負完全『ルーザー・ブレット』 (蘭花)
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一章 神を目指した者たち
1『十年前』


これを投稿する数分前に誤って投稿した誤作がありますが、失敗ですので気にしないでいただけるとありがたいです!(知っている方に報告)
何を言っているか分からない方は「ああ、この作者盛大にやらかしたんだな」と生温かい目で
見守っていただければ幸いです!


※安心院さんのとこのみめだかボックス既読推奨


 何の音も響かない。

 

 何の音も聞こえない。

 

 殺風景でどこか色()せて見える教室の唯一用意された生徒用の椅子に腰掛け、球磨川禊は意識を取り戻した。その室内には本当に何も無く、あるのは一つの教卓と一つの机椅子セットと、それに座る自分だけだった。

 

 つい今し方までは。

 

「やっほー、お久しぶりだぜ球磨川くん。相変わらず幸薄そうな顔してて何よりだよ」

 

 忽然と、そんな軽快な声が響いた。途端にモノクロ一色だった一室の風景が一変し、息を吹き返したように色付き始める。彼女(・・)なりの演出、といったところだろうか。

 

「『……』『やぁ、安心院(あんしんいん)さん』」

 

 目の前に現れた少女の名を呼ぶ。それに応答するように、教卓に堂々と座る少女は脚を組み、口端をにこりと微笑ませた。

 腰より先まで長く伸びた濃い茶髪、まるで物事を全て完結(コンプリート)させたかのように見据える双眸、何人にも口答え一つ許容しない美貌に、ぱっとしない平凡なセーラー服。街中を探せば意外と普通に歩いていそうな見た目だ。

 

 彼女の名は安心院(あじむ)なじみ。

 

 何に対しても完璧なまでに平等で公平で、全てを押し並べて見下す『悪平等(ノットイコール)』である。

 

「さーてさて球磨川くん。理解出来てると思うけど、君はまたお亡くなりになっちゃったわけだね」

「『それ以外に此処に来る理由が無いんだけど』」

 

 突然に、冗談めかした口調で亡命を伝えられた。だがそれも当然のことであり、球磨川が何らかの形で命を落とした際には、彼女が強制的にこの教室空間に意識を移動させるのだ。

 しかし、毎度のこととはいえ、今回はそもそも死んだ覚えが球磨川にはない。というよりも、何をしていたかの記憶がかなりごっちゃになってしまっている気がする。

 球磨川がそのことを視線で訴えかけると、安心院は飄々と肩を竦めて困ったような表情を浮かべた。

 

「いやいやそんなに怒らないでくれよ、まぁ怒ってないんだろうけど。ちょっと楽しみたいがための悪戯に過ぎないってば」

「『安心院さんが悪戯って言うとゾッとくるよ』『怒ってないけど今の(・・)僕について知っておきたいかな』」

 

 せっかちな奴だなぁ、そんなんだからいつまでも彼女できないし禊ボックスが出ないんじゃないか、と安心院が溜息を吐く。

 

「作者がさっさと進めたいっていう願望も勝手に持っちゃってる訳だし、台詞一つで手短に済ませるぜ? まず、

 1ぼく暇になった

 2やることないのつまんない

 3そうだ!球磨川を扱き使って納得のいく物語を創ろう!」

「『いやちょっと待ってなんかおかしいよね?』」

 

 どういう下りでそんな考えが浮かぶのか、一度彼女の頭の中身を覗いてみたいものだと球磨川も溜息を吐く。その気になれば彼女の方から脳味噌ごと直視させていただけそうなものだが、碌な事になりそうもないので思考を切り捨てた。

 

「いいから聞きなって。

 4でも箱庭学園で大分良い思いをした彼じゃあ絶対誘いには乗ってくれ……あぁ、強制すればいいんだっけ

 5そういえば球磨川くん一回めだかちゃんとの賭けに勝って終わってなかったかな?

 6よし、彼のルーズライフでも眺めて楽しもうかなー、さてさてどこの彼を持って行こうか

 7三分考えたけど面倒になったので色々な時間軸からちょっとずつきみを集めました、はいお終い」

「『……うん、まぁ』『概ね予想通りでホッとしたよ』」

 

 とどのつまり、彼女の言うことをまとめると、暇潰し程度に球磨川はこれから負け生活を何処かで送る事になる、ということなのだろう。

 随分と勝手な話だが、逆らおうものなら有無を言わさずこの世からおさらばすることになってしまう。スキル1京近くの化け物に反論するくらいなら、ある程度のことは従っておいたほうが幾分楽なのだ。

 

「まぁあとは……きみが一回の勝利くらいで満足する男じゃあないってね。そろそろこの話も終わっちゃいそうだし、それに一話だけ異様なほど長いのもなんか変だからそろそろきみを飛ばすことにしよう。

 

 ―――んじゃ、こっちの押し付け都合で適当に世界を楽しんで、ついでに勝っておいで。遊び主催者(ゲームマスター)として、何時だって見てるよ」

 

 何時だって見ないでほしいけどなぁ、などと呟いたと同時に、球磨川の視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 

『ギイィィィィイィィィィヤァァァァァアァァァアァァ!』

 

 なにかの被弾とともに、爆発音とともに、大地を揺るがす絶叫に近似した咆孔が宙に響いた。

 

 戦火に焼き払われ、あらゆる建造物が不全な状態で抉り取られた荒れ果てた一つの都市。濛々と発ち込める異色の煙幕、空には星空の色一つ確認できず、どこまでもただ灰色と紅蓮が続いている。

 見上げれば、巨大な翼にクチバシ、トンボと鳥を混ぜ合わせたような巨躯をもつ巨大生物が飛行し、強烈なジェット音を響かせながら近くを飛行する戦闘機が何台か。先の爆発音は、その戦闘機が空対空ミサイル(AAM)を切り離し、それが巨大生物の横腹に直撃したことによって発生した音である。

 テレビの中、映像を通して見ることしかできないと誰もが思っていた、絶対にあり得ない光景が人類の視界に広がっていた。

 

 片翼がもげ、バランスを失った生物がほぼ半壊した都市目掛けて墜落してくる。

 都市の群衆は悲鳴を上げ、逃げる者、逃げ遅れた者、人の大群に押し寄せられた者、流される者、下敷きとなり様々な足に地面同様踏み台にされる者の全てが、ただひたすらに一つの意志を持った。

 

 ―――アレより遠くへ。出来るだけ離れろ。

 

 やがて生物は地面をこすり、激震と終わりを知らない速度で大地を抉りながら滑る。

 破滅的な大音響と共に幾多の建造物や仮設テントをまとめて薙ぎ倒しながら、生物は―――止まった。

 

 目と鼻の先にまで滑り込んできた生物をただ愕然と凝視し硬直する一人の少年、里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)は、生物の荒い息遣いとむせかえるほどの土のにおいを感じながらうっすらと目を開ける。齢6歳の小さな体には外傷は見られない。つまり、自分は生きているのだと認識する。

 それは奇跡としか言い表しようがなく、奇怪な生物は蓮太郎を巻き込み挽き肉にする寸でのところで止まった。これで尚自分は天に見放されているという者はいないだろう。

 

 だが、ただそれだけだった(・・・・・・・・・)

 

 眼前の生物はクチバシをこちらに向けた状態で倒れてはいるが、その命が尽きたわけではない。苦しそうに喘ぐ姿を見れば分かる、今もまだ生命活動をやめてはいないのだ。寧ろより近くにいることで、ある意味最悪の事態とも言えるだろう。

 本能的な咆孔、常識から大きく逸したその巨体、思考で動く色が全く見えない赤の双眸。ゆっくりと首を持ち上げるその姿は、獲物を狙う野獣のようだった。このままいれば補食されるのは一目瞭然だ。

 

 だが、生憎と今の彼には立ち上がろうと振り絞る力すら残されていない。

 

 

 目と鼻の先の危険生物―――『ガストレア』が蓮太郎の住んでいた地域に侵攻を始め、瞬く間に激戦地となったのは、今でもにわかに信じ難いことに一週間前の出来事だった。

 愛しの故郷は考える暇すら与えずに戦場と化し、今のこの荒れ果てた東京と同じような光景になった。空には紅蓮が広がり、戦闘機は飛び交い、見たことも無い奇妙な体をもつ生物は呻き声を上げ、毎日夥しい数の死者が出る。地獄とはこのようなことを言うのだろうかと、現実逃避に浸る者も少なくはなかった。

 

 まだ幼い蓮太郎は父に無理矢理に夜行列車に押し込まれ、知り合いの家まで送り届けられた。小さな体では何も出来ない上判断力にも欠けるため、最優先で運ばれたのだろう。

 父親は泣き叫ぶ蓮太郎を真剣な眼差しで見据えながら、こう言った。

 

 ―――『俺と母さんもすぐに行く』。

 

 果たして、彼の父親は言葉の通りに、母親とともに彼の下へとやってきた。……但し、小さい消し炭になって。

 両親の突然なる死を突き付けられた蓮太郎は、その言葉を断じて認めなかった。違う、この消し炭が父さんなわけがない、母さんなわけがない、と。

 

 誰も彼の必死の糾弾に頷く者はいなかった。

 

 暴走した彼は合同葬儀の最中に何度も絶叫し、空っぽの棺を見せつけ、しまいには暴れまわって屋敷から出て行った。何処の道のりをどの様な足取りで駆け抜けていったかなど覚えてはいない。ただ、その屋敷を抜け出した結果が“今”である。

 食べる物はない。恵んでくれる者もいない。気の穏やかな者もいない。路地の隅にへたり込む自分を気にかける者もいない。逃げた場所から逃げ出した場所はさらに苦痛の連続、食料はなし、今後の方針も定まらない、皆がガストレアに怯え、絶望に直面してもはや身動きすらも許されない。

 口に含む物が何もない蓮太郎を未だに生かせていたのは、“もしもこの絶望を生き残ることができたのなら、自分の手で両親を探し出そう”というほんの一握りの小さな希望だった。

 

 

 やがて生物はゆらりと身を起こし、赤く揺れるトンボのような眼で蓮太郎を見据えたまま口を開く。細長い舌が黄色いクチバシから覗き、シュルシュルと転がすように光る口周りを舐める。

 

 寄生生物、ガストレア。

 

 こいつのおかげで……いや、こいつのせいで。

 

 見上げることしかできない蓮太郎の心に憎悪の感情が募り―――

 

 

 

 ―――なにかが、視界を横切った。

 

 

 

 ガギン、という鉄同士が擦れ合ったような金属音。生物の意思を悉く(ことごとく)阻害したなにかは、横槍と呼ぶに相応しい絶妙なタイミングで右から左に駆け抜け、韋駄天(いだてん)の如く視界から消え去り、生物のクチバシの先端部分を粉々に打ち砕いて抉り取った。

 

『ギエェェェェエェェェ!?』

 

 突然の奇襲に混乱した生物が、首を回して乱暴に辺りを見回す。どこからの狙撃か、それとも近距離から戦車砲でも放ってきたのか。蓮太郎も竦みながら思案してみたが、どれもしっくりこない考えばかりだった。

 そもそも、飛んできたものの大きさが弾丸や砲台なんてレベルではない。首を傾けて左を見ると、生物に劣らない大きさの鉄の色をした塊が地面に突き刺さっていた。

 

 これがなにか、彼は知っている。螺子(ねじ)というものだ。

 

 丸い見た目にプラスの凹んだ印、この角度からでは視認できないが螺旋状の針のような形態が続いていたはずだ。大きさからすれば、それは生まれて初めて目にする異様な物体だった。

 誰がなんの陰謀で、そのようなものを使ったのか。そんな疑問も消し飛ぶほどに、突然の急な事態に蓮太郎は困惑していた。

 

『エ゛!?』

「……?」

 

 しかし、さらなる驚愕が姿を現す。

 片翼がもげたことを除けばほぼ無傷だった生物の巨躯が、だんだんと銀色に埋め尽くされていったのだ。輝きを放たない、目立ちもしない、(すす)けたような銀色に。

 

 ぼやける視界を凝らすと、全てが螺子(・・・・・)だった。

 

 先程通過した巨大なものではなく、一般的に知られている程度の大きさのプラス螺子。秒を重ねるごとにキャンパスに絵の具をぶちまけるように、悲鳴を上げていた生物は全身が銀色で埋め尽くされた。人の手に収まる螺子に何千何万と数えられない本数を叩きこまれ、生物は―――立ったまま銀の置き物(オブジェ)となって絶命した。

 

「『間一髪の銀の嵐!』『……かと思ったけど、タイミングがそうでもないね』『ヒーローや英雄や出来の良い主人公ならもっと上手く敵を倒せたんだろうけど、僕じゃあやっぱり無理みたいだ。』『なんか螺子だらけで気味が悪いし』『倒したのもたかが一匹だし』『都市もこんな惨状だし』『まぁ』『ある意味素晴らしい登場ではあるよね!』」

 

 虚構(・・)

 不意にそう思わせる不気味な声がした。まるで、毒物に上から泥でも固めたような声音。言葉が何かに囲われている。

 

「『ん?』『ああ、人がいたんだ』『きみ、大丈夫だった?』『きみがもし五体満足じゃぁないというのなら、僕がとどめを刺してあげるけど?』」

 

 物騒な言葉をつらつらと調子よく述べる声がする方を向くと、煙の中から『人間が』現れた。

 見た目と顔立ちからしておそらく十七歳前後の男、ピシリと細い腕が通された学ランには傷どころか汚れ一つなく、青黒い両の眼と癖のある跳ね方をした髪も、同様に土埃すら付着していなかった。

 何より不思議なことは、その男がぶらぶらと揺らす片手に1メートルはあろうという大きさの螺子を掴んでいたことだった。

 男はつまらなさそうに肩を竦め、おどけた笑みを蓮太郎に向ける。

 

「『やれやれ、この事態に残ったのは逃げ遅れと踏み台にされた老いぼれと若僧ときみと僕だけかい』『なんとも人間の危機察知能力というか、逃げ足が速いというべきか。』」

 

 そこまで言うと男は口を裂けたように歪ませて笑みを作り、持っていた螺子を地面に突き刺し、誰かに弁明するかのような口調で言葉を吐き捨てた。

 

「『まぁいいや』『ここは僕の故郷でも何でもないしそんなに思い入れがある場所でもない』『知ってる人もいないし何が起ころうと知ったことじゃない』『だから』」

 

 

 

 

 

「『僕は悪くない。』」

 

 

 

 

 

 背筋に物凄い悪寒が走った。人間の憎悪などとは比べものにならない負の感情の塊に、蓮太郎は吐き気を催した。

 なんなんだこの男は、ガストレアなんかよりも危険なんじゃないのか。そう思わせざるを得ないほどのマイナスな気迫に溢れていて、言動の一つ一つに現実味がまるで感じられなかった。

 

 男はふと思い出したように手をポン、と打ち、『そういえば』と言って苦笑する。何が可笑しかったのだろうか。

 

「『きみの名前を聞いていないということを思い出したことを思い出したよ。』『名前を教えてもらってもいいかな?』」

 

 初めて自分に向けて投げかけられた言葉。やはり現実味の欠片もない幻影にに包まれたような声は、耳に上手く入らなかった。

 枯渇した喉になんとか声を通し、苦しい胸を押さえながら言う。

 

「……里見、蓮、太郎……」

「『ふんふん、「里見、蓮、太郎……」くんって言うんだね』『随分とおかしな名前だけど覚えたよ!』」

 

 この緊迫した空気と惨状の中、何故ふざけられるのか理解できない。

 一体何者なのかという意味も込めて疑惑の視線を送ると、男は再びポン、と手を打って身振り手振りのジェスチャーで「忘れていたよ」と表現した。

 

「『自己紹介はお互いがしないと終わらないんだったね。』『僕の名前は球磨川(くまがわ)(みそぎ)

過負荷(マイナス)の頂点にして底辺に君臨し、堕落する男だよ』」

 

 それだけ言うと、球磨川という男は踵を返して煙の中へ溶け込んでいく。同時に蓮太郎の意識も薄れ、次第に狭くなっていく視界の中で男の名前を反芻(はんすう)しながら意識を手放した。

 

 

 

 

 

 ―――十年前の出来事だった。

 

 球磨川禊、突然現れて去って行った男の不気味さは蓮太郎に一種のトラウマを植え付けたが、彼の中でその記憶が削れていくのにそう時間は掛からなかった。

 




思い立ってやってしまったクロスです。
大丈夫かなこれ、裸エプロン先輩が介入すると原作の崩壊が目に見え過ぎて困るんだけどという不安もありますが、…………うん、大丈夫だ、きっと問題ないさ(錯乱

いつもの文字数とかあまり決めてませんので、精々4000文字前後になるかと思われます。
あと安心院さんは基本裏方ウワナニヲスルヤメ(

こんなスタートで大丈夫なんだろうか(汗
ご意見、ご指摘等ありましたらどうぞよろしくお願いします。


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2『仮面の男』

文章中でやたらと仮面男と球磨川が連呼されます。ゲシュタルト崩壊に注意してください。ちなみに私は崩壊しました。


 時は流れ、世界中の混乱は静かな恐怖に変わり、開始因子と加速因子と呼ばれるペアが人類最後の希望となっていた。

 

 開始因子と加速因子。プロモーターとイニシエーターと一般的に呼ばれるその名称は、民間警備会社略して『民警』と称されるグループに属する者たちがペアで持つ職業名のようなものである。民警のみ、という訳ではないが。

 現在、時は二〇三一年。全世界にて勃発した寄生生物『ガストレア』の突然の襲来により、世界が恐慌で溢れ返った10年後だ。

 人々はガストレアの侵攻から逃れるべく、ガストレアの脅威的な治癒能力を唯一阻害し、無効化する金属塊『バラニウム』を使用した『モノリス』に囲まれた地域に逃げ込むことで、取り敢えずは滅亡の危機から免れた。モノリスは縦に一.六キロメートル、横に一キロメートルもある長方形の黒い壁。鉄塔の如く一定の間隔で点々と置かれ、その中にガストレアは侵入してこない。つまり、モノリスの中だけが人類唯一の世界(・・)でもあるのだ。

 現在日本でモノリスが設置されている土地は東京、大阪、北海道、仙台、博多の五つであり、活動領域である『エリア』と呼ばれるこの五か所にのみ、人類が怯えながらモノリスに閉じ籠って生活していた。

 他国も似たような状況になっており、日本は国土の八〇パーセントは既にガストレアの巣窟になっているのかもしれない。

 

 経済の復興にはそれなりの年月と労力と犠牲を払い、復興開始直後には関東区域でガストレアの襲撃に遭い多大な犠牲が出た『第一次関東開戦』、一年後に再びモノリス内に侵入したガストレアをバラニウムの弾丸で撃退するといった攻撃手段を得た『第二次関東開戦』と呼ばれる二つの開戦が起こるなど、休息の暇すら与えられない10年間であったとされている。

 また、『第二次関東開戦』において、東京エリアを守った証として二千挺の銃を溶かして作った記念碑「回帰の炎」が外周第40区に建てられた。

 

 

 そして10年過ぎた現在、やはりガストレアはモノリスを通り越して侵攻する種も存在し、それを駆逐し一掃する組織も結成されていた。

 

 

 十年かけて物凄い速度で文明の針を二〇二〇年前後まで取り戻した日本に存在するその組織は、安全区域(モノリスの中)に時折ふらりとやってくるガストレアを早期に狩り、パンデミックを防ぐ組織のことだ。

 民警にはペアで登録し、『実力』を数値化するためにつけられた順位がある。

 

 その名をIP序列―――国際イニシエーター監督機構(IISO)が規定、発行しているもので、倒したガストレアの数や挙げた戦果などに行われるランク付けの名称である。

 

 そんな恐怖の敵(ガストレア)に対抗すべくあらゆる方向に進化した世界には、最凶最悪の人物が存在した。

 

 あらゆる敵を細胞一つ残さない奇怪な殺戮法を繰り返す、行方不明でありながらも成果を挙げ続ける男。

 

 イニシエーターは不在という扱いになっているため、常に単独行動。

 

 プロモーターの通称は『負完全』。

 

 過負荷(マイナス)不幸(マイナス)惨め(マイナス)可哀想(マイナス)な、人類の“絶望”である。

 

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「『んっ』」

 

 鼻先にポツン、と雫が垂れた。

 反射的に空を見上げると、灰色の雲がどこまでも続いていた。

 

「『……雨、だねぇ』」

 

 そう意識した途端、目に見えるほどの小さな雨粒が休む間もなく降り注ぎ始める。

 

 ―――現在、球磨川は人類活動領域の『エリア』外である元岐阜県に潜伏中。

 

 べつにこれといった目的は無く、ただ『エリア』外の観光という名目で旅行もどきを繰り返している。10年の間に外国へ渡ったりした彼にとって、日本内というのは随分とちっぽけな世界に感じられた。

 『エリア』の外は一般市民からすればガストレア地獄。其処への人類の介入など、窮地に身を投じるに等しい。ましてや理由がただの観光など論外だ。

 

「『しかしまぁ』『10年間でよくここまで発展したものだ』『なんで人間っていうのは元通りにしないと気が済まないのかなぁ』」

 

 10年間様々な世界を見てきたが、これといって面白みのあるものは何もなく、得られるのは人々の絶望から感じた虚無感だけだった。この世界の人類はガストレアに敵意を剥き出しにし過ぎである。お蔭で誰一人として過負荷(マイナス)に見向きもしない。

 抱いている喪失感と絶望だけなら、『奪われた世代』の者たちは間違いなく球磨川と同種になる資格を得られるに違いない。

 

 だが、ただそれだけ。家族を、友人を、大切な人や財産や未来も過去も名誉も自我も貴い身分も誇りも何もかもをガストレアに奪われた人間は、球磨川ですら目も当てられないほどに哀れで滑稽だった。

 全てガストレアが悪い、あいつらさえ存在しなければ―――そんな憎悪に満ちた憤慨と怒りと憎しみを糧に日々を死体の如くのろのろと過ごす者は、大抵が10年前の精神崩壊と自我損失の後遺症、もしくは影響で常日頃から情緒不安定にあり、全国平均精神年齢は格段に低下していることだろう。

 二十歳の者は謳歌しきれなかった学生時代を嘆き、学業に励むべき生徒は皆精神状況が不安定。10年前の侵攻から生き延びた人類は、どこの国でもガストレア対策に悩まされ、慌ただしい様相を呈していた。

 

 思考能力の低下、自意識による決断力の低下、頻繁な精神の揺らぎ。突如現れた寄生生物に抉られた傷が深かったことが窺える。

 

 とはいえ、時に神視点で人類の発展の一途を見てきた球磨川にも、最大であり最もどうでもいい問題が解消されていなかった。

 

 安心院なじみ。

 

 暇潰しのためだけに人を『創り』、別世界に放り投げ、おそらく今現在も何処かで彼を怪しげな笑みで見守っているであろう人物。元から彼女の言動には不可解なものもあったが、これほど意味の無さそうなことはしなかった。その点においてはガストレアよりも億劫な謎が―――出来ればないでほしいところだ。

 

「やぁ、こんな場所で一人歩きとは面白い趣味をしているようだね」

「『……ん?』」

 

 不意に掛かった声に、視界に留まった虫を眺める程度の意識で顔を上げる球磨川。少しずつ激しくなり始めている雨音に耳を澄ましながら視線を揺らすと、数メートル離れた真正面。

 普通ではない男が佇んでいた。

 一九〇は越えているであろう長身に、細過ぎる手足に胴体。細い縦縞の入ったワインレッドの燕尾服にシルクハット、極めつきは舞踏会用の仮面(マスケラ)という奇怪な出で立ちの怪人。仮面の奥から走る鋭い眼光が、只ならぬ気配を感じさせている。

 

「……うむ、端的にしか情報が通っていないが、間違いない。君、民警の『負完全』だろう?」

 

 仮面男が球磨川を見据え、「ようやく見つけた」と喉を鳴らして笑う。そして何かを思い出したように顎に手をやり、明後日の方向を向いて懐から写真を取り出した。

 小さな紙切れには一人の男―――民警に登録した当時の球磨川禊が上っ面の表情で笑い顔を作り、此方に向けて片手でピースしている。

 

「しかし本当にいるものだね、不老の生き物とは。聞いた通り、七年前と容姿が全く変化していない」

 

 仮面男の言う『不老』というのは、十中八九球磨川のことだろう。確かに10年経過した今でも容姿は変わらず、それどころか調子(ステータス)の低下も見られていない。

 おそらくこれは不老ではなく安心院なじみが言っていた「様々な時間軸から寄せ集めた君」の集合体、つまり人間かどうか疑わしいために老化現象が常識よりも遅いのだろうが、そんなことを仮面男が知っているはずもなく。

 他人から見れば、永遠にこのままなのではないかと疑念を抱かせるのも頷けた。

 

「『で』『そんな現在進行形でストーカー行為をふざけた恰好の男にされている僕に何の用かな?』『あと誰なの君』」

 

 仮面男の奇抜な出で立ちも完璧にスルーして、薄笑いを仮面越しに浮かべる相手に何ら臆することなくおどけてみせる球磨川。

 困ったような表情を作り、大仰に肩を竦めるその姿はどこか現実性が欠けており、奇怪な容姿でなくとも不気味さを垣間見ることができる。

 そんな球磨川の反応に、何が可笑しかったのか仮面男が揺れるように笑う。

 

「ヒヒヒ、いやぁ全く面白いねぇ。君みたいな人間……いや今は生物というべきか。君みたいな生物ばかりだったなら、この世界ももっと素晴らしい方向へと動いていただろうに」

「『いやうん、そういう明らかに後で正義に打ちのめされる悪役の前置きみたいなの比較的どうでもいいからさ』『誰なの?』」

 

 そんな答えに、仮面男は「変わっているね」と返す。

 

「だがしかし、素晴らしい。最近の人間はテンプレな例ばかりで飽き飽きしていたところだ、君みたいな輩を待っていた。まあ名乗ることは名乗ろう。だがその前に―――」

 

 パチン、と指を鳴らす。乾いた音と共に風を斬る音がヒュンと響き、咄嗟の判断で何歩か後方へとバックステップ。直感的に身を引いた球磨川が顔を上げると、先程まで自分が立っていた地面に、十字の亀裂が深く刻み込まれ、その場に二本の刀をゆらゆらと揺らす少女の姿があった。

 

「……パパ、あいつ避けた」

 

 不満げにそう声を漏らす。

 ウェーブ状の短髪に、黒いフリルのついたワンピース。腰の後ろに交差して差された二本の鞘は、両の手に一本ずつ持つ刀の長さからして小太刀。仮面男同様奇怪だと思われる点を挙げるとすれば、それは異様なまでに赤く煌めく両目だろう。

 

 ―――『呪われた子供たち』

 

 瞬時に悟った。あの赤い瞳は、間違い無くそう呼ばれる者達のものだと。

 呪われた子供たち、それは妊婦の口から体内にガストレアウィルスが侵入し、そのウィルスをもったまま生まれてくる幼児のことだ。血液感染を除いて感染することはないとされるガストレアウィルスが母親の胎内に消滅しないまま残り、胎児にその毒性が蓄積されて生まれてくることがある。

 

 姿形は紛れも無くヒトそのものでありながら、ウィルスに対してある程度の抗体をもっている。

 

 一般人なら感染後間もなくして異形化してしまう筈が、感染による体内浸食率が非常に緩やかに流れる。

 

 感染源ウィルスの因子を体内に宿し、常人とは段違いな身体能力や何らかの能力を所有している。

 

 ガストレアと同じく赤い眼をしており、同時にイニシエーターともなりうる存在。

 

 これらの特徴を持ち合わせる10代かそれ以下の少女らを、一般的に呪われた子供たちと称される。

 ガストレアが現れ始めた頃とほぼ同時期に、まるでそれに対抗するために生まれ始めた存在。当初はガストレアに対抗するために神が授けた子供たちだと世間から持て囃されたが、10年経った今となっては度外視され始め、軽蔑され、ウィルスを体内にもつことから化け物扱いされて迫害されている存在でもある。

 

 これまで球磨川はそこそこの数の呪われた子供たちを見てきたが、目の前で斬撃を避けたことを悲しそうにする少女の瞳ほど狂気に満ちた者はいなかった。

 

「まぁ、あれだけあからさまに斬りかかったら避けられるだろうね。小比奈、もう一度()っていいよ」

「……! はい、パパ!」

 

 悲しそうな表情から一転、まるで発砲許可が下りた敵国を憎む狙撃兵のように表情を明るくさせ、少女は前に向き直る。喜々として小太刀を宙へと掲げ、片足を引いて赤の両眼が球磨川を見据え―――

 

 

 次の瞬間には、体が真っ二つに引き裂かれていた。

 

 

 他の言葉で表しようもなく、ただ少女が構えるのを眺めていただけで全てが終わっていた。上半身と下半身が綺麗に二つ割りになり、それぞれ前後反対の方向を向き、神速の一撃に時が止まっていた体から夥しい量の血が溢れだす。形容し難い一撃に声を発する暇もなく、上下に斬り裂かれた体はやがてピクリとも動かなくなった。

 それを黙視していた仮面男はその惨劇に悲鳴を上げるわけでもなしに、ただ幻滅したようにやれやれと首を振った。

 

「なんだ、負完全なんて仰々しい名前のわりに何もないのか、非力な。ん? もしかしたら攻撃専門のプロモーターだったのかもしれない。だったら惜しいことをした、ミステイクミステイク」

 

 鷹揚に手を広げ、仮面男は身動ぎ一つせずに踵を返す。断層のようなものまで見えるほど綺麗に真っ二つにされた死体からは血が溢れだすばかり、もう目も当てられない悲惨な状態(グロテスク)になっている。いっそのこと清々しく笑いが込み上げてくるレベルだ。

 

 だが、不意に傷口が塞がり、

 

「小比奈、帰るとしよう。もう此処に面白い物はない」

 

 死体から健全な生命の塊へと戻り、

 

「はい、パパ」

 

 男はゆらゆらと立ち上がり、

 

「…………ん?」

 

 

 ―――片足を踏み出して大地を蹴り、仮面男と小太刀少女の間を微風の如くすり抜けた。

 

 

「『なるほど』『さっきのは僕の実力テストだったわけだ』『ごめんね?』『生憎と僕、そういう小賢しい真似には乗れないタイプなんだよ!』『ほら、僕って健全なうえ至って真面目な模範生だからさ』」

「……ッ?」

 

 背後から、仮面男の驚愕に満ちた声が漏れる。球磨川がすり抜けた二人は地面に突っ伏しており、至るところをプラス螺子で打ちつけられていた。肉体に直接差し込んだものは一切なく、着用している衣類にのみ糸と針で布の上に縫いつけられたようになっている。

 仮面男は首だけ持ち上げ、目線の遥か上にある不敵に笑みを浮かべる少年を見据える。

 

「……どういう、手品かな?」

「『おお、手品手品。』『よぉく分かってるじゃないか「ウフフ仮面君」!』『過負荷(スキル)なんて、過負荷(マイナス)なんて所詮手品にしかならないってことを』『さ!』」

「……………………一つ訂正しよう、私はウフフ仮面ではないッ!」

 

 ガシャァン、とガラスが砕け散るような破砕音。同時に衣服を縫い付けていた小螺子は全て吹き飛び、一瞬だけ視界が緑色に染まった。

 仮面男はくっくっと喉を鳴らしながら立ち上がると、手袋で覆われた片手を前に突き出す。

 

「素晴らしい、君は私と共に来るべきだ」

「『……展開が急過ぎるってなんかこじ付けって感じがするよねぇ』『とりあえず名前は?』」

 

 その言葉に、仮面男は鷹揚に両手を高く掲げ、くるくると手中で拳銃を回しながら高笑いの声を上げた。笑いの声が収まると同時に手をクロスさせ、カチャリと詰め込まれた弾丸が揺れる音がする。

 

「ではまず我らから名乗ろうか。元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤」

「モデル・マンティスのイニシーエーター、蛭子小比奈。十歳」

 

 意外にも礼儀正しく挨拶を交わした二人に少々驚きながらも、球磨川の口端が吊り上がり、ゆらりと三日月の弧を描く。

 

「『イニシエーター不在単独プロモーター通称『負完全』、安心式大嘘戦闘術(笑)使い―――IP序列マイナス一三位、球磨川禊』」

 

 最悪の出会いに同調するかのように、雨は激しく大降りになり始めた。

 

 




更新ペースが早くなるかどうかは神のみぞ知るです。
原作の理解力が足りてないかもですので、可笑しな点などありましたら報告していただけると有り難いです。


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3『事態の始動』

今回から原作が第三宇宙速度でぶっ壊れていきます。
何気に話が薄いです(汗




「……序列マイナス?」

 

 仮面を掛けた男の手が引っ込められる。球磨川にも握手するつもりは微塵もなかったが、手を伸ばそうかと思案し始めた途端にこの仕打ち。思わず苦笑してしまう。

 

「『知らないの?』『幾ら情報の洩れが少なくなるようにって上もそこまでしないと思ったんだけどなぁ』」

「聞いたことがない。私が民警をやっていた頃にあったとは思えないがね……」

 

 影胤は訝しげに球磨川を見据えながら、顎に手をやる。聞くところによると彼のIP序列は相当高く、上位に食い込むレベルとみて間違いない。球磨川の螺子による拘束からいとも容易く逃れ、こうして悠々と立っているのだから。

 それでもマイナスの序列を知らないとなれば、おそらく影胤は『民間警備会社にいる負完全』としてしか見ていなかったということになる。

 

 ―――情報の洩れを防ぐために、球磨川のことを負完全として、それ以外の情報を一切隠していた?

 

 だとすれば合点がいく。影胤には強いと値踏みされていたが、それは序列を告知されていなかった、もしくは彼の妄想と期待が生んだ産物なのかもしれない。高い序列を持つ者でも知る術がない領域が大きいことが確認できた。

 

「……うむ、やはり私の記憶にはそんなものは存在していない」

「『へー』『まぁ袖摺り合うも多少の縁とか言うし?』『教えてあげようじゃないか』」

 

 IP序列マイナスの者達―――その総称を『負十三式設定(マイナスサーティーンシステム)』。

 

 元々一位から数十万の位にまで設定されたIP序列だが、基本はペアで登録することを原則として規定されていた。プロモーターとイニシエーターが互いの任意の下でタッグを組むことで初めて【民警】を名乗ることが許され、晴れてガストレアを駆逐する組織に加入できる。

 プロモーターはペアの行動権を有し、最低限の実力が伴った者が適任とされた。

 イニシエーターは『呪われた子供たち』であることが絶対条件であり、戦闘能力が極めて高い道具として扱われ、時には『代えがいる』などとぞんざいにあしらわれることもある。

 

 だが、例外が存在した。

 

 IP序列は高ければ高いほど、異常な功績を叩き出し且つ反則級(オーバークラス)の実力を持つペアではあるが、それをある意味で上回る者たちがいる。その名を『負十三式設定』、情報の殆どが上部に規制されているため、知る人ぞ知る存在である。

 

 序列十桁以内の猛者が馬鹿みたいに小さく見え、ペアなど組まずとも片手間にガストレアを粉砕し、脅威的な生命力と鬱屈とした精神力を持ち、滅多に他人の願いでは動かず、常識を大きく逸し、人智を遥かに凌いだガストレア以上の不思議なチカラを持つ者達。『負完全』を始めとして作られた組織のメンバーは名の通り十三人、全員が球磨川のような『過負荷(マイナス)』の持ち主だ。

 誰もが人類に貢献しないと大抵当てにされていないが、それでも総動員させればガストレアなんて跡形も残らない勢いで殲滅できるとされている十三人の中でも最も一目置かれているのが球磨川であり、他の過負荷からも負完全として崇められたりすることもある。謂わばボス的な存在だ。

 それ故に彼は情報がほぼ隠蔽されている『負十三式設定』でも唯一名が世界に知れ渡っており、ある意味有名人でもある。あくまで『負完全』として、だが。

 

「なるほど、ね。つまり世の中には君みたいなのがあと十二人いるわけだ」

「『その中でも僕は群を抜いて弱いから(・・・・)』『安心して他を当たってね』」

 

 球磨川の言葉に、影胤と小比奈は同時に首を傾げた。実際、過負荷の中でその表現は間違ってはいないのだが、過負荷自体を理解していない彼らには伝わらなかったようだ。

 つい今し方大降りになり始めた空からは、辟易しそうな量の雨粒が降り注いでいる。濡れる肩を揺らしながら、球磨川は踵を返すと後方に歩き始めた。

 

「『っと、んでさ』『さっき君たちの仲間に入れてくれるみたいなこと言ってたじゃん?』」

「ん? ……ああ、直接口にしてはいないがね」

 

 天から齎された恵みの透き通った雨を意にも介せず、影胤が小さく首肯する。この場において天候を気に掛ける者は、誰一人としていなかった。

 

「『説明した通り僕は負完全』『過負荷(マイナス)』『負十三式設定(マイナスサーティーンシステム)っていう3つの悪要素を持っている訳だけれど』『それでも僕を仲間に引き入れようと思うかい?』」

「ああ、なんだそんなことか。私は君のことを熟知していないが、安心したまえ」

 

 そう言うと影胤は鷹揚に手を広げ、仮面の奥のクツクツとした笑みを漏らしながら天を仰ぎ―――

 

「私は世界を滅ぼす者。誰にも私を止めることは出来ない」

 

 マイナス一人手籠めに収めることなど容易だと、雰囲気だけでそう言ってのけた。

 

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

「ねぇ里見くん、完全ってどういう意味だと思う?」

「……あ?」

 

 『天童民間警備会社』の狭苦しい室内に、唐突の振りに対する頓狂な短い声が小さく響いた。

 

 短い台詞で反射的に返した少年―――里見蓮太郎の目の前には、生気が抜けたようにぐだーと机に突っ伏す黒っぽい美人がいた。細雪(ささめゆき)のような真っ白の肌とは対照に、真っ黒いさらさらのストレートヘア。美和女学院のセーラー服に袖を通しているせいで、肌と胸元のリボン以外漆黒に染まっている。喜色満面になることが少ないため、その美貌はもったいないほどだった。

 

 天童(てんどう)木更(きさら)。それが彼女の名前である。

 木更は何時まで経ってもそれっきり言葉を返さない蓮太郎に眉を顰め、上半身を机に預けたまま片手で机を叩いた。

 

「だーかーらー、完全とか完璧とかパーフェクトとか! そういう全ての悟りを啓いた人や物についてどう思う?」

「何だよいきなり……完璧ねぇ」

 

 蓮太郎は腕組みをして考え込む。普段こういった場面では今月のやりくりがぁ~、と呻く彼女にしては、随分と哲学的な質問だった。

 

「いや分かんねぇよ。つーか完全とか完璧って、普通に全知全能とか何でも出来るとかで捉えちゃ駄目なのか?」

「こっちだって知りたいわよ。果たして我らが人類が崇める神のようなことを指すのか、それとも人それぞれの小さな世界のことを指すのか。完璧に覚えたーとか完全体ーとか、完璧美少女ーとかとも言うじゃない」

「最後のおかしいと思うけどな」

 

 取り敢えずは彼女の悩み(?)に付き合うということにして、思考を回転させる。

 しかし、一向に答えが見つかる気がしない。というか漠然とし過ぎて何から考えていいかすら悩みどころだ。本当に何故こんな質問をと言及したくなったが、視線を下ろすと矢鱈と真剣(マジ)に頭を抱えている少女の姿。さすがに今言うのは憚られた。

 

「んーじゃあ、何でも持っているっていうのが完全の前提だとして話を進めましょう」

「……それなら、さっきの完璧美少女サンが当て嵌まるんじゃないですかネ?」

「うーん……完璧美少女ってあれよね? 文武両道で才色兼備、有終の美を尽くし、誰に対しても分け隔てなく接することのできる……うん……?」

「どうした?」

 

 それは何でも出来るとは言わないのだろうか、とは口にしない蓮太郎である。

 

「いや待って、駄目だわ。何でも持っているのなら、何も持っていない(・・・・・・・・)っていう虚無感も持ち合わせてないといけないし」

「そこまで考え込むのか」

 

 もっと軽いノリの疑問かと思っていたのに意外と重かった。もう少しで哲学の迷宮に片足を踏み入れることになるだろう。

 

「そもそも完全って何? 響きは良いように聞こえるかも知れないけど、正義やプラスな面だけ持ってるなんて都合の良いものじゃないと思うのよね……。全てなら、憎悪とか怨念とかも含まれる筈……」

「あのー、木更さん。唐突にどうしたんだよ?」

「え?」

 

 ブツブツと呟き、だんだんと机から上体がずり落ち始めた木更がハッと顔を上げる。見上げた時、一心に自分を見つめる視線にドキリと肩を震わせ、ごまかすように小さく咳払いをした。

 どちらかといえば彼女の視線より艶のかかった唇に目を奪われたのは、ここだけの話である。

 

「里見くん……一つ、報告があるの」

 

 それまでの空気が一変、木更が真面目な表情を作り、辺りが鎮まり返る。

 またも唐突に訪れた緊迫に、蓮太郎は先とは少し別の意味でドキリとした。なんというか、心臓に悪い。

 

「な、なんだよ?」

「一昨日ね、『ガストレア』がこの周辺に現れて……序列十位以内が粉砕したんですって」

「ガストレアは?」

「『ステージⅢ』。塵芥すら残らなかったってね」

「はぁ!?」

 

 蓮太郎は仰天して目を剥いた。序列十位以内なんてトップクラスは滅多にお目に掛かれる人物ではないが、街中に『ステージⅢ』が出現したこととその事の顛末に驚きを禁じ得なかった。

 ステージⅠから始まりステージⅣまで成長するガストレアは、その成長に合わせて体も大きくなっていき、能力も高まる。街中でステージⅢが現れたのなら、蓮太郎の耳にもその情報は行き届いている筈なのだが……。

 

「ちょ、ちょっと待てよ、俺そんなの知らなかったぞ?」

「ええ、私も今朝知ったもの。だってそのガストレア、どこからともなく現れたと思ったら三十秒後に消えたって情報なのよ?」

「……三十秒、だと? その十位以内って誰なんだ?」

 

 木更は暫く目を伏せると、小さく、短くその単語を口にした。

 

 

「―――『負完全』」

 

 

 聞いた途端に、完璧を(・・・)完全に(・・・)否定されたような(・・・・・・・・)感覚に見舞われ、何かが脳裏を過った。

 

 ―――まるで元から無かったかのような、最悪の記憶が。

 

 

 



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4『自己紹介し合った仲なんだからさ』

現実の方(現実の方……?)が色々と忙しく、此方に手を付けることがなかなか出来ませんでした(言い訳
楽しみに続きを待っていただいた方々(いるか分かりませんが)に謝罪申し上げます。

……まぁ一時期エタるのを覚悟したこともあったんですけどね(大汗
とりあえずは続きを投稿できて微妙に安心できたといったところでしょうか。では、どうぞ。


 

「蓮太郎ー! 早くしないとおいて行くぞー!」

 

 休日の昼下がり、太陽の光が照りつける街中に、元気良く活発な少女の声。

 彼女の名は藍原(あいはら)延珠(えんじゅ)、里見蓮太郎のイニシエーター兼同居人兼唯一無二のパートナーである。イニシエーターがプロモーターと別居する、というのは稀な例であり、文字通り寝食を共にする少女だ。

 ぴょんぴょん跳ねるその姿はまるで小さな兎。相も変わらずテンション高いな、と蓮太郎は目を細めた。

 

「ったく、んなこと言ってもよー延珠……お前は手ぶらかもしれんが、俺は見ての通りの両手塞がりだぞ? 少しは協力して分担して荷物を運ぼうとか思わないのか」

「妾の蓮太郎なら一人でも大丈夫だ! 男がこんなところでへこたれてどうする!」

「ちったぁ手伝えよ……」

 

 案外夕暮れ時よりも人影が少なかったりする街路の中、両腕で抱えた紙袋を揺さぶりながら肩を落とす。同時に落とした視線の先にあるのは、紙袋に押し詰めたありったけの瑞々しい林檎。つい先刻ほど前に何の気まぐれか開催されていた『林檎詰め放題』の戦利品にして、本日の食後の嗜み(デザート)である。

 

 日々家計を少ない私財でやりくりする蓮太郎にとって、詰め放題のワンフレーズは有無を言わさず心を揺れ動かし、問答無用で彼を魅了し惹き付けた。代金を先払いして人ごみに全速力で突っ込む蓮太郎―――まではよかった。

 自我も放り投げて林檎の山に跳びかかるというのも如何なものかと問われるべく点ではあるが、問題は効率良く(・・・・)詰め過ぎたことである。大きめの紙袋は更に膨れ上がり、片手では持てず、林檎の重みが底を突き破るおそれがあるため手提げは不可能。つい今し方『二人で』と提案したものの、どう気転を利かせてもお一人様限定であることは火の目を見るより明らかだ。

 延珠は置いていかれたことが不満だったのか、疲労困憊の蓮太郎に手を貸す仕草も見せない。あまり強い衝撃を与えると中身が零れ落ちてしまう故に走る訳にもいかず、にっちもさっちもいかなくなった蓮太郎は自宅までの辛抱だと観念した。

 

「……っとまぁ、この坂降りればすぐだしな」

「蓮太郎、落とすでないぞ? 妾と木更と蓮太郎の貴重な林檎が全て無駄になってしまうからな」

「分かってる分かってる、落とすかよ」

 

 見下ろした坂は少し急だが、越えた先には愛しの我が家。かなりの距離を歩いて足が棒になりそう、と音を上げてしまいたい気持ちを抑えれば無事帰宅でき―――

 

「――う、わぁったぁ!?」

 

 そんなはずがなかった。見事に完璧なフラグだった。

 意気込んで一歩踏み出した足元にお約束展開で石ころが。下ることしか頭になかった蓮太郎が避けられることはなく、石を踏み付けて滑った片足につられて宙に向かって半回転。ギャグ漫画よろしくで後頭部をアスファルトに打ちつけ、目を白黒させながら即座に起き上がる。

 

 散り散りに転がり落ちる赤い球体、まさかのフラグ回収に硬直する傍らの延珠、虚しく風に運ばれる空になった紙袋。

 今から追いかけてももう遅い、拾ったところで所詮詰め放題の品、傷んで調理は難しくなる。一瞬にして雲散霧消したデザートの群れを眺めながら、溜息を

 

「『うわぁー』『如何にも安そうで無理に詰め込まれていたあとちょっとで傷みそうな林檎が大量に転がり落ちてくる』『栄養分が偏っているぞという神からの贈り物?』『それとも偽装した爆弾かな?』『落ちるものは拾ったほうがいいのかな?』」

 

 突然の不気味な声に、我に返って目を凝らす。そこにはゆっくりと坂を上り、あまりに多過ぎて回収が不可能だった林檎を両腕に抱えた男がいた。

 一瞬目を離した隙に、まるで落ちたことがなかったこと(・・・・・・)になったかのような変わり様。驚愕と同時に『既視感』も湧きあがった。

 

「『落ちた林檎を拾う』『堕ちた林檎を拾う』『手放した(リンゴ)に手を伸ばす』『取り零した財産(リンゴ)を掴もうと足掻く』『こんな意味深なことでもなさそうなことを言ってみて思いだしたけれど、一人が果物を落として坂を転がる果物を親切で優しく他人想いな皆が拾ってくれるコマーシャルがあるよね』『もしもあれで拾った皆が笑顔のままそれを持って行ったら』『落とした人はどんな気分なんだろうね』」

 

 それまで瞑目していた男は蓮太郎の五歩ほど前で足を止め、抱えた林檎を差し出すように持ち上げた。

 

「『それはともかく』『これは帰ってよく洗ったら』『まだ食べられるかもしれない』」

 

 聞くだけで身震いする人間の域から逸した声。それとは裏腹に『優しさのようなもの』を感じたが、蓮太郎の手は男に届かない。毒でも入っているんじゃないだろうか、そんな根拠も可能性もない愚考を振り払い、軽く頭を下げて小刻みに震える両手を伸ばす。

 

「あー……ありがとう、助かったっつーか……助かった。でもあんた、よく全部取れたな」

「『いやいや!』『僕は取ってなんかいないんだぜ?』『ただの気まぐれと――あとは様子見(・・・)ってとこかな』」

「いや取ってないわけねぇだろ、他に誰もいなかっ―――?」

 

 ―――思考が、停止した。

 

 男の容姿には突出した異様さがなく、跳ねた青黒い髪と学ランしか特徴として挙げられるものがないほど凡庸だ。大衆に紛れ込めば見分けがつかなくなる程度には平凡だった。

 

 但し、あくまで容姿『だけ』を指すのであれば、だが。

 

 男から漂うオーラ、人間性や才能をそのまま形にしたようなものが溢れ出ている。偉大なものでも名誉ある威風堂々とした毅然たる態度からの風格ではなく、不格好や荒唐無稽、才能の無さや欠点などの『負』がいっしょくたにごちゃまぜにされた気迫。あらゆる事態に物怖じそうにない『迫力の無い迫力』は、どこかで一度だけ体験したことがある。

 

 十年前。

 その単語から記憶が芋づる方式に引き起こされ、忘却していた恐怖の過去が脳裏を過った。是が非でも忘れてしまいたくなるようなあの光景の中、一人佇む男の姿を。

 名前はそう、確か―――

 

「球磨川……禊ッ……!?」

「『やぁ、久しぶりだね』『「里見、蓮、太郎……」くんもとい蓮太郎ちゃん』『君と会える日を僕は体感で十億年ほど待ち侘びたよ!』」

 

 不自然に、鷹揚に両手を掲げる。思いだしたばかりの男と重なり、蓮太郎は蒼白になりながら瞠目した。

 立ち振る舞い、五歳児でも感じ取れる凶悪で醜悪な恐怖、何から何まで一つも変わっていない。あれから様々な苦難を乗り越えてきた蓮太郎の記憶は新しいものばかりを取りこんだために思い起こす余地も皆無だったが、こうも変わり映えのない姿に面前と向かえば嫌でも思い出す。

 十年前の面影どころか記憶から切り取ったように不変の面持ちだが、戦慄した理由はそれだけではない。――思い出せなかったのだ。ガストレアより危険だと警戒しておきながら、月日の経過で球磨川自体を忘却していた。今ここで出会っていなければ、明日も思い出すことなく小さな平和に浸っていたのだろう。

 

 既に脳内から今昔の「助けてくれた」などというプラスな印象は消滅し、眼前の老いも若返りもしていない男に意識を鷲掴みにされていた。

 一歩でも退けば存在ごと抹消される。全てが終わってしまうような未知で摩訶不思議な感覚に、身動ぎすることすら許されない。

 

「『やーだなぁそんなに固くなることないじゃないか』『自己紹介し合った仲なんだからさ』『ところで君の隣にいるその子は「呪われた子供たち」の一人だよね?』」

 

 球磨川が延珠を見るなり角度を変え、つかつかと歩み寄る。困惑を通り越して軽く仰け反っている延珠の真上にゆらゆらと首をもたげると、見下すように視線ごと首を落とした。

 一連の動作につられて延珠が顔を上げ、尻込みしてぎょろりと光る両眼と向き合う。

 

「『君は見たところイニシエーターとかそういう戦闘を強いられる働きをしているね。もしもイニシエーターなら可哀想に』『一時期は神のなんちゃらとか崇められ』『勘違いだったら手の平返して悪魔だとか化け物だとか罵られ』『一般人よりも下に扱われ』『運が悪ければ路上で射殺され』『生き延びても自由な道はない生き地獄』『辛いんだろうねぇ、相棒に引き取られるまで保管されて敵意むき出しの人間の中で狂った同世代と一緒に出せ出せと暴れるのは』『何が辛いってそんなお馬鹿な自分を省みるその時こそがだよね』」

「ッ……!?」

「『大方きみもそんなんだったんだろう』『よかったねーそこのおにーさんがむかえにきてくれて』『今は立派に普通の生活送れる程度の身なりはしてるもんね』『街中じゃあ暴露されたら通報ではいおしまいなサドンデスライフだけど』『他に苦しむ同世代の子なんか無視して自分だけ幸せになれて本当に良かった良かった』」

 

 饒舌で途切れることの無い言葉の嵐が降り注ぐ。勢いが衰えることを知らない異常な言い回しの罵りに圧倒され、延珠は心ここにあらずといったふうに半ば放心気味だ。

 初対面で最初の挨拶がこの有り様、一世代分の怨念を晴らしても晴らし切れない悪の行為。許容できなくなった蓮太郎は力任せに球磨川の胸倉を掴んで引き寄せた。

 

「ッ……てめぇ……!」

「『あは!』『という冗談でしたー!』『さっき警戒した時一瞬だけ目が赤くなったからそうかなって思っただけで、この子のことは何一つ知らないよー』『構え方とかで戦うんだーへーみたいな勘だっただけだし他意はない』『この子には何の恨みも妬みも嫉みも無いナッシング皆無だから安心しておくれよ』」

 

 

 言い終えるや否や、学ランをひっ捕らえた握り拳からするりといともあっさり抜け出す。表面上の喜怒哀楽が激しいその面持ちはまるで道化師。それ以外に譬えようのないほど単語が適応していた。

 

「『ところでだけど十年前のきみとはぜーんぜん違うわけだし聞こうかな』『君の大切なあの人たちは元気にしてるかい?』」

「あの人たち……? お前、木更さんや先生を知ってるのかよ……!?」

「『いや』『僕はその人たちに会ったどころか名前も知らなかったよ』」

 

 球磨川はあっけらかんとして考える素振りをしながら空を仰ぎ、上を向いた姿勢から頭を振り下ろすようにして――今度は、蓮太郎よりもほんの少し低い目線で、鼻先が触れ合う真ん前の至近距離でにこりと微笑んだ。

 

「『だけどそっか』『きみの大切な人は木更って名前の人と先生って慕った名で呼ばれる人なんだ』『おぼえとこーっと』」

 

 つい、と球磨川が顔を離し、蓮太郎は己の失言を自覚した。これでは相手の期待を裏切ることなく典型的な台詞を返し、鎌を掛けられたとも気付かずに弄ばれただけではないか。

 

「『―――とかなんとか思ってるだろうけど全然まったくこれっぽっちも気にしなくていいよ』『仕方ないさ、初対面なんてからかってからかわれての騙しが一番生きる場所なんだから』『そんなことで恥じるくらいなら過去の自分を恥じよう!』『人間前を向いて明日に向かって生きようぜ!』」

 

 くるりと踵を返して両手でサムズアップする背に絶句した。

 言う事は尤もだが、態度と声音が全てを台無しにしている。妙に独特な喋り方やお互いなんの得にもならない言葉攻め、その全てが現実の良いも悪いもいっしょくたにかきまぜて台無し(・・・)にしていた。

 ワナワナと体を震わせる蓮太郎に、片足を軸に半回転して再び向き直った球磨川がポン、と手を打つ。

 

「『と』『そうだったそうだった遊んでいる場合じゃないや』『今日はきみに用事があって来たんだよ』」

「用事……だと?」

 

 詰まる所あまりにもあっけない十年を経ての再開は、意図的に図られたということになる。

 会話の流れで何をされるか分かったもんじゃないと警戒する蓮太郎。球磨川は静聴を促し、くるくると人差し指を回す。

 

「『そうそう用事用事』『ちょっーと近頃街中に侵入するガストレアの数が増えてきてるんだよねー』『そこでだけど!』」

 

 弄ぶように小さく円を描いていた人差し指が天に突き付けられ、なめらかな動きで蓮太郎の目線の高さに向けられた。

 が、瞬きもしない内に腕から引っ込められ、顎に当てられる。

 

「『…………』『あーなんだっけ』『ごめん忘れちゃったみたい!』『今日中に考えて葉書で送るから』」

「はぁ?」

 

 思わずずっこけそうになった。球磨川が面白がるだけの嫌悪なムードから脱したと安堵した矢先にこれである。

 ペースを乱され続けて苦渋の表情を浮かべ始めた蓮太郎を見て、球磨川はけろりと笑って肩を竦ませた。

 

「『まぁ特に用事なんて無かったんだけどね』『ただ単にきみが青春を謳歌してるかどうかを確認しに来ただけで』『もうすぐだから(・・・・・・・)いい機会だしと思ったけど僕から一方的にずけずけと話しちゃってごめんね!』『でももう大丈夫』『これできみが僕を忘れることはもうないし』『そこの子もそんなに怯える必要もないさ!』『なんてったって言葉を交わした仲なんだから!』」

 

 支離滅裂で意味不明な言葉に頷くこともできない。そもそも、この場に於いて延珠は一度も喋ってなどいないのに。

 勝手に現れて、勝手に喋って、勝手に忘れて、全て球磨川禊の一人劇。相槌を打つ余裕もなく、延珠も蓮太郎も流されるままに流されているだけである。

 球磨川は踵を返し、今度こそ坂とは逆方向の平坦な路地を歩き始める。

 

「『ま』『一連の流れが挨拶だと受け取っておくれよ』『僕はきみに僕を思い出させる為に今日会っただけだしさ』『これで布石は完了任務終了お疲れ御苦労!』『あとはその時になるのを待つだけさ―――』」

 

 

 

 

 

「『んじゃ』『また明日とか!』」

 

 

 

 

 

 過ぎ去って行く得体の知れない恐怖に、蓮太郎はただただ茫然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 嵐のように現れて、嵐のように去って行った男――球磨川禊。

 

 この日この時の傍目から見れば不可解極まりないやり取りが、長い長い英雄譚(・・・)の引き金となったのは言うまでもない。

 

 

 




話の構成に淀みがあったり行き詰ったりもあって更新が停止していましたが、踏ん切りもついたので再開できると思われます。
久しぶりの執筆ゆえに自分でも「大丈夫か?」と自信なさげですので、おかしな点等ありましたらご報告頂けると幸いです。

……あれ? 蓮太郎ってこんなんだっけ?
……んん? 球磨川ってこんなキャラだったっけ?
とか途中で思いましたけど気にしない。もし今回が変でもきっと次回から通常運転ですからきっと(汗
あと最近色々と(いそが)シーズンで、執筆にすら手がつかないことが多々あります。……ので、更新ペースは少し遅めに(二週間とか)なりそうです。申し訳ありません。


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5『ほら、やっぱり来た』

 お久しぶりです、いやほんと久しぶりすぎてもうなんとも言えませんね。

 約四年間放置していましたが、最近当サイト様にて別作品を投稿し始めたのでこちらも復活することにしました。数年前の設定集を掘り返しながら進めていくことになりますが……。
 どうやら自分にはフラグ建築士の才能があるようなので、下手なことは言わずに無理のないよう進めていきたいと思います。
 基本もう一つの方をメインで投稿するので、こちらはあまり早いペースというわけにはいかないかもしれませんがよろしくお願いします。それではどうぞ!


 「社会科見学なら黙って回れ右しろや」

 

 そんな喧嘩腰な売り言葉が飛び出すのは、第一会議室と書かれた部屋の中。小さな扉に対して広い室内、中央の細い楕円形の卓、壁に埋め込まれた巨大なELパネル。大手ばかりが集まった『何かが始まる』部屋の中。

 そして、独り言すら憚られる凍りついた空気。

 

 人ごみにもまれることは嫌いだが、人の多い場所に来ること自体大嫌いだ。

 不機嫌な表情を一目で分かるほどあからさまに晒す。背後から憎悪のオーラが紫色を帯びてもんもんと溢れ出ていてもおかしくない。

 

 阿武隈(あぶくま)久代(くしろ)は桃色の前髪を掻き上げ、頬杖をついて何もない前方の空間を睨んでいた。

 

 とはいえ彼女が見ているものが前方の空間だけであり、視界にぼんやりと背広を着用した中年の男性が映る。久代の剣呑な視線に気圧されて若干姿勢を逸らしているが、そんな瑣末なことは気にも留めない。

 今現在において頭の中を駆け巡るのは人使いの荒い依頼主に対する不満と殺意。依頼主――球磨川禊には頼み事を二つ返事で承諾しなければならない程の恩があるにしろ、意図と趣旨が全く理解できない依頼をされれば殺意くらい湧くだろうと己を許した。

 

 ――『ねぇねぇ久代ちゃん』『ちょっと頼みがあるんだけどさ』

 ――珍しいね、なに?

 ――『なにっていうかなんでもだね』『簡単なことさ』『今度開かれるお偉いさん達の会議に参加して欲しいんだ』

 ――会議……で何をすればいいの?

 ――『いや』『僕たちも後から行くから、席を獲得しておいてくれれば』『具体的には……そうだねぇ』

 

 

 

 ――『そこら辺の居なくなっても差し支えないどーでもいい奴を殺して』『そいつの席を奪っちゃって』

 

 

 

 数日経った今でもあの『出来て当然』と言わんとばかりのあっけらかんとした表情が脳裏に焼き付いて離れない。しかもその会議の日は以前から待ち焦がれていたバンドグループのライブショー。毎年恒例の近場のショーを放り出してまで行う用事が『席を奪うために人殺し』。僅かな良心が痛んだため、抹殺対象の眼鏡の女性には昏睡状態でトイレの個室で大人しくしていてもらっている。

 

「蛭子影胤とか蛭子小比奈とかいう変な奴らもいるんだからそいつらに席を任せればいいのに……。それにどう考えても紙に書いてある……きり、じょう……錐常コーポレーションって名前でバレるって」

 

 ちなみに「錐常コーポレーション」は他社との関係が薄い地味な会社だった。これは後で知った話である。

 久代はフードの付いた黒のコートを羽織り、首には「八百五十二」と彫られている黒い木片のネックレスをぶら下げている。コートの下は半袖の白いブラウスと赤のサロペットスカート、黄土色のロングブーツ。首飾り以外はまだまともだが、コート全体に獣の牙や燃え盛る火炎の装飾が施されているせいでかなり目立つ。街中を歩くときとは別に、厳かな面持ちで無言を貫くスーツ姿ばかりのこの場では最も浮いているだろう。

 球磨川の言うお偉いさんの他にも大剣を抱えたスカーフ男などが壁に縋っている。その他、久代以外にも(・・・・・・)『呪われた子供たち』が部屋の隅で待機していた。この場に於いて子供は皆十中八九イニシエーターと捉えて問題ないだろう。

 

「俺たち、末席だな」

「仕方ないわ。実績では、うちが一番格下なんだから」

 

 頬杖をついて退屈そうにしていると、つい今し方スカーフ男と険悪なムードを醸し出していた男が遠慮なしに発言する。目つきが悪く、見た限りでは口調も荒く、おまけに後味の悪い嫌味まで吐いていた。緊迫した空気の張り詰めたこの場には間違いなく不釣り合いな少年だ。精神年齢が低い。

 対してまだ苛立ちが乗った声色の男に相槌をうつ少女は、美麗の一言に尽きる容姿だった。長い黒髪に潔白な肌、何より体の凹凸が扇情的なまでにはっきりしている。著しい発達すら見られない久代からすれば、まさに理想像であった。

 少女は久代の座る斜め前の席に腰掛け、周囲を無遠慮に見渡しながら会話している。ふと少年と目が合い、珍奇なものを見る視線を向けられた。

 

「…………」

「…………。…………」

「なんですか」

「い、いや別に」

 

 と言うと少年は気まずそうに目を逸らす。やはり今の服装は公共の場において相応しくないということだろう。

 少年の慌てぶりに気付いたのか、今度は少女が此方を見やる。

 

「あら、どうも……社長さん?」

「机越しに会話ってあんまりお勧めしませんが……錐常コーポレーション社長代理のオバマです」

「見たところイニシえ? オバ?」

「まぁお構いなく」

 

 あからさま過ぎる偽名に戸惑う少女。あまり他者と関わりを持つと訝しまれる可能性がある。そのため、迂闊に会話を広げることだけは避けなくてはならなかった。

 だがこんな何が起こるか分からないところにやってくる子供といえば、常軌を逸脱した戦闘力をもつイニシエーターくらいのものだ。見てくれから一般の子供でないことくらい把握されているだろう。もしかしたら少年も、「なんで子供が!?」という疑問を浮かべて久代を凝視していたのかもしれない。

 暫し無言を貫いていると、禿頭の人間が部屋に入ってきた。室内の全員が一斉に立ち上がろうとしたのを禿頭の男が手を振って制止する。頬杖をついたまま身動ぎすらしなかった久代だが、その人物がある程度のお偉いであることは判断できた。

 

「本日集まってもらったのは他でもない。諸君等民警に依頼がある。依頼は政府からのものと思ってもらって構わない。……ふむ、空席一、か」

 

 男は出席状況を確認すると、眼光を鋭くして重みのかかった口調で言葉を紡ぐ。

 

「本件の依頼内容を説明する前に、依頼を辞退する者はすみやかに席を立ち退席してもらいたい。依頼を聞いた場合、もう断ることができないことを先に言っておく」

「知ったらただでは帰さんってことね、また物騒だこと」

 

 久代は小さく呟く。相変わらず姿勢は崩したままで、男の方など見向きもしなかった。

 久代は頭の中で思考を巡らせる。今回依頼される内容は外部に漏れることを防ぐため、遂行する気のない人間は退場させようとしている。情報が漏洩しては困る、おそらく民間に知れ渡ることを恐れているのだろう。国家機密的な扱いだ。

 禿頭の男の発言に席を離れる者は誰一人としておらず、沈黙は肯定と受け取ると言わんばかりに男は小さく頷いた。

 

「では辞退なしということでよろしいな? では、説明はこの方におこなってもらう」

 

 男がそう言って身を引くと、背後の奥の特大パネルに一人の少女の姿が大写しになる。

 その少女は見間違えるはずもない―――東京エリアの統治者、聖天子だった。

 

『ごきげんよう、みなさん』

 

 僅かに微笑んで挨拶。黒髪の少女を含み、久代以外の全員が泡を食ったように立ち上がった。中には椅子が勢い余って転がるほど思い切り起立する姿も。雪を被ったような服装と銀髪の少女に、誰もが背筋を伸ばして畏まった態度をとっていた。

 聖天子の背後には大柄の男、天童菊之丞も付き添っている。どうやらどこかの洋室から中継されているらしく、映像から聞こえる音と聖天子の口の開閉には若干のずれが生じていた。

 

 みなが統治者に目を見開いて視線を向ける中、我関せずを貫いて頬杖をつく久代。前後のスーツ男から睨まれている気がしないでもないが、それでも尚立ち上がりすらしないマイペース。元々この席に着く人物とは全くの別人で、その上こういった上の話には微塵も興味がない。区別のつかない馬鹿な餓鬼と思われて軽蔑されても文句は言えないだろう。

 だが、誰もの胸中に浮かび上がった不安に気付かないほど鈍感ではない。姿勢に気を払う必要がない分周りがよく見える―――聖天子ほどの人物が顔を出すということは、それに見合った規模の依頼なのだろうと。大事に巻き込まれるのではないかという不安が、よく見える。

 

『楽にしてください皆さん。私から説明します』

 

 誰一人言葉に従う者はいない。久代は元から楽にしている。

 

『といっても依頼自体はとてもシンプルです。民警の皆さんに依頼するのは、昨日東京エリアに侵入して感染者を一人出した感染源ガストレアの排除です。もう一つは、このガストレアに取り込まれていると思われるケースを無傷で回収してください』

「質問よろしいでしょうか。ケースはガストレアが飲み込んでいる、もしくは巻き込まれていると見ていいわけですか?」

『その通りです。ケースは材質的に溶けることはないでしょう』

 

 感染者がガストレア化した際、身に着けている衣服などがそのままガストレアの体内に取り込まれることがある。そうなるとガストレアの命を奪ったあとに摘出する他ない。久代的にはパネルにうつった桁を間違えた報酬額に目がいったが、聖天子は当然のように依頼内容を伝えた。

 三ヶ島ロイヤルガーダーという民警の男が続けて質問する。

 

「感染源ガストレアの形状と種類、いまどこに潜伏しているのかについて、政府はなにか情報を掴んでいるのでしょうか」

『残念ながらそれについては不明です』

 

 つまり事前情報なしの依頼ということになる。目的と達成条件だけはっきりしている依頼だが、駆除と回収という比較的容易な作業をわざわざこのような形で依頼するだろうか。

 続いて、黒髪の少女が挙手する。

 

「回収するケースの中には何が入っているのか聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 ―――丁度それを考えていた、ナイス。

 心の中で親指を立てながら少女を見ると、毅然とした面持ちで聖天子と向き合っていた。後ろの少年は「おいやめとけって、やべっぞ」とでも言いたげに困惑した表情をしている。

 なんとなく、この二人の主従関係を察した。

 

『あなたは……天童木更さん、ですね。お噂は聞いております。ですが質問にはお答えできません。依頼人のプライバシーに当たるものですので』

「納得できません。感染源ガストレアは感染者と同じ遺伝子を宿している、という常識に照らすならそのガストレアはモデル・スパイダー。うちのプロモーターでも一人で倒せるでしょう。……多分ですけど。多分」

 

 後半尻込みして自信なさげに眉を下げる少女。

 なんとなく、この二人の信頼関係を察した。

 

「問題はなぜそんな簡単な依頼を破格の依頼料で、しかも民警のトップクラスの人たちに依頼するのか……腑に落ちません。ならば値段に見合った危険がそのケースの中にあると邪推してしまうのは当然ではないでしょうか」

『それは知る必要のないことではありませんか?』

「かもしれません。しかしそちらがあくまで手札を伏せたままならば、うちはこの件から手を引かせていただきます。不明瞭な危険に社員を巻きこませるわけにはいきませんから」

『部下想いの素敵な社長ですね……しかし、ここで退席するとペナルティがありますよ?』

「――覚悟の上です」

 

 言いたいことを次から次へと弁明する天童木更。しかし社員が社員なら社長も社長のようで、喧嘩腰で前のめりな物言いは少年と大差なかった。進言できる勇気は必要だが、時にそれが命に関わることを理解しているだろうか。退席のペナルティが大切な社員に課せられる危険性もあるというのに。

 ピリピリした空気を肌で感じながら欠伸を噛み殺すと、室内にけたたましいほどの笑い声が響き渡った。

 

『誰です』

「私だ」

「あ」

 

 突如として現れたおかしな出で立ちの男に、久代は短く声を上げる。

 シルクハットにワインレッドの燕尾服、顔を覆う悪趣味なマスケラ。見間違えようもない、蛭子影胤だ。彼と彼の娘とは一度だけ顔を合わせたことがあり、忘れもしないその風貌は以前と同じ雰囲気をまといながら再びやってきた。

 ―――不気味さでいえば、()の方が圧倒的に勝っているが。

 影胤は空いていた席に腰掛け、両足を卓に置いている。それから「いよっと」と奇怪な動作で起き上がり、卓の上に土足で踏み上がった。

 

『……名乗りなさい』

「これは失礼。私は蛭子、蛭子影胤という。お初にお目にかかるね、無能な国家元首殿。端的に言うと私は君たちの敵だ」

「お、お前……ッ」

 

 たった一人の人物が介入しただけで場が騒然とする。彼の奇怪な風貌や反社会的発言を聞けば誰だって混乱するだろうが、唯一久代だけは頭を抱えて絶望していた。

 

 ――あの男が来たということは。

 

 なんかもう嫌な予感しかしない。今すぐにでも尻尾巻いてこの場から人目の付かないところまで逃げ出してしまいたい気分だ。というか家に帰りたい。

 お偉いさん達の会議に出席、但し席はセルフで用意。てっきり球磨川に外せない用ができたから代わりに聞いてこいみたいな、ただ代役を頼まれたと思い込んでいた。しかしそれは大きな間違いで、そんな一方的な思い込みは浅はかなのだ。こんな大事な会議、何も起きずに無事終了するはずがない。

 

「『まぁまぁそう怒らないでよみんな』『僕たちだって国の存続に関わる大切な話を聞きたい』『そう思ってわざわざ来たんだから』『さ』」

 

 ――ほら、やっぱり来た。

 

 いつの間にか影胤の背後に佇んでいた人影に、場が一層沸き立つ。ただでさえ気味の悪い見た目をしている男の後ろから現れたのは、やや長めの黒髪と濁った黒目で学ランをぴしっと着用した少年。一見人畜無害で凡庸な見た目をしているが、彼こそが久代に会議に出るよう頼んだ張本人、球磨川禊である。

 来ない訳がなかった。蛭子影胤が現れた時点で彼がおまけで付いてくることは明白だったのだ。

 

「……はぁ。ライブ行きたかったなあ」

 

 後悔を溜息と共に置き去りにして呟く。阿武隈久代は桃色の髪を掻き上げ、黒いコートの裾をはためかせてその場から飛び上がった。カラスの如く滑空して音を立てずに着地した先は奇々怪々な男二人の傍らである。

 ゆらり、と身を起して薄ら笑いを浮かべ、久代は唖然とする面々に振り返った。

 

「モデル・クロウのイニシエーター、阿武隈久代。どうぞ仲良くしてやってね」

 




以前いただいたコメントの中にあったものを今さら返答するのもあれですが一つだけ

 負十三式設定とかいう大層な名前についてですが、実際に十三人もキャラを出すつもりはありません。さすがに管理しきれる気がしないので。
 出てせいぜい3、4人が限度じゃないかと思います。


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6『小学生も鬼ごっこで使うよね』

無理のない範囲での投稿(同日)


 運命の巡り合わせを信じるかと聞かれれば、答えはノーだ。

 数多の人々が生きる世界で特定の人物との出会いを『運命』と称するなどおこがましい。幾つもの出会いと別れを繰り返すヒトという生物は、定められた運命などなく偶然の連鎖を生きている。偶然など存在せず全ては必然、などと豪語する者もいるが、それは大きな間違いだ――と、里見蓮太郎は今まで運命という言葉を信じたことはなかった。

 

 しかし今だけは、運命の巡り合わせを信じても良い。しかしそれは蓮太郎にとって全くといっていいほど良い意味合いでは無く、むしろマイナスな意味でその言葉を信じざるを得なかった。

 

「フフフ、元気だったかい里見くん。我が新しき友よ」

「『やあ数日ぶりだね蓮太郎ちゃん。』『僕に会えてそんなに嬉しいのかい?』」

「てめぇら……どっから入ってきやがった!」

 

 奇妙な仮面を付けた長身の男、蛭子影胤。

 凡庸な見た目に狂気を孕んだ男、球磨川禊。

 

 出会った日も場所も違えど、蓮太郎はどちらのことも最悪な印象をもって憶えている。しかも猟奇的、或いは狂気的な雰囲気をこれでもかと溢れさせる二人を見る限り、互いに何らかの形で繋がっている関係と見た方が良いだろう。今まで知り合った中で最凶最悪な二人が手を組んだと考えると悪寒が止まらない。

 そんな人物たちと、よりによって国家機密の情報すら関わってくる場での邂逅。ある意味運命の巡り合わせといっても過言ではない。

 

「『特に何か難しいことはやってないよ』『そう、それこそ正々堂々と正面から、真っ向から』『妨げになるものを全部退けて僕らはここまでやってきたんだ』『長く苦しい戦いだったよ……その証拠に、ほら』」

 

 球磨川が一人でべらべらと力説しながら部屋の入り口の方を指差す。まるでとある昼下がり、公園の木に止まった小鳥を眺めるかのような動作に一同が振り返るが、そこには何もいない。

 

 ――否、人らしい人がいないだけで、入り口には二つの死体が転がっていた。音もなく命が散った跡をその場に全員が驚愕し、そんなことはお構いなしに蓮太郎と木更の脇を一人の少女が通り過ぎていく。

 ウェーブがかった青い短髪にフリル付きの黒いワンピース。腰の後ろに交差して差された二本の小太刀はしっかりと鞘に収められ、紅く両眼が光る幼い顔立ちには赤い液体が付着している。

 何事もなくのんびりと快晴の空の下、公園を散歩するかのごとく少女は歩いていく。「うんしょっと」と手をつき上げ、難儀しながら卓の上にのぼり、少女は影胤の横にきてスカートをつまんでお辞儀をした。

 

「蛭子小比奈、十歳」

「私のイニシエーターだ。先程自己紹介してくれた阿武隈久代は彼、球磨川君のイニシエーターだよ」

 

 イニシエーター、と少し前に名乗った阿武隈久代に続いて影胤が口にした言葉に蓮太郎は違和感を覚える。傍らの蛭子小比奈がイニシエーターならば彼はプロモーター、つまり民警ということだ。

 そして当たり前のように席についていた久代と球磨川も、同じく民警ということになる。彼らからは民間を警備するような雰囲気は全く見られないが。

 

「パパ、みんな見てる。恥ずかしいから、斬っていい? あいつもテッポウこっち向けてるよ、斬っていい?」

「よしよし、だがまだ駄目だ。我慢なさい」

「今はやめときなよ小比奈。あとで相手してあげるからさ」

「本当? 久代、斬られてくれるの? ねえ、斬られてくれる?」

「いや斬られるのは勘弁かな。それは球磨川が――いや、あとでね。うん」

 

 欲望を制止されて一瞬涙目になる小比奈だが、隣の久代が肩に手を置いてフォローすると顔色を明るくする。懐いた子犬のようにすりすりと久代に頭を擦りつけており、とても心を許していることが良く分かった。鞘から滴る血、顔や服にこびり付いた返り血さえなければ、その光景も微笑ましいものだっただろうに。ついでに場所と空気と会話内容も悪いせいで、暖かい気持ちで見守ることのできないやり取りだった。

 球磨川は一人取り残されたように肩を竦め、涼しい顔をしている。

 

「『まったくこれだから小さい子っていうのは。空気くらい読んでほしいものだよね』『今日は七星の遺産を頂戴するためにエントリーに来ただけなんだから』『そういうのは本当、後でやってほしいよ』」

「……七星の、遺産? なんだよそれ」

「おやおや、君たちは本当に事前情報なしで依頼を受けさせられようとしていたんだね、可哀想に。君らが言うジュラルミンケースの中身のことだよ」

 

 銃を構えたまま蓮太郎が問うと、影胤が憐憫にも似た感情を混ぜた回答をする。若干侮蔑も入り混じっているような口調は何を企んでいるのだろうか。

 

「昨日、お前があの部屋にいたのは」

「うんその通り。私も感染源ガストレアを追って部屋に入ったんだが、肝心のガストレアはいなくなるし、ぐずぐずしてたら警官隊が突入してくるしね。びっくりしたから殺しちゃった。ヒヒ、ヒヒヒヒヒ」

 

 仮面をおさえてくぐもった低い笑い声を出す影胤。蓮太郎は先日の出来事を思い出す。

 感染源ガストレアを追跡して入ったマンションの一室、警官隊が惨たらしく殺戮され、荒れに荒れた部屋の中には影胤が佇んでいた。思わせぶりな物言いとやけに友好的な口調、それらを全てぶち壊す猟奇的発言。彼の印象が最悪な理由はまさにその出来事である。

 影胤は大きく両手を広げ、卓の上で回転した。

 

「諸君ッ、ルールの確認をしようじゃないか! 感染源ガストレアの体内に巻き込まれているであろう、七星の遺産。我々と君たち、どちらがそれを先に手に入れられるか――掛け金(ベット)は君たちの命でいかがかな?」

「――黙って聞いていればごちゃごちゃと、うるせぇんだよ。要約するとてめぇがここで死ねばいいんだろ?」

 

 意気揚々に宣言する影胤に、それまで無言だったドクロのスカーフェイス男、伊熊(いくま)将監(しょうげん)が痺れを切らして動く。瞬時に彼の姿が消失し、バスタードソードを片手に影胤の懐に潜り込んでいた。

 

「ぶった斬れろや」

 

 手にした巨剣が旋風を纏って振られ、下から上に回避のしようがない一撃が放たれる。迅速な動作、流石はプロの民警といったところか。影胤の体は成す術なく左右に真っ二つに引き裂かれる――と思えたが。

 バチィッ、という雷鳴音が弾け、将監の巨剣があさっての方向へ吹き飛ばされる。ほんの一瞬、僅かにだが二人の間に迸った青白い燐光――それが原因なのか。

 

「なっ――」

「ヒヒ、ざーんねん!」

 

 不可解な現象を前に冷静な判断ができたのか、将監は舌打ちをこぼして後退。仮面の奥でケラケラと笑う影胤に集まっていた社長やプロモーターが自衛用のピストルの引き金を引いた。

 一点に放たれる集中砲火。ありとあらゆる角度から発砲音が鳴り響き、再び雷鳴音が轟く。一瞬にしか見えなかったものの正体が今度ははっきりと視界に映しだされる。

 

 影胤や小比奈の周囲を覆うのは、ドーム状のバリアだ。

 彼を中心に展開されるバリアは迫りくる銃弾を全て捉え、勢いを完全に殺して空中で停止させ、お返しと言わんばかりに打ち込まれた方角へ正確に反射する。

 跳ね返る銃弾の擦過音、同時に幾重にも連なる絶叫、悲鳴が耳朶を打つ。迸る鮮血が質素な模様だった室内を鮮やかに彩り、死と無機質のコントラストが地獄に似た惨状を演出する。

 悲鳴や絶叫、血は運悪く返される跳弾に直撃した人々のものだ。蓮太郎は自身の頬を掠めていった死の一撃に身を強張らせ、銃を構えたままの姿勢で停止していた。

 

「斥力フィールドだ。私は『イマジナリー・ギミック』と呼んでいる」

「『影胤ちゃんはすぐそうやって仮名文字を使いたがるんだから』『そういう無駄に格好良い響きが許されるのは熱血バトル漫画か週刊少年ジャンプだけって相場が決まってるんだぜ?』」

「君がそれを言うのかい、球磨川君。ネーミングセンスには惚れ込んでいるが同類みたいなものじゃないかね?」

 

 広がる絶望の景色を前に、異常者二人組は声音を変えず楽しげに会話している。

 明らかな離れ業をやってのけた影胤と存在そのものが異質な球磨川。どちらかだけでも十分なインパクトと狂気があるのに、二人が揃えばどんな場所だって地獄と化すだろう。特に出番もなく暇を持て余している少女二人は退屈そうに談話しているが、こんな状況で驚きもしない精神はやはり異常だ。

 

「『便利だよねバリアって。小学生も鬼ごっこで使うよね』『僕なんて』『この程度のことしか(・・・・・・・・・)できないのに』」

 

 欠伸を漏らして球磨川の片手が頭上に掲げられ、動かすのも気だるげに振り下ろされる。

 

 ――刹那、地獄に終止符が打たれた。

 

 跳弾に対して既に死んでいる者、致命傷を負った者、辛うじて回避した者、無傷の者、射撃の嵐に参加しなかった者――様々な状態の者たちが、その場にいる全員が、皆平等に。一切の不公平や不平不満を許さぬとばかりに、仲良く生命に止めを刺される。

 方法は至って単純。全員が凶器と化した巨大な螺子で胸を貫かれたのだ。心臓をぶれることなく刺しぬいたそれに、誰もが喘ぐ暇もなく倒れ伏す。影胤も小比奈も久代も、モニター越しにしか参加していなかった聖天子でさえも――たった一人、球磨川禊という男を取り除いて、一瞬のうちに絶命させられた。

 

 一度腕を振り下ろした程度で馬鹿げていると、思考する隙も与えずに蓮太郎の意識は深い闇の中に堕ち

 

「『大嘘憑き(オールフィクション)』」

 

 ――ることはない。

 訳も分からず周囲を見渡すと、信じ難いことに誰一人として命を落としていなかった。影胤のバリアによる反射で死んだ者も、螺子で貫かれた者たちも、五体満足で傷一つ負わずに生きている。

 まるで、全てはくだらない嘘だったと嘲笑われるかのように。

 

「『君たちの絶命を』『死を』『なかったことにした』」

 

 ただ一人、球磨川禊だけが不気味で狂った笑みを浮かべている。口角を吊り上げて三日月の弧を描き、腐りに腐った瞳を薄暗い室内の中揺らしていた。

 首をコキコキと鳴らす影胤も困ったように息を吐く。

 

「手品を披露するのは構わないがね。我々を巻き込むのはやめてくれないかい」

「『え?』『僕何かした?』『やだなぁ影胤ちゃんったら、夢でも見てたんじゃないのー?』」

 

 次の言葉は、影胤でも小比奈でも久代でも聖天子でも、斬り掛かってきた将監でもなく蓮太郎に向けられたものだった。

 

「『――何も起きなかったじゃないか』『そうだろ?』」

 

 背筋に百足が這いずりまわるような怖気と悪寒が訪れる。

 言動が微塵も理解出来ない、出来る気がしない、否、そもそもしたくない。影胤でさえ良心的に見えてしまうほどの人物、異常以上(いか)の何か。十年前にも数日前にも感じた恐ろしさは、身の毛もよだつ危機感は、全て正しかったのだ。

 

「随分場を狂わされてしまったが、名乗らせていただこう、里見くん。私は元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤だ」

 

 仕切り直して名乗られた言葉に、部屋のあちこちからどよめきが走る。死んだという錯覚を体感したばかりで、未だに正気を取り戻せていない者もいるようだ。話がまるで頭に入っていない。

 蓮太郎がちらと球磨川の方を一瞥すると、嬉しそうに首を傾げられた。

 

「『僕? 僕は名乗るほどの者でもないよ』『ついに運命のイニシエーターを見つけた混沌よりも這い寄るマイナス』『IP序列マイナス一三位のプロモーター、“負完全”の球磨川禊――』

『名前だけでも憶えて帰ってね』」

 

 人類に敵対する四人の異常者たち。

 計り知れない実力と狂気、得体の知れない人間性を持ち併せた最凶にして災悪のコンビ。

 

 成す術もなく絶望を塗りつけられた人々は、迫りくる地獄に恐怖し、怖れ慄き、希望を失う。ガストレア、失われた子供たち――そんな存在すら置き去りにして死を叩き付けてくる。

 彼らは歴史の闇よりもずっと深く、ただただ真っ黒に、愉快に嗤っていた。

 



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7『お前も同類だ』

時間が有り余っていたので投稿です。
今回はオリキャラ回ということで、残念ながら我らがクマ先輩は出ません。


 

『死ぬがよい』

『死にさらせええぇぇぇぇぇぇっ!』

『貴様の死に場所は……此処だあァァァァァ!』

『こいつは死んでいいやつだから』

 

 テレビの向こうで裂帛の雄叫びと共に敵に斬りかかる天誅ガールズを見て、蓮太郎は何とも言えない気分になった。最近『赤穂浪士系魔法少女』というものが流行っているらしく、可憐な服装をした魔法少女達の復讐譚を描いた物語が子供たちに大人気とのことだ。

 今時の子が分からない。これがギャップ萌え、というやつだろうか――燃えているのは敵の死体だが。

 

「えぇ……何、この……何?」

「これが天誅ガールズだぞ蓮太郎!」

「見りゃ分かるわ! その上でよく分かんねーんだよ!」

 

 延珠が「分かってないな」とため息を吐いた。

 確かにガールズが敵と思しき登場人物に惨たらしく天誅している。名前の通りではあるのだが、五分ほど店頭の紹介映像を視聴した上で魅力を理解することはできなかった。

 謎ジャンル過ぎる、一体どの層を狙ってつくったのだろう。

 

 理解し難いといえば、と蓮太郎は昨日の出来事を思い出す。

 『新人類創造計画』の蛭子影胤、『負完全』の球磨川禊。どちらも脅威的な存在にして、今回の依頼において敵対する人物だ。

 影胤の言う「七星の遺産」は、悪用すれば聖天子曰く東京エリアを囲むモノリスの結界に大穴を空けることができる代物らしい。ガストレアから人類を守る結界に穴が生じれば、そこから東京エリア内に大量のガストレアが侵入してくることは明白。影胤達の目的は分からなくとも、そんな危険性を孕んだモノを彼らの手に渡らせるわけにはいかない。

 

 加えて球磨川禊。場の雰囲気を盛大にぶち壊して圧倒的な印象を植え付けていった彼も要注意だ。これまで三度遭遇しているが、その狂気と脅威は計り知れない。良いも悪いも一緒くたにして全て台無しにしてしまう、そんなオーラを漂わせる男だ。碌でもないことを考えているに決まっている。

 なんにせよ、彼らに負けるわけにはいかない。

 

「――死の香りがする」

 

 同時に、二人の男のインパクトが強すぎて印象に残り辛かったであろう少女二人のことも振り返る。

 一人は影胤のイニシエーター、蛭子小比奈。血の気の多い危険人物で、彼が抑制しなければあの場で誰彼かまわず斬り掛かっていたことだろう。

 もう一人は球磨川のイニシエーター、阿武隈久代。会議の開始前までは大人しく席に着いていた――以前に、蓮太郎も一度だけ言葉を交わした人物だ。四人の中で最も危険性が低いと考えられるのは、唯一何の行動も起こさなかったからである。しかし彼女があの時席に着いていたということは、本来座るべき人物が他にいたと考えるべきだ――殺されていなければいいが、とあまり考えたくない発想を振り払った。

 

「あと数日で死ぬねぇ、これは」

「急にどうした延珠、お前そんなに考察とかするタイプじゃなかっただ、ろ……」

 

 隣で物騒な物言いをされて振り向く。するとそこには全身を真っ黒なコートで覆い、フードをすっぽりと深く被った少女がいた。僅かに見える桃色の髪がふらふらと揺れ、テレビに釘付けになっている横顔は完全に不審者だ。

 少女は辟易しながら蓮太郎の方へ顔を向ける。

 

「どーも、こんにちは。良い天気ですね」

「阿武隈久代、で合ってるんだよな。なんでこんなところにいるんだ」

 

 久代の後ろで天誅ガールズのグッズを物色中の延珠を確認し、拳を握って身構えた。黒い少女は頭に疑問符を浮かべるように首を傾げて見つめてくる。琥珀色の瞳は澄んでいるとも濁っているともいえない、奇妙な透明度をもっていた。

 

「警戒しなくていいよ、別にやりあおうって気はないんだし。私は様子を見に来ただけだから」

「様子を見に来た? 何の話だ」

「寿命確認っていうか、希望があるかどうかなと思って。――しかしまぁ、結果は残念だったんだけどさ」

 

 そう言って久代はコートの中から腕を伸ばし、親指と人差し指で輪っかを作って自らの左眼の前にもってくる。片眼鏡を模したジェスチャーか何かだろうか。

 

「あなたから死の香りがする。その命もあまり長くないみたいだよ」

 

 至極まともそうに、ひどく落ち着いた声音。

 死の警告か余命宣告か、はたまたとんだほら吹きか。普通なら子供の戯言と聞き流すはずの言葉には凄まじい重みがあり、とても冗談とは思えない異常性がある。すぐに冗談でした嘘ですとおどけて見せてくれればと願ったが、久代は一切訂正するつもりはないといった風に続けた。

 

「【冒涜な墓場(ダストボックス)】――死を嗅ぎ別ける過負荷(マイナス)さ。私にはそういう力がある。信じる信じないは勝手だけど、頭の隅にでも置いといてよ」

「そのマイナスとかいう、あからさまに嫌な響きのそれはなんなんだ?」

「そっちに食い付くかー、信じてないのかな? まぁ別にいいけどさ……マイナスってのは『生きる上で何の役にもたたない不要な力』のこと。持ち主の生き様そのものを表しているすっごーい力だと思ってくれていいよ」

 

 どこか飄々とした態度をとる久代だが、彼女の瞳はいつの間にか緋色に染まっている。

 イニシエーターと名乗るからには彼女もまた、『呪われた子供たち』ということだ。延珠とは服装も雰囲気も大きく異なり、立場も蓮太郎にとって真逆といっていい。しかし彼女も延珠と同じ存在なのである。

 

 姿形は違っても、一つの概念が二人を同一であると結び付けることに胸がひどく痛んだ。

 

「おっとつい癖が、失敬失敬。俗にいうカラコンから赤色が撤廃されたのも、私たちのせいだっていうのにね」

 

 ――違う、と心の中で叫ぶ。

 決して彼女たちは、『呪われた子供たち』と呼称される少女たちは何も悪くないのだ。ガストレアの因子を体内に宿した差別対象、『奪われた世代』にとっての脅威であり恐怖の対象。ガストレアによって人生を狂わされた人やガストレアに恨みをもった人の矛先は、高確率で少女たちへと向かっていく。仕方のないことだと割り切ることもできるが、何かが確実に間違っている。

 目が赤い、外見上の普通の人間と異なる点はたったそれだけ。目が赤いだけで差別され、怒号と罵声を浴びせられ、外周区という劣悪な環境でひっそりと暮らし、場合によっては殺される。

 

 ――馬鹿げている、どう考えてもおかしいじゃないか。

 

「顔が怖いけど大丈夫? あんまり唇は噛まないほうが……っと」

 

 目の前で小さな手をふりふりと揺らされ、ハッと正気に戻った。

 自分は今どんな顔をしていたのだろう。敵対しているはずの相手に心配されていたということはよほど酷い顔をしていたということになる。

 無意識のうちに噛み締めていた唇から僅かに出血していたので人差し指で軽く拭うと、蓮太郎は遠くから聞こえてくる喧騒に振り返った。

 

「あれは……」

「めんどくさそうなものが見えるなー。早いとこ逃げた方がよさそう」

 

 呑気に欠伸する久代を尻目に喧騒に気づいていない延珠の手を掴む。

 嫌な予感がする。身体能力も戦闘技術も平凡な蓮太郎だが、勘だけは人一倍に鋭かった。直感に従ってきたおかげで今まで民警の仕事を続けてこれたようなものである。

 その直感が今この場に長居すること、特に延珠を置き続けることを強く否定していた。飛び交う怒号、何かを追いかける無数の群衆、怒りに染まった大人たち。悲鳴のような蛮声を突き抜けて走るのは、薄汚い身なりの少女だった。食料品を詰めたスーパーマーケットのカゴを持ち、一心不乱に全力疾走している。

 

 大人が血走った表情で一人の子どもを――目の赤い子どもを追いかけていた。

 

「れ、蓮太郎。あれって」

「延珠、遠回りになるけど反対から帰る――」

 

 喧騒に気づいてしまった延珠を庇うように隠しながら説得を試みる。無表情で群衆を眺めていた久代は忽然と姿を消していた。

 

 そして姿の見えなくなった黒い少女は、ゴミ捨て場を漁るカラスの如く群衆の前に降り立つ。

 

「なんだお前、そこを退け!」

「おい、こいつも目が赤いぞ」

「お前も化け物の仲間かぁ! 俺の家族を返せ!」

「ゴミ共、まとめてぶっ殺してやる!」

 

 憎悪に満ちた大人たちが獰猛な顔で吠え、次々と久代に向かって襲い掛かる。フードで赤目を隠した彼女は身動ぎもせず無言で佇んで、迫る暴力の数々をただただ静観していた。

 大人のうち一人の手が、彼女のコートを掴もうとするまでは。

 

「悲しい」

 

 短い呟きの後、再び久代は姿を消す。標的を失った者たちは一瞬戸惑い辺りを見渡すが、彼女の姿は見つからない。前後左右を蟻すら見逃さない勢いで探し続け、やがて一人の男が大声で「いたぞ!」と叫んだ。

 

 指差された先は電柱を繋ぐ電線、その中間。人の手ではおおよそ届かない高さで久代は細い一本の線にぶら下がり、自我を失って復讐の鬼となった人間達を見下ろし、僅かに身を引いて反動をつけると大きく飛び上がった。

 体を何度も回転させながら小さな竜巻の如く宙を舞う黒の塊。電線から離れて数秒間空中に停滞した後、コートをはためかせて久代が勢い良く何もない後方を蹴る。宙を鋭い角度で滑空して掴みかかろうとした男に肉薄すると、片手で首根っこを掴んでもう片手で顔面を貫いた。

 

 矮小な存在から繰り出された一撃は容赦なく男の頭蓋を貫通し、顔の構成をみるみる改悪していく。鼻はめり込み目は潰れ、中心部分に細いトンネルを開通させた。いとも容易く行われた殺人に周囲は唖然としているが、久代は一秒の隙も許容せんとばかりに次なる行動に出る。

 顔面が抉れた男の体を隣の男に叩き付け、信じられないほどの怪力によって隣の男は押し潰されて圧死。ようやく地に足を着けた黒い少女がゆっくりと首を持ち上げ――そこからは流れるように惨殺の連続だった。

 武器をもたない少女が二本の腕だけで人の体を抉り、貫き、切り裂いていく。まるで鋭い嘴のような怒涛の攻めに群衆は成す術なく殺され続ける。恐怖に腰を落として足が竦んだ者も逃げようと背を向けた者も、一切の慈悲を与えることなく悲鳴を上げる前に殺害。着実に数を減らし続ける生存者は次第に指折りで数えられるほどの人数になり、三人、二人、一人――最後の一人が恐怖で失禁した頃には全てが終わっていた。

 残されたのは逃げていた赤目の少女と、積み重なった死体の山頂で空を見上げている久代だけだ。

 

「嗚呼、嗚呼、嗚呼」

 

 感情の宿らない声が聞こえる。

 

「悲しい、悲しいなあ。本当に残念でならないよ。死を嗅ぎ分けるなんて中途半端な未来予知のような力があるせいで、誰の散り際も死ぬ時も分かってしまう。こんなことなら自分が死ねばいっそ楽になれるのにって何度思ったことだろう。愛も哀も何も残らない死なんて分かったところで何の意味もありはしないのに。そのせいでまた死んだ、こんなに死んだ。たくさん死んだ。この死は本当に必要なのかな、分からない、分かる筈もない。虚しさだけが残るよ」

 

 血塗れになった両手を開閉し、湧き上がる悲しみを隠そうと彼女は両手で自らの顔を覆い隠す。

 その二つの手で幾つもの命を蔑ろにしてきたというのに、そんなことは何処吹く風と懺悔を垂れ流していた。まともに会話が成立した頃の面影はどこにもない。言葉を羅列して声を震わせる姿はまさしく狂気の沙汰だ。

 

「そしてお前も同類だ。容赦なく侮蔑と怒りに身を染める愚者とお前とに何の違いもありはしない。身の程を弁えず本能に従った結果がこれだ、お前のせいでこんなに死んだ。お前という一つの命のためだけに、多くの命の糸がぷつりと切れたんだ。虚しい、悲しい、苦しいよ。心にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚さ」

 

 自分を襲っていた存在の消失により、尻餅をついていた少女の下へ久代が歩み寄る。黒ずくめの相手が少し無理に微笑んでいる姿に少女はびくびくと肩を震わせているが、頬を優しく触れられたこと、同じ赤い目をしていたことから安堵の表情を浮かべ始める。

 

 そして心を開き始めた少女を前に久代は目を見開き、殺意の籠った狂気的な表情をした。

 

「だから、この虚しさを埋めるために死んでくれ」

 

 今までで最も殺意に満ち溢れた一撃――伸ばした左手が少女の心臓を正確に貫き、溢れ出る血を浴びる前に穴の開いた小さな体を放り投げる。無造作に捨てられた矮躯がくるくると不自然に飛んでいき、強かに背中を壁に打ちつけた。

 吐血し痙攣している姿を無様だと言わんばかりに侮蔑と憎悪の宿った視線で一瞥すると、久代は興味なさげに背を向ける。小さく屈伸すると音を立てずに遥か上空へ飛び上がってどこかへ行ってしまう。

 

「……蓮太郎、助けよう」

 

 凄惨さを物語る光景を前に、延珠が落ち着き払った声で言った。

 

「あいつは右手にしか武器……がんとれっと、というやつをつけていなかった。まだ助けられるはずだ」

「……わ、分かった」

 

 自分は呆気にとられていることしかできなかったのに、と彼女の洞察力に舌を巻く。ガストレアの因子をもつ者は脅威的な再生能力をもっており、常人では死んでしまうような致命傷でも時間を掛ければ元に戻ることがある。故に久代が群衆に放った攻撃と同様のモノを受けても、生身の左手によって貫かれた少女はまだ助かる可能性があるということだ。

 

 蓮太郎は急いで少女に駆け寄り、雲しか浮かばない晴天を見やる。

 四人の中でも常識人といった印象をもっていた阿武隈久代だが、認識を改める必要があるようだ。球磨川のイニシエーターがまともなわけがなかった。

 立派にプロモーターに劣らない狂気と個性をもった過負荷。彼女も敵対する相手として、十分に警戒する必要がある。

 たとえどれだけ悲しげな表情をしていたとして、敵であれば情けをかけることは許されないのだから。

 



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8『戦闘狂という存在は』

時間がある今だからこそ良いものの、多分こちらの投稿ペースは徐々に低下していくと思われます。ご了承くださいませ。


 外周区域付近の木々が鬱葱と生い茂る森の中、男女二人ずつのペアは木陰で豪雨から逃れるように座り込んでいた。人気のない殺風景な森林に強く弾ける雨音だけが残っている。碌に整備されていない無法地帯、足跡もない無人の空間。退屈に苛立つ小比奈がバラニウム製の小太刀を振り、虚空を切り裂く音だけが虚しく響いた。

 

「蓮太郎君達を待つだけとはいえ、なかなかに暇なものだね」

「パパー……斬りたい」

 

 件の感染源ガストレアはこの森を目指して移動している。モデル・スパイダーであるため蜘蛛糸をハンググライダー状に展開し、監視カメラに映らないよう高所を飛行中だ。怪物と呼ばれる割に随分と頭が良い。その進化の可能性を秘めているからこそ、ステージⅠからステージⅤまでの段階に別けて区別されているのだが。

 そして、里見蓮太郎も情報を得てこの場所へとやってくるはずだ。彼の事だから一番に到着して感染源ガストレアを倒すに違いない――と、何故か好評している影胤は言う。

 

 しかし、彼らを待つには早く着き過ぎた。先を見越した待機自体は悪くないのだが、待ち時間が長すぎると暇である。

 

「『何か暇潰しでもできればいいんだけど』『……』」

「なんでこっち見るのさ。私は裸エプロンとかお断りだからね」

「『分かってないなぁ久代ちゃん』『今の僕のトレンドはダブルバンテージだ』」

「もはや服ですらない! あんたの趣味が怖いよ!」

 

 ちなみにダブルバンテージは隠す必要のある二か所にのみ包帯を巻くスタイルのことだ。裸エプロン、手ぶらジーンズとトレンドを変えていった球磨川の趣味が若干おかしな方向へと向かっていた。

 頬を薄赤く染めながら身を守るように自分を抱き締める久代に、半眼の小比奈が抜き身の小太刀をもったまま歩み寄る。

 

「危ない、お前もなんか危ない! 何の用?」

「久代ぉ……斬りたい」

「それしか言えんのかこのカマキリ! だいたい斬りたいって言われても……球磨川を斬ればいーじゃん」

 

 矛先を擦りつけられて球磨川が若干戸惑う。小比奈は眠たげに彼へと視線を向けると、カモを見つけたように目の色を赤くする。

 

「『え?』『いやいやいや待とうぜ小比奈ちゃん』『僕たちは味方同士だぜ?』」

「禊はァ、斬っても良いんだよね、パパ?」

「構わん、存分にやりなさい」

「『くそ!』『親子揃って僕を切り刻むつもりか!』『だがそうはいかな――』」

 

 轟沈。

 刀を持たせれば接近戦では無敵と謳われた小比奈を前に、非力で無才の球磨川は成す術もなく切り刻まれる。二本の小太刀から放たれる斬撃が瞬く間に彼の胴体を細切れにした。

 返り血を浴びて小比奈はまるで次に何が起こるか分かっているかのように喜々とした表情を浮かべている。既に命を落とした球磨川の肉体も、期待に応えるために何事もなかったかの如く復活していた。

 

 否、復活などという命が蘇るようなプラスな表現では語弊がある。彼の死は生命の循環を冒涜して掻き消されたのだ。

 

「『これで何回目だい、そろそろ飽きてくれないかな』」

「彼女は本来、強い者にしか興味がないのだがね。君のようにいくら斬っても死なない存在は稀なのだよ」

 

 球磨川禊の所持する過負荷(マイナス)大嘘憑き(オールフィクション)

 それは現実(すべて)虚構(なかったこと)にする馬鹿みたいに規格外な能力だ。因果関係を無視して任意の対象及び概念だけをなかったことにし、世界から取り除くことができるため、非常に恐ろしい力といえる。

 もっとも大嘘憑きは安心院なじみが彼に与えた手のひら孵し(ハンドレット・ガントレット)――事象の卵細胞化、因果の逆転という極めて平和的な能力を、彼が魔改造したスキルなのだが。

 

「……なんか、違う」

 

 しかし斬り続けても元通りになるとはいえ、小比奈の太刀筋では球磨川は少々相手にならなかったようだ。初めこそ死なない相手に興奮を抑えきれなかった彼女だが、何度やっても一撃で沈む的は面白みに欠けるだろう。興が冷めたと言わんばかりに無言で小太刀を鞘に納めると大人しく木陰に戻っていった。

 

「『あーあ、振られちゃった』『僕としては女の子に興味を持ってもらえて嬉しかったんだけどなぁ』」

「そんな興味の持たれ方で喜ぶ奴は――っと?」

 

 近くて爆撃を受けたような音が轟き、久代が反射的に立ち上がる。

 音の正体は全員が分かっていた。待ち続けた相手の登場だ。

 

「ブゥラボォッ! 我が友がようやく来てくれたみたいだッ!」

「延珠、延珠来たの?」

 

 親子揃って発狂する姿に久代がドン引き。彼女自身もテンションがおかしくなると他人に指摘できないくらいの危険人物に成り変わるのだが、自覚がないため救いようがない。

 友達が家に来てくれた、みたいなノリで躍り出る影胤と小比奈。球磨川は二人に続かず、大木に背を預けたまま空を仰ぎ見る。晴れとも曇りともいえない微妙な空模様は気味が悪かった。

 

「ヒヒ、ご苦労だったね里見くん」

「なに――ガッ」

 

 感染源ガストレアを討伐し終えた二人に蛭子親子が飛びかかる。ジュラルミンケースを訝しんで観察していた蓮太郎は背後から伸びる影胤の手に遅れて反応し、頭を鷲掴みにされてぬかるんだ地面に叩き付けられた。蓮太郎の身を案じて動こうとした延珠には小比奈が斬りかかる――どうやら小比奈は一度延珠と戦った際、モデル・ラビットである延珠の優れた戦闘能力に惚れ込んでしまったようだ。

 目的のガストレアを駆除した途端に降りかかった脅威に蓮太郎たちが悪戦苦闘する中、球磨川はストレッチをして見守っている。その様子を見て動くに動けない久代は棒立ちだ。

 

「……え? 行かないの?」

「『二対二で丁度いいじゃないか』『それに僕らが出なくても蓮太郎ちゃんは負けるよ』」

「なんでそんなこと分かるのさ……ってまぁ、確かに序列の差で考えればそうだけどさ」

「『いやいやそういう意味じゃぁない』『今は勝てないってだけだよ』」

「……?」

 

 彼は余裕そうに腕組みして続ける。

 

「『圧倒的な実力差』『自身の力不足』『それらを痛感して蓮太郎ちゃんは負ける』『……でもそれは今この場での話だ』『あの脅威的なペアから命からがら逃れて、次に来る時は馬鹿みたいに格好良いところを見せてくれるさ』」

 

 まるで主人公みたいに、と付け加えた。

 久代は首を傾げながら聞いていたが、「それでいいならいいけど」と木陰に戻って座り込む。プロモーターとイニシエーターということもあり、彼女からの信頼はなかなかに大きいもの。球磨川の言うことであれば大抵は信じてくれる程度には心を許してくれている、といっても過言ではないだろう。

 

 戦いは激化していき、影胤が指を鳴らすと同時に斥力フィールドが展開。内外を隔てる燐光のバリアはその範囲を膨らませていき、蓮太郎をバリアと岩壁の間で押しつぶそうとしていた。

 彼曰く技名は『マキシマム・ペイン』。対する蓮太郎も「天童式戦闘術一の型八番――『焔火扇』ッ!」と叫びながら渾身のストレートを繰り出しているところをみると、「『皆技名言わないと攻撃できないとか週刊少年ジャンプじゃないんだから』」と思わずにはいられない球磨川であった。

 

「おぉー、小比奈と延珠ちゃんも凄い戦い……元気だねぇ」

 

 拍手して久代が傍観する先には、小太刀と蹴りを交差する二人の少女の姿が。両者が俊敏に動き無数の攻撃を放つが、どちらも傷らしい傷を負わせることはできていない。一方的に影胤にやられ続ける蓮太郎と異なり、藍原延珠の戦闘能力はかなり高いようだ。

 生身の人間とガストレア因子を取り込んだ人間の違い。戦闘で実力差が浮き彫りになるペアはどこか安定感に欠けている。

 

「……二人とも何かあったのかな」

「『どうかした?』」

「いや、別に」

 

 少し前に二人の眼前で暴れ回ったことだけはしっかりと憶えているため、それが切っ掛けで蓮太郎と延珠の間に何か確執を生んでしまった――なんてことはあってほしくない、と久代は強く願った。

 特に蓮太郎は今の世界にどこか納得がいっておらず、それ以上に自分自身を認めていないように見受けられる。『呪われた子供たち』について何か事件でも起こったのだろうか。

 

 そんなこんなでひたすら傍観に徹していると、瀕死になっている蓮太郎が延珠を逃がした。彼女も相棒を一人置いていくのは心苦しい選択だったようだが、狂気のペア二人を相手取ることがいかに実現不可能なことかを実感、他の民警に援護を要請するべく撤退する。

 得物の消失により怒り狂った小比奈はやり場のない思いを蓮太郎に向け、彼の体を滅多刺し。瀕死の体に追い打ちがかけられる。

 

「……なんか、やばくない?」

「『いやいや。大丈夫、この後ちゃんと逃げてくれるはずだから』」

 

 予想の範疇と言わんばかりに清々しい表情で人が斬られる光景を眺める球磨川。何がそこまで彼に絶対的な自信をもたせるのだろう。

 腹部に風穴を開けられた蓮太郎はよろめいてその場に倒れ伏す。殆ど死体のような状態の彼の頭を影胤が踏み、脳天にベレッタ拳銃の銃口を向けた。あと数秒もしないうちに彼は射殺されるだろう。

 

「……もう一回聞くけど、やばくない?」

「『あっれーおかしいな』『濁流に突き落とすんじゃないのかよ』」

 

 読みが外れたと言わんばかりに冷や汗を垂らす球磨川。何がそこまで彼に絶対的な自信をもたせていたのだろうか。

 

「『……うーん。』『えーっと』」

 

 困ったように顎に手を当て考えるポーズ。暫し逡巡した後、彼は吹っ切れた。

 どこからともなく取り出した巨大な螺子を影胤に向かって投擲。風を切り裂いて飛行する螺子は白貌の仮面を横から撃ち抜かんと襲い掛かるが、直前で小比奈の振り下ろした小太刀によって迎撃される。

 

「――なにしてるの? パパは敵じゃないよ?」

「『ごっめーん手が滑っちゃったー』『許してほしいな!』」

 

 わざとらしく平謝り。誠意のこもらない謝罪が小比奈を刺激し、彼女は感情を映さない無機質な瞳を揺らして球磨川を見据えた。怒りの感情を露わにしている時よりも殺意にまみれているのが良く分かる、そんな表情だ。

 唐突の仲間割れが始まり、久代は頭を抱える。

 

「なんでそうなる!?」

「『まぁ僕にも僕なりの目的があってね』『悪いんだけど蓮太郎ちゃんを殺すならまず君たちが死んでくれよ』」

「……ふむ、正直私は非力な里見くんに用はないのだが」

「『そう言わずに。泳がせたら成長して帰ってくるかもしれないだろ?』」

 

 説得を試みても、里見蓮太郎に対して失望した影胤は聞く耳を持たない。彼は戦うことを目的として改造された人間、ゆえに闘争の絶えない世界を望んでいる。小比奈の闘争本能は彼の教育からきたものであり、娘が娘ならば父も父、というわけだ。

 

 しかしながら戦闘狂という存在は、戦闘をするに値しない相手には全くといっていいほど興味を向けない。敗北し瀕死になった相手は彼らの理想からは程遠いただの弱者に他ならないのだ。

 

「『うーんそうか、駄目かぁ』『だったら仕方ないね』」

 

 ――対峙する球磨川禊という男も、自分の信念を簡単に曲げるほど都合の良い性格をしてはいなかった。

 

 彼は肩を竦めて両手に螺子を出現させる。普段の飄々とした雰囲気が崩れ、不気味で不敵に笑って異質なオーラを放つ。

 言うことを聞かないなら倒せばいい、螺子伏せてしまえばいい。それだけの話だ。

 

「『悪いけど君との縁もここまでだ』『楽しかったぜ、影胤ちゃん』」

「君とはもっと親しくなれると思っていたよ、球磨川くん」

 

 張り付けた笑みと不気味な仮面は、互いの歪さを主張し合うかのように対立した。

 

 




主人公の目の前で仲間割れする敵って結構好きです。
最近(最近じゃないけど)ではブラ○ドスタークとナイトロ○グのお二人とか。






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