方からの冷気。スヴェンとミアは同時に眼を合わせ、同時にその場から跳躍した。

 スヴェンとミアを狙った二つの魔法が衝突し、蒸気が通路を覆い隠す。

 視界が悪い中、スヴェンとミアは討伐すべきマジシャンツインズの懐に入り込み--二人は同時にマジシャンツインズに渾身の一撃を叩き込む。

 マジシャンツインズは断末魔も無く、同時に体内の魔力が粒子状に抜け、遺骸と杖だけが一本道の床に転がる。

 スヴェンは討伐したモンスターに息を吐き、改めてミアに視線を移す。

 

「やるじゃねぇか」

 

「ふふん! あんまり前に出ることが少なかったから驚いてるでしょ?」

 

 不適な笑みで胸を張るミアの姿に、素直に彼女の体術と棒術を賞賛せざるを得ない。

 

「あぁ、物質の中心点を見極め破壊できるヤツはそう多くはねぇ。むしろ俺には真似ができねぇ技術だ」

 

 恐らくミアのことだ。魔力を扱った何かしらの技術も体得してることだろう。

 そうでも無ければスヴェンの下丹田に眠っていた魔力を呼び起こすことも出来ず、魔力の残滓を残すこともできなかった筈だ。

 

「そうなの? スヴェンさんは効率的な方法なら体得してそうだけど」

 

「見極めるよりも先に斬るか射撃した方が早えからな……だが、これからはアンタも前に出して良さそうだな」

 

「それは、やっと私も信用してくれたってこと?」

 

 モンスターとの戦闘では攻撃魔法が使えないミアを治療要員として退がらせ、人との戦闘ではスヴェンが全てを請け負っていた。

 だがマジシャンツインズのような特殊なモンスターを相手にするならミアかアシュナとの連携も必要不可欠になる。

 

「マジシャンツインズだとか特殊なモンスター相手にはアンタの手も借りるさ」

 

「そこはさぁ、もっと頼ってくれても良いんじゃないの?」

 

「アンタの治療魔法は充分に当てにさせてもらってる」

 

「それは治療師としては嬉しいけどさ、なんかこう……ケガを前提に頼られるのはやっぱり複雑かなぁ」

 

 なるべく怪我をするなっと呆れ顔でそう言われるが、戦闘に負傷は付き物だ。

 ただ彼女の言う事にも一理ある。

 スヴェンにとってミアとアシュナは単なる同行者だ。

 共通の目的で行動してるだけに過ぎず、目的さえ果たせば共に行動する理由も無い。それになるべく二人を死の危険から遠ざけたい。

 傭兵として、居場所という名の戦場を本能的に求める自身と行動していてはミアとアシュナのためにはならない。

 むしろしなくてもいい経験をする事になる。

 

 --現に二人は人が殺される瞬間を何度も見てる。

 

 まだ二人が純粋なままで以前と変わらない瞳をしてるのは、まだ自らの手で人殺しを経験していないからだ。

 例えば間接的に人を殺していようが、直接的とでは感触も感覚もまるで違う。

 スヴェンは漠然と浮かんだ思考を内心に仕舞い込み、相変わらず暗い通路を歩きだす。

 そこにミアも何も言わずに付いて歩き--程なくしてまた二度目の大部屋に辿り着く。

 大部屋の入り口の壁に刻まれた『この先、汝にとって強きものが待ち受ける』の文章にスヴェンは眼を見開き、頭の隅で覇王エルデの姿を思い浮かべた。

 

「またこれ? もしかして遺跡の試練なのかな……どうしたの?」

 

 思考に集中するスヴェンにミアは上目遣いで見上げ、疑問を訊ねた。

 

「いや、異界人も対象になんのか?」

 

「うーん、記憶を読み取る魔法と読み取った記憶から限定的に再現する魔法の組み合わせ次第かなぁ。私が対象だと姫様とオルゼア王、あとフィルシス騎士団長が同時に出現する可能性も……」

 

 召喚魔法を得意とするレーナ、未だ実力が未知数ながらミアが強いと思う二人。

 強さとは単純な力だけだ計り知れない要素だ。例えば戦闘技術はからきしだが、決して折れない不屈な精神力の持ち主や何度も立ち上がる執念の持ち主も強者と言える。

 スヴェンが強き者に当て嵌まる条件を思考してると、

 

「この3人に比べたらスヴェンさんはまだまだだけど、私の中でもスヴェンさんは強いと思うんだ」

 

 ミアが笑みを浮かべながらそんな事を語った。

 果たして自分は彼女の思う強さを兼ね備えてるのか? 

 人を生かさず殺し、敵と見做せば容赦なく殺せる外道は心に余裕が無い。

 それは他者を受容れる強さが無い臆病者で人を殺すことで

しか身を護れず、自身の生きる場所を確立できない弱者だ。

 本当の強者は自身の揺らがない信念と他者を受容れる強さを兼ね備えた者だ。

 特に覇王エルデはその条件に当て嵌まり、ましてやデウス・ウェポンを変えようとしている。

 

「俺はアンタが思ってるほど強くはねぇ、むしろ弱ぇよ」

 

「そうなのかなぁ?」

 

 強さはとは何か。人によって異なる答えにミアが頭を悩ませる中、スヴェンは大部屋の入り口に振り返る。

 この先に何が出ようが、依頼達成の為には乗り越えなければならない。

 それが記憶からの再現か、一時的な召喚にせよ。

 後者なら覇王エルデをテルカ・アトラスで殺害するチャンスだが、直感がそれは不可能だと告げている。

 本人の一時的な召喚なら望むところだが、そう都合のいい話がそうそう起こるわけがないからだ。

 それに後者ならテルカ・アトラスで生きる意味と目的を失う。

 目的を失ったまま平和の中で三年も暮らすなど、それは生き地獄だ。

 

「何が出るか……」

 

「踏み込まないと分からないけど、行こうよ!」

 

 立ち止まり悩んでも仕方ないと言わんばかりにミアがゆっくりと大部屋の入り口に歩き出す。

 スヴェンはそんな彼女の背中に続いた。



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13-10.記憶の再現

 スヴェンとミアが同時に大部屋に踏み込むと突如として眩い光が溢れ出る。

 咄嗟にミアを庇うように背に隠したスヴェンは、ガンバスターを構えながら眼を腕で覆い隠す。

 光は一瞬とも思える刹那に収まり、スヴェンとミアの鼻に濃密な血と硝煙の臭いが漂う。

 テルカ・アトラスで感じられないと思っていた硝煙の臭いにスヴェンの胸がドクン、ドクンっと高鳴る。

 ゆっくりと眼を開ければそこには石造りの大部屋の姿は無く、有るのはスヴェンが本能的に追い求めて止まない、されどもテルカ・アトラスでは手を伸ばそうが届かない戦場の姿が在った。

 スヴェンは背後で怯えるミアを他所にゆっくりと辺りを見渡す。

 

 --この光景、あの死体の山、無惨に散らばる武具、ここはあの時の戦場か。

 

 テルカ・アトラスに召喚される直前、此処は紛れも無い覇王エルデと対峙していた戦場だ。

 同時にスヴェンは壁に刻まれた文字を思い出す。

 『汝にとって強きもの』と。そしてミアは記憶から再現すると推測を口したが、嗅覚から得られる情報は間違いなく本物だ。

 記憶から再現された幻覚の類いかと思ったが、感じる五感が本能的にこの光景は本物だと語る。

 

「スヴェンさん……この光景って……げほっ、げほっ、それにこの酷い臭いは?」

 

 スヴェンは嗅ぎ慣れない硝煙の臭いに咽せるミアに視線を向けた。

 

「ここは俺が召喚される直前に居た場所だ」

 

「ここが? でも記憶の再現で臭いまでは……あっ、でも記憶に根深く刻まれてるものなら再現可能かも」

 

 何処まで魔法は便利なのか。ミアのおかげで戦場の熱が急速に冷える。

 もうこの戦場が再現された時点で出て来る者は決まっている。そんな奴を相手に冷静さを欠いては勝ち目は無い。

 

「魔法は便利だが、此処に現れるアイツをどこまで再現できるかだな」

 

「うーん、印象が深ければ深い程再現度は高いかも。ただ、相手が何をしたのか理解できないと再現度も低下する」

 

 それはかなりのヒントと思えた。

 記憶の再現、それは読み取った対象の記憶に焼き付いた一部分をコピーし現実に再現する。

 記憶の再現なら記憶の中以上の行動も出来ないのではないか? 

 そんな疑問を他所に戦場の中心に黒いもやが生じ、推測を頭の隅に追い遣ったスヴェンはガンバスターを構え直す。

 そして下丹田の魔力を体内に巡らせた。

 やがて黒いもやは人の形に変化し、絹のようにきめ細やかな美しい銀髪の持ち主がヘルズガンとプラズマソードを片手に身構える。

 はっきりと再現された覇王エルデは、息を乱しながらも哀れみと悲しみ入り混じった眼差しで薄く笑いかけた。

 

「貴方が残ったんだね」

 

 同時に強烈な殺気と覇気がスヴェンとミアを威圧する。

 華奢な少女から想像だにしなかった殺気に威圧されたミアが、息を荒げ強く杖を握り込む。

 

「……っ! 一瞬、意識を失いかけた! スヴェンさん、あの人は誰なの?」

 

「世界に喧嘩を売った強者だ」

 

「世界に……私には想像が及ばないけど、出来ることはなに?」

 

「後方で治療、奴の左手に持つ武器の直線に立つな」

 

 それだけ告げるとミアは頷き、同時にエルデのプラズマソードが視界の端に映り込む。

 スヴェンはガンバスターの刃で受け流し、プラズマソードの刃を押し返す。

 するとエルデは後方に飛び退き、一瞬で視界から姿を消す。

 見失ったエルデに対してスヴェンは、本能的にミアを連れて真横に跳んだ。

 するとヘルズガンの銃口が火を噴き.500PMマグナム弾が戦場の地面を穿つ。

 

 --コイツの動き、偶然か?

 

 さっきほどのエルデの動きは問答から初撃の動きだった。

 記憶の再現によるエルデの戦闘、もしも浮かべた推測通りなら次に彼女がどう出るのか、思考を挟む前に身体が自然に動く。

 銃弾を辛うじて避けた過去のスヴェンは、エルデの放つ斬撃を受けた。

 

「させるか!」

 

 スヴェンは身体に刻まれた体験と経験をもとにガンバスターを薙ぎ払う。

 するとプラズマソードを振り抜かんと迫っていたエルデの華奢な身体を刃が傷付ける。

 鮮血が戦場に舞いながらエルデは、再びヘルズガンの銃口を向けた。

 

 --あの時はプラズマソードに斬られたが、銃弾は避けたんだったな。

 

 避けた途端に震脚から拳を放たれ、肋骨にヒビが入った。

 ここまでのエルデの行動は全てスヴェンの記憶通りの動きだ。

 最初から決められた行動通りにしか動けない相手など、次に何をするのか判っていれば先手を取ることは造作も無い。

 視界端でプラズマソードをヘルズガンを右腿のホルスターにしまい、拳を構えるエルデに対し、スヴェンは魔力を纏ったガンバスターの刃を戦場の地面に叩き付ける。

 そして土の感触とは到底かけ離れた石床の感触がガンバスター越しに伝わり、魔力を纏った衝撃波がエルデに向かう。

 今まで魔力を纏った衝撃波を放てば体力がごっそりと消耗していたが、竜血石のガンバスターのおかげで疲労に襲われることもなく、衝撃波が無防備に佇むエルデを飲み込む。

 魔力を纏った衝撃波をまともに直撃したエルデは、痛々しい姿で血を流しながら地面に仰向けに倒れていた。

 そんな彼女の姿--元の世界に戻り殺すべき相手の姿に、スヴェンは激しい不快感と険悪感、そして記憶を穢された怒りに静かにガンバスターの柄を握り締める。

 分かっていた。記憶に縛られたエルデの対処が簡単なのも。何よりもデウス・ウェポンを変えたいと願い戦争を仕掛けたエルデの本心や想いなど自身は知らない。

 彼女がどれほどの強い意志を持っていようとも、根っこの部分では理解はできない。理解できないからこそ記憶の再現に引っ掛からない致命的な弱点だ。

 エルデの強さの根幹に有る肝心な物が欠けた再現体に、

 

「所詮は行動が決められた模倣、か」

 

 怒りを言葉と共に吐き捨て、感じる視線をゆっくりと探る。

 それは決してミアのものでもなければ、ましてや倒れているエルデでも無い、戦場の隅で様子見を決め込む第三者だ。

 スヴェンは戦場の隅を睨み、そして躊躇無く()()()()()()()()()

 衝撃波が戦場の隅に飛ぶも、突如として出現した魔法陣によって衝撃波が防がれる。

 姿も気配も無いが、視線の持ち主は間違いなくそこに居る。

 

「記憶の覗き見、いい趣味してんな」

 

 言葉をかければ小さな吐息が響き、

 

『今は姿を見せない、挑発も不問にする。汝らを最奥で待つ』

 

 そんな言葉と共に視線が一切感じられず、立ち去ったのだと理解が及ぶ。

 やがて大部屋は元の石造りの大部屋に戻り、倒れていたエルデの姿もそこには無かった。

 

「スヴェンさん、怒ってるの?」

 

 静かに訊ねるミアにスヴェンは、既に怒りは収まったと肩を竦めて見せる。

 ミアはそれに安堵した様子を見せ、

 

「…… それにしても姫様にも負けず劣らずの美少女だったね。スヴェンさんとあの人はどんな関係だったの?」

 

 そんな事を訊ねてきた。

 

「俺がデウス・ウェポンでやり残した仕事だ」

 

「……スヴェンさんはあの人と戦ってたんだね。でも悪い人には見えなかったけど」

 

「戦争に善悪なんざねぇよ。俺は企業連盟に雇われた傭兵としてアイツと戦ったに過ぎねぇ」

 

「……あの光景がスヴェンさんが傭兵とした体験してきた戦場かぁ」

 

 先程の光景を思い出したミアの肩は震えていた。

 それは無理もないことだ。戦争を知らずに育った者が、あの死体の山を見せられては恐怖を感じないなど有り得ない話だ。

 これで多少なりともミアが自身から距離を置けばいいのだが、

 

「さっきの光景は私なりに受け止める。それに此処で迷うより最奥を目指して、覗き魔を一発ぶん殴ってやる!」

 

 スヴェンの考えとは裏腹に、ミアは拳を握って視線の正体に怒りを向けていた。

 そして歩き出すミアに促されるまま、スヴェンは最奥を目指して大部屋を立ち去った。



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13-11.知の試練

 大部屋からしばらく直進した先で降り階段を発見したスヴェンとミアはそのまま階段を降り進み、今度は青白い灯りに照らされた階層へと到着した。

 二人はモンスターと罠の警戒を怠らず、迷路のように入り組んだ通路を進む。

 時折りナイフで壁に目立つように印を付けながら進むスヴェンに、天井を見上げたミアが訊ねる。

 

「この階層の上って通路が水没してたよね?」

 

 天井を見上げれば水漏れしたらしい様子は一切無く、あの上層のみに水没した通路が在る。

 だが古い遺跡ともなれば老朽化による水漏れが生じていてもおかしくはないが、それらしい老朽化は見られない。

 

「上層の水が流れ込む可能性は十分に考えられるが、老朽化してねぇのが不思議だ」

 

「単なる石材じゃないのかも、それか魔法で内部構造を入れ替えてるとか」

 

 魔法による内部構造の入れ替え。それに思い当たる節があるとすれば、分断される直前に発生した魔力と激しい揺れだ。

 床の消失は魔法の一種かと思ったが、魔法による内部構造の入れ替え時に生じた副次効果なら?

 そう考えたスヴェンは、警戒すべき事柄が増えたことにわざとらしく肩を竦める。

 

「そいつが事実なら誰が何の目的なのか。それとも定期的にそうなるように仕組まれた魔法なのかも判らねえし、分断されてる状況で悠長に調べられねえな」

 

「気になることは多いけど、スヴェンさんも薄々気付いてるんじゃない?」

 

 大部屋の試練を超えた先に決まって次の階に進む階段が見つかる。

 その前は散々探したにも拘らず発見することは無かった。

 一度目は判断材料不足で気にもしなかったが、二度目となると話は変わる。

 この遺跡を探索するに当たって行動すべき方針もある程度決まると言えた。

 同時に疑問も生じる。先程まで居た階は穴に落ちた結果、進んだ階だ。

 

「大部屋の試練を超え、はじめて下層に進むか? 穴に落ちた俺達は一応進めたが」

 

「うーん、穴に落ちた者と落ちなかった者に対してそれぞれ試練を用意してるんじゃないかな?」

 

 確かにミアの言う通り、その可能性も十分にあり得る。

 同時にミアの推測を否定する材料も無い。

 

「遺跡に詳しいわけじゃねえからな、その辺の推測はアンタの知識を含めて頼りにさせてもらうわ」

 

「任せてよ……特定の魔法を使う試練だったら積みだけど」

 

 それは一番考えたくもなかった可能性だ。

 この場に居るのは魔法が使えないスヴェンと治療魔法以外が使えないミアの二人だけ。

 かといってアシュナも多彩な魔法を使えるわけでは無く、風系統の派生魔法や身体強化魔法、そして精霊召喚魔法と種類だけでみれば少ない方だ。

 

「祈るか、即興で覚えるしかねぇか?」

 

「基礎からとなると最低一ヶ月の学習期間は必要になるかな。それでも初歩的な魔法に限られるけど」

 

「現実的じゃねえな」

 

 世の中に甘い話など無い。特に勉強に関する教養が無いスヴェンにとって何か一つを習得するにも人の倍の努力が必要だ。

 基礎知識すら無い魔法技術ならなおさらに時間を有することになる。

 スヴェンはままならない現実を受け入れながら、曲がり角を進むと--大部屋の入り口と壁に刻まれた文字を発見した。

 

「……『汝らの知恵を試す。未完の魔法陣を完成させよ』これはアンタの出番だな」

 

「任せて!」

 

 胸を張って張り切る彼女に些か不安を覚えるが、今の自分に出来ることはモンスターからミアを護ることぐらいだ。

 スヴェンはガンバスターを片手に付近にモンスターの気配の有無を確認してから大部屋に踏み込む。

 すると大部屋の中心に所々欠けた魔法陣が存在を強調し、ミアが早速魔法陣に近付く。

 

「未完の魔法陣……どんな効果を発揮させたいのかな?」

 

 ミアは完成図を想像するかのように魔法陣に刻まれた魔法式に視線を滑らせ、床に杖を突き立てた。

 

「……四属性の組み合わせと相合干渉による異なる属性の掛け合わせを一度に可能にする魔法……その試作段階の魔法陣ってことかぁ」

 

 彼女が魔法式を読み取ってから然程時間を有していない。

 だがミアは未完の魔法陣の完成図を瞬時に理解したのか、杖の先端に流し込んだ魔力で欠けた魔法陣に魔法式を手早く書き足していく。

 ミアが一切手を休めることなく次々と魔法式を書き足す。

 モンスターを警戒する傍ら徐々に欠けた箇所が埋める魔法陣に、スヴェンは思わず感嘆の息を漏らした。

 

「あとは此処にあの公式と地属性と水属性の複合属性を書き足してっと」

 

 ミアが最後の一文を書き足すと魔法陣が光だした。

 

「……完成したのか?」

 

「私が学んだ知識をフル活用して最適な魔法陣を完成させたけど、あとは判定次第かな」

 

 魔法技術に関して素人のスヴェンにとって、もはや何が何だか理解が追い付かず。

 

「あー結局どんな魔法が発動すんだ?」

 

「同時に属性を掛け合わせて複合属性を発動させる魔法陣……なんだけど実際に発動することはできないよ」

 

「アンタが治療魔法以外は使えねえからか?」

 

「違うの。あの魔法陣は試作段階で起こる現象結果を想定してるけど、発動を想定してない」

 

 魔法は発動を前提に魔法陣を構築するものだとスヴェンは、素人ながらそういうものだと理解していた。

 現象結果のみを追い求めた魔法陣をスヴェンは改めて視線を移し--この魔法陣は単なる化学反応、もとい魔法反応のメモ書き代わりなのか?

 

「発動しねぇってことは、あの魔法陣は単なるメモ書きってことか?」

 

「確かにあの魔法陣は私にとってもメモ書き程度だね。でも魔法陣に刻まれた魔法式が多ければ多いほど、必要な詠唱も必然と長くなるし魔力の消費量も増すんだ」

 

 ミアがそう答えると床に刻まれた魔法陣が突如として消失し、代わりに壁が開き出入り口がその姿を現した。

 

「およ? どうやら正解だったみたいだね」

 

「今回は視線は感じられねぇが、アンタのおかげで先に進める」

 

「……スヴェンさんってさ、前々から思ってたけど私ののことぞんざいに扱ったかと思えば素直に褒める時も有るよね」

 

「普段のアンタがアホなことを抜かせばぞんざいにもなるが、知識面と治療魔法は頼りにしてんだよ」

 

「普段の私って……魔法陣を構築してる時の私は別に見えたの?」

 

 スヴェンはその質問には答えず、歩き大部屋を出た。

 ミアがその後を追い掛け、彼女の不服そうな視線を背中に感じながら一本道を通路を進み続ける。

 何の変哲も無いただの通路を二時間ほど進んだ頃、スヴェンとミアは大扉に閉ざされた部屋の前に辿り着いた。

 その大扉の側で生き絶えた骸が鎮座し、ミアが息を飲み込む。

 ボロボロの布の服と折れた曲刀、砕けた右腕の方と折れた肋骨--何かと戦闘したのは明らかな骸だ。

 

「コイツは何と戦った? ……ん?」

 

 鎮座した骸の側に落ちている書物に気付いたスヴェンは、それを拾い上げた。

 ページをめくったスヴェンは記載された内容に視線を滑らせる。

 何ページか読み進めたスヴェンは途中で本を閉じ、深く息を吐き出す。

 それは二ヶ月前に首都カイデスを出発した冒険家ゾルゲ・ヴァルグラムが遺した冒険記と呼べる内容だった。

 

「どんな内容だったの?」

 

 --コイツの内容を語り伝えるのはアンセムの役目だな。

 

「コイツはアンセムの捜し物だ。内容に関しちゃあ、後でゆっくり読めばいいだろ」

 

「……そっか、じゃあこの人がアンセムさんの友人なんだ」

 

 悲しげな眼差しを骸に向けるミアにスヴェンは頷き、耳に微かに音が聞こえる。

 

「……音が聴こえたな」

 

 それだけ短くミアに伝え、スヴェンは音が聴こえる方向に歩き出す。

 すると壁から二人分の足音が響く。

 スヴェンはガンバスターを構え、近付く足音に顔を向ける。

 だが、顔を向けた先は何の変哲もない壁だけ。

 壁の向こう側に誰かが居る。

 アンセムとアシュナか、それとも別の人物か。

 警戒を浮かべるスヴェンとミアを他所に、突如と目の前の壁が動き出した。

 そこから現れる人影にスヴェンは反射的にガンバスターの刃を振り下ろす。

 人影が咄嗟に身を引くことでガンバスターを避け、そこではじめてスヴェンは人影の正体に気が付いた。

 

「あ、危ねぇ!? 殺す気かスヴェン!!」

 

 床を斬り裂いたガンバスターの側で怒声をあげるアンセムに、

 

「二人とも無事だったか」

 

 スヴェンはガンバスターを背中の鞘に納めた。

 

「おう、危うく死ぬところだったけどな」

 

「そいつは悪かった……だが、なぜ壁から?」

 

「あ〜上の階でモンスターに追い回されながら試練とやらを突破したら、此処に辿り着いたって訳だ」

 

「……疲れた」

 

「ふ、二人ともお疲れ!」

 

 自分達と違ってモンスターに遭遇したアンセムとアシュナが疲れ気味に息を吐き出し、ミアは二人の様子に苦笑を浮かべるばかりだった。

 二人と比べてスヴェンとミアのルートはモンスターとの遭遇は多くは無かった。

 苦労の度合いで言えばアンセムとアシュナの方が遥かに高い。

 それはつまり正規ルートは二人の道で、自身の進んだ道は裏道に相当するのかもしれない。

 

 --試練が用意されてんだ。正規ルートもクソもねぇか。

 

 スヴェンは一旦自身の考えを切り捨て、

 

「ま、合流できたんだ……いや、その前にアンタに見てもらいてぇもんが有る」

 

 大扉の側で鎮座する骸と遺された冒険記に関して伝えると、アンセムは弾けるように骸に駆け寄った。

 そして折れた曲刀とミアから手渡された冒険記を腕に、

 

「お前……こんな所に居たのかっ!」

 

 人目を憚らずアンセムは友の死に涙を流した。

 スヴェン達は友の死を嘆くアンセムが彼に別れを告げるまで静観した。

 通路に彼の慟哭がただ虚しく響き渡る。



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13-12.伝説を護るもの

 ゾルゲ・ヴァルグラムの骸に別れを告げたアンセムは立ち上がり、

 

「待たせたな」

 

 泣き腫らした目元で戯けるように言ってみせた。

 

「もう良いのか? なんなら此処で待ってても良いんだぞ?」

 

「バカ言うな。冒険家としてこの先を拝まなきゃ意味がねぇだろ」

 

 財宝は探索した階層かは発見することは叶わなかったが、最奥で何者かに管理されてるとすれば彼が此処で立ち止まる理由も無い。

 それにアンセムの眼差しから硬い意思を感じる。亡くなったゾルゲの分まで冒険家として成功すると。

 友情から来る死者の想いを背負う。その事にどんな意味が有るのか、むしろ面倒な重荷にしか思えない。

 

 --俺には理解できねぇことだらけだ。

 

 自身にとって死は死、それ以上でもそれ以下でも無い。戦場で当たり前のように訪れる。

 友人の死を経験したことは無いが、相棒の死でなぜ自分が生かされたのか未だ理解できない身でアンセムがどんな想いを抱いてるのかは理解が難しい。

 だからスヴェンは彼に『そうか』一言だけ告げ、

 

「準備はいいか?」

 

 ミア達に確認を取るように顔を向ける。

 

「私はいつでも大丈夫だよ」

 

「ん、準備万端」

 

 既に武器を構え、アシュナはいつでも魔法が唱えるように全身に魔力を巡らせていた。

 様子見していた声の主は、魔力を纏った衝撃波を容易く防ぐことが可能だ。

 それに遺跡内部の戦闘を見られていたならこちらの手札もある程度は知られている。

 だが、こちらはまだ全ての手札を使った訳では無い。

 スヴェンは声の主と対峙することを前提に大扉に手を掛けた。

 重々しい大扉を押し開け--大扉の隙間から瑠璃色の炎が溢れ出す。

 罠かと眉が歪むが、不思議なことに瑠璃色の炎はスヴェンの身体を焼かず、むしろ熱を感じさせない。

 スヴェンがそのまま大扉を押し切りると、一面に広がる星空と祭壇に安置された聖火台で燃え盛る瑠璃色の炎が視界に映り込んだ。

 遺跡の下層、その大部屋の天井で輝く星空にミアとアシュナの感嘆の息が耳に届く。

 

「コイツも魔法の一種か」

 

「こいつは投映魔法の一種だな。天幕に観客を集めて天体観測に使われる魔法だ」

 

 攻撃魔法の類では無いと話すアンセムにスヴェンは大部屋に踏み込む。

 すると突如として目前に--白い衣を着用しているが、顔付きと体格からは男性か女性とも判別が付かない、白い翼を広げた人物が姿を現す。

 警戒心を剥き出しにその人物を睨み、ガンバスターを構えれば、

 

「二ヶ月振りの来訪者達よ! よくぞ試練を突破し此処まで辿り着いた!」

 

 大袈裟な手振りと演技混じりの口調でそんなことを語る。

 

「はじめて天使を見たけど、演技派なの?」

 

 天使に対してどこか神秘的な印象を抱いていたのか、ミアは目の前の人物にげんなりとした表情で疑問を口にする。

 

「一万年もこの遺跡を任されたけど、ほんっと! 人が来ないっ! 昔の口調を忘れて感極まるのもしょうがないでしょ!」

 

 逆ギレ気味に叫ぶ天使にスヴェンは構えを解かず、アンセムに視線を移す。

 ゾルゲは遺跡で死亡した。それは天使が用意した試練で致命傷を負った可能性も捨て切れない。

 その可能性が有る以上はアンセムにとって天使はゾルゲの仇になり得る。

 

「此処に来たゾルゲ……来訪者はお前さんの試練に敗れたのか?」

 

「……彼は孤島諸島に上陸した時には右腕も仲間も失っていたよ。そんな状態でも試練を突破して……でも最後には徘徊するミノタウロスに致命傷を負ってしまったのさ」

 試練は突破したが最後の最後でモンスターに殺された。天使の語る目から嘘は感じられない。

 それにアンセムも気付いたのか、彼は無造作に頭を掻き……やがて単身で最奥まで辿り着くいたゾルゲに誇らしげな表情を浮かべた。

 

「……アイツはやっぱ凄い奴だよ。それで? お前さんは此処で何を護ってるんだ」

 

「どんな封印魔法も焼き解く浄炎と莫大な財宝さ……どっちを望む?」

 

 天使の質問にアンセムが先に答える。

 

「俺は財宝を望む。ソイツを持ち帰って漸く俺達の冒険が始まる」

 

「こっちは瑠璃の浄炎さえ手に入れば後はどうでもいい」

 

「両方選ぶか……その選択をしてくれたことに感謝する!」

 

 突如天使は狂気的な笑みを浮かべ、星空の天井に手を挙げた。

 

「『ガーディアンよ、我が呼び声に応じよ!』」

 

 詠唱と共に宙に魔法陣が形成され、その魔法陣から鋼鉄の騎士--機械仕掛けのガーディアンが鎧の隙間から騒音を奏でながら降り立つ。

 同時に土煙りが舞い、ガーディアンの魔力が迸る!

 

「さあ! 我が呼び声に応じしガーディアンよ! 最終試練に挑みし来訪者を討ち砕けっ!」

 

 声高らかに命じる天使にガーディアンが応じるように大剣を引き抜く。

 スヴェンは少なからずガーディアンの存在に驚きを隠せず、同時に奇妙な懐かしさが芽生える。

 ガーディアンの間接に露出した歯車とぎこちない駆動音。機械技術と魔法技術を掛け合わせた存在を見れば見るほど、デウス・ウェポンの機械兵器や機械人、アーカイブの兵器記録を思い出す。

 

 --造形は大昔のモンスター駆逐機のプロトタイプに似てるな。

 

「よく分からないけど……先手必勝?」

 

 アシュナはガーディアンに小首を傾げながら掌を向ける。

 同時にスヴェンは大剣構えるガーディアンに駆け出し、間接部分に向けてガンバスターを袈裟斬りに放つ。

 だがガーディアンは大剣を巧みに捌き、ガンバスターの刃を弾く。

 一撃一撃は対して重くは無いが速い。それにまだどんな機能が備わっているのか予想も付かない。

 警戒を浮かべながらアシュナの詠唱が耳に届き、スヴェンはガーディアンの真横に跳びながら刃を振り抜く。

 風の刃とガンバスターの刃が同時にガーディアンに届くが、風の刃はガーディアンの装甲に弾かれ--ガンバスターの刃は腕で防がれてしまう。

 

「硬いな。それに障壁とは違う魔法に対する防御もあんのか」

 

「硬い装甲と魔力障壁……っ! スヴェンさん! そこから離れてっ!」

 

 ミアの叫びと同時にスヴェンは後方に飛び退け、ガーディアンの頭部の魔法陣に魔力が集う。

 魔法陣から熱線が横薙ぎに薙ぎ払われ、床が熱線によって焼き払われる。

 

「……スヴェン、アレをどう攻める?」

 

「聞き耳立ててる天使が居なきゃあ、方法を話せるんだがな」

 

「あ〜天使を警戒してたが何もする様子がねぇよな。……正直邪魔だよなぁ」

 

「邪魔っ!? 我は封神戦争で誰にも破壊できなかったガーディアンを討ち倒すところが見たいんだ! というかそれが無かったらこんな場所に派遣志願なんてしないから!」

 

 白い翼を鬱陶しく羽ばたかせる天使の様子に、神秘的な印象も無ければさっそく単なる喧しい者にしか見えない。

 初めて出会ったミア以下のクソガキという印象さえある。

 頭に浮かんだ思考を捨て、スヴェンはその場から動かないガーディアンにガンバスターを構え直し、アンセムに目で合図を送る。

 アンセムは静かに頷き、スヴェンと同時に駆け出した。

 今度は左右から同時に刃を振り抜き、ガーディアンがその場で大剣を盾に防ぐ。

 

「硬いがっ!『雷よ我が刃に宿れ』」

 

 アンセムは曲刀に雷を纏わせ、今度は頭部に向けて刺突を連続で繰り出す。

 対してガーディアンは大剣で防ぐことは愚か、何もせず雷を纏った刃を受け入れるようにただ立ち尽くした。

 雷を纏った刺突がガーディアンの魔力障壁に防がれ、魔法が通じないのだと理解が及ぶ。

 魔法の使用を前提とした戦闘に対する対策。テルカ・アトラスにとってこれ以上に無い対策だ。

 だからこそスヴェンは魔力を使わない戦闘方法に瞬時に切り替え、力任せにガンバスターを振り抜く。

 

 ガジィーンンン!! 刃が鋼鉄の装甲を打ち付け、ガーディアンが僅かに揺らぐ。

 いくら硬かろうと衝撃は伝わる。

 

「コイツは物理的にぶっ壊した方が速そうだな」

 

「なるほど、理解した」

 

 ガーディアンは魔力を纏った大剣を横薙ぎに振り払い、スヴェンとアンセムは同時に身を屈める。

 刃が頭上を通過する中--魔力を纏った真空刃がミアとアシュナの下に飛来する。

 拙い! スヴェンが二人に冷や汗を流す中。ミアとアシュナは武器に魔力を纏わせ、真空刃を防いでみせた。

 

「くぅっ! 重い一撃っ!」

 

「……手が痺れる」

 

 二人の武器と筋力では何度も真空刃を防げないだろう。

 早めに決着を付けなければ追い詰められるっと判断したスヴェンはナイフを引き抜き、ガーディアンの間接に向けて投擲した。

 ガーディアンは飛来するナイフに反応するように大剣で払い落とす。

 

 --魔力を使った攻撃は魔力障壁、物理手段は大剣で防ぐのか。

 

 ガーディアンは攻撃に対する防御手段が決められている。

 まだ魔法技術という点から断言はできないが、スヴェンは素早く縮地でガーディアンを撹乱するように動く。

 それにアンセムが合わせるように素早く動き、頭部を忙しなく動かすガーディアンに二人が腕の間接部分に刃を放つ。

 刃をまともに受けた歯車が砕け、ガーディアンの腕がだらりと退がった。

 漸く間接の一つを破壊できたことにスヴェンは息を吐き、今度は右肩の間接部分にガンバスターの刃を突き立てる。

 視界の端で焦り出す天使の姿が映り込み、ガーディアンは大剣でスヴェンとアンセムを振り払おうと腕を動かすが、駆動に必要な歯車が壊れた状態では腕も上がらない。

 大剣が扱えない状態のガーディアンはそれでもその場から離れようとせず、今度は膨大な魔力を放出した。

 その瞬間、大気中に魔力が溢れ--ガーディアンの背中に天使の翼が広がる!

 解放された魔力と天使の翼に集う魔力がスヴェンとアンセムに威圧感を放つ。

 同時にスヴェンは気が付く。ガーディアンの狙いがこちらでは無く後方に控えるミアとアシュナだということに。

 

「アンセム、とどめは任せた!」

 それだけ告げたスヴェンはミアとアシュナの下に駆け出し、同時に二人に向かって天使の翼から極大レーザーが撃たれる。

 スヴェンはガンバスターに魔力を纏わせ、極大レーザーに対して腹部分を盾に構える。

 極大レーザーにガンバスターの腹部分で受け止める中、

 

「スヴェンさんっ!」

 

 ミアの悲痛な声が耳に響く。

 何も無策でこんな真似に出た訳ではない。ガンバスターの材質は竜血石を--竜王の竜血石で鉱石と共にエリシェによって鍛造された逸品だ。

 竜血石は素材の魔力伝導率と強打を増幅させる。だからこそスヴェンは魔力を纏わせたガンバスターの腹部分に魔力を一点集中させ、その魔力を解放させることで極大レーザーを受け止められた。

 質量を受け止められるなら弾くことも可能になる。

 スヴェンはガンバスターを打ち上げるように振り上げ、天井に向けて極大レーザーを打ち上げ--同時にアンセムの一閃がガーディアンの頭部を切断した。

 天井の星空を極大レーザーが貫く中、鈍い物音と天使の絶叫が響き渡る。



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13-13.天使と問答

 頭部を斬り落とされたガーディアンが機動停止し、背中の天使の翼が消え--訪れた静寂にアンセムが深いため息を吐く。

 そして彼は何を思ったのか、スヴェンの下に歩き出し、

 

「お前さんは、少しは自分の身を省みたらどうなんだ!?」

 

 鎖骨を指で突きながら叫んだ。

 確かにミアとアシュナの二人を、ガンバスターの性能に間を任せて庇った。

 それは下手をすれば三人共々まとめて極大レーザーによって分子レベルまで分解される危険性を孕んでいたのは事実だ。

 ただそれ以上にエリシェの技術力に対する信頼も有ったからこそ行動に移した。

 

「竜血石と鍛治師の腕を信頼した結果だ。何も無策に庇った訳じゃねえよ……無理そうだったら見捨てた可能性が高え」

 

「それはそれでどうかと思うが……それにしてもお前さんは、奴の弱点を的確に突いていたが知ってたのか?」

 

「ああいう間接が露出した手合いは馴染み深いってだけだ」

 

 その事を含めて沈黙したガーディアンの側で悲しげに佇む天使に視線を向ける。

 すると天使は涙を流しながら、

 

「ひぐっ! 駆動系統を破壊してから頭部を斬るなんて酷い!」

 

 そんな事を言い出した。

 意気揚々と試練だと謳い、ガーディアンを召喚したのは一体どちらか。

 そもそも戦闘において剥き出しの弱点を突くことは当然のこと。

 スヴェンは右腕を強く握り、筋力と握力で骨を鳴らしながら天使を睨む。

 

「ひっ! よ、よくぞ我が試練を突破した! そちらの人間は財宝を、異界人のお前には瑠璃の浄炎と伝説の竜剣を授けよう!」

 

 最初に出会った頃と印象が違う。初対面時は天使らしい神秘で底が読めない不気味な印象さえ受けたが、今の天使はどこか気弱で喧しい印象だ。

 こうもころころと印象が変わるのも妙な気分だが、天使が空間の穴から取り出した剣に眉が歪む。

 竜王から感じた似た魔力を剣身から放つソレにミアが感嘆な息を漏らす。

 

「スヴェンさん! 一振りで200のモンスターを薙ぎ払うと言われてる伝説の竜剣だってよ!」

 

 戦闘が楽になると喜ぶミアを他所にスヴェンは、天使が抱える竜剣に視線を向ける。

 一振りで二百のモンスターを薙ぎ払うということは、それ一本で軍勢を相手どる。それはもう戦略兵器の類だ。

 そんなオーバーキルにも等しい武器をこれみよがしに使う趣味も無ければ、自分には既にガンバスターが有る。

 

「瑠璃の浄炎は必要だが、竜剣なんざ要らねえ」

 

「えっ!?」

 

 天使が有り得ないと言わんばかりに目を見開き、

 

「ほ、本当に要らないの? 地上の頂点に君臨する竜の遺骨から鍛え上げた竜剣を……この機会を逃したら手に入らないかもしれないのに?」

 

「相棒で充分だ」

 

 それだけ告げると天使はしばらく不服そうに頬を膨らませた。

 要らない物を受け取って売った所で誰かの手に渡り悪用される危険性を考慮するなら、天使に保有させた方がより安全だ。

 スヴェンの思考とは裏腹に、それでもまだ諦めきれない天使を鋭く睨めば怯えながら漸く諦めた。

 天使は竜剣を空間に仕舞い、アンセムの下に眼が眩むほどの金銀財宝、様々な価値ある装飾品が納められた宝箱を大量に出現させた。

 

「こ、こんなにか? これだけ有ればパルミドの経済を立て直してもお釣りが来るな」

 

 莫大な財宝を目の前にしたアンセムが意気揚々と目的に夢想している中、スヴェンは先程から生じていた疑問を晴らすべく天使に質問する。

 

「ところでガーディアンは俺が知ってるプロトタイプに似た造形をしてるが、ガーディアンは機械技術でも使ってんのか?」

 

「あー、お前はデウス・ウェポン出身の異界人?」

 

 天使の質問にそうだと頷いて答えれば、天使は得心を得た様子で肩を竦めた。

 

「デウス神からこちらの世界の素材で製造した四体のガーディアン、それが提供されたのは二万年前だ。我々に整備できる知識も技術力も無いから量産は無理だったけど」

 

 整備ができないから破損した脚部をそのままに放置された。

 本来ガーディアンが推進剤ではなく純粋な魔力を出力に変換し、加速機能が備わっていたなら戦闘はより激化していただろう。

 

「なるほど……道理で魔力が噛み合う訳だ。だが、なぜアトラス神はデウス神からソイツを譲り受けたんだ?」

 

「魔法文明を維持したまま文明を繁栄できるかどうかのサンプルだよ。結果はいずれ機械技術の侵食で魔法文明と魔法技術の低下、モンスターにも対抗できず、遠い未来で星に還す魔力も足りなくなって滅亡するから技術修得は断念したよ」

 

 確かにテルカ・アトラスのモンスターは障壁で物理的な手段を防いでしまう。

 しかし先程のガーディアンの魔力障壁を考慮すれば、そう遠く無い未来でモンスターも魔力障壁を展開するようになるのではないか?

 スヴェンはモンスターの進化の可能性を頭の中で浮かべては、内心で気にしたところで無意味な話だと断じた。

 

「えっと、じゃあ貴重なサンプル体を試練に使っちゃたんだ」

 

「うぐっ……封神戦争時代に誰にも破壊されることが無かったから試しに運用したけど、何千前かに訪れた呪われ子に一体破壊されたし」

 

 もう用済みとは言え、ミアから見たガーディアンは貴重品--古代遺物に等しい価値有る物に見えたのか、彼女の眼がもったいないっと語っていた。

 確かにテルカ・アトラスではガーディアンは貴重だが、

 

「確認しておくが、アレに自立思考プログラムは組み込まれてたのか?」

 

 危険性を考慮して訊ねると天使は小首を傾げる。

 

「なに、それ? 呪文? 召喚者の指示を判別、認識する魔法が使われてるけど……」

 

「いや、使われてねぇなら良い」

 

 返答に不信感を感じたのか、四人がなぜそんな質問をしたのか問たげな視線をぶつけてくる。

 使われていない以上、それは単なる杞憂で余計な情報を与える必要も無い。

 スヴェンは四人から顔を背けることで黙秘権を行使した。

 

「あー、こうなったスヴェンさんは絶対に答えないよ」

 

 ミアのため息混じりの代弁に、アンセムとアシュナの二人が理解を示した様子で頷き、天使は訳が分からないと肩を竦めた。

 ガーディアンに自立思考プログラムが組み込まれていないのは不幸中の幸いとも言えた。

 あのプログラムは機械兵器に思考を持たせ、周囲の情報から学習を重ねやがて最適な結論を導き出す。

 星に巣食う癌--人類の抹殺を導き出す危険性が孕んでいる。

 それで過去にデウス・ウェポンはモンスターと機械兵器の同盟により滅びた歴史が在る。

 同時に機械兵器もモンスターに取り込まれる形で、再誕した人類に機械兵器の開発と発展を抑制させる結果になった。

 尤も戦争時代か極端に少ないテルカ・アトラスで自立思考プログラムが同じ結論を出すとも限らないが。

 

「ささ、今のうちに質問を受け付けるよ」

 

 天使の質問を促す声にスヴェンは思考を切り替え、何を質問すべきか考え込む。

 

「はい! 私からの質問! アトラス神は封神戦争以降は力の大半を失ったって聴いたけど本当なの?」

 

「本当だけど、アレから随分と時が経過したからね。アトラス教会の献身も有ってアトラス神は回復してるよ」

 

「それじゃあ邪神が復活しても安心ってことなのかな?」

 

「…… この星は二度の封神戦争には耐えられない。だから邪神の復活は人の手で絶対に阻止して」

 

 天使の返答に一つだけ質問が浮かんだスヴェンは、

 

「あの大瀑布は2柱の余波でできたのか?」

 

 孤島諸島の奥に広がる大瀑布に付いて訊ねた。

 すると天使は悲しげな表情で答えた。

 

「そうだよ……今では孤島諸島って呼ばれてるらしいけど、元々はテルカリーエ大陸って呼ばれてたんだ。そこは天使と悪魔、人間と魔族が共存していた大陸さ」

 

 広大な大瀑布に付いて理解したスヴェンは、それ以上の質問は無いと天使から視線を背ける。

 そこにアンセムが入れ替わるように天使を真剣な眼差しで見詰め、

 

「お前さん……顔だけ見れば美男子に見えるけどよ、どっちなんだ?」

 

 心底どうでもいい質問を天使に問いかけた。

 

「アンセムさん、他に質問は無かったの? それに天使に性別の概念は無いって聴くけど」

 

「そこの青髪の美男子の言う通り、我々天使に性別の概念は無いよ。むしろ上半身が女、下半身が男。その逆が当たり前に居るのさ」

 

「私は美少女! いくら天使でもそこを間違えたら容赦しないよっ!」

 

 ミアは天使の間違いに殺気を放ちながら警告を放ち、

 

「わ、悪かったよ」

 

 天使は怯えた様子でミアから距離を取った。

 

「……なるほどなぁ、翼が無ければ見た目は中性的な人とたいして変わらないってことか」

  

 確かにアンセムの言う通りだ。

 天使の羽が無ければたまに町中で見掛ける中性的な人にしか見えない。

 スヴェンも天使に半ば納得しながら大部屋の隅に歩き出す。  

 硬い床を歩き、カツン、カツンっと音を立てながら歩くと、

 

「そこの異界人、我が部屋で何をする気だ?」

 

 緊急事態を除けば、無許可に転移クリスタルを設置するほど非常識では無い。スヴェンは天使に振り向く。

 

「ここに転移クリスタルを設置してぇんだ」

 

「……あ〜、記憶を覗き……おえっ!」

 

 自身の記憶を覗き込んでいた天使は急に吐気に襲われ、その場で胃の中に有るものを全て床にぶち撒けた。

 恐らく記憶を覗き込んだのは、エルデ擬きを再現する時だろう。

 その時に自身の記憶を全て覗き込み、人が瞬きする間に肉片に変わる光景でも見て思い出してしまったのだろう。

 

 --他人の記憶を無遠慮に覗き込めば知らなくてもいい情報が入る。アイツはその良い例だな。

 

 スヴェンは汚物をぶち撒けた天使に素知らぬ眼差しを向け、ミア達は心配そうに天使の背中を摩る。

 

「あ、ありがとう……事情は理解したから転移クリスタルだっけ? 設置していいよ、ついでに暇だから我を連れ出してくれるとありがたいなぁ」

 

 許可を得たスヴェンは早速ポーチから取り出した転移クリスタルをその場に設置し、今度は祭壇に向かって歩き出す。

 

「ふ、ふふっ……無視とはつれないなぁ」

 

「スヴェンさ〜ん! 天使の同行に付いて少しだけ考慮してみない?」

 

 ミアの助け舟を背中に受けたスヴェンは、ポーチから封炎筒を取り出した。

 筒を開けると瑠璃の浄炎が封炎筒に吸い込まれ、瑠璃の灯りが封炎筒に宿る。

 これで一旦エルリア城に持ち帰り、保険を用意したのちにヴィルハイム魔聖国侵入を決行するのみ。

 刻々と近付く旅の終わりを実感したスヴェンは、漸く天使に振り返る。

 

「アンタの同行で邪神教団がどう動き出すか読めねえ以上、連れて行く訳にはいかねぇ……ってか外に興味があんならテオドール冒険団に入ったらどうだ?」

 

 同行の断りを入れつつテオドール冒険団の加入を勧めたスヴェンに、アンセムが天使に歓迎だと言わんばかりに頷く。

 

「そいつは良いアイデアだ! 正直に言えば帰りの不安があってな、お前さんが良ければ大歓迎だ」

 

「やった! こんな狭い場所から抜け出せるなら何処でも良いよ!」

 

 大手を広げて喜ぶ天使に遺跡の管理やら細かい部分に付いて疑問が生じたが--俺が気にする必要もねぇし、クルシュナ達が手を加えんだろ。

 スヴェンが内心で生じた疑問を片付け、アシュナと天使の腹から空腹を告げる音が鳴り響いた。

 

「異界人は何か食べられる物は無い? 携行に特化した食べ物……そう、例えばレーションとかさ」

 

 物好きな天使も世の中には居るものだなぁ。感心半分とあんな食事擬きを自ら要求する恐れ知らずに呆れるべきか。

 きっと知らないからこそ好奇心で要求してしまうのだろう。以前のミアのように。

 

「……実は気になってた」

 

「しっ! アシュナは止めた方が良いよ」

 

 好奇心に駆られたアシュナを制するミアを他所に、スヴェンはポーチから取り出したレーションを天使に投げ渡す。

 すると天使は包みを剥がし、レーションを一口で口に放り込んでしまった。

 天使の行動にスヴェンとミアは眼を見開き、咀嚼音を鳴らす天使を思わず心配してしまう。

 

「うーん、変わった食感と味、あじ? あじ……あ、ジ? ゔっ!?」

 

 案の定と言うべきか、天使は有り得ないほど不味いレーションに見る見るうちに顔が青ざめ、食べ掛けのレーションを再び床にぶち撒け、気を失いながら仰向けに倒れた。

 なるべくしてなった結果にスヴェンは何も言えず、アシュナがミアの側で床に捨てられた包みに震えるばかり。

 

「天使を吐かせる……激物?」

 

 消えそうなアシュナの声にスヴェンとミアは頷く他になかった。

 アンセムもレーションに付いて冒険したくは無いのか、惨状に眼を逸らし聴き心地の良い口笛を奏でる。

 

「……アンセム、俺達は回収するもんは回収した。楽な脱出方法は気絶してる奴に聞け」

 

「……あぁそうか、もう別れの時か。案外早いもんだなスヴェン」

 

「そんなもんだろ」

 

 名残惜しむアンセムにスヴェンは肩を竦めた。

 

「アンタとテオドール冒険団には随分と世話になったな。正直に言えば、アンタとあの酒場で出会わなければどうなったことか」

 

 少なくとも足踏みした挙げ句、悪魔の海域を抜けられず終わっていたかもしれない。

 

「それはこっちのセリフでも有るさ。お前さんら三人には随分と助けられた……また機会が有れば共に冒険でもしようぜ」

 

 アンセムから差し出された握手の腕をスヴェンは、拒まずその腕を掴んだ。

 

「そん時はまたよろしく頼む」

 

 アンセムと別れを済ませたスヴェンは横にズレ、ミアとアシュナがアンセムと別れを告げる様子を静かに見護った。

 異世界で船旅の体験と大瀑布の光景、悪く無い体験に自然と笑みが零れたのも無理はないことだった。



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13-14.一時帰還

 アンセムに別れを告げたスヴェン達は、瑠璃の浄炎を封じ込めた封炎筒を片手に小型転移クリスタルでエルリア城の地下広間に転移していた。

 大型転移クリスタルの光と共に地下の硬い床に着地したスヴェンは、周囲を見渡しては壁から感じる視線に警戒心を宿す。

 久し振りにエルリア城に帰還して不審な視線が出迎えた。傭兵として無視もできないスヴェンはミアとアシュナの驚愕を他所にガンバスターの刃を壁に突き刺した。

 硬い壁を貫いたガンバスターの刃に血痕は流れず、気配が遠退く様子に舌打ちを鳴らす。

 

「逃したか……いや、地下空間の壁には人が通れる通路があんのか?」

 

「急に壁を突き刺したと思えば、そういうことなのね。その件は姫様に相談してみない? 城内に隠し通路が在るなんて話しは私も聴いた事が無いしさ」

 

 それが賢明な判断とも言えるが、正直に言えばレーナには不安要素を与えたくは無い。

 瑠璃の浄炎を得た結果報告と保険の用意。二つの報告を告げるために一時的に帰還したに過ぎないのだ。

 だが、謎の気配も放置しては内部工作の隙を招くことにもなる。

 傭兵としてどちらが賢明な判断と言えるのかは、もはや考える余地も無いのは明らかだ。

 

「姫さんに報告するにしても現在時刻は何時だ?」

 

「うーん、地下室はあまり人が訪れるような場所じゃないからなんとも言えないけど、先ずはエントラスホールだね」

 

 確か地下室から上がれば、先に着く場所はエントラスホールだ。そこには窓も有れば魔法時計も備わっているため現在時刻を把握するのは容易い。

 それに時間帯問わず見張りの騎士や使用人が誰かしら居る。そこからクルシュナに取り次いで貰えば多少は気楽にもなる。

 スヴェンは漠然と予定を立て、お腹を空かせたアシュナに振り向く。

 

「アンタは先に食堂にでも行って何か食って来い」

 

「ん。そうさせてもらう……それに別口でオルゼア王様に報告義務も有る」

 

 アシュナはそうい言うと音も立たず、目の前から忽然と姿を消しては地下室から立ち去った。

 相変わらず素早く隠密に長けた技術を有する。だからこそアシュナは魔王救出の要の一つにたり得る。

 アンセム達に姿を見られ、そこから邪神教団に露呈しないかとという点だが、彼らはまだ孤島諸島に居るためテオドール冒険団から情報漏洩は無い。

 逆に首都カイデスでは国の経済状況から金欲しさにあらゆる情報を売りかねない懸念材料が転がっているのも明白だ。

 スヴェンは思考半分にミアと共にエントラスホールに足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エントラスホールの窓から差し込む月明かりと魔法時計に視線を向けたミアは、

 

「21時……そんなに時間が経過してたんだね」

 

 息を吐きながら肩を落としてみせた。

 流石に食事も摂らないまま続いた遺跡探索で彼女も疲れたのだろう。

 スヴェンは鎧の金属音と足音に耳を傾け、魔法騎士団の見張りがこの場所に近付いてると察し、同時に自分達が死亡扱いを受けていることを思い出す。

 

「……そういや、死んだ扱いだったな」

 

「ゴーストって殆ど見掛けないけど、騎士は聡明な人が多いから大丈夫じゃない?」

 

 ミアが気楽に語り、内心で面倒が無ければそれで良いと思えば、ガシャンっ! 物音がエントランスホールに響き渡る。

 二人で音の方向に視線を向ければ、床に腰を抜かした若い騎士が顔面蒼白で声を震わせながら、

 

「……し、死んだはずのスヴェンとミアがっ!? っあ、出たぁぁぁぁー!!」

 

 どうやら偶然出会った騎士は聡明とは言い難いようだ。

 絶叫を放った騎士の悲鳴に続々とエントラスホールを目指し、金属音が鳴り響く。

 その中に事情を知るラオ辺りが居れば話しは速いが、スヴェンは妙な期待感を捨て呆れたため息を吐く。

 

「落ち着け、死者ってのは饒舌に喋るものか?」

 

 騎士に冷静になるように声を掛け、騎士はハッとした様子でゆっくりと息を吸い込む。

 やがてこちらをじっと見つめては、自分達が生きてると気付いたのか、安堵の息を吐きながら立ち上がった。

 

「な、なんだぁ〜生きてたのか。二人は死亡したものだと報告が挙がってたからてっきり」

 

「その辺の事情は姫さんが把握してる」

 

「あ〜なるほどね。ジルニアにエルロイ司祭が出現し、アンドウエリカ達と交戦したとも聴いてるからなぁ」

 

「……だからカノン先輩は嘘の情報を流したんだ。という事は下手をしたらエルロイ司祭に追撃されてたかもしれないね」

 

「上手く行ったかは判らねえが、パルミド小国で邪神教団らしき気配は感じなかったな」

 

 エントラスホールに続々と魔法騎士団が集まる中、彼らはこちらの顔色から生きていたと判断し、静かに身を翻した。

 

「さあ全員持ち場に戻れ〜! 西塔三階警備の者は使用人に二人が帰還したことを姫様に報告するように伝言を伝えろ」

 

 警備部隊の隊長らしき騎士の指示を受けた騎士が、急ぐようにその場を駆け出して行く。

 

 --柔軟性が高え連中だな。

 

 組織としての柔軟性を持ち合わせた魔法騎士団に舌を巻いたスヴェンは、目の前の騎士と情報交換を続ける。

 

「国内でも見張っていた邪神教団の部隊がヴェルハイム魔聖国に撤退を確認してるが……同時に南部の国境線が緊張状態に落ちた」

 

 スヴェンが南部の国境線に疑問を浮かべる中、ミアが驚き目を見開く。

 

「ミルディル森林国に何が起きたの!?」

 

「詳しい事は分からないが、オルゼア王の命令でラオ副団長が部隊を率いて国境合同訓練に出向いているのさ」

 

 南部の国境線でミルディル森林国の兵士が武装し、軍を展開してるとして--それが邪神教団の計略によるものなら両国の合意による合同訓練の名目でなければ魔法騎士団は動かせない。

 そうでもしなければ魔王アルディアに対して邪神教団がどう動くのか。

 北と南からエルリアが挟み込まれた状況で魔王を人質として温存しておく理由がまだ有るとすれば、まだヴェルハイム魔聖国の封印の鍵が連中の手に堕ちていないっと推測が浮かぶ。

 だが、それも時間の問題だろう。

 

「俺達も急いだ方が良さそうだな」

 

「確かに急ぐに越した事は無いけどよ、一泊ぐらいはした方がいい。きっと姫様だって直接報告を訊きたいだろうしさ」

 

 そう悠長に言ってられる状況でも無い。むしろ南部の国境線で行われる擬似的な戦場に参戦したいと傭兵としての本能が疼いている。

 そこにもどかしさを感じる中、ゆったりとした足音がエントラスホールに響き渡り、

 

「左様、騎士殿の言う通りだよスヴェン殿」

 

 クルシュナの声にスヴェンとミアが振り向く。

 

「アンタか。例の物はここに……転移クリスタルでいつでもあの場所に行けるが、どうする?」

 

「保険はあと一歩の所まで完成しているがね、やはりサンプルは必要でね……すまないが我輩をその場所まで案内してくれまいか?」

 

「了解した。ミア、アンタは先に飯でも食っておけ」

 

「いいの? 私も同行した方が良くない?」

 

 祭壇の大部屋に危険は無い。

 それに残業やサービスも傭兵としての役目だ。

 

「いや、アンタの疲れ切った顔を見てるとこれ以上振り回すのはなぁ」

 

「む、そう言われると無理強いし辛い」

 

「安心したまえ、彼と共に行くのは我輩だけでは無い。技術開発部門の研究職員達もだ」

 

 クルシュナが笑みを浮かべながらそう告げると、ミアは納得した様子で大人しく引き下がった。

 それだけ技術開発部門の研究者は魔法の腕も立つのだと証明にもなる。

 

「そんじゃあささっと済ませてしまうか」

 

 スヴェンはクルシュナと共に地下広場を目指す前に足をとめた。

 地下広場で感じた不審な視線と気配に付いてどうにも引っ掛かりを覚える。

 ミアと騎士が疑問を宿した眼差しを向けるも、疲れているのかエントラスホールを静かに立ち去る。

 この場にスヴェンとクルシュナだけが残され、

 

「そういや、地下で不審な視線と気配を感じたんだが何か心当たりは有るか?」

 

 技術開発部門の副所長の彼に訊ねた。

 

「不審な気配……我輩も以前、アンノウンの遺体経過報告にオルゼア王の執務室を訪れた時に、不審な気配を感じたものですがな。しかしだとすればオルゼア王が何かを隠してるの明白」

 

「……ソイツはオルゼア王が関与してるっと捉えてもいいのか?」

 

 そう訊ねればクルシュナは楽しげに頷くばかり。

 事の真意がどうであれ、娘のレーナを大切にしてるオルゼア王が彼女を危険に曝す行為はしないだろう。

 考えられるのはオルゼア王の知人か。存在を隠す必要が有る最重要人物の可能性。

 その可能性が考えれる以上、下手に藪を突く真似は逆に危険を招くことになる。

 一度ガンバスターを不審な気配に向けて突き刺したが、今にして思えば少々軽率だったのは歪めない。

 スヴェンはいま考えても仕方ない事だと切り捨て、歩き出した。

 その後エントラスホールを出た二人は研究職員達と合流し、転移クリスタルで再び祭壇の大部屋に戻るのだった。

 そこで燃え続ける瑠璃の浄炎を目にした研究者達が、興味と関心を示し多数のサンプルと実用的な発明を幾つも話し合うことに--スヴェンが頼んでいた保険の改良も含めて。

 同時に研究者を交えた瑠璃の浄炎を運用した作戦に付いても話し合い、スヴェンは一つの選択に頭を悩ませながらもゆっくりと結論を導き出す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンがクルシュナ達と話し合ってる頃、食事を済ませたミアはレーナの執務室に招かれていた。

 レーナは書類に羽ペンを走らせ、疲れ気味に眉間を伸ばしてはミアに笑みを向ける。

 

「久しぶりね、変わりは無いかしら?」

 

「えぇ、スヴェンさんもアシュナも私も変わりは無いですよ」

 

 スヴェンは不在だが、レヴィとして接してる内に彼女を友人として見るようになった影響か、以前ほどの緊張感は無い。

 ミアはレーナに微笑みを浮かべ、

 

「姫様、孤島諸島から一時的に帰還しましたことを改めてご報告させて頂きます」

 

 朗報が有ると告げればレーナの表情が疲れを吹き飛ばんさんと明るくなる。

 

「テオドール冒険団を率いるアンセム・テオドールさんのご協力のおかげで孤島諸島に眠る瑠璃の浄炎を持ち帰ることができました!」

 

「そう! それは朗報だわ! 後でテオドール伯爵に感謝状を贈るとして……スヴェンはどうしたのかしら?」

 

 スヴェンの不在に付いて訊ねるレーナにミアは苦笑を浮かべた。

 彼も疲れてる筈なのに別件を熟している。傭兵だからなのか、それとも彼の根が真面目な性格がそうさせているのかは分からないが、孤島諸島に戻るのは明日でも良かった筈だ。

 ミアは小さくない不満を隠しながらレーナに答える。

 

「スヴェンさんはクルシュナさん達と孤島諸島に出向いてますよ」

 

「はぁ〜研究熱心なのも良いけれど、少しはスヴェンも休むべきね」

 

「でもその話をすると温泉宿で十分休んだって答えそうですよ」

 

「……温泉宿、ね。貴方達が死域を突破したあとエルロイとアウリオンが温泉宿に現れたそうよ」

 

 もしもあの時、ドラクル討伐完了まで滞在を選んでいたら。

 温泉宿に現れたエルロイ司祭と戦闘に入り、損害を被るか全滅していたか--それともスヴェンの戦闘能力と封印の鍵で作戦が露呈していた可能性も考えられる。

 ミアは内心で少しでも選択肢を間違えれば危うく全てが台無しになっていたと肝を冷やした。

 

「危なかったぁ! カノン先輩の作戦も無かったらどうなってたんだろう」

 

「そうねぇ、追撃は続いていたと思うわ。それにアウリオンもエルロイの前じゃあスヴェンに対して手を抜けないから、相当危険な状況になっていたのは間違いないわ」

 

 本当に何かのきっかけで事態が好転もすれば悪化もする。

 同時にミアはジルニアで出会った邪神教団の二人組とラウルの顔が浮かぶ。

 彼らも何かのきっかけで道を選べたのか、その事が気懸りで把握してるだろうレーナに三人に付いて訊ねた。

 

「姫様はジルニアのラウルくんと邪神教団の二人組に付いて何か知ってますか?」

 

「もちろん知ってるわよ。三人とも保護観察を受けることになったけれど、近々ラピス魔法学院に編入予定になってるわ」

 

「そうなると三人とも中等部に編入ですか」

 

 ミアの呟きにレーナは静かに頷く。

 魔王アルディアの救出が終われば予定通りにエルリア城で治療師の職務に戻ることになる。

 幸いラピス魔法学院とエルリア城は隣接してるため、何か休憩の合間に様子を見に行ってもバチは当たらないだろう。

 

「今日はスヴェンも来そうに無いわね」

 

 スヴェンを労いたいのか、それとも単純に彼と話すことを楽しみにしていたのか、レーナは少しだけ残念そうな表情を浮かべ吐息を漏らした。

 その仕草と表情だけで絵になるが、間近で見れば見るほどレーナの美しさに胸が躍る。

 ミアは敢えて平静を装いながら笑みを取り繕う。

 

「私の方からスヴェンさんに伝えておきますか?」

 

「んー、特に用があるわけじゃないのよ。ただ、少しだけ世間話でもっとね」

 

 公務の羽休めに世間話に興じたかった。それなら自分でも充分に思えるが、大人のスヴェンに頼りたい一面の有るのだろう。

 なんとなくそう読み取ったミアは敢えて何も言わず、微笑んだ。

 

「……あと少し、あと少しでアルディアの救出が叶うのね。だけど、貴女達が犠牲になっては何の意味も無いわ。それだけは彼にも伝えておいて」

 

「えぇ、巨城都市の潜入活動は骨が折れそうですからね……スヴェンさんにも無茶はしないように念を押しておきますよ」

 

 レーナの悲願でもある魔王救出は絶対に達成しなければならないが、そこで死ぬ気は毛頭ない。

 まだ故郷を救えていない状態で倒れる気など無い。

 

「それと貴女達はこれからエルリアで起こる事態を気にせず進みなさい」

 

 ミルディル森林国の状況、北の国境線、巨城都市に集結を始めた邪神教団。

 それは、邪神教団がエルリアにたいして大規模な攻勢に出ることに他ならない。

 だとすれば出所不明のアンノウンや未だ発見に至らない例の取引相手が気掛かりだ。

 だがレーナの不敵な笑みにそれらの杞憂が一気に消し飛ぶ。

 ミアは彼女の表情から安堵の息を漏らし、程なくして執務室を退出した。

 そして翌日の早朝、クルシュナから保険を受け取ったスヴェンはミアとアシュナと共に首都カイデスのエルリア大使館に大型転移クリスタルで転移したのだった。



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間章四
氷結閉ざされし魔王


 魔王城の王座の間は冷気が立ち込め、アウリオンは白息と共に天井まで届く氷柱に視線を向ける。

 その人物は氷柱の中で眠り、美しい長い銀髪が風に揺れることもなく、綺麗な紅い瞳が開かれることも無い。

 三年も氷柱の中で眠り、意識で語りかけることもなくただ沈黙を貫くばかり。

 完全に静止した魔王アルディアの姿にアウリオンの心が痛む。

 

 --魔王様の解放まであと一歩。

 

 あと一歩の所まで来た。だがその最後の一歩が酷く遠いようにも思える。

 噂で聴いたスヴェン達の死亡が真実か如何かは判らないが、あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。

 アウリオンはまだスヴェンは生きているのだと心中で思いながら、段差に座る人物に漸く視線を移す。

 中性的な顔立ちでいながら異質な爬虫類乃瞳を持つ呪われた存在に。

 

「相変わらずエルロイ司祭は此処から離れないのだな」

 

「そう邪険にするなよ。わたしはこう見えても人質は慎重に扱う方だ……他の連中は上質な魂と魔力を持つ魔王を生贄としか見てないだろ」

 

 確かにエルロイの言う通り邪神教団の信徒は魔王を生贄として見做している。

 しかし、それは軽薄な表情を浮かべるエルロイも同じなのでは? 

 三年もこの人物の配下として従っているが、未だに何を考えているのか真意が読めない。

 

「お前は違うともでも言うつもりか?」

 

「そう恐い顔するなよ。確かに彼女を凍結封印したのはわたしさ……しかし、そうでもしなければならない理由も有るのさ」

 

「ほう? 是非ともその理由とやらを聞かせ願いたいものだが?」

 

「生憎とわたしが秘密を話すのは、わたしを打ち負かした者にと決めていてね。それに……あの男なら役に立ってくれそうだ」

 

 エルロイが言うあの男とは一体誰のことなのか? しかし訊ねてもエルロイは指示に関する内容に対してしか話さない。

 いまこうして言葉を交わすのも稀で、普段のエルロイなら適当なことを抜かして煙に撒く。

 それが何故いまになって舌がよく回るのか。

 

 ー-邪神教団もそろそろ動き出す頃合いということか。

 

 現に巨城都市エルデオンに邪神教団の信徒達が続々と集まり、その数は既に五万を超えている。

 スヴェン達を都市内部に潜入させ、最下層部の組織によって支援を行う予定だが、恐らく一筋縄ではいかないだろう。

 アウリオンは魔王城と各階層で徘徊する不気味で異形の信徒を浮かべながら、

 

「それで? 司祭の立場に居ながら此処でのんびりしていて良いのか?」

 

 さっさと何処かへ行けっと邪険に扱えば、エルロイはわざとらしく肩を竦める。

 

「たまにはサボらないとやってられないのさ。それにお前が魔王を解放しないとも限らないだろ?」

 

「知っての通り俺には彼女を救う手段が無い。それは貴様も理解してることだろう」

 

「それだけお互いに信頼が無いと言うことだ」

 

 突然魔王アルディアを凍結封印し、サルヴァトーレ大臣を殺害した連中を誰が信用できるものか。

 アウリオンは心の中で巣食う敵意を奥底へ隠し、それでも言葉を吐き捨てる。

 

「どの口が語るんだか……封神戦争時代から生きたお前ならやり用は幾らでも有ったはずだ」

 

 確かにエルロイに対しては強い敵意が有るが、同時に彼は伝承に記された封神戦争時代を生きた証人だ。

 間違いなく知識と経験だけなら彼を凌ぐ者は、同じく邪神に呪われた彼女ぐらいだろう。

 アウリオンの素朴な疑問にエルロイは昔を懐かしむ眼差しを虚空に向け、

 

「永い時を無駄に生きて、未だ最適な解答に辿り着いた試しが無いな」

 

 そんな事を諦観した様子で小さく呟いた。

 アウリオンはエルロイから視線を外し、わずかにアルディアに視線を向けては歩き出す。

 

「もう行くのか? もう少し話に付き合ってくれても良いじゃないか」

 

「お前が質問に対して全て正直に答えるなら考えるが……お前が出席予定の会議時刻が過ぎてるぞ」

 

 アウリオンは魔法時計に視線を向け、そう告げるとエルロイは慌てた様子でその場から立ち上がった。

 そして何も語る事なく走り去って行く。

 邪神教団の司祭がそれでいいのか? そんな疑問が頭に一瞬だけ浮かぶ。

 アウリオンは浮かんだ疑問を振り払うように頭を横に振り、息を吐き出す。

 邪神教団が集った影響で巨城都市内の警備が厳重だ。そして現時点でこちらを監視する視線も有り、迂闊にスヴェンと接触できない状態だ。

 一応フェルム山脈に兵士を潜伏させているが、嫌な報告も上がっている。

 

 スヴェン達はフェルム山脈に巣食う脅威を退け、潜入しなければならない。

 そして本番は巨城都市に潜入にしてからだ。如何にして邪神教団が蔓延る階層内部を進むか。

 最下層に潜伏させた兵士と彼らにスヴェンと共有すべき情報は全て伝えてあるが、果たして互いに信用できるかどうか。

 

「魔王様、もう暫しご辛抱をっ」

 

 アウリオンは魔王の間から下層の商業区に足を運ぶべく歩き出した。



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第十四章 フェルム山脈を超えて
14-1.旅の終点に向けて


 首都カイデスのエルリア大使館に転移したスヴェン達は、グランデ大使に呼ばれて彼の執務室を訪れていた。

 ミアの真剣な眼差しに視線を向けたグランデ大使は感慨深い息とと共に、

 

「その様子を見る限り、必要なものを手に入れたようじゃな」

 

 穏やかな笑みを浮かべた。

 

「テオドール冒険団の協力のおかげでな……だがゴールドダイン公爵の息子が死亡、孤島諸島でゾルゲ・ヴァルグラムの死亡も確認した」

 

 テオドール冒険団に被害が出た訳ではないが、スヴェンは今回の件で死亡した二人の名を告げた。

 尤も悪魔の海域直前まで追って来たティンギル・ゴールドダインに限って言えば完全な自業自得に過ぎない。

 グランデ大使は悩ましげに眉を歪め、

 

「ティンギル殿がゴロツキを雇い、勝手に船を動かしたとゴールドダイン公爵は激怒しておったが……ふむ、この件はテオドール冒険団の帰還に合わせて報告するとしよう」

 

 公的にスヴェン達はテオドール冒険団と共に出航したことになっている。

 それは出航同時に彼らを見送った住民達が目撃者として証言する。

 だから先んじて帰還した自分達と未だ判明していないティンギルの死をグランデ大使が公的な場所で告げることは、小さな疑いの芽を蒔くことになりかねない。

 グランデ大使の決定にスヴェンは一人納得を浮かべながら、

 

「俺達はこのままフェルム山脈に向かうが、呼び出した理由ってのは?」

 

 本題に付いて訊ねるとグランデ大使は控えさせていた騎士に木箱を持って来させた。

 そして自ら執務机の上に木箱を乗せ--丁寧に折り畳まれた非常に見覚え有る衣服に三人の眉が歪む。

 スヴェンは見間違えだ、そう思いながら折り畳まれた衣服を広げて見せる。

 しかし現実は無情で何処をどう見ても見覚えが有り、潜入時の装い以外で着たくない衣服だった。

 

「……コイツは、邪神教団のローブじゃねえか」

 

 同時に確かにこれなら潜入時に役に立ち、ヴェルハイム魔聖国から発せられた招集令に紛れることもできる。

 

「これを着て巨城都市エルデオンに潜入……でも流石に招集令も終わった頃かも」

 

 現在七月十九日、招集令に付いて知ったのはジルニアに居た時だ。

 ミアの指摘通り、あれから経過した日数を考えれば邪神教団の集結が完了してる可能性の方が高い。

 

「その可能性の方が高えか」

 

「懸念は理解しておるとも。しかし潜伏中の魔族から齎された情報では、まだ集結は完了しとらんようじゃ」

 

「それは確かな情報なのか?」

 

 情報の信憑性に付いて疑ってかかるとグランデ大使が笑って見せた。

 

「情報は交戦中の魔族からフィルシス騎士団長に告げられたものじゃ。お主なら戦闘中に情報を伝える、これが如何に危険か判るじゃろ?」

 

 フィルシス騎士団長と魔族が内密に決めた情報交換の方法。

 それが可能な機会が北の国境線の戦場のみ。そして実行を移すには信徒の監視を掻い潜った状況でなければならない。

 戦場という不確かな場で接触するには正に命懸け。その事実と合わせてスヴェンは告げられた情報は信頼できると判断した。

 

「あぁ、命懸けで情報を伝えるなんざ中々できるもんじゃねえ。特に造反を考える連中は我が身可愛さにできないことだ」

 

 稀にリスクの高い方法を承知で賭け感覚で行動する者も居るが、スヴェンは魔族の魔王アルディアに対する忠誠心を考慮してその可能性を最小限に胸の内に留める。

 

「……私達は魔族と合流を目指せということですか?」

 

 巨城都市エルデオンに潜伏してる魔族と合流し情報交換並びに魔王救出に向けて行動を起こす。

 当然そのためには現地の案内人や協力が必要不可欠だ。

 アウリオンが接触出来なかったことを考慮すれば、魔族の中でも高い実力を有する者、要職に就く者は邪神教団に行動を見張られているのだろう。

 

「うむ、既にフェルム山脈に魔族が潜伏中だ。貴殿らはフェルム山脈に向かい魔族と合流するのじゃ……邪神教団に扮してのう」

 

 確かにそれなら他の邪神教団に目撃されても遅れて到着した信徒だと誤魔化しも効く。

 スヴェンは潜伏までの流れを頭の中で浮かべては、不測の事態に備えた方法を思案した。

 

「ん、影から付いて行くけど……着なきゃダメ?」

 

「万が一を考え、しっかり目深に着るんじゃぞ? それに存外通気性と機能性は高いぞ」

 

 笑みを浮かべたグランデ大使に三人は愚か、控えていた騎士までもが『自分で試着したのか』そう言いたげな眼差しを向けた。

 スヴェンは改めて木箱を脇に抱え、ミアがグランデ大使に訊ねる。

 

「そういえばフェルム山脈の登山許可は出たんですか?」

 

「パルミド小国の執政官殿曰く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っと」

 

 パルミド小国もヴェルハイム魔聖国と隣接する国だ。隣国の状況から見て正式な手続きを出すのは立場と内部の腐敗から出すのは難しいといったところだろう。

 それにフェルム山脈はヴェルハイム魔聖国の国土まで続く以上、外交絡みの交渉はまず邪神教団に露見してしまう恐れも有った。

 その意味で邪神教団のローブは外交を交えず、正式にフェルム山脈を登山できる許可証のようなものだ。

 

「そうでしたか、それじゃあローブを3着も確保出来たのは大きな意味がありますね」

 

「うむ、姫様を経由してルーメンに駐屯しておるバルア部隊長からワシの下に贈るように指示が有ったそうじゃ。丁度バルア部隊長も確保しておったしのう、偶然とは時に恐ろしく感じるものじゃ」

 

 スヴェンはあの時、ルーメンの近くに在る森でゴスペルに属する野盗を討伐し、その時に村の襲撃に利用されそうな邪神教団のローブがこんな形で役に立つ日が来るとは思いもしなかった。

 偶然の重なりが時に事態を好転させれば、逆の結果を齎すのもグランデ大使のしみじみと語る様子から強い実感を齎す。

 自分もまた偶然によって助けられた身だと。

 

「そうじゃ、お主に万眼鏡を授けておこう」

 

 グランデ大使はそう言うが速いか、引き出しから双眼鏡を取り出しスヴェンに手渡した。

 魔法陣が刻まれた双眼鏡。これも魔導具の一種だと認識したスヴェンは、

 

「良い道具だ、有効に使わせて貰う」

 

 不器用な言葉を告げた。

 

「うむ。渡す物も渡した。あとは貴殿ら次第じゃ」

 

 グランデ大使の言葉にスヴェン達は頷き、庭で待機していた荷獣車に乗り込んだ三人はフェルム山脈に向けてハリラドンを走らせた。



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14-2.冷気纏う山脈

 スヴェン達は荷獣車から降り、目前に聳え立つ険しい山脈を見上げていた。

 ハリラドンなら凹凸の激しい山道もものともしないが、荷獣車は別だ。

 木製の車輪は耐久性に難があり、整備も何もされていない山脈を登るには無理が有る。

 ハリラドンと荷獣車を置いて行く。散々ハリラドンには世話にもなればドラクルとの戦闘で助けられた。

 そのことを踏まえればハリラドンを置いて行くことに躊躇いが生じる。

 しかし強行に出れば要らぬ事故にも繋がり、邪神教団に発見される恐れも有った。

 スヴェンはゆっくりと眼を瞑り、やがて決断を告げる。

 

「潜入を考えりゃあ、ハリラドンは大使館に引き返えさせる」

 

 あらゆる危険性を排除する為の判断にハリラドンが悲しげに鳴く。

 

「私もここで別れたく無いけど、流石にキミの背中に3人も騎乗って訳にもいかないんだよ」

 

 ミアが優しげな声でハリラドンにそう語りかけ、

 

「ん、快適な旅で楽しかった」

 

 彼は唸りながらも本能で理解したのか鳴くことを止め、穏やかな眼を向け始めた。

 利口で勇敢な性格だと嫌でも理解していたが、改めて人語を理解しそれに応えようとする姿にスヴェンは小さな吐息を漏らす。

 スヴェン達は荷獣車から必要な荷重を降ろし、ミアとアシュナがハリラドンに別れの言葉を告げる。

 

 ーーハリラドンは一匹でゆっくりと方向を転換させ、首都カイデスまで歩き出した。

 

 速くも視界に届かない距離まで走り去ったハリラドンを背に、スヴェン達は邪神教団のローブで素顔を隠し、荷重を片手にフェルム山脈に足を踏み込む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 七月十九日の昼、真夏にも関わらずフェルム山脈から冷気を纏った風が吹き込む。

 スヴェンが平然とモンスターに警戒心を浮かべながら山道を歩く中、

 

「さ、寒ぅ〜まだそんなに登ってないのに、……というか夏なのにどうして寒いの?」

 

 ミアが寒そうに腕を摩りながら白息を漏らした。

 彼女で寒いならアシュナはどうか? 視線を向ければアシュナの姿はそこには無く、代わりに物影から彼女の気配が漂う。

 既に邪神教団を警戒して身を潜めていたアシュナに感心したスヴェンは、ミアに残念そうな眼差しを向けた。

 

「アイツも我慢してんだ、アンタも我慢しろ……だが、この気温は魔法の影響か?」

 

「気候を変える魔法は確かに存在するよ? でも効果が及ぶ範囲はせいぜい魔法陣を中心に直径2、3メートル程度だから……」

 

 付近に魔力が流れている気配は無いが、山頂の方向から膨大な魔力を感じる。

 それに気付いたのはミアも同様で、彼女の肩が強張る。

 

「モンスター、死域を展開させるモンスターが居る? でも寒いだけで身体に悪影響も無いし、魔法が使えない訳でも無いから違うのかな?」

 

 死域を展開できるモンスターの仕業では無い。ミアの推測にスヴェンは山頂を見上げた。

 

「ヴェルハイム魔聖国に入るには山頂は通らなきゃなんねぇのか?」

 

「うん、山頂から整備された下り道をそのまま南下しないとダメかな。他の道は落石や崖で道が続いて無いから山頂の登山は必須だよ」

 

 この気温の異変を起こした存在が山頂に巣食っている。

 避けて通れないなら進むしか他に無い。

 スヴェンは歩みを再会させ、時折りミアとアシュナに気を遣いながら山道を登り進んだ。

 

 登山開始から二時間が経過した頃、次第に山道の斜面が急になりーー山頂から流れ込む冷気と降り積もる雪。

 そして道端でモンスターの氷像にスヴェンの眉が歪む。

 邪神教団に変装しながら山脈を登るだけの筈が、凍り付いたモンスターの存在にこの先は危険だと本能が警鐘を鳴らす。

 

「凍り付いたモンスター……モンスター同士が争うことはあんのか?」

 

 単なるモンスター同士の縄張り争いなら気楽に済むのだが、星が生み出したモンスターが縄張り主張することなど有り得ない。

 頭では理解しながらミアに可能性の一つとして訊ねれば、やはりと言うべきか、

 

「それは無いよ。というかスヴェンさんもそれは理解してるよね?」

 

 断言と共に否定された。

 

「ってことは魔族、邪神教団、それとも生物の仕業か」

 

「魔族だったら良いんだけど、山頂の威圧感が説明付かないかな」

 

 邪神教団の信徒か。それとも司祭とまではいかないが、部隊長に等しい人物が巡回の見張りを指揮しているのか。

 だがスヴェンにはどうもそれも違うように思えて仕方ない。

 邪神教団の信徒と交戦経験と言えば、メルリアの地下遺跡以来で判断材料も乏しいーーそれでも本能と経験、直感が違うと告げ、もっと恐ろしい存在だと本能が警鐘を鳴らしている。

 

 ーー判断材料が少なねぇな、山頂に向かうついでに手掛かりになる痕跡を調べるか。

 

「いずれにせよ痕跡を調べた方が良さそうだな」

 

「そうだね……って、あれ? アシュナが駆け寄って来るよ」

 

 何かを発見したのか、アシュナは無表情ながら慌てた様子で駆け寄って来る。

 

「……来て」

 

 短く淡々と告げられた二人は、そのまま駆け出すアシュナを追うように走り出す。

 目的の方向とは真逆の南東に走り出したアシュナに追い付いた二人は、目の前に広がる光景に眼を疑う。

 ファザール運河に流れていた滝壺が凍結し、凍り付いた岩に鋭く巨大な爪痕が刻まれーーモンスターの遺骨がそこら中に散乱していた。

 

「た、滝壺がっ!?」

 

 フェルム山脈の入り口からは見えない滝壺だが、こんな目立つ変化が一体いつ起こったのか。

 少なくともエルリア大使館を出た後だろう。

 スヴェンが滝壺から視線を離すと、凍結した滝壺と遺骨の中に紛れるように、人間かどうかも判断が難しい凍結した肉片が散らばってることに気付く。

 そしてその側には白い布地と破れた一つ目の紋様が散らばっていた。

 

「どうやら邪神教団もここでやられたらしいな」

 

「邪神教団は比較的どうでも良いけど、気を引き締めないとだね」

 

 モンスターと人間、見境ない死骸と巨大な爪痕にスヴェンは生物の仕業だと断定し、

 

「ああ、既にこんな事をしでかしたヤツの縄張りに入ってんのは間違いねぇな」

 

 二人に更に用心するように促した。

 その後三人は急ぎ、その場所から離れ山頂に続く道に戻るのだった。



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14-3.銀雪、舞うもの

 山頂を目指して山道を進むに連れて空は曇り、雪が降り始めーーそれでもなお歩み続けるスヴェン達を拒むように天候が吹雪へと変貌する。

 視界不良と吹雪に奪われる体温と体力、進むのも引き返すのも困難な状況に、

 

「うぅ〜道は真っ直ぐで良いはずだけど、視界が悪いと何処を進んでるのかも分からないよ」

 

 寒さに震えたミアが隣りで白息と共に呟く。

 

「危険な状況だな、都合良く山小屋でも有れば良いんだが……モンスターの生息地域に建てねぇか」

 

「一応登山者用の山小屋が数ヶ所に在るらしいよ」

 

 登山者用の山小屋が在るなら話は変わる。モンスターを襲う存在によってモンスターの数が減っているのか、それらしい姿を確認することはなかった。

 悪天候によって危機的な状況に変わりはないが、吹雪を避けるために山小屋に避難した方が得策だ。

 

「それなら山頂途中の山小屋で休憩が摂れるな」

 

「……だんだん雪で歩き難い」

 

 いつの間にか隣に移動していたアシュナが、足首まで積もった雪に足を取られ歩行に支障をきたしていた。

 吹雪の影響で雪が降る速度も速いが、二人の紫色に染まった唇が体温の低下を知らせる。

 凍傷の危険性も伴う状況にスヴェンはミアとアシュナを両脇に抱え、雪道を強く踏み締めた。

 そして雪道を一気に蹴り、吹雪の中を走り出す。

 

「山小屋を見逃さねえようにしてろよ!」

 

「う、うん! でも顔に吹雪が当たって……つ、冷たぁっ!?」

 

 ミアが事あるごとに喧しいのは今にも始まったことでも無いためさっそく気にもならない。

 スヴェンがしばらく吹雪の中を駆け出すと。

 

「山小屋……見つけた!」

 

 アシュナの指差す方向に視線を向け、一メートルも無い先に木造の山小屋が視界に映り込む。

 スヴェンはそのまま山小屋に向けて駆け出し、到着と同時に二人をその場に下ろしてはガンバスターを引き抜く。

 山小屋の中に誰か居ないとも限らない。邪神教団なら適当に誤魔化しつつそのまま潜伏に利用する。

 魔族なら合流し、彼らと情報共有も可能だ。

 だが、邪神教団が招いた外部の戦力が潜伏してる可能性も捨て切れないのも事実。

 スヴェンはガンバスターを片手に木造の扉を開け、素早く内部に視線を巡らせる。

 レンガの暖炉と獣の毛皮が敷かれな木造の床、壁に吊るされたロープ、壁隅に置かれた山道の補強工具と薪が置かれてるばかりで人影は無い。

 安全を確認したスヴェンは二人を先に入れてから、

 

「着替えだとか先に済ませちまえ」

 

 吹雪で濡れた衣服を替えるように促し、

 

「わ、分かった! なるべく急ぐから!」

 

 ミアとアシュナが急ぎながら邪神教団のローブを脱ぎはじめ、スヴェンはそっとドアを閉めた。

 吹雪が徐々に強まる中、不意に強烈な悪寒と威圧感がスヴェンの身を襲う。

 額から冷や汗が流れ、ガンバスターを強く握り締める。

 

 ーー何が居る?

 

 最大限の警戒心で周囲を見渡しながら聴覚を研ぎ澄ませる。

 視覚情報は吹雪によって何も得られず、だが微かに羽ばたく音が聴こえた。

 モンスターを襲う存在は空を飛び、天候に影響を齎すほどの氷系統魔法を得意としてる。

 フェルム山脈を飛ぶ何かと吹雪の中で戦闘など得策ではない。

 むしろ視覚外から襲われるのがオチだ。

 それでもレーナの依頼を達成する為にここで諦めることなど有り得ない。

 スヴェンが上空を睨むように見上げ、不意に何かの影が映り込む。

 吹雪の中ーー銀雪の中を飛び回る存在にスヴェンは眼を見開く。

 それは旅の中で尤も遭遇したくない存在の影が上空を悠然と飛ぶ。 

 

「……竜王の幻影に匙を投げたが、竜が棲みついていただと?」

 

 だが思い返せば道中でヒントは有った。

 巨大な爪痕、モンスターと人間問わず襲う生物の存在。思考の何処かで一番考えたく無い、いや真っ先に警戒すべき存在を対象から外していた己に腹が立つ。

 スヴェンは不甲斐ない自身に怒りから拳を強く握り締めた。

 

 ーー俺は愚かだ、危うく油断したまま竜と遭遇し、二人を危険に晒すところだった。

 

 竜王の竜血石で鍛造したガンバスターが何処まで通用するかは賭けにも等しいが、ここに竜が降り立つなら山小屋から引き離す。

 意を決したスヴェンがガンバスターを構え、静かに上空を舞う竜に鋭い視線で睨む。

 しかし竜の影は何処かへ飛び去り、吹雪だけが舞う。

 嗅覚も知性も高い竜がこちらに気付かないなど有り得ない。

 

 ーー竜の気紛れ? いや、竜血石のおかげか?

 

 竜王の竜血石に匂いが残ってるなら竜は敢えて見逃したのか、何方にせよ一時的に危険が去ったに過ぎない。

 

「警告と捉えるべきか」

 

 スヴェンはガンバスターを背中の鞘に納め、深く息を吐き出す。

 次第に解かれる緊張と戦闘警戒。そして背後の扉がゆっくりと開かれる。

 

「スヴェンさん、もういい……って、なんだか険しい顔してるけど何か居たの?」

 

 スヴェンは中へ入り、一先ず燃え続ける暖炉の前に腰を下ろした。

 そして着替え終えた二人に視線を向け、

 

「過去一番出会いたくねぇ竜種の影を見た」

 

 何を見たのか告げれば、二人は一瞬で血の気が引き、青ざめた表情で吹雪が叩く窓へ視線を向ける。

 

「こ、こんな時に竜だなんてっ! ……待て? 外の吹雪や道中のモンスターが竜の仕業だとなると……」

 

「何か心当たりがあんのか?」

 

「もしかしたら氷竜かもしれない」

 

「氷竜……外の吹雪や痕跡を考えりゃあ、氷系統を得意としてるとは推測しちゃあいたが、気性は如何なんだ?」

 

 すぐさまこちらに襲い掛からなかった様子から気性が激しいとは思えないが、竜の縄張りを侵す真似は死を招く。

 それは何方の世界も共通認識で、かといって避けては通れない状況なら通るしか選択肢が無い。

 

「大人しいよ……でも氷竜の目撃情報はここ数百年は無かったんただけど、北から来たのかな?」

 

「間の悪い引越しタイミングだったの?」

 

 だとすれば最悪のタイミングにも程がある。

 だが幸いなのは気性が大人しいということだ。

 

「……引越しってのは、まあこの際仕方ねえと割り切るしかねぇわな。それに言葉が通じるだけ気楽にもなるか?」

 

「うん、最初は凄く驚いたし、恐怖心が一杯になったけどさ……事情を話して通して貰うしかないよね」

 

「ん、交戦したくない」

 

 避けられる戦闘は避けるべきだ。スヴェンは二人に同意を示すように頷きーーこのまま警戒を解いて良いのか?

 相手は高い知性を有してるが、交渉に絶対応じるとは限らないのだ。

 

「交渉はするが戦う覚悟はしておけ」

 

 深妙な眼差しで告げれば、二人は覚悟を宿した瞳で頷き返した。

 

「吹雪が止まない限り如何にもならないけど、それまではしっかり身体を休めなきゃだね」

 

「あぁ、いつ止むかも分からねえからな。休める内に休んでおくべきだ」

 

 結局その日は吹雪が止まず、三人で寝るには少々狭い山小屋で一夜を明かすことに……。



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14-4.氷竜

 翌日の朝。吹雪は嘘の様に晴れスヴェン達は山小屋を後にしていた。

 山道は昨日の吹雪で雪がスヴェンの膝下まで降り積もり、アシュナとミアの歩行に影響を及ぼす。

 特に背が低いアシュナは歩く事さえままならない。だからスヴェンはガンバスターを右手に持ち、鞘をアシュナの背中に預け、鞘の代わりにアシュナを背負っていた。

 

「ん、悪くないけど……隠密ができない」

 

 痕跡が多く残る雪道で幾ら気配を断つことに長けたアシュナでも、完全に痕跡を残すことは不可能に近い。

 だが職務に誇りを持っているのか、背中を掴むアシュナの手が強く握り締められる。

 

「仕方ねえだろ、こんだけ雪が積もれば痕跡なんざ幾らでも残る。アンタの強味を活かせねぇ環境で無理に単独って訳にもいかねぇ」

 

「むぅ〜身長が欲しい」

 

 普段無表情だが、身長を求める渇望の声にミアが小さくくすりと笑った。

 

「身長なんて成長期が来ると幾らでも伸びるよ。低身長の子が一年で10センチ以上も伸びるなんてことも有るからさ」

 

「……ほんと? 真っ平のミアが言っても説得力が無いよ」

 

 まだ雪の影響か外は寒いが、明らかにアシュナの挑発的な台詞で空気が凍ったのは間違いない。

 身体的特徴で起こる不毛な言い争いに付き合う気は無い。スヴェンは口にはしないが、歩く速度を早める。

 ミアが何か言いたげな視線を向けて来るが、いつ何処で氷竜と遭遇するかも判らない状況だ。

 彼女もそれを理解したのか、不満を呑み込み雪道に苦戦しながらも歩き続ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 険しい山道に加えて降り積もった雪に足を取られながらも休憩を挟みながら三人は山頂を目指す。

 山小屋を出発してから実に十三時間が経過した頃、漸く山頂付近に到着しーー凛々しい氷角、白銀に凍を纏う鱗に覆われ、全身から冷気を放つ氷竜が悠然な佇まいで南に頭部を向けていた。

 スヴェン達は岩陰に身を潜め、氷竜の様子を観察するが、

 

「人の子……竜王の匂いを纏いし異界の子よ」

 

 氷竜はこちらの存在を認識した上で人語で語りかける。

 同時にミアとアシュナから疑問の視線が問い掛ける。

 竜王の匂い? それは一体どういうことだっと。別に隠しておくつもりは無かったが、説明する機会を逃したからつい話忘れていただけのこと。

 スヴェンは二人と一頭の視線に諦めた様に肩を竦め、岩陰から出る。

 同時にスヴェンは周辺に他者の気配が無いかどうか見渡した。

 

「警戒せずともこの場所にはそなたらしか居らん」

 

「なるほど。アンタが感じた匂いってのはコイツに竜王の竜血石が使用されてんだ、恐らくその影響だろうよ……あー何処で手に入れたとかは偶然の重なりってヤツだ」

 

 苦しい言い訳だ。竜王の竜血石が簡単に市場に出回ることない。それはエルリアの住人のミアとアシュナがよく理解してることだ。

 ただスヴェンの口から言えない事も有る。竜王が召喚契約者のレーナに黙って見極めに来たこと、それに繋がる情報を語るつもりは無い。

 

「道理で……しかし数多の血に塗れた異界の子、そなたが身に纏う臭いは悍ましい」

 

「俺は殺しを生業とする傭兵……金で雇われりゃあ何でもやる外道だ」

 

「なるほど、竜王がなぜ己の竜血石を授けたのか得心がいった。そなたは自身の業を自覚しておる」

 

 他人に、ましてや竜に言われずとも傭兵という職業を続ければ嫌でも自覚する。

 それは改めて他者に言われる事でも無いが、他者に指摘されることで改めて自身が誰かの大切なものを奪う存在だと再認識もできる。

 ただ言えることは、自身の傭兵稼業が此処で悪影響を及ぼしレーナの目的を妨害させる訳にはいかない。

 現に氷竜の鋭い眼が信用に足る人物か探りを入れている。単なる言葉で氷竜が納得するとも思えないが、

 

「俺を信用する必要はねぇ。アンタはエルリアの姫さんと竜王の判断を信じれば良い」

 

 レーナと竜王の判断が正しいかったなどスヴェンにも、いまこの場に居る全員にも正しいとは断言できない。

 正しいっと断言できるのは、はじめて魔王アルディアを救出した時だ。

 

「……竜種の王が決めたこと、その王を召喚で使役する召喚姫の決定にこの氷竜が意を唱えることなどできぬ」

 

「えっと、そもそもあなたの目的って何なんですか?」

 

「我の目的? 長年住んでいた棲み家も飽きた所、気紛れにこの地に来たに過ぎぬ。竜王の様に人の子に試練を与えることもせぬよ」

 

 これも偶然の重なりで起きた邂逅とでも言うのか。間の悪い引越しタイミングにスヴェン達は白息を漏らす。

 氷竜の影響でモンスターと邪神教団と遭遇することも無く、戦闘の手間暇を考えれば吹雪や雪道が些細な問題に思えてくる。

 それに誰も欠けることなく山頂に辿り着けたのだ。氷竜に文句を言うのも違う気がする。

 そもそも他人の引越しをとやかく言う権利はこの場の誰にも無い。

 

「う、うーん、戦いが避けられるなら別に良いけど……逆に邪神教団に不信感を抱かれないかな?」

 

 フェルム山脈に向かった邪神教団の信徒は壊滅状態。そしてそこに各地から入信した誰とも分からない人物がフェルム山脈を超えて来たとなれば疑われる可能性の方が高い。

 それにフェルム山脈の異変は既に邪神教団をはじめ魔族にも伝わっているだろう。

 

「……人の子よ、目的を聴いてもよいか?」

 

「邪神教団に扮してヴェルハイム魔聖国に潜入、その後魔王アルディア様の救出です」

 

 簡潔に答えるミアに氷竜はヴェルハイム魔聖国に頭部を向ける。

 釣られてスヴェンもそちらに視線を移せば、フェルム山脈から相当距離が在るにも関わらず、巨城都市エルデアがボヤけて見えた。

 スヴェンはすかさずポーチから万眼鏡を取り出し、その場に伏せた状態で万眼鏡で覗き込む。

 巨城都市へ至る街道、広大な牧場と農場。何処にでも居る信徒と労働作業に勤しむ魔族。

 続いて巨城都市の下層部に位置する外壁の街に万眼鏡を滑らせーー武装した信徒と民家の窓から連中を睨む魔族、か。

 外壁の町は邪神教団が我が物顔で跋扈し、その場所だけでも相当数の信徒が確認できる。

 

 ーー此処からエルリアの国境線を観ることは難しいか。

 

 想像以上に邪神教団の戦力が集っている。巨城都市に向かうにも遮蔽物が少ない街道を通るのは困難だ。

 いくら変装してるとは言え、接触が多くなればなるほど存在を疑われる。

 

「潜入は困難を極めるが……それでも我は手を貸せぬ」

 

「なんで?」

 

 アシュナの素朴な疑問に氷竜はヴェルハイム魔聖国の大地に広がる農場に視線を向けた。

 

「我が訪れる土地は凍る。動植物が育つあの場に被害を与えることは我とて不本意だ」

 

 自身の存在がどれだけ天候や土地に悪影響を与えるのか。それを理解している氷竜は改めて協力もできないと語った。

 仮に協力を得た所で、得られる利益よりも損害方が大きい。

 それを理解したスヴェンは氷竜に何も言わず、山頂の山小屋と濃霧に覆われた北に顔を向けた。

 

「北は一面濃霧……誰か住んでるってことはねぇのか?」

 

「建国当初からずっと鎖国してるーーミスト帝国って国家が在るよ」

 

「濃霧の中に帝国……鎖国してんなら今は考える必要もねぇか」

 

 邪神教団が大陸内の何処かに大掛かりな拠点が有ると踏んでいるが、鎖国しているミスト帝国はレーナの依頼次第で調べる価値は有る。

 スヴェンはその件を頭の四隅に気に留めながら、

 

「どうやって巨城都市に潜入するか、あそこで話し合うか」

 

 ミアと背中のアシュナに語り掛けた。

 

「それが良さそうだね。何処かに抜道とか有れば良いんだけど……」

 

「ん? 大抵の国は緊急避難通路が国内の何処かに隠されてる」

 

 あの広大な牧場地から巨城都市に潜入する通路を捜すのも骨が折れそうだ。

 そもそも魔族は仕事に勤しんでいるが、何処までが守護結界の範囲なのか。

 スヴェンの浮かんだ疑問にミアが答える様に、ヴェルハイム魔聖国の空を見上げる。

 

「ヴェルハイム魔聖国の守護結界は国土全土を覆ってるんだ。だからモンスターを気にする必要は無いけど、アンノウンがちょっと気掛かりかも」

 

 仲介業者が利用するアンノウン。確かに未だ正体不明の存在も気掛かりだが、邪神教団と取引関係に有るなら居城都市に居るかもしれない。

 その件は魔王救出のついでに片付ければ御の字とも言えるだろう。

 スヴェンが結論を出す中、氷竜が呻く。

 

「……我も引越し先を変えねばならぬな。何処人の住まぬ景色良き場所、海に面した土地は無いものか」

 

 氷竜が望む場所と言えば一つしか思い当たらない。それはミアとアシュナも同じ様子で、ミアが氷竜に伝える。

 

「此処から西に海を飛んだ先に孤島諸島と呼ばれる誰も住んで無い土地が有りますよ……たまに人が調査に訪れることも有るかもしれませんが」

 

「ふむ、良い。人の子と言葉を交わすのも嫌いではない……では我は早速引っ越すとしよう!」

 

 そう言って氷竜は翼を羽ばたかせ、空を舞い飛びーー音速で飛び去って行った。

 氷竜の音速飛行が航海中のテオドール冒険団に困難を齎さなければ良いが、今は魔王救出に専念すべきだ。

 

「……竜って自由だね」

 

「どうなんだろう? 自由に好きな場所に移動できるけど、身に宿す魔力が環境に影響を与えることを考えると不憫なのかも。……や、そのクラスの竜種はそんなに多くは無いけどさ」

 

「あんなレベルの存在がゴロゴロ居たとなりゃあ、環境の変動も大変だろうよ」

 

 スヴェンは飛び去った氷竜がフェルム山脈に刻んだ多大な影響にため息を吐き、やがて山頂の山小屋に足を運ぶ。

 警戒心を宿したまま扉に手を掛ければ、先程までは感じられなかった数人の気配が漂う。



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14-5.問答と信頼の価値

 スヴェンはドアを開ける前にミアとアシュナに、中に誰かが居ることを手振りで伝えた。

 氷竜が飛び去り、一時の安堵を得た二人の表情が緊張で強張る。

 一先ず姿を見られて不味いアシュナに、屋根に静かに飛ぶように合図を送ったスヴェンはガンバスターを引き抜く。

 

 ーー敵か、それとも。

 

 ドアに手を掛け、掌に緊張感が走る。

 幸い邪神教団に扮しているため、邪神教団と遭遇したところである程度の誤魔化しは効く。

 問題はなぜ突如気配が現れたのかだ。

 疑念を浮かべるスヴェンは勢いよくドアを押し開け、突進する様に山小屋に飛び込むーーすると頭部に角を生やし、悪魔の翼と尻尾を持つ特徴的な数人の人物が一斉に魔法陣を展開した。

 山小屋に現れた正体が魔族だと気付いたスヴェンはガンバスターを鞘に仕舞い、両手を挙げて見せる。

 魔族はスヴェンの行動に訝しげな様子で睨む。

 

「これはこれは信徒じゃないですか、一体どうしてこの様な場所に? 召集令に応じたのでしたらご苦労なことですね」

 

 素性を邪神教団の信徒と捉えた女魔族が棘を感じさせる口調で警戒を続ける。

 彼女を始めとした魔族は焦っている。僅かに震えた肩と睨みながらも泳ぐ視線ーーお互いに予想外の遭遇ともなりゃあ仕方ねえか。

 此処は素直に素性を明かすべきか。すでに詠唱を唱えるだけで魔法が発動するばかりの魔法陣が向けられている状況だ。

 この状況下で目撃者の口封じは常套手段だ。寧ろ魔王アルディアの安全を考慮するなら尚更に。

 ただ行き違いで殺される訳にもいかない。スヴェンはその場から動かず魔族に真っ直ぐな視線を向ける。

 そして邪神教団のフードを退け、彼らに素顔を曝す。

 

「アウリオンから協力者に付いて何か聴いてねぇか?」

 

 アウリオンがこちらに関する情報を共有してなければ無駄に終わる質問だが、

 

「金髪、紅く鋭い三白眼と底抜けに冷たい瞳……背中の変わった武器ーーもしかしてアウリオン守護兵隊長が言っていた協力者の異界人!」

 

 どうやら容姿の情報が魔族同士で共有してされていたようだ。

 先程まで浮かべていた疑念が杞憂に終わったスヴェンは、外で待機していたミアを手招き。

 

「この格好だから誤解が有ったみたいだね」

 

 フードを退けながら山小屋に入るミアに魔族の一人の顔が驚愕に染まる。

 

「なに? 彼女と顔見知りなの?」

 

 女魔族の問い掛けに男魔族が息を荒げ、興奮した様子で語り始めた。

 

「知らないのか!? 若くして再生治療魔法を編み出した治療魔法の天才を! ああっ! まさか天才と謳われるミアさんがこんな場所に来るなんて夢のようだ!」

 

 饒舌に語り出した男魔族にミアは悪い気はしないのか、もっと照れた様子で頭を掻く。

 ミアの存在で魔族から警戒心が薄れゆくのを感じたスヴェンは、次からは真っ先にミアと顔合わせさせた方が面倒も無くて良いのでは? そんな疑問を内心で浮かべては、それでも自身に対して向けられる警戒心は依然と残ったまま。

 この場合、ミアの確かな実績と功績から噂を聞き及んでいた魔族側も彼女は信頼に値すると判断したのだろう。

 逆に言えばなんの功績も無い異界人のスヴェンが此処で彼らの警戒心を解くのは難しいと納得する。

 

「……ミアさんが協力者だなんて心強いわね。けど、そこの異界人は本当に信用出来るの? 言っちゃあ悪いけど多くの異界人が邪神教団に降った所を見てると信用なんてできないわ」

 

 三年も魔王救出を願い行動に出たレーナと同様に、彼らもまた三年という年月の中で邪神教団に支配されている現状を耐え続けてきた。

 いつか、必ず魔王救出が果たされると。

 だが、実際に居城都市に現れた異界人は既に邪神教団に堕ちた者だった。

 それでも自ら動けず、邪神教団に顎で使われる魔族はレーナに対する信頼から期待し待ち続ける他に選択肢も無く。

 これはあくまでスヴェンの推測の一つに過ぎないが、レーナが異界人に裏切られると同時に魔族も異界人に失望していた。

 だからこそスヴェンは軽々しく信用、信頼しろと言うつもりも無い。

 

「これから巨城都市に邪神教団の信徒として潜入すんだ、俺の事は常に疑っておけ」

 

 寧ろ現状向けられている疑いが、潜伏の助けにもなり得る。 

 

「……スヴェンさんは本当にそれで良いの?」

 

 ミアの問い掛けにスヴェンは何も言わず、それで良いと頷いた。

 

「分隊長……判断を」

 

「判断も何も最優先事項は魔王様の救出よ。それに繋がるなら例え死神だろうと利用してやるわ」

 

「分隊長の判断に自分も納得です……それにミアさんは心強い味方ですし、リン守護兵からあの異界人は無茶苦茶だとも聞き及んでいます」

 

「えっと、一応協力は結ぶっと理解して良いんですよね?」

 

「えぇ、それで構いません。尤もミアさんにとっても些か不服のようですけど」

 

 指摘されたミアはそんな事は無いっと笑みを浮かべて取り繕い、

 

「それで、気配も無く如何やって山小屋に入ったんですか?」

 

 突然山小屋に現れたことに付いて訊ねた。

 すると女魔族は語るよりも早しと言わんばかりに、床の板を引っ剥がす。

 床下に隠された隠し通路にミアは得心したと理解を示し、スヴェンは古典的な隠し通路に感心を浮かべた。

 フードを目深に被り直したスヴェンは、

 

「ヴェルハイム魔聖国の何処に通じてんだ?」

 

 行き先を訊ねると、男魔族が神妙な眼差しで語った『巨城都市エルデオンの最下層、そこに我々の拠点が在る』っと。



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14-6.戦場を見下ろす司祭

 スヴェン達がフェルム山脈の地下道から巨城都市エルデオンを目指している頃。

 エルロイは見晴らし良い上層の展望台からエルリアの国境線に視線を下ろす。

 此処でも見える砂塵と魔法による閃光、爆破と熱風。魔族兵を最前列に邪神教団が指揮する戦場で味方陣営が放つ魔法攻撃。

 それに対してエルリア魔法騎士団はフィルシス騎士団長を先頭に何も行動に移らない。

 

「……律儀だな。魔王1人のために騎士団を危険に晒してまでこっちが出した要求の一部を飲み込んだままなんてよ」

 

 封印の鍵は邪神教団に終末譲られる事は無かったが、この三年間エルリア側は邪神教団に対して騎士団を動かしたことが無い。

 例え動かしたとしても国境警備の名目で、それ以外はこちらが仕掛けない限り防衛一方だ。

 それでも邪神教団と魔族が防衛線を突破し、エルリアの国土に侵攻できたことは一度も無い。

 その原因は明白だ。今もなお最前線で邪神教団と魔族が放った魔法をたった一本の剣に魔力を纏わせ、全て弾き返すフィルシス騎士団長が原因だ。

 

 ーー長髪の銀髪、あどけなさを残した顔立ちながら凛とした眼差しと強者特有の覇気。

 

 エルロイは騎士甲冑を身に付け剣舞で悉く魔法を捩じ伏せるフィルシスに称賛の息を漏らした。

 

「あれで25歳だったか? エルリアってなぜこうも化け物揃いなんだか」

 

 正直に言ってしまえば魔王の人質も封印の鍵を手に入れる以前に化け物を動かさない為の延命処置でしかない。

 フィルシス騎士団長を突破し、エルリア城に君臨するレーナとオルゼア王の二人。

 過去に対峙したオルゼア王一人を相手に自分は五回も殺された挙句、当時の司祭半数と枢機卿が討ち取られたのだ。

 今でも眼を閉じれば鮮明に蘇る。大剣を片手に数多の魔法を同時に放ちながら剣技で部隊を薙ぎ払うオルゼア王の姿が。

 

 ーー悪魔以上に恐ろしい。それでも邪神眷属相手には武が悪い、か。

 

 オルゼア王の娘のレーナも竜王召喚をはじめ、多種多様の精霊召喚を扱える。

 魔法騎士団も傑物揃いとなれば、エルロイから深いため息しか出ない。

 策謀を巡らせエルリア国内で工作に切り替えたものの、得たのは戦闘では使えない異界人と仕込み、邪神教団の悪評だけ。

 後者に関しては一部に影響するがエルロイを始めとした一部の司祭や信徒には何一つ影響は無い。

 エルロイは背後に現れた気配に振り向かず、

 

「ミルディル森林国は如何なってる?」

 

 配下に状況を訊ねた。

 

「国境線まで進軍後、ラオ副団長率いる騎士団に阻まれております!」

 

 一応戦力を分断させエルリア城から防衛戦略を引き離すことには成功した。

 ただミルディル森林国が保有するオールデン調査団やシルフィード騎士団の練度はエルリア魔法騎士団と比較して遥かに劣る。

 戦争など封神戦争以降は一度も起きてなければフィルシス騎士団長達も戦争の経験が無い。

 エルロイは依然と最前線で魔法を捩じ伏せ続けるフィルシスに視線を向け、背後の信徒が焦りながら叫ぶ。

 

「このままでは! エルロイ司祭様! 作戦の発動をっ!」

 

 作戦の発動を請う信徒に息が漏れる。 

 エルリア中に放ったアンノウンは全て討伐され、予定通りに各地の魔法騎士団騎士団駐屯地とエルリア城の技術開発部研究所に運び込まれた。

 一度魔法を唱えればアンノウンの遺体は再び蘇り、モンスターとして活動を再開させる。

 それがエルリア国内で行った仕込みなのだが、復活にもある程度の広さを要する。

 万が一にでも結界魔法で密閉などされればアンノウンは復活と同時に互いに身体を押し付け合い、圧死に至る。

 

 ーー奇襲の布石としても失敗前提の計画だ。

 

 エルロイは冷徹な思考を浮かべ、本命のための布石に動き出す。

 

「切りどきか。『我が偽りの名エルロイが命じる。骸に還し合成獣よ、再び魔力を持ってして蘇れ』」

 

 相性と共にエルロイの魔力が漆黒の光りを放ち、形成された魔法陣が空に漆黒の閃光を放つ。

 

「おおっ! これが邪神様から授かりし魔法の一つ!」

 

 狂気と熱狂を伴ったうっとりとした声が背後から響く中、エルロイはようやく最前線から背を向ける。

 

「異界人は如何してるんだ?」

 

「はっ! 同志ジャルハの部隊に同行してるようです!」

 

「……全員か?」

 

「いえ、5名だけですね。残り5名は都市内の見廻りに出ています」

 

 エルロイは眼を瞑った。

 異界人に何か指示を出した覚えは無い。邪魔をしなければ好き勝手動く程度は構わない。

 

「異界人を魔王城に近付けさせるな」

 

「えぇ、それは我々も魔族全員が重々理解していますとも」

 

 レーナが召喚した異界人を配下に命じ、こちら側に降るように工作を施した上で『レーナはお前達を切り捨てた。新しい異界人がその証拠、お前達は裏切られたのだよ』そう囁かさせればあっさりと降った。

 中には工作も関係無くレーナを勝手気儘に裏切った異界人も多い。

 前者は元の世界に還るためにレーナの殺害を主目的に動いてるが、後者は勝手気儘に行動している。

 だからこそ今年の五月半ば以降から野放しにされている異界人に対するレーナの処置に疑問が湧く。

 普段の彼女は自国民を傷付ける異界人に対して記憶削除と返還処置を施していた。

 その中でも重罪には監獄町に幽閉し、死刑執行することさえ有る。

 ただ五月以降に処刑された異界人は鳴神タズナだけ。

 エルロイはレーナに何か有ったと踏まえた上で、それ以上詮索することしなかった。

 

「さてと、わたしはそろそろ魔王の間に戻る。お前も追跡者を放ち終えたら巡回に戻れ」

 

「了解です! ……あの、」

 

 信徒はエルロイに何かを問い掛けたい視線で見つめていた。

 

「質問でも有るかい?」

 

 質問なら答えるっと優しげな声で訊ねれば、信徒は首を横に小さく振り『なんでもありません』そう一言残して任務に戻った。

 

「最近の若者は疑問を質問しないなぁ」

 

 立ち去った信徒に残念そうに肩を竦めたエルロイは、用意していた仮面を被り魔族の元へ足を運ぶ。

 そこで何か不備と必要な物資が無いか聴いて周り、邪神教団の即時撤退と魔王解放以外の要求を叶えるべく動き出す。

 

 ーー独自の情報収集も兼ねて。



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14-7.巨城都市の最下層

 魔族達の案内によってフェルム山脈の地下道を通り、長い道のりを得てスヴェン達は最下層に続く梯子の前に到着していた。

 地下道は守護結界の影響も有って安全かつ単純な道順だったが、ここまで実に三日が掛かった。

 ミアは単調で変わり映えしない地下道に疲弊した顔付きで、

 

「や、やっと着いた……体力には自信が有るけど単純な道ほど疲れるなぁ」

 

 吐息と共に呟き、そんな彼女に魔族達が苦笑を浮かべる。

 

「元々魔王様の緊急脱出経路だったけど、本来は魔族の同行が無ければ複雑で出入り口が存在しない地下迷宮に変わるのよ」

 

 魔族の協力が無ければ安全に地下道を抜けることは不可能どころか、辿り着けもしないとなれば自身が出す選択肢と解答は慎重に選ばなければならない。

 スヴェンは極めて危うい協力関係に内心ではこのままではダメだっと危機感を募らせながら梯子を見上げる。

 この先は魔王解放のために最下層に集った魔族達が居る。

 依頼のために動くスヴェンと君主のために動く魔族達とではそこに伴う覚悟と重みも違う。

 特に作戦の失敗は魔王を危険に晒しに魔族の弾圧にも繋がる恐れが有る。

 魔族の解説に興味深そうに相槌を打つミアを他所に、スヴェンは傭兵として改めて気を引き締めていた。

 

「……異界人はお気楽思考なおめでたい連中だと思ってたけど、お前は違うのか?」

 

 男魔族の静かな問い掛けにスヴェンは表情を変えず底抜けに冷たい眼差しを向ける。

 

「否定の言葉ってのは幾らでも吐けるが、アンタらが欲しいのは魔王救出の結果だろ。それに異界人ってのは所詮余所者だ」

 

 異界人は結局の所どこへ行こうとも余所者で、不純物でしかない。

 不純物はいずれ取り除かれるものだ。だから邪神教団に組した異界人はそこら辺の隙を的確に突かれたのかもしれない。

 そこにレーナに対する疑念を囁かれれば揺さぶられた精神が思考を狂わせる。

 

「余所者……自分のことをそう評価するヤツとははじめて出会ったよ」

 

 わざとらしく肩を竦める男魔族にスヴェンは、

 

「客観的、第三者から見た異界人の立場を言い表すならこれ以上に簡単な表現はねぇよ」

 

 口角を吊り上げてみせた。

 男魔族は先に梯子を上り、スヴェンが彼に続けば話し込んでいたミア達も後に続く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 地下道から広々とした一室に出たスヴェン達を、

 

「予定よりも若干早いな……氷竜がフェルム山脈に棲みついたと聴いた時はどうなることかとヒヤッとしたぜ」

 

 包帯を巻いた腹部を露出しながらも防具に身を固める気怠るな男魔族が待ち構えていた。

 男魔族の醸し出す空気とこちらを疑う眼差しにスヴェンとミアは不快感を宿さず、スヴェンは背中のガンバスターの柄に手を伸ばす。

 同時に男魔族は腰の長剣を引き抜き、スヴェンに対して一振り放つ。

 対するスヴェンは刃を避けることはせず、鞘から引き抜いたガンバスターを刃を弾く。

 振り抜かれた刃が軽い。単なる試し感覚で放たれた斬撃だと理解したスヴェンは男魔族が鞘に長剣を納めるのと同時に、ガンバスターを鞘にしまう。

 

「リンドウ隊長! 注意事項4を忘れたんですかっ!?」

 

 リンドウと呼ばれた魔族は、男魔族に咎められながら痛むのか腹部を気怠そうに摩った。

 

「覚えてるよ。傭兵スヴェンとやり合うな……アウリオンとリンから口酸っぱく言われたことぐらいよ」

 

「……アウリオン守護兵隊長とリン守護兵から忠告されてるのに試したんですか、それで傷口が開いたと……バカなの?」

 

 女魔族の冷ややかな口調にリンドウが大袈裟にため息を吐く。

 

「前は上司想いの優しい部下達だったのに、ここ3年で小生意気になっちゃってまぁ」

 

「誰が原因かご自身の胸に手を当ててよく考えてください。……まあ、でも傷のことならミアさんが居て助かりましたね」

 

 ミアは頼まれるよりも早く、彼女は杖を片手にリンドウの腹部に杖の先端を翳そうとして止めた。

 

「えっと邪神教団の監視下に有るあなた達を治療して大丈夫ですか?」

 

「かなり拙いな。連中は戦線から離脱した負傷兵を記録してる」

 

「じゃあ治療魔法はダメですね……スヴェンさん、止血してあげて」

 

 傷口が開いた原因が試しによるもの。それをいちいち面倒を見てやる必要性が無いようにも思えるが、負傷兵の手当は戦場の感覚を刺激させる良いスパイスだ。

 スヴェンはミアが差し出した包帯を受け取り、素早くリンドウの背後に回り込みーー防具を外し、インナーを捲り上げ血で汚れた包帯を解く。

 リンドウが何か言う前にスヴェンは慣れた手付きで軟膏を貼り、強めに包帯を縛る。

 

「身体がブレたなぁと思えば……はやっ!?」

 

 驚愕する男魔族を他所に包帯の交換を終えたスヴェンはミアの隣に戻り、

 

「アンタらその傷……激戦だったのか?」

 

 周囲の魔族が包帯を巻いてることから、その件を含めてリンドウの傷に付いて訊ねる。

 

「連中の目を欺くための方法を実行した結果さ。それよか、アンタらと共有すべき情報も有る……アウリオンとリンは合流できそうに無いからな、先に作戦会議と行こうじゃないの」

 

 アウリオンとリンがこの場には来ない。

 スヴェンはアウリオンと取り決めていた事柄を頭に浮かべながら、先導するリンドウと共に会議室へ踏み込んだ。

 密かにアシュナが気配を消しながらこの場に潜伏してることを認識しながら。



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14-8.救出へ向けた会議

 円卓に集ったリンドウ率いる魔族達と少し離れた所にスヴェンとミアの二人は、ボードに貼り付けられた事細かな情報に視線を向けた。

 邪神教団の各階層における巡回時間とルートを加えた巡回人数、それだけでもスヴェンにとっては遥かに有益な情報のなのだが、貼り出された地図に記された赤線と追跡者と書かれた一文に嫌でも眼が行く。

 

「色々と疑問は有るだろけどよ、今回の救出作戦の要はスヴェンとミアだ」

 

「この拠点が位置する最下層は地図と巨城都市構造図に記されて無い場所だ。そこから二人は下層の市場区から連中と合流して欲しい」

 

 リンドウの言葉にスヴェンは一旦、追跡者を頭の隅に追い遣り下層部の地図に視線を向ける。

 

「巨城都市の入り口が市場区、か。場所は南入り口……ってことはエルリア側ってことか」

 

「あぁ、エルリア側から来た信徒は外部入信者も多く配属されてる。全員同じローブなら誰が入れ替わっても気付かれ辛いだろ」

 

 潜入作戦で連中の誰かを密かに始末し、所属人数で不信感を持たれないように入れ替わる。

 それは潜入作戦で何度か経験したことも有るが、今回の件で懸念も有った。

 

「中にエルリアの平民が紛れ込んでる可能性はあんのか?」

 

「いや、諜報部隊が調べた限りじゃあ野盗、ゴスペルから引抜きだとかだな。少なくとも同盟国の国民は確認されてねぇ」

 

「なら信徒を二人始末して入れ替わる。死体の処理はこっちでも可能だが?」

 

 スヴェンが傭兵として冷徹な判断のもとリンドウに訊ねると、彼の代わりに一人の女魔族が手を挙げて答えた。

 

「死体は万が一の為の偽装に使いますよ。だから二人程始末したら死体は最下層に運び込んでください」

 

「了解した……潜入方法に付いては理解したが、俺達は隙を見て魔王城を目指せば良いんだな」

 

「あぁ、なるべく信徒に不信感を持たれないように自然な形でだな。……二人共、少し信徒を演じてくれねぇか?」

 

 リンドウの試すような視線にスヴェンはすぐさま自身の思考に自己暗示を施す。

 傭兵として敵兵の捕虜になり、拷問を受けた時に自己暗示で情報を漏らさないために身に付けた技術の一つを躊躇なく実行に移し、これまで遭遇した信徒と彼らの人格を基に演じる人格を形成した。

 スヴェンは人格切り替えの合図として数回喉を鳴らし、焦りに塗れた表情を浮かべる。

 

「……貴様ら! こんな所に集まって何を企んでる!? それに背後のボードはっ!」

 

 声を変え、リンドウを邪神教団に敵と鋭く睨み、ガンバスターの柄に手を伸ばして見せる。

 

「そうか、邪神教団に楯突くと言うのだな。……貴様らは選択を誤った」

 

 そんなスヴェンの急変とも言える言動と声にリンドウのみならずミアまでもが驚愕に染まった。

 スヴェンはミアを視界に入れ、数回喉を鳴らし思考を切り替えた。

 

「……ふぅ。自己暗示と人格の切り替えはあんま使いたくねぇ方法だが、演技には持って来いだろ?」

 

「……魔法でも使った? いや、詠唱も魔力を操作した様子も無い。ミア、ソイツは何者だ?」

 

 異界人としてのスヴェンにある種の戸惑いと疑いを持つリンドウと魔族の視線にミアは苦笑混じりに肩を竦めた。

 

「一言で言うなら異世界の傭兵ですね。自称外道の口も悪いですけど、仕事に関しては根は真面目で義理堅い一面も有る異界人です」

 

「なるほどねぇ……それだけの演技ができるなら心配は要らなさそうだな。じゃあ次はミアにやって貰うか」

 

 リンドウの指示にミアは息を吸い、虚な眼差しを向けた!

 

「邪神様の生贄は本望! 死こそが我ら信徒の祝福! さあ! 共に邪神様の生贄になろうではないか!」

 

 普段の口調から想像にも及ばない男性口調と高めの声に魔族達の表情が驚愕に染まる。

 スヴェンは意外にも演技派な一面を見せるミアに、舌を巻きながら内心で賞賛の言葉を浮かべた。

 ミアの演技は傭兵として培った経験と技術、自己暗示の類いじゃない。

 ミアの人格と思考を維持したまま行われる演技は、役者のそれと同じように思えた。

 治療魔法しか使えないミアなりの努力の一つに過ぎないかもしれないが、メルリアで見せた恋人のフリとは段違いだ。

 

「……アウリオン守護隊長はいい人材と協力関係を取り付けたなぁ」

 

 リンドウがしみじみと感想を呟き、演技に合格を得たミアはこちらにドヤ顔で胸を張っていた。

 

「どう? 必要になると思ってイメージトレーニングを重ねたんたけど、これでスヴェンさんも安心できるよね」

 

「あぁ、文句無しだ」

 

 素直に褒めればミアは照れ顔を浮かべ、ボードに視線を移す。

 

「えっと、潜入方法もこれで問題無いとして……地図に記された追跡者って何なんですか?」

 

 ミアは作戦会議の続きと言わんばかりにリンドウ達に追跡者に付いて訊ねる。

 すると魔族の纏う空気が戸惑いに変わり、追跡者に付いて女魔族が答えた。

 

「邪神教団が放った異形の信徒……いえ、酷く膨張した筋肉と理性を失った瞳、悍ましい呻き声から怪物ね」

 

「ソイツは警備補充員として各階層に配備されているけど、信徒内に出された注意表にはこう記載されていたわ」

 

「『1.追跡者運用の際に辺り、戦闘態勢に入った追跡者から離れるように。2.階層指導者以外は間違っても追跡者に近付かないように。3.追跡者が魔族を敵認定しないように定期的な薬物投与と暗示を施すこと』以上の事を踏まえて留意しておいて」

 

 巨城都市エルデオンに配備された追跡者ーーそれは恐らく薬物投与された強化兵の類か。スヴェンはミアの質問に答えた女魔族に訊ねた。

 

「ソイツは薬物投与以外に何らかの魔法を使われてるのか?」

 

「遠目から視認したけど、邪神から与えられた魔法なのか……どんな効果の魔法かは分からなかったわ」

 

 正体不明の魔法。まだ情報が欠けているが、それでも零よりは遥かにマシだ。

 スヴェンは追跡者を最大限に警戒すべき存在として念頭に置きながら、

 

「アンタらが動けんのは魔王救出後か?」

 

 彼らの実行に付いて質問した。

 

「魔王様を救出しない事には俺達も邪神教団殲滅戦を実行できねぇ。ついでに内部清掃も兼ねってからアンタらは魔王様をエルリア城まで届けてくれ、それがアンタらができる仕事だ、殲滅作戦まで付き合う必要はないさ」

 

「まだ危険が残る自国よかは良いってことか。なら救出の合図は空に魔法を放つ。……そうだな、成功は風の魔法三発、失敗は四発だ」

 

「全部隊に知らせておこう………あ〜ところで、魔王様を凍結封印から解放する手段は有るのか?」

 

「あぁ、こっちで用意したもんを使う」

 

「それってエルリアの魔法技術ですか!」

 

 スヴェンは凍結封印の解呪方法に食い付く若い魔族に視線を向け、

 

「あぁ、()()()()()()()()()()

 

 嘘を吐かず彼にそう答えた。

 そんなスヴェンにミアは一瞬だけ眉を顰め、すぐさま愛想笑いで取り繕う。

 封炎筒の瑠璃の浄炎は万が一に備えて情報をギリギリまで伏せるが、首都カイデス出発時にミアに手渡した瑠璃の浄炎と合わせても秘策としては余裕が無い。

 一度でも邪神教団に瑠璃の浄炎に関する情報が漏れれば、魔王救出は足元に居ながら遥か天上の頂き、それほどまでに遠退く。

 スヴェンは改めてボードに視線を移し、

 

「それで? 他に俺達が注意すべきことだとかはあんのか?」

 

「注意すべきことは無いさ。ただ伝えておくべき情報も有る。まず一つは外部協力者として密かにアトラス教会が潜伏中なこと、各階層でアルセム商会が目撃されてる点だ」

 

 アルセム商会とヴェイグの顔を思い出したスヴェンの眉が歪む。

 

「……アルセム商会だと?」

 

 万が一ヴェイグが巨城都市に居るなら彼の嗅覚で潜入は愚か、この場所も突き止められてしまうだろう。

 

「ヴェイグは来てんのか?」

 

「いや、来て無いらしい。まぁ、アルセム商会の潜入は不本意なんだが……三年も外交断絶となれば必ず不足物資も出るからなぁ」

 

 確かに交易を断たれてる状態では物資に限界が訪れる。

 魔族は限られた物資のやり繰りを強いられる反面、邪神教団は配下の商人から物資の補給が可能だ。

 

「そうか……巨城都市内にモンスターが放たれたってことは?」

 

「……確か、アンノウンとか呼ばれるモンスターが上層の広場に放たれてるな」

 

 まだアンノウンを邪神教団に提供した仲介人は正体不明なまま。

 

「アンノウンを誰が放ったのか知ってるか?」

 

「……何でもエルロイ司祭の個人的な繋がりだとか、エルロイ司祭から専用の召喚魔法を教わっただとか……そもそもエルロイ司祭に個人的な友人が居るのか? なんて情報や疑問も有るぐらいで具体的には判らん」

 

 まだ仲介人の正体は掴めそうに無いが、結局探るよりもエルロイ本人から直接聞き出した方が速い。

 スヴェンはそう結論付けると、

 

「そう言えば、2日ほど前にエルリア各地でアンノウンの遺体が動き出したそうだ」

 

 リンドウが最近起きた情報を口にした。

 人工的に人の手によって産み出されたモンスターは確かにエルリア各地に運び込まれたことをクルシュナから聴いていた。

 そこで調べる内に不審な魔法陣に気付き、解析すればするほどなぜアンノウンがエルリア各地に放たれていたのかが判明したことも。

 未知のモンスターとなればエルリアは対策や研究のために遺体を要所に運び込む。

 魔法騎士団の駐屯所、モンスター研究所、エルリア城、そして技術開発研究所にアンノウンの遺体を運び込ませることが何者かの計画だった。

 それに気付いたクルシュナはオルゼア王に性質と対策に付いて報告した上で、対策を実行に移した。

 アンノウンに施された魔法陣の発動に連動して遺体を結界で密閉するというーー復活した瞬間に圧死させるというある意味で不老不死に対する最適解を。

 クルシュナから聴いた話を頭に浮かべていたスヴェンは、

 

「邪神教団が策略を仕掛けた相手は魔法大国エルリアだ、何らかの対策はしてんだろうな」

 

「ほーん、さては既に何か聞いてたね?」

 

 ミアの問いにスヴェンは彼女を真っ直ぐと見詰め、やがて笑って見せた。

 

「くぅぅ〜普段見せない笑顔、しかも爽やかでいい笑顔なんて!! 誰か魔道念写器持ってない!?」

 

 ミアが魔族に魔道念写器を纏めてる間に、スヴェンはいつもの表情に戻してはリンドウが先払いし、

 

「んっ! これで必要な情報共有も終わったな。以上をもって解散とする!」

 

 彼の解散の号令によって魔族達が会議室から退出を始め、スヴェンはその場に残るようにボードに貼られた地図に視線を移す。

 

「あれ? スヴェンさんはまだ残るの?」

 

「ああ、もうちっと地図を頭に叩き込みてえ」

 

 それだけミアに告げると彼女はリンドウと一緒に会議室を退出した。

 一人残されたスヴェンは天井の通気口に視線だけ向け、そこにアシュナの姿を確認する。

 

「こっそり精霊召喚を使ったけど……ルーメンで感じた悪人が何処かに居るって」

 

 気になる情報を齎されたスヴェンは眼を瞑った。

 ルーメン村に居た悪人が巨城都市エルデオンに居るが、あの村には邪神教団は居なかった。

 調査中にあの村に居たのはアルセム商会だ。

 

 ーー疑うにも判断材料が足りねぇ。

 

 それこそアルセム商会の商人の内の誰かという事も有り得る話だ。

 

「必要な事は伝えたよ。引き続き影の護衛に移るね」

 

 それだけ告げるとアシュナは通気口から姿を消した。



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14-9.戦場の最前線

 戦場に数多の魔法が交差し、炸裂音と爆音がエルリアの国境線に轟く。

 先陣を切るフィルシスは魔族と邪神教団に対し、

 

「もう終わりかい?」

 

 不敵な笑みを浮かべ安っぽい挑発を放つ。

 それに対して邪神教団の信徒が我先にと詠唱を唱える。

 

「『『『地を這う炎よ、蛇となりて敵を飲み込め!』』』」

 

 同時に魔法陣から放たれた複数の炎の蛇が地を這いずり、フィルシスに向かう!

 だがフィルシスは一息、落胆を込めた息と共に地面に剣を突き刺すーー彼女が放ったただの突きは、地割れを引き起こし炎の蛇が容易く地割れに飲み込まれた。

 

「ば、バカなっ!」

 

「いくらなんでも人の技じゃないぞっ!」

 

「あ、悪魔以上のば、化け物だー!」

 

 信徒のまるで人を化け物扱いするような視線にフィルシスは不服そうに頬を膨らませた。

 自身にとってこの程度は修行の過程で身に付けた技に過ぎない。それに年若い乙女に対して化け物とはどういう了見か。

 しかしいちいち敵の言葉に精神を乱しては自分もまだまだ甘いということだ。

 フィルシスは突き刺した剣を引抜き、刃を上段に構える。

 

「こっちは魔王様を人質に取られてる身、これでも手加減してるんだ。……もう少し根性見せて欲しいなぁ」

 

 魔族と邪神教団に向けて挑発の言葉を放ち、自身に敵意を集める。

 本来は軍隊同士の衝突など滅多に無い。だから魔法騎士団には経験を積ませたいところだが、まだ連れて来た騎士達にはこちらから手を出さず、魔法も使わずに邪神教団を無力化させる技量は無い。

 フィルシスは今後の訓練課題を頭に思い描きつつ、魔力を剣に纏わせ、飛来する魔法を斬り払う。

 

 ーーうん、やっぱりブラックの鍛えた剣は具合が良い。

 

 エルリア魔法騎士団の武具は全てブラックが個々に合わせて鍛造した物だ。

 あくまでも組織として騎士甲冑は同じだが、一人一人の魔法特製に見合った仕様になっている。

 フィルシスは長らく顔を見せて無いと小さくぼやきながら、武器を構え突撃して来る邪神教団の信徒を迎え打つ。

 魔法を纏った剣が振り下ろされ、それに対してフィルシスは軽く身体を捌き、すれ違い様に足を引っ掛け信徒の体勢を崩す。

 そしてわざと剣の腹を信徒の首筋に当て、

 

「本来ならキミはこれで死ぬ。……あぁ、死もキミ達にとっては祝福なんだっけ。それじゃあ死なない程度に刻むしかないよね?」

 

 透き通った声で囁く。

 

「っ!? は、はぁ、はぁ……っ」

 

 幾ら邪神教団と言えども怖かったのか、彼は過呼吸を引き起こし苦しげに息を荒げていた。

 そんな信徒の姿を見た邪神教団は手に持っていた武器を引き下げる。

 

「……いくら立ち向かってもまるで相手にされてない!」

 

 戦意消失した信徒の一人が叫ぶ。

 実際に邪神教団はフィルシスにとっては相手にならない。それでも決して油断などしない。

 油断によって足元を掬われるのは騎士としても恥だ。

 同時にフィルシスは今の状態、手加減している状態もいい気分ではなかった。

 邪神教団は滅ぼすべき敵だが、あちらはあちらで本気でこちらを殺すべく魔法と武術を、持てる技術を駆使して来る。

 それに対して本来なら本気で応えてやるべきだ。本気で完膚無きまで叩き潰してやらなければ失礼というもの。

 だからフィルシスは小さく笑みを浮かべ、

 

「次は本気で相手してあげるよ」

 

 責めての詫びも込めてそう宣言すると、邪神教団の信徒は武器を捨てて魔族を置き去りに我先に一目散に巨城都市へ逃げて行った。

 そこは少しでも気概を見せて欲しかった。まさか恐怖に駆られて逃げられるとは思わず、フィルシスは眼を丸くして、

 

「……どうしてだい?」

 

 切実に部下に問えば、部下の呆れた眼差しが返って来る。

 

「何故って、あれだけの実力差を見せ付けられて次は本気出すと言われれば誰だって逃げますよ……というか、騎士団長も天然ですね」

 

 なぜ天然と言われたのかが分からず、フィルシスは小首を傾げた。

 

「……ところで騎士団長、邪神教団は撤退しましたが如何なさいますか?」

 

 一旦陣営まで後退するか、追撃するのか。そう指示を仰ぐ騎士にフィルシスは巨城都市エルデオンに振り向く。

 交戦時から様子見していた視線は既に消えていた。あの視線は恐らくエルロイ司祭のものだと推測したフィルシスは、魔族に視線を移す。

 本音を言えば消化不良、もう少々相手をして欲しいところだーーあぁ、あの二人が居たか。

 フィルシスは魔族兵の後方部隊に出現したアウリオンの気配とーー巨城都市エルデオンの上層、魔王城の屋根から狙撃体制に入るリンに視線を飛ばす。

 

「どうやらもう少しだけ相手をしてもらえそうだ」

 

 フィルシスが現れた気配を騎士団に告げられた瞬間、巨城都市エルデオンから閃光の矢が空気を音を置き去りに飛来する。

 

 ーーいい攻撃だ。だけど、まだ狙いが粗いかな。

 

 フィルシスは魔力を纏わせた剣で閃光の矢を一呼吸と共に打ち返した。

 打ち返した閃光の矢は魔王城の屋根を掠め、リンを監視していた邪神教団の信徒を撃ち抜く。

 

「相変わらず見事だな」

 

 アウリオンの賞賛の言葉をフィルシスは酸味に笑って返す。

 

「リンは弓兵としての腕が良いからね。ねぇ? リンを内に引き抜いて良いかな? 騎士団は慢性的な弓兵不足で困ってるんだよね」

 

「それは無理な相談だ。俺も彼女も魔王様の御身を命果てるまで護ると誓った守護兵だ」

 

「そっかぁ〜」

 

 戯言を言い終えるとアウリオンが漆黒の剣を構える。あれも竜血石で鍛えられた剣の一つだ。

 それに加えてアウリオンの卓越した魔力操作と魔法、そして剣技にフィルシスは一瞬だけ期待に胸を膨らませる。

 

 ーーいけないいけない。彼が前線に出て来たということは、情報を伝えに来たということ。

 

 フィルシスは巨城都市から邪神教団が見ているのを確認しながら、アウリオンが放つ一閃を避けては斬り返す。

 それに対してアウリオンは剣を弾き、火花が散る最中、また斬り返した。

 それをフィルシスは剣を盾に受け止め、

 

「ーーーー」

 

 アウリオンが齎した情報にフィルシスは無言で彼の剣を弾き返した。

 そして一歩踏み込み、同時に踏み込んだアウリオと剣舞を繰り広げる。

 鋼鉄が打ち合う激しい音が響き、火花が舞いながら銀髪が風に揺れ靡く。

 激しい剣戟に邪神教団は眼を離せず、息を呑み込み二人の攻防に魅入られ釘付けとなった。



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14-10.潜入

 邪神教団がフィルシスとアウリオンの攻防に魅入られている頃、下層部の市場区に単独で赴いたスヴェンは山積みの荷物の影に隠れ周辺を窺う。

 巨城都市下層の外壁部分に位置する市場区は、屋台が並び邪神教団が我が物で蔓延る。

 最下層の入り口はハイベルグ精肉店の倉庫に隠されているが、付近の巡回中の信徒と精肉店から距離が無い。

 本来なら離れた位置で邪神教団を始末し、拠点に死体を持ち帰るところだがーー魔族と彼らに認められた者だけが認識できる入り口、か。

 拠点に通じる入り口は行動開始直前に魔族に施された魔法陣の影響で、彼らの案内が無くとも視認可能になった。

 そのため邪神教団に発見できない入り口を心配する必要性も無い。

 同時にスヴェンは行動開始直前に、ミアに刻まれた魔法陣になんとも言えない表情を浮かべる。

 

 ーーアイツも自分で刻んでいたが、発動することがねえようにしねぇとな。

 

 スヴェンはそれだけ注意事項として胸の内に留め、巡回の信徒の人数が少ないことに気が付く。

 

「……(確か、連中は下層だけでも少人数で巡回部隊を20部隊で行動してるとか言ってたいたな)」

 

 一部隊ニ、三人編成、下層の巡回部隊だけでも四十、六十人の信徒が居るはず。

 他にも別部隊が居ることを考慮すれば散漫的に信徒の姿を目撃して良いはず。にも関わらずスヴェンの視界には屋台を興味深げに眺める二人の信徒だけ。

 不審に感じたスヴェンは息を潜め、耳を研ぎ澄ませた。

 

『エルリアのラデシア村の屋台より大きいよなぁ』

 

『ここの装飾品屋は国内で採れた琥珀や浮遊魚の歯を加工してるらしいね。それに巨城都市に入って最初に到着するのがここだから力を入れてるんじゃない?』

 

『巨城都市以外に町も村も無いから力を注ぎ易いってことぉ?』

 

『さぁ? 国の運営だとかさっぱりだよ。エルロイ司祭にはその辺も学んでおけとは言われ……あぁ、あなたは外部入信者だったね』

 

『そっ、両親も熱心な邪神教団の信徒でメルリアで活動してたかな』

 

『メルリア……ということは同志はっ』

 

 メルリアで全滅した信徒の悲報に悲しげな表情を向ける信徒に、少年信徒の眼は輝いていた。

 

『気に病むことも無いさ。父と母は邪神様の役に立った、それは信徒として尤も幸福だろ?』

 

 スヴェンは物影から歩き出し、狂気を浮かべる少年信徒に無感情のまま距離を近付ける。

 無音無呼吸、付近に他の気配が無いか細心の注意を払いつつ対象二名の視界外から徐々に距離を詰める。

 邪神に対する幸福を語り合う少年信徒と少女信徒、二人の表情はいずれ自分達もそうなることを望み、生贄に対する疑問を挟む余地も無い敬虔な信徒として熱弁を繰り広げていた。

 邪神教団のフードを目深に被ったスヴェンの接近に傷が付かずに。

 少女信徒の背後ら突如伸ばされる鍛え抜かれた腕が、少女信徒の首をあらぬ方向に捻じ曲げる。

 

 ーーゴギュ、首骨と潰れた呼吸が混じり合った音、目の前で首を折られた少女信徒の姿に少年信徒は漸く気が付く。

 

 何者かが接近して同胞を邪神の元へ送った。床に崩れる少女信徒の姿に、少年信徒は自分も邪神の元へ逝きたい情熱を抑えながら同胞の仇を捜すべく頭を動かす。

 だが、スヴェンは少年信徒の行動よりもいち早く彼の背後に周り込みーーゴキンっ! 少年信徒の首骨を無慈悲に無感情のまま折った。

 スヴェンは始末した十代前半程度の二人の少年少女を両脇に担ぎ、落とし物の有無を確認した上で目撃者が訪れる前にその場を静かに立ち去る。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 始末した少年少女信徒と入れ替わる形でスヴェンとミアの二人は、外壁部分からエルリアの国境線。

 そこで繰り広げられてる剣戟に魅入られる邪神教団に紛れ込んでいた。

 その際にミアが小さく意味ありげな息を漏らしたが、あの場所でアウリオンと銀髪の女性が繰り広げている剣戟を見ればそれも無理は無いように思える。

 

 ーー互いに殺意はねぇな。だが、繰り広げられる剣技と攻防が邪神教団の眼を欺いてんのか。

 

 これが合流も情報共有もできなかったアウリオンなりの支援なのかと察したスヴェンは、一度銀髪の騎士ーーフィルシスに視線を移す。

 ここから肉眼では彼女の顔をはっきりと観れる訳では無いがーー確かな距離が有るにも関わらず、目が合ったような錯覚に見舞われ、フィルシスの口元が楽しげに歪んだように見えた。

 

「(……ミアからある程度の話は聴いていたが、なるべく関わりたくはねぇな)」

 

 彼女の見透かした視線は、もしも自分が狙撃者だったなら眼が合った時点で居場所が特定された挙げ句に精神を揺さぶれ冷静な狙撃は叶わなかった。

 スヴェンは底抜けに冷たい視線をフィルシス達から離し、魅入られる信徒達からミアと共に静かにその場から離れた。

 その際に彼らのポケットから折り畳まれた紙を拝借して。

 二人はアシュナが密かに潜伏してることを確認しながら、次の階層へ続く大階段を目指して下層街へ足を運ぶ。



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第十五章 巨城騒乱
15-1.中層へ進むには


 巨城都市エルデオンの下層に位置する下層街に足を運んだスヴェンとミアは、足を止めフード越しから民家の窓からこちらを覗き込む視線に眼を向けた。

 魔族の両親が子を背に隠し、敵意に染まった眼差しで睨みながら窓のカーテンを閉じる。

 

「すっかり悪役だねぇ、我ら邪神教団も中々理解して貰えないもんだね」

 

 邪神教団の信徒役に徹したミアが薄らと笑みを浮かべ軽い口調でぼやく。

 しかし、当然と言うべきかミアの翡翠の瞳の奥底は潜入中とはいえ味方である筈の魔族に敵意を向けられたことに対する悲しみが宿っている。

 スヴェンは敢えてその事を指摘せず、レンガの道路を歩き出す。

 カツン、カツンと靴底の音が反響する中、スヴェンとミアの反対方向から同様の足音と気配が近付く。

 スヴェンが背後に振り向けば、二人組の信徒が片手を振りながら駆け寄って来る。

 

「やあ! やあ! 敬愛なる同志よ! 見掛けない顔と武器だけど、外部入信者かな!」

 

 やたらテンションの高い男の信徒がそんな質問をしてきた。

 スヴェンは男の信徒ーー暗く濁った眼を真っ直ぐ紅い瞳で見詰め、

 

「あぁ、邪神様に魅入られてな」

 

 何処から来たかは答えず、尤もらしい解答だけを述べる。

 スヴェンが述べた返答に男の信徒は満足気に笑みを浮かべ、

 

「ということは最近到着したばかりということだね!」

 

 やはり高いテンションで声を張り上げた。

 目の前の男の声はよく通る反面、もう一人の女の信徒は大人しくこちらを観察してるだけだ。

 

「最近来たばかりで指示を乞うために一先ず中層を目指してんだが、誰に指示を仰げば良い?」

 

「外部入信者の出入りは下層までだよ! だから指示は下層の指導者ーーバルキット信徒に聴きたまえ!」

 

 外部入信の中に紛れ込んだ患者に対する対策か。となれば彼と接触した時点で自ずと監視も付けられるだろう。

 スヴェンは一先ず男の信徒の指摘に相槌を打ち、

 

「バルキット信徒だな? ソイツは何処に居る?」

 

 指示を乞うべきバルキット信徒の所在を訊ねた。

 

「今の時間帯は、15時13分か。……今ならバルキット信徒は下層の東、歓楽街に居るはずだ!」

 

 現在地点は下層の中心に位置する下層街だ。そこから東の歓楽街にバルキット信徒と呼ばれる下層の指導者が居る。

 

「分かった、それで……バルキット信徒の特徴は?」

 

「鶏のようなトサカヘアだ!」

 

 ローブを纏いフードで顔を隠す信徒の中からトサカヘアを探すのも中々面倒に思えた。

 

「……全員フードで顔を隠してると思うんですけど」

 

「あーあ! バルキット信徒は自分の髪型に自信を持っていてね! 絶対にフードで素顔を隠さないんだ!」

 

「なるほど、早速行ってみるとするか」

 

 スヴェンが男の信徒に背を向けると、

 

「あっ! 同志よ! くれぐれも追跡者には気を付けよ! 奴は我々本拠組みを見分けられるけど、外部入信者は敵と認識してしまうからね!」

 

 追跡者に対する忠告を語った。

 ここで外部入信者として追跡者に関して質問しなければ不自然だ。

 最下層の魔族達が集めた情報の正確性を確かめる為にもスヴェンは問うた。

 

「その追跡者ってのは?」

 

「我々の秘術によって誕生した僧兵さ! ……ただ禁術や禁薬を自ら投与し続けた結果、異形に成り果ててしまったのは残念極まりない!」

 

 禁術と禁薬で異形に成り果てた僧兵。それが複数人となれば厄介この上ない。

 

「……そうか、襲われた時はどうすれば?」

 

「そうだった! 外部入信者全員に教えておかなければならないことだった! 良いかい? 奴は敵と定めた者を殺すまで追い続ける。だから君達は遠慮せず反撃したまえ!」

 

「えっ、良いんですか? 同志ですよね……?」

 

「大丈夫さ! それよりも君達は追跡者が倒れた隙に逃げる! それが吉だ!」

 

 まるで倒せないと語っているような口振りだ。

 その事に違和感を感じたスヴェンは男の信徒の眼を見てーーそれ以上は追求せず、ミアと共にその場を離れた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 下層街の東通りを歩きながら、物陰から感じるアシュナの気配を背中に感じたスヴェンは他に気配が無いか確認した上で、隣を歩くミアに視線を移す。

 するとミアはこちらを見上げながら訊ねる。

 

「もっと追跡者に対して聴かなくて良かったの?」

 

「奴の眼は常に俺達を疑っていた。言動や質問、挙動に至るまで。特に背後に居た無言の女はな」

 

「あれかな、外部入信者って一括りにしても彼らにとって私達は余所者だからなのかな?」

 

「それも有るんだろうが、外部入信者は患者が忍び込むには丁度良いだろ」

 

「うーん、やっぱり信徒と接触を続けるのは危険だよね。それに私達ってわざわざバルキット信徒に会う必要か有る?」

 

「さっきの男が後からバルキット信徒に俺達の事を訊ねでもしてみろ。奴の疑いは確信に近付き、巨城都市の邪神教団全部隊に伝わるだろうよ」

 

「はぁ〜すぐに中層に行けるかと思ったけど、やっぱり作戦会議で言われた通りだね」

 

 目的は魔王救出だが、潜入と救出を確実に果たすには先ず敵から信用を得なければならない。

 だからリンドウは二人にこう指示した。中層への道が阻まれたら先ずは信徒の信頼を勝ち取れっと。

 

「信徒の注意が最前線に向いてる隙に進みてぇところだったが、潜入の定石に従う他にねぇな」

 

「じゃあ追跡者に気を付けつつバルキット信徒と合流だね」

 

 スヴェンとミアの二人は歓楽街へ続く道路を真っ直ぐと進むと、下層の何処からか重い鋼鉄を引き摺る音が響き渡る。

 それが例の追跡者のものだと判断した二人は同時に地を蹴り、歓楽街へ駆け出すのだった。



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15-2.歓楽街の信徒

 物静かで寂しげな風が吹く伽藍とした歓楽街に到着したスヴェンとミアの二人は、魔族の視線は感じるが決して店や施設から出ようとしない様子に眉を歪める。

 これも邪神教団の命令、本来魔族が従う理由も無い自由や行動を制限する命令を従わざる負えない苦痛と精神的屈辱。それはまだ魔王アルディアが無事だから保たれている平静に過ぎない。

 スヴェンはいつ爆発するかも分からない魔族の視線に触れず、物静かな歓楽街を歩き始めた。

 物静かなせいか、フェルシオンの歓楽街とはまた違う印象を受けるが一際スヴェンの眼を惹くのが獣肉の霜降りステーキを宣伝する飲食店だ。

 そこには看板に写真付きで掲載された獣肉の霜降りステーキが……。

 

 ーー今度来てみるか。いや、そうじゃねえ! 今は仕事優先だ!

 

 スヴェンは己の食欲に誘惑という名の毒牙を向ける飲食店から離れるように歩く速度を速める。

 第一魔王アルディアを救出しない限り何処の飲食店も休業日だ。

 これは早急に救出を成し遂げ後日獣肉の霜降りステーキを食べに来るしか無い!

 スヴェンは内心でそう結論付けると同時に邪神教団に対する殺意を強めた。

 

「えっと、なんだか殺気が凄いけどさ……大事なこと忘れないでよ?」

 

「バルキット信徒に指示を乞うだろ? 特徴はトサカヘアらしいが……ん?」

 

 スヴェンとミアは歓楽街の広場に集まり、トサカヘアの信徒を筆頭に謎のーー形容し難いポーズを決める信徒達に眼を疑う。

 一体全体広場で何をしているのか、なぜそんなやり切った! 充実感に満たされた爽やかな笑みで形容し難いポーズを保っているのだろうか?

 あそこにハンドグレードを投げ込んでやりたい。早急に中層に向かい魔王アルディア救出の段取りを進めたい。

 そんな欲求をグッと堪えたスヴェンは、

 

「……特徴的なトサカヘア、確かに鶏みてぇな髪型だな」

 

 ミアに向けて探していたバルキット信徒だと告げれば、彼女は嫌な表情を隠さずこう零した。

 

「……無理なんだけど、意味不明でダサ過ぎて近付きたく無いんですけど」

 

 歳頃の少女には受け入れ難い何かを発する信徒の集団は、ミアにとって拒否感を与えるには充分な存在らしい。

 それでも魔王救出は最優先事項だ。そこに近付きたく無いなどと事情を交え、救出に遅れを出すようでは魔族や魔法騎士団のこれまでの苦労が報われ無い。

 それに幾らミアが嫌がろうとも既にバルキット信徒はこちらを捕捉し、ポーズはそのままにちらちらとこちらに視線を向けるばかり。

 

「ほら行くぞ、先から来て欲しいそうに見てんだからよ」

 

「私、これが終わったらあの人(姫様)に甘えるんだ」

 

 意を決したミアと共にソレに近付けば、バルキット信徒はポーズをそのままに口を開く。

 

「見ない同志……あぁ外部入信者か、早速で悪いがどうだ?」

 

 何に対してのどうだ? なのか開口一番に問われた問い掛けにスヴェンは眉を歪め、ミアは愛想笑いを浮かべたまま硬直した。

 

「……そうか、なるほど! この片膝を絶妙な高さまで上げ、翼のように広げた両腕のバランスが素晴らし過ぎて言葉も出ない! そういうことか!」

 

 問い掛けとは一体何だったのか、そもそも問い掛けとは? スヴェンが一人で自分勝手に解釈と結論を出したバルキット信徒に困惑を浮かべる中、

 

「えっと私達は外部入信者なので、その素晴らしいポーズ? って何ですか?」

 

 ミアがポーズに付いて質問した。

 そんなミアにバルキットは狂気、歓喜、熱意、疑念、幸福、様々な感情が乗った形容し難い表情を浮かべ、

 

「これは我らの魔力を神聖な舞と共に偉大なる邪神様に捧げる崇高なる儀式だ! だが、我々の魔力だけでは忌々しいアトラスの封印から解放することは叶わない、叶わないんだ! あぁ! 邪神様よ! どうか我々の舞で狂気と怒りを鎮めるたまえ!」

 

 信徒の集団と共に足元に刻まれた魔法陣によって、魔力を空へ放出しながら踊り始めた。

 バルキット信徒の狂気的な一面は警戒するに値するが、疑問も一つだけ芽生える。

 邪神は狂気と怒りを放ってるのか? それとも意味不明な踊りに対する単純な怒りなのかはスヴェンには理解が及ばない。

 それに早急に指示を受けこの場から立ち去りたいところだが、バルキット信徒達が儀式を終えるまでまともに会話することも叶いそうに無い。 

 スヴェンとミアは少し離れた所で一心不乱に乱さず、踊り続けるバルキット信徒達を虚無感を胸に静かに観察した。

 踊りとポーズ事態は意味不明で共感出来なければ胸に訴えかける感動も何も無い。

 

 そんな踊りを見せ続けられること、二時間が経過。

 

 汗を額に流し、やり切った達成感と充実感を宿した笑みを互いに向け合う信徒達にスヴェンとミアは顔を見合わせ、彼らに握手を送る。

 

「入信したばかりで上手く言えないが、邪神様もさぞお喜びになったんじゃねえか?」

 

「私、こんなに一途で情熱的な儀式はじめて見ました!」

 

 スヴェンとミアの言葉にバルキット信徒はトサカヘアを掻き、

 

「そ、そんなに褒めるなよ。……あーそうだ、新人という事は指示を受けに来たんだろ?」

 

 こちらの目的を察した様子で顎に指を添え考え込む。

 

「うーん、巡回人数は足りてる。魔族に不審な様子も見られない変わらない日常……かといって二人を中層に移すには信頼できない」

 

 バルキット信徒は改めてこちらを観察するような眼差しで、下から上まで舐め回すように見詰めーーやがて得心したのか、

 

「男の方は戦闘慣れ、いや戦闘に向けて鍛錬された肉体と筋力、隙も無い。少女の方は鮮麗された大量の魔力、しかし穢れを知らない綺麗な眼をしてる点で言えば殺しの経験は無い」

 

「であれば適切な仕事は何か……男が戦闘担当、少女は支援担当と見ればバランスが取れた二人組。かといって新人を戦場に送り出す真似はできないなぁ」

 

 バルキット信徒の観察眼にスヴェンは一瞬、内心に浮かんだ彼に対する警戒心を奥底に隠す。

 アトラス教会の司祭といい、教会に属する者は観察眼に優れているのか。

 困惑を浮かべるミアを他所にスヴェンは、バルキット信徒の判断を静かに待つ。

 他の信徒がごくりっと喉を鳴らす中、バルキット信徒は突如眼を見開き、

 

「決めた! 二人は俺と一緒に来てもらう!」

 

 信徒集団の歓声が広場に響き渡る。

 そんな中、スヴェンとミアの二人は歩き出すバルキット信徒に付いて行くことに。



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15-3.始末

 スヴェンとミアの二人はバルキット信徒に連れられ、歓楽街の賭博場へ来ていた。

 賭博場の中心は十字架に磔にされた邪神教団の男信徒、その側で身体中に包帯を巻き床に座り込む女魔族の荒い息遣いが誰も居ない影響か嫌に響き渡る。

 そんな光景にミアは眉を歪め、バルキット信徒が十字架の前で足を止めた。

 

「君達にはこの裏切り者の粛清を任せたい」

 

 スヴェンは一瞬だけ女魔族に視線を向け、すぐさま恐怖心に顔を歪める男信徒に移す。

 

 ーーまさか邪神教団内の裏切り者が潜伏組みの魔族と通じていた?

 

 それとも女魔族の方が潜伏組みの裏切り者なのか、いずれにせよ行動を移す前にバルキット信徒に質問しなければならない。

 

「裏切り者? その男は何をしたんだ?」

 

 まずは男信徒に付いて訊ねればバルキット信徒は嘆かわしいっと言わんばかりに顔を大袈裟に手で覆い隠す。

 

「この者は彼女に対して幾度も性的な暴行、肉体的暴行を繰り返した悪漢なのだよ。……全くエルロイ司祭が魔族の一般人に手を出すなとあれほど厳命したと言うのに」

 

 バルキット信徒の言葉もエルロイ司祭の指示もスヴェンとミアにとっては意外でしかなかった。

 これがメルリアの子供達を洗脳し人質に取った者達の一人なのか、リリナの全身の皮膚を削ぎ落とし成り済ましたアイラ司祭と同じ組織の者なのか。

 

「意外だな、魔族も等しく邪神様の生贄に過ぎないと思っていたが……」

 

「……魔族は元々祖に悪魔を持つ混血種だ。人、天使の血が混ざった魔族の魂は邪神様が好む味じゃないんだ」

 

「あー、不純物入りの魂は好まないと?」

 

「そうだ! 何事も純正が一番ということだ! ……他に質問は?」

 

「いや、邪神様の好む味も知れたからな。すぐに実行に移すさ」

 

 スヴェンはナイフを抜き十字架に磔にされた男信徒の首筋に刃を向ける。

 此処で始末するのは簡単だ。だが男に話を聞こうにもバルキット信徒が厄介に他ならない。

 彼はこちらの挙動を見逃さず男信徒を逃すのでは? そんな強い疑念を向けているため下手に動けばミアの身にまで危険が及ぶ。

 優先すべき事項はバルキット信徒の信頼を得ることだ。

 スヴェンは恐怖に引き攣る男信徒の頸動脈にナイフの刃を押し付け、

 

「まっ! 待ってくれよ! 俺は有益な……かふっ!」

 

 男信徒が何かを叫ぶ前にスヴェンは躊躇も慈悲も無く、頸動脈を斬り裂き彼の鮮血が舞う。

 血飛沫の飛沫がローブに付着し、女魔族の頬を汚す。

 女魔族は有り得ない者を見るーー恐怖に歪んだ眼差しで、

 

「ひ、人殺しの悪魔!」

 

 スヴェンに人殺しと叫んだ。

 至極真っ当な反応にスヴェンの心は何も感じる事は無く、バルキット信徒の喝采の拍手が賭博場に響き渡るばかり。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 男信徒の死体を処理し、震える女魔族を自宅に送ったあと。

 

「ご苦労さん、君のおかげで粛清も早く終わった。だが仕事はまだ残ってるんだ、頼まれてくるか?」

 

 まだ他にもやって貰いたい仕事が有るとバルキット信徒に告げられた。

 既に時刻は夕方の十七時で、アウリオンとフィルシス騎士団長の剣戟も落ち着いたのか見物していた信徒達が其々の持ち場に戻る中、背後から悍ましい魔力と金属を引き摺る足音にそこに居た全員の足が一瞬止まった。

 背後に確かに居る存在の吐息にスヴェンが背中のガンバスターに手を伸ばした時、

 

「追跡者は歓楽街に来ないはず……」

 

 バルキット信徒の戸惑いの声が耳に響き渡る。

 その時だった、スヴェンが背後に居る追跡者に視線を向けたのは。

 飛び出し肥大化した右眼球と額の眼球がスヴェン、ミア、バルキット信徒を捉え、肥大化した右腕に掴む血によって汚れた処刑剣と呼ばれる武器を引き摺りーー口元を悍ましく歪めさせた。

 

「たーげ、っと……ばる、き……よそ、……よそ……コロス、殺す、殺す、コロス、ころす、ころ、ころころころころすっ!」

 

 突如狂った雄叫びを叫んだ追跡者が周囲の信徒を蹴散らしながら真っ直ぐこちらに駆け出す。

 スヴェン達は同時に駆け出し、オペラハウスを通り抜け路地に逃げ込む。

 その際、スヴェンは曲がり角を曲がる直前にスタングレネードを取り出し魔力を流し込んだそれを追跡者に放り投げた。

 曲がり角から強烈な閃光と追跡者の呻き声が響く中、スヴェンは路地に視線を巡らせる。

 オペラハウスの裏口を通るか、このまま一本道の路地を通るか。

 前者はまだ追跡者を撒ける可能性が有る。逆に後者は土地勘が無い状況で一本道を直進し続けるのは得策とは言えない。

 それにオペラハウスに逃げ込んだ所で狭い場所で戦闘を仕入れることは変わらない。

 それなら第三の選択として、スヴェンは建物の屋根を見上げる。

 建物の屋根伝いに移動を繰り返す方法だ。それで撒けるとも限らないが、

 

「屋根に跳び上がるぞ」

 

 スヴェンはミアを抱え床を蹴り、一気に近場の屋根に跳び上がる。

 それにバルキット信徒は迷うことなく屋根に跳んだ。

 

「全員伏せろ」

 

 ミアとバルキット信徒にそれだけ告げ、スヴェンは僅かに屋根から覗き込む。

 すると追跡者はもうスタングレネードの効果が切れたのか、処刑剣の刃を床に引き摺りながら路地に入り込んだ。

 誰も居ない路地に追跡者は肥大化した右眼を動かす中、額の眼球がスヴェン達の潜む屋根を見上げていた。

 

 ーー気付かれた。

 

 スヴェンはミアに手振りで気付かれたことを告げ、近場の屋根に向かって駆け出しては飛び移る。

 そこにやはりしっかりと付いて来るバルキット信徒に、スヴェンとミアは走りながら問うた。

 

「アンタ、一体なにをやらかしたんだ?」

 

「……邪神教団も一枚岩じゃないってことだ」

 

 組織内部の抗争が巨城都市で行われているとすれば、上手く利用できたなら魔王救出に一歩近付く可能性を秘めている。

 

「私達は外部入信者だから狙われるのは当然ですけど、裏切り者ならあっちの屋根に行った方が良くないですか?」

 

 元々邪神教団に敵意を持つミアはバルキット信徒を切り捨てる方向で、彼に広々とした屋根を視線で示す。

 彼女の選択も間違いで無ければ、追跡者から逃れる為に分断するのも有りだ。

 

「有益な情報、魔王救出に役立つ有益な情報が有る」

 

「……さっきアンタは裏切り者を粛清させたな。そんなアンタが命乞いってか?」

 

「奴は最下層に潜む内通者と通じてるからな……口封じは必要だ」

 

 もしそれが本当なら潜伏組みの内情は既に邪神教団に伝わっている可能性の方が高い。

 同時に魔族の中から内通者を探し出し始末してる余裕も無い。

 

「それに中層に行くには指導者の魔力認識が必要だ……どうする? 君達にとって有益な存在だと自負してるが?」

 

 如何あってもバルキット信徒を追跡者から護らなければ中層には行けないらしい。

 彼が本当にこちら側ならの話しだが。

 

「アンタは俺とミアをずっと観察していた、それにアンタが放つ狂気は信用できねぇな」

 

「……信徒2人が行方不明になった状態で外部入信者が訊ねてくれば疑いもする。それに……邪神様の放つ狂気は長く触れ続けると精神汚染を引き起こすんだ」

 

 彼の狂気が精神汚染によるものなのか、確証は持てないがーー屋根に登り、手当たり次第に施設を破壊しだす追跡者の姿にスヴェンはため息を吐く。

 

「被害額が跳ね上がる前に奴を始末してぇ。何か有益な方法は有るか?」

 

「ちょ! 信じるの!?」

 

 確かにバルキット信徒は信用に値しないが、中層へ進むために彼の魔力認識が必要なら用済みになったタイミングて始末すれば良い。

 スヴェンはバルキット信徒をいずれ切り捨てる方針を描きながらガンバスターを引き抜いた。

 そして槍を構えたバルキット信徒が隣りに立ち並ぶ。

 

「あーもう! 怪我は治療してあげるから死なないでよね!」

 

「……彼女は優しいな。普通邪神教団の言葉に耳を貸す者は居ないってのに」

 

「俺達なりの事情は既に知ってんだろ? ってかどんだけ発覚してんだよ」

 

「いや、君達のことは俺だけが知っている」

 

「なるほど、ならアンタは一体何の為に俺達に手を貸す?」

 

「歪んでしまった邪神教団の解放さ」

 

 スヴェンは今まで接触した邪神教団、そのほんの一部の側面しか知らない。

 追跡者が迫り来る中、スヴェンはバルキット信徒から視線を外しーー追跡者に駆け出した。



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15-4.追跡者

 無防備な追跡者の首筋にスヴェンが横薙ぎに払ったガンバスターの刃が一閃を描く。

 すぐさま刃から伝わる異様に硬い感触、刃から散る火花にスヴェンの眉が歪む。

 首筋が硬過ぎて刃が通らない。そんな理屈は相手がモンスターやラウルのような硬化魔法なら説明も付くが、少なくとも追跡者に魔力を使用した形跡が無い!

 追跡者が肥大化した右腕で処刑剣を持ち上げ、スヴェンが自身のガンバスターを引き戻し後方に退がった瞬間、追跡者の左腕がスヴェン目掛けて伸びる。

 間接や骨などお構い無しに弾力性の高いゴムのように伸ばされた腕をスヴェンは咄嗟に斬り払うことで、追跡者の左腕を両断した。

 屋根にどさりっと落ちた左腕が蠢き、追跡者の左腕断面図が蠢きだす。

 

「ひっ! いくら何でもおかしすぎるよ!」

 

 ミアの叫び声に槍を構えたバルキット信徒が静かに語り出す。

 

「追跡者共は全員、邪神様の魔力と悪魔の肉片を身体に植え付けれてるんだ。異常な肉体、殺しても死なない不死性を兼ね備えた拠点防衛用信徒が彼らさ」

 

「……裏切り者の処刑人も兼ねてんだろ」

 

 硬い上に左腕が伸びる厄介な存在が不死性も備えているなど何の冗談だろうか?

 しかしバルキット信徒の言う通り、切断した左腕が生え始めている所を見るに追跡者が不死なのは事実のようだ。

 同時に首筋は刃が通らないが、伸びた左腕は簡単に切断できた。

 通じる箇所を見極めて攻め込む他にない。そう判断したスヴェンは、先程から処刑剣を持ち上げた状態で静止する追跡者に違和感を覚える。

 なぜ構えを解くこともせずそのまま姿勢を維持しているのか。それとも肉体改造の影響で知能が低下してるとでとも言うのか。

 スヴェンの疑問はすぐさま解消されることになる。

 追跡者の禍々しい魔力が処刑剣に集い、彼が凶悪に口元を歪め笑う姿に、

 

「全員離れろ!」

 

 スヴェンの警告にバルキット信徒とミアがその場から距離を離すーー瞬間、追跡者は禍々しい魔力を纏った処刑剣から混沌に染まった巨大な衝撃波を撃ち出した。

 空気を震撼させながら屋根を破壊し、魔力の圧力だけで周辺の建物に亀裂が走る中、スヴェンはその場で高く跳躍することで巨大な衝撃波を避ける。

 対象を失った巨大な衝撃波が歓楽街の賭博場へ飛びーー巨大な衝撃波に呑まれた賭博場が跡形も無く消し飛んだ。

 スヴェンは無事な屋根に着地と同時に、周囲に視線を巡らせーーミアとバルキット信徒の無事な姿に小さく安堵の息を漏らす。そしてアシュナが巻き込まれていないか探るも、彼女も既に退避していたようで離れた位置から無事な姿を陰から見せていた。

 

 ーーそれにしてもとんでもねぇ化け物を野放しにしやがって、連中は馬鹿かっ!?

 

 悪態を吐きながら追跡者が放った一撃に巻き込まれた信徒達の姿にスヴェンは思わずため息を吐く。

 自業自得と吐き捨てるのは簡単だ。ただこのままでは追跡者による被害も甚大なのは明白だ。

 スヴェンは多少なりとも信徒を戦力として打つけることを考え、口を開き掛かるも。

 

「冗談じゃない! 追跡者に巻き込まれるぐらいならっ!」

 

「裏切り者を助ける義理など無い!」

 

「戦闘参加よりも区画に防御結界を発動させる方が先決だ!」

 

「ここから近い下層街の住民避難を!」

 

 逃げ出す信徒も居れば、占領している負目からかそれともエルロイ司祭の指示か、区画に防御結界を唱える者、下層街の魔族の避難へ動き出す者と別れた。

 下層の被害が抑えられるならそれはそれで良いと判断したスヴェンはガンバスターに魔力を流し込む。

 同時にバルキット信徒が槍に魔力を纏わせ、

 

「貫通力ならどうだ?」

 

 槍の矛先から鋭く鋭利な衝撃波を繰り出した。

 鋭利な衝撃波が追跡者の右肩を穿ち、傷口から黒ずんだ血が流れ出す。

 だがバルキット信徒が付けた傷もすぐに塞がり、突如として追跡者がスヴェンとバルキット信徒の視界から消える。

 スヴェンの視界に、空気を足場に高速移動で迫る追跡者が映り込む。

 アンバランスな異形とは思えない程の高速移動にスヴェンは縮地でその場を離れ、スヴェンが先程まで立っていた場所に処刑剣の刃が走る。

 追跡者の背後に回り込んだスヴェンは、ガンバスターの銃口を向け引き金を引いた。

 魔力を纏った.600LRマグナム弾が氷を纏い、追跡者の背中から腹部にかけて穿つ。屋根に心臓の肉片と骨の破片が飛散し、更に追跡者の風穴から凍り付き、肉体が徐々に凍りに包まれる。

 

「……心臓はぶち抜いた筈だが、やっぱ死なねぇのか」

 

 追跡者の風穴からミアとバルキット信徒の姿が見えるが、それでも凍り付きながらなお追跡者の筋肉、血液は脈動を繰り返し心臓が徐々に再構築され始めている。

 殺せないならこれ以上の戦闘は無意味だ。そう判断したスヴェンはハンドグレネードを取り出しては魔力を流し込む。

 そしてハンドグレネードを追跡者の身体に埋め込み、ミアとバルキット信徒と共に歓楽街から離脱を開始した。

 

 ーー爆音と追跡者の憤怒の叫び声を背後に三人は中層へ続く大階段を目指す。



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15-5.邪神教団の内情

 追跡者から逃げるように下層街に到着したスヴェンは、歓楽街から響く叫び声に振り返った。

 

「……もう復活したのか?」

 

 復活途中の追跡者に置き土産のハンドグレネードを喰らわせたが、それでも足止めには火力的にも不十分だったと考える他にない。

 

「さっきの爆発する魔道具でさえ、追跡者の復活速度を遅らせることは無理ってことだ」

 

 バルキット信徒の落胆混じりの吐息が漏れる。それに対してミアは何か言いたげな視線を彼に向けるもすぐさま視線を逸らす。

 どうやらミアもバルキット信徒を信じ切れていない様子。それは自身も同じことだが、邪神教団の内情を知るにはまたとない機会だ。

 それに中層に向かうには彼が必要になる。

 

「歩きながらで構わねえが、有益な情報とやらを話して貰うぞ?」

 

 ガンバスターを片手にバルキット信徒に問えば、彼は急かすなと言わんばかりにため息を漏らす。

 

「詳細は大階段の結界門に着いてからだ。あそこなら下層の追跡者は追って来れない」

 

 一先ず安全地帯に向かってから。そのことにスヴェンとミアは納得し、また遠くから聴こえる処刑剣を引き摺る音に先を急ぐ様に駆け出した。

 下層街の民家通りを抜け、中層に続く大階段に到着したスヴェンとミアは結界によって侵入者を拒む門に息を漏らす。

 なるほど、これは指導者にしか開かない代物だ。そう納得したスヴェンはバルキット信徒が結界門に近付く中、ミアを彼の隣りに行くように視線で合図を送り、自身は二人の背を護るように警戒しながらガンバスターを構える。

 ついでに視線だけをバルキット信徒に向け、魔力を視認すればある事に気付く。それを指摘した所で結界門が開かれなければ意味が無い。

 スヴェンはバルキット信徒が抱える問題に目を瞑る事にした。

 

「少し待ってくれ……コイツは各階層指導者の魔力に反応して解除陣が現れる代物なんだ」

 

 バルキット信徒の魔力だけでなく解除そのものが必要な辺り、邪神教団も何者かの侵入に備えていたのだろう。

 となれば現在何処かに潜伏中のアトラス教会の信徒達か。

 ガンバスターを片手に周囲に警戒を浮かべる中、大階段に白い小鳥の群れが降り立った。

 白い小鳥の群れは大階段を飛び乗り、羽を休めては仕切りに周りを見渡す。

 スヴェンの警戒心とは裏腹に白い小鳥は動物らしく自由に動き回る。

 

「なんか、奇妙な空間になってるね」

 

「あー、小鳥ってのは焼いて食えんのか?」

 

「こんなに愛くるしい小鳥を前に食べようなんて考えないで!」

 

 味が気になり軽口を叩けば、怒鳴られてしまった。これは配慮に欠けた自身のミスだとスヴェンは肩を竦めた。

 同時にスヴェンの耳に追跡者の接近を知らせる足音が届き、白い小鳥が一斉に飛び立つ。

 

「……まだ解除に掛かりそうか?」

 

「もう少し、いや……クソっ、誰だこんなに複雑にした奴はっ! ……悪いがあと3分は掛かるな」

 

 三分程度ならどうにかなる範囲だ。

 しかし三分間の間でバルキット信徒が先に大階段を上がり、結界門を塞がないという保証など何処にも無いのも事実だ。

 刻々と近寄る追跡者の足跡と引き摺る処刑剣の音、それにミアも気付いたのか意を決した眼差しでこちらに駆け寄る。

 何事だ? スヴェンがミアの行動に訝しむとーー驚くことにミアは眼にも止まらない速さでサイドポーチからハンドグレネードを一つ掠め取った。

 ミアの突然の行動に嫌な予感が浮かぶ。それは殺しや穢れを知らない純粋な少女が手にしていい代物ではない!

 

「おい! 何をする気だ! ソイツはアンタが持って良いもんじゃねぇ!」

 

 スヴェンが声を鋭く、怒声に近い声量でミアを問い詰めれば肩を震わせながら、

 

「大丈夫、使い方は見てたから知ってる」

 

 真剣な眼差しを浮かべバルキット信徒に振り向く。

 

「いい? もしもこの人を置いて逃げるような真似をしたらコレであなた諸々共吹き飛んでやるからね!」

 

 ミアの行動にバルキット信徒は冷や汗を流し、結界門の解除を進めながら叫ぶ。

 

「信用が無いな! いや、立場を加味すれば当然の判断かっ!」

 

 お互いに信用できない立場がミアにハンドグレネードで脅しという強硬手段を取らせた。

 これは間違いなく疑い深い自身の傭兵としての性質が一人の少女に踏み出してはならない領域に一歩踏み込ませてしまった。

 しかし此処で悔いて反省してる時間など無い。追跡者が大階段の曲がり角まで迫っている。

 

「ミア、合流するまで早まった行動はすんなよ。アンタもソイツに傷を付ければ判るな?」

 

 二人に殺気を乗せた低めの声で脅しを掛けてからスヴェンは大階段を飛び降りた。

 そしてこちらを視界に捕捉した追跡者が雄叫びを叫びながら駆け出す。

 スヴェンは敢えて追跡者の頭上を飛び越えながら背中にガンバスターの一閃を加えることで注意と敵意を引き付けた上で、大階段とは真逆の方向に駆け出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ミアは片手に収まるハンドグレネードを大事そうに握り締めながら、バルキット信徒の解除作業を静かに見護る。

 既にスヴェンが追跡者を引き付けてからどれぐらい経過しただろうか?

 少なくとも散漫的に聴こえるガンバスターの銃声が既に三回は鳴り響いている。

 あんな化け物をたった一人で引き付けているスヴェンの身に何か起こらないかと心配も有るが、やはりこんな時に攻撃魔法が使えない自身が憎くて堪らない。

 

「そう自分の事を恨んでも仕方ないだろ。……少なくとも君の度胸は認めるし、その身に宿す膨大な魔力量もな」

 

「……幾ら魔力が有っても使い所が限られてるんじゃ、宝の持ち腐れよ」

 

 バルキット信徒に対して不貞腐れ気味に返答すれば、彼は手を決して止めず作業を続けた。

 

「宝の持ち腐れ、か。魔力量に限りが有る身としては羨ましい言葉だ」

 

「……あなたは、あっ」

 

 ミアは漸くバルキット信徒に巡る魔力を認識して理解してしまう。

 彼の下丹田に留まる魔力量が異常に低いことを。魔力の自然生成と同時に魔力が不自然な形で消失してる現状に、それが魔力消失疾患は別の病気を患ってることを。

 魔力消失疾患は人が発症する魔力系の病の一つで、長期治療すれば治る病気なのだが、バルキット信徒の魔力消失疾患は別の原因によるものだ。

 彼の酷く鈍い心音、心臓が患った病気を魔力が補うことで生命を繋いでる状態だ。

 

「……心臓病を魔力で補う。それで生命を繋いでる状態だが、邪神教団として他の信徒から敬虔なる信徒を演じるには魔力を邪神様に捧げる必要も有ってな。正直戦闘で使える魔力は殆ど無い状態だ」

 

 バルキット信徒は心臓病を患っていながらそれを悟らせないように顔色一つ変えず振る舞っていた。

 本来なら治療師としても魔力操作を強いる解除作業などさせるべきではない。

 しかしこちらには中層に進む理由も有る。バルキット信徒を犠牲に中層へ進むのか、彼を案じて一旦中断するのか。

 二択の選択肢にミアは眉を歪めた。

 何方も自分では決め切れない選択肢だが、スヴェンなら恐らく依頼達成を最優先に選ぶ。

 そこで人が死ぬ結界になろうとも彼なら非情な選択肢も選べる。

 

 ーースヴェンさんばかりに押し付けたくない、けど。

 

「……これは裏切りが露呈した時点で残された選択肢だった。だが幸運にも魔王アルディアを救出する者が2人も現れたんだ」

 

「……あなた達が蒔いた種でも有るけど?」

 

「……エルロイ司祭だって不本意だったんだ。さっきも言ったが、邪神教団は決して一枚岩じゃないってよ」

 

「それって組織内部で内部分裂が起きてるってことなの?」

 

「あぁ、新しい枢機卿率いる邪神様の封印維持を目的とした穏健派と大半の司祭率いる封印解放強行派の過激派に分かれてしまっている。尤もエルロイ司祭は教団創立に関わる人物だ、彼がどっち派なのかは判らない」

 

「魔王様の凍結封印は不本意って言っていたけど、それは交渉が失敗したからなの?」

 

「いいや、封印の鍵が邪神教団に渡れば間違いなく邪神眷属も解放されることになる。そうなれば邪神眷属は司祭の身体を依代に復活し破滅を振り撒く。だからエルロイ司祭はそうなる事態を避けるために魔王を凍結封印したんだ」

 

 邪神眷属に付いては伝承に軽く存在に触れる程度で詳細は不明だった。

 しかし、彼の言うことが正しいなら邪神眷属は司祭の肉体を依代に復活してしまう。

 邪神の力を直接分け与えられたと呼ばれる存在が復活してしまえば、破滅を振り撒かれてしまうのかもしれない。

 同時にエルロイ司祭を出し抜き魔王アルディアの解放を目指す方が危険性が高いようにも思えて来る。

 

 ーー迷いを生じさせる作戦? バルキット信徒は嘘を付いてるように見えないけど……。

 

「……その話が本当なら魔王アルディア様が封印の鍵を所持してるってことなの?」

 

「いいや、封印の鍵はヴェルハイム魔聖国内の何処かに隠されている」

 

 おかしい。スヴェンから聴いた話しだが、ヴァルバトーゼ大臣は邪神教団によって洗脳され、情報を洗いざらい吸い出された挙句に殺害されたのだとアウリオンから聴いたそうだ。

 そこまでする邪神教団が邪神眷属復活を阻止するような真似をするのか?

 仮に過激派による行動なら説明も付くが、ミアは冷静にバルキット信徒の様子を窺う。

 彼は依然と結界門の解除作業を進めているが、なぜ彼は裏切り者として追跡者に追われたのだろうか。

 

「封印の鍵の所在も判らないのに魔王様を凍結封印? 魔王様が手元に所持してたなら判るけど」

 

 こちらの指摘にバルキット信徒は同意するように頷いた。

 

「エルロイ司祭は確かに不本意だと語っていたが、彼の腹の内は誰にも読めないんだ。魔王救出を達成するにはエルロイ司祭を出し抜く必要も有るが、彼は()()()()()()()()()()()()。この事を彼にもちゃんと伝えるんだぞ?」

 

 まるでそれが遺言だと言わんばかりにバルキット信徒が浮き彫りになった魔法陣に半円を描く。

 すると封印門は音を立てて開き、同時にバルキット信徒が仰向けに倒れる。

 ミアは慌てて倒れる彼を抱き止めーー心臓の鼓動が完全に停止した彼に眼を見開いた。

 彼はもう息を引き取っている。命を落としてまで最後まで疑っていた自分達の為に結界門を開いた。

 

 ーー私はどうするべきだったの? 彼を信じてあげるべきだった?

 

 何が正しいのか、一つだけ言えることは命懸けで道を開いた者に対して信用できない自分は人として終わっていることだけははっきりと言える。

 ミアは一先ず彼の亡骸を大階段の横に座らせ、背後から響く足音に振り向く。

 そこには血塗れのスヴェンが佇んでいた。

 彼の血塗れの姿に思わず肝が冷え、重傷を負ったのかと不安に駆られるも、どうやら追跡者の返り血のようだ。

 そんな心配と安堵を他所に彼はバルキット信徒の死体に眉を歪め、静かに察したのか段差に落としてしまっていたハンドグレネードを拾う。

 

「ソイツは何か言い残したか?」

 

「うん、エルロイ司祭は()()()()()()()()()()()だって。他にも邪神教団には封印維持派と封印解放強行派の二つの派閥が有るって」

 

 真っ先にエルロイ司祭の件と邪神教団の内情に付いて伝えれば、彼の底抜けに冷たい瞳が鋭い眼孔を浮かべた。

 

「変装と成り替わりの達人だと? ……いや、だとしたら俺達はここに辿り着けすらしない筈だ」

 

 何か心当たりが有るのか、スヴェンは今までに決して見せてこなかったーーはじめて彼が恐ろしいと思わせる冷徹な空気を纏っていた。

 彼の疑問に問うべきか。ただ声を出そうにも、目の前の彼が発する恐ろしい空気と強烈な殺気に声が出ない!

 息苦しさえ感じる中、ミアがどうにか息を吸い込むとそれにスヴェンがしまったっと言わんばかりに顔を背けた。

 すぐさまスヴェンは開いた結界門に向かい歩き始め、

 

「悪りぃ、アンタを脅えさせる気は無かったんだ」

 

 小さくそんな事を告げられた。

 そんな彼にミアは大きく息を吸い込み、彼に恐怖した自身の心の弱さに嫌気が刺す。

 これまで彼は自身やアシュナをどれだけ殺しをさせまいと気遣って来たか。それを知らない訳では無いというのに。

 だからミアは無言でスヴェンの隣に駆け寄り、

 

「……追跡者は? それとあなたがそんなになっちゃった理由をちゃんと話してよ」

 

「……追跡者は今頃復活中だろうよ。後者の問いだが、20年前にエルリア国内のフィル湖畔で全身の皮膚を剥がされた死体が発見され今でも犯人不明のままらしいが、その犯人がエルロイ司祭なら?」

 

「……確か被害者は当時6歳の男の子。仮にエルロイ司祭が今でもその死体に成り替わってるなら26歳の男性ってこと?」

 

「あぁ、まだ誰に化けてんのかは判らねぇが……」

 

 それは彼なりの嘘だ。何かに気付いたからこそスヴェンはあんなに普段見せない殺気を露わにした。

 もう少しだけ話を聞こうとも思ったが、中層がすぐそこまで迫っていた。これ以上は誰かに話を聴かれる可能性すら有る。

 ミアはスヴェンが何を察したのか、それ以上は質問せず彼の隣を歩き続けた。



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15-6.浮上する疑惑

 スヴェンとミアが中層に到着した頃、レーナは技術開発研究室。そこで結界に封じ込められ圧死を繰り返すアンノウンに深いため息を零す。

 フェルシオンで運用された人工のモンスターが誰かの魔法を受けて突如復活した。それを事前に察知したクルシュナ副所長の指示によって未然に防がれたが、もしも察知できなければ少なくない混乱がエルリア各地を襲っていた。

 アンノウンによって決して少なくない被害報告も受けている。だから哀れとは思わないが、レーナは目の前のモンスターに複雑な眼差しを向けた。

 

「貴方達を産み出したのは誰なのかしら?」

 

 モンスターに言葉など通じない。いや、モンスターは言語を理解しているが対話など望まない星が生み出した自浄作用だ。

 滅ぼすべき人類の言葉に耳を貸さないのも当然と言えば当然のこと。それだけ神々も人類も封神戦争で星を大いに傷付けたのだ。

 ただ人工的に産み出されたアンノウンはどうか? 彼らは一体何のために産み出されたというのか。

 

「クルシュナ、アンノウンを産み出した人物に付いて何か分かったのかしら?」

 

 側でアンノウンの経過観察をしていたクルシュナは一度視線をこちらに向け、答えるべきか迷ったのかすぐに視線を元に戻した。

 きっと自身にとって良くない報告なのだろう。それでも王家の娘として識り対応する必要が有る。それが例え自国民の仕業であったとしても。

 

「答えなさい」

 

 厳格に静かな声で問えばクルシュナは諦めたように身体をこちらに向ける。

 そして彼は少しだけ息を吸い込み、額に僅かな汗を滲ませながら緊張した様子で口を動かした。

 

「アンノウンから検出された魔力残滓から該当者を割り出すのは実に簡単な事でしたよ。しかし、簡単ながら我々は連中の思惑に嵌ったのではないか? そう感じざる負えないのですよ」

 

 つまりアンノウンの秘密を探った時点で疑心を植え付けられた。 

 クルシュナの口ぶりからそう判断したレーナはそれでも答えを待つ。

 

「……先ず最初にアンノウンから検出された魔力残滓を調べましたところーーエルロイ司祭の物が検出されたのです」

 

 エルロイ司祭の名を聴いたレーナは驚くよりも冷静に思考を巡らせた。

 スヴェンはフェルシオンで討伐したアイラ司祭がアンノウンの存在を認知していなかったと言っていた。

 だからアンノウンを放ったのは、邪神教団とゴスペルの右足を仲介した仲介人なのだとばかり思っていたが実は事はそう単純では無かったようだ。

 アンノウンを放った張本人がエルロイ司祭なら、なぜ彼はアイラ司祭に情報共有をしなかったのか。

 なぜ取引相手はリリナの死体を持参し、ゴスペルに指示を与えたのか。

 

 ーーまさか取引相手とエルロイ司祭が同一人物?

 

 嫌な推測だがフェルシオンに駐屯する魔法騎士団からゴスペルとの取引に関わった取引相手だけを捕えることは叶わず、人身売買に関わっていた仲介業者だけが捕まった。

 おかげでフェルシオン内部の清掃はかなり進んだのは事実だが、もしもエルロイ司祭がアイラ司祭と同じあるいは変装や変身系の魔法が使えたら?

 

「……エルロイ司祭は封神戦争から存在してる邪神教団の司祭ということは知ってるわ。だから国内の誰かに扮しても可笑しくはないのよね」

 

 それだけ大昔の時代から生きる彼なら歴史の闇に葬られた魔法を知っていても可笑しくは無い。

 

「……えぇ、あなた様の言う通りエルロイ司祭はエルリア国民に成り替わり平然と何度もエルリア城のみならず各地を訪れているはずですな」

 

「かなり自由に行動できて入城も出来る。可能性として高いのは騎士団の誰か、執政官、商人。その中で一番可能性が高いのは……」

 

 二十年前にフィル湖畔で発見された男の子の死体と見付からない犯人。男の子の素性は今でも不明のまま、いや誰も何処の誰の子が亡くなったのか知らないのだ。

 それがもしもアイラ司祭と同じ魔法を使用していれば、犯人は二十年の間誰にも悟られず子として生きていた筈だ。

 特に言い上げた中で尤も自由に動けるのは商人ぐらいなもので。それにクルシュナも気付いていた様子で語る。

 

「商人でしょうな。それもかなりの規模を誇る商会……しかし解せぬのはいつでも姫様を毒殺できた機会も有ったはず」

 

 敢えて当該人物の名を伏せる形で告げられた事実にレーナは毅然とした態度で眼を瞑り、ある人物の顔を思い浮かべる。

 その人物とは別に十一年前にエルリア城を襲撃した司祭の顔も浮かぶ。

 彼の顔が頭に浮かぶ度、既に消えた筈の腹部が痛む。

 

 ーー彼のことよりも今は思考を戻すべきね。

 

 レーナは浮かんだ顔を振り払うことで思考を元に戻す。

 問題はなぜ暗殺を仕掛けなかったのかだ。それとも仕掛けるべき時期では無かったと言うのか。

 

「時期にも寄るわね。お父様が行方不明時期、その時期に私に何か有れば凶星を防ぐ手段が無くなる……丁度10年前と8年前、過去2度に渡り凶星が来てるものね」

 

「えぇ、恐らく凶星落下による大地の崩壊を恐れたのかと。凶星による破壊は星を大いに傷付け、強力なモンスターも大量に生まれ封印の鍵の探索どころでは無くなりますからな」

 

「それだけとは限らないかもしれないけど、エルロイ司祭の思惑を今ここで突き止めてもスヴェンに知らせる方法が無いわ」

 

「そうですな。むしろスヴェン殿にとって不要な情報やもしれませんぞ」

 

 クルシュナの尤もな意見にレーナは頷く。

 確かにスヴェンにとって重要なのは敵の思惑よりもアルディア救出の方だ。

 だからスヴェン達は邪神教団に扮して内部に潜入しているのだが、そこで教団内部に関する情報を得ているかもしれない。

 それに関して彼がどう感じて何を想うのかは判らないが、ロイとエルナは邪神教団は組織として決して一枚岩で無い事を語り、日々誰が枢機卿の座に座るのか一部の司祭同士で争うのも日常茶飯事だったと。

 それに二つの派閥に別れている状態でも有るが、それがスヴェンの行動にメリットを齎すとも限らない。

 救出に立ち塞がる邪神教団とエルロイ司祭、それらを乗り越えて漸くアルディアの救出が果たされる。

 

 ーーもう少しだけど、だからってみんな、無茶だけはしないで。

 

 スヴェン達にも今回の作戦に関わる者達全員が無事に帰還して欲しい。

 レーナは毅然とした態度で居ながら内心では、作戦に関わる全員の無事を祈りながら次の公務に移るのだった。

 ヴェルハイム魔聖国の次はミルディル森林国の問題を解決しなければならない。

 本来ならミルディル王家が解決すべき問題なのだが、なぜ兄と慕った自分が彼と婚約の話が持ち込まれたのか。

 南部の国境線から自国に対してミルディル森林国の兵士が攻め込んだ理由も父から聴かされているが、本当にままならい状況にレーナは深々と息を吐き出した。



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15-7.遭遇と探り合い

 中層に位置する外周区に到着したスヴェンとミアは、上層に続く大階段と上層から下層まで続く魔王城を見上げでいた。

 下層の何処に入り口がありそうだったが、地下の潜伏組みによれば魔王城の入り口は上層だけしかないのだと。

 目的地はすぐそこに見えているが、まだ届かない距離に有る。

 中層の外周から中層区を抜け中央区から大階段のルートを通らなければ上層に辿り着くのは難しい。

 最短を選ぶなら大階段を通らず、中層北外周区の梯子を登る方法が有る。

 なぜ下層と中層は外周区で繋がっていないのか気になる所では有るが、スヴェンは事前に言われた地図を頭に浮かべつつ中層の大階段を塞ぐ結界門にため息が漏れた。

 

「正規ルートを選べばまた指導者に解除させるしかねぇのか」

 

「たぶんバルキット信徒と一緒に居た所は沢山の信徒に見られてるから警戒されてるかも」

 

 外部入信者を語る侵入者として既に手配されても可笑しくはない状態だ。

 そんな状態でわざわざ正面突破を計る必要も無い。

 

「馬鹿正直に連中の施した結界門に付き合ってられるかよ」

 

「そうだね……下層にも似た道が有れば良かったのに」

 

 バルキット信徒の死を彼女なりに引き摺っているのか、曇った表情で吐息と共にそんな事を吐き出した。

 ミアはテルカ・アトラスで成人してるとは言え、まだラピス魔法学院を卒業して一年も経たない少女だ。

 例え敵対していたとしても道を開くために死んだバルキット信徒の事を想うのは真っ当に生きる者の特権であり美徳だ。

 ただスヴェンはバルキット信徒がミアに語った内容が事実なのかまだ疑いの段階だった。

 少なくともこれまで出会った邪神教団から内部の派閥争いに関する情報を得られることは無かった。

 そのことからバルキット信徒の遺言はこちらを欺く虚言だとも断言できない。

 偶然にも出会った邪神教団が過激派だったという可能性も無いとも言い切れないのが現状だ。

 それに最後に遺した情報--あの件とルーメンに居た悪意の持ち主がこの場所に来てることと関連が有るのか。

 思考を浮かべながら外周区の町並みを歩き続けると、不意現れた気配とと共に建物の陰から人影が飛び出す。

 スヴェンは慣れた手付きでガンバスターを引き抜き、それが魔族の気配では無いことを正確に認識しながら飛び出した人物に刃を振り下ろした。

 

 ガキン!! ガンバスターの刃が二本の剣に挟み込まれるように防がれ火花が散る光景にミアの驚愕した声が響き渡る。

 スヴェンは冷静に二本の剣で受け止める人物に視線を向けーーアルセム商会が侵入してるとは聴いちゃいたが……。

 リンドウは質問に対してこう答えた『アルセム商会の会長は侵入してない』っと。

 なら何故ここに居る筈がないヴェイグが屈託のない笑みを浮かべて目の前に居るのか。

 そもそもコイツと遭遇した時点で素性が即バレする為、あらゆる意味で此処で出会うのは最悪に等しい状況だ。

 

「いきなり斬りかかるなんて酷いじゃないか」

 

「……本物か?」

 

「お前は何度も出会ったわたしをまだ疑うのか? 用事深い事に越したことはないとは言え……スヴェン、お前の匂いから焦りを感じるぞ」

 

 匂いで居場所のみならず僅かな感情の揺らぎを察知する辺り、目の前に居る変態はほぼヴェイグ本人と言っても良いだろう。

 それでもスヴェンはバルキット信徒が残した伝言を頭に、

 

「質問だ、俺とアンタが最後に出会った場所で呑んだ酒はなんだ?」

 

「フェルシオンの港、お前と呑んだ酒はミルディル森林国のパルセン酒造場から仕入れた蜂蜜酒だ。わたしが直接振る舞った酒を忘れる筈が無いだろ」

 

「えっ、パルセン酒造場の蜂蜜酒ってまろやかな飲み口で呑みやすい部類だけど、希少価値の高い蜂蜜を原材料にしてるからかなり値が張るお酒じゃん!」

 

 羨ましがるミアの声を他所にスヴェンはため息混じりにガンバスターを引っ込めた。

 

「……アンタはこんな場所で一体何をしてんだ?」

 

「それはこちらの台詞だ。お前こそ薄暗くかび臭い邪神教団と同じ匂いを纏いながらなぜ此処に居る?」

 

「ヴェルハイム魔聖国ってのは畜産業が有名って聴いてな、異界人として少々無茶をしてでも美味にあり付きてぇのさ」

 

「……異界人の中で分別を弁えていると評価していたが、まさか自分本位で潜入するとは、見損なうべきか?」

 

「それでも構わねえから、此処はお互いに出会わなかったってことで見逃してくんねぇかな」

 

 現状で此処に居るヴェイグと素直に同行する気にはなれない。

 それだけスヴェンの中で浮かんだ疑念が強く、同時に此処で殺したいという殺意を何食わぬ顔で奥底に隠す。

 

「それは無理な相談だ。これでもわたしは魔族のケアを自主的に行っているのさ、そんな中で彼らに不安を与える存在を見逃すほどできた人間では無い」

 

 如何あっても道を譲る気も無ければ見逃す気も無いようだ。

 此処でヴェイグと一戦交えるメリットが無ければ、巨城都市内のアルセム商会を敵に回すデメリットしかない。

 スヴェンが諦めたように肩を竦めると、静観していたミアが口を開く。

 

「ヴェイグさん、見逃してくれたら私とスヴェンさんが一週間雇われても良いと言ったらどうしますか?」

 

 如何あっても譲る気のない相手にそんか交渉が通じるのか?

 

「その話し詳しく」

 

 ーー通じんのかよ!? 

 

「私はすごくかわいい美少女の分類、スヴェンさんは紅い眼の三白眼で目付きが怖いですけどカッコいい分類に入ります。そんな2人が客引きにアルセム商会で一時的に働いたらどうなるでしょうか?」

 

「……!? 強面のイケメンと美少女の並びは宣伝効果としても有効! くっ、目が見えれば2人の顔を拝めたというのにっ!」

 

 心底どうでもいい理由で心底悔しそうに顔を歪ませるヴェイグにスヴェンは心の奥底で煮え滾る殺意を抑えながら、

 

「……あ〜アンタにとっちゃあ旨みもねぇ交渉だ。断っても良いんだぞ?」

 

 断るように告げればヴェイグは口元を緩めた。

 

「ふっ、冗談を言うな。2人を一週間もタダで雇えると聴いて引かない手はないだろ」

 

 このまま外周区から下層に蹴り落としてやりたい衝動に駆られたスヴェンは、一先ず歩みを再開させる。

 そんなスヴェンにヴェイグは横並びに歩き、

 

「しかしその格好では外周区に住む魔族は良い顔はしないだろう。ここは一つわたしのボランティアを手伝うのは如何だ?」

 

 タダ働きをさせられる上にヴェイグのボランティア活動を手伝う。

 その事に関しては魔族の信頼を得る為には文句も無いが、

 

「アンタの方が邪神教団に見付かる訳にもいかねぇだろ。それにこの階層にも追跡者が居るんだろ?」

 

 邪神教団に付いて警告すればヴェイグは笑みを浮かべたままその事に関しては何も答えなかった。

 

 ーー判断材料は少ないが、エルロイ司祭がヴェイグという男に成り替わっている可能性が出た以上、油断はできねえな。

 

 油断は出来ないからこそスヴェンはヴェイグに一つだけ問う。

 

「そういや旅の最中に聴いたんだが、エルリアのフィル湖畔で20年前に全身の皮膚を剥がされたガキの死体が発見されたらしいな」

 

「……20年前というとわたしはまだ6歳の子供だな」

 

「フェルシオンじゃあ貴族のお嬢様に何者かが成り替わっていたなんって物騒な噂も耳にしたな」

 

「お前はあの時地下水路に急いでいた様子だったが、犯人でも討伐に向かったのかな?」

 

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「そうかな? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「俺は傭兵だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まぁ、実際には邪悪な匂いってどんな匂いなんだか判らねぇが、フェル湖畔の死体が本物のアンタじゃねえことを祈るばかりだ」

 

「本人に向かってお前は偽者かっと遠回しに聴くとは……しかしまぁわたしはそんなお前も嫌いではない! むしろ益々気に入ったよ!」

 

 腹の探り合いをしてみれば、高揚した頬でそんな事を叫ばれた。

 スヴェンは高揚するヴェイグに心底疲れた様子で深々と息を吐いたのも無理も無く、

 

「が、頑張ってスヴェンさん! 私には到底相手にできない人だから……」

 

 ミアに妙な励ましをされ虚無感を宿した瞳を向けたのも仕方ないことだった。



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15-8.ヴェイグの行動

 外周区の民家が集中する西外周区に到着したスヴェンとミアは意気揚々と先導するヴェイグに付いて歩いていた。

 ヴェイグは手近な一軒家に向かいドアに小刻みいいノック音を奏で、

 

「失礼、アルセム商会の者ですが少々お時間よろしいか?」

 

 彼の声にドアが開き若い魔族の男性が顔を覗かせては、こちらの存在に最大限の警戒心と訝しげな視線を向けられる。

 スヴェンとミアは一歩離れた所でヴェイグの行動を観察しているが、やはり魔族にとって邪神教団の変装は余計な警戒心を与えてしまう。

 しかし西外周区にはちらほらと他の信徒の姿も見えるため正体を曝す訳にもいかない。

 

「背後の腐ったナメクジ共が如何してアルセム商会の会長であるあなたと行動を?」

 

「彼らは連中の眼を掻い潜る為に変装させた商会の一員でしてね」

 

 尤もらしい嘘を息を吸うが如く語るヴェイグに、魔族の男性は彼の素性と立場を信頼しているのか何の疑いもせずあっさりと信じてみせた。

 

「そうだったのか!」

 

 これが信頼を積み重ねた結果。傭兵として尤も好ましいく望む信頼関係だが、如何足掻いても人殺しは心の底から受け入れられることは無い。

 

「時に必要な物資は有るかな? 下層の商業区に我が商会が物資を持ち込んでいるので是非とも行ってみると良いですよ」

 

「……毎月あなたはそうやって物資を届けてくれる。これもレーナ様のご指示なのでしょうか?」

 

「いいえ、姫様は関係ありませんよ。魔族との取引が絶たれた状況は商会に損失を与えるのでね、わたしなりの連中に対する嫌がらせと言ったところですよ」

 

「そうですか……このご恩はいずれ!」

 

 そう言って魔族の男性は家族に声を掛け、玄関に鍵を掛けてから家族と共に魔法で姿を消しながら他の魔族に呼びかけ、この地区に住む魔族の殆どが下層に移動して行く。

 姿と気配を完全に隠した魔族の移動に邪神教団は気が付く事なく巡回を続けている。

 如何やら魔族の手馴れた行動に毎月物資が届けられているのは事実のようだ。

 

「アンタの目的はなんだ?」

 

「わたしの目的は交易が絶たれた彼らに必要な物資を届けることさ。……まあ、わたしも商会を経営する人間だ。恩を売れば商談も結び安くなるんだ」

 

 本当にアルセム商会の会長として動いているのか? スヴェンの疑念の眼差しにヴェイグは背中を向けたまま、

 

「……他にも上層と中層から魔族を移すことも目的だがね」

 

 そんな事を馬鹿正直に言って退けた。

 

「……ソイツは何の為にだ?」

 

「わたしの目的のためさ」

 

 ヴェイグの目的か何なのか。そもそもそれはヴェイグとしての目的なのか?

 疑問を浮かべるスヴェンとミアにヴェイグは振り向き、

 

「スヴェン、お前は魔王を解放しに来たんだろ?」

 

 正体を隠す事を辞めたのか、真正面から目的を問われた。

 

「さあ? 観光ついでに解放できりゃあ恩の字だろ」

 

「そう簡単にはいかないさ。何せわたしが2人の前に立ち塞がるのだからな」

 

 そう言い放った時、ヴェイグの顔に亀裂が走る。

 亀裂は全身にまで及びヴェイグの身体を破るように男性とも女性とも判断が付かない顔立ちでいながら、爬虫類染みた瞳がスヴェンとミアを射抜く。

 長い年月で培った経験と技術、研鑽され鍛え込まれた魔力が溢れ出す。

 これがヴェイグの正体、エルロイ司祭としての姿ーー圧倒的な存在感と魔力にミアは戦慄を浮かべ、咄嗟に杖を握り込んだ。

 圧倒的な威圧と魔力の差を前にスヴェンは冷や汗を流しながらガンバスターを構える。

 ヴェイグの正体がエルロイ司祭だったのも想定の範囲内で、敵と知らずに酒を酌み交わしたのも傭兵として常に有ることだ。

 だからスヴェンは裏切りや怒りの念を一切浮かべず、排除すべき敵と認識したうえでエルロイ司祭に奥底にしまった殺気を向けた。

 

「……あぁ、この殺気。数多の人間を平然と何の躊躇いも、情けも容赦も無く殺して来た者が放つ殺気だ」

 

 ヴェイグの皮を脱いだエルロイ司祭は武器を構えず、

 

「だからこそ言おう。わたしと手を組まないか?」

 

 ただ右手を差し伸ばした。何の為に彼と手を組むのか、傭兵を口説くには最低点の口説き文句だ。

 だからこそスヴェンの答えも明白だった。ガンバスターの一閃がエルロイ司祭の差し出した腕に走る。

 ごとり、エルロイ司祭の右腕が血飛沫を噴き出しなから床に落ちた。

 エルロイ司祭は不老不死だ。今のあいさつも彼にとって数万年も受け続けた傷の中で些細なものでしかないのだろう。

 現にエルロイ司祭の右腕は既に再生を終え、彼は笑みまで浮かべていた。

 

「傭兵はお前のように堅いのか?」

 

「アンタは俺にタダ手を組む事を提案しただけだ。そいつは交渉の内に入らねえよ」

 

「そうか……ああ安心したまえ、こうして互いの素性や正体を知った所で魔王を砕くような真似はしないさ」

 

「……アンタが大人しく解放すりゃあ済む話だろ」

 

「そうですよ、魔王様を解放して大人しく拠点に帰ってくださいよ!」

 

「そういう訳にはいかないんだ。目の前に封印の鍵も有れば、アイラ司祭の仇討ちも必要だろ?」

 

「……引く理由はねぇってことだな。だがアンタはどうやってアンノウンを産み出した?」

 

「直球だな。……アンノウンに関しては言えば邪神様から授かった魔法の一種さ」

 

 フェルシオンの町中でアンノウンを放ち、歓楽街で何食わぬ顔で遭遇したヴェイグも中々の外道だ。

 彼は何食わぬ顔でゴスペルの取引相手として接触していた。

 そこでヴェイグの姿で行いゴスペルの右足、グラン達を呪いで証拠隠滅の為に葬った。

 その傍らでリリナの死体をアイラ司祭に提供しつつ、アンノウンに関する情報をアイラ司祭に与えず、自ら放ったアンノウンを始末する事で疑いの眼を交わしたのだ。

 

「……ヴェイグさんの正体がエルロイ司祭なら、フェルシオンであなたが行っていた商談って」

 

「当然邪神様の供物に必要な取引。まあ、あの町の港でスヴェンに語った商談の失敗も事実さ」

 

「ソイツはアルセム商会の立場で取引した商談だろ……いや、そもそもアルセム商会も邪神教団の一部ってことか?」

 

「いいや、彼らは何も知らない。前会長の息子が野盗に誘拐され殺害されたことさえな」

 

「……アンタは偶然見付けた死体を利用したと?」

 

 そう問えばエルロイ司祭はどこか哀しみを帯びた眼差しで、

 

「死にゆく子に『家族を悲しませたくない』なんて懇願されてはね」

 

 非常に手短では有るが、二十年前のフィル湖畔で発見された死体の真相を語った。

 

「わたしは長く人の成長を見続けて来たが、やはり邪神の瘴気が渦巻く奈落の底とは違って外の世界の人々は美しい」

 

「じゃああなたはその子の為にアルセム商会の経営を?」

 

「むろん計画に利用するためでも有ったさ。……いや、これ以上の問答は魔王の間で行うとしよう」

 

 そう言ってエルロイ司祭は屋根に飛び退き、

 

「さあ! 敬虔なる邪神様の信徒よ! 魔王の安全を対価にわたしに従う魔族よ! ここに侵入者が居るぞ!」

 

 邪神教団にこちらの正体を告げるために大声で叫んだ。

 同時に集団が駆け付ける地響き似た足音、金属を引き摺る音が耳をつんざくように響き渡った。

 

「スヴェン、ミア。魔王の間で待っているよ」

 

 それだけ言い残したエルロイ司祭が異空間を開き、その中に歩き進んだ。

 スヴェンが彼を逃すまいとガンバスターの銃口から.600LRマグナム弾を撃つもーー銃弾が届くよりも先に異空間が閉じてしまう。

 

「ど、如何するの!?」

 

 焦るミアにスヴェンはガンバスターを片手に、

 

「潜入ってのは存外上手くいかねぇもんさ。ならやる事は一つだろ」

 

 フードはもう不要と言わんばかりに脱ぎ捨て歩き出す。

 そして民家の脇から踊り出す信徒を出会い頭に斬り裂き、重なる信徒の集団に射撃を繰り出した。

 一発の.600LRマグナム弾が十人の信徒の心臓を貫き、スヴェンは足を止めずクロミスリル製のナイフを引き抜き、

 

「こっ……」

 

 信徒が叫ぶ前に投擲したナイフが頭部を貫く。

 西外周区に信徒の死体が転がり、彼等の血肉が巨城都市の床を穢す。

 

「まさか、1人で邪神教団を全滅させよって言うの?」

 

「んな無謀な事はしねぇよ。……なあミア? 集団の戦意を砕くには何が手っ取り早いと思う?」

 

「えっと……圧倒的な戦力差、膨大な魔力による威圧、強力な魔法による一撃。でもスヴェンさんはどれも満たせないよ?」

 

「人ってのは死を恐れるが、邪神教団は死を好む。なら連中の邪神に対する信仰心を恐怖で塗り替えればいい」

 

「スヴェンさん、簡単に言うけどそれがどれだけ難しいのか知ってるよね? それともその楽しげな表情が原因なの?」

 

 確かにスヴェンは生を実感し笑っていた。

 本来居るべき場所に戻れた高揚感がスヴェンの胸の中を駆け巡る。

 だが、それでもスヴェンの感情が大きく動くことも無ければ思考に変化を齎すことも無い。

 居て当たり前の家に帰宅した。そんな当たり前の感覚にスヴェンは片手間で槍を手に迫る信徒を斬り裂く。

 

「手遅れかも知れねぇが、アンタにとっても辛い光景が続く、だからアシュナと合流して構わねえんだぞ?」

 

「私の正体もバレてるんだからあの子と合流したら隠密も保てないでしょ」

 

 尤もな意見にスヴェンは息を吐き、信徒が横並びに魔法陣を形成する光景が映り込む。

 進むべき先に魔法陣を警察する信徒達の姿にスヴェンは、彼等に殺意を宿した鋭い眼孔で睨んだ。

 

「「「「っぁ!?」」」」

 

 自身が無慈悲に無惨に殺される光景が脳裏に浮かび、戦慄した信徒は精神力と集中力を乱しーー魔法陣が離散していく。

 スヴェンはそんな光景にミアを脇に抱え、足を止めずガンバスターを片手に走り出した。

 徐々に加速を加えながら迫るスヴェンに信徒は震えて動けず、二人が通り過ぎるまでその場からしばらく動くことが叶わなかった。

 



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15-9.孤狼

 邪神教団の信徒達はエルロイ司祭が放った号令に対し、中層の北外周区へ駆け付けーーそこで地獄を目にした。

 中層で戦闘に入った同胞が既に殺され、死体と血に埋もれる床。何らかの手段が行使されたのか、床にぶち撒けまられた肉片と風穴が空いた死体を眼にした複数の信徒が床に胃の中の物をぶち撒ける。

 そんな光景を前に若い信徒ーーアウスは言葉を失いながらも奇妙な大剣、一人の少女を脇に抱えた男性が鋭い眼孔から殺気を放ちながら同胞を斬り裂く光景に戦慄した。

 その男は悲鳴、懺悔、怒り、命乞いを発する信徒を容赦無く殺し、武器と魔法を放ち勇敢に立ち向かう信徒までも容易く殺し続けていた。

 

 ーー人ってこんなに簡単に、死ぬんだ。

 

 横に転がる同胞の生首、彼は本拠地で自分に良くしてくれた気の良い兄貴分だった信徒だ。

 父が邪神様の為に身を捧げ、追跡者と呼ばれる異形の怪物に成り果てた後も寂しさで泣いていた自分を気にかけてくれた人が殺された。

 信徒の死は邪神様の元へ逝く。それは信徒にとって何よりも栄誉なことで誉高いものだった。

 邪神様に魂を捧げ力の糧になる。自身もそうなることを望み、解放作戦に志願したはず。

 しかしアウスの心は、奈落の底を旅立つ時に抱いた使命感や全ては邪神様のために。そんな意志が砕けーー心の奥底からたった一人で信徒を殺す男性への恐怖心に染まる。

 アウスは恐怖に染まった表情で周りを見渡し、逃げ出そうと足を動かすが床にがっちりと固定でもされたのか足が動かない。

 

 ーーか、身体が、う、動かない。

 

 恐怖で呼吸が乱れ、息を荒げるアウスの隣を信徒達が駆け抜ける。

 

「此処でアイツを殺せ!」

 

「つうか何で女を抱えっぱなしなんだよ!」

 

「ええい、構うな! 遠距離魔法部隊! アイツを狙え!」

 

 信徒の指示に後方で上層に続く梯子を護る遠距離魔法部隊が詠唱を唱える。

 

「「「『我らが怨敵に復讐の炎よ』」」」

 

 同胞の敵討ちと言わんばかりに増悪に染まった声が響き渡った。

 アウスは震える瞳を動かし、魔法陣から赤黒い炎が放たれる瞬間を目にする。

 対象への怒りと報復心を媒介に魔力を増大させ、赤黒い炎を放つ魔法が男性に飛来する。

 それに対して男性は脇に抱えていた少女を空に放り投げ、少女の悲鳴が響き渡る中ーーその場から姿を消した。

 

 ーーな、何かの魔法!?

 

 対象を失った赤黒い炎が先程まで居た男性の床を破壊した。

 爆発が連鎖的に起きるが、そこにはもう対象は居ない。

 男性が魔法を避けた事実と、背後から聴こえる斬撃音と悲鳴にアウスの心音が高鳴る。

 視線だけゆっくり向ければ遠距離魔法部隊の死体。さっきまで生きて男性に報復心を向けていた同胞も殺されてしまった。

 そしてまた男性は忽然と姿を消しーーそういえば放り投げられた少女は?

 少女に視線を向ければ、また彼女は男性の脇に抱えられていた。

 何故一緒に戦わせない? 何故少女は男性に手を貸さない?

 そんな疑問が浮かぶも、不意に男性の底抜けに冷たい瞳と目が合う。

 感情の色が窺えない空虚に感じる冷めた眼、転がる死体に何ら感情も宿さず、立ち向かう同胞をただ無感情にその大剣で斬り裂く。

 

 ーーあぁ、アレに躊躇や迷いなんて感情は無いんだ。

 

 息を吸うのと当たり前に彼にとって殺しは普通なこと。

 そう理解してしまったと同時になぜ同行している少女を戦わせないのか、そこに理解が及ぶ。

 少女の瞳はまだ人を殺したことがない純粋な色をしているーー目の前で行われる殺戮に表情が曇ってるけど。

 人を殺すのが男性の役目で、そこに居る有様は他者に決して心を開かない一匹狼のような印象さえ受ける。

 

 ーー1人で挑む孤独な狼、孤狼?

 

 アウスは男性に対する異名を浮かべては、安直過ぎる異名に内心で息を吐く。

 彼の異名を考えたところで恐怖は消えないし、男性に向かう追跡者が父の成れの果てだと気付いた時には既に手遅れだった。

 まだ同胞が沢山居る中、いずれ男性は力尽きる。追跡者にはどう足掻いても勝てない。

 それでもアウスの恐怖心と不安が払拭されることが無い。

 

 追跡者が向かう中、男性はようやく少女を脇から降ろし、

 

「離れてろ」

 

「分かったけど、私を抱える意味について」

 

「強行突破を計ったんだが敵が多過ぎた」

 

 そんな会話が耳に届く。

 

 ーーもしかして立ち向かうから? 敵対しなければ殺されない?

 

 自然と助かる方法を模索してる自身に心底嫌気と嫌悪感が襲うが、だからといって男性に立ち向かう勇気はもう湧かない。

 それほどまでにアウスの心と闘争心は折れていた。

 そんな中、少女は軽やかで素早い身のこなしでその場から離れ、男性に追跡者が処刑剣を薙ぎ払う。

 しかし男性は大剣に纏わせた魔力で処刑剣の刃を弾き、魔法陣を展開する信徒達に視線だけ向けた。

 追跡者と戦闘しながら魔法を回避ないし防ぐのは難しい。

 同時に父がああなってまで邪神様に捧げた信仰心が負ける訳がない。

 相変わらず恐怖心と不安が晴れないがーーアウスは血飛沫と目の前の光景に眼を疑う。

 

「は? なんで……父さん?」

 

 異形に成り果てた父の背中から男性の左腕が胸を貫き、漆黒と呪に染まった異形の心臓を握っていた。

 男性はその場で心臓を握り潰し、腕を引き戻すと同時に追跡者の脊髄を掴み。あろうことか男性は魔法の集中砲火に対して追跡者を盾に防いだ。

 追跡者は死ぬことは無い。おまけにその肉体は鋼のように頑丈だ。男性は既にそのことを理解していたのか、追跡者を遮蔽物代わりに利用して見せたのだ。

 

「と、止めろ! 魔法攻撃中止!」

 

「クソが! 人の心が無いのかっ!?」

 

 異形とは言え追跡者は元人間だ。そんな彼の生前の姿をよく知ってる信徒達は魔法陣を解いてしまう。

 それが運命の別れ目だったのか、脊髄を掴んだ男性が追跡者を信徒の集団に投げ飛ばしーーその際に追跡者の塞がりかけの胸に見た事もない、魔力を流し込まれた異物が埋め込まれる瞬間をアウスは目撃した。

 何か拙い! 声を出そうとするも男性が放つ濃厚な殺気の前に声が出ずーー異物の内部に仕込まれていた何が赤く輝き、追跡者ごと爆発した。

 追跡者とそれに巻き込まれた信徒の焦げた肉片が中層の外周区に降り注ぐ。

 アウスはそんな地獄のような光景に腰を抜かし、歩き出す男性と少女に視線を向けることしかできず。

 二人が通り抜け、中層を立ち去るまでアウスは立つ事ができなかった。

 

 地獄のような光景から一時間が経過した頃。

 アウスは漸く立ち上がり、復活した追跡者とこの場に散らばる肉片と死体に視線を向けては涙を流しながら声にならない慟哭を叫んだ。

 生き延びた実感、恐怖に呑まれて何も出来なかった弱い自身に対する怒り。複雑な感情が涙と共に溢れ出す。

 

「あ……アウス……いき、ろ……きょう、だ、ん……は、なれ、て。自由に」

 

 聴き取り難い追跡者の声にアウスは足を動かす。

 生き延びた自身が何をすれば良いのか分からない。それでも父の言葉を胸に歩き出す。

 しかし、アウスの視界の先に異教徒ーーアトラス教会の執行者の武装集団か居た。

 アウスは今度こそ死を覚悟するが、異教徒の集団に父が我先に駆け出しーーアウスは父を置いてその場から逃げるように走り去った。



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15-10.迫る対峙の時

 フィルシス騎士団長と斬り結んでいたアウリオンの頭の中に声が響き渡る。

 

「(大至急戻って来い)」

 

 エルロイ司祭の指示にアウリオンは眉を歪め、その様子から察したのかフィルシス騎士団長が自身の剣を鞘に納めた。

 

「あーあ、せっかく乗ってきたところだったのに」

 

 残念そうな表情に何処か幼さも感じるが、それは彼女のまだあどけなさを残した顔立ちが原因か。

 アウリオンは目の前の女性に対し軽く頭を下げ、

 

「この続きはいずれ」

 

 翼を羽ばたかせ空を舞う。

 夏の日差しと乾いた風がアウリオンの赤髪を撫でる。

 巨城都市エルデオンの上層に向かう道中、アウリオンは自身の両腕を襲う痺れに眉を歪める。

 遅れてやってきた腕の痺れ、それほど彼女の繰り出す一撃は非常に重く力のこもったものだった。

 何気ない乱撃から繰り出される剣技とは思えないほどに。それに応える為にもアウリオンもまた自身の磨き上げた剣技を繰り出したのだが。

 邪神教団の眼を惹く為にとはいえ、お互いに熱中し過ぎた。

 全力、本気までとは行かないが魔法まで加わればどうなっていたことか。

 そこまで行けばもう演技の範疇を越えそうだ。

 アウリオンは両腕を2、3度握り直しながら飛行速度を上げる。

 やがて居城都市の外周区を一望しながら目的の場所まで飛ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 上層に位置する魔王城の空中庭園に降り立ったアウリオンにリンが駆け寄り、

 

「旦那もよくあんなのに付き合えるよね」

 

 長距離狙撃魔法を打ち返された影響か、リンは未だフィルシス騎士団長に怯えた様子でそんなことを告げて来た。

 

「そうでもしなければ意味が無いだろ。……いや、それよりもリン、中層の外周区を見たか?」

 

 此処に来る途中で眼にした信徒の死体に埋まった中層の外周区。

 それをやったのはスヴェンを置いて他に居ないだろうが、それを意味するところはつまり。

 

「スヴェンのヤツがミスを犯したのかな? それで仕方なく暴れ回ったとか」

 

 やけにスヴェンに対して冷ややかな反応を見せるリンに、なぜそんな態度を取るのか僅かに思考を巡らせる。

 思い当たる節が有るとすれば、やはり初対面時の戦闘だ。

 それ以外にスヴェンとリンが接触したのは一度だけ。レヴィと偽名を名乗るレーナ姫を交えた情報提供時だ。

 だが、今はエルロイ司祭から緊急の呼び出しも受けている。此処でリンの不満に付き合う時間は無い。

 

「……慎重なスヴェンがそう簡単に正体がバレるとは思えないが、今はエルロイの所に行くのが先決だ」

 

 状況的に言えば与えられる指示はろくなものでは無いだろう。

 それでもスヴェンとは事前にこうなることを見越した取り決めをしている。

 アウリオンが空中庭園を歩き出すと、

 

「状況的に考えて恐らくスヴェンの始末だと思うけど……」

 

 今にも消えてしまいそうなリンの不安に染まった声に足が止まる。

 

「そんなに不安に思う事も無い」

 

「いや、だって旦那が本気出したらスヴェンが死んじゃうよ」

 

 それは無いと断言できた。いくらこちらが殺す気で挑もうが、スヴェンを殺し切るのは難しいと言えた。

 それを確信したのはフェルシオンの闘技場地下室での戦闘だ。

 そもそもあの時は魔力の扱いに関して不慣れだったが、あれからもう一月以上が経過した。

 その間にスヴェンの身体も自身の魔力に馴染み、武器の問題も解消してるだろう。

 それを抜きにしてもスヴェンという男は、諦めもしなければ折れない。

 

「それは無い。むしろ作戦だからと手を抜けば死ぬのはこっちだ」

 

 それだけ告げればリンは地下室での戦闘を思い出したのか、

 

「……私は間違いなくとどめを刺される状況だったよね」

 

 青褪めた様子で俯いていた。

 彼女とは長い付き合いだ。励ますべきだが、その前にリンは呼吸を繰り返し、魔王様の為にと覚悟を宿した眼差しで頷いて見せる。

 

 ーー元々リンは後衛、スヴェンと直接対峙するのは俺だけで済む。

 

 スヴェンは魔族、魔王救出とレーナの依頼、そして魔族と協力関係を結ぶ関係上、魔族を殺害する訳にはいかなかった。

 しかし、今回は違う。既にエルロイ司祭の眼が届く場所で対峙する戦闘は演技では眼を欺くことは叶わないだろう。

 どちらに転んでもアルディアが無事に解放されるならそれで良い。

 アウリオンはどちらかの死を想定しながらエルロイ司祭が待つ魔王の間に向かう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 アウリオンとリンの二人は魔王アルディアを封じ込めた氷柱の前で我が物顔で座り込むエルロイ司祭に視線を向ける。

 今まで無いほどに愉しげな笑みを浮かべるエルロイ司祭に薄寒さを感じながら問う。

 

「急に呼び出した要件はなんだ?」

 

「巨城都市内でスヴェンとミアと会った」

 

 笑みを浮かべながら愉しそうに語り出す彼にアウリオンとリンは戦慄した。

 なぜ、いつ生存を気付かれた? そもそも接触する機会が有った? フィルシス騎士団長と対峙してる時はエルロイ司祭の居所は掴めないが、上層から監視していたリンは別だ。

 

「いつ会ったのよ? ずっと魔王城に居たんじゃないの? それとも転移魔法でわざわざ会いに行ったとか」

 

 エルロイ司祭が魔王城の外に出た所を見ていない。そもそも転移魔法の発動は使用する魔力量から判る。

 いや、根本的に違う。エルロイ司祭は空間の孔を開き空間の孔同士を繋げる魔法ーー空間魔法を得意としている。

 彼程の熟練者なら魔法の発動を悟らせないことも可能だ。

 思考を巡らせるアウリオンを他所にエルロイ司祭は愉快そうに答えた。

 

「いいや、わたしはエルリア国内のアンノウンを蘇生したあと一度も魔王城へ戻って居ないさ」

 

「えっ? サボりついでに都市を歩いてたら偶然発見とかそんなアホな理由で……?」

 

「スヴェンは警戒心が非常に強い男だ。わたしがわたしのまま出向けば、先ず気配で悟られるだろう」

 

 確かにスヴェンは気配、視線、音、殺気に非常に敏感だ。その精度はリンの透明化魔法による隠密も悟るほどに。

 だからこそ解せない。どうやって警戒心の強いスヴェンと接触したのか。

 

「実はわたしはアルセム商会の会長でも有るのさ」

 

 それが答えと言わんばかりに言い放つエルロイ司祭にアウリオンは、なぜスヴェンの潜入がこの男に露見したのかに得心がいく。

 アルセム商会の会長ーーヴェイグの姿で接触を続けて行く形で彼の警戒心を削いでいた。

 なら何故、フェルシオンで真っ先にスヴェンを始末し封印の鍵を回収しなかったのか。

 その時は単に気付いていなかった。それならジルニアまでアンドウエリカを封印の鍵所持候補として追ったことに一応の説明は付く。

 知りながら敢えて封印の鍵の追撃を辞めたという可能性も有るがーーこの男にそうする意味が有るのか?

 いずれにせよエルロイ司祭の思惑に付き合う必要は無いと判断したアウリオンは心を無にして、

 

「スヴェンという男と知り合いなのは理解した。それで俺達の任務はスヴェンの殺害か?」

 

 エルロイ司祭の指示を仰いだ。

 

「あぁ、殺して来い。……無いとは思うが手加減するなよ」

 

「魔王様の安全を考えれば異界人相手に手心など加えない」

 

 それだけエルロイ司祭に告げたアウリオンとリンはそれぞれの得物を片手に魔王城の入り口に向かう。

 

 ーー彼なら様々な侵入ルートから内部に入り込みそうでは有るが……。

 

 スヴェンとミアを迎え討つために二人が選ぶであろう場所に足を運ぶ。



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第十六章 氷結の魔王解放戦
16-1.上層の魔王城


 上層の北外周区に到着したスヴェンとミアの二人は、各階層から響き渡る戦闘音に僅かばりに視線を向けた。

 

「潜伏していたアトラス教会が動き出したか」

 

「そうみたいだね……1人だけ見逃したけど、それはどうしてなの?」

 

 若い信徒の一人が恐怖に呑み込まれて戦意を消失していた。瞳は絶望に染まり、理不尽な光景と地獄を前に砕け散った意志ーー本来なら問答無用で殺すところだったが、背後から複数の気配を感じたから移動を優先させたに過ぎない。

 それにどの道、アトラス教会が動いたとなればあの信徒は運が良ければ生き延びるか、そのまま死ぬかのどちらかだ。

 

「戦闘に時間をかけ過ぎたからな」

 

「……そっか。それで何処から魔王城に侵入するの?」

 

 事前情報によれば上層には魔王城の入り口、上階のテラス及び空中庭園、城外部の城柱から潜入可能だ。

 あとは目指すべき魔王の間は魔王城の下層エントランスホールの最奥に位置している。

 最短距離を選ぶなら入り口から入るべきだが、おそらくそこには見張りも居るだろう。

 それに正体が敵に露見した以上、何処かでアウリオンとリンと遭遇すれば戦闘は避けられない。

 いや、おそらくエルロイ司祭によって既に命令が出されていると考えた方が良いだろう。それならきっとアウリオンとの戦闘は何処を選ぼうとも避けられない予感が有る。

 それを踏まえた上で問題は何処から潜入すべきかだが、スヴェンは近場に在る城柱に視線を向ける。

 そこが魔王城の最上階まで伸びている。その先には窓も在るため城の屋上に続く階段辺りに続いてるのだろう。

 

「外周区の城柱……丁度あそこに良い侵入口が有るだろ?」

 

「お〜結構高いねぇ……本気で言ってるのかな」

 

「アンタを抱えながら壁面を駆け上がっても良い」

 

 その方が無駄な体力をミアに使わせる必要も無ければ、命綱無しの状況を考慮したとしても比較安全とも言える。

 しかし、そんな状況をミアは想像したのか不満気な表情を向けて来た。

 何か別の手段が有るのか。彼女の意見に耳を傾ければ、

 

「中層の時も思ったけどさ、スヴェンさんって私のこと抱えるの好きなの?」

 

 意見とは程遠い質問をされた。

 中層でミアを抱えた状態で戦闘に入ったのも、効率的に敵陣突破するための行動だ。

 それ以上にわざわざ歳頃の少女を抱える理由など無い。ましてや傭兵が行う戦闘行為によって発生する殺害行為、振り撒かれる鮮血を間近で目撃するのはミアにとって相当精神的な負担を与える。

 

 ーー降ろせなかったのは俺の配慮不足だな。

 

「別にアンタを抱える必要が無いなら触れることもねぇさ。時には抱えて移動した方が速い場合も有るからよ」

 

「確かにスヴェンさんって相当足が速いよ……それこそ視界が追い付かないぐらいにはね」

 

 確かに抱えた状態で戦闘していた時にミアは時折り眼を回していた。

 急激な速度の変化にミアの視界が追い付かないのは無理もないことだ。そもそもあの状況下で悲鳴を叫ばないのは上出来だ。

 スヴェンは城柱に視線を移し、改めてミアに訊ねる。

 

「それで……アンタは自力で登れそうか?」

 

「半分ぐらいなら行けそうだけど、でもやっぱり邪神教団に発見されたら恐いかな」

 

 半分までとは言うが、軽く100メートルを超える城柱の半分を何の装備も無しに登れるだけ上等だ。

 

「やっぱスヴェンさんに抱えて貰った方が速いよね。でも壁面に……壁面に? スヴェンさん、人は壁面を駆け上がれないよ?」

 

 ミアの呟いた疑問はデウス・ウェポンの人類が遥か昔に解決した。

 単純に足の指先で僅かな窪みを掴むように駆け上がる。あるいは足場を蹴上がる、その繰り返しで人類は壁面移動を体得し、それが遺伝子に刻まれ続けることで壁面移動は当たり前の移動方法になって永い年月が経つ。

 

「ミア、デウス・ウェポンの人類は縦にも横にも壁面移動ができんだよ。たまに壁走ってるだろ?」

 

「あ〜言われてみれば……でも壁面って垂直に登るんだよね? 首を痛めそうなんだけど」

 

「まあ、そこは耐えてもらいてぇところなんだが」

 

 空気抵抗で首を痛めたとしてもミアには治療魔法も有る。少々ぞんざいな扱いにはなるがそれも今更なこと。

 スヴェンがミアを抱えるべく近寄るっと。

 

「待って! 責めておんぶでお願い!」

 

 ミアの要求にスヴェンの眉が歪む。

 背中に有って当然の相棒を差し置いてミアを背負うなど、そんな選択肢は最初から存在しない。

 

「却下、俺の背中は相棒専用だ」

 

 丁重にお断りした途端、

 

「アシュナは背負ったのに?」

 

 不服そうに不満を言われてしまった。だからと言って彼女を相棒の代わりに背負うなど不本意極まりない。

 そもそもミアを背中に背負い垂直に登るということは、彼女は落ちないように掴まる必要が有る。

 だが、ここで自身の拘りを貫くほどの猶予も少ないことも確かだ。

 スヴェンは息を吐き、背負ったガンバスターを鞘ごと外し、右手に持ち替える。

 そしてミアに背を向け、

 

「仕方ねえ、しっかり掴まって絶対に離すなよ」

 

 そう告げればミアの細い指先が肩を掴む。

 それだけではミアの握力や筋力を考慮しても容易く振り落とされる。

 

「……死にてえのか? 腕を胸筋辺りまで回して掴め、ついでに両足も使え」

 

「うぇっ!? こ、これだけ密着するのも想像以上に恥ずかしいのに……」

 

 確かに既にミアの吐息が首筋に掛かるほど近いが、意を決したのか。ミアはスヴェンの鎖骨の下に両腕を回し、下丹田辺り両脚で挟んだ。

 

「ど、どう?」

 

「これぐらいなら振り落とされる心配はねぇか……ま、いざっとなれば魔力で身体能力でも強化しておけ」

 

「うん、スヴェンさんの骨を砕くつもりで魔力を活性化させるね」

 

 ミアの冗談とも取れる言葉にスヴェンは口元を吊り上げ、両足に力を込めーー床を足場に城柱まで跳躍した。

 そしてスヴェンはミアを背中に、ガンバスターを片手に城柱の壁面を駆け上がる。



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16-2.魔王城潜入

 魔王城の屋上の窓から城内に潜入したスヴェンとミアは視線の先に警戒心を宿しながら向ける。

 そこには誰の姿も無い。しかし確実にこの階には信徒や魔族ーーおまけにアンノウンの気配が漂う。

 

「ここは城内のどの辺だ?」

 

「えっと私達は西外周から登ったから西塔最上階かな」

 

 それなら目指すべきは中央塔の下層エントランスホールだ。

 そこに向かうには中央塔へ移動するか、西塔の下層から向かうか。

 何方も発見される危険性は伴うが、スヴェンは屋根の上から見渡した光景を思い出す。

 中央塔を繋ぐ二箇所の連絡橋。そして中央塔最上階の庭に位置する空中庭園が眼に映った。

 連絡橋を渡れば確かにすぐに中央塔へ移れるが、あそこ遮蔽物もない解放的な空間だ。そんな所で敵と遭遇すれば西と中央から挟み討ちにされるのがオチだ。

 スヴェンは連絡橋を通るという選択肢を除外し、ガンバスターを片手に魔力を宿した大理石の廊下を歩き出す。

 幸い此処には身を隠すために最適な柱や遮蔽物、更に人一人が隠れられる窓辺まである。

 魔力探知や気配に鋭い相手には通用しないだろうが、それでも奇襲しつつ進行するには充分だ。

 スヴェンは僅かに最上階の屋根に視線を向け、覗き込むアシュナと目が合う。

 

 ーーこのまま頼む。

 

 目で指示を出せばアシュナは頷き、そこから姿を消した。

 だがアシュナが気配を断とうともスヴェンには彼女が何処に居るのか認識できる。

 逆に言えばスヴェンに可能な事は、エルロイ司祭やアウリオンに出来ても可笑しくはない。

 自分にだけ出来る、それは単なる驕りだ。自身に出来る技術は誰かしら出来て当然だと思えば自然と警戒も向く。

 

「アシュナの気配は敵に認識されてる可能もあんな」

 

「流石にそれは……いえ、スヴェンさんがわざわざ指摘するんだからその可能性は考慮すべきだよね」

「あぁ、アイツの技量は高いが熟練者だとかは中々誤魔化せねえもんだからな」

 

 スヴェンとミアの二人は廊下の壁を背に通路の曲がり角を覗き込み、敵の姿が無いことを確認してから歩き出す。

 レッドカーペットが敷かれた通路を進めば、廊下に並ぶ部屋から話し声が聴こえる。

 

『侵入者は中層で暴れ回ったらしいけど、その後見失ったらしいよ』

 

『その話何処で聴いたの?』

 

『さっき清掃の時に邪神教団が雁首揃えて話してんだ』

 

『ふーん、魔王様は大丈夫なのかな』

 

『判らないけど侵入者の身元次第になるんじゃないかな』

 

『はぁ〜早く魔王様が解放されて欲しいなぁ。あのお方の髪を梳かす仕事はあたしの遣り甲斐なのに』

 

 どうやらこの部屋に居るのは使用人のようだ。声からして女性のものだが、此処で見付かれば彼女らに迷惑をかけることになるだろう。

 スヴェンとミアは音を立てずに急ぎその場から離れ、一本道の通路をそのまま直進する。

 

 ーー邪神教団は俺達を見失ったのか。

 

 先程聴いた情報を頭の隅に置いたスヴェンは、複数の足音に足を止める。

 一本道の通路で隠れる場所は周辺の部屋のみ。

 スヴェンは気配が感じられない部屋のドアを静かに開け、ミアと共に部屋の中に入り込む。

 ついでにドアの鍵をかけ、聴き耳を立てる。

 

『中層の指導者から連絡は?』

 

『まだ無いよ。ただ外周区の死体やらを見るに侵入者は既に移動したはず』

 

『一番近いのは上層の外周区だが……上層で目撃情報は?』

 

『それも無いらしい』

 

 どうやら上層の外周区から一気に魔王城の屋根に登ったことが功を成したのかは、それを判断するにはまだ速い。

 スヴェンはもう少しだけ気配を断ちながら聴き耳を立てつつ、部屋の内装に視線を向けた。

 するとそこには女性物の下着類が所かしこに散乱し、ミアが小さな息を漏らす。

 あまり女性の下着を見るな。ミアの言いたい事を察したスヴェンは視線を窓に向ける。

 

『……ふむぅ、上層の外周区から魔王城に入るには城柱を登れば速いが、あの高さを登るなら時間もかかるか』

 

『魔族みたいに翼で飛べれば話は別だけど……となると上層の何処かに居ることは間違いないのか』

 

『そうだなぁ。まぁ合成獣やアウリオン達も居るんだ、万が一って事は無いだろうさ』

 

『その考えは捨てろ。いいか? アウリオン達は魔族だ。連中にとっちゃあ魔王を救う可能性が有るなら俺達に従う理由は無いんだ』

 

『人質に取ってるんだから従わざるおえないだろ。それに反抗するなら魔王の氷柱を見せしめに削ればいいじゃん』

 

『忘れたのか? 我々の目的は封印の鍵だ、それさえ手に入ればこの国に用は無い』

 

『そりゃあそうだけど……魔王を人質にして譲渡された封印の鍵って幾つよ? 未だ0だぞ? 何処もかしこも何処に在るのか知らぬ存ぜぬを貫きやがってよ』

 

『我々信徒としても由々しき事態だが、そう苛立つ必要はあるまい』

 

『だな、魔族には悪いけどもう少し我慢して貰おう……それに酪陽とか畜産物に興味が有るんだ』

 

『……あの拠点で安定した食糧が確保出来るようにするには畜産物の知識は必要だよな』

 

 故郷とも言える拠点の現状に付いて話し合う声と共に足音が遠のく。

 スヴェンは窓に近寄り、外の様子を伺うと邪神教団とアトラス教会が各地で交戦してるのか至る所で散発的に爆煙が挙がる。

 

「……アトラス教会も動き出したか」

 

 これで城内の邪神教団が駆り出されれば良いが、そう甘くはいかないのが現実だ。

 それに先程から廊下から忙しなく足音が鳴り響いている。恐らく侵入者やアトラス教会の件で邪神教団が動きているのだろう。

 廊下を進まないなら窓伝いに壁を進むだけだ。

 スヴェンはガンバスターを鞘に納め、窓を開けた。

 

「窓辺を進むんだね。それぐらいなら私でも出来るよ」

 

「ならちゃっちゃと行くか」

 

 外へ出た二人は窓の淵を足場に窓伝いに廊下をしばらく進んだ。

 スヴェンとミアは誰の気配も姿も無い廊下を発見し、窓から入り込んでは螺旋階段に向かって駆け抜けた。

 そして螺旋階段に到着した二人はそのまま一気に駆け降り、西塔の下層を目指す。



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16-3.城内遭遇

 城内を巡回する邪神教団と魔族を避けながら西塔の下層に到着したスヴェン達は、中央塔の下層に続く連絡橋を目指していた。

 

 ーーまさか、連絡橋を通る以外に道が無いとはな。

 

 道中他にルートは無いか探しながら移動していたが、幾ら探せどもそれらしい道を発見はしたがーー魔族にしか開けず、入れない扉や廊下。重要施設の入り口ばかりでスヴェンとミアが開けるものは存在していなかった。

 

「……うーん、魔族の固有魔力を識別する魔法陣ばかりだと誰かに協力して欲しいよね」

 

 正直に言えばミアの言う通りに魔族の誰かに協力を要請したい。

 しかし、スヴェンはぐっとその言葉を呑み込む。結局のところ正体がバレた自分達と魔族が行動すれば、魔族は邪神教団に対する反逆行為を疑われ魔王を危険に曝すことに繋がる。

 それにもしも今回失敗した場合、次に繋がる布石も解決の糸口さえ残せずエルリア側の魔王救出を断念せざるを得ない状況にもなり得る。それだけは回避しなければ傭兵としても無駄死だ。

 

「連中の会話を聴いたろ……魔族も疑われる状況は避けたい」

 

「それもそうだけどさ、魔族と遭遇したらスヴェンさんは戦う気なの?」

 

「状況次第と言いたい所だが、俺達と魔族は無関係だと連中に知らしめる必要が有る……極力殺しは避けるが、中には難しい状況も有るだろ」

 

 アウリオンは万が一に備えて事前に話し合っている。もしもの場合は手加減無用で殺し合いも辞さないことを。

 その中で戦闘となれば互いに加減出来ない状況に陥るだろう。

 だからこそ魔族側の負傷者、致命傷を負った者にはミアの治療魔法が必要だ。

 

「その時は私の出番ってことだね」

 

「そうだ、その為のアンタでも有るんだ」

 

「任せてよ、誰にも悟れずこっそり治療魔法を仕掛けることなんて造作も無いんだから」

 

 困難な事を造作も無いと断言できるだけ、ミアは治療魔法に秀でている。その自信と根拠の裏付けも旅の中で身を持って体験している。

 だからこそ自身の身を犠牲にした作戦立案、実行に移せるほどスヴェンはミアを高く評価していた。

 彼女もエルロイ司祭に姿を目撃され、素性まで知られているがーー問題はエルロイがミアを警戒するかどうかだな。

 ミアは治療師として高い能力と他者から評価を集めている。そんな彼女を果たしてエルロイ司祭が警戒するか。

 彼女の治療魔法を考えれば警戒はされて当然。ミアを敵の目線で考えれば真っ先に潰すべき対象だからだ。

 

「……アンタはエルロイに姿を見られてんだ、真っ先に狙われても不思議じゃねえ」

 

「治療師としては優秀だからね! でも他の要素で考えると先にスヴェンさんの無力化を優先するんじゃないかな?」

 

「だと良いんだが、アンタは魔力操作で身体能力を底上げ出来んだろ? ってかアンタは基本は積極に仕掛けねえが、向かう敵には容赦ねえ一撃を叩き込むからなぁ」

 

 ミアが治療魔法しか使えないことは公然の事実だ。彼女はそれを織り込んだ上で棒術と体術を鍛えている。

 計算高さも目を見張る点も有るが、エルリア城に侵入していた間者から既にミアのそう言った一面も報告されているだろう。

 特に学生時代に模擬戦で多くの生徒を体術で返り討ちにした実績は知られていると考えるべきだ。

 

「アンタの体術や戦闘スタイルがどれだけ知られてるかも問題か」

 

「それも問題だけど、それを踏まえてもエルロイに通じないかもしれないけど、やれることはやるよ。なんなら私がスヴェンさんの道具を借りても……」

 

 幾らエルロイが不老不死だとしても人の身体を簡単に肉片に変えるハンドグレネードなど、彼女のその小さく細長い指には似合わない。

 

「アンタにも人殺しの道具は貸さねえよ……ってか二度と俺から武器類を奪うなよ」

 

 殺気を込めて強めに忠告すれば、ミアは怯えた様子で素直に頷く。

 これだけはあらゆる理由が有ってもーー例えば救出の一手が足りなくともミア達、常人に人殺しの道具を使わせることなど無い。

 

「わ、分かってるけど……どうしてそこまで拘るの? あっ、今は集中しなきゃだから、後でゆっくり教えてよ」

 

 特に深く語るようなことでも無いが、恐らくそれは自身に遺されている唯一踏み越えられない一線だからだ。

 自身が傭兵という外道とミア達が手を汚す必要が無い人間との違いも有るが、自身に遺された一線さえ踏み越えればそれはさっそく人の形をした獣畜生だ。

 スヴェンは敢えてミアの言葉に答えず、連絡橋に向けて歩き出す。

 すると背後からミアの小さなため息と『少しは自分のこと教えてくれたって良いじゃん』確かな不満の声が呟かれた。

 スヴェンは呟かれた不満の言葉を頭の隅に置き、鋼鉄製の連絡橋に踏み込んだ。

 下層と最下層の中間に位置する地下施設、開放的な空間から多層構造の居城都市を支える支柱がよく見え、僅かだが下層の戦闘音と魔法による爆音が聴こえる。

 魔王城を中心に城壁や防壁、外壁を基板に建設された町や施設に各要所に関心を覚えながら連絡橋を進むスヴェンは、強大な魔力の気配にガンバスターを構えその足を止めた。

 

「此処に居たのか」

 

 アウリオンの声が上空に響き、スヴェンとミアの警戒心が戦闘体勢に移る。

 蝙蝠の翼を羽ばたかせた漆黒の剣を片手にアウリオンが降り立ち、更に上空をリンが弓を構えながら滞空した。

 完全に迎撃姿勢に入っている二人にスヴェンは何の感情も見せず、

 

「チッ、見つかったか」

 

 ミアを背後に隠し一歩踏み込む。

 

「悪いけど魔王様が人質に取られてる以上、如何なる侵入者は排除させてもらうわ!」

 

 上空から相変わらず露出度の高い服装で魔力で生成した矢を違えるリンに対し、背に隠したミアが真顔で、

 

「スカートの中が見えてますよ。戦う者として恥ずかしくないんですか?」

 

 普段のミアとは想像も付かない凍った低めの声がリンに告げられる。

 

「……べ、別に、は、恥ずかしくないけどぉ? そ、そう言えばエルリア人って妙な所でお堅いわよねぇ〜」

 

「戦闘、如何なる時でも下着を曝す者、これを恥とせよ。偉大なるラピス王のお言葉を知らないんですか? ああ、おおかた不足の事態で精神を乱すことも有るんでしょうね」

 

 ミアの冷ややかで冷たい視線にリンはグッと拳を強く握り締め、

 

「へ、へぇ〜? 初代魔王様は如何なる時も美を保てって格言を残してるけど……ああ、あんたって自分の美に自身が無い可哀想な子なのね」

 

 ミアの胸部に冷笑を込めた眼差しを向けた。

 

 ーーコイツら何処か性格的に相性が良いとは思っていたが、逆かよ!

 

 売り言葉に買い言葉が飛び交う中、上空を滞空していたリンが連絡橋に降り立つ。

 

「……なぜ降りて来た?」

 

 アウリオンの静かな指摘にスヴェンは沈黙を貫いたまま、なぜ戦術的優位性をわざわざ手放したのか視線で咎めた。

 

「は? 別に挑発されたからとかじゃないけど? あの貧乳娘を直接潰さないと気が済まないだけですけど」

 

 スヴェンは背後にそっと視線を移せば、既に全身に自身の膨大な魔力を巡らせたミアが臨戦体勢で杖を構えていた。

 

「スヴェンさん、リンさんは私に任せてくださいね?」

 

 売り言葉に買い言葉とは言うが二人には譲れない何かが有るのだろう。

 

「既にやる気満々のアンタの興を削ぐ真似はしねえよ。だがーー良いな?」

 

 スヴェンはミアにだけ聴こえる声量で告げ、先に縮地を使いアウリオンの背後を取った。

 彼は多種多様の魔法を使う。幾ら開放的な連絡橋とは言え、ほぼ一本道のこの場所で魔法を使われるのは厄介だ。

 それは光属性を扱うリンも厄介なことには変わりないが、スヴェンはアウリオンの背後から魔力を纏ったガンバスターの一閃を放つ。

 同時に振り向き様に払い斬りを放つ彼の漆黒の刃と刃が交わり、リンとの距離を瞬く間に詰めたミアの杖がリンの防壁魔法に防がれる音が連絡橋に響き渡った。

 

 



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16-4.阻む者

 突き出した杖の先端が防壁魔法に防がれることを織り込んでいたミアは引いた拳に練り込んだ魔力を纏わせ、

 

「せいっ!」

 

 余裕を浮かべるリンの防壁魔法に正拳突きを打ち込み、練り込んだ魔力を防壁魔法に流し込む。

 すると外部の魔力干渉を受けた影響によって防壁魔法を構成する魔法陣が音を奏でながら砕け散る。

 一瞬リンが驚愕する中、ミアは再度拳を引き戻しーーリンが腕をクロスさせた直後にミアは身を屈め足払いを仕掛けた。

 足を取れたリンが連絡橋の通路で尻餅付く。

 

「いっつうっっ! い、痛いじゃ……はっ? ま、待ってよ!?」

 

 未だ体勢を崩したリンに対して待つ事など有り得ない。それだけ彼女とまともに戦えば勝ち目は皆無。更に背後で剣戟を繰り広げるスヴェンに余計な流れ弾が行きかねないからだ。

 だからこそミアは彼女の静止を無視してでも、練り込んだ魔力を踵に纏わせーー振り上げた踵をリンに振り下ろした。

 

 ズッシーンっ!! 踵が対象に当たる直前で魔力を開放し、開放時の衝撃波で威力を底上げしたが、リンは横に転がり魔力防壁を張ることで踵落としと衝撃波から逃れていた。

 それでも連絡橋の床に亀裂がリンの元まで走る。

 

 ーーおっと、もう少し魔力を抑えないと連絡橋が崩れちゃうなぁ。

 

「……治療魔法の天才だと聴いていたけど、中々侮れないわね!」

 

 床から立ち上がったリンは素早く弓に魔力の矢を違え、こちらに向けて弦を弾き絞り魔力の矢を放つ。

 手足を正確に狙った魔力の矢をミアは、掌で杖を回転させることで魔力の矢を弾く。

 

 ーー弾ける程度に加減してる。それに下手に弾くと背後のスヴェンさんとアウリオンさんに流れ弾が行く、か。

 

 ミアはちらりと背後に視線を移す。

 解放的な連絡橋で縦横無尽にスヴェンとアウリオンが互いの剣技をぶつけ合い、時にスヴェンは魔力を込めた衝撃波を放ち対するアウリオンが漆黒の刃で斬り払う。

 だが、スヴェンの魔力を纏わせた衝撃波は竜血石によって強化されている影響か、斬り払われた衝撃波が西塔の外壁を掠めた。

 あっちもあっちで互いに加減せず戦っている。なぜ男性は戦闘となれば譲れないのか。

 一瞬だけ浮かんだ疑問は中央塔の窓から覗き込んでいる信徒やーーなに、あの空間の孔……まさかエルロイ司祭も観てるの?

 邪神教団に戦闘の様子が観られているとなればスヴェンは手札を切らず、しかしアウリオンに対して加減することもせず戦っていることが判る。

 ミアが思考に気を取られた一瞬の隙、リンの放った魔力の矢が足元に突き刺さった。

 

「なによそ見してるのよ……今度はその小顔を射抜くわよ」

 

「悪かったですね。今度は練り込んだ魔力をあなたに直接打ち込んであげますよ」

 

 ミアは杖の先端に練り込んだ魔力を纏わせ、槍を扱うように巧みに杖を振り回す。

 そんな様子にリンは頬を引き攣らせ距離を取った。

 彼女の後方には中央塔に続く扉が在る。他にも窓から中央塔に入ることは可能だが、窓から覗き込む信徒が居る以上はリンを中央塔の扉まで押し込んだ方が早い!

 ミアは距離を取ったリンに対し、距離を詰めるべく床を蹴り駆け出した。

 そこに接近するのを待っていたと言わんばかりにリンが構えた弓に魔法陣が浮かび上がる。

 

「『閃光よ、我が敵を呑み込め』」

 

 彼女の詠唱に呼応するように魔法陣に光が集う。

 魔法陣に集った光りが膨れ、ミアの額に冷や汗が浮かぶ。

 

 ーーあの魔法は光属性の直線型迎撃魔法の一種!

 

 一本道の連絡橋でそれはミアに対し正に必殺の一撃だ。逆に言えばスヴェンとアウリオンの跳躍力なら簡単に避けることも可能だが、生憎と魔力が高くとも身体能力は二人には到底及ばない。

 ならやることは一つだけ。ミアは靴裏に魔力を流し込み、一気に床を蹴ることで加速させる。そしてまだ光が集い切らない魔法陣に杖の先端を当て、自身の魔力を流し込んだ。

 戦闘に於ける魔法の無力化は多岐に渡るが、魔法陣を分解する魔法が使えないミアが唯一できる方法が魔力干渉による術式の破壊だ。

 魔法陣は緻密に計算された術式と詠唱文、魔力制御で成り立つ。そこに外部から魔力を流せば魔力制御は崩れついでに魔力で構築された術式も破壊される。

 

「ま、また魔力干渉をっ!」

 

 リンは驚いているが、外部から魔力干渉を防ぐ方法も当然有る。

 尤も簡単なのは他者の魔力が入り込む隙が無いほど緻密な魔法陣の構築。他にも他者の魔力干渉を跳ね除ける程の魔力差、魔法陣の中枢に呪いを仕込む方法が挙げられる。

 ミアは弓矢を構えるリンに魔力を練り込んだ杖を横に薙ぎ払う。

 薙ぎ払った杖をリンは二歩退がることで避け、代わりにミアの右肩と左足に魔力の矢が貫く。

 魔力の矢は消え、傷口から鮮血が流れる。じんわりと痛みが広がるがミアは歯を食い縛ることで痛みを堪え、

 

「くっ『我が傷を癒せ』」

 

 自身の傷口に魔法陣を形成し、淡い緑の光が瞬く間に傷口を塞ぎ痛みを消す。

 これで治療は完了したが、既にリンは魔力の矢を放っていた。ミアは咄嗟に横転することで魔力を矢を避けーーガキンっと鈍い音が鳴り響く。

 そっと視線をそちらに向ければ、スヴェンがガンバスターで弾いた姿が見えた。

 向こうは相変わらず激戦を繰り広げているがーーちょっと、連絡橋が亀裂だらけじゃない!

 あと何か大きめの一撃を放てば連絡橋が崩れ落ちてしまいそうだ。

 ミアは急ぎ進路を確保する為に、自身の下丹田の魔力を活性化させる。

 同時に両足と両腕に魔力を練り込み一気に地を蹴り、リンとの距離を縮めた。

 驚愕に染まる彼女にミアは微笑み、

 

「さっきのお返しっ!」

 

 腹部に唸らせた拳を叩き込む。

 

「かはっ!」

 

 叩き込んだ拳を引っ込めず、ミアは彼女の耳元で囁く。

 

「(このまま倒れてください。魔王様は私とスヴェンさんが助けますから)」

 

「(わかったわよ。でもしくじったら次は本気で襲撃するから)」

 

 リンの失敗は許さないと言わんばかりの言葉を受け取ったミアはそのまま拳を引っ込め、彼女は連絡橋に倒れ込んだ。

 その直後、疾風が通り抜け髪が乱れたかと思えば気付けばミアはスヴェンに抱えられ宙を舞っていた。

 

「す、スヴェンさん!?」

 

「悪いな、まだアウリオンは納得しちゃあいないらしい」

 

 スヴェンの静かな声と共に連絡橋から濃密な魔力が膨れ上がり、漆黒の剣に練り込んだ魔力を纏わせたアウリオンの姿が映り込む。

 

「もしかしなくともヤバい?」

 

「やべぇだろうよ」

 

 なぜそんなに冷静なのか問いたいが、恐らく経験の一言で片付けられる。

 そう理解したミアは諦めたようにスヴェンの腰にしがみつく。

 同時に稲妻を纏った漆黒の衝撃波がこちらを狙って放たれ、スヴェンは中央塔の外壁を足場に跳躍することで避ける。

 中央塔の外壁はアウリオンの放った一撃に穿たれ、生じた穴にミアを抱えたスヴェンが入り込んだ。

 そしてスヴェンがミアを床に降ろした途端、背後に現れたアウリオンが剣を振り下ろしーーソレをガンバスターで受け止めたスヴェンが彼と共に落下して行く。

 

「スヴェンさん! ……って、え?」

 

 周囲に視線を向ければ窓辺の支えの上。おまけに移動するには狭い支えを通らなければミアはその場から移動することすら叶わない。

 下を覗き込めば、邪神教団を巻き込んだスヴェンとアウリオンの大立ち回りと火花が映る。

 

「はぁ〜仕方ないなぁ。私は私で地下エントランスホールに向かうべきね」

 

 ミアは早速地下エントランスホールに向かうべく狭い支えの上を慎重に歩きだした。一歩踏み外せば落下する恐れもあるが、それでもミアは慣れた様子で軽やかな足取りで渡るのだった。



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16-5.衝突

 戦闘を繰り広げながら中央塔の一階廊下に到着したスヴェンはアウリオンが放つ一閃を弾き、背後から忍び寄る邪神教団の信徒を振り向き様に刃で薙ぎ払う。

 信徒の鮮血が中央塔の一階廊下を汚し、背後を向けたアウリオンの詠唱が響き渡る。

 

「『紅蓮の猟犬よ、我が敵を焼き尽くせ』」

 

 形成された魔法陣から猟犬を模った紅蓮が出現した。

 紅蓮の猟犬はスヴェンに牙を剥き、一階廊下のレッドカーペットを炎で燃やしながら飛び掛かる。

 真横に避ければ紅蓮の猟犬が前脚を払い炎の爪が迫る。燃えたぎる爪に魔力を纏わせたガンバスターの刃を払う。

 スヴェンは炎の爪がガンバスターに触れる瞬間ーー纏った魔力を解き放ち、生じた衝撃で紅蓮の猟犬ごと弾いた。

 床に倒れ込んだ紅蓮の猟犬はそのまま身体が薄れ消滅し、

 

「魔力の解放も既に物にしているようだな……それにその武器に使われている竜血石も高密度に鍛造されているようだ」

 

 アウリオンはガンバスターを鍛造した人物に対して賛美の声を述べた。

 

「鍛造が困難だと言われている竜血石を扱える職人はそう多くはおるまい」

 

「……あぁ、殺しの道具を鍛造させたのがもったいぐらいにな」

 

 スヴェンは踏み込みざまにガンバスターを薙ぎ払えば、アウリオンが漆黒の刃で刃の軌道を逸らす。

 これも何度目か。少なくともアウリオンはフィルシス騎士団長と刃を交え決して少なくない消耗を強いられていた。

 それでもスヴェンを相手にするには充分な余力と殺し切る魔力を有していることには変わりない。

 殺す気で本気で掛からなければならない相手。だが、アウリオンは殺害対象でも無ければ敵対勢力に紛れ込んだ協力者だ。

 

 ーーいい加減、監視の眼が鬱陶しいな。

 

 廊下の天井付近に存在する空間の孔の先からエルロイ司祭の視線を感じていたスヴェンは小さく舌打ちする。

 連絡橋でもそうだったが監視の眼の手前、スヴェンとアウリオンは本気で殺し合いを演じた。

 恐らくエルロイ司祭は何方が倒れるまで監視は辞めないだろう。

 それにまだアウリオンを納得させる程の力量を見せられていない。前回の試しとは違って後に控えるエルロイとの戦闘を乗り越えられるのか、それをアウリオンに示さなければ彼は到底納得できないだろう。

 だからこそスヴェンはテルカ・アトラスで抑え込んでいた理性と本能を解き放つ。

 ガンバスターに魔力を纏わせ眼力に殺意を宿す。

 

「……これは」

 

 スヴェンは軽く一呼吸。

 スヴェンは殺意を纏いながら歩き出した。

 それが自然であり無意識のうちに行われた行動であるかの様にアウリオンの背後からガンバスターを薙ぎ払う。

 刃がアウリオンの背に届くよりも速く、彼の右脇から袈裟斬りを放ち、また刃が届き切るよりも速くーー今度は真正面から縦斬りを放つ。 

 背後、右脇、真正面から若干のズレを発生させながら斬撃がアウリオンを襲う。

 

「っ!」

 

 対するアウリオンは避け切れないと判断し、冷静な眼差しで三方向から迫る斬撃を刃を薙ぎ払うことで弾く。

 アウリオンなら確実に何らかの方法で防げる。しかし、三方向から全く違う力加減で繰り出された高速の斬撃を一度に防げばーー僅かな、それこそ彼の場合は一秒の硬直を生む。

 万全の状態ならまずアウリオンには通じない一手だ。だが既に強者と刃を交え、消耗した体力と強者との戦闘が齎す高揚感、極限まで研ぎ澄まされた五感が独《・》()()()()()()()()()()()()()()()

 三方向からの斬撃を防いだアウリオンに一秒の硬直を齎し、スヴェンは彼の首筋にガンバスターを薙ぎ払った。

 

 キィーンッ!! ガンバスターの刃が魔法陣に弾かれ、火花が舞う。

 前回は魔法陣や防御陣による防御を砕けず、体力を消耗した。

 今回は前回と違い、竜血石で鍛造されたガンバスターが今までの魔力操作と違いを齎す。

 スヴェンは魔力を纏わせた状態で刃を床に叩き付けることで衝撃波を放つ。

 地を走る衝撃波がアウリオンの展開した魔法陣を砕き、刹那の瞬間ーー漆黒の剣に纏った黒炎の一閃に衝撃波が斬り裂かれる。

 斬り裂かれた衝撃波がアウリオンの両脇を通過、彼の後方から迫っていた邪神教団の集団が弾け飛ぶ。

 

「むっ、味方陣営に被害が出たか」

 

 邪神教団を味方と微塵も思っていない彼の言葉は正に空虚で、それどころか心の奥底から苦痛を感じる。

 彼も魔王アルディアが人質に取られさえしなければ邪神教団に従う理由など何処にも無いのだろう。

 同時に脅しや強制による束縛、支配された者達は心の鬱憤が溜まり抱えたストレスから精神が乱れ易い。

 しかし、彼も覇王エルデ同様の強者だ。従わされた立場で居ながら精神が乱れることも心が屈することも無いーーむしろ彼らの様な鋼の意志を待つ者ほど非常に厄介だ。

 

 ーー長引けば危険か。

 

 スヴェンはガンバスターを構え直し、脚力に力を込め床を踏み抜く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 空間の孔から戦闘を見学していたエルロイは、スヴェンの単調な行動に落胆していた。

 竜血石製の武器に纏わせた魔力と彼の底抜けに冷めた瞳に宿る殺意に眼を見張りーー三方向から時間を置き去りにほぼ同時に攻め込む尋常なる身体能力を高く評価したが、アウリオンを相手に攻め込む手札や万策が尽きたのか、彼は無謀にも正面から攻め込んだ。

 

「……お前には期待していたんだがな」

 

 ため息と共にスヴェンの身体はアウリオンが放った漆黒の一閃に両断された。

 断面図から溢れ出る鮮血、薄れゆく肉体にアウリオンは眼を見開く。

 両断されたはずのスヴェンが先程まで纏っていた殺意を感じさせず、ただそこに居る状態でアウリオンの背中を刃で斬っていた。

 

 ーースヴェンは確かに両断された。なら映っているスヴェンはなんだ? 

 

 背中から血を流すアウリオンが四種の魔法と同時に刃を払い、対するスヴェンはガンバスターを構えるばかりで微動だにせずーーその身に四種類の魔法が貫き、刃がスヴェンの首を刎ねる。

 これで確実にスヴェンは死んだ。眼に見える情報が脳にそう告げるがーー違う。アレは魔法も使わない純粋な殺意が生み出した分身だ。

 人の意思は高まれば高まるほど他者に影響を与える。それは意思の共有であれ視覚情報であれ様々な形で確かに影響を与えることが可能だ。

 濃密まで極まった殺意が時に独り歩きし、他者の視覚や認識に影響を与えることすら可能になる。

 殺意の分身ならエルロイが見た結果に説明が付き、スヴェンが生きている状態にも説明が付く。

 

「まさか、そこまで人に殺意を宿せるとは……」

 

 殺意の分身を披露したスヴェンならアウリオンを殺害し、自身の下まで到着するーーかと思えばそう何度も殺意の分身が生み出せないのか、剣戟を交える度に斬り傷が刻まれていく。

 

 ーー監視に気付き手を抜いているのか?

 

 頭に浮かんだ単語をエルロイは即座に否定する。スヴェンとアウリオンの単純な実力差は大きく、アウリオンを相手に魔法が使えないスヴェンが手を抜く余裕など無い。

 それこそ全身全霊で挑まなければならないほど、スヴェンの勝算は低い。

 

 だが、それでもスヴェンは確実にアウリオンの剣筋を見極め刃を捌いている。

 おまけに後ろに眼が付いてるのか。駆け付けた信徒がスヴェンの背後から雷槍を放ち、到着したアンノウンが同時に背後から強襲する中ーースヴェンは眼を向けず、ガンバスターでアンノウンを飛来する雷槍ごと斬り裂いた。

 そして振り返り際にスヴェンは一撃ーーそれが最後だと言わんばかりに魔力を纏わせた一閃を繰り出す。

 対するアウリオンも迎え撃つと言わんばかりに黒炎を纏わせた斬撃を放つ。

 両者の刃が激しい金属音を奏で、互いに放った技の衝突が両者を呑み込む。

 二人の身体は衝撃に弾き飛ばされ床に倒れ伏す。

 

 ーーお互いに本気だが、殺す気でやり合ってはいないか。

 

 その証拠にスヴェンは立ち上がり、アウリオンは床にうつ伏せで倒れたままで起き上がる様子を見せない。

 彼の魔力や生命力が消えていないことから生きていることは確実だ。

 自身の知るスヴェンならアウリオンにトドメを刺す。そう思っていたが、天井付近に空けた空間の孔を見上げるスヴェンと眼が合う。

 こちらに気付いた上でスヴェンはガンバスターを片手にその場を駆け出した。

 空間の孔越しに様々な声が聴こえる。信徒の悲鳴、助けを求める叫び声、最早邪神に魂すら届かないというのに死を幸福として受け入れる歓喜の声。

 エルロイは信徒の声よりもスヴェンの同行に注視した。

 彼は間違いなく魔王の間を目指し、魔王救出を目的として動いている。

 問題はどうやって凍結封印を解除するのかだ。

 かつて存在していた瑠璃の浄炎は天使共によって何処かへ祭壇ごと移された。

 

「……やはり旅行者は我々を含めた大衆の眼を欺くための演技だったか」

 

 彼とはじめて出会ってから二ヶ月が経過した。その間に所在不明の瑠璃の浄炎を入手する確率は極端に低い。

 低い可能性を思案するよりも先ず、スヴェンの戦闘技術を分析すべきだ。

 エルロイは思考を切り替え、アウリオンとの戦闘を踏まえ過去に眼を向ける。

 スヴェンが魔法も使えず、魔力操作も荒いながらもタイラント戦で見せた動きは、確かに眼を見張るものが有った。

 思い返して見れば警戒心の強いスヴェンが大衆の前で全力を出すのか?

 それこそ旅行者の身分を偽り、本命の魔王救出を隠すためならスヴェンは全力を出さないのではないか。

 自身と同行者のミアに影響を与えない程度に対峙者の力量を見極めギリギリを攻める。

 

「いや、流石に有り得ないか」

 

 モンスターを相手にするには魔力操作や魔法が前提条件だ。少なくともタイラントと対峙したスヴェンにそんな余裕など無い。

 タイラントの動きを冷静に見切っていたが、魔力を纏った衝撃波を放った時には著しく体力を消耗していた。

 それに障壁を砕けない未知の技術を用意た武器もたいして脅威にはならない--あの時はそう判断していたが、永年の経験が語る。観て来た光景が全てでは無いと。

 現にスヴェンの武器はいつ何処で用意したのか、竜血石で鍛造された大剣に変わっている。

 武器を魔力伝導率の高い物に変えたのならアウリオンとの戦闘で放った衝突波で消耗しなかった点にも説明が付く。

 だからこそ重いため息が漏れる。

 

「……まさか、タイラントと対峙した異界人がわたしの前に立ち塞がる時が来ようとはな」

 

 エルロイとしてではなく、ヴェイグとして接触したのも単純に興味が有ったからだ。

 もっともその時は自らの正体を明かし、計画の為にスヴェンと殺し合うなど想像できず現在に至る。

 彼とは商人として円滑な付き合いを築きたかったが、正体を晒した以上は以前の様にはいかないだろう。

 

「わたしを殺すことは不可能だが、それでもお前はわたしを何度殺せる?」

 

 殺し合いは邪神の呪いで永い時を生きる刹那の瞬間に過ぎない娯楽だ。

 エルロイは異空間から二本の剣を引き抜き、スヴェンとミアを迎え討つべく笑みを浮かべたままその場に佇んだ……。



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16-6.立ち塞がる怪物

 アウリオンを気絶させたスヴェンは、行く手を阻む邪神教団の信徒を片手間で排除しながら中央塔の地下エントランスホールに到着していた。

 そこの壁には歴代魔王の肖像画や巨城都市建設の様子を描いた絵画、そしてレーナと椅子に座る小柄で長い銀髪の魔族少女を描いた絵画が飾れていた。

 飾れたプレートには『永遠の友情』と描かれ、スヴェンは椅子に座る魔族少女こそが魔王アルディアなのだと理解が及ぶ。

 絵画から視線を外したスヴェンは背後から近付く気配に振り向き、

 

「アンタも到着したか」

 

 ミアが杖を片手にこちらに訊ねた。

 

「アウリオンさんは?」

 

「生きてるさ……ま、アイツに手加減されていた影響が大きいがな」

 

 先程の戦闘は明らかにアウリオンは全力を出していない。それは対峙したスヴェンだからこそ理解できることだった。

 幾ら消耗していたとは言え、アウリオンの魔力はまだ多く--その気になれば強力な魔法も使えた筈だ。

 

「きっとスヴェンさんに期待してるんだよ」

 

「だといいがな」

 

 誰かに期待されようが、傭兵として雇主のレーナに答える。それは依頼を請た時点で決めていた覚悟だ。

 スヴェンはサイドポーチからハンドグレネードを取り出し、魔王の間に続く大扉の前に歩き出す。

 大扉越しに放たれる気配に一度足を止めたスヴェンは思考を巡らせる。

 この先からエルロイの気配が強く感じる。恐らく奴も既に戦闘態勢に入ってる事だろう。

 相手は封神戦争時代から呪いに生かされた不老不死の化け物。そんな相手を真正面から相手にして勝ち目は薄い。

 長期戦も持久戦もこちらの消耗が増すばかりで有効とは言えない。かと言って短期決戦に持ち込めるかと問われれば恐らく経験の差や単純な実力で覆されるだろう。

 そこをどう崩し、隙を見て魔王アルディアを解放するかだ。

 

 --ミアに渡した保険が活かさればそれに越したことは無いが。

 

 此処でごちゃごちゃ考え直しても仕方ない。結局、作戦などその都度の状況に合わせたアドリブが一番だ。

 思考を切り替えたスヴェンはミアに視線を向け、彼女は小首を傾げながらやる気に満ち溢れた眼差しで。

 

「どうしたの?」

 

「……覚悟は良いな?」

 

「……うん、大丈夫。スヴェンさんと私でやり遂げる覚悟は固まってるよ」

 

 杖を構えるミアにスヴェンは右手で握ったガンバスターを背中の鞘にしまい--大扉を僅かに引き開け、僅かな隙間から魔力を流し込んだハンドグレネードを躊躇なく魔王の間に放り込み、すかさず大扉を閉めた。

 瞬間、ドカァァーン!! 爆発音が鳴り響き、爆風による衝撃が大扉に亀裂を生じさせる。

 そしてスヴェンは今度はサイドポーチからスタングレネードを手に握り、

 

「俺が先に突入し、コイツを放り投げる。アンタはタイミングを見計らって突入しろ」

 

「分かった……けど、中の魔王様は無事だよね!?」

 

 スヴェンはミアの問いに答えず、大扉を開け中に突入した。

 ハンドグレネードの爆発によってひび割れた床、散らばった椅子の残骸とエルロイだった肉片。

 肝心の魔王アルディアを封じ込めた氷柱は無傷で部屋の最奥に安置されていた。

 スヴェンは散らばった肉片に警戒を向けたまま、ガンバスターを片手に最奥を目指して進む。

 すると散らばった肉片が不気味にも蠢き、スヴェンに立ち塞がるように集まりだす。

 はっきり言って不気味で気色悪い光景にスヴェンは嫌な顔を浮かべず、左手で握ったスタングレネードを構える。

 一箇所に集まった肉片が瞬く間にエルロイを形造り、

 

「……全く、いきなりとは酷いじゃないか」

 

 完全に復活したエルロイが床に落ちていた二本の双剣に視線を移す。

 一度爆殺されたにも関わらずエルロイには余裕も有れば、死に対する恐れも無い。

 むしろハンドグレネードの威力ではエルロイに肉体的な痛みを刻む事は難しいのか?

 スヴェンはガンバスターを片手に、視線を逸らすエルロイに対して魔力を流し込んだスタングレネードを放り投げる。

 エルロイの足元に転がるスタングレネードに彼は、

 

「おっと、また肉片にされるのは勘弁だ『魔よ、我が身を守護せよ』」

 

 スタングレネードが起爆するよりも早く詠唱を唱え、自身の身を防壁結界で包み込んだ。

 スヴェンは予めポケットに忍ばせていたサングラスを装着し、起爆したスタングレネードが眩い閃光を放ち魔王の間を包む。

 

「なっ!? め、眼がぁぁ!」

 

 なぜか防壁結界が消え、エルロイは眼を抑えながら大理石の床を転げ回る。

 

 --アンタのそれはブラフだろ、ヴェイグ。

 

 ヴェイグとして活動していたエルロイは間違いなく視覚を封じていた。その状態で他の五感で補うことが可能な彼がスタングレードで封じれる筈が無い。おまけに殺傷力が皆無のスタングレネードに防壁結界を無力化させることなど不可能だ。

 それを理解していたスヴェンは転げ回るエルロイに魔力を流し込んだ一閃を放つ。

 だが、エルロイは当然の如く立ち上がり--軽やかな動作で右腕の剣を振りガンバスターの刃を逸らす。

 更に左腕の剣が振り抜かれ、スヴェンは身体を逸らすことで刃を避け、ガンバスターを薙ぎ払う。

 再度迫るガンバスターの刃がエルロイの右腕の剣に防がれ火花が散る。

 ガンバスターが右腕の剣に抑えられ、エルロイが左腕の剣が振るわんと僅かに動き出す。

 スヴェンはエルロイが左腕の剣が降る前に、彼の左腕を掴むことで刃を防ぐ。

 

「熱烈だな、いずれお前とこうなることをわたしは心の何処かで望んでいたよ」

 

「はっ、気色悪いな……だが、アンタを巻き込んで自爆するのも悪くねぇかもな」

 

 エルロイの眉が歪む。

 これは脅しでも無ければ、エルロイの行動次第で打てる手札だ。

 

「無駄死を選ぶとは正気か?」

 

「さあ? 魔王を救出できりゃあ無駄死にならねえだろ」

 

「……判らないな。お前の目的は魔王救出、その方法も不明瞭、後を託すには彼女では実力不足だろうに」

 

 こちらが右腕の力を込め、右腕の剣を弾こうとすればエルロイは筋力の動きを察知し力の加え方に合わせて来る。

 ならばとスヴェンは左腕に力を構え、エルロイの左腕を握り締める。

 エルロイの左腕の骨が悲鳴をあげ、彼の左腕を捻じ切るように捻り回した。

 骨がねじ折れる音が響き渡り、握られていた剣が床に落ちる刹那の瞬間--ねじ折れたエルロイの左腕は瞬きするよりも速く元通りに治っていた。

 

「……骨はこうも簡単にねじ折れるものだったかな?」

 

「腕の骨はんな簡単に治るもんか?」

 

 互いに乾いた笑いが込み上がる。

 どうやら単純な筋力はこちらが上回っているが、技術面や不死生も合わせて依然向こうが圧倒的に有利だ。

 おまけにエルロイはまだ目立った魔法を使用していない。

 スヴェンは大扉が動く音を耳に、ガンバスターごとエルロイの右腕の剣を弾く。

 そのまま胴体を斬り裂く! スヴェンがガンバスターを薙ぎ払えば、突如空間に孔が開く。

 そこから飛び出す剣がエルロイの盾となり、ガンバスターの刃を防ぐ。

 

 --明確な防御行動、痛覚は感じてるようだな。

 

 魔王の間に入り込んだミアが氷柱に駆け出す中、スヴェンは袈裟斬りを繰り出す。

 だが狙いを察知したエルロイは双剣を巧みに捌き、ガンバスターが弾かれ、スヴェンの目前からエルロイが忽然と姿を消した。

 奴の狙いは魔王解放の阻止だ。そう理解していたスヴェンは--チッ、エルロイとミアが重なっちまってる。

 射撃による援護ではエルロイごとミアを貫いてしまう。それではミアが死ぬばかりで何の意味も無い。 

 スヴェンはすぐさまナイフを引き抜き、エルロイとミアの間に投擲と同時に地を蹴る。

 ナイフがエルロイの双剣に弾かれ、一瞬の隙にスヴェンはガンバスターを盾にエルロイの前に立ち塞がった。

 

 しかし、それでもなおエルロイは右腕の剣で刺突を繰り出し--刺突がガンバスターの腹部分に触れるか触れないかの直前、空間ぎ揺らぐ。

 スヴェンの背中に生温かい血の干渉が振り返る。

 背後に視線を向ければ、空間から突き出された刃がミアの腹部を貫いていた。

 

「ごふっ……す、スヴェンさん、ごめん」

 

 華奢な腹部から刃が引き抜かれ、鮮血と共にミアの身体が硬い大理石に崩れ落ちる。

 倒れたミアの手から封炎筒が床に転がり、床に出現した空間の孔が封炎筒を吸込み--エルロイの笑い声が響く。

 

「何かと思い期待してみれば、これがお前達の切札か!」

 

彼の手に握られた封炎筒が空間の孔に放り込まれ、

 

 「それにお前はミアに無謀な行動を取らせたな!」

 

 嘲笑い非難する言葉が告げられる。

 スヴェンは無感情のまま倒れ臥すミアからエルロイに視線を戻す。

 スヴェンは無言で魔力を纏わせた刃を横薙ぎに払う。

 放たれた一閃が嗤うエルロイを斬り裂き、泣き別れた胴体が大理石の床に崩れ--足りねぇ。

 殺し尽くせない。不老不死は死なない。ならばとスヴェンは再生途中のエルロイの胴体を素早く、何度もガンバスターで斬り刻み続ける。

 細切れ刻まれた肉片は再生を繰り返し鮮血だけが舞い、床と倒れ臥すミアが鮮血で汚れる。

 スヴェンが再生途中の肉片に目掛けてガンバスターを振り下ろせば--散らばっていた肉片の姿は無く、対象を失った刃が大理石を砕くばかり。 

 スヴェンは視線を動かし、優雅に双剣を構えるエルロイに駆け出した。

 

「まさかわたしを憎んでるのか? お前の失敗でミアは()()()

 

「はっ! 俺がんな感情で動く人間に見えるか?」

 

「……お前は獣だよ。仲間の死に対して何ら感情も浮かべない獣。いや、モンスターだ」

 

「死なねえ化け物に言われたくはねぇなっ!」

 

 縮地でエルロイの背後に周り込んだスヴェンは、後方に飛び退く。 

 振り向き様に軽く振るわれた横に二振りの斬撃が、衝撃波を飛ばす。

 スヴェンは迫る衝撃波を右に大きく駆け抜けることで避け、進行方向に浮かぶ魔法陣に舌打ちを鳴らす。

 魔法陣から放たれた鎖をガンバスターで弾き、足元に出現する空間の孔を跳躍することで避けたスヴェンは、警戒心を浮かべるエルロイに銃口を向ける。

 魔力を纏わせたガンバスターの引き金を引き、ズドォォーーン!! ズドォォーーン!! 射撃音と共に.600LRマグナム弾がエルロイに飛来する……。



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16-7.死中に活

 スヴェンが撃った二発の.600LRマグナム弾がエルロイの上半身と下半身を撃ち砕き、肉片と血飛沫が大理石の床にぶち撒けられる。

 

 --残り装填弾数は4発。無駄弾は撃ちたくねぇが、奴の空間魔法をどう攻略するかだ。

 

 床に着地したスヴェンは再生を開始するエルロイの肉片の背後に回り込み、銃口を構えた。

 肉体が元通りに再生する前にエルロイの頭部に銃口を押し付け、

 

「脳天に零距離だ……死なねえってのも難儀だな」

 

 引き金を引き、銃弾がエルロイの頭部を撃ち砕く。

 床に脳の破片が飛び散るも、やはり脳も心臓を潰した程度エルロイに死を与えることは叶わない。

 それどころか、再生途中で残り三発の銃弾を浴びせてもエルロイの再生速度に変化は訪れない。

 

 --殺し続ければ再生速度に影響が出ると踏んでいたが……。

 

 少なくとも追跡者は五回殺した辺りで再生に二分も時間を要していたが、邪神に直接呪われたエルロイの再生速度は一瞬。それこそコンマ単位による再生だ。

 スヴェンは弾切れを起こしたガンバスターに敢えて銃弾を装填せず、ブラフの意味も込めて再びガンバスターの銃口を構えれば、肉片から元の状態に復活したエルロイが射線上から離れた。

 

「死なねぇアンタに鉛弾は意味がねぇだろ」

 

「……はじめてだよ、頭が頭蓋骨と脳味噌ごと吹き飛ぶ刹那の激痛を受けるなんて。それだけじゃい、ソレ一発でわたしの肉体は再起不能までに損壊する--ソレは人を一撃で葬り去る凶器だ」

 

「……アンタが何度でも復活する限り何度も殺す。そこに転がってる奴の為にも」

 

「ふむ? お前は彼女の死を気に留めていないと思っていたが、感情に出さないだけか」

 

 ミアの死はあの瞬間--いや、今回の作戦を彼女と共に立てた時から受け入れていた。

 だからこそスヴェンの中にミアに対する死への怒りは無い。

 ただ有るのは障害に対する底無しの殺意だけ。

 スヴェンはガンバスターに魔力を纏わせ、内に留まる殺意を解放した。

 

「その状態、観察させてもらったが一体どういう仕組みなのか」

 

 エルロイの問い掛けにスヴェンは肩を竦めた。敵に手の内を馬鹿正直に話す奴など居ない。

 仮に悠長に語る者が居るとすれば、それは余程の自信家か無謀な馬鹿だ。

 そもそも殺意の解放は単に相手の認識を少々妨害する程度の小手先の技に過ぎず、エルロイが想像しているような技術では無い。

 スヴェンは床を踏み抜き、縮地と共にエルロイの背後から横払いを放つ。

 不意打ち気味に駆り出された一閃は、空間の孔から出現したエルロイの剣によって防がれる。

 それなら速度を速め攻め続けるのみ! スヴェンは音を置き去りにエルロイの周囲を高速で動き、殺意と残像と共に斬撃を繰り出す。

 だが、一撃一撃が的確に空間の孔から発生する斬撃に防がれ残像が斬り裂かれ、跳躍と同時に振り下ろしたガンバスターがエルロイの双剣に防がれた。

 

「チッ! 厄介な空間の孔だな!」

 

 空間の孔が生じる際にエルロイが詠唱した素振りは無い。だが、魔法の発動の共通点--魔力操作の痕跡だけは視える

 以前ミアに詠唱破棄について質問したことが有ったが、彼女は詠唱破棄した魔法の威力は極端に下がると語っていた。

 空間に孔を空けるという事は、世界が構成する空間に干渉する必要が有る。

 それを詠唱破棄で難なく熟す辺り、エルロイはその魔法を極限まで極めているのだろう。

 刹那の思考と共にエルロイの刃を弾いたスヴェンは、腰を僅かに落とし--左右に高速で飛べばエルロイの眼が確かにこちらを追う。

 エルロイの眼に追い付かれる前に更に加速を加え、四方に高速移動を繰り出し同時に衝撃波を放つ。

 

「……残念、お前が非常識な速度で技を放とうともわたしはそれよりも速く動ける」

 

 そんな言葉が耳に届く頃にはエルロイの姿が目前から消え、衝撃波の衝突波だけがその場を襲う。

 

 --だろうな。アイツが空間魔法を使えるなら物理的な距離なんざ意味がねぇ。

 

 破壊音と耳に届く鋼鉄が風を斬る音に、スヴェンが背後に振り向き後方に跳ぶ。

 確かに振り斬られたエルロイの双剣が視界に映るが、肝心の刃先は空間の孔の中に--回避は無理だ。そう頭で理解した時にはスヴェンの上半身に交差した斬撃が走る。

 鋭い斬撃によって上半身が斬られ血飛沫が舞う。

 これはまだ許容範囲の傷だ。四肢が無事なら、生きてる限り戦闘継続は可能だ。

 夥しい血の量が床に流れてもなおスヴェンはガンバスターを構え直す。

 

「お前も大概異常だよ。そんなに大きく斬り裂かれてもまだ殺意は愚か闘志が消えないとはな--普通は死んでも可笑しくはないはず」

 

 興味深そうに眼を細めるエルロイから自身の傷に視線を落とした。

 出血こそしているが、空間の孔による距離の短縮なら自身の上半身など両断されても可笑しくはない。

 刃、空間の孔同士が結ぶ点に限界距離が有るのか? そもそもなぜエルロイは.600LRマグナム弾を空間の孔で防がなかったのか。

 

 --空間操作には高い空間認識能力、座標軸が必要だったな。

 

 デウス・ウェポンで開発された空間跳躍銃がその最たる例だ。

 銃を撃つ者に求められるのは高い空間認識能力、座標軸、弾速の速度及び対象との距離計算処理能力も求められる。

 対象との距離が離れれば離れるほど、運ぶ物体の速度が速ければ速いほど計算難度も上がる。

 もしもエルロイの魔法にそれと似た制約が有るなら試す価値は有る。

 だが、スヴェンが行動に出る前にその前に四方八方に空間の孔が開く。

 同時に突き出される刃が迫り来る--魔力を纏わせたガンバスターを振り払えば、突き出された八本の刃が砕ける。

 

 スヴェンは息を吐き、全身に魔力を巡らせ地を蹴った。

 先程よりもより速い速度で。

 エルロイの背後に周り込む刹那の一瞬、解放した殺意をその場に置き去りに--纏った殺意を心の奥底に封じ、空虚な心でエルロイの左横からガンバスターを薙ぎ払う。

 空間の孔がエルロイの背後に現れ、孔から刃が出現するが--そこに既にスヴェンは居ない。居るのはその場に置き去りにされた殺意の残像だ。

 エルロイの防御行動が無意味に終わった結果、ガンバスターの刃がエルロイの左脇腹を斬り裂き鮮血が舞う。

 そしてスヴェンは、自身とエルロイの立ち位置に無表情で弾切れ状態の銃口を構える。

 だが、突如スヴェンの視界が鮮血に染まった。遅れてやってくる熱と冷気。身を焼き焦がす炎と身を震わせる冷気、そして激痛、遠くに聴こえる心音。

 朦朧とする意識の中、スヴェンは視線を真っ直ぐエルロイに向ければ、残念そうに何処か哀しみを帯びた眼差しで、

 

「わたしの空間魔法は音さえも消せる……だからお前はわたしの詠唱に気付くことは無かった」

 

 理解した。エルロイが魔法を放ったことを。

 自身の腹部に視線を落とせば、炎と氷の刃が腹部を貫いていた。

 二種の魔法を同時に喰らい、裂傷と体内に広がる炎の熱と氷の冷気が内側から襲う。

 急速に生命力と力が身体から抜け落ち、膝から力が抜ける。

 倒れてなるものか! スヴェンはガンバスターを支えに立ち上がった。

 

 --まだだ! まだ、意識を喪うには10秒早ぇ!

 

「お前は……死も恐れないんだな。しかし、その傷では助かるまい……彼女さえ無事なら治療も間に合ったのだろうがな」

 

 エルロイの声と氷柱に歩き出す足音と共に、スヴェンの意識は暗い闇の底に堕ちる。

 エルロイに対して最初から勝ち目は無い。なら隙を付ける保険を用意しておくものだ。

 ミアがスヴェンの胸に刻んだ条件付き発動す治療魔法--それが巨城都市に着いた時に彼女が用意した保険。

 条件は()()()()()と対象者が致命傷を負い、死に瀕した時に発動する。

 発動条件を満たした治療魔法陣がスヴェンの胸に浮かび、癒しの光りが生命力を繋ぎ、致命傷を瞬く間に癒す。

 貫かれた傷と体内の火傷、凍傷は元通りに治り、負った傷口も綺麗に塞がる。そして一度止まったスヴェンの心臓が殺意を纏いながら鼓動を取り戻した。

 意識を取り戻したスヴェンは背を向けるエルロイを視界に、右ポケットから最後の保険を取り出す。

 瑠璃の浄炎を封じ込めた瑠璃色の銃弾--.600LRマグナム弾をシリンダーに装填し、ガチャン! シリンダーを嵌め込んだ音が鳴り響く。

 音の正体を探る為に振り向いたエルロイは驚愕に打ち震え、

 

「バカな、お前は確かに致命傷を負ったはず……っ!」

 

 なぜ生きているのか理解できないと言いたげに狼狽えるエルロイにスヴェンは無表情で引き金を引いた。

 ズドォォーーン!! 一発の銃声が魔王の間に響き渡り、瑠璃の浄炎を纏った銃弾が飛来する。

 射線上に居たエルロイはその身に刻んだ痛みと肉体的な死に咄嗟に身体を横転させ、瑠璃の浄炎を纏った銃弾が魔王アルディアを封じ込める氷柱を撃ち抜いた。

 瑠璃の浄炎が氷柱の発生源たる凍結封印を瑠璃の炎で燃やし、氷柱が音を奏でながら砕け散る。

 氷柱に封じ込められていた魔王アルディアが解放される中、スヴェンが駆け付けようと踏み込むも視界が揺れる。--チッ! 血を流し過ぎたか。

 

 魔王アルディアが床に落ちる--そんな小柄で華奢な身体を長い青髪の持主が受け止め、

 

「よっと! スヴェンさん!」

 

 今まで死んだ振りをしていたミアがスヴェンの名を叫ぶ。

 スヴェンは足に力を込め駆け出した。

 そして呆然と結果を目にしていたエルロイにガンバスターを振り抜き、

 

「アンタはしばらく! 肉片にでもなってろっ!」

 

 魔力と殺意を纏わせた渾身の一撃を叩き込む。

 エルロイの肉体を縦に斬り裂き、纏った殺意が斬撃と激痛、肉体的な死と共にエルロイの心に侵蝕する。

 それでもエルロイに刻まれた呪いが彼を休めることなどせず、本人の意志など無視して肉体の再生を開始した。

 床に崩れたエルロイはこちらに視線を向け、スヴェンは彼の視線を無視してミアの下に歩き出す。

 

「--、--」

 

 だが、突如エルロイの口から語られた事実にスヴェンは足を止めた……。



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16-8.解放と脱出

 スヴェンはエルロイが語った事実と情報を頭に叩き込み、起き上がる気配すら見せない彼に振り返らず、ミアの下に歩き出す。

 

「彼は何か言ってたみたいだけど……」

 

「その件は後でゆっくり話すさ。それよりも魔王は大丈夫なのか?」

 

 救出対象が既に死亡していたとなれば全てが無意味だ。アルディアの安否に視線を向ければ、すぐにこちらの心配は杞憂だったと判る。

 彼女に支えられたアルディアの眉がぴくりと動き、唸り声が小さな口から漏れたからだ。

 どうやら三年も凍結封印に封じられた悪影響は今のところ無いらしい。

 スヴェンは救出対象の生存にひと息吐き、魔王の間の外から一人の気配が遠退く--アシュナも動き出したか、あとは彼女を連れてエルリア城に帰還するだけか。

 此処に小型転移クリスタルを設置できれば楽なことは無いが、謁見に使う施設に置く訳にはいかない。

 スヴェンは本来の予定通りに事を運ぶためにミアと共に歩き出すと、

 

「……ゔ、うぅ……」

 

 アルディアの呻き声に二人は足を止め、エルロイの視線がこちらに向けられる。

 スヴェンは彼が不意打ちしなか、最大限の警戒を浮かべつつアルディアに耳を傾けた。

 

「……さ、寒い、お、おなか、お腹痛い」

 

 譫言のように呟かれた言葉にスヴェンとミアは互いに顔を見合わせると、大扉が開かれ信徒の大軍が雪崩れ込んだ。

 雪崩れ込んだ信徒の大軍は状況に眼を見開き、アルディアが解放されたことと床に倒れたままのエルロイを見渡し、

 

「……ヘルギム司祭の命により魔王殺害、エルロイ司祭の拘束及び侵入者の排除を執行する!」

 

 冷徹な声が魔王の間に響き渡る。

 

 --なるほど、穏健派と過激派に別れてるってのは本当らしいな。

 

 スヴェンは視線をエルロイに向ければ、床に倒れていた筈のエルロイの姿が既に無くなっていた。

 

「……離脱しやがったな」

 

「うそぉ、全部私達に丸投げ? というか邪神教団の内部抗争に巻き込まれたく無いんですけどぉ」

 

 スヴェンはミアに同意しながら彼女と同時に駆け出す。

 信徒の大軍が魔法陣を展開する中、スヴェンはサイドポーチから取り出したスタングレネードに魔力を流し込み、大軍の中心に放り込む。

 

「な、なんだこれ!?」

 

「異界人の道具……異界人が得意げに語っていた手榴弾とかいうヤツじゃ!?」

 

 慌てふためく信徒の大軍を他所にスタングレネードは眩い閃光を放ち、大軍から光りを奪う。

 混乱と集中力の乱れによって魔法陣が消失し、スヴェンとアルディアを抱えたミアが同時に大軍の頭上を飛び越え、地下エントラスホールに躍り出る。

 

「おっと、土産だ」

 

 スヴェンは去り際に魔力を流し込んだハンドグレネードを大軍に放り投げた。

 小階段を駆け降り、背後から爆発音と瓦礫が崩れる音と信徒の悲鳴が響き渡る。

 一発のハンドグレネードで大軍を壊滅できれば簡単な話だが、背後から告げる瓦礫を退かす物音がそれは有り得ないと告げていた。

 たった二人で魔王城内に残存する邪神教団を相手になどできない。特に救出対象を連れて居る状態では尚のこと。

 

「ミア、このまま安全地帯に向かい脱出するぞ」

 

「分かった!」

 

 二人は気を失っているアルディアを連れ地下エントランスホールを駆け抜けた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 城内の至るところで戦闘音が響き渡る。

 中央塔一階に到着したその先では、既に魔族と信徒が交戦状態に入っていた。

 その指揮を執るのはアウリオンとリンの二人--此処までは潜伏組みの作戦通り。

 

「魔王様は一時期安全な場所に匿う! 総員彼らを援護せよ!」

 

「「「「はっ!」」」

 

 そしてアウリオンはミアが抱えるアルディアに優しげな眼差しを向け、

 

「魔王様、一時期の別れですが必ず向かいに参ります!」

 

 魔王解放に動揺している信徒の一陣に一閃を放つ。

 魔族兵が混乱する信徒に交戦を仕掛け、混乱に陥る信徒が次々と無力化されていく。

 そんな信徒の姿を見た邪神教団の一部は撤退を始め、追跡者とアンノウンが魔族兵を襲う。

 だが、相手が悪過ぎた。魔族兵が放つ魔法の前にアンノウンは息を吐くかのように灰燼に呑まれ、追跡者がアウリオンの一閃によって両断される。

 それでも大量に放たれいてたのか、アンノウンが続々と一階廊下に雪崩れ込む。

 そして背後の階段から足止めした信徒の大軍が迫る。

 このままでは魔族兵は挟撃される。救出対象を傷付ける訳にもいかない状態で取れる突破方法は限られているが、スヴェンは側の柱に笑みを浮かべた。

 

「あの、スヴェンさん? 両手が塞がってる私が言うのも何だけどさ……何するき!?」

 

「一点突破を図るだけだ」

 

 スヴェンは柱に指を食い込ませ、力任せに柱を折った。

 

「む……なるほど、確かにそれは効率的か。総員道を開けよ!」

 

 状況を察したアウリオンの指示一つで魔族兵が一斉に道を開け、スヴェンは廊下に掴んだ柱を滑られせるように投げ込む。

 柱は豪快に廊下を突き進みながらアンノウンを蹴散らし、最奥の通路から姿を現す信徒の集団をついでに蹴散らす。

 出来上がった進路をスヴェンとミアが駆け出し、背後から迫る信徒の大軍がアウリオン率いる魔族兵に阻まれた。

 そして階段を駆け上がり、二人はテラスへ駆け込む。

 駆け込んだテラスから下層の様子が見える。魔王の間突入前から既に始まっていた戦闘は既に激化し、下層の至るところで火の手が上がる。

 

「……戦場だな」

 

 巨城都市内部に入り込んだ邪神教団の一掃及び連中に加担していた内通者の一斉摘発。それが魔王救出後の行動だが、その件はアウリオン達が果たすべき仕事だ。

 撤退したエルロイの動向と次の目的が気になるが、それも含めて一度レーナに報告することも有る。

 

「スヴェンさん、もしかして今すぐにでも戦場に参戦したいの?」

 

「俺が請た依頼は魔王救出だ。邪神教団の殲滅はサービス外だな」

 

 戦場に参加し邪神教団を殲滅する体力と気力は有るが、優先すべきはアウリオンから託されたアルディアの安全だ。

 スヴェンはサイドポーチから小型転移クリスタルを取り出し、背後に視線を向ける。

 肝心のアシュナがまだ戻らない。何かトラブルが起きたのか?

 城内の戦闘がより激化しつつ在る状況で彼女を待つためにこの場に留まるのは危険だ。

 救出対象の安全が最優先--ミアとアルディアだけでも先に転移させる。そんな判断を浮かべると背後から気配が忍び寄り、

 

「ん、遅くなった」

 

 背後を振り向けば傷だらけのアシュナが気怠るそうに佇んでいた。

 何が遭ったか話を聴きたいが、既にこちらに複数の足音が向かっている。

 スヴェンは悠長に話してる時間が無いと判断し、小型転移クリスタルを設置し魔力を注ぎ込む。

 --そして転移の光が四人を包み込み、眼を開けばエルリア城地下室の光景が広がる。

 漸く終わりを告げる魔王救出の依頼にスヴェンはミア達と共に歩き出した。



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16-9.山頂の邪神教団

 魔王の間から空間魔法で離脱したエルロイはフェルム山脈の山頂から狼煙が挙がる巨城都市エルデオンを見下ろしていた。

 敢えて巨城都市内部に潜入したアトラス教会を見逃し、過激派の主戦力を削ってもらう。そこまでは予定通りだったが、やはり計画には予想外は付き物だ。

 

「まさか二人だけで魔王救出を果たすとは……」

 

 スヴェンとミアが自身を満足させるような技量を備えていなければ殺害するつもりだった。そしてアウリオン辺りに魔王解放をさせるつもりだったが。

 結果は想像と予測を遥かに超え、二人が用意した策に嵌り出し抜かれたのだ。

 殺害した筈のミアの生存ー-彼女の治療魔法発動と死の偽装を見落とし、スヴェンの胸に仕込まれた魔法陣の正体に最後まで辿り着けなかった。

 というのも彼の胸に仕込まれた魔法陣が知識に無い全く新しい術式で構築された魔法陣の解析、ましてや戦闘中に解析など難しい。

 そしてスヴェンは用意していた策を通すために自身を何度も殺害し、身体に明確な痛みを刻んだ。

 幾ら不老不死の呪いを受けているとはいえ、痛覚が無い訳では無い。

 肉体が感じる痛みによる恐怖を明確に突かれた。そしてスヴェンが用意した二つの保険に魔王救出を赦すことに。

 その後、魔王救出のタイミングを見計らって過激派の突入に紛れ全穏健派の離脱--魔王解放以外はヨワンと立てた計画通りだが……。

 

「ヨワンは自由を求めて世界を巡っているが、いま何処に居るかな?」

 

 背後に保守派の信徒部隊が傷を癒す中、近付く足音にエルロイは振り返る。

 そこには司祭のフードを脱いだ、長い緑髪の持ち主--セリア司祭と黒混じりの青髪のヨワン枢機卿の姿にエルロイは意外そうな眼差しを向けた。

 

「セリアはともかく、ヨワンまで来るとはな……わたしはてっきり迎えに行くまで旅を続けているかと思ったよ」

 

 セリアは静かに長い緑髪を風に靡かせ、苦笑を浮かべるヨワンに呆れたため息を吐く。

 

「この子にも困ったものです。旅費が底を尽きた挙げ句、無銭飲食を働きお店の方々に多大なご迷惑をお掛けして……」

 

「いやね? だから労働することで食べた分のお金は稼いだよ」

 

 邪神教団の司祭を纏める枢機卿の立場にいながら一体を何をしてるのやら。

 エルロイはため息混じりに肩を竦め、

 

「何処の国の町で合流したんだ?」

 

「合流事態は偶然ですよ……個人的な野暮用でミルディル森林国のカゼキリ村を訪れ、そこで偶然酒場で働いてる彼を見付けたのです」

 

「なるほど……わたしもまだヴェイグとしての立場が使えるならあの国に行きたいが厳しいか」

 

「顔割れしていない私やヨワンならいざ知らず、あなたは中性的な容姿とその瞳も含めて悪目立ちしますからね。少しは休暇も兼ねてご自愛すると良いでしょう」

 

 彼女の気遣いは身に染みるが、現在ミルディル森林国は過激派によってシャルル王子の婚約者が誘拐されている。

 その件も同じ邪神教団として責任を取る必要性も有るのだが、恐らく魔王解放を引き金に各国は自国に潜伏した邪神教団の討伐に動き出すだろう。

 そうなれば組織的な壊滅は避けられないが、各国に封印の鍵を求めて潜伏しているのは過激派ばかり。

 これで組織内部を穏健派の信徒のみで立て直し、邪神本来の願いと宿願--封印を護るという本来の目的と契約を遂行できる。

 ミルディル森林国の件も自ら動かずともリーシャの救出はエルリア魔法大国かミルディル森林国が自力で果たせるだろう--騎士団を始めとした戦力を動かさないという制約も魔王だからこそ可能だった要求だ。リーシャには抑止となる価値は無い。

 エルロイは何も無ければリーシャもそう時間を掛けずに救出されると踏み、次に動き出す予定を考え出すと。

 

「ねえエルロイ? バルキットのお兄さんが見当たらないんだけど……」

 

 傷付いた穏健派を見渡していたヨワンが不安そうな眼差しで訊ねた。

 

「バルキットは下層の結界門を開くために死んだ」

 

「そっか……せっかく治療できる医者を見付けたのになぁ」

 

 ヨワンの弱々しい声にセリアは眼を瞑り、静かに同胞の死に黙祷を捧げた。

 そんな二人にエルロイは視線を外し、穏健派の消耗に眼を向け、

 

「過激派はしばらく粘る。なら同志諸君よ、今は傷を休めよ」

 

 彼らに傷を癒すことを改めて告げ、黙祷を終えたセリアに近寄る。

 

「わたしは治療魔法は使えない。代わりに彼らを癒してくれないか?」

 

「えぇ、元よりもそのつもりですよ。あぁ、エルも任務を切り上げ後程こちらに合流するそうです」

 

「そうか、エルも居れば拠点も多少は賑やかになるか?」

 

「なるんじゃないかな? あの子は結構お喋りだし、それに二ヶ月と少しだけ見て来た世界のことを話したいしね」

 

「そうだったな、お前が見て来た世界に付いて後で話を聞かせてくれ」

 

「もちろんさ! 本当は立場なんて忘れてあと5年は見て周りたいんだけどね」

 

 ヨワンはにこやかに楽しげに語り、それだけで彼が見た世界は意味が有るものだったと理解が及ぶ。

 自身の曇った眼では世界をありのままに捉えることはもう無理だろう。

 それでもあの劣悪な環境でヨワンの様な純粋な子が育ったことは何よりも得難い喜びだ。

 エルロイとセリアがヨワンに優しい眼差しを向ければ彼は、

 

「そういえば巨城都市から封印の鍵--その残滓を感じるけど誰か所持してたの? まさか過激派の手に渡ってないよね?」

 

 巨城都市からわずかに感じる封印の鍵の気配に付いて問うた。

 確かにスヴェンが封印の鍵を身に付けている。恐らくヨワンが感じた気配はそちらだ。

 

「その心配は無いよ。封印の鍵を所持しているのは魔王の救出を果たした人物さ」

 

 そう告げればセリアとヨワンが興味深そうに眼を細めた。

 スヴェンに関して共有すべき情報も有る。しかし、それを語るのは此処ではない別の場所、ゆっくりと羽根を延ばせる新しい拠点だ。

 エルロイはやんわりと別の機会に話すと告げ、次の予定に付いて話を切り出すのだった。



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16-10.依頼達成、旅の終わり

 エルリア城に帰還を果たしたスヴェン達は傷付いた身体を癒し身形を調え、騎士に連れられる形でレーナが待つ謁見の間に通された。

 大扉が騎士の手で開かれ、最奥の玉座に座るレーナとオルゼア王がゆっくり立ち上がる。

 

「姫様、陛下! 此度の功労者を連れて参りました!」

 

「ありがとう、スレイ」

 

「はっ! 自分はこれで失礼させて頂きます!」

 

 スレイは退出間際にお辞儀をしてから謁見の間から去った。

 スヴェンは真っ直ぐとレーナとオルゼア王に視線を向け、相変わらず柱の影や天井に潜む気配に何食わぬ表情で玉座の近くまで進んだ。

 するとレーナは眼が眩むほどの眩しい笑みを浮かべ、

 

「スヴェン、ミア、アシュナ! アルディアを無事に救出してくれてありがとう!」

 

 感涙した。この瞬間こそがレーナが三年間待ち望んでいた瞬間だ。

 彼女が嬉し泣きするのも無理はない。そしてミアと普段無表情のアシュナも誇らしげな笑みを浮かべる。

 ただスヴェンはいつもと変わらない表情で二人に告げるべき報告を述べた。

 

「魔王アルディアの救出は成功。現在彼女は医務室で休んでるが……まあ、なんつうか凍結封印の影響が出たらしい」

 

 流石に凍結封印の影響でアルディアが腹を壊したなどと彼女の名誉のために敢えて伏せ、次に邪神教団の内部抗争に付いて告げる。

 

「魔王救出の過程で邪神教団が穏健派と過激派に別れ内部抗争中だという事が判明した。ま、最初は半信半疑だったが、エルロイ司祭が過激派に狙われて漸く確信したってところだ」

 

「ん、魔王解放の狼煙を挙げたらヘルギムと名乗る司祭に襲撃されたよ」

 

 なぜアシュナがボロボロの状態で現れたのか、彼女は彼女でヘルギム司祭と交戦した結果だった。

 それを知ったのはエルリア城に戻ってすぐのこと。だからまだ巨城都市エルデオンにヘルギム司祭が残っている可能性が高い。

 不審な点が有るとすれば魔族も邪神教団もヘルギム司祭の存在を言及しなかったことか。

 怪しいのは最下層の潜伏組みの誰かだが、内部の清掃もアウリオン達の仕事だ。

 

「そう、ヘルギム司祭がまだ巨城都市に居るのね。それでエルロイ司祭はどうなったのかしら?」

 

「アイツは眼を離した隙に離脱したさ。ただアイツは気になることも言い残していたが……」

 

「気になること? そう言えばヴェイグの正体はエルロイ司祭だったのよね」

 

「知ってたのか、なら話が速い。エルロイは結果的に穏健派に所属する司祭でどうにも封印の鍵が過激派に渡らないように行動してたらしい」

 

 奴は封印の鍵が渡れば司祭の肉体を依代に邪神眷属が復活し、邪神の封印が一つ解放されると語っていた。

 

「でもフェルシオンで暗躍していたのはエルロイとアイラ司祭だったわ。その事を踏まえると本当に信用できるのかしら?」

 

 フェルシオンで齎した被害を考えればエルロイの行動は、レーナ達にとっては到底許されるものでは無い。

 アルセム商会の処遇も今後の議題で決まるだろう。

 

「奴が齎した被害が被害だ、信用する必要もねぇさ--ただ、過激派の戦力を削るなら内部に紛れ策を巡らせることも可能だろうよ」

 

「そう。彼の真意はいずれ確かめるとして……スヴェン、貴方は英雄になる気はないかしら?」

 

 唐突に告げられた言葉にスヴェンは眉を歪め、レーナを真っ直ぐと見詰めた。

 彼女の瞳には打算は感じられず、本心からそうなることを望んでいる眼だった。

 それでもスヴェンは傭兵として英雄になる事を拒む。

 

「冗談は辞めてくれ。俺は英雄になんざなる気も無い、魔王救出の功労者も異界人って情報だけで充分だろ」

 

 報酬も依頼書に記された金額だけで充分だ。

 

「はぁ〜それじゃあ当初の予定通り、貴方には契約通りの報酬額だけで良いのね? 貴方が望むならこのまま城に滞在しても良いのだけど」

 

「いや、金額が金額だ。そいつを元手に家でも買って傭兵稼業を始めようと思っててな」

 

 自身の今後の考えを告げるとオルゼア王が眼を細め、

 

「具体的な業務内容を聴いても?」

 

 戦争を促すようなら今にでも刃を振り抜く。そう言わんばかりに眼力に込められた殺意に冷や汗が浮かぶ。

 穏やかな口調と表情でいながら死を連想させる静かな殺意。

 だが、彼の心配は杞憂だ。多少のいざこざは有るが平和な世界で戦争は求められていない。傭兵としてその辺りを宣伝したとしても需要が無い。

 むしろすぐに危険因子として始末される。

 

「主に守護結界間を移動する旅行者、行商人を対象とした護衛業務だな。護衛の安全を脅かすあらゆる脅威からの守護だ」

 

「ふむ、護衛業務か。ならば後で必要な書類を用意させよう」

 

 オルゼア王の事実上の認可にスヴェンは呆けた。

 彼は異界人を信用していない。だから異界人の自身が商売を始めるとなればあらゆる懸念を抱き、許可はそう簡単に降りないと踏んでいた。

 

「良いのか? 俺は異界人だ、姫さんやオルゼア王の不利益に繋がるかもしれないんだぞ」

 

「何を言っている。お主はレーナの願いを聴き入れ、魔王救出を成し遂げたのだ。そんなお主をなぜ他の異界人と同列に扱わなければならない?」

 

 どうやら魔王救出をやり遂げたことで少なからずオルゼア王から信頼を得たようだ。

 それでも自身の失敗で得た信頼を全て不意にすることさえ有る。

 スヴェンはエルリアの王族から得た信頼を失わないために、自らに言い聞かせ戒めとして内に深く刻み込んだ。

 

「スヴェンさん……その業務内容には要人の救出、村や町の救援は入ってるの?」

 

 ミアの質問にスヴェンは振り向く。

 旅を通して随分とミアには世話になった。だからこそスヴェンは彼女に答える。

 

「俺個人が達成可能な範囲なら請けるが、アンタの場合は依頼料を五割引きで請けてもいい」

 

「そっか、それじゃあ私なりに結論が出たらお願いしようかな」

 

 その前にミルディル森林国の一件で何かしら動きがありそうだが、最早自身が拘ることも少なそうだ。

 既に魔王アルディアは解放され、国々を縛っていた枷は外された。そうなれば各国は自力で邪神教団の過激派を潰すだろう。

 スヴェンが暫くは退屈な日々が続きそうな予感を胸に抱くと、

 

「それじゃあスヴェン、家を購入するまでの間は城に滞在で良いわね?」

 

 微笑むレーナにスヴェンは黙り込んだ。

 別に城下町の安宿で構わないのだが、魔王アルディアの件を含めた詳細な過程をまだ話し終えてはいない。

 それに自身とミアは死んだことになっており、他の異界人がどうなるのかも確認しておく必要が有る。

 

「あぁ、購入までの間はお言葉に甘えるよ。それに異界人の件や俺とミアの死亡偽装の件も有るからな」

 

「えぇ、そちらの件は明日にでもゆっくり話しましょう。今はゆっくり休むべきよ、アシュナも限界そうだしね」

 

 言われて気付いた。既にアシュナが立ったまま眠そうに瞼を擦っていることに。

 いや、無理も無い。フェルム山脈で一泊し、そのあとまともな休憩無しにほぼ働き詰めだったのだから。

 

「そうだな……まだ日も高いが今日は早めに休ませてもらうか」

 

「是非ともそうしてちょうだい。あっ、貴方の部屋はそのままに残して在るわ」

 

 以前使った部屋がそのままの状態で残っているなら有り難く使わせて貰うだけだ。

 スヴェンは立ち去る前に首にぶら下げていたネックレス--封印の鍵をオルゼア王に手渡した。

 

「うむ、確かに鍵を受け取った。後で然るべき方法で封印させよう」

 

 封印の鍵は一個人で所有し続けるのは危険な代物過ぎた。持っているだけで何か影響が起こる訳では無いが、万が一邪神教団に封印の鍵が渡った場合の危険性を慎重に考えたからこその判断だ。

 鍵を譲渡したスヴェンは眠そうなアシュナを連れ、ミアと共にレーナとオルゼア王に一礼してから謁見の間を退出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 廊下に出たスヴェンとミアはアシュナと別れ、

 

「スヴェンさん、少し時間良いかな?」

 

「あ? 別に構わねえが、何処で話すか」

 

 恐らく旅の話だろう。それなら廊下を歩いてる異界人や騎士の耳に入れさせる訳にはいかない。

 

「それじゃあスヴェンさんの部屋で話そっか」

 

 別に断る理由も無い。スヴェンはミアに促されるまま自室に足を運ぶ。

 そして自身の部屋に入り、旅立つ前と何一つ変わらない内装に不思議と安堵を感じた。

 スヴェンは自室の壁に鞘ごとガンバスターを立て掛け、ベットに腰を下ろせばミアが椅子に座る。

 

「多分、私は近い内に治療部隊に戻ると思うんだ」

 

「そりゃあ今回の一件が終われば元の部隊に戻るのは当然だな」

 

「うん、城内には私にしか治療できない患者も多く運ばれるからね」

 

 治療師として優秀なミアが戻って来たならそれは自然の成り行きだ。

 ただ、明日から。正確には自身が傭兵として活動する頃にはミアの治療は気軽に当てにできないだろう。

 

「アンタの治療魔法は傭兵の技術なんざより価値が高え。そんなアンタを二ヶ月も拘束したと考えれば……なんつうか怪我人には悪い事をしたな」

 

「ふふっ、二ヶ月も美少女の私と旅が出来たんだから思い出にもなったよね?」

 

 相変わらず彼女の言う美少女は見当たらない。ただ目の前に居るのはミアという優秀な治療師だけだ。

 

「アンタの薦める料理には外れが無かったし、料理も悪く無かった」

 

「……あれ? 私との旅の思い出って食事だけ? ま、まぁ料理はもっと頑張るよ」

 

「……しかしまぁ、アンタの治療魔法を受けられないとなりゃあ気を付けねえとな」

 

「スヴェンさんになら無償で治療してするよ」

 

 それこそ何の冗談だろうか? ミアの治療魔法は部位欠損まで後遺症も無く治療してしまえる。

 右眼を一時的に失った時さえ、機能も元通りだ。

 

「アンタの治療魔法に高額金を払っても良いんだがなぁ」

 

 ため息混じりに吐けばミアは微笑んだ。

 

「それはほら、気心知れた仲だからだよ」

 

 そこまで言われてしまえば断る理由は何処にも無い。スヴェンが一人納得を浮かべると、ミアは気になることが有るのか問うた。

 

「そう言えばスヴェンさんは傭兵稼業を始めるけど、鍛冶屋とも提携するの?」

 

「ん? いや、エリシェを専属契約を交わそうと……なんだ?」

 

 ミアは眼を見開き驚愕していた。彼女の驚愕は恐らく三年後に元の世界に帰ることを知っているからこそだろう。

 

「エリシェと専属契約……私と相棒になることは拒むのにぃ」

 

 --そっちかよ!

 

 ミアを観察すれば、エリシェに対する嫉妬の念などは無い。むしろ友人として鍛治職人の彼女を応援している様子さえ窺えるが、ただ有るのはスヴェンに対する不満のみ。

 

「専属契約と相棒とじゃあ訳が違う」

 

「……でも今回の作戦で連携できたと想うけど」

 

 確かにミアの用意した保険が魔王アルディア救出に繋がった。それこそ相棒として申し分ない働きをしたのも事実だ。

 それでもミアに、彼女の綺麗な手と小さな肩に殺しの重みを共有させるなどできない。

 仮に相棒という関係になったとして、自身は三年後にはデウス・ウェポンに帰還する。殺しを共有し手を汚したミアを置いて--それは相棒としてあまりにも不義理だ。

 

「違うな。エリシェと契約を結ぶことにも随分と悩んだが、俺は三年後には帰るんだ。契約に関して言えば時期を定めれば済むが相棒は違うだろ?」

 

 そこまで語るとミアは察した様子で顔を伏せ、

 

「ごめん」

 

 たった一言だけ、消えてしまいそうな声で呟いた。

 彼女と相棒の関係になることは無理だ。だが、三年の期間限定ならこの提案もできる。

 

「アンタとは相棒ってよりもビジネスパートナーの方がしっくり来るな」

 

「ビジネスパートナー? それって相棒とどう違うのよ」

 

「かなり違うだろ。俺は公的手続きを通してアンタに治療を要請する。アンタが要請を拒むのも自由だ」

 

「……あっ、傭兵稼業をはじめるということは、スヴェンさんはモンスターや野盗と戦うだもんね。それに邪神教団との戦闘も考えればいつ傷を負ってもおかしくない。うん、それなら私に要請して、その時は治療するから」

 

「まあ、そこは俺に限らず負傷した護衛対象もだな」

 

「任せてよ! 私なら一息で何人も同時に治療できるから!」

 

 やはり彼女に治療を要請する際はそれ相応の金を用意しておくべきだ。

 今回の依頼で得た報酬は三年も遊んで暮らせる程の金額だが、エリシェとの専属契約やマイホームの購入を踏まえればやはり金は幾ら有っても良い。

 何よりも残りの期間を異世界で暮らすなら、食事は贅沢までとは言わないが美味いものを食べたい。

 

「あ、スヴェンさん。依頼達成おめでとう、それとお疲れさま」

 

「あぁ、アンタもな。そうだな、依頼も達成したんだ、あとでアシュナを誘って飯でも食いに行くか」

 

 依頼達成の労いを込めて提案すると、ミアは嬉しそうに笑い承諾し--夕暮れに染まるエルリア城下町で食事を摂ることに。

 城下町の食堂、食事の傍らスヴェンは今後に付いて少しばかり思案した。

 今後の邪神教団の動向や南部の国境線に進軍したミルディル森林国の情勢。後者に関しては邪神教団が拘っているため、人質を失った彼らが討伐されるのも時間の問題だろう。

 それでもスヴェンはパスタにフォークを絡めながらある種の予感を感じていた。ことはそう上手く行かず、時に予想外の事態に発展するだろうと。

 たが、今は依頼を達成したばかり。レーナやミアに依頼されるまでの間は、自身の足場を固める時だ。

 

 その後、日改めたスヴェンはレーナの自室で事の詳細、邪神教団の件を含めた情報を共有し--死亡偽装や他異界人の処遇に付いて聴くのだった。



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異章二
覇王


 スヴェンがテルカ・アトラスに召喚されてから半年後のこと。

 デウス・ウェポンでは覇王エルデ率いる覇王軍が企業連合のバベルタワーまで進軍、両軍大小様々な傭兵団を雇い激しい市街戦を繰り広げ--企業連合の統括者がエルデに討ち取られたことで企業連合は事実上の崩壊を迎えた。

 覇王エルデが次に討つべき敵は国連だ。だが、最大の障害だった企業連合が壊滅したいま国連は自国の戦力で覇王軍を迎撃しなければならない。

 覇王の対処を企業連合と傭兵に任せてきたツケが国連に牙を突き立てる目前まで迫りつつあった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エルデが拠点とするトルギスシティの行政府トルギスタワー最下層--牢獄エリアで二人の人物が歩き出す。

 靴底がメテオニス合金の床を叩き、カツン、カツンっと二人分の足音が響き渡り、音に反応した首輪を嵌められた囚人が敵意剥き出しで威勢よく牢を叩く。

 

「覇王と裏切り者! ここは小綺麗なお嬢ちゃん達が来る場所じゃないぜ!」

 

「ここから出せ! いますぐその綺麗な顔を八つ裂きにしてやるっ!」

 

 勇ましく吠える傭兵の敗残兵達にエルデは眼も向けず、通路を歩き出す。

 

「無視してんじゃねえよ! ペチャパイが!」

 

 エルデは一度足め、囚人に振り返る。

 この先で大事な話が有る。そんな時に彼らに騒がれでもすれば会話にならない。

 そう判断したエルデは金色の瞳に殺意を込め、

 

「少し静かにしてて」

 

 殺意を解放すると騒ぎ立てていた囚人達が泡を吹きながら硬い床に倒れ込んだ。

 

「いやぁ、あなたと組んで正解でしたね」

 

「本当にそう思ってるの? 貴女はスヴェンさえ手中に収めれば良いとは言っていたけど……どうして消えた彼に執着するのかしら」

 

 長い茶髪にスーツを着こなした容姿端麗のリサラは愚問だと言わんばかりに眼を細めた。

 

「彼を個人的に愛してるからですよ。もちろん、彼の困り果てた表情が見たいという動機もありますが……」

 

 はっきり言ってこの女は嫌いだ。スヴェンに対する想いは狂愛、歪み、狂気が入り混じった複雑な感情を向けている。

 彼が困る姿を見たい。その動機だけで傭兵派遣会社を掌握し、ビジネスパートナーの企業連合を裏切った。

 企業連合が壊滅したいま、スヴェンに発行された覇王殺害という依頼は消滅し、数年の内にデウス・ウェポンから大きな戦乱が無くなる。

 戦場でしか生を実感できない彼にとってデウス・ウェポンは地獄になろうとしているが、戦争を失くすためには仕方ない。

 

 --このリサラという女は性悪だ。過去に依頼を偽装することでスヴェンと懇意にしていたとある女傭兵を彼の手で殺害するに誘導していた。

 

 それでいて自身はスヴェンと深い関係だと公言する辺り、どうしようも無いのだろう。

 ただ、秘書としてもビジネスパートナーとしても彼女の事務処理能力はズバ抜けて高く、スヴェンに対する感情にさえ眼を瞑れば有能な人材だ。

 

「貴女の狂愛に興味は無いわ。それにスヴェンが生きてるとも限らないもの」

 

「いえ、彼は生きてますよ。生きていなければ困る、ですから生きてるんです」

 

 何の確証も無い願望にエルデは興味なさげに無愛想に片手を振った。

 

 --でも、願望と捨て切れないのよね。デウス神から聞いたけどスヴェンはまだ生きてる。

 

 ただ彼が生きてるとリサラに告げれば、如何なる手段を使って探し出してしまいそうだ。

 まだ国連と高ランクの傭兵団が残ってる状況でスヴェンに戻って来られては拙い。

 一対一なら負ける自信は無いが、勝ち切れるかと問われればそれも難しい。

 彼はタフさと戦闘時の成長速度が異常だ。特にまだ二十代という年齢で既に高ランクの傭兵団長が扱う技術を体得している。

 本来百年も戦場で戦い続けて漸く修得できる殺意纏い、高速移動や気配読みから気配断ちを使えるのだ。

 それらの技術に加え、スヴェンは平気で三日以上も戦場で戦闘を継続できる--だから自分は10万の傭兵を相手にしたとは言え、最後の最後で彼に押し負けたのよね。

 

 ー-10日は戦えるぐらいには体力にも自信が有ったんだけどなぁ。

 

 エルデは思考がそれつつ有ることに息を吐き、気を取り直して目的の場所まで歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 牢獄エリアの地下五階、その最奥の牢に幽閉された金髪に灰混じりの少女と黒髪の優男がリサラの顔を見るや嫌そうに顔を歪めた。

 先日の企業連合のバベルタワー侵攻作戦で立ち塞がった傭兵の二人。

 

「なんの用なのよ、せっかく性悪女狐の嫌な顔をしばらく見なくて済むと思ってたのに……はぁ〜最悪、目の前に居るわぁ」

 

 悪態を吐く少女--シャルナにリサラは笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、貴女の嫌がる顔を見るだけでレーションを二つは食べるわね」

 

「普段デスワークに追われてるあんたならデブ真っしぐらね。そうなったら流石に兄貴も関わりを断つんじゃないかしら?」

 

 彼女の言う兄貴とは誰だろうか? リサラと関わりの有る兄貴にエルデが思考を向けると、

 

「はぁ〜2人とも牢屋越しで歪み合わないでよ。というか今の言葉をアニキが聴いたら『黙れクソガキ共』って切り捨てるだけじゃん……最悪銃口を向けられるかもよ」

 

 優男のジンが笑みを浮かべたままそんなことを言い出した。

 

「あたしとあんたは兎も角、性悪女狐は心底嫌われてるからねぇ」

 

「何を言ってるのかしら? 私はスヴェンに一度も嫌われてないわよ」

 

 スヴェンに狂愛を向けるリサラ、最高ランクの傭兵団団長を父に持ち、戦場に戦火と破壊を齎す爆弾魔のシャルナ。

 そしてシャルナの相棒であり恋仲、二人と比較すると至って普通のジンの共通の知り合いがスヴェンだった事実にエルデは眩暈を覚えた。

 

「嫌われてないって思うあんたの頭って心底幸せよね」

 

「ふっ、何度も肉体関係を結んでるのだから当然でしょ」

 

 シャルナの正論という名の言葉のナイフは、どうやら狂人のリサラには何の嫌味にもならないようだ。

 そもそも戦場で出会ったスヴェンしか知らないが、彼には硬派な印象が有る。

 彼自身が進んでリサラと肉体関係を結ぶとは考え難い。

 

「実際は如何なのかしら?」

 

 なんとなくこの中でまともそうなジンに訊ねてみると、彼は苦笑を浮かべた。

 

「あ〜幾らアニキでも依頼を斡旋して貰えないと生活できないからさ、嫌々だよ」

 

 なるほど、スヴェンとリサラがなぜ肉体関係を結んだのか得心した。

 リサラは依頼の斡旋を盾にスヴェンに肉体関係を結ぶように強要したのだ。

 傭兵以外に生き方を知らないからこそ、スヴェンはリサラの強要に従う以外に選択肢が無かった。

 そう理解したエルデはスヴェンに憐れみを感じながら本題を切り出す。

 

「リサラ、話しが進まないから貴女はしばらく黙っててね」

 

「酷いわね。でもまぁ、承諾したわ」

 

 リサラは一歩下がり、背を向けた。これで落ち着いて交渉ができるかと言えば難しいところだが、こちらは戦力を調える必要が有る。

 

「覇王自ら一体なんの用? 女狐と手を組んだとは知ってたけど、悪いことは言わないわ……今すぐあの女を殺しなさい、でないと後悔するわよ。ソイツは兄貴の相棒(リノン)を殺すように仕向けた最悪な女狐なんだから」

 

「今は破綻者でも優秀な人材が必要なのよ。それに私が此処に来たのは貴女達を覇王軍に迎入れるためによ」

 

「あたしとジンが覇王軍に? それこそ何の冗談よ、あんたと契約したら最後、あたし達は拠り所(生きる場所)と存在意義を喪うのよ……だから傭兵はあんたに抵抗してるんじゃない」

 

 平和を望むのは戦火に晒され、故郷を焼き出された市民達だ。

 逆に平和を望まない者は傭兵や国連、戦争経済や戦場で生活する者達が殆ど。

 特に国連直轄のシティで暮らす市民は情報統制によって戦争を知らず、どのようにして経済が成り立っているのか知らないまま生活を送っている。

 国連と企業連盟の道楽に幼子が銃器を手に戦場を駆け回り、戦争によって得る利益で経済が回されるとも知らずに。

 

「戦場が無くても人は生きて行けるわ……それに戦争が無くなれば遺伝子研究に資金を割かれるわよ」

 

「遺伝子研究? それ、散々研究し尽くされたじゃない。国家を解体してまでやること?」

 

「失った動植物のミームがデウス神に保存されてるとしても?」

 

「……それが本当ならデウス神がミームを解放しないのはなぜかしら」

 

「ミームを人類に任せた結果、国連の戦争ゲームでミーム貯蔵庫が吹き飛んだのは知ってるわよね」

 

「そりゃあアーカイブにも人類の凄惨な所業として記録されてるからね……ていうか、それはもう何万年も前の話でしょ」

 

 確かに動植物のミームが吹き飛んだのは何万年も昔の話だ。

 だが、戦争が在る限り人類は同じことを繰り返す。デウス神はそう確信しミームの解放を封じた。

 ミームの解放による動植物の復活、自身が国家解体戦争を仕掛けた理由の一つでも有るが、生後二ヶ月で銃器を手に兵士として戦場に出る世の中など間違っている。

 戦争の無い世界が自身の最大の理想であり宿願だが、それでは傭兵は納得しない。

 

「変わらないレーションの味に飽きない?」

 

「……贅沢なことだけど、ぶっちゃけ飽きたわよ」

 

「時間はかかるけどミームが開放されれば食事の種類が増えるわ」

 

「少しは興味は出るけど、それでもあたし達は他に生き方を知らないのよ」

 

「国連解体後、しばらくは荒れるでしょうね。でも警察機構では暴動を止め切れない、かと言ってモンスターに備えた都市防衛部隊以外の軍隊は解体する」

 

「傭兵は不要な世の中ね。それともあたし達に防衛部隊に入隊しろとでも?」

 

「モンスターと戦うのが怖いなら無理強いはしないわ」

 

「別に怖くは無いわ……あ、でも戦争が無い世界ってどんな風に見えるのかしら? 退屈な灰色? それとも新しい娯楽に満ち溢れた世界? 兄貴みたいなモンスターが生まれない世界なの?」

 

「戦争が無くなければ、スヴェンや幼児が戦場を駆け回る時代も終わりよ」

 

 彼女にも想うところが有ったのか、

 

「……そう、それならつまらないと判断したらあんたの望んだ世界を爆破してあげるわ」

 

 挑発的な笑みを浮かべながら鉄格子から右手を伸ばした。

 エルデはその右手を掴みながら、

 

「その時は阻止させてもらうわよ」

  

 挑発的な笑みで返した。

 これでシャルナとジンが覇王軍に加わったが、まだまだ戦力としては不足だ。

 エルデはバベルタワーで対峙、問答した統括者との会話を胸に次の策謀に移った。



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間章五
目覚めの魔王


 魔王救出から三日後--七月二十七日の午後、夏の日差しが医務室の窓に差し込み、ベッドで眠るアルディアにレーナは息を吐く。

 スヴェンとミアは解放直後にアルディアの譫言を聴いたと言っていたが、どんな内容だったのか問えば二人は顔を晒すばかりで答えてはくれなかった。

 三年も凍結封印されていたアルディアの譫言が気にならない訳では無いが、友がこうして生きた状態で解放されたことを何よりも喜ぶべきだ。

 それに巨城都市エルデオンに潜伏した邪神教団討伐の合間に魔族達が転移魔法で見舞いに来るほど彼女は、彼等に慕われている。

 ただ、その中にアウリオンの姿は無かった。アルディアの想い人の彼は指揮官として離れる訳にもいかず、部下に伝言を託していた。

 

「みんな貴女の目覚めを待ってるわ。当然アウリオンもね」

 

 彼の名を告げた瞬間、アルディアの眉が僅かに動く。

 何度か呼びかけに反応することは有ったが、もしや彼の声か伝言を伝えたら目覚めるのでは?

 いや、三年の凍結封印だ。そう単純ではないだろう。

 それでもレーナは興味本位から試しにアウリオンの伝言をアルディアの耳元で囁いた。

 

「貴女のためにアウリオンから伝言を預かってるわよ。『魔王様、解放された貴女様をすぐに迎えに行けず申し訳ございません。ですが安全を確保した後、このアウリオン、必ず貴女様の下へ参ります』」

 

 伝言を告げ終えるとアルディアの眉が動き、

 

「う、あ、アーくん……?」

 

 彼の名を呼びながらアルディアの眼が開く。

 アルディアの瞳と眼が合う。同時に彼女の最愛のアウリオンではないことに罪悪感を抱いたレーナは僅かに視線を逸らす。

 

「……あ、れ? レーちゃん? こ、こは?」

 

「おはようアルディア。ここはエルリア城の医務室よ」

 

 アルディアは身体を起こし、ぼんやりとした表情で記憶を探るように呟く。

 

「確か、エルロイ司祭が現れて……過激派に封印の鍵の場所を知られる前に凍結封印されて。……何だか、長い夢を見ていた気分ね」

 

「そのやり取りに付いて詳しく聞きたいところだけど、先ず落ち着いて聴いて……貴女が凍結封印されてから3年が経過してるわ」

 

 三年の時が流れたと聞かされたアルディアはこちらの身体を見詰めては、自身の身体に視線を落とす。

 

「……道理でレーちゃんが少し変わった様に見えるわけかぁ。それにレーちゃんの魔力が感じられないけど、無茶させちゃたんだね」

 

「無茶なんかしてないわ。それに魔力は一時的に失ってるけど、その代わり興味深い人と出会えたもの」

 

「興味深い人? 私にとってのアーくん?」

 

 彼女にとってのアウリオンは好意を寄せる想い人だが、自身にとってのスヴェンは違う。

 頼りになる大人。唯一弱味を見せて良いとさえ思える相手。だが、恋愛感情で語るなら判らないのだ。

 スヴェンに対しては明確な興味が有る。彼の過去とデウス・ウェポンに付いて知りたいという思いも有るが、

 

「うーん、そうねぇ〜私にとってスヴェンは召喚した異界人の一人だけど、現状頼りになる大人って感じかしら?」

 

 レーナははぐらかすように答えた。

 1800年5月20日にスヴェンを元の還す。それを踏まえた上でスヴェンに好意が有るかと問われれば有ると言える。

 だが、それは気心知れた相手に対する友愛に近い感情だ。しかし、アルディアを救出し帰還したスヴェンが英雄のように見え、胸が熱く鼓動したのも事実。

 

 --多分、アルディア救出の感動も大きく作用されてるのよね。

 

 スヴェンに付いて考え込むと、

 

「本当? そのスヴェンって人のことを考えてるレーちゃんが楽しそうで複雑そうに見えたけど」

 

 如何やら思考が顔に出ていたのか、アルディアは今の自身が複雑な表情をしていると語った。

 

「そうなの? 顔って意外と出るものね」

 

「そうだよレーちゃん、乙女心は複雑で難解なんだから。ほら、かのラピス王も乙女心は紐解けなかったって言うでしょ?」

 

「え、えぇ。確かにそうだけど、人の感情を紐解ける魔法が開発されたら生き辛くなりそうね」

 

「それで……えっと、話を戻すけど。私を凍結封印から解放してくれた人って誰なの? というか如何して異界人を召喚することに??」

 

 そうだった。異界人の召喚によって魔王救出を計画したのは彼女が凍結封印され、邪神教団の声明が有った直後のことだった。

 だからアルディアが異界人に付いて知らないのも無理は無い。

 

「先ず邪神教団は貴女を人質に各国に封印の鍵を要求、同時に各国の戦力を差し向けないことを要求してきたわ。だから私はアトラス神のお告げもあって、異世界から異界人を召喚する方法を取ったの」

 

「そんなことが……じゃあ私を解放するために、そのスヴェンって人が筆頭に異界人の部隊を指揮したってこと?」

 

「違うわ。異界人は少し厄介な一面も有って、裏切りを働く者やこの世界で自由に生きることを望んだ者、元の世界に還ることを望んだ者も多数居たわ」

 

「それで……色々と有って3年が経った頃にスヴェンを召喚して、彼は同行者と特殊作戦部隊、3人で貴女を解放したのよ」

 

「3人で……これは魔王としてスヴェン達に改めて謝礼しないといけないね」

 

 スヴェンが素直に魔王から謝礼を受け取るのか? レーナは自身の知るスヴェンなら依頼を請けた結果だと語り、謝礼を拒みそうだ。

 なんとなくそんな想像からレーナは笑みを零し、不思議そうに小首を傾げるアルディアに、

 

「後で彼にそれとなく伝えておくけど、多分断ると思うのよね」

 

 そう語ると彼女は意外そうに眼を細めた。

 

「王族を一人救ったのに欲が無いのかな」

 

「うーん、彼にとって魔王救出は仕事の範疇なのよ。そこに英雄的名誉や名声も要らない。ただ彼に必要なのは請負った依頼を果たしたこと、だから報酬以上のものは受け取らないのよ」

 

 それがスヴェンの傭兵としての考えだ。彼が改めて自室を訪ねて来た際にもそれとなく訊ねてみたが、やはり返って来た返答が『報酬以上は不要だ』だった。

 

「偉く真面目なのね……じゃあ謝礼は諦めるけど、お礼だけは直接言わせて」

 

「えぇ、後で伝えておくわ。あっ、大事な話を忘れていたわね」

 

 話題を切り替えるとアルディアは神妙な表情を浮かべた。

 

「大事な話? アーくんやリーちゃんが私の側に居ないことと関係が有るの?」

 

 如何やらアルディアもそれとなく察しが付いてるようだ。それなら話は早いとレーナは巨城都市に起きていることを話した。

 

「……そう、邪神教団の過激派が下層を占拠して抵抗してるんだ」

 

「えぇ、フィルシス騎士団長率いるエルリア魔法騎士団も下層に到着したと報告を受けてるわ。だからそう長いこと時間は掛からないわ」

 

「……問題は邪神教団にヴェルハイム魔聖国を売った一部の執政官を捕縛することね」

 

 それまでアルディアの護りは、アウリオンと執政官達の判断でエルリア魔法大国が受け持つこととなった。

 だが、アルディアも民が大好きな王だ。そんな彼女が自分だけ安全な場所に居るなどきっと苦痛だろう。

 

「安全が確保されるまでの間はヴェルハイム魔聖国の公務もエルリア城でやって貰うことになるけど、早く自国に帰りたいわよね」

 

「……すぐに私の民に無事な顔を見せて安心させたいわ。でも、また何か有れば民を余計不安にさせる」

 

 ヴェルハイム魔聖国ではアルディアが無事に救出され、エルリア魔法大国に居ることは公表されているが、それで国民が納得できるかと言えば難しい。

 魔族も彼女の無事な姿を一刻も早く観たいはずだ。そこまで思考したレーナは先日、クルシュナが所長が残した設計図を元に開発した魔道具ならそれも可能かもしれない。

 

「声と姿だけなら空間投影具で届けることができるかもしれないわね」

 

「空間投影具……ルーピン所長は凄そうな発明ばかり思い付くね」

 

 確かに彼が着想、構想した設計図と魔法理論を基に開発されているが、肝心の本人は今はこの時間軸に居ない。

 時折り魔道具--繋がりの紙片で過去からメッセージを届けているが、未だ刻獄を解く方法は不明のまま。

 レーナは現在不在のルーピン所長を思い浮かべながら話しを続ける。

 

「まあ、空間投影具で魔族に伝えるのも邪神教団の制圧後かしらね」

 

「そうだね。その頃になるとアーくんも守護兵長として側に居てくれるよね」

 

「えぇ、きっとそうよ」

 

 ほんのりと顔を赤らめるアルディアの姿にレーナは本心から祝福の言葉を浮かべ、同時にシャルルとリーシャの件が頭の中に浮かぶ。

 ミルディル森林国内の何処かに連れ攫われたリーシャは、エルリアの特殊作戦部隊とミルディル森林国のオーデン調査団が動く手筈になっている。

 しかし、リーシャの救出には部隊編成やミルディル森林国の状況で一ヶ月も時間を要する。

 そして邪神教団の注意を向ける必要が有り、その方法もなんとも頭の痛い方法だ。

 

「レーちゃん、今は私も側に居るから不安なことは何でも相談して」

 

 友人の温かい言葉にレーナは、小さな笑みを浮かべ静かに彼女を抱き寄せた。

 

「ありがとう、その時は貴女にも相談させてもらうわ」

 

「えへへ、レーちゃんは温かいなぁ」

 

 それからレーナはアルディアに三年間のことを詳しく話した。そして王族として共有するすべき各国の情勢や邪神教団の被害--封印の鍵を護るという使命の重要性に付いて改めて。

 その話を終える頃には既に空が夕暮れに染り、

 

「封印の鍵、ね。初代魔王が託された封印の鍵はいま何処を移動してるのか判らないんだよね」

 

 さらっととんでもない事を口した。

 

「それって封印の鍵を何処に封じたのか忘れてしまったとか?」

 

「ううん、元々巨城都市エルデオンは巨大な浮遊石が浮上した跡地に建造されたのよ。浮遊群は風に流れて一定周期で戻って来る……その性質に眼を付けた初代魔王がその浮遊群に封印の鍵を安置したの」

 

 浮遊群が浮上した大地の上空にかならず一定周期で戻るとは言うが、世界は広大だ。

 巨城都市エルデオンに浮遊群が通過する周期は、五、六年に一度だけ。

 

「……じゃあ貴女が凍結封印された意味は一体?」

 

「私の記憶の中には歴代魔王から受け継がれた記録も刻まれてるわ。その中には管理から外れた封印の鍵の所在もね」

 

「……そうだったわね。魔王は代々記憶に記録を脈々と受け継がせることで王位を継承していたわね」

 

「そっ、だから外部からあらゆる魔法干渉を防ぐ凍結封印が選ばれたんだと思う」

 

 だからエルロイはアルディアを凍結封印することで動き出した邪神教団に封印の鍵を渡らせないために行動した。

 結果的に見れば彼女から三年の時を奪うことで過激派の行動を妨害したが、それでもエルロイを信じるには情報が足りない。

 それにアルセム商会の処遇に付いても議論する必要が有る。レーナは今月中に片付けるべき案件に息を吐き、

 

「長居したわね。そろそろ私も執務室に戻るから、必要な時は控えているメイドに伝えてちょうだい。あっと、今は異界人と接触を避けた方が良いわ」

 

 伝えるべき事を伝えてからレーナは医務室を後にした。

 そして目覚めたアルディアが宿泊する部屋の手配を使用人に命じ、執務室で早急に片付けるべき書類仕事を開始するのだった。

 特に魔王救出を終えた今、異界人を一箇所に集めて生活して貰う必要が有る。既にその準備も整え、エルリア城下町の北区画に異界人専用の居住区を設けた。あとは国内に散らばる異界人を招集するばかりだ。

 それでも自由に生活できるスヴェンに対して要らぬちょっかいを掛ける者も出て来るだろう。

 それとは別にレーナには一つだけ波乱の予感が有った。フィルシス騎士団長の帰還が波乱を呼ぶと。

 



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第十七章 変わる生活
17-1.家を求めて


 スヴェンはエルリア城の自室、ベッドの上で考え事に耽っていた。

 邪神が永い封印の果て魂に異常を来し本来望まない封印解放を望むようになり、現在の邪神教団の精神が狂気に汚染され復活を熱望するようになった。

 そして狂気の汚染を逃れたエルロイを始めとした信徒が中心に本来の邪神の願いを叶えるために穏健派の組織を開始--そこまでは良い。問題は過程は如何あれ、エルロイの目論見通りに巨城都市エルデオンに集結した過激派の討伐、封印の鍵入手の阻止まで彼の掌の上だったことだ。

 

「……野郎の行動が無ければ異界人がこの世界に召喚される必要も無かったか」

 

 アルセム商会のヴェイグ会長が邪神教団のエルロイ司祭だった件は、レーナとオルゼア王を始めとした重鎮達に広く知れ渡った。

 会長が邪神教団の司祭に入れ替わっていた点から、商会が知らずの内に悪事に加担してる可能を考慮し、エルリア魔法騎士団はエルロイの件を伏せながらアルセム商会の調査を開始。

 調査の結果、悪事の証拠となる帳簿がヴェイグの執務室から発見されたが--邪神教団の穏健派と巨城都市エルデオンに流す物資は全てヴェイグが直接交渉、仕入れを行い売買記録に記されたサインも全て彼だけのものだった。

 エルロイがアルセム商会のヴェイグに成り変わった事実を考慮したオルゼア王は内密にアルセム商会を不問に処し、ヴェイグに関しても罰を与えないと結論を出した。

 

 --アルセム商会を潰せば国外問わず輸入、輸出に20%の損害が出るとなりゃあ下手に潰せねえわな。

 

 それだけアルセム商会は巨大な商会だ。そもそもヴェイグが会長職に就任した年から事業実績は右肩上がり続きだったと云う。

 

「切り捨てるだけならそこまでやる必要は無いか」

 

 エルロイも存外真面目な人間だったということだ。

 スヴェンはベッドから身体を起こし、魔法時計に視線を向ける。

 時刻は午前九時、エルリア城下町の不動産屋が開く頃の時間帯だ。

 スヴェンは最近購入したエルリア繊維と呼ばれる魔法の糸を使用した黒いノースリーブシャツに袖を通す。

 

 ー-物理防御面は防弾シャツに劣るが、魔法に対する防御性能に優れているか。

 

 今まで愛用していた防弾シャツはエルロイの斬撃によって補修不可能なまでに損傷、いい機会だと購入したのが黒いノースリーブシャツだった。

 着替えを終えたスヴェンは一瞬だけカレンダーに視線を移してはため息を吐く。

 

 魔王救出から既に五日--8月1日だ。このままエルリア城で世話になり続けるってのは姫さんに悪い。

 特に自身を除いた異界人の殆どが緊急招集令に従いエルリア城下町の北区に建造された異界居住区で保護の名目で生活を開始している。

 むろん中には監禁だと揶揄し要請を拒む者も居るが、魔王救出を果たした英雄を護るための安全政策だとレーナに語られた異界人は半ば納得する形で受け入れた。

 ミアは単純だと苦笑していたが魔王救出を終えた以上、自身を含めた異界人ははっきり言って用済みだ。

 

 --それでもしっかり面倒を見る辺り、姫さんらしいと言えばらしいか。

 

 それでも異界人は事件を起こし過ぎた。だから彼等は異界人が起こした事件を清算しなければならない。

 

 スヴェンは思考半分に壁に立て掛けたガンバスターを背中に、自室を後にした。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 アルディアの救出が公表されてからエルリア城下町は連日のようにちょっとした祭り騒ぎだ。

 道路は彩な魔法の柱が架けられ、魔法で模られた魔法動物と本物の小動物が魔法の柱の上で踊り歩く。

 

「……不思議な光景だな」

 

 テルカ・アトラスの魔法技術には慣れたつもりだったが、この光景は慣れそうにもない。

 見物人は喝采の拍手を奏で、魔法動物と小動物の後列にアトラス教会の聖歌隊が魔力を乗せた美声と楽器の演奏を披露し、何かを訴えかける。

 周囲を見渡せば聖歌隊の演奏に感動する者達ばかりで、なぜ感涙しているのかが理解できない。

 

 --ミアが居れば解説の一つも聞けたか?

 

 ミアは現在、巨城都市エルデオンで行われた邪神教団掃討作戦で負傷しエルリア城に転移させられた彼等の治療で多忙の日々を送っている。

 そもそも負傷した魔族兵の傷の原因は邪神教団の眼を欺くためとは言え、フィルシス騎士団長によって付けられた傷が原因らしい。

 スヴェンは出会いたく無い人物筆頭の彼女を思考から追い出し、周囲に耳を傾けつつ目的の場所まで歩き出す。

 

『北区の異界居住区の話を聞いたか?』

 

『えぇ、誰が真の英雄か揉めてるそうね』

 

『そっ。それで毎回アンドウエリカ(安藤恵梨香)って子が仲裁に入ってるらしい。そんな事で揉めるよりもレーナ姫の為になることやれってさ』

 

『その子の噂は良く耳にするわね。異界人って碌な事件しか起こさないけど、その子がボランティアで清算して回ってるとか』

 

『結構各地を移動してたみたいでさ、俺は案外その子が英雄なんじゃないかと思ってるんだ』

 

『その子にモンスターから助けられた人は意外と多いわ。その意味では彼女も英雄かもね』

 

 噂話を語る住民の言う通り、英雄は他者の評価で誕生する。

 それこそ誰かの為の個人的な英雄や大衆に触れるような活躍をした人物など様々だ。

 誰が英雄を自称しようが英雄と讃えられようが興味は無いが、自身がそう呼ばれることだけは死んでも避けたい。

 外道が英雄と呼ばれる日が来る。それは蛮行や悪行を是とするような行動だ。特に自身のような外道は英雄などと呼ばれてはならない。

 数多の殺戮で成り立つ英雄に価値は無い。

 目的の看板を前に足を止めたスヴェンはドアを開け、

 

「らっしゃい! カイナ不動産屋にようこそ!」

 

 アーカイブで閲覧した狸に酷似した風貌の男性が笑みを浮かべて出迎えた。

 スヴェンはカウンターまで進み、店主に要望を伝える。

 

「空家を買いたいんだ、物件を紹介して欲しい」

 

「物件……上着はエルリア繊維のノースリーブシャツ、しかしズボンは見た事が無い材質。もしやお客様は異界人でしょうか?」

 

 現在異界人は北区の異界居住区で生活している。そこで異界人が家の購入で訪れれば不審に感じるのも無理はない。

 確かに異界人は異界居住区で生活しなければならないが、特例も付き物だ。

 テルカ・アトラスで商売を始め、その為に必要な事務所兼住居を購入するならば査定結果によって許可証が発行される。

 

「あぁ、俺は異界人だが商売を始めようと思ってな」

 

 オルゼア王のサイン付きの書類と許可証を提出し、

 

「失礼……なるほど、サインの筆記と魔力もオルゼア王の物ですね」

 

 書類と許可証に偽造が無いか確かめた店主は笑みを浮かべながらファイルを棚から引っ張り出した。

 

「こちらに我が不動産屋が取り扱っている物件が記載されていますが、何かご要望は有りますかね? 予算によって紹介できる物件も変わってきますが?」

 

「そうだな、予算は銀貨800枚と金貨100枚と言ったところか。要望の方は特に譲れないってもんが有る訳でじゃねえんだ」

 

 元々三年後には帰還する身だ。その辺を踏まえた上で家選びは慎重に進めなければならない。

 だが元々住処に頓着が無ければ、それこそ必要最低限の寝床と雨風が凌げる自宅でさえ構わない。

 

「ふむ。節約したいとお考えなら中古物件をご紹介しましょう」

 

 店主は一度取り出したファイルを棚に仕舞い、隣の棚から中古物件と記されたファイルを取り出し、ページを開いて見せた。

 書類に記載された坪面積と外観特徴、内装に眼を滑らせ最後に住所に視線を移す。

 それを数ページに渡り繰り返すが、眼を通した書類に記載された住所はどこもエルリア中央部を離れ、北部の町や村ばかり。

 顔色を窺う店主の視線を感じながらスヴェンはページをめくり続け、一枚の書類にめくる指が止まる。

 

「築年数新築、エルリア城下町職人通り?」

 

 新築だが中古物件で扱われ、住所も此処から近い場所だ。

 それにエリシェと専属契約を結ぶ際の利点も得られる。

 問題はなぜ新築物件が売り払われたのかだ。二階建ての住宅、庭にはハリラドン用の小屋も有りまともに買うとなれば値が張る物件に疑問が湧く。

 

「ああ、その物件でしたら最初に住んでいた家主が建てた家なのですが、数日生活してその後お亡くなりになりましてね」

 

「モンスターか?」

 

「えぇ、まあそんなところでしょうな。しかし何度かその物件を購入した者は居るのですが……その、全員お亡くなりになっておりまして、もしもお客様がその辺りを気にしないのでしたらお安くしますし、最低限の家具や風呂付きに加えてハリラドン用の小屋も有りますが如何なさいますか?」

 

 起きた住民の死亡が偶然にも重なり、曰く付き物件として扱われた。

 守護結界領域外を移動するだけで死が伴う世界だ。そこに住むだけで死ぬなどという噂で購入を断念するにはもったいない。

 それに掲載されている写真の外装と内装から見るに、レンガ造りに二階建て地下室付き。おまけに風呂付きときた。

 特に二階が住居スペースとして設計されたのか、リビング、キッチン、浴室、寝室が二階に集中しておりおまけに寝室用の部屋が四つほど有る。

 二階だけでも広い間取り、更に一階は事務所として扱うなら丁度いい間取りをしている。

 しかし掲載されている写真や書類から読み取れる情報は限られている。

 

「此処で構わないが、先ずは実物を見たい」

 

 そう告げれば店主はおおらかな笑みを浮かべ、鍵を手に。

 

「ご案内しましょう。おーい! ちょっとお客様を案内して来るから店番を頼んだぞ!」

 

「あいよ!」

 

 奥から聴こえた女性の声を背中にスヴェンと店主は職人通りに出発した。

 気配を断ちながら尾行する人物の気配を感じ取りながら……。



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17-2.住むべき場所

 職人通りに到着したスヴェンは不動産屋の店主の案内に従って路地を曲がり裏通りに進んだ。

 人形屋、怪しげな宝石店の奥に店主は歩み、

 

「此処がご紹介する物件ですよ」

 

 玄関の施錠を外した。

 レンガ造り二階建ての外観に平たい屋根に視線を向けたスヴェンは、店主の呼び声に視線を戻した。

 スヴェンは促されるまま玄関に近付き、尾行を続ける人物の方に気付かれないように視線を移す。

 路地の壁に身を潜める少年がそこに居た。少年はひたすら気配を断ち、こちらを観察してる様子。

 

 --アシュナ以外の特殊作戦部隊か。

 

 異界人に一定の監視が付くのはこの際仕方ないことだ。

 スヴェンは割り切り、玄関から屋内に入り込む。

 玄関から入ってすぐの所。元々は食堂でも想定していたのか暖炉付きの広い部屋にスヴェンは、

 

「ソファとテーブル付きか、それに暖炉も有るんだな」

 

「えぇ、こちらを事務所として使うことも可能でしょう」

  

 一通り室内を見渡し、右側のドアと奥に位置するドア、ソファの背後に位置する大窓に眼が行く。 

 訪れた依頼人が万が一危険に曝された場合の脱出経路は、現状大窓か二階から平たい屋根を経由した脱出が想定される。

 安全面を考慮しするなら一度地下室に匿い、襲撃者を討伐した方が速いか。

 

「次は何処をご案内致しますが……?」

 

「先に地下室を見たい」

 

「そうですか、ではこちらに」

 

 店主は事務室の右側のドアを開け、廊下に出た。

 左右に別れた廊下と左奥の階段、そして階段近くのドア。右奥にもドアが在る。

 店主は迷いなく右奥のドアへ進み、そのままドアを開けると狭い部屋--物置と言っても差し支えない狭い部屋だが、床のタイルには何度も動かした跡が残っていた。

 

「そこが地下室の入り口か」

 

「えぇ、地下室は物置として使うにも広いですし、食糧の備蓄庫としても最適ですよ。まあ食材を2階のキッチンに運ぶ手間はありますけど」」

 

 スヴェンは店主の声に相槌を打ち、彼に続いて地下室に降りる。

 広々とした石畳の地下空間を魔法によって灯った炎が照らす。

 スヴェンを出迎えたのは何も置かれていない地下室だ。

 食糧と武器弾薬の備蓄に最適な地下室だけでも購入を即決してしまいそうになる。

 だが、まだ決めるには速い。二階とキッチンを見なければ最終的な決断を下せない。

 次はキッチンを見るべきかと思案したスヴェンは、改めて地下室を見渡す。

 三年分の食糧を備蓄するにしてもこの地下室は広い。

 

「良い地下室だが、広過ぎないか?」

 

「なんせ最初の家主が魔法の薬草学の研究家でしてね。薬草の研究には広い地下室が最適ですからね」

 

「元々は研究室あるいは調合部屋だった訳か、それでこの広さ……使用用途を模索しておくか?」

 

「誰かの部屋として活用するのもありかと……お客様はお若いですからね」

 

 地下室に誰かを住まわせるつもりは今のところ無い。そもそも日の当たらない地下室では誰も住まないだろう。薄暗い環境を好む者でもなければ。

 

「地下室は物置として使うか……それで次は何処を案内してくれるんだ?」

 

「では先に2階のキッチンにしますか、魔道式コンロは異界人の技術とは勝手が違うとよく耳にしますからね」

 

 料理をする気は無いが、魔道式コンロの使い方を覚えておいても損は無さそうだ。

 特に三年の生活は仕事以外の娯楽も必要になる。この世界の唯一の娯楽は食事だ。

 食事という生き甲斐を見付けたいま、ミアに倣って自炊するのも悪くはない。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 地下室からキッチンに移動したスヴェンはキッチンに絶句を浮かべ、隣りで店主が苦笑を浮かべるばかり。

 明らかに一人暮らしするにはキッチンは豪勢で、それこそ飲食店に備え付けられている設備だ。

 なぜ一軒家でこれほどの設備が備え付けられているのか。いや、そもそも何故二階にこんな設備を備えたのか。

 

「前の家主か?」

 

「正確には二番目の家主ですね。小さな食堂を経由するためにキッチンと1階の事務室を改装したまでは良かったのですが……」

 

 完成後に二番目の家主は不幸に見舞われ、食堂として経営されることは無かった。

 スヴェンは魔道コンロに近寄り、一度も使われた形跡が無いことに眉を歪める。

 

「三番目の家主はキッチンを使わなかったのか?」

 

「……えー、三番目の家主はですね。女遊びが盛んな道楽者でして、その複数交際していた女性に刺されたとか」

 

「……女との付き合い方は節度を保ってことか」

 

「えぇ、自分も女房と結婚はしておりますがね。浮気をしようものなら爆裂魔法を唱えられそうで……」

 

「で? これは魔力を流し込めば使えんのか?」

 

「はい、コンロごとに刻まれている魔法陣に魔力を流すだけで炎が発生しますよ。強弱の切り替えは流す魔力量で調整可能です」

 

 火力の切り替えは魔力量で調節可能という点は、魔力制御の鍛錬にも活用できる。

 戦闘以外で魔力を使わない。それは常日頃から日常生活で魔力を制御している住民と比較して自身の魔力操作は未熟だ。

 スヴェンは試しに魔法陣に魔力を流し込んだ。すると魔法陣から火柱が噴き出し、天井ギリギリまで炎が届いた。

 

「……悪い」

 

「……いえ、戦闘の感覚で魔力操作を行うと過剰になりますからね」

 

「それで? 火はどうやって消すんだ?」

 

「流し込んだ魔力を下丹田に戻すのです」

 

 放出と引き戻し。今まで戦闘では魔力を流し込むことしかしなかった。

 スヴェンは試しに魔法陣の魔力を下丹田に吸い寄せるようにイメージを働かせ、魔法陣の魔力を下丹田に移す。

 先程まで火柱を出していた魔法陣から炎が消える。

 

「加減に気を付けろってことか」

 

「えぇ、次は浴室と各部屋をご案内致しますね」

 

 スヴェンは店主の案内に従って浴室、二階の各部屋を見て周り--曰く付きと呼ばれる一軒家だったが、それらしい気配も魔法の類いも感じられない。

 購入して損は無い物件にスヴェンは店主に振り返り、この物件を購入する趣旨を伝え--すぐに手続きに移ることに。

 提示された銀貨五百枚の一括払い、サービスとして提供された看板。そして自宅の引渡し日が明日に決まったスヴェンは一度レーナ達に知らせるためにエルリア城に戻るのだった。



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17-3.傭兵と王族

 スヴェンが引越し手続きの為にレーナの執務室を訪れると並んだ執務机でレーナとアルディアが書類に羽ペンを走らせていた。

 二人は何処か疲れた顔付きでこちらに視線を向け、

 

「いらっしゃいスヴェン、少し待っててね」

 

 山積みの書類の上に一枚の書類を重ねる。

 ヴェルハイム魔聖国は邪神教団が下層で粘り籠城戦を徹底し、亡者召喚によって下層は亡者に溢れていた。

 アルディアとこうして会うのは初めてだが、彼女の書類は恐らく各国との交易再開を円滑に行うための必要書類か。

 今日は引越しの件について話に来たが今は間が悪い。

 

「いや、忙しなら改める」

 

 それだけ告げドアに振り返るとアルディアが、

 

「レーちゃん、少し休憩を挟みたいなぁ」

 

 幼さを感じさせる声でそんな提案をレーナした。

 

「良い頃合いだし休憩にしましょうか」

 

 王族、それも友人同士の休憩に水を刺すような真似はしたくない。

 そう考えたスヴェンがドアに向けて一歩踏み出すとレーナに呼び止められる。

 

「待って、貴方にも付き合って貰うわよ」

 

「……了解した」

 

 大人しく振り返れば、椅子に座っていた筈のアルディアが興味深そうに顔を見上げていた。

 

 --いつの間に!? 動く気配も物音もしなかったが……。

 

 いつの間にか背後を取られていたことに内心で冷や汗を流し、動揺を悟らせない為に平静を装う。

 

「あー、俺の顔に何か付いてるのか?」

 

 じっと見詰めるアルディアは何か考え込む素振りを見せ、やがて笑みを浮かべる。

 角と蝙蝠の羽、そして蝙蝠の尻尾が無ければ一見普通の少女だが、魔王として一国を治る君主だけ有って自身の冷たい眼に怯む様子も無い。

 

「貴方はスヴェンだからスーくんね!」

 

「は?」

 

 いきなり決められた呼び方に、自身でも想像していなかった間抜けな声が出た。

 

「珍しい表情もするのね。それともアルディアの癖には流石の貴方も予測できなかったのかしら?」

 

 ほぼ初対面で性格も思想も知らない相手から呼び名を付けられる。それも魔王が自ら決めるなど誰が予測できようか?

 

「無理だろ。俺の魔王のイメージってのは娯楽小説に出て来るような恐ろしい存在だ。それがいきなり……」

 

「スーくんはレーちゃんのお気に入りだし、それにお礼も言いたかったのよ」

 

 尻尾を揺らしながら真っ直ぐとこちらを見詰めるアルディアにスヴェンは、まずそのスーくんを辞めるように進言するべきか。

 

「俺は姫さんから請けた依頼を果たしたに過ぎない。礼なら治療師のミアに言ってやってくれ……それとその呼び方は、辞めてくれ」

 

「ミーちゃんにはもうお礼を言ったよ。それと愛称は辞めないよ」

 

 背も低ければ威厳に欠ける小柄な容姿をしているが、どうやら一度決めた事は頑固として譲らない意思の持ち主のようだ。

 スヴェンは諦めたように肩を竦め、可笑しそうにくすくすと笑うレーナに視線を移す。

 

「……随分と楽しそうで」

 

「えぇ、楽しいわ。3年振りに友と語らう時間も得られたもの。それにこうして誰かと机を並べるのも憧れだったのよ」

 

 レーナはオルゼア王が邪神教団に襲撃され、記憶を失い行方不明になった幼少期から王族として国政を担い国を守ってきた。

 本来学院に通う筈だったレーナにとって友人と執務机を並べることも憧れの一つだったと言われれば納得と理解も及ぶ。

 

 

「……さながら此処は生徒会室で、俺はやらかした問題児ってところか」

 

「スヴェンくん? 此処に呼び出された理由をご存知かしら?」

 

 意外とレーナも乗りやすい性格をしている。

 そしていつの間にか自身の執務机に戻ったアルディアも楽し気にレーナに微笑んでいた。

 

「……そのまま続けるのか?」

 

「冗談よ……それでスヴェンはどんな用事で来たのかしら。私個人で依頼を出す案件はまだ無いわよ」

 

 それは裏を返せばいずれ依頼することになるかもしれない。レーナの言葉から意図を読み取ったスヴェンは話を切り出した。

 

「いや、そうじゃない。不動産屋で良い物件を見付けてな」

 

「速いわね、もう少し掛かるかと思ってたわ」

 

「偶然だがな。あ、っと急になって悪いが明日には新居に引越しを始める」

 

「本当に急……いえ、なんとなく貴方はすぐに城を出て行くと理解してたから急でも無いわね。それじゃあ後で私の方から手続きをしておくわ」

 

「手間をかけさせるな」

 

「良いのよ……それで何処に引越しするのかしら? 遠い場所だと少し困るのだけど」

 

 確かに自身はレーナに召喚されたとはいえ、異界人として見れば危険分子に成りかねない厄介な存在だ。

 極力監視の眼が届き易い範囲に置いておきたいのも判る。

 スヴェンは不安そうなレーナに静かに語りかけた。

 

「遠いと移動の手間やら宣伝に不憫そうだったからな、引越し場所はエルリア城下町職人通りの路地裏だ」

 

「近いわね!」

 

 不安そうな表情は何処へやら、目前に居るレーナは眩しい笑みを浮かべている。

 眩しいから笑みにスヴェンは彼女から眼を逸らした。

 

「……スーくんって如何してエルリア城で暮らさないの?」

 

 アルディアの質問にスヴェンは自分なりの理由を話した。

 

「城暮らしに慣れねえってのも有るが、元の世界に帰るまでの間はどうであれ生活していく必要が有る。それに商売を始めるなら城下町辺りが都合か良い」

 

 エルリア魔法大国の中心に位置する王都の城下町があらゆる意味で望ましいことも確かだったが、あの物件購入は実は運が良かったに過ぎない。

 

 --なぜか運気を使い果たした気分だ。

 

「スーくんなりに色々と考えてるんだね」

 

「スヴェンは無表情なことが多いけど、色々な事を考えてるわよ。住民を巻き込まないように立ち回ったり、同行させたミアとアシュナの手を汚さないように色々とね」

 

「わざわざ綺麗な手を汚させる必要も無いだろ。……っと、少し長居したな」

 

 スヴェンは魔法時計に視線を向け、約束の時間が迫っていることに気が付く。

 物件の購入に関する話は前もって伝え、時間に置くれる可能性に付いても伝えてあるがミアが太鼓判を押すミートパイを食べ損なうことは避けたい。

 

「そろそろお昼ね。あっ、そういえばミアとアシュナもお昼は外出すると言ってたわね」

 

「レヴィを誘えるなら誘っておいてくれと言われたが、如何する?」

 

「前もってミアにも誘われていたけれど……ごめんなさい、今日中に片付けないといけない書類が有るのよ」

 

 残念そうに書類に視線を向けるレーナにアルディアがこちらに視線を向け、

 

「よく分からないけど、お土産に期待しても良いのかな?」

 

 レーナを気遣う彼女にスヴェンは静かに頷いた。

 

「あぁ、ミアが太鼓判を押すミートパイだ。期待して損はねえさ」

 

「ミートパイ……えぇ、それじゃあお土産に期待してるわ」

 

 二人の視線を背後にスヴェンは執務室を後に、いつも通りの足取りでエルリア城から再び職人通りに足を運んだ。



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17-4.魅惑な誘い

 スヴェンが鍛冶屋スミスに到着すると店を閉じるエリシェとばったり。

 

「久しぶりだね」

 

 彼女は笑みを浮かべて店の看板を持ち上げた。

 

「そうだな、こうして会うのはフェルシオン以来になるのか」

 

「そうだよ、スヴェンはあんまり手紙を寄越してくれないもんね」

 

 旅の最中に何度かガンバスターに付いて手紙を贈ろうかと思案したが、こう言った事は直接伝えた方が良いのでは無いか。そう判断したスヴェンは一旦手紙を書くことを辞めた。

 

「直接口で伝えた方が早そうだからな、それに俺には文才なんざねえし……事務報告的な内容ってのはな」

 

「事務報告的な内容……スヴェンらしいかもね。それで! 新作ガンバスターの感想を聴かせてよ!」

 

 背中の赤黒いガンバスターに彼女が興味津々で眼を輝かせるのも制作者として道理だ。

 それにこの竜血石製のガンバスターのお陰で切り抜けられた局面も多々有る。

 一刻も早く感謝と感想を伝えたいが、中に待たせている小煩いミアと無表情で腹を空かせているアシュナを待たせる訳にもいかない。

 

「話は中でミートパイを食いながらゆっくりでも良いだろ」

 

「おっとそうだった。もうミアとアシュナも来てるけどレヴィは……」

 

「誘いはしたんだが、多忙で来られないそうだ。そこでなんだが、レヴィに手土産を用意してやりてえ」

 

「もちろん良いよ! お父さんも久し振りにミアが食べに来るって聞いて張り切って沢山作ってるからね……まぁ、あたしも作ったからさ」

 

 既に住居スペースのキッチンから芳ばしい匂いが漂い、スヴェンの食欲を刺激するには十分だった。

 昼時と空腹も合わさり腹が鳴るのも無理はないことだった。

 エリシェは笑みを浮かべ、看板を片手に歩き出す。

 

「自宅の玄関はこっちだよ」

 

 彼女に案内されるままスヴェンは鍛冶屋スミスの裏側に位置する家に向かう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 玄関からリビングに案内されたスヴェンは既に椅子に座り、雑談していたミアとアシュナと眼が合う。

 

「時間通りだね、少しは遅刻しても罰は当たらないよ?」

 

「いや、遅れる覚悟だったんだが思いの外スムーズに事が運んでな」

 

「ん、スヴェンが引越しすることはそこそこ話題になってる」

 

 特殊作戦部隊の同僚から聴いたのか、アシュナはじっとこちらに視線を向けながらそんな事を口にした。

 

「およ? スヴェン引越しするんだ。旅行から帰って来たと思ったら忙しいね」

 

「傭兵稼業を開くなら引越しは必須だからな。それに引越し場所は職人通りの路地裏、そこの空き家を買ったんだ」

 

 そういえば特に意識はしてなかったが、思い返してみれば鍛冶屋スミスと比較的近い場所に位置している。

 同じ職人通りなら近いと言えば近いが、自宅が在る路地裏は丁度鍛冶屋スミスの真横に有る路地から入った場所だ。

 そのことを思い出したスヴェンがエリシェに視線を向けると彼女は驚愕していた。

 

「曰く付きって噂の!? って家から近いじゃん!」

 

「安さや地下室付きだとか色々と決め手は有るが、アンタと専属契約を結ぶならな都合が良いだろ」

 

「あたしとしても頼まれた武具の鍛造、運搬費が節約できるのは助かるけど……近くならたまにご飯でも作りに行こっか?」

 

「そこまでして貰うつもりはねぇよ」

 

「てもスヴェンさんって長期で家を空けることも有るんだよね? そういう時ってデウス・ウェポンで如何してたの?」

 

 数日から数ヶ月の間傭兵として戦場に居ることが多く各地の拠点を空ける方が多い。 

 その時は次の戦場や目的地に近い拠点に移り、その度に清掃から始まる。

 稀に爆弾魔のシャルナと彼女の恋人兼相棒のジンが勝手に住み着いてることも有るが、デカいネズミと思えば然程気にはならない。

 

「戻ったら清掃だな」

 

「面倒じゃない? それに事務所としても使うなら依頼人が尋ねて来た時に入れ違いになるよ」

 

 拠点の清掃に関して苦に感じた事は無いが、ミアの言う事も一理ある。

 アライアンスから斡旋された依頼を端末越しから受け取ることもこの世界ではできない。

 だからこそ必然的に事務員を雇うことになる。

 

「その辺は守秘義務の強い奴を雇う予定でいたが……上手く見付かるとも限らねえか」

 

「専属契約を結ぶんだからスヴェンが不在の時は定期的に様子でも見に行く?」

 

 そこまで面倒を見て貰うつもりはなかったが、守秘義務の重要性を理解してる人物と出会える可能性はそう多くは無い。

 三年後には廃業予定の事務所だ、そこに好き好んで就職する物好きもそう居ないだろう。

 

「少し気が早いが……分かった、不在時の留守はエリシェに任せる」

 

 留守を任せるなら契約金に謝礼を上乗するべきだ。

 内心でそう決めたスヴェンは、トレイに乗せたミートパイを運ぶブラックの姿に三人の腹から空腹の音が鳴り響く。

 

「エリシェ、量が量だ。手伝ってくれ」

 

「分かった……ちゃんと焼けてるかな?」

 

 そう言ってキッチンに向かうエリシェを他所に、テーブルに焼き立てのミートパイを並ばせるブラックがこちらに視線を向ける。

 

「娘と専属契約を結ぶそうじゃないか。鍛治師としてまだまだ未熟者だがそれでもエリシェを選ぶのか?」

 

 娘の職人としての腕は信じているが、それでも親として異界人と契約や結ぶことに抵抗と不安がある。彼の眼から通じて伝わる感情にスヴェンはいつも通りの底抜けに冷たい眼を向けた。

 

「俺はこんな眼しかできねえが、アンタの娘が鍛造したコイツのお陰で何度も窮地を乗り切れた。3年の専属契約になるがエリシェの鍛治師としての腕を信用してるから頼みたいんだ」

 

「……背中のガンバスターを見せてもらっても構わないか?」

 

 スヴェンは躊躇無く鞘のガンバスターを引き抜く。

 その方が鍛治職人のブラックを納得させるには速いと理解したからだ。

 だが、鍛治職人のブラックが納得してもエリシェの父親のブラックが納得するかは別問題になる。

 ガンバスターを受け取ったブラックは興味深そうに視線を滑らせ、

 

「解析しなくても判る。純度の高い竜血石と選び抜かれた鉱石の数々、何よりも鍛治職人としての成長に繋がっていることも……お前さんにエリシェを預ければ、あの子は鍛治職人としても更に成長できるな」

 

 ブラックは笑みを浮かべてそう語った。

 

「……おっと、待たせてしまってすまない。ミートパイは次々運ばれるから食べてくれ」

 

 ガンバスターを受け取ったスヴェンは鞘に納め、湯気が立つミートパイに視線を落とす。

 こんがり焼けたパイ生地の中にぎっしりと詰め込まれた挽肉、それだけでも美味そうに見えるが肝心なのは味だ。

 ミアはエリシェがキッチンからミートパイを持って来たのを確認してから、

 

「それじゃあいただきます!」

 

 ミートパイを五等分に切り分け、挽肉の肉汁が溢れる。

 そして取り皿に分けられたミートパイをアシュナがナイフとフォークで一口サイズに切りそれを口に運ぶ。

 普段無表情のアシュナの表情が噛む度に笑みに変わり、それだけで美味いのだとスヴェンは内心で目の前のミートパイに戦慄していた。

 

「お、おいしい……! 旅行中に食べたミアの料理と大違い!」

 

「アシュナ、比較対象が悪過ぎるよ! ブラックおじさんはミートパイだけは絶品なんだから!」

 

「そうなんだよね、父さんはミートパイだけはあたし以上なのに他は全然ダメなの」

 

「そりゃあ代々家に伝わるレシピだからな」

 

 歴史の有るミートパイをフォークで口に運び、それを噛めば挽肉の肉汁と染み込んだバターが口内に一気に広がる。

 噛めば噛むほど挽肉とパイ生地の旨味と共に祝福と幸福に満たされる。

 

「う、美味すぎる!」

 

「す、スヴェンさんが笑顔! エリシェ、レシピと作り方を教えて!」

 

「……ミアがまともな物を作れるようになったらね、話はそれからだよ」

 

「ぐぬぬ、多少はまともになりつつ有るけどまだまだ経験が足りないかぁ」

 

「……幸せから一転、地獄は見たくないぁ」

 

 アシュナの感想はともかく、旅の道中で様々な料理を食べたがまだ美味い物が有った。

 自身の知らない料理が多いのだと改めて実感したスヴェンは、

 

「……デウス・ウェポンに帰った後が恐えなぁ」

 

 ミートパイを呑み込んで三年後に杞憂の表情を浮かべた。

 

「ええっと、よく分からないけどさ。美味しいご飯が食べたいならあたしが定期的に作りに行く?」

 

 それはまさに誘惑的な誘いに思えた。テーブルに並べられたミートパイと噛み締めた味、そしてエリシェの言葉にスヴェンの理性が僅かに揺れ動く。

 それでもスヴェンはミートパイを齧り付き、静かに咀嚼して呑み込んでからエリシェに告げる。

 

「さっきも言ったが、そこまでして貰うつもりはねえよ。それに自炊も始めようと思ってな」

 

 せっかく食材が買える環境に有り、魔力操作の熟練度を上げるためにも自炊は必要と言えた。

 

「ありゃそれは残念……あれ?」

 

「どうかしたか?」

 

「うーん、上着がいつもと違うから気付かなかったけどクロミスリル製のナイフはどうしたのかなって」

 

 言われて思い出した。エルロイや信徒との戦闘時に投擲したナイフの回収を忘れていたことに。

 ナイフは消耗品の一つとして割り切れるが、果たしてエリシェはどう思うか。

 鍛治師として武器に強い興味と関心を抱く彼女がクロミスリル製のナイフを無くしたことに。

 

「……悪い、戦闘のどさくさで失った」

 

「ありゃりゃ、それも仕方ないね。なんなら何本か造るけど、早速あたしに依頼する?」

 

 仕事の話になるなら先ずは食事を終えてからでも良いだろう。

 そもそもこの幸福の時間に他の余計な雑事を頭に入れたくはない。

 

「詳しい話は食事を終え、契約を結んだあとにな」

 

「今日のエリシェは気が速いわね。それともスヴェンさんだから?」

 

「始めての専属契約に浮かれてるのかも」

 

 スヴェンはミアとエリシェの会話を耳に、エリシェと共にミートパイに食べ続ける。

 そして充分に腹が幸福に満たされた頃、改めてスヴェンはエリシェと専属契約を結ぶことに。



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17-5.契約

 夕暮れ、ミアとアシュナがエルリア城に帰ったあとスヴェンとエリシェはブラックを交え互いに用意した書類に眼を通していた。

 スヴェンがエリシェと専属契約を結ぶに当たって必要なのは、先ず前提条件となる毎月の基本報酬とこちらが出した製作依頼にかかる費用の全額負担だ。

 エリシェに支払う契約金は一月で金貨五枚と銀貨八百枚と銅貨四百枚になる。それがスヴェンが提示した契約金。

 それに対してエリシェは、

 

「高過ぎない? それに費用の全額負担に3年の期限付き契約……もう少し契約料金を安くして良いんじゃないかな」

 

 契約金に対して難色を示した。

 こちらが提示した契約金額はエリシェの技量を買ってのこと。それは傭兵としても譲れない所だ。

 

「いいや、アンタの腕ならそれだけの対価を払う価値が有る。それに俺はアンタが腕を振える鍛治工房を用意できない」

 

「その件ならこれまで通りに鍛治工房を自由に使用しても構わないが……」

 

「スミスの不利益になることはするなでしょ? 分かってるよ父さん、スミスの鍛治工房を使うということはスミスの刻印を入れる必要が有るからね」

 

「それに武具100単位を注文することもねえからな、こっちに優先的に都合してくれんならアンタはこれまで通りで良い」

 

 専属契約と言うがエリシェが注文に対して都合を付け易くするための方便だ。

 それに現状この世界でガンバスターを鍛造、整備や改良は彼女にしかできないことだ。整備ぐらいなら自身でも可能だが、専門職人と比べて完璧とはいかない。

 だからこそエリシェとの契約が必要不可欠だ。

 

「これまでと変わらない環境、あたしとしても有難いけどさ……スヴェンが損してない?」

 

 エリシェに不安な表情で訊ねられたが、契約を結ぶ関係で互いに損をすることなど有ってはならない。

 互いに何らかの形で利益を得られる契約が望ましいが、今回の契約もスヴェンが損をすることは皆無だ。

 

「損ではないな。俺の都合で腕利の鍛治職人を拘束できるんだ、そのための対価は必要だろ」

 

「うーん、確かにスヴェンのガンバスターとか銃火器の製造となると設計から始めないとだからね」

 

「そこに必要な素材。銃器の製造に必要な細かなパーツ……いや、銃器を依頼する気は無えよ」

 

「そうなの? スヴェンが他の銃も携行してたなら必要になると思ってたんだけど」

 

 戦場はガンバスターだけで切り抜けるほど甘くない。故に戦局に応じた銃火器の携行が必要だ。

 銃火器の製造を依頼する気は無いが、ガンバスターの銃身に装着可能なパーツはいずれ必要になる。

 

「確かに傾向していたが、銃種ごとに銃弾の製造も必要になる。使われてるプロージョン鉱石の加工と運用を考慮すれば危険性が高いだろ」

 

「確かにプロージョン鉱石は粉末加工するにも専用の魔道具が無いと無理だよ。それ以外でやろうとすると大爆発を招くことになるからね」

 

「それに万が一銃器が異界人の手に渡れば何処かで量産され世界の軍事バランスが崩壊しちまう恐れも有る。だから銃器の製造は依頼しないが、ガンバスターの銃口に装着可能なロングバレルの製造は頼むつもりだ」

 

「それってどんな物なの?」

 

「実物は無いが、銃弾の距離を伸ばすためのもんだな。.600LRマグナム弾の有効射程は800メートル有るが、ロングバレルで飛距離が1000メートルになる」

 

 あとは.600LRマグナム弾のプロージョン粉末量を増やせば飛距離も伸びるが、やはりそこは狙撃銃用の銃弾をクルシュナに開発して貰う方が早いか。

 スヴェンが会話の合間に思考を挟みながら話を契約に戻した。

 

「話が逸れたな、契約内容については他に何か問題は無いか?」

 

「最初は契約金額が高いと思ったけど、スヴェンが色々と考えての内容なんだね。それならあたしはこの契約内容で問題無いけど、スヴェンもその内容で良いの?」

 

「ん? ああ、鍛治職人を裏切らないって内容か。アンタやブラックが描いた設計図や鍛造技術を他者に売るような不義理はしないと契約する」

 

 裏切りとは一口に言っても様々有る。さっき例に挙げた内容以外にもエリシェとの契約を一方的に破棄することも、彼女が鍛造した武器を転売するような真似もしない。

 スヴェンは提示された契約書類にその趣旨を記入し、

 

「他に俺が遵守すべき事柄は有るか?」

 

 エリシェとブラックに視線を向けるとブラックが咳払いを一つ。

 

「職人柄武器を鍛造した相手が死ぬことも有る。それはモンスターが存在する以上避けられないだろう。だがそれでも鍛造した鍛冶職人は自身の腕が至らず死なせたと背負う事もあるんだ。……オレが提示することは娘を悲しませないこと、それが条件だ」

 

 父親が子を想う姿、なぜ親はそこまで自身の子供を大切にできるのか到底理解できないが--ブラックの眼は鍛治職人として死に触れ、哀しみを理解してる眼だ。

 

「了解した。ま、エリシェと契約期間が切れるまで簡単に死ぬつもりもねえさ」

 

 スヴェンは契約内容にエリシェを悲しませないっと書き足し、最後の記入欄に自身のサインを書き記した。

 そしてエリシェも提示した書類に自身のサインを記入し、ブラックが二枚の契約書を手に持つ。

 

「これで双方の契約は成立。次にスヴェンに渡すのが注文書だな」

 

 そう言って懐から取り出した注文書をスヴェンの目の前に置いた。

 スヴェンはクロミスリル製のナイフを二十本とロングバレルに倍率スコープの鍛造を注文し、

 

「これでいくらになる?」

 

 費用に付いて訊ねるとエリシェは笑みを浮かべて告げた。

 

「ロングバレルと倍率スコープは設計から入るから……全部で銀貨250枚だね! あっ、前に貰った竜血石が相当数残ってるけどどうする?」

 

「投擲に使うナイフに竜血石ってのもなぁ」

 

「うん、提案してなんだけどもったいないよね」

 

「竜血石は主にガンバスター関連に使ってくれ。って、ブラックの方で必要にならねえのか?」

 

 竜王の幻影から譲られた大量の竜血石を鍛冶屋スミスで必要になるかと思い聞いたが、彼は首を横に振った。

 

「ウチの在庫状況でも竜血石は足りてるからなぁ」

 

 三年の間に無理に消費する必要性は無いようにも思えるが、下手に手放すことも売ることもできない。

 

「そうか、貰い物とは言え扱いに困るな」

 

「そこはおいおい消費していくしかないよ」

 

 エリシェの鍛造したガンバスターが万が一損傷した場合、修復にも竜血石が必要になるだろう。

 スヴェンはエリシェの言葉に同意を示しながら、魔法時計に視線を向けては椅子から立ち上がる。

 

「そろそろ門限の時間だな……エリシェ、遅くなったがこれからよろしく頼む」

 

 彼女にグローブ付きの右手を差し出し、エリシェは静かに立ち上がり--その手を握り返した。

 

「こちらこそよろしくね」

 

 こうして無事に専属契約を結んだスヴェンは、レーナとアルディアの土産を持ってエルリア城に帰宅するのだった。



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17-6.異界人

 スヴェンがエリシェと契約を交わしている頃、エルリア城下町の北区に位置する異界居住区の集会場で異界人が集まっていた。

 緊急集会と評して呼ばれた安藤恵梨香はなぜ呼ばれたのか判らず、集まった面子を見渡す。

 エルリア状在住組みだった佐藤竜司、如月紫郎、甘菜柑奈(エミナカンナ)、そしてラピス魔法学院を自主退学した杉山恵美を除いた異界人は魔王救出が異界人によって達成されたと告げられた時から自分が魔王を救出した英雄だと自称する者達ばかり。

 しかし誰が救出したのか、騎士に訊ねても存ぜぬの一点ばかりで異界人が自称するのも無理は無いのかもしれない。

 恵梨香は緊急集会を開いた直衛奏多(なおえかなと)に視線を向け、

 

「今日は如何して集会を開いたの? これでもボランティア活動で忙しいんだけど」

 

 開催を促せば直衛奏多は咳払いを一つ、そして全員を見渡しこう告げた。

 

「そろそろはっきりさせないか? 誰が真の英雄なのかを」

 

 彼の言葉に英雄を自称する異界人がざわ付き、エルリア城在住組みから深いため息が漏れる。

 

「呆れたな、まだそんなことに拘ってるのか? それよりもこの世界で自立する方法を模索した方が建設的だ」

 

 如月紫郎の言うことは尤もだ。元の世界に帰る気が無いならこの世界で生活しなければならない。

 召喚した異界人に必要最低限の生活資金が毎月支払われるが、少しでも無駄遣いすれば資金不足に陥る。

 恵梨香自身、元々一人暮らしで節約は得意だが事件を引き起こした異界人には負債を支払う義務が有る。

 例えば今回の司会を務める直衛奏多は、魔王救出の大義名分を盾に無銭飲食や窃盗を働き旅の資金を豪遊に使うばかり。

 レーナも魔王を救出のためにと負債額を自腹で負担していたが、魔王が救出された以上は負担する理由も無い。

 ただこの件を公表したのはオルゼア王であり、公表時にレーナの申し訳なさそうな表情から彼女は最後まで異界人の面倒を見る腹積りだったことが窺える。

 

「自立? 金は毎月貰えるんだからその必要は無いだろ。それよりも英雄が贅沢するのは当然のことだと思わないか」

 

「キミ達が本当の英雄ならね……だいたい英雄なら各地で事件を起こさないだろ」

 

「……そうね、今もヴェルハイム魔聖国で籠城してる異界人も居るし、大人しくしてた方が身のためよ。ただでさえ私達はあなた達が思ってる以上に恨まれてるんだから」

 

「奴らは裏切り者だ、俺達とは関係ない。むしろ非難されるべきは野放しにしていたレーナだろ」

 

「非難されるべきって……問題を起こしたのはうちらでしょ? それに三村夜長が逮捕されたのも結局アイツが犯罪を犯したからでしょ、あんたらの中にも居るんじゃないの?」

 

 邪神教団に降った異界人は確かに裏切り者だ。そのことは紛れもない事実だが、旅の道中で遭遇した邪神教団の一人が異界人を誘惑していたのも知っている。

 あの時はカトレアの二人がかりでどうにか倒せたが--逃したのは今でも悔やまれるなぁ。

 人を殺す度胸を持てず、結果逃してしまった。しかしエルリア各地に散らばる異界人がこうして一箇所に集まってる以上は下手に誘惑されることもないだろう。

 同時に甘菜柑奈の指摘通り犯罪を犯した異界人も多数居る。その度にボランティアという形で印象や立場回復のために行動していたが、やはり一人では限界がありいくら頑張っても異界人としてでなく安藤恵梨香自身の評価にしかならない。

 恵梨香は言い争う彼等を尻目に大人しい佐藤竜司に疑問が芽生える。

 

「どうかしたの? なんか上の空みたいだけど」

 

「……魔王救出から数日経ったけどさ、スヴェンが居ないんだよ」

 

 恵梨香は峡谷の町ジルニアで一度だけ会ったスヴェンの名に表情が曇った。

 彼は死域と呼ばれる危険な場所で死亡したと聴いているが、彼の名に口論していた直衛奏多が反応を示す。

 

「誰だそれ?」

 

「えーと、今年の5月頃に召喚された異界人だけど……」

 

「時期的に俺達よりも後輩か……? なんでその後輩が此処に居ないんだよ」

 

「死んだって聴いてるけど」

 

「なんだ、モンスターに勝てないモブか」

 

 直衛奏多の発言に同意を示し、小馬鹿にしたような態度を見せる他の異界人に怒りさえ覚える。

 他人の死をどうとも思わない冷徹な思考、それに彼等は現実を見ていない、言動や振る舞いが何処か夢の中だ。

 だから人の死を現実として認識できないでいる。そんな彼等が真の英雄を自称するなど頭の痛い話だ。

 

「モブって……ゲームじゃないんだから」

 

「魔法やモンスター、美少女のレーナ。どう考えても夢の世界だろ?」

 

「……何をどう捉えたら夢だと認識できるんだか」

 

 拙い、また険悪な空気になりつつ有る。昨日も険悪な空気から武器を用いた戦闘に発展し、仲裁に入ったが結局は止めきれず見回りの騎士に取り押さえられることになった。

 同じ失敗を立て続けに繰り返しては、いよいよ居住区から追い出される可能性も有る。そう考えた恵梨香は手を叩き、

 

「これ以上口論しても結果なんて出ないわ。だからもうお開きにしましょう」

 

「そうだな、俺もそうさせてもらうよ。明日からまた騎士団の訓練に参加させて貰えるしさ」

 

 そう言っていの一番に集会所から佐藤竜司が出て行く。一人が外へ出れば、エルリア城在住組みが続けて出て行くのも必然だった。

 その流れに乗った恵梨香は出入り口で納得がいかない直衛奏多に顔を向ける。

 

「お願いだから面倒なトラブルとか起こさないでよ。中には就職が決まってる子も居るんだからさ」

 

 それだけ言い残して恵梨香はその場を後にし、近場に居た騎士に告げる。

 

「今日も誰が英雄なのか揉めてるわ」

 

「キミも大変だな……そうだ、カトレアから手紙を預かってるんだ」

 

 そう言って騎士は笑みを浮かべながら手紙を手渡した。

 それを受け取った恵梨香は軽やかな足取りで自宅に戻り、カトレアの手紙を熟読し、恵梨香はテルカ・アトラスの言語で返事の手紙を書くのだった。



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17-7.絡まれ、宣伝の後で

 引越しの荷造りを済ませたスヴェンがエルリア城の自室から廊下に出ると、異界人の少年と出会した。

 エルリア城滞在中に見た覚えもない顔付きの彼にスヴェンは目も向けず、廊下を歩き出すと。

 

「ちょっと待てや!」

 

 苛立った声と同時に右腕が肩に伸ばされる。スヴェンは敢えて歩く速度を早め、伸ばされた腕を避ける。

 そして振り返ってから異界人の少年に改めて顔を向けた。

 

「何か用があんのか?」

 

「その背中の武器に見えるシリンダー……お前、まさか異界人か」

 

 名も知らない彼を含めて異界人は異界居住区で生活している。だから此処で偶然出会ったのは面倒しか無く、故にスヴェンは瞬時に思考を切り替えた。

 

「いいや、これは遺品を譲って貰ったんだ」

 

「い、遺品? あぁ、もしやスヴェンとかいうモブのか……」

 

 彼の言うモブは創作物に使われる用語の一つだが、実際に言われる日が来ようとは予想外で有る意味で新鮮だ。

 同時に異界人の彼が背中のガンバスターに物欲しそうな視線を向け、次に何を提案して来るのかが予想も難しくはない。

 

「悪いな、遺品譲渡の際に厳重に保管するよう厳命されてるんだ」

 

 先手を打てば異界人の少年が挙動不審に視線を揺らした。

 

「……か、顔に出てたか?」

 

「あぁ、しっかりとな」

 

 はっきりと指摘すれば彼は視線を外し、スヴェンはもう用事は無いだろうと判断し歩き出すと。

 廊下の曲がり角から現れたミアが、こちらを見付けた瞬間に笑みを浮かべた。

 今ここで名を呼ばれるのは拙い! スヴェンはハンドサインでミアに異界人の存在を伝え、彼女は笑みを浮かべたまま駆け寄った。

 

「やっほー! 手伝いに来たけど、もう終わっちゃった?」

 

「まあ、荷物はこの通りだからな」

 

 持って行く荷物は旅に使った小物や着替えの衣類に加え、各種必要な書類と報酬金だけ。

 滞在していた部屋も元通り、最初から誰も住んで居ないと誤認させるように片付けられている。

 そう伝えるとミアは納得した様子を浮かべ、異界人に聞かれて拙いのかハンドサインで耳を隠すように伝えてきた。

 ミアの口元に耳を近付けた途端、背後の異界人から嫉妬混じりの敵意が向けられる。

 

「えっと(今日からラウル君達が城下町でボランティア活動に入るそうだから、もしも気になるなら事務仕事を手伝わせても良いんじゃないかな?)」

 

 以前ラウルには他の生き方を教えることも叶わず、魔法騎士団に任せる形で別れてしまった。

 彼がどう生きるかはまだ判らないが、ミアの提案に乗るのも悪くはない。

 だが、まだ新事業の宣伝も終わっていない。傭兵を護衛として雇うのも何も知らなければ抵抗感を抱くだろう。

 

「宣伝状況によってだな」

 

「あなたが宣伝ねぇ……手伝う?」

 

 ミアが懸念顔を向けるのも、自分が他者に対して友好的な宣伝できると思われてないのも仕方ない。

 

「いや、アンタも論文の発表が控えて忙しいだろ。それに……妙に怪我人が多い」

 

 昨晩、城内でレイや他の騎士から聴いた情報。一昨日から運ばれて来る怪我人が不自然に多いこと。

 そして怪我人全員には裂傷が共通点として--何か妙なことでも起きてんのか?

 

「あ〜そうなんだよね。論文は発表するだけだけど運ばれて来る怪我人には裂傷が多くて……」

 

「宣伝がてら城下町で情報を集めておくが、実際に動くのは騎士団になるな」

 

 傭兵として雇われない限りタダでは動かない。その趣旨も含めてミアに告げれば、彼女もその辺りを理解してるのか同意を示すように頷いた。

 ミアと別れ城下町で宣伝に移れる。そう思考した瞬間、

 

「ちょっと待てよ、お前とその美少女の関係は何だ?」

 

 嫉妬混じりの声を掛けられた。

 なぜ異界人は嫉妬深いのか、振り向けば以前に出会った三村夜長と似た眼差しで睨んでくる。

 ミアとの現状の関係はビジネスパートナーだ。それ以上でもそれ以下でも無い。

 

「ただの顔見知りだな」

 

「そっ、顔見知りで実はお互いの名前も知らないんだ」

 

 取り繕った表情で嘘を真実として語れば、異界人の少年は拍子抜けした様子を浮かべた。

 そこにもう嫉妬混じりの視線も無ければ敵意も感じられない。案外この少年は騙し易い--物分かりの良い少年なのかもしれない。

 

「そ、そうなのか? ……変に嫉妬するのも悪い癖か、悪いな変に絡んでよ」

 

「それは構いませんけど、今日は城内に何か用事が有ったんですか?」

 

「あー、外出許可が得られなかった奏多に変わって申請書を届けに来たんだよ」

 

「申請書……あ、それなら西塔一階廊下に異界窓口が設けられているのでそちらに提出してください」

 

「西塔の一階ね、ありがとうな」

 

 異界人の少年はそれだけ言い残して足早に去って行く。

 スヴェンは彼の気配が完全に遠ざかったことを確認してから疑問を口にする。

 

「……異界窓口?」

 

「ほら事件を起こした彼等以外にも善良な異界人も居るから、そう言った方々向けに受付窓口を増設したの」

 

「なるほどな……さっきの異界人は随分と聞き分けが良かったな」

 

「うん、でも報告書によると頭に血が昇りやすくて喧嘩沙汰が多かったみたいよ」

 

「城の中だから自制が効いたってことか? ま、何にせよ引越しだな」

 

「そうだ、ね。休暇を使って遊びに行くよ」

 

 そこは依頼人として来て欲しいが、まだ彼女は依頼を出すかどうかを迷っている。

 帰還するまでまだ時間は有る。その間にミアが答えを出し依頼するならなんでも良い。

 

「茶請けも必要になるな」

 

「お菓子は城下町の中央区に在る【ペ・ルシェ】が人気でお茶請けにも丁度良いよ」

 

「なるほど【ペ・ルシェ】か、帰りにでも寄ってみるか」

 

 スヴェンはそれだけ告げてからエルリア城を立ち去るべく、廊下を進んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エルリア城下町の中央区を訪れたスヴェンは、人通りの多い道路を歩きながらすれ違う人々に声を掛ける。

 

「忙しいところ済まないが、少し良いか?」

 

 人々は声を掛けれたことに一瞬驚くも、手に持つ広告紙束に興味を示したのか。

 

「そんなに時間を取らないなら」

 

「あぁ、近々開業予定のボディガード・セキュリティだ」

 

 スヴェンは広告紙を一枚だけ中心人物に手渡し、受け取った男性と彼の連れが興味深そうに広告紙を覗き込む。

 

「ボディガード・セキュリティ……聴かない名前だな。どんなことをするんだい?」

 

「あぁ、例えば守護結界領域を抜けモンスターの生息地域を移動するにも不安が有る。商談で取引先に黒い噂を聴き、護衛が必要になった……そう言った時に依頼主を護る護衛事業だ」

 

 質問に対して答えれば広告紙を受け取った男性が、

 

「へぇ、護衛として雇われるのか。まあ、魔王様が救出されて平和になるかと思ったけど……」

 

 杞憂に満ちた眼差しで不安を口にした。

 

「あぁ、最近近くの村々で頻発してる通り魔事件だろ? 不安は判るけど魔法騎士団が解決してくれるさ」

 

 エルリア魔法騎士団の名が出た瞬間、男性の杞憂に満ちた表情が嘘のように明るくなる。

 これが長年エルリアを護り続けたエルリア魔法騎士団の実績と功績による信頼関係だ。

 それだけエルリアの平和や秩序は彼等によって護られている。スヴェンは改めて市民とエルリア魔法騎士団の信頼関係を再認識しながら噂に付いて訊ねる。

 

「その通り魔事件ってのはいつ頃から噂されたんだ?」

 

「そうだなぁ、俺達が聴いたのは昨日の夜に酒場でかな」

 

 正確には一昨日から通り魔事件が発生しているが、事件が発生した村から噂が広がるまで一日掛かった。

 

「目撃者が居たとかは?」

 

「それがさ、夜の暗がりだったせいか誰も犯人の姿を目撃してないんだと」

 

 犯行時刻は夜間、付近に目撃者無しあるいは目撃者全員を斬っている可能性が高い。

 

「一昨日か、平和が訪れれば奇妙な奴も湧いて来るんだな」

 

「でも街道の移動は護衛を雇わないと危険だしぃ……彼を雇うか検討してみる?」

 

「いくら魔法が使えてもモンスターは……恐ろしい」

 

「今は準備中だが、御用が有れば職人通りの路地裏、ボディーガード・セキリュティを訊ねてくれ……護衛以外にも討伐を依頼したい時は是非ともよろしく頼む」

 

 それだけ言い残したスヴェンは次の集団に向けて歩き出した。

 そして広告紙束を全て配り終え、ミアが薦めた【ぺ・ルシェ】に立寄り適当な茶請け用のお菓子を幾つか購入してから新居に向けて歩んだ。



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17-8.兄弟

 新居に帰宅したスヴェンは自室で荷解きを済ませ、また外へ出る。

 玄関のドアに小さく折り畳んだ紙を挟めてから鍵を掛け、職人通りから南の宿屋通りに足を運ぶ。

 空を見上げれば既に昼時、宿屋通りに並ぶ宿泊施設とは別に酒場や食堂が建ち並び何処も稼ぎ時で食欲を唆る香りが湯気と共に漂う。

 だが、漂う匂いにスヴェンは顔を顰めた。食欲を唆る匂いに混じった血の臭い。

 せっかく食事気分に入った所で水を刺すような蛮行にスヴェンは血の臭いと人の気配がする路地裏に歩んだ。

 

 --金にもならねえが、飯を食う時ぐらいは血とは無縁でいてぇ。

 

 宿屋と酒場の路地裏に入ったスヴェンは、石畳みの地面にうつ伏せで男性とは別に屋根から気配を感じ取りながら近付く。

 

「う、うぅ……た、助けてくれ」

 

 血に汚れた石畳みの地面と呻き声をと漏らす緑髪の男性。そして屋根で殺意を滲ませながら機会を窺う人物の気配。

 倒れている男性は次の獲物を狩るための罠だ。ただ、疑問も有る。なぜ周囲には争った痕跡、魔法を放った跡も無ければ男性は助けを呼ぶ声を叫ばなかったのか。

 スヴェンは警戒心から背中のガンバスターに手を伸ばす。すると屋根から黒フードを纏った人物が短剣の刃を突き立てながら、

 

「シャー! コイツで30人目の獲物だぁ!」

 

 頭上に迫る。スヴェンは身体を逸らしながら位置を調整し--背中のガンバスターを少しだけ引き抜き、露出した刃で短剣の刃を防ぐ。

 甲高い音と火花が散る中、スヴェンは着地した襲撃者の顎に拳を突き上げることで打ち上げた。

 顎を砕かない程度に加減した拳だ、打ち上げれた襲撃者が背中から落下し、

 

「うっ、こ、この野郎」

 

 すぐさま立ち上がって短剣を構えたのは仕方ない。

 襲撃者の短剣は脅威にはならないが、路地裏で魔法など使われては周囲に被害が出る。

 スヴェンは微かな呼吸と共に地面を蹴る。そして襲撃者の懐に入った瞬間、

 

「『氷よ穿て』」

 

 襲撃者とは別の--先程まで地面に倒れていた男性の詠唱が響き、スヴェンは後方に飛び退くことで魔法陣から放たれた氷のつぶてを避けた。

 血に汚れた衣服のまま男性は黒フードの隣に立ち、

 

「完全に不意を突いたと思ったんだけどなぁ」

 

 頭を掻きながら避けられた魔法にため息を吐いた。

 

「詰めを任せてみればしくじりやがってよ……」

 

 最初から二人はグルだった。しかし男性に付着した血の臭いは着色料特有の臭いでもなく、嗅ぎ慣れた臭いで間違いない。

 何処からか新鮮な血を仕入れてまで二人組で誰かを襲う。その目的が何か、誰かと繋がりを持つゴロツキか。それとも何処かの組織に所属する末端か。

 スヴェンは通り魔事件の件を念頭に、

 

「アンタらは最近噂の通り魔事件の犯人か?」

 

 素直に答えるとも思わないが敢えて訊ねた。

 

「通り魔事件……? そんなのは知らないが、ヘッロー兄弟を知らないのかよ」

 

 ヘッロー兄弟……聴いたこともない名にスヴェンはどうでも良さげに首を振った。

 

「兄貴、こいつ俺達のこと知らないらしい」

 

 兄貴と呼ばれた黒フードは落胆気味に肩を下げ、短剣の刃を構える。

 黒フードはヘッロー兄、男性はヘッロー弟と認識したスヴェンは密かに右拳に魔力を流し込む。

 

「弟よ、無知な罪人に兄弟の恐ろしさを味わせてやろうぜぇ!」

 

 噂の通り魔とは違うが、三十人も襲っていることを踏まえれば後は騎士団に任せた方が早い。

 そう判断したスヴェンはヘッロー兄が接近し、ヘッロー弟が魔法を唱えるのに対し--距離を詰めたヘッロー兄の腹部に魔力を流し込んだ右拳を叩き込む。

 骨が軋む音を奏でながら、ヘッロー兄の腹部に右膝まで腕が食い込む。胃液を吐き出し、眼を見開く彼に対してスヴェンは右拳に流し込んだ魔力を解放することでヘッロー兄の身体を弾き飛ばす。

 後方で詠唱していたヘッロー弟にヘッロー兄が勢いのままに衝突し、鈍い音が路地裏に響き渡った。

 石畳みの地面に気絶する二人、このまま止めを刺したい所だが--邪神教団や野盗でもねえがまだ吐かせるべき情報が有りそうだ。

 スヴェンは気絶したヘッロー兄弟を当初の予定通り魔法騎士団に通報するべく、近場の宿屋に立ち寄り後を店員に任せることに。その際ヘッロー兄弟の拘束の手柄を店員のものにして良いと伝えた上でスヴェンは静かに宿屋通りから離れた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 宿屋通りから市場通りに向かったスヴェンは、露店に並ぶ食材の前に悩ましげに足を止める。

 

「……卵料理、肉料理、魚料理にするべきか。いや、慎重に初心者でも扱える食材にすべきか?」

 

「おやまぁ、怖い顔してるけど悩み事はかわいもんだねぇ」

 

 隣で食材を吟味していた老婆に声を掛けられたスヴェンは、特に不快にも思わず物怖じしない老婆に訊ねる。

 

「今日から自炊を始めるつまりなんだが、作り易い料理ってのが思い付かなくてな」

 

「そうさねぇ〜熱したフライパンにバターを溶かし、ボールの中でかき混ぜた卵を流し込んで……こう、ぐちゃぐちゃにすると簡単なスクランブルエッグができるよぉ」

 

 スヴェンは老婆が言った工程を瞬時に記憶に叩き込み、

 

「スクランブルエッグか。他に調味料は要らないのか?」

 

 調味料に関して質問を重ねた。

 

「塩、胡椒、砂糖、トマトソース、お好みでいいんだよぉ。あぁ、自炊を続けるならさっき言った調味料が揃っていれば便利さねぇ」

 

 旅の道中でミアが料理する光景を思い浮かべたスヴェンは納得した様子でぼやいた。

 

「なるほど……そういえばアイツも色々と混ぜていたな」

 

「料理は奥が深いさ、バランスを誤れば不味くもなる……そうさね、レシピ集を買うのが一番かもしれないねぇ」

 

 老婆の助言にスヴェンは頷き、露店に常備されているカゴに必要な材料と調味料を詰め込んだ。

 そして別の露店でパンとトマトを購入したスヴェンは早速自宅に戻り、試しにスクランブルエッグの調理を始めるのだが--魔力制御を誤った結果、焦げたスクランブルエッグが完全した。

 最初の失敗を胸にスヴェンはパンにスライスしたトマトと焦げたスクランブルエッグを挟み、遅めの昼食を食べることに……その味は焦げた味とトマトの酸味でなんとも言えない、しかしレーションよりは遥かマシな味だ。



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17-9.必然的な再会

 遅めの昼食を終えてから一階事務室の家具配置を事務所らしく替え、必要な書類を作成し気付けば既に魔法時計が時刻十九時を指していた。

 書類作成に凝り固まった肩を解したスヴェンは、窓から見える月を見上げる。

 守護結界の上空で輝く星空と月の明かり。同じ夜空の筈が、なぜこうもテルカ・アトラスの夜空を見上げてしまうのか。

 考えても恐らく答えは出ない。自身の心境に変化が訪れたなら自ずと理解もできるが、未だ心の奥底で戦場を求めている。

 戦場こそが傭兵にとっての生きる場所であり居場所だ。しかしこの世界にはスヴェンが望む戦争が無い。

 無いからこそ自身は単なる世界のノイズでしかない。そんなことを考えても仕方ないのも事実だ。

 

「……気晴らしに外でも出歩くか」

 

 立ち止まって悩むなら外の空気を吸いながら依頼人を探した方が現実的だ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ガンバスターを背中に背負ったスヴェンが職人通りを適当にぶらつくと、聴き覚えの有る三人の声と若い少女の声が耳に届く。

 

「お姉さんはもしかして心配性なの?」

 

「一応三人の保護者なのよ、これでもね」

 

「エルナ、カノンさんも心配してわざわざジルニアから来てくれてるんだ。あまり無碍に扱うのもどうかと思うよ」

 

「えぇ〜? 無碍に扱ってないよ。外泊の許可は取ってるからこのままカノンお姉さんの部屋に厄介になろうと思ってるだけだよ」

 

「あ〜ボランティア活動のために外泊許可を取ったのは良いけど、まだ泊まる場所も見つけてないんだった」

 

「待ってエルナ、私の部屋はいま凄いことになってるからっ!」

「凄いこと? カノンお姉さんって真面目そうな顔して実は掃除が苦手なのかな」

 

「違うけどね、しばらく帰って無かったから大変なことなってると思うのよ」

 

 声の方向にそのまま進めば、ラピス魔法学院の青と白を基調とした制服を着こなしたラウルとジルニアで出会った二人組、そして騎士甲冑を装備した緑の長髪の少女--カノンと呼ばれたエルリア魔法騎士団の隊長がそこに居た。

 一応三人は顔見知りだが、既にカノン部隊長が対応してる。そこでわざわざ自身が話に入るのもお門違いだ。

 だからこそスヴェンは彼らの横道を歩くのだが、ラウルとエルナ、そしてロイの視線が向けられる。

 

「あっ! アニキ!!」

 

 ラウルの呼び声にスヴェンは足を止め、わざとらしく肩を竦める。

 

「……ラウルか、こんな所で奇遇だな」

 

「嘘だこのお兄さん、絶対面倒だから素通りしようとしたよ」

 

 エルナの視線にスヴェンは態度を変えず、眼を輝かせるラウルに視線を移す。

 

「アニキはジルニアからエルリア城まで旅行に?」

 

「いや、魔王が救出されたから帰って来たんだよ」

 

 嘘は言っていない。魔王が救出されたのは紛れもない事実で、エルリア城に帰還したのも事実だからだ。

 だがエルナには引っかかる点が有るのか、小首を傾げながらじっとこちらを見詰めていた。

 

「お兄さん……エルロイ司祭に会った?」

 

「奴となら旅の道中で遭遇したな……そう言えばジルニアに来てたらしいな」

 

 思い出したように呟けば、カノン部隊長の肩が僅かに強張った。

 スヴェンは彼女の僅かな挙動を見逃すことは無かったが、恐らく自身の死亡に関する事だ。

 

 --ミアは生きてることが既に周知されているが、俺はまだ死んだ扱いだったな。

 

 だから朝に出会った異界人も自身のこと知らない。いや、恐らく男の情報には興味が薄いのだろう。

 偽名を使うことも一瞬浮かんだが、自身の素性を詳しく知る人物はそう多くはない。

 死亡した異界人のスヴェンと同性同名が居ても特別不思議なことでも無い。

 

「私は貴方に謝罪しなければならない」

 

 今後の身の振り方を思案していたスヴェンにカノン部隊長が弱々しい声でそんな事を口にした。

 

「謝罪? その件は詳細を含めて姫さんからも聴いてるさ、改めてアンタが責任を感じる必要はねぇよ。それに結果的に事態は好転したわけだ」

 

「そうは言ってもね、私が納得しないのよ」

 

「カノンお姉さん……もしかして身体で払うの!?」

 

「えっ? この子は一体なにを言い出すの?」

 

 困惑を浮かべるカノン部隊長を他所にスヴェンはため息を吐く。

 別に死亡情報に関して最初から彼女に何かしてもらう気など無ければ、状況を利用したのはこちらも同じこと。

 

「状況を利用した結果、エルロイを一時的に撒けたんだ。それだけでもアンタの選択に間違いはなかったさ」

 

「……そう。そこまで言うならこの話は終わりにするけど、本当に何も要らないのかしら? 例えば部隊長権限でハリラドンを一頭譲ることもできるのよ」

 

 ハリラドン一頭にスヴェンは眼を見開いた。あの勇敢で圧倒的な脚力を誇る生物を一頭でも確保できれば依頼の効率が遥かに増す。

 それどころかわざわざ荷獣車に搭乗することも無く、外から脅威に備えることも可能になる。

 

 --姫さんに相談して一頭だけ買うつもりだったが、ここは渡りに船か。

 

 頭ではハリラドンの重要性を理解してるが、もうカノン部隊長に対してそこまでしてもらう義理が無い。

 

「渡りに船だが、ハリラドンは自分で買うさ」

 

「そう? それなら紹介状を渡すからエルリア城から北のハリラドン牧場を訊ねてみて」

 

 どうやらカノン部隊長も頭が硬い部類らしい。ここで招待状を断ったとしても彼女が引くことは無い。

 

「北のハリラドン牧場か……今度行ってみるか」

 

「えぇ、あそこのハリラドンはどの子も加速魔法を使える優秀な子よ」

 

 加速魔法を使えるハリラドンにスヴェンは、パルミド小国の首都カイデスに引き返させたハリラドンを思い出した。

 あの後無事にエルリア大使館に戻り、魔王救出後は一度エルリア城に転移魔法で帰され、現在は魔法騎士団預かりだと聴く。

 あの勇敢で優秀なハリラドンと近いかそれ以上のハリラドンが牧場に居るとなれば自然と期待感が膨らむのも無理はない事だった。

 

「お? アニキが期待してるのってなんか珍しいな」

 

「優秀なハリラドンは新しく始める商売に必要だからな」

 

「商売……アニキの商売ってどんなのなんだ?」

 

「簡単に言えば依頼人の護衛だな」

 

 スヴェンがラウルに答えると、彼は思案顔を浮かべては意を決した様子で顔を見上げた。

 

「アニキ! 新しい商売なら人手も居るよな! おれを使ってくれないか!」

 

 確かにミアからも相談されていた事だが、ラウル当人もやる気だ。

 しかし問題はタイミング良く依頼人が訪れるかどうか。

 

「確かに人手は必要だが、依頼はまだ入ってねえよ。そもそも野盗を殺すことも有る……その意味が理解できんのか?」

 

「それは、人の人生を……生きる時間や可能性も奪うことなんだよな。だけど必ず殺す必要も無いはず」

 

 迫り来る野盗を無力化する。それも確かに一つの手では有るが、事はそう単純にはいかない。

 野盗が積荷や金品を目的に人々を襲い、その過程で殺されても自己責任だ。だか中には割り切れず逆恨みする者も居る。

 その矛先が何処へ向くか、恨みを果たすために護衛に付いた自分やラウルに向けばそれで済む。しかし自己の欲求を満たすなら弱い無力な者を対象に選ぶ。

 わざわざ金を払い護衛を雇った依頼人。そして護衛期間が終わっていれば野盗にとって都合の良い状況だ。

 復讐の対象はそれだけに止まらない、自身とラウルに関わる全てが復讐の対処となり得る。

 ラウルをボランティアとして雇う事を断るには充分過ぎる理由--だが、コイツも自分なりに生き方を探してるなら……。

 

「……分かった、そこまで言うならボランティアって形で雇おう。ああ、しくじっても責任は俺が取るからその辺は心配すんな」

 

「やった! ボランティア期間中はアニキの手伝いができる!」

 

 これが他の生き方を提示できなかった責めてもの責任だ。

 同時に他にもラウルに相応しい生き方も有るだろう。そこに彼が行き着くかは彼次第だ。

 大喜びするラウルを他所にスヴェンはロイとエルナに視線を移す。

 

「で? ボランティア期間中っていつまでなんだ」

 

「うーん、私達は罪の贖罪も含めてるから社会貢献度で決まるかな。それにボランティア期間中でも授業には出ないとダメなんだ」

 

「ま、本来授業は学生の本分だからな。……となるとラウルを連れて遠出は無理だな」

 

「ラウル君はバカだから私とロイもサポートするよ」

 

「……おい、アンタらは確か異端の烙印の影響で戦闘に支障が出ると聴いていたが?」

 

「あ、それならさっきの話に戻るけど……ジルニアで遭遇したエルロイ司祭に異端の烙印を消して貰ったんだよ」

 

 エルロイが二人の異端の烙印を消した。彼の内面や思考に付いては何も知らないが、異端の烙印に思う所が有ったのか。それとも永年生き続ける間に世代の成長を見守る老婆心ゆえか。

 魔法が使える元邪神教団の信徒、二人から改めて穏健派と過激派に付いて聴くのもありだが、しかしそれでは未成年の子供を三人も抱えることになる。そうなればおのずと事務所の評判にも関わることに……。

 スヴェンは期待感に眼を輝かせるラウル達に頭を悩ませ、

 

「……私が頼むのはお門違いかもしれないけど、3人をお願いして良いかしら?」

 

 カノン部隊長の頼みに顔を顰めた。

 

「アンタも既に聴いてるかもしれないが、俺は人殺しに躊躇が無い外道だぞ? そんな外道の下にガキ共を預けるってのは如何なんだ」

 

「そのことも含めて姫様とミアちゃんから聴いてるわ。スヴェンは絶対に同行者に殺しをさせないってね」

 

「……まさかとは思うが、姫さんから俺の商売に関する詳細を既に聴いてたか?」

 

「えぇ、もちろん騎士団全体で共有されているわよ」

 

 スヴェンは悟ってしまった。エルナとロイも纏めて面倒を見なければ後々面倒になると。

 その証拠に断れば面倒を起こす気満々の眼差しをしているエリナとそんな彼女に苦笑を浮かべるロイが居る。

 

「分かった、こうなれば面倒な事務仕事も振ってやる」

 

「おお〜これで私達もボランティア活動開始できるね、ついでに私達の宿泊先も確保!」

 

「……確かラピス魔法学院は寮制だろ? 距離も遠くはねえんだから通いでいいだろ」

 

「宿泊も社会勉強だってワイズ教授が言ってた」

 

 ラウルの言葉にスヴェンはなるほどと理解を示し、三人の空腹を告げる腹の音に一先ずカレン部隊長と別れ酒場で遅めの夕食を食べることに。



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17-10.オルゼア王の悩み

 スヴェンがラウル達と温かな食事に舌鼓している頃。オルゼア王は自身の寝室でカトルバス森王と対面していた。

 

「友よ、国の方はどうか?」

 

「あまり芳しくは無いようだ。アルディアの解放により人質を失った邪神教団では有るが、未だ国内の隠れ家を転々としておるようだ」

 

 ミルディル森林国内に点在する邪神教団の隠れ家が一体いくつ在り、どこにリーシャを閉じ込めているのかが問題だ。

 人質状態のリーシャの救済には居処を知り、特殊作戦部隊による救出が望ましい。

 その為の部隊編成は完了しているが、邪神教団の眼を欺くには他の方法を用意する必要も有る。

 本来なら邪神教団の声明通りにレーナとシャルルに偽りの婚約締結をさせるべきだが、連中は既にミルディル森林国の隠れ家の何処かに潜伏している状態だ。

 そもそも見合いも無しに王族の婚約締結は成立しない。そのため--婚約を締結させる気も婚約破棄させる気も微塵は無いが、一度は邪神教団を欺くためにも形だけでも見合いをする必要が有る。

 二人の王族が見合いをするとなればあらゆる眼が見合い会場に注目する。当然邪神教団も自分達が立てた策に繋がると考え、見合いの様子を見に出て来るはずだ。

 

 --そこを一人でも捕縛し情報を吐かせる、か。

 

 しかし偽りとは言え、相思相愛のシャルルとリーシャに一度でも婚約破棄などさせたくは無い。

 幸いことに婚約破棄は両者の合意の上ではじめて成立する。魔王アルディア救出まで誘拐したリーシャと会わせなかった結果、邪神教団はまだシャルルとリーシャの婚約破棄には至ってない。

 まだ十分に間に合う可能性は有る。

 そのことを踏まえたオルゼア王は悩ましげな表情を浮かべ、

 

「娘と友の子を囮に使うのは心苦しいな」

 

 自身の策に深いため息を吐く。

 

「オルゼア王、無理に連中の事前策に乗る必要はないのではないか? 連中の企みは貴国と自国の民を対立、レーナ姫とシャルルの命だぞ」

 

 レーナとシャルルの安全を考慮すれば確かに無理に連中の策を逆手に取る必要は無いが、リーシャの身柄の安全も絶対だ。そうでもしなければ国家がテロリストにも等しい邪神教団の行動を阻止できなかったことになる。

 魔王アルディアの人質によって各国家の行動が大幅に制限され、三年も民に苦難と暗雲を強いることになった。

 そして七月二十四日にレーナの依頼を請たスヴェンによって魔王アルディアが救出されたが、まだリーシャが邪神教団に囚われたまま。

 オルゼア王はあらゆる可能性を模索、思考し最適な最善手を二つ考案した。

 一つは特殊作戦部隊による隠密行動、邪神教団の拠点に潜入させリーシャを救出する方法。

 もう一つは先程まで協議していたレーナとシャルルの偽りの見合い、そこにスヴェンを組み込むことで邪神教団の討伐を計る。

 尤もそうしてしまえばレーナとシャルルの安全は、エルリア魔法騎士団の小隊とシルフィード騎士団の小隊に任せる他にない。

 何方も確実とは言い切れない。ならいっそのこと二つの策を合わせるべきか。

 オルゼア王は意を決した眼差しでカトルバス森王に顔を向ける。

 

「長く思案していたようだが、その様子では結論が出たようだな」

 

「……あぁ、作戦を変更。リーシャの捜索及び救出を特殊作戦部隊に任せ、スヴェンには邪神教団の遊撃を。レーナとシャルル王子には護衛部隊を付け偽りの見合いをしてもらう」

 

「救出作戦を進行させつつ邪神教団の眼がレーナ姫とシャルルに向けさせ、そこにスヴェンという異界人に混乱させると」

 

「うむ、理解が早くて助かる」

 

「スヴェンというと此度の魔王救出を果たした功労者だったか……オルゼア王は彼に期待しているかね?」

 

「彼は我々の疑念に対し、結果を齎すことで答えたのだ。ならば我々は多少なりにスヴェンに期待しても良いだろう」

 

「そなたがそう言うのなら信じるとしよう。……そういえばあの者は気配に敏感で隠し通路に居たわたしの存在を察知していたな」

 

「うむ、恐らくレーナも気付いているようだが敢えて何も訊ねてはこぬな」

 

「非公式の来訪でなければレーナ姫とアルディアにあいさつをしたいが……10月の連盟会議に取っておくとしよう」

 

「それが良かろう……」

 

 リーシャの救出作戦は決まった。あとは部隊編成を済ませレーナに事の詳細を伝えるだけ。

 そして見合い会場の準備とスヴェンに依頼すれば準備は整うが--果たしてスヴェンは依頼を請けるかどうか。

 策を練ったが、そもそも彼にも都合が有る。そこに遅れて気が付いたオルゼア王は自身の衰えに息を吐く。

 

「……ふむ、話は変わるがスヴェンに付いては様子を見ながらになるか」

 

「そう言えば何やら商売を始めたようだったな。確か、護衛を受け持つだったか」

 

 正確には依頼を出せば要人の救出もやると彼は語り、実際に書類の備考欄にも自身の可能な範囲でなら要人救出、警護、討伐依頼及び邪神教団絡みの依頼は護衛問わず請けると記載されていた。

 

「あぁ、護衛の他にも討伐依頼も請けると書類に明記していたな」

 

「なるほど、スヴェンが依頼で不在という可能性も有ったか」

 

 カルトバス森王の言葉にオルゼア王は眼を瞑った。スヴェンの件を抜きにしてもレーナ達の入国は公的な手続きが完了するまで動くことは叶わない。

 現在ミルディル森林国は混乱の渦中に有り手続き完了にはしばし時を要するだろう。

 手続き完了が先か、特殊作戦部隊による邪神教団の隠れ家発見が先か。

 オルゼア王がそう思案すると執務室に近付く足音に気付き、

 

「友よ、来客のようだ」

 

 カルトバス森王に退出を促す。

 

「あぁ、先にそなたの寝室で待つよ」

 

 彼は隠し通路を使い執務室から退出し、入れ替わるようにレーナがノック音と共に執務室を訪れたのだった。

 



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第十八章 仕事の始まり
18-1.篭城


 月明かりが照らす夏の夜。レーナがオルゼア王の執務室を訪れた同時刻……。

 巨城都市エルデオンの下層で爆炎と氷槍、落雷と嵐が爆音と瓦礫を巻き上げ亡者の群を吹き飛ばす。

 目の前の光景にフィルシスは深々と息を吐く。

 魔王アルディア救出から速くも七日が経過している。

 七日も召喚陣から無惨蔵に召喚され続ける亡者の群、それを止めるためには召喚陣の解体。その場所も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 直感と魔力の流れから場所を瞬時に特定したまでは良かったが、いかせん亡者が邪魔だ。

 フィルシスは剣を片手に亡者を蹴散らすエルリア魔法騎士団と魔族兵を呆然と眺める。

 

「……はぁ〜キミ達に任せてもう帰りたいなぁ」

 

「ダメですよ! 都市内の邪神教団殲滅が任務なんですから!」

 

 邪神教団を相手にするのは一向に構わない。それでもフィルシスにも苦手な、相手にしたくない手合いが居る。

 

「ダメかい? 私は2ヶ月は剣一本だけでモンスターと戦い続ける自信も野盗討伐を熟すこともできるけど、腐った死体と虫と霊体の相手だけはダメなんだよ」

 

「道は我々が切り拓きますんで! どうか耐えてくださいっ!!」

 

 必死に叫ぶ騎士にフィルシスは不服そうな表情を向け、切り拓かれた道を進む。

 アウリオンが放った黒炎の業火が亡者を焼き滅ぼし、リンが放った魔力の矢が亡者の頭部を撃ち抜く。

 更に魔法騎士団と魔族兵が放った魔法が亡者を滅ぼす。

 それでもすぐに亡者は湧き出て行く手を阻む。

 こんなことの繰り返しで時間を無駄に浪費し、レーナと再会する時間が伸びる。

 それに篭城中のヘルギム司祭が素直に留まっているとも限らない。

 

 --それでも最下層には向かわなきゃだね。

 

 例えヘルギム司祭が邪神教団の過激派を置いて逃亡しても、最下層には彼らと合流したヴェルハイム魔聖国の裏切り者も居る。

 その確保も今回の作戦の一つだが、フィルシスは吹き飛ばされ湧き出る亡者を前に大きく息を吸い込む。

 このままではいつまで経っても解決しない。レーナに速く会いたいなら思考を強引にでも切り替えるしかない。

 目前の蠢く存在を自身の心から斬るべきモンスターに思考を切り替えたフィルシスは剣を軽く振り払う。

 一薙ぎの斬撃が目前のモンスター(亡者)を薙ぎ倒し、フィルシスは地を蹴った。 

 騎士甲冑の重さをものともせず疾走するフィルシスにアウリオンとリンが並走し、その後に魔法騎士団と魔族兵が続く。

 ただの物理的な斬撃だけで済むモンスター(亡者)に魔力を使うのはもったいない。

 それにもう敵の真上だ。本来魔族の案内が無ければ最下層に辿り着けないが、それは結界によって入り口の認識を阻害され阻まれるからだ。

 結界で空間を隔離されている訳でも無ければ下層と最下層は地続きだ。だったら入り口を無視して下層から落下するだけで済む。

 故にフィルシスは剣先に僅かに力を込め、床に突き刺した。

 剣先から走った衝撃波が床を崩壊させ、フィルシス達の足場が崩れる。

 

「なぁぁっ!? ちょっと都市破壊するなんて聴いてないよ!!」

 

 リンの叫び声にフィルシスは練った魔力を纏わせ、

 

「『風よ我らに浮力を与えたよ』」

 

 詠唱と共に落下地点に魔法陣を展開させ、魔法陣から発生した風が浮力で全員を安全に最下層に降下させた。

 魔族の潜伏組みが使用していた拠点、最奥の会議室から漂う複数の気配にフィルシスはアウリオン達に告げる。

 

「はい、近道完了だよ。この先には邪神教団と召喚陣……あぁ、それとキミ達が確保したい裏切り者も居るね」

 

「そのようだが、肝心のヘルギム司祭は居ないようだな」

 

 ヘルギム司祭は既に撤収しているが、邪神教団の信徒は時間稼ぎのために篭城した。

 しかし逃走したヘルギム司祭は既にアトラス教会の執行者が追っている。

 彼等も精鋭揃いの部隊だ。後日何かしらの結果と情報を提供してくれるだろう。

 フィルシスは最奥の扉に近付き、強固な防壁に一度足を止める。

 この防壁を構築するために邪神教団の信徒と裏切り者は大量の魔力を消費し、防壁の強度を高め堅牢な護りを構築した。

 防壁を突破するためには注ぎ込まれた魔力以上の魔力か魔法で破ることが可能だが、フィルシスは息を吐くが如く魔力を纏わせた刃を一閃。

 防壁が扉ごと紙切れ当然のように斬り裂かれ、会議室が開かれた。

 

「観念しろ、貴様らの抵抗は無意味だ」

 

 アウリオンが向ける漆黒の剣先に邪神教団の信徒達が苦渋に顔を歪め、裏切り者の内政官達が潔く武器を落とす。

 

「お、お前達は邪神様の祝福を受け入れたのではないのか!?」

 

 内政官の一人が吠える信徒に冷淡な眼差しを向け、

 

「アウリオン、それにリンとリンドウ……そこにエルリア魔法騎士団のフィルシス、ケビン、バルムンクが此処に到達した時点で抵抗は無意味だ。それとも邪神に縋るしか脳に無い貴様らはまともな判断ができんのかね?」

 

 嫌味全開の刺々しい言葉を信徒達に突き放した。

 彼等は確かに国を裏切り魔王アルディアを邪神教団に売ったが、潔さは美徳だ。

 潔く投降する内政官を他所にフィルシスは密かにもう一人の裏切り者--リンドウの背後から囁く。

 

「キミも自首しないのかい?」

 

「穏健派と通じていたのは認めるが、魔王様を裏切ったつもりなど微塵もない」

 

 まだ過激派と内通していないだけマシか。したり顔を向けるリンドウにフィルシスは笑みを浮かべ、そして召喚陣に視線を移す。

 あの程度の魔法陣なら力業でアウリオン達でも破壊でき

る。

 懸念していた北の帝国も依然と沈黙を貫いている。あの国は建国当初から鎖国を貫き濃霧によって近付くことすらままならない。

 この混乱に乗じてヴェルハイム魔聖国に攻め込む懸念もあったが、どうやら杞憂で終わったらしい。

 ならばもうエルリア魔法騎士団がこの場でやる事も無いだろう。

 

「アウリオン、私達は一足先に帰還するよ」

 

「協力感謝する。この礼はいずれ」

 

 フィルシスは頷くことで答え、ケビンに転移魔法の指示を出す。

 ケビンは瞬時に答え、転移魔法陣がエルリア魔法騎士団の足下に広がり--転移の光りが広がった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 久し振りのエルリア城帰還にフィルシスは部隊を解散させ、自身はレーナの執務室に向かうべく中央塔の廊下を歩く。

 すれ違う巡回の騎士が驚愕に眼を見開き、フィルシスは見知らない顔触れに小首を傾げる。

 

「見ない顔だけど、キミ達は新卒組みかい?」

 

 エルリア不在中の採用はラオ副団長に一任していたが、フィルシスは彼等の肉体と魔力を一眼見てまだ彼らには鍛錬が必要だと判断した。

 

「フィルシス騎士団長……えぇ、僕達は今年の春に入隊した騎士です」

 

 毅然とした態度で返答したレイに、フィルシスは眼を細める。

 天才ゆえに努力を怠らない上昇志向の強い眼とこちらを観察する視線。他の新卒組と比べれば彼は頭三つほど抜けて実力が突出し、このまま鍛錬を続け実績を積めば部隊長の昇進も速いだろう。

 しかし--うーん、実力差を見抜いて挑むことを諦めてる、天才ゆえの悪癖だね。

 レイの悪癖を見抜いた上でフィルシスは、

 

「そう、私はこれから姫様に報告に向かうけど……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼が心の奥底に仕舞い込んだ苦悩、その傷口を抉るような言葉を送った。

 これで自分はレイの中で嫌な上司と認識されるだろう。しかし挑む前から諦め結果を変えようとしないのは、実力が有る分もったいない。

 

「……その言葉の意味、よく胸に刻んでおきますよ騎士団長」

 

 苦笑を向けるレイにフィルシスは笑みを浮かべる。そして彼等に別れを告げてからレーナの居る執務室を訪れた。

 椅子に座ったレーナと魔王アルディアの姿にフィルシスは膝を折る。

 

「姫様。フィルシス、任務を終え帰還致しました」

 

 そして丁寧な口上を述べ、レーナが微笑んだ。

 

「お帰りなさいフィルシス! それといつも通りで良いわよ」

 

 彼女の優しくて眩しい笑顔にフィルシスは立ち上がる。

 

「ただいま姫様、3年も留守にしていたけど何か変わりはないかい?」

 

 口調を普段通りに戻し、何か変わりごとは無いかと訊ねれば、

 

「変わりごととは違うけど、また近々慌しくなりそうよ」

 

 杞憂に満ちた表情で告げた。

 ラオ副団長の報告に有ったミルディル森林国の件。それとは別に何か有りそうな様子にフィルシスは小首を傾げつつ魔王アルディアに視線を向けた。

 

「レーちゃんね、気になってたスーくんが引越して少し寂しいみたい」

 

「魔王様、スーくんとは誰のことかな?」

 

「スーくんはね、スヴェンのことだよ。って言っても多分会ったことは無いよね」

 

 アウリオンから聴いていた魔王救出を果たした功労者--スヴェンという名を知っていれば、一度アウリオンと剣戟中に巨城都市の下層に居る彼を遠目から観ている。

 底抜けに冷たい三白眼の紅い瞳はまるで戦い以外を知らない、それ以外に生きることを知らない感情を宿した眼を持つ人物。

 遠くからだが確かに目が合い、そして一目見た時からフィルシスはスヴェンに強い興味を宿していた。

 彼なら満足行く戦闘ができるのではないか。そんな期待感に胸が膨らむ。

 

「スヴェンとは直接会っては無いけど、お互いに眼が合ったかな」

 

「遠くからでしょうけど、スヴェンに何を求めてるのかしら? あまり彼には無茶をさせたくないのだけど」

 

 不安そうな表情を浮かべるレーナからスヴェンを想う感情が伝わる。

 単なる召喚した異界人には留まらない感情だが、それが何かは判らない。判らないが騎士団長がレーナを不安にさせるのは拙い。

 

「ちょっと手合わせをお願いするだけだよ」

 

「手合わせで熱くなりすぎてエルリア城を壊さないでよ? ただでさえガルドラ峠をはじめ、国内各地には貴女が遺した爪痕が多いんだから」

 

「善処はするよ……それとも稽古の続きでもやるかい?」

 

 三年前、魔王アルディアが凍結封印される直前までレーナに付けていた稽古は途中で終わってしまった。

 あの時は魔力を纏った斬撃や剣圧の放ち方。魔力の刃を形成させるコツを師事していたが、今の魔力が抜け切ったレーナでは魔力を使用した剣技は使用できないだろう。

 

「察してると思うけれど、今の私は魔法が使えないわよ」

 

「魔力が無くても剣圧は放てるよ。それにその様子を見ると3年の間で修得してるようだね。うん、それなら更に上の段階で稽古を付けた方がいいかな」

 

 幾ら魔力が膨大で魔力を純粋な攻撃手段として応用したところで、基礎が無ければ宝の持ち腐れに過ぎない。

 魔力を応用した技術は、研鑽が有ってこそはじめて真価を発揮する。

 しかしそこまで鍛えるなら魔法を習得、魔法一つを極めた方が速いというのが実情だが身体を鍛え精神的な成長を遂げれば魔力の絶対量も増す。

 魔力量が多ければ多いほど圧縮力も増し、より洗練された魔力の刃を形成し単純な破壊力を増大させることもできる。

 何よりも魔力を魔法まで持っていく過程でできる基礎技術を応用した技術であり、魔法に回す余剰魔力だけでも圧縮し魔法の発動と同時に魔力の刃を形成することも可能だ。

 

「魔力を失っている今の私に必要なのは基礎……むしろ貴女の厳しい稽古は望むところよ」

 

「そんなに厳しくしてるつもりはないんだけどねぇ」

 

「前に合同訓練でフーちゃんの訓練を見たけど……あの時は目の前の光景が地獄かなって思考が止まったちゃったよ」

 

 魔王アルディアに同意を示すレーナにフィルシスは小首を傾げた。

 

「あぁ、あの様子は分かってないわね」

 

「フーちゃんもアーくんに負けず劣らずの天然だからねぇ〜」

 

「みんなによく言われるけど……うん、結局理解できそうにないから良いかな」

 

「天然は正せないものね。あ、雑談も良いけれどそろそろ本題に入らない?」

 

 魔法時計に眼を向ければもう時刻は二十二時を過ぎていた。もう少しだけ雑談をしたい想いも有るが、多忙のレーナと交易再会に向けて忙しい魔王アルディアの時間を奪うのも悪い。

 フィルシスは巨城都市で起きたことを詳細に告げた。邪神教団に入信した異界人の始末やヘルギム司祭を取り逃したことも全てありのままに。



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18-2.牧場のハリラドン

 八月三日の朝、スヴェンは一階事務室のソファで目を覚ました。

 テーブル越しの向かいのソファで眠るラウルとロイにため息が漏れる。

 ラウルとロイ、そしてエルナの宿泊を許可した結果、自室のベッドをエルナに占拠された挙句の果てに部屋のドアは魔法でロックされ、まだ寝室の用意も完了しておらず仕方なく事務室のソファで眠ることに。

 

「早めに三人分のベッドを用意しておくか? いや、ボランティア期間中の辛抱と思えば……」

 

 廊下から響く足音にスヴェンはドアに視線を向ければ、肌蹴たワンピースのまま眠たげなエルナが事務室に入って来た。

 

「クソガキ、洗面所は2階の浴室だ」

 

 顔を洗って眼を覚ませっと遠回しに告げるもエルナは眼を擦りながら辺りを見渡す。

 完全に寝惚けて正常に思考が回っていない。その状態で朝から騒がれても面倒に感じたスヴェンはソファから立ち上がり、脱いでいた上着を着直す。

 

「ん〜? コーヒーはどこぉ?」

 

「コーヒーも2階のキッチンだ」

 

「お砂糖とミルクたっぷりのコーヒーが飲みたいなぁ〜」

 

 眠気覚ましにコーヒーを飲むのも悪くない。

 廊下に向けて歩き出すと、ラウルとロイが欠伸を掻きながら起き上がり--そして肌蹴たエルナと目が合う。

 彼女の姿に面食らうラウルを他所に慣れた様子のロイが『またか』と言わんばかりにため息を吐く。

 

「エルナ、凄いことになってるから服装正したら?」

 

「う〜ん? ……ありゃりゃ、これは酷いねぇ」

 

 漸く自身の服装を直したエルナはまだ面食らうラウルに手を振って見せるが、依然として彼から反応が無い。

 寝起きで子供の裸蹴た姿を見た所で何も思わないが、同い年のラウルにとって些か刺激が強すぎたようだ。

 その反面、同じ場所で過ごしていたロイは特にこれと言って反応が無い。むしろ手のかかる妹を見ているような眼差しだ。

 

「ダメだね、完全に思考停止してる……女の子のパンツ見て思考停止って如何なのかな? ねえお兄さん」

 

「如何でも良いが、今は同居中なんだ。アンタも一応気を付けろよ」

 

「お兄さんは無関心、ロイは慣れてるから感心が無い。でもラウルは初心だから刺激が強すぎるかぁ……うん、次からは気を付けるよ」

 

「そうしてくれ、で? コーヒーは飲むのか?」

 

「お砂糖とミルクたっぷりの甘いコーヒーなら飲むよ」

 

「こっちは普通のコーヒーで」

 

 二人の注文を受け取ったスヴェンは二階のキッチンに足を運ぶ。

 キッチンに足を運んだスヴェンはコーヒーと軽い軽食も用意し、三人を呼んでからラウル達と早めの朝食を摂った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 留守番をラウル達に任せたスヴェンはカノン部隊長から受け取った紹介状を懐に、エルリア城から北に位置する農村フェナンスに到着していた。

 一面に広がる麦畑と大量のハリラドンが駆け回る牧場と夏の日差しにスヴェンは眼を細める。

 食糧の買い付けに訪れた商人や村人が往来する道を真っ直ぐ進み、

 

「まただ……また夜中に通り魔の被害がっ」

 

「フィルシス騎士団長が帰って来たから事件は収束すると思うけど、犯人は捕まって欲しいわね」

 

 通り魔の噂とフィルシス騎士団長の帰還を耳にスヴェンは真っ直ぐ歩く。

 

「昨日はヘッロー兄弟が捕まったけど、なんだか最近犯罪が増えてない?」

 

「野盗のヤバい奴もエルリアに入って来たって情報も有るしなぁ……でも魔王様が人質に取られるよりはマシなのかねぇ」

 

 魔王救出からそう時間が経過した訳では無いが、急増した犯罪行為にスヴェンは思案した。

 稼ぎ時でも有るがボディーガード・セキュリティが多くの顧客に求められる時、それは魔法大国エルリアの秩序が低下したということになる。

 そうなる日はきっと訪れないだろう。訪れたとしても一時的なもので、帰還したフィルシス騎士団長やラオ副団長がすぐに取り締まる。

 ハリラドン牧場の前で足を止めたスヴェンは、作業着の従業員に声をかけた。

 

「すまないが、ハリラドンの購入はここで良いのか?」

 

 従業員はこちらに振り向き、

 

「おう! 購入はこっちで受け付けてるが紹介状は持ってるか?」

 

 紹介状を求められた。懐からカノン部隊長から譲り受けた紹介状を従業員に手渡し、彼はすぐさま中身を拝見する。

 拝見した従業員の表情が意外そうな眼差しに変わり、

 

「おお、カノンの嬢ちゃんが紹介状を贈るなんて珍しいことも有るんだな……となると騎士団御用達のランクB以上のハリラドンか」

 

 ランクが記されたプレートを首をぶら下げるハリラドンを指差される。

 どれも勇敢な面構えで脚力に自信が有るっと牧場の芝生を踏み抜く。

 どれを選べば良いのか判断に迷うが、値段で妥協する訳にもいかず。

 

「ハリラドンを選ぶ基準ってのは有るのか?」

 

「お〜初めての購入者はそこで迷うよなぁ。旦那から学んだことなんだが、騎乗なら体格と脚。荷車の牽引なら体格だな」

 

 今回欲しいのは騎乗用のハリラドン。そうと決まれば選ぶべきは大人と子供あるいは大人が二人乗れ、ガンバスターを振り回しても問題ない体格を持つハリラドンだ。

 スヴェンは群れの最奥に居る黒いタテガミのハリラドンに目を向けた。

 体格も申し分なく中々人に懐きそうに無い--ハリラドンの中でも異彩を放つ個体にスヴェンは指差す。

 

「あの黒いタテガミのハリラドンは?」

「あれは確かに優秀な個体なんだがな、人に懐かず背中に乗せることも嫌う……いや、人嫌いの珍しいハリラドンだな」

 

「勇敢で人懐こい印象だったが、その辺も個体ごとに違いが出るのか」

 

「まあ、あそこまでの変わり種は珍しいけどな」

 

 人嫌いで護衛を蹴り飛ばさないかっという懸念も有るが、脚力が他よりも勝るなら購入すべきか。

 

「あの黒いハリラドンを買いたいが、競争させても?」

 

「構わないけどよ、お前さんが騎乗できるならな」

 

 スヴェンは柵を飛び越え黒いハリラドンに歩き進む。

 こちらの接近を察知した黒いハリラドンは前脚を握り、鋭い目付きで警戒心を顕に唸る。

 その様子はまるでアーカイブで閲覧した手負いの狼を彷彿とさせるが、スヴェンは黒いハリラドンの睨みに対し鋭い目付きで睨み返す。

 しばし睨み合い、風が芝生を撫でる。それが十分程度続いた頃、漸く黒いハリラドンが背中を見せた。

 

「ほぉ〜そいつが自分から背中を見せるとはなぁ! 何か通じる所が有ったのかねぇ」

 

 互いに馴れ合わない体格が通じたのか、黒いハリラドンの考えることなど理解は難しい。

 それでも背中を向けられたなら黒いハリラドンは騎乗を許したということ。

 旅の途中でミアから聴いていたハリラドンに関する知識が役立つ。しかし、肝心の騎乗や手綱の握り方だけは教えてはくれなかった。

 

「騎乗経験がねえんだが、その辺もレクチャーしてくれるか?」

 

「? 騎乗の仕方はラピス魔法学院なら必ず習うはずだが……ああ、パルミド小国かドラセム交響国から来たのか」

 

 勝手に一人で納得してくれる従業員にスヴェンは何も答えず、ただ肯定するばかり。

 彼は仕方ないと手綱と鞍を手渡し、黒いハリラドンに取り付けるように告げた。

 言われた通りに手綱と鞍を手早く取り付け、片足に鎧をかけ背中に跨り手綱を手に持つ。

 その感覚はどこかメルトバイクに近く、感覚のままに試しに黒いハリラドンの鎧を蹴る。

 すると黒いハリラドンが歩き出し、別のハリラドンに騎乗した従業員が並走した。

 それが黒いハリラドンの癪に触ったのか、徐々に加速をかけ芝生を駆け出す。

 中々の速度だが、メルトバイクの方が圧倒的に速い。

 

 --体感で時速八十キロ、それにあわよくば振り落としてやりたいって意志を感じるな。

 

 騎乗させた人間を振り落とす意志と他を並ばせたく無いという気概を感じたスヴェンは手綱を握り締め、

 

「やれるもんならやてみろ」

 

 黒いハリラドンに静かに告げた瞬間、速度を上昇させ時速が百二十キロに瞬く間に到達する。

 黒いハリラドンは円周の牧場を一周し、従業員を乗せたハリラドンを追い越す。

 スヴェンは黒いハリラドンの速度に満足していた。騎乗者を考慮しない加速と隙あらば振り落とす気概もなおさら気に入る要因だった。

 握った手綱をミアと同じように引っ張ることで黒いハリラドンが徐々に速度を落とす。

 芝生に降りたスヴェンは彼に視線を向ける。この個体は人嫌いに加えて人に飼い慣らされることを良しとしないプライドの持ち主だ。

 

「気に入った、アンタは俺が飼うことにする……いや、ここは互いに共生と行こうじゃねえか。仕事の成功に俺はアンタに美味い餌を与える、アンタは俺を騎乗させるだけ良い。悪くねえ提案だろ?」

 

 人の言語を理解している黒いハリラドンが頷き、従業員が驚いた様子で近寄った。

 

「ハリラドンは人に従うことを極上とするんだが、まさか共生を選ぶなんてなぁ。よし! ソイツを銀貨50枚で譲ろう!」

 

 スヴェンは予め用意していた銀貨二百枚入った金袋から銀貨五十枚を取り出した。

 代金を受け取った従業員は黒いハリラドンのプレートを外し、小屋へ駆け出す。

 何事かとしばし見詰めれば、ずた袋を担ぎ戻って来る。

 

「こいつはサービスの餌だ。1日に2食、バケツで一杯な」

 

「おう、餌は何処で買えば?」

 

「エルリア城下町なら雑貨屋でも扱ってるさ。ただ美味い餌となればアルセム商会から取り寄せだな」

 

 アルセム商会の名に一瞬だけ眉が歪む。個人的にあまり接触したくない大商会だが、スヴェンはヴェイグが不在のままなら利用するのも有りだと思い直す。

 ずた袋を従業員から受け取ったスヴェンはそのまま黒いハリラドンに跨り、彼を自宅に向けて走らせた。



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18-3.依頼の訪れ

 スヴェンは自宅のハリラドン用の小屋に黒いハリラドンを入らせ、自宅の玄関のドアを掴むとラウル達以外の気配が事務室から感じる。

 依頼人ならそれで良し、近所の住人ならご近所付き合いは面倒では有るがそれも良し。

 玄関のドアを開け、そのままの足取りで事務室のドアを開け--なぜかスヴェンのサングラスを装着し制服に着替えていたエルナと、彼女の両脇を固めたロイとラウル。そしてそんな三人に困惑とは別に何かに対する恐怖心と不安の感情を見せ、鞄を大事そうに抱える若い男性の様子にスヴェンは眩暈に襲われた。

 

 --クソガキ共に留守を任せたのが失敗だったか?

 

 スヴェンは己の失態に内心で舌打ちし、一度二階のキッチンに向かい紅茶を淹れてから茶請け用のお菓子と共に事務室に戻り若い男性の前に差し出した。

 

「茶請けも出せねえアホどもで済まないな」

 

「あ、いやぁ、中々にユニークな……従業員? で良いのかな?」

 

「……ラピス魔法学院の実地ボランティアの生徒達だ」

 

「あぁ、そういえばもうそんな季節だったね」

 

 若い男性は差し出した【ペ・ルシェ】のクッキーをひとつまみ。ほんのりと口に広がるハチミツとバターの味に若い男性は顔を綻ばせ、紅茶に一口付ける。

 スヴェンは彼がティーカップを置いたタイミングを見計らって訊ねた。

 

「それで、今回はどんな要件で?」

 

 若い男性は先日配った広告紙を取り出し、何かを恐れている様子でゆっくりと口を開く。

 

「しょ、紹介が遅れたね、ぼくは考古学者のルドマンだ」

 そう言って彼は身分証を差し出した。考古学者にしか持つ事を許されない絶対的な身分証にスヴェンは視線を向けた。

 名、生年月日、そして所属のメルリア考古学研究所と記されていた。

 

「えっと、この広告紙に書かれている通りにぼくの安全を保証してくれるのかい?」

 

「何に怯えているかは知らないが、先ずは詳しい話を聞きたい……そうだな、何処まで護衛して欲しいだとか、期限や何に怯えているのか。原因に検討が付かないなら直近で起きた身近なことでも良い」

 

「そ、そうだね。まずぼくをメルリア考古学研究所まで護衛して欲しい。そこまで行けばぼくが発掘した古代遺物を然るべき安全な場所に保管できるからね」

 

 遺跡の町と呼ばれるだけあり、メルリアは遺跡に関連した施設も多い。前回の旅では目的を最優先にしていたため考古学研究所や古代遺物管理所に立ち寄ることはなかった。

 怯えた様子を見せたのは古代遺物を狙う野盗に対して、そこで一つ解せないのは何故エルリア魔法騎士団を頼らないかという点だ。

 本来なら古代遺物をはじめとした研究価値の高い物はエルリア魔法騎士団を経由して安全な場所に運ばせた方が確実、それができない立場に居るのか、何か別の理由が有るのか。

 

 --恐らく騎士団に頼れない事情があんだろう。

 

 スヴェンはルドマンの眼を真っ直ぐに見詰めながら確認するように訊ねる。

 

「メルリアの考古学研究所……古代遺物を狙った連中から身を護って欲しいと解釈して良いんだな?」

 

「……えぇ、コレを狙う野盗やあらゆる勢力から護って欲しいんだ」

 

「あらゆる勢力……ソイツの中に騎士団が含まれねえなら依頼として請けるが?」

 

「騎士団を含むって、そんな馬鹿な真似はできないよ」

 

「ほんの冗談だ……エルナ、悪いが引き出しから書類を出してくれないか?」

 

 エルナに頼むと彼女はリビングの引き出しから書類を取り出す。

 

「はい、こっちが契約書類だよ。契約事項に眼を通してから下の項目に護衛、目的地、提示する報酬金、最後に署名にサインを書いてね」

 

 昨晩少しだけ契約書類に関する内容をエルナ達に教えはしたが、彼女は書類に眼を向けることなくルドマンに説明した。

 物覚えが良いならこのままボランティアとして置いても良さそうだ。

 

「……えっと、要約すると金を払えば護衛として雇われる。その代わり依頼主の身の安全は責任持って護り、万が一負傷した場合、あるいは護り通せなかった場合は遺族に対して依頼金の返還及び賠償金を支払うと」

 

 ルドマンは敢えて口に出さなかったが、契約事項の最後の項目にはエルリアに対する敵対行為が露呈した場合やこちらを裏切った時はそれ相応の対応をすると記載して有る。

 

「腕にはそれなりに自信は有るが、モンスターや野盗を相手にした戦闘に絶対は無いからな……ま、最後に記されている契約反故を働かない限りは何が何でもアンタを護るさ」

 

 最後の言葉にルドマンは安堵したのか、契約書類に羽ペンを走らせる。

 

「あれ? アニキはこの人を何に乗せて行くんだ?」

 

「たいして荷物がねえならハリラドンの背中に乗せるが……」

 

「あぁ、その辺のことは大丈夫。ぼくも考古学者であちこち旅をするから自前の荷獣車が有るんだ」

 

 それなら話は簡単だ。荷獣車の中にラウル達を同行させ、自身が外から黒いハリラドンと共に並走すれば外からの襲撃に対応しやすい。

 護衛道中に農村フェナンスで目撃された通り魔と遭遇しないことを祈るばかりだが、スヴェンはあらゆる脅威に対する警戒を胸に、

 

「それならアンタの荷獣車にコイツらを乗せ、俺は外から護衛を務める……それで、出発時刻は如何する? 今から出発すれば夜にはメルリアに到着する予定だが」

 

「いや、今日はエルリア城下町で……そ、その待ち合わせが有ってね」

 

 頬を赤らめ気恥ずかしそうに語るルドマンにスヴェンは察した様子で頷き、彼が書き終えた契約書類を受け取る。

 そしてスヴェンは契約書類に不備が無いか眼を通してから最後に報酬金に視線を落とした。

 エルリア城からメルリアまでの片道護衛、あらゆる危険が予測されるが銀貨十枚は妥当な報酬金だ。

 ルドマンは初回の依頼人で最初の依頼人でも有る。今後の顧客獲得の為に報酬金を下げるべきだ。

 

「アンタはボディガード・セキュリティ開業始まって以来の最初の依頼人だ、報酬金は銀貨五枚で構わない」

 

「えっ! 半額でいいの!?」

 

「あぁ、その代わり依頼が成功したら宣伝の方をよろしく頼む」

 

 スヴェンは受諾書類の必要項目に羽ペンを滑らせ、次にルドマンが保管すべき依頼人控え書に羽ペンを滑らせた。

 

「よし、コイツをアンタの方で控えてくれ。それが俺とアンタとの間で書類上の契約を交わした証拠品だ」

 

 お互いに書類を保管し合うことで行き違いを防ぐことに繋がる。

 書類を鞄に閉まったルドマンは、

 

「報酬の受け渡しは後払いで良いんだったよね?」

 

 確認するように訊ねた。

 

「報酬金の半分を前金として要求することも有るが、今回の場合は成功時の払いで問題ない」

 

「分かった。それじゃあ明日の7時に正門で!」

 

 安心したのかルドマンは怯えた様子が嘘のように、軽やかな足取りで立ち去った。

 スヴェンが書類をまとめ、三人から向けられる視線に顔を向ける。

 

「なんだ?」

 

「お兄さん、私達の仕事があんまり無かった」

 

「明日から労働が始まるんだが、それじゃあ不服か?」

 

 働く意欲が有るのか、ラウル達は頷いてみせた。

 意欲が溢れるのは結構だが、それよりも三人には最初に学ぶべきことが有る。

 

「……そうだな、次に依頼人が訊ねて来たら飲み物と茶請けを忘れずに」

 

「分かった。他にすることは?」

 

「あとは明日に備えるだけだ……さて、必要になりそうな医薬品の買い出しに行くか」

 

 護衛を含めた五人分の医薬品と夕飯の食材を買うためにスヴェンは、ラウル達を連れて市場に出向くのだった。



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18-4.護衛の影に

 翌朝の七時前、エルリア城下町の正門でルドマンと合流したスヴェン達は荷獣車にラウル達を乗せ、自身は黒いハリラドンに跨り手綱を左腕で握る。

 

「それじゃあ出発しやすよ」

 

 御者がハリラドンの荷獣車を走らせ、スヴェンも後方に付くように黒いハリラドンを走らせた。

 晴れ渡った青空とメルリア方面に続く街道に出たスヴェンは、北の方角から感じる殺意と悪意に息を吐く。

 視線を向ければ土煙を撒き散らしながら集団が移動してる様子がここからでも見える。

 スヴェンは黒いハリラドンを走らせながらサイドポーチから万眼鏡で北の方角を覗き込む。

 身なりの悪い十名の野盗、いずれも痩せたハリラドンに騎乗しているが問題は、紅いフードで顔を隠し血に汚れた大鎌を担いだ人物だ。

 土煙と紅いフードで顔は見えないが、歪んだ口元ははっきりと見える。あの手合いは血に飢えた渇きを満たすために人殺しを躊躇わない。おまけに既にこちらに対して紅いフードは警戒心を向けながら魔力を全身に巡らせている。

 幸いにも注意すべきは紅いフードだけで、十名の野盗はクロスボウを所持しているが、ハリラドンの速度で正確に狙いを定めるのは難しい。

 スヴェンは黒いハリラドンを荷獣車に近付けさせ、荷台の壁を三回叩く。

 事前に決めた合図の方法、敵を早期に発見した場合の合図を受けたラウル達が動く音が荷獣車の中から僅かに響いた。

 

 --さて、問題はどのタイミングで仕掛けて来るか。

 

 狙いはルドマンの古代遺物ならメルリアに到着する前に確実に、だがまだエルリア城から離れて居ないこの位置で仕掛けて来ることも無い。

 殺人の証拠を手っ取り早く隠滅するから守護結界領域を抜けたモンスターの生息地域だ。

 つまり敵が距離を縮め、仕掛けて来るのは一時間後。よほど気の早い馬鹿でなければの話だが。

 同時にスヴェンは周囲に視線を向ける。敵の獲物は何もルドマンだけでは無い--他にも街道を走る行商人や旅人の荷獣車やハリラドンも野盗の標的に入るだろう。

 スヴェンが思案していると荷獣車の窓から顔を覗かせたラウルが、

 

「アニキ! 魔法の準備はいつでも!」

 

 こちらにだけ聴こえる声量で伝えた。備えは上々とも言えるが、あの紅いフードだけは一筋縄では行かない--傭兵としての直感にスヴェンはラウルに伝える。

 

「野盗は十人だが、その中に居る紅いフードのヤツだけには最大限警戒しておけ」

 

「敵は全員で11人か。それなら油断してる隙に先手を取るのはどう?」

 

「いや、紅いフードのヤツは既に警戒態勢だ。恐らく魔法も警戒してるだろうよ」

 

 スヴェンがラウルに告げれば、彼の頭を押し退けてエルナが顔を見せた。

 

「でもさ、結構距離が開いてるのにどうやって追い付くつもりなんだろうね」

 

 エルナは既に予測が付いた上で質問している。

 

「そうだな、考えられるとすれば守護結界領域ぎりぎりの位置で待ち伏せか……それか単純にハリラドンの加速魔法だな。アンタの考えは如何だ?」

 

「うーん、あらゆる方法を模索したけど無名の野盗ができることってせいぜい戦力を分担した待ち伏せありきだと思うんだ。それに資金面も考えれば痩せてるハリラドンに加速魔法を使わせるのは自殺行為だね」

 

「待ち伏せが前提……スヴェンなら如何するんだ?」

 

 敵が西の方角で待ち伏せしてるなら対処は簡単だ。黒いハリラドンの足なら南西に迂回し、待ち伏せの背後を強襲する。

 だが、問題は外から護る護衛が一人だけ。そして紅いフードは自身の移動に間違いなく気付く。

 

「コイツの脚前提になるが強襲を仕掛け、荷獣車の進路を確保する……俺が一時的に離れるその間、アンタらは北側の野盗共が距離を縮める素振りを見せたなら魔法で構わず牽制しろ」

 

「なるほど、スヴェンなら強襲を選んで逆に敵の意表を突く。そして混乱してる隙に荷獣車を突破させるんだな」

 

 ロイの言葉にスヴェンは無言で頷く。

 敵に強襲を仕掛ける以上、敵はどうあっても殲滅する。スヴェンは一度御者に近寄り、先の様子を見て来る趣旨を伝えてから南西に向けて黒いハリラドンを走らせる。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 街道を南西から大きく迂回し、守護結界領域外からモンスターの生息地域に入ったスヴェンはそのまま黒いハリラドンの速度に任せ、北西の位置に向かう。

 するとエルナの読み通り二十人の野盗がハリラドンに騎乗しながら得物を片手に、

 

『古代遺物とルドマンの首、合わせていくらだっけか?』

 

『古代遺物が強力な物なら大金貨、ルドマンの野朗は銀貨400枚の首だったな』

 

 スヴェンは野盗の会話を耳にガンバスターを引き抜く。そして黒いハリラドンに近付く様に手綱を握れば、意図を察したのか手綱で指示を出す前に黒いハリラドンが減速せず野盗の集団に向かう。

 利口な判断にスヴェンは上出来だと笑みを浮かべ、ガンバスターを構える。

 距離が徐々に近付く中、黒いハリラドンの足音に気付いた野盗の一人が頭だけ動かすー-だが、スヴェンは黒いハリラドンを足場に跳躍した。

 誰も騎乗していない黒いハリラドンを視界に移した野盗の一人が首を傾げ、

 

「脱走したハリラドン、か?」

 

 跳躍したスヴェンが標的に向けてガンバスターを構える。

 そして落下速度と共にスヴェンは刃を一閃することで野盗の一人を頭部から肩にかけて斬り裂く。

 刃が風を斬る鋭利な音、地面に着地する音。そして舞う血飛沫に十九人の野盗がスヴェンを視認した。

 突如仲間が殺され、いつ接近していたのか。疑問と混乱に惑う集団にスヴェンがゆらりと動く。

 地面を縫う様に駆けたスヴェンは手近な野盗に一閃放ち、胴体を斬り裂き、血飛沫が舞うよりも速く次の得物との距離を縮める。

 騎乗した野盗に跳躍し、すれ違いざまに首を斬り落とす。

 三人殺したところでハリラドンが主人を護るために痩せた体を無理に走らせ始めた。

 

 --やはりハリラドンは勇敢だ、おまけに主想いとは俺なんざよりも遥かに上等な生き物だな。

 

 スヴェンは近寄る黒いハリラドンの背中に飛び乗り、走り出す野盗とハリラドンを追う。

 対して間隔を空けない密集した陣形にスヴェンは口元を大きく歪ませた。

 

「野郎を殺せ! 魔法とクロスボウの雨を奴に味合わせろ!」

 

 一人の野盗の怒号に一斉に詠唱を唱え、クロスボウを向けられる。

 クロスボウのボルトに炎が纏い、野盗が引き金に指をかける。

 スヴェンはガンバスターの銃口を向け、躊躇なく引き金を引く。

 

 ズドォォーーン!! ズドォォーーン!! ズドォォーーン!! 

 三発の銃声と共に放たれた.600LRマグナム弾が先頭に居た三人の野盗を貫き、貫通した弾頭が後方の野盗を更に三人抜きする。

 九人の肉片が地面に崩れ落ち、肉片と血糊に足を滑らせたハリラドンが周囲を巻き込んで転倒した。

 野盗の叫び声とハリラドンの悲痛な鳴き声に混じった骨が砕ける音が街道の空に響き渡る。

 十二人仕留め、残り八人。.600LRマグナム弾の残弾は昨日届いた分を含めて四十発だ。

 だが、もう銃弾を使う必要は無いだろう。ハリラドンの転倒に巻き込まれた全員が既に立ち上がれない。

 クロスボウのボルトに纏わせた魔法も不測の事態によって消滅しているが、まだ腕を動かせる野盗がクロスボウを構える。

 

「く、来るなぁ……来るなぁァァ!!」

 

 一人の野盗が絶叫混じりにクロスボウの引き金を引き、ボルトが飛来する。

 銃弾よりも遥かに遅いボルト。ゆえにスヴェンはボルトの柄を左腕で掴み、それを撃った野盗に投擲することで返す。

 ボルトは野盗の額に吸い込まれる様に突き刺さり、また一人地面に斃れる。

 スヴェンはガンバスターを構え、残り六人に対し無感情のまま斬り裂く。

 地面は死体と肉片と鮮血に汚れ、転倒によって骨折したハリラドンの呻き声--そして恐怖によって悲鳴を叫ぶ野盗とそんな彼に近付くスヴェンがその場に残った。

 スヴェンは後退りする野盗の頭部を掴み、

 

「さて、アンタらの目的は?」

 

 冷徹な声で問う。

 

「は、話すから殺さないでくれ!」

 

 スヴェンは敢えて何も答えず、無言で野盗を睨む。

 

「お、俺達の目的はルドマンの首と古代遺物の回収と売買……他にも略奪を目的にしてる」

 

「ルドマンと古代遺物を狙う理由は?」

 

「あ、アイツは野盗の間で懸賞金がかけられているんだ……く、詳しい理由は知らないけどよ」

 

「本当に知らねえのか?」

 

「ほ、本当なんだ! 本当に何も知らない! ただ俺達は金欲しさに襲撃を計画しただけで、それ以上のことは!」

 

「なるほど……なら質問を変える。紅いフードはアンタらの仲間か?」

 

「あ、アイツか。アイツは不気味な奴で、でも腕が立つから今回だけ手を結んだだけで……素顔も知らないんだ」

 

「……ヤツとはいつ合流したんだ?」

 

「えぁ? さ、昨晩だ。キャンプ地に現れてこう語ったんだ『ここ数日、エルリア城付近で人を斬り続けた。如何だ? 未だ騎士団に捕まっていないワタシと手を組むのは?』ってよ」

 

 農村フィナンスで多発した通り魔事件の犯人が紅いフードなら疑問が一つだけ湧く。

 なぜ血に飢えた様子を見せながら誰一人として殺害してないのか--いや、ミアの優秀な治療魔法なら間に合えば死者を出さないことも不可能じゃねえな。

 エルリア城に急増した負傷者に付いて思案したスヴェンは、上擦った野盗の声に耳を傾ける。

 

「な、なぁ……質問には答えたんだ、俺を見逃してくれるよな?」

 

 聞くべきことは聞いた。ならこの男にはもう要は無い。

 だからと言って依頼人を狙う人物を見逃す理由にもならない。

 スヴェンは野盗の頭部から腕を放し、尻餅付いた彼に刃を一閃放つ。

 血飛沫を噴き出した首の断面図、地面に転がり落ちた頭部にスヴェンは目も向けず待機していた黒いハリラドンの騎乗し、そのままルドマンが乗る荷獣車に向けて走らせた。

 死体の山に群がる大鴉と地面でもがくハリラドン達を背後に……。



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18-5.防戦

 スヴェンが待ち伏せの対処に向かった頃、エルナ達は吹き荒れる土煙に眉を歪めた。

 スヴェンが懸念した通りに動きを察知した野盗と紅いフードが攻勢に移り、荷獣車の真横を魔法が掠める。

 エルナの視界の端には隅で頭を抱えながら震えるルドマンと反撃と言わんばかりに魔法陣から黒炎を放つロイ。そして荷獣車に硬化魔法を施し、魔法や飛来するクロスボウのボルトを防ぐラウルが移り込む。

 あくまでも目的はスヴェンが戻るまでの牽制と防衛だ。彼が戻り合流するまでのわずかな時間、それまで紅いフードがどんな魔法を使い、大鎌を操るのか分析しておきたいところだ。

 エルナが思考する傍ら荷獣車を掠める爆炎にルドマンが悲鳴を叫び、

 

「な、なんとかしてくれ! そのために護衛として雇ったんだっ!」

 

 なんとかしろと騒ぎ立てる。

 十人の野盗と紅いフードに襲われる。そして待ち伏せも含めればこれも妙な話に思えて仕方ない。

 ルドマンが持つ古代遺物が狙いなら大人数は必要無い、むしろルドマンの他にも身なりの良い行商人や旅人が居るにも関わらず野盗の集団はそちらに眼を向ける様子が見られない。

 それだけ古代遺物に価値が有るのか、ルドマン自身に何か有るのか。

 

「うーん、狙われる心当たりは有る?」

 

「そ、そんなの決まってるじゃないか! 狙いはこの古代遺物に決まってる!」

 

 怯えた様子で鞄を大事そうに抱えるルドマンにエルナはこれ以上の詮索はスヴェンへの不利益を招くと考え、野盗に向けて左掌を向けながら右ポケットの銀細工を握り締める。

 牽制とは言わず直接足を止めれば済むことだ。狙いは痩せたハリラドンの脚。紅いフードが何かしてくる可能性は充分に高い、それはそれで行動を観察できる利点も生まれる。

 

「ラウル、ロイ、続いてね『銀の鎖よ、獣の脚を絡め取れ』」

 

 右ポケットの銀細工を媒介に、左掌に構築された魔法陣から銀の鎖が疾走する地面を蛇の様に這いずる。

 銀の鎖が手近な痩せたハリラドンの脚に迫るが、狙いを察知した紅いフードの大鎌が孤月を描き、銀の鎖を弾いた。

 

 --うん? そんなに魔力は込めてない。むしろ造形変質を加えてるから銀細工の強度は落ちてるのに。

 

 通常なら簡単に破壊できる銀の鎖を紅いフードはわざわざ弾いた。大鎌という扱い辛い武器の特性、走り続けるハリラドンが合わさり破壊するだけの力を込められなかったのか? いやそんな筈はない、大鎌を振る際に時速六十キロで走るハリラドンの速度が加わっているのだ。銀の鎖が破壊されてもおかしくはない。

 エルナが思考する最中、ラウルとロイが魔法を詠唱する。

 

「『水流よ押し流せ』

 

 転倒は防がれたが、スヴェンが離れた直後に話し合った狙いの一つ。

 ラウルが放った水流が疾走する荷獣者から流れ、野盗をハリラドンごと押し流す。

 そこにロイの追撃が入れば野盗だけでも大きく引き離せるだろう。

 

「『黒き電流よ、堕ちよ』」

 

 野盗の上空に出現した魔法陣から黒雷が放たれ、水浸しの地面に黒雷が堕ちる。

 水を通して押し流された十人の野盗に黒い稲妻が走り、全身に雷が襲う。

 地面に倒れ、気を失う野盗にルドマンから安堵の息が漏れる。

 気を抜くにはまだ早い。銀の鎖による一手を防がれ、水流の二手を躱され、三手の黒雷と水流による広範囲の感電も紅いフードには通用せず依然と距離を縮めている。

 紅いフードは大鎌を構え、口元を不気味に歪ませ--紅いフードは掌を上に詠唱を唱えた。

 

「『さあ、我が血よ! 血肉を喰らい渇きを満たす時だ』」

 

 掌に展開された魔法陣から血が吹き荒れる。

 

「『血よ、我が刃に宿り呪いの刃を』」

 

 吹き荒れた血が呪詛を纏いながら大鴉に纏わり付く。

 

「『血よ踊れ、血の雨よ呪い祝え』」

 

 詠唱によって呪詛を含んだ血の雨が降り出す。

 呪詛を含んだ血の雨にエルナは御者に振り向く。

 

「おじさん! この雨を浴びちゃダメ!」

 

 しかし警告は一歩遅く、血の雨を浴びた御者が苦痛に身体を抑え、ゆっくりと横たわった。

 浴びるだけで全身に苦痛を齎す血の雨にエルナ達は戦慄を浮かべ、紅いフードが血と呪詛を纏った大鎌を大きく動かす。

 

「なんかヤバいぞ!」

 

 ラウルの警告にエルナは呆然と怯えるルドマンに覆い被さった。

 

「伏せて!」

 

 エルナの叫びにラウルとロイがその場に伏せた直後、孤月の軌跡が荷獣車に走り--荷獣車の半分が真横に両断された。

 地面に崩れ落ちる荷獣車の屋根、そして血の雨が降り注ぐ。

 同時に半円を描きながら大鎌が紅いフードの元に戻る。

 

「うぐぅぅ。こ、この痛みはちょっと辛いかも」

 

「全身痛いし、また大鎌が来たらヤバいって!」

 

「あぁ、雨だけでも! 『闇よ、覆い隠せ』」

 

 崩れた屋根を闇のカーテンが覆い隠し、血の雨の影響が身体から消える。

 どうやら血の雨に含んだ呪詛には継続性が無いようだ。それにハリラドンにも影響が無いところを見るに、効果が及ぶのは人だけ。

 エルナはロイに視線で御者にも魔法を使うように指示を出し、恐怖のあまり気を失ったルドマンに息が漏れる。

 

「騒がれるよりマシなのかな?」

 

「少しは手伝ってもらっても良かったんじゃ……っ! アイツが近付いてる!」

 

 顔を向ければ紅いフードが既に荷獣車の真後ろまで迫り、血と呪詛を纏った大鎌を振り上げていた。

 刹那の瞬間、紅いフードに隠れた瞳と眼が合う。

 それは人の眼とは程遠い、血を求めて病まない狂気に染まった眼だ。

 邪神教団が邪神復活のために生贄を狂気的なまでに求める異常性と同様な--己の目的を果たすためならどんな手段も厭わない、そんな眼にエルナは詠唱を唱える。

 

「『空の彼方より、万物を呑み込む孔よ……』あっ」

 

 詠唱よりも先に紅いフードの大鎌が視界に迫り、エルナは詠唱を止め死を覚悟した。

 目前に迫る死を前にエルナの頭に様々な光景が過ぎる。

 死の恐怖、奈落の底で毎日のように感じていた死の気配と邪神の存在に怯える日々、そんな生活から漸く脱出して得た自由と当たり前の生活。

 ラピス魔法学院ではロイとラウル、同室の友達にも恵まれ満たされた心と環境。

 邪神教団の異端者として恵まれた環境に居た罰が降ったのか--自由の代償と対価は償いと自身の命、釣り合わない対価にエルナは眼を瞑った。

 しかしエルナの元に痛みも死も訪れず、ロイとラウルの安堵のため息--そして刃が弾かれる音に漸くエルナは眼を開けた。

 血の雨が降り続ける荷獣車の外でガンバスターで血と呪詛を纏った大鎌を弾いたスヴェンの背中にエルナは驚愕する。

 

「お、お兄さん!?」

 

 絶え間無い苦痛を諸共せずハリラドンに騎乗したスヴェンがガンバスターの刃で紅いフードの大鎌を弾く。血の雨を僅かでも浴びて身体に齎す苦痛がどんなものなのか身を持って体験してるからこそ判る。

 常人や大人でも気絶してしまう苦痛を平然と、ましてや軽々とガンバスターを薙ぎ払い大鎌ごと紅いフードを地面に落とす彼は異常だ。

 同時にエルナは気が付く--紅いフードが落ちた地面は既に大鴉に喰い荒らされた大量の肉片が転がっていることに。

 スヴェンは先行して待ち伏せの対処に向かい、全滅させた後にこちらに引き返した。

 二十頭の痩せたハリラドンから見て野盗も二十人は居たことが判る。それを数分の内に全滅させて戻って来たというのだ。

 

 --お兄さんが恐ろしいことは判ったけど、モンスターの生息地域も近付いてる。

 

 御者が気絶した荷獣車をこのまま走らせて守護結界領域を抜けるのは危険だ。

 エルナがそう判断すると、同じことを考えていたロイとラウルがハリラドンの手綱を弄ることで荷獣車を停める。

 ハリラドンが脚を止めたことにスヴェンが察した様子で、黒いハリラドンから降りる。

 そしてガンバスターを片手に、

 

「荷獣車を魔法で補強したってことは、アイツを野放しにメルリアに向かうのは逆に危険だな」

 

 闇のカーテンで覆い隠された荷獣車を一眼見て冷静に判断していた。

 

「お、お兄さん……雨は大丈夫なの? それ、けっこう痛いよ」

 

「こんなもん慣れで如何とでもなる。ってか痛みだけで死ぬわけでもねえよ」

 

 痛みによるショック死は有り得るが、それでもエルナは口を開くことを止めた。

 既に紅いフードが立ち上がり、大鎌をスヴェンに向けているからだ。

 

「アニキ! 援護するよ!」

 

「いや、止めておけ。コイツは下手に刺激すれば面倒な手合いだ。それに動きを止めた荷獣車は格好の的になる……三人はルドマンの安全と防御に徹してろ」

 

 紅いフードをスヴェン一人が対処し、自分達はルドマンの護衛と荷獣車の防衛にエルナは従うように頷いた。

 実際に援護に入ったところで、例え相手が敵であろうとも自身もロイとラウルも殺しに躊躇してしまう。

 それでは逆にスヴェンの邪魔になると理解したからだ。

 だから自分達に出来ることはスヴェンの指示に従い、戦闘を観察することだ。



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18-6.交戦

 エルナの観察する視線を背中で感じ取ったスヴェンは、視線を向けず構わず紅いフードに斬りかかる。

 一閃が血の雨を払いながら紅いフードの目前に迫り、血と呪詛を纏った大鎌の斬撃がガンバスターの刃を防ぐ。

 魔法を纏った斬撃ならこちらの刃を弾いても可笑しくは無いはず。それどころか紅いフードの腕に浮かぶ血管と筋肉が防ぐことがやっとだと物語っている。

 

 --扱い難い大鎌と単純な力不足か。

 

 それでも血と呪詛を纏った大鎌に警戒心を緩めず、スヴェンは荷獣車の状態から一つだけ考察した。

 回転を加えることで投げ飛ばした大鎌に纏った血と呪詛が回転ノコギリの要領で単純な切断力を底上げしたと。

 スヴェンは大鎌を弾き、紅いフードの胴体に向けてガンバスターを横薙ぎに振り抜く。

 刃が軌跡を描き、刃が紅いフードの横脇に到達した瞬間、ガンバスターの剣先からぐにょりっとした感触が襲う。

 そのまま勢い任せにガンバスターを振り抜くも、紅いフードの肉を断つことも叶わず--ガンバスターの刃が横腹に弾かれてしまう。

 弾かれた勢いをそのままに、首目掛けて迫り来る大鎌を身を屈めることで避け、魔力を纏わせたガンバスターを地面から斬り上げた。

 魔力を纏わせたにも関わらず紅いフードのぐにょりとした感触の前に刃がまたも阻まれる。

 身体がダメなら頭は如何だ? スヴェンはガンバスターを引き戻し、頭部に刺突きを繰り出す。

 頭部に突き出されたガンバスターの刃がまた止まった。

 軟らか過ぎて斬撃が通らないなら別の方法を試すまで。思考と並列してスヴェンは突き出したままのガンバスターの引き金を引く。

 

 ズドォォーーン!! ゼロ距離で撃った.600LRマグナム弾が紅いフードの頭部で炸裂する!

 しかし頭部に銃弾をまともに受けた筈の紅いフードからは肉片は愚か血は一切流れず、弾頭も落ちる様子すら見せないが、銃弾の衝撃によって顔を覆い隠していた紅いフードが外れた。

 顔が曝け出された瞬間、肌に絡み付き心に侵食するような異質な気配が突如として漂う。

 不気味な気配と紅いフードの正体に後方に跳ぶことで距離を取った。

 

「コイツは、なんだ?」

 

 側頭部に浮き出た人の顔、髭のような触手に被われた口元。顔面に食い込んだ弾頭によって歪にへこんだ顔--そしてエルロイに近い爬虫類の瞳にスヴェンの眉が歪む。

 明らかに人間とは違う紅いフードが何者なのか、気配ですら判別できず……。

 

「「あーあ、素顔見られた。素顔見られた」」

 

 側頭部と後頭部から聴こえる声にスヴェンは愚か観察していたエルナ達までもが表情を浮かべる。

 人と変わらない頭部に三つの顔、人本来の顔は突き刺さった弾頭によってへこんでるが、口元が動いてるところを見るに生きているのだろう。

 そもそも一つの頭に三つの顔を持つ存在など誰が予測できようか。

 

「……なんなんだ? 身体は妙に軟けえわぁ、かと思えば顔が三つとか」

 

「「おやおや、悪魔ははじめてか」」

 

「悪魔だと? まさか、邪神の復活でも企んでのか」

 

「「邪神の復活ぅ? いやいや、悪魔の大半は我らが創造神を静かに眠らせたいと願ってるさ」」

 

 邪神の復活には関与しないと語っているが、果たして目の前の悪魔を信用して良いものか。

 悪魔という存在に遭遇したことはこれがはじめて。一応悪魔の血筋を持つ魔族とは何度か出会っているが--そこまで考えたスヴェンは魔族の特徴的な角と蝙蝠の翼、そして尻尾が無いことに疑問を浮かべる。

 あの特徴は悪魔の血筋を受け継いだからこその特徴だとばかり思っていたが、

 

「魔族とは随分と特徴が違うらしいな」

 

「「魔族は旧世代……つまり地上で邪神に産み出された悪魔と交わった人間の子孫さ」」

 

「「地獄に住む我々も確かに邪神に産み出されたけど、地獄の環境に適した姿形で創造されてるのさ」」

 

「生まれの違いか。……それで? 悪魔がわざわざあの荷獣車を狙ったのは? それにここ数日エルリア城周辺を騒がせていた通り魔はアンタらか?」

 

「「荷獣車の中に悪魔が過去に製造した魔道具……人間風に言うと古代遺物が有るから、さっきの人間達は同じく古代遺物を狙っていたから人間風に協力してみた」」

 

「「次の質問の答えだけどねぇ……実は悪魔は召喚者に応じて契約するんだ。今回は憑代の器が力と惨殺、混乱を望んだからこうして憑依してたんだけど」」

 

「けどなんだ?」

 

「「悪魔は人間に力を貸す際に対価を求める。要求が大きければ大きいほどそれ相応の対価を。だけどこの器は対価を払わず、我々の魔力を使い続けた。その代償として我々に適した身体に改造したわけさ」」

 

 スヴェンは要点を頭に入れ、目の前の悪魔と交戦を続けるか思案した。

 刃が通らない軟かな肉体と未知数の魔力と魔法。今も絶えず振り続ける血の雨。

 こうして会話が成立している辺り悪魔はまだ理性的とも思えるが、スヴェンは背後のエルナ達に眼を向ける。

 三人の顔色が目に見えるほどに悪い。いつからと問われれば、恐らく悪魔の姿が露呈した辺りからだろう。

 自身は悪魔を見ても何も感じないが、

 

「「そういえば、我々の姿は人間の精神にとって害なんだけど……君は既に狂ってるようだ」

 

 こちらの思考をよそに悪魔がそんな事を語り出した。

 

「まともだったら傭兵なんざやってねえだろうよ」

 

 身体を蠢かせる悪魔にスヴェンは思案を浮かべる。

 古代遺物を如何するべきかはルドマンが判断することだ。ただ彼は荷獣車で気絶しており、仮に目覚めたとしても悪魔を眼にしてまた意識を失わないとと限らない。

 そもそも目の前の存在に発狂され、余計なことをされても面倒だ。

 

「……それよか、アンタらが造ったつう古代遺物は危険な代物か?」

 

「「いいや、研究材料にはなるけど……人間には使用できない封印が施されてるのさ。ただ我々としてもこの人間が支払う対価を徴収しなければ割に合わない」」

 

「憑代では対価として不足ってわけか。第一ソイツは生きてんのか?」

 

「「既に死んでるよ。君が放った変わったヤツでね……そのおかげで我々も自由になったわけだ」」

 

「なら、アンタらが得たのは自由だ。ソイツは欲しくても中々得られない価値だと思うが?」

 

「「へぇ? 我々に古代遺物を諦めろって言うんだ……うん、悪魔は契約を重んじるんだ。例え契約者が死んでようともね。だからさ、我々はその古代遺物から手を引くよ」」

 

 悪魔はすんなりと大鎌を降ろし、次第に血の雨が止み始める。

 そして悪魔は血の霧を身体から放ち、

 

「「君は面白い、いずれ時の悪魔を殺せるかもね」」

 

 訳の分からないことを言い残して姿を消した。

 

「時の悪魔? なんのことだかさっぱりだが……無事か?」

 

 エルナ達に呼び掛けると三人は安堵したため息と共にその場に座り込んだ。

 無理も無い悪魔などという超常の存在と遭遇したのだ、緊張もそうだが消耗した精神では無理も無いだろう。

 

「休憩してから守護結界領域を抜けるか」

 

「さ、賛成……にしても悪魔を間近で見てよく平気だったね」

 

「あの気配……追跡者と似た雰囲気を感じたけど」

 

「アニキは悪魔すら恐れないのか」

 

 同時に話す三人にスヴェンは肩を竦める。

 

「聞くところによると追跡者は悪魔の血を使ってるだとか、恐らくロイが感じた気配はソレの影響だろうな」

 

「なるほど、確かに追跡者は悪魔の血と邪神の呪いに薬物も使われていた。でも恐ろしさは本物の方が断然上だったな」

 

「邪神教団は悪魔を召喚しねえのか?」

 

「さっきの会話は聴こえてたが、契約に必要な対価はまちまち……それに悪魔は信徒の召喚に応じないらしいんだ」

 

 さっき悪魔は大半の悪魔が邪神を眠らせたいと語っていた。逆に言えば一部には邪神復活を目論む悪魔も居る。

 スヴェンは邪神眷属に付いて聴いておけば良かったと自身の失敗に舌打ちした。

 

「まあいい、過激派の召喚に応じねえならそこまで警戒することもねぇだろう」

 

「でもさ、通り魔の犯人って結局如何なるんだ?」

 

「器は死んでんだが、一応野盗の件も含めて騎士団に報告義務が有る。後の判断は騎士団に任せていいだろ」

 

 スヴェンはそれだけ語り、しばしの休憩後に眼を覚ましたルドマンに事の顛末を報告しながらメルリアに向けて荷中者と黒いハリラドンを走らせた。



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18-7.護衛完了のあとで

 拍子抜けするほどモンスターの生息地域でモンスターと遭遇することもなくスヴェン達は無事にメルリアに到着していた。

 町の入口で半壊した荷獣車から降りたルドマンは相変わらず鞄を大事そうに抱え、それが悪魔が製造した古代遺物だと知りながらもむしろ価値が高まると喜ぶ始末だ。

 先程遭遇した悪魔はまだ話が通じる分類だったが、次も同じとは限らない。

 

「ルドマン、アンタはもう少し危機感を抱いた方がいい」

 

 依頼主の為を思えば自然とそんな言葉が出るが、同時に依頼を終えた後で彼が悪魔や野盗に襲われようともそこから先はエルリア魔法騎士団の領分になる。

 

「分かってる。次に悪魔と遭遇した時は古代遺物を手放すさ、誰だって命は惜しいからね」

 

 彼は目に見えて判る嘘を付いた。欲に染まった眼差しと笑ってるように見える歪んだ口元、腹の中では悪魔と契約して利用することも目論んでいるのだろう。

 

「忠告はした、後はアンタと荷物をメルリア考古学研究所まで連れて行くだけっと言いたいが……近くだったな」

 

 正門から少し進んだ道路、雑貨屋と装飾屋に挟まれた建物の看板に書かれたメルリア考古学研究所にエルナ達が不思議そうに首を傾げる。

 

「研究所って聴いてたからもっと町の中央部に在るのかと思ってた」

 

「俺もメルリア地下遺跡の入り口近くだとばかり」

 

「うへぇ〜ついでに買い物しようかと思ってたんだけどなぁ」

 

 一人だけズレたことを抜かすエルナにロイとラウルが苦笑を浮かべる中、スヴェンは改めて考古学研究所に視線を移す。

 以前訪れた時は視界にも入らなかった真新しいレンガ造りの建物、しかしスヴェンの記憶では確かに考古学研究所は町の中心に在ったと観光案内書に記されていた覚えが有る。

 移動したのかと考えれば、ルドマンが考古学研究所に視線を向け苦笑した。

 

「実は以前まで町の中央部に在ったんだけど、老朽化が酷くて先月辺りに引っ越したんだ。おかげで古代遺物保管所とやや距離ができてしまって行き来が面倒になったよ」

 

 スヴェン達は彼の話に納得した様子を浮かべ、ルドマンと共に考古学研究所に歩き出す。

 路地や人混み、行商人、商人の中にルドマンを狙う人物は確認できず--屋根にもそれらしい者は居ない。

 如何やら街道で遭遇した野盗で全員らしいが、ルドマンは野盗の間で懸賞金をかけられている。それに付いて道中で訊ねれば彼は質問に答えることは無かった。

 そして考古学研究所に到着したルドマンは懐から取り出した金袋をスヴェンに手渡し、

 

「いやぁ助かった! もしも機会が有ればまた頼むよ!」

 

 それだけ告げてさっさと考古学研究所に入っていた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 近場の喫茶店に移動したスヴェン達が金袋の中身を改めると、

 

「あの人、もう少し感謝してくれても良かったんじゃない? 私が居なかったら首チョンパだったのにさぁ」

 

 エルナが思い出したように不満を漏らした。

 

「仕事ってのはそんなもんだ。感謝される時も有るだろうが、金が絡む以上は案外素っ気ないもんさ」

 

「そういうものなんだ。でもこれでボランティア活動のレポートが書けるからいっか」

 

「うげっ、帰ったらそれが有るんだった……それに課題もまだ片付いて無いんだよなぁ」

 

「……アレを数日で終わらせるのは無理だ」

 

「私は終わらせたけど? それにそんなに難しくは無いよ」

 

 余裕の表情で語るエルナにラウルとロイがお互いに顔を見合わせる。そして二人は同時に手を合わせ拝むように、

 

「「エルナ様! どうか課題を手伝ってください!!」」

 

 にっこりと笑うエルナを頼った。

 

「仕方ないなぁ、ロイは基礎は理解してるから時間はかからないけどラウルはすこぉし気合い入れないとねぇ。あ、お礼は甘いお菓子でね」

 

 なんとも学生らしい会話を耳にスヴェンはラウルとロイが持って来た課題の量に思わず苦笑を浮かべた。

 

「まあなんだ、帰ったら課題でもしてろ」

 

「課題とは無縁のアニキが羨ましい」

 

「課題はねぇが、これでも学ぶことは多いんだよ。異界人ならなおさら常識だとか細え部分で齟齬も有るからな」

 

「悪魔に対する認識とかも色々と違いそうだなぁ」

 

 スヴェンは頷きながらこちらに近付く商人に視線を移す。ひょろっとした体格、緑の衣を着た吟遊詩人めいた装いの男性は四人を値踏みするような視線を向けていた。

 

「何か用か?」

 

「キミは腕が立ちそうだね」

 

 これは依頼を請ける機会だと思考したスヴェンは彼に真っ直ぐ眼を向け答えた。

 

「腕が立つかどうかはさておき、護衛が必要なら請けるが?」

 

「そうか! 実はエルリア城に向かう予定で護衛してくれそうな人を探していたんだ!」

 

 これも渡りに船だ。どの道エルリア城には帰ることになる。それなら帰りにエルリア城まで護衛が必要な依頼人から依頼を請けた方が効率が良い。

 こんな時のために必要な契約書類を持参していたスヴェンは、契約書類を男性に差し出しながら告げる。

 

「此処からエルリア城まで片道で銀貨五枚だ」

 

「なるほど、この用紙に書けば良いんだね……」

 

 男性は持参していた羽ペンで書類に記入しながら、自身がまだ名乗っていない事を思い出したのか一度羽ペンの手を止めた。

 

「おっと申し遅れたね。自分はヘルメ、ミルディル森林国の行商人さ」

 

 ミルディル森林国から来た行商人のヘルメにスヴェンは興味深そうに眼を細める。

 そんな様子を察したのか、ヘルメは少しばかり困り顔を浮かべた。

 

「ああ、悪いな。アンタに対して何か有るって訳じゃねえんだ。……ただ、パルセン酒造所の酒は扱ってんのか気になってな」

 

「えぇ扱ってますよ。自分が主に取引してるのはパルセン酒造所の酒ですからね。そうですね、護衛が無事に達成できたらいくつか差し上げますよ」

 

「そんな事して良いのか?」

 

「かまいませんよ、先方からは新規顧客獲得に向けて宣伝商品をいつか預かってますからね」

 

 パルセン酒造所の宣伝にも繋がりなおかつヘルメの懐が痛むことも無い。

 スヴェンとしてもパルセン酒造所と繋ぎができるのは有り難い提案だ。

 ヘルメが書き終えた契約書類を受け取り、互いに必要な書類を記入してからスヴェン達は黒いハリラドンとヘルメの荷獣車と共にエルリア城に向けて出発するのだった。



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18-8.ミルディルの噂と

 ヘルメを乗せた荷獣車をエルリア城まで護衛したスヴェン達は、

 

「これが報酬と約束のお酒だよ、今後も機会が有れば是非とも頼らせ……ふむ」

 

 報酬が入った金袋とパルセン酒造所産の赤ワインと蜂蜜酒を手にヘルメは思案顔を浮かべていた。

 行商人に限って今更報酬を払うのが惜しくなったとは考えたくも無いが、悩ましげなヘルメにスヴェンは訊ねる。

 

「如何した?」

 

「いや、実はキミ達が護衛業を続けるならミルディル森林国の情勢を伝えた方が良いかと思ってね」

 

 自国民から齎される情報は精度はもちろんのこと情報の信憑性も高い。

 ヘルメから情報を聴くことに関しては異論も無ければむしろ願ってもないこと。

 

「あぁ、今後他国にも足を伸ばすことも有るだろうからな。ミルディルの今の状況は如何なんだ?」

 

「邪神教団のこともそうだけど、怪しげな連中も森林国に多数入り込んでいるんだ」

 

「邪神教団がミルディルで何かしてるっのは小耳に挟んじゃいたが、怪しげな連中ってのは?」

 

「一つ確認が取れてるのはゴスペル、あとは野盗の類いだとは思うんだけど正体が判らないらしい」

 

 ゴスペルはともかく、正体が判らない野盗については気掛かりなことも多い。

 邪神教団と繋がっている商人、人攫いを目的に手を組んでいる野盗も考えられるが、単純に魔王人質の混乱に乗じて誕生した野盗の組織という可能性も捨て切れない。

 

「野盗の新興勢力ってことか」

 

「そうかもしれない。まあ、とにかくミルディル森林国に訪れることがあったら気を付けてね」

 

「ああ、注意しておこう」

 

 ヘルメは金袋と酒を手渡し、荷獣車を雑貨屋に向けて走らせた。 

 スヴェンは黒いハリラドンとエルナ達に振り返れば、三人は僅かに疲れた表情で、

 

「うー、荷獣車でエルリア城とメルリアの往復は疲れたなぁ」

 

「帰り道で遭遇したモンスターもスヴェンが殆ど片付けたとはいえ、流石に尻が痛いな」

 

「なんか、前にアニキ達と乗った荷獣車と乗り心地が全然違ったなぁ」

 

 そんな事を言い出した。

 荷獣車一つでそんなに乗り心地が変わるものなのか、他の荷獣車に乗ってたことが無いから何とも言えなければ、三人が乗り物酔いした様子も見られない。

 それでも確かに三人は疲れている。悪魔と遭遇したことも踏まえれば疲労が蓄積されていてもおかしくはない。

 それにっとスヴェンは改めて三人に眼を向ける。

 

「初仕事にしちゃあ上出来だったな」

 

「あ、アニキ! アニキが褒めてくれるなんてっ!」

 

 ラウルは何を勘違いしてるのだろうか? いくら自身が外道であっても人を褒める時は素直に褒めるし、仕事振りに応じて報酬を出す義務も有る。

 例え正式に雇用した訳でも無いが、ボランティアとしてタダで使うには少々もったいない。

 特に魔法が使えない自身にとって魔法が使える三人は貴重な戦力だ。

 

「これでボランティアじゃなかったら報酬をお願いしてたのになぁ」

 

「エルナ、俺達は元々贖罪のために活動してるし……それに贖罪を条件にラピス魔法学院の編入が許されたんだぞ」

 

「でもさ、やっぱり服とか買うお金は欲しいじゃん。部屋着のワンピースとかもカノンお姉さんの御下がりだしさ」

 

 学生なら確かに金は入り用になる。それこそ三人の自衛に必要な武器の購入にも金は必要だろう。

 スヴェンは金袋から銀貨三枚を取り出し、それぞれに手渡した。

 受け取った銀貨に三人はきょとんと首を傾げ、視線が疑問を問う。

 

「労働に対価は必要だろ、そいつが今回の報酬だ」

 

「え!? あ、アニキ、おれ達は金を稼ぐためにアニキの下に居るわけじゃ……」

 

「アンタらがどんな契約でラピス魔法学院に編入したかは知らねえが、学生は何かと金が掛かると聴く。それによ、こっちで面倒見てる間にいちいち買い物に付き合うのも面倒なんだよ」

 

「おぉ! 特に報酬を得ることに関しては何も言われてないね。それに学生の中にはバイトしてる子も居るもんね」

 

「ボランティアが報酬を……まあ、でも武器や文具に参考書を買うにも色々と金が掛かるか」

 

 各々報酬を得ることに納得し、懐にしっかりと納めた。

 その中でもまだラウルは迷っている様子を見せるが、彼が山道を行く商人を襲っていたのは知っている。

 だからスヴェンは彼にこう告げた。

 

「奪った分だけ護ってみせろ。それが今のアンタにできる償い方の一つだ」

 

「そっか、護衛を請けるってことはいつか襲った商人と出会うことも有るんだよな」

 

「あぁ、そん時は誠心誠意謝罪でもしてやれ」

 

「お兄さんの口から誠心誠意謝罪なんて言葉が出るなんて意外?」

 

「俺を何だと思ってんだ? 仕事もそうだが依頼、過去に関わったことが有るヤツに誠意を示すのは当然だろ」

 

「お兄さんって実は仕事に関して真面目?」

 

 これは傭兵もそうだが、下手な仕事をしては信用問題に関わる。

 仕事は誠実に真面目に取り組むべきだ。それは傭兵であろうとも何も変わらないーー違いが有るとすれば積極的に人を殺すかどうか程度。

 

「不真面目な奴を誰が信用すんだよ」

 

「それもそうかも……ひょっとしてお兄さんって優良物件だったりする?」

 

 何を言い出すかと思えば、外道が優良物件なら他は最高の物件になるだろう。

 それに稼ぎそのものは商売が始まったばかりで良いとは言えない。むしろ魔王救出で得た報酬金を頭金にしてるため、生活に困ることは無いがボディガード・セキュリティとしては問題だ。

 

「俺は違えな、最良物件なら騎士団だとか年収の良い奴のことだ」

 

「なるほどぉ、前に友達が付き合うなら出世しそうな男子が良いっていてたから」

 

「……歳頃の娘はもうそんな事を考えてんのかよ」

 

 付き合う男性の収入に不安が有るなら自分で稼げば手っ取り早いとは思うが、そこは女性心理も有るのだろう。

 そう考えたスヴェンは歳頃の少女の恋愛観を深く考えず、黒いハリラドンの手綱を引っ張る。

 

「俺は騎士団に報告に行って来るが、アンタらは先に帰って課題するなり自由に行動してろ」

 

「お兄さんに付いて行くのは?」

 

 エルナの申し出に、彼女の後ろでラウルとロイが捨てられた仔犬のような眼差しを向けていた。

 

「背後見てみろ」

 

「お〜? あぁ、そうだったね。哀れなキミ達に救いの手を差し伸べてあげようじゃない」

 

 二人に振り向いたエルナがそんな事を語り、スヴェンはロイに貰った酒を預けてから黒いハリラドンと共に歩き出した。

 

「あっぶねぇ! 明日の登校日までには有る程度課題を終わらせたいからなぁ」

 

「ラウルは補習も有るからねぇ〜」

 

「お、思い出させないでくれよ!」

 

 エルナがからかい混じりに口にした補習にスヴェンは足を止める。

 こっちは一応ボランティアとして使ってる身だ。ボランティア活動の業務手伝いによって学業を疎かにさせる訳にはいかない。

 スヴェンはラウルに振り向き、

 

「ラウル、手伝いを続けてえなら学業も両立してみせろ」

 

 低めの声でそれだけ告げ、その場を後にする。

 そしてエルリア城を目指して進んだ道中で、

 

「あ! スヴェンさん、こんなところで奇遇だね!」

 

「やあ、スヴェン。キミに少し聴きたいことが……」

 

 偶然ミアとレイに遭遇し、エルリア城に向かう手間が省けるが人を間に挟んで睨み合う二人に思わずため息が漏れる。

 

「なによレイ、スヴェンさんに先に声をかけたのは私だよ?」

 

「キミの場合は暇潰しだろう? こっちは職務の最中で彼には事情聴取が必要なんだ」

 

「暇潰しじゃないよ、私も彼に用が有るの!」

 

「……あの件なら諦めたらどうだい? それともキミはスヴェンを殺す気か?」

 

 人を間に挟んで漂う険悪感にスヴェンは深いため息を吐く。

 

 ーー俺が死ぬ? ミアの個人的な依頼ってのはそれほど危険ってことか。

 

 スヴェンは一瞬だけミアに眼を向け、彼女はまだ依頼を出すかどうか迷ってる様子が目に見えて判る。

 ふと数多の視線に注目されていることに気付いたスヴェンは、

 

「取り合い? まさかの一人の男を少女と騎士が取り合いなの」

 

「あれってミアさんとレイさんだよなぁ? 二人に挟まれてる男性って何者だ?」

 

 ちらほらと聴こえてくる声に息を吐く。下手に目立つのも好ましくない。

 

「二人とも俺の事務所に来るか? どの道、騎士団には報告するんだからよ」

 

「……キミが構わないならお邪魔させてもらうよ」

 

「分かったよ、私もラウル君達の様子は見たいしね」

 

 こうしてスヴェンはミアとレイを連れて来た道を引き返し、自宅が在る職人通りに向かうのだった……若干気不味い空気を背中に受けながら。



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18-9.蟠り

 自宅にミアとレイを連れたスヴェンはそのまま二人を事務室に通した。

 

「あ! 姉さん久しぶり!」

 

 ミアにいち早く気付いたラウルが満面の笑みと眼を輝かせる中、騎士甲冑を装備したレイにロイが一度羽ペンの手を止めソファから立ち上がる。

 そして彼は軽やかな足取りで二階キッチンに向かい、今度はエルナが一瞬考え込む素振りを見せたかと思えば口元を緩めた。

 

「お兄さん、イケメンの騎士と美少女を同時に連れ帰るなんて……私はそんな子に育てた覚えはないよ?」

 

「育てられた覚えはねぇよ……コイツらは途中で遭遇してな、色々と都合が良いから連れて来た」

 

「おお、お兄さんらしい理由だね。でもそっちの女性は前にジルニアで会ってるよね」

 

「そう言えばあの時は自己紹介もして無かったわね。私はミア、スヴェンさんとは旅行に同行していた関係よ」

 

「私はエルナ、さっき離席したのがロイね。知っての通り元邪神教団で今はボランティアの一環でここに厄介になってるよ」

 

 エルナがそう自己紹介を述べるとミアのじと眼とレイの苦笑混じりの眼差しが同時に向けられる。

 そんな眼をされる覚えは無いが、両者の間で漂っていた険悪な空気は一先ず収束したようだ。

 

「スヴェンさん、ラウル君はともかく引越しして速攻でかわいい女の子とかっこいい男の子を連れ込むのってどうなの?」

 

「あの、ミアの姉さん? おれはともかくってなんか酷くない?」

 

「人聞きの悪いことを言うなよ。護衛ってのは少人数の方が安定もするもんだ」

 

 ため息混じりに答えればミアは納得した様子で肩を竦めた。

 彼女も既に自身の思考を有る程度理解している。何を優先しているのかも。

 

「流石仕事を優先にしてるだけは有るね。エルナちゃんもスヴェンさんは無害だから安心していいよ」

 

「お兄さんを無害って判断するにはちょっと難しいかも。お兄さんって殺しに躊躇しないじゃん」

 

「あ〜まあね、敵認定した対象はほとんど殺害してるかも」

 

「うっ、あの時姉さんがアニキを説得してなかったらおれは今頃……」

 

 三人の会話は事実だから何も否定しようが無い。むしろ自身の危険性は肯定し周知されるべきだ。

 

「……そうか、それじゃあ街道の死体や肉片もキミの仕業ってことかな」

 

「あぁ、護衛中に野盗と悪魔に襲撃されてな。ついでに最近騒がせていた通り魔にも会った」

 

 報告すべき事実を簡素にまとめて告げると、ミアとレイが互いに顔を見合わせながら困惑した様子を浮かべた。

 

「……ねえ、レイ? 私の聞き間違いかな? いま悪魔って単語が聞こえたんだけど?」

 

「僕にも聞こえたよ……つまり、スヴェンは野盗に使役された悪魔と交戦したと?」

 

「いや、正確には通り魔が契約した悪魔だな。ま、通り魔は悪魔に対価を支払わず力を行使した結果、身体を改造された挙句肉体は乗っ取られたそうだ」

 

 ついでに言えば憑代の人格は撃ち込んだ.600LRマグナム弾によって死亡している。

 ただ通り魔として悪魔が事件に加担していた事実も含めれば、渋い表情を浮かべるレイに思わず同情が湧く。

 

「通り魔事件に悪魔か……それでキミは悪魔を討伐したのか?」

 

「いや、無理だったな。ありゃあ身体が軟らか過ぎて射撃も斬撃も通らねえ。それに存外話が通じる奴でな、今回は手を引いてくれた」

 

「……キミで無理なら僕の小隊にも無理だな」

 

「……そうやって試しもせずすぐに諦める」

 

 ミアの辛辣な口調にレイは意に返した様子を見せず、また漂い始める険悪な空気にラウルとエルナが身を震わせた。

 

「お兄さん、この二人って仲が悪いの?」

 

「……悪くはねえとは思うが、まあ致命的に相性が悪いって訳でもないらしい」

 

 本当に険悪なら会話も無ければわざわざ二人は此処まで着いて来ないだろう。

 ただ、二人は故郷に関する問題ですれ違っているだけで本気で害そうとは微塵も考えていないのは、互いに殺意が無いからこそ理解ができる。

 

「そうだ、スヴェンさんは悪魔と交戦して身体や精神に違和感は無かった?」

 

「いや、何も感じなかったな。ドラクルの死域みてえに魔法が介在してねえ影響もあんだろうが……」

 

「それは良かったけど、無茶と無理は禁物だよ? 悪魔の中には眼を合わせただけで石化させちゃうのも居るし……時間を操る強大な悪魔も存在が確認されてるんだから」

 

 時間を操る悪魔。それはあの悪魔が去り際に言い残した時の悪魔のことだろうか? 

 悪魔に対する知識が不足している。なんとも判断に困るが、これだけは直感で判る。

 ミアとレイの前で時の悪魔に関する話題は恐らく禁句だ。実際に時間を操る悪魔とミアが口にした途端、二人からドス黒い殺意を内側から感じられた。それだけ時の悪魔を憎んでいる証拠にもなる。

 

「了解した、悪魔と遭遇時はなるべく交戦を避けるようにするわ……で? レイの用事はともかくアンタの用事はなんだ?」

 

 ミアの要件を訊ねれば、彼女はこちらに近寄って耳元で自分にだけ聴こえるように小声で話した。

 わざわざそうすることの意味は恐らくラウルやエルナ達を気遣ってのことだろう。

 

「じ、実はそんなにたいした用は無くて……ほんっと休暇だから遊びに来ただけなの」

 

 レイの指摘通りに答えるのが余程癪に障り、見栄を張ったということか。

 特に重要でも無いことにスヴェンは内心で深いため息も吐き、同時に旅で世話になった彼女には黙認するだけの義理が有る。

 ミアが耳元から離れた丁度に、人数分の紅茶と茶請けの菓子をトレイに乗せたロイが戻って来た。

 

「遅くなってすまない」

 

 そう言って彼は紅茶と茶請けの菓子をテーブルに並べる。

 

「レイ、報告はさっきも言った通りだが調書は必要か?」

 

「殺し過ぎな気もするけど、キミは業務の範疇で行動しているっと事実確認も取れた。それにキミ達が無力化した10人の野盗から色々と話も聴けそうだからね」

 

「情報は絞り出せるだけ出した方が良いからな……それにミルディル森林国では名の知れない野盗からゴスペルまで入り込んでいるらしいじゃないか」

 

「……ふむ、その件はフィルシス騎士団長に報告しておくよ。これで僕の用事も終わったから今日は失礼させてもらう」

 

 それだけ言い残してレイはさっさと帰って行った。

 ミアがこの場にまだ居るからなのか、それとも単純に職務勤務中だからか。

 何方にせよ、これ以上二人の険悪な空気に晒される必要もないだろう。

 スヴェンは早速ソファに座り、紅茶に一口付けると。

 

「ところでエルナちゃんは何処で寝てるの?」

 

「お兄さんの部屋で寝てるかな」

 

 聴く者によっては盛大な勘違いから面倒な事態を引き起こしかねない会話だが、ミアは察した様子で笑みを深めた。

 

「なになに? スヴェンさんは引っ越して早々に部屋を取られたの?」

 

「不本意だがな、だがまぁ部屋もベッドもねぇとなると歳頃のガキをソファに雑魚寝させる訳にもいかねえだろ」

 

「スヴェンさんらしいよね、そういうところは」

 

「アニキ、流石におれもロイと引っ付いて寝るのは勘弁したいんだけど」

 

「ラウル、俺も我慢してるんだ」

 

 ラウルの言い分も理解できるが、現状ベッドが無ければ如何にもならない。

 

「大丈夫なの? 寝ぼけてスヴェンさんに近寄って制圧されてない?」

 

「「実は組み伏せられた」」

 

 哀愁漂うラウルとロイにエルナが爆笑し、ミアのなんとも言えない苦笑と『どうにかしてあげたら?』と訴えかける視線にスヴェンはわざとらしく肩を竦める。

 

「部屋は余ってるが、問題はベッドだな。夕食に必要な材料の買出しついでにベッドでも買って来るか」

 

「良いねぇ〜なんなら今日は私も泊まっちゃおうかなぁ?」

 

「アンタは帰れよ」

 

「うっ、相変わらず辛辣ぅ」

 

 こうして茶請け用の菓子を食べたミアは渋々とエリシェの下に向かい、スヴェン達は食材とベッドを買いに出掛けることにーーフィルシス騎士団長が例の悪魔と遭遇してるとも知らずに。



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18-10.恐怖

 エルリア城の北西に位置する広い平原で悪魔の悲鳴がこだまする。

 紅いフードを羽織った悪魔は大鎌を肩に平原を疾走しながら恐怖に身を震わせていた。

 視線を僅かに背後に向ければ、一定の距離を保ちながら追い迫る銀髪の女騎士ーーフィルシスに恐怖心が浮かぶ。

 本来悪魔は人を恐れることは少ない。少ないが、決して例外が無い訳でも無く、例えば背後で剣を片手に迫っているフィルシスだ。

 出会い頭に一振りの斬撃から繰り出された三十八の斬撃と魔力の衝撃波に襲われ、それでも悪魔は生きていた。いや、生かされていた。

 

「「なんで悪魔を襲うんだよぉ〜!!」」

 

「悪魔と戦えるなんてまたとない機会なんだ、少しは反撃して欲しいかな!」

 

 それはもう嬉しそうに、世の男性が見れば彼女の愛らしい微笑みにころっと心が傾くだろう。

 片手に剣が握られず、こちらを追い掛けて来なければだが。

 悪魔は本能で理解していた。彼女なら簡単に悪魔を葬り去れると。現に自身の軟らかく斬撃や物理的な衝撃を一切通さない身体は、彼女が放った剣技によって一度バラバラにされている。

 悪魔だから簡単に死ぬことは無いが、それでも彼女の扱う剣技と時折り纏う魔力は非常に危険だ。

 せっかくの自由を理不尽に奪われたくは無い。かと言って反撃に出たところで結果は目に見えている。

 悪魔は足を止め、訝しむ彼女の前で大鎌を地面に落とした。

 そして両手を挙げ、降参のポーズを取ればフィルシスは非常に残念そうに剣を鞘に納めた。

 

「あ〜あ、せっかく良い感じに身体も温まってきたのにぃ」

 

「「勘弁してくれよ」」

 

 何が悲しくて人間に殺されかけなければならないのか。随分昔に比べて人間は勇ましく成長してるようにも思えるが、フィルシスのような人間は彼女だけにして欲しいっと悪魔全体を顧みても思わずにはいられない。

 そもそも彼女は一体何が目的で攻撃してきたのか。

 

「「どうして襲ったのか理由を聞かせてくれよ、悪魔でも流石に傷付くんだよ??」」

 

「ごめんね、キミの身体から感じた血の臭いとエルリア城に運び込まれる怪我人が如何にも符号してるように思えてね。悪魔と戦える機会でも有ったから襲わせてもらった」

 

 確かに死んだ憑代は力を求めて人々を大鎌で斬ってきた。人にとって深手を負った彼らは既に死んでいると思っていたが、フィルシスの口振りではどうにも違うらしい。

 同時に憑代の非力さを思えば誰も殺さなかったことに妙に納得もできる。

 

「「死者は出てないみたいだけど、それでも逮捕するつもりかな」」

 

「死者は出てないし、優秀な治療師のおかげで傷跡も残らない。だけどキミを捕まえるには充分な理由だ、でも私としては交渉の余地も有ると思うんだ……」

 

「「交渉? 我々悪魔と契約ではなく交渉を?」」

 

「そっ、キミ達は自由を謳歌したい。でも自由に生きるなら人の世のルール。つまり社会に溶け込まないといけないよね?」

 

 確かにフィルシスの言う通りだ。現世で自由を謳歌するには社会に適応し、そのルールの中で生きる必要が有る。

 例え悪魔だからといって無秩序に振る舞えば、彼女のような存在にいずれ討伐されるだけ。

 悪魔は自身が望む自由のために理解したと言わんばかりに頷いてみせる。

 

「うん、その為にはまずお金も必要になるよね? キミ達悪魔が求める対価がさ」

 

「「悪魔でも働ける環境が有る?」」

 

「今の所は無いけど……私の提案に乗ってみる気は無いかい」

 

「「提案……我々に何をして欲しいのかな」」

 

「キミには情報屋を営んでもらおうと思ってね。私達は欲しい情報をキミが提示する情報をお金で対価を払うというのは如何かな? もちろんその歪にへこんだ顔と側頭部の顔、後頭部の顔も隠して貰うけど」

 

 悪魔にとってフィルシスの提案は面白いと思えた。こちらで使える情報収集能力を駆使して人間が欲する情報を硬貨で取引する。

 これも停滞気味な悪魔に新しい風を吹かせるまたとない機会でもあれば、いざという時ーー邪神眷属を止められる悪魔を地上に呼んでおくことも可能になるかもしれない。

 邪神は世界の破滅も人類の滅亡も望んではいない。ただ、邪神ゆえに暴走してしまった自身を永劫に封じ込める。それが邪神の願いだ。

 

「「良いね、その話乗ったよ!」」

 

「それじゃあ早速で悪いけど私と一緒に来て貰おうかな。情報屋として活動させるにもオルゼア王と姫様の承認が必要だからさ」

 

「「承知したよ。あっ、でも次からは出会い頭に斬らないでよ。我々は悪魔の中でも力は弱い方なんだから」」

 

「しょうがないなぁ〜。はぁ〜何処かに私を満たしてくれる人……ふふっ、そう言えば割と近くに居たじゃないか!」

 

 思い出したように笑みを浮かべるフィルシスに、悪魔は彼女の思考を見透した。

 彼女が思い浮かべる人物の姿ーー街道で交戦したスヴェンの姿に悪魔は心の底から彼に対して同情心を浮かべた。

 しかし、彼女の提案は改めて考えれば渡りに船だ。悪魔とは言えども無計画には自由に暮らせないのだから。

 幸い自身は双子の悪魔、双顔の悪魔とも呼ばれ、憑代さえあればいつでも別れることも可能だ。

 悪魔は楽しそうに思考に耽るフィルシスに声をかける。

 

「「流石にこの姿で謁見は騒ぎになるだろうから、何か良い感じの器を用意してくれないかな」」

 

「器かい? 人形でも良いなら職人通りに腕利の人形技師が居たね」

 

「「人形でも良いよ、人の憑代ってお腹も空くからね。本来悪魔は食事が不要だけど人を憑代にすると肉体の活動に必要な栄養摂取も必要になるんだよねぇ」」

 

「人形だね、私の方で手配しておくけど……器は一つで良いのかい?」

 

「「いいや二つ、もうこの身体は死んでるからね」」

 

「憑代の人間が死んだら乗り換える。なんとも悪魔らしい考えだ」

 

 無感情のままにそう告げるフィルシスに冷や汗が浮かぶ。

 彼女は心の底から恐ろしいが、今はお互いに利用すれば利益が有る。

 契約を結ばない関係というのも不思議な感覚だが、悪魔にとってはこれも人生の一つとして受け入れーー紅いフードを目深に被り直しては彼女と歩き出すのだった。



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第十九章 来客、そして森林へ
19-1.騒がしい朝


 八月五日の騒がしい朝、寝坊したラウルの慌しい足取りがキッチンに響き渡る。

 スヴェンの対面に座ったロイとエルナは優雅にブルベリージャムを塗ったパンと今回は成功したスクランブルエッグを口に頬張っていた。

 

「寝過ごした! まだ朝飯は残ってるか!?」

 

 スヴェンはエルリア通信とコーヒーカップを片手にテーブルに駆け寄るラウルに視線を移す。

 寝坊したから朝食抜きというのも、朝食は祝福であり一日の始まりだ。それを成長期の子供に与えないとなればボランティアとして使っている身としてはあまりにも不義理だ。

 

「朝から騒がしいガキだな……アンタの分はそこに置いてあんだろ」

 

「うおお! アニキ、頂きます!」

 

「朝からラウルは元気だね……私は全然眠いのに」

 

 ラウルはパンにスクランブルエッグとカットトマトを挟み、豪快に齧り付きながら眠そうに欠伸をかくエルナに視線を移した。

 咀嚼し、口の物を飲み込んだラウルは、

 

「そういえばエルナは朝とか、一時限目はいつも眠そうだよな」

 

 普段の授業風景を思い出したように呟いた。三人の授業風景に興味は無いが、ラウル達がどんな魔法を学んでいるのかは自然と興味が惹かれる。

 

「エルナはいつも頭の中で魔法を繰り返し詠唱しているんだ。それに加えて造形魔法に関わる形のイメージトレーニングも欠かさずな」

 

 頭の中で欠かさないイメージトレーニング。エルナの努力家な一面にスヴェンはコーヒーを口にした。

 努力家は成長が速い者も居れば身を結ばない者も居る。かといって努力を怠れば成長することもない。

 努力と一言で言うが、それがどれだけ難しいことか。

 

「ロイ、私は一応天才って通ってるんだからバラさないでよ」

 

「俺とお前のことをまだよく知らないスヴェンにも知ってもらう機会だと思ったんだけどな」

 

「頭の中でイメージトレーニング……だから朝眠いのか?」

 

「うーん、朝が弱いってこともあるけどね。イメージトレーニングを重ねると疲れて眠くなっちゃうんだよ」

 

「俺は魔法が使えねえが、頭の中で描いた魔法陣を消して描いての繰り返しだろ? ただでさえ情報量と複数の術式が詰まってるもんを繰り返せば脳が疲れるのは無理もねぇ」

 

「甘い物は元々好きだけどね、なんだか甘い物が欲しくなる原因もそれ?」

 

「イメージトレーニングを始めたのはいつ頃だ?」

 

「えっと、だいたいラピス魔法学院に編入した時からかな」

 

「なら脳が糖を求めてんだろ。だが、摂取のし過ぎは身体に良くねえらしい」

 

「なるほど。じゃあエルナ、イメージトレーニングは1日1、2時間にしてみたら如何だ?」

 

「そうしてみる……そう言えばお兄さんは朝早くから何処かに行ってたよね」

 

 エルナに話題を振られたスヴェンは魔法時計に視線を向け、時刻が七時四十分を指していた。

 

「ガンバスターの素振りに少しな……で? 時間は良いのか?」

 

「あっ! もう出ないと遅刻だ」

 

「ロイ、ラウル、せっかくだから競争でもして行く? 先に教室に着いた人の勝利で勝者に甘味を贈るって言うのはどうかなぁ」

 

「へっ、エルナの足はそこまで速くないだろ。なんなら足の速さと体力はおれが一番だ」

 

 俄然やる気のラウルとロイが鞄を片手に椅子から立ち上がると、勝負を提案したエルナはのんびりとした動作で立ち上がった。

 エルナの口元が愉悦に歪み、既に下丹田の魔力操作が完了していることをスヴェンは見逃さずーー付き合いの長いロイは察している様子だが、ラウルはまだ純粋な勝負だと疑った様子が無いな。

 ラウルに必要なのは考察と警戒だ。なぜエルナがわざわざ不利な勝負を仕掛けたのか。そこまで思考できればラウルも一皮剥けるだろう。

 スヴェンはコーヒーカップを片手に事の成り行きを静観する。

 

「『銀の鎖よ、2人を絡み縛れ』」

 

 ポケットに手を伸ばしていたエルナが瞬時に唱えた詠唱によって、魔法陣から現れた銀の鎖がラウルとロイに迫る。

 ロイは予想していたと言わんばかりに、

 

「『闇の障壁よ、我が身を守れ』」

 

 闇の壁で銀の鎖を防ごうと試みた。

 

「うおっ!? え、エルナ! 最初からまともに勝負する気なかっただろ!!」

 

 床に転がされたラウルが叫び、エルナが笑う。

 

「か弱い女の子が同年代の男子に体力で敵うわけないじゃん。それとロイも甘々だねぇ」

 

 エルナの勝利を確信した笑み、既に闇の壁に銀の鎖が弾かれた状況で向ける不可解な表情にロイは訝しげに眉を歪めた。

 ロイは次の魔法が来るっと身構えると、彼の横をエルナが駆け抜ける。

 そして彼女はそのまま玄関から外へ走り去って行った。

 

「しまった!」

 

 出し抜かれたと気付いたロイもキッチンから廊下に駆け出し、慌しく階段を降りる音が響きなんとも騒がしい朝だとスヴェンが息を吐く。

 自身が望んでいた生活は誰も居らず静かな暮らしだったのだが、なぜこうも予定から大幅に逸れてしまうのか。

 スヴェンは食器を重ねると、未だ床に転がったままのラウルと目が合う。

 

「……関節を外せば簡単に抜け出せる」

 

 そんなアドバイスを告げると、

 

「関節っ如何やって外すの!? というか解いてくれ!」

 

 悲痛な表情で助けを求めれた。

 しかし、ラウルに複雑に絡み付いた銀の鎖は簡単に外せないだろう。元々制圧を兼ねた捕縛用の魔法なのかっとスヴェンは関心を浮かべながらガンバスターを鞘から引き抜く。

 

「動くなよ?」

 

 刃に魔力を纏わせ、ガンバスターを縦に構える。

 

「待って! それおれごとばっさり行くヤツだから!」

 

 エルナのことだラウルの足の速さを考慮して銀の鎖の持続時間を調整しているのだろう。

 スヴェンはガンバスターに纏わせた魔力を解放し、再び魔法時計に視線を移す。

 時刻は七時四十五分。魔法の効力が切れる頃合いには充分だ。

 スヴェンの予想通りにラウルを拘束していた銀の鎖が朽ち果てるように崩れ、残骸が粒子状に離散していく。

 自由の身になったラウルは立ち上がり、エルナに怒声を叫びながらラピス魔法学院に駆け出した。

 

「……騒がしいガキ共だ」

 

「賑やかで良いじゃないか」

 

 気配も音もなく背後から突如聴こえた凛としながら何処かあどけなさを感じる声にスヴェンはガンバスターを構えたまま、その場から飛び退くことで距離を取った。

 そして背後に居た人物の姿に、深いため息が漏れる。

 巨城都市エルデオンの下層から遠目で見た女性ーーアウリオンと剣戟を繰り広げたフィルシス騎士団長に棘を含んだ荒んだ口調を向けた。

 

「騎士団ってのは不法侵入が許されんのか。しかも2階のキッチンによ」

 

「そう硬いこと言わないで、仲良くしようよ」

 

 フィルシスと仲良くなれそうに無いが、騎士団には色々と世話になっている身で騎士団長の彼女を無碍に扱う訳にもいかない。

 差出された右手を無視したスヴェンは訊ねる。

 

「……何の要件かは知らねえが、コーヒーでも飲むか?」

 

「砂糖とミルク入りなら頂こうかな」

 

 手早くテーブルの食器を片付け、食器洗いまで済ませたスヴェンは淹れたてのコーヒーに砂糖とミルクを加え、フィルシスに差し出すのだった。

 何の目的でわざわざエルリア魔法騎士団長が訪れたのか、コーヒーにほんのりと笑みを浮かべる彼女から目的も読み取れず、スヴェンはただ困惑を浮かべるばかり。



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19-2.フィルシス

 砂糖とミルク入りのコーヒーを優雅に呑むフィルシスにスヴェンは無表情のまま彼女を観察していた。

 毒物が入っていないとも限らない他人が淹れたコーヒーを何の疑いも無しに呑み始めたが、彼女に一切の隙が無い。

 今ここでガンバスターに少しでも手を伸ばせば、おそらく彼女はこちらが刃を振り下ろすよりも先に腰の剣で喉元を掻っ切るだろう。

 フィルシスはコーヒーの味に満足そうに頬を緩めているもののそれほどまでに隙がなかった。

 彼女はこちらの観察に既に気付いていた様子で、コーヒーカップを一旦置き手を組みながら、

 

「そう警戒されるのは心外だな。私がここに来たのはキミを害するためじゃないよ」

 

 警戒心を緩めるように優しく静かな口調で告げた。

 長年の癖というのはそう簡単に抜けるものでも無い。スヴェンが対面した相手を警戒し観察するのは、早速傭兵としての職業病や習慣と言ってもいい。

 

「癖なんだよ」

 

「染み付いた癖なら仕方ない。ところでキミは幾つなのかな? 歳は私とそう変わらないと聴くけど」

 

「俺は24だな、年明けで25になるが……デウス・ウェポンはそろそろ冬か」

 

「歳は私とそう変わらないんだ。うん、良いね!」

 

 笑みを浮かべて嬉しそうに語る彼女にスヴェンは何が良いのかさっぱり理解できず、小難しいそうに顔を歪めた。

 

「あぁ、私の周りって同い年や歳の近い子が少なくてね。少し下と歳上ぐらいで新鮮なんだ」

 

 毎年魔法騎士団は入団者を募ってるがフィルシスに歳の近い同期が居ない。 

 考えられるとすれば単にその歳だけ入団者がフィルシスだけだった。同期は居たが何かしらの理由で退職、殉職したか。

 スヴェンは自身の思考を口に出さず、彼女の目的に疑問を浮かべる。

 そもそも騎士団長という要職が此処に一人で来ること事態がおかしい。

 単なるプライベートな時間なら話は判るが、それでも何故ここに? という疑問が勝る。

 

「アンタの歳もなんとなく分かったが、此処に来た目的はなんだ? 騎士団長が来るような場所じゃないだろ」

 

「確かに私は立場も仕事も有るけど、此処に来たのはキミに会いに来たんだ。理由はそれだけ……うん、驚いてるね」

 

 彼女の言う通り驚いてる。此処に訪れた理由、そして彼女の赤い瞳から覗き見える強者との戦闘を望む闘争心にも。

 

「姫さんかミア、ラオ副団長やレイ辺りから何か聴いたのかは知らねえが、俺はアンタの闘争心を満たすことはできねぇよ」

 

 フィルシスの要望に応えられないと直球に告げれば、彼女は落胆した。

 

「はぁ〜昨日は悪魔と遭遇して、今日は早朝鍛錬で新米騎士に鍛錬を施したけど……どれも不完全燃焼なんだよ」

 

「……悪魔か、討伐したのか?」

 

「いいや、なかなか面白い存在だから取引を持ち掛けたのさ。悪魔特有の情報収集能力を活かした情報屋、キミも興味は有るでしょ」

 

 人外が営む情報屋というの中々奇特な気もするが、それ以上に悪魔の情報収集能力に興味が向く。

 

「ああ、信頼度の高い情報は護衛の成功率にも繋がるからな……いや、それ以前によく姫さんとオルゼア王が承認したな。それに悪魔絡みとなればアトラス教会も煩いんじゃねぇのか?」

 

「あはは、悪魔を連れて行ってたら姫様も面食らってたよ。でもオルゼア王は予想の範疇だったみたいですぐに了承してくれたよ……まあ、アトラス教会は人に害を成し邪神復活を目的にしないなら基本悪魔にも寛容なんだ」

 

「宗教的に敵対すると思っちゃいたが、存外心が広いこって」

 

「悪魔が意見を変えて封印の鍵を本格的に探索し出したら面倒だからね」

 

 悪魔の中には邪神解放を望む者も一定数居る。それが全悪魔ともなればーーただでさえ先日遭遇した悪魔は殺せず、そんな存在が全てとなれば封印の鍵を護るどころでは無くなる。

 そして封印の鍵が奪われれば邪神教団の司祭を憑代に邪神眷属が復活し、邪神の封印が緩む。

 厄介な悪魔に加えて未知数の邪神眷属が合わさればドミノ倒しの如く封印の鍵が次々に奪われる可能性の方が高い。

 フィルシスは口では簡単に面倒と言うが、そんな状況になれば人類の敗北は必然的に訪れる。

 そんな事態になればアトラス教会と天使も黙ってはいないだろうがーー国家同士の戦争は無いが宗教戦争は起こり得るか。

 そうならない為にもアトラス教会は悪魔に寛容できる。

 

「気付いたみたいだね。だからアトラス教会は慎重に動くのさ……まぁ、彼らでも邪神教団は相変わらず異教徒として排除対象だけど」

 

「アンタにとっちぁどうなんだ? 連中は穏健派と過激派に別れているが……」

 

「私にとっての敵はエルリアの民と王族に害を成す全てだよ。特に司祭はね、姫様を一度傷付けた司祭は許せないかな」

 

「ん? 姫さんは過去に司祭に襲われていたのか」

 

「公的には記されていないけど、オルゼア王の行方不明直後にね」

 

「ってことは11年前か」

 

 以前レーナから本人から聴いた話を口にすれば、フィルシスは興味深そうに眼を細めた。

 

「キミはよほど姫様に信頼されているんだね。……そんなキミにだからこそ私の杞憂を聴いてくれるかいる」

 

「11年前、14歳ぐらいのアンタが現在に至るまで抱える杞憂か。……姫様が死ぬと俺や異界人も消滅するからな、話を聞かせてくれ」

 

「当時の私はまだ学生だったけど、当時から度々エルリア魔法騎士団の訓練に参加していたんだ。私にとって師から指導を受ける楽しい日々だったけど……突然の悲報と襲撃の知らせ、駆け付ける騎士団の中で見たのが、呪いを纏った拳が姫様の腹部を貫く瞬間さ」

 

 その話を聴いたスヴェンの眉が歪む。いくら治療魔法があれども五歳のレーナが腹部を貫かれた。

 呪いを抜きにしても幼子にとっては致命傷だ。しかし、レーナは今も生きている。

 

「呪いと傷の影響は?」

 

「入念な調べで後遺症も呪いの影響も発見されず……」

 

「なるほど。フルネームを知らなければ呪いは半減するが、確実に防げるもんじゃあない。だからこそのアンタの杞憂か」

 

「そう、姫様の身体の中で潜伏している呪いが何かしらの影響を与えないかとね」

 

 時限式の呪いか、それともたいした効力も発現せずそのまま消滅したのか。

 これは確かに間近で目撃していたフィルシスが懸念するのも頷ける。

 

「仮に呪いが発現し、姫さんの命を奪うことになり得るとして解呪の可能性は?」

 

「呪いが発現しないことには何とも言えないよ。呪いの性質を理解しないと解呪はできないんだ。まぁ呪いを受けた事実そのものを無かったことにできれば問題は無いけどね」

 

「おいおい、人類に過去を改変するような魔法は扱えねえだろ」

 

「時間に干渉する方法は有るよ。例えば時の悪魔と契約とかね」

 

 時間跳躍と過去改変となれば悪魔に支払う対価も大きい。尤も時の悪魔を召喚できなければ意味無ければ、そもそもこれはあくまで可能性の一つに過ぎない。

 

「一応頭の中に留めておこう」

 

「助かるよ、キミや異界人にしか過去には干渉できないからね……正確には干渉したい時間軸に存在していないことが前提条件だけど」

 

 ミアとレイは時の悪魔に強い反応を示していた。つまり二人の故郷を刻獄で隔離したのは時の悪魔とその契約者だ。

 ミアの個人的な依頼に繋がることにスヴェンは肩を竦めながら息を吐く。

 想像以上に規模が大きい依頼だ。もしかすればそこが自身の死に場所なのかもしれない。

 存在しない者がその時間軸に干渉となればどんな影響を及ぼすのかは誰にも予測が付かないだろう。

 だからデウス・ウェポンですら過去干渉や時間跳躍に関する研究と実験を硬く禁じていた。

 

「……その時が来ないことを祈るしかねぇな」

 

「姫様の件はそうだけど……こうして会話して分かったよ、キミは義理堅い。ミアが依頼を出したらキミは請ける」

 

「あぁ、否定しねぇよ」

 

「死ぬかもしれないのに断る気も無いんだ」

 

「俺の行動動機は元の世界への帰還だが、それまでは生活しなきゃならねえからな。デカい山を見逃す手はねぇだろ」

 

 あくまでもミアの依頼を請けるのは個人的な義理と報酬のためだ。それ以外に理由は要らない。

 スヴェンが内心でそんなことを浮かべているとフィルシスは肩を震わせて笑っていた。

 

「気に入った。キミは一眼見た時から気になっていたけど……うん! 今から私と手合わせといかないかい!?」

 

「アンタとの手合わせになんのメリットがあんだよ」

 

「私が使える魔力を纏った剣技に関する技術と知恵の全て」

 

 騎士団長自ら手合わせの申し出、そして彼女がアウリオンと打ち合った剣技は間違いなく研ぎ澄まされたものだった。

 覇王並みかそれ以上のフィルシスの手合わせとなればタダでは済まないが、それ以上に得るものが大きい。

 特に自身が関わることは少なそうだが、まだミルディル森林国や各国に潜伏している邪神教団。そしてミアの依頼を達成するには今以上に技術を磨く必要が有る。

 特に戦闘時における魔力操作と練度は今後の戦闘でも重要だろう。

 

「アンタを満足させる自信はねぇが、今後の依頼に備えて鍛錬と行くか」

 

「成立だね! じゃあさっそく平原に行こうか!」

 

 魔法時計が八時三十分を差す頃、スヴェンとフィルシスは平原に向かうのだった。



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19-3.鍛錬の刻

 エルリア城から少し離れた平原に剣戟が鳴り響く。

 

「どうしたの? もっと魔力に集中しなきゃ!」

 

 剣に纏った魔力を解放することでガンバスターの刃を容易く弾き、反撃の斬り返しにスヴェンは素早く魔力を全身に巡らせフィルシスの剣を弾く。

 鍛錬開始から二時間が経過、全身騎士甲冑でいながらまったく体力が減る様子を見せないフィルシスにスヴェンは縮地を応用した高速移動を繰り出す。

 撹乱するために様々な方向に動くが、フィルシスはこちらの動きを視線では追わず……。

 

「良い感じだ、もっと速度は出せるんだろ?」

 

 こちらの到着する地点に剣閃が走る。

 先読みに近い観察眼と対応力にスヴェンは舌打ちしながらガンバスターで彼女の剣を受け流す。

 だが、フィルシスの一振りは一見すると一撃とは限らない。かと言って二撃でもなければ三撃を通り越して三十の斬撃が迫る。

 高速で振り抜かれる斬撃の嵐をスヴェンはガンバスターに纏った魔力を解放することで弾く。

 弾かれる刃にフィルシスの笑みが浮かびーー一瞬だけ彼女の練った魔力が刃に流れ、スヴェンは平原に倒れ空を見上げていた。

 傷は無いが、身体を激しく打ち込まれた打撃による痛み。恐らくフィルシスは剣に纏った魔力で振り抜いた。

 しかし彼女がどんな攻撃を繰り出したのか、これと言った確信が持てず、

 

「見えなかったな」

 

 ぼんやりと呟けば、フィルシスが覗き込む。

 

「不思議そうにしてるね。タネを明かせば単純だよ、今のは魔力の剣圧さ、対象を無力化する制圧用のね」

 

「……以前姫さんが魔力を使わずに使っていた技、あれよりも遥かに練度の高い技ってことか」

 

「ただの剣圧でも良いけど、魔力を使えばより速度と威力も跳ね上がるからね」

 

 タネを明かせば簡単だと言わんばかりのフィルシスの表情にスヴェンは顔を顰めた。

 ガンバスターの刃に練った魔力を纏わせ、振り抜く瞬間に刃を形成し剣圧を放つ。

 力任せの衝撃波とは違う技術を体得すれば依頼の達成に繋がるだろう。しかし、フィルシスが見せる技術を身に付けるにはまだまだ時間を要する。

 倒れている時間など無い、早く立ち上がらなければ絶好の機会を逃す。

 同時にスヴェンは口元を歪めた。死と隣り合わせの戦場に居た感覚が全身から溢れる。

 現に鍛錬開始時にフィルシスが放った剣戟に対応できず、手傷を負った。これが戦場、彼女が殺す気があればどうなっていた? 間違いなく瞬殺だ。

 反応も防御も許されず、何をされたのかすら認識できずに死を迎える。

 本来の戦場なら既に自身は二百近い回数を殺されていることになる。

 スヴェンはガンバスターを構え直し、内に留まる殺意を解放した。

 

「それがキミの殺意かい? 眼に見える殺意なんてはじめてだよ」

 

 フィルシスは平気な顔で語っているが、彼女こそ人の事は言えない。

 意識せずとも視認できる魔力の放流を纏う彼女こそ紛うことなき化け物だ。

 この鍛錬に勝敗は無い。有るのは時間制限のみ、それなら時間が訪れるまでガンバスターを振り続けるまでだ。

 スヴェンは無駄な力を抜き、フィルシスの魔力の巡らせ方を参考に下丹田で練り込んだ魔力を無駄なく全身に巡らせる。

 魔力を全身に流し込み地を蹴ることで爆発的な瞬発力で縮地を繰り出す。

 解放した殺意を内に封じ込め、フィルシスの背後に回り込んだスヴェンはガンバスターを薙ぎ払う。

 刃が風を斬る音に反応したフィルシスは、軽やかな動きで身を屈め斬撃を避けた。

 素早くガンバスターを斬り上げるが、これも身体を捻ることで避けられてしまう。

 殺意も無い攻め、意識を向けない攻勢もフィルシスの眼には無意味か。

 まだフィルシスが対応できる剣速なら更に上がる他にない。

 スヴェンはガンバスターの柄を強く握り込む。右腕から湯気が出るほど力強くより魔力を込めて。

 力任せに振っては意味は無い。だからスヴェンは地面に刃を叩き込むことで魔力を練り込んだ衝撃波を放つ。

 

「まともに受けたら鎧が砕けそうだ……!」

 

 地面に走る衝撃波にフィルシスの一閃が走り、衝撃波が縦に別れ彼女の両脇を素通りする。

 予想の範疇の行動、既にスヴェンはフィルシスの背後に回り込みガンバスターを振り抜く。

 

「背後からの強襲、傭兵としての殺し合いが染み付いたキミは背後を取る癖が有るね」

 

 確かに彼女の言う通り、背後に回り込み刃を振り抜くのは癖のようなものだ。

 頭の中でフィルシスの声を冷静に受け止めながらスヴェンは、ガンバスターを振り切る前にーー力を抜き、柄を握る手首を絞り込み、更に踏み込みを加え、刃に纏わせた魔力を操作することでガンバスターの刃を覆うように刃を形成する。

 そしてフィルシスに向けて振り抜かれた刃が剣圧を放ち、彼女が放った剣圧と衝突した。

 剣圧同士の間に生じた力場に互いの刃が押される中、まだ一手足りず、まだフィルシスは剣技を隠している。

 いや、まだ自身がフィルシスの全てを引き出すには足りないのだ。

 足らない部分は戦闘の最中、観察と思考錯誤、死の隣人。自身に流れる血と魔力、全てを使ってでも補う他にない。

 覇王エルデと対峙した時のように。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 平原に絶えず斬撃音とスヴェンとフィルシスの声が響き渡る。

 二人が鍛錬を開始して既に一日が終わり、夜明けが明け朝日が登ろうとも二人は決して攻防を止めず。

 

「オラぁ!」

 

「あはは! すごいね! 少しずつ確実に追い付いて来てるのが判るよっ!」

 

 フィルシスが一振りで放つ音速を超えた無数の斬撃をスヴェンは剣圧で弾き、ガンバスターの腹部分で当身を繰り出す。

 フィルシスの剣圧が竜血石製のガンバスターに防がれるも、彼女は同時に八の斬撃を繰り出した。

 魔力を纏った斬撃と同時に生じる剣圧がスヴェンの身体を大きく弾き飛ばしーー宙で受け身を取ったスヴェンがガンバスターに纏わせた魔力で大きく刃を形成する。

 それをそのまま大振りに振り抜くが、フィルシスはほんの少しだけ身体を捻るだけで魔力の刃を避けた。

 

「チッ、()()()()使()()()()()

 

「無理もないさ、肥大化した魔力の刃を振り抜くのに大振りになっては避け易い。それを繰り出す相手は大きく鈍重なモンスターに限る」

 

「モンスターもバカじゃねえが……もうちっと思考錯誤が必要か」

 

 フィルシスとの鍛錬の合間にスヴェンは思い付いた魔力の扱い方を片っ端から試し、戦闘で汎用的に使えるかどうかを思考錯誤していた。

 さっきの魔力の刃もその内の一つで、スヴェンは刃を交えながら語り掛けるフィルシスに耳を傾ける。

 

「キミは戦闘に活用できるならなんでも使うタイプのようだ、騎士団に欲しい人材だけど如何かな?」

 

「群れて行動ってのは性に合わねえよ」

 

 勧誘を断ると同時にフィルシスの剣を弾き、ガンバスターを振り抜けば既にそこに彼女は居らず、刃が空気を斬り裂く。

 スヴェンは背後に感じる気配に対してガンバスターを盾に振り返るが、フィルシスが放つ剣圧によってガンバスターごと大きく身体が弾かれる。

 受け身を取りながら地面に足が付く瞬間にガンバスターの銃口から炎、氷、雷を纏った三発の.600LRマグナム弾を放つ。

 銃弾を前にフィルシスは笑みを浮かべ、掌で剣の柄を回しーー彼女は凛とした眼差しで剣に纏わせていた魔力を解き放つ。

 横薙ぎに振り抜かれた魔力の斬撃が.600LRマグナム弾を斬り裂き、魔法だけが地面に降り注ぐ。

 

「さあ! まだまだ続けるよ!」

 

 高揚感を宿し、楽しげな表情で可憐に笑うフィルシスにスヴェンは駆け出す。

 この鍛錬が終わったのは、鍛錬開始から三日後の夜のことだった。



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19-4.不在者

 スヴェンとフィルシスが鍛錬を開始した頃。

 レーナは公務の合間を取ってミアを連れ、レヴィとしての装いで楽しげな足取りでスヴェンの自宅を訪ねていた。

 庭に視線を向ければ、何処となくスヴェンを彷彿とさせるいかにも人に懐きそうにも無い黒いハリラドンが当てがられていた干し草を食べながらこちらを睨む。

 

「うーん、旅を共にしたあの子と比べて可愛げが微塵もないなぁ。というかスヴェンさんに何処か似てるよね」

 

「ペットは飼い主に似るとはよく言うけど、人に心を許しそうにないところが本当に似てるわ」

 

 なぜ彼がハリラドン牧場から黒いハリラドンを選んだのかは、恐らく脚力や性格を選んだのだろう。

 なんとなくそう理解したレーナはドアを軽く叩く。

 しかし、スヴェンは寝てるのか不在なのか返事が返って来ない。

 三分ほど待てどもドアは依然と開かれることも無く、ただ沈黙が続くばかり。

 

「……不在なのかしら?」

 

「現在時刻は8時40分……早くからスヴェンさんに依頼がきてたのかな」

 

「商売が上手くいってるなら喜ぶべきだけど……」

 

 レーナは念の為にともう一度ドアを軽く叩いた。

 しばし待てども一向にスヴェンが現れる様子も無く、仕方なく踵を返す。

 

「スヴェンが不在じゃ仕方ないわね」

 

「ラウル君達に頼む訳にもいかないしね、というかスヴェンさんならあの子達を関わらせようとはしないかも」

 

「スヴェンなら危険が伴う依頼には連れて行かないわねぇ」

 

 これから自身がスヴェンに出す依頼もまた危険が伴うことに変わりはない。

 ミルディル森林国の件はなるべくエルリア魔法騎士団や特殊作戦部隊で片付けたいが、敵が敵なだけにあらゆる油断も許されない。

 オルゼア王とも話し合ったが、リーシャを無事に救出しつつ封印の鍵が邪神教団に渡ることは防がなければならず。

 それに加え、シャルルと偽りの婚約を結ばないように立ち回りつつ時間を稼がなければならない。

 ミルディル森林国の入国手続きが完了するまでまだ数日の猶予は有るが、それまでにアルディアと片付けておきたい公務も有る。

 路地裏を歩きながらそんなことを考えていると。

 

「あれ? ……レヴィだぁ! なんだか久しぶりに会うね!」

 

 道端で荷物を抱えたエリシェとばったりと再会し、彼女はこちらに微笑んでいた。

 そんな彼女にレーナはレヴィとして笑みを返し、

 

「フェルシオン以来だから久しぶりね、エリシェ!」

 

 友人として抱擁するとエリシェは驚きながらも受け入れてくれた。

 自身の正体を未だ隠しているというのにエリシェは気にした様子も見せない。そのことに罪悪感が湧き立つが、時期を見て正体を明かすことも躊躇してしまう。

 正体を明かし、友人から王族のレーナとして接されるのが今では堪らなく怖いのだ。

 友人との距離感が離れてしまうような感覚がレーナに正体を明かすことを躊躇させる原因だ。

 

「およ? 何か悩みでも有るのかな」

 

「些細な悩みよ。ところで今から何処かに出掛けるところかしら?」

 

「注文を受けていたクロミスリル製のナイフを納品しにすぐそこ……って路地裏から出て来たってことはスヴェンを訪ねに?」

 

「そんなところよ、ただ今は留守のようね」

 

「そっかぁ、用事が入らない限りは家に居るって言ってたけど……合鍵で荷物だけでも置いて置こうかな?」

 

 エリシェから語られた合鍵にレーナとミアの身体が硬直した。

 いつの間に合鍵を任される程の仲になったのか、いやスヴェンのことだ。長期不在を視野に入れて近くに住むエリシェに頼んだ可能性の方がずっと高い。

 レーナが冷静に思案するとミアがエリシェに訊ねた。

 

「そういえばそんなやり取りが有ったね……じゃあスヴェンさんが何処に行ったか知ってる?」

 

「うーん、知らないけど……あっでも朝早くからフィルシス騎士団長が父さんを訊ねて来たよ」

 

 フィルシスの名にレーナは嫌な予感に額から冷や汗が流れ始めていた。

 彼女は帰還時の報告でスヴェンと少し手合わせがしたいと言っていたが、フィルシスの少しは全く当てにならない。

 むしろフィルシスがスヴェンを気に入れば、彼女は様々な技術や魔力操作と応用を教えるだろう。

 結果的にスヴェンが強くなることは喜ばしいことだが、フィルシスが付きっきりでというのは何処か面白くないようにも思える。

 

 ーー待って? まだそうとは決まった訳じゃないのに、私は如何して面白くないって感じたのかしら?

 

 自身の感情に困惑を浮かべたレーナはこちらを覗き込むミアとエリシェの視線にハッと気付き、毅然とした態度で視線を返す。

 

「フィルシスって歴代最年少のエルリア魔法騎士団長かしら?」

 

 あくまで恍けるように疑問を口にすればエリシェは静かに頷く。

 

「そのフィルシス騎士団長だよ。学生時代から父さんの常連だっては聴いていたけど……すっごい美人だよね!」

 

 眼を輝かせながら憧れを口にするエリシェに二人は同時に顔を見合わせた。

 

「「分かる」」

 

 フィルシスは胸こそ自分とエリシェよりやや大きい程度だが、鍛え抜かれた美貌と芸術的なプロポーションに加えてまだあどけなさを残す顔立ちがより美しさを際立たせていた。

 そして何よりもフィルシスは強過ぎた。実の所彼女が扱える魔法は日常の生活に応用が効く汎用性の高い魔法ばかりで、強力な魔法は一つしか修得していない。

 していないがその魔法を使う前にフィルシスの剣技の前に決着が付くか、そもそもあんな大規模破壊魔法を何処で使うのかと問われれば誰しもが首を傾げるだろう。

 

 ーー竜王と契約した私が言えたことじゃないけど、使い道に困る魔法も考えものね。

 

 レーナがそんなことを内心で浮かべていると、ミアが気になる話題を口にする。

 

「フィルシスさんとは最近になってはじめて城内で会ったけど、間近で見ると凄い美人で思わず見惚れちゃたよ」

 

「あたしもはじめて会ったけど、レヴィとはじめて会った時並に衝撃を受けたなぁ」

 

 二人の会話に若干置いてけぼりに感じたレーナは苦笑を浮かべながら、ハッと思い出す。

 今は偶然再会した友人と語らっている時では無いことを。

 

「ごめんなさいエリシェ、急ぎの用が有ることを忘れていたわ!」

 

「そっか、また近くを寄ったら今度はうちにも来てね!」

 

 そんな彼女の言葉に笑みを浮かべたレーナはミアを連れてエルリア城に向けて駆け出した。

 そして二日後、スヴェンを訪ねに彼の自宅を訪れるのだがーー彼の自宅で世話になっているラウル達がスヴェンは三日も帰って居ないことを告げるのだった。



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19-5.帰宅と待ち人

 星空が静寂に包まれたエルリア城下町を照らし、エルリア魔法騎士団が鎧の音を奏でながら巡回する中。

 スヴェンは三日振りに自宅に帰宅し、背後を振り返りため息を吐く。

 

「アンタまで付いて来ることはねぇだろ。ってか鍛錬に夢中であんま気にして無かったが、仕事はいいのか?」

 

 問い掛けられたフィルシスは何を今更と言いたげな眼差しで口を動かした。

 

「必要な書類仕事も指示も全部終わらせて有るよ……それよりも弟子、お腹か空かないかい?」

 

 鍛錬の途中からフィルシスは何故かこちらの承諾も無く弟子と呼び始めた。

 確かに魔法操作や剣術関連で色々と教わった。だから弟子と呼ばれても仕方ないと思う反面、後々面倒ごとに繋がることだけは避けたい。

 

「……人前で弟子呼びは遠慮してれ。これでも俺は一応死んだことになってんだからよ」

 

「その辺の事情も把握してるよ。いや、それよりも早くシャワーを浴びたいんだけど」

 

 食事の次はシャワーまで要求するフィルシスにスヴェンはため息を吐いた。

 遠慮が無いことに関しては気にはならないが、ラウル達が彼女を見たら驚くだろう。

 そもそもエルリア魔法騎士団長でありながら男性の家に平気で上がり込むのも如何なのか。彼女の立場を考慮すれば記者辺りに嗅ぎ付けられては面倒だ。

 

「飯もシャワーも自室で済ませろよ。だいたいアンタは騎士団長だろ?」

 

「騎士団長が弟子の自宅でご飯を食べてダメなんてルールも無いよ。それに私はキミになら裸体を見られても良い」

 

「冗談抜かせ」

 

 出会って三日。その殆どは鍛錬という名の戦闘に明け暮れた時間がほとんどだ。

 戦闘の最中、一体何処にフィルシスが気を許す瞬間が有っただろうか? 

 思い返してみてもそんな素振りも無ければ、表情に眼を向ければ屈託のない笑みを浮かべているばかり。

 そもそも狂愛や狂気的な感情を好意的に向けてくる輩は居たが、恋愛感情から来る好意などスヴェンには理解もできない。

 相棒が向けていた感情もあの眼差しも未だ理解できない。

 スヴェンは思考を振り払う為に玄関のドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けるとーー玄関先に居たレーナと眼が合う。

 修羅場は何度も潜り抜けて来たが、何故か冷や汗と腕の震えが止まらない。スヴェンはレーナから眼を晒しながら玄関のドアをゆっくりと閉じた。

 

「……場所間違えたか?」

 

 庭に視線を向ければ寝ている黒いハリラドンが視界に映り込む。

 となればここは間違いなく自身が購入した新居に違いない。

 問題はなぜこんな時間にレーナが居るのかだ。

 

「なあ、なぜ姫さんが居たんだ?」

 

「キミに依頼に来たけど不在が続き帰りを待っていたとかかい?」

 

 正解としては一番有り得そうだが、レーナはエルリアの王族だ。

 そんな重要人物が野朗の自宅で帰りを待つというもの腑に落ちない。

 それともレヴィとして外泊の許可を取り付け、エリシェの自宅で泊まる予定だったとも考えられる。

 スヴェンが冷静に思案していると玄関のドアが開き、

 

「スヴェン、フィルシス……早く入りなさい」

 

 笑みを浮かべるレーナにスヴェンとフィルシスは威圧され、言われるがままに自宅に入った。

 そして言われるがままに事務所のソファに座らされ、対面するレーナの笑みに二人の身体が震える。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 なぜレーナが怒っているのか。その理由は生憎と判らなければ、ドアの隙間から覗き込んでいるラウル達に視線を向けてもそっぽを向かれるばかり。

 

「……ねぇスヴェン、貴方が3日間何処でなにをしようと自由よ? だけど流石にあの子達に何も告げないのは違うんじゃないかしら」

 

 確かにラウル達をボランティアとして預かっている身だ。そんな彼らに書き置きの一つぐらいは残すべきだった。

 レーナの言うことも一理あると判断したスヴェンは頷く。

 

「あー、まあそうだな。今回は配慮が足りてなかった」

 

「……判れば良いのだけど、本当に3日間なにをしてたの?」

 

 スヴェンは隣に座るフィルシスに視線を向け、

 

「彼女と実戦混じりの鍛錬を平原でな」

 

 三日間何処で何をしていたのか、隠す必要もないためスヴェンは正直にレーナに告げた。

 すると得心を得たと同時にレーナは驚愕に眼を見開く。

 

「3日も? えっと、2人とも3日も平原で寝泊まりを?」

 

「うん? あまりにも楽し過ぎて休息も食事も無しにぶっ通しでやってたかな」

 

 フィルシスが正直に答えればレーナから心底呆れたような眼差しを向けられる。

 

「体力魔力お化けのフィルシスはともかく、貴方もよく保ったわね。しかも彼女と戦いながらって……」

 

「傭兵だと割と普通ってか、強者を弱らせるには攻め続ける方が有効だからな」

 

「3日も飲まず食わずで一睡もしてないとなると……ごめんなさい、お説教してる場合じゃないわね」

 

「あはは、正直お腹が空き過ぎて死にそうだよ」

 

「あ〜アンタらはもう食ったのか?」

 

「えぇ、私はエリシェの自宅でご馳走になったわ。あの子達も自炊していたようだし、何か残ってるんじゃないかしら?」

 

 流石に三日も不在にする者に食事は取っておかないだろう。日持ちする料理ならともかくいつ帰るとも判らない者に用意するのは無駄だ。

 それを理解していたスヴェンは敢えてドアに視線を向けず、ソファから立ち上がる。

 ふと隣に座って居たフィルシスに視線を向ければ、彼女の姿は既に居らずーー何処へ行った? いや気配は二階の浴室からすんな。

 如何やらフィルシスは断りも無くシャワーを浴びに行ったようだ。

 

「瞬きした瞬間にもう居なくなってたわね……はぁ〜今日は貴方に依頼が有って来たのだけど、それも日を改めた方が良さそうね」

 

「……依頼ってのはレヴィとしてか?」

 

「うーん、詳細は明日にでも話すわ。それじゃあスヴェン、私は帰るわね」

 

「もう良い時間だ、近くまで送る」

 

「そう、それじゃあエリシェの自宅までお願いするわ」

 

 こうしてスヴェンは改めてラウル達に留守を頼み、レーナをエリシェの自宅まで送りついでに彼女から依頼していたクロミスリル製のナイフとロングバレルの設計図を受け取ることに……。



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19-6.新しい依頼

 事務室の窓辺に陽の光が差込み黒いハリラドンの鳴き声が響く中、スヴェンは昨晩エリシェから受け取った設計図を片手にちらりと視線を移す。

 対面に座るシャツだけを着たフィルシスに困惑を抱く。

 なぜ我が物顔で自身のシャツを着てソファで寛いでいるのか。

 早速厚かましささえ感じるが、今は依頼に備えてエリシェの設計図に眼を通す方が先だ。

 スヴェンは改めて設計図に目を落とし、ガンバスターの銃口に装着可能な設計とロングバレルの構図に舌を巻く。

 特に眼が行くのは着脱に手間取らせないために刻まれる魔法陣だ。

 エルリア魔法騎士団の騎士甲冑にも正式採用されている遠隔魔法の一種ーーその魔法を早くに知っていればガンバスターに魔法陣を刻み整備製の向上に繋がるが、恐らく細かいパーツが必要なガンバスターに適用は難しいのだろう。

 だからエリシェはガンバスターの設計段階で提案しなかった。

 

「へぇ、よく分からないけどその魔道具? それでキミの武器は強化されるわけだ」

 

「単純に射程距離を伸ばすための装備だな。火力自体が向上するわけじゃねえが狙撃には打って付けな代物だ」

 

「道具を用意するより魔法を覚えた方が速い気もするけどね」

 

 何食わぬ顔で銃火器の根底、価値を下げる彼女の物言いにスヴェンは渋い顔を浮かべた。

 確かに魔法の中には長距離狙撃魔法も有れば、魔族のリンが使う光属性の魔法も有る。

 光そのものを魔法として放つ性質上、そのほとんどはレーザーだ。

 

「魔法陣を読み解ける知識はアンタのおかげで身に付いたが……まぁ、魔法に関しちゃあ覚えるべきなんだが」

 

 索敵や強襲に使える魔法は便利だが、使用にも魔力を消耗する。

 戦闘で絶えず魔力を使う自身にとって魔法に魔力を割く余力が無いのも事実だ。

 

「魔法は必要だと思った物を習得すれば良いんだよ」

 

 フィルシスのアドバイスにスヴェンは頷き、再度設計図に眼を向け彼女に告げる。

 

「そろそろ着替えたら如何だ? ってかいつまで人のシャツ着てんだよ」

 

「なかなか着心地が良いね。というか無反応で少しショックなんだけど?」

 

 何に反応しろと言うのか。今更女性のシャツ一枚だけの格好を見せられても何も感じない。むしろシャツを返して欲しいという思いばかりだ。

 それ以前に魔法大国エルリアはスカート類や露出を好まない傾向に有ると思っていたが、違うのだろうか?

 

「エルリアの女共は露出控えめって印象だったがアンタは違うらしいな」

 

「あぁ、私も普段はスカートなんて履かないし、こういう格好も人前じゃあはじめてなんだ」

 

「……あれか? 洗濯中で着替えるインナーがねぇから仕方なくってヤツか」

 

 フィルシスは恥じらう様子を微塵も見せず屈託のない笑みを浮かべる。

 

「そっ、騎士団の制服もインナーもそろそろ乾くとは思うけど……姫様がこの状況を見たらどう思うんだろうね?」

 

「アンタが説教くらって終わりだろ。第一ラウル達もそろそろ降りて来る頃合いだ」

 

「姫様の説教はこう、色々と響くからね。私も着替えて職務に戻るとするよ」

 

 我が物顔でソファに座り込む彼女を見ているとつい忘れがちになるが、フィルシスはエルリア魔法騎士団長だ。

 国家の国防、市民と王族の安全を護る組織の長。要職に就く彼女が自由に振る舞う姿を見るとラオ副団長の苦労が浮かぶ。

 

「ラオのためにもそうしてやれ」

 

「もちろん騎士団長として全部隊の練度を向上させなきゃね」

 

 笑顔を浮かべてそう語るフィルシスにスヴェンは眉を歪めた。

 彼女は天然だ。それそこ自身の出来ることは努力次第で誰にでも可能だと思っている節さえ有れば実力差から来る絶望感や挫折を知らない。

 敵に与える影響も大きいが、周囲に与える影響も大きい。しかし、スヴェンにとって挫折した騎士が引退しようが関係ないことだ。

 思考の渦から現実に戻り、設計図を畳んで顔を正面に向ければーー下着姿で騎士団の制服に着替え始めるフィルシスに深いため息が漏れる。

 

「責めて脱衣所で着替えろよ」

 

「これでも私は乙女なんだ。流石にそこまで無反応だと傷付くよ」

 

「勝手に傷付いてろよ」

 

「弟子は辛辣だなぁ〜」

 

 手早く制服に着替えたフィルシスは詠唱を唱える。

 

「『鎧よ我が身に纏え』」

 

 彼女の詠唱に呼応した騎士甲冑が勝手に動き、フィルシスの身体に装着されていく。

 実際に目の当たりにした遠隔魔法は騎士甲冑の装着まで二秒と掛からず、その実用性の高さに舌を巻く他になかった。

 

「これは一泊のお礼だよ弟子。またその内に、そうだねキミが姫様の依頼を達成したらまた会おう」

 

 フィルシスは微笑みがらそれだけ言い残して家から立ち去った。

 そして彼女と入れ替わるようにレヴィとしての装いで現れたレーナを事務室のソファに招く。

 

「さっそく依頼の話でもするか」

 

「そうね、これに眼を通して貰えれば速いわ」

 

 レヴィが差し出した書類にスヴェンは素早く眼を通す。

 ミルディル森林国に正式な方法で入国し、現地に潜伏する邪神教団と不特定多数の野盗の強撃。レーナの入国後、万が一に備えて極秘にレーナの護衛をせよ。

 オルゼア王のサイン付きと提示される報酬金にスヴェンは思案した。

 

「意外だな、アンタが依頼を出すもんだと思っていたが」

 

「えぇ、詳細を聴いた時は私が貴方に依頼を出すと提案したのだけど……お父様は今回の件に関しては友人が深く関わっているからと言っていたわ」

 

「だが本人は公務で追われている身、アンタは代理人として来たわけか」

 

「それも有るけど、変装してない私とお父様が城下町を歩くだけで注目を浴びるもの」

 

 その容姿で出歩けば嫌でも注目を浴びる。しかもレーナ本人が職人通りの裏通りに足を運べばなおさら。

 だが、スヴェンはそんな言葉を呑み込み彼女に同意するように頷く。

 

「まぁ確かにそうだな……で、先行して敵対勢力を叩けってのは傭兵らしくて良いが、万が一の護衛ってのは?」

 

「そのことに関してなのだけど、私は今回ミルディル森林国のシャルル王子とお見合いすることになっているのよ」

 

「……そいつは先日ミルディル森林国の兵士ーーいや、騎士が南の国境線で小競り合いを起こしたことと繋がってんのか?」

 

「えぇ、今回はシャルル王子の婚約者ーーリーシャが邪神教団に誘拐されて仕方なくよ」

 

 邪神教団の要求に応じた結果、ミルディル森林国がエルリアに攻め込む姿勢を見せたのは明白。

 同時になぜレーナとシャルル王子が見合いをすることになるのかに付いては強い疑問が浮かぶ。

 

「要人の救出に特殊作戦部隊が動くだろうが、アンタがわざわざ見合いをする必要性は何処に有る?」

 

「時間稼ぎよ。国内に潜伏している邪神教団の拠点からリーシャを救出するための。それに周辺国や同盟国には既にこの件を内密に伝えて有るから、これは偽りの王族同士のお見合いというのは周知の事実よ」

 

 王族同士の見合い中にリーシャが救出されれば、その時点で見合いは破綻する。

 何も知らない者達はこう捉えるだろう。シャルル王子は婚約者不在を良いことにレーナに見合いを持ちかけ、彼女もそれを承諾したと。

 実際には両国民の対立を煽る狙いも有るのだろうが、偽りの見合いと周辺国に周知しておけば話は変わる。

 

「なるほど、王族同士の見合いってのは意味が有るからな。だが予め周知さけておけば二人の経歴を汚すことも無くなるってことか」

 

「シャルル王子とリーシャの名誉も護れるし、それに幸いなことにまだ二人の婚約が破棄されたわけじゃないのよ」

 

「その辺の事情は知らねえが、まあとにかく俺は邪神教団と野盗を片っ端から強襲すれば良いんだな?」

 

 片っ端からからと言うが、ミルディル森林国にどれ程の敵対勢力が潜んでいるかは不明だ。

 しかし後から入国するレーナの事を考えれば敵を減らしておくことに越した事はない。

 

「そうよ、貴方は指定された現地でフィルシス騎士団長が用意した情報屋と合流。その後の行動と判断は一任するわ」

 

「了解したが、土地勘のねえ場所でアンタの護衛ともなるとちっと骨が折れそうだな」

 

「私の護衛にはレイ小隊長を中心に4名の騎士と優秀な治療師が付くわ」

 

 優秀な治療師ーーつまりミアも同行することでレーナとシャルル王子、そしてリーシャの生命の安全は保証されるも同然だ。

 

「全員で5人ってわけか。……故郷の関係でギクシャクしてる二人ってのは些か不安だが、まぁレイが居るなら心配はねえか。ってか俺が極秘に護衛に就く必要はねえだろ」

 

「異界人の貴方をミルディル森林国で自由に行動させるための建前よ。その件に関しては……お父様が既にカトルバス森林王から許可を得てるそうよ」

 

 既に根回しも終えた後となればなおさら今回の依頼を断る理由も無い。

 それにミルディル森林国には既に招かざる客も多数入り込んでいると聴く。

 

「そいつは心強い後盾だな」

 

 スヴェンは依頼書に受諾のサインを記し、レーナに差し出した。

 

「あの子達に相談しなくて良いのかしら?」

 

「ラウル達はガキだ、それに依頼完了まで何日かかるか分かんねえ状況で連れ回す訳にはいかねえだろ。一応アイツらは学生だしな」

 

 スヴェンはドアの隙間から覗き込むラウル達に視線を向け、立ち聞きしていた三人が不満そうにリビングに姿を現す。

 

「アニキ、本当に連れてってくれないのか?」

 

「お兄さん、私とロイは元邪神教団だよ? 連中の潜伏先発見に役に立つよ」

 

 確かにエルナとロイは異端とはいえ元邪神教団だ。言い変えれば二人の顔は既に割れているということ。

 

「顔が割れている2人を連れて行くだけでリスクが高ぇよ」

 

「それでもスヴェン、贖罪のために連れて行ってくれ。俺とエルナは過去に決着を付けたいんだ」

 

 ロイとエルナが邪神教団の拠点で育った過去は変わらない。

 それでも二人、そしてラウルの眼は硬い意志を帯びていた。

 そんな意志の前にスヴェンは悩む。ここで彼らの意志を潰していいものかと。

 だが、理性的な部分が依頼に対する危険性とリスクを訴えかける。

 どうするべきか思案するスヴェンを他所にレーナが一つ提案した。

 

「……3人を連れて行って良いんじゃないかしら」

 

「おい」

 

「ラウルの硬貨魔法による防御、それにエルナとロイの邪神教団に対する知識は必要になるわ。穏健派と過激派に別れている連中だけど私達には何方なのか見分けが付かないのよ」

 

「……全員殺すって訳にもいかねぇしな」

 

「エルロイ司祭が穏健派だったことは知らなかったけど、他の穏健派の司祭とは面識が有るよ」

 

「俺も穏健派と過激派の顔はある程度覚えてる」

 

 敵の敵は味方と言うが、リーシャという要人の身柄を安全に確保するためには穏健派を利用するべきなのは明白だ。

 そもそもミルディル森林国に穏健派が居るか如何かは怪しいが、いずれにせよスヴェンは決断を下す。

 

「なら休学申請を出して来い。表向きの理由はミルディル森林国で社会見学ってことにしてな」

 

「ありがとうアニキ! それでおれ達もアニキに付いて強襲すれば良いのか?」

 

「正体を隠しながらな」

 

 スヴェンはラウルにそれだけ告げ、レーナに問う。

 

「俺達はいつまでに入国すれば良い?」

 

「お見合いの開始が9月1日、既に特殊作戦部隊も入国しているけど……土地に馴れるために早めに入国した方が良いわね」

 

 南の国境に到着する時間も踏まえれば明後日には出発した方が良い。

 エリシェに頼んでいたロングバレルは間に合わないが、それは仕方ないことだ。

 

「ミルディル森林国の地図は有るか?」

 

「有るわよ、あの国は大樹を中心に広がる広大な森林地帯だから炎系統の魔法使用は厳禁だけど……それ以上に複雑な土地でも有るわ」

 

 そう言ってレーナは地図を差し出し、スヴェン達はミルディル森林国の地図と地形に眉を歪め頭を悩ませることになるのだった。



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19-7.国境を目指すなか

 レーナの依頼を請けたスヴェン達は諸々の準備を済ませ、翌日の朝にエルリア城を出発した。

 魔法騎士団から借りた荷台を黒いハリラドンに引かせ、スウェンが手綱を引く中。

 

「南の国境線を目指すにはエルリア城から最短で10日。南の砦ーーエルグラム砦を通った方が早いそうだな」

 

 地図を広げたロイの声にスヴェンは視線を向けず頷く。

 

「あぁ、エルグラム砦から更に南下すりゃあジルヘル関所に到着する筈だ」

 

「アニキ、他の村や町に立ち寄る予定は?」

 

「エルグラム砦とジルヘル関所の間にいくつか村と町が遭ったはずだ……状況次第だが立ち寄りつつ宿屋で休むことになんだろ」

 

「お〜みんなで宿部屋で寝泊まりってなんだか楽しみだね」

 

 気の抜けたエルナにスヴェンは手綱を握ったまま彼女に告げる。

 

「アンタは個室にだろ」

 

「えっ!? 私1人だけ個室なのっ!?」

 

 なぜか心外そうに寂しいと言わんばかりに叫んだエルナにスヴェンは眉を歪めた。

 視線を背後に向ければ特に気にした様子を見せないロイと苦笑を浮かべるラウル。そして視線を戻せばショックを受けたエルナが映り込む。

 既に自宅で各自の部屋を用意しそこで寝泊まりしているというのに今更なににショックを受けると言うのか。

 そもそもエルナは寮生活を経験しているはずだが、それとは別に同い年の男女。更に歳上の自身も含めればエルナを同じ部屋に寝かせる訳にもいかない。

 

「野郎3人にアンタも一緒って訳にはいかねえだろ」

 

「お兄さん、実は私って安心できないと寝れないタイプなんだ」

 

「あ? 人の部屋を占拠して寝たヤツが言う言葉か?」

 

「お兄さんの部屋は何も無さ過ぎてぐっすり眠れるんだよ!」

 

 はっきりと自信満々に言われても反応に困る。

 スヴェンは黒いハリラドンを道なりに走らせ、視線だけをロイに向けた。

 付き合いの長い彼ならその辺りの事情に詳しいだろう。視線で彼に問い掛ければロイは苦笑を浮かべて答えた。

 

「スヴェン、エルナは環境の変化に弱いんだ。それに俺達は外の世界に対する経験が少ない、未知の環境と風景に馴れるのに時間がかかるんだ」

 

 それは傭兵としても判らない訳では無かった。

 激変する戦場で野宿は当たり前で、戦時は常に同じ環境とは限らない。

 その度に周囲を警戒し、落ち着いて寝れることは希だ。その意味で環境の変化に弱く経験が少ないと語ったロイにスヴェンは理解を示した。

 

「仕方ねえ、エルナの手綱はロイが握れ。ラウルも構わねえか?」

 

「おれも賑やかな方が良い。というか男3人で寝泊まりするより華が有った方が断然いいに決まってるよ!」

 

「ラウルが言うとなんか不埒に聞こえる」

 

「なんで!?」

 

「まあでもラウルはエルナに興味は無いだろ」

 

「おう、おれは歳上で優しい人が好みだからな」

 

 三人の話し声にスヴェンは魔王救出の旅を思い出していた。

 あの時とは随分環境が違ければ心の何処で三人を邪険に扱えきれない自分も居る。

 ミアとアシュナは同行者という側面から見ても、殺しで穢してはならない存在として距離を置いていたのも事実だ。

 それはラウル達も同じことだ。やはり直接自分達の手を殺しで血に染める事態は避けなければならないーーそれが独り善がりの勝手だとしても。

 

「一応アンタらにはクロミスリル製のナイフを持たせたが、そいつはあくまでも身を護るために使えよ」

 

 出発前夜に三人が敵と相対した場合、その時はどうするべきか伝えておいたが、念のために告げるとロイが神妙な眼差しで答えた。

 

「分かってるさ、俺達は償いのために付いて来たんだ。誰かを殺すためじゃない。極力敵は無力化して拘束だろ?」

 

「あぁ、それだけ覚えてりゃあ上出来だ。ま、入国するまでは観光客を装って気楽にな」

 

「レポートのネタには事欠かないなぁ〜」

 

「うげぇ、先生もしばらくボランティア活動で欠席するからって課題を大量に出さなくても良いのになぁ」

 

 それは学業に遅れが出ないための学院側の配慮だ。

 ただ依頼中でさえも荷物一杯に課題を出される三人に思わず内心で同情してしまったのは無理もないことだった。

 スヴェンは三人との会話もそこそこに黒いハリラドンを走らせ、エルグラム砦を目指して南下を続けた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 レーナは執務室の窓から南の空を見上げ、息を吐く。

 スヴェンがラウル達を連れて早朝に旅立ったのだ。それも依頼を出して程なくして。

 

「レーちゃん、スーくんのことが気になる?」

 

「心配とかじゃないのだけれど……こう、もう2、3日ゆっくりしても罰は当たらないと思うのよ」

 

「フーちゃんと3日も鍛錬を続けてたって聴いた時は耳を疑ったけど……そっか、もう出発したんだ」

 

「えぇ、ミルディルの環境に馴れるために早めに出発した方が良いとは言ったけれど、早すぎるのよ」

 

 本音を言えば彼にはゆっくり旅のことを聴きたかったが、それは無事にリーシャを救出し邪神教団の企みを阻止した後でも遅くは無い。

 そう考えれば彼が早めに出発したのも気にはならなくなる。

 ふと真っ直ぐ向けれるアルディアの視線に振り向けば、彼女は真面目な表情で言い出した。

 

「レーちゃんもそろそろ結婚を考える時期じゃない?」

 

「結婚、ね。エルリア王家として世継ぎを遺す必要が有るけれど、責めて相手は好きな人を選びたいわね」

 

 そう口では語ったが、実際のところ恋愛がいまひとつ判らないのが本音だ。

 王族同士の見合いや縁談は小説に描かれているような華の有るようなものでも無ければ、世継ぎを遺すための使命感が強い。むしろ事務的で淡々としてることの方が多い。

 国を維持する上では必要なことだがーー私も歳頃と言いたいけど、交流の有る王家とは素直に婚約を結ぶ気にはなれないのよね。

 

「うんうん、やっぱり好き人と結ばれたいよね。レーちゃんも見付かると良いね、心からその人だけを愛したいと思えるような人と」

 

「え、えぇ……アルディア、その、聴いていて恥ずかしくなるわ」

 

「そうかなぁ? あ、そうだ! 明後日にはアーくんも来るから、逃げた邪神教団の司祭に付いても詳しく聞けるかな」

 

「そうね、後はミルディル森林国内の企みも判れば良いのだけど」

 

 あくまでも邪神教団の過激派内で共有していた情報がヴェルハイム魔聖国の執政官に伝わっていればの話だ。

 何事も望む結果を得られるとは限らない。むしろ望まない結果の方が多い。

 特に邪神教団は邪神復活のためなら死さえ厭わず、自分達の行動が邪神復活に繋がると信じて蛮行も躊躇わない。

 そんな過激派がミルディル森林国で大人しく潜伏しているとも言い難い状況だ。

 レーナとアルディアは窓を見上げ、邪神教団の目的に改めて強い警戒心を浮かべるのだった。



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19-8.砦の神父と不良と

 八月十四日の昼、スヴェン達がエルグラム砦に到着した頃ーーミルディル森林国の北の国境線から続く広大な森林と巨樹都市ユグドラシルの大樹から無数に伸びた巨大な根は地中に空洞を造り、ユグドラ空洞と呼ばれる巨大な地下通路を形成していた。

 特殊作戦部隊の一人としてリーシャの捜索に当たっていたアシュナは、ユグドラ空洞北に遺された残飯の後に周囲を見渡す。

 残飯の残骸が散らばっているが、木の地面には足跡らしい痕跡も目ぼしい痕跡は無かった。

 

「ん、ここも外れ……『声よ同志に届け』」

 

 特殊作戦部隊で使用される魔法、念話を唱えたアシュナは報告を告げる。

 

「こちら空洞捜索部隊……何者かが残した残飯跡を発見、それ以外にめぼしいものは無し」

 

『地上捜索部隊だ、邪神教団は見付かってない。そっちは引き続き捜索を続けてくれ……それから野盗やゴスペルには注意を払うように』

 

「ん、了解」

 

 アシュナは念話を止め、枝別れの空洞に歩き出した。

 邪神教団とリーシャは何処へ行ってしまったのか。地上とユグドラ空洞で発見される野盗やゴスペルは多いが、肝心の邪神教団に関する情報が見付からない。

 何か知ってそうなゴスペルを捕縛すれば話は変わるかも知れないが、リーシャの人命を優先する以上は下手に敵と接触し特殊作戦部隊の活動を悟らせる訳にはいかない。

 空洞を歩きながらアシュナはため息を吐く。こんな時スヴェンが居たらーースヴェンなら状況を打開できるのかな?

 容赦なく敵を拷問するスヴェンの姿を浮かべながらアシュナは音がする方向に駆け出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エルグラム砦に響き渡る喧騒と怒声、そして魔法による爆裂音にスヴェン達は遠い目で山脈に広がる騎士団と野盗の戦闘を眺めていた。

 先陣を切るエルグラム砦総司令ーーヴァグランツの豪快な拳が大地を割り、地割れが野盗を無慈悲に呑み込む。

 そこに追撃と言わんばかりに騎士団が放つ魔法に、

 

「うわぁぁ!!」

 

「だ、誰か助けてぇ!」

 

 野盗の泣き叫ぶ声が地割れの底から響き渡る。

 なぜこうも訪れる場所で何かしら起こるのだろうか。

 スヴェンが困惑を浮かべる隣でエルナとロイが背中に隠れ、

 

「あっちにアトラス教会の神父とシスターが居る」

 

 二人が向ける視線の先に顔を向ければ、ジルニアで出会った不良シスターと右眼に眼帯を装着し、ハルバートを肩に担いだ大男の神父がそこに居た。

 不良と大男のアンバランスな組み合わせはエルグラム砦の通行客の注目を浴びるには充分過ぎるほどだ。

 

「教会連中は苦手か?」

 

「知らないの? 異教徒は磔、火破り、拷問、解剖されちゃうって……」

 

 怯えた様子を見せるエルナと酷く警戒するロイに思わずため息が漏れる。

 幾ら何でもそれは偏見が過ぎる気もするが、おそらく邪神教団の信徒としてアトラス教会に対する敵意を植え付けるために受けた教育の影響も有るのだろう。

 敵意どころか戦意喪失しているが、ハルバートを担いだ大男の神父が首にぶら下げたロザリオを揺らしながらこちらに近付いて来る。

 アトラス教会と事を構える気も無ければ、穏便に済むならそれに越したことは無いーー無いがラウルが既に威嚇し、エルナとロイが背中で震えてしまっている。

 

 ーーどう対応すれば正解だ? いや、いつも通りでいいか。

 

「ラウル、聖職者に威嚇すんな。それとアンタは単なる旅行者に何用だ?」

 

「背後の子供、怯えているようだが何があった!?」

 

 ここに居る全員、誰しもがアンタが原因だとは言えなかった。

 厳つい大男の神父は顔に似合わず狼狽えた様子で背後の二人を心配しているが、二人が元邪神教団の異端だと気付いてないのか。

 スヴェンが困惑を浮かべる中、突如大男の神父が背後から振り抜かれた回し蹴りに蹴り飛ばされた。

 

「おや、誰かと思えばジルニア以来だね……それとぉ、へぇ! 今度は異端者を連れてるなんてねぇ」

 

 大男の神父を蹴り飛ばした不良シスターは煙草の煙を吐きながらエルナとロイに口元を歪めた。

 

「コイツらはもう離れてんだ、なんならアンタらに有益な情報も与えられるんじゃねえか?」

 

「その話はミルディル森林国の同僚にでも詳しく聴かせな。それよりも外の戦闘も終わるようだ」

 

 喧騒と怒声が嘘のように静まり、代わりに複数の騎士甲冑の足音が響き渡る。

 ヴァグランツを筆頭に騎士団が捕縛した野盗を連れ、エルグラム砦に帰還し、

 

「皆の者、騒がしくしてすまない! これで安全にパルムア村に行けるぞ!」

 

 ヴァグランツの言葉に通行人は安堵した様子で荷獣車の停留所にぞろぞろと向かい始める。

 スヴェン達もそこに紛れるように歩き出せば、

 

「ちょっと待った、シスターとして用事が有る」

 

 不良シスターに呼び止められたスヴェンは嫌そうに眉を歪め、ラウル達のため息が響く。

 

「手短に頼む……いや、その前にアンタが蹴り飛ばした大男を起こしてやったらどうだ?」

 

「早漏木偶の坊はそのままで良いさ……それよりもミルディル森林国で数体の悪魔が確認されてる」

 

 悪魔は邪神教団の召喚に応じないが、裏を返せば別の誰かを代理人に仕立て召喚できる可能性は充分に考えられる。

 

「代理召喚でもされたか?」

 

「いいや、ペル神父の報告じゃあ野盗が召喚したらしい」

 

「野盗が悪魔を召喚? お兄さん、なんだか変なことになってるよ」

 

 確かに妙な事態だ。野盗に悪魔を召喚できるほどの召喚師が居るのかーーいや、それ以前にも疑問に思うべき点が有った。紅いフードの通り魔は悪魔を召喚した事実にもっと眼を向けるべきだった。

 

「通り魔といい最近は悪魔召喚が流行ってんのか?」

 

「経緯は分からないが、悪魔教典なる禁書が野盗の間で使われてるそうだね。もしも回収したら教会に引き渡すように」

 

 悪魔教典と呼ばれる禁書、もしも悪魔を利用したい時にその本が在れば異界人でも利用できるとすれば、それは危険な代物に他ならない。

 スヴェンは不良シスターに頷くことで彼女の要請に従うことにした。

 そしてそのまま黒いハリラドンが引く荷獣車にラウル達を乗せ、南の国境線を目指して出発する。

 奇妙な事態になりつつ有るミルディル森林国の事件に、邪神教団以外の思惑も絡んでいる可能性にスヴェンは一人警戒心を浮かべながら。



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19-9.危機

 音を頼りに進んだ先でアシュナは壁際に身を潜め、気配を押し殺しながら野盗と邪神教団ーーそしてゴスペルと思われる野盗が敵味方問わず殺し合う光景に戦慄していた。

 

 ーーな、んで?

 

 邪神教団とゴスペルは過去に繋がりが有り、切り捨てられた右足のために報復に出たならまだ理解ができた。

 しかし目の前の状況は明らかに違う。報復とは違うただ狂気に染まった殺し合い。

 

「コロセ」

 

「ダレモイカスナ」

 

 狂った瞳で虚に呟きながら互いの武器で傷付け合い、剣先が肉を裂き鮮血がユグドラ空洞に降りかかる。

 なぜこんな状況に陥っているのか理解し難いが、いますべきことは状況確認と原因究明だ。

 ゆえにアシュナは空気と同化するように息を潜め、争う集団から更に奥の方へ眼を向ける。

 

「(あれは……子供?)」

 

 そこに居たのは自身と同じぐらいの背丈の男の子だ。しかし身に纏う魔力は人のソレとは大きくかけ離れ、混沌とした魔力だった。

 アシュナは更に男の子を観察する。色素が抜け落ちたような白髪と赤い眼、そして真っ白な肌ーーアルビノの男の子は殺し合いが続く光景を前にしても微動だにせず、むしろ愉しげに口元を歪めていた。

 

「(危険人物かな、いま魔法を使うとバレる)」

 

 この場を離れるにはまだ情報が足りない。ゆえにアシュナはその場に留まり、アルビノの男の子から眼を離さず殺し合いを静かに静観した。

 スヴェンならこんな時どうしたか、殺し合いに紛れてアルビノの男の子の捕縛に動くか。それとも状況に応じて殺害してしまうのかーー確保するべき、それは頭で理解してるけど足が動かない。

 思考とは裏腹に身体は正直だ。目の前の異様な殺し合いを前にして恐怖心で足が動かないのだ。

 異常とも取れる光景をたった一人で眼にしている。本音を言えば恐くて堪らないが、リーシャの手掛かりに繋がる可能性なら恐怖に耐えなければならない。 

 

 しばらくアシュナがその場で静観すると、残った信徒とゴスペルの野盗が身体から夥しい出血をしながら同時に詠唱を唱えた。

 

「「『『ノロイコロセ』』」」

 

 呪詛を込めた詠唱がユグラ空洞に響き渡り、二人の眼と鼻から血が流れ始める。

 そして咳込みながら吐血し、地面に倒れたのはほぼ同時だった。

 そんな効果を目の当たりにしたアシュナが表情を歪め、アルビノの男の子が、

 

「あーあ、つまんない。殺し合いの果てに上質な生贄を邪神様に届ける筈だったのに……これじゃダメ、ダメ、ただのゴミだ」

 

 死体の山に罵声を浴びせながら近場の死体を乱暴に蹴り始めた。

 アルビノの男の子の行動にアシュナは困惑を宿したまま、ただその場で立ち尽くす。

 なぜそんな酷いことが出来るのか到底理解できないが、言動からして彼も邪神教団なのは間違いない。

 邪神教団なら狂った行動を取っても可笑しくはないが、本来邪神教団は仲間意識が強いはず。

 例え穏健派と過激派に別れていたとしても何らかの方法で殺し合わせるなどする筈が無い。

 

「ゴミの始末って面倒だけど……『影よ喰らい尽くせ』」

 

 アルビノの男の子の詠唱に彼の影が蠢き、やがて膨張を始めーー獣の顎を形造り、死体の山を躊躇いもなく影が牙を剥き出した呑み込んだ。

 そして肉と骨、頭蓋骨、鉄や鋼を噛み砕き、それらが混ざり合い不快な咀嚼音が周囲に響き渡る。

 影に死体の山を喰わせたアルビノの男の子は愉悦と高揚に頬を染め、邪悪で狂気に肩を震わせていた。

 スヴェンは自身を外道と言うが、本物の外道は目の前の彼だ。

 

「味は最悪、悪魔の供物には使えそうだけど……そもそも契約権を奪わない限り悪魔は使役できない。捕らえたリーシャも誰が何処に連れ出したのか、全く困ったもんだなぁ」

 

 ーーリーシャが邪神教団から離れてる?

 

 アルビノの男の子が放った独り言が本当の事なのかは判断に困るが、アシュナは迷う。

 危険人物をこのまま見逃して良いのか、それとも尾行を続けるべきか判断に迷った一瞬ーーアシュナの足元に獣の影が大口を開き迫っていた!

 咄嗟に地面を蹴り飛び、壁を蹴ることで獣の影の大口を避けると、

 

「……姿は視認しづらいけど、そこに居る。間違いなくそこに居る! 誰かは知らないけど、退屈凌ぎに使える玩具だぁ」

 

 狂気的な声にアシュナは息を呑み込み、アルビノの男の子とは逆方向に逃げるように全力で駆け出した。

 疾風がユグドラ空洞を駆け、作戦部隊の合流予定地に向けてアシュナは駆け抜ける。

 だがアシュナを逃しまいと影が執拗に追いかけ、壁から突き出る影の棘がアシュナの肩を掠め血が舞う。

 

「ッ」

 

 アルビノの男の子が追って来る様子も無ければ気配も無いが、それでも陰の魔法だけが執拗に迫る。

 射程範囲も魔法の効果範囲も未知数な魔法を避け続けるのは難しい。

 それならばとアシュナは足に風を纏わせ、更に地面を踏み抜く。

 影の魔法が追い付くよりも、こちらに攻撃を仕掛けるよりも速くーーアシュナは風切り音と共に広大で複雑に入り組んだユグドラ空洞を迷うことなく駆け抜け続けた。

 

 それでも影の魔法は追撃を止めず、地面を這うように背後に迫り続けていた。まるで狩を愉しむように。

 狩を愉しむ外道にアシュナの脳裏にスヴェンの言葉が浮かぶ。

 

『獲物を追い立てることを愉しむ外道ってのは、獲物が安堵する瞬間を狙ってるもんだ』

 

 自身が安堵する瞬間、それは仲間と合流した時だ。

 このまま合流予定地点に向かえば待機中の特殊作戦部隊の仲間を危険に曝す。

 それに姿を見られてた訳では無いが、存在を勘付かれている。

 アシュナは思考を切り替えた。合流予定地点に向かわず、このまま地上に出るルートに進路を変えた。

 

 魔力と身体の限界が近い中、ユグドラ空洞に差し込む光りにアシュナは荒げた息と共に外へ飛び込む。

 寸前のところで影の槍が頬を掠め薄らと血が流れる中、腹部に走る強烈な痛みと熱にアシュナの瞳が揺れる。

 

「かはっ」

 

 口から溢れる吐血、ゆっくりと視線を下に向ければ腹部を貫く影の手。

 ここで死ぬ? そんな疑問と悪漢が頭の中を駆け巡る中、眩い閃光に眼が眩むーー腹部を貫いていた影は愚かしつこく追っていた影も消えた。

 影の手から解放されたアシュナは腹部の傷を抑えながら地面に倒れ込む。

 

「ッ……はぁ、はぁ……ん、もう、限界……」

 

 激痛に加え心労が限界を迎え、アシュナの意識が遠退く。

 

 ーーまだ此処から離れないと。寝ちゃダメなのに……。

 

 頭では理解しながら近付く足音を耳に、その弱った意識が暗闇の底に沈んだ。



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19-10.行方不明

 八月十九日の朝。スヴェン達は南の国境線に位置するジルヘル関所に到着したが、荷獣車の行列に足止めを喰らっていた。

 関所の門に刻まれた開閉魔法陣に不備が有ったということも無く、単純にミルディル森林国への入国者が多いというだけ。

 しかし、スヴェンは行列の中に居る幾人者が放つ血の臭いに自然と警戒と観察眼を向ける。

 行商人か旅行者に扮した血生臭い連中が居るのは確実、それにエルグラム砦で聞いた野盗が召喚した悪魔や多数の勢力。

 立ち寄った村や町ではミルディル森林国の表向きの様子が耳に入っても裏で起きてる事件等を知ることはできなかった。

 手続き待ちの長蛇列にスヴェンは荷獣車に寄り掛かると、こちらに近付く気配が一つ。

 

「もし、スヴェンで間違いないか?」

 

 黒いハリラドンの隣りで訊ねる少年に、スヴェンは眼を背後の荷獣車に向ける。

 エルナ達は退屈のせいかうたた寝を始めていた。これなら下手に会話を聞かれることは無いだろう。

 そう考えたスヴェンは少年に視線を移す。周囲の御者は愚かエルナとロイが彼に気付いている様子も無い。

 他者に悟られず気配を消せる者と言えば、まず浮かぶのが特殊作戦部隊だ。それにエルリアでも自身の名を知っているのはそう多くはないーーむしろ少数と言えるだろう。

 その事を踏まえ、彼が特殊作戦部隊の一員だと悟ったスヴェンは遅れながら頷いた。

 

「あぁ、俺がスヴェンだ。何か用か?」

 

「……ここ数日の間にアシュナと会わなかった?」

 

 アシュナとはエリシェの自宅でミートパイを食べて以来だ。

 ミルディル森林国で活動している特殊作戦部隊の一人としてアシュナが派遣されているのは明白。

 明白だが、少年の質問はまるでアシュナが作戦行動中に消息を絶ったように感じられる。

 気配を断つことに長け、仮に存在が露呈したとしても純粋な足の速さと風の魔法による速度上昇を可能にするアシュナがそう簡単に何者かに捕らえられるとも考え難い。

 

 ーーいや、戦場に絶対はねぇ。となるとアシュナに何かが起こったのか。

 

「会ってねぇな、わざわざ俺にその質問をしに来るってことはアイツに何か遭ったな?」

 

「アシュナ、合流予定地点にも定時連絡時刻を過ぎても連絡が付かなくて……もしかしたら何か遭ってスヴェンと合流したんじゃないかと」

 

「連絡が来ない……アイツから連絡が途切れたのはいつからだ?」

 

「8月14日の14時から連絡が途絶えたまま」

 

 五日も連絡が付かないならアシュナは敵に捕縛されたか殺害された可能性も高い。

 仮に生存を信じるなら何処で潜伏し、傷を癒しているかだ。

 だが後者は魔法で連絡手段が確立されている以上は限りなく可能性が低い。

 

 ーー単に深手で昏睡状態か。

 

 スヴェンは考えられる可能性を思案し、アシュナを心配する少年に質問を重ねる。

 

「アイツの行動範囲を捜索したか?」

 

「捜索はした、数有るユグドラ空洞の入口の一つに彼女のものと思われる夥しい血痕も見つかったけど……アシュナは見つからなかったよ」

 

 夥しい血痕は発見されたが死体は発見されていない以上、死亡と判断するのは軽率だ。

 此処は特殊作戦部隊が調べた範囲の情報を詳しく聞くべきだ。

 

「質問を変える。ユグドラ空洞って場所には別の痕跡は無かったか? 例えば死体、肉片や血痕……何か貫いた跡や斬撃痕だとか戦闘の痕跡はどうだ?」

 

 そう訊ねれば少年は思い出したように眼を見開く。

 

「有った……アシュナが最後に連絡した場所から少し離れた位置に血で染まった通路と何かの肉片のような物も」

 

「それにもう一つ。合流予定地点に続く通路に何か貫いた跡と僅かな血痕も残されてた」

 

 アシュナは何かを見たのだろう。通路が血で染まっているならそこで殺し合いが起こったとも推測できる。

 そしてそんな事態を引き起こした人物を発見したが、勘付かれ逃走を選んだ。

 アシュナが逃げの一手に出る人物がその場に居たと考えれば、それは相当の実力者か。それとも異常者のどちらか。

 いずれにせよアシュナはその人物に追われ、途中で特殊作戦部隊と合流予定地点から出口に向かって進路を変えたと考えられる。

 仮に敵が足の速いアシュナを必要以上に追い、なおかつ安堵した瞬間を狙う外道なら合流よりも撒く方を選んだ。

 ユグドラ空洞の出入り口に辿り着いたアシュナはそこで敵の攻撃を受けてしまったのだろう。

 スヴェンが推測を重ねていると少年が口を開く。

 

「あ、そう言えば出入り口が僅かに焦げ付いてたんだ」

 

「焦げ? アシュナは風を使う……敵の魔法なら血痕は付かず肉の焼けた臭いが漂うな」

 

 アシュナでも敵でも無い第三者がその場に現れ、何らかの魔法を放ち負傷したアシュナを匿っている可能性も出て来る。

 しかしそれは幾ら何でも都合の良い希望的観測に思えた。

 味方でも無い第三者がわざわざ何者かに襲われている少女を助けるとはーーいや、此処はテルカ・アトラスだ、デウス・ウェポンの戦場とは違う。

 それにシルフィード騎士団なら何らかの形で特殊作戦部隊に一報を入れるはずだ。

 

「コイツは限りなく低い可能性だが、いくら探しても見つからねえアシュナは誰かに匿われてんじゃねえか? 負傷してる彼女を匿えるなら医者か治療師か」

 

「そっちの線で捜索してみる。……だけど、優先事項はあの人だからーー」

 

「まあ、こっちも仕事がてら情報屋と会う約束だからな。確約はできねぇが一応捜してはやる」

 

 レーナのことだ。アシュナの犠牲も良しとしはしないだろうし、万が一の場合は彼女が心を痛めてしまうだろう。

 生きてる可能性は低いがアシュナとは魔王救出時に影の護衛として世話にもなっている。

 その借りを返すと思えば、仕事の片手間で捜索しても罰は当たらないだろう。

 スヴェンは頭の中に情報屋の合流に加えてアシュナの捜索を付け加えた。

 ふと気が付けば、少年が既にジルヘル関所を誰にも気付かれることなく飛び越えている光景に肩を竦める。

 思わぬ知らせを聴いたがおかげで長蛇列は進み、自分達の入国手続きまであとわずかだ。

 

「おらガキ共! もう少しで手続きだ!」

 

 荒っぽい口調でエルナ達を起こし、やがてスヴェン達は手続きを終えーー大樹を中心に広大に広がるミルディル森林国に足を踏み込む。

 



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第二十章 出会いの果てに
20-1.森林国ミルディルの地


 黒いハリラドンは自然が形造った道路を進むが、辺りを見渡せども大木の木々と地面を縫うように伸ばされた太く丈夫な根ばかり。

 何処を見渡しても人工物は無い。森の中だから当然と言えば当然のことだが、此処まで緑に包まれた森を見たことも無ければ足を踏み込んだ経験すら無い。

 森と言えばルーメンの南に位置する森に入ったことは有るが、根本的な広さが異なる。

 おまけに守護結界とモンスターの生息地域を行き来する旅に慣れたかと思えば、この国にもヴェルハイム魔聖国と同じように一国を覆い尽くす程の守護結界領域が拡がっていた。

 そこは幾ら自然と共に生きる国民であろうとも星にとっては排除すべき癌細胞だ。

 一度星に有害と認識された生物は地上から一掃されるまでモンスターの攻撃対象になる。それは例え神でも例外では無い。

 スヴェンは漠然とした思考のまま、案内標に従って手綱を操る。

 黒いハリラドンは仕方ないと言わんばかりに鼻息を鳴らし、ジルヘル関所から南東に位置するエルソン村に進路を取った。

 

「なぁアニキ、木々ばっかりだな」

 

 黒いハリラドンが走る中、荷獣車からラウルの退屈そうな声が響く。

 何も起こらなければ確かに退屈だ。現にこの十日は魔王救出の旅と比べて何も起こらずに済んだ。

 あの日々と比較すると退屈で肩透かしだが、実際の旅は案外穏やかで退屈なものかもしれない。

 だが、それも今の内の退屈だろう。

 

「退屈なら休めるうちに休んでおけ」

 

「いやさ、道中なにか有るかと思ってたら何も起こらないじゃんか」

 

「何も起こらない方が良いじゃないか。……あぁ、けど関所の列の中には怪しい気配も居たな」

 

「うたた寝してるかと思えば気配は感じてたか」

 

 背後の荷獣車に視線を向ければロイは苦笑を浮かべていた。

 

「まあ、ほら感覚が鋭くなっているというかさ……」

 

 慣れない旅と緊張、そこに血の臭いを纏った不特定多数の人物が居れば嫌でも警戒してしまうものだ。

 特にエルナとロイは元々敵対関係に有ったアトラス教会とも会っている影響も有る。

 スヴェンにとって警戒して日々を過ごすことなど当たり前の感覚だが、エルナとロイにとってはまだ慣れない感覚なのだろう。

 感覚が麻痺した外道の邪眼など役に立つことは無いが、せめてもの気休めにはなるかもしれない。

 

「まだ感覚が過敏なら一度頭の中を綺麗さっぱり忘れて寝てろ。レポートだとか面倒なこともな」

 

「そうさせてもらうよ……って、エルナはずっと静かだがどうかしたか?」

 

 そう言えば此処に来てからエルナはずっと静かで何か考え込んでいる様子を見せていた。

 自身が悟れない何らかの気配を彼女が感じ取ったのか?

 

「何かあんのか?」

 

 スヴェンが改めてエルナに質問すると彼女は漸くこちらに顔を向け、

 

「お兄さん、関所で誰かと話してなかった?」

 

 寝てるかと思っていたがどうやら会話は耳に聴こえていたようだ。

 レーナとの会話は一部だけ聴かれていたが、まだ三人はレーナの正体を知らない。

 

「隣りの荷獣車の御者となら話してたが……それがどうかしたか?」

 

「隣の……声の距離からして確かに隣りだったけど」

 

 怪しむエルナにスヴェンは眼を逸らさず、

 

「確かミルディル森林国は野菜とチーズたっぷりのピザが有名らしいな」

 

 観光ガイドにも記されていた食べなければ損! そんな謳い文句が載せられる程の食べ物を話題にした。

 

「野菜とチーズたっぷり!? しかもピザってあのピザ!?」

 

 眼を輝かせるエルナにスヴェンは視線を逸らすように正面に向ける。

 

「あ? あぁ、たぶんそのピザだ」

 

 ーー誤魔化すために観光ガイドから引用したが、ピザってなんだ?

 

 ピザが何なのかは実際には知らない。

 旅の途中で様々な料理を口にして来たが、少なくとも記憶の中にピザと呼ばれるメニューは愚か名すら見た覚えが無い。

 判ることと言えば野菜とチーズを使った料理というだけで、パスタ料理なのかパイ料理なのかすら依然と判断が付かない。

 いま考えても仕方ない、ピザのこともアシュナの件も自分達が今後何をすべきかもエルソン村に到着すれば判ることだ。

 

「ロイ、どうしよう! ピザが楽しみ過ぎて考えていたことが頭から消えかけそうだよ!」

 

「お、落ち着け……ピザは一旦置いて何を考えてたのか話してくれないか?」

 

「あっ、そうだったぁ。野盗が悪魔を召喚したって話しが如何しても腑に落ちなくてさ。しかも複数の悪魔が国内に居るとなるともう少し騒ぎが有っても良いんじゃないかなぁと」

 

 エルナの指摘通りだ。悪魔と呼ばれる存在は元々邪神によって創造された僕だ。

 そんな超常的な存在が国内に出現しているならジルヘル関所で噂を耳にしても良いはず。

 それ以前に多数の野盗が入り込んでいる状況下で騒動を何一つ聴かないのは不自然だ。

 高度な情報操作が行われているのならまだ判るが、ミルディル森林国側に必要な情報をエルリアに隠すメリットが無い。

 むしろリーシャ救出に特殊作戦部隊が駆り出されている状況下で情報を隠すなどデメリットでしかない。

 

 ーー既に国の情報機関や中枢は邪神教団に抑えられているのか? いや、連中は魔王アルディア救出発表後には国内の拠点に撤退したと聞くが……。

 

 幾ら何でも情報不足過ぎる。昼食で新しい幸福を感じる前に先にフィルシスが用意した情報屋と合流した方が良い。

 そう判断したスヴェンは手綱を強く打つ。

 そして黒いハリラドンが速度を上げ、荷獣車の中でエルナ達が突然のことに抗議の声を挙げる中ーー道路を土埃が舞い、エルソン村を目指して荷獣車が走り抜ける。



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20-2.エルソン村の情報屋

 複数の大木と複雑に絡み合う太い枝の上に建築されたエルソン村に到着したスヴェンは黒いハリラドンを停留所に停めてから、エルナ達と共に木々に囲まれた村を歩き出した。

 この国の建築様式は変わっていた。少なくともスヴェンが見た光景では変わっていると言う他になかった。

 通常の建築はレンガ造りか木造建築、中には石造りの民家や施設も有ったが大木や老木の中に住むなど考えたことも無く、くり抜かれた老木から子連れの家族が出掛ける光景など不思議でしかない。

 

「変わってんな」

 

「砂漠の国には粘土建築も在るらしいけど、大木の中に家を建てる……うーん、家というよりはアパートメントって感じなのかな」

 

 確かに家というよりはアパートメントの印象を強く受ける。

 そう思えば高層ビルやマンションのように複合型居住区と代わりは無いのかもしれない。

 エルナの言葉に自分なりの解釈とデウス・ウェポンのアパートメントを比較して頷いたスヴェンは、改めて足元に視線を落とした。

 複雑に絡み合うことで構成された太枝の通路。それは荷獣車が四台も通れる程の幅だ。

 これが自然によって形成されたなどと言われても到底信じられるような物では無いが、異世界の環境と言われれば自ずとそういう物だと理解して信じてしまう自分が居る。

 

「……人工的な建造物や町は何度も見て来たが、自然任せってのは不思議で不気味にさえ思えるな」

 

「アニキが不気味に思うことなんて有るんだな」

 

 人には誰だって苦手な物や不気味に感じる物だって有る。そもそも自身が動じないと思われているのは些か心外だ。

 

「俺を何だと思ってんだ? 常識で考えられねえ存在は疑いもするし不気味に感じることだって有るさ」

 

「先生から聴いたことだけどミルディル森林国の森は他とは違う独立した生態系らしいんだ……ユグドラ大樹を中心に各木々に意識が宿ってるとか」

 

 ロイの興味深い話にスヴェンは自身なりの解釈を口にする。

 

「各意識ごとに最適な方法で成長してるってか。栄養の取り合いが起こりそうだがな」

 

「森も星が生み出した自然物だからねぇ〜星生命理論通りなら一本一本の木に意志が有っても不思議じゃないよ。それに多分栄養の取り合いは発生してないと思う」

 

 栄養の取り合いが発生しない? それは地下に豊富な水源と栄養源の蓄えが広大な森林を賄う程に有るということか。

 

「そういえばユグドラ空洞なんて呼ばれる広大な地下空洞も有ったよなぁ。確か大樹の根で出来た地下空洞なんだっけ」

 

「そっ、資料によると地下空洞の地底湖は星の魔力を含んでて一滴だけでも木には充分な栄養源になるんだってさ」

 

 エルナとラウルの会話を耳にスヴェンは道行く人々に眼を移す。

 自然と背中のガンバスターの柄に手を伸ばしたくなるほど、エルソン村に入り込んだ不審人物が多過ぎる。

 緑の衣を基調した服装を着こなすミルディル森林国の住人とは違ってその手合いは血に汚れた革鎧や軽装に身を包み、絶えず誰かを探すように観察している。

 余所者とそうで無い者の区別がこうもあからさまでは、逆に謀略を疑いたくもなるがーー如何に野盗が人の集団に慣れていないのかが判る。

 そう言った手合いは小規模かつ経験の浅い勢力だ。

 

「話はそこまでにしてそろそろ待ち合わせ場所に行くぞ」

 

 特に落ち合う場所など指定されていなければ、情報屋が何処に居るのかさえ判らない。

 ただ不特定多数の眼を欺くには観光地で迷った程を装えばある程度は欺ける。

 スヴェンの言葉の真意を察した三人は会話を辞め、学生らしく周辺に興味深そうに眼を向けた。

 実際にエルナ達はラピス魔法学院の制服を着ている。これで自分は学生を引率している教員か傭われの護衛に思われるだろう。

 ただ、スヴェンの眼や瞳から感じる印象ではエルナ達を連れている行為事態が何らかの犯罪を奇想させかねないのも事実だった。

 

「いやぁ〜先生からお兄さんを紹介された時は驚いたけど、ボディガード・セキリュティなんて護衛屋に頼んで正解だったね」

 

「だな、これで気兼ねなく海外学習が続けられそうだ」

 

 エルナとロイの演技を帯びたやり取りにスヴェンは護衛らしく肩を竦め、人々に紛れる野盗に眼を向けずエルソン村の酒場に足を向ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 木々の香り、様々な酒の香りと焼かれた野菜の芳ばしい香りが漂う酒場に吟遊詩人の陽気な詩が響きーー祝杯を片手に酒を豪快に呑むガラの悪い一団とそんな彼らを避けて静かに酒を嗜む行商人やアトラス教会の神父やシスターの姿に目が行く。

 一見誰しもが酒を嗜んでるが、少しでも導火線を刺激すればたちまち戦闘に発展仕掛けない危うさも見られる。

 スヴェンが一通り客の観察を済ませ、店の窓際奥の隅っこにフードで身を隠す一人の気配に眼を細めた。

 覚えの有る気配、なぜ此処に居るのか。様々な疑問が浮上する中、

 

「お客様、4名様でよろしいですか?」

 

 ウェイトレスの呼び掛けにスヴェンは視線を移し、

 

「あぁ、窓際奥の席は空いてるか?」

 

「あ……あちらの方のお連れでしたか」

 

 どうやら彼が情報屋で間違いないようだ。スヴェンは静かに酒をエルナ達に視線を向け、ウェイトレスの誘導に従って窓際奥の席に着席した。

 対面に座るフードの人物ーー以前出会った紅いフードの悪魔は、

 

「やあ、早い再会だったね……周辺には我々の会話は聴こえないように少しだけ魔法を使ってるよ、まあ我が離れると効果を喪うけど」

 

 誰にも悟れない結界の中で、紅いフードは以前の反響する声とは違って一人分の声で再会を喜ぶように語りかけた。

 そもそも目の前の存在から人として生きている気配は無い。むしろ無機物を悪魔の憑代に代用している印象すら受ける。

 

「アンタは前と会った時とは変わったな……()()()()()()()()()?」

 

 単刀直入に訊ねれば悪魔は擬音を鳴らしながら肩を竦めた。

 関節部分の擬音から身体は人形かゴーレムの類いか。そう判断したスヴェンは悪魔の言葉に耳を傾ける。

 

「我々は二体で一であり双子……つまり分離も可能なんだ。分離中はお互いの情報共有も可能でね、情報屋稼業として役立つ訳のさ」

 

 前にフィルシスは悪魔と遭遇し、情報屋として取引したとは語っていたがーー他国で活動させる情報屋はミルディル森林国の国政や土地勘に強い現地住民かとばかり考えていた身としては少々虚を衝かれた気分だ。

 

「なるほど……まずこの国で何が起こってる?」

 

 入り込んでいる野盗の数も現在進行形で宴会中の野盗も異様だ。その意味を含めて問い掛ければ悪魔は虚な眼で語り出す。

 

「噂の錯綜が野盗を野心に駆り立て、邪神教団の思惑以上に……いいや、誰にも想定外の状況になってるね」

 

「噂の錯綜ってのは?」

 

「様々有るけど野盗の間に広まってるのはリーシャの身柄確保で恩赦を与えれるという噂だね」

 

 国家が一階の犯罪者集団に司法取引を持ち込むことは多々有るが、それ以前にミルディル森林国はエルリアに協力を要請している。

 わざわざ野盗を国内に招き入れる必要が無い状態だ。

 

「その噂の出処ってのは?」

 

「最初は混乱中のミルディル森林国から莫大な財宝や宝を盗み出す絶好の機会って噂だったけど、次第に噂の中にリーシャが邪神教団に誘拐された事実が混ざりはじめて……身柄を確保すれば野盗に恩赦が与えらるのでは? そんな感じで拡散されたそうだよ」

 

 最初は単なる憶測による情報がある意味で的を得ている情報へと変わり拡散されている事実にスヴェンは眉を歪め、エルナ達は困惑に染まった眼差しで悪魔を見詰める。

 野盗と邪神教団が勝手に潰し合うことに理論も無ければ。戦力的に少ないこちら側としては利用しない手は無い。

 だが裏を返せば邪神教団と野盗を同時に相手にする危険性も有るということだ。

 

「……それで他には? 野盗以外にもゴスペルやら色々と入り込んでるそうだが」

 

「ゴスペルは仇討ちかな……切り捨てられた右足の仇討ちに右腕が動き出してるそうだよ。ゴスペルの中でも最も武闘派で過激な連中らしいけどね」

 

「なるほど、確かに連中はゴスペルの右足を切り捨てたが……当人は穏健派を謳ってる奴だぞ?」

 

「その穏健派を謳ってる誰かさんは北の地で穏健派を動かしてるよ……」

 

 ミルディル森林国内で邪神教団の内部抗争とゴスペルによる仇討ち、そして打算目的で介入を始めた野盗ーー同盟国の特殊作戦部隊の活動と各勢力の動きにスヴェンは頭の中で支援者と敵を選抜する。

 前者は特殊作戦部隊とシルフィード騎士団。後者は支援者と穏健派以外の全て。

 

「他に国内で動いてる勢力は?」

 

「一つ情報が掴めない存在が居るね……我々の同胞も数体確認されてるけど、そっちは教会に任せて良いかも」

 

 確かに敵が多過ぎる状況で悪魔の相手まで誰が好き好んでやるのか。

 フィルシスなら嬉々としてやるだろうが。スヴェンは此処には居ない彼女のそんな姿を浮かべながら確認すべき情報を訊ねる。

 

「……アシュナってガキが消息不明と聴いたが、何か情報は入ってないか?」

 

 スヴェンの問い掛けにエルナ達は疑問に首を傾げ、悪魔は何か思い当たる節が有るのか顎を撫でた。

 

「アシュナ……それは小柄で灰色の髪をした人の子かな」

 

「あぁ、多分ソイツだ」

 

「その人の子は非常に危うい状態だね。今は意識不明の重傷だけど闇医者と彼女に匿われてるよ」

 

「彼女? いや、アシュナの居場所は何処だ?」

 

「うーん、ミルディル森林国内を転々としてるから追い付く頃にはもう居ないよ……きっと時が巡り合わせてくれるさ」

 

「つまり今は間が悪いってことか……最後の質問だ。目的人物と邪神教団の潜伏場所は何処だ?」

 

 最後に小声で本命の情報を訊ねたスヴェンに悪魔は地図を出すようにジェスチャーで伝え、エルナがテーブルに地図を広げる。

 悪魔は指先を動かすだけで地図に印を付け始めた。

 

「目的人物は各勢力によって争奪戦、各勢力の拠点を転々とされてる状態で詳細は不明だよ」

 

 だからっと悪魔は敵対勢力の拠点を全て地図に書き記した。

 二十はくだらない拠点の数にエルナ達が驚愕を浮かべる中、スヴェンは背後で祝勝している野盗に眼を付けーー口元を歪めた。

 各勢力同士のリーシャ争奪戦、敵対勢力を滅ぼせば自然と解決するがスヴェンの目的は特殊作戦部隊が動き易くするための強襲に過ぎない。

 強襲の傍ら情報を入手するのも仕事の一つに他ならないからだ。

 スヴェンの様子にラウルが怯えた様子を見せる中、

 

「あぁ、それともう一つ我々から。邪神教団の司祭が潜伏してるから気を付けなよ」

 

 悪魔は最後の重要な情報を残して静かにその場を立ち去った。



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20-3.レポートはピザの後に

 宴会を続ける野盗を追跡するには機会を待つ必要が有った。ゆえにスヴェンは先にラウルに宿部屋の確保をさせ、ミルディル森林国の名物と名高い野菜とチーズたっぷりピザを注文する。

 人数分のピザと冷えた水が運ばれて来た頃にラウルはスヴェンに宿部屋の鍵を手渡し、

 

「宿屋クレストで部屋は大部屋を一部屋確保できた」

 

 彼の言葉にスヴェンは早速馴れた様子で鍵をサイドポーチに仕舞う。

 そしてスヴェンはテーブルに並べられた焼き立ての野菜とチーズたっぷりピザに視線を落とし、深い深い吐息を吐いた。

 焼けた平らなパンにふんだんに盛られた野菜とチーズ、中でも芳ばしいチーズとトマトソース、そしてバジルの香りがスヴェン達の食欲を大いに刺激する。

 

「んじゃあさっそく食べるか」

 

 スヴェンは自皿のピザを手に取り、熱々のピザを口に運び齧り付く。

 焼けた平らなパンを噛みちぎれば、とろとろに溶けたチーズが伸びる。

 スヴェンは落とすまいとすかさずチーズを口に入れ、ゆっくりと噛み締めた。

 タマネギ、パプリカ、ブロッコリー、バジル、トマトソースに溶けたチーズの濃厚な味にスヴェンは眼を見開く。

 

 ーーう、美味すぎる!?

 

 心が幸福に満たされるほどの旨味、それだけに飽きたらず平たいパンに入った切り込みがピザを切り取りやすく、なおかつカットしたピザは片手間で食べられるときた。

 

「なにこれ、なにこれ!? こんなに美味しいなんて……これが噂に聞いていたピザ!」

 

 エルナの満面の笑みにロイとラウルが釣れるように笑みを浮かべる。

 

「エルリアの料理も美味しいけど、なんだろう……大自然を感じた!」

 

 ラウルの大袈裟にも取れる感想に周囲の客が小さく笑みを浮かべ、それはまるでミルディル森林国で育った農作物に対する誇りさえ感じる笑みのようだった。

 この国は菜食主義として有名だが、他国の旅行客や行商人には他国から仕入れた肉を振る舞うと云う。

 だが、肉類はいつでもエルリアで食べれる。それは野菜も同じだが、野菜や酒造を売りにしている国家の野菜というのも肉抜きで味わいたくなるも仕方ないと言えるだろう。

 スヴェンはピザを食べ続けながらそんな事を頭の中で浮かべては、すっかり酒が回り始めた野盗に眼を向ける。

 

 ーー幸福的な味の前に仕事を忘れたくなるが、連中の尾行は必要なことだ。

 

 宴会中の野盗は二十人程度、恐らく拠点にも居ると踏まえれば中規模程度の野盗集団だ。

 その程度なら一人でどうにでもなる人数だが、問題は本命を獲得しているかどうか。

 連中の拠点に本命が居れば野盗の殲滅は前提条件として、身柄の確保と特殊作戦部隊に任せるまでの護衛も必要になる。

 リーシャの確保が他勢力に知られれば、自身を含めた四人は各勢力の標的にされるのは間違いない。

 思考しながらピザを食べ終えたスヴェンは、エルナ達が食べ終えるのを静かに待つ。

 

「ふぅ、美味かった。考えてみるとけっこう美味しいものをご馳走になってるな」

 

 ロイは金銭面の心配をしてるのか、何処か遠慮した様子でそんな事を口にした。

 懐事情など子供が気にするような物でも無いし、美味い食事で英気を養うのは至極当然のこと。

 

「気にすんな、その分アンタらにも働いてもらうんだからよ」

 

「ピザをご馳走になったから気合い入れるよー、なんなら頭をフル回転させて5手先の作戦でも考える?」

 

 気合い充分と眼で語るエルナにスヴェンは静かに首を横に振る。

 此処は人も多い。誰が聴き耳を立てているか判らない状態だ。そんな場所で迂闊に作戦会議でもしようものなら何の意味も成さない自殺行為ーーだが、敢えて周囲に聴こえるように作戦を話すのも一つの手では有る。

 尤も後者の小細工に引っかかる者は稀だ。

 スヴェンは咳払いと共に指先で三度テーブルを叩く。

 出発前に事前に決めた合図にエルナは思い出したように手を叩き、

 

「おぉ、そういえばレポートがまだだった」

 

 荷物の中から紙を取り出し、手早く羽ペンを走らせる。

 そこにロイとラウルも頭を寄せ、レポートの内容に小難しいそうに顔を歪めた。

 紙に書かれたのは行動目的は宴会中の野盗を強襲、問題点はリーシャの所在の有無と当たりを引いた場合。

 リーシャが居れば奪還は当然として身柄の安全が確保されるまで護衛の継続。それは少人数で到底不可能に近い状況。

 エルナが冷静に分析した結果、導き出した内容にラウルが顔を顰める。

 敵対勢力が不特定多数、そこに加えて邪神教団の司祭を四人で相手にするのはどう考えても無理無謀だ。

 犠牲を厭わなければ、エルナ達に殺しを強要させるなら不可能では無いがーーそんなものは最初から視野に入れるべき選択肢などではない。

 

 スヴェンは紙に書き足された内容に眼を向ける。

 リーシャが居なかったはずれの場合、次の野盗か邪神教団の強襲。エルソン村から近い拠点は三つの内どれを攻めるか。

 最初に攻めるのは宴会中の野盗と確定しているが、次に狙うべき拠点はエルソン村から北に位置する拠点だ。

 そして村を中心に西と東の拠点を強襲し、エルソン村周辺の安全を確保する。

 スヴェンはエルナから羽ペンを受け取り、はずれ時の予定を書き記す。

 それにエルナは思案顔を浮かべ得心した様子で、

 

「後続を考えると補給路と退路の確保って大事なんだね。……まあ、騎士になる気は無いけどねぇ」

 

 独り言を呟く。周辺の客や野盗は彼女の言葉に学生の勉強を邪魔しては悪いと感じたのか声量を抑えはじめた。

 

 ーーお人好しが多いのか? 

 

 エルナ達の服装は正にラピス魔法学院の制服、何処からどう見ても学生にしか見えない。

 視覚的な情報からレポートを書くエルナは単なる学生と認識したのだろう。

 スヴェンは内心で彼らに苦笑を浮かべ、エルナが書き足した内容に眼を見開く。

 次々に書き足されていく作戦と予備、それが五手先の内容まで書き記した途端、エルナは書く事を止めた。

 

「うん、満足!」

 

「……すごい笑顔だけどさ、おれにはさっぱりなんだけど?」

 

「エルナは頭が良いからな」

 

 頭が良いとロイは気軽に語っているが、スヴェンはこう質問せざるを得ない。

 

「アンタは(みらい)でも視えてんのか?」

 

「視えないよ、ただ空想に描いた(みらい)に向けてどうやったら辿り着けるか順序立てて設計しただけ」

 

 確かにエルナが書いた五手先の作戦は推測と予測混じりでまだ正確とは言えないが、ミルディル森林国で活動を続ける内に彼女の練る作戦はより精度を増すだろう。

 

 ーーなんだって身近の女共は何処かしらで優秀なんだ?

 

 スヴェンは改めてエルナの優秀な一面に強い感心を抱きながら、いよいよ動き出した野盗に合わせて席を立つ。

 食事代の銅貨二十枚をテーブルに置き、スヴェン達は行動を開始する。

 

 

 



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20-4.争奪戦

 スヴェンはエルナ達を連れ、エルソン村の酒場に居た野盗の尾行を開始してから一時間が経過していた。

 森林の中を無警戒に陽気に歩き続ける野盗集団。スヴェンは木々の影から彼らの様子に眉を歪め、その先に在るであろう拠点に眼を向けるとーー黒煙が森林を包む夕暮れに立ち昇っていた。

 何者かに先手を打たれた。そう理解した時には野盗集団の陽気な気配は嘘のように緊張と焦りに早替わり。

 慌てたように乱雑に走り出す彼らにスヴェンはため息を吐く。

 

「拠点にどの程度人員を残していたかによるが、無警戒過ぎるな」

 

「急いで仲間を助けに行ったんなら襲撃者に対して反撃に出るんじゃないのか?」

 

「あれだけの煙だ、それなりの威力で撃たれ燃え広がってるかもしれねぇ」

 

 黒煙と火の色を映し出す夕暮れの空に、襲撃者はミルディル森林国の環境にお構い無しなのは明白だ。

 それに襲撃時に魔法で爆撃でもされれば混乱から容易く強襲を許すことになる。

 伝染する混乱と襲撃者に討ち取られる野盗、体勢を立て直す前に拠点は制圧。

 その可能性が高い以上、スヴェンは敢えて先を急がずガンバスターを肩に歩き出す。

 想定の範囲内、行動方針に変更も無い状況にエルナは燃える空を見上げた。

 

「ちょっと不味いかも」

 

 懸念を呟くエルナにスヴェンは敢えて足を止めず、野盗集団の拠点を目指す。

 

「火の手でリーシャを狙う勢力が集まる可能性が有るってことか……スヴェンならその場合どうするんだ?」

 

 ロイの質問にスヴェンは脚を止め顔だけを向ける。

 敵対勢力がリーシャを賭けて潰し合うならそれに越したことは無いが、一番面倒なのは徒党を組まれることだ。

 それに九月一日には護衛を連れたレーナがこの地にやって来る。

 レイとミアが居る以上、レーナの身に心配は無いが絶対など有りはしない。

 だがロイの質問の意味はそこじゃない。彼はリーシャを狙い集まる勢力に対してどう対応するのか。それが聴きたい答えなのだろう。

 

「そうだな、リーシャがその場に既に居ないなら強襲を仕掛けても良いが潰し合いを誘発させる」

 

「潰し合い……たくさん死ぬのか」

 

 冷酷に言えば一人残らず殲滅する。だが、悪魔から仕入れた情報と地図に記された敵の拠点を見るに少々距離が有る。

 一番近場の別の拠点からハリラドンを飛ばしても一時間は掛かる距離だ。

 

「そうなる可能性は低いだろうよ。煙が上がってから3分も経ってねぇ、他の連中が急行するには時間が有る」

 

「お兄さんの言う通りだね、ちゃちゃと片付けて帰れば連戦は避けられるかな」

 

「エルナも気楽に言うけどさ……アニキ、おれ達はどうすれば良い?」

 

 乱戦ともなれば敵味方の区別など難しい。そこにエルナ達を連れて駆け回るのは得策とは言えない。むしろ学生服を着た三人は嫌でも目立つ。

 なら三人にさせるべき行動は後方支援だ。

 

「ラウルは魔法が届く範囲まで来たら火の手を消化しろ、エルナとロイも敵に魔法を当てねえように後方支援だ」

 

「アニキに着いてダメなのか……」

 

 ラウルが落胆気味に肩を落としたが、彼は大きな勘違いをしている。

 後方支援とは退路の確保も担う重要な役割の一つだ。強襲して囲まれて離脱不可能では話にならない。

 

「アンタらは退路も確保しておけ……いいか? いざって時はなりふり構わずエルソン村まで逃げろ」

 

 それだけ伝えると三人は深妙な眼差しで頷き、スヴェンの耳に戦闘音が届く。

 どうやら拠点の襲撃者と戦闘が始まったようだ。四人はその場を駆け出し野盗の拠点に向かう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 戦闘音と魔法が生じる廃墟をスヴェンは大木の太枝から銃口を構え戦場を観ていた。

 廃墟広場と魔法に巻き込まれた大木と木々が炎上し、空に煙を上げる中、魔法や矢が戦場を飛び交う。

 廃墟を襲撃者から護る野盗と合流した集団、襲撃者側は撤退を始めたのか逃げるように応戦し、そこに第三者の魔法が掠める。

 魔法を放った邪神教団の信徒に両者が互いに魔法を放ち、三つ巴化した戦場に激しく魔法が飛び交う。

 混戦にしては良い状況だが、問題は襲撃者側が撤退を始めている点だ。

 襲撃したが想定以上の防衛戦力によって撤退を始めたか、それとも既に目標を連れ出したのか。

 少なくとも襲撃者側にリーシャと思われる人物の姿は無い。

 襲撃者の位置は廃墟の北西側、そこに撤退したいが野盗に阻まれてる状態で更に邪神教団の介入は彼らにとっても思わしく無い状況だろう。

 

「ロイ、念のため北西側を偵察、痕跡を調べてくれ」

 

「廃墟の北西……今は夕暮れ、暗くなる前に戻って来るよ」

 

 指示に応じたロイが迂回するように廃墟の北西に向けて駆け出す。

 これで何か痕跡が見付かれば良いが、後で改めて周辺の痕跡を調べる必要も有る。別の勢力が到着する前にという条件付きでは有るが。

 スヴェンは左眼を閉じ、ガンバスターの銃口を構えた状態で標準を定める。

 距離は七百メートル、ガンバスターの射程範囲としては充分な距離だ。

 スヴェンは後方で指揮を飛ばす三勢力の人物に標準を定めーー引き鉄を引く。

 

 ズドォォーーン!! 一発の銃声と音に.600LRマグナム弾が野盗のリーダーの頭部を砕き貫き、呆然とする三勢力にお構い無しにスヴェンはもう一度だけ引き金を引いた。

 今度は信徒部隊の指揮官の頭部が消し飛び、エルナとラウルの引きずった声が響く。

 

「う、うわぁ〜あ、あんな簡単に人の頭って吹き飛んじゃうんだぁ〜」

 

「あ、アニキは容赦無いから。いや、ほんっと……」

 

 スヴェンは大木の太枝から地面に着地し、

 

「援護は任せた」

 

 それだけ言い残し廃墟に向けて駆け出す。

 指揮官を失った野盗と信徒が恐怖と混乱に陥る中、事態を好機と判断した襲撃者の集団が撤退を試みる。

 しかし、襲撃者のリーダーをむざむざ逃す理由も無ければわざわざ彼だけ残す意味がない。

 混乱する各勢力、尤も南の入り口から一番近い信徒部隊の背後からガンバスターを媒介に形成した魔力の刃を薙ぎ払う。

 横薙ぎに走った一閃が信徒部隊の背中を斬り裂き、地面に胴体が崩れ落ちる。その直前にスヴェンは死体を物陰として利用し、野盗集団の背後に回り込む。

 

「な、なにが?」

 

「連中、一体誰に? え? いや、何が起きて……」

 

 突然の状況に混乱に陥る野盗集団と襲撃者。スヴェンは一度魔力の刃を解き、野盗に向けてガンバスターを縦に振り下ろす。

 頭部から真っ二つに斬り裂かれ鮮血が舞う中、次の獲物に縮地で距離を詰める。

 野盗集団の数は転がっている死体を含めれば三十人。生きてるのは十人程度。

 スヴェンは気付かれる前にガンバスターを振り抜き、野盗を斬り裂く。

 

「お、お前!? い、いつの間に!!」

 

 漸くこちらの存在に気付いた野盗にスヴェンは躊躇無く首を撫で斬る。

 一度は状況を好機と捉えた襲撃者は戦場の中で足を止め身構えた。

 拠点の所在を追跡させないためには正解でも有るが、スヴェンにとって襲撃者のリーダーを確保すればそれで済む。

 思考を挟むスヴェンに野盗の一人が魔法を唱え、魔法陣から放たれた火球がこちらに向かう。

 まだ側に野盗が居るにも関わらずーースヴェンは近場の野盗を掴み、飛来する火球に向けて野盗を蹴り飛ばした。

 

「あっ」

 

 突如目の前に迫り来る火球に状況を理解した野盗から小さな声が漏れーー爆音と共に野盗が炎に包まれながら地面に斃れ伏す。

 自身の放った魔法で仲間の死を招いた野盗が瞳に絶望を宿す中、スヴェンは躊躇なく袈裟斬りを放つ。

 血飛沫と共にドサッと倒れる野盗の姿に八人の野盗が武器を手に同時にこちらに駆け出した。

 手間が省ける。スヴェンは腰を軸にガンバスターを円を描くように一閃。

 刃が八人の野盗を斬り裂き、鮮血が廃墟の地面や瓦礫を汚す。

 次の獲物は襲撃者のリーダーを除いた全員、スヴェンが一歩前に踏み出すと同時に空から魔法による雨が降り出し銀の鎖が襲撃者の身体に絡み付く。

 

 ーーラウルとエルナの魔法か。

 

 身動きが取れない襲撃者達は一斉に魔法を唱えようと声を発するが、

 

「「「ーーっ!? ーー!! ーー! ーーっ」」

 

 声が出ず詠唱が唱えられない!

 これもエルナの魔法なのか、魔法が主流の世界で声を奪う魔法はかなりの脅威だーーだがそれが通じない者も多数居る。

 フィルシス曰く声が封じられたら剣で斬れば良い、威力は半減するけど無詠唱で発動すれば良いと。

 魔法の発動に精神力も必要とされる中、魔法を使った素振りも見せない人物を目の前にして声を封じられればどうなるか。

 スヴェンは恐怖心と混乱で視線を彷徨わせる襲撃者にゆっくりと近付く。

 エルナなりの援護のやり方に舌を巻きつつ、ガンバスターを構える。

 スヴェンは躊躇いなく淡々と刃で襲撃者を斬る。

 そして残した襲撃者のリーダーにガンバスターを構え、ラウルの魔法が炎を鎮火させる中、狼狽える襲撃者のリーダーに訊ねる。

 

「お宝は運び出せたのか?」

 

「ーーっ!? こ、声が出る!」

 

「アンタの詠唱よりも速く斬るのは簡単だ、それともここで死ぬか? その場合、俺はアンタらの拠点に向かいお宝の所在を訪ねることになるが……」

 

「や、やめてくれ。話す、話すからもうこれ以上……奪わないでくれ」

 

 完全に心が折れた襲撃者にスヴェンは質問する。

 

「それで? ここにリーシャと呼ばれる女性は居たのか?」

 

「居た……彼女を確保すれば身代金の要求にも使えるし、良い金になると踏んでーー今頃仲間が拠点に連れて行ってる」

 

 最初で当たりを引いたが、果たしてリーシャは無事に拠点に連れ出されているのかどうか。

 

「護衛の人数は? それなりに利用価値が有るならそこそこ着けてるとは思うがな」

 

「……10人だ、拠点に待機中の仲間も合わせて15人居る」

 

 お互いに敵同士の中で十五人は少ないが、彼はリーシャの身柄が金になると理解している。

 

「他の連中に対して金の山分けでも持ち掛けて安全を計画でもしていたか」

 

「あ、ああ……お前も同じ考えだったのか。なら俺達と組まないか?」

 

 スヴェンは彼の言葉に何も興味を示さない。

 

「アンタと同じ考えがこの国にどんだけ入り込んでんだかなぁ」

 

「……それは判らない。ただ、噂だとこの国の何処かで敵味方問わずその場で殺し合いが始まる現象が多発してるらしい」

 

「今回みたいな状況でか?」

 

 疑問に襲撃者のリーダーはゆっくりと頷く。

 利を得るために何らかの魔法で殺し合わせる方が手っ取り早いが、同時にリーシャの居所を失う危険性も有る。

 スヴェンはそんな魔法を使う手合いは自身と同じように中々狂ってるか外道の類いだと結論付けた。

 ふと自分達はリーシャの容姿を知らないことを思い出す。

 

「確認だ、リーシャの容姿に付いて答えろ」

 

「緑色のセミロング、紫色の瞳。顔立ちは普通で服装は青と緑の破れたドレスだった」

 

 聴きたいことは聴いた。もうこの男は用済みだ。そう判断したスヴェンは躊躇なくガンバスターを横に斬り払った。

 襲撃者のリーダーだったものの首が地面を転がる中、エルナ達の気配が背後に近付く。

 視線だけを背後に向ければエルナとロイはなんとも言えない表情を浮かべ、似た状況で似た光景を体験してるラウルは真っ直ぐとこちらに眼を向けていた。

 

「アニキ……コイツらの拠点は壊滅してたらしい」

 

「……先を越されたか。いや、やけに足の速い連中が居るな」

 

 スヴェンは大木の影に現れた気配に一瞬だけ視線を向け、それがエルリア城で何度も感じた気配だと悟る。

 

「あぁ、地面にハリラドンの足跡が何処に向かってるかもはっきりと遺されてたよ」

 

「お兄さん、パターンCだけどどうする?」

 

 何者かにリーシャが確保され、別の勢力にリーシャが奪われ手掛かりが降り出しに戻る状況。

 まさにエルナの言う通りパターンCだが、行動方針に変わりは無い。

 

「いや、俺達は予定通りにエルソン村周辺の拠点を襲撃者する。敵対勢力の数を減らさねえことにはいつまで経ってもイタチごっこだしな」

 

 此処と襲撃者の拠点を調べたいところだが、他勢力の存在も在る。

 そんな状況下で三人だけエルソン村に帰すことも得策とは言えない。

 

「今日の所は撤収するぞ」

 

 エルナ達にそれだけ告げたスヴェンは、三人と共にエルソン村に戻りーーラウルが確保した宿部屋に向かうのだった。



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20-5.空似

 八月二十日、まだ朝日が昇らない時刻に目覚めたスヴェンはソファから起き上がった。

 ベッドで三人がぐっすりと眠る中、気配と音を殺し手早く身支度を整えたスヴェンはガンバスターを背中に部屋を出た。

 宿屋から昨晩の廃墟に向かい、そこから北西に駆け出す。

 昨日ロイが見た全滅した襲撃者達の拠点に到着したスヴェンは真新しい足跡にガンバスターの柄に手を掛ける。

 木々に囲まれた場所に張られた複数のテント、襲撃者達の簡易的な拠点と昨晩の死体は何者に埋葬されたのか突き立てられた十字架に眼が行く。

 ゆっくりと墓に近付き、手で地面に触れる。

 

「まだ掘って新しいな……」

 

 わざわざ調べに来た何者が死体を埋葬する。聖職者か単なる善人のどちらか。

 それとも案外野盗か邪神教団の仕業か。どちらにせよ敵なら始末するべきだ。

 早速決まりきった思考を浮かべながら歩き出すスヴェンの目前にクロウボウの鏃が迫る。

 ただの鏃を腕で掴み地面に投げ、仕掛けた人物の方向に視線を向けると、スヴェンは驚愕を顕にした。

 そこにはアトラス教会のシスターの装いをしたーー過去に殺した相棒、彼女と瓜二つの顔立ちと赤髪をした女性にスヴェンの眉が歪む。

 

「……奇襲してアレだけど、どうしたの? そんな幽霊にでも遭ったような顔しちゃって」

 

 彼女と同じ声にスヴェンの眉は更に険しく歪む。

 

「……アンタは、何者だ?」

 

 漸く絞り出した声にシスターは訝しみながら答えた。

 

「アトラス教会のリノンーーシスター・リノンよ、そいう貴方は……何者?」

 

 名前まで同じという事は、彼女はテルカ・アトラスで産まれ育ったリノンだ。

 世界は無数に枝分かれし、似た文化や経済が成り立つ並行世界や並列世界、異世界が存在しているならば彼女と瓜二つの女性が居てもおかしくはない。

 

「おーい? 小難しい顔して人の話聴こえてる?」

 

 手を振って見せるリノンにスヴェンはため息と共に返答した。

 

「聴こえてる……俺の名はスヴェンだ」

 

「スヴェン、ね……不思議な感じ、懐かしいような、そんな感じがするわね。それでなんとなくクロスボウを撃ってみたんだけど……」

 

「なんとなくで撃つなよ」

 

「そう? 防いだからいいじゃない」

 

 スヴェンの過去の相棒(リノン)は死んだ。化け物に変わりつつ有った彼女を殺したのも他ならない自分自身だ。

 全く同じ仕草で語り掛けるリノンだが、彼女であって彼女ではない存在ーーつまり究極的なまでに他人だ。

 スヴェンはそう割り切ることでリノンに彼女の面影を振り払う。

 そもそも初対面で過去の相棒と重ねられても当人にとっては迷惑な話でしかない。

 

「……ところでアンタは此処で何をしてたんだ?」

 

「貴方は質問ばかりね、シスターとして聴いてあげるから色々と懺悔しちゃいなさい」

 

 何を懺悔しろと言うのか、傭兵として人を殺すことに後悔も懺悔も無い。

 ただスヴェンはリノンに対して口を動かす。

 

「こっちは仕事で調査に来たんだよ」

 

「仕事で調査? 貴方はシルフィード騎士団には見えないし、むしろそういう集団に属するの嫌がりそうなタイプじゃん」

 

「騎士団なんて性に合わねえのは認めるが……まあ個人事業に依頼が来たって訳だ」

 

「ふーん、こっちは悪魔教典の回収とリーシャ様の捜索で来たわ。特殊作戦部隊の子供達とも協力してるけど……悪魔教典は有ったけど他は死体だけでリーシャ様は居ないわね」

 

「……だろうな、昨晩の内にここを根城にしていた連中は全滅、肝心の要人は既に連れ出されたらしい。だが悪魔教典を発見したのは収穫じゃないか」

 

 昨日の情報を告げるとリノンは眼を細め、細長い指を顎に添えた。

 

「どうやら貴方と組んだ方が事件解決も早そうね」

 

「そうとは限らねえよ、俺の仕事は邪神教団に対する強襲と撹乱だ。要人を救出しやすいように暴れる、それが当初の目的だったんだがな……」

 

「邪神教団よりも野盗の数の方が多いものね。でも潰していかないと別の野盗に連れ出されるなんて事にもなりかねないわ」

 

 実際にそれは昨晩に起きたことだ。だから今回の仕事も一筋縄ではいかないのだろう。

 

「まあ、イタチごっこを防ぐならアンタと組んでおいた方が得策か」

 

「じゃあ組みましょう……やっぱり不思議な感覚、貴方とならどんな困難も達成してしまえそうな感覚がするわ」

 

 リノンの言葉をスヴェンは戯言と切り捨て、悪魔教典に付いて訊ねた。

 

「それで? 悪魔教典は管理でもすんのか?」

 

「それなら燃やしたわ。管理してまた盗まれたら面倒だもの」

 

 リノンの対応にスヴェンはじと眼を向ける。

 教会のシスターとしてそれで良いのか? そんな疑問が芽生えるが誰かに悪用されるぐらいなら燃やしてしまった方が手っ取り早いのも確かだ。

 浮かべた疑問に対して一人で納得すると、近付く複数の足音にスヴェンはガンバスターを引き抜く。

 音からして武装した集団、昨日の煙を目撃した内の一つか。

 

「初の共闘には丁度良いわね」

 

 クロスボウを構え隣に立つリノンにスヴェンは眼を瞑る。

 結局のところあれこれ考えても仕方ない、今は刻々と近付く集団を片付けるのが先決だ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンはただスコップで地面に穴を掘るリノンを観察していた。

 先程襲って来た野盗の集団を彼女と共に迎撃、殲滅した直後ーー何処から取り出したのかスコップで穴を掘り出す始末。

 隣に野盗の死体の山を起き、鼻歌を奏でるリノンにスヴェンは呆れ気味に質問する。

 

「さっきの墓もアンタのなら……それも単なる聖職者としての仕事か?」

 

「んー? それも有るけど此処は自然豊かな土地だからさ、死体を啄む大鴉もそうだけどなるべく死体は転がす訳にはいかないのよ」

 

「それに他の土地と違って此処は埋めた死体の分解が速いの。たぶん死体も木々の養分として分解されてるんだろうね」

 

「……なるほど」

 

 リノンの作業を静かに観察しながら一言呟くと、彼女は手を止めて。

 

「わたしと貴方って初対面よね?」

 

「あ? あぁ、アンタとは()()()()()()()

 

「それならどうしてお互いに何も知らないのに、呼吸が合ったのかしらね? ……あ、もしかして運命ってヤツなのかな?」

 

「運命なんざくだらねぇな……単にお互いに合わせ安かったってだけだろ」

 

「そういうもんかねぇ〜」

 

 スコップに顎を乗せながらこちらに視線を向けるリノンにスヴェンは、空を見上げた。

 そろそろエルナ達が起きる頃合いだ。今からエルソン村に戻るにも都合の良い時間にスヴェンは彼女に告げる。

 

「俺は俺の方で動くが、何か判ったらエルソン村の酒場で落ち合うってことで良いか?」

 

「それで良いよ。あっと、そうだコレを渡しておくね」

 

 投げられた物を受け取ると、それはアメジストの宝石が嵌め込まれた魔道具だった。

 

「コイツは?」

 

「魔道念話器、念話魔法が使えない人でもお手軽に念話可能になる便利な道具だよ」

 

「……んな便利な魔道具が有ったのかよ」

 

 スヴェンは魔道念話器をポケットに入れ、次にクルシュナと会う機会が有ればいくつか都合して貰えないか交渉を念頭に置いた。

 

「コレでわたしと貴方はいつでも気軽に念話可能になるわ。じゃあ何か遭ったら連絡してね」

 

 そう言うリノンにスヴェンは一先ず別れを告げエルソン村の宿部屋に何食わぬ顔で戻った。



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20-6.拠点制圧の傍ら

 昼下がりのミルディル森林国のあちこちで巻き起こる戦闘音に住人は息を吐く。

 リーシャが誘拐されてからというもの、邪神教団に従う形でシャルル王子がレーナ姫と婚約を結ぶために見合いの用意を進めている。

 最初は突然の公表に住民の誰しもが怒りに燃え、一時期はレーナ姫さえも憎んだ。

 しかし、異界人の誰かが魔王アルディアを救出してから事態は良くも悪くも大きく変わった。

 相変わらずリーシャは誘拐されたままで彼女の所在さえ判らない状況だが、一先ずシャルル王子とリーシャの婚約破棄は未然に防がれたのだ。これで国内に入り込んだ不特定多数の野盗や邪神教団が一掃されリーシャも無事に戻ってくれば良い。

 住人の誰しもリーシャの無事を祈りながら重体で運び込まれる野盗の姿に息を呑む。

 

「こんな戦い、早く終わってしまえば良いのに」

 

 誰かの呟きに周囲の者達は静かに頷くばかり。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エルソン村から北東に離れた野盗の拠点でスヴェンはガンバスターを薙ぎ払い野盗を斬る。

 後方から飛来するエルナ達の魔法が背後の野盗を牽制し、昨夜よりも良い動きにスヴェンは感心を寄せながら左手で引き抜きいたクロミスリル製のナイフで迫り来る野盗の喉元を掻き斬った。

 野盗の鮮血に染まる大枝が複雑に絡み合うことで形成された橋にスヴェンは息を吐く。

 

「これで此処は制圧完了だな」

 

 独り言を呟けば背後からエルナ達が駆け寄り、死体の山に相変わらず眉を歪める。

 彼女達と朝に合流し、それから周辺の野盗討伐を開始してこれで三箇所目の拠点だ。

 

「もうエルソン村周辺の拠点残ってないね」

 

「結局アニキが1人で片付けるんだもんなぁ」

 

「ラウル、スヴェンは俺達の手を汚させないために気を遣ってるんだ。それに集団戦の立ち回りもいい勉強になるだろ」

 

 不服を浮かべるラウルとは対照的にロイは、後方支援に不満が無い。むしろ戦場での立ち回りが参考になると語り出す始末だ。

 

「囲まれず遠距魔法攻撃を阻止すりゃあどうとでもなるが、そう上手くいかねぇ時も有るもんだ」

 

「お兄さん並みに強くて容赦が無い手合いが数人居たらもう詰みだよね」

 

「俺並みが数人居たところでフィルシス騎士団長なら単独突破可能だぞ? 想定すんなら遥かに格上、フィルシス級を想定した立ち回りを心掛けろ」

 

「アニキ、フィルシス級って……そんな強さの基準に使わなくても」

 

「分かり易いだろ」

 

 肩を竦めながらそう告げれば三人はこくんっと首肯いた。

 スヴェンはガンバスターを片手に周辺に視線を向ける。

 橋のど真ん中に陣取られた野盗のキャンプ地、一見攻め難い場所だが穴は在る。

 ど真ん中の真下から大枝の蔦を伝って登れば最短ルートで強襲を仕掛けることが可能だった。

 最も遮蔽物が何も無い橋のど真ん中など魔法で集中砲火してくださいだと語ってるようなものだ。

 

「何を思って此処を拠点に選んだんだか」

 

「見晴らしが良いからじゃない?」

 

 確かに見晴らしは良い。それこそ遠くで邪神教団とゴスペルと思われる一団の戦闘が視認できるほどには。

 スヴェンは両者の戦闘を遠目から眺め、ふと戦場近くの大木の天辺から見下ろしているリノンに眉が歪む。

 

「アイツは何をしてんだ?」

 

「アイツ? あ、大木の天辺にすごい美人のシスターが居る!」

 

 ラウルも彼女の存在に気付き、エルナとロイがシスターと聴いて顔を顰める。

まだ元邪神教団の癖が抜け切れずアトラス教会の関係者に身体が強張ってしまうようだ。

 二人がこの状態ならリノンとの積極的な行動は避けるべきか。スヴェンが二人を気遣う中、ポケットの念話魔道器から紫色の光が漏れ出す。

 リノンが念話魔道器を耳に当てながらこちらに手を振る様子に眉が歪む。

 せっかく譲り受けた念話魔道器を試す良い機会だと結論付けたスヴェンは、取り出した念話魔道器に魔力を流し込んだ。

 すると刻まれていた魔法陣が発動し、耳を当てなければ聞き取り難い声が発する。

 

「なんだ?」

 

『そっちから見えてるでしょ……邪神教団とゴスペルの戦闘のことなんだけど、貴方はどう見る?』

 

「情報ではゴスペルの動機は切り捨てられた右足の仇討ちだそうだ」

 

『ふーん、敵の敵は味方って言うじゃない?』

 

「あー、辞めておけ。俺は右足の壊滅に一枚噛んでる……いや、大半を殺したのは俺だ」

 

 確かにゴスペルの右足は邪神教団に裏切られ、特定条件下で呪殺する呪いを仕込まれていた。それでも右足のリーダー以外を殺害したのは自分だ。

 その情報を邪神教団が知ってるかは判らないが、後でその件が露呈し背後から襲われることは避けたい。

 

『それじゃあ持ち掛けるのは無しかな。それに下っ端同士の戦闘じゃあここも外れよね』

 

「リーシャの身柄を確保してぇなら今朝会った拠点からハリラドンの足跡が残ってたろ」

 

『えぇ、そっちの件は特殊作戦部隊の子やシルフィード騎士団にわたしの同僚が当たってるわ』

 

 それでリーシャが無事に確保されれば良いのだが、そう事が上手くいくとは思えない。

 特に邪神教団の司祭と悪魔が居る状況で何かしらの不測の事態は起こるだろう。

 スヴェンが念話魔道器を片耳に思案していると、エルナがじっとこちらに視線を向けて来る。

 何か言いたいことが有るのか、スヴェンはリノンに少し外すと告げエルナに耳を傾けた。

 

「お兄さんはいつ何処であのシスターと知り合ったのかな?」

 

「今朝、ちょっとした散歩でな」

 

「散歩……そう言うことにしておくけど、一度シスターと会って詳しく話し合わない? 表向きの名目は学生の質問とかでさ」

 

「良いのか? アトラス教会の聖職者はアンタら2人の天敵だろ」

 

「天敵に慣れる時が来たんだよ。それにお兄さんがこうして情報交換してるのも少し意外というか、なにか企んでないか探りも入れたいの」

 

 確かに自身は彼女をリノンであってリノンとして見ていないが、自身の記憶に根付いた先入観を振り払い忘れるのは中々に難しいことだ。

 恐らく無意識の内にリノンに対して警戒心を解いていた。そう問われても否定し切れないのも事実。

 これから協力するならエルナ達を交えて情報交換をするのも手だ。

 

「判った、アイツには俺から伝えておく」

 

 スヴェンは再び耳に念話魔道器を当て要件を告げる。

 

「この後、エルソン村で落ち合えるか?」

 

『それってデートのお誘いかしら』

 

「あ? 同行してるガキ共も交えた情報交換だ」

 

『お〜それじゃあ、此処の一戦が終わったら落ち合いましょう。なんならそっちに行く?』

 

「いや、あくまでもシスターと会うのは学生の要望って形にしてぇ」

 

 そう伝えるとリノンから興味深気な吐息が漏れる。

 

「判ったわ、それじゃあ後でね』

 

 その言葉を最後に念話魔道器から彼女の声が途絶えた。どうやら向こう側で魔力を切ればこちら側の念話魔法も同時に切れるようだ。

 スヴェンとエルナ達はしばし邪神教団とゴスペルの殺し合いを遠目から眺め、

 

「あの中にアンタらの顔見知りは居るか?」

 

 過激派か穏健派かどうかを二人に問う。

 

「うん、全員過激派だね。特に心の奥底から染まり切った狂気は間違いないよ」

 

「それが邪神の狂気による影響ってヤツか」

 

「そう、邪神の狂気を身に受けると身も心も歪んじゃうんだぁ。幸いわたしとロイは影響を受け難い体質だったのか、一定周期から外れてたのか狂気に染まることも無かったけどね」

 

 邪神の狂気を体質どうので防げるとは思えないが、エルナとロイは出会った邪神教団の中でもかなりまともな部類だ。

 いや、穏健派のバルキット信徒も行動と髪型はアレだったが根の部分ではまともな思考をしていた。

 戦場で互いの身体に剣を突き刺し合うことで全滅の結果に終わった邪神教団とゴスペルの戦闘から背を向け、

 

「そろそろ村に帰るぞ」

 

 エルナ達とこの場を離れようと歩き出せば、こちらに向かう複数の足音が響く。

 戦場に少々長いしたツケにスヴェンは小さく舌打ちを鳴らし、背中のガンバスターを引き抜いた。

 

「うへぇ〜せっかく帰って甘いデザートでも食べようかと思ったのにぃ」

 

 その金を出すのは一体誰なのか、問わずとも期待する三人の眼差しにスヴェンはため息と共にこちらに向かって来る軽装備の一団に駆け出す。

 

 



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20-7.情報共有の席で

 スヴェンが軽装を装備した一団に駆け出すと、先頭に立っている男性がギョッとした視線で叫ぶ。

 

「ま、待ちたまえ! 自分達はミルディル森林国所属シルフィード騎士団だ!」

 

 所属を叫ぶ男性にスヴェンは足を止めた。

 改めて彼らの装備に眼を向ければ、それは上質な革と木材を加工した軽装ということが判る。

 そこに緑の肩マント、背中の弓矢と腰の剣を見れば野盗には用意が難しい上等な装備だ。

 

「まさかこんな所でシルフィード騎士団と偶然遭遇するとはな」

 

「周辺の死体、この橋を不当占拠していた野盗団を討伐したのはお前達か?」

 

「あぁ、仕事でな」

 

「仕事……それはオルゼア王が依頼したという?」

 

 シルフィード騎士団内で共有されている情報にスヴェンは静かに頷く。

 その様子に男性は驚いた様子で眼を見開き、背後の騎士が落胆するのが見える。

 如何やら自分達は彼らの期待とは違うらしい。学生を含めた少人数に期待など抱けないのも無理もないことだ。

 スヴェンの思考とは裏腹に一人の騎士がため息混じりに呟いた。

 

「全員の予想は外れかぁ、もっとこう厳つい大男で力自慢を予想してたんだけどなぁ」

 

 違う。彼らが落胆したのは単に戦力的観点ではなく、騎士団内で行われた賭け事が成立しなかったことに対してだ。

 

「……いや、しかし少人数で20人を超える野盗を討伐してるんだ。オルゼア王の眼に間違はない」

 

「……アンタらが此処に来た目的は連中の討伐か?」

 

「あぁ、だが我々の仕事はたったいま無くなったよ」

 

 討伐命令が降り、部隊が向かう。その間に誰かに獲物を掠め取られるなどよく有る話だ。

 同時に目の前の男からは然程悪感情を感じられない。ただ向けれるのは死体に対する憐憫な眼差しだけ。

 

「おっとそうだった。紹介が遅れた、自分はシルフィード騎士団第三遊撃部隊長を務めるセシル・ブラウンだ」

 

「俺はエルリアでボディガード・セキリュティを営むスヴェンだ。背後の三人は、まあボランティア兼社会見学中のエルナ、ロイ、ラウルだ」

 

「ふむ、此処は一つ何処か落ち着ける場所で話し合わないか? こちらが掴んでいる情報も提供できるが」

 

 それは都合の良い話だ。まさにこれからリノンと会う約束が有り、そこで情報交換や互いの状況を話し合えるならそれに越したことはない。

 

「エルソン村の酒場で協力者と会う約束になってるが、一人ぐらい増えたところで変わらないな」

 

「お兄さんの判断に任せるけど、セシルは村に着く前に着替えた方が良いかも」

 

「確かにお嬢ちゃんの言う通りだぞ、隊長殿。酒場は誰が聴き耳を立ててるか判らないんだからさ」

 

「心配症な奴め、それぐらい言われずとも判ってるさ。だからいつも着替えを常備している」

 

「あーっと、スヴェンって言ったな、隊長はお人好しのアホなんでよろしくたのんますわ」

 

 騎士の軽い口調にスヴェンは特に嫌な顔せず、諾くことで了承した。

 それに対してセシルは複雑そうに顔を歪め、部下をひと睨み。

  

「あっと! 我々は適当な場所で待機してるんで、是非とも話し合いを楽しんで来てくだせぇ!」

 

 そんな彼の言葉にシルフィード騎士団は撤収を開始し、身軽な身のこなしで大木を足場にこの場から立ち去った。隊長の指示も命令も無しに。

 一部隊として問題では有るが、傭兵としてはフットワークの軽さに眼を見張るものが有る。

 ただ部下の責任を負うのはいつだって隊長や指揮官だ。

 スヴェンは哀愁漂うセシルの背中に、

 

「俺達も先に行ってる」

 

 それだけ言い残してエルナ達と共に今度こそエルソン村に戻るのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 酒場の片隅に位置する席でスヴェン達は対面に座るリノンとセシルに視線を向け、周囲に人が居ないことを改めて確認してからテーブルの上に地図を広げる。

 

「ちょっとしたツテで入手した敵対勢力の拠点だ。これで全部だとは思いたいが、動きが掴めないヤツも不特定多数居るらしい」

 

「これだけの情報を……そのツテとは一体何者なんだ?」

 

 リノンの前で悪魔の情報屋に関する情報開示についてスヴェンは思案する。

 アトラス教会の基本スタンスは悪魔が邪神復活に関わらなければ放置というのは悪魔にも周知されている事実。それは間違いない。

 しかしミルディル森林国内で活動してる悪魔の動きが読めない以上、アトラス教会やシルフィード騎士団も討伐に動くだろう。

 そこに情報屋が巻き込まれるリスクを考慮すれば情報を開示して置く必要が有る。

 ただこの情報開示には二人が懸念を抱くだろう。

 

「これらの情報は悪魔の情報屋から得たもんだ」

 

 淡々と何食わぬ顔で告げると二人の顔は疑念に歪んだ。同時に眼がこう語り掛ける『悪魔を信用して大丈夫なのか?』っと。

 半ば予測通りの反応にスヴェンは真顔で答える。

 

「フィルシスに捕縛されたのち取引を交わしたそうだ……王族の承認の下でな」

 

 彼女の名を出した途端、リノンとセシルから一瞬で懸念が消え、二人が浮かべた言葉を察したのかエルナ達が苦笑を浮かべる。

 

「「あぁ〜」」

 

 フィルシス騎士団長ならやりかねない。いや、絶対いずれはやる。その犠牲は哀れな悪魔だったに過ぎず、同時にこちら側が悪魔と取引する窓口も設けた。

 フィルシス騎士団長という人物を知っていればその結論に思い至るのは至極当然と言えた。

 

「その悪魔の特徴は?」

 

「肉体は現在人形を憑代として使用している、それ以外の特徴は……双子ってぐらいで他に無いな」

 

「双子の悪魔ね。身体は軟らか過ぎてあらゆる斬撃も打撃も効かないと言われていたわね」

 

「あぁ、人形の身体だとしてもそこは同じだろうよ」

 

 なぜ無機物の身体を弄れるのかは判らないが、悪魔の前で理論や理屈をあれこれ考えるのは無駄に思えてならない。

 スヴェンは僅かに逸れはじめた思考を修正させ、セシルに問う。

 シルフィード騎士団とシャルル王子及び周辺の動きを。

 

「それで、シルフィード騎士団とシャルル王子辺りはどう動いてんだ?」

 

「騎士団の方は特殊作戦部隊と共同でリーシャ様の捜索、現在はリーシャ様を監禁してると思われる野盗団の討伐に向けて作戦行動中」

 

「動きが速いな、リーシャの奪い合いは昨日のことだが……」

 

「あぁ、そっちの件はアトラス教会が今朝に報告したのよ。貴方と会った後にね」

 

 情報が伝わりシルフィード騎士団が迅速に動いたことに得心を得たスヴェンは納得した表情を浮かべる。

 

「なるほど……で、シャルル王子と周辺は如何なんだ? 一応見合いの準備中とは聞くが」

 

「シャルル王子は淡々と準備を指導しつつ民の不満を解消しているよ、邪神教団に悟られないようにね」

 

「その一方でカトルパス森王はシルフィード騎士団を指揮しつつ国境閉鎖を進めている」

 

「国境閉鎖、か。確かにこれ以上野盗が入り込むってのは好ましくねぇな……となるとレーナ姫の入国後に国境閉鎖が完了するわけだな」

 

「察しが速くて助かる。国境閉鎖となれば誰も入国も出国もできない、結界による完全封鎖となればなおさらな」

 

 自国民とレーナを敵対勢力ごと閉じ込めるというのもあらゆる方面から不満や非難を買いそうだが、恐らくオルゼア王も当人のレーナも事前に了承ーーいや、エルリアとミルディル森林国の王族が決めたことか。

 大胆過ぎるが、国民の不安は如何なるのか。

 

「それって不満を買わないか?」

 

 スヴェンが浮かべる疑問をラウルが口にした。

 

「普通なら買うことになる。だからそれを防ぐためにシャルル王子とカトルパス森王、そして貴族達が国民一人一人に事前に承諾を得ている」

 

「動きの速い王族だ」

 

「封じ込めとなると邪神教団と悪魔の動きが読めなくなるけど、住人の避難はされるんでしょ?」

 

「見合いの日、あの見合いは国民が見護る義務が有るんだ」

 

「それってミルディル全国民が見合いに出席するってこと? うーん、狙ってくださいと言ってるような物じゃないかな」

 

 エルナの観念は充分に理解できる。

 レーナとシャルル王子の見合いを目論んだのは邪神教団だ。

 それを踏まえれば連中にとって潰したいレーナが居る会場を襲撃しない手は無い。

 今の魔法が使えないレーナでは自身に降りかかる危険を退けれないが、国民全員が集まる会場にはそれらを護るためにシルフィード騎士団が集う。

 国家戦力が集まる会場の襲撃、普通なら自殺行為だが邪神教団の司祭と悪魔がどう動くか。

 

「司祭と悪魔を当日までに討伐できりゃあ懸念も減る、か」

 

 結果的にレーナを護り、今回の件を片付けるには結局のところ邪神教団を潰しリーシャを救出を果たす方が手っ取り早い。

 

「うむ、些か危険では有るが当日までに討伐が出来なければ我々は会場で敵を迎え討つことになる……まぁ、レーナ姫の召喚魔法で出る幕は無いのかもしれないけどな」

 

 彼等はまだレーナが魔法を使えない事実を知らない。むしろ情報を伝えなかったのはレーナとオルゼア王側だ。

 邪神教団の中に他人の皮膚で成り代われる魔法が有る以上、当然の警戒といえば当然だ。

 シルフィード騎士団とシャルル王子、そして見合い当日の動きを把握したスヴェンはそれらの情報を頭に入れ地図に視線を落とす。

 

「エルソン村周辺の拠点は潰した、俺達は次にユグドラ空洞を調べる予定だが……」

 

 ユグドラ空洞の名を出した途端に二人の眉が歪む。

 その場所に何か有る。アシュナが襲撃され行方不明になった何かが。

 いや、何か居たと言うべきか。スヴェンはそんな推測を頭の中で浮かべ、

 

「広大なユグドラ空洞に邪神教団の司祭でも居たか?」

 

 単刀直入に質問した。

 するとセシルとリノンは互いに顔を見合わせ、リノンがゆっくりと口を開く。

 

「ユグドラ空洞に入ったあらゆる勢力が、邪神教団、野盗、ゴスペル、シルフィード騎士団、アトラス教会問わず突如殺し合いを始めたのよ」

 

「……認識や理性でも弄られたか?」

 

「詳細は判らないわ、でも悪魔の魔力残滓も残されていたそうよ」

 

「つまり討伐すべき標的が共に行動してるって訳か」

 

 何らかの方法で殺し合いに発展する。それなら単独で侵入する他に手は無い。

 

「2人に心当たりは有るか?」

 

「うーん、その手の悪辣な方法を好むのはジギルド司祭かも。歳はわたしとロイに近いんだけど、人を玩具扱いして壊すことに喜びを感じてるみたい」

 

「影の魔法を得意気に自慢されたことも有ったけど、最も恐ろしいのは自分の意のままに他者を操る魔法を躊躇なく使える異常性かな」

 

 精神に狂気を孕んでいそうなジギルド司祭の情報にスヴェンは密かにユグドラ空洞潜入を計画し、じっとこちらを見詰めるリノンから視線を逸らす。

 

「……そういえば、まだ伝えて無かったけどうちの同僚が悪魔を一体地獄に還したそうよ」

 

「倒すのも面倒臭そうな悪魔をか?」

 

「実際に面倒よ? アトラス教会に伝わる悪魔狩りの魔法と洗礼道具をフル活用してやっとね……けど強い悪魔ほど魔法は通じない、中にはこの世界に存在する物では倒せない悪魔も居るのよね」

 

「んな厄介な存在が居るいんのかよ」

 

「うーん、確認されてるだけで一体だけ。多分時間概念の切り離しで()()()()()()()()を条件に物理法則を捻じ曲げてるんだと思うんだけどね」

 

 それはテルカ・アトラスの現在に至るまでの過去に存在したあらゆる物や方法では討伐できないと言われてるような気がした。

 そんな事が可能な存在が実在するというだけでも厄介だが、二つだけテルカ・アトラスの過去に存在しないものに心当たりが有る。

 異界人とガンバスターは過去に存在しないものだが、それは悪魔が存在してる時間軸を基点にしているのか如何かにもよる。

 スヴェンは想像も及ばない厄介な存在を頭の隅に入れ、

 

「悪魔を討伐する方法があんなら教えて貰いたもんだな」

 

 邪神教団の司祭と悪魔を同時に相手にする。それを踏まえて方法を問うとリノンは笑みを浮かべて答えた。

 

「断るわ」

 

 笑顔から吐き出された拒絶の言葉に全員が狼狽えた。なぜここに来て方法を隠すのか。

 

 ーー違う、コイツは察してやがるんだ。俺が一人で向かうってことを。

 

 相棒(リノン)も単独行動は絶対に認めようとはせず、いざ行動に移そうとすれば決まって笑顔を浮かべて否定していた。

 そして決まって同行を条件に提示してきたものだ。

 

「方法を教える条件としてスヴェンはわたしとユグドラ空洞の調査に向かうことよ」

 

「……殺し合いが始まるかもしれねぇ場所でか?」

 

「呪いが所以なら防ぎ用は有るわ。それに少し気掛かりな事も有るのよね」

 

 懸念を浮かべるリノンにスヴェンはため息を吐き、エルナ達に視線を向ける。

 三人を置いて行くことになるがそれは仕方ない。むしろ地上に居る邪神教団の拠点はエルナとロイに任せた方が発見が確実だ。

 スヴェンの思考を察した様子でエルナが口を開く。

 

「じゃあ私達はシルフィード騎士団に同行して邪神教団の討伐、穏健派が居たら協力関係の構築だね」

 

「あぁ当初の予定通りに頼む……ま、危ねえと判断したら全部大人に丸投げしちまえ」

 

 この場に居る大人の一人で有るセシルも深妙な表情で頷き、

 

「ではラピス魔法学院の生徒を一時期に同行させよう。名目は他国の騎士団の活動見学でね」

 

 存外融通の効く性格にスヴェンは感心を抱く。

 

「じゃあ暫くスヴェンを借りるわね」

 

「良いけど、ちゃんと返してね。それに司祭の中でも人を玩具として弄ぶことに愉悦を感じる異常者が居るから……」

 

 気を付けて。そう小さく語るエルナの頭をリノンが不安を取り払うように優しく頭を撫でた。

 スヴェンは彼女の行動と優しい仕草から眼を背け、ロイとラウルに移す。

 既に二人も覚悟を宿した眼差しを浮かべているが、決して死ぬつもりは無い。そう眼で語る二人に今更心配は無いだろう。

 

「なら行動は明日の朝だな」

 

「それじゃあ今日は解散ね、次に会うのはユグドラ空洞の調査を終えてからかしら?」

 

 リノンの締め括りの言葉で解散し、スヴェン達は明日に備えて宿屋で休息に入った。



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20-8.ユグドラ空道

 八月二十一日の朝、エルソン村から一番近いユグドラ空洞の入り口に到着したスヴェンとリノンは、空洞の奥深くから感じる気配に眉を歪める。

 まだ相当距離が有るのか、正確な気配は掴めないが少なくともユグドラ空洞に何か有るのは間違いない。

 

「ここは慎重に進むか」

 

「えぇ、それじゃあ貴方が前でわたしが後ろから支援するわ」

 

「任せる」

 

 ここに来る道中で互いに出来ることを共有したが、リノンは支援魔法と二種類の攻撃魔法が使える。

 いずれもアトラス教会由来の魔法。魔王救出時ではアトラス教会の魔法や戦闘スタイルを見ることは無かったが、今回は眼にすることが出来るかもしれない。

 スヴェンはアトラス教会の魔法に期待感を胸に大樹の根でできた道を警戒しながら歩き始める。

 それに対して適度な距離と歩幅を合わせてリノンが付いて歩く。

 壁に灯る燭台の炎と硬い靴の音がカツン、カツンっと二人分の足音を鳴らす。

 奥へ反響する靴音は敵に侵入を知らせるには充分だ。

 

「敵がお出ましなら楽なんだが……」

 

「罠を張ってるわね。スヴェン、気を付けて……そこら中に小さな魔法陣が刻まれてるわ」

 

 リノンに言われたスヴェンは素早く魔力を眼に流し込む、

すると壁や天井、床に小さな魔法陣が二重に刻まれていた。

 スヴェンは壁の二重の魔法陣に眼を凝らし、刻まれた術式を読み解く。

 

「……形状操作、構築、影、物質化と解除?」

 

 辛うじて自身の知識で読み取れる術式にリノンの感心が宿った吐息が響く。

 

「正解よ、これは影を操る魔法陣ね。影による攻撃、魔法陣が在る限り本人は動かずとも獲物を狙える」

 

 隙間と間隔、簡単に避けられる程度に刻まれた魔法陣にスヴェンは一つ推測を浮かべる。

 敵は獲物を追い詰め、最後の最後に討ち取ることを好む手合いだ。

 これにアシュナが狙われたとしたら自身が以前に話した事が原因だ。

 彼女がなぜ特殊作戦部隊と合流しなかったのかも、自身が標的にされ二次被害を防ぐためにーーアシュナは脱出を目指した。

 スヴェンは背後を振り返り、リノンの横を通り抜け出口に向けて歩き出す。

 そして出口付近を注意深く観察すれば用意周到に仕掛けられた魔法陣の発見に至る。

 脱出を図る獲物を貫くことに特化した影の攻撃魔法。これにアシュナがやられたのだと理解が及ぶ。

 同時に影には明確な弱点が存在する。影を払うほどの光りだ。

 

「アンタは影を消せるほどの光を出せるか?」

 

 リノンに質問する傍らスヴェンは一つ結論を出していた。

 戦闘時に影に対する対策は必須だが、わざわざ魔法陣を野放しに理由は無い。

 

「目眩し用に習得した閃光魔法なら可能よ、でも此処で解体して行くのも手よね」

 

 如何やらリノンも同じ考えのようで、刻まれた魔法陣を指で撫でる。

 

「『聖なる祝福よ、我が声に応じ悪しき魔を祓いたまえ』」

 

 詠唱によってリノンの指先に光りが灯る。リノンは光が灯った指先で魔法陣を人撫で。たったそれだけの動作で魔法陣が音もなく崩れ去った。

 

「解析や解除魔法要らずだな」

 

「そうでも無いわよ。構成が単純だもの」

 

「そうなのか」

 

「そうなのよ」

 

 互いの軽口に肩を竦め、リノンは手当たり次第に魔法陣の解除に移った。

 移動しながら次々に解除されていく魔法陣、これで敵がどう動くか。弄した策が封じられ冷静さを掻くならそれで良い。

 逆に別の方法で迎撃に移る可能性も有るが、最も避けたいのはリノンとの殺し合いだ。

 同じ顔の相棒を自らの手でまた殺すことになる。それともリノンに殺されるか、どちらも御免被りたい。

 そんな思考に晒されていると不意にリノンが足を止めた。

 

「ここら辺の魔法陣はこれで全部かな」

 

 周辺に眼を向ければすでに魔法陣は無くなっていた。自身が思考を挟んでいる間に。

 

「早いな」

 

「数の多さだけよ……でも変ね、これだけ解除しても何も仕掛けて来ないだなんて」

 

「狡猾で残忍な奴ほど周到に用意してるもんだ」

 

 まだ先に何かが有る。そう告げるとリノンは考え込む素振りを見せ、やがて何かを探るような視線をこちらに向ける。

 彼女の眼は不確かな感情と困惑が宿っていた。しかしそれは一瞬のことで彼女はすぐさま視線を外した。

 

「何なんだ?」

 

「な、んでも無いわ」

 

「具合が悪いなら帰れ」

 

「嫌よ、貴方は1人にできないもの」

 

 相棒(リノン)と同じことを言う彼女にスヴェンはため息を吐く。

 歩き出すスヴェンにリノンが語り掛ける。

 

「そうやって貴方は独りを好むけど、周りは決して貴方を独りにしないわ」 

 

 背後を付いて歩く彼女にスヴェンは視線を向けず呟いた。

 

「迷惑な話だ」

 

「スヴェン、確認なのだけれど……貴方に妹って居なかったかしら?」

 

 血の繋がった家族と呼ばれる者は自らの手で殺害した。だから妹などという存在は居ない。

 だが、自身を拾い育てた傭兵団のボス。その一人娘のシャルナからは一応兄貴とは呼ばれている。

 スヴェンはふと違和感に見舞われ、改めてリノンに振り向く。

 なぜ妹が居たかと疑問系で質問をするのか。

 

「血の繋がった妹は居ねえよ」

 

「そう? 貴方には爆破好きの妹が居たような気がしたのだけど……わたしの勘違いかしら」

 

「なぜそう思ったんだ?」

 

「なぜって……うーん、なんででしょう?」

 

 疑問を疑問で返されたが、リノンは戸惑いを浮かべている。

 如何やら先程の疑問は無意識に出たようだ。

 色々と考えたい事は有るが、今はユグドラ空洞の探索を最優先にすべきだ。

 スヴェンは左右と上下に別れた道に足を止め、リノンに振り向く。

 最も強い気配は下に続く根の道だ。そこは崖で底の見えない暗い空間、降りるには太い根を伝う他に方法はない。

 

「アンタの疑問は今は置いておくとしてだ、どっちに進む?」

 

「気配はまだ感じ難いけど、下から死者の気配を強く感じるわ」

 

「なら俺が先に降りる」

 

「魔法陣には気を付けなさい」

 

 リノンの忠告にスヴェンは太い根を掴み、そのまま崖の下へと降り進む。

 後から間隔を空けてリノンが続く中、スヴェンは崖一帯に仕掛けられた魔法陣に息を吐きーー全て輝き出す魔法陣に跳躍した。



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20-9.底を目指して

 一斉に発動する魔法陣を前にスヴェンは、根を足場にリノンの元に駆け抜ける。

 魔法陣から放たれる無数の影の槍と影の剣山が迫る中、リノンを腰から抱えたスヴェンが壁を足場に跳躍した。

 魔法が殺到し、破壊音とと共に二人が掴んでいた根が崩れ落ちる。

 なおも魔法陣は自動でスヴェンとリノンに狙いを定めている。

 

「捕まってろ」

 

「回避は任せた」

 

 リノンはポケットから羽ペンを取り出し、スヴェンは彼女を左腕で抱えたまま壁を足場に駆け出す。

 影によって形成された魔法の雨を駆け抜け、掠める魔法のみ魔力を纏ったガンバスターで薙ぎ払う。

 その傍らリノンが羽ペンの先端から魔力の線を放ち、解除式を書き足すように羽ペンを動かす。

 スヴェンが壁を駆け抜けているにも関わらず正確に魔法陣を解除していくリノンの技量に感心せざるを得ない。

 ミアも魔法陣の解除はできたが、彼女の場合は魔力を直接流し込むことで魔法陣の魔力に干渉させ内部から崩壊させる技だった。

 何方も自身には到底真似できない完成された魔力操作と技術に脱帽の息が漏れる。

 

「ちょっと数が多いわね」

 

 このまま下を目指して壁を垂直に走ることは可能だが、視界を埋め尽くす魔法陣の量だ。

 これを全て無傷回避できると驕る気はない。だからと言って回避しつつ魔法陣の解除となればそれだけで時間を要し、足止めに繋がる。

 それが邪神教団の司祭による狙いなのかっとスヴェンが思案した途端ーー肌がチリつく感覚、膨大な魔力の流れにスヴェンとリノンは天井を見上げ息を呑んだ。

 天井に構築された巨大な魔法陣、それはこの辺一帯を容易く呑み込むには充分な魔力と威圧感を放っていた。

 大量の魔法陣から弾幕の如き絶えず繰り出される魔法、まだ発動に至っていない巨大な魔法陣。一体どこにそれだけの魔法陣を維持する魔力が在るのか。

 

 ーーいや、違えな。結界魔法の応用か。

 

 ミアから習った結界魔法の知識。結界魔法の類は一度発動してしまえば魔力供給を受けずとも持続し続ける。

 結界魔法の基点となる魔法陣は一度生成された魔法陣に魔力循環の術式を加える事で可能になると云う。

 加えて自動的にこちらを狙い続ける魔法陣の仕組みにも察しが付く。対象の魔力を探知し自動で照準を定めるように術式が組み込まれているのだろう。

 

「アレは解除できそうか?」

 

「ちょっと無理ね、あの規模となると数分間動かずに解除に集中する必要があるわ」

 

 解除ができず、現在進行形で魔法の集中砲火を避けている状態だ。

 迫り来る魔法の集中砲火に対してスヴェンは、ガンバスターの表面に魔力を集めーーそれを細かく放つ。

 すると細かい粒子状に飛ぶ魔力に対して魔法の集中砲火が降り注ぐ。

 

「魔力を使ったチャフ……いえ、何でもないわ」

 

 リノンが機械技術の言葉を口にしたが、今はこの場から離脱することが先決だ。

 ならやるべき事は一つしかない。スヴェンが足に力を込め魔力を流し込むとリノンは察したのか、羽ペンを仕舞い左腕を強く掴む。

 

「『聖なる歌声よ、か弱き我らの身を護りたまえ』」

 

 リノンが詠唱を唱えると、生成された魔法陣から歌声が響く。

 温かな歌声にスヴェンが眉を歪める中、自身とリノンを結界が包み込む。

 

「あの巨大なのは無理だけど、この防御魔法なら突破できるわよ」

 

「いい支援だ!」

 

 スヴェンは壁を靴底に纏わせた魔力の解放と同時に蹴り抜き、爆発力と共に崖の底に走る。

 急激な速度に魔法陣の察知能力が追い付いていないのか、狙いは粗末で影の魔法は散漫的だ。

 回避や防御を気にせず影の魔法による集中砲火を突っ切る中、この崖は何処まで続くのか。底の見えない暗い空間と徐々に膨大な魔力が圧縮されはじめる感覚が天井から感じる。

 天井の魔法が発動されるまで数秒も無いだろう。

 リノンを抱えたスヴェンは靴底に再度魔力を流し込む。

 魔力操作と形成技術の応用によって靴底に力場を作り出し、一気に魔力の力場を踏み抜き落下速度に更に加速を加え、ガンバスターに練り込んだ魔力を纏わせる。

 加速した落下速度によって魔法の集中砲火を振り切るが、未だ終点は見えず。

 視界一面に広がる闇、この先はユグドラ空洞の下層に続いてるのか? そんな疑問さえ芽生えたスヴェンは耳に神経を研ぎ澄ませ、僅かに聴こえる風の音を拾う。

 何処かに風が吹き抜ける穴が有る。それだけ判れば充分だ。

 

「まだ加速するが、大丈夫か?」

 

「平気よ、貴方がしっかり抱きしめてくれるならね」

 

「悪りぃがガンバスターは保険だ、逆にしがみ付いてくれ」

 

 そんなことを告げれるとリノンは躊躇いなく力強くしがみ付いた。

 これでうっかり落とす心配は無くなったが、彼女の赤髪から匂う柔かな香りに思わず眉が歪む。

 香水に気を取られてる場合ではない。そう自身にそう言い聞かせたスヴェンは再び靴底に魔力を纏わせ力場を形成させ、風の音に向かって跳躍した。

 微かに聴こえた風の音がはっきりと聴こえる中、天井の巨大な魔法陣から膨大な影の塊がーーまるで産まれるように落ちる。

 根を呑み込みながら落下する影の塊、しかもそこそこ速い速度で落下してるではないか。

 タイミングを誤れば死ぬ。やるだけのことをやって死ぬなら結局自身はその程度だったと諦めも付く。

 スヴェンは死を覚悟しながら風の音に向かい、漸く視界に見え始めた光に口元が吊り上がる。

 そしてガンバスターを天井に向け、纏った魔力に更に魔力を注ぎ込むことで魔力を推進力がわりに噴射させた。

 速まる加速力と縮まる横穴、そして追い付かんばかりの影の塊。

 そして人が通るには充分過ぎるほどの横穴が真横に近付く。

 スヴェンはガンバスターの魔力を弱めることなくそのままの状態を維持し、魔力を噴射しているガンバスターを強引に左に向けることで身体を横穴に突っ込ませた。

 ガンバスターの魔力を解放するも、推進力を強引に方向転換させた勢いは殺せずーースヴェンとリノンはユグドラ空洞の床を転がることに。

 漸く止まる頃にはリノンの顔が間近で、彼女の息遣いが鼻にかかる。

 

「離れてくれ」

 

「待って、急加速から転がって目が回るの」

 

 自身は平気だが、確かにリノンの眼は焦点が定まらず回っていた。

 

「落ち着くまでこのままで居させて」

 

 かなり無理矢理な方法で突っ込んだ手前、リノンに強く出られない。

 スヴェンは崖から響く影の塊による破壊音と振動、土埃を受けながらリノンが回復するまでそのままの体勢で待つのだった。



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20-10.包囲救出戦

 スヴェンとリノンがユグドラ空洞の探索を続けている頃、リーシャを連れ去った野盗団の拠点がシルフィード騎士団の大部隊に包囲されていた。

 脱出は困難と判断した野盗は篭城戦を決断し、エルナはセシルの部隊とと共に動かない戦局を静かに見詰める。

 野盗が拠点に選んだのはミルディル森林国に点在する遺跡だ。大木の根に覆われた木造の遺跡に陣取る野盗の魔法がシルフィード騎士団の防御魔法に阻まれる。

 状況的に戦力差では絶望的だが、野盗は本物のリーシャを見せることで突撃を妨げた。

 初手を封じされたが、遺跡を中心に展開されたシルフィード騎士団の大部隊は何人たりとも通さないだろう。

 例えこの気に乗じてリーシャ確保を狙う他勢力さえ一万の騎士相手には突破も不可能だ。

 

「長期戦かな」

 

 魔力を全身に流し込みいつでも魔法を唱えられるように備えるラウルの言葉にエルナは考え込む。

 シルフィード騎士団が無策に包囲殲滅戦を仕掛けるとは思えない。

 現にリーシャが人質にされて手が出せない状況だが、セシルを含めた騎士全員が安堵の息を吐きこそしたがーー野盗の行動と要求には無反応だった。

 

「野盗の要求は野盗集団の身の安全とミルディルの財宝、そして国外に逃すこと。でも騎士は応じるつもりが無いってことは……」

 

 特殊作戦部隊によるリーシャ救出の算段が既に整い、後は彼女が無事に救出されるのを待つのみ。

 恐らく包囲する前日の内に特殊作戦部隊の隊員が遺跡に侵入してるのだろう。

 エルナはそう長くはかからない。いや、最早救出も終わると結論付けると、遺跡から赤い煙が上がった。

 

「リーシャ様確保の合図だ! 総員突撃用意! 君達は我々の支援を頼んだ」

 

 セシルの指示に騎士が木々を足場に遺跡に突撃を仕掛け、エルナとロイの二人が野盗に対して魔法を放ち、動きを牽制させラウルが遺跡の中央広場に水流を唱えーー遺跡の中央広場から野盗を外側に向けて押し流す。

 突如の攻勢に動じた野盗はシルフィード騎士団の矢に射貫かれ、押し流された体勢を崩した野盗に騎士の刃が振り下ろされる。

 目の前で人が殺される。見たくも無い光景、しかしこれは自分達が選んだ道の一つだ。

 人殺しの手伝いをして罪が一つ清算される事は決して無い。それでも邪神教団が起こした事件を、自分とロイはもう無関係だと無視できるほど利己的でも無いのは確かだ。

 これが正義感による義務感と問われればそれも違うが、何もせずただ日々を過ごすより少しでも解決の手助けをした方がより建設的に思えたからスヴェンに無理を言って同行した。

 だからこそエルナは人の死から眼を背けず、

 

「『銀の鎖よ、捕縛せよ』」

 

 魔法陣から放たれた銀の鎖が野盗を雁字搦めに縛る。地面に転がる野盗に対してシルフィード騎士団は捕えるだけで命までは取らなかった。

 スヴェンなら殺していたいただろう。目撃者一人を残さず後々の遺恨を残さないために。

 捕縛され連行される野盗と不意に眼が合う。

 彼の増悪の眼差しに身体が震える。収監されれば脱獄は困難だが、これから自分達は誰かの復讐心に怯えながら過ごさなければならないのか。

 エルナがため息を吐く中、窶れたリーシャを連れた少年がこちらに近付く。

 

「スヴェンは居ないんだ」

 

「……もしかして特殊作戦部隊の? 噂には聴いてたけど本当に子供だけの部隊なんだ」

 

「キミも子供でしょ? それでスヴェンは何処に行ったの」

 

「お兄さんならユグドラ空洞に行ってるよ」

 

 スヴェンは特殊作戦部隊でも知れ渡っているのか、彼らは一様に納得した様子を見せていた。

 彼と特殊作戦部隊がどんな関係に有るのか、そもそも今回の依頼を持ち込んだレヴィと名乗るレーナと瓜二つの人物。

 スヴェンが異界人なのは初見で判っていたが、彼には死亡したとの情報も出回ってもいた。

 興味本意で調べても良いが、スヴェンに世話になってる身であれこれ詮索するのは無遠慮過ぎる。

 それに深く探りを入れて知らなくても良いことに首を突っ込むのは自分の性分じゃない。

 エルナは敢えてスヴェンの事を訊ねず、特殊作戦部隊の面々に護られるリーシャに視線を移した。

 平民の出と言われてるが、美しい緑色の髪と窶れているにも関わらず気高い眼差し。

 そういえば彼女は人質として脅迫されてるにも関わらず、全く動じず終末無言で野盗を威圧していた。

 なるほど、全く動じない強い精神が自身に欠けている。足りない経験なのだとエルナは理解する。

 それにしてもずっと両腕を拘束されてるのはあんまりだ。

 

「腕枷を外してあげないの?」

 

 少年の悲痛な声にロイが苦笑を浮かべ、目が腕枷を外してやれと語りかける。

 

「……野盗が鍵を無くしてしまったらしいんだ」

 

 現状銀の鎖を絶えず魔法陣から放ってるが、並行して別の魔法を唱えるのも銅製の腕枷の造形を操作するのも造作もないことだ。

 魔封じが施されている銅製の腕枷だが、問題は無い。所詮は野盗が用意した安物の魔封じ。既に構築魔法陣は綻び欠損してる状態だーーあれ? 魔封じって安物でも欠損するものだっけ?

 疑問が芽生えるがエルナは魔法を維持したままリーシャの腕枷に触れる。

 

「『枷よ、平らになれ』」

 

 造形変質魔法を唱え、腕枷が平らに変化し地面にごとりと落ちる。

 既に魔封じが無力化に近い状態だからこそ造形変質魔法が通ったが、エルナはなんとなくリーシャを上目遣いで見上げる。

 

「もしかして内側から解除を試みた?」

 

「王子の嫁としてタダ捕まってるのも、じっとしてるのも性に合わないんだ」

 

 どんな方法で魔封じを綻ばせたのか気になり、質問を問い掛けた時だった。

 後方部隊から騒ぎ声が響き渡ったのは。

 

「お、王子!? お待ちください、まだ殲滅戦の最中ですからっ!」

 

「あ、あっ! あ! おやめください王子!」

 

 複数のシルフィード騎士団の騎士が貴賓溢れる緑の衣を着た大男を取り押さえようと試みも、大男は数人に抱き付かれても物ともせずこちらに向けて直進して来る。

 

 ーーいま王子って!? う、嘘!? エルフの血を継ぐシャルル王子が筋肉質の大男だなんて!

 

 王子という存在に少女として夢を見ていたエルナの理想は現実の前に儚くも脆く崩れ去り、ロイとラウルの悲鳴が響き渡る。

 ついでに恐怖で涙を流す特殊作戦部隊の姿も視界の端に映り込んだ。

 

「おお! リーシャ! 無事だったか!」

 

「無事だけど、たったいま子供達の夢が散ったところだ」

 

「ここは既に戦場……あ、いや、俺が原因か」

 

 自身の容姿を把握しているシャルル王子の言葉にエルナは気を持ち直し、ロイとラウルの背中に身を隠す。

 

「オルゼア王の秘蔵っ子達と学生諸君よ、怖がらせてすまなかったな!」

 

 咆哮にも似た声から語られる謝罪にエルナは何もかもがどうでも良いっと達観した眼差しで遺跡に視線を戻した。

 既に野盗の殲滅が完了しつつ有る状態だ。そしてリーシャの救出も無事に終わり、残すは邪神教団と悪魔のみ。

 それでも決して油断できない状況には変わりなく、エルナは次々と対策を思案しては後でセシルに告げるのだった。



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第二十一章 底の司祭を目指して
21-0.アシュナの行方


 野盗団が壊滅しリーシャが救出された頃。

 自然を彷彿とさせる大木の内部に造られた部屋、部屋の壁には植物の蔓が巻き付き、窓辺近くに置かれたベッドの上で横たわる白髪の少女と少し離れた場所で椅子に腰を下ろした女性の二人が静寂の中で眠っていた。

 

「うっ、うぅ……んっ!?」

 

 魘され目覚めたアシュナは額の汗を拭い、身体を起こそうと動かすが腹部に走る激痛を前に起きる事を断念した。

 激痛か走った腹部を見るために患者服を捲り上げる。

 ぐるぐる巻きにされた包帯。しかしまだ完全に癒えて無いのか血が滲んでいた。

 あの時、自分は確かに背中越しから腹部を影に貫かれ瀕死だった。それなのにまだこうして生きている。

 頭が生きていると理解した途端、眼に熱い想いが込み上がった。

 生きていることに自然と涙が頬を伝う。アシュナは頬を伝う涙を拭い一呼吸。

 

「ここ何処?」

 

 頭だけを動かすと何処かの大木内部に建てられた部屋だということは判る。

 問題は誰に治療されて見知らぬ場所に連れて来られたのかだ。

 邪神教団か野盗か、それとも気を失う直前に光の魔法で影を払った人物か。あるいはアトラス教会の者か。

 後者なら良いが前者なら治療したのも情報を得るためにだと予測が付く。

 果たしてどちらかなのか。動けない身体で後者だったらっと想像するだけで胸の鼓動が早まり、緊張から荒げた息が漏れる。

 もしもの場合は尋問される前に舌を噛み切るか風の魔法で迎撃するしか無い。

 

 ーーまだ最悪の状況と決まったわけじゃない。舌を噛み切るには速い。

 

 最悪な状況かそれとも良い状況か、自身の疑問を晴らすべく明確に人の気配と生活の名残を感じる部屋内に視線を動かす。

 自然溢れる部屋、心が安らぐアロマの匂いに混じった薬品の臭い。そして椅子に座ったまま眠る一人の女性に訝しむ。

 此処は何処で彼女は何者なのか。顔立ちは目鼻整った美人な大人、長い緑髪、服装は町娘のようなブラウスのシャツとロングスカートで戦闘には向かない。

 おまけに武器らしい物を所持していない事が判るが、正直召喚や空間から呼び出す魔法が有るため武器の有無は判断材料にはならない。

 おまけに彼女は寝てるはずが一切の隙が感じられない。

 寝てるのに隙が無い姿はまるでスヴェンが目の前に居るような安堵感を感じるが、それは敵だった場合最悪を引いた事を意味する。

 動かない身体でどうするべきか、相手の正体を知るためには試しに起こすべきか。

 悩ましげなため息を吐くと女性の眼が開かれた。

 眼が合う女性にアシュナは息を呑む。そして敵か味方か判らない状況で身体が震える。

 

「だ、誰」

 

 自身の声かと疑うほど、弱々しく情けない声で漏れた。

 女性は心中察したような凛とした眼差しを向け、

 

「大丈夫、大丈夫ですよ。私は貴女の敵ではありませんから」

 

 穏やかな声で優しく語りかけられた。

 敵では無い。女性の真摯な眼差しにアシュナが安堵から息を漏らす中、

 

「味方でもありませんけど」

 

 何食わぬ顔でそんな事を言い出した。

 

「えっ?」

 

「ふふ、感情の起伏が非常に薄いですが良い反応をしますね」

 

 判ったことが有る。彼女は敵でも味方でもない、そして自分が思っている自分は以上に彼女のことが苦手なようだ。

 

「……此処は何処で誰なの?」

 

「此処はミルディル森林国の南西、フライス村から少し離れた闇医者の隠れ家ですね」

 

「や、闇医者」

 

「あぁ、私は違いますよ。これでも邪神教団の司祭を務めてますから」

 

 さらっと何食わぬ顔で告げられた一つの事実にアシュナは思わず頭を抱えそうになった。

 こうして会話してることから彼女は穏健派に属してるとなんとなくだが判る。

 特に彼女からは不思議と邪神教団特有の薄暗さや狂気が感じられない。むしろアトラス教会のシスターのよう温かさを感じる。

 

「本当に邪神教団の司祭なの? わたしが知ってる司祭は嫌な気配がするけど」

 

「えぇ、困ったことに同僚は頭の可笑しい連中が大半ですからね……特に貴女のお腹を貫いた人物はジギルド司祭と呼ばれる過激派の1人でして」

 

 敵対状態に有るとはいえあっさりとジギルド司祭の存在を明かすのは、彼女に何か企みが有ってのことか。

 ただ同時に一つ納得がいく。確かにあの異常な殺し合い空間を作り、影の魔法で執拗に襲って来た子供が邪神教団の司祭と言われれば不思議と納得がいく。

 

「教えてどうするの? 潰し合って欲しいの?」

 

「ジギルド司祭程度なら簡単に討ち取れるでしょう、特にあの子は精神的に未熟者で想定外のことに弱いのです」

 

「その弱いのに殺されかけたんだけど」

 

「影の魔法は相性によって脅威になりますからね。ですが光属性が扱える者が居ればたいして脅威になりません」

 

 光属性の魔法が使えないアシュナはジギルド司祭と相性最悪だ。同時にそれはスヴェンも相性的に不利と言えるが、彼の反射神経や警戒心から影の魔法で襲撃されても如何ってことは無いのかもしれない。

 

「ん、それにしても穏健派は如何してこの国に来たの?」

 

「過激派の妨害と邪神様の復活阻止ですよ。その為に潜伏させていた信徒にリーシャを連れ出させたのですが、野盗の奇襲に遭い彼女を連れ攫われたようです」

 

 だからあの時ジギルド司祭は誰がリーシャを連れ出したっとボヤいていたのだ。

 ふと野盗が多く入り込んでいる状況も彼女達の妨害工作の一環なのでは? そんな疑問からアシュナはまだ名を知らない彼女に問う。

 

「野盗が多いのも穏健派の仕業?」

 

 そう訊ねると彼女は困ったような表情を見せ、

 

「野盗は金儲けの臭いを嗅ぎ付けて何処にでも現れるものですよ、今回の件も金儲けになると判断して集まって来たのでしょう」

 

 自分達とは無関係だと答えた。

 

「じゃあ、あなたの名前は?」

 

「ふふ、私は先に所属を明かしましたが貴女はまだ名乗ってませんよ」

 

 名を訊ねる前に自分から名乗るのが礼儀、オルゼア王から教わったことを思い出したアシュナは顔を彼女に向けたまま静かに告げる。

 

「アシュナ……所属はちょっと言えない」

 

「名前だけ教えて貰えば充分ですよ。それにあの場所に子供が単独という点を垣間見れば自ずと推測もできますしね」

 

「ん、それであなたの名前は?」

 

「そうでしたね、私の名はセリア。因みに此処の家主の闇医者はルイと言います」

 

 邪神教団の穏健派に所属するセリア司祭、そしてもう一つ理解したことも有る。

 彼女が影を光で払い、重傷を負った自身を闇医者ルイの下まで運んだのだと。

 

「セリア……一応お礼は言っておく、助けてくれてありがとう」

 

「礼には及びませんよ」

 

 柔らかな、それでいて暖かく優しい微笑みを見せる彼女にアシュナは女性として一種の憧れを胸に抱いた。

 

「それにしても7日も寝込んでいたのに、意識もはっきりしてるようですし……存外強い子ですね」

 

「……7日? 今日って何日?」

 

「今日は21日ですね、お腹も空いてるでしょう」

 

 七日も意識不明で眠っていた事実にも驚きだが、定時連絡の時間も等に過ぎている。

 後で連絡を取らなければ心配を重ね重ねかけることになる。しかし腹部の傷の影響で下丹田の魔力が上手く操作できない。

 こうなっては仕方ない、今は静養して傷を癒すことが先決だ。

 

 ーーこんな時にミアが居たらなぁ。

 

 アシュナはミアの笑みを思い浮かべ、彼女に対する有り難みを胸にセリナが用意した野菜スープを食べさせて貰うのだった。

 



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21-1.リノンとスヴェン

 ユグドラ空洞を進むスヴェンの背中をリノンはじっと観察していた。

 彼を観ていると心の奥底から既視感に見舞われる。脳裏に浮かぶ自分ではない自分が彼と共に悲惨な戦場を駆け巡る光景が。

 なぜ彼に対してそう感じるのかは、恐らく過去の体験と神秘が原因だ。

 だから無意識のうちに彼に疑問を問いかけてしまう。

 他にも彼の背中を見てるだけで様々な既視感が次々に浮かぶが、それはテルカ・アトラスの記憶ではない。

 しかし確かに存在していた記憶。複雑に混ざり合った記憶、既視感を否定することも芽生え始めた感情を拒絶することはできない。

 それとは別に問いたいことが有る。

 

「スヴェン、本当はわたしのこと知ってるんじゃないの?」

 

「何の話だ」

 

 スヴェンは振り向き惚けたように視線を逸らす。

 心の奥底に眠る自分自身が告げる。スヴェンは誤魔化す時、直視できない感情を向けられた時に無自覚に視線を逸らす。

 あの時、彼が戸惑い困惑したのも無理はない。死んだかつての相棒と瓜二つの存在が現れれば。

 

「その質問に敢えて答えるなら、俺はアンタと()()()だ」

 

 確かにリノンとして出会ったのはあの時がはじめてだ。

 だからこそなるほどっとリノンは頷く。

 スヴェンはリノンを通して相棒(リノン)を見ないようにしているのだと。

 そうと理解してしまえば後は自分も記憶に引っ張られずスヴェンと接するだけだ。

 

「そっか、さっきの質問は忘れて」

 

「あ? ああ構わねえが……いや、何もねえなら良い」

 

 何か言いかけて閉じてしまったスヴェンの口に思わずため息が漏れる。

 

「どうしたのかしら?」

 

 スヴェンに聞いてみれば、彼はガンバスターを握ったまま。

 

「あ〜それなりに強めの衝撃がアンタを襲ったはずだが、身体は平気なのか?」

 

 こちらの心配を口にした。そういえば緊急事態とはいえスヴェンはガンバスターの刃先から魔力噴射させるなどという一歩加減を誤れば魔力が底を付きかねない行動に出た。

 そして彼が下敷きになることで衝撃を肩替わりしたのも事実。

 むしろ心配するのは自身の方なのだが、

 

「わたしは大丈夫だけど、貴方の方こそ平気なのかしら」

 

 逆に問い掛ければスヴェンは何食わぬ顔で答えた。

 

「あの程度は平気だ」

 

「そう、それなら良いのだけど……」

 

 ユグドラ空洞の下層に続く通路の最奥から悪魔と邪悪な気配が漂う。

 まだ距離は遠く離れているが、恐らくユグドラ空洞の最下層に在る湖か。それとも別の場所に居るのか。

 思案しているとスヴェンは地面を見下ろし、

 

「……まだ遠い、か?」

 

 彼も気配を察知しているのか、そんな事を呟いた。

 

「地図によると気配がする方向まで、恐らく三日はかかるわね」

 

「随分深くに居るな……そういや悪魔は邪神教団の召喚に応じねえと聴いたが、やっぱ邪神復活を望む悪魔か?」

 

「まだどんな悪魔かは分からないわ。それに代替え召喚による契約なら対価さえ払えば邪神教団でも結べるそうよ」

 

「結局のところ抜け道を利用したもん勝ちって訳か」

 

「正直者が苦労するのは何処でも変わらないわ」

 

 スヴェンは思う所が有るのか苦笑を浮かべ歩みを再開させた。

 それから程なくして広い空間に到着し、誰かが使用した焚火の跡に二人は足を止める。

 まだ先は長い。魔法陣の仕掛けこそ無いがこの先に何が仕掛けられているのか、あるいは何が待ち構えているのかは判らない。

 スヴェンは先が長いっと理解した上でガンバスターを鞘ごと降ろし焚火の前に腰下ろした。

 

「火は着けられそう?」

 

「生憎と魔法が使えなくてな」

 

 異界人の中には魔法を修得し悪用した者が多数居ると聴くが、スヴェンが魔法を修得できないほど理解力に乏しいとは思えない。

 いや、それは魔法が使えて当たり前のテルカ・アトラスの人間だからこそ言える言葉だ。

 リノンはポーチからよく燃えると評判の木の実を焚火に放り込み右手を向ける。

 

「『小さな火よ、引火せよ』」

 

 詠唱によって魔法陣が火を放ち、木の実を燃やす。そこに近場に落ちている木屑を放り込み焚火が燃え広がる。

 壁の燭台の灯りと焚火の灯りによって広い空間を照らす。

 照らされた空間の壁に二人は小さな息を漏らした。ユグドラの根でできた壁に彫り込まれた彫刻、ハーブを片手に唄うエルフの姿を。

 

「耳長の人間……?」

 

「これは過去に存在していたエルフ族よ、そういえばミルディル森林国の王家はエルフ族の血を引いていると聴いたことが有るわ」

 

「コイツはそれを記した記録って訳か。メルリアの地下遺跡にも壁画が有ったな」

 

「古代エルリア人、正確には封神戦争終結後にこの大陸に到着した末裔達が遺した壁画ね」

 

「じっくり見てる暇が無かったが、気が向いたらまた行ってみるか」

 

「良いわね、私も今回の件が片付いたら行ってみようかしら」

 

 しばらくまともな休暇が取れていない。そう付け加えれば彼から同情した眼差しを向けられた。

 敬虔なるアトラス教会のシスターだが、それ以前にリノンという一人の小さくか弱い人間だ。信仰心以前に身体と精神の休息や安寧は必要だ。

 

「教会の聖職者ってのはハードなのか?」

 

「前は懺悔に来た人々の言葉を聴いたり、聖遺物の回収を主に担当していたわ。だけど邪神教団が活動を再開させてからはその対応任務ばかりね」

 

「そうか……なら今回はくだらねえ理由で死ぬ訳にもいかねぇな」

 

「えぇ、その為には今はゆっくりと休みましょう。それとも私が近いと落ち着かないかしら?」

 

 膝を抱えてスヴェンに小さく問えば、彼は平然とした様子で返す。

 

「んなことはねぇさ」

 

 それだけ短く答えたスヴェンはサイドポーチから軽食のサンドイッチを二つ取り出し、こちらに差し出した。

 リノンはそれを受け取り野菜たっぷりに獣肉の干し肉が挟まれたサンドイッチで腹を満たす。



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21-2.疑念と遭遇

 昔、幼い頃に心に自分ではない誰かの感情と記憶が入り込んだことが有った。

 それはまるで誰かの魂が自身の魂に混ざり合うような感覚と言えば良いのか、少なくとも自分は無性に切なさに襲われ泣いたのは確かだ。

 幼少時は原因など理解していなかったが、アトラス教会のシスターとして聖典や神秘に触れるうちに昔の感覚や原因に付いて知る機会が有った。

 アトラス神が記した聖典の中には他世界の同一人物が強い想いを残したまま死を迎えると同一存在と魂の衝突が起こることが稀に起こるらしい。

 一般的にショック死する原因の要因として見られているが、稀に適応して魂が完全に混ざり合うことが有る。

 そんな記載を見た時、あの時の感覚が魂の融合が原因なのだと。

 しかし同時に混ざり込んだ記憶に関しては単なる幻覚や痛い妄想の産物という線も捨て切れず、いまの今までスヴェンと出会うまで確証を抱けなかった。

 誰もデウス・ウェポンのことなど知らない。そんな状況でどうやって答え合わせをすれば良いのかしばらく悩んだものだ。

 その答えもスヴェンと出会い、改めて記憶を整理することで解決もできた。

 

 ーーリノンの明確な記憶では最後の仕事まで彼の相棒だったんだよね。

 

 リノンはスヴェンを死なせたくない。だから二本だけのワクチンをスヴェンに摂取させ、自ら彼に討たれることを選び死んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 焚火の前で目覚めたスヴェンはガンバスターを握り、周囲に視線を向けた。

 敵は居ない。魔法陣が仕掛けれた様子も魔力が流れている様子も無い。

 その代わり隣からリノンの静かな寝息が聴こえる。無防備な仕草で寝返りする彼女はどうやら熟睡しているようだ。

 こんな場所でいつ誰に襲撃されるかも判らない場所で良く眠れると感心すら湧く。

 スヴェンは相棒(リノン)と瓜二つの彼女に眼を瞑る。

 移動中観察されていた、それは判るが彼女の質問は明らかに不審な点が多い。

 なぜ初対面のはずのリノンがあんな質問をしたのかだ。それに彼女はシャルナに付いて無意識に質問してきたが、あの時のリノンは真っ直ぐとした眼だった。

 これは根拠もない、有り得ない推測だが、リノンはまさか相棒(リノン)の記憶が混雑しているのでは?

 

 ーーいや、まさかな。仮に推測が正しいものだとすりゃあ、俺はリノンに何を問えば良い? 何をするべきだ?

 

 リノンはリノンだ、相棒じゃない。それは例え記憶を持っていたとしても変わらない。

 スヴェンが眼を開くと覗き込むリノンと眼が合う。

 いつのまに起きたのか、顔が近いなど色々と言いたいことが浮かんではそれの小さな言葉をグッと呑み込む。

 

「もう起きたのか」

 

「えぇ、貴方が考え込んでる間にね」

 

 笑みを浮かべて答えるリノンにスヴェンは距離を取ってから立ち上がる。

 そして進むべき道に視線を向ければ先程とは違って複数の気配を感じる。

 その影響か肝心の気配が感じられない。面倒なことに成り立つ有るユグドラ空洞の探索を急ぐべきか。

 

「そろそろ進むか」

 

「気配が多くなってるわね……地上が予定通りならリーシャ様は保護されてるはずなのだけど」

 

 スヴェンが歩き出せば後ろからリノンが一定の距離を保った状態で付いて歩く。

 

「保護したところで情報の流出は多少時間がいる。それに敵対勢力同士を潰し合わせるならわざわざ公開する必要性は薄い」

 

「数を減らすなら合理的だけど、潰し合いをさせたい国の思惑が露呈したら徒党を組まれるわ」

 

「感情的にはムカつく状況だろうが……シルフィード騎士団を相手にまともに敵対しようなどと思うか? それに訓練された騎士は練度も高いが、烏合の衆は連携は愚か逆に利用されて潰されるだけだろ」

 

「なるほど、確かに練度も連携も必要不可欠ね。……それじゃあこの先から感じる気配、彼等と手を組むのも難しそう?」

 

「殺し合いが発生するユグドラ空洞、その原因が解らねえ以上は手を組むべきじゃあねえな」

 

 野盗にしろゴスペルにしろ殺し合いを避けるなら手を組むべきじゃない。しかし敵は邪神教団のジギルド司祭と悪魔、いくら一人は子供とはいえ武器を手にして玩具を扱うように人を殺す手合いだ。

 大多数の暴力によって殺されても仕方ない。それを理解してるからこそジギルド司祭は敵味方問わず殺し合わせるのか。

 それとも単に玩具で遊ぶ方法を模索する内に生まれた過程に過ぎないのか。

 

「ジギルド司祭ってのはタダのガキなのか?」

 

「エルナちゃんとロイくんと歳が近いとは聞いたけど、多分精神性を考慮しても歪んだ子供じゃないかしら?」

 

「過激派所属の司祭、もうちょい計画的に動く連中だと想定してたんだがなぁ」

 

 計画的に動くならあらゆる痕跡を消し、時に撹乱用にわざと痕跡を残す。例えばエルロイ司祭なら、スヴェンはヴェイグを邪神教団側と終末疑いはしたものの正体をバルギット信徒の情報が無ければ気付くことはなかった。

 その意味ではスヴェンはエルロイ司祭の掌で踊らさせ続けていたことになる。

 同じ司祭でも年の功、経験が段違い過ぎるのだ。

 

「無理もないわよ、邪神教団が大陸内で本格的に動いたのは11年前……そこからオルゼア王襲撃事件を起こすも主力部隊は壊滅」

 

「それから程なくして一人の司祭によるエルリア城襲撃……今は行方が判らないそうだけど」

 

 気になる話題にスヴェンは一瞬足を止めるが、真正面の分かれ道から響く足音を警戒からガンバスターの柄を握り込む。

 いつでも引き抜けるように身構えたスヴェンの前に、左右の分かれ道から集団が姿を現す。

 

「おんやぁ? こんな所で教会のシスターと若い男に出会うなんてなぁ」

 

 痩躯に腰に剣をぶら下げた優男が手振りで背後の野盗に止まるように指示を出した。

 どうやら目の前の優男が野盗のリーダーらしい。

 

「チッ、邪神教団の糞虫共を追って来てみれば別嬪なシスターと冷徹な兄ちゃん、おまけに程度の低い野盗共か」

 

 隻眼に隻腕の男が背中の戦斧に手を伸ばしながら悪態を吐いた。

 そんな彼の挑発混じりの言葉に釣られて背後の集団がせせら笑う。

 

「程度の低いとは言ってくれるねぇ。オタクらこそ人攫いなんて悪事に手を出した挙句、利用されて捨てられた犬の癖して」

 

 出会い頭に双方険悪な空気を剥き出しに睨み合う。

 この状況で一戦おっ始められても面倒だし、巻き込まれる言われもない。

 そもそも今にも殺し合いが始まりそうな一触触発の空気だ。

 

「行くぞ」

 

 リノンに一言声を掛け、気配がする右の通路に一歩足を踏み出すと、

 

「おい兄ちゃん、誰が動いて良いと言った? ここを通りたければ通行税として身包みでも置いていきな……いや、そっちの別嬪のシスターだけでも構わないぜ」

 

 普段なら気にも留めない安い挑発だが、協力者が対象となれば別だ。

 

「あ?」

 

 瞳に殺気を宿して下卑た笑い声を浮かべた隻眼の男を睨む。

 

「っ……兄ちゃん、お前っ」

 

 額に冷や汗を流す隻眼の男にスヴェンは静かに語り掛ける。

 

「獲物が何かする前に俺達は先に進みてえんだ、ただ道を譲ってくれんなら俺からは何もしねえ」

 

 本音を言えば目撃者の野盗を始末したいところだが、この場所での乱戦は好ましくない。

 スヴェンが内心でそんな言葉を浮かべると隻眼の男が背後の通路に視線を向ける。

 

「俺達が来た道をか? 道は譲るが……兄ちゃんの目的はなんだ?」

 

「司祭の討伐」

 

「なに? って言うと邪神教団の司祭か。悪いが連中は俺達ゴスペルの獲物だ」

 

 つまり彼がミルディル森林国に入り込んだゴスペルの右腕を束ねる頭目。

 スヴェンは目の前の男に対して考え込む素振りを見せながら、

 

「生憎とこっちも仕事でな、かと言って敵味方問わず殺し合いが起きる曰く付きの場所で共闘なんざ無理だろ」

 

 彼に問いかけた。

 

「あぁ無理だ。ソレを抜きにしても出会って間もない奴と誰が手を組める?」

 

「奇遇だな、俺もアンタらと手を組む気なんざ無い。かと言って金にもならない無駄な戦闘は避けたい」

 

「……なるほど、道を譲り手を出さなければ兄ちゃんは何もしないんだな」

 

「あぁ、俺はアンタらに対して何もしない。そうだな、例えばアンタらが離れた距離間で付いて来ようが獲物を横取りしようが何もしないさ」

 

「……よく理解した。兄ちゃんは俺達を、ジギルド司祭を殺し損ねた保険として利用するつもりだな。だが良いだろう、兄ちゃんと別嬪シスターに道を譲ってやる」

 

 漸く道を開けたゴスペルの右腕にスヴェンとリノンが歩き出すと、なぜか優男率いる野盗集団も付いて歩こうとしていた。

 

「ちょいまち、低俗な野盗を通してやるとは言ってないぜ」

 

「道を通るのにオタクらの許可は要らないだろ? それともここでやり合うかい?」

 

 魔力を放出し始める優男に対して隻眼の男が戦斧を片手に魔力を操作し始める。

 それを合図と言わんばかりに背後で双方の部下達が武器を片手に魔力を流し込む。

 勝手に潰し合ってくれ、スヴェンがどうでも良さそうに歩みを進める。

 二人が距離を取ったと同時に優男と隻眼の男が放つ魔法が衝撃を生み出し、ユグドラ空洞を大きく揺らす。

 天井に伝わる振動、そして軋む岩肌の天井。偶然にも大樹の根が絡まない天井ーー下手をすれば一部だけ崩落しかけない程度には脆いだろう。

 スヴェンが冷静に振動と天井の揺れ具合から一部崩落が始まると推測を立て、

 

「リノン、走るぞ!」

 

「えぇ、嫌な予感しかしないわ!」

 

 二人は一目散に通路を走り出した。

 そして戦闘の余波によって崩落を始めた天井に野盗とゴスペルの悲鳴が背後に響き渡る。

 互いに潰し合って崩落に巻き込まれれば良い。そう思ったのも束の間、複数の足音と岩が転が音が背後から響き渡った。

 スヴェンとリノンは嫌な予感に視線を背後に向け、同時に盛大なため息を漏らす。

 転がる岩とそれから仲良く肩を並べて逃げる野盗集団とゴスペルの右腕、おまけに先頭を走る双方のリーダーは息ぴったりだ。

 

「案外仲が良いのね、わたしも貴方と肩を寄せ合って走ろうかしら」

 

「蹴り飛ばすぞ? いや、今は冗談を語ってる場合じゃねえな」

 

 スヴェンとリノンは背後の悲鳴を背に、下層に続く通路を探しながら駆け巡ることに。



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21-3.亡者と陰謀

 転がる岩から逃げる野盗とゴスペル、それらを背後にスヴェンとリノンの二人が下層に到着すると。

 どうにか岩から逃げ仰た野盗とゴスペルが息を荒げ、彼等のむさ苦しい汗がユグドラ空洞の地面に落ちる。

 行動を共にする気など一切無いがなぜこうも自身の思惑に反して望まない結果ばかりが訪れるのか。

 スヴェンはため息混じりに根によって出来た一本道の狭い通路を歩き出す。

 上層と変わらない光景、ただ違い有るとすれば異質な空気と、

 

「うぅああ」

 

 亡者の声と金属混じりの足音だ。視界の先に続く通路からゆったりとした足取りで迫る亡者の群れ。

 前回メルリアの地下遺跡で亡者と戦闘したが、前回の亡者は地獄から召喚された存在だった。

 しかし今回は敵のーージギルド司祭の趣味か、ここで起きた殺し合いの果てに死んだ者達を亡者として利用している。

 死体の有効活用として実に合理的かつ敵に与える精神的負担は大きいが、そんなものはスヴェンにとっては無意味だ。

 腐り落ちた顔、ボロボロの衣服と腐りかけの皮膚と剥がれ落ちる腐肉。

 いずれにせよこちらに向かって来る以上は薙ぎ倒さなければ進めない。スヴェンがガンバスターを構えると亡者の群れの奥からまた足音が響く。

 

「スヴェン、アレを見て」

 

 言われるがままに前方に視線を向ければ、曲刀を片手に携えた黒髪の少年。しかし彼の眼には精気は無く虚で泣き腫らしたあとが目元に残されている。

 服装は異界人の物にも見えなくもないがーー問題は少年の首筋に張り付いた影の塊だ。

 恐らくあの影によって少年の意志とは無関係に操り人形化しているのだろう。

 

「前方に亡者と異界人と思われるガキだな、知り合いでも居たか?」

 

「……えぇ、フゲン神父とシスター・リディ。2人ともそれぞれの得物を構えているけれど、腐った筋肉じゃ到底扱え切れないわ」

 

 彼女の悲しげを帯びた声にスヴェンは視線を向ける。

 リノンは眉を歪めてはいるものの、取り乱してなるものかと気丈に振る舞っていた。

 フゲン神父と呼ばれた亡者が持つハルバート、シスター・リディが持つクロスボウ。どちらの武器も確かに扱うには一定の筋力が要る。

 他にもシルフィード騎士団と思われる亡者にゴスペルの配下、その他多数の野盗の亡者に紛れ込む邪神教団の信徒だった亡者が居る。

 幸い特殊作戦部隊の姿は見えないが、下手をすればアシュナもあの亡者の群れに加わっていた可能性すら有った。

 

「このまま突破するが、付いて来れそうか?」

 

「大丈夫よ、寧ろ相手が亡者ならわたしの出番ね」

 

 リノンが不敵な笑みを浮かべこちらの前に出た。彼女にはアトラス教会で培った魔法が有る。それ以前にリノンの身体能力や巧みに扱うクロスボウの射撃を考慮してもこの場は彼女一人で事足りそうだ。

 自身のの思考とは裏腹に視線を向けるリノンに、スヴェンは頷くことでこの場を彼女に任せるっと告げた。

 

「おやぁ、彼女1人に任せると言うのか?」

 

「いや、別嬪のシスターはアトラス教会のシスターだ。兄ちゃんの判断は適切だぜ。それにこんな通路で俺達も攻勢に出てみろ、狭い場所で互いの得物を振り回せば悲惨な眼に遭いそうだ」

 

 ゴスペルの右足の頭目が言うことは正しい。

 狭い通路で亡者の群れを迎え討つには野盗とゴスペルの人数が多過ぎる。それに加えて連中の持つ得物は剣身の長い武器ばかり。

 ガンバスターでさえまともに振り切れない狭い通路ではなおさら武器は非効率だ。

 それに亡者には魔法が掛けられている。異界人を基点に発動している魔法が。

 

「えぇ、おまけに趣味の悪いことに亡者には魔法障壁が張られてるわ」

 

「アンタの魔法なら障壁も問題ねぇんだろう」

 

 リノンは当然だと言わんばかりに笑みを浮かべ、亡者の群れに対して口を動かす。

 

「『聖なる声よ響け』」

 

 歌う様に唱えられた詠唱によってリノンの足元に魔法陣が形成される。

 

「『我、哀れな汝らに告げる。祝福の言葉、祈りを』」

 

 二つ目の詠唱によって足元に形成された魔法陣が拡がり、

 

「『死せる者に縛られし魂達よ、汝らに幸福と祝福の光を』」

 

 三つ目の詠唱で亡者の集団を温かく、思わず微睡そうになる光が包み込む。

 

「『汝らに次なる機会が在らんことを』」

 

 そして四つ目の詠唱によって亡者の群れは光と共に跡形も無くその姿を消した。

 音も何も無い、亡者はただ光に包まれ消えたのだ。

 

「はい、浄化と魂送りの魔法完了っと」

 

 狭い通路を埋め尽くした亡者の集団をあっさりと消滅させた者とは思えないほど、気の抜けた言葉で語った彼女にスヴェンは肩を竦める。

 亡者は消えたが異界人だけはまだ居る。どうやらあの異界人は完全には死んでいないようだ。

 異界人が狂ったように曲刀を振り回し、リノンに向けて駆け出す。

 スヴェンは彼女の腕を引っ張ることで背後に追い遣り、振り下ろされた曲刀が目前に迫る。

 だが、スヴェンにとって曲刀が振り抜かれ頭をかち割るにはあまりにも速度が遅すぎた。

 特にフィルシスと鍛錬を三日通して続けた結果、彼女の剣速に慣れてしまった今ではなおさら。

 だからこそ振り下ろされた曲刀の刃を掴んだ。

 スヴェンは掴んだ左腕に力を加え、曲刀の刃に対して横に力を加える。

 バッキン!! 容易く折れる曲刀の刃。

 スヴェンは折った刃をそのまま異界人の脳天に突き刺さす。

 頭部から血飛沫が噴出ーーだが首筋に張り付いた影の塊の影響か、異界人は脳天に刃を突き刺した状態で両手を前に走り出した。

 

「そらよ」

 

 走り出した異界人の腹部に蹴りを入れ、そのまま天井に蹴り上げる。

 天井に衝突した異界人には最初から意識も痛覚も無いのか、ダメージを受けている様子が無い。

 それはつまり、肉体的なダメージを幾ら与えようとも背中の影をどうにかしない限り異界人は止まらない。

 依然として首筋の影の塊を取り除かない限り無駄な体力を消耗するだけ。

 あの異界人は脳天に刃を刺された時点で死んでいる。脳の損壊で身体を操れない筈だが、影を血管のように肉体に張り巡らせ操っているのだろうか?

 地面に落下する異界人を前に思考を浮かべたスヴェンは、立ち上がった異界人にガンバスターを薙ぎ払う。

 ガンバスターの一閃が異界人の首を切断し、首が影の塊と一緒に地面に転がる。

 首の断面図から伸び出た蠢く影の触手にリノンの吐息が響く。

 

「影の塊はブラフ、操るための影は体内に入っていたのね」

 

「アンタの魔法で祓えるか?」

 

「任せなさい」

 

 リノンは異界人に掌を向け、スヴェンはポケットから取り出したサングラスを装着する。

 

「『閃光よ、闇を祓え』」

 

 掌に形成された魔法陣から閃光が放たれ、

 

「「「ぐわぁぁ!! 眼がぁぁっ!!」」」

 

 野盗とゴスペルの叫び声とと共に影の触手が消滅した。

 これで安全に狭い通路を進めるだろう。

 スヴェンとリノンは背後で疼くまる野盗とゴスペルを無視して先を目指すべく駆け出した。



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21-4.エルナの思案

 スヴェンとリノンのユグドラ空洞探索開始から既に一日が経過、エルナは朝日が昇るミルディル大森林の空を眺めながらリーシャを連れ出したという邪神教団の信徒に付いて思案していた。

 

「穏健派の信徒、人質とかそういう事を嫌うセリア司祭が来るのかな」

 

 邪神教団の中で高潔な精神を持つ彼女が来ているとすれば過激派の妨害をしてもおかしくは無い。

 事実リーシャは連れ出した信徒に付いてこう証言した『誘拐犯の邪神教団とは違って真っ直ぐな眼をしていた』と。

 そしてこうも言っていた『わたしを誘拐した邪神教団は全員狂気を宿していたけど、穏健派からは狂気を感じなかったわ』っと。

 確かに穏健派は何らかの方法で邪神の狂気から逃れている。いや、違うあの奈落の底全土が邪神の狂気を放つ範囲内だ。

 自身と同い年の信徒や異端者は邪神が放つ狂気の周期から偶々逃れていただけで単に幸運に過ぎない。

 そんな幸運な信徒と異端者は自身とロイ、そしてヨワンとエル司祭を除いて百人も満たない。

 それとは別に邪神解放作戦に紛れて地上に出た同年代の穏健派の信徒と異端者は五十人にも満たなかった。

 では同年代のジギルドはどうやって狂気に染まったのか。彼は幼少期の頃から過激派の司祭に育てられていた。歪んだ教育と教典による影響。

 

「穏健派の司祭はみんな精神力が強いけど、エルロイ司祭が対策を施したのかな?」

 

 封神戦争時代に産まれ、戦争時代を生き延び邪神に呪われ邪神教団を設立するに至った。

 長い時を生きるエルロイ司祭なら狂気を防ぐ方法を知っているのかもしれない。

 エルナはエルロイ司祭の顔を思い浮かべ、教わった邪神教団の成り立ちや素性に付いて頭に浮かべる。

 封神戦争時代に存在していたテルカリーエ大陸の消滅後、人類は新大陸を求めて長い旅に出た。

 そこでエルロイ司祭は現在人類が住む大陸の最も北の地、ヴェルハイム魔聖国、フェルム山脈の北ーー霧の地と呼ばれる場所で国を建国したという。

 

 ーー鎖国してるミスト帝国、エルロイ司祭は国の運営を別の人物に任せてるって言ってたけど。

 

 最初は子供に対する単なる冗談の一つだと聴いていたが、ミスト帝国は邪神教団が暮らすための国だったら?

 いずれ邪神が狂気を放つ。それをエルロイ司祭が理解していた上で対策した一つだとすれば穏健派の戦力は大規模だと推測が立つ。

 

「でも司祭達はずっと奈良の底に居たよね?」

 

 少なくともオルゼア王討伐作戦を主導した枢機卿とエルロイ司祭を除いた全司祭は奈落の底で産まれ育った記録が残されている。

 ヨワン枢機卿、セリア司祭、エル司祭。穏健派に属する幹部達も奈良の底で産まれ育った。

 疑問が疑問を生む。邪神の狂気、穏健派は復活を阻止するために動き、過激派は復活させるために動く。

 邪神の矛盾した願いによって邪神教団が歪んだ。それは間違いない。

 

「……あっ、当初から知ってるエルロイ司祭なら正しく教えられる」

 

 しかしエルナの記憶では、エルロイ司祭が邪神の望みを語った覚えがない。

 寧ろエルロイ司祭は邪神の望みに関してはいつも暈して答えていた。

 それは相手が子供だから、どちらに転ぶか判らないからだ。

 

「信用できる人だけに邪神の願いを教えたってことかな」

 

 それは納得ができる。事実ヨワンはエルロイ司祭の推薦のもと邪神に直接枢機卿に任命されている。

 エルナは結論に深くため息を吐く。結局判ったのは邪神の狂気と矛盾によって邪神教団が振り回されたことだけ。

 答えを知るにはエルロイ司祭かセリア司祭から聴く他にない。

 同時に一つ疑問が芽生える。それを気にして答えを求めた所で贖罪は終わらない。

 邪神教団設立と邪神の願い、それを知るには自分の肩はあまりにも小さいのだ。

 それにリーシャの救出は終わった。終わったというのに胸に焦りが芽生える。

 推測と予定に沿って立てた行動方針から大幅に逸れ、最短の結果でリーシャ救出がシルフィード騎士団と特殊作戦部隊によって完了した。

 そこに自分達が居る意味など無かったっと思えるほどに。

 あとはスヴェンがリノンと一緒に戻り、依頼主のレヴィーー身分と正体を偽ったレーナ姫から報酬を受け取るだけ。

 それだけ、それだけなのに胸が不安と焦りに締め付けられる。

 

「何だろう、この嫌な予感……」

 

 エルナはまだ寝てるロイとラウルを尻目に考え込む。

 過激派は邪神の復活を目的に活動しているが、今回のミルディル大森林国の騒動はレーナ姫とシャルル王子を纏めて始末するための行動。

 ついでに両国を争わせ、戦争状態に発展させ封印の鍵を捜し出す。

 そんな計画が明け透けに見て取れるが、本来リーシャを誘拐してまで婚約破棄を迫ることなど無謀だ。

 ただ大衆の眼と警戒をそちらに逸らすことはできる。

 そしてジギルド司祭がユグドラ空洞にずっと潜伏してるなら、既に封印の鍵の目星が付いてるのかもしれない。

 

「封印の鍵がユグドラ空洞に安置されてる? 流石に考え過ぎかもしれないけど、複雑で広大に入り組んだ空洞なら隠し場所としては最適かも」

 

 そもそもジギルドの頭はそこまで良いとは言えない。むしろ自身の欲求に従って忠実に動く男だ。

 エルナは不安を祓うように頭を振ってから机に近付く。

 まだ片付けてないレポートが有る。不安に駆られるより何かに集中した方がずっと建設的だ。

 同時に不安感を放置しては危険だと訴えかける理性にエルナは、レポート用紙に羽ペンを走らせながら正午にセシルに相談することを計画した。

 その前にいつまでも寝てる二人を起こさなくては、二人の課題とレポートが終わらないのも事実。

 

 ーー本当はだらだら寝て過ごしたいのにぃ。

 

 いつもならしっかり者のロイが自身の面倒を見るのだが、やはり昨日の疲れが出ているのか。

 

「もう少しだけ寝かせてあげよ」

 

 そんな結論を出したエルナは提出するレポートを進めるのだった。

 



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21-5.ユグドラの地底湖

 八月二十四日、ユグドラ空洞探索から既に三日が経過した頃。

 スヴェンとリノンは星の魔力が溶け込んだ地底湖に到着していた。

 土の地面に囲まれた地底湖の水面に映り込む魔力の源流、そして星空を見上げた際に映り込む星々の海が水面に映る。

 こんな光も届かないユグドラ空洞の下層で星々の海を見ることになるとは、スヴェンにとって予想外なことだった。

 しかし眼に映る星々の海は星の魔力だ。人類には到底利用できない星の魔力、そしてこの場所に残された子供サイズの靴跡から此処にジギルド司祭が居たのは間違いない。

 スヴェンは地底湖から視線を逸らし、最奥に続くであろう通路に視線を向ける。

 

「奴はこの奥か」

 

 魔力と狂気を含んだ気配、獲物はこの先で準備を整え待っている。

 問題は一人分の魔力と気配だけで悪魔らしき気配が無いことだ。

 少なくともユグドラ空洞に入った時には悪魔の気配も感じていた。単なる不在なのか、それとも……。

 スヴェンはガンバスターを引き抜き、リノンに視線を向ける。

 

「アンタの魔法で此処から狙えるか?」

 

「ちょっと威力が高過ぎて崩落を招くわ、それに殺せたという確証が持てないのは……」

 

「ああ、それは避けるべきだな」

 

 此処からの狙撃は対象を確実に殺したという確証が得られない。

 それにリノンの言う通り、魔法の威力で崩落を起こし殺し損ねる恐れも有る。

 ガンバスターで狙撃するには通路は薄暗く対象の姿が見えない以上は不可能だ。

 そもそも射程内で届く距離に居るとも限らない。

 

「このまま直進するしかねぇか」

 

「……彼は初日の罠以外は大した罠を仕掛けて無かったわ。魔力を温存してるのかしら?」

 

 魔法による罠、術者はその日の魔力を使うだけで済み、消費した魔力はその日の内に回復する。

 だからこそ想定以上に魔法の罠が少なかったことが逆にスヴェンとリノンに一つの推測を立てるには充分だった。

 

「魔力の温存ってよりは油断を誘うための布石だろ」

 

「だよね、魔力って個々人の生成能力と貯蔵量を超えた魔力は貯められないものね……となると非情な対応が必要、か」

 

「……ガキを殺したくねぇならアンタは退路の確保に回っても良いんだぞ」

 

「此処まで同行して今更待機なんて嫌よ、それにわたしは躊躇わない……それは()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦場を経験している相棒(リノン)なら相手が少年兵だろうと躊躇わない。

 しかし目の前に居るリノンは相棒(リノン)じゃない。それは間違いないがーーいや、邪神教団の対応任務。その経験を信じてみるか。

 スヴェンはわざとらしく肩を竦めた。

 

「知る訳がねぇだろ、俺とアンタがこうして行動すんのは今回が初なんだからよ」

 

 敢えて突き放すような態度を見せれば、リノンが悲しげな顔を見せた。

 

 ーーやめてくれ、アンタのその顔は見たくないんだ。いや、俺の態度が原因なんだよなぁ。

 

 非が有るのはこちら、戦闘を前に要らぬ感情を抱えたくない。スヴェンが口を開きかけた時、リノンの人差し指がスヴェンの唇に当てられた。

 

「あんまりこういう話は良くないんだけど、終わったらゆっくり話さない?」

 

 人差し指を離した彼女にどう返答するべきか。

 スヴェンは瓜二つの顔を殺した外道だ。本来彼女とは関わるべきでもなければ、協力も今回限りの方が互いのためだ。

 アトラス教会のツテを一つ失うことになるが、ツテはまた時間をかけて信頼を得ながら得ていけば良い。

 しかし本音を言えば彼女が何を話したいのか気掛かりでも有る。

 

「……無事に終わったら考えておく」

 

 酸味に返すとリノンはクロスボウを片手に微笑んだ。

 

「期待しておくわ……おっと、()()はヘマをしないようにしないと」

 

 今回、それはいつの事を指すのか。スヴェンはリノンの言動に戸惑いに似た感情を浮かべながらも思考を戦闘に、傭兵の思考に切り替える。

 足音を消し気配を殺し、下丹田の魔力を極限まで抑え歩き出す。

 リノンが背後から全く同じ方法で付いて歩く。然程難しくない歩術だ、彼女が使えてもおかしくは無い。

 スヴェンは最奥の通路と距離を縮め、壁に身を隠す。

 そして改めて通路を覗き込んだ。

 燭台の灯りが無い真っ暗な通路、魔力の気配が感じられない。

 この中を進むには灯り無しでは危険が伴う。しかし敵に接近を勘付かれるよりはマシか。

 

「この中を灯り無しで進むって言うの?」

 

 不意に空いている左手に細長い指がグローブ越しに握られた。

 

「これなら逸れないわね」

 

「両手を塞ぐのは好ましい状態じゃないんだが……仕方ねえ、アンタが俺の左腕代わりになれ」

 

「もちろん、クロスボウの片手撃ちなんてお手のものよ」

 

 リノンの頼もしい返答を受けたスヴェンは迷うことなく通路に踏み込み、風の音を頼りに真っ直ぐと歩き出す。

 

 二人は互いの手を取りながら足元に細心の注意を払いつつ通路を二時間ほど歩き進んだ。

 何処まで歩いても暗い通路にスヴェンは何も感じず、ただ左手にリノンの手の感触を感じるばかり。

 更に二人が無言で進むこと二時間、漸く視界の先を緑の炎が照らす。

 出口から漏れる緑の炎にスヴェンとリノンは眼を細め、二人は壁際に背中を密着させた。

 そしてゆっくりと出入り口に近寄り、通路の先を覗き込む。

 根が複雑に絡み合うことで出来た広間を緑の炎が照らし、地面に刻まれた大規模な魔法陣と人骨によって組み立てられた祭壇、そして祭壇に祈りを捧げる子供の背中が見えた。

 大規模な魔法陣から放たれる異様な気配、それは言葉で表すなら死者の怨念が渦巻くような感覚と死の気配だ。

 此処で死んだ者達の怨念が大規模な魔法陣に留まり、儀式の準備をしているのは明らか。

 特注された司祭用のローブを身に纏う白髪の子供、腕の袖から見える色白の肌。彼がジギルド司祭だと認識したスヴェンとリノンは、互いに顔を見合わせ頷く。

 封印の鍵らしき物は見えないが、連中の企みは迅速に阻止する必要が有る。

 スヴェンは通路の地面を蹴り、ジギルド司祭に駆け出した。背後からリノンの支援魔法を受けながら。



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21-6.狂い子の司祭ジギルド

 ジギルド司祭が振り向く直前、スヴェンがガンバスターを薙ぎ払う。

 完全な不意打ち、子供相手に誰しもが卑怯だと宣う蛮行。それでもスヴェンには予感が有った。

 悪魔の存在、足元の大規模魔法陣と不気味な祭壇。彼は待っているのだと。封印の鍵が届くことを。

 しかし、慈悲も躊躇いも無く払った一閃はジギルド司祭の真横から現れた腕によって掴まれてしまう。

 

「チッ!」

 

 真横に突如現れた複眼の悪魔、それは身体は人の形だが全身の複眼がスヴェンとリノンに視線を集中させる。

 そしてガンバスターを掴んだ腕から逃れようと力を込めるが、悪魔の腕力によってびくりとも動かない。

 

「大人が不意打ち、しかも失敗なんて恥ずかしいなぁ。悪魔、コイツに見せてやりなよ」

 

「対価は? 力を行使するなら対価を求める。小僧が出せる対価は残り少ないぞ」

 

 どうやらジギルド司祭は遊びが過ぎたようだ。冷静な口調で対価を要求する複眼の悪魔にジギルド司祭が忌々しげに息を荒げた。

 

「対価ねぇ。そこの2人の魂なんてどう?」

 

「我々悪魔は魂を喰らうために力を行使しない。魂を喰らう時、それは契約不履行が起きた時だ」

 

 ジギルド司祭の舌打ちが広場に響く。複眼の悪魔に対価が払えず協力しないのであれば残りはジギルド司祭のみ。

 

「アンタがどんな悪魔かは知らねえが、離してくれねぇか?」

 

「ああ、人の子よ。それは出来ぬ、この場で小僧を守護する契約を結んでいるのでな」

 

 契約が結ばれている限り複眼の悪魔はジギルド司祭殺害を妨害してくる。

 結局のところジギルド司祭を討伐するには目の前の悪魔をどうにかしなければ話にならない。

 しかし一度だけ試してみる価値は有る。

 スヴェンは力を脱力させ、ガンバスターの柄を手放しーー同時にその場から消えるようにジギルド司祭の背後に回り込む。

 クロミスリル製のナイフでジギルド司祭の首筋に刃を振れば、刃がまた複眼の悪魔によって掴まれ、今度はナイフの刃が呆気なく握り潰されてしまった。

 

 ーーなるほど、怪力に全方位死角無し。おまけに反応速度も高い、か。

 

 ーー眼、複眼の悪魔の眼にはなんか有るのは明白だ。眼を媒体にした魔法。なら眼を合わせるのは危険だな。

 

 複眼の悪魔を出し抜きジギルド司祭の討伐は不可能。そう判断したスヴェンは複眼の悪魔と視線を合わせず地面に落とされたガンバスターを拾う。

 

「……異様に速いねぇ。前に追わせた何者かみたいだ」

 

 楽しげに嗤うジギルド司祭にスヴェンは背後の魔力を感じ取り一度距離を取る。

 自身と入れ替わるようにリノンが放った魔法ーー光の矢が雨となりジギルド司祭と複眼の悪魔に降り注ぐ。

 複眼の悪魔が腕を振るいジギルド司祭だけを魔力障壁で覆う。

 魔力障壁によって護られるジギルド司祭、しかし複眼の悪魔の全身に光の矢が貫く。

 身体中の複眼が光の矢によって潰され、複眼の悪魔から感心した息が漏れる。

 

「アトラス神の信徒、見事な悪魔祓い魔法だ」

 

 リノンに対する称賛の言葉、彼女はクロスボウを向けたまま複眼の悪魔の眼に視線を合わせないように背後のジギルド司祭に標準を定めていた。

 悪魔が張った魔力障壁は並の魔力では防がれてしまうだろう。

 スヴェンはガンバスターに練り込んだ魔力を纏わせ、刃を形成させる。

 

「それはダメ、許さない『影よ、汝に纏わり付き我が意のままに』」

 

 静観していたジギルド司祭の詠唱に魔法陣が形成され、影の塊が放たれた。

 影の塊が蠢く触手で這いずる中、

 

「させるわけないでしょ『我が祈りの光よ、影を祓いたまえ』」

 

 背後から唱えられたリノンの詠唱によって光が影の塊を蒸発させた。

 

「……邪魔しないでよ異端者、今から新しい玩具で遊ぶんだから」

 

 まるで子供のはしゃいだ声だ。歪み狂った眼を向けるジギルド司祭にスヴェンは無言で袈裟斬りを放つ。

 竜血石で鍛えられ、竜血石を媒介に魔力で形成された刃が悪魔の張った魔力障壁に阻まれ火花が散る。

 目の前で子供が無駄な足掻きと嗤う。硬く強固な魔法障壁だが、一点に集中された攻撃ならどうか?

 スヴェンは全く同じ位置、箇所に三度ガンバスターを振り抜きーー魔力障壁に小さな亀裂が入る。

 ジギルド司祭の小さな悲鳴が響く。

 同時に理解する。複眼の悪魔は本気で魔力障壁を張っていないのだと。対価を払う気が無い子供を本気で守護する気はないのだと。

 スヴェンが思考を浮かべ身を屈めた瞬間、

 

「そこね」

 

 背後でリノンがクロスボウの引き金を引き、魔力を纏ったボルトが飛来する。

 スヴェンの頭上を超え、魔力障壁の亀裂にボルトが突き刺さった。

 

「亀裂が入った時は驚いたけど、無駄だね。さあてどう遊ぼかなぁ〜」

 

 完全に防いだ、自身を傷付ける術は無いのだと確信を抱いたジギルド司祭が嗤う。

 経験不足、精神性が幼く視野も狭い。なぜ魔力を纏ったボルトをそのままに安心し切っているのか。

 慢心ゆえの油断にスヴェンは呆れ混じりのため息を漏らした。

 

「なんだよ、玩具が息を吐くなよ」

 

 ジギルド司祭は気付いていない。リノンがボルトに仕込んだ魔法陣に。

 

「『光よ、炸裂せよ』」

 

 リノンの詠唱に呼応したボルトの鏃から光のレーザーが炸裂した。

 

「っ!?」

 

 光のレーザーはジギルド司祭の手足を貫き、魔力障壁内部が彼の鮮血で染まる。

 

「い、痛い、痛い! 痛い痛い痛い!」

 

 痛みに堪え切れずジギルド司祭が地面をのたうち回る。

 

「障壁が破れぬなら穴を開け、魔法を内部に撃ち込む……いい連携だ」

 

 複眼の悪魔の絶賛にスヴェンはガンバスターを構え直す。

 まだジギルド司祭は生きている。油断が過ぎる子供だが、様々な勢力を殺し合わせたのも事実だ。

 スヴェンが警戒を浮かべる中、複眼の悪魔が一歩踏み込む。

 

「小僧にいま死なれては対価が貰えぬのでな、これに抵抗されたら我は諦めるとしよう」

 

「『我が眼を眼にし者よ、我が囁き声に耳を傾けよ』」

 

 複眼の悪魔が魔力を解き放つ。

 広間全土が魔法陣に埋め尽かされ、スヴェンとリノンに鳥肌が立つ。

 魔法陣に現れる眼、勘が告げている。アレと眼を合わせればたちまち殺し合いが始まると。

 故にスヴェンとリノンは同時に眼を閉ざした。

 敵を前に眼を閉じるのは危険だが、視覚以外の五感で戦う他にない。

 ガンバスターに再度練り込んだ魔力を纏わせた瞬間、魔法陣から現れた複眼と()()()()()

 眼を閉じてるにも関わらず、眼と眼が合う。

 

 ーーコイツ、瞼の裏に魔法陣を!

 

 そう理解した時には既に遅く、複眼の赤い光りが広がった。



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21-7.違和感

 眼を開けたスヴェンの目前に幼い子供が居た。辺りを見渡せば焼け爛れた戦場の広場だ。

 なぜ自分は此処に居るのか、直前の記憶を探るも記憶に霞みがかかったように思い出せない。

 何か重要な仕事の途中だった。そんな感覚が胸に巣喰い違和感に眉を歪める。

 この胸に宿る違和感を放置して良いものか、スヴェンが考え込むと。

 

「お兄さん、お願いだよ。家族の仇を取ってよ」

 

 涙ぐみながら殺された家族の仇を取って欲しいと訴える幼い子供。

 彼が指差す方向に振り向けば、クロスボウを片手に村人を射抜く赤髪の女性の姿が映る。

 何処かで見た覚えの有る容姿と身なり、戦場の何処かで遭遇した傭兵か。

 それ以前にこの状況が解せない。村人を殺害する女性もそうだが、辺りは焼け爛れ死体の山が築き上げれているにも関わらず炎の温度や蒸し暑さなど感じない。

 おまけに血の臭いが戦場にしては薄過ぎる。

 

 ーー何かの幻覚か、幻覚? 俺はまんまと幻覚にかかってるのか?

 

 スヴェンは試しに子供の頭に手を伸ばすーーすり抜ける子供の頭に眉が歪む。

 

「どうしたのお兄さん、早くあの異端者をやっつけてよ」

 

 なぜ子供は赤髪の女性を異端者と呼ぶのか。デウス・ウェポンの神はデウス神だけだ。

 仮に傭兵の中で極め付けの外道なら外道と呼び、異端者とは呼ばない。

 目の前の子供は何者なのか、スヴェンは相棒のガンバスターを構えーー赤黒い剣身に眉が歪む。

 

 ーー俺の相棒はいつの間にこんな色になったんだ?

 

 相棒の形状が若干違う。何よりも腑に落ちないのは、相棒の剣身パーツと銃身パーツを変更した覚えがないことだ。

 傭兵にとって武器は商売道具と同時に己の身を守るための物だ。それを知らない間に変わっているなど有り得ない。

 そもそも自身が携行している装備の数も可笑しい。戦場に向かう傭兵としてはあまりにも装備が少な過ぎる。

 武器はナイフとガンバスターの二つ、最低限の装備でモンスターが蔓延る戦場を生き残ることなど不可能だ。

 なのに武器はアサルトライフルは愚か予備のハンドガンやヒートナイフも無ければグレネードの携行数も少ない。

 スヴェンは不信感と違和感を抱きながら赤髪の女性に視線を移す。

 クロスボウ一本で村人を射抜く彼女の行動は可笑しい。

 外道と呼ばれる傭兵にもルールは有る。逃げ惑う民間人を無闇に殺害してはならないルールが。

 

「奇妙な状況だ」

 

「何が変なの? 早くアイツを殺してよ!」

 

「……」

 

 この状況では悲痛に訴える子供の声など早速ノイズでしかない。

 そもそも彼女はこちらの存在を認識しながら村人だけを射抜くばかりでこちらにクロスボウを向けて来ない。

 スヴェンは理解が追い付かない状況に眼を瞑り、ふと下丹田から感じた覚えは無いが、なぜか知ってる気がする存在を感じる。

 意識を下丹田のソレに向け、全身に流し込む様に意識を傾ければ慣れ親しんだ様に全身にソレが行き渡る。

 

 --この感覚、何処でだ? 記憶に無いが身体は理解している。

 

 おかしな戦場と子供、村人を射抜く赤髪の女性。そして変わった相棒と下丹田の奇妙な力。

 スヴェンは自身の記憶が抜け落ちていることを加味し、一つ結論を導く。

 何らかの方法で幻覚を見ている。しかも訴えかける子供は赤髪の女性を殺させたいようだ。

 つまりこの子供が敵なのだと結論付けたスヴェンは、問答無用で子供にガンバスターを薙ぎ払う。

 上半身から下半身にかけて斬り裂かれた子供が困惑と戸惑いの表情を浮かべながら消えていく。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンがハッと眼を開けば、忌々し気に睨むジギルド司祭と歓喜している複眼の悪魔の顔が映り込む。

 

 --確か瞼の裏に展開された魔法陣をまともに見てしまったんだったな。

 

 直後の記憶を思い出したスヴェンはリノンに視線を向ける。

 

「戻ったようね、1分近く幻覚に囚われてたみたいだけれどわたしが判る?」

 

「あぁ、アンタはアトラス教会のシスター・リノンだ。で、敵はクソガキと悪魔だろ」

 

「正解よ。でもまさかあんな方法で強引に魔法を仕掛けてくるなんて思わなかったわ……危うく貴方を背後から撃ち抜くところだったのよ」

 

「そりゃあ危ねえところだったな……アンタはどうやって気付いたんだか」

 

「わたし? わたしは心の自分の訴えに耳を貸しただけよ。スヴェンは敵じゃないってね」

 

 それは直感の類いだろうか? いずれにせよ殺し合いが始まった状況にも理解が及ぶ。

 複眼の悪魔による魔法が原因だったのだと。

 眼を合わせた瞬間、対象は幻覚に囚われ味方を敵として認識し殺し合わせる。

 タチの悪いことに眼を閉じようが防御不可能の魔法だ。複眼の悪魔が本気で殺すつもりなら恐らく違和感など感じさせなかったのだろう。

 

「悪魔、どういうこと? どうして殺し合いが始まらないんだよ!」

 

「事前に小僧が払った対価が底を尽きたのだ、直前に張った魔力障壁でな」

 

 既にジギルド司祭を護る魔力障壁は無い。いつの間に消えたのか、そんな疑問が過るが殺すなら今だ。

 スヴェンはジギルド司祭に向けて銃口を向けた途端、

 

「もういい、しばらく身を隠すことにするよ。だから悪魔、ぼくの寿命を対価にそこの2人を酷くたらしく殺し、玩具に作り替えろ」

 

 ジギルド司祭が寿命を対価にそんな命令を言い放つ。

 警戒心からリノンとと共に複眼の悪魔に武器を向ける。しかし複眼の悪魔は拍子抜けするような間抜けな表情で、

 

「寿命が足りぬ。小僧の寿命では足りぬよ。それほど小僧との力量差が有り過ぎる」

 

 まだ幼いジギルド司祭の寿命では足りないと通告した。

 単に複眼の悪魔がジギルド司祭が気に食わないから難癖を付けている様にも聴こえるが、複眼の悪魔に動く様子が無ければ最早敵意すら感じられない。

 

「……ぼくの寿命でこの2人から永遠に逃すことは?」

 

「可能では有る。2()()()()()()()()()()()()()()()

 

「寿命を対価にぼくを逃がせ」

 

「承知『汝の寿命を代償に、かの者らから遠ざけよ』」

 

 複眼の悪魔が唱えた詠唱、ジギルド司祭の口から白い光りが抜け出し--複眼の悪魔の口に吸われていく。

 アレが寿命なのだと理解したスヴェンはガンバスターの銃口をジギルド司祭に向け、引き金を引く。

 銃口から放たれた.600LRマグナム弾がジギルド司祭の目前に迫るも--銃弾が捻じ曲がった空間に吸い込まれ消滅した。

 おまけにジギルド司祭の姿も空間と共にこの場から姿を消してしまう。

 気配を探れば遠くの方向から複数の気配が、そしてその近くにジギルド司祭と思われる気配を感じる。いずれにせよ此処からでは遠く到底追い付けないだろう。

 

「チッ、逃げられたか」

 

「追いかけてもわたしとスヴェンではもうジギルド司祭を害せないわ」

 

 先程のジギルド司祭の言葉、確かに寿命を払う代償に見合う内容では有る。

 だが、複眼の悪魔の解釈次第では他の脅威から意味を成さない契約にも聴こえる。

 

 --ああ、なるほど。俺とリノンではどう足掻いてもジギルド司祭は殺せないが他には可能だ。

 

 ジギルド司祭は影の魔法と複眼の悪魔が厄介で、彼単体ではそう脅威にはならない。

 そもそも遊ぶことばかり気を取られている限りジギルド司祭の寿命はもう長く無いだろう。

 スヴェンはそう理解しながら静かに問い掛ける。

 

「悪魔、アンタはどうするつもりだ?」

 

「小僧が死ねば我は地獄に還る。ただそれだけのことよ」

 

 静かに穏やかな口調で語る複眼の悪魔が眼を細め、突如身体が消えかけた。

 

「ほう、存外早かったな」

 

 それはジギルド司祭の死を暗示しているのか、複眼の悪魔は愉悦が宿った眼差しでほくそ笑みながらこの場から消えた。

 その場に残されたスヴェンとリノンは、互いに顔を見合わせ息を漏らす。

 どうにも不完全燃焼だ。既にリーシャはシルフィード騎士団とエルナ達によって救出されているはず、この国で残された仕事はもう無い。

 そう理解したスヴェンはまだ国内の何処かに居るアシュナを思い浮かべ、

 

「あ〜次は行方不明中のガキ捜索か?」

 

 何処に居るのやら。そうぼやくスヴェンにリノンが静かに語り掛ける。

 

「忙しいのね。無事に生き残ったのだから約束は忘れないように」

 

「村に戻るまでが仕事だ」

 

「そうね、ジギルド司祭の死体も確認したいわ」

 

 確かに複眼の悪魔は立ち去ったが、ジギルド司祭が確実に死んだという保証は無い。

 スヴェンとリノンは最後にジギルド司祭の気配を感じた方向に進み--スヴェンは広場に残された祭壇と大規模魔法陣に後ろ髪引かれ足を止めた。

 

「あの魔法陣と祭壇は如何する?」

 

「ちょっと規模が大き過ぎるのよね。それに邪神教団に伝わる秘術みたいだから解析と解体にはアトラス教会の動員が必要なのよ」

 

「なるほど、この件は姫さんにも報告を入れておくが対応の方は専門家に任せる」

 

「はぁ〜帰っても此処に戻ることになるって考えると転移魔法の使い手が欲しいわぁ」

 

 確かに片道三日で辿り着くこの場所に往復は面倒だ。

 スヴェンは項垂れるリノンを横目に、帰路に付くのだった。



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21-8.末路

 身体が重い、足が鉛のように重い。ジギルド司祭は視界が汗で遮られる中、ユグドラ空洞の壁に手を付き息を荒げた。

 

「お、おかしい……たいした距離を走って、ない。な、のに」

 

 異常な疲労と空っぽになった下丹田。魔力が枯渇するほど魔法を使った覚えはない。

 ましてや先程の戦闘で魔力はあまり使っていなかった。にも関わらず魔力が底を尽きた。

 二人、片方はアトラス教会のシスター。そしてもう一人の男に使った魔法は一つだけ。

 ジギルド司祭は壁に寄り掛かりながら大きく息を吸い込む。

 乱れた呼吸を整え、記憶を振り返る。

 此処まで異常な疲労感に襲われてる原因が何か。それは少し記憶を探れば判ることだった。

 複眼の悪魔との契約、二人から逃すために自身は寿命を差し出した。

 

 --疲労と底を尽きた魔力、寿命と関係ある?

 

 思い当たる節は複眼の悪魔との契約だが、ジギルド司祭はソレと疲労は結び付かないと考えた。

 まだ十代前半、対価として寿命を払ったにしても支障はない。

 ジギルド司祭は単に慣れない環境で体調を崩したのだと考え、自身の手に視線を落とす。

 骨と皺だらけの皮、それはまるで老人のような手がそこに有った。

 これが自身の手だと言うのか? ジギルド司祭は困惑と焦りを宿しながら自らの手を左右ち動かす。

 皺だらけの手が左右に動く--ぼく、の手だ。

 寿命、異常な疲労感と底を尽きた魔力。因果関係など無い。そう考えていたが、そうじゃない。

 真実は自身の想定以上に残酷で、未来の枢機卿候補たる自身の先が闇に染まる。

 寿命を対価に払った結果、複眼の悪魔はジギルド司祭が払うと考えていた数時間分の寿命よりも何倍もの寿命を吸っていた。

 そして本人が気付かない内に身体は老化し、いまなお朽ち果てようとしている。

 残酷な事実にジギルド司祭は頭を抱えその場に蹲った。

 

「うそだ、うそだぁ。まだぼくはお気に入りの玩具も、邪神様の包愛すら受けてないのに、こんなのウソダァ」

 

 老化という事実にジギルド司祭は譫語のように現実を否定した。だが幾ら否定しようとも支払った寿命が戻って来ることはない。

 閉じた未来。突如起こる動悸と点滅する視界、ジギルド司祭は覚束無い足取りで歩き出す。

 

 --こ、こんなことで死ねない! 

 

 まだ生きるっと足を引き摺るように歩くジギルド司祭の前に一団が姿を現した。

 

「うん? こんな場所に老人……いや、邪神教団のフードってことは信徒ってことだな」

 

 戦斧を抜刀するゴスペルの右腕を束ねる頭目がジギルド司祭を睨む。

 今はこんな連中にすら満足に戦えない。ジギルド司祭はかつて信徒が向けた自身に向けた媚びた眼差しを彼らに向ける。

 屈辱と煮え繰り返る憤怒を胸の奥底にしまいながら。

 

「わ、わしはただの貧乏人じゃ。これは落ちてた物を拾っただけで……どうか命だけはぁ!」

 

 人身売買を生業とした連中でも枯れ木のように弱った老人を痛ぶる趣味はないだろう。

 ジギルド司祭は頭目に視線を向けると、

 

「何が貧乏人だぁ? 舐めるなよガキ、俺達はずっとジギルド司祭の気配を追ってたんだからなぁ!」

 

 彼の怒号と共に腹部に強烈な痛みが走る。

 息を吸うことすら忘れてしまう激痛、老体にとって大の大人の蹴りは非常に危険だ。

 ジギルド司祭はあまりにも強烈な痛みにその場で疼くまり、命乞いをするべく顔を上げると--振り下ろされた戦斧が視界に映り込んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンとリノンはバラバラに解体された老人の遺体に眉を歪めた。

 寿命を対価に複眼の悪魔と契約した者の末路、それ以前に人を殺し合せ玩具で遊ぶように弄んだ彼の業の結果。

 しかしスヴェンはその光景を目にはしていない。外道の末路は大概だが、少年だったジギルド司祭は老化によって恐らく老衰間近だった。

 老衰間近で荒々しく、怒りと報復をその身に刻まれ死んだ。

 恐らくコレをやったのはゴスペルの右腕だろう。だが、彼らの復讐を咎め否定する権利など誰にも無い。

 彼らも復讐の結果、得られる一時的な達成感と一種の虚しさに苛まれるだろう。

 

「これも外道の末路か」

 

「責めてわたし達の手で綺麗なままに終わらせてあげるべきだったかしら?」

 

「少なくとも俺には無理だな、人体を損壊させた殺し方か圧死させるか斬り刻むぐらいしか方法が思い付かねぇ」

 

「……いずれにせよ彼は死の間際、後悔したのかしら?」

 

「さあな、外道ってのは大概自分勝手なもんだ。基本過去の行いなんざ棚上げだ……まあ、稀に自身の業に納得しながら満足気に死ぬ奴も居るがな」

 

 少なくともデウス・ウェポンの傭兵には後者の傾向が多い。

 スヴェンはバラバラにされたジギルド司祭の横を通り抜ける。

 

「いずれにせよ懸念の邪神教団の司祭が1人死んだんだ、姫さんも多少は安心だろうよ」

 

「……少し手伝って貰えるかしら?」

 

 そう言ってリノンはジギルド司祭の遺体の前に腰を屈めた。

 

「何を手伝えば良い?」

 

「地底湖の周りに土が有ったでしょ? そこに彼を運ぶのを手伝って欲しいのよ」

 

 彼女は死んだ野盗をわざわざ埋葬していた。それに一体なんの意味が有るのか判らないが、ジギルド司祭の遺体が利用されないとも限らない。

 そう判断したスヴェンは何も言わず、血に濡れバラされたジギルド司祭を一箇所に集めてから持ち上げた。

 

「ありがとう、埋葬してから結界で処理を施すわ。それで遺体の利用は防げるはず」

 

「司祭の遺体でも邪神眷族の器にできんなら対策した方が賢明だな」

 

 その後スヴェンとリノンは一旦来た道を引き返し、ジギルド司祭を埋葬してから地上に向けて歩くことに。



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21-9.帰還と安息のひと時

 八月二十七日。エルソン村の魔法時計が十五時を指す頃、スヴェンとリノンは村の入り口に到着していた。

 リーシャ救出を祝した祭り騒ぎがエルソン村中に響き、村人の歓喜した声にリノンが胸を撫で下ろす。

 

「これでこの国の問題は解決かしらね」

 

「あの魔法陣を解体、邪神教団や野盗の討伐が完了するまで気は抜けねえだろうな」

 

 決して油断はできない。死者の魂と怨念を集めるあの大規模魔法陣が儀式に使用されるのは素人目でも判るほどだ。

 つまりそこから導き出される推測は、既に邪神教団が封印の鍵の回収に向かっているということ。

 あくまでも推測の範疇だが、この件をセシルに報告する必要が有る。

 

「セシルと連絡を取りたいけれど、彼は魔道念話器を持ってないのよね」

 

「エルソン村にはシルフィード騎士団の詰所なんざ無かったか。一先ず宿部屋に戻ってエルナ達の行き先を調べ……」

 

 宿部屋に戻るべく足を向ければ、トマトの串焼きを両手にこちらに駆け出すラウルの姿にその必要は無かったっとスヴェンとリノンは顔を見合わせ、彼女はラウルの子供らしい一面に小さく笑った。

 

「アニキ! リノン! 帰って来たんだな!」

 

「おう、アンタは随分満喫してるようだが2人はどうした?」

 

「向こうの広場でエルナとロイなら出物を観てるよ」

 

 スヴェンとリノンはラウルの先導に従って広場へ向かった。そこでピエロが披露する魔法を眺めるエルナとロイに三人は近寄る。

 

「あ、お兄さんとお姉さん……帰って来たってことは終わったって認識で良いのかな?」

 

 察しの良いエルナにスヴェンは酸味な様子を見せた。確かにジギルド司祭は死んだが、まだ連中の企みを阻止したとは言えない。

 エルナはこちらの表情である程度察した様子を見せ、

 

「スヴェン、実は俺達の方でもセシル部隊長に進言して来たんだ。もしかしたら王族同士の婚約騒動も封印の鍵を捜し出す目眩しかもしれないって」

 

 ロイがこちらにだけ聴こえる声量で耳打ちした。

 元邪神教団としての違和感からあり得る可能性を潰すために動いていた。自分達で考え出した結論にスヴェンは何も言わず、むしろ現状で取れる最適解に対して舌を巻く。

 

「報告の手間が省けたな……こっちでも大規模魔法陣を発見したが調査、解体はアトラス教会に任せることにした」

 

「それが良いと思うよ。儀式用の魔法陣って素人が手を出すと痛い目に遭っちゃうから」

 

「うーん、立ち話も何だし酒場でご飯を食べながら話さないかしら? 実は結構お腹空いてるのよね」

 

 確かにここ六日間は獣肉の干し肉で済ませ、満腹感の少ない食事ばかりだった。

 空腹に襲われるのも当然で腹が空腹を告げるのも無理もないことだ。

 

「良いよ、物珍しさで出物を観てたけど……うん、ピザが食べたいなぁ〜」

 

 仕事の達成にまた美味いピザを食す。そこにパルゼン酒造場産の酒でも合わせれば幸福が訪れるのは明白。

 スヴェンはエルナの提案に同意を示し、いつもの酒場に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 酒場のテーブルに並ぶ人数分のピザ、スヴェンとリノンは赤ワインに一口呑み。

 

「そういえばアニキ、シャルル王子と会ったんだけどさ……人って拳で大地を破れるんだな」

 

 静かにラウルの話に耳を傾ける。

 

「ん? まあ可能だが、身体強化魔法の応用か?」

 

「いや、ただの拳だった。魔力も纏わずの」

 

「……王族ってのは技巧派つうか、技術面に長けた印象が有ったんだがやっぱ人それぞれ違うってことか」

 

 シャルル王子とはまだ一度も会ったことは無いが、スヴェンは彼の容姿を少しだけ想像した。

 菜食主義の国、自然に囲まれて育ったシャルル王子は細身で大地を破れるほどの拳を放てる。

 見た目と筋力はイコールではない。だからシャルル王子も見掛けとは裏腹に力が強いのだろう。

 スヴェンはピザを口に運びラウルの興奮し切った声に耳を傾ける。

 

「それでな! シャルル王子の怒声……あ、あれはもう咆哮の域で空気が震えたんだ。人って鍛えればそんなこともできるんだな」

 

「……肺活量が凄えのか」

 

「おお、到底信じられないような話なのにお兄さんは信じてくれてる!」

 

 ラウルの眼は純粋だ。そこに嘘など含まれず、眼にした事実だけを口にしているのは明白だ。

 だからこそスヴェンは何も疑わず腹を満たしながらラウルの言葉に耳を傾け、時折相槌を打つ。

 そんな様子が不思議だったのかリノンが、

 

「貴方は子供には優しいのね」

 

 そんな事を意外そうに呟いた。

 

「あ? 別に優しくはねえよ、これは普通の対応だ」

 

「お姉さん、お兄さんは普通に私達を投げ飛ばすんだよ」

 

「寝てるスヴェンは特に酷い」

 

 安眠を妨害する方が悪いと言いたいが、これは身体に染みた癖であり決して消せないものだ。

 睡眠中でも周囲を警戒し身体を休める。これが出来ない傭兵は高確率で死ぬ。

 それだけ戦場に安堵など無い。安堵は無いが、やはり戦場こそが自身の居場所なのだ。

 

「投げ飛ばされる光景が眼に浮かぶようだわ」

 

 スヴェンは思考の傍ら赤ワインを飲み、四人の会話を耳に黙々とピザを食べーー不意にリノンと眼が合う。

 向けられる柔かな笑み、何処か安心したような安堵の視線にスヴェンは一瞬だけ手を止めーー彼女は彼女だと意志を曲げず、ピザを食べる手を再開させる。

 向けられる感情や視線よりも目の前の幸福を味わうのが今のスヴェンにとって得難い時間なのだから。



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21-10.スヴェンとリノン

 月明かりと星々がエルソン村を照らす中。

 スヴェンは大木の根に腰掛け、今後のシルフィード騎士団の動きや残存する敵対勢力の討伐について思案していた。

 既にエルナ達が打った対策とセシル達の行動の速さ、何よりも柔軟で軽いフットワークは何処ぞの腰の重い国連とは大違いだ。

 テルカ・アトラスに召喚されて四ヶ月余り、時間の流れが同じなら覇王エルデは企業連盟の一角を落としている頃合いか。

 それとも時間の流れが違い、こちらの想定以上に彼女の進軍が進んでいるなら企業連盟が落とされていてもおかしくは無い。

 もしも戻った時、戦争が無くなっていたら。戦場でしか生き場所のない自分は何処へ行き何をすれば良いのか。

 

「……先の事なんざ考えても仕方ねえか」

 

「将来を見据えるのは良いことよ」

 

 声の方向に視線を向ければ、シスター服からラフな服装に着替えたリノンがこちらを覗き込んでいた。

 なぜわざわざ着替えたのか、そんな疑問をグッと飲み込んだスヴェンは隣を空ける。

 迷う事なく隣に座ったリノンは、

 

「今のデウス・ウェポンはどんな状況なの?」

 

 取り繕うこともなくそんな質問を。

 まだ話していない自身が暮らしていた異世界の名と状況、それを迷う事なく質問した彼女にスヴェンは視線を向ける。

 疑わずにはいられない。例え単なる瓜二つの思わせ振りな女性だとしても、彼女がデウス・ウェポンのリノンの記憶を持っていることを。

 

「……俺はアンタにデウス・ウェポンの存在を口にした覚えはない筈だが?」

 

「あ〜そうだったわね。……うーん、これはわたしが話したいことと直結しちゃうんだけど、落ち着いて聞いて」

 

 戸惑いと言葉を選ぶリノンにスヴェンは頷く。

 

「わたしは確かにこの世界、テルカ・アトラスの生まれだけど5歳の頃かな。デウス・ウェポンのリノンの魂がわたしと混ざり合ったのは」

 

 リノンから告げられた言葉。それは困惑を与えるには充分なものだった。

 殺した筈の相棒(リノン)の魂がリノンと混ざり、そして記憶を共有している。

 自身が彼女を殺した瞬間の記憶、共に戦場を駆けた記憶も。

 困惑と滅多に鳴らない鼓動が激しく高鳴る。

 

「……冗談だろ」

 

 自身の戸惑いを隠すためにそう告げればリノンは違うと首を横に張った。

 

「冗談じゃないのよ。いや、まあ急に言われても信じられないわよね……うーん、何か証拠になることは」

 

 人差し指を顎に添えるリノンにスヴェンは無性に嫌な予感に駆られた。

 殺したことを咎められるのか、それは別に罵られても仕方ないことだと割り切れるがーーどう受け止めるのが正解なんだコレ?

 記憶を共有しているリノンに喜ぶべきか、それとも彼女の記憶を勘違いだと否定するべきか。

 どう対応するべきか適切な判断が浮かばず迷うスヴェンに彼女は思い出したように、

 

「あっ! ホテルで一夜を共に過ごしたわ!」

 

 そんなことを平然と口走った。

 以前に相棒(リノン)に求められ肉体関係を結んだことも有った。

 あの性悪な女が一方的に求める行為とは違うが、かといって受け入れたかと問われればそれも違う。

 向けられるあの感情がスヴェンにとっては得体の知れないもので未知のものだった。自身の何かに変化を齎しかねない猛毒のような何か。

 戦場を求める自分が変わってしまいそうなあの感覚は今でも恐くて仕方ないものだ。

 同時に理解する。リノンは間違いなく彼女の魂と混ざり合い記憶を共有しているのだと。

 納得せざる得ない事実だ。だからこそ問うべきだ。

 

「……理解した。アンタがアイツの記憶を持ってるってことは、俺が最後にしたことも覚えてんだな」

 

「えぇ、ウィルスによって化け物になり掛けたわたしを貴方が殺してくれたこともね」

 

「あの時、使えるワクチンは一本だけ。俺も感染し肉体細胞の変異が起こっていたが……アンタも投与すれば助かる筈だった。なのに何故だ? なぜ俺を生かす真似をしたんだ」

 

「決まってるわよ。わたし、いえ、彼女は貴方を愛してたからよ」

 

 愛などという不確かな感情で自身を生かすことを選んだ? たかが一種の感情のために自らの死を選んだと言うのか。

 

「愛だとか、んな感情のためにか」

 

「愛情を知らない貴方が困惑するのも戸惑うのも無理はないわね。けど好きな人に生き残って欲しいと願うのは間違いかしら?」

 

「……他人が向ける愛情だとかそんな感情は表面でしか、見た情報を繋ぎ合わせてなんとなく察してるだけで理解してる訳じゃねえ。アイツがんな感情を向けて来ることにも正直戸惑いと困惑ばかりだった」

 

 スヴェンは眼を瞑った。考えをまとめるために。

 結局のところリノンが自身を生かしたのは、好意の対象だったから。それは理解しよう。

 だが、そんな感情を向ける相手に殺しをさせるのはーースヴェンは言葉に詰まった。

 戦場に向かう傭兵が時に友人と殺し合うのも、恋人同士で殺し合うのも常だったからだ。

 それが自身にも訪れていただけのこと。しかし相棒(リノン)を異性として見るかと問われれば、それもまた違う。

 スヴェンにとってリノンは肉体関係を結ぼうとも、戦場を共に駆け巡り命を預け合うに相応しい相棒だ。

 相棒は何処まで行っても相棒。単に自身の欠落した感情と感性がリノンが抱く好意を受け止められないだけかもしれないが。

 スヴェンは眼を開け、改めてリノンを見る。 

 紅い瞳に映るのはテルカ・アトラスで産まれたリノンだ。もうかつての相棒(リノン)は自身にとっての死者でしかない。

 

「あ〜あの時の俺が生き残った理由は理解したが、アンタも記憶にあんま引っ張れ過ぎるなよ。今の人生はアンタのもんなんだからよ」

 

「スヴェンって不器用で真面目よね。瓜二つのわたしと彼女を明確に分けて見てくれてるのは嬉しいのだけど、それでもわたしは彼女と混じり過ぎてるのよ」

 

「……俺に如何しろと?」

 

「うーん、時折り連絡を取り合って欲しいの。それでたまに時間が合う時には出掛けたり、ね」

 

 リノンはどっちの感情を優先してるのだろうか? 同一の存在だから抱く感情も同じなのか、それとも単に記憶に引っ張られ過ぎた影響なのか。何方かは判らないが、同じ世界を知る者との会話は良い息抜きになるのは間違ない。

 

「俺にも息抜きは必要だからな、時間が合えばアンタに付き合うさ……ま、依頼が無ければの話だがな」

 

「スヴェンの職場に転職しようかしら?」

 

「辞めとけ、俺は3年経てばデウス・ウェポンに帰んだからよ」

 

「折角恵まれた環境、美味しいご飯ばかりのテルカ・アトラスに召喚されたのに帰っちゃうの?」

 

 それだけテルカ・アトラスは誘惑が多過ぎる。それこそ長いし続ければ傭兵としての自分が死んでしまう。

 それは傭兵以外に生きる道を知らないスヴェンにとっての耐え難い死、完全な死だ。

 

「俺は傭兵で外道だ。一つの存在が与える影響ってのは存外微々たるもんだが、俺はこの世界に戦争を持ち込みたくはねえ」

 

 これは紛れもない本心だ。国家間同士の戦争が無い世界に部外者が悪影響を及ばして良い筈が無い。

 それに以前から答えは変わらないが、やはり自分自身はこの世界にとってノイズの一つに過ぎない。だから傭兵としてあるべき場所に戻るのが互いのためだ。

 

「やっぱり戦場が貴方にとっての居場所なのね。うん、相変わらずバカで安心したわ」

 

「あぁ、俺はバカなんだよ」

 

 自嘲気味に笑い、それに対してリノンが笑い出す。

 やがてスヴェンは彼女の笑みに釣られるように笑った。

 たまにはこういう不思議な関係も悪くは無い。

 だからこそ彼女には一生を真っ当に生きて欲しい。今度は外道に殺されない人生を。



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第二十二章 泡沫の平穏
22-1.走る者


 苦しい。息が荒い、肺がはち切れ足の血管が切れそうだ。

 一人の信徒がポケットに入れた漆黒の指輪を大事そうに追手から逃げていた。

 大木の枝を足場に移動し、すれ違い様に邪神教団の信徒を射抜くシルフィード騎士団の騎士。

 そして魔法が隣を走っていた同胞の胸を貫く。

 また一人、邪神の下に招かれた。信徒の一人として贄になる同胞が羨ましい。

 背後に迫る死神、自分も信徒として邪神の贄になりたい。

 しかしそれは今では無い。あの残忍でクソタレなジギルド司祭が命じたのだ。ユグドラ空洞の最下層に封印の鍵を持って来いっと。

 

 ーーやったぞ、クソガキ! 俺達は封印の鍵を奪取したんだ!

 

 信徒は背後から迫る魔法に対し、ユグドラ空洞の入り口に飛び込む。

 そして最大の魔力を込めて詠唱を唱える。

 

「『岩よ、壁となり我を護る鉄壁となれ』」

 

 硬質化した岩の壁が出入り口を塞ぎ飛来した魔法を防ぐ。

 まだ外に同志が残っているが彼らも覚悟の上だ。

 信徒は走り出す。壁越しから響く惨殺の音を背に。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 信徒は走りながら今回の一件について思考していた。

 誘拐したリーシャの生命を盾にシャルル王子との婚約破棄、そしてレーナと婚約を結ばせミルディル森林国とエルリア魔法大国を争わせる。

 そして混乱に乗じて封印の鍵奪取、ヴェルハイム魔聖国の過激派同志を支援することが目的だった。

 しかし状況が変わった。北の国境に攻め込んだシルフィード騎士団がラオ副団長率いるエルリア魔法騎士団に阻まれ撤退に追い込まれたーー騎士団同士の武力衝突、教団が思い描いた殺し合いにはならず。かと言って一方的な蹂躙でも無い。そう、あれはまるで訓練を付けるような、そんな戦いだった。

 そんな光景を目にしたジギルド司祭はリーシャを連れて潜伏しつつ封印の鍵奪取を目論んだ。

 信徒は一度思考を止め、息を切らしながら壁に寄り添う。

 

「す、少し休まなければ」

 

 ジギルド司祭に封印の鍵を渡せば用済みとして始末されるだろう。

 同志も彼が契約した悪魔の力によって同士討ちさせられるのは明白だ。

 普通なら狂ったジギルド司祭に従う理由など無いが、邪神復活に一歩近付くなら構わない。

 信徒にとって邪神復活の為に手足として働き死ぬことさえ本望だからだ。

 その死は決してあんな狂った子供のためにじゃない。邪神の糧として役に立つ為だ。

 信徒は呼吸を整えながら眼を瞑った。疲労した身体を癒しまた走り出す。

 封印の鍵がジギルド司祭の手に渡った瞬間、邪神眷属が解放され、儀式魔法陣を彼が完成させることで封印の鍵に封じられた邪神の一部を解放できる。

 邪神眷属の復活を目にすることは敵わないが、やはり邪神の復活を思えば後悔の念も湧いてこない。

 しかし懸念事項が有る。ジギルド司祭は邪神の贄が増えると喜んでいただけだが、彼は司祭だろうとも精神的に未熟な単なる子供だ。

 

「……計画通りとは行かなかったが、野盗は何処で噂を聞き付けたんだ? それにゴスペルだって何処であの件を知ったんだ? それにリーシャを連れ出した穏健派が妙に大人しい」

 

 現にシルフィード騎士団に混じってゴスペルにも襲われている。

 そしてリーシャを連れ出した穏健派の信徒が行動を起こさないのも奇妙だ。

 間違いなくこの国には穏健派を指揮する司祭が居る。エルロイ司祭なら最悪だ、誰にも勝ち目が無い敵など誰が好き好んで相手にするか。

 ただ司祭が出張って来るならそのまま封印の鍵に触れさせるだけで邪神眷属の器になる。唯一凡庸な信徒が司祭を出し抜けるとしたらその一点のみだろう。

 信徒は考え込みながら歩みを再会させ、事前に仕掛けていた魔法陣を起動させる。

 複数存在するユグドラ空洞の出入り口、そこから少し離れた壁に仕掛けた教団の者にしか認識できない魔法陣が同時に出現する。

 そして魔法陣が空間の穴を開き、信徒は最下層の儀式の間に飛び込んだ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 渦巻く死者の魂と人骨で作った祭壇、辺りをいくら見渡せどもジギルド司祭の姿が無い。

 基本的にこの場から動くことの少ないジギルド司祭が侵入者を玩具にするために離れたのか。

 彼なら退屈凌ぎにそうすることは明白だが、地面に付着した血痕が信徒に焦りを齎す。

 

「だ、誰の血だ? それに悪魔の気配が無い?」

 

 この場にジギルド司祭と共に居る筈の複眼の悪魔の姿も気配も無い。いや、それどころか複眼の悪魔が放つ魔力がユグドラ空洞から感じられないのだ。

 ジギルド司祭の気紛れでユグドラ空洞を離れてるならまだ良い。

 寧ろ問題は、万が一にでもジギルド司祭が殺されていたら? アイラ司祭のみならずジギルド司祭までも殺されていたら邪神眷属の器が足りなくなる。

 次の司祭選定がいつ始まるのかも判らない状態に信徒は焦りに駆られ、その場を駆け出した。

 そして必死に通路を走り、やがて地底湖に出た信徒は盛り上がった土と打ち立てられた十字架に足を止め。

 

「……ふ、封印結界だと?」

 

 アトラス教会が得意とする封印結界、死者を利用する魔法に対する妨害魔法が誰かの墓に使われている。

 そもそもこんな墓は最初に訪れた時には無かった。信徒が墓を掘り起こそうと近付くも、封印結界に身体が弾かれる。

 

「くっ、なんて結界だ。これではジギルド司祭の安否を確かめられないではないか!」

 

 これでは何のためにジギルド司祭に従って来たのか。全ては邪神復活のため、それが近付いたと思えば遠去かる。

 どうにかしなくては。自身の生命を代償にしてでも封印の鍵から邪神眷属だけでも解放しなければ。

 信徒は虚の眼で使命に取り憑かれたように儀式の間に歩んだ。

 彼の様子を複眼の悪魔が愉悦に満たされた眼差しで覗き見てることにも気付かず。

 



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22-2.到着する者

 九月一日、晴れ渡った青空の下に響く住人達の賑やかな声。レイ小隊長とミアを含めた五名の護衛を連れたレーナはミルディル森林国の市民の喜ばしい声に安堵していた。

 荷獣車の窓から覗き見たミルディル森林国の光景とハーブを奏で歌う演歌家達の姿にレーナは笑みを零す。

 話しは特殊作戦部隊の子供達から道中で報告を受けていたが、こればかりは実際に眼で見て耳で聴かなければ判らないことが多い。

 

「想定以上に事が上手く運んだのね」

 

「えぇ、スヴェンが居たおかげでしょうか」

 

 確かにエルリア王家はスヴェンに依頼を出し、彼はそれを請けた。元邪神教団のエルナとロイ、そして元野盗のラウルの三人を連れて。

 広大な土地にユグドラ空洞の複雑さ、邪神教団相手に奇襲を仕掛けるにも少々骨が折れる。

 国境から最も近いエルソン村を拠点に周辺に潜む邪神教団、野盗を制圧したとしてもミルディル中心部に移動するにはそこそこの日数もかかる。

 恐らく最短で事が片付いたのは、シャルル王子がシルフィード騎士団を指揮し事前に市民に協力を仰いだ結果なのだろう。

 

「違うわね、恐らくシャルル王子やカルトバス森王が動いた影響も有るわ」

 

「あれですか? ジルヘル関所で聞いた国境閉鎖の件ですかね」

 

「えぇ、私達の入国と同時に一時的な国境閉鎖。これで野盗は容易に入ることも出ることも出来なくなったわ」

 

 野盗だけでなく邪神教団もだが、彼らの侵入は注意深く国境を警戒していてもいつの間にか侵入されている。

 後者に関しては国内の拠点と転移魔法陣を潰さない限り抜け道として利用されるだろう。

 むろん自身が気付いたことにシャルル王子が気付かない筈が無い。既にシャルル王子はシルフィード騎士団に命じて邪神教団掃討作戦に移ってる頃だ。

 

「逃げ場の無い包囲殲滅戦……」

 

 何処か上の空で呟くミアにレーナは顔を向けた。

 彼女が気掛かりなのは、やはり行方不明のアシュナのことだ。悲報とも言える報告に最初は間違いで有って欲しい。

 そう願わずにはいられなかったが、報告は確実で間違いのない事実。だがレーナにはアシュナが生きてると予感に近い確信が有る。

 だからと言って楽観も出来なければ、ミアが彼女を心配する気持ちも痛いほどに判る。

 

「ミア、今は捜索部隊とスヴェンに任せましょう」

 

 今の自分にできることは特殊作戦部隊の人員を割き、スヴェンにもアシュナの捜索を頼むことぐらいだ。

 

「……そう、ですね」

 

 元気が取り柄とも言えるミアがここ数日大人しめなのもきっとアシュナの件も有るが、

 

「ふむ、キミがここまで大人しいと明日は嵐かな」

 

 ハリラドンに騎乗したレイの言葉にミアは素っ気ない態度で適当に『あ、そうですね』と返すばかり。

 以前は少なくともレイに対する対応は、魔王救出の旅に出る以前は此処まで酷くなかった。

 そんなミアの様子にレイは気に留めた様子も無く周囲に警戒を向けるばかりだ。

 これは護衛される側としても、何よりも二人の故郷に対して解決の目処が立ってない王族としても居心地が悪い。

 

「ええっと、ミア? 最近妙に大人しいけれど具合でも悪いの?」

 

「え? 体調は万全ですよ。それに大人しくしてるのもレイに澄ました顔で突っ込まれるのが癪なだけですし」

 

「言われてますぜ小隊長殿」

 

「好きに言わせておけば良いさ」

 

 若干の空気の重さは有るが、どうやら致命的に拗れてるわけでも無さそうだ。

 二人の様子からそう判断したレーナは思案した。

 

 ーーミアが打診した故郷を救う方法、確かにスヴェンなら時獄を突破することは可能ね。

 

 あの結界を通れるのは結界展開時から過去に存在しない者のみ。

 つまり三年前に展開された時獄を通れるのは0歳から3歳の幼子、それ以前の時間軸に存在していなかった異界人だけ。

 だが人を単体で何の道導も無しに時獄内部に侵入させた前例が無い。前例が無い以上はスヴェンを突入させる判断に迷うが生じる。

 彼に限らずレイの目論み、十数年後に育つ騎士の部隊導入。そちらも決して無視できないことや時獄に囚われた人々の生命保証、人命に犠牲が出ると想定すれば中々議会でも容認できない問題だ。

 故郷の解放、二人の目的は同じなのだが過程の違いからミアとレイはすれ違ったままだ。

 

 ーー責めて過去からメッセージが届けば良いのだけど。

 

 レーナがそこまで思案すると、ハリラドンが牽引する荷獣車がゆっくり速度を緩めやがて静かに停まった。

 

「姫様、ミア。エルソン村に到着したぜ」

 

 窓越しから告げるリジィにレーナとミアの二人は立ち上がり、荷獣車から降りる。

 その際にレイの差し出した手を掴み地面に足を付けると、木々から漂う樹液と蜂蜜の匂いが漂う。

 

「3年振りのミルディルになるわね……ゆっくり観光でもしたいところだけれど」

 

 まだ邪神教団の掃討が終わったという話しは聴いていない。それに偽りの見合いをする必要は無くなったが、こちらの入国は既に邪神教団に漏れてる。

 追い詰められた彼らが狙いをこちらに定めるならそれはそれで構わない。

 いや、既にエルソン村に侵入してる彼らの気配を感じーー邪神教団の気配を感じたが、それは一瞬のことで気配が消えた。

 

「……気配が消えた? シルフィード騎士団の動きが速いおかげかな」

 

「うーん、この村にはスヴェンさんが滞在してるんだよね?」

 

 確かに彼ならこちらの動きに合わせて侵入した邪神教団を消すことも容易だ。

 しかしそれは彼が村に居る場合に限る。

 レーナが停泊場に視線を向ければ、スヴェンが飼っている黒いハリラドンの姿が見えない。

 レーナ達が消えた邪神教団の気配に対して疑問を浮かべているとアトラス教会のシスター服を着こなした赤髪の女性が迷うことなく確かな足取りでこちらに向かって来るのが見えた。

 レイ達はそんな彼女に腰の剣をいつでも抜けるように身構え、

 

「あー、待ちなさい。私はアトラス教会所属のシスター・リノン。今回の一件でスヴェン、シルフィード騎士団と協力した縁もあってレーナ姫のお迎えに参上したわ」

 

 自身と似た口調でリノンと名乗った彼女にレーナは底知れない不安感を感じ取った。

 この不安感は一体何処から来て、なぜ不安に感じるのかは判らないがーー分かってることは一つだけ。アトラス教会所属のリノンは無条件で信頼できるという点だ。

 

「そう、わざわざありがとう。……さっき邪神教団の気配を感じたのだけれど、そちらも貴女達が対処を?」

 

「えぇ、詳細に付いては然るべき場所で」

 

 そう言ってリノンは着いて来いと言わんばかりに、シルフィード騎士団が滞在する仮設駐屯所に向かって歩き出す。

 レーナは彼女に無言で歩き出すと、

 

「なあおい、リノンってシスター……中々良くないか?」

 

「おお、美人だしな。しかしまぁ、なんというか彼女には一途な印象を受けるんだよ」

 

 リジィとずっと静かだったアラムがそんな事を話していた。

 彼らも男性だ、美しい女性を見たらそう言った反応を見せるのも頷ける。

 確かにリノンは同性の自分から見ても綺麗で、大人として頼れる一面を感じさせる。

 特にスヴェンと似た空気を纏う彼女の背中を眼で追ってしまうのも、恐らくそのせいだろう。

 

「はぁ〜女性と見るや二人はすぐこれだ。少しは堅物のレイ小隊長を見習ったら」

 

「レイ小隊長を見習ったらろくに恋なんてできはしないさ。それはビビもよく理解してるだろ」

 

「……否定しないわ」

 

 本人を目の前にしてよく言える。そんな感心と必死に笑いを堪えるミアにレーナはほっと胸を撫で下ろす。

 どうやら調子が戻りつつ有るようだ。

 

「三人とも無駄話はそこまでだ。村の内部にも邪神教団の気配が有ったんだ、短い道中と言えども決して油断しないように」

 

 レイが放った身を引き締まる言葉に、リジィ、アラム、ビビが自身とミアを中心に陣形を組み歩き出した。

 そしてレーナ達はやや遅れてリノンの後を着いて行くのだった。



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22-3.探し人

 レーナ達がエルソン村でセシル達と会ってる頃、スヴェンはエルナ達を連れてとある情報を確かめるためにフライス村に来ていた。

 スヴェンはリノンと会話した晩、闇医者と長い緑髪の女性が重傷を負った白髪の少女を運び込んでいるとの情報を情報屋の悪魔から得たのだった。

 エルソン村からはフライス村まで実に四日間の距離だ。今頃レーナ達も国境を越えてミルディル森林国に入国してる頃合いか。

 分担して書き込み調査をしながらレーナ達の動向を考えていたスヴェンに、

 

「スヴェン、次はあそこの露店主に聴いてみないか?」

 

 ロイがぬいぐるみを販売している露店主を指差した。パルセン酒造場の案内看板の側で露店を営む男性にスヴェンは歩き出す。

 

「少しいいか?」

 

「おっ、男の子連れの客とは珍しいね」

 

 棚に並ぶぬいぐるみはどれも女の子が喜びそうな物ばかりだ。中でも人気! っと札が貼られた子猫のぬいぐるみは他の物と比べてあと一つだけ。

 しかしスヴェンの知り合いにぬいぐるみを好みそうな歳頃の少女が思い浮かばず、情報収集のおまけに買うのも商品を無駄にするだけか。

 そう判断したスヴェンは棚から露店主に視線を移す。

 

「いや、買いに来たわけじゃねえんだ。少し聴きたいことが有ってな」

 

 露店主は露骨に訝しげな表情を向けた。

 

「聴きたいことぉ〜?」

 

 露店主の態度は商品を買わない客に対する対応としては当然のものだ。

 ここで門前払いを喰らわない辺り、露店主は人の良い性格なのかもしれないが。

 

「あぁ、フライス村で目撃が有った闇医者に付いてな」

 

「……捕まえようってんの?」

 

「俺に誰かを捕らえる権限はねえよ、子連れの観光客が闇医者を探してるってのも不思議かもしれねえが……コイツの妹が闇医者の世話になってるかもしれねぇんだ」

 

 ロイに指差し、視界の端でロイが妹を想う悲しげな眼差しで露店主の情に訴えかける。

 

「あ、最近物騒だったからな。子供が野盗に誘拐され、ケガをしながら逃げた先でドクターに助けられるなんてことも良く有るなぁ」

 

「それで闇医者の居場所は?」

 

「教えてやりたいのは山々だけど、訳ありの患者を多数抱えてるドクターの居場所を簡単に教えるのはちょっとなぁ」

 

 信用が無い。金で闇医者の居場所を知るのは不可能だろう。それほど露店主から闇医者への恩義と信頼を感じるからだ。

 

「そうか、邪魔をしたな。詫びと言っちゃなんだが連れのガキに此処を紹介しておく」

 

「お、是非とも頼むよ。なんせ此処のぬいぐるみはかわいいって評判なんでな」

 

 スヴェンとロイは露店主に別れを告げ、次にフライス村の広場に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 大木の切り株から湧き出る噴水と背景の森林。この情景を楽しむために置かれたベンチに腰掛けるエルナとラウルが口に何かを含みながら、

 

「うん、むぐぅ!」

 

「むぐ、ほぐ!」

 

 何かを話していた。そんな二人にロイが呆れたため息を吐くのも無理はないことだ。

 

「2人ともちゃんと飲み込んでから喋れよ」

 

「ん……リンゴのタルト美味しかった!」

 

「ほう? それで何か収穫は有ったのか」

 

 リンゴのタルトを堪能したエルナとラウルに訊ねると、二人は同時に視線を逸らしながら告げる。

 

「じ、実は闇医者がフライス村か外、何処かに居るのは間違いないんだ。でも誰も詳細な居場所を教えてくれなかったんだよ」

 

「シルフィード騎士団の第八遊撃部隊の騎士にも聴いたら、闇医者の所在は騎士団でも判らないんだって」

 

 国家戦力が国内に居る闇医者の所在を把握していない。露店主の反応から闇医者が罪を犯している様子は感じられないがこうも考えれる。

 国内に多数の拠点を抱え、一定周期で居場所を変えているのだと。

 アシュナの怪我の具合や治療魔法の有無で移動距離も限られるが、現状で闇医者を捜すのは難しいだろう。

 

「……同行していた長髪の緑髪の女性に付いて調べるか」

 

「長髪、緑髪の女性……そっちの方はおれ達で捜そうか?」

 

 ラウルの提案にスヴェンは思案した。村内だけなら三人に任せても問題は無い。むしろエルリア魔法学院の制服を着ている三人なら余計な警戒心を与えることも無いだろう。

 それならこちらは子供が立ち寄れない場所で情報を集めるべきだ。

 スヴェンがラウルの提案を受け入れると同時にサイドポーチの魔道念話器が光り出した。

 リノンからの連絡に魔道念話器を取り出したスヴェンは、

 

「何か有ったか? そろそろ姫さん御一行が到着してる頃合いだが……」

 

 要件を訊ねると魔道念話器からリノンの声と微かにレーナとミア、そしてレイと聴き覚えが無い三人の声が聴こえる。

 

『何も問題は無いわ。ただセシルと会う筈がシャルル王子とリーシャ様も居て、まあ賑やかな状況ね』

 

 まだユグドラ空洞に閉じ籠った邪神教団が片付いていない状況で国の王族が一ヶ所に集まるのは得策とは言えないが、アトラス教会も周辺の警戒に当たってる状態で無用の心配か。

 スヴェンは頭に浮かんだ思考を取り払い状況に付いて訊ねる。

 

「それで方針は決まったのか?」

 

『えぇ、ユグドラ空洞を塞ぐ硬質化した結界を破ってシルフィード騎士団とアトラス教会による共同討伐作戦が展開されることになったわ』

 

 半ば予想通りの結果と言えばそうだが、果たして追い詰められた邪神教団が大人しく討伐されるのか。連中は封印の鍵を既に入手しているのだ、邪神復活のために激しく抵抗されるだろう。

 

「あまり追い詰め過ぎるなよ?」

 

『貴方の懸念は良く分かるわ、共同討伐作戦と言ってもユグドラ空洞の最下層に構築された儀式魔法陣を解体するのが目的だもの』

 

 ジギルド司祭が死亡し、封印の鍵を確保した状態で邪神教団が国外に撤退しないことに違和感が有る。

 国境封鎖状態で逃げられないからヤケ糞で篭城してると言われればそれまでだが、まだ邪神や邪神眷属の解放条件が不明瞭だ。

 エルナとロイも具体的な方法を知らない。分かってることは封印の鍵に司祭クラスが触れるだけで無条件で邪神眷属が解放されることだけ。

 他にも方法が有るねのか、なぜ司祭クラスでなければならないのか。邪神眷属は過去に一度も解放されたことがない前例だ。

 

「連中、ジギルド司祭が死んだ状況でなぜささっと逃げない?」

 

『……その件はまだ議論中だけれど、大半は逃げ場のない抵抗という声が多いわね』

 

「楽観的過ぎるのか、俺達が単に心配症ってだけなのか」

 

『警戒して損は無いわよ。それにレーナ姫も解放条件が判らない状況で楽観視は危険だって訴えているわ。だから最悪の状況にはならないと思うわよ』

 

 やはり警戒を促す人物が信頼の高いレーナなら様々な勢力が意識を傾ける。

 これは傭兵には決してできないことだ。

 

「そうか。こっちは引き続き捜索に移るが、姫さんの要請が有るなら切り上げて戻るっとだけ伝えてくれ」

 

『なんならこの場所で変わろうかしら? レーナ姫とミアって子が代わりたそうにしてるもの』

 

「本人の前で言ってやるなよ……」

 

スヴェンはレーナと軽いあいさつ程度の現状報告を告るべきかと、思案すると怪しげな風貌の人物が人目を避けて大木の枝で出来た路地に入って行くのが見えた。

 何か情報を得られるかもしれない、そう判断したスヴェンの決断は速かった。

 

「悪いな、急ぎの用事ができたから後で連絡する」

 

 それだけ告げて魔道念話器の魔力を断ち、ラウル達に後を追う事を告げてからスヴェンは路地に駆け出した。



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22-4.闇医者

 路地に入ったスヴェンは、白と黒混じりの短髪、顔には右の眼帯と顔の縫い傷。やや猫背気味で痩躯の男性に悟られないように視線を向ける。

 男性は人目を忍び慣れた足取りで路地を進む。気配と魔力を断ち彼の呼吸と足音に合わせ歩き出す。

 久し振りの尾行、周囲には男性以外の気配も無し。欲しいのは闇医者の手掛かりであって不審な男性の身柄ではない。

 男性が路地の曲がり角に進み、スヴェンも曲がり角に進む。

 尾行に気付かれていないが、男性はそのまま直進して路地裏に進む姿が見える。

 

 ーー表通りじゃあ不審だったが、路地に入ってからは堂々してるな。

 

 背中から悪意は感じられない。だが血と薬品混じりの臭いを感じる。彼が探してる闇医者なのか、それとも単に薬品を扱う商人か医者のどちらか。

 スヴェンが路地裏に入ると、男性は路地裏の大木民家の前に留まり、二回連続で叩き間発入れず三度リズミカルにドアを叩いた。

 明らかに何らかの合図だ。怪しい男性が組織的な人間なのか。スヴェンは物陰に身を隠し男性の様子を窺う。

 

「あぁ! 来てくださったか!」

 

 右脚を引きずった男性が怪しげな男性を自宅に招き入れる。

 怪しげな男性に訊ねるなら彼が出て来るのを待つ他にない。

 幸い大木民家から感じられる気配は、怪しげな男性を含めて五人分だ。

 スヴェンは物陰に背中を付け、ユグドラ空洞の現状に付いて思考を向けた。

 

 ーー全出入り口を結界と硬化魔法で塞いだ、か。

 

 まだシルフィード騎士団とアトラス教会が内部に突入できてない状況にある。ということは出入り口を塞ぐ魔法を突破しない限り邪神教団を追うことすら叶わない。

 最下層に有った儀式魔法陣まで迷わず進めば三日。だが、魔法突破を含めれば邪神教団は充分に時間を稼げる。

 

 ーー問題は得た時間を何に使うかだな。

 

 あの儀式魔法陣に集まった死者の魂を利用して何をするつもりなのか。きっとろくなことではない、それこそ封印の鍵から邪神眷属や邪神の一部を解放するための用意ならまだ理解も及ぶ。

 いや、それ以外の最悪の可能性が浮かばないのが現状だ。

 

 ーー司祭クラスじゃなきゃ発動できねぇんなら杞憂なんだろうが。

 

 今回ばかりは単なる杞憂で有って欲しい。悪魔一体に対して有効手段が無い状態で邪神眷属の相手など果たして何処まで喰らい付けるか。

 いや、そう考えてしまってる時点で相対時に死亡が確定しているようなものだ。

 スヴェンはこれはいけないっと考えを改めた。何が何でも邪神眷属に喰らい付き殺してやる。

 まだ復活すらしてない存在に殺意を高めたスヴェンは、怪しげな男性が出て来るのをじっと待った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 あれからどれぐらい時間が経過しただろうか。空を見上げれば既に夕暮れに染まり、大鴉の群れが空を埋め尽くす勢いで羽ばたいている。

 少なくとも気配が減った様子も無いが、中で何をしてるのやら。

 素性の分からない相手ほど判断材料が少ない。これも尾行する上で情報不足は厄介だ。

 スヴェンがただ呆然と夕陽を眺めていると、

 

「ありがとうございます! ありがとうございますっ! 貴方にはどう感謝すれば良いものかっ!」

 

 右脚を引きずった男が涙を流しながら怪しげな男性の両手を握り締めながら感謝の言葉を何度も何度も繰り返していた。

 大木民家に入って長時間、怪しげな男性が荷物を持ってる様子は無いが荷物の有無など魔法の前では関係ない。

 彼が当たりなのかもしれない。スヴェンがそう思案を浮かべると怪しげな男性は笑みを浮かべる。

 

「奥さんを大切になさい、今回は幸い手術が間に合ったから良かったものの……あれ以上腫瘍が大きくなっていたら危なかったでしょうね。ああ、2、3日は高熱が続くでしょうが、渡した薬はちゃんと飲ませなさい」

 

 彼の放った言葉は彼が医者である事を証明するには充分なものだった。

 スヴェンは物陰から姿を現し、こちらに向かって歩く彼に話しかける。

 

「アンタが有名な闇医者か?」

 

「……酷い血の臭いだ。野盗、ではないな? あぁ、ひょっとして傭兵かな」

 

 スヴェンは自身の正体を肯定するように頷く。

 すると彼は得心を得た様子で穏やかな表情を浮かべた。

 

「君がわたしを捜している……いや、捜してるのはアシュナという子かな」

 

 アシュナの名を口にした彼は間違いなく闇医者だ。こうも早くに当たりに辿り着けるのは行幸と言えるだろう。

 

「あぁ、知り合いでな。行方不明になったと聴いて捜していたんだ」

 

「ふむ、単刀直入に言えば彼女は生きてる。しかし背中から腹部にかけて貫かれたのだ、手術は終わってるがまだ彼女には安静が必要なんだ」

 

 医者としての見解を述べる彼に対してスヴェンは首を横に張った。

 

「アイツに療養が必要なら連れて行かねえさ、ただ生存の確認ができりゃそれで充分だ」

 

「物分かりが速くて助かるが、わたしはこんな見た目をしてるし闇医者だ。そんなわたしの言葉を信じられるとはね」

 

「アンタからは血と薬品の臭いがするが、その手やさっきの男の様子をみりゃあアンタが仕事に対して切実で真面目ってのは理解してるつもりだ」

 

「君は人をよく観察してるようだね。……あの子は完治次第わたしが無事に送り届ける事を約束しよう」

 

「あぁ、アイツを捜してる連中にも伝えて置く……あー医療費を払わせて欲しいんだが?」

 

 アシュナを治療して生命を繋ぎ止めた闇医者の彼には正当な報酬が必要だ。

 

「わたしは闇医者だからね、金貨10枚は頂くことになるけど構わないのか?」

 

 正直に言えば金貨百枚は請求される覚悟だったが、スヴェンは金袋から金貨十枚枚を取り出し闇医者の彼に手渡した。

 

「しっかりと頂いたよ……そうだ、わたしは皆に闇医者やドクターと呼ばれているが、わたしのことはルイと呼んでくれ」

 

 彼は見た目に似合わない名前だけど、そう苦笑していた。

 

「見た目と名なんざ対して重要じゃねえだろ、アンタは少なくとも立派な人間だ」

 

「そう言って貰えると医学を追放された身として少し心が楽になるよ。……ところで君の名を聴いても?」

 

「俺の名はスヴェンだ。いつかアンタに世話になりそうだしな、そん時は頼む」

 

「ミルディル森林国内であればわたしはいつでも駆け付けよう」

 

 闇医者ルイは軽快な足取りで路地裏を立ち去り、スヴェンもやや遅れてからエリナ達と合流し、闇医者と会ったこと捜してる人物の生存を確認した事を告げるのだった。



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22-5.レーナとリノンと……

 スヴェン達がフライス村からエルソン村に向けて移動してる頃。

 数日にも渡る会議を終えたレーナは用意された宿泊施設の一室でリーシャ、リノン、ミア、ビビに視線を移す。

 王族の花嫁たるリーシャがこの場に居ても何も違和感はない。むしろ積もる話も有り誘拐されていた彼女に対してシャルル王子が気遣ったのだろう。

 ミアとビビは同性で自分の護衛だ、二人がベッドに座り香水や衣服に付いて話してるのも可笑しいことではない。

 レーナは改めて椅子に座り魔道念話器に微笑むリノンに視線を向けた。

 アトラス教会のシスターが何故同じ部屋なのか、スヴェンとはどんな関係なのか気になって仕方ない。

 そもそもここに彼女が居ることに関しては何も問題は無い。問題は無いのだが、リノンはスヴェンと魔道念話器で連絡を取り合っていた。

 彼のことだ、円滑に情報交換するために所持しているっと考えられるがーーそれにしてはリノンに対する声が何処か優しさを帯びてる様子さえ見受けられる。

 

 ーーむ、むぅ。これは私の勘違いかしら?

 

「レーナ姫、何か悩み事かな」

 

 リーシャに話しかけられたレーナはそれはこっちの台詞だと言わんばかりに笑みを浮かべた。

 

「私のはたいしたことじゃないわ、それよりもリーシャは平気なの?」

 

「この通りケガは無いよ、それに手を出そうとした野盗は再起不能にしたから大丈夫さ」

 

 男勝りとは常々思っていたが、誘拐された状況下で気丈に振舞いあまつさえ野盗を再起不能にするとは。

 やはり王族としても彼女のように強く在らねばならないのだ。

 

「私も貴女のように強く在りたいわ。それともシャルル王子が助け出すっと信じていたからこそなのかしら?」

 

「当然信じていたから耐えられたのさ、そうでも無ければわたしは拘束を破り野盗を血祭りに挙げていたところだったよ」

 

 そう言ってリーシャは平然と魔力を宿した拳を握ってみせた。

 彼女なら本気でやりかねないから困る。それはそれでオルゼア王達が計画した作戦や特殊作戦部隊を派遣した意味が無くなってしまうが、派遣は父親同士の友情に答えた結果とも言える。

 レーナが強気なリーシャに苦笑を浮かべると彼女は真顔を浮かべ訊ねてきた。

 

「そう言えばシャルルも不思議に思ってたけど、レーナ姫の魔力が全く感じないのはどうしてだ?」

 

 以前から交流の有るリーシャが訊ねるのも当然の疑問だ。

 そんな彼女の疑問に対してミアとビビが肩をびくっと跳ね上がらせた辺り、二人は政治的な場では護衛に向かないだろう。根が正直な二人はなおさらに。

 

「貴女とシャルル王子が感じてる疑問に答えるわ。簡単に言ってしまえば今の私には魔力が無いからよ」

 

「簡単に言うなぁ。それがどれだけ不安なことか、わたしには想像にも及ばないよ」

 

 確かに魔力が無いというのは不憫でいざという時に自分の身を護れないのも時に不安にもなる。

 ただ今は護衛が側に居て、何よりもスヴェンが居る。それだけで不安というのは和らぐものだ。

 

「私は周りに護られてるもの、そこに不安は無いわ。ただ……そうね、今回の件で率先して動けないのは少し辛いわね」

 

「同盟国のお姫様に事件を解決されたらシルフィード騎士団の立つ顔が無いよ」

 

「そうかしら?」

 

「そうなんだよ」

 

 二人はくすりっと笑みを浮かべ、

 

「そうだったわ、偽りのお見合いは中止になるけど代わりに結婚式を挙げるそうじゃない」

 

 シルフィード騎士団の詰所を去る際にシャルル王子からこっそりと教えられた事を告げるとリーシャが珍しくはにかんだ。

 普段は男勝りで下手な男性よりも頼りになる姉御肌だが、照れて幸せそうな笑みを浮かべるリーシャは正に乙女だ。

 

「ま、まあね……今回の件が後押しに繋がったと考えるとそう悪いことでもないけど、それでも国民には辛い想いをさせたよ」

 

 自身の幸せも有るがそれ以上に国民を想う気持ち。やはり彼女もシャルル王子の婚約者というだけ有り王族の花嫁に必要な心が備わっている。

 いや、自身がこう想うのは烏滸がましいことだ。何せシャルル王子が見初め選んだ相手だ。

 

「それじゃあこれからはリーシャ王妃と呼ばないとね」

 

「や、やめてくれよむず痒い。責めてこういう公務とは何も関係ない場でいつも通りで頼むよ」

 

「えぇ、分かったわ……そう言えばシャルル王子のことだけれど、また筋肉増したの?」

 

「あ〜うん、野菜しか食べてない筈なんだけどねぇ」

 

 久々に会ったシャルル王子は前回に会った時よりも明らかに筋肉量が増していた。むしろ体格も増してるようにさえ思う。

 同時に彼は一体何処を目指しているのか? そんな疑問が頭の中で浮かぶがそれは本人に直接聞けばいいことだ。

 レーナがシャルル王子から思考を変えた瞬間、リーシャが意地の悪い笑みを浮かべていた。

 一体なんだろうか? リーシャの様子に思わず身構えてしまう。

 

「ところでレーナ姫? さっきあそこのシスターがスヴェンって男と連絡を取った時は随分とそわそわしていたね」

 

 何故スヴェンの声を聴いただけで胸が高鳴り、嬉しさが込み上がったのかは判らない。

 良く分からないままレーナは自身の感情を誤魔化すように酸味に笑った。

 

「そ、そうかしら?」

 

 そんな笑みに対してリーシャはなるほどっと理解した様子で笑うが、何を理解したと言うのか。

 レーナが視線で疑問を訴えかけるっと、

 

「あ〜なるほどねぇ。レーナ姫は彼が気になるのね」

 

 何かを察した様子で同時に同情にも似た眼差しを向けるリノンに顔を向ける。

 

「ええっと、何故同情を?」

 

「苦労するわよ、あの男は恋愛は愚か愛情という概念を表面上でしか知らないもの。いえ、()()()()()知る事を恐れて避けてるわね」

 

 レーナはリノンの口調に違和感と戸惑いを浮かべた。

 それではまるでスヴェンを昔から知ってるような口振りだ。いや、デウス・ウェポンに居たスヴェンの過去全てを知ることは同じ世界の異界人でしか不可能だ。

 特に自身の過去に付いてこちらを気遣い話そうとはしない彼が簡単に話すとも思えない。

 レーナが真意を問うべきか迷うとミアがベッドから立ち上がりリノンに訊ねた。

 

「昔のスヴェンさんを知ってるような口振りですね。それともスヴェンさんから聴いたんですか?」

 

 迷った問い掛けを問うミアに全員の視線が向く。問われたリノンは彼女とこちらに真っ直ぐと見詰め、かと思えば若干困ったように頬に手を当てた。

 

「うーん、良く知ってると言えばそうなのだけど……話してもそう簡単に信じられるような内容でもないのだけど……困ったわね、適切な言葉が浮かばないわ」

 

 ーースヴェン、彼女に対して穏やかだった。話してる内容は相変わらず仕事や邪神教団に対する警戒だったが。

 

 レーナはリノンの眼を見て彼女が嘘を言っていないこと、スヴェンと彼女の間に何か。言葉では説明できない複雑な事情が有るのだと察した上で。

 

「それじゃあ質問形式で受け答えるのは如何かしら?」

 

「良いわよ、わたしは貴女達の質問に対してイエスかノーで答える。スヴェンに関する質問に対しては返答を控えさせてもうけど」

 

 それは当然だ。スヴェンが過去を話そうとしない限り、こちらが第三者のリノンに過去を聴くのは違う。

 レーナとミアはリノンに納得し、リーシャとビビが静かに見護る中最初の質問をした。

 

「それじゃあ最初の質問よ。貴女とスヴェンが出会ったのはごく最近、今回の事件中かしら?」

 

「イエス。ついでに言えばユグドラ空洞に突入したのも

私とスヴェンの2人だけね」

 

 ごく最近、警戒心の強いスヴェンが短期間で彼女に気を許したと考えるのが一番納得できる考え方の一つだ。

 しかし魔法の存在が在る以上、魔法や神秘的な重なりでデウス・ウェポンをリノンが知ってる事を考慮しなければならない。

 

「それじゃあ次の質問よ。貴女は間違いなくテルカ・アトラスの出身だけれどデウス・ウェポンを知ってるのね」

 

「イエスよ、あの世界のことは嫌というほど知ってるわ」

 

 リノンは何らかの方法でデウス・ウェポンを知った。どんな魔法を使えば異世界の情報を識り、知識として取り込めるのか。そこにスヴェンという存在を絡めて考えればーーあ、一つだけ限りなくゼロに近い可能性で有ったわね。

 無数に存在している異世界の中には、同一の存在が存在してる異世界が有る。

 そう言った話をアトラス教典に記されていることも以前にオルゼア王から聴いたことがあった。

 その可能性に辿り着いた時、レーナは自身でも驚くほどに困惑していた。

 

「あら、困惑してるようだけれど……他に質問は無いのかしら?」

 

「じゃあ姫様に変わって私が、あなたはあのクソ不味いレーションの味を知ってますか?」

 

「……懐かしいわね。イエスと答えたいところだけれど、ノーでも有るわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その酸味な答え方にレーナは確信を抱いた。彼女はデウス・ウェポンのリノンと混じり合ったのだと。

 突飛な確信だが決して有り得ない訳では無い。判断材料が揃ったならなおさらに。

 だからこそ質問はこうするべきだ。

 

「次は私が最後に質問するわ……貴女はデウス・ウェポンのリノンでも有りテルカ・アトラスのリノンでも有る。違うかしら?」

 

 そう質問した時、リノンは眼を見開き驚いた様子を浮かべ、やがて晴れやかな笑みを浮かべた。

 

「えぇ、イエスよ。だけど如何して理解したのかしら? 普通は有り得ないから推測にも浮かばないことよ」

 

「異世界の存在を知り、同一人物が居る可能性を見落とせば推測にも浮かばないわね。それに貴女は最初に言っても信じないと言っていたもの。だから私は限りなくゼロに近い、奇跡レベルの可能性に賭けたのよ」

 

「流石は魔法大国エルリアの姫君ね。これで私がスヴェンに詳しいのは分かったかしら?」

 

「充分に理解したわ……ところで、その貴女とスヴェンの関係を聴いても良い?」

 

「良いわよ……そうね、私とスヴェンは相棒だったわ」

 

 スヴェンの相棒、つまりデウス・ウェポンのリノンは傭兵だったことが判る。

 レーナは自身の感情の揺らぎよりもリノンに対して強い興味を抱いていた。

 

「ねぇ貴女の事を詳しく教えてくれないかしら?」

 

「良いわよ、その代わりわたしに貴女達の事を教えて貰うわ」

 

 レーナとミアは互いに顔を見合わせ、リノンに笑みを浮かべる事で返した。

 こうしてレーナとミアはしばしリノンを質問責めにしては、反撃と言わんばかりにリノンの質問責めに遭うことに。

 そんな様子をリーシャとビビに見守られながら穏やかな一夜を過ごすのだった。



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22-6.急変

 ユグドラ空洞の儀式の間に立て篭もった邪神教団の信徒達は飢えを耐え、出入り口を塞いだ結界をいつ破られるか判らない状態に精神を磨耗し虚な眼で儀式魔法陣を中心に平伏していた。

 儀式魔法陣の中心に置かれた指輪の形状をした封印の鍵、祭壇に置かれた頭骨。捧げる供物と封印の鍵を用意した、それなのに一向に封印の鍵から邪神眷属が解放される様子が無い。

 

「い、一体如何すれば……」

 

「そ、そうだ、ここに居る全員で殺し合い魂を捧げるのは!?」

 

「それで解放できなかったら無駄死によ」

 

 精気を失った声が響く。もう全員限界だ、このまま司祭が救援に来なければここに居る信徒は全滅してしまう。

 封印の鍵を手に入れ、それでここで全滅してしまけば鍵は回収されるだけ。

 それでは完全な無駄死にだ。いくら死後の魂は邪神の贄になるとは言え、責めて死に際に意味を持たせたい。

 封印の鍵をここまで運んだ信徒は倦怠感に襲われながら身体を引き摺り、儀式魔法陣の中心にゆっくり歩く。

 

「何をするつもりだ」

 

 信徒の問いに信徒は答えず、ただひたすらに前に進む。

 邪神眷属には器が必要なら何も司祭でなくとも良いでは無いか? 信徒は浮かんだ疑問に突き動かされるように封印の鍵に近付く。

 そして信徒は手を伸ばし、掴んだ封印の鍵を手に取りーー信徒は封印の鍵を飲み込んだ。

 気が狂った。誰しもが信徒の行動に気が狂ったっと蔑みの眼差しを向け、封印の鍵を飲み込んだ信徒が吐血する。

 

「カハッ!」

 

 普通の血とは異なる赤黒い魔力を帯びた血が儀式魔法陣に降りかかる。

 信徒が何をしても発動しなかった儀式魔法陣が漆黒の光りを放ち始め、黒い瘴気が信徒達に纏わり付く。

 身の毛がよだつ、身体の奥底から何かが、失ってはならない何かが魔力と共に吸われている感覚に信徒達は一斉に儀式の間から逃げ出そうと走り出した。

 だが、彼らが動くよりも早く黒い瘴気が信徒達から魂と魔力を抜き出す。

 事切れたように斃れる信徒達、そして儀式魔法陣の中心で佇む信徒に黒い瘴気が手の形を作り魔力と魂を差し出した。

 信徒は差し出された魔力と魂を掴み、口を開けて豪快に齧り付く。

 信徒の絶望と恐怖が染み込んだ魔力と魂を噛み締めるように味わう。

 ごくり、魔力と魂を飲み込んだ信徒は儀式魔法陣に向けて唾を吐き出し、

 

「不味い……久方振りの外、久方振りの食事……不快なり」

 

 心底冷たい声が儀式の間に響く。

 

「それにこの憑代……脆い、脆弱、不足。司祭では無いな? エルロイの小僧でもない」

 

 憑代として信徒の身体は脆すぎた。故に邪神眷属は自身の魔力を憑代に流し込む。

 邪悪な魔力が憑代を呑み込み、やがて頭部に禍々しい角が生え右腕が異形の腕に変貌する。

 

「……変化はここまで。これ以上は憑代が崩壊する」

 

 邪神眷属は忌々しげに天井を睨んだ。これでは封神戦争時代、全盛期の一割にも満たない。

 これでは残りの同胞を解放し、邪神の復活を成し遂げられないではないか。

 不甲斐ない邪神教団、不甲斐ない憑代。故に邪神眷属は八つ当たりの如く天井に膨大な魔力を解き放つ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェン達が黒いハリラドンが引く荷獣車でエルソン村を目指している頃、それは突如起こった。

 ユグラドラ空洞の方向から禍々しい魔力の螺旋が守護結界魔法を貫き、守護結界がガラスのようにバリーンっと音を奏でながら崩壊したのは。

 スヴェンは異常事態に黒いハリラドンを止め、ガンバスターを片手に地面に飛び出した。

 

「何が起きた?」

 

 禍々しい魔力の螺旋、離れたこの場所からでも判る憤怒を宿した魔力。

 方角と位置から発生源はユグドラ空洞ーーそれはつまり、最悪の結果を引いてしまったのだと。

 スヴェンは額から冷や汗を流しながら舌打ちした。

 

「お兄さん! ど、如何するの?」

 

 邪神眷属の対処も必要だが、何よりも守護結界が破られたのだ。結果如何なるか分かり切っていること。

 

「先ずはモンスターの警戒だ……むっ!?」

 

 スヴェンは見た。禍々しい魔力の螺旋を昇る異形の人間、いや邪神教団のフードを着た信徒ーー禍々しい角と異形の右腕。

 それが邪神眷属を憑代にした人物が受ける影響なのか、単なる肉体の最適化による変化なのか。いずれにせよ行動に出るべきだ。

 スヴェンが荷獣車に乗り込み、再び手綱を打ち黒いハリラドンをエルソン村に向けて走らせる。

 

「あ、アニキ! ヤバいよ!」

 

「背後が見えねぇが、確かにヤベェな」

 

 荷獣車の後方から先程まで感じなかったモンスターの気配が複数感じる。

 恐らく守護結界によって抑制されていたモンスターが星によって生み出されたのだろう。

 それも無理もないユグラドラ空洞から空に向けて破壊を振り撒かれれば星の怒りを買うのも道理だ。

 問題は対象が邪神眷属ではなく、人類全てに向けられていることだが。

 

「ラウル、ロイ、エルナ、魔法でモンスターを迎撃しろ!」

 

「お、おう!」

 

 ラウルの返事にスヴェンは手綱を打ち、黒いハリラドンをより速く走らせる。

 そして討つべき敵ーー邪神眷属を睨むのだった。



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22-7.混乱

 森林の中を黒いハリラドンが荷獣車を牽引して走る中、火の手があちこちで挙がりモンスターに魔法で応戦しながら逃げる住民の姿も。

 障壁を砕きモンスターに魔法を放つ。そこまでは良かったが、背後から迫るモンスターに気付かなかった者の末路は悲惨だ。

 恐竜を彷彿とさせるモンスターの顎が住民の頭部を喰らい潰し、側に居た子供の絶叫が森林に木霊する。

 エルナとロイ、ラウルが子供を助ける為に詠唱するが、子供は荷獣車から見て西の方角ーー千メートル先.600LRマグナム弾の射程外だ。

 到底間に合わない。スヴェンは冷徹に子供を見捨て、こちらに飛び掛かる二足歩行のモンスターに対して練り込んだ魔力を纏わせたガンバスターで障壁ごと薙ぎ払う。

 同時に助けられない子供は恐竜系のモンスターに頭から腰にかけて噛みちぎられ、上半身は木々に投げ捨てられ下半身は屈強な脚に踏み潰され短い生涯を閉じた。

 

「お、お兄さんっ……小さな女の子がっ」

 

 エルナの悲痛な声、ロイとラウルの悔やむ声が響く。

 こればかりは強者でも覆すことが難しい現実だ。目に届く範囲の全てを護ろうとすればいずれ手が足りなくなり、余計な重荷で潰れる。

 少なくともデウス・ウェポンではそうだった。しかしテルカ・アトラスなら多少なりともマシな結果を生むのではないか?

 だが、まだ子供の三人にこの言葉だけは決して口にしてはならない『次は護れるように強くなれ』期待と重積、子供を助けられなかったという現実を押し付けるような言葉など。

 まるで呪いのように根深く残る言葉など到底子供に言うべきでは無い。

 

「この状況だ、全て助けようなんざ思うな」

 

 だからスヴェンは敢えて厳しい口調で三人に告げた。冷徹非情な人間だと思われても構わない。死を目撃した者の行動など後は進むか止まるかの二択だけだからだ。

 

「今はエルソン村でセシル達と合流することだけを考えろ……その後だ、あそこに居るクソタレをどうこうするのはな」

 

 邪神眷属は未だユグラドラ空洞中心部の上空で停滞している。

 恐らく主目的は邪神復活。奴がこのまま何処かへ飛び去り守護結界を破壊して周りでもすれば各国は邪神教団の討伐どころでは無くなってしまう。

 混乱に乗じて封印の鍵の回収が予想されるが、今は動く気配すら見せない。

 

「なんで、なんで動かないんだ?」

 

 ラウルの疑問にエルナが考え込む様子が見える。

 思考と推測は彼女に任せ、今は黒いハリラドンを走らせエルソン村に急行することが先決か。

 スヴェンが手綱を片腕で握り締め、周囲に視線を移す。

 フライス村を離れたが、森林の中はモンスターだらけでオマケに火災が広がっている状態だ。

 特に目指したい方角は火災と燃え尽きた大木が倒れ、道を塞ぎモンスターが大群を成して獲物を探す様子が見える。

 このままエルソン村を目指してはモンスターの大群に呑み込まれ死ぬだけ。

 スヴェンはまだ火の手が及ばない北に向けて黒いハリラドンに進路を変更させる。

 手綱の通りに黒いハリラドンは走り、モンスターの大群がこちらに気付く。

 

「ラウル、今はモンスターの迎撃が先だ。水流で火災ごと流せるか?」

 

「魔力が足りないな……あれ? アイツらなんか空を見上げてないか?」

 

 ラウルの声にスヴェンはモンスターの大群に視線を向け、奴らが邪神眷属の方向を見上げていることに気付く。

 そしてモンスターが一斉に怒りに満ちた咆哮を叫び、邪神眷属が居る方向に走り出した。

 

「……自然の破壊者は存在問わず、か」

 

「こ、これで邪神眷属もどうにかなるのか?」

 

「ラウル、それは無いよ。邪神眷属は邪神が直接魔力と力を分け与えて産み出した眷属だよ……それにどうして封印されてたと思う?」

 

「ど、如何してって倒す前に邪神が封印されたからじゃないのか?」

 

 ラウルの見解は封神戦争を知らない者からすれば一つの見方としては正しい。

 だがエルナの口振からすれば、邪神眷属は倒し切れず仕方なく邪神と共に封印されたのだという事が判る。

 

「倒し切れずにってことか……」

 

「うん、エルロイ司祭なら当時のことを詳しく知ってると思うけど……でもちょっと変かな」

 

「変? それは邪神眷属から言う程の魔力を感じないことか」

 

 ロイの指摘にスヴェンは改めて邪神眷属に視線を向けた。

 確かに封神戦争で生き残り封印された存在にしては膨大な魔力は感じられない。

 全盛期程の魔力が無いなら勝算は充分に考えられるが、だが地形を破壊するほどの魔力は健在だ。決して油断の出来ない敵、シルフィード騎士団やアトラス教会と上手く連携して対処しなければ倒せない相手だ。

 

「なおのこと合流が先決だな……」

 

 黒いハリラドンが走る中、サイドポーチの魔道念話器が光り出す。

 手綱とガンバスターで両手が塞がれてる状態でリノンに応答出来ない。

 しかしガンバスターを鞘に納めるにはまだモンスターが多過ぎる。

 

「よいしょっと、少し借りるね〜」

 

 荷獣車から飛び出したエルナがサイドポーチから魔道念話器を取り出し、

 

「手が離せないスヴェンに変わって私が受けるよ〜」

 

『その声はエルナね……状況は理解してると思うけれどエルソン村に来ても合流は出来ないわよ』

 

「もしかして既に避難中なの?」

 

『えぇ、セシルの遊撃部隊とレーナ様の護衛小隊と共にエルソン村や周辺の村の住人を巨樹都市ユグドラシルに避難させる為に動いてるわ』

 

「じゃあ私達も巨樹都市ユグドラシルに?」

 

 巨樹都市ユグドラシルはミルディル森林国の中心に聳える巨大樹の建造された都市だ。

 此処からミルディル森林国の中心に向かうには、此処から南西に、火の手とモンスターを避けながら進む他にない。

 幸いユグラドラ空洞から最下層のあの場所を貫いた場所は巨樹都市ユグドラシルから離れた場所に位置している。

 

『戻る途中だと思うけれど、気を……『グギャァァァッ』!?』

 

 リノンの忠告と共にモンスターの咆哮と魔法の炸裂音が響き、魔道念話器が切れた。

 

「……あっちも厄介な状態らしいな」

 

 スヴェンは手綱を操り、黒いハリラドンに進路を変更させ巨樹都市ユグドラシルに向けて走らせる。

 その際に黒いハリラドンが凄みの効いた目で睨む。

 

「ミルディル産の干し草とリンゴをたっぷり食わせてやる」

 

 そう告げると黒いハリラドンが加速魔法を唱え、砂塵を巻き起こしながら森林を走るのだった。

 その際に巨体を誇るモンスターを弾き飛ばしながら。



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22-8.避難

 避難民と共に巨樹都市ユグドラシルに向かう幼い子と老人を乗せた荷獣車の中でレーナとリーシャは揺られ、避難民の哀しみと不安に苛まれた様子に苦心した。

 そんな避難民をシルフィード騎士団に混じったシャルル王子とレイ小隊が懸命に支える。そこにアトラス教会も加わり彼らの護衛は磐石に思えた。

 

「油断はできないわね……アレが動く前に何か対策を打たないと」

 

「竜王はいま何処に?」

 

 リーシャの問い掛けにレーナは静かに首を振る。確かに竜王なら復活した邪神眷属を再び封印することは可能だ。

 恐らく竜王は邪神眷属の魔力を感じ取ってこちらに向かってる可能性は高いが、果たして気付いてくれるかどうかは賭けになる。

 

「気付いてくれれば急行してくれると思うわ……それにお父様も動くわね」

 

「オルゼア王と竜王……ミルディル森林国が保つのかな?」

 

 それは保証できないことだ。娘の自分が思うのも可笑しいことかもしれないが、父オルゼア王は人間を辞めている。

 フィルシス騎士団長を含めたエルリア魔法騎士団全軍を相手に余力を残して勝つような人だ。

 それでも人の範疇、人智を超えた存在である邪神眷属を再封印することは難しい。

 

「それ以前に邪神眷属が動き出したら被害は甚大よ。幸いモンスターはアレに向いてるようだけど」

 

 ユグドラ空洞中心部の上空で停滞を続ける邪神眷属は依然としてモンスターが放つ魔法の集中砲火を受けているが、禍々しい魔力によって展開された障壁が魔法を跳ね除けている。

 このまま魔力を削って欲しいが、事はそう上手くいかないだろう。

 レーナが窓から邪神眷属に視線を向けるっと、眩い混沌とした光が溢れ出した。

 モンスターに禍々しい球体の一雫が落ちる。圧縮した魔力を単純な破壊力に転換させる古い魔法が、モンスターの中心で弾けた。

 空間が真っ白に染まり、禍々しい魔力がモンスターを障壁ごと呑み込みあっさりと消滅させーー衝撃波が大木を薙ぎ倒す!

 

「全員防御結界を!」

 

 レイの咄嗟の指示にシルフィード騎士団やアトラス教会が防御結界を展開し、邪神眷属が放った魔法の余波を防ぐ。

 お陰で避難民を護れたが、薙ぎ倒された大木が進路を塞ぐ。

 

「急いで大木の除去を!」

 

 セシル部隊長の指示にシルフィード騎士団が進路を塞ぐ大木に駆け寄る。

 

「怪我人はいませんか! 怪我をした方はゆっくりと手を挙げるか、魔力を発してください!」

 

 ミアの怪我人に呼び掛ける声が響く。

 レーナとリーシャは荷獣車から降り、進路を塞ぐ大木に近付く。

 ミルディルの大地で育った大木は数十人の騎士が持ち上げようとしているが、それでも大木は重く持ち上がらない。

 

「全員少し退いてて」

 

 レーナは腰から剣を引き抜き構えを取る。この行動にシルフィード騎士団が察したのか、その場を退ける。

 そして小さく一呼吸と共に刃を振り抜き斬撃を放った。

 斬撃が大木を斬り裂き道を作る。これで進路を阻む大木は無い。

 

「これで通れるわね」

 

「そうだね……それにしても酷い有様だ」

 

 リーシャが向ける視線の先、ユグドラ空洞中心部から広がる焦土の大地ーー大木の木々は消え、焼け残った灰と荒れ果てた大地だけが残っていた。

 自然豊かな大森林が一度の魔法で破壊され、おまけに星の魔力が地上に溢れ出ている。

 傷付いた大地を癒すように星の魔力が溶け込み、竜型のモンスターが骨格から産み出されようとしていた。

 最強種の竜をモンスターとして産み出される瞬間にレーナ達は戦慄し、渦巻く膨大な魔力が竜の形へと変えて行く。

 

「拙いな、邪神眷属に加えて竜系のモンスターか」

 

「シャルル王子、鍛えた筋肉でどうにかできそう?」

 

「この鍛えた筋肉は竜に通じないことは既に証明済み……」

 

 試したの? シャルルの王子のそんな言葉を聴いていた全員がそんな疑いの視線を向ける。

 

「……まあいい、それよりも避難を急がせよ」

 

 どの道竜系のモンスターと邪神眷属を相手にしながら避難民を護ることはできない。

 それはシルフィード騎士団、レイ小隊、アトラス教会も共通の認識だった。

 だからこそ今は同じく巨樹都市ユグドラシルを目指してるスヴェン達と合流するのが先決だ。

 再び荷獣車に乗り込んだレーナとリーシャは走り出す荷獣車に揺られ、その場を急ぎ離れることに。

 しかし急ぐレーナ達を逃すまいと突如発生したモンスターが怒り狂ったように次々と迫る。

 ハリラドンが引く荷獣車にモンスターは追い付けないが、竜系のモンスターが放つ咆哮に激しく大地が揺れる。

 遠くに居る筈なのに近く感じる存在感、此処まで対応に遅れてしまうことにレーナは内心で懸念の表情を浮かべながらそれでも避難民を不安にさせまいと気丈に振る舞う。

 

「大丈夫よ、シルフィード騎士団があなた達を護ってくれるわ」

 

 今の自分にできることはこうして声をかけることだけ。

 レーナは自身の無力感を胸に邪神眷属と竜系のモンスターから遠ざかることに。



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22-9.合流・会議

 九月四日。邪神眷属復活から既に三日が経過し、スヴェン達とレーナ達はそれぞれのルートで巨樹都市ユグドラシルに到着しーー息つく暇も無く樹宮ミルディの会議室に通されることに。

 大円卓を囲む面々にスヴェンは視線を向け、シャルル王子とカルトバス森王が放つ威圧感に気押されるラウルの背中を軽く叩く。

 

「今は気迫に呑まれてる暇なんざねぇよ」

 

「……アニキ、そ、そうは言うけど平民のおれがこの場所に居るのって場違いなんじゃ?」

 

 まだ子供のラウルが弱気になるのも無理は無い。状況は決めて最悪中の最悪、邪神眷属と竜系のモンスターはしばらく睨み合っていたが昨晩に交戦を開始ーーその結果、破壊されたユグドラ空洞周辺地域はとてもではないが人が住むには厳しい環境へと成り果てた。

 たった数時間の交戦で竜系のモンスターは大地に及ぶ負荷を考慮したのか、自ら心臓を貫くことで果て。今もなお邪神眷属は悠然と上空に停滞している。

 あんな戦闘を遠目で見せられて心が折れても仕方ない。むしろ生きる為にわざわざあんなものに関わらずさっさと逃げ出した者は懸命と言えるだろう。

 

「まあ会議つってもアンタらガキ共が前線に出る事なんざねぇよ、責めて避難民に対する配給の手伝いだとかそんなところだ」

 

 ラウル、エルナ、ロイに視線を向けながらそう口にするとシャルル王子が語り出す。

 

「当然、未来有る子供達に邪神眷属封印作戦に参加させる事はしない。それは幾ら特殊作戦部隊であったとしてもだ」

 

 シャルル王子の決定にスヴェンは何も言わず従うように肯定した。

 彼の決定が正論であり、特殊作戦部隊もラウル達も化け物を相手にするには幼過ぎる。

 決して彼らの実力を侮ってる訳では無いが、今回ばかりは相手が悪過ぎた。

 

「そ、それは分かるけど……どうして会議の場に呼ばれたんだ?」

 

「緊急事態では有るが、若い子供達に経験を積ませるためさ」

 

 シャルル王子は笑みを浮かべながら穏やかな口調でそう言ってるが、恐らく自分達が倒れた時の保険も意味してるのだろう。

 彼の言葉に納得したラウル達はそれぞれ話を聴く姿勢を見せ、カルトバス森王が立ち上がる。

 

「さて、みなもの……如何にしてあの化け物を封印するか。その会議を始めるとしよう」

 

 会議の開催を宣言したカルトバス森王は大円卓の中心に水晶玉を転がし、水晶玉が中心で止まると魔法陣が浮かび上がり宙にオルゼア王の姿が投影された。

 それはまるでデウス・ウェポンで使われている天体モニターのような物で、スヴェンはリノンに視線を移すと彼女は笑みを浮かべながら片目を閉じて見せた。

 

 ーーなるほど、デウス・ウェポンで使えそうな技術を魔法で再現させたのか。

 

『ふむ、全員無事のようだな。こちらはいつでも魔法を使う準備は調っておるが使用は一発限り、それ以上は大地が持たん』

 

 一体何をする気だ? オルゼア王の発言にレーナを除いた全員が宙に投影された彼を凝視する。

 

『簡単こと、遠距離魔法を邪神眷属に喰らわせるだけのこと。しかしまぁ、一撃で片が付くとは限らん』

 

 一撃で片付くなら是非ともそうして欲しいが、オルゼア王が言った通りミルディル森林国の大地が持たない。

 既に最強種の竜がモンスターとして生み出された後だ。万が一更に大地が傷付けば死域を展開するモンスターが数体同時発生する事態になりかねない。

 

「オルゼア王の助力だけでも心強いものだ……して、問題は如何にして奴を封印するかだがーー」

 

 本題に移ろうとしたその時、背後から物音と騒ぎ声が扉越しから響く。

 

『な、何者だ!? ぁ……ぅっ』

 

 スヴェンはガンバスターを瞬時に引き抜き、扉の側に移動した。

 状況的に招かざる客が襲撃に来てもおかしくは無い。狙いは此処に居る王族か。いつでも襲撃者を討ち取れるようにスヴェンが扉の右壁に背を付ける。

 ゆっくりと開かれる扉に会議に参加していたシルフィード騎士団、レイ小隊とミアがそれぞれの武器を構える中、長い緑髪の女性が堂々と姿を現す。

 スヴェンはそんな彼女の首筋にガンバスターの刃を当て、

 

「動くな」

 

 脅しの意味とこれは本気だと殺気混じりの声で警戒した。

 

「ふぅ、エルロイ司祭の言う通りでしたね」

 

 嫌な名前にスヴェンの眉が動き、エルナとロイが驚愕を浮かべながら彼女の名を呼んだ。

 

「「セリア司祭!?」」

 

「はーい、2人とも元気でしたか? って悠長にあいさつしてる場合でもありませんね」

 

 セリア司祭から敵意は無い。それにエルナとロイの安心し切った表情を見るに彼女は穏健派に所属する司祭なのは明らかだ。

 スヴェンはガンバスターを彼女の首筋から退け、背中の鞘に納める。

 

「ってことはアンタがアシュナを保護した司祭か」

 

「あの子から貴方のことは聴いてますよ、それに安心してください。ルイとアシュナも安全な場所に避難済みですから」

 

「安全な場所? 今の状況で安全な場所って此処以外に有りますかね?」

 

 ミアの疑問にセリア司祭は微笑む。

 

「えぇ、ユグドラシル避難所に置いて来ましたよ。考えられる限り安全な場所はそこでしょうし」

 

 樹宮ミルディ内に併設されたユグドラシル避難所。確かにあそこは何重の防御結界に護られている。

 ミルディル全国民を収容した比較的安全な場所。だが、そこが地獄に変わるのは巨樹都市ユグドラシルが邪神眷属の手によって陥落した時だ。

 

「……セリア司祭っと言ったかしら? 貴女に何か秘策が有るの?」

 

「はじめましてレーナ姫。えぇ、万が一邪神眷属が復活した際の封印方法をエルロイ司祭から聴いています」

 

 封印方法が有る。全員セリア司祭の発言に息を呑んだ。

 

「方法は三つ。まず現実的では無い方法から……アトラス神の限定召喚です」

 

 その方法にいの一番に反応を示したのは、アトラス教会代表の一人として会議に出席していたリノンだった。

 

「本当に現実的じゃないわね……現状アトラス神を地上に召喚できるのは肉体の一部だけ。それも僅か1秒だけの召喚よ」

 

「1秒か……1秒ありゃあ奴に拳を叩き込めそうだが?」

 

「可能でしょけど、アトラス神の限定召喚には先ず国内に居る全アトラス教会の信徒を掻き集めて漸く魔力が足りるかどうかなのよ……むろん全魔力を使うことになるでしょうから戦闘参加は不可能になるわ」

 

「おお!」

 

「可能性が有るなら!」

 

「神の一撃だ、掠るだけでも相当のダメージが期待できそうかっ!」

 

 オルゼア王の魔法を合わせれば一撃で片が済む。大円卓会の会議所で安堵した声が次第に上がり始めるが、それはあらゆるリスクに眼を逸らした楽観的な思考に過ぎない。

 強大な一撃には当然大量の魔力が必要になる。そんな魔力をミルディル森林国、邪神眷属の探知範囲内で行使しようものなら確実にバレて阻止されるかアトラス教会の者達が全滅する恐れすら有る。

 それこそ一番避けるべきだ。おまけに一秒という制限時間かつ地上には放てず、狙うなら邪神眷属が停滞している上空に限られる。

 アトラス神の一部、その神の全長がどれ程かにもよるがーーやはり確実に当てるには近距離になってしまう。

 スヴェンはあらゆるリスクを想定した上で首を横に張った。

 

「リスクが高過ぎるな」

 

「えぇ、国内に居る450名の戦闘不能は痛過ぎるわ」

 

 レーナの同意を示す声にリノンも頷く。

 

「では、二つ目の方法を。……こちらの方法を話す前に先ず邪神眷属の現状をお話ししませんとね」

 

 そう言えば自分達は邪神眷属の現状を知らない。

 

「エルロイ司祭曰く、今の邪神眷属は過去最低クラスで弱いようです。というのも司祭を憑代に復活した邪神眷属は本来の姿に戻るのですが、一体どうやって復活したのか……不完全な方法による復活で本来の姿に戻っているのは極一部のみ」

 

「あ、だから右腕と頭部の角だけなんだ」

 

「察してる者も居るかもしれませんが今の邪神眷属の魔力は、そうですね……エルロイ司祭の話を統合すると一割未満でしょうか」

 

 不完全な復活で本来の魔力の一割にも満たない。それは正に化け物と呼ぶに相応しい存在だ。

 

「ですので二つ目の方法は、邪神眷属の憑代を壊すことです。恐らく封印の鍵が体内に取り込まれているでしょうが、弱れば弱るほど邪神眷属の魂は封印の鍵に引っ張られ始めるはずです」

 

 そこは恐らくエルロイでも確証が持てないのだろう。

 

「うむぅ……二つ目の方法が最も現実的だが、三つ目の方法を聴いても?」

 

 カルトバス森王の促しにセリア司祭が静かに答えた。

 

「最後の方法ですが、邪神眷属を異空間の最果てに追放することです」

 

 それはテルカ・アトラスでは無い何処かに飛ばすと言ってるようなものだ。

 無関係な何処かの異世界に邪神眷属が現れ被害を齎す。だが、テルカ・アトラスは厄介な爆弾の一つを物理的に排除した上で邪神復活を完全に阻止できる。

 しかしスヴェンは理解していた。第三の方法を良しとする者がこの場に誰も居ないことを。

 

「……三つ目の方法は論外だ」

 

「こちらの世界の問題を異世界に押し付けるのはなぁ」

 

「異界人を召喚したレーナ姫には耳の痛い話でしょうが、やはり異世界を犠牲にして得られる平和など……」

 

 会議に参加した者達が次々に第三の方法を否定する中、カルトバス森王が告げる。

 

「では我々は邪神眷属と戦い、奴を封印しよう! セリア司祭よ、邪神教団という立場を抜きに我々に助力してくれるかね?」

 

 邪神教団の穏健派である彼女にカルトバス森王が助力を求めたが、善意だけで助太刀はできないだろう。セリア司祭は元々邪神教団の司祭だ、穏健派が所属する組織の利になる交渉を持ち込むはず。

 スヴェンは静かに事の成り行きを静観すると、セリア司祭がカルトバス森王に告げる。

 

「条件を呑んで頂ければ構いませんよ」

 

「条件? 邪神教団を国教として認めることはできぬぞ」

 

「我々は邪神教団です、それは当然でしょう。我々、穏健派の要求……我々ミスト帝国を来月に開催される国際会議に参加させて欲しいのです」

 

 フェルム山脈の向こう側。濃霧が広がる大地の何処に存在していると言われているミスト帝国。

 スヴェンはミスト帝国に付いて何も知らないが、驚愕する王族やミアとレイの様子を見るにその国に属する者がこの場に居ること事態が可笑しいのだろう。

 

「待って、貴女はミスト帝国の国民だと言うの?」

 

「まぁ存在を知ったのも国籍を得たのもアルディア様が解放された後ですけど」

 

 魔王アルディア救出後に存在を知り国籍を得た。それは離脱したエルロイ司祭と合流後、ミスト帝国に匿われたということなのか?

 思案するスヴェンを他所にと隣に座っていたエルナが、

 

「あ、エルロイ司祭が大昔に建国したって話し本当だったんだ」

 

 そんな事を口にした。

 

「……はぁ〜色々と疑問は多いけれど、ミスト帝国が邪神教団の穏健派の拠点という認識で良いかしら?」

 

「その認識で構いませんよ」

 

『ふむ、お主の要求は理解したが参加するには他国の同意が必要ゆえ、こちらの一存では決められぬ』

 

「各国に書状を送るが、セリア司祭よ。我々は証明して欲しいのだ、邪神教団……いや、ミスト帝国が我々を脅かす存在ではないかどうかを」

 

「もちろんそのつもりですよ。その前に邪神眷属を封印しないことには始まりませんか」

 

「協力してくれるというのだな? それならばこちらも誠意を待って対応しよう」

 

 カルトバス森王はセリア司祭の元へ歩み、セリア司祭に握手の手を差し彼女は握手に応じるのだった。

 ふとスヴェンがオルゼア王の方に視線を移すと、一瞬だけ彼の背後に目の前に居る筈のカルトバス森王が映ったように見えた。

 

 ーー見間違いか? いや、王族なら影武者は用意しておくもんか。

 

 まさか公的な約束をした相手が影武者。ということは幾ら何でも考え過ぎだ。

 スヴェンは浮かんだ推測を捨て、

 

「思わぬ協力者も得たところで、会議を続けよう」

 

 カルトバス森王の宣言に耳を傾ける。

 邪神眷属をどうするのか具体的な方針は決まったが、まだ封印の過程は何も決まっていない。

 何処の部隊が先陣を切って攻めるのか、防衛戦力をどの程度残すのかも。

 スヴェンは会議が長引くことを予感しながら会議に臨んだ。



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22-10.王の一撃

 幾度も議論の末に決定された邪神眷属封印作戦。それはオルゼア王の一撃から始まり、シルフィード騎士団の主力部隊が邪神眷属の魔法範囲外から遠距離魔法攻撃で削り続ける。

 それが最初の第一段階、そこで封印可能であれば何も問題は無いが作戦の第二段階を浮かべたオルゼア王は息を漏らす。

 空中庭園に吐く風がマントを靡かせ、大剣を床に突き立てたオルゼア王はミルディル森林国の方向に視線を移した。

 

「アトラス教会による魔法攻撃……あの者達に被害が出る事は避けたいが」

 

 何の犠牲も無しに邪神眷属の封印など早速甘い考えだ。

 犠牲無しで再封印できるなら誰も苦労はしないだろう。尤も封印完了後もまたしばらく多忙な日々が続くことになる。

 オルゼア王はユグドラ空洞に大穴が生じたと話の中でしか知らないが、大地に生じた大穴と溢れ出る星の魔力。そして破壊された守護結界の修復。

 特に村や町はモンスターによって荒れ果て、混乱に乗じて野盗が盗みを働く始末だ。

 

「カルドバス森王よ、今回の件でエルリア側は復興金を寄付しよう」

 

 オルゼア王は背後に居るカルトバス森王に語りかけ、

 

「すまないな、友よ。しかし今後の事も大事では有るが今は邪神眷属が先決か」

 

 彼は申し訳なさそうに眉を歪めていた。

 こんな時でも無ければ同盟国としてしてやれることは限られている。

 しかし、彼の言う通り今は邪神眷属に対して行動を起こすのが先だ。

 オルゼア王は陰る空を見上げ、悠々と飛ぶ竜王に鋭い笑みを浮かべる。

 突風がマントを揺らす中、突如目の前に姿を現した竜王にオルゼア王は動じた様子を見せず、

 

「今から邪神眷属に魔法を放つが、一発殴りに行くか?」

 

 静かに彼に語り掛けた。

 当の竜王は表情を変えず、ミルディル森林国に視線を移す。此処からでも感じ取れる邪神眷属の魔力と威圧感に竜王は眼を細める。

 

「……ぬぅ、かつてほどの力は出せないようだな。我が出向くには弱過ぎる」

 

 竜王の声には落胆が込められていた。それは無理無いことだ、神を抜きにすれば竜王は最強の存在。彼とまともに戦える存在などこの世には何処にも存在しない。

 仮に邪神眷属が完全復活したとしても竜王には及ばないだろう。ただ、その時が来れば間違いなく人類は未曾有の被害を被ることにはなるが。

 

「それに我の竜血石を託した者があの地に居る。大地の負担を考えれば我が出向かないことこそ最善と言えるだろう」

  

 既にミルディル森林国は星の怒りによって竜系のモンスターが発生した。

 それは大地に凄まじい負担と自然破壊故の自浄作用によって。

 幸い人類に牙を向けなかったからこそレーナ達は無事に合流できたのだが、本来のモンスター同様人類の排除を優先していたらどうなっていたことか。

 いや、間違いなく愛娘とシャルル王子達を喪うことになっていた。

 

「うむ、これ以上の負担は危険すぎるな」

 

 竜王が静かに頷き、カルドバス森王が見護る中、オルゼア王は訪れる時間に魔力を高める。

 下丹田の大量の魔力、それこそこんな事態でも無ければ使い道が限られる大量の魔力を圧縮させ、全身に流し込む。

 身体から溢れ出る魔力の奔流が空中庭園に拡がり、メイド達が懸命に育て、レーナのお気に入りの花壇が魔力の奔流を受け吹き飛ぶ。

 

 ーーしまった! 少々気合を入れ過ぎてしまったか!

 

 これは後でレーナとメイド達に叱られる。いや、オルゼア王はそれも覚悟の上で一割の魔力で魔法陣を宙に描く。

 多重構造式の魔法陣を展開したオルゼア王は詠唱を唱える。

 

「『我が魔よ、重き螺旋の球体となりて古の眷属に破滅を』」

 

「『星に備わりし重みよ、かの者を大地に押し潰せ』」

 

 オルゼア王の詠唱と共に多重人格構造式の魔法陣に重力を帯びた魔力が螺旋状に集い、球体を形造る。

 オルゼア王は完成した重力の球体をそのまま邪神眷属に向けて放った。

 

 ーーズゴォォォッ! 

 

 凄まじい速度で重力の力場が空間を歪めながらミルディル森林国の方向に飛ぶ。

 

「友よ、今更なのだが……当たるのか?」

 

「先程の魔法陣には術者が強く思い描いた対象に飛ぶように魔法式を加えて有る。外れる事は無いが防がれる可能性は充分に有り得るだろう」

 

「あの魔力と重力の力場だ、防げたところで大地に押し潰れるか。随分と凶悪な魔法だな、エルリアの王よ」

 

「いやまだまだ。あの魔法にはまだ改良の余地が充分に有る……4年前にフィルシスの斬撃で斬り裂かれておるしなぁ」

 

 愛弟子のフィルシスは人の身でありながら剣一本で重力の球体を斬り裂くことで防いでみせた。

 あの時は驚嘆し、同時に若者の可能性と成長振りに心躍ったものだ。

 オルゼア王が笑みを浮かべる中、カルドバス森王がぽつりと呟く。

 

「我が子も可笑しな方向に成長しておるようだが、フィルシス騎士団長のように人の道を外れて欲しくはないなぁ」

 

 カルドバス森王の呟きに竜王は大笑いし、オルゼア王はまだ人の範疇だと述べながらレーナ達の無事を密かに祈るのだった。



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22-11.作戦開始

 スヴェンはアトラス教会の執行者部隊に混じり、なぜ自身が此処に配属されているのか疑問視しながら会議を思い返す。

 だが、いくら思い返した所で思い当たる節が無い。いや一つだけ心当たりが有るとすれば隣でクロスボウを片手に魔力を練り込むリノンか。

 

「なあ、なぜ俺はこんな場違いの場所に配属されてんだ?」

 

「スヴェンは何処に組み込んでも仕事するじゃない。それに此処は邪神眷属に近い場所よ、貴方の銃弾が届く射程範囲内……」

 

 アトラス教会の執行者が布陣するこの場所は邪神眷属の魔力が届く範囲外にしてオルゼア王が放つという魔法の範囲外だ。

 作戦では後方部隊のシルフィード騎士団が遠距魔法による支援を加え、アトラス教会の執行者が接近戦を仕掛ける。

 その都度敵の動きによってシルフィード騎士団が突撃を仕掛ける手筈になっているが、後方部隊の配置は邪神眷属まで距離が有る。

 恐らく戦闘開始からしばらく持ち堪えなければシルフィード騎士団の突撃は成功しないだろう。

 スヴェンは作戦を振り返り、改めて邪神眷属に視線を移す。

 それにしても当の邪神眷属は依然として動かない。

 既に囲まれている状況下で邪神眷属が魔法の射程範囲に動かないことに違和感を抱き、警戒せずにはいられない。

 

「射程範囲ってのは分かるが、奴はなぜ射程範囲に動かない? それとも既に奴の射程範囲なのか?」

 

「可能性としては有り得るわね。でもそれは全員想定内の範疇よ、問題はセリア司祭が邪神眷属に捕縛されること。それだけは何がなんでも防がなきゃね」

 

 リノンの口から出たセリア司祭に対して周囲のアトラス教会の執行者が眉を歪めていた。

 無理もないつい先日まで敵対していた邪神教団が穏健派を名乗り協力しているのだ。戦場によって敵味方の立場が急変する事はザラに有り、スヴェンにとっては慣れたものだが彼等が折り合いを付けるには時間が足りない。

 

「連携にはまだ互いに蟠りが強過ぎる、か」

 

「当の部隊は遥か後方、レーナ姫達の防衛だからどの道突破される訳にはね」

 

「アトラス教会、シルフィード騎士団、レイ小隊長に邪神教団の部隊か。突破は困難だろうが相手は人外だ、人の常識は通じねえんだろうな」

 

 モンスターとの戦闘経験は充分に有るが人外相手には経験が少ない。いや、人外級の覇王エルデ、不死のエルロイ、人間を辞めてるフィルシス騎士団長を考えれば多少は気が楽になるか。

 思考を浮かべていたスヴェンは遠くから強大な魔力を感じ取りガンバスターを構えた。

 そして全員がエルリア方面の上空に視線を向けると、ソレは空間を歪ませながら邪神眷属に向かって直進していた。

 此処からでも判る魔力の圧力と圧縮された重力の球体ーー魔法で重力を操れんのかよ!

 重力操作は特別な機器や演算処理が無ければとてもでは無いが人が単独で操れる力場じゃない。それを魔法として放ったオルゼア王にスヴェンとリノンの二人は絶句する他になかった。

 

 ーーって絶句してる場合じゃねえっ!

 

 刻々と迫る重力の球体に気付いた邪神眷属が、

 

「なんだこの魔法はっ!?」

 

 困惑を浮かべ禍々しい障壁を展開し、重力の球体に対して防御を試みた。

 アレが重力を圧縮した物なら防ぐことは悪手だ。その証拠に重力の球体が禍々しい障壁に接触した瞬間、障壁は空間ごと捻れ押し潰されーー歪んだ空間と重力の力場が邪神眷属を襲う!

 邪神眷属が異形の右腕を突き出し重力の球体を抑えるが、異形の右腕が捻れ重力の力場に飲み込まれる。

 

 ーーベキベキ、ベキョッ! 

 

 重力の球体に呑まれた異形の右腕から肉と骨が潰れる音が響き渡り、邪神眷属は呑み込まれた異形の腕を強引に動かすことで重力の力場を利用する事で自らの腕を切り離す。

 このままではまともに魔法を受けると理解した邪神眷属が漸くその場から動く。

 邪神眷属に向かって再び動き出す重力の球体。それならやるべき事は一つしかない。

 スヴェンが邪神眷属に向けて銃口を向け、リノンがクロスボウを向ける。そして事前に詠唱完了されていた魔法が邪神眷属に一斉に放たれる。

 

「こ、小賢しいっ! 人間如きの魔法でっ!」

 

 降り注ぐ魔法の矢が邪神眷属の動きを止め、重力の球体が背後に迫る。

 邪神眷属は魔法を放つ部隊よりも背後から迫る重力の球体に意識を向けていた。

 邪神眷属に対して殆ど効かない魔法よりもオルゼア王が放った魔法の方が脅威だ。故に邪神眷属は重力の球体を防ぐことに集中しているためそこが狙いどころだ。

 スヴェンはリノンの呼吸に合わせ、魔力を流し込んで引き金を引く。

 ズドォォーーン!! 銃声を隠蓑にリノンが光を纏ったボルトを放つ。

 雷を纏った弾頭と光を纏ったボルトが背を見せた邪神眷属を貫く。

 スヴェンとリノンは入れ替わり立ち替わり、波状に仕掛け邪神眷属の視界から逃れながら死角から立て続けに攻め込む。

 

「ぐぬっ!?」

 

 全身を穿つ雷と光の柱が邪神眷属を襲い、邪神眷属が蹌踉めく中ーー目前に迫っていた重力の球体に肉体が呑み込まれ、重力の球体が地上に降りた。

 重力の球体が大地に触れているにも関わらず、大地が魔法に巻き込まれる様子が見えない。

 オルゼア王が大地に傷を付けないように魔法陣に術式を加えたのだろう。

 それは判るが邪神眷属の悲鳴が聴こえない。暴れ狂う重力に人体など到底耐え切れない。いくら邪神眷属と言えども肉体の九割近くが人間の身体なら持たないだろう。

 そう思いたいが、スヴェンとリノンは眉を歪めた。

 普通なら身体を欠損させる.600LRマグナム弾が直撃したにも拘らず、奴に与えたのはせいぜいが銃頭程度の風穴のみ。

 本来なら衝撃が拡がり、直撃した箇所を中心に肉体が損壊するのだがその様子は無かった。

 

「肉体の強度も魔力によって増してんのか」

「これも邪神の加護ってヤツね」

 

 スヴェンとリノンが警戒を向ける中、突如重力の球体に亀裂が走る。

 邪神眷属が内部で魔法を使い重力の力場に抵抗しているのか。

 スヴェンが推測する中、ますます重力の球体に亀裂が拡がる。

 

「ま、拙い! 総員魔法用意!」

 

 アトラス教会の執行者を指揮する司祭の指示に執行者が魔法を唱えた瞬間、重力の球体が弾け飛び血塗れの邪神眷属が魔力を激らせながらこちらを睨む。

 漸く敵として認識されたが、邪神眷属が一瞬で距離を詰めーー空に左掌を翳し。

 

「死ね『汝らに滅びを』」

 

 短い詠唱、魔法陣から禍々しい閃光が空に放たれた。

 邪神眷属が距離を取る中ーーアトラス教会の執行者が居るこの場所に向けて降り注ぐ。

 スヴェンとリノンは同時に駆け出し、降り注ぐ閃光の中を駆け抜けながら邪神眷属との距離を詰める。

 だが駆け巡り中、執行者が次々に閃光に貫かれ地面に倒れ臥すーー肩を貫かれ、またある者は腕に掠っただかな即死していた。

 そこから判るのは何処に当たろうとも即死する魔法だということだ。

 掠るのも危険だと判断した執行者も閃光の雨を掻い潜り、邪神眷属との距離を詰める。

 同時にシルフィード騎士団から放たれた魔法が邪神眷属に降り注いだ。

 それは断続的に、魔法の終了と共に次々に魔法が放たれ邪神眷属の足を止める。

 

「鬱陶しい羽虫程度の魔法がっ」

 

 だが、不完全とはいえ邪神眷属だ。そんな相手が何も出来ず一方的に集中砲火に曝されてるほど甘い手合いではない。

 邪神眷属は頭部の角に圧縮させた魔力を集中させ、魔力の閃光を角から放つ。

 魔法ごと薙ぎ払われるアトラス教会の執行者。スヴェンとリノンは跳躍する事で閃光を避け、互いの獲物で降り注ぐ閃光を防いだがーー邪神眷属を中心に薙ぎ払われた閃光が大地を燃やし、シルフィード騎士団の魔法を打ち消しアトラス教会の執行者部隊の大半が閃光に呑み込まれ跡形も無く消し飛ぶ。

 死体さえ残さない魔法にスヴェンは戦意を高揚させ、殺意と共に魔力を練り込む。

 縮地によって邪神眷属の背後に回り込んだスヴェンは竜血石製のガンバスターを薙ぎ払う。

 魔力で形成させた刃が邪神眷属の背中を斬り裂き、リノンが放ったボルトが邪神眷属の右眼を射抜きーー彼女の左手から放たれた光の光弾が邪神眷属の角を折る。

 まだだ、まだ邪神眷属の魔力は減っているが再封印に至る様子は見えない。

 スヴェンとリノンは入れ替わり立ち替わり、波状に仕掛け邪神眷属の視界から逃れながら死角から立て続けに攻め込む。

 魔力消耗の影響か、確実に邪神眷属にはこちらの攻撃が効いている。

 その証拠に憑代から鮮血が流れ、傷口から瘴気が抜け出る。

 確実に効いているがアトラス教会の執行者部隊の大半が消滅してしまった。

 

「……脆弱な人間がっ。邪神様に生み出された我に傷を付けるなど!」

 

 どうやら安っぽいプライドを傷付けてしまったようだ。

 スヴェンとリノンは同時に邪神眷属の視界から外れるように動き、死角から再び攻め込む。

 ガンバスターに形成された魔力の刃を袈裟斬りに振り、邪神眷属の障壁によって刃が防がれ魔力と火花が散る。

 

「貴様から死ね」

 

 障壁から刃を遠ざけ、その場から離脱する。

 本来なら可能な動きが障壁が生む力場によって身体が吸い寄せられ思うように動けない。

 魔力による引力とも言うべきか、不自然な力の流れが身体を引き寄せている!

 邪神眷属の左腕に集まる禍々しい魔力、それで貫いてやると言わんばかりに邪神教団が舌を舐めずる。

 動けないならやる事は一つだ。スヴェンはガンバスターに魔力を送り込み、魔力の刃を巨大化させ押し斬るように振り抜く。

 次第に障壁に亀裂が走り、

 

「……間に合わんよ」

 

 スヴェンの目前に禍々しい魔力の光が集う。やるだけの事はやったが、それでもまだ死ぬ訳にはいかない。まだ目的を達していない状況で死ねるか。

 スヴェンは諦める事なく邪神眷属に殺意を宿した眼孔で睨み、

 

「き、貴様! 我に殺気を向けるとは!」

 

 禍々しい魔力の光が放たれんと膨張を始めた瞬間、スヴェンの身体を鎖が巻き付き。

 

「「「せいやぁ!」」」

 

 リノンとアトラス教会の執行者達の掛け声と共にスヴェンの身体は引っ張られ、宙を舞う。

 寸前の所で禍々しい魔力のレーザーが虚空を穿つ。あとほんの僅かに遅ければ心臓が貫かれていたことだろう。

 しかしこの程度の危機は戦場では常だ。スヴェンは宙から銃口を向け、邪神眷属に引き金を引いた。

 今度は圧縮した魔力を.600LRマグナム弾に込めて。



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22-12.眷属

 圧縮した魔力を込められた.600LRマグナム弾が邪神眷属の心臓を撃ち抜く。

 魔力を消耗した影響が現れたのか、邪神眷属の胸から右半身が損壊し邪神眷属の血反吐と肉片が地面に振り撒かれる。

 スヴェンは地面に着地し、鎖を解きガンバスターを構え直す。

 心臓は既に潰された。後は体内に有る封印の鍵が邪神眷属を再び再封印するだけ。

 人間の身体は既に死んでる筈だ、あとは再封印だけで終わる筈なのだが、邪神眷属は未だ倒れず。

 

「……アガァッ、ま、魔力。足りぬ……寄越せッ!」

 

 邪神眷属の影から伸ばされた影の手がリノン達の足元に絡み付く。

 

「こ、これは……!」

 

 影の手にアトラス教会の魔力が吸われているか、邪神眷属に魔力が戻り始める。

 このままでは振り出しだ。加えてこちらは既にアトラス教会の執行者部隊の大半が壊滅してる状況。

 まだシルフィード騎士団が無傷とは言えこれ以上の損害は後々に影響を残す。

 スヴェンは再び地を蹴り、邪神眷属に唐竹を放つ。

 頭部から喉まで斬り裂いたガンバスターの刃が突如として止まる。

 引き抜こうにも刃はビクッとも動かず邪神眷属が忌々し気にこちらを睨む。

 

「また貴様か。よくも邪魔をする」

 

 スヴェンの周囲に魔法陣が浮かぶ。しかしガンバスターは依然と抜けず、このままでは魔法によって殺される。

 ガンバスターを手放し離脱することは可能だが、タイミングを誤れば避けた位置に魔法を打ち込まれる。それに魔力を強引に吸われた影響か、リノン達は膝を着き動けない。

 スヴェンは魔力の流れを見極め、

 

「『矢を貫け』」

 

 魔法陣から禍々しい矢が放たれた刹那の一瞬、スヴェンはガンバスターを手放しその場を縮地の応用で離れる。

 クロミスリル製のナイフを五本引き抜き、邪神眷属の周囲を駆けたスヴェンは魔力を流し込んだ三本のナイフを投擲。

 左腕関節、両脚関節に突き刺さるクロミスリル製のナイフに邪神眷属の眉が歪む。

 リノン達から奪った魔力は邪神眷属にとって相性が悪いのか、

 

「……ぐっ、魔力が合わぬ。我の力にならぬ魔力など」

 

 邪神眷属の身体が蹌踉めく。

 

「遅れてすまぬ! 総員突撃!」

 

 後方部隊から到着したシルフィード騎士団がシャルル王子の指揮のもと突撃を仕掛けた。

 風を纏った槍を突き出しながら突撃を仕掛けるシルフィード騎士団とリノン達の救護に向かう騎士達にスヴェンは油断せず、残していた二本のクロミスリル製のナイフに魔力を練り込む。

 そして魔力の刃を纏わせ邪神眷属に迫った。

 邪神眷属の身体を風を纏った槍が次々と貫き、シルフィード騎士団に対して邪神眷属が瘴気を纏った剣を魔力で生み出し、そのまま一閃。

 騎士達の上半身が泣き別れし、地面に崩れ落ちる。

 突撃したシルフィード騎士団を瞬く間に蹂躙し、殺し続ける光景にスヴェンの眉が歪む。

 まだそんな余力と抵抗力が有るのか。これで推定一割未満っと全盛期に遠く及ばない力。

 邪神眷属の強さを改めて実感したスヴェンはそれでも怯む事なく二本のナイフを同時に振り抜き、魔力の刃で邪神眷属の左腕を斬り飛ばした。

 

「腕が無くとも」

 

 邪神眷属の蹴りが腹部に突き刺さる。押し流される魔力に腹部から骨が軋む音が響き、身体が弾かれる。

 蹴りが当たる直前、下丹田の魔力を解放する事で辛うじて防ぐ事は出来たがそれでも骨は折れ、内臓と臓器がイカレタ。

 血糊を地面に吐き出し、邪神眷属が振り落とす踵落としを横転することで避けるも地面を深々と抉り、解放された力が衝撃波として襲う。

 身体がまた弾き飛ばされ、衝撃波の影響で二本のナイフまで弾かれてしまった。

 おまけに邪神眷属の頭部に未だ突き刺さったままのガンバスターが有る。

 スヴェンは身体に魔力を流し込み、再び駆け抜けようと足に力を入れた瞬間、口から血が溢れ出た。

 

 ーー流石に内臓と臓器がイカレタ状態で力を入れ過ぎたか。

 

 邪神眷属は両腕を失い、魔力も風前の灯火。あと少しの状態だと思いたいがまだ倒れる訳にはいかない。

 スヴェンは血反吐を吐こうが御構い無しに拳を構える。

 邪神眷属を睨み、隙を窺う中ーー邪神眷属が不敵に嗤った。

 既に何かされたか、スヴェンがそう理解した時には既に地中から何かが這いずる。

 反応が完全に遅れた。思考が追い付かない。動けば避けれるにも関わらずスヴェンの身体は動かない。

 地面から突き出された禍々しい槍が迫る中、スヴェンの前に赤い髪が割って入った。

 

「かはっ!」

 

 禍々しい槍をリノンの腹部を貫き、鮮血がスヴェンに掛かる。

 

「リノン……アンタはまたっ!」

 

 まただ。また相棒(リノン)と同じように庇った。

 腹部から引き抜かれる禍々しい槍、出血が大地を汚しながらリノンが仰向けに地に倒れかけーースヴェンは彼女の身体を抱き止めた。

 苦痛に身体を歪めながらリノンは笑みを浮かべようと口元を動かし、

 

「だいじょうぶ、こんどはだいじょうぶよ」

 

 目を瞑った彼女の腹部から溢れ出る淡い緑の光が傷を塞ぎ始めていた。

 ミアの治療魔法には遠く及ばないが、それでも命を繋ぎ止める事は可能だということが判る。

 耳元を近付ければ浅い呼吸音と心臓の鼓動がしっかりと耳に届く。

 リノンは気を失っただけでまだ無事だ。 

 また死なせてしまうのかと後悔が一瞬芽生えたが、生きてるリノンにスヴェンは安堵の息を吐き、下丹田の魔力を全て全身に流し込む。

 数分も持たないが、今の邪神眷属を相手にするには充分な魔力だ。

 スヴェンがリノンを置いて立ち上がろうとすると。

 

「スヴェン殿交代だ。すぐにミア殿も駆け付けるはず、負傷者を連れて離脱したまえ」

 

 全身に魔力を纏い筋肉を活性化させ、熱気を放つシャルル王子の腕がスヴェンを止めた。

 立ち上がろうとするが彼の単純な腕力に動けない!

 

 ーーこ、こいつ! 始めて会った時も思ったが、こっそり肉食ってたろ!

 

 そうでもしなければ菜食主義がそこまで肉体を鍛え上げることは難しい。

 

 ーーいや、落ち着け。今は戦闘に集中すべきだ。

 

 スヴェンが再び立ち上がろうとした時には、既に肩の圧力は無く。代わりに凄まじい突風と衝撃波が大地を揺らす。

 何事かと目を向ければ邪神眷属に打撃を打ち込み、地面に殴り付けたシャルル王子の姿だった。

 シャルル王子はガンバスターを引き抜き、それをこちらに投げる。 

 柄を掴み背中の鞘にしまったスヴェンは目の前の光景に眼を見開く。

 

「まだまだぁっ!」

 

 邪神眷属に対して交互に打ち込まれる高速の打撃に空気が震撼する。

 徐々に地面にめり込む邪神眷属と尚も続く打撃の嵐。魔力を纏った一撃は重く衝撃が地面を揺らすのも無理はないことだった。

 シャルル王子が繰り出す打撃の嵐は既に邪神眷属の顔を原形も無く粉砕し、腹部から神聖とも言える光が見え始めていた。

 

「封印完了まで貴様を殴り続ける!」

 

 それは恐ろしい死刑宣告だ。既に頭部が無くなった邪神眷属は足を必死に動かすことで抵抗の姿勢を見せているが、肝心の口がなければ詠唱はできない。

 そもそもシャルル王子の打撃を一発受けることに邪神眷属の下丹田から禍々しい魔力が消えていく。

 同時に神聖な光が輝きを増す。シャルル王子がトドメの一撃を振り翳す。

 魔力を纏った右拳が邪神眷属の腹部を抉り、封印の鍵が放つ神聖の光が憑代から邪神眷属の魂を引き剥がした。

 神聖の光が鎖を作り出し魂に絡み付き、封印の鍵に吸い込まれる。

 憑代は既に死に封印の鍵によって邪神眷属は漸く再封印された。

 

「終わったか……しかし突撃部隊は全滅、執行者部隊も壊滅的被害を受けた」

 

 これは果たして勝利と言えるのか。浮かない表情を見せるシャルル王子にスヴェンはリノンを抱き抱えながら彼に歩み寄る。

 

「スヴェン殿よ、俺がもっと早く駆け付けていたら状況は変わったか?」

 

 シャルル王子は全魔力を練り込むに時間を要する。それには集中力を有し動きながら練り込むことは彼でも困難な技術だった。

 加えて突撃部隊を指揮しながら距離的な問題も埋められず。仮にハリラドンに騎乗し突撃を仕掛けられたなら距離の問題は解決できただろう。

 しかし、黒いハリラドンを除きシルフィード騎士団が保有するハリラドンは邪神眷属に怯え近付くことを拒んだ。

 幾ら勇敢な生物と言えども本能には抗えない。

 そもそもハリラドンを使えた状態ではシャルル王子が魔力を練り込む時間が足らず、前線に配置された全部隊は全滅していた。むろん自身を含めてリノンまでも死を迎えていた筈だ。

 

「いいや、アンタの膨大な魔力を練り込むには時間がかかる。それを踏まえた上での最後の詰めだったんだ……むしろ下手に駆け付けるのが早過ぎれば奴はアンタを警戒してたろうな」

 

「そうか……戦いに犠牲は付き物と言うが果たして勝利と言えるのか?」

 

 不完全な形で復活した邪神眷属を再封印できたが、完全な勝利とは対象を殺害してこそ始めて得られる。

 今回の戦闘を勝利と言うには厳しい。厳しいが戦死者は無駄な犠牲と切り捨てるには惜しい。

 

「アンタは王族だ、直に邪神眷属と一戦交えた唯一の王族なんだ。今回の件や対策を後世に正確に伝え遺した時が勝利と言えるかもな」

 

「……厳しいことを言うのだな。いや、今は宣言が先か」

 

 シャルル王子は拳を空に突き出すことで魔力を解き放つ。

 空を貫く魔力。それは事前に決めていた再封印成功の合図だ。

 これで後は後方部隊とミア達と合流して治療を受ければーー突如スヴェンの目の前が歪み、視界が暗転した。



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22-13.顛末

 スヴェンが眼を覚ますと何処かのベッドの上で、月明かりが差し込んでいた。

 一体どれだけ気を失ったのか、少なくともベッドの側でうつ伏せに眠るミアとラウルを起こさず現状を把握しなければ。

 特に邪神眷属の魔力を込められた槍に貫かれたリノンは治療を受けて一命を取り留めたのか。

 一刻も早く確かめたいところだが、看病疲れで寝ている二人を起こす訳にも。

 

「どうしたもんか」

 

 一人ぼやくっとミアが唸り声と共に身体を起こし、眠たげな瞳で眼を擦った。

 

「んー? あ、スヴェンさんも目が覚めたんだね」

 

「あぁ、さっきな……リノンや他の連中は?」

 

 何か知ってる筈のミアに訊ねると、彼女は深妙な眼差しを向けて来る。

 まさかリノンに何か遭ったのか。邪神眷属から受けた傷の影響が思わしくない方向に悪化してしまったのか。

 スヴェンは嫌な予感を感じながら冷静にミアに耳を傾ける。

 

「先ずはスヴェンさんの容態から説明させて」

 

「俺の容態? アンタの治療魔法なら傷付いた内臓も臓器も元通りだろ」

 

「それはそうだけどさ、酷い状態だったんだよ? 折れた骨の破片が臓器に貫通してたり、内蔵はぐちゃぐちゃで……」

 

 スヴェンは自身の腹部に触れ、痛みも無くミアの魔力残滓が体内から感じることから完璧に治療されているのだと理解した。

 

「邪神眷属相手にその程度で済んだって喜ぶべきか。奴が放った魔法に執行者が大分殺されちまったからなぁ」

 

「そう、だね……400人以上の戦死者だって」

 

 四百人以上の戦死者。それ以前に少なくとも守護結界の破壊によって民間人に大多数の犠牲者も出ている。

 不完全な復活を遂げた邪神眷属一人が齎した被害は重く受け止めるべきだ。

 

「今回の件で受けた被害は相当だろ……アンタらはしばらく支援活動で残るのか?」

 

「この国にも優秀な治療師や医者、それこそ闇医者を含めて揃ってるよ。それに守護結界は既に修復が完了してるから後は結界内部に取り残されたモンスターの掃討で今回の一件は一応の落着と言えるかもね」

 

「そうか……俺の容態も犠牲者も聴いた。リノン、アイツはどうした?」

 

「リノンさんの傷事態は塞がってるんだけだ、体内に邪神眷属の魔力残滓が残った影響でしばらくエルリア城で集中治療が必要なの」

 

 邪神眷属の魔力残滓。あの禍々しい魔力から放たれる魔法はどれも即死級のものだった。

 リノンが受けた魔法は、邪神眷属の魔力が消耗した際に放たれたもの。その影響で大事に至らなかった考えれば不幸中の幸いか。

 それとも魔力残滓を取り除かなければ悪影響を受けるのか。

 

「邪神眷属の魔力残滓の影響ってのは?」

 

「邪神眷属の魔力は闇と瘴気、それから今回無数の魂を取り込んで生成された魔力なの。簡単に言えば常人にとって猛毒よ」

 

「……大丈夫なのか?」

 

「普通は発狂するか、最悪即死しても可笑しくは無いんだけど、リノンさんは事前に治療魔法の中に浄化魔法も仕込んでいたから助かったみたい」

 

 そういう抜け目のない所も相棒(リノン)と同じだ。いや、元々魂が融合した存在だからこそデウス・ウェポンの経験を役立てたのだろうか。

 なにはともあれリノンが無事ならそれで良い。スヴェンが息を吐くと、何か聞きたげなミアの視線に気付く。

 

「何だ? あぁ、そういえば姫さん達は?」

 

「姫様ならシャルル王子の手伝いで今も避難民に寄り添ってるよ。あとレイ達は明日から始まるシルフィード騎士団と合同でモンスターを掃討するって」

 

「寝てる間に色々と決定してんだな。そこで爆睡してるラウルはともかく、ロイとエルナはどうした?」

 

「あの子達は別の所で休んでるよ。でも2人ともスヴェンさんのことすごく心配してたから気に掛けてあげてよ」

 

「あぁ、善処はする。アンタの世話にもなったな」

 

「私のことは別に良いよ。治療が私の本文だからさ」

 ミアが治療なら任せろっと胸を張る様子は、頼もしいものだった。

 実際に治療魔法一つで損壊した内臓や臓器を完全に再生できる者はミアを置いて他に居ないだろう。それこそ後遺症も無く治療してしまえるのだから、ある意味で再生治療装置以上だ。

 

「アンタの治療魔法には何度も助けられてんな」

 

「助けられついでにさ、聴いても良いかな?」

 

 聴いて良いのか迷いを見せるミアにスヴェンは眉を歪めた。

 

「俺が答え難いことなのか?」

 

「そりゃあね、スヴェンさんの過去も聴きたいけど。それ以上にリノンさんとの関係が気になるかな。姫様も気にしてるみたいだったし……」

 

 リノンとの関係を改めて問われ、スヴェンは答えに詰まった。

 相棒(リノン)は自らの手でデウス・ウェポンで殺した。その時点で相棒(リノン)は死者だ。 

 その筈だったのだがテルカ・アトラスのリノンと相棒の魂は融合し、リノンはデウス・ウェポンの記憶を有している。

 それこそ不可分無く完全に記憶が有る状態だ。

 そのリノンに対してどんな関係かと問われれば、やはりどう答えるのが正解なのか。いや、答えなど明白で迷う必要も無い。あの時、相棒を殺した時から。

 テルカ・アトラスのリノンはリノンであり、一時的に共闘した間柄に過ぎない他人ーーいや、他人ってよりも知人の方が適切か。

 

「あー、アイツはかなり複雑な状態だが関係性で言えば知人だな」

 

「リノンさんが言ってた通りの返答だぁ〜」

 

「つまんねえ解答で満足したか?」

 

「つまんなくはないよ。スヴェンさんにも思う所は有ると思うし、それにリノンさんとはエルリアでいつでも会えるようになるからね」

 

「……アイツがんな状態なったのは俺が原因のようなもんだからな、時間を作って見舞いぐらいはする」

 

「それが良いよ、私もスヴェンさんに依頼出すってやっと決断できたことだし」

 

 唐突に切り出されたミアの依頼の件にスヴェンは苦笑を浮かべた。

 

「随分唐突だな」

 

「……邪神眷属を見て思ったんだ、いつどんなきっかけで故郷を救う糸口を失っちゃうかもって。そう思った時にはね?」

 

 果たしてミアの期待通りに故郷を救えるのか。それに関して迷う必要は無い。

 いつも通り準備を進め仕事に臨むだけのことだからだ。

 

「アンタの悩みは判ったが、先ずは具体的なことを話して貰わねえと正確な判断はできねえぞ?」

 

「依頼の事は一度エルリア城に戻ってクルシュナ副所長と詳しく話すよ。スヴェンさんには危険性も隠し事無しに全部話したいから」

 

「ああ、正確な情報を頼む。ま、アンタは存外嘘を付けねえ性格だ。その辺は何も心配しちゃぁいないさ」

 

 時獄に閉じ込めれたというミアとレイの故郷。故郷の内部がどんな状況で何をすれば解決するのか、そこは入念に話し合わなければならない問題だ。

 

「うん、詳細は後でね。……そろそろ私も行くね。あっ、依頼の件を言っておいてなんだけど、絶対安静にね!」

 

 ミアの念を押す言動にスヴェンは静かに頷き、彼女が部屋を立ち去るとラウルの寝息が室内に響き渡る。

 スヴェンはラウルを叩き起こし、彼を用意された部屋に帰してから眠るのだった。



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22-14.帰国へ

 九月六日の昼頃、スヴェンはラウル達と共にレーナが待つ貴賓室に通されていた。

 レーナが座る椅子の両側を護るように立つレイと彼の部下に当たる若い騎士の三人。

 

「そちらに座って」

 

 レーナに着席を促されたスヴェン達は対面の椅子に座る。そしてスヴェンは護衛の彼らに視線を向け、

 

「ミアはどうした? アイツは一応護衛の1人だったろ」

 

 レイに問うと彼はため息混じりに答えた。

 

「彼女は朝早くから怪我人の治療に当たってるよ。今日が出発する日という事は伝えてあるんだけどね」

 

 自分の出来ることをやる。それがミアという少女の生き方なのだろう。

 それに対してスヴェンはとやかく言う気も無ければ、微笑むレーナに視線を移す。

 

「アンタが連れて来た優秀な治療師は何処に行っても引っ張りだこだな」

 

「えぇ、怪我人には親身に接する優しい子だから避難民にも人気が高いみたいなのよ」

 

 ミアが重宝され慕われていることに、レーナはまるで自分のことのように喜んでいた。

 それは純粋な友愛から来る感情だ。レーナの純粋な眼差しと暖かさを感じる瞳を前にすれば邪推する者など居ないだろう。

 スヴェンとレーナの軽い雑談に痺れを切らした若い騎士の一人ーーリジィが進言した。

 

「姫様、雑談も良いですが本題に入っては如何ですか? 雑談はその後でも……」

 

 彼の言う事は正しい。いや、そもそも最初に話題を振ったこちらにも非が有る。

 

「そうだったわね、それじゃあ貴方達を此処に呼んだ訳を話すわ」

 

 レーナが切り出す大事な話にラウル達は顔を強張らせ、肩に力を入れた。

 隣に座るラウル達の緊張感がこちらまで伝わって来るが恐らくレーナが此処に呼び出した訳は邪神眷属の一件か。

 スヴェンが半ば予想を立てる中、

 

「邪神眷属は復活して被害が出てしまったけれど、貴方達の働きが無ければリーシャの早期救出は叶わなかったわ。それに邪神眷属の再封印も厳しいものだったでしょう」

 

 単なる揺動や強襲だけの依頼がまさか邪神眷属再封印に至るとは。依頼がどう転ぶかは実際の所完了するまで判らないとは正にこの事だ。

 スヴェンが今回の一件を振り返る中、レーナは切り出す。

 

「そこで貴方達にはミルディル森林国から恩賞を用意されているのだけど」

 

 今回の件も仕事の範疇に過ぎず、邪神眷属再封印も単なるサービスでしか無い。いや再封印が成功したのは竜系のモンスターとの戦闘による魔力消費。作戦時にオルゼア王が放った魔法による消耗とシャルル王子のとどめの一撃が大きい。

 それに比べて自身は何もしていないに等しいのだ。そもそも仮に邪神眷属を再封印したところで元々恩賞など受け取る気が無い。

 

「恩賞か、悪いが俺は規定通りの報酬で充分だ」

 

 自身に用意されているであろう恩賞を断るとリディ達が驚愕に眼を見開く。

 

「王族から賜る恩賞を断るなんて! す、スヴェンは何を考えてるんだ!? こんなに名誉なことは無いのに……」

 

「そこは傭兵と騎士の価値観の違いってことで納得してくれ」

 

 簡潔にリディ達に告げれば、彼らは傭兵とはそう言うものなのかっと納得した様子で黙り込んだ。

 しかし自身の恩賞は断ったがエルナ達は別だ。彼女らはリーシャ救出作戦時に同行し、なおかつ邪神教団に対して警告していた。

 結果的に邪神眷属は予期せぬ方法で復活してしまったが、エルナ達は恩賞を受け取るだけの理由が有る。

 

「まあ、俺は断ったがコイツらには恩賞でも与えてやってくれ」

 

「スヴェンがそう言うなら私の方からシャルル王子に伝えておくけれど……貴女達はそれで構わないかしら?」

 

 三人は特に恩賞を断る理由も無く、ただレーナの言葉に諾く。

 これで三人は実績を得る事になる。王族からの恩賞などボランティア活動では得難い実績だ。少なくともボランティア活動よりも学業に費やせる時間が増えるだろう。

 

「分かったわ。私の用事はこれでお終い……じゃあ少し雑談でもしましょうか」

 

 レーナの提案に緊張が解れたエルナが手を挙げ、

 

「そう言えば特殊作戦部隊の子達ってどうなったの?」

 

 アシュナを含めた特殊作戦部隊に付いて訊ねた。

 

「あの子達ならお父様の要請で一足速く帰国したわよ。あ、スヴェンは帰国したらアシュナに顔を出してあげなさい。良い? 絶対によ」

 

 レーナにそう念を押されてしまえば断れない。面倒では有るがリノンの見舞いの兼合いならそこまで手間は掛からないだろう。

 それから雑談はお昼前まで続き、国内が落ち着かない状況も手伝ってエルナ達はそれぞれカルドバス森王から略式ではあるが恩賞を授与されることとなった。

 そして三人が恩賞を受け取った翌日の朝。帰国に向けて出発する筈がーー何故かレーナとリノンがこちらの荷獣車に乗り込み、

 

「良いかいスヴェン? くれぐれも姫様を傷付けないように」

 

 レイに念を押されたスヴェンは軽口で答えた。

 

「あぁ相手は王族だ、何か有れば斬首もんだろ」

 

「いや、斬首では済まないかもしれない。だから気を付けてくれ」

 

 斬首で済まない処刑方法とは一体? 非常に気になる所だが、知ってしまえば要らぬ緊張感を招き手綱の操作に無駄な力が入りかねない。

 ここは敢えて聞かない方が賢明な判断だ。スヴェンは手綱を鳴らし黒いハリラドンを走らせエルリア城に向け、戦闘の影響ですっかり荒れ果てた森林地帯を進みエルリア城に帰国することに。



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異章三
終焉のタワー


 迫撃砲が敵軍を吹き飛ばし、上空を飛ぶヘリが荷電粒子砲によって撃ち抜かれる。

 国連の部隊に対して優位に立つ覇王軍が勝利するまであと一押し。

 

「私が出た方が速いわよ?」

 

 端末を弄るリサラにそう問い掛ければ彼女は視線を向けず、

 

「確かにあなたが出た方が速いですよ。ですがせっかく仕上がった軍隊、その最後の活躍を奪っては平和は遠くものです」

 

 覇王軍の兵士に任せると譲らない。

 彼女の言う事にも一理有り、最後の戦争に向けた軍議でもエルデは後方待機を余儀なくされ、前線はシャルナが指揮を執ることに。

 シャルナとジンが部隊を支える事に何一つ文句は無いが、隣に居る腹黒のリサラは未だに信用ならない。

 彼女の経歴は調べば調べるほどドス黒い。かつて生物災害を引き起こした国家ととある研究機関に関わり、研究所主任人にスヴェン達の潜入情報をリークした張本人が彼女だ。

 リサラが味方部隊に何か仕掛けていないとも限らず、なおさらこの女から眼を離すのは危険過ぎる。

 特に今も端末から眼を離さずキーボードを打つ手も止まらない。

 一体何をしているのか気掛かりだ。

 

「平和が遠くかぁ……貴女が訪れる平和を壊さないとも限らないわ」

 

「如何でしょうね? いずれ戻って来るスヴェンの身柄を譲ってくれるなら大人しく引き下がりますけど」

 

 何処までもスヴェンに固執している。帰って来る保証が無いというのに。

 

 --デウス神はスヴェンが異世界に居ると言っていたけど。

 

 流石に異世界に居るスヴェンにリサラは手を出せないと思うが、彼女の狂愛は常軌を逸脱している。

 それこそ覇王軍の一部隊か傭兵部隊を雇って異世界に侵攻しかねないほどだ。

 それでは結局のところ自分達がたちまち侵略者として扱われ、戦争経済脱却を謳っていた自身の信念が無駄にされてしまう。

 だからエルデは誰にもスヴェンの所在を告げず胸の内にしまった。

 そもそも異世界に居るなら彼は、異世界の文明に触れ食文化にも触れている可能性が高い。 

 平和な世を築くためにはスヴェンが見知った情報も必要になる。

 尤もスヴェンが協力してくれるとは限らないし、その為にはいずれ隣に居るリサラを排除しなければならない。

 

「……それはスヴェン次第よ、私に他人の自由を奪う権利は無いわ」

 

「国家を解体寸前まで追い込んでいるあなたがそれを言いますか」

 

 現在攻め込んでいるのは国連最後の国、覇権戦争に向けて軍備を蓄えて来ただけは有るがそれでも兵の練度は低い。

 既に総崩れになりつつ有る前線を支える程の敵将は向こうには居ない。

 あと一時間も経たない内に降伏するだろう。エルデが戦局からそう推測すると耳元の通信機が鳴る。

 

『こちらシャルナ、敵兵が投降開始してるわ』

 

 シャルナの声にエルデは凛とした眼差しで武器を落とし両手を挙げる敵兵達に視線を移す。

 

「此処からでも確認したわ。捕虜は規定通りに、ただし大統領の投降は認めないわ」

 

『了解〜じゃあ派手に吹き飛ばしあげるわっ!』

 

 楽しげなシャルナの笑い声と共に大統領が立て籠っているタワーにグレネード弾と迫撃砲が放たれ、タワーが爆破される。

 シャルナのグレネードランチャーから何発も放たれるグレネード弾がタワーの装甲を砕き、露出された壁を破壊していく。

 まだあのタワーには何千もの兵士が立て籠っているが、全員を相手にする余力も無ければ敵軍には迎え討つ勇気も無い。

 そうこうしている内にシャルナが壁の穴に向けて小型クラスター爆弾を投擲し、大爆発が巻き起こる。

 通常なら建物内部から爆破された程度ではタワーは崩れないが、エルデは視界に映るシャルナが片手に小型化端末を取り出しスイッチを押す瞬間を眼にした。

 すると覇王軍の数人が背負っていたコンテナが開かれ、百発の小型ミサイルがタワーに向けて一斉掃射される。

 ギリギリモンスターが吸収しない程度の威力に留めた兵器だが、それでもタワーを倒壊させるには充分な火力だ。

 国連が戦争経済で築き上げた叡智のタワーが倒壊を始め、轟音と砂塵が戦場を呑み込む。

 

「相変わらず派手ですねぇ〜というかよく許可しましたね、小型ミサイルの携行」

 

「徹底的に叩くならこれぐらいしないとダメよ。……あぁ、だけど漸く始められるわね」

 

 国連を倒して漸く戦争が無い世界に向けて計画を進められる。

 統治下に治めた都市は既に戦争経済から脱却を始め、緑化計画に伴う星の魔力回復計画が始まっている。

 それに人々は情報統制、情報操作から解放され国連や企業連の道楽によって戦争が行われていた真相を知った。

 真相に戸惑う者こそ多かったが、次第に事実が受け入れられ戦争経済からの脱却を促すことに成功。

 間違いなく人類は戦争が無い平和に向けて進み始めている。

 しかし平和に成りつつあるが圧倒的に食糧が足りないのだ。

 責めてスヴェンが帰還する前に計画を進め、食糧問題解決まで進めなければならない。

 これからまだまだ忙しくなるだろうっとエルデは倒壊したタワー、戦場に散らばる敵味方の死体。そして戦場に巻き込まれた市街を眼に刻み込みながら振り向く。

 

「予定通り住民の救助及び抵抗勢力の撃滅に移るわよ」

 

「既に全軍に指示は出してますよ〜」

 

「有能な秘書ね……これで綺麗だったら気苦労も無いのだけど」

 

「おやおや、何を言うんですか綺麗な顔してるじゃないですか」

 

 誰も顔の話はしていないが、腹黒のリサラに何を言っても無駄だ。

 それに彼女はもしかしたらこちらで手を下さなくともスヴェンに殺されるかもしれない。

 それはそれで案外双方にとっては最善の未来なのかもしれないなっと、エルデは歩き出すリサラに視線を向けながら次の行動に移るべく動き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 仕事を終えたリサラは自室に戻るなり机の粒子端末を起動させ狂愛に満ち溢れた笑みを浮かべる。

 

「あぁ、異世界に居たのねスヴェン」

 

 スヴェンが消えた場所に遺された微弱な魔力反応から座標データと空間データに様々な計算式を用いて漸くスヴェンが居る異世界を特定した。

 彼が戻って来る場所も既に把握済み。

 となればリサラの行動は決まっている。

 

「ふふっ、スヴェンに怨みを抱く傭兵は多いですからねぇ」

 

 傭兵部隊を率いて異世界に攻め込み、改めて彼に教え込まなければならいのだ。

 スヴェンは自分のものであり、完璧な傭兵として完成された彼を歪める者達は始末する。

 かつてスヴェンが殺した伝説の傭兵と謳われた二人。

 一度戦場に現れれば敵は甚大な被害を被り味方は最低限の被害だけで勝利を確約される存在。

 彼の両親は世界が幾度も滅び再生する中で生き残り続けた傭兵一族の産まれだ。

 それがスヴェンの出自であり一族の血を色濃く引き継いでいる。

 だがスヴェンは傭兵として高い実力を有しているが、一族の血。両親の才能は一切引き継げなかった凡人だ。

 無意識のうちに本当の家族を求めていたスヴェンは、戦場で実の両親と知らずに死闘を繰り広げた末に殺害。

 同時五歳のスヴェンがあの二人に勝てたのは奇跡に等しいが、自身を含めた誰にもスヴェンがあの二人を殺せた理由は判らない。

 埋め尽くせない力量と経験の差をどう覆したのか判らないが結果が物語っている。スヴェンが二人を殺し所属している傭兵団を勝利に導いたと。

 心の欠落を抱えた単なる殺戮マシーンに成り果てたのは皮肉とも言えるが。

 だがスヴェンの心が欠落したのは自らの手で両親を殺した事実を彼を育てた傭兵団のボスに告げられた時だ。

 愛情を知らず表面上でしか理解できない彼は戦場で淡々と敵を孤独に葬り続ける姿を見た的味方は、いつの日か孤狼と呼ぶようになったのだ。

 リサラはスヴェンの遺伝子データから身体能力データを全て端末に映し出し笑みを浮かべる。

 自分の思い通りに従うクローンの作製準備もすでに整っている。

 

「エルデにバレないように上手く事を運ばないとなりませんね。はぁ〜面倒ですが望みのためには仕方ないですね」

 

 あとはスヴェンの帰還が先か、自ら部隊を率いて異世界に侵攻するのが先か。

 どっちに転ぼうともスヴェンが困ることに変わりはない。

 万が一事が上手く運べばスヴェンを手中に納め子を成すことも夢ではないし、心を持たない完璧なクローン兵の量産目処も立つ。

 リサラは自身の野望に狂愛に溢れた笑い声を挙げ、端末を操作し潜伏中の傭兵達に一斉に依頼を発注するのだった。



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間章六
過去から


 スヴェン達がエルリア城に向かっている頃。技術研究部門の研究所の最奥に安置された羅針盤型に付けられた振り子式の針が突如独りで動き出した。

 それを目撃した一人の研究者は抱えていた書類を投げ出してでもクルシュナ副所長の下に駆け出した。

 

「副所長! つ、遂にあの魔道具が動き出しました!」

 

 書類に羽ペンを走らせていたクルシュナは研究者が告げた吉報に手を止め、椅子を蹴るように立ち上がり、

 

「メッセージが送られて来たか!」

 

 ルーピン所長が遺した魔道具の起動にクルシュナは歓喜した。

 そしてルーピン所長が送ったメッセージを受け取るべくクルシュナもまた研究者と共に最奥の部屋に駆ける。

 独りで文字を書き続ける遠距離文通魔道器に駆け寄ったクルシュナは未だ文字を書き続ける様子に眉を歪めた。

 長いスクロールに淡々と刻まれるメッセージ、今もルーピン所長が持つ魔道具と連動して機能している。

 過去に、ミアとレイの故郷、鉱山村の一つーーエンケリア村で今も村を解放する糸口を捜し続ける彼の過去から送られたメッセージ。

 

「所長……不幸か幸か貴方は事件に巻き込まれ、過去に取り残された。そんな貴方が送ったメッセージを我輩が活かそう」

 

 クルシュナはルーピン所長も解放するためにスクロールを持ち上げる。

 まだメッセージは刻まれているが、エンケリア村を時獄から解放し時の悪魔を討伐する方法に期待したクルシュナは文字を読み上げた。

 

『クルシュナ君、このメッセージを読んでる頃には何年経っているか判らないけど先ず一つ分かったことを此処に記す。時の悪魔には既存する魔法、物理的な手段は通用しないことが分かった』

 

 時の悪魔などどの国も遭遇した例がない。そもそも時の悪魔が誰に召喚され使役されてるかも問題だと云うのに、既存する魔法が通用しないのであればレイの計画は成功しない。

 いや、時獄を突破する手段は判っている。時獄発生時点から過去に存在しているものは通れないが、現代か未来のものなら通れる。

 レイの計画では十数年の時を待ち、若い騎士を育てながら新しい魔法で討伐に臨むというものだった。

 だが、天才のレイを持ってしても過去の偉人は遥かに天才だ。

 実際にラピス王は数多の魔法の開発に飽き足らず、現代に既存する魔道具の基盤を設計し、国土魔法陣や守護結界を完成させた偉人にして天才。

 

「既存する手段では倒せないか……」

 

 スヴェンの持つ武器はこの世界に存在しない。

 しかし問題は.600LRマグナム弾はこの世界の技術で製造した銃弾ということ。

 おまけに現在スヴェンが使用している武器が竜血石製のガンバスターだ。

 時の悪魔に通用するのはスヴェンが元々所持していたガンバスターだけ。

 ならば他の異界人も導入して戦力を調えばっと考える輩も出るだろうが、騎士団の訓練に混じった異界人や先日大会を開催した異界人同士の戦い方を遠目で見学していたがーーやはり頭数にはなり得ない、むしろ無駄に死なせてしまうだけ。

 そもそも時獄を通過させるだけでも生きている保障も無ければ無事に帰還できる保障も無い。

 それでもクルシュナは無情と言われようともスヴェンに託す他に無かった。

 エンケリア村の村人百人全員と鉱石産出量、エルリア最高研究者のルーピンという存在と異界人を天秤に掛けた時、自身の心は冷たかったのだ。

 スヴェンと交流し、彼が待つ技術と傭兵としての技量。何よりも魔王アルディアを救いレーナを手助けした恩義も有る。

 それに報告ではスヴェンはアトラス教会のシスターと協力しジギルド司祭の討伐と邪神眷属の再封印に関わり、生存したと云う。

 それでもクルシュナは一研究者としてエンケリア村とルーピンの救出を選ぶ。

 

「ならば我輩はミアの計画に賭けよう。例え姫様が反対してでも」

 

 クルシュナの決意に研究者は無言で頷き、メッセージの続きを黙して待つ。

 

『もう一つ時獄内は一定時間を過ぎると4月10日の9時に時間が巻き戻る……これは時間の螺旋と言うべきかな。まあ興味深い現象では有るけど、君も既に察してると思うけどこうしてメッセージを遺しているということは僕の記憶は残っていることが判るだろ?』

 

 時間の螺旋、時の流れが逆に進み戻るということは本来記憶や状況も戻るはず。

 それなのに何故時の悪魔は隙とも言える方法を取っているのか。

 クルシュナは時の悪魔の行動に疑念を持ちながらメッセージを読み進める。

 

『それとね、時獄内の時間は確かに進むけど僕達の歳は取らないんだ。だけど村には老衰間近のピナ老婆が居るけど、彼女は死と生を繰り返している状態だ』

 

 歳を取らない。いや歳も戻るということか。

 ピナ老婆ーー我輩の実家に住む妹夫婦はピナ老婆の刺繍入りの織物が好きだったな。

 そんな老人が死と生を繰り返しているという事は、精神の磨耗を引き起こすのは必須だ。

 いや、そもそも時獄から解放してもピナ老婆の老衰は確定している。

 もう一つ、巻き戻る時間の繰り返しは正常な人物の精神までも磨耗させてしまう。

 

『此処は地獄だよクルシュナ君。まだ耐えている村人も居るけど、廃人になった村人も居る。恐らく10年も保たない、いやあと2年も保たないよ』

 

 エンケリア村の村人全員の廃人化まで二年も猶予が無い。

 

『それとね、姫様の件にも繋がることだけど時の悪魔は何としても捕獲したい。此処に具体的な方法や設計図も描けないし僕の頭の中に浮かべることもできない……だから方法は君に任せたよ!』

 

 クルシュナは目眩に襲われ、倒れ掛けた体をなんとか耐え思考を巡らせる。

 

 ーー悪魔を捕獲っ!? 瑠璃の浄炎は性質と概念利用の封印だったが、我輩は悪魔を捕獲する魔道具を基礎理論から作れるのか?

 

 いや、作る他に無い。幸いにも城下町には双子の悪魔が居る。

 悪魔の知恵を借りれば時獄に弾かれるが、悪魔を閉じ込める方法を携帯可能な魔道具に抑え込む。

 そこまで考えたクルシュナはアトラス教会の協力が必要だと悟り、クルシュナは城下町のアトラス教会に向けた手紙を手早く書き上げた。

 

「キミ、オルゼア王から許可を得てからこれをアトラス教会のカルファ神父に届けてくれたまえ」

 

「分かりました! オルゼア王にはエンケリア村の件で必要になると伝えておきます!」

 

 手紙を受け取った研究者はそう言い残してその場を立ち去った。

 あとは徹夜してでも理論を確立させ魔道具の製造、研究所をフル稼働させても完成しなければならない。

 それにミアのことだ、もう彼に依頼の話をしてるかもしれない。

 となればスヴェンは準備完了と共にエンケリア村に移動し行動するだろう。

 だが、少しでもフィルシス騎士団長と鍛錬して貰い万全に備えて貰わなければ困る。

 クルシュナは次のメッセージを読み進め、書き記された村の状況。解決に向けて集った協力者と行動していること。

 だが時の悪魔の潜伏場所と契約者の特定には至らないという。

 突入後の問題は多々有る。それでもクルシュナはスヴェンという個人に頼る他、道は無いと断言できた。

 彼一人に村に住む国民の生命とルーピン所長を託す事にクルシュナは心苦しさを胸に秘めながらルーピン所長の最後のメッセージに沈黙した。

 止まる思考と悲鳴を上げる胃の音が耳に響く。



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第二十三章 鍛錬こそ備え
23-1.帰還と


 九月十七日の昼下がり。エルリア城内に到着したスヴェン達は荷獣車から降りるレーナとリノンを見送っていた。

 

「報酬の支払いは貴方の事務所での方が良いかしら?」

 

「ああ、近日中に頼む……」

 

 スヴェンはリノンに視線を移しては内心で眉を歪めた。

 エルリア城を目指す道中、リノンは毎晩に腹部の傷が疼くのか魘されることが多く不自然な魔力の流れも有った。

 邪神眷属から受けた魔法の影響なのは明白だが、やはり体内に直接受けたのが良く無かったのだろう。

 

「あら、珍しく心配してくれてるのね」

 

 心の内を見透かすようにリノンとレーナが向ける笑みにスヴェンはわざとらしく肩を竦めた。

 

「毎晩苦痛に魘されてる姿を見りゃあな」

 

「たぶん、気付いてたのアニキだけなんじゃ? 2人は知ってたか?」

 

「「全然気付かなかった」」

 

 まだ経験の浅いラウル達には大人の痩せ我慢は見抜けないようだ。  

 

「護衛対象の容態を観察すんのも今後必要なことだ、よく覚えておけ」

 

「お兄さんってたまに無茶言わない? ねぇお姉さん、お兄さんは昔からそうなの?」

 

「観察眼を養うと色々と便利なのよ。ちょっとした隠し事を見抜くのにもね」

 

 エルナは興味深そうにラウルとロイを見渡し、にやりっと笑った。

 ただでさえ二人はエルナにレポートの作成や課題を手伝ってもらってる立場だ。そこにレーナとリノンのような観察眼を修得してしまえば二人の立つ顔が無くなる。

 

「便利そうだね、今度教えてよ」

 

「良いわよ、しばらくはエルリア城でお世話になることだしね」

 

 笑い合う二人にスヴェン達は肩を竦め、待機しているレイ達に視線を移す。

 彼らもレーナが中に入るまで護衛任務が解けないのだろう。

 特にミアは依頼の件が有るからなのか、落ち着かない様子を見せレイに睨まれてる始末だ。

 

「そろそろ城内に入ったらどうだ? オルゼア王には報告もあんだろ」

 

「そうね、あまり長居し過ぎるとレイ達も戻れないわね」

 

 そう言ってレーナは自身の荷物とリノンの荷物を持ち、

 

「流石に姫様を荷物持ちに使うなんて恐れ多いわ」

 

 それでもレーナはリノンの身体を気遣って荷物を渡さず一人歩き出した。

 その姿は身なりこそ気品に溢れているが、行動は他者を思い遣る優しい少女という印象が強まる。

 それもまたレーナを表す印象なのだろう。スヴェン達は二人が城内に入ってから黒いハリラドンと共に自宅に帰った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 自宅の購入から早くも二十日近くも家を空けることになったが、合鍵を預けたエリシェが管理していたおかげで自宅内は以前のまま清潔な状態を保たれていた。

 事務室を見渡せば埃一つ無く、代わりにテーブルの上に紙が。

 

「埃一つねぇとは……しかし留守中の依頼数ゼロ、か」

 

 紙には小さくエリシェの文字でこう記されていた。

 

『訊ねる依頼人は居たけど、スヴェン不在が影響して踏み切れなかったみたい』

 

 こればかりは仕方ないことだ。何せ自身を含めた護衛が全員不在となれば、いつ帰って来るとも判らないボディガード・セキリュティに依頼するのは躊躇うのも無理はない。

 

「もしかしてお兄さんの主な収入源って王族からの依頼?」

 

「……考えたくもねぇことだが、現状主な収入源はまさにそれだ」

 

 しかし次の依頼は既に決まっている。それこそラウル達を連れて行けないような依頼が。

 後日、詳細を話すことになっているがミアの依頼を達成するには鍛錬が必要だ。

 それこそフィルシスを頼ってでも短期で集中的に鍛える必要が有る。

 スヴェンはソファに座り、

 

「近々ミアから依頼を請けることになってるが、アンタらは学業に専念しておけ」

 

 依頼の話を切り出すと三人から不満の表情と声を向けられた。

 

「お兄さん……今回はあまり役に立たなかったから?」

 

「いや、次の依頼も長期的になる可能性が高い。流石に何度も事務所を空けておく訳にもいかねえだろ」

 

 さっきは学業に専念しろと口にしたが、来た依頼を請けるのもラウル達次第だ。

 

「代わりに俺が留守中の間、来た依頼の対応は任せる」

 

「あ、アニキが頼ってくれてる!」

 

 そもそもいつまでも三人をボランティアとして使い続ける訳にはいかない。

 三人は少なくとも自ら考え行動し、エルナに至っては作戦立案は元より的確な助言もしていた。

 それに三人なら手を汚さずとも護衛を果たせるだろう。しかしバイトとして雇うにも先ずはミアの依頼を達成するのが先だ。

 まだその時ではないっと結論を出したスヴェンは、

 

「そういや、アンタらはレポートと課題は終わったのか?」

 

 ミルディル森林国の混乱も有ったが、課題を熟す時間は充分に得られたーーエルソン村の宿屋に置いたままの課題や荷物は全焼してどうにもならないが。

 

「……全焼した課題以外は終わってるよ。あとは明日の登校日に提出するだけだよアニキ」

 

 ソファに座るラウルとロイの背後で深い笑みを浮かべるエルナにスヴェンは静かに視線を逸らす。

 彼らにはこれだけは教えて置かなければならない。

 

「あ〜あんま借りは作んなよ? 特に女のは高いからよ」

 

 それだけ静かに告げるとエルナが笑い、ラウルとロイの二人がげんなりと肩を落とすのだった。



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23-2.見舞いの後に

 翌日の朝、スヴェンは一人エルリア城に来ていた。

 見舞い用に買ったフルーツの盛り合わせを片手に騎士と使用人が行き来する廊下を何食わぬ顔で進む。

 何度かすれ違った騎士や使用人と軽い言葉を交わしながら医務室に到着したスヴェンはドアを開き、奥のベッドで並ぶアシュナとリノンにため息を吐く。

 知り合い二人が同室のベッドで並び医者から治療を受けている。これもレーナの采配なのか、それとも単に患者数の影響か。

 城下町には診療所が幾つか在るがそれ以上にエルリア城常勤の医者には名医が多く揃い、またレーナとオルゼア王によって誰問わず適正な価格で診察、治療を受けられるのだからエルリア城に患者が集まっても不思議なことではない。

 むしろ患者の中にはレーナの姿を一眼見たいという思惑も有るのだろう。

 医者から処方された薬を苦々しい表情で飲み込むアシュナとリノンにスヴェンは歩み、

 

「元気そうだな」

 

 アシュナに問い掛ければ、相変わらず無表情でフルーツの盛り合わせに視線を向け眼を輝かせた。

 

「もしかしてお見舞い?」

 

「あぁ、ミルディル森林国じゃあ結局会わなかったからな」

 

「ん、仕方ない。重症で動けなかったし。それにまだ治療が必要」

 

「その話はルイから聴いたが、ミアの治療魔法を受けなかったのか?」

 

「傷の治療は終わってるから治療魔法を使っても効力が少ないんだって。それに手術の後に治療魔法は身体の負担も多いから」

 

 アシュナはまだ十代だ、怪我の度合いは知らないが成長途中の彼女の身体には負担が大き過ぎるのも頷ける。

 

「そうか」

 

 フルーツの盛り合わせをアシュナ側のミニテーブルに置いたスヴェンは不満そうな視線を向けるリノンにため息を吐く。

 

「アンタは今度な」

 

「じゃあ楽しみに待ってるわ」

 

「2人は知り合い?」

 

「そんな所だ、じゃ俺はもう行くからな」

 

 短い見舞いを終え、そそくさと医務室から退出したスヴェンは廊下でクルシュナとフィルシスとばったり遭遇した。

 満面の笑みを浮かべ闘気と魔力を滲ませる彼女にスヴェンもそれに応えるべくガンバスターの柄に手を伸ばす。

 

「待ちたまえ、患者の多い医務室前で殺気立つでない」

 

 クルシュナの的を言った言動にスヴェンとフィルシスは互いに戦意を解き、改めて彼に向き直る。

 

「騎士団長と技術開発部門研究所の副所長って組み合わせは珍しいな」

 

「我輩も用事が無ければフィルシス騎士団長と個人的に会うことは少ないがね。今回は彼女にも協力を得なければ難しい事態でしてな」

 

「……そりゃあまた面倒ごとか?」

 

 また何処で邪神教団の過激派が行動を起こしたのか? 警戒心からクルシュナに問えば、彼はゆっくりと首を横に振ることでは否定した。

 

「今回の件はミア殿の個人的な要望でしてな」

 

「ってことはアイツの故郷に関することか」

 

「貴殿は既にミア殿から詳細を?」

 

詳しい詳細はまだだが、既に依頼に応じると口約束を交わし後は彼女が正式に依頼書を持って来るだけで依頼を請ける手筈だ。

 

「いや、詳しい詳細に付いてはまだなにも。ただ、アイツとは依頼を請ける約束はしちまってるからな」

 

「ふむ、であるならば話は早いか。フィルシス騎士団長殿は彼と我輩の部屋で待ってて貰えるかね?」

 

「技術開発研究所じゃなくて良いのかい?」

 

「貴女に物珍しさから開発中の魔道具を壊されては敵わないのでな」

 

「なぜだい? 私は普通に触れただけなのに……」

 

「スヴェン殿も覚えておきたまえ、フィルシス騎士団長は魔道具の扱いが苦手なのだ」

 

 機械音痴ならぬ魔道具音痴とは一体? いや、魔道具が使えなくとも生活に支障が出ることは少ない。

 なぜ魔道具が壊れるのか本人も原因が分からないのか、当惑しながらもクルシュナの自室に向けて先導を始めた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 クルシュナの自室に案内されたスヴェンとフィルシスは主人不在の室内でソファに座り、

 

「ところで邪神眷属と直に戦ったんだってね」

 

 フィルシスが淡々とした表情でそんな質問をしてくる。

 淡々としているのは邪神眷属によって被った被害を考慮した結果か。

 

「アレと戦って力不足を実感した」

 

 こちらの繰り出す攻撃は通じていたが、再封印には至らずシャルル王子が間に合わなければリノンも自身も殺されていた。

 

「ならやることは一つだよ、弟子」

 

「ミアの故郷に向かう前にアンタと鍛錬が必要だな」

 

「今度はより激しく、熱くやり合おうじゃない」

 

 通り掛かりの誰かが聞けば変な誤解を生む言動と熱っぽさを感じるが、フィルシスの眼は戦闘意欲に溢れている。

 スヴェンがそんな思考を浮かべると、突如背後のドアがバンっ! 勢い付けて開けられ視線を向ければ顔を真っ赤に染めたミアが立っていた。

 

「た、他人の……部屋で、なっ、な、な、何を話してるの!?」

 

「鍛錬の話だが……それよか、アンタもクルシュナに呼ばれて来たんだろ」

 

「た、鍛錬? あっ、フィルシス騎士団長と鍛錬かぁ。……っとそうだった私も故郷の事でクルシュナ副所長に呼ばれて来たんだった」

 

「ふーん、キミもスヴェンと鍛錬するかい?」

 

「え、遠慮しておきます。あ、その鍛錬はどの程度期間を設けるんですか?」

 

「前回は三日三晩ぶっ続けでやったけど、色々と教えておきたいことも有るから1週間か2週間は欲しいかな」

 

「うーん、スヴェンさんの生存率が上がるなら私としても構わないですけど……」

 

 フィルシスとの鍛錬で死にかねないとでも言いたげなミアにスヴェンは肩を竦めた。

 実際に下手をすれば死ぬ。少しでも手を抜けば鍛錬中に死ぬ事も有る。彼女との鍛錬とは実戦形式であり互いに殺す気でやるからこそ意味が有る。

 

「死なねえように気を付けるさ」

 

「……定期的に差入れするよ。多分まともにご飯食べないと思うし」

 

 それは有難い提案だ。スヴェンは表情に表さないが、ミアの健康食の差し入れに期待感を寄せていた。

 フィルシスも鍛錬期間中にわざわざ食事を用意するのは億劫なのか、ミアの提案を笑みを浮かべて受け入れ、

 

「じゃあお願いしようかな。お酒も少し用意してくれると助かるかな」

 

 酒を所望した。

 そういえばミルディル森林国のパルゼン酒造所から幾つか酒を購入して来たが、それを持参するのも悪くはないのかもしれない。

 スヴェンは一週間の鍛錬に必要な物を思案しては、クルシュナが部屋に入って来た頃合いで思考を仕事に切り替えた。

 そして彼がテーブルに広げた長いスクロールに書かれた文字に一同は眉を歪めることに……。



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23-3.大事なこと

 長いスクロールに描かれたルーピン所長からのメッセージ。不在が続き長くエルリア城に戻らず、なおかつこの時間軸には居ない存在からのメッセージにスヴェンは眉を歪めながらメッセージを頭に叩き込む。

 一つ、時の悪魔は過去に存在する魔法や物理的手段が通じない。

 二つ、フィルシスの懸念しているレーナが過去に司祭から受けた呪いがいつ発現するのか、それとも発現しないのか。それは判らないが対応する為には時の悪魔との契約が必要になる。

 三つ、時の悪魔を討伐し魔道具の中に封じ込め契約にもちこむこと。

 四つ、エンケリア村は一定時間を過ぎると時獄に閉ざされた瞬間に戻る。ただし時獄内の人々は記憶は保有し、時間の巻き戻りによって死を回避できる。

 スヴェンは最後の項目は自身の専門外かつクルシュナの分野だとして目を逸らす。

 

「これがアンタの故郷の現状か」

 

 逸らした先に居るミアに問えば、彼女は拳を握り肩を震わせていた。

 時の悪魔に対する怒りの感情に塗れた瞳ーーアンタがそんな眼をするなんてな。

 

「うん、スヴェンさんには過去って言っていいか判らないけど、時獄内部に侵入して貰うことになるけど……帰って来れる保証なんて無いの」

 

 時獄に侵入という事は時間が隔離された閉鎖空間に入るということ。

 果たしてそれが時間跳躍となるのかは判らないが、確かにミアの言う通り何の影響も無く帰還できるとは限らない。

 

「構わねえさ、時獄を解除してアンタの故郷を解放する。それが依頼なんだろ」

 

 少々一人で請けるには荷が重い依頼だが、時獄に入れるのは三年前のテルカ・アトラスに存在しない人物に限る。

 現状で侵入可能なのは二、三歳の幼児ーーこれは論外だ。

 それ以外となると時獄発生以降からこの世界に召喚された異界人だけ。

 

「他の異界人は、その頼れないから」

 

「まあ、時獄内部で余計なことされても困るしなぁ」

 

 異界人には顔見知りは居る。しかし連携を取れるかと問われれば厳しい。

 それこそフィルシスとの鍛錬期間中に他の異界人を同行させたとしても厳しいものだろう。

 

「うん、これはきっちり鍛錬して成功率を上げないとね」

 

 フィルシスの言葉にスヴェンは深妙に頷く。

 時獄内の村人は死と生を繰り返し精神の磨耗を引き起こして廃人化している者も居るが、それは最初から時獄内に閉じ込められたからなのか。

 仮に自分が時獄内で死亡した場合、果たしてループの影響を受けて死が無かったことになるのか。どう影響を受けるか判らない以上、入念な鍛錬で少しでも成功の可能性を上げなければならない。

 

「鍛錬期間は2週間と見て……魔道具はどの程度で完成すんだ?」

 

「うむ、今はアトラス教会に協力を募り悪魔を封じ込める魔道具を基礎理論から構築中ですな……我輩はラピス王が構築した基礎理論に変わる新しい基礎理論で開発しなければならぬ」

 

「……時間が掛かりそうだな」

 

「いや、既に基礎理論の構築は半分ほど終わってるところでしてな。諸々含めて10月に入るか入らないかで完成予定ですな」

 

 今日は九月十八日だ。魔道具完成まで十月一日まで掛かるならそれまでフィルシスとの鍛錬期間に充てても良いだろう。

 

「っとなればギリギリまで鍛錬した方が良さそうだが、長いこと騎士団長を拘束するってのはどうもな」

 

「鍛錬期間中は当然キミに私の仕事を手伝ってもらおうかな」

 

「そりゃあ妥当な提案だな。こっちはエルリアの最高戦力を貸切にして貰うってんだからよ」

 

「うんうん、鍛錬ついでにモンスターと野盗討伐。出来ることは多いんだ」

 

 時の悪魔は魔力伝導率が悪い元々の相棒を使う必要がある。その為鍛錬中は相棒を使った方が為になるだろう。

 スヴェンは持って行く相棒を決め、含みのある笑みを浮かべるフィルシスに眼を向ける。

 何だと言うのか。彼女が何かを企んでいるのは明白だ。此処は敢えて聞くべきかそれとも無視するべきか。いや、彼女に至っては突っ込んでおいた方が身の為かもしれない。

 

「随分と含みのある笑みだな……何を企んでんだ?」

 

「いやぁ、よく使う修行地に天然の温泉が沸いていたことを思い出してね」

 

「……守護結界の範囲外だよな」

 

「? 当然じゃないか」

 

 モンスターを警戒しながら温泉に浸かる余裕など果たして有るのか? いや、フィルシスに限ってはどんな時でも油断しないのか。

 ならば入浴中であろうとも警戒心を最大限に研ぎ澄ませるのも鍛錬の一つだ。

 鍛錬に必要なことを頭で纏めていると、ミアとフィルシスの話し声が耳に届く。

 

「えっと、混浴ですか?」

 

「見張りを立てたりお互いに気を使うのは疲れるだろうからね。それに師弟とは裸の付き合いをするものだと聴いた事が有るんだ」

 

 それは違う気がするし、恐らく裸の付き合いは同性だからこそ成り立つことだ。

 

「フィルシス殿、それは些か違うように思えますな。それに貴女は騎士団長という栄誉有る重職に就く身、少しは慎みを覚えたまえ」

 

 スヴェンが突っ込むよりも先にクルシュナの苦言がフィルシスに放たれた。

 だが、彼女は意に返した様子も無く聴き心地良い口笛を吹くしまつ。

 

「スヴェン殿、この通りフィルシス殿は自由人ゆえに気を付けたまえ」

 

「あぁ、覚えておこう」

 

「それで2人はいつ出発するの?」

 

 当然早い方が良いが、フィルシスは騎士団長だ。そんな彼女が今月一杯留守にするとなれば引き継ぎやら細かい整理が必要だろう。

 スヴェンがフィルシスに視線を向けると彼女は眼を輝かせながら答えた。

 

「当然明日に決まってるじゃないか! 移動は転移クリスタルだから現地で鍛錬三昧さ!」

 

「……騎士団長として引き継ぎやらあんだろ」

 

「ああ、それなら今日中に終わらせるよ」

 

 彼女に頼る身としてあまり強くは言えないが、ラオには後日酒でも奢ろう。

 スヴェンが密かにそう決め、

 

「で? 他にエンケリア村に関して必要なことはあんのか?」

 

 確認の為にクルシュナとミアに訊ねる。

 

「ふむ、我輩から何も無いが……スヴェン殿は死ぬ覚悟が有るのですかな?」

 

「戦場に出るとなりゃあいつでも死と隣り合わせ、その意味では死ぬ覚悟は出来てるが、死ぬ気なんざねえよ」

 

 死ねば目的が達成できずに無意味に終わる。それだけは避けたい。

 なによりもデウス・ウェポンに帰還して確認とケジメを付ける必要が有る。その為にもエンケリア村は生還前提で解放する。

 

「そっか。じゃあ正式な依頼書は後でスヴェンさんの所に持って行くね……あ、それと夕飯は私が作ってあげようか?」

 

「契約の手続きだけして帰れよ」

 

「……辛辣ぅ〜」

 

 ミアにはまだ仕事が有る。それに彼女を待つ患者は医務室にも多く居るのだ。それを一個人で拘束する訳にはいかない。

 フィルシス騎士団長を一個人で拘束することになるが、彼女の場合は言葉の表現に困るがーー何つうか、配慮するだけ無駄に思えんだよなぁ。

 スヴェンはそんなことを内心で思いながら確認事項を済ませてからクルシュナの部屋から退出するのだった。



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23-4.預け物

 スヴェンは左手に包みの入った紙袋をぶら下げながら鍛冶屋スミスを訪れ、笑みを浮かべて出迎えるエリシェに普段通りの表情で告げた。

 

「久しぶりだな」

 

「うん、久しぶり! 丁度頼まれていたロングバレルと倍率スコープも完成してるよ!」

 

 それは有難い事だが、恐らく修行期間中に使う事は無いのかもしれない。スヴェンがその事を告げるべきか迷うと、エリシェは不敵な笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、今回頼まれていたロングバレルと倍率スコープはスヴェンが以前使っていたガンバスターにも合うように製造したんだ!」

 

「アタチメントパーツに互換性って最高かよ」

 

 その辺りの事は特に何も言わなかったが、エリシェは自ら判断して互換性の有るロングバレルと倍率スコープを製造した。

 職人としても専属としてもエリシェは充分に働いている。ましてや長期の留守までも……。

 だからこそ正直に言わなければならない。これからの予定を含めた全てを彼女にだけでも。

 

「あー、実は明日から預けてた相棒が必要にってな。それにまた2、3週間ほど留守にする」

 

「おー? ガンバスターなら手を加えずに整備してたけど、改良してた方が良かった?」

 

「いや、寧ろ今回の依頼はそれなりに厄介な案件でな……まず、この世界で製造された武器は恐らく通用しねぇ。だからガンバスターが必要なんだ」

 

 まだ全てを話した訳では無いが、エリシェは思い当たる節が有るのか考え込む素振りを見せる。

 やがて一つ結論に至ったのか、彼女の表情から笑みが消え憂いを含んだ眼差しを向けた。

 

「それってミアの故郷のこと? えっと、じゃあスヴェンは1人であの結界を超えるって言うのっ?」

 

「まあ入れるのが俺や異界人しか居ねえからな。それに3週間程はフィルシス騎士団長と鍛錬することになってんだ」

 

「……2人きっりで?」

 

「そうなる。今回の件の留守番はラウル達に任せてるしな」

 

「えっと、昨日ミアが言ってたけどさ。いまエルリア城に居るリノンって人もスヴェンと深い関係なんだって?」

 

 深いようで浅いが複雑な関係に変わりはない。その辺の事情も歳頃の少女にとっては気になる話題なのか、エリシェから向けられていた憂いを含んだ眼差しは嘘のように好奇心を宿した眼差しを向けられていた。

 しかしミアから何処まで事情を聴いているのかは判らないが、

 

「まあ複雑な関係ってのは確かだな。って言っても会ったのはミルディル森林国になるがな」

 

「そうなの? そう言えば説明が難しい複雑な関係って愚痴ってたかも」

 

「愚痴? アイツが何か悩むことでもあんのか?」

 

「えっ? それ本気で言ってるの……あ、本気で言ってるんだ」

 

 ミアが何に対して悩む必要が有るのか。

 生きて戻って来れるか確証も無い依頼、そしてリノンと自身の関係性に関する悩み。

 そこまで考えたスヴェンは肩を竦めた。

 

「アイツが俺とリノンに付いて悩んだ所で、俺は請けた依頼を遂行するだけなんだがなぁ」

 

「スヴェンならそう言うと思ってたよ。でもこれだけは忘れないでよ? あたしとミア、それからレヴィもスヴェンのこと……えっと大切に思ってるからさ」

 

 エリシェの眼差しから感じる感情は友愛に近い感情だ。向けられる感情にスヴェンは内心でため息を吐く。

 まだ友愛を向けられるほど交流を重ねたとは思えないが、彼女の自宅に招待されミートパイをご馳走になった。その事を考えれば確かに友情を向けられてもおかしくは無いのかもしれない。

 いずれ別れることになるが、今はブラックとの契約に従って悲しませないように努力するべきだ。

 

「そうかい、それなら今回も生きて帰還しねぇとな」

 

「そうだよ? 帰って来て貰わないとせっかく契約を結んだ意味も失くなっちゃうんだから」

 

「あぁ、それよかガンバスターを持って来て貰って良いか?」

 

 これから三週間分の準備もしなければならない。その意味を踏まえて彼女に告げると、エリシェはパタパタっと慌ただしくカウンターから奥の扉に駆けて行く。

 一人残されたスヴェンは棚に並べられた武器を見渡す。

 魔力を含んだ長剣、観るだけで全てを貫けそうな槍、重々しく分厚い。それでいながら洗練され研ぎ澄まされた刃を持つ大剣の数々。

 ブラックとエリシェは職人としても相変わらず腕が良い。これだけの武器を鍛造できる腕を持ちながら、店内はスヴェン一人だけ。

 奥から聴こえる鉄を打つ金槌の音、エリシェがドタドタっと走る音が響くばかりで思いの外静かだ。

 鞘に納まったガンバスターを両手に抱えたエリシェがカウンターと頼んでいたロングバレルと倍率スコープを重そうに置いた

 

「ふぅ、重かったぁ」

 

「まあ、ガンバスターは少女が運ぶには確かに重いわな」

 

「流石に魔力を活性化させないと持ち運べなかったよ」

 

「無茶はすんな、次から言えば運ぶ」

 

「えっ!? そ、それはちょっと……」

 

 なぜ赤面するのか。そう言えばガンバスターの保存場所は何処だったか。

 彼女の反応を見るにガンバスターはエリシェの寝室に保管されていると推測できる。

 でなければ彼女が赤面して狼狽える理由が無い。

 

「あー、悪い配慮が足りなかったな」

 

「や、確かにあたしの部屋に保管してるけど……別にスヴェンに入って貰っても困ることは無いよ。ただ、もっとガンバスターの重みと感触を堪能したいの!」

 

 少女の部屋に男が入る込むことに対する配慮のつもりで詫びれば、返答は全然異なるものだった。

 しかし、武器好きのエリシェなら無理もないことなのかもしれない。

 スヴェンは敢えて何も突っ込まず、代わりに周囲に視線を向け、

 

「そう言えば客が居ねえな」

 

 失礼だと思いながらその事を問えばエリシェは笑みを浮かべる。

 

「ウチはけっこうオーダーメイドが多くてさ、完成した品はデリバリー・イーグルで配送して貰ってるの。でも遠路はるばる買いに来るお客も結構居るんだよ」

 

「へぇ、わざわざ遠くからか。ま、確かにアンタらの腕は良いからな……危険を犯してまで買いに来るってのは理解できる」

 

「嬉しいこと言ってくれるね。あ、背中のガンバスターもウチで預かる? 結構ヤバい敵と戦ったて聴いてるし」

 

 確かに使わない間は竜血製のガンバスターを預け、整備して貰った方が効率的だ。

 スヴェンは迷う事なく背中のガンバスターを鞘ごとカウンターに置き、替わりに相棒を背中に背負う。

 竜血製のガンバスターよりも相棒は軽い。その分だけ背中が僅かに軽くなったような気がするが、すぐに感覚も元に戻るだろう。

 ガンバスターの次にロングバレルと倍率スコープを手に取り、程良い重量でいながら丈夫な造りに感心が浮かぶ。

 ロングバレルと倍率スコープを装着して試し撃ちしたい衝動を抑えながらサイドポーチにしまい、

 

「整備費の代金は?」

 

 竜血製のガンバスターに掛かる整備費に付いて訊ねる。

 だがエリシェはこちらの意に反してこう告げた。

 

「あたしはスヴェンの専属だからそれぐらいタダで良いよ」

 

 少なくとも整備に手間暇掛かるガンバスターをタダで整備すると。それは幾ら何でも悪い。

 職人が手間暇掛けるならそれに見合った報酬を支払うのがスヴェンの心情なのだが、エリシェの眼から絶対にタダでやるっと鋼の意志を感じる。

 何か礼をしたい。そこまで考えたスヴェンは彼女に手渡す予定で買ったスイーツを思い出す。

 

「っと忘れるところだった……コイツは留守番の礼だ」

 

 ずっと左手にぶら下げていた紙袋をエリシェに手渡すと、彼女は不思議そうな眼差しで小首を傾げた。

 本来ならばミルディル森林国の土産を買って渡すべきなのだが、生憎と買っていた土産物は全て燃えてしまった。

 仕方なく『女性にも人気!』『本日数量限定!』 そんな謳い文句を掲げた【ペ・ルシェ】のシュークリームとエクレア、数種類のショートケーキを購入したのだが、正直甘い物はあまり好みじゃない。

 だから何が正解なのかは分からない。

 

「えっと【ペ・ルシェ】の紙袋……っ! ね、ねぇ! 中身を聴いても良い!?」

 

 捲し立てるように問うエリシェにスヴェンは気押されながら静かに答えた。

 

「あー、何が良いのかよく分かんねえから人気らしいシュークリームやらエクレア、それと何種類かショートケーキを買ったな」

 

「それっ今日数量限定のヤツだよ! 実はね! 店番が無かったら買いに行こうと思ったんだけど、でも閉店時間だと売り切れてるから買いに行くのも諦めてたの!」

 

「思い付きで買ったんだが、正解だったのか」

 

「でもよく買えたね!」

 

「偶然、一つずつ残っててな」

 

 それだけ告げるとエリシェは嬉しそうに、そして大事そうに紙袋と竜血製のガンバスターを抱えた。

 

「もうこれだけで整備も頑張れるよ! 今日のご褒美に食べちゃおうっと!」

 

 そう言ってエリシェはまた奥の扉に駆け出した。

 用事も済んだスヴェンはスミスから静かに立ち去り、三週間の鍛錬に必要な物資を買いに市場に歩き出した。



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23-5.2人だけ

 翌日の朝。準備を済ませ、留守をラウル達に任せたスヴェンはエルリア城の地下広間に来ていた。

 宙に浮かぶ大型転移クリスタルの前で待っていたフィルシスが静かに笑みを浮かべる。

 

「早速行くかい?」

 

「あぁ、出発は速い方が良い」

 

 非常に短い問答でフィルシスは大型転移クリスタルに手を触れ、そして念じるように眼を瞑る。

 大型転移クリスタルが輝きを放ち、眩い光が二人を包み込む。

 転移は一瞬の内に終わり、スヴェンの鼻に土と草木の臭いが届く。耳に流れる水源の水音、モンスターの遠吠えが聴こえる。

 肌に纏わり付く湯気にスヴェンは眼を開け、目前に広がる広々とした温泉とそこに浸かる大猿、狼、野生のハリラドンが映り込む。

 エルリア国内の何処かに位置するフィルシスの修行地、星の魔力が溶け込んだ天然温泉に動物が浸かっているのも驚きだが、モンスターの気配が今まで訪れた生息地域よりも多い。

 

「モンスターが多いな」

 

「これぐらいじゃなきゃ鍛錬にはならないよ。それにキミは魔力伝導率の低いガンバスターで、魔力を使わずに相手にしなければならないんだ」

 

 今まで相棒のガンバスターで戦っていた従来通りの戦闘スタイルに戻す。

 魔力を纏わせれば余計な消耗を強いられるなら最初から魔力を使わずに戦った方がマシだ。

 

「そっちが本来の戦闘スタイルだ」

 

「うんうん、私と基礎を重点的に使った鍛錬と魔力を使った鍛錬、襲撃に来るモンスターの相手を繰り返すけど構わないよね?」

 

 モンスターとフィルシスを相手に戦い続ける。それも傭兵として戦場では良くあることだ。違いが有るとすれば鍛錬を挟むという点だ、それも強者であるフィルシスとの鍛錬だからこそ望むところだ。

 しかし時の悪魔には魔法が通じない。それは既にこの世界に存在する魔力も通用しないことを意味する。

 自身は異界人だ、下丹田に生成される魔力はデウス・ウェポンの魔力。理論上ではこの世界に存在しない魔力として認識してされ通用するかも知れないが、時の悪魔が概念で無効化するならやはり魔力そのものは通じないのかもしれない。

 魔力を宿す武器が相棒のガンバスターではそれも無意味だ。

 無意味と理解しながら魔力を扱った鍛錬を怠って良い理由にはならない。それはそれで今後の依頼の為にも必要な技術だ。

 だからこそ魔力の鍛錬も必要で決して欠いてはならない。

 

「あぁ、望むところだ……で? 今から野営地の設営か?」

 

「温泉の近場は湿度が高いからねぇ。此処から少し離れた場所に良い場所が有るんだ」

 

 そう言ってフィルシスは荷物を片手に歩き出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 三十分ほど平地を歩くと座るには丁度良い丸岩が並ぶ岩場に到着した。

 以前から使われていた焚き火の跡にスヴェンは眼を向け、近場に荷物を降ろす。

 そこにフィルシスが荷物を置き、懐から一つの宝石を取り出した。

 魔力を宿した宝石をフィルシスが地面に放り込むと、宝石から魔法陣が展開され、荷物の周辺を魔法陣が包み込む。

 

「コイツは?」

 

「野盗も出没する場所だからね。荷物の所有者を識別して弾く結界……安置結界を張ったんだ」

 

「へぇ、そんな便利な魔道具が有ったんだな……簡易的な守護結界はねえのか?」

 

「有れば便利だけど、まだ開発に至って無いよ」

 

「ってことは俺とアンタで交代で見張りか」

 

「え? 楽しい鍛錬に睡眠時間は必要かい?」

 

 意気揚々と告げるフィルシスにスヴェンはげんなりとした表情で肩を落とした。

 寝ずに戦闘継続は可能だが、それでも限界はやはり訪れる。

 スヴェンが寝ずに戦闘可能な日数は十日間だけ。そこにガンバスターに魔力を纏わせた鍛錬も入れば恐らく五日も保たないだろう。

 

「今回の魔力を使った鍛錬は消耗も激しい。五日保つかどうか怪しいところだな」

 

「丸一日保つだけでも御の字だけど……ああ、忘れるところだったよ。キミは鍛錬を終えた後にエンケリア村に向かう事になってるんだった」

 

「ああその予定だな」

 

「うん、それなら休息はしっかり摂った方が効率的だね」

 

 確かに今月一杯鍛錬に費やすとなれば身体を酷使し続けても効率が悪いだけだ。

 フィルシスの言う事に同意し、頷くスヴェンに彼女は思い出した様に告げる。

 

「忘れるところだったよ。さっきの温泉は星の魔力を含んでるからなのか浸かるだけで傷が癒やされるんだ」

 

 傷を癒す温泉。確かに鍛錬地としては持ってこいの場所だ。何よりも治療や傷を気にする必要が無いのは有り難い。

 

「癒しの温泉か、ソイツは持ち帰りたいもんだな」

 

「以前試してみたんだけどダメだった。詳しい原理は判らないけど、温泉から離れると普通のお湯になるんだよ」

 

「土地由来、いや星の魔力が関係してそうだな」

 

「恐らくはそうなんだろうね……さてそろそろ鍛錬を始めるかい?」

 

 同意を求めている割には既に剣を抜刀している。

 もうやる気で今直ぐ始めたいっと眼で語るフィルシスにスヴェンは背中のガンバスターを引き抜くことで答えた。

 二人はその場から離れ、遠くから斬撃音が響き渡ることに……。



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23-6.朝の教室

 スヴェンが出掛けた頃。ラウルはラピス魔法学院の中等部一-Cクラスの教室、自分の席で欠伸をしていた。

 朝早くからアニキと慕うスヴェンが次の依頼に向けた長期鍛錬に出掛けたのだが、ラウルは疑問に息を吐く。

 

「どったのラウル? 朝から締りの無い顔して、それにため息も」

 

 顔を近付けて覗き込むエリナにラウルは視線だけを向け、隣に静かに立っているロイにも視線を移す。

 

「いやぁ、アニキって鍛錬に出掛けたろ? あれ以上強くなってどうするのかなぁってさ」

 

「それは、前回の事を踏まえてじゃないか? それに強くなれば依頼の幅も増えるだろうし……いや、そもそもスヴェンって強い弱いに拘って無いように思えるんだが」

 

 確かにラウルの言う通りスヴェンは強さに拘りは無いように思える。

 そもそも彼本人の口から自身は強いっと聴いた事が無い。それ以前に自身の強さを誇示するような性格でも無い。その辺を含めて大人らしいと言えば良いのか。

 クラス内では力自慢の話、ボランティア活動中に魔法でモンスターを倒せたなんて自慢話をちらほら耳に届く。

 

「エルナはアニキのそう言うところどう思う?」

 

「カッコいいっと思うよ。実際に顔は悪くないし硬派だからけっこうモテるかも……少なくともリノンのお姉さんにはね」

 

「やっぱアニキはカッコいいよなぁ。……いやいや、そうじゃなくておれ達を置いて修行に出掛けるのってどうよ?」

 

 ラウルは昨晩にスヴェンから告げられた決定事項に少なからず不満を抱いていた。

 修行に連れて行って欲しかったがそれはきっぱりと交渉の余地も無く断られてしまったのだ。

 元々スヴェンは人と馴れ合うことや誰かと行動する事を嫌っている節が有るが、今回の修行はフィルシス騎士団長と一緒にだと言う。

 なおさら成長できるなら是非とも修行に連れて行って欲しかったが、学生の領分を忘れるなと言われてしまえば反論などできなかった。

 頭ではスヴェンの言った事は正しい。それでも心は納得できず、不満としてつい吐き出してしまった。

 エルナとロイは先程の不満、もとい質問に付いて口を動かす。

 

「お兄さんは私達が学生だから一線を超えないように配慮してくれてるんだよ。それにほら、お兄さんはあの戦いの時も私達を後方に待機させたでしょ」

 

「うぐ、それを言われるともう反論できないんだけど? いや、というか納得はしてるんだよ」

 

「まあ、ラウルの気持ちは分かるよ。俺もこのままで良いのかってさ」

 

 ロイの言葉に肩が跳ね上がる。

 それはこちらの内面、焦りを見抜いたような言葉だ。

 正直に言えば前回の依頼、邪神眷属の復活時にはなにも役に立てることは無くーーむしろ避難中に歳の近い少女を助けれなかったことが今でも悔いに残っている。

 少女がモンスターに無惨に喰い殺される光景が、時折り夢として出て来る。以前は奇妙な夢に魘されることも有ったが今は悪夢が続いている。

 

「お兄さんは昨日こうも言ってたよ、今は学生生活で学べることも多いだろうって。つまり基礎をしっかり学んでおけってことだよ……特にラウルの魔法は独学で独自の呪文と術式を使ってるから魔法効果にムラが出るでしょ」

 

 それを言われてしまえばますます修行に行きたいなどと言えない。

 ふとラウルが教室に備え付けの魔法時計に視線を向けると、既に八時十四分を刺していた。

 まもなく予鈴が鳴り学業が始まる。それを察したエルナとロイも自身の席に戻って行く。

 そして予鈴が響き渡り、眼鏡を掛け白衣を羽織ったワイズ教授が教室にやって来る。

 

「やあ! 生徒諸君ごきげんよう!」

 

 いつも以上に高いテンションであいさつを告げるワイズ教授に一人の女子生徒が首を傾げた。

 

「教授、今日は機嫌が良さそうですね」

 

 なぜ朝からそんなにテンションが高いのか、疑問を訊ねる女子生徒にワイズ教授が眼鏡をクイッと持ち上げ不敵な笑みを見せる。

 

「かわいい教え子達のボランティア先での活躍はしかと耳に届いていた。特にボランティア先の者達から感謝の言葉が届くと先生としても非常に喜ばしいことなのだよ」

 

 だから喜びのあまり朝からテンションが高いのか。ラウルは半ば納得しながらふと思う。

 途中編入してまだ日の浅い自分達もワイズ教授の言うかわいい教え子達の中に入っているのか?

 このクラスに居る生徒全員は初等部から長い付き合いの生徒ばかり。自分やロイ、エルナのように訳アリで途中編入する生徒も珍しい訳では無いが、やはり何処か疎外感を感じてしまうのだ。

 それでもエルナは他の生徒とも上手く付き合えているように思える。

 今だって隣席の女子生徒とかぶりを振り小躍りするワイズ教授に対して楽しそうに談笑しているのだ。

 それにロイもロイで男子生徒と何やら小声で話してる様子が最後尾の席に位置するここから充分に見える。

 ラウルは呆然とワイズ教授を眺めるとふと彼が手を叩き、

 

「ああ、忘れるところだった! 実はこの中にミルディア森林国から恩賞を得た生徒が3人も居るんだ!」

 

 これまた嬉しそうに語り出した。

 それに対して教室内が騒めく。

 

「えっ!? ボランティア活動中に隣国ミルディアで勲章をっ!?」

 

「あれ? エルナちゃん達はボランティアと社会見学の一環でミルディア森林国に行ってたんだよね?」

 

 一人の女子生徒の呟きに生徒全員の視線が自分達に注目する。

 

「詳細は秘匿事項も含まれているため省くけど、ラウル君達はミルディア森林国に多大な貢献をしたのだよ!」

 

 名を呼ばれ、生徒達の驚愕と歓喜の声が一瞬で教室の中に響き渡る。

 

「はい、みなさん静かに! いやぁそれにしてもまさか恩賞を貰って帰って来るなんて先生、うっかり眼鏡を3つほど割っちゃったよ」

 

 陽気に語るワイズ教授の声は生徒の歓声の前に掻き消され、隣りの女子生徒に脇腹を突かれた。

 

「後で詳しく教えてよ」

 

 顔、目鼻立ちが整い、短めに切り揃えられた紫色の髪。エルナと同い年とは思えない豊満な胸を誇るーークラスの中でも人気が高いマドンナ的存在のシフォンにラウルは悩みながら答えた。

 

「えっと、答えられる範囲でなら」

 

 答えられる範囲など非常に限られているが、少しだけ浮いてしまっているクラスの中に溶け込むまたとない機会だ。

 ラウルはそんな事を考えるとワイズ教授の手拍子が再び生徒の注目を集める。

 

「はい、色々と聴きたいことが有るだろうけど先ずは一時限目の授業に集中だよ。今日は一時限目から実戦授業だからねっ!」

 

 朝からクラスの生徒と魔法を交えた試合形式の対戦が行われる。

 誰と当たるかは授業が始まらない限り分からないが、責めてロイとエルナ以外の生徒と当たりたい。

 ラウルがそんな事を考えているとワイズ教授が魔法時計を見上げ、

 

「おっと、そろそろ時間だね。それじゃあひと足先に第三グランドで待ってるから遅れないようにね」

 

 それだけ告げるとワイズ教授は終鈴の音と共に教室から退出した。

 

「あ、ワイズ教授……ホームルームで連絡事項言い忘れてる」

 

 一人の生徒がポツリと呟けば、自然と教室内に笑い声が溢れるのだった。



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23-7.天敵

 ガンバスターの刃がフィルシスが振り抜く剣の刃に弾かれ、宙に打ち上げれる。

 隙が生じた胴体にフィルシスの二太刀目の追撃が振り抜かれた。

 咄嗟に魔力を解放し刃を防ぐ。思考に浮かんだ防御にスヴェンは舌打ちする。

 刹那の一瞬に浮かんだ思考を捨て、まだ届かない刃にスヴェンは身体を後方に飛び退かせることで刃を避けた。

 だが、フィルシスが放つ一振りはそれだけでは終わらない。

 ただの薙ぎ払いから生じる衝撃波にスヴェンは身を屈めて避けた。

 対象を失った衝撃波が後方の木々を薙ぎ払い、木々が倒れる。

 背後から轟音が響く中、間合いを詰め肉薄するフィルシスにスヴェンは舌打ちした。

 ガンバスターと剣から火花が散り、

 

「いい感じだね……」

 

 笑みを浮かべたと思えば彼女の表情が一瞬で陰る。

 ここはモンスターの生息地域だ、当然戦闘音や人の気配を察知したモンスターが来るのは当然だ。

 スヴェンは近付く気配にフィルシスの剣を押し返し、気配のする方向に身体を向けーー刻々と近付くモンスターに眼を見開く。

 目の前に居るのは昆虫系のモンスター、マンティスだ。それも鋭く鋭利な鎌に魔力を纏わせながら。

 いや、問題はそこじゃない。人より多少巨体なマンティスに八つの蛸足に鋭利な鎌が有ることだ。

 巧みに鎌を左右に揺さ振りながら接近するマンティスに背後のフィルシスが、

 

「……お、オクトパスマンティス……む、虫……い、いやぁ」

 

 今まで聴いた事もない弱々しい、それこそ恐怖に弱った声が背後から響く。

 まさか昆虫系が駄目なのか? スヴェンがチラリと背後に視線を向ければ、顔を青褪めさせいつも見せる不敵な笑みは無く凛とした赤い瞳も揺れ動き身体を震わせていた。

 

「駄目なのか? 虫とかああいうの」

 

「む、昔から駄目なんだよ」

 

 完全に弱った声にスヴェンは意外そうに表情を歪めた。

 

「アンタにも人並みの弱点が有ったのか」

 

「私だって人なんだ、苦手なものの一つや二つは有るさ」

 

 強者であろうとも苦手の一つや二つ有るのは当然のこと。そこに何ら不思議な事でもないが、今は接近しているオクトパスマンティスを討伐しない事には鍛錬も再会できない。

 スヴェンかガンバスターを構え直すっとオクトパスマンティスは間合いの中でピタリっと脚を止め、十本の鎌を同時に左右に揺れ動かし始めた。

 デウス・ウェポンのアーカイブに記録されている昆虫の中でも肉食のカマキリ。

 本来獲物を待ち伏せして大顎で捕食するらしいが、目の前のオクトパスカマキリはモンスターだ。獲物を待ち伏せする必要は無い、そもそも獲物みずから生息地域に侵入しているのだから。

 スヴェンは視線で左右に揺れ動く鎌を観察しながらオクトパスマンティスが展開する分厚い障壁に思わずため息が漏れる。

 久しぶりの相棒でのモンスター戦だ、障壁を破るには何度も繰り返し斬るか.600LRマグナム弾を撃ち込む他に無い。

 これを時の悪魔に通用するまでに鍛え練り上げる必要が有る。

 これもその為の鍛錬の一環に過ぎないっとスヴェンは縮地でオクトパスマンティスの背後に回り込んだ。

 そしてガンバスターを薙ぎ払い障壁に刃が阻まれ、八本の蛸足鎌の内四本の鎌が鞭の如く真空刃を繰り出しながら迫る。

 

「コイツは……」

 

 繰り返し放たれながら迫る真空刃と接近する蛸足鎌、だがオクトパスマンティスは正面を向いたままで振り返る素振りは見せない。

 スヴェンは真空刃を斬撃で弾き、鞭の如く繰り出される蛸足鎌をガンバスターで弾き、身体の柔軟性を駆使しながら刃を避ける。

 まだ迫る蛸足鎌の刃ーーまだ見切れる範疇だが、早急に障壁を破るか。

 

 スヴェンはガンバスターで袈裟斬りを放ち障壁に弾かれる事を利用し、そこから縦斬りを繰り出し衝撃波を放つ。

 衝撃波が障壁ごとオクトパスマンティスを押し、フィルシスがスヴェンの背後に跳躍した。

 

「危うく巻き込まれるところだったよ」

 

「だったら離れろよ」

 

「キミにアドバイスが有るんだけど聴くかい?」

 

 自身が放つ衝撃波は単なる力技で密度も薄い。一応地面を抉る威力は有るが、化け物を相手にするなら結局はその程度の威力に過ぎない。

 

「ああ、コイツで魔力を纏った衝撃波は消耗が激しい。それ以外で頼む」

 

「簡単な事だよ。見てて」

 

 そう言ってフィルシスは腰を落とし、剣を鞘に収まる様に構えた。

 そして彼女は刃をそのまま音を置き去りに振り抜く。魔力を纏わず放たれた斬撃ーー孤月を描いた斬撃がオクトパスマンティスの障壁を火花散らしながら削る。

 弾くことに特化した剣圧とは違って対象を斬ることに特化した斬撃ーーそれは何かに当たれば衝撃が分散してしまう衝撃波とは違う。ましてやオクトパスマンティスが繰り出した真空刃など比較にならない密度を誇っていることは見に見えて理解できた。

 ソイツを放つには型はどうでも良い。必要なのは振り抜く速度と振り抜き様の手首の動き、柔軟性と足運びから呼吸の動き。

 オクトパスマンティスが孤月の斬撃を十本の鎌で上空に弾く。

 方法はゆっくり眼で観て観察した。フィルシスの身体の動きも筋力の動かし方も。

 あとは自分に取り込む為に何度も繰り返すだけーースヴェンはガンバスターを構え直す。フィルシスの同じ構えで。

 

「良い感じだ」

 

 フィルシスの歓喜の声にスヴェンはガンバスターを振り抜く。

 音を置き去りに刃から生じた三日月状の斬撃がオクトパスマンティスの障壁を削る。

 

 ーーあぁ、コイツは構えなんざ必要ねえ。試してみるか。

 

 スヴェンは構えを解き、いつも通りガンバスターを振り抜く。袈裟斬り、逆袈裟斬り、払い、縦斬りを連続でより速く繰り出す。同時に放たれる三日月の斬撃がオクトパスマンティス障壁に迫る。

 同じ位置、同じ場所に重なる三日月の斬撃がオクトパスマンティスの障壁を削り続け漸くに亀裂が走った。

 まだフィルシスの放つ斬撃には遠く及ばない。もっと速く、より鋭く繰り出す。

 スヴェンは再度縮地でオクトパスマンティスの背後に回り込む。そしてガンバスターを振り抜き、孤月の斬撃が空中を飛翔しオクトパスマンティスの障壁を切断した。

 切断された障壁、宙を舞うオクトパスマンティスの右前脚の鎌と四本の右蛸足鎌がフィルシスに飛んだ。

 

「きゃっ」

 

 随分と可愛らしい悲鳴が聴こえた気がするが、今は怒り狂ったオクトパスマンティスに集中すべきだ。

 スヴェンはオクトパスマンティスの右側目掛け距離を縮め、右薙ぎ払いを放つことでオクトパスマンティスを右から切断する。

 地面に崩れる身体、抜け出る粒子状の魔力。そして昆虫にも拘らず遺される遺骨にスヴェンはガンバスターを鞘に納め、刃が風を斬る音に刃を引き抜くことで刃を防ぐ。

 

「おい、何すんだよ」

 

 ギチギチっと刃が鳴る中、フィルシスに問えば彼女は愚問だと言わんばかりにーーいいや、答えなど分かり切っていた。

 

「鍛錬再開に決まってるじゃないか。キミは私の期待通りに斬撃を遠距離攻撃として繰り出す術を修得した……うん、良い行幸だ。以前は魔力を刃に形成する方法を教えたけど、キミは魔力を使う技術よりも身体を使った技の方が覚えが速い」

 

「そりゃあ魔力なんざこっちに来てから使い始めたからな」

 

「キミにはやっぱり実戦の方が良いね」

 

 そう言ってフィルシスは一度剣を引き放し、間合いを取る。

 わざわざ間合いを取ったということは斬撃を飛ばすか、高速で間合いを詰め攻勢に出る。前回の鍛錬で魔法を使うことは無かったが、使わない可能性が無い訳では無い。

 スヴェンがフィルシスの出掛けたを警戒すると、彼女はその場で剣を一閃ーー斬撃が地を走り抜け、スヴェンの脇を通り過ぎて行く。



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23-8.最初の勝敗

 地を走る斬撃が斬痕を残し地平線の彼方に消えて行く。

 魔力を使わない単純な剣技にスヴェンは感嘆の息を漏らし、同時にこの鍛錬期間で果たして何処まで物に出来るのかが疑問として芽生える。

 そして時の悪魔に対する有効手段は最後の.600GWマグナム弾のみ。時が遡る閉鎖空間内で良くも悪くも使えるのは一回限りだ。

 一度外してしまえば以降は時の悪魔が警戒し、銃弾は通用しないっと考えるべきだ。

 

「遠距離攻撃手段に乏しい俺にとっちゃあ必要な技術、か」

 

 射撃と衝撃波以外の遠距離攻撃ーー既に斬撃を飛ばすことは可能だがまだまだ練度が不足してるのは当然として、問題は時の悪魔に当てられるのかという課題も有る。

 

「キミは戦闘に関する筋は良い……うん、違うね才能に溢れてるって言うべきかな」

 

 フィルシスの言う才能。それはきっと殺しに対する才能だ。

 ただ生憎と自分は才能に溢れている訳では無い。観察眼から身体の動き、細かな筋力の運動を見極められるのも単純に傭兵として培った経験に過ぎない。

 

「俺には才能ってヤツはねえよ。ただ経験して得たもんだけだ」

 

「経験を糧に……それならキミはたったいま鋭い斬撃を経験したことになるね」

 

 確かにフィルシスが放った練度の高い斬撃を眼にした。後はそこまで至るためにひたすら努力する他にない。

 そうと決まればやる事はもう決まっていた。スヴェンはガンバスター構え直し、フィルシスに刃を向ける。 

 鍛錬の再会、そう受け取ったフィルシスも構えを取った。剣を中段に構えながら剣先をこちらに向けるーー構えの名前は知らねえが、確か隙を少なく振り抜けたな。

 剣の振り方、構え方を色々試している内に身に付けた構えの一つだったが戦場で構えを取る必要性が薄い。

 そもそも敵は上品に構えを取る隙など与えてはくれないのだ。

 

「これはアンドウエリカって子から聴いたんだけど、霞の構えって言うらしいね」

 

「なるほど? 前回の鍛錬じゃあ見なかったが……」

 

「私も色々模索するものさ……でもこの体制なら振り下ろしと斬り上げを瞬時に使い分けられるかな」

 

 確かに構えからして見ればフィルシスの言う通り利点が有る。何よりも彼女の佇まいに隙など無い……いや、隙に関しちゃあ構えは関係ねえな。

 フィルシスなら不意打ちだろうと対応する。スヴェンは確信を抱きながら地を踏み抜く。

 高速で地を駆け、フィルシスの背後からガンバスターを左薙に払えばーーガキィーン! 彼女の剣の刃に弾かれる。

 そのまま刃を一閃するもフィルシスが放つ薙ぎ払いに刃が弾かれた。

 弾かれる度に刃を振り抜き、剣の刃に衝突し火花を散らしながら互いの刃が弾かれーーそんな応酬の繰り返しにフィルシスが笑みを零す。

 ならばっとスヴェンはガンバスターを振り抜くタイミングずらした。

 フィルシスの刃が振り抜かれた瞬間、スヴェンは身体を捻ることで彼女の刃を避けーー回転斬りを繰り出す。

 

「甘いよ」

 

 刃を避けられたフィルシスは後方に跳躍するこでこちらの回転斬りを避けた。

 彼女が難なく回転斬りを避ける。それも予測済みだ。

 スヴェンはそのまま刃を強引に振り上げることで、まだ宙に居るフィルシスに孤月の斬撃を飛ばした。

 騎士甲冑を装備した状態では空中で姿勢を変えることは難しい。難しいがフィルシスなら難なくやってのけるだろう。

 それとも先程見せた斬撃で斬撃を両断するか。

 スヴェンが彼女の行動に出る前に脚力に力を込める。

 

「良い狙いだ……ハァッ!」

 

 フィルシスは剣を縦に音速で振り抜き、鋭利に飛翔する斬撃を放ち向かう斬撃を両断しーースヴェンは咄嗟に身体を捻ることで彼女が放った斬撃を避けた。

 地面に刻まれる斬撃の痕に喉が鳴る。万が一まともに受ければ身体が容易く両断されていただろう。

 スヴェンがフィルシスに視線を向けると、彼女は宙を蹴る様にーーおい、ちょっと待て……何をする気だっ!?

 姿勢がまるでプールの壁を蹴るような状態だ。しかも空中で、蹴る物など何も無い空中でだ。

 いや、アシュナが見せた魔法陣を足場にした移動方法。自分自身も魔力の力場を足場に加速したことは有るがーーフィルシスはまだ魔力を使ってすらいない。

 嫌な予感にスヴェンは彼女を迎え撃つべくガンバスターを構える。

 そしてフィルシスは弾けた。空気を両脚で蹴り加速力を加えてこちらに突進し刃を振り抜く。

 

「チィッ!」

 

 ガンバスターを薙ぎ払うことでフィルシスの剣を受け止めも、彼女の全体重と騎士甲冑の重みがガンバスターを襲う。

 スヴェンは力を込め刃を振り切るも、フィルシスは剣を軸にそのまま跳躍し背後に回り込んだ。

 そして首筋に突き立てられる刃にスヴェンはわざとらしくガンバスターを落とす。

 

「これで1回死亡だな」

 

「ふふ、これで私の一勝だね」

 

 いつのまにそんなルールになったのか甚だ疑問だが、スヴェンは先程フィルシスの取った行動に突っ込みを入れた。

 

「で? さっきの動きは何なんだ? 物理法則を無視された気分なんだが……」

 

「あれ? 空気を足場に蹴っただけだよ」

 

 そもそも空気は力場でも無ければ単なる気体だ。それをさも当然の様に語る辺り、フィルシスも大概人を辞めている。

 常識を非常識で打ち砕くことは良くあることだが、それにしても頭の痛い現象だ。

 頭痛に襲われたスヴェンは額を抑えるっとフィルシスは不思議そうに小首を傾げた。

 

「キミの世界じゃ空中で突撃できないのかい?」

 

「できなくはねぇが……それだって重力力場発生装置の補助有りきでだぞ。アンタの場合はまだ魔力を使っていると言われれば納得も行くんだが、素でやられりゃあ誰だって混乱もする」

 

「そういうものかい? まあ良いや、さっき私が勝ったからお願い事を聴いてくれるかい?」

 

「いつからそんなルールになった!?」

 

「鍛錬中に思い付きで……ダメ?」

 

 そんな小首を捻る様に頼まれても困惑しか生まれない。

 しかしスヴェンは思い直す。鍛錬とは言え、冷静さを掻き背後を取らられた挙句に首筋に剣先を添えられた。

 それは傭兵としては致命的な敗北、戦場なら殺されてもおかしく無い状況だ。

 それに自分は口にしている。これで一回死亡っと。

 

「仕方ねえ、敗者は勝者の言いなりになるしかねぇな。常識的かつ人に可能な範囲内限定で」

 

「予防線を貼ったね? けどキミに無理はさせない範疇でお願いするよ」

 

「飯炊きか? それとも野盗退治か?」

 

「さっき温泉が有ったよね?」

 

「あ? あぁ、アンタが入浴中の見張りってんなら頼まずとも引き受けたが……」

 

 フィルシスは昆虫系のモンスターが大の苦手だ。入浴中に襲撃されでもすれば彼女でも冷静に対応するのは難しいかもしれない。

 そんな意味で告げたのだが、フィルシスは笑みを浮かべたまま違うっと首を横に振った。

 

「見張りじゃねえのか……? じゃあなんなんだよ」

 

「今から一緒に温泉に入る。たったそれだけだよ」

 

 さも当然の様にフィルシスはそんな事を白昼堂々と告げた。



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23-9.温泉で語り合い

 フィルシスの言った言葉にスヴェンは眩暈に襲われながらも彼女の正気を疑った。

 

「野朗とモンスター蔓延る生息地域で混浴を? 正気か?」

 

「正気さ、それに私はあそこの温泉を何度も利用しているから判るんだ。水が苦手な昆虫系のモンスターは絶対に近寄らないって」

 

 正気だと言わんばかりに真っ直ぐな眼で答えられてしまえば何も言えない。

 言えないが何事も絶対など有り得ない。だが、この地に熟知したフィルシスが言うのだから昆虫系のモンスターは寄って来ないのかもしれない。

 逆に言えば他のモンスターは襲撃に来るということになるが……。

 温泉に浸かりながら襲撃に備える。それ自体はデウス・ウェポンで常に経験してきたことだ。

 

「これも鍛錬の一つ、か?」

 

「納得した様だし早速行こうか!」

 

 既に鍛錬を続ける空気でも無い。むしろ内に秘める闘争力は彼女の発言の前に萎えてしまっている。

 ここは一つ温泉にゆっくり浸かり、時折り襲撃に来るモンスターを討伐する事で切り替える他にない。

 スヴェンは意気揚々と歩き出すフィルシスに着いて歩く。

 そして野営地から入浴に必要なタオルを取り出してから温泉に向かうことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 朝に来た時同様、動物が温泉に浸かりゆったりと寛いでいる光景にスヴェンは息を漏らす。

 人間が近寄っても野生動物は騒ぎ立てることは愚か無反応だ。人に慣れている様には見えないが、警戒されていないという事なのだろうか?

 スヴェンは動物の様子に疑問を懐きながら岩場に衣服を脱ぎ、腰にタオルを巻きガンバスターをいつでも手に取れる位置に置く。

 そして温泉の湯にゆっくりと浸かり、湯の心地よさと身体の疲労が抜け出る感覚に息が漏れる。

 気を抜けない状況だが、それでも自然と力が抜けてしまうのは温泉の抗えない力の影響か。

 スヴェンがそんな事を内心で考えていると、入浴の準備を終えたフィルシスが隣に座りーー彼女の姿に疲労感がため息と共に漏れる。

 なぜ全裸なのか、なぜタオルを巻かない? お前に恥じらいは無いのか? そんな疑問が浮かんでは泡の様に消えた。

 もうこれは下手に指摘する方が可笑しい。これはその領域の話なのだ。

 スヴェンが一人勝手に結論付けると、フィルシスは何を考えているのか、腕に絡み付き胸を押し当てて来る始末。

 胸の感触。彼女の対応に自身の心は何も感じずただ冷めた感情だけがそこに有る。

 

 ーーコイツ、羞恥心を何処に置いて来た?

 

「これでも無反応なんだね」

 

 気安い行動に不快感しか浮かばない。いや、不快感を通り越して呆れた感情しか浮かばないのだ。

 

「アンタの行動に呆れて何も言えねぇよ」

 

「ど、どうしてだい!? 男性はこうすると喜ぶって本にも書かれてたのに……」

 

 一体どんな本を参考したのか。いや、世間一般の男性ならフィルシスの行動は喜びに値するのだろう。

 

「……俺は喜ばねぇ、むしろ不快だから離れろ」

 

「……キミに嫌われてしまっては元も子もないね」

 

 フィルシスは残念そうに離れたが、どうやらタオルを巻く気は無いらしい。

 

「……一応聞くが、アンタは他の連中と混浴時にタオルを巻かねえのか?」

 

「普通に巻くよ……私はキミになら見られても問題ないのさ」

 

「意味が分からねえな」

 

 本当に意味が分からない。フィルシスの行動、表情から読み取れない感情。リノンが向ける感情とも違う。

 かと言ってエリシェが向ける友情とも全然違う。

 

「私はキミを手放したく無い、側に居て欲しいっと思ってるんだ。多分、この感情は姫様達が言う恋愛感情とは違うけど」

 

 恐らくはそうなのだろう。彼女の読み取れない感情は正に複雑だ。

 歓喜、哀れ、興味に加え闘争本能も含まれている。

 それにフィルシスは自身の事を弟子と呼ぶ。それを踏まえればスヴェンはフィルシスにとっての弟子なのだ。

 師匠が弟子に向ける愛情は恋愛とは違うが、これも複雑で自身にとっては到底理解できない感情の一つだ。

 

「……師弟愛ってヤツか?」

 

「あぁ、多分それだね。私はキミを弟子として認識しているからこそ裸を見せても平気なんだ」

 

「俺にとっちゃあ師弟愛ってのも理解できねぇ感情の一つだな」

 

「キミの凍った心には愛情、恋愛感が欠如している。いや、寧ろ与えられずに育ってられたかな?」

 

 確かに感情が、心が欠如している。それは彼女が突き付ける前から自覚していた自身の欠落だ。

 だが、こうして面と向かって他者に指摘されるのはいつ以来だろうか?

 

「……アンタには心を見透かす技術でもあんのか?」

 

 純粋な好奇心から訊ねれば、フィルシスは何食わぬ顔で答えた。

 

「剣を交えれば判るものさ」

 達人は相対した相手の闘気から何手先も読むという。実際に覇王エルデがそうだった様に、フィルシスもその領域ーーそれ以上の領域に居るのかもしれない。

 いずれにせよ、

 

「それで内面を理解されたら堪ったもんじゃんねぇな」

 

 内面を理解されると言うことは、心の内側に土足で入り込まれるということだ。

 それに対して不思議と、自身でも驚くほどに不快感は無い。むしろ不快感とは真逆の感情がーーいや、気の迷いだな。

 温泉が与えるリラックス効果が精神に作用しているからか、スヴェンは自身に浮かんだ感情から眼を逸らすように気の迷いだと切り捨てた。

 スヴェンが自身の感情から眼を逸らし、ふとフィルシスに視線を向けると彼女は心無しかしおらしい様子を見せ、

 

「……少し強引だったかな?」

 

 そんな事を口にした。

 

「混浴の状況が、か?」

 

「そっ、キミとは徐々に距離を縮めようと計画していたんだけどね。でもダメだったよ、キミと刃を交えれば交えるほど理性を置いて感情が走ってしまうようだ」

 

 感情を優先して動きたい気持ちは良く判る話だ。頭で考えた所で人は結局感情を優先する。

 例え巧妙に計算し、未来視に近い結果を予測した所で人の感情という変数が与える影響は大きい。それが一個人なら軽微だが複数、団体となれば大きな渦を生み戦争に繋がるケースも有る。

 それでもスヴェンは敢えてこの言葉を口にする。自身よりも遥かに格上の強者であるフィルシスに対して。

 

「次からは自戒を利かせてくれよ」

 

「努力はするよ……はぁぁ〜それにしてもキミは本当に硬派というか、裸の私を前にしても欲情一つしないんだね」

 

 確かに目の前には全裸のフィルシスが肩まで湯に浸かっているが、ここの温泉の湯は殆ど透明で星の魔力を含んでいる。

 星々の海を映し出す水面の下に視線を向け様ものなら観てはならないものまで見えてしまう。

 普通なら刺激が強過ぎる光景だが、生憎と女性の裸体一つで理性のたがが外れることは無い。

 

「馴れの問題だな」

 

「キミは経験豊富……いやぁ、厄介な女性に付き纏われて耐性でも付いたのかな。キミから進んで女性の身体を求めるようには思えないし」

 

 厄介な女性、思い当たる人物は一人しか居ないが、その顔すら思い浮かべる事を理性が拒む。

 故にスヴェンは沈黙することでフィルシスにそれが正解だと告げる。

 

「……そんな嫌な相手が居る世界にキミは帰りたいのかい?」

 

「たかが性悪女1人の為に異世界に永住を決めるほど弱くはねぇよ。それにこっちにも付けるべきケジメがあんだよ」

 

 こればかりは曲げられない。どんなに美味い食事が有っても自身が居るべき居場所に帰る。

 だが、テルカ・アトラスに召喚されて今日に至るまで確かに心境の変化は訪れている。

 邪神教団や邪神眷属など厄介な存在は居るが、それを除けば戦争が無い平和な世界だ。

 覇王エルデが謳う戦争経済から脱却した戦争の無い世界、彼女がどの様にして夢物語を実現するのか興味も有る。

 いや、もしかすると既にチェックメイト間近まで差し迫っているのかも知れないが覇王エルデに対するケジメも付けなければならない。

 スヴェンが呆然とデウス・ウェポンに帰還した後の事を考え込んでいるっと、

 

「キミが帰るその日まで心変わりすることを私は祈るよ」

 

 不敵にそんな事を言った。

 

「姫さんにでも……いや、姫さんのことだ、それは無いな」

 

 レーナがフィルシスに頼んでこの世界に永住方向に誘惑させる。一瞬でも頭によぎった到底有り得ない、むしろレーナに対する侮辱と同義の思考にスヴェンは自身に底知れない嫌悪を抱いた。

 

「悪い、一瞬でも姫さんを疑っちまった」

 

「どんな推測をしたのかは判らないけど、姫様は約束を違えることは無いさ……でもその前に懸念事項を取り払わないとねぇ」

 

「ミアの依頼はアンタにとっちゃあ渡りに船か」

 

「問題はキミが時の悪魔を撃ち破れるかどうかにかかっているけど、これは私の人生を賭けても良い」

 

 簡単に人生を賭けるなっと言いたい所だが、彼女の眼は本気だ。本気で自身の人生を賭けるっと語っている。

 あまりにも真っ直ぐで眩しささえ感じる意志が宿った瞳にスヴェンはただ無言で頷く。

 同時に過去に渡るために必要な対価も往復分を含めて支払う用意が既に有る。

 レーナの件は杞憂で終わればそれに越した事はないが、万が一の備えは必要だ。

 そもそもルーピン所長がわざわざ悪魔を封じ込める魔道具の製造をクルシュナに頼んでる辺り、彼もフィルシスの懸念を確証を持って対策を講じているのだろう。

 

「時の悪魔、か。ソイツを撃ち破れる程には力を付けなきゃ意味がねぇな」

 

「じゃあ鍛錬の再会と行くかい?」

 

「そうだな、そろそろ上がって鍛錬再会と行くか」

 

 同意を示したスヴェンはフィルシスと同時に立ち上がり、やがて妙に軽い身体に首を傾げながら着替えるのだった。



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23-10.鍛錬再開

 温泉上がりに再開させた鍛錬、温泉の効能が影響しているのか身体が非常に軽い。

 それはフィルシスも同じようで繰り出す斬撃の速度がより速く増している。

 フィルシスが一振り振り切るまで0.03秒に対して自身はどう足掻いても0.05秒っと遅い。

 自身が振り抜く刃が遅れて彼女の刃を弾く。鍛錬開始から感じる0.02秒の差にスヴェンは冷静に思考を巡らせる。

 魔力による身体能力を活性化させたとしても差は埋められない。むしろフィルシスの魔力による活性化は自身の比較にならないほど練度が高い。

 差を埋めるどころか広がる一方だ。それに時の悪魔に魔力が通用しない以上、魔力を扱う技術は無意味だ。

 スヴェンはフィルシスの刃を弾き、斬り返しならが事項する。

 ガンバスターの重量、扱う為の筋力は足りている。逆に足りていないのは細かな技量だ。

 眼に意識を集中させ魔力の流れを視覚させる応用でフィルシスの足運び、全身の筋力の動き。それらを読み取れば必要最低で一切の無駄が無い事が判る。

 

「考え事かい?」

 

 思考を読み取られた。悟った時にはスヴェンの身体がガンバスターごと弾き飛ばされ、地に足を付ける瞬間に剣圧が胴体を薙ぎ払った。

 

「がはっ」

 

 身体が地面に倒れる。その前にスヴェンは左腕で身体を支えることで転倒を防ぎ体制を立て直す。

 既に迫るフィルシスの刃にスヴェンはガンバスターの腹部分を盾に防ぐ。

 剣の刃が腹部分のメテオニス合金を削り、不快な音が火花と共に響く。

 ガンバスターに全身の力を込めたフィルシスの刃が重くのしかかる。

 悲鳴の如く金切り音が響く中、スヴェンも腕力でガンバスターを振り抜きフィルシスを弾き飛ばす。

 そして刃を二度、縦と横に振り抜きーー孤月の斬撃を二発放つ。

 だがこれも容易く防がれる。それならばっとスヴェンは地面にガンバスターを叩き込むことで衝撃波を放つ。

 フィルシスは迫る二発の斬撃を巧みな体捌けきで避け、地を走る衝撃波を剣で弾き飛ばす。

 彼女なら確実に対応する。それを理解していたからこそスヴェンはフィルシスの背後に回り込む事で後頭部に銃口を突き付ける。

 

「あぁ、そうか。キミは斬撃よりも速く動けるんだったね」

 

 剣を手に持ったままフィルシスは納得したように答える。

 普通ならこの状態で反撃に移れる者は少ない。ただの銃なら獲物を落とす事で降参と見せかけ、銃を蹴りで弾く事も可能だ。

 だが両刃のガンバスターを蹴り飛ばすには柄か腕を狙わなければならない。

 しかしフィルシスは騎士甲冑を装備しているとは言え、重量などものともせず動く。

 スヴェンが彼女の一挙一動を警戒する中、フィルシスは僅かに左足を上げーーそのまま地面を踏み抜くことで地震を発生させた。

 足元から生じる地震に足を取られたスヴェンがバランスを崩す。

 そこにフィルシスが畳み掛ける様に縦斬りを放つ。

 

「なんのっ!」

 

 体制を崩した状態でガンバスターで刃を受け止め、フィルシスが笑みを浮かべる。

 

「中々決められないなぁ」

 

 簡単に決められてまた負けたら今度はどんな頼み事をされるか分かったものでは無い。

 スヴェンは右腕のガンバスターで防ぎながら左腕を軸にフィルシスに足払いを仕掛ける。

 

「おっと」

 

 だがフィルシスは後方に退がる事で足払いを避ける。お陰で彼女と距離を取ることには成功したが、防戦一方というのも性に合わない。

 スヴェンは内に秘める殺意を解放し、駆け出しながらガンバスターを振り抜く。

 しかし、同じく瞳に殺意を宿したフィルシスの一閃が胴体を薙ぎ払う。

 胴体が寸断され、スヴェンの身体が霞の様に消える。

 フィルシスの左脇からスヴェンがガンバスターを振り抜き、気配を察知した彼女が斬り払う。

 刃と刃が削り合いフィルシスとすれ違う。

 

「いいね!」

 

 闘気と歓喜に満ちた笑みを浮かべるフィルシスにスヴェンは構わず右薙を繰り出し、同時に残像を残してその場から消える。

 分身と共に左右同時に斬撃を飛ばしたスヴェンに対してフィルシスは回転斬りを放つことで残像と分身、斬撃諸共一太刀で掻き消した。

 そこに本体は居ない。彼女が斬ったのは殺意を纏った残像と分身に過ぎない。既に離脱したスヴェンは彼女の頭上から兜割りで奇襲を仕掛ける。

 完全に意表を突いたが、それでも剣でガンバスターを防がれてしまう。

 そして刃は彼女の繰り出す一閃に弾かれ、スヴェンは地面に着地し改めて構え直す。

 魔力を使えればこの状態で魔力を解放することもできるが、それはそれでフィルシスの魔力解放に相殺されるだけ。

 

 ーー攻め手に欠けている。自分に自信を持つ奴は油断するが彼女には一切それが無い。

 

 むしろフィルシス自身が己の強さに満足していないのだ。彼女が何処を目指しているのか判らないが、油断も慢心する事も無い。

 だからこそ強者だ。自身には無い強さをフィルシスは持っているからこそ、鍛錬の一時の間は羨ましく尊敬の念すら浮かぶほどに。

 ふと騒々しい足音と複数の気配にスヴェンとフィルシスは殺気を激らせた。

 視界に映るモンスターの群れ、そこに昆虫系の姿は見られないが邪魔をされるのはつまらない。

 スヴェンはフィルシスと同時にモンスターの群れに駆け出し、

 

「面倒だけど魔力を使わずに蹴散らすよ」

 

 二人は同時にモンスターの群れに刃を繰り出すのだった。



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第二十四章 野盗の狙い
24-1.空から見た光景


 デリバリー・イグールの配達員ーーシェナは相棒の大鷲ゼラと共に地上の光景に目を奪われていた。

 ラオ副団長から請けた配達の依頼。エルリア城を度々留守にするフィルシス騎士団長に届ける指示書--もとい討伐要請書の配達に彼女が居るエルリア南東部に位置するベルヌア平原を飛んでいたのだが、土埃を撒き散らしながら大地を疾走するモンスターの大群と何度か配達の関係で知り合ったスヴェンが居る。

 そして彼の隣には騎士甲冑を纏いブラックが鍛造した最高傑作の一つと名高い無銘の剣を構えるフィルシス騎士団の姿も。

 最初はいくらフィルシス騎士団長と言えども多勢に無勢、加勢に入ろうとした所ーー驚くべきことに、いやそれは正に自殺行為と言うべきか。スヴェンとフィルシスはモンスターの大群を相手に魔力、魔法を一切使わずモンスターの障壁に武器を振り始めたのだ。

 

 ーーいやぁ、人ってあんなに速く動けるもんなのかな?

 

 モンスターが様々な魔法を放ち、まさに魔法の嵐とも呼ぶべき光景を前に二人は眼で追えない速度で動き、魔法を刃で弾きながら確実に障壁に亀裂を入れて行く。

 なぜ魔法と魔力を使わないのか疑問が芽生えるが、フィルシスの楽しげな笑みを浮かべ、時折りスヴェンに何かを語りかけ彼がその通りに動いている様子を見るに指導中だという事が判る。

 以前に出会ったスヴェンは旅行者と身分を偽りながら魔王救出を目的に行動していた異界人だ。

 それがなぜフィルシスから指導を受けることになったのかは判らないが、きっと何か意味が有るのだろう。

 二人は剣技で魔法を弾き、阿吽の呼吸で同時に同じ箇所に刃を叩き込む事でモンスターの魔力を減らし障壁を確実に破る。

 剣戟の蓮撃、高速移動から繰り出される斬撃の数々はどれも魔力で動体視力を補って漸く認識できる程だ。

 

「フィルシス騎士団長にあそこまで付いて行ける人ってどれぐらい居たかな」

 

 付き合いの長いラオ副団長は当然として、彼女の師匠であるオルゼア王も当然難なくフィルシスに合わせられるだろう。

 それ以外でっと言えばレーナ姫、そしていま現在フィルシスと連携しているスヴェンだ。

 だからなの? フィルシス騎士団長があそこまで嬉しそうに頬を緩めているのは?

 シェナは上空から見たフィルシスの様子に内心で浮かんだ問い掛けを胸の内にそっと仕舞い込む。

 そして二人が次々に斬り刻むモンスターに視線を移す。

 大群の中心でまるで指示を与えるように吼える大型のモンスターが一体、異質な存在感を放つ獅子の姿を持つモンスターが。

 いや、それどころかそのモンスターの指示に従うように他のモンスターが動き始めているではないか。

 

 ーーモンスターが連携を? 今まで本能に従って人類を襲っていたモンスターが?

 

 モンスターには多数の種類が居る。中でも死域を展開する強力な個体、滅多に発生しない竜種系のモンスター。

 人類絶滅のために待てる魔力を本能のままに解き放つモンスターだったが、統率というものは無かった。

 そもそも守護結界が無ければ人類は遥か昔に絶滅していただろう。

 モンスターがこれから統率力を持って人類を襲うようになればきっと今まで以上の損害が出ることになる。

 それでもフィルシスが率いるエルリア魔法騎士団は対応してしまうという信頼から来る期待感が有る。

 シェナが他モンスターを統率するモンスターを観察する中、スヴェンが真っ先にモンスターの群れを突き進む。

 獅子のモンスターに真っ直ぐ、他に眼も向けずひたすら突き進む。

 そんな無謀な行動とも言えるスヴェンをフィルシスが援護する様に他のモンスターを斬り払う。

 障壁ごとモンスターを斬り裂く一太刀、相変わらず芸術さえ感じるフィルシスの剣技にシェナは眼を奪われつつスヴェンの動きに注目する。

 

 ーー常連に成り立つ有る彼は一体なにを考えて?

 

 獅子のモンスターの視覚外から確実に障壁に対して重い一撃を叩き込む。

 対する獅子のモンスターは眼で追えないスヴェンに対し、自身を中心に魔法陣を展開した。

 魔力に大気が震え、ゼラが怯えた様子で鳴く。

 

「よしよし……落ち着いて距離を取って。大丈夫、大丈夫」

 

 手で優しくゼラを撫でながら彼を上昇させる。出来るだけ巻き込まれないように距離を保つ。

 瞬間、地面の魔法陣から雷を纏った爆炎の火柱が空の浮遊岩ごと貫き天の果てまで届く。

 獅子のモンスターを中心に焼土と化した大地にモンスターの遺骨が残る。

 あの魔法にスヴェンは巻き込まれたのか姿が見えない。

 視線を動かすシェナの視界に映るのは、モンスターと戦闘を繰り広げるフィルシスだけ。

 どんなに速く動けようとも、戦闘経験が豊富であろうとも魔法をまともに受ければ人にとっては致命傷だ。

 特に範囲の広い魔法は防ぐ手段が無ければ危険過ぎる。

 シェナが知り合ったスヴェンの死に眼を瞑った。

 

 ーーお得意様になるかもしれない、見知った顔の死というのは慣れませんね。

 

 責めて後で手向けの花でも添えよう。

 そんなシェナの思考とは他所に、空にズドォォーーン!! けたたましい音が六回鳴り響く。

 何事かと眼を開ければ、獅子のモンスターから離れた位置で地面に伏せたスヴェンがガンバスターの線端から煙を立ち昇らせながら構えていた。

 既に何かをした後なのだと理解したシェナは獅子のモンスターに視線を移す。

 障壁が砕かれた獅子のモンスターに地を走る斬撃が駆け抜ける。

 頭部から真っ二つに両断された獅子のモンスターが地面に斃れ、シェナの喉が鳴る。

 

 ーー魔力を消耗して薄くなった障壁を貫いたってことぉ?

 

 スヴェンの身体を見れば魔法を使った痕跡は見られない。

 見られないが彼が持つガンバスターから魔法が放たれた痕跡が確かに有る。

 しかし詠唱は聴こえなかった。魔法は詠唱を唱えければ威力が減退しまともにモンスターの障壁を砕くことはできない。

 そう言えば彼に配達する荷物にはプロージョン鉱石の粉末を使った危険物が有るため配達には注意する様に。そんな事をクルシュナに言われた事を思い出したシェナは漸く得心を得る。

 ガンバスターの先端から発射した魔道具に封じ込められたプロージョン粉末が炸裂ーーそれだけでは魔法の残滓に説明が付かない。

 だから魔道具に刻まれた魔法陣に魔力を流し込み、魔法の効果を発動させた--異界人の武器や戦闘スタイルは初見では判り難い。

 考察も良いがモンスターは大群だ。司令塔に等しいモンスター初の討伐、それが群れに影響を及ぼすか未知数だ。

 ゆえにシェナがモンスターの大群に視線を移すっと、獅子のモンスターが討伐された影響か、モンスターはスヴェンとフィルシスから離れる様に走り去って行く。

 モンスターが人類を前に撤退した。通常なら肉体が滅びるまで襲い続けるモンスターが撤退を選択したことに驚きを隠せないが、それ以上にスヴェンの無謀とも言える行動に一つ自分なりに答えを出す。

 

 騎士団も野盗も統率する者が居なければ統率がとれず、部隊として崩壊し個々人で撤退を余儀無くされる。

 故に小隊長、部隊長に選任されるのは実力者はもとより的確に柔軟な指示を出せる者が選ばれる。

 同時にシェナははじめて眼にしたスヴェンの戦い方に理解を示す。

 

 --頭を潰して統率力を削いだんだ。

 

 しかしこれはスヴェンにも賭けに等しい結果だったのだろう。万が一獅子のモンスターを討伐してもモンスターが撤退してしなかったら?

 いや、それもスヴェンとフィルシスは織り込み済みで行動してる節が有る。

 そうでも無ければ撤退すると判っているモンスターを、フィルシスはわざわざ相手にせずスヴェンと獅子のモンスターを狙ったはずだ。

 シェナはゼラを降下させ、スヴェンとフィルシスの下に降り立ち。

 

「毎度〜空が繋がる限り何処でも最速でお届けに参る【デリバリー・イーグル】のご利用ありがとうございます!」

 

「空から視線を感じていたが、アンタだったか」

 

 何度か顔を合わせてる内にスヴェンはこちらを覚えた様でガンバスターを鞘に納めた。

 そしてフィルシスがこちらの荷物に視線を移し、真っ直ぐとこちらの眼を見つめながら問う。

 

「此処に来たのは私に用向きかい」

 

 いや、既に彼女は察しているのだ。それはいつものことで慣れたシェナは荷物から封筒を取り出してフィルシスに手渡した。

 

「お察しのとおり副団長からお届け物ですよ」

 

「うん、出発して1日も経たずにか。緊急の案件かな」

 

 ラオ副団長が部隊を編成せず、この場所に居るフィルシス騎士団長に指示書の配達を頼んだ。

 それはきっと現地に彼女が居てどの部隊よりも近いからだろう。

 フィルシスは封筒に魔力を流し込む事で仕掛けられていた封を解く。

 そしてエルリア魔法騎士団の印が記された一通の羊皮紙をスヴェンにも見える様に--わざわざ肩と頭を密着させて読み始めた。

 それだけスヴェンがフィルシスに気に入られているのだと理解出来るが、当のスヴェンは嫌そうに顔を歪めるも半ば諦めたのか羊皮紙に視線を向けている。

 やがてフィルシスは最後まで内容に眼を通したのか、

 

「……へぇ、舐めた真似をしてくれるね」

 

 低い声で呟いた。

 

 --あぁ、哀れな愚か者が狼藉を働いたんだろうなぁ。

 

 フィルシスが低い声を出す時は決まって誰かがエルリア国民を害した時だ。

 

「……シェルノーグ村ってのは?」

 

「此処から1番近い村さ、それでも歩って3時間程は掛かるけど」

 

 なるほど、シェルノーグ村はエンケリア村に次ぐ鉱物資源産出村だ。

 多く採れる金や宝石の原石を狙って野盗がシェルノーグ村を襲ったのか、二人の様子からそんな考察をすると。

 

「さてスヴェン、今から私と野盗討伐だ。優先順位は攫われた民間人の救出及び野盗の殲滅」

 

「了解した、早速現地に向かうか」

 

「到着する頃には奇襲に適した時間になるからね」

 

 モンスターの大群と戦闘を繰り広げた直後に行動すると言うのか。

 二人を止めたい心情に駆られるが、シェナはデリバリー・イーグルの配達員としてその言葉をぐっと呑み込んだ。

 

「おっと、忘れる所だったよ。空からずっと観察していたキミにお願いが有るんだ」

 

 流石に上空に居ようとも気配でバレていた。シュナは相変わらずだと肩を竦めながら、

 

「御用件は新種モンスターの遺骨運びと報告でしょうか?」

 

 そう訊ねるっとフィルシスは話しが速いと笑みを浮かべた。

 

「そう、モンスターに指示を出す個体なんて今まで前例を聴いたことが無いからね。遺骨はモンスター研究所、詳細報告はラオ副団長に頼むよ」

 

「承知しました、手数料等はいつも通りでよろしいですね」

 

 シュナは懐からエルリア魔法騎士団専用の請求書を取り出し、そこにフィルシスが魔力を流し込んでから金額を書き記した。

 後は頼まれた遺骨とラオ副団長に報告し、請求書を提出するだけでデリバリー・イーグルに報酬が支払われることになる。

 

「毎度ありがとうございます! ではでは、次回もデリバリー・イーグルをご利用くださいませ!」

 

 宣伝文を告げたシュナはゼラに獅子のモンスターの遺骨を運ばせ背中に飛び乗り、歩き出す二人をゼラと共に見送ってから飛び立つのだった。



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24-2.野盗と老人

 蝋燭の火が薄暗い空間、壁に二人の影を写す。対面に向かい合う二人の人物--片方は顔に刻まれた縫い傷に精巧な顔付き、緋色の髪に紅の瞳に宿る狂気を宿した眼差しでテーブルに置かれた金袋に眼を向けず対面の老人に嗤う。

 

「言われた通り生贄は用意してやったんだぜ? それがたったこれっぽっちの端金で……舐めてんのか?」

 

 男の態度に老人は意に介した様子を見せず、落ち着き払った態度を返す。

 

「こちらの要求は人攫いだ、それも1人じゃない。10人だ、なのに貴様らが連れて来たのは6人ではないか」

 

 依頼に対する報酬として出せるのは精々が一人分の報酬だと老人--邪神教団のヘルギム司祭は毅然と言い放つ。

 そればかりか無駄にエルリア騎士団を刺激する結果となった。恐らくこの場所に既にエルリア騎士団が向かっているかもしれない。

 エルリア国内に潜伏させた邪神教団は壊滅、他国の同胞も次々に討伐され過激派の戦力も既に風前の灯火。

 特に過激派の司祭は自身を含めて残り二人だけ、責めて二体の邪神眷属だけでも解放したいところだがそれも難しい。

 ヘルギム司祭は如何にしてこの暴れん坊を上手く使うか思考を並べながら告げる。

 

「正当な報酬が欲しいのならば相応の成果を出したまえ」

 

 それに対して野盗の男--グレンは口元を吊り上げた。

 

「わざわざエルリア魔法騎士団を刺激してやったんだ。成功すれば生贄は10人どころじゃあない、いや寧ろアイツが出て来れば……そいつは生贄何人分になるだろうな?」

 

 グレンの不敵な笑みにヘルギム司祭は眉を歪めた。

 

「まさか、エルリア魔法騎士団のフィルシス騎士団長を捕縛すると? 無謀な、奴の恐ろしさを知らぬ訳ではあるまい」

 

 野盗の多くは突如ふらりと現れるフィルシス騎士団長に討伐され、今では野盗にとってエルリアは地獄の地として恐れられ踏み込む野盗団はごく僅かだ。

 ゴスペルでさえ魔王アルディア人質時の条件下で漸くこちらに協力した程、それが何の後ろ盾も無い状態でフィルシス騎士団長を狙うなど無謀過ぎる。

 仮に野盗がエルリアに踏み込むとすればそれは過信から来る愚か者か余程の自殺願望者だ。

 ヘルギム司祭はグレンの無謀で狂気染みた瞳に肩を震わせ、

 

「貴様、正気か? 正気で彼女を捕縛すると言うのか?」

 

 正気を疑うように訊ねる。

 

「こちとら正気だ。ジジイ、良いか? 騎士団長と言えども女だ、それ以前にお優しい騎士様は人質の安全を第一に考えるだろ?」

 

 確かにエルリア魔法騎士団は国民を護る刃であり盾だ。それは何処の騎士団や軍隊も--いや、それ以上だ。エルリア魔法騎士団は王族と国民に忠義を尽くし己を捧げている。

 そんな彼らなら人質は有効な手段と言える。言えるが、エルリアには不特定ながらも特殊な戦力が存在していた。

 以前魔王城で遭遇、交戦した少女も恐らくその一人なのだろう。

 ヘルギムは以前に対峙した少女から受けた腹部と腕の傷に眉を歪める。

 

「どうかな、貴様の企みは確かに騎士団に有効では有る。しかし油断はできぬだろう? そもそも貴様はフィルシス騎士団長を捕縛できると?」

 

 彼女の恐ろしさは身を以て経験しているからこそ理解している。

 魔法を使わずとも単独で邪神教団と魔族兵を相手に剣一本で無双できる程の実力、そんな化け物を野盗の中でもイカれた魔剣使い、狂戦士と呼ばれたグレンが捕縛できるのか。

 不可能に近い。不可能に近いがどの道この場所にフィルシス騎士団長が来るなら--もう老耄に逃げ場など無い。

 

「まともにやれば勝ち目は無いねぇな。だからジジイも手を貸せ、オレ達が知らないヤツの弱点も知ってんだろ?」

 

 フィルシス騎士団長に弱点と呼べるものは果たして有るのか? 巨城都市エルデオンの下層に放った亡者の群れを前に彼女の進撃が鈍った気もするが撤退に急ぐ中で見た光景だ。恐らく気のせいだろう。

 ヘルギム司祭は弱点は知らないっと答えながら、

 

「無尽蔵に亡者を召喚することは可能だ。これを使いつつ人質を盾に魔法で攻め、貴様が接近戦を仕掛けるか」

 

 現状の戦力で可能な作戦を口にする。

 

「オレ達は全員で20人、使える作戦はそれぐれぇだろうよ。もう一つ手は打って有るが……まあ、ソイツはお愉しみにな」

 

 狂った笑みを浮かべるグレンと部屋の外から聴こえる喘ぎ声にヘルギム司祭は肩を竦めた。

 彼らは掠奪することでしか生きられない野盗だ、掠奪の過程で慰み者を連れて来たとしても何ら可笑しなことでもない。

 寧ろ、精神的責め苦は魂に絶望を与え生贄を上質な供物へと昇格させる。

 ヘルギム司祭は彼らの行動に何も言わず、それでフィルシス騎士団長の冷静さを削ぎ正常な判断力を奪えるならっと薄ら嗤う。

 

「本当なら十字架に張り付けた騎士共でも見せてやりてぇところだったが……チッ、連中も中々やりやがる。少なくともドラセム交響国の聖歌隊とは大違いだ」

 

 グレンは右腕の傷が痛むのか忌々し気に腕を抑えた。拠点から最も近いシェルノーグ村の襲撃と掠奪は駐屯していたエルリア魔法騎士団に損害を与え、生贄を始め食糧から鉱石資源の掠奪にも成功した。

 後はフィルシス騎士団長がやって来るのを待つばかり。仮に別の部隊なら捕縛して生贄に使っても構わなとさえヘルギム司祭は嗤う。



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24-3.拠点を目指して

 スヴェンは平原に整備された街道を歩きながら、ラオ副団長から齎された報告書を兼ねた討伐指令書の内容を頭に浮かべていた。

 グレン率いる野盗団によってシェルノーグ村が襲撃された結果、討伐に出たディルック部隊長が負傷し数名の騎士が戦死 新米騎士の少女一人と五人の村娘が誘拐されたという。

 相手は掠奪を生業とする野盗、そんな手合いに誘拐された女の末路というのは何処も悲惨だ。

 

「アンタは騎士団長として慣れてんのか?」

 

「野盗に捕まった女性の末路かい? 騎士をやってると嫌でも眼にするけど慣れることは無いかな」

 

 顔は歪めているが、精神は落ち着いている。いや、無理でも落ち着かせ冷静を保っているのだろう。

 同時に瞳には一種の覚悟も秘めている。部下か村娘のどちらかを優先するのかを。

 スヴェンは彼女の眼から悟った上で訊ねる。

 

「それで? どっちを優先すんだ」

 

「キミは意地悪だね。でも、私の優先順位は常にエルリア王家と国民で有ることに変わりは無いよ」

 

 フィルシスも判っているのだ、いくら強くともどうにならない状況が時として訪れることを。

 しかし彼女のことだ。結果的に両方救出することになるだろうが、優先順位が設定されている以上は新米騎士の生命は保証できない。

 そもそも既に心が死んでる可能性の方がずっと高い。

 

 --いや、ソイツは捕まった村娘にも言えることか。

 

「そうか……どうも連中の目的が読めねぇ。アンタという最高戦力を敵に回すってことはどうなるかバカでも判るはずなんだがなぁ」

 

 ラオ副団長の報告書を読んでから疑問だった事を口にすると、フィルシスが肩を竦めた。

 

「目的は判らないけど、キミにも情報を共有しておくよ」

 

 スヴェンは歩きながら話を続ける彼女に耳を傾ける。

 

「全国指名手配犯グレン・アルドメシア。ドラセム交響国の産まれで詳しい過去は知らないけど幼少時から掠奪、殺人を犯していたそうだ」

 

 何処か自分と通じる所が有る外道だが、そこに決して共感は生まれない。

 傭兵は戦闘行為で一般人を不本意な形で巻き込むことは有るが、故意に狙うことはしない。

 そこがグレンと自分の違いと言うべきか。スヴェンはそんな事を考えながらフィルシスに相槌を打つ。

 

「そこから10代で野盗団を結成、ドラセム交響国の聖歌隊から掠奪行為を繰り返した挙句の果て国外逃亡を果たしそうだよ」

 

「随分暴れたな」

 

「国外逃亡してからもここ10年ほどはドラセラ交響国の周辺国で暴れ回ってたらしいね……それでどういう訳かエルリアに来たらしい」

 

「各地を転々としながらエルリアにか……ソイツは戦闘狂か?」

 

「掠奪大好きの戦闘狂さ」

 

 グレンの狙いは単なる金と宝石に女だとばかり思っていたが、本当の狙いはフィルシスな気がしてならない。

 フィルシスは戦闘狂だ。そんな彼女の噂を聞き付けてわざわざエルリアの地に足を踏み入れた--少なくとも女騎士が捕まっている以上、その可能性は低いようにも思えるが連中の背後関係によっては零では無いか。

 

「……仮に目的がアンタの首だとすれば、背後関係は邪神教団か」

 

「ヴェルハイム魔聖国から逃げたヘルギム司祭の行方を内密に探らせてはいたけど、どうにも共に行動しているらしい」

 

 生贄確保のためにグレン率いる野盗団を雇ったが、本命は排除しても生贄にしても有り余るお釣りが来るフィルシスということか。

 その為の人質。恐らくフィルシスは報告書を読んだ時には予測していたのだろう。本命が自身で有る事を。

 

「……連中の本命がアンタなら捕まった新米騎士と村娘は誘き出す為の撒き餌か」

 

「たまに私に挑む手合いは居たけど……こんな方法は初めてだ」

 

 暗い表情でフィルシスは静かにそう漏らした。

 表情にこそ表れていないが、彼女から感じる殺気は本物だ。それだけフィルシスはグレン達に明確な怒りを抱いている。

 そもそもグレン達の目論見には穴が有る。

 フィルシスが討伐に来ない可能性の方がずっと高いが連中は随分と部の悪い賭けに出たものだ。

 それともフィルシスが直接出向くまで何度も掠奪を繰り返す腹積りだったのか。

 それだけの腕に自信が有ると考えるべきか、単なる自身の力に溺れ慢心した馬鹿なのか。

 果たしてグレンという男はどちらか。

 

「背後にヘルギム司祭が居る以上、ろくな事は考えてねぇんだろうなぁ……アンタ、苦手なもんは昆虫以外にあんのか?」

 

「動く死体と霊体はダメだね。亡者は臭くて生理的にね……」

 

「霊体は単純に討伐が困難だからか?」

 

「……透明でふわっと現れて怨念の宿った眼差しで睨まれるのって怖くないかい?」

 

 ーーなるほど、純粋な恐怖心から霊体が苦手なのか。

 

「俺がアンタを殺し前提で攻めるなら弱点を突くが……亡者は召喚されて当然か」

 

「野盗は私が斬るからキミは亡者とヘルギム司祭を任せたよ」

 

「……了解した」

 

 それだけ亡者を相手にしたくない。そう理解したスヴェンは彼女に歩調を合わせながらグレン達が潜伏しているとされる廃墟を目指した。



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24-4.蹂躙者

 グレン率いる野盗集団が根城にしている廃墟に到着した頃には、空は星空に包まれ月明かりと篝火の灯りが廃墟を照らす。

 数人の見張り、守護結界の範囲内に位置する廃墟だがフィルシスを相手にするには見張りは不十分だ。

 不十分だが連中の目論みは廃墟の中心に磔にされた一糸纏わない少女--恐らく彼女は捕まった新米騎士なのだろう。

 身体の痣、虚で空虚な瞳。彼女の身体に刻まれた痕跡から既に野盗に慰め者にされた後ということが嫌でも判る。

 女性であるフィルシスに対する精神攻撃、わざと怒りを買うための見せしめ。

 連中の計画はこうだ。新米騎士の悲惨な姿を見せることでフィルシスから冷静な判断力を奪い罠に嵌める。

 廃墟内から感じる気配は全員で二十七人。その内の人質は全員で六人となれば殺すべき人数は二十一人だ。

 グレンがどれほどの実力を有していようが、ヘルギム司祭が隠し種を用意しようともそれだけの戦力でフィルシスの相手にはならない。

 

 スヴェンは遠目から確認した廃墟からフィルシスに顔を向け--背筋が凍り付く。心の奥底から生じる寒気にすスヴェンは冷汗を垂らす。

 目の前に居るのは無表情で静かに佇むフィルシスだ。そこに感情の色など一切、殺意も魔力も何も感じ取れない。

 ただそこに居る。目の前にフィルシスが居る状態だが、それでもスヴェンは明確な死を鮮明に浮かべていた。

 

「……スヴェン、背中は任せるよ」

 

 それだけ言い残したフィルシスは瞬きせぬ間に忽然と目前から消えた。

 

「音も無く移動しただと? いや、驚いてる暇は無いか」

 

 スヴェンはその場から急ぎ廃墟に向かう。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 廃墟の中心に到着するとフィルシスは五人の村娘を盾に陣形を組む十九人の野盗を前にして剣を抜かず、ただその場に立っていた。

 あぁ、彼女と少なからず鍛錬を重ねた今だからこそ理解できてしまう。

 例え人質を盾に陣形を取ろうともフィルシスをその程度で止めることなど叶わない。

 

「なんだなんだぁ〜? 騎士団長様ともあろう者が人質を前に動けませんてかぁっ!!」

 

 三流の挑発。そんな言葉を強者に吐く者は大抵短命だ。

 いや、フィルシスが動いた瞬間、連中は死に見舞われるだろう。

 

「おい待て、想定外の奴が1人居るぞ」

 

 一人の野盗が冷静にこちらに警戒心を浮かべ、注意を促すも。

 

「1人増えたところで関係ないだろ。こっちには数を上回る人数と人質、それに磔にした憐れな騎士様も居るんだからよ」

 

 なぜ起爆寸前の爆発物と地雷原を全裸で踊る真似をするのか。

 スヴェンがため息混じりにガンバスターを引き抜こうと柄に手を伸ばした時。

 

「構わないよ」

 

 静止の声にスヴェンは手を止めた。

 

「あぁ、大切な国民と部下に手を出したんだ」

 

 瞬きせず彼女に注視した途端、

 

()()()()()()()()()()

 

 瞬間フィルシスは音も無く歩き去り、悠然と野盗に背中を向ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女が言い終えるのが速いか、同時に十九人の野盗が肉片に変わった。

 フィルシスが斬ったのは野盗だけ、助けるべき村娘達は何が起きたのか理解できず呆然と野盗だった肉片を見つめるばかり。

 目の前の惨状に対して新米騎士は心が壊れた影響でただ虚空を眺めているだけ。

 その中でスヴェンは眼にした光景を思い出す。

 まず最初にフィルシスは踏み込みと同時に抜刀、一太刀で野盗の首筋に一撃。

 そのまま背後に回り込みながら四十にも及ぶ剣戟を放ち、村娘を拘束していた縄を斬りながら十九人の野盗に斬り刻んだ。

 そして声を掛け、自然な流れのままこちらに歩んだ。

 フィルシスの一連の行動は音を置き去りに神速とも呼べる速度で終えている。それもたった一呼吸の内に、魔力も使わずに。

 スヴェンは今まで戦闘中に感じた事がない感情。歓喜、戦慄、焦がれに自身でも驚きながらフィルシスに一声掛けた。

 

「俺は必要無かったな」

 

 フィルシスに対して抱いた感情を心の奥底に封じ込めながら告げると彼女は、

 

「いやぁ、キミは必要だったよ。それに……はぁ〜私もまだまだだなぁ、野盗如きに心乱されるなんて」

 

 ため息混じりに肩を竦め、いつも通りの表情を浮かべていた。

 

「神速って表現すべきか……あれで心乱されてたなんて言われても誰も信じねえだろ」

 

「む、私も女なんだ。卑猥な視線は嫌なものだよ、それにあの子が受けた屈辱を想うとね?」

 

 それは無理も無いことだ。幾らフィルシスが強いからと言って嫌悪感を受けない訳が無い。

 そもそも人の心は幾ら鍛えようとも悲惨な出来事に対して無関心では居られない。

 自身のように狂った感性を持った外道でも無い限り。

 

「無理もねぇが……っと、動き出したか」

 

 廃墟の地下から感じていた二人の気配が地上に向かって動いている。

 それはフィルシスも感じていたようで、彼女は村娘と新米騎士を護るように剣を抜き構えた。

 魔法の発動に伴う魔力の流れ。どんな魔法を唱えたのかは判別が付かないが、地下から臭う腐臭から亡者が召喚されたのだろう。

 

「うげぇ〜如何して邪神教団は亡者召喚なんて好んで使うんだい?」

 

「戦力差を埋める為にだろ」

 

 地下の入り口から大量の亡者が地上に溢れ、新鮮な肉に嬉々として喰らい付く獣のようにこちらに殺到した。



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24-5.野盗グレン

 視界を埋め尽くさんばかりに地下から溢れた亡者にスヴェンは動き出す。

 迫り来る亡者の群れをガンバスターの一閃が薙ぎ払う。

 多少マシになる視界、地下の入り口からこちらに向かって地を走る斬撃と黒弾に眉が歪む。

 魔力を纏った斬撃と黒弾が亡者を巻き込む中、スヴェンは刃を振り抜き二発の斬撃を放つ。

 地を走る斬撃が黒弾を呑み込み、もう一方の斬撃は魔力を纏った斬撃の前に呆気なく掻き消される。

 それで良い。魔力の有無が威力に直結するならそれは当然のこと。加えて自身の力量はまだ成長していないということだ。

 距離を縮め迫る魔力を纏った斬撃にスヴェンは身体を横転させる事で避け、フィルシスと村娘に向かう亡者共を斬り裂く。

 自身が避けた事で後方に待機している彼女らに斬撃が向かうが何の問題もない。

 

「甘いね」

 

 凛とした声が響く中、フィルシスの振り抜いた剣先が魔力を纏った斬撃を真っ二つに--二方向に分かれた斬撃が亡者を呑み込む。

 所詮は使い捨ての戦力、巻き込み前提の遠距離攻撃など常套手段だ。

 しかし決して楽観視など出来やしない。無駄に数の多い亡者とグレンとヘルギム司祭による攻撃、自分達の背後に五人の村娘と新米騎士が居る限り下手に避けることはできない。

 じり貧という言葉が頭の中を駆け巡るが、そんな浮かんだ言葉はすぐに消えた。

 

「も、亡者なんかぁ!」

 

「腐った死体に喰われてたまるもんですか!」

 

「まだ結婚もしない内に死でたまるかぁ!」

 

「フィルシス騎士団長様が居る状況……勝機は我らにあり!」

 

「やってやるわ!」

 

 各々奮起した村娘が放った魔法--爆炎と雷光、氷塊、嵐と岩石が亡者の群れを容易く呑み込んだ。

 この世界の住人は当たり前に魔法を使える。だからこんな光景は必然とも言えるが、人やモンスターに対しては恐怖が勝り精神力の乱れから魔法が上手く使えなくなる。

 

「へぇ、キミ達やるじゃないか」

 

 それでもただ護れるだけよりは遥かに上等だ。これで敵に専念できると判断したスヴェンは亡者を斬り刻みながら直進する。

 背後で斬撃音と魔法による爆音が鳴り響き、前方から黒弾の弾幕が魔法陣から展開された。

 ガンバスターに魔力を纏わず、黒弾の弾道を逸らすように刃で弾く。

 弾いた黒弾を黒弾にぶつけ相殺させる。

 フィルシスが見せた動きから学んだ方法と技術。技量を必要とするが大した魔力を込められていない魔法なら今の自身でも可能だ。

 スヴェンは足を止めず、地下の入り口に接近するっと影が飛び出す。

 

「おっと」

 

 飛び出した影が振るった一閃をガンバスターで防ぐ。

 目前に現れた交戦的な笑みと狂気に歪める緋色の髪の男--グレンにスヴェンは感情の色を見せず、奴の大剣を弾いた。

 大剣を包む炎の刃、グレンから魔力を流し込んだ形跡は見られない。

 それに亡者もグレンの周辺には近寄らないのか、背後からこちらを襲う素振りは見せずフィルシスを集中して狙っている。

 

「へっ、魔剣を魔力無しに弾くなんざぁ……多少楽しめそうだなぁっ!」

 

 正に戦闘狂。グレンの歪んだ狂気と感情の昂りに魔剣の炎が圧縮されより洗礼された刃に変わる。

 魔力を纏えば弾き防げるかもしれないが、それでは時の悪魔対策にならない。

 振り抜かれる魔剣を前に、スヴェンは半身を晒すことで刃を避ける--だが零れた炎が服を焦がす。

 近距離で避けようとも零れた炎に身を焼かれる。これは魔法を使えない者にとって厄介だ。

 スヴェンは半身を捻り円を描くようにガンバスターを振り抜く。

 腰を軸に回転を据えた斬撃をグレンは避けず、魔剣で受け止める。

 軋む刃、漏れ出る炎と熱気。魔剣の性質は詳しくも無ければ初見だ。

 ただ理解出来ることは一つ。フィルシスが扱う魔力を使った剣技は魔剣の性質を基に編み出されていること。

 つまり所有者がわざわざ剣に魔力を流し込む工程を必要とせず、最初から剣に魔法を付与させ所有者は魔法に魔力を割ける。

 推測を浮かべる中、グレンが徐に口を開く。

 

「テメェはなんだぁ? フィルシスの連れだとすりゃあ……部下を殺したのはテメェか?」

 

 生憎と人質を盾にされた状況で無傷で対象を救出する技量は無い。

 そもそもフィルシスが背後に居る時点で気付くべきだ。あの惨状を起こした人物が誰で有るかを。

 しかし答えてやる義理も無い。それに背後に控えるヘルギム司祭の事も有る。決して油断できない状況に違いはない。

 スヴェンは無言で魔剣を弾き返し、グレンの腹部に袈裟斬りを放つ。

 だが腹部に刃が届く直前--リンリンっ。

 奇妙な音に刃が止められた。

 

「何の魔法だ?」

 

「ドラセム特有の魔法だっ『ドカン』」

 

 これまで聴いた詠唱とは全く異なる詠唱にスヴェンは直感から距離を取った。

 すると先程までスヴェンが居た場所が突如、ドカンっと爆ぜた。

 音による魔法攻撃。音だからこそ眼に見えず、射程範囲も音が届く範囲だ。

 お互い耳に届いてから魔法が発動するまで若干の隙が有るが、魔法の中でも攻めで使われば非常に厄介な類だ。

 いや、魔法が使えない自身にとってはどれも魔法は厄介な物に変わりは無いが。

 グレンが振り抜く魔剣の刃をガンバスターで弾けば、グレンの唱えた『ヒュルル』によって今度は見えない刃が左肩を斬り裂く。

 攻撃と同時に発動する魔法。今までに無い戦い方だが、これも想定範囲内だ。

 

「オラァッ!」

 

 右腕でガンバスターを振り抜き、頭部に向けて飛ぶ斬撃を放てばグレンの眼差しが深い狂気に染まる。

 ガンバスターの刃を魔剣で防ぎ、顔を逸らすことで飛ぶ斬撃は頬を掠める程度で遥か彼方に飛んで行く。

 そしてグレンは魔剣を引き、炎を活性化させながら刃を突き出すことで活性化した炎を一直線に放出した。

 咄嗟に横転することで避けたスヴェンは、クロミスリル製のナイフをグレンの腕関節に投擲。

 ぐさっと深々とナイフが突き刺さった。それこそ魔法で防げるナイフが容易く。

 それでも魔剣からまだ放出される炎が亡者を呑み込み焼き焦がす。

 

「あァ、コイツを使うと動けねえ……その隙を狙いやがったなぁ?」

 

 避けた後に反撃のためにナイフを投擲するのは単なる癖だ。

 それが偶然にもグレンの右関節に突き刺さっただけのこと。

 まだグレンは魔剣と魔法を同時に繰り出しては無い。出来ないのか出来るのか、どちらにせよ此処で殺す事には変わりない。

 スヴェンは殺意を眼光に宿し、高速でグレンの背後に回り込む。

 背後からガンバスターを右薙に一閃--刃がグレンの横腹を食込み、そのままの勢いで胴体を両断する。

 

「はぁっ? ここ、で……終わり、か、よ……」

 

 グレンは吐血しながらそのまま死んだ。呆気なく死んだグレンにスヴェンは眉を歪める。

 狂気を宿した瞳、アレは確かに何十人かそれ以上を殺している眼だった。

 ドラセム交響国の聖歌隊やエルリア魔法騎士団を退けたグレンがこうもあっさり?

 疑問に戸惑うスヴェンにフィルシスの腕が肩を掴む。

 

「魔剣は強力な武器だけど使い手を成長させてはくれないよ。彼は多分、慢心したんだろうね」

 

 慢心。それは外道や困難を乗り越えた者、強力な武器を持った物が患う一種の病気だ。

 

「……あぁ、コイツもか」

 

 グレンもまた慢心によって殺された。スヴェンはそう思うことで自身の中に宿る殺意を抑え込む。

 それにまだ討伐対象は残っている。未だ亡者の召喚を続けるヘルギム司祭が居る。

 

「……また地下か、どうも連中とやり合う時は地下が多いな」

 

「また逃げられでもしたら面倒だけど、彼女達を置いて行く訳にもいかないか」

 

 かと言って連れて行く訳にもいかず、依然として亡者は地下から溢れている状態だ。

 一本道の入り口を強行突破してヘルギム司祭を討伐する。非常にシンプルで分かり易い単純な方法だ。

 それにヘルギム司祭には問いたい事も有る。過去にエルリア城を襲撃した司祭の名と居所を。

 

「丁度聴きたいことも有るしな、行って来る」

 

「じゃあ私はこのまま地上で村娘達とモンスター(亡者)を相手にしてるよ」

 

 --あー、彼女なりの暗示か。

 

 スヴェンは敢えて突っ込まず、迫る亡者を斬り刻みながら地下へ進んだ。



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24-6.地下のヘルギム司祭

 朽ち果てた地下通路、狭い通路を埋め尽くす亡者の集団に対してスヴェンは迫る亡者を淡々と斬り刻みながら通路を直進していた。

 既に老朽化が激しい地下だ、強い衝撃で崩壊する恐れも充分に考えれる。

 直線状に固まる亡者の集団を飛ぶ斬撃か衝撃波で蹴散らしたいが、ここは貫通力の高い.600LRマグナム弾による射撃が最も効果的か。

 スヴェンは亡者の集団に突撃を仕掛けながら刺突から引き金を引き、銃口から放たれた.600LRマグナム弾が亡者の集団を貫く。

 銃弾による衝撃が周辺の亡者までも巻き込み、肉片が通路に飛び散る。

 

「今だな」

 

 スヴェンは腕を伸ばす亡者をものともせず通路の真ん中を突き進む。

 そして道なりに進む事で人の気配を感じる広間に辿り着く。

 入り口から比較的に近い位置の広間、蝋燭が照らす部屋の中心に佇む老人--ヘルギム司祭にスヴェンは無言でガンバスターを構える。

 ちらりと部屋全体を見渡せば他に出口らしい物は見えない、完全な行き止まりだ。

 

「……まさかフィルシス以外が来るとはのぉ」

 

 予想が外れたことに対する落胆か、ため息混じりにそんなことを。

 

「騎士団を敵に回すなら充分に有り得る可能性だ」

 

 それだけでは無い。エルリアの敵は国民にとっての敵、いやレーナとオルゼア王の敵こそがエリアル全土の排除すべき敵だ。

 もしもグレン率いる野盗団とヘルギム司祭がフィルシスでは無く、レーナに狙いを定めたら彼女のファンクラブが黙ってはいないだろう。

 その意味でもスヴェンはヘルギム司祭に攻勢を仕掛ける前に訊ねる。

 

「なぜフィルシスを狙った? 生贄や国を混乱させてぇならレーナでも良かったろうに」

 

 質問にヘルギム司祭は長い白髭を撫でながら質問に答えた。

 

「レーナ姫のぉ。護りが硬すぎるというのも有るが、呪い発現から1年も生きられない者は生贄に適さぬ」

 

 呪いの発現から一年以内でレーナが死ぬ? 

 それはきっと十一年前に彼女が邪神教団の司祭に襲われた際に受けた呪いなのだろう。

 当たって欲しくない推測ばかりが当たる。

 

「……呪いを仕込んだのは11年前、か」

 

「ほう? 彼奴の独断とは言え知っておったのか……しかし解呪方法が存在せぬ呪いでは対応もできぬじゃろう」

 

 現段階でレーナに仕込まれた呪いがどんなものか判らない。そもそも呪いはフルネームが揃ってはじめて十全な効果を発揮する。

 実際に呪いを受けたことは無いが、相手は老人だが更に情報を引き出す為には演技も必要だ。

 経験豊富な老人に果たしてどこまで通じるかは判らないが、やってみる価値は充分に有る。

 

「フルネームを知らねえと効果は半減……猶予は有りそうだがなぁ」

 

 情報を引き出すために敢えてまだ時間的余裕が有るっと笑みを浮かべて見せた。

 そんな演技にヘルギム司祭が鼻で笑う。

 

「呪いが仕込まれてから11年、その間に呪いが彼女の心臓まで侵食しているならば手遅れじゃよ。少なくとも時期から計算して今年中に兆しが現れる」

 

 つまり呪い発現まで残り猶予が無い。

 仮に今月中に呪いが発現したとすれば、レーナが呪いに殺されるまで一年の猶予が有る。

 その間にエルリアの魔法技術なら解呪方法も確立できそうでは有るが、何事にも絶対は無い。

 発現から一年の猶予もヘルギム司祭のブラフかもしれないからだ。

 絶対は無いからそフィルシスの計画に乗る必要が有る。例え自身の存在を対価にしたとしてもだ。

 

「……なるほど、これは呪いを仕込んだ張本人を捕らえた方が速いか?」

 

「無理じゃな。彼奴は集会でも無ければ全く姿を現さん……我々ですら居場所を知らぬのだ」

 

「居場所不明か……アンタを捕らえれば救出に駆け付けるのか?」

 

「無理じゃな。彼奴に仲間意識など無い……オルゼア王襲撃計画ですら独断専行、味方を見捨てて先に逃げるような奴じゃよ」

 

 自身の安全を優先する人物が十一年前にエルリア城を襲撃したとは考え難いが、オルゼア王不在のエルリア城ならその気にさせるだけ充分か。

 

「保身に走る奴ほど中々姿を見せねえか……しかしアンタはなぜ悠長に情報を吐く」

 

 老人ゆえの余裕か、スヴェンが警戒心からヘルギム司祭の挙動に注視すると彼は静かに重苦しい息を吐いた。

 

「この老耄にもう逃げる気力など無い。邪神様の復活のためにあれこれ手を尽くしたが組織内部は対立……いや、邪神様の狂気に歪んだ我々の末路だ」

 

「邪神は復活を望んでねぇ。そう悪魔から聴いたことが有るが……」

 

「事実じゃ、わしは歪む以前の邪神教団を知っておる。奈落の底に安置された邪神像と共に静かに平穏に暮らす。それが本来の教団の在るべき姿だ」

 

 封印を護る邪神教団、それが本来在るべき姿だったのだろう。

 邪神教団の本来の姿を語ったヘルギム司祭は本心から事実を語っているが、既に歪んだ狂気からこちらを油断させ害する思考が明け透けに見えている。

 老人だからと油断していると思っているのか? むしろ老人こそ警戒すべき相手だ。

 スヴェンは企業連盟を束ねる老人の姿を思い浮かべながらわざと警戒を緩めて見せる。

 

「……ふむ、お主にはもう一つ語るべきだな。オルゼア王襲撃を提案したのはエルロイ司祭だ」

 

 愉悦と目論みを宿した瞳。これはヘルギム司祭の明らかな嘘だ。

 恐らく狙いはエルロイ司祭及び穏健派の殺害、これは過激派の戦力が著しく低下してるからこその虚言だろう。

 となれば聴くべき事は一つだけ。

 

「へぇ? それなら過激派の総力でエルロイを封印すれば済むだろ」

 

「そうしたいが、こちらの司祭はわしと彼奴--ラスラだけ。たった2人では彼奴を封印する事は叶わん……何よりも勝負という土俵から外れた存在に勝ち目などない」

 

 確かにエルロイは不老不死の化け物であり空間魔法の使い手だ。

 空間を発生さける隙間さえ有れば奴は魔法を自在に発動出来ると云う。

 そんな相手を厳重に密閉した状態で海底に捨てた所で何食わぬ顔で戻って来るのが目に見えている。

 それに過激派の司祭は残り二人だけ--デウス・ウェポン帰還前に過激派を潰すってのも現実的か。いや、必然的にそうなるか。

 

「過激派も残り2人……アンタを消せばあと1人か」

 

「貴様、老耄を嬲る気か?」

 

「何を今更……傭兵ってのは敵が生い先短い老人だろうが構わず殺すもんだ」

 

 殺意を滲ませ一歩踏み込めば、足下に魔法陣が出現する。

 ヘルギム司祭が用意していた魔法陣にスヴェンは顔色一つ変えず、魔法の発動に合わせて動く。

 魔法陣から黒炎の火柱が天井を貫き、

 

「油断大敵だぞ小僧!」

 

 勝ち誇ったヘルギム司祭の嗤い声が室内に響き渡る。

 ヘルギム司祭はミスを犯した。一つは心の奥底に宿る狂気とこちらに対する殺意を隠さなかったことだ。

 鈍い者や正義感に溢れる者なら騙せたかもしれないが、ヘルギム司祭の様な手合いは身に染みて馴れている。

 特に虚言混じりに策略を巡らせるタイプは脱出手段も用意している場合が多い。

 故にスヴェンはヘルギム司祭の背後の床に対し、魔力を纏わせたガンバスターの刃を突き立て--魔力干渉により浮き彫りになった魔法陣に剣先から魔力を流し込む。

 自分はミアの様に魔法陣の術式を書き替えることはできない。だから出来ることは魔力を流し込むことで魔法陣の魔力を狂わせ掻き乱すことだ。

 

「き、貴様!? 避け……いやそれよりもっ! なぜ転移陣に気付けた!!」

 

「アンタが悠長に逃げ道のねえ部屋に留まるってのは奇妙だろ」

 

 スヴェンは杖を構えるヘルギム司祭の最後に回り込み、首筋にガンバスターの刃を押し当てる。

 

「一応聞くがフィルシスを狙ったのは生贄目的か?」

 

「……エルリア最高戦力を消せば人攫いを増員できるじゃろ。グレンの提案は渡りに船だったが、あぁ地獄の入り口だったか」

 

 結局の所は彼も邪神に捧げる生贄確保のために動いていた。

 死ねば邪神の贄として魂の一部になれると信じているが、死者の行き着く場所など一つだけだ。

 

「はっ、死人が行き着く果ては消滅だ」

 

 スヴェンは冷徹に告げ、ヘルギム司祭の首を掻き切ることで彼の生命を刈り取った。

 地面に崩れるように倒れたヘルギム司祭を他所にスヴェンはガンバスターに付着した血を払う。

 これで過激派の残りはラスラ司祭だけだ。スヴェンは亡者を召喚し続ける魔法陣を消してから魔剣を回収したフィルシスと合流を果たし、村娘と新米騎士を連れてシェルノーグ村に向かうことに。



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24-7.目覚め、変化の訪れ

 九月十九日、夜の帷が深まり風が窓を打つ。

 自室のベッドで眠っていたレーナの腹部が怪しげな光を放つ。

 嫌な気配、身体の奥底から走る悪寒に心音が高鳴る。

 

「うぅ……なに?」

 

 魘されるように起きたレーナは頭痛に苛まれながら寝巻き捲りを上げる。

 そこには柔肌だけで何も無い。しかし腹部から嫌な気配を感じたのは確かだ。

 視界が霞む程の頭痛。仕事の疲れ、季節の変わり目による体調不良が原因か、それとも別の何かか。

 

「……痛いわね」

 

 喉が渇く。サイドテーブルに置かれた水瓶の水を飲むためにレーナがベッドから立とうと床に足を付けるが、足腰に力が入らず上手く立ち上がれない。

 あろうことかベッドにひっくり返る始末--天井を見上げたレーナは苦笑した。

 これはいよいよ本格的に風邪を引いたのかもしれないなっと。

 十月には国際会議が始まる。それまでに片付けたい公務は山ほど有る。

 たかが風邪で休んでもいられないが、悪化すれば余計に使用人達や家臣にオルゼア王、そして騎士団も心配させてしまう。

 明日にでも薬を飲んで休むべきか。そう思案しながら眼を閉じて息を吐くと--先程まで襲っていた頭の痛みが嘘のように引いていた。

 

「なにかしら? 風邪の予兆……いえ、違うわね。確かにお腹辺りから感じた嫌な感覚は気のせいじゃないわ」

 

 腹部と言えば十一年前に呪いを纏った拳に貫かれた事が有る。

 まさか、今になって呪いが発現しようとしているのか? 本来なら魔力で呪いを抑え込み抑制することも可能だが、今はその肝心の魔力が無い。

 今まで下丹田の鎮静化した魔力源に不安を抱いた事は無いが、呪いの効果によっては衰弱死も有り得る。

 近い内に死ぬかもしれない。そんな不安感に襲われ、額に冷や汗が滲む。

 自身が死ねば異界人が、スヴェンまでも消滅してまう。スヴェンも死なせてしまう、それだけは嫌だ。

 焦るように心音が高鳴るレーナは眼を瞑り、深く深呼吸を繰り返す。

 自分が不安に苛まれれば民に余計な心労を与えかねない。泣き言は許されない、王家の者として気丈な振る舞わなければ。

 

「……ふぅ、弱気は気の迷いっと言うわね」

 

 レーナは立ち上がりサイドテーブルの水瓶の水をコップを移し替えてから水をゆっくりと飲み始めた。

 冷えた水が喉の渇きを潤す。喉の渇きは消えたが、今度は目が冴えて眠れない。

 

「……久し振りに夜の城内を散歩しようかしら」

 

 ここ数日は公務ばかりであまり執務室から出歩けない日々が続いている。

 深夜の城内、見回りの騎士も居るが彼らなら察するだろう。

 そうと決まればやる事は一つだ。レーナは寝巻きから城内用の衣服に着替え、燭台に照らされる廊下に出た。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 静かな廊下を巡回騎士が熱心に歩き、こんな時間でも廊下を歩く数人のメイドとすれ違う。

 

「姫様? 眠れないのですか?」

 

「えぇ、少し目が覚めちゃってね」

 

「そうなのですね。あまり無茶はダメですよ」

 

「えぇ、適当に引き上げるから大丈夫よ」

 

 軽く言葉を交わしたレーナはメイド達の横を通り抜け、そのまま気の向くままに歩み続ければ、患者服を着こなしたリノンと出会う。

 

「リノン、貴女もこんな時間に散歩かしら?」

 

「そんなところよ……姫様も眠れないのね」

 

「えぇ、夢見が悪くてね」

 

 苦笑を浮かべるように嘘を吐く。それが明確な嘘だとリノンはこちらの眼を見て察したようだが、それでも敢えて指摘せずに窓から夜空を見上げた。

 

「私は、そうね……嫌な予感というか女の感で眼が覚めたわ」

 

「女の感……スヴェン絡みね」

 

 そう言えばスヴェンはフィルシスとしばらく二人だけで鍛錬に出掛けるっとミアから聴いていた。

 その時は特に何も感じず、むしろ二人は鍛錬に熱心でそれもミアの故郷絡みなのだろうっとそう思っていたが、なぜか無性に気になってしまう。

 男女が二人だけでモンスターの生息地域に鍛錬。しかもそこにはフィルシスが発見した癒しの温泉が在るという。

 

「……杞憂の可能性は?」

 

 スヴェンを良く知るリノンに訊ねれば、彼女は何とも言えない表情で首をゆっくり振る。

 

「判らないわ。フィルシスってスヴェンの周囲には居ないタイプの女性だもの。それに彼って無意識に強い者に惹かれることも有るから」

 

「何かのきっかけでスヴェンと……ふ、フィルシスが?」

 

 浮かび上がる可能性にリノンの表情が曇る。スヴェンが誰と付き合おうと彼の自由だが、リノンにとっては心苦しいのだろう。

 レーナは自身にちくりっと針のように刺さる胸の痛みに内心で戸惑う。

 戸惑う中、リノンのため息にレーナは彼女に眼を向けた。

 

「悔しいけどフィルシスって私から見ても凄く容姿が調ってるのよ……それにさっぱりとした性格って言うべきか、気取らないじゃない」

 

「そうねぇ、城下町に出掛けても彼女個人としては自然体で振る舞ってるわね……たまに強そうな人を見掛けると腕試しを挑むけれど」

 

「スヴェンも彼女のお眼鏡に叶ったっと……嬉しいようなそうでも無いような複雑な気分になるわね」

 

「えぇ、貴女の場合はお見舞いに来て欲しいのでしょうけど」

 

 まだ彼女には治療が必要だ。体内に残留する邪神眷属の魔力除去と汚染された魔力の浄化が。

 仮に治療を放置すれば魔力汚染が進み、やがて汚染された魔力が全身に巡り命を奪う。

 治療の為にエルリア城に滞在している彼女を揶揄うつもりは無いが、頬を赤く染めて狼狽えるリノンの様子は見ていて可愛いものだ。

 

「くっ、昨日来たけど……結局会いに来たのはアシュナって子にだったのよね。そのあとすぐに帰っちゃうし、ほっんとつれないんだから」

 

「うーん、スヴェンもアシュナの事は心配してたみたいだし。それにあの子は特殊部隊に所属してるとはいえまだ子供だからねぇ」

 

「……彼は自分の子にも優しくできるのかしら」

 

 リノンの言葉に思わず想像してしまう。スヴェンと誰かしらの子供を。

 それはミアだったり自身だったり、リノンやフィルシスの子供だったりと様々だが--共通して言える事はスヴェンが子供に対して愛情を感じさせる眼差しを向けている姿が微塵も想像できない。

 しかしスヴェンと誰かしらの子供を想像して、レーナはたちまち頬を赤く染まった。

 

「こ、子供。す、スヴェンの子供……」

 

「私の子か、姫様の子。それともミアかフィルシスか……後者は明確じゃないけれど、私はスヴェンのことが好きだから可能性は十分無くも……無いのかしら?」

 

 なぜ疑問系なのか。それはスヴェンの彼女に対する基本スタンスが悪いのかもしれない。

 それにスヴェンはあと再来年の五月にはデウス・ウェポンに帰還する。いや、彼自身が今の生活に馴染めず気が変わって独自に帰る方法を探り独力で帰ってしまう可能性も有る。

 

 --それは、嫌だなぁ。

 

 スヴェンが帰還する事には納得している。彼とはそういう契約を結んでいるからだ。

 しかしスヴェンに恋するリノンを見ていると本当にそれで良いのかと迷う事も有れば--私はスヴェンに何を求めて?

 改めて自身の感情に迷うレーナに、

 

「姫様も鈍いのね……あぁ、話しは変わるけれど姫様は婚約者は居ないのかしら?」

 

「居ないわね。縁談の話も丁重に断らせて貰ってるし、それにエルリアと国民を任せられる人じゃないと」

 

「エルリア王家は血筋や出自に拘りが無いと聞くけれど、スヴェンは如何かしら?」

 

 スヴェンの名を出されたレーナは戸惑いを浮かべた。

 

「彼は帰還を望んでいるのよ? そんな彼を国という首輪で縛れと言うのかしら」

 

「姫様はまだ気付いてないようだけど……そうね、きっかけが有れば嫌でも気付く事になるわ」

 

 自身の心に巡る感情に。いずれ向き合う事になる。そう言われてるようで、いやはっきりと断言されているのだ。

 しかしリノンの言うきっかけとは何か。それは状況による、所謂吊り橋効果によるものでないのか?

 

「私の感情に付いては自分で気付くべきね……今度アルディアに相談してみるわ」

「その方が良いわよ。はぁ〜フィルシスの事は悩んでも仕方ないわね……私はそろそろ戻るけど、貴女は如何するのかしら?」

 

「私も戻るわ」

 

 お互いにお休み。それだけ告げてた二人はその場で別れるのだった。

 



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24-8.シェルノーグ村

 四人の村娘と虚な新米騎士を連れ、漸くシェルノーグ村に到着したのは夜の帷が深まった頃だった。

 村には野盗に襲撃された影響が鮮明に刻まれている。

 一部の民家は倒壊し畑は荒らされ、出荷予定だった鉱石が無造作に地面に投げ捨てられ--静けさがシェルノーグ村を包む。

 

「随分荒らされたな」

 

 布巻きで身体を隠した新米騎士を抱えたスヴェンは村の惨状に一言だけ呟く。

 

「復興は騎士を動員するとして、支援金は定例通り国から補填されるから安心すると良い……と言っても補填できるのは民家の修繕費、治療費にその日の予定されていた収入に限られるけど」

 

「ありがとうございます……少しは村人達の気も紛れるでしょう。ですが、その犠牲になった騎士の方々は……」

 

 村も手痛い被害を受けたが、それ以上に騎士から戦死者が出た。その事を村娘の一人が代表してフィルシスに問えば彼女は普段通りの表情で答えた。

 

「どんなに魔法技術が優れていても死者は戻らないよ。それに戦死した騎士の遺族には保険金が支払われる手筈になっているんだ。少しは安心するんじゃないかな」

 

 死人に口無し。戦死した騎士が安心するかは誰にも判らないが、これは死者に引っ張られない過ぎないための方便でしかない。結局の所は自身の生死は自己責任だ。

 スヴェンが彼女らの会話を聴き流しながら村に一歩踏み込む。

 

「立ち話もなんだ、キミ達も疲れてるだろうけど家に帰って家族を安心させると良い」

 

「は、はい! あの、騎士団長様は如何するのですか?」

 

「私とスヴェンは騎士団の詰所に寄って一泊かなぁ」

 

 四人の村娘は互いに顔を見合わせ、改めてフィルシスに深々と頭を下げてから各々の自宅に向かった。

 四人を見送ったスヴェンとフィルシスは騎士団の詰所に歩みを向ける。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 詰所に近寄るとフィルシスに気付いた門番の騎士が彼女に敬礼する。

 

「騎士団長!……っ、彼女は……」

 

 万感の想いを宿した瞳にスヴェンは眼を瞑った。

 その感情は実に様々だ、フィルシスに対する畏れと敬愛。戦死した味方、変わり果てた新米騎士の少女に対する感情。

 これが敗者に訪れる末路だ。戦闘に携わる者なら決して避ける事も眼を背ける事もできない。

 敗北の結果だけがただ事実を突き付けるのだ。

 

「キミ、一先ず報告は明日で良いかな?」

 

「は、はい! ディルック部隊長から騎士団長と同行者を通すように仰せつかってますから」

 

「それじゃあ彼女とコレの事も頼むよ」

 

 フィルシスの言葉と同時にスヴェンは新米騎士と魔剣を騎士に預け、彼女の背中を追うように歩き出す。

 敷地内から建物に入り、そのままロビーから廊下を突き進む。

 二人は無言のまま廊下の突き当たりまで進むと右手側の通路から、

 

「あれ? スヴェンさんとフィルシス騎士団長の2人が如何して此処に?」

 

 ミアの呼び掛けの声にスヴェンとフィルシスは顔を向けた。

 杖を片手にミアがそこに確かに居た。

 治療師として優秀な彼女が負傷した騎士の治療の為に派遣されても不思議なことではない。

 

「ミアじゃないか。ラオも仕事が早いね」

 

「えぇ、今回は負傷した騎士の治療にラオ副団長の要請で派遣されましたから。……ただ、みんな重症でして暫くは療養が必要ですね」

 

「その方が良さそうだね……ただ療養を終えたら鍛え直しかな」

 

 笑みを浮かべて告げるフィルシスにミアは肩を震わせた。

 

「お、お手柔らかにお願いしますね……せっかく治療したのに重症を負われても困りますし」

 

「……善処はするよ」

 

 それは出来ないと言ってるようなものだ。その証拠に既にフィルシスの眼が怪しく輝いている。

 今の彼女はどんな鍛錬を施すか、頭の中で騎士団に対する訓練メニューを考案しているのだろう。

 スヴェンとミアはお互いに顔を見合わせ、思わずため息を吐く。

 

「ま、騎士が強くなることに越したことはねぇ」

 

「分かってるけどさ……あっ、そう言えばスヴェンさんも鍛錬してたんだよね? そこに野盗討伐も加わって結構疲れてるんじゃない?」

 

 疲れていると問われれば然程疲労感は無い。しかし明日の鍛錬を考えれば早めに休む事に越した事は無いのだ。

 

「そうだな、今日はもう休むわ。……ん? ミアは明日から如何すんだ?」

 

「私? 私は早朝に転移クリスタルでエルリア城に帰るよ……って休む前に!」

 

 一瞬だけ眉を歪めたミアは杖の先端を右肩の傷に向け、小さく詠唱を唱えると淡い緑の光がたちまち傷を塞ぐ。

 相変わらずの治療魔法にスヴェンが感嘆の息を漏らせば、

 

「間近でミアの治療魔法を見るのははじめてだけど、噂以上じゃないか」

 

 フィルシスがミアに微笑む。それは頼もしい治療師を歓迎しての笑みをだった。

 確かにミアの治療師としての能力は実際に眼にしなければ判断し辛い所が有る。

 治療魔法一つで傷は一瞬で塞ぎ、彼女が開発した再生治療魔法によって臓器の損傷も千切れた腕も元通りに治療されるのだ。

 それもミアの魔力と己の生命力だけで。

 

「……ミアがエルリア城に居るならもう少し無茶な鍛錬メニューを課してよさそうだ」

 

「あれ? もしかして余計なことしちゃったかな」

 

 余計な事とは思わない。鍛錬を経て自身の生存率を上げられるなら鍛錬は厳しければ厳しいほどより効果的だ。

 

「スヴェン、明日も楽しい1日になるよ」

 

「それは良いが速いところ部屋に案内してくれねぇか?」

 

「そうだったね。この先に騎士団長用の部屋が在るんだ、今日はそこで休むとしよう」

 

「それじゃあスヴェンさん、フィルシス騎士団長もお休みなさい」

 

 ミアと別れたスヴェンとフィルシスは早速騎士団長用の部屋に向かい、フィルシスは鎧を外しインナー姿でベッドに。

 スヴェンはガンバスターを壁に立て掛け、ソファで寛ぐように眠るのだった。



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24-9.シェルノーグの翌朝

 目覚めたスヴェンは自身の腹部に馬乗りで衣服を乱したフィルシスに眉を歪めた。

 シャワーでも浴びた後なのかシャンプーの香りが鼻に漂う。

 なぜ彼女は馬乗りなのか? シャツ一枚姿のフィルシスがわざわざ寝てる他人に馬乗りになるとは考え難い。

 となればこれは自身の癖が原因か。

 寝てる時は誰かが近付けば無意識の内に対象を問答無用で組み伏せるか、飛び起きてガンバスターを構える。

 それが例え相棒(リノン)だったとしてもだ。その癖が近付いたフィルシスを組み伏せようとしたが、逆に返り討ちに遭った。これはそういう状況なのだろう。

 

「やぁ、おはよう」

 

「……あぁ、退けてくんねぇかな」

 

「キミは警戒心が強いとは常日頃思っていたけど、まさか近付いたら組み伏せられるなんてね。アレには少し驚いたよ」

 

 如何やら組み伏せる事はしたらしい。それがなぜ馬乗りにされているのか、簡単な事だ組み伏せ返されたのだ。

 

「それでアンタは組み伏せ返してこの状況って訳か……」

 

「理解が速くて助かるよ……あぁでもこの状態は流石の私でも気恥ずかしい」

 

 それは無理もない。

 肌蹴たシャツから下着やらが見えてしまっている状態だ、特に露出控えめのエルリアでは状況も相まって恥ずかしいことこの上ないだろう。

 いや、前回は平然と目の前で着替え、挙句昨日はタオルを巻かずに混浴していたがーー彼女の羞恥心を感じる基準が判らない。

 

「アンタの基準が判らねえ」

 

「簡単なことさ、キミにならシャツ一枚姿や肌を見られても平気だけど……こうして身体を密着させるのはのね」

 

 肌の触れ合いに羞恥心を感じるタイプだったか。スヴェンは冷静に理解しながら無表情で告げる。

 

「ソイツは分かったが、いい加減退いてくれ」

 

「普通なら興奮するはずだけど、キミは興奮しないのかい?」

 

「生憎と何も感じねえが……いや、何でもねぇ」

 

 純粋なまでにフィルシスの強さは心の底から惹かれている。それはもう隠しようのない、否定も許されない純粋な尊敬から来る感情だ。

 だがそれを口にする事は無い。こんな状況で言う言葉でも無いからだ。

 それよりもいい加減腹部に伝わるフィルシスの温もりと重さから解放されたい。

 スヴェンはキョトンとするフィルシスを強引に退けてから起き上がった。

 

「ディルック部隊長に昨日の件を報告してから出発すんだろ?」

 

「そうだね、その前にキミもシャワーを浴びると良い」

 

 眠気は吹き飛んでるが、身体に染み付いた血の臭いと亡者の腐臭はまだ残っている。

 そう言えば昨晩会ったミアはその件を何も指摘しなかったがーー如何やら彼女に気を遣わせたようだ。

 それだけで無くミアはこちらに対して何か心配してる様子さえ見受けられる。

 

「そうさてもらう」

 

 スヴェンはフィルシスに返答してからシャワー室に足を運ぶ。

 シャワーから出る熱い湯を浴びながらスヴェンは思考を再開させた。

 ミアの心配事は自身に何か有れば依頼達成が不可能になる。それは彼女の故郷エンケリア村が救われない事を意味する。

 

 ーー依頼の為には無理は禁物か。だが、無茶してでも技量を高めなきゃなんねぇ。

 

 要するに傷を負うような無駄な隙を減らし、防御技術も高めれば問題ない。

 時の悪魔には現存する魔法は効かないと言われているが、時の悪魔の魔法は魔力操作による防御で防げるのだろうか?

 時を停められては回避もクソも無いが対策を考案する必要が有る。

 今回の鍛錬は身体能力、剣技の技量に加えて防御技術となれば不思議とやり甲斐が湧き出るというもの。

 スヴェンはそんな事を考えながら手早くシャワーを済ませ、身なりを調えてから外で報告に向かったフィルシスを待つことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 朝日が差し込むシェルノーグ村の入り口で小鳥の囀りを耳に空を呆然と眺めていれば、

 

「あ、あの……昨日助けてくださった騎士団長様のお連れの方ですよね?」

 

 確かに昨日救出した村娘の一人が芳ばしい香りを漂わせる編みかごを片手に恐る恐る訊ねて来た。

 何処か怯えを見せる表情と眼差し、これこそが本来自身に向けられるべき正統な反応だ。

 傭兵として外道に対する反応では無いが、三白眼の紅い眼が村娘を怯えさせているのは確かなこと。

 

「あぁ、そういや昨日は魔法の援護に助けられたな」

 

「いえ、死にたくありませんでしたし……それに騎士団長様ならおひとりでも余裕でしたよね」

 

 野盗やグレン、ヘルギム司祭に対してならフィルシスは単独で容易に討伐可能だ。

 しかし亡者と昆虫系モンスターに加えて霊体、フィルシスの苦手をこれでもかとぶつければ如何なるか。

 決してフィルシスも独りでは戦い抜けない、それを村娘に告げるべきかスヴェンは言葉を詰まらせる。

 村娘のフィルシスに対する強い憧れと尊敬の眼差し、若干熱を帯びた頬を前にすれば夢を打ち砕こうなどとは思えない。

 

「あー、正直昨日の戦闘は俺の鍛錬も目的でな。本来なら彼女一人でも余裕だったろ」

 

「そうですよね! それで、その差し出がましいのですがコレを騎士団長様と食べてくだい」

 

 編みかごに被せていた布を退け、中の焼き立てのパンを見せる。

 見るからに美味そうなパンだ。スヴェンはそんな感想を浮かべ、

 

「後で渡しておく」

 

 それだけ告げると村娘は笑みを浮かべて軽やかな足取りで去って行った。

 村娘が立ち去ったほど無くしてフィルシスが戻り、

 

「待たせたね……? キミの腕に有るそれは何だい?」

 

 編みかごに付いて訊ねた。

 

「昨日救出した村娘の一人から差し入れのパンだ」

 

「へぇ? キミは案外モテるのかな」

 

「いや、コイツはアンタに差し入れだ」

 

「私にかい? まぁそう言うことなら有り難く頂くけど、けど参ったなぁ」

 

 困り顔を浮かべるフィルシスにスヴェンは疑問を浮かべる。

 何か有ったのか、それとも単に差し入れは騎士として受け取り難いのか。

 

「差し入れは迷惑だったか?」

 

 そう聞けばフィルシスは酸味に笑った。

 

「そうじゃないよ。ただ騎士団の詰所を出てから昨日助けた4人の村娘から花とか色々と貰ったんだ」

 

 しかしフィルシスは剣を腰に携帯しているだけで手ぶらだ。恐らく騎士団の詰所の誰かにエルリア城の自室に運ぶように頼んだのだろう。

 

「慕われて良かったじゃないか」

 

「んー、恋愛感情が無ければ素直に喜べるんだけどね」

 

 なるほど、彼女が酸味に笑ったのはそういう理由だったか。

 

「なるほどな、だがまあ朝食には困る事は無さそうだ」

 

「キミも効率重視だねぇ」

 

「まだまだ修得する技術は多いからなぁ。特に時の悪魔を想定した技術はな」

 

「あぁ、そうだったね。魔法と魔力による攻撃が通用しない相手なら普通の物理手段で攻めるしかない。だけど防御は如何かな?」

 

 それはシャワー中に考えていたことだ。魔力を使用した防御手段は果たして有効なのかどうかを。

 

「停止した時間空間から攻められりゃあ避けようがねぇ、魔力による防御手段も通用しねえなら詰みだな」

 

「先手必勝、一撃必殺なんて通用するほど甘い敵じゃないだろうしね……うん、これは歩きながら考案した方が良さそうだ」

 

 フィルシスは編みかごからパンを一つ取り出し、歩きながら一口サイズに千切ったパンを口に放り込む。

 スヴェンも編みかごから取り出したパンに齧り付き、柔らかさに頬が緩む。

 

「冷めちまったが美味いな」

 

「うん、良い味だ」

 

 こうして二人は野営地に向かいながら防御手段に付いて話し合う。

 そして野営地に到着してからモンスターを相手に片っ端から防御手段を試すことに。



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24-10.情報屋とミア

 スヴェンとフィルシスが鍛錬に励んでいる頃、エルリア城に戻ったミアは宿屋通りの騎士も御用達の酒場に訪れていた。

 朝という事も合間って閑散とした物静かさに木製ジョッキを拭く音が響く。

 騎士も労働者も居ない静かな酒場を見渡したミアは、薄暗い壁際の席に座る目的の人物に吐息が漏れる。

 別段探し回ったという訳では無いが、会いに行こうとすれば会えない。かと言って今日のように気紛れで酒場に足を運べば会えた。

 そんなもどかしい状況に思わずため息が漏れるが、これで必要な情報が手に入る。

 情報屋を営む双子の悪魔の片割れに近付いたミアに、

 

「私にいくつか情報を売ってくれませんか?」

 

 双子の悪魔は興味も無さげな眼差しを向ける。

 情報屋として儲けに味を占めたのか、儲けに繋がらない依頼に興味は無い。そういうことだろうか?

 スヴェンには協力的だったと聞くが、月を跨がない内に悪魔も金欲に染まったようだ。

 金欲に染まったなら話は速い。ミアが五枚のアルカ大金貨をチラつかせれば双子の悪魔は目の色を変えた。

 

「随分な大金だね? 人の価値基準で言うならアルカ大金貨1枚で屋敷を建てられるよ」

 

 これはラピス魔法学院卒業後に自身が稼いだ金額の一部。

 治療師としての給料と新しい治療魔法の特許権、そして博士号による定期収入だ。

 これだけで欲しい情報が得られるはず、悪魔しか知り得ない情報を。

 

「それだけあれば悠々自適な生活を送れますよね?」

「そうだけどねぇ、果たして君が欲する情報が提示する金額に見合うかどうか……」

 

 珍しく悪魔にしては弱気だ。普段なら悪魔を眼にするだけで精神が消耗するが、今の人形に収まった悪魔からそんな副作用は感じられない。

 恐らく人に悪影響を与えないように気配を抑えつつ、片割れ不在の影響も有るのだろう。

 ミアは内心で双子の悪魔の現状を悟りながら欲しい情報を提示する。

 

「時の悪魔の弱点、倒し方、攻撃手段と味方の有無に付いて」

 

 双子の悪魔はミアが欲する情報に顔を顰めた。人形とは思えない表情の変化にミアから汗が滲む。

 流石は希代の天才人形師と呼ばれる人物の作品なだけあって極めて人に近い感情表現だ。

 だからこそ少し怖いと思えてしまう。特に夜な夜な独りでに動く人形などーー恐い想像なんかよりも情報が先!

 未だ言い淀む双子の悪魔にミアは意を決して強気に出る。

 

「知らないの? それとも悪魔同士のしがらみで言えないのかな」

 

 嫌味を込めた笑みを浮かべれば、双子の悪魔が青筋を浮かべる。

 人形の身体でなぜ青筋が浮かぶのか不思議では有るが……。

 

「喋れるとも、人の子が知らないとっておきの情報もね!」

 

 挑発に乗った双子の悪魔にミアは小悪魔的な笑みを浮かべた。

 

「それってどんな情報ですか? 最初に言っておきますが、私達は時の悪魔に対して既存する魔法、魔力を使用した攻撃が一切通用しない事は分かってますよ」

 

「それだけで挑む気にはなれないだろうにね。そもそも時の悪魔がなぜ時間を操れるのか……時間を操る事なんて神である二柱にしか出来ないことなんだよ」

 

 単純に人よりも悪魔の方が魔力も知識も優れているから。最初はそう思い納得していたが、この悪魔の口振ではどうも違うらしい。

 

「それって時の悪魔が邪神によって創造された悪魔だからですか?」

 

「違うよ、いや正確には半分正解かな」

 

 半分正解ーーまさか、時の悪魔はアトラス神と邪神の二柱によって生み出されたというの?

 答えに辿り着いてしまった。それも最悪の答え、邪神が産み出したとされる悪魔や邪神眷属はどれも非常に厄介で人類など簡単に滅ぼせてしまう力を秘めいている。

 かつて孤島諸島の先に存在していたと云うテルカリーエ大陸は封神戦争、二柱の衝突余波で大瀑布になった。

 そんな強大な力を持つ二柱によって創造された時の悪魔。ただその事実だけでミアに絶望感が襲いかかる。

 それでも戦うのはスヴェンだ、自身が出した依頼によって。自身の産まれ故郷を解放するために。

 だから勝手に絶望して諦めかけるのは違う。それこそスヴェンが言う不義理だ。

 

「……それは、時の悪魔が二柱によって創造されたから絶対に倒せないような存在ってことですか?」

 

「どんな悪魔も時の悪魔に傷を付けたことは無いよ。それこそ時を操る魔力を狙った邪神眷属でもね」

 

「どうやって倒せって言うんですかぁ?」

 

「いや、完全無敵ってわけじゃないらしいよ? 一応本人曰く世界に存在しない武器や技術は痛いほど効くらしい」

 

 それは既にルーピン所長が解き明かした情報だ。逆に言えば現状スヴェンと彼が持つガンバスターしか通用しない。

 

「現状まともに戦えるのはスヴェンさんだけですか」

 

「そうだね、明確な弱点と倒し方はスヴェンを当てるぐらいかな……他の異界人じゃあ話にならないだろうしね」

 

 全く見込みが無い訳では無いが、彼らの普段の言動と態度を眼にしていると信頼に欠ける。

 何よりもやはり単純に実力が不足してしまっているのが要因だ。

 スヴェン達がミルディア森林国に出発してから程なくして騎士団の訓練所で異界人主導の大会が開かれた。

 主催目的は誰が本当の英雄かを決めるものだったが、その中でも頭一つ抜き出ていたのがアンドウエリカ(安藤恵梨香)だった。いや、大会自体は結果的に言えば彼女の優勝で幕を閉じたのだ。

 ただその中でも日々の鍛錬が身を結んだサトウリュウジ(佐藤竜司)の戦績にも眼を見張るものが有る。

 しかしこの後日に行われた二度目の大会は訓練中の騎士も巻き込む事態に発展し、結局のところは面白半分で参加した騎士に全員敗北という結果で英雄を決める大会は幕を閉じ、それ以降異界人は大人しく日々の生活を謳歌している。

 そこまで思い出したミアはため息を吐く。

 

「他に導入できる戦力が居ればなぁ」

 

「時獄は悪魔も侵入できない鉄壁の結界だからねぇ……それにしても時の悪魔は如何して召喚に応じて時獄なんて展開したのかなぁ」

 

 確かにそこが謎だ。故郷を三年も閉じ込めた時の悪魔が憎い事に変わりはないが、目的を知るべきではないのか?

 

「何か知らないんですか? 時の悪魔の行動原理とか」

 

「普段は時の歩みに身を任せて寝て過ごしてるばかりの悪魔だからねぇ〜」

 

「あぁ、そうだった。時の悪魔と常に行動してる使い魔にも気を付けるべきかな」

 

 ただでさえ厄介な時の悪魔を相手にするというのに使い魔まで居る。

 それだけで眩暈が起きるが、これはスヴェンに伝える為に必要な情報だ。

 ミアは自身に言い聞かせて双子の悪魔に訊ねる。

 

「その使い魔というのは厄介なんですか?」

 

「うーん、眼にした者から戦意を奪い虜にしてまうかなぁ」

 

「魅了系の魔法が得意ということですか?」

 

 果たしてあのスヴェンに、美少女を美少女とも認識しない目の節穴代表のスヴェンに通用するのか疑問を禁じ得ない。

 ミアの疑問に双子の悪魔も困惑を浮かべながら言葉に詰まらせる。

 

「えっとぉ……うーん〜スヴェンなら問答無用かもしれないけどぉ、今の所はどんな悪魔も邪神眷属も虜にされちゃってるからなぁ」

 

 それはもう危ないのでは? そもそも一体どんな姿をしているのか。

 

「えっと、どんな姿なんですか?」

 

「簡単に言えば仔猫さ、愛くるしい鳴き声とうるうるした瞳で戦意を削ぎに来るよ」

 

 仔猫、あの人々を魅了してやまない仔猫が使い魔だと?

 

「考えただけでも可愛いじゃないですかぁ!?」

 

 いや、スヴェンが犬派なら話は別だが小動物や仔猫や仔犬、そしてレーナはどんな人物も魅了してしまう。

 もしかしたらスヴェンは予想以上の苦戦を強いられるのではないか? 同時にこうも考えてしまう、問答無用で倒しに行くスヴェンの姿はなんか嫌だ。

 

「……うぅ〜スヴェンさんには時の悪魔だけに集中して欲しいなぁ」

 

「……それはそうと次は攻撃手段だったね。時を冠する存在だけあって時間停止は当然、時間加速や延長も使えるね」

 

 それは想定していた通りの攻撃手段だ。そもそも時の悪魔が厄介、強敵ならば時間操作から併用して繰り出される攻撃魔法だ。

 

「攻撃魔法に付いては? どんな属性系統の魔法が得意なんですか?」

 

「得意な魔法? 得意な魔法……あれ? 少なくとも我々は時の悪魔が攻撃魔法を使用した瞬間を眼にしたことが、無い?」

 

「……っ!? まさか、時間停止中に魔法を使うから誰も魔法を使われた事実を認識できないということですか?」

 

「そうなのもかしれない。少なくとも我々は眼にした事が無いのは確かだね」

 

 それでは防御手段も限られて来る。それこそ全身に魔力を細かく巡らせ、魔力の鎧を形成する他に防ぎようが無い。

 

 ーー魔力の鎧って大昔は使われていた防御手段だけど、魔力制御が困難過ぎて廃れた方法だっけ。

 

 そもそも既存の魔法や魔力が通じない時の悪魔に対して魔力を使った防御は意味を成すのか?

 そんな疑問が頭に浮かぶが、ミアは不安を拭う為に頭を振った。

 自分が不安に駆られてはスヴェンも良い気がしないだろう。それに彼は時の悪魔からエンケリア村を解放する為に辛い鍛錬に励んでいる。

 

「私が不安になっても仕方ないですね。それよりも今は必要な情報を集めること!」

 

 その言葉を口にしてミアは漸く気が付く。得た情報の大半が既に知っている内容だということに。

 

「……あのぉ、私達が知らない情報って無いんですか? 例えば如何して時の悪魔に既存する魔法が通用しないのとか」

 

「我々が知り得る情報は全てだよ。ただ忘れないで欲しい、我々悪魔も学習して対策を講じることを。それが人の専売特許とは思わないことだよ」

 

「肝に命じて置きますよ」

 

 ミアはそう答え、双子の悪魔に報酬をいくら支払うべきか頭を悩ませながら金袋からアルカ大金貨二枚を差し出した。

 

「うん、妥当な報酬だね。それじゃあまたご贔屓に」

 

 スヴェンに伝えるべき欲しい情報は手に入った。その大半は既に知っている内容だったが、それでも使い魔の存在は大きい。

 ミアはスヴェンに伝えるべき情報をメモに書き溜めながら次の予定に眉を歪めた。

 このあと直ぐにまたシェルノーグ村に戻って新米騎士の精神治療に取り掛かる事になっている。

 フェルシオンの一件から理論を構築していた精神治療、この治療が成功したら次はユーリ伯爵の治療の番だ。

 ミアは意を決してエルリア城の地下広間を経由してシェルノーグ村に戻った。



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第二十五章 時獄へ
25-1.掴み


 九月二十八日。スヴェンとフィルシスは森近くの平原で剣戟を繰り返し鍛錬に明け暮れていた。

 身体の表面上に纏わせた魔力の鎧がフィルシスが繰り出した魔力の刃を防ぐ。

 魔力の鎧に傷は愚か魔力の綻びも無い。彼女のスパルタ式鍛錬のお陰で制御精度が上がっている。

 

「うん、強度も精度も上がってるね」

 

 恐らく今の魔力の鎧ではフィルシスが本気で放った一撃は防ぎ切れないだろう。

 

「これである程度の魔法は防げそうだが、やっぱ鎧を触媒にした方が効率も強度も高そうだな」

 

「鎧の重みで動きが阻害される。何よりもキミは防具に身を固めて時獄に突入できない」

 

 この時代、過去に製造された防具ですら時獄に弾かれる。これは少し前に改めてクルシュナの指揮の下検証された実験結果だ。

 人を対象にしているなら鎧だけでも内部に送り込む。その試みは時獄に呆気なく弾かれる形で終わった。

 スヴェンは数日前に情報とささやかな差入れを持って訊ねて来たミアから聴いたことを頭に反復させ……一つ重大な事に気が付く。

 現在着ている上着はテルカ・アトラスで購入した衣服だ。以前まで着ていたデウス・ウェポンのノースリーブシャツは破損が酷く破棄してしまったがーーつまり、上半身裸で突入しろってことか!?

 冷や汗を流すスヴェンにフィルシスが小首を傾げながら下から覗き込む。

 上目遣いで覗き込む彼女と視線が合う。

 

「はぁ〜この上着はテルカ・アトラスで買った物なんだが……」

 

 ため息混じりに重大な事実を口にするとフィルシスは苦笑を浮かべた。

 

「あちゃー、それだと上着は現地調達になるかな」

 

 つまり上半身裸でエンケリア村に突入を強いられる。

 三年も時獄に閉じ込められた村人達は果たして救出に来た上半身裸の人間をどう思うだろうか。

 落胆か、変質者として眼も合わせて貰えず情報収集もままならなくなる可能性が極めて高い。

 

「ミアの名誉のために依頼人は伏せるとして……改めて思うが時獄ってのは厄介だな」

 

「通さない出さない。確実に何かを封じ込めたいなら最高クラスの結界魔法だ、それがエンケリア村を覆ってるのは解せないけど」

 

「目的は未だ不明……ってか契約してる奴も不明なんだろ?」

 

「ルーピン所長が調査を進めてるらしいけど、どうにも当時の入出を記した帳簿が無いらしい」

 

 時の悪魔と契約した人物が帳簿を隠し持ち村人に擬態している可能性が挙げられる。

 

「契約した奴は擬態してんのかねぇ、それはそれとして時獄の維持に必要な対価はどう払ってんのか」

 

 ジギルド司祭は人物を対象に逃げることを複眼の悪魔に願い対価に対して寿命を払い、老化を引き起こしーーそしてゴスペルの復讐の刃によって殺された。

 悪魔に支払う対価は願う内容によって異なる。

 だからこそ謎だ。三年も時獄を維持し内部の状態を一定時間経過で巻き戻す。

 これだけでも要求される対価は高いだろうに。

 スヴェンが推測を浮かべるとフィルシスが、

 

「寿命や生命力、命なら対価として充分じゃないかい?」

 

 極論と言えばそうなのだが、対価としては破格の代物を口にした。

 しかしそれは対価として、目的があってこそ成り立つ行動には無意味にも思えた。

 仮に死を前提にした行動、単なる愉快犯なら話は変わるが。

 

「命ってのは価値が付けられねぇほど重い。ソイツを対価にしたとして……死を前提に達成したい目的ってのはなんだよ」

 

「何がなんでも封じ込めたい存在が出現したか、悪魔の道楽か。それとも事故だったか。うん、考えても契約者の目的は単なる憶測にしかならないね」

 

 情報不足ゆえに何を考えても単なる憶測にしかならない。

 敵を知ることは戦闘を有利に運ぶ事になるが、ここまで情報が手に入らないというのもそれはそれで不気味だ。

 逆に時の悪魔に関する情報はある程度は集まっているのだが。

 

「魔道具完成まで鍛錬を続けるしかねえってことか」

 

「備えあれば憂いなしって言うからねぇ。それにキミは確実に成長してるよ」

 

 確かにこの辺一帯のモンスター相手なら魔力を使わずとも討伐が容易に熟るようにはなっている。

 それでもまだ足りない。目の前に居るフィルシスを見ていれば技術も技量もまだまだ足りないのだ。

 

「アンタに比べるとまだまだなんだがなぁ」

 

「ふふっ、簡単に抜かれないよ弟子」

 

 爽やかな笑み。恐らく常人でまともな感性をしている者ならフィルシスの笑みに感情が揺さぶられるのだろう。

 表面上では理解できるが、やはり自身の心は何も感じられない。

 

「アンタを追い抜くには時間が足りねえか」

 

「……きっとそれはキミの感情、欠落した心の問題だよ。人はなぜ強くなれるのか、護りたい者のために強くなれるのさ」

 

 自分にはそれが無い。ただ戦場で眼に付く敵を片っ端から殺す。護衛依頼も護衛対象を護ると宣っているが、実際には敵を片っ端から殺すことで安全を確保してるに過ぎない。

 それもどれも仕事の延長線に過ぎない。スヴェンは鍛錬の続きと言わんばかりにガンバスターの柄に手を伸ばした、その瞬間。

 

 二人の腹部から空腹を告げる腹の虫が鳴った。

 

「もうお昼だったね、今日も私が作るけどキミは何が良いかな?」

 

 ここ最近、正確にはシェルノーグ村で貰って食べたパンに付いて『やっぱ誰かが作ったパンは美味いな』っと溢してからフィルシスが料理を振る舞うようになったのだ。

 エルリア魔法騎士団仕込みの野営食を期待してみれば出て来たのは、驚くほど上等で温かく味わい深い料理だった。

 材料は現地調達した肉類、野菜類は事前にフィルシスが持ち込んでいた物を使っての料理はどれも外れが無い。

 むしろここ最近はフィルシスが作る料理が楽しみになりつつ有ると言っても過言ではない。

 

「そうだなぁ、前に食った羽獣の野菜煮込みがまた食いてぇ」

 

「羽獣の野菜煮込みだね、じゃあ狩って来るから野営地で待ってて」

 

 そう言ってフィルシスは音を置き去りに目前から消え、野営地に戻れば騎士甲冑を外したフィルシスが肥えた羽獣を捌いていた。

 

「……いつも思うんだが早過ぎねえか?」

 

「こういうのは鮮度が大事なんだ」

 

 確かにそうかもしれないが、何かが間違ってるような気もする。

 考えても仕方ないっとスヴェンはため息を吐き岩に腰を下ろす。

 そして改めてフィルシスに視線を向ければ、巧みな包丁捌きで瞬く間に羽獣を解体していく。

 しかし騎士団長という要職に就きながら料理まで上手いとは。

 スヴェンは呆然と彼女の作業を眺めながら料理の完成を空腹感と共に待つことに。



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25-2.食事の後に

 遅めの昼食を終えたスヴェンとフィルシスは気配を殺した足音に武器を引き抜き臨戦体制に移る。

 森から刻々と近付く確かな足取り。気配さえ消しているが何処か此方を試すような足取りにスヴェンは眉を歪めた。

 そして森から姿を現したヴェイグにスヴェンとフィルシスが同時に地を踏み抜く。

 左右から同時に挟み込まれる刃がヴェイグの魔法、異空間の前にスヴェンが放った刃だけが防がれるがーーフィルシスが放った一閃が異空間の孔ごとヴェイグの胴体を両断する。

 あれほど苦戦を強いられ、攻め手に欠けていたヴェイグーーいや、エルロイをフィルシスはあっさりと殺して見せたのだ。

 地面に転がるエルロイの死体を前に、フィルシスは剣に付着した血を払い、

 

「生きてるんだろ? 如何なる方法でもキミは殺せない事は今ので嫌というほど理解したよ」

 

 エルロイの両断された切断面から肉片が互いに引き寄せ合うように再生を始めた。

 相変わらず再生の速度が速い。スヴェンは警戒心を緩めずエルロイに視線を向ければ彼は何事も無く立ち上がり、こちらに対して不服そうな視線を向ける。

 

「いきなり殺しに来るなんて酷いんじゃないか?」

 

「いくら殺しても死なねえアンタがそれを言うか? ってかまだその姿を使ってんのか」

 

 こちらの疑問に対して目の前のソレは、ヴェイグの姿から中性的で爬虫類のような瞳を宿したエルロイの姿に戻った。

 

「わたしも捨てようかと思ったさ。けれど……まだアルセム商会が存続しているなら責めて責任は果たしたい」

 

 本物のヴェイグの望みを律儀に叶え続ける。そう言っているようにも聴こえるが、彼が何に対して切実になろうと知ったことでは無い。

 問題はなぜまた目の前に現れたのかだ。

 

「目的は何だい? 10月の国際会議に参加するそうだけど、まさかあいさつって訳じゃないよね」

 

 それこそまさかだっと言いたげにエルロイは笑った。

 

「今日はスヴェンに依頼が有って来たんだ。報酬は金貨500枚にアルセム商会が経営するリゾート地宿泊券でどうかな?」

 

 大商会とは聞いていたが、まさかリゾート地まで経営しているとは。

 それ以前に依頼を請けるのも先ずは話を聴かない事には始まらない。

 

「話なら聴いてやる。先ずはそれからだ」

 

「お前は相変わらず警戒心だらけだな」

 

 警戒心を向けるこちらに対してエルロイは肩を竦める。

 

「まあ良いさ、今回の依頼は過激派の司祭ーーヘルギム司祭の殺害さ」

 

 その名にスヴェンとフィルシスは互いに顔を見合わせ、そして芝居かかった仕草で優雅に両手を広げる彼に何とも言えない表情を向けた。

 そんな表情に気付いたエルロイは戸惑った様子で、

 

「ど、どうしたんだ? 過激派と敵対してることはお前達も知ってるだろ」

 

 若干焦り混じりに訊ねてきた。

 

「あぁ、俺達がアンタらの派閥争いに利用されてるってこともな」

 

 皮肉を込めて返せばエルロイは心外だと肩を竦める。

 

「それは利害の一致と思って欲しいなぁ。いや、それよりも依頼自体はエルリアにとっても有益な筈だよ」

 

 確かに邪神教団の司祭を討つことはエルリアのみならず各国に対して安全面を考慮すれば確かに有益だ。

 既に殺した相手に対する殺害依頼など請けようがないが。

 

「そいつは理解してるが……ヘルギム司祭ってのは老人、亡者召喚や黒弾を使う奴だろ?」

 

「あ、あぁ。なぜお前がヘルギム司祭の情報を? いや、それともエルリア魔法騎士団の調査能力かな」

 

「情報収集は欠かさないけど、ヘルギム司祭に対しては既にノーマークかな」

 

「……何故だ? わたしを含めた司祭を生かす道理などない筈だぞ」

 

「ヘルギム司祭はもう死んでる」

 

 たった一つの事実を淡々と告げればエルロイは、

 

「ひぇ?」

 

 未だかつて見た事がない、名状し難い表情でただ困惑を浮かべた。

 無理もないだろう。依頼を出すために訊ね、一度殺された挙句の果てに対象人物が既に死んでるのだから。

 エルロイはこめかみを何度も伸ばしては、事実を呑み込むべくゆっくりと大きく息を吸い込んだ。

 

「死んでるのかよ!?」

 

「あぁ、グレン率いる野盗と行動を共にしていた頃をな」

 

「なぜそんな事態になったのかはこの際だ、それは聞かないでおこう……しかし、わたしがここまで出向いたのはぁ」

 

「無駄足だったね、キミはリゾート地宿泊券を置いてさっさと消えると良い」

 

 フィルシスがなぜリゾート地宿泊券だけを要求するのかは謎だが、彼女のさっさと消えろっと言わんばかりに鋭い眼孔にエルロイはたじろぐ。

 

「ぐぬ、酷いじゃないか……わたしは本当に帰るけど、何か聞きたいことが有るなら今のうちだぞ? しばらくは国際会議の出席やらでわたしも多忙になるからね!」

 

 元々アルセム商会の経営やらで多忙だと思うが、スヴェンはその辺りの事情に対して突っ込まずーー最後の司祭の居場所に付いて訊ねる。

 

「ラスラ司祭ってのはいま何処に居る?」

 

 ラスラ司祭の行方にエルロイ司祭は眉を歪めた。

 

「奴は定期連絡会でしか会えない。いや、正確には投影魔法による幻影なのだが、わたしでも奴の居場所は知らないんだ」

 

「ラスラ司祭と最後に直接会ったのはいつだ?」

 

「11年前のオルゼア王襲撃時。わたしはあの戦闘でラスラは死んだと思ったのだが、生きてエルリア城を襲撃したと知った時は驚いたよ」

 

 つまり十一年は直接会って居ないという事になる。

 

「穏健派と過激派……オルゼア王によって邪魔な連中を討たせようと企てたのはキミかい?」

 

 確かめるように訊ねるフィルシスにエルロイは肩を竦める。

 

「そうだね、あの襲撃事件は起こるべくして起きたと言うべきか。あの戦闘を生き残った司祭は、わたし、ラスラ、ヘルギム、ノワールの4人だった」

 

「まあ、ノワールも日を跨がない内に自害してしまったのだがね」

 

 自害したノワールを除き、オルゼア王襲撃事件時に生きていた司祭は三人だけ。その内の一人はどうやっても死なない化け物だ。

 結局のところ邪神教団が組織内で二分しようとも最後に残るのは穏健派のエルロイだけ。

 

「アンタは邪神の狂気に歪んだ司祭連中を利用する形でオルゼア王に討たせたんだな」

 

「そうだね、わたしが司祭を全滅するように誘導した。事前にオルゼア王にも襲撃を予告していたけど、あの王に対してそれは無駄なことだったよ」

 

「確かに師なら自身に降り掛かる脅威は自分で跳ね除ける、か」

 

 結果的にオルゼア王は忘却の呪いを受ける事になったが、エルロイの目論見は半分成功したと言える。

 しかし新しく選任された司祭も結局は穏健派と過激派に別れた。

 

「結局のところアンタの計画は失敗に終わったって解釈で良いんだな」

 

「そうだ、わたしの計画は失敗してしまったよ。司祭の全滅で入れ替わる新しい司祭と枢機卿と共に密かに封印を護る計画がね」

 

 確かに穏健派の目的は邪神の封印を護ることだ。それは悪魔の口からも語られている通りだった。

 

「……今の穏健派の司祭が歪まねえ保証は?」

 

「彼女らとあの子なら大丈夫さ、何せわたし達よりも強靭な精神力を持つ者達だからね。それに今は邪神像と離れているから狂気に汚染される心配も無いよ」

 

 これ以上討伐対象が増えないならそれで良いが、万が一穏健派が狂気に染まりでもすればエルロイ達が居るミスト帝国も影響を受けかねない。

 スヴェンが戦争に繋がる火種を浮かべた瞬間、

 

「あぁ、お前が望む戦争はどう足掻いても起こらないよ」

 

 戦争は起きないとエルロイが語った。戦争が起きないならそれはそれで構わない。

 

「だと良いがな……それで他に聴くべきことは」

 

 フィルシスに視線を向ければ、彼女はもう聴くことは無いっと首を横に振る。

 こっちも現状で聴きたいことは聴いたが、最後に一つだけ。そう一つだけ文句を言いたい。

 

「で? なぜミルディル森林国で邪神眷属が解放される事態になったんだ?」

 

「それに関してはわたしにも判らないが、人の執念が時に奇跡を齎す瞬間を何度も眼にして来たからね。恐らくは追い詰められた信徒の絶望から生まれた最後の意地なのかもね」

 

「封印の鍵を邪神教団の手に渡らせねえ方が確実ってことか……ってかアトラス神はなぜ封印の鍵に隙を残してんだよ」

 

 不変不滅だからこそ互いに殺し切れない相手を勝者が封印した。

 封神戦争の結末はどちらか一柱の封印によって収束したが、ミアから聴いた情報では時の悪魔は二柱によって創造されたことを踏まえれば完全に敵対関係に有った訳ではない。

 

「……それは、そもそも封神戦争こそ不幸の始まりによって起こった戦争に過ぎないんだ」

 

「時が経てば邪神様の狂気も正常に浄化される。それはあと数万年も先のことだ」

 

 それまで邪神の封印を維持しなければならず、邪神教団も復活に備えて封印を見護る他にない。

 エルロイの口振りからそう捉えたスヴェンとフィルシスは息を吐く。

 

「キミ達の事情は理解したよ、その話も各国の王族に聴かせる話すのだろうけど……もしもそれが作り話だったら私は容赦しないよ」

 

「安心すると良い。わたしが語る物語りは全て事実さ……生憎と証人はノーマッドしか居ないけど」

 

 邪神に呪われた生きた封印の鍵である女性を浮かべたスヴェンはため息混じりに、

 

「まあ何にせよ、俺はアンタが王族に語る姿を眼にすることはねぇな」

 

 そう告げるとエルロイは意外そうな眼差しを向けた。

 

「お前はレーナ姫の護衛として参加すると踏んでいたが、違うのか?」

 

「こっちは仕事があんだよ……ああそうだ。ついでに聞くが、アンタは時の悪魔を召喚した人物に心当たりは有るか?」

 

「……すまないがわたしにも心当たりは無い」

 

 エルロイでも知らないとなると邪神教団絡みとは考え難い。

 単なる愉快犯か、それとも悪魔の気まぐれ。古代遺物絡みの事件か事故。

 考えられる事は幾らでも有るが、結局の所は時獄内部に突入しなければ判らないことだ。

 スヴェンは一先ず時の悪魔に関する情報を頭の隅に追い遣り、

 

「なら俺から聴きたいことは全部だな」

 

「そうか、それじゃあわたしは帰るとしよう……あぁ、そうだ。結局依頼は出せなかったが、これは表に出ようとしない影の功労者に対する贈り物だ」

 

 そう言ってエルロイは開いた異空間の孔に飛び込むと同時にリゾート地の宿泊券をスヴェンの手元に残して立ち去った。

 こんな物を遺されても正直困るというのが本音だった。

 

「……要らねぇ、責めて食いもんのサービス券とかにしろよ……いや、その前に影の功労者ってなんだよ」

 

「それだけキミの功績は大きいってことだよ。それで、キミはその宿泊券をどうする気だい?」

 

「欲しいならアンタに譲るさ」

 

「いいや、それはキミに対する報酬だよ。私がそれを横から貰うのは違うんだ」

 

「違うのか、行きたそうな顔してるが?」

 

「正直に言うとすっごく行きたい。だけど違うんだ」

 

 何が違うと言うのだろうか。行きたいならリゾート地の宿泊券を素直に受け取れば良い。

 スヴェンはフィルシスから手元の宿泊券に視線を落とし、四人までなら無料で一週間の宿泊と食事、リゾート施設使い放題と記載されていた。

 誰かを誘うよりも経費の肩代わりに使うべきだ。スヴェンは手元の宿泊券の使い道を決める。

 

「期限は無期限か、護衛の依頼が来た時にでも使うか」

 

「キミらしい使い方だね。でも流石に護衛対象は貴族か王族に限られて来るんじゃないかな」

 

「報酬には期待できそうだ」

 

 その前にミアの依頼を片付けなければ話にならない。

 スヴェンとフィルシスは早速鍛錬を再会させ、これまでの締め括りに入ることに。



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25-3.完成

 技術研究所の最奥でクルシュナは盛大にため息を吐く。

 机に置かれた一つの瓶。それには魔法陣とは異なる言語が刻まれていた。

 ついに悪魔を封じ込める魔封瓶が完成したのだ。完成したがクルシュナの気は重くなるばかり。

 

「……むぅ、仕方ないとはいえやはり話しておくべきだったか」

 

「仕方ありませんよ、未知の材質と刻まれた言語、魔道具の加工に必要な材料はアレしか無かったんですから」

 

 そう仕方なかったのだ。国内で採掘されている鉱石に新種は無く、せっかくアトラス教会から悪魔封印に関するノウハウを得たというのに肝心の材料が無い。

 いや、正確には一つだけ有ったのだ。スヴェンがクルシュナに預けた荷電粒子モジュールがたった一つだけ。

 壊れた球体状の荷電粒子モジュールを加工し、ついでに治療のために滞在していたリノンからデウス・ウェポンの言語を教わり、デウス・ウェポン語で術式を刻むことで漸く完成した。

 しかしスヴェンから預かっていた荷電粒子モジュールを無許可に加工に使った。彼がこれを知ったらどうなるか、怒り狂うかそれとも単に呆れるか。

 どっちにしろ彼には隠し事よりも先ず正直に話した方が建設的だろう。

 

「スヴェンには誠心誠意謝罪するとして……」

 

 まだ性能実験が済んでいない。この瓶に悪魔の魂を封印できて初めて完成と言える。

 先ずは実験を始めないことには何も始まらないのだ。スヴェンに謝罪も協力者達に感謝することも。

 

「双子の悪魔を呼んでくれたまえ」

 

「既に双子の悪魔には連絡を入れてますよ。あとは到着を待つばかりです」

 

 既に連絡をしていた研究者にクルシュナは満足そうな笑みを浮かべ椅子に座る。

 

「そうか……では来るまで待つとしよう」

 

「コーヒーでも淹れましょうか?」

 

 まだコーヒーを飲む気にはなれない。クルシュナは首を振ることで断り、ふと昨日廊下ですれ違ったレーナの様子が思い浮かぶ。

 

「最近姫様の顔色が優れない様子ですな」

 

「そうらしいですね、自分はここ数日研究所に篭りっぱなしでしたので会ってはいませんが……研究者の間でも噂になるほどには体調が思わしくないのでしょう」

 

 また無理をして徹夜で書類を片付けているのだろうか? いや、そんな筈はない。

 今のレーナに滞っている公務も無いはず。これを単なる風邪と見れば良いのか、それとも今まで蓄積された過労が一気に現れたのか。

 医者でもないクルシュナにはレーナの状態はなんとも言えず、

 

「ふむ、姫様には休養が必要では有るか」

 

 単なる気遣い程度の言葉しか出ない自身に苦笑が漏れる。

 

「姫様が倒れたとファンクラブ会員が知ったら大事ですからね」

 

 それこそエルリア国民の殆どが城に駆け付ける事態になるだろう。

 いや、それどころか彼女を慕う多くの騎士や使用人にも多大な影響を及ぼす。

 

「姫様が倒れたらと思うと吾輩も研究どころでは無くなってしまうか」

 

「大半の国民は卒倒レベルですよね……いや、たぶん姫様が婚約を発表したら似たことになるとは思うんですけどね」

 

 それは確かに言えていることだが、レーナも結婚しておかしくはない、いやむしろ王族としては遅いぐらいだ。

 その前にレーナに相応しい相手を見付けなれば話にならない。

 

「姫様は恋愛に疎いですからな」

 

 まだオルゼア王が健在だからこそ良いが、世継ぎ問題を考えればまだまだ不安の種は多い。

 クルシュナと研究者は苦笑を浮かべた。責めてレーナにいい縁談が有ればっと。

 二人がそんな事を考えていると、

 

「やあ、お招きに応じて来たよ」

 

 双子の悪魔の片割れがドアを開けて入室した。

 これね実験を開始できる。その前に双子の悪魔には説明しなければならないが。

 

「来てくれて感謝するよ……これから貴殿には開発した魔封瓶に悪魔を封印できるかどうかの実験に協力して貰うが構わないかね?」

 

「いいよ、むしろ我々を封印できるのか試してあげたいぐらいだ」

 

 悪魔故の余裕と挑発するように人形の顎を鳴らす双子の悪魔にクルシュナは挑戦的な笑みを浮かべる。

 早速クルシュナは掴んだ魔封瓶に告げる。

 

「起動せよ」

 

 詠唱とは違う事前に魔封瓶に刻まれた言語を読み上げる。そうする事で魔封瓶に刻まれた言語が輝く。 

 そして魔封版の栓をキュポンっと抜き、双子の悪魔に口を向けた。

 悪魔に呼応するように魔封瓶の内部で渦が発生し、双子の悪魔の身体が渦に引き寄せられ始める。

 本来なら憑代から離れた魂を魔封瓶に吸い込ませ、内部に封印するのだがーー憑代に収まった魂ごと憑代を引き寄せるか。

 やはり憑代から魂を引き剥がさないことには十全な効果が発揮しない。

 だが、クルシュナは栓をするでも無くーー魔封瓶を双子の悪魔の口に突っ込んだ。

 人形の憑代が激しい痙攣を引き起こし、やがて人形の口からドス黒い悪魔の魂が魔封瓶に吸い込まれ、人形の身体は糸が切れたように床に崩れた。

 クルシュナはすかさず魔封瓶の口に栓を施しては、悪魔の魂に語りかける。

 

「封印は成功ですな」

 

『まさか憑代から引き剥がされるなんて思わなかったよ。これなら時の悪魔も封じられるかもね』

 

 流石は悪魔だ、魂の状態でも人に語りかけることができるとは。

 精神に悪影響を与えないように悪魔の性質そのものを内部に隔離ーーこれも懸念は有ったが、今のところ精神に悪影響は皆無だ。

 

「では、次は魔法を試してみたまえ」

 

『片割れが居ないと効力が減少するけど……? あれ? おかしいな魔力が使えない』

 

 片割れが居ない影響を抜きにしても双子の悪魔は魔封瓶の中で魔法を唱えることは愚か魔力を操作することも叶わないようだ。

 

「ふむ、これも成功ですな」

 

「やりましたねクルシュナ副所長! 新技術の確立と新しい魔道具の基盤! もしや所長に就任する日も近いのでは!?」

 

 煽てる研究者にクルシュナはため息を吐く。

 協力者のお陰でなんとか完成まで漕ぎ着けたが、ルーピン所長なら独力で魔封瓶の開発に至るだろう。

 それゆえに彼は天才であり奇抜な発想の持ち主だ。尤もクルシュナには所長の座に就く気など無いのだが。

 

「吾輩が所長に就任する日は来ないよ……」

 

 クルシュナは魔封瓶の栓を引き抜き、双子の悪魔の魂を人形に戻した。

 

『ふぅ、窮屈な瓶の中は嫌だなぁ……もう少し何とかならないかな?』

 

「これ以上のサイズを開発するには材料が足りませんなぁ」

 

 同時にそれは量産が不可能な事を意味していた。

 この魔封瓶は事実上の切り札に等しい代物だ。これを活かすも殺すもスヴェンの技量次第ーー吾輩達は些か彼に重荷を背負わせていますな。

 

 スヴェンなら恐らく依頼の範疇として重荷とすら思わないのかもしれない。

 クルシュナはそんなスヴェンの姿を想像しながら双子の悪魔に報酬金を手渡す。

 そして実験の成功と判断したクルシュナは早速、研究者にスヴェンとフィルシスを呼ぶようにと指示を与えるのだった。



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25-4.約束

 スヴェンとフィルシスは悪魔を封じ込める魔封瓶の完成の知らせを受け、鍛錬を切り上げエルリア城に帰還していた。

 地下広間で宙に浮く大型転移クリスタルの前でフィルシスは、

 

「出発の準備も有るだろうけど、久しぶりの帰還なんだ。クルシュナの所に行く前に先にあいさつして来るといい」

 

 そんな提案を口にした。確かに鍛錬が始まってから一度もリノンとアシュナの見舞いに行っていない。

 そろそろ退院してもおかしくはないが、念の為に病室を訊ねても遅くはないだろう。

 

「そうだな、一応様子でも見て来るか」

 

 スヴェンは一旦フィルシスと別れてから改めて病室に足を運び、廊下を進むに連れて何処か沈んだ空気に違和感を抱く。

 エルリア城の廊下は往来する騎士や使用人、執政官達が慌しくも賑やかに通る通路だ。しかしすれ違う使用人は杞憂の眼差しで重々しく息を吐いた。

 そしてメイドの立ち話に聴き耳を立てる。

 

『姫様の体調は今日も優れない様子だったわ』

 

『でも顔色が悪いと思ったら元通り……何かの病気かしら』

 

『なんとも言えないわね。専属医の診断待ちとしか』

 

 どうやらレーナの体調が優れないらしいが単なる病気とは違うように思えてならない。

 レーナが受けた呪いが今になって発現しようとしている前兆か。

 ヘルギム司祭の語っていたことが事実なら偶然として切り捨てるにはあまりにも危険だ。

 スヴェンは歩く足を早め、そのまま病室に足を運ぶ。

 窓際奥のベッドに座るリノンと椅子に座りながら困り顔で談笑するレーナの姿が映り込む。

 

 ーー存外元気そうだが、急ぐ必要は有るか?

 

 外れて欲しい予感というのは嫌というほど当たる。フィルシスの懸念を聴いた時から、レーナが受けた呪いは発現もせず消滅することも無く発現してしまう可能性は確かに有った。

 その時からだろう、レーナの呪いは発現もせず消滅する事に淡い期待を寄せていたのも。

 結果的に事態は深刻な方向に動きつつ有ることにため息を吐けば、こちらに気付いた二人と目が合う。

 

「そんな所で突っ立てないでこっちに来たら如何かしら?」

 

「あら帰って来てたのね、そう言えば魔道具が完成したと聴いたけれど……」

 

「あぁ、朗報を聴いて戻って来たんだが……存外元気そうじゃあねぇか」

 

 スヴェンが二人に向けてそんな言葉をかけ、同時にアシュナが居ないことに気付く。

 

「アシュナは退院したのか?」

 

「少し前に復帰したわよ。今は体力を取り戻すために訓練に参加してるわね」

 

 復帰を目指して励むアシュナに対して口元を緩めるレーナにスヴェンは、

 

「アンタに異変は無いのか? さっき廊下で不調が続いてると聴いたが……」

 

 レーナの体調に付いて遠回しに訊ねた。

 

「うーん、専属医からは過労が原因かもしれないからしばらくは控えるように言われてるわね」

 

 医者でも呪いを見抜けないという事は相当深いところに潜伏してるのかもしれないが、それとも単なる偶然の重なりだったのか?

 杞憂で有って欲しい。スヴェンがなんとも言えない眼差しをレーナに向けると、

 

「あら姫様の心配だけなのかしら?」

 

 じと目を向けるリノンにスヴェンはわざとらしく肩を竦めて見せた。

 

「アンタは如何なんだよ」

 

「私の方は汚染された魔力も正常化したから、あとは数日だけ経過観察の後に退院よ」

 

 邪神眷属によって汚染された魔力の浄化は既に終わっていた。リノンが苦しむことは無いのだろう。

 心の底から溢れる奇妙な感覚ーー安堵にスヴェンは眉を歪め、

 

「それで? 退院した後は如何すんだ」

 

 自身の感情から目を背けるようにリノンの今後の予定を問う。

 そんなスヴェンにリノンは察しながら笑みを浮かべる。

 

「しばらくはエルリア城下町のアトラス教会に配属されることになったわ……これでいつでも会えるわね?」

 

 リノンはアトラス教会のシスターだ、教会の上層部が彼女の提案を必要だと判断し聞き入れた。だとすればアトラス教会の上層部はエルリア城に在る封印の鍵を警戒してのことか。

 オルゼア王とフィルシスが居るこの城を誰も攻めようなどとは思わない筈だが、フィルシスを狙ったグレンの一件も有るからこそ何事も対策して損は無いということだ。

 

「有事の際はアンタを当てにして良さそうだな」

 

「えぇ、その代わり今度何処かに出かけましょう。退院祝いも兼ねてね」

 

 期待を寄せる眼差しにスヴェンは肩を竦めた。先に退院したアシュナを祝わないのはそれはそれで不義理だ。

 だがリノンは何処か二人だけの時間を欲しているようにも見える。

 そんな彼女の感情を察したスヴェンは何とも言えない表情で、

 

「依頼を片付けた後にな」

 

 それだけ告げるとリノンは何も言わず笑みを浮かべるばかり。

 まだレーナの呪いが発現したのか確かめたいが、そろそろクルシュナの下に向かわなければならない。

 別に時間の指定は無いが、依頼を達成するために早めに行動して損は無い。

 スヴェンが病室を立ち去ろうと背を向けた瞬間、

 

「スヴェン……必ず無事に帰って来て」

 

 レーナの言葉にスヴェンは一度足を止めた。

 エンケリア村を覆う時獄の侵入、解除はあらゆる危険性が伴う。

 無事に帰れる保証は何処にも無いが、それでもスヴェンはレーナに振り向く。

 

「あぁ、戻って来るからアンタは少し身体を休ませろ」

 

「……っ、分かったわ」

 

 俯くレーナがどんな表情をしてるのか判らないが、今はミアの依頼が先決だ。

 スヴェンは病室からクルシュナが待つ彼の自室に足を運ぶ。



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25-5.エンケリア村に向けて

 クルシュナの自室に到着したスヴェンはソファで互いに睨み合うレイとミアに苦笑を浮かべる。

 記憶が正しければレイはミアの依頼に対してーーいや、エンケリア村を解放する方針の違いですれ違いを起こしていた。

 故郷解放まで十数年も待てず異界人を頼る事を選んだミアと時間をかけて後輩を育て、新しい魔法技術で解放に望むレイ。

 二人の方針は過程は違えど齎す結果はエンケリア村の解放だ。だが、エンケリア村が時獄によって時間を蹴り返している以上はレイの方針では村人全員が廃人になる危険性が高い。

 それでもレイがこの場に居るのは彼なりに妥協して協力するためなのだろうか?

 スヴェンは互いに威嚇し合うレイとミアからフィルシスとクルシュナに視線を移す。

 するとクルシュナは申し訳なさそうにしながら謝罪を口にした。

 

「すまない、吾輩は貴殿から預かっていた荷電粒子モジュールを断りもなく素材に使用した」

 

 すでに壊れ修復不可能な荷電粒子モジュールが素材ときて利用されたことにスヴェンは特に怒りもせず。

 

「構わねえよ、既存する材料が使えねぇなら壊れた物を再利用するってのは上等手段だ」

 

 クルシュナに好意的な意見を述べ、彼はそれに対して小さな笑みを浮かべる。

 そしてスヴェンはフィルシスに訊ねる。

 

「それで……依頼主のミアがこの場に居るのは判るが、レイはなぜなんだ?」

 

「キミには万全の状態でエンケリア村解放に臨んで欲しいからね。レイ小隊長とミアはエンケリア村到着までの護衛さ」

 

 依頼主に護れる傭兵が何処に居るだろうか? 様々な反論の言葉が頭に浮かんでは深妙なミアの眼差しが反論の言葉を打ち消す。

 瞳の奥底から覗き見える故郷のために何かしたい。そんな硬い意志を宿した瞳で訴えられればスヴェンには何も言えなかった。

 むしろ彼女の意志を尊重してやりたいとさえ思ってしまう。

 

 ーーあー、この世界に来てから随分と思考が甘くなってるが、まぁいいか。

 

「エンケリア村解放後に生じる負傷者の治療はミアが必要か。だが、心が壊れた奴は……」

 

「そっちの方は大丈夫だよ。スヴェンさんとフィルシス騎士団長が救出した騎士の子、彼女は精神崩壊を起こしたけど精神治療のおかげで回復の兆候が見え始めてるの」

 

「フェルシオンのユーリ伯爵もね」

 

 それはスヴェンが眼を見開き驚愕するには充分な吉報だった。

 精神崩壊を起こした患者の治療は非常に困難だ。それかそデウス・ウェポンの科学技術が生み出した仮想空間による精神治療でやっとの難題をミアは魔法で漕ぎ着けたというのだ。

 

「アンタが発表したっつう論文か?」

 

「そっちは無機物の自己修復魔法の研究論文だよ。精神治療魔法は自己修復魔法の応用になるけど……」

 

「はぁ〜ミア、その話はきっと長くなる。僕達にはやるべきことが有る筈だろ?」

 

 ミアが開発した自己修復魔法と精神治療魔法が気になるが、レイの言う事も正しい。

 

「スヴェン、早速で悪いけど出発は明日の早朝で構わないかい?」

 

「あぁ、移動日数も考慮すりゃあ速い方が良いからな」

 

「じゃあ今から予定を話すよ……明日僕達は大型転移クリスタルでエルリア南東部のヒュルケイ村に転移、そこから東に位置するエンケリア村に向かって10日ほど荷獣車で移動するんだ」

 

 転移クリスタルによる短縮ーーこれは魔王救出の旅を終えてから知った事だが小型転移クリスタルは騎士団の詰所に設置されており、騎士は自由に各地の騎士団の詰所を行き来できるそうだ。

 最も現地に向かい小型転移クリスタルを設置しなければエルリア城の大型転移クリスタルから転移することはできないが。

 

「到着後は時獄を突破、エンケリア村の何処かに潜伏する時の悪夢の討伐及び封印か」

 

 スヴェンは目的を確認するように口にするとクルシュナがテーブルに瓶を一つ置く。

 瓶に刻まれた見覚えーーいや、早速馴染み深いデウス・ウェポンの文字にリノンの関与を察した。

 瓶に刻まれた『器より離れし魂』『悪魔よ、宿りたまえ』『汝を縛る聖なる器に』『汝、器に縛られよ』っと呪文が記されている。

 

「コイツを唱えりゃあ良いのか?」

 

「唱える必要は無いから安心したまえ、魔封瓶は魔力を流し込めば誰にでも扱える代物なのだよ」

 

 魔法が扱えないスヴェンにとって魔道具は便利な代物だ。それが魔力を有する誰にでも扱えるのだから。

 

「悪魔さえ器から引き剥がせば誰でも封印できるってことか」

 

 万が一自分が倒れた場合、その時は時の悪魔の封印を誰かに委ねる必要が有る。

 

「……現地の騎士と情報共有が出来たら有益な情報が得られるんだけどねぇ」

 

「ふむぅ、あれからルーピン所長から音沙汰無しですな……」

 

 内部の状況は一切不明、いやルーピン所長のメッセージには此処は地獄だと記述が有った。その言葉は停滞してしまった閉鎖空間ゆえの地獄なのか、村人同士の争いが発生してしまったのか。

 単語一つで推測は様々だがーー敵は時の悪夢と契約者に限らねえか。

 

「ま、警戒することには変わりねぇだろう」

 

「スヴェンさん、もしも私の家族に会ったら……その、難しいと思うけど……」

 

 ミアの言いたい事は判る。もしも家族が時獄の状況を受け入れ、解放を阻んだとしても傷付けないで欲しいのだと。

 普段なら敵対者の身の安全など保証しないところだが、これも依頼人の意向だ。

 それにエンケリア村の村人は一般人だ、状況ゆえに理性が外れた状態であろうとも決して一線を越えてはならない一般人なのだ。

 

「確約はできねえが、極力傷付けねえよう努力するわ」

 

 肩を竦めるように告げれば、

 

「うん、それともしも会う事が有ったら私は元気にしてるって伝えて欲しいなぁ」

 

 家族への伝言を頼まれた。

 

「判った……レイ、アンタの家族に伝えることは有るか?」

 

「……直接助けに行けなくてすまないっとだけ」

 

 苦笑を浮かべながら告げられた伝言にはレイの悔しさが宿っていた。

 故郷を自身の手で救いたい。それは人として当たり前の感情なのかもしれないが、故郷すら持たないスヴェンにとってはレイの悔しさは理解できても結局のところ根本的な感情は判らないままだ。

 

「了解した……他に確認事項や話すべき事は有るか?」

 

 四人を見渡すとそれぞれが首を横に振る。

 

「話が終わりなら俺は帰るぞ」

 

 スヴェンはテーブルに置かれた魔封瓶をサイドポーチにしまい、ドアに振り向くと。

 

「スヴェンさん、明日からまた一緒に旅が始まるね」

 

「今回は短いだろうが、レイも居ることを忘れんなよ……ってか頼むから俺の目の前で喧嘩なんざすんなよ」

 

「善処はするよ」

 

「そうだね、私も善処はするよ」

 

 それは善処する気が無い時によく使われる謳い文句だ。

 二人にとってそれが戯れあいならスヴェンは何も言う気にもなれず、フィルシスとクルシュナに目配りしてから退室するのだった。



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25-6.スヴェンとロイ

 ボディガード・セキリュティの事務所を兼任した自宅に戻ったスヴェンは一階の事務室に向かい、引き出しから纏められた数枚の依頼書を取り出した。

 エルナの文字で綴られた請た依頼に関する報告書。

 

「不在の間も問題なく機能してたか」

 

 依頼はどれもエルリア城下町に限られていた。

 中でも訳ありの貴族令嬢を護衛して護り抜いたことが書き記されているが、肝心の何から護ったかは依頼人の意向に従って伏せる趣旨が記載されている。

 続いてスヴェンは請た依頼の報酬金額と支出額を計算した収入報告に眼を通す。

 エルリア城下町内に活動が限れたため支出額は最低限の金額に収まり黒字を記録していた。

 自身の不在中に三人が請負った依頼報告書に眼を通し終えたスヴェンはソファに座り込んだ。

 

「中々良い成果を出してんじゃねえか」

 

 特に報告書を見る限り何かしらの不備が有った訳でもミスを犯した訳でもない。

 いや、贅沢を言えば多少の失敗から学びを得て欲しいところだがーー失敗しないことに越した事はねぇが、経験を得るってのも中々難しい。

 一度も失敗せず依頼を達成し続けた傭兵が居た。しかしその傭兵は防衛任務を任されていたが、防衛任務は防衛部隊ごと施設の壊滅によって失敗。

 たった一度の失敗。傭兵として活動していれば失敗は付き物だ。しかしその傭兵は違ったのだ、二百年も傭兵として活動を続け一度も失敗しなかった自信は儚くも砕け散り、挫折感から自らの頭を撃ち抜いた。

 その傭兵は失敗を挽回する方法が判らず、眼に映る人々の印象が以前と変わり果てたのだと遺書データに遺していたと云う。

 それが挫折に繋がり自害を選んだ……あまりにも極端な例だが、三人には評判を気にせずそこそこ失敗を味わい経験を積んで欲しいものだ。

 スヴェンは自身の思考に自嘲した。

 

「……これじゃあまるでガキ共の成長を期待する何かだな」

 

 ふと玄関が開く音にスヴェンには廊下に視線を移す。気配を押し殺した慎重な足取りに口元が吊り上がる。

 家主の帰宅とは結論付けず泥棒の類いを疑う。いい傾向にスヴェンはソファから立ち上がり魔力の流れに備えた。

 

「『闇よ縛れ』っ!?」

 

 詠唱と魔法陣から不規則に放たれる闇の縄、そしてスヴェンに気付いたロイの表情が映り込む。

 スヴェンはエンケリア村に備えーー背後から迫る闇の縄を敢えて避けず、身体に纏わせた魔力の鎧で闇の縄を弾いた。

 床に弾かれた闇の縄は消滅し、スヴェンは身体に纏わせた魔力を下丹田に引っ込める。

 

「帰ってたのか……それよりもさっきのは、フィルシス騎士団長に教わったのか?」

 

「あぁ、詠唱も要らねえ魔力だけの防御技術だな」

 

 とは言え、恐らく単純な強度と使い勝手の良さならラウルの硬質化魔法が優れている。

 

「高い魔力操作技術を要求されそうだなぁ」

 

「実際問題、高い集中力も要求されるからなぁ。魔法と同時にってのは難しそうだ」

 

「……詠唱を封じられた時に使えそうだ」

 

 実際に詠唱は声に発しなければ意味を成さず、無詠唱では魔法の威力が極端に下がる。

 その意味では魔力操作による防御技術はまだ使い道が有ると言えた。

 

「そうだな、身体に鎧を着るイメージで魔力を衣服に纏わせてみろ」

 

 ロイにそれだけ告げると彼は早速衣服に魔力を纏わせる。しかしまだの鎧とまではいかないが、やはり自身と違って常日頃から魔力と共に成長している彼らではセンスが違う。

 このまま行けば数日の内に修得可能だろう。

 

「いいセンスだ」

 

 ロイを素直に褒めれば、彼は魔力を解放し額から汗を滲また。

 

「いや、これ相当集中力が要るんだけど」

 

「何事も馴れが必要ってことだな」

 

 わざとらしく肩を竦めれば、何か言いたげなロイの視線が突き刺さる。

 同時にスヴェンはラウルとエルナの姿が無いことに漸く気付き、

 

「後の2人はどうした? 何かやらかして補習でも受けてんのか?」

 

 二人が居ないことを訊ねるとロイは何とも言えない表情を浮かべる。

 

「今日から中間テストと実技試験で授業は速く終わったんだが、エルナとラウルが実技試験でうっかりラピス像に風穴を空けちゃってな」

 

 以前酔ったミアが破壊したラピス像をエリシェが完璧に修復した話を聴いた覚えが有るが、ラピス像は定期的に破壊される運命に有るのだろうか?

 それ以前に公共施設の物品を破壊したのだ、弁償するのがこちらの筋だ。

 

「あー、修繕費が必要なら俺の部屋の金庫から取り出しておけ」

 

「良いのか?」

 

「いや、修繕費を立て替えるだけだ」

 

 全額無償で肩代わりするほど世の中は決して甘く無い。それが例え身内だとしてもだ。

 

「そりゃあそうか、じゃあ後で詳しい話は2人から聴いて……そうだった、2人はテスト期間中は寮で過ごすんだった」

 

「俺は明日から依頼で留守にする……請求金額の記載は忘れんなとだけ2人に厳命しておけ」

 

「判った、2人にはそう伝えておく。ん? スヴェンはこれから依頼の準備か?」

 

「もう準備自体は終わってるさ」

 

 あとはサイドポーチから不要な道具を取り出し休むだけ。

 特に念話魔道器は、フィルシスとも連絡可能になってるとはいえ時獄に弾かれる魔道具だ。

 

「じゃあ明日に備えるために帰って来たってことか」

 

「そんな所だ」

 

 スヴェンはロイの横を通り抜け、ドアノブに手を掛けた。

 ふと報告書の内容を思い出したスヴェンはロイに告げる。

 

「報告書を読んだが上出来だ、このままアンタらには俺の不在を任せられるな」

 

「お、おう。ラウルとエルナが聞いたら跳ね飛んで喜ぶよ、実際にその、なんだ? 俺も褒められて嬉しいし」

 

「そうか、なら失敗を恐れるな。失敗は次に活かせ」

 

「……失敗を次に活かす、判ったその言葉覚えておく」

 

 具体性が欠けているアドバイス、アドバイスと言えるか微妙な言葉を受け取ったロイの眼差しは痛く真面目だ。

 彼なら失敗したとしてもそう簡単に挫折することは無いのかもしれないがーーこれ以上はただのお節介だな。

 スヴェンはロイの眼差しに頷き、早速自身の自室に戻ろうと歩き出したその時。

 

「スヴェンも無茶だけはしないでくれ……その、これもエルナ、それにラウルも家族みたいに想ってるからさ」

 

 家族と語るラウルにスヴェンは一瞬だけ足を止め、すぐさま適当に片手を振って自室に戻った。

 そしてスヴェンは家族について、自身の知る家族という括りを考えながら休息を取ることに。



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25-7.穏やかな旅路

 九月二十九の朝。紅葉に染まりつつ有る街道をスヴェン達を乗せた荷獣車が走る。

 エルリア城からヒュルケン村に転移、そこからすぐに荷獣車で出発したのはいいがーー依頼を請たスヴェンが荷獣車の中でレイと対面しながら呑気に揺られるのは何とも不思議な感覚だ。

 依頼人のミアが手綱を操りハリラドンを走らせているのも、旅の期間を考えればそうおかしくはない。無いのだが、やはり依頼人と雇われの関係となった今ではそれも違和感でしかない。

 

「落ち着かねぇな」

 

「到着までスヴェンは休む。それが今の仕事だよ」

 

 悠々とした態度で論するレイにため息が漏れる。

 そう言われてもこればかりはもう職業病だ。

 だが、ここで何を言ってもミアとレイは荷獣車の手綱を譲らず、戦闘の参加も拒否するのだろう。

 

「そうは言うが十日も座りぱっなしってのは鈍る」

 

「適度な運動が必要なのは理解してるけどね、騎士団長にも言われてるんだ。今回はスヴェンに傷一つ付けずに護衛してみせろってね」

 

「アイツがそんなことを? 随分と過保護になったじゃねえか……だいたい護衛はアンタとミアの2人だけだろ」

 

「今回の件は僕も試されてるってことさ。それに単独で護衛任務に就く機会も今後は有るだろうかね、今のうちに経験しておけってことなんだと思うよ」

 

 確かにフィルシスなら部下一人の先を見据えて予定に組み込むだろう。

 小隊長に昇格したレイが騎士団長に試されているっと理解したスヴェンが半ば納得していると。

 

「ちょっと! 私のことも忘れないでよね!」

 

 手綱を操りながら騒ぐミアにスヴェンとレイは顔を見合わせては肩を竦めた。

 相変わらず騒がしいが、彼女のあの騒がしいさは嫌いにはなり切れない。

 むしろあの旅を通してミアの賑やかさに馴れてしまったのだろう。

 

「すまないスヴェン、少し小煩い旅になりそうだ」

 

「戦闘参加が拒否られてんなら、あの小煩さが多少の退屈凌ぎはなるだろ」

 

「……私を弄ることで意気投合してない?」

 

 そんな事は無い。しかし目の前のレイが鼻で笑ってる様子を見るに、彼は彼で今の状況を楽しんでいた。

 最初は二人の蟠りで最先が不安になりもしたが、どうやら杞憂だったようだ。

 スヴェンは窓の外に視線を向け、紅葉が風に舞う光景に、

 

「紅葉なんざアーカイブでしか観たことがなかったが……酒でも呑みてぇな」

 

 小さくボヤけばレイから意外そうな視線を向けられる。

 風景を肴に酒を呑むのもまた格別だと言うことを最近フィルシスに教えられ、いざ実行してみれば普段とはまた違う旨みが感じられたのだ。

 なぜ舌がそう感じるのか、単なる気分の問題なのかは判らないかったが、ただ色艶やかに赤く染まった紅葉を観ながら酒を呑むのも悪くないと思えた。

 

「そうか、スヴェンはこの世界に召喚されて随分経つのか。それでキミは少なからず変化が訪れたということかな?」

 

「4、5ヶ月でそう簡単に変わるもんじゃねえが、美味い物をより美味く食いてえってのは贅沢か?」

 

「いいや、それが人として普通なんだ。それに鍛錬期間中はろくな物も食べられなかったんだろ」

 

 レイの問い掛けにスヴェンは、ミアが聴き耳を立てていることを察しながら事実を話す。

 

「いや、鍛錬期間中はフィルシスが飯を作ってくれてな……採れたて新鮮ってのが影響してんのか、味はかなり美味かったな」

 

「……フィルシス騎士団長は単独で鍛錬に出掛けることは有るけど、部下に手料理を振る舞ったことはないらしいんだ」

 

「スヴェンさんには手料理を振る舞う……うーん、弟子だからなのかなぁ」

 

 師弟関係だから面倒を見る延長線で手料理を振る舞う。それは考えられる理由としては充分だが、フィルシスが何を思い手料理を振る舞ったのかは本人に聞かなければ誰にも判らないことだ。

 

「さあな、詳しいことはアンタらが聞いてみろ」

 

「はぐらかされるのがオチだろうね」

 

「フィルシス騎士団長の後だから気が引けるけど、今日からの食事には期待してね」

 

 ミアが食事当番を担当する。調理する手間が省けるから願ったり叶ったりなのだが、目の前で絶望の表情を浮かべるレイにスヴェンは肩を竦めた。

 

「……スヴェンは平気なのか?」

 

「何がだ?」

 

「ミアの料理の味のことだよ」

 

 デウス・ウェポンの最低最悪の食事もどきと比べればなんでも美味いのは変わりない。

 例えば多少焦げ付いた獣肉だろうと、焦げたスープだろうと硬いパンでもスヴェンにとってはまともな食事だ。

 

「料理を冒涜したナニカの味と比べりゃあなんでも美味いんだよ」

 

「……スヴェンの味覚が死んでる訳じゃないことを祈るよ」

 

「相変わらず失礼なこと言うよね……そんなレイにはサービスでおかずを二品追加してあげるから」

 

「……僕が悪かった、責めて一品だけにしてくれ」

 

 レイにとってミアの料理は不味いのだろう。

 戦火に焼け出され、血に汚れた泥水を啜ることを考えれば贅沢とも言えるがーー戦場を知らねえと得られねえ価値観か。

 スヴェンは苦笑を浮かべるレイに敢えて何も言わず、改めて窓の外に視線を移す。

 時折り行商人の荷獣車、旅行客を乗せた荷獣車とすれ違いながらもスヴェンは決して警戒を緩めることはしなかった。

 傭兵が一時的に護れる立場になろうとも警戒を怠っていい理由にはならないーーそれが護られる側の礼儀だからだ。

 しかしスヴェンの警戒心とは裏腹に穏やかな時間が過ぎ去るばかりだった。



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25-8.近付く時

 スヴェン達を乗せた荷獣車がエンケリア村に近付くにつれて空気が一変した。

 重くのしかかる魔力の圧力が勇敢なハリラドンを怯ませ、ミアとレイから冷や汗が流れる。

 エンケリア村を覆い尽くす結界ーー空間の歪み、時の乱れによって外からでは村の様子は見えない。

 村の状況を観察したいがそれは叶わない。ならば予定通りに時獄に突っ込むだけだ。

 時獄の威圧感から既に持ち直したミアとレイが行動に移す中、スヴェンはふと視線を自身の腕に向けるとーー自身の腕が透けて荷獣車の床が見えた。

 しかしそれは一瞬のことか、それとも単なる見間違いか。元の腕にスヴェンは眉を歪める。

 

 ーー疲れてる訳じゃなねぇよな? それとも魔力に当てられたか。

 

「スヴェン、そろそろ降りる準備を……どうかしたのか?」

 

「いや、何でもねぇ」

 

 スヴェンは立ち上がり上着を脱ぎ捨て、

 

「うぇっ!? な、なんで脱いだのっ」

 

 顔を真っ赤に狼狽えるミアと眼が合う。なぜと聞かれても上着が時獄に弾かれるからとしか言いようがない。

 

「上着がテルカ・アトラス製だからだ」

 

「あっ、そういえば前のは戦闘でダメになっちゃたんだよね」

 

 両手で顔を隠しながらも指の隙間でちらちらと上半身を覗き見るミアにスヴェンは敢えて何も言わず、時獄に視線を移す。

 理論上は守護結界を通る時と同じで特に何かする必要はない。ただ普通に真っ直ぐ直進するだけでエンケリア村に侵入できる。

 しかし、仕方ないとは言えやはり上半身裸で侵入するのは些か気が引けるのも事実だ。

 もうここまで来てしまったのだから悩んでも仕方ない。スヴェンはガンバスターを片手に荷獣車から降り立ち、

 

「そういやアンタらはこのまま時獄の経過観察に移るんだったか」

 

 道中で聴いた二人の予定に付いて訊ねた。

 

「後で技術開発研究所の研究者も来る予定だけどね」

 

「それに私は此処に転移クリスタルを設置してエルリア城を往復する日々になるから結構忙しいかも」

 

 いつでもエンケリア村の村人とルーピン所長を癒やせるようにする為にはミアの早期到着が望ましい。

 そのためにフィルシスは今回の件にミアを組み込み転移クリスタルを持たせた。いつでも時獄が解放されて良いようにっと。

 故郷のために多忙に働くのはミアが決めたことだ。その点に関しては何も言えないが、レーナの護衛に付かなくて良かったかと疑問が芽生える。

 

「アンタは姫さんの護衛に付かなくて良かったのか?」

 

 疑問をそのまま口にすればミアは笑みを浮かべた。

 

「姫様に言われたのよ、私のことよりも故郷に専念しなさいって……姫様にそう言われちゃあ逆らえないじゃない」

 

 確かにレーナなら言いそうなことだ。特に王族の立場に居ながらエンケリア村に対して何もできない負い目も彼女になりに有ったのだろう。

 近付いてはっきりと理解したが、時獄は一種の災害だ。

 災害に対してまでレーナが気にする必要は無いと言うのに、彼女の真面目で民を想う心がそうさせるのだろう。

 過労と心労、呪いの一件を思えばミアには彼女の側に居て欲しいものだ。

 

「そうか、なら解放を急いだ方がいいな」

 

「……無茶は禁物と言いたいけど、スヴェンの判断に任せるよ」

 

 レイの言葉にスヴェンは頷き返し、時獄に向かった歩み出した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェン達がエンケリア村に近付く少し前。

 ヴェルハイム魔聖国の巨城都市エルデオンーー魔王城の円卓会議室で各国の王と付人が並び座り議論が始まろうとしていた。

 

「全員揃ったようでなにより、いやしかし王でも無い自分如きがこの場に出席するのは場違いなのでは?」

 

 国際会議を円滑に執り行うために司会進行役として認定されたアトラス教会のオルベア枢機卿は円卓の席に集う王族面々と今回はじめて参加するミスト帝国の若き皇帝と付人に苦笑を浮かべた。

 最初に国際会議が開催されると決まった時、各国の王はアトラス教会の枢機卿を名指しで司会進行役に指名したという。

 それほどまでに当時の王達は互いに信頼してはいなかったのだーー当時の王は封神戦争を生き延び大陸に流れ着いた者達だからだ。

 レーナはオルベア枢機卿が進行を進める中、軽く歴史を思い返しては小さく手を振るアルディアに微笑む。

 

「さて、今回の議題は……あぁ、その前にミスト帝国の王と付人の紹介がまだでしたな」

 

 オルベア枢機卿の発言に応じるように若き皇帝が立ち上がる。

 緊張を感じさせない面構えで、円卓に集う王族に視線を巡らせた。

 

「みなさまはじめまして、わたしはミスト帝国の皇帝アルギウス。先ずは長らく鎖国していた我が国をこの様な貴重な場にお招きいただき感謝を……」

 

 そして王族の面々に礼を告げたのだ。

 見た目は自身よりも下か、近いぐらいの印象を受ける顔立ちのアルギウスに周囲の王族が黙して聴き入る。

 頷くだけで反応を示さない王族達にアルギウスは一瞬だけ戸惑い、すぐさま平静を装う。

 その反面、若い皇帝の背後で静かに佇むエルロイ司祭が慣れた様子で王族達が何を考えているのか察してると言わんばかりに頷く。

 

 ーー保護者かしら?

 

 エルロイ司祭からそんな印象を感じ取ったレーナは、突発的な頭痛に襲われながらも顔に出さずアルギウスを見詰める。

 

「ふむ、まだ若いな。しかし見込みは充分か」

 

 品定めを終えたオルゼア王に各国の王達も厳格な表情を崩し笑みを浮かべた。

 昔は大陸の行末や封印の鍵に関する議論で発熱したと聴くが、今では重要な会議は当然するが正直に言ってしまえば親戚の集まりのような状態だ。

 しかしミスト帝国が国として信用されるのかどうかは此処からだ。

 

「ではミスト帝国の紹介も終わったところで課題に入りましょう。……近年各国を脅かした邪神教団をどうするかに付いて」

 

 議題を告げるオルベア枢機卿に王族達は思案する。

 そんな中で真っ先に手を挙げたのがアルディアだ。

 

「最初に良いかしら?」

 

「えぇ、どうぞアルディア様」

 

「各国の報告書を一通り読ませて貰ったけど、既に組織として死に体の彼等をこれ以上追い詰める必要はないわ」

 

 確かに邪神教団の過激派は既に壊滅に近い状態だ。先日偶然にヘルギム司祭がスヴェンとフィルシスに討伐された。

 フィルシスが言うには過激派最後のラスラ司祭の行方が不明らしいが、邪神教団全体で見れば話は変わって来る。

 レーナは頭痛に襲われながら思考を巡らせーー巡らせ、巡らせ、巡らせ、腹部の紋章が浮かびだし視界が暗転した。

 

 周囲の声が響く、呼び掛ける声、父とアルディアの声、フィルシス達の声を最後にレーナの意識が暗い底に沈む。



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25-9.呪いと余命

 レーナが突然倒れ意識不明の重体に。この知らせは待機中だったエルリア魔法騎士団にだけ内密に届き、フィルシスは魔王城の医務室で眠るレーナに悲痛な眼差しで見詰めていた。

 全身を侵食した呪いの紋章がレーナから微量に確実に生命力を奪う。

 呪いの発芽に対する対策も解決策もまだ整っていない状態だ。考えられる限り最悪の事態を引き当て、もはやスヴェンが時の悪魔と契約する他にレーナを救う手段は残されていない。

 

「……検診の結果は?」

 

 フィルシスはレーナの容態と呪いを調べている魔族の医者とオルゼア王に訊ねた。

 魔族の医者は言葉にすることすら憚れたのか、オルゼア王の様子を伺いながら戸惑う始末。

 しかしその反面、オルゼア王は娘に対して悲痛な表情を浮かべながらも厳格な眼差しで告げる。

 

「全身に侵食した呪い、徐々に消耗する生命力。恐らく余命は長くて1年……短くとも今年中と言ったところか」

 

 此処まで侵食した呪いを解呪する術は無いが、幸運なことにフルネームによる呪いではないからこそレーナにはまだ猶予が残されている。

 

「解呪が難しいなら後はスヴェン次第ってことか」

 

「お前はこの事態を予測して対策を講じておったのだろ?」

 

「そうだね、見付からないラスラ司祭に時間を割くよりも時の悪魔を確保した方が速いからね……それ以外にも様々な対策を話し合ったけど……」

 

 他にもレーナを救う手立ては無いかとルーピン所長と夜通し話し合ったことも有ったが、結局のところはレーナが受けた呪いの種類と状態が判らないなら解呪のしようもない。

 そもそも発現まで完璧に潜伏し呪いを受けた痕跡を隠蔽してしまう魔法など存在が疑わしい魔法だった。

 だからこそ呪いを受けた前提で、常に最悪の状況を想定して対策を練ったのだがーー根本的な解呪にはやはり呪いの発現を待つ他にない。

 しかし呪いが発現してからでは後手に回り手遅れになる可能性の方が高かった。

 だからこそフィルシスは時獄を発生させた時の悪魔に眼を付け、レーナを救うためなら悪魔を利用することを計画した。

 それが勝手に弟子認定したスヴェンを犠牲にするかもしれない危険性を孕んでいても。

 

「その為にレーナが召喚したスヴェンに協力を取り付けたという訳か……しかし、ワシは父として愚かだな」

 

 そんな事は無いと言いたいが、オルゼア王のレーナを想う父心の前にフィルシスは言葉を呑み込む。

 後はスヴェンとレーナの気力に賭けるしかない。とは言えこのまま一つの策に拘るのも危険だ。

 

「オルゼア王、他に解呪手段がないか調べてもいいかな?」

 

「任せる。ワシも王達に解呪に特化した古代遺物に付いて訊ねて回ろう」

 

 フィルシスがオルゼア王に背を向けると、ずっと静かに待機していた魔族の医者が恐る恐る懐から一枚の紙を取り出した。

 診察の請求書だろうか? フィルシスはそんなことを考えながら紙を受け取り、血で描かれた召喚契約の魔法陣にフィルシスは眉を歪めた。

 

「これは……如何してキミが持ってるんだい?」

 

「検診の際に懐から落ちた物を拾ったのです」

 

 召喚契約にも魔力は必要だが、血を媒介に召喚した対象の魔力を魔法陣に流し込むことでも契約が可能だ。

 それをレーナが用意していたという事は、スヴェンに召喚契約を提案するつもりだったのだろう。

 

「姫様はそこまで弟子を信用してるんだね」

 

「ふむ、恐らく無自覚な愛情だろう。恋愛に鈍いのは王妃とそっくりだ」

 

 十一年前のオルゼア王襲撃時に精神的な疲労と公務の過労から倒れ、そのまま衰弱してしてしまったアリシア王妃にフィルシスは眼を伏せる。

 元々身体が弱く何度か寝込むことは有ったが、オルゼア王の行方不明が引き金になったのは間違い。

 

「私はあまり会う機会が無かったけど、師が城下町に住むアリシア王妃の下に通い続けて口説き落としたのは有名な話だったね」

 

「うむ。その話は気恥ずかしいゆえ話題に出さないでくれ」

 

 オルゼア王が気恥ずかしそうに視線を逸らす。普段の凛然とした態度も悪態心も嘘のように鳴りを顰めるとは、それほど彼にとって恥ずかしくとも大切な思い出なのだ。

 それをずかずかと無遠慮に弄り倒す趣味はフィルシスには無かった。

 ふと魔法時計に視線を移せば既に時刻は十二時を過ぎていた。

 

「おっとそろそろ行かないと……」

 

 魔王城の書庫を借りるにもアルディア達に事情を説明するにも時間を要する。

 特に他国の騎士団長の書庫利用は公的な手続きを踏む必要が有り、それにも時間がかかってしまう。

 故にフィルシスは迅速に行動に移すべく医務室を後にした。

 スヴェンの成果に期待しながら、彼が無事に戻って来るように願いながら。



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25-10.時獄の中

 時獄に踏み込めばエンケリアと書かれた村の門にスヴェンは立っていた。

 身体に異変は何も感じられず、無事に時獄を突破出来たのだと安堵の息が漏れる。

 先ずは周辺の状況確認だ。真っ先に空を見上げれば、普段の空とは打って変わって灰色に濁っていた。

 時獄の影響が空に現れてるのだとすれば納得もする。

 スヴェンは次に村に視線を移す。ミアとレイが育った石組みの民家が並ぶ家々、中心に聳える時計塔の時刻が九時を示していた。

 少なくともスヴェンが時獄に突入した時刻は六時だ。

 時間も時獄発生当時のままでそこから一定時間を経過すると時間が巻き戻る。

 そんな推測を浮かべたスヴェンは次に村の集落から最奥に見える鉱山の入り口に視線を滑らせる。

 村の至る所に張り巡らされた水路の水が地下に流れている。

 時獄で隔離された水源は結界の外に流れるのか気にはなるが、先ずは目星を付けることが先決だ。

 鉱山の入口に在る一軒家、集落から離れた一軒家がもう一軒家在るが時の悪魔はそこに居る可能性は先ず無いと言える。

 時の悪魔が潜伏しているなら入り組み探索に時間を要する地下水路か鉱山内部か。

 

「いや、別の場所か?」

 

 三年間もルーピン所長や村に明るい村人達が調べてなお時の悪魔を発見できない。

 鉱山が複雑に入り組み、探索が困難なのか。それとも毎回潜伏先を変えているか。

 一先ず村人にルーピン所長の居場所を聴き合流する。

 ふとスヴェンは自身の身体を見下ろしては深いため息を吐く。

 その前に上着を調達する必要も有るか。しかし財布は時獄に弾かれてしまったため無一文だ。

 このままでは変態の誹りを確実に受けるが、それも仕方ないと甘んじて受け入れるしかない。

 覚悟を決めたスヴェンが村に一歩を踏み込むっと、カゴに食材を詰め込んだ長い青髪に緑の瞳をした女性と目が合う。

 何処かミアに似ている女性は頬に手を添え、

 

「えっと外から来たのかしら?」

 

 確実に上半身を見詰めながら困り顔で訊ねた。

 ミアの家族か何かだろうか? いや、疑問を浮かべるよりも質問に答えなければ。

 

「あぁ、エンケリア村解放の依頼を請て来た」

 

 目的を率直に答えれば女性はじっとこちらの眼を見詰め、疑いの眼差しを向ける。

 それは無理もないことだ。上半身裸の男が村の入り口で依頼に応じて来たなどと答えれば疑ってしまうのも。

 特に時獄の解放を望まないならなおさらだ。

 一先ずどうするべきかだが、言葉だけで他者から信用を得るのは難しい。

 こんな時にミアかレイが居ればーーしまった、二人の名を出せば早かったな。

 自身の失敗に内心で舌打ちすると、女性がおもむろに口を開く。

 

「時獄を超えて来たのは間違いないのね?」

 

「あぁそうだ……あー、ミアとレイの家族宛に2人から伝言を預かってるんだが」

 

 ミアとレイの名を出すと女性が眼を見開く。そして、

 

「ミアとレイ……あの子達はっ!?」

 

 勢いよくこちらの腕を掴んだ。

 

「2人は元気だ。いや、時獄の外に待機してる」

 

「……そう、すぐそこまで来てるのね」

 

 女性は時獄が隔てる外に眼を向け、今すぐ会いたいそんな表情を浮かべ息を吐く。

 時獄が邪魔で会えない。そんな感情を見せる女性にスヴェンが訊ねようとした矢先、民家の屋根から男性が魔法陣を展開する姿が視界に映り込む。

 

 ーーまさか、人狩りか?

 

 殺意を浮かべる男性は魔法陣から矢を出現させ、そのまま躊躇なく女性の背中に放つ。

 ミアの家族と思われる女性を負傷させ、情報源を断つのは惜しい。

 スヴェンは背中の鞘からガンバスターを引き抜き、女性を背中に隠し魔法の矢を弾く。

 魔法が弾かれたことに驚く男性にスヴェンが鋭く睨む。

 

「ひっ!」

 

 怯えた様子で屋根から退散する男性に女性が、

 

「あらあら、また人狩りを始めてるのね」

 

 ため息混じりにそんな事を悠長に。

 

「下手すりゃあ怪我で済まねえはずだが……?」

 

「村人の心が荒んで少し物騒なのよ。だから身体には防御魔法を施してるのだけど……」

 

 無用心に出掛けることはしないということか。

 というよりは隔絶された空間、巻き戻る時間が人々の精神に異常を齎し理性のタガを外し易くしている。

 平和な国ですら人の歪んだ精神から芽生える快楽、殺人衝動は抑えきれないか。

 

「なるほど、村を探索するにも用心が必要ってことか」

 

「えぇ……あっ、詳しい話はウチでどうかしら? ちょうど夫も帰って来てる頃合いですから」

 

 村の状況とルーピン所長の居場所を知るにはまたとない機会だ。スヴェンは女性の招きに応じ、彼女の先導に従って村を歩き始めた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 鉱山の入り口近くの道路に在る一軒家に案内されたスヴェンは黒シャツの上着を借り、キッチンで夫婦と対面することに。

 

「ミアとレイの知人……妻から掻い摘んで話を聴いたが、最初に名を訊ねても?」

 

 厳格な表情を浮かべながら筋肉が発達した腕を組む男性に、

 

「エルリア城下町で護衛業を務めるスヴェンだ」

 

 異界人と名乗る前に自身の職業と名を告げた。

 

「……スヴェンか。オレはエンケリア村の鉱山長を務めるアドラ、そして隣に座るのが妻のミリファだ」

 

「アドラとミリファか……二人はミアの家族か?」

 

「ミアは私達の最愛の娘よ……私と似てるでしょ?」

 

 確かにそのまま成長させればミアはミリファに似て育つのかもしれない。

 

「あぁ、まさか最初に接触したのがミアの家族とはな」

 

 スヴェンが改めて二人を見れば、感情が速くミアのことを聴きたいっと言いたげな爛々とした眼差しを向けている。

 

「あー、あいつの伝言と近況を話す前に村の状態、外がどれだけ時間が経過してるか把握してるか?」

 

「こちらで把握してることは3年は経過してることぐらいだな」

 

 時間経過を把握しているならミアがどれだけ成長し、学院を卒業したのかも推測混じりになるが理解しているだろう。

 

「それなら話は速いか……ミアは現在治療師としてエルリア城に勤務している」

 

「マジか! 治療魔法だけは才能が有ったあの子が城勤めになるなんてなぁ!」

 

「あらあら何を言ってるのあなた? あの子はガサツなあなたと違って昔から体術と魔力操作も優れていたわよ」

 

「そうだったな……しかし3年かぁ。3年の間に彼氏は出来たのか? 出来たなら是非とも紹介して欲しいものだが」

 

 存在すら不確かな彼氏に明確な殺気を浮かべるアドラにスヴェンは率直に告げる。

 

「俺が知る範囲で彼氏が居るなんて話は聴いた事は無かったな」

 

「そうかぁ! そうかぁ! まさかスヴェンがっ! なんて事は無いよな?」

 

 親が子を想う気持ち。自身とは無縁の感情を見せるアドラにスヴェンは答える。

 

「俺とアイツはビジネスパートナー兼依頼人と雇われの関係だ」

 

 最もボディガード・セキリュティに治療を都合して貰う契約は交わしているが、まだ活用する機会が訪れていないため前者は関係性としては薄いだろう。

 

「きっとミアのことだから私達の事を考えて彼氏を作れなかったのよ」

 

 確かにミアは故郷の事で悩んでいたが、恋愛沙汰に関しては本人がどう考えているかは判らない。

 

「まあ娘の恋愛事情はこの件が終わってからアンタらが聴けばいいことだな」

 

「それもそうか……しかし、スヴェンはどうやって侵入出来たんだ? オレ達もルーピン所長の指示であれこれ試してみたが脱出は無理だった」

 

 外部からも出られない時獄。完全な隔離状態の時獄を突破など異界人にしか出来ない。

 

「あー、レーナ姫が召喚した異界人なら現状問題なく通れる」

 

 異界人の存在に疑問を浮かべながらこちらを凝視する二人にスヴェンは二人に自身が把握している範囲で、魔王人質から救出に至るまでの流れを大まかに話した。

 自身が魔王救出に関わった事を伏せつつ、ミアが魔王救出に貢献したことも加えて。

 

「お、オレ達の娘がそんな活躍をっ!?」

 

「異界人と共に……その異界人って誰なのかしら?」

 

「さあ? 数居る異界人の誰かとしか知らないな」

 

「そう? まあいいわ、外が大変な事になっていたのは把握したし……そろそろルーピン所長の居場所に付いて話しましょうか」

 

 スヴェンはミリファから告げられた情報に椅子から立ち上がり、

 

「早速合流してみるか……服ありがとな」

 

 二人に礼を告げた。

 

「時が巻き戻る前に時の悪魔を討伐できなかった時は、またうちを訊ねな」

 

 自分という部外者が巻き戻りにどう影響を受けるのかは未知数だが、アドラの親切心にスヴェンは頷く事で答えた。

 そしてミアの自宅を後にしたスヴェンは村中から響く喧騒と爆音を背に目的の場所に歩み出す。



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第二十六章 鐘楼か告げる刻限
26-1.狂った村人


 村にポツンっと佇む小屋に訪れたスヴェンはひび割れた木造のドアを軽く叩く。

 何度か加減を加えてドアを叩き家主を呼び出すも一向に返事が無い。

 

「ルーピン所長、居ないのか?」

 

 民家が密集する広場から離れた水路近くの小屋にルーピン所長が滞在していると教えられて来てみれば、肝心の彼は不在の様子。

 他に行きそうな場所と言えばエルリア魔法騎士団の詰所だが、スヴェンは此処から比較的近いエルリア魔法騎士団の詰所に顔を向けーー喧騒と村人達の罵声、怒鳴り声。そして互いに武器を手に揉める村達の様子に思わずため息が漏れる。

 生憎と今はあそこに続く通路で村人達が争い騎士が止めに入っている真っ最中だ。そんな場所に自ら首を突っ込んでは時間を浪費してしまう。

 

「頭数が足りない……」

 

 こちらを狙う殺気。隠すこともしない明確な殺意と矢を引き絞る弦の音。

 視線だけ向ければ背後の一本木の上からこちらに狙いを定める若い男性。手早くスヴェンは足下の小石を一つ拾い上げた。

 

 ーー此処まで物騒になるなんてな。

 

 普通ならルーピン所長を訊ねる不審人物に対して向ける殺気とも考えられるがーースヴェンはちらりと向けた視線で捉えた歪んだ笑みに眼を瞑る。

 ルーピン所長がメッセージとして送った言葉、『ここは地獄だ』の意味は時間の巻き戻りから脱せず、狂気に駆られる村人と生死の繰り返しを意味していたのか。

 こんな状況をミアとレイには伝えられないが、そもそも時獄から解放して村人達は元の生活に戻れるのか?

 一度人を殺して得た快楽と狂気から簡単に抜け出せるものなら傭兵など廃業真っしぐらだ。

 未だこちらを狙う若い男性にスヴェンは一つため息。アレは獲物が動く瞬間を待っているのだろう。

 狩人のなりきり、獲物を一発で狩る。何度か繰り返し得た快楽と確かな自信を若い男性の眼からありありと伝わって来る。

 此処で射抜かれるのも御免だ。スヴェンは背後に振り向くと同時に拾った小石を投擲した。

 放たれる矢を半身を逸らすことで躱し、

 

「あだっ!?」

 

 額に直撃した小石によって若い男性が木の上から落ちた。

 地面に背中を打ち付け、衝撃と痛みに悶える若い男性にスヴェンは素早く距離を詰めーー首筋にガンバスターの刃を押し当てる。

 

「なぜ俺を狙った?」

 

「……毎日毎日、変化が無い。人を殺しても12時を訪れたら最初に戻る。だったら遊んだって良いじゃないかっ」

 

「なるほど、なら俺はアンタを危険人物と見做し殺した方が得策か」

 

 殺しを遊びにする。その結果なにが訪れようとも文句は言えない。

 向けられる殺意に対して若い男性は酷く狼狽えた様子で喉を鳴らした。

 ガチガチと口を震わせながら若い男性が叫んだ。

 

「つ、罪の無い村人を手にかけるなら騎士が黙ってないぞ!」

 

 スヴェンはまだ目の前の男が誰かを射抜いた姿を目撃した訳でない。だが、彼の言った言葉には正当性など皆無だ。

 記憶を保持したまま時間が巻き戻るなら彼に射抜かれた者達は覚えているはずだ、射抜かれた瞬間と死ぬ瞬間を。そして若い男性がどんな表情で自身を殺害したのかも。

 

「そんな村人を的にして遊んだのはアンタだろ」

 

 スヴェンは躊躇なく冷徹な眼差しでガンバスターを振り上げ、若い男性は両手を必死に動かす。

 

「死を繰り返すってんなら死んだ後に何が待ってるのか是非とも教えてもらうじゃねぇか」

 

 振り下ろすガンバスター。目前に迫る刃に若い男性は耐え切れず、恐怖心から失禁しながら意識を手放した。

 首筋で寸止めにした刃を戻したスヴェンは背中の鞘にガンバスターを納める。

 傭兵として村人を害する気は無い。いくら村人が殺人に手を染め、殺しの快楽に溺れようとも彼等がエンケリア村の住人である限りスヴェンはミアとの契約に基づいて手を出す事は無い。

 最も例外は居る。万が一時の悪魔と契約したのが村人なら討伐優先順位に従って契約者は殺害する。

 スヴェンは気絶した若い男性をそのままに改めてエルリア魔法騎士団の詰所に視線を向けた。

 

「殴り合いに騎士まで参加かよ」

 

 殴られた騎士が拳で殴り返し、別の誰かに殴られる。そして始まった村人と騎士の乱闘騒ぎにスヴェンがため息を吐くのも無理はなかった。

 あれでは暫く騒ぎは治りそうに無いだろう。それなら自分は自分で時の悪魔の探索に移るだけだ。

 スヴェンはルーピン所長の小屋を後に一先ず地下水路の探索を開始した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 整備が行き届き一定の清潔感が保たれた地下水路を訪れたスヴェンは通路を道なりに進む。

 既に探索の手が及んでる可能性は充分捨て切れないが、

 

「今のところ魔力の流れは……」

 

 視界に映る魔力の流れは水路の底から一定の方向に続いていた。

 これは恐らく地下水路の環境を整えるために設置された魔法陣に影響しているのだろう。

 それ以外に魔力の流れは無く、水音ばかり聴こえるだけで地下水路は静かだ。

 村は騒がしいというのに地上の音は此処まで届かないようだ。

 しかし地下水路には確かに複数の気配を感じる。村人かルーピン所長か、それとも騎士団か。

 制限時間が有る状態で無駄は省きたいが情報も得たい。

 

「出会い頭に仕掛けられなきゃいいがな」

 

 スヴェンはため息混じりに引き続き真っ直ぐ地下水路を道なりに進む。



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26-2.地下水路の敵

 しばらく地下水路を進むとスヴェンの耳に鋭利な風切り音が届く。

 二人分の気配を感じられるがそれ以外に気配は感じられない。

 しかし気配は二人分にも関わらず魔力は二人どころか複数感じる。

 気配は感じられないが魔力は悟れる。誰かが時の悪魔と交戦しているのか、それともミアから聴いた時の悪魔の使い魔か。

 スヴェンは気配の方向に駆け出しながらミアの言葉を思い出す。

 

『スヴェンさん、時の悪魔は眼にした者から戦意を奪い虜にしてまう使い魔を使役してるそうだよ。なんでも仔猫らしいけど、油断せず気を付けてね』

 

 なぜ眼にすれば戦意消失というのは良く判らないが注意しながら討伐に当たるべきだ。

 スヴェンがより強く警戒心を宿しながら速度を早める。

 地下水路の十字路を気配と戦闘音のする方向に進み、しばし直進しては右手の通路に曲がる。

 村全土に張り巡らされた複雑に入り組んだ通路を音と気配頼りに駆け抜ける。

 しばし走り続けるスヴェンの耳に通路の曲がり角から響く戦闘音が届く。

 ガンバスターを鞘から抜き、そのまま曲がり角を曲がったスヴェンは二人の人物と交戦する存在に思わず足を止めた。

 一人は白髪の騎士。もう一人は茶髪に眼鏡をかけた痩躯に本を構えた若い男性。

 そして二人が応戦する謎の存在に眼を疑う。

 ソレは時計の顔をした頭部に蠢く影のような身体を持つモンスターとも悪魔とも違う存在にスヴェンはガンバスターを構えた。

 白髪の騎士が魔力を纏った一閃を払い、石柱ごと謎の存在を斬り裂く。

 石柱は両断され崩れる中、謎の存在には刃が通っていないのか。それとも実体が無いのかは判断が難しいがーー謎の存在が騎士と若い眼鏡の男性を煽るように周囲を飛び跳ねる。

 

 ーー時の悪魔か? いや、悪魔特有の気配はねぇ。情報とは異なるが……使い魔なのか?

 

 人をおちょくる謎の存在の正体が判らない。判らないが若い騎士と不意に眼が合う。

 彼はこちらに驚いた様子を見せ、

 

「おお! そこの若者! 見ない顔だがソイツの討伐を手伝ってくれ!」

 

 連れの若い眼鏡の男性に告げる。

 

「構わないですよね、先生!」

 

「構わないよ、それに彼とその武器の材質は見た事が無いからね」

 

 スヴェンは謎の存在にガンバスターを一閃し、謎の存在が刃を大袈裟に怯えた様子で避ける様子を決して見逃さずーー先生と呼ばれた彼に訊ねた。

 

「先生ってことはアンタがルーピン所長か?」

 

 彼は眼鏡を掛け直し、本を媒体に魔法陣を描く。

 

「いかにも技術開発研究所の所長をしてるルーピンだ」

 

 簡潔に答えたルーピンにスヴェンは眉を歪めた。

 技術開発研究所の副所長のクルシュナを差し置いて所長に任じられたルーピンは、少なくともクルシュナよりは歳上か近いと想像していたが実際は想像以上に若く、内心で驚いてしまったのは無理もないことだった。

 ルーピンはスヴェンの反応に苦笑を浮かべつつ魔法陣から鎖を放つ。だが鎖は変則的な動きで謎の存在に迫るが、鎖は身体をすり抜けて壁に突き刺さる。

 謎の存在は白髪の騎士とルーピンを煽るように身体をくねらせた。

 

「なんなんだアイツは? まさか時の悪魔なんて言わねえよな?」

 

「いいや、アレは時の悪魔が魔力で生み出した使い魔擬きだね」

 

 使い魔ですらない擬きにスヴェンは眉を歪める。

 時の悪魔の魔力で生み出された使い魔擬き。それが事実ならこう考えれらる。

 単純に実体を持たないから攻撃が当たらないのでは無く、時の悪魔の性質を受け継いでるために既存の方法では当てることすら不可能なのだと。

 リノンやフィルシスは時の悪魔の性質を概念の護りと呼称していたがーーあぁ、実際に当たらねえ所を目撃しちまえば何もかも如何でも良くなるな。

 捻じ曲げれた物理法則、ルーピンが放った魔法すらすり抜ける絶対的な護り。

 既存の方法が一切通じない存在が時の悪魔の戯れに生み出され、村の地下水路に巣くっているとなれば村人の心が折れてしまうのも無理はないことだ。

 特にこんな存在と三年も同じ空間で過ごすして正気を保つ方が難しい。

 

「擬きでも精神を摩耗させるには充分ってことか」

 

「理解が速いね? それとも異世界は技術分野が進んでるのかな」

 

「それなら期待できるが、若者よ。時間も惜しい……討伐して見せてくれまいか?」

 

 スヴェンは使い魔擬きに対してガンバスターで居合いの構えを取る。

 使い魔擬きから敵意は感じられないが、こちらを警戒して間合いに入ることは無い。

 それだけ未知の材質で製造されたガンバスターが恐いのだ。

 時計の頭部から表情は判らないが影の身体は震えている。少なくとも感情を持った生命体であることに違いはない。

 未知の存在である使い魔擬きを観察したスヴェンは、そのままガンバスターを鋭く振り抜くことで孤月を描く斬撃を放つ。

 音を置き去りに飛んだ斬撃が使い魔擬きを通り抜け、使い魔擬きの縦に一閃が走る。

 使い魔擬きは不思議そうに首を傾げながら、頭部から真っ二つにされた胴体ごと通路に崩れた。

 肉体が魔力によって構成されている影響か、魔力が粒子となり身体から抜け出る。これはモンスターの死体と同じ現象だが、それでも使い魔擬きはモンスターとは違う。

 それを確信したのは使い魔擬きが涙を流しがら消滅する姿を見せたからだ。

 

「使い魔擬きってのは泣くんだな」

 

 ルーピンに視線を向けながら聞けば、彼も驚いた様子で眼鏡を掛け直しながら口を開いた。

 

「おちょくることは有ったけど、まさか死に際に涙を見せるなんて……これは3年間では得られなかった貴重な資料だよ」

 

 知的好奇心は有るが、彼の瞳は全く別の感情を宿していた。

 目の前で幼子を殺す結果を示してしまった。そんな後悔を感じさせる眼差しにスヴェンは何も言わず、白髪の騎士に視線を移す。

 

「それで? アンタらは此処で時の悪魔の捜索を?」

 

「あ、あぁ……さっきの使い魔擬きと遭遇率の高い方に絞って探索してたんだが、奥に進もうとすれば邪魔をされる。そんなことの繰り返しばかりだった」

 

「邪魔をするってことは進まれて困るからか……それとも、単にガキの悪戯心か?」

 

「それはあまり考えたくないねぇ……」

 

 ルーピンはため息混じりに右腕の魔法時計に視線を落とし、

 

「そろそろ時間か、君が巻き戻りにどう影響を受けるのか未知数だけど……無事に巻き戻れたらボクの小屋で会おう」

 

 そんな事を口にした瞬間、鐘楼の音が村全土に鳴り響く。

 エンケリア村に存在しない鐘楼の音が響き渡り、刻限を告げる。

 時間切れを、時の悪魔発見に至らなかった事実と非力な現実を。

 スヴェンは目前に生じる光景に眼を疑う。

 無数の時計が逆時計周りに高速で回転する空間、既に居ないルーピンと白髪の騎士。

 背後に生じた時間が遡る異空間に冷や汗が浮かぶ。これに引き込まれてしまえば巻き戻りに巻き込まれる。そんな確証を得たが。

 確証を得たところで不可視の奔流が全身を襲い、スヴェンは押し戻されてなるものかと抵抗するもーーそれは正に無駄な抵抗だった。身体は呆気なく弾き飛ばされ、スヴェンは時間が遡る空間に吸い込まれてしまう。

 

 ーーこうしてスヴェンは一度目の巻き戻りを体験した。



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26-3.巻き戻り

 気が付くとスヴェンは上半身裸でエンケリア村の門に立っていた。

 いつどのようにしてこの場所に飛ばされたのかもはっきりと記憶に刻まれている。

 いや、むしろあんな超常現象を見せられてはそう簡単に忘れることはできない。

 時の奔流に呑み込まれ、エンケリア村の過去を巡る時の中をスヴェンははっきりと眼にした。

 

「……村人は3年もあの光景を見せ続けられたのか」

 

 遡る時を見続ければ精神が狂っても仕方ないっと考えていたが実際に体験して判る。

 まだ狂う方がマシだ。廃人になるよりは欲望に溺れてしまった方が楽なのだ。

 

「……考えても仕方ねえ、まずは夫妻からまた服を借りねえとな」

 

 スヴェンが門からミアの自宅に向けて歩き出すっと、こちらに向かって走って来るアドラに思わず足を止める。

 

「無事に巻き戻れた事を喜ぶべきか?」

 

 シャツを片手に苦笑を浮かべるアドラにスヴェンは肩を竦めた。

 

「時間空間の迷子になるよりはマシだな」

 

「確かにな、それよりもルーピン所長には会えたか?」

 

「地下水路で一度な。この後は小屋で話を聴くことになってるが……」

 

 詳細を聴くにも時間を有する。活動できる制限時間が限られている中で。

 スヴェンは改めて時計塔に視線を向け、九時を示す時計の針に息を吐く。

 制限時間は三時間。三時間も有れば熟練した傭兵部隊なら作戦行動を済ませることも可能だが、タイムアウトはやり直しを意味するなら探索は正確かつ迅速に行わなければならない。

 

「そうだった。シャツを渡すために急いで来たのを忘れるところだったな」

 

 スヴェンはアドラから手渡されたシャツに着替え、

 

「悪いな……また次も頼む」

 

 アドラに礼を告げてはルーピン所長の小屋に全速力で駆け出す。

 

「……速いな、あの速さなら3分もかからないか」

 

 ▽ ▽ ▽

 

 小屋を訪れたスヴェンは、山積みの資料を崩さないように気を付けながらルーピンが座るソファの対面に座った。

 

「そういや、まだ名乗ってなかった」

 

「あの時は急ぎだったからね。それじゃあ改めて君の名前を聴かせてもらおうか」

 

「遅くなったがスヴェンだ」

 

「スヴェン……異界人のスヴェンか。改めてよろしく頼むよ」

 

 ルーピンが差し出した握手に応じる。

 一見細くか弱そうな腕だが、見かけに反してルーピンの握力は中々のものだった。

 

「意外と力が有るんだな」

 

「所長の立場になると荒事は付いて回るからね」

 

「まだ若いってのに苦労してんだな」

 

「若いって言ってもボクはこれでも35歳なんだけどなぁ」

 

 五百年を生きるスヴェンからすれば、やはりルーピンはまだまだ見かけ通りの若い部類に入る。

 しかしテルカ・アトラスでは中年に部類されるのだろう。

 

「歳上だったか……いや、あいさつはこの辺にして詳細を聞きてぇ」

 

 スヴェンが急がせるように促せば、彼はソファに座り直し組んだ手の甲に顎を乗せ語り出した。

 

「調査結果を話す前に君は時の悪魔に付いてどの程度知ってるのかな?」

 

 既に知ってる情報を話されても意味は無い。時間が有限ならなおさらに。

 

「俺が知ってる情報は時の悪魔がアトラス神と邪神に産み出された悪魔ってことと、使い魔を使役していること。後は既存の魔法と武器が通じないってことだな」

 

「おや、突入前に調べたんだね」

 

 感心した様子で笑みを浮かべるルーピンにスヴェンは首を横に振る。

 

「いや、情報屋を営む悪魔からミアが情報を仕入れたおかげでな」

 

 情報を齎したのはミアだ。彼女が双子の悪魔から情報を買わなければ話が長引いていただろう。

 

「そうか、調査の過程で打ち立てた仮説が事実だったことが証明されたよ」

 

「独力で辿り着けるもんでもねぇと思うが……あー、それで時の悪魔の居場所か契約者に付いては何か判ったのか?」

 

「どっちも不明のままなんだ。時間が巻き戻る状況で3年も調査したけど、3時間以内に鉱山全土を調べ切るには時間が足りない」

 

 限られた制限時間の中で鉱山から時の悪魔を探し出し戦闘する。

 あまりにも現実的では無いからこそルーピン達は探索範囲を絞った。

 使い魔擬きと遭遇率が高かい地下水路を優先的に。それでも成果が伴わないのは倒せない敵に妨害されたからだ。

 

「地下水路に時の悪魔が潜伏してる根拠は他に有るのか?」

 

「時間の巻き戻り。アレは村の中心の時計塔を基点に発生しているんだ……アレだけの規模の現象なら先ず魔法陣を展開しなければ不可能に近いからね」

 

 使い魔擬きが何かを護るように妨害するのは起点となる魔法陣に近付かせないため。そこに時の悪魔が居る可能性を示すには充分な根拠となり得る。

 だが相手は悪魔だ、それに展開された魔法陣に直接魔力を送らずとも魔法を発動させる事は可能だ。

 現に守護結界などは術者の魔力を一度受けるだけで永続的に発動する。それこそ条件付きで発動する魔法も実際に存在している。

 それを踏まえれば目指すべき場所に時の悪魔が居ない方がずっと高い。

 

「アンタはそこに時の悪魔が居ねえことは確信してんだな」

 

 魔法を当たり前のように使える住民が気付かない方がおかしい。その事を指摘するとルーピンは深妙な眼差しで答えた。

 

「そうだね、そこに時の悪魔は居ないよ。だけど居ないからこそ都合が良い」

 

 制限時間が限られている状態ではまともに時の悪魔と戦うのは危険過ぎる。

 それこそ三時間以内で発見し、追い詰めてあと一歩のところで時間切れなど笑えない状況だ。いや、むしろ時の悪魔に警戒され時獄を遺したまま何処かに逃げられる。

 

「時の悪魔を確実に追い詰めるなら確かに不在が好ましいな。ってか時間を操る手合いを相手にしながら魔法陣の解除ってのは厳しいな」

 

「恐らく魔法陣の解体も君が必要不可欠だしね、それじゃあスヴェンの負担が大き過ぎる」

 

「……魔法陣の解体にも魔力が通じねぇと?」

 

「使い魔擬きの性質を考えるとねぇ」

 

 何処までもテルカ・アトラスの住民にとって時の悪魔は無敵だ。

 そんな手合いを相手にしなければならない現状にスヴェンとルーピンは深いため息を吐いた。

 

「はぁ〜先ずは魔法陣の解体ってのは理解したが、時の悪魔の動機は何だ?」

 

「それがさっぱりなんだよね。エンケリア村で危険な古代遺物が発見されたなんて事実は無いし……何を考えて時獄に村を封じ込めたのかは直接聴かないと判らないよ」

 

 動機は不明のまま。しかしエンケリア村が原因では無いことは確かなようだ。

 村に原因が無いとなれば他に考えられることは一体何か? スヴェンは思考を巡らせ一つだけ浮かぶ。

 

「……魔王アルディアの人質が原因か?」

 

「……まさか時の悪魔が邪神眷属の復活を危惧して?」

 

 ほぼ無敵に近い時の悪魔が邪神眷属を警戒するのだろうか? 

 二人はあれこれ考え込むものの、一向に浮かばず時間だけが過ぎていく。

 このままでは時間の無駄だと思考を切り替えたスヴェンは、

 

「他に巻き戻り、時獄が解除されて困る奴は居るのか?」

 

 村人に妨害される可能性を踏まえた上でそう質問すれば、ルーピンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

「罪を犯して後に引けない者、擬似的な不老不死の体現。この状況を利用した魔法の研究。少なくとも村の若者達は時獄を解除されて欲しくないみたいだ」

 

「魔王アルディアの凍結封印が原因か?」

 

「たぶん不安なんだと思うよ。スヴェンも不安の一つや二つは有るだろ」

 

 先行きが不安だから時獄を解除されたくない。

 それは単なる甘えに過ぎない。

 時獄の外で当たり前のように毎日を生きる者達は流れる時間から逃げることさえ叶わないのだ。

 

「……不安になろうが結局解消できるのは自分次第だろ。それに魔王アルディアは無事に救出されてる」

 

「それは何よりの朗報だね……あぁ、きっと姫様は無茶したんだろうなぁ」

 

 彼女が無茶をしたからこそスヴェンは此処に居る。尤もレーナにとっては賭けに近い召喚だったが、無茶の部類に入っていないのだろう。

 

「無茶と思ってすらいねえな」

 

「我らが姫様は相変わらずかぁ。それはそれで安心だけど、うん複雑だね」

 

 国民の一人としてレーナに無茶をして欲しくはない。ルーピンの心情を理解したスヴェンはソファから立ち上がる。

 

「今回は時間的に中途半端に終わるが、どうする?」

 

「村を案内するよ、巻き戻る度に合流する事を考えたらね」

 

 確かに村全体の詳細を知ってる訳じゃない。

 次は何処で合流っと言われてもその度に場所を捜す必要が有る。

 それでは少々面倒でもあれば時間が惜しい。

 スヴェンは立ち上がって歩き出すルーピンの背中に続き、村を探索することに。



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26-4.村案内の傍らで

 ルーピンと村の中を歩くスヴェンは、前回と同じく村中から響く喧騒の音に眉を歪める。

 

「死者が出た状態で魔法陣を解体すりゃあ死んだままか」

 

 それが自然の摂理であり普通のことだが、今のエンケリア村の村人はタガが外れている状態だ。

 そんな状態で魔法陣を解体すれば少なくとも村人に死者が出る。

 

「説得が先になると思うけど、それで構わないかな?」

 

 既に殺人という快楽に溺れた手合いを見逃すというのも気が引けるが、依頼人の意向に沿うのが傭兵だ。

 どの道ルーピンの判断は正解だ。邪魔をする村人を説得し余計な妨害のリスクを減らす意味でも。

 

「いざって時に邪魔されんのは面倒だからな」

 

 村の把握を兼ねて暴れている村人の説得にスヴェンは同意を示し、早速ルーピンの後に続く。

 小屋から村の中心に位置する時計塔広場に到着し、騎士と刃を交える村人の姿が視界に移る。

 

「我々の邪魔をしないでいただきたい!」

 

「うるせぇ! いつまで経っても解放なんてできない癖に偉そうにっ!」

 

 不満から来る主張だが村人は協力する気は無いようだ。

 村人は騎士に対して剣を袈裟斬りに振り抜くが、鍛錬を積んだ騎士は身体を動かすだけで刃を避ける。

 鎧に掠ることも無い刃に村人は舌打ちを鳴らし、更に剣を振り回す。

 だが刃は風を斬るだけで騎士に掠りもしない。

 息を乱す村人とそんな彼を冷静に見詰める騎士。最初から鍛錬を積んだ騎士を相手に一般の村人では勝負にもならない。普通ならそうだが、此処は時間が巻き戻る時獄内部だ。

 死すらも無かったことにされる空間で村人が自爆しないとも限らない。

 

「クソ! 死んでもどうせ元通りなんだっ!」

 

 激昂と共に村人の下丹田の魔力が異常に膨れ上がる。

 魔力暴走ギリギリを維持すれば莫大な身体能力強化に繋がるが、一歩でも制御を誤れば暴走した魔力が周囲を巻き込み爆発する。

 一度喰らった身、あの時はミアが居なければそのまま死んでいた。

 スヴェンは半ば反射的に村人の前に飛び出し腹部に拳を叩き込む。

 

「ガッ!」

 

 腹を押さえながら地面に倒れる村人にため息を吐く。

 

「自爆も躊躇無しか」

 

「それだけ死生観が狂ってるってことだよ……あー、君はこの人が目覚めたら巻き戻りの解除に目処が経ったと説得して欲しい」

 

「本当ですか!? では他の村人にも知らせて参りますよ!」

 

騎士はよほどそれが朗報に思えたのか、気絶した村人をそのままに駆け出して行ってしまった。

 置いて行かれたスヴェンとルーピンは互いに顔を見合わせため息を吐く。

 

「行っちまったな」

 

「はぁ〜喜ぶのは良いけどもう少し落ち着いて欲しいものだね」

 

 気絶した村人もしばらく目を覚ますことは無いだろう。スヴェンは時計塔の時計を見上げーー十時か、あと二時間は有るな。

 現在時刻を確認した上でルーピンに一つ訊ねる。

 

「そういや村には鐘楼は無かった筈だが……」

 

「昔は有ったそうだけど、老朽化に伴って取り外したそうなんだ」

 

 過去の村には有った鐘楼にスヴェンは訝しむ。

 巻き戻りの魔法発動時に無いはずの鐘楼の音が確かに聴こえた。

 あれは単に刻限を告げるだけの物なのか、それとも過去に時を巻き戻す過程で過去から鐘楼の音だけが現代に聴こえているのか。

 そもそも鐘楼の音には何も意味はないのかもしれない。

 スヴェンはすぐさま鐘楼を疑問点から外し、次は足元の地面に視線を落とす。

 

 

「この真下に魔法陣が在るのか……アンタの小屋近くから地下水路に入ったが、魔法陣に向かう魔力の流れは感じなかったな」

 

「恐らく魔力の流れを悟られないように遮断してるんだ。それに時の悪魔ほど強大で膨大な魔力を感じられないのは可笑しなことだろ?」

 

 確かに悪魔も邪神眷属やフィルシス、とにかく魔力量が膨大な者ほど遠くからでもその魔力を感じることができた。

 しかし時の悪魔は居場所を結界か何かで遮断してるとすれば、やはりなかなか侮れない手合いだ。

 強者特有の慢心もどんな者を迎え討つという気概も無い。むしろ己の目的に余計な行動を挟まず、確実に目的を達成するために潜むことができる非常に厄介な敵だ。

 厄介な敵だが任務や仕事に対する堅実性は傭兵として好感が持てる。

 同時にこうも考えられる。

 

「無駄な行動をしねぇってことは既に時の悪魔は目的を達成したか、アクションを起こす必要がねぇ状態ってことか」

 

「それとも行動の真っ只中で誰にも邪魔をされたくないとかだね……そこでやはり疑問に浮かぶのは契約者だ」

 

 一体誰が何の目的で時の悪魔を契約したのか。それこそ時の悪魔と契約できたなら魔王アルディアの救出に名乗りを挙げてもおかしくはない話だ。

 しかしエンケリア村を時獄に封じ込め、時間を巻き戻す魔法陣を仕掛けている以上はやはり時間を要する目的が有るのだろうか。

 

「単なる愉快犯ならとっくに狂っても不思議じゃねぇな」

 

「契約者が既に廃人で時の悪魔はただ契約の願いを叶え続けてる……その可能性も捨て切れないけど、問題はどれだけの規模に対して対価を要求してるのかだね」

 

「人伝に聴いた話だが、特定人物を指定して逃げ続ける契約だとかは寿命を対価に要求されるそうだ」

 

「運命に干渉して特定人物を近付けさせないってことなら……確かに支払う代償として寿命を要求されても不思議じゃないね」

 

 スヴェンは対価に付いてあれかれ思考を巡らせるも、人が寿命の次に支払える対価は自身の魂か、何年分かの魔力を担保に支払う他に思い付かない。

 

「……うん、考えても時間が足りないね。次は此処から一番近い村長の自宅に行ってみようか」

 

「村長はまともか?」

 

「まともさ。むしろ積極的にこの事態を解決しようと協力的だね」

 

「ミアの両親も協力的だったが、村人との連携も必須か」

 

 あまり一般人の村人を頼りたくないが、特殊な環境化では現地住民の方が土地勘に明るい。

 特に鉱山の探索には坑夫達の協力が必要不可欠だ。

 

「これまで村人達と探索可能な範囲を調べたけど、結果はこの通りさ」

 

 頭数を用意してと使い魔擬きを突破できず時間だけが過ぎては巻き戻る。

 そんなことの繰り返しで次第に協力者の数は減り、精神は荒み地面で気絶している村人のように理性が外れてしまったということか。

 スヴェンは現在の状況を改めて再認識した上で、

 

「村長のあいさつも良いが、レイの家族にも伝言を頼まれてたんだったな」

 

 レイの家族に付いて訊ねる。

 

「レイ? あーラピス魔法学院で極めて優秀な成績を誇る生徒のことかな」

 

「今は時獄発生から3年経過してエルリア魔法騎士団の小隊長に就いているな」

 

「3年となると卒業して程なくして結果を出したってことかな。いやはや天才というのは末恐ろしいねぇ」

 

 それを所長の立場に居るアンタが言うのか? スヴェンはそう言いたげな眼差しを向けるもルーピンは気にせず歩き出した。

 

「そうと決まれば早速朗報も含めて村長夫妻に知らせないとね」

 

 ルーピンの後に続いたスヴェンは、ふと頭に浮かんだ思考に苦笑を浮かべたるのだった。



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26-5.期待は呪い

 スヴェンとルーピンはエンケリア村の大通りに建ち並ぶ民家の中でも大きめながら豪邸とは程遠い一軒家を訪れていた。

 

「村長、ベルサック村長ぉ〜」

 

 何度かドアをノックするルーピンの声にドアが開き、

 

「ルーピン先生……っとそちらの者は、まさか村の外から?」

 

 窶れた頬、疲労が目に見えて判る顔付きをした中年の男性ーーベルサック村長がスヴェンを一眼で部外者と理解していた。

 流石は村長だけあって村人全員の顔を把握しているのか。スヴェンは内心で感心を浮かべながら、

 

「あぁ、村の外から来たスヴェンだ」

 

 簡潔に告げたスヴェンにベルサック村長は黒い瞳を開く。

 

「という事は外の状況は!? レイは、わたし達の息子は無事なのかっ!?」

 

 問い詰めるように肩を掴むベルサック村長にルーピンが意外そうな眼差しを向ける。

 父親として息子を心配しているなら彼の反応は当然のものなのかもしれない。

 スヴェンはベルサック村長の様子を観察しながら敢えて彼の手を払い除けず伝えた。

 

「アンタの息子はエルリア魔法騎士団の小隊長になってる。それとレイから『助けに行けなくてすまない』っと」

 

 それを告げた瞬間、ベルサック村長は膝から崩れた。

 まるで長年心配していた息子の安否を知ったように。

 いや、少ない情報だがレイの近況を知れた事で安心したのだ。それが父親という存在なのかーー俺が知ってるのは、俺を道具として利用してきた自称義父、戦場に置き去りにした血縁上の関係程度か。

 ベルサック村長を通して父親という存在を理解してみようかと一瞬でも思ったがやはり結論は同じだ。

 親という存在は自身の想像の範疇には納まらず、また理解も難しいのだと。

 そんな思考を浮かべるスヴェンにベルサック村長はこちらを見上げながら涙を拭う。

 

「情け無い姿を見せてすまない」

 

「……いや、子を想う親心故にだろ」

 

「面と向かって言われると恥ずかしいけど、妻にはわたしから伝えておくよ」

 

 鬱の眼差しを浮かべるベルサック村長にスヴェンは得心をえた。

 ベルサック村長の妻は精神が壊れ寝込んでいる状態なのだと。

 あまり無用な希望を抱かせるなど悪趣味でしたくはないが、それでもスヴェンは伝えなければならないことを告げる。

 

「時獄の外にミアとレイが来ている」

 

「2人が村の外に……喧嘩してないといいがぁ」

 

 心配そうに村の外に顔を向けるベルサック村長にスヴェンとルーピンは互いに顔を見合わせた。

 ミアとレイは互いに貶し合う程度の仲だ。それは不仲というよりは気心知れた幼馴染としての関係性か、それともライバル関係と表現するべきかスヴェンは表現に詰まらせた。

 詰まらせたがベルサック村長に問うた。

 

「あー、昔から2人は喧嘩を?」

 

「口喧嘩から始まって殴り合いは常だった。それで喧嘩が終わるといつもミアがレイの怪我も治療して『これでパパとママにしかられずにすむね』で締め括って終わるんだ」

 

 昔を懐かしむベルサック村長は続けて語り出す。

 

「泳げず治療魔法以外の他の魔法が使えないミア、多才で直ぐにマスターしてしまうレイ。村の大人達はレイに期待していたけど、わたしとあの子の家族はミアに期待していたんだ」

 

 親として子に期待を寄せないのは残酷なのでは? そんな疑問が浮かんだスヴェンにベルサック村長は苦笑した。

 

「鉱山では不慮の事故で重傷を負う鉱山労働者が多くてね、村長と鉱山長の立場として期待してしまったんだ」

 

 立場から来る期待感と大人が子供に向ける期待感は似ているようで違う。

 少なくともスヴェンから見ればベルサック村長の印象は、レイという息子を心配しながらミアという他人には道具としての側面を見出した大人という印象を受ける。

 

 ーーいや、単に俺が外道だから極端な捉え方をしてるだけか。少なくともミアの両親が見せた眼差しは目の前の男とは違う。

 

 ベルサック村長が見せた眼差しはあの男と同じ眼だ。

 道具としての期待だけの眼差し。そこに他の感情は一切無い冷徹だが合理的な期待感だ。

 

「アイツは道具じゃねえよ」

 

「……そうだね、中等部に進学したレイにも同じことを言われたよ。あの時のレイの眼は酷く冷たかった」

 

 少なくともアドラとミリファはミアの近況を喜んでいた。

 治療魔法の天才以前に自分達の娘に対する誇らしさも垣間見えたのも確かだ。

 村長故の立場でミアに期待するベルサック村長に対してレイは察したのだろう。

 実の親が幼馴染に向ける感情を。

 

「……レイなりにアンタの考えを見抜いたんだな」

 

 それでもミアは恐らく故郷の怪我人に対して治療魔法を使う。彼女がそういう性格だからだ。

 尤もドヤ顔のおまけ付きで仕方ないと笑うのだろう。

 

「大人になって子を持ったわたしは、いつのまにか汚い大人になっていたよ」

 

 自嘲を浮かべるベルサック村長にスヴェンは首を振る。

 

「それが大人だろ。特にアンタの立場なら労働者の事を考えんのも役目の一つだろ」

 

「ミアを立場関係無く素直に応援できたら……お前さんを寄越したのはきっとミアなんだろう?」

 

「あぁ、アイツが俺に依頼した。故郷を時獄から解放してくと」

 

 事実を告げればベルサック村長は空を見上げ、深く息を吐く。

 

「あの子は優しいなぁ」

 

 大人としてミアの成長と才能に期待できなかったベルサック村長の姿にスヴェンは何も言わず、エンケリア村の外に視線を向けた。

 

「大人の期待感か……呪いだな」

 

 レイは実の親に期待されなかったが、周囲からは期待されていた。そして今は期待に応えるようにエルリア魔法騎士団の小隊長に出世を果たしている。

 実の家族以外からは誰にも期待されなかったミアは、治療魔法に関する研究を進め新しい再生治療魔法の発表。功績で博士号を得るに至りーー無機物再生魔法や精神治療魔法を完成させた。

 大人達の期待も有ったが成長を遂げたのは二人自身だ。

 しかし、大人の期待というのは時に残酷で歪めてしまう。

 

 ーーいや、あの男とは違うか。

 

 頭に浮かんだ葉巻が良く似合う眼帯の傭兵とベルサック村長やアドラとミリファは明らかに違う。

 むしろ比較対象として扱うことすら三人に失礼だった。

 スヴェンがそんな思考を浮かべると黙って会話を聴いていたルーピンが咳払い。

 

「2人の過去の話も良いけど、続きは時獄を解放した後にでもしないかい?」

 

「……ルーピン先生、まさか目処が付いたのですかっ!?」

 

「彼は時の悪魔特効と言うべき存在だよ」

 

「おい、先ずは巻き戻りを止めるために村人の説得か無理なら閉じ込める必要もあんだろ」

 

「巻き戻りが発生しないとなれば正常に時間が流れる……うん、村人の説得はわたしに任せてくれ」

 

 村長として活力に満ちたベルサック村長の力強い眼差しにスヴェンとルーピンは頷く。

 村人を説得し理解を得られる者は彼を置いて他に居ないだろう。

 正に適任の人材だ。そう思考に浮かべたスヴェンに、

 

「それじゃあスヴェンを村を救う英雄として紹介しよう」

 

 地獄にも等しい提案を出した。

 

「それは辞めてくれ。村人全員の期待ってのは重荷でしかねぇ」

 

「そうかぁ……」

 

 残念そうに肩を落とすベルサック村長。自身の隣で爆笑するルーピンをスヴェンは鋭く睨んだ。

 

「次は何処に行く?」

 

「残り時間は1時間か。それじゃあ次の合流地点に案内しよう」

 

 そう言ってルーピンは村の南に歩き出した。



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26-6.届けたい想い

 合流地点として案内された場所は村の南に位置する丘の上。

 古びた石碑と井戸、村全体を一望できるこの場所なら確かに合流地点としてはうってつけか。

 しかし目立つ場所では有るが、巻き戻り時にスヴェンは一度上半身裸にされミアの両親から上着を借りなければならない。

 何よりもこの場所は民家の屋根から魔法が充分に届く距離だ。

 

「あー、他に合流に適した場所はねぇのか?」

 

 ルーピンに訊ねると彼は首を横に振った。

 

「有るには有るんだけどね、地下水路に降りて中心を目指すとなると此処からの方が最短なんだ」

 

「距離感で言えば民家通りから進んだ方が速そうだが、こっからの方がそこまで入り組んでねぇのか」

 

「そっ、此処からなら地下水路を真っ直ぐ直進するだけで中心に辿り着ける。ただ……」

 

 言い淀むルーピンにスヴェンは察する。

 確かに聞けば最短距離に思えるが、実際はそう単純じゃない。

 地下水路に居る使い魔擬きが行く手を阻むなら戦闘は避けられない。

 それ相応の数が居るとなれば手早く排除する必要も。

 

「使い魔擬きが他の通路と比較して数が多いってか」

 

「こっちに危害を加えるということは無いんだけど、数は通路を埋め尽くすほど。それにスヴェンに対しては攻撃的になるかもしれない」

 

 それは当然だ。エンケリア村の村人やルーピンは使い魔擬きと時の悪魔に対して有効手段は無いに等しい。

 使い魔擬きにとって危害にもならない、ただ妨害するだけで済む手合いにわざわざ攻撃する必要性もなかった。

 だが、スヴェンは一巡目で使い魔擬きを殺している。

 使い魔擬き同士で情報共有しているならこちらの情報は恐らく時の悪魔にも届いてる可能も考慮しなければ。

 

「使い魔擬きは互いに情報を共有してんのか?」

 

「一度だけ調査中に騎士団を囮に隙を突いたことが有ってね。その時には中央の魔法陣にどうにか辿り着けたけど……障壁と待ち構えていた使い魔に成す術なく、ね」

 

 どうやら巻き戻りの魔法陣は理論に基づき導き出した解答では無く、そこに実際に存在している事を確認した上での発言だった。

 これでそこに確実に在ることが証明され、同時に待ち受ける使い魔にスヴェンの警戒が跳ね上がる。

 

「使い魔か。ソイツはどんな見た目なんだ? ミアの情報じゃあ仔猫らしいが……」

 

「仔猫とはまた……アレを仔猫と表現して良いのか些か疑問だね」

 

「仔猫ってのはあんま観たことがねぇからよく判らねえが、眼にした者から戦意を奪い虜にするって話らしい」

 

「……確かに騎士も村人も、ボクもアレを相手に戦意喪失してしまったよ。それだけ……うん、なんと言うか虜にしてしまうんだ」

 

 言葉を濁しながら額から汗を流すルーピンにスヴェンは眉を歪めた。

 それが事実なら非常に厄介な使い魔と言えるだろう。

 仔猫とは情報で聴いているが、それも単なる比喩表現でしかないのかもしれない。

 実際はもっと異なるーーそれこそ大の大人を容易く虜にしてしまえる未知の姿形か。

 

「使い魔も厄介だな……ん? アンタらが使い魔と接触できたのは一度だけか?」

 

「3年もあれこれ動き回って一度だけだよ」

 

 ルーピンほどの頭脳に優れ、エルリア魔法騎士団も居る状況で地下水路の中央に辿り着けたのは一度だけ。

 それは使い魔擬き同士で情報を共有し、こちらの動きに対して先手を打っていることが判る。

 

「地の利を持つ村人も出し抜く使い魔擬き共と戦意喪失させる使い魔か。こりゃあ結果を出せってのは酷な相手だな」

 

「スヴェンは理解が速くて助かるよ。それに洞察力も良い」

 

 褒められても何とも思わない。

 洞察力も観察眼も戦場で培った技術に過ぎない。

 殺しに活かすために磨いた技術を褒められても心は何も感じられず、むしろ褒めるべきは真っ当な手段で技術を磨いた者達だ。

 

「それよか、使い魔の見た目は?」

 

 ルーピンに使い魔の姿に付いて訊ねると彼は渋い表情を浮かべ、

 

「あれは、なんというか……そう、非常に興味深いと言うべきか。会えば判るっと言うべきか……」

 

 非常に話し辛い、それとも悪魔と同じように眼にした者に何らかの認識阻害かーーやはり仔猫ってのは比喩表現で実際は精神を消耗させちまうのか?

 スヴェンが使い魔に警戒心を浮かべるとルーピンが額の汗を拭う。

 

「とにかくあまり情報は提供できないんだ」

 

「思い出すだけ精神に負担が生じる類いか?」

 

「あ、ああ、うん。まあそんなところかなぁ」

 

 ルーピンの様子が可笑しいが、思い出すだけで精神に負担がかかるなら仕方ない。

 スヴェンはこれ以上は危険だと判断し、使い魔に関して質問を止めた。

 どこ吹く風で口笛を鳴らすルーピンに思わずじと眼になるも、

 

『エンケリア村の諸君、わたしの声が聴こえるか?』

 

 村全土に響くベルサック村長の声にスヴェンとルーピンが耳を傾ける。

 残り三十分も無い状況でベルサック村長がどうやって村人全員に話を切り出し説得するのか、その方法が疑問だったが如何やら杞憂だったようだ。

 

『時獄などと言う訳の分からない結界に閉じめられて3年が経過した。その間、我々は脱出、結界解除を目的に行動を起こしたがどれも失敗に終わってしまった』

 

『いま村で暴れてる君達はきっとわたし達に失望してしまっているのだろう。しかし、もう少しだけ待って欲しい! ようやく、漸くだ! 村に変化が訪れたっ!』

 

『誰も突破できなかった時獄を突破して村に訪れた者が1人! 彼はいまルーピン先生と協力して時獄解除に動き出している』

 

『手始めに巻き戻りの魔法の解除、これを解除すればもう時が戻ることは無い。我々の時間は漸く12時以降を迎えられるっ! だから君達に村長として頼みが有る!!』

 

『もう無闇に殺し合わず、誰も傷付け合わないで欲しいっ!』

 

 ベルサック村長の村人に当てた頼みの声は果たして彼らに届いたのか。それは此処からでは判断できないが、少なくとも外で声に耳を傾けていた村人は涙を流している。

 その涙は漸く時が進むことに対する期待感からなのか、それとももう戻れない事を意味する涙なのか。

 どちらにせよベルサック村長の説得が上手くいかずともエンケリア村の解放に動くことは変わらない。

 

「ルーピン、次のループ時に上着を持って来てくれねぇか?」

 

「上着? ああ、突入時に弾かれてしまったのか。分かった君のサイズに合う服は幾らでも有るから持って行くよ」

 

 スヴェンは彼に頼み、そして刻限が訪れーースヴェンは二度目の巻き戻りを体験した。



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26-7.巻き戻りの魔法陣へ

 二巡目が訪れたスヴェンは上半身裸のまま合流地点の村の丘を訪れていた。

 そこから見渡す村は嫌というほど静かで、出歩いていた村人がすぐに自宅に引き返す。

 前回のベルサック村長の声が村人に届き影響を与えたのか。

 スヴェンが思案する中、背後に魔力の気配を感じ取り振り返れば上着を片手に持つルーピンの姿がそこにあった。

 

「思ったより早かったね」

  

 さっそく上着を受け取り着替えたスヴェンは簡潔に答える。

 

「村の入り口から此処は近い方だからな」

 

「なるほど、今回失敗してしまったら次も此処にするとしよう」

 

「失敗前提で話すなよ。だいたい異界人なんざ得体の知れない存在はそう長く信じられねぇだろ」

 

 ベルサック村長は時獄から解放の目処が立ったと大々的に喧伝した。

 元々信頼されていた彼だからこそ効果を発揮し村が静まり、喧騒の音が聞こえないほどに。

 しかしこの静寂も失敗を重ねれば、もう村人は誰の声にも耳を貸さないだろう。

 それだけベルサック村長とルーピンは危険な賭けに出ているのだ。

 だからこそ失敗は許されない。依頼達成に繋がる行動なら確実に達成すべきだからだ。

 

「君の言う通りだ。まだわたしを先生と慕う者は多いけど、それでも村の半数はもう耳を貸してくれない」

 

 エンケリア村の一件はルーピンの力、知識不足とは誰も思わないだろう。

 いや、そもそも理不尽な現象に対して対応し解決策を導き出し、クルシュナに情報を送っただけでも凄いことだ。

 スヴェンは内心で彼に対して称賛の言葉を浮かべ、地下水路に井戸に歩む。

 ふと文字が刻まれた石碑に眼が行くが、此処に刻まれた言葉は時獄解放後にミアかレイ辺りに聞けば済むこと。

 また一つ解決しなければならない理由を作ったスヴェンはそのまま井戸のロープを伝って地下水路に降りる。

 

 ▽ ▽ ▽

 

「コイツはまた……」

 

 降りた瞬間、魔法が飛来し避けたがーー目前には通路を埋め尽くすほど。それこそ数えるのもアホらしくなるほどの使い魔擬きが待ち構えていた。

 予想通りとはいえ、この数を一人で相手にしながら突き進む。

 スヴェンは口元を吊り上げガンバスターを片手に魔法の弾幕が放たれる通路を駆け出す。

 戦場と似た高揚感を内心に潜めながら使い魔擬きに刃を振り抜き両断、そのまま腰を軸に刃を薙ぎ払うことで纏めて使い魔擬きを斬り裂く。

 

「この数は……」

 

 背後にルーピンの声が聴こえるが、使い魔擬きの標的は自分だけ。

 そう確信したのは使い魔擬きの身体がこちらに集中し、魔法陣が絶えず狙っているからだ。

 属性を纏わないただの魔法弾。それでも直撃を受ければたちまち集中砲火により嬲り殺しにされる。

 スヴェンはそうならないために足を止めず、進路を妨害する使い魔擬きに対してのみガンバスターを振り抜く。

 風を斬る一閃が地下水路に響くと同時に使い魔擬きの胴体が両断される。

 両断しながら突き進むが、それでも依然と数が減った様子は無い。

 使い魔擬きの目的は時間切れまで防戦すること。スヴェンの殺害など目的の二の次に過ぎない。

 時間制限付きの戦闘など自爆スイッチが押された軍用基地から脱出する時以来か。

 スヴェンは過去の戦場を思い浮かべながら、ひたすら淡々と使い魔擬きを斬り伏せーー魔法の弾幕は跳躍し壁を足場に走り抜けることで確実に距離を詰めながら避ける。

 

「曲がり角にも待ち伏せしてやがんな」

 

 使い魔擬きから発せられる魔力を察知したスヴェンは舌打ちした。

 目的はこのまま北に通路を直進した中心地点だ。

 丁度近付きつつある十字路の曲がり角から感じる気配から通れば即座に魔法が飛んで来るだろう。

 更に無視した使い魔擬きが背後から魔法を放ってる状態だ。

 

 ーーこのまま直進すりゃあ良い的だな。

 

 わざわざ的にされるつもりは無い。故にスヴェンは通路の床を力一杯踏み抜き更に加速を加えることで一気に十字路を駆け抜ける。

 魔法が遅れて十字路を飛び交う光景に、

 

「本命は前方か」

 

 スヴェンは前方から飛来する魔力の閃光を、魔力を纏わせたガンバスターで弾く。

 閃光が横に反れ、壁を撃ち抜く。瓦礫の音に構わず走り続けるスヴェンに使い魔擬きは怯えた様子で頭を抱え蹲り始めた。

 確かに狭い通路に対して挟撃、そこに追い打ちとして魔力の閃光を放てば一部の奴は無力化できる。

 しかしこのテルカ・アトラスには強者が余りにも多過ぎる。

 先程の魔法ならフィルシス達には無意味で、ミアにも防ぐことができる範疇だろう。

 この世界に存在しないを前提にしたという特殊条件下でも無ければエンケリア村は誰かの手に解決されていた。

 

 ーー異界戦争の時には既に異界人は存在していたが、概念の対象にならねぇのは何故だ?

 

 今更の疑問にスヴェンは構わず突き進み、進路を阻む使い魔擬きを斬り裂く。

 無数に存在する異世界から召喚された異界人に対しては、単に世界の違いから時獄が上手く作用しないのか。

 スヴェンはそんな事を漠然と考えながらいよいよ見え始めた地下水路の中央に眉を歪めた。

 フロアに続く入り口に見える空間が歪んだ壁。これにルーピン達は阻まれ続けて巻き戻りの魔法陣を解除することができなかった。

 いや、正確には一度は辿り着いたが二度目以降に張られたのだ。

 スヴェンは背後に視線を向け、ルーピンが後方の遠い位置に居ることにボヤく。

 

「少し速度を上げ過ぎたか?」

 

 フィルシスなら問題なく着いて来れるーーそれこそ追い抜き追い付き、障害を減らしながら競争に入るだろう。

 そんな光景を浮かべたスヴェンはため息を吐く。

 

 ーー3週間近くフィルシスと居た影響か、判断基準がアイツになってるな。

 

 無意識に判断基準をフィルシスにしていた。これは巻き戻りの魔法陣を解体した後に正さなければ何処かでズレが生じる。

 そう判断したスヴェンは中心の部屋入り口に近付き、歪んだ空間にガンバスターの刃を振り抜く。

 刃が歪んだ空間を斬り裂き、ガラスが割れた音と共に本来在るべき入り口が目前に現れた。

 扉も何も無いただの入り口にスヴェンはルーピンの距離を再確認しながら踏み込む。

 瞬間、魔力の気配にガンバスターを構え直し、

 

「時の歪みを破る奴なんてはじめてねぇ。主人様の邪魔はさせない!」

 

 巻き戻りの魔法陣を護るように堂々と腕組みで待ち構えた声の主にスヴェンは眼を見開きただただその異質さに困惑を隠せず、一瞬だけ思考停止に陥ったのだ。



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26-8.恐るべき使い魔

 目前に居る存在は一体なんだ? 刹那の末に漸く浮かんだ疑問にスヴェンは戸惑う。

 通称使い魔と呼ばれる精霊とモンスターとも違う異なる存在。

 悪魔に使役された魔法生物と言うべき存在だ。少なくともスヴェンは魔法に対する少ない知識でそう認識し、そして障害となり得る存在として挑むんだ。

 

 ーー目の前のコイツは一体?

 

 膝よりも低い小さな身体は毛に覆われ、頭部の耳がぴこぴこと動く。

 そしてつぶらな瞳を潤ませながらも口には剣が咥えられている。

 冷静に目前を観察したスヴェンは困惑し、やがて一つの結論に辿り着く。

 

 ーーいや、待てよ。これ獣じゃねえかぁっ!!

 

 そう、使い魔と呼ばれルーピン達を阻んだ存在は単なる獣だった。そこに二本足で立つという情報も追加されるが、あの毛並みと動物特有の牙はどう考えても獣以外の何者でもない。

 事前情報で得ていた仔猫も単なる比喩表現かと思えば事実は見ての通り。

 おまけにそれほどたいした魔力を感じられないのは上手く魔力を隠しているのか、それとも単にそこまで魔力量が多くないのか。

 思考に没頭するスヴェンに使い魔が口に加えた剣を肉球の手で掴み、

 

「ははん? さては妾の可愛さに畏れを成したな!」

 

 スヴェンにとって誰しもが可愛いと認める動物であろうともそれが可愛いとは思えないが、威勢のいい事を言う使い魔はやはり敵でしかない。

 

 ーールーピン達はコイツの何処で戦意を消失したんだか。

 

 いや、自身の感性が狂ってるだけで常人にとっては手が出し辛い手合いなのかもしれない。

 結論を導き出したスヴェンは無言でガンバスターを構え、瞬時に使い魔との距離を縮め刃を振り抜く。

 膝よりも小さな対象を狙う以上、ガンバスターの振り方が制限されてしまうのが少々厄介では有るが、それでもスヴェンは刃を使い魔の頭部に叩き付けるように振り下ろした。

 だが、刃が頭部に当たる直前で使い魔は一瞬でその場から移動しーースヴェンは頭上に移動した使い魔に魔力を纏わせた拳を振り抜いた。

 

 ガキィーンっ!! 使い魔から振るった刃を拳に纏わせた魔力が弾く。

 弾かれた勢いで使い魔は床に着地しては、

 

「可愛い妾に対して攻撃は愚か、反撃までするなんて……異常者だわ」

 

 罵声を浴びせてくる。

 異常者と呼ばれてもおかしくはないのだろう。現にもしもこの場にミアやエルナが居たら後方で騒がれていたのがオチだ。

 そんな小煩い光景を想像してしまったスヴェンは苛立ち混じりに舌打ちする。

 

「チッ、相手がどうあれ障害なら排除するしかねぇだろ」

 

「野蛮な人間だわ」

 

 使い魔に野蛮と罵られた所で何とも思わない。それよりもっとスヴェンは背後に僅かに視線を向ける。

 そこには既に本を開いたルーピンが居る。使い魔に悟られないように魔力を最小限に小声で詠唱する彼に、スヴェンは使い魔に突っ込むように地を駆けた。

 時の悪魔と契約した使い魔もまた既存する武器、魔法が通用しない可能性は限りなく高い。

 しかし通用はしないが決して無意味では無い筈だ。

 スヴェンはガンバスターを振り抜き、地を走る斬撃を飛ばし使い魔は跳躍する事でまた避けた。

 

「頭上ががら空き……っ!?」

 

 がら空きの頭上に魔法で生成された鎖が使い魔に迫る。 

 

「ふん、少し驚いたけど主人様の護りで効かないわ!」

 

 強気に魔法も効かないっと語る使い魔の注意が膨大な魔力を練り込むルーピンに向けられ、その隙を見逃すほどスヴェンは優しくは無い。

 頭上に滞空する使い魔に斬り上げるように放ったガンバスターの一閃が走る。

 

「!? う、そ……斬られっ!?!?」

 

 驚愕に染まりながら真っ二つに斬り裂かれた使い魔が床に落ちた。

 スヴェンは使い魔に視線を向け、まだ生きてることに眉を歪めた。

 

「スヴェン、使い魔は簡単に死なない。いいや、正確には致命傷を負えば契約者のもとに戻る性質が有るんだ」

 

 時の悪魔のもとに戻る性質。それは使えるかもしれない。

 以前にミアは自身の魔力を他者に付与し残すことで、居場所を探る手掛かりを残した。

 孤島諸島の遺跡で罠に落ちた時もミアは自身の魔力の残滓を残すことで居場所を知らせたことも。

 つまり同じ要領で魔力を扱えば使い魔を辿って時の悪魔の居場所を探ることが可能かもしれない。

 そんな結論にスヴェンは早速練り込んだ魔力を掌に集め、集めた魔力を糸のように細く形を作り変える。

 ただ魔力の密度を細く形を作り変える以上、自身の魔力では結ぶ程度が精一杯で暗器には適さない。

 他の使い道といえば追尾系の魔法に対してチャフとしてばら撒くぐらいか。

 

「その精密な魔力制御……何処で覚えたのかな? フィルシス騎士団長も出来た技術だけど」

 

「少し前にフィルシスから教わった」

 

 魔力制御から魔力に形を与える方法は既にフィルシスから教わった技術だ。

 魔力の刃と同じ要領だ。ただ問題は魔力を扱う以上、使い魔に目印を着けられるかどうかだ。

 スヴェンは使い魔に魔力の糸を放つが、案の定と言うべきか魔力の糸は見えない何か阻まれ消滅した。

 

「……やっぱそう上手くは行かねぇか」

 

「スヴェンの魔力でもダメとなると、魔力自体の概念で阻まれてるってことだね」

 

 質は関係ないとなればこれも想定通りだ。

 スヴェンは諦めたように自身の魔力を引っ込め、消えかける使い魔に視線を向ける。

 

「……こんな傷を、よくも! 主人様に言い付けてやる!」

 

 そんな情け無い言葉を残して使い魔は消えた。

 転移魔法や空間魔法のように場と場を繋げる移動方法なら自身の魔力を飛ばし、転移した先に残る魔力の残滓を辿る方法も考えられたがーー甘くねぇか。

 決して時の悪魔は姿を見せず、追跡に繋がる糸口を残さない。

 

「敵ながら天晴れだよ、たくっ」

 

「時の悪魔を褒めるのも良いけど、先ずは解体を進めようか」

 

 スヴェンはガンバスターを片手に中心の床に刻まれた魔法陣に歩み寄る。

 

「どう解体すりゃあ良い?」

 

「君がさっき破った時の歪みと同じ方法さ。……まあ、本来なら物理的な手段でどうこうできる代物じゃないんだけど」

 

 確かに実態が無い空間の歪みを魔力を纏わないガンバスターで斬り裂けたこと事態が異常だ。

 本来なら刃は弾かれるか、素通りされるかのどちらかだろう。

 

「ってことは時の悪魔の性質に対して有効に働いてるってことか」

 

「使い魔、使い魔擬き。そして時の歪みを破った今なら確証としても充分さ」

 

 確かにこれで杞憂は晴れたも当然だ。スヴェンは魔法陣の中心に立ち、そしてガンバスターの刃を突き立てーー四方に衝撃波を放つ。

 四つに砕かれた魔法陣がガラスが破れた音と共に砕け散り、その場に衝撃波の痕跡だけが深々と遺された。

 

「これで解除されたのか?」

 

 いまいち実感が湧かないことに疑問を口にすると。

 

「既に魔力の痕跡も魔力の流れも無いけど、あとは12時を待つだけかな」

 

 ルーピンが腕時計に視線を落としながらそう答えーー二人はその場で時間が訪れるまで待機することに。



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26-9.残された猶予

 地下水路の中央で待機すること三時間が経過していた。

 あの鐘楼の音も魔法陣が再展開されることもなくただ悪戯に時間ばかりが過ぎ去る。

 スヴェンはルーピンに振り返り無言で涙を流す彼に視線を移す。

 漸く時間が進み時の悪魔の捜索に入れる。三年も時間を掛けてやっと一歩前進したことに対して流す涙は、スヴェンが口にして良いことでは無い。

 スヴェンがエンケリア村に突入して約九時間、それに対して三年の時間を費やしたルーピン達の苦労は部外者が気軽に口にしてはならないからだ。

 ルーピンが涙を流すのも自由だが、次に時の悪魔が動き出す前に動く必要が有る。

 

「地上に戻って次は鉱山の探索か」

 

 立ち止まっていて何も始まらない。それはルーピンも理解しているのか、眼鏡を退けて涙を拭う。

 

「……一旦地上に戻ってご飯を食べよう。鉱山の探索はそれからでも遅くないよ」

 

 確かに腹は空いている。それに無理をして探索したところで上手く事は運ばない。

 むしろ坑夫達と協力するなら飯の席が効率的か。

 

「協力してくれる坑夫を呼んで飯でも食うか?」

 

「それは名案だね、アドラと彼を慕う坑夫達を呼ぶからスヴェンは酒場で待っていてくれ」

 

 酒場の場所は民家通りに在ることは知っているが、そもそもこの状況で営業しているのか。

 

「……酒場やってんのか?」

 

 疑問を口にすればルーピンは楽しげに口元を緩めた。

 

「憂鬱を晴らすには酒という良薬が何よりさ。それにこれまで酒は幾ら飲んでも減ることは無かったからね」

 

 巻き戻りが発生していたから食糧危機に陥らず、酒を始めとした物資に気を配る必要が無かった。

 だか巻き戻りの魔法を解体したいまは村に備蓄された物資と時間との勝負だ。

 物資が尽きる前に時の悪魔を討伐。それができれば村は何事も無く解放されるがーー物資が底を尽き、時の悪魔の討伐に時間を掛ければ村はまた地獄に逆戻り。

 むしろ巻き戻りが発生するよりも悲惨な状況に陥るかもしれない。

 

「……村の備蓄は充分なのか?」

 

「その辺はベルサック村長が管理しているから何とも言えないけど、エンケリア村をはじめ食糧は備蓄する決まりなんだ」

 

 災害、飢饉に今回のような事件に備えての蓄え。何処の世界でも変わらない政策にスヴェンは安堵し、ルーピンと共に地上に戻った。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 十二時三十分を迎えたエンケリア村は村人達の声で賑わいを見せるが、相変わらず空は鉛色だ。

 スヴェンはルーピンに言われた通りに酒場に足を運び、

 

「おや、身知らない客人だねぇ……あぁ、そうかいお前さんがベルの若造が言っていた客人だね」

 

 左眼に眼帯をした老婆にスヴェンは頷く。

 何処か歴戦の戦士を彷彿とさせる佇まいの老婆にスヴェンは、

 

「ここでルーピン達と落ち合うことになってんだが、酒は充分か?」

 

 そんな当たり障りの無い質問に老婆はにやりと笑う。

 

「当然さ、坑夫共が1週間飲んだくれても問題無い程度にはねぇ」

 

「酒豪でも居るかよ」

 

「そりゃあ鉱山長と妻、若い連中なんかはね」

 

 酒豪のアドラとミリファの間に産まれたミアが下戸というのも、遺伝子の残酷さを理解しているスヴェンにとっては差して驚くべきことでも無い。

 むしろ酒に強い二人で良かったとさえ思うほどだ。

 

「そりゃあ心配無さそうだな」

 

「それで、お前さんも酒は飲むんだろ?」

 

 口に咥えた煙草に魔法で火を着けながらそんな質問を。

 

「いや、今回は飯食って鉱山の探索を進めてぇ。あんま猶予が有るとも思えねえしな」

 

 老婆は煙草を吸いながら木製のジョッキを拭き、

 

「いい読みだねぇ。確かに村にはそれなりの備蓄は有るさ、ただそれも万全じゃな……廃人になった連中にも食わせにゃあならんとなれば持って1週間だ」

 

 ベルサック村長から食糧の備蓄量に関して話を聴いていたのか、老婆は覇気を宿した眼差しで虚空を睨む。

 大手を広げて喜べないが、村人にとっては確かに大量の備蓄量。一週間以内に時獄が解除されるという楽観も有るだろう。

 一週間という日数を猶予と捉えてはならない。

 それは時獄解除後から行商人から食糧を買い付けるまでの期間を含めての日数だ。

 

「時獄を2、3日以内で解除しねぇと拙いな」

 

「エンケリア村から一番近い村で10日さね」

 

「転移クリスタルはどうだ? アレなら騎士団の詰所からエルリア城まで一瞬だろ」

 

「小型転移クリスタルと大型転移クリスタルの転移先記録は1年しか記憶されないのさ」

 

「……そうだったのか、となれば小型転移クリスタルは定期的に使うべき代物ってことか」

 

「そうさねぇ、だから猶予は1週間だ」

 

 突き付けれた猶予にスヴェンは顔色一つ変えず、

 

「どの道坑夫達と探索に乗り出すにも飯を食わねぇと話にならねぇな」

 

 酒場に近付く足音に視線を向けて告げれば、老婆が火にフライパンをかける。

 

「ルギナ婆さん! 飯と酒をくれ! 10人前だ!」

 

 ドアを勢いよく開けたアドラの威勢の声が酒場に響き、ミリファがそんな彼に『仕方ない旦那』っとでも言いたげな視線を向けていた。

 

「いま用意してやりたいところだがねぇ。酒は一先ずお預けだよクソガキ共っ!」

 

「……あー、なるほどルギナ婆さんが言うんだからお預けにした方が良いな」

 

「えぇ!? 俺達は鉱山長の奢りでタダ酒が飲めるって聞いたから来たのにぃ」

 

 次第に挙がる不満の声にアドラ、ミリファ、ルーピンが苦笑を浮かべ、ルギナが若い坑夫達をひと睨み。

 

「タダ酒はお終いだよガキ共、酒が欲しかったら飯食って鉱山でも探索して来なっ!」

 

 ルギナの怒声に若い坑夫達は黙り、大人しく席に座り始めた。

 そして人数分のピリ辛トマトパスタ、羽獣の胡椒焼き、たまごサラダが瞬時に並べられ、スヴェン達はそこそこの交流をしながら遅めの昼食にありつくことに。



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26-10.間に合わせるために

 魔王城の書庫に山積みにされた本の側でフィルシスはページをめくりながら古い呪いに付いて文献を漁っていた。

 

「これも違う」

 

 知りたい知識が書かれていないとするや、本を机に乗せ次の本を手に取りまたページをめくる。

 レーナに残された時間は決して多くない。

 幸い今はオルゼア王がレーナに施した魔法で延命処置を取っていると部下から報告を受けたが、それでも安心などできない。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ぱさ、ぱさ、何度もページをめくる音と足音が書庫に響き渡り始めてから既に九時間が経過。

 

 所用で訪れた魔族の文官がフィルシスに声をかけようか躊躇うほど、彼女は熱心に文献を漁り続ける。

 それでもフィルシスが求める情報は記載されておらず、嫌な推測が頭の中に何度も浮かぶ。

 ラスラ司祭が独自に開発した呪いか、邪神に授かった呪いのどちらかなら古い伝承、呪いを記述した書物に記されている可能性は限りなく低い。

 だが、それは結局のところラスラ司祭しか呪いを知らず、解呪もスヴェンに任せる他に選択肢がない事を意味する。

 それは判っていたことだ。判っていたことだが、

 

「弟子に背負わせる重荷じゃない……それは判ってるんだ」

 

 一国の姫君の命運を異界人、一個人に任せるなど到底考えられないだろう。

 しかしスヴェンはレーナに召喚され魔王救出を果たし、ミルディル森林国で邪神教団の司祭を追い詰め、不完全ながら復活した邪神眷属の再封印に貢献した。

 これだけ功績を振り返ればスヴェンはもはや英雄に相応しい実績を示している。

 誰しもがスヴェンが影ながら得た功績を知れば、英雄と持て囃しレーナを救うように懇願するだろう。

 スヴェンが英雄扱いを嫌がろうとも真実を知った人々は、スヴェンの事情もお構い無しにレーナが助かる方法を選ぶ。

 

 ーー呪いの杞憂を打ち明けた私がして良い思考じゃないけど……。

 

 最初は協力者か依頼を出せば引き受ける傭兵程度、あとは戦ってみたい好奇心に駆られて接触したがーーどうにも自分はスヴェンのことを相当気に入っているようだ。

 

「私が迷ってもスヴェンは引き受けるんだろうね」

 

 本に手を置きながらそんなことをぼそっと呟き、背後に突如現れた気配にフィルシスはため息を吐く。

 

「乙女の独り言を盗み聞きなんていい度胸だね」

 

 背後に振り抜きと共に鞘から抜き放った一閃を放ちたい衝動だが、各国の王族と付人に対して手を出せばたちまち外交問題だ。

 面倒な事態を考慮したフィルシスは背後の人物ーーエルロイに振り返った。

 

「お前ほどの強者でも零したくなる、か」

 

「空間魔法を使ってまでわざわざ盗み聞きに来るほど暇なのかい?」

 

「暇じゃない。暇じゃないが、お前にラスラが授かった呪いに付いて伝えておこうと思ってね」

 

 やはりラスラ司祭の呪いは邪神から授かった魔法だったか。嫌な推測が当たってしまったことにフィルシスは無表情でエルロイを見詰める。

 

「アイツが授かった呪いの魔法は対処を死に誘うもの……一度呪いを受ければ解呪する余地など与えず死に誘う魔法だった」

 

「……だったってことは今は違うんだね」

 

「呪いに対する対策、レーナ姫本人の魔力がラスラの魔力を軽く上回っていたからこそ今の状態に陥っている」

 

「姫様の魔力が呪いに対して抵抗していた。それはルーピン所長と推測の段階で予測していたけど、呪いに潜伏期間が有ったのは本来の半分にも満たない効果が発揮した影響ってことかな」

 

 ルーピン所長と話し合った段階で浮上していた予測に付いて告げれば、エルロイはつまらなそうに肩を竦めた。

 

「はぁ〜天才が揃えば少ない手がかりで解答を導き出すか。……そうだ、だから呪いはレーナ姫の体内に潜伏することで機会を窺っていたのさ」

 

 呪いの発動には対象に対する負の感情が必要とされる。それが長年の研究で得た呪いに関する知識だ。

 しかしエルロイの言い方はまるで違うっと言ってるようなものだ。

 それとも古い呪いや邪神が授ける魔法は既存する魔法と異なるのか。

 

「まるで呪いに意志が有るような言い方だね」

 

 疑問を晴らすように訊ねれば、

 

「術者の意志が呪いに宿る。わたしを生かす不老不死の呪いもノーマッドを生かす呪いも邪神の意志によって働いてるのさ」

 

 そんな事実を何食わぬ顔で語るエルロイの瞳は確かに遠い過去を映していた。

 目の前の彼が現在から過去に眼を向けるのもこの際どうでも良い。フィルシスにとってエルロイも邪神教団も過去にエルリアに混乱を招いた元凶に過ぎないのだから。

 

「キミが過去に眼を向けようともどうでもいい」

 

「スヴェンと言いお前もわたしに対して辛辣すぎじゃない?」

 

「つまり姫様が受けた呪いはラスラ司祭の殺意が込められているってことで良いんだね」

 

「無視とか泣きそう……あぁ、その認識で間違いないよ」

 

 ラスラ司祭の殺意の影響を受けた呪いがレーナを殺そうとしている。それは理解できるが、結局のところすぐに解決できる問題でもないことにフィルシスは眉を歪める。

 

「それで解呪の方法は何か知らないのかい?」

 

「一度発動した死の呪いはラスラの執念も合わさり解呪不可能だよ」

 

 現代では解呪不可能だと永い時を生きるエルロイにはっきりと言われてしまえば、フィルシスにも諦めが付く。

 足掻いて別の方法を模索することを諦め、スヴェンに託す。当初の予定に戻ることにフィルシスはままならないっと息を吐いた。

 だが、エルリア騎士団長として。スヴェンに対する感情を押し殺して彼を過去に向かわせ、何もせず安穏と日々を過ごすなど到底容認できない。

 だからこそフィルシスはスヴェンに頼ることを前提に、彼が行動に移れるように用意するべきだと結論を出した。

 

「やることが出来たからもう行くよ」

 

「お前の策が功を成すことを祈ってるよ」

 

 それはどっちの神に祈るのだろうか? そんなどうでも良い疑問が頭に浮かんでは泡となって消える。

 フィルシスは書庫から退室し、すぐさま同行者に選んだ部下達が待つ待機室に駆けた。

 スヴェンが戻って来る前に必要な資料を集まるために。



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第二十七章 時を統べる悪魔
27-1.坑道の痕跡


 エンケリア村の鉱山探索に入ったスヴェンとルーピンは、アドラと坑夫達を先頭に坑道を進んでいた。

 壁に眼を向ければ露出した鉱石や原石、地面にはトロッコを走らせるためのレールが敷かれているが肝心のトロッコの姿が見えない。

 採択した鉱石を効率よく運搬する上でトロッコは欠かせない存在だが、入り口にそれが無いとなると何処かで停まっているのか。

 疑問を浮かべるスヴェンに若い坑夫が確かめるように、

 

「時獄に閉じ込めれる直前までトロッコは入り口に有りましたよね?」

 

 鉱山長のアドラに訊ねていた。

 

「あぁ、出口に金鉱石を積んだトロッコを走らせたのは間違いない。それはお前達も目撃してたろ?」

 

 アドラの問い掛けに若い坑夫達が頷く。

 しかし目撃者多数の中で肝心のトロッコの姿が見えない。

 これは単に時の悪魔がトロッコに乗って接近される事を防ぐために移動させたか。

 スヴェンは消えたトロッコの件を気に留めながら。

 

「此処から最下層の最奥までどれくらいかかる?」

 

「徒歩で進むなら最短ルートを進んでも2日はかかるな」

 

「2日か、ユグドラ空洞といい地下空間ってのは随分広いな」

 

「そりゃあお前さん、エンケリア鉱山はエルリアの経済を支える一角だ。鉱物資源が潤沢であれば有るほど鉱山内部も広大になるのさ」

 

 アドラの話に理解を示したスヴェンの隣で若い坑夫がぼやく。

 

「目指すべきは最深部……はぁ〜最下層なんてマグマが流れて熱いのに」

 

 最下層のマグマ、そこで採掘出来る鉱物資源と言えば研磨に使われるダイヤモンドが浮かぶ。

 デウス・ウェポンのアーカイブでは既に天然は枯渇し存在しないことが記されているがーー宝石のダイヤモンドは町で見かけねぇな。

 少なくともエルリア城下町で見かける貴婦人などは宝石のダイヤモンドを身に付けず、夜晶石や紅晶石を加工した装飾品を身に付けている方が多い。

 宝石としてダイヤモンドはあまり価値が無いのかもしれない。

 ついそんな推測が頭に浮かんでしまったが、今は時の悪魔がマグマの近くに居る可能性に留意すべきだ。

 

「マグマが流れる最下層に時の悪魔が居る可能性が高いか?」

 

「おう、マグマに流れる星の魔力の輝きは良いもんだぞ。いくら悪魔でもあの光景は眺めてて飽きないだろ」

 

 何を呑気な。そんな出掛けた言葉をスヴェンはぐっと呑み込む。

 もしも時の悪魔の目的がマグマを通して噴き出る星の魔力を得るためだとしたら。

 三年もエンケリア村を時獄に封じ込める理由としては、何者にも邪魔されない空間で好き放題できる。だが逆に言えばほぼ無敵に等しい時の悪魔が星の魔力を得て何するかと問われれば、やはり首を傾げざるおえない。

 これも臆病ゆえに考え過ぎか。時の悪魔と星の魔力に関して考え込むスヴェンに察したのか、

 

「悪魔にも星の魔力を操ることはできないから悪用される可能性は低いよ」

 

 ルーピンがスヴェンの杞憂を晴らすように答えた。

 星の魔力が時の悪魔に利用される可能性が低い。それだけ判れば幾ばくか杞憂も晴れるがやはり疑問が尽きることは無い。

 

「まあ、目的はともかく戦闘時は足元注意だな」

 

「その心配も無いぞ。マグマ溜まりに落ちないように結界魔法で足場を作って有る」

 

「そいつは安心だな」

 

 魔法が解ければ落ちることには変わりないが、それは考えても仕方ないことだが同時にこうも考えれるーー時の悪魔が結界の足場が無いマグマの上で待ち構えている可能性だ。

 その時は最後の一発を撃つか、地形を利用するほかに打つ手が限られる。

 歩きながら思考するスヴェンは背後に視線を感じ取り、

 

「……?」

 

 振り返って注意深く辺りを見渡してもそこには、坑道を支える木造と天井から吊るされたランタン。横の岩、壁に剥き出しの鉱石しか無かった。

 視線と気配を感じたのはほんの一瞬だ。透明化の魔法か天使のように特殊な魔法を使っているのか、それとも単なる勘違いか。

 足を止めたスヴェンに気付いたアドラが、

 

「何か居たのか」

 

 警戒しながらこちらに駆け寄る。

 無鉄砲に近付かないアドラに感心を浮かべながらスヴェンは告げた。

 

「視線と気配はしたが……勘違いだったらしい」

 

「あぁ、視線ならたぶんコイツだ」

 

 そう言ってアドラが指笛を鳴らすと岩から顔が浮かび上がり、ソレはこちらを見上げた。

 岩の塊の肉体、これはゴーレムと呼ばれる魔法による創造物の一種だろうか? しかし目の前のゴーレムは両脚が破損したのか、あるいは砕かれたのか立てずにこちらを見上げるばかり。

 

「有事に備えてゴーレムを配備してるんだが……足が破壊されてるな」

 

 動けないゴーレムはどこか悲しげな眼でアドラを見上げるが、彼にはどうにも出来ないのかゆっくりと首を横に振った。

 喋れないゴーレムは諦めたような周囲と同化し眼を閉じる。

 

「無くなったトロッコ、両脚を破壊されたゴーレムか。コイツは時の悪魔の仕業か」

 

「トロッコは移動手段を奪うため、ゴーレムは後を追わせないためってことだろうね」

 

「あー、やっぱ何かしら仕掛けられてもおかしくはねぇか」

 

「魔力の流れについてなら若い連中と警戒してはいるが、今のところそれらしい気配は感じないな」

 

「魔力を使わない罠も在る。アンタらの職場に不法占拠者が居る以上、警戒は怠らねえ方がいい」

 

 スヴェン達はゴーレムをその場に残し、罠を警戒しながら坑道を進んだ。

 上下に降下する魔道リフトを使い地下二階に進みーーそこで一行は我が眼を疑うことに。



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27-2.尽きない疑問

 確かに自分達は魔道リフトで地下二階に降りた筈だった。

 エンケリア鉱山の坑道の中でそれは誰にも疑いようが無い事実だ。

 だというのに目前に続く筈の坑道の景色など跡形も無く、目前には一面広がる花畑がこの場に居る全員の眼に映る。

 

「コイツは魔法か?」

 

 スヴェンは魔法による幻覚を真っ先に疑う。

 同時に坑道内部の時間を弄り此処だけ過去か未来に繋がっている可能性が頭の片隅に浮かぶ。

 

「魔法以外でこんな現象は有り得ないよ」

 

 ルーピンの断言する声にスヴェンは戸惑うアドラ達を他所に周囲に視線を巡らせ、

 

「周りは花畑だが、風や外特有の開放感もねぇな」

 

 風も肌に感じられない。つまりこれは幻覚による魔法の可能性が高い。

 しかし初見で訪れたスヴェンにとってはこの状況は非常に厄介だ。

 土地勘も無い。覚えた地図も視覚情報も役に立たない。幸い魔力の気配は感じられるが、景色にばかり気を取られるわけにもいかない。

 

「お、おい……っ!」

 

 息を呑み込んで慌てた若い坑夫の声に全員が振り返る。

 狼狽えた若い坑夫が見詰める視線の先ーー降りるために使った魔道リフトの姿が消えていた。

 魔道リフト。それは魔法陣の魔力を動力源に魔法陣を足場に上昇下昇移動するための代物だが、それを誰にも気付かれず突然消し去るのは困難だ。

 その証拠に確かに魔道リフトから流れる魔力を感じている。

 

「魔力は感じんだ、眼に見えないだけでそこに在るんじゃねえか?」

 

「そ、そうなのか? 確かに魔道リフトの魔力は感じるが……よし、試してみる」

 

「鉱山長!? 試すなら自分がっ!」

 

 鉱山長に何か遭ったら。彼を心配した坑夫が名乗り出すが、アドラは片手を挙げて坑夫を制する。

 

「若い連中に任せられるかよ。スヴェン、お前にもな……それによ、何か遭ったとしてもだ。お前らの頭には坑道の構図が叩き込まれてるだろ」

 

 そう言ってアドラが全員に見守れる中、魔道リフトが在った場所にゆっくりと歩き出す。

 恐れを抱いた慎重な歩みに坑夫達が手汗握ってアドラの背中を見つめる。

 此処でアドラを危険な目に遭わせるのは依頼人のミアの意向に反する。

 だからこそスヴェンは密かに両足に魔力を流し、いつでも動けるように身構えた。

 ふとルーピンに視線を向ければ、彼もあとは詠唱を唱えるだけでいつで魔法が発動できる状態でじっと見守っている。

 

「……この辺りだったな」

 

 アドラが魔道リフトが遭った場所に踏み込んだ瞬間、彼の身体が前のめりに!

 スヴェンは地を蹴り飛び出すようにアドラの元に駆け出す。

 駆け付けたスヴェンにアドラが手を伸ばすが、彼の身体は眼に見えない空間に吸い込まれるように落ちた。

 だがスヴェンは彼の手を掴み、

 

「吸い寄せられてんのか」

 

 アドラごと見えない空間に引き摺り込まれる。

 光さえ届かない闇に堕ちた二人は眉を歪めた。

 無策に飛び込んでいたら此処で終わる。そんな言葉が頭に浮かぶが、スヴェンは冷静に息を吐く。

 

 ーー呼吸ができるってことは地中じゃねえな。

 

「『銀の鎖よ伸びろ』」

 

 空間の外からルーピンの詠唱が響き、空間に侵入した銀の鎖をスヴェンが掴む。

 

「魔道リフトが罠に早替りだって? 誰がこんな冗談みたいな現象を信じるよ」

 

「現に冗談みてえな現象に陥ってるのは俺達だがなっ」

 

 スヴェンは銀の鎖を目印に、左腕の腕力だけでアドラをルーピン達の方向に投げ飛ばす。

 すると彼の身体は空間から脱したのか、空間の外から人が衝突する音が響く。

 スヴェンは銀の鎖を引っ張りながら空間から無事に脱出し、

 

「危ないところだったね」

 

 冷や汗を掻くルーピンにスヴェンは肩を竦めた。

 

「悪魔ってのは油断ならねぇな」

 

 時の悪魔は誰にも悟られずに魔道リフトと罠をすり替えた。

 背後に感じる魔力の流れにスヴェンは眉を歪めながらため息を吐く。

 今こうして地に足を着けて立っていられるのも時の悪魔の気紛れか、それとも何らかの制約が有るのか。

 

「お前ら! 此処からは慎重に進むぞ!」

 

 スヴェンとルーピンが考え込むなか、罠を身を持って体験したアドラの注意喚起に坑夫達が深妙な面構えで頷く。

 

「さ、2人もそんな所で考え込んでないで先を急ぐぞ」

 

 考えても足を動かして歩み続ける他に選択肢は無い。

 スヴェンとルーピンはアドラ達に歩み花畑を進む。

 しかし意気揚々と歩き出したアドラ達を見えない壁が行く手を阻み、

 

「……ああ、そうか! 魔道リフトから降りてすぐの場所は二手方向に別れてるんだった」

 

 一先ず見えない壁に手を付けながら花畑空間を進むことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 アドラ達の記憶を頼りに花畑空間を進む中で判明したことが有る。

 一見眼に映る開放的な空間はただの幻覚に過ぎず、眼に見えない壁は手触りから土壁だという。

 つまり当初の推測通り目前の光景は幻覚で此処が坑道内であることには変わりない。

 しかしそこで引っ掛かるのが魔道リフトが罠に変わっていた件だ。

 

「アンタはどう考える? この現象とさっきの罠を」

 

「そうだねぇ、この光景は間違いなく幻覚だね」

 

「ただ魔道リフトに関しては魔道リフトを構成する魔法陣そのものを書き換えたか、魔道リフトの上に空間魔法を設置したか……」

 

 言葉を切ったルーピンが『いや、それでは……』っと小声で歩きながら思考に没頭し始めた。

 

 ーー疑問点が多いな。

 

 ルーピンが語った方法ならどちらも悪魔なら可能な方法にも思えるが、魔法を発動する際に必ず感じる魔力の流れが一切察知できなかった。しかしスヴェン達は間違いなく魔道リフトの魔力を感知していた。

 単純に時の悪魔が魔力の隠蔽に長けていたか。ルーピンの推測通り魔道リフトの上に空間魔法を設置することで魔力の流れを誤認させたか。

 それはそれで疑問が一つ解消できる。スヴェンは次の疑問に思考を巡らせた。

 時の悪魔が魔道リフトの魔法陣を書き換えたか、魔法陣の上に空間魔法を設置したか。

 遠距離から魔法陣の書き換えが可能なら魔法陣を利用した魔道具や設置式の魔法は全て罠に変わる事を意味する。

 これが一番最悪な答えだが、時の悪魔は魔道リフトが存在していた位置に時の魔法を使用した事も考えられる。

 後者に関しては希望的観測に過ぎず、それをする意味が薄い。

 

 ーーいや、そんな芸当が可能なら侵入者を排除する筈だ。

 

 少なくとも自分ならそうする事で侵入者に対するあらゆる危険性を排除する。

 そもそも時の悪魔がこちらを全力で排除したいなら魔道リフトの位置に関係なくあの場に居た全員を空間に落とすことも可能だった。

 そもそも上階から魔道リフトを使用した時点で時の悪魔はこちらを排除することも……。

 それこそわざわざ魔法陣を書き換えず、足場を丸ごと異空間の穴に替えてしまえば済む話だ。

 時の悪魔は使い魔擬きを多数配置し巻き戻りの魔法陣を守らせていたが、ルーピン達に危害を加える事はしなかった。

 同時に遠距離から魔法陣を弄ることも可能なら巻き戻りの魔法陣を人知れず修復することも可能なはず。

 今もこうして記憶を頼りに手探りで花畑空間を進んでいるが、スヴェンは自身で浮かべた思考の矛盾に気付く。

 

 ーー待て? 魔道リフトに空間魔法を重ねてねぇなら俺達が感じた魔力は何だ?

 

「魔力の隠蔽の中で発する魔力と全く同じ魔力ってのは可能なのか?」

 

「無理だよ、だから時の悪魔は魔道リフトに干渉してないっと結論が出せるんだ……ほら君もあの後に魔道リフトの魔力は感じてるだろ」

 

「……そうか。つまり時の悪魔に魔法が使われた事実は確かだが、それ以外は何も判らねえってことか」

 

「技術開発部門の所長として恥ずかしい限りだよ」

 

 この世には異世界も含めて理解が及ばない現象が数多く存在する。

 だからこそルーピンが判らないのも無理は無いことだ。

 

「単に2人の考え過ぎなんじゃ?」

 

 若い坑夫に言われてスヴェンとルーピンは互いに顔を見合わせる。

 確かにそう言われても仕方ない程に二人は考え込んでいた。だからこそ有りもしない方法を疑ったのかもしれない。

 警戒と疑うことは大事では有るが、それが妄想の域に達しては意味がない。

 スヴェンがわざとらしく肩を竦めて見せれば、アドラが若い坑夫に向かって告げた。

 

「警戒を怠るって言われたばかりだろう……現にオレは罠に嵌ったぞ」

 

「あれは確かに肝が冷えましたよ。だって足場が有るのに落ちるって現象を目の当たりにしたら目を疑いますって」

 

「そう言えば誰よりも真っ先に駆け出したのはスヴェンだったよな……常に警戒してるから動けたってことか」

 

 それに関しては確かにそうなのだが、単純な経験の差も有る。

 

「警戒したとして実際に身体を動かせるとは限らねえ」

 

「冷静さを欠き思考が遅れればそれだけ反応は遅れる。かと言って思い通りに身体が動くとも限らない、か。スヴェン、今までどんな経験をして来た?」

 

 アドラが鍛錬で培った経験じゃないっと見抜いたのか、探るような視線でこちらを見る。

 傭兵として殺しで培った経験など誇って語れるような物では無い。

 馬鹿正直に傭兵として戦争に参加し、戦場で敵を殺して経験を得たなどと答える必要は皆無だ。

 

「フィルシス騎士団長と今回の件に備えて鍛錬して来たからなぁ。多分そのおかげだろ」

 

 彼女の名を出せばスヴェンがどんな経験をしたのかなどは気にならず、アドラ達はフィルシスに鍛えられたという事実に得心を与えたようだ。

 先を歩くアドラ達の後にスヴェンとルーピンは歩き出した。



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27-3.気紛れか?

 スヴェン達は花畑空間を抜け、そこから地下三階の海底空間に進んでいた。

 悠々と海中を泳ぐ魚とモンスターにアドラ達が身構え、魚が身体を通過した事に安堵の息を漏らす。

 

「なんだ幻影かよ」

 

 汗を拭う若い坑夫を横目にスヴェンは魚とモンスターに視線を向けた。

 本物のモンスターが紛れても違和感は無いが、モンスターなら構わずこちらに襲いかかる。

 ただの脅し目的の魔法なのかーー進むに連れて時の悪魔の目的がますます判らなくなる。

 巻き戻りの魔法陣に対しては村人を近付かせず、解除させないように使い魔擬きに妨害させていたというのに。

 上層の花畑空間といいこれでは単なるテーマパークだ。

 時の悪魔の目的に悩むスヴェンを他所にモンスターに視線を向けたルーピンが、

 

「3年ぶりにモンスターを見たけど、外のモンスターは相変わらずかな?」

 

 現在のモンスターについて訊ねてきた。

 スヴェンは最近遭遇した周囲のモンスターに指示を与える新種を浮かべながらルーピン達に告げる。

 

「統率を取り指揮するモンスターが出現したな」

 

「それはまた厄介な状況になったね。それともそんなモンスターが出現してしまう程に大地が傷付いたのかな?」

 

 確かに新種のモンスターが出現したのはミルディル森林国の事件後だ。

 復活した邪神眷属の手でユグドラ空洞が地下から穿たれ、守護結界は砕けユグドラ空洞には大穴が。

 その結果モンスターが大量発生する事態に陥りミルディル森林国は一時期火災に見舞われ国民が避難を余儀なくされた。

 

「色々あってユグドラ空洞が崩壊したが、新種と遭遇したのはエルリア国内でだ」

 

「大地が何処で傷付いたのかは重要じゃないよ。重要なのは傷付いたという事実さ」

 

 歩きながら話すルーピンにスヴェンはため息を吐く。

 

「迷惑な話だな」

 

 実際に何処かの国が大地を傷付けないように気を遣った所で、何処かの馬鹿が大破壊を行えば星が新たなモンスターを生み出す。これほど迷惑な話は早々無いだろう。

 

「迷惑で済むなら良いけど、モンスターによっては一国を滅ぼすからねぇ。それに今までは対応が比較的容易かったけど新種で事情が変わるかも」

 

「指揮官の存在は馬鹿にできねぇからな」

 

 ただ人を殺すためだけに襲い来るモンスターの群れ、統率を取り効率的な人を襲うモンスターの群れとでは被害が違い過ぎる。

 何よりも各国の騎士団が取る指揮や部隊運用を模倣し始めたのなら各国が受ける被害は増すだろう。

 

「スヴェンならそういう手合いが相手ならどうするんだ?」

 

 アドラの質問にスヴェンは即答する。

 

「真っ先に頭を潰す」

 

「シンプルな解答ありがとよ……まあ、オレ達坑夫が考えても仕方なねえよな」

 

 モンスターの対策などエルリア魔法騎士団の仕事だ。それに対して彼ら坑夫は武具に必要な鉱石を採掘し市場に流すことで騎士団と経済を支える。

 簡素な仕組みを浮かべたスヴェンは海底空間に現れた気配にガンバスターを引き抜く。

 立ち止まる坑夫達を背に、スヴェンは気配が現れた方向に視線を向けながら警戒を浮かべる。

 確かに感じる気配、しかし魔力の気配はボヤけているようで感じ辛い。

 

「使い魔擬きか?」

 

「それじゃあスヴェンの出番だね」

 

 使い魔擬きを討伐して先に進む。単純な作業だが、スヴェンの肌に迸る感覚が警鐘を鳴らす。

 時の悪魔も使い魔擬きも村人とルーピンを害する気は無いが、どうにも嫌な予感がしてならない。

 スヴェンは真っ直ぐ見詰めれば、使い魔擬きがこちらに駆け出す姿が映り込む。

 同時に背後に複数の気配が現れ、スヴェンは前方の使い魔擬きに対して衝撃波を放ち、すぐさま背後に振り向く。 

 アドラ達に近付く使い魔擬きにスヴェンが飛び出すように駆け出すとーー突如空間な裂け目から現れた魔法の鎖がスヴェンに巻き付く。

 

「チッ!」

 

 スヴェンは無様に拘束された自身の失態に舌打ち。

 拘束を解除しようと駆け寄るアドラ達とルーピンに魔力の流れを察知したスヴェンが叫ぶ。

 

「近付くな!」

 

 瞬間、スヴェンは足元に出現した裂け目に身体が落下ーースヴェンはルーピン達を襲う魔法陣を最後に裂け目に飲み込まれた。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 地面に放り出される身体、熱気を帯びた空気にスヴェンは眉を歪める。

 

「此処は鉱山の最奥か?」

 

 壁の穴から噴き出る星の魔力を含んだマグマ、地を流れるマグマ。そして壁に露出したダイヤモンドの原石や鉱石と側に置かれたツルハシが、此処は目指していた鉱山の最奥だと告げる。

 なぜわざわざスヴェンだけを此処に転移させたのか。時の悪魔の目的に疑問を宿す中、拘束していた魔法の鎖が消えて身体に自由が戻る。

 

「……アドラ達は無事なのか?」

 

 最後に眼にしたのは、ルーピン達を襲う魔法陣だ。

 あれが自分と彼らを引き離すための魔法なら無事だろう。だが、排除を目的とした魔法ならルーピンを信じる他に無い。

 スヴェンは立ち上がり、膨大な魔力の気配にため息を吐く。

 魔力は目と鼻の先に有る洞窟から放たれているが、時の歪みさえ視認できるほどに空間が歪んでいる。

 この先に目的の時の悪魔が居ることは間違いない。スヴェンは無言でガンバスターを片手に洞窟へ進む。

 時の悪魔を討伐し、エンケリア村を解放させミアの依頼を果たす為に。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 外の新鮮な空気と穏やかな風にルーピンは自身の眼を疑う。

 

「外に放り出されたというか?」

 

 目の前に映る光景は紛れも無くエンケリア村だ。そして背後には鉱山の入り口が。

 ルーピンは辺りを見渡し、困惑を浮かべるも無事のアドラ達にひとまず安堵の息を吐く。

 しかし今回の件で頼み綱のスヴェンと分断されてしまったのは痛い。

 今からでもどうにかしてスヴェンと合流できないものか。

 ルーピンは鉱山の入り口に近付き、そして異変に気付く。

 

「これは……そんな」

 

 時の歪みが邪魔をして鉱山の立ち入りを拒む。

 完全に侵入する方法を失ったルーピンは真っ直ぐ歪んだ空間を見詰め、

 

「……仕方ない後はスヴェンに任せよう」

 

 自身の命運を含めた全てをスヴェンに委ねるように、ルーピンは濁った空を見上げた。



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27-4.時の悪魔

 スヴェンが最奥に飛ばされる少し前。

 

 歪んだ時の空間の中で長い浅葱色の髪を靡かせた中性的な顔立ちの人物が微睡から目覚める。

 ソレは黒を基調にしたスーツを着こなし、歪んだ空間の中からある一点を見詰めていた。

 金髪、鋭い三白眼に紅い瞳の人間。上着こそ共に行動している村人と変わりないがズボンと背中に背負う武器は違う。

 

「時の悪魔と呼ばれるぼくが知らない武器と生地。未知の素材を使ってるからこそ攻撃が通じてしまう」

 

 巻き戻りの魔法陣を護らせていたかわいい使い魔は、監視中の男に一度真っ二つに斬り裂かれ撤退した。

 そして巻き戻りの魔法陣を解除したのもあの男だ。

 このままでは此処に辿り着くのも明白だった。いや、敢えて招き入れるのも良いのかもしれない。

 彼さえ排除してしまえば時獄に護られているエンケリア村は無事で済むのだから。

 時の悪魔にとって時獄に侵入した男こそ巨悪だ。しかし人間の感情や尺度で言えば村一つを封じ込めたこちらが悪に見えるのは間違いない。

 理由を話せばエンケリア村の人々は受け入れるのか? そう何度も自問自答したが、

 

「こんなことした事情なんて話せるわけないじゃないか」

 

 視てしまった未来の光景を決して語るわけにはいかない。

 あんな絶望しか残されていない未来などーーあんな未来はもう視たく無いよ。

 時の悪魔はそれ以降未来視を使わず、ただその時が過ぎ去るのを待つことを選んだ。

 偶然近くを通りかかったエンケリア村を責めて護ろうとして。

 

「主人様、たまには外に出ては如何かですか?」

 

 自身に語りかける使い魔に視線を向けた時の悪魔は、

 

「もう回復したんだ。いや、外に出るのはちょっとねぇ」

 

 潜む場所に選んだ鉱山の最奥から出ることに嫌そうに顔を顰めた。

 時折り上の階に出向いて幻覚魔法で好き勝手に風景を弄ったりしたが。

 

「あの恐ろしい人間が此処に到着したら主人様の身が危険ですわ!」

 

 使い魔自身が身を持って経験したからこそ此処から逃げろと言っているのだ。

 此処にあの男が来る、それは困る。困るが出掛けた矢先にばったり遭遇というのも嫌だ。

 しかし心中を隠した時の悪魔はこちらを永年慕い続ける使い魔に、

 

「いやぁ、でもぼくって強いからね」

 

 あくまでも強気な姿勢を示す。

 実際に時の悪魔は何度も邪神眷属を返討ちにし、時には勝負を挑む悪魔を討ち取ったことも何度も有る。

 

 ーーまあ、概念に護られてるから負けは無いんだよね。

 

 それに加えて悪魔だから肉体が滅んでも地獄に戻るだけで死ぬことは少ない。

 

「いえ、今回ばかりは主人様にも通じる武器を待ってる手合いですわ!」

 

 未知の武器を使う男。過去に存在した異界人と呼ばれる者で間違いない。

 

 ーー異界人が召喚されてる。……まだ未来通りに進んでるんだ。

 

 異界人の目的はエンケリア村の解放は明白だが、もしも真実を打ち明けたら黙認か協力してくれるかもしれない。

 時の悪魔は騒ぐ使い魔を抱き上げ、ふわふわの身体を優しく撫でやる。

 既に絶滅したミュレースキャットのふわふわの毛並みに頬が綻ぶが使い魔の表情は険しいままだ。

 

「落ち着いて、相手は人間なんだ。少し力を見せれば引き込めるかもしれない」

 

 優しく撫で次第に使い魔は心地いいのか、そのまま腕の中で眠り始めた。

 万が一戦闘になる可能性が有る以上、大切な使い魔をこれ以上傷付けさせる訳にはいかない。

 時の悪魔は使い魔を異空間の中に入れ、改めて坑道を進む男に視線を移す。

 招き入れるには少々心の準備がいる。いくら悪魔でも怖い者は怖いし、交渉を優位に進めるには弱みをみせず相手の心を挫くことから始めなければならない。

 手始めに弄った坑道を眼にした反応を窺おう。

 

 時の悪魔が最奥でスヴェンに悟られず観察を続けーーとある単語を耳にした時の悪魔は事の真意を確かめるために坑夫とスヴェンを分断させることに。



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27-5.恐怖の天敵

 時の悪魔は簡単に分断が成功した事に満足気な笑みを浮かべた。

 

「まさか簡単に成功するなんてね……警戒心が強そうな印象だったけど、何も無さ過ぎて気が抜けたかな?」

 

 人間は弱点が多い生き物だ。まず今回対峙する男の魔力は悪魔から見れば少ないが、人間の範疇で言えばそこそこの量を誇る。

 それでもこの世界にとって未知の塊であるあの男に接近されるのは危険だ。

 その為に万が一に備えた保険を用意している。

 

「油断は禁物かぁ、異界人はみんな彼みたいな奴ばかりなのかな」

 

 時の悪魔は気配を殺しながら真っ直ぐ洞窟の入り口から歩む男に語りかける。

 男は不機嫌そうな表情で変わった大剣を構えながら、

 

「さあ? アンタの眼で確かめてみりゃあいいだろ」

 

 どうでも良さそうに答えた。

 愛想が無い。今まで観てきた人間と違って目の前の男は幾つも欠落を抱えている。

 生物として生まれ持った感情の一部ーー欲望、性的欲望と欲求、愛情、愛が欠けた空虚で獰猛な人間だ。

 それこそ戦いに不要な感情や欲望を根こそぎ削ぎ落とした印象さえ受ける。

 時の悪魔は目の前の男ーースヴェンに呆れるように肩を竦め、

 

「嫌だよ、ぼくはこうして平穏に穏やかに……絶望とは無縁に生きたいんだ」

 

 絶望を知ってしまった時の悪魔が一瞬だけ顔を歪めれば、スヴェンが見透かしたように口角を吊り上げる。

 

「絶望……悪魔が絶望に怯えてんのか?」

 

 それは悪魔として生まれた自身に向けた皮肉だった。

 安っぽい挑発と理解しながら変えることもできない現実と未来に時の悪魔は空間から剣を取り出す。

 それは時の概念を固めて生み出した特殊な魔剣ーー時の魔法を効率的に世界に影響を与えない範囲で行使するための枷でも有る愛剣を構えた。

 

「ふん、聴きたいこともあったけど……質問はお前の戦意を挫いた後にしてやるよ」

 

 下丹田の魔力を増幅させた途端、スヴェンが目前から消える。

 

 ーーは? 音を置き去りに? 人間の速度じゃっ!?

 

 人間が生身で出して良い速度では無い。

 内心で焦った時の悪魔は、

 

「『世界の時よ止まれ』」

 

 詠唱を唱えることで時獄内部の時間ごと空間を停止させる。

 灰色に染まった空間。此処から時の悪魔の領域、神以外は何人たりとも侵すことができない不可侵の領域だ。

 時間停止と空間停止を合わせた魔法に時の悪魔は汗を拭う。

 

「ふぅ、危ないところだったよ。卑怯とは言わないよね?」

 

 この魔法は必中かつ勝利を確実のものにさえする必殺の魔法だが、強力すぎる故に世界に与える影響も大きい。

 だからこそ世界に与える影響を最小限に。十秒と持続時間が短く、連続して唱える事が不可能な魔法だ。

 魔法が解ける前にスヴェンを探し出し、攻撃魔法を仕掛ける。 

 それで終わり。これは何万年も挑んできた相手を負かした必勝法だ、神以外は成す術なく重傷を負う。

 早速時の悪魔は背後に振り返り、既に刃を振り抜き首を飛ばさんとするスヴェンにーー薄ら涙を浮かべた。

 此処まで殺意しかない人間は非常に珍しければ、無表情で繰り出される必殺の一撃に躊躇など感じられない。

 

「この人間怖いよぉ!」

 

 だが怯えてる暇など無い。

 時の悪魔は魔法が切れる前に、スヴェンの周囲を念入りに満遍なく逃げる隙など与えないように魔法陣を展開した。

 此処で魔法を放てれば終わるが、時間停止と空間停止を合わせた魔法には最大の弱点が有る。

 魔法発動中は如何なる魔法も停止してしまうということ。

 無理もない。停止した空間の余波で新しく展開した魔法も空間の影響を受けてしまうのだから。

 時の悪魔はスヴェンから距離を取り、洞窟の宙に浮かぶ。

 そして魔剣に魔力を流し込み万が一に備えーー空間が綻び解除間近になって漸く気が付く。

 魔法陣に囲まれたスヴェンと別の位置に居る()()()()()()()()()の姿に時の悪魔は呆気に取られてしまった。

 

 だがもう時既に遅し。魔法が解除されてしまう。

 展開された様々な魔法陣から放たれた無数の閃光がスヴェンの身体を穿つがーーそれは残像に過ぎず、本物は既に時の悪魔の目前に迫っていた。

 縦に振り抜かれるガンバスターを時の悪魔は魔剣で受け止め、衝撃が洞窟に走る。

 力強い一撃を受け止めた時の悪魔の表情が歪む。こんな事は今まで経験に無かったことだ。

 ましてや魔法の発動よりも速く動く人間など居るはずがーーあぁ、そうか。人類はぼくに無い成長を遂げてるのか。

 刃が拮抗し火花が散る中、

 

「異界人、それともお前が単に強過ぎるだけなのかな?」

 

 興味本意でスヴェンに訊ねる。

 きっと彼は強いのだろう。己の強さに自負と自信を持つ人間なのだろう。

 そう考えていた時の悪魔にスヴェンは返す。決まっている答えを。

 

「あん? 俺なんざ臆病で弱い分類だ」

 

「弱い……弱いだって? 音速で動けて一手に備えた動きをする人間の何処が弱いって言うんだよ」

 

「知らねえのか? アンタに概念の護りなんざ無ければ()()()()()()()()()()()()()。エルリア魔法騎士団がアンタを討伐してたろ」

 

 確かに自分自身は概念の護りで既存する魔法と武器から護られている。

 だからテルカ・アトラスに生きる人類、悪魔、魔族、天使、邪神眷属は未知の魔法、技術を開発する他に傷一つ付けることさえ叶わない。

 その意味でもスヴェンは自身に対する天敵。それが自ら弱いと語る意味が時の悪魔には到底理解が及ばない。

 それでも臆病という点は共感が持てた。臆病だからこそ策を弄し、絶対に負けない安全圏から時獄と巻き戻りの魔法を維持していたのだ。

 時の悪魔は魔剣で斬り返し、スヴェンをガンバスターごと押し返す。

 地面に着地するスヴェンに魔剣を振り抜き、時を斬り裂く斬撃を飛ばした。

 たが飛ばした斬撃は残像を残したスヴェンに呆気なく避けられ、跳躍したスヴェンがまた迫る。

 斬られる! 目前に迫る刃の一閃が身体に走った。

 洞窟に舞う鮮血、地面に落ちる身体。今まで一度足りたとも感じた事がない感覚。

 激痛と血が肉体から抜け出る恐怖が時の悪魔を支配する。

 

「痛い、痛い痛いっ! 怖いっ!」

 

 涙を流しながら叫ぶ時の悪魔にスヴェンは呆気に取られ、

 

「あ? 確かに斬られりゃあ泣くほど痛えが……ああ、はじめてなのか」

 

 得心を得たようにすぐさま冷静な眼差しに戻る。

 傷付いた身体を魔力で修復し、傷を癒した時の悪魔はよろよろっと涙を流しながら立ち上がった。

 身体が痛い。怖い、もう戦いたくない。空間の中で閉じこもってのんびり過ごしたいっ。

 原因は自分に有る。それは理解してるが、此処で時獄を解除する訳にはいかない。

 だからこそ時の悪魔は魔剣を構え直す。

 

「……っ! 滅びる人類を存続させる為にぼくは負ける訳にはいかないんだ!」

 

 時の悪魔は叫びながら無詠唱で攻撃魔法を乱射しながらスヴェンに迫る。

 スヴェンが眼を見開きながら魔法を弾く中、時の悪魔は自身に流れる時間を操作し速度が増した身体で、スヴェンの背後から魔剣を袈裟斬りに振り抜く。

 

 ーー取った! これでぼくのっ!

 

 いくらスヴェンでも無尽蔵に不規則に乱射されるのは魔法を下手に避けれず、防御に徹したと考えた時の悪魔が勝利を確信した瞬間ーーガキィーン!! 人体から鳴ってはならない非常に鈍い音が響き渡る。

 背中で受け止めれた魔剣に時の悪魔は呆気に取られた。普通なら魔剣の刃が当たった時点で対象の時間を停止するはず、しかしそれも起こらない。

 本来齎す筈の結果が訪れないことに時の悪魔は叫ぶ。

 

「鉄でできて……っ!?」

 

 同時に気付く。スヴェンの全身を包む練り込まれ非常に強固な鎧と化した魔力に。

 

「魔力で防いだっていうの!?」

 

 騒ぐ時の悪魔を他所に、スヴェンは振り向き様に拳を振り抜く。

 振り抜かれた裏拳が時の悪魔の頬に穿つ。

 頬に伝わる衝撃と痛み。殴り飛ばされる身体に時の悪魔はまた涙を流し、壁に衝突した。

 壁に衝突した痛みは無い。痛みは殴られた頬のみ。

 流石に此処まで泣いてる相手に人間は攻め手を緩め、事情を訊ねるだろう。

 それで理由を話してこちらに引き込む。そんな考えのもと時の悪魔はスヴェンを見上げーーガンバスターを構えるスヴェンに絶望した。

 同情を誘ってこちら側に引き込もうなど甘い考えだった。

 

 ーーなんなだよ、この人間! 泣いてる相手に容赦無しなの!?

 

 刃の先端を構える。このままではきっとこの男は身体を貫くだろう。

 それとも刃の先端に見える穴が何かを意味するのか。

 一体どんな攻撃をされるのか、例え肉体的に滅びなくとも痛みを知った時の悪魔は、

 

「調子に乗るなよ人間!」

 

 悪魔の意地を見せ付けるように魔剣に下丹田の魔力を流し込み、周囲に魔法陣を展開させる。

 詠唱を唱えようと口を動かした瞬間ーー冷徹な傭兵の前に詠唱は、ましてやスヴェンは悪魔が死なない事を理解し厄介な魔法が使えるからこそ躊躇わない。

 例え相手が戦意喪失してようが関係ない。

 詠唱を声に出すよりも速くスヴェンは引き鉄を引く。

 スヴェンは時の悪魔の頭部に躊躇なくガンバスターの銃口から最後の.600GWマグナム弾を放つ。

 銃口から放たれ、高速で飛来する銃弾に時の悪魔は息を吐いた。

 

 ーー人間って恐い。時間を巻き戻して何度も挑戦なんて無理だよ。

 

 頭部が木っ端微塵に吹き飛ばされ肉体が死ぬ間際。時の悪魔はスヴェンに心の底から恐怖を刻み込まれ魂の状態になりながら弱った意識を手放した。



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27-6.確保

 身体が朽ち果て魂の状態になった時の悪魔にスヴェンは呆気に取られ、

 

「終わっただと?」

 

 時の悪魔の現状に疑問が漏れ出した。

 討伐と捕獲対象をあっさり片付けられたのは嬉しい誤算とも言えるが、スヴェンを晴れない靄が襲う。

 瞬時に時間と空間を停止し、停止中に大量の魔法陣を仕掛けて確実に殺しに来た時の悪魔は決して弱い筈はない。

 むしろ時間停止を警戒して初手で様子見を兼ねた残像を作らなければ、魔力の鎧で大量の魔法を防ぐ羽目になっていた。

 警戒と対策が功を成したとも言えるが、

 

「……痛み、恐れ、挙げ句の果てに泣くか。悪魔にしちゃあ随分感情豊かだったな」

 

 恐らく時の悪魔は概念の護りによって充実した戦闘経験を得られなかったのだろう。

 それが今回の依頼達成に導いた大きな要因だ。もしも奢りも無く絶え間ない研鑽を重ねていれば異界人であろうとも対処は不可能に近いかもしれない。

 現に時の悪魔が使用した魔剣を魔力の鎧で防いだが、魔力は大量に減り二撃目を防ぐことは不可能な状態だった。

 そんな状態でまた時間停止でもされれば護る手段など無く詰む。

 いや、手出しが難しい異空間内に潜伏されてしまえば発見することも厳しいだろう。

 だからこそ、なぜ? わざわざ自身を近場まで転移させ待ち構えていたのか。

 始まりから終わりまで疑問が尽きない。

 それにっとスヴェンは封魔瓶を取り出しながら息を吐く。

 

「コイツには聞かなきゃならねえことが有るな」

 

 戦闘中に発した滅びる人類の存続。それではまるで時の悪魔が時獄でエンケリア村の住人を護っていたようではないか。

 いや、見方を変えてしまえば確かにエンケリア村は三年間はあらゆる外部の干渉、邪神教団から護られていた。

 時獄と巻き戻りの魔法を組み合わせることで三時間を繰り返させ、食料問題や寿命の問題を先延ばし。

 謂わばエンケリア村の現状は地獄とも言えるが、逆に楽園とも言える。

 死の繰り返しに目を瞑ってしまえばの話だが。

 

「人類滅亡の引き金を引く……まあ、そん時は帰還なんざ言ってられねえなぁ」

 

 人類が滅びる要因は数多く存在するが、それを依頼を請たとはいえ異界人の自身がきっかけを作ったとなれば話は違う。

 きっかけを作った者としてテルカ・アトラスと共に死ぬのが道理というものだ。

 しかしまだ真実と決まった訳でもない。

 スヴェンが封魔瓶に魔力を流し込めば、時の悪魔の魂が瓶の中に吸い込まれる。

 これで後は時獄が解除されたかどうか確かめるために、一旦外に出るだけ。

 初見の順路を引き返すという奇妙な状況では有るが、一刻も速く戻りルーピン達と合流すべきだ。

 スヴェンはサイドポーチに封魔瓶をしまい、出口に向けて歩き出す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 最下層で空のトロッコと山積みの金鉱石を乗せたトロッコを発見した。

 出入り口に有る筈だったトロッコが此処に有るという事は、時の悪魔の妨害によるもの。

 地下二階から始まった幻覚魔法も進行を遅らせる為の妨害だっと今なら説明が付く。

 そこまで妨害しておきながら最後に自身を招くように最奥に転移させた事にスヴェンは改めて顔を顰めた。

 策を弄し徹底していた時の悪魔を高く評価していたからこそ、なぜ最後に詰めを誤り短絡的な行動に出たのか。

 

 ーー自信の表れか、それとも……。

 

 戦闘に入る前に時の悪魔は何かを聞きたがっていた素振りを見せていた。

 それが時の悪魔を行動させた要因なのかもしれない。

 悪魔が人類滅亡回避の為に時獄でエンケリア村を封じた。なぜエンケリア村が選ばれたのか、それは本人の口から直接聞き出せば判ることだが、少なくともスヴェンは知る必要が有ると考えた。

 時の悪魔が一体何を知り何を視たのかを。

 

「考えても仕方ねえか、先ずは此処から出ねえ事にはな」

 

 レールに置かれたトロッコを使えば出口まですぐだろう。

 トロッコに問題が無いことを調べてから乗ったスヴェンは、側のレバーに魔力を流し込む。

 魔力を受けたトロッコが勝手にレール上を走り出し、熱気がスヴェンの頬を撫でる。

 スヴェンは息を吐き眼を瞑った。

 出口まで最適化されたルート。これならそう時間を掛けずとも出口に到着するだろう。



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27-7.発端

 エンケリア鉱山から出たスヴェンは出入り口で立ち往生していたルーピン達と合流し、空を見上げた。

 時の悪魔を封魔瓶に封じたが相変わらず灰色に濁った空がまだ時獄が解除されていないことを告げる。

 

「時の悪魔は倒した筈なんだが、本人に解除させねぇとダメなのか?」

 

「さらっと朗報を言ってくれるねぇ」

 

 困惑混じりに眼鏡を押し上げたルーピンに視線を移し、

 

「その件も踏まえて話が有る」

 

 事によれば深刻な話だ。そう眼で告げれば、彼は察したように小屋に向けて歩き出す。

 彼の背中を追うべく歩き出したスヴェンは、背後から突き刺さる困惑の視線と足踏みする気配に視線を移した。

 

「坑道の案内助かった、後は家でのんびり過ごしてくれ」

 

「途中までだったがな。……いや、そうだな鉱山の再稼働に向けて英気を養うとするか」

 

 未だ解除されない時獄、襲う不安感や疑心を堪えてまでアドラは言葉を呑み込んだ。

 そんな彼に言える事は一つしか無い。

 

「脅してでも時獄は解除させる……フッ、まあだからしばらく小屋には近付くな」

 

「お、おう……本来時の悪魔は憎むべきなんだろうけど、今は同情しかないな」

 

 敵に同情するべきでは無いが、時の悪魔が語る真実次第では同情は正当な感情なのかもしれない。

 尤も今のアドラが向けている同情心はこれから拷問される哀れな時の悪魔に対してだが。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 アドラ達と別れた後、ルーピンの小屋に到着したスヴェンは封魔瓶をテーブルの上にやや乱暴気味に置く。

 中身の魂が揺れ動き、漸く目が覚めたのか。魂はまるで辺りを見渡すように動き始めた。

 

「魂の状態ってのは視界があんのか?」

 

「仕草から見るに有るみたいだね……ふむ、興味深いな。何か魔道具に活かせないか徹底的に調べてみようかな」

 

 未知の探究に対して楽しげに笑うルーピンの一面に呆れ気味にため息を吐く。

 

「悪魔に通じるかは知らねえが、ソイツは結構臆病なんだ。悪いが追求は用済みになった後にでもしてくれ」

 

「君……だいぶ酷い事言ってる自覚有る?」

 

 所詮時の悪魔は一時的に契約したあとは用済みだ。その後悪魔が何をしようがどうでも良ければ、ルーピンの探究心を満たすならそれはそれで良いとさえ思う。

 そんな会話が時の悪魔に聴こえていたのか、

 

「ぼ、ぼくに何をするき!? こんな状態のぼくを追い込もうとするなんて……人間はいつから冷酷に育ったんだっ!!」

 

 人類の冷酷さを非難する叫びが部屋に響き渡る。

 

「……スヴェン、これは本当に時の悪魔なのかな? こんな怯えた悪魔なんてぼくは初めてみたよ」

 

「さっきも言ったろ、コイツは戦闘中に泣き喚く程度には臆病なんだ」

 

 一体何をしたんだ? そんな咎めるような視線を無視しながらスヴェンは封魔瓶の時の悪魔を睨む。

 

「さて、先ずは時獄を解除して貰おうか?」

 

 ガンバスターの柄に手を伸ばしながら時の悪魔に要求を告げる。

 

「……」

 

 だが時の悪魔は無言のまま魂を震わせるばかりで時獄を解除する素振りを一向に見せない。

 単なる力技による脅しは通じない。むしろ完全に怯えた状態では会話もままならない。

 遣り難い相手だ。脅しが通じないなら要求を変える他に無い。

 だが時獄の解除は絶対条件だ。それを踏まえた上でスヴェンは思考を巡らせながら時の悪魔に比較的穏やかな口調で語りかける。

 

「そういやアンタは滅びゆく人類がどうのとか、聴きたい事が有るとか言っていたが……解除の前になぜエンケリア村を時獄に封じたのか話してくれねぇか?」

 

 ルーピンが驚愕に眼を見開く中、敢えて話を聴く姿勢を見せれば時の悪魔はしばしの沈黙のあと漸くーーゆっくりと静かに語り始めた。

 

「ぼくは……時の流れに委ねながら穏やかにひっそりと暮らすのが好きなんだ」

 

「ひっそりと可愛い使い魔と過ごしながらぼくは、たまに姿を隠して外を出歩くんだ……ちょっと前まで何も無い場所に国が出来てる時なんて新鮮で楽しくてね」

 

「時間の感覚が随分と違うらしいね」

 

 時の悪魔にとって時間経過など有って無いようなもの。

 そんな感情を浮かべながらスヴェンは黙って時の悪魔の語りに耳を傾ける。

 

「たまの散歩ともう一つぼくは未来を視ることも趣味で……」

 

 未来視で人類が滅びる未来を視たから時獄にエンケリア村を封じ込めた。

 なぜエンケリア村が選ばれたのかは、単に偶然近くに居たからという事も察しが付く。

 スヴェンはそれを踏まえた上で無言を貫く。

 

「君が視た未来を詳細に話してくれないか? それが判らなければ我々は回避することも備えることもできないからね」

 

 穏やかに論するルーピンに時の悪魔は吐息を吐き、意を決したのか魂を震わせながらゆっくりと視てしまった絶望の未来を語り始めた。



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27-8.絶望の未来

 とある初夏の季節。

 エルリア城のレーナは齎される報告に眉を歪める。

 

「……今回も失敗してしまったのね」

 

「いえ、あれは明らかな裏切りですよ。それにメルリアの子供達もフェルシオンのユーリ伯爵達は……」

 

 邪神教団の暗躍によって旅立った異界人は同行者のクレアを隷属化させ裏切りメルリアの事件に加担。

 邪神教団は誘拐した子供達全員を生贄に捧げ、メルリアの住民に絶望と悲しみを齎した。

 その一方で交易都市フェルシオンでは邪神教団のアイラ司祭がユーリ伯爵とリリアを殺害し、町の住人全員を操ることで支配下に置き町を完全制圧。

 ユーリ伯爵が管理していた封印の鍵も邪神教団の信徒に回収され、エルリアに暗い影を落としていた。

 

「……私は、頼る相手を間違えてしまったのね」

 

「姫様……しかし魔王様の身を安全に救い出すには他に方法も……」

 

「えぇ……だけどこれ以上の被害はもうお父様も黙認する事はできないわ」

 

 国民とアルディアを天秤にかけて決断する時が迫れている。

 それでも魔王を犠牲にして良いのか。何の為に各国は邪神教団に耐え続けたのか。それは全てアルディアを安全に救い出す為にだ。

 しかしこれ以上は信用できない異界人を頼り続ける事はもう無理だ。

 勝手に召喚した負目も有るが、これ以上は何も解決策にもならず悪戯に国民に被害を与えるだけで何もならない。

 

「……召喚はもう無理ね。別の方法を模索しましょう」

 

「……隙を見てフィルシス騎士団長が侵入できれば良いのですが」

 

「最前線で戦線を支える彼女が不在となれば不信感を招くわ」

 

 今更フィルシスを潜入させる事はできない。それに凍結封印の解除に必要な瑠璃の浄炎さえまだ入手できていない。

 改めて手詰まりな状況にレーナは頭を抱え、心配する家臣の前で気丈に振る舞う。

 次の一手を打たなければならない。

 そう思考したその時だった。突如北の方角から膨大な魔力の柱が立ち登り空が赫く染まったのは。

 突然の事に執務椅子を蹴り立ったレーナは窓に振り向く。

 

「あの方角は……っ! 至急全騎士団に国民の避難指示を!」

 

 慌てながら廊下に駆け出す家臣を見送ったレーナは眼を瞑り、

 

『私の声は聴こえてるかしら?』

 

 竜王に念話を送り語りかける。

 

『うむ、我の召喚姫よ聴こえてるぞ』

 

『ヴェルハイム魔聖国の状況がどうなってるか判る?』

 

『……いま上空付近に着いた所だが、最悪の一言に尽きる』

 

 竜王が語る最悪の状況。それは膨大な魔力と変貌した魔力から邪神眷属が復活してしまった事を意味する。

 それだけでも目の前が真っ暗になりそうになるが、レーナは悲観して倒れてる暇など無いっと踏ん張り竜王に問う。

 

『巨城都市エルデオンの被害状況は?』

 

『……残念ながらもう巨城都市は完全に消滅した。地図の何処にもあの国は無い』

 

『……っ!? そ、んな。国境に居たフィルシス達や魔族はっ?』

 

『……ほう、エルリア魔法騎士団は無事だ。いま撤退を開始したようだな』

 

 しかしこのまま復活した邪神眷属が撤退するフィルシスを見逃す筈が無い。

 それにフィルシスも部下を逃すために殿を勤めるだろう。それでは、万が一の時に邪神眷属に対する対抗手段を失う。

 

『邪神眷属、倒せそう?』

 

『我にとって赤子同然……』

 

 竜王を通して膨大な魔力がレーナに伝わる。

 圧縮した魔力をブレスとして放つ竜王の姿を視界に映したレーナは、ブレスの余波で空と浮遊群が燃え盛る様に眉を歪めた。

 やり過ぎだと思わなくも無いが、人類の脅威を早めに討伐する事に越した事は無い。

 しかしレーナの安堵も束の間、

 

『……奴め不老不死を憑代に復活したな』

 

 エルロイ司祭を憑代に復活した邪神眷属。その事実だけでレーナは悟ってしまう。

 いくら竜王でも大地を傷付けない誓約を課してる以上、邪神眷属を仕留めることは不可能だ。

 

『……っ! 倒せないなら足止めするしかないわねっ』

 

『ならばその勤めは我が果たそう』

 

 竜王から念話が切られ、彼が本格的に戦闘に突入したのだとレーナは理解する。

 同時に竜王が足止めしている間に解決策を導き出さなければならない。

 悲観してる暇も友と同盟国の滅亡を嘆く暇も無い。いや、一度泣いてしまえばもう立ち上がれない、そんな強迫観念がレーナを突き動かしオルゼア王の下まで急がせるのだった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 邪神眷属の復活から程なくしてーー竜王と交戦中の邪神眷属は無数の使い魔を召喚し世界各地に解き放った。

 一体一体が連携して当たらなければ厳しい手合いにエルリア魔法騎士団は次第に消耗戦を強いられる中、更なる絶望が世界を襲う。

 ミルディル森林国に潜伏していたジギルド司祭が封印の鍵を入手、二体目の邪神眷属が復活。

 復活の余波によりミルディル森林国は壊滅し、逃げ惑う国民が眷属の使い魔に狩られ生贄として捧げられ、美しかった大森林国は死の樹海に変貌した。

 どうやって二体目の邪神眷属を倒すか。議論する暇も与えず、フィルシスが単身でミルディル森林国に出立。

 それをレーナ達が知ったのは彼女が出立した後だった。

 

 それから夏が終わり秋が訪れ、レーナ達の下に知らせが届く。

 フィルシス、邪神眷属と相討ちという知らせが。

 エルリア魔法騎士団の最高戦力である彼女の戦死はエルリア国民に更なる絶望を与えるには充分過ぎるほどだった。

 いくら一体倒せても不死性を持つ北の邪神眷属は如何あっても倒し切れない。

 今は竜王によって足止めされているが、いつ拮抗が崩れてもおかしくは無い。

 誰しもが現状に悲観する中、更に畳み掛けるように絶望が襲った。

 突如呪いに蝕まれ倒れたレーナが、あらゆる解呪魔法も効かず帰らぬ人となりーー同時にレーナと召喚契約を結んでいた各大精霊や竜王も彼女に召喚された異界人の同時消滅。

 民に愛された姫の死を国民は嘆くことも許されず、邪神教団と眷属の使い魔に狩られーー襲来した北の邪神眷属にオルゼア王が立ち向かうことに。

 

 戦闘は三日三晩続いた。ミアの治療魔法によって傷を癒しながら奮戦するオルゼア王だったが、いくら殺せども蘇る邪神眷属を相手に次第に劣勢を強いられーーオルゼア王はミアと共にその命を散らした。

 彼の死はすぐさま各国に伝わり、人類は悲観しながら攻め込む眷属の使い魔に蹂躙されーー人類は邪神眷属が復活してから一年も保たずに滅亡した。

 その後邪神の復活によりアトラス神が地上に降臨。

 天使と邪神眷属による衝突。

 二度目の二柱の衝突によって大地は死に絶え、星の魔力が枯れ果てテルカ・アトラスは静かに消滅した。

 

 それが時の悪魔が視た人類が滅びる未来だった。



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27-9.解放

 語り終えた時の悪魔にスヴェンとルーピンは困惑しながら戸惑う。

 

「無理もないよ。いずれ訪れる未来に戸惑うのもね」

 

 そうじゃない。既に時の悪魔が語る未来は訪れ難いからだ。

 だからこそスヴェンは時の悪魔とルーピンにこれまでの事を詳細に語る。

 自身がレーナに召喚されてから今日までのことを。

 

「……まあ、少なくともアンタの視た未来から若干外れてると思うが?」

 

「若干どころじゃないけどっ!?」

 

 一歩でも間違えれば何処かで邪神眷属復活に繋がっていたのは事実だ。

 自身の存在の有無は関係ない。

 人間一人の存在の有無が世界に与える影響は僅かだからだ。

 現在と時の悪魔が視た分岐点は恐らくフェルシオンでアイラ司祭の討伐。

 そして邪神教団の手に封印の鍵が渡ることを阻止したかどうかだ。

 そこで大きく分かれたのだろう。

 しかし厄介なことに絶望の未来に繋がる要因は他にも有った。

 ミルディル森林国で邪神眷属の復活。

 事実ミルディル森林国では不完全ながら邪神眷属の復活を許し決して少なくない被害が齎された。

 それにまだ無視できない要因が残ってることも事実だ。

 レーナは近い内に発現した呪いで死ぬ。

 もしかすれば既に呪いが発現し、レーナを蝕んでいるかもしれない。

 

「……あぁ、そっかぁ。ぼくが視た未来は変わってるのか、村のみんなには悪い事しちゃったなぁ」

 

「廃人者が出てる以上、アンタの行動に対して村人が理解を示すかは難しいだろうな」

 

「赦されようなんて思わないよ。それに君達には語ったけどぼくが知った絶望はぼくの胸の内にしまっておく……ほら知らない方が幸せだろ?」

 

 そもそも未来視で知った事を村人に伝えたとして信じる者はそう多くは無いだろう。

 人というのは予言に関して大半は半信半疑でその時が訪れるまで信じようとはしない。

 むろん中には対策を取る者も居るが、結局の所はその時が訪れて漸く真実だったと認識される。

 

「ま、アンタの話は与太話程度に適当に聴き流されるのがオチだな」

 

「ゔっ、昔の人間は悪魔と天使の助言を素直に聞き入れたのに……はぁ〜悲しいなぁ」

 

「悲しむのは自由だが、時獄は解除すんだろ」

 

「もう必要ないと判ったからね……それにやっぱりぼくには空間の中でひっそりと暮らす方が性に合ってるんだ」

 

 時獄を解除したら晴れて自由の身だと語る時の悪魔にスヴェンは淡々と語る。

 

「悪いがまだアンタを自由にする気はねぇよ」

 

「ぼ、ぼくを実験に使う気なのっ!?」

 

「そっちも悪くねぇが、時獄を解除した後にアンタと契約を結びてぇ」

 

 契約に関して告げると時の悪魔は興味を抱いたのか、瓶の中で上下に動き始めた。

 

「契約、ぼくと契約してどうするつもり? これでもぼくは一度も契約を結んだ事は無いんだけど」

 

「契約してアンタの力で11年前のエルリア城下町に時間跳躍してぇんだよ」

 

「……ぼくにかかれば時間跳躍も簡単だけど、往復分の対価は必要だし何よりも対象がその当時の出来事を知らないと飛ばさないよ」

 

 なぜそんな条件を貸すのか。それは過去に遡ることで自身が取る行動が現代に影響を及ぼす。

 過去に遡るということの意味を理解した上でスヴェンは答える。

 

「俺が変えてえのは姫さんが呪いの受けた事実だけだ」

 

「簡単に言うけど難しいよ?」

 

 その方法は既に考えては有るが、まだ十一年前のエルリア城下町に関してスヴェンは知らない。

 出来事に対する矛盾を過去の住民に指摘され、また記憶に残るような行動も控える必要が有る。

 

「考えは有るが……とにかく先ずは時獄を解除することが先だ」

 

「……まあ良いよ」

 

 そう言って時の悪魔が魔力を操作すると、突如空からガラスが破れる音が響き渡る。

 一瞬だけ眩い光がスヴェン達を飲み込み、気が付けば窓の外に変化が訪れていた。

 夕暮れだった空は夜空に変わり、木は紅葉に染まり、窓を開ければ秋の風が吹き込む。

 外を一通り見渡し時獄から村が解放されたことに実感を得たスヴェンは、自身の身体に訪れた異変に気が付く。

 点滅するように透けたり戻ったりする身体。突然の変化にスヴェンは戸惑うことなく冷静に結論を導き出す。

 

「……姫さんが危ねえ状態だと異界人にこんな影響が出んのか」

 

「……いや、姫様が召喚、召喚契約を交わした者全てに影響が出てる筈だよ」

 

 時の悪魔が視た未来で竜王が消滅した原因は、レーナの死亡によるもの。

 だからこそスヴェンは理解してしまった。竜王はレーナという人間の少女、たった一人の一生と運命を共にするつもりなのだと。

 長く生き続ける最強種の王だからこそ死に時を求めたのかもしれない。

 スヴェンは自身の憶測に息を吐く。これは単なる妄想の域に過ぎず真実な異なるかもしれない。

 

「時獄を解除したから村の時間は現代の季節と同じに変化、ただ村人の歳は3年の前のままだけど」

 

「ルーピンを見てみろ? こう見えて俺より歳上だぞ」

 

「えっ? 人間の成長は速いとは思ってたけど、緩やかな人も居るんだねぇ」

 

「比較対象にされてもねぇ〜いや、それよりも君に変化が訪れたという事は猶予は少ないみたいだね」

 

「あぁ、俺はミアに報告したあと騎士団の詰所を経由してエルリア城に戻るつもりだ」

 

「ふむ、僕はもう少し村に留まって他に影響が無いか調べてから戻るよ……それにしてもまさか1日で解決するなんてね」

 

 言われてみれば時獄突入から一日しか時間が経過していない。

 二度も時間の巻き戻りを経験し、鉱山の探索。それから時の悪魔に転移され対峙ーー時の悪魔がスヴェンを転移させなければ解決まで時間が掛かっただろう。

 

「そこの悪魔が俺を転移させた影響がでけぇな」

 

「だって、3年って単語が聴こえたから居ても立っても居られなくて」

 

 小さな声で弱々しく語る時の悪魔にルーピンがおかしそうに吹き出した。

 

「これじゃあ本当に臆病な引きこもり悪魔だ……うん、村人にはそれとなく伝えておくよ」

 

「出来れば威厳を保つ方向でお願いしたいんだけどぉ」

 

 戦闘中に泣き叫ぶ悪魔に威厳など無いに等しい。

 内心で浮かんだ言葉を飲み込んだスヴェンは、封魔瓶を持ち上げ玄関に歩き出した。

 

「急ぐ必要もありそうだからな、アドラ達には仕事を終えたから帰ったとでも伝えておいてくれ」

 

「……判ったよ、ただ状況が落ち着いたらまた来ると良いよ。この村は宴会好きなんだ」

 

 スヴェンは考えておくとだけ告げ、夜のエンケリア村を歩き出した。

 吹き込む秋風を身に受けながら真っ直ぐ騎士団の詰所に向かう途中で、

 

「スヴェンさんっ!!」

 

 ミアの涙声に思わず足を止め、背後に振り向く。

 頬に涙を流しながらこちらに駆け寄るミアにスヴェンは、いつでも避けられるように身構えーー自身に訪れる異変に避ける事を辞めた。

 するとミアはスヴェンの身体をすり抜け、地面に派手に転ぶ。

 

「いったぁ〜っ!? 避けること……っ!? その身体、やっぱりっっ」

 

 泣きながら叫ぶミアにスヴェンは元に戻った右手を差し出し、

 

「姫さんがやべぇらしいな……掴めるか?」

 

 ミアが差し出された右手を掴み立ち上がる。そして無遠慮に身体をベタベタと触り始めた。

 

「うん、まだ触れる……って、ああもうっ! 村が解放されて嬉しくて泣いちゃったのに、姫様のことが心配でそれにスヴェンさんも危ない状態でっ! もう感情がぐちゃぐちゃだよっ!」

 

「チッ、煩えなぁ。夜に騒ぐなよ」

 

「相変わらず辛辣だし!」

 どうやら感涙は既に引っ込み、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。

 

「時獄からの解放、時の悪魔の捕獲も完了した。これでアンタから請けた依頼は完了だな」

 

「うん、お父さんとお母さんは元気で安心したけど……後の治療は私の出番だね」

 

「まあ、俺はすぐにエルリア城に戻るが……アンタにとっちゃあ3年ぶりの故郷なんだろ? しばらくゆっくりしたらどうだ」

 

「報酬の支払いまだだけど?」

 

 ミアのことだ、報酬を未払いなどという契約違反は犯さないだろう。

 

「報酬の支払いは後でも構わねぇさ」

 

「それじゃあ私の気持ちが収まらないけど……でもさ、少しだけ抱き締めて良い?」

 

 なぜ抱擁を求めるのか理解ができない。故郷の村は解放したのだからもうミアが抱える不安など無いだろうに。

 男は黙って女性を受け止める度量を見せろと聞くが、血に汚れた身体で抱擁するつもりなど起きない。

 

「悪いがそいつには応えられねぇな」

 

「固いなぁ。普通なら美少女の抱擁は喜ぶべきなんだけど」

 

「抱擁なんざよりも怪我した時に治療魔法で癒してくれりゃあ良い」

 

「そうだったね、私とスヴェンさんは一応ビジネスパートナーだったもんね……まだ頼られてないけど」

 

 笑顔で握り拳を作れても正直反応に困るというのが本音だ。

 

「俺よかガキ共がなぁ」

 

「あ〜姫様の件の知らせを受けた時に少しだけ小耳に挟んだけど、あっちはあっちで大変だったみたいだよ」

 

 また不在の時に依頼が舞い込んだのか。それはそれで構わないのだが。

 

「大人にしか対処できねぇ厄介ごとじゃなきゃ良いがな」

 

「うーん、聴いてる範囲だと襲撃に遭ったみたいだよ」

 

「依頼人絡みか、それとも邪神教団絡みか……どの道いまから帰るんだ、真相はアイツらに聞くとするか」

 

「もう少しゆっくりしてって言いたいけど、姫様が危険な状態だもんね。あっ、フィルシス騎士団長がスヴェンさんの自宅に必要になりそうな荷物を届けさせたって」

 

 過去の事件が詳細に記載されたエルリア通信か。

 そこまでお膳立てされたのなら早速情報を閲覧しなければ、時間が浪費され手遅れになる可能性が高い。

 

「判った……っとその前にアンタは11年前にエルリア城下町に居たか?」

 

 過去に居たかどうかを訊ねるとミアは思い出すように唸り、

 

「あの時はお父さんの仕事の関係でお母さんと一緒に行ったけど……うーん、確か迷子になって誘拐されかけてぇ、長身痩躯の人に助けて貰ったようなぁ?」

 

 朧げながらエルリア城下町に居たこと、誘拐されかけた事を語った。

 ミアに関しては何処かのお人好しが助け出すだろう。スヴェンはそう考えながらも自身の行動が齎す影響を念頭に入れた。

 下手をすればスヴェンが現代で関わった人物が数人消滅する危険性が無いとは言い切れない。

 スヴェンはそう考えた上でミアと別れ、騎士団の詰所の転移クリスタルでエルリア城に帰還するのだった。



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27-10.家族と芽生える想い

 スヴェンが去ったエンケリア村でミアは最愛の家族の下に戻り、

 

「ただいま〜」

 

 もう寝てるであろう両親に小さな声で帰宅を告げる。

 二階の寝室に向かうべくリビングを通り過ぎた時だ、

 

「あら〜ミア、今日はもう寝るの?」

 

 背後から声をかけられ肩が跳ね上がる。

 振り向けば優しく微笑む母ミリファの姿に高鳴る鼓動を落ち着かせ、ため息混じりに訴える。

 

「脅かさないでよ」

 

「ごめんなさいね、まだ眠れそうになくてあなたを待っていたのよ」

 

「そうなんだ……あ、3年ぶりだもんね、話したいこと聴きたいこと沢山有るよね」

 

「リビングでお父さんも待ってるわ」

 

 リビングに戻るミリファの後に続いたミアは、アドラとミリファの対面に座り改めて両親を見詰める。

 三年前と変わらない容姿、対して自分は背が伸びて学院を卒業し成人もした。

 思えば三年間の思い出よりも今年体験した思い出の方が色濃く鮮明に浮かぶ。

 両親が聴きたい話は何か、以前は自然と話題が出たものだが三年ぶりとなると照れ臭さが生じて何から話すべきか迷う。

 

「えっと、何から聴きたい?」

 

「そうねぇ、改めてお祝いするけど先ずは卒業と成人おめでとう」

 

 聴きたいことよりも真っ先に祝福の言葉をかけられ、目尻が熱くなる。

 この三年間、故郷の村人達と両親の救出を目的に行動していたがーーきっと心の何処かでは暖かく祝って欲しかったのかもしれない。

 だからこそミアは笑みを浮かべる。

 

「うん、ありがと」

 

 じっとこちらを見詰め父の視線。きっと愛娘の成長を実感して感涙しているのだろう。

 そう思ってアドラに顔を向ければ、

 

「……背は伸びたが、胸は母さんに似て成長しなかったな」

 

 娘に対してセクハラ紛いの発言をする狼藉者にミアは遠慮なく拳を放つ。

 父の顔面にめり込む拳と追い討ちをかける母の肘打ちにアドラは苦しげな声で唸る。

 

「いい拳だ……いや、悪かったよ。だからそんなに睨まないでくれ」

 

「はぁ〜しょうもないお父さんは無視して……私から質問良いかしら?」

 

「何から聴きたいの?」

 

「スヴェンから聞いたのだけど、異界人と共に魔王様を救出したんだってね」

 

 きっとスヴェンのことだ自身が同行していた事は伏せているのだろう。

 でなければ異界人では無く、スヴェンを名指しするはずだからだ。

 

「うん、治療師兼旅先の案内人として同行したよ。けっこう大変な旅でね」

 

 最初にメルリアの事を話そうと口を開きかけたその時だ。

 

「旅の話は後でも聴けるわ。私が聴きたいのはその異界人とどんな関係なのかよ」

 

 異界人との関係性について訊ねられた。

 何と答えるべきか。スヴェンの名を伏せながら正直に答えた所で両親は察してしまう。

 ならばここはスヴェンの名を伏せつつ答える他にない。

 

「えっと〜その人とは単に同行者の関係で、魔王様の救出が終わってそれきりかなぁ」

 

「何ヶ月も旅をして何も無かったの?」

 

 スヴェンとは異性として何も起こらず、むしろ彼がこちらに気を遣ってトラブルを徹底して避けていた。

 

「会話はほとんど必要最低限だったし」

 

「そう? 私達に気を遣ったとかじゃないわよね?」

 

 確かに両親の無事を確認するまでは恋愛ごとはあまり考えないようにしていた。

 そもそも自分自身の恋愛に疎いのも原因で一概に気を遣ったからとは言えない。

 

「そんなんじゃないよ。ただ私が恋愛に疎いだけ」

 

「あら〜じゃあスヴェンは如何かしら?」

 

 彼の名に肩が跳ね上がると同時に頬に熱が宿る。

 なぜ母はそこでスヴェンの名を出すのか。たまらず父に視線を移せば、

 

「会ったら拳で語り合う必要があるか?」

 

 なぜか闘志を燃やして握り拳を作っていた。

 

「やめてよ? スヴェンさんは色々と忙しいんだから」

 

「そうよあなた、恩人に対して暴力はいけないわ」

 

 そもそも父がスヴェンに拳を放った所で、彼は避けるか組伏せる光景が浮かぶ。

 

「それで? スヴェンとは如何なの?」

 

「ど、如何って訊かれてもビジネスパートナー程度の関係だよ」

 

 現状の関係に付いて答えると母はつまらそうにため息を付いた。

 なぜ露骨にため息を吐かれなければならないのか。解せないっと不満の視線を向ければミリファは、

 

「スヴェンは色々と抱えたそうだけど、真面目で硬派な人なんてそうそう居ないわよ? それに嫌いじゃないんでしょ」

 

 探せばいくらでも居そうな気がするが、スヴェンに関しては正直に言えば嫌いじゃない、むしろ好感は有る。

 ただ恋愛に繋がるかと言えばそれも違う。まだスヴェンのことは知らない事の方が多い。

 それに以前は相棒として支えたいとも考えていたが、リノンと出会って理解してしまった。

 スヴェンを支える相棒は亡くなった相棒(リノン)だけなのだと。

 

「……頼りになる大人って感じかなぁ」

 

「ふふっ、そう。娘の側に頼れる大人が居ると安心できるわね」

 

 母は何かを確信したようだが、わざわざ否定しては相手の思う壺だ。

 

 ーーほんと私がスヴェンさんを異性として……っ、今は吊り橋効果になっちゃうから考えないようにしないと!

 

「他に聴きたいことは無いの? 私からもう無いわよ」

 

 この母親、さては娘の恋愛沙汰を肴にするつもりだったな? そう理解した頃にはミアに眠気が襲う。

 

「そろそろ寝たら如何だ? 話は……しばらくゆっくりするんだろ?」

 

「うーん、村人の精神治療を終えたらエルリア城に戻るよ」

 

「それなら問題ないな」

 

 晴れやかな笑みを浮かべるアドラにミアは相槌を打ちながら椅子から立ち上がる。

 

「それじゃあお父さん、お母さんおやすみ」

 

 三年ぶりの就寝のあいさつを告げてから自室に向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 三年ぶりの自室は以前と変わらず、埃は愚かシワ一つないベッドのシーツを見るにどうやら母が定期的に掃除してくれていたようだ。

 

「久しぶりの部屋……久しぶり過ぎて少し違和感を感じるなぁ」

 

 ここは確かに自分の部屋だが、城暮らしが長ったせいか廊下から聴こえる足音も使用人や騎士達の話し声も聴こえない。

 月明かりとオオフクロウの鳴き声だけが聴こえる。

 エルリア城と比べて静かな部屋に違和感を感じてしまったのだろう。

 

「なんか少しだけ寂しいなぁ」

 

 寂しさを胸に感じながら寝巻きに着替えたミアはさっそくベッドに潜り込む。

 眼を瞑ると頭にスヴェンの背中が浮かぶ。

 何処か遠くへ一人だけで行ってしまいそうな孤独な背中。

 手を伸ばそうとも決して届くことの無い遠い背中。

 最初の頃は彼の背中からそんな印象を受けていたが、気付けば彼の周りには人が集まっていた。

 本人は嫌そうに顔を顰めているは居るが、それでも決して蔑ろにしない辺り存外人が良いのだ。

 そんな彼の事を考えるだけで胸が熱く鼓動し頬に熱が宿る。

 眼を見開きがばっと身体を起こす。

 

 ーー待って! 冷静になろう私っ!

 

 そうだ、冷静にならなければならない。

 彼は依頼でエンケリア村を救ってくれた。そう依頼でだ。

 そこに感謝こそすれど間違っても恋愛感情など浮かべるのは違う。

 それは状況と結果が齎す吊り橋効果でしかない。

 吊り橋効果で付き合った男女は様々だが、二、三年も付き合えばその熱も冷めやすいと云う。

 ミアは胸の鼓動を落ち着かせるべくゆっくりと息を吸い込む。

 少しだけ熱が冷める。

 

「頭の中をお花畑にしてる場合じゃないのに」

 

 いまレーナはかなり危険な状況だ。

 呪いによって意識不明の重体に陥ったレーナ、そして彼女の状況に連動する形でスヴェンにも異変が起きている。

 いや、スヴェンに限らず異界人や竜王にも異変がおきているのだ。

 いつレーナが呪いによって命を落としてもおかしくない状態だ。

 彼女の死は彼女が召喚した異界人、そして召喚契約を交わした竜王の消滅を意味する。

 竜王に関してはそういう契約を結んだそうだが、異界人に関しては謂わば仕掛けだ。

 召喚者の生命を脅かす異界人に対する対策、自身の生命と魔法陣に結び付けた召喚魔法が使用されている。

 だからレーナの死で異界人も消滅してしまう。

 身体が透けるなど既に兆しが現れていることから残された時間が残り少ない。

 レーナとスヴェンの危機に次第に不安が胸を駆け巡る。

 

 ーーもしも二人が居なくなったちゃったら?

 

 嫌な想像ばかりが頭の中で浮かんでは消えてゆく。

 最悪な想像。レーナとスヴェンの死にミアの頬に涙が伝う。

 不安で涙を流した所で自分にはどうする事もできない。

 涙で視界が歪む中、ミアはスヴェンの背中を。エンケリア村から帰還する彼の背中を思い出す。

 消滅してしまうかもしれない状況のはずが、彼の背中には一切迷いなど感じなかった。

 むしろ自身のやるべき事をやる。それが当然と言わんばかりの足取りで決して立ち止まることなどしなかった。

 彼は死を恐れていない。むしろ最後まで諦めずに抗おうとしている。

 それに方法が無い訳では無い。だから彼は諦めず最後まで行動に移す。

 捕獲した時の悪夢がレーナを救う鍵だ。

 ミアは時の悪魔に複雑な感情を浮かべながら改めて眼を瞑る。

 レーナとスヴェンの無事を祈る。

 またレーナ達と笑い合える当たり前の日常を。スヴェンが無茶をしないように。

 

 ミアはいつの間にか寝てしまったのか、朝日が部屋に差し込んでいた。



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第二十八章 過去のエルリア
28-1.過去の記事


 夜空が輝き町の灯りが道を照らす中。

 スヴェンは職人通りの路地裏を進み、人形屋を通り抜け近付く自宅に違和感を覚えた。

 町の灯りのおかげで夜空でも鮮明に見える大穴が生じた自身の部屋の位置に足が止まるのも無理はない。

 

「いつリフォーム業者に頼んだ?」

 

 デウス・ウェポンで不在中の拠点が爆破されることも、偶然来ていたシャルナとジンと傭兵同士の抗争で拠点が廃墟になることも経験済みだ。

 慣れ親しんだ状況に冗談を口にしながら自宅に進む。

 自身が不在中に何かが起きて部屋の壁に大穴が生じた。その原因が何であろうとも今はするべきことが有る。

 スヴェンは庭で眠る黒いハリラドンに視線を向け、建てられた小屋のプレートに刻まれた『クロ』という文字に首を傾げた。

 

「エリナ辺りに名付けられたのか」

 

「今まで名無しだったの?」

 

 サイドポーチから聴こえる時の悪魔の声にスヴェンは適当に相槌を打つ。

 尤も相槌を打った所で瓶の中に居る時の悪魔には見えないだろうが。

 そんなくだらない事を頭に浮かべたスヴェンはドアの鍵を開け、そのまま事務室に向かう。

 真っ暗な事務室だが、ソファで寝るエリナの気配にため息が漏れる。

 

「おい、起きて部屋で寝ろ」

 

 唸り声と共に瞼を摩ったエリナがこちらに気付く。

 

「うー? あ、帰って来たんだ」

 

 まだ眠そうな眼差しだが意識は覚醒しつつあるようだ。

 

「フィルシスが送ったつう資料は届いてんのか?」

 

「あー、あの山のような調査報告書とエルリア通信なら事務室の引き出しに閉まってるよ……お兄さんの部屋は色々あって穴が空いたちゃったから」

 

 何がどうなって壁が破壊される事態になったのか気になる所ではあるがーー一瞬だけ悲しみを帯びた声色から何かが有ったのだろう。

 気に掛けてやるべきだが、エルナの表情から陰りや悲しみは見受けられない。

 既に彼女なりに折り合いが付いているのだろう。

 スヴェンは蒸返す訳にも行かないっと判断して引出しから事務報告書と資料を取り出す。

 そしてテーブルの上に置かれた魔導ランプに魔力を流し込み灯りを灯した。

 最初に事務報告書に手に取り、身体が透けて書類がテーブルに落ちる。

 それを眼にしたエルナは驚愕に染まった表情で。

 

「お兄さん、何がどうなってそんな身体になっちゃったの」

 

 原因を問いかける彼女にスヴェンは書類に記載された報告書に眼を向けたまま答えた。

 

「召喚魔法の弊害ってヤツだ」

 

「術者の生命力が弱ったり、死亡してしまうと召喚したものが消滅しちゃうのは知ってたけど……」

 

 エリナの弱々しい声に敢えて視線を移さず、業務報告書に一通り眼を通し、エルリア通信と調査報告書を手に取る。

 

「まぁ、今は気にしても仕方ねえ。アンタは明日も授業があんだろ?」

 

「あっ! 明後日からエルリア北部で社会見学が始まるんだった!」

 

 そう言ってエルナはソファから立ち上がりドアに駆け寄る。そして去り際に、

 

「そうだ。お兄さんの部屋の修繕は業者に頼んで有るから!」

 

 そう言い残して二階の自室に向かった。

 そういえばエルナ達はラピス魔法学院の寮に入っている筈だが、宿泊に関して割と融通が効くのか。それとも保護者のカノン部隊長が書類手続きを済ませているのだろうか。

 ふとスヴェンはテーブルに置かれた一枚の案内用紙と紙に血で描かれた魔法陣の存在に気付く。

 スヴェンは最初に案内用紙に視線を移した。

 社会見学場所の白碧の町アルストでの社会見学参加にあたって参加者の名。

 既にラウル達の名が記載されているため、三人は社会見学に参加したいのだろう。

 必要なサインと旅費に関する記載と既に書き記されたカノンのサインともう一人分のサイン欄にスヴェンは羽ペンを取り出す。

 

 --保護者が二人以上居る場合は二名のサインか。

 

 スヴェンは手早くサインを書き記し、必要な旅費を金袋から取り出した。

 エルナに書き置きを残したスヴェンは次に血で描かれた魔法陣、小さく書かれた『召喚契約は貴方の魔力を流す事で完了するわ』レーナの文字にスヴェンは迷わず魔法陣に魔力を流し込む。

 すると血で描かれた魔法陣を通してレーナと魔力的な繋がりを得たような感覚が訪れる。

 

 --あぁ、コイツが繋がりってヤツか。

 

 誰かとの繋がり。それも仕事を果たす為なら悪くないっと感じながらスヴェンは改めて資料に眼を移した。

 

 一七八九年三月十日。エルリア城下町で起きた事件に関する報告書。

 騎士が各地に散らばりオルゼア王捜索を開始。

 十時十二分、城下町各地で誘拐事件が発生。

 エルリア魔法騎士団は早急に調査を開始、攫われた者は未遂を含め二十名にも及んだ。

 野盗崩れと荒くれ者の寄せ集め集団、計四十名による実行だった。

 彼らは雇われに過ぎず主犯も不明のまま。

 主犯は事前に襲撃を計画しておりエルリア城下町の北区に地下室付きの豪邸を購入していたことが調査中に判明。

 騎士団を突入させ誘拐された住民の救出、野盗崩れと荒くれ者の捕縛に成功するも肝心の主犯の姿は見えず。

 誘拐犯捜索と同時刻、エルリア城下町では魔法で操られた市民による暴動も発生。

 現場に急行した騎士によって洗脳解除が施されるも犯人の正体は掴めず。

 十六時三十分。騎士団が犯人の捜索を続ける中、野盗集団による城下町襲撃が勃発しエルリア魔法騎士団は騎士を増員させ襲撃者を壊滅させる。

 十六時三十五分。エルリア城に邪神教団の司祭が侵入しレーナ姫を襲撃。

 現場に居合わせたラオ、シュミット、バルメクを始めとした部隊長及びラピス魔法学院の生徒フィルシスを交えて交戦開始。

 護衛を伴い逃がされたレーナ姫の腹部を貫き逃亡せしめた。

 以降二年にも及ぶ捜索も虚しく襲撃犯を捕らえること叶わず。

 

 スヴェンは騎士団の報告書から視線を外す。

 

「揺動に出し抜かれってことか」

 

 無理もないオルゼア王の捜索に人員を割かれ、城下町に発生した事件の対応に更に人員は割かれた。

 そこにラスラ司祭は襲撃を仕掛けまんまと計画を達成させてしまったというのだ。

 エルリア城下町で発生した事件は全て事前に準備された計画なら城下町に攻め込んだ野盗集団もラスラ司祭の仕込みだと推測が立つ。

 エルリア城から少しでも騎士を減らし、本命のレーナを狙う。

 よく有る犯行計画だが、恐らく実行までラスラ司祭は城下町の何処かに居たのだろう。

 怪しげな人物が居れば騎士に職質されそうな気もするが。

 民間の記者による視点から得られる情報は多い。スヴェンは続けてエルリア通信に視線を移す。

 

 エルリア国民に悲しみが襲った。我々が敬愛したオルゼア王が邪神教団を名乗る宗教団体に襲撃を受け行方不明。アリシア王妃の死去がエルリア全土に駆け巡ったのだ。

 オルゼア王とアリシア王妃の不在を受けてまだ五歳のレーナ姫が王族として国際を担うこととなり、四月十日に各地の行商人や坑夫、農家がエルリア城に集った。

 新しい指導者による指示を聞く為にだ。

 城下町の人々も集う人々の表情は暗い。かく言う私も……。

 暗い心を引きずりながら集まった人々にオルゼア王やレーナ姫に対する取材を行う中、事件が起きた。

 野盗と思われる集団と荒くれ者による誘拐事件の勃発だ。

 混乱に乗じて不逞の輩が入り込むことはよく有ることだが、記者の直感が告げている。

 これは誰かに仕組まれた計画の一つでは無いのかっと。

 しかしエルリア城下町には外套で素顔を隠した者が非常に多く、どれも怪しく見えてしまうのだ。

 発生した事件に騎士も対応が忙しく、一人一人の身元を確認してる余裕も無かったのだろう。

 それにしても空気が重い。各地の国民が集まってる影響か魔力の気配も様々で誰の魔力か特定も難しい。

 そんな状況でも的確に誘拐犯を全員捕らえ、人質を全員無事に救出する辺り流石と言ったところだ。

 それでも事件は一つでは終わらなかった。

 誘拐事件発生から同時に何者かに洗脳された行き付けの酒場の店主、人形師のご老人、アルセム商会の店員など様々な人物が一斉に町中で暴れ出していたのだ。

 現場に駆け付けた騎士によって洗脳は解除され、顔馴染みの人物に取材を試みた。

 すると全員が一様に外套のフードで素顔を隠した人物と出会った辺りで記憶が無いことを証言したのだ。

 事件当時以前から正体不明の客人が何度か訪れていたそうだ。

 

 --洗脳魔法か。詳しい時刻が判らねえと待ち伏せは難しいか。

 

 スヴェンは一度記事から視線を外し、思考を巡らせる。

 ラスラ司祭は事件発生以前から城下町を訪れ下準備を進めていた。

 豪邸の購入、そこに雇った実行犯を集め--前もって洗脳魔法を施していた住民に改めて接触することで洗脳する。

 当時のラスラ司祭は素顔を隠しているため誰にも正体が露見していない事は正に不幸中の幸いと言ったところか。

 スヴェンは魔封瓶をテーブルに置き、

 

「アンタの魔法なら1789年3月10日に時間跳躍は可能か?」

 

「現代と過去に存在する人物との縁。これだけの情報が有れば後はスヴェンが行動に気を付けるだけだよ」

 

 過去に飛び行うことは事実改変、即ちそれは過去の改変だ。

 その影響を最小限に留める為には詳細な情報が必要だった。

 

「改変影響で知り合いが消滅していたなんざ、考えるだけでゾッとする」

 

「それだけ危険な魔法なんだ。もちろん対価は往復分、現代に帰還してから頂くよ」

 

「ソイツは構わねえが要求する対価はなんだ?」

 

「その話をする前に契約を済ませたいから出して」

 

 ここで逃亡を計る気なら遠慮なくガンバスターで斬り裂く。

 スヴェンはガンバスターの柄を掴みながら封魔瓶の蓋を開ける。

 魂が瓶の外に解き放たれ、時の悪魔の魂が人の形を創り始めた。

 最初に出会った時は中性的な顔立ちでスーツを着ていたが、目の前に現れたのは少女の顔立ちをした時の悪魔だ。

 

「性別の概念は無いけど、女の子の方が人間の雄は喜ぶんでしょ?」

 

「どこ情報だぁそりゃあ」

 

 時の悪魔の巫山戯た言動にスヴェンは睨む。

 そして怯えた表情でソファに座り込む時の悪魔にため息が漏れるのも仕方がないことだった。



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28-2.契約の証

 対面に座る時の悪魔は気を持ち直したのか、芝居かかった手振りで語り出した。

 

「性別の概念は無いけど望む通りに身体を作り変えられる。ほら、人間と悪魔の子は魔族と呼ばれてるだろう」

 

 性別の概念が無い悪魔と人が交わり魔族が誕生した。その経緯は蓋を開けて見ればなんて事はない。 

 悪魔が番いに対して性別を合わせていたに過ぎなかった。それは理解できるが何故わざわざ時の悪魔が少女の姿になるのかは理解できない。

 

「それとこれと何か関係あんのか?」

 

「ぼくは君とミアって子の会話を聴いていたんだ。すると君は比較的穏やかだった、つまりぼくも女の子の姿になれば君は多少優しくてくれるんじゃないかと」

 

 悪魔が人に優しさを求めるとは。人外の生物に優しさを求められた時、どう選択するのが正解か。

 いや、そもそも外道に優しさを求めること自体が間違いだ。

 

「優しさと縁遠い俺に求めんなよ、ってか早いところ契約を済ませてぇんだが?」

 

「むぅー!! 君はこれからぼくの契約者になるんだから少しは甘やかしてくれても良いんだよ!?」

 

 本音はそこか。スヴェンは時の悪魔に呆れた眼差しを向ける。

 

「契約ってのは姫さんが呪いを受けた事実を改変する間だけだ」

 

「えっ!? そんな短期間でいいの!? ぼくは時の悪魔だよ? 誰しもが欲する絶大な力を持った悪魔なんだよ!」

 

 他者から与えれる力に興味が無い。

 仮に力を得たところで使い道が無ければ持て余すだけの力に何の意味があるというのか。

 

「どうでも良いが、契約が完了した後は自由に過ごせばいいだろ。それこそ空間の中で自堕落によ」

 

 そう告げると時の悪魔は思案顔を浮かべ、何か思い付いたのかにんまりと笑みを浮かべた。

 嫌な予感しかしないが、一々ツッコミを入れていては時間の無駄だ。

 

「あー、契約には何が必要だ?」

 

「最初にぼくに名前を付けてよ」

 

 少なくともジギルド司祭は複眼の悪魔をそう呼んでいた。それとも契約方法に種類が有るのか? 

 

「名付けが必要なのか? 以前悪魔を使役していた奴は通称で呼んでいたが?」

 

「それだと力の半分も借りれないよ」

 

 過去に時間跳躍するなら時の悪魔から本来の力を借りる必要が有る。

 名付けというのは苦手だが、こればかりは仕方ない。

 スヴェンはなんて名付けるか迷いながら時の悪魔の髪に視線を向け、

 

「じゃあミントで」

 

 名付けると時の悪魔は笑みを浮かべた。

 

「うん! 単純だけど気に入った! 今日からぼくはミントだ!」

 

「それで? 次はどうすりゃあ良い? それともこれで契約完了か」

 

「いやいや、次は契約者の血と魔力が必要だがら接吻か吸血どっちがいい?」

 

 本来ならどちらも御免被りたいが、それではいつまで経っても契約が結べない。

 スヴェンは仕方ないっとため息混じりで魔力を込めた左腕を差出す。

 すると不服そうな眼差しでミントは左腕に齧り付く。

 牙を突き立て魔力を含んだ血を吸われる感覚にスヴェンは無表情無心で、確かにミントとの繋がりを感じる。

 レーナと違って不快感でしかないこの繋がり。それは恐らくスヴェンにとって必要だから結び、時がくれば捨てられる脆い繋がりに過ぎないからだ。

 そんな思考を浮かべているとミントは左腕から口を離す。

 

「ぷはっ! 業の深い血と濃度の濃い魔力……あぁ、満足だよ」

 

 高揚感を浮かべるミントにスヴェンは辛辣な視線をぶつける。

 

「他人の血を吸って高揚するなんざとんでもねぇ変態だな」

 

「と、時の悪魔に向かって変態とはなんたる言い草だ!! ……ま、まぁともかくこれで契約は完了だよ」

 

 終えてみればあっさりだ。契約の中には調伏が必要な存在も居ると書物に記されていたが、名を与えて魔力を含んだ血を吸わせるだけで完了する契約というのも楽なものだ。

 いや、あまり他人に名付けるという行為はしたくは無かったが、レーナを救うためなら自身の意志を捻じ曲げる必要が有る。それが今回訪れたに過ぎない。

 

「さっそく時間跳躍と行く?」

 

「いや、その前に確認しておくが……他に時間跳躍に必要なもんはあんのか?」

 

「過去に存在する人物との縁……スヴェンはもう手に入れてるよね」

 

 レーナと契約召喚を交わしたいま、自ずと過去に存在しているレーナとの縁もできたということか。

 スヴェンは自身にできたレーナとの繋がりが時間跳躍の道導になるなのだと理解する。

 

「そうか、なら後はアンタに払う対価だけか」

 

「対価の支払いはスヴェンが現代に帰還した時に……スヴェンの寿命を貰うよ」

 

 ミントは悪魔らしい笑みを浮かべ、スヴェンはわざとらしく肩を竦める。

 五百年も生きる人間が支払う寿命なんて安いものだっと内心で皮肉を浮かべながら。

 そしてスヴェンは背中のガンバスターに視線を移す。

 無手では過去に飛びラスラ司祭を殺すには心許ないが、それでもガンバスターは過去において嫌でも目立つ。

 過去に持ち込み、ラスラ司祭を殺害した後に何処かに隠して置くという案も有るが恐らく取りに戻る余裕は無いだろう。

 何せ過去でやろうとしている事は傭兵にとってあまりにも無謀で馬鹿げているからだ。

 

「仕方ねぇ、ガンバスターは置いて行くか」

 

「ぼくの魔剣を貸す?」

 

「目立つだろ、それに武器ってのは向こうから近付いてくるもんさ」

 

 戦場でも近付く敵兵から装備を奪い利用して来た。過去でもそれと同じことをすれば如何とでもなる。

 だが、そこでひとつ注意しなければならない事が有る。

 スミスの焼印が記された武器を使用してはならない。

 それを過去で使用し、現場に血痕付きのスミス製の武器が残されていれば有らぬ容疑がブラックに向けれてしまうからだ。

 

「色々考えてるみたいだけど、ぼくは霊体としてスヴェンに付いて行くことしかできないからね」

 

「それでも構わねえが、俺が指示を出したら元の時代に即時間跳躍しろ」

 

「分かったよ……むふー、対価を要求する時が楽しみだなぁ」

 

 ミントはそう言って楽しげに笑った。

 スヴェンはそんな様子のミントを気に留めた様子を見せず、魔道ランプの灯りを消してガンバスターをソファの側に置いてから横になる。

 

「悪魔に休眠が必要か如何かは判らねえが、明日は9時に動くんだ。その間は休んでろ」

 

 ミントに休むように告げると対面のソファから寝息が聴こえる。

 随分と寝付きの速い悪魔だと感心しながらスヴェンも浅い眠りに付くのだった。



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28-3.時間跳躍の準備

 十月十日の朝、スヴェンは鞘に納めたガンバスターを持ってエリシェを訊ねた。

 

「今日は早いね、竜血製のガンバスターの整備は充分だよ」

 

 いつでも戦闘で使えるっと誇らしげな表情で語る彼女にスヴェンはゆっくりと首を横に振る。

 

「いや、今日はこいつも預けに寄ったんだ」

 

 ガンバスターを差し出すとエリシェの表情が不安そうに歪む。

 ボディガード・セキリュティの業務上、武器は必須だ。それなのに命を預ける武器を全て預けることにエリシェは不安に感じてしまったのだ。

 彼女の表情からそう理解したスヴェンは無愛想な表情で。

 

「今回の仕事は現地調達が望ましくてな……あーっと、ラウル達もしばらく社会見学で留守にするそうだ」

 

 武器を預ける理由をぼかし、留守をエリシェに頼む。

 

「留守ぐらい構わないよ。なんなら爆破されたスヴェンの部屋も掃除しておくけど」

 

「悪いが頼む」

 

 なぜ爆破されたのか聴かない辺り、エリシェもある程度の事情は把握しているのだろう。

 いや、そもそも部屋が爆破される事態だ。職人通りの住人は既に事の詳細を把握していると考えた方が良さそうだ。

 

「スヴェンが次に何処に行くのか判らないけど、気を付けてね? 騎士団もなんだか余裕が無さそうな感じもするし」

 

 騎士が発する空気にエリシェなりに何かが起きたと感じている。

 だがレーナの、レヴィの友人でもある彼女に教えるわけにはいかない。

 レーナがヴェルハイム魔聖国で倒れたと知れば、あらぬ誤解と混乱を招く。

 聡いエリシェには不要な心配だが、他はそうはいかない。

 特に異界人の身体が透けてしまう状態だ。異界区の異界人が騒ぎ出しているはず。

 しかし異界人の混乱はレーナから呪いを受けた事実を取り除くまで収集が付かない。その間の対応は騎士に任せるしかない。

 

「姫さんとオルゼア王が不在で緊張してんだろ。いや、案外寂しがってんのかもしれねぇな」

 

「そうだと良いけど……うん、きっとそうだよね」

 

 不安を抱いても仕方ない。そう笑みを浮かべたエリシェはガンバスターを受け取り、

 

「それじゃあ預かるからいつでも取りに来てね」

 

 不安感を拭えないのか、何処かぎこちなく微笑んだ。

 あまりエリシェを心配させるものではないが、こればかりは配慮どうこうで片付く問題でもない。

 他人を不安にさせたくないなら武器を手に取るな。それが尤も手っ取り早い方法で、スヴェンには到底選べない選択だ。

 

「おう、短期で済む仕事だからな。案外今日明日には竜血製のガンバスターを取りに戻れるかもな」

 

「そうなんだ。でも無茶はダメだよ?」

 

 スヴェンは頷くことで答え、スミスを立ち去る。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スミスにガンバスターを預けたスヴェンは次に大通りの洋服屋を訪れ、黒地の外套を選ぶ。

 素顔が完全に隠せる外套が好ましいが、棚にはフード付きの外套が見えない。

 仕方ないとスヴェンは近場で棚を整理する店員に声をかける。

 

「フード付きの外套は無えのか?」

 

「フード付きの……それでしたら当店の倉庫にございますが、布地の色は如何なさいますか?」

 

「黒が好ましいな」

 

「黒……失礼ですが防寒着ようで?」

 

 わざわざ棚に陳列されていないフード付きの外套を求めるスヴェンに不信感を抱いたのか、店員は警戒心を隠しながらそんな事を問う。

 店側としては行き過ぎた警戒心だが、素顔を隠せる外套は犯罪に使用されるケースも多々有る。

 それを考えれば店員の警戒心は正当と言えるだろう。

 だからこそ彼の警戒心に不快感は無く、むしろ好感さえ持てる。

 スヴェンは店員の警戒心を解くために用意していたボディガード・セキリュティの名刺を差し出し、

 

「今度の夜間護衛で入用なんだよ」

 

 嘘は付いていない。事実今後に備えて暗闇に紛れ易い外套はどの道必要だからだ。

 あとは倍率スコープとロングバレルをガンバスターに装着すれば暗闇から襲撃者の狙撃も容易い。 

 今後訪れる依頼の想定しながらそんな事を考えていると、

 

「あっ、これは失礼しました!」

 

 店員は慌てた様子で倉庫に駆け込む。

 周囲を見渡せば怯えた様子でこちらを避ける客と店員の様子にスヴェンは肩を竦める。

 

「……顔に出てたか?」

 

 独り言をぼやきながら棚に陳列された外套を吟味する。

 どれも丈夫かつ防寒製に優れた外套だ。これに防弾性能が有ればなお完璧なのだが、そんなコートはデウス・ウェポンでしか扱ってないだろう。

 スヴェンは少々防弾性のコートに懐かしさを感じながら戻って来た店員に振り返る。

 

「お待たせしました! こちらでよろしいでしょうか?」

 

 フード付きの黒い外套を受け取ったスヴェンは、さっそく試着する。

 丈夫でフードは素顔に完全に隠し、外から見れば正体が露見する恐れも無い。

 何よりも刃を通し難い程に丈夫な造りだ。

 

「気に入った。コイツを二着貰う」

 

「かしこまりました!」

 

 こうして黒い外套を二着買ったスヴェンは、一旦自宅に戻り一着をクローゼットの中に収納してからエルリア城下町の外に向かう。



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28-4.過去へ

 平原に出たスヴェンは周囲を見渡し誰も付近に居ないことを確かめてから呼び掛ける。

 

「出て来い」

 

 無愛想なたった一言でミントが隣に姿を表す。

 

「過去に飛ぶんだね」

 

 あぁ、と小さく頷き身体が点滅するように透過を繰り返す。

 発作の如く不定期に訪れる症状は程なくしてまた元の状態に戻る。

 ミントが地面に魔法陣を描く側、スヴェンは思案する。

 間隔は以前と変わりないように思えるが、残されてる時間はそれほど多くない。

 本音を言えば時間跳躍に辺り入念な準備を進めてから挑みたいが、それでは恐らく間に合わない。

 戦場で理不尽に死ぬのは別に構わないが、戦場とは全く無関係な所で死んでやる気は微塵も無いのだ。

 ただデウス・ウェポンに帰還したとして自身の望む戦場が残ってるかと問われれば、帰還時には既に覇王エルデの手によって平和な世の中が築かれてるか発展途上だろう。

 それでも依頼失敗やらの手続きーーそれ以上にあのどうしようも無く戦争経済に支えられた世界がどう変わるのか見てみたいという欲も抱き始めている。

 平和な世界を見て暮らした確かな影響にスヴェンは悪くないっと思う以上にあの女の危険性が脳裏にちらつく。

 帰還してあの女を始末して、どうするべきか。そんな未来の事を思考してはミントが魔法陣を完成させるまで静かに待つ。

 

「此処にコレを書き足してっと……むふー! 我ながら完璧な構築式と魔法陣!」

 

 ミントが自身の描いた魔法陣に自信満々に胸を張る。

 確かにそれは時の悪魔であるミントにしか構築できない魔法陣だ。

 魔法陣に刻まれた読めない言語と認識できるが人類の知恵では理解を拒むかのような術式。

 確かにこれは人類には到底扱えない魔法だ。契約者のスヴェンでも解読は許されない秘匿された神秘に思わず感心の息が漏れる。

 

「それじゃあスヴェン、魔法陣の中心に立って」

 

 ミントの指示にスヴェンは何の疑いも抱かず魔法陣の中心に立つ。

 するとミントが魂の状態に変化し、スヴェンの身体の中に入り込む。

 

「これでぼくはスヴェンと何処までも一緒だよ、どう嬉しい?」

 

 どうでも良いが此処で邪険に扱えば、事故に繋がる可能性も捨てきれない。

 

「……過去に飛ぶってのは未知の体験だ。同行者が居るってのは心強いもんだ」

 

「そういう事にしておくよ。じゃあ『我が契約者を過去へ誘いたまえ』」

 

 ミントの詠唱と共に魔法陣から時の空間が溢れ出し、スヴェンをあっという間に呑み込む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 時の空間が止み辺りを見渡すと然程変わらない光景が映り込む。

 本当に時間跳躍が出来たのか、確認のためにフード付きの黒い外套で身を隠したスヴェンはエルリア城に向けて歩き出す。

 門から街道に続く人々と荷獣車の長蛇の列。騎士による関門にスヴェンは眉を歪める。

 身分証明書は未来の年号を描き記したオルゼア王のサイン付きの物しか所持していない。

 だがまだ此処が過去の時間軸で在る確証も無いため、スヴェンは長蛇の列に耳を傾けた。

 

『オルゼア王様、アリシア王女……なんでこんな事にっ』

 

『国はこれからどうなるの? まだ幼いレーナ様が国を担うって話だけど』

 

『……姫様は本来ラピス魔法学院に入学する筈だったのに、それなのに国の為に青春を犠牲にするなんて』

 

 悲しみに染まった感情から漏れ出す言葉の数々にスヴェンは長蛇の列から振り返る。

 

 ーー間違いなく此処は過去か。となると悠長に並んでる暇はねぇな。

 

 一度魔法陣の所まで戻ったスヴェンはミントに問う。

 

「魔法陣はこのままで良いのか?」

 

「心配無いよ、そろそろ消滅するから」

 

 ミントがそう言った途端、魔法陣は自ら自壊をはじめ地面から消滅した。

 これで誰かに発見される恐れは無くなった。

 未知の魔法陣、人類では解読できない魔法など発見された日には大騒ぎは愚か現代に何かしらの影響を及ぼしていただろう。

 それこそ過去で果たすべき目的が果たせなくなる可能性も。

 

「それでさぁ、どうやって城下町に入るの?」

 

 スヴェンはエルリア城下町を囲む絶壁を見上げ、見張りの騎士が居ないことを確かめてから壁に近寄る。

 

「壁ってのは飛び越えるためにあんだよ」

 

 言うや否や脚力に力を込めたスヴェンが地面を蹴り、一気に絶壁の頂上に着地した。

 始めて登る壁の頂上から見えるエルリア城下町と中心に聳え立つエルリア城とその隣のラピス魔法学院。

 この城下町の何処かにラスラ司祭が居る。スヴェンはタンっと頂上から城下町西通りに降り立ち、誰も居ない物陰から素早く道路に出た。

 

 ーー空気が重い、此処は本当にあのエルリアなのか?

 

 眼に映る光景は細部こそ異なるが紛れもないエルリア城下町。しかし、まるで別の場所だと錯覚させるような重たく沈んだ空気にスヴェンは眉を歪めた。

 オルゼア王の消息不明とアリシア王女の急死に国民が嘆き悲しんだ結果、空気が重いのか。

 王族が与える影響が此処まで大きいとわ。これでは現在でレーナが死亡した時の影響は計り知れないだろう。

 レーナから呪いを受けた事実を消し、彼女を救う事で自身の消滅からも逃れる。

 目的の為に見ず知らずのラスラ司祭の殺害を厭わない。外道にしか果たせない仕事にスヴェンは人混みに紛れながら対象の捜索を開始した。



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28-5.誘拐発生

 沈んだ空気が漂う大通りを人混みに紛れながら進む。

 光景は現代とあまり変わり無いが、エルリア城下町大通りの店は現代と比べてかなり異なる。

 例えば【ペ・ルシェ】が在った建物は空家で買い手待ちだ。

 現代との違いを実感したスヴェンは大通りの広場に在る魔法時計に視線を移す。

 魔法時計が現在時刻、九時三十分を示す。

 ラスラ司祭が事を終えてエルリア嬢を襲撃するまであと五時間だ。

 誘拐事件の発生は十時十二分ーー事件を阻止するのは無理だな。

 スヴェンは人混みに紛れながら周囲に視線を巡らせる。

 エルリア城下町の町人、巡回の騎士、そして紛れ込むフードで素顔を隠した通行人が所々で紛れ込んでいる。

 検問が敷かれてる状況で怪しげな人物が易々と街に入り込めるのか?

 その疑問の答えは簡単だ。予め購入していた拠点に潜伏させ当日に行動させる。

 巡回の騎士も素顔を隠す通行人を怪しんでいるが人混みで中々近付けない様子だ。

 それはスヴェンに対する騎士の目も同様に。

 

 ーー此処に留まるのは危険だな。

 

 スヴェンは人混みに紛れながら適当な所で路地裏に反れ、そのまま道なりに進む。

 行き着く壁を飛び越え、大通りの路地裏から南の宿屋通りに向かう。

 そしてまた人混みに紛れるように路地裏から宿屋通りに出るっと。

 

「あの! ウチの子を見ませんでしか!? 長い青髪の私に似た女の子を!」

 

「ミアを見なかったか!?」

 

 若いアドラとミリファがすれ違う人々に訊ねる。

 だが通行人は受け答えはするもののミアの行方は掴めず。

 

 ーーミアは誘拐されかけたって話だが。

 

 スヴェンはミアの魔力に意識を傾け眉を歪めた。

 周囲の人々からミアの魔力だけを探ったが、肝心の彼女の魔力だけは感じない。

 魔力は感じられないが、魔力を発する人物の直ぐそばで魔力を発していない気配が移動している。

 

 ーー路地裏から北区に移動してんのか。

 

 頭に叩き込んだ地図と進行を方向を照らし合わせたスヴェンは、低姿勢で人混みの中を素早く駆け抜け北区に繋がる路地裏に入った。

 路地裏の物陰からじたばたと暴れる足が見え、

 

「お嬢ちゃん、大人しくしな? さもないとかわいいお顔に傷が付くぜ?」

 

 人攫いの脅迫する声が耳に届く。

 ミアは過去に長身痩躯の誰かに助けられたっと語っていたが、此処に誰かが都合良く来る確証は無い。

 もしもその誰かが路地裏に入るスヴェンを見て追跡するなら後は任せても問題ない筈だ。

 足を止めたスヴェンに人攫いに担がれた幼いミアが悲痛な眼差しで助けを求める。

 

 ーー仕方ねえ、特徴だけならまだ支障は出ねぇだろ。

 

 決断したスヴェンは一瞬で人攫いと距離を詰め、頭部に拳を叩き込む。

 脳を揺らす一撃を受けた人攫いは幼いミアを手放し、地面に崩れ落ちた。

 そして地面に座り込みながら涙を拭う幼いミアを他所にスヴェンは人攫いを弄る。

 フードの中に仕込まれたナイフを彼女に気付かれない内に自身の袖に忍ばせ、

 

「……立てるか?」

 

 声色を変え淡々と問いかけては自身の対応に眉が歪む。

 これではむしろミアを怯えさせてしまうのでは? そんな自身の失敗に内心で頭を抱えるスヴェンを他所に、幼いミアがズボンの裾を掴む。

 

「こ、わくて……た、たてない」

 

「あっちの通りで嬢ちゃんに似た女性が捜していた」

 

「ぱぱ、まま、あいたい……」

 

 誘拐されかけ脅された事実がまだ幼い少女の心を傷付けるには充分だ。

 恐怖で腰が抜けて立てないのも、両親が捜索しているっと知って立ち上がれないのも無理はない。

 無理は無いが幼いミアをこのまま路地裏に放置するのも、別の人攫いに誘拐される危険が有る。

 スヴェンは仕方ないっと幼いミアに背を向け屈む。

 そして背中に幼いミアを担いだスヴェンは、

 

「……こわかった」

 

 ポツリと涙声で啜り泣く幼いミアの声に無言で宿屋通りに歩む。

 宿屋通りでミアを捜すアドラとミリファを発見したスヴェンは歩みを止めた。

 涙を流しながら騎士に捜索を訴える二人。

 人混みと周囲の声で会話は聴こえないが、四人の口の動きからどんな会話かは判る。

 

 ーー誘拐事件発生、此処でミアを送り届けりゃあ職質は避けられねぇな。

 

 騎士と接触して情報が記録されるのは拙い。

 まだ若干距離は有るが此処は幼いミアに一人で戻って貰う他に無い。

 スヴェンは静かに背中のミアを地面に降ろす。

 そして戸惑いながら不安に染まる幼いミアにスヴェンは目線を合わせながら語りかけた。

 

「あそこに両親が居るだろ?」

 

 彼女の両親の場所を指差すっと幼いミアが振り向く。

 

「あっ! ぱぱとままだぁ!」

 

 両親の姿を眼にして安心し切ったのか、幼いミアがこちらに振り返って花のような笑顔を浮かべた。

 

「此処からなら1人で行けるな?」

 

「うん、ありがとう!」

 

 手を振りながらアドラとミリファの元に駆け出すミア。

 スヴェンは彼女が無事に二人の元に辿り着いた事を見届け、こちらの存在を知られる前にその場から素早く姿を消す。

 人混みに紛れ北区を目指すスヴェンの背後でこちらを探すミア達の声を背にしながら。



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28-6.接触のために

 エルリア城下町の北区に到着したスヴェンは聴力を研ぎ澄ませ、各地の騒ぎ声に思案する。

 誘拐事件と同時に発生した洗脳による暴動事件が起きた。これでエルリア魔法騎士団は更に人員を割かれることになるが、恐らく二つの事件を解決して初めて野盗集団が城下町に攻め込む。

 となればラスラ司祭は何処かで城下町の様子を観察している筈だ。

 

「先ずは豪邸を調べてみるか」

 

 北区の中で他のレンガ造りの民家と違って異彩を放つ豪邸に視線を向ける。

 嫌というほど目立つが貴族の道楽と認識してしまえばそれは違和感にもならない。

 恐らくラスラ司祭はその辺を踏まえて建築された豪邸を買ったのだろう。

 何よりも広々とした敷地に地下室付きとなれば野盗崩れや荒くれ者を潜伏させるには丁度いい。

 スヴェンが豪邸に向けて歩き出すと、背後から確実に近寄る気配に視線だけを移す。

 

「お前も雇われか?」

 

 フードで素顔を隠した大男の問いかけ。

 同じくフードで素顔を隠しているこちらを同業者か仲間と勘違いして接触。

 騎士と接触してしまう危険性は有るがラスラ司祭と接触のチャンスが有るなら都合が良い状況だ。

 スヴェンは大男の問い掛けに無言で頷く。

 詳細をろくに確認せずこちらを仲間と認識したのか、大男は語り出した。

 

「混乱中のエルリアで人攫いなんざ、雇主も大胆だよなぁ」

 

 無言で頷くスヴェンに大男は気にした素振りも見せず。

 

「1人金貨100枚! ガキを5人誘拐するだけで追加で金貨600枚だぜ? どんだけ気前が良いんだか」

 

 一人に対する報酬としても破格だが、それを雇った四十人に支払うとなれば相当な金額だ。

 硬貨を持たない邪神教団がそれだけの金額を支払えるのか。

 生贄が欲しいだけで雇った連中に報酬を払う気は一切無いのかもしれない。

 むしろ単なる揺動に使うだけなら捨て駒として使い捨てるから最初から払う必要性など皆無だ。

 目の前の大男も捨て駒だと判断したスヴェンは漸く口を開く。

 

「どんな奴なんだ?」

 

「お? 接触した奴の話だと素顔は判らないかったが長身痩躯の男って話だぜ。まあ、拠点から見て何処の国の貴族様なんだかなぁ」

 

 長身痩躯の男。背格好が似てるならそれだけ後が楽だ。

 スヴェンはラスラ司祭の情報を頭に入れ、大男と豪邸に向かう。

 その道中で絶えず聴こえる騒ぎ声に大男が足を止めて。

 

「そういやぁ、町中が妙に騒がしいな」

 

 暴動が起きてる事を知らない様子でそんな事を口にした。

 誘拐なら誰にも悟られず、隠密で犯行に及ぶため騒ぎ声を同行者と結び付かない。

 此処で同業者の仕業を示唆すれば大男はこちらの素性を怪しむだろう。

 そもそも大男が暴動を知らないとなれば、彼等とラスラ司祭は情報共有を行っていない可能性が高い。

 完全な捨て駒として扱うなら情報を与える筈も無いが。

 

「これだけ人が集まってるんだから騒ぎぐらい起きるだろ」

 

 スヴェンが肩を竦めるながら大男の疑問に答えると、彼は騒ぎの聴こえる方向を見つめながら。

 

「祭りなら娘にも見せてやりたかったよ」

 

 大男の素性や過去など一切興味は無いが、娘と同じ歳の子を誘拐するとなればもう大男は娘をまともに抱き締めることはできない。

 犯罪者の娘というレッテルを貼られ後ろ指を刺されながら生きていく。

 スヴェンにとって大男の娘がどうなろうがどうでも良い事柄でしかない。 

 現に現代では既に大男も逮捕され罪人として裁かれている以上、彼の娘は犯罪者の娘として扱われているだろう。

 それとも既に娘は亡くなっているのか。スヴェンは自身の思考にどうでも良いことだなっと見切りを付け、

 

「……行かないか?」

 

 足を止めた大男に問いかける。

 すると大男は豪邸に真っ直ぐと歩き出した。

 

「もう止まれないよな……今更、今更罪悪感を懐くなんてよ」

 

 確かに紡がれた後悔を宿した声にスヴェンは無言で大男の背中を見つめる。

 この男は本来なら野盗崩れに身を費やすような性格では無かったのかもしれない。

 こうして改めて観察すれば野盗から感じる血の臭いが、業の深い臭いが感じられないのだ。

 むしろ背中には哀愁さえ漂う。背丈と筋肉質の腕から似合わない弱々しい背中にスヴェンは小さな息を吐く。

 どんなに弱々しい背中を見せられようともスヴェンの心と思考は冷徹で、目的の為ならば罪の意識に苛まれる大男を殺害することも厭わない。

 スヴェンはそんな思考を秘めながら大男と共に豪邸に近付く。

 

 門番がこちらを見るや素性を確認することもせず門を開け、スヴェンは落胆と呆れを内心で抱いた。

 所詮は野盗崩れと荒くれ者。互いの顔を知ってる訳でも無ければ素性を確かめもしない。

 これでは騎士が駆け付けて来るまで時間も無さそうだ。

 現に通りがかりの住人はこちらを訝しみ、自然体を装いながらエルリア城に続く通りを歩く始末。

 立ち去った住人から視線を外し、大男の後に続いて豪邸の敷地内に踏み込む。



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28-7.潜入離脱

 豪邸に入った二人はメイドの案内に従って廊下を進んでいた。

 スヴェンは上階から鋭く魔力量の高い人物の気配、豪邸内から使用人と思われる気配。

 そして地下から感じる複数の気配を察知しながら廊下を観察する。

 骨董品で飾り付けられた豪邸の廊下は窓の外から覗けば、貴族の趣味による装飾と認識される事だろう。

 廊下を歩くスヴェンと大男はメイドに北廊下の最奥に案内され、行き止まりの壁に大男が訝しむ。

 目の前の壁はただの壁じゃない。魔法で隠蔽された壁だ。

 豪邸を購入後に魔法で拡張したのか、それとも最初から隠し通路を設計していたのか。

 後者に関しては邪神教団の協力者による物だと推察できるが、単に非常時の避難通路の可能性も捨て切れない。

 推察するスヴェンの隣で大男がメイドに眉を歪めながら問いかける。

 

「おいおい、メイドさんよ行き止まりじゃないか」

 

「ご心配無くこちらで合っておりますので」

 

 メイドが最奥の壁に手をかけ小さく詠唱を唱えた。

 

「『我が告げる、隠匿されし道よ現れよ』」

 

 メイドの詠唱に応じて最奥の壁に魔法陣が浮かび上がり、壁が消え地下へ続く階段がその姿を現す。

 驚く大男を他所にスヴェンは内心でため息を吐く。

 相変わらず邪神教団は地下が好きなようだ。少なくともこれまで対峙した邪神教団の信徒も司祭も決まって地下を活動拠点に使っていた。

 芸が無いとも言えなくも無いが、元々奈落の底で育った彼らにとって故郷と近い環境が好ましいだけなのかもしれない。

 同時にスヴェンは地下から感じる六十に近い気配に此処で間違いないと結論付けた。

 誘拐された人々と雇われの居場所は判明した、後は上階から感じる気配の持ち主を確かめるのみ。

 その為にはこの場所から自然な形で離れるのが得策だ。

 

「あー、悪いが先に行っててくんね?」

 

「なんだぁ? 今更怖気ついたのかよ」

 

 大男が強気な口調でそんな事を言うが、彼の足は震えていた。

 この先に進めばもう後戻りできないと理解してか。スヴェンはそんな彼の震えを指摘せず肩を竦めるながら答える。

 

「トイレだよ」

 

「トイレかよ、じゃあしょうがない」

 

 ーーコイツはマジで犯罪に向いてねぇなぁ。

 

 人を疑いもせず、むしろこちらを気に掛ける眼差しまで向ける始末だ。

 しかし彼には嘘でも引き返せなどと言う事は許されない。

 スヴェンは外から動く複数の気配を感じ取り、来た廊下を引き返す。

 此処に留まれる時間も残り僅かだ。早急に調べて離脱しなければ面倒になる。

 戻って来た廊下の窓から外に視線を向け、豪邸の塀を登り庭に侵入する騎士団の姿と雑な警備にため息が漏れる。

 既に侵入した騎士が茂みに身を隠しつつ、警備の死角から襲撃を仕掛けた。

 剣の柄で後頭部を強打された警備は地面に倒れ、そのまま茂みに隠されるーー騎士甲冑の音で気付かれるとは思うが、まぁ騎士が相手じゃあ保たねえな。

 スヴェンは背後の壁際からこちらの様子を窺うメイドの視線を感じ取りながら床を駆け出す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 階段を駆け上がり、気配が移動してる様子に速度を速め廊下を駆ける。

 だが廊下の部屋から出て来た使用人がこちらを見るやナイフを構え、

 

「主人様の下へ向かう者は誰で……っ?!」

 

 言い終える前にスヴェンの拳が使用人の腹部に深く突き刺さる。

 骨が砕ける音と共に使用人が床に倒れ伏す。

 スヴェンは使用人からナイフ一式を奪い取り、気配がする二階北廊下の最奥の部屋に急ぐ。

 感じる魔力量から司祭かそれに近い立場の人物かもしれない。当たりならそれで良し、外れなら拷問して情報を吐かせるだけ。

 スヴェンがドアを蹴り開け最奥の部屋に入り込むが、そこには既に誰も居らず開け離れた窓から風が吹き込むばかり。

 

 ーー気配が上から感じるってことは窓はブラフだな。

 

 問題は何処から脱出したのかだ。スヴェンは周囲を見渡し部屋を観察する。

 本棚の床には本棚を動かした痕跡も擦った後も無い。加えて魔法陣も無いため普通の本棚だ。

 壁に飾れた絵画、剣を模った装飾品にも怪しい所は無い。

 それなら遺す場所は暖炉だけ。

 廊下から喧騒と聴こえる剣戟の音、慌しく駆け付ける金属音が響く。

 時間が無い。スヴェンは閉めたドアをソファと横倒しにした本棚で塞ぎ、急ぎ暖炉を覗き込む。

 すると暖炉の中は煙突を登るための梯子が隠されていた。

 まだ気配は上から感じるが一本道の煙突を登り切る前に気付かれるかは賭けだ。

 ドアを叩く音にスヴェンは梯子を急ぎ登る。

 半分ほど登った辺りで轟音が、騎士がドアを突破したことを告げる。

 しかし騎士が煙突に気付く前にスヴェンは梯子を登り切り屋上に出た。

 梯子をナイフで切り落とし、後続の騎士が到着する事を防ぐ。

 そしてスヴェンが屋上を見渡すとそこには誰も居なかった。

 屋上から辺りを見渡せば、黒い外套で素顔を隠した人物が庭から脱する背後姿が見える。

 背丈、気配と魔力は覚えた。後は騎士団に接触せず追跡するだけ。

 スヴェンは自身の気配と魔力を極限まで抑え、屋上から助走を付けて近場の民家の屋根に飛び移る。

 豪邸から離脱したスヴェンはラスラ司祭と思われる人物の尾行を開始するのだった。



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28-8.罪人の後悔

 案内された地下室で雇主を今か今と待ち続けて数分。

 大男は牢に閉じ込められた人々にフードの中で罪悪感に塗れた表情を浮かべていた。

 金さえ有れば病気の娘を救えた、魔法大国エルリアに国籍を移して引越ていれば娘を救えたはず。

 知らない土地で娘の治療と生活、それ事態は構わなかったがパルミド小国がそれを許さなかったのだ。

 ただでさえ国益に乏しく貧しいパルミド小国、蔓延的に蔓延る汚職と腐敗に汚染された執政官や家臣が労働者を簡単に手放す筈も無い。

 それでも大男ーー ゼオは医者が提示する金額を稼ぎ、薬を買うことで娘の延命を図ったが速くに気付くべきだった。

 医者も金欲と権力にしがみ付く亡者だったということに。

 ゼオが娘に与えた薬が効かないことに気付いた時には、医者は首都カイデスに逃亡し懇意にしていた貴族に保護されどうすることもできず娘は亡くなり、家財までも税金として徴収される始末。

 復讐しても娘は戻らない。力も権力もない絶望感が次第にゼオの心を蝕むにはそう時間も掛からなかった。

 何もかも失いヤケクソ気味に野盗に身を落とし、行商人から掠奪目的で襲撃もしたが結局娘の死に顔が罪悪感を刺激して掠奪もできず。

 

 ーーな、にやってんだろうなぁ。

 

 牢の中で身を寄せ合いながら啜り泣く少年少女達の姿がより一層ゼオの罪悪感を刺激するには充分だった。

 だが一度選んでしまった道は簡単には引き返せない。此処に居る三十九人の雇われから誘拐された彼等を逃す術も無い。

 無力な自分自身に心底嫌気がする中、地下室の階段の方から騒ぎ声が響く。

 全員何事かと武器を手に出入り口に警戒を浮かべる。

 緊張感から汗が流れる同業者達を尻目にゼオは冷静に此処が何処なのか思い出す。

 ここは魔法大国エルリアのエルリア城下町だ。きっと城下町の騒ぎを聞き付けてエルリア魔法騎士団が出動したのだろう。

 つまり此処に突入するのはエルリア魔法騎士団だ。大国の中でも充実した戦力と装備を備える騎士団を相手に自分達が生き残る術は無い。

 地下室の階段から重い金属音が鳴り響く。それは犯罪者にとって正に死神の足音だ。

 ゼオは敢えて武器を構えず、狼狽えるメイドに視線を移す。

 雇い主と直接繋がりがありそうなメイドが、

 

「……入り口は我々しか知らない魔法で秘匿されてるはず」

 

 震えながらそんな事を小声で口にしていた。

 彼女に質問したいことは有るが、既にそれを許される状況では無かった。

 金属音が既に目前のドアまで迫り、鞘から剣が引き抜かれる音が聴こえる。

 ドアの外から僅かに聴こえる複数の吐息に雇われた同業者達とメイドが一斉に魔法の詠唱に入る。

 開け放たれるドアに向けて地下室全体に構築された魔法陣が同時に騎士を迎え討つべく放たれた。

 爆撃、火炎、雷撃、水流、突風、土の弾丸、闇の波動、呪いが込められた刃が騎士に向けて殺到する中、ゼオは地下室の入り口で別れた名も知らない同業者を頭に浮かべる。

 あの人物は無事に逃げられたのか、それとも捕まったのか。いずれにせよ彼から発せられる此処の誰よりも濃密な血と死の気配を漂わせる彼なら簡単に捕まることは無いと思えた。

 刹那の間の思考から現実に戻されたゼオは深く吐息を吐く。

 

 爆音が地下室に鳴り響き煙が全体を覆い隠す。

 流石のエルリア魔法騎士団も待伏せから四十に近い魔法を撃たれては為す術がない。

 少なくとも同業者はそう判断したのか、額の汗を拭いながらこう呟く。

 

「は、はっ! 流石の騎士様もこれだけの魔法は防げねえよなぁ!」

 

「そ、そうだよな! まだ残ってたとしてもさっきみたいに待伏せすればいいんだもんな!」

 楽観の声が次々に挙がる中、ゼオは煙の中で唯一真っ直ぐ動く影を見た。

 体格と背格好からして此処に案内したメイドに不信感が浮かぶ。

 ゼオが注意深くメイドの動向を注視すると、メイドが煙に紛れて最奥の壁に魔力を送り込む。

 何かが引きずられる音に全員の肩が跳ね上がる。

 地下室に一瞬だけ吹き込む風とその方向に流れる煙。

 やがて晴れ渡る煙にゼオはしてやられたっと表情を歪めた。

 最奥に向かったメイドは忽然と姿を消し、唯一の出入り口では全く無傷の騎士が拳を鳴らす。

 

「ふむ、メイドが居た気がするが逃げられたな……チッ、連中の手掛かりになるやと踏んだが」

 

 腰に大剣を差した大柄の騎士が気になる事を発し、足を踏み抜き魔力を纏った拳を繰り出す。

 到底届かない拳の間合い。一瞬、誰かが小馬鹿にしたような笑い声を上げたがーー気付けばゼオ達は壁に叩き付けられ冷たい床に倒れ伏していた。

 何が起きたのかわからない理解不能の攻撃。そもそも騎士はどうやってあの数の魔法を防ぎ切ったというのか。

 

「やぁ助かりましたよラオ部隊長」

 

「防御魔法が間に合わなければ負傷者は愚か、地下室が崩れていたな」

 

「お前達、呑気に喋っていないで手と足を動かせ」

 

 ラオ部隊長と呼ばれた大柄の騎士による指示に部下が動く。

 両手を魔封じの枷で拘束され、誘拐された人々が解放される光景にゼオは安堵の息を漏らす。

 それが騎士に聴こえていたのか。

 

「……後悔を抱え罪を清算したいならエルリアは協力を惜しまない」

 

 救いにも等しい囁き声にゼオは眼に浮かぶ涙を堪え、自身の犯した罪の重さに首を横に振る。

 

「……あの子が生きてたらこんな父親を赦さない。きっとちゃんと反省しろって怒られるよ」

 

 そう騎士に返すと彼は何も言わず、最奥の壁を調べに歩み始めた。

 そして連行される途中でこんな会話がゼオの耳に届く。

 

「部隊長殿、暴動の件も調査しますか?」

 

「手薄のエルリア城と姫様が気掛かりだが、このまま捨て置くという訳にもいかんか」

 

「既にエルリア城の防衛戦力を市民の安全確保と事件調査に割いてしまってますからね……ああ、でも今日は彼女が来てましたよね?」

 

「オルゼア王の一番弟子……いや、彼女は騎士団長すら寄せ付けないがまだ学生だぞ」

 

 ラオ部隊長は悩ましげな表情で目前の若い騎士に告げる。

 

「仕方ないか。フリオ、貴殿に部隊を任せる。俺は姫様の警護に当たる」

 

「了解致しました!」

 

 そんな会話をゼオは囚人を乗せる荷獣車に乗せられ、今回の事件に関与した同業者と共に監獄町に送られるのことに。



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28-9.尾行の途中で

 城下町を適当にぶらつき歩く標的にスヴェンは屋根で身を潜める。

 豪邸から脱出したラスラ司祭と思われる人物の尾行を開始したまでは良かったが、現在の標的からは豪邸で感じた膨大な魔力が感じられず。

 未だ野盗に接触する様子も見られない。

 魔力に関しては隠蔽することも可能だ。しかし問題は野盗の方だ。

 野盗による城下町襲撃は十六時三十分に発生するが、その間にラスラ司祭は接触か指示を出し終えていなければ五分後にエルリア城の襲撃が厳しい。

 事前に指示を出し終えているなら頃合いを見計らって殺害する事も可能だが。

 万が一まだ指示を出していなければ、未来が変わってしまう。

 装備も無しに単独でエルリア魔法騎士団を相手にできるほど自分は強くは無い。

 何よりも失敗は許されない。だからこそ現代で得た情報を有効活用し、自身がラスラ司祭と成り替わる他に影響を最小限に留める方法もないのだ。

 あれこれ悩んでも仕方なければ、標的の尾行を続け様子を見るしか現状で出来ることが無い。

 露店に並ぶ商品を品定めする標的、ふとスヴェンは気付く。

 ミントが過去に時間跳躍してから大人しいことに。

 

「(大人しいが何か有ったか?)」

 

「(ぼくは霊体、話し掛けらるまで大人しくしてようかなって)」

 

 念話魔法が使えないスヴェンがミントと会話するには、こうして誰も居ない場所でしか話せない。

 仕方ないと言ってしまえばそれまでなのだが、契約した関係であまり雑に扱うのも信頼関係に関わる。

 

「(そうか、霊体のアンタなら標的の正体が判るか?)」

 

「(ラスラ司祭って人間のこと知らないけど)」

 

「(邪神教団か判れば良いんだが、奴め町中に出た途端魔力を隠しやがったからな)」

 

「(それならちょっと調べて来てあげるよ)」

 

 そう言って霊体のミントはスヴェンの身体から出ると真っ直ぐ標的に飛ぶ。

 ミントが標的の背後に忍び寄りーー標的が突如背後を振り向く!

 突然のことに硬直したミントと周囲を見渡す標的ーー奴はミントの、悪魔の気配に反応したのか?

 考え込むスヴェンを他所に標的の口が動く。

 屋根からはっきり見える口の動き。スヴェンは読唇術で何を発しているのか読み解く。

 

「あ?『悪魔の気配? 勘違いか、邪神様に似た気配がした気がしたんだが……』……当たりじゃねえか」

 

 ラスラ司祭と断言できないが、標的は間違いなく邪神教団だ。

 このまま尾行を続けるか、ミントに情報を引き出させるか。

 いや、後者は時の悪魔が城下町に居ることを知られてしまう危険性が高い。

 ただでさえ存在感が無いにも等しい霊体状態のミントに気付きかけたのだ。そんな危険な真似は犯さないだろう。

 標的がまた露店の商品に振り返り、涙目のミントがこちらに戻って来る。

 

「(び、びっくりしたぁ〜)」

 

 時折りコイツは悪魔なのかっと疑うことが有る。

 これまでに接触した悪魔は自身の力に絶対の自信を持ち、余裕さえ感じられたがミントは普通に泣く始末だ。

 スヴェンは抱いた疑問をグッと呑み込んで涙を流すミントに声をかける。

 

「(まあ、あれは無理もねぇな。俺だって驚いちまう)」

 

 正直に言ってしまえば標的がミントの存在に気付きかけたのはこちらにも予想できなかった不意打ちだ。

 だから驚くのも仕方ないっとフォローすれば、ミントが涙を拭う。

 

「(う、うぅ〜悪魔に対する気遣いが、身に染みるよぉ)」

 

「(余裕が出たな? なら早速アンタが確認して来たことを話せ)」

 

「(判ってるよ。彼は間違いなく邪神教団、それも邪神の祝福を宿してる)」

 

 スヴェンは未だ商品を品定めしている標的に視線を移し、注意深く観察する。

 しかし魔力が隠蔽されている影響か、邪神の祝福を受けているか如何かは全く判らない。

 

「(俺には判らねえが、アンタには判るのか)」

 

「(忘れたのかなぁ? ぼくの創造主は邪神とアトラス神だよ)」

 

「(そうだったな。ってことはアンタの中にも邪神に似た気配が漂ってんのか?)」

 

「(気配は無いけど、創造主の断片ぐらいは判るものだよ)」

 

 ドヤ顔で語るミントにスヴェンはそういう物っと認識し理解する。

 ミントの邪神に対する察知能力は新たに邪神の祝福を受けた司祭が現れない限り活用できないことを。

 ますます現代に帰ってから契約を継続する理由も意味も見出せない。

 やはりミントとの契約は今回限りで終わりだっと内心で結論付けたスヴェンは、漸く歩き出す標的に動く。

 屋根から飛び降り、地面に着地しては人混みに紛れながら標的の尾行を再開する。

 時折り暗示によって暴れ出す住人や店主が騎士に制圧され、暗示が解かれる光景を幾度なく眼にすればーー標的が歩む速度が早まる。

 妨害と戦力の分散に利用していた住人が解放される光景に焦りを抱いたのか。

 標的が城下町を囲む壁を飛び越えることで平原に出る。

 

 ーー野盗と接触するつもりか。

 

 スヴェンは壁の頂上から標的の移動先を見据え、誰にも悟られないように気配を殺しながら標的の後を追う。



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28-10.最後の司祭

 黒い外套で身を隠した長身痩躯の男は、エルリア城下町から一時間程歩いた平原の岩陰で立ち止まる。

 辺りを見渡して人が居ないことを確認した男は地面に魔法陣を描き詠唱を唱えた。

 

「『我と契約せし者よ、呼び掛けに応じ現れよ』」

 

 光り輝く魔法陣から次々と姿を現す武装した野盗の一団。

 召喚に応じた野盗集団が今か今かと戦意を激らせ、彼らの様子に男は口元を歪める。

 

「諸君、招集に応じてくれたことに先ずは感謝しよう」

 

 感謝の意を告げながら男は野盗に指示を出す。

 

「諸君らには16時にエルリア城下町に攻め込んで貰う。危険な仕事では有るが、現在手薄のエルリアを攻め落とせれば野盗の国の建国も夢ではないぞ」

 

 犯罪を善とする国を持つことが彼らの夢だ。夢の為に悪事に手を染める輩ほど扱い易い者はいない。

 男は雄叫びを挙げる野盗を内心で見下すと。

 

「ラスラの旦那! もしも王族を捕えたらどうすりゃあ良いんっすか?」

 

 野盗の一人がこちらの名を呼びレーナの処遇に付いて訊ねて来た。

 邪神教団を壊滅に追い込んだオルゼア王の娘。彼女もまた強大な魔力とカリスマ性を持つ危険人物だ。

 幼子とはいえ此処で死んで貰わなければ後々に邪神教団は壊滅的な被害を受ける。そんな予感にラスラは処遇を告げた。

 

「殺せ。生かしては後々の脅威になり得る。それにだ、レーナの死は他国に打撃を与えるだろう」

 

 ラスラの冷徹な声に野盗は身を震わせながら嗤う。

 

「野郎ども! 出陣だ! ラスラの旦那の計画通りに俺達は動くぞ!」

 

 先陣の頭目の雄叫びに野盗は四方に散らばるように進軍を開始した。

 現在時間は十四時三十分。

 計画決行まで時間は充分に有るが、野盗を使ってエルリア城下町を予定通りに四方から攻め込ませる。

 そうすることでエルリア城の防衛に当たる騎士団は、市民の避難と守護の為に出陣する筈だ。

 手薄のエルリア城に侵入しレーナに【死の呪い】を施しエルリアという国を壊滅に追い込む。

 魔法大国エルリアの壊滅は他国の王族の戦意と対抗心を根本からへし折るには充分な効果を発揮するだろう。

 しかし呪いを施すにも問題が有る。【死の呪い】は対象に触れること。

 そしてもう一つーー問題は対象に呪いがどれほど効果を発揮するか、だ。

 レーナのフルネームはオルゼア王とアリシア王妃しか知らず、前者はエルロイの魔法によって何処かに飛ばされ行方不明に。

 後者は急死してしまいレーナのフルネームを知る手段が無い。

 だが邪神から授かった【死の呪い】は解呪不可能の呪いだ。例え術者が死んでも解呪は出来ないが心中するつもりはない。

 

「呪いに即効性が無いとなれば……」

 

 何処か遠くに逃亡する事で身の安全を測り、邪神教団との定時連絡はするが接触も避ける。

 そうする事で自身の足取りを完全に途絶えさせ確実にレーナを殺す。

 それが何年掛かろうとも確実に邪神復活に繋がる計画を遂行する。

 ラスラが計画を頭に浮かべるとポケットが怪しげな光を放つ。

 邪神教団の司祭間で連絡を取り合うための念話魔法陣を記した紙にラスラは、ため息を吐き肩を竦める。

 

「今は計画を邪魔されても困るからな。疑惑の有る貴様らと連絡を取り合う気は無い」

 

 邪神教団は内部分裂を起こしている。残ってる司祭がどちらに属するのか、ヘルギム司祭は確実に自身と同じ過激派だがエルロイ司祭がどちらか判らない。

 あのエルロイ司祭が立てた計画で邪神教団は壊滅的被害を受けたのだ。永年教団を支えた功労者にして設立者の一人だとしても信用などできない。

 

 ーー信じたかったが無理だな。

 

 それに計画の為にラスラは邪神教団の資金を無断で持ち出した。

 豪邸を買い野盗崩れやそこら辺の荒くれ者を雇い、野盗を唆すには充分な資金だ。

 エルロイ司祭が穏健派なら必ず資金の無断使用を理由に断罪するはず。

 それではエルリアを落とす機会が遠く。

 同時にラスラは判っていた。この計画があまりにも無謀で賭けに等しい危険な行動であることも。

 安全策を取るなら戦力を整え、邪神の司祭選定を待つ。

 しかしそれはエルリアを立て直す時間を与え、レーナに戦闘技術と魔法技術を与えることになってしまう。

 何よりも尤も恐るべきは、忘却の呪いからオルゼア王が回復することだ。

 戦力を整えている間にオルゼア王が帰還してしまえば、彼は即刻邪神教団の殲滅に乗り出すだろう。

 だからこそ資金を持ち出してでもレーナだけは確実に殺さなければ邪神教団は何処かで致命的な損害を受ける。

 その為だけに野盗崩れ、荒くれ者、自身に従う信徒を捨て駒に利用したのだ。

 何としても成し遂げなければ。強迫観念に苛まれながらラスラは計画の妨げになる何かその見落としが無いか思案した。

 

 ーー可能性は二つ有るな。

 

 豪邸で一瞬だけ感じた気配と城下町で誤認した邪神の気配に思考を傾ける。

 前者はエルリア魔法騎士団が潜伏させた騎士か、それとも自身が知らない第三勢力か。

 あるいはエルロイ司祭が寄越した刺客の可能性も捨て切れない。

 そして後者は自身の勘違いだ。勘違いでなぜエルリア城下町で邪神の気配を感じ取ったのか疑問が生じてしまう。

 封印の鍵によって封じられた邪神と邪神眷属。彼等が自力でアトラス神の封印から脱すことは不可能だ。

 ならあの気配は過去に邪神によって創造された悪魔なのだろうか?

 

 ーーあの町に悪魔を使役する者が居るというのか?

 

 そこまで思考を浮かべた途端、ラスラの背筋が凍る。

 背後に聴こえるのは足音だけ。

 気配も魔力も殺意さえ一切感じられないが確実に背後に何者かが居る。

 ここまで気配を気取られず接近した何者かが、わざわざ足音を鳴らしてだ。

 ラスラは息を調え振り向くーーそこに人の姿は無い。

 だが確実に付近に何者が潜んでいる。

 開けた平原、身を隠すには不向きなこの場所と環境で。

 ラスラは警戒心を最大に自身の魔力を解き放つ。

 何者かは知らないが計画の障害は排除する。確実に殺す意志を瞳に宿したラスラは漸く動き出す。

 自身の計画を遂行させ邪神教団を次に繋げるために。



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第二十九章 過去と現代
29-1.交戦


 警戒心を最大に周囲を見渡すラスラの背後でスヴェンはナイフを構える。

 気配を殺し首筋にナイフを一閃ーー風斬り音がラスラに奇襲を知らせ、彼は身を屈める事でナイフを避けた。

 一撃が避けられる事も想定範囲、スヴェンは素早くその場から離れ再度ラスラの背後に周り込む。

 魔力をナイフに纏わせ距離を詰める。だがスヴェンがラスラに近付いた瞬間、

 

「背後かっ!」

 

 ラスラの身体から放たれる魔力の衝撃波が迫る。

 魔力を纏わせたナイフで衝撃波を防ぐが、振り向いたラスラに姿を見られてしまう。

 

 ーー司祭相手に速攻って訳にもいかねぇか。

 

 黒い外套で素顔を隠したラスラが身構えながらこちらに問いかける。

 

「殺気を感じさせない奇襲……何者だ?」

 

 これから殺す相手にわざわざ馬鹿正直に答えてやる義理は無い。

 

「……」

 

 無言で再度ナイフに魔力を纏わせる。スヴェンの態度にラスラのため息が平原に響く。

 ラスラの様子などお構いなしにスヴェンは地を蹴り駆け出す。

 スヴェンに対してラスラは魔法陣を展開させ詠唱を唱える。

 

「『氷刃よ、我が敵を斬り刻め』」

 

 魔法陣から氷の刃が出現する中、スヴェンは魔法陣から魔法が撃たれるよりも速くラスラの真横からナイフを振り抜く。

 しかしラスラは身を引く事でナイフを辛うじて避ける。

 

「終わりだ」

 

 一刃を避けたラスラの宣言に魔法陣から氷の刃が放たれる。

 だが、例え刃が短くとも距離を詰める事は可能だ。

 スヴェンは氷の刃が迫る中、ナイフに纏わせた魔力で刃を形成し腰を捻りそのまま一閃を放つ。

 魔力の刃によって薙ぎ払われる氷の刃、確実に届く間合いにラスラが拳に魔力を纏わせ魔力の刃を弾く。

 渦巻く魔力を纏った拳。一見間合いに注視すれば容易に対処可能と思われるが魔力を扱う技に距離は然程関係ない。

 スヴェンが再度魔力の刃を振り抜くとラスラは構えを取り、拳を打ち出すことで魔力の衝撃波を放つ。

 

 魔力の刃と魔力の衝撃波の衝突。純粋な力の衝撃が周辺を襲う。

 

 スヴェンは魔力の刃で魔力の衝撃波を弾き、気配を殺しながら縮地を繰り出す。

 視界を揺さぶるように反復を織り交ぜながら。

 こちらを見失うラスラにスヴェンはやや離れた位置で突きを放つ構えを取る。

 魔力は推進力のように使えれば、魔力操作によって糸を生成する事も可能だ。

 更にラスラが放った魔力の衝撃波のように魔力を斬撃として放つこともできる。

 スヴェンはナイフで突きを繰り出し、直線上に細く鋭い一本の斬撃を放つ。

 斬撃がラスラの背中に迫るが、直前でラスラが僅かに動き斬撃が肩を穿つ。

 狙いが逸れるのも想定範囲内だ。しかしラスラは勘が鋭いのか攻撃が届く前に反応してしまう。

 それとも周囲に微量な魔力でも張り巡らせているのか?

 

 ーー反応しきれねぇ速度でやるしかねぇか。

 

 下丹田の魔力を全身に巡らせたスヴェンはより速い速度でラスラとの距離を詰める。

 だが、ナイフによる接近手段しか無いっと察したのか。ラスラは障壁を張ることでナイフの刃を防ぐ。

 火花が散り刃毀れするナイフにスヴェンの眉が歪む。

 やはり拾い物の武器はろくな物では無い。アシュナが鍛造するクロミスリル製のナイフが恋しい。

 

「諦めたら如何だ?」

 

 ラスラが障壁に護れて余裕の態度を見せる。

 同時に障壁に護れながらラスラは詠唱を唱え、魔法陣から闇の波動を放つ。

 スヴェンは闇の波動を跳躍することで避けるが、上空に魔法陣が出現し舌打ちを鳴らす。

 

「『岩石の雨よ我が敵を押し潰せ』」

 

 上空の魔法陣から岩石が降り注ぎ、スヴェンは息を吐く。

 迫る岩石の雨、宙では避け切れないがーースヴェンは身体を捻る事で岩石の直撃を避け岩石を足場に走る。

 岩石から岩石へ飛び移ることで岩石の雨を避けたスヴェンは、ナイフに練り込んだ魔力を流し込む。

 そして魔力で巨大な刃を形成したスヴェンは、宙からラスラに目掛けて一気に振り抜く。

 

「んなのアリかよ!」

 

 悪態を吐くラスラを他所に巨大な刃が障壁を押し潰し、障壁を砕く。

 巨大な刃がラスラを斬り裂くーーそれよりも速くスヴェンの脇腹を闇の矢が穿つ。

 障壁で防いでいる間に詠唱を完了させ反撃に移った。そう理解する中、鮮血が宙を舞う。

 脇腹に闇の矢が突き刺さろうともスヴェンは決して止まる事はない。

 スヴェンが巨大な刃を振り抜き、大地に衝撃が走る。

 砂塵が舞う中、地面に着地したスヴェンはナイフに亀裂が走る様子に眉を歪めた。

 魔力の刃を放つには強度が足りず、あと一振りで折れてしまう。

 加えて巨大な刃は確実に大地に振り下ろしたがラスラを斬った手応えが無い。

 砂塵が止み、ラスラが立っていた大地は巨大な刃によって斬痕が刻まれているものの肝心の死体は愚かラスラの姿がない。

 恐らくラスラは魔法で避けたのだろう。そして気配と魔力も感じられないのは、完全に気配を遮断しているからだ。

 こちらの技術を使われているが足音、息遣いまでは殺し切れていない。

 スヴェンは背後に振り向き様に魔力を纏った左拳を放つ。

 

 ガキィーン!! 拳が魔力の刃を弾き、ラスラのフードがはためく。

 

「猿真似は通じないか」

 

 悪態を吐くラスラにスヴェンは答えない。

 

「……」

 

 無言で構え直すが脇腹から流れ出る血。それを眼にしたラスラの口元が歪む。

 

「その出血量でいつまで保つ?」

 

 この程度の出血量で気を失うほど柔では無い。

 ラスラは魔力の刃を構え地を駆ける。

 それに対してスヴェンも地を駆けた。



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29-2.酷い決着

 ラスラが振り抜く魔力の刃をスヴェンが魔力を纏わせた拳で弾き、斬り返す魔力の刃をまた弾く。

 その度に脇腹の傷口から血が流れ出る。

 鮮血が平原を汚しラスラの口元が歪む。明らかな愉悦感と目前の勝利、だが容赦の無い攻めは決して油断していない現れ。

 まだ向こうはこちらに隠し種が有ると踏んで警戒しているのだろうが生憎と隠し種はもう無い。

 有るのは傭兵として培った経験だけ。スヴェンは真横に薙ぎ払われる魔力の刃をナイフで受け止める。

 ナイフの亀裂が広がる中、魔力の刃を弾き返したタイミングでナイフが砕け散る。

 スヴェンは舞う破片を魔力を流し込んで親指で弾く。

 鋭利な破片が高速でラスラに次々と突き刺さり、僅かな血が舞う。

 ラスラが魔力の刃で剣戟を繰り出しながら、

 

「破片で反撃……面白いことをする!」

 

 称賛に近い感情を露わに語り出した。

 スヴェンにとって破片を使うことも当たり前のこと。故に称賛とは受け取らず無言でラスラの剣戟を捌きながら思考する。

 これで武器は使い切った。また障壁が展開されたら今度は自身の残りの魔力と拳で突破するしかない。

 じり貧な状況、時間もそうかけていられないが焦りは禁物だ。

 戦闘で焦る者は早死にする。常に冷静を心掛け相手の攻勢を一つ一つ確実に防ぐか避ける。

 ラスラの剣戟を防ぎ、避け確実に拳を叩き込む。

 

「らちが明かないなっ!」

 

 幾ばくかの攻防に痺れを切らしたラスラが魔力の刃に更に魔力を送り込む。

 大剣サイズまで形成させたラスラは大振りに振りかぶる。

 あの魔力量は拳では防ぐことは叶わないが、大振りゆえに振り抜きが遅い。

 動きが遅いからこそ生じる隙を見逃すほどスヴェンは甘く無い。

 拳に纏った魔力を操作し魔力の糸を細かく形成する。

 人を両断するほどの強度も無いが、動きを一時的に止める事は可能だ。

 スヴェンはラスラに駆け出しながら指先で密かに魔力の糸を操る。

 振り抜かんと腰を軸に捻るラスラ。

 スヴェンは魔力の糸をラスラの腰から両腕にかけて伸ばし絡め、一気に引っ張ることで絡め取る!

 魔力の糸に人を拘束するだけの強度は無い。だが一瞬だけ動きを止め隙を作ることは可能だ。

 腰を捻った体勢で動きを止めたラスラは、

 

「動かん……なんだ? 何をした?」

 

 困惑に口元を歪めた。

 極限まで細めた魔力の糸は透明も相まって肉眼で視認が難しいが、魔力を使っている以上は察知も可能であり魔力の視覚化を利用すれば視認できる。

 魔力の刃を維持することに精神力と集中力を割いているラスラが、困惑した状態で最適な選択を取る可能性は充分に有り得るが既に遅い。

 スヴェンの手刀がラスラの胸を貫き心臓を掴む。

 

「がはぁっ……お前は、一体、誰なんだ?」

 

 ラスラの最後の問い掛けにスヴェンは答えない。

 血反吐を吐き散らしながらラスラの口元が歪む。

 ラスラが残された僅かな時間で魔力を過剰に操作する。

 それは魔力暴走を引き起こすための魔力操作だ。自身諸共自爆で道連れにする魂胆にスヴェンは冷徹な眼差しで掴んでいた心臓を握り潰す。

 そのまま腕を引き抜き、夥しい鮮血が舞い絶命したラスラが地面に倒れる。

 スヴェンはラスラの頭部に足を挙げ、そのまま踏み抜くことで彼の頭部を潰した。

 これで平原に倒れているラスラの死体は誰なのか判らない。

 エルリア魔法騎士団では正体不明の惨殺死体として処理されるだろう。

 

「……次はエルリア城か」

 

 エルリア城に振り向くと霊体のミントが疑問を顕に問いかける。

 

「ここまでする必要有るの?」

 

 ラスラの殺し方に疑問が生じるのは仕方ないことだ。

 心臓を潰した時点で片付いたにも関わらず更に頭部を踏み潰す。到底まともな人間が行う殺し方じゃない。

 

「過去改変を最小限に留めるためにだ」

 

「えぇ? だってラスラを殺した時点でレーナって人が呪いを受ける事実は無かったことになってるよ」

 

「エルリア城襲撃事件そのものが起こらない影響ってのは予測が付かねえ」

 

「それは……まあ人間は苦難や無力を体験して成長するって言うけど」

 

 エルリア城出撃事件で間違いなく多数の目撃者が居た。

 その中にはフィルシスも居たことは彼女の口から語られている。

 それにレーナは寂しさから竜王を召喚契約したと聴くが、襲撃事件をきっかけに王族として民を護り抜くために竜王を召喚契約した可能性が高い。

 

「念には念をだ。俺は今からラスラを名乗りエルリア城を襲撃する」

 

「……ぼくは契約者に従うよ。でもその前に傷と汚れは治さなきゃね」

 

 そう言ってミントが詠唱を唱える。

 

「『時よかの者が負いし傷を消し去りたまえ』」

 

 スヴェンの足元に出現した魔法陣から時計が現れ、時計の針が逆巻に動くと脇腹の傷口が最初から無かったかのように消えた。

 治療魔法とも根本的に違う巻き戻しの応用。傷口を対象を時間を限定的に戻す魔法にスヴェンは息を吐く。

 

「……便利なもんだな」

 

「擬似的な不老不死だって夢じゃないよ! どう? ぼくと未来永劫暮らすのも悪くないと思うんだけど」

 

 奪う側として人は生が許す限り生き続けて殺した者に対して贖罪を果たす義務が有る。

 だがそこで不老不死になるのは違う。それは正に生命と殺した者に対する冒涜だ。

 人を殺した挙げ句の果てに不老不死に成り下がるようではモンスターと変わらない化け物だ。

 

「冗談抜かせ、人ってのは限り有る命が有るからこそ輝くもんだろ」

 

 スヴェンはミントの誘いを一脚しラスラの死体を探る。

 彼も自身の素性が露呈することを恐れたのか、身分証や正体に繋がる物は所持していなかった。

 しかし彼は連絡手段を用意していたが、これを利用しない手はない。

 スヴェンはラスラのポケットから魔法陣が刻まれた紙を取り出す。

 そして魔法陣に魔力を流し込み、喉を調整する。

 

『やっと出たか。ラスラ、お前は今何処で何をしている?』

 

 エルロイの声にスヴェンはラスラの声で応答した。

 

「エルリア城だ」

 

 魔法陣越しからエルロイの困惑ととも取れる息遣いが伝わる。

 

『……なに? エルリア城だ、と? ……お前、それで資金を持ち出したのか』

 

「ああ、計画はまもなく完了する。だから邪魔するな」

 

『今は立て直しが急務だろうに……それで仮に計画が完了した所でどうするつもりなんだ?』

 

「しばらく連絡を断ち身を隠すさ、そうだな足が付くと面倒だ。定時連絡にも応じることは無い」

 

『……そうか、お前の席は残して置く。ほとぼりが冷めたら戻って来い』

 

 エルロイがそう言って向こうから念話魔法を切られたのか、彼の息遣いも魔法陣から聴こえない。

 スヴェンは魔法陣が刻まれた紙を細かく破り捨て風に流す。

 これで現代では確実にラスラは消滅し、過去の時間軸では生死不明となる。

 尤も現代でラスラは邪神教団と十一年も直接接触することを避けていた。

 その点を考慮すれば今回の雑な策が通る。

 だが、ラスラが十一年の間に接触した人物に着いては調べようもないければその人物の人生が歪もうが、レーナを救う条件下ではどうする事もできない。

 スヴェンは思考をほどぼとにエルリア城下町に引き返す。

 

 あとは野盗の襲撃に乗じてエルリア城に潜入するだけ。



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29-3.葛藤

 十六時、エルリア城下町に戻ったスヴェンは何食わぬ顔で人混みに紛れながらエルリア城の裏手を目指す。

 城下町を護る外壁とは別に城壁に囲まれたエルリア城の侵入には、城壁を登る他に手段はない。

 城壁から庭に降りて城の外壁を登り、レーナが居るであろう謁見の間を目指す。

 そこにはきっと騎士や謁見に訪れた住民、行商人も居ることだろう。

 スヴェンはエルリア城が近付く中、辺りから聴こえる声に耳を傾けた。

 

『誘拐犯が捕まったらしいけど、主犯はまだなんだってよ』

 

『あちこちで暴動も起きてるし……一体何が起きてるのよ』

 

『分かんないけどさ、オルゼア王を襲ったって連中が何か企ててんのかな』

 

『え、じゃあ狙いは姫様ってこと?』

 

『分からないけど、騎士団も居るんだから心配ないんじゃないかな』

 

 主犯と暴動に対する不安の声。今回の事件がオルゼア王を襲った邪神教団の犯行と推測する者の声にスヴェンは感心を示す。

 現代の情報が有るから先に知ってる状態だが、情報が無ければオルゼア王の件と今回の件を結び付けることは中々難しい。

 だが、勘が鋭い者は手薄のエルリア城に対する計画的犯行だと気付くのだろう。

 それでも騎士が居るから。彼等なら事件を解決してレーナの安全を護る。

 信頼関係から生まれる楽観視ーー今までのエルリア魔法騎士団の功績と信頼が隙を生む要因となるのは、仕方ないとも言える。

 誰の責任でもなく、ましてや回避が難しい隙だ。

 仮に城下町に切れ者が居るならまた結果は違ったのだろうが、それでも切れ者は複数人必要だ。

 スヴェンは思考を他所に目前に迫るエルリア城を見上げる。

 

 ーー姫さんをこの手で傷付ける、か。

 

 幼子の腹部を拳で貫く。それが戦場ならスヴェンは今まで通り難なく熟る。

 だが見知った顔、自身の召喚契約者のレーナを。あの心優しい少女を傷付けることにスヴェンの心は珍しく葛藤を抱いていた。

 それでも心を冷徹にやり遂げなければならない。

 

 ーー他に方法を模索する時間もねぇか。

 

 野盗がエルリア城下町を襲撃するまであと十分も無い。

 それに魔法を修得していない自身だからこそ、今回の雑な成り替わりが成立する。

 魔力を操りそれらしい詠唱を唱えながらレーナの腹部を貫くことで、現代でラスラがやった方法を模倣する。

 そうすることでレーナが呪いを受けた事実だけを改変ーーいや、他にも少なからず影響は出るだろうが小さな改変は影響を及ばさねえはずだ。

 未来を改変してしまう重荷と重積が今更になって重くのしかかる。

 戦場ではじめて重要な任務を任された時以来の緊張と僅かな震え。

 改変に対する覚悟はしていた。いや、違うのだ。

 震えや重責は改変に対するものではない。スヴェンは自身の胸に手を当て眼を瞑る。

 浮かぶのは眩しい笑みを浮かべるレーナだ。なぜあんなに笑顔が眩しいのかは未だ判らないが、彼女の笑顔が陰る姿も傷付く姿を見たくない。

 

 ーーあぁ、そうか。傷付けることを恐れてんのか。

 

 はじめてだ。誰かを傷付けることを恐れるのは。

 実の両親を殺す以前から凍り付いた心が確かにレーナを傷付けることに対して罪悪感や悲しみを訴えている。

 悲しみは三度経験し、罪悪感は覇王エルデに対して躊躇いと共に経験した。

 そして今度はレーナを傷付けることに対する恐れを心が理解している。

 それでもスヴェンは心を殺して非情に徹する。何処まで行けども自身は傭兵であり、心や欠けた感情が埋まった所で本質が早々変わるものでもない。

 むしろ今は冷徹な判断力と思考力が必要だ。

 迷いを断ち切りエルリア城に向けて一歩歩み出すと、四方から爆音が響き渡る。

 

 視線を向ければ爆破された外壁から武装した野盗が手当たり次第に市民にその刃を向ける光景が眼に映る。

 改変の影響を最小限に留める代償は過去で変わらず凶刃によって傷付けられ、殺され、心に傷を負う者達だ。

 四方で起こる野盗に対する市民への攻撃に対してスヴェンは無感情のままエルリア城の裏側を目指す。

 エルリア城から出陣する騎士、城下町で調査中だった騎士が野盗に対して分散する今こそが潜入の好機だ。

 それを逃してしまえば何の備えも支援も無くレーナを襲撃することは不可能だ。

 それでも手練れが多く残っているのは明白。

 

 ーー気合い入れて行かねえと簡単に討ち取られるな。

 

 特に特殊作戦部隊がどの時期から設立されていたのか不明瞭なため、彼等の奇襲を警戒する必要も有る。

 スヴェンは注意すべき点を頭に浮かべ、裏側の城壁を足場に一気に駆け上がった。

 城壁の頂上から見える城下町の戦闘、あちこちで立ち昇る煙と魔法。

 そして逃げ惑う市民と襲い来る野盗に反撃する市民、騎士と野盗の魔法が飛び交う光景にスヴェンは視線を逸らす。

 傭兵としての血が騒ぐ。あの場に、自身が求める居場所が

在ると。

 だが、今は優先すべきことが有る。自身が生きる場所よりもーーレーナの命の方が大切だ。

 スヴェンは騎士が駆け出す中。城壁から飛び降り中庭を駆け出す。



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29-4.幼き姫君

 城下町襲撃が起こる少し前。 

 城内が慌しい。

 騎士の報告では城下町で誘拐事件と暴動が発生、そちらは主犯が発見されないものの事件は鎮圧された。

 幼いレーナは不安そうな市民を前に駆け付ける騎士に訊ねる。

 

「なにが起こってるの?」

 

「はっ! 城下町に野盗共が攻め込みました!」

 

 突然の城下町襲撃の知らせに謁見に訪れていた市民が惑う。

 それはレーナも同じくだった。なぜ今日に限って、大事な日に限ってこうも立て続けに事件が起きるのか。

 父と母も居ない。王族として民を護らなければならない責務が幼いレーナの肩に重くのしかかる。

 怖い。誰かが傷付くのも、自身の判断一つで犠牲者が出ることも。

 それでも替わりなど居ない。

 幼いレーナは恐怖をひた隠しに平静を装う。

 こんな時どうすれば良いのかは父から教わっている。優先すべきことは市民の安全だ。

 

「至急城内に駐留中の騎士を出陣させ市民を城内の地下広間へ! それと城下町で行動中の騎士と野盗の討伐を……っ」

 

「よろしいのですか? それでは城内の護りが手薄になりますが」

 

「市民の安全優先にお願い」

 

「御意!」

 

 騎士は一礼すると伝令に謁見の間を慌しく駆け出す。

 彼が立ち去ると同時にここに集った市民達の不安な眼差しがレーナに突き刺さる。

 レーナは側に控えている騎士に視線を向け、

 

「彼等を地下広間へお願い」

 

 謁見に訪れた人々の避難を促せば騎士はそれに応じて迅速に動く。

 そして滞りなく避難は終わり、謁見の間に残されたレーナは護衛として残ったラオ部隊長と少人数の騎士を前に息を吐いた。

 野盗の討伐は現場の部隊長の判断に任せるほかない。

 レーナは身の程に余る玉座に深々と座り込む。

 

「どうして今日なの?」

 

 事前に大々的に人々を集めて謁見することで新しい国の主導者として民の意見を求める日だった。

 それがオルゼア王不在の留守を護る代役としての勤めだと言うのに事件が起きた。

 騎士団の半数以上をオルゼア王捜索に当て、謁見に訪れる人々の護衛にも騎士団を派遣。

 結果的にエルリア城を手薄にさせてしまった自身の判断が間違っていたのか。

 もしも騎士団の戦力が半分なら野盗は攻め込もうなどと考えなかったのではないか?

 レーナが不安と重積に苦悩する中、謁見の間のドアが開かれる。

 ラピス魔法学院の制服を着こなし美しい銀髪を靡かせた美少女ーーフィルシスが屈託のない笑顔で歩む。

 彼女が我が物顔で謁見の間に入って来たことにラオ達が頭を抱えるが、レーナは特に気にもせず彼女に視線を向ける。

 

「何やら大変そうだね姫様。私も手伝おうか?」

 

 今すぐ野盗と戦いっと笑みを浮かべるフィルシスにラオが深くため息を吐く。

 

「貴女は学生の身、騎士の真似事は学院を卒業してからにしなさい」

 

 まだ市民の彼女を討伐に向かわせないっと語るラオにフィルシスが詰まらそうな表情を浮かべる。

 彼女は父の一番弟子にして現騎士団長すら凌駕する武術と魔法技術を持つ実力者だ。

 それでも実戦は違う。武器と魔法で互いの生命を奪い合うことは鍛錬や修行とは異なる。

 レーナはフィルシスをじっと見つめてもしもを考えてしまう。

 混乱する城下町で野盗の凶刃にかかるフィルシスの姿を。

 有り得なくはない。近しい人がまた居なくなるのは耐え難い苦痛だ。

 

「フィルシス……お願いだから無茶はやめて」

 

 涙目でフィルシスにそう告げると彼女は慌てた様子で手を振る。

 

「じ、冗談ですよ姫様! だからその……ええっと、涙を拭いてください」

 

 珍しく狼狽えるフィルシスに自然と涙が引っ込み笑みが溢れる。

 レーナは願うこのまま何事も無く無事に事が終わることを。



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29-5.エルリア魔法騎士団

 中庭に侵入したスヴェンは気配を殺しながら外壁へ進むが、騎士甲冑から鳴る金属音に近場の茂みに身を潜める。

 巡回の騎士が周囲を見渡し誰も居ない様子に不思議そうに首を傾げた。

 

「変だな、いま僅かに気配と魔力を感じたんだが……状況が状況だ。念入りに調べるか」

 

 感じた疑問をそのままにせず念入りに周囲を調べ始める騎士の姿にスヴェンは思わず感心してしまう。

 ざる警備とは違う。正に警備を任された者の責任在る行動に、やはり警備とはこう在るべきだと。

 だが騎士が茂みを調べ始め、こちらが発見されるのも時間の問題だ。

 それに動けば草木の音で必ず潜入がバレて戦闘に入る。

 それならば仕方ないっとスヴェンは自身が隠れる茂みに手が伸びた瞬間ーー騎士を茂みに引きずり込み、声を挙げるよりも迅速に意識を刈り取る。

 腰の騎士剣を拝借し、茂みから外壁に駆け抜ける。

 そのままの勢いで外壁を足場に東塔を一気に駆け上がった。

 東塔の最上階に続く窓辺で身を隠したスヴェンは息を押し殺す。

 中庭の騎士を一人気絶させた。それは割り当てられた担当が一人戻らなければすぐさま捜索が始まり何者かの侵入が自ずとバレる。

 まだバレるには早い。責めて城内に侵入してからの方が好ましいが、想定よりも騎士は職務に忠実で真面目だったらしい。

 

『おい! 誰にやられた!?』

 

『城内に侵入者有り!! 侵入者は武器を奪い潜伏してる模様っ!!』

 

 拡声魔法でエルリア城に響き渡る声にスヴェンは眉を歪めた。

 あまりにも早過ぎるっと息を吐く間に廊下から慌しい金属音が響き渡る。

 

「バレたけどどうするの?」

 

 声を潜めて問いかけるミントにスヴェンは小さく答える。

 

「目的は変わらねえよ……このまま姫さんが居る謁見の間を目指すさ」

 

 東塔の最上階から謁見の間までは遠い。だが馬鹿正直に廊下を進めば騎士の挟み討ちに遭う。

 スヴェンは最上階から中庭の様子を覗き込む。

 そこには既に集まった騎士と指揮を執る部隊長らしき人物の姿が見える。

 草の根掻き分け中庭を一斉に捜索する騎士の姿にミントが顔を引きづらせた。

 

「人間ってあんなに数を動員するの?」

 

「姫さんの身の安全を考えりゃあ普通……いや、少ない方だな」

 

 現代のエルリア城の見張りはもっと多い。それだけ城下町に攻め込んだ野盗に人数が割かれているのだ。

 それも時間の問題だ。野盗程度ではエルリア魔法騎士団を相手に長く保つことは無い。

 武装面と戦闘技術を遥かに上回る騎士の軍勢。それに対する野盗は荒くれ者に多少毛が生えた程度。

 中には実力者も居るが少なくともラスラに招集された野盗にはそれらしい者は居なかった。

 様子見する暇さえ無い。

 スヴェンは外壁の最上階から謁見の間が在る一階に飛び降りては窓の縁を掴む。

 そして窓を開け廊下に飛び込むと数人のメイドと鉢合わせしてしまう。

 こちらをメイド達が発見するや瞬時にガーターベルトの鞘からナイフを引き抜く。

 投擲の構えを取るメイド達にスヴェンが縮地で背後に回り込む。

 全員の後頭部を強打する事で意識を奪い、ついでにナイフを五本ほど回収する。

 

 ーー使用人が使うナイフも結構上等な代物だな。

 

 鋭く鋭利で投擲を目的にしたナイフ。レーナに使う気は無いが、謁見の間から感じる威圧感を放つ者に対しては必要だ。

 いや、恐らく甘さを捨てなければ投擲も通用しないだろう。

 スヴェンは騎士剣を引き抜き、騎士が駆け付ける前に廊下を駆け抜ける。

 程なくして到着する謁見の間の扉を蹴り破りーー同時に視界に火球が迫った。

 魔力を纏わせた騎士剣で火球を斬り払い、謁見の間に踏み込む。

 最奥の玉座に座る幼いレーナ。現代の知人の面影を感じる騎士とラピス魔法学院の生徒にスヴェンの眉が嫌そうに歪んだ。

 半ば予想はしていた。レーナを護る者と言えば自然とエルリア魔法騎士団の中でも腕利の人物だと。

 だが当時の騎士団長や副団長が待ち受けるかとも思っていたが現実は違う。

 スヴェンの目の前に居るのは十一年の前のラオとフィルシス、そしてレーナの周りで護りを固める三人の騎士だ。

 以前フィルシスはレーナが襲われる瞬間を騎士団の中で目撃していたと語っていたが、過去の記憶に食い違いが出るのは無理もない。

 

 ーー最悪だな。ラオとは戦ったことがねぇがフィルシスはどの時代でもフィルシス(化け物)だな。

 

 騎士剣を構える五人の中でも取分け凄まじい魔力と覇気を放つフィルシスにスヴェンの額から冷や汗が浮かぶ。

 彼女とは鍛錬で幾度なく殺し合いに近い手合わせを重ねて来たが、この時代のフィルシスが既に何処までの域に達しているのか計りかねる。

 探りながら相手にしてる余裕も暇もない。何せ護られているレーナでさえ既に騎士を支援するために魔力を活性化させているからだ。

 彼女のことだ。目的が自身だと判断して下手に避難せず被害を最小限に留めるためにこの場に未だ残っていたのだろう。

 

 ーー前衛のラオとフィルシスに加えて姫さんの召喚魔法か。

 

 エルリア城に攻め込む馬鹿は居ないだろうと鷹を括っていたが、実際にはその馬鹿は自分自身だった。

 スヴェンは内心で浮かんだ思考を他所に謁見の間を駆け出す。

 同時に左右からラオとフィルシスの斬撃が迫る。

 

 ガキィーン!! 謁見の間に重々しい金属音と騎士剣の悲鳴が鳴り響く!



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29-6.強者

 スヴェンは軋む騎士剣に魔力を流し込む。

 それに対してラオとフィルシスも同時に自身の武器に魔力を流し込んだ。

 このまま二人の刃を防いでいては騎士剣が保たない。

 対峙する二人もそれを理解してるからこそ己の武器に魔力を流し込みこちらの行動に備えた。

 次の行動が読まれているなら敢えて此処は乗るしかない。

 スヴェンは騎士剣に纏わせた魔力を解放することで衝撃波を放つーーだが案の定、二人も魔力を解放することで衝撃波を放った。

 三人の衝撃波が謁見の間で衝突しスヴェンの衝撃波が掻き消され、身体が弾かれる。

 離脱を目的とするなら解放時の威力を抑えれば二人の衝撃波によって離れることができる。

 宙を舞うスヴェンは壁を足場にレーナの下を目指して跳躍した。

 

「させないよ」

 

 凛とした声が響く。

 レーナに迫る中、間にフィルシスが割って入る。

 彼女が放つ一太刀でスヴェンの身体は床に叩き付けられた。

 背骨が軋む。それでもスヴェンは素早く立ち上がり、背後から迫るラオの大剣を避ける。

 そして反撃と言わんばかりに魔力を纏った回転斬りを放ち、ラオを廊下まで吹き飛ばす。

 だが廊下ですぐさま反撃の一手に出るラオ。

 背後で魔力を練り込むフィルシスにスヴェンは騎士剣に纏わせた魔力を刃に形成させる。

 同時に床を蹴り駆け出すラオとフィルシス。また前後から迫られるなら対応は比較的楽だが、相手はあのフィルシスだ。

 二手目は初撃と違いタイミングを意図的にズラす筈だ。

 スヴェンはラオよりも先に迫るフィルシスに袈裟斬りを放ち、彼女が防いだ瞬間に後方のラオに奪ったナイフを投擲する。

 癖で急所に向けて放ったナイフは騎士甲冑の強固な守りに阻まれ床に弾かれる。

 たが人は咄嗟に飛来物に対して足を一瞬だけ止めてしまう。

 ラオが一瞬だけ足を止めた刹那の瞬間にスヴェンはフィルシスの一閃を身を屈めることで避けーー彼女の腹部に魔力の斬撃を放つ。

 後方の壁に衝突したフィルシスの表情は楽しげに笑っていた。

 

「はじめて実戦で人と斬り合ったけど、これは良いね」

 

 どうやら本格的にその気にさせてしまったようだ。

 だが彼女を無力化しない限りレーナに拳が届くことは叶わない。

 スヴェンが刹那の瞬間に思考を浮かべると、真横に孤月の斬撃が走る。

 冷や汗と共に視線を向ければ床に深々と刻まれた斬撃痕。

 

「……あまり損害を出すな」

 

「そうも言ってられないよ」

 

 苦言を漏らすラオにフィルシスは屈託のない笑みで答える。

 現代のフィルシスと然程変わらない口調。彼女は騎士団長になろうとも気質自体は変わらなかったのか。

 スヴェンは前方のフィルシスと三人の騎士に視線を移す。

 敵が放つ魔法を利用したいところだが、三人の騎士はいつでも魔法が撃てる状態だ。

 隙を見せればいつでも撃つ。騎士から感じる視線にスヴェンが動く。

 目前に迫るフィルシスの剣戟に対して斬り返し、敢えて腕の力を緩め彼女に騎士剣を弾かせる。

 騎士剣が宙を舞う中、フィルシスの刃がスヴェンの首筋を撫でる。

 迷いも躊躇もない一撃。

 彼女の言う敵ーーエルリアの市民と王族に危害を加える者に対する無慈悲な一撃がスヴェンの首筋に吸い込まれる。

 だが刃が首筋に到達するよりも速く展開された魔力の鎧がフィルシスの刃を弾く。

 同時に魔力の鎧はたった一撃で砕け散り、僅かに首筋に切り傷が走る。

 首筋から血が流れる刹那の一瞬--スヴェンがフィルシスに殺意を宿した手刀を放つ。

 明確な殺意を感じ取った三人の騎士がレーナの指示によって魔法を放った。

 

 --漸く魔法を撃ったか。

 

 飛来する火球と氷塊、雷球にスヴェンは魔力を纏ったナイフを投擲することで魔法を爆破させる。

 たちまち謁見の間に広がる煙に全員の視界が覆われる。

 スヴェンはその場から離脱し、一気にレーナの元まで駆けた。

 

「これは……狙っていたのかい?」

 

「バカな。賭けにも程が有る」

 

 フィルシスとラオの言葉が響く。

 確かにこれは魔法を撃たれるかどうかの賭け。

 放つ魔法の種類にも依存するが、煙幕を作り出すにはこうする他に方法も無かった。

 それでも何一つ油断はできない。

 ラオとフィルシスも気配で位置を探れる。と言うことは幾ら視界を封じようと意味は薄い。

 だがもうレーナは目前だ。

 スヴェンは魔力を纏った回し蹴りで三人の騎士の意識を刈り取る。

 あとは自身の拳でレーナの腹部を貫くばかり。

 スヴェンが魔力を纏った拳を構えた瞬間--レーナの声が響く。

 

「『契約せし氷結の大精霊よ、我が呼び声に応じ敵を無力化せよ』」

 

 膨大な魔力。一瞬で床に展開される召喚魔法陣にスヴェンの背筋が、この場の空気が威圧感によって凍る。

 召喚魔法陣から出現する存在ー-アシュナが召喚する風の精霊とは全く異なる存在がスヴェンの身体を吹飛ばす。

 凍り付く息を吐きながら現れた氷結の大精霊がレーナを護るように立ち塞がる。

 現代では見る事が叶わないレーナの召喚魔法。エルリアの敵を殲滅するための召喚魔法がこうして使われる身になろうとわ。

 まだ健在のラオとフィルシスに加えて氷結の大精霊。

 正に危機的な状況だがスヴェンはフードの中で嗤う。

 側に転がる騎士剣を拾い上げ、己の奥底から殺意を解き放つ。

 残り魔力、騎士剣のひび割れ。スヴェンは自身に残された少ない手札を念頭にその場を駆け出した。



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29-7.過去の決着

 最小限の魔力を騎士剣に纏わせながらレーナを守護する氷結の大精霊に迫る。

 一瞬で間合いを詰めたスヴェンに氷結の大精霊は一切動じることも無く、むしろ余裕さえ感じさせる不敵な笑み浮かべ語り出す。

 

「凡人、3分間だけ相手にしてやろう」

 

 ただ冷静に冷徹に凍りの槍を大量に出現させた。

 無言詠唱から唱えられた魔法と生じる冷気が謁見の間を包む。

 この程度の冷気で身体が凍て付くことは無いが、窓に生じる結露に警戒心が向く。

 

 --無言詠唱ってことは僅かな水分から凍りを創れんだろうなぁ。

 

 大精霊なら自然を操ることなど動作もない。

 刹那の一瞬、浮かべた思考を頭の隅に魔力の刃を形成したスヴェンはそのまま凍りの槍ごと一閃を振るう。

 魔力の刃によって砕ける凍りの槍--宙を舞う凍りの破片が次々と形状を変えた。

 スヴェンが咄嗟にその場から跳躍する事で離れると凍りの棘が先程まで立っていた場所を貫く。

 斬撃を放つために構えを取れば、今度は頭上に影が現れる。

 僅かに視線を向ければ巨大な氷塊が頭上に出現していた。

 謁見の間を覆い尽くすほどの巨大な氷塊。床に降り立った瞬間、それはスヴェンの死を意味する。

 しかし何もしなければ結局は押し潰され肉片にされるだけ。

 だが床にはラオ、フィルシスと気を失う三人の騎士が居る。彼らを巻き込むことはレーナが許さない。

 

 --単なるこけ脅しって考えは危険か。

 

「氷結の大精霊、それだとみんな巻き込まれちゃう!」

 

 幼いレーナの叫びに氷結の大精霊が僅かに視線を移す。

 

「我が契約者の生命は絶対。血の匂い濃き襲撃者に慈悲は無し」

 

 冷たい眼差し。召喚契約者に向けるにはあまりにも冷たい眼をしているが、魔力の流れから確かな繋がりが有る。

 繋がりが有るがレーナは召喚対象の意識を完全に縛ることはしていないようだ。

 かと言って制御不可能という訳でも無いらしい。

 レーナの瞳に浮かぶ一筋の涙に氷結の大精霊が眼を見開く。

 

「あっ! あっ!! 涙目にならないでっ! ちょっと召喚されて気合いが入り過ぎただけだからねっ!?」

 

 焦る氷結の大精霊が氷塊を消したが、その代わりと言わんばかりにスヴェンの四方を凍りの刃が囲む。

 

「踊れ踊れ!」

 

 氷結の大精霊の号令を合図に凍りの刃が踊るように刃が迫り剣戟を舞う。

 宙では動きが制限されるがそれでもまだフィルシスの放つ斬撃よりは遥かに遅い。

 四方同時から繰り出される凍りの刃をスヴェンは魔力の刃を一閃することで砕く。

 そして騎士剣を腰に刺すように構え、練り込んだ下丹田の魔力を流し込む。

 その瞬間、目前に現れたフィルシスが一閃放ち--ラオが放った斬撃がこちらに迫る。

 魔力の鎧は防御手段としては使えるが、フィルシスの一撃は防ぎ切れない。むしろ魔力が底を尽きてしまう。

 魔力が尽きればレーナに対して呪いを掛ける振りが不可能となる。

 それを避けるためにスヴェンは敢えてフィルシスの一閃を騎士剣で弾き逸らし、ラオが放った斬撃が背中を斬り付ける。

 鮮血が舞う中、フィルシスが表情を歪め瞳を激しく揺らす--コイツが動揺するなんざ、やっぱ人が傷付くことには馴れてねぇか。

 

 フィルシスは強いとは言え、この時代の彼女は一学生の一般人だ。

 いくら頭で理解しようとも心は追い付かない。それがフィルシスに動揺として現れた。

 さっきは首を刎ね飛ばす勢いで一閃を放った彼女とは思えないが--だが、それはそれとして此処は戦場だ。

 スヴェンは生じたフィルシスに対する理解と疑問を足に込め、彼女を踵落としで床に叩き付ける。

 まともに入った一撃と衝突時の衝撃。これで暫く動けなくれば良い。

 次に床に着地したスヴェンはそのまま騎士剣を振り抜き、孤月の斬撃を連続で五発放つ。同時にスヴェンは動く。

 一発ずつ大剣で受け流し防ぐラオの背後に回り込んだスヴェンは騎士剣の峰でラオの首筋を強打することで意識を刈り取る。

 

「そ、んなっ……ラオとフィルシスが……あ、れ? 生きてるの?」

 

 二人を心配するレーナの温かく優しい声と疑問の眼差しにスヴェンは答えない。

 再び殺意を、今度はレーナに対して明確な殺意を解き放ち--彼女が過呼吸に襲われ、気絶してなるものかと意識を保つ。

 それには正直言って驚かされた。まだ五歳の少女が剥き出しの殺意に耐えて意識を保っているのだから。

 

「わ、私が倒れたらみんな、みんながっ」

 

 それがレーナを支える強さ。国民のために耐える意志の強さ。

 正直に言ってしまえばこの時点でスヴェンは騎士剣を放り投げて現代に帰りたい衝動に駆られていた。

 それでも一度決めたこと、現代の改変影響を前に止まることなど許されない。

 スヴェンは殺意を放ちながら高速で謁見の間を動き回る。

 絶えず残像を残し、氷結の大精霊の視線を誘導する。

 そしてスヴェンは高速で動き回りながら飛ぶ斬撃をレーナに放ち続けた。

 斬撃に対して氷結の大精霊がレーナを庇うように凍りの盾で防ぐ。

 斬撃を防ぎ続け、凍りの盾がひび割れ砕け散りまた造り斬撃を防ぎ続ける。

 しかし相手は大精霊。防ぎながら的確にスヴェンと残像に対して魔法を放つ。

 対象は謁見の間に存在する残像とスヴェン--凍りの槍が的確に迫る。

 避け切れない必殺の一撃にスヴェンははぁ〜っと息を吐く。

 もう騎士剣は折れかけの状態、それでは凍りの槍は防げもしない。

 

 --コイツは仕方ねぇ。後でミアに怒られるとするか。

 

 頭の中で騒ぎ立てるミアや呆れた顔を浮かべるラウル達の姿を浮かべながらスヴェンの腹部が凍りの槍に貫かれる。

 霞のように消える残像、血濡れで床に倒れ伏すスヴェンに氷結の大精霊がため息を吐く。

 

「人の子、特別な力を持ち合わせない凡人がよくもまぁ粘った」

 

 腹部を貫いた凍り槍が消え出血が増す。それでもスヴェンは何事もなく立ち上がった。

 腹を貫かれることも爆撃で吹き飛ばされようともまだ身体は動く。

 身体が動き生きている以上、作戦を完遂するまで戦い続けるのが傭兵だ。

 立ち上がったスヴェンに氷結の大精霊は狼狽え、漸く一歩退がる。

 超常の存在から冷静を一瞬だけ欠く方法の一つが、絶対の自信のもと放った必殺の一撃に耐え抜かれた時だ。

 尤もこれが最後のチャンスだ。故にスヴェンは地を蹴って氷結の大精霊の目前に姿を現す。

 そして騎士剣の一閃を氷結の大精霊に放つ。

 身体に刃の一閃を刻み、限界を迎えた騎士剣が砕け散る。

 これで手札は失ったも当然だ。あとは最後の一撃が効くか時間切れが訪れるかの賭けにスヴェンは氷結の大精霊に視線を向けた。

 視線の先で驚愕に表情をゆがめながら氷結の大精霊の傷口から魔力が抜け出ている。

 

「限界! 召喚姫さま、一時帰還をお赦しくださいっ!」

 

「ありがとう氷結の大精霊……ゆっくり休んでね」

 

 自身の心配など一切感じさせないレーナの笑みに氷結の大精霊も笑みを浮かべながら消えた。

 そしてレーナがスヴェンを真っ直ぐと見つめ深く息を吐き--やがて一筋の涙を頬に流した。

 殺されるかもしれない恐怖を抱きながらそれでも幼き姫は告げる。

 

「私をいくら傷付けても構わない……だけど民だけは傷付けないでっ」

 

 自身の身の安全など度外視にただ民の安全を懇願するレーナにスヴェンは無意識に足を止めた。

 あと一歩踏み込む。それで事が終わると言うのに、その一歩があまりにも重く遠い。

 葛藤と躊躇いが足を重くさせる。それでも続々と謁見の間に集う騎士、起き上がるラオとフィルシスにスヴェンはレーナに近寄る。

 

「姫様! お逃げください!」

 

「貴様ぁぁっ!! 姫様に何かしてみろ! 決して許さんぞぉっ!!」

 

 背中に向けれる騎士達の殺意にスヴェンは足を止める事なく、拳に魔力を纏わせながらレーナに告げる。

 

「『汝に死の呪いを』」

 

 無意味な詠唱を唱え、拳をレーナの腹部に振り抜く。

 幼い少女の腹部を魔力を纏った拳を貫いた。

 口から吐き出されるレーナの鮮血がフードに付着する。

 生温かい血の感触が拳に伝わる。

 

 --すまねぇ。

 

 内心で謝罪の言葉を口にしたスヴェンは倒れたレーナをそのままに、窓に向かって一気に跳躍し勢いのままに窓を破った。

 

『クソ! 治療師と解呪師を呼べっ!』

 

『まだ息が有る! 応急処置を開始するっ!』

 

 騎士の慌しい声を背中にスヴェンは、ミントに自身を元の時代に戻すように命じてその場から忽然と姿を消した。

 同時に謁見の間に残された襲撃者の血痕も消え、目撃していた騎士達は怒りと己の無力感に強く拳を握り締め、空を見上げた。

 

 --その後、レーナは地下広間に避難していた幼き見習い治療使いによって深手を癒され、一命を取り戻すことに。

 襲撃者の逃亡を許した事件は後にエルリア城襲撃事件と呼ばれ、エルリア魔法騎士団と臣下達の間で秘匿されることに。



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29-8.改変の影響

 魔王城の医務室のベッドで死んだように眠るレーナに異変が起こる。

 身体を蝕み意識を闇の底に沈めていた呪いが突如消滅し、レーナの全身を覆い尽くしていた死の呪いが粒子共に消えた。

 意識が覚醒し、目を覚ましたレーナは天井を見上げゆっくりと周囲に顔を動かすと。

 

「レーちゃん! 目が覚めたんだね!」

 

 抱き付き涙を流すアルディア。

 

「おお、我が娘よっ! よくぞ目覚めてくれた!」

 

 喜びを顕に大手を広げて喜ぶオルゼア王の姿にレーナは思い出した。

 国際会議の途中で突如意識が遠退き倒れたこと。それが過去に受けた呪いの影響だったことを。

 

「私、呪いに浸食されて……えっと解呪はお父様達が?」

 

「……違うよレーちゃん。私達に死の呪いを解呪する方法が無かったの。それでも延命処置は施したけど」

 

「解呪方法に関してはフィルシスから聴くと良い」

 

 フィルシスが解呪に関わっている。長年体内で潜伏していた死の呪いは解呪不可能な程までに呪いを強めていたことを考えれば、恐らく解呪肯定も一筋縄では行かないのだろう。

 そう理解したレーナはエルリア城襲撃事件当時の記憶を掘り起こし、違和感に眉を歪めた。

 

「どうしたの? まだ気分が悪いなら寝てても良いんだよ」

 

 心配そうに具合を気遣うアルディアにレーナはゆっくりと首を振る。

 

「違うの。私は確かにラスラ司祭に襲撃されて呪われたのは明確に覚えているのだけど……」

 

 なぜかラスラ司祭に襲撃された時の光景と違って、長身痩躯に黒いフードを素顔を隠した人物が浮かぶ。

 確かに記憶の中のラスラ司祭は素顔を隠していたが、なぜかそれがラスラ司祭とは思えない。

 それにラスラ司祭の拳に腹部を貫かれ死の呪いを受けたが、呪いなど最初から受けていない事実に記憶が書き変わっている。

 奇妙な感覚と違和感、記憶の齟齬にレーナはフィルシスの策が何か影響を及ぼしたのだと推測を立て。

 

「悪いけれどフィルシスと二人だけにして貰えるかしら?」

 

「うむ、あまり人に聞かせるべき話では無いからな。アルディアもそれで構わないか」

 

「良いよ、推測通りなら世間に知られてダメだもんね」

 

 一体フィルシスは何をしたのだろうか。

 若干の恐怖を感じながらレーナは退出する二人を見送り、しばしフィルシスを待つ。

 感覚では長いこと眠っていたようにも感じるが、日付と魔法時計を見るに二日ほど寝ていたらしい。

 僅か二日で解呪した方法。それが何なのか、そして下丹田に感じるスヴェンとの繋がりに思わず頬が緩む。

 

「そっか、彼は召喚契約を結んだのね」

 

 何かの役に立つ。そう直感に従って用意した召喚契約がスヴェンの助けになったなら幸いだが、同時に彼にとってそれが重荷や足枷にならないか不安でも有る。

 それは直接本人に訊かなければ判らないことだ。そんなことを窓の外を眺めながら考えているとフィルシスが医務室に駆け付け、

 

「目が覚めたんだね、姫様!!」

 

 ベッドの側に駆け寄ったフィルシスの安堵の表情にレーナは微笑む。

 

「ええ、無事に目覚めたわ……それで一体どうやって解呪したのかしら?」

 

「本題に入る前に姫様……エンケリア村が時獄から解放されたよ」

 

「っ!!」

 

 王族としても個人としても喜ばしい報せにミアとレイの顔が浮かぶ。

 きっと彼女らは三年振りの故郷と家族との再会を果たしたのだろう。

 非常に喜ばしいことだが、それ以上に気掛かりなのが時の悪魔の目的とエンケリア村の状況だ。

 

「エンケリア村の状況は? 時獄解放の影響で季節のズレや農作物に影響は?」

 

「春に植えた作物は全てダメになったそうで、オルゼア王が食糧の配給支援を早急に済ませているよ」

 

 流石は父オルゼア王だ。自分が呪いの影響で眠っている間にやるべきことを終えている。

 レーナは懸念していたエンケリア村の食糧問題の解決に安堵の息を漏らす。

 

「それで結局、時の悪魔の目的って何だったのかしら?」

 

「滅びの未来からたまたま居たエンケリア村を護ろうとした結果みたいだね」

 

 何気なく語られたフィルシスの滅びの未来に、レーナは眩暈に襲われた。

 目覚めてから情報量が多い。なぜ時の悪魔は滅びの未来からエンケリア村を救おうとしたのか。

 いや、王族の立場で感謝するべきなのか、それとも三年もエンケリア村を隔離された事に関して非難の一つでもするべきなのか迷う。

 

 ーーそこじゃないわね、重要なのは。

 

「滅びの未来? 対策を講じる必要が有るなら詳細を知りたいのだけど」

 

 フィルシスは頬を掻き、何とも言えない表情を浮かべる。

 

「ええっと、ルーピン所長曰く既に滅びの未来は回避されてるらしいんだ」

 

 未来視は現在の因果から最も近い未来を視る魔法だ。

 果たしてそう簡単に未来は変わるものだろうか?

 

「ルーピン所長の推測になるけど……何でも姫様がとある人物を召喚したことで未来が変わったそうだ」

 

 笑みを浮かべて言葉を濁すフィルシスにレーナは、不貞腐れるように頬を膨らませる。

 なにも重要な部分を隠さなくても良いじゃないか。そんな悶々とした気持ちを胸に、思い当たる節を口にした。

 

「スヴェンの召喚かしら」

 

「何でも時の悪魔の未来視ではスヴェンは存在して無かったそうだ……ふふ、まさか異界人一人の有無で未来が変わるなんて不思議な気分だね」

 

 確かに不思議な気分でも有り同時に実感が湧かない。

 フィルシスとルーピンはスヴェンの存在が大きいっと言ってるが、当人は自分自身こ有無は関係ないと否定するだろう。

 それに元々異界人の召喚を決めたのはアトラス神のお告げが後押ししたからだ。

 アトラス神のお告げが無くともきっと自分は異界人を召喚していたが、恐らく最後まで信じきる事が出来ずに何処で召喚を止めていたかもしれない。

 未来は何かのきっかけ一つで変わると言うが、それならまた何かのきっかけで滅びの未来を歩むことになるかもしれない。

 王族として今後の課題にレーナは息を吐き、やがてフィルシスをじっと見詰める。

 

「エンケリア村と時の悪魔の件は理解したわ……それで私の解呪は貴女の策が関わっているとお父様から聴いたのだけど?」

 

 フィルシスは真剣な表情で隣に座り、ゆっくりと語り出した。

 

「姫様が受けた呪いが体内に潜伏する懸念が有った以上、私とルーピン所長はどうしても楽観視ができなくてね」

 

「だけど時間が経過して呪いが発現してからでは手遅れになる。かと言って呪いを掛けた術者のラスラ司祭は発見できず」

 

 呪いの解呪で一番手っ取り早いのが術者の殺害だが、呪いが強力であれば有るほど術者の殺害では解けない物も存在する。

 加えてラスラ司祭は邪神教団の司祭だ。死の呪いも恐らく邪神から授かった魔法だったのだろう。

 つまりラスラ司祭を探し出して解呪を試みたところで徒労に終わる可能性も高い。

 それだけで無くアルディアが人質に取られている間は、例えラスラ司祭を見つけ出しても手を出すことは叶わなかった。

 ふとレーナは先程感じた違和感を思い出し、思い切ってフィルシスに訊ねる。

 

「私はラスラ司祭に呪われたという認識をしてるけど、なぜか記憶を探ると実際に襲撃した人物が別人のように感じるのよね」

 

「それはきっと彼が成功したんだね。現に姫様から呪いは消滅している」

 

「解呪でも無く消滅かぁ……」

 

 元々存在していたものが何の前触れも無く消滅するのは、強大な魔法によるものか。

 その事実が最初から無かった。過去の改変に伴い事実が書き換わった影響によるもの。

 それに解呪なら素直なフィルシスはわざわざ消滅という言葉は使わない。

 エンケリア村の件とクルシュナ副所長が悪魔の捕獲魔道具を製造していた件を考えれば自ずと答えも導き出せる。

 

「判ってきたわ。フィルシスは時の悪魔の力を利用して過去の改変を計画したってことかしら」

 

「流石姫様だ、理解が速くて助かるよ」

 

 隠しもしない真実にレーナはため息を吐く。

 恐らくその計画では必須の人物がーースヴェンが時の悪魔を討ち倒し、契約に持ち込むことで成す計画。

 かなり部の悪い賭けと過去の改変が及ぼす影響を最小限に留める必要が有る。

 レーナは自身の腹部に手を当て指で肌を滑らせた。

 拳で貫かれた事実、スヴェンが過去に時間跳躍したとなれば彼のことだ。きっと現代に及ぶ影響を考慮してラスラ司祭に成り替わることでエルリア城襲撃事件を引き起こした。

 という事は氷結の大精霊を召喚し、挙句ラオとフィルシスを相手にしながら彼は目的を達成したということになる。

 

 そこまで理解して急激に頬に熱が帯びる。

 

「え、ええっと……私は結果的にスヴェンに命を救われた事になるのよね?」

 

「殺しかけたのもスヴェンにはなるけど、私が彼の立場なら迷わず同じ選択を取っていたよ。姫様の召喚とはやり合ってみたいし」

 

 それは辞めて欲しい。ただでさえ我の強い各大精霊とフィルシスが戦いでもすればそれこそエルリアの地図を修正する羽目に成りかねない。

 

「……はぁ〜過去に飛んだのがスヴェンで良かったわ」

 

「過去の自分とも戦う機会だっただけに少し残念かな」

 

 フィルシスが二人、自分自身で戦い合う光景は剣術を学ぶ上では興味を惹かれるが、きっとそれは恐ろしい光景なのだろう。

 レーナは少しだけそんな光景を想像して頬を引きづらせた。

 

「ともかくスヴェンが過去を改変して私から呪いを受けた事実だけを消して助けてくれたって認識で良いのよね?」

 

「うん、あとは本人と話すといいよ。彼も呪いの発現は危惧していたしね」

  

 実際に死に掛けたことで異界人には消滅間際の兆しが起きていたことだろう。

 エルリア城に戻ったら詰め掛ける異界人の応対にレーナは頭を悩ませ、

 

「姫様、考え事は明日にして今日はゆっくり休むと良い」

 

 フィルシスの優しい声。頭を優しい手つきで撫でられ、心地良さにレーナは眼を細めた。

 

「そうさせて貰うわ……」

 

「それじゃあ姫様、私から報告しておくからゆっくりお休みを」

 

 そう言ってフィルシスは静かな足取りで医務室から立ち去った。

 レーナは改めて自身の腹部を撫で、スヴェンと会って何を話そうか迷う。

 いつも通りに、それとも過去を改変してまで助けてくれた事に礼を告げるべきか。

 きっと彼の事だ。自分が消滅したく無かったと理由を述べて、むしろ傷付けたことに対する謝罪をしてしまうのだろう。

 根が真面目なスヴェンが出す言葉を想像しながらレーナは微睡に委ね、眠りに就くのだった。



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29-9.帰還と対価

 淡い緑の光が沈んだ意識を呼び起こす。

 スヴェンが眼を開くとそこにはミアの顔と月明かりの空が映り込んでいた。

 頭部に感じる感触から膝枕で自身の頭部を支えるミアに気付いたスヴェンは記憶を探る。

 なぜこんな状況になっているのか。記憶を探れば探るほど鮮明に呼び起こされる記憶。

 過去の時代から現代に戻った直後、自身を急激に襲った疲労感の影響で歪む視界の中でそのまま地面に倒れたのだ。

 倒れた原因を思い出したスヴェンは身体を動かそうとするも、両肩をミアに押さえ付けられる。

 両手に魔力を流し込んでまで押さえ込む彼女にスヴェンは思わず眉を歪めながら疑問を口にした。

 

「なぜアンタが此処に?」

 

「はぁ〜嫌な予感がして探してみればスヴェンさんが此処で、何もない平原で倒れてたんだよ。それも全身血塗れでさ」

 

「背中の大きな裂傷、貫通された腹部……一体何と戦ったらスヴェンさんがそんな重傷を負うのよ」

 

 消え入りそうな不安を宿したミアの声にスヴェンは何と戦ったのか無言を貫くことで回答を拒否した。

 

「むぅ、相談の一つや二つはして欲しいけど……さっき姫様が目覚めたって報せが届いたからきっとそういうことなんだよね……スヴェンさんの体内からは嫌な気配も感じるし」

 

 レーナの目覚めにスヴェンは安堵の息を漏らし、同時に察しの良いミアに。

 

「悪い、心配をかけたな」

 

「別に良いよ治療師として重症者を治すのが私の仕事だし……それに私とスヴェンさんはビジネスパートナーだもん」

 

 ミアはそんな事を言いながら笑みを浮かべて笑った。

 

「そうだったな」

 

 スヴェンはこちらを見詰めるミアから視線を逸らし、思考を別に向ける。

 レーナが目覚めたと言うことは、改変の影響は最小限に留めることができたのか。

 まだ判断は出来ないが一先ず空腹はどうにかしなければならない。

 

「腹が減った」

 

「美少女の膝枕の感想よりも空腹ですか、そうですかぁ」

 

「ぼくの契約者を誘惑しようとしないでくれる?」

 

 下丹田から姿を現した時の悪魔ーーミントの出現にミアは敵意を剥き出しに睨みながらその姿に疑問を口にした。

 

「なに? 時の悪魔って実は美少女だったの? でも私は遠慮なく殴れるよ!!」

 

 拳を構えるミアにミントは不敵な笑みを浮かべる。

 ミアの攻撃が一切通じないからこそ来る余裕の笑み。だがそれはミアも重々理解しているだろう。

 その証拠にミアはスヴェンの腕を持ち、ミントの腹部に拳を振り抜いた。

 しかしミントは不敵な笑みを浮かべ、

 

「さっきまで効いてたけど、残念だったね! スヴェンは既に過去に存在しているからもうぼくに危害を加えることはできないよ!」

 

 嬉々として過去に時間跳躍した弊害を語った。

 それは覚悟してしていたリスクだが、ガンバスターはまだ過去に存在していない武器だ。

 

「ガンバスターは効くんだろ?」

 

 そう指摘してやるとミントは無言で視線を逸らした。

 無言を肯定と捉えたミアが小悪魔のような笑みを浮かべる。

 

「じゃあガンバスターで殴ろうか」

 

「一発で気が済むなら安いもんだが、持って来るか?」

 

「今回はやめておく。事情はルーピン所長から聴いてるからさ、それにやっぱりかわいい女の子の姿だと流石に私の良心が痛むよ」

 

 戯けるミアを他所にスヴェンは何か言いたげなミントに視線を移す。

 

「対価の請求か」

 

「そっ、時間跳躍の往復分の対価はしっかり払って貰うよ」

 

「対価……スヴェンさんは何を要求されたの?」

 

 不安そうな表情で訊ねるスヴェンは簡潔に答えた。

 

「寿命」

 

 その瞬間ミアは察した表情を一瞬だけ浮かべ、すぐさま視線はミントに向けられる。

 

「人間、どうして憐れみの表情を向けるのかな?」

 

 事情を知らないミントは不思議そうに小首を傾げながら、こちらに掌をかざす。

 

「『我と契約せし者よ、力の代償として汝の寿命を貰い受ける』」

 

 詠唱と共にスヴェンの体内から何かが抜け出る感覚が襲う。

 これが寿命を抜き出す際の感覚なのか、到底言葉では表現出来ない感覚にスヴェンの眉が歪む。

 そして寿命を抜き取ったミントの表情が次第に高揚間が増し、

 

「ふふっ! これでスヴェンの寿命は尽きてその魂は永遠にぼくの物に……あ、れぇ??」

 

 自身の計画を暴露しながらいつまで経っても平然と生きているスヴェンにミントが首を傾げる。

 寿命が尽きた人間を隷属化させる。悪魔らしいやり方にスヴェンは納得しながらミアの拘束を跳ね除けて立ち上がった。

 改めて自身の身体を見渡せば容姿に変化はない。

 ということは寿命を抜き取る行為事態は、本来人が持つ生きられる時間を抜き取ったという事になるのか。

 スヴェンはジギルド司祭と自身を比較し、悪魔によって寿命の支払いは異なるのだと理解した。

 

「……あのぉ、100年分の寿命を対価として払って貰ったんだけどぉ? 何で生きてるの?」

 

「実はスヴェンさんは500年は生きられるんだって」

 

「500年……えぇ、人間が500年もぉ?」

 

「デウス・ウェポンの人間はな……それよか、もうアンタと契約する必要もねぇ。契約破棄はどうすりゃあ良い?」

 

 時の悪魔の力はもう必要ない。

 レーナを救う名目で使用した時の悪魔の力は、やはり人には過ぎた力だ。

 それを個人が契約し続けては後々面倒ごとを呼び込む種にしか成り得ないだろう。

 

「ぼく、用済みだから捨てられるんだぁ」

 

「言葉は選べよ? ってか契約する際に言ってる筈だが……」

 

「それはそうだけどさぁ……ああ、でも自由に過ごして良いって言ってたよね」

 

 強大な力を持つこの悪魔に自由という言葉の意味を履き違えられても困る。

 

「あぁ、人様に迷惑をかけねえ程度の自由だがな」

 

 念の為に釘を刺すとミントは笑みを浮かべながら、指に宿した魔力を操る。

 すると何かを断ち切る動作をしたかと思えば自身とミントの間に有った繋がりが途切れた。

 

「これで君とぼくの間に契約は存在しない……だけど、ミントって名乗り続けていいかな?」

 

「名乗るのは勝手だ、アンタの好きにしろ」

 

 それだけ告げるとミントは嬉しそうに宙を舞い、

 

「じゃあねぇ! ぼくはこれから自由に生きるよ!」

 

 そう言ってエルリア城の方に飛び去って行く。

 無性に嫌な予感がする気もするが、自身の天敵の側で生活するほどミントはアホではないだろう。

 きっとこの嫌な予感も疲れから来る勘違いなのかもしれない。

 

「悪魔ってあっさりしてるよね……それにしても随分とかわいい姿だったね」

 

「悪魔に性別の概念はねぇだろ? だから俺にとっちゃあアイツは戦場で出会す連中と同じようなもんだ」

 

 幾ら少女であろうとも性別など関係無く武器を持ち戦場に現れるのなら、それは戦士であり殺すべき敵でしかない。

 だからこそスヴェンにとってミントがいくら少女の姿になろうとも、眼に映るのは時の悪魔としか映らない。

 

「えっと敵味方ってこと?」

 

「まあ、そんなもんだな。時の悪魔の場合はただそこに居る悪魔程度の認識になるが」

 

「悪魔に対しても辛辣だねぇ……ねぇ、今からご飯食べに行かない? 私も食べたらすぐにエンケリア村に帰らないとだし」

 

 本来ミアは故郷で廃人になった者の治療を始める予定だった。

 忙しい彼女がわざわざ駆け付けてくれたのだ。

 

「忙しいアンタには世話になったからな、今日は奢る」

 

「うん! 私もお腹空いてるから沢山食べるよ!」

 

「おう、遠慮なんざすんな」

 

 二人はエルリア城下町の酒場に歩き出し、隣でこちらを覗き込むように上目遣いで懇願するように語りかける。

 

「お酒も呑んでいい?」

 

「普段なら断るところだが俺も今日は酒を呑みてえ気分だ」

 

 その後二人は酒場で飲食し、案の定酔い潰れたミアをエルリア城の騎士に頼んでエンケリア村の実家まで送り届けてからスヴェンは自宅に帰るのだった。

 なぜか地下室に勝手に棲み着いた時の悪魔の存在を無視して眠りに就くことに……。



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29-10.静寂のひと時

 過去の改変から十日が過ぎーー十月二十日の夕方。

 護衛の依頼を達成したスヴェンはレーナに呼ばれ、ラウル達と別れてからエルリア城のレーナの部屋に向かった。

 メイドの手によって開けられる部屋のドア、中に踏み込めば酒と料理が乗せられたテーブルの前で座るレーナがこちらに微笑みかける。

 呪いの影響は完全に消滅し、もう二度と彼女が死の呪いに侵されることは無いだろう。

 スヴェンは久し振りに会うレーナの元気な姿に内心で安堵の息を吐いた。

 

「いらっしゃいスヴェン」

 

 スヴェンはガンバスターを壁に立て掛けてからテーブルに近付き椅子に座る。

 国際会議が終わり、レーナとオルゼア王達が戻って来たのはつい昨日のことだ。

 レーナも疲れているだろうに、こうして招くからには理由が有るのだろう。

 しかしレーナの様子を見るに仕事の話では無さそうだ。今の彼女から杞憂は見られずむしろ楽しげだ。

 

「呼び出された時は何事かと思ったが、どうやら依頼の話じゃねえようだな」

 

「えぇ、今日は貴方を誘って食事をしようと思ったのよ。それに助けて貰ったお礼もね」

 

 レーナの死は自身の消滅を意味する。だからこそスヴェンは過去に時間跳躍して改変した。

 自身が消滅したくない。それ以上に呪いでレーナをしなせたくなかったからだ。

 

「……いや、その件に関しては俺が勝手にやったことだ。むしろアンタには謝んねえと」

 

 過去でレーナの腹を貫き傷付けた。その事実だけでも彼女を貫いた右手が今でも血に染まって見える。

 

「謝る? どうしてかしら?」

 

 疑問を浮かべるレーナにスヴェンは一息吐く。

 彼女を傷付けたのだ。誤魔化しもせず正直に話すことが誠意の一つだろう。

 

「俺はラスラに成り代わることでアンタから呪いを受けた事実を改変しようとした。……いや、ラスラを殺した時点でアンタから呪いを受けた事実は消えたが」

 

「エルリア城襲撃事件が起きなかったら現代にどれほど影響が出ていたか判らないわ」

 

「だが結果的にアンタに負わなくていい傷を負わせちまった」

 

「うーん、確かに私は傷物にされたけれど。それで責任を求めるようなことはしないわ。貴方は私達のために危険な時間跳躍、それだけじゃなくてエンケリア村を救ってくれたんだもの寧ろ感謝しかないわよ」

 

「……アンタはそれで良いのか?」

 

「もう過ぎたことだし。それに私はね、貴方のことが大好きなの……それなのに貴方の責任感に漬け込む真似はしたくないわ」

 

 頬を赤く染めて大好きだと告げるレーナにスヴェンは顔を顰めた。

 なぜそんな感情をどうしようもない外道に向けるのかが全く理解できない。

 

「……あー、なんだ? 一先ず今回の件は互いに忘れるってことで良いのか?」

 

「えぇ、それで良いわよ。……うん、さっき貴方に言った言葉だけは忘れないで欲しいのだけど」

 

「……俺にはアンタとリノンが向ける感情は理解できねえんだがなぁ」

 

「理解できなくともね、貴方のことが好きな人が居ることぐらいは気に留めて」

 

 それだけ告げたレーナは葡萄酒が入ったワイングラスを片手に、

 

「うん、今はこのひと時を楽しみましょ」

 

 微笑みかけるレーナにスヴェンはワイングラスを片手に乾杯した。

 人の好意も愛情もまだ到底理解できそうにも無いが、恐らく理解したところで待つのはレーナを悲しませる結果だけだ。

 自分は如何有ろうとも時が来ればデウス・ウェポンに帰還する。

 自身のやり残しを片付け決着を付けるためにも。

 スヴェンはワイングラスに口を付け、葡萄酒の味に舌を唸らせる。

 

「こうして貴方とお酒を呑むのは旅立つ前日以来ね」

 

「そうだったな……こうしてアンタと静かに酒を呑んで美味いもんを食うのも悪くねぇな」

 

「私もこの静かな時間が好きよ」

 

 外の夕暮れ、廊下から足音一つ聴こえない静寂な空間。

 確かにこの静寂の中でレーナと食事というのも悪くはない。

 本来廊下には使用人の足音や騎士甲冑の音が聴こえるのだが、レーナの自室は愚か廊下まで人の気配が感じられない。

 特殊作戦部隊の気配すら感じられない事にスヴェンは肩を竦める。

 

「……随分と信用されたもんだな」

 

「何か起きても貴方が護ってくれるでしょ? それに私達は貴方が危害を加えないって信じてるもの」

 

「アンタに危害を加える理由もねぇしな……」

 

 レーナを傷付けた罪悪感がしばらく残る。そんな出掛けた言葉を飲み込む。

 そんな様子にレーナは不思議そうに小首を傾げる。

 スヴェンは『なんでも無い』っと一言だけ告げ、再び葡萄酒に口を付けてはその味に舌を唸らせた。

 目の前で眩しいほどの笑みを浮かべるレーナを見つめながらスヴェンは酒を呷る。

 以前は直視できなかった笑みも何故か今は見ることができる。

 何か心境の変化が訪れたのか、それとも彼女の眩しい笑みに馴れたのかは判らないがそれでも言える事が有った。

 

「悪くねぇな」

 

「私を見つめながらお酒を呑むことが?」

 

「……ああ、アンタと語り合いながら呑むのも悪くねぇ」

 

「じゃあ今晩は沢山語り合いましょ。今後のこととか、ラウル達のことや棲み着いた時の悪魔のこととか色々と聴きたいことも有るから」

 

 スヴェンは静寂の中で美味い料理と酒に舌を唸らせながら、レーナと遅くまで語り合うことに。



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番外編
01.訳あり貴族令嬢


 学業が終わった放課後の帰り道、ラウルはふとなぜ水練の授業は男女別で温水施設で行われるだろうか?

 小慣れた帰り道で生じた純粋な疑問。エルナとロイなら何か知ってるかもしれないっと考え二人に疑問を問い掛けた。

 

「なあ? 今日は水練が有っただろ」

 

「ん? 有ったな。それが如何したんだ?」

 

「いやさ、なんで男女別なんだろうなぁって」

 

 言っていて内心でくだらない質問してるっと思いながらも二人に視線を向ければ、二人は足を止めて思案顔を浮かべていた。

 

「男女で体力差が生じる……それだと実戦授業も分けられるはず」

 

「プールは広々としてるから人数的な問題じゃないよね」

 

 考え込む二人を他所にラウルは教室で見た同級生の様子を思い出す。

 水練の準備のために更衣室に女子が移動した後、一部の男子が妙に鼻の下を伸ばしていた。

 もしかしたら水練が男女別なのと何か関係が有るのかもしれない。

 

「あっ、そういえば水練は初等部からずっと男女別って聴いたことあるかも」

 

「じゃあ男女別に別れるのが普通なのか」

 

「私達にとっての疑問はあの子達にとって普通なんだと思う」

 

 五歳から入学した一般生徒と違って自分達は十一歳からの途中入学だ。

 クラスでも既に仲の良い友人が固まっているが、それでもクラスメイト達は自分達を温かく歓迎してくれた。

 

「些細な疑問で変な奴って思われるのもちょっと嫌だな」

 

「そうだな、せっかく馴染めて来た所で距離感が空くのは寂しいな」

 

 三人は互いに顔を見合わせ頷き合う。

 さっきの疑問は自分達の胸の内にしまって忘れようと。

 

「あ、そう言えば今日からのご飯当番如何する? まだ決めてなかったよね」

 

 家事全般はスヴェンが熟していたからいざ自分達で用意するとなると少々億劫に思える。

 それでも全く経験が無い訳ではないが、面倒なもの面倒というのが正直な本音だ。

 ただ寮と家を行き来する生活をするということは、必然的に四人で生活するということ。

 そこで一人だけ面倒だからやらないなんて言えば、不和を生むか最悪スヴェンに飯抜きを言い渡せるかもしれない。

 

「アニキが居ない初日だから3人でやるのはどうだ? ぶっちゃけおれはあんま料理できないし」

 

「ラウルは野営生活が長った筈なんだが、料理が不得意って意外だよな」

 

 思えば野盗時代は獲った動物や魚を串に刺して焼いて食べる生活ばかりでまともな料理をする事は無かった。

 そもそも行商人から掠奪を働くにしても運搬してる荷物に都合よく香料や調味料が入っているとは限らず、根無草の生活も合間ってそう多くの荷物を携行できなかったのも理由の一つだ。

 

「獲物を獲るのだけでも大変だったんだよ」

 

「判るかも。魔法で仕留めようとするとすぐに反応して逃げられちゃうもんね」

 

「あー、そう言えば敏感だもんなぁ」

 

 二人も元邪神教団の異端者だ。宿屋で泊まるにも危険性が伴う関係で必然的に野宿になるか、邪神教団の拠点で宿泊するかの二択。

 ラウルは互いに苦労したなぁっと溢せば、エルナとロイも苦笑を浮かべた。

 

「まだ俺達は11歳なんだが?」

 

「まだまだ子供だから苦労話には早いかなぁ。それに若い内から苦労し続けると老け顔になるって聴くし」

 

「渋くてカッコいい大人に成長できれば良いんだけどなぁ」

 

「ラウルに渋さぁ〜? うわぁ似合わないなぁ」

 

「うわぁってなんだよ、うわぁって」

 

 理想の大人になるのもまだまだ先の事だ。だと言うのにうわぁっと眉を顰められるのは失礼な話だ。

 ラウルがため息混じりでエルナを睨むと路地から突然人が飛び出し、反応が遅れたラウルは避けることができず、

 

「きゃあ!」

 

「うわっ!」

 

 路地から飛び出した少女と衝突してしまった。

 突然のことに尻餅付いたラウルは立ち上がりぶつかった少女を一目見て息を呑んだ。

 華奢な身体、目鼻立ちが整った小顔、長い桃色髪、首からペンダントをぶら下げ可愛らしいドレスを着こなした少女にラウルは手を差し伸べる。

 

「大丈夫か?」

 

 訳ありそうな少女は少しだけ迷いを見せながらも路地から響く足音にラウルの手を掴む。

 

「ありがとうございます。いえ、ぶつかってしまい申し訳ありませんでしたわ……先を急いでるので失礼致します!」

 

 少女はそのまま職人通りの方に走り去り、遅れて二人組の黒服の男が路地から現れた。

 

「どっちに行った!?」

 

「クソ、逃げられると事だぞっ!」

 

 少女を追う不審人物、ここはエルリア魔法騎士団に通報するべきだ。

 そう判断したラウル達は視線を動かして近場の騎士を探すも、如何やらこの付近に騎士は居ないようだ。

 間の悪さに息を吐くと二人組の男がこちらに近付く。

 

「やぁキミ達、この辺で桃色髪をした少女を見なかったかい?」

 

 脅すでも無く穏やかな口調で訊ねる男にラウルは職人通りとは真逆の方向を指差して。

 

「桃色髪の少女ならあっちに行ったよ」

 

「よしあっちだな!」

 

 そのまま二人組は職人通りとは真逆の方向に駆け出した。

 

「悪い嘘付きだねぇ」

 

 揶揄うエルナにラウルはわざとらしく肩を竦めながらしたり顔を浮かべる。

 

「嘘は言ってないよ。この辺で桃色髪の女の子って別に珍しくないだろ」

 

 人混みの中で確かに桃色髪の少女が職人通りとは真逆の中央通りに向かう姿を目にしているのだ。

 だから嘘では無いし黒服の男達に何か言われても誤魔化しは効く。

 だが問題はさっきの少女がなぜ追われていたのかだ。

 

「それにしてもさっきの女の子、なんで追われてたんだろうな?」

 

「エルリアで貴族絡みの問題だと跡継ぎとかかなぁ? 稀に側室の子が荒くれ者とか雇って誘拐事件を起こすことも有るんだって」

 

「跡継ぎ問題ならうちに依頼が来ない限りは関わるべきじゃないかもな」

 

 ロイの意見も尤もだ。

 依頼人としてボディガード・セキリュティを訊ねるなら依頼を請けられる。

 だが、そうで無いなら近場の騎士に伝えて桃色髪の少女を保護して貰った方が遥かに安全だ。

 それでも心は先程の少女の手助けをしてやりたいっと訴えている。

 一目惚れとは違う。ただ単に元野盗だった自分自身ができる償いの一つとして困ってる少女を助けてやりたいのだ。

 

「なあ、やっぱ依頼とは関係無しに贖罪の意味も兼ねて助ける……までは行かないけど手伝うべきじゃないか?」

 

 自身の意見に二人は顔を見合わせ、やがて笑みを浮かべた。

 

「お前ならそう言うと思ったよ」

 

「でも私達が無償で人助けをしちゃうとボディガード・セキリュティを単なる便利屋だって勘違いしちゃう人が増えるからあくまでも依頼としてだね」

 

 無償で人助けをするのは余程のお人好しだっとスヴェンは言っていたが、確かに贖罪の意味も兼ねているが危険が伴うならそれなりの対価は求めるべきだ。

 

「じゃあ寄り道せずこのまま帰るか。幸い職人通りに向かったしな」

 

 歩みを再会させた三人は職人通りに進む。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 職人通りを進み、件の桃色髪の少女が見当たらないまま路地裏から裏通りの自宅に到着すると。

 桃色髪の少女が周囲を警戒しながら自宅の前で待っていた。

 つまり彼女の目的は元々ボディガード・セキリュティに依頼を出すためだった事が判る。

 ラウル達は互いに顔を見合わせ、普段通りの会話を織り交ぜながら桃色髪の少女に近付く。

 

「あっ、あなた方は先程の……」

 

 こちらに気付いた彼女は会釈を混ぜながら微笑みを浮かべた。

 

「およ? うちに何か用事でも有るの?」

 

「うちという事はあなた方はボディガード・セキリュティの関係者でしょうか?」

 

「実はおれ達は此処で住み込みで働かせて貰ってるんだ。まあ、学生だから寮を往復しての生活だけどさ」

 

 ラウルが答えると桃色髪の少女は微笑みを曇らせ、次第に顔色が困惑に染まる。

 

「えっと、オーナーのスヴェン殿は?」

 

「スヴェンなら次の依頼に向けて留守にしてるんだ」

 

「そ、んな……アラタさんの紹介でスヴェン殿なら護ってくれると聴いていたのに」

 

 確かにスヴェンなら確実に彼女を安心させながら護れるだろう。

 それでも自分達もボディガード・セキリュティの一人だ。彼に不在中の依頼を任された身としてやり遂げる覚悟は有る。

 

「そのスヴェンからおれ達は不在中の依頼を任されてるんだ」

 

「でも子供3人の護衛は不安だよね? 騎士を呼ぶまでうちで保護することもできるけど」

 

 エルナの提案に桃色髪の少女は困った様子で首を横に振る。

 

「い、いえ騎士は不要ですわ……ですからわたくしはあなた方に依頼を出しますわ」

 

 騎士は不要。それだけ騎士を頼れない事情が有る事が判った。

 貴族が騎士を頼れない理由がなんなのかは現状では判らないが、訳あり貴族は何処の国でも居るものだ。

 

「じゃあ詳しい話は中で話そ」

 

 エルナが桃色髪の少女を先導し、自宅の鍵を開けて中に案内する。

 そんな中、ラウルとロイは周囲を見渡して人が居ない様子を確認してから事務室に向かう。

 事務室で依頼の契約を済ませる前にソファに座ったエルナが彼女に質問する。

 

「それじゃあ先ずは自己紹介から行こっか。私はエルナ、背後2人はロイとラウル。あっ、ラウルは冴えない顔の方ね」

 

 余計な一言を付け加えたエルナに思わずため息が漏れる。

 

「エルナさん、ロイさん、冴えない顔のラウルさんですわね」

 

「いや、冴えない顔は付けなくて良いからね?」

 

「面白そうだったのでつい……っと紹介が遅れましたわね。わたくしはバレルット男爵の娘リゼッタと申しますわ」

 

 バレルット男爵。知らない男爵の名前にラウルが首を傾げる中、エルナが思案顔を浮かべ。

 

「確かバレルット男爵ってエルリア東部の鉱山の運営を一手に取り仕切ってる人だったよね」

 

「えぇ、よくご存知ですわね。……ですが、その父上が先日不慮の事故でお亡くなりなりまして」

 

 不慮の事故と先程の黒服の男達。事件を疑わせるには充分な判断材料だが、それなら騎士が彼女の身辺警護に就く筈だ。

 

「不慮の事故? 暗殺とか??」

 

「いえ、そう言った薄暗いことでは無くてですね。移動中にモンスターに襲われまして……」

 

 リゼッタの表情が悲しみに歪む。

 父をモンスターに殺され失った悲しみはまだ癒えきって無いのだろう。

 

「ごめん、無遠慮だったね」

 

「いえ、大丈夫ですわ。それよりも問題は今回の件ですの」

 

「さっきリゼッタを追いかけてる黒服の男達と会ったけど、今回の件絡みってことかな」

 

「えぇ、側室の妻に雇われた追手ですわ。わたくしの母上と側室の妻は仲が余りよろしくありませんの。その関係なのでしょうか、わたくしも目の敵にされておりまして」

 

「うーん、跡継ぎ問題かなぁって予想はしていたけど……それなら如何して騎士団を頼らないの?」

 

 エルナの質問にリゼッタは苦笑を浮かべた。

 

「実は父上が不測の事態に備えて残していた遺言には、跡継ぎをわたくしに指名するという記載と家督を継ぐ条件として書類が受理されるまでの間に起きた困難を騎士に頼らず解決することが記されていまして……」

 

 遺言に条件を記載されてる以リゼッタは遺言に従わなければならない。

 それが側室の妻がつけ入る隙を与えたと考えられるが、恐らく騎士の介入で側室の妻とその子供が捕まることを防ぎたかったのか。

 ラウルは話を聴きながらそんな推測を浮かべた。

 

「また厳しい条件だね」

 

「父上は側室の妻も愛してましたの。もしも彼女に息子が産まれていれば、家督はその子が継いでいたでしょうね」

 

「それって……それは側室の妻からしたら面白くないのかも」

 

 貴族の社会はよく判らないが、結局のところ側室の妻に男の子が産まれていたら立場が変わるだけで何も変わらないのかもしれない。

 正妻と側室、男としてハーレムは夢に見てしまうがいざ跡継ぎ問題に直面すると夢というのは醒めてしまうらしい。

 ラウルは結婚するなら好きな女性一人だっと心に誓い、

 

「それで書類が受理される日はいつなんだ?」

 

 護衛日数を訊ねた。

 

「明日の17時ですわ。それまでにペンダントを持って大通りの裁判所に行けば引き継ぎ完了ですの」

 

 明日の十七時までに裁判所まで護衛すれば依頼完了となる。

 時間までに向かう。それまで自宅で匿うのは当然だが、いつも不測の事態を予測しなければならない。

 スヴェンがいつも当然のようにやっていることを。

 

「それじゃあ依頼書にサインと提示する報酬額を書いてね」

 

 リゼッタはエルナに言われた通りに依頼書に記載を終え、

 

「それでは時間まで護衛をお願いしますわ」

 

 改めてこちらに頭を下げたのだ。

 

「明日は丁度学院も休校日だったしな」

 

「うん、貴族の口に合うか判らないけど夕飯の支度するね」

 

「じゃあ俺とエルナでやるからラウルは彼女を頼む」

 

 そう言って二人は足速に二階のキッチンに向かい、残されたラウルとリゼッタは静かな空間に戸惑う。

 不思議と訪れる緊張感を感じながらラウルは窓のカーテンを閉める。

 庭から黒服にリゼッタの姿を見られても拙い。

 仮に襲撃されても一旦地下室に匿うか、屋根を移動して移動することも可能だがーーどんだけ雇われてんのかな?

 

「そういえば、黒服はどれぐらい居るんだ?」

 

「わたくしが把握してる限りでは20人、身なりこそ黒服で固めていますが正体は荒くれ者ですわ」

 

「20人……荒くれ者でも油断はできないなぁ」

 

「そうですの?」

 

「これはアニキーースヴェンがいつも言ってることなんだけど、常に不測の事態は予想しろ、決して相手が誰だろうと油断すんなってさ」

 

 スヴェンの教えを告げるとリゼッタが興味深そうに眼を細めた。

 

「そのスヴェン殿はアラタさんと知り合いだそうですが、何者なのでしょうか? あっ、普段通りの呼び方で構いませんわよ」

 

「うーん、おれ達実はアニキの交流関係ってよく知らないんだよな」

 

 ラウルは敢えてスヴェンが異界人だということを伏せた。

 ラピス魔法学院や町中でよく耳にする異界人の悪い評判や悪印象が、スヴェンに対して悪い印象を与えかねないからだ。

 

「なんでも窮地を助けて頂いたとか」

 

「そうなんだ。そのアラタって人はどんな人なんだ?」

 

「アラタさんはフェルシオンのユーリ伯爵の代理人を勤める使用人のお方ですわね」

 

 アラタの話にラウルは不思議そうに首を傾げた。

 疑問を察したリゼッタはこちらの様子を見て微笑む。

 

「通常なら子が家督を継ぎ領主経営をするものなのですが、業務内容を把握し、住民からの信頼も厚いアラタさんなら代理人を任せられるとオルゼア王が判断さなったのですわ」

 

「うーん、それじゃあ今回の件はオルゼア王が介入できないことなのか」

 

「オルゼア王が貴族の跡継ぎ問題に介入するのは、当主に不測の事態が起こり家督を跡継ぎに継がなかった時ですわ」

 

 なんとなくラウルはアラタの身の回りで起きたことを想像し、そこで偶然スヴェンと出会い助けられたのだと理解した。

 だからアラタがスヴェンをリゼッタに紹介したのも信頼からだ。

 ラウルが改めてスヴェンの背中の大きさを理解すると事務室にエプロンを着けたエルナがやって来る。

 

「あら、可愛らしいエプロンですわね」

 

「私のお気に入りだよ。っと夕飯が出来たから呼びに来たけど2人とも楽しそうだね」

 

「えぇ、彼のおかげで緊張がほぐれましたわ」

 

「うんうん、それは良かったよ」

 

 それから二階のリビングに向かい少し早めの夕食を済ませ、リゼッタに屋内を案内してからエルナと彼女は共に入浴することに。

 リビングでコーヒーを呑むロイにラウルは問う。

 

「それで? 2人のことだから調理中に明日の予定を考えてたんだろ」

 

「あぁ安全を取るのは当然として……裁判所までの道のりは遠回しになるな」

 

「まあ、20人の黒服が裁判所付近を見張ると考えると戦闘も避けられないよなぁ」

 

「本当なら先手を打ちたい所だが、不在中にエルナとリゼッタが襲われる可能性も有るからなぁ」

 

「そうだよなぁ〜魔法で黒服の居場所が判れば楽なんだろうけどさ」

 

 そんな楽になる魔法はきっと無いだろう。

 仮に有ったとしても発動できるとは限らない。

 ラウルは自身が扱える魔法で護衛を達成せるしかないっと思考する中、

 

「もしもの時はラウル、お前がリゼッタを裁判所まで連れて行け」

 

 そんなもしもの事をロイが口にした。

 縁起でも無いがもしもが起こらないなんて事は低い。

 それはミルディル森林国の邪神眷族復活で身に沁みて理解している。

 だからこそラウルはロイの言葉に深妙な表情で頷く。

 それにロイとエルナは実戦慣れしているため、大人が相手でもそう簡単に遅れを取ることは無い。

 

「もしもの時は任せてくれよ。硬質化魔法を使ってでも盾になるさ」

 

「頼もしいけど無茶はするなよ」

 

 ラウルはロイに笑みを浮かべ、無茶はしないっと告げ自室に戻る。

 明日の移動か襲撃に備えて早めに休むために。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 翌日の十三時、ラウル達はフードを被せたリゼッタを連れて職人通りの表通りに出ていた。

 物陰から道路の様子を伺えば道路を見張る黒服の三人が通行人に眼を光らせ、

 

「この辺で桃色髪の少女を見なかったか?」

 

 リゼッタの所在を訊ねた。

 

「さあ? 桃色髪なんて珍しくも無いからなぁ。それよりも通行の邪魔だよ!」

 

 黒服を押し除けて通行人はそのまま装飾店に入り、黒服達が舌打ちを鳴らす。

 

「一体何処に行ったんだ?」

 

「城下町に居るのは確実だ」

 

「全く広い城下町を20人で捜って方が無理が有る」

 

 不満を漏らす黒服の言う通りだ。

 たった二十人程度で広い城下町からたった一人の少女を見付けることは難しい。

 ただ彼等の居る場所が最悪だ。職人通りから各通りに向かうには必ず通る必要が有る道路で見張られては思うように動けない。

 ラウルがどうにかして気を引けないかと思案する中、

 

「『銀の鎖よ、標的に絡み付け』」

 

「『闇よ、標的から光を奪え』」

 

 エルナとロイが詠唱を唱え、魔法陣から銀の鎖が飛び出した。

 銀の鎖が黒服に気付かれ無いように背後から迫り、一瞬で巻き付くとそこに畳み掛けるようにロイの闇の魔法が黒服達の視界を覆い隠す。

 動きを封じられ視界も失った黒服達を他所にラウル達はリゼッタを連れてその場を急いで離れる。

 背後から黒服達の騒声が聴こえるが、敢えて騒がせる事で黒服の注意を職人通りに逸らす。

 上手くいけば儲けだがそう簡単には行かないのが現実だ。

 職人通りから大通りに続く道路を走り抜け、大通りに到着すると裁判所の周辺を囲む十七人の黒服の姿にラウル達は深いため息を漏らした。

 

「あれ待ってればいずれ来るからそれまでサボってようぜ! って感じに見えるんだけど」

 

「待ち伏せは予測通りだが……さて如何やって突破するか」

 

「? さっきの魔法で拘束しちゃえば良いのでは?」

 

「ああも散開してると気付かれるかな。一箇所に纏まってくれたら良いんだけどねぇ」

 

 かと言って町中で攻撃魔法の使用は禁じられている。

 現状で使える魔法は造形魔法、闇属性の支援、妨害魔法、硬質化魔法だけ。

 この中で最も拘束力の有る魔法が造形魔法だけになる。

 スヴェンならきっと高速移動で黒服に悟られず無力化してしまうのだろう。

 だが生憎と自分達にはスヴェンのような身体能力は無い。

 ラウルは切れる手札とどう行動すれば安全にリゼッタを裁判所に連れて行けるか。

 職人通りで放置した黒服三人が魔法から解放されるまで五分の猶予は有るが、リゼッタを隠して戦闘するにもやはり五分という制限時間が気掛かりだ。

 それならエルナとロイに跡を任せ、自分は彼等を一箇所に集める他にない。

 

「おれがアイツらを引き付ける」

 

「一箇所に集まるか、最低十人が集まったら魔法を使うよ」

 

「ラウルの案以外に打てる手は無いか。気を付けろよ?」

 

「おう、いざって時は魔法で身を護るさ」

 

「あの、怪我だけはしないでくださいね」

 

 リゼッタの不安そうな眼差しにラウルは笑いかけ、そのまま裁判所に駆け出す。

 そしてラウルは黒服達の前で立ち止まり、指先を彼等に向ける。

 指先を向けられたことに訝しむ黒服と裁判所前を避けて通る通行人の視線がラウルに注がれる。

 確かに町中で攻撃魔法は使用できないが、詠唱破壊した魔法や悪戯用の魔法は違う。

 ラウルは指先に魔力を集め水を生成する。

 そして指先から水を放つ事で黒服に顔に掛けた。

 顔が濡れた黒服は怒りを露わに拳を鳴らし、

 

「おい、ガキっ! 随分と舐めたことしてくれるじゃあないかっ!」

 

 一人目がラウルに近付くとまるで憂さ晴らしでもするかのように十六人の黒服が近付く。

 まさか全員釣られてるとは思っても見なかったラウルは頬を引き攣らせた。

 

「や、やだなぁ! ちょっとした悪戯じゃないか!」

 

「へっ! 運が悪かったな! 俺達はターゲットを中々捕まえられなくて苛々してたところなんだよ!」

 

 黒服の拳が振り抜かれ、通過人の誰かが悲鳴を叫ぶ。

 

「『我が身よ、鉄に変えよ』」

 

 硬質化魔法を唱えたラウルの顔が鉄に変わり、黒服の拳から鈍い音が鳴り響く。

 腕を痛めた黒服の一人が蹲りる中、ラウルの足元を銀の鎖が駆け巡る。

 そして銀の鎖があっという間に黒服達の足元を絡め取った。

 バランスを崩し一斉に地面に倒れ込む黒服達。そこにロイの闇の魔法が追い討ちをかけるが如く黒服達を闇に包む。

 

「く、暗ぁっ!?」

 

「や、闇がぁぁぁっ!!」

 

「おお、大いなる闇よ。わたしを祝福してくだされっ!」

 

 騒ぎ立てる黒服の中に一人だけ妙な事を口走る者が居るが、ラウルはツッコミたい衝動を抑えてリゼッタ達に振り向き手を振った。

 闇に包まれた黒服達を他所に裁判所に駆け込み、ラウル達はリゼッタの手続きと家督相続を見届けーー騒ぎを聞き付けて駆け付けたエルリア魔法騎士団に事情を説明してから事務室に戻るのだった。

 

「今日はなんと御礼を申し上げれば良いか」

 

 城下町の荷獣車乗り合い所で感謝を告げるリゼッタに三人は笑みを向ける。

 そんな彼等をリゼッタは抱き寄せ、

 

「この御恩は忘れませんわ。何か有ったら我が家をいつでも訊ねてください」

 

 そう言ってリゼッタは微笑みながら騎士団が護衛に就く荷獣車に乗り込んだ。

 ふわっとした優しい甘い香りにラウルは呆然と走り出す荷獣車を見詰め、エルナに横腹を突かれて漸く現実に戻る。

 

「帰って夕飯の準備だよ。昨日は私とロイが担当したから今日はラウルねっ!」

 

「せっかくだから外食にしないか? ほら初めて3人で依頼を達成した記念にさ」

 

「良いな」

 

「じゃあさ! お魚料理が美味しいって評判のあのお店に行ってみない?」

 

 昨日は肉料理だった事を頭に浮かべたエルナの提案に二人は賛同し、さっそく店に向かうのだった。



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02.取り残された復讐者

 巨城都市の一件以来アウスは歯食いしばりながら逃げ続けた。

 同胞達が隠れ潜む邪神教団の拠点に逃げ込み、そしてアトラス教会の執行者に襲撃を受けてまた逃げる。

 数ヶ月間、それの繰り返しでアウスが気付いた時には逃げ場など何処にも無い。

 振り返れば血塗れの同胞達の怨みがましい視線が訴えかけるのだ。

 

『お前が逃げて来たからだ』

 

『お前が来なければ!』

 

 怨みの声がアウスの精神を蝕み、漸く気付く。

 巨城都市エルデオンで逃げ仰たのは、単に泳がすためのだったのだと。

 そうなった原因は名も正体も知らないが顔ははっきりと覚えているあの男だ。

 アウスは胸に宿る復讐心を全てスヴェンに向けることで気力を振り絞る。

 何処へ行けばあの男に出会えるのか、どうやれば同胞の仇を討てるのか。

 

「クソがっ! もはや邪神教団は壊滅寸前じゃねぇか!」

 

 悪態吐く同胞の姿にアウスは虚な眼差しで近寄る。

 同胞はそんなアウスに気付いた様子で柔かな笑みを浮かべた。

 それは生き残った同胞に出会った安堵から来る感情か。

 同胞に向ける温かい眼差しに対してアウスは暗い感情を宿しながら、

 

「巨城都市の作戦が失敗してから……」

 

 静かに同胞に語りかける。

 

「あ、あぁ……詳細は知らないが同胞達は全滅したんだってな」

 

「見たんだ……同胞を殺す男を」

 

 巨城都市エルデオンで遭遇した悪夢そのものにして、同胞達の仇の存在に同胞が興味を示しアウスは薄暗く嗤う。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 スヴェンがエンケリア村に出発した翌朝の教室。

 ホームルームで配られた用紙にエルナ達は雁首揃えてため息を吐く。

 社会見学参加用紙。これに参加希望者の名を記載しサインと旅費を用意するだけで白碧の町アルストの社会見学に参加できる。

 だが保護者の一人であるスヴェンは今朝早くからミアの依頼で何処かに出発して不在、しかもいつ帰って来るのか判らない。

 

「お姉さんは騎士団を経由すれば連絡が付くけど、お兄さんのサインはどうしよっか?」

 

「あー、期限は10月11日までかぁ」

 

「それまでにスヴェンが戻れなかったら諦めるか?」

 

 提出期限までにスヴェンが戻らなければ他にそれしか方法は無いが、他に生き方を模索するなら社会見学は必須だ。

 

「私はお兄さんが期限までに帰って来るに賭けるよ」

 

 実際にスヴェンが何処へ行ったのかは判らない。彼はミアの依頼に関しては何も教えてくれなかったからだ。

 それでもエルナはスヴェンが帰って来ることに期待して用紙の欄に自身の名を記載する。

 

「アニキなら心配ないよな。じゃあおれも参加っと」

 

「2人が行くなら行かない訳にも行かないよな」

 

 二人の名が記載され、後はカノンとスヴェンのサインを貰って提出するのみ。

 十日以上も先の予定になるが不思議と楽しみで思わず頬が緩んでしまう。

 

「エルナ、ラウル。今日も試験日だってこと忘れてないよな?」

 

 ロイの一言に現実に戻され、絶望感に染るラウルに対してエルナは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。

 

「私は大丈夫だよ!」

 

「そうかぁ? 昨日の実技試験みたいにラピス像を破壊しないといいけど」

 

 それを言われてしまえば反論などできない。

 スヴェンには大人を頼れとは言われているが、頼る側にも弁えは必要だ。

 

「分かってるよぉ、それに次の実技試験は結界魔法の応用実技だから安心だよ」

 

 結界魔法に反射と追尾の術式を組み込まなければ。

 気楽に語ったエルナにロイが疑うが、

 

「はぁ〜でも試験さえ乗り切ればあとは気楽かな。依頼も来て欲しいけどさ」

 

 ラウルのため息混じりの声に思わず二人もため息吐く。

 これまで依頼を熟した件数は五件だ。いずれもエルリア城下町内で済む簡単な警護依頼。

 とは言えスヴェンが居ない状態で遠出の依頼を請けるつもりもないが、

 

「そもそも試験期間中は請けられないでしょ」

 

 請ければギリギリのラウルが赤点を取りかねない。それではカノンとスヴェンになんて言われるか。

 後者に至っては何も言わないかもしれないが、それでもなるべくスヴェンには気を遣わせたくない。

 

「だよなぁ、実技は問題ないんだけど筆記がなぁ〜」

 

 ラウルの地頭は決して悪くはない。悪くはないが勉強ができる環境に何年も居なかった弊害が出ている。

 その原因も明白だ。邪神教団の生贄確保のためにラウルも誘拐された子供の一人で、どうにか逃げて野盗に身を落とした過去が有る。

 原因は古巣に有るーーふとエルナの思考に同年代の信徒達の顔が浮かぶ。

 各国に潜伏していた邪神教団の過激派は既に全滅しているらしい。

 危険分身として始末されてしまったのか、まだ後世の余地有りと身柄を確保されているのかは判らない。

 判らないが少なくともカノンの口からはそう言った話題は出て来ない。

 呆然と考え込むエルナにロイが静かに問う。

 

「どうかしたのか?」

 

「何でもないよ。ただ放課後に事務所に行っても良いかな?」

 

「外出許可が取れるなら良いんじゃないか……それにもうあの家は俺達の家だろ」

 

 そうだった。もうあの家は四人が暮らす家だ。

 家族--外の世界で得た大切な帰る場所。

 

「そうだったね。じゃあ放課後に行くから」

 

 それだけ言ってエルナは黒板の上に飾られた魔法時計に視線を移す。

 そろそろ一時限目のテストが始まる時間。

 予鈴が鳴り響き、思い思いに過ごしていた生徒が席に着く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 テストも終わり外出許可を得たエルナはロイと一緒に帰路に付いていた。

 もはや馴れた道路を通り職人通りの顔馴染みの老婆に、

 

「あらおかえり、エルナちゃんとロイくん。今日はラウルくんは一緒じゃないのね」

 

 声をかけられエルナは若干の気恥ずかしさを感じながら声を返す。

 

「ただいま、ラウルは寮に居るって」

 

「あぁ、そうかい。あの子にはこの間の礼もしたかったんだけどねぇ」

 

「お婆ちゃん、俺からラウルに伝えておくよ」

 

「それじゃあ今度うちに寄るに伝えておくれ。あぁ、スヴェンが帰って来たらよろしく伝えておくれよ」

 

 エルナとラウルは頷くことで答え、老婆と別れ職人通りの裏路地に入る。

 しばらく進み、人形屋を通り抜け目前に迫る我が家と自宅の前でうろうろする不信な人物ーー背丈はロイと同じくらい? けど何処かで見たような?

 何処となく既視感を感じる背中にエルナとロイは警戒心を宿しながらゆっくりと不信人物に近付く。

 

「ここで間違いない筈なんだ」

 

 聴き覚えの有る声にエルナとロイは思わず顔を見合わせ、更に強い警戒心が宿る。

 今の声はアウスの声だ。邪神教団の過激派に所属していた同い年のアウスが此処に来ている。

 信徒になる前はよく遊んだ仲の良かった幼馴染の一人だったが……。

 まさか裏切り者の始末に駆り出されたのか? 今の生活を壊されたくない。

 だからと言ってアウスを害す事に躊躇してしまう。

 共に過ごした記憶が情として訴え、エルナとロイから非情な判断力を奪うには充分だった。

 

「如何するロイ?」

 

「如何するって……穏便に済ませられれば良いんだけどな」

 

 やはり自分達にはスヴェンのように非情な判断は下せない。

 アウスがこちらを排除するつもりだろうとも先ずは話をしなければ始まらないのだ。

 

「えっと、ボディガード・セキリュティにご用意ですか?」

 

 営業向けの言葉使いでアウスに問いかけると、彼は驚いたように振り向きーーそしてこちらの顔を見るなり突如抱き付きてきたのだ。

 

「ち、ちょっと!?」

 

 突然の事に芽生えた羞恥心に頬が赤く染まる。

 

「エルナとロイ……無事だったんだな」

 

 涙声で安堵の声を洩らす彼にエルナはロイを見た。

 如何やら彼は自分達が邪神教団を裏切り抜けたことを知らないようだ。

 

「……アウス、いつまで抱き付いてるつもりだ?」

 

 指摘されたアウスは離れ、頬を掻きながら笑った。

 だがその瞳は陰り、瞳の奥底に暗いものが確かに見えたのだ。

 エルナは内心でアウスの変化に眉を歪める。

 

「えっと、それで如何してこんな所に居る?」

 

「……此処に捜してる男が居るかもしれないんだ。それで来てみればお前達と再会するなんて」

 

 捜している男。アウスは過激派としてヴェルハイム魔聖国に配属されていた。

 魔王救出は異界人の手によって成されたと聞いているが、巨城都市エルデオンの邪神教団は壊滅状態だったとカノン部隊長から聞いている。

 たまにエルリア城の書庫で見かける異界人からは血の臭いは感じるが、邪神教団を壊滅させるほどの実力を有しているとは思えない。

 考え込むエルナを他所にロイがアウスに訊ねる。

 

「捜してる男の特徴は?」

 

「短髪の金髪、鋭い三白眼に紅い瞳、見た事もない大剣を背負った長身痩躯の男」

 

 淡々と感情を押し殺して答えるアウスにエルナとロイは思わず顔を見合わせてしまう。

 その特徴から一致する異界人はスヴェンしか居ない。

 いや、そもそも彼は旅行していて魔王救出に関与していないと答えていたがーーあー、お兄さんのことだから平気で嘘付くよね。

 自身の功績を隠し注目を逸らすなどスヴェンなら平然と行うだろう。

 

「うーん、ちょっと判らないかなぁ。多分異界人だと思うんだけど」

 

「……異界居住区に行ってみたらそれらしい人物は居ないって言われたよ」

 

「じゃあもうこの国を離れてるか、元の世界に帰ったとか?」

 

「それがそうでもないらしい……訊ねて回ったらそれらしい人物が此処で商売をしてるって言うじゃないか」

 

「ここ、私達の家だけどその人は見たことないかなぁ」

 

 欺くために嘘に嘘を並べるとアウスの表情が陰る。

 

「……そうか。なあ二人とも、俺と一緒に仇を取らないか?」

 

 復讐を望むアウスから伸ばされた右手、それは酷く血に汚れてるように見えた。

 スヴェンはエルナとロイにとって生き方の一つを提示し、雇ってくれた恩人だ。

 仮に彼の居場所を教えた所でアウスが返り討ちに遭うのは明白。

 それでも彼には義理も有れば大切な家族の一人だ。

 尤もスヴェンはそう思われることを嫌がられるかもしれないが、エルナとロイの答えは既に決まっていた。

 

「悪いけど手は貸せない」

 

 ロイの返答にアウスは差出た右手を引っ込め、

 

「……そっか。それは残念だよ」

 

 残念そうに肩を竦めるが、彼の瞳には感情が宿っておらず不気味さが増す。

 このまま彼を帰していいものか? エルナは思考する。

 復讐心に囚われたアウスから復讐を忘れさせることは困難だ。それでも復讐を忘れるきっかけにさえなれば幼馴染の彼が死ぬことは無い。

 まずは説得することから始める。そう決めたエルナは立ち去ろうとするアウスの手を握り、

 

「少しうちに寄って話して行かない? せっかく会えたんだからもったいないよ」

 

 ミアから教わった可愛らしい仕草で誘う。

 

「わ、分かった」

 

 アウスが頬を赤く染める様子にエルナは内心でガッツポーズを取る中、隣のロイがため息を吐く。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 エルナとロイはアウスを連れてスヴェンの部屋に案内した。

 自身の部屋は下着や着替えが散乱している。流石に散らかった部屋に同年代の異性を入れるには恥ずかしい。

 かと言ってロイとラウルの部屋にはミルディル森林国から贈られた勲章が飾られている。

 だから何も無いスヴェンの部屋が話すには好ましいっと考え案内したのだが、

 

「この部屋、妙に殺風景だね。人が生活してるのか?」

 

 スヴェンの部屋はあまりにも殺風景過ぎた。

 ベッド、机、金庫、クローゼット、タンスが置かれている程度で何も飾られていない必要最低限の部屋にエルナは誤魔化すように答える。

 

「ここは来客用の部屋だからね」

 

 本来なら事務室で話せば良いのだが、依頼人が訪れても都合が悪い。

 

「そうなのか……ところで2人は今まで何処で過ごしてたんだ? 如何してこんな立派な家を持ってるんだ?」

 

「オレとエルナはジルニアで諜報活動に出ていたんだが、エルロイ司祭からエルリア城下町に潜伏するように指示を受けてな」

 

「エルロイ司祭が? 異端者と呼ばれた2人にそんな重要な役目を?」

 

「そっ、異端者だからこそ邪神教団って悟られ辛いからね。その為の自宅とラピス魔法学院の入学手続きも済ませてくれたんだ」

 

 それらしい事を伝えればアウスは納得した様子で息を吐く。

 それでも彼の瞳は依然と暗い。

 

「エルロイ司祭と連絡は取れてるのか?」

 

「それがさぁ、魔王様が救出されて以来音沙汰無しなんだよね」

 

「……連絡無しか。まさかエルロイ司祭は穏健派じゃないよな?」

 

「さあ? それは判らないが、あの人を疑っているのか?」

 

 ロイの問い掛けにアウスは強く頷く。

 確かにエルロイは穏健派の司祭だ。その点ではアウスの疑いは正しい。

 そろそろアウスも重ね続けた嘘を悟るかもしれない。

 エルナは密かにロイに視線で合図を出す。

 彼は恐らく今まで異端者狩りや襲撃に遭い居場所を悉く失った可能性が高い。

 

「なあアウス、復讐するにも時期早々じゃないか?」

 

「なんで?」

 

 冷え切った声にエルナの肝が冷える。

 感情を一切宿さない瞳、完全に復讐に囚われた眼差しが二人を睨む。

 

「確実に復讐を果たすなら実力が伴わないと駄目だろ?」

 

 説得の言葉を告げるロイにアウスの瞳に怒りの感情が一瞬で宿った。

 

「ふざけた事を言うな! 俺が今までどんな気持ちで、どんな気持ちで異端狩りから逃れて来たと思ってるんだっ!!」

 

「アイツを殺すために! アイツを殺して悪夢から醒めるためなら俺はなんだってするっ!!」

 

 感情の昂ぶりと共にアウスの下丹田の魔力が活性化する。

 このまま活性化すれば魔力暴走を引き起こしかねない!

 

「ダメ! アウス、落ち着いてっ!」

 

「煩い! 裏切り者の癖にっ!」

 

 叫ばれた非難の言葉にエルナの肩がびっくと跳ね上がる。

 

「う、裏切り者って何を言ってるの?」

 

「……最初から知っていたんだよ! お前達2人がスヴェンって男とラウルって子と暮らしてることをっ!」

 

「知ってたんだ」

 

 知りながら家に招かれた。その理由はスヴェンと接触するためにか。

 そこまで理解したエルナとロイは自分達が失敗した事を悟る。

 

「……ああ、そうだよ。裏切り者も始末しなきゃ、あの男から奪わなきゃっ」

 

 活性化する魔力に二人は身構えると、アウスが掌に魔法陣を展開した。

 

「『炎よ爆ぜろ』」

 

 魔法陣から放たれる火球にエルナは咄嗟に魔法を唱える。

 

「『盾よ我が危機を跳ね除けよ』」

 

 エルナが目前に盾を創り出し、飛来する火球を跳ね返す。

 跳ね返された火球がアウスに迫り、彼は咄嗟に横転することで避けーー対象を失った火球が窓に直撃した!

 火球の衝突により内包された魔力が爆発を引き起こし、窓とベッドごと壁を吹き飛ばした。

 室内が煙に包まれ、晴れる頃には生じた大穴と姿無きアウスにエルナの表情が陰る。

 

「……アウス、もう止められないの?」

 

「まだ止められるさ、追いかけるぞ」

 

 手を引くロイにエルナは頷きながら大穴から飛び出す。

 庭に着地した二人は急ぎアウスの魔力と気配を辿り、逃げた方向に駆け出した。

 徐々に追い付く気配と魔力、しかし近付くに伴い気配と魔力が弱まる。

 嫌な予感に二人は悲鳴を上げる足に耐え、速度を上げ曲がり角を曲がった。

 

「「えっ」」

 

 舞い込んだ光景に二人は呆然と立ち止まり、膝から崩れ落ちるように地面に座り込む。

 視線の先、鮮血に染まった路地の通用と壁際に力無く座り込むアウスの姿に涙が溢れる。

 

「あ、アウス……如何して」

 

 幼馴染の一人が死んだ。

 説得して復讐を諦めさせようとしたが、それでも力及ばずそれすら叶わず。

 なら責めて自分達の手で彼を止めようとした矢先、彼は死んだ。

 アウスの死体の先に見える二人の足をエルナはゆっくりと見上げる。

 そこに居たのは血がこびり付いた騎士剣を振り払うカノン部隊長とクロスボウを降ろすリノンだった。

 

「お姉さん達が……」

 

 震える唇にエルナは、

 

『如何して殺しちゃったの?』

 

 出掛けた言葉を呑み込んだ。

 

 なぜ? 判っていたことだ。アウスは邪神教団の過激派に所属する信徒で二人にとっての討伐対象だと。

 エルリア城下町に現れた邪神教団が問答無用で討伐されても仕方ないことも。二人が職務を果たした事も。

 だからこそ冷たいかもしれないが納得もできる。

 アウスは遅かれ早かれこうなる可能性がずっと高かった。

 彼が死んでしまったのは説得できなかったからだ。

 

「エルナ、ロイ……まさか、この子は2人の知り合い?」

 

 落ち着いた声色で訊ねるカノン部隊長に二人は無言で頷くことで答える。

 

「そ、うだったのね」

 

 苦悶の表情を浮かべるカノン部隊長にエルナは首を横に振った。

 

「お姉さんが責任を感じる必要は無いよ……アウスは復讐に囚われてたから」

 

「……この子は私の方で丁重に弔っておくわ」

 

 そう言ってリノンはアウスの死体を魔法で綺麗にしてから布に包み込んだ。

 

「アウスのこと頼んだ……それと他に邪神教団が?」

 

「えぇ、男が1人居たけどそっちはもう始末したわ。まあ、彼がこの子の情報を洩らしたのだけど」

 

「そっか、アウスは居場所を得られなかったんだね」

 

 自然と涙が溢れ、優しく抱き寄せるカノン部隊長の腕の中でエルナは泣き叫んだ。

 声が枯れる程までひとしきり泣いたエルナはカノン部隊長の腕の中で、今日のことを胸に深く刻み込む。



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03.地獄日

 あれから月日が巡り、二年目の春を迎えたスヴェンは技術開発研究所に呼び出されていた。

 珍しく騎士がボディガード・セキリュティを訊ねたかと思えば、ルーピン達が呼んでいるっと言われ出向いたまでは良かった。

 満面の笑みを浮かべるフィルシスを見るでは。

 

「……依頼が無ければ帰るぞ」

 

 踵を返すとガシッとルーピン所長に肩を掴まれる。

 

「待ちたまえ、まだ要件を話してないじゃないか」

 

 言葉の節々に要件を聞くまで返さない、そんな強い意志を感じたスヴェンは諦めて振り向く。

 

「あー、そうだな。長期鍛錬の誘いなら今は遠慮させてもらう」

 

 前もって断っておけばフィルシスも誘うことはないだろう。

 そう判断して事前に釘を刺せば、フィルシスが不思議そうに小首を傾げた。

 

「長期の依頼でも来てるのかい?」

 

 このところボディガード・セキリュティには大なり小なりの依頼が舞い込むことは有るが、長期の依頼はミアの一件以降来ていない。

 去年は事業立ち上げから自身の不在が続き留守をラウル達かエリシェに任せることが多かった。

 だから今年の春は依頼以外で不在を避けたい。

 そもそもオーナーが毎度不在では信用問題にも直結する。

 

「去年は不在が多かったからな」

 

「あぁなるほど、それじゃあ仕方ないね。それとは別に今日は騎士団長としてキミに依頼が在るんだ」

 

 フィルシス個人ではなく騎士団長として、それもわざわざ技術開発研究所で依頼を出すということはエルリア魔法騎士団に不都合が起きたのか。

 それとも勝手に地下に棲み着いたミントに関係したことか、それとも去年の冬から交易が始まったミスト帝国に関する調査依頼か。

 スヴェンは幾つかの予想を立てながらフィルシスに問う。

 

「アンタがわざわざ俺に此処で依頼を出すってことは面倒事か? それとも調査か?」

 

 質問にフィルシスは首を横に振った。

 面倒ごとで無いならそれに越した事は無いが、それじゃあ一体どんな依頼なのか。

 

「毎年春に騎士団の大規模訓練が開かれるんだ。キミ達にはこれに仕掛人として参加して欲しいんだよ」

 

「あー、そいつはアンタらの訓練地に罠を仕掛けろって認識で合ってるか?」

 

「それで合ってるよ」

 

 別に依頼として引き受けるのは構わないのだが、それ以上になぜ仕掛人が必要なのか疑念が芽生える。

 

「引き受けるのは構わないが、なぜ仕掛人が必要なんだ?」

 

「待機組みを除いた全騎士団員が一日で鎧を着て50キロマラソン、乱戦訓練、モンスター討伐訓練を行うわけだけど……手緩い訓練は意味が無いよね?」

 

 重い騎士甲冑を装備したまま五十キロマラソン、その後の各訓練事項を一日で熟すのは中々ハードだ。

 

「……手緩いのか?」

 

「騎士甲冑は常日頃から装備してるから重りにならない。乱戦訓練なんて実戦想定だから負傷者は治療部隊による即治療、モンスター討伐訓練なんて魔法一つで片付いてしまう……手緩いよね?」

 

 

「いや、そりゃあアンタからすれりゃあそうかもしれねぇが……」

 

「手緩いよね?」

 

 満面の笑みで告げるフィルシスにスヴェンは押し黙った。

 これは反論の余地など挟まない、意地でも鍛錬をより厳しくするっというフィルシスの鋼の意志にスヴェンは肩を竦める。

 

「あー、要するにアンタからすれば大規模訓練も常の鍛錬とそう変わらねえから警戒心と観察力も鍛えたいってことか」

 

「流石は愛弟子だね! 理解が速くて助かるよ!」

 

「しかしラオ副団長には一言相談したのか?」

 

「ん? 相談したら彼も同意してくれたよ」

 

 それは果たしてラオが心から同意したのか、それとも彼女の圧力に屈してしまったのかは判らない。

 判らないが副団長であるラオも承認してるならこちらからは何も言う必要は無い。

 

「それで開催日、それから場所と鍛錬日数は?」

 

「今回は4月20日……10日後の早朝にエルリア城近隣の平原で2週間の訓練だ」

 

「平原で2週間か……後で詳細を記した地図をくれ」

 

「もちろんさ……ああ、それと罠の内容は基本キミに一任するけど殺すつもりで仕掛けてね!」

 

 依頼主に殺意が高い罠を求められてしまってはスヴェンとしても妥協は許さない。

 彼女の信頼に応えるなら、騎士が死なず後遺症を残さない程度の罠を仕掛ける必要が有る。

 スヴェンは瞬時に仕掛ける罠を頭に浮かべ、

 

「あー、必要になりそうな道具はこっちで用意すんのか」

 

 諸々掛かる費用を即計算するとルーピン所長が告げた。

 

「そのことに関してならボク達の方で必要な道具は用意するよ」

 

「となると、早速狙撃用に.600LRマグナム弾の補充頼む」

 

「いや、流石にアレは殺傷力が高いと思うんだよ。だからボクの方で殺傷力を殺した.600Nマグナム弾を開発させて貰ったよ」

 

 そう言って箱一杯に入った大量の.600Nマグナム弾をルーピン所長が空間から取り出した。

 予算も含めてやけに用意が良いのは事前にフィルシスから相談を受けていたからだろう。

 スヴェンはそんな事を考えつつ一発の.600Nマグナム弾を手に持つ。

 触れた瞬間から指先に感じる違和感、鉛を使う薬莢や弾頭に到底不釣り合いな感触にスヴェンは思わず驚愕に眼を見開く。

 

「バカな……弾頭が柔かいだと?」

 

 銃弾そのものをゴムで造ったわけでも、金属にゴムを上塗りした訳でもない。

 なのに鉛の重さと質感を持ち合わせながら弾頭だけが柔らかいのだ。

 素材の特性と相反する特徴を備えた銃弾にスヴェンが疑問を巡らせると、

 

「ボクの造形魔法を以てすれば素材の特性を殺さず、一部を作り替えることも可能なんだ」

 

 ルーピン所長の種明かしに得心を得た。

 

「慣れたつもりだったが、やっぱ魔法技術は便利だな」

 

「ボクからしてみれば科学技術で製造された銃弾も興味深いけどね……ああ、そうだ。.600Nマグナム弾は鎮圧用を主目的に長距離から狙うことも想定して開発しているから属性を発動させる魔法陣は刻んで無いよ」

 

「コイツは後で試し撃ちするとして……問題は罠に使う道具か」

 

 騎士団にとって魔力感知はして当然だ。

 だからこそ仕掛ける罠は魔力を使わない罠の方が好ましいが、

 

「そういや、大規模訓練は騎士団だけか?」

 

 スヴェンは改めて確認のためにフィルシスに訊ねる。

 

「ん? 例年通りに治療師部隊も参加することになってるよ」

 

 指揮系統自体はエルリア魔法騎士団と治療師部隊とでは異なるが、騎士団に同行し治療することが主目的の部隊なら鍛錬に参加するのも必然。

 つまり参加者の中には魔力を使わない罠に関する知識を持つミアが居る。

 となれば普通に仕掛けたとしてもミアは狙撃一つで自身の関与を確信するだろう。

 そうなれば彼女は魔力を使わない罠に対する警戒を促す。

 実際に仕掛けないのも手だが、それではミアの立場に多少の影響を与えてしまう。

 罠を仕掛けるなら魔法と通常の罠を交えつつだ。

 瞬時に浮かべた罠の内容に修正を加え、フィルシスから詳細を記した地図を受け取ってから一旦事務所に戻り、ラウル達に依頼が入った事を伝え彼等と共に現場に向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 去年はじめて参加した大規模訓練、その時はフィルシス騎士団長をはじめ主力部隊が不参加だったが今年は違う。

 今年は去年よりも遥かに倍の騎士団が参加し、二週間に及ぶ訓練が今から始まる。

 治療師部隊の一人として参加するミアは騎士甲冑に身を包み必要最低限の荷物を携帯した騎士団からフィルシスに視線を移す。

 全身騎士甲冑に珍しく鉄仮面まで装備したフィルシスが鞘から騎士剣を引き抜く。

 彼女の抜刀に瞬く間に騎士団と治療師部隊からどよめきが広がる。

 もうこの時点で嫌な予感を感じ取ったミアは下丹田の魔力に意識を傾け、いつでも動けるように身構えた。

 

「それじゃあ今回は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが合図だと言わんばかりに地面に斬撃が走った。

 回避が遅れた騎士達が斬撃に吹き飛ばされ宙を舞い、地面に打ち付けられる。

 そんな光景を目にした騎士団がお互いを邪魔しないように走り出し、ミアも治療師部隊の同僚と共に走り出した。

 重い騎士甲冑を纏わない分だけミアにとっては五十キロマラソンは苦にはならいが今年は違う。

 背後から迫る斬撃を避け五十キロ先に有るにゴールに到着しなければならないのだ。

 

「うぅ〜今年は負傷者が多そうだなぁ」

 

「それもそうだけど……今年はいつもと違うのよ」

 

「そうなんですか?」

 

「いつもだとフィルシス騎士団長は先にゴールに到着した時に妨害を開始するのよ。ほら去年は後方からの妨害は副団長だったでしょ?」

 

 言われてみればそうだ。

 確かに去年はラオ副団長が後方から魔法を撃ちながら追う形になっていたが、今回はフィルシス騎士団長の斬撃だ。

 今年は形式を変えたと言われればそれまでだが、背後から迫るフィルシス騎士団長の斬撃に騎士団から悲鳴が挙がる。

 これでは前方不注意にもなりかねないーーミアがそんな事を思ったその時だった。

 始まってまだ三十メートルも走らない内に、先頭を走る部隊長クラスが突如剣を引き抜いたかと思えば身体をくの字に曲げて吹っ飛んだ。

 

「「「「は?」」」」

 

 魔力感知に引っかからない点から物理手段による方法。

 だが騎士にはそれが何による攻撃なのか、それとも仕掛けのか判らず判断に迷い足を止めた騎士から彼女の斬撃に襲われる。

 

 ーー地獄かな? やっ、ちょっと待って? さっきの攻撃ってまさかっ!

 

 戦闘経験豊富な部隊長は確かに迫る物体を視認して剣で防ごうとしたが、間に合わずまともに受けた。

 音速で遠距離から魔力も使わずに攻撃可能かつ躊躇い者などミアは一人しか知らない。

 だが本来なら肉片をぶち撒けるほどの銃弾を受けたにも関わらず、ゆっくりと立ち上がる部隊長にミアは安堵の息を漏らした。

 遠距離から仕掛けた人物、それは自身の意中の相手でありレーナの大切な人でも有るーースヴェン以外に思い浮かばないのだ。

 だとすれば既に全員がスヴェンの射程圏内に居る!

 ミアは歩みを止めず周囲に視線を走らせた。

 スヴェンの射程範囲内で潜める場所ーー広い平原で身を隠せる場所……嘘でしょ? この辺は遮蔽物なんて無いよ!

 ミアの視界には岩場も木々も見えない。かと言って魔法を使えないスヴェンが魔法で姿を隠すことは不可能だ。

 ボディガード・セキリュティに依頼として届いているなら魔法が使えるラウル達も平原の何処かに居るはずだが、しかし魔法が使われた様子は無い。

 考え込むミアに治療師部隊の同僚が声をかける。

 

「何か心当たりが有るの?」

 

「もしかしたら知り合いが関わってる可能性が高いです」

 

「……あぁ、なるほどね。他にやりそうな事は判る?」

 

 彼が依頼として請けたなら狙撃もそうだがこの人数に対して罠を仕掛けている可能性が高い。

 

「魔力感知に引っかからない罠を仕掛けてる可能性が高いですね。でも彼のことですから通常の罠も仕掛けてるかと」

 

 どのタイミングでどの割合で仕掛けるかは判らない。

 なにしろミアはスヴェンが罠に対して警戒する姿を見た事は有るが、傭兵として罠を仕掛ける姿を見た事がない。

 そこに頭の回転に優れたエルナとロイ、硬化魔法と水属性の魔法を得意とするラウルが加えれば厄介な罠が仕掛けれても可笑しくはないのだ。

 

「でも警戒すべきはラウル君達かもしれません」

 

「例の子供達ね……となるとカノンちゃんが詳しいか」

 

 ラウルが扱う魔法は自身も知っているが、ラピス魔法学院で学んだ彼等が新たに修得した魔法までは知らない。

 どんな罠が仕掛けられているのか、それこそが問題と思えるがこっちの目的はマラソンの完走と次の訓練に参加すること。

 ミアは速度を落とさず同僚と共に騎士団の背後を走り続ける。 

 カノン部隊長は彼等の中心に居るためラウル達の詳細は聴けない。

 だが罠が仕掛けれている地点までは猶予は有りそうだ。

 ミアがまだ余裕が有るっと思考した途端、前方から轟音と砂塵ーーそして六発の銃声が響き渡った。

 

「クソっ! 今年のマラソンは何だってんだ!」

 

「今の爆発で1000人は倒れたぞ!」

 

「おまけに何処から攻撃されてんのか判らない!」

 

「いや待て! 誰か魔力を探知したか!?」

 

 前方から響く騎士の焦った声にミアは冷汗を流す。

 ああ、スヴェンはゴールに至るルート全てに罠を仕掛けたのだ。そう理解した途端に肝が冷える。

 これが傭兵としてのスヴェンのやり方。騎士団の中にはスヴェンと面識の有る者も多く居る中で彼は何の躊躇もなく罠を仕掛けた。

 それも疎に訓練に使われる平原全土に仕掛けられたのなら迂回しようが罠の回避は厳しい。

 更にスヴェンの狙い通りなのか、罠による妨害によって前方を進む騎士が確実に足を止める。

 そして足を止めた騎士達にフィルシスの容赦ない斬撃が飛ぶ。

 

 ーーなにこの地獄? 

 

 まだ始まって間も無いのに既に千人以上が行動不能に陥った。

 此処から治療魔法で怪我人を癒すことは出来る。だがそれはスヴェンの思う壺だ。

 これだけの人数、常に魔力を巡らせている騎士団に紛れた特定個人を狙うのはスヴェンにも不可能に近い。

 しかし彼は魔力探知や気配を察することに長けているからこそ此処で魔法を発動すれば真っ先に狙い撃ちされる。

 スヴェンにとって潰したい相手はレイもその一人だが、彼なら確実に治療手段を持つ治療師部隊を狙う!

 

「みんな、今は魔法を……」

 

 使わないで。

 ミアの警告よりも先に同僚の一人が魔力を巡らせた途端、同僚の男性が治療部隊の視界から消えた。

 地面を何度も弾け飛ぶ同僚の男性が無慈悲にも平原の土に倒れ臥す。

 

「……みんな、いま魔法を使おうとすると探知されて狙い撃ちされます。あそこの人みたいに」

 

 杖を構えた同僚は倒れた男性に視線を向け、静かに杖を下げる。

 

「そうみたいだね……しかし困ったなぁ。狙われるとなると治療ができない」

 

 恐らく狙われていると判っていながら味方を治療する。

 敵の攻撃を避けるのも訓練の一環だが、敵の居場所を特定しなければ治療は難しい。

 

「最悪の場合、ミアが1人残ってれば全員が助かる」

 

 もしも此処がスヴェンが経験してきた戦場なら治療する隙さえ与えて貰えないだろう。

 それにスヴェンは行動不能に留めず確実にとどめを刺す。

 だが今回はあくまでも訓練で人死は出ない。

 

「誰も死んでないし、気を失う程度で目立った負傷も無いけど……どうしようか? 前門の難問、後方の修羅を避けながらゴールを目指すって大変じゃない」

 

 妨害に対して反撃するなっとは誰も言ってない。

 これは集中力を乱さずかつ罠を見抜き妨害に対応しながら完走するための訓練だ!

 

「じゃあ先輩、前方の仕掛人と後方の強者……どっちに反撃します?」

 

 部隊の中で指揮権を有する先輩に問いかけると彼女は迷わず前方の罠を睨む。

 

「後方はどう足掻いても動きを止められる可能性は皆無、むしろ全滅の危険性すら高い。それならまだ仕掛人に反撃した方がマシ!」

 

 先輩の判断にミア達は頷き同時に騎士団もマラソンに隠された意図に気付き、先んじてレイが動き出した。

 

「捉えた!」

 

 騎士剣を振り抜き斬撃が、千メートル先の若干盛り上がった草原に向かって地を走る。

 誰しもが一瞬だけレイに疑問を浮かべる中、レイの放った斬撃が魔力の糸に阻まれーー突如煙が昇る!

 

「防がれたか」

 

 レイは既にスヴェン達の潜伏先を特定していた事が判る。

 しかし平原にはスヴェン達が身を隠す遮蔽物など無ければ、魔力の流れは魔力の糸と魔法の発動時の一瞬だけ。

 最初から透明化で隠れていたなら説明も付くが、ミアは改めてレイが放った斬撃の先を思い出す。

 何処まで続く平坦の平原と草原、自身の記憶と比較して違和感が浮き彫りになる。

 この周辺に若干盛り上がった草原など無い。それが答えだと言わんばかりに晴れた煙の後に平坦で四人分の痕跡が草原に現れた。

 魔力を使わずに身を隠す方法、スヴェンなら幾らでも知っている方法にミアはため息を吐く。

 

「草原に擬態して隠れてたってこと?」

 

「魔法を使わない擬態……けど魔力の糸で斬撃を防ぐことは不可能なはずだよ」

 

 魔力の糸は追尾系統の魔法などを防ぐ際に便利な技術だが、そもそも魔力の糸自体は魔力操作の延長線上で出来た副産物に過ぎない。

 それに幾ら魔力操作を磨こうとも魔力の糸で人体を拘束する程の強度も物理手段を防ぐことは不可能だ。

 だがラウルの硬化魔法を魔力の糸に付与さえすれば目視が困難な防壁、罠にも転じる。

 

「恐らく魔力の糸に硬化魔法を使ったんだと思います」

 

「普通は防御魔法か結界魔法で防ぐ、それが当たり前だと思ってたけど……例の彼とラウル達は侮れないわね」

 

 認識を改める先輩に対してミアはふとレイに視線が移る。

 彼は既にスヴェンを警戒し、周囲の騎士に指示を出している。

 彼を中心に走り出すのも必然と言え、ミアが所属する治療師部隊も三手に別れ騎士団に並走するのも必然と言えた。

 

 こうしてエルリア魔法騎士団と治療師部隊は五十キロマラソンを完走するのだが、スヴェン達が仕掛けた罠と妨害ーーそしてフィルシスの斬撃によって五十キロマラソンを完走出来たのは半数以下だった。

 それでも訓練は続きミア達は地獄の二週間を過ごすことに……。



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04.常夏のリゾート

 二年目の夏。

 夏の陽射しが青い海と真白な砂を照らし、スヴェンは倍率スコープ越しにため息を吐く。

 砂浜から少し離れた森の中でスコープ越しに砂浜で遊ぶ彼女達を監視しなければならないのか。

 

「ため息だなんて無礼なヤツね、魔王様の水着姿なんてそうそう拝めるものじゃないよ」

 

 魔力の弓矢を構えるリンにスヴェンは視線を移し、黒基調の水着を着ながら尻尾を揺らす彼女にまたしてもため息が漏れる。

 

「アンタはこんな所に居ねえで遊んで来たら如何だ?」

 

「旦那が魔王様の側に付いてるならアタシは遠方から護衛……まあ、不逞な輩が居ないって判れば遊びに行くけど」

 

 スヴェンは倍率スコープ越しから赤基調の水着を着こなした魔王アルディアと彼女に引っ張られながら海辺を歩くアウリオンの姿を目視した。

 その側には白基調のビキニタイプの水着に長い金髪を海風に靡かせたレーナの姿が有れば……青基調のビキニタイプの水着に浮き輪を身に付けるミアの姿も有る。

 なぜ南のリゾート地、それもアルセム商会が経営するリゾート地に居るのか。

 それは単に魔王アルディアがレーナを夏の旅行に誘ったことがきっかけなのだが、やはりなぜ自分が場違いのこの場所に居るのかが時折り判らなくなる。

 こうして倍率スコープ越しに覗き込み銃口を向ける必要も無いにも関わらず、自身はこうして自然体で銃口を構えているのだ。

 

「なんで俺は此処に居るんだ?」

 

「はぁ〜? あんたがレーナ姫に誘われたからでしょ」

 

「そうなんだがなぁ」

 

 確かにそれは間違いない。

 ただ護衛依頼としてなら同行すると断りを入れたのも事実だったがーー姫さんのあんな顔を見て見せられちまったらなぁ。

 結果としてスヴェンは折れる形で以前エルロイから譲り受けたリゾート地の招待状を使って同行することになった。

 そこまでは良かったが、折角の旅行ならと自身を家族と呼ぶラウル達も誘えば彼等には試験が近いという理由で断られてしまったのだ。

 試験なら仕方ないが自分だけ楽しむのも何か違う気がしてならない。

 だからなのかスヴェンは砂浜に到着早々に森の中に潜伏し、遠くからレーナ達の護衛を始めている始末だ。

 頭では休暇を楽しむべきなのは判っているが、諸々の疑問や魔王アルディアの行動につい身体が勝手に動いてしまったのだ。

 

「……しかし魔王もよくアルセム商会が運営するリゾート地でバカンスなんざ思い付いたな」

 

「ああ、それね。アタシも意外だったけどエルロイの奴が魔王様にお詫びとして宿泊券を贈って寄越したのよ」

 

「まあアイツは今でもアルセム商会会長の皮を被ってるからな……しかし、此処のリゾート地は他の王族も利用してるんだとか」

 

「まあ有名らしいけど、今日明日の宿泊予定客に他国の王族は来ないからその辺は安心してもいいんじゃない? ま、貴族なら魔王様にちょっかいをかける輩も居るだろうけど」

 

 ナンパを心配するリンにスヴェンはまさかっと肩を竦める。

 スヴェンから見ればあの場所に居る三人は単なる少女にしか見えない。

 立場を抜きにしても海辺で海水を掛け合うただの少女にしか見えないのだ。

 

「そんなに心配することか?」

 

「あんた、それ本気で言ってるの? だとしたらその目ん玉はガラス細工よ……アタシから見ても魔王様もレーナ姫、そそれにミアも可愛い!」

 

「いや、ミアはともかく2人は王族として顔割れしてんだろ」

 

「確かに2人とも顔割れしてるわよ。けどね? この気に近付きたいって考える輩は割と多いのよ」

 

 リンの言うことも一理有る。

 魔王アルディアとレーナを口説き落とせれば王族との婚姻に繋がるだろうーーしかしスヴェンには二人が簡単に口説き落とされるとは思えなかった。

 まず魔王アルディアのアウリオンを見る眼は、確かに異性に向ける感情を秘めた眼差しだからだ。

 それは表面上から観察したたげでも判るほどに魔王アルディアのアウリオンに対する感情は判り易い。

 逆にリンが向けるアウリオンに対する感情も。

 

「魔王の方はアウリオンしか眼中にねぇだろ」

 

「……まあそうね、宿泊部屋だってわざわざ手回した程だし」

 

 到着早々に波乱を呼んだ宿泊部屋の部屋割りにスヴェンは深々とため息を吐く。

 いま思い出すだけでも頭が痛い。

 順当に考えれば自身とアウリオンが同室が必然的だが、なぜか部屋割りはアウリオン、アルディア、リン。そして自分とレーナ、ミアの部屋割りにされていた。

 文句の一つも言いたい所だが、レーナとミアは承諾し魔王アルディアにも小声で『スーくん、今晩は邪魔しないでね?』と忠告されてしまっては大人しく承諾するほか無かったのだ。

 

「……はぁ〜酒と海鮮料理が唯一の楽しみか」

 

「スヴェンも海ぐらいは満喫したら? ほら呼んでるし」

 

 こちらに向かって手を振るレーナとミアにスヴェンは仕方ないっと肩を竦め、二人の背後に近寄る四人組の男性に警戒心が宿る。

 倍率スコープ越しから男の一人がレーナとミアに声をかけ、背後の三人が下卑た視線を二人に向ける。

 

「自殺志願者か?」

 

「自殺志願者ね、魔王様も威嚇してるし……止めないと人死が出るわ」

 

 リゾート地を血に染めては後でエルロイに何を要請されるか分かったものではない。

 スヴェンは銃口を四人組に狙いを定めーー予め装填していた.600Nマグナム弾を撃つ。

 四発の銃弾が四人組みを気絶させ、そんな光景を目撃していた他の宿泊客がレーナ達から距離を置く。

 これで彼女達にナンパなどしようものなら如何なるか理解しただろう。

 

「アタシの出番は?」

 

「アンタの魔法は加減が難しいだろ」

 

「……一応ミアが居るから死人は出ないわよ」

 

「ナンパ如きで死にかける身にもなってみろよ」

 

 スヴェンは倍率スコープから視線を外し、ガンバスターを背中の鞘にしまう。

 そして立ち上がったスヴェンはリンと共に一度レーナ達の下に向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 レーナ達と合流したスヴェンは浮き輪で海面に浮くミアに、

 

「アイツは泳げねぇが、大丈夫なのか?」

 

 安全性に付いてレーナに訊ねる。

 

「うーん、波も穏やかだしひっくり返ることは無いんじゃないかしら」

 

 今は波は穏やかだが時として高波にもなる。

 そうなればミアが浮き輪ごとひっくり返されるのは眼に見えているが、それ以前に彼女は波に委ねて流れてる状態だ。

 いくら浮き輪が有ろうとも砂浜まで彼女が自力で戻って来ることは不可能に近い。

 

「いや、アイツは自力で戻って来れねえよな」

 

「……? ミアは泳げないって聴いていたけど、浮き輪が有っても駄目なの?」

 

 普通なら浮き輪で身体を水面に浮かせながらバタ足で泳ぐことは可能だが、ミアのかなずちはかなり重症な部類だ。

 

「アイツは運動神経はかなり優れてるが、それ以上にかなずちなんだ」

 

「……うたた寝してるけどあの子は自分の状況に気付いてるのかしら?」

 

 穏やかな波に委ねてうたた寝してしまうのは仕方ないことだ。

 しかしまだ二百メートルも流されていないが、このまま放置すればいずれミアは守護結界の範囲外に流されてしまうだろう。

 

「いざとなればミーちゃんを飛んで助けられるけど」

 

「事が起こる前に連れ戻すか」

 

 また溺れられても面倒だ。

 スヴェンが背中の鞘を取り外し、パーカーを脱ぎ捨てその時だった。

 突如発生した高波にミアが浮き輪ごと飲み込まれたのは。

 

 ーーおいおい、なんつうタイミングの悪さだよ!

 

 スヴェンは舌打ち混じりに海に飛び込み、ミアが居た場所まで泳ぐ。

 海中を潜り進み、海の魚が泳ぐ光景を目にしながらミアが居た場所と高波ーー彼女の気配と魔力を頼りにスヴェンは泳ぐ速度を早める。

 そして程なくして海底に沈んだミアを発見したスヴェンは思わず呆然としてしまった。

 高波の衝撃によって身体が流されたのか、あるいは浮き輪に水着が引っ掛かり外れてしまったのか。

 歳頃の少女にとって上半身裸は良くないだろう。

 スヴェンは一旦ミアを抱き寄せ、背中に背負いながら周囲を見渡した。

 浮き輪の姿もミアの水着の上部を探すもその姿は見えず。

 仕方なくスヴェンは一度海面に浮上し、背中に背負ったミアの腹部に肘を打つ。

 

「うっ!? ……げほ! げほっ! あ、あれ? スヴェンさん?」

 

「気が付いたか……状況はアンタの身形で察しろ」

 

「えっ? っ!?」

 

 自身の状態を察したミアが恥ずかしさのあまり、スヴェンの背中に密着した。

 だが何も感じない。鎖骨の硬さが背中に伝わるだけで彼女から伝わる甘い香りさえスヴェンはなんとも思わない。

 スヴェンは改めて周囲を見渡すことで、少し離れた位置に浮かぶ水着の上部を発見しそれを彼女に渡すのだった。

 

「うぅ〜もしかして見たの?」

 

 涙混じりに唸るミアにスヴェンは息を吐く。

 隠しても見てしまった事実は変わらない。

 

「うつ伏せの状態で沈んでりゃあ回避も出来たが悪いな」

 

 正直に告げ、ミアは黙ったまま身体を密着させたまま。

 何故水着を早々着けないのか。僅かに生じる疑問は砂浜でこちらを観ている他の宿泊客達の様子で嫌でも理解が及ぶ。

 特に男連中は少し離れた距離からでもミアの状態が良く見えているのか期待を寄せた眼差しでこちらを凝視するばかり。

 流石にミアの様子に気付いたレーナ達も男連中の眼を逸らそうと動いているが、いかせん人数が多過ぎる。

 丁度良く身を隠せる場所は無いかと周辺に視線を移せば、泳がなければ近寄れない丁度いい場所が有るではないか。

 スヴェンはミアを背中に隠しながら砂浜と森の中間に位置する岩陰に向かった。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 岩場と森に囲まれた小さな浜辺に到着したスヴェンは背負ったミアを降ろし、彼女から背を向けたまま距離を取る。

 すると背後から濡れた布が皮膚に擦れる音が小波に混じり聞こえた。

 ミアの吐息と砂利を踏む足音、手早く着付けたなら後はレーナ達と合流するだけ。

 

「……またアンタを背負うことになるがーー」

 

 背後を振り返りミアに語り掛ければ、彼女の紅く染まった頬と熱を帯びた眼差しにスヴェンは思わずたじろいでしまう。

 

「……私はこんなに胸が熱いのに、スヴェンさんは無反応なんだね」

 

 羞恥心混じりにこちらを咎めるミアにどう反応すれば正解なのか、いやこの場合においては正解など無いのかもしれない。

 ミアが強く羞恥心を示している原因も上半身裸で背中に密着した事が原因だからだ。

 時折り自身の成長にコンプレックスを見せていた彼女の悩みは生憎と自身には判らないが、成長の悩みについては理解が及ぶ。

 以前までならそれで他愛の無い会話で終わらせることもできたが、ミアの瞳から感じる熱はそれだけじゃないことを鮮明に物語っている。

 

「アンタにとっちゃあ死ぬほど恥ずかしいだろうが、俺にとっちゃあ知人が溺死するかの瀬戸際だ」

 

「生死が関わった状況で裸体一つ意識するほど余裕なんざねぇのさ」

 

 実際にはミアの裸体を見たところで心が何も感じないだけでは有るが嘘は付いていない。

 

「……私は此処に辿り着くまでずっと胸が爆発するかと思ったよ。だけどそれは相手があなただからなんだよ?」

 

 それは自身に限らず非常に恥ずかしいと思うのだが、彼女の内に秘めた感情がそうさせるのだろう。

 スヴェンはミアが抱いてしまった感情を否定しようかと迷うも、心が抱く感情は否定しようが無い紛れもない事実だ。

 心の欠落を抱える自身が否定してはならない感情の一つだ。

 

「アンタも姫さんも男の趣味が悪いな」

 

 本当に趣味が悪い。

 彼女達は真っ当な人生を歩み生きていたはず。それなのに心の欠落を抱えた外道に好意を抱くなど悪趣味にも程が有る。

 

「そうかなぁ〜それでも私とレーナは心からスヴェンさんが好きになっちゃったんだから仕方ないよ」

 

 羞恥心を宿しながらさっぱりと語るミアにスヴェンは肩を竦める。

 

「まだ帰還までは時間は有るが、それまでにアンタらが諦めてくれることを祈るさ」

 

「それこそ私とレーナがスヴェンさんの帰還を諦めさせる可能性だって有るでしょ?」

 

 ミアの宣戦布告とも取れる言葉にスヴェンはため息を吐く。

 既にラウル達は自身のことを家族だと評している。

 過去の経歴も明かさず敵は問答無用で殺す外道を家族の一員だと。

 最初は同居状態の延長線から始まった単なる家族ごっこの類いかと思ったが、ラウル達の胸の内は違った。

 三人とも本当の家族と離れ、別れを経験している。

 内に潜む寂しさが家族という関係性を求め互いをそう呼ぶようになったのだ。

 ラウル達は心の底から本気でスヴェンを家族として認識している。

 依存とも違う心の底から求める一つの関係性を否定することも拒絶することもできなかった。

 家族という関係性が自身の意志に杭を打ち込まれた感覚、更にそこに二人の少女が向ける好意が畳み掛けるように襲うのだ。

 デウス・ウェポンに帰還し全てに決着を付ける。

 そのためには折れるわけにはいかない。

 

「俺がそう簡単に折れると思ってんのか?」

 

「折ってみせるよ」

 

 強気に宣言するミアにスヴェンは思わず笑った。

 ミアの背後で盛大に波打つ砂浜、そしてこちらに強気な表情を浮かべているがーーあぁ、アイツの表情が速攻で崩れると思うと笑えるな。

 

「なんで素敵な表情で笑ってるの?」

 

「いや、随分と強気に言っちゃあいるがアンタは此処からどうやって戻るつもりだ?」

 

 スヴェンの指摘にミアの肩が強張り、強気な表情は一瞬で崩れーーまるで捨てられそうになった仔犬のような眼差しを向ける始末だ。

 

「……ふっ、冗談だ。アンタをこんな所に置いて行ったら姫さんにどやされちまう」

 

「むぅ! スヴェンさんって意地悪なところあるよね!」

 

 陸続きのこの場所から戻るにはミアを背負って海を泳ぐか獣道の森を通る他にない。

 あまり遅くなっては要らぬ誤解も与えるっと考えたスヴェンはミアを背負い海を泳ぎ始めるのだった。

 そしてレーナ達と合流したスヴェンとミアは昼に海の幸をふんだんに使ったバーベキューに舌鼓を打つことに。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 夕暮れが訪れホテルの豪華なディナーを心ゆくまで堪能したスヴェンは寝室が近付くに連れ、魔王アルディアの策略に恐れ慄く。

 彼女が何を企み今回の旅行を企画したのか、スヴェンは察したうえでアルディアに小声で問う。

 

「……アンタの目論見は察したが、姫さんが遊びに行かねえとは考えねえのか?」

 

「その辺は抜かりは無いよ。既にレーちゃんとミーちゃんは魔法に掛かってるからね」

 

「あ? そいつは夜にアンタらの部屋を訪ねねように暗示でも施したってことか」

 

 目的の為なら友人に魔法を掛けることも厭わないアルディアにスヴェンは呆然と立ち尽くした。

 女の恐ろしい一面もそうだが、背丈の低い容姿から想像も付かない計画を実行に移す辺り彼女もまた魔王なのだ。

 アルディアの計画に未だ気付いていないアウリオンの背中にスヴェンは思わず同情心を向けた。

 

「ん? どうかしたか?」

 

「いや、なんでもねぇさ」

 

「そうか、ああそうだ。今夜は共に飲むか?」

 

「悪いが遠慮させてもらう」

 

 率直に断るとアウリオンは残念そうに肩を竦め、リンと共に505号室に入って行った。

 そんな彼の後を追うようにアルディアもドアの前に立ち、

 

「それじゃあみんなお休み!」

 

 笑みを浮かべて室内に入って行く。

 あの笑みの奥底に隠された真相を知るスヴェンは内心で深いため息と共にアウリオンの冥福を祈る。

 

「……? 何かしら友達が遠くへ行ってしまうようなこの感覚は??」

 

「気の所為だろ」

 

 スヴェンはそのまま504号室の鍵を開け、そのまま室内に歩む。

 そしてソファの傍にガンバスターを鞘ごと立て掛け、そのままソファで寛ぐように座り込んだ。

 このまま寝てしまえば現状に付いて頭を悩ませずに済む。

 スヴェンは本能から眠りに就こうと眼を閉じるも、二人の不満気な視線が嫌でも突き刺さる。

 

「スヴェン。せっかく同じ部屋なのだから少し大切な話をしない?」

 

 大切な話にスヴェンは眼を開く。

 何か新しい依頼がっと期待して視線を向ければ、彼女達の高揚した頬に落胆気味に肩を竦める。

 

「スヴェンさ〜ん? 流石にもう少し有るでしょ」

 

「……大切な話ってのがアンタらの好意だとかならパスだ」

 

「違うわよ。ほらこんなに大きなベッドが在るじゃない」

 

 確かに部屋には大きいベッド一つ。それこそ四人が眠れるほどのサイズの物だ。

 二人の歳頃の少女と同じベッドで眠ることなど外道としては不可能。

 

「ソファで十分だ。それに着替える時は声をかけろよ」

 

「ふーん? それじゃあ私もソファで寝ようかしら」

 

「やめてくれ。王族のアンタをソファに寝かせたとなりゃあ……それこそ多方面から怒りを買いかねない」

 

「そこまで言うならベッドで寝るけど……っと大切な話だったわね」

 

「大切な話ってのは仕事か、それとも明日の予定か?」

 

 どんな内容なのか先んじて訊ねるっと二人はゆっくりと首を横に振る。

 まるで示し合わせたような一体感さえ感じさせる動きにスヴェンは訝しむ。

 

「スヴェンは魔法大国エルリアにおけるフルネームの意味は理解してるわね?」

 

「あぁ、呪いの半減以上に大切な者に明かす風習だったか」

 

 他国でも呪いの対策として採用されている方法だが、スヴェンは初対面のアウリオンからフルネームを告げられたことを思い出す。

 当然だが他国とエルリアではフルネームの重みが違う。

 

「婚約者や大切な者に教えるのもそうだけど、個人に対する信頼の証しでも有るわ」

 

 信頼の証しとしてフルネームを明かすのはそれはそれで危険性が伴う。

 元々フルネームを知る目的で近付いた手合いに騙され、明かしてしまった際のリスクは計り知れないだろう。

 そこは考えても切りがないが傭兵の性で考えられずにはいられない。

 

「信頼の証しとして預けるにも人を見抜く観察眼は必要だな」

 

「そうね、例えば一切の過去を明かさない異界人でも心から信用したなら教えても良いのよ」

 

 二人の眼は本気だ。本気で自身にフルネームを明かそうとしている。

 

「明かされた所で俺が返せるもんはねぇぞ」

 

「そういう貸し借りとか仕事の話じゃないの。本心からの気持ちは理屈抜きで説明できないのもあなたは分かってるでしょ」

 

 スヴェンはミアの言葉に眼を瞑る。

 レーナがこの話を切り出した時点で既に二人ともフルネームを明かすことを決めていたのだろう。

 それこそどんなに否定しようとも二人の硬い決意を折ることは難しい。

 いや、手が無いわけではない。

 レーナとミアを傷付け自身に見切りを付けさせる方法は有るが、それをやってしまえば最後だ。

 何よりも自身の心は二人を傷付けたくないっと訴えかけている。

 

 ーー去年の俺なら躊躇しなかったんだがなぁ。

 

 冷徹に徹しきれない。

 テルカ・アトラスに召喚されてから魔法技術を習得し技術を磨いたが、それ以上に自分は弱くなってしまったようだ。

 弱くなってしまった自身に不甲斐無さを感じる反面、なぜか心に奇妙な温かさを感じる。

 二人から向けられる感情が欠落した心を埋めていると云うのか。

 リノンでは感じられなかった感覚、それを意味することは判らないがそう悪い気分でもない。

 短い思考の末に悩んだスヴェンは眼を開く。

 強い意志を宿した眼差しで此方を見詰める二人。

 これは信頼の証しとして受け取るしかない。それが何を意味するかも含めて。

 

「分かった、アンタらのフルネームを教えてくれ」

 

 二人は互いに顔を見合せ、やがて頷きミアから口を動かす。

 

「改めてになるけど私の名はミア・ウィルグスよ」

 

 自身の名を告げたミアは枕に顔を埋め、唸り声を発しながら悶絶してしまった。

 それほどエルリアでは重要な意味を持つのだから無理もない。

 ベッドで悶絶するミアを他所に落ち着き払ったレーナが咳払いを一つ。

 スヴェンは彼女の方に視線を向けーー既に顔がかなり赤いが大丈夫なのか?

 レーナは火照る頬のまま意を決したのか、ゆっくりと告げる。

 

「私はレーナ・ウェルトレーゼ・エルリアよ。エルリアは国名、ウェルトレーゼはお母様の姓なの」

 

「なるほど……だからレヴィなのか」

 

「えぇ、安直だったけれどフルネームには繋がらないもの」

 

「そりゃあオルゼア王以外は推測すら無理だろ」

 

 そんな事を告げれば既に火照りも冷めたのか、レーナは落ち着いた様子で微笑みーー不意に小首を傾げた。

 

「隣の部屋から軋む音が聴こえるわね」

 

 スヴェンは部屋の内装と間取りを思い出す。

 確か壁の向こうは505号室。ベッドは丁度壁越しに背中合わせになるように配置されていたはず。

 

「……そいつは間違いなく壁の向こう側からか?」

 

「え、えぇ……んー? 何故かしらアルの所に行こうと思えないのよね」

 

 今は行くべきでは無いだろう。

 隣室から聴こえる軋む音だけでは断定出来ないが、魔王アルディアが事前に魔法で人払いをしている。

 つまり隣室で行われているのはそういう事なのだ。

 

「あー、やらなきゃならなねぇがやる気が起きねぇ。そういう日も有るだろ……特にアンタは日頃から働き過ぎなんだ」

 

「そういうもんなのかしら? でもまぁ休暇目的でき来てるから公務のことは忘れてミアとシャワーを浴びて来るわ」

 

 そう言ってレーナは未だ悶えているミアを正気に戻してからシャワー室に向かった。

 一人残されたスヴェンは激しく軋み始める壁に向かって深いため息を吐く。

 スヴェンはひと足先に微睡に身を委ね、浅い眠りに就くのだった。

 

 後日、魔王アルディアが婚約を公表し世界を大いに賑わせたのは必然だったと言うべきかもしれない。



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終章 傭兵が選んだ選択
30-1.3年目の春


 スヴェンがテルカ・アトラスに召喚されてから三年目の春。

 1800年.5月10日。レーナの魔力が回復するまで残り十日、スヴェンは別れの時が刻々と近付いてる事を肌で感じながら聖堂の長椅子に座る。

 オルガンが奏でる音色がアトラス教会から響く。

 スヴェンはただ祈りを捧げることも無く音色に耳を傾け、演奏が終わる頃には祈りを済ませた人々が立ち去る。

 静けさが聖堂を包み、リノンが腰掛けるスヴェンの隣に座った。

 

「貴方が演奏を聴きに来るなんて珍しいね」

 

「依頼が無ければ鍛錬か物資を補充するぐらいで基本暇なんだよ」

 

「休業にしてるからでしょ? まあ10日でこの世界から居なくなる貴方が無責任に繋がることは避けるわよね」

 

 三年の時が経ちラウル達も頼もしく成長しもう彼等に業務の全てを任せられるほどだ。

 休業する必要は無かったのだが、ラウル達の提案で休業することになっただけのこと。

 

「いや、ラウル達の提案で休業したんだよ。もうアイツらは俺が居なくとも問題ねぇから休業なんざする必要も無かったんだがなぁ」

 

「それは少しでも貴方と一緒に居たいからよ。あの子達にとって貴方は家族の一人なのよ」

 

 いつ頃だったろうか? ラウル達が自分達を家族と呼び始めたのは。

 それはエンケリア村に向かう前日にロイから言われたことが始まりだった。

 エルナとラウルからは三年前に時の悪魔の魔法で過去に時間跳躍した後ぐらいだったと思うが、三年経てども家族と称されるのは馴れない。

 馴れないが以前の自分なら家族と称される事を心から嫌がったが、今は違う。

 

「家族ってのも悪くはねぇな」

 

 普通の家族とは違う。

 血の繋がらない家族、一つ屋根の下で温かな食事を共に摂る。

 ありふれた当たり前の光景。

 傭兵が得難い光景にむず痒さを覚えるが、やはりそう言った何気ない日常も良いものだ。

 自身を育てたボスの家族とは得られなかった確かな繋がりは、スヴェンにとってこの世界で大切なものになった。

 もう一つの結末を思案するほどに。

 

「それならやっぱり帰還をやめたら?」

 

 いくらテルカ・アトラスで得た家族のためとは言え、自身が決めた事を今更曲げることは無い。

 デウス・ウェポンの状況が如何なっているかは推測の段階でしか判らないが、一度覇王エルデと会う必要が有る。 

 自分なりのケジメとやり残しを片付けるために帰還は絶対だ。

 

 あのイカれたクソ女ならいずれスヴェンの居場所を特定しかねない。

 もう傭兵が必要とされないなら都合が良い。リサラを殺す絶好の機会を逃す手は無い。

 最もリサラにとって自身に殺されることも思惑の一つなのだろうが、あの女はあらゆる勢力や組織と繋がりを持っている危険人物だ。

 それこそ自身の欲望の為に秩序を平然と破壊してしまうほどに。

 

「俺にはやり残しがあんだよ。それにあの女の動向が気掛かりだ」

 

「リサラね……傭兵に依頼を斡旋しておきながら場を掻き乱すだけ掻き乱し、時にはウィルス兵器の開発支援なんかもしていたわね」

 

「相棒が死ぬ事になったあの依頼もあのクソ女が関与してんのは調べが付いてたんだがな」

 

 リサラを殺した所でリノンは戻らない。

 自身の空虚な心がリノン殺害を諦めさせ現在に至るが今は違う。

 リサラは確実に殺さなければ何もかも無駄に終わる。覇王エルデが統一したであろう世界も再びリサラの気紛れ一つで崩壊してしまうのだ。

 それだけリサラは自分勝手で影で他人を弄び、戦乱を呼び起こす。

 それはかつてのスヴェンなら望んだ戦争の在る世界だが、誰しもが当たり前に生きていける平和な世界の方が価値が有る。

 起床して家族と朝食を摂り、他愛のない会話。

 それは普通に生きてる者なら当たり前の日常だが、その変わらない日常こそに価値が有る。

 平和とは何かを自身なりの解を導き出したスヴェンは曇る表情を浮かべるリサラに視線を移した。

 

「なんであの女は貴方に狂愛を向けるのかしら?」

 

 思えば傭兵派遣会社に登録してから目を付けられていたが、なぜ狂愛を向けるのかは今でも理解が及ばない。

 

「奴の趣味嗜好なんざ興味はねぇし、迷惑してたところだ」

 

 スヴェンがため息混じりに答えるとリノンは思い出したように、

 

「そういえば話は変わるけど、私って貴方にフラれたじゃない」

 

 唐突に一年目の冬に告白を断った時のことを口にした。

 

「なんだ突然? あの時と今も俺の気持ちも考えも変わってねぇぞ」

 

「あぁ、そこは大丈夫よ。私も未練はもう無いもの」

 

 ならなぜ話題にしたのかますます判らない。

 リノンにとって傷を開く事になりかねない話題だと思うが。

 スヴェンは彼女の聴きたいが判らず眉を歪める。

 

「結局貴方は人の愛情に付いて理解できたのかしら?」

 

 リノンの告白を断った際に自身は人の愛情を理解できずまた人を愛せないことを伝えた覚えが有る。

 彼女が死者の記憶に引っ張られているというのも有る。

 だがそれ以上にスヴェンはまだ深くまで愛情を理解していない。

 それに人殺しで血に汚れた自身と欠落した感情を抱えたまま、異性と付き合おうとも思えないのだ。

 

「いや、まだよく判んねぇな」

 

「でも人から向けられる感情を察してる辺り、貴方は朴念仁や鈍感よりたちが悪いわね」

 

 他者から向けられる感情は傭兵として敏感だが、恋愛感情に関しては未だなぜ向けれらるのか理解ができない。

 だが決まって愛情を向けて来るレーナとミアは心から想っていることだけは理解ができた。

 それは彼女達の想いを断ろうとも変わることが無いほどに。

 

「……そうかもな」

 

「姫様とミアも大変ねぇ」

 

 自覚はしている。レーナは自身の召喚契約を結んだ相手でも有るが、それ以上に彼女は好意と愛情を向けて来るようになった。

 異界人の自身よりも彼女を当然のように愛して幸せにできる者は多いというのに。

 

「断っても姫さんとミアの感情が変わらねえんだ」

 

「……貴方は濁したりしない辺りまだマシよね」

 

「いつまでもそのままってのは不義理だろ? 恋愛感情なんざ理解しなくともな」

 

「良いんじゃないかしら? 貴方に変わらない愛情を向ける人は貴重よ。それとももうこの世界には戻らないつもりなの?」

 

 幾度も思考したが未だ結論には至らない。

 デウス・ウェポンのやり残しを終えた後、戦争も無くなったあの世界からレーナの召喚物として生きる道も有る。

 だがそれで良いのかさえ未だ結論が出せないのだ。

 

「……さあな、そん時に考えるわ」

 

 以前の自分なら迷わずデウス・ウェポンで生活を続ける事を選択したが、三年の間で得た縁が考えを変えてしまったらしい。

 その結果が迷いを生じる事になったが迷ってこそ人の人生だ。それも悪く無いっと思いつつスヴェンは長椅子から立ち上がり、リノンに別れを告げてアトラス教会を去った。



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30-2.騎士の飲み会

 それは春の風が花の香りを運ぶ夜のこと。

 酒を呷る客を背にスヴェンは、

 

「もうどうすればいいか判らないっ!」

 

 酔ったラオに思わず同情の眼差しを向けた。

 アトラス教会を去った後、夕暮れまで城下町を歩いていた所をラオとレイに捕まり今に至る。

 そもそもラオにはたまに飲みに誘われるが彼がここまで酔うのは珍しい。

 エルリア魔法騎士団の業務で何か有ったのは明白だが、原因が判らない以上何も言う事はできない。

 

「それで何が有ったんだ?」

 

 酒を呷るラオを他所に静かに呑むレイに訊ねる。

 すると彼は深々とため息を吐き、疲労を感じさせる眼差しを向けた。

 

「……フィルシス騎士団長の鍛錬がより厳しくなったんだ。具体的には個々の実力向上を目指した鍛錬方法なんだけど」

 

「ん? 実力向上は良いことじゃないか」

 

 自身もフィルシスの鍛錬を受けて確実に技術を身に付け、実力向上に繋がった。

 時間が許すならまた彼女と鍛錬の日々を送るのも悪くはない程に、自身にとって戦場の次に生を実感できる時間だ。

 

「そうなんだけどね、新人が保たないんだ」

 

「退職者が増えてんのか?」

 

「そうじゃない。怪我人が絶えず医務室に運び込まれて治療師に世話になってね……その度にミア達から小言を言われるのさ」

 

 退職者は出ていないが怪我人が絶えず、治療師の業務負担に繋がる。

 だが今後の脅威に備えれば戦力強化を図るのはフィルシスにとって当然の責務だろう。

 ここ三年の内に変わったモンスターの組織的な行動、指揮官を中心に人類を襲うモンスターの対処は戦力向上が必須とも言える。

 個人の強大な力を頼るより個々の実力を伸ばした方が全体的に損失を抑えられ、戦力向上と共に一種の安息を人々に与えられるのだ。

 だからフィルシスは厳しい鍛錬を課す。

 しかしあまり厳しくし過ぎても潰れるだけで意味を成さない。

 

「フィルシスの考えは聴いたのか?」

 

「……それがさぁ『王族と民を護ることに繋がるでしょ? それに私が出来ることはキミ達にも出来る筈だ』なんて言うんだぜぇ?」

 

「天才は周りも同じ領域に立てると考えちまうからなぁ。それ以上にフィルシスは変な所で天然だ」

 

 自身の実力を周囲に結果として要求してしまうのもフィルシスが努力家の天才故にだ。

 それでも退職者が出たという話は一切耳にしないが、殉職者が出るという話は耳にする。

 鍛錬で実力が向上しようとも人は死ぬ時は存外あっさり死んでしまう。

 個人の実力向上は謂わば経験や自身の能力から窮地に立たされた状況下で切れる手札を多く用意し生存率を向上させるものだ。

 それでもやはり人は簡単に死ぬ。

 実力も有無もそうだが、部隊長の指示一つでたちまち全滅に追い込まれることも。

 

 ーーああ、アイツも無意識の内に部下を死なせたくねぇ一心で鍛えてんだろうなぁ。

 

「……いや、さっきの失言だな。アイツは努力家で民、部下想いなのはアンタらも判ってんだろ?」

 

 スヴェンがそう問いかけると二人は静かに頷いた。

 フィルシスが休暇を使ってまで鍛錬に明け暮れる様子を二人は重々理解している。

 その傍らで各所の騎士団の詰所に出向き相談に乗る事もあれば、村人の困り事を解決することも有る。

 だからこそ無茶な鍛錬にも文句言わずに付いて行くのだろう。

 それはそれとしてラオの愚痴は他にも有りそうだ。

 

「で? ラオは一体何を悩んでんだ?」

 

「鍛錬の厳しさはこの際良いんだ。問題は武具の修繕費に伴う予算の増加、施設の修繕費を始め諸々費用が掛かる」

 

「あー、必要経費だろ」

 

「姫様とオルゼア王は容認してくれてるが、財務大臣や執政官がもう少し予算を抑えろと騒ぐのだ! それをなぜいつも俺の所にっ!!」

 

 それはラオが常日頃から不在のフィルシスの業務を請け負っているからでは?

 そんな口から出かけた言葉を飲み込んだスヴェンは静かに酒を呷るレイに視線を移す。

 

「フィルシスが怖いからラオに行ってんのか」

 

「そうみたいなんだ。あと治療師部隊から怪我人増加に対する苦言もね」

 

 どの世界も中間管理職は苦労を背負う。

 スヴェンは酒を呷りながらラオに視線を向ける。

 

「いっそフィルシスを騎士団長から降ろすか?」

 

 わざとらしく悪人顔で最も手っ取り早い方法を囁くとラオが顔を顰める。

 

「それは無理だ。エルリア魔法騎士団長は指揮統率力は当然として他者を寄せ付けない圧倒的な武力が求められる。フィルシス以外に騎士団長に相応しい者は居ない」

 

 実際に今のエルリア魔法騎士団団長はフィルシス以外に有り得ないだろう。

 彼女はそれだけ民からも信頼されファンも居る程だ。

 エルリア国内の人気度合いで言えばレーナの次に人気かもしれない。

 それにフィルシス個人の名を聴いた野盗が降伏するほど彼女は抑止力として機能する。  

 個人が抑止力として機能するのはある意味で騎士の理想の形かもしれない。

 ただ一年目の秋にグレンと呼ばれる野盗がフィルシスに狙いを定めたことも有った。

 その点を踏まえればやはり個人の名だけで全ての敵を止めることは難しいのだ。

 フィルシスでそうなのだから他の騎士が団長に就任した後は野盗被害が増加する可能性が高い。

 

「僕もラオ副団長に同意かな。彼女だからこそ騎士団長は勤まるし、何よりも何かと部下想いだからね」

 

 レイの言葉にラオが酒を呷りながらしみじみと頷く。

 そして付き合いが長いからなのか、

 

「しかし団長も結婚しておかしくはない歳頃……誰か嫁の貰い手は居ないものか」

 

 まるで娘の結婚相手を心配する娘のような事を言い始めた。

 実際にラオとフィルシスはそれだけの歳の差が有る。

 付き合いが長いからこそ彼女の人生を気にかけてしまうのだろう。

 

「見合い話は来るらしいが、どれもピンと来ねえとか言ってたな」

 

「騎士団の間でも団長は姫様に次ぐ高嶺の花だからなぁ」

 

 確かに実力、職務、実績、気取らない性格を考えればそうなのかもしれない。

 しかし恋愛事態がよく判らない自身が出来ることは、今のラオの話を静かに聴くことだけだ。

 スヴェンとレイはラオの吐息と日々の不満に対する愚痴に耳を傾けながら酒を呷るのだった。



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30-3.捨てられない縁

 自宅の二階リビングでエルナの作った朝食を食べるスヴェンは、何か言いたげな視線を向けるエルナ達に視線を移す。

 

「今日は1日家でゆっくりする予定だが……」

 

「ほんと!? じゃあ今日はさ、みんなで写真撮ろうよ!」

 

 喜ぶエルナの提案にスヴェンはロイとラウルが密かに拳を合わせる様子を見逃さず、彼らがこの日のために準備していたのだと悟る。

 ふと朝食を貪るミントに視線を移し、

 

「……悪魔の威厳ってのはもうねぇな」

 

 地下室で惰眠と怠惰を貪り使い魔と戯れる日々を過ごし、飯時だけこうしてリビングで飯を食うだけの居候と成り果てた悪魔。

 もはやただの引きこもりだ。かと言って力を借りるかと問われればそれも違う。

 実際にエルナ達はミントと契約することは拒絶している。

 過ぎた力を持つことの意味を既に理解している三人にとって自身の力を高める方が遥かに有意義なことだと理解してるからだ。

 

「ねぇ? お兄さんが居なくなった後、もしも私達がバラバラになったらどうするんだろうねぇ?」

 

「その時はぼくを養う権利を与えるけど?」

 

「いや、エルナを養うのに忙しいな」

 

「おれもロイと協力してエルナを養うので余裕が無いかもなぁ」

 

「私も2人に養われるので忙しいから無理かな」

 

「結局バラバラになってないよねっ!?」

 

 朝から騒ぐミントを他所にスヴェンはたまごをサンドを齧り付く。

 咀嚼して飲み込むでから三人に視線を移す。

 

「本当に良いのか? ボディガード・セキリュティを引き継がずともアンタらには別の道も有ったろう」

 

「うーん、私も他の道を考えたけどね……やっぱりお兄さんがこの家を残してくれるとなると、私達家族で経営してきたボディガード・セキリュティは残したいんだぁ」

 

「それにお兄さんの公的記録ももう無いから……責めて私達はお兄さんが居た証になりたい。それはきっとレーナ姫もミアのお姉さんも同じ気持ちだと思うんだ」

 

 本来なら自身の記録は遺すべきでは無い。この考えは三年前から変わらないが、万が一この世界に再び戻ることが有れば帰る家は必要なのかもしれない。

 いや、本来なら家族が居る家こそが帰るべき場所なのだ。

 それでもスヴェンにはデウス・ウェポンでやり残しが多い。それを片付けるのにどれぐらいの期間が掛かるか判らないが、

 

「そうかい……なら俺も選ばねえとな」

 

 このボディガード・セキリュティを残すなら後を任せるオーナーを決めるべきだ。

 エルナ達からボディガード・セキリュティの経営を続けると言われた時から考えていたことだが、やはり事務や社員の事を任せられるのは一人しかいない。

 

「エルナ、アンタに次のオーナーを任せる」

 

 スヴェンがエルナに告げると彼女は笑みを浮かべた。

 

「嫌だよ」

 

 断れてしまっては無理強いはできない。

 

「そうかぁ」

 

「やっ! 諦めが早すぎじゃないかアニキ!?」

 

「エルナも何で断ったんだ? 日頃だらだらしながら人をこき使いたいって言ってたじゃないか」

 

 エルナはふぅっと一息吐くとこちらに向かって真剣な眼差しを向ける。

 

「私がオーナーを引き継いだらお兄さんは此処に帰って来る選択を排除しちゃうかなぁって。それも嫌だからあくまでもオーナー代理なら引き受けても良いよ」

 

 彼女なりに考えが有ってのことは判る。

 何よりもエルナは心から帰って来る事を望んでいる。

 それを改めて実感したスヴェンは改めてロイとラウルにも視線を向ければ、二人も帰って来てっと言わんばかりの哀しげな眼差しを向けていた。

 

「こればかりは確約できねえが、姫さんと召喚契約が残っている限り俺は自分の意志で姫さんの元に自身を召喚できるらしい」

 

「じゃあ姫様がアニキをまた召喚しなくても済むのか」

 

「だが、向こうの状況次第で帰れねえかもしれねえし……やり残しで何年かかるかも判らん」

 

 当初の自分なら想像も及ばなかっただろう。

 偶然再会し、最初は単なるボランティアとして雇った三人の子供が自身の事を家族と呼びーー家族を得た事を。

 そしてテルカ・アトラスで出来た縁が捨て難い貴重な物に変わっていたことなど当時の自分なら想像もできなかったことだ。

 

「まあそれでも得ちまった縁を捨てるなんざできねえからなぁ。何年かけようがこの家にまた帰って来るさ」

 

「やったぁっ!! お兄さんが帰って来てくれるなら家族全員でまた暮らせるねっ!」

 

「ああ! スヴェンさえ帰って来るならそれ以上の望みは要らない!」

 

「おれもまだまだアニキから学ぶことが多いからなっ!」

 

 喜ぶ三人を他所にミントが徐に呟く。

 

「あれ? ぼくのことは無視なの?」

 

「ミントはクロと同じペットみたいなものだからねぇ〜」

 

「あっ他人扱いじゃないだけ良いかも」

 

 時の悪魔がそれで良いのか? 出掛けた言葉をグッと飲み込んだスヴェンは息を吐く。

 

「まあともかくこれからもエリシェとは契約継続になるか」

 

「ミアお姉さんともだね。契約更新の手続きは私でやっておく?」

 

「いや、まだ帰還まで日は有る。今日にでも更新に行くさ」

 

「それなら都合が良いんじゃないかエルナ?」

 

 ラウルの言葉にエルナは懐から魔道念写器を取り出し、勢いよく立ち上がる。

「さっき言った家族写真とエリシェお姉さん達とお兄さんのツーショット写真も撮るよ!」

 

「いや、家族写真だけで充分だろ。ってかそれぞれ予定ってもんがあんだろうが」

 

「甘いなスヴェン。エルナはこの日を見越して全員と予定を既に合わせてるんだ」

 

「あー、俺が戻って来ることも織り込み済みってことか」

 

「ううん、それは本当に予想外だったよ。ただお兄さんと思い出を個々で持って置きたいと思ってさ、ほらレーナ姫とミアお姉さんなんかは特にね」

 

 本来写真を撮られることは苦手だが、三年も世話になった者達に対する責めての礼としては一つの形でアリなのかもしれない。

 そんな事を考えながら朝食を食べ終えたスヴェンは早速出掛ける準備に移り、留守をミントに任せて四人でエリシェの所へ。



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30-4.集合写真

 スミスを訪れたスヴェン達を出迎えたエリシェが、

 

「待ってたよ!」

 

 相変わらず元気の良い声で笑みを浮かべる。

 

「アンタは相変わらず元気だな」

 

「元気と鍛治があたしの取り柄だからね! それで今日は写真を撮るって聴いたけど」

 

「ああ、それとアンタとの専属契約について話も有る」

 

 専属契約な話しを持ち出した途端にエリシェの表情が陰る。

 前々から元の世界に帰ることは伝えていたが、まだ彼女は知らないのだ。契約を継続する事を。

 それに専属契約を結ぶ際にスヴェンはブラックから提示された条件が有る。

 エリシェを悲しませないこと。それが契約を結ぶ際に彼女の父親から提示された条件だ。

 専属契約の破棄も必然的にエリシェを悲しませることは避けられなかったが、ラウル達がボディガード・セキリュティを継ぐのだから契約を破棄する必要性も無くなった。

 

「そう焦るな。実はボディガード・セキリュティをラウル達が継ぐことになってな。それでアンタとの専属契約を継続してぇんだ」

 

「えっ!? それはあたしも願ってもないことだけど……やっぱりスヴェンは居ないんだよね」

 

 別れを悲しむエリシェにエルナが笑みを浮かべて告げた。

 

「実はお兄さんはやり残しを片付けたから帰って来てくれるんだって」

 

「ほんと!? それならミアとレーナ姫が喜ぶよ!」

 

 自分のことの様に喜ぶエリシェにスヴェンは肩を竦めつつ、

 

「あー、姫さんには俺から後で伝えておく」

 

 全員にそう告げるとラウルがにんまりと口元を緩めた。

 

「じゃあ今日姫様も来るからその時にか?」

 

「いや、彼女とは酒を呑む約束をしてんだ。そん時に酒を呑みながら伝えるさ」

 

「速い方が良いと思うけど?」

 

「勘弁してくれ。万が一姫さんが泣いちまったらファンクラブに刺されるのは俺なんだぞ」

 

 どこで写真撮影をするかにもよるが、人通りの多い場所でレーナが涙を流せばどうなるか。

 それは全員も容易に想像出来た様で深いため息を吐いた。

 

「人気なのも考えものなのかもな」

 

 変装していないレーナと城下町を歩くだけで通行人はたちまち監視員になるのだから、ロイの言う通り人気過ぎるのも考えものだ。

 以前レーナに視察の護衛を頼まれた際に生じた問題を思い出していると魔法時計に視線を向けたエリシェがエルナに訊ねる。

 

「あっ、もうそろそろみんな来る時間だけど何処で撮影するの?」

 

「うーん、色々考えたけどお兄さんって実はまだ死亡扱いのままなんだよね」

 

「あ〜異界居住区の人達はスヴェンが生きてること知らないもんね」

 

 今更生存が露呈しようが最早問題は無いが、最近大人しい異界人を刺激することは避けたい。

 アンドウエリカ(安藤恵梨香)をはじめとした一部の異界人は一年目の冬から既に異界居住区を出て暮らしているが、未だ異界居住区から出られない異界人も多い。

 それにもうすぐレーナの魔力が回復する時に面倒な騒ぎは起こしたく無いというのも本音だ。

 いや、それなりに活動していながらなぜ未だに生存が発覚してないのかも疑問だがーー恐らく彼らの中ではスヴェンという名のボディガード・セキリュティのオーナーは同性同名の他人扱いなのだろう。

 スヴェンが推測混じりで結論付けると。

 

「うん! やっぱりうちの庭で撮影だね。庭でバーベキューもするんだし」

 

「……聴いて無いが?」

 

「え? お兄さんにはサプライズで黙ってたに決まってるじゃん」

 

「スヴェンにバレずに食材を用意するの大変だったよ」

 

 保存庫の食材が増えてようが、ラウル達が何かの料理に使うための物だとしか思わないのだが。

 それよりも人数が人数だ。用意する量も決して少なくはなかっただろう。

 

「結構な量になったと思うが、よく保存できたな」

 

「そりゃあアニキが絶対に行かない地下室に置いたからな」

 

 確かに地下室なら食糧保存庫としても使えるし、ミントも文句は言えない。

 スヴェンは保存場所に得心しているとスミスのドアが開かれ、ミア達が顔を覗かせた。

 

「スヴェン、今日は写真撮影するんですって?」

 

「スヴェンさんが遂に写真を……くぅ! この日をどんなに待ち侘びたか!」

 

 レーナとミアにスヴェンは適当に相槌を打ち、フィルシス、ラオ、レイ、カノンに視線を移す。

 

「愛弟子とツーショットが撮れると聴いて予定を空けておいて良かったよ」

 

「うむ、団長も張り切って書類を片付けておりましたからな」

 

「あの量の書類を……スヴェン、定期的に撮影会を開かないか?」

 

「定期的は大変じゃないかしら?」

 

 またスヴェンは彼らに相槌を打ち、次はアシュナとリノンに視線を移した。

 

「ん、久しぶり。写真撮影楽しみ」

 

「昨日ぶりになるけど、まさか写真嫌いのスヴェンが許可するなんて……ふふっ変わったわね」

 

「……家族の頼みは断れねぇだろ」

 

 写真を撮られることは嫌いだが、エルナ達の頼みなら断る理由も無い。

 それを素直に告げるとミア達は笑みを浮かべ、背後から照れ臭そうな視線を背中に向けられる。

 正直に言えば鬱陶しいが、今はそれを言っても単なる照れ隠しにしか思われない。

 スヴェンがぬぅっと表情を顰めるとエルナが手を挙げて言う。

 

「それじゃあ全員揃ったことだし、うちの庭に行くよ!」

 

 全員でスミスを後にし、自宅の庭でエルナの魔道念写器で写真撮影が始まった。

 最初はエルナ達と保護者のカノン部隊長を交えた写真撮影。

 思えばカノン部隊長にもエルナ達の事で随分と助けられたものだ。

 続いてエリシェをカメラマンにクロとミントを交えた家族写真を撮り、その後スヴェンが全員とツーショット写真を撮ることに。

 漸く終えた撮影、そして始まる庭でのバーベキューに集まった全員は笑みを浮かべながら楽しむ。

 戦場で生きて来たスヴェンが見られなかった光景が目の前に有る。

 外道の自身を受け入れ、ありのままに接する彼らと彼女らの存在がスヴェンにとっていつの日か得難い存在になっていた。

 心境の変化を新たに感じたスヴェンは隣で微笑むレーナとミアに視線を移す。

 

「楽しかったか?」

 

「ええ、貴方との写真は大切な宝物にするわ。それに……やっぱり好きな人との写真は嬉しいものよ」

 

「えへへ、スヴェンさんが珍しく笑顔だぁ」

 

 嬉しそうに語る二人にスヴェンは肩を竦め、改めて現像された写真に視線を落とした。

 確かに写真に写る自分は自然体で笑っている。基本的に表情の変化が薄いと自覚しているが、まさか撮影時に自然と笑える日が来ようとわ。

 

「人生ってのは判らねえもんだな……ああ、悪くねぇ」

 

 家族と友人達との写真に笑みを浮かべたスヴェンは、皿に用意された焼き肉に舌鼓するのだった。



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30-5.約束

 集合写真を撮ってから時は経ち、五月十九日の夕方。

 デウス・ウェポンに必要になる農産業や家畜産業に必要になる資料、家畜に与える餌の栄養バランス、肥料の配合や土の性質を事細かく書き綴った資料をメモ用紙にまとめ終えたスヴェンはエルリア城のレーナの寝室に来ていた。

 スヴェンはレーナの寝室で酒瓶と料理が並べられたテーブルを挟んで対面に座るレーナとミアに視線を向ける。

 明日はテルカ・アトラスに別れを告げデウス・ウェポンに帰還する日。

 既にレーナに魔力回復の兆候が現れ始め、それが刻々と残された時間を再認識させるには充分だった。

 寂しさを隠し切れない二人にスヴェンは苦笑を浮かべる。

 なんだかんだ言って二人には戻って来る趣旨を伝えていない。

 返還前日にこうして飲む約束を交わしていたが、それまでレーナとミアは多忙で互いに会う時間が取れなかったのも相待って今日まで伝えられずにいた。

 

「明日で俺はデウス・ウェポンに帰還するが……」

 

 話を切り出すとレーナとミアが吐息を吐く。

 

「そうね、結局私達は貴方を引き止めることは出来なかったのね」

 

「はぁ〜美少女2人に想われてそれでも帰還を選ぶなんて、ほっんと仕方ない人だよ」

 

 二人の言いたいことは分かるが悲観するにはまだ早い。

 二人の瞳から涙が溢れ、スヴェンは二人の目元から溢れる涙をグローブ越しの手で拭う。

 それが意外に思えたのか二人は驚いた表情を浮かべ、二、三度瞬きをしてはやはり驚愕が勝っているのか反応が鈍い。

 たまに気を遣えばこの反応をされるのも慣れたものだ。

 

「気安いってのは分かるが、涙を流すにはちっと早いだろ。それに俺なりに考えた末で出した結論もまだ伝えちゃあいない」

 

「結論? それって姫様か私のどっちかを選ぶとか?」

 

「……私はどちらを選んでも悔いは無いわよ? なんなら私を選んだ上でミアも選んで良いしね」

 

 魔王アルディアが選び取った結末は悩むレーナにとってある意味で光明なのかもしれない。

 

「アンタらの好意は自覚してるが、2人も同時に選べねぇよ。いや話ってのは帰還後のことでな」

 

「……帰還後の? 改まって何かしら」

 

 スヴェンは真剣な眼差しで聞く姿勢を見せる二人に深妙な表情を浮かべ口を動かす。

 

「俺が頑なに帰還すんのはやり残しと覇王エルデに対してけじめを付けるためだ。そいつさえ片付けばあの世界で俺がやるべきことはねぇ……」

 

 たった三年程度暮らしたテルカ・アトラスはスヴェンに様々なものを与えた。

 温かな食事を食べる喜びと感動、人との繋がりと縁。どうしようもない外道を受け入れて愛するっと言った二人の少女。そしてラウル達家族を得た。

 贖罪を果たす彼らをバイトとして雇い生き方の一つを提示するだけの関係だったが、今ではスヴェンにとって大切な家族だ。

 そんな家族を捨て置いてデウス・ウェポンで生活するなど無責任人にもほどが有る。

 

「家族を得ちまった以上、何年かかるか判らねえが俺はまたテルカ・アトラスに戻って来るつもりだ」

 

 また戻って来る事を率直に伝えるとレーナとミアから涙が溢れる。

 スヴェンは泣く二人にギョッと目を見開き、今度はどうすれば良いのか戸惑う。

 

「お、おい感動するにはまだ早いだろ」

 

「だ、だってぇ〜もう二度と会えない覚悟で今日を迎えてたんだもん!」

 

「貴方がもっと早く伝えてくれていれば……今日は笑って過ごすつもりだったのよ!」

 

 涙声で非難の声を挙げる二人にスヴェンはぐうの音も出ず、申し訳なさそうにただ一言『すまん』っと告げた。

 二人は涙を拭い、やがて深いため息を吐いた。

 

「はぁ〜戻って来るのは嬉しいけど、姫様の為でもなくてラウル君達のためだなんてぇ!」

 

 二人は確かに自身のことを想ってくれているが、人の好意よりも家族の縁がスヴェンの中では何よりも優先するべきものだっただけのこと。

 正直に言ってしまえば二人のことは嫌いではない。むしろ自分に好意を向ける二人は眩しくもったいないと思う反面、自身なんか想わず他の真っ当な人間を選んで欲しいという想いも確かに有る。

 

「スヴェンらしいと言えばらしいのかしら? でも貴方にも家族に対する愛情が有ったのね」

 

「愛情ってのは未だに判らねえが、まあ俺を家族と呼び受け入れたアイツらが大切なのは変わりねぇさ」

 

「受け入れる意味では私とミアも貴方のことを受け入れてるけれど?」

 

「あー、まだ人を愛せない俺には結論を出すには速い。むしろアンタらには俺を諦めて他のいい奴を探して欲しいんだよ」

 

「知ってるでしょ? 私とミアは意外と頑固だって。それこそ帰還の意志を最後まで曲げなかった貴方と同じ程にね」

 

「正直俺に惹かれる理由が皆目検討も付かねえんだが?」

 

 レーナとミアがなぜ過去を頑なに語らず、容赦なく人を殺せる外道に好意を抱けるのか。それは今でも理解が及ばず考えても結局本人に聞く以外に知りようがないのだ。

 だからこそ思い切って訊ねてみれば二人は赤面しながら語り出した。

 

「じゃあ私から言うよ。最初はスヴェンさんも知っての通り相棒になりたかった……だけどそれは隣であなたを支えたかったなんだよ。その理由を自分なりに考えてる内にリノンさんが現れて……」

 

 ミアは一度言葉を区切って苦笑を浮かべた。

 

「一度は相棒になることを諦めたけど、あなたは私の故郷を依頼として……なんの打算もなく救ってくれた。その時からあなたを意識し始めて最初は吊り橋効果って否定したけどさ」

 

「平原で重傷を負って倒れているあなたを発見して不安で涙が溢れてこの人を死なせたくない失いたくない。その一心であなたを治療して介抱して……あなたを見てる内に否定した心が訴えかけたの。私はあなたのことがどうしようもなく好きなんだって、この3年間でその想いだけは変わらなかったよ」

 

 面と向かってはっきりと告げるミアにスヴェンは愚かレーナまで彼女から視線を逸らす。

 

「聞いておいて何だが……あー、その、なんだぁ?」

 

「恥ずかしいわね。けどミアが貴方のことをそこまで愛してるってことは理解したんじゃないかしら」

 

「あー恩義から来る感情だとは思っていたが、心からの想いは否定できねぇよ」

 

「う、うぅ〜なにこの羞恥プレイ!? 次は姫様の番なんだからねっ!!」

 

 ミアの宣告にレーナはたじろぎ、グラスに注がれていた強めの酒を一気に飲み干した。

 素面では羞恥心が勝り話せないと考えてのことだろう。

 スヴェンもワイングラスの酒を飲み干してからレーナを真っ直ぐと見つめる。

 

「お酒の力を頼るのは情けないけど……私が貴方を好きになったきっかけはアルディアを救ってくれたことよ。最初は恩義から来る感情だったけれど、貴方は何度も窮地から私を救ってくれたわ」

 

「自身の身の危険を犯してまで過去を改変して……貴方にも消滅したくない一心が有ったのも理解してるけれど、それでも夏に一緒に海水浴に出掛けて。公務の護衛として一緒に何度も町や村を回っている内に貴方に対する恋心は深まる一方だったの」

 

「貴方は決して過去を語ろうとしなかったけど……私の知ってるスヴェンは人の想いに対して不器用で臆病だけど、一度決めたことを簡単に曲げない意志の強さ、怖い一面を持ちながら硬派でなんだかんだ言って気にかけてくれる優しい一面を持つそんな貴方を好きになったのよ」

 

 二人がなぜ自身に好意を抱くのか漸く分かった。

 どちらもきっかけは魔王アルディア救出から始まったが、そこで完全に縁を断ち切れなかった自身の甘さや交流の積み重ねが二人に恋愛感情を抱かせるきっかけになったのだ。

 

「戦場で実の生みの親を殺した俺を心から愛してるっと告げる奴はアンタらと死んじまった相棒(リノン)だけだったが……いずれ2人のうち1人を選ばねぇとな」

 

「さらっと過去を明かしたわね……まあ良いわ予想していた事だし。それにスヴェンが結論を出すまで私とミアはいつまでも待つわよ。なんならレーナ・ウェルトレーゼ・エルリアとして貴方とラウル達とミアと一緒に暮らすのも悪くないわ」

 

「スヴェンさんが姫様を選んだら私は側室ってことになるのかな? ミア・ウィルグスとしては全然有りだけど」

 

 なぜか二人を選ぶ方向性で話が進んでいるが選ぶならどちらか一人だ。

 王族と平民の結婚はよく有ることだが、婿が側室を迎えるという前例は二年目の夏にアウリオン達が作ってしまった。

 それでと二年目の夏、選ぶのは海水浴で自身にフルネームを明かした二人のうちどちらかから。

 それは絶対に譲れない一線だ。なによりも未だに人を愛せず、愛情を理解できていない自身が二人も同時に愛することなどできないだろう。

 それに二人は答えを急ぎ過ぎている。いや、待たせるのも悪いがこれだけははっきりと伝えなければならない。

 

「まあそう焦るな。俺が選ぶ時は、この世界に戻って来て欠落した感情が埋まった時だ……それまでアンタらが心変わりしたんなら別の良い相手を選ぶってのも手だろ」

 

「「いつまでも待つよ」」

 

 二人同時に待つと告げられたスヴェンは肩を竦めた。

 二人の恋心と意志の強さの前では諦めさせることなど不可能なようだ。

 

「どうにも俺はアンタらには勝てないらしいな。まあそれでもどちらかを傷付けることには変わりねぇが……」

 

「選ばれなかった方が傷付く。それは恋愛に付き物よ、それとスヴェンはまだ責任感から選ぼうとしてるもの……先ずは私とミアで貴方の欠落した感情を埋める事から始めないとね」

 

「スヴェンさん、覚悟すると良いよ? 私と姫様の意志の強さとあなたに対する愛情の深さを」

 

 改めて宣言する二人にスヴェンは笑みを零した。

 こんなどうしようもない自身を愛すると告げる二人に対して浮かべた笑みは、きっと自然な内に出たものなのだろう。

 それなら一層リサラは確実に殺さなければならない。あの女から受けた屈辱と積年恨み、テルカ・アトラスに無益な戦争を齎さないためにも。

 スヴェンは決意を新たに、レーナとミアと語り合いながら酒と食事に舌鼓を打つ。

 ただ温かな食事を共に摂るだけでも自身の心を満たすには充分だが、それはきっと食事に対する有り難みが勝っているのだろう。

 そんな事を考えながらスヴェンは楽しげに笑うレーナとミアに、

 

「約束する必ず帰って来る」

 

 改めて約束を告げる。

 

「待ってるわ、貴方が帰って来る日をいつまでも」

 

「私も待ってるよ。あっ、でもよぼよぼのおばあちゃんなる前には帰って来て欲しいかなぁ」

 

「そうだな、帰って来た途端に姫さんが老衰しちまったら消滅しちまうからな」

 

 四百年は生きられるがテルカ・アトラスで自身の寿命はレーナの生命が尽きるその時だ。

 運命共同体だがこの世界で暮らすには充分な寿命だ。

 スヴェンはそんな事を内心で浮かべながら心ゆくまでレーナ達と夕食を過ごすのだった。

 

 そして翌日の昼、スヴェンは謁見の間でミアと家族の見送りを背に魔力が戻ったレーナの返還魔法で光に包まれる。

 気付けば乾いた大地と緊迫感漂う空気に眼を開けたスヴェンは目前に映る光景ーーリサラが率いる傭兵部隊の軍勢に殺意を宿した笑みを浮かべガンバスターを引き抜く。

 

「熱烈な歓迎じゃねぇかっ!」

 

「ああやっと戻って来たわね! 貴方が困り踊る様をわたしに堪能させてちょうだい!」

 

 相変わらず狂愛を浮かべるリサラの言葉を合図に傭兵部隊の銃火器から火花が散った!



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30-6.帰還と戦場、そして

 乾いた大地でたった一人に対して行われる集中砲火。

 愉悦と狂愛に歪んだ笑みを浮かべるリサラと彼女に従って銃火器を掃射する機械人と傭兵の混成部隊。

 スヴェンは銃声と爆音が鳴り響く戦場で遮蔽物を盾にしながら戦場を駆ける。

 一度でも足を止めれば集中砲火による即死、一度でも集中を切らせば敵陣の奥に位置するビル廃墟群に潜むスナイパーによる狙撃が待つ。

 己の身を護るのは戦場に転がる遮蔽物と魔力の鎧だけだ。

 スヴェンはアサルトブレードを片手に接近する若い傭兵に口元を歪めた。

 

 ーー熟練の傭兵は徹底してるが功を焦った若い奴は接近して来る。そいつは俺にとって補充のタイミングだ!

 

 大振りに構えられるアサルトブレードと口元を歓喜に歪める若い傭兵の隙を見逃さず、彼からナイフを奪い取りついでに頸動脈をナイフで撫で斬る。

 戦場に舞う血飛沫と絶えず飛来する銃弾。スヴェンは死んだ若い傭兵を盾に腰のハンドガンを引き抜く。

 死体が銃弾を防ぎハンドガンを引き鉄を引くことで手短な傭兵の頭を次々と撃ち抜く。

 これでも気休め程度だ。まだ機械人と傭兵は大量に居る。

 背中のバックパックを吹かせ宙を駆ける機械人の機銃掃射も厄介だ。

 

 ーーデウス・ウェポンの状況は判らねえが、戦場にシャルナとジンの姿はねぇか。

 

 爆弾魔とその彼氏は戦場で相対するだけでも厄介だが、それ以上にこの場には歴戦の傭兵が多い。

 相変わらず冷徹で無表情を浮かべているが、彼らの瞳から感じるのは様子はまるで最後の宴を前にしたかのように歓喜に満ちている。

 おまけに通常では運用しない大量の銃火器を傾向している。

 覇王エルデが統一を成し遂げたなら此処は傭兵にとって最後の戦場。

 それはスヴェンにも同じく最後の戦場だ。ここでリサラを殺し決着を付ける。

 そのために自分はこの世界に戻って来たのだ。

 スヴェンは死体を盾にしたがらポーチを漁るが目的の.600GWマグナム弾は出て来ない。

 代わりにハンドグレネードとスモークグレネードを三個ほど取り出し、手早く宙に放り投げる。

 そしてハンドガンで投げたハンドグレネードとスモークグレネードを同時に撃ち抜く。

 混成部隊を襲う爆破と煙幕が若い傭兵に混乱を齎し、宙を駆ける機械人のバックパックが火の手を挙げ地面に墜落する。

 

「慌てるな、奴は気配でこちらの居場所を察知している。それはこちらも同じだという事を教えてやれ」

 

 熟練の傭兵が冷静に指示を飛ばす。

 流石に自身に出来ることは彼らにも可能だ。

 だがスヴェンにはテルカ・アトラスで修得した技術が有る。

 煙幕はそのためのもの。リサラの視界を遮断しこちらの手札を最小限に隠すためのブラフ。

 スヴェンはガンバスターに練り込んだ魔力を纏わせ、素早く魔力の刃を形成する。

 魔力の刃を巨大化させ、煙幕から弾幕と砲撃が飛ぶ。

 そのまま盾にしていた死体を蹴り飛ばすこと銃弾と砲撃を防ぐ。

 相変わらずこのガンバスターでは魔力伝導率が極端に悪いが、それでもスヴェンの身体は既に魔力を扱うには最適な肉体に成長している。

 三年前のように急激な疲労に襲われることもなく、魔力の刃が傭兵部隊を薙ぎ払う。

 

「なんだこの攻撃わ!? 奴の新装備かっ!」

 

 魔力の刃で斬り裂かれた若い傭兵達と迫る刃を咄嗟に避けた熟練の傭兵達。 

 経験の差は大きいが動揺を与えるには充分だ。何よりも煙幕で遮られた視界の中ではこちらが何から攻撃したのか連中にはまだ判らないだろう。

 それでも混成部隊はこちらに対して集中砲火の手を緩めることは無い。

 機械人の脳に埋め込まれた演算処理補助装置がより精密な制圧射撃を、熟練の傭兵による偏光射撃がスヴェンの身体を掠める。

 全身に纏った魔力の鎧が銃弾や爆風を弾く。

 

 ーーいや、スナイパーの通信ですぐに伝わるか。

 

 スヴェンが思考を改め、自身の手の内が全軍に伝わると考え動き出した時だ。

 死体の通信機から声が響く。

 

「全軍に通達! 奴は魔力を使っている! 繰り返す奴は魔力を制御する術を身に付けているっ!」

 

「へぇ、私のスヴェンは何処で魔力制御なんて身に着けたのかしら? 彼と同じように魔力を扱える者は?」

 

「我々は武器に刻まれた魔法陣を起動させる程度だ。だが、必要あるまい? 敵は1人なのだぞ」

 

 こちらに対する挑発を込めた通信。

 そもそも連中にとって聞かれて困る会話や作戦など無いのだろう。

 連中の狙いは耳にした作戦を逆手に取らせ罠に嵌ることだからだ。

 おまけに絶え間ない集中砲火は常人から正常な判断力を奪う。

 あの性悪女ならどちらを選択しようとも関係無いのだろうが。

 スヴェンが体内に魔力を巡らせ、煙幕から飛び出す機械人達に殺意を放つ。

 

「スヴェン! 前の戦場では世話になったが死ねっ!」

 

 いつの戦場のことか覚えが無い。

 だが間違いなく目前に迫る機械人は顔見知りだ。

 かつて戦場で重傷を負い機械化手術で機械人に成り果てた。

 死ぬまで戦場で戦い続けるために。

 スヴェンは機械人が振り抜くレーザーブレードをガンバスターで弾き返し、心臓部たるコアを斬り裂く。

 機械と生身が融合した身体から電流とオイル混じりの鮮血が飛び、機械人が一人斃れる中ーー機械人の腕部ガトリング砲が火花を吹く。

 地を駆け巡り弾幕の中を突き進む。

 そしてガンバスターを一閃しその場で縮地で地を蹴る。

 機械人部隊の背後からガンバスターを薙ぎ払う。

 地面に崩れ斃れる機械人にスヴェンは次の獲物に駆ける。

 同じくガンバスターを担ぐ傭兵に接近し、迫る刃をガンバスターで受け流す。

 

「コイツ! 6年の間に技術を身に付けたか!」

 

 傭兵が発した情報を即座に頭に叩き込んだスヴェンは、唐竹を放ち傭兵を両断する。

 迫る傭兵を袈裟斬りで斬り伏せ、返り血が身体にかかる。

 味方の死に決して動じず、リサラの指揮で後方部隊がロケット弾を放つ。

 スヴェンは素早く死体からポーチと腰の銃を奪い取り、ポーチから目当ての.600GWマグナム弾を取り出す。

 ガンバスターの空のシリンダー弾倉に装填し、左手の銃でロケット弾を撃ち落とす。

 そして左手に銃を構えたまま傭兵部隊に接近を仕掛け、魔力を纏った回転斬りを放つと同時に傭兵の頭部を撃ち抜く。

 斬り刻まれる傭兵、撃たれる傭兵。だがそれでもスヴェンに銃弾と砲弾の嵐が襲う。

 単独で全員を相手にするには無理が有る。第一魔力が保たないのだから魔力の鎧はあまり頼れないのが現状だ。

 スヴェンは死体を盾に、時には死体を蹴り飛ばすことで銃弾の嵐を掻い潜り着実にリサラに迫る。

 

「おや、もうこんなところまで」

 

 傭兵達が放つ剣撃を避け、ガンバスターで受け流し弾幕を斬り払う。

 だがスヴェンの足元にハンドグレネードが転がり込む。

 既に起爆寸前のハンドグレネードにスヴェンはその場から離脱を試るがライフル弾が目前に迫る。

 ガンバスターで斬り落とし、地面に衝撃波を叩き込むことでハンドグレネードを飛ばすがーー比較的近い距離で爆破したハンドグレネードの衝撃がスヴェンを襲う。

 

「チッ」

 

 爆破にスヴェンの身体が吹き飛ばされ地面を転がる。

 そこに傭兵と機械人が畳み掛けるように己の刃を振り抜く。

 スヴェンはガンバスターを盾にする事で刃を防ぐ。

 しかしレーザーブレードがガンバスターの腹部分を焼く。このままではガンバスターが両断されてしまうだろう。

 スヴェンはガンバスターに纏った魔力を解き放つことで群がる傭兵を弾き飛ばし、ガンバスターの銃口を構えた。

  

 ーーズドォーンン!! 六発の銃声と傭兵の絶叫が戦場に響き渡る。

 .600GWマグナム弾によって撃ち抜かれた傭兵の肉片が戦場の大地に転がる。

 それでも敵の数は一向に減らない。

 

「迂闊に攻め込まず、奴を追い詰めろ」

 

「孤狼は強襲を得意としているが弾幕の中では動きを制限されるはずだ」

 

 確かにこうも絶えず放たれる弾幕の中では速度を活かした攻めは制限されてしまう。

 最初に見せた魔力の刃を警戒して迂闊に近付く者も少ない。

 少ないがスヴェンにとってこの状況も想定範囲内だ。

 スヴェンは弾幕の中を歩み出す。弾幕の弾道と軌道を見切り、避けようとも致命傷を与える.600GWマグナム弾だけを斬り払うことで着実に距離を縮める。

 心の奥底から殺意を解放し、瞳に宿した殺意の眼光で敵を睨む。

 熟練の傭兵相手には通じ難いが、スヴェンは素早く装填したガンバスターの銃口をスナイパーに向けた。

 弾幕の中を歩きながら一発のライフル弾と気配から割り出したスナイパーの居場所。

 そこにスヴェンは引き鉄を引くことで.600GWマグナム弾を撃つ。

 飛来する銃弾がスナイパーの頭部を射抜き、観測者が双眼鏡を落とす。

 

「スナイパーが1人死んだ」

 

 通信機から告げられる声に熟練の傭兵がスヴェンに問う。

 

「流石は伝説を殺しただけはあるな……だが、貴様は何処で何を得た?」

 

 熟練の傭兵の純粋な問い掛けにスヴェンは答えない。

 代わりに沈黙に乗せた殺意を解き放つ。

 

「以前よりも洗練された殺意と技術……血が覚醒したか?」

 

 殺した親のことはどうでも良い。スヴェンにとっていま大切なのはこの場を生き抜きリサラを殺す。

 そしてテルカ・アトラスの家族の元に帰る。例え血に汚れた戦場で人を沢山殺そうとも。

 そんな血に汚れた自分を受け入れた家族とレーナ達の所へ。

 スヴェンは魔力を纏ったガンバスターを構えた時だった。

 

「増援部隊が到着!」

 

「やっと来ましたか」

 

 通信機越しに聴こえるリサラのため息と彼女が控える混成部隊の後方から巻き起こる砂塵。

 そして上空を飛ぶ十機の輸送ヘリにスヴェンは口元を吊り上げる。

 よくもまぁ一個人に対してこれだけの戦力を集めたものだ。

 きっと覇王エルデもこんな気分だったのだろう。

 だがスヴェンに有るのは一個人に向けられる数の暴力に対する呆れだ。

 続々と輸送ヘリから降下を始める傭兵、機械人。そしてこちらを捉える機銃の銃口と対地ミサイルが矛先を向く。

 

「降伏して婚姻届にサインするなら貴方の凍結された資産も解放してあげますけど? まあその場合は私の所有物として一生尽くしてもらいますけど」

 

 数の暴力を盾に通信機越しから語るリサラにスヴェンは地面に向けて唾を吐き出した。

 糞食らえだ。あの女の奴隷に成り果てるなんぞゴミ以下の価値に成り下がるようなものだ。

 スヴェンは返答として混成部隊に囲まれ護られるリサラを鋭く睨み銃弾を撃った。

 だが.600GWマグナム弾は身を挺して庇う傭兵達に阻まれ、通信機からリサラの狂った嗤い声が響く。

 

「仕方ないですねえ。全軍本気でスヴェンを殺しなさい……ああ、極力死体の損壊は少なくにですよ」

 

 彼女の指示に控えていた熟練の傭兵部隊と増援が一斉に動き出す。

 周囲には遮蔽物も何も無い。いや、構えられた荷電粒子砲の前ではそんなものは無意味だ。

 スヴェンは決して足を止めず、地を蹴って駆け出すと後方から輸送ヘリのプロペラ音が響く。

 

「あー、あー! これより覇王軍特務部隊は孤狼の援護に入る。繰り返すこれより覇王軍特務部隊は孤狼の援護に入る!」

 

 聴き覚えの有る声が戦場に響き渡り、スヴェンの眉が嫌そうに歪む。

 

「あ〜兄貴、避けてね」

 

 シャルナのその言葉を合図に戦場にグレネード弾が降り注ぐ。

 スヴェンは爆風が傭兵部隊を吹き飛ばす中を走った!

 後方からのグレネード砲撃と輸送ヘリによる対地爆撃、そしてコンテナから射出される爆撃ドローンによる制圧攻撃ーー相変わらずの爆弾魔ぷりか。

 おまけにこちらに爆撃に巻き込まれた敵の輸送ヘリまで堕ちる始末。

 スヴェンはチラリと後方に視線を向ければ、輸送ヘリから降下した覇王軍がジンの指揮で混成部隊に弾幕を作りながら駆け出す。

 思わぬ援軍にスヴェンは顔を顰めながら行く手を遮る傭兵を斬り捨て進む。

 覇王軍の弾幕が混成部隊を撃ち抜き、輸送ヘリから放たれるシャルナの爆弾が敵部隊の陣形を崩す。

 

 ーー覇王軍、エルデが援護を? ってことはこの事態を予測していたってことか。

 

 なぜエルデが援護に部隊を派遣したのかは判らない。

 だが苦渋と怒りに歪むリサラを殺すには絶好の好奇だ。

 スヴェンは迫る傭兵を跳躍することで避け、傭兵の頭部を足場にリサラの下に着地する。

 そしてこちらにプラズマガンを向ける彼女よりも速く、スヴェンは魔力を纏ったガンバスターで孤月の斬撃を放つ。

 宙を飛んだ斬撃がリサラの肩から腰にかけて両断し、地面に斬り裂かれた胴体が落ちる。

 戦場の鮮血が性悪女の血で汚れ、

 

「ゴホッ! あーあー、ここまでですかぁ」

 

 血反吐をスヴェンに吐き仕方ないっとリサラが語り出す。

 

「スヴェンの手で殺される。これも貴方の愛情の一つとして悪くないですね」

 

 彼女が語る愛情は間違っている。

 

「何が愛情だ、アンタに有るのは独善的で身勝手な狂気だけだろ」

 

「ふっ、それでも私は間違いなく貴方を愛してますよ? それは紛れもない真実です。これで貴方は愛情を与える存在を三度殺したことになりますねぇ」

 

 致命傷を負いながら減らず口を叩くリサラにスヴェンはガンバスターを振り上げる。

 だがそれでもリサラの口は止まらない。

 

「あー、そうだ! サプライズプレゼントをご用意させて頂きましたよ! 私が死ぬと貴方が居た異世界の座標データが私の所有する端末に一斉送信されるんです!」

 

 面倒な置き土産を耳にスヴェンはリサラの頭部をガンバスターで斬り裂いた。

 流石に脳を真っ二つにされてはリサラも死ぬ。

 漸く死んだリサラにスヴェンは周囲の混成部隊を睨む。

 だが混成部隊は抵抗することもなくあっさりと武器を地面に手放し、

 

「我々は降伏する」

 

 両手を挙げて降伏する姿勢を見せたことにスヴェンは息を吐く。

 雇主が死んだ時点で報酬は支払われない。傭兵とは金にならない仕事はしない主義だ。

 特に熟練の傭兵ほど損失を理解しているため、リサラの死で降伏するのも頷ける。

 スヴェンは彼らにこれ以上敵意が無いことを見抜いた上で決して警戒心を解かず、

 

「最後の戦場は楽しめたか?」

 

 自身にとっても最後の戦場について訊ねた。

 

「最後の戦場としては物足りないが、そこの女狐の死は笑える」

 

 熟練の傭兵がリサラの死体を笑い飛ばし、次々に傭兵から笑い声が上がる。

 これが自身の野望のために他者を欺き利用し続けた女の末路か。

 リサラのような女はそう多くは居ないだろう。いや、彼女は異常過ぎたのだ。

 一個人に対する異常な執着、下手をすれば世界を破滅させかねない兵器の開発支援。

 現に死してなおスヴェンが困ることを遺して逝った。

 これからリサラの拠点を破壊してテルカ・アトラスの座標データ、ついでに彼女の研究施設も破壊しなければならない。

 まだまだ後始末は始まったばかりだ。スヴェンは背後に近付くシャルナとジンに振り向き、

 

「混成部隊は拘束、エルデが適切な処置をすると思うけど……兄貴を連れて来るように言われてるのよね」

 

 同行を求めるシャルナにスヴェンはガンバスターを背中の鞘にしまう。

 

「ジン、世界はどうだ?」

 

「悪くない方向に進んでるよ。いや、平和ってヤツが訪れてるかな」

 

「そうか……なら俺を覇王の所まで連れて行ってくれ」

 

「ふーん? 兄貴が珍しく素直じゃない。それとも性悪女を殺して気分が良いのかしら」

 

 リサラを殺しても心は相変わらず冷めたままだ。

 いや、正確には自身の心が感情を浮かべる対象は家族とレーナ達だけ。

 リサラのような人間には空虚な心が妥当だ。

 

「何も感じねえさ」

 

「そう、アタシは気分が良いわよ。リノンお姉ちゃんの仇だもの」

 

 リサラの死に晴れやかな笑顔を浮かべるシャルナをスヴェンは素通りし、輸送ヘリに乗り込む。

 

「6年前の戦場で消えた傭兵がまさか戻って来るなんてな」

 

 輸送ヘリの覇王軍の兵士の皮肉にスヴェンは肩を竦める。

 

「6年か、あの時覇王を殺せなかったのは世界にとって正解だったな」

 

「はいはい、過ぎた話は移動中にでも存分にしてくださいよ」

 

「全軍、バベルタワーに帰投!」

 

 シャルナの指示で輸送ヘリは離陸し、スヴェンを乗せてトルギスタワーに飛び立つ。



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30-7.後始末

 バベルタワーに輸送されたスヴェンは覇王エルデとこの世界における時間で実に六年ぶりの邂逅を果たした。

 椅子に座り粒子端末に顔を顰めるエルデにスヴェンも顔を顰めた。

 拘束は愚か不用心に武器を取り上げずオフィスに通されたのだ。彼女が何を思って危険な真似を犯しているのか、

 

「拘束もせず俺を連れて来るなんざ不用心だな」

 

 わざとらしく肩を竦めて問い掛ければ愚問だと言わんばかりに顔を見上げた。

 

「貴方が大人しく連行された時点で拘束の必要性は無いと確信したわ。それに国連から発行された貴方の依頼は既に消滅、私と貴方が戦う理由はもう無いでしょ」

 

 確信から来る絶対の自信、そして自身がガンバスターを一度引き抜けば瞬時にこちらを無力化する術が彼女には有る。

 オフィスの本棚、壁や天井の至る所に設置された襲撃者迎撃装置に肩を竦める。

 

「ああ、もう俺がアンタを狙う理由は無くなった。だがアンタには俺を殺すだけの理由は有るはずだ」

 

 以前依頼によってエルデを襲撃した危険人物として。多くの部下を殺害した仇としても。

 それでもエルデは復讐とは程遠い眼差しで答えた。

 

「私が貴方を殺す理由なんてないけど?」

 

 理由はある筈だが、彼女の中で既に部下の戦死に対して折り合いが付いているということか。

 

「……そうか。そういえばシャルナとジンから聞いたが、アンタとあの女は手を組んでたそうだな」

 

「あーそれはもう切れたよ。彼女が勝手に傭兵を雇った時点でね。シャルナ達を向かわせたのもテロリストの排除のためよ」

 

 あくまでもテロリストの排除と語るエルデにスヴェンは得心した。

 自身は戦争が続く世界を望み依頼を請け、覇王エルデと交戦した。

 彼女は戦争が無い世界を望み抵抗した。自分と彼女は決して相いれない関係なのだ。

 だがそれでもスヴェンは世界統一を果たしたエルデにサイドポーチから取り出したメモの紙束を渡す。

 机に置かれた紙束にエルデが訝しむ。

 無理もない、技術進歩によって紙媒体を必要としない現代で紙束を見るのは珍しいだろう。

 本来なら用紙サイズの大きい物にまとめて渡したかったが、返還時の制約に引っ掛かってしまうからメモ用紙に纏める他になかった。

 

「これは……紙なんてアーカイブでしか見たことないけど。まさかこれ、お土産のつもり?」

 

「俺がアンタに土産を渡す関係でもねぇだろ。必要ねえかもしれねえが、そいつは農産業に関わる資料だ」

 

 それを伝えるとエルデは眼を見開きすぐさま資料に眼を通し始めた。

 しばらく資料に眼を通したエルデは、こちらに笑みを浮かべて。

 

「ありがとう、これは具体的で分かりやすい貴重な資料だわ」

 

 素直な礼にスヴェンは頷く。

 

「そいつは責めての詫びだと思ってくれりゃあいい」

 

「シャルナが言っていた通りね。真面目で義理堅いなんて、貴方はけっこう損する性格してるわ」

 

「傭兵にとって信頼こそが大事だからな……いや、もう俺は傭兵でもねぇなんだがな」

 

 もうこの世界で傭兵は必要とされない。だからリサラが雇った傭兵部隊は大人しく拘束を受け入れたのだ。

 最後の戦場が終幕を迎え、傭兵を必要とする戦場は終わった。

 傭兵と呼ばれる職業、人種は戦場の終幕と共に死んだ。

 それにデウス・ウェポンはエルデによって変わった。

 彼女の真っ直ぐで強い意志が国連と企業連を討ち破り、ついに世界を、人類を戦争経済から脱却させたのだ。

 スヴェンはあらましの経緯と顛末をシャルナ達から聴いた上で、改めてエルデを見詰めた。

 

「傭兵でも無くなった貴方はこれからどうするつもり? 行く当て、生き方が判らないなら私の下で働いてみる?」

 

「爆弾魔を雇ってる辺り人材不足なのは察していたが……悪いな俺にも後始末が残ってんだ」

 

「後始末……先程デウス神から送られた情報と関係してることね」

 

 デウス神が何をエルデに知らせたのかは知らないが、

 

「あの女が最後に余計な火種を遺したからな、奴の研究施設は破壊しなきゃなんねぇ」

 

 スヴェンがこの世界でやるべき事を伝えるとエルデはしばし思案する様子を見せ、やがて机の引き出しから粒子端末を一つ取り出した。

 それをこちらに投げ渡し、粒子端末を受け取ったスヴェンは疑問を浮かべる。

 

「コイツはただの粒子端末に見えるが……?」

 

「見ての通り単なる粒子端末よ、ただ中身は既製品とは違うわ。その端末の中にはデウス神がインストールされてるの」

 

 スヴェンは粒子端末を起動させると3Dディスプレイにデウス神とアプリアイコンが映しだされた。

 機械仕掛けの身体に自身の意識を転送した神ーーデウス神はスヴェンを見つめ、

 

「やあ傭兵ID.D871385.スヴェン。3年に渡るテルカ・アトラスの生活はどうだった?」

 

 全てお見通しと言わんばかりに機械音声でそんな事を問い掛けた。

 

「……悪くはなかったな」

 

「ふむ、心境に変化を感じるね……ああ、どうやら本当に悪くなっかたようだ」

 

 スヴェンは約束した。またテルカ・アトラスに帰ることを、だからその為にもリサラが遺したあの世界の座標データと研究データは破棄しなければならない。

 恐らくエルデがこの端末を渡したのもリサラの行動を察知してのことだろう。

 

「コイツの中にアイツの研究所が載ってんのか」

 

「えぇ、デウス神をサポートに付けるから早急に片を付けて来なさい……貴方のクローンなんて遺して置くわけにはいかないから」

 

「え?」

 

「え?」

 

 はじめて互いの認識にズレが生じている事を察した二人はしばし沈黙を浮かべ。

 

「確認するけど、リサラの研究所になにしに行くの?」

 

「俺が召喚された異世界の座標データの削除及び拡散を防ぐ為にだ……いや、クローンも始末するがな」

 

「……はぁ〜異世界の座標データの件も頼むわ。それが済んだら貴方はどうするつもり?」

 

「俺は異世界で居場所を、帰るべき場所を得た。なんてことはねぇ当たり前の場所だが、俺にとって家族と呼べるアイツらの場所に帰るさ」

 

「なるほど、良い出会いが貴方を変えたのね。もうあの時の傭兵スヴェンは居ないってことか」

 

「ああ、もう傭兵スヴェンは必要ねぇだろう。世界から戦場が無くなった以上、傭兵としての俺は死んだも同然だ」

 

 いま此処に居るのはテルカ・アトラスのレーナと召喚契約を交わしたスヴェンだ。

 傭兵としての自身は最後の戦場で彼らと同じく死んだ。いや、戦場が無くなろうと本質は変わることは無いが新しい生き方を歩むには丁度良い。

 

「そう、なら事が終わったら貴方の登録データ諸々はこっちで完全消去しておくから。そっちもリサラの研究データも完全消去して起きなさい」

 

「ああ、任せろ」

 

 スヴェンはそれだけエルデに告げ、粒子端末をポケットにバベルタワーから立ち去った。

 そして用意されたメルトバイクを走らせリサラの研究所を目指す。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 ハイウェイを時速百五十キロで走るメルトバイクとすれ違う家族乗せの車両。

 一瞬だけ見えた笑顔で笑い合う家族の光景にスヴェンは改めて覇王エルデが成し得た偉業を嫌でも実感する。

 空を悠々と飛ぶ飛行船モニターでのエルデの方針と方策に対する報道が都市に響き渡る。

 相変わらず都市の外壁には砲台が鎮座しているが、まだモンスターの脅威が有る以上は人類は本当の意味で武器を棄てる日は訪れない。

 もしかしたらエルデならモンスターと、星と共生する未来を築けるかもしれない。

 

「クローンに必要な遺伝子データは吹っ飛んだと思っていたが」

 

 国連による戦争によって種を貯蔵していた保管庫が消し飛んだのは戦争に携わる者が知っている真実だ。

 だがデウス神の本体、遠い遥か昔に人工衛星として打ち上げられた機械神の身体の中に保存されていたなら説明が付く。

 スヴェンがそう推測を浮かべるとメルトバイクに装着した粒子端末からデウス神の機械音声が響いた。

 

「君の推測通りさ、ただ我が君に語ることは多くはない。それよりも君宛にメッセージが届いているがどうする?」

 

「ウィルスや自爆プロセスが仕込まれてねえなら読み上げてくれ」

 

「……そこまで警戒するのは、いや実際に君は過去十度に渡り仕込まれていたねーーまあ危険な無いから安心したまえ」

 

 穏やかな機械音声にスヴェンは頷き、メルトバイクを真っ直ぐ走らせる。

 

「メッセージ音声と映像を再生、『は〜い兄貴、さっき振りだけど伝え忘れていたことが有ったのよ』」

 

 スヴェンは片目を粒子端末に視線を移す。

 シャルナと彼女の自宅らしき部屋をホログラムで映し出された映像に首を傾げた。

 伝え忘れが何か、なぜわざわざ自宅らしき部屋でメッセージを送ったのか。

 いや、シャルナとジンの関係性を考えればすぐに分かることだ。

 付き合っていた二人が結婚まで至ったのだと推測したスヴェンは息を吐く。

 わざわざ結婚報告などしなくともいいと思うのだがっと。

 

「『ほらおじさんにあいさつしなさい、リンネ』『はじめましておじさん、わたしはリンネ。お母さんとお父さんの娘だよ』」

 

 シャルナの隣に現れリンネと名乗る子供に電撃が走ったような感覚がスヴェンを襲う。 

 動揺がメルトバイクの制御を誤らせ、車体がバランスを崩す。

 スヴェンは動揺からバランスを崩しかけたメルトバイクを急ぎ立て直し深いため息を吐いた。

 結婚は予想していたが、予想を飛び越えて子供が産まれていた。

 目の前に映し出されるリンネの容姿は確かにシャルナとジンの二人から受け継いでいる。それは紛れもない二人の子供だと証明する証だ。

 スヴェンは事実を受け入れる。

 

「まさか爆弾魔にガキが産まれていたとはな。……いや、こう告げるべきなんだろうな」

 

 シャルナを今でも義妹と受け入れることも認識もできないが、知人として戦友として二人に祝福の言葉を送ることはできる。

 スヴェンはたった一言を告げた。

 

「おめでとう」

 

 送信されたメッセージに告げた所で当人には伝わらないがそれで良い。

 仮に直接伝えようものなら正気を疑われていただろう。

 

「『ああ、それと兄貴がいま乗ってるであろうメルトバイクには粒子崩壊爆弾を積んで置いたから有効に使ってね』」メッセージを終了」

 

 スヴェンはシャルナの贈り物に口元を歪めた。

 これから向かうリサラの研究所のことだ、何かしら仕掛けを遺しているだろう。

 メルトバイクの向かう先、ハイウェイから都市の郊外に抜けーー荒廃した大地に光学迷彩で隠された研究所。

 スヴェンはメルトバイクから降り、シャルナの贈り物を取り出す。

 粒子崩壊爆弾、モンスターに奪われないギリギリを攻めた人類が扱える大量破壊兵器。

 それは掌サイズの丸い球体だが、一度起爆装置を押せば粒子臨界をはじめたちまち粒子崩壊を招く極めて危険な兵器だ。

 取り扱い注意とはよく言うが、起爆装置作動から粒子臨界を始めるまで三十秒の猶予が有る。

 スヴェンは粒子崩壊爆弾をサイドポーチにしまい、光学迷彩に隠された研究所に歩む。

 

「さて、ハッキングを仕掛けて光学迷彩を解除しねぇとな」

 

 スヴェンが粒子端末のハッキングモードを起動せると端末の中のデウス神の姿が消える。

 

「ふむ、この程度のファイアウォールで神の侵入を阻もうとは片腹痛い」

 

「アイツはデウス神が協力するなんざ予想してねぇだろうよ」

 

 通常デウス神は人々の身近で生活を観測しているが、人類の行動に対して研究指針や行動方針、課題を提示するだけで基本的には放任主義だ。

 流石にリサラもこれは予測し切れないだろう。いや、実際にはリサラの捻じ曲がった思考回路にデウス神が浮かんでいたかどうかすら怪しい。

 スヴェンがそんな事を考えている間に光学迷彩は解除され研究所の入り口が現れた。

 スヴェンは目前に有る鋼鉄の扉を開け、堂々と研究所内部に踏み込んだ。

 いつもなら真正面から侵入せずダクトか別ルートから侵入するが、こちらの動きを熟知した手合いが相手ならわざわざ知れ渡った手口を使う必要はない。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 研究職員の気配が一切感じられない廃棄当然の研究所施設の通路をスヴェンはデウス神の案内に従って進む。

 

「次は五メートル直進ののち、右手の通路に曲がるんだ」

 

 通路を駆け抜けながら指示通りに進む。

 順調な歩み。もうすぐ目的の部屋に到着する頃合いだが、一度も防衛システムによる迎撃も何も無い。

 機械の駆動が聴こえている辺り、施設が今でも稼働していることは間違い無い。

 

「何もねぇ筈が無いんだがな」

 

「セキリュティプログラムの中にスヴェン以外の侵入者に対する迎撃システムを発見した」

 

「何の為に俺をわざわざ招く? それだけ俺のクローンを見せてえのか」

 

「彼女の思考回路は狂っている。我でも胃もたれを起こすような思考だ」

 

 スヴェンはアンタに胃なんか無いだろ。そんな出掛けた言葉をグッと呑み込み速度を速める。

 そして目的の部屋が目前に迫り、扉をガンバスターで斬り裂く。

 照明が落とされた暗闇の部屋に踏み込んだスヴェンは、部屋内部から確実に感じる複数の視線と殺意にガンバスターを握り締める。

 そして突如部屋の照明が点灯し、部屋の中心に並べられた試験管群にスヴェンは唾を吐き捨てた。

 培養液に浸された自身のクローンがこちらを睨む。

 冷たい瞳から感じる殺意だけの感情、それはまるで戦場に居る自身と同じ感情だけを浮かべる自身のクローンにスヴェンはガンバスターを構える。

 まだ培養液から出られない不完全なクローン、生命体としても人間としても欠陥を抱えた出来損ない。

 出来損ないの遺伝子を基に生み出したのだからそれは当然とも言えるだろう。

 スヴェンは試験管群に躊躇なく一閃を振り抜く。

 薙ぎ払われた一閃が試験管群を薙ぎ払い、中身ごと斬撃が斬り裂く。

 培養液に混じった鮮血と両断されたクローン共の死体が硬い地面に落ちる。

 

「他にクローンは?」

 

「いいや、極秘で進めた研究では数体のクローン製造が限界さ。次はテルカ・アトラスの座標データの抹消、そこの中央端末を起動したまえ」

 

 スヴェンは指示通りに中央端末に近付く。

 随分と古い端末にスヴェンは、

 

「古い型だな、何世代前の端末だ?」

 

 デウス神に問い掛けた。

 

「これは……旧世代の端末だね。まさか原型を留めた端末が残ってるなんて意外だ」

 

旧世代の端末という事は現在使われているデウスネットワークから独立していることは間違いない。

 だがそれでもデウス神なら簡単に端末からデータを抹消する事は可能だ。

 スヴェンは端末を起動させ、コンソロールパネルを動かす。

 

「起動させたね。じゃあ後はこっちの仕事だ」

 

 そう言ってデウス神は端末の中に侵入し、端末の画面にテルカ・アトラスの座標データと魔力に関するデータ数値が映し出される。

 

「独学で計算したとはね。ああ、なるほど不用心に削除すれば予備端末から一斉に全端末に拡散される仕組みか」

 

「あの女が考えそうなことだな……ん? 施設破棄の自爆装置だと?」

 

 研究所から情報漏洩を防ぐ為に自爆装置は付き物だが、リサラにとってテルカ・アトラスの座標データは拡散されて嬉しいものだ。

 つまり自爆装置は罠だ。何も考えずに起動させてもデータが拡散される。

 

「あの女にしてはあからさまだな」

 

 端末からデータが削除され、粒子端末にデウス神が戻った。

 スヴェンは端末の側に粒子崩壊爆弾を置き、

 

「これで確実にデータは抹消されたのか?」

 

 念の為にとデウス神に訊ねる。

 

「むろんさ、彼女が遺した全予備端末から座標データとついでにスヴェンに関する遺伝子研究とクローンデータも全てね」

 

 デウス神に愚問な質問だったとスヴェンが肩を竦めるっと、突如施設に警報が鳴り響く。

 

『データの削除を確認、音声データを再生』

 

 施設のスピーカーから響く機械音声にスヴェンの眉が歪む。

 

『ようこそ私のスヴェン。私とスヴェンの愛の結晶たる子供達は気に入ってくれたよね? なにせ私と君の子供なんだもん』

 

 狂愛混じりの聴き慣れた声にスヴェンはスピーカーに向かってガンバスターを叩き込んだ。

 

「『予測パータン5.『酷いなぁ、私の愛のメッセージを途中で中断するなんて』」

 

 事前に登録されたパータンデータから選ばれる音声データ。

 彼女なら発言に対する音声データも遺しているはずだ。そう考えたスヴェンは端末に向かって言う。

 

「ハッ、アンタが遺したデータは全て消した。このまま死ねクソ女」

 

『……へぇ、それなら貴方も道連れ。さあ私と地獄で一生愛し合いましょう』

 

『施設の閉鎖を開始、自爆装置起動』

 

 機械音声のアナウンスと同時に隔壁が降り、ノック音が至る所で響き渡る。

 研究所内部で鳴り響く警報と振動、天井から降る埃にスヴェンは粒子端末に視線を移す。

 

「解除は無理か」

 

「うむ、自爆装置の起動そのものは別端末から操作されたもの。これが彼女が遺した最期のトラップ……スヴェンの勝ちだ」

 

 リサラは知らない。自身がレーナと召喚契約を結んだことも、いつでも自分の意志一つでテルカ・アトラスに帰れることも。

 しかし帰るのは簡単だが、せっかくシャルナが贈った粒子崩壊爆弾を使わない手は無い。

 コレの起動で自身の最後の仕事を完遂とし、スヴェンの死を明確なものにする。

 スヴェンは背中のガンバスターを鞘ごと外し、床に突き立てる。

 世話になった相棒を此処で手離すのは名残惜しい。

 戦場を共に駆け抜けた最愛の相棒に万感の思いが巡る。

 スヴェンは床に突き立てたガンバスターに小さく別れを告げ、躊躇いもなく粒子崩壊爆弾の起爆装置を押した。

 

「さよならだ、デウス神」

 

「うむ、もしもアトラス神に会うことが有ればよろしく伝えてくれ。ああ、それと邪神にもね」

 

「人の一生で神々に遭う機会なんざ無さそうだが、覚えておく」

 

 スヴェンは臨界を始める粒子崩壊爆弾を一眼見てから眼を瞑った。

 自身の意識を下丹田の魔力に集中させ、意志をレーナの召喚契約に向ける。

 そして刻まれた魔法陣を起動させ、スヴェンは粒子崩壊を始める研究所からーーこの日、孤狼と呼ばれた傭兵スヴェンはデウス・ウェポンから消息を絶った。



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30-8.傭兵、異世界に帰還する

 映像に映し出されたクレーター状に抉り取られた大地にエルデは息を吐く。

 空気中に散布された粒子が漂い、破壊の爪痕が鮮明に映り出される光景。

 アレでは生存者は絶望だ。

 これがスヴェンが選んだ選択。

 リサラの研究施設ごと粒子崩壊爆弾による消滅。

 エルデは端末越しに響く声に耳を傾ける。

 

『兄貴に躊躇いなんて言葉は無かったけど、まさか自分ごと巻き込まれるなんてね』

 

 悲しんでいるのか、それともスヴェンには大した思い入れが無いのか淡白な声だ。

 

「あら、少しは悲しんだら?」

 

『これでも悲しんでるわよ。ただ、娘の前だから我慢してるだけ……あの子は兄貴に会うことを楽しみにしてたのよね』

 

 ああ、なるほど。彼女も一人の母親として。スヴェンの身内として死を惜しんでいるのか。

 それなら粒子崩壊爆弾をスヴェンに渡すべきでは無かった。 

 だがスヴェンなら臨界前に脱出できた筈だ。

 仮に脱出できたなら何処かで生存しているはず。

 それとも彼は戦場の無い世界に生きる意味を見出せず自爆を選択したのか?

 デウス神はスヴェンの最後を頑なに語ろうとしはしない。

 彼の意思を尊重して。その一点張りでスヴェンに関する質問には黙りだ。

 

「……意外だったわ」

 

『なにがよ?』

 

「スヴェンがあっさり死んだ事によ」

 

 消えたかと思えば異世界に召喚され、そしてまた戻って来た彼が簡単に死ぬとは俄かに信じがたい。

 それでも粒子崩壊爆弾によって消滅した研究施設が結果を告げている。

 

『確かにあの兄貴らしくない。ましてやあの女の後追いをするような真似なんてしないわ』

 

 ならシャルナの言う通りスヴェンは今も生きている。

 脱出の方法、何処へ行ったかは分からないが直感が生きていると告げている。

 それならそれで構わない。スヴェンが何処で生きようとも彼の自由だ。

 誰にも彼の人生を縛る権利など無い。

 例え、育ての親だとしてもデウス神であろうとも。

 エルデはスヴェンの行動にデウス神が一枚噛んでいるっと悟った上で、

 

「貴女達はこれから運び屋を営むのでしょう?」

 

 話題を切り替えた。

 

『そうよ、兄貴にもリンネのお守りを任せようかと思ってたんだけどね』

 

 それはそれでスヴェンが嫌がりそうだが。

 

「リンネちゃんのお守りなら任せて」

 

『嫌よ、アンタは甘やかしそうで任せられないわ』

 

 甘やかす自信と確実にそうする確信が有るからこそエルデは沈黙した。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 デウス・ウェポンから自分の意志でテルカ・アトラスに再召喚されたスヴェンは自身を囲むエルリア魔法騎士団と玉座に座るオルゼア王にため息を吐く。

 最初に召喚された時は疑念と混乱から警戒心を剥き出ししていたが、もう自分はそうする必要もない。

 此処に居る全員、陰に隠れているアシュナ達からこちらを害そうとする意志など一切感じられない。

 むしろオルゼア王の穏やかで悪戯心を宿した眼差しに騎士は笑みを堪えている始末だ。

 スヴェンは両手を挙げ、念の為に確認を込めて訊ねる。

 

「ここはエルリア城、レーナに召喚された異界人スヴェンが呼び出された場所で間違いないな」

 

「うむ、此処は間違いなく貴殿が召喚されたテルカ・アトラスのエルリア城で間違いないぞ」

 

 同じ世界と言えども無数に平行世界が存在する。その最たる例がミントが視た絶望の未来だ。

 再召喚事態が元の場所に帰るかの賭けだったが、スヴェンは賭けが成功した事に笑みを浮かべる。

 

「って事は俺は戻って来れたんだな」

 

「ああ、安心するといい。貴殿が返還された日から3ヶ月経っているが誤差の範囲だろう」

 

 デウス・ウェポンに一日と滞在していなかったが、テルカ・アトラスと次元の距離が遠いことが起因している。

 スヴェンは自身の召喚時のことを思い出しながら息を吐く。

 

「あれから3ヶ月ってことは今は8月か」

 

「うむ、丁度レーナが空中庭園でミアと貴殿の家族と旅行に着いて話し合っているところだ」

 

 護衛を頼むためかっと考えたスヴェンはオルゼア王に深々と一礼する。

 

「遅くなったが、俺は今日からこの国の人間として生きて行く」

 

「よい、平民として住民登録はこちらで済ませておこう」

 

「手間をかけさせる」

 

 スヴェンは振り返りると騎士団が道を開け、歩き出すと壁側で笑みを浮かべるフィルシス達と目が合う。

 スヴェンは眼でまた世話になるっと伝え、謁見の間を静かに立ち去った。

 そして廊下を何食わぬ顔で進み空中庭園に足を運ぶ。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 夏の日差しに照らされた花壇の花々が輝き、レーナ達の楽しげな声にスヴェンは気配を殺した。

 いつもなら堂々と近寄るのだが、改めて帰って来て再会するだけの筈が妙に恥ずかしい。

 どんな顔をすればいいのか判らないが、

 

「悩むのも性に合わねぇか」

 

 スヴェンは考えることを辞めて気配を押し殺したまま談笑するレーナ達の下に近付く。

 いち早くこちらを発見したレーナとエルナが眼を見開き、小首を傾げるミア達の背後に立ったスヴェンは彼等に言う。

 

「あー、ただいま」

 

 当たり前のあいさつだが、スヴェンにとっては新鮮で慣れないあいさつを口にするとミア達が一斉に椅子から弾かれるように立ち上がった。

 そしてエルナ、ラウル、ロイがこちらに勢い任せに抱き付き、

 

「うおっ!」

 

 スヴェンは倒れまいと三人を支え受け止めた。

 

「あり? お兄さんが帰って来たら押し倒そう計画が失敗しちゃったよ」

 

「アニキを驚かせたくてタックルの練習したんだけどなぁ」

 

「助走と勢い、何よりもスヴェンの力強さには足りなかったか」

 

 一体なにを練習しているんだ? スヴェンは呆れた視線を抱き止めた三人に向けると彼らは花のような笑顔を浮かべて笑った。

 家族の笑顔の前にスヴェンは頭に浮かんだツッコミがアホらしく思えて、口を閉じると突如衝撃が身体を襲う。

 三人を支えた状態で足がもつれ、スヴェンはエルナ達とと共に仰向けに倒れた。

 何事もかと視線を向ければ三人の間に加わったミアにスヴェンは深いため息を吐く。

 

「何してんだよ」

 

「私も抱擁したくて」

 

 ーーだからってわざわざ押し倒す必要性は有るのか? しかも夏の日差しが照らす空中庭園で。

 スヴェンは燦々と煌めく青空を見上げ、

 

「……まあ寝転んで空を見上げるのも悪くはねぇな」

 

 花弁が舞う空を悪く無いと零すっとエルナとミアが胸筋に指先で突く。

 

「お兄さん、美少女2人の抱擁付きだよ? もっと喜びなよ」

 

「スヴェンさん、此処にレーナも加わるんだから覚悟してよ?」

 

 スヴェンは佇むレーナに視線を移すと彼女は悪戯心を宿した笑みを浮かべ、こちらに手を差し出した。

 差し出された手を掴んで立ち上がるとスヴェンの身体が引っ張られ、レーナの抱擁が全身を優しく包む。

 

「おかえりスヴェン」

 

「お、おう……改めてになるがただいま」

 

「えぇ、待ってたわ。みんな貴方が帰って来る日を」

 

 自身の感覚では一日しか経過していないが、レーナ達は三ヶ月を過ごした。

 

「そうか、アイツらにも寂しい想いをさせちまったな」

 

 スヴェンは背後に立つラウル達に視線を移すと、背後から四人に抱き付かれーー引っ付き過ぎだろ!

 五人から抱擁されることになったスヴェンはどうすれば正解なのか、いや何が正解なのか分からないままただ家族と自身を想い続ける二人の少女から抱擁を受け続けた。

 いま、この静かな時間が心の空虚と欠落を埋めスヴェンの心に温かさが宿る。

 

 ああ、これも悪くないな。スヴェンは心からレーナ達に笑顔を浮かべるのだった。

 もう殺しばかり続ける傭兵スヴェンは居ない。

 此処に居るのはテルカ・アトラスのレーナ姫と契約を結んだただのスヴェンだ。

 

 ーー 傭兵、異世界に召喚される 完 ーー

 



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